舞い降りし軍艦鳥 (帝都造営)
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第1部「折り鶴はもう飛ばない」
第 1 話 我は南の渡り鳥


 

 彼女は運命だった。

 

 妹は私の宿願だった。

 

 先輩は私の夢だった。

 

 私のお母さんは、英雄だった。

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 どこまでも続く碧に、一筋の白線が引かれていた。

 それは次第に太くなり、この大海を二つに裂くように広がっていく。

 

 まるで世界の全てが己のカンバスと言わんばかりの、傲慢な線が引かれていく。

 

 

「船舶登録の確認が取れました」

 

 監視員の声が割り込んできて、私はその半ば現実逃避のような思考から引き戻される。こちらの視線に答えるように彼は続ける。そういえば、あの船の詳細を尋ねたのは私だったか。

 

「オーシャン・カンザキ・ライナーの〈フタゴ・ブリッジ〉……ミクロネシア行のコンテナ定期便ですね」

「定期便……ずいぶん遅く見えるけれど、大丈夫なの?」

「商船はあんなもんですよ」

 

 ほんの数年前までは、それでも良かったのだろう。

 この惑星(ほし)の七割を占める海は人類のものであったし、また人類に与えられて当然のものであると誰もが無邪気に信じていた。

 

 そんな傲慢な時代の名残が、ちらりと光る。ピカピカと規則正しく、まるで何かの意思を持つかのように点滅する。

 

「ん? なにあれ」

「発光信号です。短波通信でも傍受されたらヤバイですからね」

 

 そう言いながら手帳に素早くモールス信号の羅列を書き込んでいく監視員。トンとツーの二進法が慣れた手つきで文字列に変換されていく。

 それを機長に報告して返信のための投光器を持ち出す監視員。このようにして哨戒機と護衛対象の貨物船は情報交換をしているのだという。

 

「民間の逆探知で捉えたノイズも、バカには出来ない情報ですよ。そこから大物が釣れることだってあるんです」

 

 ここは私の知らない戦場。白い波濤を産み出しながら進むその船は格好の的、空を飛ぶ哨戒機が彼らを守る英雄……決してそんな単純な関係ではないらしい。

 とはいえ、それは深海棲艦が現れるまでの話だろう。鈍足なあの船がもし一度でも深海棲艦に狙いを付けられれば、例え積み荷を棄てたとしても逃げることは叶わないのだから。

 

 と、そこで監視窓から船は消える。変わりに景色は青空に塗り変わり、かと思えばすぐに船が視界に戻ってくる。機体が左右に揺れているのだ。気流が乱れている訳でもないし、まさか操縦不能に陥ったわけではないだろう。怪訝な顔をした私を見て、監視員は笑う。

 

「翼を振って挨拶してるんですよ。日の丸見せろ(シヨウ・ザ・フラツグ)ってね」

 

 敵から逃げる足もなく、かといって身を守る盾もない。

 そんな貨物船にとってこの哨戒機は暗闇に灯された希望そのもの。

 

「……もっとも。旗なんて見せたところでなんの意味にもなりませんがね」

 

 ところが監視員は笑みを消してしまう。

 

 太平洋はあまりに広くて、そこに散らばった海上自衛隊はあまりに戦力が少ない。

 航路の防衛を担う唯一の戦力である哨戒機乗りがそんなことを言ってしまっていいものだろうか。

 

哨戒機(こいつ)金属の鯨(サブマリン)にはよく効くんですが、深海棲艦じゃ両眼を塞がれたようなものです」

 

 黙ったまま聞く私に、残念でなりませんと監視員。それが私が身を預ける航空機の真実であるらしい。

 

 仮初めの平和に私が住んでいた頃から、この航空機は誰かを倒すための牙を研いでいた。

 しかしその牙は深海棲艦を倒すための武器ではなかったから、役に立たないという。

 

「それでも、金属部位にはちゃんと反応するんです。それに洋上に姿を現せば視認できる。接近を探知するだけなら、電波障害で分かります。見えないわけじゃない」

 

 そう言いながら、監視窓へと視線を戻す監視員。私が便乗する哨戒機は、眼下のコンテナ貨物船を追い抜いてずんずんと進んでゆく。海はまだ静かで、平穏そのもの。

 

「見えないわけじゃないから、戦えるんです」

 

 それはきっと、私の目の前で()()()()()監視員の矜恃なのであろう。

 

 深海棲艦と呼ばれる生命体――――――彼らが何処から来たのか、何のために攻めてくるのか。それすらも分かっていない。

 何もかもが手探りの戦争。そもそもこれを戦争と呼んで良いのかすらも分からない。

 

「私も2佐のように、艤装のひとつも背負えれば良いのですが」

 

 冗談交じりに監視員が言う。それが会話の終わりを意味していることは、流石の私でも理解することが出来た。何も返さず黙って外を見る。既にコンテナ貨物船は見えなくなっていた。

 

 私は、一体何をしているのだろう。

 

 目を皿のようにして窓から海を見下ろす監視員は、もしかすると浮上してきた深海棲艦や、潜水艦の呼吸塔(シユノーケル)を見つけることが出来るのかも知れない。

 

 一方の私はどうだ、どんなに眼を凝らしても海は海でしかないし、空も空でしかない。監視員は艤装が欲しいと言うが、私は艤装がなくとも戦える彼を羨んでいる。

 

 考えていると思考が悪い方向へと行きそうで、私は窓から目を逸らしてポシェットへと手を伸ばす。

 取り出したのは数える程しかない私物の一つ、髪を結わない時に使えと持たされた鉢巻。

 

 それを私に押しつけた人物の顔が浮かぶ。それは妹離れできない姉の象徴だった。

 

「別に髪ぐらい結えるわよ、ひとりでも」

 

 姉にとっての私は、手のかかる面倒な妹でしかないのだろう。

 確かに散々ついて回ったものだ。毎朝髪も結って貰った。

 

 でも、それは姉がしたいと言ったからそうさせただけのこと。

 私は、独りでも生きていける。

 

 隠すように鉢巻を仕舞い。行き先に想いを馳せることにする。

 

「第8護衛隊群、第3分遣隊……ね」

 

 ミクロネシア連邦はチューク州に拠点を置く、海上自衛隊の最前線部隊。

 それが哨戒機に便乗した私の赴任先だった。

 

 独り言のつもりだったが、監視員は私が話題を振ったものだと思ったらしい。どこか楽しげな表情で、揶揄うように口を開く。

 

「ご不満ですか? 『軍艦(フネ)ナシ護衛隊群』に配備されるのは」

「そんな訳ないでしょ。国を護るのは私たちの仕事なんだから」

 

 自分の声なのに、その台詞はひどく言い訳がましく聞こえた。

 

 

 哨戒艦隊第8護衛隊群。

 

 

 護衛艦を統括する「護衛隊群」という部隊名にも関わらず、その護衛艦が殆ど所属していない部隊――――――誰が呼んだか軍艦(フネ)ナシ護衛隊群。

 海上自衛隊の主力部隊である自衛艦隊の中でも最も広大な警備範囲――――北マリアナ諸島、パラオ共和国、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦の四つの国と地域――――を担当しながら大型護衛艦が1隻も配備されていないという、奇妙な部隊。

 

 最前線勤務なんて大変ねと同い年の先輩は言う。

 大変だろうが頑張ってくれと上司は言う。

 

 どうも本土にしがみ付く彼らにとって前線送りとは不名誉なことらしい。私にとっての戦闘(いくさ)は任務であり職務だ。前線に赴くことは勤務地に不満を持つ以前の問題であって……それに、姉ならそんなことは言わないだろう。

 

 胸を張れと、常に毅然としていろと。

 それが残されたものの務めなのだと――――――姉はそう、私に言い聞かせてきた。

 

「ねえ。第3分遣隊のあるチューク環礁ってどんな場所か知ってる?」

「広いですよ。チューク環礁と言えば、昔は日本の真珠湾なんて呼ばれた場所ですからね」

 

 今は一隻の護衛艦すらも配備されていませんがと寂しそうに言う監視員。

 

 何年も続く深海棲艦との戦いにより、自衛隊はとっくにその限界を超えている。広々としたチュークの環礁が護衛艦で埋め尽くされる日はもう来ないのかもしれない。

 

 それでも。

 いや、だからこそ。

 私たちは胸を張らなければならないのだ。

 

「大丈夫よ。なにせ一隻、軍艦(フネ)が増えるんだから」

 

 そう。私は世界が喉から手が出るほど欲しがる空母の艦娘。暫定的に特務護衛艦(かんむす)と呼ばれる一人乗りの小型軍艦を操る神祇官であり自衛官。失念していたとばかりに肩を竦める監視員。

 

 機体が急激に傾いたのは、その時だった。

 

「ッ! 状況は?」

 

 先ほどの()()とは全く異なる回転。優に三〇度か四〇度、もしかするとそれ以上に傾いているんじゃないだろうか。遅れて計器類がけたたましく鳴り始めた。

 

「警報……じゃあ深海棲艦がっ」

「警報の方が遅かったので我々が目標という訳ではなさそうですね」

 

 哨戒機(われわれ)が目標ではない、ということはつまり誰かが襲われているということ。

 監視員は緩慢な動作で端末に目を落とすと、戦術リンクの示す情報を伝えてくれた。

 

「相手は戦艦五と巡洋艦クラスが七ほど。駆逐は数えるまでもありません」

 

 あれは台所の害虫のように湧いてきますからと監視員。外の雲がめまぐるしく動く。

 

「救援は?」

「近隣の832が商船保護のために緊急出撃(スクランブル)

 

 第832護衛隊。チューク環礁に駐留する部隊。ということは、現場に一番近い艦娘は私。

 幻聴のようなコンテナ貨物船の悲鳴が聞こえる。逃げることの出来ない鈍重な身体、その身に取り付けられた汽笛が助けを求めている。

 

「2佐殿?」

 

 私は拘束具(シートベルト)を外し、機長席へ。哨戒機の内部は様々な観測機器が搭載されているから外から見るよりもずっと手狭だ。機材の合間を縫って前へと進む。

 

「すみません。敵の方に向かって貰うことは出来ませんか?」

「ちょっとちょっと、何言ってるんですか」

 

 監視員が慌てた様子で割って入ると私を睨む。知ったモノかと私は続ける。

 

「迷惑はかけません。近くまで運んでくれれば、後はなんとかします」

「本機は非武装機ですよ。敵の戦闘機に襲われたらひとたまりもありませんって」

「航空戦力が居るんですか? 聞いてないですよ」

「うちの機器じゃ艦種の厳密な探知は出来ません。832が制空機を要請していますから、恐らく巡洋艦クラスのどれかが軽空母です」

 

 そして私が目を通した資料が正しければ、832に空母の艦娘は所属していない。航空劣勢の上に戦艦が複数。本来なら撤退して航空戦力の到着を待つべきなのだろうが、そんな悠長なことをしていてはコンテナ貨物船がやられてしまう。

 私は機長席の背もたれに手を掛ける。

 

「私にいかせてください」

 

 哨戒機の操縦桿を握っている機長は、私のことなどお構いなしに前を見ていた。

 

「聞いてください。この海域にいる空母は私だけです。832だって制空機を要請している。それなら、私が行くしかないじゃないですか」

 

 越権行為なのは百も承知。私は哨戒艦隊の軍艦(かんむす)、相手は航空集団の哨戒機、軍種が違えば指揮系統も違う。それでも、私は為すべき事を為さねばならないのだ。

 

「お願いします機長、責任は私が」

 

 空の向こうよりも遠い機長席に座った彼が口を開いたのは、その時だった。

 

「承服しかねるな2佐。キミの責任で何とかなると思っているのか」

「機長!」

 

 拳を握り締める。またこうだ、ここでも私は戦えない。隊の理屈が分からない訳ではないのだ。正規空母クラスの適性を持つ艦娘は希少だし、温存したい気持ちは分かる。それ以前に戦力の逐次投入が愚策だということも分かっている。

 

 けれどそうやって大切に大切にした結果が「あの戦争」での大和型じゃないのか。肝心な時に使わないで、最期の最期になって使う(ころす)。その轍を再び踏むと言うのか。

 

 真っ赤に染まりそうな私の思考に、機長の声が落ちたのはその時だった。

 

機関(エンジン)、戦闘出力は出せるな? 変針、進路一―六―〇へ」

 

 顔を上げた私に、機長はなんでもないといった様子で口を開く。

 

「832の航空支援要請を受け、本機は只今より対艦誘導弾(ASM)による支援を行う」

 

 その言葉を受けて、今度は私が監視員を睨む番。

 

「この機体、非武装って言ってませんでしたっけ?」

「ASM自体は積載可能です。まあ、今回は()()()()()で攻撃を行うことになりそうですが」

 

 なるほど、そういうことか。

 

 私は機長に一礼して、後ろへと走った。哨戒機は着水できないから、()()()()するなら飛び降りるしかない。

 脱出用の落下傘(パラシユート)を掴んで、背負ってベルトを締める。

 

「推進システム以外の艤装は防水箱に詰めておきます。2佐殿が飛び出したら適当な位置に落としますから、上手いことやってくださいね」

「待って、矢と高角砲だけこっちに寄越してくれない?」

 

 何を言ってるんですと言う監視員から矢を奪う。それは私の翼達。そっと撫でれば、()()()の鼓動が伝わってくる。私との霊力通信(リンク)が確立されている証拠だ。

 

「頼んだわよ」

 

 戦術端末を起動。

 画面に浮かび上がった光点は哨戒機と832護衛隊、この海域に存在する友軍(フレンドリー)の位置を示す。戦術ネットワークに私の存在が紐付けされて、私の預かる軍艦(ぎそう)の名前が浮かび上がった。準備は完了。

 

「ご武運を!」

 

 監視員が扉に備え付けられたレバーを引いて押し込めば、気圧がぐっと下がる。

 哨戒機内の暗闇に慣れていた眼に真っ白な世界が飛び込んできて、それが青色へと変わっていく。

 

 私の返すべき言葉は一つ。祈りを込めて、自分に与えられた名を告げる。

 

 

「空母瑞鶴、抜錨します――――――!」

 

 

 ここは南方、故郷から遠く離れた未知の戦場。

 それでも、私のやるべき事は変わらない。

 

 



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第 2 話 若鶴は蒼を梳く

 

 ここは南方、故郷から遠く離れた未知の戦場。

 それでも、私のやるべき事は変わらない。

 

 ――――――変わらないはず、だった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 流石に前時代的だったせいだろうか。抗議の声を上げるように床が飛び上がる。

 

 いや、飛び上がったのではない。扉の向こうの景色が澄んだ蒼に変わったのを見れば、機体が大きく傾いたのだ。

 

「回避機動……!?」

「2佐、掴まって下さい!」

 

 そして次の瞬間に襲ってくるのは浮遊感、かと思えば直後に全身が床に押しつけられる。

 海という平面空間での動きに慣れた私にとっての異常事態に、そこら中の細胞が不快感を訴えてくる。

 開いていた扉が勢いよく閉まり、重い音を響かせながら外界への道を遮断する。

 

 その瞬間に見えたのは、不格好な影。

 

「敵艦載機……!」

 

 流線形の全翼機、要素だけを取り上げればありきたりなデザインは、しかし世界中どこを探しても見つからないことだろう。

 操縦席を思わせる突起部は鈍い光を放ち、推進機(スラスタ)を思わせる箇所はアフターバーナーのように輝いている。

 

 そしてそれは、悪夢の象徴。

 数え切れないほどの貨客機を文字通り喰い散らかし、空を真っ黒に染めた張本人。かっと熱を覚えた顔面を冷ます術を私は知らない。

 そうなれば、通話装置のスイッチを押し込んでしまうのは仕方ないだろう。

 

「機長さん、もうここでいいです。いいから降ろして!」

 

 その直後に耳に押し込んであるインカムが鳴る。そこで踊るのは機長の声。

 

「馬鹿なこと言うな、2佐の艤装が降ろせなくなる。コイツを振り切ってからだ」

 

 無理です、振りきれるはずがない――――――そんな言葉は必死に飲み込む。

 

 考えろ、必ず突破口はあるはずだ。

 パラシュートを背負いながらでは飛行甲板などの大振りな装備は装備できない。身につけているのは脚部の浮力装置だけで、これでは海に沈まない程度の活躍しか出来ない。

 

「(……それでも、艦載機を放つだけなら!)」

 

 己の手に握られた艦載機。霊力触媒として機能する矢は、もちろん発艦装置(ゆみ)を用いて射出するのが望ましい。しかしこの高度があれば、十分に展開させることは可能だろう。

 つまり、外に飛び出しさえすれば出来る。

 

 もちろん、艤装を降ろして貰えなければ私の作戦能力はゼロだ。とはいえ飛行機を喪った空母は無力。それなら、海に立つことしか出来ない能無しでも問題はあるまい。

 

「構いません、私さえ飛び出せば離脱できるでしょう!」

「……離脱するつもりはない」

 

 それはこの海にせめてもの一石を投じようとする、機長の意地であったのだろうか。

 しかしそんなことを言っていては共倒れである。

 この哨戒機に対空機銃の類いは積まれていない。このままゆらゆらと揺れたところで、最後には海の藻屑となってしまうことだろう。

 

 こうなれば、勝手に飛び出すしかない。

 そう判断した私は制止を振り切って扉に取り付く。

 開ける手順は先ほど見せて貰った通り。扉を開き、秒速数百メートルの風が吹く世界へと顔を覗かせる。

 

 その瞬間、待ち受けていたのは敵の艦載機。

 

 扉が開けば私が飛び出てくることを見越していたのだろう。下等生物と世界中の学者が罵ったところで、深海棲艦には知性があった。

 そして敵機と眼が()()。比喩ではない、眼があったのだ。具体的にはその鈍く光るキャノピーと真っ黒な銃口が、しっかと私の双眼を捉えていた。

 

 携行していた高角砲を咄嗟に差し向けて発砲。近距離での轟音に乗員の悲鳴が木霊する。

 

 突出した一機が旋回してこちらに(あぎと)を向ける。味方機を巧妙に盾にしながら再び距離を詰めて迫ってくる。その腹に抱えられた臓物を見て、私は目を見開いた。

 

 それは閃光を放つ寸前にまで膨れ上がっていた。敵の照射に至るまでの情景がスローモーションで目に灼きついていく。艦娘の加護があれば、例え実体弾でも深手を負う程度に抑えられる。ただし私が無事でも、哨戒機が爆散してしまえば()である。

 

 ええいままよと、私は身を投げ出した。

 両足で蹴って蒼穹へと飛び出す。腕で前面を守り、哨戒機の盾となる格好に。

 

 例え稼げる時間が一瞬でも、哨戒機が全力で逃げれば無駄ではあるまい。態勢を崩しながらも牽制弾を放ち、奴の注意をこちらに向ける。

 

 深海棲艦は本能的にデカブツよりも小型のヒトを狙う。仮説というレベルで提唱されているに過ぎない可能性に賭けた私は勝った。もちろん、奈落への片道切符と引き換えに。

 

 衝撃を待ち受けるだけになった私。それなのに、その瞬間は何時まで経っても来ない。

 

「え……?」

 

 その閃光は、敵機の閃光。相手の断末魔。

 状況が飲み込めない私に答えを示すかのように、小さな水上機が現れる。落下しながら見上げた空を護るのは、翼に刻まれた赤い日の丸。水上機は挨拶のように羽根を振って、ぐるんと機首を翻した。

 

 何処の部隊が助けてくれたのか。そんなことを考える暇はない。

 大事なのは私に命が残されたという事実。それなら私は命尽きるまで深海棲艦を討つ。それが私の使命なのだから。

 

 足が空を切り、支えを失った身体が風に流される。

 片手に抱えた矢束だけは離さずに、回転する視界の端で哨戒機が飛び去っていくのを確認する。先ほどの水上機だけでは追い払い切れなかったのだろう。その先には雲霞の如き敵機の姿が見えた。

 

「やらせるものか!」

 

 さぁ、咲き誇れ。

 

 急速降下しながら矢束をばら撒くだけで、水を得た魚のようにその切っ先は一斉に(うみ)を向いた。弓に矢を番える必要はない。艦載機が緊急展開、瑞鶴の銘の元に桜花の機体が(そら)を裂く。

 八十機の閃光が弾薬をばら撒きながら、敵の航空隊を穿っていく。

 

 パラシュートを開くには早い。落下し続ける中で私は脚部艤装が発生させる浮力力場で無を蹴った。

 

 脚部から放出される不可思議な力は、確かに重力には無力だろう。

 しかし(みず)相対(あいたい)するものならば、空気中の蒸気を捕まえることは出来るはず。爪先まで神経を集中させ、ただ突くように蹴り出した。

 

 もちろん降下速度に対しては僅かな距離しか移動できないが、敵の砲火を掻い潜るには十分。背中と頭上で炸裂する殺意を感じつつ、私の身体は戦場に舞い降りる。

 

 目指すは眼下に映るコンテナ貨物船。

 群がっている敵艦を排除しないことには意味がない。息を詰める。片眼を閉じる。右手に構えた高角砲は、砲撃戦にも耐え得る特注品だった。

 

 それでも、まだ距離は遠い。対空砲火の間隙をすり抜け、その瞬間を探す。

 

「今ッ!」

 

 パラシュートを展開、海面まではもう百メートルもない。もはや死なない程度の減速しか望めない事実上の自由落下。

 艤装の出力を限界突破。大量の水飛沫を巻き上げながら、落下による運動エネルギーを相殺する。艤装が引き裂かれんばかりの悲鳴を上げる。

 

 絶対に沈まないという心と、艦娘としての加護。それらを糧にして衝突する。

 文字通りに海が割れた。落下の衝撃と水を弾く力が均衡し、私の身体を中心に凹んだ海面。

 照準に敵機が映る。どうやら地球の重力を以てしても、私の意識を刈り取ることは出来なかったらしい。このとんでもない無茶ぶりに、見事に瑞鶴(フネ)は耐えきったのだ。

 

 流石に度肝を抜かれたのか、何匹かの深海棲艦は棒立ちだった。

 貴奴ら(きゃつら)が人並みの知性を持ち合わせているのかはこの際どうでもいい。私は艦娘で、目の前に敵。それだけで十分。

 

 トリガーを引き絞る。

 艦橋に張り付こうとした深海棲艦。その胴体を撃ち抜いたのを見届ける余裕はない。次の瞬間には跳ね返るように飛び出して、私は次なる獲物を狙う。

 立ち塞がろうとするヒト型が機銃の雨を浴びて仰け反る。ここに展開する艦載機の一つ一つが、私の手であり爪。

 

 さながら意志を持つ猟犬の群れ。束ねる首領が私である。

 

 雲霞の如く繰り出す技巧は、数が限られる空母艦娘においても至難。それを出来るという自負と、戦では負けられない矜持だけが私の唯一であり全て。

 搭載数に勝ったり秀でた能力を持つ空母は他にもいる。例えとがった性能がないとしても、翔鶴型航空母艦は戦線を支えるには十分に応えてくれる。であるからして、この戦闘に於ける制空権争いは(いち)が全。全が(いち)だ。

 

 戦術端末がピープ音で鳴く。脳に負荷をかけ過ぎだと警報が走ったのだ。

 ここで全力を出さなければ瞬く間に相手に磨り潰されるのだから、もちろん無視。

 

 逃げ傷なんて許されない。墜とした敵機の翼端が鋭利な刃物のように散って、破片と共に流れていく。腕を掠めれば、後方に延びていくのは赤色。

 

「この程度……ッ!」

 

 何という事はない。作戦続行。

 幾重にも張り巡らされた戦闘機の網。それで敵艦を察知し、砲撃を避けて逆に攻撃を叩き込む。まさに攻防一体、旋回すらも回避に非ず。次なる目標へ砲を向ける。

 押しては撃ち返す波のようであれ。果敢に攻めても圧倒的物量には敵わない。防戦は言わずもがな。

 

 であれば、私が待つのは相手の一瞬見せる()()()を穿つこと。

 どんな熟練者でも、仕損じれば態勢を立て直すための隙が取られる。それだけを狙い、ひたすらに海を駆ける。

 二機、五機撃墜、攻撃失敗、三機、四機撃墜、編隊を崩されたので回避運動。

 一機、六機撃墜、結集、再攻撃。私の念波に艦載機が山彦のように答える。

 

 皆が命を張っているのだ、帰るフネである私とて、ただ命令を出すだけで指を加えて見ているだけではない。

 

 業を煮やした深海棲艦が、しびれを切らして突撃してくる。砲弾は私がいる場所へと正確に叩き込まれ、視界を覆い尽くすかのような水柱が立ち上がる。

 

「空母だから接近戦は苦手? 冗談、侮らないでよねッ!」

 

 幼い頃から姉に仕込まれた武術はこの日を待っていたかのように呼応し、千切っては投げと呼ぶに相応しい乱舞を支えている。

 相手が腕部に組みついた鈍器を振り下ろすと同時に身を捻る。手甲や脚部装甲と言った鋼鉄の面で受け流し、あるいは手刀を叩き込む。未知の生物といえど、可動部を装甲で覆うのは不可能。

 首や関節を狙っての強打。時には己が錨を鞭のように操り仕留めていく。

 

 刹那、ひときわ大きな衝撃が私を襲う。戦艦級の砲撃がいよいよ集中し始めたのだ。

 

 辺りに水柱が立ち上り衝撃波が臓器を揺さぶるが、致命傷だけは躱す。

 機銃弾は厚手の部分で受け止める。敵からしてみれば、前後左右に退路を断った艦娘は良いカモだろう。

 

 しかし、私の使命は果たされた。向こうはいつでも()()出来ると思っているのか、一匹たりともコンテナ貨物船に取り付いていない。船は守られたのだ。それでは、終幕としようではないか。

 

 仕掛けは()()()着水する前に仕込んである。戦闘機では制空は取った、敵は狙えとばかりに固まっている。狙い撃つまでもない。矢はすでに放たれている。

 

「全機急降下! 瑞鶴爆撃隊っ、やっちゃってッ!」

 

 天に指を差し振り下ろすと、彗星の名を冠する機体が文字通りに戦場を縦に裂いた。我が身の可愛さなんて、戦場において不要。己が肉を斬らせて敵の骨を断つ。

 

 周辺に踊る爆炎は、私の戦果を示すように揺れる。パチパチと肉だか火だかが弾ける音が、まるで拍手喝采の万雷だと言わんばかり。

 

 袖を焼こうとした炎を海面に転がりながら消すが、そこそこに痛い。火傷の跡が残りそうだと自嘲しながら、布切れとして役に立たなくなった上着を放る。

 その時、殺気。爆煙から敵の駆逐艦が飛び出してくる。

 

「落とし損なったかッ!」

 

 悪態をついても始まらない。イ級と呼ばれるそれは姿こそ不格好だが、巨大な弾丸となって突撃してくると非常に厄介。戦艦の仇討ちと言わんばかりの勢いで直線的に迫ってくる。

 

 いや、仇討ちなら良いのだが――――――肝心の戦艦を倒せた確証はない。

 

 駆逐艦に対処する最中、戦艦に狙われればひとたまりもないだろう。

 さてどうするか、残された手は少ない。

 

 戦闘機はともかく、爆撃機は一度攻撃してしまえば次がない。弾薬を補給するためには着艦に必要な飛行甲板を回収するか、さもなくば回転するプロペラに切り刻まれながら強行収容を試みるか。

 いずれにせよ収容作業を行う間、私は無防備になってしまう。せめてもう一隻空母がいれば、幻想の姉が浮かんでは虚空に消える。敵は幾万さりとても。勇ましい軍歌がどう謳おうと、数の劣勢は覆せない。制空権があっても、敵は海中から文字通りに沸いてくる。

 

 

「空母のお姉さんッ! 飛んでッ!」

 

 

 そんな声が聞こえたのはその瞬間、足下に走るのは真っ白な線。

 

「魚雷!?」

 

 この海域に何処の誰が。

 しかし、その白色の殺意が私に届くことはない。むしろ私の足下をすり抜けて、眼前に迫っていた駆逐艦を水柱に変える。

 

 飛び込んできたのは黄色い風。

 白鞘を腰に結わえ付けて、二振りの髪を海に流す人影が駆け抜けた。

 敵駆逐艦の巨体を切断するは小柄な少女。更なる新手を捌こうと、得物を振るう。

 

「どおおおおりゃあああああぁぁぁぁぁッ!」

 

 突き刺したままひと捻り、イ級はそのまま敵陣に向かって放り投げられて爆散する。

 

「むぅ……皐月ちゃんばっかりズルイ!」

 

 続いて私の視界に現れたのは遅れてきた栗毛色の少女。背中に背負った艤装をみれば皐月色の少女と同類なのはすぐに分かった。振り上げた単装砲が、吠える。

 

「攻撃かいしぃ!」

 

 一瞬遅れて爆ぜるイ級。栗毛色の少女がくるりと振り返って、私のことを見上げた。

 

「文月はどうだったぁ? おねーさん」

「えっと……味方ってことでいいのよ、ね?」

「そーだよっ、首根っこ捕まえて引き吊って来いって司令官が言ってた!」

 

 何と物騒な言葉を吐く駆逐艦か。

 思わず私が問いただそうとした時、新たなる追手が迫る。

 

 新手の敵航空隊。数えるのも億劫な数。対する私の航空隊は消耗して動きは精細を欠く。

 回収は間に合わないか。ついに力尽きた艦載機が火花を散らして矢に戻っていく。それらがぼとぼとと海面に不時着する光景に後ろ髪を引かれつつ、私は次の手を考える。

 

 敵機は目前まで迫ってきていた。両手に構えた高角砲と両腰から伸びた機銃群が空を護るが、それでも弾幕と呼ぶにはあまりに覚束ない。敵機は鋭利な翼端をナイフのようにチラつかせて、私の頬を削る。致命傷ではないが、一気に態勢を崩して転倒する。傷口に当たる塩味に痛みを感じて飛び上がるが、もう遅い。頭上の艦爆隊が一斉に抱えた凶器を下した。

 

 急加速で振り切るか?

 

 否、間に合うまい。せめてもの反撃と砲撃を放つが、焦って荒ぶる照準では当たるまい。一機二機を墜としたとして、あの数を薙ぎ払うことは叶わない。

 

 

 嗚呼、これで死ぬのだと諦めた所――――――蒼空に華が裂いた。

 

 

 文字通りに拡散した金属の粒は、花粉をも思わせる勢いで敵航空隊を包み込む。炎色反応の橙色や黄色が空にぶちまけられて、後には残骸すらも残らない。

 

 三式弾。

 

 戦場を引っ掻き回すようにして放たれた朔向きの砲雨は、獲物を前に下舐めづりしていた艦載機を一網打尽にしてしまった。おそらく戦艦級による超長距離狙撃。

 

「健在で何よりだッ! お客人」

 

 私の目の前に躍り出てきた黒髪の少女がさも二丁拳銃のように太腿のホルスターから主砲を引き抜く。

 

「ここはこの磯風に任せて貰おう」

 

 僅かに残された敵機をガンマンのように正確な射撃で叩き落とすと、こちらに背を向ける。艤装に張り出した身の丈を越える対空電探が敵航空隊の前に立ち塞がった。

 

「磯風さん遅いって! 間に合わなかったらどうするつもりだったのさ」

「そもそも二人が先行し過ぎだ。担いできた重石を考えてくれ。通常の陣形を放り出して、衣笠や神通に直衛を任せただろう。おかげでこちらは息切れしているぞ」

 

 対空戦に特化した、甲型駆逐艦の艤装。磯風と呼ばれた少女が、こちらを振り返る。

 

「その艤装、航空母艦とお見受けする。この非常時だ。メンツは瞑って、832の指揮下に入れ。ウチの司令なら悪いようにはしない」

 

 ニカリと口角を上げた少女が伝文を送ってくる。

 暗号が自動解読され、ひとつの通信回線への招待を引き出した。

 迷わずにコール。切羽詰まったアルトが、私の鼓膜を震わせる。

 

「第3分遣隊戦闘指揮所だ。空母瑞鶴、聞こえるな?」

「サウンドクリアー、こちら瑞鶴です。助けて頂いてありがとうございます」

「積もる話は後だ、相手を蹴散らす。この程度ではくたばらないよな?」

 

 何と砕けた台詞だろう。こんな指揮官を私は他に知らない。素が出ているのだろうか。

 

「臨むところです」

「なら話は早い。磯風、準備はできているな?」

「まったく、司令も無茶ばかりを言う。そら、瑞鶴。ご所望の飛行甲板だ」

 

 彼女が腰背部に懸吊した影を指し示す。それは彼女の身長くらいはありそうなコンテナ。

 

「これを運ぶのに手間取ったのだ。司令の先見の明は恐れ入るよ」

 

 展開されて姿を表すのは、新品の飛行甲板。海面に浮かべられた状態は、まさしく史実の航空母艦のように今か今かと艦載機を待っていた。そこに駆け寄ってくる皐月と文月。空を睨みながらも両手に抱えてきたのは、私の放り出した矢束だった。

 

「さて、ここからは貴官にしか出来ないことだ。殊勲艦の腕前、見せて貰おう」

 

 嗤った磯風が、煙幕を張る。時間稼ぎの煙が、私に風向きを教えてくれる。

 

「お願い、あと少しよ。力を貸して頂戴」

 

 願ったのは航空隊の無事と、啓けた大空。

 

 私と妖精達(かんさいき)の意思疎通はいつも曖昧。想いだけが彼らとの信頼に足るというわけだ。

 

 カタパルトが駆動し、祈りが込められた緑の翼が翻る。私の分身も蒼穹を願ってくれたのだ。曇り一つ無き戦場を。疲れを見せながらも敵機を喰い散らかし、母艦の為に命を張る。

 

 あちらの司令官が用意した飛行甲板。そして磯風達の増援を以て、ついに戦局は傾いた。

 



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第 3 話 千鳥は空を下す

 戦いが自衛官の全てでないというのは、教壇のお歴々が授けてくれた有り難い教訓の一つ。

 

「すみません。何か仰って頂きたいのですが」

 

 ミクロネシア連邦チューク州。州を構成するチューク環礁の中でも最も大きいウエノ島。

 国際空港が置かれ行政の中心地となっているこの島に、第8護衛隊群第3分遣隊の司令部庁舎は置かれていた。

 

 上位組織は南太平洋統合任務部隊ミクロネシア前方展開群。隷下に第831護衛隊と第832護衛隊を持ち、同じくチューク州に展開する航空自衛隊第83独立警戒隊も指揮することで事実上の統合任務部隊となっている「チューク分遣隊」。

 支援要員含めて人員はおよそ450名――――――それら全ての指揮権を握る男の目の前で、直立不動でお叱りの言葉を待つ幹部自衛官。それが私だった。

 

 

 もちろん、申し訳ないとは思っている。

 

 

 当事者でもない幹部(わたし)が泊地の指揮系統に割って入ったばかりか、あまつさえ戦闘にまで介入した。

 だからこそ私は戦闘が終わると手当もそこそこにして急行して来た訳なのだけれど、その結果がコレである。

 

 正直にいうと、さっさと終わらせて欲しい。指揮官は作戦の統制を乱されたことを指摘し、それを現場指揮官――――といっても指揮下の艦艇は〈瑞鶴(わたし)一隻(ひとり)だが――――である私がそれに対して陳謝する。作戦報告書やら再発防止策の検討うんぬんは、あとで考える。

 これは儀式なのだ。自衛隊は巨大な官僚組織。とりあえずメンツは立ててあげるから、さっさと終わらせて欲しい。

 

 そんなことを考えながら、私は目の前の男性を観察していた。

 歳は三〇代前半だろうか?

 彼の肩書と階級を見れば、人手不足の自衛隊にしたって破格の対応である事が読み取れる。

 きっと才覚と人望に溢れる素晴らしいお方なのだろうと私が勝手に妄想を膨らませていると、彼は寝癖か地毛かの判断がつかない髪をかき上げながらため息を吐いた。

 

「180億だ」

「はい?」

 

 180億という数字が何を示すのか。

 

 私の撃墜数ではないだろうし、仮に全世界で確認された深海棲艦の数だとしたなら人類はとっくの昔に()()

 もし犠牲者の数なら人類は都合三回ほど絶滅した計算になる。皆目見当の付かない私に、彼はゆっくりと口を開いた。

 

「哨戒機の調達にかかる費用が日本円で180億、搭載品を考えれば200億を優に越える」

 

 その数字はどうやら調達予算のことらしい。

 あまりに咄嗟の事で、頭に血が上る。

 

「なんですかっ。私のせいで二〇〇億近く失いかけたって言いたいんですか?」

 

 まさか文句を言われるとは思わなかった。哨戒機を危険に晒した?

 

「そんなことを言うなら、私が助けたあのコンテナ貨物船には一体いくらの財産が乗っていたんでしょうね!?」

 

 少なくとも私は一隻の船を守ったのだ。感謝されるならともかくとして、文句を言われる筋合いはない。

 

「あの貨物船はおよそ三六〇〇〇トン。重量あたり船価と限度額を考慮しておよそ二四億円。それも一般的な減価償却を考えれば使い潰したと言っても良いし、既に二〇年使用している時点で代替艦を用意すべき時期が来ていた」

 

 ところが制服をぴっちりと着込んだ彼は、淡々とした口調で言葉を並べてゆく。

 

「対して君を乗せてきたあの哨戒機は三ヶ月前に納入されたばかりの新品だ。あとは搭載されていた燃料について……単純なタンカーでない以上、満載には程遠い。こちらに提供された情報を鵜呑みにするのであれば、せいぜいが10000トン。今朝の原油先物は、戦時中とはいえ1バレルが40ドル。円安の状況が続いている今なら、単純に一千万円。他の資源についてもある程度代替手段があることを考えれば……」

 

 まるで財務官僚だ。

 仮定と共に並べられるのはどれも180億円には程遠い数字たち。逆立ちしても届かなそうな足し算を行いながら、これ以上話を続けるのかと彼は眼で問うてくる。

 

「じゃあお金の価値なんてもう言いません! 人命は! 乗組員の命を軽んじるんですか!」

「君の独断で哨戒機を喪ってみたらどうなる。それこそ、ないよりはマシの海鷲の眼が一つ消えるんだ。この泊地が先月受けたスクランブルの報告件数は二〇件ほど。そのうちの七割は哨戒機による活躍があってこそ。今年度予算における哨戒機調達数は一二機、単純に一ヶ月に一機が完成すると仮定しても喪失機の穴を埋めるのに一ヶ月。もちろん実際にはそれ以上の時間がかかる。その間のミクロネシア連邦向け航路は誰が守るんだい?」

 

 なら見捨てれば良かったんですか。私が眼で問えば、彼は視線を不自然に泳がし始めた。

 

「……私は根っからの功利主義者という訳ではないが、最大多数の最大幸福は尊重されるべきだと思っている。貨物船の避難区画に船員を逃がし、戦闘終了後に回収する。これは契約時に船長にも納得頂いているプランだった。それを君の独断先行で覆さざるをえなかった」

 

 不釣り合いな天秤を揺らしてでもね。難しく回りくどい言葉を使ってきているが、彼はこう言っているのだろう――――メンツを潰されたと。

 

「そ、それを言うなら! あの船には石油だけじゃなくて食糧とか弾薬も積んであったんじゃないんですか? それって補給品ってことですよね」

 

 深海棲艦を見つけられないと戦いにならないのは分かりますけれど、そもそも補給がなかったら戦えないじゃないですか――――――私の反論は、その場しのぎで生み出した割には的を射ていたと思う。

 しかし彼の返事はにべもないものであった。

 

「ミクロネシア連邦は、元々自給的漁業の鮮魚消費で経済が成り立っている。ここチューク州においては日本人の移住が進むにつれて食糧自給率は低下しているが、それでも八割を維持し続けている。ヤップ州、ポンペイ州、コスラエ州は十分な沢や樹林と陸地もある。そうそう干上がる土地ではないよ。貨物の水密処理が規定通りであれば、弾薬も事後に海域から回収できる。水雷戦隊が行う遠征任務には、本件のようなケースは多分に含まれる」

 

 事前情報を置き忘れてきたのかと彼は釘を刺してくる。痛い所を突かれて、私は口ごもる。

 

「それとも君は、この島は自衛隊(われわれ)の駐留なくして成り立たないとでも言うつもりかい?」

 

 あまりこの国(かれら)を侮辱しない方がいいと彼は言う。

 ミクロネシア連邦は軍隊を持たない、しかしだからと言って全ての戦いを日本が肩代わりしているわけではない。

 牙を持たぬ哨戒機にとって最大の武器がその()であるように、戦い方はいくらでもある。

 

「我々は客将だ。利害の一致なくしては団結できない。ミクロネシアは抱える人民を護る為、日本は中部太平洋を突破された時に焼かれる国土を護る為。仮にこの泊地を喪えば……」

 

 それこそ国家が総動員をかけねばなるまいよ。

 彼はどこか寂しげに語ったのだった。

 

「…………そして、いい加減にその破廉恥な格好をどうにかしたらどうか。目に毒だよ。報告くらい幾らでも後で良い。そんな些細な事で、私は気分を害しない」

 

 そう言うと、彼は執務椅子をぐるりと回して窓の外を見上げる。もはや此方に声を掛けるつもりもないのだろう。横に控える衣笠と名乗った艦娘が言葉を継ぐ。

 

「まーま、瑞鶴さん。とりあえず替えの服だけでも着ないとね?」

 

 なんというか、結構びっくりな格好になっちゃってるから。そう言う衣笠さんが眼を逸らし気味だったことに気付いて、私はようやく自分の装束に眼が行く。

 問題があるのだろうか。

 確かに港に着いた時は裸族と言われても仕方ない恰好だったが、ジャケットを借りてきてマシになったとは思う。そんな私に衣笠さんはおずおずと続けた。

 

「その、貴女は気にしてないかもしれないけれど……上着の丈がギリギリだから……ね」

 

 ようやく理解した。

 腰巻程度にしか残っていないスカートを垣間見れば、殿方に履いていないと思われると。思えば背を向けている彼は視線を泳がせていた。

 

「~~~~~!」

 

 つまりそういう事か。

 

「提督さんのエッチ! バカ! 変態! 信じらんない!」

 

 そんな考えが浮かぶのは心が汚れているから。

 そう言い訳して先程迄の鬱憤を叩きつける。彼はというと、意にも介さず窓際によりかかり葉巻を吹かし始めるのだった。

 

「……本件は不問に処す」

「はぁ! 私を視姦したことを不問に処すですって?!」

「独断の件だ! 君の独断は本来であれば、作戦中の部隊を妨害したことになる。しかし、人命重視には一理ある。これは事後処理だが、貨物船の撃沈後の回収作戦を破棄して戦闘開始一三分後に群司令部に迎撃を承認させた。従って、命令違反の咎を受ける必要はない」

「人が死ななかったから見逃してくれるってことですか?」

 

 鼻で嗤ってそう聞けば、彼はわざとらしく肩を竦めた。

 

「私が指揮官ではなく、君と同じ一兵卒であれば同じ判断をしただろう。貨物船(アレ)に沈まれると困る。次の煙草の配給が何時になるか分からないからね。部下からどやされる」

「……?」

 

 そんな自分勝手な理由で、貨物船を護る判断へと舵を切ったのか?

 私の表情が様変わりした事に、彼は気付いたことだろう。

 そして彼は、悪びれる様子もなく続けるのだ。

 

「怪訝な顔をしているね。嗜好品を奪われた軍人がクーデターを起こしたらどう責任をとればいいんだい?」

 

 部下達の戦意が嗜好品で買えるならそれに越したことはないと、彼は何でも無いことのように自分の命令を正当化する。

 

「戦争はあらゆる要素が絡み合うからね。少しでも不安材料は取り除く。私が指揮官であるうちは徹底するさ」

 

 私は少し驚いた。先程まで調達予算と守った財産の額面を天秤にかけていた人間の台詞とは思えない。

 彼の顔面に貼られていた「財務官僚」のお札(レッテル)が、ひらりと剥がれて落ちる音がした。

 

「てっきり、不要なものと切り捨てると思ってました」

「初対面の相手に、なかなか毒を吐くね。言った筈だよ。根っからの功利主義者ではないと」

 

 私情を優先する、公務に不適格な軍人さ。胡乱な目を向けると、彼は苦笑い。釈然としないけれど、ここの現場指揮官の人となりを知ることは出来たと考えればいいのだろうか。

 

「つまり提督は、お前を心配していたという事になるな」

 

 理由付けしないと梃子でも動かん男だからな、提督は。先ほどから壁に背を預けてこちらを眺めていた長身の女性が声を上げる。細身ながらも鍛え抜かれた身体を備えたその艦娘は、武人にも似た落ち着いた振舞いでこちらに向かい合うと、それから口角を上げた。

 

第3(チユーク)分遣隊の長門だ。一応、第831護衛隊の旗艦(たいちよう)をやっている。よろしく頼むぞ」

 

 第831護衛隊といえば、私が配属される部隊である。

 

「本日付で着任しました。航空母艦瑞鶴です。よろしくお願いします」

 

 そう言いながら長門と手を交わす。すると長門隊長は間を置かずクツクツと嗤い出した。

 

「いやぁ。しかし面白い物を見せて貰ったぞ、瑞鶴よ。あれだけ慌てた提督は久しぶりだ」

「?」

 

 何のことかと目で問えば、私が会敵した直後の事だと長門隊長は語り出す。

 

「聞いているこちらが目を剥いたぞ。『制空とれてないのに戦場に空挺降下するのは、一体どこの馬鹿だ!? 長門、水戦を全機頼む。意地でも無事に降ろせッ!』とは恐れ入ったよ」

 

 その発言に目を丸くして窓際を見れば、彼はそんなものは知らないとでも言いたげ。

 

「君を喪えば、ウチの戦歴にも傷がつく。指揮官として当然の判断だと思うけれどね?」

 

 彼の耳には朱が混じっていた。反応に満足したのか、長門隊長はこちらに耳打ちをする。

 

「性格に難アリな指揮官だが、誠実な方だ。悪態吐きながらお前の事を褒めていたぞ?」

「何か言いたいことがあるようだね? 長門隊長」

「いえッ! 小官はこれより、泊地設備の案内にとりかかります!」

 

 急に畏まった調子で長門隊長が敬礼して、それから強く私の手を引いた。

 

「ようこそ日ノ本の最果てへ。我々は君を歓迎しよう」

 



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第 4 話 梟は森のみ知る

 中部太平洋には、ふたつの天気がある。

 

 

 ひとつは晴れ。

 どこまでも青く、時折白い雲が漂う空。行き先の知れぬ海鳥が視界を過ぎる頃には、雲は形を変えている。

 

 そしてもうひとつは、雨。

 スコールに台風、どんな雨であっても、雨はバケツをひっくり返したような暴力的な雨と決まっている。そして好きなだけ大地に海をさんざ叩いて、まるで煙のように消えてしまう。

 

 そうして決まって、雨の後には晴れが来る。

 

「釣れますかな、提督殿?」

 

 茶化すような声を聞いて、提督と呼ばれた男はのそりと振り返った。

 

「やめてくれないか。提督とはそれ自体が敬称だから『殿』をつけるのは正しくない」

「提督と呼ばれること自体は否定しないので?」

「あなたにだけ呼ばれるのなら、否定したいところだが……」

 

 提督とは、本来であれば海軍将官、つまり海軍大将や海軍中将……この国で言うところの海将や海将補にのみ適用される敬称である。

 

()()()は私を『提督』と呼ぶことが士気高揚(モチベーション)に繋がると言う。それなら、無理に矯正することはないだろうさ」

「なるほど。ご尤もで」

 

 そう言いながら「提督」の隣にしゃがむ男。白シャツの胸元には誘導弾(ミサイル)を象った徴章(エンブレム)略綬(リボン)が踊っている。

 

「それで、釣れましたか」

「釣れたと思うのかい?」

 

 提督は手元の釣り竿を見て、肩を竦める。恐らく放置されたきり糸が引くこともなかったのであろう竿は、太陽の光を浴びて僅かに熱をもっていた。

 

「少しばかり活きが良い()がかかりましたよ。少し威勢が過ぎるかもしれませんが」

「ほう。本国から直送される()()()は、そんなに魅力的でしたか」

 

 誰が何を聞いているか分からないから、この二人は雑談がてらこういった情報交換をする。訳あって送り込まれた異分子が、自分らの益になるかどうか。その見極めを。

 

「恐れながら、手元に置いておくには()()()()()と思いますが」

「だが、使わなければ意味がない。せっかくの()()を腐らせるのも勿体ないからね」

御尤(ごもっと)も」

 

 男は提督の隣に腰かける。煙草を胸ポケットから取り出して、一つを吹かす。それが灰だけになりそうなタイミングで会話が再開する。

 

()()は良い眼をしている。私の役に立つ筈です」

「提督の()()()にでもしますか? 肩書きも申し分ないでしょう。優秀な女は煙たがられますがね」

「まったく……ヘビースモーカーには言われたくない台詞だ」

 

 二人して嗤う。必ずや自分達の障害になる艦娘の事を。彼女は偽りの平和に彩られた前線を崩壊させる楔になりうる。そんな運命にも似た未来図を描くのだ。

 

「だが案ずることはない。832が巨大な獲物を釣り上げたらしいから、今夜のおかずには困らないだろうね」

「餓える将来は変えられなくとも、目先に食糧(せいか)があればそれはいい報せですな」

 

 それだけ言うと、男――――――小沢2等空佐は水平線の向こうを眺める。「提督」が腕時計に眼を遣れば現在時刻は午後3時(ヒトゴーマルマル)

 時計が示すチューク時間(CHUT)日本標準時(JST)より1時間早いので日本でなら午後2時。なにをどう考えても就業時間である。

 

「それで、仕事を放り出してきた訳でもないのだろう? 何の用で」

「あぁそうでした。私めからも報せがありまして……良い報せと悪い報せ、どちらから聞きたいですか?」

「悪い報せから」

 

 即答であった。

 物事は常に最悪を想定しなければならない。それは第8護衛隊群第3分遣隊の数百名を預かる者としては当然のこと。

 

「おや。好きなものは最後に取っておくご趣味で?」

 

 しかし小沢2佐にしてみれば、その返事はつまらないものであるらしかった。なにせこの手の話は「良い報せ」から聞かなければ話が成立しない。

 

「……本当に良い報せなんだろうな?」

「ええ、それ自体は間違いなく」

 

 そして「提督」は、仮にも百余名を預かる独立警戒隊の長なのだから等と説教を垂れるような人間ではなかった。小沢は笑いながら続ける。

 

「増員の話、ついに通りますよ」

「それは本当かい?」

 

 信じられない。

 

 なにせ海上自衛隊、ことさら深海棲艦対処の専従部隊である哨戒艦隊は慢性的な人手不足。()()()()()()()()()()()には増員が寄越されないのが当たり前。むしろ余裕を抽出して余所の戦線に回してくれとすら言われる始末である。

 

 だからこそ提督――――――瀬戸月1等海佐が己の耳を疑ってしまうのも仕方のないことであった。

 

「流石に『い号作戦』の成功が効いたんじゃあないですか? あれには幕僚部(うえ)も驚いたでしょうし」

「……空母ナシで『い号』がやれるなら、今後も空母は要らないなと言われたばかりだ。驚いたと言うことはないだろう」

 

 何か裏がある。瀬戸月1佐の直感はそう告げていた。

 そして恐らく、ソレが「悪い報せ」へと繋がっていくのだろうということも。

 

「で、肝心の悪い報せですが……」

 

 目配せで続きを促した提督に、男は小脇に抱えていたタブレットを差し出す。

 

「その増員、どうも臭いんですよね」

「空母艦娘を寄越してくれるなら、多少の目付役は受け入れるさ」

 

 瀬戸月は即答しつつもタブレットを受け取る。そこに表示されていたのは、ありきたりな個人情報(プロフィール)……ではない。

 そもそも、コンピュータに親でも殺されたのかと言わんばかりに紙媒体(ハードコピー)に拘る自衛隊が、個人情報をタブレットなどで管理するはずがないのだ。

 

「どこで調べた」

「一般的な探偵による素行調査ってヤツです」

 

 そこに記されていたのは、調査対象の人物がこれまで社会に残してきたありとあらゆる残滓(ログ)拾得(トレース)し調べ上げたのであろう情報の群れ。

 家族構成はもちろん政治信条の傾向分析まで。聞き込みでも行ったのかと思わせるほどに緻密だ。

 

「一般的な探偵とは思えないな」

「持つべき者は戦友(とも)ってことで」

 

 深く詮索しない方が良さそうだ。瀬戸月は余計な思考にカロリーを使うタイプの人間ではなかった。

 

「優秀な自衛官なのは分かった。それで?」

「おっと、もう少し困るかと思ったんですがね。こんな怪しいのを受け入れても問題にならないと?」

 

 小沢の言葉に、瀬戸月は逡巡しているように見えたことだろう。

 

 

 

 しかし実際には、彼は――――――

 

 

 

「これも何かの縁、ということなんだろうね」

 

 

 

 

 

 ――――――ただ運命を、受け入れていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 各艦の射程。

 制空状況。

 風向きや波濤といった天候。

 そして損害状況と補給。

 

 私の目の前で展開されたあらゆる情報が陣営の優勢を示していた。

 

「くっ……」

 

 そう、()()()()()

 

 開始時点で優勢だった戦況は、今は見る影もない。

 いったいどこで間違えたのだろう。敵艦隊を安全圏から討滅するつもりだった私は、戦果報告を過信しすぎて自分の足元が揺らぎ始めているのに気付くのが遅れた。

 

 盤上の駒を注視しながら手を進めている筈なのに、虫が巣くうようにボロボロと削れていく外縁部。

 綻びを一瞬でも見せると、食い散らかされて分断される。

 

 艦隊行動を読まれていたのだろう。推進音すら探知させずに――――おそらく状況開始の時点から用意されていた――――潜水艦の雷撃が主力艦に致命傷を与えたのが終わりの始まり。

 混乱に乗じて放たれる艦砲。

 拓けた航路を縫うのは精強な水雷戦隊。

 ほうほうの体で繰り出した反撃も、戦闘機部隊を主力とした護衛に阻まれる。

 

 誰の眼から見ても明らかな敗北であった。

 

「状況終了」

 

 図上演習用のホロスクリーンが消灯。電子の海に踊る艦影が消え失せる。

 

「……完敗です」

 

 これは認めざるを得ない。これでも指揮には自信があったのだけれど……所詮は井の中の蛙ならぬ専科の中の学生だったということか。

 

 ゆっくりと照明の明度が上がっていく。私は天井を仰いで、それから部屋を見回す。

 

 今回行っていた図上演習は簡易的なものなので審判はいない。いってみれば指揮官の優劣を競い合うためのちょっとしたミニゲームのようなものだ。

 とはいえ勤務時間中にそれを行うということは立派な職務である訳で……。

 

「えぇと……」

 

 腕組みをするのは長門隊長。

 資料を片手に睥睨するのは水雷戦隊の指揮を預かる神通さん。

 私は防大では負け無しだったと豪語していた幹部自衛官。

 

「グリッドE16からD18に……いや、それでは120セコンドの遅延がクリティカルか……すると……」

 

 そして向かいの対戦相手はというと、眉間を指で突つきながら言葉にならない音節を紡いでいる。

 

「提督よ! いい加減に図上演習(うみ)から戻ってきたらどうか?」

 

 没頭し過ぎだと注意する長門隊長が眼前で手を振り、彼はようやく顔をあげた。

 

「いやぁ……あと一歩というところだったからね」

 

 何があと一歩なのだろうか。私の顰め面に気づいたのか、彼は淡々と()()だけを述べた。

 

「三七分後に重巡洋艦が落ちる」

「はい?」

 

 キーボードをいくつか叩いたのちに、彼の思考を再現された戦況図の駒が動き始めた。

 

「大破判定で消滅した重巡洋艦。そのカバーに入るのは、周辺に展開中の雷巡だ。砲火力も下がるし、魚雷の残数はゼロ。防空駆逐艦との距離が開けば格好の的だろう。戦艦からの支援射撃も届かない。少数だが()()()を滑り込ませれば、二時間と四五分程度で旗艦を仕留められる」

「……私の空母の戦果も考えてください」

 

 言われるだけは悔しいのでせめても反撃をするが、彼は主張を変えることはない。

 

「瑞鶴の航空攻撃の成功率は六、七割と高水準。しかし、母艦の補給状況を確認したかい? 搬入航路は開戦直後に遮断済み。そろそろ息切れ始める頃合いだった。ここが攻め時だ」

 

 まったくもってその通りである。

 勝ちを急いだのは他でもない。攻めに気をとられている間に、大周りしていた提督さんの分遣隊に補給艦を落とされたから。

 アテにしていた後衛に退場された事で、私は短期決戦を強いられてしまったのだ。

 

 確かに分遣隊がやられただけ、航空隊は健在だった。とはいえ運ぶ爆薬がなければ只の案山子(かかし)である。

 それを少しでも悟られないために、航空隊は爆装零戦を中心に切り替えていたのだが……提督さんはそのブラフを完全に見抜いていた。

 

「僭越ながら、どこで判断されたのですか?」

「その質問は『戦爆連合が爆装されていなかったことにいつ気付いたか』という意味かな?」

「瑞鶴さんの補給状況は視認できない筈です」

 

 神通さんがそう指摘する。投影された爆戦はあくまでも模型。攻撃したとしても、被弾したとしても出撃時の新品の様相は変わらない。()()()()()()だからだ。

 

「簡単な話だ。63型(ゼロせん)の機動力、爆装ならあの速度は出せないね」

「……」

 

 内部データは加工できない。まさしくその通り。

 ウェイトが軽くなった機体は、運動能力が向上する。

 そのシステムを把握した上で判断したということは、つまり彼は私が劣勢を誤魔化しているに違いないと確信していたことになる。でなければその発想にすら至らないだろう。

 

「おかげで瑞鶴が焦っている裏付けが取れた。あとは迷い無く戦術を実行するだけだったというわけさ」

 

 戦術的にも。そして精神的にも完敗だった。

 それでも、私は言わねばならないことがある。

 

「納得がいきません」

「納得も何も、提督の勝ちは揺るがなかった気がするが?」

「違います。提督さんは、わざと空母を囮にしましたよね?」

 

 補給部隊を強襲する為に提督さんは無茶をした。

 護衛艦の少なさから、私は彼が空母を軽んじていると直感した。護る戦力を持ち合わせていないとしても、彼は()()()()に他ならない。

 

「私自身が大事とは言いません。空母艦娘だからと自惚れるなとも自覚してます。その上で聞きたいんです。どうして提督さんは空母を見殺しにしたのですか?」

 

 ()()()()においても、航空母艦は戦場の支配者(ゲームメーカー)であった。

 

 百の戦艦を揃えても、千の戦車を揃えたとしても制空権なき軍に勝利はない。

 空母の放つ艦載機はその速度と攻撃力で敵を撃破することが目的であって、敵の囮となるためではない。

 にも関わらず、図版の上で私の信条は打ち砕かれた。

 

 空母を囮とした理由を問われれば、勝利のためとだけ返されるだけだろうか。

 実際に負けた、その答えをもって理解せよと言われるのだろうか。

 

 しかし、彼の回答はまったく明後日の方向に飛んで行った。

 

「一つ、私は空母艦娘を扱った事がない」

「はい?」

「その有用性を示された事がないから、カタログスペックでしか判断できんという事だよ」

 

 さいですか。頬を引き攣らせた私を余所に、提督さんは続ける。

 

「二つ、制空能力では瑞鶴の艦隊の方が遥かに上だ。こちらは第二次攻撃どころか、そもそも爆撃機を編成する余裕すらない。だから各艦の護衛にのみ特化し、空母が行動不能になるまで、ローテーションで燃料の補給を行った。落伍してからは、水上戦闘機に役割を譲る。そうこう時間を稼いでいるうちに、タイムリミットになった」

 

 その戦術は、防衛大学校の講義室で聞き覚えのある戦い方。

 形ばかり(ハリボテ)の攻撃隊を携えた空母による囮作戦。

 

 私はエサに食い付いてしまった。そうして提督さんは作戦目標を完遂した。

 

「最初の航空攻撃で、旗艦が落とされるとは考えなかったんですか」

「そちらの航空機数は分かっていた。密集陣形で弾幕を張れば攻撃は自然と護衛に流れる。十分とは言えないが、必要最低限の数は用意したつもりだよ。流石に肝を冷やしたけれどね」

 

 それに一度凌げば、航空攻撃は再展開に時間が掛かる。そう言う提督さんは、本当に空母を数字(スペツク)でしか知らないのだろう。ゆえに正しい。

 

「君を信用しての結果だ」

「信用?」

 

 首を傾げた私に、提督さんは続ける。

 

「瑞鶴は必ず空母を主軸に攻めてくる。扱いに長けた武器を以って臨むと考えただけさ」

 

 彼の言葉が意味すのはひとつ、私が空母であるが故に、彼は打てる手だけを用いたということ。

 敵を知り己を知ればなんとやら、彼我(ひが)に与えられた戦力が同じなら相手(わたし)を知るだけで済んだと言うことか。

 

「航空戦は先手必勝、なんだろう?」

「……えぇ、まあそうですが」

「なら、最初の索敵と制空権確保が成功した時点で瑞鶴が航空攻撃を主軸に戦術を組まないはずがない」

 

 提督さんはそう言いながら淡々と勝利までの道筋を説明していく。

 

 そうだ、その通り。

 航空戦は先手必勝、だからこそ私は勝利を確信した。

 それが慢心に繋がり、まともな反撃を出来ずに敗退した。

 

 つまり、提督さんは噛み付いただけの私を歯牙にもかけず撃退したということ。

 

 そして、一方の私は提督さん(あいて)を知ることが出来なかった。

 彼の長所は砲撃戦か水雷戦か。あるいは夜戦かは分からない。なにせ提督さんは私の攻撃を受け流して弱点(ボロ)を突くだけで勝ってしまったのだから、知る由もない。

 

 対策を組まれている時点で、攻撃せずとも先手を取られていた。

 これでは勝ち筋なぞ夢物語。私は手加減されて喜ぶ幼い子供。

 それが悔しくて惨めで。もしもこれが実戦だったのなら、味方に犠牲を強いた事に歯噛みする。

 

「でも今回の演習で分かったこともある」

 

 そんな私を知らずに、提督さんは言葉を流していく。

 

「空母で重要なのは補給と兵站なんだ。補給があれば艦載機は何度でも出撃出来るし、相手が近づくほど攻撃は届きやすくなる……相手の攻撃が空母に集中しやすいなら、攻撃目標を誘導させることも出来るわけか……」

 

 彼は私のような兵士ではなく、軍師なのだろう。

 棄てるのは一人か百人か。彼にとって艦娘とは戦力というデータに過ぎない。だからこそ、海で流れる血には平等だった。

 

「提督さんは先の為に空母を残すよりも、目の前の海でいかに勝つかを考えているって事?」

「勘違いをしているね、瑞鶴。この戦争に勝ちはない」

 

 そう軽々と断言せしめる彼。一瞬見せた表情には暗い陰が落ちていた。

 

「私は手の届く所が平和であればいい。それがまやかしの安心だとしてもね。だから兵の命は使う。だが誰にも死に場所がある。軽んずるなどもっての他だよ」

 

 その業を背負う覚悟はとうにしているよ。まるで自分に言い聞かせるような声色。

 そうだ、彼は既に命令一つで部下に死ねと言わざるを得ない立場。この戦争に勝ちがあろうがなかろうが、彼はこの戦場で零れる命の責任を負おうとしている。

 

 だというのに私は――――――ますます子供だ。

 この身に不釣り合いな階級章を返上したくもなる。

 

「私は戦術眼しか持ち合わせていない。どうしても戦略レベルになると格が落ちるんだ」

 

 そう。提督さんは将棋やチェスはからきしだった。

 変な所で手を出し渋るし、駒損もする。

 

 それが図上演習では人が変わるのだ。区切り(チヤンク)で切り分けた英文のように。部分的に見れば、彼は完璧な軍師。まさしく冷徹で、成功を収める策士。

 彼は勝敗には拘らない。出撃を繰り返しながらも限りなく損耗を抑えて現状を維持することが彼の本領なのだ。

 

 だからこそ、盤上の両側に大将(キング)がいると彼の腕は鈍る――――――それが彼に対しての印象だった。

 小さな責任を完璧にこなすことは出来ても、大局を決するような場面では輝かない技能。

 見つめる私をどう思ったのか、提督さんが図版から顔を上げる。

 

「臆病者と嗤うかい? 瑞鶴」

「いえ。勝てる戦とそうでないもの。分別をつけることは重要だと思います」

「遠回しに私が諦めていると言われると、流石にこちらも傷つくな……」

 

 違う。諦めているのは提督さんじゃない。私の方だ。

 頭を殴られた感じに近い。理解しようとしたのに。理解したかったのに。もう彼には実力が届かないと私は諦めてしまっている。

 こんな私じゃ駄目なのに。

 

「さて、私は仕事に戻る。良い所で切り上げてくれよ」

 

 彼の背が遠ざかる。残務を終えようと踵を返したのだ。引き留めようとして、手が落ちる。

 こんな自分が艦隊戦の要でもある航空部隊を任されていいのだろうか。その不安をぶつけたかった――――――でも、出来なかった。

 

 肯定されれば責任と向き合わねばならない。

 否定されれば認められる努力を積むしかない。

 

 そのどちらでもないならば……私はいなくてもいいのではないだろうか。

 

「瑞鶴、少し外に出ないか?」

「長門隊長……」

 

 

 そうして立ち尽くした私の肩を慰めるように叩いたのは、長門隊長だった。

 

 



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第 5 話 文鳥は篭の中に

 チューク環礁は、全長200kmにも及ぶ巨大な環礁だ。珊瑚の成長とその死骸によって形作られた生命の揺り籠は、数十の島と数え切れないほどの命を守っている。

 そして長門隊長に連れられるようにして外に出た私を出迎えたのは、鉄筋コンクリートに阻まれてきた直射日光。

 

「うっ、まぶし……」

「いい景色だな。旧軍施設を流用した格納庫と違って、ここはやはりいいものだ」

 

 この程度の光、なんでもないと言いたげな長門隊長がそう言う。

 仮設の海空統合司令部が置かれている小高い丘――――これでも、太平洋の中では立派な山の部類に入るのかもしれないが――――からは、環礁に囲まれた海が一望できるのだ。

 

 ここでは太陽は日本よりもずっと高い場所に輝いていて、穏やかに揺れる海が乱反射して無数の輝きを放つ。

 まさに生命の揺り籠。そんな表現は、生と死が隣り合わせの太平洋(せんじょう)だからこそ似合う気がする――――――そんな景色を見ながら、長門隊長は切り出した。

 

貴官(ずいかく)は、ここで飛行機を見たことはあるか?」

「え? そりゃ、見たことはありますけれど」

「そうだろうな。瑞鶴は艦載機を操るのが仕事であるし、私も水上機を使う」

 

 では、他の航空機はどうだ。長門隊長は、友軍が保有する航空戦力の話をしているらしい。

 

「それは……哨戒機は飛んできますよね。艤装の精密部品を届けてくれる輸送機とかも」

 

 私の返事を聞いているのかいないのか、長門隊長は歩き始める。それから見てみろと言わんばかりに島の一角を顎でしゃくった。

 急ピッチで造成が進む新市街やぽつりぽつりと建物の並ぶ旧市街の向こうには、自然に作られたとは思えない直角の海岸線が鎮座している。

 

「チューク国際空港、ですよね?」

 

 首肯する長門隊長。沿岸に張り出すように建設されたコンクリートの土台の上には滑走路を示す白線が引かれ、ミニチュアサイズのジェット機がするすると飛び立ってゆく。

 

「ミクロネシア連邦のチューク州で、大型機を満足に運用できる三〇〇〇mの滑走路を備えるのはあそこだけだ。だから、ああして哨戒機の燃料補給に使われている」

 

 広い中部太平洋を見渡すのに哨戒機は欠かせない。足の速さはもちろん、一人で海を見張らないといけない艦娘と違って哨戒機なら何人もの乗組員(クルー)が交代で見張ることが出来るからだ。

 長門隊長は大空へと駆ける真っ白な翼を見ながら、呟くように言葉を継ぐ。

 

「……だが、ここに戦闘機はこない。私たちにとって制空権は存在しないのだよ」

「空自戦闘機の主任務は支援攻撃(ばくげき)です。防空は高射部隊。問題があるとは思いませんが?」

 

 ミクロネシア連邦チューク州に駐留する第8護衛隊群第3分遣隊……チューク分遣隊は、このチューク環礁の要塞化を進めている。

 私の言った高射部隊とは、第83独立警戒隊――――――要塞化計画の一環で航空自衛隊から派遣された対空ミサイル部隊のこと。これで空の安全は確保されている筈だった。

 

「知らないのか? 高射部隊の小沢2佐(しきかん)は本土空襲を防げなかったヤツだそうだぞ?」

 

 体のいい懲罰(させん)だよと長門隊長は嗤う。彼女に言わせれば、要塞化計画は表向きの口実で、チューク分遣隊の実態は島流しの見捨てられた部隊だという。

 

「私は、そうは思いません」

 

 その根拠を探すように、私の視線は空港から市街地へと向けられる。

 新市街には建設用の足組がいくつも組まれ、そこには見慣れた建設会社のロゴが並んでいる。別に要塞を市街地に作っているという訳ではない。あれは立派な民需向けの建設現場だ。

 

「日本政府はこの島に多くの資金を注入しています。市街地だって新しく作ってるし、住むヒトだってどんどん増えてるじゃないですか。それを見捨てるなんて」

「市街に行ってみれば分かるだろうが、あそこの住民は大半が住む場所を喪った難民だ。新市街の造成は新自由連合盟約(ニユーコンパクト)に基づく政府開発援助(ODA)となっているが……」

 

 実際は難民をミクロネシア連邦に受け入れさせるための()()()だよ。どうやら長門隊長の目には、この島で起こっていることの全てが悪いこととして映るらしかった。

 

「日本人だって何千人も移住してきています。現に日系企業だって」

「日本企業の進出は、要塞建築のための建設業と関連業者が始まりだった。ここへやってくる人間は、戦争を仕事にするかさもなければ家を失って絶望しているヒトだけだ」

 

 この戦争には勝ちはない。先ほどの提督さんの言葉が蘇る。提督さんは一つ一つの戦いどころか、私たちの戦い自体に勝利はないのだと言った。

 

「勝てない戦争なんてありませんよ」

「そうか、では言葉を換えよう。政府談話では、自衛隊(われわれ)の活動は有害鳥獣駆除の扱いになるらしい。それなら駆除に終わりはない。自然(うみ)が存在する限り害獣(ヤツら)は生き続けるからな」

 

 それを提督は理解しているのだ、長門隊長はそう言う。

 

 政府からは本土防衛の肉壁(いけにえ)として見られ、制空権を失った空の元で戦い続けなければならない分遣隊。それを率いる提督さんが頼れるのは長門隊長たち艦娘だけ。

 

「だから空母艦娘を捨て駒にしてでも艦娘を多く生き残らせなければいけない」

 

 

 ――――――私は空母艦娘を扱った事がない。

 

 ――――――私は手の届く所が平和であればいい。それがまやかしの安心だとしてもね。

 

 

 そういう事だったのか。提督さんは大局を見ない。提督さんが見ているのは自分の部下だけ――――――だから、私のような空母艦娘(カタログスペックだけの兵士)を捨て駒に出来た。

 

「長門隊長」

「なんだ?」

「私は『お客さん』ですか?」

 

 その言葉に、肩を竦める長門隊長。私にとっては、それで十分。

 

 提督さんは本当に、仮初めの平和を留めておきたいだけなのだ。

 彼はこの島が生き残り続けることを計算に入れていない。いつの日か、この島から自衛隊が消えても良いように。波風立てずに部隊が去れるように矢面にいるのだ。

 最初からそう。コンテナ貨物船は沈んでも問題ないとまで言い放った提督さんは、積み荷の損失まで計算に入れていた。ここでは誰かが沈むことが、何かを喪うことが当たり前なのだ。

 

 戦争が続けば誰かが死ぬ。それは当たり前のことだ。

 しかし本土(にほん)では違う。

 

 毎日のように深海棲艦が襲ってきた時代はもう五年以上前の話、国民は今はすっかり平和を取り戻したような表情で生活している。

 たった一両のバスが空襲に遭うだけで不信任決議案が提出され、海外で何千人が犠牲になったというニュースよりも芸能人のスキャンダルが話題にされる。

 

 そんな本土を守る私も、知らず知らずのうちにそんな偽物の平和に浸かってしまっていた。

 

「……確かに、私は最前線をまだ知りません。ですが、その考えには反対です」

 

 私の言葉に、すっと眼を細める長門隊長。

 言いたいことがあるのは分かる。しかし、誰かが死ぬのが当たり前だからといって、それを受け入れるのは訳が違うのだ。

 

「本土での作戦は、大勢で危険(リスク)を分かち合い、互いに連携(フォロー)しあうことで犠牲者を減らします。全てのリスクを空母が背負うのではなく、空は空母、海は戦艦としなければなりません」

 

 理想論と馬鹿にされるだろうか。しかし幕僚課程が説くのはその理想論だ。いかに部隊を連携させて、少ない損害で大きな戦果を挙げるか。

 

 それが出来ないようでは、私が2等海佐の階級を戴く理由がなくなってしまう。

 私がこの最前線に来た意味がなくなってしまう。

 

「私が変えますよ。まあ、さっきの図上演習では補給路を断たれましたけれど……次は同じ轍は踏みません。航空母艦の実力ってヤツを、提督さんと隊長に思い知らせてあげます」

 

 カラ元気でも構いやしない、本土で出来たことがチューク(ここ)で出来ない筈はない。

 そう言い聞かせて、今はせめてそう言い切ることにする。

 

「ふふっ……はははっ!」

「えっ、ちょっと待ってください! 何がおかしいんですかッ?」

 

 おかしいも何も、思い返すまでもなく今の発言のせいだろう。

 私よりずっと最前線を知っている長門隊長に変えてやるなんて言い切ってしまったのである。恥知らずというか、漫画の主人公でもあるまいし。

 幹部の中でも上の扱いになる2等海佐の発言ではなかった。

 

「ああっ、隊長。笑わないでください! 不適切! 不適切な発言でしたからぁ!」

 

 ツボに嵌まったのか、長門隊長は笑い続ける。それが収まると、目尻を拭いながらに語った。

 

「いや、すまない。私も提督も、根っからの自衛官ではなくてな。こう言うとアレだが……貴官のように闘志を燃やす幹部も居たのだと、心底驚いてしまったのだ」

 

 いや、拍子抜けだったとでも言うべきか。どうも長門隊長は私を本土からの監査役か何かと思っていたらしい。防衛大学卒というだけで警戒されるのは心外である。

 

「しかし、これで貴官に命を預ける覚悟が出来た。頼むぞ、瑞鶴」

「預けるだなんて。こちらこそ、よろしくお願いします。隊長」

 

 私が頭を下げると、困ったというように頭を掻く長門隊長。

 

「しかしなんというか、閣下に敬語を使われるのはくすぐったいものがあるな」

 

 その妙な言葉回しに、私は眉をひそめる。

 

()()? 私は将官ではありませんし、長門隊長の方が先任でしょう?」

「艦娘専科第二期を首席卒業、二〇代で指揮課程を修了して2等海佐に任官。十二分な出世街道、将来の閣下は私のような駒の下で働くのは相応しくない」

 

 打って変わって随分と余所余所しい態度を取る長門隊長。向こうにしてみれば私は本土から送り込まれたお目付役と言うわけだ。身構えた私を笑い飛ばして、長門隊長は続ける。

 

「冗談だ。さっき言っただろう? 貴官に命を預ける覚悟が出来たと」

「つまり……どういう事です?」

「指揮系統に混乱があった場合、隊の指揮を引き継ぐのはお前に相応しいという意味だよ」

「!」

 

 その仮定が、いついかなる時にも起こりうると戦慄する。

 深海棲艦の新型が強襲して泊地が陥落したら、提督さんは死ぬ。その時、部隊を立て直すのはお前の仕事だと言われたのだ。

 

「こうみえて瑞鶴の方が隊歴が長い。いざという時の切り札になるのは貴官の方だ」

 

 入隊年度を聞くと確かに私の方が早い。せいぜい一年やら半年の差だと、長門隊長は語る。

 

「という訳でだ。副司令官への昇格おめでとう、瑞鶴」

「はひぃ!?」

 

 想像していたワードとあまりに違い、思わずすっとんきょうな声が出てしまった。

 

「なんで、藪から棒にそんな話がッ!?」

「いや、そもそも何でこんな時間に図上演習なんてやってたと思う?」

「何でって。提督さんが『君の力量を見極めたい』っていうから」

「それも業務時間内にだ。理由がない方が難しいだろうに」

 

 ただでさえ執務に忙殺されている提督さん。隊長職で忙しい長門隊長と、艦娘部隊の参謀を兼ねる神通さんを連れてきたのだ。よく考えればおかしい組み合わせだった。

 

「その見極めがさっきの演習だぞ」

 

 年末の人事査定。つまり私は試されていた。そういう事だったのかと頭を抱える。

 

「資格も経験も十分。他に逸材がいない状況だ。文句はでまい」

「……ここの部隊は本音を知らせずに物事を進めるから、毎日心臓止まりそうですよ」

 

 バシリと私の背中を叩く長門隊長。その衝撃にわざとらしくつんのめって抗議の声を上げても笑って流された。促されるままにエントランスまで戻ると、彼女は片手を見せる。

 

「ちょうど車が来たようだ。時間通りだな」

「待って下さい。どこに連行するつもりですかっ!?」

「どこに行くかって……決まっているじゃないか。昇進祝いだ。提督のおごりで」

 



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第 6 話 水酉との交わり

 独特の畳の匂いと、ずらりと並べられた座布団。南国に場違いな和風の店に待ち構えていたのは、老若男女問わず工廠や出撃でお世話になるスタッフばかり。

 もうここまで話が進んでいるのか。尻込みして思わず後退りをする私を、長門隊長が力尽くで引っ張っていく。

 

「ほら、主役が何時までも立ちっぱなしという訳にはいかんだろ」

「ウェイトですウェイト! こんな人数相手に挨拶出来ませんってば!」

「ほう、挨拶してくれる予定だったのか。話を振らずに済んで助かるな」

 

 完全に自爆だった。まさかパニックになって墓穴を掘り始める事になろうとは。

 

「お集りの皆様。長らくお待たせいたしましたが、グラスはお持ちでしょうか?」

 

 気が早い気が早い。そもそも終業直後なのに、何故こんなに人がいるのか?

 私の気持ちを差し置いて、各々の酒を傾ける大衆。長門隊長は、恨めしい目を向ける私を無視して続ける。

 

「では、本日の主役よりご挨拶を賜ります!」

「ちょっ、えぇーッ!? 今後とも精進して参ります! よろしくお願い致しますッ!」

 

 完全に焼けっぱちだった。

 

「よし、ビールだ! ビール注げ!」

「ハイハイ回して、どんどん回して!」

「みんな、ジョッキは持ったな? いくぞぉ!」

 

 そして挨拶なんかどうでも良いとばかりに乾杯の大声が響く。

 これでは担がれただけではないではないか。

 あっと言う間に注がれるビールと、知人らのお酌に流されるまま。少し酔いが回り始めた所で、いよいよ料理も並べられていく。

 

 千切りの大根の上に並ぶのは刺身の盛り合わせ。流石は鮮魚に困らないチューク諸島と言うべきか、ぷりっぷりの弾力が舌を楽しませてくれる。

 ミクロネシアで刺身があるという話は聞いたことがなかったが……そのまま食すという文化がないだけで、日系の職人がいればこうした店を開くのは造作もないだろう。

 

 米は出回り難いから寿司屋は難しい。しかし天ぷらや唐揚げ。フライドポテトなんていう定番は今まさに日本にいるのだと錯覚させてくれる味だった。

 懐かしい味で心まで満たされる。

 

 そんな風に舌鼓を打っていると、入口に人影が見えた。

 提督さんじゃないか。遠巻きにこちらの様子を見て、珍しく頬を綻ばせている。

 

「提督さ……」

 

 そうして声をかけようとして、気づいてしまう――――――彼がこの輪に入る気はないのだと。

 此処にいるメンバーが上下関係を気にするかという話は置いておいて、自分が入る事で場を白けさせてしまうのではないか。

 他人想いであるが、独りよがりな優しさは私の胸にチクリとした痛みを残す。

 

 しかし予想通りというべきか、ここの部隊はそんなことはお構いなしだ。

 

「長門ぉー。アイツ連れてきても構わんよな?」

「あぁ、藤見整備長。大いにやってくれ」

「アイアム!」

 

 そう元気に飛び出していくのは、艦娘の艤装を取り扱うトップである藤見3佐。

 私もお世話になっている整備課長だ。彼の接近に反応が遅れて逃げられなかった提督さんが、首根っこを掴まれてこちらへ運ばれてくる。

 ……案の常というか。彼は軍人にしちゃ華奢なので、物理的な力関係には逆らえずに()()()()()()

 

()はそもそも来る気がないと言ったんだが。ご丁寧に上座に席を空けてくれるなんてさ」

「美少女の頼みとあらば断るわけにゃいかねぇよ。なぁ瑞鶴?」

 

 とうとう私まで巻き込んできた。さてはこの人、酔っているのでは?

 藤見3佐の人柄は悪い人ではないのだが、その厚意は少しばかり(たぎ)っている事が多い。悪く言えば、こちらの事はお構いなし。

 隣席に()()()()に提督さんが居心地が悪そうに胡坐をかくのを見て、私は瓶を差し出す。

 

「えーっと。一杯いかがでしょうか? 提督さん」

「……少し、頂くよ」

 

 あれだけ頑固な提督さんが簡単に折れた。空のジョッキを貰って瓶ビールを注ぐ。泡立たせまいと丁寧にやったつもりだが、生温いせいか液体自体は程々の量になってしまった。

 それを提督さんはちびちびと呑むのだ。それも脇に置かれた麦茶と交互ぐらいに。

 

「すみません。注ぐのが下手で」

「ラベルが上とかは俺は気にしない。そんなものは犬に食わせてしまえばいいよ」

 

 ようやく料理に手を付けようとした所で待ったをかけたのは、部隊の男性陣。

 私が事態を把握する前に提督さんが脱兎の如く逃げ出すが、あっと言う間に捕まった。

 

「もう呑めないなんてへばっちゃいないでしょー1佐殿(ていとく)。まさか女の酌でしか呑めないなんて贅沢言わんでくださいよ?」

「じゃかぁしぃ、これ以上寄るな藤見! 貴様の酒臭さだけで眩暈がするっ!」

 

 一体何本空にしたんだ!? そんなことを言う提督さんをずらりと囲む若い男たち。

 

「他人の金で呑むならいくらでも! て前ぇら酒盛り設けて頂いた瀬戸月1佐(ていとく)に礼は返したか!?」

「「「応ォ!」」」

 

 提督さんの頬が引き攣った。

 嗚呼、これは完全に潰す気なのだろう。率直な感想だった。

 

 若い衆に囲まれる提督さん。遠目で見守るのは比較的滞在歴が長いスタッフばかり。

 その視線は呆れたものではなく、どこか憐れんでいるようにも見える。南無三と。つまりは恒例行事に違いない。となると……。

 

「これって、本当に私の昇進祝い?」

 

 思わず呟いてしまった私を、誰に責めることが出来ようか。

 

 

 

 

 

 着任してあっと言う間の三ヶ月。

 多くの仲間と出会ったが、それも一期一会。あれから新たに配属になる者もいたり、異動する者もいた。()()()()()()もいた。

 

 とりあえずは生きているイマに乾杯と。

 二度はないこの時間を過ごしたいと各々で盛り上がっている。

 

 しかし宴もいつかは終わりが来る。

 

 喧騒が過ぎ去った後には、まさしく酒で焼け野原になった卓上の片付け。

 工廠のスタッフは二次会にいくとかで、早速運転手を掴まえて夜の街に繰り出していった。幹部勢は明日の業務に支障が出ると、酔いもそこそこに退散していく。

 

 そして後に残ったのは、スクランブルがない限り待機状態にある艦娘達。

 皐月と文月が寝落ちしてしまい、慌てて衣笠さんに送迎をお願いしたのはつい先程の事。

 店主からレシートを貰う長門隊長に付き添いながら、足元に忘れ物がないかと適当に時間潰しをしていた所だ。

 

 突っ伏したままの男性佐官。揺り起こそうとして思い留まる。

 

「もしかして……提督さん?」

 

 少し信じられなかった。あの後も部下からも次々とお酌されたのは知っている。それでも酔いが回って醜態を晒すなんて。

 

「いや。こうなる事は分かっていたのだがな」

「……分かってたなら止めましょうよ、長門隊長。提督さんどうするの?」

「さて、我々も帰るぞ」

「いやいや待って下さいよ」

 

 長門隊長を慌てて引き戻すと、彼女は「お前は何を言っているんだ?」という顔をした。

 それはこっちの台詞だ。

 

「流石にこのままって訳にはいかないでしょ?」

「いつもそのままだ。業務に関わるものは当日の幹事が預かる手筈になっている」

 

 そう言って、勝手知ったるとばかりに提督さんの懐を漁る長門隊長。軍務関係の鍵束を拝借すると、慣れた手つきでそのまま鞄に放り込んでしまう。

 

「それ、不用心じゃないですか……? 泥棒騒ぎに発展するんじゃ」

「身に着けるものは最小限。財布の中身は一円単位で数える男だぞ?」

 

 そう言う長門隊長に、なるほど律儀だなぁと変な感想が漏れる。そういう問題ではない。

 

「だが、抜けているんだ……この方は。ここまで完璧に、それこそ宴会の支払いの手筈までセッティングしているのに、自分が帰る手段だけはまったく考えていないんだ」

 

 それは考えていないのではなく、潰されるのを最初から想定済みなだけでは?

 ……とは無粋に違いない。暗黙の了解という奴だろう。これではあまりに彼が不憫なので声を上げる。

 

「私、送ってきます」

「良いのか? 今日の主役がこんな貧乏くじを引かされて」

「少し夜風に当たりたいんです。宿舎にはちゃんと戻りますから」

「住所なら、提督の手帳に書いてある。そう距離はないが、タクシーを使うと良い」

 

 店員の迎えが到着したとの報を受けて、彼を肩組みして連れ出す。背もたれに身体を預けたまま微動だにしない彼をはらはらしながら見守りつつ、住宅街へと向かっていく。

 粗相をしなかったのが奇跡だろう。まだ青い彼の表情を眺めつつ、着いたのは小綺麗な一軒家だった。

 

『瀬戸月』

 

 表札には間違いなく彼の苗字が書かれていた。

 

「ごめんくださーい……って居るわけないか、ちょっと提督さん! 鍵はどこにあるのよ?」

「自分でできる……」

 

 意識が朦朧としている彼から漏れた言葉に辟易する。この期に及んで私に頼らないつもり? 感情のまま地面に擦り付けようかと思ったが流石に思い留まる。彼は一応上司だ。

 

「え? 一人で出来る? 誰が一人で出来る訳?」

「俺が、やらなきゃ……」

 

 俺だなんて、普段は聞きもしない一人称が飛び出す。これが彼の素なのだろうか。そんな変なことを考えてしまい、違う私の使命はそうじゃないと思い直す。

 

「あーもう御託はいいから鍵貸して、どうせポケットに入ってるんでしょ!」

 

 うつらうつらとする彼の腰から財布を引っ張り出すと、そこそこの長さのチェーンが音を立てた。ここまで他人を信用していないのか。

 キーカードで開錠してドアノブを回す。薄暗い室内だが、何やら灯りが見える。とてとてと聞こえる体重の軽い足音。朱色の髪を下した少女がこちらを不思議そうに見上げていた。

 

「トナカイさん……?」

 

 トナカイ? 一瞬だけ思考がフリーズする。

 

「あぁ、これか」

 

 インカムを邪魔だとかき上げた物が、確かに角に見えたのだろう。

 環境は常夏だが、季節はまぎれもない冬……そういえば、そんな時期か。

 

 しかし担いできたのは布袋ではなく、大の人間だ。目の前の童女は首を傾げて提督さんの腰に引っ付く。

 

「お父さん、おかえりなさい」

「…………ただい

 

 譫言(うわごと)のように彼がただいまを言ったので、私はソファと思しき所まで身体を引きずる。

 とりあえず水分補給でもと、振り返った所でことりと机が音を立てた。

  お揃いのコップで月光に液面が晒される。少女が水晶のような瞳で私を見た。

 

「お水……お父さん、おかえりしたらいつも入れるの」

「あーと。うん、ありがとう」

 

 少女はいつも、と言った。

 長門は提督さんを「そのままにしておく」と言っていたから文字通りに放置されているのかと思っていたのだが、一応家に帰り着いてはいるらしい。

 ふと住所を最後まで聞かずに走り出したタクシーの運転手を思い出せば、なるほどあのタクシーは提督さんの()()だったのかという結論に落ち着く。

 

 事前に支払いまで済ませているのだから、店に少しのコネがあればいつ提督さんが()()()()くらいは分かるという訳だ。

 

「お姉さんはだぁれ?」

 

 勝手に納得していた私に、少女がそう問いかける。

 特務神祇官たる自衛官と名乗っても理解してもらえないだろう。

 

「ハルカよ、瑞島(みずしま)ハルカ」

「なんのお仕事してるの?」

「うーん、そうだなぁ……」

 

 泥酔した家主の鍵を使い侵入した私。一つ間違えば、不審者と変わらない。

 それでも少女は警察を呼ばずに淡々と私の身分を明らかにしようとしている。不審がるというよりも、純粋な好奇心で聞いてきているような感じだ。

 少女が提督さんの娘なら、私が提督さんの仕事絡みの人間だと思っているのだろう。少女は外見以上に聡明で大人しかった。

 

「お父さんと私は仕事の関係なの。上司と部下って言っても分かんないか」

 

 お父さんのお陰で、私は仕事が出来るのよ。

 子供にとっては銃を持って戦う軍人も、店頭で野菜を売る文民も「仕事をするヒト」であることに変わりは無いだろう。

 

「ふーん…………」

 

 極めて単純に纏めた筈の説明だったが、何故か少女は眉をひそめると、咎めるような調子で言う。

 

「それじゃあ、お姉さんがお父さんの秘密なんだ……」

「秘密……?」

 

 秘密、とは一体全体何の話だろうか。

 

 防衛機密に特定機密、何かと秘密の多いのが防衛関係の仕事ではあるが、私の存在自体は別に隠すようなものではない。

 

「お父さんはお仕事の話はしないの。お前には早いって言うの」

「ああ……なるほどね」

 

 納得してしまった私が不満らしく、口先を尖らせる少女。

 異形との戦いでは怪我人だって、下手をすれば死者だって出る。そんな「職場」の話を彼が好んで娘にする筈もはなかった。

 

「終わったなら、帰って。お父さんのお布団は私がみるから」

 

 それは拒絶。

 とはいえソファに倒れた提督さんの顔は赤いのを通り越して青くなっており、流石に娘さんに任せて立ち去るのは気が引ける。

 居座る理由を探そうと、とりあえず私は少女に向かい合った。膝を曲げて上体を落とす。視線を合わせるのは子供と触れあう基本だ。

 

「ね、お名前は何て言うの?」

 

 顔を同じ高さにして、少女の瞳を覗き込む。水晶に映し出された私は中途半端な笑顔。

 何秒かの睨み合い――――――いや、睨み合いをするつもりはなかったのだが。

 少女が口を閉ざしたままなので睨み合いになってしまった……火力と霊力で押し切れる深海棲艦とは勝手が違い、子供は難しい。

 しばらくどうしたものかと私が困った笑みを浮かべていると、やがて少女は観念したのか、聞き取れるか聞き取れないかの境目のような小さな声で言う。

 

「…………せとづき、ヒナタ」

 

 その苗字が、確かに彼女が提督さんの娘であることを示していた。

 

「ヒナタちゃんね。ヒナちゃんって呼んでも良い?」

 

 こくりと頷く少女、いやヒナちゃん。とりあえず第一関門は突破か。

 

「ヒナちゃんは何歳? 学校は行ってるの?」

「……」

 

 待った。これは不味いのではないだろうか。

 提督さんが娘に仕事の話をしないのは情報を与えないため。それなら、逆に聞き出すのは提督さんのプライバシーを侵害することになる。

 

「あー、えーと。別に答えたくないなら答えなくても、いいん……だよ?」

 

 私が言葉に詰まるうちに少女はすっと距離を取る。二人と寝込んだ一人しかいない空間にとててと少女の足音が響き、少女はソファの裏からひょこりと顔を出した。

 

 あー、これは怒らせてしまったやつか。

 そうでなくても警戒心は先ほどの数倍増しに違いない。帰るしかないかと息を吐いた私に、少女はソファに隠れたまま言う。

 

「私、お姉さんが嫌い」

「……」

 

 まさかの嫌い宣言。

 まあそれは仕方ない。向こうからしてみれば父親を酔わせたあげく家に入り込み、その上個人情報を聞き出そうとしてきた輩である。

 

「お父さんは、お姉さんが秘密で大事なんでしょ。こういうの()()()って言うんでしょ?」

「うわ、き……? ヒナちゃん、ちょっと待って。なんでそうなるの?」

「知らない女の人と男の人が一緒にいて、そのことを秘密にしているのは()()()だって」

 

 その理屈では男女入り乱れる自衛隊の基地は浮気の巣窟ということになってしまう。

 

「あのねヒナちゃん。さっきも言ったけれどお父さんと私は仕事の関係なの。お父さんはヒナちゃんに仕事の事を秘密にしているかも知れないけれど、それだけじゃ浮気にはならないの」

「じゃあ、どうしたら浮気になるの?」

「どうしたら、ってそれは……」

 

 待て待て。それをこんな幼い子に説明してしまうのはヒトとしてどうなのか。

 ともかくこのままでは浮気相手認定を受けてしまうので、私は説明を試みることにした。

 

「あーと、お父さんとお母さんが居るでしょ」

「いないよ」

「え……」

 

 雷に打たれたかのよう。しまったと思うときにはもう遅い。少女は続ける。

 

「お母さんはいないの。お父さんと私だけ」

 

 そんな可能性が微塵もないと油断していた自分を殴りつけたい。私だって同じ(そう)じゃないか。

 

「そ、っか……ごめんね」

「なんであやまるの?」

「なんでって」

 

 答えようとして、答えがないことに気付く。そうだ、母親がいないというのはこの子にとっての「当たり前」なのだ。だから悲しいとか、辛いとか、そういう感情はないのだ。

 

「あやまるなら、お父さんにあやまって」

 

 お父さんはお酒弱いのに。

 

 そう漏らす少女は私たちが提督さんを泥酔させたことに怒っているらしい。本当に親思いの娘のようだ。そして泥酔に関しては、実際止めなかった私達のせいなので、素直に頭を下げる事にする。

 

「ごめんなさい。てぃ……」

「てーい?」

 

 危ない、思わず提督さんの職業をバラすところだった。提督なんて呼び名は海軍以外には存在しない。とはいえ言葉は取り消せないわけで、少女は首を傾げている。

 

「て、て……えーと、」

 

 なんとか誤魔化そうとして出た言葉がこれである。なんというか、自分の語呂の持ち合わせにはため息しか出ない。

 そして案の定、少女から飛んでくるのは懐疑の視線。

 

「秘密なんだ……やっぱりお姉さんは」

「ちっ、違うの。そうじゃなくてね」

「もういい。お父さんを運んできてくれてありがとうございました」

 

 そんな拒絶を前面に出した挨拶で、追い出されるように私は提督さんの家を後にしたのだった。

 



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第 7 話 親知らぬ百舌鳥

 宴の翌日。第3分遣隊の司令部庁舎はいつも通りだ。昨日酒を酌み交わした主計幹部と補給物資の調整をし、工廠に詰める整備員たちから艤装の整備計画を受け取る。

 

 毎日のように続くルーティーン。敵襲が無い限り変わらぬ日々。

 それでも今日は、少しだけ違う。

 

「長門隊長。今日は、随分とのんびりしているんですね」

「なぁに、一通り目を通して問題がないなら申請は通すさ。最終的に提督が確認するからな」

 

 そう言いながら執務机に座った長門隊長は、本来の主に変わって流れ作業で印鑑を押していく。

 

 結局、彼を送り届けた後の私は何もせずに帰路へと着いた。というか、あの状況では帰るしかなかった。

 慣れていると言った少女の言葉を信用してしまったのも悪いのだが……そして、翌日の執務室に彼の姿はなかったというわけだ。

 

 提督さんは休暇申請を事前に出していたらしく、各隊の書類は代理決済。私たち艦娘部隊(第6科)の承認印は長門隊長という事になる。普段から提督さんの事務処理を手伝っている衣笠さんも慣れた手つきで書類を処理していく。

 

「提督はお堅いヒトだけれど、通った書類にはちゃんと責任を取ってくれるの。だから無理な要求を通すならこういう時がチャンス! 瑞鶴さんも覚えておいて損はないわよ?」

「こら衣笠、新参に悪知恵を吹き込むな」

 

 はーいと呑気に返事をして書類を捌いていく衣笠さん。

 私も自分にできる仕事を見つけては隅っこに置いてある机で書き込んで()()していく。

 衣笠さんが外してお茶菓子を持ってきた頃合いだろうか。ボーっと執務机を眺めていたのに気付いたのか、長門隊長が視線を上げた。

 

「提督がいないのが不思議か?」

「あーと……そうですね。定位置にいる人が違うと違和感というか」

「うちの部隊のルールでな。提督に酒を呑ませる場合は、翌日は必ず休暇に()()

 

 ワーカーホリックには丁度良いさと、彼女は気だるげに伸びをした。

 いや、潰したのはあなた方でしょうとは、口が裂けても言わない。それが私の身のためだろう。

 

「そういえば、あの後は大事なかったか?」

「はい。娘さんにお願いして、すぐに帰りました」

 

 私の発言に目を丸くした長門隊長。保育所に預けた筈だとの小言が耳を通り過ぎる。

 

「そうか…………会ったのか? ヒナタと」

「あー、ヒナちゃんですね。何か勘違いされちゃったみたいで」

 

 何気なくほぅと聞いていた二人を確認して、言葉を続ける。

 

「私が提督さんと浮気してるんだって……」

 

 次の瞬間、口に含んでいた珈琲を彼女達は盛大に噴き出した。

 咄嗟に顔を執務机から横に振ったのは提督さんの代理としての矜持だろうか。咳き込みが落ち着いてからはゲラゲラと笑い声。

 一方の衣笠さんは椅子から転落して腹を抱えて七転八倒。只でさえ気管に詰まって死にかけているだろうに、それでも長門隊長は机をバシバシと手で叩いてのたうち回る……長門隊長(このひと)、笑いの沸点が低いのではないだろうか。

 

「ちょっ!? いつまで笑ってるんですか! 長門隊長っ! 衣笠さんっ!」

「いやぁ、すまないすまない。まさかヒナタからそんな言葉が出ると思わなかったからな。それにしても浮気かぁ……さっそく面白い話をしてくれるじゃないか、副司令閣下(ずいかく)?」

 

 口元をティッシュで拭った彼女は咳払い。いつもの冷静沈着な戦艦艦娘長門に戻っていく。

 

「知ってたんですか? ヒナちゃんの事」

「何度かは会った事があるが親しいという訳ではない。なぜだか私は警戒されてしまってな」

 

 そんな風に尋ねずとも、長門隊長はヒナちゃんの情報を色々とこちらに流してくれる。そんな折に耳に留まったのは、提督という単語だった。

 

「提督の女嫌いを見ろ。あんな性格をしていて娘が出来ると思うか?」

 

 それは提督さんへの悪口に片足を突っ込んでいるんじゃないか。とはいえ長門隊長の台詞に対する答えはノーだ。提督さんに娘なんて、万が一でもありえない。

 

「このご時世だ。きっと並々ならぬ事情があるんだろうさ。例えば……」

 

 親戚の戦災孤児を引き取ったなんてな。検証の余地がある可能性を口にする長門隊長。

 

「提督さんに聞いてみたんですか?」

「鼻を鳴らされたよ。噂を吹聴するのは構わない、関わるなら覚悟を決めておけと……あの時の彼はすこぶる機嫌が悪かったな。冷静な彼から、初めて苛立ちという感情が出てきたんだ」

 

 長門隊長は頬こそ掻いたものの、反省する素振りは見せずにともかくと続ける。

 

「確かに彼は一人の父親に違いない。だから、この件に関して私はどうにもしないと決めた」

 

 清々しいが……そういう問題ではない気がする。

 私の考えを知らずに長門隊長は勝手に補足を始める。そこには推察という名の決めつけが多分に含まれていた。

 

「きっと彼が我々艦娘と距離を取るのは、彼女が原因だろう。艦娘がこんな成りをしているんだ。娘を持つ者として、気持ちの整理がつかないのだろうさ」

「まぁ、私らは見かけはこんなだけど実年齢は二十代折り返しちゃってるけどねぇー」

 

 衣笠さんの指摘も最もだ。艦娘が実際には――――皐月ちゃんや文月ちゃんだって――――一人前の大人である事は胸を張らねばなるまい。

 

「そら。今日の仕事も終わりだな。瑞鶴。一つ頼めるか? 三階に書類を届けて欲しい。提督の名前を出せば分かるはずだ」

「別に構いませんけど……長門隊長は?」

「私と衣笠は部隊再編の申し送りを作らねばならない。戦力拡充も喫緊の課題。サビ残だよ」

 

 休憩を挟んだのはそのせいか。

 時計はもう終業時間である事を告げている。若干の同情を覚えるが、出来ない仕事を邪魔するのは更に迷惑だろう。

 

 再び書類の海に戻る二人を労いつつ帰路につく。最寄りの階段を下ったところで、見知った顔がいる事に驚いた。

 

「提督さんじゃん。何やってんの?」

 

 何やらスタッフと談笑しているようだ。こちらの姿を認めると受付に一言断って、何かの資料を引っ張って貰ったらしい。見ると土木・建築担当の部署。なぜこんな所に。

 

「今日、お休みじゃないんでしたっけ?」

「休みであろうと、終わらなかった仕事はやらなきゃならないからね」

 

 とんだワーカーホリックだ。彼が踵を返して向かうのは休憩室。慌てて追いかけたその場所は、定時も過ぎているので人っ子一人いなかった。

 

「自販機で良ければ、何か奢るけど?」

「さっき長門隊長達とお茶してたので、遠慮しときます」

 

 返答すれば、彼は肩を竦めて釣銭のレバーを下した。じゃらじゃらと釣り銭が落ちる。

 薦められて二人でベンチに腰かけていれば、天窓から見える夕陽が煌々と照らしてくる。

 立ち去るきっかけもまったくないので、とりあえず当たり障りのない話題から切り出すことにする。

 

「……トマトジュース好きなんですか?」

「二日酔いに良いそうだ。味も嫌いじゃない」

 

 缶の結露をズボンの太ももあたりで拭おうとした彼を見て、咄嗟にハンカチを差し出す。突然の事に目を丸くした彼は、私の意思表示を汲み取ったのか、恐る恐る手を伸ばして使う。

 そんなに萎縮するものでもいいだろうに。

 

「なんというか……何から何まですまないね」

「いえ。慣れっこですから。姉も昔は忘れ物が多くて、つい癖でお節介しちゃうんですよね」

「道行く人の困り事を全部片付けようとするせいで遅刻しそうなタイプだな。瑞鶴は」

 

 それが咎められたと思って、羞恥で顔が赤くなる。

 

「時間にだって気をつけます!」

「不貞腐れるな、悪いとは言わないよ。おかげでこちらも助かった。昨晩は迷惑をかけたな」

 

 彼にしては珍しい低姿勢に、私は目を剥いた。

 嘘だろう。こんな簡単に鉄面皮なキャラ付けを捨ててくれるなとつい思ってしまった。ついぶっきらぼうに口が出てしまう。

 

「気にしないで下さい。皆放って帰っちゃうので、つい余計な手を出しちゃっただけなので」

「なんなら残業代を出そうか」

「タクシー代は宴会用の積み立てで長門隊長が払いました。お金とかは結構ですので」

 

 それとも、お金が欲しいと顔に出ていたのだろうか。訝しげにこちらを見る彼の表情で慌てて口角を引き締める。すると彼は、妙なことを言った。

 

「長門には戦闘職に専念して貰いたいから、こういうのはアイツから引き継いでやって欲しい」

 

 何のことかと聞いて首をかしげると、彼は咳ばらいをする。

 

「酒の席じゃゆっくりできなかったからね。副司令官就任おめでとう瑞鶴」

「……改めて言われると照れるんですけど」

「これも君の実力を買っての事だ」

 

 ちょうど都合が良いと彼が鞄から取り出したのは、先程受け取っていた封筒だ。何も説明されずに手渡されて、私はまたしても首を傾げることになる。

 

「部屋割り? なんでまた……」

「説明不足だったね。宿舎を出るつもりはないか? 瑞鶴」

「なんでまた。現状には不便ありませんけども」

「今は衣笠と同室だろう? 副司令官に昇格するにおいて、そのままという訳にはいかない」

 

 格付けというより、守秘義務が主な理由だろう。

 所謂()()との接触をなるべく避けたいという意図もあるに違いない。

 私を守ると同時に、衣笠さんの為でもある。それにしても個室だなんて。果たしてそんなスペースがこの基地にあっただろうか。

 

「現在、隣の島……トアノス島に基地施設の移設が進んでいることは知っているだろう? 同時並行で官舎の増築もしているんだが、新たな艦娘の補充も控えている状態だから、君ひとりに使わせる部屋もスペースが限られていてね。急場凌ぎとはいえこんな事になっているんだよ」

 

 先ほど受け取ったらしい図面を見て指さされたのは、司令部庁舎の執務室からほど近い所。階段や水道管といった動かしようがない設備に挟まれたのだろう。目を疑うほどに狭い。

 施工後の予想図では二段ベッドの一階部分が横長の机と電灯。足元が収納スペースだろう。

 もっと奥には洗面台がついており、床面はタイル張り。汗を流すくらいはできそうだ。しかしこれでは看守付きの牢屋と変わりがないのではないだろうか。

 

「立って半畳、寝て一畳とは言いますけど、狭すぎないですかここ」

 

 私物を置く場所なんてほとんどない。そんな苦情は想定済みだったのだろう。

 

「その()()は仮眠室だと諦めて欲しい。代わりといっては何だが……これを君に預けたい」

 

 差し出された封筒に入っていたのは、無機質なプラスチックのカードだった。

 

「何ですか? これ」

「私の宿舎の鍵だ。持っているのは、私と娘。そしてこれが最後の一枚だ」

 

 思わず見返した。昨晩使った物と同じ鍵だ。これを私に?

 一度上がりこんでしまったから、これからの呑み会の送迎を頼むとでも言うのか。そう冗談を返せば、彼は頬を掻いた。

 

「他人の家だと遠慮したい気持ちは分かる。しかし他に手が思いつかなくてね。お手上げだ。この庁舎の完成は三ヶ月後との見積もりだが、南洋のスコールは不規則で工事の遅延もどれくらいかも見込めない。その間に()()を強いて、君の体調を悪化させたら元も子もないからね」

 

 彼の眼はあくまで真剣だった。そこまで言われて尻込みする。私が躊躇う理由なんて。

 

「体調……って。そんな不衛生って訳じゃないんでしょ。どうしてわざわざそんな」

「瑞鶴、君は閉所恐怖症じゃないかな?」

 

 それは、断定の口調だった。確信を突かれてしまい、私の返答はいよいよ強張ってしまう。

 

「どうして……それ」

 

 誰にも知られてない筈なのに。

 

 入隊時や日々の訓練でも胡麻化(ごまか)してきた。

 秘密にしたい訳ではないが、不適格の評価を貰いたくないから隠した。

 そんな細やかな抵抗が打ち砕かれる。

 

 狭い場所が嫌いなのは――――――姉の事を思い出すから。

 

 書斎に籠りきりだった唯一の肉親。その情が私に向いてないと今でもフラッシュバックのように胸が締め付けられる。

 その具象化があの部屋と同じ狭い空間だったのだ。それを見抜かれるなんて。

 

 しかし、その後の回答に思わず私はずっこけることになる。

 

「この前、輸送機に同乗した時だったか。妙に機嫌が悪かっただろう。虫の居所が悪いというか。唇を噛んでて、顔色も良好とは言えなかった」

「………………」

 

 やはりというか、彼はあくまで彼だった。

 

 いや、確かに輸送機も閉所ではあるのだが、それはそれ。これはこれ、だ。

 この期に及んで「その時」が()()だとは口が裂けても言えない……言えるわけない。

 

 きっと私の顔は、呆れを通り越してのっぺらぼうになっていたに違いない。

 

 提督さん。

 やっぱりあなた、唐変木だよ。

 

 とはいえ、こんな勘違いだが彼なりの優しさだとは理解できる。

 それがあんまりに可笑しくって、私の頬はつい緩んでしまった。

 私の表情をどう読み取ったのか、彼は続ける。

 

「それでここからは断って貰って構わないんだが……幾らか、私の自腹で手当を出そう。宿舎に寄る機会があったら週一でもお使いを頼まれてくれないだろうか?」

「買い物とか、食事を作れってことですか?」

「料理までは言わない。暇なときだけでいいから買い物と、あと私の娘をみてやって欲しい」

 

 勘違いなら勘違いでも構わない。

 私は無料で部屋が借りられる。そこにお手伝いが含まれるとしても、家賃よりは安いものだ。それに幼子のお相手だろう。決して悪い話ではない。

 問題は……その幼子、ヒナちゃんである。

 

「部下に家政婦をやれって事は了解しましたけど、ヒナちゃんは何て言ってたんですか?」

「ヒナ……あぁ、ヒナタかい。いつもは人見知りな娘が、何故か反応を示してね。君になら頼めるよ。いや、お願いしたいというべきだ。この通り」

 

 そう言って彼は顔を伏せる。恐縮ですと返して太鼓判を押して貰った所で、私はキーカードを懐に入れた。それをOKサインだと受け取った彼は、ここではない遠くを望んで私に語る。

 

「私は親として何も出来ていない。経済的な楽をさせてやりたいと努力してきたつもりだったが、こんな事になってしまった。仕事が恋人とでもいうのかな。とにかくこんな片親では、愛想も尽かされていてね。親の愛を知らずに育つ者もいる。かくいう私も両親が逝去するのは物心ついた頃だ。そうさせまいと思っていたのだけれどね」

 

 言い訳だとは分かっているよと、提督さんは言う。

 

 でもそれは提督さんなりに、ヒナちゃんの支えであり続けてたいと思うからこそだろう。

 かつて姉が私を守ってくれたように、不器用であるが最強の盾である事に変わりない。

 

「決して無理にとは言わない。業務に支障が出たら私も困るし、なにより部下を私用にこき使っていたとなれば株が下がる。代休も取れるよう手配しよう。滞在中にトラブルがあったとしても、評価に響かない事を約束する。長門にもこの件は伝えてある」

「そんな『保証』なんて要らないです。やりますよ」

 

 親がいない寂しさ……私だって知ってますから。

 

 それが姉との人間関係の溝を埋めようとした代償行為だとは分かっている。

 それでも、私のような子供はもういなくなるべきなんだと――――――理想だけは胸に抱いて承諾したのだった。

 



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第 8 話 白鶴は傷を裂く

 姉が口にしたその言葉を、私は一生忘れないことだろう。

 

 

 

「私たちのお父さんとお母さんは、バケモノに殺されたのよ」

 

 

 それが、私の出会った一番目のバケモノ。

 

 

 幸せだったはずのあの夜のこと。

 とてつもなく熱かったのと、その後に襲ってきた寒さだけはよく覚えている。

 

 それから何人もの白衣のヒト、それからお巡りさんに質問攻めにされるうちに、自分が一晩にして両親を失った哀れな少女になったことに気付かされた。

 

 包帯を巻かれてあちこち固定されて、鏡を見ることも出来ない私。そんな私と数日ぶりに再会した姉は、私たちの両親がバケモノに殺されたのだと告げた。

 

 実際にどうだったのかは重要ではない。

 大切なのは私が姉の言葉を否定することが出来なかったこと。

 

 だって姉の言う「バケモノ」がいないのなら、私たちは両親を喪う筈がない。バケモノが望んだからこそ、私たちは奪われたのだと姉は言った。

 

 

 今思えば、姉はそう思い込むことで己の心を守ろうとしたのだろう。

 

 

 そう考えられるだけ、姉は聡明だった。

 悲しみを背負うだけだった私よりずっと強かった。

 

「だから、強くなるしかないのよ。バケモノに負けないように」

 

 もちろん、感謝していない訳ではない。

 庇護から外れた事を逆手にとり、この世の者でなくなった両親の分を補うように一家の主になった姉がいなければ、私は路頭に迷っている。

 

 ただ私は、姉のことを好きにはなれなかった。

 それどころか、嫌いですらあったかもしれない。

 

「あなたも強くなりなさい。私みたいに」

 

 

 その言葉は、二番目のバケモノ。

 

 

 二人きりになってしまった私たちの世界は、姉の言うとおりバケモノだらけ。

 姉が強かったから私たちは二人きりでも生きていけた。

 

 でもそれは、姉の変貌ぶりを意味していた。

 

「あなたのことは私が守るわ。だから、私に守られるうちにあなたは強くなりなさい」

 

 しかし今になってみると思うのだ。姉は本当に変わってしまったのだろうか、と。

 

 姉は絵に描いたような淑女を演じていた。

 高潔で用心深く、容姿端麗で表面的な愛想も良い。だからお転婆娘でも明るく元気な子と褒められ、妹への過剰なスキンシップも美しき姉妹愛と受け取られたに違いない。

 そう考えれば、あれは姉の一面が発露したに過ぎなかったのかもしれない。

 

 けれど。

 

「私が護れるうちに、強くなりなさい」

 

 それは()()としての行動だった。

 姉は存在するハズのないバケモノと闘うことで、私を守ろうとしていた。

 姉が私のことを守ってくれたこと、私のことを愛してくれたことは疑いようがない。だけれどそれは、彼女が姉であったから。

 

 私は姉の比較対象だった。

 同じ家に後から産まれたという理由だけで、先生すらも私たちを姉妹で比較した。立派な姉、出来損ないの妹。私を褒めてくれるのは姉だけだった。

 最も、姉は自身の評価を高めるために私を褒めていたのだろう。事実として、妹へのスキンシップをとりたがった姉の行動は家長となってからはなりを潜めることになる。

 

「わかった、強くなるよ。私」

 

 既に私の心は死んでしまっていた。

 だから私は姉の言葉を額面通りに受け取ってしまった。

 

 姉がいくら偏屈な愛情を注ぎ込もうと、心に穴が開いていてはどうしようもない。そうして中途半端に注ぎ込まれた結果、懐いただけ懐いた空っぽの生き物ができてしまった。

 その点では、強さの何たるかも分からずに部活動で弓道を選んだのは、大きな不幸の中の小さな幸運であった――――――経験などまったくない。しかし射場は平等に、私を一人にしてくれた。

 

 弓を構えて、矢を番える。

 

 的に刺さった弓矢の姿は私の鏡そのものであった。他ならぬ自分との比較、相手のいない世界に私がのめり込むのに、さして時間はかからなかった。

 不幸(こううん)なことに、空っぽの私は無心が得意だった。射場でだけは、私は雑念をなくすことが出来る。

 学力も家族構成も関係ない。的に当たっても外れても。ましてや勝敗などどうでも良い。私を咎めるものはいなくて、ただ私と私だけがいる世界。弓は私に無心を教えてくれた。

 そして的を射貫く数は次第に増え、私を大会へ、果てはインターハイへと導いた。そうなれば、こんな私にも憧れてくれる後輩が出てくるし、同じだけ妬みもされる。

 

 ――――――結局のところ、この世界でも私は比較されていた。

 

 空っぽが虚しさに変わった。

 弓は私に無心を教えてくれたが、私が無心を極めるほどに、私を取り巻く感情は羨望や嫉妬にあふれていった。

 どうやら空っぽは罪らしい。いろんなモノを抱えていた姉と違って私は何も持っていない。穴が開いた心には何も留めてはおけない。愛情も嫉妬も羨望も、すべてこぼれ落ちてゆく。

 

 そこでようやく気付いた。

 私が姉を()()()()()()ように、姉も私を苦しめていたのだと。

 

 姉がスキンシップを止めたことを、私はむしろ姉の煩わしい面が一つ減ったと心の何処かで喜んでいた。射場では姉のことを考えずに済むと、嬉々として弓を取っていた。

 

 空っぽは自覚した途端に空っぽではなくなる。

 そこに広がるのは虚無、奈落のような底なし穴。何を注ぎ込んでも永遠に満たされない私に、姉は心を砕き続けていたのだ。

 

 

 それが、三番目のバケモノ。

 姉を苦しめ続けた私は、()()()()()()()()だった。

 

 

 そんな私に、一体何が出来ただろう。

 

 姉の側にいれば姉は苦しむに違いない。

 だけれど私を守ることを心の支えにしている彼女は、私がいなくなればもっと苦しむだろう。

 バケモノに出来ることは、せめて姉を傷つける機会を減らすことだけだった。

 

 練習に打ち込んで、遠征費を稼ぐためとアルバイトに打ち込む。

 姉の方が利口であったのだから、私の意図に姉は当然気付いたことだろう。

 肩を並べて仲良しこよしだけが姉妹の形ではない。二人で協力することで、二人の食卓には言葉を交わさないことによる平穏が根付き始めていた。

 

 

 その筈、だったのだ。

 

 

「私の思ったとおりだったわ。やっぱり、バケモノは居たの」

 

 これが最後のバケモノ。いずれ深海棲艦と呼ばれるようになる異形の生物。

 

 姉は狂気に陥ったのだと思った。その言葉は研究者の道を志していた筈の姉から出るとは思えない言葉。理性で取り除いたはずの妄想が、再び姉を覆い尽くそうとしていた。実際、研究職を志して心を壊してしまうヒトは多いとは聞いていたし、表に出さずともプライドの高い姉のことだ。理想と現実の狭間でおかしくなってしまっても不思議ではない。

 

 しかし姉は、妄想を証明することに躍起になっていた。

 

「いつかあなたにも……ううん、絶対に知ることがあってはならないわ。あなたが知らなくても済むように、私はバケモノを見つけなきゃいけないの」

 

 時の流れに薄まった影は底に沈殿していただけ、一度鎌首をもたげれば否応にも眼に入る。

 

 苦痛だった。

 

 姉が被害妄想を吐くのも。

 私がその妄言のダシにされるのも。

 

 妹を守るのが姉だと嘯き、彼女は幼い日の妄想に取り付かれていく。

 そんな姉が、私に禁忌を破らせた。

 

「防衛大学に進学しようと思うんだ。学費どころかお給金もらえるし、いいでしょ?」

 

 私は逃げた。

 世界で唯一残った肉親を棄てて。

 

 全寮制の防衛大学校に進学すれば、姉との関わりを物理的に断つことが出来る。姉が私を救うことが出来なかったように、私もまた姉を救うことが出来なかった。その暗黙の了解を、私ははっきりと認めて逃げ出した。

 

 

 そして私たち姉妹にとって最悪なことに――――――

 

『信じられません。まったく信じられません!』

『沿岸部の住民は速やかに……』

『国民の皆様におかれましてはどうか冷静な……』

 

 

 ――――――バケモノの存在は証明されてしまった。

 

 

 まず、テレビの中で海と山に押しつぶされてヒトが死んだ。

 綺麗な海が真っ黒に染まった。

 

 次に、岸辺が炎に染まった。

 それは世界中で一斉に起こって、何十万のヒトが死んだ。

 

 そして新聞は、次は何百万が死ぬと言った。

 海が敵になった。ヒトと母なる海の戦いだと。

 

 何もかもがおかしくなり始めていた。

 姉が正しかったことが証明されてしまったのだ。

 私の姉は妄想に取り付かれていたのではなく、私以上に現実を見ていたのだ。

 

 一方の私は、常識という逃げの一手で覆い隠して姉を軽蔑すらしていた。

 妄言に取り付かれたと言い訳して、唯一の肉親を手放してしまった。

 バケモノが本当に存在したなんて、認められる訳がなかった。

 

 でも、現実は私の逃げ切りを認めてはくれなかった。

 いつのまにか防衛省の嘱託職員なんて大層な肩書きを引っ提げた姉は、私の前に現れるとこう言ったのだ。

 

「やっと分かったのよ。アイツらを倒す方法が」

 

 そして姉の視線が私を責め立てた。

 

 なぜ闘わないのか。どうしてバケモノに立ち向かわないのか。

 やっと倒せるのにどうして、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 姉がバケモノを倒す夢を、見た。

 

 倒せない一番目のバケモノ(むかしのひげき)、倒すに倒せない二番目のバケモノ(わたしのかぞく)

 そして最後の深海棲艦(バケモノ)、もしくは――――――三番目のバケモノ(じぶんじしん)を倒す夢。

 

 

 私は鏡に映ったバケモノを見つめる。記憶をなぞっただけの筈なのに、まるで悪夢に(うな)されたかのような顔。

 顔を洗っても流れ落ちない汗、タオルで拭っても消えない焦燥。

 

 そして捲り上げたシャツの下に刻まれた多くのやけどと裂傷。バケモノはまだ此処にいる(いきている)

 

 私には、姉の気持ちが痛いほど分かる。

 

 バケモノが形を持った。姉をずっと苦しめていた、それでいて空気みたいに掴むことの出来ないバケモノが遂に倒せるようになった。

 喜ぶ気持ちは分かる。しかし深海棲艦の研究に傾倒する姉を、どうして狂気でないと言えただろうか。

 

 いや、もちろん彼女は正気だったのだ。

 

 きっと姉はこれまでずっと、必死に戦って来たのだろう。

 バケモノの存在を証明しようと躍起になっていたのだろう。

 そして妄想(バケモノ)が現実の脅威となった今、研究にも予算が付いて、更には倒す方法が分かって、それで嬉しかったのだろう。

 

 でも、それはやっぱり姉の妄想だった。

 

 だって姉の両親を奪ったのも、姉を今日まで苦しめてきたのも、その犯人は深海棲艦ではないのだから。

 それを知って尚、姉はバケモノを倒すことを生き甲斐に昇華させたのだから。

 

 活き活きとしている姉は、私の目には八つ当たりにしか見えなかった。

 

「おかしいよ。お姉ちゃん」

「……おねえちゃん?」

 

 え、と。聞こえるはずのない声に私は振り返る。

 そこに佇んだ小さな影。ピンク色の寝間着、ぎゅっと握り締められた白いうさぎのぬいぐるみ。

 

 その姿は、まるで在りし日(幸せだった頃)の私。

 

「ヒナちゃん……ごめんね、おこしちゃった?」

 

 その問いに、ふるふると首を振るヒナちゃん。彼女はそのまま洗面台に向かう私を通り過ぎて、トイレへと向かう。

 ここは提督さんの家。ミクロネシア前方展開群の司令部が置かれるポンペイに出張している提督さんに代わって、私は家の留守番。もちろん副司令として部隊に留まるという役目もあるけれど、それまで含めて提督さんの配慮が感じられる采配だった。

 

 まさかとは思うけれど、留守番させる(その)ために私を副司令にしたなんてことは……いや、流石に考えすぎか。

 変な考えを頭から振り払う私、水洗の音が聞こえると同時に、ヒナちゃんがひょこりと顔を出した。

 

「手洗える? 手伝おっか」

「……別に、いいです」

 

 むすりとして、洗面所前の台に上るヒナちゃん。手を洗ってタオルで手を拭くと、彼女は振り返って私を見つめる。水晶みたいな瞳が、私を見据える。

 

「お姉さんには、おねえさんがいるの?」

 

 変な質問……という訳ではないだろう。ヒナちゃんにとっての私が「お姉さん」で、そのお姉さんに姉がいるのかという質問。

 

「うん。いるよ」

 

 嘘を吐く理由はない。そもそも私に姉がいることは人事資料を見れば分かるし、つまり提督さんが調べれば簡単にばれてしまう。

 するとヒナちゃんは、少し困ったような顔になる。あぁ、この顔は……本当に、父娘揃って優しいものだ。

 

「大丈夫、今も元気だよ。確か今は……849……ううん、マーシャル諸島にいるの」

「まーしゃるしょとう?」

ミクロネシア(ここ)の隣」

「とおいの?」

1000マイル(2000キロ)を遠いというなら、まぁ遠いかな」

 

 もちろん遠い。戦術的にはもちろん、戦略的にだって遠い。それこそ、いざという時に相互に援護し合うことが不可能なくらいには遠い。

 それでもまるで近いかのように答えてしまったのは、ヒナちゃんが寂しそうに見えたから。

 

「じゃあ、近いの?」

「そうね。飛行機で二時間くらいかしら?」

 

 具体的には、北海道から九州までいくとそのくらいだと思う。どう考えても遠い。

 

「飛べばあっという間よ」

「あっというま?」

「そうそう、ビューンよ。ビューン」

 

 そう言いくるめて誤魔化して。さぁ寝ましょと寝室へ戻す。

 それでも少女はやはり聡明だった。

 

「お姉さんは、ひとりでさみしくないの?」

「寂しくないわよ、だってヒナちゃんと提……お父さんがいるもの」

「……」

「…………浮気じゃないわよ?」

 

 じとりと見つめるヒナちゃんに一応反論。そもそも私は独身だ。

 

「さ。明日も学校があるでしょ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 若干強引に話を打ち切って、私はヒナちゃんをベッドに押し込む。流石に真夜中なのもあって、あっという間に彼女は眠りの国へと落ちていった。

 

 

「……さびしい、か」

 

 

 寂しくは、ない。

 むしろ離ればなれの方が、私たちは仕合わせ(しあわせ)なのだ。

 

 私が姉を理解できなかったように、姉も私を理解できなかった。

 

 姉はきっと、私こそが姉を苦しめるバケモノであったことに気付かなかった。

 不気味なほど楽しげに話す彼女には、どうして私が耳を塞いでいたか理解することすら出来なかった。

 

 しかし隣、そうか。隣にいるのか。

 どうやら運命の神様は強引にでも私と姉を引き合わせたいらしい。

 

 私が配属されている第3分遣隊の隣、第4分遣隊。マーシャル諸島の防衛を担当している第849護衛隊に姉は配属されている。援護し合えないほどの遠距離だとしても、確かに私たちは隣り合っている。

 

『聞いたぞ、8護群に行くらしいな。なんならお姉さんのいる部隊に推薦してやろうか?』

『お言葉ですが司令官。あなたは公人たる私に私事を優先せよと仰せですか?』

『……翔鶴型の揃い踏み、悪い話じゃないと思うんだがな』

 

 そういえば、そんな話を振られたこともあった。記憶の淵から蘇った会話。あの時はなんて返したのだったか。確か広報(メディア)対策でしたら応じると……要するに命令なら応じると言ったのだったか。

 そう、私に拒否権なんてものはない。一度は姉の誘いを否定した私も、命令が下れば爆弾を抱えた艦載機を飛び立たせて深海棲艦(バケモノ)を破壊する尖兵とならざるを得ない。

 

 それにしても本当に厄介で、残酷な引き合わせだ。

 

『胸を張りなさい。あなたはもう『瑞鶴』という、皆を守る艦娘(フネ)なのだから』

 

 記憶の中の姉がそう言う。()()()()二番艦(いもうと)を庇うように被弾し続けた軍艦(フネ)の名を(まと)った彼女が、実の妹ではなく軍艦(ずいかく)としてしか見てくれない一人の艦娘(あね)がそんなことを言う。

 そして皮肉なことに、私に与えられた艦名は一番艦(あね)を喪いながら刀折れ矢尽きるまで戦わされた軍艦(フネ)

 

 でもそれで、良かった。

 ようやく、姉は私を見放してくれたのだから。

 これで私達はもう二度と、歩み寄らずに済むのだから。

 

 時計の針はもう進まない。

 でも幸いなことに、戻りもしない。

 

 胸にポカリと空いた穴を埋められていないバケモノの私には、ひとりぼっちがお似合いだ。

 

 それなのに今、私はこうして寝息を立てる少女を見守っている。

 姉を見捨てた私に、そんな資格はない筈なのに……違う、資格は提督さんが与えてくれたのだ。あの人は。バケモノだと知った上で私を認めてくれた。

 

「……おやすみ、いい夢を」

 

 そっとヒナちゃんのベッドから離れる。

 

 存在しない筈の心に、ヒビ割れた器が形を取り戻したような気がした。

 



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第 9 話 刷り込れし家鴨

 ミクロネシア連邦チューク州の行政中心地、ウエノ島。チューク州に住む人口のおよそ3分の1が集中し州で唯一の国際空港を有するこの島は、もちろん商業の中心地でもある。

 

「いったた……」

 

 座席の背もたれに頭をぶつけたらしい。

 あたりを見回すと、バスはいよいよ非舗装区間に差し掛かったらしい。ガタゴトと椅子に窓が揺れ、気を抜いたら弾き飛ばされそうになる。

 日本本土から持ち込まれた都市型バスは、まさか砂利道なんて想定している筈がなく……それにしても揺れすぎではないだろうか。

 

「ヒナちゃん、大丈夫?」

「うん。へーきだよ」

 

 私の隣、窓際の席では提督さんの愛娘――ヒナちゃんが両手を窓に押し付けていた。

 過ぎていくモノ全部が珍しいのだろう、興味津々といった体で夢中になって外を見ている。私も昔、姉や家族と一緒に連れられて街の商業施設に行った事を思い出す。

 

「買い物……ねぇ」

 

 インフラの整っていない国で生活する日本人を支えるべく、ミクロネシア連邦では生活協同組合の配送サービスが利用できる。

 従って食料品をはじめとする生活必需品はヒナちゃん一人でも大丈夫らしいのだが、雑多な消耗品はどうしても買いに出なければならない。

 

 という訳で、提督さんからありがたく頂いた休暇を使って私達は新市街に出てきていた。市街とはまだ名ばかりの工事現場が散らばるあぜ道の先に、私たちの目指す複合型商業施設(シヨツピングモール)

 

 提督さん宅への押し掛けが続いてから、徐々に心を開いてくれるようになったヒナちゃん。ようやく、ここまでが長かった。一緒にお買い物に出られるようになったのは、過去の自分を手放しで褒めよう。雑談にも反応してくれる彼女に嬉しさを噛み締めながら続ける。

 

「いつも一人なの?」

「お父さんは頑張って帰ってくるって言ってる。でも、月に一回しか駄目だって」

 

 多忙な職に就いているのだ。それも仕方あるまい。

 とはいえ親の事情は子供にとっては知ったことではないわけで、少女の表情にも僅かな影が落ちる。なるほど、彼が頼むといった意味が少し分かった気がする。それはそうとして、問題は……。

 

「おっかいもの~、おっかいもの~♪」

「文月……周りに迷惑になっちゃだめだからねっ! 静かにしてて!」

「むぅ~。皐月ちゃんはいっつも大人なんだからー」

 

 いやいや。そもそもなぜ彼女らが此処にいるのか。

 

 一つ後ろの座席にいる小童(こわつぱ)二人を見れば、呑気に手を振ってくる。溜息を吐きながら、まともに会話が出来そうな方に声をかける。

 

「皐月? 一体どういう事?」

「司令官に瑞鶴さんがこっちに来て日が浅いから、案内してあげてって言われたからさ」

「文月は?」

「私はお菓子を強請(ゆす)りに来たんだよー」

 

 皐月はともかくとして、文月は中々に太々しい。

 まだ一部では工事中なのか、防音幕を被せられた建造物がいよいよ近づいてきた。車内アナウンスが目的地を告げている。咄嗟にボタンを押した私を見て、ヒナちゃんは膨れ面。

 

「あ……えーっと、もしかして押したかった?」

 

 返答は無視。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 

「わぁー、瑞鶴さんヒナちゃん怒らせたぁ。いけないんだぁ。お父さんに言っちゃおー」

 

 そして筋入り棒読みをする文月。横目で流されたその視線が何を言わんとするかは明らか。

 

「はいはい。お菓子でもスイーツでも買ってあげるわよ」

「えへへー、交渉成立ぅ」

 

 同じ艦娘なのだからそれなりの給金が出ているはずなのに、どうして私にたかるのか全くの謎である。まあ提督さんから預かった軍資金(せいかつひ)から払えば私の懐は痛まないので良しとする。

 

「……」

 

 ふと私を見上げる視線を感じる。隣に座ったヒナちゃんは何かを訴えるような表情。

 

「ヒナちゃんも欲しい?」

「でも。お父さんから、あんまりお菓子食べるなって……」

「食べ過ぎるなってことでしょ。いいわよ。何でも買ってあげるから、遠慮しないで」

「…………ほんと!?」

 

 なんだかんだと現金な文月と違って、ヒナちゃんはしっかりと子供だ。

 年齢相応の所作を眺めながら、可愛い子だなと頭を撫でる。心地よいのか、胸元にすとんと身体を預けてきた。

 

 やがてバスは停車。

 流石は基地関係者を初めとする日本人の大量移住に伴って造成された大規模商業施設というべきか、そこは日本語だらけの広告たちが踊る空間だった。

 

「あ! ココナッツジュース!」

 

 バスを降りた彼女が目を輝かせる。

 膨れ面をしたと思えば喜びを湛え、お気に入りを見つけると頬を紅潮させる。コロコロと変わる表情は本当に気分屋さん。こんな子を護る為だったら、いくらでも命を賭けられよう。厄介な上司の娘とて、人の子である事に変わりはない。

 

 こんな私に母親代わりは務まるのだろうかとずっと考えていた。提督さんが自嘲していたように、私だって親の愛を知らない。それでも、この子の為に何かしてあげたい。そんな想いは確かに私の心に灯ったのだ。

 

「――って、こら! ヒナちゃん走ったら危ないでしょ!」

「瑞鶴さんも走ってるじゃん」

 

 後ろから聞こえるツッコミはひとまず無視。駆け出していく彼女の首根っこを慌てて捕まえながら、私はショッピングモールに滑り込む。

 オカルトに片足を突っ込んでいそうな深海棲艦に対して艦娘がオカルトじみた力で戦うように、子供と戦うには子供と同じレベルで戦う必要がある。

 だからこれは、しかたないのだ。

 

「はい、これも持って」

「うへぇ重い。いつからボクら荷物持ちになったのさぁ」

「全然重くないでしょ……私はヒナちゃんをみないといけないから、両手を空けときたいのよ」

「お~ぼ~だ~」

「はいはい。何が欲しいの?」

「えーとね……」

 

 それからの時間はあっという間。

 

 年頃の女の子が買うような化粧品や、家電とは言わないまでもあれば便利なグッズ類。

 それらが積み重なってしまえば紙袋に詰め込んでも両手じゃ足りなくなってしまう。

 随伴の駆逐艦をお菓子で追加買収しながら次の店へと進もうとした頃、彼女に服の袖を引かれる。

 

「……」

「ん? クレープ屋さん?」

 

 そこには出店のような幌を突き出した営業車。ご丁寧に椅子やテーブルまで用意して、私たちを手ぐすね引いて待ち構えている。

 

「どれが欲しい?」

 

 眼とは口よりも雄弁にモノを語る。ヒナちゃんが指差したメニューと目線が異なってるのをみて、私は躊躇いなく目線の先の商品を注文。

 にっこり頷いた店主がクリーム色の生地を鉄板の上に載せれば、牛乳と卵の香りが漂い始める。

 

 本土のそれと同じ香りは、この南の島に作られた複合商業施設(にほんのふうけい)の象徴でもあった。

 

「いただきまーす」

 

 柔らかな生地に包まれたアイスクリン。

 今にも熱気で溶け出しそうなそれにヒナちゃんがかぶりつけば、破れた切れ目からこぼれ落ちて口だか手だかをベタベタにしてしまう。それを慌てて紙ナプキンで拭った私にお礼を言いながら、彼女はどこか申し訳なさそうな顔をする。

 

「高かったでしょ? お姉さん」

 

 この手の出店がやけに高いのは常識。

 それでも、子供にとって千円弱という価格はなかなかの大金である。

 それが彼女に遠慮させていたことは、もちろん私だって気付いている。

 

「いいのいいの。貴女のお父さんから、好きに使ってってたっぷり軍資金貰ったんだから」

 

 ぐんしきん? そう首を傾けた彼女。お金の事よと言うと、また何かと考え込む。

 

 こうした日々の会話で彼女の語彙力が拡張されていくのだろうかとしみじみ思いながら待つと、彼女は予想だにしない言葉を繰り出してきた。

 

「やっぱり……お金を貰うから、お姉さんはあいじんなんだ」

「ケホッ、はなにぎゃくりゅうした」

 

 噴き出す音とともに、目頭を抑えて鼻を傾ける皐月。提督さんに遠慮したのか、奢った価格の安い炭酸ドリンクがここにきて悪手となってしまったよう。

 しかしそれにしても、あいじん、愛人ときたか。

 一体、この娘はどこでこんな言葉を覚えて来るのだろう。お父さんがお金を上げる相手は愛人。おませにしても程がある。

 

「あー。愛人じゃないわよ。元々私だって、提督さんと仲が良い訳じゃないし」

「お父さんとなかよしじゃないのに来てくれるの?」

「別に、仲が悪いわけじゃないのよ」

「じゃあ、なかよしなの?」

 

 私と提督さんの関係とは、本当に何なのだろう。

 

 書類上では、第3分遣隊の司令と副司令。

 提督さんは分遣隊の作戦を立案し――――本来なら司令部幕僚の仕事だが、まさか自衛隊にそんな人員的余裕があるはずもない――――私はその実行者。

 いや、本当は副司令は司令の補佐役なのだけれど……杓子定規に行えないのが最前線、副司令といえど艦娘なら容赦なく戦場に立たされるのが人材不足の自衛隊である。

 

 既に教本通りの関係ではなく、後方の総指揮官と現場指揮官の関係と言った方がいいだろう。

 

 いや、それすらも正しいのかは怪しいものだ。

 

 提督さんが私の頭越しに直接指揮を執ることだってあるだろう。いくらなんでも作戦立案から実行まで全部提督さんに任せることは出来ないので私も作戦立案に関わることになる。

 執務室で互いの意見が対立すればいがみ合いになるし、かと思えば空自や陸自、本省との折衝で共同戦線を張ったりもする。

 

 ……尤も、ヒナちゃんが聞きたいのはそんなことではないのだろうが。

 

「だってなかよしじゃなかったら、ごはん作りにはこないよね?」

「それは、だって。提督さんが料理できないから」

 

 一応、提督さんの料理スキルは人並ではあると思う。

 とはいえ栄養バランスなど微塵にも考えていないだろうから、()()としては落第点。さらに残業の多さを鑑みれば、夕食の時間はどうしても遅くなる。料理なんて作る時間はない……それは分かるけれど、だからといって育ち盛りの女の子(ヒナちやん)にカップラーメンやら冷凍食品やらばかりを食べさせる理由にはならない。

 

 インスタント食品は悪で家庭の味が正義とまでは言わないが、出来合の食品が濃い味付けであることと糖質・脂質の過剰摂取が美容に悪いのは事実だ。

 

「なんで? スーパーのおかずおいしいよ?」

「まあ、それはそうなんだけれど……」

 

 いや、私だって分かってはいるのだ。

 

 食生活が偏るからと言い訳しての夕食作りと朝食の作り置き、掃除に洗濯それどころかヒナちゃんの勉強の手伝い。

 どう考えても単なる部下と上司の関係ではない。

 

 着任して半年にも満たない筈の私が、どうしてか押しかけ女房みたいな真似事をして、あげくに娘の面倒を押し付けられている。これではただの家族ごっこではないか。

 

「提督さんにとって、私は体のいい家政婦なのよ」

 

 家族だなんて。浮かんだ関係を否定しようと、言葉だけが先に飛び出してしまう。しかし選んだ言葉が難しかったようで、ヒナちゃんは首を傾げる。

 

「かせいふ?」

 

 お金を貰って炊事や洗濯、部屋の掃除をやってくれるヒトの事よと説明する私。少し慌てていた私は、その言葉を彼女がどう受け取るかまでは考えていなかった。

 

「……それなら、あいじんと同じだよ」

「え?」

「だって、お金をもらうんでしょ? お姉さん、ぐんしきんって言ってたよ」

「いや、軍資金というのは必要経費のことで……」

 

 違う、そんな些細な違いの話をしている訳じゃない。

 さっきの遠慮したヒナちゃんを見れば分かる。彼女の中でお金の価値は絶対。

 いきなり180億円の価値を説き始めた提督さんがそうであるように、彼女にとってもお金は「何でも買える魔法のアイテム」なのだ。

 

「でも愛人じゃないの。私にはそんな価値すらないんだから」

 

 自嘲気味に呟いた私の顔は自然と下がる。ヒナちゃんは無垢な瞳でこちらを見上げる。

 

「じゃあ、あいじんじゃないおねえさんはだぁれ?」

「只のお姉さんで良いわよ。母親って柄じゃないし」

 

 ヒナちゃんの方が圧倒的に大人ではないか。

 感情のコントロールに戸惑う私の方が子供だった。

 

 しかし、私はあくまで境界線を引かねばならない。血が繋がっていないが故に、立ち入ってはいけない領域があると。

 

 今いる場所(ここ)は提督さんの役割だ。私は代替品に過ぎない。

 

「でもこれだけは分かる。貴女のお父さんは……絶対に貴女を愛してる。間違いなく提督さんの子供よ。私が保証してあげる」

「ほんとう?」

「えぇ、頑固な所もそっくり」

 

 頑なに譲らないのも同じだ。追い込まれるまで誰かに頼らないのも一緒だ。

 だから、似た者同士。だからこそ私は、提督さんやヒナちゃんの間に割っては入れない。

 

「でも私にはお母さんがいないんだよ? だからお父さんは、お姉さんにお願いするでしょ? ヒナが好きだからお父さんがお金をあげて、お母さんの代わりをしてもらうんだよね?」

 

 彼女の言う事が、ほとんど間違っていないのが苦々しい。表情を曇らせるヒナちゃん。眼に浮かぶのは初めて出会った夜と同じ拒絶――――――不味い、自分から地雷を踏んだ。

 

「お母さんの代わりがいなくても、わたしはだいじょうぶです」

 

 お父さんと仲良くするヒト、家の家事全般をやってくれるヒト。

 それが母を持たない少女が様々な情報から紡ぎ出した「お母さん」であり、彼女にとっては愛人も家政婦も、不完全でかつ「お金を払ってまで」手に入れる代替品。幼子の直感は、あまりに鋭すぎる。

 

 その思考の組み立て方が、何処か彼のロジカルシンキングと似ていて――不意に、姉の言葉を思い出した。状況には不釣り合いに光明が差す。何だ、簡単な事じゃないか。

 

『あなたのことは私が守るわ』

 

 それは姉の幻影(おもいで)

 

 姉は学業やアルバイトで時間がなくても、料理は自分で作ると言って憚らなかった。

 私が作ると言えば、側に立って手取り足取り作り方を伝授してくれた。

 

 もちろん私だって、それが「継承」であることくらいは気付いていた。

 姉は母親の味を喪いたくなかったのだ。

 

 母から教わった作り方、味付けのコツ、味見の仕方に至るまで、その料理を喪いたくはなかったのだ。

 もしも私がカップラーメンのゴミを流しに積み上げたとしたら、きっと姉は私に手をあげたことだろう。それほどに姉は「家庭の味」を守ることに固執していた。

 そして恐らく私も、執着している。

 

 嗚呼――――――これでは私は、結局姉の繰り返しではないか。

 

「えっと、怒らないで聞いてくれる?」

 

 その言葉に、小さく頷いてくれたのは幸い。しかし何と説明したものだろうか。もはや家政婦や愛人の説明は求められていない。彼女が私に問うているのは他でもない私のこと。

 

「ヒナちゃんのことね、放っておけないんだ」

 

 姉に感謝していないわけじゃない。

 

「私もね、家族と二人きりで暮らしていたことがあって」

 

 それどころか、申し訳ないとすら思っている。

 

「少し似てるんだ。昔の私と、ヒナちゃんが」

「お姉さんとわたしが、にてるの?」

 

 姉は私を守ってくれていたのだろう。それなのに、私は姉を傷つけてしまった。

 

「うん、似てるよ」

 

 なのにいまさら、姉の気持ちが手に取るように分かる。

 きっと姉は、自分自身の影を私に重ねていたのだ。今の私がヒナちゃんに重ねているように、声にならない悲鳴をあげているのだと思い込んでしまったのだ。

 

 固く結んだ唇、怯えと寂しさが満ちた瞳、それでも強く握りしめられる小さな拳。

 

 それは姉にとっての守るべき自分自身であり、そして私が今、他人でなければならないヒナちゃんに感じていること。

 

「ごめんね。これは私のワガママなの」

 

 片親である事に同情して、ここまで深く関わってしまった。

 これでは、傷を抉る為に手を貸したと言われてもしょうがない。

 だが、それでも関わろうと――――この親子の為にありたいと思ったのは嘘偽りはない。

 

 今、この子を抱きしめられたらどんなに幸せだろう。

 あなたは独りじゃないのだと、私が守ってあげると言えたのならどんなに()()救われることだろう。

 

 でもそれは出来ない。絶対に許されない。

 

 だって、それは結局のところ過去の()を救う行為でしかない。

 そしてそもそも、私はこの子になんの責任も持てない。ヒナちゃんは提督さんの子供でしかなくて、私の過去を清算するための道具ではない。

 

 きっとヒナちゃんは嫌がるだろう。血の繋がった姉ですら私は嫌悪を覚えたのだ、文字通りの赤の他人からこんなこと言われて、よく思うはずがない。

 

「……」

 

 包み紙にくるまれたスイーツを食べるのも忘れて、ヒナちゃんは私のことをじっと見つめている。

 彼女には果たして何が見えているのだろう。

 昔の私なら何を見たのだろう。

 

 答えのない問いを静かに繰り返していると、やがて彼女は口を開く。

 

「お姉さんはわたしのこと、好きなの?」

「へ?」

「だって。お姉さんはあいじんでもかせいふでもないんでしょ。それでご飯を作ってくれるのはワガママなんでしょ」

 

 それで好きという結論になるのか。いや、それで好きと認めて良いものだろうか。

 

「……まあ、小さな妹みたいには思ってるわよ」

「妹? わたしはお姉さんの妹じゃないよ?」

「だから、家族みたいなものよ」

 

 最初の主張とはずれるが、守ってあげたいという気持ちに嘘はない。

 だから問題はないことにする。実際、今の私とヒナちゃんの関係を表すのに、家族ということばは適切だった。

 

「じゃあ。お姉さんが、お母さんになるってこと?」

「ぐぼふぁッ!」

 

 またしても皐月にクリティカルヒット。

 今度は振りかぶって盛大に頭をぶつけて痛みに悶絶。とりあえずこの子に語彙を与えた不届き者を、いつか見つけ出して裁く事が決定した。

 

「おかーさんだって、瑞鶴さん」

「いたたっ。お母さんって言うより、ご意見番みたいなイメージだなぁ……」

「そこの二人っ、聞こえてるからね! 別に私は提督さんの事なんかッ!」

「「嫌いじゃないんでしょ?」」

 

 見事にユニゾンして何処吹く風な文月と、虫の息の皐月。

 姉妹艦故か息もピッタリな挟撃に、私は白旗を揚げた。

 

「そうっ、だけどさぁ……」

「お似合いで夫婦みたいだよー。二人と司令官ー」

「やっぱりお姉さんがお母さん?」

「ヒナちゃん信じちゃダメっ! こっ、言葉の綾って奴よ。私と提督さんはそんな関係じゃ」

 

 慌てて否定に入ったのを彼女は興味津々と言った風に続ける。

 

「あやってなぁに? 綾取り?」

「そっ、そうよ。言葉の使い方って意味よ!」

 

 大分間違った知識になりそうだが、彼女のお姉さんをするからには後に引けない。プライドだって多少はある。

 しかし、親子扱いを否定するにはまったく意味を為さない文の羅列だ。聡いヒナちゃんはもちろん気付くだろう。

 

 それはまさしく言葉の使い方。私が厚意ではなく、好意を提督さんに向け始めていた。

 

「この親子には本当に敵わないわね……」

 

 私は照れ隠しにジュースをすする。

 

 その時。

 

 

 ()()()()()()()()

 



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第10話 集い離れの烏合

 商業施設には場違いな破裂音。

 ひとつやふたつではない、たくさん連続して聞こえるそれ。

 

 風船でも割れたのだろうか。開店祝いにクラッカーでも鳴らしたのだろうか。

 

 最初こそ、そう思っていた――――――いや、思い込みたかった。

 

 人の波や慌てふためく様子。

 逃げ惑う姿。

 鼓膜を叩く銃声。

 

 しかし視界に映るその全てが、平和ボケしていた思考を塗り潰す。

 

「見ちゃダメッ!」

「えっ、なぁにお姉さん?」

 

 ヒナちゃんの反応を聞く限り、私の腕で覆い隠した彼女はその惨状を目の当たりにしていないだろう。

 私たちの眼前に迫りつつある脅威は、幼い子供に見せて良いものではない。

 

 鳴り響くベルの音は火災報知器か。

 燃え盛るフードコートと、物騒な装備などが見て取れる。銀行強盗やその類であれば、銃を突きつけて脅せば済む話。

 

 となると、それ以上の何かだ。

 彼らの叫びは現地語で支離滅裂だが、何かの怒りを訴えている事は見て取れる。

 破壊自体を目的としているのではと疑うほどに弾丸の雨を浴びせる様子から、現金を渡して解決する相手ではなさそうだった。

 

 店頭に掛けられた「対テロ特別警戒中」の文字が視界に入る。

 まさかこの言葉を意識させられる日が来るとは。

 

 脳内で状況が整理されたところで、腕の下から呻き声が聞こえた。

 

「お姉さん、くるしいよ。くるしい……」

「ごめんね! ちょっと我慢しててね」

「ねえお姉さん。この音、なんの音……?」

「…………火事よ」

 

 いくら視界を遮っても、銃声やベルの音は聞こえてしまう。そして悲鳴も。

 新しいアトラクションだよと言って言い逃げできる状況ではない――――――もちろん、本当のことを言える筈もなかった。

 

「煙が出てきたから、下を向いてハンカチを口に当てて。絶対頭を上げちゃダメよ」

「うん……」

 

 大丈夫、私は嘘を吐いていない。とにかく避難させればいいのだ。

 

 護身用の武器は持っていないし、仮に持っていてもヒナちゃんの前では使えない。

 今のところは自由な脚を払ってスチール机を転倒させると、バリケードのように気休めの防壁を張る――――――木製だろうとプラスチック製だろうと銃弾は防げないだろうが、私たちのことは隠してくれるはずだ。

 

 武器を持たない私に出来るのは、とにかく敵に見つからないように気配を消すこと。

 出口まではたどり着けなくとも、柱やレジ裏に逃げ込むだけで危険性は格段に減るはずだ。

 とにかくこうして救助を待つ。ここはウエノ島、ミクロネシアの警察だって無力ではないはずだし、空港には空自の警備隊だっている。大丈夫、大丈夫だと言い聞かせる。

 

 誰に? もちろん、自分にだ。自分が不安になってしまっては、聡いヒナちゃんが気付いてしまうから。

 

 ――――――底抜けに明るい声が聞こえたのは、そんな時だった。

 

「せーのっ」

 

 それは一瞬のこと。

 クラウチングのように身を伏せていたのだろう。文月がバネ仕掛けのように飛び掛かる。

 

 犯行グループとの距離は目視していても100メートルを越えている。それでも熟練した者であれば、駆け寄ってくる敵を撃ち殺すには容易い筈。

 しかし文月は違った。

 

 元々小柄で当たる面積が少ないのと、獣のように姿勢を低くし身体を傾けた状態の疾走は彼らに距離感を狂わせたのだ。

 

「文月ッ、殺しちゃ駄目だっ!」

「うぃっ!」

 

 続いた皐月の制止にコクリと頷いた彼女が戦闘を続行する。

 

 その掌底はまさしく彼らの得物をたちまちに奪い。肩口まで背負う恰好でライフルを構えた文月は容赦なくトリガーを引いた。

 

 反動をものともせず三人の武器を叩き落とすと、弾倉を引き抜いて空にする。

 今度は長物として振り落とし、相手の頭部を狙う。

 

 やや出遅れた皐月も、どこかのウェイターが落としたお盆をフライングディスク宜しく投擲すると、近場にあった椅子を軽々と持ち上げて振り下ろす。

 

 所詮小娘と侮ったなら、まとめてお陀仏になっていただろう。

 拘束までたったの2分。それも関節を無理やり外して無効化するなど、縄などないとはいえ少々荒っぽいやり方でだ。

 

「どぉ? あたしたち強いでしょー」

「……す、すごいわね」

 

 型破りと言うべきか。対テロ訓練、というか人間を相手にした訓練は受けていない筈。

 呆気に取られた私に、皐月はウインクしながら答える。

 

「ボクら睦月型の出力じゃ、ヒト型の装甲は抜けないことの方が多いからねー。自然と格闘戦がメインになっちゃうんだよ」

 

 普段後方の瑞鶴さんは、あんまり見えないだろうけどねと続ける皐月。

 艦載機を使う空母は自然と遠距離戦がメインになる。だから深海棲艦と人間では戦い方が違うと勝手に思い込んでいたが、なるほど戦いの本質は相手の武器を無力化し、打ち倒すこと。

 今度彼女達にやり方を教えて貰おうか――――――そんなことを考えていた私は、胸元で震える少女の存在をすっかり忘れていた。

 

「ヒナちゃん大丈夫?」

「殺し、ちゃったの……?」

 

 「殺す」という言葉の意味を、果たして彼女は分かっているのだろうか。

 

 分かってなどいまい、私だって戦場に出るまで分かっていなかったのだ。

 それでも肩を震わせる彼女は、確かに「殺す」という言葉に敏感に反応していた。

 

「大丈夫、殺してないよ。悪い人達は文月が捕まえてくれたから、もう安心」

 

 安心させるために抱きしめて、宥めるように背中を撫でてあげる。

 肩の震えは徐々に収まって、伝わってくる鼓動も落ち着いていく。

 

「よし、ヒナちゃんは強い子だね」

「うん……私つよいよ。お父さんの子供だもん」

 

 励ますように私は言う。

 少女は状況を半分も把握していないだろう。それでも彼女は、この場所の空気、私たちの言葉。犯人……いや文月の殺気を確かに感じ取って、怯えていた。

 

 もしかすると、それが子供なのかもしれない。無知のようで誰よりも物事が見えていて、無邪気なようで聡明で。それとも提督さんが育てたからこんな子供に育ったのだろうか。

 

 いや、そんなことを考えるのは後だ。

 犯人を押さえて少しは安全になっただけ。そこら中の店が燃えている状況は変わりない。今はとにかく安全な場所に避難しなければ。

 

「……瑞鶴さん。これ、おかしいよ」

 

 皐月がそんなことを言ったのは、その時だった。

 

「こんなことが起きたのに、館内放送がない。もう警備員が駆けつけてもいい頃なのに」

「まさか」

 

 まさか。犯人グループは彼らだけじゃないと言うのか。

 この広い大規模商業施設に、他にも同じような連中が入り込んでいるのか。

 確認しようにも火災報知器の狂騒と鳴り止まない悲鳴の渦に遮られて確認が出来ない。せめて偵察機の一つでも持ってきていれば確認が出来るのだが、あいにくというか当然というべきか、艦載機の持ち合わせはなかった。

 

「……ううん、考えるのはあと。とにかく今はヒナちゃんを」

 

 その言葉の続きが放たれる事はない。

 

 爆発。その瞬間を目の端で捉えて振り返る。飛び散るカケラは毛糸。それも何かの形を模したもの。人形だ。子供向けにと配置されたインテリア。そこに備品のように収められていたマスコットキャラクターのぬいぐるみ。

 同じものは、私達が座っていたテーブルにも置かれていて……。

 

 銃弾からヒナちゃん護る為にテーブルを蹴り倒したまではよかったはずなのだ。そのせいで、置かれていた物が何処に転がったまでは見逃していた。

 

 襲撃に怯えていたヒナちゃんが、近場にあった影を引き寄せようと手を伸ばしていた。

 

「くまさん……こっち……」

 

 

 

 ――――――それだけは駄目だ。

 

 

 

 無差別な殺傷が目的であれば、人間だれしもが警戒しないものに忍ばせると相場が決まっている。

 

「く――――ッ!」

 

 間に合うかなんて思考はとうに捨てていた。彼女の身体を護るように飛び出した頃には周囲を炎が嘗めていた。今にも起爆しそうな凶器を蹴り飛ばす。

 

 

 ――――刹那、閃光。

 

 

 咄嗟に抱きかかえた状態のまま吹き飛ばされる。無事に受け身はとれただろうか。

 

「ヒナちゃん……大丈夫?」

 

 庇った所為で、転がり込んだ際の衝撃か全身が痛い。

 組み伏せた彼女の表情が怯えに染まる。そのシルクのような青白い肌に、ぼたりと粘度を持った液体が赤く広がっていく。口に感じるのは鉄の味。

 

「痛いところ……ない?」

「お姉さん……血が、血が……」

 

 良かった。彼女は無事だ。安堵と共に、張りつめていた気が緩む。一拍遅れて湧いてきたのは倦怠感と激痛だった。

 

「あー。慣れっこ。これ位だったら……」

 

 治る。そう言おうとして首が傾いた。

 彼女を抱えて立ち上がろうとした所で、ふらついた。

 いや倒れ込んだという方が正しい。力が入らない。空はこんなにも青かっただろうか。

 

 生暖かさが服を伝っているのが分かる。そういえば、ここは戦場じゃなかった。丘にいれば、艦娘だって只の人間だ。傷口は勝手に塞がらないし、まして致命傷を負えば助からない。

 

「瑞鶴さんっ! 大丈夫!?」

「基地に……司令官に電話ッ! お願い繋がって!」

 

 いつもののびのびとした態度から豹変した文月と、端末を慌てて操作する皐月。その姿も、声もいよいよ感じなくなって。

 

 

 

 視界が暗転する頃には、その正誤すら判断がつかなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 


 


 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

「えっ、爆破?」

 

 なんでもない日曜日の筈だった。

 空調のよく効いた、関係者専用のおかげで静謐さを保った部屋にそんな物騒な言葉が木霊する。

 その声の主は慌てて声を潜めると、ジェスチャーだけで連れに謝り席を離れる。

 

「……どういうことです」

『そのままの意味だよ。チューク州とポンペイ州、いずれも商業施設で複数の爆発、あと銃乱射とのことだ』

「ミクロネシア連邦の銃規制はさほど厳しくないはずです。突発的な事件の可能性はありませんか?」

『冗談だろう? 千キロ単位で離れた場所で銃撃戦が同時に起きたんだぞ』

 

 携帯電話を握った男は周囲を見回しながら会話を続ける。いくら緊急の話題とはいえ、この場所でするにはあまりに不適切な話題だ。

 しかし一方で、関係者席で幸いだったとも思う。まだ速報の段階、下手に公衆の面前で聴かれてゴシップなどになれば「こと」である。

 

「おとーさん!」

 

 そんな逡巡を遮る声、男が顔を上げると。そこには頬をぷくりと膨らませた少女の姿。

 

「もう返し馬始まってるよ! はやく来て!」

「……あぁ、分かったから。スグ戻るから先に見てなさい」

『どこにいるんだ?』

 

 一瞬だけ気の弱そうな父親の顔をした男を元の表情に引き戻す電話越しの声。

 それに男は苛立ちを隠さずに返した。

 

船橋法典(なかやま)ですよ。ノゾミが観たいっていうもんですから」

『……それは悪いことをしたな。終わってからでいいぞ』

「いえ構いません。どうせ――――」

 

 そこまで言いかけた時、携帯の着信を報せる電子音。彼の使っている()()()()()ではない。

 もうひとつの携帯。それが意味することは、ただひとつ。

 

「――――呼び出されますから」

『……みたいだな。気張れよ』

「当然です、では失礼します」

 

 それだけ言って男は通信を切る。それから流れるようにもう一つの携帯端末を手に取った。

 

「はい、飯田です。……ええ、把握しております。武蔵野線の船橋法典駅付近です、はい。すぐ向かいます」

 

 

 さて、娘はピザ何枚で許してくれるだろうか。

 そんなことを考えながら、男は座席へと戻っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、南太平洋地域で発生したテロは合計21件。

 標的とされたのは商業施設に港湾、発電設備に給水塔など、日本の紐付き(タイド)ODAにより建設された社会インフラ。

 

 深海棲艦と戦うために組まれた新自由連合盟約(ニューコンパクト)加盟国の連帯に、綻びが生じはじめていた。

 



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第11話 伝書鳩は突然に

「目が覚めたかい?」

 

 隣の机に大量の書類を広げて、ペンで書き込む音が聞こえる。

 壁際からこちらに視線を向けた彼。その目は暗く、私を責め立てるように見えた。

 

 そうだ。あの時、間に合わないと悟って炎に身を投げたのは覚えている。

 

 提督さんはきっと私を許さないだろう。

 小遣いを貰って子守に就いたのだ。

 例え偶発的なテロだったとしても、娘の身に大事があったのならばどんな親だって怒り心頭だろう。

 

 反射的に頭を伏せた。

 彼からの視線に耐え切れなかったのもある。それ以上に、任務を達成できなかった部下として謝罪しなければならない。

 

「本当にすまなかった」

「申し訳ありませんでした…………って。え?」

 

 被せられた詫びに、私は目を丸くした。どうして。

 

「そっちこそ、どうして君からそんな台詞が出る」

「ヒナちゃんを危険に晒しました。家政婦失格です……ッ」

 

 身体を起こそうとした私は激痛に身を捩ることになる。脂汗を浮かべ身悶える私を提督さんは丁寧な手つきで戻していく。

 

「しかも、非番の日におめおめと負傷しました。非常時に毅然とあるべき自衛隊員としても不適格です」

「いいから。安静にしていなさい」

 

 呼吸が落ち着き始めたところで、彼は切り出した。

 

「そんな事で(なじ)ったりしないよ。娘を護ってくれてありがとう」

 

 それは親としての感謝と、部下を労わる上司としての言葉――――――釣り合わない天秤に私としては裏があるのではないかと、過剰に警戒してしまう。

 

 すると彼は鞄から一通の便箋を取り出した。片手も満足に動かせない私に、提督さんが封を切って中身を見せてくる。

 

 

お姉さん、早く元気になってね。

 

 

 続くのは平仮名交じりの文章。ご丁寧に色鉛筆で描いたイラストもついている。

 ()()()()()の手を引いていくのは、黒髪のツインテール。これは私だ。

 

「娘が君の事が大丈夫かと何度も電話を寄こすんだ」

 

 おかげで交換手にも迷惑をかけていてな。どう懐かせたか知らないが、大層気に入っているらしい。提督さんの表情は幾分か疲れているように見える。

 それから彼はこう切り出す。

 

「どうだ。完治まで2週間、療養やリハビリでさらに2週間だ。病欠扱いにするから、娘と一緒に居てやってくれないか?」

 

 なるほど、家政婦の契約は続行か。

 そして私は納得する。疲れているように見えたのは肩代わりしていた家事が回ってきたツケだろう、と。

 

 あったものがないようにはすぐに戻せない。ヒナちゃんに普通の生活が加わった以上、彼としては簡単になくしたくはないのだろう。

 良いか悪いかは別として、嫌われていないのは吉報だった。

 

「提督さんって、クールに見えて親バカよね」

「打算的に動いているだけだよ。君がいれば娘の機嫌をとれるし、私は帰らずに仕事が出来る。家族ごっこはやはり私には似合わないということだ」

 

 ()()()だと彼は言った。導き出されるのは、長門隊長から聞いた仮定の話。

 

「やっぱり、ヒナちゃんは引き取ったんですか?」

「引き取った……他人から見れば引き取ったんだろうな。実際は()()()に他ならないよ」

 

 彼は室内にも関わらず、制帽をわざわざ目深に被って私の視線から逃れた。

 

()()()()の折だ。南太平洋のある島で捨て子を拾った」

 

 その口から語られるのは、驚くべき過去。

 

「その対価に金銭の有無なんて関係ない。ヒナタは親に売られて、()()が買い取った。双方の同意があっても、あの子から実の家族と切り離したのは俺だ。だから、彼女の父なんて名乗る資格はないんだよ」

「資格……?」

 

 ヒナちゃんが本当に欲しいのは提督さんとの時間だ。

 血が繋がってるかなんかどうでもいい筈。彼女は愛情を持って育ててくれた彼に少しでも寄り添いたいだけなのだ。

 

「違います。ヒナちゃんは提督さんの娘です」

「法律的にはそうかもしれない。このご時世だ、世間も許すだろう。しかし事実を知れば、ヒナタは俺を許さない。今の生活がまやかしで、偽善で与えられたものだと知ったら……」

 

 本当の家族の所へ戻りたいと言い出すに決まっている。

 

 言葉にはされなかったが、彼の考えは読みとれた。この分からず屋。私の感情の針は一気に振り切れた。

 

「そういう所が、ヒナちゃんを苦しめてるって何で提督さんは分からないの!?」

 

 

 あの子は、ただ提督さんに――――――。

 

 

 それから先の言葉は続けられなかった。

 彼があまりに悔し気な表情をしていたから。

 

「分かってるさ。俺は彼女の父親になんてなるべきじゃなかった」

 

 冷酷無比で、艦娘の事なんて戦場の駒としか思っていない彼もらしくない言葉が飛び出す。

 

「他に方法がなかったなんて言い訳は不要だ。これは俺の罪であり、償いでもあるんだからな」

 

 罪、償い――――――およそ父娘(おやこ)関係からは想像のつかない言葉が飛び出す。

 ヒナちゃんが提督さんの娘でないことは暗黙の了解ではあったが、提督さんの口から聞いたのは初めてだ。

 

「……提督さん。あの子と、ヒナちゃんとちゃんと向き合って」

 

 そして、これは転機(チャンス)だ。歪な家族関係を清算する時。

 

「ヒナちゃんは提督さんと家族でありたいと思っている、これは本当よ」

「そんなことはないだろう。むしろヒナタは、君にこそ懐いて……」

「私のことは関係ないでしょ」

 

 これは提督さんとヒナちゃんの問題だ。そこに外野の私は必要ない。

 

 なのに。提督さんの返答はない。

 

 彼は時計を見て、クリアファイルに紙束をまとめ始める。続いてノック音。入れ替わるように扉口に現れたのは、同じ部隊の磯風さんだった。

 

「司令、時間だ。執務室に戻ってくれ」

「悪いな磯風。後を頼む」

「任された」

 

 そうして逃げるように後姿を見せた彼に、思わずため息。

 

 間違えたことだけは言ってないはず。彼は否定をしなかった――――――という事は、彼の中で最初から結論は出ていることになる。

 あと一押しだった。こんな風に勝ち誇る私を何事かと磯風さんは呆けて見ていた。

 

「何があったのかはあずかり知らぬがすまんな、瑞鶴。司令もたいがい多忙でな」

 

 説明は磯風の担当だと、彼女は続ける。

 

「口下手な司令に代わって言おうか。まずは生還おめでとう」

「海上自衛官が陸で死ぬなんて、別の意味で有名になっちゃいますから良かったですよ」

「こちらも護衛対象が非戦闘時に殉職されると、トンボ釣りの面目も丸潰れになるからな」

 

 そういって、腕をまくって見せる磯風さん。

 純粋なパワー比べなら艤装の出力は()()の方が上だ。しかし、日々の研鑚を持ち出されれば磯風さんは神通さんとのツートップだ。

 

 気のせいかこの前より日に焼けたのだろうか。赤くなっている皮膚を気にせず彼女は続けた。

 

「傷の方はどうだ?」

「まだ麻酔入れているらしくって。ふわふわしてて実感ないですけれど」

「霊力再生の弊害だな。復帰した時に吐くなよ?」

 

 医療用レポートを流し読みする彼女から解説を聞いて、軽く死の淵から舞い戻ったらしいと聞かされた。

 そんな重篤だったのかと尋ねれば、磯風さんは感心したかのように返す。

 

「よく生きていたよ。もちろん皐月や文月の応急処置が優秀だったのもある。しかし霊力再生を用いて命を繋ぎ留めていたに過ぎん。最後はお前の力だよ、瑞鶴」

 

 そう大した事でもないのに褒められても。生きていられたのは手厚い救護のおかげ。

 これが艦娘だからであるとするならば、心苦しい。他に助けるべき一般市民もいただろう。

 

「……ほかのヒトは」

 

 炎に包まれた商業施設。犠牲者はいかほどだろうか。

 そう聞けば、磯風さんは口の端を結んだ。その反応を見て、あぁ死者が出たのだと推測するしかなかったのだ。

 

 助かっただけで奇跡だよ。そう彼女が呟いた。なぞるのは私の頬や首筋。突然の事に硬直していると、傷跡を確認していたようだった。

 

「やはり消えないものもあるようだな」

「消えるって……傷がですか?」

「あぁ、その通りだ。瑞鶴の火傷の跡。完全には消えなかったので気になってな。入渠担当も不思議がっていたよ。霊力再生は未解明といえど効果は絶大だ。なのに治らないなんてとな」

「これは戦いのじゃないから。私が艦娘になる前のものだし」

 

 一つ目のバケモノによって日常が終わった時。

 両親が他界し、姉が豹変した際の()()

 

 病院着を捲り上げると、素肌には幾重も不自然に硬化した皮膚がある。

 

 茹で上がった卵が元に戻らぬように、この肌の傷も消えることはない。

 学校の水泳や部活の合宿なんてあろうものなら、忌避されるのは間違いなく。

 

 学生時代は女子の取り巻きが多かったおかげで大事はなかったが、異性に言い寄られれば勝手に幻滅させたことだろう。

 

「戦闘職なら、勝手に名誉の負傷ってことにされるから気が楽ですよ」

 

 だから気にしないで欲しい。言外にそう伝える。

 

 憐みなんか欲しくないし、傷が消えないからといって世界に怒る気にもなれない。

 それは姉にとっては両親の死と同じく、バケモノの所業を表す生きた証。だから苦々しく思う。こんな物がなければ、姉も狂わなかったのだろうかと。

 

 しかしそんな仮定をしたのなら、今の私を構成している全てが溶け落ちてしまいそうで。

 

 家族を喪って変わらなければ弓道に進まなかった。

 深海棲艦と戦うなんて考えなかったし、提督さんやヒナちゃんとも出会わなかった。

 薄氷を踏むような偶然で、この身は成り立っている。

 

 そういう事か。

 

 一人で納得する。提督さんの罪がなければ、私もここまで必死になってヒナちゃんを護ろうとしなかっただろう。彼女は本来いない筈なのだから。

 

 私が出来るのは、彼を責めたり甘やかすのではない。

 

 彼の家族がどうありたいか、見届けるだけなのだ。感じる一抹の寂しさを、麻酔の副作用だと私は胡麻化すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く経って――――――ようやく指先の感覚が戻ってきた頃のこと。

 

 その日のリハビリも順調で、もう数日で歩けるかなと看護師さんに言われた昼下がり。ベッドの上に固定された通信端末に通話の呼び出しサインが浮かんだのである。

 

 提督さんではないだろう。

 副司令の業務は長門隊長が肩代わりしてくれているので、わざわざ端末で呼び出す理由がなかった。

 

「いったい誰が……」

 

 端末に表示されたのは、意外にも見慣れた名前であった。

 それはつい半年ほど前まで私の上官だった人物。

 

 ビデオカメラのマークが表示されているということは映像通話。ひとまずカメラをオフにした状態で対応することにする。

 

「久しぶりだな瑞島(みずしま)2佐、身体の調子はどうだ?」

「それは皮肉でしょうか?」

「その返しが出来ると言うことは元気そうだな、安心した」

 

 相変わらず嫌味なヤツである。私は話を逸らす意図も込めて、彼の姿に言及する。

 

「それにしても、随分とラフな格好ですね」

 

 てっきり制服を着込んだ姿が現れると思っていたが、意外にも向こうはポロシャツ姿。

 指摘する私に、向こうは軽く笑った。

 

「公務中に個人的な電話がかけられるものか。今日は貴官の見舞いだよ」

 

 ほら、リモート見舞いだぞと言いながら画面にバナナが大写しに。お気持ちだけ頂きますと返す私。

 どうも彼は公務員としての真面目さに欠けるように思う。提督さんとは大違いだ。

 

「しかし今回の件は大変だったな」

「ご存じなのですか?」

「ご存じもなにも……新聞からネットニュースまで大騒ぎだぞ? 談話ですら取り上げられている。しかし、よくぞ日本人の命を守ってくれた。私も感謝するよ。ありがとう」

「…………どうも」

 

 そんな大仰なことはしていない。

 

 私はただ、ヒナちゃんを助けたい一心で動いただけ。そこに自衛官としての信念とか、そういうものはなかったと思う。

 

「しかし、何があったんだ? 日本人があんな凶行に及ぶとは思えん。こっちだと移住者の犯行だとか報じられているが、実のところ現地住民共の犯行なんじゃないのか」

「まさか」

 

 確かに、聞き取れない言葉を口走っていたことは覚えているけれど。

 

新自由連合盟約(ニューコンパクト)()()だ。それは分かる。しかし真実を隠してまで彼らを庇う理由があるのか、私には理解しかねるよ。そもそも……」

 

 続く言葉は、ODAへの依存度が急激に高まっただの、米国主体の自由連合盟約の頃から援助頼みだったクセに勝手なことをなどと。

 どうも画面の向こうは、あのテロを現地の不満が爆発したモノだと考えているらしかった。

 

「現地住民の保護は確かに大事だがね、我々にはもっと守るべき航路があると思うんだが……あぁ、今のは独り言だ。忘れてくれよ」

 

 それにしてもその言葉の節々にはミクロネシア連邦国民への蔑視が潜んでいるような気がして、そのような本国の態度が引き起こさせたんじゃないかと私に思わせる。

 

 私に聞かないでくださいよと告げれば、まあそれはいいのだと相手は言った。

 

「ところで、分遣隊司令の調子はどうだ?」

「提督さ……司令の調子ですか?」

 

 口を滑らせてしまってからではもう遅い。

 

()()()()か。なんだ、随分打ち解けてるみたいじゃないか」

 

 提督さんはチューク分遣隊の皆からは「提督さん」と呼ばれているけれど、階級は1等海佐なので厳密には提督ではない。

 加えて言えば、提督という呼称自体が敬称なのでさん付けするのもおかしい。

 

「申し訳ありません」

「いやいや。堅物だったお前をそこまで砕けさせたヤツがどんなのか、ますます顔を拝みたくなったよ。そっちに送った甲斐があるというものだ」

 

 その言葉に疑問が浮かぶ。彼は提督さんの調子はどうだと言ったはずだ。

 

「お知り合いではないのですか?」

「防衛大どころか、幹部学校すら出ていない特命幹部だぞ? 知るはずがない」

 

 そういえば、長門隊長も提督さんは民間の出だというようなことを言っていたっけか。

 

「なんでも海洋開発機構から出向の研究者で呪術・霊力戦のエキスパートだとか言う話だが」

 

 海洋開発機構?

 呪術・霊力戦は私たち特務神祇官(かんむす)の仕事だからいいとして、提督さんが海洋開発機構の出身だなんて聞いたことがない。

 

「なんだ。何も聞いていないのか」

「ええ、まあ。あまり、プライベートなことは話さないので」

 

 もう少し正確には、提督さんと話すプライベートな話題はヒナちゃんに関するものばかり、思えば私は提督さん本人のことは殆ど知らなかった。

 

「勿体ないな。ブラックボックスの塊を知る数少ない男だというのに」

 

 私が上を目指すのであれば指導を請えということだろうか?

 それを聞いたところで、当然のようにはぐらかされるのだけれど。

 

「良くも悪くも情報が不足していてな。お前から聞ければと思ったのだが仕方がない。まあともかく、ヤツの指揮はどうだ。そっちは上手くやれているのか」

 

 ともかくそのような調子で、私は古い上司と情報交換をしていく。

 チュークに駐留する海空部隊の連携は取れているかと言ったような確認から、幕僚監部はこういう作戦を計画しているなんていう雑談。

 

 チュークを離れないかなんて言葉が飛び出したのは、そんな時だった。

 

「怪我の程度を聞いたが、随分と重いらしいな。どうだ、本土の病院に入るっていうのは」

「もう治りかけですよ。あと一週間ほど治療を続ければ……」

 

 そう言ったときに、画面の向こうは表情を暗くする。

 

「それは、霊力再生を行った場合の話だろう」

「……」

「話は聞いた、艤装に強制接続したらしいな」

 

 そこまで調べてあるのか。

 ということは、私を本土の病院に入れるのがこの通信の目的だったらしい。

 

「知っているだろう。霊力再生の安全性は未解明だ。火傷や失血はやむを得ないとして、治せるところは現代医療に任せるべきだ」

「霊力再生は最新鋭の技術ですよ。問題があるとは思えませんが」

「しらばっくれるな。要するに、帰ってこいと言っているんだ」

 

 今この状況で、私に帰れというのか。

 

「先程も言っただろう。そちらの司令官は艦娘の生い立ちに関わっている。貴官の治療は周りの反対を押し切って……いや、霊力再生を過信したと言うべきか。ともかく『それならば貴官を救える』という発想の時点で根っからの反艦隊派だよ」

「反艦隊派?」

 

 聞き慣れない……正確には、この場所に似つかわしくない言葉に眉をひそめる私。

 

新自由連合盟約(ニューコンパクト)は米国マターの案件だった。対等な同盟には防衛義務が不可欠……しかし、防衛義務とは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「仰ることが分かりません」

「気にするな。傍受されるようなヤワな通信回線でもないだろうに」

 

 そうではない。本当に分からないのだ。

 鬱屈しそうになる心を押さえつけて、私は端末に向き直る。

 

 

 

 提督さんの声が、少しだけ恋しくなった。

 



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第12話 手遅れの金糸雀

「今回のテロで政府は少なからず及び腰になった」

 

 画面の向こうから政治の話が聞こえる。

 

「相手は立派に武装した組織だ。標的も大半が無人の施設で、人的被害もそこまで大きくなかったが……」

 

 少なからずのヒトが死んだというのに、規模の割には犠牲が少なかったと画面の向こうは言う。ラフなポロシャツ姿とは対称的に、その表情は真剣そのものだった。

 

「もしも襲撃対象が日本人街だったらどうだ? 仮に自衛隊の駐屯区画が襲われてより高度な武器が持ち出されたら?」

 

 もちろん、被害はより大きくなったことだろう。

 しかし思う、自衛隊はミクロネシア連邦を守るために展開している。どうして彼らは日本を目の敵にする必要があったのだろうか。

 

新自由連合盟約(ニユーコンパクト)があるとはいえ、ミクロネシア連邦は立派な国連加盟国で独立国家。テロ行為を日本主導で押さえつける訳にはいかない」

 

 かといって放置も出来ないと、彼は言う。テロは日本に海外派兵のリスクを突きつけたのだと。

 

 

 だからどうした。私は結局の所、兵隊だ。上官の命令に従って、敵を撃つことしか出来ないというのに。

 

 

「お前の()()()()はどう考えているんだ。テロに向けての対処は?」

「知りませんよ。療養中ですよ、私」

「次の国会では、海外派遣の是非が問われることになる」

 

 だから、知りませんってば。分からない私を無視して彼が続けるので、もう聞く振りだけしようかと逃避するようにベッドにもたれた私。

 

「状況によっては撤退もあり得る」

 

 そんな私は、その一言で飛び起きることになった。いきなり動いた身体に驚いた身体が悲鳴をあげる。しかし今は、それどころではない。

 

「撤退? 退いてどこに行くんですか」

「お国のためだ。分かってくれないか」

 

 まさか、本土まで下がれとでもいうつもりだろうか。統幕の一部では本気で考えられていることだと向こうは前置きしてから、私をじっと見つめて言う。

 

「だからこそ、最前線を知っている人間が欲しい。それも防衛大学出身で、なるべく階級が高い人間がいい。お前なら、護衛艦隊の連中を抑えることが出来る」

「隊内政治は嫌いです」

「もちろん政治から距離を置くことは重要だ。しかし、8護群は嫌われ者だぞ」

 

 なぜです、とは聞くまでもないだろう。

 日本を守る自衛艦隊が従えるのは全部で八つの護衛隊群。それらは本土に配備される護衛艦隊と海外派遣の哨戒艦隊に大別される。

 

 第1から第4までは護衛艦隊。主力を預かる名誉の本土配備。

 そして第5から第8が艦娘などの小型艦艇で構成される哨戒艦隊。深海棲艦を海外で受け止める日本の盾。

 

 そして第8護衛隊群は哨戒艦隊でも最大規模の海域を担当する護衛隊群。国家を護る重責を担うといえば聞こえはいいが、重要でない海域をまとめて押しつけたというのが内実だった。

 

 つまりは厄介ばらいであり、目の上のたんこぶである人材の宝庫だという事。

 

「まだ怪文書レベルだが、北マリアナ諸島での防衛プランが出回っている。大方、有志の研究会か何かがまとめたものだろうが……大迫副海幕長が乗り気だ」

 

 どうもあの人、艦隊派に取り込まれたらしいなとスピーカーが告げる。本土から数千キロ離れたチューク(ここ)では滅多に聞くことのない単語は、病床で重たい身体をさらに重たくさせた。

 

「私たちだって、哨戒『艦隊』の所属じゃないですか」

「彼らにとっての艦隊は千トン以上の護衛艦(フネ)だけだよ。艦娘なぞヒト一人と変わらん」

 

 結局、派閥争い(そこ)に落ち着くのか。

 8護群は軍艦(フネ)なし護衛隊群。艦娘がいなければ、艦娘だけが守れる海域(うみ)だというのに。

 

「ともかくそういう状況だ。向こうの思い通りにさせないためにも、はっきりモノを言える幹部艦娘が必要だ。来期、横須賀総監部あたりのポストがいくつか空くから……」

 

 それは提督さんを否定する事。見捨てる事に他ならない。反射的に言葉が飛び出した。

 

「無理です。第3分遣隊は、まだ私抜きで回せる状況じゃありません」

「いずれ状況が改善するとでも? 深海棲艦(バケモノ)不満分子(テロリスト)に挟撃されかけている我々が?」

「提督さんのお陰で戦局は改善しています。もう少しで……」

提督さん(アレ)は諸刃の剣だよ」

 

 なにを言って。そう息を飲んだ私に向こうは告げる。

 

「キミ達は頑張りすぎた。自衛隊はミクロネシアに()()()()()()()()()()()()()。だが、()()()()()()()()()()んだよ」

 

 それは提督さんの努力を、手の届く平和を必死に守ろうとする彼の生き様を踏みにじる言葉に他ならない。思わず言葉に力が篭もる。

 

「……最前線(わたしたち)のことも、少しは考えて下さい」

「考えている。だからこそ、今だからこそ間に合うのだ。護衛艦隊(ほんとうのかんたい)まで哨戒艦隊(さいぜんせん)に引き出されることになるぞ」

 

 だからこそ、哨戒艦隊(おまえたち)には退いて貰わないといけないのだ。そんなことを彼は言う。今ならまだ、ミクロネシアを見捨てずに済むのだと。

 理解が出来なかった。撤退することでミクロネシアを見捨てずに済む?

 

 

 ――――――我々は客将だ。利害の一致なくしては団結できない。

 

 

 提督さんの、出会った日の彼の言葉が蘇る。

 ミクロネシアは抱える人民を護る為、日本は中部太平洋を突破された時に焼かれる国土を護る為――――――そのために戦うのだと言った彼は、たった一人の娘(ヒナちゃん)を守るために戦っていた。

 

 まさか。そのためなら護衛艦隊(しゅりょくぶたい)まで引きずり出すと?

 

 わかるなと、画面の向こうは続ける。

 

「このままでは共倒れだ。政府は口が裂けても撤退論を口にできない。連戦連勝じゃ国民も撤退論には傾かない。テロ(これ)は奇貨だ、今こそ我らの主導でミクロネシア撤退を進めなければならない」

 

 まさか、ありえない。

 寸での所で口には出なかった言葉は、果たして何に向けられたものだったのだろうか。

 

「私は自衛官です。自衛官は文民統制(シビリアンコントロール)に従わねばなりません」

 

 そんな私の口から飛び出すのは、建前論。

 

「政府と議会が政治的判断としてミクロネシアに居残ろうとしているのでしょう? それなら、それは仕方ありません」

 

 それは拒絶。私の意図を正しく読み取ったらしい彼は、瞑目して呟く。

 

「残念だよ。何の為にお前を副司令官まで押し上げたと思っている?」

 

 そんな駒みたいな扱いなら御免被る。

 政局に使いたいのならもっとマトモな人材がいるはずだ。

 

 こんなヒトデナシ(やくたたず)に頼むには肩が重いと、周りは何時になったら分かってくれるのか。

 

「提督、ご歓談中すみません。お時間です」

 

 画面の端に映ったのは凛とした声の主。

 日に焼けているのか、肌はやや浅黒い。弓道着は炎を嘗めるように朱色が交じり、鉢巻は彼女の闘志を体現させているようだった。

 

「おぉ悪いな飛龍」

 

 どうやら、休みというのも嘘だったらしい。

 

「すまんな瑞島(ずいかく)。これから顔合わせがあってな。着替えないといけない」

 

 わざとらしく艦名で呼ぶのは、見切りをつけたというメッセージだろうか。私は気付かないフリをして返す。

 

「今はお休みかと思ってましたが」

「そうもいかなくてな。今日は図版演習だ。()()()()()()()()を考えれば気は楽だがね」

 

 私服姿で冗談を零す彼に、私は首を振る。

 

「謙遜するな。飛龍(コイツ)もお前には、専科の時に手を焼かされていたと言っているぞ」

 

 彼女の顔を見て、私は首を傾げる。

 飛龍――――――正規空母の艦名を借る彼女は専科第1期の特務艇乗り。第2期である私より半年早く艦娘の教育を受け始めたので、殆ど顔を合わせたことはないはずだ。

 

 確かに卒業年次の取り扱いは同じになるから同期といえないこともないが、常に一段階先の教育を受けていた先輩に誰が居たかなんて覚える気はない。

 そうでなくても、艦娘専科の頃は姉の事で一番ささくれてた時期だった。

 

 はぁ、そうですかと一応頭を下げてみると。彼女は鼻をわざとらしく鳴らす。瞳に宿すのはまさしく敵意。よほど私の反応が気に喰わないらしい。

 

「こちらとしては、手合せがない事を願っているよ。あとは君の()()次第だ」

 

 こんな状況でまだ戦えとおっしゃいますか。

 彼なりの発破だと諦めてベッドに身を沈める。

 

 なにも考えたくなかった。通話を畳むと、私は現実から逃げるように夢の世界へと進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の訪問は神通さんだった。

 

 戦闘詳報と企画書を睨めっこしながらも、私が水を欲しいというと邪険にせずにペットボトルを持ってきてくれる。

 

「今、瑞鶴さんが何を考えてらっしゃるか。当てて差し上げましょうか?」

「……いや、私はただぼーっとしてただけで」

「そうですか。提督が顔を見せに来ないのが、ひどく残念というように見えたもので」

 

 図星だった。

 

 あれ以来、彼の姿を見ていない。

 怒らせてしまったのだろうかと思ったが、彼は論理的に正しいものについては折れる性質だとは知っている。

 

「提督さん。今、何をしているの?」

「このところは残業続きでして、部下の為に身を粉にして働いてらっしゃいます」

 

 なにか含んだ言い方だった。

 神通さんは失言しないように最小限に言葉を使うタイプ。だからこそ、彼女の発言は的を得ていることが多い。

 

「そりゃあ、事務処理手伝ってた部下が不自由で寝たきりですものね……」

「貴女の怪我。生きているのが不思議なぐらいだったそうですよ」

「そんなにすごかったんですか? 磯風さんも言ってましたけど」

「えぇ。容体を確認した医療スタッフが嘔吐して、使い物にならなくなったくらいには。まずは入渠施設に運び込まれて、艤装との強制接続が開始されました」

 

 どんなケロイド状態の生物だそれは。

 その時の写真を見ますかと茶化されたので、謹んで辞退。事態が急を要するのにそんな資料作成の教材にされていたのは、ひとえに霊力再生のサンプルが不足していた経緯もあったらしい。

 

「工廠の人間は問題しかないと猛反対でした。意識のない艦娘との外部的パージすら危険なのに、強制接続で後遺症のリスクすら犯すのかと」

 

 艦娘が戦闘中に失神した場合の艤装接続はそのままだ。防護機能に生かされている場合もあるから、無理な接続解除は傷病の悪化を進める要因にも足りえる。

 しかし私が運び込まれた時、私は()()()()()()()()()()()()

 

 不確定な要素を極力排除する。それがセオリーなのに、提督さんが私の救護に艤装を使ったのはいかな理由だろうか。

 

「ここで提督の喝が入ります」

 

 現在の医療でどうにかなる問題を越えていると分かっていて、なぜ次の手を打たない。これで落命するなら瑞鶴はそれまでだ。失敗した時の首は私が差し出せば十分だろう。それともウチの技術者は挑戦もせず、ただ指を咥えているのかと。

 

 彼の言葉を、神通さんは淡々と読み上げるように言う。

 

 艤装はまさしく人体の延長。

 海の上に浮かぶフネをヒトのように動かすには神経とリンクさせる以外に方法はない。

 ヒトは機械となり、フネは肉体が宿る。その二律が重なり合って艦娘は戦場に立っている。それは私たちが常に重大なリスクを背負っていることを意味していた。

 

「結局は整備長が折れた事で作業が始まります。そこから先は工廠も三日三晩が不眠不休ですよ。ああも上司に啖呵を切られては、医療や技術職の名が廃ると考えてのでしょうね。後の事を考えれば、出撃がその間になかったのだけが幸運でしょうか」

 

 平時だったから出来たと神通さんは言う。投げて寄越したのは、今回の医療レポート。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ。神通さん……この額、本当ですか!?」

「嘘を言ってもしょうがないでしょう。これを経費で落とすのが提督の仕事です」

 

 しかし彼は180億と人命を天秤にかける男だ。本当に同じ人物かと疑ってしまう。

 なぜ彼は私を助けたのだろう。そんな私に、それが提督なのですと神通さんは言う。

 

「彼からしてみれば、我々とのスキンシップは不要なのです。それでも。彼は舞台を用意し、我々は期待に応える。うちの艦隊はそういう信頼関係で成り立っているのですよ」

 

 誤解だ。助けられた本人だから、少しの差に気が付く。

 提督さんが接触してこないのは、ヒナちゃんと私達を同一視しないように。

 公私の区別をつけて、切り捨てるという判断を「自衛隊員だから覚悟が出来ている」と言い訳をする為。

 

 それは命令を出す彼自身の心を守る為。

 そして、国や部隊を困難から少しでも遠ざけたいから。

 

 情は決断を鈍らせる。だから彼は誰に対しても平等であろうとしているに違いない。これは酒の席での部下のあしらい方でも片鱗を見た。

 

 不可解なのは、私を救った事だ。

 彼曰く「救える命」なのだろう。しかし工廠の機能を割いてまで、私を生かす理由がない。

 

 それは根っからの()()()()()()()()()ことの裏付けであろうか。

 それなら彼はミスを犯している。もしその間に泊地が攻撃に曝されたら、私の治療を後回しに出来ただろうか?

 

 自惚れではないが、彼は助けてくれたように思う。

 冷凍カプセルに放り込まれるかは知らないが、何とか手段を模索しただろう。彼は図上演習で空母を見捨てた。それは勝利の為。私の治療を止めても勝つ保証がない。だから霊力再生で、私を死の淵から呼び戻した。

 

 それは理論の混同だ。ようするに彼はお節介で、優しすぎるだけなのだ。

 

 私は確かに戦力に違いないのだが、そんなに役立つものだろうか。

 そう悩み始めてふと気づく。

 

 

 そういえば、今の情勢はどうなっているのだろう。

 

 

 提督さんは顔を見せない。

 見舞いに来るのは艦娘ばかり。

 毎日ではないし、メンバーもいつも違う。

 

 

 そして、()()()()()()()()()

 

 

「神通さん……前にいらっしゃった時より、怪我が増えてませんか?」

「えぇ、出撃で少し」

 

 少しカマをかけてみる。気になっていた部分を神通さんは即答する。

 たとえ私が戦線離脱したとて、832護衛隊(すいらいせんたい)の戦力は殆ど変わらないだろう。それなのに怪我が増える……神通さんの負担が増えるのであれば強敵が現れたか、戦場が拡大していることに他ならない。

 

 そういえば、この前の磯風さんの肌が日に焼けていた。

 

 艦娘の保護膜は身体や艤装を潮風から防ぐ機能もある。

 もちろん紫外線すらも軽減するのだから、本来ではありえないのだ。

 

 つまり、防護機能を喪失するくらいの激しい戦闘があったのを意味している。私が知らないところで、皆は戦っていたのだ。奥歯が軋む音がする。

 

 追求しようとした所で、端末に着信音。

 

「申し訳ありません。次の出撃の準備に取り掛かります」

「いつもの哨戒時間と違う。皆は何と戦っているの?」

 

 神通さんはどう答えれば良いかと迷ったらしい。口止めさせられているのだろう。

 

「なら事実だけ教えて。遅かれ早かれ、私も知るんでしょうから」

「……2週間ほど前の事です。 マーシャル諸島に駐留していた849護衛隊が壊滅。基地との通信も途絶えました。我々も急行しましたが、一歩遅かったんです」

 

 その部隊番号には、聞き覚えがあった。

 

 ここから少し……そう、およそ1000マイル(2000キロ)ほど離れた海域の駐留部隊ナンバー。

 連携を取れる距離ではないために頼れる友軍として覚えていた訳ではないし、合同作戦も実施したことはない。

 

 けれど、その部隊番号は――――――

 

「そんな……嘘でしょう!」

 

 あそこには翔鶴姉ぇ(おねえちゃん)がいるのに!

 私の声にならない叫びは、神通さんには届かない。

 

「本当です。貴女のお姉さん――翔鶴さんもMIA(ロスト)。おそらく……」

 

 

 

 ぐわん、ぐわんと視界が揺らぐ。

 

 私の目の前は、ほとんど真っ暗になっていた。

 



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第13話 燕の慟哭呑下し

 いつのまにか、面会時間の終了を告げるベルが鳴っていたらしい。

 

 世界が真っ暗になったはずなのに。去り際に見た神通さんの表情が頭から離れない。

 

 当直以外の職員も続々と帰っていく。

 職員がドアの施錠を確認しに来る。先日のテロのせいで安全確保に過敏になっているのではなかろうか。本土ではなかった光景だ。

 ここにいる私たちは間借りしているだけ。ここの建物はほとんどが日系人が管理しているとはいえ、戦闘職ばかりではない。医療品、衛生用品の強奪にはもってこいの施設でもある。

 

 警戒を潜り抜け、真実を確かめたい(たすけにいきたい)要求に駆られた。皆は何をやっていたのか。深海棲艦の襲撃? そんなの知らされていない。提督さんはあえて隠していた? 副司令の私に?

 

 そうとなれば行動だ。

 テロで発電所が吹き飛んだ関係で、節電を求められた病院の窓はいつでも開けられるようになっている。ベッドから這い出すと、重力はこんなにも負担だったかと身体にのしかかってくる。私服はないから、厚手のシーツとスリッパをビニール袋に放り込んで口を縛った。

 

 荒くなる息を整えながら壁伝いに動く。

 戸をスライドさせると吹き込むのは大雨。三階からの高さは相当だ。先に荷物を放り投げると、べしゃりと裏庭に落ちて潰れた。

 

「これは、飛び降りるのは無理か……」

 

 近場にあった雨どいの接合部に指先をひっかけておそるおそる下っていく。

 内側からの死角になっていたのは僥倖だった。目の端で白衣を見つけたら大人しくしていればいい。

 十数分かかっただろうか。水を吸った病院着は本当に邪魔。どうにか地に降りることには成功する。

 

 荷ほどきをしてシーツを羽織り、スリッパで足元を保護する。心もとないがないよりはマシだ。裏口にあった職員用の雨合羽を拝借して、ロータリーを抜ける。

 

 強くなる南洋特有のスコール。傘など持たない私は、水滴を見下ろしながらひたすら走る。

 バス停留所近くにいた転寝をする運転手を窓ガラスのノックで叩き起こして飛び乗る。支払いは、私の電子身分証から決済できる。自販機で飲み物でも買ったらどうかと持ってきてくれた磯風さんに感謝せねばなるまい。

 

「分遣隊波止場方面へ、大至急!」

 

 何も解決しないと分かっていながら、焦りだけが募って歯噛みする。

 私の身分証、そして鬼気迫る表情を見てただ事でないと気付いてくれたのだろう。運転手は大慌てで紐を引っ張る。キュルキュルと空転するスターターの音に併せるようにして、全力疾走の反動が全身を襲ってくる。

 

 一呼吸ごとに身体が熱くなり、かと思えば冷える。

 それでも、頭の中だけはハッキリと意識を保つことが出来ていた。

 

 頭部に傷を負っていたせいかズキズキと痛み、ぐるぐると思考だけが回る。

 

 よりによってなぜ今なのだ。私が呑気に夢の中を漂っている間に、姉の消息が不明になるのだ。攻めてきた深海棲艦が悪い? ヒナちゃんの付き添いを命じた提督さんが悪い? それとも居合わせたテロリストが悪い?

 

 違う。不甲斐ないのは、いつこの時が来ても大丈夫と覚悟していなかった自分自身だ。

 

 最寄りのバス停にはいつの間にか着いていた。隊宿舎に戻ろうとすればすぐに衛兵に捕まる。であれば、コンタクトの手段を持たない私がとるのは人質だった。

 

 

 冷静沈着な彼の唯一の弱点。そう、ヒナちゃん。

 

 

 表札を認めて門をくぐる。合鍵は持っている。浸水で壊れなかったキーカードが開錠する。家の中には住人が戻ってきたことを告げるベルが鳴っている事だろう。こんな時間にありえない筈のものが。

 

 家主はやはりというか、血相を変えて廊下へと飛び出してきた。目のクマが悪化している提督さん。

 やはり彼は働きづめだった。

 

 そしてそれが、何かしらの作戦があった事の裏付けにもなる。

 

「瑞鶴……こんな時間にどうしたんだ?」

「救援が間に合わなかったって、どういうこと。提督さん」

 

 単刀直入に突きつけた。彼は後ろめたい思いもあるのか視線を逸らす。

 

「……三週間ほど前の事だ。849護衛隊との定時連絡が途絶した。斥候として皐月と文月を向かわせたが、敵の層に阻まれて進撃を諦めた。近隣で動けたのはうちとウェーク島だけだ。同期に声をかけて、本部に作戦を承認させて。奪還したのは数日前だよ」

 

 それは提督さんの中での()()なのだろう。違う、そうじゃない。私の中では負けなのだ。

 

「849を見捨てるつもりで動いてたんでしょ? 三週間? 時間がかかり過ぎてる!」

 

 動けた部隊が少なかった? それは戦力差を言い訳にした逃げだ。そう叩きつける。

 私だって、自衛隊が規律(ルール)で縛られた組織と分かっている。提督さんは限られる手で最短の手順を踏んだ。それは理解している。

 理解しているのだが、感情の堰は留まる事を知らない。

 

「長門も神通も出撃させた。泊地警備に最小限を残しての総動員だ。上陸を試みた敵艦隊を撃退し、地上型が根付く前に取り戻した。打つべき手は打ったさ」

「私を出撃させればよかったって事が何で分かんないのよ!」

 

 助けられた命が他にあったのだ。私を忍ばせていたのは、情であり慢心だ。打てる手は残されていたのだ。それを怠ったと彼に対して糾弾する。

 

「命に関わることなのは分かっている。分かっているとも」

「嘘つき、なんも分かってないじゃない。これじゃ私たち(ずいかく)は人殺しよ!」

 

 どうして言ってくれなかった。

 艦娘(わたし)一人の無茶で仮に沈んだとしても構わない。航空攻撃を用いて、少しでも貢献できればそれでよかったのだ。849護衛隊が撤退する時間を稼げたのなら。姉が生きて戻る道を作れたのなら、私に後悔はないのに。

 

「意識が戻ってすらいないお前を叩き起こしてまで出撃させてみろ! 間違いなく沈むぞ!」

「そんな言い訳いらない! 提督さんらしくないよ! だって……」

 

 

 貴方なら空母(ずいかく)を棄てて、最善を尽くすんでしょ。

 

 

 図上演習がそうだ。最大限の戦果を上げる為に、彼は策を練る。そうすれば皆が幸せだった。こんな事で私が悩まずに済む。

 

 たかが小娘一人、命令だ死んでくれとなぜ言えなかったのだ。

 

 畳みかけようとした声は宙に浮いた。突然の事態に頭がフリーズする。彼に抱きすくめられたと気付いたのは、絞り出すような彼の声が聞こえた時だった。

 

「頼むから、俺の前で無為に死んでくれるな。瑞鶴」

 

 彼が何故そんな行動をしたのか。私には理解できない。

 

 無為に死ぬ?

 

 違う。姉たちを救うために命をくべると宣言したのだ。彼の矛として散る覚悟はできていると豪語しただけだ。それは論理が通らない(ただしくない)翔鶴姉ぇ(おねえちゃん)を護れなかった私なんて――――

 

「生きている意味がないじゃない! あの人は、私にとってたった一人の家族で!」

 

 言いかけて、目の端に止まった少女の影。寝静まっていたと勝手に勘違いをしていた。最初に会った時もそう。あの時もゆうに0時を越えていたし、起きていてもおかしくはない。

 

「お姉さんも行っちゃうの?」

 

 そう寝巻のまま緋色の少女は部屋の隅に縮こまる。

 

「やっぱり、お姉さんの事が嫌いだよ。だって、だって。仲良くなったのにいなくなっちゃうんでしょ。私とさよならするんでしょ!」

 

 その頬には泪が光っていた。傷つけた。他でもない家族ごっこに興じていた……愛していた子供すらも裏切ったのだ。唐突に身体から力が抜けていく。私は、私は。

 

「違う、違う。そんなつもりじゃ」

「知らないッ!」

 

 そう叫んで、扉が勢いよく閉められる。

 後に続くのはヒナちゃんが廊下を駆けていく音。

 

 私がしたかったのは、姉を護る事……決してヒナちゃんから見限られる事ではない。その狭間に追い詰められて。勝手に葛藤して。答えがもう出なくなった。

 想いは渦巻き。怒りは昇華し。意志は砕け散った。

 私はやっぱり、ただの我儘な子供ではないか。

 

 為すべき事。やるべき事すらも履き違えて、上司に噛みついているだけの哀れな子供。

 

「風邪を引くからせめてシャワーだけでも浴びていけ、病院には俺から……」

 

 その台詞が最後まで続けられる事はない。あくまで善人ぶる彼の姿を見て、抑えが利かなくなった。

 

 

 全部、もう壊してしまいたい。

 

 

 その要求に狩られた私は、まず手近にいた者に鎌首を擡げる。

 呆気にとられてソファに倒れこんだ提督さん。後頭部を打ち付けたにも関わらず、その目はお前は何をしているんだとだけ訊いてくる。

 

「提督さん、忘れさせてよ。もう、ぜんぶ」

 

 フードコートでの光景がリフレインしている。

 

 ――――――あぁ、この表情は似ている。

 

 やはり、ヒナちゃんとこの人は親子だった。馬乗りになった状態で、彼の細い首に両手をかける。

 

翔鶴姉ぇ(おねえちゃん)のことだって関係ない。だから、だから……!」

 

 せめて、幸福なままだと勘違いしたままの(こども)を殺してください。

 

 血管を流れる拍動の音。その温かさ。あらたに刻まれていく傷口に痛みは感じない。

 ここに来る間に無茶をしたせいか、私の頬からは脂汗が止まらない程に滴っていく。

 逸る心臓は早鐘のよう。人並みの抵抗をしていた提督さんだが、やがて諦めたように動かなくなる。

 

 

 それがあまりにも悔しくて、私は更に身体に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい時間が経っただろうか。

 いつのまにか、私の嗚咽だけが部屋に響いていた。

 

 するとどうしたことか、彼が私に腕を回してくる。

 

「泣くぐらい辛いなら、どこにでも逃げていいんだ。それくらいは用意してやる」

 

 気付けば、彼の顔や衣装は落ちていく水分で浸っている。

 痛い? それはそうだ。これだけ身体に鞭を打っているのだ。当たり前。

 

「泣いて……ないよ。だって」

 

 それは私にとっての敗北だから。

 

 何も成せなかったかつての自分、姉が研究に傾倒していくのが止められなかった、救援に加われなかった己の不甲斐なさが嫌いだ。しかしここで挫けては、何にも成長できていない。

 

 不都合な事に全部蓋をして見ない振りをしてきただけの私なんていらない。

 

 大事なヒトを護れすらしない瑞鶴(フネ)なんていらない。

 

 

「お前がどんなに自己否定しようが、俺は瑞鶴を使おう」

 

 

 なのに提督さん(あなた)は、こんな私にそんな言葉を吐く。

 私は投げやりに言葉を返す。

 

「……何それ? プロポーズ?」

「軍人が血税で働いているというのはそういう事だ」

 

 拘束から身を起こした彼が、気だるげに私の頭を撫でてくる。

 彼はもう私を抱えようとはしない。彼は私が哀れみに縋ってしまう事を知っているのだろう。

 

 慰めなんていらない。

 言葉には出さなくとも、彼は分かっていた。

 

「……それじゃあ、ちょっと寝かせてくれる? 疲れちゃった」

「ヒナタが起きるまでにはさっぱりしておけよ。気持ちにも整理をつけろ」

 

 ちゃんと謝っておけよ。最後に小さく付け足す。

 

「うん、分かってる」

 

 火照った身体を冷やすのには十分な寒気が襲ってくる。慣れ親しんでしまったこの家。普通はありもしない着替えを取り出して羽織る。ヒナちゃんの居る寝室は流石に気が引けた。

 

「お休み、提督さん」

 

 ソファに身を預ければ、重責が外れたように睡魔が襲ってくる。彼の温もりだけが、私の心のひび割れに沁みて痛い。しかし、痛いけれど嬉しかったのだ。

 

「あぁ、お休み瑞鶴。良い夢を」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 寝息だけが、部屋を支配していた。

 

 瑞島(みずしま)ハルカ2等海佐――――――今は「ずいかく」と呼ぶべき不幸な少女は、世界中の悲劇から逃れるようにして眠りへと落ちている。

 そしてそんな彼女を、彼は見下ろしていた。

 

「……結局、こうなっちまったか」

 

 口端から漏れたのは諦観だろうか。思えば()()()にしてこの妹だと、そう考えるべきだったというのに。

 そして考えて見ると、あの「くれぐれもよろしく」というのは――――――。

 

 いや、詮無きことだ。彼は考えるのをやめる。

 そして静かに、瑞鶴を見つめる。

 

 

「すまない」

 

 

 その謝罪は、いったい誰に向けたものだったのか。

 答えはおそらく、彼すらも知らない。

 



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第14話 鴛鴦は今を往く

 あれからどれくらいの月日が経っただろう。

 

 

 私が選んだのは、彼の右腕としてより一層同じ目線で見聞きする道だった。

 

 寝食を共にとまではいかないが、彼の留守を任されるくらいには事務処理も覚えた。そんな私を誰も笑わなかったし、出撃が減ってきた事にも気付くだろう。

 想定よりも艦娘の補充が多い。最小限の哨戒任務に就く事はあるが、大規模作戦を除いては私の戦場は執務室になった。そして、提督さんと二人きりになる事も増えた。

 

 そんな日は彼の家に寄って、朝まで付き合うというのが何時の間にか通例になっていた。

 

 とはいえ、思い出してみれば私も提督さんも口下手である。いざ面と向かい合ってみるとこれと言った話題もなく、肝心のヒナちゃんも互いに送られてきたメッセージを見せ合ってしまえば話すべきことがなくなってしまう。自然と食事を口に運び、コップを空にする。

 

「ヒナタが本土に行ってから、まだ時間が経ってないのにな。いざいなくなると寂しくなる」

 

 

 

 ――――――そして結局、ヒナちゃんは提督さんと和解する(かぞくになる)ことは出来なかった。

 

 

 

 彼女はあっという間に中学生になった。

 唐突に日本の幼年学校に行くと言いだし、手続きを終えたのはついこの前のように感じる。

 確かにチュークには日本語の学校はないに等しい。学問を見分するには、やはり色々と選択肢がある方がいいだろう……もちろんそれは、言い訳だと知っているけれど。

 

「うん。そうだね」

 

 これではいけないと議題を探してみるが、ヒナちゃんがいなければ私と提督さんに接点なんてないに等しい訳で、そうなると結局は仕事の話となってしまう。

 

「司令部から増員の話が回ってきた。来年度あたりを目処に、分遣隊を改編させるらしい」

「それ、ここでするような話?」

「なら適当な話題を提供してくれ。それに、お前に無関係の話でもなくてな」

 

 提督さんが持ち出してきたのは、空母の艦娘が増員されるという話。

 分遣隊の戦力、それも航空戦力が増強されるというのは喜ばしい話である。問題はその艦娘の名前、というか経歴。

 

「履歴書によると彼女、お前と同じ高校の出身らしい。知り合いか?」

 

 そう前置きされて告げられた名前は、確かに私に関わり深い人物で。

 

「抜群の特務神祇官適性にダース単位の艦載機を同時並行で操れる才覚、おまけに成績も上々で専科は次席卒業。お前がそんな秘蔵っ子をまとめていたとは、恐れ入ったよ」

 

 提督さんがお猪口(ちょこ)を傾けながら言う。

 空になったそれに私が手を動かすのをみて、注がれるともったいないから勘弁してくれと制した彼は、もう大分出来上がっているように見えた。

 

「別にそんなのじゃないです。ただ学生時代の部活動で後輩だっただけで」

「しかし、ウチへの配属を『熱望』していたと聞いたぞ」

 

 熱望という言葉に、危うくむせそうになる。

 熱望? あの子が熱望と言ったか?

 あの冷静沈着が服を着たような彼女が?

 

「おいおい、大丈夫か……?」

「大丈夫です。大丈夫。でも、まあ……それは私のせいかも」

 

 なぜあの子は私なんかに憧れるのか、理由なんて考えたこともない。

 いやそもそも、私は追いかけられているのだろうか。彼女がもともと艦娘を志していたとするなら、防衛大学校は当然進路の一つとして眼に入ってくるだけの話。

 

「お前がいたから後を追いかけたんじゃないのか? 少なくとも俺にはそう見えたが」

「そんなことですよ。だって私、そんなに成績良くなかったし」

 

 そう言えば、提督さんは首を傾げる。何を言っているんだというような眼でこちらを見た。

 

「それは嫌味か? お前は主席だろうに」

「主席って言ったって、艦娘専科の主席はたいしたことない。ましてや私は2期組だし……」

「それでも十分昇進ペースも早いだろう。優秀な証拠だ」

 

 私のことを手放しで褒めるなんて、普段の彼にしてはあり得ないことだった。

 それはもちろん、彼の脇に転がる徳利のせいではあるのだろうけれど。

 

「提督さんだって、十分に早いと思いますけれど」

「周りに担がれただけだ。俺自体はたいしたことはない」

 

 この昇進の早さは、結局の所は人手不足が原因だ。

 

 戦場に出れば死ぬかもしれない――――――世界中が深海棲艦に荒らされたことで、世界の誰もがその当たり前に気付いてしまった。

 それでも殺されるよりはと戦場に赴いたのが最初の数年間。状況が落ち着き、戦場が太平洋の真ん中へと移動していくに従って無理をしてまで戦場に出ようとする者の数は少なくなる。

 

 それが私たち艦娘に提督さんといった、最前線で戦う人達の階級を押し上げることに繋がったのだ。命の代償に国が差し出せるのは、階級と勲章だけだったということである。

 

「なあ、お前はなんの為に戦っているんだ?」

 

 提督さんがそんなことを言ったのは、彼が酔いを通り越して冷め始めた頃。私がそろそろ家に連れて帰るべきかと見計らっていた時のことだった。

 

「研究職まで前線に駆り出すようじゃ、この国はお終いだということだ」

 

 危険手当のためという言葉以外を受け付けなさそうな問い。しかし、私が答えるよりも先に彼の口からもたらされた。

 

「俺は海の生き物を研究してただけだ。それがどうして、世界の破滅なんて話にならなきゃいけない?」

 

 お偉いさんが言うには、分遣隊が水上機動団に昇格した暁には俺のことを海将補にしてくれるという。だが将官の肩章は俺が注ぎ込んだ誰かの命に見合うものなのか?

 提督さんはそう零す。

 

 ――――――そんなこと、私が聞きたい。

 

 どうして私は戦っているのだろう。

 昔はもっと、今よりもっとずっと違った。でも提督さんと違って、私の安穏とした過去は深海棲艦に奪われたわけじゃない。私と姉は世界にバケモノが居ることにした。悪いことは全部、バケモノの仕業だとした。

 

 では姉が逝ってしまったのは、その八つ当たりのような責任転嫁のせいだというのか。

 

「俺は、お前のことを助けたかったんだよ」

 

 話が読めない。この酔っ払いは、なにを言おうとしているのだろう。

 

「あの日……翔鶴の部隊が壊滅する少し前だ。お前の怪我を個人的に伝える事にした。酷く焦って取り乱していたよ。彼女にしては珍しいと思ってな。見舞いに行きたいが()()叶わないだろう。達者でとだけ送ってきた」

「……提督さんは翔鶴姉ぇが『今にも沈みそうだ』って考えてたって思う訳?」

「アイツの事だ、遺書の一つでも残しているかと考えた。しかし、規則上保管されていたのは白紙の便箋だったよ。文字一つ残ってない」

 

 姉らしいと言えば姉らしい。いつも大事なことは頭の中にしまってばかり。姉妹間の連絡も、カレンダーに予定の概略を書き込むことすらしてくれなかった。

 そういえば、なぜ提督さんは姉について詳しいのだろうか。

 

「提督さんは、私の姉と知り合いだったんですか?」

「同僚だったよ。アイツはまだ博士課程だったが……お前のことも昔から知っていた。もっとも、アイツの話すお前はもっと天真爛漫でお淑やかなお嬢様だったがな」

 

「こっちにも色々事情があるんです。防衛大学に進学してからは、ほとんど会っていません」

「知ってるさ。防衛大に進んだお前を止められなかったと、アイツは随分悔やんでいた。まあ、俺たちにとってあの頃にはもう、()()()()は想定されていたことだったからな」

 

 想定されていた。

 その言葉の重みがずしりと私にのしかかる。姉と提督さんは知っていたのだ。

 深海で見つかった新生物が今の深海棲艦であること。それらが、人類に牙をむくことを。

 

「……私、何にも分かってあげられなかったなぁ」

 

 それは分かっていたこと、改めて突きつけられたところで、もうどうしようもないことで。

 きっと姉妹は、誰であれ確執には事欠かない。そう自嘲すれば、提督さんは眉を顰めた。

 

「似たもの同士なんですよ。私たちは」

 

 その言葉に提督さんは手を止める。

 私とヒナちゃんのことですよと前置きして話を続けた。

 

「私も、同じ理由で防衛大学校に進学しました。姉にこれ以上迷惑をかけたくないだとか、奨学金を少しでも早く返したいだとか。言い訳はいくらでも作れますけれど、結局は家族(あね)と一緒にいることを諦めたんです」

 

 提督さんがヒナちゃんのことを勘違いしたのも無理はない。

 

 分遣隊司令の娘、部下の艦娘たちとの交流……彼女が国防意識を養うための環境は揃っていたし、提督さんに言わせればそれは全て「揃えられたモノ」だというのだ。でも、環境がヒナちゃんを本土の幼年学校への道に駆り立てた訳じゃない。むしろ逆で、ヒナちゃんはその環境を利用したのだ。

 

「幼年学校進学なら、誰にも怪しまれず本土にいける……私から、距離がおける」

 

 私が防衛大学に進学したのと同じ理由です。私の独白に、提督さんは手を止めたまま。

 何もかも全部吐き出すように、私は続ける。

 

「私は、姉と分かり合うことが出来ませんでした。私にとっての姉は不気味な存在でしかなかった。あんなに私のことを想っていてくれたのに、私はそれを理解できなかったんです」

 

 あのショッピングモールでヒナちゃんと約束した時、やり直せるんじゃないかと思ったのだ。姉の気持ちが理解できたのなら、姉にもう一度向き合うことが出来るんじゃないかと。

 

「強くなれたよって、それを証明したかったんです」

 

 それは感謝でも謝罪でもない。私はただ、姉との約束を果たしたかったのだ。

 

「きっと俺のせいだな」

「まさか。提督さんのせいじゃないです」

「いや、俺のせいだよ。俺にはつまるところ、親としての責任感がなかったんだ」

 

 ヒナちゃんと提督さんは家族だった。それは間違いない。血筋とか愛情とか。そんなチープなものではなく、きっと心は通い合っていたのだ。

 

「家族だって思ったら、その瞬間からもう家族なんです。血が繋がっているかどうかなんて、お互いが納得するための詭弁に過ぎないですよ」

 

 そして、その詭弁を使おうとしているのが私なのかもしれない。

 

 提督さんが()()()の結果を知ったらどうするだろう。

 堕ろすつもりでいた生命(いのち)は私の胎内でまだ燻っている。ヒナちゃんの家族にすらなれない私に、この子を産む資格はあるだろうか。

 

 未だに打ち明けようか悩み続ける私を励ますように、彼は微笑んだ。

 

「お前が俺の家族について心配するならそれも良い。お前の好きなようにしろ」

 

 責任は俺が取る。父親だからな。

 

 ありがとうとでも言っておけば、良かったのだろうか。

 いや、()()と言ってくれた彼だからこそ。私はお礼を挟まずに叩きつけることが出来たのだ。彼は私がアルコールを避けていたことを知っていた。あの夜の彼にはお酒なんて入っていなかったはずでしょう? むしろふらふらだったのは私の方だというのに。

 

 

「提督さん……私ね。子供ができたみたいなの」

 

 

 そう言い切った次の瞬間――――優しげに細められていた彼の瞼が持ち上がり、見開かれるよりも早く――――()()()()()()()()()()()()

 

 いや、これは壁じゃない。障子だったはず。

 

 と、いうことは――――――!

 

「「「「「「おめでとうございます!」」」」」」

「人を酒の肴に何を呑んどるんじゃぁあ!」

 

 私は吠えた……いや、鶴だから鳴いた? のか。

 聞き耳を立てていたのは、やはりというかお世話になっている士官方である。

 

「瀬戸月司令? もう童貞弄りができなくなったって俺は寂しくてしょうがないんですが」

「藤見3佐。その発言は減俸覚悟ですべきと思うが?」

 

 貴様抱きかかえるな持ち上げるな暑苦しいと精一杯の抵抗をする提督さん。

 

「1佐。小官はパパ友として、これからもお仕えさせて頂きます」

「ん……? んぅ!?」

「おや失礼、言ってませんでしたかな」

「小沢2佐……さらっと奥方のご様子を流していただいた事に、こっちが驚いているのですが。報告の義務があるというわけではないが、育休が出せないからちゃんと報告してくれ……」

 

 艦隊運用・防空任務・補給整備の最高指揮官がそんな有様では、不敬だと叩かれるべきであろうが三馬鹿とも言われても仕方がない。

 

 その有様があまりにも可笑しくて、しんみりした空気を吹き飛ばしてくれた。

 しかし夫を目の前で掻っ攫われた妻としては、この状況はあまり面白くない。

 

「提督さん……愛してる……よ?」

 

 酒に酔っているわけではないのだから、これは素面――――つまり、私の覚悟そのもの。

 

 その口づけに対して、上気した彼の頬は茹蛸のようになってしまった。

 

 その後の彼の反応は後世に一生語り継ぎたいくらいのもの。それこそ、墓場に行く前にはヒナちゃんにも伝えたいくらいの慌てぶりだった。

 

 何も知らなかった。見て見ぬふりだけをしていた子供(わたし)は、彼のおかげでようやくヒトに……家族を得られたのである。

 



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第15話 弧鶴は静観せず

「副司令!」

 

 

 執務室に飛び込んで切羽詰まった部下の一声が、未だに耳から離れない。

 

 

 今わたしの目の前に広がる惨状を伝聞されただけなのに、燃え盛る連絡艇の姿をこれでもかと連想させた。

 

「酷い……」

 

 それは誰の呟きだっただろうか。

 付き添いで来た職員も吐いて済む話ではなかった。

 

 泊地間移動用の高速飛行艇。その残骸がようやく近場の浜へ引き揚げられたと聞いて駆けつけてみれば、これである。

 既に消息不明から4日が経過している。波に洗われ血糊すら分からない程に機体がバラバラでは、仮に肉片一つあったとしても誰だか不明だろう。

 

 生存は絶望的な状況。機長一名、副機長一名、乗員四名。その中に、私の愛する人が含まれているのは間違いない。

 

 あの日の朝は荒天だった。

 提督さんはいつも通りに起きたし、出勤前のコーヒーも飲んでいた。

 そしてフライトを延期すれば良いのにと窓の向こうを見る私に笑って言ったのだ。

 

 

 どうしても外せない用事がある、と。

 

 

 護衛を担当するはずだった艦娘は、悪天候での艦載機運用に不慣れという事で待機。

 この状況下では深海棲艦の活動も穏やかになると気象部の進言もあり、提督さんがそう判断した。

 

 そして彼は還らぬ人となった。ただそれだけの結果が私の胸を塞ぎ続ける。

 

「申し訳ありません、先輩ッ。私がっ、あの時護衛を降りろとの指示に従わなければ……!」

 

 青色の袴の女性が地べたに額を擦りつける。彼女は空母艦娘だ。経験こそ乏しいものの、圧倒的搭載数を誇る切り札。

 

 もし彼女が同乗していればこんな事にはならなかった?

 

 それは否だ。

 姉の泊地が陥落した時と同じ。

 私がいればどうにかなったという夢物語に過ぎない。壊れたラジオのように責任は私にと連呼する後輩の肩を私は掴む。

 

「山下3尉、あなたに責任はない。最終判断は提督さんが下したの。だから、これは提督さんの責任よ」

「ですがッ!」

 

 まっとうに相手をしてしまえば、私は彼女を殺してしまうだろう。

 

 それが八つ当たりだということは理解している。

 かつて姉が存在しないバケモノに憎悪を向けたように、私が、自分自身を切り刻んだように。

 

「ありがとう。でも顔を上げて」

 

 その刃を、彼女に向けることはできない。

 

「提督さんがいないなら、猶更私たちが頑張らなきゃならないの。哨戒を怠らないように。今、攻め込まれたら終わりだわ」

 

 だからこそ、私は副司令の立場。提督さんの代理であることに拘った。

 公私の判断に境界を引き、命令を出す立場に。それは私が望んだというより、私を取り巻く環境がそうさせた。

 

 ここ数日の不安材料が多すぎる。

 

 チューク諸島から艦娘が引き抜かれ始め、部署も解体を想定したかのように重職が去っていく。

 長門隊長と衣笠さんは、こんな事態になったのを関係ないとばかりに別の戦地に送り出されてしまった。その穴埋めに追われていたところでこの事件。

 

 

「とにかく、私たちは担当海域(もちば)を守るのよ」

 

 

 それは部下への叱責だったのか、自分に言い聞かせていたのか。

 

 とにかく私は机にしがみ付いた。

 提督さんの殉職は第8護衛隊群の全域に再編の波を及ぼし、約束されていた戦力の増強は撤回される。そして私たちの動きを観察しているかのように、深海棲艦も増え始めた。

 

 日に日に周囲の泊地の救難要請が増え、主を喪った執務机の上には破綻した計画書が積み上げられる。

 

 何もかもがおかしくなっていた。

 

 新自由連合盟約(ニューコンパクト)に基づいた派遣が始まって以後、確かに何度か深海棲艦の大規模攻勢はあった。それは私が着任してからも続いていたけれど、こんなにも転がり落ちるように戦局は悪化してしまうモノだろうか。

 

『政府と議会が政治的判断としてミクロネシアに居残ろうとしているのでしょう? それなら、それは仕方ありません』

 

 かつて、自分の言った言葉が思い出される。

 あの時は、政府はミクロネシアへの派兵を続けようとしていた。では、()()()()()()()()()()()()()

 

 今この瞬間、ミクロネシアを支える柱が引き抜かれつつあるのは間違いない。

 聞けばチューク州駐留の空自部隊にも大規模な人事異動と再編計画が持ち上がっているらしいのだ。

 

 部隊増強と新装備受領・訓練のために本土に一時帰還。

 ――――――()()()()と同じなら、それは事実上の撤退命令。断固として辞退しましたよと笑う防空部隊の小沢2佐にも、諦めの表情が浮かぶ。

 

『まだ怪文書レベルだが、北マリアナ諸島での防衛プランが出回っている』

 

 そしてあの後、ミクロネシア連邦からの撤退論は鳴りを潜めた筈だった。

 政府は繰り返しミクロネシア前方展開群の増強を訴えているし、幕僚監部も再編計画を急げとこちらに通達してきている。急げと言われたところで、何をどう急げというのか。

 

 戦況の悪化に従って、頭の片隅で脱出作戦を計画しなければならない段階が迫っている。

 それは食料事情の悪化。

 各地の戦力が不足したことで、深海棲艦による輸送船の襲撃被害が増えているのだ。

 

 航空路による疎開は始まったが、十万を数える住民の前では雀の涙に等しい。

 

 ミクロネシア連邦政府、そしてチューク州の行政官との協議結果を報告書にまとめ、食料の消費計画を立てる。

 

 住民への放出すらも無闇には行えない。

 増援はいつ、どの程度来るのか、住民の疎開に必要な船と護衛戦力は確保できるのか。それが分からなければ何ヶ月ここを持たせればいいのかも分からない。

 

 戦況図には周囲に出没した深海棲艦のマーカーが次々増えていく。押し寄せる濁流に呑まれた家屋のように、この環礁は周囲から孤立しつつあった。

 

 いっそ、全力出撃を行って周囲の敵戦力を撃滅しようか。その度に提督さんの言葉が蘇る。

 

 

『この戦争に勝ちはない』

 

 

 いつかの演習で勝ちに固執して後背を断たれた記憶が、今の私をなんとか防衛作戦にしがみつかせた。

 

 全力で敵を攻撃すれば脱出する輸送船を護れなくなる。

 輸送船に部隊を貼り付ければ敵は全力で輸送船を沈めに来る。両方に手を出せば戦力が分散して各個撃破。

 

 であれば、この状況で取り得る最善手は余計な手出しをせず戦力を温存させることだ。

 

 提督さんならこの状況をどう乗り切るだろう。私に出来るのはここを守ることだけ。

 

 最善手を打ち続ければ現状維持は出来るだろうけれど、それがミクロネシア連邦を守り切ることに繋がるとは思えなかった。私の精一杯は最低限の防空と書類仕事で磨り潰され、果たして司令官代理として適正な仕事が出来ているのかすらも分からなかった。

 

「司令代理、少しお休みになっては如何ですか?」

 

 気付けば、目の前には大量の紙媒体(ハードコピー)が散乱している。いつの間にこんなに積み上がってしまったのだろう。見渡すために立ち上がったところで、すっと意識が遠のいた。

 

 失意の中で、普段通りに振舞おうとしていたツケがいよいよ回っていきたというのだろうか。ギリギリのところで踏み留まって、私は椅子に身体を落とす。

 

「そうもいかないわよ。あなたこそ入渠がまだなんじゃないの、神通……さん」

 

 その言葉に、戦闘詳報を渡してきた神通さんは肩を竦める。上司からさん付けは似合わないと言っていた彼女の言葉を思い起こして尻窄みになる。頭の制御がもう効かなくなっている。

 

「艤装は大破しましたが、私自身はたいしたことありませんよ」

 

 証明するかのように、神通さんは腕を振る。わざわざ大丈夫だという辺り、怪しいものだ。

 

「それより、司令代理は一度寝てください。前回横になってからもう20時間が経ってます」

「無理よ。こっちは包囲されかけてて、相手の数は増えてくる。それなのに寝ろって?」

「司令代理の計算が正しいのなら、今回の出撃で10時間の猶予が出来たはずです」

「それは予測でしかないわ。相手は常に私たちの予想の上をいく」

「ええ。ですから、敵襲があれば起こします」

 

 第3分遣隊の皆が、提督さんの部下たちが戦っている。執務室に座る私と違って、危険な戦場に立っている。どうして私だけ休めよう。朦朧とする意識を振り払い、私は机に齧り付く。

 

 それに、眠りたくないのだ。

 瞼を閉じれば浮かぶ血みどろ姿の提督さん。

 

 彼の死骸を確認した訳ではないのに、無残な形で転がっている姿しかイメージできない。

 

「今、私たちは着実に包囲されつつあるのよ? そんな呑気なこと言ってられない」

 

 私の言い訳は、果たして彼女に通じているだろうか。神通さんは小さくため息をついた。

 

「まだ包囲が完成した訳でないことは、あなたが一番よく知っているでしょうに」

「雨に濡れた張り子の虎が、いつまでも虎でいられると思う?」

 

 確かに、敵の攻撃に対して分遣隊はよく対応してくれている。

 

 威力偵察のように最低限の戦力をぶつけて最大限の戦果を挙げる。

 そんな作戦計画(むちやぶり)をみんなに強いることで、私たちは均衡をなんとか保っている。深海棲艦はあらゆる攻撃を跳ね返す分遣隊に強力な戦力があると思い込んで、涎を垂らしながらも遠巻きに見守るに留めている。

 

 しかし、いつまでそんなハッタリが使えるだろう。

 

 分遣隊はこの綻びかけたミクロネシア戦線の()()()、南洋の守護神だなんて外野は言う。しかし現実は、周辺の泊地の救援も出来ずに引き籠もるだけ。攻撃を引き受けることで戦線全体を支えるという理屈も、戦況の悪化に伴って怪しくなってきた。

 

「ですから、まだ均衡が保たれているうちに、休んでください」

 

 沈黙を保つ私。向こうも私が寝る気がないことを察したのか、直立の姿勢を崩すと脇腹を庇うように手を添える。

 

「実は、肋骨が折れています」

「え? なにそれ、聞いてない」

 

 もちろん、折れているのは神通さんの肋骨だろう。彼女はけろりとした顔で続ける。

 

「言ってはいませんからね。普段の司令代理なら、呼吸の調子で気付いたと思いますが」

 

 言外に「お前に指揮能力はない」のだと告げてくる神通さん。

 私は顔を見られないよう乱暴に視線を落とすと書類を取り出した。力が入りすぎたのか、押された印鑑は少し滲んでいる。

 

「すぐ治してきなさい」

「了解しました」

 

 なのに、神通さんはその場からピクリとも動かない。彼女は無表情に口を開いた。

 

「……どうやら、痛みで足が根を張ってしまったようです」

 

 司令代理が自宅でお休みになれば、解けるような気がするのですが。そんなとんでもないことを言ってみせる神通さんに、私は呆れるしかない。

 

「そんなのただの脅しじゃない。そこまでして帰らせたいわけ?」

「宿直担当がいる日くらいは帰ってお休みになってください」

「……分かったわよ。じゃあ仮眠をとって」

「明日の始業まで来ないでください。敵襲があればお呼びします」

 

 どうやら引き下がるつもりはないらしい。書類鞄も持たせてくれなさそうな調子の神通さんに追い出されて、私は司令部を後にすることになる。

 

 部下の怪我を見過ごすなんて最低だ。

 私の心は最低限の防空と書類仕事で磨り潰され、もはや司令官代理としての適正な仕事すらも出来なくなったらしい。

 

 愛想を尽かされて、今日こうして追い出されてしまった。もしくは、僅かな休養で私が「復活」するとでも思っているか。

 

 だとすれば私は嗤うしかない。提督さんという大黒柱を喪ったこの泊地は、既に滅びの道を辿っているというのに。

 

 押し寄せる深海棲艦が急増した。

 戦力も周りの泊地に引き抜かれた。

 

 こんな絶望的な状況で、私は彼の妻として。そして第3分遣隊の旗艦として振舞わなければならない。

 

「次の船便はいつ?」

「定期便はもう出てないんですよ。内火艇(ランチ)をご用意します」

 

 そうなのか。小さな掩体壕から内火艇を引き出す部下を眺めながらぼんやりと思う。

 

 振り返ってみれば基地はさんさんたる光景だ。深海棲艦の攻撃はこちらの脅威度を見極めて行われる。それを逆手にとって基地の周辺には避雷針代わりの欺瞞模型(モツクアツプ)を設置して攻撃を逸らしているのだが、それでも流れ弾が庁舎に当たることは避けられない。

 

 基地機能を地下に移動し、庁舎は放置。

 執務室や私の仮眠室は屋根を失った。

 

 もう限界だ。この戦線は、完全に破綻しかけている。

 

 なにせ補給と兵站、提督さんも口にした軍事の最重要項目が崩壊している。

 庁舎の補修資材はもちろん、艤装の修理すらままならない。度重なる航空戦で艦載機の予備部品は底を尽きかけ、運び込まれる補給は少なく遅い。

 この期に及んで、補給業務を打ち切るか護衛を付けて欲しいと船会社から打診が来る始末。

 

「だいたい、民間船舶の護衛は航空集団の仕事……本国の部隊は何をして」

 

 そこで言葉が途切れる。

 

 本国は本当に何をしているのだろう。

 民間船舶を守るくらいなら造作もないはず。

 

 深海棲艦の大攻勢を受けているのはミクロネシア連邦だけ、戦力を集中させることは可能な筈。その思考を断ち切るように、コール音。

 

『しかし、8護群は嫌われ者だぞ』

 

 どうしてあの日の通話を思い出すのだろう。部下の声が私の記憶を遮る。

 

「司令代理、準備が整いました」

「え、あぁ……ありがとう」

 

 8護群に敵意を持つものが自衛隊内にいる。疑心暗鬼になり過敏になっているだけかもしれないが、この泊地は誰かに貶められようとしている。そう私の中の何かが囁く。

 

 どうしてこんなことになったのだろう。私は、ただ深海棲艦との戦いを終わらせたいだけ。

 せめて平和な世界を少しばかり、娘に見せたいという虚栄心だけが身体を支え続けてきた。

 

 何かが足りなかったのだろう。事務? 作戦立案? とにかく部隊の運営もまもなく破綻する。忙殺されそうな業務量によって娘の面倒など見られなくなった。ツテを使って、早めに本土の知り合いに育児をお願いしたのは最近の数少ない英断だと思う。

 

 

 今ここに提督さんが居てくれたら――――――!

 

 

 そんな成立し得ない仮定が頭を巡って仕方がない。私が娘を産まずにいたら、連絡機に提督さんは乗らずに済んだのではないだろうか。

 私が産休をとらなければ、もっと早く深海棲艦を倒してこの大侵攻の芽を摘めたのではないだろうか。

 

「違う、あの子は悪くない」

 

 そんな妄想を必死に振り払う。戦争が終わらないのは大人(わたし)達の責任だというのに、どうして産まれてしまった娘に非があるというのだろう。彼から授かった命すら踏み台にして、私は歩み続けなきゃならない。それがせめてもの贖罪なのだから。

 

 内火艇を降りて、新市街を歩く。

 ヒナちゃんと眺めた新市街も大分姿を変えてしまった。まだ爆撃の炎は一軒一軒の家に降り注ぐことはないが、住民達は暇を見つけては隠れるための穴を掘ったりしている。

 公共防空壕(シェルター)の建設は、資材の不足を理由に中止されていた。

 

 ヒナちゃんの顔が思い出される。

 彼女がこちらに帰ってこなかったのは正解だった。父親の最期を見たさに命を絶つなんて、それこそ提督さんは許さないことだろう。身体が覚えていた記憶を頼り、誰もいない家へと帰りつく。ただいまを返してくれる家族はここにはいない。

 

 提督さんは何処かの空に散ってしまった。

 ヒナちゃんは本土で勉学に勤しんでいる事だろう。

 私の娘は、安全な筈の本土にに預けっぱなしだ。

 

 嗚呼――――――親としても、軍人としても失格だ。

 これが提督さんが自嘲していた事なのだと、今頃になって痛感する。

 

「……?」

 

 ふと見ると、郵便受けにねじ込まれた小包。

 

 新聞はこの前の長期作戦前に止めたし、ダイレクトメールを送れる状況でもないだろう。切手も貼られていない厚手の紙に覆われた小包。

 

 消印もないから、わざわざ誰かがここに置きにきた?

 

 訝しむが、考えた所で結果が変わる訳ではない。私は中身を見分しようと手をかける。ふと、床に落ちていたクマの人形が思い出された。

 悪意の詰められたそれを手に取ったら最後、爆発しておしまいだ。

 

「…………いや、もう。それでも良いか」

 

 私は乱暴に小包を開ける。勢い任せに開けたせいか、飛び出した便箋やらなにやらが重力に従って落ちていく。

 なぜ、どうして。慌てて拾い、字を見て驚いた。湧き出る疑問で手が震える。

 まさしくそれは、死んだ筈の姉の筆跡だったのだ。

 

 

 

 お久しぶりというのも変な話でしょうか?

 お久しぶりというのも変な話でしょうか?

 

 私が行方不明になってから早くも2年経つと聞かされて、とても驚いたものです。

 やはり研究と戦争は別に捉えるべきでしたが、この期に及んでは今さらでしょうか。

 さて、こうして連絡したのは理由あってに他なりません。チューク諸島が置かれている状況は把握しています。動くべきかは迷いましたが、血の繋がった妹を助けない姉はいないでしょうと筆を執りました。

 

「このリストに、見覚えはありますか……? こんなもの、どうしろって」

 手紙にホチキス止めされた名簿。政府高官と防衛省、自衛隊幹部の名前が羅列されている。

 

 それが貴女の想い人に仇をなした敵です。

 彼らがいる限り、私達と人類との戦争は決して終わる事はないでしょう。

 同梱した瓶の中身が気になるかしら? それの使い道は、貴女達が苦境に立たされた時に使いなさい。海の神様が微笑めば、救いの手となるでしょう。

 では、貴女の航海に武運長久を。

親愛なる唯一の姉より。

 

 

 

 裏面に書いてあるのは、ワザとらしく書き殴られた文字。

 

 

 ウミハナミダデミチタカ ニクシミヲソソゲバカワクコトハナイ

 

 

「まさか……」

 

 名簿を改めて睨む。

 艦娘派の上級幹部の名前は一切ない。すなわち、彼らは提督さんをまだまだ使える駒だと認識していたということ。

 

 しかし名簿には艦隊派だけでなく、艦娘派の人間も混じっている。8護群の戦果が疎まれていたという事?

 

 そして極めつけは提督さんの部下も数人含まれている。であれば、輸送機の撃墜は敵襲ではなく()()だった。

 

 

 他でもない人間によって提督さんは殺されたのだと。そのリストは示している。

 

 

「そんな事……」

 

 ありえないという言葉は口に出来なかった。

 姉を名乗る人物は、私と提督さんの関係を確信して情報提供をしている。提督さんの死を出汁にして、私に自衛隊を裏切れと言っている。

 

 幸いな事に、832護衛隊のメンバーや長門隊長を含んだ関わりのある人達の名前が無い事だけが救いだった。

 

 しかし意味が分からない。

 私の家族構成を把握している者は、政府や自衛隊の人間くらいしかいないだろう。そして彼らに、こんな怪文書を送る必要があるとは思えない。

 

 こんなものに惑わされず、毅然としなければ。

 

 その想いを嘲笑うかのように、一つのディスクが封筒から待ってましたと顔を出す。

 

 

 ――――――毒を食らわば皿までと。

 

 

 ――――――寝ぼけ眼をこすりながら接続して端末に映し出されたものを見て。

 

 

 ――――――私は、後悔することになる。

 



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第16話 孔雀の映す騙絵

 そこは、白い空間だった。

 

 

 無機質な白い壁。明かりも最小限に中央に椅子がある。

 

 そこに腰かけているのは提督さん。

 ぜんぜん鍛えていないと自嘲していた上半身は痣だらけ。

 眠る度に水をかけられたのか、周囲には雫が滴っている。

 それでも虚ろな目をこちらに、いつも通りの冷笑をカメラに写す。

 

「お互いのためにも、手短に済ませましょう……そう我々は申し上げているのですが」

 

 どうやら、カメラを持っている女性が尋ねたらしい。

 

「自衛隊に特別裁判は存在しないはずだが?」

 

 掠れた提督さんの声。それが、この拷問の無意味さだけを染みつかせていた。

 

「その通りです。もちろん、お望みであれば内乱罪で警察の方に引き渡しても構いませんが」

「警察? 公安に突き出したら、困るのはそっちだろう? これだけ痛めつけてきて、事情聴取でしたと本気で言い切るつもりかな?」

 

 そんな気はハナからなかろう。彼はそう強がった。

 

 やめてくれ。こんな仕打ちをする連中に論理が通じる筈がない。

 答えは暴力だった。苛立ちを含んだ足どりで男性が進み出て、警棒で強く殴る。提督さんは呻きもせず、ひたすら耐えている。いや、反抗する体力すら残されていないのか。

 それでも闇に溶け込むなか目を爛々と光らせる。彼はまだ折れていないのだ。

 

「やめてよ」

 

 叫びは届かない。記録された過去は変えられない。それでも、咆哮せずにはいられない。

 

「提督さんが悪いことしたの? どうしてこんな事ができるのよ!」

 

 この人でなし。もはやヒトの皮をかなぐり捨てた処刑人は、提督さんの反応を愉しむように暴力を振るってくる。

 

「貴様らの裏切りのせいで、陛下がお心を痛めているのだ。慈悲など必要あるまい」

 

 男の大声が頭の隅に引っかかる。どこだ。どこで聞いた。間違いなく私が知る相手だ。

 

「国を尊ばれ、民を愛す陛下がこんな事を命じるとは恐れ入ったね」

「あぁ言えばこう返す。威勢だけは一丁前だ。憎き男よ」

 

 こんな非道な仕打ちをする輩は誰だ。ゴミ箱か何かを蹴り飛ばした男。

 それは提督さんの真横を掠めるが、彼は顔色を変えずに軽口を叩き返す。

 

 今度はナイフを持った男が提督さんに迫る。指や耳でも切り落とすつもりか。私が意味もなく端末を握り潰そうしたのを止めたのは女性の声だった。

 

「提督。これ以上は跡が残ります。御身を汚さずとも、彼は裁かれる人間です」

「お前が言うならば、それが正しいのだろう。いいさ、殺すのだけは待っておく」

 

 舌打ちをして、どかりとソファに腰掛ける音が聞こえる。それを攻撃終了と捉えたのか、提督さんが更なる油を撒き始める。

 

「まったく……飴と鞭とは。変な芝居はよさないか」

 

 どうして本国がこんなとこまで手を出してくる?

 顔が見えなくてもその言葉に男が顔を引き攣らせたのが分かる。図星だと彼は笑って誇り、対する男は苦虫を噛み潰すように続けた。

 

「貴様が恭順であるのなら部下の命は保証しようと思ったのだがね。ここらが我慢の限界だ。さてどうしようか。一人づつ撃ち殺そうか? 愚かしく助けを求める様を晒しながら、貴様が自分の無力に打ちひしがれるのを見るのも、まあ愉しくはあるがな」

「外道ったらありゃしない。天下の()()()()()とは誰も思わないね」

「貴様は、どうも私が極右の過激派と考えているらしいな。皇国だと? 我が国は立憲民主制。私は民主主義を愛する者だ。民草を軽んじ、国を売る人間には言われたくないものだ……まあいい。証拠は揃っている。あとは動機だ。なぜ貴様らがアメリカに亡命しようとした?」

「アメリカ? 何を言ってるかさっぱりだね。私に何のメリットがあるんだい」

 

 その言葉に耳を疑う。なぜこのタイミングで南洋を見捨てた、彼の宗主国が出てくる。

 

「恍けるなっ! 証拠は揃っていると言ったろう。8護群に限らず、哨戒艦隊の佐官はどんな餌を撒かれたというのだ。防衛線を売るつもりでいたか?」

「アメリカさんは、こんなちっちゃな島なんて欲しがりませんよ。見当違いも甚だしい」

 

 今度は拳が飛んだ。殴打が続くが、提督さんは一言も発しない。

 

 やめてくれ。やめてくれ。

 これ以上は彼が死んでしまう。

 

 届かない言葉は私の部屋の中に木霊する。その願いが届いたのか、男性を諫めるように女性が進み出て力づくで押し留める。

 

「では、テクノロジーという事ですかね」

 

 先程は制止に入った女性の声。

 凛として澄み渡るような意思を感じさせるが、やっている所業は男と変わらない。提督さんを追い込んで、自らの手は汚さない。その分、狡猾で性質が悪い。もし出会ってしまったならば、私はきっと殺してしまうだろう。

 

「国防に殉ずるべき艦娘。その技術は日本の為だけのものです。アメリカが世界の兵器廠を名乗ったところで、艦娘がなければ東西両海岸の防衛で手一杯のハズ……それがどうです?」

 

 提督さんは何かを見せられたのだろう。拘束されながらも器用に肩をすくめて見せたその姿に、女性の声が張り詰めていく。

 

「彼の国で内密に進むハワイ方面への攻勢作戦、表向きは潜水艦主体ですが内実は違う」

「艦娘をアメリカが運用し始めたということかい?」

 

 なら、自衛隊(われわれ)が出張らなくても良くなる。良い知らせじゃないか。提督さんの言葉に、まさか、あの国が独自に艦娘を開発したなんてありえないでしょうと女性は返す。

 

「ですが、誰かに理論と道具をもらい受けたのなら話は別です」

 

 さも艦娘が、この海が日ノ本の国の物であるかのように豪語する彼女。

 

「我が国の核心的利益である艦娘のリークないし情報共有。貴方は治療と称して人体実験まがいの事も行っていましたね。チューク諸島はあなたの巨大な人体実験場だったんですか?」

 

 そんな理由で、私の提督さんを殺したのか? 彼女の言葉は独断と偏見に満ちている。愛国精神か陶酔かの分別はつかないが、彼女が提督さんを害したに違いないと思い知らされる。

 

「さぁね。そんなに気になるんなら、うちの泊地の技術課長(ふじみ)を引っ張ってくると良いよ」

 

 

 もう同じ手は使()()()()()()()がね。

 

 

 その言葉に女性は頬を紅潮させる。同じ手は使えないと知った(そうていされていた)からに違いない。

 それは提督さんが打てる精一杯の牽制。残してきた部下ならきっと乗り切れる。その信頼だ。

 

 それなのに、後は任されてしまった私がこんな体たらくでは示しがつかない。

 背筋を伸ばすだけでも、せめて彼に応えようとした。そんな私を蚊帳の外にして、映像は進む。

 

「そうですか。では、こうしましょう。あの泊地の最後の砦は航空母艦瑞鶴。彼女には何の罪もありませんが……(はらわた)でも引き摺り出して貴方の前に転がしましょうか?」

「……」

「女性としての尊厳を徹底的に蹂躙し、泣いて許しを請う様でも見せつければ貴方の気も変わりますか?」

「……やれるものならやってみればいい。お前如きがアイツに敵うと思わんがね」

「2期生に1期生が遅れをとるとでも? 所詮、国防から逃げた()に過ぎません」

「君は大分、自分の実力をひけらかすのが癖のようだ。それが過信でないことを祈ろう。しかし、君らが瑞鶴に勝つ事は一生ないだろうね。布石はもう打ってある。なぜなら……」

 

 提督さんの声が遮るように、壁面には大量の孔が空く。

 

 間違いなく戦闘機の機銃掃射だ。

 唐突な開戦。例え(なぶ)る側の強者であっても、自らの保身は第一のようだった。

 

「ヘルキャットッ! 提督、ここでは分が悪いですっ、退去を!」

「貴様ァ、只ではおかんぞッ! やはり米軍と!」

 

 その言葉は落ちてきた屋根で遮られた。揺れで倒れた三脚から覗くのは彼の姿。

 瓦礫から這い出る様子も見せずに、彼の瞳はこちらだけを見ていた。

 

 

 

「瑞鶴、      」

 

 

 

 彼は最期に何と言ったのだろう。

 

 紅蓮に呑まれる拷問部屋。カメラにも火の手がうつり、一面が黒い雲に覆われる。映像が途切れるまで、私は齧りついたままだった。あと少し待てば、提督さんが聞こえなかった部分を紡いでくれると。本気で信じていたのだ。

 

 それが叶わないと知った今、ひたすら動画の視聴を繰り返す。その度に端末が力任せに軋む音だけが、他に誰もいない部屋に響き続ける。引っかかっていた脳裏の錠前が外れた。あぁそういう事だったのかと一人で納得する。鍵はもう私が持っていたのだ。

 

 ――――――分かった。奴らの正体。

 

 病室でオンライン見舞いだと笑って胡麻化していたのは、ただの偵察だ。提督さんを貶めたのは貴方だったのか。私は競争相手を蹴落とすための手段に過ぎないという訳か。

 そうまでして、私の元上司は覇道を進みたいのか。

 

 そして、同伴していた女性。彼女もまた航空母艦だった筈。

 学生時代を思い起こせば確かにいた。白い肌を見せつけていた緋色の衣装。構える弓の腕は当時の空母艦娘でトップクラスだった。天津飛翔する龍神の名を冠し、名前負けだけはしないと豪語していた1期の先輩。

 

 繋がった。繋がってしまった。

 事があるごとに私との連絡を欲しがっていた本国の元上司。彼はしきりに情報交換といって、チューク諸島の細部まで手を伸ばしてきていた。

 

 私は提督さんの許可を得ていたとはいえ、情報を共有して(ながして)いたのだ。

 

 当然、提督さんの乗った輸送機の通るルートも()()()()。これでは、私が提督さんを死に至らしめたものと変わりないじゃないか。

 そして――――――録画の会話を聞く限り、提督さんは気付いていた。

 

 私の裏切りを見逃してくれていた?

 

 それが情けないと同時に、提督さんはその情報網を逆に利用していたに違いない。

 だからこそ、泊地に死人が出る前に自らが囮になることを選んだ。

 

 

 ウミハナミダデミチタカ ニクシミヲソソゲバカワクコトハナイ

 

 

 姉の筆跡が思い起こされる。

 

 提督さんを救えなかった悔しさと敵への怒りが込み上げる。それは紛うことなく憎しみだ。そのエネルギーはまさしく艤装と一体である艦娘にとって、渇望するほどの闘志そのものだ。

 

 指先に光が灯されたと思うと、形作られたのは鏃型の艦載機。それは、破壊を体現した機体だった。深海棲艦のモノと同一。暴力を行使するためだけの存在。

 

 

「ああ、そういうことなんだ」

 

 

 それは、バケモノ。

 私が産み出した最後の化け物。

 

 

 その牙が今すぐに剥かれる事はない。ただ拍動し、仇敵を撃つべき時を待っているようだった。

 拳を軽く握ると機体は霧散する。コントロールは出来ている。

 

 これでは、艦娘とはなんだ。まるで深海棲艦と表裏一体ではないか。

 

 コインのように面は天地をひっくり返さなければ出会うことはない。しかしあまりにもその距離(あつさ)は近すぎる。

 

 動画の最後に分かり難く残されていた数字の羅列。

 

 それがフラッシュバックし続ける。穴が開くほど見た。暗記するまでもない。

 

 家の扉を蹴破るように飛び出し、自転車に跨った。体力はもう限界だが、それでもカタをつけなければならなかった。その()()へと向かう。

 

 

 情報提供者は、ここからそう遠くない波止場を指定してきた。

 

 

 島の周囲としては珍しく水深があるが、勾配の劣悪さから補給港が整備されずに無人となっている区画。自衛隊の人間も立ち寄る必要がなく、現地の人間も海水浴に偶に訪れる秘境。そこが目的地。

 悪路で自転車での進軍を諦め、両手すら使い坂を駆け上がる。林の枝を掴む度に、ささくれに手が傷ついていくだけ。それでも行かねばならなかった。

 

 ここを逃せば、蜘蛛の糸すら喪ってしまう。そして私は辿り着いた。

 

 

 

 

 暗闇を抜けた先の光景は――――――

 

 



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第17話 白頭鷲の鉤爪は

 答えが、そこにはあった。

 圧巻というほかに言葉がない。潜水艦は現代の軍事力の象徴だ。

 

「ヴァージニア級潜水艦……」

 

 今のところ、深海棲艦に水中呼吸器官……魚でいうところのエラに相当する呼吸器は発見されていない。

 もちろんそれは研究が全く進んでいないことの証左でもあるのだけれど、ともかく深海に棲むという名前を与えられながらも深海での活動を不得意とするというのが学会の見解だそう。

 

 深海というのは決して彼らのホームグラウンドではないのだ。

 

 だからこそ、深海は潜水艦の活躍する場所であり続けた。

 重要海域(チヨークポイント)に長時間留まり、危険性の高い敵に一撃を加える。自衛隊でも、艦娘より潜水艦の方がよほど役に立つと言われているくらい。

 あまりにも戦線が広いから、艦娘が活躍せざるを得ないというだけである。

 

 ビデオに残されていた通りの座標。

 それなら、目の前にそびえるこの山こそが姉の寄越したメッセンジャーということになる。アメリカ合衆国と日本は同盟国ではあるが、両国の間には深海棲艦よりも強大な壁がそびえているということだ。

 

 波の音だけの世界に響くのはモーターの駆動音。

 一瞬で世界を焼き尽くせるという地獄の釜が開くと、そこから人影が現れた。

 

 潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)サイロを改修した特殊作戦支援用の潜水艦。こんなものを寄越すくらいだ、あの忌まわしき映像の状況証拠にはなる。

 

Good evening(こんばんは).まあ……夜が良かったことなんてないけどさ」

 

 身構えた私に対して放たれたのは、驚くべき程に流暢な日本語。

 月のない闇に浮かびあがるのは亡霊の輪郭。その陰は丸っこい潜水艦の外郭を滑り降りて、海へと()()()()()

 

 私もまた艤装の補助なしでは浮かぶので精一杯だが、海の上に飛び降りて相対する。

 

「本当に、合衆国が艦娘を就役させていたなんてね」

「またボスの気まぐれか……JSDF(じえいたい)は私たちを知らないはずなんだけどな。ステーツにおける艦娘は人体実験に等しい存在だから、ヒラの兵隊まで情報が降ると困るわけ」

 

 とは言いつつも、彼女が艦娘であることは認めるらしい。

 

「いろいろ聞きたいことはあるけれど……私は瑞鶴、空母瑞鶴よ。あなたは?」

 

 私は自然と、本名ではなく艦名を告げていた。

 今は艦を預かる者として……提督さんが呼んでくれた名を名乗りたい。

 

 沈黙が降りる。波を隠す黒い影は潜水艦で、それを背景に浮かび上がる相手の顔は闇の中。

 

「名乗りたくないのなら別にいいわよ、それでも」

 

 チューク環礁広しといえど、こんな巨大な潜水艦が通れる場所は限られる。

 いくらなんでも人目につかない筈はない。監視所をすり抜けないのなら、秘匿された海底トンネルを通過するくらいしかここまで来る方法はないだろう。それが意味することは至極単純。

 

 提督さんは……いや、この分遣隊はアメリカと通じていたのだ。

 妄想の芽に事実という水が与えられていく。なのに提督さんは、そのアメリカの爆撃の中に消えた。

 

 裏切られたのだ。

 

 何もかもにも。

 こんな場所まで悠々と潜水艦を回航できる筈の米海軍はこの戦争に不介入、私たちの味方であるはずの日本は私たちに補給を回そうともしない。

 この海には、私たちの破滅を望む者しかいなかった。それなら目の前の潜水艦も、同類だ。

 

「領海への軍艦旗を掲げない進入は国際法に認められた無害航行にはあたりません。日本国とミクロネシア連邦の自由連合に関する協定に基づき、強制臨検を行います!」

 

 その言葉を合図に、待機させておいた上空の艦爆がその翼を翻す。

 夜間の爆撃なんて当たるはずもないが、今回に限っては脅しで十分。搭載しているのも派手さ重視の爆雷だ。

 

「仕方ない……叩き落とせ、Fire!」

 

 閃光。宵闇を照らすそれが彼女の背後から回された砲口が火を吹いた。伸びるように放たれた弾丸は、無駄がなく一射一撃墜の成果。この少女はただ者ではないと直観で分かる。

 

 今の動きに砲撃の精度、威力。

 何を取っても日本の艤装を越えていた……もうここまで整っているのか、米国は。

 

 上空待機の艦載機はもう戦闘機しか残っていない。

 次の矢を放つべきか、いやこれ以上の敵対行動を見せればその砲口が私に向けられるのは必死であろう。ところが目の前の彼女は、先程までの花火大会を忘れたかのように言うのだ。

 

「深海棲艦化、自力でそこまでできるんだ」

「それ……どういうことよ」

「貴女、自分の姿を見たら?」

 

 不自然に揺らいだ夜の海。環礁が誇る透明な水面は月明かりを頼りに鏡のように照り返す。

 

 そこには血の色を含んだ双眸があった。

 垂れ下がる筈の二房の髪は重力に逆らい始め、末端は白く染まっている。それ以上処置なしで戦えば、貴女は艦娘に戻れなくなると彼女は言う。

 

「まあ、別に止めはしないけど。それは私たちの本意じゃない」

 

 桃色の髪を靡かせる少女は、気怠げに名を名乗る。

 

「合衆国太平洋艦隊所属、巡洋艦アトランタ。あなたのお姉さんの護衛役(エスコート)

太平洋艦隊(パシフィツク)? 第七艦隊(セブンス)じゃなくて?」

 

 私の認識が正しいのなら、アメリカの太平洋艦隊はとうの昔、それこそ七〇年以上前に第七艦隊へと改編されているはずだった。

 

 そのような名称を用いると言うことは、艦娘を運用する非公式の部隊が存在するということか。深海棲艦に対抗できる力がないと言いながら東アジアから兵を下げたにも関わらず、したたかに力は蓄えていた訳だ。

 

「あなたの考える通りよ、ズイカク。人体実験はリベラルより保守の抵抗が強いの。だから大統領(プレジデント)は私たちの存在を認めることが出来ない」

 

 政治的な理由で南洋を見捨てたと、あっさり認めるアメリカの艦娘。

 

 日本を護るためとミクロネシア連邦で活動している第8護衛隊群は、時間稼ぎのための()()犠牲というわけか。

 その言葉が映像で喚き散らす肉塊と同じ理論だと気付いて、無意識のうちに爪が掌に食い込む。皮肉なことに、その痛みが私に冷静さを取り戻させてくれた。

 

「おたくの大統領が認めてくれないせいで、私たちは新自由連合盟約(ニユーコンパクト)に縛られて大変な目にあっているんだけれど?」

「ステーツは日本の艦娘(あなたたち)に感謝している。大統領も渋々。だからこうして友人を助けに来た」

 

 いまさら何を、とは言えなかった。

 

 そんなことが言えるなら私はこんな場所にまでノコノコやってきたりはしない。私に抵抗の意思がないことを理解したのだろう。アトランタと名乗った艦娘は私の方へと近づくと、すっと黒い塊を手渡してくる。

 

「これ。ボスと繋がってる」

「ボス?」

 

 いいからと押しつけられたそれは衛星電話。

 この受話器の向こうに誰がいるというのか。

 

「御機嫌よう、831部隊のズイカク。ダイレクトメールはいかがだったかしら?」

 

 心地よいソプラノが耳をくすぐる。気持ち悪いくらいにノイズが混じらない声色は、私の焦りを見透かすように奇麗だった。

 

「本当に悪趣味よね。あいにく、洒落た挨拶なんて持ち合わせがないんだけど」

「そう邪見に扱わないでくれるとありがたいわ。もっと友好的になりましょう?」

 

 そんなことを言われてもこちらは初対面。とりあえずは黙秘を主張し、彼女の声を待つ。

 

「率直に申し上げますね。日本を抜けて、こちらに加わりませんか?」

「……最近の軍人ってば、そうホイホイ裏切れっていうの?」

「理由は後ほどお話しましょう。こちらからの対価は、貴女方の撤退作戦に米空軍の爆撃機を無償提供するということでいかがでしょうか?」

 

 何とも破格の提案だが眉唾物。

 こちらがいかに困窮しているのかを分かっている。喉から手が出る程欲しい航空戦力を、私の身柄一つで手を貸すなど信じられない。

 

 返答に窮したのを聞いて、通話相手はわざとらしい口調で告げる。

 

「あら、B2爆撃機にB1爆撃機がダース単位では足りませんでしたか?」

「そういう事言ってんじゃないわよ」

 

 口ではそう返しながらも、頭の中では部下が出してきたチューク泊地撤退作戦の要網が思い返される。そこでは誰かが囮を請け負い、集結した深海棲艦を空爆によって殲滅すると書かれていたか。

 

 常識的に考えて大型の爆撃機などは良い的だが、片道切符の無線誘導であれば撃墜されたとて構わない――――――とにかく、そこに敵がいるという状況だけ作りだす。

 その為に殿を引き受けて、味方ごと一網打尽にする。誰もがやりたがらない攻撃を引き受けてくれると受話器の向こうは言う。

 

 今すぐ飛びつきたい話ではあるが、ここは一旦堪える。

 

「……アメリカは南太平洋から手を引いたのではないの?」

「えぇ、仰る通りです。しかし、何も私たちは世界(アジア)の覇権を諦めた訳ではないんですよ」

 

 そう力強く語る口調に身震い。宗教の勧誘と同じだ。甘美な響きに酔わせて落としむ。

 

「悪いけれど、乗らないわよ。ウマい話には気をつけろって言うでしょ?」

これは取引ですよ(ビツク・ディール)。この度の貸しを合衆国は外交カードとして切りたいようです」

「……その心は?」

「ハワイ奪還作戦です。攻略にはステーツだけでなく、日本の力が必要です」

 

 映像でも言っていた。潜水艦作戦だけでは不可能な筈の攻略が秘密裏に進んでいると。そのトリガーが艦娘であると。であれば、彼女らが欲しいのは瑞鶴(かんむす)だ。

 

「なぜ今なの? ハワイを手放したのはそっちの都合じゃない!」

「日本と同様に豪州連絡網は、太平洋の生命線なんです。日本とアメリカがいがみ合っていては解決しません。我々と手を結びませんか? ズイカク。ショウカクもそれを望んでいる」

 

 姉はやはり渡米している。手紙は本物。提督さんが捕らえられ、助からなかった証明。

 

「翔鶴姉ぇが日本を裏切ったというの?」

「いいえ。あの方は軍人である前に研究者でした。自らが被検体となって、新薬のリリースにまで協力頂きました。ステーツで艦娘計画が進んでいるのは、彼女なくしてはありえません」

 

 深海棲艦化。アトランタは確かにそう言った。

 姉が研究していたのは化け物(しんかい)の事。であれば米国製艦娘には少なからず、その技術が注ぎ込まれていると言うことか。

 

「同封したリストの信憑性は保証しましょう。貴女の為だけに時間を割いた貴重な資料です」

「そりゃご丁寧にどうも。で、これを使って私が復讐しにいけって事でしょ?」

 

 そう簡単に上手くいくと……そう言いかけて、止める。

 手紙に括り付けられたリストの人間がいるならば、第二第三の提督さんの死が待っている。彼女はそう言っているのだろう。

 

 裏付けをとる必要などない。なにせ名簿には元上司(ヤツ)の名前もあったのだ。

 

「やはり貴女は聡明です。この泊地で喪うにはあまりに惜しい」

「提督さんは自分が狙われているのを知っていた……それは分かってる。それでも貴女達のいう計画の為だったら、提督さんは死んでも良かったって事?」

「そうは申しません。彼もまた協力者でした。しかし、彼の覚悟はそれ程の物だったのです。であれば、直前になって護衛を()()()()なんて言わないでしょう?」

「白々しいわね、貴女たちは提督さんを助けなかった。違う?」

 

 せめてもの贖罪でもいうのだろうか。

 

 提督さんが滅多打ちにされて、心身共に疲弊していた姿が思い起こされる。

 やったのは確かに日本(みうち)だろう。しかし、当てつけのように彼の最期が映ったビデオを送りつけてくる神経は狂っている。

 

「結果論です。もちろん我々は彼を奪還しようと全力を尽くしました」

「協力には礼を言うわ。でも、私の隣に提督さんはいないじゃない!」

 

 まだ泣けない。こんな仕打ちをされて、ただ泪を流すなんて許されない。

 誇り高く抵抗した彼の妻ならば、私はまだ毅然としなければならない。

 

「でも、おかげで敵が誰だか分かったわ。あの人(ヤツ)を……あの艦娘を私は決して許さない」

 

 それだけだ。純粋な憎悪。それだけが今の私を支えてくれる。愛する人を喪った私には、彼の意思を継ぐしかもう自我を保てない。

 

「ズイカク。貴女は託されているんです。日本の未来の礎になるかどうか。それを……」

「勝手な事を言わないでッ! 提督さんが自分が死ぬ事を分かってた? 違うよ! アレは私のせいよ! 私が泊地の情報を流さなければ、こんな事にはならなかったのよ!」

「彼は、最後まで貴女を巻き込みたくないと。だからこそ、自ら死ぬ事を選んだのです」

 

 お国の為なんて大義名分は要らない。官軍である必要もない。復讐だ。幸せにヒナちゃんや娘と過ごすはずだった彼の人生。それを奪っておいてのうのうと横暴を許す? ありえない。

 

「そうだとしても、私は提督さんが殺されたことは決して赦さないよ」

 

 この身に代えても。後生の平和は絶対に勝ち取ってみせる。その為には奴らが邪魔だ。通話相手は溜息。やがて考えがまとまったのか、ようやく返答をする。

 

「分かりました。彼の意志に反しますが、仇討ちの手助けは我々にとって貴女との交渉材料に過ぎません。出来る限りの情報は提供しましょう」

 

 こんな手を焼かせる私にどうしてそこまで手を貸してくれるのかと問えば、彼女は受話器の先で困ったように笑った。他ならぬ()()()()の頼みですから、と。

 

「長門隊長が?」

「えぇ、変わらず律儀な女性です。頼られがちなのに、不器用なのは相変わらずですけど」

 

 長門隊長もアメリカと通じていた。

 いや。元を辿れば提督さんすら、アメリカに渡ったという姉と懇意だったのだ。

 

 あの映像で提督さんは工廠の人間を口走り、そして潜水艦を見逃した監視所が存在する……第3分遣隊の全てがアメリカと通じていて、彼は最初から日本をひっくり返そうとしていた……そうとすらも読み取れる。

 

 そして、私もその戦いに加わろうとしている。

 愚かだと嗤うだろう。嗤えばいい、私は愛するヒトを奪った極悪人共を決して許さない。それだけだ。

 

「そういえば、名前を聞いてなかったっけ? メッセンジャーさん」

「しがない合衆国の海軍軍人(かんむす)です。サラとお呼びください」

 

 見えない筈の無線の先で、うやうやしくスカートを摘まんで曲げたのが思い起こされる。ご苦労な事だ。まだ承諾していないというのに、私が同調すると確信して通話を切り上げる。

 

「では、よろしくお願いいたします。貴女の仲間と銃後の安全は保証いたしましょう」

 

 受話器をそのまま叩きつけたかった。借り物だと思い留まった自分を手放しで褒めてやりたい。

 震える指先で返却すると、アトランタと名乗る少女は哀れみの視線を寄越してくる。

 

「無理もないよね。貴女のダーリンは手の込んだ自殺をしたって信じられる訳ないだろうし」

「分かるよ。分かっちゃうんだよ。私のせいなんだよ。気づけなかった」

 

 提督さんは苦しんでこんな結論を出したに決まってる。

 提督さんは馬鹿だから。泊地を護る為に、どんな手でも使う。

 

 だからって……私のみならず、娘やヒナちゃんを置いていく事ないじゃない。

 その言葉を、せめてもの意地で噛み殺して。そんな私に少女が言う。

 

「泣いてやりなよ、ズイカク。貴女のダーリンはそうされるべき。貴女に讃えて貰わなきゃ、あの人が可愛そうだよ。誰にも理解されないからさ。きっと」

 

 胸なら貸すよという言葉に、咄嗟に拳がでてしまった。

 

 弱々しく。

 それでも何かを訴えようと、意味もない軽い殴打が続く。

 

 アトランタはそれに呆れ返ったのか、泣きじゃくって顔を埋める私にそれ以上声をかけなかった。ただただ赤子をあやす様に、髪を撫ぜてくる。

 

 それが翔鶴姉ぇ(おねえちゃん)提督さん(あのひと)、私を守ってくれた人達を思い起こさせて、涙腺を刺激する。

 

「……落ち着いた?」

「ありがと。ちょっと元気出た」

「私だって濡れ鼠になるのは日常茶飯事だから。気にしないで」

 

 彼女は上衣の白地に染み込んだ涙を諦めたようだった。恥ずかしくなって顔を背ける。

 

「海に出る事はあるんだ。アトランタ」

 

 話題を逸らすだけの言葉だったけれど、あるよと彼女は応じてくれた。

 

「ステーツは戦場も広い。あんまりに艤装を酷使しちゃったから、私も次の任務が最後なの」

 

 そうして寂しげに双眸を遠くに向ける。その先には、どこまでも続く宇宙(そら)が星を湛える。

 

「退役出来るんだ。おめでとう」

「出来ればいいね。()()っていうのは廃棄って事だよ、ズイカク」

 

 まさしく投了と同義だった。彼女はすでに諦めている。

 それでも任務に忠実で軍人足らんとしているのだ。沈むならひっそり逝きたかったんだけどねと彼女は無表情に続ける。

 

「次の任務は貴女の護衛だよ、ズイカク。死に場所を用意されたら、仕方ないね」

「それで良いとアトランタは思ってるの?」

「アメリカは、ズイカクが思っているより人の良い国じゃなくなったんだよ。この十年でね」

 

 だから、犠牲は私で終わらせる。

 

 それは彼女の願望だろう。

 ただ縋りつくしかない希望だろう。

 

 声色は諦観だけを残して海風に攫われていく。それでも、彼女は芯の通った瞳で私を見つめ返していた。

 

「アメリカは深海棲艦との血戦を望んでいる。それは、弱腰な今の大統領じゃダメ」

 

 だから私()は……それ以上言う気はないと言わんばかりに視線を逸らす彼女。その先に続く言葉、思い当たるのは一つしかない。

 

「自分の頭を挿げ替える(あんさつする)っていうの? 信じられない」

「残念だけど、合衆国が生き残るにはこれしかないの。それに日本にとってもグッドニュースよ。アメリカの艦娘が公に出れれば、20年もあれば海を取り戻せる」

 

 その為には、自分で血を流す必要がある。そう彼女は淡々と語っているのだ。

 

「確証はあるんでしょうね?」

「えぇ、ここ数年間の精密な計画は全てこの時の為。私達にはいう事を聞く『敵』が必要」

 

 本当に欲しいのは敵ではない。有事に国内感情をコントロールできるプロレスの相手が欲しいだけ。それを深海棲艦を新たに作り出すことで可能であると実験しているのか。

 結局、最後は政治の話。けれどももう、それでも構いはしなかった。

 

「深海棲艦のエネルギーはなんだと思う? ズイカク」

「恨みとか、憎しみとか?」

「大体あってる。正確に言えば、海から力を引き出すために感情が重要になってくる」

 

 必要なのは、海に対しての信仰だとアトランタはいう。

 

艦娘の素体(にんげん)には既に変換する為のパスが通ってる。それを薬物投与で強制的に活性化させて深海の力を得る。祈りは海との同化を促進し、深海棲艦に近づける。けれど……」

「増幅した海の念そのものに焼き殺されるんでしょ?」

That's right(そのとおり)

 

 .だから、アメリカ式(このやりかた)には限界があった。今は、負荷に耐え得る艦娘(うつわ)を探してる。

 

「……それで、私に白羽の矢が立ったという訳ね」

「貴方のダーリンが信じていた力。純粋な艦娘の力のみで深海棲艦化を克服する存在」

 

 それが()()って奴なの。

 

 アトランタはそんなことを言う。

 月光のせいか、いよいよ私の肌まで青白く見えてくる。

 

 これではまさしく、今まで屠ってきた深海棲艦と変わりない。文字通り様変わりしてしまった私を見て、アトランタは訊ねてくる。

 

「じゃあ、改めて聞くよ。ズイカク。日本じゃこう言うんだっけ。ノルの? ソルの?」

「そんなの決まってるわよ」

 

 どうするかって? 答えなんか最初っから出てたじゃないか。

 

 



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第18話 籠の小鳥は翻す

「ようこそ、南洋のチュークへ。待ちわびたわよ」

「先輩もお変わりないようで……いえ、お元気そうでなによりです」

 

 変わった、か。

 失望したとか、期待外れだとか。最近はそんな台詞ばかり聞いていたから、その言葉は随分と懐かしいように感じる。

 

 司令部庁舎の応接間。普段は州政府との会議等に用いられるそこは、今では私の定位置となっている。提督さん曰わく「ここに置いてあるソファが一番高価だ」とか。

 ソファのクッション性と、辛くなったらスグに横になれる利便性もちゃんと最後まで説明してあげれば、もう少し周囲からの好感度があがるのになとは、まあ妻としての余裕、というヤツなのだろう。

 

「相変わらず硬いわねぇ。ああ、着任の挨拶は私にしたってことで済ませていいわよ。どうせ提督さんはコミュ障だから出てこないだろうし……」

「誰がコミュ障だって?」

 

 と、壁の向こうから男性の声。紺色の制服に身を包んだ佐官が現れる、現れるというよりも、隣の部屋から出てきたという方が適当か。着任の挨拶に来ていた後輩は踵を鳴らして敬礼。

 

「本日付で着任いたしました。山下ケイコ3等海尉です。特務艇艤装〈加賀〉艇長を拝命しております」

「ご苦労様。第8護衛隊群第3分遣隊を預かる瀬戸月1佐だ。でこっちは……」

 

「副司令の()()()、内気で初心(ウブ)のコミュ障提督さんを支えているわ」

「……お前なぁ」

 

 そのやり取りを見て、この世ならざるものを見たかのような顔をする彼女。そりゃそうだろう。彼女から視た私は、真摯に弓道へと打ち込む求道者だったらしい――――というか、実際にそう言われたことがある――――ので、まさか冗談のひとつも言うとは思いもしなかったに違いない。

 

「……本当に、お変わりになられましたね」

「うん、変わったね。全部提督さんのおかげ」

 

 そう言って彼の方を見れば、恥ずかしいのか露骨に話を逸らしてくる。

 

「やめろやめろ。まだ将官でもなんでもないのに」

「でも来年度には分遣隊も水上機動団に改編でしょ? そしたら昇格間違いなしだって」

 

 機動団構想が上手くいけばなと前置きして、目の前の後輩を見据える提督さん。

 

「とにかく、チュークに来てくれて感謝している。これでようやくコイツを休ませられるからな」

 

 その『休ませられる』という言葉に顔を歪める後輩。しまった、話を逸らすどころか私に矛先を変えさせにくる作戦だったか。見事に嵌まってしまった。案の定後輩がキッと睨んでくるので、思わず私は視線を逸らす。

 

「い、言っておくけど山下3尉。別に艤装をつけて海に出るとかはしてないわよ? あくまで島周辺の制空任務だけだし、そもそも副司令が名誉職過ぎるのが悪い。うんうん」

「そういう問題じゃないでしょう。先輩は身重なんですから……」

「はいストップ! 妊婦にストレスを与えるのは厳禁だって、藤見さんが言ってた!」

 

 実際、航空戦力は足りていないのである。ちなみに空母が1隻増えたところでローテが組めるわけではないので私は今後も()()()()()として制空任務に当たるわけだけれど……まぁ、それは今言わなくてもいいだろう。

 

 そんなことより、伝えたいことがある。

 私は後輩を手招きで呼び寄せる。

 

「ね、こっち来てさ。ちょっと触ってごらん」

「よろしいのですか?」

「もちろん」

 

 恐る恐るといった様子で彼女は歩み寄り、私にそっと触れる。それは誰の眼にも明らかな膨らみ。経過は五ヶ月。

 

「この子ね、最近動くんだよ。本当に生きてるんだって分かる、スゴいよね」

 

 そこに宿っているのは、確かな生命の脈動。私の未来を形作ってくれる命の強さ。

 

「あっ……動いた、動きましたよ! 先輩!」

「うん、うん……動くんだよ。うん」

 

 撫でたり耳を寄せたりしていた後輩が、跳ねるように顔を上げる。驚きと喜びに満ちた彼女の笑顔もまた、私たちが先輩後輩だった頃には決して見せなかったもの。

 

 

 こうして、何もかもが変わっていくのだと思っていた。祝福するように窓からは柔らかな光が差し込んで、私はまだ見ぬ赤ちゃんへと自慢の後輩を紹介して。

 

 そんな甘い、甘い甘い夢のような情景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――そんな夢を、久しぶりに思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆が寝静まった頃合い。

 闇夜に乗じて、ありったけのフネ――その第一陣が出航していく。

 

 月光に照らされる中、方位磁針だけを頼りに北上していく……それはどれだけ心細いことだろうか。

 しかし、彼らの命を繋ぎ留めるのはそれよりもか弱く――――――所謂、運命という抗いようのない奔流には呑まれてしまうかもしれない。人事を尽くして天命を待つとは言うが、人事を尽くすための手札が残されていないのだ。

 

 それでも、私は彼らを放たねばならなかった。例え成功するかも怪しい脱出作戦ではなくとも、これから行われる自分勝手な作戦には巻き込めない。

 命あっての物種。そう嗤えればどれだけ良い事か。

 

 帰投して汗を流そうと、いつもの入渠施設に踏み込めば人っ子一人いない。

 

「そうだよね……」

 

 なんせ、私が帰してしまったのだから。

 ボロボロの道着を脱ぎ捨てて放る。穴が空いてない風呂桶の方が珍しく、選り分けて手拭いを片手に湯船を目指す。

 浸かった修復液は既に紅く濁っていた。

 

「それもそっか」

 

 濾過する装置も壊れているし、整備する職人もいない。

 だが、効能だけが僅かに残っているだけが救いだった。ざぶんと飛び込んで、仰向けになる。そこには偵察機の視線を遮る雲。南洋の雲はスコールと決まっている。ざばざばと、濁った修復液に空の泪が混ぜ込まれていく。

 

「そりゃぁそうだよね……。だってここは、もうヒトの住める場所じゃなくなるんだから」

 

 そんな風に穴が空いた天井を見上げていると、近づいてくる足音。液槽の横に拳銃を持ってきておいて正解だった。素早く構えると、両手を軽く上げながら現れたのは見知った顔。

 

「……女子の湯あみを覗く度胸があるとは思いませんでしたけど」

「人聞きの悪い事を言わんで下さいよ」

 

 そう言いながらも足を止めることはなく、私が身を隠すものがないのを分かっていて踏み込んでくるその男。

 

「艦娘使用中に立ち入る職員の方が問題では?」

「爆破テロの時に散々お世話させて頂いたんですから、今更恥ずかしがる事ないでしょ」

 

それに人妻に手を出す気はありませんと豪語する彼、工廠(ここ)の主 、技術課長の藤見3佐その人である。

 

「怖い顔してますぜ。司令代理。働き詰めで白髪になってちゃ、アイツも浮かばれんでしょうに」

「というか、非戦闘員は今日の便で脱出するって話だったじゃない」

「最終便は明日じゃないですか。それに、()()()()()()は持ち込み禁止って話だったんでね」

 

 一献どうですかと、一升瓶を抱えて差し出したお相手。こういうのも悪くはないかと私は盃を請求する。

 乾杯をしても喉を潤すのは苦い液体。それでも湯あたりよりは酔っ払いたい心境だった。

 

「瀬戸月司令は良い漢()()よ」

 

 唐突に彼は言う。

 

「知ってる。私には勿体ない男よ」

 

 ポツリと自然に言葉が出てきた。「だった」だなんて、過去のものとして語りたくはない。それを察してくれるあたり、藤見3佐もイイヒトではあるのだ。

 いや、それよりもどうしてこんな話題を振ってきたのだろうか。

 

「藤見3佐はなぜ戦うんですか?」

「愛する女が最期まで護りたかったモノは何か……が分からなかったからですかねぇ」

 

 そう言いながら瓶をラッパ飲みにしようとして、逆さまに振っても一滴も残っていやしないと頭を振る藤見3佐。壁に叩きけてストレス解消の素材としないあたり、この期に及んでも職人気質は残っているといった所だろうか。

 そうして酒の道に逃げることが出来なくなった彼は、ゆっくりと独白を始めた。

 

「瑞鶴ちゃんが来る前の話だけど、俺にも相棒がいたんですが……これがまた気が強い女でして」

 

 その娘から工廠は散らかすなとキツく言われたのだという。職人としての心構えを教えて貰いましたよと、懐かしそうに彼は語る。

 

「戦闘下手な癖に、工作艦の適性があったもんだから。機銃くらいしかマトモに動かないのに、一丁前に『私は艦娘ですからっ!』って」

 

 いつの間に用意したのやら、彼が私に代わりの服を放り投げてくる。どうやらついて来いという意味らしい。

 身に纏って追えば、そう遠くない場所で立ち止まる。扉に張られた特定秘密だの許可無き入室は懲役刑が科されるだの、物騒な言葉で埋め尽くされた札が行く手を阻んでいるそこ。

 

 私はもちろん、提督さんですら入ったことがないのではないだろうか。

 

「艤装は直る。だが、艦娘は治らない。それを証明してくれたのが彼女の功績です。彼女の犠牲が霊力再生の根幹だともいえた」

 

 立ち入り禁止の錠を、彼は腰から取り出した鍵で抉じ開けた。

 

 その向こうにはまた扉。いや周囲の構造から見るに、ここが本来の扉だったのだろうか。先程の仰々しい扉は、まるで後付けの「封印」のよう。

 なにせ、吊り下げられた看板には可愛い字で「技術課長、仮眠中」と書いてあったのだから。

 

「……」

「こんなボイラー室もどきで寝れる訳ないだろうと思うでしょう? それでも、これも彼女との大切な思い出なんです」

 

 私の疑問を意にも介さず、彼は寂しげに嗤う。いったい、ここに何が隠されているというのか。

 

「1尉。今日はお友達を連れてきた」

 

 扉を開いた先、大きな水槽で揺蕩うのは人間だった。

 桃色の髪を水流で流しつつ、女性がこちらを見る。

 

「生きてるんだか、死んでるんだか……だな」

 

 瞳は見開いているが、意識がない。といったところか。

 まるで自分が今まで撃ってきた、人型の深海棲艦みたいだ。

 

「3佐……この人は?」

「適性がない奴が人柱を背伸びした結果……とでも言いますか」

 

 近場のホワイトボードに、彼は日本地図を書き殴る。簡略化された日本列島を、北海道から九州までを五分する丸い円。そして、つらつらと名前が足される。

 そしてその一つには、瀬戸月――――――今は私が名乗る苗字も含まれていた。

 

「呉と蝦夷の瀬戸月家。坂東の新田家。奥羽の藤原家。畿内の秋葉家。出島の久世家。代々、日本の龍脈に近しい血筋というものは存在します」

 

 知ってます? 艦娘に日本人が多い理由と彼は言う。

 

「所謂、魔払いの家系って奴。欧州にはエクソシストがいるでしょうが、日本にも古来より朝廷に従った者達がいます」

 

 彼らは呪術が科学の台頭により消え失せても、未だに影響力を持つのだと語る。

 

「陰陽道だったり、言い方は色々とあるんですが……今でいうなら特務神祇官に、霊力戦ですかね。深海棲艦との戦いにも彼らは有用だった。だからこそ、駆り出された」

 

 あなたの旦那もそうですよと、藤見3佐は無表情で告げる。それを知った私はどんな顔をしたのだろう。それを確かめてくれるはずの彼はくるりと背を向けて。

 それから彼女が閉じ込められた強化ガラスの表面を、拳で叩きつけた。

 

「……許嫁だったんだ」

 

 絞り出した声は、必死で苦し気。

 

「司令代理が知っての通り、ここは巨大な人体実験場。艦娘の治癒能力や深海棲艦との同調――――――そんなことが問題にならないくらいの、壮大な計画が行われていたんです」

 

 その正体が此処で封印された彼女なのだと。そう彼は言って――――――

 

()()()()()()()()

 

 ――――――そんな、突拍子もない事を宣う。

 

「風土は南国。駐留しているのは日本人も多いが、現地民も多い。だが、ここは人為的に日本に書き換えられている。他でもない久世1尉の霊力場によって艦娘は()()()()()

「いきている?」

「瑞鶴に長門。日本に縁ある艦名が、どうしてこんな僻地でも戦えると思います?」

 

 彼女が創り出しているんだ。艦娘としての価値を、彼女の手が届く範囲でと。

 俄には信じがたいことを彼は言う。

 

「信じられないとは思います。ですが、戦闘に直接の影響を及ぼす程の大きな力を感じたことはないですか? それは貴女も持っている筈だ」

 

 それは空母としての力のことを言っているのだろうか。何十もの艦載機をそれぞれ別々の個体として認識しながら戦う、まるで自分が分裂したかのような感覚にすら陥るあの感覚のことを。

 そんな私を知って知らず、彼は続ける。

 

「深海棲艦にも上位個体が存在する。俗に姫級ともいえる連中だ。彼女らは己の支配域の拡張が役割だ。決して戦闘能力が高い事ではない」

 

 地上型が根付く前に根絶させる――――――提督さんだけじゃない、世界各国が重視しているその方針。

 それはつまり、表裏一体である艦娘にとっても同じ。

 そして、人でも艦娘でも深海棲艦でもない私にも言えるということ。

 

「フラッグシップ――――――それは艦隊を導くだけでなく、強大なバッファーとも呼べる存在という訳です」

「チューク諸島を支えてきた()()も同じ……と」

「いえ。彼女の場合は、正確に言えば艤装を鼓舞するという表現が近いかと」

 

 どうやら()()()()の仕業は、久世1尉による所があるそうだ。

 

「本土よりも腕が良い技師が多いのは事実です。しかし、サポート特化したバフ役がお似合いだったおかげで、この泊地は最凶のゾンビを産み出し続けたんです。その最高傑作が……」

 

 言うまでもなく私、という事か。

 肩を竦めた私を見てから、藤見3佐は満足げに水槽を撫ぜる。

 

「これにて千秋楽。生命維持装置に回せる電力も乏しい以上、此処も店仕舞いせざるを得ない。だから、最期に顔を見に来たって訳です」

 

 彼が壁際のスイッチを操作すれば、室内が赤色の警告灯で染まる。音を立てて水槽の継ぎ目が裂ける。満たされた液体が零れ落ち、巻き込まれて中の女性も流れ出てくる。

 

「お疲れさん……よく頑張ったな」

 

 そう、愛おし気に彼女を抱きかかえる藤見3佐の背。大柄な体格に見合わずにどこか寂しく見えたそれ。

 

 そんな郷愁や哀情とも等しい空間を引き裂いたのは、他でもない彼の反応であった。

 

「痛痛痛たたた。どこ掴んでるんだよお前はッ!」

「……今生の別れみたいに3佐がおセンチになってるからですよーだ!」

「………………えぇ?」

 

 どうやら、植物状態に近しい状況から簡単に復活するのは彼にも予想外だったらしい。

 すっくと彼の拘束から逃れた彼女。そして腰まで伸びた桃色の髪を左右に揺らしながら、グラマラスな彼女は惜しげもなくその身を晒した。

 

「私が寝てる間に、何時から深海棲艦と共闘してるんですかね?」

 

 久世1尉――――――そう呼ばれていた女性は、じろじろと嘗め回すように私を見る。

 

「へぇ。貴女が瀬戸月司令の秘蔵っ子ね」

「それどころか、その奥様で在らせられるぞ?」

 

 待って欲しい。おそらく起床したと思われる彼女には、この方一度も会った事がない。ある程度見透かされているのはどうしてだ。

 そんな私の内心すら見通して、彼女は満面の笑み。

 

「艦隊の運用情報や資材の動きまで全部チェックしてる私が、貴女の事を推測するなんて容易いからね。大事にされてるぅー♪」

 

 そう、よしよしされる。なぜ?

 藤見3佐を見れば、早くも目が泳いでいた。自分の許嫁ぐらい世話したらどうかとは思わなくもない。

 

「……それで、ズタボロにされてる私の腕の中(チューク)がどうなってるかは大体察してます。司令亡き今が瀬戸際って事ですよね?」

「権限が司令代理に移っただけで、そこまで分かるお前の順応性が羨ましい」

 

 つかつかと進み出た久世1尉は私を見据える。

 まるで、自分の主人か相応しいかを見極めるかのように。

 

「……彼との出会いを後悔してない?」

 

 その男性が誰かを指さずに、チューク諸島の主は言う。

 

「全部をお見通しではないのですか?」

「私は貴女の気持ちを知りたいの。果たして瀬戸月司令は納得がいく最期(エンディング)を見れたのかなってね」

 

 彼女の髪から滴る液体が落ちる音の数だけが、この問いから時間が空いてしまった事を示している。

 唇を咬んで。息を吸って。絞りだすように吐いた。

 

「私にはできませんでした」

 

 彼を幸せにする事も。

 その意思を継ぐ事も。

 

「まして、遺された思い出すらも捨てるんです。こんな私は、彼に相応しくない」

 

 落第点だと。そう言われても仕方ない。

 呆れたのか沈黙した彼女。しかし、その瞳は真っ直ぐに私を見る……正確には、私の胸元を引っ手繰るように腕が伸びた。

 

 この期に及んでも手放さなかったモノ。特注の塩害に強い素材で作られたロケットペンダントには片側に彼と義娘。

 反対側には、本来私が護らなければならない筈の娘が掲げられている。

 

「……でも、この子だけは。私に彼の妻を名乗る価値があるのなら、まだ戦います」

 

 幼子が写っている。写真を送ってくれたのは皮肉屋気取りの小沢空佐殿の奥方。甲斐甲斐しく毎日のように送られてくるのを、しばらく前まではろくに視ることもしなかったけれど。

 

 でもようやく、直視できるようになった。

 

 姉譲りの部位(パーツ)とあの人の面影(りんかく)、そこに母親(バケモノ)の姿なんてありはしない。

 

 今この子は、本土にいる。

 仮初めの、これから崩壊してしまうかもしれない平和の中にいる。

 

 だからこそ私は笑って逝くのだ。

 これで良かったのだ、これが良かったのだと。

 

 それが願いなのか言い訳なのかは、もう分からなくなってしまったけれど。

 

「んっ……よろしい」

 

 彼女は納得したのだろうか、私にその内心は読めなかったけれど。それでも彼女は嗤ってくれた。

 

「では、そんな正直者な瑞鶴さんに()()()()を遺していきましょう」

 

 壁際にあった鍵束を掴めば、無造作に放り投げてくる。

 

()()()()()って言えば、分かります? あそこに私の隠し部屋がありますんで。

きっと何かお役に立てるはずですよ!」

 

 

 そして彼女は、南国の太陽にも負けないような笑みを見せるのであった。

 



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第19話 鶴翼は折れた儘

 チューク州の全島避難は既に完了している。ここに残されたのは私だけ。

 

 最後まで敢闘した空軍の警戒隊、戦闘をこなしつつも秩序の維持という重大任務を全うした警備部隊、僅かに生き残った分遣隊の面々を乗せた最後の輸送船が島を脱出したのは一昨日のこと。

 

 全速力で航行していれば、もうじきマリアナ諸島まで辿り着くことだろう。

 

 

「……思えば、長かったなぁ」

 

 本当にいろんな事があった。

 灰塵に帰したチュークの景色を私は眺める。

 

「提督さん、私。上手くやれたかな?」

 

 その問いに答えはない。

 まあ……少なくとも褒めてはくれないだろう。

 

 

 なにせ、預かった泊地がこれから壊滅するのだから。

 

 

 アメリカの爆撃機――――喉から手が出るほどに求めていた増援戦力――――の到来が内密に約束されたことで、私たちの第3分遣隊はようやく作戦を実行に移すことが出来た。

 全力を振り絞り環礁の周囲に集まってきた敵を殲滅して周り、その僅かな空白を突いて民間人を避難させる。

 もちろん戦力を消耗した分遣隊は機能不全、交換部品も弾薬も尽きて満身創痍。

 

 それでも海に取り残された十万人が深海の餌食となる最悪のシナリオは避けられた。

 

「上手くいくか分かんなかったけれど……まあ、今日まで陥落しなかったし良しとしようか」

 

 私が眺めるのは大型商業施設(シヨツピングモール)

 かつてヒナちゃんとクレープを食べたそこは、大砲の欺瞞模型をそこらかしこに備え付けたことで偽物の要塞と化していた。

 

 もちろん敵の集中攻撃を受けて大破、そこらかしこから鉄筋をむき出し見るも無惨な姿であるが、それでもまだ要塞には見えないこともないといった具合を保っている。

 

 戦力を過大に見せ、敵を散々に撃破して回った第3分遣隊。

 

 その本丸チューク環礁。敵はまだこちらに大量の地上兵力と洋上兵力があると思い込んでいるに違いない。

 

 それなら、次の戦いが()()には最後の戦いとなるだろう。

 

「約束の時間まで、あと少しか」

 

 もうすぐ、私のヒトとしての生命は終わりを告げる。

 

 彼女達の言葉が本当なら、今頃米国の本土からは爆撃機が飛び立っていて、太平洋にぽつりと浮かぶ環礁まで長駆進出してきている頃合いであろう。

 そうして間もなく、この島は爆撃の炎に沈む。

 

「とはいうけれど、間違って私ごと焼いたりしないでしょうね?」

「安心していいよ。合衆国(ステーツ)の科学者たちにとって、貴女のデータは何よりも貴重だから」

 

 合衆国の合理主義だけはなくならない――――――実験動物として興味があるから安心しろだなんて、冗談なのかそうじゃないのか分からない事を()が言う。

 

 もちろんこの場には私以外の人間は存在しない。

 そう、()()()()

 

「でも、爆弾が落とされる順番くらい教えてくれてもいいじゃない。アトランタ」

 

 その言葉に、くるりと米国の艦娘は振り返る。

 

 私が単独でも戦ってこられたのは、言うまでもなく彼女の艤装があったから。

 本当に黎明期の米国艦娘(プロトタイプ)なのかと疑うほどに、彼女の性能は特筆するべきモノがあった。彼女はさも当然というように返す。

 

「深海に取り込まれた時。爆弾の落下位置を読み取られたら、作戦の意味がなくなるよ」

 

 その台詞が、アトランタは別に私の戦友ではないのだと私に思い出させる。

 

 彼女の最期の任務は私の護衛(エスコート)

 これは単なる護衛という意味でもあり、そして文字通りの意味も持っている。

 

情報は識るべき者のみに(Need to Know)。万国共通、軍隊の原則」

 

 これから大挙して環礁に押し寄せてきてくるであろう深海棲艦。

 それと戦うために、私は深海棲艦の力を借りる。

 

 何が起こるかは分からない。

 ただ一つ確実なのは、私が私でなくなるということ。

 

 その実行を()()()、そして()()のが彼女の仕事。

 爆撃の間隙を知る彼女が、私を死の環礁から連れ出すのだ。その先に待っているのは真っ暗な闇だろう。

 さしずめ、彼女は地獄への水先案内人というわけだ。

 

「もう少しだけ、保ってよね。私の艤装(ずいかく)

 

 どれほど眠っていないだろう。

 

 身体の節々が痛みを訴えている筈なのに、ぼんやりとしか感じない。

 それでも感覚は研ぎ澄まされていて、整備の行き届いていない艤装が悲鳴をあげているのが分かる。もう少しの辛抱と宥めながら、私は司令部のある島にたどり着いた。

 破壊された内火艇を横目にしつつ、かつての面影を失ってしまった司令部庁舎へと足を運ぶ。

 

 世界が真っ赤に染まっていく。

 燃える島の色ではない。太陽が傾いているのだ。

 

「で、ここが脱出ゲームのスタート地点って訳? ずいぶん粋な計らいじゃない」

「爆撃機の到達まで、もう時間がない。ズイカク、Ready?」

「仕込みは……まあ九割方ってとこかな」

 

 人事は尽くした。あとは天命を待つのみといったところ。その天命が人の手で生み出された爆撃機だというのは皮肉な話だが、私の準備は万端だ。

 

 聞こえないだろうけれど、ごめんとだけ謝っておく。

 

 娘達はきっと辛い思いをするだろう。親に先立たれた私が、幼い子を残して逝こうとしている。言い訳程度に準備はしたけれど、きっと怒るに違いない。

 

 でも仕方がない。私はバケモノなのだ。

 バケモノでも構わないのだ。

 

 バケモノの私を提督さんは見てくれた。私にちゃんと向き合ってくれた。

 

 そんな提督さんの存在を許さないこの世界を、私は許さない。

 

 結んで開いて。私の両手に宿る力が疼いている。

 こんな私が、どうして母親面していられるというのだろう――――――(たお)すだけが取り柄の女が、どうしてあなた達の未来を描けるというのだろう。

 

「それじゃ、行ってきます。提督さん」

 

 皆の集合写真は、もう棚の上にはない。

 泣いて撤退に抗議した文月に私を靖国に連れてってと無理やり押し付けた。最後に秘書艦椅子に腰かける。

 そしてその特等席から――――――執務机を見遣る。

 空っぽの席、いつもいた筈の提督さんの姿はない。

 

 それでも。

 

 

 ――――――あぁ、行ってくると良い。瑞鶴。

 

 

 それは瓦礫が作り出した影絵なのかもしれない。けれど私は、夕陽が差し込む中に彼の姿を見た。

 

 彼は本当に呆れていたようだった。

 帽子を被り直すと敬礼。手を振らないのは予想通り。私も亡霊に答礼する。

 

「そろそろ日が暮れるね。準備をしよう」

 

 アトランタの発言を聞き慣れた声が遮ったのは、その時だった。

 

「そちらの客人、艦娘とお見受けするが……何方かな?」

 

 その言葉に、アトランタの艤装が唸る。彼女が砲塔を完全に向けきる前に私の手が伸びたのは幸いだったと言うべきだろう。

 

 ――――――脱出船に押し込んだ筈なのに、どうして。

 

「こんな所で、何をやっているの? 二人とも」

 

 私の視界に収まっているのは、ここには居ないはずの磯風さんと神通さん。

 

「航空母艦という831護衛隊の最大戦力を活かすのに、護衛がないなど恰好がつくまい」

 

 この命、好きに使え。どの道もう長くはないと、ソファがあった跡に背を預けた磯風さん。

 

「神通さん。気のせいかボーっとしてません?」

「可笑しな事を言いますね。どういう意味ですか?」

「いやいや、私は提督さんの席に座ってるんだけど」

 

 そう嘘をかますと、明後日の方向の私と会話しようと身体を捻る神通。

 

「馬鹿っ……両目とも視えてないんでしょ」

「ふふっ。この状況で撤退できないでしょう? 戻ったとて、この身が役に立つ事など二度もありません。ましてや、退避要員をつけて貰ったら作戦が台無しですよ?」

 

 作戦という言葉が引っかかる。もしや神通さんは、知っていたのだろうか。

 

「まさか、この期に及んで我々にまだ何かを隠している訳ではあるまいな?」

 

 磯風が不敵に笑いながら問いかけてくる。

 

「私は覚悟を決めたぞ、瑞鶴。だからここにいるのだ。お前はどうなんだ?」

 

 私が残って戦おうとしていたことは見透かされていたらしい。

 彼女は布切れで吊った腕を気にせずに進み出てくる。要するに、私にはまだ仲間を信じる覚悟がなかったということだ。

 

「私は」

 

 神通さんや磯風がどうして私の事を信じてくれるのか、正直分からない。

 

 ここに着任してから彼女たちには迷惑をかけてばかりだ。それなのに私と共に死んでくれると?

 本当に、この部隊は揃いも揃って馬鹿ばかりだ。

 

「アトランタ。悪いけど地獄への特急券、もう二枚追加して貰っていい?」

「All right. ズイカク。終電にはまだ間に合うよ」

 

 アトランタがアンプルを放る。それを器用に片手で受け取った磯風は首を傾げる。

 

「この試験管はなんだ? 痛み止めにしては、やたらと気色の悪い色をしている」

「これが賭けよ。人類に仇名す悪となるか、それとも己が正義を翳す英雄になるかのね」

 

 もはや仔細まで説明する必要はあるまい。

 私についてくると決めたのなら、最期までとことん付き合って貰う。提督さんがそうしたように、私は預かった命を最大限有効に活かすだけ。

 そしてこれから始まる作戦、賭金(チツプ)は多いに越したことはない。

 

「今からすることは、相手に指揮官がいればという()()の話だけれど」

 

 もう何ヶ月も戦ったのだ。私たちの環礁を包囲する向こう側の()()()()ぐらいは分かる。

 相手は徹底した航空主義。制空権を奪われた状況では無理に押してこない。今攻撃が止んでいるのだって、私の艦載機が敵を追い払ったからだ。

 ルールが分かれば、主導権はどうにでもなる。

 

「私はこれから制空権を向こうに明け渡す。そしたら相手は必ず環礁内に攻め込んでくるわ」

 

 まあ、手を抜かなくても制空権は取られてしまうだろう。

 なにせ島には防空隊すら残されていない。レーダーなどの各種システムは機能不全、ギリギリで持たせていた空軍も脱出済み。

 

「そして私たちは、中近距離戦でアイツらを引きつけるの」

 

 私の曖昧極まりない作戦要綱に、簡単にいってくれますねと言う神通さん。

 

「三倍や四倍ならまだしも、この環礁を取り囲む敵はそんな数ですまないと思いますが」

「そのためにそのアンプルがあるのよ」

 

 運がよければあなたたちの力は何十倍にもなるはずよ――――――もちろん、命の保証はできないけれど。

 そう嗤ってみせれば、配下の艦娘(もののふ)たちも獰猛な笑みを浮かべた。

 

「つまり司令代理は、我らに弁慶のごとく立往生せよと言うわけだな」

「違う違う。制空権を奪取し完全優位、何十倍の戦力で格闘戦を挑んでいるのに勝てる見込みがない。そしたら相手は、どうすると思う?」

 

 相手が消耗戦を挑んでくればそれでよし――――――それこそが私の狙いだ。

 

 敵を徹底的に引きつける。

 長距離砲撃が効かないのはこれまでの戦いで学んでいるだろうから、戦艦だって大挙して環礁の内側に押し寄せてくることだろう。

 

 そしてそれこそ、私たちが掴むべき唯一の勝機。

 

「いくらなんでも、何百何千倍の敵には勝てないわ。ううん、勝つ必要なんてないの」

 

 なにせ、こっちには天下のアメリカ空軍がついているんだからね。

 それだけ言えば、二人にも意味は十分に伝わることだろう。環礁に押し寄せ、珊瑚礁の中に躍り込んだ深海棲艦は()()()()鹿()だ。

 

「さあ、始めるわよ」

 

 私は潮が引くように航空隊を下げていく。最後の船が脱出した今、制空権を死守する意味はない。元々限界だったのだから、小細工などしなくても自然と空は敵のモノになる。

 

「アトランタ、爆撃開始まであとどのくらい?」

 

 ここから先は時間との闘い。

 私が制空権を喪って、敵が攻め上がるまでの時間を調整する必要がある。

 

 アトランタは分、秒単位に至るまでの正確な爆撃開始時刻を教えてくれていないが、流石にここからは詳細な情報が必要だ。

 

「……ちょっと。幾らなんでも情報出し惜しみ過ぎない?」

 

 それなのに、彼女は言葉を返さない。

 

「ねぇアトランタ、聞いて……」

「んっ」

 

 私が振り返ったのと、ごぼりと()()()()()()()()()()()()のは同時だった。

 右胸に見事な風穴が空いて、反対側の景色が覗く。信じられないと言った顔のまま崩れ落ちる。

 

 慌てて彼女を支えようと私の足が滑り込んだ時に響く遠雷。

 その銃声で私はようやく彼女が凶弾に倒れたのだと理解する。狙撃? 砲撃? 誰が? どこから?

 

 考えるよりも早く、私は叫んでいた。

 

「神通、磯風! ヘッダウン(ふせなさい)!」

「明らかに艦砲だぞ。どこから撃たれた!」

 

 警戒する磯風さんは電探で索敵を開始する。

 神通さんも待機していた夜間偵察機に指示を送ったよう。遅きに失した感はあるが、出来る手は打った。あとは彼女の介抱だ。

 

「目を開けなさいよっ! あんたに地獄から一抜けされたら、たまったもんじゃないのよ!」

「Battle ship....... 私のレーダーの範囲外からの狙撃。深海棲艦じゃない。これじゃまるで」

 

 その言葉が続けられる前に、空から人影が現れる。

 航空機の揚力を応用とした空中滑走。できるのは空母艦娘の中でもほんの一握りの筈。乱入者は勝ち誇ったような声色だった。

 

「そうよ。艦娘よ」

 

 この閉じ切った空に反響するように聞こえたのは幻聴か。それとも私が艦娘であるが故か。

 しかしこの眼に映る光景だけは現実だろう。そこら中の空を三式弾が埋め尽くし、噴進弾の煙が空を覆う。それから一斉に艦載機が飛び上がって、私たちは制空権を取り返す(うばわれた)

 

「ヒト型に懐まで潜り込まれるなんて、南洋の守護神(グンカンドリ)も墜ちたモノね……でも、もう大丈夫」

 

 そんな言葉が今度は耳にまで届く。

 

 大丈夫? まさかアトランタを深海棲艦と誤認した訳はないだろう。

 私は目の前に現れた艦娘を睨む。それは全身を黒の装束に包んだ艦娘。特殊部隊のゴテゴテの暗視装置とフェイスシールドに覆われて、その表情を窺い知ることは出来ない。

 

 彼女はうやうやしく頭を下げると、大きな声で私たちに告げた。

 

「第8護衛隊群第3分遣隊の皆さん! これまでの奮戦、大変お疲れ様でした!」

 

 白々しい労いの言葉に呼応するように影の数は増えていく。

 10か20か。基地を包囲したらしいソレ達は、お祝いのクラッカーと言わんばかりに各々の得物を私たちに向けていた。

 

「深海棲艦侵攻に伴う通信網遮断のため、口頭でお伝えします」

 

 嘘つけ、記録に残さないためだろう――――――睨んだ私と対称的に、彼女は深い深い笑みを浮かべる。

 

「今から2時間前、第8護衛隊群司令部はミクロネシア連邦からの全面撤退を決定しました。ミクロネシア前方展開群も同時刻をもって解散。第3分遣隊の皆さんも戦闘を直ちに終了、当海域からの撤退作業を開始してください」

 

 その言葉通り、確かに深海の化け物たちはするりと退きつつある。彼女の言葉をそのままに受け取るなら、ここから悠々と撤退することも可能だろう。

 

「今日の今日まで、戦力を出し惜しみしたクセによく言うわね」

「出し惜しみ? 戦略予備はここぞという場所で使うモノですよ。副司令」

 

 しかし、ミクロネシア連邦の全ての海域中が大攻勢を受けているこの状況で、どうしてこれだけの艦載機や艦娘を用意出来ると言うのだろう。

 8護群の他の分遣隊はもちろん、他の哨戒艦隊にだってそんな余裕はない。それなら、答えは分かりきっている。

 

「本土に張り付いた()()()()は、もっと大事な局面で使うべきなんじゃないの? 飛龍――――――それとも」

 

 軍人としての名前(城島アスカ2等海佐)と呼んだ方がいいかしら。

 お前のような卑怯者には艦娘(ひりゅう)を名乗る資格もないと、言霊(ことば)に込めて私はその名を呼ぶ。

 

「おや、私の事を覚えていてくれるなんて光栄ですよ。瑞島……いえ、瀬戸月副司令」

 

 もう5年近く前だというのに、記憶は確かですね。

 その言葉と共に、艦娘は暗視装置と覆面を外す。その中から切れ長の目を覗かせた。

 

 そこに宿っているのは闇そのもの。

 

 あの映像を見れば、提督さんに害をなしたのが自衛隊の一部勢力に過ぎないことは分かる。

 そしてあの場所で尋問に活用されていた艦娘は飛龍と呼ばれていた。飛龍と呼ばれる艦娘を、私は一人しか知らない。

 

 声だけの判断だが、どうやら的中したらしい。

 

防衛大卒(エリートコース)にあぐらを掻いたあなたは、()()()の私なんて覚えていないと思っていましたが」

「あんたら『華の』第1期に対して『出がらし』2期は恨み辛みが積もってるのよ」

 

 防衛大学校に急遽設置された艦娘専科コース、官民問わず高い適性を持つ人間を引っ張った1期生に比べ、とにかく人員不足を埋めるためと強引に()()された2期生はどうしても質が劣る。

 コース修了と同時に最前線に投入され、華々しい戦果を挙げた1期生に対して、後詰めとされた2期生は『出がらし』以外の何物でもなかった。

 

「出がらし? しかし現実は私が3佐であなたが2佐、いや。分遣隊を立派に率いているとなれば海将補くらいにはなっている。防衛大卒の贔屓(ひいき)は酷いモノだと思いませんか?」

 

 だいたい、あなたは大学校(こうほせい)であることを盾に1期生の()()から逃げたのでしょうに。

 つらつらと恨み節を垂れ流す飛龍、そんなの知ったことではない。

 

「御託はいいわ……それで、何が目的ってわけ?」

「端的に申し上げれば、新自由連合盟約(ニューコンパクト)の遵守です」

 

 どうも加盟国の中に、領土防衛の義務を放棄し、あまつさえ自由連合に属するミクロネシア連邦チューク州を焼き払おうとする輩がいるらしい――――――。

 

 彼女がアメリカの爆撃機の事を言っているのは間違いない。それを止めに来たのだと告げた飛龍は、私が支える米国艦娘……アトランタを指さした。

 

「さぁ、そいつをこっちに引き渡しなさい。彼女が爆撃の誘導管制を担うことは知っています。ミクロネシア連邦、ひいては日本の敵であることは明確です……あぁ、安心してください。引き渡してくれれば生かすことも出来る」

 

 致命傷を避けたうちの狙撃手を褒めてあげて欲しいですねと。場違いな茶目っ気を見せる彼女。

 

 致命傷を避けたなんてとんでもない。

 

 アトランタは急激な流血から痙攣し始めている。このままでは命も危ない。

 しかし、目の前で不敵に笑う飛龍に従った所で、保証されるという訳ではない。せめて。高速修復材が使えるよう、入渠だけでもさせなければ……。

 

 それには、私に注意を引き付ける事が最低条件だ。後ろ手にハンドサイン。

 目が見えない神通さんでは無理だ。磯風さんの機転に祈るしかない。

 

「ねえ飛龍、あなたの言う日本の敵ってなに?」

 

 そして私は言葉を転がす。見え透いた時間稼ぎのために。

 

「それはもちろん。我が国の国防体制を揺るがす存在ですよ」

「じゃあ提督さんは、日本の敵だったんだ」

 

 何のことですかと肩を竦める飛龍。

 この期に及んでまだ私を懐柔できると思っているのか。

 

「日本の敵なら――――――伴侶(わたし)の腸を引きずり出して見せしめにする正義があるかって聞いてんのよ」

 

 私の口から放たれたその言葉は勝手に耳へと回り、忌まわしい映像の記憶が呼び起こされる。

 仮に彼女が私の臓物を引きずり出すことに成功したとして、私が許しを請うとでも思っているのか。

 それで提督さんを御すことが出来ると思っているのか。

 怒りと憎しみが混ぜ交ぜになって、私の中を駆け巡る。

 

 飛龍は小さくため息を吐くだけ。

 

「瀬戸月副司令……いやここは瑞鶴と呼ぶべきですかね? 誰に何を吹き込まれたかは知りませんが、少し冷静になればそれが米国(ヤツ)の仕組んだ小芝居だと分かるはずですよ?」

「なんですって?」

 

 私は静かに、身体を駆け巡る怒りを抑えるようにゆっくりと立ち上がる。

 アトランタに一言謝ると、彼女の身体は床に滑り落ちていく。残るのは血溜まりだけ。

 

「想像はつきますよ。愛しの夫が殺された、殺したのは本土でのうのうと暮らしている護衛艦隊の艦娘。あなたは今、彼女へと憎しみを燃やしている。それこそヤツの思う壺です」

 

 磯風さんは上手くやってくれるだろうか。視界に映らぬ部下を待ちながら、私は前だけを睨む。幸い相手は私の沈黙を怒りと受け取ったらしく、調子よく話を続ける。

 

「艦娘は、特務神祇官とは怨念を浄化する存在です。憎しみに囚われては深海棲艦(バケモノ)共と何の変わりもない。バケモノに勝つためにバケモノになることは護国の精神に反しますよ?」

「そのご立派な精神を持ちながらヒトを殺すアンタ達の方がよほどバケモノだと思うけど?」

 

 その言葉にフンと鼻だけ鳴らして、飛龍は私の後ろにいるであろう二人へと視線をやる。

 

「残念ですが真実をお話ししましょう。第3分遣隊の司令官は皆さんを裏切っていた。米国政府と結託し、あなた方を実験動物(モルモツト)として扱っていたのです。ここへ赴任してから身体能力が異常に向上しませんでしたか? 何日も飲まず食わずで戦わされた経験はありませんか? 記憶が欠落している期間が存在しませんか?」

 

 あなたたちは利用されていたんですよ。

 その言葉に、二人は黙ったまま。飛龍は続ける。

 

「本当なら、副司令も説得したかったのですが……彼女は伴侶を喪った哀しみで我を忘れておられるようです。副司令を拘束しなさい。非人道的な行為を、ここで終わらせましょう」

 

 非人道的と、彼女は言う。

 確かに、提督さんは艦娘(わたしたち)のことをヒトとして扱かいはしなかったかもしれない。

 

 数字でしか評価を下さない。

 必要であれば大を取り小を切り捨てる。

 

 でも、それは違う。

 提督さんの悪い場所だけを切り取った、偏見に満ち満ちた人物像(ポートレート)。提督さんは私たちを数字としてしか見なかったけれど、数字としては見てくれていた。

 

 そしてなにより、信じてくれた。

 

 

 

 

 

『瑞鶴、      』

 

 

 

 

 

 あの言葉、最期に提督さんがなんと言ったのか。

 私、本当は気付いていた。知っていた。

 

「ねぇ。磯風、神通さん」

 

 私は二人の部下に、提督さんの部下に問いかける。

 

「私は、提督さんのことを信じてるよ」

 

 提督さんは何十手先まで予想しきって手を打つ。だから、この地獄の先にある希望を私たちがつかみ取ってくれると信じていたに決まってる。

 

「提督さんが信じられなくても、私の事を信じて欲しい」

 

 提督さんが用意してくれるのは、棋譜ではなく作りかけの詰将棋。

 未来が確定したものではなく、手札は用意するから必ず生き残れという事。

 

 そのいつかを先延ばしにできるように手筈は整えてくれていたはず。だから、私達は()()()()()()のだ。

 

 この言葉は、果たして届くだろうか。提督さんの遺志は伝わるだろうか。

 彼女たちはあの映像を見たわけではない。今の状況だって、私と同じ視界を共有できているとは限らない。

 

「愚問だな」

「愚問ですね」

 

 

 

 そして、答え合わせが始まる。

 

 

 後ろから近づいてきたであろう磯風さんが――――――私を()()()()()()()()()

 



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第20話 火の鳥燃ゆる空

 後ろから近づいてきたであろう磯風さんが、私を()()()()()()()()()

 関節を外される事はないが、無警戒もあってあっという間に無力化されてしまう。

 

 磯風さんは地べたに押し付けた私の耳元でわざとらしく語った。

 

「これが最善という事だ」

 

 神通さんもまたふらふらと歩きながら、アトランタを拘束する。

 どうやら呻き声を頼りに辿り着いてしまったらしい。器用に抱えると、すみませんがと間の伸びた声を上げる。

 

「誰か手を貸してください。あいにく()()でどこにお連れすれば良いのか分かりません」

 

 その声に飛龍が舌打ち。手を上げると、崩壊した建物伝いに三人程が向かってくる。

 

 もう情勢は決してしまった。

 終わった終わったと影達が神通さんの前に並び立つ。

 

「ありがとうございます」

 

 万事休すか。身体に力を込めるが――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――いや、動くではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強張った筋肉を慣らしながら面を上げる。

 そのタイミングで覆い被さっていた磯風さんは耳打ちをしてくる。

 

 

 

 

 

「ご命令通りに。司令代理」

 

 

 

 

 

 次の瞬間。敵味方がお互いの顔を認識できるギリギリの闇。

 暗順応という人体の神秘に助けられる。瞬いたのは神通さんの探照灯だった。

 

 この場に日光が直撃したような白さで照らし出す。

 

 その隙を磯風さんは見逃さない。

 吊り布に忍ばせていた拳銃で発砲。一人の顔面と胸部に二発ずつ。

 

 相手は完全武装。防弾チョッキに阻まれることも考慮にいれて確実に仕留める。

 

 私もまた磯風さんの策に気付き、急ぎ航空隊を展開。咄嗟に逃げおうしようと身を翻した残りを焼き払い。あるいは戦闘機の機銃でハチの巣にする。

 

 あわよくば敵将と思ったが、飛龍は防護壁を展開し護衛機も展開済み。

 

「二人とも正気ッ!? 私に従えば、副司令を拘束するだけでこの馬鹿げた睨み合いは終わるの。あなたたちはこの最前線を脱出して本国へ帰れるのよ?」

 

 流石の飛龍も動揺が隠せないらしい。その言葉尻に浮かぶ焦りを知って、二人は嗤う。

 

磯風(わたし)の為に血を流すその覚悟。並大抵のモノではないぞ小童。貴様にこの海が救えると?」

「今まで内地でふんぞり返っていたお偉いさんがどの面さげてくるのか。実は楽しみにしていましたが、これっぽっちも面白くなかったですね」

 

 不意討ちに呼吸を乱していた飛龍も交渉の余地ナシと判断したのだろう。

 欺瞞迷彩を放り捨て、朱色の弓道着が夜風に攫われていく。

 

「それでは、仕方がありません――――――第831護衛隊並びに第832護衛隊を反乱分子と認定し、現有戦力を以って処分いたします。状況開始!」

 

 外から新たに急速に接近するのは人型の生物。トラポンの反応はない。

 しかし、こんな状況で残っている者など深海棲艦か他には一つだ。先ほどの騒ぎで増援が来てしまった。

 

「本土で入念に練成した第1から第4護衛隊群付の精鋭たちです。貴女方など足元にも及びませんが、こちらにも時間が残されていません。目標、敵艦隊! 撃てッ!」

 

 次の瞬間、私達は廊下に向かって駆けだした。

 

 砲撃はもちろん海から撃ってくるはず。陸上部隊が居たとしても制海権を奪われた状態では勝ち目がない。逃げるだけだ。

 直後に執務室で黒煙が上がる。磯風さんの欺瞞用スモーク。どうやら私のサインを磯風さんは最大限に取り組んでくれたらしい……とにかく逃げろ、その一言を。

 

 神通さんは耳が良いから、パッシブソナーの反響と勘であれば森の方が強い。遮蔽物があるし、行軍訓練は日常茶飯事な艦娘である。私は息も絶え絶えなアトランタを運ぶ。

 

 すぐに砲弾が飛び交い始める。めくら撃ちにしては精度がいい。

 並走する磯風さんが片腕で撃ち返すが、曲射射撃の前では相手が見えずに舌打ちするだけ。

 

 必死に目指すのは工廠跡……ではなく酒保の残骸。

 おそらく艤装の補給を目論んでいると先回りされるのは確実。であれば、事前に仕込んでおいたセーフハウスを使うしかない。

 

「明石の酒保」。そう書かれた暖簾は既に脇に転がっている。

 

 気のいい久世1尉から渡されていた鍵束を引き出して、頑丈な扉を捻る。

 

 もともとは最悪に備えて弾薬や燃料を蓄えておく場所。

 いつも資源を管理していた衣笠さんに、表帳簿と裏帳簿で在庫があわないのは理由があるのよと釘を刺されたのがよみがえる。

 

 そもそもそれなりの立場にならなければそんな資料は見る事が出来ないし、だからと言って実地で数えるわけにもいかないと軽く聞き流していたが、この時の布石かと思うと舌を巻く。

 

 戦争とは開戦前(はじまるまえ)に結果が決まっているとは提督さんも言っていた。憂いなきよう、最大限の備えを皆が残してくれたのだ。それに頼らせてもらう。

 宿直用のシャワー室。湯船にありったけの修復材を流し込む。アトランタの気道を確保しながら沈めて回復するのを待つだけだ。

 

「おかげでこちらも回復できる。衣笠達に感謝だな」

「神通さんも大丈夫?」

「えぇ。朧げですが何とか裸眼でも視えます」

 

 飛行用ゴーグルを模した医療器具。修復材を目元に蓄えておく装備を鉢巻のように締め直した神通さんは、ようやく人心地が着いたようで、悪戯っぽく小首を傾げる。

 

「迫真の演技だったでしょう?」

「それどころか、終わりを私は覚悟したわよ」

 

 そんな冗談をするそぶりはこの泊地の生活で一度も見せなかった神通さんが笑う。

 

「敵を騙すのにはまず味方からですよ。目が見えなかったのは事実ですが」

「この際、文句を言わずにありがとうと言っておくわ。でも今までよく走ってこれたわね」

 

 私も緊張の糸が切れて壁際にへたり込んでしまう。神通さんが隣に腰を落として続ける。

 

「実は妖精さんを侍らせてるんですよ? こっそり教えてくれてました」

 

 そういうと念じて具象化させてくれる。現れたのは朱色の生き物。姉妹だという二匹の妖精は神通さんの肩に止まって眉をきりりと見張っていたのだ。

 

「姉さんと那珂ちゃんとで交換しているんです。何かの時にはお互いの最期が分かります」

 

 この場所は、全てが死を前提として動いている。もちろん分かっているし身体に刻みつけた教訓の筈だったけれど、改めて聞くと空恐ろしいものがある。

 

「……神通さんは、死ぬのが怖くないの?」

「もちろん怖いですよ。しかし、川内型二番艦足るには誰かを護って死ぬ事が誉なのですよ」

 

 だから、私の中で愛される瑞鶴さんでいてくださいね。

 随分と無茶な注文をしてくる。

 

「今更だけど、貴女の事が余計に分かんなくなってきたわよ」

「命を賭けるに足るかですよ。チューク(ここ)は最高の戦場ですから」

 

 衣笠さんの二十糎砲を肩に担ぎなおした神通さんはにこりと笑う。

 磯風さんもまた睦月型の主砲を棚から拝借してきた。脱出戦には荷物になるだけと、整備しかけの予備装備はここに投げ捨てたままなのだ。だから、少し調整を加えればまだ役に立つ。

 

 そして――――――ジャブリと緑の浴槽から桃色髪が飛び出した。

 

「ごめん。作戦前に死にかけると思ってなかった」

 

 艤装は逃走のさなかに強制排除したから丸腰のアトランタが申し訳なさそうにこちらを見る。いいのよと私は精一杯笑ってみせる。

 

「アトランタにはいてもらわないと、私ら目標達成できないからね?」

「いや……私が死んでも代わりはいるから大丈夫。それに発信機を切らずに気絶してたから、もうカウントダウンは始まってる」

 

 嫌な汗が背中を伝う。今、彼女は何と言った?

 

「それって、どういう意味……」

「巡洋艦アトランタは失敗した。生体信号とリンクしてるから、その連絡が無人爆撃機に通信されれば須らく空爆が開始されるってこと。ほら、さっそく焼夷弾の投下だよ」

 

 爆撃特有の重低音。

 木々が焼き払われ、海は干上がる熱量がいよいよ降り注いできた。

 

 もう私にも止められないとアトランタは頭を抱える。このままでは丸焼きだ。

 

「中止の連絡とか出来ないわけ……!?」

「無理。私はここで使い捨てられる予定だった。待機中の同期が異常に気付けば……」

「まだ仲間がいたの?!」

 

 私の問いに彼女は苦虫を噛みつぶした顔で頷く。どうやら相当に嫌っているらしい。

 

「……アイツは多分、呑気にB2のブリッジでスナックかピザ食べてると思う」

 

 なんなのだそれは。

 比喩表現ならともかく、この言い方だと本当にそうしていそう。

 

 衛星チャンネルでスポーツ観戦する訳でもあるまいし……いや、対岸の火事を眺める合衆国にとって私たちの戦いはそんなものか。

 信頼できるのかと聞けば、彼女はさらに眉間に皺を寄せた。

 

「腕は確か。日本の空母にも劣らないくらいは実力がある」

 

 ならいい……というか、それで良しとするしかない。観戦が趣味だろうと、私たちに手段は残されていないのだから。

 アトランタは続ける。

 

「時計の針は元には戻らない。でも、自らの手で進めることはできる」

「どの道、行くしかないことは分かってるわよ」

 

 爆撃が始まってしまった以上、この場所からは離れなければなるまい。

 飛龍と心中するのも悪い話ではないが、それでは私を信じてくれた部下たちに示しが付かないというもの。

 私は引き出しの一つに手を掛ける。

 

「アトランタはこの艤装で後方援護」

 

 重たい引き出しから出てきたのは長門隊長の艤装。

 副砲関係は対空にも耐え得る品物だ。周波数を合わせればアトランタでもいけるのではないだろうか。

 

「援護って……戦艦の主砲なんて、私撃ったことないんだけど」

「諦める気はないんでしょ?」

「規格もジャップのは違うんだってば……」

 

 文句を垂れながらもアトランタはそれに手を伸ばす。

 

「散々私を煽っといておいて、自分はSay good bye(ハイサヨナラ).なんて許さないわよ。責任とって、最期まで付き合いなさい」

 

 彼女は深い溜息。吐ききって力を入れると、巨大な戦艦艤装を背負い込む。

 

「通信機も何とか繋がってる。ジャップの技術を流用したのが、こんな所で役立つなんて」

「幸運って事にしときなさい。戦術リンクはいけそう?」

「何とか。後はアイツが援護してくれれば……オープンチャンネルで合言葉を言えばいいか」

 

 

 

 ――――――Piece of cake(せかいをきりくずせ).

 

 

 

 彼女の呟きのなんと空虚なことだろう。

 

「それで? 私たちはどうすればいいのだ、司令代理?」

 

 そんな茶番をやっている間に磯風達の準備は終わったらしい。対空機銃や魚雷発射管をこれでもかと詰め込んで私達を待ちうけている。

 それにしても、どうすればいい……か。

 決まり切ったことを聞くものだ。とっくの昔にルビコン川は渡っている(さいはなげられた)というのに。

 

「もちろん、私と一緒に血路を切り拓くのよ」

 

 もはや言葉は必要あるまい、私たちは一斉に海へと飛び出す。周囲を見張っていたのであろう影が声をあげて、呼応するようにいくつもの影達がこちらへと集まってくる。

 それだけじゃない。私たちの諍いを知って知らず、深海棲艦も環礁へ続々と侵入していた。

 

「来たよっ、アトランタ!」

「こっちで深海棲艦は引き付ける。ズイカクはあの艦娘たちをお願い!」

 

 表情を覆い隠した艦娘たちは十数人がかりで容赦なく砲火を浴びせてくる。駆逐艦か? 巡洋艦か? 少なくとも弾速と口径でしか判断できないが、明らかに夜戦慣れしている部隊。

 

 あんな動き、少なくとも演習で立ち会ったことはない。

 本国の護衛艦隊が形式的に艦娘を配備していたことは知っていたが、こんなに練度が高いとは思わなかった。

 

 いや、違う。その動きには既視感がある。洋上に仁王立ちするのではなく、残骸や岩礁を隠れ蓑にするようなその動き――――――まるで、防衛大学校でやった()()訓練のそれ。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 本国の眼が深海棲艦ではなく()()に向けられていることを考えれば、彼女たちは()()()()()部隊なのだろう。

 

 だからこそ、人間(わたしたち)に銃を向けることを躊躇わない。

 

「退きなさい! 退かないとこっちも容赦しないわよッ!」

 

 それでも私は叫ぶ。

 もちろん退くとは露とも思っていない。だからこれは最低限の警告だ。

 応じないと見て火蓋を切る。戦いを始める前に圧倒的に不利と分かっていても、生きるために戦うほかない。

 

 向こうは勝ち誇った気でいるだろう。なにせ主導権は完全に向こうのもの。

 彼女らはこちらが深海棲艦への対処で疲弊しきったタイミングで仕掛けてきた。それに加えて、相手の装備は私たちを潰すためだけに用意されたもの。

 

 例えば夜間航空機。私は自分の力量を頼りに爆装零戦を使うことで無理を通しているが、相手は違う。夜間攻撃用の装備を施した九十七式艦上攻撃機。外見でしか判断できないが、そんな装備は聞いたこともない。

 

 特化した分だけ、相手の方がアドバンテージがある。

 只でさえジリ貧で泊地防衛に出ずっぱりの私とは違う。

 

 深海棲艦へと向けていた航空隊を呼び戻す。この三つ巴の戦場だ、やるべきは自軍の被害を最小限に抑える事。

 潤沢なバックアップを持つ覆面の艦娘部隊はここぞとばかりに艦載機を打ち上げる。雷撃支援の合間を縫って接近してきたのはおそらく駆逐艦だろう。警棒の丈よりも長い竿を両手に構えて振り下ろすので、私は腰元から白鞘の小太刀を引き抜いてその切っ先を受け止める。

 

 柄に刻まれたのは武功抜群の文字。

 

 命令だからと脱出船の護衛を頼んだ皐月が、せめてこれだけでも共にと預かったものだ。自決用のつもりが何という皮肉か。私をこれでもかと支えてくれる。

 

 空いた左手で掴み取るのは文月の単装砲。追いすがる増援に必死で弾幕を張る。

 

 

 

 絶対だよ……負けたら許さないよ! 瑞鶴さん!

 へへっ、瑞鶴さんの好きなようにやっちゃえばいいよ!

 

 

 

 二人の姿が、目の前で揺れた気がした。

 

「うぉぉぉぉぉおおおおおッ!」

 

 雄叫びと気合で押し退けると、鍔迫り合いの恰好から相手の武器を跳ね上げる。

 口元が驚愕で開かれた駆逐艦娘。無防備な状態は最後の隙。

 

 私は躊躇わずに斬り付ける。

 

 悲鳴は私達人間と同じもの。それでも前に進まねばならない。

 でなければ、こちらが殺される。

 

 味方の落伍に激昂したのか。あるいは業を煮やしたのか。

 後方で砲撃していた他の艦娘も陣形を崩して迫り来る。猛攻に退路を塞がれて捌けなくなった私の間に入ったのは神通さん。

 彼女は視力が完全に戻らないというのに、文字通りの壁となるべく弾幕を張った。

 

「今ッ!」

 

 魚雷の一斉射。この戦闘の最中に四隻を被雷させる大戦果だ。

 しかし、その対価は敵の航空攻撃。

 

 急降下してきた艦攻隊からとっさに私を押し出すと、その身に熱量を受ける。腕部に整然と揃っていた主砲は跡形もなく、だらしがなくぶら下がるだけ。

 

「どうやら……ここまでのようですね」

 

 バイザー越しで表情が隠れている彼女が此方を向いて確かに微笑んだのだ。

 

「神通さんッ!」

 

 伸ばす手は間に合わない。三隻の艦娘が迫り、その首に心臓に、臓物に凶刃を突き立てる。

 

「ですが……ただではおわれません」

 

 喉から鮮血を吹き出しながらも、神通さんは指を振った。得物が巧く引き抜けずにいた敵艦娘が慌てたように飛び退く。しかし、一歩遅かった。神通さんは爆雷のスイッチにもう手を伸ばしている。

 

 再装填の済んでいない魚雷を全て誘爆させて、彼女は火球となるつもりなのだ。

 

「待……ッ!」

 

 刹那、衝撃波が私を襲う。

 巻き込まれた相手は両手を。あるいは艤装の一部を蝕まれて海面をのたうち回る。

 その隙を見逃す筈がない、磯風さんは持ち場を棄ててでもとどめに入る。

 

 無慈悲に。

 正確に。

 眉間に弾丸を撃ち込んで沈黙させる――――――が、彼女も只では済まなかった。

 

 敵の反撃や追ってきた艦載機の機銃弾が確実に磯風さんを撃ち抜く。

 功を焦ったのは冷静沈着な磯風さんらしくない。窮地を脱するためと、まず頭数を減らすべきだと動いたのだろう。

 

 それで自分が死んでしまったら、元も子もないというのに。

 

 側頭部に銃弾を掠めながら、振りかぶった磯風さんは早撃ち勝負のように敵艦娘を仕留めると態勢を崩した。

 ガクンと膝を折って倒れ込む彼女を引き上げて全力で距離をとる。

 

「磯風さん、しっかり!」

「何を……している。少しでも時間を稼げ。この磯風、命はとうに棄てている」

 

 呻く彼女は私の努力を認めると、さっさと降ろせとつぶやいた。

 

「そういう事じゃないのよ! 皆で帰らなきゃ、こんな作戦は意味ないのよ!」

「その皆には、お前は含まれていないのだろう? それは狡いぞ。美味しいところだけ持ってかせる訳にはいかんのでな」

 

 全身から汗のように血液が吹き出す磯風さん。徐々にその身体が重くなっていく。もう艤装が支えきれない所まで来ているのだ。

 

「介錯など不要だ。自分が為すべき事を為せ」

「もうやってるわよ! それでも、私は皆と!」

 

 

 皆とあの平和の中にいたかった。

 

 叫びは破壊と硝煙に満たされた南国の環礁に消えていく。

 

「まったく。この期に及んで甘いな。だが……悪くない」

「ッ!」

 

 不意に身を起こした磯風さん。私が咄嗟に逃してしまうと、彼女は失った主砲の代わりに懐から何かを取り出した。

 燃料タンクから漏れ出していた油分は既に海を奔って(はしって)いる。握りしめているのはおそらくライター。敵艦娘の合間に入るとその結界に火を着ける。

 

 私と敵艦娘との壁を築いた磯風さんが――――――炎の向こうで嗤う。

 

 残っていた左腕が風船が割れたように吹き飛んだ。対して最期に折れた筈の右腕で魚雷発射管を叩く。

 

「磯風さんッ!」

 

 新たに三隻を血祭りにあげた代わりに、磯風さんの身体は海へと崩れ落ちた。

 そこまでされて、応えないわけにはいかない。

 

「こんのっ、くたばれぇッ!」

 

 言うが早いか。爆炎の踊る闇を背景に艦爆を投下。燃え盛る海を更に広げていく。

 敵の攻撃を掻い潜り目視を頼るに辿り着いたが、磯風さんは見つからない。

 

 またも戦友を喪ってしまった。私は己の無力を呪い慟哭する。

 

 頭上には敵の艦載機。護衛を喪ったからには格好の的である。ありったけの爆薬を投下されて、私の周りは一瞬で火の海を重ねていく。

 

 呼吸ができない。

 息を吸い込むだけで内臓に針が刺さるような痛みが奔る。

 全身は炙られて、衣服すら更なる凶器になる。

 

 嗚呼、海の神様。仏でも悪魔でも良い。

 せめて私達の戦いが無駄になりませんように。なるべく多くの仲間を救ってください。そのためなら、こんな私はいくらでもくべてやりますから。

 

 だから。(そら)と。(あお)と共に戦う同胞(なかま)に少しでもお力添えを頂けませんか。

 

 

 この命は地獄の劫火に焼かれようと構いません。せめて、この一瞬だけでも。

 提督さんのいた世界を護る礎にしてください。

 

 

 

 次の瞬間。世界が白んだ。

 



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第21話 折鶴は未だ飛ず

かえりたい

 

 

 

 そこにいるのは私達だけ。

 

 飛龍をはじめとする敵艦娘は見えない。

 

 ここが死後の世界か。

 耳鳴りのような脳を揺るがす響きはついに音色となって言葉を為す。

 

 

 カエリタイ

 

 

 そうだ、私はまだこの世界にいたい。

 それだけを願った。

  ただそれだけを。

 

 ギュウと握りしめた手からは、おびただしい緑の液体が迸る。

 

 正体は直ぐに分かる。姉のくれた薬瓶。先ほどの攻撃で飛び散ったのか、私の全身に返り血のように弾けていた。

 すぐ近くにいる磯風さんも、全身の銃痕から湧き水のように同じ液体が吹き出している。

 少し遠い場所。本来であれば視える筈のない海の深くに、漂っている人影が見える。

 

 彼女は角の生えた鬼の面をかぶり、こちらに近づいてくる。

 まさしく浮上してくるのだ。永遠のはずだった深海(うみ)の底から。

 

「これが……代償という事でしょうね」

 

 神通さんと同じ声色で彼女が微笑む。正体は分からなくとも、直感だけが告げていた。

 これは力であり、御し切るべきもの。

 

 恨み辛みの奔流に飲み込まれれば、破壊者にしかなりえないものだと。

 

転寝(ころびね)にしては短かったな。もう少しゆっくりしたかったが、そうはいくまい」

 

 波に洗われたような装甲を、何処からともなく取り出してヘルメットのように少女は被る。黒髪を靡かせながら、元陽炎型は砲身を跳ね上げた。その口元が綻んだ。

 

「進もう。皆を護るために」

 

 

 

 そして――――――世界がひび割れる。

 

 

 再び夜の闇へと戻った。

 そこに帰還したのは、私達であり艦娘でないものだった。相対する飛龍は信じられないといった風に眼を見開く。

 

異端(しんかい)の力……そんな姿になって無事でいられる筈がないッ!」

「無事とか、そういうのどうでもいいんだよ。今はとりあえずあんたが邪魔よ!」

 

 全身が旭日よりも白に染まり、纏う装束は闇すら呑み込む黒。

 他人を救おうとした手を模して、髪が触覚のように蠢き始める。

 

 それが私が指で艦載機を精密制御できるのと同じだと理解した時。海中から数多の魚が飛び出した。

 いや、厳密にいえば魚ではない。飛行に特化した横ヒレを持ち、姿勢を制御するための尾ビレを持つ私の爪であり牙――――――深海(うみ)の艦載機。

 

 百をゆうに超える航空隊が、一斉に飛龍へ襲い掛かる。

 

 練度は拮抗――――――コンディションと装備はあちらが。覚悟は私が。

 

 一方的に負ける筈だった戦いは、深海棲艦の力というイレギュラーを持ち込んだことで仕切り直し。リベンジマッチが始まった。

 人の身をかなぐり捨てて辿り着いた境地。絶望して喪い続けた私が最期に掴んだ糸。

 

 例え私を蝕み続けるものだとしても、もう構うまい。

 相手の姿どころか心まで手に取るように分かる。驚愕に染まった覆面の護衛を堕とす。これで最後。後は緋色の空母艦娘だけ。

 

「三対一って(ズル)いと思わないのっ!」

 

 毒吐いた飛龍の真横を通過するのは神通さんの牽制弾。足元には磯風さんの潜航艇が迫る。

 

「とんだお笑い草だ。五倍以上の戦力を用いてたった三隻を沈め損なったのはどちらだ?」

「三途の川の渡り賃。今ならお貸しいたしますよ。残念な事に先ほどは使えなかったので」

「怒りで人間としての誇りも忘れたかのッ! アメリカにいいように使われているとどうして分からない!

 

 

 ――――――あんたらのその身勝手が、この国を永遠に蝕むとどうして分からないッ!

 

 

 そんなこと、知ったことか。

 

 こんな状況になっても、私は冷静だった。

 何が深海棲艦に飲み込まれるだ。結局、私は自分の身が可愛かっただけ。

 

 こうして関係ない者まで巻き込んでしまっても、私はとにかく、提督さんを害したアンタが憎い。

 

 憎くてしょうがない

 

「……あんたを倒すためなら私は、傾国の姫だろうが、鬼神にだってなってやるってだけよ」

「こんの売国奴め!」

 

 味方を失った飛龍の声が空しく響く。

 追い込まれた彼女が全力を出し切るように吠えた。

 

「あんたに、あんたらみたいな奴らに負けるわけにはいかないんだ。この国は散々に利用された。それを知ってなんで、アンタはまだ祖国を貶めるッ!」

「決まってるでしょ! 私の手の届く範囲の平和が、アンタに犯されたからよッ!」

 

 その言葉を合図に、私の声を聞いた全ての艦載機が全速力で飛龍へと向かっていく。

 

「だから国を滅ぼしても許されるとッ? 勝たなければ、この国に未来はないのに!」

「冗談じゃない、この戦争に()()なんてないのよ!」

 

 神通さんが磯風さんが、飛龍の懐へと飛び込んでいく。

 

 だが、まだ足りない。

 

 飛龍の航空隊は勢いを弱めない。私の艦載機を手当たり次第に墜とし、体当たりをさせてでも武器の間合いに入らせない。

 そして飛龍の航空隊は尽きるところを知らない――――――まるで本国が出し惜しみしていたすべての航空機を用いているような物量。

 

 もっとも、深海(うみ)を取り込んだこちらも力が尽きるものか。

 

 消耗戦をお望みなら相手になってやろう。飛龍の在庫が尽きるか、それとも私たちの身体が壊れるかの真っ向勝負だ。

 その時、飛龍の艦載機たちの勢いが急になくなる。

 先ほどまで分厚い陣形を保っていた筈の航空隊が、突然糸を失ったようにふらふらと飛び始めた。

 

「なっ」

 

 飛龍の顔が驚愕に染まるより早く、彼女の艦載機は新手の艦載機に食われていく。

 

「防空巡洋艦の面目躍如よ、ズイカク」

 

 更に空を埋め尽くすのは三式弾。

 長門隊長の艤装を乗りこなしていたアトランタも、たった一人で深海棲艦の波を御しきったらしい。その傍らには優雅に近づいてくる女性が一人。

 

「ようやく来たわね。お寝坊野郎」

 

 それが艦娘だと気付いたのは単純に海にいるから。

 

 それはタイトスカートを履きこなしたスーツ姿の女性。切れ長の目。黒いタイを風に流しながら、救世主は微笑んだ。

 

「好き放題言ってくれるわねアトランタ。太平洋艦隊所属。航空母艦ホーネット」

 

 仲間割れ(うみだし)は済んだかしら? そう言う彼女の頭上を飛ぶのは艦載機。私が使役する不格好な艦載機でも、飛龍の指揮する日の丸を携えた航空機でもない。それは白い星。

 

その機体(ヘルキヤツト)。隠れ家を襲ったやつね……仲間の仇ッ!」

 

 金髪の女性を認めた飛龍は素早く弓を引き絞り、その殺意をを彼女へと向ける。

 相対(あいたい)する彼女は長銃を片手で一回転させてリロード。

 

「遅いっ」

 

 放たれた矢と銃弾が交錯。次の瞬間には飛龍の矢は炎の塊となって海へ落ちていく。

 彼女の放った艦載機が、飛龍のそれより一瞬早く展開し打ち落としたというのだ。

 

「艦載機の展開技術では……どうやらステーツが一歩先をいってるようね」

 

 どうやら、彼女の持つ長銃は私たちの弓矢のようなものらしい。

 文字通り毒を制するのが私の仕事なんだから。そんな台詞を境に彼女は肩にかけていたガンケースからもう一丁のロングライフルを引き出して構える。

 

 空が塗り替えられていく。

 それにしても、どうして飛龍の艦載機たちは急に力を失ったのだろう。そんな私の疑問に答えるように、ホーネットと名乗る艦娘は私をついと見た。

 

「そう不思議じゃない。ヒリュウの艦載機は割合的には少ない。他の艦娘の機体を遠距離通信で隊長機に追従せよと命令を送っていただけ。つまり、中継点を叩けば……」

 

 カールした金髪をかき上げてホーネットは嗤う。悠々と彼女は水面を歩く。飛龍が命令を下した艦載機は、まるで蚊帳に弾かれる虫のように墜落していく。

 

「もう、攻撃を()()()なんて命令する奴はいない」

 

 実際には複数の空母艦娘を束ねていたのがカラクリだという事か。

 見せかけの……いや正確には実体を持つ影に追い込まれていたという事。ホーネットは銃口を飛龍に向けて構え直す。

 

「さぁ、選びなさい。ここで無様に逃げ帰るか、潔く死ぬか」

 

 日本にはブシドーセイシンってのがあるんでしょ? そう問うたホーネットに、がくりと肩を落とす飛龍。諦めたのかと息を吐いたが、それは大きな間違いだった。

 

「ふふふ、はははっ! 武士道だって? 私にハラキリしろって言ってるつもり?」

 

 飛龍は、この期に及んで嗤う。

 

「アンタは私が馬鹿な殉国者とでも思っているのでしょうけれど、私はこの国を自衛する者。誰が自分で死んでやるものですかッ!」

 

一瞬とも思える龍の咆哮。しかしその刹那を覆い被さる様に聞こえたのは、まさに獣の金切声だった。

 

水平線に大挙するのは、紅い点。その一対が一つの生命を指しているとすれば、優に千を超えるのではないだろうか。

 

「これが誘因作戦……って奴でしょ? アンタ達の望み通りの」

 

ヒュウと飛龍ですらも息を呑んだ。先程まで死線を散らした双方が、その矛を収める程の絶望に他ならない。闇夜すらも埋め尽くすのは、傍若無人な兵器達だ。

 

「Really? 弾薬、足りるわけないってのッ!」

「これなら第七艦隊総出でも勝てないわよね」

 

現状確認のアトランタ。理想を用いても撃ち負けると評するホーネット。いずれも、この状況は打破しえないとの結論だ。

 

「USネイビー。自分達の心配してる暇なんてあるのかしら?」

 その言葉に、ハッと顔色を変えたのはアトランタだ。周囲を見回し闇を睨む。そういえば、周囲は闇に包まれていた。おかしい。先ほどまであれほど周囲に降り注いでいたはずの爆弾の雨は止み、爆発の音すらうんともすんとも聞こえない。

 

 替わりに現れたのは対空ミサイルを模した巨大艦載機。つい数年前に超大国を敗北させた攻撃が、紅い眼を持つ者達から再び放たれたのだ。

 その数は夜空を埋め尽くさんばかり。大型タンカーサイズの巨大深海棲艦にだけ許された飽和攻撃が、虚空へと駆け抜ける。

 

 そして。

 

「しまった……!」

 

 深海棲艦の射程より上を悠々と飛んでいた二機の怪鳥。その翼が火を噴いた。

 アトランタは首がもげそうな勢いでホーネットの方へと振り向くと、叫ぶ。

 

「ちょっとホーネット! 爆撃機を守るのはアンタの仕事でしょうがッ!」

「心外ね、私は貴女の要請に従って海に降りたのよ? しかもあっちは待機してた私とは真逆の方向だし……」

「アァあ! どうせ寄り道でもしたんでしょッ! 援護のタイミングといい遅すぎるのよ!」

「合流まで時間がかかったのは仕方ないでしょ! どこにいるかも分かんない敵空母の通信網に枝をつけて逆算して、ようやく虱潰しに空母共(モグラ)を叩いてきたのよ!」

 

 別動隊に気が付けなかったのは誰のミスだと喧嘩する二隻。しかしそんなことを言い合っている状況ではない。

 

「少し予定は狂ったけれど……アンタ達の負けよ!」

 

 勝ち誇るように飛龍が嗤う。

 

「B2が落ちれば、核の脅威は排除されるっ。お望みの泊地消滅はもうできないッ!」

 

 巨大深海棲艦がよろめく。遅れて聞こえる爆発音。

 断続的なそれは、垂直発射装置(VLS)を備えた護衛艦から放たれたミサイル攻撃だ。

 

「さあ、これであのデカブツを止められるのは私たちだけになった。茶番は終わりよ」

 

 私たちが手を引けば、いよいよ深海棲艦が大挙するぞと、飛龍たち護衛艦隊はそう脅す。

 

「日本国政府はミクロネシア連邦との新自由連合盟約に基づいて、改めて現海域に留まる全ての()()()()に警告します。これはミクロネシア連邦に対する明確な侵略行為であり、我が国は戦闘行為も辞さない。直ちに現海域を明け渡しなさい」

 

 そうすれば、アイツらからも護ってあげましょうと彼女は嗤う。

 

「御免被るな」

「えぇ、何を今更という感じです」

 

 磯風さんは鼻を鳴らす。神通さんも、御面に似合う夜叉の井手達で構える。

 米国組を見れば、()()()は消したいが手段がないといった所か。

 

 であれば、交渉決裂に他ならない。

 

 相対する時間が惜しい。額を滑る汗を追うのがもどかしい。

 しかし仁王立ちをしていた飛龍は、耳元のインカムに片手を添えて……唇を咬んだ。

 

「…………貴女たちの退路は断ってる。それでもう十分だわ、止めを差す必要もない」

 

 せいぜい歴史の闇に消える事ね。そう言って身を翻す飛龍。まさしく捨て台詞だ。しかしその判断は間違っていない。彼女らには護衛艦という足がある。

 

 対して私達は迎えを喪った哀れな生贄。放っておいてもあの深海棲艦からは逃れられない。

 そしてなにより――――――このまま私達が脱出するだけでは、周辺の泊地に甚大な被害を及ぼしてしまう。

 

「さて、JSDF(ヒリユウ)は退いてくれたみたいだけど、結局どうするのよ?」

 

 私、計画外のフォローは聞いてないんだけど。アトランタがホーネットを睨む。

 

「安心して。いくら貴女(アトランタ)が突っかかってくる事があっても見捨てはしないわ」

 

 その声に唸り声を上げるアトランタ。ホーネットは歯牙にもかけないで私へと向かい直る。

 

「お会いできて光栄です、ズイカク。私に海と戦う力を与えてくれたのは、貴女のアドミラルのおかげ。こうして()()の助けとなれる事を誇りに思います」

 

 そうして片膝を突いた彼女は私の右手の甲をとりキスをする。あまりの事態に硬直していると、後ろからは黄色い声が聞こえてくる。磯風さんの目がなぜか冷たい。

 

「司令代理……どれだけ侍らせれば気が済むんだ?」

 

 知らぬ間に日本のみならずアメリカ艦にも手を出したのか。その言葉に、顔が急に熱くなるのが感じられた。真っ白に染まったはずの頬に朱が差されていく。

 

「待って、待って!? これは私は悪くないじゃない!?」

「瑞鶴さんは女の子に人気ですからね。チュークに艦娘が集まるのは司令代理の人望とカリスマだという噂も……」

「そんなのやってもいないし、聞いてもいない!」

 

 というか、そんなどうでもいい事を言い合っている状況ではないはずだ。私たちは深海棲艦に包囲されておまけに敵が迫っている。まさしく絶体絶命。

 

「予定通りとは行かないわね。でも、アメリカ艦娘だって諦めが悪いわよ」

「はぁ。砲身が焼き付いたら護ってあげられないから」

 

 そうホーネットは両手の得物に力を込める。アトランタもまた、艤装の銃口を跳ね上げた。

 

「存外こういう足掻きも悪くないな、司令代理」

「えぇ、絶好の雷撃日和ですよ。瑞鶴さん?」

 

 縁起でもない事を僚艦も宣う。しかし、私の心は晴れやかだった。

 

 脳裏に浮かぶのは提督さんの姿。最期ではなく、あの白い家でくつろいでいた時の光景。

 ヒナちゃんの隣で笑っている彼の口が動いた。

 

 あとをたのむ

 

 彼は最期にこう言った筈。

 私の戦いは、果たして彼の墓前に捧げられる結果になっただろうか。

 まあ、それでもいいかと私は思う。それは諦観ではない。なにせ生きる為の風向きも視えなくなった。それなら翼の折れた鶴はもう飛ぶ事はない。既に飛べなくなったのだ。

 

 提督さんに仇為した世界で、私はもう生きられない。空気を吸うことも許されない。

 それでも、私はまだこの世界にいる。生きて……貴方の見られなかった景色を見てみたい。

 

 だからもう少しだけ、逝くのは遅くなりそうです。御免なさい。

 

 炎の華が咲く。それは、全てを焼き尽くす閃光。彼のいた世界(へいわ)が終わりを迎える。

 

 ありがとう。さようなら。

 

 そして、またいつか会いましょう。

 



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第22話 堕獄した世界へ

【TIPS】ミクロネシア戦役(みくろねしあ-せんえき)

 

 2010年代後半に太平洋地域にて実施された一連の軍事行動。また、戦況推移に連動した諸政策の総称としても用いられる。単に「戦役」とも。

 2014年10月、米軍の中部太平洋における活動停止を受けて日豪を中心とした有志連合軍により太平洋島嶼部における緊急避難活動が実施されたことがはじまりとされ、2015年6月の新自由連合盟約締結より日本国は自衛隊の大規模派遣を実施、2019年7月に米国が核兵器投射作戦「Ops:BLUE」を実施するまでの期間南太平洋に戦線を構築した。現在でも盟約に基づく日本のミクロネシア地域防衛義務は存在しているが、当該地域は日本政府により計画的避難区域に指定されている。

 


 

 

 

『私たちはこの尊い犠牲を前にして、現実に向き合わねばなりません』

 

 スピーカーから響く文字列。それは人混みに紛れて薄まり、青空に消えていく。

 大手私鉄の経営する巨大複合商業施設。大通りに鎮座するその白い建造物を背景にした男は、マイクを片手に群衆を見回した。

 足を止める者、一顧だにしない者、もしくは騒々しいとばかりに眉をひそめる者。有権者の見せる顔は様々である。

 

『正直に申し上げますと、現在そこらで言われている「改憲か否か」という議論。これに私は疑問を抱いています。憲法に書いてあるから出来る、もしくは憲法に書いてないから出来ないとは申しますが、それで国民が犠牲になるようなことがあってはならない』

 

 国民とはあなた方皆様であり、そして今なお、海の向こうで身を投げ出し続けている自衛官の皆様でもあります。そう言いながら男は大通りの向こう、陸橋や街路樹の向こうに隠れた海を指し示す。

 

『政府にはできることがあります。やらなければならないことがあります。しかし我が国は民主主義国家です。最後に国の行く末を決めるのは皆様! 国民の未来を決めるのは有権者である皆様! 皆様の信念と決意です』

 

 私たちの憲法――――日本国憲法――――は民定憲法と呼ばれている。国民が定めた憲法だからこそ、日本国(このくに)は民主主義国家を名乗ってきた。

 そして今こそ、その()()を発露させる時なのだと、男は語気を強める。拳が振るわれ、肩から提げられた巨大なタスキが揺れる。

 

『私たちは危機に直面しています。立ち向かう手段があるかもどうか分からない。しかし、愛国心といった価値観は、常に国家の危機にこそ発露するものであり、であるかそこそれは真実、私たちが真に頼るべきものです……まぁ、このようなことを言うから「飯田ケイスケは軍国主義者」や「飯田ケイスケは扇動政治家」と言われるわけでございますが!』

 

 自嘲気味に言った台詞に、失笑したのは何人かの賑やかし(サクラ)。そんなことないぞぉと援護のつもりらしい野次が飛んでくる。

 

『愛国心という言い方! まあこれがよろしくない! 愛国心は同胞愛です。見知らぬ人を助ける親切心、友と食料を分かち合う無私の心。これら美しい精神を誰が否定して良いものでしょうか』

 

 言葉を一度句切る。観衆の視線は集まってきただろうか。徐々に広がりつつある人混みから距離を置いた秘書に視線を送ってから、彼は勢いを殺さぬように、ただし群衆を落ち着けるようにマイクに言葉を吹き込んでゆく。

 

『今から250年前のことです。アメリカ合衆国建国の父であるジョージ・ワシントンが兵士を鼓舞した言葉を引用させて頂きたい――――――極寒の中、希望と美徳しか生き残れなかったとしても、未来の世界に胸を張れる私達でいよう。共通の危機を前にして全ての者が立ち上がったと、そう語り継がれるようにしよう

 

 弱さとは恐ろしい。ヒトは弱さ故に現実を直視できなくなる。

 それでは、南洋(うみ)を喪ったこの国が為そうとしているのは弱さ故の現実逃避なのだろうか。

 その一票(こたえ)を握る者達に、男は問いかける。

 

 この国はまだ強いか。地域大国たる誇りと、恐ろしき怪物どもに立ち向かう気概を喪ってはいまいかと。

 

『海という巨大な脅威の前に、私たちは同じ戦場にいます。愛国心、同胞愛の尊さは人類の尊厳であります。この苦難の冬の時代にこそ、偉大な先人の言葉を忘れないようにしましょう、希望を持ち、戦い抜きましょう。美徳を持って、新しい時代を切り開きましょう。

 

 新しい時代には新しい秩序が必要です。新しい秩序には私たちの揺るがぬ決意、信念が必要です。そして決意の発露こそが民意であり、政府議会であります。それは司法関係者の皆さまによるたゆまぬ法執行への努力、業火に立ち向かう消防士の勇気、子供を喜んで育てようとする親の意志と比べてなんら劣るところはありません。

 

 いまこそ最初の議論の時です。今私たちに求められているのは、新たな責任の時代です。困難な仕事に取り組むときほど心を込めて臨まねばなりません。これが市民であることの代償であり、私の皆さまとの約束です』

 

 

 それともこの改憲選挙(ぎろん)こそが――――――哀れな現実逃避なのかと。

 

 

 


 

 

 

 決して夢見が良い方ではない。

 なるほどそう考えれば、この固いベッドは軟禁生活における一番の()といえるだろう。

 

 いや、そもそも寝具であるとも言い難い――――――クッション性のない、足が付いただけの土台。枕はいちいち髪に貼りつくし、天井のシミを数えようにも、それすら無機質で何もない。

 

 無気力、無関心、無感動。

 何も与えないというのは、これはこれで拷問の一種であると独りごちる。

 

 尋問以外は特にやる事がない。起き上がってしまえば動くのにも狭い部屋をぐるりぐるりと回る。

 

 

 ――――――脱走でもしてみようか?

 

 

 不可能と分かっているとはいえ、思考せねば足が止まる。足を止めれば身体が鈍る。それが自身の衰退だけに留まるとは思えない。生きた抜け殻だけは御免だと、そう考えながら思考と身体を回す。

 

 例えば食事の時――――――いつも来る看守は、面倒臭がっているのか最小限の開口に留めず全開にしている。手を伸ばせば護身用の拳銃くらい引っぺがせるのではないか?

 ……いや、それからどうする。鉄格子をたったワンマガジンで破壊できるか。その答えはノー。材質は詳しくないが、この厚さを撃ち抜く前に跳弾が牙を向くかもしれない。

 そもそもサイレンサーなしで発砲したものなら、それこそこの静まり返った()()()では大騒ぎである。

 

 では尋問室に呼び出される機会を伺って、脅しができれば可能であろうか。

 これも難しい。前後三人以上を無力化するのは至難の技だ。それに私は武闘家ではない。

 

 であれば、面会室から見張りを脅すなどどうだ。

 場所に左右されるが、可能性はゼロではない。

 

 なぜこうも焦っているのか。

 それは何より、私が今おかれている状況を仲間に伝えねばならないからだ。

 

 これは敗戦処理どころではない。

 箝口令が敷かれ、ミクロネシア戦域における事実は無に帰した。

 

 あそこにいた我々は、悉く尻尾を巻いて逃げた。それすらも表に出てきていない。

 

 おそらく第三者(アメリカ)による空爆と、押し寄せる深海棲艦によって仕方がなく手放した。表向きにはそう片付けられているのは想像に難くない。

 

 満足な食事と睡眠が摂れない為、少しの物音にストレスで過敏になる。コツコツと靴の音。いつものモノと違う。複数聞こえるということは給餌ではなく尋問だろうか。

 訝しげに私は身を起こして、それを待つ。

 

 ガタン、と。給仕用の柵が持ち上がる音。

 無機質な隔壁(さく)を取り払われた向こうには、まるで取って下さいと言わんばかりの拳銃ケース。待ち望んだチャンス……と言いたい所だが、これは。

 

「……まだ冷静さは保っているらしいな」

 

 聞き覚えのある声。ついに狂った脳味噌が聞かせる幻聴でなければ、この声は。

 

「新田か……いや、新田議員閣下とお呼びするべきかな?」

「残念ながら今日は議員閣下だ」

 

 よくもまあ、とんでもないことに絡んでくれたなと、そんな言葉と共に忌々しい独房のドアが開く。絡むもなにもと返す気にもなれず、差し出された手をそのまま掴んだ。

 

「しかし、よくここが分かったもんだ」

文民統制(シビリアンコントロール)勝利(せいか)……と言えれば良かったんだがな」

 

 力なく笑う新田。どうしたとかつての同期(とも)に聞けば、無言で廊下の向こうを示される。

 廊下からの逆光。映し出された一人の男性の姿。

 そこに現れた相手を見て、思わず失笑。なるほど代議士閣下も意気消沈するわけだ。庶民(こちら)の気も知らず、数日ぶりに聞く男の声が響いた。

 

「お互いに難儀なものですなぁ。小沢2佐」

「貴官も大分お疲れのようだな。藤見3佐……いや、藤見宮殿下と言った方がよろしいか」

 

 それには答えず、見知った顔――――チューク分遣隊の技術課長である藤見3佐その人――――――が歩み寄ってくる。ご苦労、もう下がってよいと仮にも現職の衆議院議員である新田に告げれば、彼はそのまま恭しく礼。そのまま気取れないほどに弱く肩を叩いて去っていく。

 入れ替わるようにやって来るのは大層な護衛たち、菊の紋章は議員バッジのそれではない。

 

「小沢2佐のご友人には迷惑をかけてしまった。とはいえ、家柄を使わないとダメな事態にまでなっちゃいましたんでね」

 

 使えるモノはなんでも使いますよ。やんごとなき方々の末裔は己が職務ではなく、権利を乱用するために此処に在ると宣ってみせた。

 

「藤見3佐が動けるようになったという事は、8護群への口封じは終わったとみるべきか?」

「逆です小沢2佐。我々は()()()()()()()()。不当な拘束だと叩き続けてようやくですよ。何せ……」

 

 含んだ言い方に、私は瞑目する。

 

「そうか……名実ともに8護群は消滅したか」

 

 我々は帰るべき島(ミクロネシア)指揮権(そしき)をついに喪ったのだ。

 

瀬戸月(しれい)の件、残念でなりません」

「護ろうとした者たちがあの態度で謗れば、気奴らもあの世で浮かばれまい」

 

 ここに入れられる前に、ラジオから流れてきたニュースを嫌でも思い出す。

 

 弱さとは恐ろしい。ヒトは弱さ故に現実を直視できなくなる。

 日本(じんるい)優位に動いていた戦線の崩壊。それを受け入れるには物語(ドラマ)が必要だった。

 そう、世間は全責任をある夫婦に押し付けたのだ。

 

 深海棲艦の強襲により落命した司令官。

その妻は孤立無援の中で最後まで―――― それこそ、撤退命令を無視してまで――――足掻き、その戦域で殉職した。

 

 ある世間(ヒト)は悲劇だという。

 命令を無視してでも夫と同じ海に沈んだ、それほどに深い悲しみを彼女は抱えていたのだと。

 

 ある報道番組(コメンテーター)は冗談じゃないと言う。

 個人の勝手で命令を無視した挙げ句に部下を無為に死なせた。この夫妻こそ無能の代名詞だと憤慨する。

 

 そして冷静を気取った軍事評論家は断言する。

 かの司令官の死は堤防を穿つ、蟻の巣に過ぎなかったと。それを繕うことの出来なかった自衛隊にこそ責任があるのだと。

 それこそ冗談じゃない、彼こそが南洋の要石(キーストーン)だったというのに。

 

 しかし、いずれも終わった話。全ては後の祭り。

 

「この世界はもう、その犠牲の上で成り立っている……か」

 

 この茶番劇(シナリオ)を描いた人物は嗤うのだろう。

 夫の悪行に手を染めた所為で、皆は特進すらできなかったと。それに踊らされる世間は、程なくして忘れるのだろう――――――彼らの戦いを、彼らが命を懸けた南洋を。

 

「愛を殺したんだか、愛に殺されたんだか……」

 

 意味ありげなことを言う2佐から渡されたトランクケースの中には、押収された私の制服と身の周り品。

 ここで着替えるのかねと目で聞けば、その恰好の方が目立つでしょうと返される。

 仕方なく袖を通す。着なれたはずの生地は、どうにも肌に馴染まなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆったりとした速度で窓の外の景色が流れていく。

 

 着替えた後に案内されたのは黒塗りのリムジン。

 見る事もほとんどなく、まして自分が乗る事になるとは夢にも思わなかったそれ。ついさきほどまで硬いベッドに押し付けられていただけに、柔らかなクッションにどうにも尻が合わない。

 そんな私の事情を知らずに、彼は口を開いた。

 

「運転手も護衛も、2佐のご心配に及びません。盗聴の類も厳重にチェックしています」

 

 それから窓の外へ視線を投げる彼。つまりは移送までの僅かな時間を少しでも伸ばしたいとの意味だ。

 

「存命だったあの便の機長達は無事に解放されたようです。事情を知らされていない()()なってますからね」

 

 もちろん瀬戸月司令を悪役に仕立て終わったから、とも言えますが。長い付き合いだ。彼が言わんとしていることはすぐに分かった。

 

「……瀬戸月司令は無事に亡命できたのか?」

 

 そう問えば、彼は首を横に振る。

 

「米国のチャンネルは何も言ってきてません。本来の遭難に対して奪還作戦は実行されていたようですが」

「では、失敗したと?」

 

 肩を竦める彼。向こうは完全なノーコメントというわけか。

 

 瀬戸月司令の裏切りが露見するのは想定内だった――――――当然だ、誰もが分かって手を貸していたのだから。

 彼は蜥蜴(トカゲ)の尻尾だった。それこそ都合が悪くなればすぐにでも切られる下っ端。

 尤も、彼は実利を執るので防衛さえできれば己の首なぞどうでも良かった風には語っていたが。

 

「……呆気ない最期だったな。雲隠れして貯めた資金で老後まで暮らすと嗤っていたクセに」

「彼一人であれば可能でしたよ」

 

 しかし彼には運命を共にした妻がおり、愛する娘もいた。

 

「なるほど、だから愛に殺されたと」

 

 それならさっさと止めてしまえば良かったものを、内心で私は毒づく。

 

 結局、彼は優しすぎたのだ。

 

 あの環礁が実験場なのは分かりきっていたことだったではないか。霊力は科学的裏付けの取れていないオカルトそのもの、非合法的な実験場として用意されたチューク州で、どこの馬の骨とも知れない学者を部隊の指揮官に祭り上げられて。

 結局は保身だ。自衛隊(そしき)が、日本国(こっか)が、彼を生け贄とした。

 

「司令は世界を救おうとしていたんです。自己愛すらも殺し、自らを業火にくべた」

 

 私も同類ですがねと嗤う2佐は、私の知らないことを知っている。だからこそこの裏切りに手を貸したとでもいうのだろうか。

 

「しかし、それで頼りの米国にも殺されたんじゃ、彼もとことん報われないな」

「さすがにそれは翔鶴ちゃんが赦さないでしょ。なにせ初恋の相手だったって話ですからね」

 

 初耳だと目を剥けば。彼は言ってませんからねと目で笑う。

 

「こんなのはどうですか? 彼は記憶喪失になって、行方不明の筈の翔鶴ちゃんが丁寧に看病していると。それで貴方の面倒を一生お仕えするんです、と耳元で囁くとか」

 

 司令代理(ずいかく)からすれば、とんだ寝取られ悲話だ。姉妹で一人の男を取り合うだとか、そこまでくれば喜劇か悲劇のどちらか(エンターテイメント)ではないか。

 

「ま、そんな笑い事で済めばよかったんですがねぇ」

「当初の米国との共同戦線が張れなくなった方が問題か」

「えぇ。元は違法行為の実行犯に()()()()()()橋渡し役(せとづき)が、まわり回ってクーデターの首謀になっちゃいましたからね。跡を継ごうにも、彼ほど気骨があるのが何人いる事やら」

 

 そう藤見3佐は豪勢な座席の背もたれに身を預けた。

 忌々しい。そう彼は吐き捨てる。

 

「血筋ってモノは信じたくないんです。ですが……」

 

 血筋を今もまさに利用している彼がぼやく。

 

「俺には……俺には、あの瀬戸月の血を引く者が我々を正しい方向に導いてくれる直観があります」

「……瀬戸月ヒナタ君のことか?」

 

 脳裏に浮かぶのは、幼年学校に進んだという彼の養子。なんでも聡明な娘らしいとは、親馬鹿8割真実2割といったところだろうが。

 しかし藤見3佐は養子(それ)を否定する。

 

「あー。そういう考え方もあるのか。まぁ、彼女には荷が重いでしょう」

「つまり、あの子のことを言っているのか?」

 

 まだ小学校にすら上がっていない彼らの実子。それに期待するなど、まさしく血筋を信じる行為ではないか。

 

「勿論、20年後の彼女が一騎当千する訳ではありません。瀬戸月が遺した絆を束ねて、世界を変えるんです。我々を含めて、全てが贄になります」

 

 それまでを繋ぐ、次の人柱が必要ですと彼は言う。

 南洋を失い、戦線はマリアナまで後退した。もう後がないこの国を、これから20年間持たせる犠牲(えいゆう)が必要だと。

 

「二人程、候補がいる。航空母艦〈加賀〉の山下君――――――彼女であれば、瀬戸月の……いや艦娘派の人脈は生きるだろう」

「長門ではダメなのですか?」

「彼女は既にマークされているだろう。そもそも最後までチュークに残れなかったこと自体、彼女が本国に警戒されたからだぞ?」

 

 着任が浅い、かつ瀬戸月派を神格化しているものは限られると言えば、へぇ、と彼は頷いた。

 

「もう一人はどなたです? まさか、海軍以外から招き入れるなんて言わないでしょうね」

 

 分かっている癖にとまでは言わない。妻と娘には迷惑をかけることになる。

 だが、ここで立たねば漢ではないのだよ。そうだろう、瀬戸月君。

 

「無論、小沢2等空佐(わたし)だよ」

 

 この命は、あの夫婦に繋いで貰ったものだ。今更惜しくもない。

 酒の飲めない呑み仲間に向けて、私はドリンクホルダーにあるペットボトルで献杯。それを見るが早いか、向かいの藤見3佐は嫌な顔をした。

 

「キミ。内心の自由は保障されても良いのではないか?」

 

 そう言えば肩を竦める彼。

 

「いえ。小沢閣下を嗤ったんじゃありませんよ。そこの荒唐無稽な演説に対してです」

 

 窓の操作をしようとする藤見3佐を護衛が慌てた様子で静止する。彼はそれにを気にもかけずスイッチを押し込んだ。流れてくるのは街宣カーから放たれたビルの谷間を反響する音声だ。

 

『12年の実績、立憲友民党の飯田ケイスケが皆様と共に未来をひらきます。どうぞよろしくお願いします。選挙区は飯田けいすけ、比例は友民(ゆーみん)でお願いします。憲法改正の国民投票は賛成票を、新時代への決意を投票してください。ありがとう!』

 

 拘束された時間から逆算すれば…………そうか。もう参議院選挙が公示されたのか。

 耳を少しばかり貸してやれば、現職の実績だなんて過去を元手に、これからの苦難の時代をひらくなどと言っているらしい。

 心底バカにした表情でやんごとなきお方が続ける。

 

「綺麗事を並べるのは結構。だが、軍人が政治家でないと同時に政治家は軍人ではない」

「だから相容れないと?」

「えぇ。官僚だろうと同じ事ですが」

 

 藤見3佐は苦虫を噛み潰す。つまるところそれは、彼が官僚(げんじつ)政治家(りそう)も信じていないということではないだろうか。

 自衛官(わたし)代議士(新田)を世話しておきながら――――――世話しているからこその傲慢が、そこにはあった。

 

「泥が撥ねない所で語るのが、国家の舵取りをする人間です。同時に血を啜ってでも這うのが我々。そもそも住む世界が違う」

 

 それを()が言うのかね。言葉には出さなかったが伝わったらしい。彼は重々しく口を開く。

 

「だから、血は争えないんですよ。忌々しい」

 

 この物語(シナリオ)は日本国と瀬戸月を含めた、ある部族の呪いなのだと。

 司令(せとづき)と長い付き合いである彼は、その舞台裏をこの密室で私に語る。

 

 

 

 令和元(2019)年、初夏のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2020年8月16日に初頒布した同人誌「折り鶴はもう飛ばない」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。






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幕間「ゆき、とけるまえに」
第23話 うみ、きえるまえに


 北海道の玄関口、新千歳空港。

 

「わぁ! すごいすごい! みてみてヒナタちゃん!」

 

 市街地から遠く離れた大地に根を下ろしたこの空港は「遊びに行ける空港」を目指している。

 ターミナルビルに居を構えるテナントを見渡せば、飲食店にグッズ売り場、果ては映画館から日帰り温泉……とにかく郊外型アウトレットモールに肩を並べんばかりのラインナップが揃えられていた。

 

「札幌が発祥ってことは知ってたけれど、やっぱり『本場』は違うわね~!」

 

 だからまぁ、なんだ。興奮するのは分かる。

 動画サイトで人気を得ている歌姫ソフトウェアのキャラクターブースで写真を撮りまくる彼女を見て、私はため息。

 

「あの、片桐さん」

「ん? だからアオイでいいってば!」

 

 けれどなんというか……その。

 

「あの。ですね、片桐さんは一応……私の、引率なんですよね?」

「うん? そうだけど。あ! 一緒に写真撮ろうよ!」

 

 はいチーズと、スマホを向けられて強引に肩を寄せてくる女性。なんでも、あの人の知り合いだとか名乗ったヒト。それはつまるところ、他人の友人というやつで。

 なんというか。変なヤツに掴まったと、私は小さくため息を吐くのだった。

 

「いくよ~、せーのっ。ハイチーズっ!」

 

 

 

 

 

 

 


 

 ゆき、とけるまえに

 


 

 

 

 

 

 

 

 その名前を見たとき、運命の悪戯(いたずら)を感じずにはいられなかった。

 

『あのさぁ、私だってヒマじゃないんだよ』

「うん、知ってるよ。だって飛龍ヒマっしょ?」

『あのねぇ……』

 

 人の話を聴かないんだからとボヤく電話先。私は気にせずに続ける。

 

「それで聴きたいことなんだけどさ。横須賀幼年の名簿を確認して欲しいんだよね」

 

 個人情報の壁は、ここ数年で信じられないほど引き上げられた。

 

 もちろんそれは、愛国者による私刑祭り(パトリオットシンドローム)の吹き荒れるこの国では仕方のないことなのかもしれない。

 昔はなあなあで済まされていたものがキチンと管理されることが悪いだなんて言うつもりはない。けれどまあ、不便なものは不便な訳で。

 

 だから私は電話をかける。書類の王国に勤めている彼女なら調べることが出来ると思ったから。

 私はその、問題の名簿に綴られた名前を読み上げた。

 

「13期の瀬戸月ヒナタ、この子の親ってさ……」

『ああ、その子ね。あってるよ』

 

 私の質問を最後まで聴かずに断言してみせる親友の声。私の思ったとおりだった。偽名でも使ってない限り、こんな珍しい名字、滅多にないのだから。

 

 

 

 


 

 

 

「――――――よしっ。これでカンペキ! あとで送っておこうか?」

「……別に、そういうのいいですから」

 

 まあそう言わずと言っても晴れない表情で首を振るのは瀬戸月ヒナタ――――世間一般でいうところの中学2年生。

 義務教育の対象年齢、庇護されるべきその小さな肩には国の未来が懸かっている……というのはちょっと大袈裟かもしれないけれど。

 

「第一、片桐さんは来なくてもよかったじゃないですか」

「いや~だってねぇ。未来を担う艦娘候補生サマを守るのは、まあ先輩艦娘の義務といいますか? そういう感じじゃないですかね?」

 

 なにが「そういう感じ」なのだろうか。そう自問自答するも、当然答えはない。

 

 そして案の定微妙な顔をする少女――――――うーん。どうしたものかと唸る私。

 そうしているウチに、少女の表情が沈んでゆく。嗚呼、これはマズい。

 

「あの、ホントに」

「うわ――――! わたしお腹空いちゃったな~!」

「……」

 

 ああもう、どうにでもなれ。どうせ私は道化(バカ)ですよ。

 

「お腹が空いて力が出ないよ~。なんか美味しい食べ物ないかなぁ~」

「……」

 

 すると無言で、少女はフードコートの看板を指さす。

 こう、なんていうかさ? もうちょっと言葉とか喋ってくれてもいいんだよ?

 

「……あの、帰ってもいいですか?」

「あー! 待って待って待って!」

 

 帰られるのは流石に困る。ここまで連れてくるのにどれだけ苦労したことか!

 

「折角来たんだしさ! なんか北海道らしいものは食べてこ? 私ホラ、札幌ラーメンとか食べたいな~!」

「それは片桐さんの話ですよね」

「ヒナタちゃんは?」

「ないです」

 

 まさかの即答である。うーん可愛げがない。

 やっぱり中学生ともなると可愛いだけでは話が済まないということだろうか。

 まあ多分、このまま会話してもキャッチボールにならなさそうなので……。

 

 実 力 行 使 あるのみ!

 

「では出航! よーそろー!」

「ってうわっ。片桐さん? 引っ張らないで……! 歩ける、歩けますからっ!」

 

 という訳でやってまいりました。ラーメン屋。

 

 私の前には北海道限定の物凄いラーメン――――――焼きコーンの上にバターまで載せるなんて……負ける気がしませんわっ! と心の中で誰かが叫ぶレベルのラーメンが置かれている。

 

 ここはラーメン横丁。空港ターミナルビルに設けられたショッピングスペースの中でも、ラーメン専門店だけを集めたエリアである。

 

「くぅ~~~~! まさに北☆海☆道に来たって感じね!」

「……そうですか」

 

 う~ん! このテンションの差よ!

 

 あとついでにラーメンの盛り具合の差よ!

 

 私はもちろん特盛りを頼んだのだけれど、この少女ことヒナタちゃんは小盛りにしたのである。どうしたのかと聞けば食欲がないというのだけれど……まさか、メニュー表の「小盛りは100円引き」の文言を真に受けたりはしていないだろうか。

 

 あいや、割引されるのは事実だけれどね? 私としてはなんというか、そういうところで遠慮されるのはちょっと凹むというか。

 ……というか、ケチケチしすぎなのよ。アイツもそうだった。

 

「一応コレでも高給取りだからね。こんな時ぐらいパァッと使わないと!」

 

 直接ではなく、焼きコーンに向かって言う私。隣からは相槌は聞こえてこないけれど、多分集中して食べているんだろうなぁということは分かる。

 

 それならもう、何も言うまい。私も心を無心にして大地の恵みにかじり付く……あぁ、やっぱり丸焼きのモロコシが食べたいなぁ。流石に今は旬じゃないってのは分かってるけれどさ。

 

ふぇえ(ねぇ)ふぉほふぁふぉふぉふぉひぃふぃふぁい(このあとドコいきたい)?」

「…………?」

 

 うーん。返事がない。まるで宇宙空間に放り出されたネコのような顔をする少女。

 

 流石に聞き取れないかったらしいので、私はもう一度言い直す。

 それを聞くと彼女は、すっと俯いた。

 

「別に、連れて行けばいいじゃないですか」

 

 どこに。とは言わない。

 私も聞かない。

 

 だって彼女を連れて行く先なんて、決まっているから。

 

 

 

 


 

 

 

 

『――――――瀬戸月ヒナタは、深海棲艦以前の戦災孤児だよ。養子として瀬戸月家には引き取られているけれど、それは養父個人の判断らしくて……要するに、事情が複雑なの』

 

 本来資料に記しておくべき以上の情報を、電話の向こうは読み上げていく。さすがに「英雄部隊」の司令官ともなると、周辺情報までまとめられているようだった。

 それは周辺情報を保護するための措置。あらゆる情報にプロテクトをかけることにより、突発的な()()が起きないようにするための方策。

 

「そっか。じゃああの子と瀬戸月さんの本家は無関係ってことね?」

『それはそうだけど……ねぇ蒼龍、あんたまたしょーもないことに首突っ込もうと』

「あれー? 電波、が、がが、わ()いなぁ~?」

『……あんたホント、そういうところよ?』

 

 

 

 

 

 

 

「迷惑でしたか。春休みも寮にいるのは」

「まさか。他にもいっぱい居たでしょ」

 

 答えはない。幼年学校……艦娘候補生を教育するために設置された学校は、特殊な立ち位置に置かれている。

 もちろん未来を担う艦娘を養成する学校であることは違いない。神祇官の素質を見いだし、それを伸ばすための教育を施す……少なくとも名目上は、そう。

 

 しかし、神祇官の素質(そんなもの)は伸ばそうと思って伸ばせるものではないのだ。頑張って勉強したから背が伸びる? あり得ない。背はよく食べて運動して寝ることで育つ。教育は関係ない。というかそもそも、義務教育でかつ文科省管轄下にある幼年学校で出来る事なんてたかが知れているのである。

 

 艦娘になりたい「だけ」なら、高等幼年学校からで構わない。中学相当の幼年学校が担っているのは……戦災孤児の保護にかこつけた才能の青田買い。

 

 もちろん、それが全てとは言わない。子供に寮生活という安定した生活を、しかも公費で送らせてあげられるのはとてつもない「福利厚生」だ。だから転勤(てんせん)続きの自衛官一家が幼年学校を利用することは少ないわけじゃない。事実として、この子……瀬戸月ヒナタが入学した時、まだ彼女には両親がいた。その後に父親が殉職して、母親は――――――降り注ぐ焔の中に消えてしまったけれど。

 

「寮母さんから聞いたわよ? あんまり、馴染めてないんだって?」

 

 なんで喋っちゃうかなぁ、ぼやく少女を余所に私は考える。

 

 さて、ここからどう会話を保たせよう。彼女は単なる天涯孤独ではない。一度は手に入れた親を()()()()という強烈な経験をしているのだ。

 もちろん、経歴を考えれば彼女がどこまで覚えているのかは定かではないけれど……とにかく、なるべく刺激しない方向で話を進めていこうと私は結論づける。

 

「いいのよ。逃げたって。もちろん進むことも立派だけどね」

「……」

 

 あらら。黙っちゃったか。

 

 まあ、本人にしてみれば立派なことをしている自覚もないのだろう。

 彼女は両親の赴任先であるミクロネシア連邦の日本人学校に通っていた。あそこは確か初等部しか設置されていなくて、北海道にある瀬戸月家の本家に引き取られなかった以上は北海道の学校も進学先としては選択肢に入らなかったはず。

 

 つまり、彼女にとって進学先は幼年学校一択だった。端から見れば立派な選択をしているという自覚も、そもそも褒められるようなことをしている自覚もないのだ。

 

 ……どーしよ。なんかこっちまで悲しくなって来ちゃった。

 いやまあ、もうとっくの昔に肩入れしているんだけどね?

 

 そうじゃなきゃ北海道(こんなところ)まで来ないし。

 ……いや、ラーメン食べにまた来るかも。

 

 いや、そんなことはどーでもいいのだ。

 

 ともかく、今必要なのは「褒め」だよね。間違いない。

 そう考えた私はさっく少女の頭に手を――――――

 

「よし、よし。ヒナタちゃんはいい子d……どわっ!」

 

 ――――――伸ばしたところ、この子全力で叩いてきた!

 

「やめて、ください」

「あたた……悪かったよ、ごめんね?」

 

 こちらが謝るのを聞かないで、身体を掻き抱くようにして縮こまる少女。しまったな、せっかくご飯を食べて元気になったと思ったのに。

 

 う~~~~ん。よし! 意を決した私は、勢いよく立ち上がって会計を呼ぶ。

 

「ね、ヒナタちゃん。今の小盛りだったし、もう一杯いけるよね?」

「え……はい?」

「よし! じゃあ2軒目いってみよー!」

「えいや、ちょっと。あの!」

「なによお金の心配なんかしないで良いんだから……」

「そうじゃなくて! 片桐さん今、大盛りどころか特盛り食べましたよね?」

「軍人は身体が資本よ!」

 

 どうやら「お腹いっぱい」ではないらしい少女を連れて、私は次のお店に向かう。

 

 そりゃもちろん。乱暴なのは分かってるよ?

 

 やり方なんて分からないからさ。私は私に出来ることをやるしかないんだよ。

 



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第24話 ゆき、とけるまえに

 ターミナルを抜けると、そこには一面の――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――駐車場が広がっていた。

 

 

「……こう、雪景色的な感じをイメージしてたんだけどなぁ」

 

 ちょっと落胆する私に、後ろから引っ付いてくる少女はため息。

 

「なんというか、片桐さん子供っぽいですね」

「なにぉう?」

 

 いやまあ子供か。こういう反応含めて。

 自分で突っ込んどいてなんだけど、ちょっとはしゃぐフリをしすぎただろうか?

 

「私は立派なオトナよ? 普通免許持ってるし、ラーメン2杯食べられるし……」

 

 色々と列挙しながら、私たちはレンタカー屋さんの係員に誘導されていく。

 

 日本は車社会というやつで、列車やバスも都市部を除けばほとんど走っていない。

 だから()となる自動車は絶対に必要。そして私たち自衛隊――――今でいうところの国防軍――――は、そんな自動車がつかえる「あたりまえ」を守るために戦っている。

 

「よーし、じゃあヒナタちゃんは助手席に座ってね?」

 

 貸し出し前のチェックを済ませ、私は運転席へ。助手席にちょこんと座った少女に、私は適当な売店で売っていた地図を投げる。

 

「よし! じゃあ出発進行!」

「……」

 

 そこは「おー!」というところだよ。ヒナタちゃん……というのは流石に(こく)か。

 まあ向こうにしてみれば訳分からん女性にいきなり連れ出されて最果て北海道まで連行されてきたわけだもんね。ノリノリってワケにはいかないだろう。

 

 今は状況に呑まれてる……というより「従わなくちゃいけない」と言い聞かせている感じだろうか。高速道路への誘導看板を無視して、私は道を走らせる。

 

 少なくとも今は、この時間(ちんもく)が必要だ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「こんにちは。瀬戸月ヒナタさん……で、あってるかな?」

 

 

 私の声かけに顔を上げた少女。

 その返事を聞くまでもなく、私は彼女が「その娘」であることを確信していた。

 

 顔の形も、髪の色も、何もかもがアイツとは違う。けれど唯一、その瞳に宿る炎だけが同じ。どこまでも冷めきったような――――――それでいて、諦めがつかないと言わんばかりに燻った火種。

 

 なるほど親子というのは、なにも血の繋がりだけではないらしい……そんなことを柄にもなく考えてしまう位には、似ている。

 そんな私に、その少女は気だるげに返事をする。

 

「そうですけど。なにか用ですか?」

 

 というか、誰ですか。そんな不審者扱いするような視線を感じたので、私はポケットから手帳を取り出す。

 そこには桜と碇のマーク。そして日本国国防海軍の金文字。

 

「1等海尉、片桐アオイよ。いちおう、来期から学校(ここ)で教鞭をとることになったの」

 

 よろしくねと、差し出した手は受け取ってもらえない。

 なんだか似たようなことがあったなと思いつつ、仮にも社会人に片足突っ込んでる防衛大生と幼年学校生徒を同じくくりにしてはダメかと思い直す。

 

 半ば強引に手を取って、ぶんぶんと優しく――――あくまで優しく――――振り回す。

 

 されるがままの少女は、そのまま全身で面倒くさいと表現しながら聞いてきた。

 

「……それで、その1等海尉さんが。私に何か用ですか」

「うーん。用ってほどのことじゃないんだよね。ただ……」

 

 実のところ、そうだろうなという予感はあった。

 ミクロネシア問題でメチャクチャに荒れているこの国に、一個人を構っている余裕なんてものはない。

 

 それはお国のために命を投げ出した愛国者の家族(いぞく)であっても、同じ。

 

「ヒマかな? ヒマだったら、一緒に来て欲しいところがあるんだ!」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「片桐さんは」

 

 

 少女がそう呟いたのは、かれこれ30分は自動車を飛ばした後。

 私は黙って続きを促す。

 

 アイツの娘――――――ヒナタちゃんはゆっくりと、本当にゆっくり言葉を紡ぐ。

 

「片桐さんは、本家(いえ)に言われて来たんですか」

「ううん」

「私を連れてこいって、そう言われたんじゃないんですか」

「なんでそんなことしなきゃいけないのさ」

「でも、ついてこいって」

「言わなかったっけ? 私はヒマだった。あなたもヒマだった。だから出掛けた」

 

 それだけよ。

 

 そう言っても彼女は信じないだろう。

 いくら私でもそんな言い分で騙されるとは思っていない。

 

 それでも私がそんな口ぶりで彼女を連れ出したのは、彼女を知りたかったから。

 

 どんな姿をしているのだろう。

 どんな表情をするのだろう。

 

 そして今、傷ついていないだろうか。

 

 この世界に――――――絶望してはいないだろうか。

 

 

 絶望はもったいない。

 それはアイツが命を張って守った世界に対する侮辱だった。

 

 

「もう、いいです。気を遣ってくれなくて」

「遣ってないよ」

「そんなわけない。もういいんです。ほっといてください」

 

 明らかな拒絶。でもそのくらいで諦めるんなら私、ここまで来てないんだよね。

 

「無理だよー、だって私、ここどこか分かんないもん」

「え?」

「ハイ問題。デデン!」

 

 

 

Q.アオイさんは新千歳空港(ヒト)(フタ)(ヨン)(マル)着の飛行機を定刻通りに降りてから2時間くらい後にレンタカーで太陽と反対方向へ向けて一般道(したみち)にも関わらず時速90キロくらいで走り出しました。途中、交差点などで10回ほど減速および停止をしました。さて、現在地はどこでしょう?

 

 

 

 

「『なお、減速した場合は……』」

「ちょ、ちょっと! ちょっと待ってもらえますか!」

 

 え、これってどういうことですかと、見なくても分かるほどに声を狼狽えさせる少女。その慌てっぷりがどこか可笑しくて……。

 

 ようやく、年相応の反応を見せてくれたなと。少し安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、街灯の明かりに照らされた雪があった。

 

 それは排気ガスの煤にやられて少し黒ずんでいて、太陽の光で溶けたりまた固まったりして雪とは呼びがたいものだったけれど。それでも確かに、雪だった。

 

 それを見て私は……いや、寒いわけだと。そんなことを考えていた。

 

 さて気を取り直して後ろを振り返る。身体を擦った私の動きを見たのか、やっぱり夜は冷えますねとヒナタちゃんが言う。

 気を遣わなくていいのにと思いながら、私は努めて明るく返した。

 

「いやぁ~、美味しいカレーだったね、ヒナタちゃん!」

「別に、カレーなんてどこで食べてもおいしいですよ」

 

 そうは言いながらも満足そうな表情を隠せていない少女を尻目に、私はグッジョブ自分と褒め称える。よくよく考えてみると――考えなくても分かることなのだけれど――私は瀬戸月ヒナタという人物のことをよく知らない。

 

 なので好きな食べ物も、苦手な食べ物も分からない……と言うわけで初日は安パイでカレー屋さん。カレーが嫌いなヒトはそうそういない、まさに采配勝ちってワケである。

 

「まあ。帯広に来たならここ! ってネットにも書いてあったからね」

 

 あの後、読み慣れない地図に四苦八苦するヒナタちゃんのナビゲートでなんとか高速道路に乗った私たちは、そのまま北海道は十勝平野の帯広にやってきていた。

 

「さて、お腹も満たしたし。そろそろホテル探さないとね」

「え。取ってないんですか」

「うん? うん」

「…………」

 

 なぜか絶句してしまったヒナタちゃん。

 そりゃだって、今の今まで予約するタイミングなんてなかったでしょという私の主張は間違っているだろうか。

 

「……………………」

「………………………………」

 

 それにしても、寒い。寒すぎる。

 これで本当に春なのだろうかと疑うぐらいに寒い。

 

 おかしいなぁ。なーんだ大したことないじゃんなんて言ってたのに――――――それはどうやら、昼間だけだったらしい。

 

 そんな時、私の目についたのはホテルの看板。

 それは都市部ならどこにでもありそうなビジネスホテルだったけれど……ある文言が私を惹きつける。

 

「あ! みてみてヒナタちゃん、あれ天然温泉だってよ!」

 

 まさに僥倖。渡りに船とはこのこと。

 私が天然温泉を備えるというホテルの看板を指させば、温泉……とヒナタちゃんも興味津々なご様子。

 

「寒さ対策には温泉が一番! よ~~~し、じゃあ今日は温泉で豪遊だ~!」

 

 おー! と腕を振り上げてからチラッと見やれば。

 

「……なんですか。やりませんからね」

 

 

 う~ん、ダメかぁ~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあうん。そこまでは良かったんだよ。うん。

 

「…………」

「……」

「………………」

「あの、片桐さ」

「皆まで言わないで!」

 

 いやだって! 温泉って聞いたら思い浮かべるじゃん!

 

 なんかキラキラした金メッキ仕様のタイの置物とかさ、中華風のよく分かんない茶室的な小部屋とかさ! そういうのを期待しちゃうじゃない!

 

「それはないと思いますけれど……?」

「ヒナタちゃん。明日は温泉に行こう」

「え、えぇ……それはいいんですけれど。ほら、ここにも一応『温泉』って……」

 

 

 彼女が指さす先には「効能一覧」と書かれた表。

 

 

 効能なんてどうでもいいの! 私は! 温泉という概念に浸かりに来たのよ……! というのは流石にヒナタちゃんには言わないけれどさ。

 

 まあいいや、もうどうしようもないので私は黙って身体を洗うことにする。本来の目的はこっちだから、まあ良しとしよう。

 

 うん……? なんか私のための旅行になってる気がするな。まあいいや。

 

 

「そういえばさ。ヒナタちゃんのところって大浴場だっけ?」

「ええと、寮はそうですよ。ここの10倍はあると思います」

 

 やはりか。というか案外フランクに話せているのではないだろうか私たち。

 たった一日でこんなに心を開いてくれるなんて……と思ったけれどこれ多分、私の言動があんまりにも行き当たりばったりだから慣れたヤツだね。うん。

 やばい、ちょっと凹んできた……。

 

「……一緒に、入ったことないんです」

 

 と、そんなことをヒナタちゃんが言う。誰なのかは、なんとなく想像がつく。

 

「そうだろうね。アイツ、ボロボロだったから」

 

 珍しくない話だと、思う。

 特務神祇官は、艦娘は立派な戦闘職。もちろん傷の手当には最新の設備とあらゆる傷を完治してしまうという霊力治療が使えるけれど……軽度の傷で海のものとも山のものとも知れぬ治療法を使う人間は少ない。誰も信じないアイツなら言わずもがな。

 

 そしてアイツは被弾(キズ)を致命傷に至らせない程度には才能があった。

 

 だからアイツは、傷だらけだった。傷だらけになって尚、戦い続けた。

 そんな生々しいボロ雑巾みたいな身体を、まさか娘に見せようとは思うまい。

 

お養父さん(おとうさん)は?」

「リンリ的な問題って言ってましたけれど……父は恥ずかしがり屋さんだったので」

「恥ずかしがり屋……」

 

 なるほど、英雄部隊の司令官も義娘の前では単なるヒトらしい。

 そうして洗髪にいそしんでいると、ヒナタちゃんが私をまじまじと見つめていることに気付いた。あれ、どうかしたのかな? 目線で問うと彼女は答える。

 

「片桐さんは、キレイですね」

「ホント? これでもスキンケアには気を遣ってるんだ~!」

「そうじゃなくて、背中」

 

 少女の視線が注がれているのは、私の背中。キズひとつない、私の身体。

 

 

 

「まあね。私ってば、サイキョーだから」

 

 

 

 ウソだ。

 

 

 

「戦役では、掃海隊群に所属してた。最強の艦娘が集められた精鋭部隊にね」

 

 これはホント。だから温存させられた。

 

「でもね。アイツは……アナタのお養母さんは凄かったわよ。模擬戦には付き合ってくれなかったけれど、やったら負けてたんじゃないかな」

「やったことないんですか?」

「まあ、人間同士でやりあっても化け物と戦う参考にならないからね」

 

 他人(なかま)に手の内を見せるわけないでしょとか、あの防衛大生(アイツ)は平気で言うんだよ。

 その言い草にはキレそうになったし、実際キレてる同期も居た。一般大卒には目もくれないのかって。そんな風に怒らせるぐらいに、アイツは唯我独尊を貫いていた。

 だからさ。アイツが結婚したって聞いた時にはちょっと安心したんだよね。

 

 まあその結果が、これなんだけどさ。

 

「約束したんです」

 

 ヒナタちゃんは、何も言わない私にポツリと呟く。

 

「もう少しの辛抱だって。全部おわったら、必ず帰るって」

 

 そんなことを言っていたのか、アイツは。

 

「あの人は、ウソをついたんですか」

 

 彼女は、否定して欲しいのだろうか。肯定して欲しいのだろうか。

 それは多分、どちらでもない。私はアイツの代わりにはなれないのだから。

 

「アイツに聞くしかないよ」

 

 

「でもッ! もう聞けないじゃないですか!」

 

 

 バシャリと、水を叩く音が聞こえる。私が振り返ると、小さな浴槽の中で少女が震えていた。顔まで水を被って、歯を食いしばって。

 

「そうだね」

「知ったふりしないでください! なんにも知らないくせに」

「知ってるよ」

 

 知っているけれど。それは彼女の求める「知っている」ではない。

 彼女は虚空に手を伸ばしている――――――絶対に届かない、黄泉の国へ。

 私は何も言わずにお湯で身体を流す。耳障りな水音が、聴覚を遮断してくれる。

 

「片桐さんも、居なくなっちゃうんですよね」

 

 そんな声が聞こえたのは、水が排水溝へと流れ込んでいった後。少女は何かに怯えるように、そんなことを私に聞く。

 

「……難しい質問だね。それは」

 

 いなくならない。そう応える(うそをつく)ことは簡単だ。けれどそれは、きっと彼女のためにならない。私は他人だけれど、首を突っ込むことの責任くらいは理解している。

 

「ごめんなさい。聞いちゃいけないことを、聞きました」

「いいのよ。謝れることは立派よ。だから許してあげる」

 

 考えてみると、私が彼女にかけて上げられる言葉は本当に少ないのだ。

 

 親代わりは、きっと出来ないだろう。喪失を埋められるのは代わりではなく時間なのであって、安易な代替品はむしろ彼女の孤独を加速させる。

 

 ではここで、一人でも生きてゆけるようになれと言うのが正解なのだろうか。

 

 それは確かに彼女を「手のかからない子」にはするのだろうけれど。

 

 動きを止めた私に、彼女はくるりと浴槽で回って――――――背を向ける。

 

 

 

「今ここにいるのは哀れむためですか」

 

 

 

「ひとりぼっちの私を笑うためですか」

 

 

 

「変なこと言いました。忘れて下さい」

 

 

 

 もしここで、私が抱きしめてあげられたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――そんな不正解を選ぶ勇気は、ないのだけれど。

 

 

 

「ごめんなさい。先にあがってます」

 

 

 

 ああこれは、失敗したなと。

 流石の私も気付いてはいた。

 



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第25話 そら、あけるまえに

 マイペースだと、私はよく言われる。

 

 

「だからさぁ。アオイはマイペース過ぎるのよ。連帯責任って知ってる?」

「わかったわかった。悪かったって!」

 

 腕立て伏せの文句を言われつつ、私はのんびりと歩く。

 別に課業外なのだから、どうしてのんびり歩いてはいけないというのか。

 

「とにかく、ホント次は気を付けてよね?」

 

 ――――――正直に言うと。

 この組織は私にとってちょっと息苦しかった。事実上の徴用だったとはいえ、入ったのはやっぱり間違いだったかなって思ってた。

 

 それでもまあ、そんなことを言って周囲の士気を削ぐのはそれこそ勘弁で。

 まあ次はバレないよう上手くやろうかなと考えていたとき、耳に入ってきたのは怒声。

 

 校舎裏から反響するのは、何かが物理的に崩壊したのか落下したのか。

 

「あ、ちょっと行ってくるね」

「え何、またアイツに声かけるの……? 下手に首を突っ込まない方が良いじゃん」

 

 呆れたと言わんばかりの同期をおいて、私は事態(コト)の現場に向かう。角を曲がって音の発生源をみれば、何となくだが状況はすぐに把握できた。

 

 1対20くらいだろうか。教練用の制服に袖を通す国民の矛たる盾の卵達は、その視線をある少女に向け……あるいは己が拳を振り下ろしている。

 

 いつも通り、友人が先ほど言っていた()()、というヤツである。

 

「やっちまえ!」

「おら……うっ!」

 

 そこに広がるのは一方的な光景――――――それもいつも通り。

 暴力を向けられた彼女はそれらを上手にいなし、あるいはカウンター的に相手の鳩尾や首筋に干渉。意識だけをきれいに刈り取っていく。

 流石に物理的に締め落とす余裕はないのか、二撃以内で沈めていく。それは惚れ惚れするような格闘術だった。

 

「すましたツラしやがって……。お得意のご機嫌取りはどうなんだ優等生ッ!」

 

 言うが早いか、その攻撃は少女の肩口を掠める。庇わずにその勢いに対して、見事な右フックを決めて昏倒させる。

 

 そう、それは一方的な――――――一方的な蹂躙であった。既に半分は倒れたであろう候補生たちの群れを前に、参考書が入っているのであろうショルダーバックを肩に引っ掛けた彼女は告げる。

 

「勉強の邪魔になるから、早く教室戻りたいんだけど」

 

 その態度が更に火に油を注いでいるのは言うまでもない。

 とはいえ切れるべき堪忍袋も余っていない彼女達は、ついには道端に転がる廃棄品――――――つまりは鉄パイプやら薬品か何かで満たされていた長い瓶などを武器とする。

 

「……そんな事しなくてもさ、艦娘の力を使ったら良いんじゃない?」

 

 口内の流血をペッと吐き出した彼女に対して、一斉に飛びかかろうとしたその時だ。

 

「何をしとるか貴様らァッ!」

 

 騒ぎを聞きつけた教官の声。離れの4階からこちらを睨み、尤もであろうお叱りを飛ばしてきたのだ。

 

「……ちッ!」

 

 舌打ちをしながら去る者。

 あくまでも取り巻きだからと尻尾を巻いて逃げる者。

 同期を何とか抱え上げて退散する者。

 

 それぞれがそれぞれの表情で、立ち去っていく。

 

 さて一方、それをひとしきり見届けた私はというと……。

 

「やっほ。瑞島(みずしま)候補生、カラオケいかない?」

「……」

 

 視線をくれたのは最初の一度だけ。今はもう、目を合わせることもしてくれない彼女。そんな彼女にめげずにコンタクトを取る私は、きっとバカで。

 

 

 ――――――そして、自分勝手(マイペース)という看板を掲げ続けるための方便だった。

 

 

「お誘いご苦労様です。片桐(かたぎり)候補生」

「ひっどいなぁ~。私これでも、真面目に誘ってるんだけど?」

 

 笑って肩を竦めてみせても、彼女は何も言わない。目線すら寄越さない。

 私も憐れまない。彼女を嗤わない。それがあの頃、私たちの間に横たわる関係だった。

 

「もう誘わなくていいと、そう伝えたはずですが?」

「まあまあ。待てば海路の日和あり、ってね」

 

 というわけで、今日はどうですか? そう聞いてみれば、帰ってくるのは当然ながらにべもない返事。

 

「私に関わると()()な事になりませんよ」

 

 きっと、彼女は優しいのだろう。それ故に、自分に及ぼうとする火の粉を絶対に他人へは振りつけない。

 そして私は、そんな彼女に理解を示す優しいヒトを演じていた。

 

「今日の喧嘩はどうしたの?」

「別に……いつものやっかみですよ」

 

 とはいえ、この素も大概だろう。学年首席で優秀であるが為に、ただでさえ敵を作りやすいというのに。

 もっとも、こればかりは彼女の責任ではないのだが……出た杭を打つ日本人の悪い癖だ。人類の敵は総じて深海棲艦だというのに、どうしてこうも身内争いが絶えないのか。

 

 そして彼女は、それらを諦めて憐れんでいる。

 だからこそマトモに相手をしないのだ……私を含めて。

 

「それに()()で殴られたら、私も()として処理できますので」

 

 前言撤回。彼女にはそもそも身内意識すらもなかった。敵か味方か、敵なら修練の糧に作り変えるまでと言い切る。

 

「仲間に手の内は明かさないんじゃなかった?」

「全員一撃で沈めれば問題ないです。目撃者がいなくなればいいんですから」

 

 もちろん、貴女もですよと表情が語ってくる。ここまでくると横暴だ、彼女の視界に入ったが最後、()()()()()()()()とラベルを貼られてしまうのだから。

 

「まったく、そんなんじゃやってけないわよ」

 

 そして、それを平気で受け流す私も私だった。それは俗にいうお人好し。

 味方になってあげる(いっしょに戦ってあげる)とは言えないほどの、他人。

 

「瑞鶴の名に恥じないよう、私はそう在りたいだけです」

 

 その台詞は言い換えれば、艦名(コードネーム)「蒼龍」を引き継いでいる私は、そんなちゃらんぽらんでいいんですか? という意味。

 意識しているならともかく、無意識にそんな皮肉を言ってしまうのだから厄介だ。

 

 まるで触れるもの全てを両断する日本刀のよう。峯に止まろうとした鳥達さえ翻して寄せ付けない。そんな少女は誰の助けも求めない。

 ……だからこそ、誰も彼女に親しくしない。寄り添うことが出来ない。

 

 まるでワンマンアーミーだ。

 残酷だが、最強であっても自衛隊には不要の存在。

 仲間意識を顧みず、使命のみに殉ずる死にたがり。

 

 こんなモノ、同じ空気の中にもいて欲しくない。

 そう考えるから、先程のようなリンチは日常茶飯事であって。

 

 それを憐れと思う――――――思う()()だ。

 

 彼女が寄せ付けないなら、それも仕方がない。

 だから一期上(おとな)の私は、そういう感情に蓋をして絆創膏を渡すだけ。

 

「……?」

「怪我してるでしょ。使いなさいよ」

 

 虚を突かれた彼女は目を白黒させて、手元の()()()()と私の顔を見比べて呆けてしまっている。じゃあまたねと手を振って離れる私。

 

 瀬戸月――――旧姓は瑞島――――2等海佐と片桐アオイ(わたし)の関係は、本当にそれだけだった。

 

 アイツはいつも私たちのことなんか関心も示さず、ただ教練に励むばかり。

 

 だからこそ、いろんなことを言われていたっけ。

 防衛大から合流した2期組だから追いつくために必死なのだと。

 国防の中枢が艦娘に置き換わることが気に食わない保守反動なんて言うヒトもいた。

 

 アイツが噂の通り「防衛大組の切り札」だったのかは終ぞ知ることはなかったけれど、そんな噂が信じられるくらいには周囲と壁を作っていた。

 

 私の感想は――――――まあ、人づきあいが下手くそなんだろうなって感じかな? 砕けて言うならボッチだったし……うーんどうだろ。アイツは二階級特進できなかったけど、死人は特進するものだからね。

 

 もっと話し合っておけば良かったなんて言うのは、生者の特権なんだけどさ。

 

 

 私、本当にあなたとカラオケに行きたかったんだよ?

 

 

 それを聞いたなら――――――きっとあなたは、嗤うんだろうね。

 

 

 

 

「あの人の、話を聞かせてください」

 

 長い長い。本当に長い沈黙を破ってヒナタちゃんがそう言ったのは、いい加減真っ白過ぎる大地に飽きてきたころだった。

 

 山に川、国立公園に市街地。

 いろんなところを回ったような気がするけれど。

 ヒナタちゃんの顔色は一向に晴れなくて。

 だからずっと、それを聞いていいのか迷っていたのだろう。

 

「いいよ。何から話そうか」

 

 

 

 話題はいくらでもある。

 

 だって彼女はエリートだった。

 防衛大学の成績、急ごしらえの幹部艦娘コースでの成績、実戦投入されてからの戦績も。

 話題は尽きない。尽きない……はずだった。

 

 

 

「……ごめん。私、アイツのことなんにも知らないや」

 

 

 話題はあるのだ。だけれどそれは、彼女の望んでいるものではない。

 

 

 あなたは知りたいのだろう。彼女がどんな本を読んでいたのか。

 

 あなたは知りたいのだろう。彼女がどんな歌を好んで聴くのか、歌うのか。

 

 あなたは知りたいのだろう。彼女がどんな顔で、喜ぶのか、怒るのか。

 

 そんなことは、私はなにも知らない。だって私たち、友達ですらなかった。

 

 

「そんな気は、してました」

 

「そっか」

 

「だってあの人、ウソつきですから」

 

「そっか」

 

「どうして、私の所に来たんですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……復讐のため、かな」

 

 その言葉は、流石にヒナタちゃんも予想外だったらしい。

 

「復讐って、なんの」

 

「ん? そうだねぇ――――――」

 

 

 なんだと思う? 

 

 

 そう聞けたら、良い具合に相手の反応を見つつ会話を進められるのだろう。

 

 私はそういうのが得意で、誰にも嫌われないことが得意で。

 

 そしてアイツは、正反対だった。

 

「たぶんアナタと同じだよ。ヒナタちゃん」

「……」

 

 少女は押し黙ったまま、何も言わない。私は続ける。

 

「あなたが幼年学校にいるって知ったとき、あなたの考えは手に取るように分かったわ。軍人になるんでしょう? それであなたも戦おうとしている」

 

 少女は答えない。だけれど彼女は、本家からの誘いも何もかも断って幼年学校(あそこ)に残っているハズなのだ。

 

()()()()()()()のことも、調べたのよ。あなただって、同じように誰かに引き取られる道はあったはず。アイツはその道もちゃんと残してた」

 

 そう、アイツだって立派に母親だったのだ。結果として子供には酷いウソを吐くことになってしまったけれど。南洋から還って来さえすればウソにはならなかった。

 

 そしてその道を奪ったのは、()()()()

 私は、彼女を助けることが出来なかったから。

 

 救援が許可されなかったとか。

 救援は現実的じゃなかったとか。

 

 そういうのは関係ないのだ。

 

 

「私はね、ヒナタちゃん。戦争に復讐するの」

 

 

 美味しいモノいっぱい食べて。

 

 輸入した燃料で車を吹かして。

 

 色んな所に行って。

 食べて笑って。

 歌って笑って。

 寝て起きて。

 また笑って。

 

 そうやってアイツが負けた戦争に、復讐してやるんだ。

 私たちは元気ですって。

 

「……あの人のことを、片桐さんはどう思いますか」

 

 ぽつりと漏れた問いは、誰に向けられたものなのだろう。

 

「英雄だとは思ってる。でもアイツはまず……自分の子を見るべきだったわね」

「わるく、いわないであげてください。あの人はきっと、きっと」

 

 私の思い出の場所を、守ってくれようとしていたんです。

 

「そうね。そうかもしれない」

 

 嗚呼、アイツはどう思ったのだろう。

 

 自分が、私たちが屍を積み上げて守ってきた場所に――――――――核兵器が落とされると聞いたとき、どう思ったのだろう。

 怒ったのだろうか。

 それとも悲しかったのだろうか。

 

 

 

 それとも、絶望したのか。

 

 

 

「でも。アイツは還らなかった」

 

 その現実を前に、ヒナタちゃんは答えない。

 

「だからね。これは私の勝手なお願い……どうか幸せになって、ヒナタちゃん」

 

 無理なこと言わないで下さいと、ヒナタちゃんは言うのだろうか。

 返事はない。返事がないことを知っている私は、そのまま車を走らせる。

 

 目的地はすぐそこ。幸いにも天気は晴れ。

 どこまでも続いてゆく青の向こう、上り坂がまもなく途切れる。

 

「さ。ついたわよ」

 

 併設された小さな駐車場に車を滑り込ませて、私は扉を開けた。

 

 

 そこには、まっすぐな路がひかれていた。

 

 

 真っ白な大地。

 雪化粧をした枯れ並木。

 

 それを切り裂くように、舗装された人工の路がどこまでも続いていく。

 

 本当なら地球の丸みに隠れるはずの道路が、絶妙な傾斜を持つ坂道により何処までも続いているかのように錯覚させられるのだ。

 

「通称『天まで続く道』ってね。まあ、湿原ほどの壮大さはないし、湖みたいにここがスゴい! って感じのポイントがあるわけじゃないんだけれど」

 

 私が彼女を連れ回すことを選んだのは、私にはそれしか出来ないから。

 

 私では彼女の傷を癒やすことなんて出来ない。

 だけれど戦争に復讐するには、まず目の前に倒れている彼女を起こしてあげないといけない。

 その手助けを、するつもりだった。

 

 それだけだったのだ。

 

「天まで続く……」

 

 瀬戸月ヒナタが、その道に手をかざす。その道の向こうを、見る。

 

「ねえ、片桐さん」

 

 

 

 あの向こうに、おとうさんとおかあさんはいるのかな。

 

 

 

 しまった、そう思った時には彼女は走り出していた。

 その足で、まだ成長途中の身体で。

 

「ヒナタちゃん!」

 

 私は追い掛けた。追い掛けるのは私の役目ではなかったハズなのに。

 

 私は辺りを見回した。幸いにも、周辺に車は来ていない――――――いや、今回に限っては不幸だったと言うべきだろうか。

 ヒナタちゃんは賢い子だ。危険だと分かれば、走る事なんてしなかっただろうに。

 

「ヒナタちゃん!」

 

 叫ぶ、足を回す。流石に私も大人で、しかも軍人だ。追いつくのは難しいことじゃない――――――だけれど、あなたは止まってくれない。

 

「ヒナタちゃん! ダメ!」

 

 なんて言ったら、あなたは止まってくれるのだろう。

 どうしたら私はあなたを止められるのだろう。

 

 

 ――――――よく言うよ、本当は全部、分かっているクセに。

 

 

 お前は怖がっているだけなんだ。

 

 責任を受け入れるのが、自分に実力がないと思い知らされるのが。

 

 だって私は、今でも――――――出撃さえ出来れば皆を救えたと、本気で思っている。

 

「ヒナタちゃん!」

 

 だからもう、そんな妄想に逃げるのはやめるんだ。

 

 私はヒナタちゃんを――――――。

 

 

 ヒナタちゃんを、抱き止めた。

 

「やめてくださいッ! あの向こうに、あの向こうに……!」

「いないんだよ! もうみんな、みんな死んじゃったんだよ!」

「いやだっ! いやだよッ!」

 

 私の腕の中で暴れる少女。確かな熱が、生きてる温もりがそこにはある。

 

「聞いてヒナタちゃん! これは、私のせいなの!」

 

 その温もりを喪わないために、私は叫ぶ。

 

「あなたのご両親はミクロネシアの英雄だった! あなたのご両親に私とこの国は助けられた! そして私が見捨てたから、あなたは独りぼっちになってしまった!」

 

 だから私は復讐しなくちゃいけないの。

 

 この戦争に。

 この絶望に。

 

 腕の中の抵抗が弱まっていく。温もりが、ゆっくり流れ落ちる。

 

「あぁ、あああ、うわああん! ウソつきッ、ウソつき!」

 

 少女が泣いていた。私だって泣きたかった。資格なんてないから、泣けないけど。

 

「帰るって言ったじゃん! 一緒に遊びに行こうって、勉強教えてくれるって!」

 

 返事は求めていないのだろう。誰にも返して貰えないことを知って、彼女は叫び続ける。あんなことがしたかった、こんなことをしたかった。

 

 そしてなにより――――――ずっと、見守っていて欲しかった。

 

 ああチクショウ。分かったよ。

 

 私はこの子を護るしかないんだ。

 ひとりぼっちで、それでも必死に生きようとしている、この子を。

 

 親代わりになれないことなんて百も承知。

 それでも私たちは、生きていく。生きていくしか路がない。

 

 それは真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐで、残酷な道。

 

「ヒナタちゃん! 私はアイツじゃない。でも……でもねッ!」

 

 言葉が見つからない。おかしいな、私だってアイツに負けないくらい、しっかり勉強していたのに――――――賢いつもりでいたのに。

 

 それとも、これは今日までの罰なのだろうか。ヘラヘラと生きてきた、私への。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の錯覚が引き起こすだけの天への道を駆け抜けた先には、別の道が続いている。

 

 当たり前だろう。ここは国道、街と街を繋ぐありふれた道。

 そこに別の意味を見出す私たちは、きっと賢くないのだ。

 

「……ごめんなさい」

「ううん。いいの、辛い思いさせちゃってゴメンね」

 

 いつの間にか、太陽は傾き始めていた。残雪は燃えるような真っ赤な夕陽に染められ、世界に影と陽炎をもたらす。そんな世界を眺める少女。私はそっと切り出す。

 

「ね、ヒナタちゃん。連絡先、交換しない?」

「そういえば、交換。していませんでしたね」

 

 私には務まらないよ。

 でもね、これは私の復讐だから。

 

 だから、私が替わりにやってあげる。

 

 まったくもう、本当にあんたのせいでとんだ迷惑よ。

 

 

 靖国(あのよ)で会ったら殴ってやるから――――――それまで精々、笑っていなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2021年12月30日に初頒布した同人誌「冬芽未だ咲かず:ゆき、とけるまえに」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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第2部「水底の龍に風は吹かぬ」
第26話 風流れ水揺れる画材帆


 リノリウムの床を、歩いていく。

 

 

 学校の校舎みたいな造りの建物。

 一歩踏み入れてみれば学校よりも遙かに雑多で、情報量の多い世界が私を迎え入れる。

 

 壁に掛けられたヘルメットや帽子。

 分厚そうな上着に貴重品入れ。

 

 張り紙には機密漏洩や再就職、ここに勤める人達にとっては大切であろう情報が所狭しに書かれている。

 案内の人は終始笑顔、とにかく不気味だった。

 

「こちらです。ノックは三回、失礼しますと言って返事があったら入って下さい」

 

 とにかく丁寧に、まるで手取り足取り教えるように案内の人が言う。私は言われたとおりにして、どうぞとの返事に誘われて部屋へと入る。

 

「失礼します!」

 

 その声が、震えてしまったのは否めないだろう。

 部屋には長机と向かい合う椅子。面接会場というのはどこも同じらしいとどこかで感心しながら、試験官の指示に従って座る。

 

「それじゃあ、艦娘候補生を志望した理由を聞かせて貰えますか?」

 

 その質問が来ることは分かっていた。

 

 私は小さく息を吸い込んで――――――答える。

 

 

「はい、私は――――」

 

 私は、私であり続ける(をころす)ために志望したのだ。

 

 

 


 

 

 

 記憶っていうのは、なんというか。都合の悪い存在だ。

 

 あの頃。そう、私の世界が私だけのものだった頃。

 『子供』なんていう言葉は、私の別名だとすら思っていた。

 

 私の故郷には同い年のヒトなんて居なくて。お爺ちゃんお婆ちゃんたちの言う『子供』というのは家のテレビと雑貨屋さんで売られていた漫画にしか存在しなかった。

 

 誕生日も、クリスマスも、お正月だって私だけのもの。

 

 お父さんもお母さんも、近所のお爺さんも、お隣のお婆さんも。お巡りさんだって私だけのもの。

 

 

 そして――――――あの人も、私だけのもの。

 

 

 

 小学生の頃に挑んだ大冒険。

この世の全てが詰まっている映画に出会ったのは中学生の頃。高校の頃にのめり込んだ筆を握りしめるあの感覚。

 

 そんなのが全部全部輝いて見えて、人生は宝箱みたいで。

 

 あの頃に、戻りたい。あの頃の私は、もっともっと輝いていたのにって、本気でそんなことを思ってしまう。

 そんなハズがないことは、この私が証明しているのに。

 

 

 

「……面白いかどうかは、読者が決めることでしょ?」

 

 

 

 その小さな声は、放課後のざわめきにかき消されることなく届いたようだった。

 相手はその作り物みたいにロールした髪の毛を揺らしながら私を見て、それから言った。

 

「その()()の私が、面白くないって言ってるの」

 

 その言葉に、教室の空気がぴんと張り詰める。

 

 大半の視線は面白くないと言い張った彼女へと、そして残りが発端である私へと注がれる。廊下には野次馬、ほんの一握りの人達だけが、時間の無駄とばかりに視線を逸らす。

 

 その通りだ。

 文化祭まで大した時間も残されていないというのに、なぜこんな事で争わねばならないのか。

 

 とはいえ目の前で私を睨む彼女の性格からすればこの結末は分かっていたわけで。私は小さく息を吐くと、提案を口にする。

 

「じゃあいいわ。私は自分一人で本にする、部誌には別の絵を寄せる。これでいい?」

 

 高校生になれば、もっと自由になれると思っていた。

 行ける場所も増えた、使えるお金も増えた。

 使える時間も、使える技術(ワザ)も格段に増えた。

 

 それなのに、彼女は私を阻む。

 

「ふん。そんな自分勝手、許されると思ってるの?」

「自分勝手もなにも、ここは作品を発表する場所じゃないの? 別に、迷惑をかける訳じゃない。製本作業は自分でやるし、部誌の方だって手伝うよ。それで……」

「だーかーらぁ!」

 

 それでいいじゃない。そう続くはずだった私の主張を切り捨て、彼女は言う。

 

「それが自分勝手って言ってるのよ。迷惑はかけない? 部誌は手伝う? そんなの当たり前じゃない。そうじゃなくて、その『目立ちたがり屋さん』を止めてって言ってるの」

 

 彼女に言わせれば、漫画研究部で漫画を発表することは目立ちたがり屋なのだという。

 

 別に私はそれが間違っているとは思わない。

 そもそも漫画や絵を描いて、それを公開することに『目立ちたい』という気持ちがあるのは()()()()同じだろう。

 

 言葉をすぐに返さない私をどう思ったのか。彼女はもう勝ち誇った調子で言う。

 

「第一ね、長編なんて誰でも書けるのよ。私なら273(ページ)の長編を作るわよ?」

 

 それも全部白紙(まつしろ)のね。

 

 それは彼女が普段から弄する詭弁で、お気に入りの台詞。

 273とは楽曲『4分33秒』のことで、沈黙のまま過ぎる273秒という作品。ここに突っ込んでしまっては彼女の思う壺だろうから、無視を決めて話を続ける。

 

「長ければダメ、なんて誰が決めたの?」

「常識的に考えてそうでしょ? 部誌を読むのだって時間と集中力がいる。それをたった一人のワガママで何頁も付き合わされる人の身にもなってみなさいな」

 

 そうは言うけれど、結局の所彼女は私の作品を部誌に載せたくないだけなのだろう。

 

「念のため言っておくけれど、私の作品は別に長い話じゃないよ。30(ページ)の読み切りを長いというのなら、単行本や漫画雑誌はどうなるの?」

「比較対象がおかしいのよ。ここ漫研よ? プロと一緒にされてもねぇ」

 

 プロを目指すことの何が悪いのか。

 私は叫びたかったけれど、その台詞だけは言っちゃいけないことも分かっていた。

 

 もう散々な目には何度も遭ってきた。

 誰しもみんな、自分と違う相手を排除することしか考えていない。

 

 ここの部誌がイラストばかりなのは事実であって、決して皆は漫画を描こうとしている訳ではない。

 だからプロだからどうとか、そういう話になってしまうと私は周りの全員を相手にすることになってしまう。

 

 だから私がするべきは、とにかく私が理不尽な目にあっていることを周知させること。

 

「作品は、観て貰わなきゃ作品にならない。観て貰う機会も奪うの?」

「奪うも何も、見る価値もない作品だって言ってるじゃない? あと、私知ってるから」

 

 そう言った彼女は、口角を吊り上げて私を見下ろす。

 

「アンタが見せびらかそうとしてる漫画(ヤツ)。出版社に持ち込んで却下されたんでしょ?」

 

 プロの編集さんが要らないっていった程度の作品で、勝った気にならないでよね。

 

 その言葉に、多分私は怒ったのだと思う。

 勝ったとか負けたとか、そんな話を私はしていない。ただ一つ言えるのは、彼女が観ていたのは勝ち負け(そういうの)だけで。

 だから私の口から零れたのは、怒りでもなんでもなくて。

 

「それ……本気で言ってるの?」

 

 くしゃり、原稿用紙が歪んだ音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 慣れ、というのは何よりも恐ろしい。

 

 例えば怪我への恐怖。

 第一次世界大戦にて発生した大量の戦傷者が整形外科を発達させたように、深海棲艦の猛攻は再生医療に翼を与えることになった。

 

 痛々しい肌の火傷は一晩で消え、切り傷なんて傷のウチにも入らない。

 それに加えて妖精の加護まで受けているのだから、艦娘(わたし)たちの怪我への恐怖はどんどん薄れていく。直せる身体(ぶひん)は製品と同じようなもの。いつの間にやら『大怪我』は『大破』に書き換えられて、『小破』程度なら入院する必要もなくなった。

 

 終いには僚艦(なかま)から『中破は無傷』なんて言説まで飛び出す始末である。実際にそうなのだから笑えない。

 

「でもさ、風雲って右手を庇う癖があるよね」

 

 同室の秋雲がそんなことを言ったのは、課業も夕食も済ませて後はお風呂と寝るだけになった午後7時。

 チャモロ標準時の本土との時差は一時間。元々あってないような時差だけれど、慣れてしまえば時差の存在自体を忘れてしまいそうになる。

 

 なんの話からこんな話題になったのだろう。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、私は手を動かす。口と手と頭が、それぞれバラバラに動いていた。

 

「そう、かな。庇ってるつもりはないんだけれど」

 

 口では否定して、頭の中では疑っている。

 当の右手は一心不乱に動き続けて、眼は必死に右手の先に紡がれる景色へと注がれている。そんな私に秋雲は言う。

 

「まあ普通じゃん? いくら()()()()()って聞いても、進んで喪いたいとは秋雲さんも思わないしね」

 

 その言葉を聞いて初めて、私は動かし続けていた右手に視線を落とす。

 

 この右手。

 仮に私がこの右手を喪ったとして、再生されたその手は私のモノだろうか。

 それとも、駆逐艦「風雲」に与えられた「補修部品」に過ぎないのだろうか。

 

 そんなことはきっと、私じゃなくて哲学者の考えることなのだろう。

 迷宮入り待ったなしの疑問を胸の奥に仕舞い込んだ私は、秋雲の視線がこちらに向いていることに気付く。

 

「……なによ」

「いや、神絵師の腕を食べると画力が上がるって都市伝説があるじゃない?」

「なにそれ、人肉嗜食(カニバリズム)? 冗談はよしてよね」

 

 そう口先であしらって、否定の言葉は飲み込む。

 私の腕を食べたいとでもいうつもりなのか、秋雲は――――――私の腕にはそんな価値なんてないというのに。

 

「あはは。まあでも、食べるだけで画力が上がるならそうするじゃん?」

 

 冗談冗談というように、秋雲はペン先をふらふらと振る。

 

「画力の前に原稿を上げてください、先生。私がすることなくなっちゃうじゃない」

「相も変わらず手厳しい介助役(アシスタント)さんだこと」

 

 秋雲はそう笑いながらタブレットに視線を戻す。どうやら秋雲は、私の『逃げ』を許してくれたようだった。

 なんて返したらいいか分からず、私は立ち上がる。

 

「自販機でなにか買ってくるけど。何がいい?」

「なにか適当にお願い」

 

 その言葉を背にして、私は部屋を出る。

 幹部でもない私たちは相部屋で、それでも私はツイている方だと思う。

 

 二人の相部屋というのは訓練学校の時とは比べようもない便利さで、しかも同室の秋雲は同好の志と来た……同人誌の手伝い(アシスタント)をやらされているのは納得しかねる……というか多少の不服もあるけれど。

 それでも、ネットを見る限りは不安だらけだった軍隊生活も、秋雲のおかげで少しはマシになったと思う。

 

「なにせ、オタク活動は生活必需品……じゃない、心の潤滑油だからね」

 

 ここだけの話だけれど、秋雲は漫画を描いている。

 勿論、専門(プロ)としてではない。国防軍人の副業禁止については国防軍の存在根拠でもある旧自衛隊(こくぼうぐん)法にも示されている。職業専念のなんとやらというヤツ。

 だから秋雲の活動は趣味の一環、ということになっている。申請すれば認められるって話だけれど、一体なんて書いて申請したのだろうか。

 

 閑話休題(それはともかく)、秋雲はアマチュアレベルでの漫画家活動をしていて、絵をかじったことのある私はその手伝いをしているのである。

 ちなみに只今の秋雲()()は原稿の真っ最中。私が出来るのは精々背景やら台詞の打ち込み程度の手伝い、それとこうした買い出しくらい。

 

「風雲ちゃん、買い物?」

 

 そこで、後ろから私を呼ぶ声。振り返ると、青地の作業着に身を包んだ上司の姿。

 

「片桐隊長、お疲れ様です」

 

 2等海佐を示す肩章。海外の軍隊で言うなら中佐に相当する階級のこの人は、私の所属する第9護衛隊群所属艦娘のトップに君臨する部隊長だった。

 私の敬礼に答礼したあと、彼女はやれやれと言わんばかりに肩を竦める。

 

「うん。お疲れ様。それと私の事は蒼龍でいいって言ったよね?」

「呼び捨てには出来ません。隊長ですから」

「うーん。堅いなぁ」

 

 そこは蒼龍さん、とかで呼んでくれてもいいじゃない。隊長がそんなことを言うので、私は敬礼の直立を保ったまま返す。

 

「ですが、周りの眼もありますので」

「まあそれは、確かにね。隊長職も面倒だわー……風雲ちゃん代わってみる?」

 

 蒼龍隊長は幹部艦娘の佐官クラス。下っ端の駆逐艦娘に対しての冗談としては笑えないもの。私が閉口するのをみて、隊長は話を変えるように言う。

 

「あ、そうだ。今度の週末、空けといたわよ」

「本当ですか?」

 

 言ってしまってから、私は周りを見回す。

 グアム島の日本国防軍基地は手狭なことで有名だけれども、時間が時間ということもあって人の気配はなかった。隊長は頷く。

 

「うん。機材の使用許可も取れそうだから、安心してね」

「ありがとうございます」

「いいって、風雲ちゃんだもの。あ、そうだ」

 

 思い出したように言いながら、隊長は肩から提げていたバッグに手を伸ばす。

 

「はいこれ、この蒼龍さまの時間を取らせるんだから、ちゃんと勉強しておくのよ?」

 

 どさりと、当たり前のように差し出される片手じゃ数えられない教本。

 両手で受け止めれば当然のように重いそれには、何十もの付箋紙が挟み込まれていた。隊長は私が候補生だった頃のお古だからちょっと情報が古いけれど、そう前置きしながら言う。

 

「更新されてる所に付箋貼っといたから、確認しながらやってね」

 

 どこが古いのか、なんて。そんな所まで確認してくれたのか。

 

「ありがとうございます。全部やっておきますね」

 

 そんなことまでやってくれていたのなら――――――既にこの教材の半分くらいは持っているなんて野暮なことは言えなかった。

 

「よし! その意気だよ風雲ちゃん、頑張ってね!」

 

 そう言ってひらひらと手を振る隊長。私がお辞儀をするのを背に去って行く。

 

 改めて渡された教材を確認。

 半分は「概要だけでも読んでネ」と付箋が貼られている学術書、残りは私も読んだこともある分霊型艦載機操縦技術の教本。

 数冊のノートは隊長の直筆で……ふと私は、教材を抱える両手がそんなに大層なモノなのか、そんな疑問を抱いてしまう。

 確かに、隊長は私のことをよく見てくれる。

 

 だけれど私と隊長の関係は、結局「あの人」が居たからこそ成り立つ関係性であって。

 

 果たして隊長に応えられるほど、私は立派だろうか。

 そんな問いの答えは明白で。

 

「ダメダメ、こんなこと考えない」

 

 それは多分、考えたところでなんの意味もないこと。

 私に託されたこの教材は私を変えてくれるかもしれない希望なのだ。

 

 とにかく勉強のスケジュールを考えなければいけない。

 ひとまず秋雲の手伝いは後回し……まあ秋雲のことだ。私がいなくてもなんとかなるだろう。それに私がいると『サボり魔秋雲』が発動してしまうのでいけない。

 

 そういうことにして、私は荷物を脇に抱える。ひとまず約束の飲み物だけでも買ってしまわないと。自販機の前で硬貨を取り出したとき、視界に見知った顔が入ってきた。

 

「お疲れ様です」

 

 岸波――――――私と同じ夕雲型の名を背負う僚艦(なかま)

 

 一人乗りの軍艦として定義される艦娘にとって、乗り込む艤装の艦名というのは二つ目の名前。

 それはインターネット上で用いる架空の名前(ハンドルネーム)と同じで、それでも私たちはそんな艦名を好んで使う。

 

 だから姉妹艦としての連帯感があるっていうのは、きっと嘘じゃない。

 だってそうじゃなければ岸波が、この私に微笑みながら話しかけることはないだろうから。

 

 適当に二、三ほどの言葉を交わしたところで、岸波は言う。

 

「ところで。今週末は空いていますか? ぼの先輩がスキューバダイビングに連れて行ってくれるらしいんですけれど、もう少し参加者がいれば団体割引が使えるらしくて」

 

 今週末。そこには隊長との約束が入っている。

 そのことを素直に伝えると、岸波はため息。それから私が抱えた荷物に目を落としながら言う。

 

「それって『秘密の特訓』ですか」

「なんの話、それ?」

 

 首を傾げてみるけれど、思い当たる節がない訳ではない。そして嘘は私が一番苦手とするところ。

 岸波は少し眼を伏せて、それから言った。

 

「最近、蒼龍隊長とよく話をされてますよね? 別に同じ部隊という訳でもないのに」

 

 別に隠している訳では、ない。

 隠すことなんて不可能だし、悪いことをしている訳ではないのだから隠すことも無い。なのにどうして、そんな追求するように言われるのか。

 

 だから私は、せめてもの抵抗として胸を張って応える。

 

「まあ、隊長にはよく見て貰っているけれど。それがどうしたの?」

「そういうの、止めた方がいいですよ」

 

 ピンポン球を打ち返すみたいに素早く返された岸波の言葉は思ったより、ずっと直球。

 

「隊長と一隊員が親好を深めるのは、やっぱり駄目なこと?」

「そっちじゃなくて」

 

 そこで岸波は口ごもる。そんな同僚をみて、私は続く言葉に予想がついた。

 大学も出ている岸波は頭が切れるから、私がなにを考えているかぐらいお見通しなのだろう。

 

「あの。これは別に私が、という訳ではありません。だから気を悪くしないで欲しいのですけれども……空母課程、目指されているんですよね?」

 

 空母課程。

 

 それは艦種転換訓練の一つ。

 そもそも特務艇――――――深海棲艦と戦う艦娘には、様々な種類がある。

 

 それは巨砲で敵をなぎ払う戦艦。

 その快速で大洋を制圧する巡洋艦。

 あらゆる任務を確実にこなし、戦場を支える駆逐艦。

 眼下の攻守を一手に引き受ける潜水艦。

 

 ――――――そして、私たちの頭上を支配する航空母艦。

 

 戦場の女神にも例えられる航空母艦課程は、誰もが一度は憧れるだろう最強の艦種である。

 そして私の脇に抱えられた教材こそ、その航空母艦の為のモノ。

 

「なんで、空母を目指すんですか」

「目指しちゃいけない? 憧れだからだよ」

 

 あの人は、空母だった。

 

 あの人は何十機もの飛行機をいっぺんに操ることが出来て、私はそれに憧れていた。

 

 だから訓練学校に入ったときは、私は空母になるんだなんて、そんな風に無責任に思っていた……そのあとすぐに、空母にとてつもなく希有な適性が必要だと知ることになるのだけれど。

 

「確かに、私には適性がないかもしれない。けれど訓練して、努力の上に空母になれた人だっているって聞いてる。だから私は、諦めたくない」

 

 私の口から飛び出すそれは、多分誰に言っても恥ずかしくない説明。

 

 私は空母になりたい。あの人と同じように、空に飛行機を飛ばしたい。

 そんな想いを持っているのは本当のことだ。だから私は堂々と答えることが出来る。

 

「知ってます。空き時間さえあれば家電に妖精さんを宿らせて練習してますもんね」

 

 ただ、綺麗事だけで全部が通用する訳ではなくて。

 

「あの。私はこのことについては()()なんです。だからどうして欲しいとか、そういう要求では決してありません。ただ……よく思ってない姉妹(ひと)も、いますよ」

 

 誰が、とは岸波は言わない。私も知りたいとは思わない。

 

 だけれど「よくない」だなんて言われる筋合いは無いわけで。

 私が空母になれて、損をする人は居ないわけで。

 

 その事実が、私を頑なにさせてしまう。

 

「よく思わないって、なんでさ」

 

 口走ってしまってから後悔するのはいつもの事。

 岸波は中立だと言っているのに、こんなことを言われても困惑するだけだろう。ところが岸波は私を見据えると言う。

 

「だって貴女には、右手()()を庇う癖があるでしょう?」

 

 どきり、と心臓が鳴った気がした。

 

「なんの話?」

 

 岸波は「私が絵を描いている」ことは知らないハズ。

 秋雲は私が描いていることを知っているから右手を庇うことに気付いて当然だけれども、岸波に気付かれるとは思えない。それとも、そんなに私は分かりやすいのだろうか。

 

「私は、怪我をしたくないだけ。怪我をしたら妖精さんを操る練習ができなくなるもの」

「空母になるために怪我をしたくない、目的と手段が逆転してますよね」

 

 その言い訳は、あっさり岸波に斬られてしまう。

 

「あなたには『右手を庇うために』空母になろうとしているんじゃないかって聞いてるんです。右手がダメなら左手で練習すればいい。右手を庇う理由があるんでしょう?」

 

 岸波の言葉を、私は否定出来ない。そんな私が目線を逸らすと、岸波は「まあ理由はいいですよ」と言う。それは逃がしてくれた、というより興味がないといった風で。

 

「傷つくのが怖い。それは当たり前のことです。私だって沈みたくはありません」

 

 岸波はそう言う。私にはそれが、私を追い込むための布石に聞こえる。

 

「だけれど。それに立ち向かわない(ひと)に、背中を預けたくはありません」

「なに、なに? 私が逃げてるって言いたいの?」

 

 声が震える。それが何よりの証拠であるのは、百も承知のこと。

 

「ですから。私は中立なんですってば。逃げるのが悪いなんて、私に口出しできる事じゃありません。でも、逃げ方には気をつけて欲しい。そういうことです」

 

 それでは、お疲れ様です。まるで逃げ口上のように言って、岸波は私に背を向ける。

 

 残されたのは、私だけ。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ。買ってきたんじゃないの」

 

 振り返った秋雲に指摘されて、私は買い物を忘れていたことに気付く。

 

「ごめん。隊長に会っちゃって」

 

 咄嗟に出てくる言い訳で誤魔化しながら教本を仕舞い、私はベッドに横たわる。

 

「岸波たちがさ。なんちゃらダイビングに行くんだって」

「へぇ。そうなんだ」

 

 興味のなさそうな秋雲。同じ制服に身を包む組織であっても、全員が仲良しこよしでないことぐらいは分かっている。だから、秋雲が無反応なのは分かる。

 

「別に行ってくれて大丈夫だよ。この秋雲に掛かれば原稿なんてチョチョイのチョイよ」

 

 その言葉に、軽口を叩く余裕もない。

 

「前から言ってるでしょ。今週末は隊長と用事があるんだから」

「ああ、それで。教本貰えたってことは許可出たんだ」

 

 そう言う秋雲にはうんとだけ返して、私は寝返りを打つ。就寝時間にはまだ遠く、眠気もやって来るはずはない。週末に備えて教本を読まなきゃいけないとは思うのだけれど、どうにもそういう気持ちになれなくて、私は秋雲に話しかける。

 

「ねえ秋雲、私が空母になるって言ったら、どう思う?」

「どう思うも何も、風雲は訓練学校の頃から言ってるじゃん」

 

 それは、そうなのだけれど。

 

 

 隊長との約束。空母を目指すための特訓。それは岸波に言わせれば『逃げ』だという。

 傷つきたくないから後方へ下がる。そういう『逃げ』だと。

 私は、反論できなかったのだ。

 

 

 

「なにやってるんだろ、私」

 



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第27話 目指す虚構は貴女の物

 かつて『日出ずる国』を名乗った私の国は、深海棲艦が現れるまで斜陽の国と言われていた。

 避けようのなかった少子高齢化、周辺諸国の台頭が、この国を縮小へと導いたのだ。

 

 もちろん、あの頃の私はそんなことは知らなかった。ただ毎日を過ごしていただけだったのだけれど。

 

『次、止まります。バスが完全に停車するまで、席でお待ちください』

 

 聞き慣れた自動音声と共に、全部の停車ボタンが点灯する。

 私は図書室で借りたお気に入りの文庫本をランドセルに仕舞い、降りる準備をする。お父さんもお母さんも車の中で本を読むと眼が悪くなると散々言っていたけれど、私にとっては本の続きが大切だった。

 

 私が使っていた路線バスは山から海へと抜ける国道を走っている。

 ガードレールの向こうを覆い隠していた森がさっと消えて現れるのが、私の故郷。

 

 エンジンの音が小さくなって、ブレーキ音が聞こえる。身体が引っ張られるような感覚と一緒に、窓の外の景色が減速、そして停車。

 私はランドセルを背負って、バス前方へ、つまり乗降口へと進む。

 

「ありがとうございました」

 

 毎日顔を合わせる運転手さんにお辞儀。運転手さんは左手でくいと帽子を持ち上げた。

 

「うん。気をつけてね」

「さようなら」

 

 型で抜いたクッキーみたいな、毎日おんなじ会話。

 

 深海棲艦が現れてからというもの、地方という地方は文字通り消滅の危機に晒された。

 どこまでも続く海岸線を守り切ることは当時の国防軍――――あの頃はまだ、自衛隊と呼ぶヒトの方が多かったけれど―――――には出来なくて、結果として住民は防衛体制の万全な都市部へと転居してしまう始末。

 バスは一日一往復になり、だからこそ私と運転手さんはこうして毎日のように「さようなら」を繰り返していた。

 

 もっとも、その理由なんて当時は知りもしなかった。

 

 だって、あの町に私以外の子供がいないのは当たり前だったから。

 あの頃の私にとって、世界というのは学校の他には、海と山に囲まれたあの町だけだったから。

 

 バスは私が降りると大きな音をたてながらドアを閉めて、それから唸るように走り出す。

 梅雨が明けたばかりのあの日は、どこまでも続いていくような青い空。

 

 その向こうにむくりと持ち上がった入道雲をみつけて、私は踊り出したい気持ちになる。

 踊る代わりにコンクリートブロックで出来た階段を、とんとんとんと下ってゆく。

 

 耳に風を切り裂く音が届いたのは、その時だった。

 

「あっ!」

 

 私は空を見上げる。

 そこには見慣れた飛行機の姿。

 

 それは私よりも小さな飛行機。

 あの頃の私は人が乗る航空機と妖精さんの艦載機の違いなんて分かっていなかったけれど、その飛行機が誰の飛行機かなのかは知っていた。

 だから私はさっきまで下っていた階段を逆に登り始める。飛行機は私のことを導くようにゆらりゆらりと翼を振りながら飛んでいく。

 

 追いかけて行った先にあったのは、いつもの場所。

 

 海がよく見える、私の高台。

 そしてそこに、あの人の姿。

 

 

「お、来た来た。おかえり!」

「ただいま……って、どうしたんですか。こんなところで」

 

 あの人は、空母の艦娘だった。

 

 艦娘は海からやって来る深海棲艦を倒す人達で、私の町にいるのはあの人だけ。

 あの人は私を手招きすると、それから空を見上げる。

 

「よくみてなさいよ……それっ」

 

 かけ声ひとつ。

 まるでオーケストラの指揮者のように全身で両腕を振るあの人。

 

 それに応えるように飛行機がするりと空を滑る。

 

「あの……これって」

「うん? 垂直旋回飛行(ナイフエツジ)。まあ推力足りないから()()()だけどね」

 

 あの機体でやるの厳しいんだよ? そんな言葉と一緒に飛行機は奇妙な姿勢を保ちながら飛んでいく。

 私が聞きたいのはそういうことではない……ないのだけれど。

 

「まあ難しいからね。もうちょっと簡単なのいこっか」

 

 そう言いながら飛行機が首を下げる。くるりと翼を水平にすると、それから高度を上げていく。

 曲芸飛行の一種だと説明するあの人。私が聞きたいのはそういう事じゃなくて。

 

「ええと、あの」

「夏休みの自由研究でしょ? そんなの、航空機動の研究でバッチリよ。分からないことがあったらバンバン聞いて頂戴? そこらのサイトよりも詳しいわよ」

 

 頭が追いつかずに首を傾げる私。聞かぬ様子で「じゃあ次の機動は」と続けるあの人。

 先生が渡してきた夏休みの宿題。その最高峰に君臨する自由研究。

 

 確かに悩んでいたのは事実だけれど……相談する相手を間違えてしまったのだろうか。このヒトは私の自由研究テーマを決めてしまったらしく、もう頭の中には指導案まで出来ていそうで。

 

 私は戸惑いと抗議の混ざった視線を向けるけれど、この人は知らないフリ。

 

「さ、よく見ておきなさいよぉ?」

 

 そうやって、空を見上げるその表情を観て、私は呟くよりも先に鉛筆を動かしていた。

 

 

 なにせ曲芸飛行よりも、私には――――――

 

 

 

「自由研究で『絵』がオッケーか、聞いておけば良かったなぁ……」

 

 

 

 ――――――あの人の方が、ずっと輝いて見えたのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 北マリアナ諸島に、蝉はいない。

 

 それでも真っ青な空を焼き尽くす太陽と、じとりと肌にまとわりついて離れない熱気。

 それを感じる度に、あのミンミンと鳴く声を思い出してしまうのはなぜなのだろう。

 

 

「教練対空戦闘!」

 

 

 その号令を合図にして、データリンクを覆い尽くしていた友軍機のマークが消える。

 

「状況、青軍空母打撃群による艦載機、ならび陸上機による同時空襲」

 

 制空権喪失というのは、艦娘にとっては悪夢以上に恐ろしい状況である。

 しかし有力な深海棲艦への殴り込みを本領とする水雷戦隊にとってはそんな状況は願ったり叶ったり。

 

 空が敵に覆い尽くされている。

 それは敵が目と鼻の先に居ると言うこと。

 

 一撃必殺の魚雷を叩きつけるには、絶好のチャンス――――――だからこそ、この猛攻を乗り切らねばならない。

 

「電探に感、方位190に機体群。反応大きい!」

 

 誰かの叫び声を皮切りに、似たような報告が次々と飛んでくる。

 視界が良好だとしても小さな艦載機を目視で見つけるのは難しく、言われた方角を見てようやくそれらしい影を見つけることができるくらいだ。それも煙みたいではっきりとは分からない。

 

「さあ、始めるよ……命落とすな、敵落とせ!」

 

 何処かで聞いたような台詞を吐き、戦隊指揮の幹部艦娘が叫ぶ。

 空にたゆたう煙は次第に大きくなり、一つ一つが見えるようになれば鳥の群れになる。

 

 そのシルエットは、見慣れた艦載機。

 今回の対抗部隊(アグレツサー)は隊長の率いる第9護衛隊群の主力空母部隊だ。

 

 そしてその群れの中に、私は普段の艦載機とは異なる機体を認める。

 

 ややずんぐりとした胴体。

 大きめの翼に据え付けられた発動機(エンジン)は二つ。

 いわゆる中攻、中型陸上攻撃機の一式陸攻だ。ずんずん高度を落としてくるその姿を見て、同じ駆逐隊に所属する巻雲が感嘆の声を漏らす。

 

「はー……アレが噂の基地航空隊ですか」

「第3航空艦隊ね。西へ東への精鋭に狙われちゃ、絶体絶命なんじゃない?」

 

 秋雲がそれに応じて、私語をしないでと注意が飛ぶ。私は無言。

 

 

 正直な所、私たちの第9護衛隊群――――――9護群はそんなに強い部隊ではない。

 

 

 そもそも、マリアナ諸島への駐留という立ち位置がいけない。

 

 連邦(アメリカ)政府直轄領であるグアムを除いた北マリアナ諸島は米国の中でも自治連邦区(コモンウェルス)と呼ばれる複雑な立ち位置にある。

 アメリカだけれど、アメリカではない。自治は出来るけれど連邦議会に議員を送り込めない保護領。そしてあまりにも、本土から遠く離れた領土。

 

 そこに日本が我が物顔で居座るのは問題だ。だからこそ私たちは()()()()()()()()()()()()()()

 そして同時に、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 全部が全部、米国の都合。

 この北マリアナ諸島を守らなければ、日米同盟が崩壊する――――――そんな理由で、在米日軍である9護群(わたしたち)は誕生した。

 深海棲艦の出現による対等な同盟への大転換……といえば聞こえはいいけれど、その実態はギリギリ防衛戦を維持できる駆除部隊なのだ。

 

 

 とはいえ、北マリアナ諸島はこの国の安全保障にとって重要な存在であることに変わりはない。

 

 なにせ北マリアナ諸島を喪うことは、日本列島までの海が『がら空き』になるということ。

 かつての大戦における絶対国防圏ではないけれど、抜かれる訳にはいかない。

 

 だからこそ、北マリアナ諸島には本土配備の第1から第4までの護衛隊群が持ち回りで巡回、空軍の支援(こうげき)機部隊もアメリカ空軍基地を間借りして駐留。それに加えて今はあの第3航空艦隊まで。

 まあ要するに、それだけ分厚い戦力が待ち構えているということ。哨戒能力もずば抜けて高く、深海棲艦なんて寄せ付けない鉄壁の防御が敷かれているのだった。

 

 こんな状況じゃ、私たち艦娘部隊に仕事は回ってこないわけで……グアム泊地とも呼ばれる9護群艦娘部隊には、よく言えば平和な、悪くいうなら気の抜けた空気が漂っているのである。

 

 

 

 ……とにかく、今は教練に集中だ。

 

 いよいよ迫った攻撃機たちに、私は主砲を向ける。

 

「対空戦闘、はじめ!」

 

 その掛け声で私たちは一斉に引き金を引く。

 砲弾は飛び出さない。仮に演習弾であっても、精密機械が詰まっている航空機に当たってしまえば壊れてしまう。

 そこで用いるのは交戦訓練装置(バトラー)と呼ばれる演習装備。レーザーによって射撃と被弾の全てを再現できる優れもの。

 元々は陸軍の装備だけれど、艦娘の訓練に丁度良いとのことで使うことになったらしい。

 

 目に見えない私たちの殺意(レーザー)が空を飛ぶ。

 飛んでそのまま、陸攻の群れへと飛び込んでいく。陸攻に取り付けられた装置に命中すれば撃墜判定が貰える。

 

 硝煙も爆炎もない、それはそれは奇妙な風景。真面目に撃ち続ける私たちは、端から見ればひどく滑稽だろう。

 

 陣形を保ち、射撃姿勢をキチンと取れた状態での射撃。

 攻撃機のいくつかに被弾判定が出たようで、そのまま高度を取ると反転していく。

 

 被弾判定を受けなかった残りの陸攻が更に高度を下げて海面スレスレを這うように飛ぶ。

 この低高度は、魚雷攻撃の構え。

 

「回頭よーい!」

 

 指示が飛ぶ。魚雷が投下された瞬間を見計らって、一斉回頭で躱すつもりなのだ。

 そしていよいよ陸攻の爆弾倉が開く、そこから飛び出したのは――――――爆弾。

 

 

()()()()!」

 

 

 魚雷では無かった。爆弾倉から飛び出した大量の爆弾が、水切り石の要領で飛び跳ねながらやって来る。

 海面の僅かな揺らぎに影響を受けながら、爆弾はそれぞれ思い思いの、予測不能な軌道を描きながらこちらへと迫ってくる。これが反跳爆撃。

 

「いっせ……いや、各個回避! 回避任せる!」

 

 指示は一斉回頭の放棄。

 私は前後の僚艦との距離に気を配りながら舵を切ると、増速して艦列からの離脱を図る。

 

 陸攻は今回の空襲の尖兵に過ぎない。

 この後に隊長の率いる艦載機部隊が襲いかかることを考えると、バラバラになってしまっては勝ち目はないけれど、とにかく今は爆弾を躱すのが先だ。高速でこちらに迫ってくる爆弾に目をこらす。

 

 大丈夫、こっちに向かってくる爆弾だけを考えればいい、そうすれば躱せないことはない。

 

 ふと脳裏に過るのは、あの人の声。

 

 

『爆撃も砲撃もね、結局の所は確率論なんだよ』

 

 

 そういえばあの夏、あの人も似たようなことを言っていなかっただろうか。

 

『ランダムに飛んでくる攻撃に対してランダムに回避したんじゃ、いつかは必ず当たってしまう。躱すべき攻撃を見極めてから避ければ、それで十分間に合うのよ』

 

 見極めて、躱す。

 

 あの時はなにを言っているのか分からなかった。

 でもこうして大量の爆弾と向き合ってみると、なるほど全部を追う事なんて出来ない訳で。

 

 それならと私は自分に向かってくる爆弾を探す。

 無闇矢鱈に逃げ惑うよりは、あの人の言葉を信じるほうがずっといいと思ったのだ。

 

 波に弾き返される反跳爆撃といっても、いきなり180度回頭したりすることはない。

 

 私の方へと飛んできそうな爆弾を見極めて、そして――――

 

 

「うわっ! 邪魔だぁッ!」

「えっ!?」

 

 

 ――――そして、真横から引っ叩かれるような衝撃に襲われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北マリアナ諸島の中心。アメリカ直轄領のグアム島。

 

 太平洋におけるアメリカ軍の重要拠点であるこの島に、間借りするように設けられたグアム基地。そこが9護群の本拠地。

 静かな港湾。その向こうに白い建物と緑の木々。それらを皆赤く染めて、太陽が沈んでいく。

 

 グアム島の中西部に位置する、オロテ半島。その付け根に位置するアプラ港が、私たちの母港。

 私が声をかけられたのは、対岸に見えるアメリカ海軍の基地を見ながら、丁度私がため息を吐いたときだった。

 

「派手にやられちゃったね」

 

 振り返ると、そこには隊長の姿。直接引き揚げてきたのか、普段のような作業服や略綬の並ぶ軍服ではなく、甲型空母艦娘に特有の和装という姿だった。

 

 私は敬礼して、隊長が差し出してくる缶コーヒーを受け取る。

 

「すみません。なにも出来ませんでした」

「アレは仕方ないよ。いくら各個回避とはいえ、誰も周りのことを見ていないんだもの」

 

 鍛え直しだなーと笑う隊長。

 

 今回の教練は、もはや教練と呼べるかも怪しいものだった。

 私に激突してきた僚艦を皮切りに全員が混乱、足を止めれば被弾して、止めなければ止めないで別の誰かとぶつかる始末。

 そんな状況で有効な対空戦闘が出来るはずもなく、10分も経たずに私たちは全滅してしまった。もちろん講評は散々。

 

「でも、私も爆弾しか見ていませんでした」

 

 私が反省点を述べると、隊長は頷く。

 

「まあ、確かにね。爆弾は避けるだけじゃ意味が無い。あの反跳爆撃を躱すために陣形を崩すのは仕方ないとして、問題はいかに早く再集結出来るかなんだけど……その前に全滅しているようじゃねぇ……」

 

 分断されるにしても、上手い分断のされ方をしなきゃいけない。隊長はそう言う。

 

「上手い、分断のされ方……」

 

 確かに私は、あの時『どう爆弾を躱すか』しか考えていなかった。

 陣形を崩すのは不利だけれど、その後に素早く合流して陣形を立て直せれば不利は最小限で済む……隊長の言うことは、どうやらそういうことらしい。

 

「まあ、考えることが多くて大変だよね。コレばかりは僚艦の動きも関わってくるから、無理せずに味方との間合いを保つことから始めればいいよ。問題は……」

 

 そこで一度言葉を切る隊長。

 私は発言を促されているような気がして、言葉を継ぐ。

 

「空母艦娘は、それを一人でやらなくちゃいけない」

 

「そゆこと。それも今回みたいな一個艦隊(ろくせき)じゃなくて、それこそ何十機という大群でね」

 

 航空機は、基本的には真っ直ぐ飛ぶように設計されている。

 

 けれど被弾して翼がもがれたら?

 爆弾や燃料に引火したら?

 

 その時の航空機がどんな動きをするかは予想しきれない。

 そしてそれは、爆撃のための密集陣形の中で起きるのだ。

 

 被弾機の動きによる二次被害……他の無事な機体に激突したり、飛び散った破片で周りに損傷を与えたりしないか?

 その被害を最小限にすることは出来るのか?

 

 それらの管制を、全て一人でやらねばならない。それが空母艦娘の()()()()

 

「妖精さんに頼ることも出来なくはないけれど、結局統制を欠いた航空隊は烏合の衆よ。全部一人で出来るようになる。それが最低条件」

 

 隊長は、空母課程の話をしていた。

 

「はい、分かってます」

 

 そうは返すけれど、その域に全く及んでいないのは自分が一番分かっていることで。

 

「焦らなくても大丈夫。駆逐艦から空母になった前例がないわけじゃない」

 

 そう笑って肩を叩いてくれる隊長も、ホントの所は分かっているのではないだろうか。

 

「……隊長は、どう思われますか。私は、空母艦娘になれるでしょうか」

「無理だね。風雲ちゃんの妖精さんは遠距離での意思疎通が出来てない。なにより分霊(かず)が足りない。大量の艦載機を操る空母にはなれないよ」

 

 そうだ。分かっている。分かっているのだ。

 私は空母になりたかった。あの人みたいに、沢山の飛行機を飛ばせる空母になりたかった。

 

 でも私に適性はなかった。

 それでもと、隊長は言う。

 

「それは『蒼龍』の艦名を預かる2等海佐としての意見よ。私の意見は別にある」

「別に?」

 

 オウム返しに聞いた私に、隊長は微笑む。

 

「うん。『飛龍』の姉貴分である、蒼龍としての意見。飛龍の人を見る目は本物よ」

 

 その台詞に、眼を逸らす私。

 隊長と飛龍さん(あのひと)は同期で、あの時一番に駆けつけてくれたのも隊長だった。私と隊長の関係はそこから始まった。

 

「でも、間違いだったかもしれません。あの場所には、艦娘になれそうな子供は私しか」

「だとしても、貴女は飛龍に空を教わったんでしょ? 飛龍(アイツ)は無駄なことだけはしない」

 

 そうでしょうか、なんて。

 そんな疑問は口に出来なかった。それは隊長だけじゃなくて、飛龍さんにも失礼になるから。

 

 私も飛龍さんが勘違いするなんて思えない。

 でも現実問題として、私は空母になれなかった。

 

 それはつまり、私の責任で。

 

「だからね風雲ちゃん。私は信じてるよ。貴女はきっといい艦娘になれる。もしかすると飛龍の見込み違いで空母にはなれないかもだけれど、いい艦娘にはなれるはずだよ。それを飛龍が間違えるはずがない。それに……空母になって欲しいのは私のワガママだから」

「ワガママ?」

 

 そう笑顔なく笑う隊長の気持ちを、私は理解できない。

 理解できない私を知って、隊長は続ける。

 

「うん。私は空母でしかないから、貴女に教えられるのは空のことだけ」

 

 どうして、隊長はこんなにも私に肩入れしてくれるのだろう。それが分からない。

 

「秘密の特訓……って、言われました」

 

 口を突いて出たのは、岸波に言われた言葉。

 空母になれる保証もないのに、空母になるための練習をする私。

 それを手伝う部隊長の隊長。

 

「もしかすると私、いいように思われていないのかもしれません。隊長にも迷惑が」

「それで? 辞めたいの風雲ちゃんは」

 

 そんなことを言われてしまっては、返す言葉がなくなってしまう。

 辞めたいのなら、適性がないと分かった時点で辞めている。

 

 私だって、信じたいのだ。

 

 自分のことを。

 そしてなにより、私をそんな風に見てくれた飛龍さんのことを。

 

 でもそれで、その小さな可能性に拘泥したことで、隊長に迷惑がかかるのはイヤなのだ。

 

 言葉が選べず黙りこくる私に、隊長はふっと笑う。

 

「いいんじゃない? 辞めちゃえば。こちとら開戦から20年も持たせてるのよ? やる気のない駆逐艦娘が一人辞めたところで困らないわよ」

「……す、すみません」

 

 謝れば「スグ謝らない」と注意される始末。それなのに隊長は私に言う。

 

「飛龍が言ってたよ。赴任先に面白い子がいるって。世界の色彩を受け止められる、世界に愛された子がいるって。あの漁村には確かに子供は貴女しかいなかった。だから私はすぐに、風雲ちゃんが飛龍の言っていた子だって気付いた。飛龍があれだけ眼をかけた子に、期待してしまうのはしょうが無いことじゃない?」

 

 そんなことを言っていたのか。飛龍さんは。

 

「……でも。それは多分、絵の話です」

「絵?」

 

 知らなかったのだろう隊長が首を傾げる。

 

「はい、絵です」

 

 私は、絵を描くのが好きだった。

 あの人と……飛龍さんと初めて出会ったあの時も、絵を描いていた。

 

 飛龍さんは私の絵を褒めてくれた。

 どうしてか、私にはそれがお父さんやお母さんの言う「上手だね」という言葉よりずっと嬉しかった。

 

 多分それが、私に絵を描き続ける力をくれたのだ。

 どんな時でも、絵を描けば飛龍さんが見ていてくれる気がして。

 

 飛龍さんと繋がれる気がして。

 

 私の話を、隊長は黙って聞いている。私はひとしきり話すと話を畳む。

 

「でも、私は中途半端でした。全国コンクールに出たこともありませんし、高校の時に思いつきで初めた漫画はたいして評価されませんでした……それに結局、私は挫折しました。艦娘になっても駆逐艦娘です。中途半端なんです」

 

 いつもそうだ。

 空母の適性がないと知った私は、果たして訓練学校で真面目に訓練を続けただろうか。続けはしなかった。

 そして今は同じ趣味を持つ秋雲と、趣味半分仕事半分な艦娘生活を送っている。

 

 きっと飛龍さんは、私のことを見損なうに違いない。

 

 そんな私が、隊長と再会しただけで空母になる練習をし始めて、なんになるのだろう?

 

 だから岸波にも言われてしまうのだ。空母になるのは『逃げ』だって。

 その指摘が正しいと思うから、私は言い訳を並べることしか出来ない。

 

 それなのに。

 

「絵とは何の関係もないけれど……」

 

 そう前置きしながら、隊長は言う。

 

「史実の蒼龍型航空母艦は、中型空母だよ。小型の改造空母よりはマシだけれど、航続距離や搭載数は大型空母に劣る。甲板が高くないから発着艦には支障が出るし、艦橋が小さいから指揮にも適していない」

 

 多分その後に続くのは、中途半端という言葉なのだろう。それを知って隊長は言う。

 

「だから、風雲ちゃんには中途半端だってことを言い訳にしないで欲しいな」

 

 少なくとも今は本気なんでしょ?

 隊長が見透かしたように言う。

 

「秘密の特訓だとか言われるのが嫌なのは分かる。だからやるかどうかは風雲ちゃんが決めていい。私への変な遠慮はナシ。やるなら付き合う。やらないならもうこれ以上は構わない……ね、簡単でしょ? どうする?」

 

 簡単、ではないだろう。

 それを分かって隊長は今決めろと言っている。

 

 仮に答えを明日や明後日に引き延ばしたとして、結局直前まで決められないのは分かっている。

 あの人なら……飛龍さんならどう答えただろう。

 

 そう問うた時、答えはすぐに出た。

 そういう意味では、私は迷っていなかったのかもしれない。

 

「やります。きっと私は、飛龍さんに導かれてここまで来たんです」

 

 だから。飛龍さんの縁を信じて飛び込むしか無いのだと思う。

 私の答えに隊長は微笑んだ。

 

「やるとなれば徹底的にやるわよ? 覚悟は良いわね?」

「はい!」

 

 直立姿勢で、お腹から声を出す。

 これで私の意気は伝わっただろう。隊長は深く頷く。

 

「よし、じゃあまず……私のことは蒼龍さんって呼びなさい」

「はい……はい?」

 

 それとこれとは関係ないのでは?

 思わず首を傾げる私に、隊長は肩を竦める。

 

「だって、飛龍が『飛龍さん』で私が『隊長』ってなんかズルいじゃない」

「いえ……そういうものではないと思うんですけれど」

「そもそも、私のことを『隊長』って呼ぶなんて艦娘の中じゃ希有な方よ?」

 

 希有だから、珍しいからと言って艦名で呼ぶのは違うだろう。

 確かに私たちは艦名を持つけれど、それ以前に国防軍人なのだ。軍隊では指揮系統が全て。だから私は隊長のことを隊長と呼ぶ。だから艦名で呼ぶというのは、どうも違うような気がするのだ。

 

「それとも、艦名で呼ぶのは子供っぽい?」

 

 その考えは、他の艦娘たちにも失礼なんじゃない?

 それはある意味で図星。私は視線を泳がせるしかない。そんな私を隊長……蒼龍さんは笑う。

 

「ま、真面目ちゃんは嫌いじゃないけれどね。ネクタイだって可愛く結べばいいのに」

「そ……それとこれとは関係ないでしょう!」

 

 抗議する私に、笑う蒼龍さん。

 

 

 

 敵襲を告げるサイレンが鳴ったのは――――――その直後のことだった。

 

 



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第28話 灼けた蒼穹澱んだ光路

 電柱の隣に、ひょこんと立っていた白い鉄の棒。その先に付いていたスピーカー。

 

 ――――――防災無線と呼ばれる、町のお知らせとかをみんなに知らせるための機械。

 それが、お腹の底をかき回すようなこの音の正体だった。

 

「飛龍さん!」

 

 私は叫んだ。大きな音が鳴り響く中だったから届くかどうか不安で、精一杯の大声で叫んだ。

 それでも鳴り響くサイレンの音には到底かなわなくて。

 それなのに、飛龍さんは振り返ってくれた。

 

 それから、私の知らない表情をする。

 

「なんで、こっちに来たの?」

「なんで……って」

 

 そんなこと聞かれて、なんでだろうとしか返せない私がいた。

 

 このサイレンの音は深海棲艦が攻めてきた合図なのだと、それは小学校の先生から聞かされている。

 深海棲艦は陸地には上がらないから、とにかく海から離れて、可能な限り高台に登るようにとも聞いている。

 

 それでも、私は居ても立っても居られなくて、漁協の隣にある飛龍さんの家――――これは後から知った話だけれど、あの建物は家ではなくて海軍の基地施設、言ってみれば派出所のような場所だったらしい――――まで走ってきたのだった。

 

「なんでって。それは」

 

 走ってきたのに理由なんて思いつかない。

 肩で息をする私に、飛龍さんは言う。

 

「お父さんとお母さんが心配するでしょ。早く戻りなさい」

「でも」

 

 でも。

 その次に私はなんと言いたかったのだろう。

 私が言葉を紡ぐ前に、飛龍さんは強い口調でいう。

 

「逃げなさい。私は飛龍、艦娘よ。あなたみたいな人達を守るためにいるの」

「なら、私も戦う!」

 

 なんでそんなことを言ったのか。私はもう覚えていない。

 

 多分必死だったのだ。

 

 飛龍さんがいなくなってしまうような気がして。それでおかしなことを口走ってしまったのだ。

 

 あの時の私が、戦えるわけなんてないのに。

 

 

 それほどに、あの時の飛龍さんは――――

 

「大丈夫。私が出ればこの町は助かる。アイツを止められるのは、私だけだから」

 

 ――――死んでしまいそう、だったのだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 サイレンの設計は、どうも万国共通らしい。

 

 腹の底を震わせるような不気味な音。

 各所に設置されたスピーカーがそれぞれ奏でることで重なり合い、奇妙な重低音となって私を襲う。

 

「風雲ちゃん、加護は?」

 

 蒼龍さんがそう聞いてくる。私は慌てて簡易測定器(チェツカー)を取り出す。

 測定器に現れる数値は、私の制服に宿された加護……霊力防壁の力場が十分だと主張していた。

 

「いけます!」

「じゃあ行くよ、ついて来て!」

 

 それだけ言って蒼龍さんは走り出す。

 目指す先は言うまでもない、私たちの艤装が格納してある掩体壕(バンカー)だ。

 

「戦闘配置! 戦闘配置!」

 

 装甲車に乗った陸軍の兵隊さんが叫んでいる。

 基地の寮舎はおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎになっているようで、制服を着ながらに飛び出してくる人もいる。

 

 私にとってはグアムに着任して初めての警報。驚いていないと言えば嘘になる。

 とにかく蒼龍さんの後を追った。そうすることで、自分を落ち着かせる。

 

 格納庫と整備部門を兼ねているコンクリート製の巨大な掩体壕、私たちが来ることは蒼龍さんが既に伝えていたらしく、直ぐに展開式の救命胴衣、そして艤装が手配される。

 

警戒待機(アラート)組はもう出てるのね? 了解、じゃあ私は風雲と出るけれど……そう?」

 

 分かった。お願いね。

 そんな調子で蒼龍さんは先程から無線機と話している。

 

 部隊長である蒼龍さんは、基本的には前線(うみ)には出ない。

 それでも蒼龍さんがたまたま霊力防壁の装束を装備して(みにつけて)いたこと、そして敵が間近に迫っていたことから出撃の許可が降りたらしい。

 

「風雲ちゃん。隣の掩体壕で巻雲ちゃんが準備してるって。他の子は待ってられないから三隻で出るわよ」

「はいっ!」

 

 その間にも整備士さんが私を取り囲む。

 出撃マニュアルに則った最終確認(チェツクリスト)。艤装の正常な作動と主機の調子を確認する。

 

 武装は夜間戦闘を重視した甲型三種装備――――――要するに「夜戦でガツンと殴ってこい」ということ。

 無線機を叩いて管制にコンタクト、気象情報がアップデートされる間に整備士さんたちが武装の安全ピンを引き抜く。

 これで私の準備は整った。

 

 管制から抜錨許可が降りる。緩やかなスロープを滑り降りるようにして、掩体壕まで引き込まれた海水に着水。

 スクリューの最終チェック。大丈夫、問題ない。

 

「出ます!」

 

 掩体壕を飛び出すと、爆音を奏でながら戦闘機が飛び出していくのが見えた。

 どうやら対岸のアメリカ海軍飛行場から飛び立ったらしい。どこか他人事のようにその様子を眺めていると、横から私の名前を呼ばれる。

 

 振り向くとそこには巻雲がいた。巻雲も用意を終えたようだ。

 

「いやぁ。北マリアナで敵襲があるなんて、巻雲びっくりですよぉ」

 

 おどけた調子で言ってはいるけれど、これが大変な事態であることは巻雲も理解しているはずだ。

 北マリアナ諸島は重要だからこそ守りが厚い。その守りが突破されて基地がてんやわんやしているのだから、到底笑っていられる状況ではなかった。

 

「とにかく、考えるのは後。まずは港を出るわよ」

 

 遅れて出てきた蒼龍さんを先頭に、私たちは単縦陣で港の出口へと進む。

 オロテ半島と防波堤に囲まれるアプラ港の出口は一つしかない。その水路を緊急出撃していく哨戒艦が占領し、民間船舶は進路を譲るために北の防波堤の方へ逸れていく。

 

「蒼龍から哨戒艦〈はるじおん〉へ、特務艇(かんむす)三隻が右舷を通過します」

 

 警戒を促しながら蒼龍さんが哨戒艦を追い抜き、私たちも続く。

 そのまま灯台の横をすり抜けると港の外。蒼龍さんは無線と二、三言を交わすと、素早く指示を出してくる。

 

「第三戦速、先行した子達はもう戦闘に突入してるみたい。私たちも急ぐわよ」

 

 その言葉に、私と巻雲は息を飲む。

 

 警戒待機(アラート)組の艦娘たちは警報が発せられるのと同時に出撃したはず。けれども、警報が出てからまだ15分ほどしか経っていない。

 

「そんなに近くにいるんですか?」

「分からない。もしかすると潜水艦と戦っているだけかもしれない……でも、時間が無いことだけは確かね。攻撃隊を上げます、二人とも援護して」

 

 私たちが了解と返すのを待てないと言わんばかりの勢いで矢を番える蒼龍さん。

 私たちは増速しながら蒼龍さんの脇を固める。

 

 空母艦娘の発艦作業中は針路を固定する必要があるので無防備になってしまう。私たち駆逐艦の任務は、その護衛だ。

 

 そういえば、飛龍さんも発艦作業についてよく言っていたっけ。たった一人で私の故郷を守っていた飛龍さんは、飛行機を(おか)の上で発艦させて、それから海に飛び込んでいた。

 

 なんでそんな面倒なことをするのか、あの頃は分からなかった。

 でも今は、海の上で姿勢を固定するのがどれだけ危険なのかを知っているから、飛龍さんの言葉が分かる。

 

 そして――――洋上で全速力を出すことで得られる合成風力がない陸から発艦させるのが、どれほど大変だったかということも、分かっているつもりだ。

 

 

 飛龍さんは、本当にすごい艦娘だったのだ。

 

 

「こら風雲、なにボサッとしてるんですか!」

「え? あ、ごめん!」

 

 巻雲の注意が飛んできて、私は慌てて蒼龍さんから視線を逸らす。

 今の私が見るべきなのは蒼龍さんではなくその周辺。

 

 ただ蒼龍さんの射は、まるで飛龍さんのようで、それでつい、飛龍さんのことを思い出してしまったのだ。

 二人は同期だったというから、同じ射形になるのだろうか。

 

 いや、そんなことは後で聞けばいい。私は目を皿にして水面へと目を凝らす。

 

 発着艦中の空母は、空襲以上に潜水艦が怖い。海から突き出た潜望鏡を見逃さぬように探すけれど、いよいよ日が落ちてきたこともあって見つけられるとは思えなかった。

 とにかく潜望鏡も雷跡も見つからない間に蒼龍さんは全ての航空隊を放ってしまう。

 

「さて……もうすぐ日が沈むわね」

 

 腰に手を当てて他人事のように言う蒼龍さん。けれどそれは空母にとっては致命的な問題だろう。

 

 日が沈んでしまえば視界が遮られて航空攻撃の難易度は格段にあがる。仮に最新鋭の電探を積んでいたとしても突き出た岩礁などを深海棲艦と誤認して攻撃してしまうこともあるぐらいだ。

 それに艦載機を回収するときの問題もある。空母の夜間戦闘は現実的ではない。

 

「着艦はどうするんですか?」

「流石に夜間着艦をぶっつけ本番でする気はないかなー。大丈夫、こんな時のためにアメリカさんの滑走路に着陸できるよう話はつけてあるから」

 

 そう笑う蒼龍さん。いざとなっても艦載機の帰投先があるというのは、基地駐留艦娘の一つの利点。それを存分に生かすつもりなのだろう。

 

「だったら、もう蒼龍さん帰ってもいいんじゃないですかぁ?」

 

 横から口を挟む巻雲。なるほど確かに、どうせ艦載機は遠隔操作出来るわけだからこうして出撃してくる必要はなかったような気もする。

 ところが蒼龍さんは、胸に手を当てて私たちを見やる。

 

「なに言ってるのよ。可愛い子達(あなたたち)を置いて逃げ帰れると思う? それに、私には高角砲があるし、仮になくともこれで戦ってみせるわよ」

 

 そう言いながら腰に備えた軍用ナイフを叩いてみせる蒼龍さん。

 流石は歴戦の部隊長と言えばいいのか、それとも近接戦(それは)は空母の仕事ではないでしょうと突っ込むべきなのか。

 私と巻雲が顔を見合わせた時、蒼龍さんの声がピンと張り詰める。

 

「巻雲ちゃん電信お願い。蒼龍航空隊会敵、敵は姫級の空母よ」

「了解です」

 

 軽く返したはずの巻雲ですら声が震えているのが分かる。私も主砲のグリップをつい強く握ってしまう。

 

 姫級がなんで、北マリアナ諸島(こんなところ)に?

 

「これは侮れない相手ね……無理に押さずに連携して弾き返すわよ」

 

 その言葉通りに、蒼龍さんはデータリンクを駆使した戦いを始めた。

 目下戦闘中の友軍を守るための制空攻撃。邀撃に上がってきているアメリカ海空軍機の誘導。完全な日没を迎えれば蒼龍さんの戦闘能力は激減する。それまでに敵の攻撃を弾き返したいのだ。

 

 どうして哨戒網を抜けられたのか信じられないくらい大量の深海棲艦によって構成されている姫級を中心にした輪形陣。

 しかし幸いにもグアム周辺の戦力は此方が有利だと判断された。それならば、蒼龍さんの仕事は奇襲で混乱した友軍部隊の統合運用だ。

 

 電子機器が影響を受けにくい外縁部をグアムからの巡航ミサイルや航空機で潰し、取りこぼして突出した敵の群れに艦娘部隊を宛がうことで戦線崩壊を防いでいく。

 蒼龍さんを護衛する私たちは、それを傍観するだけ。もちろんそれは悪いことではない。今や北マリアナ諸島の防衛は蒼龍さんを前進司令部として成り立っている。グアムの司令部と何度も言葉を交わしながら適切な情報だけを切り抜いて、繋ぎ合わせていく作業。それに集中してもらわないといけない。

 だから私たち護衛艦に出来ることは、せめての集中の糸が切れないようにすることだけ。

 

 しかし恐れていた潜水艦の出没はなく、ついに太陽は太平洋の向こうに消えてしまう。

 

 蒼龍さんは、風船から空気が抜けるみたいに肩を落とすと、私たちに言う。

 

 

「……流石に無理か。風雲ちゃん、巻雲ちゃん。いけるわね?」

 

 

 それは部隊長による、戦闘続行(やせんとつにゆう)の命令だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 航行灯はなし、もちろんライトの(たぐい)は使用禁止。

 海図も見ることは出来ないけれど、それでも向かう先はハッキリしている。

 

 日没から早くも一時間。奇襲を受けた結果とはいえ戦力の逐次投入を行っていた9護群は、なんとか体勢を立て直しながら反撃に移っていた。

 

 目標は当然、姫級と称される敵空母の撃破。夜戦装備を引っ提げた私たちは、敵正面を迂回する要領で突撃することになったのだ。

 まさかの第一線への抜擢は正直驚いているけれど、前線に出ている艦娘が足りないと言われてしまえばそれまでだった。

 

「それにしても……静かすぎない?」

 

 思わず漏らした疑問に、前を進む巻雲が振り返る。

 

「戦力は軒並み正面(あつち)に回してるんじゃないですかね?」

 

 先輩たちが善戦してくれてるお陰ですよ。巻雲はそれだけ言って前に視線を戻す。

 そんなに上手くいくとは思えないし、仮にそうだとしても最後に私たちは姫級にぶつかるのである。巻雲は場を和ませるように言った。

 

「もしかして、私たちいきなり金鵄勲章とか貰っちゃったりして?」

「いやいや。それは流石に……」

 

 私がそう言いかけたとき、巻雲がすっと押し黙る。

 燃えさかる水平線を灯りにして縁取られた巻雲は『待て』の手信号(ハンドサイン)。目の前には――――――黒い影。

 

 まさか。本当に?

 

 本当に姫まで辿り着いてしまったというのか。

 相手が振り返る気配はない。こんな簡単に迫れるほど、深海棲艦は下しやすい相手だというのか?

 

 魚雷発射管に手が伸びる。安全装置(セーフティー)、解除。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 次の瞬間、私の視界は真っ白に塗りつぶされた。

 

 下しやすい?

 そんな筈、あるわけがない。

 

「風雲!」

「巻雲!」

 

 互いに艦名を呼び合って彼我の位置を確認する。そしてお互いに背を向ける格好に。

 

 探照灯が照射された場合の対処は単純。光源(ひかり)に向かって、撃つ。それだけ。

 ところが光は四方八方から私たちを照らしている。

 もはや疑うまでもない、引き込まれたのだ。

 

「え、と……四面楚歌ならぬ四面照灯?」

「いや面白くないってそれ!」

 

 どうすればいい?

 敵に狙われているなら高速機動で攪乱する手もあるだろう。

 飛んでくる爆弾や海面を疾走する魚雷が見えれば避ければいいだけの話だろう。

 

 しかしこうも取り囲まれてしまっては、もはや打つ手も何もない。

 

 どうすればいい。考えても答えは出ない。

 こんなに追い詰めているのに撃ってこないのは何故なのか。それが理解できない。

 まさか、いたぶっているつもりなのだろうか。

 

「こうなったら、やるしか」

 

 その時だった。一筋の探照灯が消える。

 その直後にさっきまでの黄色い光(サーチライト)ではない赤い光が私たちを照らす。

 

 発砲音は聞こえなかった筈なのに、包囲網の一角が燃えていた。

 

「巻雲!」

 

 叫ぶだけで伝わるだろう。何が起きたかはさっぱり分からないけれど、私は主機を全開にする。

 目標もなにも定めずに魚雷発射管を全て開放。これで少しでも当たってくれたら儲けものだと考えることにして、燃えさかる深海棲艦の群れへと突撃する。

 

 ひゅるると、風を切る音が聞こえた。これは、爆撃機の音。

 

「艦載機?」

 

 私の呟きに、そんな訳ないでしょと巻雲が応じる。夜間の爆撃が高難易度であることは知っての通りだし、なにより9護群で最高練度の蒼龍さんは撤退してしまったはず。

 

 でもその爆撃は高精度で、私たちに追っ手が掛かることは無かった。

 

「じゃあ一体……誰が」

 

 少なくとも、深海棲艦が燃えているということは深海棲艦ではないはず。なにせここ20年、深海棲艦が同士討ちをしたという話は聞いたことがないのだから。

 

 その時、別の方向から焔があがった。それは友軍のいる方向とは、逆の方向。

 

「ちょっと、風雲? どこに行くのよ」

 

 巻雲が私に声をかける。私はその焔の方向に向かおうとしていたことに、今更気付く。

 

「どこって……あっちに」

「ここは一旦味方と合流するべきでしょ?」

 

 それは間違いなく正論なのだろう。

 そんなことは分かっている、だけど。

 

「味方って……それなら、深海棲艦を攻撃してるあっちも味方ってことでしょ?」

「はぁ? 何言ってるんですか」

「ごめん、行くから」

 

 それだけ告げて、私は主機を吹かす。

 どこかで聞いたことがある。どこかで……。

 

『逆包囲って、聞いたことあるでしょ? 深海棲艦(あいつら)にも士気ってものがあるからね。勝ったと思った所をドカンとやられれば、そりゃもうタジタジよ』

 

 

 いや。まさか。

 

 

 焔の中へと飛び込む。

 それは駆逐艦イ級、軽巡ハ級。深海棲艦の死骸がゴロゴロと燃えている。

 砲声が聞こえる方に目を向ければ、重巡洋艦……ヒト型の姿が見えた。

 

「再装填装置……よし、生きてるわね」

 

 なにか理屈があったわけじゃない。根拠があったわけでもない。

 

 とにかく引き寄せられるように、耳に何かが残っている。それはきっと飛行機の風切り音。私はそれだけを頼りに、魚雷発射管に指示を飛ばす。

 

 あの重巡洋艦はどこかに砲を撃っている。それに夢中なせいか、私に気付く様子はない。やるなら一瞬、確実に仕留めなければいけない。

 

「魚雷管、左舷に指向……()ッ」

 

 圧搾空気に押し出されて、再装填された魚雷が走る。

 魚雷の群れは音も無く漆黒の海面を走り、そして重巡洋艦へと吸い込まれていく。水柱が立った。

 

 重巡洋艦クラスの撃破は初めて、だけれど歓喜に沸く余裕もない。私は海に消えた重巡洋艦の更にその先に、その先に、味方が――――――。

 

「ちょっと、風雲! いったいどうした、の……」

 

 後ろから追いかけてきた巻雲が息を呑む声が聞こえる。

 

 燃えさかる艤装。

 

 重巡洋艦が攻撃していたもう一人のヒト型……違う。あれは。

 

「ちょちょ、ちょっと!」

 

 巻雲の声が聞こえる、巻雲は、私の肩をがっしりと掴んでいた。

 

「こんな所で探照灯を点けるなんて……秋雲じゃあるまいし!」

 

 だけれど、私にそんな声は届かない。たった今沈もうとしている影。あれは。

 

「ひりゅう、さん……」

 

 私の記憶とは、全く異なる汚れた艤装。

 

 身に纏う装束は私が知っているどんな艦娘の装束とも一致せず、幼い日の記憶にもないもの。

 

 でも私の探照灯に照らされたこの人は。

 

「飛龍さん? 飛龍さんですよね?」

 

 ただそれでも、この人が飛龍さんでない筈がない。

 

「ひりゅう、って……風雲。どういうことです?」

 

 巻雲が説明しろと言わんばかりに私の事を見ている。でも説明するよりも先に私は飛龍さんに取り付いた。

 気を喪っているのか、飛龍さんが眼を開ける気配はない。顔色は真っ青。

 

「艤装の脱出機構は……ここか!」

 

 飛龍さんを海中に引きずり込もうとしている鉄の塊に手を伸ばす。座学では少しの力で開くはずの開放弁は、接着剤でも用いたかのように硬い。

 

「風雲、説明してくださいよ!」

 

 巻雲が私に詰問してくる。答えない訳にはいかず、私は飛龍さんを掴みながら言う。

 

「昔、話したでしょ! 私が志願した理由」

 

 その言葉で、巻雲は全てを察したことだろう。

 私の入隊した理由。飛龍さんの存在は、夕雲型の姉妹艦たちに言わせれば私が空母に『逃げる』理由。言ってみれば不和の原因。

 

 だけれど私が譲れないぐらいに、大事な理由なのだ。

 

「え? じゃあ……でも風雲、その飛龍は作戦中行方不明(MIA)になったって」

 

 そんなの知ったことか。

 飛龍さんはあの日、私の故郷が襲われた日に姿を消した。

 

 でも姿を消しただけだ。死んで(しずんで)しまったと決まった訳じゃない。

 

「だから! ここに帰ってきたって事でしょ!」

 

 叫びながら力任せに弁を引き抜く。

 脱出用の窒素ガスが開放、濁った黒い海から気泡が一斉に立ち上がって、飛龍さんを縛り付けていた艤装が崩れ落ちる。

 

 それに巻き込まれるようにして、周囲の残骸も崩壊して海へと沈んでいく。

 

 その時、飛龍さんが眼を見開いた。その眼球が動いて、私を見る。

 

「飛龍さん! 私のことが分かりますか!」

 

 次の瞬間、確かに動いたのだ。

 飛龍さんの眼が。飛龍さんは腕を動かして、それで。

 

 

「風雲!」

 

 

 巻雲の叫び声が聞こえた。

 巻雲が驚愕と、そしてなにより憎しみの表情で飛龍さんを睨んでいたこともすぐに分かった。

 

 私は自分の身に何が起こったか、正直なにも理解できなかった。

 

 それでも言わなきゃいけない言葉は。

 

 それだけは、直ぐに出てきた。

 

 

「ダメ、巻雲……飛龍さんを、助けて!」

 

 



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第29話 手放したのは空の艦娘

「別にな。お前の絵が下手だとか、そういう話はしてないんだ」

 

 私は、都会から遠く離れた場所に住んでいた。

 一番近い小学校はバスを使わないと通えないような場所にあって、それでも全学年合わせてやっと二桁の生徒しかいない小さな学校。

 

 

 だから、がらんどうの職員室に私と担任の先生しかいないというのは、普通の話。

 

 そんな先生は、私に向かってこう言う。

 

「お前の絵は上手い。これは先生の意見だけれど、間違いなく県、いや全国までいけるはずだ。ただなぁ……なんというかこう、もう少しいい題名(タイトル)はないか?」

 

 優しい先生はいつになく困った顔。

 私が首を傾げるのを見て、先生は絵を取り出した。

 

「色使いは素晴らしい。草原と青空のバランスもいい。ただな……」

 

 そこで言葉を濁す先生。

 私はとにかく納得いかなかった。その気持ちを真っ直ぐに伝えても、先生は曇らせた表情を変えることはない。

 

「タイトルだけ変えて欲しいんだ。空を飛ぶ飛行機に手を伸ばす少女。ここまではいい、だかな。『空の艦娘』はマズい。タイトルが変われば文句を言われることもないはずだ」

 

 だから、な? 先生はそう言った。

 

 なにが『マズい』のか。私にはさっぱり分からなかった。

 先生は題名を変えなければ県のコンクールにも出さないと言う。

 

 その理由が何だったのか、それは今でも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリアナ諸島への駐留。それは当時の日本――――同盟の大転換、さらには新自由連合盟約(ニューコンパクト)への加盟を受けて大規模な海外派遣を行わなければならなくなった日本――――にとって、なによりの困難として立ちはだかった。

 

 なにせ、北マリアナ諸島は天下のアメリカ、かつては世界の警察と呼ばれ世界各地に軍隊を駐留させていた国の領土である。

 深海棲艦に敗北し、太平洋の国々と結んだ自由連合盟約における「防衛の義務」を果たすことができなくなって東アジア防衛を日本に丸投げした米国はしかし、決して自国領を他国軍に守られるという屈辱を認められない。

 けれど南太平洋に展開する上で、マリアナ諸島に兵站拠点を置かないという選択肢はなかったわけで。

 どんな政治交渉の結果か、日本には最小限の基地敷地が提供された。

 

 それがアプラ港に設けられたグアム日本国防軍基地だったのだけれど……その実態は司令部と通信施設、そして兵舎に武器弾薬庫といった最低限の設備を詰め込むことすらもできないほど小さな土地だった。

 

 つまるところ、日本国防軍グアム基地は米軍の施設にどうしても頼らざるを得ないわけで。

 

「だからって、面会にアメリカさんの許可が必要っていうのはどうも納得出来ないわよねー」

 

 そんなことを言うのは蒼龍さん。

 ここはアメリカ海軍の軍病院。護衛役として連れて(ついて)きたはずの陸軍兵士が、門前払いをくらう位には厳重に警備された施設。

 そのせいで全部の荷物を持たされることになってしまった蒼龍さんは、さっきから不満たらたらだった。

 

「それはまあ……事が事、ですから」

 

 なんて返せばいいか分からない私は、ひとまずそれらしい言葉を言う。

 

「軍医さんの話じゃ、峠は越えたから大丈夫だって話だけれど」

 

 日本国防軍グアム基地には、病室がない。正確には個室がない。隔離病室を作ることがどうしても出来なかったのだ。

 

「それにしても……なんかキナ臭いのよね」

 

 アメリカさんもどこから嗅ぎつけたんだか、そう首を傾げる蒼龍さん。

 

 私が連れてきた「あの人」は日本《こちら》の集中治療室で応急手当を受けた。

 そしてその後、ほとんど時間を置かずにアメリカの海軍病院に収容された。

 

 そう、《ほとんど間を置かずに》。

 

 確かに、病室不足からアメリカの海軍病院を借りることは珍しくない。

 奇襲攻撃を凌いだ後なので基地の医療施設は溢れるほどの負傷者で埋まっていたし、それを予想した病院側が協力を申し出るのは、普通の話とも言える。

 

 でも、それにしたって。

 

「おかしいですよ。こんなの」

 私の口から漏れてしまった呟きを無視して、蒼龍さんは黙って歩みを進める。

 案内役のアメリカ軍の人が示したのは、海軍病院の奥。異様なほどに厳重に警備された、まるで()()()()()()()()()()()()()隔離病棟。

 

「失礼します」

 

 そこは、何もない部屋だった。

 

 強いて言うならベッドとスツール、小さな机。そして鉄格子の嵌められた窓だけ。

 

 そしてその小さな世界の真ん中に、あの人の姿。

 

「久しぶりだね。艦娘になったんだって?」

 

 ベッドから起き上がり、食事を載せるのであろう展開式の机に両腕を載せて。

 そんなあの人が、私を見据えている。

 

「聞かせてよ、貴女の新しい艦名(なまえ)

「……風雲です。夕雲型の三番艦から頂きました」

 

 私たちの「艦名」はある程度の推奨艦名が定められているとは言え、希望を出すことが出来る。

 私は幸いにも、その第一希望である「風雲」を賜ることが出来た。

 

「そっか。風雲か」

 

 その声音は、私が知っているのと全く同じ。

 

「あの! 本当に……飛龍さんなんですか?」

「飛龍は殊勲艦だからねぇ。あやかりたがる軍人(かんむす)さんは幾らでもいると思うけれど?」

 

 ああ、間違いない。

 この声、この喋り方。それは間違いなく飛龍さんのもの。

 

「そんな減らず口を叩く飛龍なんて、艦娘専科は華の第1期にしかいないわよ」

 

 蒼龍さんが肩を竦めながらに言う。結んだ口の、その端を持ち上げる飛龍さん。

 

「減らず口、ねぇ……そういう蒼龍はちょっと老けたんじゃない?」

「ご挨拶ね飛龍。アンタも同じだけ老けてるはずなんだけど?」

 

 蒼龍さんが肩を震わせながら言う。部隊長を務める蒼龍さんは、9護群に所属する艦娘の中でも大ベテラン。それはつまり、蒼龍さんが最年長である訳で。

 

「ねぇ。ちょっと風雲ちゃん。なんでこんなヤツ助けたの?」

「え?」

 

 頭上に低気圧が現れそうな表情で蒼龍さんが私を見る。

 

「今の私、何の関係ないですよねっ?」

 

 蒼龍さんの地雷を踏んだのは飛龍さんのハズ。

 なのに蒼龍さんは指を立てて続ける。

 

「風雲ちゃん。指揮系統の(トツプ)を叩くのは基本。そしてナマモノである兵士、ましてや高速修復材で肉体的損傷(ダメージ)をモノともしない艦娘であれば最も有効なのは精神攻撃ということになる。つまりだよ、うら若き乙女に歳の話を振って戦意を喪失させるなんて……これはもう深海棲艦よりもヤバイ破壊工作なワケ、おーけぃ?」

「え、えええ……やったのは飛龍さんですよね?」

「でも、その飛龍を助けて欲しいって言ったのは風雲ちゃんだよね」

 

 つまり外患誘致ってことになるよね。蒼龍さんの眼は笑っていない。

 9護群の部隊長、蒼龍さんは敵の深海棲艦すらも恐れる歴戦の艦娘。私は蛇に睨まれた蛙。

 

 飛龍さんに助けるよう視線を転がせば、ふいと目線が逸らされる。

 それから私を見やると、それから歪んだ堤防みたいに口元を緩ませてくつくつと笑い出した。

 

「いやいや風雲、流石に真面目に反応しすぎでしょ。蒼龍もマジトーンになりすぎ」

「あはは! 老けたって、老けたってなによ。再会をなんだと思ってるんだか」

 

 振り返れば蒼龍さんまでお腹を抱えて笑っている。どうやら全ては茶番劇(じようだん)だったよう。

 

「べ、別に、冗談なことぐらい分かってましたもん……」

 

 ただ蒼龍さんが只ならぬ雰囲気だったので、言い出せなかっただけなのだ。そう主張する私を()(らか)うように、ごめんごめんと蒼龍さんに頭を叩かれる。

 

 そうしてひとしきり笑った所で、飛龍さんは言った。

 

「私のこと、風雲が助けてくれたんでしょ? ありがとうね」

「そんな。礼は巻雲と蒼龍さんに言って下さい」

 

 巻雲がいなければ、沈みかけていた飛龍さんを掬うことは出来なかったかもしれない。

 蒼龍さんが私の話を信じなければ、衛生隊の手配は間に合わなかったかもしれない。

 

「そっか。艦名には縁が芽生えると言うけれど、つくづく本当の与太話(はなし)だね」

 

 そう言った飛龍さん。それから蒼龍さんへと視線を注ぐ。

 

 

「これで『めでたしめでたし』になればいいのにね。9護群付の艦娘部隊長サマ?」

 

 

 さっきまでの空気は何処へやら。その言葉一つで、蒼龍さんは無言で机に荷物を置く。

 

「結論から言えば、そういうことになるわね」

 

 荷物は決して小さいとは言えないボストンバッグ。机の上に置かれたそこからファイルを取り出して、開く。

 

「ねぇ飛龍、これまで何処にいたの?」

「そんなこと私に聞かないでよ。第一、ここが何処かも知らない。アメさんが居るってことは横田? それとも座間か嘉手納……いや、普天間だったりして?」

 

 その言葉に、蒼龍さんは眉をひそめてファイルを閉じる。

 

「グアムよ。信じられない?」

 

 その言葉を飛龍さんは予想していたのだろうか。少しの間を置いて、ため息。

 

「……蒼龍のいうことなら。信じるよ」

 

 飛龍の言葉に、蒼龍は苦笑を漏らす。

 そんな弛緩した空気も束の間。蒼龍さんの横顔、その眼にただならぬ激情が宿るのを感じ取った私は、そっと左手で三角巾を撫でた。

 

「それじゃ、私を信じて説明して頂戴。なんで飛龍は風雲ちゃんを撃ったの?」

「撃ってないよ。私は」

 

 即答だった。もちろん「はいそうですか」と引き下がる蒼龍さんではない。

 

「じゃあ、なんでここにいる風雲ちゃんは右腕を怪我しているの?」

 

 そう言いながら私を指差す蒼龍さん。そこには三角巾に吊された私の右腕。

 

「いいんです蒼龍さん。私は気にしていませんから」

「風雲ちゃんが気にしなくても、私は……いえ、国防軍(わたしたち)は気にするのよ。貫通したのよ? 今回は()()()()腕だから良かった。でもあと20センチも左にズレていたら?」

 

 私は自分の右腕、その左側20センチにある部位。丁度胸のあたりを見る。

 

 艦娘は、妖精さんの加護によって守られている。

 だからといってどんな攻撃にも耐えられるわけではないし、ましてや同じ艦娘同士の攻撃となれば加護の力は殆ど働かない。学会の見解によれば、加護が打ち消しあうのだとか……とにかく誤射ほど恐ろしいものはないという話で。

 

 そう考えれば飛龍さんの撃った砲弾が私の胴体に当たらなかったのは奇跡というべきことなのかもしれない。

 

「あの至近距離で『誤認』はキツいわよ。ましてや風雲ちゃんは救出活動中だった」

 

 それも飛龍、あなたを救おうとしてたのよ。蒼龍さんは詰め寄る。

 

「だからこそ、飛龍(わたし)に風雲を撃つ理由はないと思うけれど?」

 

 飛龍さんがそう言って、困ったように微笑む。

 

「それはこっちの台詞よ飛龍、なんで風雲ちゃんを、私の部下を撃ったの?」

 

 飛龍さんは蒼龍さんと視線を戦わせて、それから目を瞑って居座りを正す。

 

「だから蒼龍。私は何があったのか。なにも覚えていないんだってば」

「飛龍」

 

 たしなめるように言う蒼龍さん。

 飛龍さんは蒼龍さんを見ると、それから私に視線を寄越す。小さく息を吐いたところで、蒼龍さんは声のトーンを落として続ける。

 

「飛龍。私だってあなたのことを疑いたくない。でも実際に起きていることとして、あなたは風雲ちゃんを撃ったのよ。巻雲ちゃんの目撃証言だってある」

 

 そう問い詰める蒼龍。どうして二人が、こんな警察と容疑者みたいな会話をしなければならないのだろう。私は居ても立ってもいられなくなって、口を開いた。

 

「待って下さい、蒼龍さん。それなら飛龍さんは、私たちを助けてくれました」

「風雲ちゃん……」

 

 私と巻雲が深海棲艦に取り囲まれたとき、誰かが爆撃で包囲網に穴を開けてくれた。そして同時に始まった味方部隊とは全く関係ない方角での戦闘。つまり飛龍さんは私たちを取り囲んでいた深海棲艦を爆撃したことで、反撃を受けたということ。

 

 あれこそ、飛龍さんが私たちを助けてくれた、飛龍さんが私たちの味方だっていう証拠ではないのか。

 蒼龍さんは眼を伏せると、それから私と飛龍さんを見て言った。

 

「分かった。正直に言うわよ、9護群(ウチ)の司令が、今回の件を飛龍の責任問題にしようとしてる。回復し次第、本省で聞き取り調査、場合によっては査問を行うことになるわ」

「査問って……飛龍さんが何か悪いことでもしたんですか」

 

 査問といえば軍事裁判の準備段階。蒼龍さんは首を振るけれど、私は止まらない。

 

「蒼龍さん、なんで飛龍さんが査問に掛けられなきゃいけないんですか?」

 

 いくら誤射が大問題としても、敵味方の識別ミスや誤射はそんなに珍しい事故ではないはずだ。飛龍さんは身体の傷が大きくて、注意散漫になっていてもおかしくない。

 それに加えて私が撃たれたのは真っ暗闇の中。誤認する余地は十二分にあったはず。

 

 もちろんそれは、私のような経験の浅い艦娘だったらという話。

 それでもベテランだから誤射はない、という理屈は成り立たない。蒼龍さんは言い聞かせるように言う。

 

「風雲ちゃん。査問はね、なにも誤射したから行われるわけじゃないの」

「それじゃあ……」

 

 それなら、何が査問に掛けられるというのか。

 思いつかない私を越えて、蒼龍さんは問う。もちろんその相手は飛龍さん。

 

「飛龍。風雲ちゃんの町で消えてから、今日まで。何処に居たか説明できる?」

 

 その答えは、聞くまでもなく否。

 飛龍さんはこの前の戦闘のことすら覚えていない。

 

 蒼龍さんも答えを期待しているわけではないようで、そのまま続ける。

 

「本土に攻撃を繰り返されていたあの頃とは違う。今の北マリアナ諸島はまさに要塞」

 

 そんな場所に、どうしてあなたが深海棲艦()現れたの?

 

「蒼龍さん……何を、何を言っているんですか?」

 

 そう聞いても、蒼龍さんは飛龍さんと対峙するように動かない。

 

 なんで深海棲艦と現れたかなんて。

 まるで飛龍さんが深海棲艦を連れてきたみたいに……本気でそう思ってる?

 

「おかしいですよ。蒼龍さん、飛龍さんがそんなことするはずない!」

 

 ねぇ、そうですよね飛龍さん。そう問うても答えはない。

 艦娘はまず正直たれ、そんなことを言った飛龍さんだ。自分が覚えていないことを認めも、否定もしないだろう。

 

 それを逆手に取られて飛龍さんは……罪を着せられることになるのではないか。

 軍事裁判は特別裁判、疑わしきは罰せずなんて常識は通用しない。

 

「おかしいよ。それに話が早すぎる。でも今回の件……つまりグアムに対して深海棲艦が奇襲を仕掛けたという事実は、風雲ちゃんが思うよりずっと大きいの」

「それとこれとは関係ないじゃないですか!」

 

 奇襲攻撃と私への誤射、深海棲艦と飛龍さん。なんの関係もない。

 

「関係ないからこそ、関係あるのよ」

 

 蒼龍さんは、そう呟いた。訳が分からず私は次の言葉を待つ。

 だけれど蒼龍さんは、そのまま何も言わずに飛龍さんに、背を向ける。

 

「机の上の荷物は着替えね。サイズが変わってないといいんだけれど」

「待って下さいよ。蒼龍さん」

「風雲ちゃんは今日は非番でしょ。飛龍の側にいてあげて」

 

 突き放すように言って、蒼龍さんは扉に手を掛ける。それから振り返ると、言った。

 

「ねぇ飛龍。私だって納得してない。だからグアムに居るうちに、カタをつけないと」

 



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第30話 流転する雲に構図なし

 夏休みが終わっても、夏が終わるわけじゃない。

 溶けたアイスクリームみたいに崩れかけた入道雲を見ながら、私は小さくため息。

 

 先生はタイトルさえ変えればいいと言ったけれど、あれは飛龍さんの絵なのだ。飛龍さんがいるから『空の艦娘』なのであって、名前が変わってしまったら飛龍さんではなくなってしまう。

 だから私は、コンクールを諦めることにした。

 それでいいのだ。そう考えることにした。

 

 それでも、全部納得出来たわけじゃない。私は帰って直ぐに高台に行く。

 そこから見える海は、私の数少ない友達の一つだった。

 

 毎日表情をころころ変える海と空、私はお父さんに買ってもらったクリップボードを取り出す。いつもの違う空が広がっている。

 

 もちろん、学校に友達が居ないわけじゃない。

 だけれど放課後になるといつまでも校庭で遊んでいる友達たちと違って、私はバスで帰らなきゃいけない。だから私の遊び相手は自然(うみとそら)で……でも私は、それを悲しいとか、寂しいなんて思ったことはなかった。

 

 なにせ私の町には『子供』なんてのは私しかいなかったから、一人で遊ぶのは当たり前で。

 

 そしてなにより、この町には飛龍さんが居た。

 

 この町を守るためにやって来たのだという飛龍さんは、一日の殆どの時間をパトロールに費やしている。

 そうでなければ漁協の隣に建った家でゴロゴロしているか、もしくは埠頭で猫と日向ぼっこをしているか。

 

 だからこうして私が町の何処かにいれば、飛龍さんはひょっこり現れるのだ。

 

「お、描いてる描いてる」

 

 その日の飛龍さんは、釣りにでも行っていたのか釣り竿とクーラーボックスを抱えていた。

 いつも通りに何の許可もなく私の隣に座ると、私のクリップボードを覗き込む。

 

「今日はなにを描いてるの?」

 

 飛龍さんは決まってそう聞く。

 何を描いているかなんて見れば分かるはずなのに。だけれど、あの頃の私はそんな疑問を持つことなく答える。

 

「海です。ここからだと、よく見えるので」

「ふぅん。相変わらず上手いねぇ……将来は画家さんにでもなるの?」

 

 

 将来は、そんな言葉を聞くようになったのはこの頃からだっただろうか。

 

 将来の夢、職業。

 それは学校とこの小さな町しか知らなかった私には、あんまりに難しい問題(しつもん)

 

 画家になるのなんて言われても、私は画家がどんな仕事かも知らない。

 漁業しか取り柄のないこの町では、私の知っている「仕事」は少なすぎた。選択肢がなかった。

 

 だからこそ。

 

「私、艦娘になりたいんです」

 

 飛龍さんみたいな、艦娘になりたい。

 私がそう言ったのは、ごく自然な流れだった。

 

 それなのに、飛龍さんは。

 

「ロクなものじゃないよ、艦娘なんて。なるのは止めときな」

「そうなんですか?」

 

 そうだよと頷く飛龍さん。

 そんなはずはない。飛龍さんの仕事は平和を守るお仕事で、とても立派な仕事のはずで。その言葉の意味を私は、理解できていなかったのだと思う。

 

 だからこそ、私の胸に浮かんだのは、純粋な疑問。

 

「じゃあ――――どうして飛龍さんは艦娘になったんですか?」

 

 その問いに、飛龍さんは曖昧に笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……蒼龍は、優しいね」

 

 蒼龍さんが居なくなった病室で、飛龍さんが口を開いて一番に言ったのはそんなこと。

 言いたいことが分からないわけじゃない。

 蒼龍さんは9護群の部隊長で、そして私たち大勢の艦娘(ぶか)を率いていかないといけない立場だ。

 それでも「グアムに居るウチに」なんて言うのだから、蒼龍さんは飛龍さんの側に立ってくれるのかもしれない。

 

 けれどそれでも、飛龍さんの疑いを晴らせるのだろうか。

 

「飛龍さん。本当になにも、覚えていないんですか?」

「うん。覚えてない。それに覚えていたところで査問は避けられないだろうね。北マリアナ諸島は日本の砦であると同時にアメリカの砦でもあるから……」

 

 そこで言葉を濁す飛龍さん。

 私だってグアムに駐留している身だ。二つの国の旗が翻るこの土地の事情が複雑なのは知っている。

 

 だけれどそれは、飛龍さんを断罪する理由にはならないだろう。

 いや、なってはいけないのだ。

 

「私も証言します。だからきっと、大丈夫です」

「『飛龍に撃たれました』って証言は、少なくとも私に有利にはならないよ」

「それはッ……」

 

 飛龍さんは、あの頃みたいな優しい笑顔で、微笑んで言う。

 

「ありがとね。その気持ちだけで十分だから」

 

 そう言えば、私はもう何も言えない。

 そんな私を知って、飛龍さんは言葉を紡ぐ。

 

「いくつになったの?」

 

 それは、あの日の飛龍さんが今の私に聞く台詞。

 もう私だって子供じゃない。あの町に居た子供はいなくなってしまったのだと確かめるだけの儀式。私が答えれば、頷く。

 

「そっか。じゃあもう十年も経つんだ。そりゃ()()()も艦娘になるわけだよ」

 

 飛龍さんは、つい今までの追求を意にも介さない様子。

 それが私への配慮なのは見れば分かる。なにか言わなきゃいけないのに、あんなに言いたいことがあったはずなのに、なにも言葉が出てこない。

 霧散した言葉をどうにかかき集めようとする私を見ながら、飛龍さんは私に座るよう促した。

 

「まさか、本当に艦娘になるなんてね」

 

 飛び出したその言葉。私はその意味を飲み込む。

 なるなんて、なんて。

 

「やっぱり、私は艦娘になるべきじゃなかったんですか」

「うーん、別にダメとは言ってないよ。私が決めることじゃないし」

「でも昔、飛龍さんは言ってましたよ」

 

 そう言えば、そうだっけと飛龍さん。あの時の飛龍さんは、確かに艦娘なんてなるものじゃないと言った。だけれど艦娘は平和を守る仕事で……。

 

「でも、ロクなものじゃなかったでしょ? 艦娘は」

 

 思い出したのか、それとも初めから覚えていたのか。飛龍さんは寂しそうに笑う。

 私はなんて言ったらいいか分からない。だから話を逸らすしかなかった。

 

「あの、査問って……どうなるんですか?」

 

 飛龍さんはベッドの上に視線を戻す。

 

「まあ十中八九、軍事裁判になるだろうねぇ。日米関係とかそういう話になれば誰かしらが処分を受けなきゃいけないし、高度な政治問題(そういうもんだい)を解決するのが軍事裁判だしね」

「……」

 

 深海棲艦との戦争。大陸との連絡を絶たれてもグアムに駐留し続けるアメリカ軍。

 

 ロクなものじゃない。確かにそうなのかもしれない。

 

「むしろ問題なのは、誤射じゃなくて()()()()の方なんじゃないの?」

「敵前逃亡……?」

 

 なんで。なんでそんな話になるというのだろう。飛龍さんは深海棲艦に立ち向かっていった。敵前逃亡とは真逆のことをしたというのに。

 

「私は、アイツを止められなかったからね」

 

 飛龍さんが、そんなことを言う。それは何処かで聞いたような台詞。

 

「ねえ。あの町は、どうなったの?」

 

 思い出したように、飛龍さんは言う。私は嘘が下手だから、それに飛龍さんの前で嘘を吐きたくはなかったから、本当の事を話すしかない。

 

「飛龍さんのお陰で、みんな無事でした……でも。風評が、広まったんです」

 

 深海棲艦との戦闘があった地域の魚は汚染される――――――そんなデタラメを最初に言い出したのは誰だったか。

 本土攻撃なんて数年ぶりのことだったせいで、インターネットだけじゃなくメディアにすら憶測が広まった。漁協が気付いた頃にはもう手遅れだったという。

 

「私の町、漁業だけが取り柄だったのは知っているでしょう?」

「そっか。私のせいだね」

「そんなこと」

 

 言わないで下さい。私の声は飛龍さんに届いただろうか。

 

 もしも飛龍さんがいなければ、私の故郷は焼かれていたはずだ。確かに最後にはなくなってしまった私の町だけれど、それでも家族は無事だったのだ。

 

 それはやっぱり、飛龍さんのお陰で。

 

「でも、いいんです。いろいろありましたけれど、こうしてまた飛龍さんに会えた」

 

 だからそれでいいんです。私がそう言うと、飛龍さんは窓の外を見る。

 

「戦争を、終わらせる」

「え?」

 

 飛龍さんはぽつりと小さく、けれど確かにそう言った。それは国防省が、政府が、それこそ世界中が叫んでいること。深海棲艦との戦争はあまりに多くの不幸を生みすぎた。

 

 なのにそれを飛龍さんが言うと、急に現実味のないことに聞こえてしまって。

 

「あ、ううん。なんでもない……昔ね、そういうことを言っていた子が居たのよ」

 

 しかもその子、現役の艦娘だったんだよ。何処か遠くを見ながら飛龍さんはそう言う。

 

 その子というのは、誰のことなのだろうか。

 知るわけもない相手に思いを馳せる私。飛龍さんは蒼龍さんと同期の国防大学校卒業生。もしもあんなことがなければ、蒼龍さんのように部隊長になっていたのだろうか。

 

「戦争って、終わるんですか」

 

 口を突いて出た疑問。

 国防軍は戦争の仕方をずっと考えている。

 

 国防軍に所属する私たちは戦争の訓練をして、そして戦争を続けている。だけれどこの戦争の終わらせ方なんて誰も考えていないんじゃないだろうか。私が産まれて少し経った頃にはもう始まっていた戦争。私にとっての戦争は、世界の一つ。

 

「時々、分からなくなるんです……戦争がない、平和な世界ってなんだろうって」

 

 だって。

 

 飛龍さんがいた私の故郷。

 飛龍さんがいなくなった故郷。

 親戚を頼って移り住んだ都会。

 

 ――――――それらの景色は全部、戦争の中の景色なのだ。

 

「まあ、そうだろうね。ならそれは私の責任だ。私は戦争を終わらせたかった」

 

 飛龍さんはそんなことを言う。それから手を私に伸ばす。その先には、私の右腕。

 

「ごめんね。こんな傷、作らせちゃって」

「いいえ、飛龍さんが謝ることじゃありません」

 

 例え飛龍さんが撃った傷だとしても、飛龍さんが謝ることじゃない。

 私は、自分の決断で国防軍に入った。飛龍さんにそんなことで謝られたくない。飛龍さんは結局のところ他人に過ぎなくて、私の人生に責任なんて持たなくていいのだ。

 

 だから、私がここにいるのは、全部私の責任。飛龍さんは何も悪くない。

 

 飛龍さんは深呼吸。それを吐いてから、鉄格子のはめられた窓を見る。

 病院の敷地を取り囲む木々の向こうには北マリアナの空。思い出したように飛龍さんは口を開く。

 

「そういえば。絵は、どうしたの」

 

 画家さんにでもなるの? あの頃の飛龍さんの声が蘇る。

 

 芸術家になる。

 そんな淡い夢を抱いたのは一度や二度じゃない。だけれどそれでも、私は結局艦娘になった。だから。

 

「……諦めたんです。田舎じゃ一番でも、都会じゃそうはなれなかったので」

「まさか。あなたが辞めるはずがない」

 

 そんなことはないですよ。飛龍さん。そうは言えなかった。私は艦娘になった今でも絵を描き続けている。

 

 そのために、この右手を庇い続けている。

 

 でも一方で、諦めたのは本当だ。美術の大学に進むという選択肢はあった。それどころか入学試験だって本当は受けた。それなのに、結局私は国防軍(ここ)にいる。

 

 押し黙った私を、飛龍さんは肯定と受け取ったのだろう。

 

「見せてよ、今のあなたの絵」

 

 それは、あの頃の飛龍さんの台詞。私はあの頃と同じように、それを差し出す。

 

「へえ。デジタルで描いてるんだ。ナウいねぇ」

「友人に勧められたんです。営内には画材も持ち込みにくいですし」

 

 端末にデータとして収められた私の絵。持ち運びに便利なそれはあまりに小さくて、私が絵に詰め込んだ全部は伝わらないだろう。

 それでも目をこらして私の絵を眺める飛龍さん。もしも私が芸術の道を進んだなら、私はもっと大きくて真っ白なカンバスを相手にしていたのかもしれない。

 飛龍さんが眼を向いて倒れるような、そんなスゴい絵が完成したのかもしれない。

 

 でもそうだったのなら、多分この、今という瞬間は存在しなくて。

 

「驚いた。すごい上達したね」

 

 そのハズなのに、飛龍さんの言葉はどうしてもお世辞に聞こえてしまって。

 

「ありがとう、ございます」

「どうしたの? この私が褒めてるんだから、もっと喜びなさいよ」

 

 飛龍さんは変わらない。この人は私が知っている飛龍さんだ。

 それなのに、私ときたら。

 

「飛龍さん。あの夏の絵、覚えてますか?」

 

 覚えてるよと飛龍さん。

 

 自由研究が決まらなくて、飛龍さんに相談したあの夏。

 空戦機動を研究すればなんてとんでもない提案をしてきた飛龍さん。

 

 そんな飛龍さんを見ながら、私は自由研究に飛龍さんの空を描いたのだ。

 

「あれ、飛龍さん以外には見て貰えなかったんです」

 

 その絵のタイトルは『空の艦娘』。飛龍さんが居た夏を切り取った、私の絵。

 

「多分私は、飛龍さんが思うほど上手くはないんですよ」

 

 高校でもそうだった。

 私の絵は、漫画は、結局誰かに見て貰えたわけじゃなかった。もしかすると誰かが気に掛けてくれたのかもしれない。でも感想だって貰ったこともない。

 

「そうかな。私は素敵だと思うけれど。私以外もそう言ってるヒト居るんじゃない?」

 

 そこで脳裏に浮かぶのは、訓練学校で意気投合した秋雲の顔。

 

 そう言えば秋雲、私の作品が面白いって言ってくれたっけ。でもそんな秋雲は同人作家として大活躍している。

 

 

『プロの編集さんが要らないっていった程度の作品で、勝った気にならないでよね』

 

 

 いつかのクラスメイトはそう言った。

 それなのに私は、結局今日までダラダラと書き続けている。

 

 秋雲は私のことを必要としてくれているのかもしれないけれど、それは結局お互いの利益が一致しているからこその協力関係でしかなくて。

 

「私が絵を描いていたのは……きっと、飛龍さんと繋がっていたいからだったんです」

 

 私の告白に、返ってくる言葉はない。

 絵は、飛龍さんと出会う前からずっと描いていた。だけれど飛龍さんと出会ってから、私はもっと絵を沢山描きたいと思ってきた。見て貰いたかったのだ。

 

 飛龍さんに、私の憧れのヒトに、褒めて貰いたかったのだ。

 

「だから、飛龍さんにとってのステキな絵は描けても、それ以上は無理なんです」

「それは違うでしょ。あなたの絵はあなただけのものだよ」

 

 飛龍さんは、私を真っ直ぐ見て言う。私は眼を合わせられなくて、視線を逸らす。

 

「もし私に見て貰うためだけに絵を描いていたんなら、どうしてこんなに上達したの?」

 

 分かっている。飛龍さんに言われなくなって分かっている。

 昔は、もっと全力で絵に取り組んでいたはずなのだ。

 

 本気で漫画家になろうと思ったこともある。

 芸術の大学に入って、全力で画家を目指そうと思ったこともある。

 

 軍隊生活だって、空母艦娘になるためと決意してやって来たはずなのだ。

 そして今、蒼龍さんと訓練を再開しようとしている。

 

 それなのに、私はそれをやり抜けない。

 

 私は、画家になることもせず、空母になることもせず、こうして小さな端末(せかい)に自分の世界(もうそう)を詰め込んでいる。

 昔の私は違ったのに、もっと輝いていたハズなのに。

 

 

 それとも――――――私はずっと昔から、こんなのだろうか。

 

 



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第31話 縁が繋ぐは今か未来か

 

「――――――国防意識に燃えて。なるほど、そのきっかけは?」

 

 

 階級は、3等海佐。

 

 高い階級だなと思った私は、3佐がありふれた存在なんてしらなくて。

 私は緊張で胸が張り裂けそうになるのを抑えて、言葉を紡ぐ。

 

「私が昔住んでいた町は、海のそばにありました。その町を守ってくれた艦娘に憧れて、私もその人みたいになりたいと思ったんです。そこから国防に興味を持ちました」

 

 試験官は、たったの二人だった。

 私の話に片方の試験官は興味津々といった風に質問をする。出身地を知っていたのか、私の話はすんなりと通じてくれた。

 

「なるほど。つまりあなたは航空母艦の艦娘になりたくて志望したわけですね」

 

 その問いに私は首肯。満足げに頷く面接官の代わりに、隣の面接官が口を開く。

 

「ですが艦種には適性があります。航空母艦は誰しも適性がある訳ではありません」

 

 航空母艦になれないのであれば、あなたはどうしますか。そんな事を聞く面接官。空母がその特殊性から適性ありきの存在であることくらいは知っている。

 

「私は、なにも航空母艦として憧れたわけではありません。私の町を守ってくれた、一人の艦娘として尊敬しているんです。ですから他の艦種であっても、私は構いません」

 

 嘘だ。この嘘つき。見え透いた嘘を知って知らず、面接官は続ける。

 

「なるほど。航空母艦では分霊遠隔操作の技術が求められますが、その経験は?」

 

 航空母艦艦娘は、特殊な存在。沢山の妖精さんを操って、そして深海棲艦と戦う。

 

 勿論一般市民がやったことある技術じゃない。

 あんなにフリーダムな妖精さんに言うことを聞かせようなんて、普通の人なら絶対に考えないだろう。私だってそうだ。

 

「経験はありません」

 

 私は、また嘘を吐く。面接官は想定内といった風で続ける。

 

「訓練は、他艦種と比べてかなり根気がいりますよ。それに自分自身を鍛えるのとは訳が違います。あなたにそれが、出来ますか?」

 

 出来るか出来ないかなんて、やってみなければ分からないことをよくも聞くモノだと思う。一体私の何を見ているのかも分からない面接。面接官は無表情に私の答えを待つ。

 

「大丈夫です。できます」

 

 だって、私は飛龍さんに空を教えて貰ったから。だから私は自信満々に答えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日の夏空は、どこまでも澄み渡っていて、一つの雲もなかった。

 ぐらり。視界が傾いだ。慌てて引き戻そうとするけれど上手くいかない。速度は正常、エンジン計器も異常はない。となると気流にでも掴まったのか。そんなことを考えるよりも早く、私の視界は落っこちていく。

 

「はいはい、操縦貰うよ(アイハヴコントロール)

「は、はい」

 

 小一時間前に教えて貰った「ユーハブコントロール」という合言葉も思い出せず、私はすっと意識を飛行機から引き離した。

 

 私の制御下から逃れたそれは、息を吹き返すように入道雲へと登っていく。

 がっくりと肩を落とした私を、飛龍さんはぽんぽんと叩く。

 

「まあこんなもんだって。実機ならもっと感覚的に操縦できるんだけれど、妖精さんも完璧に指示を聞いてくれるワケじゃないからね」

 

 空母艦娘が操る艦載機。それは『妖精さん』という不思議な存在に頼る特殊な技術に支えられている。飛龍さんは不思議なモノでもないというけれど、少なくともあの頃の私にとっては不思議な存在でしかなかった。

 

 それでも、その妖精さんの艦載機を操らせてくれると聞いたときは、心の底から喜んだものだ。飛龍さんの艦載機はとても格好良くて、本当ならただの一般人に過ぎなかった私が触れるハズがなくて。どうやって軍に説明したのかは、今でも分からない。もしかしたらアレは飛龍さんの独断で、許可なんて貰ってなかったのかもしれない。

 

 それでもあの日の私は、自分の手で空を飛べたことを、確かに喜んでいた。私に貸していた飛行機と、残りの他の飛行機を集めて編隊を作りながら、飛龍さんが言う。

 

「それにしても、他人にアサインされた妖精さんで動かせるのはすごいことよ?」

 

 細かな技能(うごき)は後々ついてくるとして、あなた才能あるんじゃない?

 

 多分ソレが、私に空母艦娘を目指させた決定的な言葉で。

 ――――――そして飛龍さんが私に初めて吐いた、世辞(ウソ)だったのだ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 かつては観光地として賑わった、北マリアナ諸島のグアム島。

 僅か一時間の時差と飛行機で数時間という近さはハワイの魅力に勝るとも劣らない。

 

 だからこそグアムには沢山の日本人が遊びに来ていたという。

 観光客向けのショッピングセンターに、アメリカ直轄領ならではの実弾射撃体験。もちろん本業の南洋リゾートだってある。

 そう言った場所だからこそ、私たちは通信網を思う存分に使うことが出来た。

 

「……うん。そう、だから『空の艦娘』を送って欲しくて、郵便じゃなくてメールね?」

 

 その恩恵で、私はこうして電話を掛けることが出来る。

 一時間の時差を考えれば向こうはそろそろお昼時だろうか。そんなことを考えながら、私はお腹をさする。

 

 電話の向こうは、見つかったらねと条件付きながらも私の頼みを聞いてくれる。

 私はあの絵が収められた場所をおぼろげながらに言うけれど、もう何年も触っていなくて自信がない。

 

 迷惑をかけてる自覚はあるつもりだ。

 私は、ずっと迷惑をかけてきた。

 

 既に用事は終わったけれど、電話の向こうは名残惜しそうに話を続ける。アメリカ海軍病院ともなれば、長々と日本語を話し続ける日本人は不気味でしかないだろう。

 私は出口への道のりを急ぐ。ギラギラとした太陽光に照らされた出入り口が見えてきた。

 

「うん、大丈夫。頑張ってるよ」

 

 それとも、頑張っていないとでも思われているのだろうか。

 

 本当は反論したくて、でも一方で反論できない自分がいる。

 私のことをずっと見ていた家族には、私はその程度の人間にしか見えていないのかもしれない。その程度なら、どうして手紙が少ないことを嘆くのだろうか。

 私は分からずに、忙しくて出せないのだと弁明する。嘘ではない。

 

「うん、ごめんね。あ、もう切らないと。じゃあね」

 

 その言葉で区切ってしまって。私は携帯を仕舞う。

 病院の入り口、そのロータリーには一台のタクシーが止まっている。そこには、私の見知った顔。

 

「ごめん、待った?」

 

 乗り込みながら聞く私に応えることなく、出して下さいと英語で言う岸波。やっぱり待たせてしまったのだろうか。居心地の悪さを覚える私に、岸波は呟くように言う。

 

「珍しいですね、街に行こうだなんて」

「見ればわかるでしょ。街には行ってないわよ」

「腕の怪我ですか? 基地の医務室で治せばいいのに」

「お見舞いに行ったのよ、私より重症のヒトのね」

 

 私の言葉に興味がないのか。岸波が反応する様子はない。

 今日は週末。市街地に遊びに行くと言った彼女を私は捕まえて、タクシー相乗りを提案したのである。

 

「……そんなことより、なんちゃらダイビングはどうなったのよ」

「そちらこそ、秘密の特訓はどうなったんですか」

 

 お互い、その問いに答える義務はないのだろう。

 

 蒼龍さんと週末に予定していた艦載機操作の練習は、私の怪我で延期。その蒼龍さんも奇襲攻撃の後片付けで忙しいと言っていた。その証拠に、蒼龍さんは初日以来、飛龍さんの病室に来ていない。

 

 岸波がなんちゃらダイビングに行かない理由も、同じようなものだろう。

 彼女が慕う『ぼの先輩』は9護群の中でもかなりの実力を持つ駆逐隊の長。蒼龍さんほどではないにしろ、きっとかなり忙しいのだろう。

 

 戦争は、戦うことよりも終わらせることが面倒だからね。

 先ほど聞いたばかりの飛龍さんの言葉が蘇って、私は隣に座る岸波を見ないようにして、窓の外を見る。

 

「まさか、あなたに相乗りを提案されるとは思いませんでした」

「お金は節約する、これ鉄則でしょ」

 

 そこで沈黙。タクシーは片側二車線の一号線にそって進んでいく。

 たちまちに市街を抜けると、両脇には生い茂った緑ばかり。そんな景色は平穏そのもの。幼い日の私が、寂れた路線バスから眺めていた景色と似ていて……でもそれは、戦争の中の平穏で。

 

 今この瞬間も、誰かが戦っている。

 それは深海棲艦と直接海の上で、もしくは輸送船を護衛する形で。

 

 蒼龍さんのように書類と戦っているヒトもいるし、銃後の人々(むかしのわたし)も戦っているのだろう。

 軍隊の予算を支えている税金を支払うことで、もしくは艦娘の守るべき銃後(いとなみ)を続けることで。

 

 飛龍さんにとってのあの頃の私は、守るべき存在だったのだろうか。

 

 

『私のせいだね』

 

 

 飛龍さんは、そんなことを言う。

 私の故郷がなくなってしまったのも、私が国防軍に入ったのも、そして右腕を怪我したのも。飛龍さんのせいだと言う。

 

 そんなことは決してない。

 飛龍さんと初めて会ったあの日、私は絵を描いていた。

 

 飛龍さんに色んな絵を描いて見せたのは私だ。

 飛龍さんが居なくなった後も絵を描き続けたのが私だ。

 高校の漫研で諦めたのも私。

 国防軍に入ったのも私。

 空母になれなかったのも私。

 

 蒼龍さんと話したあの夕方。直ぐに鳴ったサイレン。

 

 戦闘。

 

 そして飛龍さん。

 

「……ねぇ。岸波、私。なにしてるんだろ」

戦争(しごと)じゃないですか。私たちは国防軍人(かんむす)ですし」

 

 岸波の台詞はその通り。けれど、私はそういう話をしている訳じゃない。

 そう言いたくなって、けれどその言葉は飲み込んだ。

 

 それは口に出したところで何の意味もないことだろう。

 岸波に私の人生をどうにかする権利も義務もない。蒼龍さんは私が決めろと言う。秋雲は空母課程を目指す私を止めようとしない。

 

 そして私がどうなろうと、みんな勝手に生きていく。

 

「岸波はさ、なんで艦娘になろうと……ううん、なんで艦娘を続けてるの?」

「兄弟が六人いるんです。父は腰を痛めました。国防軍なら待遇がいい」

 

 岸波は事もなげにそんなことを言う。

 それは私に突きつけられた刃。私の家族は全員無事で、別に経済的に困窮しているわけでもない。ごめんと言うのが精一杯。

 

「気にしませんよ。今のはウソですから」

 

 口を開けることも出来ずに、岸波を見返す私。

 彼女はいつもと変わらぬ調子で続ける。

 

「兄弟は三人しか居ません。三人とも兄です。私が大卒入隊なのはご存じでしょうに」

 

 向こうはネタばらしのつもりなのだろうが、それにしたって冗談にはなっていない。

 大学を卒業したと言って家庭が裕福な証拠にはならない。もしもここで心ない言葉を放ってしまうのならば、私は風評で故郷の漁業(せいかつ)を潰した奴らと同じになってしまう。

 押し黙った私の代わりに、岸波は喋り続ける。

 

「まあ。真面目に答えるなら、それは私を受け入れてくれるからです」

 

 私、多分みんなに変なヤツって思われているでしょうけれど。岸波はそう言う。

 そりゃ笑えない冗談を言う時点でそうだろうなと私は他人事のように思う。

 

 ……やっぱり他人事か。

 

 そんな私に「陳腐な言い方になるので笑わないでくださいね?」と前置きした岸波。

 

「ここの同期は、文字通りの姉妹ですよ。通す袖が同じ、借り受けた艦名に(ゆかり)がある。そんなものじゃなくて、確かに姉妹(かぞく)なんです。まあ、これは私の勝手な意見です」

 

 だからどうぞ気にしないで下さい。岸波はそう言う。

 

「じゃあ。私をなんちゃらダイビングに誘ったのも?」

「スキューバダイビングです。そうです。あなたはそれでいいのかもしれないけれど、数少ない同期の仲が引き裂かれるのは、見ていて気持ちの良い物じゃありませんから」

「驚いた。岸波は中立じゃなかったの?」

 

 言ってしまって後悔するのはいつものこと。

 別に私は岸波の揚げ足を取りたい訳ではない。

 

 なのにこんな事を言ってしまう私に、岸波は小さく笑う。

 

「中立ですよ。でも強いて言うなら、私は同期の味方です」

 

 だから、どっちの側に立つとか。そういうのはないんです。

 そう言う岸波は、やっぱり面倒見が良い。それはありがたいけれど、多分納得出来ない私も居て。

 

 多分、私と岸波の話していることは同じで、そして噛み合っていないのだと思う。

 常に危険と隣り合わせである国防軍という組織が、本当に仲間を大切にする家族のような存在であるのなら、きっと同期は姉妹で先輩は母親で、そして後輩は娘になるのだろう。

 

「でも、家族なら。ほっぽりだしたりはしないでしょ」

 

 なのに、飛龍さんは今、査問に送られようとしている。

 病院には入れ替わり立ち替わり違う人がやって来て、それで私は病室の外に出されて待たされる。

 

 飛龍さんは、連日のように聞き取りを受けていた。

 毎日同じ時間にその人たちが帰っていくと、飛龍さんはなんでもなかったような顔で私を迎える。

 

 私に聞いてもなにも分からないのにね。

 

 そう笑う飛龍さんが少し疲れた表情をしていたのは、気のせいじゃない。

 

 私の言葉に、岸波はなにも返さない。

 岸波の言う家族というのは、そんなに小さな枠組みなのだろうか。

 飛龍さんをはじき出しても構わないというのだろうか。

 

 それが分からない私に、岸波は言う。

 

「まあ、これは私の勝手な意見ですから」

 

 それだけです。実際は違う事なんて百も承知、そんな風な物言いに、私は多分反感を覚えたのだと思う。そんな私を知って知らず、岸波は言う。

 

「それとも、あなたみたいに『国防意識に燃えて』とでも言って欲しかったですか?」

「国防意識……ね」

 

 それは、私が面接の時に吐いた嘘。

 私は飛龍さんのようになりたかった。

 飛龍さんみたいに、大空に飛行機を飛ばして、そして何かを守ってみたかった。

 

 それは言い換えれば国防意識という言葉になる。

 

 ただそれが、本当に国防意識と呼べるモノなのかどうか、私には分からない。

 分かるはずがない。だったらそれは、嘘だ。

 

「なんであなたは、国防大学に行かなかったんですか」

 

 それは、一般大学を卒業した岸波だからこそ言える台詞。訓練学校に入った同期の大半は大学や専門学校を出てから国防軍にやってくる。私みたいな高卒艦娘は、珍しい。

 

「……願書を、出さなかったからだよ」

 

 なんで、とは。岸波も聞かない。

 

 それに甘えて、私もそれ以上は口を開かなかった。

 

 

 

 

 

 

 軍隊において最も重要とされるのは、その運用に欠かせない兵站であるという。

 

 それは燃料弾薬はもちろん食糧の話。つまり食事である。

 それは軍隊が戦っていようと休んでいようと必要なもので、休日であっても食堂には人が集まるということ。

 

「あれ、夕雲さんは?」

 

 私が首を傾げたのは、食堂の手前で巻雲と落ち合った時だった。

 別に強制されているという訳ではないけれど、食事というのは僚艦と一緒に食べるのが普通だろう。いつものように秋雲と連れ立って食堂へ行くと、そこに夕雲さんの姿は見当たらない。

 

「休日出勤ですよ。やり残したことがあるとかで」

 

 まあ出勤って言っても同じ敷地内ですし、どうも仕事と休みが曖昧になりますよねぇと巻雲。

 どうやら朝からずっと書庫に篭もっているようで、そう説明する巻雲も詳しくは知らなさそうである。秋雲もあの夕雲さんが珍しいと多少の関心を示しただけ。

 

 まあ付き合いとはいえ何となく一緒に食べているだけなので、わざわざ待つこともないだろう。私たちは食堂へと入る。

 

 グアム基地は、狭い割には職員が多い。

 その理由は言うまでもなく9護群(かいぐん)分遣隊(りくぐん)、そして警戒隊(くうぐん)までもが駐留しているためで、休日であっても食堂はパンク寸前。施設の拡張は予算以前に敷地が足りなくて出来ないらしい。

 

「お。今日の護衛艦カレーは〈やまづき〉のカレーだって」

「やった。当たりですね風雲!」

 

 看板を見た秋雲が呟くように言って、巻雲がこっちを見る。

 私は何拍か置いて、ようやく自分が巻雲に賛同を求められていることに気付いた。

 

「えっ、あうん。そうだね」

 

 陸海空の各職員が入り乱れるグアム基地では、メニューのレパートリーは人気(アンケート)に基づいて決められている。

 だから海軍なら必ず金曜日に出ると決まっているはずのカレーがこうして休日に出てくるのは普通の話。そんなカレーの中でも人気な護衛艦直伝カレー。それが今日のメニューらしかった。そうかカレーかと頷く私を、巻雲が訝しむように見る。

 

「……どうしたんですか風雲? 〈やまづき〉のカレー、風雲のお気に入りでしたよね」

 

 護衛艦〈やまづき〉のカレーは甘くてとろみがあることで有名で、9護群所属の護衛艦カレーの中でも一番のお気に入りだ。そうなのだけれど。

 

「まあまあ、そんなこともあるよ。夏バテでしょ?」

 

 気を利かせてくれたのか、秋雲がそんなことを言う。そういえば、秋雲の原稿はどうなったのだろう。私は今更ながらそんなことを考える。頭の中のカレンダーは秋雲の締切までは書いていない。私はなにか手伝わなければいけないのかと頭の隅で考える。

 

 ……秋雲が原稿の話をしないのは、きっと私が右腕を怪我しているからだろう。

 

 まだ三角巾の取れない私の腕。これが取れて、傷を癒やした私の腕は、果たして昔と同じように描けるだろうか。そんな不安がどうしても脳裏に過ってしまう。

 

 だけれどそれ以前に、私は昔みたいに全力で描いていないのだから。秋雲に負けない手伝いが出来るとは思えなくて。

 

「とにかく、私らは身体が資本ですから、しっかり食べないとですね!」

 

 そう言いながら当たり前のように二人分のトレーを持つ巻雲。勝手にカレーを大盛りにするのは勘弁して欲しいけれど、私を心配してくれているのは確かなことで。

 

 半ば惰性でカレーの置かれた席に座る。二人も一緒に席につくと、いただきますの合図でそれぞれの昼食へと手を伸ばす。時間がズレてしまったお陰か、混雑した食堂からは波が引くようにヒトが減っていく。

 

「風雲、本当にどうしたんですか? 左手も痛みます?」

 

 巻雲が私のことを覗き込んでくる。

 それでようやく、私は自分のスプーンが動いていないことに気付いた。

 

「あぁうん。えっと」

 

 なんて誤魔化そうか、初めはそう考えた。

 だけれど私はその考えをかき消す。嘘は苦手だし、それに隠す理由はないだろう。蒼龍さんも「秘密」だとは言っていない。

 

「……飛龍さんが、査問にかけられそうで」

 

 その言葉に、巻雲だけじゃなくて秋雲も動きを止める。巻雲は少し表情を作って言う。

 

「とは言いますけれどね。あの艦娘が風雲を確認して撃ったのは間違いないんですよ?」

「それはそうかもしれないけれど、いきなり軍事裁判っておかしいでしょ」

 

 正直、私もどういう基準で軍事裁判が開かれるかはよく分かっていない。それに飛龍さんの言う敵前逃亡が本当に成立するのなら、軍事裁判は現実味のある話で。

 

「まあ私たちがなにを言ってもですよ。下っ端ぺーぺーじゃなんにもなりません」

 

 それは、恐らくその通りなのだろう。蒼龍さんは何とかするつもりなのかもしれないけれど、その方法については私は何も見当が付かない。

 

 

『深海棲艦が奇襲を仕掛けたという事実は、風雲ちゃんが思うよりずっと大きいの』

 

 

 飛龍さんに掛けられた疑惑は、私への誤射なんかよりずっと大きなモノ……蒼龍さんはそう言う。

 私は、北マリアナ諸島の防衛体制がどうなっているかなんて知らない。

 

 なにせ、公式発表と違う事なんていくらでもあるのだ。

 

 例えば徹底して管理されているという基地外、つまり米国領(グアム)への出入り。

 入る時はともかく出るときはチェックもされない。強いて言えば身分証明書(IDカード)をちゃんと持ったか聞かれるくらい。

 

 あれほど謳われた有給消化率は怪我のリハビリに重ねられていつの間にか消えているし、その割に官品をなくせば寮舎をひっくり返しての大捜索。

 それが当たり前なのだと言い聞かせるウチに、どうも公式発表というのが信じられなくなってしまった。

 

 そしてそれを、私たちは当たり前のように受け入れている。

 

「まあ何にせよさ、悪いようにはならないって。そう考えようよ」

 

 慰めるつもりなのか、秋雲がそういう風に言う。

 なんにも知らないクセにと言いたくなるのを必死に抑えて、私は秋雲を見る。もしも秋雲が無配慮なら原稿手伝ってよと言うだろう。だからこれは、秋雲なりに気を遣っているのだ。その秋雲が言う。

 

「……飛龍さんは、なにか言ってたの?」

「なにも、言ってなかった」

 

 不満を漏らすこともなく、ただ「そっか」とだけ言った飛龍さんが瞼の裏に蘇る。

 

 

『ロクなものじゃないよ、艦娘なんて』

 

 

 あの飛龍さんの言葉、その意味を知るのに時間はかからなかった。

 なるほど、国防軍は国防省と同じお役所で、厳しい規則と理由も知らない不文律が横行している場所で。

 

 それなら、なんで飛龍さんは艦娘になったのだろうか。

 

 今回の査問はきっとロクなものじゃない。

 そんな場所に行って裁かれる飛龍さんは、なにを思うのだろうか。

 

 少しの沈黙を置いて、呟くように秋雲は言う。

 

「じゃあ。しょうがないよ」

 

 しょうがないよ。

 その言葉、どれだけ聞いただろう。

 

 今回のことについてじゃない。訓練学校の時からそう。

 なにもかも理不尽で、結局は「そういう組織なのだ」と諦めるしかない。戦時だから仕方がないと、皆で言い聞かせ続けている。 

 

 その時、食堂の一角でざわめきが起こる。

 ざわめきというか、違和感というか。見ればそこには蒼龍さんの姿。蒼龍さんは護衛隊群付艦娘隊の司令(たいちょう)なので、普段はあまり食堂(ここ)には顔を出さないはずなのに。

 

 蒼龍さんは私を見つけると、食堂の全員の視線に晒されながらずんずんとまっすぐ此方へ向かってくる。

 

「ど、どうしたんですか……蒼龍さん」

 

 蒼龍さんは、肩で息をしながら私の事を見ていた。

 明るい部隊長であるはずの蒼龍さんがこんな顔をするなんて。

 私じゃなくても何かあったと察するだろう。

 

 それも基地内放送で呼び出すわけにもいかないような、何かが。

 

 

 

 

「飛龍が――――――逃げたよ」

 

 



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第32話 白紙を嘘で染め上げる

 行けば分かるとは言われていたけれど、本当に分かりやすい。

 

 

 廃線寸前の路線バスで繋がれた、小さな町。

 そこが私の新しい赴任先だった。

 

 漁協に挨拶をしに行けば、泣かれるような勢いで喜ばれる始末。艦娘の神格化ここに極まれりと言った同期の顔が思い浮かばれるけれど、ともかく気にしても仕方がない。

 

 周辺の地図や海図を集めて、ひとまず一通りの警備計画を立てる。

 国防海軍、ことさら艦娘の人材不足は有名な話で、深海棲艦に対して私たちは常に機動戦を強いられてきた。

 

 敗北前提の警備計画。悲しい話ではあるけれど、それが現実だった。

 

 そういう事情で、使える艦載機(コマ)も多くない警備計画の立案は直ぐに終わる。

 深海棲艦との戦闘計画に、予期せぬ敵を相手にした基地防衛計画。

 とにもかくにも軍というのは計画九割、いや九割九分の世界である。国防大学校で扱った戦史も、その殆ど準備段階で戦いは決しているのである。

 

「戦争を終わらせる、か……」

 

 その実、上層部すらも戦争を終わらせる方策は考えていないのだろう。

 

 艦娘という新兵科の設立、革新的な深海棲艦との戦い。

 そんな試行錯誤に満ちた華の艦娘専科第1期も、気付けば『開戦世代』なんて言葉で括られるようになってしまった。

 

 開戦世代、戦中世代……そんな風に呼ばれるようになってしまっては、この国もお終いだろう。

 

「もっとも、私も暫くは同類(おやすみ)だけれどね」

 

 転勤命令は誰がために。とはいえ命令が全ての組織に属する以上は従うほかない。

 休暇と考えてくれなんて適当なことを言った制服姿を頭から振り払い、私は部屋を出る。

 

 取り繕うならのどかな漁村。言ってしまえば何もないこの場所。高齢化を象徴するかのように漁協も港も老人揃いと来たのだから笑えない。

 十年後には地図の上からも消えてしまうだろう町。それが私の避難場所という訳だ。

 

 ふと漁協で出迎えにきた老人のせせら笑いが浮かぶ。辺鄙な漁村に、若い女は私だけ。

 

「これは……近いうちに結婚(セクハラ)話も持ち上がるだろうなぁ」

 

 早くも頭が痛くなってきた。せめて気だけでも紛らわそうと表に出る。コンクリートブロックによって作られた緩やかな坂には、何隻かの船がその腹を休ませており、()()()()狙いのカモメたちが暇そうに青空を滑空している。

 

 そんな先に。私は見つけたのだ、一つの影を。

 小さな灯台へと続く防潮堤、そのコンクリートに座り込んだ、少女の姿を。

 

 どこか遠くを眺めながらその小さな手を動かす姿は、遠目に見ても周りの……この漁村の空気とは似てもに使わなくて。

 

「ねぇ、何を描いているの?」

 

 

 

 それが、私とあなたの出会いだった。

 

 

 

「ねえねえ飛龍さん! わたしもそれ欲しい!」

 

 この小さな漁村には、子供と呼べるような存在はあなたしか居なかった。だからあなたにとっては、私が一番歳の近い存在だったのだろう。

 

「うーん……そうは言われてもなぁ。これ、一応官品だし」

 

 『官品』と言う言葉の意味。そしてその重大さをあなたはまだ理解できないだろう。えーだって二つ持ってるじゃないと言うあなたに、私は笑うしかない。

 

「いやいやもう一つは予備だから。そもそもあなたじゃ大きすぎるわよ?」

「だったら偉い人に聞いてみて!」

 

 子供と言うのは、信じられないほどに物分かりがいい。

 それが私があなたと関わるようになって、一番始めに驚いたこと。

 

 ダメな物事には理由があって、理解できない言葉があってもそれを「そういうものだ」と理解してしまう。

 実際私が良いように使った「偉い人が決めたから」という言い訳(ことば)を、あなたは「偉い人が()()と言えば物事が通る」という風に解釈して私に使ってくる始末。これが的を射ているのだから恐ろしい。

 

「無理なものは無理だって。そもそも、こんな服のどこがいいのさ」

 

 和服と洋服が融合したようなこの奇妙な衣装。加護を宿らせるのに必要だというこの衣装のことを、正直私は好いていなかった。

 

「ここ! このひらひらがいいの!」

 

 ひらひら、私の衣装の一番に無駄な部分。それを妙に気に入ったあなた。

 もちろんこの衣装を譲るわけにはいかないし、譲ったところであなたには大きすぎる訳で。

 

 だから、その模様と同じリボンを作ったのだ。

 どうせ時間は余っていたし、戦争一色に染まった私の人生に少しでも華を添えてみようなんて出来心もあった。きっと私の振袖、その模様を気に入っていたあなたは、私が思ったとおりに喜んでくれて。

 

「……あなたみたいな子供がいたら、良かったのにな」

「え?」

 

 ううん。なんでもない。

 そう返す私は、多分卑怯者。

 

 もしも本当に子供が欲しかったのなら真っ当に生きる道もあったろうに。それをしないで果実(こども)だけを求める私は卑怯者。

 そんな私を知らずに慕ってくれるあなたの、なんて純粋なことだろう。

 

 あなたは出会ったときからずっと絵を描いていた。あなたの眼を通して描き出される(せかい)は透き通っていて、私がもう喪ってしまったものを持っていて。

 

「なんで、こっちに来たの?」

 

 きっと私は、あなたを可愛がりすぎたのだと思う。

 

 私のことをキラキラとした眼で見つめるあなたを裏切りたくなくて、私は構い過ぎてしまったのだと思う。

 人と人との関係は複雑なモノで、構い過ぎるというのは薬にも毒にもなる。

 

 そんなことに気付けないほど、私は愚かではなかったはずなのに。

 それなのに、私はあなたに空を教えてしまった。

 

 

「――――――なら、私も戦う!」

 

 

 きっとそれが、あなたをここまで連れてきてしまったのだ。

 

 これは私の任務(しごと)

 それは誰でも出来る仕事で。

 

 だからこそ()()()()にしか出来ない任務(しごと)だったというのに。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 それは軍用車ではなかった。

 

 蒼龍さんの私物であろう自動車は、ゲートを抜けると一気に加速。

 助手席に乗せられてしまった私に、ハンドルを握った蒼龍さんは言う。

 

「今から十五分前、アメリカ海軍病院から飛龍の脱走が確認されたわ」

 

 その言葉は、あまりに重い。敵前逃亡だと言っていた飛龍さんの言葉が蘇る。

 

「脱走って……そんなことしたら」

「ええ、飛龍の罪は軽くなるどころか重くなる」

 

 査問も吹っ飛ばして軍事裁判になりかねないわ。そう前を睨みながら言う蒼龍さんが悔しそうに漏らす。

 飛龍さんが逃亡した。それが本当なら、厳罰が下ることになるだろう。

 

 なんで飛龍さんが。そんなことは口にはしない。それはきっと、蒼龍さんも……私以上に付き合いが長い蒼龍さんが一番思っていることだろうから。

 

「あの、蒼龍さん。それで追いかけるのはいいんですけれども、なんで車なんです?」

 

 車外の景色が歪んで溶けていく様子を見ながら私は聞く。

 なにせ出撃(うみにでる)のなら掩体壕(バンカー)にいけばいい。それなのに蒼龍さんは、掩体壕どころか基地の外に飛び出した。

 

「簡単な理由よ、飛龍のことを考えたら正規の艤装は持ち出せないでしょ?」

「……そう、ですね」

 

 蒼龍さんの指摘はその通りだ。もしも私たちが艤装を背負って出撃したなら、なぜ出撃したのかをはっきりと記さなければならない。

 そこに脱走した飛龍さんを追うためと書いてしまったなら、飛龍さんの脱走は言い訳が利かなくなる。

 

 罪が、確定してしまう。

 

「まったく、飛龍は本当に厄介なことをしてくれたわよ」

 

 そうぼやく蒼龍さん。

 蒼龍さんが自家用車で私を連れ出した理由は分かった。

 だけれども、理解できないこともある。

 

 それはもちろん艤装のこと。

 艤装は官品で、その中でも高額な兵器だ。そんな危険で大切なモノを書類を提出せずに使える訳がない。

 

「あるんだなぁ。これが」

 

 蒼龍さんの横顔がにやりと歪む。それは悪巧みをするドラマの悪役のよう。

 

 蒼龍さんは市街地とは反対方向にハンドルを切る。

 脇を流れていた木々がコンテナ群へと変わっていく。ここはアプラ港の民間向け埠頭。コンテナを積み替えするための巨大クレーンの向こうに、見慣れた色の軍艦色。

 

「もしかして……艤装便ですか?」

 

 艤装便というのは、艦娘が海の上に立って、そして海を駆けて戦うのに必要な艤装を運ぶ輸送船のこと。

 防衛機密の塊である艤装を扱う都合上、海軍の船を使うのである。

 

「そゆこと。納入されたばかりの艤装は書類上では『どこにも所属していない』」

 

 それを逆手に取るのよ。

 蒼龍さんがガッツポーズでもしたそうな表情を作って、そのまま並べられたコンテナの隙間を縫って輸送船の前へと車を滑り込ませた。

 

「群付き艦娘隊よ!」

 

 艤装を運ぼうとしていたのだろう国防軍の人達は車から降りてきた蒼龍さんを見て驚いたことだろう。なにせ蒼龍さんは9護群の艦娘部隊長、普段ならこんな場所に現れることは視察でも無い限りないだろうし、なにより未納入の艤装を使わせろと言うのである。

 

 ()()()()()の押し問答が繰り返されて、何人かを交えて議論がおこる。

 

 それから少しの沈黙をもって、蒼龍さんは此方に親指を立てた。

 どうやら交渉は成立したらしい。警備のヒトが巨大な南京錠をハズして、コンテナの一つが開かれる。

 

 そこに鎮座していた艤装は、私が普段使っているそれとは少し異なるもの。

 

「来月からロールアウトする予定だった新型よ、いいでしょ?」

「え、ええ……」

 

 困惑する私を余所に、蒼龍さんは隣のコンテナへと行ってしまう。

 私のために調整されている訳でもない、しかも新品の艤装をいきなり使えというのか。

 

 そんな無茶ぶりはなんだか誰かに似ていて、私はその誰かを考えないように艤装に触れる。航法システムもなにも調整されていないけれど、海を駆けるだけならなんとかなりそうだった。

 

「ほら風雲ちゃん、いくよ!」

 

 細かなことを考える余裕もない。私は蒼龍さんとそのまま海へと飛び込む。

 蒼龍さんは無言で港の出入り口へと向かい、申し合わせたかのように管制も黙っている。まあ艦娘が一人乗りの小型艦艇であり、航海の自由という原則に照らし合わせればむしろ管制の存在がおかしい訳で……逆にこんな状況になるまで管制に疑問を抱かなかった私も私だ。

 

「とにかく、航法装置のセッティングをしていない以上、下手に沖にいくと迷子になる可能性があるわ。風雲ちゃんは沿岸が見えるところまでを捜索して」

 

 それより沖合は私が、蒼龍さんはそう言いながら弓矢を構える。とはいえ矢筒に収められた艦載機()の数はそんなに多くない。二人しか居ない私たちも、立派な捜索要員だ。

 

「分かれて探すわよ。もしも何か聞かれたら、私の名前を出してね」

 

 その言葉で、蒼龍さんは市街地の方、私はその反対へと向かう。

 二人で島をぐるりと一周するというのが、蒼龍さんの作戦だった。もっと大勢の艦娘がいれば効率よく捜索出来るのだろうけれど、こればっかりはどうしようもない。

 

「飛龍さん……なんで脱走なんて」

 

 口から零れる問いに答えはない。

 

 さっきまで私と一緒にいたハズの飛龍さん。

 蒼龍さんは十五分前に逃げ出していたと言っていた。時間を逆算すれば、私が病院を出てから直ぐに脱走したことになる。

 そんなはずはない。だって飛龍さんは、私に『空の艦娘』を見せてくれと言ったばっかりじゃなかったか。

 

 飛龍さんの傷だって完治した訳じゃない。いやまあ、私も完治しているかと言われるとそうではないのだけれど……。

 

 そこで不意に――――――足が止まる。

 蒼龍さんは飛龍さんが逃げたと聞いた途端に海を探すと言った。そうは言うけれど、飛龍さんは艤装なんて持っていないはずだ。

 

 いや仮に持っていたとして、グアム島に張り巡らせた警戒網を突破することが出来るだろうか。蒼龍さんと私については蒼龍さんの『口利き』で見逃して貰えるとして、飛龍さんは見逃して貰えるだろうか。そんなハズがない。

 

 それならもし脱走するにしても――――――飛龍さんが海に出るはずがない。

 

「じゃあ、もしかして陸に?」

 

 私は海ではなくその反対、グアム島を見る。

 アプラ港は防波堤とオロテ半島に囲まれた静かな港。オロテ半島にはアメリカ海軍の飛行場も設置されている。

 

 その岩壁が私の目の前にそそり立っている。それはまるで、私の故郷の高台みたいで。

 なぜだか、そこに飛龍さんがいる気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱりあの人は、逃げも隠れもしていなかった。

 

「あれ、結構早かったね」

 

 もうちょっとかかると思ったんだけれど。

 そう言う飛龍さんは、当たり前のように持ち込んだ折りたたみ椅子に腰を下ろしている。身に纏った装束は海軍病院で見た病院服姿ではなくあの頃の衣装。蒼龍さんの用意した服に着替えたのだろうか。

 

「飛龍さん……どうして」

 

 その続きの言葉が出てこない。

 

 どうして居なくなったのか。

 どうして還ってきたのか。

 どうして逃げようとしているのか。

 

 それが出てこなくて、私はそこで言葉を句切る。

 

「どうして、ねぇ」

 

 飛龍さんは足下に置かれた箱に手を伸ばす。武器でも取り出すつもりなのかと主砲を構えた私に、飛龍さんは寂しそうに笑った。

 

「わざわざ銃なんて向けなくても、何もしないわよ」

 

 そう言いながら箱を閉める飛龍さん。

 その眼は私が撃てないことを確信しているらしく、それが私に武器を降ろすという選択肢を与えさせない。

 

 私はあくまで毅然と、逃亡者を問い詰めるつもりで台詞を紡ぎ出す。

 それが今の、私の任務(しごと)だから。

 

「だったら、逃げ出す必要なんてないでしょう。だって、飛龍さんは何も悪くない」

 

 査問だって乗り切ればいいじゃないですか。そう言う私に、飛龍さんは首を振る。

 

「悪くない人間なんていないでしょ。だから無理だよ」

「なんですか。それ」

「それはあなたが、これまで身をもって知ってきたでしょ?」

 

 意味が分からない。飛龍さんが言うことは支離滅裂。

 悪くない人間……そりゃあ、この世界には空母を目指す私を嫌う同僚がいて、漫画を描いた私を嫌う漫研のヒトがいて、そして私の故郷を消し去ったデタラメをばら撒くヒトがいて。

 

 確かにそうかもしれない。だけれどそれは、飛龍さんが裁かれる理由にはならない。

 それなのに飛龍さんは、首を振る。何も言えない私を見て、続ける。

 

「いいんだよ、私は。それよりさ、アレ見せてよ」

「あれ……?」

 

 飛龍さんは空を指差してみせる。

 それはどこまでも青い空。

 

 そこまで見せられれば私も分かる。『空の艦娘』だ。

 私が描いた、あの日の飛龍さん。

 

 スマホを開いてメールの新着を確認する。

 そこには、一件の新着メール。少しの読み込み時間を待てば、私の机に大事に仕舞ってあったという旨の文章と添付された写真。

 

「やっぱり、悪運だけはいいよね。飛龍(わたし)は」

 

 飛龍さんが自虐だか誇るのか分からない調子で言う。読み込みが終わって表示された画面には、青い空と高台。そして飛龍さん。

 

 それはあんまりにも、今この瞬間にそっくりで。

 

「もしかして……分かってて頼んだんですか?」

「まあね。グアムで一番似てるのはオロテ半島(ここ)だと思って」

 

 飛龍さんはそう言って笑う。私から受け取ったスマホを見て、寂しそうに笑う。それから私の端末を受け取ると、その画面を覗き込んだ。

 

「ほんと、あの頃から上手だよね」

 

 そんなことはありません。言うだけなら簡単で、簡単には言えない言葉。それは飛龍さんを否定してしまう。だから伝えられない言葉。飛龍さんが私の名前を呼ぶ。

 

「ねえ。どうして、艦娘になんてなったの?」

 

 飛龍さんは、そんなことを言う。そんなことを聞かれても、私は当たり前の言葉を返すことしか出来なくて。それはあの日、面接官の前で言ったのと同じ言葉(ウソ)

 

「飛龍さんみたいな、艦娘になりたかったんです」

 

 飛龍さんみたいに、すごくて、いつも笑っていて。

 そんなヒトになりたかったのだ。

 

 もしも世界に完璧を具現化したヒトがいるなら、それは飛龍さんだろう。少なくともあの小さな、小さな小さな私の世界ではそうだったのだ。

 

「でも、ロクなものじゃなかったでしょう?」

「それでも……例えそうだとしても、でも。飛龍さんは」

「ロクなモノじゃないんだよ。私も、国防軍(ここ)も」

 

 分かりきったことをとばかりに飛龍さんは言う。それから私に背を向けてずんずんと歩いて行く。飛龍さんの向かう先には、どこまでも澄み渡る青空しかない。

 

「ちょっと、待って下さいよ!」

 

 呼び止めても止まらない飛龍さん――――――私に背を向けたまま、言う。

 

「本当に私になりたいのなら、あなたは私の背中を追ったんじゃないかな」

 

 その結果が、今の私なのだと。

 

 そう言いたかった。

 なのにその言葉は出てこない。

 

 いや出てこないんじゃない。私は嘘が苦手で、でも必要だからと嘘を使ってきた。

 だけれど飛龍さんにだけは、もう嘘を吐きたくない。

 

 今更だけれど、吐きたくなかったのだ。

 

「……国防大学校、艦娘専科コース。願書、出さなかったんでしょ?」

 

 飛龍さんの言葉に、私は目を見張る。

 なんでそれを飛龍さんが知っているんだ。

 

「伊達に天下のアメリカ海軍病院抜け出せてないわよ。高卒で訓練学校を志願するなんて、よくもまあそんな向こう見ずなことしたわよね」

 

 そんな馬鹿な。私は自分の耳を疑う。

 飛龍さんは私が高卒で艦娘になったことは知らないはず。

 なぜ飛龍さんが知っているのだろう。私には分からない。

 飛龍さんの考えていることなんて、分かった試しがない。

 

「でもいいんだよ、それで。だって私とあなたは違う」

 

 その指摘を、私は否定できない。

 だって私は、空母にはなれなかった。

 飛龍さんのように空を支配することは出来なかった。せめてもと選んだこの風雲(なまえ)も、私の惨めさを際立たせるだけ。ここにいるのは空母になるんだと息巻いた残滓だけ。

 ところでさと、飛龍さんが口を開く。

 

「『風雲ちゃんは』絵は描かないの?」

「風雲は絵を描きません。風雲の仕事は、深海棲艦(てき)を倒すことですから」

「そうじゃないと、飛龍の側には居られないから?」

 

 その言葉は、もう私を苦しめるためにしか存在しないのだろう。

 

 私は、飛龍さんに見て貰いたくて絵を描いていた。

 あの世界に子供は私しかいなかったから。だから私は絵を描いていた。

 広がってしまったこの世界じゃ、そうはいかない。

 

「今更だけど、良い名前だよね『風雲』って。風が巻き起こる前兆、それって何かが起こりそうな吉兆だよ」

 

 飛龍さんがそんなことを言う。風が吹いて、その横顔を隠すように髪が揺れる。切り揃えた髪が綺麗だなんて、そんな現実逃避に浸る私が使える言葉はもう残されていなくて。

 

「そんなの……今更言われても」

「今だから言うんだよ。だってあなたの『風雲』は、龍に寄り添う雲なんでしょう?」

 

 押し黙った私に、ほんと分かりやすいよねと笑う飛龍さん。私がなぜ風雲を選んだのか、飛龍さんは寸分の間違いも無く汲み取ってくれていたらしい。

 だったらもう、私には認める以外の選択肢はなくて。

 

「そう、ですよ。そうですよ」

 

 きっとそれは、不文律だったのだ。

 私が描いて、飛龍さんが褒めてくれる。

 あの小さな世界で結ばれた、二人だけのルール。

 

 だから私は大したこともない絵を後生大事に抱えてしまった。それで今日までずるずるとやって来てしまった。

 

「でも、もうメッキが剥がれたんです。私の絵は誰にも認められなかった」

「だから艦娘になったの? せめて私の隣にいようと? 私は沈んだのに?」

「でも飛龍さんは、還ってきた。だから正しかったんです。だって絵を描いてたら」

 

 あなたに再び会う事なんて、叶わなかったから。私の言葉に、飛龍さんは目を伏せる。

 

「それはないでしょ。あなたの絵を私は認めた。他にはいないの?」

 

 いない訳がないでしょ。そうやってまた、飛龍さんは決めつけるように言う。

 

「いないですよ……だって、私は空っぽなんです。絵を描くっていうのは、作品を作るっていうのは何かを産み出すことなんです。私は何も生み出すことが出来なかった」

 

 飛龍さんとの不文律、秋雲とは同志としての関係。

 そんな人間関係の間で褒められても嬉しくない。

 

 私は素敵なモノを作りたかった。誰にでも誇れるようなモノを。

 

「産み出すことだけが仕事じゃないよ……だって私の仕事は、壊すことだもの」

 

 そんなはずは、そう口まで出てしまった言葉。それを私は引っ込めることが出来ない。

 私は知っている。国防軍が何も産み出さないことぐらい。

 どんなに深海棲艦を破壊しても、それで何十万人が救われたとしても、そこには破壊しか存在しない。

 

「ロクなものじゃないでしょ。艦娘なんて」

 

 飛龍さんが、笑う。それならと、私は遙か昔の質問を口にする。

 

「じゃあ、それじゃあなんで。飛龍さんは艦娘になったんですか?」

「決まってるじゃない」

 

 

 その時の飛龍さんの顔は、いつよりも輝いていて。そして――――

 

 

 

「国防意識に燃えたのよ」

 

 

 

 私が逆立ちしても、勝てない覚悟をみせてしまったのだった。

 

 



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第33話 天飛ぶ彼女の画龍点睛

 私の目の前で、煌々と輝く画面。

 

 クリップボードに絵ばかりを描いていた私は、いつの間にか画材を買うようになっていた。

 

 厳選された素材で作られたカンバスは、学校や家で貰った裏紙なんかとは全然違う描き心地。

 それでも飛龍さんに見て貰えない作品の数々は私を満たしてくれなくて。

 

 だから筆の種類も画材も、ころころと変わっていった。最後には物語を描くこともしてみた。まあ結果は……散々だったけれど。

 

 そして今、私の画材はこの小さな窓の中にある。

 イチとゼロで作られた仮想の空間に置かれた仮想の画材。それはデジタル絵という奴で、秋雲の原稿を手伝う都合上始めた新しい形の画材。

 私はそこに、初めて自分のデータを作った。

 

「あれ、風雲なに描いてんの? もしかしてオリジナル?」

 

 秋雲が此方を見ながら聞いてくる。それは何処かの誰かみたいに無遠慮に覗き込むわけではなくて、おかげで私はこの画面の白さを知られずに済む。

 けれど覗きはしなくても絵の内容は気になるよう。何往復かした会話の後で、私は白状することになる。

 

「雲を、描いてるの」

「くも」

 

 オウム返しに言った秋雲。

 私は気を紛らわせるようにペンを走らせて、それからすぐにキーを叩く。

 取り消し、取り消し、すなわち削除。

 

 どんな線もあっという間に消せてしまうデジタル画材はなるほど便利で、それだけに素っ気ない。

 そんなことを繰り返すうちに、時間だけが過ぎていく。

 

 どれほど経った頃だろうか、秋雲が再び私に声を掛けてくる。

 

「風雲、イラスト描くのもいいけどさぁ。そろそろ準備しないと」

 

 秋雲はそう言いながら電子機器を梱包した段ボールを持ち上げる。

 グアムの奇襲攻撃に端を発した騒動は、第9護衛隊群、つまりマリアナ諸島に駐留する国防軍の再編成に繋がった。

 

「そういう秋雲は随分と準備が早いじゃない」

「でしょ~? 秋雲さんってば優等生なのさあ」

「……」

「な、なによその目! 別に夕雲さんに呼び出されたとかそんなんじゃないんだからね!」

 

 秋雲が荷物をまとめていることからも分かる通り、私たちはグアムから別の基地への転属が決まった。第9護衛隊群がなくなった後のマリアナ諸島は、本土を護っている護衛艦隊……つまり第1から第4の護衛隊群が持ち回りで警備するのだとか。

 

 それは良いことなのだと思う。なにせグアムは訓練海域ひとつを借りるのですら大変だし、基地は狭いし。

 それなのにどうして、こんなに苦しいのだろう。

 

「ねえ秋雲。国防意識ってなんなのかな」

「え? そりゃ……国を守りたいとか、そういう気持ちのことを言うんじゃない?」

 

 そうだろうか。

 

 

『――――――国防意識に燃えて。なるほど、そのきっかけは?』

 

 かつて面接官に言った国防意識(わたしのうそ)

 

『なんであなたは、国防大学に行かなかったんですか』

 

 岸波に見抜かれた。私の嘘。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「国防意識に燃えたんだよ」

 

 あの日。オテロ半島の先端に立った飛龍さんは、そう言った。

 その言葉、飛龍さんの国防意識というのは、たぶん本物で。

 

「私もね、()()()()さえなければ風雲と同じだったのかもしれない」

 

 飛龍さんが、そんなことを言う。

 

「お給料のために働いて、貯めたお金で蒼龍と豪遊して、バカ話に華を咲かせてさ」

 

 そんな艦娘として、最後まで適当に中途半端にやってけたのかもしれない。飛龍さんがそんなことを言う。

 

「でもさ。燃えちゃったんだよ、国防意識に」

 

 それは私の知っている飛龍さんではなくて、寂しげに笑っていて。

 

「例えこの身が朽ち果てても構わないってぐらいにさ。朽ち果てても国はなにも私にしてくれないのにね。ロクなものじゃないよ」

「そんなこと!」

 

 その言葉は、やっぱり私の嘘。飛龍さんは私を真っ直ぐに視て言う。

 

「あなたが憧れたのは、もしかして()()()だったんじゃないかな」

 

 だったらあなたは愛国者にはなれないよ、と飛龍さん(あなた)は私を否定する。

 

「だってあなたには絵がある。その世界を映せる絵がある」

「そんなものは」

 

 

 ない。この世に存在なんてしなかったのだ。

 だってそれは、全部、飛龍さん(あなた)に見せるためのモノで。

 

 飛龍さんは困ったように手を伸ばす。それが私の頭に触れる。

 

「じゃあ、風雲ちゃん。私の雲を描いてみて? あなたがなりたかった『風雲』を」

 

 それは、空を舞う龍に従う雲のこと。

 私がなりたかった、艦娘の姿。

 

「それが描ければ、あなたの絵がどんなものか、あなたは理解できるはず」

「意味が……意味が分からないですよ飛龍さん!」

 

 私がそう言うのに、飛龍さんは大丈夫だよと笑うだけ。それからどんどん言葉を紡ぐ。

 

「私はね……罪を犯したの。国防意識に燃えてね」

 

 だからね風雲ちゃん、あなたにはそうなって欲しくない。私みたいになって欲しくないの。飛龍さんの言うことは支離滅裂。私の理解はどうでもいいと言うように続けていく。

 

「私はね、あなたのお母さんでも何でも無い。だから私はあなたに艦娘を辞めろとはいえない、同じように絵を描くのを辞めろともね。でもね、これだけは覚えておいて」

 

 

 ――――――海は涙で、満ちたか?

 

 

 それは、なんの脈絡もない言葉。表情を固めた私に、飛龍さんは続ける。

 

「この言葉を聞いたなら、何が何でも逃げ出しなさい。アレに触れてはいけない」

 

 そう言うと、飛龍さんは私を抱きしめる。

 もう何が何だか分からない。でもそれでも、それが飛龍さんの別離の挨拶なのは分かってしまって。私は言葉すらも出せなくなる。

 

「あなたに出会えたことは、私の最期の幸せだった。だからこれはね、最後のお節介」

 

 その言葉を最後にして、飛龍さんの温もりが私から離れる。後に残ったのは、どこまでも続く太平洋と澄み渡る空と――――――空を裂くような、回転翼機の轟音だけ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「オスプレイ……米海軍の国籍円形章(ラウンデル)……」

「ん? 星に丸に2本の線でしょ? それがどうかしたの?」

「ううん、なんでもない!」

 

 

 絶対に、絶対になにかあったんだ。

 

 

 それだけは分かっていること。

 飛龍さんはなぜ私の前に現れたのか、どうしてあんな風にいなくならなければならないのか。

 その答えは、今みたいな中途半端な私では掴めない。

 

 

 だから。

 

「風雲~、私そろそろ夕雲さんの所に行ってくるけど……風雲?」

 

 秋雲が私の顔を覗き込んでいる。

 私は分かりやすい顔をしているのだろう。秋雲の顔は心配そうで、どこか強ばっていて。

 

 だから私は、飛龍さんみたいに微笑んで答えるのだ。

 

「秋雲。私、絶対にやり抜いてみせるから」

 

 飛龍さんに貰ったリボン。それを握って。よく分からないような表情をして秋雲は曖昧に頷く。

 

 あんなに優しい飛龍さんを消してしまうような存在が、この世界の何処かにいる。それを突き止めるには私も飛龍さんになるしかない。

 

 飛龍さんは、きっとこの決断を嘆くのだと思う。ふざけないでって、怒るかもしれない。

 

 だけれど私は、やっぱり飛龍さんに憧れてしまったから。

 飛龍さんみたいになりたいと願ったから。

 

 

 

 だから私は、着いていきます。

 

 

 例えそれが、空の上だろうと――――――海の底だろうと。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 生きていくこととは出会いと別れの物語である。

 悟ったようなことを言うには些か私は年若いように見られるかもしれない。

 

 だが夕雲型駆逐艦の長女『夕雲』の名を背負って戦っていれば、出会いも別れも嫌というほど経験する。

 

 望んでいようが望んでいまいが関係はない。

 悲劇だろうと喜劇だろうと容赦なく降りかかる。

 

 だから私の元に新しく部下が来ると言われても感慨なんて湧かなかった。湧かないはずだった。

 

 

 そう、数ヶ月前のあの日。この場所で。

 

 晴れた日のことだった。幹部詰め所にやってきた護衛隊(ユニット)の補充要員。その代表としてやってきたらしい彼女。

 

「秋雲でっす。まー、どーもよろしくお願いしますぅ」

 

 へらへらと似合いもしない人懐っこい笑みを浮かべながら少女は名乗る。

 軽薄で馴れ馴れしい。人の神経を逆撫でしてくる声。

 

 しかし私が抱いた感情は苛立ちではなく、警戒。

 秋雲。そう名乗った少女に射貫くような視線を投げかける。

 

「えーっと。こういう感じの掴みでいこうとしたんだけど、ダメですかね? ちゃんとやり直した方がいいですか?」

「……いえ、構いません。私は夕雲。夕雲型駆逐艦の夕雲です」

「おお! 夕雲サン、ね。初めまして。これからどうぞよろしく」

「初めまして、ね。ええ。そうでしょう」

「……およ? えっとごめんね。前に会ったことってあった? 一度でも会った人のことは忘れないようにしてるんだけど」

「いいえ。つまらないセンティメンタリズムです。私たちは今、初めて会いましたよ」

 

 そういうことにしておけ、と。

 

 私たちは()()()()()()()()()。初めて会ったことにしろと。私はそんなふうに解釈しようとして――――――あまりに純粋な彼女の瞳に違和感を覚えたのだ。

 

 

「……けれど、やっぱり()()()()()()()秋雲(かのじょ)だった」

 

 あの時は秋雲(かのじょ)じゃないと思った。その直感は間違っていなかった……と、思う。なにせあまりにも記憶にある彼女と目の前にいる彼女は乖離していたから。

 

 ()()は人のことをどこかで小馬鹿にしていて、そのくせ悟ったような口ばかりを言う人だった。

 あんなピュアで人受けのことを考えるような人じゃなかった。

 

 そういう設定(カバー)を被っているだけなのだろうか。恐らくそうなのだろうと、私は考えることにしていた。

 

「……なのに、この結果はなに?」

 

 目の前に積み上がった報告書を見て思う。数日にわたり実施された不毛な捜索、黙殺された数々の陳情書。

 グアム襲撃に始まった空母〈飛龍〉との遭遇、そして脱走劇。いずれにせよ誰かが責任を取らねばならないだろう。

 そしてもちろん責任を取らされるのは日本側。

 

「おまたせ夕雲サン。なんの用?」

 

 それなのに、彼女は今日もへらへらと、人懐っこい笑みを貼り付けている。

 だから、そのカバーを引き剥がしてやりたくなった。

 

 八つ当たり? 八つ当たりだとも。

 

「秋雲さん。少し付き合ってもらえるかしら?」

「……なんだろ。すごーくイヤな予感がするんですケド」

「大したことではありませんよ。ただ、命を預けあう部下のことを改めて知りたいというだけのお話です」

「えぇー……。あ、秋雲サンってば少しばかり用事が……」

「私の権限でその用事をキャンセルして差し上げましょう」

 

 逃げるなよ、と笑顔できっちり釘を刺せば、がっくりと肩を落とす秋雲。

 

 なるほど1等海尉という階級は便利なものだ。

 立場ばかりが上に行くことをずっと億劫に感じていたけれど、まさか上に行けてよかったなんて感じる日が来るとは。

 

 

 

 

 

 

「――――――で、どうして剣道場なんですか」

生憎(あいにく)と実力を計るならこういう手段が最も手っ取り早いので」

 

 秋雲さんを強引に更衣室へ押し込み、道着に着替えさせるのは少し難儀だった。

 仕方がないので「私が着替えさせてあげましょう」と脅し――――――もとい手伝いを申し出たことで状況は一変。

 引き攣った笑みを浮かべて大人しく秋雲さんは道着に着替えたのである。

 

「準備はよろしいですか?」

 

 木刀はいくら艦娘だとしても危険なので竹刀を秋雲さんに手渡して、私も左腰へ引き付けるように持つ。

 

「あの、面とか小手とかは……?」

「胴と垂はありますよ」

「小手はこの際置いといて、頭は守らないといけないのでは!?」

「大丈夫ですよ。竹刀なので死にはしません」

「いんや痛いじゃん!」

「死にはしません」

 

 竹刀で人は殺せない。

 少なくとも生身で受けたとて、艦娘の頑丈な身体に後遺症を残すようなことは絶対にない……いざとなれば、霊力回復でどうとでもなる。

 そう言ってやれば顔を真っ青にする秋雲さん。皮膚の裏まで血の気が引いていそうだけれど――――――さて、それは本物の顔だろうか?

 

「冗談ですよ。有効打は胴のみです」

「最初っから面も小手もつければいいんじゃ……」

「略式で十分です。面をつけるとセットした髪が崩れますし、小手はネイルを塗ったばかりなので」

「それ夕雲サンの事情だよね! ねえ!?」

 

 涙目で訴える秋雲さんを放置して私は中段に竹刀を構える。

 

 嘘も方便、本音と建前は使い分けるものだ。

 髪は確かにセットしているけれど、面をつけさせなかったのは秋雲さんの顔を()()()()()()()()()

 小手を付けさせなかったのは力の入り方を()()()()()()()()()()()()()

 

 人は焦れば身体に出る。目が泳いだり、握る手に力が入ったり、呼吸が乱れたり。

 そんな一挙手一投足を見逃さないために適当な建前で迎え撃った。

 

「はじめ!」

 

 しんとした無人の道場に私の声が響く。ごねても無駄らしいと悟った秋雲さんがようやく竹刀を嫌々な様子で構える。

 

 さぁ、はじめましょうか。

 秋雲さんの目から視線は絶対に外さない。

 ありありと戸惑いを浮かべた彼女へ、ひとまず私は様子見の一打。

 

「やあーっ!」

「ちょ、いきなりっ!」

 

 突きのフェイントを混ぜた逆胴。釣られかけた秋雲さんは、しかしギリギリで反応して防いでみせる。

 

 悪くない反応速度。

 でも見たいのはそれじゃない。

 

「ねえ、これ本当にやる意味あるの!?」

「ええ。ほら、次です」

「ちょ、うわっ!」

 

 私に見せろ。そのヴェールを脱ぎ捨てて、さらけ出せ。

 

 突き、胴、逆胴。

 フェイントを噛ませながら私は打ち込みを続けていく。

 攻勢に出ている私に対して秋雲さんはといえば防戦一方。とにかく防ぐことに必死なようで、ギリギリで受け続けている。

 

 杞憂だったのだろうか。私が神経質になっていただけの話だったのだろうか。

 

 だとするなら付き合わせてしまった彼女には申し訳がない。

 もうこれくらいにしましょうか。そう切り出そうと彼女の瞳を見た瞬間。

 

「あの、さ。聞きたいことあるなら口にしなよ」

「……ッ?!」

 

 私の背に()()()()()()

 

 さっきまでの困惑と軽薄さ。それがいつの間にか消えていた。

 置き換わるように現れたのは暗黒。何一つとして読むことのできない不気味なそれが眼の奥に揺蕩っている。

 

 すぐに打て。それは艦娘としての、いや生物としての本能。

 

 思考を飛ばして身体が先に動く。命じられるがままに、全身全霊の一撃を放つ。

 そして動いたのは秋雲さんも同じ。

 

「……っ!」

 

 ぱしん! と小気味のいい音が出て、手を離れた竹刀が道場の床に叩きつけられる。

 

「はぁ、は」

 

 呼吸の音をこぼすのが精一杯。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私が叩き落したのだから当然。だが一瞬の交錯の軍配が私にあがったとはとても言えない。

 

 確かに秋雲さんの竹刀を叩き落したのは私だ。

 けれど、竹刀を握っている両手は秋雲さんの右手が()()()()()()()()

 

 そして空いている彼女の左手。それが私の左肩にそっと置かれている。私の首筋に少しだけ触れた小指は、まるで真冬の海みたい。

 

 あの一瞬。ギリギリで私の理性は働いた。このまま生身を打ちつけるなと。

 

 だから私は秋雲さんの竹刀を狙った。追いついた思考に従って彼女を無力化しようとした――――――それを見越して、秋雲さんは()()()()()()()

 

 空中に置かれた竹刀、想定よりもずっと軽い竹刀を吹き飛ばしてしまった私には、当然ながら隙が生じる。

 その間に彼女は私の手を抑え、急所である首の真横である肩に手を置いてみせた。

 

 あまりにも滑らかで自然な動き。まるで彼女の周りだけ、摩擦が消えたよう。

 

「グアム襲撃事件は結果にすぎない。襲撃は目的じゃなくて手段だった」

「なに、を……」

「思い出してご覧。グアムの襲撃によって9護群の司令はどうなった?」

 

 囁くように耳元で続けられる言葉に私は言われるままに思考を回す。

 9護群――――――第9護衛隊群。グアムにサイパンといったマリアナ諸島周辺防衛の全権を担っている部隊。いや、()()()()()

 

「……グアム襲撃事件によって9護群が管轄していたエリアには本土からの艦娘や人員が派遣されてきた。増援という名目で」

 

 けれど、その結果として部隊は無実化された。所属部隊の大半は引き抜かれ、9護群の影響力は確実に削がれた。

 

「で、今の司令官は誰だと思う?」

 

 その言葉で記憶が蘇る。上司との飲み会(たんじゅうじん)で聞かされたミクロネシア戦役の自慢話。彼は元8護群の所属。そしてマリアナ諸島といえば――――――旧8護群の管轄海域で唯一残っている地域。

 

「これは延長戦。護衛艦隊(艦隊派)哨戒艦隊(艦娘派)による、()()がはじまって以来ずっと続く諍いのね」

「まさか、あなたたちは……!」

「でも、これすら副次作用だ。あの時、グアムから消えたものはなんだった? 防衛隊の装備や人員なんかよりも大事だったものと言えば?」

 

 グアム襲撃事件で失われたものは多い。人員、施設、装備。グアム本島への攻撃こそ防いだものの、払った犠牲は少なくない。

 そんな犠牲を差し置いても――――――大事なものが消えたといえば。

 

「まさか!」

「海は涙で満たされた。満たされたから、水底の龍は舞い上がってきたのさぁ……」

 

 飛龍。ある艦娘の名前が私の頭には浮かんでいた。長らく行方をくらませていた彼女が突如として現れ、そしてまた去っていった。

 

 一度は捕縛された彼女。グアムの襲撃とタイミングを同じくして現れて、大人しく捕まっておきながら突如として逃亡した。もちろん足取りは不明のまま。

 

 最初から逃げるつもりなら姿を晒す必要はなかった。

 ならば、姿を表に出さなければいけない事情があったと?

 彼女は「水底の龍は舞い上がってきた」と言った。それが()()()()()()()()()、彼女はしばらく表に出ていない……ということは。

 

「欲していたのは情報だった……?」

「ぴんぽーん。いいねえ、正解だよ」

「でも誰が……」

 

 誰が流した。一体、なんの得があって。

 

「さぁて、考えてみよっか。グアムには8護群のお味方サンしかいなかった?」

「あの地域は日本が防衛を担っています。彼女に情報提供したところで特があるとは……」

「アメリカもいるよ?」

 

 それも、グアムなんて辺境の地に飛ばされるようなね。秋雲さんがそんなことを言う。

 

 確かにグアムは辺境だ。けれど同時に、米国の数少ない大陸外領土であり日米同盟における最後の結節点でもある。()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()

 

「ひっどい事故だったよねぇ。選挙戦直前のエアフォースワン襲撃、別の場所に居た副大統領もドカン……米軍のお偉いさんも沢山左遷させられる羽目になった」

 

 その受け皿がハワイだったと。ハワイはそういう場所だと?

 

「夕雲さん、考えてもみてよ。天下のアメリカが『在米日軍』なんて戯れ言を許すと思う?」

 

 在米日軍――――――9護群(かれら)こそ米国(アメリカ)が派遣した監視役(てさき)だったのさと、秋雲さんは嗤う。

 

「……でも、それもこれでオワリ。これからのマリアナは護衛艦隊(本土組)が取り仕切る。()()は解放された」

 

 情報提供はその見返りってワケと締める秋雲さん(かのじょ)

 確かに、風雲さんは飛龍が米軍の尋問を受けていると零していた――――――その尋問が情報提供だった。いやむしろ、それは作戦会議のようなものであったということか。

 

「じゃあ、私に()()()()()()()()()のは……」

「そ。本当の仕事はこれからだよ」

「待って! 本当の仕事って……」

 

 私が言い終わるよりも早く。かくん、と秋雲さんの頭が落ちる。まるで寝落ちしてしまったように力を失った彼女は、しかしすぐに再起動をしたようで顔をあげた。

 

「うわ、竹刀あんなとこに……」

 

 そこにはもう、さっきまでの剣呑な色彩はない。頭を掻きながら起き上がる彼女は無防備そのもの。

 

「夕雲サンもさぁ、そこまで本気出さなくてもいいじゃん」

「…………え、ええ。ゴメンなさい」

 

 よいしょ、と竹刀を拾い上げている様子に氷のような緊張感はない。秋雲さん(今の彼女)の皮のしたに、つい先程まで纏っていた秋雲さん(先程までの彼女)が隠れているとは思えない。

 

 それなら、今目の前に居る彼女は。

 ()()()()()()()()

 

「もう行ってもいい?」

「……そうね。付き合わせてしまって申し訳なかったわ」

「いいケドさ。今度から秋雲サンのことを知りたかったらデートとかにしてよね」

「検討しておくわ」

「ん。それじゃあね」

 

 ひらひらと手を振ってから去っていく彼女。

 

 この世界はきっと。もうとっくの昔からおかしくなっている。

 その世界の中、私はひとり置いていかれていた。

 

 

 そう、あの時と同じように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2019年8月9日に初頒布した同人誌「水底の龍に風は吹かぬ」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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幕間「Good-bye"BEIJING EXPRESS"」
第34話 UA"Pilot will arrive at time indicated"


"案内人は予定どおりに来る"


 艦娘を目指すと言ったとき、誰もが歓迎してくれた。

 

 適性があると分かったとき、誰もが祝福してくれた。

 

 

 それなのに。

 私の夢だけは、誰も応援してくれなかった。

 

 

 

 ――――ねぇねぇ、適性あるのに空母蹴ったってマジ?

 

 ――――しかも志望は最前線の駆逐艦だってさ。

 

 ――――うわ、やば。なに? 死にたがりってこと?

 

 ――――なんでも、災害の時に助けてくれたのが駆逐艦だったとか……。

 

 ――――なにそれ、意識高い系じゃん。やっぱ調子乗ってるよね。

 

 

 

 

 

「ぅうん! ロブスターにビール、コレさえあれば勝ちですわ!」

 

 本当に、どうしてこんな所に来てしまったのだろうか。

 

 訓練学校で空母艦娘への道を蹴ったことは間違っていなかった……と、思う。

 というか、思いたい。

 

 高等幼年学校から国防大学、そこで戦術理論を学んで幹部艦娘として着任。

 色々言われることもあるけれど、その経歴に後悔はない。

 

 

 ではどうして、そんな私の目の前には大量のロブスターが並んでいるのだろう?

 

 

「ほら、艦娘はんも喰いませんと。付くもんも付きませんで?」

 

 なんだそれは。馬鹿にしているのか。

 そもそも「つくもの」ってなんだ。私はこれでも大きい部類に……いや、こんなことをハゲのおっさんに言われる時点でもはや屈辱モノである。護衛対象でなければハッ倒している所だ。

 

「かぁーッ! 旨いッ! こんなんもうパクパクですわ」

「――――あの」

 

 ハゲの天辺まで真っ赤にしてロブスターをビールで流し込んでいたハゲも、流石に私の絶対零度の声音には気付いたらしい。

 文字通り冷や水を掛けられたようになって、こちらに視線を注いでくる。

 

「一応確認しておきたいのですが。本当にここであってるんですよね?」

「せやで」

 

 このハゲ、見た目に反して鉄鋼業の雄である阪友金属は資源事業本部の海外資源調査グループに所属するというエリート会社員。

 そしてふくれ面の私に課せられた任務(しごと)は、不本意ながら彼を守ること。

 酒飲みを護ることになるなんて、軍に入る前の私に言ったらどんな顔をするだろうか?

 

「インドシナ、ことさらマレー半島といえば人類の最前線や」

 

 ハゲがそう言う。恐らくマジメに言っているのだろうが、指についたロブスターの煮汁と口元に残るビールの泡が最前線を居酒屋に変える。

 せやけどと、彼は続けた。

 

「ここらはヒトがぎょーさん居る、なんでか分かるか」

 

 ロブスターが美味しいから……なんて。

 そう言えばハゲは笑うだろうか。

 

 それとも――――怒るだろうか。

 

 どこまでも続いていそうな露店の群れ。

 道行く人を楽しませる大道芸人。

 誰もが殊更に明るく振る舞う繁華街の空は快晴。

 

「逃げられない。ここから逃げたくても、行く先がない」

 

 しかし乾季のマレー半島を訪れるのは、残虐非道な化け物たちだけ。

 

「みーんな生活がかかってる。ほな、彼らの仕事にもカネ払ってやらんと」

 

 こんな最前線でロブスターが食べられるのは、ロブスターを売らないと外貨が稼げないから。こうして価値を外国に示さなければ、護ってもらえないから。

 

 惨めだ。あんまりにも。

 

「ま。ワテらはワテらの仕事をするだけですわ」

「……アジア連合軍と協力して河川遡上した深海棲艦を拿捕、調査するんですよね」

 

 私の言葉に頷くハゲ。

 彼はこれでも経済産業省により委託された深海棲艦再利用事業の第2期調査――深海棲艦の死骸が資源として使えるか調べる事業――を担当しており、だからこそわざわざ幹部艦娘である私が護衛としてつけられた。

 

「ですが分かりません。既に死骸再利用は暗礁に乗り上げた筈ですが」

「せやからこうしてロブスターを喰ってるんやろ」

 

 なにを言っているんだ、と言わんばかりの顔。その台詞はこちらのものでは?

 まさかとは思うがこのハゲ、会社の経費――しかも支払いの大本は国であり国民の血税――でロブスター食い倒れ旅行でも決行しているつもりなのだろうか……再び怒りで沸騰しそうな私に、今度はハゲが冷ややかな視線を注ぐ。

 

「もうトボけんでもええやろ艦娘はん。ワテらは()()でっせ」

「なにを……」

 

 私の言葉を遮るように、彼は一枚の航空券を見せる。

 

「これはワイの鞄に()()()()()()航空券や。亜日空の関空行き、日付は今日。そしてココみてみ、名前が別人になっとるやろ」

 

 見れば、確かにそこにあるのは彼の名前ではない。

 全く聞き覚えのない名前が刻まれている。

 

「分かるな。ワテはこれからもここに滞在していることになるんや。そして艦娘はんは、ここに滞在している()()()()()()()()ワテを護ることになる」

 

 この意味が分からん艦娘はんやないやろ、ハゲの声は冷え切っていた。

 

「……そういう、ことですか」

 

 おかしいと思ったのだ。

 出頭命令は統幕監部から直々に下り、依頼主は経済産業省、現地の大使館との連携もナシ。そして護衛対象はうだつの上がらない中年ハゲ。

 

「ま。ガンバりぃや艦娘はん。応援してまっせ」

 

 そう言いながら立ち上がるハゲ。どこへと聞けば便所と答えた彼は、そのまま自分の荷物を全部持って行ってしまった。

 追おうとした私を邪魔するように、するりとハゲの座っていた場所に影が滑り込んでくる。

 

「ハローインターネット!」

「……」

 

 歳は私と同じか、もしくは少し若いくらいだろうか。

 

 頭の後ろで髪をひとまとめにした少女と呼んでも差し支えのなさそうな風貌。服はなんとも場違いなアロハシャツ。

 

「はいどうも、おはこんばんにちわー……ってアレ?」

 

 ノリ悪い感じ? もしかして私スベっちゃった?

 

「…………」

 

 しかし分かることも、ある。

 彼女もまた「道化」なのだ。

 

 おそらくは私たちの同類。人混みの中にも関わらず展開された霊力防壁の圧が、彼女の優秀な神祇官としての適性を示している。

 

「うわ。これ完全にスベったね? は~じめが肝心、詰んだ詰んだ~っ」

 

 本当に、どうしてこうなったのだろう。

 心の底からため息を吐いて、私は立ち上がった。

 

「……お初にお目にかかります。私は」

 

 そこで迷う。私は、この任務でなにを背負えばいいのだろうかと。

 国ではない、と思う。表に出せない任務なのは把握している。ではどうしろと?

 統幕長の懐刀(物理)とでも名乗ってやろうか。それとも経済産業省の特殊部隊?

 

 ひとしきりの現実逃避にいそしんだ私は、結局この結論に行き着くことになる。

 

 

「私は駆逐艦『夕雲』です。どうぞ、よろしくおねがいしますね?」

 

 

 


 

Good-bye BEIJING EXPRESS

 


 

 

 

 太平洋は平和の海であった。

 

 有史以来、この場所を舞台に激しい戦いが繰り広げられることはなかった――――そう。二度の大戦と、今回の戦争が起こるまでは。

 

「海が広すぎる。艦娘には手に負えない」

 

 だからこうするんですよ。

 

 そう言わんばかりに彼女が顎を動かすと、それと同時に海が爆ぜた。

 化学反応により急激に放出されたエネルギーが、火炎や黒煙といった副産物を伴いながら衝撃波へと変わる。それが海とヤツらをズタズタに引き裂いて、その破片が更なるうねりとなって残虐の限りを尽くす。

 

 意思がないからこそ慈悲もない、物理法則に基づく暴力がそこにはあった。

 

「うーん、完璧な照準ですね。米国(アメさん)は彼らを敵に回さなくて幸福だった」

 

 私たち目掛けて突撃してきた深海棲艦の群れは、もはや見る影もない。

 

 突撃隊形を乱されてしまえば群意識(むれいしき)も働かないし、再集合を図ろうとすれば次の爆撃で全てが無に帰すことであろう。

 

 とはいえ、ここで全てを処分しておくことにこしたことはない。主砲を構えた私に、彼女はすっと腕を広げた。

 

「あー、駄目です駄目です夕雲さん。あれはこのまま逃がしましょう」

「……どうしてです? 今なら倒せますが」

「そりゃもちろん倒せますよ? ですけれどホラ、アレの護衛はどうするんですか」

 

 そう言いながら彼女が指し示したのは小さな(ふね)

 吹けば飛んでいきそうなそれは民間向けのクルーザーで、外洋航行自体は可能でもそこまで性能の良い船舶とは――少なくとも、深海棲艦が跳梁跋扈する海域に出られるとは――言えない。

 

 本当なら、あんな足手まといの護衛なんてやりたくはないのだけれど。

 

「口は災いの元。言葉にしないのは正解です」

 

 そう言いながら彼女――――ロブスターと共に現れた、私と同じ駆逐艦艤装を背負う特務神祇官(かんむす)は救命筏を展開すると、そこに身を投げた。

 

「ちょ、あなた……!」

「休憩ですって。今回は長丁場ですから」

 

 ほら、夕雲さんも座って。戦場で、総崩れになったとはいえ敵の目の前で休憩なんて信じられない話である。

 ところが信じられない話であっても、身体は素直というモノで。

 

「……救命筏(フロート)展開」

 

 講習でしか扱ったことのない筏が、窒素ガスの力を借りて展開される。

 海の上に拓かれたヒト一人分の休憩スペース。艤装を補助浮力球(サブフロート)で海に浮かせて、筏に(もや)う。

 

「今のうちに身体の整備をしてください。休憩程度で(おか)には戻れませんよ」

 

 それは作戦か、それとも政治か。

 少なくとも機密の塊である艤装を他国の舟に揚げることはそう簡単には許されないだろうなと、私は頭の片隅で考える。

 

 なにせそのクルーザーには、誇示するように五星旗が翻っているのだから。

 

 

「『なんで連中と協力しなきゃいけないのか分からない』」

 

 

 そんなところですか? 同型の救命筏(フロート)に身を委ねた彼女がそんなことを言いながら2つの筏を結びつける。

 

 私が何も答えないでいるのを良いことに、彼女の口は言葉を放ち続ける。

 

「気持ちは分かりますよ。領土問題、歴史問題……そして奉ずる政治形態(イデオロギー)の違い。ですが元を正せば、私たちは同じ流れを汲む同胞(モンゴロイド)じゃありませんか」

 

 人類が手を取り合っているのに、親戚同士じゃ駄目なんですか?

 そんなことを彼女は言う。私は冷たい視線を注ぐだけ。

 

「まぁ、ぶっちゃけ親戚も遺産をめぐって殺し合いかねない世の中ですから、気持ちは分かりますけれどね」

 

 ですが時には実利を取ることもあるんですよ。そんなことを彼女はのたまう。

 

(やつこ)さんには艦娘がいない、そして私たちには爆撃機がいない。だから互いに手を取り合って協力する。日中友好(リジヨンヨゥハォ)謝謝茄子(シェシェチェーズゥ)……ってね?」

 

 最後の北京語らしき言葉は聞き取れなかったが、恐らくは日本とあの国が仲良し的なことを言ったのだろう。

 

 とはいえ彼の国と私たちの日本国が十全な協力関係を築けているとはお世辞にも言えないのが現状で、それは深海棲艦が出現した以後も変わっていない。

 

「もちろん、だからこそ我々はここまで慎重にならなきゃいけないワケですが」

「私たちの軍事協力がバレたら『コト』だから」

 

 私の確認に、飲み込みが早くて助かりますとその艦娘は笑った。

 

「ただまあ、向こうも『保証』は欲しいんでしょうね。貴女のような()()()()()をつけてくれと頼んできたワケで……おっと」

 

 おいでなすったと、彼女が顔を上げるまでもなく私もそれに気付く。

 私たちを遠巻きに監視して(みまもつて)いたクルーザーが近づいてきたのである。それはたちまちに私たちの筏に近づくと、減速。

 

 そこからひょこりと顔を出したのは、むすりとした表情の空軍将校。

 

「……今の程度の相手に、航空支援が必要だったのか?」

 

 もっと日本の艦娘は強いと聞いていたのだが。

 不満を隠す様子もない相手。大柄な軍人ではなく小柄な、それも女性を寄越してくれたのは「配慮」かと思っていたが、触れあう度にそうではないのだと思い知らされる。

 

 もっとも、このくらい遠慮がない方がむしろやりやすい。

 

「難しい判断でした。さして強い相手というわけでもありませんし、私たちの練度であれば問題なく倒せたと思います。しかし――――」

 

 私はさらりと言葉に棘を混ぜた。

 

「私はこの任務において、あなたの安全がもっとも重要と判断していますゆえ」

 

 その尊重に見せかけた私の態度を見抜いて、クルーザーの甲板から見下ろす空軍将校がさらに顔を歪め……ることはなかった。手元のタブレットに指を走らせる。

 同時に視界の片隅に飛び出す通知アイコン。最新式の拡張現実端末(ARデバイス)が情報共有を通知を飛ばしてきたのだ。

 眼の中にパソコンが入り込んできたみたいで気持ち悪いという先輩もいるけれど、私はこの新型の情報端末(おもちや)を結構気に入っていた。

 

 ――――閑話休題(それはそれとして)

 

「重要なのはソレを駆除する事。私の安全なんてものは重要じゃない」

 

 共有された情報は文字(テキスト)と画像により構成された情報群。東南アジアで活動が確認されているというヒト型深海棲艦。

 

「アジア連合軍はコイツ一匹のせいでボロボロ。戦線の構築もままならない……」

 

 戦線を構築するつもりなど露ほどもないクセに、とは思っても言わない。

 

「情勢は把握しております。米国が己の裏庭であるカリブ海に注力するように、貴国もインドシナ半島情勢に目を光らせている」

「そうだ。我々はアジアの同胞を見捨てることはしない。どこかの合衆国とは違う」

 

 我が意を得たりとばかりに笑みを深めてみせる空軍の将校に、私は愛想笑い。

 

 大陸から見たインドシナ半島は裏庭で、しかし裏口程度の存在でしかない。

 重要なのは第一列島線(たいへいよう)であると言わんばかりに東シナ海に海軍戦力を集結させる彼の国に、南方のジャングルで浪費する戦力が存在するハズがないのだ。

 

 まったく。どうして日本(この)国は、こんな相手と共同作戦をするつもりになったのやら。

 問い詰めたくなる気持ちを抑え、私は情報ウインドウを閉じる。

 

「貴軍の情熱は理解しました。東南アジア安定化のために協力は惜しみませんとも」

 



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第35話 UH"Can you lead me into port?"

"港に案内してもらえるだろうか?"


 

「いやぁ。バチバチって感じですな」

 

 作戦開始から四日。からかうような調子でその艦娘が言ったのは、補給のために港を訪れた時のことであった。

 彼の国が掲げる大規模インフラ投資計画に基づいて築かれた港湾には、英語を公用語とする国とは思えないほどの簡体字が並んでいる。

 

「やはり()()と仕事をするのはご不満で?」

 

 相変わらずの直球な質問に、私は辟易。

 

「まさか。当事者意識のなさに呆れているだけよ」

 

 最初から半ば分かっていたことではあるが、彼の国にやる気なんてものはなかった。

 

 激しい爆撃で歓迎してくれたのは最初の一回だけ。

 あの後は支援を呼ぼうにも燃料補給だの他地域へ転戦しているだの、色々と理由を付けて爆撃機は飛んでこない。

 もちろんこちらもバカではないので、こうした状況になってしまえば積極的な駆除には参加しなくなる訳で。

 

「一週間も経たずに合同作戦は形骸化。深海棲艦の群体を撃破しまくることでヒト型をつり出す作戦構想は消滅……上は何がしたいのかしら?」

「いやぁそれは、幹部であらせられる夕雲さんの方がご存じでは?」

 

 きっと睨めば笑って流される。私が幹部艦娘ならお前はなんなのだと言ってやりたい気持ちを抑えて、私は戦闘糧食にかじり付いた。

 くしゃり、と。犬歯で砕いて、奥歯ですりつぶす。

 気持ちは晴れない。晴れるわけがない。

 

「統幕部の発表、見たでしょ。昨日はフィリピン方面の爆撃に参加したアジア連合軍の爆撃機が与那国沖を通過したのよ? 燃料の節約を言い訳にした領空侵犯未遂は、今月に入ってもう10回目、台湾方面に至っては――――」

「はいはい。そりゃもちろん。知っていますけれども」

 

 遮るように手を振る艦娘。私と同じ――そのほうが整備補給の手間が省けるのだろう――駆逐艦艤装を背負い、へらへらと笑ってみせる。

 

 はっきり言って異常だった。

 階級は? 原隊は? 彼女に関する情報開示は一切無く、上官からの返事はただ「補佐役をつける」の一言。

 優秀には違いない。戦闘はもちろん、私のどうしようもない――ともすれば幹部失格(パワハラ)とも見られかねない――態度や発言を諫めてくれる。

 

 しかし彼女が優秀さを見せつける度、私の胸中には得体の知れない気持ち悪さが溜まっていく。

 それは鉛のようで、もどかしい現実が重力を与えて私を苦しめる。

 

「夕雲さんは納得できない感じで?」

「当たり前でしょ。先進国(わたしたち)がいがみ合う間に、ここでは沢山の人達が……」

 

 

 ――――なにそれ、意識高い系じゃん。やっぱ調子乗ってるよね。

 

 

 違う。

 違う違う。

 

 私が言いたいのは、そんなことじゃない。

 

「……ここには、沢山の人達が暮らしているのよ。それを、守ってあげたいの」

「本心からの言葉とは思えませんが」

 

 ばっさりと。私の言葉を打ち砕くように彼女は言葉を選ぶ。私はそれに目線でこそ抗ってみせるが、そこから先に反論の言葉は続いてくれない。

 

「理想論なのは分かっています。理想(それ)を実現するのが難しいことだって……ですが、諦めるわけには」

「アタシは最初(ハナ)から諦めてますけれどね」

 

 こちとら給料もらって働いてるんです、給料以上の仕事をする必要がおありで?

 

 その言葉は、いつかの私を救ってくれた恩人達への侮辱。少なくとも私はそう感じた。

 私がそう感じてしまったのだから、言葉に棘が混ざるのは仕方の無いこと。

 

「そこに給料という動機付け(インセンティブ)があったとしても、身体を張って、身の危険を顧みずに危険な場所に飛び込む。それが艦娘ってものなんじゃないんですか? 私はその精神を称えたいし、自身も艦娘で(そう)ありたいと――――」

 

「夕雲さんさぁ」

 

 バターに刻み込まれたナイフのように、その言葉は柔くて鋭い。

 

「それ、いつの価値観? 奈良、鎌倉、それとも昭和?」

 

 時代遅れと言いたいのだろう。私は平成生まれで、今は令和だというのに。

 

「私の信念です……ケチをつけないで貰えますか」

「あそ、よかった。幼年学校での教育だとしたらどうしようかと思ったよ」

 

 そう他人事のように――実際、他人事なのだろうけれど――その艦娘は言う。

 

「あなた、艦娘向いてないよ」

「…………よく言われます」

 

 幼年学校に進む(もどる)と言ったとき、周りの誰もが反対した。才能の無駄遣いだ、そんなことにこだわる必要は無い――――。

 

 では何か。私が周囲の言いなりになればそれで誰が満足するというのか。まさか国家という有名無実の存在が満足するとでも?

 ありえない、実体を伴わぬ存在に「満足」なんてものは存在しない。

 

 満足するのは「助言者」になれたという薄っぺらい実績を得た周囲の、言うなれば肥大化した自我のみである。

 

「夕雲さん、あなたは幹部艦娘だから感じないのかもしれないですけどさ。私たちって結局のところ軍人な訳じゃないですか」

 

 特務神祇官たる国防軍人。

 

 それは私たち艦娘に与えられた役職であり、私たちを定義する文字列。

 その呪文は私たちを国防軍という巨大組織の歯車へと変え、私たちを馬車馬のように働かせる。

 

「目的を伏せられ、意義を隠されて……そういうのが仕事だと思いません? それとも――――艦娘らしく深海棲艦と戦いたいとか、人助けがしたいとか。そういうことを考えているんで?」

 

 すっと視線を差し込んだ私を、図星だとでも思ったのだろうか。

 

 彼女は手をひらひらと振って、嗤う。

 

「空母艤装に、適性があったらしいじゃないですか」

「……」

「それを蹴って、艦種をある程度選べる高等幼年からの国防大艦娘専科。選んだ艤装は駆逐艦。最低限の適性で背負える低性能艤装」

「…………」

 

「それは憧れですか。それとも、冷やかしですか」

 

 見定めるように、その艦娘の視線が私へと向けられている。

 

 部下とは思えない――きっと最初から部下などという枠組みの存在ではなかったのだろう――彼女が、私をじっと見据えている。

 おそらく彼女は、私が駆逐艦になった理由を知っている。知っていてそれを、私の口から喋らせようとしている。

 

「家族を、助けてもらったの。水害の時に、家族を」

 

 だから――――私もそんな存在になるべきだと思った。

 同じように人の命を救う職業に就いて、繋いでもらった命をさらに未来へと繋ごうと。

 

 それは果たして、否定されて良いような理想論なのだろうか。

 

「どうして、消防じゃなかったのでしょうね。あなたを助けたのは」

「……?」

 

 なにを言って。そう言い返そうとした私にその艦娘は言葉を紡ぐ。

 

一八二〇(ヒトハチニーマル)、国土交通省より第一報。ダム緊急放流設備の機能不全と回復に向かった土木事務所の担当が消息を絶った旨」

 

 少しだけ赤みを帯びた髪を、大きなリボンで小さくまとめられたポニーテールを揺らしながら。

 

一八四五(ヒトハチヨンゴー)、深海棲艦による爆撃の可能性を鑑みて当該地域で待機中だった陸軍の初動部隊(ファーストフォース)に武器が支給される」

 

 まるで、何かの報告書を読み上げるように。

 

一九〇〇(ヒトキユウマルマル)、統合幕僚監部は本案件を『D事案』扱いすることを決定。白鳥(ホワイトスワン)に出動命令くだる」

 

 私の知らない単語を、つらつらと口にして見せる。

 理解の追いつかない私を傍目にして、彼女は言葉を並べ立てる。

 

「……これが、あなたの家族の元に艦娘が駆けつけた理由ですよ、夕雲さん。私たちは目標を見つけることが出来なかったから()()()()()()()()()()()()()に過ぎない」

「なにを言っているのか。分からないわね」

 

 少なくとも、なぜこのタイミングでそんなことを言うのかは、分からなかった。

 しかし彼女は分かっているはずですよと嗤う。

 

「どうしてあんな内陸部に艦娘部隊がやってきたのか。どうして救出されたのがあなた方だけだったのか。そしてどうして――――この国がこんな南の地で、無意味な作戦をあろうことか仮想敵国と合同で実施するのか」

 

 その言葉に、私の中で情報のピースが繋がっていく。

 今回の作戦、正体不明のヒト型深海棲艦の討伐にやっきになる日本とアジア連合軍、両者の妙な温度差。

 

 私の人生を大きく変えて見せたダムの決壊事故にまつわる奇妙な話。

 

「……その、いま言った『D事案』とは?」

「ヒト型深海棲艦の討伐作戦、とだけ申し上げておきましょう。我が国がヒト型の討伐に血道を挙げているのは、もちろんご存じの筈ですし」

「えぇ、ええ。分かっているわ。知能を持つ可能性のあるヒト型は危険、国防軍としては2023年の不祥事を繰り返すわけにはいかない」

 

 そこまで言ってから、私はひとつ確認しておかなければならないことに気付いた。

 

「あのダムは……そのヒト型によって破壊されたのかしら?」

「いえ。調査の結果、単なる経年劣化によるものだったようです」

 

 どの国でも似たようなものらしいですよと彼女は力なく笑う。深海棲艦との戦争にあらゆる資源が回された結果として起こる社会インフラの劣化。それが増大する異常気象と見事に組み合わさった結果、その「最悪」は起きたと。

 

 だからダム(それ)ヒト型(これ)は別の話。続けますよと言わんばかりに彼女は言葉を繋ぐ。

 

「彼らは存在しない艦隊(ブラツクスワン)と呼ばれています」

真っ黒な(ブラツク)白鳥(スワン)?」

 

 オウム返しの私に、ええそうですと彼女は頷く。視線は港湾施設の向こう、マラッカ海峡へと注がれていた。

 

「黒い白鳥など存在しません。しかしその存在(やつら)はこの海のどこかに確かに存在する」

 

 彼らは世界の秩序を乱しかねない存在なのですよと、彼女はそんなことを言う。

 

「ブラックスワンは()()()()()()()()()()()()()()()()。それはアジア連合軍も把握しているはず。だからこそ、合同作戦(わたしたち)は道化なんですよ」

 

 同類(ザコ)をたくさん殺して誘い出そうという計画はハナから成立しえない。

 その事実は、少なくとも私には厳しいものがあった。

 

「話が違いますよ」

「何を今更、あなたの仕事は阪友金属さんの護衛でしょう」

 

 それは名目の話だから、この際どうでもいい。

 しかし実際に行う任務内容が異なるのは問題だ。私は新人とはいえ幹部艦娘であり、一応この部隊――私と彼女、特務艇(かんむす)2隻ではあるけれど――の責任者なのだから。

 

「なに、問題ありませんよ。あなたは別任務をこなしているんですから、表向きの評価に今回のは含まれません」

 

 そんなことを悪びれもなく言う彼女。

 そういうわけじゃと言い返そうとした私に、また「あの声」が襲いかかる。

 

 

 ――――なにそれ、意識高い系じゃん。やっぱ調子乗ってるよね。

 

 

「……ひとまず、状況は理解しました。出来れば、可能な限り情報は共有しておきたいのだけれど」

「ええ。それでしたら問題ありませんよ」

 

 そうして彼女は私に突きつけるのだ。この作戦において、私は「お飾り」だと。

 

「ブラックスワンの目標は恐らく、一ヶ月後に開催されるアジア連合軍大観艦式です。久々に南海艦隊がバンコクを訪れ、インドシナ諸国の海軍と一週間ほどの外洋訓練を実施、その後マラッカ海峡の掃討作戦を実施します」

「観艦式……」

 

 アジア連合軍は事実上ひとつの国の軍隊で成り立っているが、名目上は深海棲艦の脅威に協同して立ち向かう多国籍軍。

 加盟国の結束を示すためにも、観艦式は盛大に行われることだろう。

 

「連合加盟国にとっては悪い話ではありません。世界有数の海軍国であるにも関わらず半年間も引き籠もっていた彼の国が南海艦隊を出すと宣言した訳ですから期待もします。まさにアジア結束のセレモニー、それが失敗したとなれば……」

 

 信じられない。その観艦式が砕かれる意味すら、そのブラックスワンとやらは理解しているというのか。

 

「まあそういう訳ですから。我らは怪我をしない程度にゆるりと作戦を遂行していきましょう。それでいいんですよ」

「……」

 

 少しだけ、悔しかった。

 

 この状況に呑まれつつある自分が悔しかった。

 

 分かってはいるのだ。東南アジアは複数の火山列島が複雑に絡み合う地域。深海棲艦も神出鬼没で、いくら倒してもキリがないことだって分かっている。

 

 

 そして……そんな場所で理想論を振りかざせるほど、私が強くないことも。

 

 

 あんなにもて囃された空母の適性も、駆逐艦になってしまえば関係ない。頼りになるのは己の足と魚雷に主砲だけ。

 その点、彼女はそれらを磨き上げていた。

 

 彼女が放った魚雷が外れることはない。

 主砲をハズしたと思えば、それを囮に距離を詰めたり逃げたりする。

 

 私だって、彼女がいなければ今頃はマラッカの底に眠る鉄くずに仲間入りしていたことだろう――――だから私に、文句を言う資格はない。

 

「納得いっていなさそうですね」

「理解はしています。でも」

 

 私の言葉はそこで途切れる。なぜなら、サイレンの音が聞こえてきたから。

 

「これはマズいですね。掩体壕(シェルター)に待避しましょう」

「……出撃という選択肢は?」

 

 これはあくまで極秘作戦。ゆえに多くの事柄が現地裁量に委ねられている。作戦計画の立案や、いつどこで何のために出撃するかも私が決められるのだ。

 ……少なくとも、書類上は。

 

「なんで出撃する必要があるんです?」

 

 そして、事実上の指揮官であり艤装使いの指南役でもある彼女は首を傾げる。だってと続いた私の言葉は、酷く幼稚な理由付け。

 

「補給に使う港湾がダメになったら、困ります。それに彼方(あちら)が私たちに協力的でないのは、私たちが価値を示せていないのも大きいと思うのです。ここで彼らに加勢することは、こちらの利にもなるかと」

「…………」

 

 彼女は黙ったまま、そのまま何も言わずに顎で港湾を指し示してみせる。

 そこは何の変哲もないコンテナ・ヤード。

 

 一体何がと目をこらす私の視界に入るのは、驚くべき光景。

 

「!」

「コンテナ式の無人機(UAV)格納射出機です。ここは重要拠点ですからね」

 

 10、20、いや50ほどはいるだろうか。次々と射出されていく無人機群。

 航続距離は短いですが拠点防衛においては優秀ですよと彼女は言う。

 

「これは()()の戦争なんです。下手に出撃(でれ)ば彼らのメンツを潰しかねません」

 

 まあいいじゃないですか、楽できるんですから。そんなことを言う彼女が、私よりずっと優秀な艦娘であることは認識している。けれど。

 

「歪んでます」

 

 おかしい。おかしいじゃないか。

 自国にとって重要なインフラ拠点だから守りを固める、拠点防御であれば大量の無人機を投入できる。

 それ自体は間違っていない。

 

 けれどそれは――――大きな視点で見れば、おかしいことなんじゃないのか。

 

「歪んでるのは、我が国じゃないんですか?」

 

 そんな私の思考に一石を投じるのは、もちろん彼女。

 

「あれでもあの国は立派ですよ。権益保護のためとはいえ大軍をキチンと派兵し、各地を基地特需に沸かせ、その後も駐留を続けることでお金を落としている」

日本(わたしたち)だって、艦娘を……」

「少なすぎるんですよ。一個分遣隊で何人になると思います?」

「それは……」

「艦娘は高価値兵器(ハイバリユーウェポン)です。艤装の部品は精密部品ばかりで地元産業を潤せないし、基地も小規模で消費も雇用も見込めない。ただ『守ってくれるだけ』の存在ですよ」

 

 思い出されるのはロブスターを喰らうハゲ。

 私が軽蔑した中年男すらも、私よりずっと沢山のお金をこの場所に落としているのだ。

 押し黙った私に彼女は続ける。

 

「それにあの国は労働者不足という国内事情はありますが、難民を受け入れている」

 

 

 我が国はどうでしたっけね?

 彼女の眼は、嗤っていた。

 

 



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第36話 UM"The harbor closed to traffic."

"入港は許可されていない。"


 日本は、難民の受け入れをほとんど拒否している。

 

 ()()()()というのは、日本が防衛を担当し失敗した南太平洋の国々に関しては難民を受け入れているから。

 

 道義的責任。委任統治時代(ひやくねんまえ)の反省――――そんな言葉まで引っ張り出して来てようやく数十万人ぽっちの難民を受け入れられるのが、日本という国。

 

 それが、私の国。

 

 

 

「~~~~~~! ~~~~!」

 

 

 ナニかを喋る女性を、私は見ている。

 

 必死なのは分かる。穏やかとは到底いえない顔つき、目尻に浮かぶ涙。

 だけれど、何を言っているのかは分からない。

 

 

「――――! ――、―――――!」

 

 

 銃を振り上げた兵士を、私は見ている。

 

 何を言っているかは分からないが、私に縋り付いて泣きわめく女性を敵視していることは分かる。

 そりゃそうだ、私たち艦娘は彼らアジア連合軍の観艦式を失敗に追いやろうとする「ブラックスワン」に対抗しうる唯一の存在、どんなに非力にみえる女性であっても、()()()がないとは限らない。

 

 

 

 その方はたぶん、害意はないですよ。どうか許してあげて下さい。

 

 

 

 そう言えたのなら、どれほど良いだろう。

 

 私は英語しか外国語を知らない。

 思えば現地語をしらない幹部を単体で派遣しようというあたりに、上層部のやる気のなさが窺えるものだが――――。

 

 そんなことを考えているうちに、兵士の銃が唸る。

 

 別に硝煙が舞ったとか血しぶきが飛んだというようなことはない。

 ただ銃底が女性に打ち付けられて、華奢な身体が泥道の中に崩れ落ちただけ。

 

 その向こうには、ほんの数十分前までは街だったはずの……瓦礫の山が広がっていた。

 

 

「正義を為したいとはいいません。でもせめて、私は間違ったことはしたくない」

「あなたは正しいことをしました。深海棲艦が内陸部へ侵入することを防いだ」

 

 でもその結果、街が一つ消えてしまった。

 私が彼女を睨むと、彼女はやれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせる。

 

「夕雲さーん。もう少し気楽にいきましょうよ……第一、あの数を私ら2隻だけでなんとかすることは出来なかった。どうしようもないじゃないですか」

「でも! まさか街ごと爆撃するなんて聞いてない!」

 

 信じたくなかった。

 作戦は単純、観艦式前の下準備として私たちが深海棲艦と交戦、適度に戦い続けて周辺の深海棲艦を呼び寄せた後に爆撃機による空爆でこれを撃破する……それがまさか、こんな結果に終わるなんて。

 

「そりゃそうでしょ。()()の私らにそんな業は背負わせられない」

 

 そして彼女は、まるでそれを知っていたかのように言う。

 教えなかったのは彼らの優しさなのだと。

 

「問題にはなりませんよ。彼らはアジア連合軍の盟主なんです。自身の『不手際』にはそれ相応の片付け方ってものがあります……今回なら、ひとまず周辺の街へ公共避難所(シェルター)建設工事発注と、この街の復興計画に寄付金を投下する」

 

 こんな所じゃないですかね。彼女の言葉はまるで見てきたかのよう。

 それはつまり、このような事が日常茶飯事であることを示していて。

 

「……っく!」

 

 悔しい。

 くやしい悔しいクヤシイ。

 

 私は何のために艦娘になったんだ。

 深海棲艦から人類を救う希望の巫女――――そんな政府広報(プロパガンダ)を信じる気はないけれど、でもただ生きているよりずっと、沢山のひとを守れると思ったのに。

 

「以前言ったさ、艦娘には向いてないってヤツ……撤回してもいいよ」

 

 そんな私をみて、彼女は嗤う。

 

「すごいよ。もう何度も何度も、こんな光景を見せつけられてきた。確かに今回のは『酷い』けれど、別に似たようなことはいくらでもあったでしょ?」

 

 それで怒れるのって、すごい。それは才能だと彼女は貶す(ほめる)

 

「あなたは艦娘。人類を救う希望になれる……」

 

 あなたは、本来の戦線に復帰するべきだ。

 

 それは、帰れということだろうか。

 それは職務を放棄することに他ならないだろうと私が返せば、お堅いなぁと彼女は、私を教導してくれた先輩艦娘は微笑む。

 

「元はさ、夕雲さんの想像通り『お払い箱』だったんだよ」

 

「空母を蹴った駆逐艦娘、しかも鼻持ちならない幹部サマ」

 

「いきなり実戦部隊に放り込んでみなよ、大変なことになる」

 

 駆逐艦ほど刹那を生きる神祇官(かんむす)もいないのだと、彼女は言う。

 大口径の主砲を操れるほどの才能がなく、艦載機を操れるほどの適性もない。場合によってはカネも学も親もない――――そんなナイナイ尽くしの、半ば行く当てもなく国に囲われた神祇官たちが駆逐艦の大半であり、だからこそ彼女らはその「最後の誇り」――己が駆逐艦であること――に縋らざるを得ないのだと。

 

「誰も助けてくれなかった、自分で生きていくしかなかった。だから彼女たちは気が短い、無礼(なめ)られては生きていけない。そんな駆逐艦たちの長に、なーんにも知らない温室育ちの幹部サマは置いておけない」

 

 でも理想があるなら別だと、彼女は続ける。

 

「あなたはここに居ちゃいけないよ、夕雲さん。その理想が枯れる前に、己の誇りが組織や階級の誉れに置き換わる前に、あなたはここから出て行かなくちゃ」

 

 いつの間にか彼女の手には拳銃が握られていた。深海棲艦相手には豆鉄砲にもならないそれは、人間を傷付けるには十二分な威力を備えている。

 

「ここで怪我しておきましょう。夕雲さん」

「……なにを言っているのか、分からないわ」

 

 本当に、何を言っているのか分からない。

 

「安心して下さい。ちょっと撃ったらスグに修復液をつけますから」

「その程度で送還されないことは、あなただって」

「ここなら別、ですよ」

 

 なんて悪い(キレイな)笑みなのだろう。

 そんなことを現実逃避に考えてしまうほど、彼女の表情には曇りがなかった。思い悩んでいるのではない。むしろイキイキと、私と話していることが楽しくて仕方ないと言わんばかりに。

 

 そんな調子で、彼女は私の(はら)に拳銃を突きつける。

 

「霊力回復による不受胎問題が発覚して以来、子宮周辺への施術は経過観察が必要とされるようになりました。2週間と短いですが、観艦式に出席しないだけなら十分です」

 

 観艦式は、来週。確かに経過観察を受けていては間に合わない。

 

「正しくないわよ。こんなこと」

「正しい? この任務に正しい事なんてありましたか?」

 

 その言葉に、私は口を――本当ならいけないのだけれど――噤む。

 言い返せる事なんてない、この場所には深海棲艦から逃げられないヒトたちが暮らしていて、そんな彼らを餌にして大国達は化け物の屠殺場(キリングフィールド)を運営している。

 

 街を壊したら立て直したらいい、不満があるならおカネをバラまけばいい、ヒトが死んだら――――お悔やみを述べればいい。

 

 正しくない。正しくないけれど、でも。

 

「じゃあ、どうしたらいいって言うんです。それで流されろと? 冗談じゃない」

「ええ、ええ。冗談じゃないですよね」

 

 流石ですよと歴戦の艦娘は拳銃を仕舞う。

 駆逐艦は敵前逃亡を嫌うのですと嗤う彼女は、今までのやり取りがある種の「試験」であることを示唆していた。

 

 公務員が試験の連続なのは知っている。

 

 血税を注ぐに足る人物であるか、一億の民を導く仕事を任せられるか。それを見極めるには試験を繰り返すしかない。

 

 だからって、だからといって。

 

残念ですが合格ですよ(おめでとうございます)、夕雲さん。あなたには白鳥部隊への参加資格がある」

 

 その一言が、積もりに積もった私の「ナニカ」に火を点けた。

 

「ふざけないで」

「大真面目ですよ」

 

 睨み合う。

 

 もちろん私だって彼女が()()であることは理解している。

 艦名だってホンモノか分からない艦娘が、どのような立場でどのような仕事をしているのかも、なんとなくだけれど予想は付く。

 

 だから、怒鳴ってもしかたない。この焔を彼女に向けても意味がない。

 

 では、それなら。この気持ちはどうすればいい。

 

「……外の空気に当たってきます」

 

 どうぞごゆっくり――――全部を見透かしたような彼女の声を背に受けて、私は割り当てられたテントを飛び出した。

 

 廃墟と化した街、何かのグラウンドだったらしい瓦礫の少ない場所に設置された仮設の駐屯地は、仮設とは言え軍の施設で立派なモノ。()()の侵入を防ぐために張り巡らされたフェンスの内側に設けられたジョギングコースを、私は走っている。

 

 ここを走れば嫌でも駐屯地の全容が眼に入る。

 自家発電に支えられた照明は煌々と焼け(ただ)れた大地を照らし、ずらりと並んだモスグリーンのテントの中ではずらりと並んだ兵士達が眠りに就いている。

 今は()()()()()だろうが、時間になれば巨大な炊飯器や鍋たちが稼働し食事を作り、酒保(PX)や郵便係は任務の疲れを癒やすための娯楽を提供してくれる。

 

 まるで一つの街。

 そこには生活に必要なあらゆるものが取りそろえられている。

 つい先ほど己の手で踏み潰した街に、彼らは堂々と新しい街を作ろうとしているのだ。

 

 それが悔しくて、悔しくて。

 この安全な金網(フェンス)の内側にいる自分が、情けなくて。

 

 昼間、殴られた女性はどうなったのだろう。

 

 きっと彼女も誰かの娘であり母親で、大切な家族がいるはずで……そんな楽観的な慰めを口にした私の良心は、そんなわけないと喚く理性に掻き消される。

 

 きっとみんな死んでしまったのだ、だから彼女はあんな顔で。兵士に殴られることも厭わずに私に訴えかけてきたのだ。

 

 なんで守ってくれなかったんだ。どうして見捨てたのだ――――と。

 

「知らないっ、知らない!」

 

 私は、わたしは本当に知らなかったんだ。

 

 爆撃機の照準が何処に向けられているかだって、アジア連合軍観艦式にどんな政治的駆け引きがあるかなんて。艦娘が、軍隊が――――誰かの命を守るために、誰かを殺さなきゃいけないことだって。

 

 堪えきれなくなって、走り出す。

 

 金網の内側に、この巨大で血の欠片もないシステムの中にいるのが悔しくて、守衛を半ば振り切るようにして外に飛び出す。

 幸い私は客人で、しかも階級は兵卒と比べればそれなりに高い。誰も私を止めてくれず、私は真っ暗な世界に飛び出した。

 

「わたしは知らなかった! 知らなかったのよッ!」

 

 瓦礫の街。ヒトの気配が消えた街。

 駐屯地が遠ざかり、暗がりに眼が慣れてくると()()()()()()()

 

 雲ひとつない空に輝くのは、無数の星たちだった。

 

「しらな、かったの……」

 

 私の言い訳を星は聞いてくれない。

 

 当たり前だ。

 こんな自分勝手な私の言い分を、聞いてくれる訳がない。

 

 

 艦娘を目指すと言ったとき、誰もが歓迎してくれた。

 それは――――艦娘が足りなかったから。

 

 

 適性があると分かったとき、誰もが祝福してくれた。

 それは――――空母が足りなかったから。

 

 

 私の夢だけは、誰も応援してくれなかった。

 だって――――応援する理由を誰も持っていないから。

 

 

「こんばんは。いい夜ね、散歩にはちょうど良い」

 

 そんな私に声がかかる。それはまるでお星様のように透き通った声。

 

「……えっと、あなたは……?」

 

 闇に溶け込むような黒い装束に、浮かび上がるのは白い肌。僅かな星の光を受けて輝く髪は、重力に逆らうかのように空を睨む。

 

 そして私に向けられた双眼には、まるで明星のような焔が宿っている。

 それはあまりにも不気味で、なのに――――

 

「そうね、通りすがりの深海棲艦ってことでどうかしら?」

 

 ――――まるで昔話に出てくる、月に棲まう女王様のような美しさを備えていた。

 

 



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第37話 UT"Where are you bound for?"

"どちらへ向かわれますか?"


「やっぱりあなた、面白いわね」

 

 普通、深海棲艦って聞いたら真っ先に銃を抜いたりするものだけれど――――そんなことを彼女はけらけらと笑って言う。

 それを見て、面白いのはどちらだろうと独りごちる私。

 

 恐らく彼女が深海棲艦なのは間違いない。

 彼女が纏うオーラはまさにこの熱気と瘴気と硝煙に相応しいと言うべき呪いを孕んでいたし、この最前線で研ぎ澄まされた艦娘としての嗅覚も目の前の彼女が深海棲艦であると告げている。

 

 ヒト型。

 映像資料としても殆ど捕らえることの出来ない深海棲艦の上位個体がそこにいる――――なるほど、確かに討伐できれば大金星だろう。

 

「……私の仕事は、守ることです。深海棲艦を倒すことではないので」

 

 この発言を聞いたら、多くの人間は卒倒するのだろうなと私は思う。

 深海棲艦は忌み嫌われ、憎まれる存在。なぜそうなのかと言えば人間を殺したから。

 

 関連死を含めれば億を優に越えてしまう犠牲者の数。

 それが深海棲艦を「恨むべき存在」へと昇華させているのだ。

 

「みてたわよ。ずっと」

 

 何をと彼女は言わない。

 ただそれは、今の私には救いに思えた。

 

 深海棲艦は人類の敵だけれど、今の私には人間こそ人類の敵に見えるから。

 

「お笑いになりますか」

「まさか。あなたは良く頑張っている、立派よ」

「艦娘のことが嫌いになりそうでもですか」

「別に? それはあなたの勝手だしね」

 

 それもそうかと納得して、私は腰を下ろす。それは気を許したのではなく、ここで彼女に殺されるならそれでも構わないという考えからだった。

 

「憧れていたんです」

「憧れるようなものじゃないわよ」

「ですが、私の家族を助けてくれた」

「へぇ、今は災害派遣に艦娘なんて投入してるんだ。だいぶ余裕が出来たのね」

 

 実際には事情があった――――なんてことは、わざわざ彼女に言う必要はない。私は害意を持っていない相手に話を聞いて貰っているだけで、何も利敵行為を……そこで自分が「言い訳」しようとしていることに気付いて、自分に嫌気が差す。

 

 結局わたしは、今でも鼻持ちならない幹部サマなのだ。

 そんな自己嫌悪が、私の舌を軽くする。

 

「……あなたは、あなたたちは存在しない艦隊(ブラツクスワン)なんですか?」

「なにそれ、そんな名前で私たち呼ばれてるの?」

 

 知りませんよ。単なる知性の高い深海棲艦でないとか、今こうして平然と(おか)に上がっていることとか……もうハッキリ言って、どうでもいい。

 

 投げやりになった私は、放り出すように次の言葉を継いだ。

 

「私たちの任務は貴女方を討伐することなんですよ」

「ふぅん。それは私が霞ヶ関を焼いたから?」

「――――――――ッ!」

 

 しれっとその口から出た言葉に私が驚いた理由を、果たして彼女は理解できただろうか。いや出来ないに違いない。

 

「なぜ貴女が、その名を知っているのですか」

 

 霞ヶ関。東京都千代田区の住所であり、国会議事堂を始めとする政府関係の建物が多く存在することから日本政府の代名詞としても用いられる。

 

 しかしその言葉(スラング)は、日本という国で暮らしていなければ――暮らしていてもそう簡単には――身につかないハズのものである。

 それを知っている? あり得ない。

 けれどそのあり得ないものと、私は今向き合っている。

 

 なぜ、どうして。それとも――――深海棲艦(やつら)はそこまで、人類社会の中に溶け込んでいるのか。

 目を見開いた私をみて、あーなんか勘違いしてるわねと彼女が言った。

 

「わたし、日本人よ?」

「………………………………は?」

 

 今、目の前の深海棲艦(かのじよ)は、なんと言った?

 

「ああそっか。分かんないよね、私もあなたと同じ艦娘だったの」

 

 訳が分からない。というより、理解が追いつかないと言うべきか。

 

「深海棲艦がどういう経緯で見つかったか知ってる?」

 

 そして彼女は、今からそれを理解させてあげると言葉を投げてくる。

 

「ある海洋学者がね、新種の生物を発見したの。今で言う『霊力』を扱うことの出来る新種の生命体……それが、深海棲艦の大本と言われているわ」

 

 私はもう、何も考えずにそれに乗っかることにした。

 それらはあまりにも現実から遠のいていて、なにか嫌な夢を見ているよう。思い返してみれば、あの阪友金属のハゲから訳の分からない任務を手渡されて以来ずっと悪夢を見ているようだった。

 

「別に異世界から来た化け物ってワケじゃないのよ。だったらそれは人類にも応用できる。そうして生まれたのが私みたいな深海棲艦(バケモノ)もどき」

 

 彼女の話の真偽はどうでもよかった。

 問題なのは深海棲艦が人語を解すること、そして日本人であると名乗っていること。

 

 そんな人間が、人類に牙を剥こうとしていること。

 

「私たちの目的は、人類を勝利に導く事よ」

 

 だからこそ、その言葉の意味が分からない。

 呆けた私に彼女は笑ってみせる。それはまるで人間がみせるような、力のない哀愁漂う笑顔だった。

 

「なによ。日本を震撼させたヒト型深海棲艦は大悪党の方が良かった?」

 

 押し黙る私に、そう思われてるなら流石に傷つくわよと彼女は続ける。

 

「ですが、私がアレが正しいことだとは思いません」

「うん。そうかもね」

 

 でもそれはあなたにとっての正しさだ、そう白い彼女は続ける。

 その視線は何処か遠く、星々の海へと注がれている。

 

「正義ってのは、夜空の星みたいなものよ。みんなキラキラしていて、他の輝きを邪魔し合っている。強く輝いていなくても、近くにあれば大きく見える……あなたにとっての正しさは、私にとっては顧みるに値しないモノなの」

 

「あなたも、否定するんですね」

 

 みんなそうだ。みんな自分の事ばっかり。

 自分の都合でモノを決めて、自分の勝手でヒトを弄んで……そうやって、私の全部を否定しようとする。

 

 それとも、私が否定されていると感じることすらも身勝手だと?

 私の都合で被害者ぶるなと、彼女は言うだろうか。

 

「否定はしてないわよ。受け入れられないだけ」

 

 つまり、今のあなたと一緒よと。そんなことを深海棲艦に言われる。

 それは今の私にとってはあまりに不都合な――――そして自分勝手な――――現実。

 

 受け入れられないなら立ち向かうしかない。

 隣に立てないのなら、憎み合うしかない。

 

「じゃあ私たちは、殺し合うしかないんですか?」

「そうとも限らないわよ? 受け入れられないなら遠くで暮らせばいいのよ」

 

 しかし今回に関してはそうはいかない。

 目の前の彼女はアジア連合軍の観艦式を妨害しようとしていて、私はそれを守る立場。

 相容れないどころか、真っ向から対立する立場にある。そう伝えると、彼女はきょとんと首を傾げてみせた。

 

「観艦式? 私は襲わないけれど」

「…………はい?」

 

 先ほどの、日本人発言ほどは驚いたつもりはない。

 けれど驚かなかったからこそ余計に私は混乱した。襲うつもりがない?

 では一体、彼女はここへ何をしに来たというのか。言ったでしょと彼女は嗤う。

 

「『人類を勝利に導く』って。貴重な戦力をすりつぶさせてどうするのよ」

 

 そう言いながら彼女は、近くに転がっていた棒きれを拾うと懐からペンライトを取り出し――――そんなもの持っているのかと愕然とする私を余所に――――地面にインドシナ半島の地図を書いてみせる。

 

アジア連合軍(あのくに)が守りたいのは食糧だけで、人間ではないのよ」

 

 要するに()()だと。そんなことを言いながら彼女は、深海棲艦を示すのであろう鬼の顔を描く。

 それはインドシナ半島の先端、マレー半島のすぐ側にあった。

 

「マレー半島は穀倉地帯であるチャオプラヤ・メコンの両地域を守るのにはうってつけの場所よ。インド洋から来る深海棲艦をここに惹きつけ、地上に上陸して柔らかな腹を剥き出しにしたところで空から叩く……」

 

 それはまさに、今日行われた行為そのもの。

 合同作戦で彼らが爆撃機を出し渋っていたのは、国のメンツよりもむしろ効率の問題なのだと私は今更……違う、本当は気付いていたけれど。考えないようにしていたのだ。

 

 だって上陸して、誰かを襲っている隙に爆撃するなんて――――――正しくない。

 

「納得いってなさそうね」

「理屈は分かります。ですが……」

「いいのよ。納得は全てに優先するって、誰かが言ってたしね」

 

 そう言いながら彼女はその仕組みを説明していく。

 

 なるほどこうして聞けば、アジア連合軍はよく考えられている存在だ。

 マレー半島さえ犠牲にしてしまえば穀倉地帯だけでなく、その後背に位置する内陸各国も守られることになる。

 つまりほとんどの加盟国が損害無しで深海棲艦の襲撃を乗り切ることが出来るということ。

 

 これほど合理的なシステムもないだろう。

 

 多くの国が平和を享受し、()()()()()()()()()()地域と住民には、連合軍各国が拠出する基金で損害が「補填」される。

 

 聞けば聞くほど、考えれば考えるほど腹立たしい。

 

「もちろん。利益を得られるのは加盟国だけじゃないわ。例えば日本なんか、インド洋から来る深海棲艦を気にせずに済むから……」

「もう、やめてください」

「アジア連合軍のおかげで日本は太平洋戦線に集中できる。これは逆も然りよね」

「やめてください!」

 

 聞きたくない。聞きたくない。

 

 まるで日本まで、私たちまで共犯者みたいに言わないでくれ。

 

 私たちが何をしたっていうんだ。

 アジア連合軍の所業は、アジア連合軍がやったことであって。

 

 それともまさか、そこまで責任を持てって言うのか。この私に?

 

「考えすぎなのよ。でも、考えずにはいられない。そうでしょ?」

 

 否定のしようがなかった。否定する理由もない。

 

 目の前で街が消えた。

 家族を奪われたヒトがなお暴力に晒されて、そして。

 

 私たちは、そんな景色を知らずに――――――平和を、享受してきたんだ。

 

「今、人類は酷い状況にある。限られたパイを巡って争うならまだマシ、どんどん減っていくパイの損を誰に押しつけるかだけ考えている。滅亡は時間の問題よ」

 

 人類の総人口が減少に転じていることは知っている。

 一度は鈍ったそのペースが、再び加速していることも。

 

「確かにアジア連合軍は失敗した。日米の新自由連合盟約(ニューコンパクト)も、欧州主導の地中海連帯構想も失敗した……戦後世界を見据えての醜いレースだったのかも知れないけれど、でも、勝利に向かっているだけマシだったのよ」

 

 だから、私は今のインチキをぶっ潰しに来たの。

 目隠しして滅びに向かう未来を変えに来たと、信念を持っているらしい彼女が言う。

 

 それを聞いていた私は、自然と彼女に聞いてみたくなった。

 信念(それ)は、私の見失いかけていたものだから。

 

「……なにを、するんですか?」

「マレー半島から防壁としての役割を奪う」

 

 それは、あまりにも大胆な提案。クラ地峡って知ってるかしらと彼女が言う。

 

「昔、ここに運河を通そうって案があったの。インド洋と南シナ海を直接結ぶ大運河……この建設手段として、水爆の投入が検討されたそうよ」

「まさか……!」

 

 参考になればと思って聞いていた脳漿が沸騰する。意外かしらと深海棲艦が嗤う。

 

「米国が南洋(ミクロネシア)で核を使って以来、そのトリガーはすっかり軽くなったわ。観艦式に注力したい彼の国が、アンカレッジ協定の範囲内でそれを使うのは間違いない」

 

 私は怒りを抑えるのに精一杯だった。

 けれど、その怒りを「納得」させるためには――――――もうひとつだけ、確認しておかないといけないことがある。

 

「……だとしても、です。空からでは、大地を吹き飛ばすことはできませんよ」

「もちろん。大事なのは()()()()()()()()()()()()、でしょ?」

 

 そしてその事実は――――――私の何かを壊すには、十分すぎた。

 

「ぁ、ぁ…………」

 

 私の手が動く。

 それは訓練で何度も繰り返した動作。特務神祇官(かんむす)には必要ないはずの――――けれど、軍人としては必要な技能。

 

 外す、抜く。

 スライドを引いて薬室に送り込む。構える――――引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ赤に燃えていた。

 

 それは私の感情で、火薬が燃え切った後の熱で。

 拳銃の保護材すらも貫通するような熱で。

 

「――――――それで? 満足した?」

 

 後ろにスライドして固定された拳銃の向こうで、彼女は笑っていた。

 さも当然というように全部の9mm弾を受け止めて、その端正な顔に傷ひとつ付けることなく。

 

「言っておくけど、私は止められないわよ」

 

 もうやめて。

 おねがいだから、これいじょう。

 

 私の口から零れる願望を、彼女は聞いてくれない。

 

 そうだ、いつだって。

 私の願いを聞いてくれるヒトなんてどこにもいなかった。

 

 願いが叶うかは相手の都合次第。

 私と相手の「自分勝手」が一致したときにだけしか、願いは叶わない。

 

「なんで、なんで……どうして!」

 

 叫びたかった。叫んでも叫び足りなかった。

 私は目の前の彼女すらも倒せない。

 凍り付いたように手がグリップに張り付いて、離れない。

 

「どうしてこんなこと!」

「決まってるでしょ」

 

 彼女が背を向ける。震えて思い通りにならない脚を抱え込む私に、一言。

 

 

「愛する(ヒト)を、守るためよ」

 

 

 私はもう何も言い返せない。

 これは理屈じゃないから。

 

 目の前の邪悪としか言いようのない存在から、愛という言葉が零れる。

 ならいったい、お前はどうして核兵器を破裂させよう(世界を壊そうと)とするのだ。

 

 これが、これが私の――――――生きている世界だというのか。

 

 膝をつく、胸を押さえる。

 硬い金属製の何かが、焼け払われた街の跡地に落ちる。

 

 苦しかった。胸がつかえて、喉の奥がヒリヒリして。

 思わず抑えた口の端から、酸っぱい液体がこぼれ落ちる。

 

「――――――!」

 

 嗚呼、嗚呼。私は生きている。

 

 誰かを犠牲に作った穀物、命を潰して作った主菜。

 誰かの大切なものを、原型も留めないほどに変えてしまったナニカを腹に収めて生きている。

 それは酸っぱい液体と一緒にかき混ぜられて、私という存在に置き換えられる。

 

 嗚呼、嗚呼。どうして私は生きているのだろう。

 ただ生きているだけなのに場所を取る。私のせいで誰かが犠牲になる。それは苦しくて、酸っぱくて、もう、なにも。

 

 手のひらからこぼれ落ちていく。

 それはこの地球に住んでいたはずの命。

 私が殺してしまった――――――私が、無駄にしてしまった命。

 

 思えばどうして、私は重力に逆らっているのだろう。

 水の上に立つ必要なんてなかったはずなのに、海に沈んでしまえばよかったのに。

 

 それとも、この苦しさに身を委ねれば。私はどこかへゆけるのだろうか。

 

「夕雲ッ!」

 

 瞬間、首根っこを掴まれる感覚。

 口にナニカをねじ込まれて、すぐに舌を引き千切ろうとするような勢いで引っこ抜かれる。胸の中でなにかが炸裂して、爆ぜる。

 

「がほっ、ごほッ! ごほっ!」

「気をしっかり持って! 全部吐き出して!」

「うっ、あッ! あああっぁ!」

 

 苦しい。苦しい苦しい苦しいよ。それなのに私は、まだ生きている。

 

 身体中の水分が沸き立つようにして、私に生きろと伝えてくる。

 全部吐き出せ、空気を吸え。そうしないと死んでしまうぞと、そう叫ぶ。

 

「……もう、もう」

 

 ゆるしてください。

 

 こんな私を。

 いきていてごめんなさいって、あやまるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着きましたか、とは。聞きません。私の声は聞こえますか?」

 

 返事をする気力もなかった。首を重力に従わせて落とした私に、彼女――――――私と、今日まで一緒に戦ってきた(オママゴトしてきた)艦娘はため息。

 

「夕雲さん。あなた本当に、向いてないですよ」

 

 知っている。でも、私はなりたかったんだ。

 

 誰かを助けられるヒトに、そういう立派なヒトに。

 

「ブラックスワン、あのひとの、狙いは……」

「ええ。失礼ながら聴かせて頂きました」

 

 そして、分かっているでしょう?

 艦娘はもう、何も言わずにそう語りかける。

 

 そうだ。私の国は()()()()()()。マレー戦線が崩壊すればあの国は南に注力せざるを得なくなる。

 

 そうすればもう、海峡を挟んでの睨み合いなんてしなくて済むのだ。

 

 領空侵犯機よサヨウナラ(グツバイ・ベイジンエクスプレス)

 米国が撤退して以来の平和が、きっとこの国に訪れる。

 

 

 

「わたしたちは、なんの。味方なんですか」

 

 

 正義の味方と、ウソでもいいから。言って欲しかった。

 そんな甘えが許されるハズもないのに。

 

「国益の味方です。私たちは、国の益から給料をもらっていますから」

 

 あくまで冷徹に、現実をつきつけるように。

 

「もう、イヤ」

「逃げたいですか?」

 

 

 ――――――でも、逃げられない。

 

 

 本国に還っても、階級章を返上しても。

 

 生きている限り、この現実からは逃げられない。

 

「夕雲さん。強くなって下さい」

 

 肩に温かいものが置かれる。それはそっと広がり、私の背中をあたためる。

 

「どうか呑まれないで下さい。戦うための力をつけてください」

 

 どうして? なんでまだ戦わなくちゃいけないの?

 

 理由は一番自分がよく分かっていた。

 もう逃げられないのだ。

 

 口にするもの、目にするもの、全部全部が私を責め立てる。

 ならそれを全部やっつけないと、終わらない。

 

「いや、いや……なんで、どうして?」

「世界は残酷だからです」

 

 知った風を、そう返すには。あまりに。

 

「戦うことをやめたら、しんでしまうからです……!」

 

 彼女の顔は、涙に満ちていた。

 

 



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第38話 UW"I wish you a pleasant voyage."

"素敵な航海でありますように!"


 

 この世界はきっと。もうとっくの昔におかしくなってる。

 

 空は、白のまだら模様に占領されていた。

 音も立てずに上空へと侵入した寒気の降らせる大空襲。鳴るべきサイレンの音もかき消して、駐屯地に並んだモスグリーンを埋め尽くしていく。

 

 季節外れどころか、場所外れの雪。終わってしまいそうな世界の、最後の涙。

 

「帰りましょう。夕雲さん」

「わたしは、どうなるの?」

 

 その問いに、どうともなりませんと返す彼女。アジア観艦式は成功裏に終わった。

でもその翌日に、世界がまたひとつ歪んでしまった。

 

「これからは忙しくなります。アジア連合軍が『マレー・ショック』から立ち直れるのか。深海棲艦の流入量はどこまで変わるのか……状況は予断を許しません」

 

 見逃したクセに。

 本当は防げたくせに。

 

 その言葉はそのまま、私に跳ね返ってくる。

 

 なにせ理性では理解しているのだ――――――きっとこれが「正しい」と。

 もう、それが誰にとっての「正しさ」なのかすら、分からなくなってしまったけれど。

 

「強くなって下さい。夕雲さん」

 

 またしても彼女が、無責任にそんなことを言う。

 

「あなたは一緒に、来てくれないの?」

「出来ないんです。大事な()()がありまして」

 

 身動きが取れないから、無責任なことを言う。他の責任を果たすと言い訳して、一番大切なものから目を逸らす。

 

 それが生きるということだなんて、わたしは、認めたくない。

 そんな私に、彼女が嗤う。

 

「夕雲さん、あなたは知りすぎました。()()()()()()()()()()

「……会いたくないわ。また国益のために戦わされるんでしょう?」

「ええ、ですから。強くなって下さい――――――あなたの信念のために」

 

 貴女の心を、守るために。そう言外に聞こえて、私は空を仰ぐ。

 

 分厚い雲。この雲の向こうには、きっと爆撃機の群れがいる。

 見えない場所からいつも、365日24時間。私たちの生活を見張っている。

 

 

 

 私はそれを、絶対に忘れない。

 

 

 

 

 

 

 


 



 




 

 

 

 

 

 

 

 第9護衛隊群は、結局解散させられることになったらしい。

 そりゃそうだ。存在しない部隊に意味はない。そもそもが第8護衛隊群を神聖視するあまり、欠番部隊として一つ飛ばしの9番目という歪んだ護衛隊群だ。消えてしまったところで、もう誰も困ることはないのだろう。

 

 

 そして秋雲さん(かのじょ)があの日言ったとおり、私たちは()()()()()()()()()

 そして私は、今―――――。

 

 

「……それにしても、まさかこの家とはね」

 

 

 軍人が、それも前線で命を張るのが仕事のはずの特務神祇官たる海軍軍人には相応しくない高級住宅地。その一角で呼び鈴を鳴らすことになるなんて、一週間前の自分に言っても信じはしないだろう。

 

「ねぇ秋雲さん。私、強くなれたのかしら」

 

 そう独りごちる。もしも強くなれたからこそ声が掛かった(動員された)のだとしたら、本当に笑えない話だけれど。

 

 

 ()()の命令は単純だった。日時と住所、あわせたように届く東京への出張命令。

 この段階では白鳥部隊(ホワイトスワン)が私に引き合わせたがっている人物が誰なのかは分からない。

 

 けれど住所を検索して、邸宅の前まで来てしまえば家名は当然分かる。海軍の人間、それも幹部なら知らないはずがない名前を前に、私は嘆息。

 

 いったい、どれだけ多くの人間が白鳥部隊(ホワイトスワン)に関わっているのだろう。彼らはどれほど根を深く張り巡らせているのだろう。

 そう思いながら……しかしそんなことは表情におくびも出さず、私はカメラ搭載型のドアホンを見つめる。このカメラの向こうには間違いなく()がいるだろうから。

 もう既に、試験は始まっているに違いないから。

 

『どちら様デスカ?』

 

 ほどなくして応じたのは、少し訛ったようなイントネーション。

 使用人だろうかと私は考える。フィリピン系の出稼ぎ労働にハウスキーパーとしての仕事が含まれるのは有名な話だった。

 

「哨戒艦隊司令部付、山田ハナコです」

 

 もちろん偽名である。偽名で接したところで相手の素性を考えれば意味がなさそうだが、念には念を入れてということだろうか。

 

『お待ちしておりマシタ。お入りクダサイ』

 

 その言葉と同時に閉ざされていた門が音もなく開く。どうやら遠隔操作で開閉できるらしい。

 

「……さてと。いきましょうか?」

 

 玄関へと続く小路(こみち)の脇には芝生が生い茂っており、少し開けた場所には敷き詰められたレンガと積み上げられたレンガが見える。その横に見えるブルーシートからは、プラスチック製の丸テーブルと椅子らしきものが脚をのぞかせていた。

 まさかとは思うが、バーベキューでもしたりするのだろうか。それも運動公園などではなく、個人の家で?

 とても戦時中とは思えない光景。一般的な富裕層が戦争を身近に感じていないのは想像に難くないが、仮にも国防軍の高官がそのような体たらくで良いのだろうか。

 

 ……分かっている。そんなこと考えても無駄だということは。

 この家は軍人というより政治家の家。質素倹約よりむしろ、いかなるときも豪奢に構える見栄が必要なのだろう。

 

 とはいえ所詮は土地のない日本。

 小路はすぐに途切れ、目の前にはいよいよ玄関が迫る。

 玄関前の呼び鈴を押そうとすると、その前にカチャリと扉が開いた。

 

「ようこそ、ヤマダ様」

「……どうも」

 

 応対したのは、フィリピン系のハウスキーパーではなかった。ややウェーブのかかったブロンド、整った顔立ちはアジア系のそれではない。

 

 そしてなによりその服装。

 まさかハウスキーパーがフリル付きのワンピースを着ているなんてことはないだろう。メイド服ならフリルがついていてもおかしくはないだろうが、シルクの素地をアピールするようなその服はメイドとは似ても似つかない。

 

「お茶を入れて参りマス。少々お待ちクダサイ」

 

 そう言いながら通された応接間、それともリビングのような部屋。そこのソファに腰掛ける私。

 輸送機や護衛艦の椅子ではあり得ないクッション性を誇るそれが体重を吸収して、硬い反発に慣れている私は何度も腰の位置を直す。それでも結局落ち着かず、浅く座ることで違和感を最小限に抑えることになった。

 

 

 本当に、住む世界が違う。

 

 

 見るからに高価なソファ、絨毯や壁紙にはもちろん複雑な紋様。

 壁には油絵が飾られ、置き時計がその振り子に従って時を刻んでいる。

 

 少しでも傷つけた日には1ヶ月分の給料は消し飛ぶに違いないそれらを眺める私は、ふとその一角に目が吸い寄せられる。

 

 それは量販店では絶対手に入らないであろう繊細な彫刻が施された引出し式収納(チェスト)

 正確には、その上に置かれた装飾品。

 

「ここだけは、私の実家と一緒ね……」

 

 異世界とはいえ、ヒトの住む家に違いはないということなのだろう。

 私はソファを立ってそこへ歩み寄る。

 

 そこには、いくつもの写真が置かれていた。

 登場人物は様々だが、主人公は一目瞭然……それは一人の少女が歩んだ人生(ものがたり)だ。

 

 七五三の写真に始まり、小学校や中学校……時おり乗馬シーンやらイヤーマフにショットガンを構えた写真もあるが、概ね誰もが通る成長の道を記している。

 そして最後の写真と思われるそれは、国防大学校の入学式。

 

 中心に写るのはすっかり成長しきった少女の姿。その隣には海軍の制服に身を包んだ父親とおぼしき男。そして反対側には……。

 

「ごめんなさいね。お待たせして」

 

 先程までの訛りを微塵も感じさせない流暢な日本語。

 私が振り返った先には、写真に写っていたブロンドの女性。

 

 迂闊だった。

 考えてみれば白鳥部隊(ホワイトスワン)が情報を無意味に漏らす理由はない。密談会場にハウスキーパーが居合わせる訳がないのである。

 

 国防海軍重鎮のひとり、飯田コウスケ横須賀総監の妻――――――それが彼女、私が接触を命じられた人物であった。

 

 

 

 

 

 

 

 紅茶の銘柄なんて分からないが、少なくともインスタントのそれより悪いということはないのだと、思う。

 いやきっと、味も香りも良いはずなのだ。それなのにどうしたことか、味も香りも感じない。舌を火傷した感覚がないので、温度も適当なのだろうなと予想することしか出来なかった。

 

「良ければスコーンも食べて? 食べ盛りの娘がいなくなって以来、いつも余っちゃうから」

 

 こんな状況で焼き菓子なんて食べても味はしないだろうが、全く口にしないのもそれはそれで失礼だろう。そう考えた私は、頂きますと会釈して焼き菓子をつまむ。

 想像通りの無味乾燥。カップを傾けて口から失われた水分を補充する。

 

「……それで、今日はどのような仕事なのでしょうか。飯田夫人」

 

 目の前にいるのは民間人。しかし横須賀総監の妻である。ということは総監の代理人には違いなく、下手なことは言えないとワタシは言葉を選んだつもりだった。

 にも関わらず、彼女は僅かに不機嫌そうな表情を作る。それからツンと拗ねたような表情になり、砕けた調子で言葉を紡ぐ。

 

「ユウグモ、飯田夫人と呼んではダメでーす」

「……はぁ」

 

 それにしても口調の安定しないヒトだなと、そう思った私を誰が責められるだろうか?

 最初は訛りの強いハウスキーパー、今度は横須賀総監夫人、そして次は夫人と呼ぶな? ではどうしろというのか。

 

「私のことは〈ヒラヌマ〉と呼んでクダサーイ」

「……ヒラヌマ」

 

 何処かで聞いたような名前である。しかし何処だったかは思い出せない。

 首を傾げた私に、彼女はニコリと微笑んで続ける。

 

「戦艦〈ヒラヌマ〉。第二次世界大戦(world war Ⅱ)でアメリカが誤認したとされる()()()()()()()デース」

「存在しない……戦艦」

 

 なるほど、表向きには存在しない白鳥部隊(ホワイトスワン)存在しない艦隊(ブラツクスワン)を追跡する者たちにこれほど相応しい名前もないことだろう。

 

「分かりました。それでヒラヌマ、あなたが夕雲(わたし)に求めることはなんです?」

「簡単なことネ。私たちのことを知ってクダサーイ」

 

 そう言いながらヒラヌマは一枚の書類を差し出す。そこに書かれていたのは。

 

「……秘密保持契約?」

「いわゆるNDA、商業取引の現場などで用いられる守秘義務契約デス。いまからお話しすることは『とある会社』に関わる情報。デスので()()()()()()()()がないよう、ユウグモさんには秘密を守って頂く必要があるのデス」

 

 まさか商取引の話になるとは思っても見なかったが、これが意味することは簡単だ。

 ヒラヌマはこれからある企業の秘密を話す……つまり白鳥部隊(ホワイトスワン)が利用している欺瞞企業(ペーパーカンパニー)()()()()()()の内容を話すということ。

 

「どのみち、署名しない選択肢はないのでしょう?」

 

 差し出された万年筆、書き心地はボールペンのそれで署名をする。もちろん本名、これでもう私は逃げられない。

 

 けれど私に逃げるという道はなかった。

 

 なにもせず、なにも出来ずにただ滅びの日を待つなんて御免だ。

 私は私に出来ることをする。それが例え誰かの掌の上で踊ることだとしても、私は――――――なにもしない私でいるつもりはなかった。

 

「理解が早くて助かるネー」

「御託は結構、本題に入りましょう?」

 

 もちろん、とヒラヌマは不敵に笑う。

 それから一枚のパンフレットを取り出した。

 

「K&Iセキュリティーズ……」

 

 そこに記されていたのは、私でも聞いたことのある企業名であった。いや私どころか、特務神祇官(かんむす)なら誰もが知っている企業である。

 

「深海棲艦専門の民間軍事企業(PMC)。民間商船の警護を主な職務としてイマース」

「ええ……存じておりますとも」

 

 民間商船の警護。それは本来海軍の仕事である。いやもっと言うと、海軍は常にその職務を忠実に実行している。

 ()()()()()()、このような会社が存在している。しかも働いているのはもちろん特務神祇官(かんむす)。要は人材の奪い合いをする相手。

 

 とてもじゃないが、いい印象は持っていない。

 

ヒラヌマ(ワタシ)……いえ、飯田夫人(わたし)はこの会社の経営に関わっています」

 

 そう言いながら差し出される名刺には、なるほど経営陣に名を連ねているらしいことが書いてある。

 

「……それで、あなたがこの企業の経営をしていることが何になるのかしら?」

 

 私は口ではそう言いつつも、内心で冷や汗をかいていた。

 K&Iセキュリティーズなんて駆逐艦程度の運用ノウハウしか持たない警備会社としか思ったことがなかった。それこそ軍の空気に馴染めない新人が毎年引き抜かれるので困るといった程度にしか考えたことがなかった。

 

 しかしもし、この企業に白鳥部隊(ホワイトスワン)が関わっているのなら。

 話はずっと、違うものになる。

 

「ユウグモの考えはだいたいあっているヨー?」

 

 私の考えを見越して、ヒラヌマは嗤う。

 

()()()()でつもりに積もった海運業界の海軍不信。神崎=飯田重工連合による新型艤装の実験場……そんな()()()()()理由だけで、K&Iセキュリティーズなんて大規模な民間軍事企業(PMC)を維持デキルと思いマスカー?」

 

 出来るわけがない。K&Iセキュリティーズの運営費は船舶保険などの利点程度では打ち消せないほどに大きいはず。事業としては大赤字の非採算部門に違いがないのだ。

 なにせそもそも()()()()()()()()()()()なのだから。

 

「さて、ユウグモ。あなたには選択肢がありマース」

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「今すぐ回れ右して帰るか、それとも紅茶の『おかわり』を淹れてもらうか」

 

 私は()()()()()()のだ。

 この先に何が待ち受けていようと、どのような言葉が彼女の口からこぼれ落ちようと。

 

 それを聞くために……戦い続けるために、死んでしまわないために。

 ただそのためだけに、私はここへ来たのだから。

 

 カップを手に取る。もう手は少しも震えていない。ゆっくりと口の高さまで持ち上げて、そっと舌を湿らせるように味わう。

 香りが鼻腔に昇るのを感じながら、私はその少しだけ冷めた紅茶を飲み下す。

 

 それは不思議と、まろやかな渋みを感じさせるものであった。

 

 

「……おかわりを頂きましょう。それと、出来ることなら、ご夫人の貴重なお話しも」

「えぇ、お話しいたしましょう」

 

 

 そうして彼女は語り出す。

 ちっぽけな歴史の一幕を。

 

 

「これはまだ飯田夫人(わたし)が、ちっぽけな己の幸せを守るだけで報われていた頃の話です……」

 

 

 まだ彼女が闘いに身を投じていなかった(ヒラヌマではなかった)頃の、思い出を。

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2021年12月30日に初頒布した同人誌「冬芽未だ咲かず:GOODBYE BEIJING EXPRESS」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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第3部「あなたに銀の銃弾を」
第39話 始まりはいつも突然に


 無遠慮な電子音が、肌にへばりつくような夜を切り裂いた。

 

「んぅ……だーりん、でんわぁ……」

「あ、ぁあ……」

 

 そうだな、と。名残惜しそうに扉を見やる愛しいヒト。

 

 気持ちだけと言わんばかりにうっすらと光る常夜灯の下で、筋肉の上を流れて光る汗。

 本人はデスクワークで弛んでしまったと言いつつも、未だに鍛え続けているらしい腹筋は彼の見栄っ張りな性格の一端を示している。

 

「出て、きましょうか?」

「いや。長くなるかもしれないから、お前はもう休んでなさい」

 

 しれっとトンデモないことを言い放ち立ち上がると彼は寝間着を巻いて外へと出て行く。

 

 ――――――これで優しさのつもりなのだからタチが悪い。

 

 身を整え、廊下から漏れ聞こえる声に耳を任せながら横になる。

 最初は事務的な調子だった彼の声が、だんだん、ゆっくりと焦りを帯びていく。

 

 あぁ、またこの流れか。

 

 身体の温度が抜けていくのを感じつつ、私は枕に顔を埋めた。

 彼が大切な仕事をしているのは知っている。「トーゴーバクリョウブ」に行くことが「出世」であることも、それを彼が誇りにしていることも知っている。

 

 それでも、電話の終いに出てくるあの言葉は聞きたくない。

 

「――――――えぇ、分かりました。すぐに行きます」

 

 その言葉で、身体の熱は栓を抜いたお風呂のように抜けていく。分かってましたよ、どうせこうなることは知っていますよと内心で毒づきながら私は立ち上がる。

 そもそも呼び出す用事でなければ、真夜中に電話が掛かってくる筈がないのだ。

 

「すまん、呼び出しが……」

「えぇ。分かっていますよ、ダーリン」

 

 表情に出してはいけない。

 神経を張り巡らせて表情筋を統制し、目の前の彼を安心させるための笑顔を作りだす。

 

 今この瞬間に彼が必要としているのは行かないでと懇願する女ではない。

 国家のお役に立とうと出立する旦那を支える妻なのだから。

 

「制服を用意します。他のご準備を」

「すまん」

 

 その謝罪は、果たして何に対しての謝罪なのだろうか。

 

 二人きりの時間を邪魔されたこと?

 それともこうして準備に付き合わされたこと?

 

 まさか――――――彼が軍人であること?

 

 そんな謝罪に意味がないことは、本人が一番良く分かっているだろうに。

 

「いいんです」

「この埋め合わせは……」

「その前に、先週の埋め合わせをして頂きたいですね」

「……すまない」

 

 それでも、彼は「儀式」のために口にする。

 

 埋め合わせとやらがいつになるかは分からない。

 でも、埋め合わせをするためには還ってこなければならないから。

 

 クローゼットから制服を取り出す。

 数時間前にかけたばかりのアイロン、熱はとうに霧散したけれど、ピリッと張りつめた緊張感が彼を慢心から掬ってくれるはず。

 

「シャツを」

「はい」

 

 まだまだ新品の香りが抜けない白シャツを取り、ボタンを外して手渡す。

 するりと袖に通される腕は、私よりもひとまわり頼もしい。同じようにひとまわり大きな指が器用に動けば、たちまちボタンが留められていく。

 

 同じ要領でズボンを履いた彼は、すっと腕を広げた。私は制服を掲げる。

 

「はい」

 

 階級章の付いた、彼を軍人たらしめる制服。それが今から、彼の肩にかかる重荷になる。

 

 今の私が感じられる物理的な質量ではなく、1億2000万という命の重み。

 それをもし、少しでも肩代わりできるのなら。

 

「……どうした?」

 

 

 不安なんです。

 

 

 そう、素直に言えたらどれほど気が楽だろう。

 

 そして彼は、どれほど苦しむのだろう。

 

 だから言えない。身を寄せでもしたら少しは気が晴れるのだろうけれど。それだけで彼は感じ取ってしまうだろうから。

 

「いいえ……大きな背中ですね、と思って」

「大迫先輩に比べれば小さいよ」

 

 そういう話じゃないことは、きっと彼が一番よく分かっているのだろう。

 それでも「そういうこと」にしてくれる貴方は、やっぱり優しすぎる。

 

 制服の袖が彼を包む。これでもう、貴方は私の夫ではない。

 

 国防海軍の2等海佐。そんな日本国の守護者たる彼は、私のことを顧みずに進む。

 つかず離れず、二歩ほどの距離をとって後を追うけれど、そんな抵抗も玄関まで。

 

「お気をつけて」

「ああ」

 

 靴を履いた彼が、くるりと振り返る。

 

「いってくるよ」

 

 すっと近づいた彼に、私も顔を寄せる。

 これは儀式、私が故郷の習慣だと――それ自体は事実だけれど――いうことにして彼におしつけた、小さなワガママ。

 

 触れあう一瞬、伝え合う温もりは十全に。

 

「あぁ、今日は玄関(ここ)までだ」

「?」

 

 思わず首を傾げる。

 夜間の呼び出しはたいていの場合迎えが来ていて、その車に乗り込むところまでを見送るのだけれど。

 

「お待ちしておりました2佐、お急ぎ下さい」

 

 扉の向こうで待ち構えていたのだろう。

 顔を出したのは、艤装を背負った――――――完全武装の〈艦娘〉。

 

 世界中で暴れ回る深海棲艦という名の化け物を倒すために産まれた、海の上を駆ける兵士。ここは、海からはほど遠い街の中だというのに。

 

「ま、まってください。どうして艦娘が……?」

 

 その背中は答えない。敬礼していた艦娘に答礼すると、足早に外へと駆けてゆく。

 

「ダーリン! 答えて……」

 

「――――――家の中にいなさい!」

 

 

 振り返ったその顔は、見たことがないもの。

 まるで別の世界から現れた瓜二つの人物のよう。

 

 漏れかけた「誰?」という問いかけを寸での所で呑み込む。

 

「鍵をしめて、灯りを消して。可能なら一階で寝なさい。念のため消化器は手の届く範囲に。もちろん、非常用持ち出し袋も」

 

 何か大変なことが起きたのは分かる。

 武装した兵士が街中を歩き回っている時点で普通じゃないし、そんな兵士に迎えられるのも普通じゃない。

 

 そして、彼はそれに「関わるな」と命じてきている。

 

「……わかり、ました」

 

 それならもう、私には従うことしか出来ない。

 なにせそれは、私と彼の暗黙の取り決めだったのだから。

 

「すまない」

 

 その言葉を最後に、扉がゆっくりと閉まる。

 一歩でも動いてしまえば堪えていたモノが溢れ出しそうで、私は胸を押さえてうずくまることしか出来なかった。

 

 

 

 社会には、役割というものがある。

 

 

 

  道を行き交うスーツ姿、交差点に立つ警邏の巡査。朝刊を配達員がポストに放り込めば、地球が回って朝を連れてくる。

 

 

 私の役割は、あの人の妻であること。あの人を支えること。

 

 どうしたら私は、あの人を支えることが出来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関の呼び出し音が鳴っていた。

 時計の指し示す時間の通りなら十中八九なにかのセールスで……そうか、もうそんな時間なのかと頭の片隅で考える。

 

 

 あの人はいつ帰ってくるのだろう。

 いったい何が起こったのだろう。

 

 

 返事のない携帯電話には役に立たないニュース記事が踊り、この国で起きた惨事をしきりに報じているけれど、あの人がどうなったかは教えてくれない。

 

 無遠慮なチャイムは何度でも鳴る。それがうるさくして仕方なくて、嵐を耐えるようにチャイムが過ぎ去るのを待っていると――――――ガチャリと鍵の開く音。

 

「!」

 

 身体が反射的に動いた。

 鍵が開いた音がすると言うことは、つまり鍵を開けたということである。それが意味しているのは鍵の持ち主の帰還。

 

 しまった、どうして私はこんな時間まで床に臥せていたのだろうか。

 

 こんな姿を見たらあの人は私のことを酷く心配することだろう。

 昼食の準備はもう間に合わないので、せめて手ぐしで髪を整え服を叩いてシワを隠す。

 

「ダーリン! おかえりなさ……」

 

 けれど、私の言葉が最後まで続くことはなかった。

 

「……こんにちは、()()()()。ご機嫌麗しゅう」

 

 ロングスカートの裾を軽く摘まんでお辞儀をしたのは義理の妹。そのワザとらしい振る舞いにこちらが脱力したのをみて、深いため息。

 

「バカだバカだとずっと思っていましたが。やはりお兄様は大馬鹿者です」

 

 ダーリンのこと、悪く言わないでください。

 

 私の反論は言葉になっただろうか。義妹は私の脇を通り過ぎてカーテンに取り付くと、引き千切らんばかりの勢いで開く。

 差し込んできた太陽の光がフローリングに反射して、部屋中に拡散。思わず眼を細めた私に、低い声を効かせた彼女が聞いてくる。

 

「それで、食事は」

「……そんなの」

「食べてないんですね?」

 

 それだけ言うと義妹は乱暴に冷蔵庫を開き、コンロに火を掛ける。

 勝手知ったるヒトの家とはこのことだ。

 

「はい、食事の支度が出来ました」

 

 そうしてたちまちトーストとベーコンエッグ、そしてポテトサラダにキャベツの千切りを添えたサラダが――もっとも、ポテトサラダは昨日の私が作ったものだけど――が食卓に並ぶ。

 

「お義姉様、座って下さい……座りなさい」

「……」

 

 半ば投げやりに席に着いた私に、義妹がトーストを口にねじ込む。

 これではまるで拷問である。

 

「――――――ふぐっ! なにぃふぅんでふか!」

「こうでもしないと食べないでしょう」

 

 息が出来なくなってしまう前に義妹の手を振り払い、食べればいいんでしょと咀嚼する。

 すると先ほどまで何も口にする気にならなかったのがウソのように、急激な食欲が身体の内から沸いてきた。

 トーストを自発的に食べ始めた私をみて、義妹は何度目かのため息。

 

「来て正解でしたよ。お義姉様に餓死されては、ハルナの顔が丸つぶれです」

 

 一食抜いたくらいで餓死なんて、私の反論は鋭い目付きで制される。

 口は食べることに使いなさいと言わんばかりの眼光は、数時間前に私を貫いた視線と似ている……当然の話だ。なにせ眼の前の女性は、あの人の妹なのだから。

 

「食べながら聞いて下さい」

 

 あの人の妹が、あの人とは異なる声音で言葉を紡ぐ。

 

「我が国では現在、9年ぶりの夜間外出禁止要請が発令されています。人権を極めて尊重する我が国における、事実上の戒厳令です」

 

 急いでいたためだろう、少し焼きの甘いベーコンエッグを口に入れる。

 動物性タンパクを焼いた時に広がる香りが食用油特有の匂いと混ざって食本能を刺激する。

 

 そんな欲求を満たすための食事を続ける私に、義妹は説明を続けていく。

 

「近郊区間の交通は動いていますが、遠距離の新幹線や航空機の運行は早めに切り上げられるそうです。そして、今後は運休の可能性も十二分にあります」

 

 話の行く末が見えない。怪訝な顔を浮かべる私に、彼女は酷く簡潔に言い切る。

 

 

「お義姉様には金沢へと疎開していただきます。今日、いますぐに」

 

 

 嗚呼。

 やっぱり、この女性(おんな)はあの人に似ている。

 

「……肝心なことは、教えてくれないのですね」

「気休めが必要ですか?」

「まさか」

 

 行きましょう、カナザワへ。

 それが、あの人の命令(のぞみ)なのならば。

 

 



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第40話 日常たもつは誰がため

 東京都千代田区。日本列島に横たわる海洋国家、日本の首都中枢。

 

 関東全域へと延びる巨大な鉄道網の発起点である東京駅のコンコースは、少なくとも見かけ上は平静を保っていた。

 スーツに身を包んだビジネスマンがせわしなく足を回し、極めて簡潔で複雑な動線を縫うように進んでいく。

 その動きはまるで効率化の極地にある工場のよう。

 

 そんな巨大なうねりの中を、そんな私の手を掴んだ義妹はすいすい進んでいく。

 

「ハルナっ、もう少し、ゆっくり歩いて頂けマセンカ!」

「切符の新幹線まであと10分しかないんです。急ぎますよ」

「次の便でいいじゃないデスカー!」

「そうもいきません、北陸新幹線は全席指定ですから」

 

 復路の指定券が取れたのは僥倖でしたと、そんなことを義妹は言う。

 

「いまや関東圏の駅は、域外に脱出しようと考える人々でごった返しています。次の列車がある保証だってありませんからね」

 

 言われてみれば、確かにちらほらと見える荷物を抱えたヒトの姿。

 それも旅行者のようにスーツケース一つを転がすのではなく、いくつもの荷物を抱えた()()()たち。

 

「日本の物流網は優秀ですから麻痺しないとは思います。ですが物事に絶対はない……本当なら、政府が何らかのアクションを取るべきなんでしょうがね」

 

 先ほどからずっと、義妹はしゃべり続けている。

 駅に向かうタクシーでも。駅についてからも。誰に向かって話している訳でもないその口調は――――――きっと、他ならぬ義妹自身に向けられているのだろう。

 

 私の手を引く義妹は、ヒトの濁流を意にも介さず進んでいく。

 

 階段から吐き出された一団を華麗なターンでかわし、歩けばまるで向こうから避けるかのように道が拓けていく。相手の動きを予測する義妹の動きは、まるで未来予知のよう。

 

「このくらい、慣れれば誰でも出来ますよ」

「……」

 

 そして、思念通話者(サイコテレパス)でもあるらしかった。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうして金沢なんデスカ?」

 

 私の問いに目線だけを寄越した義妹は、しばらく私を見つめてから窓の外へと視線を投げる。そこには昨日と変わらない東京の景色が広がっていた。

 変わってしまったのは、そこに住む人々だけ……いや、それを眺める私だけか。

 

『本日も北陸新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます……』

「お義姉様はこのメロディの歌詞をご存じですか?」

 

 車内放送のイントロを聞いた義妹が歌詞を勝手に口ずさむ。

 どうやら金沢に行く理由を話す気はないらしい。

 

 もしくは公共空間(ここ)では話せないということなのか。

 そんなことを考える私をよそに、鼻歌で気分を高揚させたらしい義妹は短く一言。

 

「私が金沢に住んでることはご存じですよね? それで十分なのではないですか?」

 

 十分ではない。

 十分ではないけれど、確かに十分なのかもしれない。

 

 カナザワ……ホクリク地方は、日本海に面している。ユーラシア大陸と日本列島に囲まれた日本海は、今の人類にとっては数少ない「安全地帯」だ。

 

「デモ、9年前だって疎開しろなんてダーリンは……」

「状況が違うんですよ」

 

 私の力の無い反論を、義妹はバッサリ斬り捨てた。

 

「あの時ならお義姉様は取り乱さなかったはずです」

 

 どうして、なんて聞くことは出来ない。

 そんなことは自分が一番良く分かっていることで。

 

 言い返す力が欲しくて、私は小さく唇を結んだ。

 

「……当たり前デス、(ノゾミ)を不安にさせるわけにはいきマセンカラ」

「そしてノゾミちゃんは国防大学校でご奉公の真っ最中……お兄様が直接()()()()理由も分かりますよ。説明もなく放り出されたと勘違いされては堪らないですからね」

 

 義妹が携帯端末を取り出すと、そこにはとても短いメッセージが。

 

「『独りにしないでやってくれ』って、お義姉様は子供か何かですか?」

 

 まったく、実妹(いもうと)を巻き込むのは本当に勘弁して欲しいですよ。

 そう毒突きながら携帯を仕舞う義妹。一方の私は、そっとうつむいて悔しさをかみ殺す。

 

 ――――――あの人に、全部を見透かされている。

 

 私が家でああしていたことまで、あの人には分かっていたというのか。

 それならどうして――――――と、出掛かった疑問は必死に呑み込む。

 

 分かっている、分かっているのだ。

 あの人はあの人なりに最善を尽くしてくれているのだと。

 現にこうして、義妹がやってきてくれたのではないか、と。

 

 私の胸の内を知ってか、義妹はまたしてもため息。

 

「……お義姉様が大人なのは知ってますよ」

 

 ですから、ダイスケやミカの前でならメソメソしないでしょう?

 

 息子(ダイスケ)(ミカ)の名前を出す義妹。私にとっては甥と姪にあたる二人の前で、まさか泣けるはずがない。

 それは二人にはもちろん、あの人にも失礼なことだから。

 

「当たり前、デスヨ」

「それでいいんです――――無理矢理にでも胸を張っていて下さい。お義姉様」

 

 そんな無茶を押しつける義妹は、どこか遠くを見つめながら独りごちる。

 

「そうすることで、お兄様は銃後を憂うことなく戦うことが出来るのですから」

 

 銃後、そんな言葉が耳をくすぐる。

 

 あの人にとって銃後は守るべきモノ。

 あの人にとっての私は、守るべきモノ。

 

「でも、少し意外でしたよ」

 

 なんの話だろうか。義妹に意識を向けると、彼女は悪戯っぽく笑った。

 

「すっぴんのお義姉様を見るのは初めてでしたから」

「……失礼な義妹ネー」

 

 それは化粧の話ではない。化粧なんかよりも厚く塗りたくった私という存在の話。

 

 

 HIKARI IDA――――飯田(いいだ)ヒカリ。

 

 

 菊紋が刻まれたパスポートにはこう記されている。これが私の今の名前。

 

 ()()()()()()()()の名前はミドルネームとして――日本の「氏名」という概念には当てはまらないから、あくまでも非公式なものだけれど――名前に格納されている。

 

 そんな私にとって、この日本という国はあくまで「他人の場所」。

 

「大変なんデスヨ? この国に馴染むのっテ」

「よく言いますよ。本当は日本語も完璧なクセして」

 

 フンと鼻を鳴らす義妹の言葉に棘はない、そういった言葉の波を読み取るのには確かに慣れた。ただしこれは、何も日本だから必要な能力という訳ではない。世界の何処に居たとしても、他者と共生するためには必要なこと。

 

 そのような能力を備えているからこそ、彼女は私と話をしてくれるのだろう。

 

「ありがとネ、ハルナ」

「……そういうことを真っ向から言うようでは、完璧からはほど遠いですよ」

 

 日本人は奥ゆかしいものなのです。少し顔を赤らめながら義妹が口ごもる。

 

「アレ? もしかして照れてマスカ?」

「照れていません」

「その返し方は照れていマスネ!」

「照れてませんってば」

 

 わずかに頬を膨らませた義妹と数瞬にらみあって、どちらともなく笑ってみせる。

 車内放送は次の駅への到着を告げ、窓からの景色がトンネルに変わった。

 

「疎開と言っても、これからどうなるんデスカ?」

「ひとまずは私の家にお越し下さい。お義父様(じいさま)の許可は頂いています。ですが……」

 

 そこで一度言葉を切る義妹。

 

 その横顔から先ほどまでの笑みは失せ、眉間にシワが寄っている。

 ――――――それはあの人と同じ、深く考えるときにする彼女のクセだった。

 

「もしかすると別の、もっと安全な場所に移って頂いたほうがいいかもしれません」

「安全な場所、デスカ?」

 

 ホクリク地方は安全なのではないのか。私の疑問に、義妹は慎重に答える。

 

「お義父様(じいさま)の立場を考えれば、金沢の家は狙われかねないのです」

 

 義妹が嫁いだ先――――――彼女の義理の父にあたる人物は、日本の財政界に少なからずの影響力を持つ。

 そしてそのような人物たちが狙われたのが、今回の襲撃。

 

「しかし、信じられません。まさか深海棲艦に知性があったなんて」

 

 そしてそれは、目下大混乱に陥っている日本政府も例外でないに違いない。今回の襲撃は例外的で衝撃的で、それ故に甚大な被害をこの国は被ることになった。

 

 けれど昨日のあの人の反応を思い出すと、こうも思ってしまう。

 この事態は、いずれ起こると予期されていたことなのではないのかと。

 

「でもダーリンは、動じている様子もありませんデシタ」

「それはそうでしょう。最悪の事態に備えるのが軍人です。お兄様は公人としても家庭人としても、常に模範たる行動を心がけていますから」

 

 ではあの時、玄関の先で見せた私の知らない貴方は。

 まるで二度と還っては来られない戦場へ向かうかのような背中は――――――昨日までと、同じだったというのか。

 

 それとも、昔からその背中は同じで。私が気付いていなかっただけで。

 これまでずっと、毎朝毎朝……彼は死出の旅路へと赴いていたというのか。

 

 私はそれを知ることもせず、送り出していたというのか。

 

「お義姉様」

 

 ひょいと現れたのは一本の指。視界の真ん中に移動、私の額に突き刺さる。

 

「眉と眉の間、シワが寄っていますよ」

 

 そのままぐりぐりと顔をなで回してくる指。

 あなたも同じ顔をしていたでしょうとは言う気にもなれず、されるがままになる私。

 

「とにかく、今のお義姉様は独りで考え込まないことです。金沢についたら誰でもいいから話し相手と会話し続けて下さい」

「……ハルナが一緒に居てくれるんじゃないのデスカ?」

「残念ながら私は専業主婦ではないのですよ、お義姉様」

 

 その言葉に、力なさげに首を振る義妹。

 

「午後から阪友金属との商談がありまして、私はそこに()()()()()として出席しなくてはなりません」

 

 役職の部分を強調するように言う義妹。

 私とほとんど歳も変わらない筈なのに、私と同じように子供を育ててきた筈なのに――――――彼女には「立場」というものがあった。

 

 そんな私の内心を知って、言い聞かせるように義妹は言う。

 

「貴女の仕事は健康で文化的な生活を送りお兄様を安心させること。違いますか?」

「それは、そうですケレド……」

 

 けれど、それで私は本当にあの人の役に立てるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「私は大阪行きの特急に乗ります。お義姉様はこの方達と家まで行って下さい」

「何から何までありがとうネ、ハルナ」

 

 カナザワ駅についた私たちを待っていたのは「いかにも」といった風貌のスーツ姿たち。

 防刃チョッキか何かを着込んでいるのか胸板の主張が激しい彼らは、なんでもハルナが所属する企業グループを構成する民間警備会社の従業員(へいたい)らしい。

 

「お気になさらず。お兄様か、神戸のお父様に全額請求させて頂きますので」

「こういうのを『商魂たくましい』っていうのでしタッケ?」

イグザクトゥリィですよ(そのとおりでございます)、お義姉様」

 

 これでも私、大阪商人の末裔ですから。

 そんなことを冗談交じりに言いながら在来線の乗換口へと消えていく義妹を見送ると、スーツ姿が話しかけてきた。

 

「車を用意してあります。参りましょう」

「ハイ。どうぞよろしくお願い致します」

 

 スーツ姿の護衛に連れられて改札を出る。現代建築の造形を存分に取り込んだカナザワ駅の駅ビルは複合商業施設としての側面も持ち合わせており、歩く人々の顔色は明るい。

 

 それこそ――――――山を越えた先の関東平野で、大勢が死んだ翌日とは思えないほどに。

 そんな違和感の中を、私を乗せた乗用車は駆け抜けていく。

 

「着きました」

 

 中心街から僅かに離れた場所に、その雪国スタイルの屋敷はあった。

 自動車の扉が開き、事務的に告げた護衛に礼をいいつつ私は車を出る。

 

 待っていたのは初老の女性。彼女ほどジャパニーズ・キモノが似合うヒトを、私は知らない。

 

「お久しぶりです、ケイカさん。お世話になりマス」

「主人から話は聞いています、お待ちしておりましたよ」

 

 ニコリと微笑んだ彼女は義妹の嫁入り先の義母。

 血のつながりは全くのゼロだけれど、付き合いがないわけではない……といった程度の親戚。

 

「東京は大変だったでしょう」

 

 大丈夫でしたかと彼女は聞かない。

 それは私が、正確には私の夫が現在進行形で大変なことに巻き込まれていることを把握しているからこその気遣い。

 私はえぇまあと曖昧に濁して、そのまま屋敷の奥へと連れ込まれる。

 

金沢(ここ)()()も近いですから、今夜は安心してお休みになってくださいね」

「心遣い、痛み入りマス……」

 

 そこにあったのは、掛け値無しの優しさだった。

 値踏みするような視線も、金山のように対価を払っているが故の優しさとも違う、真心のやさしさ。

 ただしそれは、大きな枠組みで代償が支払われているからこそのモノ。

 

「ケイカさん。よろしければ、インターネットをお借りしても?」

 

 ひとしきりの挨拶を終えて、私はケイカさんにそう切り出した。

 

 オンラインの閲覧契約を結んでいるのは大手一社だけだから他社新聞も見られると嬉しいと伝えると、彼女はじっと私のことを見つめて、それからゆっくりと口を開く。

 

「ヒカリさん」

 

 ただ一言。しかしそれは、北陸の名家を預かる女房としては十二分に重いもの。

 

「……分かっていマス。私が何かをしても、どうにもならないということは」

 

 

 

 

 ――――――むかしむかし、で始まるお伽噺(おとぎばなし)がある。

 

 北アジア地域に残された最後の植民地を失った日、私の()()は新しい同盟国の存在を必要とした。

 

 マグマのように煮え立つ氷の戦争を乗り越えてもなお、いや乗り越えられたからこそ世界に平和が訪れることはなかったし、その未来は必然であった。

 

 だからこそ私はこの国(にほん)に来た。

 それは高貴なる行いの一部であるはずだった。

 

 そう、少なくとも。

 ――――――深海棲艦が現れるまでは。

 

 

 

 

 

 

「確かに、今の私に残されているのは外国から帰化した日本人という立場だけデス」

 

 だから私はあの家で泣いていた。

 泣いて、泣いて、己の不幸と愛する人に降りかかった重たい責任を嘆いて。

 

 ただそうするしかなかった。

 

「デモ、これが()()()()()なら。私にも出来ることがあるはずなんデス」

 

 それは錆び付いた使命。

 もう誰も覚えていない、必要とすらもされない使命。

 

 けれど私はこうも考えてしまうのだ。

 

 必要としたからこそ、あの人は私を求めるのだと。昨日、私を視線で貫いたあの人は変わってしまったのではなく。この日に備えていたのだと。

 それなら私は、そんなあの人を支えたい。

 

 そのためには、どうしても情報が必要だった。

 

「……」

 

 目の前の老女は何も言わない。けれどやがて、息を吐くようにして告げた。

 

「地元紙と大手紙、それぞれ2週間前までしかありませんが。それでよろしければ」

 

 



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第41話 沈黙破るよサイレンは

 

 

 

 ――――――チィン。

 

 

 暗がりに沈んだ会議室に、澄んだベルの音が響いた。

 

 

 

「統合幕僚長代理の承認が得られましたので、次の議題へ移らせて頂きます」

 

 市ヶ谷の国防省ビル――――数年前までは防衛省の看板を掛けていた中央省庁――――に統合幕僚監部は設置されている。

 かつては陸海空3自衛隊の幹部による会議(あつまり)に過ぎなかったこの組織は、今では40万の国防軍を統括、運用する上で欠かせない存在。

 

 故にいかなる非常時であろうと、その活動を停滞させることは許されない。

 

「統合幕僚長代行へ発議。昨晩の南関東地域における深海棲艦襲撃にまつわる暫定報告書が完成したとのことです。ここで要旨をお話しさせて頂いてもよろしいか」

「許可します」

 

 短い承認を受け、若い尉官が立ち上がる。

 彼が端末を操作すると、プロジェクターに形式ばったタイトルが表示された。

 それはスクリーンを埋めつくさんばかりの長たらしく、今回起きた出来事がいかに複合的で想定外のものであるかを示している。

 

「昨日〇五三〇時(マルゴーサンマル)、南鳥島から東に300キロ地点の洋上観測ブイの備え付けレーダーが不審な影を捉えました。ただしこの時点では妨害波も確認されず、深海棲艦である可能性は低いとして警報は発令されませんでした」

 

 プロジェクターに東日本と太平洋を写した地図が表示される。

 そこに確認時間と位置が表示された。その場所は日本列島からはほど遠い。

 

「その後、哨戒線への接触はナシ。二二四五(フタフタヨンゴー)に房総半島沖で哨戒任務に当たっていた護衛艦がデータリンクを切断、同時に同一海域にて強力な妨害波が発生しました」

「つまり、やはり硫黄島の哨戒ラインは機能して……」

 

 口を挟みかけた別の佐官を手で制する統合幕僚長代行。尉官へと続きを促す。

 

「これを東部航空方面隊および横須賀総監部は敵襲と判断、増援部隊および救難部隊を送りますが当該護衛艦および深海棲艦の姿を補足することは出来ませんでした」

 

 尉官の説明した内容がプロジェクターに追加される。大型護衛艦の喪失(ロスト)に迎撃失敗、これだけでも重大問題ではある。

 

 しかし、今回の本題はここから。

 

 先を促すような沈黙が場を支配する。これから始まるのは耳を塞ぎたくなるような現実と向き合う作業。聞きたくはないが、聞くしかない。

 尉官が口を開いて、一言。

 

「以上です」

 

 沈黙。先ほどまでと表向きは同じ、しかし性質は全く異なる沈黙。

 

「……以上だと?」

「はい。その後、当該深海棲艦を捕捉することは出来ませんでした。あらゆる観測装置を確認しましたが、一切の痕跡がないとのことです」

 

 沈黙の質が再び変わる。

 

 最初は尉官に続きを促し、次には尉官の発言に呆れ……そして今、絶望にほど近い沈黙が訪れていた。

 一国の首都、それもこれまで深海棲艦による攻勢を跳ね返し続けた数少ない国家の首都を襲撃した深海棲艦の情報が全く分かっていないともなれば、やむを得ない反応ではある。

 

「で、ですが……判明したこともあります」

 

 こちらをご覧下さいと尉官。地図が東京近郊の地図に切り替わる。地図に満遍なく広がったバツ印が示すのは「襲撃」が行われた場所を示していた。

 

「ここに確認された襲撃発生の時刻を表示しますと、このようになります」

 

 地図に時刻が重ねられる。それは東京湾に近い場所ほど早く、遠いと遅くなる。

 

「だからなんだ、奴さんが東京湾に侵入したのは既知の事実だろうに」

「そうではありません。正確すぎるんです」

 

 続いて現れるのはいくつかの円。

 それは同じ時刻に発生した襲撃地点を結ぶものであり、また同時に東京湾の一カ所を中心とする完璧な同心円でもある。

 

「つまり、同じ場所から飛び立った艦載機が同じ速度で移動し、襲撃を実行したと」

「そうです。深海棲艦の空母種においては艦載機と母艦の協調(リンク)が見られ、別個体の操る艦載機には速度や運動性能に若干の差異が生じることが確認されています」

 

 従って、今回の襲撃は一個体のみにより行われたということになります。

 そう尉官がまとめると、僅かだが安堵の混じったため息が聞こえた。

 

「たった一匹で入り込んだから、まんまと逃げおおせた訳か……」

「群体じゃなかったのは不幸中の幸いと言うわけですか」

「そんな訳ないだろう。コレが群体の長にならない保証はないんだぞ。それに……」

「諸君、静粛に」

 

 統合幕僚長代行の声が響くと、会議室は再び沈黙を取り返した。

 

「昨日の件が一匹の深海棲艦によるものなのは分かった。対策は立てられるか?」

 

 それはこの敵――――哨戒網をすり抜け護衛艦を単独で沈めうる深海棲艦――――と、どう戦うかという問い。

 机に並んだ各軍の代弁者達は顔を見合わせる。

 

 どう戦うかと言われても、相手を補足できない以上は戦いにもならない。敵の情報も分からないのにどう対策を立てろというのか。

 そんな空気が広がってゆく。

 

「代行、発言しても?」

 

 小さく手を上げたのは一人の佐官だった。代行が促すことで彼は立ち上がる。

 

「この報告書を踏まえて、確認しておきたいことがあります。報告書の46(ページ)を」

 

 尉官が端末を操作する。スクリーンに映し出されたのは犠牲者のリストだった。

 

「これまで、深海棲艦は人間を優先に襲うということはあれど、人種性別年齢などの明確な基準をもって人間を『区別』することはありませんでした。ですが今回、この敵は明確に我々を『区別』している――――この事実をまず、受け止めましょう」

 

 彼の言葉を、恐らくこの場にいる人間ほど身にしみて感じている人間はいないだろう。

 なにせこの場所、統合幕僚監部に詰めかけた殆ど全ての顔ぶれには「臨時代理」の文字がついているのである。

 本来そこに収まるべき顔ぶれは、目の前に表示されるリストの中だ。

 

「次の攻撃を防ぐためには、敵がどのように攻撃を繰り出してきたかを知る必要があります。例えばどのようにして統幕メンバーの住所を知り得たのか、そして……」

 

 彼は迂回に迂回を重ねるような表現を用いて、文章を紡いでいく。

 その文章の行き着く先はあまりにも簡潔で、誰もが薄々とは勘づいていること。

 

 発言は簡潔に、とは代行も言わなかった。

 

 表現に苦慮していることはこの場にいる誰にでも想像できただろう。

 そしてなにより、認めたくなかったのだ。

 

「従って、運用部としては軍内部に極めて重大な()()()()があると――――」

 

 しかしそれは、彼らが向き合わなければならない現実であった。

 

「つきましては対象、敢えて『襲撃犯』との表現を用いますが……その『容疑者』にあたる人物または装備を、一時的にでも運用から外させて頂きたく思います」

「その対象と手段は?」

 

 そして、代行はその質問を放つ。

 会議室の視線が全て運用部長代理へと注がれる。

 

「霊力通信をのみ用いる小型無人機の運用者ならびに運用媒体……即ち、全ての空母特務艇艤装の運用停止と空母特務艇艤装の運用に資する者の拘束です」

 

 言うまでもないが、空母特務艇艤装――――――空母艦娘は深海棲艦対処の()である。

 

 それを凍結することの意味。

 代理とはいえ運用部長が理解していないはずがない。

 

 故に統合幕僚監部運用部長代理は、その長たる統合幕僚長代理へ向き直る。

 

「統合幕僚長代理、ことは急を要します。ご裁可を頂きたく」

 

 返事はない。()()()()()()()()統合幕僚長()()は動かない。

 ()()()()()()統合幕僚長()()が慌てて視線を衛生幹部へとやるが、統合幕僚長()()の容態をモニタリングしている衛生幹部は頷くことで彼に意識があると伝えてくる。

 

 意識があるならば、最終判断を下すのは()()ではなく()()の仕事であった。

 

「すぐにご裁可は頂けませんか。何か問題があるということですね?」

 

 チィン、と。澄んだベルの音が鳴る。

 

「では、この件は保留と致しますか?」

 

 チィン、チィン、と。

 今度はベルの音が二度鳴る。

 

 ベルが1回なら「YES」で2回は「NO」。

 つまり運用部長代理の提案には問題があるが、先送りできない問題だから議論しろということ。

 そんな統合幕僚長代理の決断に、統合幕僚長代行は深く息を吸い、吐いた。

 

「よし、ここから議事録は取るな。ここからは建前はナシだ」

 

 その言葉に記録役がパソコンを閉じる。全員の視線が統合幕僚長代行に集まった。

 

「彼の()()()()()()()()()()は我が国防軍の上層部を壊滅させ、総理大臣を暗殺した。その()()()()()()()()()()()()()。その認識は我々の間で共有されているな?」

 

 

 何度目かの沈黙。今回の意味は――――『肯定』だ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 夢だと気付いたのは、その景色を私が忘れるはずがなかったから。

 

『せめて、この国のことだけでも好きになって欲しい』

 

 君がこれから、ずっと生きていくことになる国だろうから。

 そんなことを私の母国語で説明するあの人。

 

 自由恋愛であったと言い訳するための、逢瀬と呼べるのかも怪しい面会(デート)を重ねた先に待っていた結婚指輪の()()()

 

 それは温かな雪だった。

 ゆっくりと、けれども途切れることなく降りかかる白色の花びら。

 陽のヒカリを吸い込んで仄かに色づいた花弁の重なりがピンク色になって青空に映える。

 

 それがこの国を象徴する花であることは知っていた。観光パンフレットや検索端末に出てくるのは決まってこの花と青空、そしてフジの山なのだから。

 

「ワタシ。シアワセ、デス」

 

 その台詞に分かってるさと返して、そっと私を抱き寄せるあの人。

 ズルいヒト、こうやって胸の高まりと花吹雪を結びつけられてしまっては、嫌いになれるハズがないというのに。

 

「それで、どうデシタカ。ハルナ」

 

 私の声に、義妹は口元をハンカチで隠した。

 

「一般論として、誰かのパーティに行くのに招待状は必要ありません。酒屋や出前屋の注文、ケーキ屋が買い付けを増やせば材料が品薄に……まぁ挙げればキリがありませんが、そういった周辺情報からパーティの場所と日時は明らかになるものです」

 

 つまり大規模な軍事行動を覆い隠すことは出来ないということ。

 大量消費大量破壊の代名詞である戦争を展開するには、それだけの準備が必要なのだ。

 

「その点、今回の動向は()()です。関連資源(レアメタル)の先物取引は襲撃の発生から急騰、買い付けに走っているのは我が国を含めた周辺諸国……えぇ、通常営業ですね」

「通常営業?」

 

 今の話ならば、先物取引の高騰は戦争の準備ということになる。それが通常営業とはどういうことなのか。首を傾げた私にハルナは小さなため息。

 

「深海棲艦のおかげで、この世界は戦国時代もかくやの乱世となりました。クーデターや政変は日常茶飯事、その度に周辺国は臨戦態勢を整えるんです」

「ツマリ……今回は、この国で政変が起こったと?」

「国家元首に刃が向けられたんですよ? 政変以外の何物でもありません」

 

 けろりと流すハルナ。図太い義妹とでも言えばよいのか、平然と言葉を並べる。

 

「国家を動かすのは政治家ではありません。国家を動かすのは国民です。そしてこの国において、国民を動かすのは輸入資源です」

 

 食糧、燃料――――――それこそ枚挙に暇がない数々の輸入品。

 そして目の前の義妹は、その地下資源の輸入を仕切る会社の役員を務めている。

 

「ホコリとゴーマン、ネ」

「ええ、誇りがあればこそ泥を(すす)ることができます。傲慢であればこそ利権にしがみ付くことができます。両者は離れつかずの存在です」

 

 そんなことより、領事とはどうでしたか。攻守交代と言わんばかりに義妹が聞く。

 

「有意義な時間デシタヨ? 美味しい紅茶も頂きマシタ」

「それは良かったですね」

 

 意味ありげに微笑んで見せる義妹。

 実のところ本当に紅茶を飲んだだけだったのだが、そう言っても彼女は信じないことだろう。彼女は無色透明のガラスコップに注がれていた冷水を飲み下すと、さっと立ち上がって店主を呼ぶ。

 

「ここの支払いは持たせていただきます。お義姉様は早急に金沢にお戻りください」

「そうはいきマセン」

 

 義妹は眉をひそめたが、引き下がる気がないことは知っているだろう。背を向けて店の外へと出る。

 

 真昼の繁華街には昼食目当てと思しきサラリーマンに、子供連れの婦人。

 チラシ入りのポケットティッシュを配るやる気のない声がけすらも聞こえる。

 

 何度見ても、戦争に突入しつつある国の風景には見えない。

 

「昨夜は東海地方でした。順当にいけば、次の目標は近畿(ここ)ですよ」

 

 私が新聞とにらめっこしていた頃、その凶弾は東海地域へと降り注いでいた。

 

 地元に戻っていた国会議員が一人、中部航空方面隊から四人、自衛艦隊から一人。

 巻き込まれた静岡県警の警察官とタクシー運転手を含めれば犠牲者の数は二桁に及ぶ。

 

「初日ほどインパクトはありませんが、相手の戦略が斬首作戦なのは明らかです」

「ザンシュ……?」

 

 聞き慣れない言葉に、義妹は首筋をに手刀を当ててみせる。

 なるほど()()()か。

 

「南北に分割されたとある国家の話です。分断国家ですから全面戦争は避けたい。しかし衝突が不可避となった時、せめて国民は殺さないように指導部だけを殺す」

「……デモ、この国ではスグに代わりが出てくる。違いマスカ?」

「お義姉様も洗っているとは思いますが、政変にしては妙なんですよ」

 

 私の呟きに、どうも分からないんですよねぇとぼやく義妹。

 

「所属政党も派閥も違う、同じ議員連盟に属している訳でもない。捜査の目を逸らすことが目的にしては大物を狙いすぎている……軍の方も同じです、階級は確かに高い。ですが所属や役職に統一感がない。事実、統幕監部を除けば各組織はまだ機能していますし……」

「……ハルナ、軍隊の方にも詳しいのデスネ?」

「補給処に仲の良いトモダチがいまして。まして、お兄様が統幕勤めとなれば尚更」

 

 トウバク……統合幕僚監部(Joint Staff Office)

 この国が保有する国防軍の戦略策定を行う部署。そこに義妹の兄――――即ち私の夫――――は勤めている。

 

「お父様が教えてくれましたが……お兄様は今、運用部長代理の職にあるそうです」

 

 厳密には、臨時代理というべき役職ですが、知った顔で言葉を並べる義妹。

 話についていけない私は、オウム返しに聞くことしか出来ない。

 

「運用部長代理……その役職は、どういったものなのデショウカ?」

「そうですね……簡潔に言えば、軍師のようなものです。国防軍のあらゆる部隊の運用を検討し政府や各軍に助言を提供しますが、直接指揮を取る訳ではありません」

 

  重要な仕事ですよと彼女は続ける。

 

「国防軍の運用に助言を与える。それは全てに口出しできることを意味します。本来なら将官、国防軍における最高階級の人間でなければ任じられることはありません」

「そんな。あの人は2等海佐デスヨ?」

「今は『そのような異常事態』なのです。統幕監部は機能不全を起こしています」

 

 一昨日の空襲で襲撃を受けた場所は百数十カ所、そして被害にあったのは表で盛んに報道されている政府閣僚や議員だけではない。

 

「国防軍、いえ、明治からの帝国軍の時代を入れても、三軍の長が一斉に死亡もしくは重体という惨事には陥ったことがありません。だからこそ、軍はここまで過敏に反応している……大将が簡単にやられる軍勢が強いはずがありませんからね」

 

 そう言いながら空を見上げた義妹の先に、轟音を響かせながら空を駆ける銀翼。

 

責務を果たせ(シヨウザフラツグ)……国防軍は総動員デスカ?」

「戦後史上、今ほど戦争を身近に感じる日はありませんね」

 

 彼女の発言は、今日までの戦いが戦争ではなかったことを知っていることを示している。私たちはそんな共通見解を抱えながら街を歩いていた。

 

「……それで、金沢に帰らずにどうするのですか?」

「何人かの知り合いに会うつもりデス。会ってくれるかは分かりマセンガ……」

「そうではなくて」

 

 私の言葉を遮って、彼女は一言。

 

「お兄様のことですよ。連絡は」

「一応、朝にはメールを送りマシタ。デスガ……」

 

 返事がないことは分かっている。

 

 あの人は仕事が終わるまで私用携帯は見ないのだ。

 もしかすると見ているのかも知れないけれど、返事があったことは一度もない。

 

「どうして、統幕監部だけなんでしょうね」

 

 それは、国防軍の組織を知らない私には分からない問いだった。

 

「実戦部隊への影響を避けたのは分かります。()()()にしても、その国が壊れたんじゃどうしようもありませんからね。ですが統幕監部というのが、どうも……」

 

 統幕監部という参謀組織が狙われたことに義妹は何かが引っかかっているよう。見当もつかない私は、何も言わずに彼女の次の言葉を待つ。

 

「……いえ。分かりませんね、裏を取ってからまたお話しします。それよりも……」

 

 義妹の言葉は、飛び込んできた悲鳴にかき消された。

 

「なんデスカ?」

「お義姉様、こちらへッ」

 

 顔色を変えた義妹が私の腕を引っ張るようにして来た道を引き返しはじめる。

 

「待ってクダサイ、何が起こっているのデスカ?」

 

 私の問いに応えるように携帯端末が奇妙なアラームを鳴らす。やや遅れて街頭スピーカーからサイレンの音。それは私の頭を飛び越え、近畿地方の空へと広がる。

 

「空襲……!」

 

 

 それはこれまで、何度も聞き慣れたサイレン。

 

 けれどどうしてだろう。

 今日だけは、どこか違った質感を伴っているような気がした。

 

 まるで――――――戦争の始まりを、報せるような。

 

 



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第42話 非力なんてゆるせない

「地下鉄に退避します。早く!」

 

 

 辺りを見て右往左往するヒト。

 腕時計を確認しながら歩みを止めないヒト。

 もしくは駆け出すヒト。

 

 たちまち秩序を失った街を、私は義妹に先導されて早足で進む。

 

「どうして、こんな真昼に……?」

「攻撃が夜限定だなんて誰かが言ったんですか? 彼らの艦載機は全天候型と言われています、昼夜なんて知ったことではないですよ」

「それは、そうかもしれないケレド!」

 

 歩道に敷き詰められたタイルを踏む。硬くて確かな感触が靴底から伝わってくる。

 私はまだ生きている。けれど一時間後、一分後に生きている保証はないのだ。

 

「お義姉様、その足で走れますか」

「走るならっ、出来れば、靴は脱ぎたいっ、ネー」

 

 正直に言うと、今の早足だって結構ツラい。

 

 無理をして大阪まで来たのが良くなかったのか。

 そんな後悔がにじみ出てきて――――――私はそれを額の汗と一緒に拭う。

 

 違う。私は、この事態を止めるために動き出したんだ。

 戦争なら、私にだって出来ることがある。

 

 あの人の重荷を、少しでも軽く出来る筈だから。

 

 その時、義妹が足を止める。

 それから僅かに屈んで、背中を私に見せた。

 

「おぶります。乗って下さい」

 

 その背中を見て、拭ったハズの後悔が吹き出す。

 ――――――私は今、目の前の義妹(かのじよ)にとっての「足手まとい」なのだ。

 

 でも。

 

「……イヤ、デス」

「お言葉ですが。私はこれでも鍛えています、華奢な女性(おねえさま)のひとりくらい――――――」

「イヤデスッ!」

 

 私が、自分が華奢な、非力な女性だということは知っている。

 

 身の程を弁えろと言われたからこれまでずっと弁えてきた。

 でも、違うのだ。私は戦争を防ぐため、戦争を最小限の被害にとどめるためにこの国にやってきた。

 

 既に深海棲艦によって世界は血の()()()と化したけれど。

 それでもヒト同士の争いはまだ防げるはずだから。

 

「コレは、私の使命なんです。私はこれを、成し遂げなくちゃいけないんデス」

 

 義妹を睨む。それから靴を脱いで、足を地面につける。

 いくらレンガ敷きの歩道や舗装されたアスファルトであっても、靴ナシで走ればたちまちにストッキングは破け、足の裏は傷だらけになってしまうだろう。

 

 戦争――――自他共に認める温室育ちの私には、全く不釣り合いな存在。

 

 不釣り合いであるからこそ、私はこれを排除しなくてはならない。

 

「……はぁ。吐いたツバは飲み込めませんよ、お義姉様」

「トーゼン、デス」

 

 鳴り響くサイレンを背景音楽にして義妹はもう一度おおきなため息。

 それから背を向けると、仕方なしといった風に笑った。

 

「わかりましたよ。では、背中(こつち)に来て下さい」

「WHAT?」

 

 ぽんぽんと、まるで子供に説明するかのように背中を叩く義妹。

 

「ハルナ! イマの話聞いてマシタカッ?」

「えぇ聞いてましたよ、聞いた上で言ってるんです」

 

 世の中にはね、適材適所ってモノがあるんです。

 言いたいことは分かるけれど、それなら今の私の()()()はどうなってしまうというのか……とはいえ反論の余地はなさそうで、私は義妹の背中に収まることになった。

 

「けっこう、カッコヨク決まったと思ったのデスケドネー……」

「世の中ままならないものです……よっと!」

 

 私を背負って走る義妹。

 ブレる様子のない歩調、幾分か早く流れる景色。

 

 強い子なのだ、と思う。

 

 それが自分の不甲斐なさの裏返しだということは分かっているけれど、彼女が強いことに変わりはない。

 相変わらずのエスパーが、私の心を先読みして口を開いた。

 

「お義姉様は、立派だと思いますよ」

「……なんで」

 

 喉の振動が背中越しに伝わって、私たちは似たもの同士ですからね、そんな義妹の言葉が私の耳朶を揺らす。

 

「政略結婚が古い文化だとは思いません。それでも()()()()()()()()己の役目を果たせるというのは、凄いことです」

「それを言うナラ、ハルナはもっと立派ヨ?」

「ご冗談を、私は好き勝手やってるだけです。『カゴ』を壊すのが好きでしてね」

「……そんなことナイ、ネ」

 

 漏れた言葉は、果たして義妹への賞賛か。

 それとも――――――自分への否定か。

 

「ダーリンのこと、私はよく知らないのカモしれマセン」

「お義姉様にそう言わせるとは、お兄様はやはり馬鹿ですね」

「ソレハ、違いマス」

 

 今度の反論は、きちんと言葉にすることが出来た。

 

 あの人は悪くない。

 あの人はただ、一線を徹底的に守り続けているだけなのだ。

 

 初めて出会った時、あの人は自衛官だった。

 結婚式場には真っ白な制服で現れて、病院に駆けつけたときも階級章を身につけていた。

 そして肩書きを国防軍人と変えた今日も、役職と責任を縫い込んだ制服に身を包んでいる。

 

 四半世紀に渡り「防人(さきもり)」であり続けた男、それが私のヒト。

 

「よい軍人とは良い家庭人であると、ダーリンはいつも言っていマシタ」

 

 だからこそ、彼は常に一家の主人であり続けた。

 そして良い亭主は妻に良い女房であることを求めるものだ。

 

 だから私は、良い女房で、そして良い母親であろうと努力してきた。

 

 しかしどうだろう。

 少女(ティーン)を卒業したばかりの私は日本人になって、母になって、そして今、古びた母国の使命を引っ張り出して着飾っている。

 

 きっと彼は時と場合に応じて立場をコロコロと変える私を知っている。でも私は、防人の彼と家庭人の彼しか知らない。

 

 

 だから――――――そんな彼の新しい側面を見たい。

 

 

 もしもそれが私を突き動かす原動力と知ったら、義妹は笑うだろうか。

 

「うーん……まぁ、お兄様は立場と節度を守る方ですからね」

 

 私は守りませんが。義妹は鼻で笑ってずんずんと進む。

 地下鉄(メトロ)の入り口には多くのヒトが押しかけており、避難を誘導する駅員の姿も見える。

 

「なんとか間に合いましたね、後は……」

 

 そう言いながら屈んで私を降ろそうとした義妹が息を呑む。一瞬固まった彼女に何かと目をやれば、次に聞こえるのは絹を裂くような声。

 

 

 

「ぁ」

 

 

 

 そう口にするのがやっと。

 空に注意を向ければ、奇妙な物体がそこにはある。

 

 報道資料とは似ても似つかわない雰囲気をまとったそれが、音も立てずに近づいてくる。

 

 ストップモーションの映像でないことは分かっている。

 深海棲艦の艦載機が殆ど無音で飛行する――――爆撃のために降下してくる際は特に――――ということは誰でも知っている一般常識だ。

 

 しかしそれらの知識は結局の所、知識でしかない。

 

 空にぽつんと見える物体が、その実態以上の威圧感をもって迫ってくるとき、私の身体は動かなかった。

 

 違う、理解できなかったのだ。

 こんな小さな物体が命を奪うのかということではない。

 

 

 どうして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そんな問いとも呼べぬ感覚に身体を支配されて、私は動けなくなってしまった。

 

「――――――伏せろッ!」

 

 イバラのように身体を縛る思考を断ち切ったのは鋭い声。言われるがままに義妹の背から崩れるようにして降り、地面に身を横たえる。

 

 次の瞬間、死の象徴との間に割って入ったのは巨大な()()()()()

 ずらりと並べられた砲門が一閃すれば、音が歪んで空間が爆縮する。

 

 そして残されたのは、何の変哲もない貴重な街並みと戦艦艤装を背負った艦娘。

 

「怪我はないかな、ご婦人がた」

「アナタは……」

 

 そこには、何度か宣伝ポスターで見た顔があった。

 ミクロネシア戦役の英雄、僅か数隻の特務艇(かんむす)のみで雲霞の如き深海棲艦を討ち払ったとも謳われる強兵(つわもの)の姿。

 

「……戦艦、ナガト」

「ふむ。いつの間にやら私も有名人になってしまったようだな」

 

 如何にも、私が戦艦〈長門〉だ。

 

 そう微笑んだナガトが私に手を貸す。視界の端には服を手で叩く義妹。どうやらナガトの活躍のおかげで、全員無事だったらしい。

 

 それはまさに「英雄」に相応しい立ち振る舞いであった。

 弱気を助け強きを挫く、その言葉がこの場面に当てはまるのかは分からないが、民衆と街を救った彼女はこの瞬間においては正しく英雄に他ならない。

 

「――――――珍しいですね」

 

 

 しかし義妹にとっては、そうではないらしかった。

 

 

「海の守護者たる特務神祇官(かんむす)(おか)にいるなんて」

 

 私とナガトの間に割って入る彼女、その言葉尻には隠しようのない敵意がにじむ。ナガトは知らぬ風で言葉を返す。

 

「そうでもないさ。私もヒトの子、眠っている間くらいは陸に身を委ねる」

「所属をお聞きしても? ここは市街地であり、大阪府知事もしくは日本国政府の命令および要請なしに特務艇を展開させることは違法行為である可能性があります」

「ハルナ! ナニを言ってるノデスカ!」

 

 仮にも命の恩人に対して、いくらなんでも常識を弁えない物言いである。

 慌てて止めに入る私に、穏やかじゃないなと笑って流すナガト。

 

「あなたの言うとおり、この出動は阪神防備隊の独断による超法規的なモノである」

 

 そして、あっさりと義妹の主張を認めてしまった。

 それどころか批判は国防省に回して構わないとまで言い放つ始末。ナガトは私にちらりと視線を寄越すと続ける。

 

「ただ、私たち国防軍は常に国民を守るために行動している。その事実一点だけは、心に留めておいてもらえると嬉しいのだが……どうだろうか?」

 

 どうだろうか、その問いは義妹に向けられているものではない。

 

 私たちの周囲、敵は去ったのだろうかと恐る恐るに顔を覗かせる市民達へと向けられている。

 

 義妹の言っていることは、正しい。

 それは法律的な正しさで、民主国家が最も重んじるモノ。法の下に平等であるからこそ、民主主義は民主主義たり得る。

 

 ではこの瞬間はどうだろうか?

 ナガトの行った超法規的行為がなければ、義妹だって無事では済まなかった。

 命の尊さよりも法が重いということはあり得るだろうか。

 

 よしんばあり得たとして――――――その当事者たち(ころされるヒト)はそれを許せるだろうか?

 

「もちろん、感謝しております。ありがとう」

 

 だからこそ、義妹はこれ以上強く出ることが出来ない。胸に手を添えて小さく礼。

 ナガトは、手のひらを額に当てる軍隊式の敬礼をもって応じたのだった。

 

「今後も空襲があるかもしれない。気をつけて欲しい」

 

 それだけ言って、ナガトは迎えに来たと思しき――――もしくはここに来るのに使ったのかもしれないが――――モスグリーンのトラックに艤装ごと飛び乗る。

 

「ありがとうございマシタ……!」

 

 どうお礼を言えば良いのか分からない私は、腰を折り曲げ頭を下げる。そうしているうちにトラックは走り去っていってしまう。英雄は去り際も完璧であった。

 

「準備が良すぎます」

 

 そして英雄(それ)を否定しようと躍起になるのが、私の義妹。

 

「なぜ市街地(ここ)なんです? ここには議員も有力者もいなかった」

「ハルナ、あなたはどうして……!」

 

 言いたいことは分かる。

 けれども今、間違いなく私たちは()()()()()()

 

 それをナガトが救ってくれたと――――――どうして考えられないのだろう。

 

 

「艦娘は英雄であらねばならない」

 

 

 呟くように。言い聞かせるように。

 

「艦娘は英雄であらねばならないのですよ、お義姉様」

 

 そう告げる彼女の表情には、ありありした無念の観が浮かんでいて。

 艦娘がいなければ生存すら許されない私たちの諦観が浮かんでいて。

 

 それは戦争を特別視する、日本人らしい姿。

 

 

「違いマスヨ、ハルナ」

 

 だから私のするべきことは、その幻想を打ち砕くこと。

 

「戦争が起これば英雄が生まれます……彼女は()()本当の英雄ではない」

 

 深海棲艦との戦いは戦争などではない。海を荒らす害獣と、海を征こうとするヒトの戦いに過ぎない。

 もちろん、私たちをあの艦載機から救ったナガトは英雄となるだろう。けれどそれは、私たちがこの戦争に勝ってからの話。

 敗者は決して英雄にはなれないのだ。

 

「彼女には、偽りの英雄でいてもらいマショウ」

 

 私は言葉を選ぶ。ナガトを英雄視したくない理由は分からない。けれど英雄視したくないというハルナの思考回路さえ分かれば、どうとでも言いくるめられる。

 

「戦争は起こさせマセン、絶対に」

「……」

 

 義妹が顔をあげる。

 そこにはもう、先程までの糸の切れた女性はいなかった。

 

「お義姉様」

「なんデスカ、ハルナ」

「着いてきて欲しい場所があります」

 

 闘志を身に纏う女性の、姿があった。

 



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第43話 返事くらいして下さい

 商談はどうしたと聞けば、息子に任せたのだという。

 

「よかったのデスカ? 全部ダイスケに任せてしまって」

「阪友金属さんとの取引は長いですから、向こうも無下にすることはありません。あの子には成長して貰わないといけませんから。失敗するくらいでいいんです」

 

 獅子の親は子を谷に突き落とすともいいますからね。

 自分が猛獣である自覚はあるらしい義妹の微笑みは、電話を構えている表情とは全く違うもの。

 

 果たしてどちらの彼女がホンモノなのかと問えば、きっとどちらも違うと答えが返ってくるだろう。

 先ほどまでの彼女は会社役員、そして名家に連なる者としての顔で。今の彼女は私の義理の妹――――――ヒトは立場で変わる、その典型例ということか。

 

 

「さて。ここです」

 

 

 そして義妹が指し示すのは、住宅地の一角。

 

 内陸の地価が高騰する中でも土地転がしの被害にあっていないのだろう。古びたというと失礼かもしれないが、おそらくは深海棲艦が現れるずっと前から存在していたであろう住宅が並んでいる。

 

「誰が住んでいるノデスカ?」

「私の友達ですよ。今度はホントの友達(フレンド)です」

 

 備え付けのインターホンに取り付く義妹。

 少しの間を置いて誰かと問う声。それは子供の声だった。

 

「こんにちは。お母さんの古い友人(ともだち)です。『飯田』と伝えて頂ければ分かるはずです」

 

 義妹は旧姓の「飯田」を名乗った。この家の主と彼女は嫁入り前の付き合いということか。

 

 はーいと気の抜けた子供の声が聞こえて、しばらくして扉が開く。

 現れたのは私たちより頭一つ分は小さい女性。顎を上げてこちらをギロリと睨んだ。

 

「久しいな、飯田。相変わらず図体だけはデカい」

「あなたこそ、変わらずちっちゃくて可愛いですね!」

「うっさいわ! ……ま。折角きたんやから、とりあえず上がったらええ」

「はい。では参りましょうか、お義姉様」

 

 仲が良いのだろう……か?

 女性と義妹は互いに軽口を叩き合いながら奥へと進んでいく。

 

「そんで? その後ろにいるエライべっぴんさんは誰や」

「ヒカリさんです。コウスケお兄様の妻で、私の義理の姉ということになります」

 

 ()()()()()()とは私の事らしい。私は頭を下げた。

 

「飯田ヒカリと申しマス。ヨロシクオネガイシマス」

「あんた、もしかして外人さんか? こんな時代でも国際結婚ってあるんやなぁ」

「お義姉様が日本に来たのはもう20年以上前ですよ」

「せ、せやか」

 

 こりゃ失礼と頭を掻いた女性は、そのまま和室(タタミルーム)へと私たちを通す。

 

「まぁ座布団しかありませんが、座って下さいな」

「では遠慮なく……」

「飯田、アンタには言うとらへんで」

 

 そういいつつもザブトンを二つ寄越した女性。義妹と私は腰を落ち着けると、世話話をするでもなく義妹が切り出した。

 

「単刀直入に聞きます。どうして(ここ)にいるんですか?」

「……」

 

 その問いに、表情を消す女性。彼女は壁掛け時計へと視線を逸らして、向き直る。

 

「その前にや、今の()()()()()()を聞かせてや」

「学友ってことじゃ……駄目ですよね。ええ、分かっていますとも」

 

 そう言いながら義妹は、いつの間にか用意した菓子箱を取り出す。土産物用と思しきそれを差し出しながら、言葉を紡ぐ。

 

「連合与党第一党である立憲友民党の弁士――――――飯田ケイスケの娘でありその名代です」

 

 飯田ケイスケ。その名前は、あの人の父親。私の義父。

 そして彼の職業は――――――国会議員(Parliament)

 

「今回は、国防軍内部の()()()()()に関しての聞き取りを行いたく参りました」

「つまりウチ、特務神祇官たる3等海曹の槇島(まきしま)リョーコに対する政治家さんからのアンケートっちゅうことやな?」

「そうです」

 

 そう答えた義妹にマキシマと名乗った女性は沈黙。

 

 壁掛け時計の秒針がコチコチとなる。

 彼女は特務神祇官(かんむす)。この非常時にも関わらず自宅待機をしている。

 

「ノーコメントや」

 

 それが意味するのは、果たして何か。

 

「マスメディアはお断りやし、ウチは立憲友民党(ゆーみん)支持者やない」

 

 もっとも、これでハルハルは満足やろ?

 艦娘の据わった目を見て、義妹が嗤う。

 

「やはり、空母艦娘は凍結されているのですね」

「ウチ以外の部隊は分からん。けどまぁ、こんな状況で切り札の空母艦娘使わんっちゅーのはありえへんやろ」

 

 空母、切り札――――――そして凍結。

 

「……どういうことデスカ?」

「止めときな外人さん。ハルハル、こっから話すなら二人きりや」

「そうはいかないんですよ、リョーコちゃん」

 

 立ち上がろうとした小柄な艦娘を手で制する義妹。

 互いの視線が交わって、それから私へと向けられる。

 

「お義姉様の旦那様が今、どのような職責に就かれているかはご存じでしょう」

「だからこそや。嫁はんが不安になるようなこと聞かせてどないするねん」

 

 言いたいことは分かる。ナガトに見せた義妹の表情、空母艦娘の凍結。およそ歓迎できない事態が起こっていることは分かる。

 

「ダカラこそ、知りたいンデス」

 

 小柄な艦娘が私を見据える。やがて諦めたような表情になって、小さく息をつく。

 

「……で。何が知りたいんや」

「今回の件で、艦娘派将校は何人殺されましたか」

「カンムス派?」

 

 カンムス派とはなんだろう。思わず声を上げた私に、小柄な艦娘は大きなため息。

 

「なんや艦娘派も知らんのか。よぉこんな箱入り娘巻き込もう思ったなハルハル」

「リョーコちゃん。恋と戦争においては手段を選ばないものですよ」

「かっ! センソー、戦争か。よもやハルハルからそんな台詞聞くとはな」

「ええ、私としても不本意です」

 

 哀しそうな顔を作ってみせる義妹。それをみた小柄な艦娘は姿勢を崩した。

 

「まず確実なことから話すで? まず、現時点で第6科、つまり艦娘に直接関わる人間は誰もやられてない。今回の件、実戦部隊には驚くほど被害が出てへんからな」

「それはそうでしょうね。今回のは『斬首作戦』ですし」

 

 問題は派閥ですよと義妹は続きを促す。小柄な艦娘はあんまり首ツッコみたくないんやけれどな、と前置きしつつも口を開いた。

 

()()()()には番記者も、記者クラブも存在せーへんのや。せやから、立憲友民党(おたくら)みたいにやれ竹本派やれ麻布派みたいなパッチワークにはならへんのよ」

「ですが派閥はあるでしょう。護衛艦による制海権確保を訴える『艦隊派』や艦娘至上主義の『艦娘派』といった派閥が」

「……ハルハル、自分なにが言いたいんや」

 

 正真正銘の沈黙が落ちる。

 

 義妹の顔は真剣そのもの。

 そして浮かぶのは、焦り。

 

親父(おやじ)さんの気持ちはわかる。自派閥の議員が殺されとる、次は自分かもしれん……せやけどハルハル、自分は一般人やろ。狙われるような大層なことしとるんか」

「これは戦争だと、私はそう言っています。誰かが深海棲艦を操って……」

「それは、ただの妄想と違うんかい」

 

 ぴしゃりと言ってのける小柄な艦娘。

 そして彼女は淡々と、そう淡々と続ける。

 

国防軍(ウチら)はな、アイツらのことよー知っとる。なんせ()()で毎日のように顔合わすからな」

 

 

 言うとくけど、アイツらには操られるような知能すらないで。

 

「なら……」

 

 義妹の焦りが苛立ちに変わる。

 それが手の震えになり、そのまま声の震えになる。

 

「なら、今の状況はどう説明をつけるんですか」

「分からへんのか。分からんとは言わせへんで」

 

 そして彼女は言い放つ。

 

 

 

 それは恐らく。

 誰もが認めたくない、現実。

 

 

 

 

 

 

「クーデターに決まっとるがな」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 極限まで光源を絞られた会議室に響くベルの音。

 今度は2回、意味は拒否。

 

「代理も否定した。運用部長代理、やはり全空母艤装の運用凍結は解除するべきだ」

 

 淡々と告げるのは統幕長代行。

 ()()()()()()()()()統幕長代理に替わって議事進行を司る彼は、会議机を囲む幹部達で唯一立ち上がっている海軍佐官に視線をやった。

 

「昨晩に続いて今日は白昼堂々と防御線を突破された。やはり空母なしでの全沿岸防空は非現実と言わざるを得ない」

「それを現実にするために運用部は存在します。修正案へのご裁可を」

「無理だ、飯田。諦めろ」

 

 名前で呼ばれた運用部長代理は、統幕長代行を睨む。

 

「疑わしいのは百も承知」

 

 代行は憮然とした態度で淡々と告げる。

 

「しかし昨晩に続き、今日の襲撃でも全空母艤装、そして艤装の運用に資する特務神祇官に動きはなかった。彼女らは関わっていないのだよ」

「襲撃に用いられたのが戦艦の艤装だったら私もそう判断しました。ですが空母となれば神祇官の居場所は関係ありません。艤装だって、海に腐るほど沈んでいる」

 

 要は、それらのウチひとつでも運用復帰(サルベージ)できれば犯行には及べるんですよ――――――運用部長代理はあくまで抗弁の構え。統幕長代行は天井を仰いだ。

 

「運用部長代理。相手は空母だぞ、空母相手に空母ナシでどう立ち向かう」

「高射部隊がいます。航空機だけが対抗手段ではありません」

 

 結論から言えば、空軍は敗北した。

 

 白昼の大阪湾に突入してきた敵の艦載機群に対して空軍は健闘。しかし数が違いすぎる。

 全てを防ぎきることは出来ず、市街地に多数の艦載機の侵入を許す結果になった。

 

「ここが限界だ。空母艤装の凍結を解除しよう」

「それを許したら最後、あらゆる政府施設に爆弾が降り注ぐこととなりますよ」

「そんなハズが……」

 

 言いかけた代行が口を噤む。

 それから彼は視線を宙に泳がせると、会議机に並んだ面々を見た。

 

「なにか、運用部長代理の今の発言に意見のあるものは」

「あります」

 

 間髪入れずに声を上げたのは空軍幕僚長代理。

 

「運用部長代理の意見は荒唐無稽(こうとうむけい)であり、なんら根拠を持つものではありません。空母艤装なくして国防なし、即刻凍結を解除するべきです」

 

 本来ならば航空作戦(エアカバー)を担当する彼が真っ先にそう発言する――――――それは職務放棄に等しい行為である。

 しかし、それをせざるを得ない。全力稼働を越えた全力稼働を強いられる空軍(かれら)は既に限界を超えている。

 

「空母艤装を凍結しているからこそ、辛うじて国防が維持されているのです」

 

 それを知ってなお、空軍独力での対処を求めているのが運用部長代理なのだ。

 

「どうしても分からないのだが」

 

 そう控えめに手を上げたのは、一人の将官。

 統合幕僚監部で唯一怪我すらしなかった将官である彼は、迷いがちに口を開いた。

 

「敵の目的はなんだろうか。目標を絞る割には、ヤツの最終目的が分からない」

「……それは警察、いや警務隊の仕事でしょう」

「ちょっと待て、身内の犯行と決まったわけじゃない。純粋な外敵の可能性だって」

 

 その言葉を合図に、思い思いの言葉を口にする将校たち。この場を収めるべき統幕長代行も、無言で彼らの言い合いを睨むだけ。

 

「身内に決まっています」

 

 誰かがそう言い切った。

 

「こんなこと言いたくはないが、どう考えても艦娘派の仕業ですよ。被害は海軍将校に集中、それも護衛艦隊と繋がりの強い幹部ばかり。それに対してどうです、艦娘派の人間は殆ど殺されていない」

「馬鹿なことを言うな。真っ先にやられた大迫海幕長は艦娘派だぞ」

「ブラフの可能性は? どうせ後は勇退するだけの方でした。殺しておけば疑いの目を逸らせると思ったんじゃないですか? 先人の遺志を継ぐとか言えば、主導権も握りやすいでしょうしね」

 

 肩を竦めて運用部長代理を睨む佐官。国防を損ねようとしているのは空母凍結に拘るお前だろうと、口にせずとも視線が十二分に疑念を伝える。

 

「待て待て早まるな!」

 

 発火点に達しかけた会議室に、寸での所で声が割り込む。

 

「内部犯が隊内の人間を狙うなら議員を手に掛ける必要性がまるでないというのは既に出た結論のハズだぞ。議員(かれら)の犠牲にどう説明を付けるんだ」

「あらゆる党派に広く被害が出た。目についた議員を片端から狙っているんだろう」

 

 巨大な堤が蟻一匹の穴から崩れるように、小さな疑念から始まった議論は大きな疑念を生む。

 深海棲艦という姿の見える敵ですら満足に対処できていない現状で、姿も見せず目的も分からない敵に対処できるはずがない。

 

「飯田運用部長代理。こういうことは申し上げにくいのですが、あなたが犯人と繋がっていない保証もないわけです、その状況でこうも強弁に空母艦娘の凍結継続を訴えられるのは……ご自分のお立場を考えては?」

「おい、その話は……」

「ご指摘の点は仰る通り。では私が職を辞して、後任が繋がっていない保証は?」

 

 そのような状況では、目に見える頼もしい同僚も反逆者予備軍へと早変わり。

 誰かが疑いの目を向ければ、可燃性ガスが充満しきった会議室に火花が舞う。

 

 そこでようやく統幕長代行は机を叩いた。檜の会議机がドンと不気味な低音を響かせ、全ての視線が代行へと突き刺さる。

 

「やめよう。不毛だ」

 

 ひとこと。ただの2文字。

 その2文字が状況をいかなる形容詞より端的に示す。

 

「幸いにも、我が政府はまだ機能している。警務隊は全ての国防軍人に目を光らせ、我々統幕監部もその責を果たすに足る人員を備えている。そして――――――我々の仕事はなんだ」

 

 代行はその問い。分かりきっている筈の問いの答えを、彼は続ける。

 

「我々の仕事は、国民の命と国土、そして国民の財産を守るという国の使命――――――その実行部隊に過ぎない。私が空母艤装の凍結解除をこの会議で(はか)ったのはその使命を遂行する上において適するかであり、裏切り者を探すためではない」

 

 そこで言葉を句切る代行。ある一人の幹部が挙手。

 

「ですがね代行、政府は我々に責任を求めますよ。事実として、国防軍の誰かが深海棲艦になりすまして政府要人に軍幹部、つまり国民を(あや)めて回っているのですから」

「ならば責任を引き受けよう。反省しようじゃないか」

 

 その「反省」が辞任を意味するのは明らかで、会議室はざわつく。

 なぜ我々が辞さねばならないのかと口にする者までいる。

 

 無意味なのは百も承知だと代行は続けた。

 

「しかし、無能(われわれ)が国防の要職に就き続けることを、文民統制(シビリアンコントロール)が許すと思うか?」

 

 再び沈黙の中へと落ちた会議室。その間隙を縫って運用部長代理は声を上げる。

 

「ですが統幕長代行、まだ辞めるときではありませんよ」

「運用部長代理、君はまた……!」

 

 我慢ならぬと言った調子で声を荒げた空幕長代理を手で遮る統幕長代行。運用部長代理は目で代行へと礼を伝え、そのまま次の言葉を継ぐ。

 

「我々の続投は最善手ではありません。ですが少なくとも、最悪手ではない。なぜならば、我々の統幕長代理は『殺されかけた』からです」

 

 その言葉に、会議室の片隅でじっと会話を聞き続ける……正確には、声を出すことが叶わない統幕長代理へと視線が注がれる。

 

「助かったのは間一髪、意識があるのは奇跡。代理だけは犯人ではない」

 

 

 逆に言えばそれは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その言葉に息を呑む面々。幻聴のように耳に届いた唾を飲み下す音は、果たして幻だろうか。

 

「それは、暴論というものだろう。論理的ではない」

「私は被害者(ぎせいしや)以外は全員容疑者と言っているだけ。暴論ですが『論』ではある」

 

 容疑者に統幕監部(ここ)の椅子を明け渡すんですか?

 問いが会議机の上に載せられた。

 

「だとしてもだねぇ……君がいうには、生き残ってる幹部が全部怪しいってことだろう? じゃあ誰に任せればいい。誰かがやらなくてはいけない仕事なんだぞ」

 

 そうだそうだと何人かが頷く。運用部長代理は呟くように言った。

 

「誇りと傲慢、ですよ」

「なんだと?」

「家内によく言っていたんです。仕事は誇りと傲慢により成り立つのだと。我々は誇りを持って仕事をしています。しかしその仕事にしがみつくことは傲慢というものです。我々が守るべきは国家そして国民であって、組織ではない」

「なにが言いたい」

 

 あまりにも突然に妻の話を語り出した運用部長代理に当然ぶつけられる質問。それに対して彼は、明快に答えてみせる。

 

「統合幕僚監部を()()()()()()()。同時に、陸海空3つの幕僚部もです」

 

 その提案に会議室は答えなかった。現実的でないからではない、それを幕僚部という組織が開いた会議の場で発言することに驚いたのである。驚愕と言っても良い。

 

 そしてその提案は――――実行には移されなかった。

 

 

 

 理由は単純、()()()()()()()()()()()()()からである。

 

 



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第44話 チケット裏に言伝ナシ

「真っ黒ですね」

 

「せやな。まっくろクロスケや」

 

 その端末には、最新のニュース報道――――深海棲艦が討伐されたとの報道。

 

「ウチの端末にも来とるで。舞鶴総監部所属の空母艤装運用担当官は自宅待機を解除、ただちに出頭せよ――――アホか、空母ナシでどないして空母を倒すねん」

 

 吐き捨てるように小柄な艦娘が言うと、まったく同感ですと義妹が言う。

 

「よく分かりませんが、どうやら向こうは何らかの目的を達したようですね」

 

「目的? 目的はこの虐殺行為(ジェノサイド)そのものや。国防軍は哀しいことに人手不足の官僚組織やからな、上が死ねば(あけば)勝手に昇進できるんやで」

 

 小柄な艦娘の言うとおりなら、軍が手をこまねいているうちに相手は目的を達してしまったことになる。

 今回の件で犠牲になった者、そして責任を取らされて閑職に回される者――――――およそ信じられない数の軍幹部がその道を断たれることになる。

 

 そしてその後、()()の息が掛かった者たちがその職務を引き継ぐことになるのだ。

 

「ほんで? どうするんやハルハル」

「うーん、そうですね……」

 

 小柄な艦娘が問いかけ、義妹は思案する。それから一言。

 

「どうにもなりませんね。私たちの負けです」

「せやなー、どうにもならへんよなー……ってオイ!」

 

 今のはノリツッコミというモノ、なのだろうか。

 私は理解が追いつかずに呆然と二人を見るだけ。義妹は「いやだって無理ですよこれ」と続けた。

 

「無差別に殺して目的達成って、生き残りが全員容疑者みたいなものですよ?」

「ま。確かに軍を掌握するなら上層部に()()()()()()ええちゅうのは大賛成や。国防軍っちゅう組織は、結局のところ上の百人くらいで意思決定をするワケやから……」

 

 二人の話をまとめると、どうやら相手のクーデターは成功してしまったらしい。

 

 こんな結果があっていいのだろうか。許されるのだろうか。

 それもこうして、こんなに現実感もなく……いや、きっと違うのだ。先ほどの街中で経験した空襲、あんなことが、この国とこの国の周りではずっと起こっていた。

 

 私の知らなかった、知ろうとしなかった牙が私へと向けられた。それだけのこと。

 

「!」

 

 そしてそんな時に限って、私の端末は通知音を鳴らす。

 画面に浮かぶのは、私がずっと待っていた文字列。

 

 なのにどうしてか、私の指は止めてくれと叫ぶ。

 

 でも、ダメ。見なくては。

 どんなメッセージがそこにあろうとも、それはあの人が私に送ってくれている言葉(ことのは)なのだから。

 

「……ダーリン」

 

 消え入りそうな声だったと思う。義妹と小柄な艦娘が心配そうにこちらを見る。

 私は小さく首を横に振って、その画面に刻まれた文字列を見せた。

 

「これは」

「神戸空港発、新千歳ゆきのオンライン航空券控え……ま、妥当な判断やな」

 

 私だって、これが間違っているとは思わない。

 

「デモ、どうして神戸空港なんでショウカ?」

 

 私は本当なら金沢にいることになっている。それなら、小松ー千歳便をとって渡してくる筈。そんな私の疑問に、簡単なことですよと義妹は答える。

 

「英国領事館は大阪にしかありません。あなたが行動を起こすなら大阪。なにもせずに北陸にいるなら私の実家が守るでしょうから、無理に逃がす必要もありません」

「逃げる? 待ってクダサイ! 私に逃げろっていうのデスカ?」

 

 思わず声を荒げた私に、当然やろと小柄な艦娘は告げる。

 

「この国はひっくり返ったんや。せやけど国を回すのに官僚は欠かせへん。せやからお相手サンは、なんとかしてアンタの旦那に言うことを聞かせようとするやろ?」

「その手段として最も有効なのが、人質というワケです」

 

 言葉を継いだ義妹。これではまるで私が物分かりの悪い娘のよう。

 そして二人の目には、私は実際そう映っているに違いなかった。

 

「……お義姉様」

 

 ゆっくりと、義妹が手を差し出す。

 

 それは無理矢理私に食パンを食べさせた手とは思えない程に控えめで……思えば、あの朝からまだ二日も経っていないのだなと、現実逃避するように私は思う。

 

「気持ちが分からないとは言いません。でも、どうか。今は私と一緒に来て下さい」

「……」

 

 行くしかないと理解している。

 それでも動かない身体に、義妹は説得を続ける。

 

「ほら、見てくださいこのオンライン控え。ちゃんと二つの座席が確保してあります。搭乗者名が見えますか? お義姉様と、お兄様の名前です」

 

 分かっている。だってあの人なら()()()()()()()()()()()

 あの人はまだ戦うだろう。そんな簡単に諦めるヒトじゃないことは、私が一番良く知っているから。

 

「どうして行き先が新千歳、北海道なのか分かりますか? 北海道は海軍が一番勢力を持たない場所だからです。恐らく陸軍は海軍のクーデターに屈しないでしょう。北部方面隊には神戸のお父様が手を回してくれているはずです」

 

 

 だから、()きましょう。

 

 

 そう義妹が言う。分かっている、私は行くしかない。それがあの人に、愛しい人のたった一つの願いなのだから。

 

 歯を食いしばる。泣いちゃダメ。あの人はまだ、戦っているのだから。

 

「そうと決まれば出発です。リョーコちゃん。外の乗用車、買わせて頂きます」

「何でもカネで解決すんなアホ。それにペーパーやろ、ウチが空港まで送ったる」

 

 とんと胸を叩いた小柄な艦娘、義妹は顔をしかめて首を横に振った。

 

「ダメです。貴女にはするべきことがあるはずですよ」

「水臭いやっちゃなぁ、ここまで来たら一蓮托生やろ!」

「艤装がない貴女(かんむす)に着いてこられても、はっきり言って足手まといなんですよ」

 

 そう言い切る義妹。そんな彼女に、艦娘は嗤う。

 

「艤装が無く(のう)ても、ウチは航空母艦やで?」

 

 そう言いながら艦娘が手を掛けるのは、義妹がもってきた「お土産」。

 

「こういうのはな、普通『山吹色のお菓子』が入ってるもんやけど」

 

 ウチに送るんやったらコレしかないやろ。梱包紙の中、紙箱に収められたバームクーヘンを丁寧に取り出す小柄な艦娘。そして残された箱の中に手を伸ばす。

 

「ん? PHI(プレアデス)やのうてPU(ポセイドン)霊感繊維(しきがみ)やないか! よくもまあこんなの……」

 

 感嘆の声をあげる彼女に、いつの間にか前に進み出た義妹が手を添える。

 

「それは、貴女の大切なヒトを護るためのモノです」

 

 義妹が彼女に何を渡したのかは分からない。けれどそれは、きっと値千金のモノで、言い回しからして何らかの武器なのだろう。

 きっとこれから、この国は酷いことになる。だから義妹は、友人に()()を送った。

 

「いずれにせよ。運転手は必要やろ?」

「ですが出頭命令が」

「チビを病院に送り届けたって言うからえーよ。それに舞鶴は危険やろうからな」

 

 そんな配慮を撥ね除けて、小柄な艦娘は笑ってみせる。

 

「ほら、早よせんと。うだうだ言うとる時間はないで?」

 

 空はゆっくりと、夕闇に染まっていく。神戸市街は平穏そのものだった。

 

「よかったですね。道路封鎖もなくて」

「当たり前や。高速は出入り口、電車は運輸指令室を抑えればイチコロやけど、一般道(したみち)の封鎖は簡単には出来へんからな」

「ポートアイランドが封鎖されてないとよいのですが……」

 

 不安そうに呟く義妹。運転席に収まった小柄な艦娘は肩を揺らす。

 

「そんときは船をチャーターや。ハルハル喜びや、お得意の小切手が使えるで」

「私を財閥令嬢か何かと勘違いしていませんか?」

 

 そんな軽口を叩き合う二人は、それでも緊張感を拭いきれない様子で。

 

 街路灯が煌めき、既に夜を迎えつつある街を彩る。

 それを眺めながら義妹はぽつりと聞いた。

 

「それで、この後はどうするんですか」

 

 それはきっと、私を空港に送り届けた後の話ではない。

 これから、もっと先の、待ち受けるであろう混乱にどう立ち向かうかという問い。

 

「どうもなにも。元の鞘に収まるだけや」

「陸軍に戻ると?」

 

 艦娘は答えない。どういう意味かと問うた私に、リョーコちゃんは陸軍のクーテイ団所属だったんですよと義妹は返す。

 

「ま。今の時代にパラシュート部隊の需要はないやろから、フツーに連隊勤務でええけどな……いずれにせよ、こっからは陸軍の時代やで」

 

 その言葉は、あまりに不穏で。押し黙った私たち義姉妹に、艦娘は続ける。

 

「ここんところ国は負け続きや。マーシャルで、ミクロネシアで負けた。もう海外出兵が始まってから10年経つ。この国が追い詰められているのは誰でも知っとる」

 

 そしてそれは、全世界的な視点で見てもその通り。

 人類は次第に、しかし確実に追い詰められている。

 

 日本政府は日米合意(パラオ=マリアナ)線を人類の守るべき防衛線と定めたけれど、あと1年もすれば突破されると公言する人間だっている。

 

「人類が負け続けなのは、軍が無能やからって言うヤツもおる。そういうヤツらはみんな、英雄っちゅうもんに頼るんや」

 

 この国には沢山の英雄がいる。

 

 例えば穀物輸送船団を護衛して飢餓の危機から日本を救った司令官。

 遙か南方の海で深海棲艦の大集団を押しとどめ続けた哨戒艦隊。

 米国による核兵器投射が迫る中、死をも恐れず南方友軍の救助に飛び込んだ艦娘たち。

 

 みんな英雄だとヒトはいう。

 輸送船を守るために10を越える護衛艦と1000を越える海の男が屍と化しても。

 シーレーン防衛になんら寄与しない南方の小島で自衛隊の戦力がすり減らされても。

 結局ひとりの友軍も救えずに救助部隊が壊滅しても。

 

 ヒトはそれを英雄と呼ぶ。

 

 英雄とはその崇高なる精神性こそが尊いのだと、讃える。

 

「誇り、デスネ」

 

 漏れた言葉は、きっとそんな英雄たちに投げかけるべき慰めの言葉。

 

「傲慢ですよ」

 

 そして義妹が口にするのは、現実。

 

 英雄はどこにでもいる。

 幹部を皆殺しにされても機能を維持した統幕監部、独断専行の阪神防備隊。

 

 そして今、私の護衛役を買って出てくれている運転席の艦娘。肥大化した英雄像が、この国を狂わせてゆく。

 赤から青に変わった信号。アクセルを柔らかく踏み込んだ運転手は言葉を継いだ。

 

「せやけど、その英雄っちゅうのがいるからヒトは明日の希望を幻視()られるんや。どんなに毎日が苦しかろうが、明日も頑張ろうって言えるんや」

 

 前方座席、運転席のシートに座った艦娘の表情は見えない。小柄な英雄は、果たして今どんな顔をしているのだろうか。

 

「外人さん。アンタの旦那さんにとって、アンタは英雄(きぼう)やと思うで」

 

 本当に、そうなのだろうか。その疑問が、私に誤魔化しの言葉を吐かせる。

 

「……それなら、ノゾミの方が似合ってるネ」

「ノゾミっちゅうのは、娘さんか」

「ノゾミは希望だと。ダーリンは言いマシタ。あの子は私たちのキボウなのデス」

 

 そしてその子がいるこの国を、あの人が見捨てるはずはなくて。

 

「ネェ、ハルナ。今からデモ、行き先を変えられマセンカ?」

「駄目ですよ。お姉様には、是が非でもこの国を出て行って貰いませんと」

 

 オンライン航空券の行き先が、北海道でないことは知っている。おそらくは新千歳から国際線に乗り継いで、そのまま海外のどこか安全な国へと往くのだろう。

 

 分かっている。自分(わたし)の立場くらい。

 クーデターが嘘であれ本当であれ、相手方に私の身柄を抑えられることは絶対に避けたいはず……はず、か。自分の思考に嫌気が差す。いったい私は、誰のために生きているのだろうか。

 

「恐らくですけど、お兄様は神戸には向かっているはずです」

 

 それも知っている。きっとあの人は駄々をこねる私を飛行機に押し込むつもりなのだ。私を説得するのに自分が一番有効だということを、あの人は理解しているから。

 

「ダーリンは、ズルいヒトです」

 

 私の呟きは、いったい誰に向けられているのだろうか。私たちを乗せた乗用車は橋へと差し掛かる。随所に設けられた照明が、真っ赤な橋を照らしている。

 

「ポート・アイランドに入ったで。神戸空港は目と鼻の先や」

 

 神戸空港は周辺住民に迷惑をかけないよう市街地から突き出した人工島(ポートアイランド)の最奥、一番海へと突き出した場所にある。

 

「さて、待ち伏せするんなら間違いなくここやと思うけど……ハルハルはどうや?」

「ここでしょうね。海も間近で、人も少ない。警官の多さが問題とならない深海棲艦に喰わせるのなら絶好の場所(ポイント)です」

 

 駐車場に車を止め、出発ロビーへと向かう。

 深海棲艦の艦載機が湾内に侵入したばかりということもあって空港建物内は閑散としていた。

 

 だからこそ、襲撃があるならここだと二人は予想した。これについては私も同意見。

 

「もっとも、彼らがお義姉様の『値打ち』を理解しているかは怪しいですが……」

「しとるやろ。してなくてもここに艦娘がやって来たら『詰み』やで。いくらウチでも一般人を二人も庇いながら戦艦艦娘(メスゴリラ)みたいなのとやり合うのは無理や」

「ではとっとと飛行機に乗せてしまいましょう。戦艦は飛べません」

 

 義妹も小柄な艦娘も私に張り付くようにして周りを見回す。周囲を警戒しているのは明らかで、そんな物々しい雰囲気を隠すこともせず進んでいく。

 

「ほんで、どの飛行機や?」

「亜日空ですから……あそこです。お義姉様、チェックインをお願いします」

 

 義妹に促され、私は自動チェックイン機へと歩みを進める。端末に送られてきたオンライン航空券の控えを呼び出し、読み取り機に向けようとした――――――その時。

 

「そこのお三方、少しよろしいかな」

「!」

 

 咄嗟に振り返ると、私を庇うように手を広げる義妹。小柄な艦娘は逆に一歩下がって、背中の後ろに霊感繊維(しきがみ)の欠片を構える。

 臨戦態勢をとった二人。その前方に立っているのは長身の外国人。

 女性向けスーツに身を包み、なめらかな赤毛を伸ばした彼女。一目で只者でないことは分かる。

 

 そして女性は胸ポケットに手を伸ばし、そこから手帳のようなモノを取り出した。そこには金色の刺繍で王冠、一角獣(ユニコーン)獅子(ライオン)意匠(デザイン)

 

「私は英国大使館の者だ。飯田ヒカリ氏に渡すべきモノがあって来た」

「……どうぞ」

 

 義妹はいかにも渋々といった調子で道を譲る。私の目の前にやってきた赤毛の長身から、三つ折りにされたコピー用紙が差し出される。

 

「?」

「お読みください」

 

 そう言われては仕方が無い。私はコピー用紙を開き、そこに目を滑らせる。

 そこには母国語により極めて端的で短い、しかしあまりに重大な一文が記されていた。

 

 目を見開いた私に、赤毛は淡々と告げる。

 

「それをお読みになった時点で、あなたは英国海外領土国民となりました」

 

 続けざまに渡されるのは、赤毛が示したのと同じ意匠が施された手帳。

 

 表紙の色だけが異なるそれは英国海外領土国民の旅券(パスポート)

 私に渡されたコピー用紙の内容は、身分証にもなる英国旅券の発行を通知するものであった。

 

「私は日本国に帰化しています。イングランド国籍取得には相応の審査が必要では」

 

 日本語で返した私の意図は伝わるだろう。しかし彼女は態度を崩さず続ける。

 

「香港特例の応用だ。海外領土国民は暫定的なもの。本国に戻り次第手続きをする」

「そういうコトを言っているワケでは……」

 

 私の反論を受け付けない彼女は、ここからが本題と言わんばかりに告げる。

 

「貴女は英国政府が実施する国外退去作戦の対象者なのだ。飯田ヒカリ」

 

 それとも、別の名でお呼びした方がいいかな? そう言う赤毛に義妹は唸る。

 

「……なるほど、考えましたね。確かにこれが一番安全で確実です」

「せやけど、平時やのに『国外退去作戦』はマズいんやないか?」

「首都のトーキョーや主要都市が次々と空襲を受け、政府や軍上層部が甚大な被害を受けている。この状況が平時だと?」

「おぉぅ。ド正論やな……」

 

 小柄な艦娘もすごすごと身を引く。英国の使者は私に手を差し出した。

 

「関西国際空港にチャーター便を待機させた。高速船で30分とかかりません」

「待ってクダサイ!」

 

 声を上げてから、気付く。いったい私は、なんのために声を上げたのだろうと。

 

「……本当に、これしかナイデスカ。これしか……」

 

 他に手段がないことは分かっている。でもそれを聞かずにはいられない。

 そしてそんな私に、使者はダメ押しの一言。

 

「チャーター機は英国パーマストン・エアラインズ所有機。もうお分かりですね」

「……どういうことや?」

()()()()()()ですよ。古い国の上流階級はだいたい親戚なんです」

 

 首を傾げた小柄な艦娘に、諦め顔で首を振る義妹。選択肢なんて元よりない私は、歯を食いしばって顔を上げる。

 

「ハルナ」

「お恨みください。お義姉様」

 

 私の義妹(いもうと)が、笑う。

 まるで最初から、こうなることが決まっていたかのように。

 

「初めてお会いしてから20年以上……私はずっと、お義姉様のことが嫌いでした」

「……」

「酷い話ですよ。いきなりやって来た何処の馬の骨とも……いえ、血統だけが取り柄の外国人に大好きなお兄様を盗られたんですからね」

「……私は、ずっと感謝してましたよ。ハルナ」

 

 出会った頃には既に北陸に嫁入りしていた彼女。

 仕事のついでと東京をよく訪れた彼女は、それはもう世話好きな義妹だった。それにどれほど救われたか分からない。

 

 恨むつもりはないと私が首を振ると、彼女は小さく苦しそうに頷いた。

 

「こちらのことはお任せ下さい。ノゾミちゃんは私の命に変えても貴女の下へ……」

「それは、あの子の好きにさせてあげてください。もうあの子を、私のワガママに付き合わせたくない。きっとダーリンも、そう言うはずですから」

 

 嗚呼、私はきっと。母親失格だ。

 

 もう大人(はたち)だから、あの子は利口だから。

 そんな理由にもならない言い訳だけであの子を闇の中に突き落とそうとしている。私がここで連れてきてと言えば、きっとあの子を()()()()ために数十万の大金といくつもの特殊部隊が動くのだろう。それは私の祖国が支払う、ささやかな報酬。

 

 けれどそんなしがらみに、あの子を私は巻き込みたくなかった。許せとは言わない。ただ、あなたはあなたの道を生きて欲しいと思うだけ。

 そんな私のワガママを知って知らず、目の前の義妹は頷いた。

 

「では、私はここまでです。お達者で」

 

 不器用な日本人がゆっくり進み出る。

 壊れ物に触れるようなハグは、これまでのどれよりも堅くて熱い――――――貴女とこの国に、どうか神のご加護があらんことを。

 

 そっと離れる。もう振り返る理由はない。

 無言で歩き始めた使者に続いて歩く。ワックスで固められた出発ロビーの床はその僅かな弾力でもって私の靴を押し返し、進む先に踊る日本語の広告が私を見送る。

 

「――――――こんのッ、アホ!」

「リョーコちゃん! 失礼ですよッ!」

 

 そんな声が背中を貫く。私は振り向かない。

 

 誰かの叫び声が聞こえる。

 誰の声かは知っているけれど、私は歩き続ける。

 

「外人さんに言うとるんやないッ、ウチはアレのアホ旦那に言うとるんや! おい! どっかで見とるんやろッ! 姿見せたらどうなんやッ!」

 

 ええ、きっとダーリンは私のことを見ています。

 

 

 ()()()()()、現れることはないんです。

 

 

「英国に任せてハイさよなら? (おとこ)やったら甲斐性みせろやぁッ! おい聞いとんのか!」

 

 出発ロビーに響く声。反響したそれは、愛しい人の残像をゆっくり壊してゆく。

 私だって、怒っているんですよ。

 

「なぁ! おい、おいっ! 聞いてるんやろ……! 聞いてるんやったら、最後に顔くらい、見せたってやれよぉ……!」

 

 

 バカなヒト。そして、私の最愛のヒト。

 

 

 

 

「こんなんで、ええのか――――――!」

 

 

 

 

 

 サヨウナラ。

 

 

 



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第45話 しょせんは他人だもの

 

 真っ白な雪が、目の前に立ち塞がっていた。

 

「ハァ、ハァ……ダァ、リン……」

 

 一枚のフィルタを掛けるように、名前ではなく「愛しい人(ダーリン)」と呼ぶ彼女。

 それを振り返って、すまん。少し休もうかと男は笑って見せる。

 

 消え入るような調子の彼女に、失敗したなと彼は頬をかく。

 新千歳空港から鉄道を乗り継いで三時間。巨大なスキーリゾートに飽きたらしい彼女に少しだけ新鮮な景色を見せてあげようと足を伸ばしてみたが、少し気が急いていたようだ。

 

「ほら。飲みなさい」

 

 魔法瓶を取り出し、温かい生姜湯を携帯式のカップに注ぐ。

 それを受け取った彼女は今しがた彼が踏み固めた雪の上に座ると、顔半分を覆っていたネックウォーマーを下げた。

 

 唇がほんのりと色づいているを確認しながら、励ますように彼は言う。

 

「朝一でやって来た甲斐があった。今日のは凄いぞ」

「……ソウイエバ、ココニ来ルマデ足跡ガヒトツモアリマセンデシタ」

「そりゃそうだ。今日に限っては前人未踏だからな、ここは」

 

 雪は、全てを容易に覆い隠す。連日降り積もった雪は山肌を覆い隠し、時には樹木すらも見えなくする。例えば、手近にちょこんと生えている謎の小枝が、実は大木が太陽に向かって伸ばした巨大な手のひらの先端(ゆび)だったりするのだ。

 

「ヨイ天気、デスネ」

 

 少し脱力したらしい彼女は、もたれるままに背を傾けて空を仰いでいた。雲一つ見えない真っ青な空。肌を晒せば凍り付くような気温だからこそ感じないものの、太陽は肌を焦がさんばかりに照りつけてくる。

 

「あぁ。いい天気だ」

 

 そうとだけ答えて、男も生姜湯をカップに注ぐ。

 冷める前に口に含んで、凍てつきそうな感覚器官に熱を送る。

 

 目の前には青い空と、日本における火山のスタンダード形状であるなだらかな山が鎮座している。おそらくは山肌を雪に覆われているであろうそれは、葉を落とした木の味気ない色と交わってくすんだ藍色に見えた。

 

 静寂がその場を支配する。生物の気配がしない、寝静まった冬の朝。

 

「ひとつ……聞いてもいいかな」

「ナンデス?」

「どうして、山に登りたいなんて言い出したんだい?」

 

 その疑問に、彼女は答えない。聞き取れなかった訳ではないだろう。難しい言い回しをしたわけではないし、聞き取りを邪魔する雑音はこの銀世界には存在しない。

 それでも、やや不安になるほどの間を置いてから、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「コノ国ハ、狭イカラ。ヒトリニナレル場所モ、少ナイデスカラ」

「なるほど」

 

 およそ山登りを趣味とするとは思えない体力。

 冒険好きだが危険は冒せない立場。

 

 その折衷案がスキーリゾートであり、この小さな山登りなのだろう。

 そう内心で整理した男にむけて、彼女は話し続ける。

 

「心ガ、ツカレタラ。ヒトリニナルトイイデス」

 

 それは人によるだろうと、男は思った。

 時に疲れは「憑かれ」とも書く。ようは心身万全の状態に何かを背負わされるのが疲れなのである。

 それを振り払うには休息も重要だが、時には動き回って振り落とすことも――――そんなことをすれば、憑き物もムキになってしがみつくものだが――――必要になるかもしれない。

 

「(それにしても「この国は狭い」……か)」

 

 殆ど同じ国土面積しか持たない国から来た彼女にそう言わせるのは4分の3を山地に覆われるこの国か、それとも世界に冠たるユニオンジャックの威光か。

 とはいえ狭いことに関しては同意見であったので、男は頷く。

 

「そうだな、この国は狭い。狭くて窮屈だ」

 

 真っ青な空から、ゆっくりと沈黙が舞い降りてくる。男は喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、代わりに会話を成り立たせるための言葉を吐き出す。

 

「独りになるのは嫌いじゃないが、好きでもない。悪い方向に流れてしまう」

 

 周囲との関わりを絶てるほどこの国は広くない。しかし、周囲との関わりを絶てないほど貧しいわけでもない。

 それが今のこの国であり、まさにこの国の国民が直面している状況であった。関わりを絶って孤独になったヒトはどこへ往くのだろう。

 

「ソレデハ、ヨカッタデスネ」

 

 柔らかい表現なら「それでは」ではなく「それなら」で良いだろうな。

 そんなことを癖で考えた男は、その疑問に気付くのが遅れた。ヨカッタとは?

 

「ココニハ、私モ、イマスカラ」

 

 傲慢だな、と。記憶の中で縁側に腰を下ろした祖父が告げる。

 男はそうとも限りませんよと祖父に返したが、どちらが正しいのかは分からない。

 

 そんな彼をどう観察したのだろう。彼女は一旦視線を雪の上にやってから、期待するような眼差しで男を見る。

 隣に座って欲しいのだろうと当たりをつけた男は、装備品で彼女を傷付けないように気を配りながら腰を下ろす。

 

 自分より幾分か長く、想像以上に手入れされた睫毛。

 その下に、日本人の黒とは異なる色の瞳が納められていた。

 

 彼女はなるほど美人だが、日本人ではない。男の言葉を彼女が母国語として理解することはないのだろうし、それは逆もまた然り。

 

「なぁ」

 

 口から出掛けた言葉を飲み込む。

 謝罪か弁明か。いずれにせよ、何者にも踏み荒らされていない銀世界のような彼女には似合わない言葉であったことは間違いない。

 

「ナニデスカ? ダーリン?」

「いや……愛してるよ。愛しい貴女(マイハニー)

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 闇の海に、一本の光の道が引かれていた。

 

 大阪湾に浮かぶ人工島を貫いて、海の中まで続くそれは空への(みち)(しるべ)であり、空から還るヒトを導くための灯台でもある。

 

 その輝く光を空港ビルの屋上に設けられた展望デッキより眺める男がいた。息を吐けば白く染まる寒さの中、厚手の外套に身を包んだ男は微笑んでいる。

 その表情は安堵によるものに見えたし、また他の感情と取ることも出来た。

 

「……私です」

 

 そんな時、携帯端末に着信。

 

『奥さんは送り出せたか』

「ええ、まぁ。送り出しましたよ」

 

 そうか、よかったなと返す電話相手。電波の向こうにいるのは統合幕僚長代行、そして端末を片手に滑走路を眺めるのは運用部長代理――――飯田コウスケ。

 

『それで。お前はこのまま北海道か』

「その予定です。余市を掌握した後は大湊を抑えます。あそこの総監は研究会の先輩ですから、問題はない筈です」

 

 神戸空港発新千歳空港行きの航空機はもう間もなく出発する。

 本来ならば統幕監部のある東京から羽田を経由して北海道へと向かえばいいのだろうが、無理をして神戸に足を彼は足を運んでいた――――――理由はもちろん、先ほど空港を離れた高速船。

 

『正直に言うが、私は君を信じて良いのか分からなくなったよ、飯田君』

 

 電話の先が困惑混じりの声で言葉を紡ぐ。

 

『君は結局、イギリスの()()()だったということだろう? 国防軍の中に潜んだ何者かが外患誘致を行っているこの状況で、海外との繋がりは問題だ』

「視点の問題です。少なくとも本件において、英連邦が主犯となりえる可能性はありません。それに紐付きと言っても、私の役目はむしろ()()()()()()()()()ことです」

 

 もっとも、昔の話ですが。

 そう返す飯田コウスケに、スピーカーはため息を再現。

 

『言っても仕方の無いことなのは分かっているが、虚しいモノだな』

 

 既にコトは起こってしまった。

 どちらに転ぼうと、それは敗戦処理でしかない。

 

 そのようなことを言いたいのであろう統幕長代行に、運用部長代理は静かに返した。

 

「自衛隊にとって、戦争とは敗北を意味します」

『そうだな。昔はそうだった』

「今でも変わりませんよ」

 

 条文をいくつか書き換えたところで、国の本質が変わるわけではない。

 それは当然のこと。

 

「おそらく『彼ら』は変えたいのでしょう。この組織の本質を、この国の性根を」

『武力に訴えてか?』

「武力ではありません。その英雄性によってです」

 

 昭和の動乱期の説明をしましょうかと問うた運用部長代理に、いや結構と断る統幕長代行。経済状況も政治情勢も全く異なる。両者の比較に意味は無い。

 

 それでも――――――この雪の降りそうな空と過去を、比べずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――それで、なんだ? わざわざこんな場所に呼び出して」

「状況を整理したかったのです」

 

 整理? そう要領を得ないといった風に首を傾げるのは統幕長代行。

 

 目の下に出来たクマは彼が十分な睡眠を取れていないことを意味しており、その目つきも疑問というよりはもう眠らせてくれと訴えているようにみえる。

 それも当然だろう。

 一昨日から日本列島を脅かしている深海棲艦が討伐されたとの報を受け、統合幕僚監部は少なからずの安堵を享受していた。

 なにせコトの発生から約40時間、綱渡りのような精神状態を強いられた末にようやく見えた光明である。

 

 そして、だからこそ。飯田コウスケ運用部長代理の表情は険しい。

 

「はっきりしていることは二つ、相手は明確に攻撃目標を定めている。そしてもう一つは、単独犯である……いえ、正確には単独犯を装っていること」

「それは、会議の場でも聞いたよ。飯田くん」

 

 それとも何か、共犯者の話か?

 

 そう問われた運用部長代理……飯田コウスケ2等海佐は静かに頷く。

 本来ならば将官が就くべき統幕監部の要職を預かってしまった彼は、その職責にひるむ様子もなく統幕長代行を席につくように促した。

 

「攻撃を実行するためには、目標の動向をリアルタイムで把握する必要があります。夜間攻撃となるのは宿泊地を把握すれば襲撃が容易だからと思われますが……」

「……分かり切ったことを言うな。ここは会議の場所じゃない」

 

 だからわざわざ個室に呼び出したんだろう?

 統幕長代行の言葉に、飯田は頷く。

 

内通者(うらぎりもの)をあぶり出します。こちらを」

 

 差し出された手書きの紙。一瞥した統幕長代行は、困ったように眉を上げた。

 

「情報を分割か。これで何処から漏れてるか分かるというんだな?」

「万全ではありません。もし全ての分割先に内通者がいるのであれば……」

 

 飯田が苦い表情で言うのを遮って、代行は紙を手に取って振りかざしてみせる。

 

「現実的でないな。そんなことがあるのか?」

「たった一匹の深海棲艦相手に国家が振り回されていること自体、あり得ないです」

「それはまあ、そうかも知れないが……」

 

 協力者の数は、恐らく想像以上に多い。

 多数の正確な情報を、途切れることなく継続的に「実行犯」に送り続ける――――――それが如何に難しいかは、陸海空3組織の統合運用に腐心してきた統幕監部が一番よく分かっている。

 

「深海棲艦討伐の報告を入れたタイミングも的確でした。私が提唱した幕僚部の閉鎖が実施されれば、各軍はそれぞれの総隊の指揮下で作戦行動を行うことになる」

 

 それ自体は難しいことではない。幕僚部は軍事戦略の大枠を決める存在で、戦術レベルの行動においては総隊以下の各司令部が判断する。短期的になら問題はない。

 

「恐らく、それが()()()()のでしょうね。相手にとって都合が悪いことがあった」

「……海軍か」

 

 運用部長代理は頷く。

 

 空軍なら航空総隊。

 陸軍なら陸上総隊。

 

 幕僚部がなくとも、陸軍と空軍はほとんど全ての実戦部隊が統一した指揮系統に収まるが、海軍はそうはいかないのだ。

 

「全国の沿岸を五分割する総監部と、外洋の防衛を担う自衛艦隊……海軍の指揮系統は大きく分けて二分割されています」

「幕僚部が無くなれば、この2つの組織の統制が取れなくなると?」

「形式上は総監部の担当海域に入った海軍戦力は総監部の管轄となりますが……」

「海外派遣の弊害、か」

「そうです」

 

 日本国外には総監部が存在しない。

 結果として、各地に派遣された護衛隊群を運用する自衛艦隊の権限は大幅に強化されることになった。

 

「となれば、相手の目的は海上幕僚部およびその上位組織の統合幕僚監部に息の掛かった人間を多く送り込むことで海軍を掌握することが目的であった……これに関しては海軍の幹部に被害が偏っていることからも説明はつく……が」

 

 分からないな。そう代行は漏らす。

 

「やり方が強引すぎる。確かに閉鎖を阻止するならその原因となっている深海棲艦を取り除くのが早い。しかしそれはいくらなんでも稚拙に過ぎる。なにより――――――」

 

 代行は苛立ちを隠さずに机を叩いた。

 

「なぜ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。幕僚長しか把握していない特殊任務? そんな言い訳が通用するとでも思っているのか?」

「陸上幕僚長であった現統幕長代理が存命していたことは幸運でした……彼がいなければ『そういうもの』として処理せざるを得なかったでしょうから」

 

 今回の襲撃で最初に被害を受けた護衛艦。房総半島沖で消息を絶った筈の艦艇が健在でしかも深海棲艦を撃破した――――――そのような特殊作戦が存在しないことは、その情報を知るべき将官たちの中で()()()()()()()統合幕僚長代理が認めている。

 

「まだ私たちは負けていません。統幕長代理が文字通り命をかけて繋ぎ、私たちが責任をもって行使するべき可能性がここにはあるんですよ」

 

 統幕長代行へと向けられる運用部長代理の眼は、真剣そのものであった。

 

『――――――英雄、か』

 

 その護衛艦が「クロ」であることは疑いようがない。

 

 彼らは深海棲艦を演じる何者かの襲撃を手助けし、恐らく情報支援や補給、移動の補助もおこなっていたのだろう。

 それはあらゆる機能を備える汎用護衛艦であれば可能なことだった。

 

「そして、彼らは日本を恐怖のどん底に追いやった『魔王』を討伐した勇者になる」

 

 本土空襲を許すという組織の存続に関わりかねない失態を覆い隠したい国防軍も、喉元に刃を突きつけられた政治家もこの勇者の英雄譚に乗らざるを得ない。

 

 その先に待ち受ける未来がどのようなものかは、誰にも分からない。

 

『まあいい。コトが終われば責任を取らされるんだ。私は花道を飾らせてもらうよ』

 

 代行とはいえ四つ桜は四つ桜だと笑った統幕長代行が通話を切る。

 飯田は見えないことを知りながらも深く頭を下げ、胸を張りながら暗闇へ向かう代行に敬意を示した。

 

「……もしこれに勝ったら、今度は我々が『英雄』になるのか」

 

 それだけは勘弁して欲しいとため息を吐いた彼は、ふと背後に気配を感じて振り返る。そうして屋内との出入り口に立ち塞がるように立つ影を認めた飯田は、笑う。

 

「よぉ。遅かったじゃないか」

 

 

 

 そこに居たのは、本来なら()()()()()()()()()()()()ならない筈の人物だった。

 

 



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第46話 でも、わかっています

「驚かないんだな」

縦深陣地(ミクロネシア)なき後の国防計画は完璧。しかし国防ほど属人的な産業も存在しない」

 

 状況証拠は揃っていたと飯田が言う。影はそれに答えず黒光りする得物を構えた。

 

「これでも驚かないか?」

「……私を殺すなら、せめて()()()()()()()()()()くれないか?」

 

 殉職でないと特進が望めないからね。ひらひらと手を振ってみせる飯田。それでも彼の声が震えているのは、長い付き合いの影には見抜かれてしまうに違いない。

 

 ここからは時間との勝負。飯田は顔の見えない影を見据える。

 

「お前は、いつも自衛隊は変わるべきだと訴えていたな。自分のことでもないクセに艦娘の待遇に不満を述べていた。大迫先輩は待遇改善に動いたじゃないか。自衛隊だって国防軍に看板を変えて、改革の芽も揃ってきている。なぜ事を急ぐんだ?」

 

 答えの代わりに歩みを進める影。照明が腕に縫い込まれた金色の袖章が光らせる。

 

「俺に言えることは一つだ。飯田コウスケ、我々に恭順しろ」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 およそヒト一人を収容するには大きく、快適に過ごすには狭いファーストクラスの座席。

 私は煌々と照らされる関西国際空港の駐機場(エプロン)へ視線を送っていた。なにをするでもなく、見かけ上は平和を保つ景色を見守るだけ。

 

 それが、いま私に出来る唯一の作業。

 

 そんな私の前に、静かにトレーが差し出された。

 

「ありがとう」

 

 当然のように英語を()()赤毛の女性に、私はあえて日本語で返す。

 彼女は不満を隠すことなく目線で伝えてくるが、私は臆することなくティーカップを持ち上げた。

 

 返答はないが構わない。

 確かに言いたいことは山ほどあるけれど、今するべきことは決まっている。私は赤毛から目を逸らすと、()()()()()()艦娘へと視線をやった。

 

「……その、ナガトさん。そのような格好は、お止め頂けると助かるのデスガ」

「そうはいかない。これで昼間の無礼をお許し頂けると助かるのだが」

 

 紺色の海軍制服に身を包んだ彼女は、すっと顔を上げて私のことを見つめる。

 

「無礼を赦してくれ飯田夫人(ミセスイイダ)、英国との(えにし)を託された貴女と話がしたかったのだ」

「それは、私よりもむしろ。こちらの彼女に言うべきだと思うのですけれど」

 

 背後の赤毛を指し示すと、彼女は小さなため息。

 

「私は伝言人(メツセンジヤー)に過ぎない」

「そうさ。私もただの使い走りに過ぎないよ」

 

 問題は、彼女(ナガト)()()使()()()()なのか。赤毛の彼女が私の祖国だというのなら、彼女は日本国の代理人だとでも言い張る腹積もりだろうか?

 

「まず始めに、誤解を解いておきたいのだよ。ご婦人(ミセス)

 

 誤解、とナガトは言った。お互いの視ている景色に齟齬があると。

 

「……と、そのまえに。出来れば場所を移したいのだが」

 

 周りをぐるりと見回して、どうだろうかと問うナガト。

 

 いくらファーストクラスと言ってもここは飛行機の中、狭いモノは狭い。()()をするならもっと適切な場所があるだろうということである。

 

「ダメだ。彼女を外へ出すわけにはいかない」

 

 しかし彼女の提案を、赤毛はバッサリと斬り捨てた。

 

「そちらは空港ビルですら危険だと認識しているのか?」

 

 これでも我が国の警察はなかなか優秀なのだがと苦笑してみせるナガト。一方の赤毛は表情を険しくした。

 

「この国の全ての場所が危険だという話をしている。日本国はこの二日間で空襲を何度も許しており、その防衛体制には疑問符を抱かざるを得ない」

 

 本当なら今すぐ飛び立ちたいくらいだ――――――そこまでは言わずとも、赤毛の彼女は厳しい口調で軍を批判してみせた。

 そしてそれは、国際社会の偽らざる本心でもある。

 

「なるほど。確かに我が国は深海棲艦をはね除け続けることでアジアに安全な経済活動の場を提供し続けてきた。それが崩壊しかねないという懸念、ということかな?」

「懸念ではなく、崩壊していると我々は認識している」

「ならばこそ、私がここに来た意味もあったというものだ」

 

 ナガトの妙な言い回しに、赤毛の彼女は眉をひそめる。

 

「私が解きたい『誤解』というのは、まさにそこなんだ」

 

 誤解、と。ナガトは強調した。

 

「既に問題の根幹であった『強力な深海棲艦』は討伐され、国防軍も混乱から復帰しつつある。そしてなにより事実として、経済活動に影響を及ぼすような被害は確認されていない……もちろん日経平均については把握しているが、それがあくまで一時的な影響に留まることは貴国もよく知っているはずだ」

 

 彼女のいう言葉に偽りはない。

 深海棲艦の討伐は公式のものであるし、軍の混乱が収まりつつあるのも事実だろう。

 経済のことは分からないが、赤毛の言う「安全な経済活動の場」としての日本はまだ崩壊していない。

 

 しかしナガトは、その軍の中身にまでは言及しなかった。

 公式声明を発した軍というのは、果たして一昨日までと同じ軍なのか、その疑問に彼女は答えなかった。

 

「まずお互いの立場を整理しよう」

 

 その事実を踏まえて、ナガトはそんなことを口にする。

 

「私たちはあなたたちの『期待』に答える用意がある。とはいえその『期待』を読み違えていたなら、相互不理解甚だしい結果に終わりかねないからね」

 

 この会談に、私の出る幕はない――――――それは、直感的な確信だった。

 ナガトの口調は戦後処理のそれ。

 やはり軍の掌握もある程度までは終わっていて、既に外国の「理解」を取り付ける段階まで来ているのだ。となればあの人が、私と会うこともせずに故郷へ送り返そうとしたことも検討がつく。

 

 しかしそれは、同時にもう一つの意味も持っている。

 

「(あなたは、戦うつもりなのですね)」

 

 あくまで最後まで。

 

 その最後が何処なのかは分からないが、とにかく抵抗できる場所まで抵抗し続ける……そのためなら、私のような荷物を捨てるのは正しい判断。

 

 そう、正しい。それなのにその推測が、私の胸をかき乱して止まない。

 

 

『世の中にはね、適材適所ってモノがあるんです』

 

 

 義妹の言葉が思い出される。

 仕方ないのは分かっている。

 

 だって私は、日本(ここ)にいることが重要だったのだから。それ以上のことを求める事なんて、許されなかった。

 

 嗚呼、でも――――――それで良かったのだ。いや違う、()()()()()()()のだ。

 

「深海棲艦に対抗しうる力を持ち、なおそれを行使するだけの意思を持つ国は少ない。あなたたちと私たちは良いパートナーになれるはずだ。違うかな?」

「我々は自由で開かれた平等な価値観を重んじている。あなたは理解しているか?」

「政治には疎いが、連帯が欠かせないことは理解しているつもりだ」

 

 事務的な手続きを進めるナガトと赤毛を脇目に私は自分に言い聞かせる。

 

 極東の島国に打ち込まれた楔でしかなかった私に、あなたが仕合わせ(しあわせ)をくれた。

 ハマるはずのないパズルのピースが収まる場所を作ってくれた。

 

 例えそれが丁寧に加工されたモノであったとしても、それが偽りだったなんてことはないのだから。

 だから私は、今日までずっと、ずっとずっと――――。

 

「私たちは状況をコントロールしている。一両日中には全てが解決することだろう。深海棲艦という共通の脅威を前にした我々にいがみ合う余裕はない」

 

 信頼してくれ(トラスト・ミー)、私に言えるのはこれだけだ。そうナガトは言葉を切る。

 

 赤毛はなにも返さない。

 

 信頼するも何も、ここにいる彼女たちはただ自国民(イギリスじん)の安全を確保するために来ただけ。日本の政治には手どころか口も出せない。

 そんなことをすれば内政干渉になる――――――というのは表向きの理由で、本当の所は英国にとっては()()()()()()()()()()()()()()

 

 重要なのは艦娘という深海棲艦に対抗しうる戦力そのものであって、政府の形などはどうでもいいのだろう。

 

「ナガトさん。ひとつ、聞きたいことがありマス」

 

 私が口を挟むとは思わなかったのか僅かに眉を上げる赤毛の彼女。一方のナガトは予想していたようで、何かなご婦人と余裕で口元を緩めてみせる。

 

「アナタは、なんの為に戦っているのデスカ?」

「ふむ……それは難しい質問だな」

 

 迷うように両手を結んでみせるナガト。言葉とは反対に、その双眼に迷いはない。

 

「強いて言うのであれば、平和のためだよ。私は深海棲艦の手によって奪われてしまった平和を取り戻したい……いや、これは正しくないかな」

 

 そんな大仰なモノではないのだと彼女は続ける。

 

「確かに昔は、そのようなことを考えたこともあったかもしれない。私にはその実力があるのだと周りにはやし立てられたからね。まぁ、熱に当てられたようなものさ」

 

 苦笑。

 過去を懐かしむナガトの表情に、ささくれ立ったような荒々しさはない。

 

「しかし現実は残酷だ。私はそこまで強くはなかったし、この国もそこまでは強くなかった。ミクロネシアの敗北は知っているだろう?」

 

 戦後初めての「敗戦」であるミクロネシアの戦いは、収束から年単位の月日を経た今でも大きな影を落としている。

 文字通りに国家の存亡を賭けた深海棲艦対処の初期行動とは異なり、ミクロネシアの戦いは正当化があまりに難しい戦いであった。

 

 私の表情でも見たのだろうか。ナガトは理解を示すような顔を作る。

 

「あなたも当事者のひとりだから分かると思うが……結局のところ、この国はまだミクロネシアの傷を越えられていない。ミクロネシア戦役と呼ばれるあの5年間の間、浮かれるままに戦争を支持してしまった、その傷跡から」

 

 私は知っている。この国を飢餓の危機から救った英雄を。

 私は知っている。その英雄が艦娘と呼ばれる『特効薬』にかき消される様を。

 

 そして知っているのだ。世界が最初の艦娘保有国に、何を求めたのかを。

 

「そんな私に、世界を救わなくてもよいのだと教えてくれたヒトがいた。世界は『ついで』に救えばいいのだと、()()は道を示してくれた」

「その『提督』というのは……」

「貴女の想像の通りだよ、ご婦人」

 

 目の前にいる艦娘は、英雄。

 南洋のツワモノ、真っ黒な海鳥の部隊章(エンブレム)を抱いた英雄部隊の戦艦艦娘。

 

 その英雄達に泥を付けた戦いを、私は、この国(わたしたち)は、知っている。

 

「私たちが守っていたのはミクロネシア連邦でも、日米の駆け引きが産んだ新自由連合盟約(ニユーコンパクト)でもない。ただ、目の前にある平和を守っていただけなんだ」

「……それなら、どうしてアナタはここにいるのデス。ナガト」

 

 まるで素朴な遊牧民のように、あるがままを守るのだと言わんばかりのナガト。

 それが根本から間違っていることを知っているのだろう彼女は、私の問いに微笑む。

 

「そうだな。本当にどうして、こんなことになってしまったんだろうな」

 

 彼女が一歩前へ――――――その進出を止めるべく割り込む赤毛の女性を一瞥して、一言。

 

「貴女では勝てないな」

「なんだと」

 

 瞬間、赤毛の纏う気配が変わる。ナガトの気配も獲物を前にした狩人のそれに。

 

「それなりに練度の高い神官であることは見れば分かる。しかし貴国の技術は未だ儀礼を重んじすぎるきらいがある。平たく言えば、戦闘による洗練(コンバツトプルーフ)が足りない」

 

 押し黙った赤毛に、ナガトは言葉を並べていく。まるで余裕を見せつけるように。

 

「上空の戦闘空中哨戒(CAP)は4機であっているかな? 状況を鑑みれば倍の数は欲しいところだが、()()の能力では継続的にこれ以上の機体を上げることが出来ない。違うかな?」

 

 問いかけるナガトの妙な言い回しに、私の視線は赤毛の彼女へと向けられる。

 消し切れていないアジア訛り、外交官らしくない粗雑さの残る言葉遣い。

 

 おかしいとは思ってはいたが、やはり。

 

「貴女も、艦娘だったのですね」

「…………そうだ。黙っていてすまない」

 

 艦娘に対抗するためには、艦娘が必要――――――まるで核抑止の理論ではないか。

 

「私はHMS(女王陛下にお仕えする)アークロイヤル。ナガト、使節としての役目は果たしたな?」

 

 それではお帰り願おう、そう言ってのけた彼女に、釘を刺すようにナガトが言う。

 

「不毛だぞ、英国の。友好国同士で争っている状況なのか?」

「礼には礼をもって応じる。しかし、相応の無礼には相応の返事があるというもの」

 

 一瞬の、永遠とも感じられる沈黙。

 それを感じながらも私は冷静だった。

 

 なにせ、彼らには()()()()()()()

 

 ナガトにしてみれば交渉に来たのだから戦端を開く理由がないし、アークロイヤルにしてみれば場所が悪すぎる。いくらなんでも帰国するのに必要な航空機の中で戦いを始めるような愚者ではないだろう。

 

 要するに意地の張り合い。双方のちっぽけなプライドをかけたチキンレース。

 

「もう十分です。アークロイヤル、下がりなさい」

 

 その演技がかった言葉は、いともあっさりと私の口をついて出た。

 今だけは一般市民であることを忘れて、錆び付いた言い回しを呼び起こす。

 

「英雄に対しての非礼をお詫びします。戦艦ナガト。お話については理解しました。今日の所はひとまずお引き取り頂き……」

「それでは間に合わないのだよ。()()()

 

 私の演技をバッサリ斬り捨てて、ナガトは冷たく告げる。

 

「端的に申し上げると、この航空機は()()()()()()

「……問題の深海棲艦は、討伐されたのでは?」

「状況はコントロールされていると言ったはずだ」

 

 こちらは深海棲艦を操れるのだぞと、そう堂々と言い放ってみせるナガト。

 アークロイヤルだけではない、この場にいる全ての乗務員達が目の色を変える。今や彼らの代弁者となった私は、仕方なくその言葉を口にした。

 

「それはもはや、脅しではありませんか」

「脅し? 違うな。私は『保険』だよ。私がここにいる限りは攻撃を受けることはない。しかし私が去れば話は別だ。もちろん、信じるかは諸君ら次第ではあるが……」

 

 どのような仕組みになっているのかは分からないが、喉元に刃を突きつけられた状況となってしまっては検証のしようもない。

 彼女の言葉が正しければ私たちには凶弾が降り注ぎ、そうでなければ彼女の言葉を受け入れるしかない。

 

 それはまさに、最悪の選択肢であった。

 選択肢があるだけマシなのではない、選択肢があることでこちらは選択を強要される。

 

「ご婦人、そう身構えないでくれ。私は何も、政府職員を人質にとって交渉しようなんて考えていないんだ。私は貴女と、個人的な話がしたい」

 

 その選択肢とは――――――私か、それとも十数名の命か。

 

「……アークロイヤル、この場の最高責任者は誰ですか」

「今までは()()()()。しかし、私が艦娘(ぐんじん)であることを明かした今は――――――」

 

 そこで言葉を切ると、私へと……私の持つ身分(パスポート)へと視線を注ぐアークロイヤル。

 王冠を抱く書類に刻まれた文字列とその意味を、残念なことに――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――そう、本当に残念なことに。私は知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「なら、私がここで彼女に同行することを止められる者はいませんね」

「お待ちください!」

「いいえ待ちません。あなた方はすぐに離陸の手配を……これで、よろしいですね?」

 

 そうナガトに視線を注げば、彼女は鷹揚に頷いて見せた。

 

「ご理解に感謝する」

 

 理解を強要させたクセに。とは言わない。

 彼女は実行犯ではないのだ。

 

 きっと誰かに担ぎ上げられた哀れな英雄で、英雄を持ち出さないとコトを収められないほどに相手は困窮している――――――そう思い込むことで、せり上がる感情を制御する。

 

 それは屈辱だった。これまで一度も感じたことのないような、もう二度と、感じることなんてないと思っていた感情だった。

 

 ――――――二度と? 一度だってこんな感情を抱いたことは無いはずなのに。

 

 そう思い返して、気付く。

 抱いたことがないのではなく、認識していなかっただけなのだと。

 

「もとより拒否権などないのでしょう?」

 

 それは私がこの国に来たときと同じ。

 アレがこうで、コレがああで……そんな私の理解が及ばない階層(レベル)で勝手に進められた議論を経て、目の前に突然下ってきた使命。

 

 たった一種の危険生物により吹き飛ばされてしまったお膳立て。

 

 屈辱だった。私の全部を塗り替えておきながら、何一つ責任を取ろうとしない人達の存在が許せない筈だった。

 

 でも結局、私はそれを許した。

 

 というより、許すしかなかったのだ。

 私の屈辱をあなたは溶かそうとしてくれた。

 目の前に張りぼての使命や責務を並べてはやし立てるのではなく、全てを捨てて構わないと言ってくれた。

 

 だから、私は――――――。

 

 

 

 

 

「何を考えているのかな? 飯田夫人」

 

 私の思考を邪魔するようにナガトが口を開く。

 

 私は目下、彼女の運転する乗用車の助手席に揺られて連絡橋の上。

 

 これを拉致と呼ぶかどうかは議論が割れるところだろうけれど、本人に動向を拒否する余地がなかったことを考えれば十分に拉致と呼べるのではないのだろうか。

 

 それにしてもイイダ夫人、か。

 棄てることになる筈だった名前でナガトは私のことを呼ぶ。

 

 彼女にしてみればこの国に私を縫い付ける呪文なのかもしれないが、私にとってのそれは心地よく、呪いとは全く別次元のものであった。

 

「夫人?」

「……別に何も考えていませんよ。少しだけ、過去のことを思い出していました」

「過去のこと……そうだな、人間は過去を糧にして生きている」

 

 不思議なことに、今の私に恐怖と呼ぶべき衝動はなかった。

 運転席に座るナガトがハンドルを()()()()()さえすれば、私はこの世から消えてしまうというのに。

 

 けれど消える前に、聞いておかないといけないことがある。

 それは私がずっと分からない、おそらく最後まで晴らされないのであろう疑問。

 

「なぜ、コトを起こそうと思ったのですか」

「どうしてそんなことを聞くのかな?」

「『どうしてこんなことに』と、あなたは言いました」

「……あなたは本当に、日本語がお上手だな」

 

 誤魔化すように言うナガト。それは迷いか、それとも何か別の事情があるのか。

 

「本当はどうなる予定だったのですか?」

「手の内を晒すとでも? 映画の見過ぎだよ、夫人」

 

 ところが彼女は、過去(れきし)の話ならしても良いかと独りごちる。

 

「辺境伯という言葉を知っているかな? 彼らは王国を守る。だが辺境という名が示すように彼らの領地は都から離れた辺境の地……冷遇されることも多かったと聞く」

「それが8護群(あなたたち)だったと?」

 

 ミクロネシアが辺境であったか否かという議論であれば、確かに辺境ではあった。

 主要な海運網から外れ、ただ広いだけの太平洋に広がる島嶼群に価値を見いだせるかというと、多くの人間が首を横に振るであろう。

 

 そしてそこを護っていたのが第8護衛隊群。

 ナガトが所属していた英雄部隊。

 

「私たちを撤退させたい勢力がいたのだよ。それも、艦娘(われわれ)に泥を被せる形でね」

 

 連絡橋のまばらな照明を受け、ナガトの顔は光と闇を行き来している。

 そこに浮き沈みする感情を読み取ることは私には出来なかった。

 

「私たちは小さな平和を守っていただけだった。だが――――――」

 

 ナガトの言葉はそこで途切れて、その先へは続かない。

 

 私は知っている。ミクロネシア戦役の顛末を。

 かの戦いにおいて関係各所がどのように行動し、どのような情報公開がなされ、そして国民がどう評価したかを。

 

 しかし結局の所、私は()()()()()()()()のだ。

 真横に座る彼女が本土(ここ)でいかに言葉を尽くしたとして、私はその悲劇の一端も知ることが出来ないのだ。

 

「それがあなたの、戦う理由なのデスネ。ナガト」

 

 それは私と数十センチ先に座る艦娘とを間を隔てる、海より深い溝。

 

「我が行動は謀反に非ず」

 

 当然だろう。彼女は最初(ハナ)から官軍のつもりだ。

 いかなる事情が彼女らを動かしたにせよ、行動に踏み切ったという事実そのものがその証拠である。

 

「この国の非道を正す、そんな大層な名目は私たちにはない。私たちはただ自分の居場所を、ほんの一欠片の平和を求めているだけなんだ」

「その過程で、どれほどの犠牲が出るとしても。ですか」

 

 私の問いに、アレでもかなり抑えている方なのだよとナガトは笑う。

 

 その笑みが余裕ではなく哀愁を漂わせているようにみえたのは、果たして私の希望的観測だろうか。

 

「飯田夫人。あなたに頼みたいことがある」

 

 当然だろう。そうでなければわざわざ私一人を連れ出したりなんてしない。

 そして今になってイイダ「夫人」なんて()()()で私を呼んだりはしないのだ。

 

「私は()を助けたい。彼は不幸にも体制側の人間に()()()()()()()()()()()

 

 その「彼」というのが私にとっての「あのひと」――――私に「飯田夫人」の役職(なまえ)を与えてくれたヒト――――を示すことはすぐに分かった。

 

 あの人は、統幕監部運用計画部長代理という長い役職名を預かっている。

 それはナガトに言わせれば体制側の役職であり、彼女達に立ちはだかる「敵」なのだ。

 

 そして彼女は、助けたいという言葉を用いて私に取引を持ちかけてきている。彼を助けるか、助けないか。

 

 そんな不合理な二択を、私に突きつける。

 

「どうだろう、力を貸してはくれないだろうか」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 恭順しろ。要求にみえて拒否権のない絶対命令。

 力を貸してはくれないだろうか。イエス以外の回答が存在しない修辞疑問文。

 

 銃に担保された命令を拒める者がどこにいるだろう。

 愛する人を天秤にかけられる者がどこにいるだろう。

 

 しかし飯田コウスケは。

 だけども飯田ヒカリは。

 

「お断りだ」

「お断りします」

 

 

 ただ、そう答えた。

 

 



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第47話 ホントのことを言って

 

「あのヒトは、役割に徹するヒトなのです」

「ほう?」

 

 興味ありげにナガトがこちらを覗き込んでくる。

 運転に集中した方がいいのではないだろうかと思いながら、私は言葉を繋ぐ。

 

「政治に否応なく巻き込まれる家柄を持ち、国軍という巨大な組織の階級章を預かり……そして紳士たろうとする。それが私の夫です」

 

 私の言葉に、ナガトは何も返してこない。

 彼女は私の言わんとすることが分からないのだろうか。

 

 そう考えて、私自身も彼女を理解できていないのだと思い直す。

 

 結局ヒトは、言語という曖昧模糊な道具(ツール)を使わないと相互理解もままならない。

 

「家柄が彼の政治能力(たちまわり)を育てました。国軍が彼を愛国者に仕立て上げました。そして私が……いえ、(わたし)の存在が彼を主人にさせている」

「なるほど。立場がヒトを作るという話だな」

 

 ナガトの返事に遠からずもといった感触を覚えつつ私は続ける。

 彼女の価値観を理解できなかった私の説明は、さて彼女に理解されるだろうか。

 

「立場はいくらでも掛け持ちできます。ですが立場(それ)が相反するモノとなった時、どちらかを棄てることを選ばざるを得なくなる」

彼方(あちら)を立てれば此方(こちら)が立たない。その逆もまた然り、という訳か」

 

 それで、それが説得に応じないのとどう関係するんだとナガト。

 次に私が継ぐべき言葉は決まっていた。

 

 それでも喉にわずかにつかえたのは――――――気恥ずかしさ故、だろうか。

 

「私は、まだあのヒトに愛されていたい」

「ほう」

 

 分かったような分かっていないような相槌を打つナガト。構うことなく私は続ける。

 

「あのひとが、ダーリンが私のことを愛していてくれるのは、私が(わたし)だからなんです。国を裏切れとそそのかす相手を、あのひとはきっと伴侶(パートナー)とは見なさない」

「しかしそうなると、残念だが」

 

 あなたのご主人を排除しなくてはならないぞ。そう言葉の後ろに続けるナガト。

 

 それはその通り。

 あの人は退くことはないだろう。

 

 なにせ私の前ですら見栄を張るようなヒトだ、まさか国家の一大事に引き下がるなんて出来るハズがない。

 

「あの人は負けませんよ――――――勝つか、死ぬかです」

 

 

 本当に馬鹿なヒト。

 

 

戦争(ないせん)になるぞ」

「もうなっているではありませんか」

 

 

 それもそうか。

 

 

 

 

 

 

 ――――――なんて、ナガトは口が裂けても言わないだろう。

 

 彼らの認識ではまだ戦争にはなっていない。

 事実はともかく、戦争になってはいけないのだ。

 

 彼らもまた――――――私なんかを頼る程度に、追い詰められている。

 

「国が滅びることになる」

「私の祖国(クニ)ではありません。ましてそこは、夫のいない国です」

 

 そしてナガト(あなた)たちにとっての国は、吹き飛ばしても構わないほど軽いものなのか。

 

 指導者なきこの国が指導者を喪って得るものは大義名分だけ。もとより交渉の余地などない。それでも彼女たちは、どうも私の良心を信じているらしい。

 

「だが、娘さんにとっては祖国だろう」

「あの子なら生きていけます。私たちの娘ですから」

「それで娘さんは幸せになるのか?」

「……」

 

 であるからこそ、こうして相容れない双方が歩み寄るための交渉が続いている。

 

「子を引き合いに出すのなら……」

 

 そして許容線(ライン)を見極めるべく、私は一歩踏み出した。

 

「ナガト。貴女たちはどうして子供に未来(クニ)を残そうとは思わなかったのですか?」

 

 答えはなかった。

 そこにあるのは沈黙。

 

 言葉が消えた車内にはエンジンの独奏が満ち、等間隔に並んだ街灯が影を作っては消す。

 

「そう、だな」

 

 どれほど経っただろう。それとも、大した時間は経っていなかったのか。

 

 ナガトが私に刺すような視線を寄越す。いつの間にか自動車は減速、そのまま彼女は路肩へと車を滑り込ませる。

 車を止めた彼女は、ゆっくりと下腹部をさする。

 

子を残せたら(そうできたなら)、良かったのだがな」

「……」

 

 湧き上がりかけた感情を留める。

 

 ダメだ、同情してはいけない。

 今は生け花の教室で交わされる雑談のように、消費物(コンテンツ)としてこの話題を処理しなくては。

 

 そんな私の努力を嘲笑うかのように、ナガトは優しく微笑む。

 

「そんな悲しい顔をしないでくれ。夫人」

 

 そのまま彼女は、ゆっくりと語り始める。

 

「あなたは霊力再生という技術を知っているだろうか? 万物に宿る魂の履歴を呼び出すことで肉体を元の形へと『復元』する技術。かつては禁忌とされ、戦争の……いや、対処行動の初期には口伝(くでん)で僅かにその片鱗が残るのみだった」

 

 封印されていた術式を復活させたのは、絶対数の足りない特務神祇官(かんむす)を補うため。

 人類滅亡を前にしてなりふり構っていられなくなったのだとナガトは語る。

 

「いまや艦娘と霊力修復はセットで運用されるのが前提だ。再び体系化を果たした霊力再生は科学の枠内に捉えられ、修復液なんて名前で便利道具扱いもされている」

 

 ここまでなら、不気味ではあるが悪い話とはいえない。

 特務神祇官は化け物じみた存在になったが、お陰で人類滅亡という災厄からは少しだけ遠ざかることが出来た。

 

「第8護衛隊群は……私たちは実験体だった。ある者は味覚を、ある者は嗅覚を、視覚を……私たちは様々な代償を払いながら霊力回復を体系化していった」

 

 科学に犠牲はつきものだとナガトは言う。そこに横たわるのは、南洋(ミクロネシア)の傷跡。

 

()()()()()()()()()に頼らなければ、私たちは生き残ることすらままならなかったんだ。私は確かに(はら)を喪ったが、それでも命があるだけまだマシさ」

「では、コレは復讐ではないと」

 

 復讐? よほど意外だったのか、彼女は目を丸くしてみせる。

 

「違うさ、復讐をしたいなら深海棲艦を通してしまえばいい。そうすればこの国はすぐさま滅びる…………言っただろう、この国の非道を正す気などないのだと」

 

 彼女は、ミクロネシアの英雄は続ける。

 

「私は、私たちは欠片ほどの平和と希望が欲しかっただけなんだ。私が子を残せずに南洋(うみ)に散ったとしても、私の戦いを誰かが記憶していてくれれば構わない。私が生き恥を晒したとしても、それで平和が守られるなら構わない」

 

 だがどうだ。8護群(われわれ)の戦いに、彼らはどう報いた。ナガトはそう言う。

 

 私は知っている。ミクロネシア戦役の幕引きを。

 あの戦いが如何にして閉じられたか。

 ゆっくりと着実に崩壊していく奇妙な撤退戦が、どのように始まったのかを。

 

 

「第3分遣隊司令の、()()()()

「違う。()()()()()()

 

 

 

 


 

 

 

 

 なぜ「彼」は死ななければならなかったんだ。影が問う。

 

「そんなことを私に聞くな……というのは、今さらか」

「認めるんだな」

「『国家の中の国家』は避けねばならなかった。南洋のために日本が滅びるのは、是が非でも避けねばならなかった。最善を尽くしたという言い訳くらいはさせてくれ」

「哨戒艦隊が何をしたっていうんだ。国を護るための英雄たちが何をしたと」

 

 怒気を孕んだ影の声に、飯田は不思議なほど落ち着いた声で返す。

 

「大きくなりすぎた。そして現に今、諸君らは大迫先輩の懸念を体現している」

 

 だから私は、諸君らには従えないのだと、まるで被害者のように飯田は言う。

 

「交渉の余地はないんだ。私は、我々は諸君らを犯罪者としか定義できないんだよ」

「しかしお前は恭順するよ、飯田。そうだな――――奥さんは元気にしているか?」

 

 影の言葉に、飯田コウスケは、本人としては最大限の努力で表情を取り繕った。

 取り繕えたかは別の問題として、彼は取り繕わなければいけなかった。

 

「……止めておけ。私にその一線(ルビコン川)を越えさせるな」

「美人だよな。まだ全然()()する。歳の差はいくつだったか? このロリコン野郎と思ったよ、あの頃の俺たちは若かった……涙が出るくらいに若かった」

「アイツは関係ないだろう」

「声は正直だな、震えてるぞ。お前に選択肢はないんだ」

 

 押し黙った飯田に対し、影が嗤った。それは恐らく、飯田の見た幻影。

 

 

 体制を取るか妻を取るか。

 

 

 彼の価値判断基準のギリギリを突いたこの「脅し」は、確かに目の前の影が発案したのだろう。

 その影は飯田コウスケという男のことをよく知っているのは間違いないし、そうでなくとも男は国よりも女を取るものである。

 

「私を脅すなら、せめてキチンと国家を人質にしてくれ。もはや国防は艦娘抜きに成り立たない。それなのにキミは、わざわざ私の妻を人質にするのか?」

「抜かせ、艦娘ナシの国防計画はお前の至上命題だ。艦娘を排除したら、お前らにとっての春が来ることは分かりきっているんだよ」

「……私を排除したとして、お前らの行いが正義となるわけじゃないぞ」

 

 声は震え、銃口を突きつけられていても、なお飯田は体面を保とうとしていた。

 

「正義だと? では大迫は正義を為したのか?」

 

 影が口にした名前は、大迫海上幕僚長を意味する。

 この日本列島に覆い被さる邪悪に違いない存在により、いの一番に消された男の名前。

 

「ヤツは、哨戒艦隊(かんむす)にミクロネシア戦役の責任を全てなすりつた。笑顔で国のためと死んでいったアイツらに俺はなんて言えばいい? 俺を生かすために逝ってしまった、俺より生きているべきヤツらが死んだんだぞ」

 

 感情を乗せて続ける影に、驚いたように眼を開く飯田コウスケ。

 

「ミクロネシア戦役絡みの事情は、お前だって知っているだろうに」

「あの馬鹿に背負わされたんだよ。物言わぬ屍の代弁者が必要なんだ。そうでなければ……彼らはあまりにも、報われない」

 

 お国のためと頑張った、青春も夢も、家族も、大切なモン全部放り出して戦った。

 

 それが――――大切なモノを守ることになると信じたから。

 だが結果はどうだ。

 

 言葉尻に怒りが浮かぶのは、彼もまた被害者の一員だから。

 

「国は裏切った。メディアも、国民も。アイツらは敗戦の責任を死者にまで押しつける人間のために戦ったのか? なぜ生きている我々を糾弾しない」

 

 だからな、俺は罪を償うことにしたんだと影は言う。

 その贖罪(つぐない)の邪魔をするなと。

 

「お前はよくやったよ。だが及ばなかった」

 

 情けをかけるように影が言う。

 信じられないほど杜撰な計画、誰が実行犯かなんて少し考えれば分かる。それでも成功しているのは、ひとえに深海棲艦(じっこうはん)が強いから。

 

「俺は止まれない。止まれば、アイツらを裏切ることになるからな」

 

 影の言葉に飯田は観念したようになって――――――ついに両手を揚げた。

 

「よし、分かった……分かり合えないことは理解した。条件を聞こう」

「なにもするな。なにもしないで居てくれれば、それでいい」

 

 拳銃を上下に振り、従うように促す影。抵抗の手段を持たない男はそのまま膝を折り、彼の拘束を――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――受け入れなかった。

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 膝を付くと見せかけての前傾姿勢、そこから全身をバネにするようにして丸腰の男が飛び出す。影は反射で発砲、放たれた同士討ちの弾丸は飯田の右足を貫く。

 それは脚を止めるに足る打撃であったが、身体は勢いそのままに影に飛びついた。

 

「貴様ぁッ!」

 

 往生際の悪い、そんな悪態を吐く間もなく間合いに飛び込まれた影は拳銃の底を脳天目掛けて振り落とす。

 僅かに首を逸らして頭側部への打撲に抑えた飯田はそのまま影に組み付き、逆に首を振り上げて影の顎へと強烈な打撃を打ち込む。

 

 もんどり打って、それでも受け身は取りながら影は転がる。手の感覚は自身がまだ拳銃を握っていることを伝えてくる。問題の丸腰男はバランスを取ることも出来ずに倒れ込んだ。主導権はまだこちらにあると確信した、その時。

 

「動くな!」

 

 叫んだのは、影でなければ飯田でもない。

 裁定者なき二人の間に割って入るのは、この国において裁定者の役割を果たす「法治国家」というシステムの一端。

 

 その無遠慮な懐中電灯が、影を暴く。

 

 

「兵庫県警だ!」

 

 

 いつテロの標的となるか分からない空港には駐在の警官が配置されている――が、乱闘を聞きつけて駆けつけたにしては早すぎる到来。

 

「膝を付け! 武器を降ろして手を頭の後ろにおきなさい!」

 

 しかし主導権はもはや影には存在しない。

 拳銃を置き、膝を折り曲げる。体重を支え慣れていない膝が僅かな痛みを訴えるのを無視して手をうなじのあたりに添える。警官の足音がいくつも近づいてくる。

 

 目の前に倒れていた男が腕だけで上体を起こしたのは、その時。

 

「錯乱した同僚を止めるためのやむを得ない発砲。そう説明するといい」

「なんだと……飯田、お前まさか……!」

 

 影は思った。嵌められたと。影を取り囲んだ警官達が、その疑いを確信に変える。

 

「武器対……? なんで神戸空港(ここ)に武器対がいる。ッ!」

「銃刀法違反および傷害罪の現行犯で逮捕する」

 

 拘束にかかった警官は、ただの駐在のそれではなかった。

 

 分厚い防弾チョッキに身体中にくまなく張り巡らされた防護装備、数も明らかに多い。機動隊の銃器対策部隊――――()()()()()()()()()()()()()()()()()専門部隊。

 

「おい、飯田。お前まさか、最初から!」

「喋るな、いくぞ」

 

 無理矢理に大地から引き剥がし、連れ去ろうとする警官隊。

 

 抵抗する影を横目で見る2等海佐は、少しだけ――右脚の痛みにより少しばかり歪んでいたが――口角をつり上げてみせる。彼は確かに、笑っていた。

 

「……どうして、私を()()()()()思ったんだ?」

 

 彼は右足を庇うようにして起き上がる。

 警官の肩を掴むようにして立ち上がる。

 

「殺したんだろ。もう何人も、何十人も見殺しにしたんだろ」

 

 宵闇に溶けた藍色の統幕監部制服に赤黒い染みが広がり、地面へと流れていく。

 

「私も殺せば早かったじゃないか。それとも本当に、大迫先輩たちが死んで当然と思っているのか?」

 

 その問いに影は答えない。そのまま彼は俯いて、一切の抵抗をやめる。

 

「どうして、大迫先輩の時は止めてくれなかったんだ」

 

 影は答えない。答えられない。

 

「おい、答えろよ。なんでこんなことしたんだ」

 

 問いかけは虚空に消える。

 

「こんなことをしてどうなるか、分からないお前じゃなかっただろ。なぁ、どうしてだ。どうしてなんだ」

 

 影が口も開かないのを見て、警官たちは影を連れていく。

 残された飯田に、警官隊の指揮官が駆け寄ってきた。

 

「ご無事でなによりです」

「無事なものか。撃たれたんだぞ、すごく痛い」

 

 そう言いながらがくりと尻餅をつく飯田。思い出したように痛い痛いと繰り返す彼の脚に止血帯が巻かれる中、指揮官はそっと飯田の耳元でささやいた。

 

「水上警察署より、昼間に市街地で発砲した阪神防備隊の出航が確認されました。行き先は分かりませんが……」

「交渉の決裂は向こうにとっては想定の範囲内だ、当然次の手を打ってくる」

 

 それよりありがとう、おとり捜査同然の逮捕劇に付き合ってくれて。

 そう飯田が返すと、警務隊も信用できないのですかと警官は渋い顔。

 

「軍はミクロネシアに肩入れしすぎたんだ」

 

 笑ってくれと飯田は言う。

 

「誰も信じられないのではなく、誰も引き返せないというのが正しい。だが疑心暗鬼は我々の最大の長所を潰す」

 

 だから頼んだぞ。

 

 警官は小さく頷くと、現行犯逮捕された人物の護送を指揮するべく展望デッキを出て行く。

 それに入れ替わるように入ってきたのは、小さな影ともう一つ。

 

 見慣れた影が入口で歩調を落とすのに対して、小さな影は歩幅を広げると駆け足のような調子で迫る。

 そしてそのまま、飯田の前に立ちはだかった。

 座り込んだ彼を見下ろす格好であれば、多少の身長差は関係ない。

 

「話は聞かせてもらったで。アンタ、なんなんや」

「……飯田コウスケ、日本国国防か「そんなこと聞いとるわけやない!」

 

 小さい彼女が飯田の胸ぐらを掴んだ。厚手の制服が握りしめられて、その余波で締められたシャツの襟が彼の首元を圧迫する。

 早くも息を荒げた彼女に、後ろから諫めるような声が届く。

 

「リョーコちゃん」

「ハルハルは黙っとき。これはウチとこの馬鹿の問題や」

 

 それだけ後ろに返して、小柄な特務神祇官は飯田を睨んだ。

 

「なぁ運用部長代理サン。アンタさっき奴さんにこう言うたよな? 錯乱した同僚に向けて銃を撃っただけやって、本気でそう思うとるんか?」

「私が自殺未遂をしたのは事実だ」

「そうやって庇うんか。奴さんがぎょーさんヒト殺したんやろ?」

「それは私の()()であって、事実ではない」

英国の使者(あのかんむす)は国外退去作戦を行うって言っとったで。要するに、英国はこの国が騒乱状態に陥ったものと見なしてる。違うか?」

「英国がこの事態をどのように解釈しているかは把握していないが、国防軍は事態をコントロールしていると認識している」

 

「それは統合幕僚監部の人間としての意見やな?」

 

「そうだ」

 

 その言葉を聞いた小柄な艦娘は、運用部長代理に半歩寄る。

 

「せやったら、アンタ。奥さんを英国に逃がすべきやなかったな」

 

 答えはない。

 

「家族最後――――家族の命よりも重たいものがある。それが公務員(ぐんじん)やろ」

 

 違うか。問い詰めた艦娘に、部長代理はどこ吹く風を装って。

 締められつつある詰問への返答としてはやけに流暢な日本語で告げる。

 

 それはまるで、どこかの議事堂で流れる答弁のよう。

 

「なにか勘違いしているようだが。私は妻の件に関しては関知していない。そもそも彼女は日本に帰化している。よって英国の国外退去作戦の対象とは……」

「じゃあなんでアレを逮捕させるために警官隊なんて用意したんや」

「リョーコちゃん。そのくらいに」

 

 再び口を挟んだ女性。飯田の実妹(かぞく)でもある人間の横槍に、小柄な艦娘は睨みをもって応じる。しかし彼女は怯むことすらなく続けた。

 

「私が警官隊を呼びました。相手が神戸空港に網を張ることは分かってましたから」

 

 まあまさか、こっちを逮捕することになるとは思いませんでしたが。そう涼しい顔で告げる彼女に、小柄な艦娘の何かが、切れた。

 

「――――――あぁぁッ、あんたらホントになんなんや!」

 

 艦娘が叫んだ、金切り声をあげた。

 

「ほっっっんとに、ふざけんなよ。理屈こねれば何でも大丈夫やと思っとるのか?」

 

「落ち着きたまえ、槇島3曹」

「あぁ? なんで初対面のアンタがウチの名前を知っとるんや。アレか? ウチもアンタの練り上げた理屈の中に組み込まれとんのか? ヒトを駒みたいにして盤上駆けずり回らせて、アンタは高見の見物ってか? ふざけんな!」

「リョーコちゃん落ち着いて。一応そのヒト、撃たれてますから」

「アホかハルハル、普通は銃を向けられた状態から丸腰で突っ込むのは考えナシか自殺志願者っていうんや。けどコイツはそうやない……()()()()()ってわかっとったんやろ。撃たれても精々が脚か腕、死ぬには至らないって。わかっとったんやろ?」

「あの男は、防衛大学の同期だった。彼のことはよく知っている。それだけだ」

「なら、下手クソな芝居打って言い逃れの余地を作ったんは()()だからか、あん?」

 

 沈黙は肯定。やがて耐えかねるように小柄な艦娘は叫ぶ。

 

「誰を庇いたくてそんな屁理屈並べるんや! これはクーデター、内戦なんやろ!」

 

 その言葉を否定をする人間はここにはいない。政治家や軍上層部の人間が狙われて殺されている。今しがたひとつの旗を守る筈の国防軍人が同胞に銃を向けた。

 

 だからもう、認めざるを得ないのだ。

 

 この国は、内戦状態に片足を――――ともすれば腰まで――――突っ込んでしまっていると。

 

 そして小柄な艦娘から見れば、それをこの場にいる誰もが否定しようとしている。

 否定する言葉など、持ち合わせてなどいないというのに。

 

「ウチは陸自の出身で、しかも兵卒あがりや。だから幹部サマ方の駆け引きや身内意識は知らん! けどな、アンタら上層部(エリート)のゴタゴタを引き受けるのはウチら下っ端なんやで。訳も分からず前線に出されて目の前の敵撃てと言われて! 戦闘が終わってから相手が同じ人間、おんなじクニの同胞(ニンゲン)やったと知らされる!」

 

 その狂気(きもち)が分かるかと、小柄な艦娘は再び、力任せに幹部国防軍人の襟元を掴む。

 

「アンタは脚を撃たれた。痛かったやろ。こうやって首締められたら苦しいやろ?」

 

 ウチにもな、同じ赤い血ィ流れてるし首締められたら死んでしまうんよ。

 チビどもにも、アンタを撃ったアイツにも、アンタの嫁さんにだって!

 

「分かっている。だからこそ今は被害を最小限に」

「それが出来とらんからこうしてウチは怒鳴ってるんや」

 

 すとん、と小柄な艦娘の声が落ちる。

 

「あんたの嫁さん、死ぬで」

「大丈夫だ。彼女には英国の……」

 

 返事を遮るように歴戦の艦娘は告げる。それはあまりに冷たい宣告。

 

「英国の艦娘さん、アンタが思ってるほど強くないで?」

「……」

「英国政府が直々にお出迎えするくらいや。アンタの嫁さんがただの外人さんやないことは分かる。けどな、艦娘ってのは艦隊を組んで初めて戦えるようになるんや」

 

 そんなことは知っているとばかりに小柄な艦娘を睨み返す飯田2佐。溶かした鉛のように重く粘つく沈黙の後――――――あまりにも長く逡巡した後に、彼は口を開く。

 

「あぁ…………そうだな」

 

 許して欲しいとは、思っていないよ。

 

 


 

 

 いったい、どれほどの沈黙が流れただろう。

 

 路肩に止められた自動車の中で空気を共有するだけとなった二人の関係は、ナガトの一言によって終わりを告げる。

 

「時間だ」

 

 何の時間かは分からない。

 

 しかしそれが、愛する人が制限時間を使い果たしたのだということは分かった。

 

 

 ならば私は、せめて誇らしげに言うことにしよう。

 

 

 あなたは常に誇り高くあろうとした。

 隙をみせず、弱みをみせず。

 安息の地など何処にもない草食動物のように、誇り高くあろうとした。

 

 

 馬鹿なヒト、本当に馬鹿なヒト。

 

 

 そんな馬鹿なあなたを選んだ私は、きっと大馬鹿者。

 

 ならせめて、私も手伝ってあげようではないか。

 大見栄っ張りのハリボテを、少しでもそれらしく装飾してみせようではないか。

 

 笑え。不細工に歯を唇のスキマから覗かせて、勝ち鬨を挙げてみせろ。

 あのヒトは――――私のために、泣いてくれるハズだから。

 

 

 

「ダーリンの勝ち、デース」

 



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第48話 本当のことを言います

 それはもう、10年以上昔のの出来事。

 

 

『備蓄放出を行う方針であり、国民の皆様におかれましてはどうか冷静な――――――』

 

 その日のテレビは、ただ単調に事実を垂れ流していた。

 

慣れた言語(ことば)の筈なのに――――もしくは慣れてしまったからこそ――――その単調さに苛立ちを覚えずにはいられない。

 

 けれどもその液晶に釘付けになった少女の背中を見ていると、どうしても電源を落としてしまおうとは思えなかった。

 

「ねえ、お母さん。買い物にいこうよ」

 

 記者会見が終わるのと同時に、少女は飛び退くように私の方を振り返る。

 その表情には隠しようのない不安が宿っており、分からないなりにも世界が大変なことになったのだと理解している節すらある。

 大丈夫と諭す私に、少女――――私とあのヒトの、大切な娘――――は鬼気迫った調子で言う。

 

「ダメだよ! センセイが言ってたもん、政府は落ち着け~ってみんなに言ったけれど、結局誰も言うことを聞かなかったって! 言うこと聞いても損するだけだよ!」

 

 さて、どう説得したものか。

 思案を巡らせる私に、携帯が着信を報せたのはそんな時。丁度良かったとばかりに私は飛びついた。

 

 そして画面には――――――飯田コウスケ、予想通りの名前が表示されている。

 

「お父さんから、ちょっと待っててネ……もしもし(speaking)?」

『家に居るな。ノゾミは』

「すぐ側に居マス」

 

 ちらりと視線をやれば、固唾を飲んで見守る娘の姿。

 電話の向こうのあなたはそれを知って知らず――――――あの一言を吐いた。

 

『よし。羽田空港は既にパンクしている。ノゾミを連れて横田基地に向かえ』

 

 私は知っていた。その一言に込められてしまった意味を。

 

『話はこちらから通しておく、いくら米国でも旧宗主国を無下にすることはしないだろう。とにかく今は――――――』

 

 私たちは知っていたではないか。この世界がこれからどうなってしまうのか。

 各国の懸命な報道規制が限界に達していたことも。

 既に軍が致命的な敗北を喫した後だということも。

 絶滅の危機を前に、市民がどんな行動に出るかも。

 それをどうして、この期に及んで。そんなことを言うのか。

 

『家族最後の原則から外れるのは分かっている。だがキミは、キミの命はキミだけのものじゃない。言っている意味は分かるな?』

「ネェ、私の大好きな人(マイダーリン)

 

 哀しい人。己に矛盾を課せないヒト。

 薄っぺらな建前に泥が付くのを嫌い、家族を事前に避難させられないヒト。

 

「私は、アナタのことが好きデス」

『……知ってるよ、私も愛してる。だからキミは、生きてくれ』

 

 

 あなたは本当は。

 

 ――――――私をこの国から、追い出したかったのではないですか?

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本の警察は仕事が早い。

 

 

 それをこの身をもって知ることになるとは、まさか思っていなかった。

 

「飯田ヒカリさんですね?」

 

 首を縦に振って応じる私に、無線機への連絡をもって応じる警官たち。

 

 もちろん、これは単に日本の警察が優秀という話ではない。

 私の鞄に仕込んであるGPS発信器がキチンと仕事を果たさなければ彼らは人海戦術に頼ることになっただろうし――――もちろん、こんな状況でも人海戦術を展開できること自体が警察の優秀さを示しているのだけれど――――ナガトが私を交渉相手ではなく人質として認識していた場合には警察は手も足も出なかったことだろう。

 

 運がよかった。

 けれどそれには事前準備と訓練の裏付けがある。

 

 まさに「人事を尽くして天命を待つ」。

 この国の格言通りに私の保護は成功裏に終わったのである。眼を刺すような警戒灯(パトライト)の光から解放され、私は仄暗いシートに腰を下ろした。

 

「お水を頂けマスカー?」

 

 そう要求すれば、すぐさま差し出されるペットボトル。

 それを受け取った先には、コウベ空港で別れたはずの顔があった。

 

「2時間ぶりくらいやな。元気にしとったか、外人さん」

「……警察の方、だったのデスカ?」

「んなわけないやろ。艦娘と戦うには艦娘って相場がきまっとるんや」

 

 それは私を迎えに来たのがアークロイヤルであったのと同じ理屈。この小柄な艦娘といい祖国といい、誰もが示し合わせたように同じ事を言っている。

 

 それは彼らが、まったく同じ土俵で戦っていることを示していた。

 

「……」

 

 しばしの沈黙。

 おそらく隣に座る彼女は何も言うつもりがないのだろう。私は確かめなくてはならないことを知るために口を開く。

 

「あの人は――――――飯田コウスケ2等海佐は無事ですか」

「無事やで。()()()の陣頭指揮を取るために今は伊丹や」

 

 そうですか。私の返事はキチンと彼女に届いただろうか。

 

「なぁ。これは()()小市民としてのお節介やけどな? 外人さんは、もっとしっかり旦那さんに言いたいこと、言った方がええと思うで」

 

 その言葉に私は何も返さない。今回ばかりは返さずにいられたことを褒めて欲しいと思ってしまった。私の大好きなヒトは、まだ戦っている。あの人に泥が塗られるのは、戦いが全て終わってからでも遅くはないのだから。

 

「……すまんかったな。忘れてくれ」

 

 絞り出すように言った彼女の言葉を合図に、遠くから空を押しつぶすような圧迫音が聞こえてくる。それはおそらく私を迎えに来たのであろう、ヘリコプターの音。

「いいんです」

 私の名前は飯田ヒカリ――――飯田コウスケの妻、なのだから。

 

 

 

 深海棲艦による襲撃が発生してから3日目の朝。

 

 

 深海棲艦の足取りを掴むことも襲撃を防ぐこともままならなかった国防軍であったが、ここに来てようやく体勢を整え反撃の狼煙が上がることになった。

 

 

 ただし、少々変則的な形で。

 

 

『信じられません。正面ゲートの前に次々と警察車両が到着しています!』

 

 興奮気味なレポーターの声が備え付けのテレビから聞こえる。

 

 液晶に映し出された中継映像は横須賀市街、かつては米国の空母も碇を降ろしたという巨大基地の正面ゲート前には、誰もが目を疑うであろう光景が広がっている。

 

『ただいま到着したのは機動隊でしょうか? 盾をもった機動隊たちがゲート前に並んでゆきます。これは、とんでもないことになってしまいました!』

 

 画面の中で包囲されつつあるのは国防海軍横須賀基地の元町地区――――――米軍基地をそのまま流用した艦娘特化の基地。

 艦娘部隊の総司令部と呼んでも間違いない哨戒艦隊司令部が置かれている場所。

 

『神奈川県警の発表によりますと、これは先日より続く一連の襲撃事件について、事情聴取のため哨戒艦隊司令官を含む27名への任意同行を求めたところ、これを拒否されたためのやむを得ない処置としており……』

「見事な言い掛かりですね」

 

 まくしたてるように続けるレポーターの声を遮るように言ったのは義妹。

 いつの間にやら買い物から戻った彼女は机の上にレジ袋を置く。

 

「27名なんて大人数に出頭命令を出したら、そりゃあ海軍だってはいそうですかとはいきませんよ。無理難題を出して従わなければ黒塗りで逮捕……警察らしいです」

 

 テレビの中では現実離れした状況が次々と映し出されていく。

 

 ゲートに来ていただけだったのが、次第に基地を全部取り囲むように並べられていく警察車両と警官隊。

 空には報道ヘリが飛び交い、そこからもたらされる映像は基地内の様子を……海軍も警備隊を動員してゲートを内側から封鎖していることを教えてくれる。

 

「まるで内戦です。あ、もう内戦でしたか」

「ハルナ」

 

 不謹慎な発言に躊躇のない義妹をたしなめつつ、彼女の言葉に賛成している自分がいる。

 

 事態は表に出てしまった。もう両陣営共に後戻りは出来ない。

 ポツリと義妹が呟いたのは、そんな時だった。

 

「お兄様は、どうでしたか」

「会っていないのデスカ?」

 

 まさか。こんな状況で会えるしかないでしょうと義妹。

 その言葉に自分は特別なのだと――――――少し安心していることを自覚して、気分が沈む。

 

「元気デシタ。疲れてはいたみたいデスケド」

 

 思い出されるのは昨晩の――――――真夜中の伊丹(いたみ)駐屯地でのこと。

 

 凍り付くような寒さと、思い切り抱きしめられた事は覚えている。

 応える本能と伝わる熱に反して、どこまでも冷えてゆくような感覚。

 

「あのひとは、まだ戦っているのデス」

 

 そうだ。認めよう。

 私は本当は、あの人に選んで欲しかった。

 国か自分かを迫られたあの人には、間髪入れずに自分を選んで欲しかった。

 

 選びようのない問いだということも、それを選ばせること自体が残酷だということも承知している。

 けれどそれはそれとして、やっぱり選んで欲しかった。

 

 私のことが欲しいのだと。

 私のことが何事よりも優先するのだと。

 

 そう、証明して欲しかった。

 

「私は、あのひとを応援することしか出来マセン」

 

 確証が欲しかった。

 あの人は私のことを求めてくれる。

 大切にもしてくれる。

 

 それでも、あの日の声色が、表情が、脳裏に浮かんでは消えてくれない。

 

 私は知っている。

 書斎机の引き出しに収められた封筒を。

 他には埃の一つだって入っていない寂しげな引き出しに収まった封筒が意味することを。

 

 私は知っている。

 あの人の私服の少なさを。

 あの人は私に服を買ってくれるけれど、自分で服を買おうとはしないことを。

 

 私は知っている。

 あの人が好きな花を。

 活けると微妙な顔をする植物を。

 興味を示さない料理と表情に浮かぶくらいに好きな献立を。

 

 そして私は知らないのだ。

 

 あの人が必要に駆られたのではなく自ら好んで買った服を。

 お気に入りのゴルフクラブを。

 麻雀の戦績を。

 

 全部知る必要がないのはその通り。

 それ以外のことを知っているのも事実。

 

 だけれどそれは、私が「知っている」だけ。

 

 あなたが私を好いてくれる証拠にはならない。

 

「お兄様と、話せましたか?」

「……話せては、いないデスネ」

 

 無事で良かった。

 怪我はないか。

 

 あくまで私という一個体の状態を確認するための事務的な会話。

 それはまるで私を見ていないかのようで。

 

 だから思ってしまうのだ。あの人はあそこが「伊丹駐屯地」だったから私を抱きしめたのではないかと。

 周りの目を気にせず、ではなく――――――周りの眼が()()()()()()()、抱きしめざるを得なかったのではないかと。

 

 あの人は必要なら何でもするヒトだということは、私が一番良く知っている。

 ゴルフも麻雀も付き合いで、だからこそ徹底的にやりこむ。娘はお父さんはゴルフ好きだねーなんて言うけれど、アレが好きでやっているという証拠は何処にもない。

 

 そして同様に――――――あの人が私を、好いてくれている証拠もない。

 

「でも、それで良かったのデス。あの人は最後には私の所に戻ってきてくれる。それはなによりの証明になりマス。だから私は……でも!」

「不安、なのですね」

 

 思わず語気を強めてしまった私に、平然と返す義妹。その冷静さが憎らしい。

 まるであの人のようで、私の持っていないものを義妹だけが手に入れているようで。

 

「あの夜からずっと、あの人がもう帰ってこないような気がするのです」

 

 まさに豹変という言葉が相応しい、あの夜のあの人の眼。私に断固たる命令を突きつける異質な声。

 

 それがあの人の本性なのだろうか。

 

 それともあの人は、それが仕事に必要だから演じているのだろうか。

 

 私は知っている。

 あの人は見栄張りだけれど、その見栄の裏にはちゃんとあの人がいる。

 何物でもない誰かになろうとしているのではなくて、あの人が憧れる自分になろうとしている。

 

 それは強い軍人であり、優しい夫であり、厳しい父であり……そして、どうしようもなく家族のことが好きな、何処にでも居るひとりの市民。

 

 だからもし、あの人があの夜を――――仕事に必要な仮初めの本性を――――ずっと「演じている」のなら。

 それはあの人にとってあんまりに残酷なことだと、そう思う。

 

 だからこそ私は選んで欲しかった。

 この国ではなく、私を。家族のことを。

 

「話した方がいいですよ。お兄様と、ちゃんと」

「彼女にもそう言われましたよ。ええと……」

「リョーコちゃんですか?」

 

 私は頷く。小柄な彼女と同じ忠告をする義妹は、ゆっくり言葉を紡いでゆく。

 

「私は、正直なところお義姉様ほど夫に執着はないんです。籍をいれても他人は他人、腹を痛めて産んだ子供ですら、最後には他人になってしまうんですからね」

 

 ただ、家族という枠組みは信じますよと彼女は続ける。その枠組みは、きっと義妹と血を分けるあの人にも適用されるものなのだろう。

 

「家族は家族です。それ以上でもそれ以下でもありません。であるからこそ、血で定められる貴賤も存在しないのです」

 

 その言葉の意味を、果たして私は理解できるのだろうか。私にとっての一族とは文字通りの血族であった。

 樹木のように枝分かれした樹形図の一部分。私が子を産んだのだって、その木が成長するための単純機械のような行為であって……単純機械?

 

「……私は、あの人を好いていないかもしれません」

「なんでそうなるんです?」

 

 訳が分からないという顔をした義妹に、私は胸の内を明かしていく。それは繋がってしまうとあまりに残酷な、私の本性(かちかん)

 

「私は、あの人のことが好きだと思っていました。好きだから子をなしたいと、そう考えていました……でも、それは本当に『そう』なのでしょうか?」

 

 子を残すことは責務だった。この国に嫁ぐことも、あの人と……結ばれることも。

 

「あの人は何にでも応えてくれました。私のワガママに、それこそ何でも付き合ってくれました。あの人はずっと、私のために()()()()()()()()()()()()。では私は、いったい彼のどこを好きになったのでしょうか」

 

 私は知っている。

 あの人が私のために作り上げてくれたものを。

 それは立ち振る舞いであり言動であり――――――もしそれがあの人の本性ではなく「演じている」ものだとすれば、それはなんと残酷なことだろう。

 

「私はあの人を好きになったつもりでいました。でもそれは私が求めるものをあの人が揃えてくれたからで。あの人が私の要望に応えてくれているだけだとしたら?」

 

 どうしてこんなことを、私は他人同然の義妹に聞いているのだろう。

 冷静さをまだ保っているらしい私の一部分がそんなことを問うてくる。

 

 私の大部分はそれにこう答えるだろう。簡単なこと、否定して欲しいのだと。

 

 そして義妹は――――ずっと前から知っていたけれど――――トコトン性格が悪かった。

 

 

「お兄様はバカですね。この程度も取り繕えませんでしたか」

 

「ダーリンのことを悪く言わないでクダサイッ!」

「悪く言いますよ。お義姉様(あなた)は我が国と英国の関係を取り持つために来日されたのでしょう? にも関わらず国難の危機に瀕したこの期に及んで『好きか?』『好きでないか?』? 巫山戯(ふざけ)るのも大概にしてください。一億の命が懸かっているんです」

「デモっ、それは……!」

 

 それはもう、錆び付いてしまった使命じゃないか。

 深海棲艦が現れて、人類は協調を余儀なくされた。

 海を支配することで発展してきた祖国の海が閉ざされた。

 

 手をこまねいているうちに大陸はその力を蓄え、強大にすることだろう。

 

 彼の国々を叩く機会(チヤンス)は、そのために用意された私は。全部無駄になってしまった。

 

 

 だからあなたは――――――私をこの国から追い出そう(かえしてあげよう)とした。

 

 

「そうですよ。私はこの国のことが嫌いです。ジメジメして暑いし、冬は乾燥しすぎて寒いし、よそ者に冷たいし、料理は……」

「……」

「…………とにかく! それでも私は帰りたくなかったんデス!」

「答え、出てるじゃないですか」

 

 否定したかった。

 私が言いたいのはそういうことではないのだと言いたかった。

 

 では、私がいいたいのは「どういうこと」なのだろう。

 

 伝えることが見つからない私に、義妹は続ける。

 

「いいですか。人間一人が国家を、まして人類を救うなどというのはどだい無理な話なのです。お義姉様は我が国も英国も救えません」

「やってみなくちゃ……分からないじゃないデスカ……!」

「それで、()()()()()()()()()()()? 三日間であなたは勝利に近づけましたか?」

 

 言われるまでもない。

 私は何一つ出来なかった。

 

 何も出来ず、ただ流されるままに。

 抗いはしたけれど、過程が結果に勝ることはあり得ない。

 

「それでいいんですよ、お義姉様。そんな大層なことを考える必要はないのです」

「でもそれでは、私はあの人の求める私になれない。国のことを考えるあの人の隣に……」

 

 夫婦というのは契約だ。

 少なくともあの人は、そうであるべきと考えている。

 夫婦という関係を構築するにあたってあの人が私に何も求めないわけではなかったのだ。

 

 例えば日本語を覚えること。

 例えばあの人よりも先に起きること。

 

 新聞にアイロンをかけたり、朝食の支度をすること。お弁当を作ること。家を清潔に保つこと――――は、お手伝いさんに頼むこともあったけれど――――とにかくそういう諸々のこと。

 

 それらに一貫しているのは「良き妻」であることだった。

 だから私だって――――被害者ぶるつもりは毛頭ないけれど――――演じてきたのである。

 

 どっちも演じていた。

 どちらも演じているから、そう簡単には引き返せない。

 

 こちらが退けばあちらが立たず、あちらが退けばこちらが立たない。

 

「そうデス、これはメンツの問題です。嗤ってくだサイ」

 

 そう言えば、義妹はきょとんとした顔。

 

 それから表情をいくつか変え、最後には奇妙な――――――何が分からないのか分かったような表情へ辿り着く。

 

「……えぇと。よく分かりませんが、今回の件というのは例の政府と反体制派の?」

「そうですケド」

「…………メンツが関わるのは組織同士の話であって、個人間の話ではないような」

「……」

「ウソでしょう?」

 

 頭を抱えてうずくまる義妹。

 それからぐいんと上半身をバネのように戻すと、物凄い速さで携帯端末を取り出した。

 

「私です。えぇ、そうです。お兄様はどちらに……」

「チョ! ちょっと待ってくださいハルナ? 誰にかけてるんですか!」

 

 こんな、こんなぐちゃぐちゃの私なんてみせたくなかった。

 まだどうすればいいのかだって分かっていないのに。携帯を奪おうと動いた私を軽くいなした義妹は言う。

 

「お義姉様。いい加減にご自覚なさってください」

 

 

 

 あなたは今、恋をしているんですよ。

 

 

 

 義妹が投げた爆弾は、想像以上に大きくて。

 そしてどうしてか、信じられないほどに()()()()きた。

 

 最初は、どうだったのか分からない。

 途中までも、どうだったのかは分からない。

 

 それはきっと使命感とオトナになりきれない自分のワガママに折り合いをつけるための方便で。

 そうやって方便を強いるウチに出来上がっていった虚像――――――それこそ私が、今日までずっと気付かないほど精密にくみ上げられた虚構で。

 

 それがいつの間にか、ホンモノになっていたのだ。これはウソなんかじゃない。

 嗚呼、私はきっと。あのひとに、今でも今までも。

 

 強烈に、恋してるのだ。

 

 

「ああ御免なさいお父様。少しゴタついておりまして。それでお兄様は……え?」

 

 ところが、そこで義妹の顔色が変わる。まるで春が冬に逆戻りするような寒気が義妹の横顔に降りてゆく。

 

「……それで、場所は。教えて頂けない? お父様、残念ですがハルナは教えてくれとはいっていません。教えろと、そう言っているのです」

 

 極寒の地から直輸入したような寒気で端末の向こうを睨む義妹。

 いったい何が起きたというのか。それを問うまでもなく義妹は通話を終了すると私に言った。

 

「どうやらお兄様は、()()と話をつけに行ったようです」

 

 それが何を意味するかは言うまでもなかった。話をつけに行った? 一度は拒んだ彼らともう一度話をしに行くと?

 

 

 自暴自棄――――――。

 

 

 脳の日本語辞書が弾き出した予測を私はそれは違うと振り払う。

 ただ()()()だけだった私と違って、あの人はこの三日間を最大限に利用したはずだ。

 相手の研究、最悪に備えるための名目と権限……手札を全部揃えた上で、それでようやく交渉のテーブルにつくことを決意したはずだ。そうでなければ困る。

 

「でも、軍人が交渉をするなんて普通じゃない」

「そうですね、普通じゃない……ですが普通じゃないのが内戦です」

 

 これは恐らく「猶予」なんですよと義妹は言う。その横顔に浮かぶのは焦り。

 

「お義姉様も先ほどのニュースは見ましたよね?」

 

 それは哨戒艦隊司令部を取り囲んだ警察。軍隊に警察の矛先が向けられた光景。

 

「きっと政府は警察の手で解決する道を選んだのです。それが実行に移されれば国防軍はひとたまりもない。軍の不祥事は軍内部で処理しなければ、落とし前をつけなければならないと考えるのが普通です」

「だからって、なんでダーリンがそんなことをしなきゃいけないんですか!」

 

 あの人は、ただの。

 

 そう出掛かった言葉を呑み込む。

 馬鹿なことを言ってはいけない、政治家の息子、軍指導部に食い込む道が既定路線として固められ、それだけのお膳立てがされたうえで私と結婚した男が普通の人間であるハズがない……それが、あの人を苦しめている一番の原因だというのに。

 

「そういうことですよ。強力な人脈に政界とのコネ。しかも相手に脅迫の刃を突きつけられた張本人でもある……彼は向こうに重要人物とみなされている」

 

 交渉させるのに、これ以上の人選はないでしょう。義妹のいうことはもっともで、だからこそ私は納得できない。

 

「危険すぎます。そんなことしたら、ダーリンがどうなるか……」

「相手も常識の範囲で対応しますよ。彼を殺せば全面戦争です」

「常識なんて!」

 

 通用しない。少なくとも彼らは、躊躇いなく何十人もの命を奪っている。

 

「通用しなければ、叩き潰すまで」

 

 あくまで淡々と、数学の解を求めるように義妹は言う。その横顔には、先ほどまで見え隠れしていた迷いはなく――――――諦観にも似た、覚悟だけがあった。

 無力を識って、だからこそ立ち上がるような強さがあった。

 

 

 でも。

 

 

「……ヤ」

 

 その声は思考より先に漏れた。だってそれは、建前を取り払ったホンモノだから。

 

「イヤ、いや、イヤ……嫌です」

 

 せっかく気付いたのに。

 これから雲が晴れようとしているのに。

 

 ずっと昔から運命を呪ってきた。その運命に祝福とドロドロの愛情をぶつけて打ち消そうとしてきた。そんな泥沼みたいな私の人生に、やっと一筋のヒカリが差そうとしているのに。

 

「いやです……デモ」

 

 愛しい人(ダーリン)の覚悟を無駄にするのは、もっとイヤ。

 

「諦めてください」

 

 そんな私の内心を読み取ったかのように、義妹が告げる。

 

「これは、()()()()二者択一です。あなたはどちらかを選ばなければなりません」

「嫌デスッ!」

 

 そんな惨い選択があってたまるものか。

 片方を立てればもう片方が立たない。それが世界の常識だとして、同じだけ大事なものをどうして選べというのか。

 

 あなたを選んだ私を、あなたはきっと許さないだろう。

 あなたを見捨てた私を、私は許せないだろう。

 

 それなら私で完結する後者の方が優秀なのか?

 どうして私ばかりが我慢しなければならないのか?

 

 もう我慢はたくさんだ。

 

 でも私は、それ以上にあの人に……あなたに幸せでいて欲しい。

 でも私のいないあなたの幸せは、私が許せない。

 

 嗚呼、もう認めてやろうじゃないか。私はあなたのことが好きです。好きで好きで堪らなくて、この気持ちが本物かどうかはどうでもいいくらいに好きなんです。だってこれから、明日から本物にしてしまえばいいのだから。

 

 どうか恨んでください。私にその感情(ぞうお)を全部ぶつけてください。私はもう何も持っていないけれど、あなたを埋葬するくらいの敷地はありますから。

 

 

 ねぇ、知っていますか。

 

 

 私はずっと、ずっと。

 

 

 

 

 ――――――怒っているんですよ?

 

 



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第49話 「飢餓報告書2023」

 

 舞い散る桜が落ち着いた頃のことだった。

 

 北関東の某所――――――山を切り開いて作られたカントリークラブにて。

 チノパンにポロシャツというゴルフプレイヤーらしい軽装に身を包んだ二人は、整備され尽くした芝生の上にいた。

 深海棲艦がいかに海を席巻しようと、国家財政が火を噴こうとも、このような場所の風景だけは以前と変わらぬ振りをしている。そんな場所で大柄な男は口を開いた。

 

「自衛艦隊直轄部隊と言えば聞こえは良いが、つまらん閑職だよ。あそこは」

「先輩、そのように仰られなくても」

 

 

 飯田コウスケが口にしたその言葉に、閣下と呼ばれた男……大迫ヨシミツ海将は本当のことだと口端を歪める。

 

「幹部艦娘が直々に指揮を執る部隊と言えばまあ聞こえはいいが、肝心の幹部艦娘が極々一部の古参を除けば大学を卒業したばかりのヒヨッコ共だ。彼女らに国防の中枢を明け渡すのは、正直にいうと怖い」

「驚きました。先輩にも怖いものがあるのですね」

「飯田お前、私をなんだとおもってるんだ?」

 

 からかうように笑って見せる大迫。階級を抜きにした先輩後輩の関係といえど、10以上も離れてしまえば上下関係を意識しないことはない。

 だからこそ、あの日の私――――飯田コウスケ――――はいつも通りの接待という感覚であのラウンドに臨もうとしていたのではないだろうか。

 

 

「いやぁ~、ごめんなさい遅くなっちゃって!」

「お待たせしました」

 

 

 練習用グリーンに四回目のアプローチを成功させた頃、女性の声が飛んでくる。

 顔を上げれば、そこには飯田と大迫のように軽装に身を包んだ二人の女性がいた。一方は柔らかな、もう片方は事務的な冷たさを感じさせる声音。

 

「よし、改めて紹介しよう。彼女が城島1等海尉。それでこちらは……」

「掃海隊群より参りましたっ! 片桐アオイ1等海尉でーすっ!」

 

 まるで合コンだな。飯田はそんなことを思ってから、コンはコンでもコンパニオンかと飯田は思い直す。

 なにせ中年越えのオッサン2人に20代の可愛い女の子2人組。全員が海上自衛隊の幹部であるという事実を除くと、コンパニオンを侍らせた専務と課長あたりに見えてしまう。

 

 まるで華のような彼女たちはしかし――――――その身なりに反して身体は鍛え抜かれ、才ある者が見れば練り上げられた霊力が溢れんばかりに満ちていることが分かるだろう。

 

 特務神祇官。艤装と呼ばれる特殊な小型艇を戦力化させるための特技兵。単独で戦場に出なければならないという特殊性から特殊カリキュラムで幹部教育を施された彼女たちは「幹部艦娘」と呼ばれていた。

 

 

 

「――――それで、どうですか。掃海隊群の方は」

「そーですねぇ……正直にいうと、もうちょっと艦艇(フネ)が欲しいかなって」

 

 バンカーに嵌まった白球を掻き出そうと大迫が様々な角度から観察する間に、飯田は自然な風を装って彼女に聞く。この組み合わせをセッティングした先輩の意図は分からないが、最前線を転戦する掃海隊群の艦娘と話せるのは良い機会であった。

 

「戦力は問題ありません。ただ、ミクロネシア全域をカバーするには機動力が……」

 

日本には、艦娘を十二分に運用できる輸送艦がいない。いるにはいるが、多目的輸送艦と呼ぶべき<おおすみ>型はあちらこちらへ引っ張りだこというのが実情だった。

 

「やはり掃海隊群所属としただけでは、駄目ですか」

 

 片桐が何も返さないのを見て。そうだろうなと飯田はひとりごちる。輸送艦を保有する輸送隊を隷下に収める掃海隊群。そこに精鋭艦娘部隊を配置することで部隊の流動的(フレキシブル)な配置転換を可能にし機動防御を行う……絵に描いた餅でしかないことは分かっていた。

 

「それでも、悪い話ばかりではありませんよ? マーシャルの時みたいに部隊間での調整は必要ありませんし、同一指揮系統で完結した能力をもっていることの便利さを心底理解することが出来ました」

 

 

 ()()()()

 つまり、まだまだ便利にはほど遠いということ。

 

 

 改善に努めますよと極めて官僚的な答えに留めた飯田は、ようやく芝生の上へと躍り出た大迫の白球を目で追うことにする。

 

 するとその白球の向こう。バンカーの縁に立っていた筈の女性がこちらへと歩み寄ってくる。あちらは確か、城島1尉だったか。

 

 彼女はこのだだっ広い――――それこそ飛行機が着地できそうなくらいに広い――――ゴルフ・コースで横並びとなっている2人の男女を見ると、ニヤニヤと表情を動かして見せた。

 

「ちょっと蒼龍~? まさか口説いてるんじゃないでしょうねぇ?」

「まさか! というかこんな場所でまで艦名呼びやめてよぉ~」

「いーじゃんいーじゃん。蒼龍はどこいっても蒼龍なんだからさ」

 

 言葉の意味は分からないが、意味が分からないことにも価値があることを飯田は知っていた。

 正確には、娘が訳の分からないものばかり好むので(そういうじょうきょうに)慣れてしまったと言うべきだが、ともかく2人の会話には入らなかった。

 

「というか交代! 私は普段から大迫さん(ていとく)の相手してるんだから、蒼龍もこういうときくらい面倒みてやってよね」

「はいはい、分かりましたよ……それじゃ飯田さん、グリーンで」

 

 勝手に話をまとめて、勝手に入れ替わる2人。

 そして城島と言う名前の女性自衛官は、何の前置きもなく飯田に問いかけてくる。

 

「それで、どうなんですか。ミクロネシア戦役に勝てますか、我が国は」

 

 そんな飯田に投げかけられた女性の問いは、あまりに重い。彼は視線を逸らしたまま、ゆっくりと慎重に言葉を選ぶ。

 

「水上機動団構想の成否が鍵となります。輸送艦、護衛艦の絶対的不足を航空自衛隊の輸送機で補う。悪い話とは思いませんが、僅かに点在する太平洋島嶼を確保するだけで太平洋全域の制海権を確保できるのものか……」

 

 おそらくこれが、先輩が自分と艦娘(かのじょ)たちを引き合わせた理由なのだろう。

そう飯田は思っていた。

 もう少し思慮深かったのなら、城島1尉の顔に浮かんでいた焦りの意味も分かったのだろうか。

 

「……というより、それは大迫先輩に聞いた方が早いのでは?」

大迫閣下(ていとく)と私たちの部署は本当に閑職なんですよ。しかもアッチからもコッチからも嫌われているでしょう?」

 

 ()()()()()()、大迫ヨシミツを中心とする艦娘艦艇派と呼ぶべき派閥は勢力を著しく減衰させていた。それは質霊協動――――艦娘による霊力戦に頼りすぎたミクロネシア戦線を整理し通常兵器による質量戦によるテコ入れを図る――――構想が頓挫したからである。

 

「私はその大迫先輩を切って捨てた幹部ですよ。研究会にも顔を出さなくなりましたし……」

 

 質霊協働は、中途半端であった。質量戦(かんたいは)霊力戦(かんむすは)のどっちつかずであった。故に、艦娘派にも艦隊派にもそっぽを向かれてしまった。

 

「それが()()()なのは、貴方がここにいることを見れば分かりますよ」

 

 幹部自衛官はゴルフを好む――――――とある自衛隊の世俗化批判である。常在戦場ならぬ常在ゴルフ場。ではなぜ幹部がゴルフ場にいるかというと、()()()()()()()()()からである。

 端から見れば専務と課長、それに侍らされた腕利きのコンパニオン――――――そう見られるくらいが、都合がいい。内心としてはより隠蔽性の高い場所を選ぶべきと飯田は考えていたが、何事にも出来ることと出来ないことはある。

 

「結論から言えば、勝てます」

 

 彼は簡潔に答えた。ちらりと女性幹部自衛官……城島と名乗った特務艇乗り(かんむす)へと視線を注ぐが、彼女の表情に変化はない。

 

「現時点で我々が把握している深海棲艦の性能(スペック)や、これまでの大規模襲撃のペースなどから予測される敵個体の増大ペースを勘案した上で、勝てると考えます」

 

 実際の答えを知るものは「まだ」いない。

 ただ、シミュレーションによる数字としての結果は出ている。そして恐らくは、その通りの結果となるだろう。

 

「ですが問題はその後ですね」

「その後というのは、ミクロネシアの後?」

 

 聞いた彼女に、飯田は続ける。

 なるべく小さな声で、その懸念が現実のものとなってしまわぬように。

 

()()()()()()()()()()()()。だから()()()()()んです」

 

 戦争を終わらせるための戦争はまだいい。

 敵の首都を制圧し、民族を屈服させれば、確かに向こう数十年は平和が訪れる。

 

 しかし海の底からやってくる敵対的生物を屈服させるにはどうしたらいいだろう。

 首都はどこにあって、彼らに民族という概念は存在するだろうか。

 

「太平洋全域の奪還は可能です。ですがそれを維持することの難しさは、私よりもあなた方の方がよくご存じの筈です」

 

 自衛隊が派遣されている地域や海域における緊急出撃(スクランブル)件数など数えたくもない。定期的な掃討(まびき)や誘導などを行っても輸送航路(シーレーン)にヤツらは現れる。

 

 太平洋のたった2、3割を守るだけでもこれである。

 いったいどうして太平洋の全域なんて守れというのか。

 

「では、自衛艦隊としては撤退を?」

 

 城島が口にしたのは「妙な質問」だった。

 

 自衛艦隊は海外派遣における海上自衛隊の上位組織だ。

 自衛艦隊の(もと)に各護衛隊群が編成され、その指揮下で各地に派遣された分遣隊が深海棲艦と戦う。

 とはいえ自衛艦隊は自衛隊の()()戦闘部門に過ぎず、国防の意思決定に関わることはない。あくまで命令の実行部隊という立ち位置のはず。

 

 となれば、危険な会話には立ち入らない。瞬時にそう判断して線引きを行う。

 

「自衛艦隊の任務は新自由連合盟約(ニューコンパクト)の遵守です。つまり、撤退は任務内遂行における選択肢(オプション)にはならないかと」

 

 彼女の言わんとすることは分かる。限界だと言いたいのだろう。

 

 艦娘を主軸とする霊力戦はもうじき限界を迎える。

 深海棲艦キラーとして史上最高の――――深海棲艦の登場からまだ10年も経っていないが――――活躍をみせている艦娘ですら徐々に損耗し、ただでさえ少ない候補者リストの束が薄っぺらくなっていく。

 

 では、ミサイルに艦砲を組み合わせた質量戦はどうだろうか。

 論ずる前に国家予算が破綻するに違いない。予算問題をクリアできたとしても、次には資材不足に直面することになるだろう。畑からロケット燃料や鋼、精密機械(コンピューター)が生えてくるなら話は別だが。

 

 

 ミクロネシア戦線の破綻は秒読み段階だった。

 

 よしんばミクロネシアが持ちこたえたとして、ヤツらは世界の海に散らばっていて常に牙を研いで待ち受けている。

 ミクロネシアという()()()()()()()で壮大なモグラ叩きを展開するほどの余裕はない。

 

 

 

 思えば、理由が欲しかったのではないだろうか。

 

 

 

 

「終わりませんか、戦争は」

 

 少し沈んだ声の調子で言う彼女。

 

 その言葉の裏には「我が国は負けるのですか」という抗議の声が潜んでいる。

 自分たちが身体(れいりょく)を捧げてミクロネシアを封じているのに、結局最後は負けるのかという――――――血の香りを(まと)った抗議。

 

 それは己ではなく、自衛隊(やといぬし)事の元凶(しんかいせいかん)に言って貰いたいものである。飯田はそう思いながら素っ気なく返した。

 

「大迫先輩も同じ事を言いますよ」

「それはそうでしょう。提督は派閥の長です」

「……」

 

 あなたには何か別の考えがあるはずでは?

 そう言外に問う城島。飯田は答えない。

 

「戦艦『大和』という軍艦(フネ)をご存じですか」

 

 城島が言った。飯田は答えない。

 

「軍首脳部は『大和』をみて戦争の勝利を確信したと言われていますが、本当にそうでしょうか? 『大和』の完成は1941年。満州事変から始まった泥沼の十五年戦争が始まってもう10年が経過していたのに?」

 

 彼女の言わんとする意図を知って、飯田は押し黙る。

 

「我々は『彼ら』の徹を踏んではいけません。水上機動団(せんかんやまと)は亡国への道だ」

 

 是が非でも止めなければならない、そんな強い意志が伝わってくる。

 白球が飛び込んだ上にプレイヤーが踏み入ったことで荒らされたバンカーを、大迫がトンボで均している。彼が戻ってきた時が、恐らくこの「奇妙な会談」が終わる時。

 

「提督は悩んでおいでです」

 

 大迫の姿に強い視線を注ぎながら、彼女は言葉を積み重ねる。

 

「霊質転換は失敗しました。艦隊派の連中は水上機動団の危険性を理解していない……もしくは、理解した上で『放置』しているか」

 

 放置はない。ありえない。

 

 護衛艦隊を初めとする各実戦部隊が水上機動団構想を進むに任せているのは、機動団構想の性質ゆえ。そこには複雑に絡み合った事象たちが横たわっている。

 しかしそれを伝えたところで、彼女が止まるようには見えなかった。

 

 

 いや、止められたのではないだろうか。本当は。

 

 

「止めなくてはなりません」

 

 飯田は一言たりとも返さない。

 その沈黙が意味することを、それを彼女がどのように受け取るかを知りながら。

 そしてその問いが、今やこの国にそっくりそのまま降りかかってきている。

 

「止めなければ」

 

 

 たとえ、いかなる手段を用いたとしても。

 

 それが義務というように、その艦娘は双眼で蒼穹(ソラ)を睨んでいた。バンカーを脱したらしい大迫が、こちらへとやってくる。

 

「どうだ。調子は――――――上手くいきそうか?」

 

 そう、あの時から大迫先輩は。

 きっと自分が犠牲(いけにえ)であることを知っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 まるで崖に張り付いたかのような場所だった。

 

 海岸線沿いに伸びる片側一車線の舗装道路、そこから僅かに開けた土地を利用して公民館などの建物が建ち、山肌を這い上るように民家が並ぶ。海側はそれなりに埋め立て拡張がされており、漁港関連と思しき港湾施設をいくつか確認することが出来る。

 

 

「98万人と国家、私はどちらをとるべきなんだろうか」

 

 

 その言葉は、寒空に吸い込まれて虚無となる――――――ことはなかった。

 なぜなら、脇に控えた彼の部下が怪訝な表情をしたからである。

 

「……その数字は、飢餓報告書のものでは?」

「そうだが、それがどうした」

 

 首を傾げた飯田に、部下は困惑の表情を隠せなかった。

 飢餓報告書――――内閣府文書「国内の食糧供給に関する覚書」――――とは、深海棲艦の存在を政府が公式に認めた直後に出回った「2012年冬には食糧事情の逼迫により国内で98万人の餓死者が発生する」と農林水産省が試算したとする報告書のこと。

 

 

 いや、()()()()()()報告書のこと。

 

 

 飢餓報告書なる文書、それどころか試算を行ったという農林水産省のメモ帳すら、飢餓という言葉なんて中央官庁のいずれの部署にも――――――それどころか、あらゆる政府機関、シンクタンクにも存在しなかったのである。

 

 もちろん、飢餓報告書が世論に与えたインパクトを考えれば「実は存在しませんでした」のひと言で済まされるものではない。

 それこそ、飢餓報告書は世論操作のための悪質な流言(デマ)であり、ゆえに第46回(2012年)衆議院選挙が違法選挙である――――――そんな主張がある程度受け入れられる程度には、国民はその報告書に惑わされたのである。

 

「あれは根拠に欠けた文章でしょう。確かに、食料輸入が途絶えればあり得ない話ではないかもしれませんが……」

 

 不快感を彼は隠さない。当然だろう、目の前には国家分裂の危機が横たわっているというのに、殆ど陰謀論に近い文書を引き合いに出されたのである。

 職務に忠実であればこそ、彼の怒りは正当なものであった。

 

 しかしそれを、飯田はあっさりと切り捨てる。

 

「飢餓報告書の試算が杜撰なのは、帳尻あわせの計算だからだ。どうして『飢餓』に主題を切り替えたかは見当はつくがね」

 

 腹が減ることは皆()()()()()()、そう飯田は続ける。

 

「例えば、ロシア革命が起きた理由に民が飢えていたからというのはそこだけ聞くと説得力があるように思える。皇帝が民を軽んじたからこそ革命が起きた、大変分かりやすい構図だ。しかし現実には革命以後にこそ農業生産は半分以下に落ち込み、ロシア経済は本当の意味で破綻した」

 

 飢餓より先に政治的混乱があるのだと。飢餓寸前だったと言われる十五年戦争末期の日本ですら、降伏するまで致命的な飢餓は発生していなかったのだと彼は付け足す。

 

「恐れるべきは秩序の崩壊だ。秩序が崩壊すれば供給網は停止し、店頭には最低限度の食料も届かず、都市部では略奪が横行することになる」

 

 ――――――98万という数字はむしろ()()()()と。

 そう、彼は言い切った。

 

 神戸空港でこそ妻でなく国家を人質にとれと啖呵を切った飯田であるが、実のところ既に国家は人質に取られているのである。

 各事業者は流通網・販売網の堅持に努めているが、努めたところで買い占め行為は禁止できない。秩序が崩壊していると知れば、買い占めは略奪へと変貌するだろう。

 

 総務省のガイドラインに各家庭が従っているのであれば、家庭内の備蓄食料が尽きるのは三日目以降。つまり明日以降は、政府の方針に従う健全な市民であっても食事にありつくことが出来なくなる。

 

「あの報告書はまさに、()()()()()()を想定して書かれていた」

 

 艦娘が主体となる反乱を起こす事態、ではない。艦娘が公表される以前に流出した文書なのだから、艦娘が存在しない安全保障体制で訪れる未来という話である。

 

 そしてそれは――――――反乱を起こした艦娘を安全保障から切り離した時点で、現実のものとなる。

 

「食糧不足を根本的に解決することができない以上、自衛隊や警察を投入して解決できる問題ではない。さらに加えると、その犠牲に深海棲艦による()()()()()()()()()()()

 

 

 だからこそ報告書は()()()()()()()()()()()()()

 

 

 世論に現実から眼を背けさせるのをやめさせるために。

 政府に断固たる航路啓開――――それが例え、海外への半永久的な派遣(はへい)を招くことになるとしても――――を実施させるために。

 

 そしてなにより、その悪夢(シナリオ)が、現実に顕れることのないように。

 

 

 

「皮肉ですね、大迫先輩」

 

 飯田は空を仰ぐ。もうこの世にいないらしい先輩へと語りかける。

 あまりに現実味がなかった。(むくろ)を見れば信じられるだろうか。急速な反応により生じた膨大な化学エネルギーによって変質した蛋白(タンパク)質の塊をみて――――――それを質霊協動構想を編み出した憂国の士だと、僅か数十時間前まで海上幕僚長であった人間の成れの果てだと、認められるだろうか。

 

 違う。認めねばならないのだ。

 偉大な自衛官が死んだことも。

 10年前に彼が作成を指示し、()()()()()()()()()()が――――――現実になるということも。

 

「さて……」

 

 警察は掌握した。()()()()()()()()

 国防軍は――――――出来ることはやった。はずだ。

 

 ただそれでも、大勢が犠牲になるだろう。

 飯田は自らの拳を見る。見慣れた、自らの随意に動くべき拳。それが震えている。

 

「妥協は出来ない。妥協はしない」

 

 言い聞かせるように。言い含めるように。

 秩序は守られねばならない。秩序への挑戦は、許されてはならない。

 

「なに、国家が崩れれば1億が犠牲になるんだ……彼女(あいつ)だって、それはいやだろうさ」

 

 ピリオドが迫っている。

 ()()()()という、致命的な歴史の区切れ目(ピリオド)が。

 

「2佐。そろそろお時間です」

「わかった……だが、その前に」

 

 彼の視線が、ついと向けられる。その先には、ひとりの女性。

 

 

()()が来る前でよかったよ。乱入されたんじゃあ、お互い大変だからね」

 

 



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第50話 行きつく先に恋がある

「半日ぶりやな、外人サン。元気にしとったか……って、このやりとりばっかやな」

 

 聞き覚えがあるその声の主は、カンサイ語を使う小柄な特務神祇官(かんむす)

 陸軍の地上迷彩に身を包み、黒光りする長靴を身につけた彼女が避難先のホテルを出た私たちを待ち受けていた。

 

「ほれ、足も用意しておいたで。陸軍の傑作品や」

「何から何まで助かります。リョーコちゃん」

「ええって。ハルハルのワガママには慣れとるからな……さ、世界を救いにいこか」

 

 冗談めかしてそう言って、さっさと運転席に乗り込む彼女。ナビゲートしますよと義妹が助手席に飛び乗るので、私はひとりだけ後部座席ということになる。

 

「ほんで? 作戦は」

「プランBでいきます」

「……プランAを聞いとらへんな」

「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応するということです」

「行き当たりばったりってことやな。よっしゃ面白くなってきたわ!」

 

 小柄な艦娘はそう吐き捨てるとエンジンを始動、公道に飛び出した自動車は物凄い速度で駆け抜けていく。

 それは車が一台もいない、不気味なほど静かな道だからこそ出来る芸当だった。警察による徹底的な交通管制の結果だと、小柄な艦娘が説明する。

 

「市民の皆様方も薄々感づいてるで、家に食料(くいもん)があるうちは下手なことせんとは思うけど……」

「早ければ午後にはパニックになるでしょうね。備蓄を政府が要請したところで、その日暮らしの人は多いですから」

 

 もの知り顔で語る義妹に、顔をしかめながら同意する小柄な艦娘。

 いくつか聞きたいことはあるけれど、果たして聞いて良いものか。

 

「『なんで陸軍の車なんて持って来れたのか』って顔やな」

 

 バックミラーで確認したのだろうか。私がはっと顔を上げると「見んでも分かるわ」と矛盾した言葉が飛んでくる。

 

「ウチな、陸軍の出身なんよ。昔、でっかい地震があったときに助けてくれたヒーローみたいになりたくてな? 国防軍が……自衛隊が人殺しするための組織やなんて知りもしなかった、何にも知らんで入って……けど、ウチバカやからなぁ。他の生き方なんて分からんかった」

 

 せやけれどウチは後悔してないでと、彼女は続ける。

 

「確かに、悪いことはぎょーさんあった。でもウチがいたからチビ共もいる。ハルハルは口達者やけど深海棲艦相手には生き残れん。ウチの独りよがりで繋がった命もあるって、今はそう信じてる。信じることにしたんや」

「リョーコちゃん。それ、答えになってませんよ。愛しの旦那さんが無理利かせて貸してくれたって言いませんと」

「アホッ、それ今言うたらややこしくなるやろ! ……とにかくな、ウチが言いたいのはこういうことや。外人さんの考えは、間違ってないと思う」

 

 それはどういう意味だろうか。その真意を確かめる前に彼女は言葉を重ねていく。

 

「エライ人間の考えることは複雑すぎる。警察、軍隊? 関係ないやろ、大事なのは家族を守りたいって気持ちのハズなのに、家族最後なんてお題目を掲げなきゃいけない理由はなんや?」

 

 理屈では説明できる。しかし理屈ではないのだと、そう彼女は言う。

 

「場所は違ったけど、ウチも()()に関わっとった……だからアイツらの言い分も分かる」

 

 お国のためやって頑張った。

 青春も夢も、家族も、大切なモン全部放り出して戦った。

 

 それが大切なモノを守ることになるって信じたから。

 

「――――――けど、結果はどうやった?」

 

 言葉尻に怒りが浮かぶのは、彼女もまた被害者の一員だからなのであろう。

 

「国が裏切った。あんだけ戦役を褒めそやした連中も撤退した瞬間手のひら返し……ほんで、気付いたら手元には大切なモノなんかなーんも残っていやしない」

 

 そら悔しいわ。恨みもするわと、そう彼女が締めようとする。

 

「……本当に、それでいいのでしょうか」

「んん?」

 

 何か違うのではないだろうか。何か、大事なことを見落としているような。

 

「ナガトと話しました。彼女は、確かに戦役で身体を傷付けられて未来を喪った。でも決して、怒りや恨みのような感情に身を任せているようにはみえなかった」

 

 もっとなにか、為すべき事を粛々と実行しているような。そんな使命を抱えているように見えたのだ。感情を押し殺して、押し殺していることにも気付かないで……今日までそうやって生きてきた私だから、それは分かる。

 では、彼女の感情を押し殺した「使命」とはなんだろうか?

 

「――――――それがどうした」

「へ?」

 

 一瞬、それが誰の言葉か分からなかった。

 なにせそれはあまりにも低くて、そして殺意と呼ぶべき感情が宿っていたから。

 

「それがどうした……って言ったんや。外人さん、あんたの姿勢はエライ。他人を理解しようと必死になる。上辺(うわべ)だけの理解で済まさず、沼の底まで潜ってゆける。普通はそこで呑み込まれるのにあんたは呑み込まれない。立派とみせかけて、他人に同情はしないタイプなんやな?」

「リョーコちゃん」

 

 随分と棘のある言い方だと、そう諫める義妹の制止も聞かずに彼女は続ける。

 

「ウチは同情してまう。アイツらに肩入れしてしまいそうになる。青春の全部を持ってかれて、大切なモノみーんな奪われて。それでまだ、手元にナイフだけがあったら? 政府高官や将官を殺してるのやって、なにか法則性(りゆう)があるんじゃないかと考えてしまうんや」

 

 だから。ウチはアイツらを理解することにした。そう彼女は結ぶ。

 

「理解は線引きすることや。同じモノにはなれないと線引きして、別の世界に住むことを認めることや。アイツらは違うんだと、異質なモノなのだと……そうやな。外人さん、ゴシップは読むか?」

「読みませんけれど」

「やったら読んだらええ、彼処(あっこ)は事実やのうて虚構(ホンモノ)が書いてある。みんな見たくて仕方ないこと、ツラい現実を誤魔化す清涼剤が書いてあるんや……まぁ、それは本筋と関係ないんやけれど」

 

 深海棲艦の正体、って。考えたことあるか?

 

「どっかの雑誌がな、こう言ったんや。深海棲艦の出現海域は人類が争いを繰り広げた場所に被っている、だから深海棲艦の正体は海に沈んだ過去の亡霊なんやと」

 

 ハッ、あほらし!

 

 そう虚空に叫ぶ艦娘。

 空元気に見えたのは、気のせいだろうか。

 

「これが『線引き』や。亡霊だから祓って良いって理屈で、生きてる生物を殺すんや。魔女狩りとなーんも変わらんよ。ウチらのしてること」

「……一応、政府の公式見解を添えておきますね。深海棲艦は生物です。人類の経済活動を阻害しているため、やむを得ず殺処分しています」

 

 口を挟んだ義妹に、すかさず艦娘は返す。

 

「ほんなら、ミクロネシアは放っておけば良かったんや」

「そうですね。そのとおりです」

 

 ミクロネシア。人口は深海棲艦が現れる前ですら50万ほど。人類70億から見ればちっぽけな人々と守る……少なくともそういう名目で、戦役の幕は切って落とされた。

 

「なんでその責任を、現場に押しつけたんや?」

「誰も責任なんて負いたくない、これ以上の理由が必要ですかね」

「せやな。そしてそのツケを今、この国は払わされてるんや」

 

 車内に沈黙が降りる。

 

 少なくとも目の前の艦娘と義妹は、彼らが復讐のために戦っているのだと考えているらしい。

 この溝は恐らく埋まらないのだろう。「そういうもの」だと理解(せんびき)することで、武力に訴えて倒してしまっても構わない――――――やむを得なかったのだと納得させようとしている。

 

 何を? 己の良心を?

 

「だからこそ、軍は身内で解決しなければならない。いうなれば、落とし前をつける必要があるわけです」

「ほんで出てくるのが2等海佐か。相変わらず我が軍はケチやな……さてと、外人さん。状況はええ加減把握できたか?」

 

 いつの間にか、二人の意識は私へと向けられていた。それは私の行為を咎めるでも諭すでもなく、しかし決断を迫るような色がある。

 

「……今の話を聞いても、何が正しいかなんて判断できません」

「せやろな、ウチらは正しいことを聞いとるわけやない。もうお互い引き返せんところまで来ちまったんや。あとはやるだけやるしかない……そんな状況で、アンタはどうする」

「どうするもなにも」

 

 ミクロネシア戦役の残した傷跡は大きい。

 その傷跡を癒やせぬ者たちが起こしたのが今回のクーデターだという。

 

 ではなにか。ミクロネシア戦役の責任を取るために、私の愛しい人が供物(いけにえ)になると?

 そんな話があって堪るものか。

 

「――――止めます」

「それはエゴですよ、お義姉様」

「でも、止めます。そうしなければ、私はあの人の夫でいられなくなる」

 

 どうして今まで気付かなかったのだろう。優しさのぬるま湯が私の判断力を鈍らせたのか。それともそれほどに、ずっと色ボケしていたのか。

 

 でも今の私は知っている。

 あの人は、私のモノ。絶対に手放してはいけないと。

 

 しがみつくだけでよかったのだ。

 あの人は優しいから、その優しさに何処までも付け込んでしまえばよかったのだ。

 

 どうして立派な妻なんて演じてしまったのだろう。

 どうして立派な夫であることを求めてしまったのだろう――――でも、そんな演劇(ままごと)は今日で終幕(しまい)

 あの人は主演(みせもの)なんかじゃない。私の、私だけのモノなのだから。

 

 

 だから――――――止めてみせる。たとえそれが、世界を壊す選択肢だとしても。

 

 

「ダーリンを助けますよ。そのために、ここに来たんですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに、あの人は居た。

 

 何をするでもなく、灰色の海と今にも落ちてきそうな曇天を眺めて。

 

「……」

 

 叫んでしまいたかった。今すぐ駆けだして、抱きしめてしまいたかった。だけれどそうしなかったのは、彼の横顔を私が知らないから。

 

 結局のところ、私はあの人のことを知ろうとしてこなかった。

 見える範囲のものを全部拾って満足した気になって、見えていたはずの欠落を無視していた。

 

 知らないことを、私は知っていたはずなのに。

 

 私の知らない彼が振り返る。

 穏やかなハズのその表情には、あの夜の厳しい眼差しが灯っているように見えた。

 

「先方が来る前でよかったよ。乱入されたんじゃあ、お互い大変だからね」

 

 それは耳障りは優しい口調。けれど文脈には棘が多分に含まれる。

 何故来た、仕事の邪魔をするつもりか。あなたが言いたいのはそんなところだろうか。

 

「どうしたんだい。急に来ると聞いたときは正直、焦ったよ」

 

 ここらは意図的に交通規制がしてないからねと、あなたは言う。

 それが相手との交渉条件だったとは言わない。

 

 私に伝えるべき情報を最小限まで絞っている。職務上仕方のないことだと分かっていても、湧き上がる想いを抑えられない訳ではないのに。

 

 でも昨日までの私は――――――この気持ちを、ずっと押さえ込めていた。

 気付いていなかったとしても、この気持ちがいきなり現れたなんてことはあり得ないのに。

 

「教えて、ください」

 

 あなたの素直な気持ちを、本当に考えていることを。

 

 そうしてくれるのなら、私も全部、ぜんぶ思っていることを吐き出せるから。

 

「怖くないのですか。悲しくはないのですか」

 

 違う、こんなことを聞きたいわけじゃない。

 私が聞きたいのはもっと根っこの部分で、そんな上っ面のような、言葉一つで誤魔化せてしまうような部分ではないのだ。

 

「私との時間は――――――なにも感じないものでしたか?」

「どうしたんだい、急に」

 

 急に。そうだろう、こんなことを考えているのは私だけで。

 あなたはきっと、昨日までと同じ日々がずっと続いていくと思っていて。

 

「怖いんです」

 

 そんな()()()()な日々が終わってしまったことが。

 

 これから向き合わなければならないことが。

 

 それが全部、たまらなく怖い――――――怖くて怖くて、震えずにはいられなくて。

 

 私のことを見てくれているのだろうか。

 地球の反対側で凍えていた私に家庭という温もりを与えてくれたあなたに、私はどんな温もりを与えられているのだろうか。

 

 それとも愛情(それ)の対価は、もっと大きな――――私では到底釣り合わないような――――枠組みで支払われてしまったのだろうか。

 

「そうか。私も怖いよ」

 

 俯いた私にあなたはそっと腕を回す。

 

 そうですよね、あなたはいつもそう。為すべき事を知っている。

 私の表情を、私の感情を……なんでもかんでも先回りして、与えてくれる。

 

 

 だからこそ、私は。

 

 

「……っ」

 

 

 その腕を振り払う。

 あなたがどんな表情をするかなんて、私は知らないけれど。

 見たくもないけれど。

 

「どうして、私を選んでくれなかったんですか」

 

 そうだ。私は選んで欲しかっただけ。

 国と私を天秤にかけて、あなたに私を選んで欲しかっただけ。

 

 意地汚いって分かっている。選びようのない、あまりに残酷な問いということも分かっているけれど、そういうのを全部飛び越えて、あなたには私を選んで欲しかった。

 

「世界が壊れた時もそうでしたよね。あなたは私に、私とノゾミに国を出るように言った。そして今回も……どうしてなんですか」

 

 あなたは何も言ってくれない。

 

 答えないことで私に自省を促すつもりなのか。

 自分の吐き出した言葉を呑み込んで、その意味を反芻して考えてみろと言いたいのか。

 

「私だって、メチャクチャ言っているのは分かっています……けど、けど!」

 

 否定してくださいよ。できるものなら優しい言葉で。

 今の私はおかしいって、美味しいモノを食べて温泉に浸かって、ゆっくり休んで気力を回復しなさいって。そう言って下さいよ。

 

 彼は何も言わない。まるで言わないことが、正解だとでも言わんばかりに。

 

「私は……!」

 

 

 あなたに「私」を選んで欲しかっただけなんです。

 

 

 言ってしまった。その一線を越えてしまった。

 顔をあげた私はどんな表情をしているのだろう。

 

「国を守らない私に、価値を見いだせるのかい?」

 

 それは冷徹な問いだった。何物にも動じないと言わんばかりの表情で、そんな悲しいことをあなたは言う。

 

 嗚呼、私は怒っている。

 だってあなたがあまりにも……平然としているから。

 

「最初に言ったな。私も怖いと。私がなにに怯えているか知っているかい?」

「そんなこと」

 

 クニが滅びることでしょう、とは言えなかった。

 それは多分、違う。

 だって仮にも今は国が覆るかの瀬戸際。それなのにあなたは今、こんなに穏やかな表情をしている。

 

「キミに叱られることだ」

 

 知らないのか、私は恐妻家なんだよと。

 

 この人は平気で虚言(ウソ)を吐く。

 そしてそのウソを見抜けるのは、多分世界で私ひとりだけ。

 

「私はね、実は少しだけ喜んでいるんだよ。許されないことをした自覚はある。家族を優先できない人間は愛国者とは呼べない……しかし、国を棄てた私を、果たしてキミは許したのだろうか?」

 

 そうじゃない。あなたの言いたい言葉は、言うべき言葉は、()()じゃない。

 

「許しませんよ……許しませんが、許すしかないんです」

 

 私の言葉に、きっとあなたは困惑するに違いない。

 だってあなたにとっての私はまだ妻であって。

 お互いが共有する目的のために横に並び立つ者であって。

 

 そしてそれは、お互いのことを見ているわけではないのだから。

 

「ダーリン。怖いって言って下さい」

 

 私は知っている。あなたの筋肉が責任で出来ていることを。

 贅肉をつけることも許されないのは誰かに見られているから。誰かに欠陥を見抜かれるのが怖いから。

 

「この国で生きていくのが苦しいって、生きていることが悲しいって」

 

 私は知っている。あなたの趣味が義務であることを。

 ゴルフに麻雀、読書だって本当は好きな訳じゃなくて会話を保たせるため。作り上げられたあなたのトークはさぞ面白いのでしょう。相手に気付かれもせずに手を抜くことが出来るのでしょう。

 

「……もう、いいじゃないですか」

 

 私は知っている。あなたが見栄張りなことを。

 私の前ですらも見栄を張ることを。

 

「私は、私は『わたし』以外の何物でもありません。あなただって、あなた以外の何物でもない。それではダメなんですか」

「それを一番知っているのは、あなただろう。飯田ヒカリ」

 

 嗚呼、それとも。私たちは役割(なまえ)ナシにお互いを定義することは出来ないのだろうか。

 二人だけの世界なら名札もいらないのに、どうして私たちは貼り付けあうのだろうか。

 

「確かに私は私だ。しかし飯田コウスケであり、飯田家長男であり、今は階級章を頂く身でもある。そしてキミの……」

「その前に!」

 

 叫んでから、気付く。私は、何を聞きたいのだろう。自問してから思い出す。

 そうだ私は、あなたに認めて欲しいのだ。

 

「私は……怖いんです。喪うのが、怖いんです。あなたを喪うのが、怖い」

 

 喪うのが怖いことを。

 私とあなたが、同じ存在であるということを。

 

「答えて下さい。怖いのか、怖くないのか」

 

 あなたは私と「同じ」だと。

 少なくとも、私が恋を出来る舞台(ステージ)のうえに居ると。

 

 



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第51話 それを愛とは呼ばない

「……そうだな、怖いよ」

「なにが、怖いのですか」

 

 誤魔化すことが許されないことをあなたは知っている。

 私の鼓動が勝手に激しくなるのも、表情筋が締め上げられるのも、感情が熱をもって喉の奥からせり上がってくることも知っている。

 そんな私を誤魔化せるほど、あなたは強いヒトじゃない。

 

「なにもかもだよ。電話が鳴る度、世界が終わるんじゃないかと思った。電話の向こうにヒトが居て安心した。例えそれが、私の耳に凶報を届ける人間だとしても」

 

 淡々と彼は話す。私に外套を掴ませて、分厚い繊維に包まれた腕で私を包んで。

 

「報告書は民間人犠牲者の欄から読んだ。沿岸地域の警戒情報と家族のスケジュールを照らし合わせもした。事前に提出される報告書(レポート)なんてものは存在しないのに」

 

 耳元で、あなたの声が聞こえる。

 単調な声音に込められている、きっと私だけに聞こえる感情。外套越しでも少しだけ香る、あなたの存在。

 

「その点、今の状況はそんなに怖くないかな」

 

 それはどういう意味なのだろう。埋めた顔を持ち上げた私に、あなたは微笑む。

 

「最期に観るなら、好きな人の顔がいい。そうだろう?」

 

 なんで。そんなことを言うの。

 

「どうして、どうして……言ってくれないんですか!」

 

 死ぬのは怖いって、私と永遠に分かれることが怖いって、どうしてそう言ってくれないんだ。そこまでして見栄を張りたいのか、そんな犬も食えない代物のために、私の大切な部分を傷付けるのか。

 

 それとも、こんなことを考えているのは私だけなのだろうか。

 鍛えられた胸板を叩く私は、そんなに身勝手な存在なのだろうか。

 

「好きだよ、愛してるよ」

 

 違う、そうじゃない。そういうのじゃない。

 私はただ、あなたと。

 

「だからこそ、ずっと生きていて欲しいんだ。愛しいあなたよ(マイハニー)、あなたのためなら。世界と刺し違えても構わない」

 

 あなたと、一緒に生きていたいだけなのに。

 

「98万の命を棄てても、構わないんだよ」

 

 あなたと、笑っていたいだけなのに。

 

「海は、憎しみで満ちてしまった。あそこには、無限の可能性が広がっていたのに」

 

 彼はもう、私を見てはいなかった。代わりに海へと視線を注ぐ。

 

「ほんの数年前の昔話だ。南の海には英雄と呼ばれた男がいた。その男が掲げていた看板(なまえ)は瀬戸月。北海道出身で、戦争前は海洋生物の研究者だったらしい」

 

 彼の口から語られるのは「英雄」の話。この国を救い、そしてこの国を……もしかすれば破滅へと導いたかもしれない男の話。

 

「彼は深海棲艦の第一発見者だ。そして艦娘という霊力と物理法則を結びつけた存在の産みの親でもある……正確には、()()()()が生み出したと言うべきか」

 

 それは政府広報とは似ても似つかわない、世界の裏側の話。

 

「瀬戸月の家は明治時代に『北鎮』を担うべく北海道へと入植した。彼らは海の一族であるが故に土地との結びつきをもたない」

 

 だからこそ、彼らは海の脅威に対抗することが出来た。現役の海軍軍人の口から語られるのは現実離れしたお伽噺。私はそれを静かにかみ砕きながら聞く。

 古来よりこの国を守護していたという一族の末裔。それが艦娘を生み出したというのなら、なるほど英国や日本、北欧諸国といった海と交わる歴史を持つ国が艦娘先進国となるのも頷ける。

 

「とはいえ、実体を持った怨念を祓うことは現実には不可能だ。肉体が消滅してもなお(うつつ)に留まる怨念が()()してしまった。その恐ろしさは語るべくもない」

 

 つまり、艦娘がどんなに深海棲艦を倒したとしても霧散した怨念は再び「器」に戻り人類の生存を脅かす。

 まさに終わらない英雄譚。永遠の――――――いや、人類の敗北によってのみ幕引きを許される戦争。

 

「であるからこそ『彼』は、瀬戸月1等海佐は考えた。倒せないのならば取り込もうと――――――そして、失敗した」

 

 元より無茶な話だった。

 人類を滅ぼそうとする怨念を、どうやって人類が喰うというのか――――――おそらくそう結ぶのだろうと思った私に、彼は思いもよらぬ言葉を繋ぐ。

 

「失敗したと、そう思っていた、が……どうも、そうではなかったらしい」

「ということは、まさか」

 

 深海棲艦に知能はないと、あの小柄な艦娘は断じた。

 しかし現実に、今の深海棲艦は知能を持っているとしか思えない行動を取っている。

 

 そしてナガトは、深海棲艦が「制御下にあること」を仄めかした。

 

「どうやら『器』は見つかったらしい。瀬戸月1等海佐、死して海将補となった彼が我が国にもたらした、最期の成果物」

「でも、それが」

「そうだ。成果物は暴走している。しかし同時に、本当に暴走しているのかとも考えてしまう。アレが深海の怨念を取り込んで人間の知識を持ち合わせているのなら、送電線や発電所、橋や駅舎などの主要インフラを破壊して人類を本当に滅ぼすんじゃないのか?」

 

 それは、確かにそうだ。義妹は私を北陸に連れて行くときになんと言った?

 

 鉄道はいつ止まるか分からない。

 私はてっきり混乱で交通が麻痺することを言っていると思っていたけれど、実際は破壊されるリスクの方が遙かに高かったはず。

 

 そうでなくとも主要な変電所や発電所を攻撃されれば社会はその体を為さなくなる。歴史を紐解いても、近年の戦争で真っ先に狙われたのは軍の司令部ではなく発電所だった。

そしてあの深海棲艦は、そのようなことはしていない。

 

「大迫閣下がそうであったように、瀬戸月海将補も愛国者であることに疑いはない」

「答えに、なっていまセン」

「信じるほかないのだよ。アレを説得できなければ、この国を沈むに任せることになる」

 

 返ってくる答えを知って、私は陳腐な問いを続ける。

 

「モシ、その『楽観』がハズレたら?」

 

 そして彼は、沈黙をもって答えた。

 岸壁を目指そうとした彼の腕を、私は掴む。

 

 今度は、掴むことが出来た。

 

「ダーリン。質問に答えて」

「キミは、答えを知っているだろう。答える必要があるのか?」

「ちゃんと、アナタの口から。アナタの言葉で聞きたいデス」

 

 動きを止めた彼は、小さくため息。

 表情のない顔で、私を真っ直ぐ見つめる。

 

「その時は、私は死ぬ。そして私の死は、艦娘粛正の引き金(トリガー)になる」

「イヤ、です」

「仕方ないさ。向こうが交渉相手に私を指名してきたのだからな」

 

 なに、向こうとてこちらを殺すリスクは承知の筈。死ぬ気は無いよと彼は笑う。けれども私に視線を注ぐ眼は、一片たりとも笑っていなくて。

 身体の底から湧き上がるような冷たい予感、それが私の腕に力を込めさせる。

 

「ダーリン、ダメ」

「ここで2人も死ぬ必要はない。娘を頼むぞ」

 

 あなたは私が止めると分かっていた。それでも私をここまで連れてきた。

 

 それは、私を説得できると思っているから。

 残される娘を引き合いに出されれば、私が引き下がると信じているから。

 

「ダーリン。私は」

 

 あなたはもしかすると、私が引き留めようとする理由を寂しいだとか、愛おしいだとか、そういう感情によるものだと考えているのかもしれません。

 

 違うんですよ。

 私は、ずっと、あなたに――――怒っているのですよ?

 

「コウスケッ」

 

 その言葉に、目の前の貴方が動きを止める。

 私は少し遅れて、今の声が自分の声であることに気付く。コウスケ、こうすけ……私の、大切なヒトの名前。

 

「コウスケ、どうして。私を頼ってくれないのデスカ?」

英国(キミ)は切り札だ。それは他ならぬキミがよく知っているだろうに」

 

 そうじゃない。

 やっぱり、やっぱりあなたは何も分かっていない。

 

「私は、日本人で。イイダ・ヒカリという日本名を持っていて。あなたの妻で、ノゾミの母親で、そして貴方のことが好きな、ひとりの」

 

 ひとりの、女の子なのです。

 

 その言葉を口に出さずに、どれほど永く生きてきただろう。

 その言葉を口に出すことを禁じてからどれほどの月日が流れただろう。

 

「それでも。私を頼ってくれないのデスカ?」

「頼っているさ。キミはよくやってくれている」

「そうじゃ、なくて……!」

 

 あなたを支えることも。

 娘の模範となる母親でいることも。

 どうしたって「妻」の一部分として数えられてしまう。

 

 私たちには恋愛という、単なる男の子と女の子という対等な関係でいられる時間的猶予(モラトリアム)がなかったから、妻と夫という役割でしかお互いの位置関係を測れない。

 

 今だってそう。

 止める私に、征くあなた。

 きっと私は最後には止められない。

 

「この国の故事には、妻は二歩後ろを歩けとある。何故かは知っているかい?」

 

 答えられない私に、あなたは続ける。

 

「その言葉が出来たのは武士(サムライ)の時代だった。故に旦那は刀を差している。一歩後ろに妻が居ては刀を抜けない。そして、三歩後ろでは妻を守れない」

「あなたは、サムライじゃないでしょう。コウスケ」

 

 私の我が侭に、あなたは笑って頷いてみせる。

 どうしてあなたは、いつもそうやって余裕ぶって見せるのだろう。本当は今にも泣き出したいくらいに怖いんじゃないのか。

 

「その通りだ。だから私は、キミと隣に並び立ちたかった……それが例え、許されないことであったとしても」

 

 掴んでいた腕を、反対に掴まれる。そうして私は逆に引き寄せられた。

 

「コウスケ…………泣いて、いるのデスカ?」

 

 そうでなければ、今の行いに説明がつかない。

 抱き留めてしまえば、泣き顔を見られることはないから――――――だから、抱き寄せた。

 

「男というのは、見栄っ張りなものなんだよ。愛しい貴女(MY HONEY)

 

 勉強になったなと言わんばかりに、身体を引き剥がすあなた。

 行かせまいとその大きな背中を掻き抱く私。

 

「止めてくれて、ありがとう。愛してるよ」

「あっ」

 

 その反動で私の拘束をするりと躱して、先へと躍り出る。

 

「コウスケ、待って下さい。コウスケ!」

「飯田家の長男、飯田コウスケは立派に務めを果たしたと伝えてくれ」

 

 そう縁起でもない表現の後に、彼は続けた。

 

「さっきも言ったが、最期にキミに会えて良かった……キミの前で、泣けて良かった」

 

 

 ――――――その時、風が吹いた。決して比喩的なものではない。

 

 

 そして正確に言えば、気象学上で「風」と定義されるものではない。blastや gustに相応しい暴風が吹き荒れたのだ。

 咄嗟に隣にいた彼が前に進み出たが、その様子がおかしい。

 

 彼は見ていた。砂埃が舞い、目を開けるのすら困難だとしても。

 己に立ち塞がる障害だと決めつけて、それを睨みつけた。

 

 岸には複数の黒い影。イルカか、あるいは巨大な魚類と思える風貌

 

「深海棲艦……どうしてこんな所に」

 

 それは同伴していた彼の付き人だろうか。

 あるいは、私……もしかしたら彼のものかもしれない。

 

 奴らは無差別に人間の営みを襲ってきた。

 しかしナガトが言うように、今回の事態はコントロールされているとも言っている。()()()の政治的目的を持つ者達が、鉄砲玉としてその能力を利用しようとしているのも大体の事情は知っている。

 

 であれば、なぜこのタイミングで現れるのだ。

 

 まさか……私の脳裏に素人ながら一つの可能性を紐づける。

 

 暗殺に値する――――――つまり、クーデター鎮圧への成果を挙げつつある飯田コウスケという男を始末しに来たのではないか。

 

「ダーリン!」

「来ちゃいけないッ!」

 

 冗談じゃない。()()()()()が迫っているというのに。

 それが戦闘機のように銃を乱射する兵器である事をまさかあなたが知らないことはないだろう。けれどそれは()()()()()()()

 

 私は思い知ったのだ。

 人類がいかに脆くて、弱くて、情けない生き物なのか。

 

 大阪で空襲を受けたときにそれを思い知らされたのだ。

 

 そして私は知っている。後悔はいつも、後からやってくるって。

 だからこそ、走る。

 

 奴らが抱えた()()を放り投げる。ラグビーボールよりも遥かに大きい物体がスローモーションで落ちてくる。

 

 これは楔だ。私と彼との関係を隔てようとする邪魔者だ。

 お前らさえいなければ、あの人との日常は崩れなかったのに。

 

「私の大好きなヒト(Darling)に――――――手を出すなぁッ!」

 

 彼を庇うように半身で覆い、咄嗟に出た右手が自分の視界から()()を覆う。

 

 愛さえあれば何でも乗り切れるとは思わない。自分に武器があるのならばと嘆かずにはいられない。

 コレを撃ち落とせるなんて――――――夢物語を描けるワケがないなんて分かっている。

 

 それでも願わずにはいられなかった。ピストル型に組んだ手で、子供の遊びのように引き金を引く――――――ありったけの殺意(ねがい)を込めて。

 

 

Burning!(バーン)

 

 

 膨張する鉄塊が閃光を発する。

 それがスローモーションのように目に焼き付いて、爆ぜる――――――――何故か私達から不自然に()()()

 

 正確に言えば、軌跡自体が何かの干渉を受けて逸らされた。

 まるで架空の銃弾を受けて、目的外の所に放り出されたかのように。少し後方で炸裂する。

 

 巻き起こされた暴風が迫るその寸前、強引に地面へとねじ伏せられる。覆い被さったのはあの人の温もり。

 

 一瞬の静寂の後、ほとんど力ずくで引き起こされる。

 

「なんてことをしてくれたんだ……!」

 

 なにをしたか(なんてことを)だって?

 この分らず屋は目の前で見せつけられても分からないというのだろうか?

 

「あなたを助けた!」

「それで両方死んじゃ意味がないだろうがッ!」

「デモ、守りたかったんデスッ!!」

 

 ずっと。

 ずっと、ずっと昔から。

 

 あなたを。私を守るばかりだったあなたを。

 刹那、交わされる視線。それは本当に瞬きするほどの時間で、言葉もなにもなかったけれど。

 彼の息遣いが、カチリと変わったのを感じた。

 

「小河原1尉と槇島3曹は()()()()()を保護。直ちにここから退避せよ」

 

 傍付きの軍人さん(オガワラ1尉)小柄な艦娘(マキシマ3曹)へ階級で指示を出すあなた。

 命令の内容は民間人1名(ハルナだけ)の保護。慌てた様子で3人が車へと飛び乗るのが見える。

 

 そうだ、爆撃は一回で終わるワケじゃない。

 次もその次も、そのまた次もある。現に空は禍々しい怪鳥に被われ、海は異形に埋め尽くされている。

 それを一瞥して、彼は腰から拳銃を抜いた。なにやら操作してスライド、シャキンと軽い音を鳴らしたそれを……()()()()()()()()

 

「使い方は分かるな? 両手で持って、引き金を引く。簡単だ」

「いいの、デスカ?」

「銃刀法の心配なら無用だ、もうこの国は……滅びてしまうのだから」

 

 そんな諦めた風で――――――けれど()()()()()()()()()()()()彼は告げる。

 それから彼はしゃがみこむと、足下にいつの間にか――――おそらく最初から――――置かれていたジュラルミンケースを開き、そこからおもむろにライフルを取り出した。

 

「……そんなものまで用意していたのデスカ」

「初撃を生き延びてしまったら、戦わないといけないだろう?」

 

 準備が良いのか、悪いのか。それを構えて彼は世界を嘲笑う。

 

「それでは我が女王陛下(MY COUNTESS)。戦争を始めるといたしましょう」

 

 はじめて聞く冗談だった。

 私を笑わせるためではなくて、私と歩調を合わせるための冗談。

 ここは舞踏会(戦場)、空を埋めつく照明(バケモノ)が私たちに照準(スポットライト)を当て、海を埋め尽くす楽団(バケモノ)が荘厳で優雅な音楽(砲声)を奏でる。

 

 私は彼の妻として覚悟をしていた。最期くらい笑えているだろうか。

 ねぇダーリン。こんな所ならずっと一緒だよと囁いてもイイよね?

 

 悪魔が空から駆け降りる、天使が海からラッパをならす。つんのめるような衝撃と熱量。大地にしがみ付くようにして、私たちは何処かへと駆け抜ける。

 

 本当に、楽しい時間だった。

 

 愛しいヒトとの共同作業。この作業からはきっとなにも産まれることはないけれど。行くアテなど、きっともうどこにも残されてはいないけれど。

 

 

 それでも、私は幸せです。

 

 



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第52話 セカイの敵はだあれ?

 どれだけ眠っていただろうか。

 

 

 打ち身で酷い事になっていないだろうかと辺りを見渡した………………生きている?

 

 薄明りであるが、月光が差し込むおかげで周囲の様子がある程度分かる。

 夜目には慣れていないが、ぼんやりと輪郭が整わなくても彼がいるのは確認できた。

 

「――――――ダーリンっ!」

 

 壁に身を預けて足をだらりと延ばしている。ズボンは半分捲り上げられ、太腿には白色……おそらく包帯のようなものが巻きつけられている。

 

 そしてその脇に――――――見知らぬ人影。

 白い長髪を流して、銀にも近しい神々しさを放つ人魚そのもの。

 すなわち、ヒトならざるもの。

 

「ダーリンに触るなァ!」

 

 咄嗟に殴りかかろうと踏み出すが、足元も把握できないのに一気に踏み出してしまったのが仇となった。

 バランスを崩して転倒。鍛えていないのだから当然なのだけれど、とうの昔に身体は限界を迎えていたらしい。

 

 真っ暗であるが、おそらく地面らしきものが迫る――――――しかし、ぶつかる直前に支えが入って空中で止まる私の身体。

 それは他ならぬ、敵と判断した相手が支えたことによるものだった。

 

「…………アリガトウと言うべきですカ?」

 

 私は焦点が合わないながらも、その人影に問いかける。

 彼女は首を捻る動作をした後に、信じられないほどに流暢な日本語で返事をした。

 

「お礼を言われる筋合いもないわ。そもそもここまで接近を許したのは私達のミスって訳だし」

 

 ヒラヒラと手を振るそれ。

 どうやら悪い人ではないらしいが、私たちの――――――つまり、私の夫である飯田コウスケの味方ではないのは確かだろう。

 

 私は暗闇のなかで目を凝らす。最初は深海から這い出た化け物と思ったそれは、よくよく見ればバイクのヘルメットのように頭部を保護しているようであった。

 となれば、このなまめかしい姿は甲冑、全身を覆う戦装束といったところか。

 

「ずいぶん消耗している、もう少し休んでいなさい」

 

 外見とはかけ離れたことを言う戦士。魚類の頭を模したヘルメットはボイスチェンジャーとしての役割も果たしているようで、くぐもった声が私の耳に届く。

 

 そしてそこに、私の待ち望んでい声音が飛び込んできた。

 

「連れの目も覚めた。そろそろ本題に入って良いか? 復讐者(アベンジャー)

 

 ダーリンの声、私と一緒に、戦ってくれたヒトの声。それを聞いた戦士は溜息を吐く。

 

「誰が好き好んでアメリカのTBF(アベンジャー)を使うっての……」

 

 アメリカの復讐者? そう首を傾げれば、お前は気にしなくていいと手招きをされる。

 行く当てもないので、彼の隣に腰かけて事の推移を見守る。

 

「説明した通り、我が政府は徹底抗戦の構えだ。主要7都市、県庁所在地、市町村……ありとあらゆる行政組織が消えるまで抵抗は続くだろう。その上で聞く、まだこの行いが正解だったというのか?」

「……その質問を復讐者にする必要があるの?」

 

 疑問文に疑問文で答えれば堂々巡り。おそらく、ハナから回答する気はないという事だろう。

 状況は確かではないが、おそらく私達を助けてくれたのは彼女。

 そしてこの国の舵取りを破壊したのも、目の前にいる張本人に違いない。

 

「別に貴方達が邪魔だとは思ってないの。だからこうして空襲から助けてあげた訳」

「とんだマッチポンプだな。お前がキチンと手綱を握っていれば良かっただけのことを」

 

 手綱を握る……そういえばナガトも自分がいるから攻撃が来ない、けれど離れれば安全は約束できないみたいなことを言っていた気がする。

 つまり、目の前の彼女も深海棲艦を完璧に操れるわけではない?

 

 その台詞に対して、相手は何故かこちらを向く。実際には被り物の視線と思われるものがこちらに向けられた。

 

「そこの御夫人を一番警戒していたのよ」

「Why……?」

 

 またまた冗談を(You're kidding)と聞き流そうとしたけれど、どうやら茶化している訳ではないらしい。

 

「命の危機とは言えど、艤装なしで空砲を撃った訳でしょ? 訓練してない民間人が落下する飛翔体の軌道を逸らせるだけの射撃精度とか、まるで曲芸師じゃない」

 

 咄嗟に手を翳した事を思い出す。

 あれがつまり、ナガトさんや他の艦娘達と同じ砲撃であったと? そんなことがあるのだろうか?

 

「貴方の奥さん、相当厄介ね。一体どこで引っかけたのよ?」

 

 それは単なるフィアンセだから……しかし、そんな偶然で片づけていいものではないのではないかと私はふと思い至る。

 

 日本(ここ)へ来たのは家が決めたことだった。

 そして彼の家も、私を欲しがっていたのは間違いない。

 

 それが純粋な国際結婚でないことは知っていた。

 日英友好の架け橋としての上流階級(エスタブリッシュ層)同士の婚姻……けれど、そもそもなぜこの縁談が持ち上がったのだろうか。

 

 そういえば義妹(ハルナ)も血統がどうとか言っていた。何処の馬の骨という罵倒(ジョーク)の後に続くにしては奇妙な単語だったが、そもそもどうしてここまで血筋を大切にするのだろうか?

 息を少し吸う。酸素を取り込んで、記憶を手繰る。私はおそらく、答えに辿り着くためのヒントを全て持っている。

 

『端的に申し上げると、この航空機は()()()()()()

 

 そうカンサイ国際空港で宣ったナガトは、しかし私を連れ出した後に飛行機の安全を気にしたことはなかった。

 そして飛行機が襲われるということもついぞ無かった。私の認識している限りでは。

 

『そこの御夫人を一番警戒していたのよ』

 

 そして戦士の言葉を聞く限り、()()()()()に何らかの価値があるのは間違いない。

 

 それが血統だというのだろうか。

 確かに私は高貴な血筋の出ではあるけれど、今の時代、血筋に価値があるわけではないというのに。

 

『瀬戸月の家は明治時代に『北鎮』を担うべく北海道へと入植した。彼らは海の一族であるが故に土地との結びつきをもたない』

 

 それならどうして、ダーリンは「土地との結びつき」という言葉を口にしたのか?

私は彼の言う『北鎮』を屯田兵――――この国が行った最初の植民地政策――――のことだと考えていたが……。

 

 もしそうでないとしたら――――――()()()()()()()()()()()()()()

 それはなにを意味するのか。

 

『横田基地に向かえーーーーいくら米国でも旧宗主国を無下にすることはしないだろう』

 

 どうしてあんな、何もかも手遅れになってしまってからでもあの人は英国を頼って国外脱出出来ると踏んでいたのか。

 

『それをお読みになった時点で、あなたは英国海外領土国民となりました』

 

 そしてどうして、地球の裏側から本当に英国(かれら)は救いの手を差しのべてくれたのか。

 

 その理由は私の血筋。

 私の身体に息づく血に、それだけのことをするだけの価値があるということ。

 

 であれば、まさかその理由が権威や正統性といった虚構であることはないだろう。

 

 だってそうでなければ、あの窮地を乗りきることなど出来なかったはずだから。

 

「教えてくださいダーリン、私は……いったい()()()()なのですか?」

 

 その問いに、貴方は。

 

「天叢雲剣……もう少し正確に言うと、その役目を担う代行者だ」

「……!」

 

 明らかに反応してみせたのは戦士の方だった。一方の私は話が全く見えずに首を傾げる。

 天叢雲剣といえば日本の皇族が大切にしているという三種の神器ではないか。なぜ英国生まれの私が?

 

()()の称号には当然ながら(ちから)が伴わねばならない。しかし、我らが陛下がイングランドへと馳せ参じた日、当代の天叢雲剣(つるぎ)は喪われていた」

 

 不幸な事故だったと、彼は続ける。

 

「陛下にお仕えしていた代理人の一族が大火に見舞われたんだ。陛下は深くお悲しみになられ、代わりの代行者を立てようとはしなかった」

 

 そしてそれを、騎士団長は許さなかったのだと彼は言う。

 時は20世紀末――――――冷戦が終わり、当然ながら延長されるべきであった香港領土の租借権交渉が頓挫し、英国に連なるものたち(ファイブアイズ)の次なる敵対国が明らかになり始めた日のことであった。

 

「そうして贈られたのが、(キミ)だ」

 

 無垢な少女を。

 一片の汚れもない純白を。

 幾世代にも渡り育て上げられた血統、決して鈍ることのない金剛石よりも硬い剣として。

 

 それを汚したくなくば、己の手を汚すことを躊躇うなと。そうでなければ平和や安定という言葉では語れぬ新世紀に立ち向かうことは出来ないと。

 そんな大仰な言伝(ことづて)を、騎士団長は東洋の騎士へと託したのだという。

 

「当然ながら、我が飯田家も陛下のご意志に背くつもりはない。だからこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今は別の誰かが、天叢雲剣(つるぎ)としての役目を代行(はた)しているはずだ」

「なにそれ」

 

 意味分かんない、と。そう溢したのは()()()()()()()

 ギロリ、と戦士がその兜越しに私たちを睨む。

 

「標的が増えたかな? 復讐者よ、その願いは成就するのだろう。他ならぬ、この国の滅ぼ」

 

 彼は最後まで言葉を紡ぎきることを許されなかった。戦士の腕が伸び、壁に突き刺さる。

 

「ダーリンッ!」

「……大丈夫だ、生きてるよ」

 

 その返事に、私は胸を撫で下ろす。

 しかし実のところ、撫で下ろしている場合ではなかった。

 

 私たちは生きているようだけれど、それは()()()()()()()ということに過ぎない。

 今や私たちの生殺与奪の権はこの戦士が握っており、今の動作からも分かるように逃げたり、ましてや倒せるような相手とは思えなかった。

 

「さあ、いい加減本題に入ってくれないか。時間を稼いでいるのは分かる。しかし一般論として、時間は攻め手の敵。時が立つほど政府は持ち直し、包囲網は狭まるものだ」

「時間稼ぎ……そりゃまた検討外れね。私が本気で日本を乗っ取ろうと思って?」

 

 先程の殺意とは打って変わって、今度は呆れが混じる。

 相手は国政に介入するのが目的だと皆が騒いでいた。私もその通りだと思っていた。

 

『ここんところ国は負け続きや。マーシャルで、ミクロネシアで負けた。もう海外出兵が始まってから10年経つ。この国が追い詰められているのは誰でも知っとる』

 

 この国は負けた。だから撤退した。

 それを受け容れられない人間は、残念ながら存在する。

 

 それこそ玉音放送(こうふく)直前の「宮城事件」に直後の「厚木事件」――――――軍人ほど、敗北という現実を受け容れられないもの。

 彼らは本気だった。街が焼かれ、軍艦(フネ)が沈み、亡国の崖淵に立たされても尚……民族と国家の勝利を疑ってやまなかった彼ら。

 だから目の前の戦士も、ナガトも、ミクロネシアからの撤退を認められないのではないのか。

 

 だが、その首謀者はまったく意に介さなかった。むしろ見当違いも甚だしいと鼻で嗤う。

 

「別にそういうの興味ないんだけど」

「なにに興味があるにせよ。貴様らがやっているのは、日本という船の漕ぎ手を射殺す行為だ。戦場での行き脚を止める(クーデターを円滑に実行する)為に罪のない者を殺した」

 

 国家をより良き方向に導く。そんな志を掲げる指導者は確かにいなくなった。クーデター側が勝とうと、政府側が勝とうと、この国の未来は暗い。

 だからこそ、ダーリンは私をこの国から解放しよう(にがそう)とした。

 

「罪がない……本当にそうかしら?」

 

 対して戦士は、熱を含んだ回答を放つ。

 

「例えば、与党副幹事長筆頭の中島議員。財務委員会に根回しして、年度予算を戦時圧縮したって言ってたわよね。世間じゃ結構な評判よね。スマートで最大効率の戦争だって喝采されてた……でも」

 

 その真相ぐらい貴方だって知ってるでしょう?

 

「経済界上がりで自動車を中心に第二次産業と密接な方だった。六連星造船との収賄容疑すら検察も踏み切れなかった重鎮。他ならぬ()()()()()の立役者で支援される地盤もあった」

()()()()()()()()()()()。食い扶持にすら生計を立てられない。メディアが取り上げるくらい彼の口癖だったわよね。まして、村上防衛大臣とは同じ北関東育ちと懇意だった。そして彼が南太平洋撤退論を提唱したタイミング……そこの御夫人だってもう分かるでしょ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦士は汚職と利権の為に国防が売られたのだと諭してくる。

 

「何の証拠もない」

「証拠はあっても諸事情で追及できない……の間違いでしょ?」

 

 ダーリンが渋い顔をするのが見える。

 

「……少なくとも、歳費を減らす必要があった。戦線の縮小とはそういう事だ」

新自由連合盟約(ニューコンパクト)を掲げて南洋諸国に取り入って資源も人材も搾取し続けた。それを正当化する為の駐留軍でしょ。けど用済みで蜥蜴の尻尾を切るつもりだった。第四次ミクロネシア海戦で現地民諸共が玉砕する……それがお偉いさんの書いた三文芝居(シナリオ)。反抗する力も残さず、亡命政府樹立程度で手を打とうとした」

 

 もちろん密談の録音くらいは抑えてるわよと戦士は嗤う。

 

「それが結果的に10万人規模の難民に膨れ上がってさぁ大変。節約した筈が、死ぬ予定だったヒトを養う為に公費を投じるようになりました。メデタシメデタシ」

 

 彼女は大袈裟に両手で拍を打つ。勿論、ちっとも祝っているようには見えなかった。

 

「そうよ。罪のない民間人を生き残らせたのこそが一番最初の叛逆(クーデター)だった。他はおまけに過ぎないの。勿論、私の復讐を含めてね」

 

 事実と判断する材料が不足し過ぎている。しかし、妄言だと否定しないダーリンの姿勢は変わらない。黙ったまま、聞くに任せる彼。なぜ議論をしようとしないのだろう。

 私が彼なら、国防産業の再編とそれがもたらした技術革新を話す。プレアデス重工業が発表した無人戦闘随伴機(ロイヤルウイング)が六連星造船由来の技術というのは有名な話だし、スマートな戦争とはその無人機を使った戦争のことであったはずだ。

 収賄だってそう。中島議員は技術革新の報酬を受け取ったのだと、そう言い換えればいいではないか。

 

「この国は法治国家だぞ」

 

 それなら、違法に盗聴された録音なんて否定してしまえばいいではないか。捏造された証拠(ディープフェイク)だと言い張ってしまえばいいではないか。

 

 それなのに、どうして戦士の()()ばかりを非難しようとするのだろう。

 

 それをしないなら……まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうしないのは、内心の何処かで受け入れているから?

 

「お前は殺人犯だろう。なんのために刑法が存在すると思っている」

「その法治国家サマが悪人を見逃したから、私が仕置きしたのよ」

「どの口が……何人殺したと思っているッ!」

「11人よッ! たった11人とミクロネシア国民10万人を天秤にかけた!」

 

 彼女は吠える。声なき声。時代に封殺される筈だった亡霊の代表として。

 

阿南(あなみ)マコト、大峡(おおはざま)アト、岡ノ上(おかのうえ)リョウヘイ、金子(かねこ)ダイキ、紺箭(こんや)ソウスケ、高薮(たかやぶ)ユハ、松藤(まつふじ)ミワ、交川(まじかわ)ジョウコウ、萬田(まんだ)ナオキ、(やす)ハジメ……そして最後に――――――第8護衛隊群第3分遣隊初代司令官、瀬戸月ミナト」

 

 それがミクロネシアを守るために殺した人間の数だと、()()は告げる。

 それなのにと、彼女は続けた。

 

「なのにこの国は、自分達の勝手な都合で産み出したミクロネシア難民を排斥しようとした……この国がそうあり続けるならば、私の――――――彼が護ろうとした世界の敵なのよ」

 

 



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第53話 あなたに白銀の銃弾を

「なのにこの国は、自分達の勝手な都合で産み出したミクロネシア難民を排斥しようとした……この国がそうあり続けるならば、私の――――――彼が護ろうとした世界の敵なのよ」

「話にならない、私は……我々はお前が殺した人間の話をしているんだッ! 深海棲艦から祖国を護った英霊(ミクロネシア)の話はしていない!」

「あら? 彼らを殺したのは()()()()()()()? よかったじゃない、後方(うしろ)でふんぞり返っているだけじゃなくて、ちゃんと命を張って国民の盾(デコイ)になれたんだから」

 

 おかげで本土侵攻を許しているのに犠牲者はほんの僅かよと、戦士はさも誇らしいかのように嗤う。

 

「それに、その英霊とやらを殺したのは(さきにやったのは)あんた達よ」

 

 だからこそ()()()()()なんじゃないかと。戦士は宣う。

 

「これは受け売りだけどね、人間ってのは心優しくて、争いごとをなるべく避ける穏やかな生物なんだってさ。正直信じてなかったけれど、やっぱりこうなるとはね(やさしくない)

「……あり得ない。この国は、我が国は民主主義国家だ。民主主義国家というのは…………」

 

 何かを言おうとして、言葉に詰まるあなた(ダーリン)

 あなたは知っているのに、それでもまだ否定する(たたかう)のだろうか。

 

「……正気じゃない。暴力革命(テロリズム)に正義はないッ!」

「狂気はどっちだか、私たちの敵は深海棲艦じゃないの? それがどうして、身内(おなかま)同士で殺しあわなきゃいけないのよ」

 

 そう吐き捨てて、戦士は目の前の国防軍人……2等海佐の飯田コウスケへと再び詰め寄る。

 

「貴方なら……貴方ならどうするの、飯田コウスケ。見捨てられてお前は死んで来いって言われた事がある? 自分の喉を真綿で締められながら、大人しく玉砕しろって言われて納得できる!? そうやって雁字搦めに瀬戸月ミナト(あのひと)は死んだのよ!」

「……我々は、そのために生きているんだよ。瀬戸月(かれ)も、飯田(わたし)も」

 

 死ぬために。仕える祖国のために死ぬためにと、彼はうめくように漏らす。

 

「そのためならあなた、奥さんの命すらも業火(ほのお)に焚べるのね? 今日の暖を取るためだけの薪木に、明日には消え落ちる刹那の燃料(いのち)として使えるのね?」

「……刀は、斬り手によって名刀にもなまくらにもなる」

「流石は政治家の息子ってところかしら、言葉遊びがお好きなこと」

 

 でも、それって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わよねと戦士が嗤う。

 彼女の視線は、確かに私を捉えていた。

 

「私はこの力の使い方を決めたの。これは瀬戸月ミナト(あのひと)の世界を護るため。あの人が護ろうとした『平和』を保持するために使う」

「御高説は結構、たかだか数十万の命を守ることが『平和』というなら。こちらも1億の『平和』を守るのみだ」

「それで用いるのが警察力(ぼうりょく)ってワケ?」

 

 テロリズムを否定したところで結局は同じ穴の貉じゃないかと戦士が嗤う。

 

「それは、そうだろう。()()()()()、正統な政府を護らねば」

「薩長土肥が倒幕運動(テロリズム)で作り上げた新政府が正統な政府ですって? 呆れた」

「ならば、日本を捨てろ。我が国を乗っ取るつもりはないと言ったな、それを言葉ではなく行動で証明してみせろ。よく言うだろう。国政に不満があれば海外に移住すれば良いと」

「そうね。とっくにそうしたい所なんだけど、私が日本人である事に拘る人がいるからまだ早いわ」

 

 そう要領の得ないことを戦士は言う。その表情こそ兜に隠れて窺い知ることは出来なかったが――――――。

 

「平和艦隊――――――いえ、お洒落に太平の艦隊(パシフィックフリート)とでも言おうかしら。私達は深海棲艦との戦争に()()為に此処に在る」

 

 ――――――その姿はまさに、聖戦に身を投じる……殉じる者に見えた。

 

「米国がハワイ奪還作戦に失敗したって知ってるわよね? 実はあそこ、私達が手に入れたのよ」

「何だそのフェイクは。訳がわからない」

「さて。情報の真偽はさておき、()()()()()()は叛逆者の根城を知ってしまった。そこの討究作戦なんて実行したら大手柄よね。でも、どうして場所が分かったのかしら? ……そうやってゆくゆくは貴方も孤立するわ」

使い捨てる(その)ために私はいる。構わんさ」

「ええ、()()()()()()()()()()()。じゃあ()()()()()()()()()()()?」

 

 私は未来の彼女(あなた)よと、戦士は告げる。

 

「夫が国のために使い潰された。自分もその道具として片棒を担がされた。それであなたはこの国を擁護できる(まもれる)? このどうしようもない国を」

「やめろ、彼女は関係ないだろう」

「いいえ関係あるわ。彼女(あなた)恋する乙女(わたし)だもの」

 

 ピシャリと退けて、戦士は私に問いかける。そして魅力的な提案をしようと彼女は続ける。

 

「平和艦隊はこれから各地の深海棲艦に対して斬首作戦を繰り返す。そしてリーダー個体を喪った海域に、私達の息がかかったバケモノモドキを据える」

 

 そうやって奴らとの共生を図っていくのよと、架空の青写真を描いてみせる。

 

「サンプルケースもあるわよ? 米豪の交易網は、ハワイを介して疑似的に復旧している。これをスタートに、まずは太平洋を時計に周りに固めていくわ」

 

 インドネシアにマレーシア、インドにタイにフィリピンベトナム中国と、アジアに存在する国名を次々と挙げていく彼女。

 

「太平の世を創り上げるための包囲網……大東亜共栄圏マイナス日本って言えば分かりやすいかしら?」

 

 そのタイミングに至るまで、私達には協力者が必要なの――――――逆説的に、そこまでいってしまえば日本も協力せざるを得ないだろうと、彼女は続ける。

 

「私達が必要なくなるまで――――――つまり凱旋するまで、あと20年はかかるわ。それまで密接に連携し、志は違えど日本という国家を維持してくれる指導者がいて欲しいの」

 

 もう言わんとすることは分かるわよねと、彼女は手を差し出した。

 

「取引をしましょう、飯田コウスケ。私はこれからも必要とあらば手を汚す。武力を掲げて障害を討ち果たしましょう」

「そんなことのために叛逆者(テロリスト)と肩を並べろと」

「あら? オマケ(オプション)で大陸をぶっ潰してあげるのに?」

 

 しれっとトンデモないことを言ってのける彼女。大陸を潰す? そんなことが出来るとでも?

 

「言い方を変えましょうか、あなた方は()()()()()()()()()()()。汚れ仕事は全部私たちがやってあげる」

 

 どう、魅力的でしょ?

 それはきっと、許されざる提案なのだろう。この国の邪魔者を全て排除してやる、その対価に国を売れという、恐ろしい取引。

 そしてこの国にとっては、恐らくは魅力的な取引。

 

 血は全部流してやる、だから言うことを聞け――――――それはまるで、往年(かつて)宗主国(アメリカ)属国(ニホン)の関係ではないか。

 

 米国のアジア撤退からおよそ10年。一度は()()()()()()()()()()()()()()。しかしこの国は、再び己が身すら守れなくなったと突きつけられたのである。

 

 

 

 

「戦後は続くよ、どこまでも……か」

 

 ぽつり、と。あなた(ダーリン)は漏らす。それから彼女の握手には応じず、口を開いた。

 

「……後で答える、ではダメか?」

 

 それは随分と、妙なはぐらかし方だった。結論は知っていると認めつつも、ここで答える権限がないと、今は間が悪いので勘弁してほしいと、そう言わんばかりの調子で。

 

 

 それは恐らく、事実上の()()()()

 

 

「別に急いでないわよ。そうしたら……決めた。彼の一周忌に会いましょう」

「待ち合わせは墓前でとでも言うつもりか」

 

 仮に待ち伏せしたらどうなるんだとダーリンは笑う。

 

「別に? 一個師団くらいじゃ傷一つ付けられないと思うけれど」

 

 そうして白銀を靡かせて、彼女は闇夜に溶けていった。

 残されたのは、波の音だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 身を起こした彼がご丁寧に置いてあったサバイバルキットで火起こしをする。

 

 その様が、疲労と重責で押しつぶされそうで。

 あんまりにも惨めで。

 まるでこれから……消えてなくなってしまいそうで。

 

 そんな焦りからつい背後に抱きついてしまう。それで止められたら苦労なんてしなかったのに。

 

「お願い、もう戦わないで」

 

 それは懇願だったと思う。

 目の前のヒトのことを想って発せられた懇願を、我儘とは呼ばないと想う。

 

「……こんな国、棄てちゃえばいいじゃないですか」

「棄ててどうする」

「どこか、どこか平和な場所にいきましょう。暮らしは厳しいかもしれないけれど、最低限生きていられればそれでいいんです。それではダメなのですか」

 

 返事はない。

 沈黙は肯定を意味している。

 

「仕事を成し遂げなければ、キミと一緒にいることも叶わない」

「私は」

「これは資格の問題だ」

 

 冷たく。熱く。あなたの言葉が私の耳朶を叩いて、意味に変換されて。

 それは身体の中へと落ちていく。

 

「事ここまで及んだ以上、家族全員で亡命する選択肢もあるだろうな。だが英国に渡ってどうする。英国海軍の客として仕事をするのか? ロンドン郊外に一軒家を買って、電気自動車でホワイトホールに出勤して……」

 

 その光景を、私は鮮明に思い描くことが出来る。

 

 慎ましくも幸せな生活。

 叶うことがないと知っているからこそ光り輝いて見える――――――どこにでも転がっているような日常。

 

 ただそれはね、無理なんだよ。そう彼は、分かり切ったことを言う。

 

「この国を棄てたとき、私はキミの隣に並び立つ資格を喪うのだからね」

「そんなことは」

「もういいんだ」

 

 そこにはどこまでも、柔らかい拒絶があった。

 この国の故事にある「のれんに腕押し」とはこのことを言うのだろうか。頭の中の義妹が「部分的にはそう」と返すのを聞きながら、私は言葉を探す。

 

 探さないといけないほど、私たちの間には埋められない溝があった。

 

「私は。私の名前は『飯田ヒカリ』です。これは貴方の隣に、貴方に並び立つための名前です」

「名前は看板でしかない。機能を持たせるための、部品(パーツ)に過ぎない」

「でも、あなたは――――――!」

 

 喉がつかえる。気道が上手く開いてくれない。

 あと少し息を吐き出して、舌の上で加工するだけで、言葉になるのに。

 

 結局のところ、私は。認めたくないのだ。

 

「あなたは、その看板(ワタシのなまえ)を愛してくれたではありませんか!」

「愛しているからこそ、私はその道を選ぶんだ(キミとわかれるんだ)

 

 もう全部が終わったからと。この国に2人の居場所はないのだと彼は言う。

 

「この国は終わりだ。キミだって分かっているだろう?」

 

 なんで、なんでなんでなんで。

 どうして私を見てくれないんだ。私という存在を知っておきながら、どうして私から離れていくの。

 なんでこの期に及んで、一人で背負おうというのか。

 

 戦士が呼んだらしい迎えのボート。そこには先ほど見た顔、彼に付き添っていた軍人や小柄な艦娘の姿が見える。

 

「時間だな」

 

 無慈悲に喚く目覚まし時計のように、内蔵されたプログラムに従うかのように私の身体を引き剥がすあなた。行かせまいとその大きな背中を抱く私。

 

「彼らに送らせるよ」

「ダーリン!」

 

 もう一線は飛び越えた――――――ならば今更、なにを躊躇うというのか。

 

「私を、使っては頂けないのデスカ?」

「なにを……」

「私はこの国に託された(ちから)なのでしょう? それをどうして使わないのですか」

「私の話を聞いていなかったのか。それは」

「時に諌めることも、家臣の務めではないのですか」

 

 あなたは答えない。出来ないのか、する気がないのか……もしくはその両方か。

 

 ずっと、行かないで欲しいと思っていた。私の事だけを見て、私の場所にずっと留まっていて欲しいと……そんな叶わぬことを考えていた。

 けれどそれを叶える方法が、ひとつだけある。

 

 

「私が――――――あなたの銀の弾丸(シルバーバレット)になります」

 

 

 

 

 

 

 

 


 



 




 

 

 

 

 

 ポーンと、掛け時計が音を立てる。何回か鳴って、今の時間を教えてくれる。

 気付けばすっかり、焼き菓子(スコーン)も紅茶も冷めてしまっていた。

 

「……それで」

 

 どうなったのかと、そこまで続かない言葉を継ぐように彼女――――飯田コウスケ横須賀総監の妻であり、K&Iセキュリティーズの役員にして白鳥部隊(ホワイトスワン)の戦艦〈ヒラヌマ〉――――飯田ヒカリは告げる。

 

「ユウグモ、それは貴女も知っているとおりですよ」

 

 

 飯田コウスケ(ダーリン)は英雄になったと。彼女は寂しげに言う。

 

 土壇場でのクーデター鎮圧()を成功させた愛国者(立役者)。そしてクーデターの直接的な原因となった中部太平洋への自衛隊派遣と撤退――――――それら全ての原因を追及する、憂国の士(告発者)

 

「……それが、ミクロネシア疑獄の真相ってことですか」

()()()()()()()()()()()ね。ユウグモ」

 

 目の前の女性が妙なことを言う。信じるもなにも、それが真相という話ではないのか。

 

「心が折れたとき、ヒトは二つのモノを求めるのです」

 

 それは正義と悪だと、彼女は言う。

 

 なるほどミクロネシア疑獄とは、正義と悪の戦いだった。

 ミクロネシア派遣に至るまでに交わされた密約の数々とミクロネシア戦役のさなかに行われた法に抵触しかねない(グレーゾーン)行為。それを正そうとした自衛官の数人が不審な事故や事件に遭っているという疑惑。

 軍部(せいぎ)政府(あく)という対立構造に単純化されてしまったそれは、ヒトの弱さをまざまざと見せつけてきた。

 

 ヒトは無責任だ。

 正義を体現する英雄に計りきれないほど膨大で無責任な希望を押しつけ、悪を体現する犯罪者たちに己の抱える全ての鬱憤をぶつける。

 ミクロネシア疑獄で、世間は犠牲になった(この世にいない)政治家たちを「悪」と定義した。

 

「もう()()()()()()()()()()()()()()()()

「しかし……今の話が本当なら、この国はその……太平の艦隊(パシフィック・フリート)とかいうのに支配されているのではありませんか!?」

 

 気付けば立ち上がっていた。あの日感じた無力の答えが、私たちの知らない場所で全てを操り欲しいままに命を奪う()()()()()の存在が、確かに見えようとしているのに。

 

()()()()()()()()()()()()()?」

「え……?」

 

 訳が分からなかった。問題しかないではないか。

 

「平和艦隊のやろうとしていることは冷戦時代のアメリカと同じです。自国の軍隊を各地に派遣し、各国の兵隊にも戦わせて……そうして巨悪(ソビエト)を討ち滅ぼしました」

「でも、その過程で……」

()()()政治家34名に警察官27名、軍人141名と民間人5名ですよ」

「しょせん、は……?」

 

 喉に熱が篭もる。対流したそれが頭へと登って、血液がふつと沸く音が聞こえる。

 ぷつり、と。私の中の何かが切れようとしていた。

 

「無駄ですよ、駆逐艦(ユウグモ)(ミー)は戦艦デース」

 

 殴りかかってきても無駄だぞと。ヒラヌマへと切り替わったその女性(かんむす)が言う。私は鉄の自制心で辛うじて自分を押さえ込み、ソファへと戻る。

 

「私は英国の出身デース。だからこの国がどうなろうと構わないのデス」

 

 けれど愛しのあの人(ダーリン)だけは別だと。彼女は続ける。

 

「あのヒトは……脆いヒト。放っておいたら切れてしまうような、弱いヒト」

 

 それがヒラヌマとして闘いに身を投じる理由かと、私は内心で思う。

 そういえば、あの月夜にマレー半島で出会った深海棲艦(ブラックスワン)も言っていたではないか。

 

 

 

 ――――――愛する(ヒト)を、守るためよ。

 

 

 

 

「……馬鹿なヒト。国すら棄てられない愚かなヒト――――――それが、私の愛するヒト(マイダーリン)

 

 彼女には飯田コウスケの妻(飯田ヒカリ)でいる選択肢があったはずだ。

 けれどもそれは許されなかった。他ならぬ時代が、平和艦隊が……そして彼女の旦那が。

 

「私はダーリンの隣に立ちたいのデス。でも今の日本を彼は受け容れられない」

 

 平和艦隊(よそもの)の力を借りて国を守る。そうすれば自国の民が犠牲になることは確かになくなるだろう。実際、()()()()()()()()()()()()

 

 けれど今回は?

 超大国(アメリカ)を既に破った深海棲艦(やつら)に、本当に他人任せにして勝てるのか?

 

 夕雲(わたし)はそうは思わない――――――そして飯田コウスケ(ヒラヌマが愛するヒト)も、そうなのだろう。

 だから飯田ヒカリ(かのじょ)戦艦(ヒラヌマ)になることにした。己を弾丸にして戦うと決めた。

 そのためになら――――――平和艦隊(ブラックスワン)を討ち果たす「銀の銃弾(シルバーバレット)」にすらなってみせると。

 

「……私には、正直わかりません。今の話が本当なのかどうかも」

「ナラ、平和艦隊にも同じ事を聞いてみるとイイネ。きっと私と同じ事(じぶんかって)を言うでしょうカラ」

 

 きっと彼女は、白鳥部隊(ホワイトスワン)には「対話」などという生易しい選択肢は存在しないのだ。黒と白が混ざってしまっては、灰色にしかならないのだから。

 それでも、ひとつだけ聞きたいことがあった。だから口を開く。

 

「ヒラヌマ、あなたはそれでいいのかしら?」

 

 毅然としていろ。(おまえ)は駆逐艦〈夕雲〉だろうと。そう言い聞かせながら私は目の前の戦艦へと問いかける。

 彼女は深淵を覗いている。その深淵のもたらすものを知ってなお、進もうとしている。

 

「白鳥部隊の行き着く果てに待つものは……」

「オット。みなまで言わなくても大丈夫デース。そういうのは野暮ってモン、デショー?」

「理解の上だ、と。そうおっしゃるのですか?」

「アラ、ご存知ないのデスカ?」

 

 

 恋と戦争は手段を選ばないモノなのデスヨと、彼女は嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2021年12月30日に初頒布した同人誌「あなたに銀の銃弾を」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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幕間「櫻の花びら、散る頃に」
第54話 菊の花びら咲く前に


【TIPS】プレアデス重工業(ぷれあです-じゅうこうぎょう)

 日本の輸送機械製造メーカー。略称はPHI。第二次世界大戦後に占領軍より財閥会社として解体を命じられた企業を母体とする企業群により設立された。現在では艦娘艤装製造に関わる主要企業(いわゆる艦娘5社もしくは7社)の一角を占める。
 艤装製造部門においては開発から製造までの自社一貫方式を採用しており、特に使用者の所持霊力により大きく能力が左右される霊力戦特化型の艤装に強みを持つ。

【TIPS】霊力防壁の研究とその能力について

 霊力防壁は特務艇艤装および特務神祇官(いわゆる艦娘)による深海棲艦対処行動における主要技術(キーテクノロジー)である。深海棲艦の物理干渉阻害能力については研究の対象であり、人類で初めて転用に成功したのはプレアデス重工業であるとされる(要出典)。霊力防壁の実用化により神祇官を前面に押し出す戦術である「霊力戦」が現実的な対処法として確立され、現在の戦線維持に貢献している。
 霊力防壁はその強度によりカテゴリ分類がなされており、基本的には霊力防壁と装甲板を併用することにより「速度の減衰した弾頭を弾く」運用がなされる。



 概ねご賛同頂けるとは思うが、世の中の九割九分は理不尽によって構成されている。

 

「……ちょっと待ってくださいよ。そりゃいくらなんでも無いじゃないですか?」

 

 目の前に突きつけられたのは一枚の通知書。随分と官僚的で迂遠な言い回しを取り除いて現代語訳すると、そのには「プロジェクト中止」と書かれている。

 

「それはむしろ私の台詞だがね。前からおかしいとは思ってたんだ、このプロジェクトにはやけに予算が下りやすいってな」

 

 計画(プロジェクト)に予算が下りるのは当然のことだろう。

 そもそも国が必要と信じて、わざわざ各企業に大学から技術者やら研究員を引っ張ってきたのである。ここまでやって予算が付かなければそれはもう何かの冗談だろうか。

 ……というのが正論。

 

 そして目の前の明日から上司でなくなる人物(プロジェクトリーダー)が机に叩きつけるのが、その正論をぶち壊す「理不尽」。

 

「この中島議員とかいう悪徳政治家、お前の親戚なんだってな? 予算の優遇は()()()()からの口利きか、えぇ!?」

 

 汚い金で食うメシは旨かったかと、机を音が出るように叩いて罵る彼。

 それならお前こそ汚い金で仕事をするどころか()()()()にありついていたじゃないか。そもそもお前が怒っているのは収賄なんかよりプロジェクトが中止に(仕事がなく)なることで……そう言いたくなる気持ちをなんとか堪える。

 

 仮にそれが正論だったとしても彼は受け入れないだろう。

 元は天下の神崎重工で課長だったという彼、戦争が始まってからは子会社のK&Iシップヤードの窓際に出向(とば)され、いまや専門外の霊力防壁強化プロジェクトの責任者。

 

「だいたいそもそも、なにが特務神祇官、なにが霊力戦だ! 役にも立たない鉄屑積み上げて、それでどうなった? 大敗北じゃないか!」

 

 その後にも理解したくもない罵倒が続くが、叫べば叫ぶほどに彼がプロジェクトに必要な専門知識を持っていなかったことをひけらかすのみ。

 つまり彼は責任を取るための首切られ役(トカゲのしっぽ)。不満はあったが給料の魅力から引き受け、そして給料分の責任を取らされる訳である。

 

「お飾りで良いから三年間デスクに座っていろと言われた、国がバックアップする重要事業だから失敗にはならないと俺は聞いてたんだ、その結果がどうだ! ダンピング? 税金泥棒? ふざけんじゃねぇ!」

 

 知るか、ふざけるなと言いたいのはむしろこっちである。

 確かに中島議員の収賄については事実だと思う。コンプライアンス重視の現代社会では、料亭で接待を受けるだけでも収賄扱いされかねないし、なにより中島議員(かれ)は旧いヒトだった。

 しかしその親戚、遠縁の人間が関わっているというだけでプロジェクトを中止に追い込むのはどうなのか。まさか連座制なんて古代の()()()()を持ち出したとでもいうつもりなのか。

 

「お前のせいでとんだ外れクジだ!」

 

 本当に、とんだ外れクジ(りふじん)だ。中島家の者なら誰でも悪人だと思っていそうな彼の言葉を聞き流し、私は背を向けてデスクに戻る。

 プロジェクトが中止になるということは、今すぐにでも自分に割り当てられた机を片付けなければならないということ。

 小さな机に所狭しと並べられた資料の山を片付けなければならないと、そう考えるだけで憂鬱になる。

 

 まだ何一つ、()は誓いを守れていないというのに。また足踏みをさせられるのかと――――――そう考えるだけで、頭が割れそうになる。

 

 

「……ようやくもどって来たのね」

 

 そして、こんな時に限っていつも。彼女は謀ったかのように待ち伏せしているのである。

 

「待っている必要はなかったぞ」

「どうなるのか、少しでも早く知りたいじゃない」

 

 プロジェクトの中止、それは分かりきっていることではないか。それなのに問うてくる彼女。その短くまとめられた黒髪の艶に既視感を覚えて、私――――――特務艇艤装抗たん性強化プロジェクト霊力部門主席研究員である中島サトルは視線をそっと外す。

 

「オワリだよ。全部終わりだ」

 

 お前も荷物をまとめて自衛隊(ふるす)に帰るんだなと吐き捨てて、机に広がった本やらファイルやらを段ボールに突っ込んで行く。

 

「……帰れませんよ。国防軍(あんなところ)になんて」

「そうかい」

 

 じゃあお前は、私にノコノコとついてくるのか――――――その言葉は飲み下して、内心でそっとため息を吐く。

 その実、私は山城という艦娘を苦手としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 株式会社プレアデス重工業の研究拠点は北関東に位置している。海から近すぎも、遠すぎもしないこの場所は、周囲に民家がないことも相まって絶好の場所なのである。

 

「……不幸だわ」

「不幸なものか。カテゴリⅣの霊力防壁は想定通り35mm弾を防ぐことは出来なかった。仮にその試験弾が『跳弾したとしても』その事象自体は想定の範囲内だよ」

 

 世の中は昼食時。つい先ほどまでは建屋を埋め付くさんばかりに居た人垣もどこかに消え失せてしまった。なぜなら、今はお昼の休憩時間だから。

 そして、私の経験則ではあと五分で会話を畳まないとA定食が売り切れる。

 

「……馬鹿にしてます? そんなこと、私だって知ってるわよ」

「そうだろう。だから無傷で済んだ。社用携帯は確かに、運がなかったが」

 

 それを不幸とは言わないだろう……と、慎重に選んだ言葉だが、しかし彼女は返事も寄越さない。彼女の目の前には原型を留めるどころの騒ぎではない携帯端末。

 そう、つい十数分前。この建屋にてもはや連絡用端末としてしか存在を許されない小型携帯端末(PHS)がまた一つこの世から姿を消したのである。

 

「まあ、なんだ。これは実験を預かる主席研究員、つまり私の不手際だ。端末は明日にでも新しいのを支給されるし、私の立場としては、とにかく君が無事で……」

 

「なに? 私が傷つかなくて良かった? えぇそうでしょうね。私という被検体(モルモツト)が無事なら明日も実験が続けられますからね」

「……試験実行者(テストパイロツト)だ。頼むから自暴自棄にならないでくれよ」

 

 どこで言葉を間違えたのか、それを議論するべく脳内には倫理委員会が臨時開設されて――――しばらくの不毛な議論の後に解散させられる。

 

 感情の制御においては理屈が肝要……という原則論に囚われるほど愚かではないつもりだが、彼女の苛立ちの源がなんなのか分からなければどうしようもない。

 いや、心当たりがないわけではないのだ。実験は上手くいってはいる。カテゴリⅣの霊力防壁は理論通りの耐久力を発揮した。そして、それこそが問題。

 

「失敗はお前のせいじゃない」

「自分のせいだって言いたいんですか? そういうのを自惚れ(うぬぼれ)っていうんですよ」

「そうじゃなくて、つまり。失敗は成功の母とも言うだろう?」

 

 失敗、挫折。誰しも一度はぶつかる壁。私が学校教諭(せんせい)であったのなら、予め定められた答えを示すこともできたのだろうが……同じ壁にぶつかっている身としては、言葉の代わりに中途半端な反復横跳びを繰り出すことしか出来ない。

 

 そんな私を見て、バツが悪そうに眼を逸らす彼女。

 その視界に時計が入ったのか、くるりとしかめ面が私に向けられる。

 

「あー……もうこんな時間。社員食堂(しゃしよく)満席ですよね。最悪」

 

 その事態を招いたのは君のせいだろう、とは言わない。

 そんなことを言った日には彼女の上空には低気圧が出来て列島は線状降水帯に見舞われることになるからだ。

 

 というわけで、私は手早く彼女に代替案を提示する。

 

「いやしかし、社員食堂自体が満員でもなんだ。最近は外のテラス席が空いてるだろう。あそこならお洒落だし、まあ、いいんじゃないか?」

「テラス席がお洒落?」

 

 それ、本気で言ってます?

 言われてもいないのにそんな声が聞こえてきそうな表情。今回も間違ったことは言っていない。

 そう、間違ったことは言っていない。

 

「まあ……名前的には? お洒落なんじゃないか?」 

「枯れ木とフェンスと、実験棟だけが見えるテラスがお洒落にみえるんですか。美意識どうなってるんです? もしかしてお母さんのお腹に置いてきました?」

「そこまで言わなくてもいいじゃないか……!」

 

 ともかく、これ以上付き合っていては定食が売り切れてしまう。

 私はまだ色々言う彼女を連れて社員食堂を供える事務棟へと足を運ぶ。

 

「はぁ~、良い天気だな」

「……曇ってますケド」

「紫外線に焼かれずに済む」

「UVは天気関係ないですよ。科学者なのにそんなことも知らないんですか」

「……専門外だ」

 

 そんな調子で喋りつつ、彼女はぴったりと私についてくる。今に始まったことではないので、私は気にせず歩みを進める。

 食堂は盛況そのもので――こんな辺鄙な場所では他に昼食を提供している場所もないのだから当然だ――残念ながらA定食は売り切れていた。

 今回は想定よりも減りが早かったらしい。

 

「B定食を」

 

 注文すれば、すぐに出てくるトレーに乗せられた定食。

 

 主菜副菜に味噌汁と米。一般的な和定食。

 それを見た彼女は口を尖らせる。

 

「なんでB定食なんですか」

「鯖が好きだからだ」

 

 断じて、A定食が売り切れていたからではない。

「……私のせいで買いそびれたなら、そうだってハッキリいいなさいよ」

「私の認識が正しければ、神祇官は精神感応(テレパス)持ちではないハズだが?」

「口に出さなくても、顔で分かるわよ」

 

 口に出してもいないことで文句を言われるのは理不尽以外の何物でもない。

 何も言わずにテラスに出た私に、同じく焼き鯖を載せたトレーを持った山城が続く。

 

「うぅ寒い。どうして社食には人数分の席がないんでしょうね」

 

 そう言いながら彼女は丸机にトレーを置いた。お洒落なテラス席の目の前には銀杏(いちよう)の並木。葉が生い茂れば眺めになるテラスも、こう寒くては誰の姿も見えない。

 私がプラスチック製の椅子を引いて座ると、彼女はしれっと隣に座った。

 

「……いただきます」

 

 無言。食事の最中に喋るのは行儀が悪いという話でもあるが、勤務日の昼食とは午後に向けての栄養補給であるという側面が強い。

 消化を阻害しないようにしっかりと咀嚼しながら栄養素を注ぎ込んでいると、隣からの視線が段々と強くなる。

 

 おそらく、あの話だろうな。

 あたりをつけた私は、鯖を呑み込んで口を開いた。

 

「昨日の評価試験、レポートに目は通したぞ」

「私、まだ何も言ってないんですけど」

「どうせ話題もないんだ、今のうちに片付けておくのが効率的だよ」

 

 納得したのかしてないのか。そう、とだけ彼女は呟く。

 

「……酷いものだったでしょ」

 

 実際、試験の結果は良好とは言い難い。

 しかしそれを、あたかも自分のせいだと言うような口調は頂けなかった。

 

「いや、どうせ神崎も八菱も上手くいってないんだ。焦ることはない」

「慰めてるなら止めて」

「事実を言ったまでのことだ」

 

 艦娘に関わる根幹技術……霊力というのは摩訶不思議な存在である。それはいうなれば理不尽の塊。

 霊力工学という新分野の登場から僅かに十年程度、如何に国の研究機関を総動員したところで解明にはほど遠く、助成金を交付された民間企業もこぞって手を焼いている――――――だから、成果が出ないのは仕方ない。挑戦しては失敗(トライ・アンド・エラー)を繰り返して答えを導くしかないのだ。

 

「よく言うわよ。焦っているのは自分のクセに」

「実践の正解はない、理論の正解は一つだけ。失敗が前提の評価試験とは訳が違う」

「評価試験も失敗していいものじゃないわ」

 

 それは確かにそうだろう。

 性能を評価する際に運用方法が違っていては比較が出来ない。それにも関わらず結果が安定しないとなれば、原因は実験者にあるということにもなりかねない。実のところ、人間ほど不安定な挙動をする()()はないのだから。

 

 とはいえ、それは彼女を責める理由にはならないだろう。失敗は成功の母と言われるとおり、実験は失敗も含めて実験なのだ。失敗の原因を追求した先に答えがある。

 ――――そして、その「答え」を見つけることが出来ていないのが、この閉塞した現状の根本的な原因だった。

 

「ともかく、失敗はお前のせいじゃない」

「じゃあ何ですか。自分のせいだって言いたいんですか?」

 

 目を釣り上げてそんなことを言う彼女は、どうも私の言葉がよほど気にくわないらしい。トレーに箸を叩きつけるように置くと、ものすごい勢いで身を寄せる。

 びしり、そんな音が聞こえてきそうな人差し指が私に向けられた。

 

「……ヒトを指で差すのは、その。よくないぞ」

 

 私の常識的な指摘を無視して、彼女は続ける。

 

「自惚れないで下さい。チームの主席だかなんだか知りませんが、あなたひとりで研究している訳ではないんですからね? それに……」

 

 そこに続く言葉はない。急にしぼんだ言葉尻と同様に身を引く彼女。

 今度はこちらが身を乗り出す番だった。

 

「それに、なんだよ?」

「なんでもありません」

「言いたいことがあるなら言え、忌憚なき意見交換のなされない現場に未来はない」

「イヤです」

「お前の小さな助言が、大きな発見に繋がることだってあるんだぞ」

「強要しないで頂けますか? 無理に言わせるとかパワハラです。パ・ワ・ハ・ラ」

「ぱわはら……だと?」

 

 パワハラ、パワー・ハラスメント。

 上下関係のある組織において、上の者がその立場や権力を盾に部下に対して職責を超えた要求をすること。

 

「それを言うなら、お前なんて四六時中プレハラじゃないのか」

「ぷれはら?」

 

 私が最後に放った用語を知らなかったのだろう。首を傾げるとオウム返しに言う。

 

「プレイス・ハラスメント。他人のパーソナルスペースを侵害すること」

「なんですかそれ。聞いたことないです」

 

 当たり前だ。なにせ私が今作った言葉なのだから。

 

「周りを見てみろ、寒くて誰もテラス席になんかこないからガラガラだ。つまりキミは私の話を聞きたくなければ別の席に移ったらいい。私はひとりで休憩時間が終わるまでここで過ごす。それで万事解決だ」

 

 しかし彼女は――――分かっていたことではあるが――――イヤですと首を振る。

 

「なんでわざわざ席を移らなきゃいけないんですか? 新手の嫌がらせですか?」

「ああそうかい。じゃあ勝手にすればいい」

 

 私はそれだけ告げると目の前に置かれた定食に視線を落とす。ただ問題として、私は既に定食の大半を平らげてしまっていた。

 原価を極限まで削減しつつ栄養バランスと味を追求した定食は、どんなに噛みしめても同じ味がするだけ――――――苦痛だった。こうして休憩時間を過ごすことが。

 

「もう戻ってもいいか。読みたい論文があるんだが」

「は? なんです、女性を寒空の下に置いていくんですか?」

 

 来たのはそっちだろう……流石に火に油を注ぎかねないので言わないが。

 

「あなたね、感謝した方がいいですよ。私みたいな美女と一緒にご飯を食べられることなんて、一生涯のうちに何度あるか分かりませんからね」

「……それはひょっとして冗談で言っているのか?」

 

 少なくとも、ここ一週間は毎日一緒に食べているじゃないか。そう続けようとして――――――私は致命的なコミュニケーションミスに気付いた。

 

「あなた「念のため言っておくが! キミが美女であることは事実だぞ、ああ間違いない! なんせ私は、いつもキミのことを見ているんだからな!」

 

 事実、神祇官というのは美女が多い……といわれている。

 広報の都合だと鼻で笑う者も居れば、気高い魂の持ち主は須く美しい肉体を持つのだと本気で言ってのける者も居る。

 

 そして私に言わせれば、それは嘘でもあり(まこと)でもあった。

 

 例えば目の前の彼女が町中を歩いたとして、振り返らない男は少ないだろう。引き締まった細い顔に出るところの出た身体つき。入念な手入れが施された黒髪も人々を引きつけてやまないに違いない……彼女の口の悪ささえ知らなければ。

 

「……いつも見てるって、気持ちワル」

 

 ほら、そういうところだぞ。

 

「酷くないか? 私のフォローをなんだと思って」

「フォロー? なんですか、じゃあ嘘っぱちってことですか」

「そうは言ってないだろ……知ってるだろ、見るのは職務上の必要だからだ」

 

 こんな会話を繰り返すのは何度目か。ため息を吐きたくなる気持ちを私は抑える。

 

神祇官(かんむす)は私の研究対象だ。職務上見ているだけのこと。何か問題が?」

「うっわ。そういうこと女性に向かって言うんですか。ホントに訴えますよ」

「わかったわかった悪かった。キミは美人だし私は職権乱用研究員だ。認めるから訴えるのは勘弁してくれ。何度も言うが、今は時間が惜しいんだ」

 

 私の言葉に、あからさまに顔をしかめる彼女。私は胸の底に湧き上がるタール状の感情を抑えつけて、そのままの流れで言い放つ。

 

「あーそうだ。そんな美人なキミに、良いニュースと悪いニュースがある」

 

 どっちから聞きたい? 私の問いに向こうは心底興味なさそうな表情。

「アメリカドラマの見過ぎじゃないですか? まあ、せっかくなんで良い方から」

「私は転勤になる。来月から滋賀にいけとのお達しだ」

「え?」

 

 つまり、我々がこうして昼食で互いにハラスメントをしあうことは無くなるわけだな。淡々と告げる私に、彼女の双眼が丸く開かれる。

 そしてそれは途端にかき消えて、無表情な言葉が続いた。

 

「ふーん。それは良かったですね……で? 悪い方は?」

「上層部がお冠でな。このままだと今月で霊力防壁の研究は打ち切りになる」

「…………え?」

 

 今度こそ、彼女の顔は固まったことだろう。そう、研究の成果が挙げられないのは仕方ない。そして私たちの所属する企業……株式会社プレアデス重工業も民間企業である。成果の挙げられない物事に予算を注ぎ込み続けられる訳ではないのだ。

 

「分かったか。私は焦ってるんだ。今月中に成果を挙げなきゃいけない」

 

 その言葉だけを放って。私はもう戻るからなと席を立つ。

 時間がない、研究を少しでも進めなくてはならない……そう言い訳して、私は彼女に背を向ける。どうせまた「不幸だわ」とでも呻く彼女の相手をするのは時間の無駄だと、さも合理的な理由をつけて。

 

 私は――――――本当の不幸をぶつけられた山城の顔から目を逸らした。

 

 



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第55話 桜の花びら散る頃に

「……なんですか、これ」

「新艤装の検討案だ。見て分からないか?」

「そんなことは分かります。私が言いたいのは、内容ですよ。な・い・よ・う!」

 

 むっとした表情で、分厚いコピー用紙の束で机に叩いて見せる彼女。ダンダンとあまり聞いていて気持ちの良い訳ではない音が耳朶を揺らし、ついでに机も揺らす。

 

「なんですこれ? 重機関銃に携帯型ミサイル、果ては高周波ブレードにレールガンですか。こんなのを検討するのはあなたの仕事じゃないですよね」

 

 ぶつぶつと文句を垂れる彼女。私は分からないのかと一蹴。

 

「当てつけだよ。文字通り壁にぶつかった防壁より戦争に役立つ研究をしろってな」

 

 前提として、艦娘は世間一般に思われている以上に「脆い」――――あらゆる物理干渉を拒絶できる霊力防壁を装備していても、決して無敵という訳ではないのだ。

 

「攻撃は最大の防御。しかし最低限敵の攻撃を受け流せる防御力がなくては……」

 

 私は山城から提案書をひったくると、パラパラと捲り回覧確認の署名をする。新進気鋭の技術者たちには申し訳ないが、せめて現場の声を聞いてほしいものだ。

 

「とはいえ、成果が出せない防御よりは役に立ちそうな攻撃、か」

 

 戦線がはるか遠い南に引かれていた頃は良かったのだ。

 多少負けが込んだところで、大陸沿岸を這うように流れる海上交通網(シーレーン)が侵されることはなかったし、枕元に敵艦載機が現れることもなかった。

 しかしミクロネシアを喪って以来の世界はどうだろう。哨戒網の穴、対処部隊の取りこぼし……そんな小さなミスひとつで市街地に爆弾が落ちる。あっさり貨物船が沈んで食糧販売店から品物が消える。国民は「ギリギリの戦争」に疲れている。

 

「ああクソ。上層部(うえ)くらいは理解してると思ったんだがな」

 

 それとも、予算を湯水のように使いながら成果を出せない自分が悪いのか。いや、論ずるまでもなく自分が悪いか。悪くて悪かったなと自暴自棄に心をかき乱す。

 

「……とにかく、私は私の仕事をやるだけだ。山城――――」

 

 そう声をかけようとして、気付く。

 

「――――お前、なんでここにいるんだ?」

「いまさらですか?」

 

 そう言って、くいと壁を示してみせる山城。その視線の先には壁掛け時計。

 

「シャトルバスどころか、終バスも……はぁ……」

 

 そうか、もうそんな時間だったか。机の上にうずたかく積まれた論文の山をみて、私はため息。時間が足りない。いや時間だけじゃなくて、何もかも足りない。

 

「それで。迎えに来てくれたのか」

「は? 違いますけど。どこかのゴーマン社員が電気を消し忘れて帰ったと思ったので、消しに来たんです……まさか本当に、やってるとは思いませんでしたが」

 

 そう言いながらも後ろの会議机に置かれたマグカップを見て、私は嘆息。

 

「あぁその、なんだ。気遣いには感謝するよ」

 

 とはいえ、それは歩みを止めていい理由にはならないだろう。手を伸ばす。

 

「…………なんですか?」

「え、いやその……あのカップ、私のために淹れてくれたんだろう?」

 

 返事がない。それとも、私は何か解釈を間違ったのだろうか。そう戸惑っていると、山城はもう一度ため息を吐きながらカップを手に取った。

 

「はぁ、給仕まがいのことを時間外(サビざん)でやらされるなんて……不幸だわ」

 

 もう帰ったらいいんじゃないか? 思わず出かけた言葉を飲み込む。

 分かってる、分かってはいる。彼女が何を考えているかくらい。

 

「タクシーを呼んでおいてくれ。それを飲んだら、一度帰ろう」

 

 

 

 

 私たちの勤める研究所は、一言で言えば辺鄙な所にある。会社が出す送迎シャトルバスに穴だらけの時刻表に従ってやって来る路線バス。それらを逃してしまえば……こうして高額を弾き出す料金表示(タクシーメーター)と睨めっこすることになる。

 

「はぁ。またメーターが直前であがりましたね」

「マーフィーの法則だな」

「なんですかそれ」

 

 私の雑学に呆れた様子を見せながら、彼女が扉の鍵穴に鍵を差し込む。

 世の中は理不尽なものだ。本当に。

 点灯するライト。家主を出迎える調度品。仮眠にすら使われなくなったソファに山城が飛び込むように座る。それを見た私は、ため息。

 

「なあ……もうそろそろ、探したらどうだ。家」

 

 彼女がここに上がりこんでから、もうどれだけの時間が過ぎただろう。私がプレイス・ハラスメントなる造語を作り出した理由も理解できるかと思う。

 

「別にいいでしょ。あなた、どうせ私がいないと滅茶苦茶に汚すでしょうし」

「帰らない家が汚れると思うのか?」

「ほら、そういうところ。男ってダメですよね、埃を汚れと認識できない」

 

 悪かったな。言い返す気力もないので私は無言で電気ケトルのスイッチを入れる。

 すると即座に警告音。どうやら中身が空っぽだったらしい。

 

「なにしようとしてるんです?」

栄養補給(カツプラーメン)。来週の会議では、なんとかしない……とぉッ!」

 

 こちらの回答もろくすっぽ聴かず、山城の顔が視界にいきなり現れる。お前さっきまでソファにいただろどうしたんだ、私の言葉を一切無視して、彼女は言う。

 

「少しは、休んでください」

「休んださ、タクシーでは……」

 

 私の言い訳(せつめい)を、彼女は許してくれない。そのまま無理矢理に腕を引かれると――ひとりの男として大変情けない話であるが――そのままソファに引きずり込まれる。

 クッションのつぶれる感触、スプリングの押し返す感覚。意図せず天を仰ぐ形になった私に、山城の影が覆いかぶさる。光源に照らされて影になった彼女の表情は、下界(こちら)からではうかがい知ることが出来ない。

 

「知ってますか? 今日は金曜日です。正確には、もう土曜日ですが」

「……そりゃ、知ってたさ」

 

 そう返せば、またしてもお決まりの台詞が返ってくる。

 

「不幸だわ。どうして私は、曜日感覚小学生のオジサンにこんな基本的な説明しなきゃいけないのかしら。しかも少し匂うし」

「…………悪かったな。シャワー浴びてくる」

 

 起き上がろうとした私を、ところが彼女は腕で押し返す。

 

「いいから。もう寝て」

「寝ていられる状況じゃ」

「いいから」

 

 もはや有無を言わさず、半ば抑え込まれるようにして寝かされる。抗おうとするも身体は正直なもので、まるで重力が何倍にも増幅されたように重くなる。

 

「もう、いい。よく頑張ってるわよ」

 

 そんな声が聞こえる。それはもう、先ほど垣間見えた敬語ではない。

 

 なあ、やましろ。

 お前はどうして、こんな俺に付き合ってくれるんだ?

 

 

 

 

 

 

「待ってください。今月末までは待ってくれるって話だったじゃないですか」

 

 状況が変わったんだと、デスクに座った彼はあっさりと言ってのける。

 

「国がな、新型霊力防壁の開発を中止する場合は補助金を引き上げると言ってきたんだ。つまり、既に支払われた分まで返納しろということだ」

 

 この国も酷く貧乏になったものだよな。そうぼやく上司はしかし、他人事。

 

「補助金を引き上げるから、いますぐ撤退しろと?」

「あーいや。別にそうは言っていない。しかしな」

 

 言葉を濁した上司は立ち上がると、そっと私の肩に手を置いた。

 

「次のプロジェクトの編成、どうも上は早めたいらしいんだ」

「詰まっているから、次にいけ、と……」

「そうだ。キミには期待している。防壁はまぁ、どこがやっても上手くいかなかったんだから仕方ないさ」

 

 仕方ない? そんな一言で、片付けてしまうのか。

 

「部長は」

 

 ご存知ですか。そう続けようとして、何を言おうとしているのだろうと自問する。

 特務神祇官が安全な仕事だというのは、大嘘だ。霊力防壁により敵の攻撃を防げるなんてのは幻想に過ぎない。そもそも海の上は陸地とは何もかも違う。海の上には隠れる場所などなく、彼女たちは薄っぺらい防壁にその命を全て託すことになるのだ。

 その重要性を――――などという話は、少なくとも勤めヒトにしても仕方のないことである。くるりと背を向けた私、まさか何も言わない上司ではない。

 

「おい。どこへ行くつもりだ」

「部長、私に有休を消化しろってうるさかったですよね。なのでお休みを頂きます」

「どこへ行くのかと聞いている」

「プライベートの詮索はやめてくださいよ」

「…………なあ」

 

 そう、私の上司はゆっくりと空気を吐く。

 

「この前の話、少しは考えてくれないか。」

 

 その言葉に、私は立ち止まる。この人はまた、あの話をぶり返すのか。

 

「……私の希望は、以前にお伝えしたはずですが」

「そうだな。神祇官絡みの仕事につかせてくれ、だったか」

 

 そして会社はお前が有用であるかぎりはその意志を尊重するだろう。そんなことを言ったのもこの上司だったはずだ。

 

「だがな。これは会社人間ではなく個人的な話だぞ……少し神祇官から離れろ」

 

 それはつまり、今の仕事を放り出せということか。私は振り返る。

 

「お言葉ですが」

「見ていられないんだよ」

 

 はっきりと、キッパリと。彼はそんなことを言う。こちらの反論を一切遮って、彼はそのまま続けた。

 

「俺だって技術者の端くれだ。お前のスキルは理解しているし、それが今の会社に……こういう言い方は嫌いだが国が必要としているのは知っている」

「だったら……!」

 

 詰め寄る私に、たじろぎもせず上司はこちらを見据える。

 その両眼に浮かんでいたのは、憐憫。

 

「もう、引きずるのはやめたらどうだ」

 

 口から流れ落ちるのは、慰め。

 

「辛いのは分かる。こんなこと、大の大人に言うことじゃないことも」

 

 しかし見ていられなかったのだと。私の上司は……私の先輩社員は、言う。

 

「霊力防壁があったら。それは単なる仮定に過ぎないんだよ」

「そんなことはありません。我々がまだ到達できていないカテゴリⅤ、ここに到達することが出来れば、彼女たちに鋼の鎧を着せてあげられるはずなんです」

「じゃあそれで、()()は還ってくるのか」

「――――――ッ!」

 

 

 その言葉は、他人の口からだけは聞きたくない。そういう現実だった。

 

 

「……酷い顔」

 

 誰かの声が聞こえる。手に持っているのは紙コップだろうか。顔を上げてみればそこには黒髪を持つ女性の姿。その髪は腰までは伸びていない。

 

「なんだ、山城か」

「なんですその言いぐさ……ほら」

 

 差し出された紙コップには黒くて温かい液体が納められている。私がいつも飲んでいるブラックコーヒー。どこか焦げ付いたような匂いが、鼻をくすぐる。

 

「なあ」

 

 もう止めないか、と。そう言えたら。どれだけ救われるだろうか。

 言葉を飲み込むようにコップに口をつける。苦い、けれどその苦さに救われる。

 

「…………」

 

 流れる沈黙。なんだよ、いつもみたいに口悪く色々言ってくれよ。

 

「少し」

 

 

 歩きましょうか。

 

 

「……とはいったものの、なーんにもないわね」

 

 そこには、いつも通りの景色が広がっていた。枯れた銀杏並木、人気のないテラス席は就業時間中ともなれば尚更人気はない。並んだ研究棟には多くの職員が詰めかけているのだろうけれど、恐らく私たちには目もくれないだろう。

 

「ねぇ」

「なんだ」

 

 山城は、何も言わない。なんでもない、と話を畳んでしまう。

 

「なあ」

 

 そして私も、何も言えなかった。多分二人の言おうとしている話は同じなのだろう。ただそれを認めることが出来ないから、こうして歩いて行く。

 しかしいくら研究所が広いといっても、その取得敷地は無限ではない。

 

「……なんだか、はじめて銀杏並木を全部歩いた気がするわ」

「奇遇だな。私もだよ」

「意外と狭いのね、研究所(ここ)

「ああ。狭いな」

 

 話が続かない。いや、何を話せばいいというだ。私に。

 

 なにせ、付きまとって来たのは彼女の方じゃないか。

 社員食堂に毎日ついてくるのも。

 残業を止めたり、逆にコーヒーを用意したりしてくれるのも。

 全部が全部、お前が勝手にやってることじゃないか。

 

「私、来月から軍に復帰しようと思うんです」

「そうかい」

 

 だからそうやって、また勝手にいなくなる。私に止める権利がないことも、そうしてくれた方が絶対にいいことも分かっている。それでも。

 

「すこし、寂しくなるな」

「本当に?」

「いや。どうだろうな……ああ、寂しくなるよ。本当だ」

 

 そう私が言うと、山城は笑った。微笑んだといった方が近いだろうか。

 その表情が、酷く似ていて。

 

「ほんと、どうして好きになっちゃったんでしょうね」

「そうだな。どうして、好いてくれたんだろうな」

 

 それは、私たち二人の話ではない。私たち二人の間にずっとちらついていた影。

 

「まだ、前を向けそうにないですか」

「前は向いているつもりなんだよ。これでも精一杯」

 

 そうでしょうねと、彼女は言う。私は邪魔ですかとも、彼女は言う。

 

「邪魔なんかじゃない。むしろ――――」

 

 そこから先の言葉は続かない。なぜなら私の口が、柔らかい何かで塞がれたから。

 

「っ!」

「――――――やっぱり、ダメです。私はあなたに姉様を見てるだけみたい」

「……それは、私も同じだ」

 

 今に始まったことじゃない。一挙一動に垣間見える仕草にその影を求めてしまう。コーヒーを入れてくれる度に長い黒髪を幻視してしまう。

 

 山城は彼女ではないのに。どんなに目元が似ていても、毒舌に混じる単語ひとつひとつのイントネーションが同じでも。それは別人だというのに。

 だから理不尽で仕方ないのだ――――――山城にも、彼女と同じ感情を抱いてしまっていることが。それが申し訳なくて、仕方がない。

 

 そしてそれを懺悔するには、恐らく今をおいて他にないのだろう。

 私は彼女から一歩引く。引くことで、頭を下げるだけのスペースを作った。

 

「すまない。ずっと前に言うべきだったんだ……キミは私に囚われないで欲しいと」

「それは……私も同じです。あなたには姉様に、囚われて欲しくない」

「無理な相談だ。これでも立派に、将来を誓い合っていたんだ」

 

 出会いは単純なものだった。

 

 深海棲艦により破壊された世界秩序。

 そんな中でも私と彼女は幸いな方だった。

 

 私は研究職、彼女は戦闘職と別の道ではあったけれど、出会いの機会はいくらでもあった。

 理由? そんなものは後からついてくる。あれほど過程が重要だと論じられる実験においても結果が重視されるというのに――――いずれにせよ。

 それは平凡なものだった。だけれども、平々凡々なりの幸せがあった。

 

「分かってはいるんだ。そんな将来はなくなったと」

 

 それでも、幻視()ずにはいられない。あの日々の記憶を、幸せだったころを。

 

「分かってはいたけれど、あなたって馬鹿ね」

「そうだ。私は馬鹿だよ」

「……否定しなさいよ。バカ」

 

 否定などできるものか。

 

 もっと良い防壁があればあんなことにはならなかったんじゃないかってずっと考え続けてきた。

 攻撃が最大の防御だとか、そういうことを言う連中を屁理屈で論破してしまった。それは全部、私が認めたくなかったから。

 

「私はバカだ。なぜなら私は、防壁がカテゴリⅤを越えられるって今でも信じてる」

 

 もしもカテゴリⅤを越えられたら、どうなるのだろう。

 誰にも傷つけられない、最強の艦娘が就役(ロールアウト)するのだろうか。

 

 それで私は、どうなるのだろうか。

 

「ほんと、見てられない」

 

 そうだろうな。と冷静な声が頭の中で響く。

 カテゴリⅤの防壁は結局完成しなかった。僅かに残されていたと思っていた猶予も、たった今消し飛んだ。

 

 そんな妄想に近いような存在に、私は多くの時間を費やした。

 そしてなにより――――――山城(かのじよ)に、費やさせてしまった。

 

「感謝してるよ、山城。キミが支えてくれなかったらきっと私はここまで来られなかった。私はバカだからな、もっと早く根を詰めて、どこかで倒れていただろう」

 

 だから、もういいんだ。もう、いい。そう伝えなくてはいけないのに。

 ああクソ、なんでここで言葉が詰まるんだ。もう伝えるべき事も、これからどうすれば良いかも分かっているのに。

 

 ぽすり、と。私の胸に黒いモノがぶつかる。

 それはあんまりにも唐突で、あまりにも近くて。

 

 それが誰の髪なのか一瞬――――ほんの一瞬だけ――――迷ってしまった。

 

「バカ。ホントは気付いてる癖に」

「……」

「私が、申し訳なさから世話を焼いてると思ってたんです?」

 

 まさか。申し訳ないのは私であって、お前が持つべきものではない。

 

「毎日食事も忘れて研究に没頭していそうなあなたを家まで送り届ける役目を、そんな理由でやっていたとでも思うんですか? 家の掃除だって、してあげたのに」

 

 いやそれは、家賃みたいなものだっただろ。少し冷静になりかけた脳味噌がそうささやくが、それでも私の頭の中には、やはり彼女がいるのだ。

 

「でも、無理だよ。それでアイツのことを忘れろって言うのか?」

 

 それはいくら何でも酷いじゃないか。そう思う私の感性は、おかしいのだろうか。

 

「忘れろ、なんて言いません。でも」

 

 そう言って、山城の双眼が私を覗き込む。その眼には見覚えがあって、ああ。この期に及んで過るのがキミの笑顔だなんて。

 

「私のことを、みてくれませんか」

「無理だよ」

「どうしてもですか……どうしても、なんですか」

 

 私は代わりですか。

 替わりにしかなれないんですか。

 

 そんな言葉が聞こえてくる。声に混じって、別の音すら聞こえてくるような気がする。違うと否定してやりたい。誰だって、ヒトの泣いているところなんて見たくはないじゃないか。

 

 だけれどそうしてしまっては、彼女はどうなる。

 私に笑ってくれた、私のことを大切にしてくれた。

 その大切な記憶を、全部過去にして、忘れろって言うのか。

 

「ごめんなさい。無理なモノは無理ですよね。あなたは意固地だもの」

 

 よく聞かされましたよと、山城が言う。誰に聞かされたかなんて、分かってる。

 

「最初は、本当に申し訳ないと思ってたんです。というか怒ってました」

 

 なんであんな簡単に沈んだんだって、いなくなったんだって。山城が言う。

 

 そうだ、本当に突然だった。

 メール一本電話一本。それだけであっさりとそれは伝えられた。そういうものだからと、突きつけられた気分だった。

 

 その後にやってきた山城に、私も結局の所、もたれかかってしまった。

 

「でも過ごすウチに、少しずつ惹かれている自分がいることに気付いたんです」

 

 ウソだろって思うかも知れませんけれど。山城はそういう。いや、時期こそ合っているか分からないが気付いてはいたよ。

 

「最低ですよね、私」

「そんなことはない。受け止めきれなくて、申し訳ないと思う」

「謝らないで。余計に惨めになる」

 

 すまん、そう言いかけた口を噤む。

 

「じゃあ、私はもう行きますから」

 

 その声が――――――いつか聞いたあの声と、重なる。

 

「ダメだ」

「え?」

 

 口走って、目を丸くした彼女を見て、自分が声を出していたことに今さら気付く。

 ただそれは、ずっと昔の――――――後悔のはねっ返り(フラツシユバツク)

 

「いかないでくれ。いかないで、()は、お前に」

 

 沈んで欲しくないんだ。それを伝えたら、彼女は苦しんだのだろうか。それとも笑って、すぐ戻りますからと優しく嘘を吐いてくれたのだろか。

 

「バカ。なんで、そう言ってあげなかったんですか」

「言えるわけなかっただろ……アイツは、アイツは自分の仕事に誇りを持っていたんだ。艦娘として、俺たちの生活を守れることを誇りとしていたんだ」

 

 彼女の誇りを私は奪えなかった。だからせめてその誇りを支えるために、私は霊力防壁の研究開発に勤しんだ。それこそ、この会社が業界最大手と呼ばれるくらいに。

 

「応援してやりたかった。行かないでくれなんて言いたくなかった」

 

 でも、それでも。居なくなってから喪ったモノの大きさに気付くのだ。

 いまさら後悔しても遅いのに、あの時引き留めておけばなんて考えてしまうのだ。

 

「それで、今わたしに言うんですか? やっぱり私は、あなたにとって――――」

「そうだよ。代替品だと思われても仕方ない! 私はそういうことをキミにしてしまった。しょうがないだろ、全部似てるんだ、比べずになんていられない!」

「ええ知ってます。知ってるから余計に嫌だったんです。だから私はたくさんアナタに酷いことを言いました! そしたら変われるかなって、そう思ったから!」

「お前はアレわざとだったのか。どうりで、口の悪さだけが取り柄だもんな……!」

「なっ、ちょっと待って下さい今のはおかしいでしょう! 私は他にも色々良いところありますけど? 言っときますけど、ここ一ヶ月の料理全部私のでしたよね?」

「B定食とかも食べてるが? お前がいっつも横にいて、いつも……」

 

 そう、いつも。

 

 いつもいつも。

 

 お前と一緒にいて。

 

 そうしているうちに分からなくなったんだ。

 何が正しいか。どうすればいいのか。

 

 世の中は理不尽だ。言葉をどんなにぶつけ合っても、結局最後は砲弾の重みに掻き消される。どんなに信じ合っていても、死は容易に二人を別つ。

 

「はぁ、不幸だわ……あなたとは、笑ってサヨナラしようと思ってたのに」

「そうすれば良かっただろう」

「見てられなかったのよ。本当に」

 

 そして私たちがようやく現実に目を向けたところで。現実は変わらない。

 いつの間にか私たちはもつれ合うようにお互いを絡め合っていて。

 そして霊力防壁の研究プロジェクトは、風前の灯火なのだ。

 

「なぁ……俺は、アイツのためになにかを、してやれたんだろうか」

「私が姉様の立場だったら。きっと喜び半分、って感じだと思います」

 

 だって、見ていられませんから。

 残りの半分をそう簡潔に説明して、山城は立ち上がる。

 

「本当に軍に戻るのか?」

「……ええまあ、そのつもりです」

 

 だって試験者(テスター)としての仕事も、無くなるわけですし。そう言う彼女は、なにかを待っているような気配をまとっていて。

 

「その、なんだ」

 

 私の言いたいことも、恐らく彼女には伝わってしまっていて。

 

「さっきの言葉は、本当なんだ」

 

 お前には、沈んで欲しくない。あれはなにも、過去の幻影にむけて放った言葉ではないのだ。全ての現役艦娘……なんておこがましいことは言わないけれど。

 それでも目の前にいる山城(おまえ)には、沈んで欲しくないのだ。

 

「私は合理的なことが好きなんだ。私の生活力を考えると、なんというか色々現実的でないことが多いというか……」

「回りくどすぎ。なんなんですか、それ。プロポーズのつもりなわけ?」

「そうじゃない! これはあくまで現状維持だ。そこから徐々に変えていきたい」

 

 これで十分かと聞けば、多分十分ではないのだろうけれど。

 それでも、ここからはじめていきたい。許されるとは思っていないけれど、認めて貰えるくらいのことは、したいから。

 

「ま、いーですよ。私も愚痴を聞いて貰える相手がいないと辛いですから」

 

 それに、まだ少しだけですけれど時間がありますからね。そんなことを言う彼女の頭上を、昼食休憩の始まりを伝える放送が流れていく。

 

 

「……」

「…………」

 

 

 それはつまるところ、午前の課業をまるまる無視したことを意味していて。

 

 

「……仕事、サボっちゃいましたね」

「ああ……かなり堂々と、サボったな」

 

 これはもしかすると怒られるかもしれない。

 まあその時は有休消化ということにしてしまおう。そう考えて思考を放棄した私は、山城に魅力的な提案をするのだった。

 

「なあ、いまから行けばA定食に間に合うんじゃないか?」

 

 

 なんだか今日は、すこしだけ。

 

 枯れ銀杏の並木が、輝いて見えるような気がした。

 




 本稿は2021年12月30日に初頒布した同人誌「冬芽未だ咲かず:櫻の花びら、散る頃に」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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第4部「裾野に流すはかりごと」
第56話 すそのにながすはかりごと


 どこまでも、どこまでも。茶色にそまった大地が続いていく。

 

 

 私の頭上に垂れ込めているのはいつもどおりの暗くどんよりとした雲。春の訪れは気の遠くなるほどに遠くて、僅かに常緑樹が深緑のアクセントを添えるだけ。

 

 私の吐き出す息は白く染まって、染まるより早く後ろへ。鼓動が激しく胸を打って止まないけれど、私の足は止まらない。

 等間隔に植えられた木々を駆け抜けて、地面に埋め込まれた平たい石を蹴る。

 そうして私の身体は木造家屋に躍り込んだ。

 

「ただいま帰りました!」

 

 鼻腔をくすぐる使い古された畳の香り。

 慣れ親しんだ私の実家(せかい)

 

 ずっと、ここで暮らすんだと思っていた。

 

 進学して東京や大阪の学校に行くことはあるかも知れない。

 だけれど最後にはこの場所に戻ってきて、この大地の上で生きていく――――――そんな私は、きっと郷土主義者(ナシヨナリスト)とでも呼ぶべきなのだろう。

 

 それなのに、居間を覆い尽くすのは知らぬ気配。

 警戒感を露わにした私に、待ち構えていた父が知らぬ気配たちの符号(なまえ)を説明していく。

 

「ミコト、こちらは総務省の鷹留(たかどまり)さん、文科省の瑞島(みずしま)さん。そして環境省の……」

 

 背丈も所属も性別も違う。

 共通点は公務員という肩書きと、中央官庁に勤めていることぐらい。しかしどうして、彼らがこんな辺鄙な場所まで足を運ぶというのだろう。

 

 分からない私は聞くしかない。

 

「お父様の、お仕事の方でしょうか?」

 

 自分で考えろと散々言われた。

 可能な限り本も読み込んだ。

 それでも分からないことはいくらでもある。

 

 それを知って、父は私の無知を(そし)ることなく静かに首を振る。

 

「いいや、私の仕事ではない。彼らの仕事は……」

「奉公の時が来たのです」

 

 父の言葉を継いだのは、凜とした声。

 薄く積もった雪を溶かし、ふきのとうを芽生えさせるような温かみを持ったその声は、あの日だけは少し震えていたように思う。

 

「やだ」

 

 今でも不思議に思うことがある。

 どうして私はあの時、あんな言葉を口にしたのだろう。

 

 家の外にずらりと並んだ自動車の群れを見たとき、私の家を侵す無数の気配を感じたとき、私は何が起こっているのか理解していた筈だと言うのに。

 

「我が一族は、先祖より伝わる土地を代々に渡って守ってきました」

 

 その言葉は、歴史の授業でもなければ事実の確認でもない。

 ()()懸命の言葉通り、姉は命を懸けて戦ってきた。

 

 それはこの大地を守るため。それを人は奉公と呼ぶ。

 

「知ってます。でも姉様、あなたはもう十分に戦ったじゃありませんか」

 

 私の言葉に、姉は沈黙をもって応じただけだった。

 父がそっと背を向けると、申し合わせたようにぞろぞろと部屋を出て行く有象無象。最後には誰も居なくなり、部屋には私と姉だけが残される。

 

「ミコト、こっちに来なさい」

 

 言われるままに身を寄せる私。

 客人を追い出した部屋はひどくがらんどうとしていて、思い出したように寒さが身を締め付ける。

 

 島国の日本では珍しい内陸型の気候は四季を際立たせるけれど、凍える冬というのは姉を蝕む存在でしかなかった。

 

「よく聞きなさい」

 

 冷たい風は庭の木々に阻まれるはずだというのに、寒さは身体の芯を捉えて離さない。

 縋るように握り締めたその手は氷のように冷たくて、枯れ木のように細い。

 

「古来より、戦いが途絶えたことはありません。私が担えるのは長い歴史(たたかい)の一端」

 

 その言葉は過去形の筈だった。既に姉はその戦いより退いている。

 

「……はい。姉様は立派にお勤めを果たしたと存じております」

 

 なのに姉は苦しめられている。絞り出されたのは敗北宣言。

 

「犠牲なくして平和はありません。平和を勝ち得るには大きな代償が伴うのです」

 

 それは、私が絶対に触れないようにしていた言葉。

 

 実のところ、姉の帰還を喜んでいたのは私だけであった。

 先ほどの官僚たちは姉のことを役立たずと恨んだことだろうし、父すらも姉にどんな感情を投げかけているのかは分からない。

 

「ですが、こんな身体になった私でもまだ奉公できる。これに勝る喜びはありません」

 

 ましてや、あなたのことを守れるのですから。

 

 姉は聡明だった。

 まさか彼女が、私の心中を察することが出来なかった筈はない。

 

 だからこそ、姉はそんなことを言った。

 

「でも、姉様がいなくなったら。私はどうすればいいのですか」

「生きなさい。生きてこの地を、この国を守り続けなさい」

 

 私が求める言葉を知って、姉はそんな風に言う。そして私の名前を呼ぶ。

 

「ねえミコト、そんな顔をしないで頂戴? 私は居なくなるわけじゃない。この国を支える柱となって、あなたのことをずっと見守っているわ」

 

 嫌ですとは言わせてもらえないだろう。

 分かりましたとは口が裂けても言えないだろう。

 

 もはや言葉すら選ぶことの許されない私を、姉の細い指が撫でる。

 

「なんで……なんで姉様なんですか? 姉様が悪いわけじゃないのに」

 

 口を突いて出たのは、もうどうしようもない幼子の駄々。

 

「これは償いではないわ。悪いからする訳じゃないの。前に進むための戦いなのよ」

 

 姉は、そんなまやかしの言葉で私を説得できると思っていたのだろうか。

 

「大丈夫。私が居なくても、あなたはしっかりやってゆけるわ。そして……」

 

 私の代わりにあなたを愛してくれるヒトも、必ず現れる。

 

 どうして、そんなことを言ったのだろう。

 私が傷つくとは思わなかったのだろうか。

 

「姉様の代わりなんて居ません!」

「そうね。今は、確かにそうね。でも、あなたはいつか私を忘れるわ」

 

 きっと姉は分かってやっていたのだ。

 彼女は、私の気持ちを砕くために言葉を選んでいた。

 

 それに気付けないほど、私を愚かだと思っていたのだろうか。

 

「今だけじゃないです。ずっとです。絶対に忘れません」

「分かってるわ。ありがとうね、ミコト」

 

 その言葉を区切りにして、姉はすっと立ち上がる。

 

 先ほどまで病床に臥せっていたのが嘘のような立ち振る舞いに、部屋の外で待ち受けていた背広姿が呼応する。

 

「こちらへ」

「よろしくお願いします」

 

 その歩みを止めようとするものは誰も居ない。

 

 父ですら、姉と視線を交わしたきり一言も発することはない。

 

 分かっている。止めてはいけない。

 姉がこれから何を為そうとしているのか、それで何が救われるのか。私はそれを理解している。

 心は必死に動けと命令を出し続けるけれど、私の両足は痺れたように動かない。そうして私を畳の上に貼り付けてくれていた。

 

「それでは、いって参ります」

 

 姉が父にそう言う。沈黙の行列が動き始める。

 

 内閣府と刻まれた背中を先頭に立て、歩調まで合わせてトタトタと木の床を蹴る。

 まるで姉を中心にした大名行列のよう。

 

「姉様!」

 

 その言葉に、幸か不幸か行列は歩みを止めてしまった。

 姉は無言で頷く。もはや何を言ったところで覆るわけでもないのだから、言葉は必要ないとばかりに。

 

 ――――――携帯からけたたましい電子音が鳴り響いたのは、その時だった。

 

「空襲警報だ」

 

 誰かが事務的な調子で告げれば、遅れたように防災無線が雄叫びを上げる。恒久の平和を希求したとされるこの国に、鳴り響いてゆく空襲警報。

 

「飛んでくると厄介です。早く済ませましょう」

 

 その言葉で、列を崩してバタバタと走り始める官僚たち。唯一姉だけは歩みを遅めも速めることもせず、毅然とした足取りで向かっていく。

 

 

 それが、私の戦争の始まりだった。

 

 

 戦争はずっと昔から続いていた。

 私が生まれる前から、私が産まれた後だって続いていく。

 

 だから本当は「戦争の始まり」という言葉は正しくない。

 それでも、戦争という言葉が私の前に降りてきたのは、確かにあの日だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を上げると、そこには両手にマグカップを持った先輩の姿があった。

 

「どうしたのミコト、怖い顔……はいつものことか。また考え事?」

 

 笑いながらに肩を竦める先輩。慌てた私は笑みを貼り付けた。

 

「あ、いえ。大丈夫ですから」

 

 もちろん先輩は誤魔化されない。これみよがしなため息をついて、私の隣へ。

 ベッドのスプリングが静かに音を立てて、私の身体が少しだけ沈む。

 

「今更、東京の夜景に感動したわけじゃないわよね」

 

 先輩が言うには、どうも私は外の景色を観ていたらしい。

 二重構造の硝子(ガラス)の向こうにはレインボーブリッジにお台場地区、そして純白のゲートブリッジ。

 東京港内は今日も盛況で、街灯やビル窓に煌々と照らされた貨物船が悠々と進んでいく。

 

「まあ、感動したならそれはそれでこのマンションも喜んでくれるとは思うけれどさ」

「良い景色だとは思いますよ」

 

 それは嘘じゃない。高層マンションが入り組んでいるにも関わらず、ここから見える東京湾の景色はピカイチ。先輩がわざわざこんな部屋を押さえた気持ちも分かる。

 

「でも、やっぱり都会は好きじゃない?」

 

 私は何も答えない。夜を思わせないほどに光り輝く東京港。

 壁に阻まれて見えないけれど、振り向けば輝く丸の内の夜景も控えている。

 眠らない街とはよくいったものだ。

 

「不思議な気持ちになるんです。まるで星空が海に落ちてきたみたいで」

 

 海に星が映ることはない。

 海の世界に光はないのだから、いくら太陽光で碧色に光らせたところで、日が沈んでしまえば何も見えない。

 そんな普遍の摂理は東京港でも変わることはなく、勝手に輝くのは沿岸のビルディング。

 

「また、思い出していたんでしょう?」

 

 マグカップを電灯の脇に置きながら先輩が言う。

 それから身を寄せると、体重を預けるように私に寄りかかる。そして先輩は、私が一番に聞きたくない言葉を放つのだ。

 

「ね。ミコト、愛してるわよ」

 

 ゆっくり回された手が私のふくらはぎを撫ぜる。先程シャワーを浴びたばかりの先輩は柔らかなバスローブを身に纏っていて、解かれた髪が私の肩に擦れる。

 

「止めてください。あなたが愛してるのは、私の人脈(コネ)でしょうに」

「ふふ。そうね、私は幕僚長になりたい。だから貴女に協力を頼んだ」

 

 当然のように認める先輩。2等海佐の階級を頂く彼女……片桐先輩はそういうヒトだった。

 そしてきっと彼女は、私も同類(おなじ)だと言うのだろう。

 

「私に出来ないことはあなたが、あなたが出来ないことは私が」

 

 ね、そうでしょと先輩。

 膝の上に握られた私の手に先輩の温もりが乗せられる。ついと引き寄せられて、倒された私は先輩に強制着陸させられる。

 

「……先輩は、肩入れしてくるから嫌いです」

「私はミコトのことが大好きよ。だからいくらでも肩入れしちゃう」

 

 そう言いながら、ぽんぽんと叩かれる私の肩。シャンプーの香りが鼻腔をつついて、胸が少し緩んでしまう。

 私は結局、先輩の同類。だからこんな場所にいる。

 

 それでも、最低限の意思は示しておきたかった。

 

「寝言は寝て言って下さい。片桐さん」

「じゃあ寝ちゃう?」

 

 ぽんぽんとベッドを叩く先輩をあしらうと、(まと)わりついた熱はゆっくり離れていく。

 

「まあ確かに、まだそんな時間じゃないか」

 

 立ち上がった先輩は電灯をつけるとカーテンを閉じる。東京港の景色が消えて、クリーム色が私の視界を隠す。

 

「さて。それで『本家』は私の案に対してなんて言ってるの?」

 

 まるで天気の話でもするかのように飛び出す話題。片桐先輩はなんの前触れもなく本題へと斬り込む。分かっていても慣れるわけではない。

 

「昨日の今日です。すぐに答えは返ってきませんよ」

「ふーん?」

 

 私の言葉に、にこりと首を傾げてみせる先輩。肩まで降ろされた髪が揺れる。

 

「……私は反対ですよ。下手をすれば空軍の領分を侵すことにもなりかねません」

 

 派閥意識の強い軍隊じゃ、部外者を巻き込むだけで人間関係は拗れてしまう。ましてや空軍と海軍の対立を利用するとなれば、そのリスクは計り知れない。

 

「そんなことにはならないわよ。新田の一族(あなたのかぞく)にとって、私は使い捨てのコマ。成功すれば儲けもので、失敗しても捨てるだけ。そうでしょ?」

「私は、先輩にこんなところで終わって欲しくありません」

「ありがとね。私だって終わりたくない。終わりたくないけれど、見逃せないわ」

 

 先輩だって、こんなことに拘泥したくはない筈だろう。でも先輩は信念を優先する。

 

「護衛艦の建造計画に手出しすれば造船業界が黙っていません。だから本家も、これ以上ことを荒立てないように沈黙を保っているんです。今は静観が正解かもしれません」

 

 私の忠告に、何を言うのよと先輩は笑ってみせる。

 

「人生の半分はこの組織に捧げたのよ? 色んな事を経験したし、今でもその知識を生かして市ヶ谷で9護群の()()()をやってる。信頼しろ(トラスト・ミー)って『本家』に言ってよ」

「そうは言われましても……」

 

 先輩は、果たしてどこまで事情を理解しているのだろうか。多分先輩は止まらない。それでも傍観者を決め込むには、私と彼女は関わりすぎていた。

 

「作戦立案と装備品調達では、政治の度合いが違うんです」

 

 国防というのは大規模公共事業だ。

 荒れ狂う河川に堤防を作り、用水路を引いて田んぼに水を引くのと同じ。

 国土と国民の財産を侵さんとする敵を退け、経済活動を保証することで国民の利益と幸福を得る――――――ここまではいい。

 

 問題はその利益と幸福を享受するのが誰かということ。

 

 クニがまだムラであった頃から、隣人との最大の争いごとは水の分配であった。

 治水工事という公共事業の利益は水。その水を誰にどのように配分するか。不公平が生じればそれは新たな争いの種になる。

 だからこそ、公共事業は政治となる。

 

 誰かが必ず享受することになる利益、それを皆が平等に獲得することはおそらく不可能だ。たとえ水を完璧に分配することが出来たとしても、その水は土に染みこみ空気中に蒸発し、田んぼに届く頃には目減りしている。

 平等に分けられないからこそ、利益は()()と呼ばれてしまう。

 

 それを少しでも平等に分配しようと模索するのが、政治というものだった。

 

「……要するに、多数決の世界じゃ沢山の()を持ってる大きな会社の言うことが強いってことでしょ。分かってるわよ。でもねミコト、実際に国を守るのは私たち国防軍よ」

「ええ、分かっています。だから私は片桐先輩のことを……」

「そんなに必死に止めるあたり、『本家』は傍観どころか反対なのね?」

 

 私は認めない。私がここに居るのは()()との親好を深めるためであって、断じて密会などではないからだ。

 そんな建前を知って、彼女は畳み掛けるように続ける。

 

「何も賛成しろなんて言わない。でも私たちの案の方が優れている。だからあなたは頼もしい()()()()()に頼んで、少しだけ私の意見を通りやすくしてくれればいいの」

 

 現場の意見を尊重するってお題目も用意してある。いいでしょ? 先輩はそう言う。

 

「……私たちだって、意見が完全一致しているわけじゃないんです」

 

 国防の()()とはなんだろうか。

 国を守ったからと言って水や食料が増えるわけではない。賠償金を奪い取ればカネは手に入るかもしれないが、歴史を見ても賠償金が戦費を上回るという話は聞いたことがない。

 国防とは戦闘行為であり、戦闘行為とは即ち破壊である。破壊からもたらされる利益など、本来なら存在はしない。

 

「それに、先輩の案では、PHIグループに利益がありません」

「知らないわよ。だって私、あの企業キライだし」

「嫌いって……子供じゃないのですから」

 

 私は口を尖らせた彼女をまじまじと見る。仮にも2等海佐の発言とは思えない。

 

「キライなものはキライ。子供に艤装を持たせて戦わせるなんて、とんでもない」

 

 PHIグループは国内随一の小型艇生産メーカー……要するに艦娘の「艤装」を製造している。確かに子供に持たされる艤装を造っている企業ではある。

 だからと言って、先輩の感情論をぶつける相手にはならないだろう。

 

「違いますよ。PHIグループは国防省の注文通りに艤装を作っているだけです。発注元の国防省が悪いんです。もっと言えば、深海棲艦が悪い」

 

 そして私が放つのは極論。

 

 確かに深海棲艦は人類の敵とされており、事実として国連加盟国の全てと国交を結ぶどころか対話の兆しすらも見せない。

 だからと言って、どうして深海棲艦が悪いと言えるのだろう。

 川の水を巡る村同士の争いは最後まで収まることはなかった。それなら、どうして海を平等に分け合えるというのだろう。

 

 私の内心を知って知らず、彼女は小さなため息をつく。

 

「つくづくロクでもないよね、私たちは」

 

 それは彼女の口癖だった。

 

 船を沈め、港を焼き尽くし、時には山奥の街までも灰に変えてみせるロクでもない深海棲艦。

 そんな深海棲艦を倒しきれず、だらだらと戦争を続けているロクでもない国防軍と国防省。

 国防予算の増額を許さないロクでもない財務省に、貴重な予算を剥ぎ取っていくロクでもない防衛産業。

 

 そしてそれを看過しているロクでもない国防軍人(わたしたち)

 

「もうヤになっちゃうわ……ねえミコト、甘えていい?」

「駄目です。話を片付けましょう?」

「ちぇ、ケチんぼめ」

 

 そう言いながらも、先輩は小休止と言わんばかりに肩を寄せてくる。

 

「何にせよ、お手伝いはさせて頂きます」

 

 こんな彼女が、私の僅かな人生を賭けた(ベツトした)相手だと聞いたら、父や祖父は嗤うだろうか――――――姉は認めてくれるだろうか。それは分からない。

 

「うん、頼りにしてる。私たちの手で、流れる血を少しでも減らすのよ」

 

 深海棲艦は倒せないだろう。

 少なくとも今日明日という短い期間では倒せない。

 

 それでも私たちは特務神祇官たる国防軍人、艦娘だ。

 私たちは決して無力じゃない。だから少しでも良い明日(みらい)を迎えるために出来ることはあるはず。

 

「それじゃ、作戦会議といきましょ。まずは艦娘派を切り崩す、これは良いわよね?」

「もちろんです」

「ミコト。まだ、迷ってるわね?」

 

 先輩の言葉に、私は頷くしかない。

 

 これから私が行うのは――――――艦娘派の切り崩し。艦娘である私が、艦娘派を破壊しようとしているのである。

 もしも私に未来を見通せるような力があったのなら、この行いが正しいのかどうかも分かるというのに。

 

「先輩は、迷わないんですか?」

「私、艦娘のこと好きじゃないもん」

 

 それを艦娘(あなた)が言いますか、なんて今更な話。

 片桐アオイ――――――先輩(そうりゆう)は私のことを艦名(あかぎ)とは呼ばない。私も先輩のことを艦名では呼ばない。それが私たちの約束事。

 

「分かんないのよねー。艦名のことが大事なのは分かるけれどさ、私は片桐アオイであなたは新田ミコト。お互い親から貰った名前がある。そうでしょ?」

 

 先輩が不意に何かを差し出してくる。

 それはさっきのマグカップ。少しだけ冷めたココアは優しい香り。それを啜りながら、先輩は溢すように言葉を落とした。

 

「……艦娘神格化、ロクでもない話だよ」

「なんです、それ?」

「私の同期がね、そう言ってたの」

 

 随分昔のことだけれどねと先輩。

 艦娘専科の第一期、華の一期なんて呼ばれた先輩達は、絶望の底にあったこの国の希望だった。でも、艦娘はカミサマじゃないと先輩は言う。

 

「それを、ちゃんと艦娘派のみんなには分かって貰わないとね」

「そうですね」

 

 艦娘はカミサマ――――――先輩も面白いことを言う。

 

 敵を討ち、味方を救う。かつての砲兵がそうであったように、私たちも戦場のカミサマにはなれるかもしれない。

 そんなとき、思考を打ち切るように鳴る携帯。

 

「ん? どしたの、敵襲?」

「それなら先輩の方も鳴るでしょう……あ」

 

 何気なく開いたメールボックスには、随分と懐かしい名前。

 

「え、誰これ。ミコトの恋人?」

「ちょっ、覗かないでください!」

「うぐふっ」

 

 にょきりと伸びてきた先輩を撃退して、私は名前を見直す。

 

「いたたたた……なによ。ホントに恋人だったの?」

「違いますよ。ほら、覚えてませんか。加賀さんの」

 

 その言葉で、先輩も全てを察したらしい。ああ、なるほどねと頷く。

 

「あなたにとっても、大切な()だもんね。第一段作戦は大成功?」

「成功って……先輩、私とあの子はただの」

「相変わらず嘘ばっかりね。〈加賀〉の艇長……山下3佐って言ったら艦娘派でも強行派で通ってる幹部艦娘、そんな親を持つ子供から、なんでこのタイミングで連絡がくるの?」

 

 上手く出来すぎでしょと先輩は肩を竦めてみせる。

 

 そんな目的じゃないです――――――と言うことは出来るだろう。

 そもそも、加賀さんがあの子を巻き込むつもりなんてあり得ない――――――でも、それは私の中でしか成立しない話。

 

 だからこそ、それは口に出した途端に嘘になる。

 

「ミコト、あなたはそれでいいの?」

 

 先輩が問いかけてくる。

 人脈は消耗品だ。使えば使うほど擦り切れて、最後には使えなくなってしまう。一つの人脈が擦り切れれば、他の人脈だって無事では済まないかもしれない。

 故意であろうとなかろうと、その事実は変わらない。

 

「いいんです。私はこの国を守ると、姉さんに約束したんですから」

「相変わらずの姉想い(シスコン)さんね。嫉妬しちゃうわ」

 

 本気にしていなさそうな調子で言って、先輩は立ち上がる。そして私をじっと見る。

 

「……悪いわね。いつもこんな役回りばっかりさせちゃって」

「無茶ぶりを聞くのは慣れてます。先輩だって、艦娘派(むこう)()()は避けたいでしょう?」

 

 私たちは今、危うい均衡の上に立っている。この国が事実上の戦時下に突入してから早くも20年。戦争が生み出した様々な問題は着実に国防軍を、この国を蝕んでいる。

 

「守りましょう。この国を」

 

 

 だから私の戦いは、まだ続いている。

 そして恐らく、これからもずっと。

 

 



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第57話 もゆるにはえるおどりびと

 

 艦娘、それは人間サイズの護衛艦。

 

 あらゆる海域、河川への投入が可能で飛行機による輸送も可能。深海棲艦と戦う上でこれほど頼もしい味方もいない……が、一人乗りの小型艇として扱われる艦娘の艤装は、極めて使()()()()()()()というのが軍関係者の共通認識である。

 各種装備の積載量(ペイロード)は少なく、燃料すら満足に詰め込めない。最新型の推進システムは確かに長大な航続距離を実現したが、乗員が一名のみでは長時間の運用は不可能だ。

 

「この短所を埋めるため、我々は小型艇(かんむす)乗降用のスロープを設けた哨戒護衛艦を保有しております。そして本級はこれを更に改良します。4ページ目、図3をご覧ください」

 

 その言葉に、細長い会議机の上に置かれた数十本の腕が動く。

 私の手元の配付資料に貼り付けられている画像は新型護衛艦の概略図だ。それと同じ画像が壁に映し出されて、造船部員が棒で艦体の後部を指し示した。

 

「新機軸となるのは海上展開用の後部乗降坂(ランプ)です。これが民間港での艤装の積み込みを可能にし、より柔軟かつ高度な運用を可能とするのです。それに加えて……」

 

 画像のあちこちを棒で突き刺しながら、若手の部員はあれやこれやを告げていく。

 彼が言うことが事実なら、この新型護衛艦は単なる艦娘の休憩や艤装の補給を行う艦ではない。艤装修繕のための各種工作機械、作戦支援を行う航空機(ヘリコプター)の収容設備、作戦幕僚を収容する巨大な作戦指揮設備。例を挙げればキリがないが、艦娘が一つの海域に留まって長期間の作戦を行うために必要な全ての機能を備えていることになる。

 

「言うなれば、本級は移動型の泊地。いえ()()()()()といっても過言ではありません。広大な警備海域を抱える我が国に必要な存在と信じております。以上です」

 

 設備の紹介に熱が入ってしまったのだろう。若干頬を紅潮させながら若手の士官が概要説明を締めくくる。それに反して、会議室の空気は冷え切ったものであった。

 国防海軍の制服に身を包んだ初老の男性が立ち上がると、咳払いの後に言葉を継ぐ。

 

「えー、まあ()()個人的な意向も入っているが……これが現在検討されている新型護衛艦の案である。予算要求は早くとも再来年、造船部では本級におけるいくつかのプランを考えている。詳細検討のためにも、各現場の立場として忌憚なき意見を頂きたい」

 

 これはよく誤解される話ではあるのだが、戦争は会議室から始まるものだ。

 軍隊組織というのは巨大な官僚組織に過ぎない。つまりは財務省や法務省といった中央官庁組織と全く同じであり、そもそも国防大臣の下に編成され、内閣総理大臣を最高指揮官に仰ぐ時点でスーツを着込んだ官僚と何ら変わりはないのだ。大胆な言い方をすれば書類仕事に少しの銃撃戦を足したのが国防軍人の職務であり、戦闘と呼ぶべき行為に手を染めているのは国防軍50万人の半分にも満たなかった。

 そして今日の私は、そんな官僚組織の構成員である新田三等海佐。国防海軍の艦娘(フネ)〈赤城〉を操る立場を抱えながらも、制服を着込んで会議に参加している。

 

「哨戒艦隊司令部より参りました。片桐です」

 

 そして私の隣に座る先輩も、ここでは空母艦娘ではなく一人の幹部軍人に過ぎなかった。すっと手を上げたことで発言を促された彼女は、おもむろに口を開く。

 

「一つ確認したいことがあるのですが、新型艦建造の目的はなんでしょうか?」

 

 先輩の言葉は、額面通りに受け取るなら単なる質問。しかしこの場にいる大半の人間はこの発言が台本の一部であることを理解していることだろう。彼女の発言が造船部の建前を引き出し、それを囲んで叩こうという魂胆なのだ。

 その点では、この会議は茶番。もしかすると、戦争は会議室どころか食堂や居酒屋、誰かのベッドの上で始まるのかもしれなかった。

 

「本級建造の目的は、建造から20年以上が経過する〈いずも型〉の代替艦である」

 

 その言葉に反応するかのように一人が立ち上がる。この場所では比較的若手に入る中年の男性は、海軍制服を震わせるような調子で言った。

 

「であるならば意味が分かりませんな。〈いずも〉は2万トン級護衛艦。それならば〈いずも〉の代替艦は同じく2万トンクラスの大型護衛艦であるべきでは?」

 

 出席表から所属と名前を確認するまでもない、彼は「艦隊派」の先鋒である。

 護衛艦による制海権確保を訴える彼らにとって、貴重な国防予算は全て大型護衛艦の建造に充てられるべきもの。言うまでもないが、艤装の研究開発と艦娘の拡充を訴える「艦娘派」とは正面から対立していた。造船部長は宥めるように手を振る。

 

「当然だ。だからこそ造船部では複数の案を検討している。はじめに小型艇(かんむす)母艦タイプを紹介させてもらったのは、ひとえにこの艦艇が新機軸を盛り込んでいるからである」

 

 造船部長の言葉は真っ当に聞こえるが、公平かと言われれば微妙なもの。

 だからこそ、艦隊派の先鋒は引き下がらない。

 

「分かりませんな。部長閣下は新機軸を紹介するためと仰る。しかしここは学術発表会(レセプシヨン)でもなければ技術競技会(コンペシヨン)でもありません。複数の案が存在するというのなら、私が汎用護衛艦の発展史を何十分もかけて懇切丁寧にお教えいたしましょうか?」

「それは困る」

「何故困るのです。護衛艦の発展は護衛艦の進化論です。艦娘母艦が新機軸なら、我々の護衛艦は伝統と歴史。それを語らせて頂けないのであれば、部長殿は艦娘母艦に入れ込んでいるということになりましょう?」

 

 暴論である。暴論ではあるが、要するに造船部長はそれ位のマナー違反を犯したのだぞと言いたいのである。造船部長の口から語られたとおり、今回の会議は新型護衛艦の設計指針を固めるためのものである。それなのに艦娘母艦の詳細設計にまで触れるプレゼンを用意していた。これでは何のための会議だか分からない。

 

「まあまあ、その辺にしないか」

 

 と、そこで場を諫める男が一人。肩に踊る二つの桜が示す階級は海将補。

 

「すみません、海将補。つい熱くなってしまい……」

「はは。護衛艦の発展史を語り出したら一日あっても足りないぞ?」

 

 余裕綽々といった調子で笑う彼は艦隊派。ちなみにこの会議室にいる将官といえば彼の他には造船部長だけ。その意味では、この会議は彼と造船部長の一騎討ちといえた。

 

「本来なら我々の意向を無視すべきところを、部長閣下はわざわざこうして我らをお呼びだてしてくださったのだ。敬意を払わないとな」

 

 まるで慇懃無礼の見本市。海将補を睨んだ造船部長は、再び咳払い。

 

「では、造船部(こちら)より通常護衛艦のプランもご説明しましょうか?」

「いや結構。結論は既に出ていることだ……片桐くん!」

 

 そして、会話のボールが私の隣へと飛んでくる。

 

「艦娘である君の立場として、この小型艇(かんむす)母艦をどう見る。これは使えるかね?」

 

 片桐先輩は流し目で艦隊派の海将補を見やった。艦隊派がわざわざ艦娘に発言を促すなんて珍しい。その視線を見て私は、このやり合いが仕組まれていたことに気付く。

 今回の片桐先輩は本気だ。艦隊派と手を組んでも艦娘母艦を潰そうとしている。

 片桐先輩は立ち上がると、会議室の面々をゆっくり見回してから口を開いた。

 

「そうですね……結論から申し上げれば、実用には耐えないでしょう」

 

 それは先輩と艦隊派の仕組んだ茶番(わな)。艦娘のための母艦プランを、艦娘自らの手で否定させる。この意見は造船部も無視できない。片桐先輩は台本を蕩々(とうとう)と読み上げた。

 

「そもそも大前提として、艤装と特務神祇官(かんむす)は馬と武者の関係です。立派な馬が居てもまたがる武者がひ弱では役に立ちませんし、逆もまた然り。巨大な病院船とセットで運用するならともかく、艤装の修理施設だけでは長期間の作戦は不可能です」

 

 艦娘の加護をもってしても、乗員の安全は保証されない。艦娘とは戦えば傷つく存在であった。それに、と先輩は続ける。

 

「私たちにとって、母艦は補給拠点以上に『盾』としての意味があります」

 

 海の上に身を隠せる場所は存在しませんから。そう流れるように主張を述べていく先輩。おそらく先輩は、母艦案を推し進める造船部長はもちろん、通常護衛艦案を押す艦隊派にも嫌気が差していることだろう。

 

「私たちが求めているのは、一隻の移動型泊地ではなく百隻の哨戒護衛艦です。従って、小官としましては資料にある第三案――補給艦の案を強く押すものであります」

 

 自身の主張をねじ込んだのは彼女の意地か、それとも()()への見返りか。

 

「補給艦なんて増やしてどうするんだ」

 

 海将補がそんなことを言えば、先輩は澄まし顔で切り返す。

 

「戦争は兵站です。十数隻の哨戒護衛艦への補給能力を持つ補給艦が戦争を変えます」

「戦争を変える?」

 

 せせら笑う海将補だが、先輩の発言を止める者は誰一人としていない。

 

「哨戒護衛艦の機能は艦娘への補給だけではありません。モジュール化された多彩な装備による強力な火力支援、無人運用故に行える身を挺した近接戦闘……」

 

 熱弁する先輩の背後には深く頷く数名の幹部の姿。私も今回は頷き役。

 なにも国防海軍は艦隊派・艦娘派のツートンカラーではない。哨戒護衛艦百隻体勢を目指す無人艦派とでも呼ぶべき派閥が、ここには確かに存在していた。

 

「哨戒護衛艦の運用効率が高まることで、艦娘を守る盾が増えることを期待します」

「なるほど。無人戦闘艦こそが重要だ、ということだな。他にはなにか」

 

 言いたいことは各々心の内に秘め、造船部長は片桐先輩の意見を軽くまとめる。

 ともかく、ここに全ての新型護衛艦案が出揃った。艦娘母艦か、通常護衛艦か、それとも無人艦を支える補給艦か。会議室は早くも熱を帯び始めていた。

 この会議は、国防海軍の未来を決めるモノになる。そんなことを先輩は会議の前に言った。なるほど自衛艦隊の中核を支えてきたヘリ搭載型護衛艦(DDH)〈いずも型〉に変わる新しい海軍の顔が決まるのだから、各派閥の熱の入れようは尋常でないに違いない。

 そんなとき、すっと揚げられるのは一本の手。

 

「片桐2佐の発言に、同じ艦娘として補足させていただきたいのですが」

 

 そう言いながら立ち上がったのは、私の同期。

 

「先ほど片桐2佐は艦娘母艦の医療設備を不十分とする旨の発言がありました。しかしそれは哨戒護衛艦も同じ事。むしろ無人とあっては怪我の手当も満足には出来ません」

 

 その言葉に、先輩が身構える。私の同期、私と同じ航空母艦の艤装を操る彼女……〈空母加賀〉の名を預かる特務神祇官が、私たち無人艦派をじっと見つめていた。

 

「更に付け加えると、無人戦闘艦では艦娘の救援任務が行えませんよね?」

「ちょっと待ってよ。哨戒護衛艦には収容のための乗降設備(スロープ)も備わってる。大破艦娘の収容実績だってある。艦娘の運用に適さないみたいな言い掛かりは辞めて貰える?」

 

 即座に反論する片桐先輩。今の「補足」では哨戒護衛艦が役立たずと言われたようなものである。深海棲艦との戦闘に特化した哨戒護衛艦は、通常の護衛艦と比べ低コストでありながらも高い機動力を持ち、自動・遠隔操縦を初めとする省力化(オートメーシヨン)により無人運用においても高いポテンシャルを発揮する。それを役立たずと言われては堪らない。

 

「あー、片桐2佐。発言は順番を守るように」

 

 造船部長が口を挟む。もちろん先程までの発言に順番が割り振られていたわけではないが、会議を取り仕切る進行役がそう言っては逆らえない。加賀さんは続ける。

 

「今の私たちに必要なのは、機動力のある強力な戦力です。深海棲艦の侵攻は基本的に上位の個体によって行われます。上位個体を倒すには艦娘の集中運用が欠かせません」

 

 その言葉に、そうだそうだと言わんばかりに頷く幹部たち。対深海棲艦戦で多大な戦果を挙げてきた艦娘派は、何も艦娘だけの派閥ではない。艦娘無敵神話を作り上げてきた艦娘()科幹部、通常兵器による対処に限界を感じている現場部隊、更には艤装需要の利権を握る技官も混ざり、厚みのある派閥となっている。

 

「艦娘母艦は艦娘に機動力を与え、侵攻を受け危機に瀕した泊地の救援を行うのです」

 

 そしてその最先鋒と呼ぶべき幹部が、私の同期である加賀さんなのであった。

 

「機動力のある、強力な戦力……ね」

 

 片桐先輩は大きく息を吸い込んで、それから大きく吐く。眼に宿るのは闘志だ。

 

「強力なのは艦娘自体よね? だったら機動力は空軍の輸送機で補えばいいじゃない」

「そうはいきません。大破した艦艇を収容する艦艇が不可欠です」

「『哨戒護衛艦には大破艦娘の収容実績だってある』……私、さっき言ったわよね?」

 

 先輩は一歩も退かない。もちろん、それは加賀さんも同じ。

 

「艤装の修理機能があれば、素早く戦線復帰させることが可能です」

特務神祇官(かんむす)自身が傷ついてるのに、どうやって戦線復帰させるの?」

「霊力回復があります」

 

 そう言い切った加賀さん。霊力回復は再生医療と並ぶ艦娘の治療法。どんな怪我も治せるという触れ込みだが、オカルトじみた治療法ということで一部の評判は悪い。

 

「なら、理論上はあなた一人で敵を殲滅出来るわね。()()()()はどーぞ、お一人で」

「先輩」

 

 見ていられず、私は先輩の袖を引く。敵を全滅させることが出来たら、海域を制圧することが出来たら。そんな希望(かてい)が成立するなら、戦争は20年前に終わっている。ここはそんな仮定の話をする場所ではないし、まして加賀さんを論破する場所でもない。

 

「分かってるわよ、新田3佐(ミコト)。さて話は少し変わりますが、古来より本隊を安全な内地に隠しておいて、敵の主力が攻めてきたら迎え撃って撃破するという戦術があります」

 

 片桐先輩は落ち着きを取り戻しただろうか。私には分からないが、少なくとも彼女は自分のペースを取り戻すことには成功したらしかった。

 

「ドイツの内戦戦略、我が国の漸減邀撃作戦。例を挙げるとキリがありませんが、要するに敵を自陣に引き込み、地の利を利用して殲滅する……その点、艦娘母艦なら敵の主力を叩くために艦娘を集中運用が出来る訳ですから、まあコンセプトが理解できないとは言いません。ですが小官(わたし)に言わせれば、この構想には致命的な見落としがある」

 

 面倒臭そうに手を挙げた造船部長を無視して、先輩は話を続ける。火が付いたら止められないのがこのヒトの厄介なところだった。

 

「決戦思想は、敵の総量が確定している時だけに通用する考えです。『これだけの敵を倒せば良い』と分かっているから死力を尽くしてその殲滅が出来る。しかし現実にはどうでした? ドイツの早期決着戦略(シェリーフェンプラン)はロシアの動員が早まったことで失敗し、日本の真珠湾攻撃は米国の艦艇生産能力を前に水泡と帰しました。ましてや今回の『戦争』は……失礼、今回の『災害派遣』は相手の全貌すら掴めていません」

「片桐2佐。要点は簡潔に」

「そうだそうだ。三行でまとめろ!」

 

 どうしようもない野次が飛ぶ。それをギッと睨む……のは我慢して、先輩は叫ぶ。

 

「問題は艦娘母艦の数です! 予算を考えれば各護衛隊群に一隻ずつ配備できればいいところ。それで機動力が確保できますか? 新自由連合盟約(ニユーコンパクト)加盟国及び相互防衛条約締結国の水域を全て守ろうとすれば、1隻あたりの担当水域はなんと半径1000キロ! これで即応性? 機動力? 聞いて呆れますよ。そう言いたいんです」

「先輩、言い過ぎです。というか長いです」

「最後まで言わせてミコト……機動力のある部隊がいたとして、それは何人を助けられるのですか? 1000キロ先からやってくる頼もしい援軍を頼って一人で海を漂えと艦娘に命じるのですか? 小官はそれを見逃すことは出来ません。前線の艦娘に必要なのは、いつも隣にいて頼れる忠実な無人艦(ロイヤルウイング)です」

 

 息を切らさんばかりの調子でまくし立てる先輩に、加賀さんは冷たく言い放つ。

 

「片桐2佐は勘違いをしています。艦娘母艦が防御兵器だと言った覚えはありません」

 

 敵を撃滅することが出来れば、誰も犠牲になることはないのですから。加賀さんの言葉に、先輩は天井を仰ぐ。

 

「敵を撃滅する? 私たちの仕事は国を守ることよ? そのために今、最前線で同胞たちが死線をかいくぐってるの。艦娘母艦の予算で何人救えるか考えたことある?」

「大元を絶つのです。幹が枯れれば枝葉は勝手に腐り落ちます」

「呆れた。幹がどこにあるのかも分からないのにそんなことが言えるなんて」

「鬼や姫などの上位種に対応するためにも、強力な戦力が必要です」

 

 先輩と加賀さんがじっと睨み合う。既に議論は平行線。押し黙ったままの造船部長と海将補、それぞれに連なる幹部も視線を交わし、部屋中で火花が散った。

 



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第58話 みなもにうかぶかみのふね

「ともかく、あなたの考えは理想論よ。深海棲艦の全貌すら掴めていないのに」

「理想を実現するための運用法を、我々は検討するべきです。そのための会議です」

 

 加賀さんの答えに、先輩は嗤う。

 

「いつからこの会議は決戦兵器の品評会になったのかしら? ノープランで巨額の建造費を払うくらいなら、既に実績のある哨戒護衛艦を拡充するべきよ」

 

 言いたいことを言い切って、満足半分、怒り半分といった様子で先輩は席に座る。私が先輩にそっとペットボトルを差し出す中、艦隊派の海将補がパチパチと手を叩いた。

 

「いや。片桐2佐は素晴らしい戦略眼をお持ちだ」

 

 これほど胡散臭い賛辞も中々ない。それでも艦隊派と無人艦派は手を組んだ。そう考えれば、()()も会議戦術のうちと考えられるだろう。先輩もどうもと頭を下げる。

 

「ところで私は無人戦闘艦に詳しくないのでよく知らないのだが、2佐の言う『実績』というのは、深海棲艦の的になる実績かね?」

 

 しかし続いた想定外の言葉に、艦隊派以外の全員が凍り付いたことだろう。先ほどまで先輩の肩を持っていたはずの海将補の発言は、まさにはしごを外した格好。

 

「なるほど。確かにずんぐりと大きくて的になりやすい。実績も確かですね」

 

 艦娘派もこぞって無人艦の短所をあげつらう。事実なので先輩はぴくぴくと眉を震わせるしかない。無人艦派が散々に叩かれた所で、海将補はまとめるように言う。

 

「これで結論は出たな。哨戒護衛艦は数頼みの単純な戦術しかとれないし、艦娘はワンマンプレー以上のことは出来ない。百人で動かす大型の護衛艦こそ国防の要だ」

「……なんですって?」

 

 加賀さんが無表情で海将補を睨む。彼はなぜ分からないとばかりに肩を竦める。

 

「否定出来るかね? 艦娘といえば搭載火器は貧弱で、航続距離は短い。役に立つのは精々が沿岸警備や護衛艦に随伴する時くらい」

 

 挑発に加賀さんは乗らない。なぜなら、噴き上がるのは彼女の仕事ではないからだ。

 

「なんですと!」

 

 海将補の言葉は艦娘派に向けられた宣戦布告だ。会議室に詰めかけた殆ど全ての艦娘派が口が火蓋を切る。もちろん、無人艦派もここぞとばかりに泡を飛ばす。

 

「海将補は〈せとぎり〉の悲劇をお忘れになったようですね。たった一匹のイ級相手に四人が犠牲になったんですよ。護衛艦が沈めば百人が死ぬんです」

「そうだ! 護衛艦は棺桶、棺桶は軍港に閉じ込めておけばいい。いっそのこと予算はそっくり陸軍にでもくれてやって、沿岸の要塞化でも進めたら如何です?」

「何を言うか、護衛艦がなんのためにあると……」

「瀬戸内海にぷかぷか浮かべるためでしょう」

「なにをぉ! 貴様黙って聞いていれば!」

 

 感情任せと表現するほかのないこの状況は、まるで国防軍の縮図。

 深海棲艦から自国や同盟国の陸地を守り抜き、航路においても目立った損害を出していない。戦局は膠着状態であり、防御攻撃あらゆる戦略を採る余地がある。

 だからこそ、私たちには腰を落ち着けて議論を行う余裕がある――――筈だった。

 

「えー、静粛にしたまえ」

「何が静粛にだ。造船部の艦娘への肩入れは度が過ぎるぞ!」

「部長閣下は護衛艦部隊にも十二分な配慮を払っておいでです。それは海将補閣下自ら認めていらっしゃいましたよね? それを形勢が悪くなった途端に覆すとは」

「なんだと? 貴様こそ片桐2佐の演説を遮っただろう。先に会議を台無しにしたのはどっちだと思ってるんだ。だいたい、女のクセに出しゃばりおって気に食わん!」

「あっ! 今のは聞き捨てなりませんよ!」

「お小遣いが月4万円の恐妻家の台詞とは思えませんね」

 

 海将補の失言に、ここぞとばかりに噛みつく艦娘派の幹部たち。肝心の片桐先輩が女性(かんむす)であることを脇に置いて、やれ男女平等だ差別だのの言葉が飛び交う。

 もはやこうなってしまえば理性的な議論は望めない。いよいよ収拾がつかなくなり始めた会議室は、各々の主張が入り交じる()()()と化していた。

 

「こちらをご覧下さい! 〈そめいよしの型〉哨戒護衛艦の有用性は、先のマラッカ海峡海戦でも証明されています。特に第726護衛隊の救出作戦においては……」

「艤装の一つも動かせないくせに白馬の王子様気取りか。ドンキホーテもびっくりだ」

「第一、何故こんな無駄の塊を作ろうとしてるんですか。それを説明して頂きたい!」

「いいじゃないですか、世界初の艦娘母艦。作ってみたい。私は作りたい!」

 

 まるで雛鳥が餌を強請るが如く、各々がピーチクパーチク繰り返す。椅子を蹴飛ばすように立ち上がる者はまだ可愛い方で、下手をすれば乱闘にすら発展しかねない。

 

「ねえ、ミコト」

 

 その様を見て先輩は溜息。喧騒に掻き消されぬよう私を引き寄せると、耳元に一言。

 

「今日のお昼、私は担々麺が食べたいな」

「……」

 

 現実逃避にも程があるのではないだろうか? 息巻いて挑んだ会議がこんな体たらくでは気概が削がれるというもの。私が悩みに悩んで反応しようとした所、室内の罵声に負けない音を立てて会議室の扉が開け放たれた。

 

「失礼する!」

 

 時間が止まったようにしんと静まり返る室内。あまりにも突然の出来事に、誰一人として言葉が出ない。なにせ入室してきた男の肩には、三つの桜が輝いていたのだから。

 

「日も昇りきらないうちに無礼講のパーティとは、全く羨ましい限りだな?」

 

 将官。それも造船部長や艦隊派の海将補よりも格上、国防軍最上位の階級である空将の階級章を肩につけた男。空将とは国際基準に合わせるなら空軍大将である。

 

「誰が教えたんだ」

 

 そう呪詛のように呟きながら崩れるように椅子に座った海将補の言葉が、部屋の総意を示している。空将は悠々と会議室に並んだ机をすり抜けて、先ほどまでプロジェクターが置かれていた場所にまで進み出た。それに続くのは十人ほどの空軍軍人。紙束を抱えた彼らが壁際に整列すれば、空将の脇に控えた空軍の幹部が口を開いた。

 

「こちらは小沢航空総隊司令官、そして私は第94航空団の小河原1等空尉である」

「……艦娘(おんな)には女性飛行士(おんな)をぶつけようって腹な訳?」

 

 小声で片桐先輩がそんなことを言う。

 94空と言えば、厚木海軍航空基地に駐留する母艦専属の航空隊。小河原1尉はその航空隊の紅一点……いや、問題はそんなことではなく彼女の背後に居る空将だ。

 小沢空将。航空総隊司令と言えば、空軍の実戦部隊トップ。文字通り空の守りを一手に引き受ける男である。その威厳だけで会議室に沈黙が舞い降りる――――

 

「ええと、小河原1尉だったかな。アポイントは取ったのかね?」

 

 ――――が、そんな状況でも調子を崩さないのが造船部長である。初老の海軍将官はここはお前の場所ではないのだぞと言わんばかりにじろりと一等空尉を睨み付ける。

 ところがその視線を、女飛行士は演技がかった調子で笑い飛ばした。

 

「アポイント? 部長閣下は面白いことを仰いますなぁ! 我々は日本の空を守る者として、この会議の()()に抗議しにきたのであります」

「抗議であれば書面で受け取るとして、まあ要旨くらいは聞いておこうか。1尉」

 

 造船部長は本音では追い返したいところだろうが、それは壁際で睨みを利かせる空将が許さない。堂々と立つに徹する空将に背中を押され、彼女は机の資料を手に取った。

 

「新型護衛艦の建造、これの目的は〈いずも型〉の代替艦とあります……にも関わらず、この代替艦はなぜか〈いずも〉が持つ最大の特徴が欠落している」

「何を根拠に。空の人間にフネのことが分かるものか」

「フネのことはさっぱりですが、空海統合任務の盟約(やくそく)を忘れた訳ではありませんな?」

「……」

 

 その指摘に文句を言える者はいない。片桐先輩が唸り、艦隊派の海将補が鼻を鳴らし、造船部長は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

 〈いずも型〉は事実上の航空母艦。建造時から最新鋭の戦闘爆撃機を搭載できるように設計されたそれは、航空機の運用を行ってこそその真価を発揮する。

 その代替艦となれば、当然航空機運用能力が必要という話になる。

 

「艦娘母艦に補給艦、大いに結構! ですがそれは空母を作ってからの話です」

 

 一等空尉がそう言い切ると、航空総隊司令官も一歩踏み出してのっそりと告げる。

 

「ま、要するに我々は()()()()()であったというわけだな。〈いずも型〉と航空団は切っても切れない関係にある。空軍の全作戦部隊を預かる者として、看過は出来ない」

 

 だからこそ、こうしてお邪魔させて貰ったわけだ。空将はそう結ぶ。

 日本列島のみを守っていた時代ならいざ知らず、太平洋の半分に展開する空軍には移動手段が欠かせない。航空母艦(キヤリアー)は空軍の足としても機能しており、その運用状況は空軍の配置転換や運用計画と綿密に関わってくることになるわけだ。

 

「主として航空機を搭載する護衛艦の後継艦については、後日検討するところである」

「ご安心ください造船部長。こちらで既に検討させて頂いておりますゆえ」

 

 その言葉を合図に、背後に控えた十人の空軍軍人が動き始める。彼らは迷いのない動きで会議室を動き回りながら資料を配っていく。コピー用紙を束ねた資料の表紙には、広く長い甲板を備えた護衛艦のCG画像が印刷されていた。

 小河原1等空尉はバチンとその紙束を叩くと、声を張り上げる。

 

「さて、ただいま配布させていただいたのは真の〈いずも〉代艦、つまり最新型の防衛型航空母艦の設計案であります。神崎造船の10DDHを拡大発展、同クラスの建造過程で得られた知見も生かしつつ多機能護衛艦としての完成形となるかと」

 

 私の目の前にも渡ってきた資料は、もはや隠す様子もない空母の設計図であった。造船部長は資料にざっと眼を通すと言う。

 

「1尉、仕事熱心なのは結構だが……これは些か、海軍(われわれ)の領域に踏み込みすぎでは?」

「ええ。しかし妙なんですよ。あるスジによると既に造船部は神崎造船からこの設計案のセールスを受けているらしい。造船部長、なぜここにその案がないんでしょうね?」

「……」

 

 造船部長が般若の表情となったのが全ての答えである。もはや会議の主導権は海軍にはなく、乱入者であるはずの空軍に握られていた。1等空尉は勝利の笑みを浮かべるかと思われたが、思い出したかのように腕時計を見る打って変わって慌てた様子になる。

 

「おっといけません。小沢閣下、今日の午後は横田で会議でしたね」

「小河原1尉、貴官は相変わらず勢いだけだな。スケジュール管理がなっていないぞ」

 

 白々しく返す航空総隊司令官に、すみませんねと微笑む佐官。彼女は改めて会議室を見渡すと、うやうやしい調子でお辞儀する。

 

「では、我々はこれで失礼します。次は真っ当な会議でお会いしましょうね?」

「一応、部下の非礼は詫びさせてもらう。抗議文書は送らないでおくから、まあ穏便に処理してやってくれ。では急ぐので」

 まさしく支離滅裂とはこのこと。文字通り風の如く去って行く空軍の一団に、会議室はしばらく呆気にとられたのであった。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

「あ――――――――! ムッカつく! なんなのあの女は!」

「片桐先輩、そう怒らずに……」

 

 私が窘めるのも聞かずに、先輩はぐるぐると担々麺をかき混ぜる。それを一斉に吸い込んで、無理矢理飲み込むと身体を震わせた。

 

「ん――!」

「水です。辛いの苦手でしょうに、どうして激辛にしたんですか」

 

 コップを空にして机に叩きつけると、もう一杯と言わんばかりに手を出し出す先輩。

 先輩はお冷やを飲み下し一息つくと、会議の時のような調子で続ける。

 

「許せないのよ。女性戦闘機パイロットなんて今更珍しくもないのにエラそーにしちゃってさ。というか、そもそもなんなのあの軍規大違反の長髪は!」

「そんな軍規はないですし、多分私の方が長いですよ」

 

 もちろん長髪という意味では先輩も同じ。むしろそれを二つに結ってツインテールの格好をとっている先輩の方が髪型という意味では目につくような気がする。

 

「でも、あれは航空団の所属でしょ? おかしいじゃない」

艦娘(かいぐん)がいいなら空軍がダメな理由はないですよ」

 

 伝統的に軍隊組織というのは男所帯、多くの女性を必要とした艦娘という兵科は、革新的というべき服飾規定の緩和が行われている。

 

「じゃあ、あの染髪趣味! 栄光の母艦付航空団パイロットが染髪していいの? 茶髪だなんて昭和のヤンキーじゃあるまいし……」

「母親がアングロサクソンだそうです。遺伝ですよ」

 

 誰かを論破したがる人間ほど、自分が論破されると悔しくなるモノ。私がそう淡々と告げる度に先輩のボルテージが上がっていく。

 

「なによ……! ミコトはアイツの味方なの?」

「味方と言いますか……調べているだけです。警戒対象ですから」

「え、そうなの」

 

 先輩のマシンガントークが停まる。少し薄暗い店内はヒトもまばら。静かになった店内に、壁に張り付いたテレビがお昼のワイドショーを垂れ流していく。

 

「結婚で姓が変わっていますけれど、横須賀総監の娘ですよ。彼女」

「……なるほどね、合点がいったわ。あの会議を潰したのは中立派って訳か」

 

 横須賀地方総監部。三陸地方から東海地方までを守る東日本防衛の要。首都防衛という大任を背負い、五つの地方総監部の中でも最も重要な組織である。

 もちろん、ここで重要なのは横須賀総監の役職ではなく、その役職に収まっている人物が()()()であるということ。

 

「ミコト……あなた、全部知ってたのね?」

「全部知っていた訳ではありません。今回は目に余ると、多くの人(しんせき)から聞いていただけのことです。特定の派閥が勝手をするなら、中立派が潰しに動くのは当然と言えます」

 

 ()()というのは、もちろん新型護衛艦の会議についてである。先輩は鞄に手を突っ込むと、先程の会議で配られた資料を取り出した。

 

「というか、空軍が配ったこの資料はなに? たしか神崎造船のDDHを元にした設計案だとか言ってたけれど、もう企業が参入してるって訳?」

「大型護衛艦を建造できる企業は限られています。入札前に話が行くのは普通です」

 

 武器がなければ戦争は出来ない。軍需品を生産する防衛産業と国防軍は密接に関わっているのだから、大型艦の建造計画が事前に話も通されていないのはむしろおかしい。

 

「……そういう話じゃなくて。なんで多機能護衛艦の話が来るのかって話」

 

 多機能護衛艦。それは砲弾にミサイル、航空機にエアクッション揚陸艇、艦娘……現代艦艇が持ちうるおよそ全ての機能を詰め込んだ多機能な艦艇のこと。

 

「簡単な話です。本来、あの会議は多機能護衛艦のためのものだったんですよ」

「え?」

 

 手を止めた先輩に、私は続ける。

 

「〈いずも型〉は航空機を運用する艦艇(フネ)です。当然、後継艦は同じく航空機を運用できる艦艇でなければならない……なのに、造船部は艦娘母艦の設計案を出してきた」

「……え。ちょっと待って。じゃあ空母(DDH)を減らすってこと?」

 

 先輩の認識は間違っていない。新型艦が就役せずに〈いずも型〉が退役すれば、当然空母の数が減ることになる。しかし、それは退役すればの話。

 

「〈こんごう〉同様、40年選手にするんじゃないですか?」

 

 その言葉に、うわーと言いながら先輩はこめかみを押さえる。

 

「そりゃ中立派、というか空軍が怒るわね……〈いずも型〉は固定翼機(せんとうき)には手狭だし、すぐに大きな空母に更新するってのが暗黙の了解だったものね」

「ついでに言えば、造船業界も約束を反故にされた形になります」

「最初から会議は艦娘派の仕組んだ茶番。私たちはまんまと乗せられたって訳か。で、その結果があのザマ……悔しいなぁ」

 

 先輩の言うとおり、私たちもその茶番に噛んでしまった。深海棲艦との戦争を大きく変える新型護衛艦の建造計画。そんな計画は元々存在しなかったのだ。

 

「白紙の計画に本気になって馬鹿みたい。というか艦隊派の連中、もしかしてホントは空軍が来ること知ってたんじゃないの? 私たちに赤っ恥をかかせようと……」

「それはないと思いますよ。一番恥かいたの、間違いなく艦隊派ですし」

 

 私の言葉に、それもそうかと先輩は応じる。

 

「じゃあこの後はどうなるの?」

「どうなるも何も……なかったことにされるんじゃないですかね?」

 

 その言葉に、ええーと言いながら箸を置く先輩。それから気付いたように言う。

 

「というかさ。会議がなかったことになるってことは私たちの補給艦案はどうなるの? まさかこのままお流れになるなんてことはないわよね?」

「抜かりはありません。補給艦なら〈ましゅう型〉の代替艦でいけます」

「……ああ、なるほど。親に似て政治が上手いのね、ミコトは」

 

 やれやれと資料を捲る先輩は、事前に教えてはくれないのねと言わんばかり。

 

「先輩なら、私が言わなかった理由も分かると思います」

「ええ、分かるわよ」

 

 その言葉と共に先輩はどこから取り出したのか付箋紙を差し出す。

 そこに書かれているのは「NOT共犯者」の走り書き。

 

「まあ、そんなことろです。艦娘・艦隊両派の面子を一緒に潰すことが重要ですから」

 

 今回の会議潰しは難しいところだった。事前に会議を潰しても艦娘派は第2第3の手を打ってくるに違いなく、艦娘派だけを潰しても艦隊派が増長するだけ。

 

「それに、敵を騙すには味方からとも言いますしね」

 

 これは無人艦派を守るためでもあるのだ。外部の介入を無人艦派が招いたと知れば、今回は良くとも最終的に海軍内部で孤立することは間違いない。 

 

「で? 介入役が空軍だったのはあなたのお父さんが航空自衛官だった時の人脈(コネ)?」

「ええ……まさか、総隊司令(あのひと)が直々に出てくるとは思いませんでしたがね」

「誰が直々に出て来たって?」

「ですから小沢空将、航空総隊の司令が出てくるなんて……って」

 

 待って欲しい。今の声は先輩の声ではなかった。

 そして当の片桐先輩は驚きに眼を見開かせている。担々麺を掴まえた箸を食品サンプルの如く宙に浮かせた先輩が凝視するのは――――私の後ろ。

 

 

「お、おお小沢空将閣下……?!」

 

 

 

 先輩の声が珍しく上擦るのも無理はない。なにせ私の後ろに居たのは日本国防空軍が保有するあらゆる作戦機にレーダーサイト、高射部隊。それらが連携して行う防空任務を掌握する航空総隊司令官。小沢空将その人だったのだから。

 



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第59話 しのぶあのくにみなみのひ

 

「お、おお小沢空将閣下……?!」

 

 先輩の声が珍しく上擦るのも無理はない。なにせ私の後ろに居たのは日本国防空軍が保有するあらゆる作戦機にレーダーサイト、高射部隊。それらが連携して行う防空任務を掌握する航空総隊司令官。小沢空将その人だったのだから。

 

「シッ! あまり閣下と言わないでくれ。変装がばれる」

 

 指を立てて「騒ぐな」のジェスチャーをする空将。変装というが制服を背広姿に着替えただけなので、意味があるとは到底思えないが……呆気にとられた先輩を無視して、現役将官は後ろに向かって叫ぶ。

 

「おおい、餃子三人前と醤油ラーメン。あと白米大盛り」

 

 端から見れば女性グループに飛び込んできた謎の男性。しかも当然のように注文をしはじめた。どうみても普通ではない。逆に普通ではないからこそ通じる意味もある。

 

「ミコト……これもあなたの()()()なの?」

「空将と話せるなんて滅多にない機会ですよ。しかも話は向こうから来ました」

 

 断る理由はない、チャンスですよと私は言っておく。後で背後関係(うらじじよう)を洗いざらい話しなさいよと全身で語る先輩から逃れるように、私は空将に話を振った。

 

 

 

 

 

 

(第4話)

 

 

 

 

 

 

 

「横田に行かれると仰っていましたよね。閣下」

「横田に行ったのは部下の小河原だけだ。航空総隊司令なんて大仰な肩書きを引っ提げて行って見ろ、向こうも在日司令が出てきて簡単な連絡会議もこじれる」

 

 その理屈で会議をぶち壊した張本人がそれを言うのか。小沢空将はニコリと笑う。

 

「それにしても、暫く会わないうちにオトナの魅力が増したな。新田3等海佐が魅力的な女性に成長したということは、もう『ミコトちゃん』は卒業かい?」

 

 先輩が驚きの表情を浮かべる。海軍の会議に喧嘩を売った空軍の大幹部サマが三等海佐に過ぎない私を「ミコトちゃん」なんて呼んだのだから。それはそうだろう。

 

「空将閣下。ご自身の立場をお弁え下さい」

 

 先輩を落ち着かせるためにも、私はあえて何処吹く風の体で言葉を返す。

 

 別に隠していた訳でもないのだけれど、私と小沢空将は旧知の仲である。政界に転身する前の父は航空自衛官。今でも小沢空将を初めとする大勢の幹部と繋がりを保っていて、小沢空将はその中でも大親友。私もよく相手をして貰ったものである。

 

「なに。私は月給のために働く労働者(サラリーマン)に過ぎないよ。おいしい中華を探していたら、親友の娘とばったり出くわした。何を弁えろというんだい?」

「まあ、間違ってはないですけれど……」

 

 空将とはいえ国防軍人は給料を貰う立場の労働者。私の父と彼が親友と呼ぶべき関係なのも事実だ。強いて嘘を挙げるとすれば「ばったり出くわした」の部分か。

 

「お待たせしました。醤油ラーメンと炒飯です」

「お、早いな」

 

 関心関心なんて言いながら手を伸ばす小沢空将。私は慌ててトレーを受け取る。

 

「おじさん。これは私が注文したものですから」

「おっとすまない、二杯目だったか。ミコトちゃんは相変わらずよく食べるなぁ」

 

 手を引っ込めた小沢空将。今では空将なんかになってしまったけれど、私にとっての彼は父と仲の良い「おじさん」で、彼にとっての私は親友の娘「ミコトちゃん」。

 現役の将官と佐官にあるまじき雰囲気を出されてしまっては、蚊帳の外に置かれた片桐先輩が口をひんまげるのも仕方のないことだろう。

 

「……ちょっとちょっと。ミコト、これどういうこと?」

「見ての通りですよ」

 

 もちろん。見ての通りで納得するわけがない。先輩は私を振り回してばかりなので、たまには振り回される気分を味わえばいいと思うのだ。

 すると先輩は私にぐっと顔を近づけて、真面目そのものといった表情で言う。

 

「だって私。パパ活が『政治』の範疇なんて聞いてないんだけど?」

 

 それは究極の問題発言。空腹を紛らわすためかコップの水をちびちびと吸っていたのが裏目に出てしまったらしく、激しく咳き込む小沢空将。口に含んだ水を吹き出さずに済んだのは不幸中の幸いといったところか。

 

「……か、片桐2佐。流石にそれは冗談としてキツいんじゃないか?」

 

 彼は呼吸を整えながら、誤解だ誤解と言う。

 

「第一、そういうのは娘と仲がよくない親がやるもんだ。知らないだろうが私と娘は意外と仲がいいんだぞ? この前なんて……」

「おじさん、話が逸れてます。そんなことを話に来たわけじゃないでしょう」

 

 方向修正を加えた私に、そんなこととはなんだと言う空将。とはいえ、多忙な航空総隊司令官が余計な議論に費やす時間を持ち合わせていないのは事実。彼は小さく咳払いをすると、椅子に座り直した。

 

「手短にいこう。私はキミと話をしに来た。理由は分かるかな?」

「閣下のお手を煩わせた覚えはありませんが」

 

 小沢おじさんも先輩も、なんだかんだと軍人であることに変わりはない。二人とも最初からそうであったかのように真面目な調子で言葉を投げ合う。

 

「まあそう警戒するな。北マリアナでの戦果は聞いている、空軍内部でのキミに対する評価は専ら『理解のある艦娘』と言ったところでね。是非、未来の幕僚長を目指しているだろうキミと話がしたかったんだよ」

 

 ともかくこれで私の役目、つまり二人の人物を引き合わせるという仕事は終わった。

 私は箸置きに手を伸ばす。目の前には醤油ラーメンとチャーハンの組み合わせ。

 

「いただきます」

 

 日本人の主食とされる米粒が纏うのは油と香辛料の香り。

 些か強すぎる味を打ち消すために薄味めに調節されたラーメンスープ。気を許すとたちまちに食道までスルリと入ってゆきそうな細麺。

 

「論文は読ませて貰った。北マリアナの戦いはあれを実践したと見ればいいのかな?」

「恐縮です。しかし論文が机上の空論であることも痛感しました。その点では……」

 

 そんな私を傍目において、二人の会話は続いていく。出身も年齢も異なる二人の共通項は幹部国防軍人であること。となれば世間話は戦術の話ということになる。そんな共通の話から、情報交換を進めていくのだ。

 

「やはり遠隔操作では、タイムラグもありますし偏差の調整が難しいです。感覚的にはそうですね……台風の中でホールインワンを目指すようなものです」

「ホールインワンか。私は名護で一度やったことあるがな」

「名護というと、宇久志カントリーですか?」

「なんだ、キミもいける口だったか。スコアはどのくらいだ?」

 

 相手のことをどう思っているのか、自分が何者であるか、どのような立ち位置にいるのかを含ませつつ会話を転がす。二人ともざっくばらんな言葉のキャッチボールを好むので、本来なら仲介役になるべき私に出番はない。

 となれば、私はただ目の前の食事に集中するのみ。口を閉じて思い切り肺を膨らませれば、鼻腔から飛び込んだ和の香りが脳天まで突き抜ける。炒飯の脂こさを打ち消す透き通った醤油が、私の食欲を刺激して止まない。

 それにしても三大欲求であるはずの食。生物としての義務を娯楽に替えてしまった人類は相当に罪な生き物であると思う。深海棲艦の出自は一説によれば海を埋め立てた人類への神の怒りだというが、人類が一体海の何割何分何厘を埋めたというのだろう。

 そんなことを考える私を余所に、二人は言葉を卓の上に並べていく。

 

「それにしても小沢閣下は、いずもDDHの代替艦が欲しいのではないのですか?」

「あれは介入の口実に過ぎんよ。空母(DDH)の話なら空軍(ソラ)も口が挟みやすい」

 

 話し合いというのは、本音と建前をぶつけ合うこと。

 もしも本音だけで話したのなら、ヒトは決して相容れることはないだろう。建前だけで話しても、両者の納得する結論は出ないだろう。ヒトは歩み寄るために言葉を使う。

 そして言葉を交わす場所を確保するために、昔から食事という場所が用いられる。

 

「あの尉官さんは本気のようでしたが」

「本気は必要だ。だが()が穏便に済むにこしたことはない。そうだろう?」

 

 それでも、時々思ってしまうのだ。もしも対立し合うヒト同士が皆、同じ食卓を囲むことが出来たのなら、と。勿論無理なのは分かっている。私たちの家族団らんですら、家長たる父が取り仕切るから成立する。対等な食卓なんて存在するはずもない。

 

「まあ安心してくれ。部下の()()()はちゃんと責任を持つよ。あの図面どおりの艦娘母艦にはさせない。まあ、予定通り多機能護衛艦になるんじゃないかな?」

 

 その言葉に、先輩が表情を硬くする。

 

「なんだね。多機能護衛艦だと困ることでもあるのかい?」

「……先程『介入の口実』と仰っていましたので」

 

 だからこそ、多機能護衛艦を建造する気はない。そう先輩は考えているらしい。

 

「まあ、船越組との妥協点を探るならそんなところだろうからね」

 

 気になる言葉を小沢空将が放つ。船越というのは横須賀市船越町。つまり自衛艦隊司令部や護衛艦隊司令部が置かれる街の名前。要するに船越組とは艦隊派のこと。

 艦娘派の会議を潰して艦隊派と手を組む。それは間違っているようには思えない。しかし小沢空将の今の言い回しでは、まるで艦隊派との了解は取れていないかのよう。

「おじさん……もしかして」

「ミコトちゃんの考える通りだよ。まだ何一つとして決まっていない。航空機の輸送任務だけなら〈いずも型〉でも十分事足りるし、もうすぐ10DDH(あたらしいくうぼ)も進水するしね」

「そんな。本当に何も決まってないんですか?」

 

 唖然とする先輩。今の言い方では空軍は別に〈いずも型〉の後継を求めていないということになってしまう。それなら、一体全体新型護衛艦の計画はどこへ行くのか。

 

「おいおい、二人とも。今のはむしろ喜ぶべきところだろう。新型護衛艦の計画は白紙に戻った、つまり全員同じスタートラインに立ったと言うことだ」

「いえ、まあ……それはそうかも知れませんが」

「これはキミ達みたいな若者にとってチャンスだぞ? 今こそ国防の新体制、国家百年の大計を大いに論じようではないか。それで私がここに来たわけだ」

 

 首を傾げる先輩。私も話の方向性が読めない。

 

「単刀直入に聞く。なぜキミは哨戒護衛艦に拘る?」

 

 哨戒護衛艦。それは私たちが推進する無人艦。先輩は瞑目。小さく息を吐いて、それから眼を開いて空将を見据える。

 

「一言で言うなら『チープ・キル』に対応するためです」

 

 チープ・キル。テロリストが一隻のモーターボートでイージス駆逐艦を仕留めたように、たった一匹の駆逐イ級が噛みついただけで護衛艦に大穴が開くように……どんなに高価で高性能な護衛艦も単純な攻撃で破壊されてしまうという考え方だ。

 

「艦娘母艦や多機能護衛艦。あらゆる任務をこなせる『何でも屋』が強いのは分かります。ですが深海棲艦の攻撃は神出鬼没。だからこそ、量産可能で安価な哨戒護衛艦が正解なんです。傷ついても交代要員(バツクアツプ)がいて穴を埋められることが大切なのです」

 

 先輩も、これが本題なのは理解していることだろう。小沢空将はふむと頷く。

 

()()とは言うがね。損傷した哨戒護衛艦の修理事業で造船業界が悲鳴を上げていることは知っているのかい? キミが主張する哨戒護衛艦百隻体制は百隻の護衛艦が一斉に入渠する可能性を秘めている。そうなれば国内の造船所は簡単にパンクするぞ」

 

 小沢空将の指摘は概ね正しい。造船業界が総力を挙げて生産しても、その供給は世界中から寄せられる無限の需要に太刀打ちできていない。そこに護衛艦の修理事業が加われば、満水のコップに更に水を注ぎ込むようなもの。

 

「まあ、数を増やして安心したいという気持ちは分かる。空軍(ウチ)にも海外派遣向け常設航空団の新設を訴える声があるし、軍隊の病気みたいなモノかもしれないね」

 

 そう言うと小沢空将は息をつくようにコップに手を伸ばす。タイミング良く運ばれてきた食事に手を合わせると、ばりばりと頬張っていく。

 先輩は若干引いてしまったようで、私の方へと視線を流してきた。

 

「……すごい食べっぷりね。流石はミコトちゃんの親戚って感じ?」

「親戚ではないです。というか、私はそんなに食べないと思うんですけれど」

 

 一般的なカロリー摂取量を考えれば私は食べている方かもしれない。ただ、それは私が戦闘職種(かんむす)だから、身体を動かすのに必要なエネルギーを補給しているだけの話。

 

「よく言うわよ。同じ空母艤装を扱ってるはずなのに私の一・五倍は食べてるわよ? 食べ過ぎは女の子の敵なんだから、ちゃんと気をつけないと」

「……食べ過ぎ、か」

 

 先輩の言葉に収集車の如く餃子を頬張っていた空将が箸を止める。その視線は醤油ラーメンのつゆに浮かぶチャーシューに注がれていた。

 

「確かに今の国防軍は肥満児なのかもしれないな」

「空将閣下。ラーメン伸びちゃいますし、真面目な話は食べ終わってからでも……」

 

 先輩が小声で進言するが、小沢空将は聞く耳を持たない。ああ、これは長くなるなと私は他人事のように思って麺をすする。

 

「昔、自衛隊には対GDP一%の防衛費という慣習(ルール)があった。おかげで自衛隊は痩せこけてはいたが、スリムで燃費もよかった。しかし今はどうだ? 防衛予算は際限なく増え続け、その予算を当てにして各々が自分勝手に軍備拡張を図ろうとしている」

 

 彼はどうも、自衛隊なら多機能護衛艦ですぐに決まっただろうと言いたいらしい。

 

「それはまあ、自衛隊の頃は深海棲艦なんて敵はいなかった訳ですし」

「現れても暫くはそうだったよ。限りある予算をどう全体の利益に活かすか誰もが考えていた。おかしくなり始めたのは哨戒艦隊、対深海棲艦の専従部隊が発足してからだ」

 

 確かに、それは一理あるかもしれない。隣接する大陸国家たちへと睨みを効かせる護衛艦隊、深海棲艦と死闘を繰り広げる哨戒艦隊。それぞれの仮想敵が異なる故に派閥が割れる。結果として艦隊派と艦娘派の二大派閥が生まれてしまった。

 

「哨戒艦隊が部隊を拡充すると護衛艦隊が新型艦を就役させる。護衛艦隊の予算が増額されると哨戒艦隊も予算要求を増やす……なぜ国内で軍拡競争が起こるんだ?」

「……」

 

 そんなこと言われても、と先輩は言わんばかりに口を曲げる。私たちだって好きで派閥争いをしているしている訳ではない。挑まれたから抗っているだけの話。

 

「これはここだけの話だが……私は、国防軍内部に軍縮条約が必要だと考えている」

「軍縮条約?」

 

 先輩はオウム返しに言いながら私を見る。私は首を振り、空将は笑う。

 

「はは、新田家にはまだ相談してないからね。知らないのも無理はない。まあ軍縮条約とは言ったが、要するに私は護衛艦の拡張を暫く止めるべきだと考えているんだ」

 

 そう言いながら空将は()()()()の内容を開陳していく。

 

「ここ二十年、日本の戦闘艦艇保有数は増加の一途を辿っている。一方で少子高齢化の影響を受けて志願者数は伸び悩んでいる。その結果、深海棲艦への対処は無人艦で行えばそれでいいではないか、という話になった」

「その通りです。無人艦なら少ない人材で運用できます」

 

 無人艦を推進する立場にある先輩が眼を輝かせる。小沢空将は表情を変えない。

 

「だが、哨戒護衛艦は戦果の割には整備の手間が掛かる。そもそも構造が特殊だから受け入れられる造船所も少ないし、受け入れ船渠(ドツク)を増やすための改修にも金がかかる」

「ちょっと待ってください。つまり空将閣下は、無人艦派(わたしたち)に身を切れと?」

 

 空将は軍縮条約と言った。哨戒護衛艦の建造が造船業界に負担をかけているとも。

 彼の要求は無人艦の建造を止めさせること。無人艦派潰しともとれる要求だ。

 

「そこまでは言っていない。キミは論文で空海統合作戦論を提唱していたじゃないか。空軍(そら)海軍(うみ)が力を合わせて、この国を守ろうという話をしているんだ」

 

 なるほど。話が徐々に見えてきた。小沢空将は先輩の懐柔工作(とりこみ)を行っているのだ。

 

「しかし……それは空軍(そちら)にとってしかメリットがないですよね」

「少なくともミコトちゃんにはあるぞ? 航空機需要が増えるのはいい話だろう」

 

 その言葉に、先輩の視線が私を貫く。確かに新田家の地盤を支えるPHIグループは、元々が航空機産業の重鎮企業。とはいえ、今の私はただの三等海佐だ。

 

「おじさん。それは実家に直接言って下さいよ」

 

 そして、直接相談していないことが答えなのだろう。そもそもおかしな話である。小沢空将は艦隊派や艦娘派が予算を無駄遣いしているかのように言って、だから護衛艦の新規建造を止めるべきだなどという。しかしその代わりに航空機の生産を増やしてしまっては、無駄遣いをする組織が海軍から空軍に代わるだけのこと。

 

「閣下のお話は分かりました。ですが乗れません」

「うん、そうか……それにしてもここの麺は歯ごたえがあっていいな」

 

 彼がラーメンに意識を向けたのは、まさか偶然ではないだろう。再び何でもない言葉が卓の上を飛び交いはじめる。先輩の内心は怒りで煮えたぎっているに違いない。

 

「閣下。認識の違いがあったら申し訳ないのですが、私は派閥争いがしたい訳ではないんです。ただ戦場で犠牲になる艦娘を少しでも減らしたいだけなんです」

 

 派閥のため、自分自身の目的のために動くこと。それ自体が間違っているなんて先輩は言わないだろう。けれど自分の都合をさも「誰かのため」と取り繕うことを先輩は許さない。

 

 

 

それは片桐先輩に言わせるところの――――「ロクでもない人たち」なのだから。

 



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第60話 にらむさきおもうはせいぎ

「閣下。認識の違いがあったら申し訳ないのですが、私は派閥争いがしたい訳ではないんです。ただ戦場で犠牲になる艦娘を少しでも減らしたいだけなんです」

 

 話は終わりだと眼で語る先輩。しかし小沢空将はそれでは済ませない。

 

「キミは考えたことはあるかね? 犠牲とは戦場でのみ生じるものではない」

「なんの話です?」

「キミは、もう少し艦娘を信じてあげるべきだよ」

 

 三度戦いの幕があがりそうな気配に、片桐先輩は剣呑な表情で空将を見据える。一方、空軍の全実戦部隊を指揮する男は力なく笑った。

 

「キミはさも艦娘だけが戦場で犠牲になっているかのように言う。無人艦を推進する理由もいざとなれば艦娘の盾として使い捨てられるから。キミに言わせれば艦娘は弱い、弱いから哨戒護衛艦で護らないと、艦娘の犠牲を減らさないといけないと」

「ヒトが艤装を背負ってるだけですよ? 艦娘の脆弱性は疑いようがありません」

「無人艦がどれほど高くつくか知らないとは言わせないぞ。現状深海棲艦をもっとも効率よく駆除することが出来るのが艦娘であることに疑いようはない」

 

 それは誰もが口にしない、もしくは口にしたがらない事実――艦娘の費用対効果(コストパフォーマンス)

 

 恐らく空将は、艦娘が強いと主張したいのだろう。だが現実問題、艦娘は護衛艦には勝てない。だから彼が持ち出す根拠は艦娘の経済性、コストの安さという話になる。

 

「百億円かかる戦闘機より、一億円で調達できる艤装(かんむす)が安いという話ならしませんよ。確かに深海棲艦をミサイルで倒すよりは艦娘で倒した方が安くあがるでしょう。しかしそれは、艦娘を使()()()()()()()という事実から目を背けている」

「分かっているとも。キミが言いたいのは霊力についての話だろう?」

 

 そう告げる小沢空将。その双眼には先ほどとは比べようもない影が落ちている。

 

「……霊力はヒトを癒やし、ヒトを守り、そしてヒトに仇なすモノを打ち砕く。便利だから使わずにはいられない。確かに金を出しても霊力は手に入らないだろう。だが現実問題として、霊力が枯渇したという話も聞いたことがない」

「いつ枯渇するか分からない。それが国防上のリスクになるんです」

 

 どうして分からないのですかと言いたげな先輩。それに対して空将は、それは石油も同じ事だと告げる。いつか枯渇するかもしれなくても、いま霊力(かんむす)は手に入っている。

 

「その『いつか』が『今日』ではないなら使うしかない。そうだろう、新田3佐?」

 

 そこで私に話を振るのか。政府は艦娘の使用を容認している。私の父も、同僚たちも、先輩ですらも国防上必要だと分かっている。ここで頷く以外の選択肢はなかった。

 

「私は霊力戦の専門家ではない。霊力が資源なら、艦娘はいつまで戦えるんだ?」

 

 小沢空将が私をじっと見つめてくる。その目を見れば、彼が私……新田家の人間である私に何を問いかけようとしているのかはすぐに分かった。

 戦争は、もう二十年も続いている。日本は深海棲艦に勝てないが、負けてもいない。体系化すら覚束(おぼつか)ない霊力という奇妙な存在(ちから)に頼って、今日も日本列島を護っている。

 

「……『守り』で負けるとは思いません」

 

 霊力とは何なのか。既に何度も議論が交わされ、幾度となく匙が投げられた。しかしそれは科学で規定できないだけの話であって、本質は手の届くところにある。

 

「なにせ、特務神祇官(わたしたち)願い(ちから)は、極端に言うなら郷土愛(ナシヨナリズム)ですから」

 

 少なくとも、私にとっての霊力とはそういう存在だ。私の青春は戦争に奪われた。故郷の風景も、家族の形だって戦争の前には戻らない。だからこれ以上、私の故郷を傷つけさせるわけにはいかない。それが私の願い(ちから)になっている。

 私の言葉に小沢空将は、うんと頷いてみせた。

 

「そうだな。私の部下たちも北マリアナの空で戦うより、本土の空の方が戦果が良く上がる……まあ、これは本土の空を知り尽くしているというのもあるだろうが」

 

 確かに防空監視網(レーダーサイト)から情報提供が受けられて、なおかつ緊急着陸が可能な滑走路が沢山ある本土において「地の利」がないはずはない。それでも、背後に控える故郷を守るという気持ちは、確実に私たちの力になっているはずだ。

 でも、私はこれだけは言っておかないといけない。

 

「霊力が願いの力だという説には一定の説得力があります。けれど、願いは無限ではありません。先輩の言うとおり、枯渇する日がくるかもしれません」

「そうだな。そうかもしれん。しかし、キミたちは艦娘(じぶん)の力を過小評価しすぎだぞ」

 

 その言葉に、先輩が身体を震わせたこと。果たして小沢空将は気付いただろうか。

 

「私は艦娘に救われた人間だ。いや、私だけじゃない。深海棲艦が現れて直ぐの頃は、全ての自衛官……いや全ての国民が艦娘に救われた」

 

 日本国という国家は、もはや艦娘なしでは成立しない。

 沿岸長は三万キロメートルを優に越え、有人島だけでも400を数える日本列島。燃料の自給率は一割を下回り、国民の過半は山岳と海に挟まれた沿岸部に住んでいる。

 海を奪う敵である深海棲艦が出現した時、日本は滅んだも同然と言われていた。

 

「艦娘が如何に画期的だったかは、議論の余地もない。艦娘の強さと己の無力を、緒戦で私たちは嫌というほど思い知らされたんだ。だから艦娘派が生まれた」

「……艦娘の神格化は嫌いです。艦娘はただの女です。殺すし死ぬし子も産みます」

「無論、私もそう思う。君たちはヒトに他ならない」

 

 艦娘は艤装を背負う人間に過ぎない。艦娘派も利権集団に過ぎない。

 

「しかしね、南洋諸島に取り残された私を救い出してくれたのは確かに艦娘だった」

 

 その言葉に、先輩が息を飲んだ。空将が南洋の戦いに参加していたことに驚いたのではない。万単位の部下を指揮する男の瞳に宿った、畏敬の念を垣間見てしまったのだ。

 口を押さえてもう一度喉を鳴らした先輩に向けて、空将は続ける。

 

「私は本当なら死んでいる人間だ。キミは艦娘が弱いと考えるのかもしれないが、艦娘が私を救ってくれたという事実は覆らない」

 

 私は艦娘の味方でいたいのだ。小沢空将の言葉が何を意味しているのかは私にも分からない。それは彼が片桐先輩に「肩入れ」しようとしている理由なのかもしれないし、もしかすると艦娘派を擁護しているだけなのかもしれない。

 

「キミも理解はしているはずだ。艦娘母艦は現場の求めに応じて産まれようとしている。航続距離に弾薬燃料の補給。なにより指揮拠点としての機能。艦娘に足りないものを全て補ってくれる。キミだってアレが派閥争いの産物でなければ、諸手を挙げて賛成したんじゃないのかい?」

「ちょっと待ってください。先ほど閣下は、艦娘母艦には反対だと」

「性急に過ぎたから止めただけだよ。艦娘派にはバランス感覚が足りない。進められるときに進めるのは大事だが、ああも粗雑に進められては困るという話だ」

 

 空将の指摘は正しい。艦娘母艦への道のりは艦娘派によって固められている。

 それが正常でないから止める……その理屈は分かる。

 

「ですが、それ以前の問題でしょう。艦娘母艦には問題しかないです」

「技術的な問題はいずれ解決されるだろう。問題が洗い出されれば多機能護衛艦に艦娘運用能力を付与することも容易くなる。ひとまず作るというのは大事だと思うがね」

 

 空将が何を考えているのか分からない。少なくとも今の空将は「小沢おじさん」ではなく「小沢空将」。私は先輩との取り持ち役を引き受けただけで、空将が何を話しに来たのかまでは知らない。予算の話、次に艦娘の話を経て、最後に艦娘母艦の話。

 先輩が深く息を吐いたのは、そんな時だった。

 

「……空将閣下は、艦娘が戦争の最適解と思われますか」

「最良ではないが、最善ではあると思っているよ」

「ヒト型の深海棲艦であってもミサイルによる飽和攻撃は有効です。何も艦娘にこだわらなくともいいではありませんか」

「予算が潤沢ならそうしてもいい。誘導に用いる精密機械が無限に手に入るならそうしてもいい。しかし現実はそうではない。ミサイルをひとつ撃つために何人分の食事が消えると思う? 国民は食費を削ってまで戦時国債を買ってくれているんだぞ」

 

 予算と艦娘。その両者が存在するからこそ小沢空将の結論が存在する。大型護衛艦の有用性を訴える艦隊派も艦娘不要論までは唱えないだろう。要するに彼の意見は、ごく一般的な結論であった。

 

「……小沢空将は、日本がはじめて実用化した誘導ミサイルをご存じですか?」

 

 何の話だと肩を竦めてみせる小沢空将に、先輩はすかさず言葉を斬り込ませた。

 

「MXY―7、連合国コードネーム『BAKE』もしくは『チェリーブロッサム』」

「特攻兵器、人間爆弾桜花か。それがどうかしたのかい?」

「まだ分からないのですかッ!」

 

 先輩が机を叩き、取り残された空の皿たちが踊る。周囲の視線がつい、とこちらへ向けられて、テレビの中に収まったコメンテーターだけがしゃべり続ける。

 

「分かるよ。しかし艦娘一人の命とは、ただの軍人一人の命では賄いきれぬのだよ」

「だから空将閣下は、艦娘に死んでこいと仰るのですか?」

 

 青筋を立てた先輩に対して、小沢空将は腕を組んで瞑目する。

 

「艦娘が為せぬならそれ以上のヒトが死ぬ。命そのものが。食い繋ぐ経済が。それが崩れる前に、私達軍人は何とか踏み留まらせなければならない。私は艦娘に期待してしまっている。私はね片桐2佐、君たち(かんむす)の可能性に賭けているんだ」

 

 その言葉に、先輩は何も言い返さない。そのまま空将を睨み付けて、裏返しに置かれた伝票を引ったくった。

 

「……ごめんミコト。私帰るね」

「え?」

「空将閣下、ご無礼どうかお許しください。失礼します」

 

 先輩は早口にそれだけ告げて振り返りもせず、すたすたと外へ向かう。店主に伝票と壱万円札を押しつけて、飛び出すように走り出した。

 

「……嫌われちゃったな」

 

 さして気にしていない、それどころかやれやれと言いたげな様子の空将。

 

「おじさん、これはどういうことですか」

 

 私の問いに、事もなげに彼は答える。

 

「彼女を試した。人間、譲れないモノを前にしたときに本性が出るからね。片桐二等海佐、なかなか信念(スジ)のある人物じゃないか。ミコトちゃんは、良い先輩を持ったな」

「今それを言われても、皮肉にしか聞こえません」

 

 正直なところ、先輩はよく耐えたと思う。

 多忙な空将がわざわざ訪ねてきたのだ。まさか先輩のことを調べずに来たはずがない。散々先輩の逆鱗に触れるようなことを言って、先輩の「譲れない」を無理矢理引き出した。先輩は二度と空将のことを信用しないだろう。

 そしてそれは空将の思い通りなのかもしれなかった。なにせ彼は微笑んで言うのだ。

 

「精々恨みたまえ。さっきも言っただろう? 私はもう死んだ人間だ。片桐2佐が空軍の私を恨んでも大勢に影響はない。ミコトちゃんに恨まれるのは辛いが、艦娘たちのお陰で私は日本に還ってこられたのだからな」

「何を言っているんですか」

「恩返しみたいなものさ。私はこの命を艦娘たちに繋いでもらった。それなら次の命へと繋いでやるのが筋というもの。これが私なりの、存在(いのち)の使い方なんだよ」

 

 上げた拳が降ろせないとはこのこと。彼は初めから()()()だったのだ。

 

「この件で私は四面楚歌だ。海軍との連携が出来ない空将は必要ない」

 

 護衛艦の建造計画は海軍の「聖域」と呼ぶべき場所。手出しをした者が責任をとらされるのは間違いない。それこそ元気の良い一等空尉のような「鉄砲玉」にやらせれば済む話だったはず。それなのに、小沢空将は自ら出た。しかも、艦隊派とも艦娘派とも何の事前協議もすることなく。

 

「人間にも賞味期限がある。私は退官すればただの穀潰し。自伝や告発本で儲けるほどの文才もないし、教鞭を振るうほどのやる気もない」

「言ってることが支離滅裂ですよ」

 

 そう言えば、勇猛果敢と言ってくれと冗談めかして言う小沢空将。それから続ける。

 

「艦娘を擁護する私がどうして艦娘派の会議を潰したのか、分からないだろう?」

「おじさんが、こんなことに拘る理由も分かりません」

 

 小沢空将が艦娘に救われたというのは分かる。でもそれはもうずっと前の話のはず。

 

「言っただろう。これが私の存在(いのち)の使い道だと。ここが分岐点だ。私の首と引き換えにしても艦娘派は守らねばならない」

「……艦娘派を、守る?」

 

 その言葉が私の胸に引っかかる。艦娘派は、守られるような派閥ではないはずだ。

 

「じきに分かる。それより、先輩を追いかけた方がいいんじゃないのかい?」

 



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第61話 はなもちたれにつつしまず

 先輩は顔を上げると、すぼんだ眼で私のことを睨み付けた。

 

「なんで来たの」

 

 旧軍時代、より正確には進駐軍の基地を解体したことで生まれたこの公園は、都内でもかなりの規模をもっていることで有名だった。

 だから、私が先輩を見つけられたのは決して偶然などではない。来て欲しかったんでしょうなんて無粋なことは言わず、私は先輩の座るベンチに腰掛ける。

 

「お釣りを渡しに来たんです。日本にチップ制度はないんですから……」

 

 店長さん、壱万円札渡されて困ってましたよ。そう言いながらハンカチを差しだそうとした私の手を、先輩の手が押さえる。

 

「ごめん。あなたの顔を潰してしまった」

 

 小刻みに震わせながら、絞り出すような先輩の声。

 私は落ち着かせるように、そっと先輩に手を添える。

 

「小沢おじさんの事なら心配しないでください。こう見えて私、あの人をあぜ道から突き落としたこともあるんですよ?」

 

 気休めにそんな事を言う。なにそれ乱暴と先輩は笑って、それから小さく俯いた。

 

「ん、ごめん。少し元気出たわ。背中も撫でてくれたら、もっと元気出るかも」

「ええ、それでこそ先輩です」

 

 春の日差しが木々の隙間から漏れて、私たちを優しく包み込む。触れた先輩の背中はまだ震えている。私は先輩に触れているはずなのに、姉のことを思い出す。

 

「ミコトは優しいね」

「優しくなんか、ないですよ」

 

 その言葉は本心だ。だって私は、先輩ではなく姉のことを考えているのだから。

 

「頼りないお姉さんで、ごめん」

「……」

 

 先輩は見越したように言う。私は先輩にそんなことを求めた覚えはない。それでも、何を求めているのか彼女は知っている。やっぱり先輩は、肩入れしすぎだ。

 そしてそれは、私も同じ事。やはりと言うべきか、私たちは同類だった。

 

「……頼ってくれれば、良かったんですよ」

 

 姉は、毅然としていた。あの最後の日すらも毅然としていた。

 私が平和の中に暮らしていた頃から戦争が止んだことのないように、新田の一族もずっと戦い続けていた。彼女は常に戦いの渦中にいて、でもそれを私には一言たりとも漏らすことはなかった。もしも姉が私に少しでも漏らしてくれたら、私が姉様を気遣ってあげることが出来れば、あんなことには、ならなかったのだろうか。

 

「ごめんなさい。先輩」

 

 それは、気遣えなかったことへの謝罪じゃない。

 私は結局、姉のやり直しを先輩でしているだけ。

 こうして包んであげたかった。大きな背中を守りたかった。もはや叶わない後悔を、こうして慰めるように先輩に与えている。

 

「姉さんも、先輩みたいに不甲斐なかったらなって、時々思うんです」

 

 きっと姉様も、こうして耐えていたのだろう。背中を丸めて、目尻を震わせて。

 私は姉様の苦しみに気付くことはなかった。私が何も知らないことを、他でもない姉様が望んでいたから。

 

「辛いよ、ミコト」

 

 そう、ただそれだけ言って欲しかった。姉様がそう言ってくれれば私は……いや、きっと何もできなかったたのだろう。だから姉様は私に何も言わなかった。

 

「分かってたのにさ。ここはロクでもない場所だって」

 

 落ち着いたのか、先輩はぽつりぽつりと語り始める。背中を丸めた彼女の姿は私に見せられることのなかった姉の姿。

 

「昔の日本にはさ、ロケット推進技術はあってもそれを制御する技術はなかった。まして動目標である艦艇への終末誘導技術なんて確立されていない。だから人間を誘導装置に仕立てた。そうして人間爆弾や、人間魚雷、人間機雷が生まれていった」

 

 私たちは、人間を兵器の部品(パーツ)にしてしまったんだよ。先輩は言う。

 

「そりゃ、人間はスゴいよ? どんなに暑くても寒くても誤作動を起こさない。整備不良でも自己診断で誤差を修正できる。燃料が切れても暫くは動き続ける。現代では霊力なんてものまで生み出して深海棲艦をバッサバッサと倒すことが出来る」

 

 でもさ、だからって。コストが安いってなによ。

 彼女を突き動かしているのは、途方もない怒りだった。結局小沢空将も先輩の地雷を踏み抜くに終わったかと、私は他人事のように思う。

 

「そりゃさ。艦娘しか手段がないなら分かるよ。でも、ミサイルが、無人艦があるじゃない。防御兵器は役に立たない? 無人艦運用は臆病者のすること? 別に臆病でいいじゃない。終わる見込みのない戦争なんかで勇ましく命を散らす方が馬鹿らしい」

 

 しかし、それを良しとするのが軍隊であった。国のために命を捧げた人間たちは英霊とされる。新聞や伝記は必死に英霊は家族のためにその身を挺したのだと喧伝し、お前たちにも出来るぞと若者たちに囁く。

 

「艦娘は、子供がいなきゃ成り立たない兵器よ。人間爆弾と何が違うの?」

「ええ、先輩の言うとおりです」

 

 そしてその欺瞞を知ってなお戦場へと発つのが若人であった。自分の命が軽んじられていることは知っている。それでも守りたいヒトがいるから、戦い続ける。

 私の姉がその身を捧げた理由だって、私は知っている。戦場で傷ついた姉は酷く沈んでいた。もう誰も守ることが出来なくなった彼女にとって、あの家と部屋は牢獄だった。きっとその命と引き換えに故郷(くに)を護れると知ったとき、彼女は喜んだに違いない。

 

「私さ。戦争を終わらせるために軍隊に入ったんだ。私なら出来る、私がやらなくちゃ……本当にそう思ってたのかなんて、もう忘れちゃったけれどさ」

 

 私だってそうだ。奪われた平和を取り返すため、失った日常を取り戻すため。一度壊れた物が直らないことを知りながら、私は弓を引いてきた。

 

「きっと、艦娘なんていない方がよかったんだよ」

「先輩……」

「ごめん、めちゃくちゃ言ってるの分かってる。でも、艦娘がいなきゃ新自由連合盟約(ニユーコンパクト)はなかったよ。8護群最強神話だって、ミクロネシアの戦いだって存在しなかった」

 

 8護群は、かつて太平洋で散華した第8護衛隊群のこと。護衛艦(フネ)ナシ護衛隊群と呼ばれた、殆ど艦娘だけで構成された部隊のこと。

 艦娘はこの国の救世主。だから国民は期待した。艦娘がこの戦争の影に覆われた世界を救ってくれると。だからミクロネシアの戦いが起きた。

 

「誰もが信じてたんです。艦娘は無敵だって」

 

 あの南洋の海で、一体どれほどの艦娘が犠牲となっただろう。急速に衰退した米国の軍事力を背景とした同盟の大転換。その象徴とされた新自由連合盟約(ニユーコンパクト)。ミクロネシア・パラオ・マーシャルなどをはじめとする南太平洋に浮かぶ島々の防衛を任された日本が行った、戦後初の大規模な海外派遣。

 

「ねえ、ミコトはさ。艦娘母艦があれば勝てたと思う?」

 

 あの時、あの場所に。先輩はそう言う。私は先輩の望む言葉を答える。

 そして、それは私の欲しがっている言葉(いいわけ)でもあった。

 

「不可能ですよ。艦娘は万能薬じゃないんですから」

 

 深海棲艦に覆い尽くされた太平洋を病気に例えるなら、ミクロネシアは切除するしかない()()だった。中部太平洋を失っても日本の海上交通網(シーレーン)が途絶えることはない。

 

「艦娘母艦はなくてよかったんです。艦娘母艦があったら、あとどれだけ命を浪費してしまったか分かりません」

 

 ミサイルは工場で生産すればすぐに飛ぶ。火薬に火がつけば砲弾は凶器になる。

 艦娘はそうはいかない。人が育つのには時間がかかりすぎる。艦娘は、第8護衛隊群は日本の()()()だった。一度破れたら二度と手に入らない高級な衣装だった。

 艦娘母艦なんて物があったら、きっと日本は末期症状のミクロネシアに艦娘を送り込み続けただろう。そうして戦力が払底した時に滅びが訪れる。

 そんな、歴史の教科書に出てきそうな話が待っていたに違いない。

 

「ねえ、なんで艦娘母艦なんて作ろうとしてるの?」

「分かりません。分からないことが多すぎるんです」

 

 本当は、おぼろげながらに輪郭は掴めているつもりだった。でも小沢空将は「艦娘派を守る」と言いながら艦娘母艦に反対している。私が分かっていることは、分かっていないのと同じなのかもしれない。

 

「普通じゃないよ。国防軍(わたしたち)がなんのために戦ってきたと思ってるのさ。平和を守るためでしょ? みんなが平和に暮らせるために戦ってきたんじゃない。それをどうして、子供を戦場に送り込むようなことをしなくちゃいけないの?」

 

 戦争が始まったとき、私は子供だった。きっと先輩も子供だった。私たちにとっての戦争は押しつけられた不条理で、それを跳ね返すために戦ってきた。

 艦娘母艦が建造されれば、今より多くの艦娘が最前線に送り出されることになる。

 子供たちの未来を守りたくて戦う筈なのに、その結果子供たちが死地に追いやられている。私が守ると誓ったこの国を担うはずの子供たちの未来が奪われてしまう。

 

「私に力があれば、もっと上手くやれたのかな……?」

「先輩」

 

 かける言葉が見つからない。先輩は一生懸命に頑張ったじゃないですかと言えばいいだろうか。それとも黙って小さくなった背中を抱きしめればいいのだろうか。どちらも違うことは分かっている。先輩は叱咤激励を求めているのだ。

 

「私は、先輩の味方です」

 

 だから、私が口に出来るのはそれだけだ。先輩が私の人脈、新田家の力を求めているだけなのは知っている。それでも私は、先輩を支えると決めたのだ。

 姉は私を置いていった。もう置いて行かれるのは、たくさんだ。

 パン、と乾いた音。それは先輩が手を叩いた音。

 

「うん、そうだよね。私にはミコトがいる。同志(なかま)がいるんだ」

 

 それから息を吸うように立ち上がると、私を振り返る。

 

「嘆いたってしょうがない。ロクでもない組織は、自分の手で変えるんだ。私たちの戦いが無駄な犠牲を生むなんて、艦娘が犠牲になることなんて誰も望んでないんだから」

「はい、先輩」

 

 先輩の表情は湿っているのに温かくて、まるで夕立の後に吹きぬける風のよう。引きつられて私も笑顔になる。その筈なのに、私の脳裏には蘇るのは小沢おじさんの言葉。

 

『艦娘母艦は、現場の求めに応じて生まれようとしている』

 

 おかしい。何かが噛み合っていない。造船部の担当者は艦娘母艦により艦娘の機動力が強化されるという。母艦が補給を施すことで戦闘中の燃料弾薬切れを防ぎ、修理設備と整備員を満載した母艦に支えられて万全の体制で敵と戦うことが出来るという。

 

 それは確かに現場から出た要望だ。守るべき海を多く抱える国防海軍にとって、人材不足の次に深刻なのが拠点不足。各国から提供される最小限の租借地では整備施設はどこも手狭で、点検のためだけに何百キロ移動することもざらにある。

 艦娘母艦は、確かに必要なのかもしれない。

 

「先輩、何かおかしくないですか?」

「何かって、何が?」

「だって、私たちの主張が全然受け入れられないのはおかしい筈なんです。艦娘を浪費することが前提の艦娘母艦が採用されて、一番に困るのは艦娘自身の筈。利権ありきならともかく、なんで現場の艦娘たちまで母艦を支持するんですか?」

 

 私たちは、何か見落としてないだろうか。艦娘が求めるなら艦娘母艦は艦娘の守護者になるはずだ。現場ではそう考えられているから支持が広まるのではないか。

 

「それは、確かにそうね。基地から部隊を小出しにして集合させるのは面倒だし、母艦が居てくれれば助かると言えば助かるわ」

 

 胸焼けのような焦燥感が広がっていく。私たちも艦娘母艦の利便性は理解しているはずだ。理解している筈なのに、どうしてこんなに危機感を覚えたのだろう。

 何かが結びつきそうで結びつかない。艦娘の損耗率を考えていない? 艦娘が今より多くの場面で矢面に立つ? それは戦術レベルの試行錯誤で解決する問題の筈。

 

「……艦娘母艦は、なかった方がよかった」

 

 するりと、歴史の糸が結びつけられる。最初期の新自由連合盟約(ニユーコンパクト)で日本は太平洋に浮かぶ三つの国を守ることになった。その一つ、ミクロネシア連邦に深海棲艦が大挙して押し寄せた時、日本政府は友邦を守ると宣言していた。

 

「なかったから、私たちは助かったんです」

 

 では逆にあの時、艦娘母艦があったなら? 先輩が私に視線をやる。

 

「あぁ、そっか。私たちが戦ってる相手は艦娘母艦じゃなかったんだ」

 

 艦娘母艦は問題にはならない。母艦はあくまで装備品に過ぎない。

 

「私たちが戦ってるのは亡霊だよ、ミコト。日本が世界の平和を取り戻せるかもっていう、亡霊(きぼう)……それが不可能だってことは、15年前に証明されてるのに」

 

 その言葉に、私の中のおぼろげな疑念が確信へと変わっていく。

 

「艦娘母艦の就役は、太平洋への攻勢作戦に繋がる。当然そうなれば、攻勢作戦を支持するか支持しないかで艦娘派は分裂。先輩、これって」

 

 艦娘派は、何も共通の信念でまとまっている訳ではない。あくまでも艦娘優位の戦術戦略を推し進めるための互助的な繋がり、利権団体に過ぎない。

 だからこそ「深海棲艦に対する大規模な攻勢を仕掛けるか否か」という問いは派閥を真っ二つに引き裂くことだろう。攻勢派は「力があるのになぜやらない」と否定派を誹り、逆に否定派は「無意味なことに貴重な装備と資源を割くな」と攻勢派を批判する。

 母艦建造に至るまでの強引な手段も含めて、両者の溝は深まるに違いない。

 

「艦娘派に分裂されるのは困るわね。大規模群体を率いるような上位種にはミサイルが効かないこともあるわ。艦娘派と艦隊派のバランスがあってこそ、今の国防は成り立っているというのに」

「小沢おじさんが言ってたのは、こういうことだったんだ……」

 

 対立ばかりが目立つ艦娘派と艦隊派だが、現実の関係は左右の車輪みたいなもの。艦娘だけでは広い海をカバーすることは出来ないし、通常の護衛艦だけでは深海棲艦には対抗できない。片方が欠けてしまってはどうしようもないのだ。

 

「ミコト。あなたの『本家』は、もうとっくに気付いてたんじゃない?」

 

 嗚呼、先輩の言葉が胸に刺さる。けれどそれは胸をすり抜けて、そのまま地面へと落ちていく。私たちが気付くことに、父がそして本家が、気付かないはずがない。

 そして小沢空将……小沢おじさんは父の親友だ。

 

「新田家が何を考えているかは大体分かるわ。PHIグループだっけ? 艦娘母艦が就役すれば艤装をじゃんじゃん作って大もうけ。艦娘がいなくなれば足の速い航空機を作るだけ。新田家(あなたたち)を応援する企業はどっちに転んでも得をする」

「そんなことは」

 

 果たして否定しきれるだろうか。PHIグループは艦娘艤装の大手メーカー。同時に航空機産業の重鎮でもある。艦娘派が分裂しようとも、彼らのやることは変わらない。

 

「『本家』にとっては私と小沢空将、どちらの選択肢(カード)もアリなワケね……あぁ、ロクでもない。本当にロクなものじゃない」

 

 先輩の嘆きは、風化しかけた公園の煉瓦敷きに落ちていく。

 

「その、先輩。私は」

「分かってる。あなたは伝言役(メツセンジヤー)だもんね。新田家との関係を望んだのは私よ。だからあなたは悪くないの。それより、今は私の同志として手伝って頂戴?」

 

 そう言う先輩は、きっと優しいのだろう。私が間違いに気付いた時、姉も決して私を叱ることはなかった。私が父の盆栽を割ったときだって、姉は一緒に謝ってくれた。

 それは私にとって、父が落とす雷よりずっと怖いものだった。私が何もしなければ、姉は謝らなくて済んだ。この事実は私の胸を締め上げるのには十分。

 それで彼女は決まって言うのだ、次はもっと気をつけること。ただそれだけを私に伝える。きっと知っていったのだろう。それ以上はなにを言わずとも、私は理解出来るだろうと。姉は何かを教えるのに、言葉を必要としないヒトだった。

 そして私は何を学べたのだろう。勉強ならいくらでもした。経験だって積んだ。それなのにこうして私は、動いていく状況を見ているだけ。

 

「でもさ。これ正直なところ詰んでない? 私たちは艦娘母艦に反対の立場、艦娘派は推進の立場。私たちが何を言ったって、艦娘派(むこう)が聞いてくれるとは思えないわ。艦娘派存続のために艦娘母艦を阻止するってのも理屈が通らないし……」

 

 ああ、そうか。姉の「授業」は続いているのだ。姉はその身を捧げて国を護った。それは私に支払われた授業料で、この状況はきっと最後の授業なんだ。

 

『生きて、この国を守り続けなさい』

 

 ええ。分かっています。それが私と姉の最後の約束。

 艦娘母艦はこの国のために必要かもしれない。でも過ぎた力が悲劇を引き起こすなんてことは歴史上何度も繰り返されてきたこと。だから私に生きろと言ったのですよね。

 ここはきっと、分岐点だ。20年続いた戦争、新型護衛艦の建造計画。

 これが国を守る盾となるか、国民の血を吸い上げる呪いの剣となるかの分かれ道。

 そこに私は、小さな一人として参加している。

 

「先輩」

 

 その言葉に、はっとしたように思考を抜け出す片桐先輩。

 

「逆ですよ。事態は単純になりました。艦娘母艦の計画を撤回させるだけなら、艦娘派に艦娘母艦が危険な存在であると正直に教えればいいんです」

「こっちから艦娘派を切り崩すって訳? それじゃあ本末転倒じゃない」

 

 その通り、これは随分と大きな賭けになる。艦娘派の崩壊を防ぐために艦娘派を切り崩すというのだから、何をやっているのか分からないと先輩が言うのも頷ける。

 でも違うんです。私は言葉を繋げる。

 

「切り崩すんじゃありません。視点を増やして貰うんです」

 

 これまで、反艦娘母艦の訴えは設計上の欠点や予算の問題を挙げることだった。艦娘母艦を否定されることは艦娘の否定と等しかった。だから艦娘派には通じなかった。

 

「艦娘は優秀だし、艦娘母艦は有効なんです。『優秀な兵器が生み出す戦果(ひげき)』を強調すればいいんですよ」

 

 艦娘は、強い。強いからこそ悲劇が起きた。艦娘が霊力(こころ)で戦うのなら、本国から遠く離れた場所で戦うのは不本意だろう。それは親の視点に立てば分かること。どうして自分の子供を名前も知りもしない異国の地で喪いたいと考えるだろう。

 

「なるほどね。誰だって自分の子供を、特攻兵器には乗せたくないか」

「開発者だって、人間を部品にはしたくないはずです」

 

 日本が特攻兵器を生み出したのは、国が滅びる縁にあったから。果たして今の日本はそんな状況だろうか。陸海空の国を守るための実力は健在で、資源の輸送も、経済の循環も滞りなく進んでいる。小沢空将の主張するほど経済が逼迫しているとは思えない。

 それなら、この狂気を止めることは十二分に出来るはずだ。

 

「でも、そんな状況でも押し通す人達はいるわよ」

 

 その先輩の言葉に、私の脳裏には何人かの姿が浮かぶ。艦娘母艦を既定路線として会議を進めた造船部長。世界初の艦娘母艦を作りたいと豪語してみせた造船部員。そして深海棲艦の幹を枯らすために中部太平洋の奪還を訴える、私の同期。

 

「一人ずつ攻略していきましょう。まだ予算は成立していないんですから、方法はいくらでもあります。まずは強硬派の幹部艦娘……」

 

 その先の言葉は、きっと私がずっと先送りにしていたことだった。先輩の案ずるような視線を振り切って、私はその名前を口に出す。

 

「……加賀さんのことは、私が止めます」

 

 私だって、本当はこんなことしたくない。でもあの人はどんな状況になっても深海棲艦との戦いを止めようとはしないだろう。

 

 だって加賀さんは、戦争に囚われてしまっているのだから。

 

 



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第62話 のぼるあさひにみをくべと

 私たちは、悲劇の時代に生きている。

 そして何よりの悲劇は、そのことを誰も認めようとしないこと。

 

「……グアム沖に展開する? どういうことなんですか船務長」

「伝えたとおりだ。本艦は撤退部隊の収容と救護を最優先に行うことになった」

 

 西太平洋に浮かぶグアム島。米国領土であり、日本政府の手が届かない土地。

 医薬品も医療従事者も、ベッドすらも思うようには手に入らない。米海軍の病院はアメリカ人のために使われる訳だから、日本人を収容するのは日本国海上自衛隊の艦艇。

 だから負傷者の救護を最優先するという理屈が理解できない訳ではない。

 

「……この〈くにさき〉は救護船ではありません。護衛艦です」

 

 理屈で分かっていても納得出来るはずがない。あの日、先輩の眼はそう語っていた。

 

「〈くにさき〉は30ノットの高速艦、この足を活かさないでどうするんですか!」

 

 まだ国防軍(このそしき)が自衛隊を名乗っていた頃、高速輸送艦に搭載される艦娘は精鋭中の精鋭という扱いを受けていた。同盟国を守る哨戒艦隊が矛ならば、私たち掃海隊群は本土を守る盾。先輩はもちろん、新人の私だってそのことを誇りに思っていた。

 しかし蓋を開けてみれば――――この有様である。

 

「本艦はグアムに留まり、友軍の撤退支援とマリアナ諸島防衛にあたる……これは哨戒艦隊司令部はもちろん、幕僚監部も了承済みの計画だ」

「それは戦線が崩壊する前提での計画です。現実には……」

 

 まだ持ちこたえている、そう言おうとした先輩の言葉を船務長は手で制する。

 

「哨戒艦隊は失敗した。ミクロネシアの第8護衛隊群は突破された。だから我々がグアム(ここ)にいる。第一、武装もロクに積んでない〈くにさき〉に何が出来る?」

 

 海上自衛隊(わたしたち)は負けたのだと船務長は言う。日米同盟の大転換と鳴り物入りで結ばれた新自由連合盟約(ニユーコンパクト)、それに伴って開始された太平洋への大規模派遣は、彼の言うとおり敗北で幕を閉じようとしていた。前線指揮官の死、戦略的再編の失敗。米国による航空母艦と潜水艦の撤収……敗北の原因は枚挙に暇がない。

 

「何も出来ないからって、何もしないわけにはいかないでしょう……!」

 

 それでも、先輩にとって原因なんてものはどうでもいい。肝要なのは何を為すか。

 

「私たちには、撤退の支援という重要な任務が残されている筈です。私たちは、今すぐにでもこのグアムを飛び出してミクロネシア連邦を救うべきです。野戦病院の仕事は米軍に任せておけば良いんですよ」

「仮に救援に向かうとして、どこに向かうんだ」

 

 そしてその問いかけに、先輩は止まる。

 

「それはもちろん。今一番戦局が厳しい場所に……」

「どこが厳しいか分かるのか? どれほど戦力が足りていなくて、どのような支援が必要なのか片桐1尉は知っているのか?」

 

 その言葉に、息を詰まらせる先輩。沈黙の穴を埋めるように鳴り響くのは空襲警報のサイレン。身構えた私たちを前に、その音はしぼんで消えてしまう。

 またかと舌打ちして、船務長は先輩に向き直る。

 

「これが現実だ、片桐1尉。情報は錯綜、警報は乱発……グアム(ここ)が最前線になるのも時間の問題。我々の使命はここを守ることだ」

「なっ……ふざけないでください! それじゃあ、私にミクロネシアを、第8護衛隊群を見捨てろって言うんですか!」

 

 これは私の想像に過ぎないけれど、先輩は悲しかったのだ。多分。

 ミクロネシア連邦が見捨てられたことは誰の眼から見ても明らかで、グアムに集結した掃海隊群(わたしたち)は戦力温存の名目で留め置かれていた。救援の許可は最後まで下りない。

 それは戦わないことで国を護ってきた自衛隊が喫した、最後の敗北。

 

「お願いします船務長。もう一度、もう一度でいいんです。隊司令に掛け合ってください。ここで出撃出来なければ、なんのための輸送艦付艦娘隊ですか!」

 

 先輩の声を掻き消すように、空に鋼鉄の鳥たちが羽ばたいていく。

 まさか誤報のサイレンに叩き起こされた訳ではないだろう。夕闇に染まる空、私たちのモノだった空に轟音を上げながら黒い影が何十羽と飛び立っていく。

 

「よく見ておけ。あれが我が国を半世紀に渡り守護(まも)りたもうた同盟国サマの()()だ」

「そんなに、この小島が大事なんですか」

 

 我が物顔で飛び立つ航空機を先輩が恨めしそうに睨む。

 

「あんなに戦力(ひこうき)を持ってるなら、最初から使ってよ……!」

 

 先輩は空を見ていた。拳を握り締め、歯を食いしばる先輩は、私の知らない先輩。

 

「先輩」

「……ねえ新田3尉、あなたは悔しくないの?」

 

 新田3尉。特務神祇官たる海上自衛官……〈空母赤城〉を託された私の名前。

 

「まだ、ミクロネシア連邦は陥落した訳じゃない。私の同期や後輩が、あそこには一杯いるの。それを助けたいと思うのは、普通じゃないの?」

 

 その問いに私は答えられない。ミクロネシア連邦を守ること、新自由連合盟約(ニユーコンパクト)を守ることは、私たち自衛隊に課せられた使命。

 でもそれ以前に、先輩にとっては苦楽を共にした仲間を守ることが第一義だった。

 

「落ち着け、片桐1尉。私だって8護群には感謝している。彼らの抗戦が、我々に北マリアナの防備を固める時間をくれたのだから」

「ッ……!」

 

 突き放すような船務長の言葉。私は片桐先輩が血相を変えるのを見た。

 

「ダメです! 片桐先輩!」

 

 慌てて私は彼女に抱きついていた。船務長は悪くない。悪くなかったのだから。

 

「放してよミコト! コイツは、コイツだけは許さない!」

 

 私たちは間違っていなかった筈だった。広大な中部太平洋、珊瑚礁の島々を結んで作られた防衛線はしなやかで強く、何千の敵が襲い来たとしても破れることはない。

 そのはずだった。どこで間違ったのだろう。誰が間違ったのだろう。

 

「船務長! あなたは……自衛隊ってなんなんですかっ! 目の前で死んでいく同胞より、アメリカの小島(りようど)を大事にする、それが自衛隊なんですか!」

 

 だったら、そんな組織要らない! 先輩の叫びが虚空に消えていく。

 その言葉が船務長を上気させたのは、先輩の肩越しに見ている私にも明らかだった。

 

「……滅多なことを言うな。我々は確かに日本国の自衛隊だ。それは揺るぎない」

 

 今になって思い返すと、船務長は立派な方だった。建前を取っ払ってしまった先輩とは違って、近くで誰かが聞き耳を立てていないか周囲を見回す程度の冷静さがあった。

 

「だがな、日米同盟なくしてこの国は成り立たない。そんなことも分からないのか」

 

 それでも、彼に戦略的な思考は欠けていたと思うのだ。グアムが米国の環太平洋戦略に影響を与えたのは仮想敵がユーラシア大陸に居たから。ハワイを失い、世界覇権を失った米国にとって、グアムは文字通りの小島でしかなかったのではないだろうか。

 

「そうですよ、片桐先輩。こんな島、アメリカにとっては小島です」

「なによ! あなたまで船務長の味方なの?」

 

 先輩が叫ぶ。鬼の形相で振り返った先輩は、海のような涙を湛えていた。

 

「違います。アメリカの視点で海図(うみ)を見ないで下さい……ミクロネシアの次はグアム、グアムの次は、硫黄島なんですよ!」

 

 私は多分、理解していた。グアムとミクロネシア連邦を天秤に載せるとどうなるか。どちらに傾くか分かっていた。アメリカは世界覇権を諦めた。陥落したハワイから援軍がやってくる筈がない。そうなれば、グアムを死守するしかないのだ。グアムが落ちれば次は硫黄島、硫黄島が落ちれば……私の学生時代を奪った悲劇が、本土を再び襲う。

 

「でも、まだここに空母が二隻もいる! 戦局はひっくり返せる!」

「――――二隻じゃありません。三隻です!」

 

 そんな時、私の耳に届いた声は聞き覚えのある声。

 それは私が探していたヒト。私が探さないようにしていたヒト。

 

「……加賀、さん?」

 

 こんな状況だというのに、私の胸を一番に過ったのは安堵、そして次に襲ってきたのは背骨を引き抜かれるような罪悪感だった。

 身を案じていなかったかと言えば嘘になる。だけれどこれは戦争だから、戦争の推移と加賀さんの安否は天秤に掛けるまでもないから、私は加賀さんのことを忘れていた。

 それでも彼女の姿を一度見てしまったら、もう胸が痛まずにはいられない。

 

「酷い傷じゃない。手当を」

 

 彼女()()の壮絶な戦いは装束が語ってくれる。髪をバラバラに振りまくその姿は修羅のよう。焼け焦げた第8護衛隊群所属を示す腕章(ワツペン)を振りかざしながら加賀さんは敬礼。

 

「第8護衛隊群第3分遣隊、第8322護衛隊を預かる者として進言いたします。直ちにグアムの戦力をチューク方面に回して下さい!」

 

 そんな加賀さんに、船務長は呆れたように言った。

 

「車両格納庫が救護所になっている。そこで傷の手当をしたまえ」

「私は増援を呼びに来たのです、手当をしにきた訳ではありません」

四桁部隊(8322)は臨時編制の任務部隊だろう……貴官はミクロネシアからの避難船を守り抜くという任務を全うした。ご苦労だった、ゆっくり休んでくれ」

「そんな時間は残されていません! 護衛任務は終了しました。第8322護衛隊は全艦健在! 今こそ泊地奪還に動く好機です!」

 

 あの時の加賀さんが、今すぐにでも炎の海にとって返そうとしていたのは誰の眼にも明らかだった。だからこそ船務長は報告には一切触れずに淡々と告げる。

 

「第3分遣隊からの増援要請は来ていない。いいか。増援要請は来ていない」

 

 二度も言わせるな。そう眼を細めながら船務長は加賀さんを睨む。しかし加賀さんは引き下がらなかった。船務長に縋り付くと、声を荒げて言う。

 

「あそこで本隊が戦っているのです! なにとぞ、お願いいたします!」

 

 加賀さんに普段の落ち着き払った態度は露ほども残ってはいなかった。乱れた息のまま食らいつくかのように船務長に直訴する彼女は、まるで別人のよう。

 

「私は〈くにさき〉の船務長に過ぎん、掛け合う権限を持ち合わせていない。以上だ」

 

 それだけ言うと、私たちを見向きもせずに歩き去る船務長。

 

「ですがッ! ですが……!」

 

 柱が折れてしまったかのように崩れ落ちる加賀さん。それを私は抱き留めて支える。

 

「加賀さん、少し落ち着きましょう。止血はしてある?」

 

 海水でぐず濡れになった装束の下に、どれほどの傷が潜んでいるというのだろう。幸いにも彼女はまだ熱をもっていた。ヒトという生物にとって冷たすぎる海であっても、彼女の命の灯火を消すには生ぬるい。しかし身体が残ったとして……そんな不気味な仮定を私に抱かせるほどに、加賀さんは普通ではなかった。

 

「赤城さん、部隊を動かしてください」

「……なにを言ってるの、加賀さん」

 

 加賀さんはきっと、悔しかったのだ。

 加賀さんはあの戦いが終わった後も、ミクロネシアから()()()()()と恥じていた。

 

「私は、私たちはまだ新米の艦娘よ? 部隊を動かす権限なんて、あるわけ……」

「まだ間に合う筈なんです……! 第8護衛隊群は、まだ……私はッ!」

 

 彼女は流すべき涙も枯らして、なお啼いていた。

 顔をぐしゃぐしゃにして、息を詰まらせては引っ込めるように飲み込む。私の腕に収められたまま、ゆっくり崩れ落ちていく。

 

「もういいの。加賀さん、もういいのよ」

 

 私たちは負けた。それはこの国を自衛すると謳った組織の、最後の敗北。

 私をじっと睨んだ先輩が、小さく漏らすように言う。

 

「ミコト、あなたはそれでいいの?」

「悔しいですよ、私だって。でも、他に方法があるんですか?」

 

 マリアナ諸島は日本の砦。ここを守れるのは私たちだけ。私は救援には動けない。

 姉様がその身をもって(あがな)った平和を、私は守らなくちゃいけないから。

 この国を守り抜くと。そう私は、姉様と約束したのだから。

 

「良い方法が……あるなら、教えてくださいよ」

 

 世界は悲劇に充ちている。海が敵にならなくても、この世界はずっと昔にどうしようもないほどに壊れてしまっていて。

 そんな悲劇の時代に、私たちは向き合っている。これからも、ずっと。

 

 †

 

「赤城さん、どうかしたんですか?」

 

 その言葉が、私を記憶の縁から引き上げる。

 慌てて声のした方に視線をやると、少女が私の方を見ていた。郵便受けから取り出したのだろう新聞紙を小脇に抱えながらに彼女は言う。

 

「早く行きましょう? お母さん、きっと待ってますよ」

 

 足を進めるのをためらった私に、導くように手を招く少女。

 

「ね、ねぇ。心の準備が……」

「ただいまー」

 

 私の言葉を無視して少女は玄関を開いてしまう。

 確かに、声を掛けたのは私だ。公務ではなく(プライベートで)会いたいとメールで言ったのは私だし、ここまで連れてきてくれと頼んだのも私。

 

「お母さんと仕事してるんですよね? じゃあ大丈夫なんじゃ」

「それとこれとは話が別なのっ」

「ふーん。おかーさーん! 赤城さん連れてきたよー!」

「ちょっと……」

 

 奥まで響かせるためか間延びした調子で少女が言う、返ってくるのは聞き慣れた声。

 ここまで来てしまったのだ。それならもう、行くしかないじゃないか。

 

「……お邪魔します」

 

 その言葉に、靴を脱ごうとしていた少女の視線が動く。

 他人の家に上がり込むのに、そんなにお邪魔しますは不適切な挨拶だろうか。

 

「靴は、そのままでいいですよ」

 

 それでも、少女は少女なりに私の心境を読み取ってくれたようであった。彼女は自分の靴は静かに靴入れに納めつつ、私の前にスリッパを差し出す。アクリル繊維で編み込まれた朱色のそれは、私の記憶と比べても色褪せてはいない。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って、靴を脱ぐためにしゃがむ。鼻腔に吸い込まれる嗅ぎ慣れない匂い。見慣れない家具は新しく買いそろえた物で、見覚えのあるものは官舎に居た頃から使っていた物。知ってると知らないのコントラストは、ここが官舎ではないと語りかけてくる。

 ともかくも靴を脱ぎ、次はスリッパを履こうと顔を上げる。

 そんな時私の視界に入ってきたのは、スリッパの前に佇む一人の女性。

 

「赤城さん」

「……加賀、さん」

 

 心の準備を、というのは今更おかしな話かもしれないが、いざ面と向かってしまうと何を言えば良いのか分からないもの。

 言葉を失った私に対して、向こうも困ったように首をくいと逸らした。さすがに玄関口で黙りこくるわけにもいかず、私はどうにか言葉を紡ぐ。

 

「その。久しぶり……というのはおかしいですかね。こんにちは、加賀さん」

 

 



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第63話 ほこるみらいきみのかてい

 

「お久しぶりです、赤城さん。今日は朝から遅くまで、ありがとうございました」

 

 もちろん私と少女が一日中一緒に過ごしていたことについてだろう。

 少女の面倒を見てあげるなんて昔から何度もあったこと。だけれど加賀さんは、それについて一度も礼を欠かすことはなかった。

 

「ありがとうだなんて。こちらこそ、楽しかったですよ」

 

 ね、そうでしょ。と視線を送れば、うんうんと頷いてくれる少女。

 ならいいのだけれどと呟くように言って、加賀さんは奥へと戻っていってしまう。

 

「無理に玄関まで来なくても良かったのに」

 

 そう呟けば、少女が肩を寄せてくる。

 

「昨日から赤城さんが来るの、楽しみにして準備してたんです。これはホントですよ」

「……ええ。分かっているわ」

 

 どうやら、少女は私と加賀さんの微妙な距離感を感じ取ってしまっているらしい。

 心配させないようににっこりと笑って見せて私は立ち上がる。少女に連れられて居間へと足を踏み入れると、そこは整理が行き届いた空間が広がっていた。

 

「素敵なお部屋ね」

 

 あたり触りのない私の言葉を、加賀さんはどう受け取ったことだろう。彼女はちらりとこちらを見やってから小さくどうもと返すと、コンロに視線を戻しながら言った。

 

「もうすぐ準備が出来るから、少しだけ待っていて下さい」

 

 少なくとも加賀さんは、私を客人(ゆうじん)として家に迎え入れてくれたらしい。

 となれば私はもてなされるだけである。テレビの前に置かれたソファに腰掛けると、合わせるように少女が隣に座る。液晶テレビの脇にはいくつかの書状やトロフィーが置かれていて、大方加賀さんのものだろうと思って見てみると、意外にも日付は新しい。

 

「これでも、中学ではエースだったんですよ」

 

 ふふんと胸を張ってみせる少女。賞状に刻まれた名前は少女のもの。官舎を出て行った後の少女がどんな成長を遂げたか、加賀さんが口にすることはなかった。そして少女も、弓道の話は避けていたように思う。

 

「立派になったわね」

 

 本当に、立派になったと思う。私が言えるのはそれだけ。

 

「赤城さんと遊ぶのもいいけれど、塾の課題はちゃんとやったのでしょうね?」

 

 不意に飛んでくる声は加賀さんのもの。艦娘母艦の建造を訴えるのと同じ口が、娘に宿題をこなしたのかどうかを聞いている。その事実が私を不思議な心持ちにさせる。

 

「やったってばー。というかお母さん、朝もおんなじこと聞いてたよ?」

 

 ソファの背から乗り出して加賀さんの方へと向かい合う少女。それは何処でも見つけることの出来る、ありふれた会話。

 

「朝に聞いたのは学校の宿題です塾の宿題ではありません。そういえば、今日も塾で確認テストがあるでしょう。予習は?」

「やったよー」

 

 私の耳に引っかかるのは塾という言葉。

 もちろん、昔話をするつもりはない。夜間外出の自粛要請……事実上の戒厳令が敷かれたあの頃は、塾どころか学校ですら満足に行くことは出来なかった。

 そんな世界を少女は知らなくていいのだから、親に宿題はやったのかとネチネチ言われる方が良いに決まっているのだ。

 

「いいわね、塾。ちゃんと勉強して偉いわ」

「えへへ……まあ、良い大学に行くためにはちゃんと勉強しないとなーって」

 

 ソファに座り直してはにかむ少女。その「良い大学」というのが、国防大学校であることを知ったら加賀さんはどう思うのだろうか。

 

「赤城さん、こちらに」

 

 どうやら夕食の支度が出来たよう。加賀さんに呼ばれてソファを立つと、食卓には大皿と小鉢、取り皿も数えるなら大小併せて十数の皿が並んでいた。

 

「わぁ、すごいご馳走。こんなに作って貰ってくれなくてもよかったのに」

「構いません。久しぶりに赤城さんが遊びに来てくれたのですから」

 

 普段は二つしか出していないのだろう、据えられた三つ目の木製椅子が、アンバランスに配置されていた。住人である二人が正しい位置の椅子に手をかけるのを見ながら、私は残された椅子に腰を下ろした。それは言葉だけで語るなら、豪勢で平穏な食事。

 

「いただきます」

 

 もしも外国からの輸入がなくなったら――そんな見出しで始まる資料を思い出す。

 教科書に載せられたそのカラー写真は、主菜が消え副菜が半分になった食卓風景が描かれていた。調味料すらも満足に自給できないこの国の食卓は、食料輸入が途絶えればたちまちに干上がるのだと、そう主張していた。

 でも、私たちの目の前では主菜がある。満足な副菜に白米、食後のデザートですらも手に入る。この奇跡を、私たちは当たり前のように享受している。

 

「とってもおいしいわ」

「どうも」

 

 そう素っ気なく答える加賀さん。その言葉使いは昔と変わらない。

 

「あのね、お母さん。今日は赤城さんが、上野の美術館に連れて行ってくれたんだよ」

 

 このように穏やかな食事は何時ぶりだろう。少女はさも楽しそうに今日は何を食べただとか、こんな展示物が興味深かったなどと言葉を重ねてゆく。言葉数が多いせいか食卓の料理は一向に減る気配を見せず、のんびりとした時間が流れていく。

 

「……そしたら、どーんとチケットの絵が飾ってあって、すっごいなって!」

 

 きっと少女は、こうして何でも聞いてくれる家族の存在がどれほど貴重なモノなのかはまだ分かっていないのだろう。戦争はあまりに多くの物を奪う。戦争の悲惨さを知った誰もが命の尊さを訴えたけれど、理解(わかる)共感(わかる)はちがう。

 

「赤城さんもそう思ったでしょ?」

「ええ、そうね。すごかったわ」

 

 同じ絵画を見た私と少女ですら、感じる物は違ったことだろう。それは二人の積み重ねてきた経験(じんせい)が違うから。そしてそれは、きっとこの食卓にすら当てはまる。

 並べられた沢山のおかず、これはこの国の豊かさそのもの。しかし少女にとってはこれが()()

 

「それでね、お昼はオムライスのお店に連れてってもらったの」

「オムライス?」

 

 私たちは何だって食べられる。東京には世界中のあらゆるモノが集まってくる。一見豪華に見える料理の殆どは海の向こうからやってきていて、その海上交通網が途切れれば日本は一年を待たずに餓死することだろう。

 

「ほら、加賀さん。大分昔ですけれど、二人で行ったじゃないですか」

 

 そんなこと、もう何十年も前から分かっていること。分かっていて、知らないふりをしていたこと。海上交通網が回復した後に産まれた少女は、この現代日本で何百万が餓死するというシナリオに現実感を持つことは出来ない。

 だが、それでいいのだ。それがいいのだ。彼女は私が掴めなかった、失うまで尊さすら知らなかった平和な世界に住んでいる。それだけで、私の戦いは肯定される。

 食事の席は平穏そのもの。少女が今日の出来事をぽんぽんと語り、私が少女の話に補足を加えていく。加賀さんは時折頷きながら娘の話に耳を傾けていたが、やがて遮るように口を開いた。

 

「おしゃべりもいいけれど、そろそろ時計を見た方がいいのではないかしら?」

「え、もうそんな時間? ごちそうさま!」

「全部食べてから行きなさい」

 

 どうやら塾の刻限が迫っているらしい。休日も勉強するのは大変だと思いつつ、夕食をかき込み支度をする少女。教科書やノートが収められているのであろう背負い鞄を掴んで、風のように居間を去って行く。

 

「……すばしこいわね」

「落ち着きがないだけです」

 

 ため息交じりに言う加賀さん。

 

「忘れてた! 今日は輪番停電だから、授業早く終わるからね!」

「はい。気をつけて」

 

 素っ気なく加賀さんが返し、今度こそ玄関口から鍵を閉める音が聞こえる。

 

「なんだか。昔を思い出しますね」

 

 私の呟きに、加賀さんは聞こえないふりで立ち上がる。

 

「こうやってご飯を食べて。夜勤があるからって慌てて飛び出していきましたよね」

「慌てていたのは赤城さんだけですよ。勝手に私まで慌てん坊にしないでください」

 

 机に広がった食器を片付けるのを手伝おうとすれば、構いませんと断られる。背中で返事をする加賀さんの表情は窺いしれない。

 それでも肩が笑っているように見えたのは、私が期待しているからだろうか。

 

「少し安心しました。加賀さんがどんな教育ママになってるのか不安だったんです」

 

 そう冗談めかして言う私に、加賀さんは机に広がった食器を片付けながら返す。

 

「『弓道部のある中学に行きたい』って言い出したのはあの子ですよ。塾だってあの子がもっと勉強したいと言ったから。私は手助けはしますが、口出しはしません」

 

 そんなことはもちろん知っている。私立への進学を希望したのは紛れもないあの子だった。進学の結果は、居間に飾られた賞状たちが語ってくれている。

 きっと、少女は弓を引く母親の姿に憧れたのだろう。小学校に弓道部なんてものはない。弓道をやりたいと言い出した少女の希望を叶えるには、近隣の射場に通うか弓道部のある学校に進学するしかなかった。

 

「ねえ。まだあの子を艦娘から遠ざけたいの?」

「赤城さん。それは誤解ですよ。弓道を学ぶなら、専門家の下で学ぶのが一番。私がこの町に戻った理由は師範がいるからであって、それ以上でもそれ以下でもありません」

 

 それは辛うじて通用する嘘。加賀さんが世話になったという弓道場、娘にはそこで学ばせてあげたいという師への恩義と親心。異議を挟む点が存在しなかったのは事実だ。

 私立中学への進学は、加賀さんにとって都合の良い「言い訳」になったことだろう。

 だから私も、止めることはしなかった。

 

『お母さんを説得するのを、手伝って欲しいんです』

 

「……あのね、加賀さん。これだけははっきりさせておいて欲しいの」

 

 それでも、否定できない事実はある。少女が弓の教えを私に請うたこと、私が官舎の近くの――つまり空母艦娘の訓練用に借り上げられていた――射場に少女を連れ込んだこと。そして加賀さんが少女を連れて官舎を出たのは、その直後だったということ。

 

「加賀さんの考えを否定するつもりはないの。確かに、艦娘の近くで過ごしていれば艦娘への、国防軍への理解も深まるでしょう。だけれど、弓を学んだくらいで艦娘になるとは限らない。それに――私はあの子に〈赤城〉として弓を教える気はなかったわよ」

「その通りです。ですから、艦娘(そのこと)引越(このこと)は関係ないんです」

 

 加賀さんは平然と言ってのける。加賀さんが恐れたのは、あの子が艦娘というこの国を守る仕組みを知ってしまうことだったのだろう。艦娘の適性に遺伝的な要素があるのかどうかは議論の余地があるが、少なくともあの子には素養があった。

 

『出来れば、私の育った町で育ててあげたいの。もう少し、戦いから遠い場所で』

 

 三年前。加賀さんが私に切り出したのは相談ではなく報告だった。加賀さんは今の家も仕事と子育ての両立も、全てを自分で決めた上で私に報告したのだ。

 少しだけ内陸にある町、少しだけ海から、戦争から……そして私から遠い場所。

 

「別に私はあなたを責めようとしている訳じゃないの。進学のタイミングで官舎を離れたことは理解できる。あそこまで育てば、四六時中付き添わなくても大丈夫だものね」

 

 きっと加賀さんは、それこそ初めから官舎を離れたいと思っていたはずだ。加賀さんはあの子が「軍隊の子供」になることを恐れた。親が戦場に出ることが当然で、さらに周りの人たちまで軍人となれば、将来の夢が軍人になってしまうのではないかと。

 

「今日ね。あの子が言ったの、あなたのことを説得して欲しいって」

 

 何を説得するかなんて、口にしなくとも伝わることだろう。加賀さんは動きを止めて、私も加賀さんをじっと見つめる。時計の針だけは先ほどまでと寸分の違いもなく動き続け、頂点を指した分針に合わせて(とき)を告げる音が鳴った。

 加賀さんは、ゆっくり吐き出すように言う。

 

「そうですか」

 

 それだけ言って、加賀さんは止めていた手を動かし始める。食器用洗剤を手に取って、空気と洗剤が同時に押し出される音が聞こえる。水道の蛇口が開かれる。

 

「加賀さんは、あの子が艦娘になるのを止めたいわよね?」

 

 食卓に腰掛けたままの私とは対照的に、皿洗いに勤しむ女子高校生の母親。

 

「……ねえ。加賀さん、もうやめましょう?」

 

 自然と口をついて出てしまった言葉。しかし放たれてしまったモノは取り消せない。加賀さんは私を見遣ったけれど、そのまま視線を食器に戻す。

 

「私ね、加賀さんのことは尊敬している。あの子、あんなに良い子に育ったじゃない。親を真似ない子供なんていない。あなたが立派だったから、あの子も立派に育った」

 

 でも、その先には軍人しかない。他ならぬ母親(かがさん)が、軍人(かんむす)なのだから、あの子はどうやっても軍隊の子供でしかない。きっと加賀さんは認めたがらないと思う。

 

「あの子が艦娘になりたがるのは、加賀さんが居るからよ。だって、あの子は官舎に居る頃からずっと、加賀さんの子供だったのだもの」

 

 少女の母親は沈黙を貫く。私は少女を止められない。そして恐らく、母親(かがさん)も。

 だから私がこれから言うことは、きっと加賀さんの尊厳を傷つけることになる。

 

「だから、もう『艦娘(かがさん)』を辞めませんか?」

 

 シンクを叩く水の奔流が止まる。

 

「……」

 

 まるで低気圧が訪れたようだ。電源に繋がれた冷蔵庫が五〇?の合奏曲を二人の間に流していく。この家は先程までの空気を忘れてしまったようで、家主(かがさん)の意思に基づいて私の体表を覆う細胞一つ一つへと圧力を加えてくる。

 

「こんなこと言うなんて、出過ぎた真似だとは思うわ。でも言わせて。あなたが艦娘で在り続ける以上、あの子は艦娘……いえ、その先の平和に憧れるわよ」

 

 舌の上が蒸発して、喉が渇いていく。加賀さんは私をじとりと見て微動だにしない。

 

「本当は分かっているのでしょう? あの子はきっと止まらない。私は助言をすることは出来るわ。どれだけ艦娘が命の無駄遣いか、艦娘という兵科(システム)がどれだけこの国に負担を掛けているか説明することは出来る。でもそれで、貴女は戦争(かんむす)を止めるの?」

 

 艦娘はこの戦争の象徴だ。艦娘があるからこの国は滅びなかったし、こうして今日も滅びずに在り続ける。そして加賀さんは戦争(それ)に拘り続けた。

 

「私たちが戦争を手放さない限り、平和なんて訪れない。貴女が平和に拘る限り、そこには戦争しかない」

 

 私は多分、怒っているのだ。加賀さんに怒っているのではなくて、戦争に怒っている。戦争に囚われた加賀さんは被害者だ。きっと誰も同意はしないだろうけれど、あなたは戦争の被害者なんですよ。加賀さん。

 

「そんなものなくたって、貴女は幸せになれるのよ」

 

 加賀さんは押し黙ったまま。このまま気付かないフリを続ける腹づもりなのだろう。

 

「貴女が背負ってるものは知っているわ。だから私は止めなかった。貴女の選択に口を出す権利なんてないもの。貴女は艦娘(せんそう)を選んだ。平和に命を賭けたのよね」

 

 十五年前。ミクロネシア連邦が陥落したあの日から、加賀さんは人が変わった。戦線の拡大に賛成し、艦娘の装備を拡充させるためとあちこちを飛び回った。

 

「その結果が今なのは知ってる。加賀さんが頑張ったから、今の平和がある」

 

 あの子は今、疑いようのない平和の中に生きている。

 思う存分に勉強できて、自分の好きなことが出来て。美術館にだって、美味しいレストランやカフェにだって行ける。何不自由なく生活できる。

 

「あなたが頑張ったから。今の平和があるのよ」

 

 街が爆撃や砲撃を受けることはない。真夜中に枕元の防災持出袋(リユツク)を手探りで見つけることだって、生活必需品がなくなる不安を抱えながら量販店に駆け込むこともない。

 そんな平和すら奪われたのが、私たちの学生時代だった。

 

「昔と比べたら、平和になったじゃないですか」

 

 この国を育んできた長い長い平和の中で、それが抜け落ちた数年間。それが私たちの青春だった。ヒトが死んだ。自衛官も民間人も関係なく死んだ。

 

「それとも、全世界が平和にならないと満足できない?」

 

 それは、きっと誰もが一度は考えたことだろう。悪い敵を全てやっつけて、世界を平和にする。おとぎ話や漫画や現実で、何度も繰り返された理想論。

 でも日本は、いや世界は敗北したのだ。世界は富を蓄えていた筈だった。深海棲艦が現れた時、日本には艦娘になり得る人材が溢れていた。それは半世紀の平和がもたらした莫大な人的資源。その貯蓄を今の日本は使い果たしつつある。

 この国に、もう一度ミクロネシアの戦いを展開する体力はないのだ。

 

「身の丈の平和でいいじゃない。最小限の犠牲で国が守れることは証明されているわ」

 

 自衛隊は、日本だけを守ればよかった。それが私たちの平和だった。果たして私の言葉は届くだろうか。しかしこれを届けなければ、この国に未来はない。

 

「加賀さん。どうしてあなたは艦娘母艦を作ろうとするの?」

 

 加賀さんはそれに正確に答えられるだろう。加賀さんは艦娘母艦を推進しているのだから当然だ。それでも加賀さんは、寸分たりとも口を開いてはくれない。

 だから、私は次の言葉を継ぐしかない。

 

「ねえ、加賀さん。あなたは……まだミクロネシアに居るのね」

 

 私をじとりと見て微動だにしない加賀さん。その沈黙が(イエス)を示すのは疑いようがない。舌の上が蒸発して、喉がからからに渇いていく。

 それでも、ここで言葉を止めるわけにはいかなかった。

 

「あなたは艦娘母艦が欲しかった……加賀さんは、あの時グアムにいたのが〈くにさき〉じゃなかったらって。今でも思っているのでしょう?」

 

 輸送艦〈くにさき〉。あの時、ミクロネシア連邦が陥落した時に北マリアナ諸島に展開した唯一の艦娘運用専従艦。まだ哨戒護衛艦なんてろくに整備されていなかった時代、艦娘を輸送することが出来た艦艇は数えるほどしかいなかった。

 

「加賀さん。分かって欲しいの」

 

 あの日、あの時。グアムには〈くにさき〉しかいなかった。

 艦娘の艤装は船舶(フネ)としては小さくても個人が持つ装備品としては大きすぎる。駆逐艦のような単純な艤装なら汎用護衛艦でも運用できたが、戦艦といった大型の艤装を扱うには大型の設備が欠かせない。広い太平洋を駆けるには、母艦の存在は欠かせない。

 

「ミクロネシアは広すぎた。広すぎたんですよ」

 

 グアムから〈くにさき〉が動けば、グアムは陥落してしまう。あの頃の日本に沿岸を守り切るだけの能力(ちから)はなかった。だからグアムを突破されたが最後。

 だから、私たちはミクロネシアを見捨てた。

 

 



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第64話 るろうなだかくしみしみと

「……第3分遣隊に所属していたあなたには、辛いことだと分かっているつもりです」

 

 第8護衛隊群第3分遣隊。私たちが見捨てたミクロネシア連邦の一角を守備していた部隊。加賀さんはあの日、そこに居た。加賀さんが重い沈黙を終わらせて、一言。

 

「そんな昔の話、関係ないですよ」

「でも、艦娘母艦のコンセプトがそうじゃない。足が速くて、重武装で、それでいて戦艦艤装だって悠々と運搬できる輸送艦」

 

 私だって艦娘母艦が何の価値もないなどとは思わない。艦娘母艦に猛反対している片桐先輩だって、兵器としての価値は認めることだろう。それどころか、あんなに欲しがった母艦に反対するなんて皮肉なことだとすら思っているかも知れない。

 けれど、それほどに艦娘母艦の建造は止めなければいけない。

 

「きっと。加賀さんは認めたがらないと思う。でも言わせて」

 

 本当なら、私だってこんなこと言いたくない。

 でもここで言わなければ、もう取り返しが付かなくなってしまう。私は机の下で拳を握り締めて、深呼吸してその言葉を押し出す。

 

「あんなに戦線を広げたのが、そもそもの間違いだったのよ」

 

 深海棲艦は、ヒトの営みに惹かれてやってくる。

 太平洋上にぽつりぽつりと浮かんでいた人々の営みは、ヤツらにとって格好の的だった。日本にとって……いや、あの虚構に満ちた新自由連合盟約(ニユーコンパクト)を作り上げた米国にとって、中部太平洋に浮かぶ三つの国はアジア覇権を維持するための()()でしかなかった。

 だからこそ、日本はあの時動かなかったのだ。本土を、日本列島を守るのに中部太平洋は必要ない。かつての大戦でそう定めたように、北マリアナ諸島(グアム=サイパン)を絶対防衛線とすればいい。グアムより先に部隊を進める必要はなかったのだ。

 

「関係ないわ」

 

 そう加賀さんは言う。頑なに、関係ないと言い張る。艦娘派がミクロネシアの奪還を狙っていることは明らかだ。艦娘母艦は味方の救援ではなく、敵地の奪取に用いられる。そして得た敵地を維持するために過剰な兵力が用いられることになる。

 もちろん国民は諸手を挙げて応援することだろう。艦娘はこの国の希望だ。艦娘母艦は、太平洋(ミクロネシア)の奪還はこの国の夢だ。だから、ここが分岐点になる。

 

「お願い。あの子をもう、これ以上あなたの復讐に巻き込まないであげて」

「復讐?」

 

 加賀さんが眉をひそめる。私はもう、加賀さんの良心に賭けるしかないのだ。

 

「ええ、復讐よ。あなたは艦娘母艦を作って、ミクロネシアを取り返そうとしている」

 

 それは何の得にもならない。もはや太平洋には守るべき営みもないし、ハワイが陥落している今米国との連絡線としても役に立つわけではない。

 それなら、この戦いは艦娘派の自尊心を満たすだけのものだ。かつて苦汁を舐めさせられた中部太平洋を奪還したとして、そこに残るのは虚構の満足と血の海だけ。

 

「私の知り合いが言ったわ。今の海軍は軍縮をすべきだ、って」

 

 国防軍は、深海棲艦との戦いを理由に組織を拡大し続けてきた。それ自体が誤りだとは思わない。しかし人間は力を使わずには居られないもの。

 

「皮肉なものよね。私とあなたの預かる艦名(フネ)は、その軍縮に殺されたのに」

 

 〈赤城〉と〈加賀〉は、それぞれ世界最大級の戦艦になるべき軍艦だった。

 

「でも、私たちは止まるべきなのよ。膨れ上がった軍事力はいつか何処かに向けられる。豊臣秀吉が朝鮮に出兵したように、列強各国が植民地に手を伸ばしたように」

 

 その結果何が起こっただろうか。兵士たちは故郷から遠く離れた場所に骨を埋めることになった。侵略すべき植民地が消えたとき、その力は内へと向いた。

 

「戦争が起きたとき、私は子供だったわ。今の子供たちに、あの子に。そんな思いはして欲しくないの。確かに無人艦だけじゃ戦争は終わらないかもしれない。それでも、流れる血を最小限に押さえることは出来る」

 

 戦争の無人化は、決して世迷い言ではない。無人機による哨戒体制の構築、無人機による艦娘の援護……そしていずれは、無人機であらゆる国防を完結させる。

 

「この平和を守るのに艦娘母艦は必要? 必要ないことは、そんなものがなくてもこれまで国防は成立してきたこと自体が証明している。あなたは結局、自分の復讐劇(まんぞく)のために艦娘母艦を作ろうとしている。それで血を流すのは誰か、考えたことはあるの?」

 

 自然と言葉に力が入る。艦娘母艦は太平洋を切り拓く希望。深海棲艦を討ち滅ぼす最強の矛。でもそれは、あまりにも多くの血を吸い上げる呪いの剣。

 

「あの子が艦娘になったら。ううん、あの子だけじゃない。これから艦娘を目指す全ての子供達が、艦娘母艦によって無意味な死地へと送られる。無責任だとは……」

「赤城さんの」

 

 そこで加賀さんは私の言葉を遮る。彼女は眉の一つも動かさずに言葉を紡ぐ。その眼に小さな炎が宿っていたことを、私は忘れないことだろう。

 

「赤城さんの理想は、なんですか」

「この国を、守ることですよ」

 

 ずっと昔からそうだ。私は国を守らなくてはならない。それは姉様との約束であったし、なにより私自身の願いでもある。

 

「私たちはこの国を自衛していればよかったの。だって、それでずっと上手くいってきたじゃない。ミクロネシア連邦なんて、守らなくてもよかった」

 

 その言葉に加賀さんが肩を震わせる。怒っているのだろう。加賀さんにも、信じているものがある。私はその聖域(タブー)に触れる。

 

「日米同盟にとって、ミクロネシアの敗北は予定調和だったんですよ」

 

 何もかもが足りなかった。ミクロネシアを防衛するだけの戦力も、駐留戦力を維持するための船腹も。あの虚構に満ちた新自由連合盟約(ニユーコンパクト)を作り上げた米国にとって、中部太平洋に浮かぶ三つの国はアジア覇権を維持するための出城でしかなかった。

 だから維持できなくなったからあっさり手を引いた。それだけのこと。

 

「私だって自分を恨んだわよ。もっと力があれば。もっと上の役職でいれたなら」

 

 それはきっと誰だって同じ。あの日、ミクロネシア連邦やグアムに居合わせた全ての人間がそう思ったに違いない。加賀さんはミクロネシア連邦を守ることが出来なかった。私はグアムに、加賀さんたちを救える場所に居ながら動けなかった。

 

「でも、仕方なかったのよ。私たちは負けるべくして負けたの……米国はあの場所(ミクロネシア)を時間稼ぎのための場所としか考えていなかった。ハワイを喪った彼の国にとって、西海岸に深海棲艦が大挙して押し寄せるのは悪夢以外の何物でもなかったでしょうからね」

 

 利用された、なんて被害者ぶるつもりはない。あの国を生贄(いけにえ)として捧げた意味では、この国も米国と同罪だ。でもそれは国家の罪であって、決して私たちの罪ではない。

 

「だからこそ、私たちはミクロネシアに囚われてはいけないの」

 

 忘れて未来に踏み出そうなんて綺麗事を口にするつもりはない。

 

「加賀さん達がやろうとしていることは、復讐ですよ。ミクロネシアを取り返す、敗北をひっくり返す……悪いことだなんて言わないわ。でも、それで何になるの?」

「あの島を取り戻してする事は一つです。撤退戦で骨を埋めた同胞に謝罪する」

 

 それだけです。加賀さんがそんなことを言う。

 

「……やっぱり復讐じゃない。あなたは、そんなことのために血を流すの?」

「そうでもしなければ、のうのうと生き延びた私が赦されることはないんです。ええ、赤城さんの言うとおりの自己満足。この戦争への復讐ですよ」

 

 この国を守るために、もうどれほどのヒトが身を投げ出したか分からない。有史以来、国を守らんと命を捧げた人間を数えればキリがない。そうして私たちは生きてきた。誰かを犠牲にしたのなら、その分まで生きることは私たちの義務。

 それなのに、加賀さんはそんなことを言うのだ。

 

「なら、尚更私は艦娘母艦を止めないといけないわ。あなたは今、未来を担う子供達を復讐に捧げようとしている。私はあなたに、そんなことして欲しくない」

「何故です?」

「何故って……そんなことも分からないの? あなたにはあの子がいる。あなたがミクロネシアに囚われることはないのよ。忘れろなんて言わない。でも、あなたは前を向いて生きていくべきよ。そうじゃないの?」

「前を向いていますよ。少なくとも()()()()、あなたよりは」

 

 加賀さんが私の本名(なまえ)を呼ぶ。

 

「無人護衛艦抗争が絵空事に過ぎないことはあなたが一番よく理解しているはずです」

「短期的には、という話です。中長期的には十分実現可能ですよ」

「それで財務省が納得するなら、そうでしょうね」

 

 無人艦構想には、常に費用対効果(コストパフォーマンス)の問題がつきまとう。百隻を超える無人艦の補給はどう行うのか、補修はどこの造船所で行うのか。誘導弾や砲弾の調達予算はどこから補填するのか。国防は公共事業、無駄遣いは許されない。

 

「でも、今の国防体制はおかしいわ。深海棲艦を祓うのに霊力が必須という訳じゃない。それなのに、私たちは人間(かんむす)を兵器にしてしまった」

 

 私たちは悲劇の時代に生きている。国家は少女たちを戦争へと駆り立て、戦争に囚われた友人は娘を過酷な世界に放り込もうとしている。

 それは故郷と子孫を守るためと戦端を開いた「かの大戦」が、最後には守るべき若人を爆弾に変えてしまったのと同じ。ブルドーザーとコンクリートがない時代の人間が、荒れ狂う川を治めるために生け贄を捧げたのと同じ事。

 

「これ以上の血を流れるのは止めなきゃいけない。だからこそ無人艦構想を」

「私たちの仕事は戦争です。戦争をすればヒトは死にます。当然でしょう?」

「……」

 

 私は加賀さんに止まって欲しかった。もちろん小沢空将のように力尽くで止めることは出来るだろう。そうではなくて、私は加賀さんに自分で止まって欲しかった。

 でも、今の加賀さんは自分では止まってくれないだろう。

 

「お願い加賀さん。もうやめて」

 

 もしも私に、ずっと昔の私に力があったのなら。私は姉を止めることが出来たはずだった。いや本当は、あそこで止めなきゃいけなかった。

 だから私は、ここで加賀さんを止める。今度こそ、私が後悔しないように。

 

「……珍しく、今日の新田さんは感情論に拘るんですね」

 

 その言葉に拒絶以上の意味がないのは明らか。私は飲み込みかけた唾をすんでの所で止める。小さく息をついた加賀さんは、ゆっくりと私から視線を逸らす。

 

「新田さんは『最小限の犠牲で国が守れることは証明されている』と言いました」

 

 それはつまり、今の体制を容認しているということですよね。加賀さんは私の発言が矛盾していると言う。

 

「生け贄という表現はまあ理解は出来ます。霊力を糧に戦う艦娘(わたしたち)が命を磨り減らしながら戦うのは事実です。しかしその対価として、私たちは給料を受け取っている」

「そんなの建前の話よ。私が言いたいのは」

「その建前を良しとしたのが、国防軍(このそしき)なのではないのですか? ()()()()()()

 

 その言葉に間違いはない。国家は兵士を雇用し、兵士は給金のために労働力を差し出す。航空総隊司令官すらも紙切れ一枚で解任できる労働者に過ぎない。

 でも、そんな理屈が今の戦争に通用するだろうか。国家は滅びる瀬戸際にあり、国民を犠牲(いけにえ)として国家は生き長らえている。

 

「あなたなら、私の言うことが分からない筈がない。どうして矛盾から目を背けるの?艦娘母艦の先には何もない。ミクロネシア連邦の奪還は国防になんの寄与もしない」

「ですが、あそこ(ミクロネシア)はあの子の故郷です。あの子を故郷に帰してあげたい」

「……えぇ、そうね。あの子の故郷は、ミクロネシアだったわね」

 

 そしてそれこそが、加賀さんが背負っているもの。

 

「気持ちは分かるわ。でも、それは論点のすり替えよ。あの島にはもう何もない」

 

 加賀さんが私をじっと見据える。不思議なことに、そこには何の感情も見えない。

 怒りも、戸惑いも……悲しみすらも。

 加賀さんだって気付いている筈だ。それとも、加賀さんは私の言わんとすることを飲み込んでいて。それでもあくまで建前論に拘るというのだろうか。そこまでミクロネシアが、第8護衛隊群が無駄だったと認めたくないのだろうか。

 

「新田3等海佐……あなたはもしかすると思っているのかもしれません」

 

 加賀さんは私と眼を合わせないで続ける。

 

「私が感情に(ほだ)される人物であると、同期の忠告に耳を貸す人間であると」

 

 ええ、それは事実です。極めてフラットに、単調に彼女は言葉を並べてゆく。

 

「あなたは何度も言う。艦娘母艦を作ればあの子が犠牲になると。まるで私があの子よりミクロネシアの奪還が大切かのように言う。子より戦争を優先する軍人は親失格と」

「そんなこと言っていない。私は、母親と艦娘を両立するあなたを尊敬してる」

 

 この言葉は偽らざる本心だ。私の知る限り、加賀さんは完璧な母親を演じようとしていた。およそ思いつく限りの母親らしいことを、必死に実践していた。そして軍人としての姿を、必死に隠そうとしていた。戦争という怪物から娘を護ろうとしていた。

 加賀さんは平和に拘る。戦争の集結に拘る。それはあの子の、加賀さんの大切な娘の平和(せかい)を守るため。加賀さんは娘のためならどんな犠牲を払ってでも戦争を終わらせる。

 だからこそ、私は加賀さんに誤った道を歩んで欲しくない。この道の先には、少なくともあの子の望む未来は存在しないのだから。

 

「いい加減に、してください」

 

 それなのに加賀さんは、私をきっと睨む。

 

「あなたは言います。これは私の為だと、あの子の為だと。さも善人ぶって、私にご自分の都合を押しつけようとしている。あなたは、あの子を()()にしているだけです」

「それは違うわ。私は加賀さんのことを思って」

「その艦名(なまえ)で、呼ばないで頂けますか」

 

 言い切るように、断ち切るように。お腹の空気を出し切るように息を吐く加賀さん。

 

「あなたは昔から、大学校の時からそう。結局は自分の意思を押し通したいだけ」

 

 彼女は言いたいのだろう。私が彼女の娘の絆を利用していると。艦娘になるかも知れない娘を人質にとって、艦娘母艦の建造を止めようとしていると。

 私の喉に言葉がつかえる。違う、そう言ってしまいたい。でもそれは嘘だ。私は艦娘母艦を止めるためにここに来た。それなら私が、加賀さんと、あの子との縁を利用してしまった事実は否定しようがない。

 ようやく舌に飛び乗った言葉は、どうしようもない弁明(いいわけ)だった。

 

「……私は、貴女のことを心配しているだけなの」

「そんなに艦娘派(わたし)が目障りですか?」

「友達だからよ、私はここにあなたの同期として来たの」

 

 私の言葉は空気に吸い込まれていく。

 私と加賀さんの立場は、時が流れるほど、階級章に飾りが増えていくほどに離れていく。もう同期だとか友人だとか、そのようなまやかしは通用しない。

 

「友達のことを心配しちゃいけないの?」

 

 だからこの言葉は、きっと加賀さんには届かない。加賀さんはふっと笑う。それは笑うと言うより、力の抜けた表情筋が作り出す歪んだ微笑み(マスク)

 

「私は戦う力を求めて大学校(あそこ)に行きました。あなただってそのハズですよ」

 

 深海棲艦が空と陸を侵し始めたとき、私たちは高校生だった。色彩豊かな景色を約束されていた私たちの青春は、血と硝煙のペンキで塗りつぶされてしまった。

 

「……そんな悲しいこと、言わないでくださいよ」

「悲しい? 違いますよ、私は悔しいだけです」

 

 加賀さんは、私に裏切られたと言いたいのだろうか。友情を利用されたと?

 それなら彼女の理論は破綻している。加賀さんにとってしてみれば、この食卓は国防海軍の派閥抗争における予備会議の一つでしかない筈なのだから。

 

「悔しい……そうね、私も悔しいわ」

 

 でも私は、もっと大事なことをしに来たのだ。だから私は、敢えて言葉を受け取る。

 

「ねえ、聞かせて。あなたはどうして戦いを続けるの?」

 

 私たちを大学校に、軍隊へと駆り立てたのは確かに真っ黒な復讐心だったかもしれない。だけれどそれなら、私たちの復讐は平和の回復をもって終わった筈なのだ。

 

「分かりませんか? あなた方が、この国が。ミクロネシアを忘れたからですよ」

 

 加賀さんがついと私を睨む。

 

「やっぱり復讐の(じぶんの)為じゃない。そんな目的で艦娘母艦を建造して(つくつて)どうするの?」

「この戦争を終わらせます。それが、私たち()()()()の使命でしょう」

 

 開戦世代だなんて。さも自分が戦争を始めたかのような言いよう。

 

「三年です」

 

 三年あれば、太平洋の制海権は確保できる。加賀さんがそんなことを言う。

 

「そうすれば、あの子が戦場に行くことは避けられる」

 

 もしかすると、昔はそれでも良かったのかもしれない。あの頃は、まだ私たちは何でもない尉官に過ぎなかった。己の非力を嘆いていることが許された。守るべき物は国土と国民で、ただがむしゃらに戦い抜けば良かった。私たちの目的は一致していた。

 

「でも、今の貴女は知っているはずよ。艦娘母艦の就役にはまだ五年以上かかる。太平洋の奪還だって、貴女の作戦が思い通りに進んだ場合の話でしょう?」

 

 あの子が艦娘になる前に戦争が終わると言い切れないことを、加賀さんが分かっていない筈はない。だからこそ、加賀さんが引き下がることはない。

 

「それでも、戦争が続けばあの子が戦場に行くことになる。だから終わらせるんです」

 

 加賀さんが守るべきは国ではなく、娘と平和。その過程でどんな犠牲が出ようとも、彼女は止まる気などない。私を突き放して、少女を抱えて、一体貴女は何処へ往くというのだろう。貴女が手にしているこの場所こそが、幸せの形だというのに。

 

 多分そんな私の傲慢(おもい)が、あんなことを言わせたのだ。

 

「じゃあ加賀さんは、自分の命令であの子を殺すことが出来るのね?」

 

 私だって形振り構っていられない。加賀さんが折角の幸せを手放して、それどころかこの国をあの災厄の時代に引き戻そうとしている。私は止めなくちゃいけない。この先にどんな結末が待つのか加賀さんは知るべきなのだ。

 

「現実味がない話かもしれない。でも想像してみて。あなたの言うことは軍人としては正しい。じゃああの子が軍人(かんむす)になって、あなたが指揮を執ることになった時。あなたは軍人として命じられる? あの子に死んでこいと、死んで祖国の礎になれと」

 

 私の姉は、国家安寧の人柱となった。私も艦娘として、国家を守護する人柱になっている。それは加賀さんも同じ。それなら加賀さん(ははおや)に憧れる少女の行く末は人柱(いけにえ)だ。

 

「戦争を終わらせれば全部解決します。それで問題ないでしょう」

「質問に答えて! 戦争に勝つためなら、あの子を殺してもいいの? 殺せるの?」

 

 卑怯な質問だということは百も承知。だから私は加賀さんの譲れない場所を突く。

 まともに議論をしても平行線を辿るだけのは分かっていた。

 無人艦を大量に配備して人的資源の損耗を避けることも、大攻勢に打って出ることで戦争を終わらせて国家経済の損耗を避けることも。どちらもある側面から見れば正しい。正しいからこそ、なんど会議を開いても合意に至ることはない。

 果たして加賀さんは口を開く。飛び出すのは、予想だにしない言葉。

 

新田さん(あかぎさん)()()()()()、きっと殺せるんでしょうね」

 

「……今、質問したのは私です。まだ眼を背けるのですか?」

 

 そうして先送りにして、最後に苦しむことになるのは加賀さん自身だと言うのに。それなのに彼女は、私を見据えながらに続ける。

 

「ええ。私はあの子に死ねと言うつもりはないわ。部下にだってそんなことを言うつもりはない。私は諦めない。何時だって……あの時だって」

 

 あの時というのが、ミクロネシアが陥落した日を指すのは間違いないだろう。

 

「あの時、自衛隊はミクロネシアの部隊を見捨てた。そうすることで本土を守った」

 

 そうですよね? と加賀さんは私に問う。私は頷くしかない。

 

「ええ。そうです」

 

 仕方なかった。戦力が足りなかった。守るべきではなかった。言い訳は幾らでも出来るし理論武装もしてあるが、見捨てたという一点だけは否定など出来ない。 

 

「小を捨てて大を守る……立派なことです。でも、あなたはミクロネシアを見捨てることを是とした。葛藤や後悔はあるのかもしれません。でも!」

 

 加賀さんの怒気が私を襲う。彼女の双眼は私をしっかと収めていた。

 

「でも、あなたは見捨てたんです。塵屑(ちりくず)をゴミ箱に捨てるように。私はあなたみたいには、ミクロネシアを見捨てた〈くにさき〉みたいにはならない!」

 

 加賀さんは私のことを、加害者だとでも言いたいらしい。

 

「ずっと、そう思ってたんですか?」

 

 加賀さんは何も答えない。ただ一つ言えることは、加賀さんが私のことを同期として、友達として扱ってくれるのなら……彼女が嘘を吐くことはあり得ない。

 

「私だって。好きで捨てたわけじゃないんですよ?」

「ええ。だからこそ、あなたはそうやってあの子も見捨てられるんです」

 

 加賀さんの言葉を、どうして否定出来るだろう。私は国を守るために姉を見捨てた、友邦(ミクロネシア)を、同胞(8護群)を見捨てた。それなら、あの子を見捨てることも出来るに違いない。

 

「私は諦めません。艦娘母艦を建造し、太平洋(へいわ)を取り返します」

「なら。私は止めるしかないわね」

 

 そうして、私たちの間には沈黙が舞い降りる。

 きっと、こうなることは分かっていた。私も加賀さんも、最初からうっすらと気付いていたこと。まやかしであったとしても一つ屋根の下、私と加賀さんと少女で囲んだ食卓は二度と帰ってこない。覚悟は決めていたではないか。

 

 携帯端末が鳴る。表示されるのは輪番停電の開始が一時間前に迫ったことの通知。

 

「もうすぐ、あの子が帰ってくるわ」

 

 加賀さんがそう言いながら壁に埋め込まれた蓄電池の操作パネルを弄る。それから黙り込んだ私をちらりと見ると、思い出したように言う。

 

「せめてあの子の前では、仲の良い同期(トモダチ)でいましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2020年8月16日に初頒布した同人誌「裾野に流すはかりごと(前編)」を再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。


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第65話 おもいかなわぬこそだてよ

 もっと力があったのなら。そうどれほど願ったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 三寒四温にくすぐられて、街路の桜が冬芽を脱ぐ頃だった。

 

「ほんとに、赤城さんはこないの?」

 

 首を傾げるのも無理はない。なにせこの子にとって彼女は、これまでずっと一緒に暮らしてきた同居人。理由以前に、別々に暮らすこと自体が考えられないのだろう。

 

「ええ。私はね、北の方に行かなくちゃいけないの」

「なんで?」

 

 中学入試では地理分野も扱うから、恐らく千島列島と伝えてもこの子には問題なく伝わるだろう。それでも大雑把に「北の方」と言ったのは、彼女の配慮だろうか。

 

「でもきっと、新しいおうちにも遊びに行きますからね」

 

 じっと見つめる私に気付いたのか、彼女は少し顔を持ち上げて私に微笑んでみせる。

 きっと、彼女が私たちの新居を訪れることはないのだろう。

 ないと分かってそんなことを約束する彼女の、なんと残酷なことか。

 

「あ、ねーお母さん。トイレいってもいい?」

 

 と、そこで彼女が声を上げる。引っ越しの準備は済ませてある。あとは車に乗り込んで、出掛けるだけ。これから自動車で移動することを考えれば用を足しておくことも必要だ。いいわよと告げると、靴を響かせながら彼女は官舎へと駆け出していく。

 その様子を見送った私。残されたのは私と、見送りにきた同居人だけ。

 

「加賀さん……頑張って下さいね」

「赤城さんこそ、今日まで長らく、ありがとうございました」

 

 私が返せる言葉はそれしかない。きっと私一人ではあの子をここまで育てることは出来なかっただろう。それを支えてくれたのが私の同居人、赤城さん。

 

「でも、少しだけ寂しくなるわね……ねぇ、加賀さん」

 

 私ね、大湊への転属願いを出したわ。そんなことを赤城さんは言う。それは私がこの人に転居を告げたときと同じ……相談でも何でも無い、報告。

 赤城さんが何故転属願いを出したのか。その意図は本人に確認しないと分からない。

 思い出深い官舎に独り取り残されるのが嫌だったのか。それとも千島列島の増強命令に従っただけなのか。それとも――――彼女が北方に赴くことで、私が関東に留まれるように仕向けたのだろうか。

 

「そうですか。頑張って下さい」

 

 それが分からないから、私はそう励ますことしか出来ない。

 

「大丈夫よ、多分すぐ戻ってくることになるしね」

 

 また会いましょう。お別れは十分だと言わんばかりに、赤城さんは歩み去って行く。

 残されたのは私だけ。寒さの残された空に咲き始めたばかりの桜が映える。

 

「……ごめんなさい」

 

 決して、あなたの厚意を無駄にしたいわけではない。それでも私は、ここを離れなくてはいけない。この官舎は、海軍の施設は、あの子が居てはいけない場所なのだから。

 自動車の周りを確認する。積み込むべき小物は車に積み込んだ、大荷物は全て引っ越し業者が運んでくれた。もはやここには、何も残されていない。

 

「なんや、加賀。逃げるつもりか」

 

 そんな私を引き留めたのは、一つの声。振り返るとそこには、小さな影。

 

「……龍驤さん。お世話になりました」

「えーよえーよ、感謝されるようなことは何もしとらんからね」

 

 そう言いながら、彼女は私の方へと詰め寄ってくる。ずいと顔を突き出した彼女は、私に向けて「せやけどな加賀」と告げる。

 

「子供は親を選べんよ。そこんとこ、よーく考えた上での結論なんやろな?」

「当たり前です……あの子は、艦娘になるべきではないのですから」

 

 この場所はあまりに戦争に近すぎる。近すぎて自由がない。周りの商店は軍人割引なんて制度を設け、あの子が通っていた小学校の同級生にも軍人の子供が何人もいる。こんな軍隊と防衛産業で成り立った街で育ち続ければ、彼女は軍人になってしまう。

 

「そうやない。()()()()()()のはどうかて言うとるんよ」

 

 そして龍驤さんは、それが私の押しつけでしかないだろうと言いたいのだろう。端から見ればそうなのかもしれない。だけれどこれは、どうしても譲れない点なのだ。

 

「親が選んでいる訳ではありませんよ。あの子の選択肢を、狭めたくないんです」

「じゃあ、あの子が艦娘を選んだらどうするんや」

「……」

 

 あの子が艦娘を選んだら? その質問に、私は答えることが出来ない。きっと龍驤さんは、私が答えられないと知ってそんなことを聞いているのだろう。

 

「それは仮定の話でしょう」

「せやな。けどその単なる仮定が現実味を帯びたから、自分(キミ)は逃げるんやないのか」

「違いますよ」

 

 そんなこと考えたくもない。私たちが血を流して守っている平和。そこからわざわざ出て、あの戦場にあの子が行くというのか?

 

「おかあさーん。おまたせー!」

 

 大きな声を上げて、あの子が戻ってくる。時間切れやなと呟いた龍驤さん。

 

「…………せます」

「ん?」

 

 その言葉は、小さくて。

 だけれど確かな重みを持っていて。

 

「あの子が艦娘になる前に、戦争を終わらせます」

 

 私にとって、なによりも大切な誓いになったのだ。

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 そろそろ本気を出し始めた太陽が、食卓の足下まで迫ってきていた。

 室内の温度が上がることを思えばカーテンで遮光すべきなのかもしれないが、フローリングに反射したそれは室内を照らす自然の照明にもなる。

 

『今日はさわやかなに晴れるでしょう。お出かけにはぴったりの一日ですね』

 

 テレビのニュースは休日仕様。ニュースキャスターがお元気でと脳天気に告げる。

 視聴者の眼を涼ませるための渓流が映し出されれば、スピーカーからせせらぎの音。

 

「お出かけにはぴったり……そうね、確かにそう」

 

 そう独りごちれば、手元に置いた端末が瞬く。そこに表示された名前から緊急性はないと判断し、画面を閉じる。今日は休日、少なくとも数日前まではその予定だった。

 戦争に休みはないが、軍人に休みはある。護衛艦や航空機ですら燃料を補給せずに動くことは出来ないし、人間ともなれば休養を取らねば始まらない。書類上の定数を見て国防軍は本当に人手不足なのかと疑問を呈する人間もいるが、それは休養という概念を見落としているだけのことに過ぎないというのに。

 そんな憂鬱な思考を遮ったのは、一つの聞き慣れた声だった。

 

「お母さん。おはよぅ」

 

 まだ眠りの国に片足を突っ込んでいるのか、どこか呂律の回らない調子。

 私は首をくるりと渡して彼女の姿を見る。無防備なパジャマ姿で現れた彼女は、私の姿を見て首を傾げた。確かに、休日にシャツを着込んでいる人間はなかなか居ない。

 

「あれ……お母さん今日お仕事?」

「ええ、お仕事よ。朝ご飯出しておくから、歯を磨いてきなさい」

「はぁい」

 

 それだけ言って踵を返していく彼女。私は六枚切りの食パンをもう二枚トースターに押し込むと、食器棚から平皿を取り出す。冷蔵庫からマーガリンと牛乳を取り出せば、とりあえずひとしきりの準備は整った。時間があれば目玉焼きでも作るところだが、残念ながらそこまで時間の余裕はなかった。

 

「……」

 

 ふと、手が止まる。私はこうして、あと何回朝食の準備が出来るのだろう。

 彼女もついに高校生となった。もしも地方の大学へと進学するならあと三年、ここから通える大学に行ったとしても卒業すれば就職が控えている。子供は二十歳(はたち)にもなれば巣立ってしまうもので……いやそもそも、本当は私がこうして朝食の支度をする必要もないのだろう。夕食まで立派に作ってみせる彼女に対して私が出来ることは、もはや住居と金銭的な安定、そして安全だけだった。

 

「駄目ね、こんなことばかり考えては」

 

 私自身、まだ覚醒しきっていないのだろう。何もしないでいるとつい思考が負の方向へと引きずり込まれてしまう。手元の新聞を引き寄せて、椅子に座ってそれを開く。

 朝のニュース番組同様、さして重要なことは並ばない一面。そこに紛れていたのは、の再建計画についての見出しが目につく。そこに書かれたのは見慣れた企業名。

 

『帝産HD、艤装事業を譲渡へ』

 

 帝産HD……ここ数年業績の落ち込んでいた帝国産業ホールディングスが艦娘の艤装事業を譲渡するらしい。結局目に付くのは安全保障関連(じぶんのしごと)の記事ばかりか。我ながら仕事馬鹿だと呆れるが、重要なことには違いないから記事を追い掛ける。譲渡先の企業はPHIグループのプレアデス・エアクラフト。

 

「『最大規模を誇る無人航空機(ドローン)メーカーの元、帝国艤装は艦娘向け艦載機製造部門としての再出発を図ることになる』……艦載機だけに注力、艤装生産は打ち切りって訳ね」

 

 そんなものを読んでしまえば、自然と新聞紙を握る手に力が入るというもの。

 防衛産業というのは結論から言えば「儲からない」産業である。利潤追求を第一とするはずの企業が防衛産業という事業を続けてくれるのは、ひとえにそれが国益に適うと思ってくれているから。そんな防衛産業を他社に譲渡するということは、すなわち。

 

「不味いわね。帝産は倒産するかもしれない」

 

 表に出さないよう心の中だけで呟けば、その予見が胸に反響する。艤装や国内向け製品へと事業を切り替えることで踏みとどまっていた帝国産業もここまでか。

 と、ふと別の記憶が思考の水面へと浮かび上がってくる。そういえば帝産グループの艤装事業で、最近大失敗した新型艤装があった。鳴り物入りでロールアウトしたその新型の評価はあまりに悪く、なぜこんなものを開発したとすら言われる始末。

 当然開発費は回収できていないだろうから、この際いっそのこと艤装産業を斬り捨てることにしたのではないだろうか。

 

「……いえ、この際どちらでも変わらないわね」

 

 重要なのは、帝産グループが艤装事業から撤退することである。国内で艤装生産を担う企業は僅かに七社、帝産の事業規模が小さい方だが、業界への影響が出ることは避けられない。そんなことを考えながら紙面を捲っていると、彼女がのそりと戻ってくる。

 

「お母さん。歯、磨いてきたよぉ」

「顔は洗った?」

「うん」

 

 まだ眠いのか、緩慢な動きで席に着く彼女。私は新聞を畳んで、それから席についた彼女をもう一度みた。いただきますと小声で言いながら食べ始める。

 

「ところで、今日はずいぶんと早起きなのね」

「え……そんなことないと思うけれど」

 

 そう言いながらパンをかじる彼女。訝しげなその眼が何か疑っているのかと私に問うてくる。別にそんなつもりで言ったわけではないのだけれど。

 

「いえ、いいのよ。誰かと約束しているんでしょう?」

「……まあ、うん。なんでわかったの?」

 

 私に言い当てられたのが納得いかないのか、曖昧な返事を返す彼女。

 

「だって、いつもならまだ寝ている時間でしょう?」

 

 簡単な推量である。普段の彼女が早起きをする時は必ず理由がある。それは部活動の朝練であったり、学校行事の都合であったり。今日、部活動があるとは聞いていない。

 

「そっか……ねえ。お母さん」

「なに?」

 

 何か言いたいことがあるのだろうか。視線をやった私に、相手は首を振る。

 

「ううん。やっぱりなんでもない」

「……そう」

 

 昔は、もっと素直に色々話してくれたのに……なんて、言ってはいけないことなのだろう。彼女はすっかり大きくなった。学校にいけば友達がいるし、親に何でもかんでも報告したり聞いたりする時期でないことは理解しているつもりだ。

 

「出掛けるなら、お昼ご飯はいらない? 晩ご飯は?」

「えーと、晩ご飯は食べるかな。今日は何時?」

 

 その「夕食時間がずれる前提」の質問が少し胸に刺さる。

 もちろん当人に悪気はないのだろう。彼女にとってしてみれば夕食時間がずれるのは当然のこと。仕事が毎日定時で終わるわけではないから仕方のないことではあるのだけれど。時間がずれてしまうのは健康的とは言えない。

 その点、官舎に居た頃の生活は極めて規則的だったことだろう。決まった時間に起きて決まった時間に寝る。赤城さんと二人で協力すれば、食事も決まった時間に用意することが出来ていた。だけれど一人となってしまっては、それは難しい。 

 

「七時には用意出来るわ。今日は応援に呼ばれただけだから、残業はないはずよ」

「はーい。じゃあそれまでに帰ります」

 

 それからバターナイフを手に取ってマーガリンを塗り始める彼女。この子が私の被保護者であることは疑いようがなく、それを否定するものもいないだろう。

 それでも、ふとしたとき。今のような僅かな会話の隙間に感情は滑り込んでくる。

 

 この子は、私の()()()()()()()()()

 

 私は艦娘だ。特務神祇官たる国防軍人と定義される艦娘は、今のこの国を支える大黒柱。艦娘によってこの国は護られている。この国の国土が、国民の安全、安定した食料と燃料の供給、それらが達成されることで初めて経済活動に「安心」が与えられる。

 それこそが国防の意義、誰もが未来を見据えて歩んでいける日々を守ること。

 

『じゃあ加賀さんは、自分の命令であの子を殺すことが出来るのね?』

 

 ――――そして、そんな未来から真っ先に弾き出されるのが艦娘だ。

 艦娘は命を削って戦う。結婚適齢期は現役艦娘の絶頂期と見事に重なる。私のように未婚の艦娘は少なくないし、大抵の艦娘にとって出産と退役は等号(イコール)で結ばれている。

 

「ねえ、あなたは……」

 

 艦娘になりたいの? なんて、どの口が言えるのだろう。

 

「……お母さん? どうしたの?」

「なんでもないわ。少し仕事に行きたくないだけ」

「せっかくの日曜日だもんねー」

 

 私の内心を知らない彼女は、私の言葉を鵜呑みに……鵜呑みしたことに()()()()()

 この子が艦娘になりたがっていることを私は知っている。そして彼女も、多分私が艦娘という進路に反対していることを知っている。そして恐らくは、その理由も。

 この子は私の子ではない。この子の本当の親は、ずっと昔、もう一五年も昔に死んでしまった。日本から遙か遠く離れた南の島で、誰からも顧みられることなく。

 いつまで隠し通せるだろうかなんて考えることは随分昔にやめた。彼女はとっくに気付いているのだろう。職務上旧姓を残していると説明(いいわけ)したところで母娘(おやこ)の苗字が違うのは妙な話であるし、顔つきだってそんなに似ていない。

 そんな歪みを抱え込んで、この平穏な朝食風景は維持されているのだ。

 お互いが口にしないことで、どうにか秩序が保たれているのだ。多分それは、これからどんなことがあっても破られることはないだろう。

 そんな事情に直結しているからこそ、二人ともこの話には触れない。触れられない。

 

「さて。そろそろ行かないと」

 

 私は立ち上がる。私がこの家にどんな事情を抱えていようと、公務員(かんむす)である以上は仕事は容赦なく降りかかってくる。

 

「うん。お仕事がんばってね、お母さん」

「鍵、ちゃんと閉めてから出かけるのよ」

 

 はーいと返す彼女の声を聞きながら、私は部屋へととって返す。クローゼットにかけられた鞄を取り、ハンガーに吊された上着を着てしまえばあっという間に海軍軍人の完成だ。腕に縫い付けられた金の刺繍は、3等海佐という私の階級を示している。

 

「いってきます」

「いってらっしゃい!」

 

 玄関を閉める。鍵を閉める。

 これでもう彼女の姿は見えない。私が見ないあの子はどんな表情をしているのだろう。私の知らない友人と約束をして、どこに遊びに行くのだろう。

 

「ごめんなさいね。どこかに遊びに連れて行ってあげられればいいのに」

 

 思えば、最近は忙しいのだと言い訳して、あの子に何もしてあげられていない。

 私の友人は私に母親としての愛情が足りないなどと説きたがるが、それは概ね事実だろう。どんなに文明が発展しても親子という関係が消えないのは子供に自身を養うほどの力がないから。家庭(かぞく)というのは子供が巣立つまでを支える揺り籠であり、彼女に衣食住を提供できる私は保護者としての役目を果たすことが出来ている。

 では、母親としての役目は果たせているのだろうか。

 とはいえ、私が為すべき事は単純だ。あの子を経済的に支える。そしてあの子の安全を確保する。その両方を確立するための手段として、私は艦娘として戦い続ける。

 



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第66話 たいあらずもけいこくみゆ

 とはいえ、私が為すべき事は単純だ。あの子を経済的に支える。そしてあの子の安全を確保する。その両方を確立するための手段として、私は艦娘として戦い続ける。

 とにかく、そうしていくしかないのである。そんなことを思いながら駅に向かおうとしたとき、私の目の前に見知った顔が立ちはだかった。

 

「おはようございます」

 

 それは軍隊式の洗練された敬礼。知るヒトが見ればすぐに分かる特務神祇官(かんむす)むけの装束。端正な顔立ちに私の髪型を真似たというサイドテールが華を添える。

 駆逐艦「萩風」の艤装を預かる艦娘が、そこには居た。

 

「……いつからここに?」

「五分ほど前です」

 

 彼女は私の補佐役。艦娘によって構成される護衛隊(ユニツト)の指揮官を支える部下。

 

「出迎えを命じた覚えはないわよ。第一、私と入れ違いになるとは思わなかったの?」

「今日、司令は十時頃に基地に立ち寄ると仰いました。今日は休日ダイヤなので列車の本数は限られますから、司令がご自宅を出る時間を予測することは可能です」

 

 敬礼を崩さぬままに続ける萩風。本気で言っているのか。はたまた私の追求を躱すために話を逸らしているのか。後者であればお互いにとって幸いなのだけれど。彼女の性格を考えると本気で言っているに違いなかった。

 

「萩風。私は伝えましたよね、不必要な時間外労働は避けるようにと」

「はい」

 

 国家公務員は優秀な人材を集めるための動機付け(インセンティブ)に労働待遇を掲げている。完全週休二日、もちろん残業代は全額支給。もちろん国防軍人ともなると週休二日に関してはその限りではないが、一般企業同様に非番(やすみ)というものは存在するわけで。

 

「今日、あなたは非番でしたね。つまり私の送迎を行うことは休日出勤になります」

「ご心配には及びません。手当を頂こうとは考えていませんから」

 

 それだから問題なのだとは彼女は考えないのだろうか。確かに、休日をすり減らして職務に励むことは美徳と思われがちだ。しかしそれは、結果として疲労による業務能率の低下を招くだけ。十何年と続く戦争を曲がりなりにも耐え抜いているのは、国防軍が軍人たちをしっかりと休養させているからこそなのだ。

 

「ともかく、今日分の手当は出しておくわ。ご苦労様」

 

 終わってしまったことは仕方がない。私は部下にキチンと礼を告げると、駅に向かって歩き出す。しかし向こうもただでは引き下がらない。

 

「お言葉ですが司令。入間基地へ公共交通機関を用いて向かうのはあまりに非効率です。それに車内であれば司令の仰っていた資料にも眼を通すことが出来ます」

「資料?」

「はい。昨晩司令が用意するようと仰った資料を持ってきました」

 

 その言葉に、ようやく私は彼女がなにをしたかったのか理解する。

 

「資料は、昨日のうちに纏めてデスクに入れておくよう言わなかった?」

「当直任務が忙しくて、昨日のうちに終わらなかったんです。それなら、このまま届けてしまった方が手っ取り早いかと思いまして」

「終わらなかった……そう、それは悪いことをしたわね」

 

 つまり、仕事が多すぎて処理しきることが出来なかったということ。やはり人数を増してお願いするべきだったかと後悔が湧き上がるが、違いますと萩風は否定する。

 

「帝国産業HDの事業譲渡の件を調べていたんです。事業譲渡の詳細や関連記事について調べていたら、少々時間が押してしまい……それでしたら、直接お届けするついでに司令を入間までお送りしようと思いまして」

「……」

 

 萩風自身としては、これは恐らく善意によるものなのだろう。

 

「それならそうで、先に迎えに行くと言って欲しかったですね」

「申し訳ありません。一応、お電話は差し上げたのですが……」

「あぁ、ごめんなさい。それは悪いことをしたわね」

「いえ。司令がご家族との時間を大切にされていることは存じておりますので!」

 

 それは何かの皮肉だろうか。いや、恐らくは単純に事実を述べているだけなのだろう。私は後ろを少し見やって、先ほど出てきたばかりの我が家を視界に収める。窓にはカーテンが掛かっているし、あの部屋は居間ではない。

 

「資料はダッシュボードに入っています。今お取りしますので……」

「いいわよ、今日は助手席に座るから」

 

 駆け出そうとした萩風を制して、私は路肩に止められた自動車へと向かう。ハザードランプが一瞬点灯して、持ち主たちを出迎える準備を知らせてきた。

 私が助手席に身体を収めると、萩風は回り込む形で運転席へと乗り込んでいく。彼女が電源ボタンを押し込めば、起動音と共に軽快な自動車の鼓動が聞こえてくる。

 

「あの司令、何かご不満でしたか?」

「なに。私が鉄皮面だって言いたいの?」

「あ、いえ……そういう訳では」

 

 きっと彼女は、尊敬する司令官だという私が快適に効率よく公務をこなせるように気を遣ってくれているのだろう。とはいえ、無理をされてはお互いのためにならない。

 

「別に。いつも車を回してくれる必要はないのよ」

「必要経費です。司令には普段から公用車で出勤して欲しいくらいなんですから」

 

 護衛隊を率いる司令官。それは3等海佐に過ぎない私に公用車が割り当てられる理由。確かに司令職の待遇としては妥当なのかもしれない。

 

 しかし、艦娘によって編成される護衛隊の司令とはそんなに偉いものなのだろうか。

 確かに艤装は小型艇の扱いを受け、結果として大きな部隊に見えるのは分かる。しかし一人乗りの艦艇が十何隻いても部下の数は僅かに十数人。同様の規模を持つ部隊が無数に太平洋に散らばっていると考えれると、私の待遇は恐らく過剰だった。

 

「油の一滴は血の一滴。電気自動車といっても、発電所を動かす燃料は海外からの輸入でまかなわれているのよ?」

 

 日本は経済大国ではあるが、資源大国ではない。明治維新の頃などは豊富な鉄鉱石と石炭に支えられたこの国だが、いまや資源はレアメタルに石油天然ガス。肝心の石炭も安価な海外産に支えられている始末である。

 だからこそ資源は節約して当然。しかし、彼女は聞く耳を持たない。

 

「一滴()()の油で司令の命が守れるのなら、安い買い物です」

 

 公用車を買うのにどれほどの税金が、車を動かす原油を輸入するのにどれほどの弾薬と人的資源(いのち)が使われているのかを知って彼女はそんなことを言う。

 

「司令には、艦娘派の重鎮である自覚を持って頂かないと」

「重鎮? 私はそんなのじゃないわよ」

「司令がどう思われようと、そう考える方は多いという話をしているのです。まして司令は護衛隊司令。もしものことがあれば責を受けるのは補佐の私です」

 

 命に優先順位があるですと彼女は説く。もちろんそんなことは分かっている。けれど萩風のそれは指揮系統の保持ではなく、単なる特別扱いだと私は考えていた。

 

「まあともかく、送迎は舞風にもやらせなさい。働きづめでは身体が持たないわ」

「では司令もお休み下さい。そうすれば私も休みます」

「……資料、見させて貰うわね」

 

 これ以上話をするのも不毛なので、私はダッシュボードの中から資料を取り出す。プラスチック製の硬いバインダーには丸っこい文字で書かれた「資料」の二文字。

 本当なら全て自力で集めたいところなのだが、生憎一昨日は会議で昨日も会議。隙間時間に出撃や演習をこなすとなれば職務外の文書なんて確認する時間はない。

 だからこそこうして萩風に情報をまとめて貰っている。彼女は色々難のある艦娘だが、事務能力に関しては信頼が置ける。事実、資料は分かりやすくまとめられていた。

 

「相変わらず良く調べてるわね。でも、新聞記事まで調べなくてもいいのよ?」

「艦娘母艦の件には世論も深く関わると仰っていたので、関連記事も添付しておくべきと判断したまでです。必要でしたら週刊誌も調べましょうか?」

 

 さも当たり前のように言う萩風。そんな重箱の隅をつつくような記事まで調べていては時間内に情報収集が終わるはずもない。手を尽くして貰っている手前、悪いようには言えないけれど……時間内に終わらないなら終わらないと伝えて欲しいもの。

 ともかく、今後は増員で対処することにする。

 

「萩風、次からは舞風にも手伝わせるように。あの子に資料作りを教えてあげて」

「え……はい、わかりました」

 

 萩風の立ち位置である「補佐」という仕事は極めて裾野の広い役職だ。上司の裁量で仕事量は大きく変わり、仕事の内容も書類作りから下手をすれば参謀のまねごとをすることにもなりかねない。特に艦娘というどうしても部隊の人数が少なくなりがちな兵科では、部隊長の補佐役が実質的な幕僚となっているケースは珍しくない。

 

「一緒くたにしてしまったので分かりにくいですが、八年前に幼年学校の入学基準が変わっています。なので幼年学校の項目は倍率ではなく入学者数で見てください」

「この、一番下にある千人あたり入学者数はどこから?」

「国勢調査の数字を引用しています」

 

 どこかの会合や、なんなら正式な会議でも資料として用いることを想定しているのだろう。資料のページを捲る度に作り込まれていることを感じさせられる。

 

「これ、今度の会合に持っていってもいいかしら。資料として使いたいわ」

「もちろんです! これで司令のお役に立てましたかね?」

 

 キラキラした目でこちらを見てくる萩風。彼女の心意気は買ってやりたいが、資料作成にどれほどの時間をかけたのかと考えると不安にもなる。

 

「……確認のために聞いておくけれど。この作業、どのくらいかかったの?」

「お金が欲しくてやったわけではありませんので、ゼロ時間とお答えしておきます」

 

 突っぱねるように言う彼女。それでは彼女の努力を奪う格好になってしまう。

 

「私は『この資料を買いたい』と言ってるの。少なくない時間をかけたのは分かるわ。この資料を私が会合で見せて、正規の会議に使われることになれば作成者に対価を払うのが当然でしょう? ましてやこれは私の個人的な研究でもあるんだから」

 

 個人的な研究、か。自分で言っていてなかなかに詭弁だと思う。それなら私が萩風に命令を出す理由はない。もちろん、深海棲艦を倒すために国勢調査を調べるという話に合理性があるのであればその限りではないが……それは前線部隊の仕事ではなかった。

 それなのに、萩風は明るい声で言う。

 

「いいんですよ。私に出来ることはこれぐらいしかありませんし。それに……」

 

 そこで言葉を一旦区切る萩風。何かと萩風を見た私に視線を合わせると、一言。

 

「私は『加賀派』ですから。司令のお手伝いをするのは当然です」

「……加賀派、ね。勝手に祭り上げられる艦名(ぐんかん)も大変ね」

 

 あくまで他人事のように言う私に、では本名(なまえ)でお呼びしますかと萩風。そういう話ではないのだけれど。私は黙って目の前の赤信号へと視線を注ぐ。

 派閥だなんて、面倒極まりない存在である。

 派閥というのは、人間関係の繋がりによって構成される人の集まりのことを言う。基本的には職場の同僚や年の近い同期など、緩やかな横の関係で形作られることが多い。

 

「私、司令の下で働けて嬉しいです。なにせ司令はミクロネシアの英雄ですから」

 

 とはいえ、派閥にも上下関係は存在する。今のように嬉々として語る萩風が私を慕う。そうすれば萩風は私の下に付く形となる。華々しい戦果を挙げただとか、人格的に優れているだとか、そのようなよく分からない理由で勝手に上下関係が形作られ、派閥はその規模を広がるほどに組織化されていく。そして艦娘派と呼ばれる巨大な派閥の中で、私が勝手に持ち上げられて重鎮扱いされているのもまた事実だった。

 信号が青に変わる。萩風は車体を前に出しつつ、私に聞いてきた。

 

「ところで司令は、帝産グループの艦娘事業撤退をどうお考えですか?」

「なんとも思わないわよ。どうして?」

「司令の意向を確認して欲しいとメールが来ていまして」

 

 なるほど。本人に確認するのは避けて、()()のポジションに収まっている萩風から情報だけは得ておこうという算段らしい。しかしそれを私に伝えてもいいのだろうか。

 

「そういう質問は私に直接言わずに、それとなく確認するものよ」

「さっき言いましたよね。私は『加賀派』なんです。『艦娘派』じゃありません」

 

 その微妙なグラデーション。白と黒で別けられない曖昧さも派閥の特徴。

 私の立場――艦娘の増員と装備の拡充を訴えていること――を考えれば、私は間違いなく「艦娘派」に分類されるのだろう。萩風に言わせれば私はその中で「加賀派」と呼ばれる小派閥を構成する核になるらしい。他にどんな小派閥があるかは興味もないが、他の小派閥が私の意向を知りたがっているというのが萩風の話であった。

 

「まあ、帝産はよく持ちこたえた方だと思うわ。経営再建にむけた()()()のために、国防に深く関わる艦娘部門を切り離しておくのは正解だと思うけれど」

「その艦娘部門が、PHIに吸収されることについてはどう思います?」

 

 やはり来たか。その問いを、彼女が私から聞き出したがっていることは添付資料をみた時から察しはついていた。資料の最後に付け加えられた帝産の事業譲渡を伝えるネット記事。帝国産業がここ数年で納入した艦娘関連の装備品リスト。そして、帝国産業の艦娘事業にトドメをさした、ある艤装の概要と開発経緯をまとめたメモ。

 

「あなたが聞きたいのは〈秋津洲〉の話よね」

「はい。帝産が開発した〈秋津洲〉の艤装は艦娘母艦計画へのキー技術だった筈です。艦娘母艦絡みで発注がかかれば、帝産グループは事業から手を引かずに済むはずです」

「ええ。その可能性はあるわね」

 

 帝産グループが開発し、いざ現場に投入されると酷評に晒された〈秋津洲〉。それは長大な航続力と防御力を備える大型無人飛行艇(ドローン)の運用に特化した特殊な艤装だった。

 

「あの水上機運用能力を使って艦娘母艦と本土の通信網を構築する……このタイミングでPHIが利益のない事業譲渡を受け入れたのって、帝産グループの艦載機部門と艤装部門を引き剥がすためなんじゃないですか?」

 

 萩風の言わんとすることは分かる。〈秋津洲〉の真価は深海棲艦の支配海域における高い通信能力だ。どんなに攻撃力のある兵器でも通信を阻害されては戦えない。

 だからこそ〈秋津洲〉は艤装と飛行艇、そして艦娘母艦がセットになって真価を発揮するというのが艦娘派の意見。にも関わらず事業委譲されるのは飛行艇(かんさいき)だけ。

 

「PHIには既に艤装事業があるから買収しなかった、という見方も出来るわよ」

「でも、これは絶対おかしいですよ。PHIは艦娘母艦を潰そうとしてるんです」

 

 萩風の台詞は予想通り。恐らく艦娘派の多くは同じ事を考えるに違いない。

 

「PHIは帝産グループの再建計画に口を出せる立場にないわよ」

 

 ただ、それは大きな勘違いと言わざるを得ない。確かに航空機・艦娘艤装を手がけるPHIグループは防衛産業や国防に関わる者にとっては巨大かもしれない。

 しかしその実態は防衛産業に特化した軍需企業に過ぎない。三大重工に数えられる訳でもないし、政治的な力も大きいかと言われると微妙なところだった。

 

「それなら、経産省とかが裏で手を回してるんじゃないですか? 政権だって……」

「萩風。『誰のせいか』も大切だけれど……艦娘母艦を完成させるために私たちが議論するべきなのは『これからどうするか』ではないのかしら?」

 

 それに、私個人としては〈秋津洲〉の件はさしたる問題ではない。深海棲艦による通信妨害に対抗するために〈秋津洲〉艤装が必要とはいうが、通信自体は艦載機(ドローン)があれば確立出来るので絶対に必要な技術ではない。それ以前に、艦娘母艦は敵を殲滅するために突入する艦艇である。強力な戦力で戦局を一気に変える艦艇であれば、通信の確保は他部隊に任せることも出来るはずなのだ。

 

「私としては、そんな些末なことに拘るつもりはないわ。このまま艦娘母艦は建造すればいい。帝産の再建は防衛産業にとって最小限のダメージで済む。それだけよ」

 

 私はそう言い切る。萩風が何を考えているか、その横顔からでは読み取れなかった。

 

「……それではこれから入間基地に向かいます。今日の道路状況ですと予定より二時間以上早く着くことになりますが、よろしいですね?」

 

 極めて事務的に告げる部下の言葉を聞きながら、私は資料に眼を落とすのだった。



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第67話 なかばにてどうしのふあん

「なんや、重役出勤かいな。ケイちゃんもすっかり偉くなったもんやなぁ」

 

 そんな軽口を放てるのは彼女くらいのものだろう。隣に控えた萩風が冷気を放つのを感じつつ、予定が繰り上げになりましてと短く返す。

 まさか目の前の彼女だって、私が午後から入る予定だったことくらいは把握している筈だ。本当なら私は基地の机で部下の作った資料を読んでいる頃だったろうし、部下が車を回さなければ電車で来るつもりだったのだから到着時間が早くなるのが当たり前。

 

「むしろ早く着いたといいますか、早すぎたといいますか」

「つまり五分前行動どころか三時間前行動ってわけやな。殊勝な心がけなやなぁ」

 

 ウチ感心したでぇなんて言葉と共に、ふわりと白い紙切れが私の後頭部にぶつかる。

 

「司令、頭に紙きれが付いてますよ」

 

 そう言いながら紙切れに手を伸ばす萩風。しかし紙は彼女の手からするりと抜けて飛び上がる。掴まえようとする彼女を弄ぶように、それはふらりふらりと宙を舞った。

 

「ハハ! 相変わらずケイちゃんの部下は犬ころみたいで可愛えなぁ!」

「犬こっ……」

 

 私は隣で今にも噴き上がりそうな、いや既に噴き上がってしまった萩風を抑える。彼女の肩を掴んで一八〇度回頭、数歩進んで小声で話しかける。

 

「落ち着きなさい。あの人にとって私たちは子供みたいなものなのよ」

「私たちが子供って、あの人私よりもちんちくりんじゃないですか」

「そうじゃないの。彼女の記念章ちゃんと見た?」

 

 軍人というのは階級社会だが、しかし階級と同等に戦功を重んじる社会でもある。

 彼女の胸に飾られた防衛記念章の数々は海外派兵や前線での華々しい活躍を、勤続二五年を示す記念章は彼女が四半世紀をこの国に捧げたことを証明していた。

 

「……」

「そうでなくても技能徽章の数を見てみなさい、レンジャー甲と水上空挺の両持ちなんて龍驤さんくらいのものよ? かつては最精鋭と呼ばれる陸上自衛隊第一空挺団に所属、米国での合同演習への参加経験を持ち女性自衛官としては格闘戦で右に出る者ナシ、もちろん武道は有段者。深海棲艦が現れてからは海上自衛隊に移籍して、設立直後の第6護衛隊群では群唯一の空母艦娘として……」

「あー、ちょっとケイちゃん! 聞こえとる、全部聞こえとるからぁ!」

 

 恥ずかしいから勘弁したってや、そんな事を言うのは龍驤さん。もちろん彼女が周囲に浮かぶ紙切れ……式神でこちらの会話を聞いているのは知っている。というか、聞かれていることが分かっているから言ったのだ。私は振り向くと冷静にトドメの一言。

 

「事実を申し上げているだけです」

「いやな? そうかもしれんけれどな? そんなポンポン言われると、顔が熱くなってしょうがないわぁ」

「これに免じて、どうかちんちくりんの件はお許しください」

 

 その言葉に、分かっとるよとウインクで返す龍驤さん。勤続二五年から年齢を計算した萩風は微妙な表情だろうが、私がこれだけ言葉を尽くして龍驤さんをおだてたのだ。さすがに自分が何をやってしまったかは分かることだろう。一方の龍驤さんはというと、やれやれとばかりに頭を掻く。

 

「まったく、ケイちゃんの部下想いには分からんものがあるわぁ……」

「部下を守るのは上司の責務であるのだから当然のことです」

「司令……」

 

 眼を輝かせる萩風。そんな眼をされてしまっては、こちらの心境は複雑というもの。

 なにせ、私が部下を守るのは、いざという時、彼女たちに死ねと命じるから。だからこれは、その時に死んでくれるように信頼を得るための手段でしかないのだ。

 もちろんそんな事は言えないし、向こうも半分以上は分かっていることだろう。

 

「それで龍驤さん。調子はどうですか?」

「ん?」

 

 まるでもう一言欲しいとばかりに耳を差し出してくる龍驤さん。幹部昇格していない彼女だが、私にとっては空母の大先輩であるし、先ほど褒めちぎったのだって本心で尊敬しているからこそ出来たこと。彼女の求める言葉を私は探す。

 

「……ええとつまり、もうかりまっか? ということです」

「ぼちぼちでんな……って、言いたいところなんやけどな」

 

 そう言いながらくるりと後ろを振り向く龍驤さん。

 

「……ま、見ての通りや。開場から今まで、ずっと閑古鳥が鳴いとるよ」

 

 そう返した彼女の言葉通り、海軍の出したブースは閑散としていた。

 

「まあ、無理もないわなぁ。なんせ空軍(あちら)さんはイーグルにライトニング、無人機もぎょうさん集めて展示してるわけやし……まあ主役やからな」

 

 そう龍驤さんは笑う。彼女の言うとおり、ここは海軍の基地ではない。

 入間基地。関東の内陸部に位置するその基地は、巨大な滑走路を備える国防空軍の一大拠点。中部航空方面隊を支える後方拠点であり、司令部も設置されている。もちろんそんな場所で基地公開を行うとなれば、主役が空軍となるのは当然のことだ。

 

「まあ。誰も来ないと見込んだから上層部(おかみ)も艤装装着体験なんてまだるっこしいこと、やろうと思ったんやろうけどな。ここまで誰も来ないとは思わなかったわ」

 

 そうぼやきながら椅子に腰掛ける龍驤さん。それから後ろを見ると、一言。

 

(あん)ちゃんもごめんやで。せっかくこんな所まで来たのに暇でしょうがないやろ」

「いえ、そんなことは」

 

 その言葉に応じたのはテントの日陰に控えていた作業着姿。軍人ではなさそうだ。

 

「おーそうや。ケイちゃん達には兄ちゃんのことを紹介してなかったな。兄ちゃんはプレアデス重工さん所の秋葉さんや」

「プレアデス……」

 

 言葉尻に怒りを隠さない萩風。彼女に言わせればプレアデス重工(PHI)は帝産から艦娘事業を譲渡される(うばつた)張本人、要するに艦娘派の(かたき)である。

 もちろん、そのような事情で恨まれたとして現場の人間は関係ないだろう。作業着姿は気にしない風でこちらに進み出ると、ぺこりと頭を下げた。

 

「PHIオーシャンテックの秋葉です。本日はよろしくお願いします」

「今回の艤装体験に使う艤装を貸してくれはった上に、調整やら回収まで全部やってくれるんやと。ホンマ楽で助かるわぁ」

 

 オーシャンテックはグループの中でも艦娘艤装の製造整備を専門にする子会社。となるとこの秋葉という人物は艤装に携わる技術者(エンジニア)といったところだろう。

 よろしくお願いしますと挨拶を交わして、私は龍驤さんに向き直る。

 

「ところで、午前の現場責任者は片桐2佐でしたよね。どちらに?」

「ん? あぁ、アオイちゃんな。アレなら『一服いってきます』とか言って消えたで」

 

 間違いなくサボりやな。と龍驤さんは笑う。仮にも2等海佐相手を名前呼び……いや、そんなことを言い始めると私も一応階級上は3等海佐でこの人より上なのだが。ともかく階級などに囚われないのが龍驤さんの良いところであり悪いところであった。

 

「そうですか。引き継ぎはどうしましょう?」

 

 気にしないフリで続ける私に、意地の悪そうな笑みを浮かべる龍驤さん。

 

「せやなぁ……特記事項ナシで終わりでええよ。どうせ、ケイちゃんはアオイちゃんに会いたくないやろうし」

「そんなことは」

「ないとは言わせないで?」

 

 軽い調子で、しかしぴしりと言い放つ龍驤さん。

 

「ま。火事と喧嘩が江戸っ子の取り柄やとは聞いとるし、ええんとちゃうか?」

「私も片桐2佐も江戸っ子ではないのですが……」

 

 とはいえ、龍驤さんの言わんとすることは分かっているつもりだ。

 なにせ、片桐2佐と私は艦娘母艦にまつわる対立の最前線にいる。私は艦娘母艦を推進する立場で、向こうはそれに反対する立場。ここ最近海軍内部で多いに盛り上がっている艦娘母艦に関する議論の熱は、今まさに絶頂を迎えていた。

 

「ウチも大変なんやでぇ? あっちから艦娘母艦は止めてくれ、こっちから艦娘母艦を是非に押してくれとかぎょーさん言われる。いやー、岡部の阿呆が『船越を火の海にするしかない』って言ったときは流石にハリセンで叩いたけどな?」

 

 はははと笑う龍驤さん。もちろん笑って済まされる話ではない。船越といえば自衛艦隊司令部や護衛艦隊司令部が置かれる町の名前で、そこは「艦隊派」の牙城、つまり「艦娘派」が最も敵視する派閥の居場所だった。

 そして笑いながらも、鋭く研ぎ澄まされたその目線が龍驤さんの感情を語っている。

 

「ま。これはオバチャンのお節介やと思て聞いてほしいんやけどな? あんな強引なやり方やと、要らん敵ばっかりつくることになるで? まずは……」

「待って下さい! ですが、艦娘母艦は絶対に必要です!」

 

 龍驤さんの言葉を遮ったのは萩風。制止する私の目線を振り切って彼女は続ける。

 

「艦娘母艦があれば、危機に陥った前線泊地の救援が素早く出来ます。今の体制では救援要請が出てから作戦が実施されるまでの時間が無駄すぎるんですよ」

 

 彼女は感情的だったが言葉は正しい。広い海域を守備する国防海軍はどうしても各地の戦力が手薄になりがちで、隣の泊地であっても簡単に救援は送れないのだ。

 

「今の救援には時間がかかりすぎます。作戦を司令部に承認して貰い護衛艦や航空機を集めるところから始めないといけませんし、寄せ集め戦力ともなれば作戦実行のために演習や会議を重ねることになります。こんなことでは救援が実施されるころには……」

「あー嬢ちゃん。いいたいことは分かるで」

 

 龍驤さんがそう萩風を宥める。国防海軍の抱える戦力の分散は問題で、だからこそその問題を解決する方法として艦娘母艦が提案された。

 艦娘母艦のコンセプトは動く総監部。幕僚部と実戦部隊を抱え。整備部門も搭載する。これで救援作戦、もしくは大規模攻勢作戦のスピーディな実施を可能とするのだ。

 

「でもな、それに反対する人達の気持ちも分かって欲しいんよ」

「何故ですか? 艦娘母艦に反対するのは、艦娘に護衛艦(フネ)を与えても持て余すだけだと勝手に思い込んでる人達じゃないですか。あの人達は後ろでふんぞり返るだけで……」

「だとしても。これは違うやろ」

 

 萩風の艦隊派批判が始まろうとしたとき、龍驤さんは短く言うと端末を持ち上げる。式神に託してふわりと飛んだソレは、私たちの前でぴたりと空中停止(ホバリング)。普段なら偉大な先輩の呪符使いに感嘆したいところだが、私は画面に釘付けになることになる。

 

「『横須賀総監! 神崎系列(グループ)との関係を明らかにし、仔細を明らかにせよ!』?」

 

 なんですか、これ。私の問いに、見ての通り怪文書やでと応じる龍驤さん。

 

「ウチはどうも艦娘派らしくてなぁ、よく回ってくるんよ」

 

 そう言う龍驤さんの言葉も耳に届かない。その内容に目を通すと、どうも横須賀総監が神崎グループと密会を重ねており、それは「艦娘母艦潰し」に関することだそう。

 

「もっと分かりやすいのもあるで」

 

 そう言いながら式神が器用に動いて画面をスクロール。今度はぐしゃぐしゃにされたA4プリント用紙を撮った写真。歪んでいて見づらいが『おっパブに入り浸る色欲魔!デカいんだから自分のを揉め!』と書かれていることは分かる。

 

「……これは?」

「今朝、哨戒艦隊司令部で拾ったもんや。誰にも見られんように丁寧にゴミ箱の底に埋めてな。アオイちゃんは詰めが甘いから、ウチがちゃんと燃やして処分したわ」

 

 要するに、これはアオイちゃん……片桐2佐を揶揄した張り紙ということ。

 

「萩風」

「はい」

「これはどういうこと?」

「……こんな誹謗中傷、私は誓ってしません」

「ええ、信じてるわ。それでこっちの記事は?」

「知っていました。でも、こっちは事実ですよね」

 

 萩風は真面目そのもの。私の顔が険しくなったのを見て、彼女は表情を硬くする。

 

「横須賀総監と神崎には間違いなく関係があります。この前の会議が横須賀総監に潰されたこと、その時持ち込まれた資料が神崎造船の資料だったこと。つまり横須賀総監は神崎と組んで艦娘派(わたしたち)を潰そうとしているって話ですよ?」

 

 あくまで強弁する萩風。この前の会議というのは、新型護衛艦の検討会議。あくまで艦娘母艦を採用しようとした造船部の意向に待ったをかけたのは、横須賀総監をはじめとする中立派の人間だった。それが神崎重工と関係に仕組まれたものだというのだ。

 

「違うやろ。ケイちゃんは分かるわな?」

 

 龍驤さんの視線が突き刺さる。言われなくとも記事が()()()であることは明らかだ。

 

「……横須賀総監の奥さんは、神崎重工子会社の役員でしたよね」

「その通りや。せやけどその会社の名前はK&Iセキュリティー。退役艦娘を受け入れている警備会社やで? 重工とはほとんどなーんの関係もありゃせんよ」

 

 要するに、この記事は神崎重工の外縁企業で役員を務めている総監の妻を「神崎系列重役」として扱い、彼と妻がレストランに行ったことを「密談」と呼ぶことで「横須賀総監が神崎系列重役と密談」という情報を作り出したのである。

 

「ですが。横須賀総監が神崎と共謀したのは間違いないですよ?」

「まだ分からんか嬢ちゃん。ありもしない陰謀をでっち上げて、挙げ句の果てに心ない言葉で同僚を傷つける……こんなセッコイ手を使っとると、お里が知れるで?」

 

 そう言ってるんや。龍驤さんが萩風を睨む。

 

「ウチだって艦娘母艦の建造には賛成や。せやけどこんな強引に事を推し進めて、まして要らん敵まで作ってどうするねん。ここで一番大切なのは調和やで?」

 

 ウチらは全員で国防軍なんやからな。そう言う彼女の視線が私の方へと伸びる。

 



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第68話 やばしのぐあまつのけいく

「ケイちゃんもそうや。てっぺんが引き締めんと、こういう輩が出てくる」

「……なぜそれを私に言うんです」

「冗談言うたらアカンよケイちゃん。皆して自分(キミ)のことを見てるんや、模範にされるし前例にもなる。キミの強引なやり方が、今の艦娘派を作ったんやないかって言うとる」

 

 またその話か。萩風も私に艦娘派重鎮としての自覚を持てなどと言う。私は所詮三等海佐、組織の中では下っ端である。このような指摘には辟易するほかない。

 そんな私を見て、龍驤さんは続けた。

 

「艦娘派は若い派閥(くみ)や。ウチが前線でバリバリやってた頃にはそんな派閥はありゃせんかった。ウチみたいな曹士艦娘ばっかりやったからな。でも、幹部艦娘の数が増えるに従って徐々に艦娘派は大きくなっていったんや」

 

 彼女の言い分は間違っている。艦娘派はなにも艦娘によって構成されるものではない。艦娘が対深海棲艦戦において有用と信じる人間達の集まりが艦娘派なのだ。

 だから私は、別に艦娘派に所属しているつもりはない。私は艦娘母艦を作りたいだけで、そのために艦娘派と協力しているだけに過ぎない。

 

「龍驤さん、私は……」

「おっと、話はここまでや」

 

 ところが龍驤さんはさっと立ち上がると、視線をあさっての方向に向ける。その明後日の方向から、こちらへと歩いてくる人影があった。

 

「お客さんのお出ましやで」

 

 身なりをみれば一般人だということは分かる。コンクリートが照り返す環境では中々に暑いだろう。ハンカチで汗を拭きながら、その影はこちらまでやってきた。

 

「すみませーん。艤装の装着体験ってここであってますか?」

「あってますよ! ようこそ国防海軍ブースへ!」

 

 先ほどまでの喋り口調を吹き飛ばし、笑顔を交えて元気いっぱいの標準語に切り替える龍驤さん。年の功とでも言うべきか、対応の丁寧さは私には真似できそうにない。

 

「あの、ネットで艤装装着が体験できるって聞いて来ました!」

「もちろん出来ますよ。訓練所などで使われる実物なので体験の前に承諾書の記入をお願いしたいのですが、保護者の方はいらっしゃいますか?」

「はい。父がお手洗いに行っていて、もうすぐ来ると思うので……」

 

 承諾書を取り出した龍驤さんは事務的な会話を続けていく。訓練向けの模擬艤装といっても、やろうと思えば実際に水の上にも立てるれっきとした艤装(フネ)である。だから、このような手続きが必要になるのだ。

 承諾書は親が来てから書いて貰うとのことで、龍驤さんは艦娘が身につける装備品を説明していく。展開式のライフジャケットに救命筏、そこに収納されるサバイバルキット。お客さんは装備品の一つ一つに眼を輝かせながら聞いているようだった。

 

「……と、まあ。このような装備品を全部身につけたら、ようやく艤装を装着するという流れになります。何か気になることはありますか?」

「あの! 今の話と関係ないこと聞いてもいいですか!」

 

 その言葉に、龍驤さんの表情に少しヒビが入る。彼女は龍驤さんの制服、特に袖につけられたワッペンを見つめながら言った。

 

「艦娘さんって、もしかして琵琶湖教導隊の方なんですか?」

「……ええ、その通りですよ」

 

 なるほど。このお客は詳しいらしい。龍驤さんの所属部隊は練度向上のための演習で対抗部隊(アグレツサー)を演じる琵琶湖教導隊。日本最高練度を誇る艦娘部隊ともなれば有名なのはしかたがない。予想が当たった喜びか、それとも目の前に精鋭部隊の構成員がいることへの喜びか、ともかく顔を上気させるお客さん。

 

「すっごーい!」

 

 普段なら「面倒やなぁ」とぼやきそうな龍驤さんは、あくまで外向きの顔を保ち続ける。それを厚意と受け取ったらしい相手は、更に語気を強めながら続けた。

 

「というか、艦娘さんの艤装って航空母艦400型艤装ですよね? 製造はPHIオーシャンテックで正式採用は令和三年の骨董品! もう更新されて運用は終わったって聞いてたんですけれど、教導隊ではまだ使ってるんですか?」

 

 しかもこのお客、詳しい上になかなか無礼である。中々厄介な相手であるが、龍驤さんは無難に答えて話を進める。時折ちらりと視線を逸らしているのは承諾書を書いてくれる保護者を探しているのだろうが、それらしき人物は見当たらなかった。

 

「……萩風、悪いけれどお茶を買ってきてくれるかしら。全員分ね」

「了解しました。司令」

 

 お客に聞こえない声量で指示した私に、背を向けて立ち去る萩風。もちろんお茶が欲しかった訳ではない。幼年学校上がりの彼女はまだまだ幼く、ああいう相手への嫌悪感は隠しきれないだろうから離させたのだ。龍驤さんはおだてれば済むが、民間人相手への失言は時に致命傷になりかねない。そんな私の配慮も知らずに、お客は話を続ける。

 

「……で、確かPHIの空母は空戦特化で、神崎の空母は砲撃戦仕様! 八菱がバランス型って聞きました! 実際のところはどうなんですか?」

「もちろん、それぞれの艤装が様々な目的のために作られていますから使い勝手は違いますね。ちなみに、艤装を別の型に乗り換えるときは転換訓練を必要とします」

「それって大変なんですか?」

 

 基地公開とは難しいものだ。もちろん意義は理解している。艦娘が救国の英雄であることは知られているが、本土が攻撃を受けない現状では艦娘はどうしても国民から遠い存在になってしまう。そこで取られる対策が基地公開。実際に国防軍の職場を見学して貰い、そこでどのような仕事が行われているかを知ってもらう。

 とはいえ、広報を行ってもその広報が届くべき場所に届くかはまた別の話。

 もちろん、ここでの会話がきっかけで彼女が艦娘を本気で志してくれる可能性もあるのだから手は抜けない。ともかく私は龍驤さんが楽できるよう、艤装装着の準備をしておくことにする。PHIの秋葉さんにアイコンタクトを取ると、察してくれたのか艤装をこちらへと運んできてくれる。一つの影が会場に現れたのは、そんな時だった。

 

「こらこら、ダメじゃないか艦娘さんを困らせちゃ」

「あっ、パパ!」

 

 ようやく保護者が来たらしい。これで承諾書を書いて貰えれば装着体験が始められる。そう安堵しているだろう龍驤さんに、承諾書が挟まれたクリップボードを渡そうとして、私は不意に手を止めてしまった。なにせ、そこに居たのは――――。

 

「もぉ、パパったら遅すぎ!」

「すまんすまん。自動販売機が思いのほか遠くてね……おや」

 

 向こうもこちらに気付いたらしく、こちらをじっと見つめる。春というには暖かすぎる陽気に茹でられていた筈の空気は一瞬にして凍り付き、ただ沈黙だけが舞い降りる。

 その沈黙を破ったのは、やはりと言うべきか私の部下だった。

 

「司令ッ、大変です大変です。さっきそこで航空総隊の小沢空将と――――」

「忠告ありがとう萩風、でも遅かったわね」

「えっ? あっ……」

 

 彼女が眼を見張るのも無理はないだろう。なにせ私の目の前に立つ男こそが、日本国国防空軍を指揮する男。航空総隊司令官の小沢空将だったのだから。

 

「止めてくれたまえ、今の私は承諾書を書くためだけにやってきたこの娘の保護者に過ぎない。気付いても気付かないフリをするのが礼儀というものだよ?」

 

 とはいえまあ、まさか総隊司令が来るなんて夢にも思わないだろう。ここではどう対応するのが正解か。いくつかの候補が浮かんでは消える。

 そんな時、一人の少女が空将の前に躍り出た。

 

「ちょっとパパ! みんな困ってるでしょ!」

「なんだね。私はただ階級のことは気にするなと、いただだ!」

 

 航空幕僚長に次ぐ空軍のナンバーツー、実戦部隊を指揮する意味ではトップとも言える航空総隊司令といえど、娘に飛びつかれて重力任せに頬を引っ張られては堪ったものではない。唖然とした一同を前に、憮然とした表情で頭を下げるお客改め司令の娘。

 

「すみません! 私の父がご無礼を働きました!」

「あー……いやいや! こちらこそ、なんかスンマセンねぇ」

 

 とりあえずといった調子で合わせる龍驤さん。私や萩風も流れで頭を下げる。色々言いたいことはあるのだが、それは言ったところで無駄なのだろう。

 

「いや、すまない。私こそ立場を弁えずはしゃいでしまったな」

「いえ。失礼致しました」

 

 本当ならここで立派な娘さんですねと世辞をいうことも出来たのだろうが、龍驤さんはそうせずに私からクリップボードを引ったくった。

 

「それでは、こちらの承諾書に保護者のサインを頂けますか?」

 

 極めて事務的に、そして空将の階級は出さずにクリップボードを差し出す龍驤さん。彼は胸から万年筆を取り出すと、慣れた手つきでサインをする。

 

「うん。それじゃあ、娘のことを頼みますよ。せっかくの機会だ、楽しんできなさい」

「はい!」

 

 大興奮の娘さん。訓練向けの艤装だとしても機密の塊には違いなく、空将の娘であってもこのように実際に触れて装着する機会など滅多にないのだから当然だろう。

 

「なんだか。昔を思い出します」

 

 そんなことを萩風が言う。ちらりと視線を向ければ、彼女はじっと艤装を装着するために動く龍驤さん達を見つめたまま。幼年学校の頃の話ですと彼女は続けた。

 

「みんな自分で艤装を装着することが出来なくて、ああして教官達が二人がかりで着させてくれました。もちろん、今では自分で着れるんですけれどね」

 

 着る。艤装とは浮力系や推進系など海の上で活動するのに必要な機能を全てひっくるめた呼称。これを装着せずに海に立つことはあり得ないのだから、下着や服のように「着る」という表現を使う気持ちも分からなくはない。

 

「そう、萩風は幼年学校の出身だったわね」

「はい。その後訓練学校に入って、任官しました」

 

 萩風のいう幼年学校と訓練学校は、艦娘の育成機関。全寮制の幼年学校に入れば、衣食住が保証される代わりに中学の教科課程と艤装を扱う教練を同時にこなすことが求められる。そして訓練学校は中卒以上なら誰でも入れる育成機関。つまり萩風は小学校卒業以後、徹底的な規律によって育成された艦娘としての基礎技術を叩き込まれてきたことになる。それは懐かしそうに語る萩風の身体に染みついていることだろう。

 

「……見ていて、気分のいいものじゃないわね」

「?」

「なんでもないわ」

 

 艤装は兵器である。

 国民の生命と財産を守ることを存在意義とする国防軍が装備し、今のところは人類に害を与える以外の何物でもない深海棲艦を殺傷するのに用いる武器である。

 

「あれっ、以外と重くない?」

「浮力装置が働いています。空気中の水蒸気にも反応するので、軽く感じるのですね」

 

 得意げに説明するPHIの秋葉さん。軍需産業で経営を成り立たせるPHIにとってしてみれば、楽しげに艤装を装着する彼女は将来有望なユーザーなのだろう。

 

「すごーい。これって艦載機飛ばせるんですか?」

「艦載機を飛ばすには分霊が必要ですね。ですので……」

 

 深海棲艦との戦いが始まって20年、いわゆる「開戦世代」と呼ばれる精鋭達の代替わり、後継者探しは喫緊の課題。そして、そうした将来の艦娘不足を案じて、義務教育の傍らに軍事教練を施すという法律のグレーゾーンに踏み込んで作られた教育機関が幼年学校なのである。今日の艤装装着体験だって、結局は新規入隊者を募るためのもの。

 とはいえ、そんなことは考えても言わないことだ。この国はそうして国土の安全を守ってきた。国防海軍に所属する私も、当然ながら同罪。

 そのような私の内心を知ってか、小沢空将はついと視線を私へと据えた。

 

「なにか思うところがありそうだな、山下(やました)君」

「いえ。特には」

 

 ()()とは、私の苗字である。艦娘部隊にいると〈加賀〉とばかり呼ばれるので忘れがちだが、結局のところその艦名(なまえ)というのは国からの預かり物に過ぎない。

 山下ケイコ3等海佐。それが国防軍という巨大組織の中で私を示す符号だった。

 そんな私に、最上級の階級を持つ小沢空将は笑って見せる。

 

「ははは、隠さなくて良いよ。大方、私の娘が羨ましくなったのだろう?」

「いえ。違います」

「なんだね。民間人の父親と言葉を交わすのは面倒かな?」

 

 その建前はまだ生きているのか。若干呆れた私に空将は続ける。

 

「まあ空将のつまらない世話話に付き合いたくない気持ちは分からなくもない、それにくわえて……艦娘母艦潰しに関わる私の顔を見たくもないという感じかな?」

「ご想像にお任せします」

 

 正直、小沢空将に対しては思うことがないわけではない。

 彼は少なくとも艦娘母艦の理解者であるはずだった。彼なら艦娘母艦の意義を見いだせない筈はなかったし、私がどうして艦娘母艦に力を注ぐのか知っているはず。

 それなのに、彼は何故か艦娘母艦を作ろうとする会議を妨害した。

 

「萩風、悪いけれど外して貰える?」

「え、ですが……」

「いいから。龍驤さんを手伝ってきなさい」

「……失礼します」

 

 何か言いたげな表情をしつつも、萩風は一礼して一歩引く。

 何の事情も知らない彼女にしてみれば、空将が艦娘派の重鎮である私にコンタクトを取ってきたように見えるだろう。萩風が立ち去るのを合図にして小沢空将は歩き出す。

 

「そう肩肘を張らないでくれ。さっきも言ったが、私はここでは民間人の父親に過ぎない。それに私たちは、同じ『ミクロネシアの英雄』だろう?」

 

 その言葉に、私は答えない。平坦に舗装された入間基地のコンクリート舗装を、風が()がれいく。例年通りに発達し始めた小笠原気圧団のもたらした初夏の風。

 僅かに潮を吹くんだ風と、どこまでも青い関東の空。

 

 

 

「水上機動団構想……太平洋奪還の青写真を見たのは久しぶりだったよ」

 

 

 

 それは、私に忌まわしい記憶の一幕を思い出させるには十分だった。

 

 

 

 

 

 



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第69話 からすがつなぐよいのそら

 

 

 あの日も、澄み渡るような青空だった。

 天頂まで登り切った太陽はギンギンと照りつける。それであの日、私は冷蔵庫からいつもより氷を二つほど多く取り出したのだ。

 

 給湯室を出て、執務室へと向かう。日本から遙かに四〇〇〇キロ。中部太平洋に浮かぶミクロネシア連邦はチューク州。駐留する自衛隊を指揮するための司令部庁舎は、建設されたばかりということも相まって鼻につくような匂いが残っていた。

 

「お疲れ、新米三尉さん。お茶くみ係も大変ね」

 

 こちらは規則通りに気をつけをしただけなのに茶化してくる先輩。本国から遠く離れた最前線ということもあるのか、妙に砕けた調子なのがやりづらい。

 

「仕事ですから」

 

 別に不満がある訳ではない。バターバーとも呼ばれる三等海尉の階級章は、私がまだ新任の幹部艦娘に過ぎないことを示している。私が司令部付となったのは、能力を買われたのではなく職務のいろはを学ぶためであることも理解している。

 

「司令も人使いが荒いわよねぇ。こんな若い子捕まえて、おっさんの接待させようっていうんだから」

「司令にそのような意図はないとは思いますが……」

 

 とはいえ、そう言い切れないのが難しい所。私の上司、第8護衛隊群第3分遣隊の司令はなんともつかみ所のない人間だった。

 不思議な人間には噂がつきもの。政権のコネで司令のポジションに収まっただとか、単に不真面目だから最前線送りにされたとか、基本的にはあまりいい話は聞かない。

 

「とにかく失礼なことされたら直ぐ私に言うのよ? 副司令(おくさん)に言いつけてあげるから」

「はぁ……ありがとうございます」

 

 奥さんに言いつけるのであれば、それは私が直接伝えれば良いのではないだろうか。とはいえ目の前の上官は私と副司令(せんぱい)の関係を知らないのだから仕方はない。

 あの時、まだ大学校を出たばかりの私は、短縮された幹部学校のカリキュラムを経て最前線へと送り込まれた。それはもちろん、私が自ら志願したこと。私をこの路に誘った先輩……この戦争を終わらせると豪語した先輩を追って、私はここに来たのだ。

 

「失礼します」

「お、これはまた麗しいご令嬢が来たものだ。お嬢さん、お名前は?」

 

 執務室の扉の向こう。分遣隊司令部の執務室に据えられた応接セットから見知らぬ顔がこちらを振り返る。その向こうに座る見知った顔は、あからさまに眉をひそめる。

 

「二等空佐。部下を褒めて下さるのは嬉しいのですが、口説かれては困りますよ」

「ははは、ご冗談を司令殿。今や我らは同い年の子を持つ『パパ友』なんですから、そんなことは間違ってもあり得ませんよ」

「相変わらず気が早いですね。とにかく、士気にも関わりますから」

 

 艦娘部隊の構成員は若く、そして男所帯である自衛隊の中でも異様に女性が多い。他部隊からのセクハラでも起きれば大問題である。柔和な口調で釘を刺す上官に、分かってますよと相手は頷く。彼の肩章と高射部隊の徽章を見る限り、どうやらこの島の防空を担う航空自衛隊の指揮官らしい。なるほどそういうことかと私は独りごちる。

 

「紹介します。彼女が先日お話した航空母艦の艦娘〈加賀〉です。加賀、こちらは第83高射隊、部隊長の小沢二佐。環礁の防空を担ってくれている」

 

 お茶出しは私を呼び出す口実だ。対空ミサイルや対空機関砲を装備する高射部隊と私の艦載機は防空作戦で連携することもあるだろう。だからこそ現場の人間は顔を合わせて互いのことを把握しておくべきという司令の配慮。私は姿勢を正す。

 

「小型艇〈加賀〉艇長、山下三等海尉です。よろしくお願いします」

「小沢二等空佐だ。防空作戦においては協同してことに当たることもあるかと思う」

 

 こちらこそ、よろしく頼むよと小沢二等空佐。ともかく、これで顔合わせは済んだことになる。私が一礼して退出しようとすると、ふいに空佐は私のことを呼び止めた。

 

「ああそうだ。空母であるキミに聞きたいことがあるのだが」

「なんでしょうか?」

 

 空佐は応接セットの椅子に座り直すと、彼は目の前に座る司令に問いかけた。

 

「司令殿、さっきまでの話を彼女にしても?」

「二等空佐。あまりそのようなことは」

 

 何のことだろうか。首を傾げる私に、空佐はタブレット端末を差し出した。

 

「水上機動団が編成された後の作戦計画書が回ってきた。まだ叩き台と言ったレベルだが、当事者になるなら見ておいて損はないだろう?」

 

 見ても良いのだろうか。念のために上官である司令に視線を流す。彼はいいよ見てみなさいとばかりに肩を竦めていたが、それで通らないのが軍隊というもの。

 

「司令、拝見してもよろしいでしょうか?」

「構わないよ、それに加賀の意見も聞いてみたい。読んでみてくれ」

 

 空佐が手渡してきたタブレットの情報は、艦娘を中心に行われる大規模攻勢計画の概要だった。日本が確保しているパラオ=ミクロネシア=マーシャルの中西部太平洋(ミクロネシア)地域から一挙に南下、南部太平洋(メラネシア)を安定化させた後にハワイなどの東部太平洋(ポリネシア)地域を奪還するのだという。空佐はさぞ楽しげににんまりと笑った。

 

「驚いたか? 水上機動団は防衛省肝いりの計画だからな。絵だけは大きく描いておかないと餅米(よさん)が手に入らないんだよ」

「はぁ……ですがこれは、実際に計画されているものなんですよね?」

「そのとおりだよ加賀。思ったところがあれば言ってくれ」

 

 言ってくれと言われても、果たしてなにを言えばいい? 私の頭が急速に回り始める。わざわざこんなものを見せたのだ、求められているのは賛同か批判のどちらか。

 

 ……それにしても、これは途方もなく遠大な計画だろう。

 なにせ日本単独どころか、第8護衛隊群単独で太平洋を奪還しようとしているのである。素人が立てた作戦なら無理と言い切ってもいいのだろうが、計画書にはかなり詳細な数字が記されている。

 軍事の専門家たる自衛官が、本気で計画しているものなのだ。辛うじて軍事学を修めた程度の私が下手に反論することは出来ない。

 

「いいんだよ。遠慮しなくて」

 

 けれどそれでは、司令の目線に説明が付かない。この人は私に何かを指摘させようとしている。私は試されているのだ。冒頭に戻って再び目を通す、やっていることは大学校の時と同じ。指導教官はいつも分かりやすい罠を張って学生を引っかける。それを回避できる場所を探せばいい。その結果見つかったのは、ある一つの小さな疑問だった。

 

「ここでは作戦期間が三年とされていますが、長期計画に過ぎるのではないですか?」

「ふむ。続けて?」

 

 どうやら着眼点はよかったらしい。私は資料に眼を落として数字を確認する。

 

「この計画書は、恐らく二次大戦の飛び石戦略を下敷きにしていると小官は感じました。奪還した島嶼を次の攻略起点にするための設営期間が必要なのは分かりますが、飛び石作戦の価値は僅かな労力で素早く敵陣に浸透することにあるはずです」

 

 少なくとも、私の予想が正しければそうだ。人類(わたしたち)は今、深海棲艦と太平洋の奪い合いをしている。それは海に浮かぶ島々を奪い合う陣取り合戦の様相を呈しているが、幸いと言うべきか日本にはその経験があった。

 

「その意味では、重要なのはむしろ大型の基地を展開できるハワイやソロモン諸島南部の奪還が先決でしょう。この計画案は悠長に過ぎます」

「なるほど。重要拠点を素早く抑えることが重要だということだね?」

 

 私の言うことは正しいだろう。数えきれぬほどの島が浮かぶ太平洋とはいえ、巨大な航空基地を展開するには手狭な場所が殆ど。ならば取るべきは重要な島だ。

「しかし、航空基地を建設するならチューク諸島(ここ)でも問題はないんじゃないかな?」

 

 ところが、司令は私の言葉を一蹴する。

 

「チューク国際空港は二〇〇〇m級の滑走路を備えてあるし、哨戒機の退避向けとはいえ掩体壕の整備も行われている。水上機動団の拠点に第3分遣隊が選ばれたのだって、航空機の整備拠点としてのポテンシャルが高いことの証左だよ。地理的な条件だってそうだ。例えばハワイ島までの距離はおおよそ五〇〇〇キロ。ギリギリだがハワイ諸島を射程に収めることだって出来る。それはつまり、ここと北米大陸、そしてグアムを起点にすれば太平洋全てを射程に収めることが可能だということだ」

 

 整然と事実が並べられていく。確かに四発の大型哨戒機を収容できる掩体壕に整備拠点を備えた国際空港は、旧市街を覆い尽くさんばかりの拡張が行われていた。

 その意味では、やろうと思えばいまから太平洋を()()()()()ことも可能なのだ。

 

「問題は兵站だよ。爆撃機やそれが用いる航空爆弾、整備部品。それを用意することが出来ないんだ……日本国(われわれ)はもちろん、彼の国でさえもね」

 

 彼の国が米国を指しているのは明らか。実際、米国に深海棲艦を全て倒せる航空戦力が用意出来るのであれば、新自由連合盟約(ニユーコンパクト)なんて政治的策謀を巡らせてまで日本を中部太平洋に引っ張り出すことはなかっただろう。

 

「……ま、そういうことだ。第83高射隊(ウチ)も員数外の武器と米国(アメリカ)さんからの有償軍事援助でどうにか戦ってるというのが現実だ。こればかりはどうしょうがない」

 

 ひらひらと笑って見せる空佐。航空自衛隊に所属する彼にしてみれば、折角の空港施設が放置される虚しさはひとしおだろう。言葉を返せなくなった私に、司令は続ける。

 

「だからこそ、時間をかけてゆっくり足場を固める……まあ、間違ってはいない」

「ですが、三年も攻勢作戦を継続するなんて」

 

 それが難しいことは、新人だった私にも分かることだった。艦娘……特に幹部艦娘の不足は顕著なもの。二桁の艦娘を抱えていた私の配属先でさえ、幹部の階級章を頂く艦娘は私を含めて僅かに五人。艦娘の運用方法はもちろん、艦娘の何が強みなのかも分からず、とにかく勝っているからという理由だけで日本は戦線を拡大していたのだ。

 

「まあ私は十分に実現可能な案だとは思いますが。ところで三尉、知っているか?」

 

 私からタブレットを受け取った空佐は、意地悪げな笑みを浮かべる。

 

「この分遣隊司令殿はこの戦争に勝ちがないだなんて言うんだ」

 

 こんな上官に率いられる君らも大変だな、そう笑う空佐に私は生返事しか出来ない。

 どうも調子が追いつかない私に、司令はともかくだ、と咳払い。

 

「加賀の言った『飛び石作戦』は米国の圧倒的な物量があったからこそ成功した。今の人類にそのような余裕はない……だからこそ、時間をかけて太平洋の島を一個ずつ取り返していくしかないんだよ。厳しい戦いになるだろうが、やるしかない」

 

 教え子に諭すような調子で説明していく司令。まるで作戦が実施されることは決まったかのような言い草に、私は首を傾げるしかない。

 

「ということは、司令は勝てないとお考えの作戦を実施するおつもりなんですか?」

「なんだい。私が自衛隊の作戦構想に口が挟めるほど偉いとでも思ってたのかい?」

「あ、いえ……そんなことは」

 

 流石に見抜かれていることだろう。否定しきれない私に、一等海佐も所詮は兵卒と似たようなものなのだよと彼は笑い、だけれどねと続ける。

 

「私にも月並みな願いがあるんだ。大切な家族、みんなの平和さ」

 

 これだけは譲れない。そう言った彼の眼は、あの絵に描いた餅に過ぎない水上機動団構想を受け入れた全ての理由を物語っていた。あの人は、奥さんに、娘さん……そう言った一番近くに置くべき家族のことを、家族の平和を守ろうとした。

 

 それこそが、彼にとっての最優先だったのだ。

 

 


 

 

「水上機動団構想……太平洋奪還の青写真を見たのは久しぶりだったよ」

 

 国防空軍――ミクロネシアの戦いを経て、航空自衛隊から名を変えた組織――の入間基地公開イベントは、いよいよ本番を迎えようとしている。絶好の航空ショー日和となった入間の空を、真っ白な雲を描きながら三角形を組み合わせたような灰色の機体が飛び去っていく。それはステルス性能に特化した戦闘爆撃機の姿。

 

「お。みたまえ、ライトニングⅡだ。やはりカッコいいな」

「……」

 

 私が喉で留めている言葉を知って知らず、空将となった小沢司令は空を指差す。

 

「太平洋を3年で奪還か……なぜ3年に拘るんだ?」

 

 その言葉に私は驚かされる。私が艦娘母艦を使って太平洋の奪還を考えていることは海軍の人間なら誰でも知っているが、具体的な作戦計画までは一部の知り合いにしか話していない。それこそ3年なんて期限にまで触れたのは本当に一握りの人にだけ。

 まさか、赤城さんが――――? その疑いを私は咄嗟に打ち消す。いくら赤城さんであっても、いや、赤城さんであるからこそ。そのような不義理を働くはずはない。

 

「断片的な情報を組み合わせれば、君が水上機動団構想を蘇らせたのは分かるよ」

 

 まして、当時構想に関わっていた者なら尚更な。空将は笑う。

 

「艦娘の輸送手段を輸送機から艦娘母艦に変えても、拠点が丸ごと移動できる分だけ作戦の遂行自体は早くなる……それでおおよそ3年だろうとあたりをつけたわけだ」

 

 それでも、それを予測できるだけの情報が揃ったことは問題だろう。空将は艦娘母艦を潰しに来ているのである。彼がそれを知るということは、反艦娘母艦派にその情報が共有されているということであった。

 

「……どこで、その話を?」

「君は派閥をまとめ切れていないからな。情報の漏洩には気をつけた方がいいぞ」

「お言葉ですが空将、私は派閥なんて――――」

「知っているかね?」

 

 私の言葉を遮って、小沢空将は言葉を紡ぐ。

 

「あの子……ああ、つまり私の娘だがね。アレは高校一年生なんだよ。つまり、丁度キミの子と同い年ということになる」

「……ええ。存じております」

 

 一体なんの話だろう。てっきり派閥の話をされるものと思っていたのだが。

 いや、これは昔話なのだ。私は空将の子供を知っている。あの日、空将は『パパ友』と言った。気が早いと笑った司令も、彼の言わんとすることは分かっていたはず。

 

「それでどうだ。娘さんは元気かい? そっちも同じく高一になった筈だけれども」

「ええ、元気です」

 

 それはよかったと彼は笑う。それでも、彼の眼は笑っていない。

 

「アレは……私の娘はね、訓練学校に入りたいと言ったんだよ」

「え?」

 

 思わず聞き返す。話がまた飛んだからではない。彼の言う訓練学校は艦娘養成のための機関。キミだって、訓練学校が中卒者でも受け入れていることは知っているだろう? 空将はそんなことを言いながら歩き続ける。その視線は、艤装装着体験ブースで楽しげに艤装を動かす空将の娘へと注がれていた。 

 

「もちろん止めた。止めたからこそ、彼女はあそこでああして楽しげに艤装装着体験に興じることが出来る。もっとも、私が娘を止められたのは養育費(おかね)があったからだがね」

 

 訓練学校に入れば衣食住と教育、給料まで支払われる。経済的な事情で訓練学校に志願する人間は少なくないと聞く。空将は、訓練学校によい感情は抱いていないらしい。

 それは親の立場からしてみれば当然だ。高校生という世の大半の子供がモラトリアムを享受している筈の時期に、戦争の訓練に明け暮れるというのだから。

 

「しかし残念ながら、それがこの国の現状だ。食うにも欠く人々を給料で釣ってでも兵員を確保しなければならない。経済的徴兵というヤツだな」

 

 人材不足は、この組織がもう何十年も直面し続けてきた課題である。公務員であるから給与の引き上げには限界があるし、少ない給料では戦場に立ちたいと考える人間は少ない。命の危険と俸給。その歪な天秤が釣り合うのは経済的弱者となってしまう。

 

「残酷な話だよ。我が国ではもう、中学卒業程度ではロクな職業にも就けない。この余裕のない社会で中卒艦娘の潰しが効くと思うか?」

 

 答えは否だろう。それが分かり切った答えと知って、空将は続ける。

 

「艤装整備や警備会社……十何年も勤め上げて経験を積めば、まだ働き口はあるかもしれない。しかし数年で止めたらどうだ? 確かに再生医療と霊力再生の二本柱は負傷兵の現場復帰率を飛躍的に向上させた。しかし、身体が使えても心が使い物にならなくなることはある。いかに軍でも、働けない艦娘までは守れない」

「なにが仰りたいんです?」

 

 空将の話は事実だ。しかしそれは単に社会の現状を述べているに過ぎない。

 

「これを渡しておこうと思ってな」

 

 そう言って手渡されるのは、数枚のコピー用紙。軍で使われる再生紙とは違うソレは、空将が独自に作成した資料であることを窺わせる。

 

「『小型艇(かんむす)母艦と我が国の人的資源推移について』……閣下()結局、この話ですか」

「艦娘母艦を批判するなら、人命軽視の路線(アプローチ)から攻めるのが妥当だからな」

 

 妥当、という言葉が妙に引っかかるが、ともかく読み進める。資料は一般に公開されている資料から、艦娘の担い手が減少しているという事実を紡ぎ出し、最後に独自研究として艦娘母艦運用時の艦娘の消耗について纏めていた。

 

「もっとも、キミも似たようなことはもう調べているんだろうがね」

 

 彼の言葉はその通り。前半の数字に関しては私が萩風に纏めさせたものと殆ど同じ内容であるし、後半の艦娘母艦による人的資源の消耗についても既に議論はされている。

 だからこそ、資料の数字がおかしいことも少し見れば分かるものだ。

 

「お言葉ですが空将閣下、この研究は些か悲観的な数字ではないでしょうか」

「そうかな?」

「この研究では損耗の計算に艦娘戦力の集中投入による低減が考慮されていませんね。ランチェスター二次法則でも明らかな通り、戦力を集中すればその分損害は減ります」

 

 銃や飛行機といった飛び道具が発達した現代において、兵力の集中はそれだけ味方の損害を少なくする。国防軍はその担当海域の広さからやむを得ず戦力を分散させる分遣隊体制で同盟諸国を守っているが、最善策が大規模戦力による敵の各個撃破であることに変わりはない。艦娘母艦なら戦力の集中が可能なはずだ。

 

「少し落ち着きたまえ。私はこれから艦娘母艦を潰すんだぞ。なんで艦娘母艦に有利な計算式を持ってこなきゃいけないんだね?」

 

 そんなことをいう小沢空将。萩風に下がるように言っておいて良かった。彼女を外させたのは別の理由だが、この発言を聞いただけで大噴火を起こすに違いない。

 彼の発言は、要するに艦娘母艦による恩恵は都合が悪いから考慮しないということである。過去のデータから信憑性のある数字を導き出したようにみえても、地上基地と艦娘母艦では戦いの次元が変わる。単純に古い資料を引用するだけでは意味がないのだ。

 

「閣下、これは流石に……」

「山下君」

 

 苦言を呈そうとした私の台詞を遮って、空将はにっこりと柔和な――いや、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。それはまるでネタばらしをする子供のよう。

 

「数字は嘘をつかんよ。だがね、数字を作る人間は平気で嘘をつく」

「……では閣下は、敢えて艦娘母艦に不利な研究結果を作っていると?」

「より正確に言えば、実績と常識の範疇で数字の辻褄合わせを行っている」

 

 だから改ざんには当たらないとでも言うつもりだろうか。

 何故そんなことをと問いたくなる。小沢空将は、艦娘母艦の必要性を切実に感じている一人であるはず。それなのに、どうしてこんなことをするのか。私に見据えられた空将はくるりと背を向けるとまた歩き出す。

 

「ままならんものだよ、派閥というものは。キミもそう思うだろう?」

 

 それは問いかけであると同時に()()でもあった。空将は自らの意思ではなく、他人に強要されて艦娘母艦潰しに関わっていると言っているに等しい。

 

「……まあ、八割方そうだろうとは思っていましたが」

「なんだ。残り二割は私が本気で潰しにきたと思っていたのかい?」

「思ってません。空将閣下なら……いえ、ミクロネシアの戦いを経験した者なら皆、艦娘母艦を不必要とは考えない筈です」

 

 先ほど萩風が龍驤さんに言った通り、艦娘母艦の存在意義は味方泊地の救援任務にある。

 

 まだ国防海軍が海上自衛隊と名乗っていた頃。日米同盟の大転換と新自由連合盟約(ニユーコンパクト)の成立によって編成されたばかりの哨戒艦隊はパラオ・ミクロネシア・マーシャルの三国へと派遣されることになった。

 それがミクロネシアの戦い――――――ミクロネシア戦役の始まり。

 

「長大な防衛線、点在する島々に設置された分遣隊。それが敵に各個撃破される要因となりました。戦力をやりとりできる媒体さえあれば、結果は変わった筈なんです」

 

 艦娘は決して万能兵器ではない。一人乗りの小型艇である艦娘はそもそも長時間の作戦行動が不可能で、友軍基地を長躯救援に向かうほどの能力は持ち合わせていない。

 だからこそ、艦娘を輸送する手段が必要だったのだ。

 

「そうだな。しかし戦力を運搬するだけなら、既存の哨戒護衛艦でも賄えるぞ?」

「哨戒護衛艦には十分な医療設備がありません」

「医療設備は受け入れ先の基地にあるじゃないか」

「基地の医療設備が無事とは限りません」

「最も堅牢に守られる医療設備が破壊されるなら、基地は既に陥落しているだろうな」

 

 なんでもない調子で私の主張を跳ね返す空将。やはりこのヒトは艦娘母艦に反対しているのではないだろうか。そんな思いがむくりと膨れ上がる。

 

「それでも、艦娘運用に制約のある哨戒護衛艦では救援の決定打にはなりません。戦力は逐次投入するのではなく、一斉に大規模に送り込むべきなんです。事実、ミクロネシアの戦いでは中途半端な増援は焼け石に水でした」

 

 だからこそ、友軍泊地から救援要請を受けて颯爽と飛び出せる戦力、その戦力を素早く運べる運搬手段が求められた。そんな私の主張に、空将は何でもない調子で言う。

 

「だから『艦娘母艦がいればミクロネシアは陥落しなかった』とでもいうつもりか?」

『――――ねぇ、加賀さん。あなたはまだ、ミクロネシアに居るのね』

 

 素直にそうだと認めてくれればいいのに。そう言わんばかりだった親友の表情が蘇った。

 



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第70話 むかしをかたるたごのうち

 

『――――ねぇ、加賀さん。あなたはまだ、ミクロネシアに居るのね』

 

 

彼女は私のことを酷く責めていた。私が過去に囚われていると、ミクロネシアに囚われていると。分かっている。それは事実だ。でもそれは、空将だって、あの戦いを経験した全ての将兵が思っていることなんじゃないのか。

 

「山下君。私は空将だぞ? もう2等空佐でもないし、第83高射隊の司令でもないんだ。キミだってもう新米の3等海尉ではない。泣き落としは通用しないぞ」

「ですが、中部太平洋を喪った今でも脆弱な拠点が点在している事実は変わりようがありません。艦娘母艦は必要なんですよ」

 

 私の主張に間違いがあるとは思わない。艦娘母艦が必要なことは明らかだ。戦艦艦娘の艤装も悠々と格納できる大型のランプと格納庫を持ち、連戦に耐える整備能力は補給拠点としての役割を最大限に発揮する。私の言葉に、空将は鷹揚に頷いた。

 

「そうだな、確かに艦娘母艦は必要だ。それは誰もが納得するだろう」

「では何故閣下は、いえ。閣下の派閥は反対なさるのですか?」

「簡単だよ。キミが派閥を作らないからだ」

 

 そんな事が理由になるというのか。素早く言葉を返せなかった私に、空将は続ける。

 

「我々はキミの意思を図り損ねている。いやそれどころか、艦娘派に意思があるのかすらも疑問に思っている……どうなんだ。艦娘派に統一意思はあるのか?」

 

 その問いかけに、私は答える義務を課せられていない。ただそれでも、否応なしに考えてしまう。気を利かせすぎる部下、知らない場所で出回る陰謀論まみれの回覧記事。

 そして、敵対派閥への罵詈雑言。龍驤さんも言っていたではないか。

 

『キミの強引なやり方が、今の艦娘派を作ったんやないかって言うとる』

 

「……私は、派閥を作ろうなんて考えていません」

「それは今、艦娘派の統制が出来ていないからか? 逆だよ。君が派閥を作ろうとしないから、こんなことになるんだ。君なら派閥を作れる」

 

 なにせ君は『ミクロネシアの英雄』だからな。このヒトまで、そんなことを言うというのか。足を踏ん張ってぐらりと揺れるのを堪える。私を英雄と呼んだ空将の向こうには入間の空。春先を乗り越えて夏の手前までやってきた青空。

 それは、あの日のミクロネシアに確かに繋がっている。だが私は、そうではない。

 

「私は、英雄なんかじゃありません」

「キミがそう言っても、キミの補佐役はそうは言わないはずだ」

 

 それを否定することが出来ないのが悔しいところだ。萩風は私をある意味で神格化している。「ミクロネシアの英雄」とはそんなに立派な存在だろうか。理解できない。

 何も言わない私に何を思ったか。空将は続ける。

 

「軍内政治を避けたい気持ちは分かる。だが、それでどう艦娘母艦を完成させる?」

「艦娘派と()()して作るつもりでした」

 

 先日開かれた会議。艦娘母艦を推進する造船部はこの会議で既定路線を作ることが出来れば艦娘母艦の採用は間違いないと豪語していた。もちろんそれは事実だろう。組織が組織である以上、意思決定は会議に委ねられるものであるのだから当然だ。

 だから私は彼らの話にのった。造船部の企画する艦娘母艦は詳細な仕様はまだ何も決まっていないが、艦娘母艦の建造さえ決まれば自体は好転する筈だと信じて。

 

「だが、無謀だっただろう?」

「閣下が潰したのですよ。まあそうでなくとも、結果が全てです」

 

 強がって見せても、空将には見透かされていることだろう。

 そもそも、私が艦娘母艦を通せると踏んだのは海軍の派閥バランスを考えてのことだった。海軍の派閥は大きく三つに分けられる。艦娘を国防の軸に据えるべしと主張する艦娘派。大型護衛艦を軸にと主張する艦隊派。そして両者のどちらにも属さない中立派。中立派は細分化すると無人護衛艦派やら原則中立派やら細かくなるのだが、ともかくそういった派閥が群居しているのが今の状況だ。従って基本的には艦隊派を押さえ込むことが出来れば、艦娘母艦を建造することは可能な筈だった。

 しかし、現実には艦隊派と中立派の二つの派閥が艦娘母艦に反対の意を示し、さらには空軍からの「苦情」で話は振り出しに戻ってしまった。

 

「では私が派閥を作っていれば、閣下が潰しにくることはなかったのですか?」

「さて、どうだろうな。まあ、国防に利することがなければ潰しにいくことは確かだ」

 

 国防。それは曖昧模糊で都合のいい言葉。果たして国防とはなんなのだろう。国土と国民の生命財産を守る。分かりやすいのはお題目だけで、国防に利するとはなんなのかは分からない。だからこそ、私は空将の痛い箇所を突く。

 

「ですが。空軍の指揮官である空将が会議に口を出すこと自体おかしな話ですよね?」

 

 もちろん事情は知っている。空将は海軍内部の人脈で考えると中立派に属している。なぜなら中立派の後ろにPHIがいるからだ。

 

「PHIグループ。閣下のご友人にも企業献金(おかね)が流れていると聞きます。航空機メーカーのPHIにとって艦娘母艦はお金になりません。だから反対するのでは?」

 

 小沢空将の同期に新田という男がいる。北関東出身の衆議院議員である彼の背後には同じく北関東の航空機メーカーであるPHIグループが控えている。つまり空将はPHIの差し金があったから会議を潰したと解釈できるのだ。

 

「私には、閣下がPHIの利益保全のために潰したとも見えますよ?」

 

 そして、そのお題目は艦娘派なら誰もが喜んで飛びつくだろう。

 

「では逆に、艦娘派のそれぞれも利益保全に走っているとは思わないかね?」

 

 そして空将の言い分も否定しきれる訳ではない。艦娘母艦が既定路線となれば造船部にはさらなる調査予算が降り、母艦を建造する造船所が部品メーカーは多いに潤うことだろう。艦娘艤装がより多く必要とされれば艤装メーカーだって儲かるはずだ。

 

「まあキミが何も言わなくても、あんな足並みの揃わない艦娘派に作らせた母艦がまともになるとは思っていない。だから潰すことにした」

 

 念のため言っておくが、ここに関しては私の意思でもあるぞ。そう彼は続ける。

 

「仮に今の艦娘母艦が会議を通過して、それは何をするフネになるんだ? 重火器を積みまくって攻撃するならそれでもいい。医療設備に整備区画を拡充して難攻不落の水上要塞を作っても良い。だが今、誰か艦娘母艦の青写真を描いてるヤツはいるのか?」

「それは」

「屈強な兵士を百年を養ったところで、肝心の戦争がサイバー空間で繰り広げられて終わることだってあるんだ……使い道も定かではない軍艦は金喰い虫だよ」

 

 言葉もない。私だって、本当は分かっている。空将が大局を見据えていることも。

 

「艦娘母艦は作る。だが造船部によく分からないものを作らせてはダメだし、キミの独断で作ってもダメだ。神崎造船をはじめ、この国には立派な造船メーカーがごまんと居る。彼らの技術、現場の要望、それを全部まとめた艦艇を作ることが必要なんだよ」

 

 その終着点は私と同じ。それなのに、二人の主張はこんなにも違う。

 

「それじゃダメなんです」

「なぜだ」

 

 小沢空将が私を見据える。艦娘の人材不足や艦娘そのものの能力不足、そういった理由を作ることは簡単だ。だからこそ、私が伝えるべきはそれより重要なこと。

 

「一刻も早く、戦争を終わらせるためです」

「艦娘母艦は『友軍泊地救援のための艦艇』じゃなかったのか?」

「危機にさらされる友軍を救うためには、場当たり的な対処ではなく敵の策源地を叩く方が有効でしょう。根元を枯らすのです」

 

 ここ数年、発動される大規模作戦は全て進出してきた敵を殲滅するというものばかりだった。敵の勢力を「間引き」するための作戦が行われても、ある海域を島嶼を奪還する攻勢作戦は失敗どころか、発動すらされていない。

 だからこそ、一刻も早く艦娘母艦が必要なのだ。この国には艦娘運用の専従艦が少なすぎる。対深海棲艦戦闘の主力を務める哨戒護衛艦は艦娘を言い訳程度には積めても本格的な運用にはどうしても基地設備が必要だ。長期間の攻撃作戦には使えない。

 

「なぜ焦る。ここ数年における大規模群体の出現数、輸送艦の被害船腹量を考えれば深海棲艦(ヤツら)との駆除(たたかい)は順調に推移している。無理に艦娘母艦を作ってまで、戦域を広げる必要性を艦娘派のどれだけが感じているだろうか?」

 

 空将の言葉は正しい。深海棲艦の大規模侵攻にこの国は対処出来ている。戦局は小康状態で、だから危機感を抱く派閥が少ないというのも頷ける。

 しかし、現実はそんな単純な話ではない。小康状態は小康状態に過ぎない。いつその均衡が崩れるかなんて、誰にも分からないことなのに。

 

「まあ、キミの考えは分かっているつもりだ」

 

 その小沢空将の言葉は、まるで全てを見通しているかのよう。彼は一歩踏み出すとわたしに名刺を手渡す。そこには万年筆で書き込まれた電話番号があった。

 

「派閥というのは、ままならんものだ。しかし私たちには共通項が多い」

「……」

「分かっているだろう。私たちは同じ『ミクロネシアの英雄』で、そして同い年の娘を持つ立場(おや)同士でもある。キミを悩ませる艦娘派の諸々より、ずっと話が合うはずだ」

「……あなたと手を組めと言うんですか?」

「私がイエスと言えば、手を組んでくれるのかい?」

 

 彼は答えを知った上で聞いてきている。私は利害の一致で手を組むのはいい。だが、誰かのしがらみに巻き込まれるのはごめんだった。

 

「利害の一致じゃギブアンドテイクが限界だ。やはりキミは派閥を持つべきだよ」

「……」

 

 それでは、連絡を待ってるよ。それだけ言い残して、彼は艤装装着体験ブースへと戻っていく。私に何をどうしろというのだ。そんな時、空将は私を振り返る。

 

「ああそうだ。言い忘れてた、先程数字を使う人間は嘘を吐くと言ったね」

「?」

「最初に言った『3年で太平洋を奪還する』……あれ実は、当てずっぽうなんだよ」

 

 もっとも、確証のある当てずっぽうだがね。それだけ言い残し空将は立ち去る。

 

『3年です。そうすれば、あの子が戦場に行くことは避けられる』

 

 彼は、知っているのだ。いや、初めから予想がついていたと言うべきか。なにせ彼と私の上司だったヒトは『パパ友』なのだから。

 立ち尽くす格好となった私の所に駆け寄ってくるのは、やはり萩風である。

 

「加賀さん、大丈夫ですか? って、その名刺は……?」

「大方、私用携帯の番号でしょうね」

 

 それで彼女も意味を察したことであろう。眉を引きつらせて口を尖らせる。

 

「なんですかそれ、()()()英雄である司令に媚びを売ったつもりなんでしょうか?」

 

 本物も偽物もない、等とは言っても無駄なのだろう。私も小沢空将も、あのミクロネシアの戦いに参加していたという事実は変わらない。それなのに萩風や他の艦娘派の人間が言うところによると、どうも艦娘だけが英雄で他の兵士はおこぼれで出世した偽物の英雄なのだという。第83高射隊を率いて戦線を支え、今では航空総隊の司令官にまで上り詰めた小沢空将は、そういった攻撃のやり玉にいつも挙げられている。

 

「萩風、あなたはどう思うの?」

「どうって、空将は艦娘母艦を潰した張本人ですよ。絶対組まない方がいいです!」

「……そうではなくて。今の艦娘派について、どう考えているのと言う話」

 

 艦娘派の惨状は、龍驤さんに指摘されなくても、小沢空将にわざわざ言われずとも分かっている。そしてその最大の問題がどこにあるのかだって知っている。

 

「関係ありません。だって私は艦娘派ではなく、加賀派ですから」

「また、そんなことを言って。私は派閥をつくるつもりはない、わよ……」

「どうしたんですか? 加賀さん」

 

 いや、本当に私は問題を知っているのだろうか。艦娘派は確かにバラバラだ。所属も目的も違うのだから、それは当然ことだろう。だがそれでも、艦娘が国防の最善手だと信じて、集まった人達の繋がりを、艦娘派と呼ぶのではなかったか。

 

「ねぇ萩風。あなたはどうして加賀派なの?」

「え? それはもちろん、司令がミクロネシアの英雄だからですよ」

 

 それは理由にならない。なにせ私が英雄であったのはもう15年も前の昔。

 

「流石にそれだけではないでしょう。なんで私を支持しつづけるの?」

「えっと……加賀さんなら、艦娘の意見を通しやすくしてくれるかなと思って」

 

 いくら国防の最前線を支える艦娘であっても、その意向が全て通るわけではない。艦娘派が集まったのだって自分たちの意向を上層部に通すためだ。だから萩風のいうことはおかしくはない。ただ――――

 

「なら。どうして他の幹部艦娘や、他兵科の幹部を頼らないの? 艦娘寄りの意見を持ってくれているヒトは他にも居るわよ」

 

 この質問の返答如何によっては、艦娘派の正当性は消え失せるかもしれない。

 

「それはだって、司令は私たちのことをちゃんと考えてくれていますから。だから私は司令を信頼していますし、ついて行きたいと思うんです」

 

 その返答は、私を支持する理由ではない。つまり、私は勘違いをしていたのだ。

 

「そう。ありがとう」

 

 萩風は叶えたい理想を私に付託している訳ではない。私について行けば間違いないと考え、信じるままに指示に従って作業を行い、単純な善意でこうすればいいと提案する。その行動が、どのような結果を産むかまでは考えていないのではないだろうか。

 いや、それが問題なのではない。萩風が私を信じることはいいのだ。私だって上司として萩風を信じているし、同様に萩風が部下として上司に従うのは当然のこと。

 しかしそれは派閥と呼べるだろうか。それは単なる指揮系統に過ぎない。軍は指揮系統を重んじる。それは縦の関係だ。対する派閥は人間同士の繋がりを重んじるのだから、これは横の関係とも言える。一つの理想を追い求めて違う職種同士の人間が手を取り合う、それが派閥の在るべき姿ではないのか。

 

「あなたのお陰で、艦娘派の問題が見えてきた気がする」

 

 私は、艦娘派のまとまりのなさ。統制のとれなさ具合が問題だと思っていた。しかし本当の問題は、全員が何か一つの理想。最終目標を共有できていないこと。

 今の艦娘派は艦娘が優位に立つべきと論ずる人々が集まっている集団に過ぎない。それはつまり艦娘を信じる人達の互助組織のようなもので、精々団結するときは艦隊派などから艦娘への圧力がかかった時ぐらい。私が推し進める艦娘母艦だって、単に艦隊派が反発しているから「じゃあ協力しよう」と考えている人間だっているのではないだろうか。それこそ、艦娘母艦に予算を喰われれば艦隊派をぎゃふんと言わせられる、程度の認識で協力している人間もいるのではないだろうか。

 

『誰が青写真を描くんだ?』

 

 小沢空将の言葉が蘇る。彼の言うとおり、今の艦娘派に舵取り役はいない。だから私なんかが重鎮扱いされてしまう。私が艦娘関連の改革案や新機軸の作戦を提唱すれば周りは勝手に動いてしまう。私の言葉が重いのではなく、そんな簡単なきっかけで動いてしまうほど艦娘派は軽い派閥なのだ。しかも勝手に動くから(たち)が悪い。

 しかしそれで私に艦娘派の舵を取れとでも言うのだろうか? 現場の艦娘、後方勤務の幕僚や技官、それに艤装生産メーカーまで巻き込む巨大な派閥をまとめるろと?

 私にそんな力はない。自分で言ったとおり、私は一介の艦娘に過ぎないのだ。

 

「加賀さん?」

「いえ、なんでもないわ」

 

 それでも、派閥に属することが正しいとは思えない。派閥を作ることだって同様、派閥は結局の所横の繋がりで、派閥のトップというのは代弁者に過ぎない。派閥の意に添わなければ求心力を失うし、貢献に対しては相応に報いなければならない。

 派閥は融通が利かないのもの。小沢空将はさも派閥は利害関係でないなどと言っていたが、派閥は結局の所、お互いの利益を調整する場でしかない。

 

「人脈は消耗品……そうだったわね、新田(あかぎ)さん」

 

 彼女なら、一体何と言っただろう。代議士の父を持ち、各方面に顔が利く。そんな派閥の在り方を体現したような彼女ならば、今の私になんと助言するのだろうか。

『もう艦娘(かがさん)を辞めませんか?』

 そうだ。分かってはいる。彼女は、赤城さんは私のこの状況を知ってそんなことを言ったに違いないのだ。もうどうにもならないから諦めろと、そう言ったのだ。

 

「萩風」

「はい」

「あなたがまとめた資料。どう思った?」

「どう、と言われても……ええと、艦娘のなり手が減っているのが気になりますね」

「正確には、人口比の志願人数が増えていることが問題ね」

 

 艦娘のなり手は減っているが、まだ致命的な人材不足には陥っていない。未だに幼年学校の倍率は1を超えているし、国防軍も定員割れを起こしている訳ではない。

 それでも、いくつかの資料を照合すれば徐々に艦娘になる人数、その割合が増えていることは分かる。どんな人間でも多少の霊力を持ち合わせるとはいえ、戦闘に耐えられるレベルでの霊力となると適合者は限られる。人的資源のプールは、少子高齢化により先細る一方。艦娘の世代人口に占める割合は今でこそ数%を推移しているが……いずれは十数%になり、数十%になり……そして、百%を越えることはあり得ない。

 

「いずれ限界が来ることは、みんな分かっている筈よ」

 

 だからこそ、戦争は早急に終わらせねばならない。そうでなければ――――――

 

 

 



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第71話 とわにねはんにいちのこえ

「いずれ限界が来ることは、みんな分かっている筈よ」

 

 だからこそ、戦争は早急に終わらせねばならない。そうでなければ――――その時、端末が振動する。呼び出してきた相手は、私の所属する基地の司令だった。

 

「……お疲れ様です。山下です」

『すまん。移動中だったか?』

 

 電話をしてくるなんて珍しい。休日出勤はお互い様として、要件は何だろうか。

 

「いえ。既に入間に到着し、午後からの一般向け公開の準備を……」

『それで、艤装はそっちにあるか?』

 

 その言葉に、無駄と分かっていても視線を端末にやってしまう。妙なことを聞くモノだ。空軍のしかも内陸部の基地に、海軍の装備品である艤装が置いてあるはずがない。

 ないと簡潔に答えた私に、端末の向こうの声は続ける。

 

『ならいい。状況を伝える。先程、銚子から第二波が出撃した』

「銚子から第二波が上がった……敵襲ですか」

 

 それだけ口にすれば萩風も気付くだろう。海軍は沿岸防衛のために各地に艦娘部隊の待機所を設けているが、それらの任務は沿岸に漂着するはぐれ深海棲艦を撃破することである。第一波が出撃すれば、基本的に増援の第二派が出撃することはない。

 

『既に横須賀は警戒レベルを引き上げた。鹿島臨海と大洗の分遣隊も動くそうだから、ウチも即応待機の第三小隊を出す。準待機の第四小隊もだ』

 

 その言葉に、脳内に関東の地図が描かれていく。関東から東に向けて突き出した銚子の町、その少し北にある鹿島臨海工業地域、その更に北にある大洗。それらが迎撃行動に出ているということは、敵は東北の方から南下してきたということだろうか?

 

「了解です。これから向かいますから、ひとまず隊の指揮は司令にお願いします」

『もうやってる。第三小隊は鹿島地域に空中展開(ヘリボーン)、第四小隊は霞ヶ浦に展開させる」

「霞ヶ浦にですか? しかしそれは……」

 

 霞ヶ浦は湖。つまり内陸部に艦娘を展開させるということ。

 それは即ち、敵の本土侵入を想定しているということに他ならない。もちろん、鹿島方面から東京へと侵入する深海棲艦の艦載機を待ち構えるなら悪い迎撃位置ではないし、それが私の基地の存在意義でもあった。

 

『なに、敵集団に空母級が確認されたための措置、いつもの予防だ。空軍も百里基地から支援戦闘(こうげき)機を上げている。すぐに収束するだろうというのが横須賀の見立てだ』

「となると警報は」

『……発令はない。国民の平穏を守るのも仕事のうちだ』

 

 当たり前だろうと言わんばかりの基地司令。またか。端末を握る手に力が入る。

 

「首都圏に航空攻撃が迫っているのでしょう? 警戒警報だけでも発令すべきかと」

『そうだな……貴官の仕事は()()()()()。進言は確かに受け取った』

 

 その言葉が全ての回答。私は現場指揮官として警報発令を進言。それを基地司令、ひいては上位司令部の横須賀が棄却。今回も警報は発令されることはない。

 慣れたくはないが、これが現実である。一体このような襲撃が何度あっただろう。海中を移動する深海棲艦の捕捉・撃破は至難の業。本来なら適度な島に哨戒拠点を設置できればいいのだが、本州の東側に島は存在しない。

 

「萩風、いくわよ」

「あ、はい……でもいいんですか。基地公開は?」

 

 基地公開は空軍の管轄だ。海軍が関わることではないし、そこら辺は龍驤さんが上手いことやってくれるだろう。そもそも私はまだここにいなくてもいい人間なのだ。そんな理由(いいわけ)を並べつつ、私は早足になりつつも、表向きは冷静を保って駐車場へと向かう。

 

「出して頂戴」

 

 駐車場をするりと抜けていく自動車。流石に守衛には状況が伝えられているのだろう。こちらを軍用車と知ってか緊張を隠すこともせずに出口へと誘導される。

 とはいえ、基地を出てしまえば平穏な空気が漂っている。公道を行き交う車はまさか首都圏が危険に晒されていることなど知らないのだろう。

 

「萩風、今月に入って警戒レベルの引き上げは何度目だったかしら」

「三回目ですね。空母種を含む襲撃は二度目になります」

 

 そのまま料金所を通過した車は、加速帯で一気に加速。萩風の運転に焦りが滲むのは当然だ、なにせ圏央道を走っても到着には一時間以上。超法規的措置(スピードいはん)でも四〇分。

 それまで持ちこたえるか、それとも初動部隊が無事に敵を倒して徒労に終わるか。

 

「警報ぐらい出したらいいんですよ。別に誰かが損する訳じゃないですし」

 

 萩風がそんなことを言う。彼女の言うことは正論だ。この国の平和は薄氷の上、本来なら警戒警報を発令するべき場所まで敵は迫ってきている。いかに警戒用のメガフロートや無人の哨戒護衛艦を配置しても、深海棲艦はヒトの営みに惹かれてやって来る。

 人口密集地帯である関東に敵が集まってくるのは避けようがないのだ。

 とはいえ、警報を出さないのは何も軍の面子や警報の混乱を避けたいだけではない。

 

「萩風、あなた狼少年って知ってる?」

「え……あれですよね。普段から『狼が来た!』って騒いで町の人達をからかってた少年が、本当に狼が来た時に誰にも信じて貰えなくなるっていう……」

 

 そこまで言った萩風は、私の言わんとすることを理解したらしい。

 

「え、まさか警報の()()()を避けるために警報を出さないんですか?」

「警戒情報は発信しているけれど。防衛線が突破されない限りは警報は鳴らないわ」

 

 それは別にこの国が深海棲艦を軽視しているという訳ではない。この国には昔から和平すら結んでいない仮想敵国が居て、そこから毎日のように爆撃機が飛んできたのである。実際に領空に侵入されたことは数えきれず、酷いときには領土の上空まで入られたこともある。それでも、この国に空襲警報が鳴ることはなかった。

 それがこの国。身近まで刃が迫っても、それが実際に皮膚を切り裂くまでは叫び声の一つもあげない。そうして平和を保ち続けた来たのがこの国だった。

 

「それってどうなんですかね……」

 

 そう言いながらも、それきり彼女が言葉を発することはない。幸いにも自動車道に渋滞の気配はなく、道行く自家用車もバスもトラックも何食わぬ顔で舗装を踏みつけ走っていく。そんな均衡が崩れたのは、視界の縁に小さな鳥の群れが現れた時だった。

 

「あれ? ……司令、いまの見ました?」

「ええ、見えたわ。空軍の戦闘機ね。無人兵装運搬機(ロイヤルウイング)もいるわね」

 

 二機編隊の戦闘機に追従する複数の無人機。どうやら私たちと同じ方角に向かっていくようである。入間に戦闘機部隊は配備されていない――仮に配備されていても基地公開の真っ最中に離陸させるのは難しいだろう――ので、入間の更に向こう、日本海側の空軍基地から飛んできたことになる。そこまで状況は切迫しているのか。

 私は何も言わない。それに合わせてくれているのか、萩風もなにも言わない。

 今私が感じているのは違和感ではなく焦燥感であろう。先程の通話で基地司令はさも百里の、太平洋側の空軍だけで対応出来るようなことを言っていた。

 それなのに日本海側の空軍が出張ってくるのだ。恐らく戦況は、相当に――――

 

「加賀さん、ハイウェイラジオつけますよ」

 

 萩風がそう言う。なるほど、ハイウェイラジオなら警報が発出されたときの即応性も高い。萩風はパネルを操作すると、渋滞がどうのこうのと伝える声が聞こえてきた。

 

「……」

 

 端末を見る。時刻は正午を少し過ぎたところ。本当なら今頃、龍驤さんに変わって艤装装着体験の担当をしていたのだろうか等とぼんやりと考える。

 その端末が光ったのは、その時だった。

 

「――――ッ! 警報ですか?」

 

 萩風の声が飛ぶ。その画面を見た私は、逆に安堵の息。端末に表示されたのは着信を示す画面。そこに並記される文字列はあの子の名前。

 

「私の娘よ」

「なんだ……いいですよ、出て下さい」

 

 びっくりさせないでくださいよ。と言外に言う萩風の声。

 私はそれを聞き流しながら通話ボタンを押して耳に手を当てる。

 戦争が途切れた事なんて一度もない。毎日のように爆撃機がやって来ても、深海棲艦の艦載機が何度防衛線を飛び越えたとしても、爆弾が落ちなければ平和は保たれる。

 ただ、それでも思うのだ。それはあの子が内地にいるからの話に過ぎないと。

 

『まあ、キミの考えは分かっているつもりだ』

 

 空将の言葉が蘇る。その言葉はそのままの意味なのだろう。彼の娘は訓練学校に行きたがっていたという。あの子も同じように、艦娘になりたがっている。あの子が訓練学校を志望しなかったのは、空将の言うとおり私があの子から選択肢を奪ったから。

 そして彼は私の考えに気付いて……いや、知っているのだろう。

 この戦争は一刻も早く終わらせなければいけない。このままではあの子が戦争に出てしまう。それは絶対に許されない。あの子が艦娘になってしまえば、この国が如何にギリギリの所で踏みとどまっているか知ることになるだろう。

 私はあの子を戦争に巻き込まないと誓ったのだ。そのためには、どうしても深海棲艦を全て排除しなければならない。そのためには、艦娘母艦はどうしても必要なのだ。

 

『あの子が艦娘になったら。ううん、あの子だけじゃない。これから艦娘を目指す全ての子供達が、艦娘母艦によって無意味な死地へと送られる』

『じゃあ加賀さんは、自分の命令であの子を殺すことが出来るのね?』

 

 あの夜、親友と決別した夜の声が蘇る。赤城さん、あなたは私に軍人(かんむす)を辞めろと言いましたよね。そうすればあの子も艦娘になるのを諦める、と。

 でも、それは大きな間違いだ。この国の平和は寸での所で保たれているだけ。今はまだその平和に私たちは責任を持てる。だけれど今後十年二十年、その先のあの子が生きていくずっと先まで、どうして私たちが平和を担保できるというのだろう。

 だから私が、ここで終わらせるしかない。あの子に平和を与える方法は、深海棲艦を世界から、最低限太平洋から消し去ることしかないのだから。

 もちろん、そんなことはあの子に悟られてはいけないこと。あの子が私をどう思っていようと、私は為すべき事を為すだけなのだから。

 邪念を振り払って、心を穏やかにする。子供は親の心情の機微に気付いてしまうという。心を落ち着けて、冷静に言葉を紡がなければいけない――――だと言うのに。

 

「どうしたの?」

『お母さんッ! あのねッ! あのねっ……!』

 

 端末の向こうから聞こえてくるその声は、あまりに取り乱していて。

 

「どうしたの。しっかりしなさい?」

『赤城さんがッ……!』

「赤城さんが? 萩風、次のインターで降りなさい」

 

 思わずそう指示してしまって、自分の言葉を意味を遅れて理解する。自動車道を降りろと指示したのか。私は一刻も早く基地に向かわねばならない立場だというのに。

 それでも時間と、あの子は待ってくれない。

 

『赤城さんがッ、赤城さんがねっ……』

 

 なぜあの子が赤城さんと行動を共にしているのか、そもそも二人は何処に居るのか。疑問は尽きない。だけれど、今はなによりあの子を落ち着けるのが先だった。

 

「いいから落ち着きなさい。深呼吸するのよ」

 

 吸って吐いてと語りかければ、電話向こうの息切れするような声が引き潮のようにトーンダウンしていく。徐々にすすり泣くような息づかいが洗い出されていく。声だけで落ち着かせることが出来るだろうか。聴覚が人間の五感に占める割合は少ない。視覚で触覚で、早くあの子を安心させなければという焦燥感だけが積もっていく。

 

「それで、赤城さんがどうしたの?」

 

 落ち着いた? なんて気の利いた言葉をかける余裕はない。一体どういう状況にあるのかが全く読めない。私を焦らせるのはあの子が赤城さんと一緒にいるという事実。

 一体何処で、何が起きているというのか。

 

『赤城さんが、倒れちゃったの』

「そう……救急車はもう呼んだ?」

 

 言葉を途切れさせるな、理性だけは保ちつつ、私はゆっくりと次の言葉を探す。取り乱した電話口から何か事件が起こっていることは分かっていた。今一番に心をかき乱されているのは間違いなく知り合いが倒れる様を目の前で見てしまった彼女自身だ。だからこそ、こちらは冷静を保たなければいけない。

 

『それは大丈夫。ここが病院だから……でも、わたしどうしたらいいか分かんなくて』

 

 その言葉に、というより彼女の冷静さに安堵する。ということは、今は事が一段落したということ。119番通報より先に私に電話をするとは思っていなかったが、常に最悪を想定するのが軍人の性である。

 それでも、病院に運ばれて安堵できるのは軍人くらいなものだろう。病院は言うまでもなく命を落とす危険のある人間が運ばれる場所。病院と聞いて軍人が安堵するのは単に救えた命が失われる可能性がなくなったが故であり、人間死ぬときは死ぬのである。

 

「そこに居なさい。すぐに行くからね。お医者さんのいうことをよく聞くのよ」

 

 それだけ言って通話を切る。本当なら何かもう二、三言か声をかければ良かったのかも知れないが、それ以上に私の不安が彼女に伝染することが怖かった。赤城さんは既に病院に運ばれたという。それなら、今の私に出来ることはないのだから。

 

「萩風、次のインターはどこ?」

「……()()、お言葉ですが」

 

 遮るようにラジオが妙なチャイムを鳴らしたのは、萩風が横目で私を見やりながらそう口を開こうとしたときだった。

 

『走行中の皆様にお知らせします。こちらは、日本国国防空軍中部航空方面隊です』

 

 その言葉に冷や汗が走る。ハイウェイラジオに空軍、しかも方面隊が直接割り込んでくるなんてあり得ない話だ。思わずラジオを凝視した私に、その声は淡々と続ける。

 

『ただいま。関東地方は深海棲艦による大規模な航空攻撃を受けつつあります。現在中部航空隊は対処行動を行っております……』

 

 警戒を喚起する呼びかけなのは分かる。しかし何故空軍がこんなことをいうのだろう? 深海棲艦の危険性を呼びかけるなら、全国瞬時警報システム(J-ALERT)があるではないか。

 

「司令……司令(あなた)は、使命を果たされるべきなのではないのですか?」

 

 萩風の声が私に突き刺さる。しかしこの状況で、不安の淵に怯えて居るであろうあの子を放置しろというのだろうか。私があの子に掛ける思いを知っているはずなのに。

 

「まだ、招集が掛かったわけじゃないわ」

 

 何のためにシフトが存在すると思っている。軍人を確実に機能させるために存在するのではないのか。ここで私が休むことは権利として認められている。本来、私は非番の筈だ。先程の電話だって別に正式な招集が掛かったわけではなく、基地司令の個人的な電話だと解釈することだって出来る。もちろん、それは正しい判断ではないだろう。

 そんな私の迷いに拍車をかけるかのように、携帯が震える。はっと目を落とした端末に踊るのは、紛うこと無き全国瞬時警報システム(J-ALERT)、大規模航空攻撃情報の文字。

 私は軍人。軍人というのは、国家の危機に立ち向かわねばならない。それが職責(しごと)だ。

 

「警報が発令されました。司令は、使命を果たしてください」

「……えぇ、分かってる。分かってるわ」

 

 遠巻きに、警報が聞こえる。お腹の底に響くサイレン。それは高速道路を囲う防音壁の隙間から覗く青空に、どこまでも広がっていく。

 緑色の看板が、出口が間近に迫ったことを伝える。萩風はハンドルを動かさない。

 

「降りませんよ。このまま、基地に急行します」

「ええ……そうして頂戴」

 



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第72話 うすいよあけとうげをこえ

 どんよりとした灰色の雲が、空を覆っている。

 時間休を取って車に乗り込む。行き先を告げると、萩風は怪訝な顔をした。

 

「今夜は造船部長との会議ではなかったのですか?」

「予定が変わったのよ。部長は今朝呉に発ったわ」

 

 私がそう言えば、臆病風にでも吹かれたんですかねと言う萩風。ここは流石に訂正しておかないと不味いだろうと思い、口を開く。

 

「違うわよ。今回は統幕監部の命令に基づく拠点分散。要するに疎開よ」

「なるほど、疎開ですか」

 

 納得した萩風はアクセルを踏み込んで車を発進させる。帰宅ラッシュの時間でないことも相まって、国道に出ても対向車はほとんどいない。

 

「……そういえば。臨時編成される部隊、あなた志願したと聞いたけれど」

「はい。司令を補佐するのが私の仕事ですから」

 

 それは司令職を補佐するという私で、私個人を補佐するのとは微妙に話が違うような気がする。まあ萩風が優秀な艦娘であることは分かっているから、来てくれる分には助かるのだが……とはいえ勘違いをされても困るので、釘は刺しておくべきだろう。

 

「今回の臨時編成部隊、部隊長は片桐2佐よ」

「……反艦娘母艦派の、片桐2佐ですか」

「公私混同するなら、今からでも外れなさい。今回の任務に失敗は許されないの」

「私は軍人です。片桐2佐の下でもしっかりやれます」

「ならいいわ。でも、これだけは覚えておいて。千代田の防衛はあらゆることに優先する。それこそ、私たちのミスが国家の存亡に関わるの。気を引き締めなさい」

 

 私がそんなことを言う背景には、この国の抱えている傷跡の存在がある。

 

「敵は私たちと同じように『斬首作戦』を用いるわ」

 

 2020年代初頭、ミクロネシアを突破された日本は窮地に陥っていた。南方の戦線が押し込まれることは、北太平洋が戦場になることを意味する。そしてそれは、北太平洋に有効な哨戒拠点を持たない日本にとって最大の危機をもたらした。

 

「深海棲艦は指揮系統を的確に狙う。幕僚長や方面隊長……そして国会議員」

 

 それは深海棲艦を驚異的な生物、とはいえ所詮は生物(どうぶつ)と考えていた人類にとって大きな衝撃だった。彼らは太平洋で善戦していた日本と米国に対して「斬首作戦」を実行。

 つまり、両政府の政府・軍の高官へと一斉に襲いかかったのだ。

 

「もちろん、まだ自衛隊だった国防軍が素早く手を打って被害は最小限に留められたということになっているけれど……それでも、貴重な人材が喪われたことは事実よ」

「なるほど。それでここまで過剰に反応するんですね」

 

 きっと萩風には、私の言葉の重さが伝わっていないのだろう。確かに結果として政府へのダメージは少なかった。しかしそれは結果論に過ぎない。下手をすれば総理継承順位の保持者や陸海空軍の指揮官が皆々して殺害され、政治的・軍事的な空白を作ることになるかもしれなかったのだ。その恐怖は、当事者として忘れることは出来ない。

「確かに、先日の敵襲は結局「警報騒ぎ」という扱いで終わったわ。民間への人的・物的被害はゼロ。結果としては上々だったと言えるでしょう」

 

 しかし本土上空に敵機の進入を許したという事実は見逃せない。さらに言えば迎撃に成功したというだけで、肝心の敵部隊は取り逃がしたのだから問題だ。

 

「一番の問題は空母よ。日本本土を襲撃できる航続距離を持つ深海の飛行機は存在しない訳だから、近海に敵の空母が潜んでいることは間違いない」

 

 次の空襲は確実にある。その目標は分からないが、斬首作戦に則るならば最高機関を狙い撃つ筈。そのような経緯から、国会はおよそ二十年ぶりの休会を決議した。それを決断させるほどに、深海棲艦の斬首作戦は恐ろしいものなのである。

 とはいえ国会が休会したとしても首相官邸や最高裁判所は仕事を続けなければならないし、国防省を初めとする中央官庁も休むわけにはいかない。そんなことを言い始めたら、日本企業の多くは東京に本社を置いているのだ。東京が動かなくなることは、日本経済が停止することを意味する。だからこそ、東京は守らなければならない。

 

「片桐2佐の指揮の下、私たちは霞ヶ関の官庁街、そして衆参両院の議員会館を警備することになる。東京に残った国会議員たちを守る。これは責任重大よ」

 

 生半可な気持ちで臨まないように。その言葉に萩風は強く頷いた。

 

「でも……首相官邸の方が大事なような気がしますよね。そちらはいいのでしょうか」

「官邸は龍驤さんたちの教導隊が当てられるそうよ」

 

 まさに戦力を総動員しての臨戦態勢。これが日本全国レベルで行われているのだから、それはもう大変なことである。

 そして車はいよいよ東京都との境界へ。幸いにも住民レベルでの疎開騒ぎは起きていないようで、道路を往く車の表情に変わりはない。しかし車窓から覗く江戸川には警戒のために遡上してきた艦娘の姿。それらは単縦陣を組んで、川辺でシャッターを切る観衆に目もくれずにじっと空を睨み付けていた。思わずため息が出る。

 

「本当に儚いものね、平和というのは」

 

 だからこそ、深海棲艦は本当の意味で倒さねばならない。

 確かに、艦娘の活躍は曲がりなりにも年単位の平和をこの国にもたらしたと言えるだろう。しかしそれはたった一回の空襲でかき消えてしまうほど脆い存在に過ぎない。

 そしてそれは、何も本土が襲われなくても同じ事。もしも今、深海棲艦が海上交通網(シーレーン)への攻撃を激化させたらどうなるだろう。地上の重要な施設や河川に艦娘が配置されている以上、どうしても貨物船の護衛は疎かになってしまう。その穴を埋めるために海外の哨戒艦隊を呼び戻せば、海外の貨物船の護衛が疎かになる。 

 かつて、日米が太平洋の覇権をかけて争った戦争。あの戦いでも、日本本土が実際に空襲にさらされたのは最後の数ヶ月だけだった。そして本土が空襲を受ける何年も前から輸送船を沈められ続け、空襲や本土侵攻の頃には既に日本経済は疲弊しきっていた。

 この国には艦娘しかなかった。敵は米国すらも勝てない物量を持ち、絶え間なく攻め続けてくる。国土を必死に守り続けている今だって、いつ敵に防衛線を破られるのかという心配をするばかりの日々、こんなことでは経済に安心を、国民に未来を見せることなんて絶対に叶わない。あの子が戦わずに住む未来は、絶対に来ない。

 だからこそ艦娘母艦を就役させて、敵を太平洋から追い出そう……そんなことを今私が言ったら、これから会いに行く相手はどんな顔をするだろうか。またしても悲しみに顔を歪めて、もうやめてと繰り返すのだろうか。

 

「司令、お迎えにはいつ上がればよろしいですか?」

 

 私の暗雲を振り払ったのは萩風の声だった。既に車は目的地に着いてしまったよう。

 

「いえ。今日はもうここまででいいわ。ご苦労様、ゆっくり休んで頂戴」

「はい。それでは失礼します」

 

 私が降りたのを確認して、一礼の後に去って行く萩風。残されたのは私だけ。

 そして目の前には、総合病院のエントランスホールが待ち構えていた。

 

「大丈夫かなんて……そんな大袈裟に言わないでくださいよ」

 

 ただの検査入院ですから。清潔なシーツに包まれたベッドに身を委ねた彼女は、いつもと変わらぬ様子で笑ってみせた。空襲騒ぎのゴタゴタがあったので、直ぐに向かうことは出来なかったのだが……ひとまず元気そうでなによりと胸をなで降ろす。

 

「心配しますよ。いきなり倒れたなんて聞いたのですから」

「そうね。確かにいろんなヒトに迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」

 

 どうして貴女が謝らなければいけないのだ。謝るべきはむしろ、すぐに駆けつけることの出来なかった私の方だというのに。しかし私にはそんな言葉をかけることすらも許されない。もちろん彼女は許してくれるだろう。あの空襲騒ぎの日、関東中の部隊に非常呼集がかかったのだ。当然そのような事情は、彼女だって理解している。

 となると私の謝罪は、自分を満足させるためだけのものでしかない。だから私は謝れない。そんな自己満足に彼女を付き合わせるのは、誠実とは言えないからだ。

 代わりに取り出したのは数冊の小冊子。それは普段目を通すような灰色の資料ではないし、仰々しい決済印の押された命令書でもない。

 

「あの、赤城さん。病室はお暇だと思って、読み物をもってきました」

「あら……」

 

 赤城さんは僅かに驚きの表情を浮かべる。何か不味いことでもあっただろうか。

 

「あの、もしかしてもう読まれてました?」

 

 赤城さんの活字好きは有名な話。知識が偏るからと学術書から大衆文学まで幅広く眼を通し、早く情報を取り込むためなのかとにかく読むのが速い。そうであれば、確かに流行(はやり)の大衆文学などはもう読んでしまっていてもおかしくはなかった。

 

「これはですね。いろいろ立て込んでいたのであまり吟味することが出来なくて」

 

 やはり急いで用意したのはよくなかったかと後悔の念が押し寄せる。しかし赤城さんは、違うのよと首を振って見せた。

 

「そうじゃなくてね。なんだか、すごい懐かしい感じがして」

「なつかしい、ですか?」

 

 言葉の意味が理解できない訳ではない。戦えば艦娘は傷を負う。傷を負えば、傷を癒やすための処置を行うことになる。病室はひどく退屈で。

 

「前は、こうやっていつも加賀さんが差し入れしてくれたものね」

 

 でも、それは僅かに3年前までの話。そんなに懐かしいことだろうかと首を傾げる私に、赤城さんはさも可笑しそうに表情を緩めた。

「不思議よね。たった3年前の話なのに……でも、もう3年も経つのよね」

 

 時の流れって残酷よね。赤城さんがそんなことを言って、私はその言葉にはっとさせられる。確かに、もう3年も経った、でもまだ3年しか経っていない。

 

「ねぇ加賀さん。加賀さんにとっての3年間は、あっという間だった?」

 

 その3年は、私と赤城さんが離れていた間の3年間。あっという間だった……とは思う。中学に進学したあの子には弁当を用意してあげないといけなかったし、幕僚課程や佐官への昇進、護衛隊の司令としての職務。やることが多すぎた。

 

「私はね、ちょっと退屈だったの」

 

 赤城さんがそんなことを言う。千島列島で相手にしなければならないのは深海棲艦だけじゃなかったはず。職務は私以上に忙しかったに違いないと言うのに。

 

「時間の流れは一緒でも、時間の感じ方は人それぞれ」

 

 加賀さんの3年間はとっても濃密だったんでしょうね。赤城さんは何を言おうとしているのだろう。3年間という数字は、私の立てた太平洋奪還の作戦期間にも一致する。

 

「……」

 

 まさか病室でも艦娘母艦の話をするのだろうか。確かにここは個室で、話をすること自体は可能。まして、私たちは先日その件で散々に言い合ってしまったのだ。

 

「あ……ごめんなさい。そのことを言うつもりじゃなかったの。ほら、官舎を出てからのこと、あの子の話はたくさんしたけれど、私たちの話はしていなかったじゃない」

 

 私の表情をどう読み取ったのだろう。赤城さんはごめんなさいと頭を下げる。

 

「違うんです。謝らなきゃいけないのは、むしろ私の方で。その……先日は、口が過ぎました。気持ちが先行してしまって、それで赤城さんに、あんなことを」

 

 あの夜、私は赤城さんに心ない言葉をかけてしまった。赤城さんは艦娘母艦に反対していた。その理由が人的資源の消耗を避けるためだということは知っている。もちろんそれが、あの子を心配しているからこそだってことも。それに対して私はなんと返しただろう。感情的で、あまりにも赤城さんのことを考えない発言で。

 

「いいのよ。ヒトには誰にだって譲れないものがあるもの」

 

 それに、先にルールを破ったのは私よ。赤城さんはそんなことを言う。

 

「ルール……ですか」

 

 赤城さんがそう口にしてしまうと、私たちの間にも暗黙の了解(ルール)があることを思い知らされる。

 

 確かに、私たちは互いを本名で呼び合うことはなかった。赤城さんは私のことを加賀さんと呼んでくれたし、私も赤城さんのことを赤城さんと呼ぶようにしてきた。

 

赤城(わたし)新田ミコト(わたし)、公人たる『特務神祇官(かんむす)』と私人たる『新田の一族』を私はわけて考えてきたつもりだったわ。なのに私は加賀さんの僚艦(どうき)、つまり公人(かんむす)としての立場を利用して私人(じぶん)の都合を優先してしまったの。だって、あなたは僚艦の赤城(わたし)だから家に迎え入れてくれたのでしょう?」

「それは……」

 

 どうなのだろう。赤城さんが艦娘母艦に反対しているのは知っていた。それでも私が彼女を家に迎え入れたのは、確かに赤城さんを僚艦として見ていたからかもしれない。

 

「でも、それは。赤城さんが公私混同したことは、私があなたに酷いことを言う理由にはなりません。あんなこと、私は言うべきじゃなかったんです」

 

 赤城さんが艦娘母艦に反対して、戦争を終わらせるのは無理だと言って。

 

『軍人として命じられる? あの子に死んでこいと、死んで祖国の礎になれと』

新田さん(あかぎさん)……あなたなら、きっと殺せるんでしょうね』

 

「自分でも、なんであんなことを言ってしまったんだろうって思ってるんです。私は軍人です。いざとなれば部下に死んでこいと躊躇無く命じる立場です。それなのに」

 

 あの戦い……ミクロネシアの戦いで、自衛隊は第8護衛隊群を見捨てた。赤城さんの部隊はグアムに張り付いていて、最後まで救援に動くことはなかった。その経験が、私に艦娘母艦を、水上機動団構想に拘らせたのは事実だ。

 

「赤城さんのいうことは正しかったですよ。私は感情論で押し流される人間です。あの子を守るためなら、どんなことだってしようとする人間です」

「ううん。私は言いすぎたわ、あなたを追い詰めるようなことを言ってしまった」

 

 それなのに私の立場に立ってくれる赤城さんは、本当に立派な人だと思う。私はただ赤城さんに許されたいだけだというのに、彼女はそれを良しとしてくれる。

 

「実はね、加賀さんにああ言ってもらえて、私少し嬉しかったの」

「え……?」



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第73話 めいせんまとうむめいのひ

 

「ううん。私は言いすぎたわ、あなたを追い詰めるようなことを言ってしまった」

 

 それなのに私の立場に立ってくれる赤城さんは、本当に立派な人だと思う。私はただ赤城さんに許されたいだけだというのに、彼女はそれを良しとしてくれる。

 

「実はね、加賀さんにああ言ってもらえて、私少し嬉しかったの」

「え……?」

「ほら、私がミクロネシアを見捨てたって、そう言ったじゃない。小を捨てて大を守る。それを是としたって。そう言われてね、少し嬉しかったの」

「……何故ですか?」

 

 妙なことを赤城さんが言う。私の心ない言葉が、どうして嬉しいというのか。

 

「ほら、あなたは言ったわよね。自分はミクロネシアを見捨てはしないって」

「え、えぇ……でも」

『私だって。好きで捨てた訳じゃないんですよ?』

 

 あの時、赤城さんはそう言っていた筈だ。それはつまり、好きでやった訳ではない、本意で見捨てたわけではないということではないのだろうか。困惑する私に、赤城さんはゆっくりと続ける。一言一句、まるで私が聞き違えないように。

 

「あの時ね、加賀さんが昔のままで良かったって、そう思ったの。あなたはミクロネシアを最後まで見捨てなかった。最後まで8護群を助けようとしたでしょ?」

 

 正直ね、不安だったの。あなたがどこまで本気なのか。赤城さんはそう言う。

 

「艦娘母艦自体は必要。それは私も、片桐先輩だって分かっていることよ。でもね、私は艦娘母艦を推進する造船部や、艦娘派の多くが艦娘の(こと)を考えているとは思えない」

「……」

 

 それは恐らく、事実だろう。大切なのは艦娘が勝利することであって、艦娘自体に興味が寄せられていないのは事実だ。幼年学校や訓練学校、そう言った育成機関に身を寄せる人々のことまでは考えていない。ただ艦娘が勝つことを求めるのが艦娘派だ。

 

「でも、加賀さんはそうじゃなかった。加賀さんは戦争を終わらせることをちゃんと考えているのね。だから私は、嬉しかったのよ。加賀さんが変わってなくて」

 

 それは……私が自分を見失っていないという話なのだろうか。私はずっと戦争を終わらせることだけを考えてきた。それが赤城さんには通じていなかったのだろうか。

 

『我々はキミの意思を図り損ねている』

 

 そうだ、小沢空将もそう言っていたではないか。

 

「いえ、変わってしまいましたよ」

 

 そう、3年はやはり長かった。一昔前なら、私と赤城さんの間にこんな空気が流れることはなかったはずだ。お互いに何を考えているか探ったり、本音を建前で隠したりするなんてことはなかった。原因を私はずっと考えていた。私たちが佐官に昇進してしまったから? 艦娘派と中立派で派閥が分かれてしまったからだろうか?

 いや、どちらも違う。違ったのだ。

 

「私はきっと、偉くなりすぎたんです」

「……」

 

 赤城さんは何も言わない。何も言わないことが、揺るぎない答え。

 「ミクロネシアの英雄」という言葉は、所詮は敗北を続ける政府が戦死者たちに送った言葉だと思っていた。だけれどそれはいつしか、あの圧倒的な物量差に押しつぶされた戦線から帰ってきた敗北者たちを称えることばに変わっていた。

 萩風は小沢空将を「偽の英雄」だというが、そんなことを言えば私だって上官や先輩たちを見捨てて逃げ帰った「偽物(えいゆう)」だ。

 

「でも。あなたには偉くなる理由があった。そうでしょう、加賀さん?」

「ええ、その通りです。私は平和を掴み取らなくちゃいけなかった。その過程であなたとぶつかることになることだって、分かっていたのに」

 

 勝ちはない。そんなことを言った上官の言葉は、今のところずっと証明され続けている。人類は負けてはいないが勝ってはいない。二十年もの間続いても未だに出口の見えない戦争は、今ではすっかり経済の、日常の中に取り込まれてしまった。

『あの子は艦娘に憧れるわよ』

 そうだ。だからこそ私はこの戦争を終わらせないといけない。

 

「私はもう『どんな犠牲を払ってでも』という言葉を使わないといけない立場です」

 

 私は護衛隊の司令だ。部下を抱え、部下を守り、部下に死ねと命じる。

 

「それでも、加賀さんは諦めないのでしょう?」

 

『なら、私は止めるしかないわね』

 赤城さん、矛盾していますよ。あの夜あなたは何としてでも止めると、そう言ったではありませんか。あなたが私を止めるのは、諦めないと言った私が犠牲を厭わない姿勢を見せたからではないのですか。その問いは言葉になってくれない。

 

「状況が変わったんですよ。加賀さんが犠牲を最小限にしてくれるのなら、加賀さんを止める理由はありません。私は、小を捨てて大を守りますから」

「なんで、そんなことを言うんですか?」

「状況が変わったのよ。この前の空襲は、あなたも知っているでしょう?」

 

 もちろん、今それで国防軍は上へ下への大騒ぎだ。いまこうして入院している赤城さんですら、それは十分肌で感じていることだろう。

 

「私たちの無人艦構想は、あくまで本土の安全が絶対である時に成立する。一億人の安全が確保されているからこそ、艦娘一人の命を大切に出来るの」

 

 でも、それは脆くも崩れ去ってしまったの。赤城さんはそう自嘲気味に笑う。

 

「それはつまり……国民という大を守るために、艦娘という小を捨てる」

 

 そういうことですか。私の答えが明らかな問いは、二人の間に消えていく。

 それなのに、赤城さんはにっこりと笑った。

 

「何言ってるのよ。だからこそ、私は加賀さんに任せるのよ」

 

 だって、加賀さんは艦娘を見捨てないでしょう? 赤城さんはそんなことを言う。

 

「加賀さんのいう太平洋奪還構想は確かに大きな賭よ。失敗すれば艦娘を大勢喪うことになる。でも、あなたは見捨てないと言ったわ。だから託せるの」

「なんですかそれ、矛盾してますよ」

 

 それでも、赤城さんの中では矛盾などしてはいないのだろう。赤城さんは国を守ることが理想だと言っていた。それはつまり、一億の国民を守ると言うこと。一億の国民を守るためなら、たかだが数万の艦娘が死ぬのは問題ではないのだ。

 

「でも、無理ですよ。私はたかだか3等海佐ですよ。権限も何もかも限られています」

「大丈夫よ。あなたには艦娘派があるじゃない」

 

 赤城さん、あなたもそんなことを言うんですか。私が艦娘派をまとめ切れていないのは、艦娘母艦に関するあれこれで知っている筈。それでも彼女は大丈夫よと続ける。

 

「艦娘母艦を作ることに、本心から反対するヒトは誰もいないわ。あなたの意見に賛成してくれるヒトも……でも、あなたの足の速さについて来られないヒトが沢山居るの」

「それは……」

 

 まさにそれは艦娘派の話だ。艦娘派に芯となるべき方針というものは存在しない。

 だからこそ萩風のように私に従ってくれる者もいるが、大半とは意見の調節も曖昧なまま話だけが進んでいく。造船部は呉へ移転したことを理由に会合の中止を申し出たが、あれは向こうとの詳細設計に関する話し合いが難航していることに他ならない。

 

「派閥にも色々あるわ。私や片桐先輩みたいにコミュニケーションを徹底的にとって繋がる派閥もあれば、仕事の受注や所属部隊といった連帯感から生まれる派閥もある……中立派や艦隊派がそうね。でも、強力なカリスマで皆を率いることだってあるはずよ」

「私には、そんなカリスマはありませんよ」

 

 それは英雄の虚名がもたらしたもの。それを一番知っている赤城さんは、首を振る。

 

「技官系のエリートが集まる造船部が()()()3等海佐を協力相手に選ぶと思う? 艦隊派が横須賀総監を、中立派が航空総隊の司令官を担ぎ出してまで艦娘母艦の阻止に動くと思う? PHIだけじゃなく、神崎グループまで動いてるかもしれないのよ?」

 

 あなたはもう、それだけの力を持ってるの。そんなことを言う赤城さんの眼は本気だった。確かに、太平洋を奪還するだなんてスケールの大きなことを言ったのは私だ。

 だけれどそれは、本当に小さな、あの子の平和を叶えるためだというのに。

 

「よく聞きなさい。小さな目標(へいわ)なんて掲げちゃダメ。政権公約(マニフェスト)はでっかく甘美なのを選びなさい。それが派閥の秘訣(タネ)よ」

「なんでそんなことを言うんですか。赤城さんは、私になにをさせたいんです?」

 

 こんな風に私を焚き付けるようなことを言って、私に派閥を……艦娘母艦を作らせようとして。これまでの彼女と真逆の動きに、私は困惑するしかない。

 そして彼女は、赤城さんはにっこりと笑いかける。

 

「だってもう、私とあなたは同じ(みち)を歩けないから」

 

 その笑みがあまりに影を孕んでいるので、私はある可能性に辿り着く。

 

「……赤城さん、もしかして。あなたが倒れたのは」

「倒れた? あぁ……あれはただの貧血よ」

 

 その言葉が本当でないことは私でも分かる。ただの貧血で検査入院するはずなどないし、そもそもこの入院が単なる検査のためとは思えない。

 

「でも、私がどうなったとしても。あなたは戦いをやめないでしょう?」

「……当たり前です。私は、戦争を終わらせるんですから」

 

 その言葉に、目を細める赤城さん。赤城さんが何を言いたいのか、赤城さんが今、どういう状況になっているのか。私には正直分からない。ただ、赤城さんの身体に変調があったとしても、いや。そうだとすれば尚更に私は止まるわけにはいかない。

 

「戦争を終わらせるんです。あの子が艦娘に、戦争に行かずに済むように」

 

 それは、私が絶対に為すべき事なのだ。あの子を戦争の世界に征かせてはならない。

 その事は、私があの子を託されたときから決まっている確定事項。

 

『私にも月並みな願いがあるんだ。大切な娘……いや娘達、みんなの平和さ』

 

 それが、あの人が私にあの子を託した、託された理由なのだと思う。そう信じて、私は今日まで平和を守ってきた。そしてこれからは、平和を掴みにいく。

 

「独りよがりかも知れません。それでも私は戦争を終わらせることが国益だって言いますよ。だってそれが、赤城さんのいう大きな目標なんでしょう?」

 

 だから、私はせめて笑って見せる。赤城さんの言うとおり、私たちは路を違えてしまったのだろう。もうあの頃には、机で教科書を、食卓で料理を、戦場(いくさば)においては艤装(くつわ)を並べたあの頃は、どうしたって帰ってこない。

 

「加賀さんは本当に、強いわね」

 

 赤城さんがそんなことを言う。ねえ加賀さん、と。漏らすように言った。

 

「あなたの一番大切なモノ、必ず守ってあげてね」

「……あたりまえのこと、言わないで下さい」

 

 

 

 




 

 

 ぽつぽつと、雨がガラスを叩く。

 思い出したように時折動くワイパーが水滴を弾き飛ばして、前方の視界を確保する。

 それでもこの国に垂れ込めた重苦しい空気が消えることはない。

 

「まったく、なんでこの私が貴官(あなた)と一緒に仕事をして、それどろか車に乗せられないといけないんだか。管理職は残業代出ないのよねぇー」

「なんてことを仰るんですか! 司令は立派なお方です!」

「萩風、少し落ち着きなさい」

 

 私が肩を叩いて宥めると、ですがと返す萩風。そんな萩風を面倒臭そうに眺めながら、あのねぇ萩風と片桐2佐は口を開く。

 

「今の司令はこの私なの。〈加賀〉と〈萩風〉は臨時編成9001護衛隊所属。そして司令はこの私、片桐2佐。第一、なんでこんなところまで付いてきたのよ」

 

 狭いったらありゃしない。その言葉は実際その通り。片桐2佐に萩風に私、後部座席に三人も座るとどうしても手狭になるというもの。真ん中に座った萩風が口を開く。

 

「そうです、いい加減にこんな所に連れ出した理由を答えて頂きましょう!」

 

 多分2佐は萩風(あなた)に言ったのよというのは、面倒になるので口を出さない方が良いのだろう。少なくとも、()()はこの奇妙な状況を生み出した犯人には違いないのだから。

 

「なに、そこら辺をぐるっとドライブするだけです」

「ドライブって……あのねぇ小河原1尉。私たちは議員会館に残った国会議員たちを守るっていう超が付くほどの重要任務についてるのよ? 非番はしっかり休みたいの」

 

 片桐2佐が苛立ちを隠さない調子で言う。警戒任務のシフト明け、待ち構えていたように現れたのがこの小河原と名乗る1等空尉であった。所属は94航空団。そういえば、あの艦娘母艦の会議に乱入した行動部隊(てつぽうだま)も同じ所属と名前を名乗っていたか。

 ともかく、そんな彼女は後部座席の苛立ちを気にせずに飄々と話し続ける。

 

「日本は自動車大国でありますが、やはりパワーにスピードとなるとPHIがダントツ。実はこの車、先月納車したばかりでしてね? 旦那の猛反対を押し切って買ったわけですから、やっぱり自慢したいじゃないですか」

「……なに? 親愛なる小沢空将は部下に新車(おもちや)を披露させたかったってこと?」

「2佐殿は冗談も通じないんですか? まあ披露したかったのは事実ですけど」

 

 彼女の目的は一体何なのだろう。私は黙って流れを眺める。片桐2佐はため息。

 

「……まあいいわ。茶番は終わりよ。わざわざ小沢空将の名前を出してまで車に連れ出したからには、なにか話があるのは分かってるわよ。車なら盗聴の心配も少ない」

「理解が早くて結構。では、簡潔に申し上げます」

 

 要するに彼女は聞かれると不味い話をこれからするということ。居住まいを正した片桐2佐に、小河原1尉はさらりと告げる。

 

「今回の襲撃……つまりこれから敵が繰り出すであろう航空攻撃が、議員会館をはじめとする千代田区一帯を襲撃することは()()()()()()

「つまり、空軍は敵の狙いが分かっている訳ね」

 

 そうですと頷く小河原1尉。

「まずは単純な事実からお話しましょう。我が空軍の機体損傷が北マリアナやインドネシアと比べ、本土の方が軽微であることはご存じですか?」

 

 その質問は誰に向けられたものだろう。彼女はそのまま言葉を続ける。

 

「まあ本土の空を我々が知り尽くしているやレーダー網の配備が濃密であることも背景にはあるのでしょうが、それで戦果の説明はついても損害の説明はつかないんですよ」

「まあ、確かにそうね。大戦果は敵を的確な位置で叩けばいいけれど、損害を減らすには奇襲攻撃を仕掛けるか対空砲火を分散させるしかない」

 

 それはその通り、突入タイミングのミスや待ち伏せにあうことで損害が大きくなることはあっても、対空砲火を受ければ機体が損傷しないなんてことは滅多にない。無人の艦載機(ドローン)と比較してどうしても大型になってしまう有人機では尚更だろう。

 

「深海棲艦は下等生物という訳ではありませんからね。陣形は効率化されているのを感じますし、対空砲火もなかなか濃密です」

 

 もちろん艦載機(ドローン)を操るお二人は肌で理解されていると思いますが。そう言いながら小河原1尉はハンドルを回し、車は広々と転回する。彼女は何を伝えようとしているのだろうか? 片桐2佐に目を走らせると、彼女は何も言わずに外の景色を観ていた。

 

「実は、ちょっとしたカラクリがございましてね。今回敵が狙っているのは、ほぼ間違いなくその施設なのです」

 

 どうやら、それが東京の中枢が狙われない理由らしい。敵の戦略は斬首作戦ではなかったのか。黙って待つ私たちに、小河原1尉は次の言葉を放つ。

 

「入間ですよ。ヤツらの狙いは、入間空軍基地です」

「……となると、敵の目標は中部航空方面隊司令部ですか?」

 

 萩風が分かったと言わんばかりに声をあげる。関東から近畿地方までを守護する中部航空方面隊は、紛れもない日本防衛の中枢。斬首作戦の対象になるのは納得だ。

 

「いえ、違います。入間国防病院です」

「え……?」

 

 なぜ病院を狙うのだろう。入間国防病院は空軍の管轄する病院。入間空軍基地に併設され、航空搬送されてくる負傷兵の受け入れだけでなく地域むけの総合病院としても機能している。確かに攻撃を受ければ国防軍の救急体制や周辺地域の医療サービスに打撃を与えることは可能だろうが、それが官庁街を爆撃することに勝るとは思えない。

 

「入間には『防空網』があるんですよ」

 



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第74話 いまにゆらぐかのめいとう

「防空網?」

 

 防空網というのは、一般的に考えればレーダーに指揮管制、対空ミサイルや機銃に航空機を組み合わせた包括的なものであるはず。関東の防空網といえば複数の基地や部隊の連携を示すのだから、入間に防空網があるのは文脈的におかしいはず。

 

「ええ、防空網です。正確には、()()()()とでも言うべきでしょうか」

 

 どうも話の容量を得ない。それに不気味だ。小河原1尉は94航空団、航空母艦(DDH)に搭載される航空団のパイロットだと聞いている。それがどうして、結界だなんて言い方をするのだ。仕事の領域(せんもんぶんや)でこんな言い回しをするのか分からない。

 何かがおかしい。萩風も話の流れが分からないようだし、片桐2佐に至っては話を聞いているのかも怪しい。ここは私が聞くしかないか。

 

「源というのは、警戒管制団のことでしょうか?」

 

 言葉通りに受け取るのであれば、源というは防空網を動かす原動力だろう。現代戦の基準に照らせば原動力とは航空隊の監視と管制を行う警戒管制団ということになる。

 

「ああいえ、そんなシステムの話じゃないですよ。霊力戦の話です」

「霊力戦? それはおかしいですよ1尉殿」

 

 萩風が声を上げる。彼女の気持ちも分からなくはない。オカルトの塊である「霊力戦」は特務神祇官たる国防海軍人、つまり艦娘の十八番である。

 

「空軍の担当は質量戦のはず、霊力戦を担当するのは私たち艦娘です」

「……うーん。まあ論より証拠ですかね。少し荒れますよ?」

 

 その言葉の真意も掴めないうちに、いきなり身体が左右に揺さぶられる。

 

「きゃっ――――」

「ちょちょちょっ! 小河原1尉! なにするのよッ!」

 萩風の悲鳴が聞こえ、先程まで沈黙を保っていた片桐2佐が叫ぶ。

 車がスピンしているのは明らかだ。いくらシートベルトをつけているとはいえ、買い物カゴの中身のように乱暴に揺すられては堪ったものではない。慌てて車内に据え付けられた持ち手を掴み、残りの手で萩風を押さえ足を踏ん張る。

 

「~~~~!」

「1尉! 何考えてるか分かってるの! これはッ、上ッ官へのッ!」

「そいやぁッ!」

 

 謎のかけ声と共につんのめったのも一瞬。無音で世界が反転する。一瞬の無重力、振り回された三半規管が伝えてくるのは車が横転したという事実。

 

「……と、まあ。こんな感じです」

 

 その筈なのに、何故か次の瞬間には車は平然と走っている。前後左右を見回すが、広々とした公道には他の車の姿はなく。これでは何があったのかさっぱり分からない。

 何も要領を得ないが、大急ぎの三点保持が効いたらしく身体に痛みはなかった。

 

「は、ぁ……はぁ。せ、説明を、求めるわ」

 

 しかし予告無しで横転されては堪ったものではない。萩風は驚きのあまり呆然と……いや、中央の座席だったことが災いして気を喪ってしまっているし、私だって息が上がらずにはいられない。息も絶え絶えの調子で片桐2佐がなんとか言葉を紡ぐと、なんでもないことですとばかりに小河原1尉は笑う。

 

「霊力は誰でも持っている、普遍的な存在ですよ。今回タイヤと地面の間の抵抗を低減させることで意図的にスピンを作り出し、その後車体(フレーム)を着地の衝撃から守りました」

「……いや、ちょっと何言ってるか分かんないんですけれど」

「霊力防壁が物理的障壁にもなることはご存じだとは思いますが……」

「そうじゃなくて! なんで空軍の人間が霊力防壁を使うのかって聞いてるのよ!」

 

 片桐2佐の反論。ワンテンポ遅れたが、私もようやく状況を理解してきた。

 つまり小河原1尉は、自分の自動車に霊力防壁を展開してスピンに横転を産み出し、それで着地の衝撃まで和らげてみせたというのだ。

 

「空軍だから使ってはいけないというルールはないでしょう。私だって艦娘を目指せるくらいには特務神祇官の才能があるんですよ。まあ、私は駆逐艦の適性も貰えず落ちましたので、そこで延びてる駆逐艦娘さんにも出来る筈ですよ?」

「時速数十キロで走る車が二回転じゃすまない横転をさせて、何の衝撃も感じさせない霊力使いが、駆逐艦の適性も貰えないなんてことがあるのかしらね……?」

 

 お腹の底から訝しげな声を出してみせる片桐2佐、対する小河原1尉は笑う。

 

「なにはともかく、霊力防壁(これ)がカラクリなんです。私は自前の防壁が張れますが、多くの空軍パイロットは張ることが出来ません」

 

 確かにその言葉は事実だろう、有人の航空機は艤装よりもずっと大きい。霊力防壁は展開の対象が大きければ大きいほど薄くなる。航空機を防護するには、並大抵の適性では不可能に違いない。

 

「ですから、霊力を補充して貰うんですよ。『防空網』に」

「……補充?」

 

 訝しんだ私に、そちらの艦載機と原理は同じですよと彼女は言う。確かに、空母の放った艦載機は全て母艦(かんむす)自身の霊力で守られている。とはいえそれは、艦載機が小型だからこそ成立する話。戦闘機を護るだけの霊力防壁となるとそう簡単にはいかない。

 

「そう、だからこそ敵はそれを狙っているんです」

 

 それを狙う? つまり、霊力を供給するという「防空網」が狙われたということか。

 

「敵の目的は『防空網』への飽和攻撃……つまり、結界の源を枯渇させることです」

「枯渇ですか。それはつまり、霊力を枯渇させると」

「ええそうです」

 

 なるほど。話が見えてきた。小河原1尉はその後も話を続けていく。「防空網」は作戦行動中の航空機を護るために展開される。それが結果として、本土上空で作戦を行う空軍機の損傷を少なくしているというのである。

 

「ここ数ヶ月の襲撃のパターンを調べると、敵の艦載機群が千代田区ではなく入間を目指していることは分かるんです。グアム=硫黄島のラインで南側を固めていることもあってこの事実に気付くのが遅れてしまったのですが……ともかく、先日の空襲騒動では小松や三沢の部隊も出撃しましてね」

「それが『防空網』の霊力を枯渇させてしまったと」

 

 ええそうですと返す小河原1尉。ただでさえ莫大な霊力を必要とするであろう大型の戦闘機が複数飛んできたのである。枯渇してしまうというのもあり得ない話ではない。

 ただ妙なことはある。それは小河原1尉がなぜこんな話をするのかということ。

 

情報は知るべき人のみ知るべき(NEED TO KNOW)というヤツですよ。あなた方にはこの情報を知っておいて頂かないといけないのです。もっとも、これは国防空軍からの正式な要請ではなく、私個人……いえ、ある特定のグループからの依頼と考えて頂きたい」

「穏やかじゃないわね。まあ、大方の予想は付くけれど」

 

 そこで漸く口を開いた片桐2佐。同じ国防省の下部組織とはいえ、海軍空軍の指揮系統は殆ど分離されている。縦割りが徹底された組織から「個人的なお願い」など、到底許容されるものではない。いや、それにしても片桐2佐の落ち着きようはなんなのだろう。それに大方の予想がついていると言った。どういうことなのか。

 

 話に若干ついていけなくなりつつある私を余所に、小河原1尉は喋り続ける。

 

「『防空網』が枯渇しきることは避けねばなりません。前回は、幸いにも枯渇することはありませんでした……しかし、次はないのです」

 

 次はない? これまでの話を踏まえると「防空網」とは航空機に霊力防壁を展開し深海棲艦から守ってくれる存在。となると、先日の空襲騒ぎで多くの航空機が関東に集中した結果、多くの霊力防壁を展開せねばならず……枯渇しかけた、ということか。

 であれば、艦娘(わたしたち)に何を頼むかは理解できる。

 

「要するに、小河原1尉は空軍抜きで首都防空を完結させて欲しいと?」

 

 それはいくらなんでも横暴が過ぎる。実質的な空軍の任務放棄に等しいではないか。

 

「ま。私たちは『防空網』なんて知らされてもいなかったしね。枯渇したりすると何かまずい事になるんでしょ? ただ具体的な話を聞かずにははいとは言えないわ」

「当然です。ですがここでお話ししたことは、どうか胸に留めておいて頂きたい」

 

 既に話の流れは止められない。「防空網」がなんなのかは分からないままだが、空軍が任務を海軍に託すほどの問題を抱えていることは疑いようがない。それも、正式な協力要請という形を避けてまでの依頼。小河原1尉はゆっくりと、先程までとは比べものにならないように慎重に言葉を並べた。

 

「『防空網』とは、人柱です」

 

「……人柱?」

 

 その言葉は、あまりにも時代錯誤で。思わずオウム返しに繰り返してしまう。

 

「はい。霊力防壁に用いる霊力を供給する、人柱です」

 

 大昔、橋などの壊れやすい建造物を建築する際にそこにヒトを埋めたなどという伝承がある。それはヒトを供物に捧げることで壊れないように祈願するとかそのような話。他にも荒れ狂う河を鎮めるため、日照りを止めるため、ともかく様々な理由をつけては、生け贄を神に捧げるという文化があったのだという。

 しかし、それはあまりに前時代的なものであろう。いや、霊力などというオカルトが科学的に証明されつつある今の時代に生きる私が言うのも説得力はないのであるが。

 しかし、その人柱という言葉がそのままなのであれば……。

 

「これは、とんでもない人権侵害になるわね」

 

 ふむと頷く片桐2佐。防空網はこの人権の時代にあっては存在してはならないモノ。

 

「そういうことです。だからこそ、こうしてお話するしかないのです……これから、沖合のどこかに潜む敵空母集団を撃滅するまで、首都圏は空襲に晒され続けることになります。大規模な襲撃には空軍が耐えられても『防空網』が耐えられません」

「それは運用で回避することは出来ないのですか? 例えば、出力を絞るような」

「無理です。『防空網』の願い(ちから)はあらゆる航空機を守ることなのです。問題の『防空網』は中部警戒管制団のシステムと直結しています。戦闘で私たちがデータリンクを共有する……いえ、レーダーに機体が映る限り『防空網』は霊力供給を続けるでしょう」

 

 随分と杜撰なシステムである。ともかく、これまで本土上空の作戦機を守ってきた「防空網」を、今深海棲艦が狙ってきているというのが小河原1尉の話だった。

 

「ねえ、少し確認させて1尉」

 そこで口を開いたのは片桐2佐。

 

「あなたのいう『防空網』は、自分の意思で動いている訳ではないの?」

「半自動的に、強制的に霊力を供給するとお考え下さい。少なくとも、我々からでは干渉のしようがありません」

「『防空網』は人柱なのよね。それなら人間が動かしている筈でしょ? それなのに干渉できないってどういうことよ。制御不能ってこと?」

「そう捉えて下さって結構。恐らく()()は無意識的に霊力の供給を行っているのでしょう。それこそ呼吸や鼓動のように。無理に止めることは最悪の事態を招きかねません」

 

 曖昧だ。霊力を供給する人柱が存在すること。空軍がそれに頼って本土防衛を行って来たことまでは分かる。小河原1尉は淡々と話していく。

 

「開戦当初、航空自衛隊の損耗率は酷いものでした。機体の大きさや兵器の威力、射程は圧倒的にこちらが上ですが、近接戦闘(ドツグファイト)となると途端に分が悪くなる。それが当時の防空戦闘の限界でした。だからこそ、航空機にも霊力防壁が必要となった」

 

 有人航空機は機体が大きくなる。大きければ被弾しやすくなるのは当然のこと。

 

「もちろん、私のように霊力の適性が高い人間を飛行士にするという方法もあります。しかし飛行士の育成には時間がかかりますし、肝心の適性が高い人材は根こそぎ海上自衛隊が引っ張ってしまいました。その次善策として『防空網』が構築されたのです」

 

 小河原1尉のその説明に、確かにねと頷く片桐2佐。

 

「作戦中の大型航空機に霊力防壁を張るなんて、並の空母艦娘にも出来ないわよね」

「そうです。並の人間に出来ることではありません」

 

 その時、片桐2佐は妙なことを言った。

 

「なるほどね。これで合点がいった。だからミコトが倒れたのか」

 

 その名前が赤城さん……新田ミコトのことを指しているのは間違いないだろう。 

 

「どういうことです? 赤城さんが倒れたことと『防空網』になんの関係が」

「あれ。分かんない? 小河原1尉が私たちを相談相手に選んだのは、単に顔見知りだからって訳じゃない。私たちが協力してくれると半ば確信があったってことよ」

 

 その言葉に、運転席の小河原1尉は何も返さない。片桐2佐は続ける。

 

「その『人柱』っていうのは、私たちに近しい存在……そうでしょ? 小河原1尉」

「その通りですよ、2佐。『防空網』はお二人のお知り合い……航空母艦〈赤城〉を扱う新田ミコト3等海佐のお姉さんです」

「……」

 

 その言葉には、私は沈黙をもって応ずるほかない。

 赤城さんは家族の話は滅多にしないヒトだった。深海棲艦が現れてあんなことになっていた時勢と言うこともあって、誰も家族の話には積極的に触れない時代でもあった。

 

「あなたも、ミコトに姉が居たことは知ってるでしょう? その人が深海棲艦との初動対応に関わっていたことも」

「……詳しいことは、何も知りませんが。まあ、一応は」

 

 新田3佐に……赤城さんに姉がいたことは知っている。もう遠い過去になった学生時代のこと。赤城さんの言葉の節々には姉の存在がちらついていた。

 それは彼女の戦う(りゆう)であり心の支え。ただ、具体的なことは……聞けるはずもなかった。彼女の言葉を勘案すれば、その人がもう世にいないことくらいは分かる。

 

「でも、霊力は生きている人間にしか」

「ええ。生きていることに間違いはありません。ただし、半自動的に霊力を供給し続ける存在を生きていると表現しても構わないのなら、という話にはなりますが」

「……」

 

 それが「防空網」だと、人柱の存在だというのか。

 

「なるほどね。関東全域を守る守護者……ミコトがコンプレックスを抱くわけだよ」

 

 事もなげに言ってみせる片桐2佐。そういう問題ではないだろう。それとも、そういう問題なのだろうか。話の流れを追うので精一杯で、感情が追いつかない。

 小河原1尉は淡々と事実を告げていく。

 

「これは既に公式の記録ではありませんが、全国瞬時警報システム(J-ALERT)の発令前に中部航空方面隊が独自の警報を出しています。あれは『防空網』の霊力が枯渇したことを察知した警戒管制団が発報したものです」

 

 悲しい話ですよ。霊力防壁に頼らなければ勝てないと、そう判断されてしまっている訳ですからね。小河原1尉の自嘲はなにも空軍の話だけではない。海軍だって、多くの戦術が霊力……艦娘頼りであるというのが実情なのだから。

 

「問題はここからです。新田3佐は入間の国防病院に居合わせていました。先程もお話したとおり入間には『防空網』があります。つまり新田3佐は『防空網』に干渉できる場所にいた。これは推測に過ぎませんが、3佐は『防空網』に自身の霊力を供給したのでしょう……いえ、()()()()()()()()()()()()というのが正確なのかもしれません」

 

 それはつまり、昔から赤城さんの霊力は『防空網』に捧げられていたということか。視線をずらせば無表情に視線を投げる片桐2佐と眼が合う。彼女の反応を見る限り、2佐はおおまかな事情を知っていたのではないだろうか。

 

「そんな目で見ないでよ。1尉も情報は知るべき人のみ知るべき(NEED TO KNOW)って言ってたでしょ」

 

 私は知るべき立場になかったから深入りしなかった。それだけよ。そんなことを言ってのける片桐2佐。私はここに来て酷く冷静な自分に気付く。確かに『防空網』の話には驚いた。人柱となった人物がどのような状況に置かれているかは分からないが、少なくとも人権を侵害されているのは間違いない。

 それなのにどうしてだろう。私は何も感じていない。いや、感じてはいるはずなのだが、それをどうにも感じられない。それを感じたくて、私は口を開く。

 

「……新田家は、新田(あかぎさん)の一族はそんなに特殊な存在なんですか」

「この国を霊的に守護する存在は、知られていないだけで他にもいるとは思いますよ」

 

 ともかくその中で、赤城さんの姉に白羽の矢が立ったと言うことなのだろう。それは分かる。だけれど私は、そんなことを聞きたかったわけではない。

 

「一人に頼って、空軍はこの国を守っていたのですか?」

 

 それはまさしく、小を捨てて大を守る。一人の人間を捧げることで、国を守ること。

 

「その通りです。お恥ずかしながらこれは空軍の失態です。しかし海外派遣に重きを置いている現状では『防空網』ナシの防空がどこまで成立するか全くの未知数なのです」

 

 だからどうか「防空網」を守って頂きたい。座席に隠れていても、運転中という事情から身体を動かすことは叶わなくとも、小河原1尉が深く頭を下げたのが見えた。片桐2佐はそれに首を振って応じる。

 

「あなたに頭を下げられても困るわ。『防空網』の計画が始まったとき、1尉は軍にいなかったでしょう……この件、誰が知っているの?」

飛行士(パイロツト)や整備士の間では暗黙の了解、実務レベルとして把握しているのは警戒管制団と方面隊司令、あとは航空総隊司令でしょうか」

「航空総隊司令……ということは、小沢空将も」

「空将閣下はむしろ中心人物です。小沢空将と新田の一族が親密な関係を構築していることは、片桐2佐もご存じでしょう?」

 

 その言葉には何も返さない片桐2佐。小沢空将と新田ミコト(あかぎさん)の父親が同期であることは知っている。そしてその父親は、PHIグループを初めとする防衛産業へと太いパイプを持つ衆議院の代議士。

 

「『防空網』が新田3佐とどれだけ深くリンクしているのか、それは現在調査中です。もちろん『防空網』に退役して頂く方法も……ですが、少なくとも今『防空網』が枯渇すれば、引きずられて新田3佐の霊力も枯渇する可能性があります」

「本当の意味で枯渇してしまえば、この前みたいな昏倒では済まなくなる、と」

 

 そういうことね。片桐2佐は納得しきった調子でいう。理屈は分かる。霊力とはそういう存在であるし、小河原1尉の説明も道理に適っている。

 

「『防空網』と貴重な空母艦娘、両方を喪うことは空海軍の損失になるわね」

 

 損失、損失か……確かにその通り。攻撃で『防空網』がはち切れる、それ自体は艦娘が攻撃に耐えきれず霊力防壁を破壊されることと同義である。攻撃を受け続けるのであれば、「防空網」の枯渇自体は、避けられないのではないだろうか。

 

 

『ねぇ加賀さん。あなたの一番大切なモノ、必ず守ってあげてね』

 

 

 それなら赤城さん。あなたは……このことを知って、あんなことを言ったのか。

 



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第75話 せんけふみへずやけのはら

 

『ねぇ加賀さん。あなたの一番大切なモノ、必ず守ってあげてね』

 

 

 そんな赤城さんの言葉が、どうにも脳裏にこびり付いて離れない。赤城さんは、このことを知ってあんなことを言ったのか。

 同じ路を歩めないというのは、彼女が最悪の事態に晒されていたからなのだろうか。

 

「とにかく当面の間、空軍の活動は低調にならざるを得ません。あなた方には入間方面へと突入するであろう敵の迎撃をお願いしたい」

 

 そう言う小河原1尉。日本の中枢、東京を守る形で配置された部隊は南関東に集中配備されている。入間の防衛はあくまでその外縁部。だから、その防衛に関わる私たちに「手心」を加えさせて、入間を中心的に防衛してもらうことを望んでいるに過ぎない。

 東側から入間へ向かうなら東京の北を掠める形にもなるので、私たちに話が回ってくるのもおかしな話ではなかった。しかし片桐2佐は、首を縦には振らない。

 

「いえ、それには及ばないわ。私にいい考えがある」

「聞きましょう」

 

 一体全体、何を言い出すと言うのだろう。片桐2佐は続ける。

 

「1尉の話だと、私たちは防衛戦の時に動けばいいという話になるわよね。でも、それじゃ後手後手に回ることになるから『防空網』に負担がかかることになる」

 

 その言葉は、私に2佐が放つ次の言葉を連想させるには十分だった。

 

「空母戦は先手必勝よ――――先んじて、私たちが空母を討つ」

「!」

 

 もちろん、2佐の気持ちは分かる。「防空網」が枯渇すれば赤城さんの身が危険にさらされる。だから「防空網」が戦闘に関わらないように先制攻撃を仕掛ける。

 だけれど、それ以前に私たちは軍人だ。

 

「ですが片桐2佐。我々の任務は官庁街の防空です。勝手に持ち場を離れるわけには」

「私たちは空母よ。本土の防空なんて、地上の航空隊に任せておけって話じゃない」

 

 この人は話を聞いていなかったのだろうか。その地上の航空隊――――つまり空軍が「防空網」に頼り切りだったばかりにこんなことになっているというのに。もの言いたげな私を見て、片桐2佐はニヤリと笑ってみせた。

 

「要は『防空網』に頼らない航空機ならなんでもいいんでしょ?」

 

 なら私たちが飛行機を操作すればいいじゃない。片桐2佐の言葉はその通りなのだが、今の状況では彼女の考えは成立しない。

 

「それはそうですが……しかし私たちの艦載機では展開が追いつきませんよ?」

 

 なにせ、私たちは東京湾の奥。警戒線の最後列にある官庁街を守るのだ。敵が出てきたタイミングで艦載機を展開させても間に合わない。戦術的縦深をとるという名目で偵察機を展開することは出来ても、偵察程度の戦力で敵を倒せるとは到底思えない。

 

「違うわよ、私たちが使うのは〈秋津洲〉」

 

 それは帝産艤装が開発した大型飛行艇(ドローン)の操縦専用艤装。

 

「〈秋津洲〉を使って、私たちが東京から陸上攻撃機を運用するのよ」

 

 丁度今なら航空艦隊も帰ってきてるし。そう言う片桐2佐。どうやら戦術構想も出来ているらしく、洋上の運搬船(キヤリア)から一斉に発進させるだとかどうとかと話を並べていく。

 それは、少なくともこの数分で思いついた作戦には聞こえない。

 

「……まさか2佐。PHIが帝産艤装の事業譲渡を引き受けたのは」

「今更気付いた? 私はこれでも無人護衛艦派、無人兵器の信奉者よ。当然、私の人脈(ライン)はミコトを通じて新田家、PHIに繋がってる……陸上攻撃機の遠隔操作技術の基礎は組み上がってるのよ。なら、それに基づいた作戦を研究するのは当然のことでしょ?」

 

 つまり、事業譲渡は艦娘による陸上攻撃機の運用技術を「買う」ためだったということ。空母艦娘の霊力通信は機体の大きさに応じて負荷が跳ね上がる。だから大型の陸上攻撃機は艦娘による霊力通信ではなく指揮官機からの近距離通信で操作してきた。しかし大型飛行艇を運用できる〈秋津洲〉の技術を用いれば、それも可能になる。

 

「地上運用の無人機にまで手を出すと空軍の領分を侵すことになるから新田家(ミコト)は慎重だったんだけれど……わざわざその空軍が頭を下げて来てくれてるのよ?」

 

 この状況を利用しない手はないわ。片桐2佐は勝ち誇った調子で言ってのける。バックミラーに映った小河原1尉の顔は、なんともバランスを崩したものになっていた。

 

「……誠に遺憾ながら、片桐2佐の言うとおりですよ」

「決まりね。じゃあ小沢空将に陸上攻撃機を運用可能な〈秋津洲〉を確保して、こっちに回してちょうだい。作戦に使う陸攻部隊は私が航空艦隊から調達する」

 

 さあ、待ちに待った航空撃滅戦よ! 片桐2佐は大きくガッツポーズ。

 一方の私は、不思議な心持ちでその光景を眺めていた。

 

政権公約(マニフェスト)はでっかく甘美なのを選びなさい。それが派閥の秘訣(タネ)よ』

 

 なるほど。そういうことなんですね赤城さん。

 守りたい小さなモノと、皆が納得できる大きな目標。それが一致したときに力を発揮するのが派閥なのだ。私にとっての派閥は、英雄の名前に惹かれて集まる、粘りっこい不気味なものでしかなかった。

 だけれど今この瞬間、全てが噛み合って輝いているように見えた。片桐2佐はまさか航空撃滅戦が出来るから喜んでいる訳ではないだろう。「防空網」を救えば赤城さんも救われる。そしてそれは、この国に垂れ込める暗雲を吹き飛ばすことにもなる。

 空軍と海軍が垣根を越えて手を取り合い、PHIや帝産、様々な企業の技術やノウハウを持ち寄って、大きなうねりが産まれようとしているのだ。

 

「やるわよ、この国とミコト。どっちも助けてやるんだから」

「……はい」

 

 差し出された片桐2佐の右手。私はそれを受け取る。

 作戦(はかりごと)が、動き出す。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 霊峰高尾より繋がれた鉄路は関東の東端へと続いている。その終着点のひとつである千葉県の銚子に、彼女の姿はあった。

 

「……昔は、ここへ戻ってくれば姉様の霊力(ちから)を感じることが出来ました。もちろんそれは希釈されきっていて、私でなければ気付くこともなかったでしょうけれど」

「それは違いますよ新田2佐。防空網の霊力はいうなればハイブリッド運用。そもそも霊力とは、(あまね)く民草が持っているものです」

「あら。そんな酷い言い方をされなくてもいいのに」

「私は事実を申し上げているまで」

 

 ああ、もちろん新田家の令嬢ともなればご存じでしょうがと言うのは制服姿の男性。

 

「それで……防空網はどうなりますか?」

 

 ()りますか。とは聞けなかった。

 誰も答えてはくれなかった。調べても分かることではなかった。

 

 けれど答えは、明白だった。

 

「この国は変わりませんよ。防空網は維持されるし、我が国も同様に維持される」

「ええ。そうでしょうね」

 

 そうでしょうとも。でなければ、姉様が維持されてきた理由がない。()()()()()()()で護国の要が崩れ落ちてしまっては、姉様が報われない。

 

「…………それにしても、分からないのです。なぜ『防空網』は()()()を?」

 

 その問いに、やはり制服姿の男性は答えなかった。

 当然だろう。いくらこれから死ぬ人間とはいえ、世の中には答えられないコトの方が多いのだから。そして、それこそ姉様の望んだ世界なのだから。

 

「本当に大変なことほど、誰にも知られぬ方がよい――――――それが、私たちを。姉様を今日まで支えてきた信念でした」

 

 世界に平穏を。世の民に太平の世を。郷土を愛する者だけが持てる想い。

 それが新田一族の……そして、今の時代では「特務神祇官」と呼ばれる巫女達の役目。

 

「ですが、あの日姉様は明らかに1人の少女へと牙を剥いた。()()()()()()()()()()登録するよう自動警戒管制(JADGE)システムに干渉しただけならまだしも、その霊力の一部を以て彼女を害そうとまでした」

 

 それはなぜです?

 

 答えはない。答えがなくても、問わずにはいられない。

 

「私たちは()と戦っているのですか。私たちの敵は、故郷を害そうとする怨霊の類いではないのですか。それが」

 

 深海棲艦というものではないのですか。

 

「誤作動でしょう。悲しいですが、よくあることです」

「よくあることですか。板東を守護せしは新田の長女、新田ホマレですよ」

 

 

 そうして赤城――――――新田ミコトは姉の名を呼ぶ。

 

 

()()は何者なんです。そういえば貴方がまだ自衛官をやっていた頃、よく彼女の様子を見に来ていましたね……ええ、どこかのタイミングで加賀さんに追い払われていたのでよく憶えています」

「そうですか。記憶にありませんな」

「とぼけないで」

 

 赤城の眼光が制服姿を射貫く。しかし彼は穏やかな笑みを――――――その無表情を崩さない。

 

「心配要りません。『防空網』は堅守されます。貴女のお姉さんの犠牲は無為にはなりませんし、それはあなたも同様です」

「犠牲? あまり下々を愚弄するものではありませんよ」

 

 もちろん、制服姿の彼は全てを見下ろしているのだろう。そもそも姉様を召し上げた彼らすらも顎で使えるような人間である。この戦乱に塗れた世の中にあっても栄華を極める関東平野の、その頂点から世界を見下ろす気持ちは格別なものなのだろう。

 しかしそれでも、山を支えるのは頂上ではない。その麓、裾野を支える木に土に水に、そしてそこに棲まう数多の営みあってこそ、山は真に栄える……おそらく、制服姿の彼はそれを知らないのだろう。

 

 もちろんそれを知らしめるために、わざわざ故郷を滅ぼすほどの愚か者ではない。なにせ……。

 

「――――我々新田の人間は祖国の礎になる事を善しとし、あまつ旧くから誇りとする者達ですから」

 

 あの時、姉様は言った。担えるのは長い歴史(たたかい)の一端だと。滅びはしない。誰かの為に仕えるなら本望であると、皇貴たる一族に未来の行く末を託した陰そのもの。

 

 だが、私は違う。日本を護る姉様の為に身をくべたのだ。間接的に国の為とあれど、その時に去って行った彼女の後を追う事が自分の成すべきだと言い聞かせてきた。

 だってそうでなければ、あまりにも姉様が報われない。

 だから、姉様のいない日本などなくなってしまって構わない。そして逆に、姉様のいる日本を守るためであればなんだってする。それこそ加賀さんが自分の娘を愛おしがゆえに、見知らぬ何万の子供を地獄へ送り込もうとしているように。

 

「私にとって肝要なのは『防空網(ねえさま)』が守られること。そのために誇りと、私の献身は存在するのです」

 

 そう言ってのければ、前の相手は虚を突かれたように両目を瞬いた。制帽を傾けて肩が下がる。そして口角は三日月を描いた。

 

「いや……失敬。昔、同じような事を言った男を思い出しましてね。しかしながらソイツは、貴女の言う誇りとやらを汚らわしいと捨てた畜生ですが」

 

 畜生とは、随分な物言いである。おそらく眉をひそめたのであろう私に、彼は続ける。

 

「折角ですので誤作動について少しばかり補足を。『防空網』は完璧に作動しています。しかし物理学に基づき設計されたレーダーでもそうであるように、亡霊(ゴースト)というのは存在するものなのです」

 

 レーダーにおけるゴースト。本来存在してはならない。しかし設置箇所や周囲の電波干渉、その他様々な要因によって発生するとされる()()()()()()

 

「大丈夫。対策は既に用意されています、あなたのお姉さんは、これからもこの国のために」

「……そうですか。それを聞いて安心しました」

 

 もちろん、それは彼の方便だったかもしれない。

 私は姉様が霊力を回復するまでの時間を稼ぐために、海に出る。その結果として国は守られる……それなら、私はそれで十分だ。

 

「…………あなたの献身に、心よりの感謝を」

 

 制服姿が頭を下げる。慣れ親しんだ〈赤城〉の艤装が唸りを上げる。

 

 肥沃な大地が洪水なくしては生まれなかったように。

 太古の遺骸が現代で文明の灯火となったように。

 世界は常に、誰かの献身により守られ、受け継がれ――――――栄えていく。

 

 だからこれは、なにも恐ろしいことではない。

 

 いずれ来る順番が回ってきただけのこと。

 

 

「いってきます。姉さん……そして、加賀さん」

 

 

 私は――――――この国の生贄(いしずえ)となります。

 



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第76話 えんぎかつぎといけいのち

 雨が、しとしとと降り始めていた。テレビは各地が続々と梅雨入りし始めたことを報じ、ワイドショーは飽きもせず休会が続く国会に関するニュースを流し続ける。

 パソコン画面に映った男性が残念そうな顔をしたのは、そんな日のことだった。

 

『こちらでも再検討してみたのですが、やはり中継機での増幅は必要です。加えて複数機の操作をスイッチングする訳ですから、これ以上タイムラグを減らすことは……』

 

 再検討というあたり、向こうでも何度も考えられているのだろう。龍驤さんに頼んでつないで貰ったPHIの技術者、秋葉さんは画面の向こうですみませんと頭を下げる。

 

「いえ、こちらこそ無理を言ってすみません。あとは運用でカバーしますので」

 

 そうして画面から彼は消える。それに合わせてマグカップを差し出したのは萩風だ。

 

「どうでしたか?」

「タイムラグの削減は難しいそうよ」

 

 となると執りうる手段は統制雷撃や絨毯爆撃……目標座標を予めセットした攻撃になる。空襲騒ぎを起こした敵の群体は並大抵の強さではないのだから、そんな単純な攻撃ではたちまち対空砲火や迎撃機によって撃ち落とされてしまうことだろう。

 

「物量に勝る深海棲艦に勝つ方法は一つ。群体をまとめる旗艦(あたま)を落とす」

「斬首作戦ですね」

 

 頷く萩風。陸攻を精密操作が出来れば、旗艦だけを狙うことは不可能ではない。

 

「でも。それ自体は艦娘でも出来ること、なんですよね」

 

 萩風がそう言う。それは確かに事実だろう。強大な敵に各個撃破されることを避け、必要な箇所に艦娘戦力をぶつけることで敵を討ち払う 艦娘母艦の運用と同じことだ。

 

「こればかりは仕方ないわ。艦娘戦力は陸地の重要施設の守備に回されているもの」

 

 今の政府の作戦が間違っているとは思わない。日本ほど狭い国であれば重要施設は隣り合っているものであるし、分散配置となっていても隣の部隊が応援に駆けつけることは可能だろう。それでも「こんな時に艦娘母艦があれば」と思ってしまうのは、やはり私がミクロネシアの戦いに囚われている証拠なのだろうか。

 

「ただいま。戻ったわよ」

 

 そんな時、片桐2佐が詰め所に戻ってくる。雨で濡れた外套をハンガーにかけると、仮置きのデスクに座って付箋紙を取る。あんまりにも無言で書き込み始めるので、私は彼女の渉外が失敗に終わったことを悟った。私が珈琲を啜ると、2佐の視線が飛ぶ。

 

「……なんで何も聞かないのよ」

「2佐がなにも言われませんでしたので」

 

 上官は部下に全て話すことはまずあり得ない。必要な伝達事項は向こうから伝えてくるだろうから別に問題はないだろう。案の定、彼女は口を開いた。

 

「散々だったわ……航空艦隊は警戒任務中なので動かせないの一点張り、念のため船越まで足を伸ばしてみたけれど、護衛艦隊は動く気配ゼロ」

 

 早期解決望んでないのかしら。そんなことを片桐2佐はいう。確かに、市民生活は完全に元通りとなったこともあり早期解決を求める世論は極めて低調。国会はこのまま閉会として、次の臨時国会に議題をスライドさせようという動きすらあると聞く。

 そして肝心の国防軍はというと、今の持ち場を守るようにと厳命が下っていた。

 

「敵の規模がはっきりしていない以上、慎重になるのは仕方ないかと」

「こっちは航空艦隊の陸上攻撃機(ドローン)だけで敵を撃滅してやるって言ってるのに……やっぱり問題は作戦の不確実性なのかしらねぇ。陸攻操縦のタイムラグの件どうなった?」

 

 私が先ほどの話を伝えれば、片桐2佐は消沈。

 

「現場海域で操縦するなら簡単なんだろうけれどなぁ」

「それは危険ですよ。規模も群体の艦種構成も分かっていないんですから」

 

 そして、私たちに与えられた官庁街の防空という任務を考えるとこの場を空けることは許されない。大きな目標(このくにのへいわ)を掲げる以上、命令の枠から外れないことは絶対条件だ。

 そんな時、片桐2佐の携帯が音を鳴らす。彼女は何故驚いた様子で手に取る。

 

「ごめん、ちょっと電話してくる」

 

 そう言いながら出て行く2佐。またしても詰め所には私と萩風だけが残される。

 詰め所に備え付けられた装置が電子音を鳴らしたのは、その時だった。

 

「――――っ! 萩風ッ」

「はい!」

 

 萩風が通信端末に飛びつく。警報が鳴ったということは敵に何らかの動きがあったということ。端末を覗き込んだ萩風は振り返ると状況を告げる。

 

「関東全域の部隊に出動準備の命令。作戦任務は()()()群体の迎撃とのことです」

「はぐれ群体……? ということは、空襲騒ぎの群体ではないということ?」

「そういうことになりますね……あっ、新しい情報です。第一・第二航空艦隊が最有力群体に対して攻撃を仕掛ける模様、銚子の分遣隊にバックアップ命令が降りました」

 

 同じ作戦に従事する以上、味方の行動はある程度は共有される。それにしても……たかだか()()()群体二個航空艦隊が出撃することなんてあるだろうか。

 そういえば、先ほど片桐2佐は航空艦隊は警戒任務中だと言っていた。作戦中ならそう伝えるはずだし、極秘任務ならデータリンクに情報を送ることはないだろう。

 何かがおかしい。いや、初めからおかしくはあったのだ。空軍が動かないのは「防空網」という事情を抱えているからだが、ここまで海軍に動きがないのはおかしい。

 それがようやく動いた、つまりそれは何かが始まったという証拠だ。

 

「……萩風、艤装の準備をしなさい」

「既に準備は完了しておりますが」

「そうじゃないわ。艤装を持って、車を回してきなさい」

 

 その言葉に、萩風は私が何を言わんとしているか理解しただろう。了解と短く告げて萩風は武器系統の艤装を担ぐと詰め所を出て行く。入れ違いに片桐2佐が戻ってきた。

 

「2佐。作戦部隊に出動準備の命令が……」

 

 伝えようとした私の声は、最後まで紡がれることはない。なにせ2佐は茫然自失といった体で、そのまま机に座り込むと頭を抱えてしまったのだから。

 

「あの、片桐2佐?」

 

 一体何があったのか。私が困惑していると、彼女はゆっくりと言葉を(こぼ)した。

 

「〈赤城(ミコト)〉が、出撃したそうよ」

「え……?」

「私の作戦、統合幕僚監部にも提出してたんだけれど、それを流用されたみたい」

 

 まあそれ自体はいいんだけれどさ。そんなことを言われても理解が追いつかない。

 流用された? 掛け合って却下された作戦を流用して、なぜ採用されるというのか。

 

「待って下さい。それ以前の問題として赤城さんは霊力を使いすぎで病院に……」

「知らないわよ。ただ、事の大きさを聞く限りあの子の独断じゃないわね」

 

 さっきの電話、新田さんからのものだったのよ。そう説明する片桐2佐。新田さんというのは新田ミコト(あかぎさん)の父親、つまり新田の本家からの連絡だったということか。

 

「なんか引っかかってはいたのよ。どこも妙に非協力的だし、攻撃作戦を提唱している筈なのに消極的だとか言われるし……でも、これで私の作戦がどう消極的なのかハッキリしたわ――――ミコトは、最前線で陸攻の指揮を執るつもりよ」

「まさか……!」

 

 そのまさかなのだろう。実際、敵中に艦娘が飛び込み陸攻を指揮すれば問題はタイムラグの問題は解決する。しかし、相手は首都圏の防備を慌てさせるほどの強力な戦力なのだ。そんなのに単身で飛び込んで、無事で済む筈がない。

 気付いた時には身体が動いていた。艦載機の収められた矢筒を手に取り、航空系や武装系の艤装が収められた鞄を引っ掴む。どこへ行くつもり? と声が聞こえたが相手をしている場合ではない。私は詰め所を飛び出す。

 何が出来るかは分かっていない。それでも、何もしないよりはよほど良い。

 そんな私を引き留めたのは芯通った命令口調だった。

 

「待ちなさい、加賀」

「……何故止めるんですか、片桐2佐」

「簡単よ。私があなたの上官で、私はあなたの艤装を掌握していないといけないから」

 

 それが答えになっていないことを、向こうは当然理解していることだろう。

 

「私たちの任務は議員会館の直掩よ。戻りなさい、これは命令よ」

「承服しかねます」

 

 議論するだけ無駄である。私は2佐に背を向けて通信端末を手に取る。

 なんとかして赤城さんの向かった海域に向かわなくてはならない。時間を考えれば空路しか選択肢はない。近い飛行場となると調布か羽田。軍用機なら羽田しかない。

 そんな時、私の視界の端に飛び込んできたのは艦載機。思わず身を引けば、先ほどまで私が居た場所を突き飛ばすように超低空を駆け抜けていく。

 

「……よろしいのですか2佐、こんなことをして」

「非常事態だからね。最初から国交省の飛行許可は取り付けてるわよ?」

 

 そこには弓を構えた片桐2佐の姿。二の矢を構え、艦載機に霊力を流し込んでいる。

 

脱柵する(にげだす)なら止めないわ。でも装備品(ぎそう)は全部置いてきなさい。それは官品よ」

「そうはいきません。赤城さんを助けるためには、艤装(これ)が必要なんです」

 

 まさか、そんなことも分かっていない片桐2佐ではあるまい。

 

「萩風? 聞こえてるわね、今すぐ車を回しなさい」

「ちょっと、流石に上司を無視してそれはないんじゃない?」

 

 今にも弓を構えそうな表情で、片桐2佐はこちらを睨む。

 

「2佐、あなただってこの状況を見逃すことがどんな結末になるかは分かっている筈ですよ。赤城さん……いえ、新田3佐が何を考えているか、分からないあなたじゃない」

「……別に、難しい任務じゃないわ。敵中を突破し、親玉に肉薄する……それ自体は、これまでの大規模作戦でなんどもやられてきたことよ」

 

 2佐の言うことは半分は正しい。確かに、数で劣る私たちは常に敵の指揮系統を破壊することを優先してきた。上位個体が王として、その王の首を落とすことで群体の動きを止める。それはいつも通りの斬首作戦。艦娘部隊が金科玉条とする戦略。

 

「ですが、それは航空隊や護衛艦の支援を受けて行われてきたものです」

 

 今、艦娘を支援する部隊はいない。護衛艦隊は動かないだろうし、空軍が飛び立てば「防空網」に霊力が供給されてしまう。

 

「赤城さんがしようとしていることは単独敵中突破でしょう? そんなの……!」

 

 自殺行為じゃないですか、言いかけた言葉はなんとか飲み込む。赤城さんがそんなことを考えていないのは分かっている。それとも、そうでないと信じたいだけだろうか。

 

「だから、そのために陸攻部隊を使うんじゃない。艦娘が霊力で操る艦載機なら『防空網』は霊力防壁を張らずに済む。でもあなたが今飛び出せばどうなるか考えた? 大丈夫よ。二個航空艦隊が赤城(ミコト)にはついてる。必ず、敵を討ち果たしてくれるわ」

「ですが、陸攻部隊の制御にはタイムラグがあるんですよ」

「そのタイムラグを赤城(ミコト)自身が埋めてくれるんじゃない。作戦の障害は消えたわよ」

「私は。そういう話をしているのではありません」

 

 そして今、こうして言い争う時間がどれほど無駄だろう。もう既に作戦は動き出してしまっていて、片桐2佐が説得に応じてくれるとは思えない。車が到着次第すぐに離脱しようと決めて、私は重心を心持ち落とす。

 

「……勘違いしないで欲しいのだけれど。この作戦はあの子の独断ではないわよ」

 

 分かりきったことを片桐2佐は言う。当然だ、赤城さんが。あれほどまでに国を守ることに執着する赤城さんが政府の命令に背くはずはない。

「いいから、行かせて下さい」

「駄目よ。私たちの任務は議員会館を……この国を守ること」

「そのために、赤城さんを犠牲にしてもいいんですか!」

 

 それでは、この国の空を守るためと人柱を立てた「防空網」と同じではないか。片桐2佐は私と同じように赤城(ミコト)さんを守りたいから、手を組んだのではないのか。

 それなのに片桐2佐は、私をじっと見据えて言うのだ。

 

「それでも、この作戦が成功すれば――――戦争の無人化は加速するわ」

「本気で言っているんですか。片桐2佐」

 

 もし本気で言っているのだとすれば、私は片桐2佐のことを勘違いしていたことになる。片桐2佐は赤城さんのことを「ミコト」だなんて気安く呼んでいたではないか。

 

「あのね、勘違いして貰っても困るんだけど私とあの子は互助関係なの。今回あの子は私に声をかけなかった。それはつまり、私もあの子のために動く必要はないってこと」

 

 それにね、そう片桐2佐は続ける。

 

新田3佐(ミコト)は必ず帰るわ。〈赤城〉の艦名()を背負う者として、必ず任務を成し遂げる」

「……それで、片桐2佐はいいんですか?」

 

 はっきり言って、私は赤城さんが無事に帰ってくるとは思っていない。あの人は嘘が上手いから、片桐2佐ですらも騙してみせるに違いない。それとも2佐は、あくまで気付かないフリをして赤城さんを送り出すというのだろうか。

 

「良いも悪いもないのよ。私は無人兵器の信奉者って言ったでしょ? この犠牲が誰も死なない戦いを産み出すなら私は躊躇(ためら)わない。あの子(ミコト)だってそれを望んでいるはずよ」

「それはあなたの願望でしょう!」

 

 心が叫んでいるはずなのに、どうしてだろう。このどこか冷めたような気持ちは。私はこの事態を、まだ何処か冷静に見ているのだろうか。片桐2佐はため息。

 

「ホント、あなたはミクロネシアの頃から変わってないわね」

『加賀さんが昔のままで良かったって、そう思ったの』

 

 つい先日、聞いたばかりの言葉が頭の中に反響する。15年前、ミクロネシアは斬り捨てられた。それは私が部隊の仲間を見捨てた、忌まわしい記憶。

 

「あなたは立派な軍人よ。少なくとも私よりはずっとそうだと思う。先輩に上司を敬い、規律を重んじ、部下を世話することを忘れない。素晴らしいと思うわ。あなたのような軍人ばかりになれば、国防軍は本当の意味で家族になるのかもね」

 

 でもね、軍隊は家族じゃないの。2佐はそんな分かりきったことを言う。

 

「家族としての軍隊が成立するのは部隊内までよ。私たちは幹部……国のために小を斬り捨て大を守る。それが私たちに……いえ、私たちの階級章に与えられた役割よ」

 

 その言葉にはっとさせられる。そうだ、赤城さんは言っていたではないか。状況が変わったと。艦娘の犠牲より、一億の国民が平和に過ごせることが重要だと。

 

「それともあなたはまだ、身近なヒトを喪いたくないだけ?」

「……ッ!」

 

 反論は、口の中で辛うじて留まる。この言葉は言ってはいけない。私はまだ艦娘(ぐんじん)を辞められない。あの子を平和な世界に送り届けるまで、私の役目は終わらない。

 そんな私を、2佐は言葉も出ないと思ったのだろう。次々と言葉が重ねられる。

 

「私だってね、そりゃ新田3佐(ミコト)を守りたいわよ。肩入れしたいわよ。でもね、それはあの子に対してとても失礼なことなの。この国を守る、未来の世代(こどもたち)が流す血を少しでも少なくする。それが私たちの希望(ゆめ)なの。それを叶えるためになら、どんな犠牲だって厭わない。あなたも希望があるから、艦娘母艦を作ろうとしているのでしょう?」

 

 2佐の言葉は正しい。私はあの子のために、ほんの数十年の平和な世界をもたらしたかった。恒久平和なんて叶わなくたって構いやしない。自分たちの子供が平和に暮らせる世界を作ることが自分たちの役目なのだと、そう()()()も言っていたのだ。

 

「…………違いますよ」

 

 なのに、片桐2佐の言葉には「違う」とハッキリ言える。我ながらこの矛盾には辟易とする。私たちは、国防軍は最後に目指す目標は同じではなかったのか。

 

新田3佐(ミコト)は帰ってくるわよ。あの子は今ある技術と資材で最良の作戦を組み立てた。単独っていっても、あの子はひとりぼっちじゃない。銚子にバックアップの命令が下ったのも、大方赤城(ミコト)の救出準備のためでしょうからね」

 

 関東全域の部隊が動くの。これは立派な作戦なのよと2等海佐は言う。

 

「それに、私は信じる。それがこの国の未来のためになると、新田3佐(ミコト)が信じるから」

 

 違う、違う、違う。それは絶対に違う。

 

『身の丈の平和で、いいじゃないですか』

『最小限の犠牲で国が守れることは証明されているわ』

 

 赤城さん、あなたは本当は。

 

「だから、私はあの子を送り出せるわ。だから加賀、()()も使命に殉じる艦艇(もの)として持ち場を守りなさい。ここは国家の中枢よ。ここを守らないで、誰がこの国を守るの?」

 

 あの日、あの夜。あの滅茶苦茶にされた太平洋の最前線で。

 

『赤城さん、部隊を動かしてください』

『もういいの。加賀さん、もういいのよ』

 

 赤城さん、あなたは。あの時にはもう――――――

 

「違います。違うんですよッ!」

 

 その言葉に、片桐2佐は肩を跳ねさせたようにも見えた。叫び慣れていない私の喉はそれだけで掠れてしまう。それでも、言葉を途切れさせるわけにはいかない。

 

「赤城さんは、もうとっくの昔に諦めてるんですよ……!」

 



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第77話 きみとにほんのはたゆらし

「違います。違うんですよッ!」

 

 その言葉に、片桐2佐は肩を跳ねさせたようにも見えた。叫び慣れていない私の喉はそれだけで掠れてしまう。それでも、言葉を途切れさせるわけにはいかない。

 

「赤城さんは、もうとっくの昔に諦めてるんですよ……!」

「知ったフリしないで。あなたに何が分かるの?」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、2佐。あなたは勘違いしています」

 

 赤城さんは、本当は国の事なんて考えていないはずなのだ。あの人は最初からそう、自他共に厳しいヒトではあった。国家を重んじ、共同体の和を重んじる。そんな郷土主義者の鏡のようなヒト。でも、彼女が国を好きと言ったことがあっただろうか。

 この国のどんな景色が好きか、この国のどういった風習や文化が好きなのか。そんなことをあの人が話したことがあっただろうか。

 

「赤城さんは、とっくに諦めてるんですよ。深海棲艦がいる限り、地球上の七割を占める海を相手に戦う限り、この戦争に勝ちはありません」

 

 ここ数年、大規模な攻勢作戦は実施されていない。今回だってそう、敵が押し寄せてくるから戦うだけ。今太平洋からこちらへとやって来る敵を討てば、確かに数日や数週間の安全は担保されるだろう。赤城さんはそれを身の丈の平和と呼ぶ。それはつまり、本当に掴み取るべき平和は手が届かないから諦めると言うこと。

 

「赤城さんだって、本当は諦めたくなかった筈なんです」

 

 国家の選択は常に取捨選択。巨人は歩くだけで誰かを傷つける。図体の大きな国防軍は、誰かを見捨て、傷つけ踏みつけずにはいられない。だから赤城さんは諦めた。

 

「赤城さんは、もうあんまりにも諦めすぎたんですよ! 大切な家族(ヒト)を人柱に捧げられて、戦争で同期(なかま)を喪って……赤城さんはもう諦めてしまってるんです! だから、自分のことだって諦められるんですよ!」

「諦めてる……? それは違う、違うわよ……」

 

 片桐2佐は弓の構えを解くと、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。

 

「いい、分かっていないようだからハッキリ言ってあげる。あなたの言葉はあの子が弱いと言ってるのと同じよ。誰だってこの戦争で何かを失ってるの」

 

 私はもちろん、あなた自身だってそう。その片桐2佐の言葉に間違いはない。

「あの子は、強いわよ。多くのモノを斬り捨てた、沢山のことを諦めた。それでも、あの子は何事もなかったかのように笑ってみせるの。それこそが強さじゃないの?」

「違います、2佐は何も分かっていない!」

 

 赤城さんは、強い。確かに強い。それは言うとおり。しかしその強さが、脆くて脆くて、弱すぎる心を守るための鎧に過ぎないことにどうして気付かないのだろう。

 

「赤城さんは弱いんですよ。弱さを必死に押し殺して、強さで固めてるんです。赤城さんは、意見のあわない私すらも助けてくれようとしたんです。あなたの為だからどうか止めてくれって、わざわざそんなことを言ってくれたんです」

 

『なら。私は止めるしかないわね』

 

 赤城さんと路を違えた理由は分かっている。赤城さんは私に止まって欲しかったのだろう。艦娘母艦の建造へと突き進む私を止めようとしてくれたのだ。

 

「赤城さんが艦娘母艦阻止に動いたのは、確かに私のためではないでしょう」

 

 それは、赤城さんの心を守るための行為だった。赤城さんは私と、そしてあの子が最前線へと赴くのをどうしても止めたかったのだろう。

 

「赤城さんにとって、大切なのはもう自分の周りだけなんです。今でも国防病院に眠っているお姉さんや、幼い頃から可愛がっていたあの子……赤城さんが守ろうとしているのは、この国なんかじゃない。身の回りの、ほんの小さな平和だけなんですよ」

「違うわ。ミコトは、新田ミコト3等海佐はそんな自分勝手じゃない。自分を押し殺してるのは知ってるわよ。でも、それを乗り越えられるからこそ、ミコトは強いのよ」

「2佐は勘違いをしています。赤城(ミコト)さんにとっては、あなたも大切なヒトなんですよ」

 

 だから、赤城さんは引き下がれないのだ。片桐2佐は赤城さんの(つよさ)を気に入っている、それを赤城さんは知っているから、もうどうにも後には退けないのだ。

 

「赤城さんは自分のことはどうでもいいんです。あなたが国の為と言えば、あの人は本気で腹を切るかも知れませんよ?」

「ミコトを馬鹿にしないで! あの子ほど芯の通った子はいないわ。彼女は愛国者よ……私なんかと全然違う、筋金入りの愛国者なの」

 

 もう答えは2佐にも見えているはず。それなのに、どうして分からないのか。

 

「あなたが愛国者(それ)を望んだからッ、赤城さんは愛国者になるしかなかったんですよ!」

 

 もちろん、望んだのは2佐だけではないだろう。赤城さんの境遇、戦争に染められた青春。防衛大学校では、国の為に何かを斬り捨てることを期待されて教育された。

 

「赤城さんは、強いですよ。強かったですよ。でも、それは弱さを覆い隠すための強さなんです! 断じて、強さを前面に出すための強さじゃなかった!」

 

 赤城さんは強かった。だって赤城さんはもうとっくの昔に……そうだ、それこそミクロネシア以前に、いや、私が赤城さんと出会う以前に諦めていたのではないだろうか。

 そう思ってしまったら。それに気付いてしまったら。もう言葉が止まらない。

 

「片桐2佐は、赤城さんを新田家の人脈(コネクシヨン)としてしか見ていなかったんじゃないですか? お互いに利用価値があるからなんて言って期待をかけたんじゃないですか?」

 

 そして、それは見事に合致してしまったのだろう。赤城さんに軍人としての期待を寄せる新田家と、新田家との関係を望む片桐2佐と。赤城さんをとりまく期待が一致してしまったとき、赤城さんに断る理由はなくなってしまった。

 

「それが赤城さんを動かすんです。赤城さんは強いですよ……あの人は、最期まで諦めたことを誰にも悟らせずに征こうとしている。あなたはそんな赤城さんの気持ちを!」

 

 そこから先の言葉は続かなかった。視界の中心に収めていたはずの片桐2佐が消え失せて、数瞬遅れてひどく軽い音と痺れるような痛みが走る。

 

「……悪いわね、私。ミコトほど人間できてないの」

 

 思いきり利き手を振り抜いた2佐が、上気した双眼で私を睨んでいた。

 

「もう一発叩かれたくなかったら……自分の立場をよく考えなさい、加賀」

 

 立場、その言葉が私を表す全てなのは知っている。私は3等海佐で、一人の少女の親代わりで……そして艦娘母艦の建造を訴える急先鋒。

 

「正直、見損なったわよ。あなたは『斬り捨てられる』人間だと思ってた。艦娘母艦がどれだけの艦娘を()()するかはこれまで何度も議論されてきたことよね? 艦娘戦力を集中投入して太平洋を確保するという戦略構想は、まさか誰も死なずに達成できると思ってでもいたの? 世界平和のためと部下に死を命じるのが私たちでしょう?」

 

 違う。私は、ただただ嫌だったのだ。

 戦争は私たちに犠牲を強いてくる。何の犠牲もなくして成し遂げられることなど無いのだと、そんな夢想はあり得ないのだと現実を押しつけて、無理矢理にでも諦めさせる。だからミクロネシアは陥落して、両親を喪った幼子は路に迷うことになる。

 

「……そんなこと、知ったことではありません」

 

 私は、そんなのはもうご免なのだ。私はとうの昔に罪を犯した。これからも罪を犯すのだろう。いまさら真っ当に生きれるなんて思っていない。

 それなら、私に出来ることは私の周りを平和な世界に送り出すことだけ。

 

「私の地獄行きはとうの昔に決まっているんです。赤城さんに恨まれようが、2佐にどんなに罵られようが関係ありませんよ。でも、これだけは譲れないんです」

 

 私は、大切なものを守るために戦っている。もう仲間を見捨てない、その一心で。

『だからこそ、私は加賀さんに任せるのよ』

 嗚呼、赤城さん。あなたは卑怯です。とんでもない卑怯者です。まさかあなたは、私が誰も見捨てないという心意気を知ってこの作戦に志願したのですか?

 

「いいのね、加賀? あなたがこの作戦を止めれば、余計に多くの被害……それこそ、何の罪もない国民が犠牲になるかもしれないのよ?」

 

 片桐2佐の台詞が、いちいち私の胸を突いてくる。それは赤城さんの言葉と同じだ。

 赤城さんは自分のことは諦めている癖に私には艦娘母艦を……深海棲艦への大攻勢を諦めろというのですか。それとも、自分も諦めるから私も諦めろと言いたいのですか。

 

「作戦は止めません」

 

 作戦を止めれば、この膠着状態はこれからも続くことになってしまう。それでは、もはや深海棲艦に対して反攻を実施するどころの騒ぎではない。この国は戦争の泥沼に沈んで、そしてあの子は、否応なく戦争に巻き込まれる。

 

「ですが、赤城さんは助けてみせます!」

 

 これは理屈ではない。私の義務だ。赤城さんが何を考えているかなんてどうでもいい。ただ私は見捨てない。決して諦めない。

 最後まで足掻いて足掻き続けて、何度だって罪を犯しても構わないのだ。

 聞こえてくるタイヤの擦れる音。萩風の運転する自動車が、私の背後まで来ていた。

 

「では、失礼します」

 

 黒塗りの公用車から萩風が不安そうな表情で私を覗き込んでくる。これほど激しく言い争いをしていた訳だから、心配させてしまっただろうか。そう思いながら近づくと、不意に後部座席の窓が開き始めた。

 

「? 萩風、どうして窓を……」

 

 その疑問は、私の舌の上で立ち消えてしまう。私が言葉を飲み込めないでいるウチに、背後の2佐は爪先を揃えて敬礼を作ってみせた。

 後部座席から顔を出したのは、初老の男性。私に割り当てられたはずの車両にも関わらず深々と腰掛けた彼は、2佐の姿を確認すると胸に手を当てた。

 

「ご苦労、片桐2等海佐」

「はっ」

 

 そんな、なぜ彼がここに。私の疑問を知って知らず、後部ドアから彼が降りてくる。皺一つ無いスーツの襟には小さな菊が輝いている。それが意味するのはただ一つ。

 

「新田、衆議院議員……」

 

 金に輝く議員バッチをつけた彼は、赤城さん……新田ミコトの父であるという事実。

 

「貴官らが任務中であったが故、一部始終は聞かせて貰った」

「……お聞きになっていたのですね。議員」

 

 お恥ずかしい所をお見せしましたと頭を垂れる片桐2佐。そういえば2佐は赤城さんを通じて議員に取り入っている、そう考えれば、確かに先ほどのやりとりは2佐にとって聞かれて嬉しいものではないだろう。しかし議員の興味は2佐にはないらしい。

 彼は私の前に詰め寄ると、一言。

 

「君は私の娘を、弱いと言ったな」

 

 どこから聞かれた? 考えるまでもない、萩風に目を遣ると、少しだけ逸らす彼女。大方、車で待機していたところを突然乗り込んでこられたのだろう。この民主主義国家において議員とは国民の代表。文民統制(シビリアンコントロール)の体制下ではどちらが優位かは明白だ。

 そして彼らは私たちの護衛対象でもあるから、車に乗ってしまっても文句は言えない……恐らくそのようにまくし立てられ、強引に乗り込まれたに違いない。

 そしてそうなれば、もはや体裁を取り繕う必要もなかった。

 

「はい。そう申し上げました」

 

 彼は私の前に立ったまま。息すらも止めたのかのような沈黙を経て、徐に口を開く。

 

「新田家には、先祖代々受け継がれた血が流れている。父祖より受け継いだ土地と民。如何に時代が流れようと、我々にはそれを守る責任がある」

 

 だから強いとでも言いたいのだろうか。とはいえ、彼と口論している時間も惜しい。

 

「あなたこそ、強いのですか?」

 

 議員が何を考えているかは知らない。しかし現実問題、彼は自分の娘を人柱として「防空網」に差し出し、もう一人の娘(あかぎさん)も国家を守るための犠牲(いけにえ)にしようとしている。

 

「赤城さんは強かったですよ。弱さを守るための鎧だったとしても、その強さは本物でした。今だって、その身を賭して私を……この国を守ろうとしてくれている」

 

『加賀さんは、自分の命令であの子を殺すことが出来るのね?』

 赤城さんが私に突きつけたのは、究極の問いだった。私が否と言うことを知って、それでも国のために、平和のために戦えるのかと問いかけた。

 それは、私にとっての「身の丈の平和」を測るための問いだった。

 

「あの人は、身の丈の平和が欲しかっただけなんです。国のためじゃない。目の前の敵を倒して今日のご飯を食べる……赤城さんが欲しかったのは、そういう平和なんです」

 

 だからなんだと、彼は嗤うだろうか。大を守るためには小を斬り捨てる。それは例え自分の家族であったとしてもそうなのだろうか。

 

「貴様は、なぜ『防空網』が出来たか知らんからそんなことが言えるのだ」

「……」

「彼奴らは、戦うことに己を見出したのだぞ。私が戦えと命じた訳ではない」

「ですから! それが赤城さんの弱さなんですよ」

 

 叫ぶ私に、ふんと鼻を鳴らしてみせる新田議員。

 

「……赤の他人にそんなことを言われて、信じる親がいると思うか?」

「それは」

 

 話にならんとばかりに背中を見せると、そのまま助手席へと身体を収める。

 

「羽田だ。すぐに出せ」

「……へっ? 羽田ですか?」

 

 素っ頓狂な声を上げたのは運転席に収まっていた萩風。隣を突然議員に占領されて、しかも目的地まで指定されたのだから堪ったものではない。困惑する彼女を余所にして、議員は私をきっと睨んだ。

 

「どうした。貴官の任務は国会議員の護衛だろう、乗れ」

「……」

 

 いや、議員の言わんとすることが分からないわけではない。私が飛行場を目指そうとしていたことを彼は知っている。それなら、自ら飛行場のある羽田に向かえと言ったのは私にそこへ赴けと言っているに他ならない。

 

「どうしたのよ。加賀、いきなさいよ」

「2佐……これはどういうことですか」

 

 風向きが変わったのか? だとすればいつ、何故? 

 

「いいから。とっとと乗りなさい」

 

 厳しい表情のままで私を見つめる片桐2佐。私に歩み寄ると、耳元にそっと囁く。

 

「議員の尽力を無駄にするつもり? 助けるんでしょ。赤城(あのこ)を」

「……」

 

 詮索をする時間も惜しい、幸いにも艤装は抱えて持ってきた。艤装を抱えたままに後部座席に乗り込むと、数瞬も置かずに車は走り出す。

 

「あの、新田議員……」

「それで? 貴様は彼奴(きやつ)を救えるのか?」

「……」

 

 私は目の前の議員が放った言葉を飲み込めないでいた。救う? 確かにそうだ、私は赤城さんを助けに行こうとしている。だがそれは、私が勝手にそうするだけ。

 

「救うなんて、そんな立派なものではありません」

 

 その言葉に、議員の視線は被らない。私は続ける。

 

「私は、もう誰も見捨てないと決めたのです。それだけです」

 

 本当に、それだけなのだ。残念ながら、私は議員に見せられる大きな目標がない。

 そんな私を見透かして、再び議員はふんと鼻を鳴らす。

 

「……そんな理由で邪魔立てされたら、あの馬鹿娘はさぞ面白い顔をするだろうな」

「新田議員、それは……」

「くどい。私は多くは語らん。細かいことは()()()に聞くんだな」

 

 彼は短くそう告げて、助手席の背もたれを指でとんと叩く。後部座席向けの物入れには、軍用の通信端末が収められていた。私が手に取ったのを見計らうように、着信を告げるランプが光った。私が手に取ると、受話器から聞こえるのは聞き覚えのある声。

 

『私は航空総隊司令官、小沢だ』

「小沢空将……? どうして」

『どうしてもこうしても、国防軍は文民統制に従うものだよ』

 

 その言葉の意味することは明白。背もたれの向こうに座るはずの男は何も言わない。

 

「……感謝します」

『礼は終わってからにしろ。それに、政府の最優先目標はあくまで敵の斬首作戦を阻止すること。貴官に委ねられる作戦は副次的なものに過ぎない』

 

 要するに、十分な戦力を用意することは出来なかったということである。

 しかし、それだけでも十分というもの。

 

『この作戦は国防空軍と海軍の共同作戦となる。主目標は現在太平洋に誘引されつつある敵有力群体の無力化。要するに、現在進んでいる無人機攻撃作戦の後詰めだ』

「待って下さい。それでは……」

『話は最後まで聞くことだ3佐。第一波攻撃と第二波を並行してやっていけない通りはない。戦力の集中が基本だと言ったのは何処の誰だったかな?』

 

 即ち、現在進行中の作戦に重ねがけする形で作戦を実行するのだ。それなら片桐2佐の微妙な表情にも説明はつく。

 

「しかし、今から海上に展開しても第一波には間に合いません。どうされるんですか」

『簡単だ。空路を使う』

「しかしそれでは『防空網』が反応してしまいます」

 

 その言葉に、無線の向こうが冷える。

 

『貴官は『防空網』を破り捨ててでも()()()()()()を救いたいんじゃないのかね?』

 

 試すような空将の言葉。しかし私は言葉を止めるわけにはいかない。運転席では萩風が、助手席からは新田議員が、それぞれがそれぞれの面持ちで私を見据えているのだ。

 

「当然です……私は、赤城さんと未来を見たいんです」

 

 私にだって優先順位はある。その中で赤城さんが優先順位の上位に来ているだけだ。赤城さんが未来を諦めているとしても、私はまだ諦めていないのだから。

 

『……結構。まあ安心したまえ。『防空網』を破らない方策は準備してある』

「どういうことです?」

 

 思い至らない私に、行けば分かると告げる空将。そのまま自動車は、羽田へと。

 



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第78話 りそうのせかいみをたてて

 沿岸部という最高の……そしてこの時代においては最悪の立地を誇る羽田国際空港は、それでも国内空港で最大の国内路線就役数を誇る。その原因が首都東京へのアクセス経路の少なさ故なのは説明するまでもないことだが、脆弱性には変わりが無い。

 未だに根強い空路への不満を払拭するため、そしてただでさえ防衛拠点の少ない東京を守護するために求められた防空基地。そのような事情から設置された国防空軍羽田基地は、安心の広告塔として機能する最低限度の機能を備えた基地だった。

 

「こちらです。3佐殿」

 だからこそ、扉の向こうに控えていた飛行服に私が驚いたのも無理はないだろう。

「小河原1尉……どうしてこんなところに」

「こんなところとは失礼な、羽田は太平洋を睨む立派な最前線基地ですよ?」

 

 まあそんなことはいいんです。とにかく急いで、急かされるままに車を降りると、艤装を寄ってきた整備兵が運んでいく。

 

「時間もありませんから、簡潔に説明致します。貴官にはあちらの輸送機で作戦海域まで向かって頂きます。深海棲艦からの被発見を避けるために超低空飛行で、陸からある程度離れてしまえば警戒隊(こちら)のレーダーにも引っかかることはありません」

 

 その言葉はもちろん「防空網」を意識しての発言だろう。深海棲艦が迫ってきている状況で航空機が飛べば「防空網」は霊力防壁を展開する。それならば、防空網に航空機が飛んでいることを悟らせなければいいという理論である。

 

「……ですが1尉。ここから飛べば確実にレーダーに見つかるはずですよ」

 

 ここは関東平野。言うまでも無く、各地の山頂に建設されたレーダーを遮る障害物など存在しやしない。私の問いに小河原1尉はニヤリと笑って人差し指を立ててみせた。

 

「ご存じないのですか? 国防空軍の警戒隊は国民生活への影響を考慮して内陸部へのレーダー照射を行っておりません。その応用ですよ」

 

 それはつまり、意図的に防空網に穴をあけるということか。レーダーの仕組みでは可能だとしても……私の内心を読み取ったように、小河原1等空尉は言う。

 

「これが、貴女の大嫌いな『派閥』の力ですよ。小沢閣下が腹を決めてるんです」

 

 我々が追随しない理由はありません。では、空将は自身のクビをかけてまでこんな危険なことをしているというのか。それに少なからずの人間が追随するというのか。低空飛行で警戒隊の監視網を躱すために必要な時間がどれほどかは分からない。それでも、その時間を空けるのにどれほどの()()()が存在するというのだろう。

 

「念のため言っておきますと、もう引き返せませんよ? 国防軍は腰こそ重いですが、動き出したらもう止まれません」

 

 そんなことを話すうちに、口を開いて待つ輸送機が前面に迫ってくる。小河原1尉は足を僅かに速めると、踵を返して手の甲を額に当てた。

 

「閣下は、貴官に命令以上の働きを求められています。私からは以上です」

 

 ご武運を祈ります。私に答礼すらもさせず、1尉は私を輸送機へと押し込んだ。

 

 

 

 回転翼機特有の振動が、私たちの膝を揺らす。それは永遠に終わらぬ協奏曲のよう。イヤーマフは発動機(エンジン)の駆動音こそ遮ってくれるが、心臓の音は遮ってくれない。

 

「萩風、聞こえてるわね?」

『聞こえています、加賀さん』

 

 送話ボタンを押せば、機内で完結する通信回線が部下の声を聞かせてくれる。この輸送機に乗り込んだ艦娘は私と彼女だけ。

 

「悪いわね。こんなことに巻き込んで」

『いえ』

「本当のところは、どうなの?」

『……いい気分はしませんが、命令は命令です』

 

 命令……か。果たして命令とはなんなのか、この言い訳程度に組まれた作戦指令書を前では疑問に思ってしまうのは仕方ない。これまでの動きがそうだ。政府は政治的空白を空けてまで深海棲艦の迎撃を優先した。敵の目標が「防空網」だと分かった後も、彼らの方針は変わらなかった。その理由がなんなのか――――それは現場指揮官に過ぎない私には共有されない。分からないことばかりだ。

 

『これが、貴女の大嫌いな『派閥』の力ですよ』

 

 羽田で私を送り出した1尉の言葉が思い出される。彼女の言葉を額面通りに受け取るなら、政府の決定をなんらかの方法で覆したことになる。

 分かっている。一人では何も出来ない。私は結局の所3等海佐に過ぎなくて、何かを成し遂げるには派閥の力も必要なのだろう。

 

『加賀さんは、迷っているのですか?』

「迷ってなんて無いわ。私の為すべき事は決まっているの」

 

 何が正しいのだろう。誰も見捨てないことと、正しくあること。この戦争という時代を乗り切るのに何が必要なのか、それすらも私には見えていない。

 ただそれでも、絶対的に正しいことはあるのだ。

 

「もう誰も見棄てない。私はそう決めたの」

 

 この覚悟は誰もが嘲笑う物だろう。平和を手に入れることの難しさ、この戦争に勝ちはないと言った海将補。赤城さんすらも、この戦争に勝つことを諦めている。

 だからこそ、私は諦めるわけにはいかないのだ。

 

『3佐。間もなく本機は洋上に出ます』

 

 輸送機のパイロットが事務的に情報を伝達してくる。果たしてどこまで高度を下げたのだろう。貨客機でない以上格納庫に窓なんて小洒落たモノは付いていないが、今日ばかりはそれで良かったと感じる。

 ともかく、私はすべきことを為すだけ。それが、未来に繋がると信じて。

 壁に手を当てる。機外にマウントされた艦載機(ドローン)との接続を確認。視界外戦闘を考慮した高規格の霊力通信は、私に艦載機の鼓動を確かに伝えてくる。

 

「航空隊、発艦しなさい」

 

 指揮官は自分なのだから、本来なら声に出す必要もない声。

 ただそれは言霊となり伝わり、翼達の眼を覚まさせる。

 

『直掩機の発艦を確認……お見事です、3佐』

「当然のことよ」

 

 そうだ。このぐらいは出来なくてはどうしようもない。

 この作戦に犠牲は許されないのだ。どうせ派閥のすること、何も赤城さんを助けるためだけなんて綺麗事では済まないことは知っている。

 それでも、危険な橋を渡ってまでこの作戦が組み上げられたのは紛れもない事実なのだ。私の放った直掩機は大空を駆け、そのまま輸送機を守るように空の見張りを始める。幸いにも、未だ海にも空にも敵の姿は見えない

 それでも。洋上に浮かぶ物言わぬ影達は、ここが戦場であったことを物語っていた。

 その時、雲のカンバスに影が映る。

 

「……敵機!」

 

 叫ぶより早く翼を翻す戦闘機。どこからやって来たかは定かではないが、これで敵に補足されたことは間違いない。

 

「見つかったわよ、突っ込んで!」

 

 駆動音だけが響く時間がどれほど過ぎただろう。一秒が一分いやそれ以上にも感じられる刻を経て、ついにイヤーマフは間もなく作戦海域と発動を告げる。

 

『加賀さん』

 

 仄暗く照らされた格納庫の世界が音を立てながら、その一角を開いていく。視界の端に収めた部下は、艤装と展開用装備を身につけ、私の号令を待っていた。

 

「ええ……いきましょう」

 

 私は、護るために艦娘となったのだから。

 

「航空母艦〈加賀〉――――――抜錨」

 

 格納庫のスロープが開き切る。もう、誰にも止められない。

 胸元の引き金を引く、それが窒素ガスを解放することで、強襲海上空挺のためだけに開発された専用パラシュートが一瞬にして展開される。それは機外の気流に揉まれて一瞬で伸張すると、戦場の空に華開く。

 それを待たずして僅かに跳躍、支えを失った肉体は空気の奔流に為す術もなく引きずり出され、格納庫に囲まれていたはずの四方はたちまち自然の空へと塗り替えられる。

 いくら展開直前に多少は高度を上げているとは言え、眼下に迫る海まで距離はない。機動済みの艤装が次々と情報を吐き出すのを横目に、私の身体は重力に惹かれていく。

 格納庫からもう一つの華が飛び出す。それがヒト型を伴って流れ出た次の瞬間には輸送機は大きく旋回(バンク)、その刹那に機体の未来位置が爆散。まさしく間一髪の機動ですり抜けると、そのまま盛大に欺瞞幕(チヤフ)を展開しながら飛び去っていく。

 当然向こうとてタダで返すつもりはないだろう。追いすがる敵機の群れが視界に映る。遅れて艤装が警戒情報を立ち上げる。

 

「やらせないッ!」

 

 空の上とはいえこちらは空母、打つ手は幾らでもある。未だ減速しきらぬ身体をそのまま追い風に変え、矢筒から取り出した弓を急速展開。風に揉まれながらも無理矢理に放たれた海鷲達が、敵の空に風穴を空けていく。そこを抜けて輸送機が低空を駆ける。

 出来る援護はした。誰も見捨てないといいながら私が出来るのはここまで。一人の力では足りないことなど分かっているが、それでも歯がゆい。

 しかし、今は立ち止まることなど許されないのだ。いよいよ海へと落ちていく私の身体。落着体勢を取って、そのまま――――――――――

 

「ッ!」

 

 その先には深海棲艦の死骸が浮かんでいた。強襲海上空挺は急には止まれない。慌ててホルスターから中口径副砲を抜くが、果たして間に合うか。

 それが水柱に包まれたのは次の瞬間だった。照準の中で爆ぜたそれに驚けば、僅かに上空を飛ぶのは僚艦の姿。落下傘に全身を引かれながら、萩風が主砲を構えていた。

 

『加賀さんっ! 行って下さい!』

 

 返事は行動で示すべきだろう。萩風が拓いた着陸路を通じて海へ滑り込む。推進系が海を捕まえたのを確信して空挺装備を投棄、一挙に軽くなった身体を駆って突き進む。

 死骸が転がる先に赤城さんがいることは分かっている。輸送機の轟音に隠されて聞こえなかった砲声も今は迷い無く聞こえる。私の目指すその先に、彼女の姿は在った。

 大丈夫、まだ赤城さんは戦っている。赤城さんは未来は諦めていても、今この瞬間はまだ確かに立っている。それが、その砲声の示す事実であった。

 副砲を叩き込み、展開させた爆撃機で砲撃を行う敵を蹴散らす。

 空挺の勢いを駆ったままの強引な攻勢は突破だけを考えたモノ。とにかく、今は赤城さんの場所まで辿り着くことだけを考える。

 

「こっちを見なさいッ!」

 

 幸か不幸か、敵は全て明後日の方向を向いている。その明後日の方向に誰がいるのかは考えるまでもあるまい。そしてその先、全ての先に――――彼女の姿はあった。

 死骸と、未だ復讐の炎を燃やす深海棲艦たちに囲まれた世界の中で。

 どれほどの激戦だったのかは想像のしようがない。ひしゃげた航空系艤装に煤まみれの装束。そして単装砲を握る手に刻まれた傷を見れば否が応でも理解は出来る。

 

「赤城さんッ!」

 

 その言葉に、彼女の双眼が驚きに見開かれるのが見える。それが拍子になったのだろう。ぐらりとよろける彼女は、その矜恃でなんとか膝をついてみせる。

 

「加賀さん……どうして……」

 

 息も絶え絶えな彼女の前に回り込む。ピアノ線のように張り詰めた空気は戦場の均衡。ヒトならざる化物たちは新参の私を見極めるように殺意を飛ばしてくる。

 それを全て吹き飛ばす気概をもって、私はその決意を叫ぶのだ。

 

「私はっ、私は……この国だけじゃない、私の大切な全てを守るって決めたんです――――――――――一番の僚艦(ともがら)も守れない軍艦(フネ)に、それが務まるモノですかッ!」

「加賀さん……」

「すみません赤城さん。私は、貴女ほど立派にはなれません」

 

 私がどれほど危険な橋を渡ったか、私の行いがどれほど国を危機に晒したか。それはこの作戦を立てた赤城さんが誰よりも理解していることであろう。

 

「だけれど、私は……あなたと一緒に征きたいのです」

 

 身勝手だ。身勝手なのは分かってる。

 

「あなたが言いたいことは分かっています。私はもう、どうしようもないくらい勝手な艦娘です。貴重な戦力を投じてまで、日々の沿岸防衛を危険に晒してまで太平洋を奪還しようと考えてきました。娘が艦娘にならないようにと、あなたの手を振り払ってまで逃げ出しました……なのに、私は。私は、まだ一度もあなたに恩を返せていない」

 

 赤城さん。あなたはズルいヒトです。あなたは、艦娘専科第六期の主席だったあなたは、ずっと私の憧れだったというのに。それに気付かないあなたではないでしょうに。

 

「私は諦めません。それなのに、勝手に諦められちゃ困るんですよ!」

 

 それとも、遙かに昔から諦めているあなたには。こんな言葉も届かないのだろうか。

 背中からの返事はない。目の前には果てしない敵の群れ。

 

「加賀さん……私はあなたに、その戦い方をやめて欲しかったのよ」

 

 その声は後ろから、赤城さんの声が私に届く。

 

「あなたは、まるでむき身の刀のよう。どこまでも真っ直ぐで」

 

 そしてどこまでも突き進む。まさに今がそうだ、私はこんな所まで。赤城さんが全て引き受ける筈だった敵を蹴散らして、空軍や萩風を危険の最中に巻き込んで。

 

「……この作戦で、みんな幸せになるはずだったんだけれどな」

 

 その幸せの中に、どうしてあなたは含まれていないのだろうか。それともそれは、あなたが諦めているからなのだろうか。

 

「最良の策だったわ。私がここで敵を食い止めれば、姉様を救うことが出来る。作戦が成功すれば、片桐先輩は大手を振って無人機戦術の導入を推し進めることが出来る」

 

 それに、あなたを止めることも出来ると思ったの。

 

「止まりませんよ。だって私たちは、もう路を違えてしまったんですから」

 

 私たちの目標はばらばらだ。二人の路は交わることなく、二人の目指す目標も違う。

 

「それにしても、もっと他にやり方があったんじゃないですか?」

 

 いや、これ以外には無かったのだろう。きっと赤城さんは、私にずっと止めて欲しかったのだ。それでも私が止まらなかったから、こんな手段に出た。自分の死をもって私に艦娘母艦の、太平洋奪還作戦に伴う犠牲を知らせたかったのだろう。

 それでも私は赤城さんの想いを踏みにじる。だってそれは、私の願いではないから。

 赤城さんは観念したのか、ふふと小さく息を吐いた。

 

「どうやら私の目論見(はかりごと)は、完膚なきまでに失敗しちゃったみたいね……」

 

 そこに絶望の色が見えなかったのは、私にとっては僥倖だったと思いたい。眼前で頬のが揺れ、目の前の圧はじりじりと迫ってくる。この場所は、独りでは乗り切れない。

 

「でも、これからどうするの? 艦載機は残ってないし、私の艤装もボロボロよ? 私は初めから沈むつもりで、先の作戦は考えてないかもしれないわよ?」

 

 そんな筈はないだろうに、赤城さんはそんなことを言う。

 

「心配ありません。それならそれで――――私たちの大作戦(はかりごと)を決行するだけです」

 

 その言葉に合わせるように、敵陣の一角が爆ぜる。いや一角ではない、それは連続的に次々と、無慈悲な爆裂とともに海の怪物を塵屑へと変えていく。後に続いたジェットの鼓動を聞いて、赤城さんは血相を変える。

 

「空軍機を投入したの? そんなことしたら『防空網』が――――――!」

『――――どうやら新田3佐殿は、ステルスの概念をお忘れになったようですな!』

 

 待ち構えていたように通信回線(オープン)に割り込んでくる声。先程聞いたばかりのそれは、考えなくてもあの面倒な一等空尉のものだ。彼女はそのまま叫び続ける。

 

『第94航空団見参! 全機、全天候型戦闘爆撃機(ライトニングⅡ)の威力を見せつけてやれッ!』

 

 応ずるように海域がさらに爆ぜていく。「防空網」に見つかることのないステルス能力を備えたその機体は、まさに空軍がここまで隠し持っていた切り札だ。

 

「F35を投入するなんて……」

 

 もちろん、赤城さんにとっては信じられないことだろう。だけれど、それこそがあなたの見当違い、私は振り返って、彼女の顔を見る。

 

「全部、あなたを助けるための作戦なんですよ。あなたの()()()がそうさせたんです」

 

 空軍に海軍、組織の垣根や対立。それを越えてここには全てが集まりつつある。きっと直ぐに沿岸から出撃した部隊もやってくる。

 

「あなたの言ってた大きな目標……国を守るとか、平和を守るなんていうのは簡単です。でも、私が大事なのはやっぱりあの子と、赤城さんなんですよ」

 

 もちろん、その価値観は私だけのもの。赤城さんはまた別の価値観を持っている。

 

「加賀さんは……ほんと、とんでもないヒトね」

 

 赤城さんがそんなことを言う。爆撃の炎に揺れる彼女の横顔は、笑っていた。

 

「司令ッ! 遅くなりました!」

「来たわね萩風、敵旗艦はどっち?」

「四時の方向、おおよそ一海里ッ!」

「上出来よ……さ、赤城さん。敵の旗艦を叩きましょう」

 

 その言葉に返事はない。代わりに手渡されるのは、小さな記憶媒体(アクセスキー)

 

「第2航空艦隊の陸上攻撃機、全部あなたの指揮下に渡すわ。出来るわね?」

「当然」

 

 ここから、変えていくのだ。私たちは路を違えた、それでも違えた道は、また一つに交わることも出来る筈だから。だから私は、この海に立ち続けるのだ。

 

「加賀さんっ、行きますよ!」

「ええ――――赤城さんとなら、鎧袖一触です!」

 



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第79話 けんとゆみとでいとをひく

 いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。凪いだ海はどこまでも穏やか。

 

「痛っ」

「動かないでください。赤城さん」

 

 展開式の救命筏は、流石に二人を乗せるには手狭だっただろうか。救命キットで頬の傷を手当てしてやると、赤城さんは驚いたように身体を縮込ませる。

 

「……少しは落ち着きましたか?」

「えっと。ええ、そうですね」

 

 そう答えながらも、赤城さんは私からそっと目を逸らす。膝を抱えた彼女は、恐る恐るといった様子で私の方を見た。上目遣いで見る姿は、どこかでみたような表情。

 

「えっと……怒らないんですか?」

「統合幕僚監部の認可も受けた作戦と聞いています」

 

 それとも怒って欲しいんですか。そう問えば、まさかと彼女は首を竦める。その視線は広がる大海原に注がれていた。ゆらゆらと波打つのは海と空の境界線。

 ここは音のない世界。戦闘の怒号で満たされていた空気は流れ去り、ただ生も死もない無だけが広がっている。近くで警戒にあたっている筈の萩風は珍しく気を利かせてくれたようで、何も言わずに距離をおいてくれていた。

 

「……なんでこんなことをしたのか、聞いてもいいですか?」

 

 いくら適当な表現がないとはいえ、こんなこと、なんて。よく言えたと思う。

 それでも、赤城さんは答えてくれた。ぽつり、と言葉がこぼれ落ちる。

 

「イヤ、だったんだと思います」

 

 何がとは問うまい。戦争のこと、お姉さんのこと、艦娘母艦のこと、あの子のこと……挙げればキリはない。それほど彼女は、ずっと沢山耐え忍んできた。

 

「加賀さんは『偉くなりすぎた』って言ってましたよね。私も、偉くなりすぎました。それでも私は何も出来なかった。何も変えられなかった」

 

 だから、逃げ出したくなっちゃったんですよ。そんなことを言う赤城さんは、逃げ出してはいけないことを誰よりも知っていたのだろう。艦娘の後ろに国土はない。そんな時代を生き抜いたのが私たち開戦世代なのだから。

 

「赤城さんは、強いですね」

 

 その言葉に、彼女は私を見る。きっと信じられないだろう。

 

「私は、何も出来なかったことに耐えられなかった」

 

 私は無力だった。恐らくは今も無力。もっと偉くなれば、実力があれば。そう何度も考えた。諦めないと息巻いて戦い続けたけれど、私は結局、赤城さんを助けてしまった。赤城さんならこの悲劇も啼かずに耐えたのではないだろうか。

 

「私だって、耐えられた訳ではないですよ」

「……そうですね。そうでした」

 

 それでも、私の大切な一人がここに居ることがなによりも嬉しい。私は本当に身勝手だ。娘を、赤城さんを守る。そんな独りよがりをさも大義のように掲げてみせる。でもそれで今があるのなら、私はそれでもいいと思う。

 

「加賀さんこそ強いわ。あなたは『そんなことない』って言うのでしょうけれど」

「むき身の刀は、危ないだけですよ」

 

 返事がないことが全ての答え。赤城さんは私を見つめて、ふっと小さく笑う。

 私の戦いはまだ終わらない。この行いが、赤城さんを本当に救えたのか私には分からないし、肝心の戦争はこんな小さな戦いじゃ終わらない。それでも私は今日、諦めずに――――その信念(スジ)を通すために戦った。

 

「赤城さんの助言に、従ってみます」

 

 これからの戦いは、きっと益々困難なモノになる。艦娘母艦は既に暗礁に乗り上げかけているし、今回の戦いは結局のところ航空艦隊、無人兵器の活躍が評価される。

 

 ……きっとあの子が大人になるまでに、戦争は終わらないだろう。結局私は、あの人の願いを成し遂げることは出来そうにない。けれど私は、それらも全部抱え込むと決めた。私の罪は消えることはない。それなら、そこに向き合うしかないのだ。

 私は諦めない。何もかも抱え込んで、戦いを続けていく。

 だからこそ、私はもう少し、少しだけゆっくり歩いてみようと思う。

 

「赤城さん。あなたの自分勝手なところを、私に教えてくれませんか?」

 

 私だって、別に分からず屋なつもりはない。赤城さんにとって私は面倒な僚艦(どうき)なのかも知れないけれど、それでも。

 

「あなたと一緒に、この国の平和(みらい)を見てみたいんです」

「加賀さん……」

 

 ヒトとヒトとの繋がりは、簡単に言い表せるようなものじゃない。そんなことは百も承知。私と赤城さんの間にだって、立場や考えの違いで幾重もの対立項がある。

 それでもヒトは手を取り合えると、私はそう信じたいから。

 

「そうね……じゃあ、まずは一緒に怒られましょうか」

 

 音のない世界に、鋼鉄の鳥が羽ばたく音が聞こえてくる。

 私たちの航海に、まだ幕が下りることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コツ、コツ。

 

リノリウムの床に、靴音が響く。

 

それは単調に、そして威圧を伴うように。

 

「ミコト」

 

その足取りが、とまる。

何も答えまいと閉じた目蓋の向こうに映るのは、やはりというべきか先輩の姿。

 

「別にいまさら怒る気なんてないわ。こういう言い方はなんだけれど、よくある話だし」

 

よくある話。そうだ、その通り。

私たちの間ではよくある話だった。橋を掛けるため、城を護るため、人柱は文字通りにその土地を、人々の営みを支えている。

 

「小沢空将がミコトに伝えてくれって言っていたわ。『防空網』を解体する、って」

「……!」

 

私の驚きを、まさか感付かない彼女ではないだろう。ゆっくり起き上がれば、狸寝入りを咎められることもしない。

いや、もともと彼女は冗談をいうような人間ではないのだ。

 

「感情論が悪いとは言わないわ。私だって『防空網』なんてのを考えたのは性悪オニチク野郎だって信じてる」

 

けれど、それでいいの?彼女の問いは、まっすぐに核心へと迫ってきていた。

もしここで「加賀さんと戦うことにしたんです」と言えば……彼女は嗤ってくれるだろうか。ひとしきり馬鹿にした後で、彼女なりの正解を教えてくれるだろうか。

 

「……」

 

ーーーー答えは、否だろう。

 

なにせ、私は一人で海に向かってしまった。相談することも出来た、同盟者として共に戦ってくれということだって……。

 

いや、それはないか。

彼女の名前は片桐アオイ。名家の生まれという訳でもなく、私のように一族の流れを汲む者でもない。だから彼女は『防空網』のことだって知らなかった。そして本来なら、知るべきではなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

彼女は、どこにでもいるような一般人だった。ちょっと特異で、一般人の枠から飛び出している優秀な特務神祇官(かんむす)に過ぎないハズだった。

 

「私、傲慢でした」

 

大変なことほど表に出ない方がよい。その正しいようで間違った選択は誇りゆえの傲慢(エリートパニック)。そして私は、

同盟者であるハズの彼女にそれを押し付けた。

だから、怒られる以前に見放されても仕方がない。

なにせ、最初に突き放したのはこちらなのだから。

 

「もう。なにしょーもないこと気にしてるのよ?」

「……」

 

それなのに、彼女は。

私のことを突き放してくれない。

 

「分かるわよ。もう、終わらせたくなったんでしょう?希望を誰かに託して……ってことは、託したのは私じゃなくて加賀(アイツ)か」

 

おねえサン振られちゃったな、とおどける片桐2等海佐。特務艇〈蒼龍〉の艇長。

ああ、本当に。貴女は優しいヒトだ。

 

「違いますよ。私、頼られるのが好きなんです」

 

だからこの絶望は隠しておこう。

彼女がこれ以上、苦しまなくてもいいように。私がどうしてこんなことをしたのか、彼女は知らなくてもいいのだから。

そんなことを考える私の手を、彼女は掴む。

 

「ダメだよ、ミコト。貴女の優しさ(それ)は傲慢だ」

 

じっと注がれる視線。私に折り重なった経験が目線を逸らすなと訴えてくる。

そして降り積もった経験は、そんなことをしなくても無駄だと諦めている。先輩はこれでも、裏取りを重視するヒトだ。

 

「感情論で国防が決まるハズがないんだよ。いずれ艦娘母艦が通るならそこには必ず道理がある。『防空網』を解体するならそれはポスト防空網が現れたか……もしくは陳腐化して、どうにもならなくなってしまった時」

「そんなことは……『防空網』はキチンと機能しています。だからこそ、先輩たちはあんな無茶な作戦をやったんじゃないんですか?」

 

こんな詭弁では誤魔化せないことは分かっている。そして案の定、彼女は食らいついてきた。

 

「うんうん。防空網が機能しているのは事実だと思うよ?ただそれは『今』の話だ。解体されるということは、いずれーーーーいや、今は問題になっていないだけで今後必ず問題になる不具合が発生した」

 

違うかしら?

そう問いかける先輩の眼には確信が宿っている。

ならば、やむを得まい。そう言い訳して、私は口を開く。

きっと先輩なら、最後には結論にたどり着いてしまうだろうから。

そしてなにより、私は先輩に賭けて(ベッドして)いるのだから。

 

「……アナフィラキシー反応」

「えっと、アレルギー物質に対する症状だっけ?」

「ええ、免疫系の過剰反応です。今回の『防空網』の暴走は、そのアナフィラキシー反応のようなものなのです」

「……なにに反応したっていうの?」

 

そう言いながらも、先輩。貴女はもう答えにたどり着いているんじゃないですか?

『防空網』の役目はこの国を守護すること。その対象は航空戦力はもちろん、本来なら国民、この国に住まう民にも向けられねばならない。

だが『防空網』は市民を護れない。なぜなら、レーダーが内陸を指向していないから。見えないものをみることは出来ないから。

 

だからこそ。防空網(ねえさま)はあの夜の悲劇にトラウマを抱いている。

 

「内地に()()()()、深海棲艦」

 

今からおよそ10年前、東京湾に侵入したたった一体の深海棲艦がこの国の形を歪めてしまった。

対応が後手に回った空軍。疑心暗鬼に陥って身動きの取れなくなった海軍。のちに国防軍不祥事と呼ばれるその事件は、ただでさえミクロネシア戦役の敗北で揺らいでいた日本という国をさらに不安定なものとした。

 

「もう、お分かりではありませんか?」

「……」

 

その深海棲艦が()()()()()……もしくは、それに極めて類似した個体が現れた。

そこまでは流石に、言うつもりはないけれど。

しかしこれで、あなたには十分なハズです。先輩。

 

「貴女の覚悟を踏みにじるのを許してね。私は今の話を、忘れる用意があるわ」

 

嗚呼、本当に。彼女は甘い(やさしい)

身内のことを第一に思う、私なんかに肩入れしてしまう。

 

貴女の忌み嫌う「ロクでもない人」にーーーー私や私の一族はカテゴライズされてしまうかもしれないのに。

 

「いいんです。覚えていて下さい」

「いいのね?」

「ええ、だってーーーーー」

 

 

2023年。人類の戦術を模倣したと()()()()()()()あの本土空襲。

そこで生まれた政治的空白に滑り込んだ新田家。私の一族……そして。

本土空襲の実行犯である深海棲艦が顕現する際に()()()()()にしたとされる、あるひとりの英雄。

 

たぶんこれらは、どこか深いところで繋がっている。

それでも関東の防空網(わたしのねえさま)はーーーー

 

 

「姉様は、乙41号目標(そのしんかいせいかん)を『敵』だと。言いましたから」

 

ならばそれは。私にとっての敵なのだ。

 

「でも、私は一度見ないフリをしてしまった」

 

だって、その道はあまりに多くの人を裏切ることになる。いくつもの顔が浮かんでは消え、そうしてまた浮かび上がる人々を裏切ることになる。

そんなの耐えられない、耐えたくない。私が身を投げ出そうとしてしまった理由の根幹は、きっとここにあって。

 

「…………私は、無責任な人間なんですよ」

 

勝手に悩んで。

勝手に利用して。

勝手に諦めて。

 

この世界には苦悩と悲劇を飲み下したヒトがいるのに。

この世界には戦い続けるヒトがいるというのに。

この世界には私なんかに手を差し伸べてくれるヒトがいるというのに。

 

「まったく。加賀からは吹っ切れたって聞いてたのに……いや、違うか。吹っ切れたからこそ言ってくれたのかな?」

「そうだと、いいのですが」

 

そう返せば、なんで貴女が疑ってるのよと笑われる。そんな先輩が、今はじめて()()()()()()()

先輩は戦い続けている。ヒトの業に吐き気を催しても、身勝手な爆撃機を恨んでも。それでもそれを全部飲み下して、先輩は戦い続けている。

 

「確かにミコトは無責任だったかもしれない。けれどそれは昨日までのミコト。今日はもう違う、でしょ?」

 

彼女の戦い、その険しい道のりの先に何が待ち受けるのか。

それはきっと、先輩自身も知らなくて。

 

「ねえミコト。頑張ろう、私たちの未来のために……この戦争を、終わらせるために」

 

先輩には見えているのだろうか。

私は本当に知っているのだろうか。

 

この世界の現状を、この国の窮状を。

 

「ええ、頑張りましょう」

 

いや、違うか。分からないからこそ先に進む。闇の帳が降りているなら灯りを持ち出そう、遠くにあるのなら近づいてみようとする。

きっとそれが、人間(わたしたち)という愚かで好奇心豊かで……きっと心のやさしい、生き物の本能(サガ)

 

「まず、艦娘派を再編します。きっと今の加賀さんなら、やってくれるハズですから」

「よし。じゃあ私は護衛艦(かんたいは)の方をなんとかしよう……となると、しばし道分かれと言ったところかな?」

「ええ、そうですね」

 

そして、(はかりごと)は流れゆく。

裾野から(みなと)へ、そして海へ。

 

「このロクでもない世界を変えてやろう。私とあなたで、世界を変えたいと願うみんなの力で」

 

それが、世界をより良い方向へ導くと信じて。

 

 

 




 本稿は2020年8月16日に初頒布した同人誌「裾野に流すはかりごと(後編)」を加筆・再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。

 そしてオマケではありますがTwitterでの告知も開始しました!もしよければどうぞー!


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幕間「鶴舞うまではあと少し」
第80話 けんもほろろとみをふせし


第四部で使用しなかった原稿(赤城さんと「娘」のシーン)を再構成した幕間となります。原稿デスマーチから帰ってきて慌てて執筆したのであとで修正&加筆するかも。

全三話です。よろしく。


 

 加賀さんが笑うところを何度もみた。

 加賀さんが怒るところを何度もみた。

 

 けれど。

 

「……藤見3佐、なにをしようとしているのですか」

「あるべきものをある場所へ。私はなにかおかしなことをしているかな? 空母〈加賀〉」

「この子は関係ありません。この子は、関係ないじゃありませんか」

 

 あの日、私の手を取った加賀さんは。

 

 怒ってなんかいなかった。

 悲しそうですらなかった。

 

 

 

 

 ――――――ただ、苦しそうだった。

 

 

 

 

 


 

鶴舞うまではあと少し

 


 

 

 

 私にとっての東京は、キラキラした街だ。

 

『埋立地は、我が国の僅か数%に過ぎません。それを手放すだけで海の怒りが収まるのなら、これほど安い投資もないではありませんか!』

 

 拡声器越しによく分からない声が聞こえる。まさか本気で海を埋め立てたから深海棲艦が現れたわけでもあるまいし……。

 

『防衛費1%枠を取り戻すんです! 国防軍は直ちに撤兵して自衛隊に改称! 全ての艦娘戦力を都道府県警察に編入することで防衛政策の正常化を図ります!』

 

 また別の交差点に差し掛かれば、今度は政治家さんが話している。何度かニュースでみたことのある政党名……国会で多数派になれないいわゆる「野党」というやつで、とりあえず何でもかんでも反対する人たち。

 

「あーあ……なんかヤな感じだな……」

 

 この国にはいろんなヒトがいる。もちろんそれは知っている。加賀さんがいうにはそういう「多様性」が大切らしい。

 それでもまあ、聞いていて愉快な話ではない。とはいえもう1ブロックほど進めば、ますます現実味のない演説を聴くハメになるのだからやっていられないというもの。

 

『子供達を戦場に駆り出す国のどこが先進国だというのでしょうか。私たちは社会の、みなさんの希望である少年少女を守ります。財政健全化に社会保障費の増額、危険極まりない兵器である特務艇(かんむす)は直ちに廃止とし……』

 

 

 艦娘反対――――――もう、何度も聞いた話だ。

 

 

 非人道的だとか、子供の命を危険に晒しているとか。まだ何も自分で決められない子供を国は騙しているだとか。

 それは加賀さんたちをバカにすることだ。自分で戦うと決めて、その決意で今日まで戦ってきた人たちの気持ちを踏みにじる行為だ。

 

『いい?あなたは艦娘になんてなる必要はないの』

「……なのに、なんでよ」

 

 それなのに、加賀さんは私が艦娘になることに反対している……別に、艦娘になるって伝えたわけではないのだけれど。

 反対されるだろうなってことは、なんとなく分かっている。

 

 

 

 

 

 待ち合わせの場所についたのは、集合時間の10分ほど前だったと思う。

 

 いくつもの河川、運河に埋立地……多種多様な水運インフラが整えられた東京は水の町なのだという。水の都と呼ばれるヴェネチアには敵わないだろうけれど、意識してみれば確かに水上バスの姿も。

 

 ――――――そしてその横に、艦娘の姿。

 

「おーいっ!」

 

 思いっきり手を振ってみる。政治家やテレビの人がどんなに悪口を言っても、艦娘は私たちの生活に欠かせなくって……私の憧れなのだから。

 それが少しでも伝わるように、手を振る。

 コンクリートと鉄筋を組み合わせた橋脚、橋桁の隙間から手を振る私。

 

「わ、やった!」

 

 それに気付いてくれたらしい艦娘が、私に手を振り返してくれる。背中に背負った大きな機械――――艤装、というらしい――――の上に設置されたパトランプがぴかりと光る。

 

「あら、水上警察の艦娘ね。珍しい」

「え? 警察……警察も艦娘をもってるんですか……って」

 

 横から聞こえた声にパッと振り返れば、そこには綺麗な黒髪の懐かしい顔。

 

「あかぎさん!」

「……」

 

 そう言えば、なんだか微妙な顔をする――――私の小さい頃からの知り合いである――――赤城さん。首元にお洒落なスカーフを巻いたその姿は、とりあえずのパーカーにいつものツインテールな私とは大違いだ。

 

「お久しぶりです。赤城さん!」

「ええ、久しぶり。それと、赤城っていうのは……」

 

 そう口ごもりながら辺りに目配せをする赤城さん。そこで私はようやく彼女の言わんとすることを理解する。赤城さんの「赤城」は名前ではないのだ。

 

「そうでした、えっと」

「ミコトね、新田(にった)ミコト。あんまり大きな声でなければ赤城でもいいけれどね」

 

 そう。この東京という大きな街での戦争は他人事。強いて言うなら、政府が増税したり、あと計画停電が行われたりする原因。

 だから艦娘という立派な仕事をしていても、それを堂々と見せびらかせば白い目で見られてしまうのだ。

 

「すみません、赤城さん……久しぶりに会えるのが嬉しくて、つい」

「ええ、いいのよ。私も会えて嬉しいわ」

 

 そう言いながら笑う赤城さんは、記憶の中のそれより少し小さくなったような……あ、そうか私が成長したのか。そんな私の考えを読み取るように、赤城さんが続ける。

 

「それにしても、大きくなったわね。いくつになったの?」

「ええと、今年の春で高校生になります」

「進学おめでとう」

「ありがとうございます」

「何かお祝いしなくちゃね。何か欲しいものはある?」

「そんな、頂けませんよ! お言葉だけで十分です!」

 

 この間テレビドラマで見た受け答えをしてみれば、ふふと口元を抑える赤城さん。いいのよ、遠慮しないでと言いながら歩き出す。

 

「いきなり呼び出しちゃった迷惑料でもあるんだから」

「呼び出すだなんて」

 

  ……今回、赤城さんを呼び出したのは私。

  もう少し正確には、加賀さんに「赤城さんを迎えに行って欲しい」と頼まれたから。

 

 なんで迎えに行かないといけないかというと、赤城さんは初めての道に迷いやすいから。

 そう、私と加賀さんが官舎を出ていって以来、初めて赤城さんが遊びにくるのである。

 

「こちらこそ、来週じゃなくて今日にしてしまってすみません」

「別に私はいいのだけれど……」

「実はおか……加賀さんは来週用事があるらしくて、今日の方が都合が良かったんです」

 

 ()()()()と言いかけて、私は口をつぐむ。

 赤城さんと加賀さんは、なんというか……微妙な感じなのだ。多分それは私と加賀さん……お母さんの関係が原因、つまり私のせいなのだと思う。

 

「まあ。都合が良いならいいの。それじゃあ行きましょうか」

 

 いそいそと歩きだそうとする赤城さん。やっぱりお母さんと会うのは気まずいのだろうか。

 

 ……まあ、そりゃそうだよね。

 なにせ私のお母さんは、本当のお母さんではない。つまり、実の母親、産みの母親ではないのだから。

 

「あの! ちょっと待ってください」

 

 そう呼び掛ければ、どうしたのと振り返ってくれる赤城さん。

 自分で言うのもなんだけれど、赤城さんは私個人に対して思うことはないのだと思う。官舎を出ていこうって言い出したのはお母さんだし、ハッキリとその理由は分かるし……。

 だからこそ、今日は赤城さんにどうしても相談したいことがあったのだ。

 

「実は、加賀さんからは赤城さんを夕方に連れてくるように言われてるんです」

「そうなの?」

「はい」

 

 お母さんは、なんというか生真面目で意地っ張り。だから赤城さんとの仲が悪いとは認めないし、にも関わらず連絡は私にさせようとする……メールですら顔を合わせたくないなんて余程ではないだろうか。

 ともかく、そんな事情もあって私は集合場所と時間を指定することが出来た。そうして私は赤城さんを本来の時間よりずっと早く呼び出すことに成功したのである。

 もちろん赤城さんも私の企みは伝わったようで――――

 

「意外と策士なのね?」

「あいえ、そんなことは……」

 

 にんまりと微笑む赤城さんに、ちょっと恥ずかしくて顔が熱くなる。うまくいった、よかったよかった。

 

「いいのよ。それじゃあ東京(このまち)を案内して頂戴? 私は全然詳しくないから」

「はい!」

 

 

 

 

 

 東京にはあらゆるモノが集まっている。

北海道から九州まで、それどころか国境を越えて文化と品物が東京へと訪れる。

 ちょっと信じられないけれど、深海棲艦との戦いが始まる前は世界中が東京みたいに便利だったらしい。世界中の何処からでもインターネットにアクセス出来て、世界中から商品を取り寄せられる。そんな時代。

 

「それでは、ごゆっくりお過ごし下さい」

 

 そして、この国は艦娘のお陰でそんな素敵な生活を維持することが出来ている。私の目の前に置かれたパフェは、いってみればそんな豊かさの象徴。

 凝ったデザインのガラス容器に収められるのは、世界中から集められた様々な甘味(スイーツ)協奏曲(ハーモニー)。それらは折り重なって積み上げられて天高く伸びている。

 まさにスイーツ界の王様、世界を見渡すバベルの塔――――そこに、今スプーンの先端が突き立てられた。

 

「いただきますっ」

 

 さぁ最初に攻略するべきは彩りを添える苺か、はたまた上層階を支えるアイスクリームか。でも私はそんな定石(セオリー)は気にしない。スプーンは上層を無視して中層へと突入すると、香ばしいフレークが擦れあう乾いた音と共に、そのまま下層のヨーグルトまで掘削する。

 

 上層から順繰りに食べてしまっては味が単調になる。それゆえに編み出された攻略法……もっともお母さんの前でやると物言いたげな顔をするのでやらないのだけれど……。

ちらり。

 

「……」

 

 うん。どうやら大丈夫そう。赤城さんは涼しい顔でコーヒーカップに口をつけている。ちょっと熱かったのか一瞬だけ顔をしかめるけれど、すぐになんでもなかったかのようにコーヒーを飲んだ。

 

 

「……さっきの絵、すごかったですね」

 

 パフェを形作るスイーツをひとしきり口にすれば、ひとまず満足した手の動きが遅くなる。となればまぁ、ここから先は久々のお喋りタイムとなるわけで……ひとまずお礼も言いたいので、ここに来る前に見に行った美術館の話を振ることにした。

 

「ええ。やっぱり実物は違うわね」

 

 今回観に行ったのはどこか海外から避難しているという美術品の展示会。普段は金庫の中に保管してあるらしいそれがなんでも里帰りするとかで、出国する前に展示会として全国を回るらしい。

 ちなみに展示会が開かれた美術館も艦娘たちによって警護されていた。アレなら、いきなり深海棲艦が攻めてきても美術品を守れるに違いない。そういう信用の積み重ねで、日本には沢山の美術品が集まっているのだそうだ。

 

 閑話休題。ともかくお礼を言わなくては。

 

「勉強になりました、ありがとうございました……でも赤城さん、本当に良かったんですか? 美術館の入館料くらいだったら、きっとお母さん出してくれると思うんですけれど……」

 

 そう言えば、赤城さんはいいのよと手を振る。

 

「美術館は何度行っても発見があるし、博物館はどんどん情報が更新されていくから何度行っても勉強になるわ。次行くときに、お金を出して貰いなさい」

 

 つまり特別展だけではなく常設展も観るように、ということだろう。今日は大混雑で常設展まで見る余裕がなかったので、次はそうしたい。

 そんなこんなで話をしていくと、次第に話題は少なくなっていく。学校の話は入場待機列でしてしまったし、赤城さんの近況はそもそも軍事機密だからたいして聞けないし……既に時刻は午後三時。赤城さんを家に連れていかないといけない時刻は刻々と迫っている。

 

「そういえば、加賀さんの調子はどう?」

 

 そんなことを考えていたら、まさかの赤城さんから話題が振られてしまった。いつ言い出すかと迷っていたこともあり、言葉が思いどおりに出てきてくれない。

 

「ええ、おか……加賀さん……えぇとケイコさんは……」

 

 私のお母さんには、沢山の名前がある。それは何もお母さんに限った話ではない。

 まず、私のお母さん。

 戸籍に登録してある氏名である山下ケイコ。

 そしてその山下ケイコ3等海佐――――もしかしたら階級は違うかも――――が乗り込む特務艇艤装の〈加賀〉。

 

「いいわよ。お母さんで」

「……お母さんは元気です。あぁでも、最近は帰りがちょっと遅くなってますかね」

 

 私のお母さんは、赤城さんと同じ軍人だ。そして艤装を操る「艦娘」でもある。

聞いた話によると、お母さんや赤城さんの歳になっても艤装で海に出る例は少ないらしい。まあ考えてみれば艤装なんてバランスの悪いものを背負って海の上に「立つ」わけだから、それはもう身体に掛かる負担は並大抵のものではないだろう。

 

「だから、最近は健康志向の料理を作ってあげてるんです。なのにお母さんったら、この前なんかカロリーが少ないとか言うんですよ! カロリー少なくしてるんだから当たり前じゃないですか」

「あらあら。でも料理を始めるなんてスゴいわね、驚いちゃった」

 

目を丸くする赤城さん。そう、私はもう官舎にいた頃とは違う、甘えん坊のミライちゃんは卒業したのですと胸を張る。

 

「お母さんは国防の最前線に立ってるわけですから、私がしっかり支えてあげないとって思うんです。まあ最初は反対されたんですけれど、今ではおいしいって」

 

相変わらずカロリーは増やせって言われるんですけれどね。そういえば赤城さんは口許を抑えて笑ってくれた。

 

「良い心がけだと思うわ。加賀さんも喜んでいるなら良かったじゃない」

「はい!」

 

 よし、そろそろ言い具合に会話があったまって来たんじゃないだろうか。

 それではいよいよ――――――本題に入ろう。

 

「今、お母さんと赤城さんって、一緒に仕事をしてるんですよね?」

「一つの計画で関わることになっただけだけれど、そうね」

「あ……そうなんですか」

 

 それなのに、その目論みはアッサリと崩れてしまう……なにせ赤城さんの表情が、急に暗くなったから。

 どうしよう。会話を切り出すタイミングを間違えたのだろうか。それとも仕事の話題を振ったのが良くなった? とてもじゃないけれど、私のしたい話題を出せる雰囲気ではなくなってしまった。

 

「……」

 

 何処かのFM電波を鳴らすラジオを背景音楽に、パフェを収めたガラス容器。どうしたらよいか分からない私は、誤魔化すようにスプーンを動かす。

 

 そんな時、赤城さんが何かを呟いた。

 

「なんですか? 赤城さん……」

 

 逡巡しているのがこちらからでも分かる。赤城さんは数拍ほどたっぷり悩んでから、ようやく口を開いた。

 

「……ねえ。そのパフェ、おいしい?」

「え、美味しいですけれど……あ、もしかして赤城さんも食べたいですか?」

 

 ――――――もしかして、私の考えすぎだろうか?

 

 まさかパフェを食べたくて悩んでいるだけなんて、それなら赤城さんも注文すればよかったのに。

 

「はい、一口どうぞ」

 

 パフェからスプーンでひと掬い。赤城さんへと差し出せば、表情はより複雑なものへ。

 

「……」

「いいですよ。お代は赤城さんが出してくれたんですし」

「ええと……じゃあ、いただきます」

 

 赤城さんが身を僅かに乗り出して、そのパフェを口に含む。

 大人のはずの赤城さんがそんな動きをするのが可笑しくて……そして懐かしくて。私は少し笑った。

 

「赤城さんは本当に美味しそうに食べますね」

「そ、そうかしら?」

「ええ」

 

 そういえば、どことなく不服そうな、それでも満更でもなさそうな顔をする赤城さん。

 ようやく三年前のあの頃に戻れたような気がした。

 

 だからこそ、あの話をしなくては。

 

「あの、赤城さん」

「どうしたの? 急に畏まって」

「その、このことは……お母さんには言わないんで欲しいんですけれど」

 

 そして私は――――――意を決してその言葉を口にした。

 

「私、艦娘になりたいんです」

 



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第81話 ちからなくともそのさきへ

 

 

「私、艦娘になりたいんです」

 

 私の言葉に対する赤城さんの反応は、予想通りのものだった。全身を強張らせ、口の端をそっと結ぶ。それはそうだろう。この話を赤城さんにしている理由を、まさか彼女が理解していないハズがない。

 

「一応聞かせてね。どうして艦娘になりたいの?」

「国を守りたいから……っていうのじゃダメ、ですかね」

 

 ダメだろうな、と思う。少なくとも、お母さんはそれでは許してくれないだろう。

 

「国を守ろうというのはもちろん立派な心がけよ。十分な理由だと思うわ」

「そう、ですよね。赤城さんはそう言いますよね」

 

 赤城さんは艦娘だから……そしてなにより、艦娘であることを誇りとするヒトだから。だからこそ、私が艦娘に憧れる気持ちを慮ってくれる。

 なにせ私にとって、艦娘というのは一番に身近な職業だった。そうなれば、お姫様やお嫁さんと同じように艦娘に憧れたっておかしくはない……そうだよね?

 

「適性は……あぁ、それは心配いらないんだったか」

「はい。もうずいぶん昔に」

 

 今でも覚えている。はじめて艤装を着けさせてもらった日のことを。

 ふわりと浮かぶ重たいハズの艤装。憧れに近づけたと喜ぶ私――――――そして、そこに血相を変えて飛び込んできた加賀さん。

 

『……藤見3佐、なにをしようとしているのですか』

『あるべきものをある場所へ。私はなにかおかしなことをしているかな? 空母〈加賀〉』

『この子は関係ありません。この子は、関係ないじゃありませんか』

 

 あの日、私の手を取った加賀さんは。

 

 怒ってなんかいなかった。

 悲しそうですらなかった。

 

 ただ、苦しそうだった。

 

 

「でも、お母さんが納得してくれるとは思えません」

 

 お母さんは私から艦娘を遠ざけようとしていた。それはもう、必死に。それが分かっているから、私も口には出さないようにしてきた。

そうこうしているうちに、憧れだけが膨らんでしまった。

 

「このこと、加賀さんに相談はしてないのよね。相談する予定はある?」

「それは……でも、お母さんにそんなこと聞いたら、絶対反対されると思うんです」

「ええ、そうでしょうね。きっと反対するわ」

 

 もちろん、普通のお母さんとして考えれば至極普通の反応だろう。艦娘がなければ国は成り立たない。それでも、家族が危険に晒されるのは嫌。

 別におかしな考えではないと思う。

 けれど、それを艦娘であるお母さんに言われるのは、なんというか。癪だ。

 

「お母さんは、私に軍人になって欲しくないんだと思います」

「そうかしら?」

「そうですよ。そうに決まってます」

「それなら、あなたはどうして欲しい?」

 

 流石は赤城さん。話が早い。

 

「お母さんを説得するのを、手伝って欲しいんです」

 

 巻き込んでしまうことになるのは分かっている。赤城さんとお母さんの関係が簡単なものじゃないことも分かっている。

 それでも、頼らずにはいられなかった。

 私ひとりの力では、どうにもならないから。

 

「でもその前に……艦娘の正式名称って知ってる?」

「え、艦娘は艦娘じゃないんですか?」

 

それじゃあ加賀さんを説得できないわ、と微笑む赤城さん。

 

「加賀さん理屈っぽいでしょ? あなたが成りたい艦娘がどんなものなのか。あなたの夢が艦娘になることでそう叶うのか。それをちゃんと説明できれば、きっと加賀さんを説得できるはずよ」

 

 そう言ってくれる赤城さん。それはつまり、そういうことで。

 

「……! はい! ありがとうございます!」

「今日は時間がないから少しだけね? 艦娘は特務艇と呼ばれる小型艇に乗り込む国防軍人と定義されています」

 

 そうして、赤城さんによる艦娘の説明が始まった。メモ帳とペンを取り出して、そこにいくつかの単語を書き込んでいく。

 

軍艦(フネ)としての『特務艇』。そしてそれに乗り込む『特務神祇官たる海軍軍人』……艦娘はこの二つを併せた存在なの。それで……」

 

 

 

 赤城さんの説明はとても丁寧なものだった。

 

 分かりにくいところは全然なくて、どんな質問にも優しく答えてくれる。

 

 

 

「……国防海軍に所属する艦娘だと、こんな感じの仕事をすることになります、と」

「あの、赤城さん」

「なあに?」

「……私が艦娘になろうとすること、反対しないんですか?」

 

 だからこそ、少し不安になってしまった。正直、赤城さんもお母さんと同じように、反対するのではないかと思っていたから。

 

「あなたは艦娘になりたいと言ったわ。それなら、私は反対できないの」

 

 それとも、反対して欲しかった? そう聞かれれば首を振るしかない。

 艦娘になりたい、お母さんを説得して欲しい。私の願いに赤城さんは応えてくれている。ならばそれで、十分ではないか。

 けれど、こうも思ってしまうのだ。艦娘になることを少しは心配してくれてもいいのに……と。

 艦娘が危険な仕事であることは分かっている。だからお母さんが反対するのも分かっている。

 けれど、なりたいですと言ってハイどうぞと言われると、それはそれで違うような気がしてしまうのだ。

 

「ずるいです」

「ええ、ズルいわよ。大人だもの」

 

 (ずる)いのよ、本当にね。

 

 その言葉を聞いたときに、私はなんとなく分かってしまった。

 ああ、きっと赤城さんも心の底では反対なのだと。

 

 そしてきっと、次会うときは私を説得するための「材料」を用意してくるのだろうなと。

 

 

 

 だって赤城さん、私のことを見ていなかったから。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 私のお母さんは、英雄だ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 風が吹いていた。窓を開ければ待ってましたとばかりに飛び込んで来るそれは忙しなくカーテンを揺らし、つられて私の髪もなびかせる。

 春一番が吹けば、もうすぐ桜の季節がやって来る。春夏秋冬を湛えたこの国は、冬を乗り越えた生命(いのち)たちを祝福する準備の真っ最中。

 

「姉さん。今日も良い天気ですよ」

 

 赤城さんの言葉に返事はない。

 この国では内陸部に位置する埼玉県、関東地方の中心部に陣を構える国防空軍入間基地、その横に併設された入間国防病院――――――真っ白な部屋は清潔感の証明だ。

 クリーム色のカーテンに銀色のカーテンレール、優しい木目のプリントが張られた机に薄いクッションの張り付いたスツール……そんな装飾品たちがどうにか彩る部屋の中心に、その人はいる。

 

「今日はね、姉さん。紹介したい人がいるの……さ、入っておいで」

 

 そして振り返った赤城さんが、私に手招き。

 その人は、静かに鼓動を刻む電子パネルに見守られて、真っ白な世界の中心に横たわっていた。病室の名札には「新田ホマレ」と書いてあったから……やはり、そういうことなのだろう。

 

「赤城さん、このヒトって」

「ええ。私のお姉さんよ」

 

 その言葉に、分かってはいたけれど息を飲んでしまう。胸中にわき上がる感情が抑えきれない。

 ああ、でも。その安らかに眠る表情は――――――きれい、だった。

 赤城さんが微笑む。もしかして、聞かれてしまったのだろうか。

 

「あ、違うんです。これは……」

「ううん。きっと姉さんも喜ぶわ。聞いた姉さん? 綺麗ですって」

「聞こえてるんですか?」

「眼は閉じれば見えないわ。だけれど耳を塞ぐことは本当の意味では出来ないの」

「なるほど……じゃあ。聞こえてるんですね」

「ええ、きっとね」

 

 だけれど、赤城さんの横顔はそうは言っていないような気がする。

 じっと視線を注ぐ私をどう思ったのだろう。赤城さんが、こちらを向いた。

 

「どうしてこんな場所に連れてきたか。不思議に思っているでしょう?」

「それは」

 

 なんと答えたらいいのだろう。分からない。

 

「これが、戦うっていうことなの」

「戦う。じゃあ、赤城さんのお姉さんは……」

 

 戦って、大怪我をしてしまったのか。でも赤城さんにお姉さんがいるなんて話、これまで聞いたこともなかった。親族が同じ艦娘なら話題にあがることくらいあるはずなのに……ということは、考えられる可能性は2つ。

 

 2人の仲が余程悪いか――――――もうずっと昔から、昏睡状態(こうなっていた)か。

 

「戦死した艦娘の大半は回収されないわ。艤装が壊れれば漂流するしかないし、浮力を喪った艦娘の生存例は数えるほどしかない」

 

 赤城さんの伝えたいことは、痛いほど分かる。

 お前もこうなってしまうぞと、艦娘になるということはこういうことだぞと。

 

「でも。この人は戦ったんですよね」

 

 赤城さんだって、その事実を否定することは出来ないハズ。思った通り赤城さんは頷く。

 

「姉さんは。私を守ってくれたの」

 

 ぽつり、と赤城さんは漏らす。

 

「戦争が始まったとき、私はまだ子供だった」

 

 それはもう、十何年も昔の話。

 

「姉さんは言ったわ。平和を守るためには、代償が必要だって。今の平和も、私や加賀さんが払った代償で成り立っている」

 

 艦娘の犠牲があったからこそ今の平和がある。

 ならなおさら私も――――――そう言おうとした私を知って知らず、赤城さんはついと視線をやってくる。思わず口をつぐんだ私にそっと手を伸ばす。

 撫でるように、慈しむように。

 

「私はね、この国を守るって姉さんと約束したの。あなた達に私みたいな子供時代を送らせない。子供達が未来に希望を持てる平和な国を守るって」

「……」

「だから、どうか私の後に続かないで欲しい。それが私の願いの全て」

 

 ほら、やっぱり。最初から反対だったんだ。

 

「……そういえば。お母さんに()()()()、相談してくれましたか?」

「したわよ」

 

 赤城さんはまっすぐ答えた。それなら、まあ。嘘ではないのだろう。

 

「お母さん、なんて言ってました?」

 

 赤城さんは何も言わない。

 何も言わないのが、なによりの答えなのだろう。

 

「……やっぱり、反対でしたよね」

 

 沈黙が落ちる。それを破ったのはやっぱりというか、赤城さんだった。

 

「ねえ。国を守るだけなら、何も軍人(かんむす)にならなくていいのよ? 戦うだけが国防じゃない。艤装の整備に生産、艦娘を戦線復帰させる医療従事者……様々な職種に支えられるのが戦闘職(かんむす)なんだから」

 

 それは、この前の赤城さんに教えて貰った。思えばあれば、艦娘という戦闘職を選ばせないための布石だったのかもしれない。

 

 でも、私は。

 

「私は、親孝行がしたいんです」

「あなたが艦娘になっても。加賀さんは喜ばないわよ。むしろ親不孝かも」

 

 違うんです。赤城さん。

 ああでも、たぶん私の考えは通じないのだろう。

 

「……加賀さんは、あなたに自由に生きて欲しいと思っているはずよ」

「自由に生きて欲しいんなら。別に私が艦娘になったって良いじゃないですか」

 

 私の言っていることはそんなに筋が通っていないだろうか。間違っているだろうか。

 

「私は、ずっとお母さんに守ってもらいました」

「ええ。でも大丈夫。これからも国防軍(わたしたち)が、あなたの世界を守るわ」

 

 赤城さんの言葉に、私は首を振る。

 

「違うんです、赤城さん。私言ったじゃないですか。親孝行がしたいって」

 

 本当は、隠したままの方が良かったのだけれど。

 これじゃあ話が進まないから、仕方ない。

 

「私、知ってるんです。お母さんが()()()()()()()()()()()ってこと」

 

 

 


 

 

 

 

 私の()()()お母さんは、英雄だ。

 

 ミクロネシア戦役の英雄。

 

 チューク環礁で深海棲艦を食い止めて、それで……。

 

 

 


 

 

 

 

「赤城さんも知ってましたよね? 加賀さんが私の本当のお母さんじゃないってこと」

 

 赤城さんが目を白黒させる。窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らして、私と赤城さんの髪を揺らす。私は笑う。口を開く。

 

「……やっぱり、否定してくれないんですね」

 

 否定は出来ないだろうなって、思っていた。

 

「ずっと、おかしいって思ってたんです。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいるのに、お母さんだけ私と苗字が違うこと。お父さんの話をお母さんが全然してくれないこと」

 

 お父さんはいないのだ。そしてお母さんはお父さんのことを知らない。

 そりゃそうだ。だってお母さん――――――山下ケイコがチュークに着任してスグに、本当のお父さんは死んでしまったのだから。

 

「このこと、加賀さんには……」

「言いませんよ。言えるわけない」

 

 だって加賀さん(おかあさん)は、贖罪のために私を育てたんでしょう?

 

「違うわ。加賀さんはあなたのことを」

「でも、苗字は残してくれたじゃないですか。だから調べられたんです」

 

 そう言いながら、彼女は端末を私に差し出す。

 

「インターネットのまとめサイトじゃない。あんまりこういう情報を信じるのは……」

 

 なにかを言おうとした赤城さんが画面に釘付けになる。

 それはそうだろう。なにせそこには、確かに彼女の苗字が綴られていたのだから。

 

 その部隊の名前は第8護衛隊群第3分遣隊。

 ミクロネシア前方展開群の最高戦力、南洋の戦線を維持した英雄部隊。

 

「赤城さんなら私の両親が何て呼ばれていたか、知ってますよね?」

「……月妃のグンカンドリ、よね」

 

 グンカンドリ。それは、ミクロネシア戦役で最後まで徹底抗戦した部隊。

 どの部隊よりも敵を多く屠り、そして多くの味方を救った。

 

「よく調べたわね。でも、ネットの情報は全部じゃないわよ」

「はい。だから、赤城さんに教えて欲しいんです。お母さん(かがさん)に何があったのか」

 

 そして、私の本当の両親がどうして死んでしまったのか。

 

「……ねえ、その部隊のことを知ってどうするの?」

「お母さんのことを知りたいんです」

「それは、どちらの?」

「どちらもです」

 

 ちょっと、ズルい答え方だっただろうか。

 でも、間違ってはいない。英雄となった本当の両親。そして私を育てることになった加賀さん(おかあさん)の考え。

 

 それを知るためには、多分どちらも知らねばならない。

 

「一つだけ質問させて。あなたは自分が艦娘(えいゆう)の子だから、艦娘になろうと思ったの?」

 

 英雄の子だから、か。

 確かに、周りから見たらそうなのだろうなと、私は他人事のように思う。

 

 英雄「瀬戸月」の苗字を持つから、英雄の血を引くから……なんて、そんな理由で艦娘を目指す人なんているのだろうか。私は首を振る。

 

「英雄の娘であることなんて関係ないんです。加賀さんは血も繋がっていない私を、ここまで育ててくれた。だから、私は加賀さんの力になりたいんです」

 

 それが、私にできる恩返しなんです。

 

 

 

 

 

 

『ごめんなさい』

 

 お母さんは、ずっと何かに謝っていた。

 

『…………ねぇ、おかあさんったら。おかあさん』

 

 夢の出来事のように……もしかすると本当に夢だったのかもしれない記憶。

 

『起こしてしまったかしら』

『ううん。へーき……それよりおかあさん。わるいことしたの?』

『おかあさん『ごめんなさい』って。わるいことしたらごめんなさいするんだよね?』

 

 あの頃のお母さんは、一体何を考えていたのだろうか。

 

『そうね――――――昔、昔の話よ。あなたが赤ちゃんだった頃。お母さんは悪いことをしたわ』

『ふーん……でも、おかあさんはあやまったんだよね。えらいえらい」

 

 記憶の中の私の、なんと脳天気なことだろうか。

 お母さんは、ずっと苦しんでいたというのに。

 

『ゆるして、もらえたよね?』

『……どうかしら。あのヒトは厳しいから、許してくれないかも知れないわ』

『そんなことないよ。わたしがわるいことしても、おかあさんゆるしてくれるもん』

 

 

 

 

 どうしたらお母さんが許して貰えるのか、私はそれを知らなくちゃいけない。

 

「教えてください赤城さん。いったい、何があったんですか」

 

 ミクロネシア戦役で、チューク環礁の撤退戦で。

 赤城さんは迷っていたようだった。けれど最後には、なにかを決したように、口を開く。

 

「少し、長い話になるわよ」

 

 

 



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第82話 つるまうまではあとすこし

 

 その時、音が聞こえた。

 

 はじめは病院に似合わない足音だった。走るように早いテンポ、金具か何かが揺れてぶつかる音。

 それがたちまちに大きくなり――――――ひとりやふたりの足音でないことに気付く。

 

「赤城さん?」

 

 それが、()()()()()()()

 

「…………あ、あの」

「動かないで、いい子だから」

 

 普通じゃないことが起きている。病室のドアへと視線を釘付けにした赤城さんは、突き出した手ひとつで私の質問を遮断する。それからポーチに手を伸ばすと、手のひらサイズの手帳みたいな何かを取り出した。

 

「国防海軍第3護衛隊群、新田ミコト3等海佐です。官姓名を答えなさい」

 

 返事はない。けれどドアの向こうに何かがいるのは明らかだ。なんというか、嫌な気配がする。

 そう、まるで……私達を、傷つけるような。

 

 先ほどまでの音とは対称的に、静かにドアが開いていく。開くドアの向こうから、黒光りするブーツが現れた。

 

「入間基地警備隊だ。新田3佐、貴官は直ちにここを退出せよ」

「なにをいって……」

 

 赤城さんが反論しようとする間にも、ブーツの数はどんどん増える。

 ドアから濁流のように押し寄せるそれ。アメフトみたいに飛び出した肩。蒸し暑いんじゃないかってくらいの分厚い服。そして頭のふた回りは大きいヘルメット。

 それらはグレーを基調としたモザイク柄のデザインで統一されていて、素人の私でも軍人さんだと言うことが分かる。

 

 そしてなにより、全ての軍人さんが銃を両手で抱えている――――――まだこちらには向けられていないそれが、まさか玩具の銃でしたなんてことはないだろう。

 

「あなた方、自分がなにをしているか分かっているのですか?」

 

 赤城さんが強い口調で声を挙げる。それは私に向けられたことのない厳しい声色。

 

「理解していないのは貴官だ。新田3佐」

 

 しかし怯む様子を微塵もみせずに警備隊のヒトは告げる。それから顎をくいと動かし、静かに続けた。

 

「連れていけ」

「はっ」

 

 そして軍人さんたちのひとりが前に進み出て来て……赤城さんを()()()

 

「……っ、え?」

 

 掴まれたのは、私の腕。

 

「ご同行願います」

 

 丁寧な口調、けれどヘルメットの下に収まる眼は剣呑そのもの。有無を言わさぬその問答、腕を掴む力もずっと強くて、痛い。

 

「なにをしているのですかっ!」

 

 赤城さんの金切り声が聞こえる。腕を外そうと動くことはないが、明らかに()()()使()を想定した構えに周りがどよめく。どうやら指揮官らしい軍人さんが手で制して、銃を構えようとした軍人さんたちを止めた。

 そんな指揮官さんが、私の前に進み出る。

 

「キミが深海棲艦だという通報があった」

「…………は、はいぃ?」

 

 変な声が出てしまった私を、いったいどうして責められるだろうか。

 私が深海棲艦? 意味がわからない。

 というか、そんな通報するヒトがいること自体に驚きだ。あとなんでそんな通報を真に受けているのやら……。

 

 ともかくそんなことを考える――――現実逃避ともいう――――のに精一杯になった私の代わりに、赤城さんがあり得ないと言ってくれる。

 

「彼女は歴とした人間です。それは私が保証します」

「我々はヒト型深海棲艦の無力化のためにここに来ている。貴官の『保証』は必要としていない」

「では彼女が深海棲艦であるという『証拠』はあるのですか」

「ある」

 

 キッパリと指揮官さんが言う。赤城さんは怒りの声色を残しつつも困惑顔。

 

「……証拠がある? いったい、どういう」

「説明する必要はない。もう良いか?」

 

 良いか、とは。もちろん私を連行しても良いかということだろう。まさか、いいハズがないと赤城さんは言い返す。

 

「これは明確に、法と人権に反しています。官姓名を名乗りなさい1尉、私はこの件を然るべき部門に報告する義務があります」

 

 こういう言い方は良くないのだろうけれど……毅然とした赤城さんの対応は、今の私にはありがたかった。

 なにせ今もまだ、掴まれた腕はそのまま。

 軍人さんは無表情で、床へと向けられていても銃は本物で。

 

 軍隊のことを怖いと思ったのは、生まれてはじめてのことだった。

 だって官舎では、基地では。みんな私によくしてくれたから。笑顔で元気? って、勉強はちゃんとしているか? って。そう聞いてくれる人達の居るところだったから。

 

 だから今、そんな軍人さんたちから「敵」として視られていることが――――――堪らなく、怖い。

 

 張り詰めた空気の中、じっと睨み合う赤城さんと指揮官さん。先に折れたのは指揮官さんの方だった。

 

「通報元は中部航空警戒管制団です」

 

 お分かりでしょうと指揮官さんがため息。お分かりと言われてもなにも分からない私。

 

「……っ」

 

 けれど赤城さんには、それで十分通じたらしい。

 

「そんな、ありえないわ。何かの間違いよ」

「我々もそう思いました。ここに来るまでに3度、確かめています。もう一度確かめましょうか?」

「え、ぇぇ……そうして頂戴。新田ミコト3等海佐が異議を申し立てているとも伝えて」

 

 分かりましたと返して、無線に吹き込み始める指揮官さん。もちろん、私の腕は掴まれたまま。

 

「赤城さん、あの、これって」

「大丈夫よ。何かの間違い……えぇ、何かの間違いなんだから……」

 

 そう言いながらも、赤城さんの顔がみるみる青ざめていく。中部こうくう(航空)けいかい(警戒)かんせい(管制)団の具体的な仕事は分からないけれど、語感からすると航空機とかを見張ったりする仕事なのだろう。

 そんな人達が、私を深海棲艦だと言っている。

 

「確認が取れました。深海棲艦はこの部屋……いえ」

 

 指揮官さんが赤城さんを見る。じっと注がれた視線に宿る感情は、困惑。

 

「新田3佐……つまり特務艇〈赤城〉のマークにぴったりと重なっているようです」

「……私に? いえ、そもそも見ての通り私は艤装を身に付けていません」

「そうです。付け加えるなら、我々は海軍艦艇の管制業務を行いません。空母特務艇は都合上登録されていますので、マークを出力することは可能ですが。つまりこれは」

 

 指揮官さんの言葉はそこで途切れて、続くことはなかった……なぜなら、彼の肩にひとつの手が置かれていたから。

 

「なにをしている。民間人の子供相手に見苦しいとは思わんのか?」

 

 それは私服姿のおじさん。しかしまさか、こんな軍人さんだらけの場所にただのおじさんが現れるハズもなく……というか、指揮官さんに劣らないくらいのオーラを放っている。眼光だけでヒトを殺しそうだ。

 おじさんはのっそのっそと軍人さんたちの間を掻き分けて、私の傍へ……正確には、私の腕を掴んでいる軍人さんの所へやってくる。

 

「放しなさい」

「しかし」

「放せ、と言っている」

 

 そうしてようやく、私は手を放してもらえる。じんわりと痛みが滲んでくる腕をさすると、おじさんは困ったような笑みを浮かべた。

 

「ごめんよ。怖かっただろう」

 

 先ほどまでとは全く違う、優しい声色。しかし私が小さく頷いたのを見るや否やおじさんは背中を向け、先ほどまでの怖い声が戻ってくる。

 

「状況は」

「入間直上に敵機との報告がありました」

()()()()()。で、空も見ないで家捜しか」

「JADGEは空母〈赤城〉が接敵(インターセプト)を受けていると警告を。我々は〈赤城〉を保護するべく……」

「赤城なら目の前でピンピンしているじゃないか、なあ?」

 

 そう言いながらおじさんは赤城さんへと目配せ。赤城さんは戸惑いながらも頷く。

 

「……え、えぇ。航空母艦〈赤城〉、健在です。ご配慮に感謝します。小沢空将」

「く、空将?!」

 

 空将とは、空軍で一番偉いヒトである。やっぱりただのおじさんではなかった……というか、なんでそんな偉いヒトがこんなところにいるのだろうか。

 もちろん驚く民間人(わたし)を無視して小沢空将は話を進める。

 

「よし。では万事解決だな。解散!」

 

 パンパンと手を叩く小沢空将。もちろん、万事どころか何一つ解決していない。

 

「お待ちください空将、深海棲艦の件が解決していません」

「深海棲艦? どこにもいないじゃないか……まさかとは思うが1尉、この幼い、我々軍人が守るべき、我ら国防軍の存在意義たる少女が深海棲艦だとは言うまいな?」

 

 背中越しでも見える、おじさん……小沢空将の顔が。

 それは怒り、義憤。お前は軍人としてあるべき姿でないと指揮官さんを断罪する台詞。

 

「……し、かし」

「なんだ? 言ってみたまえ」

 

 それなのに、指揮官さんは。震わせながらもその言葉を口にした。

 

「しかし……JADGEは、深海棲艦だと言っています」

 

 ならばそれは、深海棲艦です。

 

「……」

「…………」

 

 沈黙が、垂れ込める。

 

「そうか」

 

 最初にそれを破ったのは、小沢空将だった。

 

「システムの言いなりになるようでは、軍人(われわれ)に存在意義はないよ」

 

 そして冷たく、短く続ける。

 

「小牧1等空尉の任を解く、彼を連れ出せ」

「はっ」

 

 軍人さんたちがテキパキと指示に従い、指揮官さんの()()()()()()()。しかし指揮官さんは、小沢空将を睨んだ。

 

「空将、ご自身が仰られたことの意味を分かっているのですか? 防空網(JADGE)が、敵だと。そう言っているのですよ!? その意味が分からないとは言わせません!」

「連れていけ」

 

 しかし今度は、軍人さんたちはすぐに動かない。

 

「おい、お前。早く連れていけ……聞こえなかったのか?」

「いえ……1尉、失礼します」

「触るんじァないッ!」

 

 肩を貸され、いや掴まれ。指揮官さんが部屋から連れ出されようとする。それを彼が振り払おうとした瞬間。

 

 ばさり、と。()()()()()()

 

「え……」

 

 なにが起きたのか、全く理解できなかった。

 でも目の前で起こったことは、紛れもない現実で。

 

「紙が……()()()()()……?」

 

 ふわり、くるり。まるで渦に巻かれた水のように、竜巻で舞い飛ぶ草木のように。

 紙が飛んでいる。なにが起こっているのか、全くもって見当もつかない。

 

「だめ! 待って、ねえさまッ!」

 

 赤城さんが叫んでいる。まるで狂ったみたいに不思議な渦の中に飛び込むと、飛び交う紙を捕まえようと奔走する。

 

「あかぎさん……?」

「ダメ! ミライちゃん、ここから逃げて!」

 

 なんで、どうして。

 そんな疑問を挟む余地もなく、身体がふわりと浮かび上がる。

 

「すまんね、勘弁してくれよ」

 

 おじさん、小沢空将が私を抱き上げたのだ。訳が分からないままに運ばれていく。そんな私に目掛けて、渦が動く。

 

「おおっと」

 

 腕をぐいと持ち上げ、肘で紙を受け止めた小沢空将の袖から()()()()

 

「きゃっ……!」

 

 真っ赤な血。血液を吸い込んでぐずりと重たくなり、床へと落ちていく紙。

 

「わっ、あ、ぁぁ……!」

「大丈夫だ、大丈夫。でかい血管はやられてない、かすり傷だよ」

 

 違う。

 

 ちがう、違う!

 私はそんなこと言っているんじゃない!

 

「ねえさま! 違うんですっ! この子は関係ないッ!」

 

 

 訳が分からないよ。

 

 どうして赤城さんはお姉さんに話しかけているの?

 どうして紙があんな風に飛んだりするの?

 

 今の紙を小沢空将が防がなかったら……その延長線上にあった私の、喉に。

 

 

 シズメ。

 

 

「……ひっ」

「大丈夫だ。もう大丈夫……おい、中空をシャットダウンしろ。関連業務は北空に移管、急げ!」

 

 

 シズメ。シズメ。シズマリタマヘ。

 

 

「だれ、なの。この声」

 

 

 聞こえる。なにかの声が、なにかの、ナニカが。

 

「よし、いい子だ。落ち着いていてくれよ……」

 

 私を抱えた小沢空将が、部屋の外に私を降ろす。降ろされた私は、そこでようやく自分が歩けなくなっていることに気付いた。

 

 身体が、動かない。

 たぶん、結構前から。それこそ、軍人さんたちが踏み込んできたときから。

 

「動きを止めてからの必殺を狙ったか……流石と言うべきか、いや」

 

 ぶつぶつと小沢空将が何かを言っている。その間にも、赤城さんの声が私の耳に届く。

 

「違うんです姉様、あの子は無関係なんです。関係ないのです……! お分かり頂けませんかっ! 子供まで呪う必要はないではありませんか!」

「ミコトちゃん! 君も下がれッ! 巻き込まれるぞ!」

 

 ドタドタ、と。小沢空将が叫びながら部屋に戻っていく。その間にも風は吹き、紙は飛び交い、ドアや窓はガタガタと震える。

 

「なんで、なんでよ……」

 

 

 私は、ただ艦娘になりたかっただけなのに。

 赤城さんは、そんな私を止めようとしていただけなのに。

 

「なんで、こんなことに……」

「乙41号」

 

 割り込んできたのは、声。

 

「え……」

 

 声の主を探しても、見つからない。いや、軍人さんに両脇を挟まれて連れ出される指揮官さんの背中が遠ざかっていくところ。

 

「あのっ!」

 

 私の声に、指揮官さんはわずかに顔を見せる。その顔は真剣そのもので……。

 

「       」

 

 

 

 何かを、口にした。

 

 

 

「……ミコトちゃん、大丈夫?」

 

 どのくらい、経ったのか。

 おそらく、あまり時間は経っていないのだろうけれど。

 

「…………あかぎ、さん」

 

 ひどく。長い時間だった。

 ひし、と抱き締められて、赤城さんの体温が伝わってくる。

 

「ごめんなさい、怖い思いをさせてしまった。私は、あなたを守らないといけなかったのに……!」

「それ、は」

 

 いいんです。そう言いたかった。けれど、赤城さんのせいにしてしまっている自分もいて。

 

「…………答えて下さい。赤城さん」

 

 

 乙41号って、なんですか。

 

 

「それは」

 

 ()()()()って、どういう意味ですか。

 

 

「知らない方がいい」

 

 赤城さんとは違う、柔らかな声が聞こえる。

 

「あの小牧1等空尉に何か言われたのなら、忘れた方がいい。彼は錯乱していた」

「でも」

「世の中には!」

 

 

 知らない方が、幸せでいられることもあるんだ。と、彼は低くて静かな口調で言った。

 

 

「忘れなさい」

 

 それだけ言うと、彼は携帯を取り出して立ち去っていく。

 

「私だ。小松と千歳に召集をかけろ。そうだ、連中はすぐに穴を突いてくるぞ……」

 

 

 

「なんなんですか」

 

 今の私のなかにあるのは、それだけだ。

 

「……いったい、なんなんですか……ッ!」

 

 ずっと艦娘に憧れてきた。

 いつかわたしも艦娘になって、お母さんみたいに戦う。

 

 ほんとうに、それだけだったのに。

 

「私の姉様は、いまも戦っているの」

「その、けいかいかんせい団とかいうのですか」

 

 私のことを、深海棲艦だっていった。

 しばらくの沈黙のあとに、ええそうよと、赤城さんは認める。

 

「姉様は使命を果たそうとしたの。もう二度と、この大地を深海棲艦に犯させない。ただ、そのためだけに……でも、ごめんなさい。あなたに矛先が向けられるなんて」

「乙41号って、なんですか」

「それは軍事機密よ。答えられない」

 

 その時、ピーピーと電子音。最初は単調に、続いて次々と重ねるように。

 

「まずい……!」

 

 赤城さんが動き出す。小沢空将の血痕が少し残った病室に飛び込む。恐る恐るそこを覗き込んだ私は、そこで身体が自由になっていることに気付く。

 

「ええ、えぇ……そうよね。姉様は結界と繋がっている。結界と切り離された今、こうなるのは当たり前……」

 

 赤城さんが何を言っているかは分からない。けれど、その声色、表情、仕草の全部が大変なことが起きていることを伝えてきて。

 

「なにかっ! 手伝えることは!」

「加賀さんを!」

 

 そこで飛び出したのは、まさかのお母さん。

 

「加賀さんを、呼んで。今は優秀な神祇官が必要だわ」

 

 そう言いながら、赤城さんはお姉さんのベッドに手を当てる。ふわりと、今度は優しい風が吹く。

 

 そして、病室の警報音が静かに引いていった。まるで波が、戻っていくように。

 

「……いったい、なにを?」

 

 私の疑問に答える赤城さんの顔は、ひどくやつれているように見えた。

 

「私達はね、ちょっとしたヒミツがあるの」

 

 ああ、これは。

 教えてくれない流れだ。

 

「…………とにかく、お母さんを呼べばいいんですよね?」

「ええ、おね……が…………い……」

 

 ぱたり。

 

「え…………?」

 

 赤城さんが、倒れた。

 

「な、な……なんで。なんで!?」

 

 

 

 

 

 そこから先は、正直よく覚えていない。

 

 

 お母さんに電話をして。

 10年ぶりの本土爆撃だとかで大騒ぎになって。

 

 それで……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時計を見る。

 秒針がコチリと音を立てる。

 次に机の上に置かれたデジタル時計を見る。

 

 電波式で自動的に時間のズレを修正してくれるこのハイテク時計は、ところが時

を刻む気配もなかった。

 持ち上げてさっきまで見てた壁掛け時計の横へ。するとようやく、時計は真面目に時を刻み出す。二つの時計は寸分の狂いもなく動いていた。

 

「ミライ、なにをしてるの?」

 

 誰も居ないはずの部屋に、わたし以外の声が聞こえる。わたしは時計の動きにばかり気を取られていたので、不思議に思うこともなく答えた。

 

「時計がサボらないように見張ってるの」

 

 そう口を動かしてしまってから、その声の主を思い出し後悔。わたしが答えた相手は今、わたしの落ち度を探すのにやっきになっている御仁ではなかったか。

 

「はぁ……まったく、なにをしてるのやら」

 

 盛大に吐かれるため息。わたしが振り返ると、やっぱりそこにはあのひとが居た。

 まるで頭痛を我慢するみたいに額に手を当てている。

 

「別にいいでしょ。もう試験は終わってるんだし」

 

 そうため息のお替わりが耳に届いたので、わたしは聞かないフリ。そう、試験は終わった。普通の大学より一足先に行われる国防大の入学試験はもう終わっている。

 

 

 

 ――――――結論から言えば、お母さんは私が艦娘になることを認めてくれた。

 

 ……いや、正確には『認めさせた』という方が適当なんだけれど。

 ともかく今日はその合格発表日。

 

 そう、わたしの運命を決める合格発表の日。。

 

「あぁ……まだかなぁ……」

 

 デジタル時計を机に戻す。気が遠くなるほど一秒は長く、一分は更に長い。五分となればもう永遠なんじゃないだろうかなんて考えてしまう。

 

「今更どうこう騒いだところで、変わるモノじゃないわよ」

「別に、騒いでないでしょ」

「……そうね」

 

 私の反論に、認めながら引き下がるお母さん。なんだかんだでお母さんも浮き足立っているのだろうけれど、そんなことを気にする余裕は、今の私にはない。

 

「合格してたらさ。わたしが艦娘になること、いい加減認めてよね」

 

 国防大学校に合格すること――――――それが、お母さんが捻り出した最後の条件だった。正直なことをいうと「そんなのでいいのか」と思ってしまった私がいるのだけれど。ともかくそういう条件を私は掴み取った。

 

 

 ……たぶん、私の力によるものじゃないのだろうということは、なんとなく知っている。

 

 あの戦い――――――関東防空戦と呼ばれている戦いで、赤城さんとお母さんは決死の水上空挺を行ったらしい。水上空挺というのがなんなのかはよく分からないけれど、ともかくスゴく危険な戦場で2人は戦ったのだそうだ。

 それで多分……2人は仲直り? をしたんだと思う。あれ以来赤城さんはよく家に遊びに来てくれるようになったし、お母さんとの会話も悪い雰囲気じゃなかったと思う。3年ぶりに遊びに来たあの時は険悪な空気を取り繕おうとしているのが見え見えだったから、私としては本当に胸を撫で下ろしたものだ。

 でも、だからといってお母さんが私の夢を応援してくれるかというと、それはまた別問題。そんなお母さんが、幹部限定といっても艦娘への道を許してくれたのは……たぶん何か、裏がある。

 

 

 そして私は、その()()()()()()()()。知ってしまった。

 

 

「……」

 

 ずっと艦娘に憧れてきた。

 いつかわたしも艦娘になって、お母さんみたいに戦う。

 ずっと、そう考えてたのに。

 

 発表が行われるホームページの画面を睨み付ける。

  そして、秒針がてっぺんに辿り着く。

 デジタル時計が沢山の『0』を表示する。

 

「……時間ね。見てみなさい」

 

  言われなくてもそうするつもり。クリック。

 

 一瞬の読み込み表示の後に、合格発表の画面がぱっと現れる。さっきまでの時間で何度も何度も念じた受験番号を探す。

 受験番号は1から順番に並んでいた。でも、全部の数字が画面に表示される訳じゃない――――――抜け落ちた番号は、不合格者の番号。残った番号だけが、合格者。

 わたしの受験番号が近づいてくる。

 

「……あった」

 

 これで、第一関門は突破。

 

「おめでとう」

 

 いたって無表情にお母さんは言う。そこには何の感情も見えない――――――いや、感情に蓋をしているかのような、無表情。

 

「ありがと……正直、言ってくれないと思ってた」

「そんなことはないわ……私は軍人よ、公私混同をするつもりはないの」

 

 それだけ言って、お母さんはポンと頭に手を置く。

 

「入学してからも、気を抜かない事ね」

 

 部屋から出て行くお母さん。残されたのはわたしと、去り際の頭のぬくもりだけ。

 

「……ねぇ、お母さん」

 

 

 もしかすると貴女は、なにかとんでもないことに関わっているのかもしれない。

 そしてそれは、きっと。あの時謝っていたのと同じ話なのかもしれない。

 

 

 だとしたら、それは。

 

 

 

「ごめんね」

 

 

 

 きっと私の、せいだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




同人誌では触れられなかった「赤城さん」が倒れるまでの経緯と、娘さんのお話を回収。今回は一部原稿を再利用しつつも書き下ろし回となりました。

ところで話は変わりますが今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てくる仁田さん、彼の「誰も裏切ることが出来なくて自刃を選んでしまう」流れ……なんというか今作の赤城さんに似ているな……と思いました。奇しくも同じ「にった」ですしね……。
さて、いよいよコミケも近づいて参りました。ひとまず筆者も入稿を終え一段落!実はこのWeb投稿を始めた時点ではちゃんとシリーズとして完結出来るのか不安でしたが、予定よりもずっと沢山の要素を盛り込んで30万字に収めました!(収めた?)

今回の同人誌は2019年から続けているシリーズの完結編となりますので、豪華にBOXとかいろいろ付けます!
というわけで、先行頒布の方も是非よろしくお願いします~!
Twitterでの告知もよろしくです!


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第5部「楼閣揺るる翁草」
第83話 宝石箱と欠けた少女


 

 

 

 多分だけれど、私は何かが欠けている。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 私は、いわゆる鍵っ子というヤツだ。

 

 父は忙しくて、母は居ない。

 居ないと言うと誰もが悲しそうな顔をしたけれど、私はあの人達が何を悲しんでいるのか最初はちっとも分からなかった。その分からなさも含めて憐憫(れんびん)を買っていたのだと考えると、もっと高値で売っておけば思うのは後の話。

 

 ともかく、私に家で帰りを待ってくれる人はいない。

 

 父が帰ってくるとそこからが晩ご飯。忙しそうにしている割に豊かな食卓だったのは冷凍食品の成果なのだろう。それでも毎週金曜日に買ってきてくれるお肉屋さんのコロッケは私の大好物だったし、それを乗せたカレーはさらに大好物だった。まあともかく、それが私の一番古い記憶。

 

 父が言うところによれば、私はホッカイドウという場所のヒダカという町で生まれたらしい。そこはずっと寒くて、さらに四季とかいうものがあるのだと言う。

 そんな父の話は間違っていなくて、なるほど大学時代に研修で訪れた恵庭(えにわ)は身体の芯が凍るほど寒かった。凍える私を口の悪いヤツは北海道出身のクセにと嗤ったけれど、私が育ったのは北海道ではなく常夏のあの島なのだから、そりゃあ寒さに弱くても当然だろう。

 

 

 私は、日本からずっと離れた南の島で暮らしていた。

 

 

 父は忙しくしていて、学校のある日は全く私を相手にしてくれない。では休日はというと、父は私を外に連れて行ってくれなかった。公園で見つけた不思議な花や、友達と一緒に作った秘密基地。それを見せてあげたいと言っても、父はダメだと言うのだ。

 

 多分ソレは、私がぶつかった初めての理不尽。いろんな物を買ってくれて、長い休みの時には色んな場所へと旅行に連れて行ってくれた父は、休日だけは私を家の中に閉じ込めた。代わりに父はいつも言うのだ、本を読んであげるから我慢しなさいと。

 

 多分そんな調子で父が読み聞かせをするから、私はいつの間にか本の虫になってしまったのだろう。父の蔵書は、本当になんでも揃っていた。絵本は勿論、絵を見てもさっぱり分からない変な分厚い本。薄っぺらくてぎっしり文字だけ詰まった本。日本語が崩壊しているとしか思えない言葉の羅列が続く本を見つけてしまったときはびっくりしたものだけれど、今となっては父を思い出すための小さな笑い話だ。

 

 

 ここまで話すと、ヒトはいつも首を傾げる。一体何が欠けているのかと私に問う。

 

 

 違う、確かに欠けているのだ。私の感覚はいつも理解されない。そしてそれが、私の一番の問題点。どう説明すればいいのだろう。まるで自分がもう一人居て、それが指示を出してくるような感覚。カレーが大好物なことは分かるのだけれど、それを美味しいとは感じられないような感覚。

 

 それを私は、ひとまず愛情が欠けているのだと考えることにしている。父は忙しくて、母は居ない。だから私は、親の気持ちが、人の気持ちが分からないのだ、と。

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 名刺を見せられた彼女は、きょとんとした表情でこちらを見る。

 

 聞き慣れない法人名ではないハズだから一度ならず聞いたことはあるハズだけれど、まあ彼女の表情の理由は分かっている。

 私がその法人名を告げると、彼女の眼には一瞬だけ納得の色が浮かんだあと、直ぐに全身へと拒絶の雰囲気を漂わせた。それが言葉になったのをみて、私は大袈裟にため息をついてみせる。

 

「とは言いますけれどね。お宅はもう六人、いや七人目でしょう」

 

 産めよ増やせよが叫ばれる島国にとってしてみれば、子どもはどうやったって宝に違いない。それこそ万物と引き換えるに値する宝である……そんなウソが通じなくなった私の国では信じられないほど、ここは子宝に恵まれている。

 

 しかし、多ければいいというものでもないだろう。一度は戦慄した母親ですら、二人の赤児を育てることのリスクは承知していないはずがない。それとも、承知していたのだろうか。何かを言いたげに口籠った彼女。その言葉を継がせぬように、私は畳み掛ける。

 

「『東南アジア家族問題解決グループ』は人口問題の解決に取り組むNPO法人です。大戦で減った人口を取り戻すことは、私たちの悲願。貴女だってそうでしょう?」

 

 恐らく、彼女が身篭ったのはそんな崇高と呼ぶべき目的のためではなかっただろう。

 娯楽がなかった、避妊の知識がなかった。そんなどうしようもない理由で、この世界に生まれ落ちてしまった二つの命。

 

「双子を育てる難しさは、貴女だって理解しているはずです」

 

 そしてまた、我が子を手放す辛さも理解しているだろう。故に彼女は動じない。真っ暗な眼底には燃え盛る闘志が宿り、是が非でも我が子を守護せんとする決意がこの部屋全体に横たわっている。だから私は、告げるしかないのだ。その理想論を打ち砕く宣告を。

 

「あなたの長女の――()()()()()は、いくらでしたか?」

 

 別段、珍しい話ではないのだ。

 女とは家庭に入るものだという認識はほんの一世紀前までは私の国でも当たり前のものであったし、結婚に際して祝い金が贈られるというのもごく普通の風習なのである。ただそれは目の前の母親を凍りつかせるには十二分に鋭利な刃となったことだろう。

 

「その倍、お出しましょう。ご主人からも了承は頂いております」

 

 彼女は、主人には逆らえないだろう。つまるところ彼女の決死の抵抗というのは、彼女の矜持すらも守ることはなかったのである。私は彼女の手を取る。

 

「気持ちは分かります。お辛いでしょう、ですがこれはお互いに幸せな選択でもあるんです。これで、この子たちは暖かいスープと毛布を与えられる。教育だって受けられる」

 

 半ば泣き崩れようとしている彼女に、私の言葉は届かないのだろう。それでも(そら)んじるように続ける私。

 

「だからどうか、彼女達の幸せを願ってあげてください」

 

 結局、私の手が握り返されることはなかった。

 

 

 

 

 

 この空は、(よど)んでいる。そんなことを思うようになったのは、飽きるほどに多くの空を見てきたせいだろうか。それとも雑踏に走らせた視線のせいで、この眼球の奥底まで濁ってしまったからだろうか。

 インドネシア共和国。最大の面積を誇るボルネオ島(カリマンタン)は首都のパランカラヤ。ジャワ海より100キロ以上の距離を置いたこの都市は深海棲艦の攻撃を寄せ付けず、国防(にほん)海軍の徹底した掃海活動も加われば空母の艦載機を見つけることも叶わなくなった。

 安全な場所が人々の()り所となるのは当たり前のこと。いつの時代も、政府のあるところにはあらゆる物が集まる。人材(ヒト)財産(モノ)資本(カネ)の三拍子が揃って繁栄をしなかった場所はなく、このパランカラヤという街も例外ではない。建国の父であるスカルノがそう願ったように、この地はインドネシアの政治経済の中心地として大発展を遂げつつあった。

 数本の通りを横切れば(きら)びやかなネオン街へと繋がる道は、都市計画に基づいて化粧を施されている。そこに停車された自動車に乗り込めば、見知った顔が私を出迎える。

 乗用車のナンバーは大使館、黒塗りの高級車の中で待っていたのは紺色の制服に身を包んだ女性。彼女が言う言葉に、私は嘆息するしかない。

 

「ここが東南アジアの宝石箱、いい街でしょ?」

 

 宝石箱。それは事実なのだろう。この時代、深海棲艦に侵されていない街を探す方が難しいし、よしんば逃れたとしても内陸の大国に侵されるのが関の山である。となれば深海から適度に離れ、十分な軍事力を持ち、なおかつ内陸国の脅威に晒されないこのカリマンタン島は、宝石箱と呼ぶに相応しい場所なのかもしれない。

 

「……宝石箱と呼ぶには、随分と小さな箱ですがね」

 

 それでも、中央官庁街から僅かに数ブロックも離れてしまえばこの有様である。

 自動車の窓から見える空は青。目を逸らせば、そびえ立つのは鉄筋コンクリートの六階建て。造られたのは首都移転の前か最中か、ともかく一世代前の古めかしい集合住宅がそこにはあった。錆び付いた転落防止の柵が取り付けられた窓、灰色の壁は化粧を忘れたのか、それとも既に朽ちてしまったのか。とにかく剥き出しになったそこに水の痕が流れている。配管が壊れているのか外まで漂ってくるのは突き刺すような匂い。そんな、打ち棄てられた廃墟と表現するのが相応しい建築物が私たちを見下ろしているのだ。

 

「ここは官庁街造成時の工員宿舎。再利用(リユース)だっけ? エコでいいじゃない」

 

 冗談のつもりか、そんなことを言ってのける彼女は私の上司。首都開発計画とやらが順調に進んでいるのなら、今頃ここはショッピングモールか何かになっているはずであるし、少なくともこんな朽ち果てた建物はこの場所に不釣り合いである。

 その実、信じがたい話ではあるのだ。辛うじて整備された舗装道路にはそこら中にゴミが散らばり、その一部は腐臭となってまで存在を主張している。それらは通行の妨げになるほどではないが、逆に妨げにならないからこそ放置されている訳で。

 そんな私の祖国であれば許されないような風景が、当たり前のようにそこにはあった。

 それでも、ここで確かにヒトは生きている。あの母親の何が悪いのだろう。私と同じくらいに若い彼女は、幼い子供たちを何人も抱えていた。彼女だって私が『買い取った』子供と同じような立場ではなかったのか。まだ年端もいかぬうちに嫁に取られて、それで何人も子供を生まされてきたんじゃないのか。そんな彼女たちの住む場所を宝石箱と言って馬鹿にするのが、果たして許されるものだろうか。睨んだ私に、上司は苦笑い。

 

「……冗談よ。ごめんなさいね」

 

 もちろん。私の上司にだって何かが出来る訳ではないのである。私たちは特別国家公務員。旧自衛隊(こくぼうぐん)法を存在根拠とする国防軍人。世界を変えられる政治家でもないし、目の前の貧しいひとを救えるほどの富豪でもない。

 

「……あの子は、どうなるんですか」

「ねえ陽炎、盲導犬の育て方って知ってる?」

 

 私の質問に答えず、彼女がそんな事を聞く。もちろん知るはずもない私が頭を振れば、待ちわびていたと言わんばかりに言葉の蛇口が開かれる。

 

「盲導犬は眼が見えないヒトの暗闇に灯される光よ。もし盲導犬が道を間違えればヒトは死ぬ、一瞬だって気を抜いて貰っちゃ困るの……なら、私たちとは違う生物である犬に、四六時中の忠誠を誓ってもらうためにはどうしたらいいと思う?」

 

 犬は、言ってしまえば単純な生き物だ。走り出せば止まらないし、蝶々を追いかければ何処までも転んでいく。そんな彼らに命を託すのは、なるほどそう簡単には許されないはず。しかし盲導犬は街の至る所にいる訳で、そして盲導犬によって引き起こされた交通事故というのも聞いた試しがない。

 

「育てるのよ。イチから……ううん、ゼロから」

「ゼロから?」

 

 話の流れが掴めない私。向こうは気にする様子もなく続ける。

 

「生まれたばかりの犬を人間の里親が引き取って、一番最初から育てるの。初めてのお乳はお母さん(にんげん)の哺乳瓶から。初めて外に出るのもお母さん(にんげん)と一緒に。お母さんにヒトの子のように育てられて、それでヒトの為に役立とうと思わせるの」

 

 私たちはね、艦娘の育ての親(ブリーダー)なのよ。その言葉は、もはや疑いようなく言葉そのままの意味なのだろう。親元を幼くして引き離され、そして里親(ははおや)の下で育てられ、日本人になる。自分を日本人の一員なのだと()()する。日本のために何かをしなければと思わせる。

 嗚呼、頭が痛い。言うべきことはあるのだろう。叫ぶべきこともあるのだろう。しかし私の脳味噌は、冷静に着実に、言うべき言葉を見つけていた。

 

「インドネシア政府は、知ってるんですか」

 

 その言葉に、相手はこちらを覗き込むように見る。その表情には僅かに喜びの色が浮かんでいるように見えた。要するにこの人は、()()()()のだ。

 

「知ってて見過ごしてる……そういう密約があるのよ。この国は子供(さら)いを看過する代わりに、それで得た()()()()を自国防衛に派遣(まわ)して貰う。ここら辺の国はみんなそう。日本(こつち)は足りない子供を補えて、途上国(むこう)は安全を保証される……艦娘の軍事力でね」

 

 下衆(げす)が。そんな言葉は呑み下した身体の中で乱反射するだけ。下衆は私だ。たった今、私は自分の手で子供を買い取った。その密約とやらに加担した。そしてそれは、目の前でどこか得意げに話してすら見せる彼女も同じなのだ。誰かに話すと言うことは許されざる罪を赦されるための儀式であり、残った悔恨を投げ渡すことで軽くしようとしているのだ。きっと彼女はこう考えるのではないだろうか。私の罪はさほど重くはない。私は密約を交わしたわけではなく、霞ヶ関か市ヶ谷か、とにかくどこかの誰かが勝手に交わした密約を実行しているに過ぎないのだから、と。

 そして何よりの下衆は、そんな事情を感じながらこの話を彼女が『漏らした』ことの意味を噛み締めているこの私だ。この密約はとても太陽の下を歩けるようなものでは無い。発覚すればこの国の威信は堕ちるところまで堕ちるだろうし、そうなれば背後からの一撃がこの国を砕くだろう。ただでさえ深海棲艦のせいで強制的に全ての国家が同盟国みたいなものになってしまっているのだ。溜まった歪みは戦前の比ではない。

 そんな危険な情報を、知らなくてもいい私にわざわざ伝える。それはつまり、私という()()の価値が国家というシステムの利益に適うと認められているということ。

 

 

「どう? 『国防軍の真実』を知った感想は」

 

 頭が痛い。なにせ私が言うべき言葉(ウソ)は、もう決まっているのだ。

 そして向こうも、それ以外の答えは望んでいない。

 

「むしろ納得したって感じです。日本(このクニ)人材(こども)不足は知っていたことですから」

 

 深海棲艦。海より来たるその化け物を祓うというのは、私たち国防海軍――――いや、特務神祇官たる国防海軍軍人、艦娘の仕事である。神聖な役職であるとされる艦娘は、基本的には女性のみ、更に言えば女性の中でも歳の若い女性しかなれない。

 

「北方の幌筵から南方のリンガ。この国には支えられない規模の戦線がどうして維持できるのか、ずっと不思議には思っていたんです。やはり、そいういうことだったんですね」

 

 よしんば工業的には支えられるのかも知れない。年に一、二隻の護衛艦が就役すればよかった時代はとうの昔。今や日本の造船業界は規模、技術ともに世界最高峰を誇っている。鉄壁の守りに支えられた港湾都市群から吐き出された軍艦の数は、海外向け輸出品を数えなくとも年産十数隻を数えている。商用船はその数十倍。今やアジア圏における物流と海上交通(シーレーン)防衛は、その全てが日本によって支えられていると言っても過言ではない。

 しかし、人がいない。フネがあっても船乗りがいない。少子高齢化を迎え、縮小の最中にあったのが日本という国だ。国防海軍の人材不足は深刻なもので、深海棲艦との戦闘を担当する哨戒護衛艦(Frigate Destroyer)はその大半が無人に置き換わっている。無人航空機に無人艦艇、とにかく無人と名のつくものばかりに占領されているのが、今の国防海軍の実情であった。

 

「その中でも、艦娘だけは無人に出来ませんから」

 

 子供がいる。それも、日本人の子供がいる。であるからこそ、国家ぐるみの人身売買が成立する。現金ではなく、安全保障という対価をもって。

 

「……そう。そう言ってくれると思ったわ」

 

 でしょうね。その相槌は思うだけで放ちはしない。ここまでは既定路線。少なくとも私は目の前の上司、つまり『真実』と手を組むことに決めた。問題はここから、これから私が何をやらされるかである。まさか『真実』を話して終わりという筈はないだろう。

 そして私の見込み通り、彼女は間髪入れずに本題に入った。

 

「その真実が漏れたわ」

 

 なんと。私が乗り込んだ船は泥舟だったか。これほどあっさりと沈むとは信じられず唖然とする私。しかし漏れたら手が付けられなくなる訳で、私に話が回ってくるということは「まだ間に合うかもしれない」段階(レベル)なのだろう。黙って聞く私に言葉が続く。

 

「正確に言えば、この事実を知った……いえ、覚えている『子供』がいるらしいの」

「つまり、幼少期の(さらわれた)事を覚えていると? まさか」

 

 ヒトは誰しも、幼児期の記憶を覚えていないものである。それは幼児期健忘と呼ばれるもの。私だって生まれ故郷である北海道の日高の記憶はない。証拠は写真だけだ。

 

「まさかと言われても『いる』という通報(タレコミ)があったのよ」

 

 通報、という言葉を使うのだから軍内部からの報告があったということ。なるほど、その『子供』は訓練を受けて職務に就く国防軍人。国防軍(このそしき)がどんな存在かよく分かっている筈だった。神妙に頷く私に、向こうはため息。

 

「要するに、今回の通報は完全な幸運。だからこそ掴まなくちゃいけないの」

 

 そこで手渡されるのは一枚の紙。てっきり『子供』の情報が書いてあると思って覗き込んだ私は、そこに踊る文字列にうんざりする事になった。いや、予想が出来ていなかったかと言えばウソだろう。名誉の第1護衛隊群に勤務する私を、わざわざこんな僻地まで連れてきた上に人攫いに加担させたのだ。これから始まる汚い仕事の予想はつく。 

 

「第7護衛隊群。インドネシアからソロモン諸島までの東南アジア・オセアニア地域を担当する我が国で最も大きな護衛隊群……私にイチから探偵をやれっていうんですか?」

 

 それは私の7護群への配置転換を命じる書類だった。7護群の管区は東西4000キロを優に超える。冗談じゃない。しかし向こうが私の抗議に耳を貸すはずもない。

 

「『子供』は慎重に、だけれど急速に仲間を増やしていっているわ。これは私の考えだけれど、最悪の場合『子供』達は武力に訴えるでしょう」

「武力……武装蜂起(クーデター)ってことですか? そんなことして、なんになるって言うんです」

「そんなの、こっちが聞きたいくらいよ」

 

 蜂起が不可能とは言わない。なにせ7護群の担当地域は政情不安定な地域とぴったり重なっている。それに乗ずれば事を起こすこと自体は容易だろう。しかし7護群の役割は、その政情を揺るがす原因となっている深海棲艦を取り除いて復興への道筋をつけること。国防軍を追い出したところで、次に待っているのは深海棲艦がもたらす混沌(カオス)だけだろう。

 

「大方、日本への復讐とか報復(いやがらせ)ってところでしょ。だから『子供』なのよ」

 

 そう吐き捨てる彼女はこの問題を一種の親子喧嘩のように見ているらしかった。

 日本という偽物の親に対して歯向かう哀れな『子供』。子供が勝つ道理はないが、しかし子供が虐待で親を訴えるのなら話は別という訳だ。だから大人も本気になる。

 

「要するに、私の仕事は『子供』を見つけて、真実が暴かれる前に事態を収拾せよと」

「そういうこと。『子供』と言っても真実(ウワサ)を知っている()()を突き止めなくちゃダメよ。こういうのは根源を取り除かないといつまでも湧いてくるからね」

 

 湧く、という()()()()な表現に私は苦笑するしかない。『子供』を作ったのは紛れもない日本国(こちら)側だというのに。

 

「念のため言っておきますけれど、私は対テロ戦に従事したことはありませんからね?」

「私たちが求めているのは単純な内偵です。『子供』が艦娘である以上は下手に制服組を送り込んでも疑われるだけ。だったら、艦娘が行くしかないでしょう?」

 

 駆逐艦の私が選ばれたのも、そういう理由ですか。その言葉を辛うじて仕舞い込んだ自分を、私は褒めてやりたい気分だった。私の出身である国防大学校の艦娘専科コースは現状唯一存在する幹部艦娘の教育課程で、そこを経た人間は巡洋艦やら空母やら戦艦やら、とにかく駆逐艦以外の艦名(フネ)を託されるのが一般的。それなのに私は駆逐艦に()せられている。そう、私はやる気と学力だけは十分の適性がない(やくにたたない)人材。戦闘には使えないが雑用には自由に使える駒みたいなもの。こういう場所にしか居場所を求められないのだ。

 

「とすると『子供』は駆逐艦ですか」

 

 だから私の問いは、多分しっかりと的を射ていたと思う。駆逐艦は使い捨て。日本という国家に意志と呼ぶべきものがあるのなら、外国から攫って(ひろつて)きた子供なんかよりも自分の国土(にわ)で育った国民を大切にするだろう。そう考えれば『子供』が使い捨ての駆逐艦(コマ)であること、そしてその扱いに多少なりの不満を抱いていることも想像はつく。

 

「そうとは限らないわ。もしかすると『子供』は幹部艦娘かもしれない」

 

 しかし相手の返答は私の予想とは全く違うもの。幹部艦娘に『子供』が紛れているとでも言うのか。私の疑問を嗅ぎ取ったのだろう向こうは、聞いてもないことを話し続ける。

 

「奴隷商人の時代はとっくの昔に終わったのよ? それに言ったでしょ、()()()()()()って。どこからどうやっても見分けがつかないようになってるのよ。施設(ブリーダー)は何も孤児院みたいな分かりやすい施設ばかりじゃないわ。有望な子には真っ当な家族が与えられることもある。それは日本全国のあらゆる場所に存在して、どの施設(ブリーダー)も我が子として子供を育てている。見分けることは誰にも出来ない。追跡不可能なの。もしも誰かに告発されたとしても都市伝説レベルで収まる(おわる)ように対策したのが、見事に裏目に出たわね」

 

 とすれば、私の脳内で鎌首をもたげるのは一つの疑念。誰だか分からない。となれば私もその()()()である。なぜ私が選ばれたのか、その理由が分からない。しかしそれは、ほんの一瞬の間を置かずにもたらされることになる。それこそ、私の口から。

 

「じゃあ信用されたのは、私ではなく私の父……と」

 

 その言葉に返事はない。返事がないことが、答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.『子供』ってなんなの?

A.すごい雑にいうと「リコリスリコイル」のリコリス。殆ど一緒でびっくりした。


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第84話 素敵な硬貨と陰謀論

 小学校というのは何でも子供たちを平等に育てるのだという。脱税者の子供も教科書が貰えて、未納者の子供にも給食が振る舞われる。そんな虚構の平等が存在するなんてことも知らされず、あの頃の私たちは育てられていた。

 そのクセに、あの日出された宿題は、とんでもなく不平等なものだった。

 

『家族の調べ学習【お父さんとお母さんのこと】?』

『うん。がっこうの宿題! 質問するから答えてね!』

 

 首を傾げる父の顔は、よく印象に残っている。私には母がいない。となると果たしてこの二つ目の欄に何を書けばいいものだろうか。電子メールやメッセンジャーサービスを知らないあの頃の私じゃ北海道にいるという祖父母に問い合わせるという選択肢も無い。困り果てたのはよく覚えているものだ。

 とはいえ、私はまだ幸福だったのだろう。私には父がいた。まあ、色々と厳しい父だけれど、ちゃんとご飯も作ってくれたし家の外は駄目でも島の外にも連れて行ってくれた。

 こう認めるのはアレだけれど、私は父に対して人並みに懐いていたのだろう。

 

『いくよ、えーと。【あなたのお父さんは、どんな仕事をしていますか?】』

 

 それなのに、その時の父は私の質問に答えてはくれなかった。どんな食べ物が好きなのか。どの動物が好きなのか。そう言ったことは答えてくれるのに、どんな仕事をしているか、その一点においては、あの人は何も答えてくれなかったのだ。

 でも、私は単純だったから。その言葉の意味も知らずに、自信満々で発表したのだ。

 

『私のお父さんは、みんなの生活をささえる仕事をしています! それは大事なことなんだって、お父さんは言っていました!』

 

 

 

 

 

 

 

 幹部国防軍人と聞けば、世間のイメージは高給取りの高級官僚(エリート)と言ったところだろう。

 それは大体あっているし、その分だけ責任ある仕事を任されるのが幹部だ。そんな理由(ワケ)で私にも自身が教導する駆逐隊(ユニツト)が与えられている。名誉の第一護衛隊群は第163護衛隊。駆逐隊やら護衛隊やら表記が揺れてややこしいのは旧自衛隊の残り香で、とにかく私は自分含めて四隻の小型で一人乗りな特殊艦艇(かんむす)たちを率いる隊司令ということになる。

 所詮は駆逐艦娘になる程度の才能しかなくとも、勉学に励み幹部としての精神を備えていればこの位の役職には就けて貰えるというのは、私にとっては有り難い話だった。

 そして自分で言うのもなんだけれど、ユニットの指揮はよくやってきた方だとも思う。編成からもうすぐ一年。大小数十回の出撃と一回の大規模作戦を経験したけれど、脱落者はナシ。一発の砲弾であっさり沈んでしまう戦場じゃ幹部か下士官かなんて関係ない、そんなフラットな関係を部下たちとも築けているつもりだ。

 

「アンタのセクハラさえ無ければ、そりゃもう最高の駆逐隊(ユニツト)だと思うわよ、私だって」

「うわっ、なにそれ。流石の私も傷付くんですけれど?」

 

 しかしそんな私をバッサリ斬ってしまうのが霞という部下である。ちなみにこの「霞」というのは彼女に与えられた艦名で、厳密には彼女が背負う基部ユニットと海面下の推進系、そして武器関係の装置全てをひっくるめた「艤装」と呼ばれる装備品に対して与えられたものなのだけれど、艦娘(わたし)たちの間では専らこの艦名でお互いを呼び合う。そんな誰が言い出したとも知れない文化が根付いていた。

 

「ねーねー不知火酷くないー? このパッツンったら私のことをセクハラだとか変態親父だとか言うんだよー? 酷いよねー?」

「やめて下さい陽炎。後半の台詞は霞も言ってませんし、今の台詞はご自身が変態だと自白しているとも取れるのですが」

 

 そう冷たくあしらって私の腕から逃れるのは不知火。私は彼女の本名は知らないし、知ろうとする気も起きない。重要なのは彼女の冷たくあしらう様は可愛く、言葉とは裏腹に満更でもなさそうな様子であること。そして何より――――私がそんな、部下にセクハラをするような気の抜けた上官だと思われていることだ。

 

「なによぉ、不知火まで私に酷いことするなんて……ちょっと霰、ピケット任務しながら聴いてるんでしょ? アンタもなんとか言いなさいよ」

『……本艦は無線封止中、です』

「いやガッツリ喋ってるじゃんか!」

 

 こんな会話は、きっと全部嘘。言葉というのは転がせばどこまでも転がっていくもので、きっと目の前の彼女らは私の台詞が本物だって信じている。いや、もちろん本物ではあるのだ。不知火は可愛いし、霞も口は悪いけれど思いやりのある子。霰は先ほどの通信からも分かる通り、意外と茶目っ気がある。そして彼女たちのそんな表情は、私が教科書みたいな「真面目系軍人」を演じていたら引き出せなかったもの。

 上官が上官として振る舞うのは戦闘の時だけでいいというのは、この艦娘という特殊な兵科で私が学んだ知見(コツ)だ。階級の壁を感じさせず、なるべくナマの人間として見てもらう。少なくとも格下に見られがちな駆逐艦という艦種において、この手段は有効だった。

 

「それにしても最悪ね。7護群の練度は何処に行っても低いし、移動手段もないし」

 

 吐き捨てるように言う霞。確かにここ一ヶ月、第7護衛隊群の管轄海域を西から東へと見て回ってきたけれど、全体的に見て練度の低さは目立つもの。私も大きく頷いて同意したいところだけれど、後ろに続いた「移動手段」という単語が私の口を閉じさせた。

 上官の価値なんて、部下にとっては人脈(コネ)と責任転嫁先の代名詞である。例えば私は日本からニューギニアまで6000キロの旅に欠かせない移動手段の確保に失敗した。輸送機(そら)艤装便(ふね)も使えないのであれば、口には出さずとも不満は溜まるだろう。

 

「別に、陽炎1尉(アンタ)に文句を言ってるわけじゃ無いのよ。ただ、ロクに訓練もしてあげられずに次の任地に移動って言うのが……納得出来ないのよ」

 

 それは責任感の強い霞らしい意見だった。彼女は曲がったことを嫌う。教導の役割を任せられたのに、十分に練度を挙げられずに次の基地へと移るのは納得出来ないだろう。

 だから私は口を開く。この言葉(ウソ)が、彼女の自責を和らげてくれることを願いながら。

 

「一つの部隊が強くても戦争には勝てないでしょ? まずは7護群全体の練度を把握して、それから必要な場所に処置(くんれん)を施していく。教導っていっても、形は一つじゃないの」

 

 教導部隊というのは、何かと引っ張りだこな存在だ。もちろんその名の通り各部隊の練度向上もそうだが、必要となれば精鋭部隊として最前線にも赴く。もしも新型の艤装や装備品が卸されるなら、技術本部の次にテストを行うのは教導部隊になることだろう。

 

「ま、気持ちは分かるわよ。でも、今は幹部試験の心配した方がいいんじゃない?」

「……な、なんでアンタが知ってんのよ!」

 

 まさか知らないとでも思っていたのだろうか。国防大学校専科コースへの編入試験に彼女が志願書を提出していることは、この駆逐隊(ユニツト)の誰もが知っていることである。

 

「いや。私これでもあなたの上官だからね? 編入試験には推薦状が必要でしょ。そっちが言い出してくれないせいで、早く推薦してやれって催促がきたのよ?」

「そ、それは……陽炎1尉(アンタ)じゃ書いてくれないと思ったから」

「うーん、そうね。確かに口は辛いけれど的確な進言をくれる部下を喪うのは惜しいわ」

「ほら、やっぱり書いてくれないじゃない!」

 

 とはいえ、向こうも私が本当に書かないとは思っていないだろう。次の基地で書いとくわよと言えば、小さな謝礼が返ってくる。なんだかんだと霞も可愛いものだ。

 とまあこんな調子で部下を弄ってしまう上官に価値があるかはともかくとして、部下を把握している上官は戦果を挙げやすい。少なくとも私はそう信じているし、戦果だって教導部隊に指定されても疑われないレベルには、挙げてきたつもりだ。

 それでも、教導部隊という言い訳(ウソ)を使うのは、気持ちの良いものじゃない。霞の指摘はその通りで、私たちが各部隊をつまみ食いするかのように巡回したところでなんの役にも立たないであろう事は分かっている。未練がましく、携帯鞄を開いてみせる霞。

 

「はあ……」

 

 そして小さくため息を吐く彼女に、不知火が口を挟む。

 

「なんだかんだで、霞は面倒見がいいですからね。一番よくコインも貰っていました」

 

 そういえば、霞はむすっとした表情になる。向けられる視線は不知火ではなく私の方。

 

「何言ってるの。一番コインを貰ってるのは陽炎1尉でございますよーだ」

 

 コインというのは、チャレンジコインのこと。それは太平洋の向こうで始まった文化で、戦友の証みたいなものだ。帰れるとも知れぬ戦場に旅立つ戦友に再会を望む……そんな大仰な意味があるのかはともかく、教導を施した――とは言え少しの演習や合同作戦をしたくらいだけれど、ともかく顔見知りになった――幾つかの部隊から貰っていた。

 

「お付き合いみたいなものよ。我が駆逐隊(ユニツト)が誇る霰ちゃん考案のイカすデザインのコインを広げられると思えば交換のしあいっこも悪い話じゃない。でもまあ……」

 

 その先の言葉は飲み込む。このコインが再会を望む誓いだとして、教導という名目で東南アジアを渡り歩く私たちにとってこれほどの口約束もないことだろう。コインを交わした部隊(あいて)のうち、果たして何割と再会できるだろう。それでも約束をしたがるのがヒトというもの。私は飲み込んだ言葉の代わりに、言葉を並べる。

 

「大丈夫よ、霞。今は確かに再編で練度は落ちてるかもしれない。だけれどすぐに改善するわ。そのために私たちがいるんだし、あなたも幹部になるんでしょ?」

「分かってるわよ、そんなこと。当たり前じゃない」

 

 これで霞も少しは威勢を取り戻しただろうか。私は笑う。

 

「そーそ、やっぱり霞ちゃんはその調子じゃないとっ」

「ちゃん付けすんなッ!」

『――――先遣(ピケツト)艦より、前方に艦影』

 

 その言葉に、弛んだ空気は一瞬で消え失せる。これでこそ私の駆逐隊(ユニツト)。この緩急こそ、いい部下を持ったと思える瞬間だ。私は小さく頷くと、通話器の送話スイッチを押す。

 

「こちら陽炎。敵味方(トラポン)は?」

敵味方識別装置(IFF)に感あり。友軍(フレンドリー)、です……艦番号視認、331』

 

 読み上げられたその数字が、私の脳内検索装置を起動させる。引っ掛かった艦名に、私の口角は自然と吊り上がる。それは国防海軍の護衛艦〈きんもくせい〉だった。

 

「霰ちゃーん? 向こうさんとレーザー通信出来る?」

通信同調(コンタクト)……〈きんもくせい〉の後部扉(ハツチ)は両舷とも開放済み(オープン)、みたいです』

 

 通信機越しに霰がそう告げる。〈きんもくせい〉を始めとする哨戒護衛艦は艦娘運用のために回収用スロープが付いている。その両舷の扉が開放されているということは、つまり私たちの収容を〈きんもくせい〉が望んでいるということ。 

 

「要するに、あれは私たちの歓迎役兼、籠ってワケか。ここの司令官はお優しいわね?」

 

 大変結構と頷く私に、心底嫌そうな顔をするのは霞だ。

 

「乗り込んだ瞬間『すぐに前線に向かえ!』とかにならないわよね?」

「まあ、この時点で私たちはもう分遣隊の指揮下にあるから。その時はその時ね」

 

 広大な南洋戦線を構築するとき、国防省はその指揮系統の構築に苦心したと言われる。かつて自国沿岸の防衛のみを任務とした旧自衛隊(こくぼうぐん)にとって太平洋防衛など考えたこともないテーマであったし、また誰もが()()()()()()()していたテーマであった。何処の島に司令部を置き、どの海域を主軸に作戦を組み立てるか。軍隊と地政学(せかいちず)が密接に結びついていて、尚且つ日本(スタート)南方防衛(ゴール)が一緒なら、結論は「あの戦争」に向かうしかない。

 それでも同盟国との連携、あくまで深海棲艦討伐のためだけの派兵という国会答弁(いいわけ)を使い続けているのがこの国で、その手先が各地域を担当する分遣隊というわけだ。

 そしてそんな戦略単位としてニューギニア島西部に位置する国を守るのが、私たちがこれから向かうことになるポートモレスビー分遣隊。「あの戦争」で遂に日本が突破出来なかった珊瑚海を超えて、オーエンスタンレー山脈の麓に位置する港湾都市に位置するその基地は、約30平方キロの土地を現地政府より租借する南方有数の「日本領」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ最前線へ。歓迎するわ」

 

 第7護衛隊群のポートモレスビー分遣隊の司令部庁舎は、ありきたりな鉄筋コンクリート三階建て。北向きの窓から、暖かな光が差し込んでくる。そんな副司令執務室。官給品のデスクに座っているのは、緊急出撃(スクランブル)に備えてなのか和装に身を包んだ副司令。

 

「それにしてもいいわね、その制服。動きやすいし機能的で」

 

 挨拶、そして世間話というのは滅多に正解と呼べるものがない。適当に相槌を打てば良いわけではないし、下手を打てば後が怖い。ましてや今回の話題は制服ときた。駆逐艦(わたし)の服は大量生産品、対する副司令の服は受注生産(オーダーメイド)。同じ自己負担でも額が違う。

 

「別に妬んでなんかないわよ。私の方がずっと高給取りだし、こっちの方が可愛いしね」

 

 そう言いながら立ち上がる副司令。甲型航空母艦の艦娘でもある彼女の服装は、どう表現したものか、ちぐはぐな印象を与えるモノだ。構造自体は恐らく袴姿と呼ぶべきなのだろうけれど、それにしては袴が短い。膝を隠す気ゼロと言わざるを得ないデザインは、技術本部が説明する所によれば塩害防止、しかし彼女の場合は別の意味合いもありそうだ。

 そして下半身に問題があるなら上半身にも問題あり。国防軍でも随一なのではないかと言うくらいの胸部装甲。和装は着痩せする(めだちにくい)という話は何だったのか。それとも彼女が意図的に盛っているのか。そしてわざとらしく結ばれたツインテールが、彼女を幾分か若々しく見せていた。上から下までじろりと見る私の視線に気付いたらしく。彼女は笑う。

 

「ね? 見とれるくらいには可愛いでしょ? 陽炎ちゃんならいいわよ、もっと見ても」

「……その台詞が許されるのは30までですよ。蒼龍1佐」

「ひっどいわねぇ。私、まだ身体と心は20代よ?」

「仮にも分遣隊の副司令たる1等海佐がそれを言いますかね……?」

 

 とはいえ、1佐の言葉に間違いはない。特務神祇官(かんむす)は、言わば民間伝承と近代科学の合わせ技。深海棲艦という異形の化物は、奇しくも戯言(オカルト)じみた霊力というエネルギー存在を証明してしまった。かねてより自然崇拝(アメニズム)という形で認知されていた『モノに宿る力』。それは深海棲艦を打ち滅ぼすための力であり、私たちを癒す存在でもあるのだ。

 

「うーんまあ、陽炎ちゃんが再生医療派だって言うなら文句は聞くわ」

「……私も霊力再生派ですよ。でなきゃ27にもなってツインテールなんて結えません」

 

 もっとも、目の前の御仁は40になってもそんな格好(ツインテール)なのだけれど。それは口にせずともちゃんと伝わったようで、1佐はいけないねぇ陽炎ちゃん、と楽しげに嗤う。

 

「自分の姿を卑下するようじゃ立派な乙女にはなれないわ。ツインテールは強いのよ?」

 

 もちろん、そんなことは知ったことではない。この御仁(そうりゆう)に男遊びも女遊びも教えては貰ったけれど、あんなのに強くてもどうにかなるわけではないのだ。そうですねと流していると1佐も飽きたのだろう。席に座ると、先ほどまでの雰囲気を吹き飛ばして言う。

 

「まあいいわ。それで肝心の()()()()はどう? うまくいってる?」

 

 ようやく本題へと突入である。私は胸を撫で下ろして、頭の中のメモ用紙を捲った。

 

「極めて平静。武装蜂起(クーデター)の兆候と思われる事項はナシ。強いて言えばブインですかね」

「ブイン? どうして」

 

 そう問いかけた蒼龍1佐は地図へと視線を投げかける。国防軍ブイン基地はソロモン諸島の北、ブーゲンビル島に位置する基地。「あの戦争」でも最前線となった場所だ。

 

「鉱石の値上がりで、また管理会社と政府が揉めているらしいんですよ。第N次(なんどめかの)ブーゲンビル戦争になるんじゃないかって、基地司令は心配されていましたよ」

「まさか。戦争したところで深海棲艦の前じゃ共倒れよ?」

 

 そうは言いながらも、付箋紙に何かを書き込んでは机に貼り付ける蒼龍一佐。それは彼女が考え事をする時の癖だった。彼女は何事にもマメなのである。

 

「ですから強いて言うなら、のレベルです。一種の労働争議ですし、関連性は低いかと」

 

 ただ、関連性がゼロかと言われれば嘘だろう。武装蜂起というのは結局のところ、なんらかの不満があってそれを解消するために行われる。炭鉱会社が起こせばそれは労働争議。国防軍が起こせば武装蜂起。そこに言葉以上の違いはない。

 

「まあいいわ、ご苦労様。でも陽炎ちゃん的にはここからが大変よ? だってここ、ポートモレスビー基地はこれまでとは比べものにならない広さなんだから」

「ええ、存じております」

 

 ポートモレスビー基地は、南方に点在する国防軍の基地の中でも特に手広いことで有名である。南方での大規模作戦を実施するためのハブ基地として存在するこの基地は、弾薬庫、医療設備、指揮設備。そのいずれを持ってしても南方……いや日本がもつ基地として最大の規模を誇っている。巨大な艤装工場では一部を除いた大半の部品を生産または修理可能で、その隣には護衛艦を修理するための船渠までも備えられている。そしてその広大な敷地で働く人々が生活するための居住施設、商業施設に公共施設……もはや一つの地方都市が移転してきたんじゃないかと思われる程の人と建物が集まっているのだ。

 

「でもまあ、ここからの調査では頼もしい味方もいますし大丈夫ですよ」

「ん、頼もしい味方? まさか他のヒトにこのコトを言ってたりしないわよね」

 

 私の言葉に、蒼龍1佐の視線が鋭くなる。武装蜂起を起こすとされる『子供』が誰かは分かっていない。ということは誰もが『子供』である可能性があるわけで。

 

「言いませんよ……正直、私の駆逐隊(ユニツト)まで疑っていうのはどうかと思いますが」

「念には念を入れて、よ。それで誰なの? 頼もしい味方ってのは」

「いやここまで来たら、貴女しかいないでしょう1佐殿」

 

 ところが、蒼龍1佐は首を傾げるばかり。いやですから、広大な基地に潜む『子供』を探すのを手伝ってくれるんですよね? と私が念を押すようにいえば、一言。

 

「え。なんで私が手伝わなきゃいけないの?」

 



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第85話 藁を掴めば雲までも

「言いませんよ……正直、私の駆逐隊(ユニツト)まで疑っていうのはどうかと思いますが」

「念には念を入れて、よ。それで誰なの? 頼もしい味方ってのは」

「いやここまで来たら、貴女しかいないでしょう1佐殿」

 

 ところが、蒼龍1佐は首を傾げるばかり。いやですから、広大な基地に潜む『子供』を探すのを手伝ってくれるんですよね? と私が念を押すようにいえば、一言。

 

「え。なんで私が手伝わなきゃいけないの?」

 

 そんなことを言われてしまえば、こちらとしては言葉がない。

 

「いえですから、1佐の手を借りないと……」

「『私だけでは出来ない』ってこと? 陽炎ちゃんらしくもない」

「出来る出来ないはともかく、時間の問題もあります。時間は相手の味方ですよ?」

「とは言ってもねぇ……悪いけれど、武装蜂起(クーデター)なんて起こす理由が分からないわ」

「……その議論を、ここでするのですか?」

 

 事もなげに言ってみせる蒼龍1佐。個人的な付き合いがあるとはいえ上官の手前、頭を抱えるのはどうにか堪える。私は武装蜂起の阻止を命じられてこんな南方の果てまでやってきた。それを「ないでしょ」の一言で片付けられてはどうしようもないのだ。

 

「だって、不満があるって言うけれどその『子供』ってのは日本人なんでしょ? じゃあ総理大臣にでもなって変えればいいじゃない。武力で従う人間なんていないわよ?」

「ちょっと待って下さい。協力してくれるって話だったじゃないですか」

「したわよ? 私はあなたの上司の頼みを聞いて陽炎ちゃんの教導部隊を受け入れた」

「ですが命令では、蒼龍1佐を頼れとあったんです」

「知らないわよそんなの。私の同期じゃ第1護衛隊群勤務で統幕長レースのトップを走っているのか知らないけれど。増長してるんじゃないの、あなたの上司」

 

 そんな話、こっちの方が知ったことではない。確かに蒼龍1佐を頼れという指示はあの命令を出した私の上司のもの。それでも私は『国防軍の真実』を守るために蒼龍1佐が協力してくれると思っていたのだ。文句の一つも言いたくなる私に、彼女言った。

 

「まあま、陽炎ちゃん。よーく考えてもみてよ。私は分遣隊の副司令、それも南方一の巨大基地に駐屯する艦娘部隊の副司令よ? そんな私が、幹部艦娘とはいえどこから来たとも知れないのと仲良く基地を散歩してたら、周りはどう思うかしら?」

 

 どう考えても怪しいでしょ? そう微笑む一佐に、私は頷くしかない。

 

「それは、その通りですが……!」

 

 もちろん私を説得させるための方便にしか聞こえない。不服な私に蒼龍一佐は笑う。

 

「冗談よ。流石に私も3000万平米の基地内を一人で探せとは言わないわよ」

 

 入りなさい。蒼龍一佐の言葉に応じるように、執務室の扉が開かれる。

 

「この子は風雲ちゃん。私の部下で、ただ今ツインテールを布教中」

 

 私と同じ駆逐艦だろう。夕雲型向けの装束(せいふく)に身を包んだ彼女は、蒼龍一佐や私とは異なるポニーテールの髪型。真面目そうな表情で蒼龍1佐を見ると、一言。

 

 

「何度もお伝えしたとおり、ツインテールにはしませんからね」

 

 

 布教もやめて頂きたいと続きそうな駆逐艦は、しかしそれ以上は何も喋らない。

 

「そう? まあいいわ。それで風雲ちゃん。この子が陽炎ちゃん。私が可愛がってる幹部艦娘で、例の任務の上官になる子」

 

 例の任務、と言うあたり、この風雲と言う駆逐艦は話を聞かされているらしい。

 

「その子は、大丈夫なんですか?」

 

 何が大丈夫なのか、などは言葉にせずとも伝わるだろう。武装蜂起(クーデター)の話、そしてそれを中央が摘発しようとしていることは、何があっても漏れてはならない事。

 

「大丈夫よ。この子は正真正銘の本土出身。例え『子供』であっても、信用できるわ」

 

 その言葉に、駆逐艦娘は進み出ると、身分証を取り出した。手帳を開けば、そこには彼女の顔写真と名前の羅列。それは風雲ではない方の()()

 

「私の本名です。気になるなら調べて頂いても結構です」

「……私は情報幹部って訳でもないし、いきなり実名公開されても困るんだけど」

 

 艦名で呼び合うことが一般的なこの組織で実名は重たい意味を持つ。とはいえ上司なら部下の本名は閲覧できる訳で、この情報開示に覚悟を示す以上の意味はないだろう。

 それに私は、実名を振りかざす人間は嫌いだ。そこまで言ってしまえばただの八つ当たり。だからこそ口を噤んだ私に、蒼龍1佐は「だめよー風雲ちゃん」と笑って言う。

 

「陽炎ちゃんってば名前にコンプレックス持ちまくりだからね。なにせこの子の父親は」

「――――蒼龍1佐! 部下の個人情報ホイホイ漏らすのはどうかと思いますよ?」

 

 バラしてないでしょとは蒼龍1佐の言。私が止めなければこのまま話し続けたと思うのだけれど、この御仁がそんな指摘に動ずるはずはない。そのまま私に一言。

 

「という訳で、ちゃんと応援は用意してあげたわ。私ってばエライ!」

「いや、ちょっと待ってください1佐? 一人、たったの一人なんですか?」

 

 それはいくら何でもないだろう。駆逐艦娘を一隻付けられて終わりとは。

 

「なによ。一人でも立派な応援でしょ。二人で分担すれば3000万平米も1500万平米になるのよ? 砂漠で宝石を探すのが、鳥取砂丘で探すくらい簡単になるわ」

「1佐。ここまでは黙ってきましたが、私の仕事をバカのはいい加減にして頂きたい!」

 

 流石に不満を示しても文句は言われないだろう。そんな私に蒼龍一佐はぴしりと一言。

 

「安心しなさい。別に私が無協力とは言ってないでしょ。基地内文書の閲覧権限を私と同等に、あと電話一本で武器使用以外なら大抵の便宜は図ってあげるわ」

 

 じゃ、ちゃちゃっと摘発して頂戴ね。

 そんなお使いを頼むような調子で、副司令は話を畳んでしまった。

 

 分遣隊司令部の庁舎を出れば、そこにはバスロータリーが広がっている。

 

「へえ。巡回バスなら横須賀でもあったけれど、ここは三系統もあるのね」

「この基地は本当に広いですから」

 

 私もまだ全部は把握し切れていません、とは風雲という駆逐艦娘の言。聞けばここに着任して日が浅いのだという。私の手伝い(アシスタント)に選ばれた理由は、グアム基地から配置換えの際に蒼龍1佐と一緒に転任してきた関係で信頼が厚いからだろうと……それを自分で言ってしまわなければ、蒼龍1佐も真面目に取り組んでくれていると思えたのだが。

 

「ポートモレスビー基地は、主に工廠区画と航空隊区画、あと居住区画に別れています」

 

 その中間点がここの司令部ですね。バスの路線図を指し示しながら説明してくれる風雲はそれでもいないよりはマシは案内役に違いない。バス停の名前は例の如く部隊名や施設名で埋め尽くされており、基地の大まかな配置が把握できるようになっていた。

 

「副司令から、滞在先は入渠センターだと伺ってます。お荷物はありますか?」

 

 入渠センターというのは艦娘待機所の俗称である。怪我をした艦娘の治療設備というより回復に努めるための療養所と呼ぶべきそこは、どんな小さな基地にも設置されている福利厚生施設みたいなもの。ポートモレスビー基地の待機所は鉄筋コンクリート六階建てで、国防軍には珍しいエレベーター完備。新築ということであらゆる設備が最新式。

 

「あら。そんないい場所に泊まっていいの?」

「1尉の部隊はウチの分遣隊の教導役ということになっていますから」

 

 いますから、という言葉尻からもこの子に情報が開示されていることが窺える。どうやら蒼龍1佐がこの風雲という艦娘にある程度の信頼を置いているのは事実らしかった。

 となれば、私は私の仕事をするだけ。なるほどねと頷いてみせる。

 

「新築の待機所を使えるって知ったら不知火たちも喜ぶわ。さっそく伝えなきゃ」

 

 携帯を取り出して部下(しらぬい)を呼び出せば、きっかり一回分の呼び出し音で電話が繋がる。

 

「私よ。どう、そっちの調子は?」

「……『私』と言われましても。どなたか分かりません」

「もぉ面倒くさいわね。国産携帯端末(スマートフォン)が信用できないわけ? 私よ私、貴女の陽炎ちゃんよ。で? 艤装は預かってもらえた?」

恙無(つつがな)く。ですが部隊長(かげろう)の艤装だけ推進系に損傷があるとのことです。また変に吹かし」

「なるほど、大変結構であーる! それじゃ不知火は残り二人も連れて入渠センターに行くように、私たちの部屋が用意してあるわ。以後今日の業務はナシ。部屋で待機のこと」

「わかりました。ですが陽炎、私は」

「以上通信終わり、じゃねっ!」

 

 畳み掛けるようにこちらから伝えるべきことを並べれば、不知火には頷く以外の選択肢はないだろう。これが霞だと私の業務指示も無視して色々口出ししてくるので、事務連絡は不知火が都合が良いのだ。そうして通信を切れば、私の様子をじっと見ている風雲。

 

「ん? どうかした?」

「……いえ、別に」

 

 その反応から、あまり好ましく思われていないことが察せられる。私の部下への接し方は、言ってみれば諸刃の剣。適度な親近感に繋がればいいが、聞かん坊と思われれば貴重な陳言も入ってこなくなるというもの。我の強い霞やら生真面目な不知火に霰には丁度いいけれど、どうやらこの子は不真面目な国防軍人が嫌いなタイプらしかった。

 

「部下たちに先に部屋に行っておくよう言っただけよ。さ、ひとしきり案内して頂戴? 私ってばこの基地のことさっぱり知らないから」

「了解です。それでは……」

 

 風雲がそこまで言った時、私の背中に飛んでくるのは誰かを呼ぶ声。

 

「おーい!」

 

 そちらの方を見れば、風雲と同じ制服の少女が走ってくるところだった。走るのに合わせて背中に垂れた髪を揺らす彼女は、そのまま私の前までやってくる。

 

「探したんだぞー。いきなりどこいくのさ!」

 

 口調から察するに、どうやら彼女は風雲の同僚らしい。

 

「いやその、蒼龍さんに呼び出されてて……」

「あー蒼龍さんかー。あのヒト人使い荒いものねぇ」

 

 そこまで言ったところで、ポニーテールの彼女はようやく私の存在に気付いたらしい。

 

「ありゃ風雲、この人と知り合いなの?」

「……知り合いというか、1護群のヒト」

 

 今朝の朝礼(ミーティング)で聞いてたでしょと風雲。その言葉に首を傾げるのは駆逐艦娘の秋雲。

 

「そうだっけ?」

「そうだよ。もぅ、秋雲ったら肝心なことは聞き逃すんだから。あと、失礼な物言いしちゃ駄目でしょ。この人は国防海軍の1尉、幹部艦娘なんだから」

「えっ、そうなの……これは失礼しました。1尉殿」

 

 全く、白々しいモノだ。秋雲と私には少なからずの因縁があるのだけれど、恐らく風雲は気付いていないことだろう。なので私も、平気で返事(ウソ)する(つく)

 

「もう。幹部だからって、そんなに畏まらなくても結構よ。気軽に陽炎さんでいいわ」

 

 蒼龍1佐が渡してきた人事資料(ファイル)で彼女が風雲と同じ部隊(ユニツト)の所属であることは聞いていたけれど、まさかこんな所で会うとは思わなかった。これは1佐の『配慮』だろうかと訝しむ私を知らず、秋雲は勝手に話を続けていく。

 

「それで、1護群の幹部サマと風雲がなんで一緒にいるんです?」

「蒼龍副司令が、私にそう命令したのよ」

 

 流石にそれだけでは通じないだろう。私は補足も兼ねて口を開く。

 

「まあ要するに、風雲はこの陽炎1尉の水兵(ボーイ)という訳ね」

「私は男子(ボーイ)ではありませんが……」

 

 知ってるわよそんなこと、とは言わない。私の冗談が面白くなかったのだろう。水兵(へいし)従者(ボーイ)として使えるのは尉官より上、役職付きの佐官か将官と相場が決まっているものだ。かつて英国海軍(ロイヤルネイビー)では本物の従者(ボーイ)を連れ込んだという話も聞くけれど、それは昔の話。

 

「まあま、とにかくそういうことだから、しばらく宜しくね」

「そうですか。じゃあ風雲、例の件はまた今度ってことで」

「あら。もしかしてお邪魔しちゃったのかしら?」

 

 そう言えば、いえいえと手を振る秋雲。

 

「居住区の方に画材店がオープンしたんで、風雲に連れて行ってもらう約束だったんです。ですが任務となれば仕方ありません。では、これにて失礼します」

「……()()()? 酒保って訳では無いわよね」

 

 少なくとも軍事施設の中で聞くような単語ではない。首を傾げる私に、秋雲は得意顔。

 

「酒保なんか目じゃ無いですよ。ポートモレスビー(ここ)には何でも揃ってるんです」

 

 秋雲の話すところによれば、初めは新鮮な野菜を提供する程度だったらしい。それがいつの間にかあらゆる商品を取り揃える雑貨屋に代わり、その雑貨屋が電気屋を呼び……といった具合でダルマ式に商業施設は大きくなっていったのだという。

 

「ここが国際交流のための先進特区にされて以来、居住区には商社の貿易マンやその家族も住むようになりました。その関係で、ここは一つの街みたいになっているんです」

 

 風雲がそう補足する。事実、もはやポートモレスビー基地は単なる国防軍の重要拠点ではない。在日米軍基地ですら許されなかった治外法権も認められ、基地の中には日本国法が適用される。とすれば不慣れな外国の土地に住むよりかは「日本領」に身を寄せたほうが安全である、という話だ。そうしてこの()は、現在進行形で拡大しつつある。

 

「これじゃまるで戦前の日本租界ね」

 

 戦前という言葉が昭和初期の、つまり日本が忘れたがっている「あの戦争」の時代を示すのはこの時代でも変わらない。私の言葉に、風雲は口を噤み、秋雲は言葉を濁した。

 

「しょうがないです。本国と違って、この国は……なんというか、治安が悪いですから」

 

 国際交流、南洋地域への投資。そんなお題目で作られた交流特区の真意が邦人保護にあることは、少しでも情報収集(アンテナ)を張っていれば分かることだ。外務省がこの国に渡航危険情報を出すのは深海棲艦がいるからではない。だからこそ、首都ポートモレスビーの近郊に存在するこの()()()()に「日本人の安全地帯」を作る必要があったのだ。

 

「それにしても居住区、か……」

 

 私は独りごちる。基地の東部に広がる区域についての情報は、地図程度しか知らない。

 

「ねえ。もしよければ私も連れてってくれない?」

 

 そう切り出せば、何の話かとばかりに首を傾げる二人。画材屋の話よと言えば、風雲は大振りに手を振る。

 

「いえいえ。1尉のお手を煩わせるようなことはありません。私の趣味ですから……」

「あら。画材屋に行くことが趣味……って訳じゃないわよね?」

 

 ということは、画材屋に行く用事があるということ。そんな用事となれば、一つしかない。思い当たった私が口にするより早く、秋雲が口を開く。

 

「意外でしょう? 風雲ってば絵や漫画を描くんですよ、これがとても……むぐぅッ!」

「もう! 勝手なこと言わないでよ! 漫画はアンタの話でしょうがこの同人作家!」

「それは秋雲サンにとってはお褒めの言葉だよ。風雲」

 

 その会話を交わす二人は、どうやら単なる同僚よりは親しい仲らしかった。やめてよーと揉み合いになる様は見ていて微笑ましいもので、私にそんな同僚はいないと少し悲しくもなる。国防大学校、その前の幼年学校ですらも、私に同期と呼んでいい人間はいなかった。どこかの歌で、あるいは小説で、映画で、ドラマで。同期と呼ばれる摩訶不思議な存在は神にも等しい存在として扱われる。しかし同期ほど薄っぺらい関係もないものだ。出身地も経歴も、何もかも違う。ただ同じ組織に同じ年に入っただけ。

 そういう訳で、同期という言葉は私にとっては嘘まみれの言葉でしかなかった。国防大学校の同期は、仲間というより競争相手。高級将校である佐官や将官にまで出世できるのは全体の僅か一握り、蒼龍一佐のような分遣隊副司令となると同期の中から二、三人でも出ればいい方。要するに護衛隊群司令や総監部、さらにその上に上り詰めるためには全ての同期を追い越す必要があるのだ。そうやって嘘まみれの同期ごっこを続けた先に、私のような情けない、孤立してしまった幹部艦娘がいるのである。

 そうすると、目の前の彼女たちが羨ましくなってしまう。ウマがあったのか、趣味があったのか。それともその両方か。とにかくそこには嘘じゃない絆が見えていて。

 そんなことを考えていると、立ち並ぶ庁舎の向こうから巡回バスがやってくる。

 

 

「まーま。とりあえずバスも来たみたいだし、行きましょ?」

 



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第86話 栄えよ我らの箱庭よ

 ポートモレスビー基地は、首都ポートモレスビーの西、ナパナパ半島に存在する。半島の先端には分遣隊司令部や工廠区画、珊瑚海に面する区画には航空隊。そして半島の付け根のあたりに広がっているのが、バスの向かう居住区であった。

 

「ふーん。見れば見るほど横須賀の米軍基地みたいね」

 

 土地に余裕があるのだろう。広い車道に一階建ての建物が並んでいる様は、一昔前に言うところのアメリカン・ドリーム。庭付き、駐車場付きの家に、基地の外に出るための自家用車。寮舎への入居が義務ではない海曹以上の大半が家を借りているのも頷ける。

 

「次のバス停です」

 

 風雲がそう言った直後にアナウンスが流れる。寸分の間も開けずに降車ボタンに手をかける彼女は、まるで子供のよう。尤も(もつとも)、私も昔はバスの降車ボタンを競って押したのだからヒトのことは言えない。あの自然以外には娯楽らしい娯楽の見つからない島では、路線バスというのは数少ない楽しみの一つだったのである。

 バスを降りれば、そこはちょっとした郊外型商業施設(アウトレツトモール)のようだった。服屋や電気屋、その他にも様々な店が道路の両脇に構えている。同業さん(かんむす)と思われる若い女性、ガタイの良い男は休日の空軍だろうか。関係者の家族と思われるご婦人方や子供の姿も目に入る。

 

「ふーん。意外と賑わってるわね。相場はどのくらい?」

「ここでは日本円しか使えないですし、外地にしては結構高いですね。それでも、安全な敷地内で買い物できるのは大きいですし、品揃えもずっといい。文句はないです」

 

 秋雲がそう答える。一方の風雲は問題の画材屋へと突き進んでいく。どうやら、風雲はそこまでコミュニケーションが得意と言うわけではないようだ。そんなことを考えながら画材屋へと足を踏み入れれば、なるほど素人目にも品揃えがいいのが分かる。棚にずらりと並んだ小瓶。ぶら下げられた大小様々な道具。詳しいことは分からないが、それらを取っ替え引っ替え眺める風雲を見るに色々と違いがあるのだろう。

 

「あなたは見なくていいの? 漫画に使いそうなペンもあるみたいだけれど」

「あーいえ。私はデジタル派なんですよ。水彩とかはやったことがなくて」

 

 そうなのかと相槌を打ちながら私は品々を見て回る。絵画というのは一口に言い表すことが出来ないもの。べたりと重たい物があれば、さらりと軽いものもある。これでも美術館などにはよく連れて行ってもらった、多少の知識は備えているつもりだ。

 

 そういえば、私の父は日本画家が大好きだった。今はもうないあの家には、いくつかの水墨画と水彩画が飾られていたのをふと思い出す。あの絵は、ここにある素材たちをどう使えば産まれるのだろうか。それを考えてみようとしても、私の目に映る色や素材たちは、どうも野戦築城で身を隠すための偽装に用いる建材にしか見えなかった。

 

 それにしても、平和なものだ。これでもポートモレスビーは前線の基地である。少し先のソロモン諸島は人類にとっての出城で、それを支えるここは本丸。ポートモレスビーは通信と兵站においての最重要戦略拠点であり、ここを喪えば人類は豪州やニューギニアから全面的に兵を退かねばならなくなる。それだけ地域で戦線が下がれば、数千万人……場合によっては億単位の難民が発生することだろう。新自由連合盟約(ニユーコンパクト)で護ると誓った南洋諸島から手を引いて、僅か数十万人の難民が生まれただけで連立政権が吹き飛んだのが愛すべき我が日本国だ。オセアニアを失った日には、国会が音を立てて崩壊しかねない。

 

 そして恐らく、政治(それ)が私の任務を産み出したのだろう。『子供』による武装蜂起自体を上層部は気にかけていない。問題は、その混乱によって引き起こされる戦線の縮小と、それが生み出す政治的混乱。そしてそれに気づきながらも、あくまで正義漢ぶって武装蜂起阻止を目指す私。さて愚かなのはどちらだろうか。

 

「陽炎さん、どうかしました?」

「ううん、何でもないの。ちょっと外に出るわ、ごゆっくりね」

 

 秋雲に勘づかれた辺り、私の顔色は変わっていたのだろう。言葉を躱しつつ外に出る。私の胸中とは裏腹に空は呑気なものだ。端末を覗くと、不知火からメッセージが届いていた。部屋への移動が終わったという旨の連絡に返信しつつ、空を仰ぐ。

 

「それにしても……ここは広いわね」

 

 地図は頭に叩き込んである。様々な数字だって覚えてきた。しかし百聞は一見にしかずとはよく言ったもの。清掃の行き届いた市街地に商品の溢れる商業施設。

 まるで本土のような風景。そしてこれが人間のやり方なのだろう。自分たちの街と似た景色をどんな場所にも作ってしまう。私が昔住んでいた街、あの南の島も、そんな本土でないのに本土のような場所だった。清潔な街路に学校、優秀な社会資本(インフラ)。さらには町内会に神社まで。日本という国をまるごと運んできたかのように、全てが揃えられていた。

 

「せーんぱい? お久しぶりですね」

 

 脳裏に浮かんでいた風景が消える。いつの間にか、私の目の前には見知った顔。

 

「……夕雲。あんた、なんでここに」

「あれ? その様子じゃ風雲さんの人事資料、真面目に見ていないみたいですね?」

 

 そう言われてしまえば、察しはつく。私にとことん適性がないせいだろう。後輩であるはずの夕雲は私に階級も追いついて、部隊長をやっているのだ。

 それにしても、厄介な相手が出てきた。反骨精神の塊みたいな彼女は、とかく先輩に対するリスペクトがないのである。だから私も配慮はしてやらない。 

 

「じゃあ先に謝っとくわ。貴女の部下、しばらく借りるから」

 

 副司令からも通達があるはずよ。そう言えば、幼年学校時代から私に付きまとってきた彼女は、その粘着質な気質を示すように鮮やかな緑色に染め上げた三つ編みを撫でる。

 

「それは困りましたね……呑気に南洋周遊(クルージング)しているあなた方と違って、こちらには定期哨戒や泊地巡回の任務もあるのですが……」

 

 そんな言い方をされれば、誰だってカッとするだろう。狙っているのは百も承知。

 

「南洋周遊って、言わせておけば相変わらず失礼ね。言っておくけれど、私たちは教導役よ。お礼にしっかり教導して(しつけて)あげるから、楽しみにしてることね?」

「ええ。本土仕込みの戦闘技術(スキル)を見るのが楽しみです」

 

 ところで先輩、ちょっと付き合ってくれないですか? そんなことを言う彼女。どうやら性格の悪さが災いして、私以外の友達がいないらしい。ざまあみろ、である。

 もっとも、こんな彼女くらいしか付き合いのない私も、大概ではあるのだが……今は風雲たちに居住区を案内して貰っている途中なのでと伝え、私は夕雲と後で落ち合うことを約束することになるのだった。

 

 幹部艦娘は、良くも悪くも自由。権限が多い分だけ自らを律さなければならない。

 殊更、他兵科と比べて低年齢層の割合が多くなりがちな艦娘においては、である。政治に宗教、国防軍を揺るがしかねない火種はいくらでもある。私たちの一挙一動、その全てが世界に見られていると思え、それが鉄則なのだけれど――――。

 

「ねえ先輩。戦争に必要なのはなんだと思います?」

 

 ゲートをくぐって開口一番に政治の話題(これ)である。私は辟易するしかないし、そうなれば取りうる手段は無視。これが蒼龍1佐だったら話は別だが、夕雲が相手では付き合う理由もない。私は無言で手をあげる。日本人、ことさら国防軍人の金払いの良さを知ってのことだろう、タクシーの看板を乗せた古びた自動車が目の前に止まる。乗り込めば当然の如く隣に割り込んでくる夕雲が、身を乗り出して行き先を告げる。

 

「私、こう思うんです。戦争に必要なのは、若さだって。若人(わこうど)は肉体で物事を考える。頭では考えない。だからこそ戦争が出来る……先輩も、そう思いませんか?」

 

 哲学か何かの話だろうか。私が無視を決め込めば声が飛ぶ。

 

「ちょっと先輩、聴いているんですか? ねぇったら!」

 

 答えなければいけないだろうか。付き合わされている側としては、うんざりである。

 

「……いきなり政治の話とか、貴女も好きよね。三大タブー(政治野球宗教)には付き合わないわよ」

 

 そう宣言してしまえば、何も言わずに窓の外を見る夕雲。外から見た基地はまるで宝石箱だ。家々に灯る輝きは空へと飛び出し、星空の輝きをかき消す。それは日本国の繁栄そのものなのだろう。一方このタクシーはといえば、真っ暗な道をひた走るだけ。

 

「ねえ。これどこに向かってるの?」

「官庁街の近くのお店ですね、取り揃えがいいって、幹部組(わたしたち)で話題になってるんです」

 

 それで、右も左も分からない先輩を連れて行ってあげようと思って。そう言う夕雲。どう考えても自分が行きたいだけなのは明らかで、蒼龍一佐から案内の誘いがあれば断れたのだろうと考えながら私は無難な答え、つまり夕雲が喜ぶ答えを探す。

 

「ふうん。ということは()()()の店は基地内にはないということね」

 

 人間、生きているだけで様々な抑圧(ストレス)がかかるものである。人間関係、食生活に住環境、着る服だって負荷になり得る。それが戦中となればなおさらのこと。そういった抑圧のはけ口は、酒に異性に薬と相場が決まっている。流石にタバコ以外の薬は規制されているが……ともかく歓楽街とでも呼べばいいのだろうか、そう言った商売は基地の外に立地することが確かに多い。そして犯罪にほど近いその手の話題は夕雲の好きな所だろう。

 

「まあ、ポートモレスビーの街を私たちが出歩くことは問題視はされてますから……でもこの国の施設を作るのには政治的問題が多すぎる。それに今じゃ需要も()()でしょう? それなら、資本主義経済の原則、神の見えざる手にお願いするのが一番ってわけです」

 

 神の見えざる手、要するに需要のあるところに供給は生まれるという話だ。どこかの誰かも各々の利益を追求すれば、必要なモノは必ず誰かが用意してくれる。

 

「……でも妙ね。それなら基地の近くに作ればいいんじゃないの?」

「それも政治的問題ですよ、先輩。とにかくこの国は面倒ごとを嫌いますからね」

 

 なるほど。何処へ行っても政治問題という訳だ。深海棲艦、海外派兵。国防軍が抱える問題は山積みで、私が追う『子供』というのもその一つ。

 

「ねえ……国防軍を嫌う人間、どのくらい居ると思う?」

 

 私がぽつりとそんなことを漏らしたのは、夕雲に付き合ったというより、話の流れとして妥当であったからだ。『子供』による反乱とはいうが、まさか本当に『子供』だけで武装蜂起が起こせるはずはない。なにせ艦娘は艦娘のみで戦うわけではないのだ。艤装を整備する技術幹部、戦闘支援を行う護衛艦。地球規模で広がる戦域ネットワークを使うのなら情報技術に関わる人間も必要だ。国防軍に関わる職種は片手で数えられない。

 とすれば、協力者が必要だ。『子供』の目的は見えないが、少なくとも同様に国防軍を嫌う人間がいるはずなのである。

 

「まあ、嫌われ者だとは思いますよ。新自由連合盟約(ニユーコンパクト)の話もあるし……アメリカ帝国主義の手先、中国とアジアを分割した簒奪者(さんだつしや)……他にどんな別名があるかしら。あぁ……」

 

 あれが適当ね。夕雲はさも今思いついたと言わんばかりに、私の方へ横目を流す。

 

「――――大東亜共栄圏」

「……」

 

 押し黙る私を無視して、夕雲は言葉を転がしていく。

 

「やり口は単純です。新自由連合盟約を根拠に各国へと軍隊を派遣。日系企業を多数進出させることで日本語が出来ないと商売が出来ないようにしていく。ODAによる教育支援でまずは第二外国語として、そして最後には初等教育にも日本語を登場させる。そうして日本語と日本文化がその土地に根付けば、みんな日本になるんですよ」

 

 楽しげに話を続けていく夕雲。彼女にとっては、日本を反共の防波堤として軍隊を駐留させた彼の国や、自国領の少数民族の圧政に経済力や教育システムを武器として利用している彼の国。それと日本がやっている事は同じに見えるのだろう。

 

「ふうん。相変わらず好きね、そういうの」

 

 私は相槌を打つに留める。ゴシップとしては面白い話。しかし実際問題としてこの国にそんな事をする余裕がないのは明らかである。そもそも新自由連合盟約はアメリカから殆ど一方的に押し付けられたモノで、それで犠牲となった人達のことを考えれば笑えない。

 

「まあ、流石に今の話は私も信じてはないですよ。いくらなんでも眉唾物ですし、流石にそこまで都合のいい話があるとは思えない」

 

 不機嫌になった私の顔を見たのか、それとも私の親族がその「犠牲」だということを思い出したのか。誤魔化すように夕雲が言う。別に気に触ったわけではない。夕雲は昔からこういう性分だし、私も他人にあれこれ言われたくらいでは気分を悪くしたりはしない。

 

「気にしないわよ。国防軍を嫌う人間がいるかって聞いたのは私だし」

「ああそう言えば、そういう話でしたね」

 

 思い出したように言う夕雲。それは私の気遣いに乗ることにしたのか、それとも本当に忘れていたのか。ともかく夕雲は手を合わせると、私に向かってにっこり微笑む。

 

「それなら、順当に考えれば国防軍を恨んでいるのは深海棲艦じゃないかしら?」

「そりゃそうだろうけれど……というかアイツらって人間なの?」

 

 国防軍は深海棲艦を排除する組織な訳だから、排除される対象である深海棲艦が国防軍を恨むのは当然だ。私は恨む人間がいるかと聞いたのだけれどと言えば、夕雲は言う。

 

彼等(あれら)にもヒト型が居るじゃないですか。声を聞いたことがあるって噂話も聞きますよ」

「いやいや。ないでしょそんなこと」

 

 別に頭ごなしに否定しているわけではない。ただ事実として、深海棲艦は私たちの言葉を解することはないとされている。平文で通信して作戦がバレたという話を聞いたことはないし、暗号を使えばますますだ。そもそも私たちが使う言語(ことば)そのものが、彼らにとっては日本語辞書(コードブツク)がなければ解読できない一種の暗号文。さらに使う言語を英語フランス語と変えていけば、かのエニグマもびっくりな難読暗号が出来るに違いない。

 そんな話をするうちに、窓の外は真っ暗な景色から街灯の照らす世界へ。どうやら市街地に入ったらしい。最盛期でも人口数十万規模とはいえ、一国の首都ともなれば活気がないという話はなく、電飾に彩られた看板がぽつりぽつりと並ぶ。その中に下手くそな日本語で「ホテル」と書かれたものを見て、なるほどここがそうなのかと勝手に納得。

 

「ああでも、深海棲艦の次点は国防軍人(わたしたち)だと思いますよ?」

 

 その言葉に、私は思わず夕雲の方を見る。彼女は何でも無いといった様子でこちらを見ていて、それが私に見えない汗を掻かせた。

 

国防軍人(わたしたち)……って、国防軍人が国防軍(やといぬし)を恨んでいるってこと?」

「ええそうです。だって先輩、考えてもみて下さいよ、国を守るために入隊したのに私たちが砲火を交えるのは遠い異国の地での話。これがマリアナ諸島を守る旧第9護衛隊群だったら日本を守るための出城だーとか言えるし、グアムの街に出掛ければ幾らでも遊べるからいいけれど、こんな何にもない場所に閉じ込められちゃ辛いだけですよ?」

「……なるほど、確かに一理はあるわね」

 

 頷く私に、でしょと言う夕雲。もっとも、それは本土から派遣されてきた人間達にとっての話だ。私が探している『子供』は東南アジア(ここ)出身の子だと言うから、自分たちの故郷を守ることにさして嫌悪があるとは思えない。

 

「さ。着いたわよ」

 

 夕雲がタクシーの運転手へと明らかに枚数の多いお札を渡しながら言う。なるほどこれが南方の最前線か、そんなことを思いながら、私は彼女に続いた。

 



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第87話 飲んだ闇夜に儚き夢

 そういえば、私の父も酒には弱かった。

 

 国防大学では自慢話の一つに未成年飲酒というモノがあって、国の未来を担うべき人間達が口を揃えて未成年飲酒(ほうりついはん)を自慢しているのは笑いを通り越して呆れたものだけれど、思えば私の家には酒と呼べるようなものは置かれていなかったことに私はその時気付いたくらい。ともかくそのくらい、父は家に酒を持ち込んでいなかった。そう言う意味では、あの夜は特別だったのだろう。

 

『すみませーん。ごめんくださーい……って居るわけないか、ちょっと提督さん! 鍵はどこにあるのよ? え? 一人で出来る? 誰が一人で出来る訳? あーもう御託はいいから鍵貸して、どうせポケットに入ってるんでしょ!』

 

 その日、父の帰りは酷く遅かった。季節の概念がないあの島でも、一応暦の概念は残っている。それはクリスマスの直前で、私は父の不在をいいことに厚着のサンタクロースがどうやってこの南の島にやってくるのかを考えていた時の話で。

 

『トナカイさん……?』

 

 だから、家に踏み込んできたあの女の人を、私はそんな風に呼んでしまったのだ。

 思い返せば思い返すほど、あの夜は奇妙なものだった。その女の人は私の父に、私の知らない言葉を次々とぶつけていた。言葉は分からなくても調子は分かるもの。彼女は父に好意的な言葉は投げていなかったし、父はぐったりとしていて喋ることもなかった。

 とにもかくにも、それがあの女の人との出会い。

 その人は晩ご飯を作りにやってきて、そして朝ご飯を作って父と出かける。時々だけれど学校から帰ってきたときにはもう家に居ることもあった。そうしていつしか、女の人は私の家の当たり前になっていた。

 でもその人は赤の他人。みんなが言うような母親と呼ぶべきものではない。母というのは生まれた時からそばにいるもので、しかも普段からお父さんと一緒にいる訳ではない。

 だからある時、私は聞いてしまったのだ。あなたはお父さんの何なのかと、お父さんとどんな関係で、なんで私の家にやって来るのか、と。

 

『うーん、そうだなぁ……お父さんと私は仕事の関係なの、上司と部下って言っても分かんないか。お父さんのお陰で、私は仕事が出来るのよ』

 

 多分女の人がそんなことを言ったことが、仕舞い込んで忘れていた疑問を呼び起こしてしまったのだ。私の父は、いったい何者なのだろう、と。

 

 

 


 

 

 

「陽炎、陽炎」

 

 どこからだろうか。私の名前を呼ぶ声がする。それは聞き覚えがあるようでない声。まるで水を張ったバケツに顔を突っ込んで叫んだときに聞こえるような声。

 

「うぅん……うるさいわね」

「うるさいわねじゃありません。私ですよ、起きてください」

 

 私? 私とは一体全体誰のことだろうか。私は私だし、それ以外の何者でも無い。そんな問答を自分の中で繰り返すうちに、私は自分の状態を掴み始めていた。なるほど、私は私で、あの遠くから聞こえる声は……。

 

「しらぬい、じゃない。どーしたの、急に」

「急にって……貴女の後輩だとか名乗るヒトから呼び出されてきたんですよ」

 

 はて後輩。後輩なんていただろうか。思考がゆっくり回り始める。それは写真のように、初めは遅く力強く、そして次第に軽快に早くなっていく。そうだ、私は夕雲に連れられて美味しいお酒が飲めるという場所に来て……それで、どうなったんだっけ。

 

「ごめんなさいね? 先輩は酔うと可愛いので、ついね?」

 

 ぼんやりとした視界に映るのは夕雲の姿。要するにあれか、私は飲みすぎたと言う訳か。何もしていないのに視界が持ち上がり、不知火に持ち上げられたのだと理解する。

 

「ひとまず、陽炎は私が責任を持って持ち帰ります」

 

 責任。責任と言ったか不知火(このこ)は。責任を取るのは私の仕事だ。上司の失敗を部下に押しつけるのは、部隊指揮官が絶対にやってはいけないこと。

 

「らいじょうぶよ、しらぬい。責任はこの陽炎がちゃーんと」

「はいはい。行きますよ」

 

 なんだその仏頂面は。私の話を無視しているのも気に食わない。ただどうにも身体が言うことを聞かないので、抵抗することも出来ないという有様だ。それがなんとなく悔しいので、今回ばかりは不知火の頭をぐりぐりすることだけで勘弁してやることにする。

 

「やめてください。陽炎」

「なによーそうやって偉そーに。私の方が偉いのよー」

「ええ仰る通りです。お水飲みますか?」

「……飲む」

 

 その言葉だけでプラスチックのボトルが現れる。その小さな開口部に口を合わせれば冷たい水が流れ込んでくる。それが喉と身体を冷まして、そしてようやく、状況が掴めた。

要するに、私は飲みすぎて酔って、それで不知火のお世話になったと言うわけだ。

 

「ごめん……迷惑かけたわね」

「今更です」

 

 それだけ言って私を支える不知火。なんだこれ、まるで私がお世話されているみたいだ。街路を照らすのは疲れたような照明。真っ暗な空には星が瞬いている。

 

「飲めもしないのに、飲もうとするからです」

「うるさいなぁ。反省してますよ」

 

 はいはいとしか言ってくれない不知火。馬鹿にされているような気しかしないのだけれど上手い返しが出来るほどには頭が回らない。このままでは何を言ってもあしらわれるだけだろうから、私は押し黙って歩く。

 

「タクシーは呼んであります。一体どんなペースで飲んだんです?」

 

 不知火がそんなことを言う。私が言い返さないでいると、彼女が待たせていたのであろうタクシーの扉が開く。そこにどっかりと座ると、染み付いた煙草の臭いが鼻につく。

 

「くさい」

「陽炎の方が酒臭いです」

「あーもう、悪かったわね!」

 

 別に不知火のことを臭いと言ったわけではないのに、そんな風に言わなくても良いではないか。反射で出てしまった声は少し語気が強くて、ごめんと言っても不知火ははいはいと言うだけ。これでは私が情緒不安定か何かである。抵抗は状況の悪化させるだけうなので、私はもう黙ることにした。

 タクシーは元来た道を反対方向へ進んでいく。大した距離はないから、すぐに着くことだろう。不知火は窓の外を見ていたが、時折私の方を見る。何事かを言いかけて、それから口を噤んだように見えた。

 

「……ねえ、なにか言わないの」

 

 不知火は、なんというか自分を前に押し出さないタイプの部下だ。まあ従順なのは結構なことで、まあそれはそれで可愛がりがいがあるというものなので絡むことにする。

 

「別に文句はありません。上官のお世話も、部下の仕事ですから」

「なにそれ、皮肉?」

「滅相もありません」

 

 そう言ってから、不知火は少しだけ口角を持ち上げる。向こうは呆れているかもしれないけれど、愛想を尽かしたわけではない。此方も上官の威厳はないけれど、だからといって怒っている訳でもない。この微妙な空気感(しんらい)というのは、そう簡単には築かれないモノ。少しだけ気分が浮いたところで私はふと、気になったことを口にした。

 

「ねえ不知火。不満とかないの?」

 

 不満ですかとオウム返しに言う不知火。店に着く前、残っている私の記憶が正しければ夕雲は国防軍を恨んでいるのは国防軍人そのものだと言っていた。それが本当なのか気になったのだ。

 

「例えば、よくもこんな僻地におくりやがって! とか」

「僻地というか。ここは最前線でしょう」

 

 何を言ってるんですかと言わんばかりの表情。いやそうなんだけれどと言うしかない私に、不知火はため息。

 

「別に、国防上必要なことです。そうであれば文句はありません」

 

 なんというか。それは模範的が過ぎる回答ではないだろうか。

 

「じゃあさ。国防に必要じゃない命令(こと)だったら?」

「必要でないこと……? なんですか、それは?」

 

 私をまじまじと見ながらそう言う不知火。いざ具体例を出せと言われると難しいモノだ。市民との交流は国防軍への理解を深め有事の際の銃後を強固とする。書類業務はそもそも国防軍という巨大な官僚組織を動かすのに必要だし、兵舎の清掃だって――それが体罰的な意味合いを持たない限りは――必要な仕事と呼べるだろう。要人警護に、地方の港湾警備だって、最前線勤務と同じくらい大切な仕事だ。

 

「そうね……じゃあ、こういうのはどう? もしも国防軍内部に『ツインテール派閥』とか言うのがあって、貴女に髪型の変更を命令してきたらどう思う?」

「もしかしなくても、それは陽炎と蒼龍1佐の派閥では?」

「……例えばの話よ、たとえばの」

 

 否定しながらも、頭に浮かんだあの呑気な蒼龍1佐のにやけ顔を消すことが出来ない。

 なるほど、確かに私と蒼龍1佐の付き合いは長い。不知火のように外野から見れば、なるほど私は彼女の派閥に入ったように見えるのかも……いや、それどころか私はそういう立ち位置で固定化されているのではないだろうか。蒼龍一佐は私のことを気に入っているようだし、私だって頼もしい味方だと思うくらいには信頼している。まあ、正直『子供』探しを手伝ってくれるのだろうとアテにしていたので、落胆がないわけではないのだけれど。そこまで考えた時、私は不知火がこっちの顔を覗き込んでいることに気付いた。

 

「それで、どうなのよ。ツインテールにする?」

「私がしても似合いませんよ」

「そんなこと無いわよ。不知火ってば可愛いし……絶対似合うと思うけど?」

 

 なんなら今から結ってあげよっか?そう言いながらポケットに入った予備のリボンを取り出すと、彼女は急に頭を両手で隠すように覆ってしまった。

 

「いえ……不知火は、そういうのはいいですから」

「えー。遠慮しないでよ、すぐ結って、すぐ戻してあげるからさ」

 

 ツインテールに結われるのが余程嫌なのだろう。私が両手を不知火に伸ばすと彼女はタクシーの壁まで寄って身を縮こませる。

 

「それで、ドサクサに紛れて写真とか撮るのでしょう……?」

「なによ。別にその位いいじゃない。ネットに流そうなんて思ってないわよ? 精々が部隊のグループで共有するくらい……」

「それが嫌なんです」

「じゃあ、百歩譲って私の秘蔵画像入りだけで勘弁してあげる」

「いやです」

 

 どうやら意思は堅いらしい。流石にハラスメント扱いされるのは勘弁なので諦めると、不知火はやや顔を赤らめながら外に視線を伸ばす。これはもしかしてもう一押しだっただろうか? 下心が鎌首をもたげる私に、彼女は咳払い。

 

「とにかく、国防上必要でない命令には不満も持ちますし抵抗もします。ですが戦えと言われて戦わないのは違います。どんな戦場であろうとも、戦い抜くのみです」

 

 先ほどまでと打って変わった、決意に満ちた目。その目はいつかの誰かに似ていて、私は羨ましくなる。

 

「立派ね……私は出来ないかもな」

「そうなんですか?」

「うん。私ね、皆を見捨てたことがあるから」

 

 その言葉に、目を白黒させる不知火。任官してからの話じゃないわよと私は笑う。

 

「見捨てたって言うか、逃げたのよ。私が昔、ミクロネシア連邦に住んでた話はしたでしょ? あそこが攻撃を受けたとき、私ってば本土に居たの」

 

 理由は、ちゃんとある。私はあの南の島の中学校ではなく、本土の艦娘幼年学校に入学することを選んだ。だからミクロネシアが攻撃を受けたとき、私はそこに居なかった。

 

「……まあ、お国のために勉学に励んでいたって言い方も出来るけれどさ。私があの学校に入ったのって、結局は全寮制だったこと(いえにいたくなくなつた)が理由だから」

 

 それは本当に、思い返すほど浅ましい記憶。私はあの家に居たくなかった。その理由だけであの家を出てきてしまった。きっと神サマの怒りに触れたのだろう。そしてミクロネシア連邦は陥落して、私はあの家に帰ることを二度と許されなくなってしまった。

 

「……では、陽炎は深海棲艦に復讐するために戦っているのですか?」

「え? うーん。それはないかな」

 

 復讐。そう言えば『子供』たちの犯行動機も復讐とかいうものじゃないかって言われていたっけ。残念ながら、私は復讐心なんて持ったことはない。深海棲艦を血祭りに上げたところで、あの家に帰れるわけではない。深海棲艦を殺せば心が安まるわけではない。

 

「私は、どっか心が欠けてるらしいからさ。そういう気持ちは持ったことないのよ」

 

 そう言えば、申し訳なさそうな表情を滲ませる不知火。たった今どこか心が欠けていると言った私に、わざわざ同情なんてしてくれるとは優しいモノだ。

 

「同情するくらいなら、ツインテールの写真をちょうだいな?」

 

 言ってしまって、不知火が身構えたのをみて少し後悔。しまった。いくら酔ってるとは言え、人の弱みにつけ込むのは最悪の手段だ。ゴメン冗談よと言おうとしたとき。不知火は先ほどのように身を縮こまらせながら言った。

 

「少し……考えさせて下さい」

「えっホントに? 愛してるわ不知火!」

 

 棚からぼた餅というか、ここまで来ると火事場泥棒のような気もするが、とにかくツインテール不知火の映像入手が決まった瞬間である。大袈裟だろうと気にせずに、私は不知火に飛びついた。柔らかな彼女が私を受け止めてくれる。

 

「ああもう、お酒臭いんですから抱きつかないで下さい!」

「んもう、さっきまでおぶってくれてたじゃない!」

 

 何事も上手くいくなら後は野となれ山となれだ。不知火の激レア写真がゲットできるならきっと『子供』探しも余裕だろうと、酔った勢いのままに私は決めつけることにした。

 



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第88話 互の光を酌み交わし

 第7護衛隊群ポートモレスビー分遣隊は、地図で見れば見るほど面白い場所にある。

 

 ニューギニア島は細長く、その先には珊瑚海、そして因縁のソロモン海が広がっている。

 かつてトラック島を抑えた日本海軍は、オーストラリアとアメリカの連絡線を断つべくソロモン諸島へと大攻勢を仕掛けた。そして今の日本国防海軍は、その逆。チューク(トラツク)諸島を喪い、そして奴らはオーストラリアを孤立させるべくソロモン諸島へと大攻勢を仕掛けて来ている。地図は反対に見ると面白いもので「あの戦争」では日本の兵士を何千人と殺したこの基地は、今の私たちにとって休養所。そして不落を誇る鉄壁の要塞だ。

 

 となるとこの場所は、兵士達の療養だけでなく訓練にも用いられることになるわけで。

 

「あぁぁぁ……二日酔いだ……」

 

 いや、分かってはいるのだ。私は『子供』を探すためにやってきた。とはいえその作業に専念できる訳ではない。私の部隊はこの基地の駐留部隊に対して教練を施す教導部隊という名目でやって来たわけで、となればその分だけの働きはしなければならない。

 そう、例え部隊長(わたし)の体調がどんなに芳しくなかったとしてもだ。

 

「陽炎……」

 

 私の顔色が悪いのを見抜いているのだろうか。不知火が不安そうな顔をこちらに向ける。口に出さないのは一応は隠す努力をしている私の顔を立ててのことか。

 大丈夫よ、一戦やってすぐ終わらせればいいのだから。そう目線で送ってウインクすれば調子良いんですからとため息を吐かれる。気にしないフリで無線機の送話スイッチを押せば、宣戦布告の準備は完了だ。

 

「さ。やるわよ、かかってらっしゃい」

『ええ勿論です。鍛え抜いた後輩(わたしたち)の実力、見せて差し上げますね?』

「いうじゃない。状況開始よ!」

 

 その声は、しっかりと水平線の向こうの夕雲達へと届いたことだろう。水平線と聞くと遙か遠くを想像してしまいがちであるが、人間程度の背の高さでは精々五キロほど先までしか見通せない。要するに、小さな小さな演習海域でも、不可視領域というのが存在してしまうのだ。無線が通じるのだって、基地に建てられた通信塔があるから出来ること。戦争というのは本当に多くのインフラに支えられているのだ。

 主機の出力を押し上げる。軽快な駆動音を背に感じながら、私は手を挙げて、降ろす。

 

「それでは、散開!」

 

 私はいつも通りに隊を二つに分ける。それは幹部試験を受けたそうな顔をしている霞に経験を積ませるためでもあるし、結局駆逐艦娘は二隻組(エレメント)の方が効率よく戦えるからでもある。私の後ろにぴったりくっ付いてくるのは不知火だ。

 

「それにしても、蒼龍1佐も面倒な演習を組んでくれたわね……」

「と、言いますと?」

「ああ、ううん。こっちの話よ」

 

 大方、私と風雲が一緒に行動していても怪しまれないよう、演習を通じて交流を深めたという偽装物語(カバーストーリー)を作っておこうとしているのだろうけれども……上司のこう言った配慮は大体自分の保身のためであるのだから面白くないもの。情けは人の為ならずとは言い得て妙で、この場合蒼龍1佐はこういった言い訳を作ることで後々「私は『子供』の摘発に関わっていませんでした」と言い張るつもりなのだ。

 なぜ私に手を貸しておきながらそんなまどろっこしいことをするのか。理由は簡単、手に掛けている陽炎(わたし)を見放すことはしたくないが、自分に責任が及ぶのは避けたいのである。これで蒼龍1佐(あのひと)にとっての『子供(この)』案件は、成功すれば私に貸しが作れて失敗すれば知らん顔。どう転んでも得しかしない案件となったのだ。

 

「ま。今の私は虫の居所悪いし、丁度良い演習相手(サンドバツク)がいるなら叩き潰すだけだけれどね」

「陽炎の場合、居場所が悪いのは虫ではなくお酒では……?」

 

 ツインテール候補(しらぬい)が余計なことを言うので、私は無言で増速。それでもぴったり付いてくるのが不知火だ。こちらの思考を読まれているようで気に食わないが、あの夕雲にぶつけてやるには練度が高い方がいいに決まっている訳で……作戦はいつも通り、わざわざ説明する必要も無い。私は二日酔いだが、残りの面子は温かいお風呂とふかふかの布団で体調万全。であれば、私が一言も言わずとも演習は一方的な結果(ワンサイドゲーム)に終わることだろう。

 太陽光線の降り注ぐ海に、白い波が跳ねていく。それを切り裂いて私たちは進む。

 視界の端に黒い物体が映ったのは、その時だった。

 

「来たわよ不知火、先手で統制雷撃すれば勝てるって思ってるのかしら?」

「油断は禁物ですよ、陽炎」

 

 分かってるわよと短く返して、号令一声で華麗なターン。効率の良い回避運動は芸術と同じ。碧いカンバスの上に白と黒のコントラストが広がっていく。

 

「さーて、牽制雷撃で進路制御のお次は……不知火、どう読む?」

非照準(めくら)撃ちの阻止砲撃、行き足が止まったところで突撃でしょうか」

「たぶん正解、霞の方に行ってくれればあの子の勉強になるのになぁ」

 

 とはいえ、こちらが引き当ててしまったのだからしょうが無い。向こうが水平線の向こうから撃ってくる前に突撃してしまえばこちらのものだ。速力を挙げて見定めた方向へと進めば、そこには思った通りに相手の姿。夕雲が率いる三隻の駆逐艦娘が、こちらに向けて照準を定めて……。

 

「げッ、散開陣形(まちぶせされた)?」

『ごめんなさいね先輩、偉大な先輩の指揮癖くらい見抜いて当然。貴女が理由を見つけては突撃したがるってことは知っていますから!』

 

 ご丁寧に無線まで入れてくれる夕雲は、既に勝ったかのような表情であった。

 

回避(ブレイク)ッ!」

 

 夕雲たちの十字砲火が迫ってくる。教本を裏をかくフリをして教本通り、それが夕雲の惑わせ方と思っていたが、どうやらその私の読みまで読まれていたらしい。幾本も立ち上がる水柱を避けながら、私は不知火に手で合図。

 

「しょーがないわね。こうなったら『お願い霞ちゃん作戦』よ!」

 

 それは要するに他力本願(ひとまかせ)。とはいえ部隊を二分割して交互に前進するというのは、歩兵部隊でもよく用いられる戦術である。片方が会敵して動けなくなったとしても、その間にもう片方が適切な攻撃位置につく。これで危機は簡単に脱せられる。ましてやこの狭い演習場だ。砲を撃てば音が聞こえる。

 夕雲の総攻撃は脅威だけれども、逆に彼女らは自分の手札を全て見せてしまった。こういう読み合いは、先に手札をバラした方が負ける道理で出来ている。

 もっとも、私の隠し札が発動するまで私たちが持ちこたえられればの話だけれど。

 流石に最前線と言うだけはある。これまで「調査」のために渡り歩いてきた各地の基地でも同様の演習をやったモノだけれど、ここまでの精度で連続射撃を加えてくる駆逐隊(ユニツト)は久しぶりだ。夕雲が「打倒先輩」とかいう意味不明なシチュエーションに燃えているのか、それとも蒼龍1佐の部隊の育て方が上手いのか、またはその両方か。

 ともかく私は躱し続ける。精度が高くても動きが読めないのならそれまでだ。後は霞たちの到着を待って……。

 

『あら先輩ったら、逃げることしか出来ないのかしら?』

 

 そんな時、わざわざ墓穴を掘る夕雲の言葉が耳に刺さる。

 

「ふーん良い度胸。不知火? 作戦変更、突撃よ」

 

 流石に、喧嘩を売られて買わない幹部はいないだろう。ましてやこれは演習。そして私の役目は教導として相手を指導することである。舐められたまま終わるのは職責に反するというモノ。緩急をつけて推進器を吹かせば、凪いだ海は私のスケートリンク。段々と濃くなる水柱を縫っていけば、私はそこに一本の突破口(みち)を見つける。

 

「悪いわねッ、貰ったわ!」

 

 流石の私も口角が吊り上がる展開だ。集中砲火をモノともせず突っ込んで来るこちらに怯えたか、それとも連続射撃に疲れたか。とにかく火線に乱れが生まれたのだ。それはそのまま、私たちを打ちのめそうとする散開陣形の一角へと続いている。

 ところが次の瞬間感じたのは、殺気。

 

「ッ!」

 

 思わず身を退かねば危ないところだった。逃げ遅れた髪の毛を模擬銃剣(ゴムナイフ)が叩く音。それが確かに聞こえた次の瞬間、私の目の前には一隻の駆逐艦娘。

 

「陽炎!」

 

 叫んだのは不知火だろう。私も正直驚いた。あの火線の乱れは陽動、まして直前に着弾した友軍の水柱すらも隠蔽物として利用してみせたのだ。

 とはいえ、それで終わりならそれまでだ。あと一歩踏み込まれていたなら斬首されて(やられて)いたけれど、そうはならなかった。となれば後は、全力で振りかぶったせいで空中に浮いてしまった駆逐艦娘と、装填済みの主砲を抱えた私しか残らないというもの。

 

「残念、正面がお留守よ?」

 

 発砲、とはいえこちらも体勢が悪い。相手が寸での所で身体を捻じ曲げてかわせば、後ろに残ったポニーテールを砲弾が貫く。軟目標相手に信管は作動せず、そのまま背後に突き刺さって海面が爆ぜる。次の瞬間には彼女が砲を放つ。

 

「やるわねッ、風雲!」

 

 堅物だという印象は撤回してやってもいいだろう。なかなか骨のある艦娘じゃないか。彼女の目線が私を射貫く。割って入ろうとした不知火には入ってくるなと目で合図。これしきの相手を下せないようじゃ、教導艦の名が廃るというもの。手持ちの主砲塔を手放して、私も腰帯(ベルト)から模擬銃剣を引き抜く。私に洋上近接格闘をさせるなんて中々のモノじゃないか。私が構えたのを見て、風雲も主砲塔を投げ捨てる。重力に託された砲塔が掛け紐(スリング)を緊張させるよりも早く、彼女は飛び出した。

 

「なんのっ!」

 

 艦娘への適性(さいのう)はなかった私だけれども、これでも努力だけはしてきたつもりだ。間合いと隙が肝心な近接格闘においては、努力の積み重ねが肝要。風雲の銃剣、その太刀筋を目で追って……それが空へと()()()

 しまったと思うのは刹那、それが陽動だと気付くのに一瞬。その次には、銃剣を宙に舞わせた風雲張本人の拳が飛んでくる。それが私の鳩尾(みぞおち)に直撃して、視界に星が飛ぶ。

 

「かっ、はっ……」

 

 それを油断と呼ぶのは簡単だろう。相手が一枚上手だったと評価するのも簡単だろう。

 だけれどこれが戦場だったなら、ここで負けを認めることは即ち死を意味する。そんなことは、絶対に許されない。握った銃剣を一瞬で逆手に。私に一撃を加えることしか考えていなかったのだろう。今の風雲は私の胸に飛び込む格好になっている。吹き飛びそうになる身体を強引に掴み、右手の殺意を風雲の背中へと叩きつける。模擬(ゴム)なので識別用のチョーク跡が付くだけだけれど、少なくともそれで向こうにも致命傷。私を気絶させられなかったアンタの負けだと嗤って私は引き下がる。

 ところが、実は私はとんでもない致命傷を喰らっていたのだ。

 

「危ないところだったけれど、それでそっちは一隻脱ら……」

 

 次の言葉が出てこない。気道が塞がって、息が出来なくなる。

 

「陽炎!」

 

 不知火の声が聞こえたけれど時既に遅し、私の身体は意に反してねじ曲がり、口の中が唾液で埋め尽くされる。その後にやって来たのは、燃え上がるような逆流する溶岩(マグマ)

 

「え、ええええ……! かっ、陽炎1尉?」

 

 ぼちゃぼちゃと、情けない音が海に落ちていく。涙で前が見えなくなった私の耳に届いたのは、大いに取り乱す風雲の声だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分遣隊司令部は、アイドラーズ湾の一番奥まった場所に設置されている。

 そして艦娘の相棒である艤装が収められている格納庫や入渠センターの場所も入り江の沿岸。入り江の中心には警備用の哨戒艦が鎮座している。艦娘関連の施設ばかりが置かれていることから、基地の人間からは艦娘港と呼ばれているらしい。

 

「ま。少しはヒヤッとしたけれど、面白い演習ではあったわね」

 

 そしてそんな艦娘港にあるのが、訓練の監督や研修を行う訓練センター。その一室を借りて行われる演習報告会議(デブリーフィング)で、夕雲は終始難しそうな顔をしていた。念のため言っておくと、私はもちろん教導部隊の人間として振る舞ったつもりだ。問題点を問題点として指摘して、良い点は良いモノとして褒める。それなのに、私が褒める度に夕雲が引き攣った笑みを浮かべるのだから不思議な話だ。

 

「ねえ夕雲、あなた真面目に人の話聞く気あるの?」

「い、いえ……真面目に聞こうとはしているのよ? でも、昨晩飲み過ぎてあまつさえ職務中に粗相をやらかしてしまうような偉大で素敵な先輩が教導艦サマの面をして有り難いお言葉を頂いていると思うと……わたしっ、おかしくて……ふふっ」

「昨日散々飲ませたのはどこのどいつよ……」

 

 恨みの篭もった目線で見ても、一度突いてしまった笑いのツボ。そうそう収まることはない。もう会議は小休止ということにして、私は風雲に身体を向けた。

 

「ところで……ちょっと気になったんだけれど。風雲?」

「は、はい。なんでしょうか」

 

 私に個別に声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。教本とホワイトボードを見比べていた風雲が顔を上げる。

 

「あの時突っ込んできたのって、独断よね? なんで?」

 

 あの時、つまり私の髪に銃剣が届くほどに距離を詰めてきた風雲。あれが独断であることは明らかであった。まず砲火の乱れからそうだ。あの隙を彼女は意図的に作り、私を誘い込み、恐らくは状況を理解しないままに撃たれた僚艦の弾すらも利用して突撃した。

 それがまさか、夕雲の指示であるはずはないのだ。

 

「それは……」

 

 風雲は言葉を探したようだったが、やがて私を真っ直ぐ見ると口を開く。

 

「あの状況では、あれが最善と判断したからです」

 

 ああ。彼女の目を見た私は、次に何を言えば良いのか分かってしまった。

 それは見え透いた隙。まるでそうしろと誘ってくるよう。そのあからさまな台詞の後ろに透明な糸が見えて、それが私にそうしろこう言えと囁いてくる。

 

「……あのね。いくら乱戦演習を想定した実弾演習とはいえ、私たちの基本は近接格闘戦ではなくて射撃戦闘よ? 演習タイプの弱装弾とはいえ、直撃すればタダじゃ済まない」

 

 それから私は夕雲へと視線を向ける。

 

「ねえ夕雲、貴女の部下はこんな独断専行を犯すような子なのかしら?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 困惑してみせる夕雲。それが演技かどうかはともかくとして、私のやるべきコトは決まっていた。

 

「いずれにせよ。命令系統を尊ぶ国防軍においてこの独断専行は看過出来ないわ。風雲、別室で話をしましょう。付いてきなさい」

 

 霞に続きを進めるように指示して、私は風雲を外に連れ出す。扉が閉まって無人の廊下に出たことを確認した私は、大きく大きくため息を吐く。

 

「それで……どこまで蒼龍1佐の指示だったわけ?」

 

 その言葉に、気付いていらしたんですかと風雲。私はもう一度ため息を吐く。

 

「気付くに決まってるでしょ? 第一、あの抜け目のない蒼龍1佐が一ミリでも漏れたら『詰み』な『子供』の調査に独断専行野郎を使うと思う?」

 

 ましてや、人事資料に独断専行の気があることは書いていない。むしろ蒼龍1佐との会話を聞く限り、この風雲という駆逐艦娘は私と同様、あの御仁にいいように使われている身だということも分かる。

 

「蒼龍1佐の筋書きは、あなたを独断専行させることで私に教育の必要ありと判断させて、私()付きっきりになるように仕向ける……言い訳にしても荒削りすぎない?」

 

 まあ確かに、理由があるにこしたことはない。不知火もいうように、国防軍のあらゆる命令には必ず何かの意味がある。だからこそ、私と風雲が一緒に居ることにも意味が必要なのだ。

 

「別に私も蒼龍1佐も配慮するから貴女の人事に傷はつかないけれど、よくもまあこんなことしたわね。で、どこまでが入れ知恵だったの?」

 

 そう聞けば、風雲は直立したままで答える。

 

「独断専行せよ、というところだけです。具体的には何も」

 

 頭が痛い。なんだ、なんなのだその大雑把な指示は。普通はもう少し、号令より先に砲を撃ってしまえとか背後から指揮官を撃ってしまえとか、こう具体的な指示があるものだろう。そして独断専行によって私が蒼龍一佐の『配慮』に気付かなかった可能性すらあるのだ。頭を抱える私の心境を察したのか、風雲は言う。

 

「蒼龍副司令は、そのような方ですから」

「いいわ。ということはあの囮も突貫も……それで私にあんな恥を掻かせるところまで、全部自分で考えたというわけね?」

「そ、それは……その。申し訳ありませんでした!」

 

 大声で謝罪しながら、頭を直角に下げる風雲。もちろん困ったのは私だ。周りに誰も居ないとはいえ、扉越しには不知火たちもいる。

 

「やめてよこっちが逆に恥ずかしいじゃない……まあいいわ。あなたの実力と本気は分かったわ。格闘戦についてはちょっと我流が入ってるみたいだから危なっかしいけれど。今度は実弾ナシの時に付き合ってあげるから、くれぐれも今後は実弾を使う演習で格闘戦を挑まないこと。いいわね」

「はい!」

 

 むしろいっそ清々しいくらいの返事。やれやれ、優秀なのには違いないけれど、とんでもない助手を寄越してくれたモノだ。あの御仁は。

 

「さて、と。まあともかく、あなたは実弾が直撃する危険を冒してまで、私の調査に参加したいわけよね? 正直にいうけれど、ここの副司令(そうりゆう)は武装蜂起が起こるなんて信じてないわよ? 調査をしたって証拠が出てくるとは限らないわ」

 

 それどころか、彼女はこれを派閥争いの一環として捉えている節すらある。私に調査を命じた私の上司は蒼龍1佐とは別の派閥。蒼龍1佐が調査に乗り気じゃないのは、別派閥に成果を取られるのが嫌というだけのどうしようもない理由かもしれないのだ。

 とまあ、私がこう言ったところで風雲は様々な御託を並べて武装蜂起阻止の意味を説いて、そして私が彼女の手を掴めば即席探偵チームのできあがり。それが身内の陽炎(わたし)に恩を売りたい蒼龍一佐の目論見であり、私が描いた今日の脚本(シナリオ)。茶番と誰かに嗤われるかもしれない。それでも人間関係において、こういう儀式は必要なのである。

 ところが風雲は、僅かながら眉にしわを寄せると、小さく申し出るように言った。

 

「いえ。武装蜂起はありますよ、陽炎さん」

「……どういうこと?」

 

 『ないだろう』でもなく『あるかもしれない』でもなく、今確かに彼女は『ある』と言い切った。そんな風雲に、私は嫌な予感を胸に抱かずにはいられなかった。

 



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第89話 隠匿するは優しい嘘

 父は時折、凄く不機嫌な様子で帰って来ることがあった。

 

 その理由は分からない。

 ただ一つ言えるのは、その時の私に出来ることは何もないということ。

 普段より大きな鞄を抱えて帰ってきた父は、部屋に篭るとそれっきり出てこなくなってしまうのだ。書斎に篭るというのは、確かに厳しい父親というものの共通項と言うべきなのかもしれないけれど、とにかく父は何一つ言葉を発しないことが何度もあったのだ。

 

 その時の家は、酷く静かになってしまう。買い置きの夕食は形だけ。食事が用意されているだけマシなのかも知れないけれど、残された静かな食卓は私にとっては拷問だった。

 

『あんまり食べない方なのね?いらないなら私が食べちゃうけれど』

 

 それが変わったのは、あの女の人が現れてから。女の人は父が不機嫌な日に限って必ずついて来る。それで私に夕食を食べさせて、暫くすると父の部屋へと行ってしまうのだ。二人が何をしているのかは分からないが、それが仕事に関することなのは知っていた。女の人は仕事の付き合いだと言っていたし、私もそれを信じていたから。

 それなのに、あの日の夜は違った。私の耳に入ったのは言い争う声。

 

『じゃあなによ、849を見捨てるつもり?』

 

 部屋から飛び出してきたのは、女の人の張り詰めたような声。そこに続くのは否定の言葉。そこに苛立ちが混ざっていたのは間違いなくて、訳の分からない単語を操る二人はまるでアニメに出てくる宇宙人のようで。

 やがて飛び出していった女の人を追い掛けるように、父も家を飛び出していって。

 正直な所、あの時の私は何も分かっていなくて。父が何の仕事をしていたのか、女の人が言った849という数字が何を意味していたのか、それを理解していなくて。

 

『命に関わることなのは分かっている。分かっているとも』

『嘘つき、なんも分かってないじゃない。これじゃ私たちは人殺しよ!』

 

 それが、仕事の話と言うには。あまりに鬼気迫っていて、怖かったのだ。だから私は縮こまっていた。部屋の隅で小さくなって、父が部屋へと帰ってくるのを待っていたのだ。

 でも、その時の私は知らなかったのだ。本当に怖いことがなんなのか。

 

『おかえり。待っていたぞ』

『おかえりなさい。今日はあなたの為に奮発したのよ?』

 

 それは、あの二人。あんなに血相を変えて言い合っていた二人が、何の説明もなく楽しげに笑っていたこと。後から思い出せば、あの849という数字の意味を知った今から思い返せば、二人は決して笑えるような状態じゃなかったはずであること。

 それが私に吐かれた嘘だと言うことを、あの時の私はおぼろげながらにも理解していたのだろう。そしてあの()()()という言葉が、耳から離れなくて、私を苦しめた。

 それなのに、二人はそのことを隠している。その嘘が当たり前になってしまったあの世界(いえ)が、私は怖くなってしまった。多分、この女の人が原因なのだろう。それで私の父は変わってしまったのだ。そう考えた私は、あの家から逃げる方法を考えた。

 艦娘幼年学校の入学案内を手にしたのは、そんな時だったのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 鉄筋コンクリートの入渠センター。その上層階には幹部向けの個室が設けられている。

 そこからは艦娘港の景色がよく見えた。年中どこかで砲火が交わされるのなら戦いには昼も夜もないわけで、ちょうど夜戦を終えて帰投する即応(アラート)部隊を迎え入れるために、分遣隊司令部近くに設置された桟橋はてんやわんやの大騒ぎである。

 照明が煌々と輝き、医療班や整備班の面々が艦娘達を迎え入れる。そんな喧騒を知って知らず、風雲は机の上に二つの紙束を置いた。

 

「これがなんだか分かりますか?」

「馬鹿にしてる? 分からないわけないじゃない」

 

 それは、資材の管理表だった。軍隊は巨大な組織で、砲弾に燃料、食糧や医薬品など多彩な必需品を貯め込んでいる。風雲が出したのは各分遣隊が纏めている資材の一覧表だ。

 それが一冊、そしてその横に置かれたもう一冊にも、一見同じ内容が書かれている。

 

「で、こっちが()()簿()でしょ。知ってるわよそのくらい」

 

 裏帳簿。国防軍が正規の資材管理表の他に別の管理表を用意しているのは公然の秘密だ。全く同じ書式の書類には、瓜二つの項目が連なり、そして数字だけが違う。

 初めは恐らく、やむを得ない処置だったのだろう。深海棲艦との戦争が始まった当初、それこそ改憲も行われていなかった頃は、旧防衛(こくぼう)省も十分な兵站能力を持たないことから海外派兵には消極的だった。財政難が続く中で補給物資は枯渇。もし正しい量の資材だけを要求したのなら、各地の分遣隊は(たちま)ち弾薬切れを起こして機能不全になってしまう。

 だけれどそれは、本当に戦争が始まった初期の話。今では補給も滞りなく届くし、物資が足りないなんてコトは滅多にない。それでもまあ、一度覚えてしまった蜜の味は忘れられないモノ。ましてや、二十年以上も戦争が続いているのである。

 

「演習や出撃で消費した物資を多めに要求するなんて、どこの部隊だってやってることじゃない」

 

 真面目な風雲のことだ。これを知ったときはさぞかし憤慨したことだろう。請求される物資は、全て国民の税金によって賄われている。戦争景気であろうとなかろうと、血税を無駄に出来ないのは当たり前の話。とはいえ、これも国防軍の真実というヤツなのだ。理想論だけで国は守れないと嘯きながら、私腹を肥やす連中はいくらでもいる。

 

「でも問題があるんです。ここを」

 

 そう言いながら書類を捲る風雲。ぱらぱらと捲られた二冊の管理表は、またしても同じ項目を示す。

 

発射発煙筒(チヤフランチヤー)?」

 

 それは、電子欺瞞(チヤフ)の発射を行うための装備。誘導ミサイルのセンサー類を誤魔化すためのアルミ箔や熱源を放出する防御兵器。その保有数が、裏帳簿で大きくなっている。

 

「深海棲艦を倒すのには関係ない装備です。裏帳簿で多くなるのはおかしいんですよ」

 

 言うまでも無いことだけれど、資材管理表の数字を誤魔化すことは立派な公文書偽造である。誰もがやってるとはいえ、偽造の範囲は最小限にするモノ。ところが見てみれば発射発煙筒だけではない、基地警備を担当する防備隊に配備されるはずのガスマスクや迫撃砲弾、機関銃弾までも裏帳簿の方が数が多くなっている。

 

「この国は治安が悪いから、その対処のためとかじゃない?」

 

 そんな装備を余分に持ち込む理由として考えられるのは、基地が襲撃される可能性だ。表向きは民主国家としての体裁を保っているこの国は、深海棲艦と国内の複雑な地形に分断されて戦国時代状態だという噂もある。実際中央政府が完全に機能しているようには見えないし、仮に機能しているならブインの基地司令は紛争の勃発に頭を悩ませなくてもいいだろう。ところが風雲は、深刻な表情のままにいう。

 

「でも、艦娘用(けいたいがた)発射発煙筒が沢山あるのはおかしいんですよ。あれはミサイル相手じゃないと使えません。それってつまり、ミサイルを沢山持っている相手……例えば護衛艦とかを相手にするってコトですよね?」

「それが『武装蜂起はある』って断言する理由? だとしたら甘いわよ。今の武装勢力はミサイルなんて当たり前のように使うわ」

 

 ミサイルへの対抗策を持っているからと言って、国防軍と戦うことを想定しているとは言えないだろう。そもそも艦娘用の発射発煙筒が開発されたのは、海の上では隠れる場所がなく、味方の誤射に対応することが出来ないからだ。別に用意されていること自体はそこまで不思議な話ではない。そう言えば、風雲は俯く。

 

「……蒼龍副司令も、同じ事を言いました」

「でしょうね」

 

 あの御仁、やっぱり知ってて知らないフリか。もはや納得以外の言葉がない。裏帳簿の数字に気付いた風雲は、信頼できる上官である蒼龍一佐に報告したのだろう。

 

「その上で『私が処理するから任せろ』と」

「そこで、やって来たのが私という訳か」

 

 それなら蒼龍1佐の中途半端な協力体制にも説明が付く。目をかけている陽炎(わたし)に恩を売りつつ、裏帳簿を見つけてしまって()()している風雲を抑えて貰う……一石二鳥とはこのことだろう。

 

「まあ、事情は大体分かったわ。それで? 過去の裏帳簿は?」

 

 意地の悪い上司を嘆いても始まらない。とにかく情報を集めようと私が過去の裏帳簿を確認しようと思えば、風雲は首を振る。

 

「ありません。処分されてしまったんです」

「……は? いやちょっと待ってよ。過去のがないってどういうこと?」

 

 それでは、どのようなペースで、いつから物資が集められていたのか分からないではないか。そもそも帳簿を処分するとは何事だろうか。

 

「重要分類に区別されない書類は、半年を越えれば処分してもいいとかで……」

「いや、そりゃ存在しない書類(うらちようぼ)が重要分類に区別されないのは分かるけれど……でも普通は隠し持っておくモノでしょ。なんで……あ、あの事件か」

 

 その時思い浮かばれるのは、つい最近の出来事。そう言えば、つい最近その裏帳簿が原因の一つになって解体された部隊があった。

 

「はい。第9護衛隊群の件を受けて、分遣隊司令が全部の裏帳簿の廃棄を命じたんです。私、そんなとんでもないモノを廃棄していたなんて知らなくて」

 

 風雲の声は、確かに震えていた。裏帳簿の廃棄は、言ってみれば物資の不正運用、場合によっては横領にも繋がる行為の証拠を消すというモノ。知らずに違法行為の片棒を担がされていたと知れば、誰だって恐怖することだろう。彼女は続ける。

 

「私と蒼龍さんは、その9護群にいました。だからきっと、蒼龍さんも拒否できなかったんだと思うんです」

 

 確かに、所属していた部隊が二度連続で『書類の管理不徹底』で処分を受けたとなれば、蒼龍1佐のキャリアは絶望的なモノとなるだろう。とはいえそれは、風雲を巻き込む理由にはならない。所詮駆逐艦(わたしたち)は駒。そんな自虐が、脳裏に浮かんだ。幹部の私はまだしも、風雲を守るほどの気概はあの人にはないのだろう。

 

「よし、分かったわ。この陽炎さんに任せなさい」

 

 同じ才能のない者(くちくかん)として、駒にされることの悔しさは知っている。私が風雲の両肩に手を置けば、彼女は顔を上げる。

 

「1尉……」

「階級呼びなんてしなくていいわよ。副司令(そうりゆう)のことも普段は『蒼龍さん』呼びなんでしょ?」

「えっとそれは……もしかして言ってましたか、私」

 

 艦娘科においては、信頼関係を築いた上司と部下が階級を超えた仲になることは珍しい話ではない。たいしたことではないのに何か不味いことをしてしまったかのように慌てる風雲。その様が可愛いと思ってしまった私は、どうやら彼女のことが気に入ってしまったらしい。

 

「ええ、結構たくさんね。とにかく大事なのは、問題を全部片付けるコトよ」

 

 この問題は、そう簡単な話ではない。そんなことは百も承知。だけれどそれを片付けるのが、そもそも私がここに来た理由なのである。今夜は長丁場になりそうだ。風雲を椅子に座らせて、私はその向かいに座る。

 

「さて。直近の問題は武装蜂起を企てる『子供』の存在、そしてその『子供』に利用されるかもしれない余剰物資の存在ね。一応確認しておくけれど、その帳簿は風雲が勝手に持ち出したものであってるわよね?」

「はい、複写(コピー)ですが……然るべき処分は受ける覚悟です」

「いいわよそんなの。どうせ悪意に善意だけで勝つことは出来ないわ。それで裏帳簿はその複写以外は存在しない、ということであってるわよね?」

 

 私の問いに頷く風雲。

 

「となれば『子供』がその物資を武装蜂起に使うためには条件があるわ。正規の帳簿に存在する物資に手を付ければすぐに気付かれる。武器庫を真っ向から急襲する可能性を除外するなら、どこかに物資を隠しているはず」

 

 その上で裏帳簿を参照することは出来ない。この事実は意外と重要だ。一部ならともかく、その所在と管理番号までを網羅した管理表に触れられる人間はそこまで多くない。風雲だって、廃棄を命じられたから触ることが出来たクチだろう。そうなれば『子供』は基地内に複数存在する倉庫から()()()()()()()()()を選ばなければならない。

 その難しさは、この広大なポートモレスビー基地では説明するまでもないだろう。

 となれば、何処かに物資を隠すような場所があるはずだ。

 

「てっとり早いのは、基地にいる人間の動向を全て追うことだけれど……」

 

 もちろん、それは現実的な話ではない。果たしてこの基地に何人の人間がいるというのだろう。仮に艦娘だけの監視に限ったとしてもこの基地には百人近くの艦娘がいる。情報漏洩のリスクを考えれば監視カメラなどを管理する別部署の力を借りることは出来ない。

 早くも手詰まりになりつつある私に、風雲は口を開く。

 

「一つ方法があります……私、空母艦娘になる訓練をしているんです」

「なるほど。霊力通信か」

 

 深海棲艦に人類が苦戦する理由の一つに、奴らの行う特殊な電波妨害というものがある。酷いときには衛星経由の通信すらも出来なくなるほどの電波妨害(ジヤミング)が、各種誘導弾や遠隔操作の無人機(ドローン)を無効化してしまうのだ。

 そこで登場したのが霊力通信。それを用いるのが私たち特務神祇官たる国防軍人(かんむす)。特に空母艦娘においては、その霊力通信は重宝される。

 

「まだたくさんの艦載機を同時に操るほどではありませんが、基地の中くらいでしたら監視カメラの映像を送受信することくらいは出来ます。こんな風に……」

 

 そう言いながら、デジタルカメラを取り出す風雲。そのレンズが私の方を向くのと同時に、もう片方の手に握られた携帯端末の画面に私の顔が映る。

 

「……なんというか、犯罪者さんなら喉から手が出るほど欲しがりそうな能力ね」

「逆探知だって可能ですよ。だから、蒼龍さんに許可を取らないと」

 

 とにかく、捜査の第一段階はこれで進みそうである。私はほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 ――――だと言うのに、これである。

 

 

 

「え、監視カメラを乗っ取らせて欲しい? それは許可できないわ」

 



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第90話 過ぎたるは優しき毒

「え、監視カメラを乗っ取らせて欲しい? それは許可できないわ」

 

 蒼龍1佐のその言葉に、私は噛みつくように執務机に手を置いた。

 

「何故ですか。蒼龍1佐……ことは急を要するんですよ? まさかとは思いますけれど、私たちに超古典的な尾行なんて行為をやらせるおつもりではないでしょうね?」

 

 まさかここで許可が下りないとは思ってもみなかった。便宜を図ってくれるとは何だったのか。確かに私と風雲がこれからやろうとしていることはカメラのハッキング、そしてそれを用いた盗撮に等しい行為だ。とはいえこれは必要なことである。やはりこの御仁は私の調査を妨害しようとしているのではないだろうか。湧き上がる怒りを抑えつつ、私はなるべく単調に言葉を並べる。

 

「お言葉ですが、蒼龍1佐はここまで『読んで』いましたよね? カメラのハッキングが必要になること、空母艦娘になるための訓練をしている風雲にその技量があること。そしてそれを知った上で、彼女に裏帳簿の廃棄をさせた。違いますか?」

 

 もちろん、半分以上はハッタリである。もしも全てを理解した上でやったのであれば蒼龍一佐は幸運の空母か何かである。しかしこう言っておけば、少なくともおだてることにはなるだろう。それを期待しての私の発言は「知らないわね」の一言で打ち破られる。

 

「まあ、仮にこの私がそこまでの千里眼を持っていたとしてもね……実は状況が変わったのよ」

「状況が変わった?」

 

 私の言葉に、何枚かのコピー用紙を取り出す蒼龍一佐。それはノイズまみれになった衛星写真であったり、もしくは無人警戒機(ドローン)の飛行経路図であったり……とにかくあらゆる情報が、大量の深海棲艦の出現兆候を示していた。

 

「これが今朝の分遣隊司令部レベルの回覧で回ってきたの。群司令部は警戒を厳とせよとしか言っていないけれど、近日中に大規模作戦の発令が宣言されるのは間違いないでしょうね」

 

 大規模作戦。それは分遣隊規模、もしくは護衛隊群規模だけでは対応出来ない規模の深海棲艦が出現したときに発令される作戦のこと。ある特定の海域に深海棲艦が集結したときに発令されるのが一般的だ。

 

「ここポートモレスビー基地は各地の分遣隊を支える中核基地でもあるわ。ソロモン海域での大規模作戦になれば、確実にここが後方拠点になる」

 

 それはつまり、周囲の分遣隊が次々に部隊を送ってくることを意味している。ここには数百人の艦娘が溢れることになり、そうなれば私と風雲だけで監視することは不可能だ。

 

「なら、尚更急いで調べないと……!」

 

 そのことに気付いたのだろう。私の後ろに控えていた風雲が声を上げる。それを知って蒼龍1佐は首を横に振ってみせる。

 

「無理よ。恐らく私たちはとうの昔に後手に回っていたの。9護群の解体で国防海軍は大規模な再編を強いられた、それに加えて裏帳簿は破棄……恐らくウチの分遣隊だけじゃないわよ。国防本省が資材管理の徹底を名目に監査を入れ始めているから、同じように裏帳簿を廃棄している部隊はごまんと居るはず」

 

 要するに、私たちは誰が何処に居て、どこにどれだけの武器弾薬があるのかも分かっていない状況なのよ。蒼龍1佐がため息交じりにそう言う。

 

「つまり、今の第7護衛隊群は武器人員共に闇市場(ブラツクマーケツト)状態だ……と」

 

 笑えない。全くもって笑えない状況だ。ということは何処から武器が湧いてもおかしくなく、どの部隊が突然反旗を翻してもおかしくないということ。第9護衛隊群の解体は()()()には資材管理の不徹底だとされている。となれば国防省が各部隊に管理の徹底を図るべく監査を入れるのは当然のことで、残念ながら、各分遣隊が不正隠しに走るのも当然の流れ。そんな風に現場が混乱していたから、深海棲艦を十分に倒すことが出来ずにソロモン海域への集結を許してしまったのだろう。そう誰もが当たり前のように動くうちに自体は最悪の状況へと進んで行っていたのだ。

 目眩がしそうだ。これでは第7護衛隊群の全域で武装蜂起が起きても文句が言えない。もう自室に戻って二、三日寝込んでやろうか。そんな現実逃避すらしたくなってきた時に、叫んだのは風雲。

 

「ちょっと待って下さい!」

 

 それは悲痛な声で、どこか怒りに満ちたような声。迸る感情を抑えられないといった様子で、彼女は言葉を放つ。

 

「じゃあ、グアムの時から全部仕組まれていたって事ですか? じゃあなんですか、あの時の飛龍さんは本当に……!」

 

 飛龍? 突然出てきた名前に、私は首を傾げる。一方で血相を変えたのは蒼龍1佐だ。

 

「風雲ちゃん、滅多なこと言わないで。そんな筈ないでしょ」

「でも! そうじゃないですか、あの奇襲攻撃があったから! 飛龍さんが現れたから第9護衛隊群は解体された! そうなんでしょう?」

 

 大きな音が鳴る。机を叩いた音だと気付く頃には、蒼龍一佐は立ち上がっていた。

 

飛龍(アイツ)はそんなことしないわ。それは風雲ちゃんが一番よく分かっているはずよ」

「でも、飛龍さんは……」

 

 そこまで言って、続く言葉が出てこなかったのだろう。顔を真っ赤にして、拳を握り締め、それから失礼しますと乱暴に言い放って出て行く。残されたのは私と蒼龍1佐。

 

「……どういうことですか、これは」

 

 そう問えば、大きく息を吐く蒼龍1佐。私は今日まで、飛龍などという名前は聞いたこともない。説明して貰えますよねと詰め寄れば、彼女はため息。

 

「箝口令が敷かれていることだけれど……今更か。陽炎ちゃん、私がここに来る前に9護群で群付艦娘隊の隊長をやっていたことは知っているわよね?」

「ええ、存じております。裏帳簿の件で解体された部隊ですよね」

「まあね、でも。それが名目に過ぎないことぐらいは知ってるでしょ?」

 

 それはまあ、なんとなく誰もが勘づいていることだろう。9護群は、北マリアナ諸島の防衛を担当していた。そしてグアムと北マリアナ諸島は米国領土。故にグアムへの奇襲攻撃は大問題だった。北マリアナ諸島は鉄壁の防御が築かれていなければならない場所であり、いまや立場が逆転しつつある日米同盟の最後の結節点である。そんな場所が奇襲を受ける……それだけで政治問題だ。蒼龍1佐は苦虫を噛みしめるような顔で続ける。

 

「そこにね、私の同期の飛龍が現れたの。もう随分昔に作戦中行方不明(MIA)となった飛龍が」

 

 その言葉に、私は少なからず困惑する。

 

「そ。おかしな話でしょ? つまり()()が現れたのよ。それに加えて、彼女は迎撃に参加した風雲ちゃんに砲を向けた。風雲ちゃんは全治二週間の怪我、これだけでも大問題よ」

 

 話の流れについて行けないのは、決して私の読解力がないからではないのだろう。少なくともMIA認定された、沈んだとされている艦娘が戻ってくるなど、あり得ない話だ。

 

「もちろん、群司令は処分の方向で話を進めたわ。仮に風雲ちゃんを撃ってなかったとしても、数年に及ぶ敵前逃亡ということにすれば軍事裁判は免れない……つまり、奇襲攻撃の実行犯に仕立て上げるにはもってこいだったわけ」

 

 しかし、奇襲攻撃は9護群の不手際ということになっている。事実それが発端となって資材の管理不徹底が発覚し、司令は更迭、9護群自体も解体となっている。

 

「取り調べが進んでいる最中にね、逃げたのよ。飛龍(アイツ)

 

 話の流れが見えないが、とにかくMIAになった(しずんだはず)の飛龍という艦娘が現れて、それが奇襲攻撃の実行犯と目された。そしてその取り調べの最中に、彼女は逃走した。

 なるほど、箝口令が敷かれる理由も分かる。要するに全てが国防軍の不手際なのだ。飛龍が実行犯であろうとなかろうと、容疑者に逃げられた事実は揺るがない。

 

「で、ここからが面倒なんだけど、風雲ちゃんは飛龍(アイツ)に懐いてたのよ」

 

 蒼龍1佐の話によれば、飛龍は風雲の故郷に配属されていたのだという。そして彼女がMIAになったのは、その故郷を守るための戦い。そんな強烈な経験が風雲という少女を艦娘に志願させたというのだ。

 

「なるほど、それで彼女は空母艦娘を志願したと」

「そういうこと。ちなみに風雲ちゃんに電子機器を使った訓練を教えたのは私よ。だからまあ、さっき言った陽炎ちゃんの『ハッタリ』は半分以上正解なんだけれど……ここまでピースが上手く嵌まっちゃうとね」

 

 つまり、風雲が否定したかったのはその飛龍が『子供』であるという可能性。彼女が破壊工作に加担しているという可能性だ。とはいえその飛龍は蒼龍一佐の同期、ということは国防大学校の艦娘専科コース第一期だ。あの頃はまだ深海棲艦との戦争は始まったばかりで、国防軍も世界中に軍隊を派遣できている訳ではなかった。そんな黎明期から『子供』という制度が存在するとは思えない。

 

「でもその頃から、新自由連合盟約(ニユーコンパクト)の話は存在したわよ」

「……第8護衛隊群ですか」

 

 第8護衛隊群、8護群は、国防軍にとっての伝説的存在だ。アメリカに半ば強制的に結ばされたとも言えるその条約によって日本を中部太平洋の防衛に駆り出された。そのための海外派兵部隊が8護群。今では7護群がカバーする地域の半分近くをカバーしていたあの部隊は『軍艦(フネ)ナシ護衛隊群』という不名誉な二つ名が付くほどに損耗率が高かった部隊である。確かに人員不足を理由に『子供』の()()が行われていた可能性は否定出来ない。

 

 考え込む私。一人の艦娘科将校としてなら、あの部隊は栄光の部隊だ。解体直前には殆ど艦娘だけによって構成されていたという8護群は、生身の艦娘だけでこれだけ戦ったんだぞという艦娘達にとっての英雄譚なのである。

 

 一方、私という個人にとって、それは因縁の部隊。私がかつて住んでいたのはミクロネシア連邦のチューク州。父の仕事で移り住んだ私にとって、子供時代の記憶が詰まっている場所。本が好き放題に読めたあの家を守っていたのは紛れもない8護群で、彼らが負けたことで、私は帰るべき家を永遠に喪ってしまった。

 

 いや、この際私の話はどうでも良い。ついでに言えば、8護群の話もどうでもいい。

 

「まあ、だいたい状況は分かりましたよ。それで……どうするんですかこれから」

 

 そう、別に飛龍が『子供』であろうと関係ないのだ。既に事は動き始めてしまった、となれば『子供』を探すという予防的な処置にはさほど意味が無い。今から『子供』を突き止めたとしても武装蜂起自体を止めることは出来ないかもしれないのだ。『子供』というのは噂を流して人々を動かす扇動者(アジテーター)に過ぎなくて、実際に武装蜂起が起きるとなればもっと大勢の人間が動く。それに関わる人間の特定と摘発は、私たちだけでは到底不可能だ。

 

「こうなったら、水際防衛よ。武装蜂起派の動きを食い止めるしかない」

 

 となると、やるべき事は一つだけ。武装蜂起派の連絡手段を遮断することだ。そうすれば武装蜂起は眼を失い、頭脳と連絡の取れなくなった手足は空中分解するしかない。

 

「私は本省に掛け合って部隊間通信の監視体制強化を進言するわ。陽炎ちゃんは部隊内通信を。大規模作戦が始めればここは今以上の大所帯になる。ことを起こすならここしかない筈。絶対に食い止めるわよ」

 蒼龍1佐はそう言いながら立ち上がる。私は敬礼。

 

「了解です」

 

 ここまで状況が悪くなるとは思っても見なかったが、こうなったら、やるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大規模作戦の話が上層部で留められているためか、ポートモレスビー基地は今日も平和そのものだ。一方で私に残された時間は少ない。手段も限られ、人手はもっと足りない。

 となると私がやるべき事は、まず何処かに行ってしまった風雲を探すことだった。もちろんこの広大なポートモレスビー基地だ。彼女が携帯に返事を寄越さない時点で諦めたくもなる。しかし幸いなことに、私には頼もしい味方が居た。

 

「多分ですけれど、ここにいると……あ、いたいた」

 

 放置された脇道。その先に風雲の背中を見つけて、秋雲はほらねと得意顔。人の居場所を探すなら、知人の伝手を頼るのが一番。私の作戦は見事にハマったようだった。

 

「ありがとね。それじゃあ秋雲、申し訳ないけれど例の件、頼んだわよ?」

 

 その言葉に、得意顔から打って変わって影を宿す秋雲。もちろん彼女とて拒否権がないことは分かっているのだろう。小さく頷くと、元来た道を引き返していく。残された私は、その背中へと声を掛けた。

 

「探したわよ、風雲」

「……秋雲を頼ったのなら、一発だったと思いますけれど」

 

 そういう話じゃないのだけれど、なんて野暮なことは言わない。私が何も言わずに風雲の隣に座ると、そこには海が広がっていた。彼女がぽつぽつと話し始める。

 

「飛龍さんは、私のことを助けてくれたんです」

 

 それは、グアムの奇襲攻撃での話なのだろう。風雲の話は単純で、奇襲攻撃に対応するために出撃した彼女は、戦術的なミスがあったのか敵に包囲された。

 そこで彼女のことを救ったのが、飛龍なのだと言う。

 

「それなのに、皆は飛龍さんのことを、まるで深海棲艦の手先かのように言うんです。もちろん私は飛龍さんがそんなことするなんて思っていませんけれど……」

 

 それはそうだろう。飛龍が風雲にとっての恩師ならば、それを疑うだけで辛いモノだ。

 

「にしても、妙な点が多いわね。実行犯として疑われたから逃げたのはいいとして、そもそもなんで何年も生きてるのよ。生き残ったのなら原隊復帰すればいい訳だし」

「それは……」

 

 言葉を濁す風雲。それは彼女自身、何度も何度も考えたことなのだろう。仮に風雲が言うことが全部正しいとすれば、彼女の故郷を守って沈んだはずの飛龍が実は生きていて、グアムにひょっこり現れて風雲を救った後、グアムの実行犯として疑われたので姿を眩ました……これでは三文小説でよく出てくる悲劇の英雄である。

 

「……()()()を止められなかったって、言ってました」

「アイツ?」

 

 誰のことだろうか。風雲も答えは持ち合わせていないようで、そのまま話を続ける。

 

「なにか、なにか理由があるはずなんです。何も考えないで飛龍さんが自分の立場を悪くすることをするなんて考えられません……でも、考えれば考えるほど疑ってしまうんです。だって、悪いことが無ければ逃げる理由なんてないじゃないですか。あんな風に、私の目の前から逃げなくてもいいじゃないですか」

 

 風雲と飛龍の間に何があったのか。私はそこまでは知らない。今の私に分かることは、飛龍という艦娘が疑念の中にあること。そしてそのことで、風雲が苦しんでいるということだ。それだけ分かれば、私にも知ったかぶりは出来る。

 

「言いたい事は分かるわよ。誰だって、恩人が国家に仇なすなんて思いたくないもの」

 

 形だけの同情は、彼女に届いただろうか。風雲は真っ直ぐにどこかを見据える。その先に広がるのは珊瑚海。何を言えば通じるのだろうか。そう思った時に出てきたのは、幼い頃の私。私がこの世界に生まれ落ちてから、そんなことはいくらでもあったじゃないか。

 

「この世界は、嘘ばっかりよ」

 

 そう言えば、風雲は私に視線を向ける。私の話を想い出話を聞いてくれるかと問えば、彼女は無言で頷いた。

 

「私の父親はね、国防軍の高官だったの。第8護衛隊群のことは、知ってるわよね?」

 

 ミクロネシア連邦チューク州。トラック諸島と呼ばれた頃には、日本の真珠湾とも目されたほどの重要拠点。そしてそこは、新自由連合盟約(ニユーコンパクト)によって太平洋へと駆り出された国防軍にとっても重要な拠点だった。

 

「私の父親はまあ、一言で言えば厳しいヒトだったわ。家から出るなって五月蝿かったし、その理由も教えてくれなかった。だけれどそれは、私を守るためでもあったのよ」

 

 8護群は、何もかもが足りていなかった。護衛艦だけではない。艦娘はもちろん、島を守るために展開する陸空軍の戦力も足りなかった。ないない尽くしの南の島で、恨みを買うのは軍の高官、そしてその家族。

 

「あの人は、多分私のことを守ってくれた。それは嘘に塗れていたけれど、でも私はそれをヨシした。少なくともそれは、優しい隠し事だったから」

 

 父親は、私に何かを教えてくれたりはしなかった。どんな仕事をしているかも、なんで私の外出を制限したかも教えてはくれなかった。

 ただ。それには理由があって、私だけではその事実には気付けなかった。

 

「優しい、隠し事?」

 

 私の言葉を反芻しながら、海へと視線を戻す風雲。彼女は彼女なりに考えることがあるのだろう。少しの時を経て、彼女は口を開いた。

 

「……例えそれが、人の命に関わるものであったとしてもですか?」

 

 人の命。戦争は人の命を削る物。夕雲は戦争に必要なのは若い命だと言った。なるほど、戦争というのも嘘なのかもしれない。国防省や内務省はお国のためだと少女たちを駆り立てる。それでも人手が足りなければ、外務省が海外の国々と取引をして『子供』を連れてくる。その『子供』を日本人として教育して、そうして更に戦場へと駆り立てる。戦争に必要な物資は、帳簿を書き換えてでも用意する。

 巨大な嘘の繰り返し、そうして積み上げた嘘の頂点に、私たちは立っているのである。

 

「人の命に関わる嘘、ね……」

 

 その嘘に、人殺しは許されるか。

 

 

 ――――これじゃ私たちは人殺しよ!

 

 

 いつかの記憶が蘇る。そう叫んだあの人。あの悲痛な叫びに、果たして父は何と返したのだろうか。その言葉(ウソ)を、私は知らない。だから私は、風雲の問いに答えられなかった。

 



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第91話 曝いた虚構と動く真

 幹部国防軍人は、どんな時であろうと軍組織の運営に必要な存在だ。

 

 「あの戦争」でも戦線の拡大によって大量の幹部が必要とされたが、それでも大軍拡を見越した幹部育成を行なっていたことにより乗り切れたのだという。

 そういう意味では、今の国防軍は危機的状況だ。国防大学校の急拡張、幹部艦娘育成のための専科コースを設けた今でも、幹部の不足は致命的。

 それが原因で、私はあらゆる仕事をやらされることになる。

 

「珈琲をお持ちしました。飲みますか?」

 

 その言葉と共に、視界に入ってくるマグカップ。入渠センターの歓談室は広々としたデザインで仕事をするにはちょうど良い場所だ。風雲はもう寮舎の方に戻っているので、差し入れを持ってくれるのは不知火と相場が決まっていた。

 

「頂くわ。砂糖とミルクは……」

「もう入れてありますよ」

 

 流石不知火。風雲も真面目な所はいいが、気遣いは不知火の方が百倍である。

 

「いま、他の方のことを考えませんでしたか?」

「んん? まさか。不知火の珈琲は美味しいなーって思ってただけよ」

「ならいいのですが」

 

 目が利きすぎるのも困ったものだ。ともかくマグカップを口に付けて傾ければ、珈琲の苦味にそれを打ち消す砂糖の香り、それらの調和を見守るミルクのまろやかさが広がる。

 

「……そんな甘いもの、よく飲めますね」

「珈琲は砂糖三杯にミルク五杯と相場が決まってるのよ」

 

 珈琲のカフェインで眠気を吹き飛ばし、しかも砂糖で脳味噌への栄養補給も出来る。カルシウムはとかく戦場では不足しがちなことを考えれば、不知火特製事務夜戦(しよるいしごと)用珈琲はまさに戦う国防軍人の求める完全栄養食と呼ぶことも出来るだろう。

 

「こんな夜更けまでお疲れ様です。それで、どうですか調子は?」

 

 蒼龍1佐の予想通りと言うべきか、国防省はソロモン諸島周辺にて活動を活発化させつつある深海棲艦へ対抗策を講じることに決めたらしい。ポートモレスビー基地に対しては他部隊の受け入れ準備をするようにとの命令が下った。

 第7護衛隊群が尖兵となるなら、参加兵力は数十の哨戒(むじん)護衛艦、ヘリ搭載型護衛艦(DDH)を含む護衛隊(かんたい)となるとのこと。もちろんそれに伴って艦娘部隊も多数展開する訳だから、あと数日もすればこの入渠センターも人で溢れかえることになるのだろう。

 となれば、私がこの歓談室をオフィス代わりに使えるのもあと数日と言うこと。

 

「まあ、いい調子とは言えないわね」

 

 そう言いながら書類を放れば、不知火はそれを覗き込む。

 

「基地内新聞ですか、陽炎が読むなんて珍しいですね」

「悪い? 私は主戦派も反戦派も、主要紙には全部目を通す派なの」

 

 もちろん嘘だ。最近は電子新聞すらも億劫で読んでいない。情報の更新はしなければとは常に思っているのだけれど……いや、そんなことはいい。大事なのは目の前の基地内新聞。それは一部の庁舎や食堂に張り出される新聞で、疫病対策やちょっとした過失事件(インシデント)など、とにかく基地内で共有するのが望ましいとされる記事(トピツクス)が掲載されている。

 

「『迷い込んだ海鳥、工廠のマスコットに』……なんだか平和そうな記事ですね」

「そうね」

 

 実際記事のネタがないのだろう。A4サイズの掲示型新聞には、無難な感じのする日常記事、ちょっとした事件を誇大に扱った庶務課の宣伝文。そして「編集者からの挑戦!」なんて気取った調子で書かれたクロスワードパズルが載せられている。どこのクイズ冊子から取ってきたのだろうかと見てみれば、どうやら自作らしい。

 

「見てよこのクロスワード、この辺の地理に詳しくないと解けないわよ」

「まあ基地内に掲示するものですから。それで問題ないのかと」

 

 確かに、基地内新聞は外に持ち出されることのないもの。言うなればこれは一種の内部文書だ。内部文書は基本的に外向けのそれよりも管理体制が甘い。この新聞だって、恐らくは庶務のほうで軽いチェックをするだけで掲示されるモノなのだろう。

 だからこそ、隙がある。『子供』が仮に警戒心の強い存在だとしても、()()と連絡を取り合うにはなんらかの手段が必要だ。同志が数人、十数人というレベルなら口頭連絡だけでも済むだろうが、武装蜂起というレベルになると多彩な職種、多彩な人員に連絡をする手段が必要になる。となればまず利用されていると睨むべきは、このような誰でも見る、故に誰も気に掛けることのない掲示物なのだ。

 それは暗号のようなもの。伝えられる情報は少なくとも、会合の開催場所や時間を伝えるには十分と言うモノだろう。何かヒントはないかと、私の視線は問題文を捉えていた。

 

「ふぅむ……問一は簡単ね、基地司令の名前だもの……ん、文字が足りないわね?」

 

 おかしい。初めから難問が飛び出してきた。ここの基地司令は結婚か離婚で苗字が変わったりでもしたのだろうか。首を傾げていると、横から不知火が口を挟んでくる。

 

「これ、多分基地司令の渾名かなにかではないですかね?」

「あぁなるほど、渾名……よくそんなの許されるわね?」

「まあ、世の中には呼び捨てにされても怒らない上官もいるくらいですし」

「……それ、私に威厳がないって言いたいのかしら?」

 

 別にそれでも構わないのだけれど、馬鹿にされっぱなしもどうかという話。私がそう言えば、左の肩がどっしり重くなる。そして耳元に直に届く不知火の声。

 

「信頼している、ということです」

「んーなるほどね? じゃあ一旦飛ばして次は問二……」

 

 不知火の体温を感じながらやるパズルも中々乙なモノだ。クロスワードは単純で、それでいて奥が深い。どんな難問に見えても、周囲の言葉を埋めることでヒントを増やせば途端に難易度が下がるのだから面白いものだ。それは一種の暗号のようなもの。

 

「そういえば、クロスワードで暗号解読を行ったなんて話もあったわね」

「あれは暗号解読を行える能力を持った人材をパズルで集めたって話ですよ」

「そんな都合のいい話あるのかしら」

「クイズはIQに合わせて難易度調整が容易だ、とは聞いたことがあります」

 

 そんな、何処にでも転がっていそうな会話。それを転がす私は、隣の不知火すらも疑うことが求められる仕事をしている。手掛かりを掴めないうちに時間ばかりが過ぎていく。

 

「ねえ不知火。この前の命令の話なんだけれど」

 

 そう言えば、不知火は顔を急に赤らめる。

 

「あ、いえ……ツインテールの写真は、もう少し待って頂けませんか?」

「あんたが言わなきゃ忘れてたわよ。そっちじゃなくて、国防の命令に従えるかって話」

「そちらでしたか」

 

 そんな茶番はいいのだ。私は頭を抱えながら、個人的な相談を口にする。

 

「仮にその命令が、誰かの命を見捨てる命令だったら。どうする?」

 

 それは、私が意図的に考えないようにしていた問題だった。蓋をして封じ込んで、戦争なのだから仕方ないということにしていた。だから私は風雲の疑問に答えられなかった。

 

「それはつまり。戦いで負傷した誰かを見捨てる命令ってことですか?」

「まあ、そんなことをせずに済むなら、それに越したことはないんだけれどね」

 

 古今東西の武装蜂起(クーデター)において、無血で済んだという話は滅多に聞かないモノ。少なくとも今回は無血では済まない。ことが起これば国防軍は全力で鎮圧に当たるだろうし、武装蜂起派の準備が()()ならそちらも全力で応じる覚悟だろう。

 

「そうですね……陽炎の命令なら、いいですよ」

 

 そんなことを考えていたモノだから、不知火の返事に私は珈琲を吹き出してしまう。茶色のグラデーションが掛かった新聞を叩きながら、私は不知火をまじまじと見つめた。

 

「なによそれ、気持ち悪いわね」

「そ、そうでしょうか?」

「だってそんなの『月が綺麗ですね』に『私、死んでも良いわ』と返すようなモノよ?」

 

 おどける私に、どの口が言うんですかと返す不知火。ところがその眼に少なからずの不安が宿っているので、私はそれを打ち消すように明るく言う。

 

「なによ、別に大規模作戦だから怯えてるわけじゃないわよ。私たちがどれだけ死線をくぐってきたと思ってるの? 今回だって大丈夫よ」

「別にそういうわけでは……ですが、今回は不安定なところも多いですから」

 

 護衛隊群は再編中で、ブイン基地では治安の悪化が問題になっている。実質無人地帯のショートランドならそんな心配もしなくていいのだろうけれど、後方支援の基地となるポートモレスビー基地には『子供』が潜んでいる始末。確かに不安要素だらけだ。

 

「ま。私たちには出来ることをやるだけよ。駒は駒なりに頑張らないと」

「駒、ですか」

 

 不知火がそう言う。そこに「幹部のアナタは違うのでしょうね」と言いたげな匂いを感じて、私は言葉を付け足した。

 

「誰だって駒よ。代表取締役は株主の駒で、総理大臣は民衆の駒。誰もが誰かの駒で、そして誰かを駒として扱っている。そういうものじゃない」

「それで、陽炎は満足なんですか」

 

 そんなことを言うので、私は嗤ってみせる。

 

「まさか。なんのために私が幼年学校に国防大学校に入ったと思ってるの? 私が幕僚長になった暁には、あんたを先任下士官にしてやるから覚悟してなさい?」

「はい、覚悟しておきます。ところで陽炎……」

 

 不知火が言いかけた言葉は、最後まで私の耳に届くことはなかった。何故なら彼女が、途中で言葉を区切ったから。次に続くのは、警戒心に満ちた台詞。

 

「誰ですか。もうすぐ消灯時間のはずですよ」

 

 その台詞の矛先、不知火の死線の先に現れた影を見て、私は手で制する。

 

「あーいいのいいの、私が呼んだのよ。ごめんね秋雲、ウチの番犬がおっかなくて」

 

 それは秋雲。今日の昼に私を風雲の所に案内してくれた、風雲の同僚。

 

「いえいえ。こちらこそこんなに遅くなってすみません」

「いいのよ。それで、例のヤツは見つかった?」

 

 その言葉に、躊躇いがちに視線を逸らす秋雲。それは彼女にとっては認めがたい現実なのだろう。しかしその両腕で抱えられた茶封筒は本物だ。

 

「不知火。悪いんだけれど外して貰える?」

 

 番犬がイヤですと言うはずはない。退出する不知火を見つつ、封筒を差し出す秋雲。

 

「陽炎さんがお探しのモノは、これですよね?」

 

 それを受け取った私は、唇を噛みしめた。それから私は新聞を差し出して、口を開く。

 

「ええ。最後に確認、この新聞には、定期的に漫画が掲載されるのよね?」

「はい。間違いありません、でも……」

 

 その先の言葉を私は目線だけで封じる。これは単純な確認に過ぎない。私は不知火に外すように伝えると、秋雲が否定したいであろう事実を告げる。

 

「残念だけれど、風雲の正体は『子供』……武装蜂起の主犯格よ」

 

 

 

 




 

 

 

 

『そうか、今日も朝練があるのか』

 

 普段から良い子のフリをしていたお陰だろう。クラブ活動の朝練習があると言った私に、父は簡単に騙されてくれた。嘘は、誰かにバレてはいけない。父が学校に問い合わせる可能性も考えて朝練は週一、クラブ活動のある日だけに限定する。暫くは学校に行って先生に朝から勉強している様子を見せる。きっと無警戒だったのだろう。私が過剰に気を払って施した様々な工作は、自分が思う以上に効果てきめんだったようだ。

 じゃあいってきますと告げて家を飛び出す。今日は決行日だから学校へは行かない。家の近くに居てもバレてしまうので、通学路に沿うように見せかけて町をぐるりと回っていく。最終目標は桟橋だ。父が家を出る時間と、乗り込むであろう連絡船の出航時刻はもう頭に入れてある。そこまで時間を潰せば良いのだ。

 

『あれ? こんなところで何してるの?』

 

 しかし世の中そう上手くはいかないもの。目の前に現れたのは見知った女の人で、逃げようにも姿は見られてしまったし、学校に行く途中だと言い訳するには場所が悪すぎた。

 

『もしかしてサボり? 意外と悪い子なのねぇ?』

 

 そう言った女の人は、言葉の割には楽しそうな顔をしていたのだと思う。そうでなければその後にはちゃんと学校に行きなさいとか、お父さんに迷惑掛けちゃダメよなんていう言葉が続くはずで。ところが女の人は私を船着き場まで私を連行してしまったのだ。

 

『本当はね、この連絡船には軍関連のヒト以外乗っちゃダメなんだよ?』

 

 私の企みを全部分かった風でいう女の人を、私はとても警戒していた。だって女の人は、父と一緒に何かを隠しているのだ。それがとんでもないことなのは間違いない。

 その時の私の頭の中には、小さな妄想が広がっていた。二人は人殺しで、それを隠している。まさか私も『しょうこいんめつ』のために殺されてしまうのだろうか、と。

 実のところ、それはとんでもない勘違いであった。まだ小学校という狭い空間(せかい)しか知らない子供だった私にとって、考えとは時に飛躍するものである。全てを察したのであろう女の人は私のことを散々笑った後、そうではないのだと説明してくれた。 

 

『ごめんね。じゃあ怖い思いをさせちゃったよね。私たちがどんなウソを吐いているのか怖くて、それで勇気を出して調べようと思ったんだよね。あなたは偉い子だね』

 

 そう頭を撫でてくれた女の人の手は、とても温かった。

 そして女の人は、自分たちが隠し事をしているのは本当だと、認めてくれた。父は大切な仕事をしていて、それがこの連絡船の着いた先にあるのだと言う。その人は私に「見学」と書かれた首掛けの名札をくれた。これで怪しまれることはないと、そうイタズラっぽく笑った女の人は、一般人立ち入り禁止だというこの島の関係者。

 その島がどんな場所なのか、正直私は分かっていなかった。ただ、ここに父がいることは知っていて、それでもしも、父が目の前に現れたら怒られることは間違いないわけで。私はその人の後ろに隠れるように歩いていた。そうして着いた先で、女の人は言った。

 

『ここはね、私のとっておきの場所なの』

 

 その場所は、なるほど絶景だったのだと思う。思うというのは、もうその場所が何処だったのかも思い出すことが叶わないから。風が気持ちよかったこと、太陽が暖かかったこと。そして海の向こうに、鳥と戯れる人達が居たことはよく覚えている。

 女の人が不思議なことを言ったのは、そんな時だった。

 

『ねえ。私たちってさ、親子にみえるのかな?』

 

 その時の私は、確か分からないと答えた筈だ。だって、私は母親のことを知らない。知らないのだから、分かるはずがない。ただ覚えているのは、女の人に話しかけていた人達はしきりに、私が女の人の娘であるかのように扱っていたことだけ。

 

『ごめん、やっぱ今の忘れて』

 

 でも、私はあの時のことを忘れないだろう。なにせあの時を境に私と女の人の関係は変わった。あの太陽の差し込む陸で、女の人は小さな隠し事を教えてくれたのだ。

 

『私ね、艦娘なの』

 

 果たして私は理解できていたのだろうか。その言葉が意味することを、母が言葉の外にまで込めてくれた意味を。理解できてなど居なかっただろう。理解できるはずもなかっただろう。それでも、あの夜の言い争い。それは確かに結びついてしまったのだ。

 

『そっか……じゃあ人殺しって、そういう意味だったんだ』

 

 その時、私は父と女の人が自分の仕事を隠していた理由を知った。

 そしてその理由を知ったことで、私は艦娘にならなくちゃと決意を固めたのだ。

 



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第92話 誰も彼もが嘘吐きで

 人口僅かに十数万人。そこに横たわるのは辛うじての体裁を整えた官庁街の他には打ち捨てられた残骸のみ。それがこの最前線の国の首都、ポートモレスビーである。

 

 深海棲艦との戦いが始まる前は五十万人近くの命を抱えていたこの街は、今ではすっかり荒廃した地方都市へと転がり落ちていた。そんな落ちぶれてしまった首都の対岸、ナパナパ半島には整然と立ち並ぶ輝く光がある。それが日本国の租借地。ポートモレスビー基地である。

 

 そこには日本国防海軍の誇る7護群。そのポートモレスビー分遣隊が駐屯している。

 そんな分遣隊司令部で、私と蒼龍1佐は向かい合っていた。それは数日前と同じで、それでも数日前とは違う匂いの緊張が張り詰めている。

 

「悪いけれど手短にお願いね。今日は港務隊と打ち合わせがあるから」

 

 そう言いながら私と関係のない書類に目を通す蒼龍1佐は、普段と変わらない様子。まあ当然だろう、私の仮説が本物なら、彼女はそういう態度を取るはずだ。

 

武装蜂起(クーデター)の主犯が分かったんですよ」

「ホントに? もしそうならお手柄じゃない。で、誰だったの?」

 

 早く教えてくれと言わんばかりの調子の蒼龍1佐。私は両手を立てると、そう結論を急がないでくださいと言いながらゆっくり言葉を組み立てる。

 

「主犯がいること自体、あなたにとっては問題でしょうに」

 

 私がそう言えば、彼女はキョトンと、そう形容するに相応しい顔を作ってみせる。

 

「あなたは言ってたじゃないですか、蒼龍1佐。『武装蜂起(クーデター)なんて起こす理由が分からない』『武力で従う人間なんていない』と……それでもあなたは私の尊敬する国防軍人です。それなら、武装蜂起の可能性を聞かされた時点で真面目に取り組まない筈がない」

 

 軍組織とは、可能性に対抗する組織でなければならない。まさか日本に手出しして来る国はないだろう。そんな思い込みが初期の深海棲艦との戦いで旧自衛隊の足を引っ張ったように、希望的な観測で物事を運ぶのは最も忌むべき悪手だ。

 

「尊敬する国防軍人だなんて、随分高く買ってくれてるのね。じゃあ居ないと決めつけて形だけの調査しかしない私に失望しちゃった?」

「まさか。蒼龍1佐は決めつけていた訳じゃないでしょう?」

 

 私は無言で数枚の紙を差し出す。蒼龍1佐にとって調査などする必要もなかったのだ。

 

「これは複写(コピー)ですけれど。存じてますよね、これのこと」

 

 知らないわよ。そんな言葉が返ってくることは予想の範疇。私は続ける。

 

「読めばタダの娯楽漫画です。ですが節々に国防軍を揶揄する内容が踊っている。明治時代の滑稽新聞ってほどじゃないですけれど、これは相当皮肉が利いてると思いません?」

 

 それは、異世界の架空戦記という体裁を取った告発文であった。国防軍は官品を横領している。国防軍の管理体制が貧弱である。ODAを利用して各国経済に入り込もうとしている。断言こそしていないが、国防軍が戦争を意図的に長期化させているという趣旨の主張も見受けられる。ぱらぱらと漫画を眺めた蒼龍1佐は、やがて口を開くと言う。

 

「確かにそうね。まあいいんじゃない? 言論の自由は認められているし、別に国防軍の機密を大公開って訳でもない。滑稽と皮肉は……まあ、不満のはけ口は必要だものね」

「ええそうです。平時ならそうでしょう。ですが蒼龍1佐、なぜあなたはこんな漫画を描いている()()を私に付けたんです? 私の任務は武装蜂起の阻止です。もっと国に忠誠を誓えるような人間は、いくらでも居たはずです」

 

 それは、風雲が描いた漫画だった。いや思えば、おかしな話だったのだ。風雲は裏帳簿の存在を知っていた。裏帳簿は幹部の間でも噂レベルの存在、裏帳簿がなければ最前線が成り立たないという確信があるからこそ受け入れられる存在であって、特段の幹部教育を受けていない風雲が簡単に裏帳簿だと気付けるはずはない。

 

「わざと、知らせたんですよね。それであたかも隠蔽するような素振りを見せた。あの帳簿の処分を、敢えて風雲にやらせることでそう誘導した」

「ふうん。それでどうなるの?」

「あなたは正義感の強い風雲がそれを見逃さないことを分かっていた。それを告発したがるであろう事を分かっていた。ロックがかかっていたので確認は出来ませんでしたが、彼女の端末には正規の告発文章もあるんじゃないですか?」

 

 なにせ、その一枚目には、ただ『告発』という二文字が躍っているのである。少なくとも漫画のタイトルとしては不適切。蒼龍一佐は頭を掻きながら言う。

 

「うーん、陽炎ちゃん。流石にこれは思い込みって言われても仕方ないわよ? 確認できてないってことは、告発文書があるっていうのは予想よね? この()()()だけで告発だってことにするのは無理があるし……」

「ええ。実際、私がこの複写を手に入れられたのは奇跡みたいなものです」

 

 風雲は、紙の原稿に漫画を描いていた。もしも秋雲のようにデジタルで描いていたのなら、この漫画はロックに守られた端末の中にしまい込まれていて、こんな風に簡単に原稿が見つかることはなかっただろう。

 

「なにせ蒼龍1佐にとって、この文章は事後の強制捜査で見つかるものですものね」

 

 それは単純な推量。見つからない告発文をわざわざ用意させたのだ。それなら仕掛け人は、見つからない場所にある文書を世に解き放つためには、警察権力による強制捜査が必要だ。そのためには、事件は発覚しなければならない。

 

「気付かせたかったんですよね。私に風雲を疑わせるように仕向けた。思えば露骨でしたよ。あなたは風雲が『子供』であっても問題ないと言った。それだけで私は風雲のことを疑うでしょうし、彼女から目を離さないようにすることでしょう」

 

 それを始め、私は蒼龍1佐が『子供』が引き起こすであろう問題を重視していないからだと考えていた。

 

「でもそれならば、こんな物騒なモノは用意しなくても良かったはずです」

 

 やはりと言うべきか、私が袋から問題のブツを取り出してみても蒼龍1佐は驚きもしない。発射発煙筒に対舟艇誘導弾……明らかに、海軍の軍艦(フネ)を相手に想定しているとしか思えない装備の数々。

 

「よく見つけたわね。こんなにたくさん」

「大して骨が折れる作業でもありませんでした。人目につきにくく、簡単に取り出せそうな場所……殊更、()()()()が分かっているのなら話は早いです」

 

 数日一緒にいれば分かる。風雲は決して交友関係が広いわけではない。趣味が絵や漫画といった内向的なものであることも影響しているのだろう。出歩く場所も限られていて、となれば彼女を犯人に()()()()()()手段も限られる。風雲を実行犯とするなら、武器を隠すのに使える材料はあの画材屋に揃っていなければならない。そうすることで風雲を容疑者に出来るからだ。画材屋の道具を使うなら、偽装に適した場所は限られてくる。

 とその時、机に備え付けられた電話機が音を立てた。

 

「はい、分遣隊副司令……ええ、分かってるわ。すぐに行く」

 

 受話器を戻すと、蒼龍1佐はそそくさと荷物を纏め始めた。時間切れと言いたいのだろう。仕方がないので私は切り出す。

 

「蒼龍1佐。あなたは大規模作戦中に武装蜂起という国防上重大な問題が起きることを望んでいた。違いますか」

「とんでもないことを言わないで頂戴。あ、その()()()はちゃんと持ってきてね、執務室(ここ)にあったら私がテロリスト扱いされちゃうから」

 

 私の台詞を聞く様子もなく扉を開ける蒼龍1佐。ここに1尉である私が続いて言葉を交わしたとしても、周囲には二人の幹部が徒歩会議としているようにしか見えないだろう。

 

「要するに蒼龍1佐、あなたは風雲を『子供』に仕立て上げようとしたんでしょう? そうすることで国防軍の不正を一挙に曝くつもりだった。違いますか」

「まあ、陽炎ちゃんの話……つまり私が武装蜂起(クーデター)を起こそうとしてるって話は面白いけれど。それで私は得しないよね?」

 

 それならする意味ないんじゃない。それは蒼龍1佐にとっては正しい理屈なのだろう。どんな正しいことであろうと、自分にとって得がなければしない。だから裏帳簿にも目を瞑るし、『子供』の存在にも目を瞑る。

 

「そうですね。平時であれば、蒼龍1佐が直接告発してしまった方が早いでしょう。ですが今は戦時です。幹部一同が必死に守ってきた()()()()()を告発してしまっては、世間で英雄になれても軍の内部で干されるのは目に見えています」

 

 だから、風雲という無垢な子供を利用したんじゃないですか?

 その言葉に、蒼龍1佐は微笑みを絶やさない。

 

「私の質問に答えてないわよ。なんでそれで私が得をするの? 告発したところで誰も得なんてしない。それは武装蜂起(クーデター)だって同じよ。誰が得をするのかしら?」

 

 続けてと言わんばかりの表情に、私は遠慮無く続きをぶつけてやることにする。

 

「あなたは得をしなくても、損をする人間はいるはずです……例えば、私に『子供』の調査を命じたあなたの同期の方とか」

 

 その言葉に、蒼龍1佐の眼には僅かな炎が宿る。それが敵愾心(てきがいしん)と呼ぶべきモノなのは知っている。庁舎玄関の屋根が途切れ、太陽が私たちを照らす。

 

「なによ、陽炎ちゃん。私が同期と足の引っ張り合いをしているとでも言いたいの?」

「思いたくないから、私は今こうして直接申し上げているんです」

 

 別に、おかしな話ではない。高い倍率をくぐり抜けて国防大学校に入学して、そこで上位の成績を維持できたとしても、同期のなかから将官になれるのは一人か二人居れば良い方だ。その競争原理を否定するつもりはないし、面倒な仕事を押しつけられたら意趣返しに足を引っ張ってやろうという気になるのも頷ける。

 

「蒼龍1佐。確かに、告発自体はたいしたことじゃないかもしれません。ですが現実に『子供』は居ます。蒼龍1佐は、もしかして武装蜂起をコントロールしているつもりかもしれませんが、それは大間違いです。私たちは利用されているんですよ」

 

 その言葉に、蒼龍1佐は足を止める。彼女は携帯を取り出すと耳元に当てた。

 

「私よ。会議の開始を三〇分延期してくれない? 悪いわね、急用が入っちゃって」

 

 それから携帯を仕舞った彼女は、私に向けてにっこりと笑った。

 

「そんな結論が出るなんて意外ね。本当は上官侮辱で警務隊に引き渡してやろうかとも思ってたけれど……一応、根拠は聞いておきましょうか」

 

 そう来なくては。危うく警務隊(おなわ)に付くところだったが、辛うじて説得には成功したようである。私は携帯で写真を見せる。そこには私が7護群の各地を周りながら受け取ってきたチャレンジコイン。各部隊の部隊章や、ちょっとしたデザインが刻まれた直径数センチの金属板。

 

「私は今日まで『子供』の調査を隠すために教導部隊の名目で各地を回っていました。ですからこういったものを貰うのも『まあ、あり得る話だ』と思っていたのですが……」

 

 続いて出すのは一切れの書類。もっとも、こちらは出さなくてもよかったかも知れない。なにせそれは、つい最近蒼龍一佐から回ってきたばかりのリストだからだ。

 

「今回の大規模作戦に動員される7護群の部隊一覧です。驚くべき事と言えば良いんですかね、この一覧には私たちがコインを貰った部隊が一つも含まれていない」

 

 今回の件を本当の意味での確信に導いてくれたのはこのコインだった。大規模作戦で動員のかかった部隊は一見普通。別に私の駆逐隊(ユニツト)の教導を受けた部隊が除外されている訳ではないし、練度によって除外されているようにも見えない。しかし私にコインを渡してきた部隊だけは、ことごとく作戦から外されているのだ。

 チャレンジコインはちょっとした戦争の文化だ。正規の手順が定められているわけでもないし、譲渡する理由も決まっているわけではない。それなのに、奇妙な法則性がある。

 それだけで、何かあったのではと勘繰るのは当然のことだろう。

 

「認めたくはないですが、私の調()()()()が、利用されていたようにしか思えないのです」

「そう。つまりあなたは、私が『子供』を利用しようとしたように、他のヒトも利用しようとしてるって言いたいのね。まあそれが誇大妄想でないとして、普通は逆じゃない? あなたにコインを渡した部隊だけがポートモレスビー基地に来るんなら、まあ武装蜂起(ドンパチにぎやか)になってもおかしくはないと思うけれど」

武装蜂起(クーデター)の目的が、ここじゃないとしたら。どうです?」

 

 その言葉に、蒼龍1佐は足を止める。もう1佐なら気付いたことだろう。ポートモレスビー基地はソロモン海を支える後方基地。つまり今の国防軍、そのニューギニア島からソロモン諸島へと張り出した最前線を支える根元である。

 

「まさか、クーデターの目的はポートモレスビー以西。7護群の全域だとでも?」

「根拠はありませんが、そんな気がするのです」

 

 根拠がないからと言って、目の前の彼女はそれを一笑に付せるほどの楽天家ではない。それが蒼龍1佐だと知って、私は言った。彼女は頭に手を伸ばすと、ひとつ深呼吸。

 

「誰が仕組んだって言うのよ」

「誰でもです。日本国を、国防軍を追い出したい人間は幾らでもいます……そしてこの際、誰が仕組んだかはどうでもいい」

 

 武装蜂起を止めること。その一点だけが、私と蒼龍1佐にとってただひとつ一致する共通項。立場は全くの別物で、持っている言葉も違う。するべき事は決まっているのだ。

 

「蒼龍1佐。あなたは先日、武装蜂起を食い止めるのに重要なのは通信だと仰いました」

 

 武装蜂起派が国防軍に潜んでいるなら、通信系統は同じものを使うことになる。1佐が手を回さなくとも、大規模作戦中の部隊間通信は徹底的な監視下に置かれていることだろう。そんな状況で、広い地域において武装蜂起派が連絡を取り合うなら手段は一つ。

 

「分かってるわよ()()。霊力通信、それも無関係な人間(かんむす)()()を用いて行うでしょうね」

 

 霊力通信は、厳密には解明されてはいない通信形態。故に深海棲艦の電波妨害を受けないとされるが、それだけに管制できないのが問題とされている。要するに、誰がどこへデータを送ったのか分かっても、何を送ったかまでは分からない。

 

「となれば、普段から意識無意識的に関わらず霊力通信を用いる艦娘……空母や水上機母艦系統の子たちを利用しているということです。そこでこれです」

 

 そう言いながら、私は今日の哨戒部隊の編成表を取り出す。夕雲に言って変更して貰ったそれには、風雲と秋雲の名前が踊っている。

 

「風雲の艤装機能を、一時的に停止して頂きたいのです」

 

 正確には、データリンクや敵味方識別装置などを扱う通信系を止めるだけ。対象はもちろん風雲だけではない。霊力通信を恒常的に用いる艦娘の名前も含まれている。

 

「幸いにも、この分遣隊は基地の強力な通信システム(アンチジヤミング)と配備されている航空隊によって制空権を確保しています。空母は後詰めの蒼龍1佐(あなた)しか居ません。問題はないはずですよ」

「だからって……風雲ちゃんを危険に晒すわけにはいかないわ」

 

 蒼龍1佐が、風雲を利用しようとしていた彼女がそう言う。だけれど今だけは、真っ当な人間から発せられた真っ当な意見だと思うことにする。

 

「考えてもみて下さい。私と一佐、もしもその両方が利用されているのなら、相手は必ず風雲を利用しています。それが武装蜂起の障害(わたしたち)を見張る一番の手段だからです。その風雲が突然姿を消せば、相手に動きがあるはず。そうでなくとも、霊力通信の隙間はそう多くはないです。今、まだ戦力が集結する前のポートモレスビーなら調べられます」

 

 霊力通信を用いる通信。まさか武装蜂起派がそれしか通信手段を用意していない筈はないだろう。こちらが通信を阻害すれば、必ず何らかの冗長(サブ)が発動するはず。その予備(サブ)の通信経路を見つけることが出来れば、武装蜂起の阻止に大きく近づくはずだった。

 目の前の分遣隊副司令は何も言わない。色々、蒼龍一佐にも考えるところはあるのだろう。それから私を小さく睨むと、呆れたように言う。

 

「そんな大胆な案……1尉ひとりだけじゃ出来ないわよね。誰に話したの?」

「ええ、すみません。後輩の夕雲にどうも、お酒の勢いで話しちゃったみたいで」

 

 もちろん嘘だ。いくら私でも酒の席だからと言って国防機密を漏らすようなヘマはやらかさない。夕雲にはキチンと素面の時に協力を仰いだし、秋雲だって同じ事。蒼龍1佐もその位は分かるだろうが、事故として報告されては事後処理に走ることしか出来ない。

 

「ご安心を。『子供』の件は当然話していません。大事なのはとにかく、武装蜂起を防ぐことでしょう? 御裁可さえ頂ければ、すぐに始められます」

 

 大仰な敬礼と共にそう言ってのければ、蒼龍1佐は私に背を向けた。

 

「まったく、どいつもこいつも皆で寄って集って私の首でも飛ばしたいわけ?」

「そのリスクを冒してでも、蒼龍1佐は不正の告発をしようとしたんじゃないですか。武装蜂起(クーデター)派に逆利用されてしまったのは結果論として、私は1佐の敵ではありません」

 

 決めて下さいと迫る必要も無い。蒼龍1佐は首を振って、諦めたような調子で言った。

 

「分かりました。私も1尉の()()を聞いて少々気が変わりました。それにあなたがここに来た時の約束だったわよね。武器使用以外の便宜は電話一本で図ってやるって」

 

 そう言いながら、携帯端末を取り出す蒼龍1佐。

 

「夕雲ちゃん? この蒼龍さんを出し抜くとは良い度胸じゃない」

『あら。そのご様子だと、先輩の口説きは成功したようですね?』

 

 電話口に応じているのが夕雲なのは間違いないだろう。文句を口から並べながらも、蒼龍1佐は夕雲へと具体的な指示を飛ばしていく。残念ながら才能に恵まれなかった私に霊力通信のことは分からないので蚊帳の外だけれども、とにかくことは動き出した。

 利害が一致さえすれば、ヒトはどんな溝も乗り越えて協力できる。結局私は頼りたくもない後輩や腐れ縁を頼ってしまったわけだけれど、武装蜂起が止められるなら万々歳というものだ。通話を終えた端末をしまうと、蒼龍1佐は嗤う。

 

「陽炎ちゃんのお陰で、港務隊との打ち合わせが頭に入らなそうね……で、直近の武装蜂起はそれで抑えるとして『子供』の問題はどうするのよ。ほっといたら、永遠にここは紛争地帯のままよ?」

「1佐は仰ってましたよ? 『総理大臣にでもなって変えればいい』って」

 

 実のところ、私はそこまで『子供』がこの国を恨んでいるとは思っていないのだ。

 私が東南アジアの街で攫った子供は、もし私が手を差し伸べなければ貧困という闇の中に消えて行ってしまったことだろう。あの笑みを貼り付けたNPO法人(ダミーカンパニー)は確かにロクな組織じゃないかもしれないし、施設(ブリーダー)も洗脳紛いのことをしている。ただ、少なくとも施設(かれら)は目の前の子供に愛情を込めて育てるだろうし、NPO法人が人口問題というテーマに挑んでいるのは本当だ。建前として用意した理由(ウソ)は、例え嘘でもちゃんと生きている。

 

「私が言うのもなんだけれど、陽炎ちゃんもなかなか傲慢ね」

「ええ、傲慢です。私はあなたと同じ、ロクでもない幹部国防軍人です」

 

 誰もが、自分の為に嘘を吐いている。嘘の積み重ねで出来た国防軍。思えば国防軍の前身、旧保安隊(じえいたい)の時代からそうだったではないか。どんなモノにも小さな嘘が宿っていて、それはいつの世においても人間社会を支えてきた。『子供』のことだって、いつかは必要な嘘だったと呼ばれる日が来るのかもしれない。

 それを是とするか非とするかは。歴史が決めること。

 

「歴史、ね……まあいいわ。じゃあ私は退屈な会議に……」

 

 行ってくるわ。その言葉が私の耳に届くことはなかった。何か変なモノを見る目で艦娘港を見る蒼龍1佐。その眼はやがて見開かれて、口が大きく開かれる。

 

 

 

「伏せてッ!」

 



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第93話 黄昏越えに帳は降る

 その言葉は、果たして私の耳にまで届いただろうか。まるで嵐が凝縮されて襲ってきたかのように、轟音が私たちの聴覚を占拠する。それが哨戒護衛艦に備え付けられた機関砲によるものだと理解するのにさして時間は掛からなかった。

 

「え、は……?」

 

 気付いた頃には、私は地面に叩きつけられていた。蒼龍さんが私を地面に組み伏せたのだと気付く頃には、その機銃掃射は別の方向へと向いている。まさかと思うより早く、その曳光弾が艤装の格納庫へと吸い込まれていく。鉄かアルミか何かで出来ているはずの隔壁がまるで紙切れか何かのように揺らめいて、そのまま引きちぎられる。

 信じられない。なんて言葉を使う猶予すらも与えられない。ポンポンと単調な音が響いて、その調子に合わせるように煙がそこら中に上がっていく。艦娘港の警備用に配置されているはずの哨戒護衛艦が、その艦娘港に対して牙を剥いていた。

 

「ちょっと、オペレーションセンター! 実弾演習にしちゃ派手にやるんじゃない? は? 操作不能? なにアホみたいなこと言ってるの、今すぐ復旧するのよ!」

 

 携帯に向けてに叫んでいた蒼龍1佐は、しかしすぐに悪態と共に携帯をしまう。数瞬遅れて届い爆音は山の方、空高く舞い上がった鉄塔が携帯向けの通信塔だということに気付いたのはその直後だった。

 

哨戒(むじん)艦の制御AI暴走じゃなさそうね。もしかしてこれが歴史の鉄槌ってヤツ?」

「いや、それは違うかと……」

 

 正直に言う。全く理解が追いつかない。艦娘港に次々と機関砲を放つ護衛艦。それはついに旋回を始めたようで、いよいよ港外に向けられていた前部備え付けの3インチ主砲が此方を向く。それが火を噴けば、今度は分遣隊司令部の脇に建てられた通信アンテナに火花が散る。そのまま好き放題に殲滅するつもりなのだろう。垂直発射装置(VLS)が火を噴いて、誘導弾が空へと飛び出した。しかしその誘導弾、外れることのないとされるサジタリウスの矢は直後に爆散。私が横を見れば、いつの間にかに弓を構えた蒼龍1佐の姿。

 

分遣隊(わたし)の庭で花火遊びとは、無人艦(ドローン)風情がいい度胸ね! 陽炎ちゃん、対舟艇誘導弾あったわよね? あれをぶっ放しなさい!」

「へっ?」

「裏帳簿のヤツとはいえ立派な陸軍装備品よ、主砲をぶっ潰しなさい!」

 

 そう言われてしまえば、私はやるしかないのだろう。先ほどの袋から対舟艇誘導弾を取り出し、スコープで照準を付ける。暴走した哨戒護衛艦の目的は基地施設の破壊にあるのだろう。私たちには目をくれる様子もなく、その土手っ腹を晒している。本当なら魚雷を12発程度撃ち込んでやりたいモノだけれど、先に封じ込めるべきはその主砲だ。

 

「後方ヨシ! ()――――ッ!」

 

 気の抜けた音と共に、弾頭が飛び出す。直後にロケットモーターに点火、勢いのままに哨戒護衛艦へと突っ込んでいく。機関砲塔が回転するがもう遅い、その銃口が向く頃には誘導弾はとっくに着弾――――その瞬間、私の身体は蒼龍1佐に強く引っこ抜かれた。

 少し遅れて全身を叩く衝撃、ガラス細工に失敗した残骸のようにしわくちゃになった対舟艇誘導弾の発射装置。掠っただけでも火傷したような熱気に襲われる。

 

「まったく陽炎ちゃん。撃ったらすぐに逃げなさいよ……」

「そんな……ヒトを狙ったんですか」

 

 私の対舟艇誘導弾が命中したのだろう。煙を上げる哨戒護衛艦はひとまず動きを止めたようだが、しかしアレが私の命を狙ったのだ。戦争とは命の奪い合いをするもの。戦争とは誰かを殺して、誰かに言うことを聞かせること。武装蜂起(クーデター)が起こればヒトが死ぬ。分かっていたはずの当たり前が、ようやく私を襲ってきた。舞う土埃を払いのけながら、蒼龍一佐は独りごちる。

 

同僚(ヒト)を狙う辺り、単なる『子供』の癇癪(かんしやく)ってレベルを超えてるわね……深海棲艦が一匹も居ない場所で遠隔操作式の無人護衛艦が暴走? あり得ない」

 

 そこまで言われれば、私にも何が起きているかは分かる。

 

「ハッキングってことですか? ここは国防軍ですよ?」

「これは流石に、国外の力を借りないと無理ね。量子コンピュータでも使ったのかしら。いずれにせよ、これはマジね。ヤバいわ」

 

 その言葉と共に、唸るようなサイレン音が空を切り裂く。敵襲を知らせるそれが示す敵というのは、目の前の空から迫ってくる誘導弾の群れで間違いないだろう。

 

「なにあれ、港外に待機している護衛艦たちもみんな仲良く乗っ取られたらしいわよ」

 

 そう言いながら、弓矢を次々と放っていく蒼龍1佐。その弓は戦闘機へと姿を変えて、真っ直ぐと伸びゆく白雲へと飛びかかっていく。戦闘機なんかで迎撃出来るものですか、とは聞くだけ野暮なのだろう。「あの大戦」で英国空軍も巡航ミサイルを撃ち落としたのだ。蒼龍1佐ならば、やるしかないじゃないと嗤うだけに違いない。

 

「陽炎ちゃん。走れる?」

「はい?」

 

 聞き返す私に、蒼龍1佐は言う。

 

「昔はね、無人護衛艦のハッキングも警戒されてたのよ。だから、哨戒護衛艦も旧式のブロックⅢまでは対策として独立型の制御システムを採用してるの」

 

 ブロックⅢ。〈そめいよしの級哨戒護衛艦〉の前期生産型。長い戦いで今では随分数を減らしてしまったけれど、この分遣隊所属の艦艇にもまだ当該艦は残っている。

 

「護衛艦〈きんもくせい〉……!」

「そういうこと。いい陽炎ちゃん、ここからは時間の勝負よ。ネットワークに異状が生じた場合〈きんもくせい〉は自動的に自律モードに移行する。その機能を回復するには、直接乗り込んでコンピュータを操作するか、もしくは地上備え付けの専用コンピュータ経由で通信を行うしかない」

「って言いますけれど、たった今通信塔は吹き飛ばされましたよね……?」

「だーかーら。霊力通信を使うのよ。陽炎ちゃんも艦娘だったら出来るでしょ?」

 

 そう言いながら、蒼龍1佐は私に()()の備えが記されたメモを渡したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 なるほど。よく偽装されている。

 山肌に一目見ただけでは見逃してしまうような突起。手をかければ雲みたいに軽いそれはあっさりと持ち上がり、真っ黒な空洞が現れた。下水道の整備坑みたいな穴。それは太陽の光を受け付けず、ただ一番手前の足掛かりだけが目についた。ここから降りていけということか。

 周囲に目を配る。サイレンも鳴り止んでしばらく経った。先程までの騒乱が嘘のように静まり返っている。悠長に何かを考える時間はない。反応式の灯りを叩いて点けると、真下に投げ込めば、重力に惹かれて落ちていく。軽い衝撃音が反響するのを聴いて、灯りの小ささで距離を測る。

 

「何の攻撃に耐えることを想定したのよ、これ……」

 

 とはいえ進まなければ武装蜂起を止めることは出来ない。ことが始まってしまった以上は〈きんもくせい〉が敵の手に落ちるのは時間の問題だ。

 急いで焦らず。別に梯子の登り降りが苦手なわけでは無い。降りた先には、なるほど水の侵入を防ぐような構造になっている。とはいえ手持ちの灯りだけでは心許ない。ここは秘密の迷宮でもなんでもないのだから、探せば壁に電灯のスイッチ。

 予想通りに回路が開く。瞬く白い光を合図に一斉に開く光の道。

 

「これは、凄いわね」

 

 迷う理由もない。誘蛾灯に導かれる虫のように、とにかく一目散に先へと進む。その先に見えるのは分厚い扉。開けばその先にはコンソールが設置されている。

 

「ここね。システム起動(アクティベート)日本国国防海軍(JNDN)……これ、音声起動式じゃないわね?」

 

 とはいえ、基地の建設時期から考えれば平成時代。同じ電子計算機(コンピユータ)には違いない。電源スイッチを探し、のんびりと回る円を眺める。古い機種なのだろう。旧自衛隊時代の予算不足、そして軍隊特有な枯れた技術への信奉は現代にも続く病気のようなものだ。おそらく当時も最新式より一世代前、今からしてみれば数世代前の機械である。

 状況が状況だから一秒が一分にも感じられる。その後に出てきたのは、ログインIDとパスワード入力画面。パスワードなんて知るわけがない。

 さてどうしたものか。まさか1234ではないだろう。とりあえず幹部ごとに振り分けられる共通IDとパスワードを打ち込んでみれば、みごとに弾き返される。古びたドラマとかなら机の裏にパスワードの書いてある付箋紙が貼ってあったりするものだけれど、とかく情報のリテラシーが求められるこの時代、そう簡単には――――。

 

「……貼ってあるのね」

 

 幸運だと喜べばいいのか。それとも国防軍の教育レベルを嘆けばいいのか。既に打ち捨てられているかもしれない施設だと考えれば、最低限の保守を行うためだけにパスワードを共有していたのかもしれないと前向きに考えることにする。

 とにかく打ち込めば起動。求められるのは幹部の認証。これでも私は幹部艦娘、それも一つの駆逐隊(ユニツト)を預かる艦娘である。アクセスが拒まれる理由はなく、国防海軍のロゴマークが画面いっぱいに浮かび上がる。深海棲艦の電波妨害を受けない霊力通信を起動させれば、護衛艦〈きんもくせい〉の操縦コンソールが呼び出される。

 モニタ確認。基地側も、護衛艦側も霊力通信を行うのは久しぶりだろう。通信が調整されるのに暫くかかるかと覚悟したけれど、やけに早く通信が構築される。妙だと思うよりも早く、メインモニターに見知った顔が映し出された。

 

『繋がったッ! こちらJS331。日本海軍所属の護衛艦〈きんもくせい〉です!』

 

 こちらの顔が見えていないのだろう。顔面一杯に焦りを浮かべながらも丁寧に英語で話す艦娘の姿は、今朝顔を合わせたばかりの秋雲だった。私はカメラのスイッチを入れると、マイクの送話ボタンを押して口を開く。

 

こちらはポートモレスビー基地よ(Port Moresby Tower speaking)。秋雲聞こえてる? 陽炎よ、状況を報告して頂戴」

『陽炎さんっ? 今から十七分前、広域データリンクが途絶してこっちは孤立しました。風雲だけじゃなくて私もです! いったいどうなっているんですか?』

 

 予想通りと言うべきだろう。ポートモレスビー基地は前線への通信の中継地、そしてあの暴走した護衛艦は通信塔を攻撃していた。電波を出す施設はどうしても地上に設置するしかないから、攻撃の対象になればひとたまりもない。恐らく予備施設まで含めて破壊され、その結果としてデータリンクが途絶してしまったのだろう。一応衛星の状態を確認させれば、やはり不通(オフライン)だと返される。深海棲艦の跳梁跋扈する最前線では当然のことで、それは即ち、前線の国防軍が目と耳を失ったことを意味していた。

 

「落ち着いて。基地の通信システムがダメでも、近くの僚艦くらいなら通信できるはずよ。他の哨戒護衛艦は呼び出せる?」

 

 もしも、暴走したのが基地周辺の護衛艦だけだとすればまだ望みはある。なにせソロモン海における通信は殆ど哨戒護衛艦の中継に頼り切っているのだ。艦艇通信網さえ抑えてしまえばソロモン諸島のみでも限定的な通信網の復旧は可能なはずだった。

 

『どこも出ません。流石に下っ端のIDじゃ無理があるってことですかね』

「私や副司令でも無理よ。乗っ取られてるんだから」

 

 私は飛び出しそうになる悪態を抑えて、なるべく落ち着いて状況を伝える。

 

『ハッキングってことですか? それ……大丈夫なんですか』

「大丈夫か、と言われれば答えは否ね。()()()()を発動した途端に分遣隊がハッキングを受けたの。基地を守るはずの護衛艦がみんな敵になってさあ大変って感じよ」

 

 基地周辺の護衛艦、それどこかこの近辺の護衛艦は全て抑えられていると考えるべきだろう。これだけの規模になれば今頃は市ヶ谷も大騒ぎだろうか。それともポートモレスビー基地への小規模な攻撃により通信系が途絶した程度の認識だろうか。前者であることを祈りつつ、目下はハッキング対策の施されていた護衛艦〈きんもくせい〉を中心に対策を組み立てるしかない。

 

「作戦会議よ。秋雲、風雲も呼んできて」

 

 その言葉に、急に黙り込む秋雲。

 

「どうしたの? ハッキングは風雲の通信系を切ってる最中に起きた。それなら、彼女の潔白は証明されているはずよ」

『……撃たれたんです。風雲が〈きんもくせい〉に』

 

 言葉が止まる。何が起きたかは説明するまでもないだろう。無人護衛艦の自動防衛システムが働いたのだ。深海棲艦の通信妨害により孤立した無人護衛艦は、友軍基地もしくは艦艇の通信可能圏まで移動するようになっている。要するに生存を第一義に行動するわけだけれど、その時に近づいてくる敵目標も自動的に迎撃するのである。

 艤装の通信系が無事だったなら、敵味方識別装置も作動したのだろうけれど。

 

「……それで、どうなったの」

『風雲は〈きんもくせい〉の医務室で寝てます。防壁への当たり所が良かったみたいで、外傷はありませんが……』

 

 意識を失ったのは着弾の衝撃で激しく揺さぶられたからだろうか。ほんの数十分前の自分の胸倉を掴みたい。縄で縛って、首を締め上げてしまいたい。私が仕組んだちょっとした『調査』のための小細工が、最悪の副作用をもたらしたのだ。

 

「ごめん、私のせいだ」

『何言ってるんですか。武装蜂起(クーデター)派のせいでしょう』

 

 その言葉は、優しい嘘なのだろう。秋雲だって誰のせいでこうなったか分かっている筈だ。それでもこの事態を乗り越えるのに私が必要だから、こんなことを言ってくれる。

 

『私たちは、今するべき事をするんです』

「……分かったわ。艦艇通信網を回復するわよ。秋雲、今から私の言うとおりに」

 

 動けるわね。そんな事態回復への言葉は、私の口から放たれることはなかった。理由は単純、私の背後に影が立っていたから。

 

『陽炎さん? どうしたんです?』

 

 秋雲の声が聞こえる。しかし私の意識が秋雲の方へと向けられることはない。なにせ私の後頭部には押しつけられる()()。それが拳銃と呼ばれる持ち運びに優れる銃器と分かった時点で、私に抵抗する手段はない。私は送話器から手を離し、通話を切る。

 困ったことに、その気配。その息づかいには、覚えがあった。

 

「申し訳ありません。陽炎」

 

 おかしいとは、思っていたのだ。

 私はチャレンジコインを武装蜂起の根拠の一つに使った。しかし私がどのコインを貰ったかなんて、本来私以外の誰も把握することは出来ないはずなのだ。報告する義務はないし、コイン目録を作る規則もない。しかし確実に把握できる人間が私以外にも少しだけいる。私がコインを貰ったことを自慢してきた相手、私がどこで何をしていたかを把握できる相手。私が何を考えて、何を為すか。それが一番、監視しやすい場所。

 

 

 

「そう……()()はあなただったのね。不知火」

 

 

 

 私は振り返ることもしない。ただそこには、静かな暗闇だけが横たわっていて。その闇の中に私の僚艦、不知火の姿があった。

 



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第94話 想い人護る嘘の楼閣

 多分私は、それを認めたくなかったのだと思う。

 

 

 

 だけれど現実は、どんな言葉(ウソ)よりも雄弁に真実を物語っていて。

 私はついに、その不都合な現実を突きつけられてしまったのだ。

 

 きっと父は、本土の幼年学校を目指した私を見て私が『気付いた』と勘違いしてしまったのだろう。それは大きな間違いだ。私は女の人のせいで変わっていくあの家が嫌だった。要するにそれはタダの嫉妬で、だけれどそのお陰で見えたモノもあって。あんなことがなければ、昔はこうだったなんて笑える話で。

 

 女の人は、自分を艦娘だと教えてくれた。それは私たちを守ってくれる仕事で、そして父もその仕事をしているのだと教えてくれた。

 

 それは、別に隠すような仕事ではないだろう。父が隠しているのか。私の疑問に、女の人は負い目を感じているからだと言った。幼い子供を艦娘として戦地に送り出すのに、私のような子供を育てているのが恥ずかしいのだろうと言った。

 その日から、私が幼年学校を目指す理由は増えたのだ。父が私を大切にすることに負い目を感じるなら、私が立派な艦娘になってしまえばいい。そうすれば父は私を大切にした理由が出来る。そう考えた私は、まさかその『艦娘を目指すこと』が父を苦しめるなんて、思いもしなかったのだ。

 

 

『いたいた。ここに居るんじゃないかと思ったわよ』

 

 

 知ったかぶりしないでと、私はそう言ったのだろう。

 それなのに私の隣に座り込んでくるその人は、とてもずうずうしい。

 放っておいてと私は叫んだはずだ。まるでその日は、世界が全部、私の事を見放してしまったようで。この暗闇に、もう身体も心も投げてしまいたくて。それを知っているクセに、その人は私のことを抱きしめて離さない。

 

『とんでもない話だよね。提督さんったらデリカシーってもんがないんだから』

 

 私、ぶん殴ってやったから。当たり前のようにいうその人に、私は多分慌てたのだろう。加減したから大丈夫よと笑いながら、言葉を繋ぐ。それは謝罪の言葉。

 

『ごめんなさい。私も、多分そうなんだろうなって思ってた。提督さんって童貞臭かったし、コミュ障だし。歳から考えても貴女みたいな子供がいるのはおかしいもん』

 

 父に似ていないとはよく言われたモノだ。そこには父よりも可愛いという以上の意味はなかったのかもしれないけれど、だけれど父に似ていないのは事実だった。

 髪の毛の色が少し違ったり、肌の色も違うような気がしていた。そりゃ、あの南の島は沢山の民族が息づく場所。小学校にいけばそんな些細な違いは気にならないし、街の人達だって気にしてはいないだろう。でも不思議なことに、故郷であるはずの日本に行けば行くほど私たちの異常性は際だって見えた。

 

『でもさ。関係ないと思うよそんなことは』

 

 それなにに、その人はそんなことを言う。

 

『だって、貴女のお父さんが()()()()であることには変わりないでしょ? 産みの親か育ての親かなんて、重要なことじゃないのよ』

 

 そうだろうか。親は選べないとはよく言ったモノで、その意味で私は、最悪のをひいてしまったのだと思う。本物の両親は私を手放した。それを知って、父は私を育てた。

 それがまさか。『艦娘を育てるため』だなんて、信じられる話だろうか。

 嘘。誰も嘘からは逃れられない。全ての言葉に嘘が宿っていて、その嘘に誰もが動かされている。嘘吐きなんて言っても始まらない。石を投げる権利があるのは罪のないものだけなのだ。父も、私も嘘吐きで。嘘だらけの家で私は生きてきたのだ。

 それなら、最後まで嘘を突き通して欲しかった。

 もしも嘘が嘘のままだったらどうだっただろう。多分私はあの夜、きっとみんなで楽しい食事をしたことだろう。私を育ててくれた父と、恐らく近日中に母という名称に代わるであろう隣に座る人。そしてこの私で、幼年学校に入学する前の最後の食事をするはずだったのだ。それは息苦しいモノではあっただろうけれど、思い返せばああやって誰かと食卓を囲めることはこの上ない幸せだったのだ。

 

『多分だけどさ。あなたのお父さんは誠実であろうとしたんだと思うよ。バカなヒトだよね。本当の誠実は、ウソをずっと隠しておくことなのに……』

 

 いやでも、本当の家族って言うのはそういうのじゃないのか。そう言った女の人は、一体誰に向かって言ったのだろう。

 

『ねえ、私のウソ聞いてくれる?』

 

 その人は私の許可も待たずに勝手に喋り出す。

 

『実はね、子供が出来たみたいなの。順当に行けばあなたの弟か妹になるのかな』

 

 なんで、赤の他人であるはずのその人が産んだ子供が私の弟や妹になるというのだろう。その時の私には想像力が働かなくて、多分首を傾げるだけだったと思う。

 

『本当はね、中絶するつもりだったんだ。戦争にこんなのはいらない。私は戦い続けなきゃいけないし、それが私とあの人の関係だもの……でも、あんな他人のことなんて考えないで秘密を暴露しちゃうあの人を見たら、それを誠実だって(うそぶ)くあの人を見たら考えちゃうよ。私だってバカになりたい。だって親に子供の運命を決める権利なんてないでしょう? それを嘘で覆い隠して、ああしなさいこうしなさいなんて、お腹の子にだって言っちゃいけないんだと思う』

 

 あれは、結局誰に喋っていたのだろうか。私、お腹の子、それともその人自身だろうか。何も返さない私に、その人は言葉を続ける。

 

『ねえ。全部が落ち着いたら、貴女が自分のことを受け入れられたらでいいわ。そしたら私とお父さんのことを……そして、この子供の事を。いつか、祝福してくれないかしら』

 

 嘘吐き。この嘘吐き。()()()()、あなたは結局、私に祝福すらさせてくれなかったじゃないか。あの家とあの島は深海棲艦の炎に消えてしまったじゃないか。

 この世界には嘘吐きしかいない。言葉は嘘を孕んでいて、口から出した途端に嘘になる。そんな嘘を重ねておきながら、皮が剥がれると嘘吐きと宣う。その時頷いた私も嘘吐きだ。最後まで言葉を交わさず、無言で私を送り出した父も嘘吐きだ。

 

 それでも、私は父のこと、そして母のことを、尊敬していたのだ。好きだったのだ。

 

 これも、やはり嘘なのだろうか。

 

 

 

 




 

 

 

 

 一番疑わしいのが誰か、そう聞かれれば私は一番に彼女の名を挙げたことだろう。

 そして同時に、その名前を真っ先に頭の中から消したことだろう。

 人間というのはかくも、自分勝手な存在なのだ。

 

「いいの? こんな狭い場所での発砲は跳弾を招くわよ?」

「ご安心ください。陽炎が下手なことさえしなければ、撃ちませんから」

「信頼してくれてるのね? だったら、銃を下ろしてもいいんじゃない。不知火」

 

 「どうして」なんて陳腐な言葉を使う必要はないだろう。重要なのは、ここにいる人間が武装蜂起に関わっていないはずがないと言うことである。

 

「そういう訳にはいきません。不知火は陽炎、貴女が追う『子供』ですから」

 

 その言葉に、私は立ち上がる。不知火の銃口もそれに従って持ち上がる。

 

「……そう、本当にそうなのね。だったら私が言うことは一つよ」

 

 それは単純な説得。哨戒(むじん)護衛艦を掌握されてしまったのだ。それ以外に方法はない。

 

「不知火、こんな馬鹿なことは止めなさい。たしかに国防軍(こつち)には短期的にみれば武力で制圧するという選択肢はない。それでも、時間が経てば本国はすぐに事態が単なる通信障害じゃないことに気づくわ。あっという間に増援がやってくる」

「そんなことは百も承知です。ですから増援が来る前に」

「だから、それが無理だって言ってるの。あなたたちが引き起こした事の大きさがどの程度かは知らない。けれどね、こんな意味のない行為に付き合ってくれる人間はいないの」

 

 武装蜂起の規模はどうでもいい。『子供』に大義名分は存在しない。

 

「意味はありますよ。少なくとも、現状に不満を持っているのは私だけではありません」

 

 そう思い込みたい、というのが実情だろう。確かに不知火は不満を持っている。そして様々な人々が、色んな形で不満を持っているのだろう。しかしそれは、一つにまとめ上げられるほど同じ色を持っているわけではない。様々な色を混ぜた結果がどす黒い色になるように、異なる不満を集めた武装蜂起は暗黒の結末しかもたらさない。

 もっとも、そんなことを懇切丁寧に解いたところで彼女には届かないのだろう。だから私は、彼女が一番頼りにしているはずの柱を折る。

 

「不満ね……例えば、この陽炎(わたし)の出自とか?」

 

 言葉は少ない。しかし不知火には確かに届いただろう。声の調子が上がる。

 

「気付いて、いたんですか」

「気付いてくれって言わんばかりだったわよ。武装蜂起に参加するのは私にコインを渡した部隊。なんで『子供』の調査を行う私にわざわざ武装蜂起しますなんて教えてくれたの? どうせことが起きてから担ぐつもりだったんでしょ、私のこと」

 

 後付けの理由なんて、いくらでも付けられる。きっと私にコインを渡してくれた艦娘たちは『子供』だったのだ。そうして同じ『子供』であるにも関わらず国に利用されている私を哀れんで、それでこんな武装蜂起(たいそうなこと)に協力すると誓ってくれたのだろう。考えるだけで腹立たしい、なぜ利用されていると気付かない? なぜ利用する人間が現れる?

 

「きっと不知火は、私に怒って欲しかったのよね。『子供』のこと、そして不正まみれの7護群、そして国防軍のこと……私の父親のこと」

 

 私の父は、国防軍の高官だった。父は新自由連合盟約(ニユーコンパクト)という楔に囚われた第8護衛隊群。その高官として、名誉と責任、そして深海棲艦の業火に消えた。そんな過去を持つ私に、全てを告発させようとしたんだろう。不知火はそこまで考えなくとも、彼女を利用する誰かはそう考えた。それは国防軍に、日本にとって強烈な一撃になるに違いない。

 

「でも。それは誰のためにもならない。私に不知火……血を流した人達は報われない」

「それは、陽炎が私たちの大きさを知らないから言えることです」

「協力者が沢山いる事ぐらいは分かるわよ。そうじゃなきゃ通信網の掌握(ハツキング)なんて出来やしないでしょうからね……じゃあ不知火。教えてちょうだい、何が目的なの」

「ご存知のはずです。私たちを使い捨てにしようとしている。この世界への復讐です」

 

 まさか彼女の口から聞くとは夢にも思わなかったその言葉は、きっと軽やかだろう。多くの人は乗せられてしまうのだろう。言葉は嘘を孕んでいる、騙されるのは当然だ。

 

「復讐だか知らないけれどね、この反乱の先に待っているモノは分かっているでしょう。情報を遮断し、日本の影響力をニューギニア島から無くす。国際社会に訴えて日本が強硬策に走れないようにする。そこまでは出来るでしょうね。でも、そこまでよ。貴女がどんな大義名分を引っ提げて『独立』したところで、最後に待っているのは緩慢な死よ」

 

 情けは人のためならず、つまり自分の為にやることであっても、誰かの為と嘯けることが肝要なのだ。果たしてこの復讐に、この独立に意味があるのだろうか。ここは日本と豪州、そして深海棲艦に囲まれた人類の最前線。せめて人間とは協同しないと生きていけない世界。仮に豪州が手を伸ばしてくれても、日本は手を伸ばさないだろう。

 

「私に理性を求めるなんて。見誤りましたね、陽炎」

「まさか、不知火は私の部下でも一番の論理屋(ロジカリスト)よ。分かってるんでしょう」

 

 そう。消去法で答えは出ているのだ。東南アジア全域での武装蜂起(クーデター)。武器調達だけでも一苦労だろうし、護衛隊群にハッキングを仕掛けるなんてそうそう出来ない。となれば手を貸すのは国家以上の存在だ。この最前線に関われる国は二つだけだ。

 それは日本と豪州、強いて言うなら豪州の参加する英国連邦。果たして豪州が日本を排除する理由はあるだろうか。ユーラシア大陸からの貿易路は全て日本が抑えている。もしも武装蜂起が東南アジア中で起これば、そこの物流は全て麻痺する。それでは豪州はもちろん、このニューギニアやそれ以西の島々も死んでしまうだろう。辛うじて保たれてきた各国政府が崩壊してしまう。そしてそれらの政府が倒れて喜ぶ相手はひとつ、かつて鎖であった新自由連合盟約(ニユーコンパクト)を翼に変え、推し進める立場となった極東の島国。

 

「あなたは利用されているのよ。それも、あなたが復讐を誓った相手にね」

 

 大東亜共栄圏。そう嗤った夕雲の顔が思い返される。これは本当に、柳条湖もびっくりな自作自演。そしてこの混乱の時代に、調査団がやって来ることはないだろう。恐らく常任理事国も機能不全を装って黙認する。それだけの力が、今の日本にはあるのだ。

 

「もちろん存じています。ですが当地の『子供』たちへ最初にぞんざいな扱いをしたのは日本ではなく私たちの故郷です。それなら。当座の目的は一致しています」

「最初だけでしょう?」

「ええ。ですから私は豪州と組みます。彼らはソロモンの防衛線を欲しがっている。私たちはクニを維持するための各種工業製品が欲しい。利害は一致しています」

 

 嘘だ。豪州が独力でどうにか出来る問題ではない。

 

「それも一時のことでしょうが……独立してどうするの。あなたは日本語を話して日本政府に雇用される立派な日本人よ。今さらこの島に馴染めると? あの戦争で連合国に住んでいた日系人がどんな扱いを受けたか忘れたの?」

「それは私たちが決めることです」

「ええ、そうでしょうね。だけれどこれだけははっきり言わせて貰うわ。私はあなたの提案には乗れない。残念だけれど、これは決定事項なの」

 

 そう。これは決定事項、私に不知火を説得する以外の選択肢はない。武装蜂起(クーデター)が何も産まない、それどころか犠牲を増やすだけなのは明白だ。事実既に風雲が撃たれてしまった。基地に放たれた砲弾やミサイルが誰かを殺してしまったかも分からない。

 だから私は、不知火がその事実に気付いて、銃を下ろしてくれることを願うしかない。

 

「……あなたが余計な手出しをしなければ、〈きんもくせい〉が()()を行うことはなかったはずです」

「違うでしょ。そっちが通信網を乗っ取らなければ〈きんもくせい〉は自己防衛に入らなかった……ううん、原因なんてどうでもいい。いずれにせよ、私の選択肢は拒否一択よ。拒否が許されないならしょうがない。ここで一人の幹部国防軍人を撃ってしまう事ね」

「……」

「よく聞いて、不知火。あなたは誤射で『引き返せない』と思っているのかも知れないけれど、それは間違いよ。今回の()()()を一番隠したいと思っているのは誰だと思う?」

 

 どう考えたって主犯格(にほん)だ。彼らは事が完全にコントロールされることを望むはず。それなら逆に、失敗したときの対応策も用意している筈なのだ。

 

「まだ十二分に引き返せるわ。通信システムの異常と偶発的な通信不良。風雲の件だってそういった問題が積み重なった結果の誤射事件として片付けることが出来る」

 

 私のその言葉に、不知火は首を振る。あなたは何も分かっていませんと彼女が言う。

 

「なぜ私たちがこんな手段を採ったか、その理由を知っているんですか? クニを作るという夢に憧れたとでも? だとしたらあなたは何も理解していない。あなたの言うとおり、武装蜂起は最悪の手段です。将来の禍根に現在の負債、それら全ては明日と今日の私たちを苦しめるでしょう。ですがね、もうそれ以外に手段がないんですよ」

「それ以外に手段がないっていうのは嘘でしょ。それならその拳銃からは煙が出ていて、私の胸には華が咲いているはずよ。そうなっていないこと自体が、あなたの別の選択肢よ。脅されているの? だったら私に相談してみなさいよ」

 

 私これでも、不知火(あんた)一番艦(あね)でいたつもりなんだけれどな。そう笑えば、不知火はまた首を振る。そこには憐憫と嘲笑が入り交じっていて、それで双眼は私を見据えていた。

 

「よくもまあ、そんなことを言えるものです」

「こうでも言わなきゃ撃たれそうなんだもの。人間、殺されそうになったらなんでもするものよ……でも貴女はなんでもするほど追い詰められているの? そうじゃないでしょ」

 

 なにか理由が存在しなければならない。私が武装蜂起(クーデター)の神輿にされるのはいい。私の父に担ぐ理由がある。それで十分だ。さらに誰の陰謀かはこの際、もはや重要ではない。

 大事なのは、今。私を撃ち殺すほどに不知火が追い詰められているのか、という話だ。

 

「あなたを撃つ予定はありません」

 

 私には、誰一人撃つ予定なんてなかったんです。

 



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第95話 己を助く真実の翁草

 

「あなたを撃つ予定はありません……私には、誰一人撃つ予定なんてなかったんです」

 

 

 ああ、そうだろう。そうだろう。不知火がそんなことをする訳がないことなんて、長い付き合いをしてみれば分かるもの。どんな嘘で覆い尽くそうと、嘘は言葉にしか宿らない。それでも拳銃を構えて見せる彼女の、どんなに滑稽なことだろう。

 その滑稽さに比べれば、これから吐く私の嘘など、造作もないこと。

 

「ええ、知ってるわ。私は武装蜂起を取り締る国防軍の将校。あなたは正義のために立ち上がる反政府勢力……そんな簡単な構図でないことなんて、分かってる」

 

 私は『子供』だった。日本政府が手を伸ばし、そうして国防軍の高官であった父によって育てられた艦娘(こども)。しかし私に才能はなかった。幼年学校に国防大学校、艦娘を育てるための機関に通い詰めても、私は所詮は駆逐艦でしかない。

 そして恐らく、その結末を分かって私の父は私に『真実』を話したのだろう。父に騙されたまま無垢に艦娘を目指して、そして苦悩するだけの私を予想していたのだろう。

 それでも、父に黙っているという選択肢はあったはずだ。私に打ち明けるという選択肢がどんな誠意(ウソ)から飛び出したのかは、正直分からない。

 それはきっと、誰かに理解できるほど単純な話じゃないのだ。誰もが言葉(ウソ)を使う。それが積み重なってできた世界は、もはや何が正しいのかも分からない。

 

「でもね。単純なこともあるのよ不知火。言葉(ウソ)肉体(しんじつ)には勝てない。誰かが死ねば、どうやったって武装蜂起(クーデター)は表に出る」

 

 つまり、それが帰還限界点(ポイントオブノーリターン)だ。どんなに真実を覆い隠そうとも、ヒトの死だけは隠せない。だからこそ死人が出た瞬間に、主犯格(にほん)は引き返すことが出来なくなる。

 

「でも、でも……私たちはもう引き返せません。いえ、陽炎(あなた)はもう引き返せないんです」

「そうね、引き返せない。私は国防軍の人間よ、武装蜂起を止める以外の選択肢がない」

「……その構図(たちば)を、私は壊したかったのです」

 

 その言葉で、不知火は拳銃を放り投げる。それはコンクリートにぶつかって、狭い空間に反響して消えていった。

 

「あなたに『子供』の調査を命じた方は、こう言いませんでしたか。『子供』は幼少期のことを覚えていると、故に『国防軍の真実』を知っていると」

 

 押し黙った私に、不知火は言葉を続ける。武器を放棄したこの瞬間、私が逆襲に転じる可能性を考えなかったのだろうか。それを考えないほどに、不知火は私のことを信頼しているとでもいうのだろうか。

 

「しかし一つ間違いがありますよ。私は『国防軍の真実』などはどうでもいい。私が知っている真実というのは……」

 

 そこでわざとらしく言葉を区切る不知火。息を呑んだ私が見た彼女は、信じられぬほどに一直線に私を見つめていた。それは何かを願うようで、何かに祈るよう。

 

「あなたが、私の()()だったということです」

 

 何を返せばいいのだろう。冗談でしょと微笑(わら)えばいいのか、それとも信じられないと嘆けばいいのか。その『真実』が事実として、果たしてどんな意味があるのだろうか。

 

「私は、あなたを救いたかった。この国に囚われて、そしていいように使われているあなたを救いたかった。この国が私のことを利用しているだけなのは知っています。そんなこと、百も承知です。だからこそ、そこに付け入る隙があった」

 

 不知火がそんなことを言う。国防上の命令であれば、死地にも赴くと言って見せた彼女がそんな言葉を口にする。それとも彼女の覚悟というのは、私の命令でなければ為されないようなものなのだろうか。

 

「聞いてください。私は国を変えたい訳じゃない。国防軍とやりあうつもりはないし、豪州との取り決めだってどうでもいい。私にとって大事なのは、あなただけなんです」

「そう、それで。あんたはそのために誰かを殺せるの?」

 

 私の言葉も嘘だ。私は、国のためと幹部国防軍人になった。要するに誰かを守るために誰かを殺す仕事についたのだ。国防軍法(きようかしよ)広報(CM)もそんなことは言わないだろう。

 国防軍は人殺しの組織じゃない。災害派遣で国民を救い、深海棲艦から国土を守る。ヒトが死ねば想定外とでも口にするのだろうか。この嘘吐き、最初から全部分かっていたクセに……それなら私に、不知火(かのじよ)を誹る資格はないのだろう。

 それでも、私に使えるのは言葉(ウソ)だけなのだ。それを使うしかないのだ。

 

「ねえ不知火。じゃあずっとウソだったの? 私の部下として働いてきたのも、私のことを支えてくれたのもウソだったの?」

「違います。そんな訳じゃ……」

「でもこれがクソみたいな現実よ。武装蜂起を起こせばヒトは死ぬの。あなたは哨戒護衛艦に基地施設を破壊させようとしただけかもしれない。じゃあ点検のために通信塔に誰かが居たらどうなった? 哨戒護衛艦に反撃した私に向けられたのは真実なんかじゃなくて銃口だった。通信網を喪った哨戒中の艦娘が、最前線の基地が無事で居られると思う?」

 

 誰のせいか、そんなことは関係ない。大勢が危険に晒されていて、そして少なくとも風雲という名前のある一人の人間が今も生死を彷徨っていることが重要なのだ。

 

「それは、でも……」

 

 もしも不知火が、私と同じなら。いや、嘘を並べ立てるような私よりもずっとマシな存在なら。この重圧には耐えられないはずだと、そう信じたい。

 

 

「違うんです。私は、あなたを、家族(あなた)を助けようとしただけで……」

「ええ。ええ、そうでしょうね」

 

 

 私の不知火が、誰かを踏み台にしてまでも、なんて考え方が出来るはずはない。そんな娘じゃないことは私が一番よく分かっている。私が呆然と立ちつくだけになった彼女を抱き抱えれば、されるがままになる不知火。

 こんな彼女が武装蜂起の、こんな恐ろしい行為の首謀者だというのだ。

 全く、これほど馬鹿げた話もなかなか無いだろう。いくら協力者が、彼女をけしかけた首謀者がいるとしても、生まれた瞬間から奪われたと信じ込んでいる家族を取り返すためだとしても。こんなことが出来る人間なんて、そう滅多にいるはずがない。

 

 

「もういいの、あなたは普通だったのよ。普通で、普通で……普通で良かったじゃない」

 

 

 それに比べて、私はどうだろう。私はこの瞬間も武装蜂起を止める手段を考えている。目の前でこぼれ落ちる命でいっぱいの不知火に比べて、私のなんと冷静で冷酷なことか。

 やっぱり私は何か欠け落ちているのだ。それは致命的な、人間性とでも言うべきもの。私の故郷は、北海道でもミクロネシア連邦チューク州でもない世界。不知火と同じ場所で生まれたとしても、そこから分かれた私の育ち(じんせい)はそれはもう酷いものだった。私の父代わりは国防軍の幹部。それは私がこんな境遇に至る原因を作った人間たちの一人で、そして私を国防軍に、幼年学校に国防大学校へと行かせてしまった存在。

 そんな父に育てられた私は、果たして普通でいられたのだろうか。いやそうでないから、私はこんなところまで来てしまった。だからこそ、私は大仰な言葉(ことば)()けるのだ。

 

「もういいわ。あなたの気持ちは十分わかった。それじゃあ、もう終わりにするわよ」

 

 私には、小さな秘策がある。

 無理か無理じゃないか。そう聞かれれば無理と答えるべきだろう。それでもこの事態、目の前で苦しむ不知火や、視界に入らない全ての人を助けるために、やるしかないのだ。

 

「でも、もう誰も止まれない。どうやって、止められるっていうんです?」

 

 だから私は、口角を吊り上げる。それは簡単な理屈、大昔から決まっていること。

 

「――――脅迫(テロ)には脅迫(テロ)で立ち向かうのよ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 最後に母と言葉を交わした時のことを、私はよく覚えている。

 

 それは形だけのお葬式が終わった後のこと。幼年学校の先生は忌引きだから休むことが出来るとは口にしたけれど、あの時期のミクロネシア連邦に行くことが自殺行為なのは分かっていただろう。そして私も、父の棺桶に会いに行くためだけに危険を冒し、授業が数日分も遅れることを良しとしなかった。その実、私は自分が悲しんでいたのかどうかも覚えていないのだ。それは私が欠けている証拠なのかも知れないし、もしかするとあの時に、私は欠けてしまったのかもしれない。まあいずれにせよ、結果は同じことだ。

 

 

『ごめんなさい。あなたのお父さんを、私は守れなかったわ』

 

 

 画面の向こうに見えた母は、最後に会った日から少し痩せたように見えた。寮に置かれている全ての新聞が戦局の悪化を伝えているのだ。痩せるのも当然だし、大丈夫かと聞けば大丈夫ではないのだろう。それでも母は、大丈夫だと言った。

 

 

『私には、まだ分遣隊を守るって仕事が残っているからね。もう少しの辛抱よ』

 

 

 それは、全部嘘だったのだろう。母は大丈夫ではなかった。新聞はミクロネシア連邦防衛のための再編としきりに報じていたけれど、その裏で行われていたのは戦力の引き抜き。政府はあの時にはもう、南洋諸島を見捨てることを決めていたのだ。組織に国家というものにおいて言葉(ウソ)は付きもの。それは人類が退こうが進もうが変わらない。

 だから、今の私にも必要なんです。嘘吐きのお母さん。どうか私に力を下さい。

 

 

 

 

 




 

 



 

 

 


 

 

 

 

 

 

「そ。それが貴女の結論なのね」

 

 言葉で応じる必要もないだろう。突きつけられた9㎜拳銃の銃口をのぞき込んだ彼女は、ゆっくりと執務机に腰を下ろす。

 緊張感の欠片もないその仕草は、まるで行きつけの喫茶店で朝の珈琲を待つよう。

 

「残念です」

「そう? 私はそうでもないよ。貴女はずっと、恨んでいたものね」

 

 彼女は何を、とは言わなかった。

 秩序が崩壊したオセアニア地域、人道支援と人類の活動領域を守護するなんてお題目を掲げて展開した第7護衛隊群による事実上の軍政。軍隊というのは、賢明に仕事をすればするほど恨みを買いやすい組織である。司令部の執務室にまで銃器が持ち込まれるのは「残念なこと」でこそあれ、想定外の事態ではない。

 

「さ。どうする? 貴女はどうしたいのかな?」

「武器を出してください。引き出しの拳銃、国旗裏の霊感繊維(しきがみ)もです」

「いや、渡すわけないじゃん」

 

 そう言いながらおもむろに引き出しへと手をかける彼女。執務室に敷き詰められた絨毯をブーツが蹴り、拳銃が彼女の眼前に躍り出る。

 

「動かないでください。最後の警告ですよ!」

 

 彼女は何も口には出さなかった。

 ただニコリと笑って、指でツンツンと己の眉間を叩いてみせる。

 

「殺せるもんなら、殺してみなさいよ」

 

 そう言いながらも彼女の手は動き続け、引き出しが動く。

 

「ちゃんと眉間を狙わないとダメよ? 私はすでに霊力再生のアンプルを打ってる。脳を一息に破壊しない限り、私は止められない」

 

 そう言いながら視線で執務机の一角を指し示す蒼龍1佐。そこには確かに、使用前であることを示す赤いピンが折られた極小注射器が転がっている。

 

「……被弾もしていないのに、()()()()を使ったんですか」

「あれ。陽炎ちゃんは霊力回復派だったでしょ? 戦闘前に打っておけばそうそう死ぬことはない」

 

 よく言ってたじゃない「中破は無傷だ」って。そう嗤いながら蒼龍1佐が引き出しを開けきった。

 

「あなたの恫喝は正しい。私……空母〈蒼龍〉を預かる片桐アオイ1等海佐は確かに臆病者だ。前線に出ることを嫌い、被弾を極力避けようとする。どうせ傷ひとつ付くのも嫌がるだろうから、拳銃で脅せばアッサリ投降してくれるだろうって」

 

 引き出しの中に納められているのは、もしかしなくても9mm拳銃であろう。陽炎は銃口を振ってトリガーへと指をかけるが、蒼龍は怖じ気付いたそぶりも見せない。

 

「それとも、私にはもっと敵として、不知火ちゃんや風雲ちゃんを害そうとする存在として振る舞って欲しかった?」

「あなた……! どこまで知って……!」

 

 陽炎の言葉を聞かず、蒼龍の腕が引き出しから引き抜かれる。

 その手に握られていたのは、印刷物。

 

「はいこれ、陽炎ちゃんが多分一番ほしいモノ」

「……」

 

 それは、一組の申請書類だった。

 

「私が運が良かった。誰かさんよりも早くコレの面倒臭さに気付いて、誰かさんがドサクサに紛れてコイツを処分する前にコピーを手に入れることが出来た」

 

 そこには陽炎の名前が書いてあった。そして、今はこの世にいない父親の名も。

 そこに母の名前は、ない。当たり前だ、あの人と出会うのは、ずっとあとの話なのだから。

 

「なんでこんなもの」

 

 私は印刷物に目を落とす……その届け出の名前は、養子縁組。

 分かってはいた。父親の口からも聞いていた。そして、こんなのはコピーに過ぎない、偽造だっていくらでも……そう言い聞かせようとしたところで、その()()()は微動だにしない。

 

「調べたのよ。あなたの出自を」

 

 どうして、とは。今さら問うまい。私の父親は英雄だった。利用できるものならなんでも使う目の前の御仁なら、それを活用しようとしてもおかしくはない。

 

「ま、コレを知っちゃったせいでこんな面倒なことに巻き込まれてるんだけどね」

「……では、お認めになるんですね?」

 

 この武装蜂起(クーデター)に関わっていたと。

 様々な手段で、私たちを陥れようとしていたと。

 

「なんのことだか」

「しらばっくれないで下さいッ!」

 

 身体を頭ひとつ前へ、執務机に乗り出す格好となり、バランスを崩さぬよう机に足をかける。

 

「あなたはクーデターをあえて引き起こさせようとした」

 

 捜査を妨害、誘導し、私が『子供』たちの長として担ぎ上げられるようにしようとした。

 

「そんなことしてないって。というか、私がそんなことのために撃たれるとでも?」

「でもあなたは霊力回復のアンプルを持っていた。霊力回復を美容(アンチエイジング)の一種だと……いえ、その程度の価値しかないと見下していたはずのあなたが! それはつまり、戦闘行為は不可避であると、子供たち(わたしたち)を『処分』するための一行程だと考えていたからではないですか!」

 

 武装蜂起を起こすだけ起こさせ、あとは深海棲艦に引き潰してもらう。おぞましい考え方だが、合理的ではある。

 

「それは違うよ。私はアンプルを常に持ち歩いてる。で、必要であれば使う……陽炎ちゃんと同じ」

「……違う、私は」

 

 使わないと()()()()()()()()

 

 霊力回復はヒトに痛みを慣れさせる。本来痛みとは、痛むことで生命の危機を報せるモノ。被弾(ケガ)が死に直結しない特務神祇官(かんむす)は痛みをなんとも感じなくなる。鈍感となった彼女たちは最後まで……文字通り頭蓋が砕け、最後の脳漿が蒸発しきるまで戦い抜くことになる。

 

 それでも、そうでもしなければ。

 圧倒的な戦力差の深海棲艦を相手取り、生き残ることなんて出来るはずもなかった。

 

「もういいよ。陽炎ちゃん」

 

 蒼龍がそんなことを言う。

 

「その銃の使い方を教えたのは私だ。楽に試験を突破する方法も、ナンパの仕方も安いホテルも、景品交換所の場所もマークシートの記入方法も、霊力回復(ドラッグ)すらも教えてしまった」

 

 だから責任を取ると、彼女は言う。

 

「撃ち合おう。肉が抉れて、回復して、骨が折れて、接合して……そうやって全部斬り捨てないと、やってられないんでしょ?」

「暴力的な手段に訴えるつもりはありません」

「言ってるコトとやってるコトがバラバラだよ陽炎ちゃん……せめて拳銃を下ろそう? あなただって『事故』は困るハズだ」

「その手には乗りませんよ」

 

 端からみれば、確かに私が1佐へと銃を突きつけているように見えるだろう。しかしその内実は真逆、私がゼロ距離で撃ったところで拳銃弾は逸らされるだろうし、さらに額を傾ければ脳を傷付けることなくいなすことが出来る。

 そして一撃目を躱されたら最後、私は部屋中に隠された霊感繊維(しきがみ)によってズタズタにされてしまう。

 

 この状態ですら、私は圧倒的な劣勢に立たされているのだ。

 

「……うん。状況は正しく認識できてるみたいね。良かったよ」

 

 1佐はそう言って、腰の位置を落ち着けるように身体を動かす。その様子は、彼女を見慣れた私には臨戦態勢の解除に見えた。

 

「昔、似たようなことがあったんだよ」

 

 そうして彼女は、口を開く。

 

新自由連合盟約(ニューコンパクト)が発足したばかりの頃だった。日本の『植民地支配』に抵抗するとか主張するテログループが突然現れて、南洋3国の日本資本で作られた施設を襲った」

 

 その話には、聞き覚えがあった。

 

「たぶん、不満は本物だったんだろうね。日本は防衛力を提供したけれど、同時に南洋3国を難民の受け入れ先として利用していた。体よく戦争と難民を押し付けられた現地住民が不満を抱くのは当然だよ」

 

 忘れたくても、忘れられない。

 

「けれど、どうしてあんなに組織的な犯行が出来たのか、妙だったんだよ」

 

 忘れることは、許されない。

 

「そして新自由連合盟約(ニューコンパクト)の足並みが乱れた途端、マーシャル諸島が陥落した」

 

 まるでポートモレスビー(ここ)と同じね、と蒼龍が嗤う。

 

「常套手段なのよ。米軍の撤退ですら『対等な同盟への転換』だなんて言われてた、要はうわべだけ取り繕って、さも自分は悪くないかのようにする」

 

 それが目的なのだと断じる1等海佐。

 

「だから、武装蜂起(クーデター)そのものを止めることに意味はないの。止められればその分だけ、別の事件が起きるだけ」

「……じゃあ、どうするんですか」

「連中の企みをぶっ潰す」

 

 返事は、あまりに簡潔。

 

「まずは武装蜂起(クーデター)を制圧。返す刃で深海棲艦の攻勢をいなし、私の提唱する無人護衛艦戦略の正しさを証明する……子供だろうと他国だろうと、結局は自分可愛さから『誰か』に負担を擦り付けようとしたのがはじまりなのよ、だったら、私はヒトが死なずに済む戦場が存在することを示すだけ」

「その過程で大勢死にますよ」

 

 でしょうねと返す1佐。その視線は本気だ。

 

「でも、本当にロクでもない選択肢よりかはマシになる。人類(わたしたち)はニューギニアを見棄てず、深海棲艦と戦い続けられる」

「その過程でみんな死ぬとしてもですか」

 

 不知火が、風雲が、巻き込まれた秋雲や、他にも大勢のヒトが。

 そこまで問われて、ようやく1佐は視線を逸らす。

 

 ようやく、突破口が見えた。私は拳銃を構え直す。

 

「ポートモレスビー分遣隊の副司令たる1等海佐、私は今から、あなたを脅迫します」

 

 そうして突きつけるのは、一世一代の大嘘(脅迫)

 

「要求は以下の通りです。まず『子供』の実態について。どうせ各国で行っていることはわかっています。これを全て明らかにしてください」

 

 こんな要求をして、果たして誰が得をするというのか。

 

 艦娘の実態? 『子供』の実態?

 そんなもの、調査したところで世界はなにひとつ変わりはしない。

 

「そして、ニューギニアやインドネシアにおける第7護衛隊群の行いは明らかに内政干渉です。日本のあらゆる実力を撤収してください」

 

 日本の悪行? どうせ日本がいなくなれば南太平洋地域は崩壊する。どんな悪であれそれは必要悪だ。

 深海棲艦が存在する以上、艦娘が必要とされるように。

 霊力回復を用いなければ、私が生き残ることが出来なかったように。

 

 悪も、嘘も、この世界には必要だ。

 

「…………これら要求が履行されない場合。私たちはポートモレスビー、ならびにソロモン諸島海域において()()()()()()()()()()()活動を放棄し、当該地域の防衛設備を完全に破壊します」

「そんな要求、飲むバカはいないと思うけど」

「飲んでもらう必要はないです。みんな大いに慌てて、事態の隠蔽に走れば良い」

「隠せるとでも?」

 

 その問いに対する答えは、イエスだ。

 というか、そうでなければこんな提案はしない。

 

「既に武装蜂起(クーデター)派は押さえてあります。例の護衛艦〈きんもくせい〉も掌握済み……()()()()()()()()()()()()

 

 そう言いきった私に、1佐は大きなため息。

 

「……あなた、消されるわよ?」

「構いません。ロクデナシも世界に役立てるわけですから」

「というか、あなたの首だけじゃ足りないから。部隊の機能不全や無人艦艇の暴走そのものは無かったことに出来ないし、どう考えても無人護衛艦構想とか第7護衛隊群とかも槍玉に上がるんだけど」

「なら、私と一緒に撃ち合って丸焦げ(こんがりハンバーグ)になりますか? ……そうでなくとも、風雲のことは助けられます」

 

 あなたがロクデナシでなく、全うな人間なら。

 選ぶべき道はひとつでしょうと私は詰める。

 

「………………わかったわよ。投降する」

 

 




 

 

 

非人道的行為に加担する全ての国家に警告する。

かつて人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、一般の人々の最高の願望として宣言された。にもかかわらず、世界規模の紛争の前に各国が人権の尊厳を無視しているために声を上げるものである。

 

我々はここに要求する。

 

一、世界保健機関に報告された、西暦2010年から西暦2034年までの人口について、作為的に操作された実数を修正すること

一、現在まで東南アジア地域で行われている人身売買行為について、国際人権連盟の調査団を派遣し、結果を公表すること

一、全世界において艦娘を運用する五六カ国の政府は、管理下にある艦娘の人権ならびに尊厳が保たれているかの調査を行い、結果を公表すること

一、日本国政府によるインドネシアならびにニューギニアにおける平和維持活動は、内政干渉であるから一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すること

 

以上の4項目を顧みない時、我々はソロモン諸島海域において人類のために行っている哨戒活動を放棄し、当該地域の防衛設備を完全に破壊する。

 

日本国国防軍有志改革統合軍

 

 




 

 

 そして、世界はひとつの転換点を迎える。

 艦娘を主体として起きた()()()()()()の反乱事件は、またも歴史の闇に葬られることになる。

 

 西暦2034年――――――ミクロネシア戦役の終結から、15年後のことであった。

 

 

 










お疲れ様でした! これにてコミケ前の更新は全て終了です!
明日はいよいよコミックマーケット101。弊サークル「帝都ファンタジア」は明日金曜日「西え-40a」にて出展です。

というワケで、今回は2019年12月29日に初頒布した同人誌「楼閣揺るゝ翁草」を加筆・再編集したものに最新作「舞い降りし軍艦鳥」の第一巻より冒頭部を接続してお届けしました!



いよいよ完結へ! 大ボリュームの30万字でお送りするシリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。

Twitterでの告知もよろしくお願いします~!

それではコミケに参加される皆様、ご安全に!

※次回更新は12/30(金)の19時。ここから先は毎週金曜19時更新となります。


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幕間「ギソウ・レンアイ」
第96話 徹底抗戦のエゴイスト


ぎ-そう【偽装・擬装】
 ほかの物とよく似た色や形にして人目をあざむくこと。特に戦場などで敵の攻撃を避けるために用いる。
 
れん-あい【恋愛】
 お互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。


――――広辞苑第六版より一部抜粋



 

「あら……お部屋替えですか?」

 

 その報告に、同室の夕雲さんは特に不思議がる様子もなかった。私は荷物整理の手を止めてお辞儀。

 

「そういうことになります。夕雲さんのお陰で今日までやってこられました。ありがとうございました」

 

 同室の夕雲さんは、今回の件……つまり、私への風当たりに関しては中立の立場。それはつまり私を影ながら支援してくれるというわけで。

 他の人達と被らないようお風呂や洗濯機が空いたタイミングを教えてくれたり、郵便物を取ってきてくれたり、きっと夕雲さんがいたからこそ私は耐えられたのだろう。結局の所、私はその程度の存在なわけで。

 

「まあ、秋雲さんなら大丈夫だとは思うけれど……」

 

 そこで言葉を濁す夕雲さん。続く言葉は風雲さんは大丈夫なの、という問いかけだろうか。

 

「ねえ風雲さん。その……無理してないかしら」

 

 控えめに、でも確かに『無理してないか』とそう言った。夕雲さんは優しいヒトなのだろう。でも。

 

「その答えは『無理してない』しかないですよ」

 

 夕雲さんの優しさに頼り続けるのは、なんというかフェアじゃないと思うのだ。私の身勝手な自尊心なのは分かっている。ちっぽけなプライドで好意を無下にしてしまうのかもしれない。でも私は、夕雲さんに頼る自分が嫌いになってしまうから。

 

「そうね、貴女はそういうヒトだものね」

 

 少し寂しくなるわねと、夕雲さんは笑う。

 

「それじゃあ折角だし、どうして秋雲さんと付き合おうなんて思ったのか教えて貰おうかしら?」

 

 結論から言えば、私たちの『嘘』は瞬く間にショートランド分遣隊を駆け巡った。それは艦娘(じよし)の情報網の伝達の早さというのもあるし、なにより娯楽が少ないのが大きいのだと思う。裏切者だろうが色恋沙汰だろうが、とにかく話題があればいいのだろう。その意味では、秋雲の予想は見事に的中したことになる。

 夕雲さんにもその話は届いているはずだった。

 

「え……夕雲さんも聞くんですか?」

「だって気になるじゃない」

 

 結局貴女も気になるだけですか。なんて恩人には言うつもりもないけれど、さてどう説明したものか。

 

「そうですね……強いて言えば」

 

 結局、私は秋雲の言葉を借りることにする。

 

「実務上の理由、ですかね」

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 僅かな雑音の後に、無線が鳴った。

 

《こちら『きんもくせい』、貴艦を補足した》

 

 装置の異常により誘導装置は使用不可。有視界航法にて哨戒艦『きんもくせい』に接舷……それが今日の状況。私は消しゴムサイズの哨戒艦をターゲットに収めると、対象をマーキング。敵味方識別装置(IFF)は友軍であることを示す。本当ならここで自動追尾機能を使うのだけれど、今回はそういった機械に頼らずに接舷する訓練なので使わない。私は哨戒艦とお互いに向き合って、ちょうど反航戦の形で近づいていく。

 太平洋に浮かんだ灰色の城はどんどん大きくなり、いよいよ私の何倍にもなって迫ってくる。剣みたいに細く尖った艦体にペンキで刻まれた艦番号は331。

 そこに鎮座する三インチ砲がひとたび火を噴けば、駆逐イ級は木っ端微塵。垂直発射システム(VLS)に収められたミサイルは空母や戦艦といったあらゆる敵に対応出来る。艦娘にとってこれほど頼もしい存在はない。

 そして私はその右舷側を通過。ここからが難しい。

 

「風雲、収容経路へ進入します!」

 

 身体を傾ける重心移動を利用して旋回、空と海がくるりと周り、前方に哨戒艦の艦尾が見えてくる。小さく書き込まれた『きんもくせい』の文字列と艦尾の軍艦旗が私を迎える。三胴船(トリマラン)構造を採用したこの哨戒艦は、その特殊な船体構造を生かした艦娘専用のスロープがある。これは艦娘は乗組員の手を借りる事なく艦に接舷して乗り降り出来るスグレモノ。

 

《距離100メートル》

 

 それゆえに、向かうスロープに人影はない。無線はレーダーで把握しているのであろう距離を伝えてくるだけで、それ以上の指示はなし。右舷側スロープが近づいてきて……靴底に軽くぶつかるような感触が伝わってくる。スロープに乗り上げたのだ。

 

「接舷、固定します」

 

 待ってましたと言わんばかりに吊るされたワイヤーを艤装に繋いで落ちないようにして、私はスロープを上る。海の上で戦闘を行う艦娘に必要な装備をすべて詰め込んだ艤装はあまりに重く、正直歩くなんて考えたくもない。一歩進むだけでも骨が折れそうだ。

 それでも、着艦支援システムが使えるだけまだマシ。スロープの半ばに待機した機械に足を差し込めば、応えるように挟みこんでくる。ここから先は機械が勝手に引き上げてくれる。

 

《接舷を確認、そちらはどうか》

 

 無線が私に確認を促してくる。実は艦が無人であっても引き揚げが可能なこのシステムは、艦娘の確認が肝心だった。私はカメラにサインを送る。

 

「引き揚げ、どうぞ」

 

 稼働中であることを知らせる単調な警報音のリズムと一緒に、私の身体が上り始める。それを聞き流しつつ海を見れば、そこには太平洋。

 昔は、海は広いな大きな、なんて無責任に歌っていた。でも一度海に出てしまえば思い知ってしまう。太平洋はその名に恥じぬ広さを持っていて……私たちは本当に、小さい。小さくて無力で、迷子になってしまいそう。だから私ははぐれないよう、こうして艤装や着艦支援システムにしがみついている訳だった。

 警報音が鳴り止む。無線が訓練終了を告げたのを聞いて、私は着艦支援システムから足を抜いた。

 その時、私は格納庫へと直接繋がる観音開きになった扉の先に構えていた僚艦の姿を見た。

 

「あ、あの……風雲」

 

 眼鏡をかけた駆逐艦娘が私に躊躇いがちに手を伸ばしてくる。その眼には怯えが宿っていて、私は嘆息。

 

「無理しないで」

「……」

 

 数秒だったか、数分だったか。彼女を無視して手摺りを掴んだ私に対し、彼女は沈黙の後に目線を逸す。

 

「その……ごめん」

 

 彼女の口から飛び出した冗談は、今じゃ私の耳の中にしか残っていない。 

 

「分かってるから。ほら、次のヒトがきちゃうよ」

 

 そう促せば、巻雲は何も言わずに格納庫から去って行く。残されたのは、艤装を背負ったままの私だけ。

 でも、これでいいんだ。

 これは私への罰だから。海の仲間は家族だともいうくらい。裏切者には罰がお似合いというわけで、それに彼女を巻き込んでしまったらそれこそ申し訳ない。

 顔にこびり付いた潮風を拭う。艤装を格納装置(キヤニスター)に預けて、作業着に着替える。艦内放送が次の艦娘の収容訓練を開始することを告げていた。

 

 大丈夫、私は後悔していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ショートランド分遣隊は、比較的小さな部隊だと思う。思うというのは、ここが私の初任地だから、他がどうなっているのか知らないということ。

 空調の効いた食堂に、整理整頓された食器たち。幼年学校でもそうだったけれど、食堂は一種の戦場。会話を弾ませながら同僚の駆逐艦娘たちが駆けていく。

 

「ねぇ聞いた? 今週は『やまづき』カレーだって」

「やった! アタリじゃん!」

 

 止める義理もないから止めないけど、あんな調子で走っていたら大目玉だろう。案の定(きよう)(どう)の艦娘に掴まった彼女たちを尻目に、私は食堂に入る。

 次の瞬間、周囲の視線が一斉にこちらを向いた。食堂に居合わせた同僚達の視線が私を射貫く。

 そっか、やっぱりまだダメなんだ。やりきれないことは沢山あるけれど、まあ、慣れたものだ。受け取り口まで歩いて、トレーを持てばいい。

 

「お願いします」

 

 ここでは食券を買うこともないし、伝票を持ってレジに並ぶこともない。ただ並んで、トレーに食器を載せてもらうだけ。こんな時代ということもあって、衣食住が保証される軍隊というのはそれだけでヒトを引き付けるのに十分な魅力がある……私がこんな仕打ちを受けてもなお軍隊(ここ)に残っているのは、そんな浅はかな理由だとでも思われているのだろうか。

 四人掛けの机が並べられた食堂は、まだ早めの時間ということもあって半分も埋まっていない。だから誰もいない机を見つけるのは簡単だった。その中でも特に人気の少ない場所を選んで座る。

 それでも意識すれば見られているのを感じるのだから、やりきれない。見ている誰かが暇ともいう。

 ……もうよそう、こんなことばかり考えるのは。そう思って視線を無理にでもトレーの上にもっていく。そこには白米と、添えられた黄色。曜日感覚を持たせるために、金曜日のメニューはカレーと決まっている。なぜカレーなのかは謎だけれど、課業で疲れ果てた身体に呑みやすい食事はありがたい。

 

「やまづきのカレー……か」

 

 人手不足もあって、基地の食堂には停泊している護衛艦の主計科の人達が応援に来ている。だからこうして各艦のメニューが突然登場したりするのだ。特にカレーは毎回味が変わることで有名で、護衛艦『やまづき』のカレーは甘いことで評判だった。

 それにしても、ようやく金曜日。私はいわゆる地上待機組ということで、哨戒スケジュールに引っかからなければ土日は一応休み。外出届さえ出せば基地の外に遊びにいくことも出来る。

 もっとも、ショートランドには外出するような場所はないし、私も遊びに出る気はないのだけれど。

 別に私は、後悔している訳ではない。こうして肩身の狭い思いをするのだって、もう何度もあったじゃないか。私はきっと『ツイてない』のだろう。幸運の女神様とかいうのがそっぽを向いているのだろう。別にだからどうって訳じゃない。それならそれで、真面目にやっていけばいいだけのこと。

 だから、私は後悔なんてしていない。どんなに視線が刺さったって、同期が私の話を聞いてくれなくたって。甘いと評判のカレーを呑み込む。身体は資本だってあの人は言っていた。あの人ならきっと甘いカレーを甘い甘いと笑いながら食べてしまうのだろう。

 

「誰もいない? じゃあ座るわよ?」

 

 そんな時、私の視界にカレー以外の影が映った。誰もいないって、私は確かにここに座ってるはずなのだけれど。どうやら裏切者には、こういうことをしてもいいらしい。反論をする気も起きずに咀嚼を続ける。

 ところが、不思議なことに目の前に座った駆逐艦娘は口を開くと、言った。

 

「なんて辛気臭い食べ方してるのよ。身体に毒よ?」

「衛生隊が視てるんです、毒は入っていないですよ」

 

 そういえば、大きなため息。私の冗談がつまらないのは知っている。面白いことを言えた事なんてない。

 

「あのね、アンタにそんな顔で食べられちゃこっちまで不味くなるのよ。折角のカレーなのに」

 

 だったら、別の席で食べればいい。他にも空いている席はある。別の席へ行けばいい話じゃないか。無視を決め込む私をどう思ったのか、彼女はいう。

 

「ねぇ風雲ちゃん。この後時間空いてる?」

「いえ、日報を書くので」

「空いてるわよね?」

 

 空いてないと言っているのに。

 彼女は人の話を聞くという能力が欠如しているのではないだろうか。私が返事代わりにカレーをかき込むと、彼女は大きな声で言う。

 

「あーあ。せっかく密告者サンと仲良くしてあげようと思ったのになー」

 

 喉が、詰まるかと思った。

 必死に抑え込んで、どうにか呑み込む。

 

「あのさぁ風雲。こっちだって時間は限られてるの」

 

 そのくらい分かるでしょと言わんばかりの表情。知ったことじゃない、だったら私なんかのために時間を使わないで、その限りある時間とやらを有意義に使ったらいいじゃないか。そんな私の反論は、口にしたくても喉から先に進んでくれない。

 ああ、言い返せもしない私が虚しくなる。

 

「私の言いたいことは分かるでしょ?」

 

 表情を変えるな、毅然としていればいい。

 だって私は、なにも間違っていないのだから。

 

 

 戦争っていうのは、ストレスが溜まるものらしい。戦争は命と物資の大量消費と引き換えにほんの一握りの英雄サマを生み出すもので、その英雄サマとやらは戦争のストレスを一手に引き受けることになるのだろう。とはいえ、その発散に付き合わされる身としては溜まったものではない。

 

「第1護衛隊群の時は、それはもう凄まじいものだったわ。深海共がね、それはもう犬っころみたいにやってくるの。尻尾があったらブンブン振ってるんじゃないかってくらい」

 

 敵対的な海洋生物、そう定義される深海棲艦は、つまるところ生き物。私たちと同じ生きている命。深海棲艦の縄張りに人類が進出してしまったがために彼らは必死で抗戦しているという噂もあるのに、彼女はまるでそれが喜んで突っ込んで来るかのように言う。

 

「それに向けて撃てばもう百発百中。むしろ三沢から飛んできた航空隊の誤爆が怖いぐらいだったもの」

 

 おーい撃つなってさ、こうやって手を振るの。腕をぶんぶんと振ってみせる彼女。深海棲艦は一種の妨害電波を発する。磁場やらなんやらが狂って、無線とかが使えなくなってしまうのだ。そんな戦場では、支援砲撃が私たちの頭に降り注いだっておかしくはない。

 

「ところが空さん、私らが連中の体液まみれだったせいかこっちにまで爆弾を落としてくるのよね。撃ち返してやろうかと思ったわよ。流石にしないけど」

 

 そう言いながら彼女は笑う。作戦行動中の艦娘には敵味方識別装置(IFF)が搭載されている。見た目で誤爆したなどありえないはずだから、恐らくは誇張表現だろう。それでも、友軍機に誤爆されるんじゃないかって恐怖は理解しているつもりだ。

 

「風雲ちゃんさ、掃討作戦に参加したことは?」

 

 話題を変えるように彼女が続ける。掃討作戦なんて数年に一度あるかないかの大規模作戦でないと行われないもの。私は首を横に振るしかない。

 

「まあそれなら理解できないのかもしれないけどさ。掃討作戦って言っても向こうは結構元気なのよ?」

 

 そんなことは知っている。大規模作戦は基本的には防衛戦で、大挙して押し寄せた深海棲艦の旗艦を撃破するのが主目的となる。掃討作戦は旗艦を撃破した後に残された残党の駆除作戦なのだけれど、残党とはいえ大規模作戦に参加するような深海棲艦が相手だ。

 

「しかも向こうは旗艦(かしら)を失ったせいか狂ったように突っ込んでくるしさぁ……被弾しても精々が名誉戦傷章しかもらえないって考えると、ほんと割に合わないわよ。艦娘は」

 

 そう言いながらもリボン付きの戦傷章を揺らして見せる彼女は、結局は自慢がしたいだけなのだと思う。散々無視して次は自慢話。私は胸の中でため息。

 私たちは、深海棲艦を駆除するスペシャリストである艦娘で、深海棲艦と命のやり取りをしているわけで。正直なところ戦傷章なんてすぐに手に入る。目の前の彼女はそんな話を自慢げにしてくるのだから、なるほどよほど偉い先輩なのだろう。

 そんな先輩は、私の表情をみて何を満足したのか、口端を釣り上げる。

 

「さて、じゃあそろそろ本題に入ろっか」

「なんの話です?」

 

 なるべく早く、努めて平静に返したつもりだった。それでもダメだったようで、向こうは楽しそうに続ける。顔に出てるわよと言わんばかりに鼻を鳴らして。

 

「しらばっくれないでよ密告者サン」

 

 またその呼び名か。それは私に与えられた蔑称(よびな)で、私の罪だという。海軍は仲間意識が高い。それは軍艦(ふね)において乗組員は一蓮托生だから……だからって、正しいことをした私への報いとしてはあんまりだ。

 

「燃料と弾薬の横領があったのは事実でしょう」

「言ったでしょ。掃討作戦じゃ大量の連中を撃つの。弾薬をどうこう、燃料をどうこうなんて一々考えている余裕はないのよ」

「掃討作戦なんて最近はないじゃないですか。それに、帳簿には通常時の哨戒や出撃にすら改竄の形跡があるんです。長期間、組織的な……」

 

 彼女は手を振りながら私の主張を遮る。

 

「だーかーらー。私は横領でっち上げて本土からどんな見返りを貰うつもりだったのかを聞きたいの」

 

 見返りだなんて、なにをどう勘違いすればそういう理屈に辿り着くのだろう。

 

「風雲ちゃんさぁ……命を掛けてる戦闘中に燃料やら弾薬をキチンと数えられるワケがないでしょ」

 

 それをなに? なんで私たちが悪者みたいに言われなきゃいけないのよ。彼女の主張は、恐らくこの分遣隊の大半の艦娘が思っていることなのだろう。

 私は、資材部で燃料弾薬の管理に関わった時に発見した資材の過剰消費を報告しただけのこと。それが横領告発という話になり、そして監査が入るに至った。

 

「横領ってさぁ。風雲ちゃんは大げさ過ぎるのよ」

 

 そう彼女は首を振る。

 

「例えばほら、機関一杯で全力疾走したくなるときとかあるでしょ? とはいっても警邏(パトロール)や移動では経済速度(げんそく)で動かなきゃいけないじゃない。だから訓練でちょっちずつ消費を水増ししてあげて、後でぱーっとやるの。これ、駆逐艦の常識よ?」

「誰でもやってるんなら、それで許されると?」

「だからさぁ」

 

 そこで彼女は言葉を区切る。しっかり二秒は私のことを睨んで、それから大きなため息を吐いた。

 

「大袈裟だって言ってるの。他の泊地でだってどうせ似たようなことやってるわよ? そもそもこれは、許される許されない以前の問題だって言ってるの」

 

 大袈裟なはずがない。少なくともあの帳簿は誤差で片づけるわけにはいかなかった。一回や二回なんて話ではない。それこそ何十回、いや何百回の誤差を積み重ねることで、現実との乖離は大規模作戦の消費量ほどにも匹敵する。

 ただ、そのことは目の前の彼女は知らないのだ。多少の横領なら彼女の言う通り問題にされなかったかもしれない。しかし今回は規模が規模。

 報告した上司は大仰に頷いて、初めは今回のことを伏せるよう私に念を押した。それほどの規模で横領が行われていたということ。だから告発した。告発するしか方法がなかった……監査が入った今でも、その内実は公表されていないのだけれど。

 そのように事実が伏せられている以上、彼女にとってみれば私が彼女のちょろまかしを告発したせいで監査が入り、面倒ごとが増えたと思っているのだろう。

 

「……大袈裟なのは、そっちの方よ」

 

 私は思ってしまうのだ。裏切者やら密告者だというのは、その実ストレスを発散させたい人達の口実(いいわけ)でしかないと。どうせ目の前の彼女だって監査で困ったことなんてないだろう。ただなんとなく、告発者という叩く理由になりそうなモノを持っている私を叩いた。それだけのことなのだろう。

 だから、私は知ったことじゃない。私はこんなことで告発を後悔したりはしない。ただそれだけ。

 

「ねぇ風雲ちゃん、真面目に聞いてる?」

 

 黙りこくった私に嫌気が差したのか、彼女がそう言う。こんな平行線を演じるのも癪なので、私は話を畳むことにした。

 

「ともかく、監査が終われば自ずと分かることです」

 

 それでは。それだけ言い残して立ち去ろうとする。

 

「そ、じゃあしょうがないわね」

 

 その一言。それだけで背後に現れる複数の気配。彼女の僚艦(とりまき)たちということは見なくても分かった。

 心底、気が抜けた。

 

「……こういうことをするだけの負い目があると?」

 

 私は馬鹿者かも知れない。常識知らずで無鉄砲な駆逐艦かもしれない。それでも彼女よりはマシだと本気で思う。向こうは肩を竦めてみせた。

 

「別にぃ? 私たちは団結を乱されたくないだけよ」

 

 そうだ。彼女の言う通りなのだろう。彼女たちは本気で団結を守ろうとしている。誰か一人を切り捨てるくらいの平和が丁度いいと本気で言うのだ。なにも今日に始まったことではない。どこでだって、みんな誰かを除け者にしないと一つになれない。国防軍(このそしき)が団結を掲げるのだって、深海棲艦という除け者を排除するためな訳で、やっていることは変わりない。

 気の抜けた声が聞こえたのは、その時だった。

 

「なになに、喧嘩ぁ?」

 

 あまりにも突拍子がなくて、私は思わず身構える。

 先手を打ったのはやはりというべきか彼女だった。

 

「違うわよ、ちょっち『おはなし』してただけ」

 

 ね、そうでしょ? 同意しろと言わんばかりの眼光が私を刺す。既に観て観ぬ振りをされている私への仕打ちだ。訴えたところで相手にして貰えないだろうし、今回に至っては証拠もない。私は首を縦に振る。我が意を得たり、とばかりに笑みを深める彼女。

 

「ほらあ。別になんにもしてないでしょ? だから言いがかりだっ……て……」

 

 ところが彼女の勢いはあっという間に剥がれ落ちてしまう。私は彼女の視線の先を見て、納得。

 

「ふぅん。そんなこと言っちゃうんだ」

 

 なにせ駆逐艦娘の手には、携帯端末(スマホ)が握られていたのである。しかしその程度で引き下がるようなら彼女は取り巻きなんて連れてはいないだろう。すぐに表情を引き締めると、さも勝ったかのように口を開く。

 

「なにそれ、盗撮のつもり? 他人様の話を盗み聞くなんていい度胸じゃない」

 

 脅しは効かないとでもいうつもりなのだろう。実際問題として私は彼女に暴力を受けたわけでもないし、『おはなし』については私は認めた。十分な証拠になるかというと微妙だろう……そしてなにより、こんな小手先で解決するのならとっくに終わっている。

 

「そりゃあさ。この映像じゃ意味はないと思うよ?」

 

 それでも駆逐艦娘は一歩も引かないどころか、私の、いや彼女の方へと歩み寄っていく。

 

「なによ、だったらさっさと削除してくれない?」

「でもさ。騒ぐのが世間サマだったら?」

 

 その言葉には見当がつく。要するに、インターネットに動画を公開してやろうと言っているのだ。

 

「あははっ、なに言ってるんだか!」

 

 それを聞いた彼女は笑った。それはもう大袈裟に、腹を抱えるばかりの調子で。

 

「なに? 動画を公開して炎上させるって? どう考えても騒ぎになる前に削除されてお終いでしょ」

 

 その指摘は間違ってはいない。深海棲艦との戦いが始まって二十数年。今でもネットを騒がせる国防軍人(こまつたひと)は現れる。国防省は何度もその顔に泥を塗られてきただけに、検閲にはかなりの力を入れているのだ。

 付け加えるならここは南洋の僻地ショートランド。最前線の情報漏洩には敏感だろう。

 

「うーんそれがねぇ。出来ちゃうんだよねぇ」

 

 ところが、駆逐艦娘はそんなことを言ってのける。

 

「なにせ、こっちには5万のフォロワーがいるんで」

 

 この駆逐艦は、何を言っているのだろう。いや、単語が分からないわけではない。5万というのは数字のことで、フォロワーというのはSNSなどの用語。

 

「多分だけど削除とか入る前に拡散されちゃうんじゃないかなー。なにせ5万人が見ている訳だからなー」

「はったりにしては下手ね」

 

 そしてそれを、彼女はあっさりと切り捨てる。

 

「じゃ、試して見る?」

 

 駆逐艦娘が挑戦的に薄く笑ったのが見えた。

 

「別に動画なんか上げなくたって、このアカウントの中のヒトが艦娘ってことを発表(バラ)した上でいじめのことを言えば大騒ぎよ? 火がつけばそれで十分なの」

 

 体面を気にする国防省(おかみ)にはね。その言葉で二人は沈黙。月を隠していた雲が流れて、月明かりがその駆逐艦娘を照らす。私と同じくらいの背丈、私と同じポニーテールに黒のリボン。腕には7護群の部隊章(ワツペン)がついている。ということは同僚……のハズなのだけれど、困ったことに見覚えがない顔。

 

「いいわ。今日は譲ってあげる」

 

 沈黙を破ったのは彼女の方だった。

 

「でも。この私にはったりかますんならもうちょっち上手い嘘を使いなさい? だってその爆弾、アンタも一緒に爆発しちゃうでしょ?」

 

 そんなことも想像できない? そう言わんばかりに髪を揺らす彼女。駆逐艦娘は笑顔で応える。

 

「もちろん分かってるって。だからこそ、この映像が効いてくるワケ。今後この子に手を出さなきゃ、これは水底まで大事に抱えていくことを約束するさぁ」

 

 この子、というのは勿論私のことなのだろう。私の事を私抜きで決めようとする身勝手な二人は、契約が交わされたと言わんばかりに視線をぶつけ合う。

 

「まあ、そっちの覚悟は分かったわ……でも、分からないわね。なんで密告者サンに肩入れするんだか」

 

 彼女の問いかけに、駆逐艦娘は笑う。

 

「ん、肩入れする理由? そんなの簡単よ」

 

 そして当たり前のことをいう調子で。

 

 だって風雲(このこ)は――秋雲さんの()()()()なんだから。

 

 そんな爆弾を、破裂させた。

 



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第97話 身分詐称とデスマーチ

 最前線ということもあって、ショートランドの防空体制は万全。通信機器以外の建物は木陰に隠され、土を被せて空襲に備えたりもしている。

 

「いやぁー。さっきは危なかったんじゃない?」

 

 そんな最前線でも本土と同じような福利厚生は実現したいのか、意外と娯楽の品は充実していたりするモノで。この場合の娯楽とはつまり、酒保(コンビニ)のこと。

 

「まあ、あの動画が流出すれば秋雲さんもあの人も情報漏洩と国防軍の威信を傷つけたってことで懲戒間違いなしだし、もう手出ししてこないと思うけどねー」

 

 冷房装置付の陳列棚に並んだそれを手に取って、レジへと向かう。会計画面に数字が躍る。財布を開くと、丁度いい具合に小銭がぴったり出てきた。

 

「あー、もしかしてお節介だったりした?」

 

 私が無言なのをいいことに、背中に向かって喋り続ける秋雲。私は振り返るとレジ袋を突き出した。

 

「これ、お礼」

「え……」

 

 相手はまさか渡されると思ってはいなかったようで、目を白黒させながら受け取った。レジ袋の中身を一瞥して、それから呆れた様子で言う。

 

「お礼がプリンって女子高生じゃあるまいし……」

「……不満なら、他の買ってきてもいいけど」

 

 まあ確かに、ヒトには好き嫌いがあるわけで。

 プリンはダメだったかとこっそり肩を落とした私。一方の相手は何故か嬉々として声の調子を上げた。

 

「あ! じゃあ秋雲さん林檎マークのカードが欲しいかなぁ……って待って待って!」

 

 欲しがったくせに、買いに行こうとする私の肩を掴んでくる秋雲。振り返ると思ったより真剣な顔で引き留めようとしているらしく、私はため息。

 

「なによ、欲しいんでしょ。買うわよそのくらい」

 

 酒保(コンビニ)でも売られているそのカードというのは、インターネットのサービスに使われる前払式(プリペイド)の仮想通貨。

 要するにお金だ。

 

「いや知らないかも知れないけどカードってプリンよりずっと高いよ?」

「知ってるわよ、そのぐらい……別にいいのよ。お金がないわけじゃないし」

 

 それに、こういう『借り』は作りたくない。それが偽らざる本音で。

 そして秋雲は、私の内心を見透かしたように嗤う(ほほえむ)

 

「いやいや、すぐ溶かすカードで貴重な『貸し』を使うとかありえないから」

 

 魂胆が見抜かれているとすれば、これほど無様なことはない。彼女の双眼に私が写っている。彼女は私のことをどう思うだろう。横領だ不正だと叫びながら自分のことになると平然と現金(わいろ)を渡す人間に見られたか。庇う価値もない人間だと見損なったか。

 でも、それが正しいの。私の告発は不完全に終わった。だから禍根だけが遺されて、それを全部私がしょい込むことになってしまった。

 

「冗談だってば、冗談」

 

 そうやって彼女はへらりと笑う。その笑いのなんて無責任なことだろう。

 

「なんで、あんなこと言ったの」

 

 今日のところは向こうも呆気に取られているかもしれないけれど、駆逐艦たちのまとめ役に喧嘩を売った事実は変わらない。明日から秋雲も標的にされる。

 そんな風に心配してしまう私のなんて無責任なことだろう。心配したところで、何かが出来るわけでもない。精々がカードを買うぐらいしか出来ない私。

 ところが秋雲は、自信を湛えた表情を崩さない。

 

「んー。それが最善手だと思ったから、かな」

 

 ああいうのって、調子崩してやると簡単には立て直せないからね。知った風の秋雲は、私の内心など知らないのだろう。だったら言っておく必要がある。

 

「善人ぶらないでよ。今日のことは感謝するよ?」

 

 でも、あなたは昨日まで黙ってた。

 同僚達はみんな敵だった。露骨に私を無視するヒト。申し訳なさそうに私の横を素通りするヒト、遠巻きに視線を送ってくるヒト。積極的か消極的かの違いはあっても、結局みんなで私に罰を下そうとした。私は裏切り者だからいいと、そんな言い訳をしながら。

 それを、今さら出てくるなんて虫が良すぎる。

 分かってはいる。巻雲だって私に手を差し伸べることは出来なかった。それだけ勇気がいることだろう。でも、だからなんだ。そっちの都合じゃないか。

 

「なんで、いまさら助けたの」

 

 私が睨めば、顔色一つ変えない秋雲は言う。

 

「だって、風雲は助けて欲しくなかったんでしょ」

 

 さらりと放たれた言葉が、ぐさりと刺さった。

 

「そう、そうよ。助けてほしくなんか、ない」

 

 これは私の告発(ぼうそう)。だから手出しは無用。私には私の筋がある。私は後悔していない。いずれ去る嵐なんていくらでも耐えてやる。

 

「うん。だからこれは秋雲さんの自己満足」

「自己満足?」

 

 そんな言葉を、ここで聞くとは思わなかった。私たちは艦娘。故郷から遠く離れた南洋で戦う第7護衛隊群に、自己満足なんて言葉は不釣り合いなのに。

 オウム返しにその言葉を口走った私を見て彼女は、秋雲は満足そうに笑った。

 

「そ。だから今日からよろしくね。恋人さん」

「……ちょっと待って、恋人?」

 

 脳裏によぎるのは先ほどの出来事。秋雲は私のことを確かに『カノジョ』だと言い放った。

 

「いや、だってあれはその場しのぎの方便でしょ?」

 

 それはもう十二分な爆弾、相手は勿論私にも巨大な爆弾で、おかげで私たちは撤退できたのだけれど……だからって今日から恋人(カノジヨ)というのはどうなのか。

 

「そもそも、私はあなたのカノジョになった覚えはないんだけど」

「もちろん。カノジョにした覚えはないね」

 

 でも、あのヒトたちにはどうかな? 問いかけるように首を傾げて見せる秋雲。

 

「いやいや……」

 

 というか、流石にあんな会話だけで勝手に恋人認定されては困る。私の言葉に、相手は頭を振る。

 

「でもなぁ、秋雲さんそう言っちゃったしなぁ。あの様子だと多分、真に受けてると思うよ」

「なにそれ……真に受けられても困るんですけど!」

 

 さっき言っていた『最善手』とはなんだったのか。これでは最善手どころか最悪手ではないだろうか。勝手に恋人認定されたら堪ったものじゃない。裏切り者の次は恋のスキャンダルに晒されるのか。ところが秋雲ときたら、まるで他人事みたいに首を傾げるのだ。

 

「困るの?」

「普通は困るわよ! まず第一、私はアナタのこと何も知らないし……」

「知らないっていうのは心外だなぁ」

 

 そこを突かれては痛い。私は目を逸らす。

 

「……悪かったわね。こちとら、最近は仕事でしか会話してないのよ。知ってるでしょ」

 

 それでも確かに、同じ部隊の仲間のことを知らないのは不味いのかもしれない。でも私のことを無視し続けたのは向こうの方だし、私は悪くない、ハズ。

 そんな私の事を知って知らず、秋雲うーんと唸る。

 

「少なくとも、風雲には有利だと思うけれど」

「有利? どこが?」

 

 何のことを言っているのかさっぱり分からない。秋雲は人差し指を立てると、生徒に教えを施す先生のような口調で続ける。

 

「いい? 結局のところ人間っていうのは流行りに乗るだけの生き物なのよ。今日まではアンタを無視したりするのが流行りだった。裏切者ってことになってるだけに心も痛まない。じゃあ仮に私たちが『恋人』だったことが分かったらどう?」

 

 そんな風にまくし立てられても困る。

 

「どう、と言われても」

 

 秋雲は「分からない?」と言いたげに眉を寄せる。

 

「皆の刃がアンタだけじゃなく、この秋雲さんにも向いていたことに気付くわけ。相手は一人じゃなくて二人だったってことになる。集団を攻撃する度胸がある奴なんてほとんどいないわよ」

「……そう、かな?」

 

 もちろんと大仰に頷く秋雲。

 

「アンタは秋雲(わたし)と恋仲になることで、助かるって訳」

 

 本当に、そうだろうか……そんな都合のいい話が。

 

「いや、ないでしょ。流石に付き合いきれないわ」

「まってまって!」

 

 待てと言われようが知ったことじゃない。助けるってなんだ、勝手に出しゃばってくるのはいい。おかげで今日、少しだけ救われた。それでも、そんな戯言に付き合ってやるほど私は暇じゃない。

 

「帰る。今日はありがと」

「まあ最後まで聞いていってよ風雲、これってば本当にウィンウィンな話だから!」

 

 それでも引き留める秋雲。私に恋人ごっこなんかをする余裕はない。勝手に一人でやってればいい。

 

「少なくとも私には利益(ウィン)がないでしょ」

 

 ところがそう踵を返した私に、秋雲(かのじよ)は言うのだ。

 

「じゃあ、このままでいいの?」

 

 なにそれ。そうやってこっちの心を見透かしたつもりなのか。読心術を自慢げにひけらかされても困る。

 

「いいよ。私は間違ってない」

 

 私は筋を通した。間違ってるのは向こうだから。

 

「だから、いつか過ちを認めて謝ってくるって?」

「……」

「ないでしょ。あの手のは認めるどころか忘れるよ。そのうちアンタの代わりを見つけて、それでアンタのことなんてキレイさっぱり忘れるでしょ」

「それでも、別に構わない」

 

 私は、不正が許せないだけだ。燃料と弾薬の横領は許せなかった。告発が間違っていたとは到底思えないし、私の働きかけで正当な監査が入ったことを願うだけ。それで私に逆風が吹くのはおかしな話だけれど、それは『そういうもの』だと割り切るしかない。

 

「もおー、どーしてそんなに堅物なんだか」

「そっちこそ、どうして食い下がるの」

 

 私はこの駆逐艦娘を、秋雲のことを何も知らない。

 何も知らないのにいきなりカノジョとか言われて、お次は恋人と来た。いくら私でも怒っていいだろう。

 ただ……腕を振り上げて抗議しても、秋雲(このひと)はピンとこないだろう。それなら私は、理由が知りたい。

 そんな私を、秋雲は笑った。

 

「そうね。強いて言えば……実務上の理由、かな」

「実務上の理由?」

 

 そう問えば、秋雲は続ける。

 

「そ。さっきウィンウィンだって言ったでしょ? 恋仲になると、秋雲さんにもステキな特典があるのよ」

 

 そう言いながら秋雲はスマホを掲げて見せる。そこにはフォロワーを三桁ほど抱えたアカウントの画面。

 

「なんだ。フォロワー5万ってのはやっぱ、り……」

 

 ちょっと待った。この画面は、この背景と(アイコン)と自己紹介文には見覚えがある。ついでに最近の投稿にも見覚えがある、というか書き込んだ記憶がある。

 

「知ってるよね。このアカウント」

「しらない」

 

 即答。大丈夫、私は即答できてる。知らないモノは知らないんだから知らないのだ。

 

「まーまーまー。ほら、ここ見てごらん」

 

 そう言って秋雲が指差したのは『フォロー中』の文字。そして添えるように『フォローされています』の文字列が続く。これはつまり、秋雲のスマホで登録されているアカウントとこの誰のモノだかさっぱり分からない謎のアカウントとは『相互フォロー』の関係。

 

「そ……それで? それがどうしたの?」

 

 時間稼ぎに記憶を探る。相互フォローというのは、SNSで繋がっている証拠。頭の中に普段コメントを送り合っているアカウントが浮かぶけど、どれも秋雲の顔とは合致しない。いやそれは当たり前の話か。アイコンと現実(リアル)の顔が同じならこの世界の大半は美女かイケメンか無機物か謎の生命体になってしまう。

 

「ほらほら。そんな垢バレしたオタクみたいな顔しないでいいから。もっと気を抜いて頂戴よ」

「しらないし。こんなヒト知らないし」

 

 誰だ、一体秋雲は『誰』なの。今すぐスマホを手にして相互フォローの人を確認したい衝動に駆られるけれど、そんなことしたら秋雲が見せるこのアカウントが私のものだと認めるようなもの。

 そんな私を知って知らず、秋雲は話を続ける。

 

「いやー私も驚いたんだよ? オタクの巣窟と言われる我が国防軍であっても、同じジャンルに棲み同じ基地の下働いている戦友がいるなんて思わないじゃん」

 

 ジャンル? オタク?

 

「知らないし。栄えある我が国防海軍は立憲日本政府を守護する誇り高き組織なんですけど」

 

 そうそう。そうに決まってる。私がオタク?

 それは片腹痛いにも程がある指摘。私は違うよ。私は弾薬燃料の横領を告発するし同僚からの風当たりが強くても絶対に負けない国防軍人(かんむす)で……。

 

「あーもしかして秋雲サン、風雲の黒歴史を穿り返しちゃった? ならもう触れないけれど」

「知りもしない歴史を黒歴史なんていいません」

 

 大丈夫。きっと秋雲は私の書き込みからアカウントを推測しているだけ。それは全部が状況証拠で、否定しまくればこれ以上は立ち入れないはず。

 

「と、に、か、く。私はこんなアカウント知りもしないし一切関係ありませんから!」

 

 そう言って不退転の覚悟で秋雲を睨む。

 

「むー。ATフィールド全開って感じ?」

 

 じゃどうしようもないけどさあ。秋雲はそう言うと、やれやれと言わんばかりにため息を吐いた。

 

「あーあ。残念、同志が見つかったと思ったのに」

 

 勝手に残念がっていればいい。私は私の世界を守るだけなのだから……待った。これって私の世界が守られたことになるのだろうか。なにせ秋雲は追求を諦めただけ。秋雲の中ではこのアカウントの中のヒトと私は未だにイコールで結ばれているだろう。

 これは、まずい。ヒトは誰しも秘密の一つや二つはあるもの。ネットの書き込みを現実(リアル)の知人に知られたくはないもの。どうすればいい? 非公開アカウントに移行すれば見られずに住むだろうか。いや無理だ。このSNSの仕様だとフォロー関係にあるアカウントには見られてしまう。となると秋雲のアカウントをブロック、つまり見られないようにしなきゃいけない。

 そのためには秋雲のアカウントを突き止める必要がある。こういうのはあんまり得意じゃないのだけれど、アカウント安寧の為だ。仕方がない。

 

「ところで……さっきのアカウントと秋雲がさ、相互フォローしてるってことはさ」

 

 まずは当たり前の話から。なんとかして秋雲を罠に誘導してアカウントを特定、ブロックする。

 

「そのアカウントのヒトは『同志』なんでしょ。だったらそのヒトと語らえばいいんじゃないの?」

 

 会話を誘導するのは簡単だ。なるべく相手に気持ちよく喋って貰うこと。秋雲が思ってること、言いたがっていることを予想して喋らせてあげればいい。

 

「いやほら。文章だけじゃ語りきれないこともあるでしょ? こんな集団生活じゃ通話もままならないし」

「それはまあ、確かに。でもアニメ化されてる作品とかだったら話し相手は探せば見つかると思うけど」

 

 国防軍にオタクが多いのは事実である。それは外出に厳しい制約のある軍人にとって、アニメや漫画と言った情報媒体だけで楽しめるコンテンツは貴重だから。そういうワケでこの基地にだって秋雲以外のオタクはいるはず……という理屈。

 

「うーん。まあそうなんだけどさ」

 

 そして秋雲は()()()()()()()頭を振ってみせる。

 

「こう、なんていうかさ。秋雲サンは二次創作の住人なんだよね。公式はともかく二次創作とかって意外と界隈が狭いじゃない?」

「あー分か、じゃない……へえ、そうなんだ」

 

 危うく共感を示しそうになったけれど、なんとか知らないフリを突き通す。ここからが本番だ。

 

「ちなみに……どんなのが好きなの?」

 

 ここから秋雲の好みを聞き出していく。分かっているのは相互フォローであることだけ。ここから会話で好みや性癖を聞き出し逆算して、突き止める!

 

「そりゃまあ、いろいろあるけど……まあ、秋雲サンのイチ押しはやっぱりオータムクラウド先生かな」

「えッ! オークラ先生のこと知ってるの?」

 

 オークラ先生とは、ペンネーム『オータムクラウド』で活動しているアマチュアの漫画家さん。私の趣味領域にどストライクの作品を描く先生で、界隈の中でも結構な有名人。フォロワー数は5万人を誇る。

 

「オークラ先生はヤバイよね!」

 

 もうヤバイというか、激ヤバなのである。ところが目の前の秋雲が笑っている。というか呆れている。

 あ……あれ? おかしい、私は秋雲の好みを聞き出そうとしていたのに。私は、イマナントイッタ?

 

「あ、違うのコレはね」

「……やっぱりオタクじゃん」

 

 弁明の余地なし。この世界の風雲さんは失敗したよう。まあ次は上手くやってくれることでしょう。

 

「おーい『ふううん』現実逃避するなー」

「風雲ですっ……はっ! まさか私は二重人格!」

「そんなので誤魔化せる訳ないでしょ……」

 

 呆れた表情の秋雲。困った、今私の中では猛烈に天秤が揺れている。つまり、オータムクラウド先生について語り尽くしてしまうか、それとも国防海軍第七護衛隊群所属の艦娘としての矜恃を保つかである。

 でも、でも。オータムクラウド先生のことを知っているヒトはめったに居ない。なにせフォロワー五万人とはいっても日本一億人中の五万ではあまりに少ない。周りには先生の存在を知らないヒトが多くて……知っているヒトが、なんと目の前にいるのだ。

 

「あーもう分かったわよ、認めるわ! 私はオータムクラウド先生の大々大ファンです!」

 

 私の降伏宣言に、秋雲はガッツポーズ。

 

「やっと話が通じたってわけだ。で、どこが好き?」

「そりゃもう、絵柄から話の流れまで全部!」

 

 はっきり言って、私が語り出したら多分止まらないと思う。オークラ先生はとにかく原作の読み込みと考察が凄まじいし、そこから産み出される世界がとにかく深いのだ。しかも毎回綺麗にハッピーエンド。

 

「いやあ風雲なら食いついてくると思ったよ? だっていつも感想送ってくれるもんねぇ」

 

 そんなことも知っているのか。いや、確かに先生の本は読み次第感想を書き込んでいるけれど……。

 

「いや、だからあのアカウントは私のじゃ」

 

 私の反論を完全に無視して秋雲は続ける。

 

「それにしてもいいよねぇ。風雲はあのオークラ先生と相互フォロー関係にあるんだから」

 

 そう、そうなのだ。なんと私はオークラ先生にフォローされているのである。その時はもう驚きビックリなんのその、大慌てで送ったコメントに柔らかく対応して貰えたときの喜びは今でも覚えている。

 そんな調子で作品一つ一つを語り出したら止まらなくなりそう。とにかくオークラ先生は凄いのである。

 

「で、そんな風雲ならもちろん知ってると思うけど」

 

 そんな時、秋雲が急に表情を変える。

 

「オークラ先生……今、原稿がヤバいんだよね」

「いつものことじゃん」

 

 その言葉に秋雲は「うっ」と表情を歪める。

 

「いや。まあそうなんだけど……今回は別物でしょ」

 

 そう言われてみれば、確かに普段よりも状況は良くないのかもしれない。

 

「なんかようやく下書きとか言ってたっけ」

 

 オークラ先生の書き込みを思い出す私に、秋雲は頷く。でもまあ、先生のことだし間に合うと思うんだけれども……ところが秋雲の表情は真面目だ。

 

「今回はヤバイよ。ちょっと厳しいかもしれない」

「そうなの?」

 

 そうなのと頷く秋雲。いや待って欲しい、何故秋雲がそんなことを知っているのだろう。オークラ先生は新刊を落とした試しがない。それを厳しいだなんて断言できるだろうか。出来るはずがない。

 訝しんだ私に対し、秋雲は話を続ける。

 

「そこでさっきの『実務上の理由』になるんだけど」

「え、同志を見つけるって話じゃないの?」

 

 そう言ってから、気付く。確かに趣味仲間を探すだけだったら『実務上の理由』とは言わないはず。

 

「原稿、手伝って頂戴」

「はい?」

「原稿よ、原稿」

「ええと、うん?」

 

 原稿が何かって言うのは分かる。それは印刷物……例えば新聞とか雑誌とか、後は本とかに印刷される画像や文字のことで、要するに見せるモノ。

 理解が追いつかないというか、そもそも追いつくべき理解が存在しないというか。『とある可能性』が浮上した私はそれを沈めては浮かすの繰り返し。

 

「え、待って。え……ウソでしょ?」

 

 状況証拠がゆっくりと紡がれる。よくよく考えるとオークラ先生はSNSに原稿の進捗を書き込んだりはしていない。あとがきで「実は原稿が~(定期)」みたいな感じで冗談めかしてバラしているだけ。

 そして『はったり』で秋雲が使ったフォロワー数は5万人。オークラ先生のフォロワーは()()()()5万人。なにより……私と秋雲は相互フォローの関係。

 いやまさか。本当に? ありえない。

 

「はい、それじゃあ改めまして――」

 

 思考が空回りに入った私に秋雲は、恭しく頭を垂れる代わりにスマホを操作。画面が私を向けば、そこには私を引き()り出したアカウントが映っていた。

 

「え、え……えええ……?」

 

 オータムクラウド。私と相互フォローの関係で、私とは時折コメントを送り合う仲の作家さんで。

 

「お世話になってます! オータムクラウドです!」

 

 衝撃に打ちひしがれるのも一瞬。私のネットリテラシーが全力稼働してその可能性を潰しに来る。いや、まだ十二分に嘘である可能性はあるのだ。

 

「で、でもオークラ先生は男の人のハズだし……!」

 

 ほら、よくあるじゃないか。学校とかで有名人の中のヒトが自分だと偽って面倒なことになることとか。

 

「いや、ジャンルが男性向けに寄ってるからってそれは偏見が過ぎるでしょ? 流石に傷つくよ?」

 

 そう言いながら秋雲はスマホを操作。すぐに私のスマホに通知が来て……。

 

《というわけで、原稿を手伝ってほしいのだぜ☆》

「や、待って! 百歩譲って秋雲が本当にオークラ先生だとして……私は原稿なんて手伝えないというか、恐れ多くてそんなこと出来ないというか」

「秋雲サンはそうは思わないけどなー」

 

 そんなこと言ったって、漫画というのには技術が必要なのである。そりゃ確かに手伝ってあげたい気持ちがないわけではないけれども、だからって……。

 

「いやだって、風雲描いたことあるでしょ漫画」

 

 ところが次の瞬間、恐ろしい一言が飛び出した。

 

「ま……ままま漫画? ななななんの話?」

「いやいや。もう諦めてよ、()()

「私は先生じゃありません!」

「いやー無理無理。だって風雲、東京駅に封印した怪獣が動き出して大阪の首脳会談が襲われる漫画描いてたじゃない。なんだっけ、確か国防軍が食い止めるために浜岡原発を電源にして超電磁砲を……」

「あ――――ッ! ダメッ! 中止ッ! 違うの!」

 

 顔が沸騰して真っ赤になる。

 なんで! それを! 秋雲が知ってるの!

 

「なにが違うのさ」

「違うのッ! 別に私はそういうのじゃないの!」

 

 というか、なんでそこまで知っているのか。あり得ない。だって私はアレらを全部処分したはずだ。だから彼女がそのことを知り得るはずがない。

 

「私は好きだけどなぁ……是非その画力をウチで!」

「えっ? いや、その。ないない!」

 

 手も首も全力で振って否定の意を示す。そういう問題じゃないのだ。というか混乱しすぎてどうしたらいいのか分からない。

 

「いやだって、オークラ先生ってデジタルでしょ? 私はアナログだし、入隊してからは描いてないし」

「大丈夫、やり方は私が教える」

「というか機材が足りないんじゃ」

予備(サブ)機がある。故障に備えてこその辺境作家!」

「いやまって、そんなことして怒られないの?」

 

 そうでなくとも突っ込みたいことが山ほどある。ここは軍隊だろう。そして今は深海棲艦との戦争中だろう。その最前線で漫画なんて描いてていいのか。

 

同人活動程度(こんなささいなこと)で艦娘に辞められちゃ困るんでしょ」

「え、えぇ……」

 

 確かに無人兵器を次々と投入するくらいに国防軍の人材不足は有名で……あり得ない話ではなかった。

 

「とにかく! オークラ先生はアンタの画力を買ってるの! 私が背景苦手なのは知ってるでしょ!」

「それは、かねがねお伺いしていますけれど……」

 

 いやだからって、これはいくらなんでも急展開過ぎない? いやほら、拙速を尊ぶのが同人誌(うすいほん)とはいうけれども……後ずさりする私に、秋雲はぐいと迫る。

 

「これはお互いに利益がある(ウィンウィンな)のよ? だって原稿を手伝えば新刊が出る。読みたいでしょ新刊?」

「いやそうですけど……なら、別に恋人ごっこは」

「恋人ってことにしとけば部屋割りとか優遇してもらえるかもじゃん。つまり作業部屋が出来るのよ?」

 

 私ってば天才でしょ。そう言わんばかりの秋雲。

 

「え、えぇ……」

 

 とにもかくにも、そんな理由で。

 私たちの共犯関係(ギソウレンアイ)は始まってしまったのだ。

 



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第98話 創作活動はロンリネス

 廊下で走ると危険なのは言うまでもないこと。

 それにしても、カレー一つで走れるというのは一種の才能だと私は思う。

 

「ねぇ聞いた? 今日『やまづき』カレーだって!」

「やった! アタリじゃん!」

 

 今にも飛び上がりそうな勢いで駆けていく二人の駆逐艦を、秋雲は手を振って制止させる。

 

「あーほらお二人さん、危ない危ない」

 私と違って、秋雲は基地内のみんなに顔が利く。これは私の想像だけれど、きっと皆には、明るくて行動的な秋雲が好意的に見えるのだろう。

 駆け足から急ぎ歩きに変わった二人を眺めていると、秋雲は急に私の方を振り返った。

 

「あれ、それで何の話してたんだっけ」

「……いや、だから。次のコミマの話でしょ?」

「あーそうそう。そうなんだよ」

 

 秋雲は困ったように肩を竦める。私たちの部隊はオセアニアに浮かぶ島々を守る第七護衛隊群。そしてここは日本から遙か四五〇〇キロ南に位置するショートランド島。片道だけでも下手すれば三日かかる。

 

「前回は比較的小規模なオンリーだからよかったけど、今回はなぁ……」

 

 食堂の受け取り口に並ぶ間も、秋雲はうんうんと唸っている。唸りながら配膳トレーをくるくる回す。

 

「なんで? 本土に売り子さん居るんでしょ? この前みたいに任せればいいじゃない」

 

 私は昼食を受け取る。金曜日のメニューはカレーで、これが土日(やすみ)の始まる合図になるのだ。

 

「そうもいかなくてね。売り子さんは別ジャンルなんだけど、今回どっちも一日目でさ」

「あー……被っちゃったかぁ」

 

 食堂は指定席ではないので、好きな席は早い者勝ちということになる。ちなみに一番人気はテレビが見やすい場所。私たちは適当に離れた場所に座る。

 

「だからまあ、なんとかして行きたいんだけどねー。休みとれるかな?」

「うーん。どうだろう」

 

 コミマには文字通り全国から創作家(クリエイター)たちが集まる創作の祭典。なるべく多くの人が参加出来るようにとの配慮から開催は長期休暇、つまりお盆や年末年始に合わせることになる。するとどうなるか。

 

「お盆はみんな帰国したがるからなあ」

 

 大規模作戦が少ないと言っても、戦時であることに変わりはない。そして国防軍はその最前線で身を張る組織。お盆だからコミマだからと、全員が休めるわけではないのである。結果として、同僚達と休暇申請を争うことになる。

 

「うぅ……コミマは欠席したくないなぁ」

「まあ休暇希望は出したんだし、あとは待つしかないでしょ。とりあえず食べよ?」

 

 頭を抱える秋雲を促して、私はカレーを口に運ぶ。カレーは護衛艦ごとに秘伝のレシピがあって、基地の食堂では各艦の主計科さんたちが手伝いに来てくれることから毎週カレーの味が変わる。今日のカレーはまろやかさ重視。辛いのがそんなに得意じゃない私としては、結構好みの味だった。

 

「うん。美味しい」

「風雲は呑気だねぇ」

 

 秋雲が呆れたように言う。そんなこと言ったって、私は今のところ不安になることはない。なにせ……。

 

休暇がない(さんかできない)なら死に物狂いで原稿(デスマーチ)しなくて済むし」

 

 その一言で、我らがオークラ先生は撃沈。

 

「うッ……心が死んじゃう」

「いやというかさ、原稿ギリギリでしたーって毎回あとがきに書いてるじゃん。なんで回避できないの?」

「脱稿できてるからセーフなの! ネタ出しでギリギリまで迷うんだから仕方がないじゃん。今回なんてヤバかったんだよ? 何十回と組み直したんだから!」

 

 一応同じように作品を創ったことがある身としては、その「少しでも良い作品を!」という気持ちは分からなくはない。分からなくはないけど。

 

「もう……私がいなかったらどうなってたのよ」

「ワザと戦傷(ケガ)を貰って休暇を取った」

 

 その言葉を聞いた私はスプーンから手を離す。両手を伸ばすと、秋雲の顎を両方から挟んだ。

 

「そんなこと、もう二度と口にしないで」

 

 怪我をすれば治療費がかかる。艦娘の治療費は税金で支払われるワケで、それは税金泥棒と一緒だろう。私の言わんとすることを分からない秋雲ではない。

 それに、ワザと怪我をしてそれが大事に至らない保証なんてどこにもない。そこまで言うと秋雲は絶対調子に乗るだろうから、それについては口を噤むけど。

 真剣さが伝わったのか、秋雲は動かない顔で頷く。

 

「……ふぁい(はい)

「よろしい」

 

 私たちは艦娘だ。それは人類を、世界を守る立派な職業で、それと漫画家を掛け持ちしようとする秋雲はスゴいと素直に思う。それだけに、身体を大事にして欲しいのだ。もちろん本業(かんむす)副業(どうじん)の両方において。

 

「とにかく、次はデスマーチは避けてよ?」

善処します(たぶんむり)

「こんのッ……」

 

 何でこんな計画性のない秋雲がオータムクラウドとして毎回落とさず新刊を出せるのか。頭の中でカレンダーをめくってスケジュールを心配するのは私だけなのか。秋雲は休暇の心配だけをしていた。

 

「せめて一人でも休暇が取れれば……」

 

 秋雲が祈るようにそんなことを言う。一人でも?

 

「待って。私に売り子やらせるとか言わないよね?」

「え? 言うに決まってるじゃん」

 

 なにを当たり前のことを、と言わんばかりの秋雲。

 

「待って待って。私悪いけど通販派だよ? コミマとか行ったことすらないよ?」

「大丈夫、一般参加と比べればサークル参加は余裕だから。初めてでも全然いけるって」

 

 秋雲はそんなことを言う、コミマで作品を発表するのがサークル参加で、一般参加とはその作品を求めにいくこと。イベントの性質から一般参加のほうが多くなり、十万を優に越える一般参加者の列はもはや濁流と形容する他ないという……それに比べればサークル参加は楽、という言い方は分からなくもないけれど。

 

「ダメですよ、秋雲の妄言に騙されちゃ」

 

 と、カレーを載せたトレーと共に私の隣に座る影。

 

「あ、巻雲……」

 

 かつて巻き込まないようにと、私が勝手に突き放した巻雲。最近は声もかけてくれなかったし、根に持っているに違いない。私は肩を縮こまらせる。

 そんな私を気にも掛けず、彼女は「そういえば言い忘れていましたが」と前置きして続ける。

 

「お二人とも、御成婚おめでとうございます」

「「勝手にケッコンさせないで」」

「……おや、()()でしたか」

 

 もちろん冗談なのだろうけれど、巻雲までこんな調子なのか。私はそっとため息を吐く。

 秋雲が私に提案した共犯関係(ギソウレンアイ)は、風雲(わたし)と秋雲が偽の恋愛関係を演出するというもの。その結果として私は無視されるようなこともなくなったし、巻雲ともこうして冗談を交わし合える仲に戻れたのかもしれない。

 ただそれは、秋雲の力によるもので。

 

「まあ話を戻しますけれどね、風雲は秋雲がどれくらいの本を印刷してるか知ってるんですか?」

「え……たくさん刷ってるよね? たぶん」

 

 なにせオータムクラウド先生のフォロワー数は五万である。仮にその内の一割が買いに来るとすればそれだけで五千部が必要になるということ。そこまで大袈裟に用意する必要はないかもしれないけれど……。

 

同人誌(ああいうの)って百冊積んだだけでスゴいことになるんですよ? それを一人で捌くのがどれだけ大変か」

 

 私はSNSでしか見たことのないコミマの風景を思い浮かべる。長机の上に同人誌を並べて、そこに次々と一般参加者さんが押し寄せて……なるほど、一人だけじゃ大変なことになりそうだ。そこまで考えた時、私の脳裏に浮かんだのは一つの疑問。

 

「あれ? というか巻雲は秋雲のこと知ってるの?」

 

 秋雲のことというのは、もちろん秋雲の創作(どうじん)活動についてである。てっきり隠していると思ったけれど。

 

「一応、風雲の前は同じ部屋でしたからね」

「ああ、なるほど」

 

 それは確かに隠せる物ではないと納得。巻雲はやれやれと言わんばかりの調子で肩を竦める。

 

「秋雲の相手をするのは大変でしたよホント」

 

 どうやら、巻雲も秋雲の被害者(アシスタント)らしい。私が秋雲に視線を注ぐと、泳ぐ秋雲の両眼。

 

「いや本当に……巻雲センセには感謝してます」

「感謝というか『あー推しが死ぬぅ!』って毎晩聞かされ続けた謝罪が欲しいですね私は」

「ほんッとうに、ゴメンナサイ」

 

 そうやって頭を下げる秋雲。巻雲は冷めた目で見つめてから、(こつち)に視線を投げてくる。

 

原稿の手伝い(デスマーチ)も大変ですけど、秋雲はネタ出しの時が一番面倒くさいから覚悟した方がいいですよぉ」

「そ、そうなんだ……気をつけるね」

 

 気をつけると言ったところで、一体なにに気をつければいいのだろう。そして当の秋雲といえばスプーンを噛みしめていた。

 

「違うの……秋雲サンはハッピーエンドが好きなの」

 

 その言葉を聞いた巻雲が私に目配せ。何がどう違うのかは私にも分からず、私は首を横に振る。

 

「だってさ。物語の世界ぐらいは完全無欠なハッピーエンドがいいじゃない。そう思わない?」

「とは言いますけれど、同人誌(うすいほん)なんて半分くらいは開いて2ページでおっぱじめるじゃないですか」

「あっ巻雲! アンタたったいま七〇億の作家を敵に回したわね! 作品に込められた魂を知りなさい!」

「いやそんなに居ないでしょ……」

 

 秋雲と巻雲がやいのやいのと楽しそうに言葉を交わしていて、私はそれを端から聞くのに徹する。

 二人はなんだかんだと、仲が良さそうだった。秋雲にとって巻雲は大切な相談相手なのだろう。

 

「じゃあ、風雲はどう思う?」

 

 ところが二人にとっては私も当事者の一人らしく、突然話を振られた私は、慌てて意識を引き戻す。

 

「え、どうと言われても……そりゃハッピーエンドの方が気持ちよく読めるかもしれないけれど、でもバッドエンドの作品だって沢山あるし……」

 

 なにもハッピーエンドばかりが作品の形ではないだろう。本を探せば主人公やヒロインが死んでしまう作品なんていくらでもあるし、需要だってある。

 

「じゃあ、風雲はどっち派なんですか」

「えぇ……そう言われても」

 

 眼鏡を輝かせて迫ってくる巻雲。私が身を引くのを見た秋雲が、ここぞとばかりに援護射撃。

 

「風雲はどっちかと言えば特撮寄りだからなぁ、なにせ『浜岡原発大決戦!守り抜け大阪サミ……」

「わー! わああああああ!」

 

 援護射撃どころか友軍誤射(とどめのいちげき)である。大慌てで誤魔化そうとする私を余所に、巻雲は首を傾げる。

 

「なんですかそのタイトル。聞いたことないです」

「しし知らなくていいから!」

 

 私がそう詰め寄ると、秋雲はえーと横槍。

 

「面白いのに」

「秋雲からかってるよね、絶対からかってるよね!」

「いやいや本心ですってばぁ」

 

 そんな風に言う秋雲。そんな昔の作品を出されても恥ずかしいだけだし、それに私は、今は描いてない。

 

「だったら、描けばいいじゃないですか」

 

 事情を大まかに察したのであろう巻雲は、私と秋雲のやり取りをひとしきり聞いてからそう言った。

 

「だって、どうせ秋雲ここから一ヶ月くらいネタ出しで動かなくなりますよ。適当に話し相手になっておくだけで勝手に感謝してくれますし」

「ちょっと巻雲、その言い方はどうなのさ」

 

 秋雲が苦笑いで突っ込むけれど巻雲は聞かぬ風。

 

「というか、風雲まで描いてるなんて知らなかったです。とりあえず既刊くださいよ!」

「え……いや、私は同人誌は描かないんで」

「紙に絵を描いて折ったらそれは本ですよ! 絵を描くと言うことは、つまり本が出るって事です!」

「いやいや……そういう話じゃなくて」

 

 そんな風に迫られても困るしかない。秋雲に助けを求めるけれど、カレーに全神経を集中してますと言わんばかりに無視されてしまった。

 

「そうは言っても……別に描きたい話なんてないし」

「えーと、じゃあホラー系とかどうです?」

 

 巻雲が両手を私の方に突き出して、余った袖を垂らして謎のポーズ。『うらめしや』とでも言いたいらしい。巻雲の趣味はそういうのなのか。

 

「……悪いけど、ホラー系(そういうの)は描かないからね?」

 

 放っておくと描く流れになってしまいそうなので私は早めに却下しておく。巻雲が抗議の声を挙げた。

 

「いいじゃないですかホラー。夏にピッタリなのに」

「夏って……そんなこといったらショートランドなんて年中夏みたいなものじゃない」

 

 珍しく秋雲が的確なツッコミ。しかし巻雲は怪談話をしたいだけのようで、眼鏡をかけ直して続ける。

 

「実はですね……7護群(ここ)って出るらしいんですよ」

「またまたあ」

 

 私はカレーに視線を落としながら返す。幽霊話なんてありきたりな話、漫画にしてもそうそう受けはしないだろう。それこそ、昔は深海棲艦だって海の幽霊とか呼ばれていたワケで。でも深海棲艦は撃てば倒せる。幽霊の正体見たり枯れ尾花というやつだ。

 

「分かりませんよぉ? 友軍に誤射された艦娘の怨霊が出るとかで……なにせここは万年戦場のソロモン諸島、かつての英霊達も沈んだ鉄底海峡では……」

 

 巻雲がそんなことをつらつら喋る。それにしても。

 

「うーん……同人誌かぁ」

 

 その実、私は描きたものが思いつかないのだった。

 



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第99話 大海原にてクリエイト

 私や秋雲がネタ出しに苦労しても、休暇申請について頭を悩ませても、それこそ段々と締め切りが迫ってきたとしても……訓練の日々は続く。

 

《こちら『きんもくせい』、貴艦を補足した》

 

 哨戒艦『きんもくせい』の無線がそう伝えてくる。今日の訓練は誘導装置を使わない手動(マニユアル)操作による接舷訓練。今の『きんもくせい』には乗員が乗っているけれど、人材不足の国防軍では哨戒艦の大半は無人化されていて、今日も無人艦艇への接舷を想定した訓練ということになっていた。

 

《夕雲、収容経路に突入します!》

 

 照りつける太陽に焼かれた艤装備え付けの無線機はそれでも異常なく訓練の様子を伝えてきていた。

 

「暇だねぇ」

 

 私の隣で、秋雲がそんなことを言う。

 

「念のため言うけれど、私たち任務中だからね」

「分かってる分かってる」

 

 本当に分かってるんだろうか。スケッチブックと鉛筆を持ったまま言われても説得力はないわけで。

 もっとも、真面目に双眼鏡を振り回す私も何かを見つけられたわけではない。敵が見つからなければ主砲に出番はないし、機関を吹かすこともない。

 

《距離100。夕雲、もう少し速度を落とせ》

《了解》

 

 訓練は本番のように、そして本番を訓練のように、そんなことを言ったのは誰だったろうか。無線の誘導を受けた夕雲さんが私たちの乗る『きんもくせい』へと迫ってくる。

 その背景にはどこまでも続く空と海。私はクリップボードに止められた紙をひっくり返した。

 

「んー? 風雲もサボっちゃうの?」

 

 スケッチブックを持った秋雲が茶化してくるが、構わず小道具入れから鉛筆を取り出す。

 

「ねぇ秋雲」

 

 私が声をかけても、秋雲は何も言わずに大事そうに抱えたスケッチブックに鉛筆を走らせるだけ。拒絶でないことをいいことに、私は話を続けることにする。

 

「秋雲はさ、どうして漫画を描くの?」

 

 多分きっと、答えは直ぐには帰ってこないのだろう。私はそれが分かっているから、紙の上に一本の線を引く。なんの線かも分からないソレ。ふと既視感を思えた私は、それが水平線であることに気付いた。

 秋雲と共犯関係(ギソウレンアイ)をして、分かったことがある。それは当たり前のことで、でも不思議と分からないこと。

 一本の線に、波が増えていく。何もない白紙に波浪が浮かび上がり、それが延々と広がっていく。

 私が何十個目かの波を描いたとき、秋雲はようやく口を開いた。それは長い時間を掛けて産み出した、会心の一本のようで……それでいて、子供が描いたみたいな、ぐちゃぐちゃの線でもあった。

 

「描きたいから、かな」

 

 鉛筆を握る手が、止まってしまった。秋雲は手を止めずに描き続けていて、なんだか負けたくなくて、私は手を動かしながら言葉を紡ぐ。

 

「そうだよね。秋雲なら、そう言うよね」

 

 そして、オータムクラウド先生もそう言うのだろう。オークラ先生は秋雲がこの世界に生み出した架空の存在だけれど、確かに『描く』を生業とする人物として電子の世界に息づいている。その意味じゃ、私たちとの違いはないのかも知れない。

 私が押し黙ったのをどう見たのか、秋雲は言う。

 

「逆に聞くけどさ。風雲はなんで絵を描いてるの?」

「いや、それは秋雲に描かされてるからでしょ」

 

 私は絵を描くのを止めたのだ。今は実務上の都合でやっているだけで。漫画を描くことにしておいた方が秋雲や巻雲との会話が弾むからそうしているだけで。

 

「でもさ。風雲は今、鉛筆を持ってる」

 

 私が視線を落とせば、そこにはクリップボードと鉛筆。そこに引かれた水平線の下半分はすっかり波で埋まってしまっている。

 

「これは、特に意味はないわよ。強いて言えば……」

 

 強いて言えば、強いて言えばなんなのだろう。

 

「……役作り、かな。恋人の」

 

 捻り出した言葉は随分と強引で。それでも何か可笑しかったのか、秋雲は笑ってくれた。

 

「別に恋人だからって絵を描かなくてもいいのに」

「でも共犯者(アシスタント)には必要でしょ」

「そうね、確かにその通り……じゃあ質問を変えて」

 

 秋雲は言葉を探すように鉛筆を回す。その先端が私を向いて、秋雲は言う。いきなり、ざっくりと。

 

「風雲は、なんで描くのを止めたの?」

「……そこ、聞いちゃう?」

 

 秋雲は遠慮なく続ける。

 

「だって、描き始めた理由なんて安直なものばっかりじゃん。遊び相手がいなかった、手頃な遊び道具がなかった……始まりなんてどうでもいいでしょ」

 

 だって大事なのは、描き続ける理由だもの。秋雲はそう言う。秋雲は、本当に遠慮がない。だけれど。

 

「描くのを止めたのは国防軍に入ったから、かな」

「それだけ?」

 

 秋雲が聞く。就職は創作を止める理由にはならないとでも言うのだろうか。そんなことはないだろう。

 

「多分、それだけ。私これでも、学生の頃は漫研に所属してたんだよ? でも軍人はそうはいかない」

「でも私は描いてるよ? こうやって今でも」

「それは……だってそれは、秋雲にはあるんでしょ」

 

 描き続ける理由が。私の消え入りそうな言葉を拾って秋雲は首肯。だから私は困るしかない。

 

「なんで、なんで止めたんだろう」

 

 なにせ困ったことに。私には、絵を描くことを止めた理由が見つからないのだ。国防軍人たるものが創作活動にうつつを抜かしてはならないから? 単純に時間がないから? それともショートランドが僻地過ぎて、画材を買うことすらままならないから?

 多分どれも違う。どれも正解だけれど、それはきっと『言い訳』としての正解なのだろう。なにせ目の前には仕事と折り合いをつけて、僅かな時間を見つけて、そして僻地なりにちゃんと機材を揃えて活動している実例(あきぐも)がいるのだ。私の理由は言い訳でしかない。

 だったら……私は。

 

「多分……初めから描く理由がなかったんだよ」

 

 秋雲は、なにも返して来ない。何を言われるか怖くてしょうがなくて、気を紛らわせようと私は鉛筆を走らせる。水平線の下半分を描き足しても不格好な海が出来上がるだけだろう。私は上半分に取り掛かる。

 雲って言うのは、意外と描くのが難しい。海には息づかいがあって、それを汲み取ってあげればいい。海をよく知る艦娘(わたし)にはそれが出来る。でも空はどうだろう。私にとっての空は、ずっと憧れの場所。

 

「そっか……雲だ」

 

 昔、なんで絵を描き始めたのか。

 私が自分の意思で絵を描いたのは、何故なのか。

 その答えは、空にあった。

 なんで忘れていたんだろう。大切なことなのに。

 

「昔……私の絵を見てくれる人が居たんだよね」

 

 秋雲はなにも言わない。同意もしてくれないけれど、茶化してくることもない。

 

「上手だねって褒めてくれて、それで……少しでも上手くなりたいって思ったの」

 

 それは本当に昔の話。私の、漁業くらいしか取り柄のない故郷での話。お爺ちゃんお婆ちゃん達はみんな優しかったけれど、優しいだけで。どんなことを話しても、どんな絵を描いても「すごいね」としか言ってくれなくて。でも、あの人は違ったから。

 

「それでさ。あの人が空を描いてくれって言ったんだよね。私の空を描いて欲しいって」

 

 私は、空を描くことが出来なかった。雲には輪郭が存在しない。掴もうとしても掴めない。だから私は、空を描くことが出来なかった。

 

「だから私は、空が描きたかったんだと思う」

 

 私の鉛筆は、確かに紙の上を走っている。さらりさらりと軽いタッチで、走って行く。境界線の存在しない空にゆっくりと雲が浮かび上がる。

 でも、それは多分、空を飛んでいる訳じゃない。紙に貼り付けられた雲を、誰が雲と呼ぶのだろう。

 

「それで、雲は描けたの?」

「描けなかったから、絵を描かなくなったんだよ」

 

 私は結局、雲を、あの人の空を描くことは出来なかった。だから私は絵を描かなくなったのだ。描き続ける理由がなくなってしまったから、止めたのだ。

 

「じゃあさ、風雲は空しか描いてこなかったの?」

 

 秋雲が、私にそんなことを聞いてくる。

 

「……それは」

 

 それは、違う。だって、空しか描いてこなかったのなら私がオータムクラウド先生と出会う事はなかったし、ましてや先生の原稿を手伝ったりはしない。

 おかしいな。昔はもっと楽しく描けたはずなのに。秋雲に散々ネタにされた特撮風漫画だけじゃない、他にも色んなイラストや漫画を描いていたはずなのに。

 いつの間に、描き方を忘れてしまったのだろう。

 

「私……惰性で描いてきたのかもしれない」

 

 だって、空が描けないことくらい、ずっと昔に気付いていたハズなのに。それなのにどうしてこんなに長く続けてしまったのか分からなくて。 

 それは問いだったのか。それとも自嘲だったのか。

 ところが秋雲は小さく息を吐くと、それからくつくつと笑う。人が本気で悩んでいるのに。

 

「笑わないでよ」

「笑うよ。だって、惰性で進む船はいつか止まるよ。進むためには機関(エンジン)を動かし続けなきゃ」

「動いてないから、止まったんだよ」

 

 私はそう反論する。だけれど秋雲は、違うと言わんばかりに私のクリップボードを取り上げた。

 

「惰性で描くヒトは、こんな絵は描かないと思うな」

 

 そこには、水平線があった。水平線に区切られて、空と海が広がっていく。私の空はペンキで塗ったような空。私の海はビーズを敷き詰めたような海。

 私が描きたいのは、こんな景色じゃない。

 

「これは秋雲サンの私見(かつて)だけどさ。風雲は描く理由、探してるんだと思うよ」

 

 秋雲のそれは、指摘のフリをした希望論。 

 

「描く理由なんて、もうどこにも残ってないよ」

「でも風雲はこれを描いた。どうして描いたの」

 

 反論する私は、近況報告のつもりの悲観論。

 

「理由なんてないよ。だってこれは、惰性だから」

 

 秋雲はちょっと困った表情をして、それから私にクリップボードを返してくる。

 それはあまりに未完成な、モノクロ模様。

 ああ、私は結局、まだ空を描きたがっているんだ。

 

「正直な所さ」

 

 秋雲が私の隣で言う。

 

「秋雲サンとしては風雲がオークラ先生の修羅場を救ってくれる救世主(アシスタント)であれば文句はないワケでさ」

 

 そんな予防線(まえおき)を張りながらも私に寄り添ってくれる秋雲は、きっと優しくて。とっても優しくて。

 

「だから秋雲サンは相談相手にはなれないよ? でも……描いてれば、見つかると思うんだよね」

 

 そんな真っ直ぐな貴女が、私は羨ましくて。

 

「なんていうかさ。創作に崇高な意味を見いだすのは簡単だと思うんだよ。文化発展だとか、豊かな生活だとか。多分そう言うのは簡単で……こう、安っぽい」

 

 秋雲はそんなことを言いながら鉛筆を止めようとはしない。それはきっと「安っぽい」の証明で。

 

「秋雲は、いいな」

「なんで?」

 

 秋雲はきっと知らないのだろう。安っぽいことも、以外と高値が付いていたりすることを。

 

「そんな安っぽいことを言って、それから本題に入れるのって、見て貰ってるヒトの特権だよ」

 

 オータムクラウド先生は、有名人だ。そりゃ政治家やテレビの人気司会者には勝てないだろうけれど、私の趣味領域では誰もが知っている有名人だ。

 私なんかとは違って、皆に見て貰える。

 だからきっと、この後に続く言葉は「閲覧数は問題じゃない」とか「大事なのは描いてて楽しいか」とかいう何処かで聞いた言葉であるはずで……。

 それなのに、秋雲は言うのだ。

 

「私は、見てるよ」

 

 その言葉だけで、全部見透された気がして。

 私は固まるしかなかった。秋雲は鉛筆を動かしてなんかいなくて、私をしっかり見据えていて。

 いいな。秋雲は。本当に真っ直ぐだ。

 

「そんなこと……ニセモノの恋人に言われてもなぁ」

 

 だから私は、逃げるしかない。さっきの秋雲と同じように逃げてみる。すると秋雲は、大事そうに抱えていたスケッチブックを私に押しつけた。

 開かれたページ、そこには風雲(わたし)

 

「どう? 似てるでしょ」

 

 私が、クリップボード片手に空を見ていた。澄み渡る空と、哨戒艦の甲板、そして海。スケッチブックの中の私は何処までも遠くを見ている。クリップボードには何も描かれていないけれど、きっとこれから素晴らしい景色が現れるのだろう。

 

似てないよ(じようずだね)

 

 ハッキリ伝えられたら、どれほど良かっただろう。秋雲はにんまりと満足げに笑って、それから踵を返して艦内へと戻って行ってしまう。

 

「あれっ、ちょっと秋雲。スケッチブックは?」

 

 大切な道具じゃないのだろうか。呼び止める私に、秋雲は振り返りもせず片手だけで答える。

 

「その隣のページに、風雲(あんた)にとっての秋雲サンを描いといてね! 恋人同士の約束だぞお?」

 

 呼び止める間もなく秋雲は扉を開けて艦内に入っていってしまう。残されたのは、くすんだ再生紙に描かれた中途半端な風景画と、きらきら輝く風雲(わたし)虚像(スケツチ)

 

「ほんと……ズルイよ、秋雲は」

 

 その言葉は、きっと誰にも届かないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 せめて、風景画だけでも完成させよう。そう思う頃には空は随分と表情を変えていて。

 

「あら、なにを描いているのかしら?」

 

 そんな声が掛けられたのは、丁度私が双眼鏡の相手に戻ろうかと思って鉛筆を置いた時だった。

 

「夕雲さん……あんまりに暇だったので、手慰みに」

「ふうん。見てもいいかしら?」

 

 ちょっと覗き込めば簡単に見られるだろうに、許可を取ってくれる夕雲さんはやっぱり優しい。私はもちろんですと了承して、クリップボードを渡す。

 それを眺めるようにして、夕雲さんは黙り込む。素敵な絵という安直な答えがこないだけ有り難かった。

 

「ありがとう」

 

 それだけ言って、夕雲さんは私にクリップボードを返してくる。「どうでしたか」と聞けば「上手ね」と返されることは分かっていて、そんな茶番(かいわ)はしたくないのに、私は「上手ね」と言われたくて。

 そんなことを言ってしまわぬよう。言葉を紡ぐ。

 

「夕雲さん」

 

 無言で次の言葉を待つ夕雲さん。こんなことを言ってもいいのだろうか。咎めたのは良心か自尊心か。

 でも多分、聞かなければ始まらないのだ。

 

「私、描きたいものが見つからないんです」

 

 描いていれば見つかるだなんて、そんなことを秋雲は言う、そんなものは絵に描いた餅で、続けることの大変さは秋雲が百も承知のハズで。

 それとも、それすらも知らずに言ったのだろうか。秋雲は『描きたい』って想いだけで勝手に描くことが出来て、私もそうに違いないからと無責任に言ったのだろうか。だとしたら本当に……秋雲はズルイ。

 夕雲さんは私の言葉をどう受け取ったのだろう。失礼するわねと私の隣に座ると、ゆっくり切り出す。

 

「……それは、秋雲さんと漫画を描いてるっていう話のことかしら?」

「まあ、そういうことになりますね」

 

 描きたいものが見つからない、だなんて。事情を知りもしない他人に聞くことじゃないだろう。そんなことは分かっている。でも夕雲さんは優しいから。答えてくれるだろうなんて、それは私の甘えで。

 そして夕雲さんは、それに応えてくれた。

 

「ねぇ風雲さん……風雲さんは、昔から絵を?」

「ええ、まあ一応は」

 

 描きたいものを描けばいい。なにを描くために描いているのか。昔と今は違くて、難しい。

 

「それじゃあ、風雲さんは秋雲さんに勝ちたいの?」

「勝ち負けとか、そういうのじゃないんです」

 

 そう否定して、それから分からなくなる。じゃあ私はどうしたいのだろう。秋雲のスケッチブックの中の私は輝いている。それは秋雲みたいで。

 

「私はきっと、秋雲みたいになりたいんです」

 

 秋雲みたいに、無邪気に、真っ直ぐに。どこまでも空を向いていられたらどれほど素敵だろう。

 私は夕雲さんにスケッチブックを差し出す。

 

「あら。風雲さんね」

 

 夕雲さんまでそんなことを言う。私は首を振った。

 

「いえ、秋雲の風雲です」

 

 端から聞けば、なにを言っているんだと言われるかもしれない。それでもこれは「秋雲の」なのだ。

 スケッチブックの中に描かれた虚像(わたし)は空を眺めている。無邪気に、真っ直ぐに。秋雲のそれと同じ。

 

「そうね。そうかも知れないわ。でもね風雲さん」

 

 夕雲さんの同意は、形だけの同意かもしれない。顔を沈める私に、夕雲さんは言った。

 

「人間っていうのは、そう言うモノじゃないかしら。だって人間(ヒト)を決めるのは結局周りの人間(ヒト)じゃない?」

 

 ここに居るのは、確かに秋雲さんにとっての風雲さんなのよ。夕雲さんがそう言う。

 秋雲には、今の私がそう見えているのだろうか。

 だったら余計に、私は約束を果たせそうにない。

 

「……実は。この隣に、風雲(わたし)にとっての秋雲を描けって言われちゃって。それで私は……」

 

 せめて、秋雲と同じ場所に立てたのなら。そうすれば私にも見えるだろうか。澄み渡る空を眺める秋雲のことが見えるのだろうか。そう思ったのだ。

 そんな理由で作品を描こうとしている私に、果たして描ける物なんてあるのだろうか。

 

「風雲さんは、なにかを描きたいのね?」

「でも、私には描きたいものなんて……」

 

 その言葉は、多分嘘だろう。私はクリップボードの風景画に満足できていない。もっと書き直したい。良い絵を描きたいって、そう願っている。

 だから私は、描きたいものがないんじゃない。

 

「いえ、私には、描けるモノがないんです。描けるような物語が、見つからないんです」

「そんなことはないわよ」

 

 なんで、夕雲さんがそんなことを言えるのか。文句を言おうと顔を上げた私に、夕雲さんは微笑む。

 

「だって、ヒトは誰しも物語を持っているもの」

「なんですかそれ、詩人(ポエム)ですか?」

 

 私の突っ込みに、ふふと笑う夕雲さん。

 

「どちらかというと哲学かしらね」

 

 そう言いながら夕雲さんは私から眼を逸らす。注ぐ先は水平線。秋雲の眺めていた世界。

 

「私ね、歴史が好きなの。歴史書は壮大な物語だわ。昔の人達が紡いだ物語が集まって出来ていて、同じ時場所でも語り手によって美談にも悲劇にもなる」

 

 私は無言で頷く。確かにそうだ。ヒトには皆それぞれの考えがあって、一つの出来事も立場によってガラリと印象が変わってしまう。

 

歴史(ものがたり)の登場人物一人一人にだって歴史があるわ。どこで産まれて、どんなモノを見て育ち、そして何を為すのか……それは物語といって差し支えのないものじゃないかしら」

 

 夕雲さんには、そう思わせるだけの歴史があるのだろう。それはきっと秋雲にもあって……私にもあるのだろうか。確信が持てない私は話を逸らすしかない。

 

「そうは言われても、スケールが大きすぎて」

「そうね……これは漫画じゃないから参考になるかわ分からないけれど。私小説なんてどうかしら」

「私小説?」

 

 脳裏に何人かの文豪が蘇る。作家の半生を書き写したような作品の数々が浮かぶ。夕雲さんは続けた。

 

「自分の歴史(じんせい)の恥ずかしいこと、自分の歴史(れきし)で悔しかったこと。それとも世間の常識(れきし)でやりきれないこと。それを吐き出したもの……」

 

 そういったものも、立派な物語になると思うのだけれど。夕雲さんの言葉を額面通りに受け取れば、彼女は私に自分の半生を描けと言っているのだろう。

 

「でも、私はそんな大層な人生は」

「あら。私はそうは思わないけれど、密告者サン?」

「……」

 

 押し黙った私に、ごめんなさいねと夕雲さん。

 

「それこそ……そう、暴露本なんてどう?」

 

 

 

『だから、いつか過ちを認めて謝ってくるって?』

 

 

 

 あの日の秋雲がよみがえる。私たちの共犯関係(ギソウレンアイ)が始まった、あの日の秋雲が言う。

 

『アンタの代わりを見つけて、それでアンタのことなんてキレイさっぱり忘れるでしょ』

「そんな、別に私はそんなことがしたいわけじゃ」

「私これでも、結構7護群(あのけん)には怒ってるのよ?」

 

 夕雲さんは、いざとなれば手伝うからと言わんばかりの調子で。そんな自分勝手なと私は呆れる。

 

「ええ。だからこれは私の自己満足」

 

 ……その言葉には、聞き覚えがあって。

 

「夕雲さん。もしかして秋雲に根回しされました?」

「さて。どうかしら?」

 

 

 



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第100話 狂乱最中のヒロイズム

 最近の深海棲艦はすっかり静かで、ショートランド分遣隊から最前線の看板は下ろされてしまった。

 そうなれば本土にとっての重要度も下がる、私が告発した燃料弾薬の横領についての監査は日に日に人員を減らされて、結局最後には打ち切り。

 再発防止策とかいう謎の書類だけを置き土産にした彼らは、結局なにも解決してはくれなかった。

 そして、分遣隊の時間は何事もなかったように進み始める。毎週金曜日は皆が大好き『やまづき』カレーを食べて、無人艦艇との接舷訓練を繰り返す。そんな風に、毎日が過ぎていく。

 それはつまるところ、時間がたっぷりあることを意味していて……そのせいで私は言い訳も出来ず、目の前の白紙と向き合っている。何度か文字列が産まれては消えるの繰り返し。それが永遠に続きそうで、私は凝り固まった身体をほぐすように大きく背伸び。

 

 暴露本という発想は、正直新鮮だった。

 それは私に言わせれば八つ当たりだ。だって、私がショートランドで受けた仕打ちを公表したところで誰も得をする人はいない。私が受け止めた罪は変わらないし、暴露本が大きな話になれば国防軍は今以上の人手不足に喘ぐことになる。よくて私への風当たりがまた強くなるだけだろう。

 そのせいか、真っ白な紙には『綱紀粛正』なんて大層なお題目だけが転がっていて。消しゴムで消すのも億劫で、私はそれを丸めて潰す。

 

「ホント、馬鹿みたい」

 

 暴露本を描くというのは、なるほどワクワクしない訳ではなかった。面白おかしく(コミカルに)、もしくは誰もが気持ちよさ(カタルシス)を感じられるように。それでも国防軍の闇をはっきりと切り取る。そんな本がコミマで炸裂したらなるほど面白いことになるのではないだろうか。

 いや、それはあまりにも反社会的ではないだろうか。私がそんな話を描けば、きっとそれは国防軍の、いや国を守る軍隊の根本的なところに触れてしまう。

 いや、私程度が動いたところで、変わらないか。

 

「反社会的、かあ」

 

 それでも、その『反社会的』という言葉には大きな重みがある。例えばそれは校舎裏で煙草を吸う学生で、平和を叫びながらドラッグを撒き散らす平和主義者で、そして暴露本を胸に抱えたこの私で。

 

 この物語は、きっと忘れ去られるためにある。

 

 鉛筆が走る。今度はくしゃくしゃにしてしまった再生紙の上じゃなくて、原稿用紙の上を走る。この物語の書き出しは、ずっと昔から決まっていたかのよう。

 

 ――私は、後悔していない。

 

 物語は単調に進む。架空の国家オセアニア諸国連邦構成国、秋津洲(ひのもと)に産まれた主人公は南洋の一大交通拠点であるグアム島に赴任するところから始まる。

 地名やら国名やらを弄ったのは、まあ一応創作物(フィクシヨン)ですよと言い訳が出来るようにするため。

 グアム島は延々と続く戦争の最前線なのだけれど、この戦争は一種の永久戦争(出来レース)というヤツで、実は両陣営共に(てきもみかたも)戦争を終わらせる気はなくて。最前線は名ばかりになってしまっていて。そんな腑抜けた最前線に憤った主人公は、頑張って改革を進めようとする。

 

「でも、ここで改革を邪魔する奴らが出てくる」

 

 紙の上には主人公に対峙する先任下士官の姿。彼の仕事は秩序ある軍隊を守ることで、改革を行う主人公を止めようとする。主人公は理想論ばっかりで、改革は決め手を欠いている。それで主人公は……。

 

「横領を告発、上層部から(トツプダウンで)改革を進めようと……」

 

 ところが、そこで手が止まる。多分これでは主人公の改革は失敗してしまうだろう。というか本当に永久戦争であるなら、それを崩そうとする主人公は上層部にとっての敵ということになってしまう。

 

「じゃあ志向を変えて、横領に理由付けをしよう」

 

 そう呟いて、それから私は奇妙なことに気付いた。今、この紙面で進んでいる物語は今日までの私を元にして、それを百倍くらい大袈裟に描こうとしている。だから横領も監査も説得力がある、そう思っていたけれど……本当に説得力はあるだろうか。随分と浮ついた話ではないだろうか。

 深海棲艦との永遠に終わらない戦争を永久戦争と仮定したのは我ながら面白い発想だと思う。これで改革を進めようとする主人公と上層部の対立に話を持っていけばどこかのディストピア小説みたいな作品が完成するような気がする。だけれど横領は……なんで横領は起きたんだろう? 永久戦争であれば世界は徹底的に管理されているはずで、横領が起きる理由がない。

 横領は悪いモノ。国防軍には許されないモノ。

 私はその程度にしか考えていなかった。横領がなんで起きたのかなんて、考えもしなかった。

 横領、官品の横流し。それは不正利益を得るためのもの。理由なんていくらでもあるだろう。ギャンブルにお酒、あとはクスリとか。お金欲しさになんでもするというのは、まあ不思議な話ではない。

 でも一つ。一つだけ問題がある。

 

 艦娘用の弾薬や燃料は、お金にはならないはずだ。

 

 横領というのは、民間市場が必要としていて、なおかつ政府が優先的に確保している物資、例えば配給品などで起こるモノ。

 海上輸送網が安定している現在では配給制なんて敷かれてはいないし、なんとか売れそうなものを探した結果として軍の装備品に手が伸びるのは分かる。

 でも、果たして艦娘の燃料弾薬が標的になるだろうか。なにせ艦娘用の燃料は民生品で使えるような代物ではない。いや、燃料はまだしも、艦娘の武器は民間市場に出回るようなものではない。規制があるとかそういう話ではなく、単純に実用に耐えないからだ。

 深海棲艦用にカスタマイズされた武装と弾薬は、なんというか中途半端なのだ。人相手に使うには反動が大きく、かといって戦車や建物を壊すには威力が足りない。その上艦娘の艤装を使いこなすには相当な期間の訓練が必要で……横流しでテロリストやらが手に入れたところで、使いこなせるはずがないのだ。

 

 いつの間にか、メモ用紙の上には闇の流通ルートやら反政府組織やら、とにかくバトルアクション重視の作品に出てきそうな文字列がならんでいる。

 

「市井の人間が艦娘の武器を使うことはありえない。じゃあ現役とか退役した艦娘が欲しがるとか……? いや、なんの為に、さ……」

 

 そこで、私は固まる。いや、私はもう答えを言っているじゃないか。

 艦娘の艤装を使いこなすには相当な期間の訓練が必要で、テロリストに使いこなせるはずがない。

 違うだろう、だったらテロリストが訓練していればいいのだ。訓練施設は本土にも海外にも山ほどある。

 

「え……ちょっと待って。嘘でしょ?」

 

 私は原稿用紙に目線を戻す。主人公にむけて先任下士官が組織の常識とやらを説いているシーンだ。彼だって軍人だったのなら、永久戦争などというお題目のために自分と部下たちが使い潰されるのを黙って見過ごしたりはしないはず。もしも武器弾薬の横領が彼の仕業で、それが上層部を打ち倒すモノだとしたら?

 

 武装蜂起(クーデター)

 

 面白くなってきた、そう思ってしまった自分がいた。それが原稿用紙を眺める神サマの視点だということには勿論気付いていた。

 これから主人公は、この戦争を終わらせる気のない上層部と、そして戦争を終わらせるために国内で血を流そうとする武装蜂起(クーデター)派と戦うことになるのだ。作品として、これほど面白いことはないだろう。

 でも、その面白さを引き出すには乗り越えなきゃいけない壁がある。恐らく主人公の居る基地は武装蜂起(クーデター)派の巣窟だ。ここで主人公は武器弾薬の横領を告発しようとしている。

 それを果たして、先任下士官は許すだろうか?

 

 ああ、許されるはずがない。武装蜂起(クーデター)派は自分たちの理想のために血を流そうとしている。そこに一人や二人の犠牲が増えたところで気にしやしないだろう。

 主人公が助かるには、途方もない運が必要で。

 

 ――――そして主人公(わたし)に、そんなツキはない。

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 それは叩きつけるように、ボツボツと艤装を叩いて止まない。中部太平洋はソロモン諸島。第7護衛隊群が担当するメラネシアの空は荒れに荒れていた。

 

「ああもう、こんな時に!」

 

 叫びながら主砲を放つ。飛び出してきたイ級が爆発。分かりやすく単調な攻撃を見抜くのは容易いけれど、こう何度も繰り返されると厳しいものがある。

 

「秋雲、増援要請は!」

 

 状況は良くもあり、悪くもある。先ほどから狂ったように鳴り響く雨と雷(スコール)は、確かに私を敵艦載機からは守ってくれるだろう。ただ一方で、近接戦闘をするには視界が遮られて仕方ない。今の私にはほんの数十メートル先にいるはずの僚艦の姿すら見えなかった。

 

《もうとっくに出してるっての! 突破するよ!》

宜候(よーそろー)!」

 

 それでも答えが返ってくるということは、まだ私たちはなんとか持ちこたえられているらしい。

 

《とにかく私から離れないでよッ! 風雲!》

 

 秋雲の声が聞こえる。私だって離れるつもりはない。時折聞こえる爆音を頼りに、点けられているハズの航海灯を探す。無線機が壊れなかったのは奇跡と言うべきなのだろうか。

 

「うわっ……! これは、不味いわよね……ッ」

 

 目の前に現れた軽巡に魚雷を叩き込んで、爆発も確認せずに駆け抜ける。哨戒任務(パトロール)とはなんだったのか。進めば進むほどに敵の数も、等級も上がってきている気がするのは気のせいだろうか。

 いやまさか、これが気のせいなわけがない。深海棲艦を中心とする生態系は奇妙な均衡の上に支配海域(あかいうみ)を作り出す。それが確かに、私たちの足下に広がりつつあった。離脱どころか、敵の中枢に向かっている。

 

「秋雲……これ、絶対おかしいよ」

《分かってる。でも、下がるのも無理でしょ?》

 

 無線の向こうで秋雲が笑うのが見えた。こんな状況でも悲壮を漂わせない秋雲が、羨ましい。

 次発装填装置が装填完了を伝えてくる。これで魚雷の残弾は発射管の中だけ。誘爆の心配が減るのはいいけれど、弾薬が残り少なくなっていくことは不安でしかない。

 

 そうだ。弾薬だ。

 

 事の始まりは、私が弾薬消費量の水増しに気付いたことだった。いや正確には……()()()()()()()()

 私は単純で、何も分かってなくて。ただ書類が書き換えられていることに納得がいかなかった。

 その結果が、これだ。私は多分、触れてはいけないものに触れてしまった。

 艦娘の艤装を使いこなすには相当な期間の訓練が必要で、テロリストに使いこなせるはずがない……その理屈にもっと早く気付けば、弾薬が『なんのために』横領されていたのか察することが出来たはずなのに。

 そしたら、私は直属の上司に報告すること何てなかったのに。休暇を使って、国防本省に駆け込めばよかった。本当に信頼できる友人だけに相談すればよかった。そっちの方が絶対に正しいはずだったのに。

 そんな私の失敗で……秋雲まで巻き込んでしまうなんて。

 

「秋雲……!」

 

 なんて言えばいいのだろう。逃げて? そんなことは秋雲も知っているだろうし、そして今私たちは逃げようとしている。この出撃は仕組まれていたのだ。私を消すためだけに、私を消す名目が必要だったから。一隻で最前線に放り出す訳にはいかないから、秋雲を巻き込んだのだ。

 ああもう、本当に嫌になる。私はあの人に憧れて、あの人と同じ空に辿り着きたくて。あの人の空を一目見たくてここまで来たのに。

 いや、まだだ。私は絶対諦めない。だって私、ここまで来ても後悔してないから。絶体絶命? 知ったことか、是が非であっても生き残って、必ず武装蜂起(クーデター)を止めるんだ。向こうの理由なんて知ったことじゃない。あの人が守っ()この国を、武装蜂起なんかで汚さないために。

 

《風雲! 戦術リンクに友軍艦艇(フレンドリー)出たよ!》

 

 戦術リンクの装備が壊れた……いや、()()()壊されていた私に秋雲は教えてくれる。所属は第七護衛隊群、艦番号331『きんもくせい』。頭の中でそれが繋がって、私は息を吐く。大丈夫『きんもくせい』は無人艦艇だ。武装蜂起(クーデター)派の息はかかっていない。

 

「秋雲! 支援砲撃要請は出来る?」

《もうやってるよ! 一〇秒後に有効射程……》

 

 何か考えるような間を置いて、秋雲は言う。

 

《……風雲は敵味方識別装置(IFF)が壊れてるんだよね》

「うん……他も一通り、全部ね」

《私の後ろにぴったり付いてきてね。そうすれば、撃たれないハズだから》

 

 自信満々で笑って見せた秋雲。

 彼女は、知っていたのだろうか。

 無人戦闘艦のシステムは友軍保護を重視するということを、友軍艦艇(あきぐも)の真後ろにピッタリついた不明艦(ボギー)を最重要目標と認識することを。

 哨戒艦『きんもくせい』がスコールの向こうに見える。剣のように研ぎ澄まされた艦首に備え付けられたのは、対空・対水上両用の3インチ速射砲。

 それが、秋雲を追尾する()()()()に指向される。

 

 発砲。初速900キロメートル毎時の砲弾が迫る。

 

 それを知って……秋雲は私に笑ったのだろうか。

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 この会話を、いったい何度聞いたのだろう。

 

「ねぇ聞いた? 今日『やまづき』カレーだって!」

「やった! アタリじゃん!」

 

 顔も知らない駆逐艦娘が駆けていく。それを制止するのは決まって秋雲で。

 

「あーほらお二人さん、危ない危ない」

 

 手を振って制止させた秋雲は、そのまま決まり切った動きで私の方を振り返る。

 

「あれ、それで何の話してたんだっけ」

「うん。もう終わりにしない?」

 

 その一言で、世界が止まる。駆け足を止めた駆逐艦娘も、食堂のテレビも配膳台も。全部止まった。

 秋雲は小さく息を吐いて、身体ごと私に向ける。それから困ったように頭を掻く仕草。

 

「そっか」

 

 多分ソレは、何もかも全部、知っていた顔で。信じたくもないことを信じろと言われているようで、突きつけられているようで。胸が締め付けられた。

 

 ああ、本当にそうなのか。

 

 本当に、秋雲は――――私のことを。

 

「私を殺したのは……秋雲(あなた)なんだね」

 

 その問いに、秋雲は答える。

 

「そっか。そうなっちゃたか」

 

 どこか諦めたように、力なく笑った。

 



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第101話 虚構世界でツーリズム

 等間隔に音が聴こえる。心の平穏をかき乱すには十分な無遠慮さをもった電子音が耳に刺さる。

 そしてそれは、彼女が生きている証でもあった。

 

「あきぐも?」

 

 部屋に入った私を迎えたのは、困惑の色を浮かべた僚艦、夕雲型の巻雲。彼女の看病をしていた巻雲には、明らかな疲れが見て取れた。

 

「酷い顔ね」

「そっちだって、まるで鏡です」

 

 巻雲が言うには私も似たようなものらしい。そんなハズはないのだけれどなとは思うのだけれど、反論はエネルギーの無駄なのでしない。

 私の無言をどう受け取ったのか、巻雲は静かに首を振った。それから真っ直ぐに私を見る。

 

「……ほんとにやるの?」

「うん、決めた」

 

 私は頷く。何度も反対した彼女なら私の意志の強さは知っていることだろう。予想通り、彼女は疲れ切った顔に一瞬だけ感情を滲ませて、それからため息。

 

「分かりましたよ。準備しますから、そこに」

 

 隣のベッドを袖で指す巻雲。私が横になるのを見て、電極やらなにやらの装置を取り付けていく。

 

「他に、なにかいい方法があればいいんですけどね」

 

 ここは護衛艦『きんもくせい』の医務室。

 兵員30名を収容し、回転翼機や艦娘の運用母艦としても機能するだけに艦内設備、ことさら医務室の設備は水準以上のものが用意されている。

 それでも、普段から無人運用されているために医官が乗り込んでいないこと。そしてなにより、艦内の医療機器ではどうしても出来ることに限界がある。

 

「だから今、やるしかないんだ」

「わかってますって」

 

 私に応じるように巻雲が装置を取り付ける。接続された装置に電流が流れて、電子音が増える。

 私と、もう一人の分。背中に当たる硬いマットレス。医務室に充満した消毒液の匂い。それらが纏わりついてくるのを感じて、私は目を閉じた。

 

 私たちが風雲を喪ってから、今日でもう一週間。

 

 『きんもくせい』は隠れ蓑にするには丁度よく、向こうは風雲を沈めたものと安心していることだろう。

 ただそれでも、風雲がこの硬さと匂いに呑み込まれてしまえばおしまいだ。

 

「ね、秋雲。ちょっちいいかしら?」

 

 急に聞こえたのは聞き慣れた声。私が顔を上げると、そこにはツインテールの駆逐艦娘。

 

「あれ、哨戒はいいんですか?」

「こんくらい外すくらい問題ないって」

 

 それより、いくんだって?

 先輩にあたる駆逐艦。今回の件で応援(たすけ)に来てくれた彼女がそう言う。私は肯首。

 

「いきますよ」

「その様子だと……巻雲は反対なのかな?」

 

 視線を送られた巻雲は俯く。唇を噛むようにして、それから首を振った。

 

「当たり前です。だって危険すぎます。なにが起こるか分からないんですよ?」

「なにが起こるか分からない、だからこそいくんだよ。だって私、なにもしなかったら絶対後悔する」

 

 ううん。もう後悔してるから。

 

「もう、これ以上後悔しないために」

 

 だから、なにがなんでも成し遂げなきゃいけないのだ。先輩は手を叩く。

 

「うんうん。やっぱり若いってのはいいね」

「たいして歳も変わらないでしょうに……」

 

 私の突っ込みを無視して、先輩は続ける。

 

「よし!じゃあそんな若人への手向けをあげよう!」

 

 それから手を差し伸べてくる先輩。私が首を傾げると、満面の笑みを湛えたままに首を傾げた。

 

「ほら。手を出しなさいよ」

 

 言われるがままにその手を受け取る。

 その瞬間――ずしり、と身体が重くなった。

 

「……ッ!」

 

 手とか腕、そういった部位部分が重くなったのではない。手から腕から伝わって、まるで身体全体が重くなっていくかのような……それが乱暴に注がれた水のように身体の中をのたうち回って、それから静かに染みこんでいく。

 

「どう、びっくりした?」

「……今の、何をしたんですか」

 

 先ほどまでの違和感は消えてなくなり、むしろ何かが身体の芯から湧き上がるようにして全身へと行き渡っていく感覚。

 

「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よ。私の妖精(あいぼう)を預けたの」

「妖精を……? そんなことが出来るんですか。というか大丈夫なんですかそれ」

「分霊の応用みたいもんだって神祇のヒトが言ってたわよ。まあ大丈夫なんじゃない?」

「そ、そうなんですか」

 

 そう言われてしまえば、そうなのだろう。そう呆気に取られていると、先輩は巻雲を指差す。

 

「えぇ。わたしもですか……?」

 

 困惑したように先輩を見返す巻雲。この反応を見るに、巻雲は先輩が私にしたことを知っているようだった。

 

「当たり前でしょ? アンタがやらないで誰がやるのよ?」

「私はやってもいいわよ?」

 

 後ろから聞こえたその声。振り返った先輩はうえーと声をあげる。

 

「ちょっとぉ夕雲、アンタは外でも見張っていなさいって」

「こんな時間に誰も来やしませんよ」

 

 それに、抜け駆けは許しませんから。そう微笑んだ彼女は、なるほど私を差し置いてリーダー格を発揮するに値すると改めて納得。秋雲型ネープシップというのもなかなかに魅力的な称号だけれど、私は彼女ほど献身的なエゴは持ちあわせていなかった。

 

「ごめんなさいね秋雲さん。貴女にこんな役目を任せてしまって」

「いいってことですよ。これは私の戦いです」

 

 私がそう言えば、夕雲は微笑んだ。

 

「私たちの、ね? だから協力させて頂戴?」

 

 ほら、巻雲さんも。促されて巻雲も私の身体に手を置いた。二人の体温が私に伝わってくる。

 

「正直、巻雲は秋雲のいいなりで動くの勘弁なんですけどぉ……ま、ここは風雲に免じて貸してあげます」

「頼んだわよ。秋雲」

 

 私はもう一度、隣で眠る彼女を見た。今は電子音しか聞こえないけれど、それでも彼女は必死に生きようとしている。私の作戦を後押ししてくれるのはこの事実だけだ。とんでもない作戦だろう。上手くいく保証なんて何一つない。巻雲が言う通り、私も呑み込まれてしまうかもしれない。

 

「じゃあ……繋ぎますよ」

 

 巻雲が私に大仰なヘッドギアを被せる。SF映画みたいな大仕掛けも、やる当人になってみれば意外と心踊らないもの。

 

「いいよ、やって」

 

 その言葉を最後に、私の視界は暗転した。

 

 

 

 




 

 

 

 

 艦番号331『きんもくせい』。そめいよしの級と呼ばれる中型哨戒艦の医務室に、私たちはいる。

 

 理由なんて必要なかった。だってここは私の世界だから、私が『きんもくせい』に居ると思えばそこはもう『きんもくせい』の艦内なのだ。

 

「つまり……現実(ほんとう)風雲(わたし)はここに眠ってる訳ね」

「そ、それで秋雲サンはその隣に」

 

 ポンと堅いベットを叩きながら秋雲が言う。問い詰めた私に答えるべく秋雲がつらつらと述べたのは、まあなんというか、私の考えとだいたい似ていて。

 

「つまんないよ。史上最低につまんない物語(はなし)だ」

 

 悟られたくなくて、私は声を低くしたままに言う。

 

「秋雲には、映画脚本は向いてなさそうだね」

「それなー」

 

 状況が分かってないんじゃないかってくらいの呑気さで答えが返ってきて。

 

「ま、風雲の大根役者も大概だけどね」

 

 次の言葉に……胸が締め付けられた。

 

「分かってるよ、私の性に合わないことくらい」

「じゃあなんで」

 

 なぜ。なぜなのだろう。この世界があまりに都合よくできてことに私は気付いてしまった。それにもう、全部思い出してしまったから。

 

「私がさ、なんで死んじゃったのか。知りたいの」

 

 秋雲は振り返りもせずに言う。

 

「さっき言ったじゃない『秋雲(わたし)が殺した』って」

 

 アンタが言ったんだよ、風雲。そう言う秋雲は私を真っ直ぐ見ていて。それが何よりも雄弁に無実を主張しているようで。私は申し訳なく……それ以上に腹立たしくなる。

 

「ごめんね、じゃあ質問を変える。私は邪魔?」

「答え合わせの要らない質問に、答える意味ある? だって風雲にとっての秋雲(わたし)武装蜂起(クーデター)派なんでしょ」

 

 秋雲の言う通りだった。私が邪魔な理由は分かる。燃料と弾薬の横領は武装蜂起(クーデター)の準備だった。その事実に気付いてしまった私が、邪魔でない筈がない。

 仕方がないので質問を変えようとして……気付いた。いや最初から分かっていた。秋雲に聞くべきことは私が全部知っている。

 なにせここは、風雲(わたし)の世界だから。

 

「撃ちなよ。ほら、私は風雲(アンタ)のいう『裏切り者』だ」

 

 秋雲が言う。両手で支えて、後頭部から撃ち抜きなよと言う。いつの間にか、私の手には拳銃が握られていた。ご丁寧に安全装置が外れている。

 

「まって、まだ聞いてないことがある」

「いやないね。アンタの中で『2+2=5』と決まればそれは5なんだよ。秋雲サンに4と言う自由はない訳さぁ……だからもう、撃っちゃえば?」

 

 秋雲はそんなことを言う。それは紛れもない事実なのだろう。というか私だって分かっている。

 だからこそ、聞かなきゃいけないことがある。

 

「この(ふね)が……『きんもくせい』の主砲が私を撃った時、私は死んじゃったんだよね」

「風雲の解釈じゃそうなるね」

 

 私の脚本とは違うけど。その言葉に、秋雲は確かに棘を潜ませていて。

 

「だって、秋雲の言うことを鵜呑みにしたら秋雲(あなた)は私を撃ってそれから助けたことになる。そんなのおかしいでしょ?」

「確かにね。じゃあ秋雲サンが何も知らなかったとしたらどう? あれは本当に誤射で、そのあと必死に助けようとしていたら?」

 

 でも、私にぴったり付いてくるように指示したのは秋雲だった。無人艦艇との協同は国防海軍の金科玉条で、また同時に無人艦艇による誤射は一番恐れられていることでもある。秋雲が知らないはずがない。

 

「だから私は、秋雲が仕組んだようにしか思えない」

 

 そう言えば、秋雲は力なく笑う。ベッドに腰掛けて、膝に手を置いた。

 

「正直さ。ショックだったんだよ?」

 

 何がと聞く暇はなかった。秋雲は矢継ぎ早に言う。

 

「この世界の風雲(あんた)秋雲(わたし)()()()()()()にした。そりゃ確かに秋雲サンは不真面目だしつまらないヤツかもしれないけどさぁ……それでも、私らは一緒に漫画描いた仲じゃんか」

「うん、私たちはそういう関係でしかなかったよ」

「でも、そういう関係だったんだよ」

 

 思い出した今なら知っている。私たちは訓練学校で知り合って、それで意気投合して、それで……多分今日までと同じように過ごしてたんだ。

 

「アンタは秋雲(わたし)のことを信じてないのかもしれないけれどさ。私はアンタにそんなことしない、それはアンタが勝手に作り上げた創作(でつちあげ)だよ」

「違うよ」

 

 多分、多分秋雲は何も分かっていないのだと思う。少なくとも「酷いことをしたことがないから酷いことをする訳がない」というのは理屈が通らない話。

 

「秋雲は私に酷いこと、ずっとしてるよ」

「……」

 

 秋雲は、なにも返しては来なかった。なにも思い浮かばないのだろう。だったらもう言ってしまおうか。

 

「あなたは……あなたは私よりもずっとスゴい。お話は面白いし、まっすぐ前を向いてるし。私はこの世界ですら、あなたに何一つ勝てなかった……ううん。私はあなたと同じ土俵に上がることすら出来なかった」

 

 私はスケッチブックを取り出す。秋雲に押しつけられた、あのスケッチブック。本来なら部屋に置いてあるはずのそれは、何故か私の手元にあった。

 でも整合性なんて(そんなこと)どうでもいい。私はあのページを開く。そして秋雲に見せつける。

 そこには、どこまでもまっさらな白。

 

「みて、これ……私、何にも描けなかった」

「違うでしょ」

「違くない」

 

 だって風雲は努力したでしょ? その言葉と共に秋雲の膝上にばらばらと原稿用紙が現れる。

 

「あっ……それは」

 

 それは秋雲に気付かれないように仕舞っていたモノで、そもそも秋雲は存在自体しらない筈で。

 それなのに、今は()()()()()()にある。

 

「いやー便利だよね。この世界は」

「ちょっと、勝手に読まないでよ!」

 

 私が止めようとするのも聞かずに、しゃらしゃらと原稿用紙を捲っていく秋雲。ああなんで、なんでこんなに都合が悪いのだろう。私の(この)世界は。

 秋雲は原稿から目を離さずに言う。

 

「風雲はさ、読んで欲しかったんでしょ。自分(このはなし)を」

 

 だから、秋雲サンはいまこうして読めてる。

 

「なにそれ、意味分かんない」

「考えてもみてよ」

 

 秋雲は、そういう。何を考えろというのだろう。

 

「まずさ、秋雲が5万人のフォロワーの中から風雲(あんた)を特定するなんて芸当、出来ると思う? そんでもって随分昔に削除されたことになってる風雲(あんた)の過去作品を漁れると思う? そんなのストーカーじゃん」

「それは……」

 

 それは、確かにそう。この世界は整合性のないことばっかりだ。最前線のショートランドに深海棲艦は現れないし、訓練はいつも接舷訓練。カレーは決まって、甘いことに定評がある『やまづき』カレー。

 

「だって風雲、甘いカレー大好きだもんね」

「……うん。大好き」

「接舷訓練、同期の中でトップだったよね」

「そう、だったかな」

 

 そうだよ。秋雲はそう言う。この世界は、そうできているのだと、私も認めざるを得ない。

 そして、秋雲は言うのだ。

 

「ねえ風雲……散々()(らか)ったからもう本気にしてくれないかもしれないけれどさ。帰省の時にアンタが見せてくれた『浜岡原発大決戦』は本当に傑作だったのよ? そうじゃなきゃ私がオータムクラウドで活動してることを明かしたりしなかった」

「知らないよ、今更そんなこと言われても。だって秋雲は、私を利用したかっただけなんでしょ?」

 

 この世界でも、私に都合がいいはずのこの世界で、秋雲は随分と自分勝手に動いていて、それが私は、羨ましくてしょうがなかった。

 そんな秋雲が私に嗤う。

 

「なに言ってるのさ。利用したのはそっちのクセに」

「……」

「風雲の作品、宣伝してあげたじゃん。寄稿イラストだって描かせてあげたじゃん。間宮だって奢った」

「待って、最後のは原稿の手伝い(デスマーチ)のお礼でしょ?」

「まあね。だからこそ、私は気にしてないよ」

 

 でも、私は確かに秋雲の良心につけ込んだ。私のアカウントは精々フォロワー三桁。五桁(ごまん)の秋雲には到底及ばなくて……だから秋雲が「何かお礼がしたい」って言ってくれた時、つい私は。

 

「利用しあっていいじゃん。お互い目指すところも違くていい。それじゃあダメ?」

 

 秋雲はそう言う。そんな秋雲の目指すところは、何処なのだろう。きっとそれは私の知らないところ。スケッチブックの虚像(わたし)が眺める場所にあるのだ。

 

「でも……秋雲は武装蜂起(クーデター)派なんでしょ」

「風雲がそう言うのならね」

 

 秋雲は、否定しない。違うなら違うって言ってよ。違わないならちゃんと認めてよ。

 なんでハッキリ言ってくれないの。

 

「そりゃだって、秋雲サンがなんて言ったって風雲は信じないでしょ?」

信じられないよ(しんじられるよ)

 

 私の言葉に、秋雲は頷く。

 

「じゃ、その言葉を秋雲サンは信じる」

「どっちを?」

 

 秋雲は私の問いに答えない。そのまま私の原稿を置いて、ベッドから降りる。それから一言。

 

「無駄だよ。この問答自体が無駄。だってここは風雲の世界だよ? 風雲は信じたいものを信じればいい、信じたくないものを信じなければいい」

 

 秋雲が私に迫ってくる。ぐいと顔を近づけられて、目の前で彼女のリボンが揺れる。

 

「私は、私はそんなの嫌」

 

 すると秋雲は、私の両肩に手を掛けた。

 

「じゃ、秋雲サンを殺すしかないね」

「やめて」

「私のこと、信じられないんでしょ?」

「やめてよ」

「信じられないのなら、どうする?」

「やめて!」

 

 どん、と突き飛ばして。突き飛ばした私は、此の期に及んで「ごめん」なんて謝ろうとして。

 それで、秋雲が消えたことに気付いた。

 

「え……?」

 

 確かに私は秋雲を突き飛ばしたはず、秋雲は重力に惹かれて落ちて、その証拠にバラバラになった原稿が宙を舞っている。まるで蝶のように。

 

「ここだよ、風雲」

 

 その声は、声ではなくて。私が見下ろしているのは原稿用紙の束で。そこに、秋雲が()()()()()()

 

「いやー原稿用紙(こつちのせかい)って意外と広いのね。びっくり」

 

 呑気な表情で吹き出しを手に持った、秋雲がいた。それは動かない絵で、もしやと思いながら一枚捲ると真っ白な筈の原稿用紙に秋雲が現れる。

 

「あーなるほど。捲ると時間が進む仕組みなのね」

 

 納得顔の秋雲は確かに私のことを見ていた。何枚か捲れば秋雲が次々話しているのが見える。その秋雲は、不思議なことにさっきよりずっと輝いて見えた。

 

「ねぇ。風雲」

 

 そんな秋雲が、言う。

 

「いまなら、消せるよ。私のこと」

 

 消したくなんて、ない筈なのに。嫌がらせみたいに私の手には真っ黒なインクの容器が握られていて。

 

「いいよ。その真っ黒なので、私を染めてごらん」

 

 手のひらに収まるそれが、確かに私の手の中で存在を主張していて。私は気付けば、それを開いていた。

 懐かしい香りが鼻腔まで届く。昔、何本も何本もこのインクで線を引いた。私のペンに補充されたインクが原稿用紙の上に滑り出せばそこに世界が広がった。

 私はそのインクで、世界を塗り潰そうとしている。

 原稿用紙がぺらりと飛び去った。どうやら秋雲は、私が捲らなくても(てをかさなくても)勝手に喋るらしい。

 

「いいんだよ。風雲の苦しみを、私にも分けて?」

 

 私の苦しみ? そんなの、秋雲に解るはずがない。

 私、この世界にいる間()辛かった。なのにあなたは急に現れて、いつもそうやって笑ってる。

 ねぇ秋雲、もし私がインクをぶちまけたら、あなたは消えちゃうんだよ? どうしてそんな風に笑ってるの? なんでそんな余裕そうな顔をしているの。

 

「なんで……なんで?」

「なんでもだよ」

 

 秋雲が答える。表情を事細かに変えながら。原稿用紙が次々と空を舞っていく。

 

「私は、見ていることしか出来なかった」

 

 だからずっと後悔してたんだ。秋雲はそう言う。

 

「何の話……?」

「今ここで、寝ている風雲(げんじつ)の話」

「意味わかんない。なにそれ」

 

 秋雲は、きっと私が知らないことを話している。電子世界のオータムクラウド先生、第七護衛隊群の秋雲、武装蜂起派の(わたしをころした)秋雲……原稿用紙の中の秋雲。

 そのどれもが私の知っていて、知らない秋雲。

 でも、一つだけ共通していることがある。

 私はどんな秋雲にも勝てなかった。勝つどころか同じ土俵にも上がれなかった。多分どの秋雲も私より明るくて、人望があって、余裕があって、それで未来を見ているのだろう。それが羨ましくて悔しくて。

 私は腕を振り上げた。手の中にはインク瓶が、私のぶつけちゃいけない感情が詰まった瓶が収められている。原稿用紙の秋雲は笑っている。こんな時ぐらい慄いてよ。少しは余裕の無さそうな顔して見せてよ。

 あと、この腕を振り下ろせば。

 それだけで秋雲は、私の目の前から。なのに。

 

「こんッ……のぉ!」

 

 なのにどうしても振り下ろせない。腕だけじゃない、身体が金縛りにあったみたいに動かない。必死にもがこうとしても、一ミリたりとも動いてくれない。

 ふいに原稿用紙が、飛び去った。

 現れた次ページの秋雲は、呆れ顔。

 

「あー……出てきちゃったか」

「だって、流石に見てられないもの」

 

 その声は、私のじゃない。原稿用紙の吹き出しでもない。秋雲の声、()()()()()秋雲が居た。

 

「え?」

 

 そんな、なんで。秋雲は確かに、目の前の原稿用紙に閉じ込められている筈なのに。

 

「あなたは……誰?」

秋雲サン(わたし)風雲(わたし)だよ」

 

 そんなこと言われたって、意味が分からない。分からないけれど、分かることはある。

 

「風雲なら、私の気持ちは分かるでしょ!」

 

 私が言うのに、秋雲……秋雲もどきは首を振る。

 

「分かるよ。だから、余計にダメ」

 

 悔しいとか、羨ましいとか。そんな簡単な気持ちじゃないのだ。秋雲のいいところを一つ見つけると、私の悪いところが一つ見つかって。それで私はずっと滅茶苦茶にされ続けて、だからもう、見たくもない。

 秋雲もどきが私に言う。

 

風雲(わたし)はね。本当は秋雲のことを信じてるんだよ。この秋雲もどき(わたし)は『秋雲を信じてるもう半分の私』」

 

 言葉を返せない私をいいことに、秋雲もどきは続ける。

 

「この世界に逃げ込んだ風雲(わたし)は、秋雲を消そうとした。秋雲に裏切られたのが信じられなくて、だから秋雲をなかったことにしたんだ」

「でも、秋雲サンは風雲の世界(こつち)に来ちゃった」

 

 原稿用紙が言葉を継ぐ。

 

「だから、半分の風雲が秋雲(わたし)を助けてくれたって訳」

 

 意味が分からない。そう言い返したかった。なのにそれも許されなくて、秋雲もどきが私を抱きしめる。

 

「ねえ風雲。ここは貴女(わたし)の世界だよ。こんなに苦しいばっかりの世界にすることなんてなかったのに」

 

 偽物の温もり。秋雲もどきは秋雲じゃない。

 

「無理だよ。私は、現実の私は告発に失敗した。関係ない秋雲を巻き込んで、それで今ここで真っ黒に塗りつぶそうとした。私はこんな人間だから」

「苦しんで当然……確かにそうかもね。でも、秋雲をいじめるのはやめようよ」

 

 分かってる。こんなの八つ当たりだ。そんなことは百も承知で、秋雲が分けてくれなんて言うから。

 

秋雲サン(ほんにん)としては、分けて(いじめて)欲しいんだけどな」

秋雲(あなた)は被虐嗜好じゃないでしょ」

 

 秋雲もどきがばっさり言い捨てて、原稿用紙の秋雲がやれやれと肩を竦める。それから秋雲が現れる。

 

「……今は、()()()?」

「どっちも。だって、秋雲サンは風雲の助けがないとこの世界には存在できないからね」

 

 夕雲さんも巻雲も、みんなそうなのよ? 秋雲がそんなことを言うので、私は苦笑い。

 

「なんでそうまでして、この世界に(わたしをたすけに)来たの?」

 

 私の問いに、秋雲は首を振る。

 

「助けに来た……ちょっと違うかな。私はね」

 

 風雲の世界を見てみたかったんだ。秋雲は笑った。

 



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第102話 次回作へのプロローグ

 

 

 

「風雲の世界を見てみたかったんだ」

 

「なにそれ。意味分かんない」

「分かんない?」 

 

 秋雲は首を傾げた私を見ると、小さく笑いながら人差指と中指を立てて、そこに親指を添える。

 

「じゃあ、見せてあげる」

 

 パチン。そんな音が鳴ったのは一瞬のことで。その途端に私たちは海の上に立っていた。

 

「今更驚かないでよね。世界の創造主サン?」

「あは、あはは……」

 

 そんなことを言われても、私は乾いた笑いしか出ない。何物も飲み込んでしまう大海原と、何者も拒んで君臨し続ける空。それを見ながら、秋雲は言う。

 

「これ、全部風雲が描いたんでしょ?」

「うーん……それはどうなんだろう」

 

 凪いだ海には深海棲艦も哨戒艦もいない。雲も映しそうなほどまっさらな海面と、私たちだけ。

 秋雲は大きく息を吸い込んで、それから言う。

 

「うん、ステキだよ。敵わないや」

 

 そんなことないよ。その言葉は謙遜で、それが秋雲を傷つけるような気がして、私は口を噤む。

 代わりに私は、聞かなきゃいけないことを聞く。

 

「ねえ。秋雲は私を連れ戻し(たすけ)に来たんでしょう?」

 

 この後はどうするの。何処かに世界の出口でもあるのだろうか。力尽くに連れ出すのだろうか。

 

「そんなことはしないよ。だって、秋雲(わたし)程度の働きかけで帰ってくるなら、そもこの世界は存在しない」

 

 秋雲の顔が、初めて陰ったような気がした。その真意を問い詰める間もなく表情は取り繕われてしまう。

 

「じゃ、なんかして遊ぼっか」

「え?」

 

 そんなことを秋雲が言うのだから、私は困惑するするしかない。秋雲は笑う。

 

「だって、風雲はずっと張り詰めっぱなしだったもの。このぐらい遊んだってバチ当たらないって」

 

 私たちは、遊んだ。

 

 この世界には整合性なんか本当はない。

 秋雲が指を鳴らせば通販サイトの商品が一瞬で届き、大型映画館が貸し切りになる。書店には私たちの読んだ本しか置いてなかったけれど、互いの読書歴をひけらかし合うように読み合って、映画も沢山見て。

 

「たーまやぁ!」

「……さっきまでスイカ割りしてたのに花火って、流石に時間軸がおかしいことになってない?」

「いーのいーの。風雲は堅物すぎるんだよ」

 

 そんな風に、この世界を()()を楽しんでから。

 

「それで、()()なにをしよっか?」

 

 秋雲が、そう言った。だから、私は――――

 

「もう、おわりにしよう?」

 

 この物語は、きっと忘れ去られるためにある。

 

 私はずっと昔に産まれた我が家に帰ってきた。ただいまと言っても誰も応じてくれない玄関口。台所へ繋がる扉の先は、実はまだ描けていなくて(みかんせい)。私は自分の部屋へと急ぐ。勉強机を消えないはずのインクが所々消えかかっている。まさか自分の部屋を手抜きで描いた筈はないから……つまり、終わりが近い訳(そういうこと)で。

 押し入れの荷物を引き出して改める。段ボール箱にはなにも入っていない。

 

「おかしいなぁ……ここにあったはずなんだけど」

「秋雲サンも手伝うよ。何処探せばいい?」

 

 そんなことを言ってくれる秋雲と手分けをして、部屋を探す。ここはもう地図にも残っていない私の故郷で、私の記憶の地形図で創られていて。

 もしかしたら、見つからないんじゃないだろうか。

 そんな不安が胸をよぎる。でも、秋雲があんまりにも真剣に探してくれるから、私も探し続けて。

 

「えっと……あった」

 

 膨らんだ茶封筒。お祖父ちゃんが使いなさいって言ってくれて、あの日までずっと大切にしてた宝物。

 ここに、あの人が褒めてくれた絵がある。

 私が絵を描き始めたのは、秋雲のいう通りどうでもいい理由で。ただ憧れのヒトに褒められたから、それが嬉しくて。もう一度描けばもっと喜んで貰えるんじゃないかって、そんな理由で。私は何回も描いた。

 それが今、私の目の前にある。私が覚えていないはずのその絵たちが、確かに私の手の上にある。

 

「――――ヘタクソ、だなぁ」

 

 想像よりもずっと、下手だった。それこそ、なんであの人が褒めてくれたのか分からないくらいに下手だった。あの人もしかして、美的センスが壊滅的だったりしたのだろうか。

 

「上手だよ」

 

 秋雲がそんなことを言う。

 

「お世辞はやめてよ」

 

 仮に上手であったとしても、それは『同年代』と比べればという話だろう。それなのに。秋雲は笑う。

 

「でも、あの人は褒めてくれたんでしょ?」

 

 それはホントのことだよ。秋雲は言う。あの人はなんで褒めてくれたんだろう。どうして私は、こんな下手な絵を飽きもせず描いていたのだろう。

 狭い子供部屋には、私の影。クリップボード片手にあっちこっちを歩き回った。国道沿いのタンポポ、漁船の沢山並んだ港、影の差した裏路地に、駐在さんの詰所。初めてあの人と出会った防潮堤。

 

「なんだか、羨ましいな」

 

 秋雲がそんなことを言うので、私は首を傾げるしかない。秋雲は私のヘタクソな絵を見ながら言う。

 

「風雲の世界は、こんなに輪郭がはっきりしてる」

「そんなの、誰だってそうでしょ」

 

 だって、ここは都合のいい世界だから。風雲(わたし)の思い通りになる世界だから。

 それなのに秋雲は、違うと首を振る。

 

「だって自分の思い通りになる世界なら、風雲の絵は世界一になってる筈じゃない?」

「……それはないでしょ」

「でも、風雲(あなた)はそれを望むんじゃないの?」

 

 多分それを、否定することは出来ないのだろう。私が自分の作品をもっと見て欲しかったのは事実だ。

 

「白状するけどさ」

「なに?」

 

 秋雲はゆっくりと告げる。

 

「本当は、力づくで奪い返そうって思ってた」

 

 その言葉には「そっか」としか返せない。

 

「秋雲サンはね、物語を作ったの」

 

 それは私も、薄々気付いていたことで。

 

秋雲サン(わたし)が脚本家で、主演は風雲。助演は私の他に巻雲に夕雲さんに……それとあのおっかない先輩」

 

 この世界は風雲(わたし)のものなのに、何も思い通りにいかなくて、その理由の一つは、きっとそれ。

 

「それでも、流石にもうアドリブの限界だよ。やっぱり主演が脚本読んでこないのは無理だわ」

 

 秋雲サンはハッピーエンドが好きなんだって言ったじゃん。秋雲の愚痴に、私は苦笑い。

 

「私は秋雲みたいに、ハッピーエンドは描けないよ」

「そこ、そこだよ風雲」

 

 秋雲が吐き出すように言う。私は首を傾げる。

 

「私がこの世界に来たときから、風雲は苦しんでいた。誰もいない食堂でカレーを食べてさ」

「でも、仕方ないよ。私は後悔してない」

 

 横領の告発も、絵を描いてきたことも。何一つ後悔なんてない。やらなきゃよかったなんて思わない。ただその結果を、受け止めるだけ。

 

「なんで? いいじゃん幸せで。自分の人生(ものがたり)でくらい、完全無欠なハッピーエンドでいいじゃない」

「ダメだよ。それは整合性がとれてない」

 

 私のクリップボードには、未完成の風景画がまだ止まっている。それは整合性がとれないから未完成なのだ。だからといって景色(げんじつ)を書き換えてしまったら、その風景画にはいよいよ意味がなくなってしまう。

 

作品(ものがたり)なんて、整合性がとれてなくて当然でしょ」

「ダメだよ。私は立派な国防軍人にも、人気作家にもなれなかった。秋雲とは違うんだよ」

 

 そう言えば、秋雲は笑う。

 

「うん。だから私は脚本を書き換えたんだ」

 

 その言葉には、まったく見当が付かなくて。

 私に向かって秋雲は解説を続ける。

 

「この世界は風雲に対して厳しすぎる。だから私は風雲を()()()()()()()()んだ。風雲(あなた)が帰ることを決意してくれなくてもいい。でも、せめて笑顔でこの世界を終わらせて欲しくて」

 

 そんなことしなくていいのに。多分それは口にしてはいけない謙遜で、私は呟くしかない。

 

「……ごめん」

「あやまんないで。元はと言えば秋雲サンが悪いの」

 

 私がなにも返さないでいると、勝手に話を続ける。

 

「ねえ、あの時の約束、覚えてるでしょ? 風雲(あなた)にとっての秋雲(わたし)を描いて欲しいってヤツ」 

 

 秋雲はそう言う。どうやら提出期限らしい。私はあのスケッチブックを取り出した。そこには、白。

 

「どうしよう。私の絵、真っ白だよ」

 

 やっぱり私は、真っ白だったよ。

 秋雲には、私の世界を優しく彩ってくれた秋雲でもそれを否定することは叶わない。

 

「……うん、知ってる。それが風雲だものね」

 

 私たちはいつの間にか、高台から海を見下ろしていた。もう秋雲は、なにも言わない。私はスケッチブックに鉛筆を乗せて、それから離す。

 

「……どうしよう。描けそうにないや」

「だったら。描かないのも手だろうね」

 

 秋雲は私の表情を想定していたのだろう。そのまま続ける。水平線の向こうからは太陽がぐんぐんと昇ってくる。その先の空は、澄み渡りすぎていて。

 

「だって、この世界はこんなに綺麗だよ?」

 

 でも、未完成だよ。私の呟きが風に乗る。

 この世界には『雲』がない。あの人が描いてくれとい言った雲を、空を、私はついに、描けなかった。

 

「そんなこと言ったら、かの日光東照宮だって未完成だそうじゃない」

 

 完成させればいいってものじゃないでしょ。秋雲は言う。私はそんな秋雲に甘えたくて、言葉を吐く。

 

「ずっと……ずっとこうやって、描いていたいな」

 

 完成しなければ、この世界は終わらずにいてくれるのだろうか。それが私の願望で、整合性のないことで、他ならぬ風雲(わたし)が許さないことには、とっくに気付いていて。だから秋雲はなにも言わない。

 

「ねえ秋雲……現実(あつち)って、どうなってるの?」

「なーにぃ? 怖くなったの?」

「うん。怖いよ」

「大丈夫、怖くなんかないよ。だってこの世界には」

 

 貴女を傷つけるものなんてないから。

 

「この世界は、この世界の秋雲は優しいね」

 

 段々世界が歪んでくる。誰だ、原稿用紙を水につけたのは、ふやけてダメになっちゃうじゃないか。

 私は、さっきの茶封筒を取り出す。そこにヘタクソな絵はもう入っていない。何百枚の原稿用紙が、はち切れんばかりに詰まっていて。

 

 私は、それをばら撒いた。封筒から引き抜いて、それはもう滅茶苦茶に。

 

 はらりはらり、原稿用紙が朝焼けの中に舞う。

 とてつもなく広い世界に飛びだした私の原稿(じんせい)は、なんてちっぽけなんだろう。狭苦しいのだろう。

 小さな故郷で生まれて、大きな街に逃げて。

 そうして最後に辿り着いた海軍で、武装蜂起(クーデター)に巻き込まれて、私に『きんもくせい』の3インチ砲弾が迫ってきたところで、物語はお終い。

 

 こんな物語、一体誰が覚えていてくれるのだろう。

 

 文句を言う相手もいなくて。

 

 ああ、誰かに見ていて欲しかったな。なんて。

 

 都合がいい話なのは分かってる。私は自分勝手な理由で絵を、そして物語(じんせい)を描いてきた。それがどう終わるかなんて他の人達にとってはどうでもいいことで。

 

「私は、見てるよ」

 

 まだ、秋雲は見てくれているだろうか。だったら秋雲はこの物語をなんと評するのだろう。ハッピーエンドからはほど遠く、でも私はバッドエンドだとも思っていない。だって別に、私は不幸せなんて思ってないから。そもそも幸せな結末(ハツピーエンド)とか悪い結末(バツドエンド)というのは読者の勝手な解釈による違いでしかない。

 だから私は、一人の読者(あきぐも)に聞くのだ。

 

「ねぇ秋雲。この作品(わたしのじんせい)、どう思う?」

 

ただの観客(あきぐもサン)に文句は言えないかなぁ。風雲がそこで終わりって言うなら終わりだしね」

 

 ああ、貴女はズルイ。そうやって読者のクセして、私にはなにも言ってくれないんだ。やっぱり他の人達にとっての物語なんてそんなものなのか

 そんな私に秋雲が肩を寄せる。太陽が水平線からその全貌を露わにして、急に強くなった日差しが私たちを刺す。高台から見たこの世界はなんて眩しいのだろう。これが私なんかの世界だとは信じられなくて。

 

 その時、不意に真っ白な原稿用紙が目に入った。

 おかしい、私の人生が全部詰まってる原稿用紙に、白紙なんてないはずなのに。

 

「未完成なんだよ。人生(ものがたり)なんてものは」

 

 秋雲がふいに言った。

 

「誰かの人生に幸せな結末(ハツピーエンド)悪い結末(バツドエンド)もないよ」

 

 秋雲がそう言う。では、一体全体誰が私の物語に結末の文字を打ってくれるのだろう。私の物語はここで終わったはずなのに、どうして私はまだ物語を紡ごうとしているのだろう。

 秋雲が、笑う。私も笑った。台詞が勝手に、原稿用紙に描かれていく。

 

「私はね、自分勝手なの」

「うん、知ってる」

 

 私と同じポニーテールが潮風に揺れる。

 

「だからね。これは私の自己満足だから」

「分かってる」

 

 スケッチブックの上を鉛筆が走る。

 

「だからね、私は。後悔してないよ」

 

 その言葉は、嘘でホント。きっと私は、この判断を何度も後悔するのだろう。私はそういう人間(ヒト)だから。

 だけれど、大丈夫。私には共犯者(こいびと)がいるから。

 

 これは私たちの、ギソウレンアイ。

 ニセモノの物語。でも、二人で紡いだ物語。

 

 私の次回作に(もうすこし)どうかご期待下さい(がんばつてみるね)

 

 

 

 

 




 本稿は2019年7月15日に初頒布した同人誌「ギソウ・レンアイ」を再編集したものです。

ちなみに本稿はシリーズとしては最初に刊行した同人誌でもあります。一応原点となった同人誌はあるのですが、こちらではまだ組織を「鎮守府」として表記しているんですよね。なので「国防軍」の「特務神祇官」が戦うシリーズ「舞い降りし軍艦鳥」としては本稿が最初の物語となるわけです。

 さて、シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を行いました。いよいよ物語は後半戦へとコマを進めていきます。

 それでは、これからもお楽しみください!


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幕間「あのころ」
第103話 2018/2/14=>2013/2/14


バレンタインデーなので特別編を書き下ろしました。


〈西暦2018年 2月 14日 ミクロネシア連邦 ウエノ島〉

 

 

 

「……お姉さん、なにしてるの?」

 

 湯煎がもの珍しいのだろう。台所を覗き込んできたヒナちゃんが手を伸ばしてくるので、危ないよと手で制する。

 

「チョコをね、作っているのよ」

「作る? チョコって作れるの!? お姉さんスゴいっ!!!」

 

 目を輝かせるヒナちゃん。ヒナちゃんにとってのチョコは高級品で、お店で買うもの。

 「チョコを作る」だなんて、魔法使いでも出来ないようなことなのだろう。

 

「あ、いやえっと……流石にカカオから作るのは……」

「カカオ?」

「あーと、つまりね。チョコの原料、カカオを使ってチョコを作るのよ」

「ふーん。どうやって?」

 

 遠い水平線の先、見たことすらない異国の地で作られたカカオの実……それをはるばる輸入して、煎ったり……それと、あと何かして。

 

「何かして……何かするのよ」

「?」

「とにかく! チョコを作るのにはスゴい時間がかかるの! で、それを溶かしたモノがこちらになります」

 

 テレビのおばさんみたい、と漏らすヒナちゃんを横目に私……瀬戸月ハルカはボウルの中を覗き込む。製菓用チョコレートは既に液体へとその姿を変えており、どろりと滑らかな光沢の向こうに自分の顔を幻視する。

 

 

 ――――――瀬戸月、か。

 

 

 私の名前は瑞島ハルカ。産まれた時から……この海で散るまで。この名前は変わらないと思っていた。

 姉から逃げるように入った防衛大学校。そこで宣誓文を読み上げた日から、私は軍隊(じえいたい)という巨大組織の歯車になった。死んでこいと命じられれば迷わずに命を投げ出す、そういう人間に姿を変えることを……強要された、というと。志願した自分がバカみたいになってしまうけれど。

 

 ともかく、私はそれで十分だった。少なくとも防衛大学校は私を巨大な組織の歯車(いちいん)で居させてくれた。厳しい訓練と山のような課題が、姉に一切の連絡を取()ない理由を与えてくれた。

 もっとも、それは深海棲艦が現れるまでの僅かな期間だけだったけれど。

 

「お姉さん?」

「ううん、なんでもない。さ! あとはこれを型に流し込んで……」

 

 どろり、と。音もなくチョコレートが重力に引かれてボウルの淵から落ちていく。それは真下で待機している型によって受け止められ、適当にナッツを散らせば……それなりの見映えにはなったと思う。

 

「これでよしっと」

 

 あとはチョコから粗熱が取れるのを待つだけ、その後は冷やして固めて……そこまで考えて、うっかりミスに気付く。包装紙がない。

 

「ヒナちゃん。ラッピング……なんか包み紙とかないかな?」

「分かった!」

 

 いちおうこれでもキッチンの備品は把握しているが、ラッピングや盛り付けといった食事を彩るためのグッズは殆ど用意されていないのが瀬戸月家である。瀬戸月ミナト……提督さんがお弁当を作るなんて、それこそヒナちゃんとピクニックに行くことでもなければないだろう。

 流石に望み薄かと思っていたが、ヒナちゃんはスグに戻ってくる。

 

「これでいい?」

「うーん……新聞かぁ……」

 

 確かに包むのには使えそうだが、流石に新聞から出てくるチョコはイヤすぎる。

 

「今から買いに行くのは……流石に無理か。どうしよ、クッキングシートで誤魔化す?」

 

 半透明のシートでは中に何が入っているかスグに分かってしまいそうだ。肌触りだってお世辞にも良いとは言えない。

 

「お姉さん。準備不足……」

「うっ、それは否定しないけれど。しょうがないでしょ、これまで貰う専門だったんだから」

 

 もちろん貰ったらお返しはするけれど、それについては1ヶ月間の猶予期間があるからどうにでも出来る。実際、これまではそれでなんとかなってきた。

 

「……じまん?」

「………………」

 

 閑話休題(それはそれとして)

 

 ヒナちゃんの指摘はご尤もで、準備不足は事実なのだ。

 なにせ「今日」(2/14)『今日』(バレンタインデー)であることに気がついたのが朝のこと。「そんなことだろうと思った」と衣笠さんに呆れられながら余りの製菓用チョコを譲ってもらい(もちろん後で代金は支払うつもりだ)どうにかこうにかチョコ作りを開始したのがたった今……計画性なんてあったものではない。

 

「あ!」

 

 パン、と手を叩いたヒナちゃん。何事かと聞くより早く駆け出していった彼女は、しばらくしてから同じ勢いで戻ってくる。

 

「じゃーん! リボンあった!」

「それ、どこで」

 

 ()()()()()()()()()()、慌てて表情を取り繕う。幼い子供(ヒナちゃん)は気にも止めず、こちらの質問を言葉通りに受け取った。

 

「お父さんにもらった! かわいいリボン欲しいって言ったらくれたんだ!」

 

 そして無邪気に残酷に、私の予想を肯定する。

 

「……そっか」

「プレゼントなんだよね。だったら、リボンもいるよね、ね!」

 

 ああ、そうだろう。

 プレゼントなんだから、リボンが着いているのは当たり前だ。

 

「うん。でも、ヒナちゃんの大切なものを使えないよ」

「いいよ、あげる!」

「大丈夫。別にリボンなんかなくても……意味はちゃんと伝わるから」

 

 そういえば、えーそうなのと残念そうなヒナちゃんの声。急に萎んだそれを聞いて、そうか彼女も女の子だったなと思い出す。

 恋に恋するお年頃、なんて。まさに彼女みたいな小中学生らしい話だ。

 

「ヒナちゃん、知ってる? プレゼントするお菓子にはね、それぞれ意味があるのよ」

「いみ?」

「そ、花言葉とおんなじ。お菓子言葉って言うんだけれどね……」

 

 そっと、記憶の傷をなぞっていく。カサブタが剥がれないように、けれど傷痕を思い出すように。

 

「チョコレートの意味は、特になし」

「ないの!?」

「正確には、改めて伝えるまでもないよね? ってこと。だから『あなたと同じ』って感じかな」

 

 バレンタインデーの習慣が先か、お菓子言葉が先かは分からない。そもそもこのお菓子言葉だって、誰が付けたのかさっぱり謎。

 

 けれど、人はそういう意味付けに頼って生きている。

 私だって、瀬戸月だとか瑞島だとか……挙げ句の果てには預かり物に過ぎない特務艇艤装の名前までも引き合いに出して生きている。

 

 私は〈瑞鶴〉――――――刀折れ矢尽きても、最期まで空を睨んだ航空母艦。

 そうあり続けることが、いまの私の使命。

 

「ふーん。他のお菓子にはどんな意味があるの?」

 

 私の内心を知らずに、ヒナちゃんはお菓子言葉へと想いを馳せている。私は知っている限りのお菓子言葉を教えていく。

 

「飴玉はね、口のなかで長い間なめるでしょ? だからずっと一緒に居たいですって意味があるの」

「わぁ~! 告白だね!」

 

 何も知らないまっさらな幼子に、私の中途半端な知識が注ぎ込まれていく。こんなこと教えてしまってもいいのだろうか。そんな不安も知らず、好奇心旺盛なヒナちゃんは次は次は? なんて聞いてくる。

 

 ――――――これで、リボンのことはすっかり忘れてくれただろうか?

 ほんと、世界って狭いよね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、こんな南の果てで見ることになるなんてさ。

 

 もしそうなら。

 今日は、マシュマロのお菓子言葉は教えないでおこう。

 

 

 

 なにせ。

 

 お菓子言葉が、全部良い意味とは限らないのだから。

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

〈西暦2013年 2月 14日 日本国 東京〉

 

 

 

 

 もはや誰の目から見ても、この世界がおかしくなってしまったのは明らかだ。

 

 

 

 漁獲量は過去最低。条約機構が「特別な軍事作戦」の実施と事実上の失敗を認め、あらゆる先物取引の価格が跳ね上がり……そして、期日になっても届けられることはなくなった。

 

 もはや昨日までの契約が履行される保証はどこにもない。

 不履行に伴う補填も、訴訟を起こす権利すらも守られない。

 

 それでもなお、人々は世界がおかしくなったとは口にしない。

 

 それはきっと、口にしたら最後だから。

 バケモノの存在を認めることは、化け物に勝てないと認めることだから。

 あの娘(いもうと)と同じ……現実から、首を絞める縄から目を逸らそうとしているのと同じ。

 

 

「先輩」

 

 

 昼過ぎ、それも平日となれば都心といえど人はまばらで、地下鉄駅の構内には静寂が反響していた。わずかに見える人も忙しなく足を動かすばかりで、コートにマフラーを巻いて帽子を被ってしまえば表情もわからない。

 

「先輩? せーんぱい?」

 

 だから、ぼうっと低い天井を見上げる先輩の考えは、道行く人の誰にも推し量れないことだろう。

 ……いや、そもそも気にとめることもしないか。みんな自分のことが大切で、他の人のことなんか二の次なのだから。

 

「もしもーし……?」

 

 とはいえ人間は身勝手なもので、他人を気にしないくせに自分が無視されると不機嫌になるものだ。ソースはもちろん、今の私。

 手をパタパタと振っても気づかないって、どういう頭の中身をしているのだろうか。

 

「…………っと、すまない。待たせたかな?」

 

 ぱちりと目を瞬かせて、焦点をこちらに合わせてくる先輩。

 その黒い瞳に私の姿が映っていることを認めて、ようやく私は頬を膨らませる。

 

「もう、それはこっちの台詞ですよ。これでも10分前に来たのに、なんでもう着いてるんですか」

「地元じゃ列車が2時間に1本でね」

 

 この言い訳も、もうどれだけ聞いたことだろう。

 地元がどうとか関係なく、ここは東京、5分に1本のペースで列車が時刻通りにやってくる街だ。郷に入っては郷に従えと、彼の故郷では習わないのだろうか?

 

「いいんだよ。女性を待たせるのはしのびないからね」

 

 ずるいひと。

 そうやって適当なこと言っておけば誤魔化されると思って。

 毎日顔を合わせるくせに今日だけはそっと手を取って。

 

 いつもの白衣じゃないのに。

 髪もまとめず下ろしているのに。

 化粧だって、してきたのに。

 

「……じゃ、いこうか」

 

 私の女の子の部分を全部無視するくせに、所作だけは女性扱いするのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暴落すると思われた貨幣価値は、一部では「コメ本位制」なんて呼ばれる子供騙しの救済措置で辛うじて均衡を保っている……らしい。

 

「大変申し訳ございません。本日取り扱い分は終了しておりまして……」

 

 らしい、というのは――――――食料品以外は物不足でそもそも手に入らないから。

 

「やっぱり売り切れでしたね」

「分かって来たんじゃないのかい? そもそもチョコレートなんて絵に描いたような嗜好品が、当日なんかになって手に入るわけが……」

「いま、何か言いましたか?」

 

 キッと睨み付ければ、先輩は肩を竦めるだけ。

 

「先輩は一言多いんです。素直に『残念だったね、次の店にいこうか』って言ってくれればいいんです」

「いや、それは私の本心では……」

「な に か、いいましたか?」

「……こういうのをね、理不尽って言うんだよ。世間様は」

「あら? 浮世離れしているんだけど先輩が常識を語るなんて、明日は雪でも降るのかしら?」

 

 2月は冬真っ只中なのだから、雪が降ってもおかしくはない。けれど今は、冗談でも「槍が降る」なんて言いたくはなかった。

 

 ……槍はおそらく、降る。

 

 特務艇艤装は間に合った。けれど肝心の乗組員が足りない。いや足りたとして、軍人ですらない素人集団では化け物とやりあうことは望めない。

 そして肝心の自衛隊は、この期に及んで霊力戦の有用性を認めようとはしなかった。国家の暴力装置たる自衛隊の組織力を生かして化け物に立ち向かうというプランは日に日にぼやけて、絵空事へと形を変えていく。

 

 米軍は、まもなく負ける。

 ハワイが陥落する。

 

 そうなれば、全部終わりだというのに。

 

「出来ることはやったさ」

 

 先輩がそんなことを言ったのは、3店舗目の百貨店を出た時。

 

「警告は間に合った。食料の増産は本当にギリギリだったが……この冬はなんとか、誰も死なずに乗り切れそうだ」

 

 統計上は、まあそうだろう。まだこの国は餓死者がいないことを把握できる程度には行政機構が機能している――――――もしくは隠せる程度に、秩序が保たれている。

 けれどそれも、果たしていつまでか。

 

 節電のために半分ほどの街灯が消された街並み。流石に首都ともなれば自動車がゼロということはなく、時折通り過ぎるライトが先輩の横顔を辛うじて読み取らせてくれる。

 

「うん。考えてみれば、私たちはよくやっている」

 

 満足げな顔。なにも心配することはないさと……どこか脳天気にすら思える横顔。

 

 けれどまだ、最悪のシナリオを脱しただけ。

 輸入が完全に途絶えた場合に出るとされた餓死者は出なかった。しかしそれが本当に休耕地の再開墾によって賄われたと?

 そんなハズはない。この冬を乗り越えられたのは、社会が一致団結して混乱を起こさなかったからだ。店舗には保存食が準備されていた。関東圏に雪が降ろうとも、石油備蓄基地には十二分な在庫があった。

 

 そしてそれらの蓄えを減らさない程度には、まだ人類は海を保っている。

 

「……先輩って、時々妙に楽観的ですよね」

「そうかな」

「そうですよ。全部のデータが悪い現実を示しているのに」

「けれど”最悪”ではない。そうだろう?」

 

 2007年に奴らを「発見」してから6年。私たちに与えられた猶予はたったのそれだけだった。

 それを考えれば、確かに私たちは「よくやった」のだろう。

 

 けれど。

 

「このままでは、ダメですよ」

「大丈夫だろう。試算では連中が海を埋め尽くすのにあと30年はかかる。それまでにはいい方法が見つかるさ」

「先輩、それ本気で言ってる?」

 

 思わず敬語が崩れる。先輩の前に躍り出る私。

 彼の目には今、どんな風に私は映っているのだろう。

 

 それとも先輩――――――瀬戸月ミナトは、私のことなんて見てなどいないのだろうか。

 

「本気さ。()()()()に勝ち目は無い」

 

 嗚呼、まただ。また彼の悪い癖が始まった。

 

「私、その話は嫌いです」

「そうだろうね。誰だって、都合の悪い現実から目を逸らしたくなるものさ」

「……っ、私は」

 

 違う。そう言いたかった私の口は、先輩の人差し指でそっと塞がれる。

 私の片方と繋ぐために手袋もつけられていなかった彼の手は、吹きさらしで冷え切っていて……それでも、煮えたぎるように温かい。

 

「いいじゃないか。君もこれくらい利己的で」

 

 耳を塞ぐ権利くらいあるだろうと、そう言って私の横をすり抜ける先輩。その背中を私が追うと知って、語りかけるように呟いていく。信じられないくらいに静かな繁華街に、彼の声だけが零れ落ちてゆく。

 

「君は怒るのだろうけれど、私は手の届く範囲にしか興味がないんだよ」

 

 知っている。

 

「だから世界がどうなろうと、戦争に負けようと構いやしない」

 

 バケモノを見つけ、闇の中に光を当て……海に沈むはずだったこの国を掬いだしてみせた貴方がそんなことを(うそぶ)く。

 

「そんなことを言うから、海洋開発機構を追い出されるんですよ」

「ああ違うよ。アレはこっちから辞表を叩きつけてやったんだ。もう顕微鏡はいらないからね」

 

 そんな強がりを言いながら、あろうことか自衛隊へと志願した貴方。

 実地試験の方が効率が良いなんて言い訳して、人類(わたしたち)を救う気満々な……自己中心的な(ヒト)

 

「だが……いや、だからこそ。私は自分(わたし)の世界を守る」

 

 先輩。

 利己的な人間を自称しながら、()の範囲をどこまでも拡げようとするヒト。

 

先輩の世界(そのなか)に、どうして私を入れてくれないんですか?」

 

 私の問いに、先輩の脚がほんの一瞬だけ止まる。すぐに歩みを再開したその歩調が、わずかに早くなる。

 

「私は()()()()だ。他人の君を巻き込めない」

「あの子だって他人です。他人が一緒になるのが家族です」

 

 私はあえてギリギリのラインを突く。自分では「コブ持ち」なんて言うクセに、家族を他人と呼ぶ(かろんじられる)のは先輩が最も嫌うコト。けれど彼は一欠片も怒る様子もみせず、そのまま歩き続ける。

 

瀬戸月(わたし)は呪いだよ。関わらない方がいい」

「手遅れです。私はどうしようもなく関わってしまいました」

 

 ああ、そうだろうねと。どこか苛ついたような声が先輩から漏れる。

 

「みんな同じ事をいうよな。ヒナタを預けてきた(おしつけてきた)奴もこう言ってたよ……『お前は父親でいたほうがいい』と」

 

 お陰で、あと60年は世界を守らないといけなくなった。押しつけられてもなお背負おうとする先輩。世界はひとりで背負い込むには広すぎるというのに。

 

「60年も護る気なら、その隣にもうひとり居てもいいじゃないですか」

「父親どころか、旦那でもあれと? 勘弁してくれ」

 

 旦那でいるほうが余程楽ですよ、とは言わない。先輩の人となりは知っているつもりだ。

 

 本来背負うべきではない物、ヒト1人ではどうしようもないことを勝手に背負おうとする……背負えてしまう彼。()()()()()彼は孤独を愛そうとする。

 孤独であれば、これ以上なにかを背負わずにすむから……そう言いながら世界の運命を背負おうとする彼を、愚かと呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。

 

「先輩」

 

 先輩の世界は、深く狭いものであるべきだ。

 そうでなければ、先輩の思念は広がりきって……やがて散ってしまう。

 海に溶けた塩が、もう二度と取り出せぬように。

 

「先輩!」

 

 私の声に足を止める先輩。くるりと振り返った視線。吐く息が黒い闇を仄かに白へと染める。彼の瞳に――――――「わたし」が映る。

 

「こちら、貰って頂けませんか?」

 

 取り出したのは手のひらサイズ。僅かな装飾がきらきらと散りばめられたビニール製の袋で、口はお洒落なリボンが結ばれている。

 

 そんなビニール袋から覗くのは、雪のように白いマシュマロ。

 

「幻滅させてしまったかな」

 

 さして残念と言うわけでもなく先輩がそう漏らす。

 

 『あなたが嫌いです』。

 それが、マシュマロのお菓子言葉。

 

 インターネットが発達した現代において、表層的な情報は簡単に手に入る。

 だから先輩がマシュマロのお菓子言葉を知っているのは当然のことで、今の会話の流れでマシュマロ(これ)を差し出せば()()解釈されるのは当たり前のこと。

 

「ダメですよ、先輩。学会を追放されようと、あなたはこの世界を引っ張っていく学者さんなんですから」

 

 勝手に決めつけるなと。そう伝えてリボンをほどき、マシュマロを取り出す。ふんわりと柔くて中身のないお菓子は、その()()()()()()ゆえに「拒絶」のお菓子言葉を与えられたのだろう。

 

「動かないで、くださいね?」

()()研究員、なにを……!」

 

 ぐいと身体を前に出して、左手で掴んだ先輩の身体を引き寄せて。

 そうして吐息が交わりそうなほどに近づいた先輩の口に、右手でマシュマロを押し込んだ。

 

 

 沈黙。

 

 

「……なぁ」

 

 吐き出すわけにもいかず、やむ無しといった体でマシュマロを咀嚼していた先輩が漏らす。

 

「チョコが手に入らないから、買い物に付き合ってくれって話だったよな?」

「そうでしたっけ?」

 

 いやそうだろ、と。先輩のむなしい反論が静かな大通りに消えていく。分かっていたくせに、なんて言ってあげるのは意地悪だろうか?

 

 私が先輩に食べさせたのは、チョコ入りのマシュマロ。

 空虚なだけじゃない。想いを純白の優しさで包み込んだお菓子。

 

 

「ハッピー・バレンタイン、です」

 

 

 さて、これで私の気持ちはキチンと先輩に伝わっただろうか?

 

「……こんなの、いつのまに」

「ごめんなさい。流石に手作りするほどの時間はなくって」

「だろうな。なら、どこから取り寄せたんだ?」

「特配です」

 

 トクハイ、言葉だけでは何のことだか分かりもしないだろう。聞き馴染みのない言葉だから。

 けれど顔を歪めた先輩の表情を見て、やっぱりと私は鼻を鳴らす。

 

 特別配給(トクハイ)、バタバタと隊員が死んでしまう職場になった自衛隊の地元協力本部がやっているという、志願してくれたヒトへの()()()()()御礼。

 その存在を知っている時点で、先輩もまたトクハイをもらった人間に他ならない。

 

「いけませんね、先輩。こんな大事なことを私にすら教えてくれないなんて」

「君には関係ないだろう」

「あります。そんじょそこらの男性ならともかく、先輩の配属先は間違いなく特務艇部隊でしょう?」

 

 なにせ先輩は霊力戦の第一人者である。自衛隊が今さら彼に声をかけたのも、学会を追放された今こそ彼の知見を国防に取り込むチャンスだと考えたからに違いない……その一方で霊力戦そのものは否定するのだから、チグハグさは拭えないけれど。

 

「特務神祇官は女性ばかり、こんなに慕ってくれる女の子がいるのに、オンナの園に逃げ出そうなんて」

「…………君、分かっているのか。遊びじゃないんだぞ」

 

 遊びだなんて、誰が思うものか。

 

 これは戦争だ。

 政府が有害鳥獣駆除と言い張っても関係ない。バケモノと人類(わたしたち)の絶滅戦争だ。

 どちらかが滅びるまで、決して終わることのない戦争だ。

 

「抜け駆けは許しません。だって先輩、死ぬおつもりじゃないですか」

「そんなことはないさ」

 

 嘘吐き。

 

 世界を背負おうとして、世界が滅びると知っていて――――――それで狂わない人間が、どうしているというのか。

 

「私が死ねない理由になってあげます。自衛隊に入るなら私は前線へ、先輩が前線に出ようとしたなら最前線へ。私は、常にあなたの前に征く」

 

 背負って、背負って、背負いすぎて……それで最後に潰れて消えようとしている先輩を。

 私は確かに、正面から抱き留める(つかまえる)

 

「断ち切ってあげますよ――――――あなたの壮大な無理心中(うんめい)を」

「……」

 

 先輩は、何も返さなかった。

 耳元で囁くには最悪な愛の誓いを、彼は黙って受け止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 2013年、真冬のことである。

 

 

 

 

 

 

 




 

2013(平成25)年 4月

 アメリカ合衆国、在アジア米軍撤退へのロードマップ発表。

 

2013年10月

 海上自衛隊、自衛艦隊隷下に深海棲艦対処専従の「哨戒艦隊」を設置。

 

2014年10月

 8月におこなわれた自由連合盟約の改訂を受け、米軍はマーシャル諸島・パラオ・ミクロネシア連邦への防衛力提供を停止する。日豪を中心とする有志連合軍による緊急避難・防護活動が開始される。

 

2015年 6月

 日本・マーシャル諸島・パラオ・ミクロネシア連邦・北マリアナ諸島により新自由連合盟約(COMPACT OF FREE ASSOCIATION)が発足。防衛義務に基づき日本国自衛隊は中部太平洋へ大規模派兵を「正式に」実施――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――のちに「ミクロネシア戦役」と呼ばれる一連の戦闘行為がはじまる。

 



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第104話 とある弁士の駿冬砂漏(フェブラリーステークス)2035

もう頼れるのは田中角栄先生しかいないらしいので初投稿です。

【補足情報】
飯田ケイスケ……立憲友民党の参議院議員。第43話で名前だけ登場。
飯田コウスケ……第3部の主要登場人物、国防海軍幹部(第4部では横須賀総監)。飯田ケイスケの息子。
飯田ハルヒデ……飯田インダストリーグループ(IIG)専務取締役。本話初登場、飯田ケイスケの甥、飯田コウスケの従兄弟。



 

 

 

〈西暦2035年 日本国 東京〉

 

 

 

 

 飯田ケイスケと言えば、どこにでも現れることで有名な国会議員である。

警察署に消防署、図書館に公民館、水道局に発電所……とにかく気を抜けば何処かにいる。

 あるときは通学路に、あるときは公園に、国会が開催されていなければ街に繰り出さない日はない。

 

「要するに、暇なんだな」

「国会が開いている今言うことではないような気もしますが……」

 

 父である飯田ケイスケの物言いに、思わず息子のコウスケは言葉を濁す。

 例年通り1月末から開会した通常国会。主として予算の審議を中心に与野党の攻防が繰り広げられるそれは、国会議員が絶大な発言力を得るために避けては通れぬ決戦場である。

 なにせ国会議員、地方各地より選出された代表の仕事とは。端的に言ってしまえば「地元に予算を持ち帰る」ことなのだから。

 

「こんな話をしっているか、かの田中角栄先生はいくつか競走馬を持っていて、そのお陰でエリザベス女王は彼のことをたいそう気に入ったらしい」

 

 エリザベス女王といえば、馬好きであることを公言して憚らなかった英国女王。世界各地に彼女の名を冠したレースが存在することからも、それは明らかだ。

 

「しかし田中角栄自身は政務集中のために競走馬を手放すことを勧められていた……でしたよね?」

「そうとも。そして事実、彼は競馬から身を引いた後に総理大臣となる」

 

 それが幸福だったのか不幸だったのかは、今ではもう分からないが。そう結んだ父の言葉に、私……飯田コウスケは小さく息を吸った。

 

 父が競馬のことをどう考えているのかは、知らない。

 だが父が私を競馬場に呼びつけた時、ろくなことはひとつもなかった。

 

「しかしやはり、趣味の時間は大切にしないとな」

 

 それは、遠回しな引退宣言のようにも聞こえた。いや事実、父はそのつもりで言っているのであろう。

 そうでなければ、まさか競馬から身を引いて栄達を果たし、その後に装備品調達のゴタゴタ(ロッキード事件)で失脚した政治家の話をしたりはしないだろう。

 

「……ハルヒデ兄さんが見当たりませんが」

調教師(せんせい)のところだ、今回は意気込みが違うらしいぞ」

 

 露骨に話をそらすこちらに、事も無げに応じる父。行き着く先は決まっているとばかりに、父は単調に言葉を並べる。

 

「聞いたか。瀬戸月ファームからの『買い物』をしなくなって以来、ヨイハル軍団は絶好調らしい」

 

 ヨイハル、それは飯田ハルヒデ所有馬につけられる冠名。責務だの因習だので始める羽目になった馬主活動を、従兄弟はなんだかんだと楽しみ続けているようである。

 

「羨ましいです」

「なら、お前も何か始めろ」

 

 まるでどんな趣味でも構わないと言わんばかりに……いや、実際なんでも構わないのだろう。

 間もなく還暦を迎えようとする飯田コウスケにとって、この趣味がないという状態は危機的なものであった。

 

「とは言われても、始めるほどの時間もありません」

 

 ただしそこには「今はまだ」という注釈が付く。全力稼働を続ける国防軍の幹部に余暇はない。しかしいかなる高官であろうとも規則に定められた定年を迎えれば職を辞することになるわけで、そうなってしまえば暇は有り余ることになる。

 

「それになにより、趣味と呼べそうなものはひとしきり齧ってしまいました」

 

 人付き合いの一環で、もしくは危機感を抱いたが故の「趣味探し」として。

 趣味として全力を傾けられそうなものを、彼は見つけることが出来なかった。

 

「……そもそも、今がロスタイムみたいなものです。私は12年前に死んだのですから」

 

 息子(コウスケ)の自嘲に、父親(ケイスケ)は表情ひとつ変えない。

 2023年。この国のあり方を恐らく根幹から変えてしまったあの事件。やれミクロネシア疑獄などと叫んで誤魔化した現実。

 

 

 

 それは今日も、重くのし掛かっている。

 

 

 

 




 

 

 

〈西暦2024年 日本国 兵庫〉

 

 

 

 飯田ケイスケと言えば、どこにでも現れることで有名な国会議員である。

警察署に消防署、図書館に公民館、水道局に発電所……とにかく気を抜けば何処かにいる。

 あるときは通学路に、あるときは公園に、国会が開催されていなければ街に繰り出さない日はない。

 

 そしてそれは、彼の地盤の脆さを意味している。市井との交流を重視するということはつまり、自らを選んだ有権者(オーナー)と交流し続けないと見放されかねないということ。

 

「だからこそ、趣味の時間は大切にしたいものだな」

 

 違うかね?

 そう心にもないことを言ってのける生物学上の父親を見て、彼は小さくため息。

 

「ハルヒデ兄さんが見当たりませんが」

調教師(せんせい)の所だ。良い心掛けだよ」

 

 趣味だからこそ全力で取り組まねばならないと、そう父親に言われ彼は――――自身に明確な趣味と呼ぶべきものがないからこそ――――バツの悪そうな顔をする。

 そんな息子を無視して、父は手を挙げる。手のひらをひらひらと振って、その人物へと声をかけた。

 

「あぁ、瀬戸月さん!」

「……これはこれは、飯田さん」

 

 恭しく応じた初老の男性、父はずかずかと踏み寄せて握手。

 

「いつも甥がお世話になっております」

「……いえいえ、こちらこそ。飯田ハルヒデさんには御贔屓にして頂いて……」

「とんでもない。価値あるものに価値を支払う、自由経済の大原則ですとも」

 

とんだ茶番だ。父親たちの会話を聞き内心でため息を吐く彼。

 瀬戸月家はともかく、瀬戸月ファームの「商品」が価値を産み出したことなんて数えるほどしかないというのに。

 

「なんでも、今日走る……ええと、なんでしたかな……まあとにかく、それの親はトンデモない成績をお持ちだとか」

「……はぁ、えぇ。その通りではございますが……」

 

 向こうも強くは出られない。当然だろう、庭先取引(おもてにでない)のを良いことに法外な値段――――この場合は、信じられないほどの高額で――――で買い取っているのだから。

 

「父が偉大なら子も偉大でなければならない! ……瀬戸月家のお方なら、当然ご理解いただけると思いますが?」

 

 いい加減可愛い甥っ子(飯田ハルヒデ)に恥を掻かせるな、とたっぷり言い含んで――――実のところ瀬戸月以外から買い付けた商品も大した価値を生み出していないので、これに関しては若干の八つ当たりであったが――――それから彼は続ける。

 

「さて、そのような付帯事業(いいわけ)は脇に置きまして……本日は大事なご相談があります」

「……っ」

 

 びくりと、肩を震わせる初老の男性。彼自身も話は見えているのだろう、父は息も継がせず続けた。

 

「我々も身の振りを考えねばならない……そう言っているのです」

「既に死んだ一族の恥晒しが、ここに至ってまでご迷惑をおかけしたとは思えませんが……」

 

平身低頭に弁解するその様を見下ろす父は、そのまま静かに告げた。

 

「……我らは新田の門に降らせていただく」

 

沈黙。

まさかそれが意味することを分からぬ相手ではないだろう。故に彼はそのまま続ける。

 

「もちろん、すぐにとは言いません。当面は挙国一致、党利党略の出番はありません……しかし、20年先を見据えるとなると話は別だ」

 

 政府と議会は今、混乱の局地にある。

 たった3日、襲撃が続いたのはそれだけの期間。それでもたったのそれだけ彼らは数十の補欠選挙を実施させることを強要し、日本国民の抱いていた平和な時代への幻想を打ち砕いた。

 だからこそ、父は飯田家を率いるものとしての即決即断を叩きつける。

 

()()の覚えめでたく、10年先には総裁の座を仕留めるに違いない新田氏、幸いにしてこの飯田ケイスケも元自衛官、取り入る隙はいくらでもあります」

「で、では……」

「あぁそうだ」

 

 何かを言いかけた震える声、それが意味のある文字列に変わるのを制するように飯田家の当主は続ける。

 

「その新田が……なんでしたか、なんでも()()()()()()()()を用いているとかいう話がありましたな。久世(でじま)の分家も用いたと聞いている。あれは、やられないのですか」

 

 その言葉の意味を寸分の違いなく理解したであろう初老の男性は、だからこそ眼を僅かに見開く。

 肩を震わせ、先ほどまでの窺うような表情を怒りのそれへと変えて。

 

「それもこれも、全て彼奴(あやつ)が……!」

 

 父は今更、そのように家の不始末も自前で処理できないから手を引くのだとは説明しなかった。

 

「さて、()()()()()()()()()。兵庫に小さな牧場があるのですが、先日それをうちの競馬バカ(ハルヒデ)が買い取りましてな……ぜひ我々と深い縁で結ばれた瀬戸月さんに切り盛りして頂きたい」

「お待ちください、では北鎮は誰が担うというのですかッ!」

「言ったでしょう、新田の門に降ると」

 

 話はこれで終わりですと打ち切る父に、隠すことのできない絶望を顔に出す初老の男性。

 瀬戸月ファーム――――この国を霊的に守護する役目を担ってきた「蝦夷の瀬戸月家」が隠れ蓑にする牧場――――における売上の9割には飯田家が絡んでいるのだから、飯田が手を引くことはそのまま破滅を意味しているのだ。

 

 怒りや絶望が入り乱れ、足下すら覚束ない男性を見送り、父は深くため息をついた。

 

「まったく、少しは我が娘(ハルナ)のように言い返して欲しいものだ。そうすれば後ろめたさも覚えずに済むのだが」

 

 その言葉、その物言いに息子、飯田コウスケは眉をひそめた。

 

「……蝦夷の瀬戸月が関わっていないのは明白です。やりすぎでは」

「コウスケ、示しがつかんのだよ。手元(ひょうご)に置いておけば安芸の瀬戸月も文句は言うまい」

 

 保護者失格の風評(レッテル)だけは貼られたくないのだと続ける父親。家長としては正しいのであろうその判断に、息子は疑問を投げ掛ける。

 

「だから処罰すると、なんの関係もない蝦夷の瀬戸月を?」

「関係なくはないだろう。連座制も知らないのか?」

 

 現行法では認められていない処罰基準を持ち出す国会議員。

 だからこそ、息子は遵法性(そこ)には触れない。

 そもそも血の話をするのであれば、北方に暖簾分けをした安芸すらも罰しないのか……とも、口には出さなかった。

 

「……怨恨の連鎖にご留意ください」

()()()と瀬戸月に具体的な交流はない。大義名分にこそなれ、動機にはならんよ」

 

 大義名分になる、それが問題なのではないのか。心配事を察したのか、父は苦々しい表情を浮かべる。

 それはさも、自分の本職は研究であって右も左も知らぬ学生に教鞭を振るうことではないのだ、と宣う大学教授のようであった。

 

「瀬戸月ミナトは……あの忌まわしき第3分隊の司令は人柱に過ぎない。延々と太平洋の防衛線を拡充し、喉元に刃を突き立てるまで己が身の危険すらも知ろうとしなかったわが祖国のカナリアだったのだ。だからこそ、一石を投じる為に……死んでこその価値があるというもの」

 

 にも関わらず彼は()()()()()()と、そう父は断ずる。

 おかげで数え切れないほどの炭鉱夫が犠牲になったのだと断罪する。

 

「それは、あまりに非道ではありませんか?」

「非道? それは、彼の死を利用し国家の転覆を企てた者達にこそお似合いだろう。そして、お前も傷を負わされた」

 

 弾丸が抜け、処置はしてあるといえど擦れば嫌でも思い出す。同期の必死の叫びを。

 

『哨戒艦隊が何をしたっていうんだ。国を護るための英雄たちが何をしたと』

 

 そうだ、彼らは()()()()()()()()

 しかし炭鉱で啼かない(なにもしない)カナリアに飯を食わせる必要があるのかと、父はそう言っているのである。

 

「仮に……です。瀬戸月1佐と直接論ずる場があれば、このクーデターは行われなかったでしょうか」

 

 そう問いながらも、息子はその答えを知っていた。他でもない彼が、瀬戸月の信奉者となってしまった同期に突きつけている。

 

「米国崩れが日本を揺るがしかねない派閥を作ってしまった。瀬戸月は奴らにミクロネシアという土地を与えてしまった。その功罪は捨ておけんよ」

 

 国家を揺るがしかねない派閥。国家の統制下にあるべき暴力装置がその統制を外れることにより生じる勢力。

 

 

 それを軍閥と、歴史(ヒト)は呼ぶ。

 

 

 国家の行政能力を担保する軍権を握る遠征軍が中央の意向に背くことにより形成される国家から産まれた別の国家。

 その存在は歴史を見れば数多あり……また必ずしも中央と対立する存在ではなかった彼ら。

 とどのつまり、彼らが反乱を起こす(そうなる)まで追い込んだのが問題なのである。

 

「まるで、朝廷に唆された(みすてられた)義経公のようです。誰よりも頼朝に忠誠を誓い、誰よりも頼朝のために働いたというのに」

「だが最後には頼朝公(鎌倉の殿)の手で殺された」

「……彼を殺したのは日本という国そのものだったとでも?」

()()()。そして彼の信奉者によって復讐は成し遂げられた」

 

 そして何処かに彼らを唆した者が、策謀を巡らせた存在があるのだと、そう一族を預かる男は読みきってみせる。

 大したものだと、息子は穏やかでない心持ちで父親をみやる。()()()()()()()()()の彼は、まるで全てを見透しているかのよう。

 

「私の不手際です。申し訳ありません」

「いい、内戦は回避できた。政権の簒奪も起こらなかった、今はそれで満足している」

 

 今回の事件は防げるはずだった。それこそ未然に防がれるはずだった。

 それが上手く行かなかったのは、ひとえに信奉者たちが……信奉者に策を授けた者が上手だったというだけのこと。

 

 戦争とは始まる前から結果が見えているもの。深海棲艦などという()()に手一杯であった日本に、勝ちの目などなかったのだ。

 

「まぁ、精々気に病むことだな」

 

 だが、生真面目な息子はその「言い訳」を許さないだろう。計画を破綻させた人的理由を探すだろう。

 

 そしてその矛先が、己自身に向くことに疑いの余地はない。

 だから責めるなとは言わない。責任を取れと彼は口にする。

 

「幕僚長はハナから期待していない。だが将官会議には出られるようになっておけ」

 

 欲を言えば将官としての実績もあるといい、そんな無理難題を彼は平然と押し付ける。

 

「頃合いをみて代議士に転向、それが国防大臣への最短コースだ。元将官なら軍部も拒否する理由がないからな」

「私は軍人です、政治家には」

「お前は優しすぎる」

 

 ばっさり切り捨てた父の言葉に反論はない。それだけで十分だった。

 何十、何百万人の命が己の双肩に懸かっていると知ったとき――――震えたことだろう、我が息子よ。父は内心で語りかける。

 

 自分が見知りもしない他人の命を握る感覚など、知らずに済んだほうがマシだと、きっとお前はそう考えているに違いない。

だが、それでは駄目なのだ。

 

 なんのために教育を施したか忘れたと言わせるつもりはないと、父親は息子に語りかける。

 なんのためにお前を産んだか、知らないとは言わせないぞと、父親は息子に語りかける。

 

「責任を取りたまえ。お前が()()()()()()()()98万人を幸せにしてみせろ」

 

 我々は敗北したのだと、そう彼――――参議院議員の飯田ケイスケは息子に告げる。

 

「犠牲者のリストをみたか?見事なまでに調整役を刈り取られた。目立たぬ実務派もな」

 

 議会の混乱を生み出し、官僚(ぐんぶ)の優位を確立する。それが実行犯の目的だろうと、父は断ずる。

 政権転覆まで至れば、それは成功したのだろうが――――――そこまで考えを巡らせ、父はある仮定に辿り着く。

 もしも策を弄した者が「政権転覆までは至らせない」という筋書きを描いていたとすれば?この国を盗ることではなく、半身不随の国家を作りあげることが目的だとすれば?

 国家百年の計を語らぬ政治家に意味はない。銃口に怯え、国民の顔色しかみられなくなった政治の行く末は先の大戦が証明している。

 そしてそれにより、最も益を得るのは――――――そこまで考えた彼は、詮無きことだと思考の渦から這い出ることにした。

 根拠がひとつもない仮定、仮定に仮定を重ねた結論は目を曇らせるだけである。

 

 いずれにせよ、やるべきことは決まっていた。

 

「クーデターは成功した。ここから先は軍部が政治を動かすことになる。せめてもの慰めは、国民が軍部を信用していないことくらいか」

 

 だから軍部に食い込むことこそが最優先なのだと、軍部に国会、深海棲艦さえ抑えればあと十年は盤石だと父は息子に言う。

 

「軍部を掌握しろ。反瀬戸月、反クーデターを掲げれば主流派閥は取り込める」

 

 敵がいるなら利用しろと、その政治家は助言をする。

 

「そしてお前は英雄になれ。崩壊寸前の国軍を建て直し、忌むべき腐敗と責任転嫁を赦さない志士となるのだ」

 

 ――――――それは、貴方が言う叛逆者(せとづき)と同じ神輿に成れという事ですか。

 口には出さなかったが、意図は伝わっただろう。父は深い溜息を吐く。

 

「その甘さは武器だな。理想を口に出来ない政治家に価値はない……お前は政治家に向いているよ、コウスケ」

「……ひとつ、聞いてもよろしいですか」

 

 そして息子は、父親の顔をみた。

 

「我らの行いを傲慢とは、身の丈に合わぬ驕りとは思わないのですか」

 

 それはもしかすると、長年の疑問の発露であったのかもしれない。

 

「逆に聞くが、他の者に任せられるとでも?」

 

 瀬戸月が撒いた鮮血のカーペットを踏み歩くのは我々だと豪語する。

 

「これが飯田家(わが血族)の誇りだ。我が息子コウスケよ」

 

 強くあれと、父は子に願い(のろい)をかける。

 

 

 




 

 

 

 

 

〈2035年 日本国 東京〉

 

 

 

 

 そうして、あれから12年の歳月が過ぎた。

 

「……悔恨の極みです。私は、またも失敗した」

 

 ポートモレスビーの事件が「大規模な通信障害」として処理されてから幾月か、今なお議会に収まる父親に呼び出された息子が言うべき言葉は決まっていた。

 

「失敗した? クーデターは()()()起きなかったじゃないか」

 

 そして父親が息子にかける言葉も、当然このように決まっていた。

 本気で言っているのですかと息子が顔を歪めるところまで、父親にとっては予想の範疇であった。

 

「武装蜂起は止められたはずなんです」

「鎮圧騒ぎになってみろ。国防軍は現場に責任を押し付ける、むやみに特務艇艤装とその要員が喪われる、最前線は崩壊する……こういうのを、世の中では『踏んだり蹴ったり』というんだ」

 

 それはそうだろう。『子供』を追い込み武装蜂起を起こさせ、それを理由にして戦線の縮小整理を図る……それがあのポートモレスビーに描かれていた青写真だった。

 

「お前だって分かっているだろう。艦隊派は欲を出しすぎた。艦娘派、無人艦艇派……そして瀬戸月。全部を一網打尽にしようとした」

 

 

 艦娘が武装蜂起を主導する。

 その過程で無人艦艇のシステムが悪用される。

 

 そして武装蜂起の主導者は――――――ミクロネシアの英雄こと瀬戸月ミナトの娘。

 

 

「劇薬が過ぎる。もはや薬とは呼べん」

「しかし、これで軍内部の拮抗が崩壊します。もとより艦娘派優位な状況で、無人艦艇派が崩壊したんです」

「艦娘派なら崩壊してもよかったのか?」

 

 父親の問いかけに押し黙る息子。既に3つの桜を戴く国防海軍海将となっている息子に、父親は無感情な視線を投げ掛ける。

 

「仮にも中立派を名乗るなら、もう少し好き嫌いは隠しておけ」

「……中立派が肩入れして、辛うじて均衡が保てていたのですよ。父上」

 

 先般の新型DDH建造に向けての会議がその最たる例だろう。

 

 是が非でもと艦娘母艦建造を迫る艦娘派、一方の艦隊派に無人艦艇派は意見が割れ、艦娘派に対する満足な反論が成立していなかった。

 そもそも航空機を搭載するDDHの新型を検討しているのに艦娘母艦という言葉が飛び出すこと自体、国防海軍においていかに艦娘派の発言力が大きいかを示しているというもの。

 そしてその傾向は、ポートモレスビーの事件で確定的なものとなった。

 

今回の件(ポートモレスビー)で艦隊派も無人艦艇派も有効な策を講じることは出来なかった。これからの国防海軍は艦娘派の独壇場です」

「艦娘だけで何かが出来ると?」

「あなたは分かっていない」

 

 もう、12年前とは違うのだ。

 艦娘たちは着実に力をつけた。ミクロネシア戦役で瀬戸月が撒いた種は、確実に芽吹きはじめている。

 

「やはり、塩でも撒いておいた方がよかったかな」

「……雑草の駆除に塩を用いてどうするのですか」

 

 生物学上の父親に息子は小さくため息。

 塩なんて撒いたら最後、あらゆる草木は枯れ、建物は朽ち……今後数十、数百年は不毛の大地が広がることになるというのに。

 

「お、そろそろ始まるらしいな」

 

 それを無視してガラスの向こうへと視線を向ける父親。歓声に包まれる巨大な競馬場とこちらを隔てるのは、透明な全面ガラス張り。スタンドの上層階ということもあり、そのガラスは分厚く頼もしい。

 

「開戦世代の時代が終わる」

 

 そこに映し出された父親は、記憶より幾分かしぼんだように見えた。

 

「艦娘だけの話じゃない。政治家(わたし)も、軍官僚(おまえ)も間もなく引退だ。ここから先は後継者争いが始まる」

 

 息子は何も返さない。馬場に次々躍り出てくる4本足の動物を見下ろしながら、父親の言葉を耳にいれていく。

 

「偉大な父の子は偉大でなければならない。お前はそれに報いた。()()()お前にしか任せられない」

 

 

 次の衆院選に出馬しろ。

 

 

 端的に、息子の意思を問うこともなく。

 父はそう言いつけた。

 

「……拒否なさるとは思わなかったのですか」

「趣味がないんだろう。無趣味な老後は暇だろうに」

「先ほど『暇だ』と」

「辞めることにしたからな。アガリが見えれば心持ちも変わる」

 

 誰が聞いているとも分からぬ……とまでは言わずとも、決して密室でない場所で父はそう宣言する。

 

「新田先生は私に次の議長を任せてくれるらしい。彼なりの()()()()といったところか」

 

 もちろんそれだけではないだろう。政界における国会議員議長職は衆参問わず名誉職的な側面が強い。主戦派を自称する飯田ケイスケがその席に収まれば、彼の政界引退を内外にアピールすることが出来る。

 しかし、参議院議長は昨年(2034)夏の参院選後に交代したばかり。そして昨年選挙で改選されていない飯田ケイスケが参議院議長になるということは、少なくともあとあと一回当選して任期を全うするということになる。

 

 要するに、これは恐らく「引退を勧められた飯田ケイスケ」の「回答」。

 最低でもあと8年、政界に居座るつもりだぞと。そういう宣言なのだろう。

 

「……」

 

 間もなく還暦を迎える息子からしてみれば、年齢からして引退してもいいのでは? と言いたいところだが……。

 

 分かるな? と父の眼が語りかけてくる。なぜこのタイミングで引退を、すなわち2037年の任期満了を以て出馬を取り止めることを打診されたのか。

 

「確信があるのですね?」

「勘だ。根拠はない。だが()()するなら次の衆院選が締め切り(デッドライン)だな」

 

 

 窓ガラスの向こうの熱がにわかに高まる。ファンファーレの音色が熱気を調律し、歓声と拍手が曇天の東京競馬場に広がっていく。

 

 結果は分からない。

 しかし勝負が決まるのは、いつだって一瞬だ。

 

 

 

 

 

 

 

 




 飯田コウスケ(孝介)をはじめとする飯田家のキャラクターは、拙作「模倣の決号作戦(連載停止)」およびそれを下敷きとする同人誌にも登場するオリキャラです。
 一応、作者お気に入りのキャラと言うことになるのかな? とは思うのですが、どうしても「便利だから使っている」感じが否めない。

 代弁者なんですよね。今回の書き下ろしにおける彼らの役割って。


 来週はアンケートにて受け付けました本作に関する設定解説を公開する予定です。


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第105話 20年後の「あなた」に

この話を掲載するのを忘れていました。


 

〈2024年 長野県 信濃川流域

 

 

 

 

 その日の無線は、いつもよりも雑音が多かった。

 

「ホワイトスワンよりCP、こちら現場――――――」

 

 海域、と言いかけた舌を噛む。このバカ舌め、言葉には気をつけろ。

 

「――――――現場()()に到達。視界不良、ソナーもノイズが多すぎて効かない。目標地点まで誘導できるか?」

『CPよりホワイトスワン、問題ない。貴艦の位置情報は衛星で把握している。そこからおよそ400m先、まだ流されていない民家があるはずだ。確認できるか?』

 

 思わず悪態を吐きかける。この無線はヒトの話を聞いていたのだろうか?

 

「繰り返すが視界不良。五寸先も見えない」

 

 目の前に広がるのは雨のカーテン。重力に惹かれて無数に落着するその滴たちは、無駄に光を反射して数メートル先すらも覆い隠してしまう。

 

『了解。それでは誘導する。国道沿いに直進し三個先の角を右に。国道から逸れるな、座礁の危険がある』

「……いやだから、どこが国道なんだよって話なんですが?」

 

 豪雨災害、という言葉が当たり前のように――――それこそ、深海棲艦絡みの災害よりも多く――――聞かれるようになってから随分と経った。深海棲艦は純然たる軍事力で押し返せばいいが雨雲となるとそうはいかない。

 

 泥水に浸かった信号機を視認、一つ目の交差点を通過。

 ……浸水は2m、いや3m? いくらんでも、これは酷すぎる。

 

「どーせそこに居るんでしょうから言わせて頂きますがね、少佐殿は艦娘使いが荒すぎます。こんな天気で動員された日にゃ、私はおかしくなってしまいますよ」

『口を慎めホワイトスワン、貴様は任務の遂行だけを考えろ』

「おっと、お疲れ様です少佐殿」

 

 しれっと回線に割り込んでくる『少佐』。そのどこか苛立っているようにも聞こえる声色が、回線の向こうでふんぞり返る彼女の仏頂面を想像させる。

 

「こっちは()()()()ですよ、一緒にピクニックでも行きませんか?」

 

 向こうで鼻が鳴ったのを聞き、私は推進器の出力を上げる。先ほど『少佐』は任務の遂行だけを考えろと言ったが、遂行さえしていれば雑談程度は許されるだろう。

 

「それにしても珍しいですね。少佐が我ら下々の働きを直接ご覧遊ばされるとは……やはり今回は『黒鳥』絡みですか」

 

 部隊長の彼女がウォッチしているとなると、やはりこの任務は重要なのモノなのだろう。『少佐』にとって重要な案件となると「黒鳥」ぐらいしか思い浮かばない。

 ところが彼女は、私の想像を鼻で嗤った。

 

『馬鹿だな貴様。こんな豪雨で「黒鳥」が飛べるとでも?』

存在しない鳥(ブラツクスワン)は飛びませんよ。存在しないんですから」

『悪いけど言葉遊びには付き合わないわよ。あと200m、事前情報だと街路樹が一部車道にせり出している。注意しろ』

 

 雑談と周辺情報を織り交ぜた「少佐」の声が無線に乗る。知ってのとおり、この国に少佐という階級は存在しない。本来ならば3佐と呼ぶべきところ。

 

「はいはいっ、と……前方に目標らしき民家を視認。屋根の上に人影」

『速やかに確保しろ』

 

 この任務に文句はない。

 

 豪雨災害、取り残された市民の救出。

 私たち特務神祇官、「艤装」と呼ばれる小型一人乗りの艦艇を操る特技兵の面目躍如。

 

 ただ、この水害には上流ダムの崩落が関わっている。ただそれだけで、ヤツの影がチラついて仕方が無い。

 

 存在してはならないヒト型(ブラツクスワン)

 知性を持つ、恐るべき深海棲艦(かいぶつ)

 

 総理を暗殺し、軍の上層部を皆殺しにして、国中を恐怖のどん底に陥れた存在。

 

 ヤツを倒すまで、私の戦いは終わらない。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 ウワサを聞いた。それは取るに足らないウワサ。

 だけれども、どうしてこんなに。心揺さぶられてしまうのだろうか。

 

「艦娘は歳をとらない?」

 

 その日は珍しく、休憩室で艦娘の話題が出た。

 

「おうよ。艦娘は若いもんばっかりだろ? だから歳を取らないんじゃないかって」

「ふーん」

 

 興味なさげに生返事を返すのは1個上の先輩。賭け事が大好きで、なんにでも本気で取り組むのだが……どうも実利が、自分が損するか得するかの瀬戸際に立たないとやる気が起きないのだとぼやいているサボりの常習犯。

 

「なんだい興味ないのかよ。歳を取らないってことは不死身ってことだぞ?」

 

 歳を取らないからといって不死身という理屈はおかしいだろう。よく分からないことを言うのは健康に目がないライン長。先週も新しいサプリメントを買ったとか自慢していたから、まさかその話も健康絡みの話題だと思っているのだろうか。

 

「不死身ねぇ。まあ昔は興味あったよな」

「人間死ぬときに死ぬのが一番よ」

「まあしかし、その話が本当なら政府は色々隠してるってことになるよな?」

 

 話題が欲しいのだろう。コロコロと主題を変えながら話は続いていく。

 彼らにとっては、艦娘の話題――――つまるところ安全保障の話題――――も、昼食のデザートに添えるようなものでしかない。それはもちろん、分かってはいたけれど。

 

「――――――そういえば、お前さん艦娘と付き合ってたよな? どうだった?」

 

 ほらきた。ため息を吐きそうになる本音を押さえ込んで、笑顔を作る。

 

「いや。分かりませんよ。だって本当に、短い付き合いでしたから」

 

 

 

 

 この街は、海からあまりに遠い。

 

 電車で何分だとか、自動車で何分という話ではない。深海棲艦なんてバケモノに海を占領されても、海が山の向こうときては実感がわかないのだ。

 

 ただそれでも、この部屋にはつい最近まで――――もっとも、もはや最近だったような錯覚を覚えるだけだが――――潮の香りが充満していた。

 

 信じて貰えるだろうか。まあどだい無理な話だろう。

 なにせ今の部屋はヒドいモノだ。生活用品が散乱し、それでいて汚れきっていない――――――使われていないが故の汚さを誇る部屋。こんな場所に、容姿端麗な艦娘が居座っていたなんて、誰が信じるものだろうか。そして実際のところ、よく分かっていないのだ。

 

 なぜ彼女と付き合えていたのか、どうして彼女が興味を持ってくれたのか。

 

 

 


 

 

 

 始まりは、本当に突然だった。

 

「へえ。上手いじゃん」

 

 それは、海沿いの街に出張で行ったときのこと。あの山に囲まれた街がそんなに好きではなかった私は、こういった出張をいつも楽しみにしていた。

 

 それは知らない景色に出会うため。まだ見ぬ景色を切り取って、何かの足しにするため。何の足しになるのかは分かっていない。そのくらいにあの頃の人生は、目標と呼ぶべきモノのないつまらないモノで。

 

「なにそれ? 写生してる感じ? アタシにもみせてよ」

 

 半ば強引に見られたそのスケッチブックに詰め込まれたのは――――――そんな半生の写し絵。それを彼女はまじまじと眺めて、それからニヤリと笑う。

 

「いいね、これ。特にここに書き込まれたヤツとか」

 

 彼女はどうやら、写生に埋め込まれた空想上のオブジェクトが気に入ったらしかった。なかなか変わった趣味だなと――――自分のことは棚に上げて――――思ったのはよく覚えている。

 そこから先は、なんというか。光陰矢のごとしとでも言えばいいのか。

 

 

 嗚呼。

 

 

「本当に、あっという間だったな」

 

 

 よろよろと、疲れた身体を労るように床へと座り込む。やるべき事は山積みだ。

 

 近所のスーパーで買ってきた割引シール付の惣菜を温める。

 温めたら炊飯器の中で眠っている白米を取り出して一緒に腹に収める。

 

 食休みが済んだから着替えを用意して……風呂を張るのは面倒だから、今日は銭湯にでも行こうか。

 

 そんなことを考える。

 

 考えても、身体が動いてくれるわけではない。

 

『もっとシャキッとしなさいよ』

 

 彼女がいれば、そんな風に言うだろうか。

 あの頃は毎週末に向けて整理整頓していた部屋も、今ではがらんどうになってしまってゴミばかりが溜まっている。

 

 本当に、短い間の出来事だったのだ。

 

 年にすると何年だろうか。

 

 3年?

 ……いや、コミマが四回だから長くて2年半か。

 

 そう思いながらカレンダーに目を遣れば、もう間もなくコミマの開催日だということに気付く。

 

「艦娘になる前はさ。漫画なんて描いてみようなんて思わなかったんだ」

 

 ふと、目の前に放置された炬燵(コタツ)に入った彼女が微笑む。電源コードも抜けて久しい炬燵でぬくぬくと温まりながら、彼女が言う。

 

「なんていうの? インプットが増えたっていうかさ。自分の中に集まったものをうりゃ~って吐き出したくなる感じなんだよね」

 

 それは、世の中で言うところの創作論。

 インプットにアウトプット、プロレタリア文学とエンタテイメントの違い、売れる作品と名作の違い……およそ枚挙に暇のない数の議題を並べて、眠れない夜を過ごしたこともあった。

 

 それらの想い出を振り返って、ふと思う。

 そういえば、二人の関係はなんと表せばよかったのだろうか、と。

 

 昼休憩で同僚や先輩達は「付き合っている」と言ったが、あれはこの特殊な関係を説明するのが難しかったから。

 

「なあ、俺たちは付き合ってたのか」

 

 それならどうして、いきなり消えたりしたんだ。そんな次の句を用意して、口から疑問が飛び出す。それは炬燵で温まる幻影に突き刺さって、そのまま抜けて――――――

 

「うーん? その答えは、コミマにあると思うよ?」

 

 

 そんな返事を、影が返した。

 

 

 山の中で生きていく分には、海を見なくても済む。もちろん近所のスーパーには鮮魚や寿司が並ぶけれど、それらに海を結びつける要素はない。

 実のところ、彼女に会うまでは戦争が起きているかどうかも疑っていたのだ。

 

 なにせ魚は普通に売っている。

 電気も水道も、ガスだってちゃんと通っている。

 

 ガソリンは確かに値上がりしたが、それすらも許容範囲での値上がりでしかなくて。

 

 そんな非現実だった戦争を、彼女はこの空間(いえ)に持ち込んだのだ。

 

 

「――――――いってきます」

 

 

 そう、誰にでもなく宣言して扉を閉じる。

 一昔前、ただいまおかえりと冗談半分に言い合った声は聞こえてこない。それを知って、大地を踏みしめる。

 

 久しぶりだけれど大丈夫だろうか。

 ちゃんと装備は一式持っただろうか。

 

 買う予定のリストは?

 サークルチェックは?

 ご挨拶の品は?

 

 そんなことを確認しながら駅に着く。さてここから会場まで何時間だろう。

 まばらな乗客を抱えた車内を広く感じて仕方がない。ああそうだ、会場に着くまでの時間。彼女とずっと話していたんだっけ。あまりにも他愛のない話で、もう内容もすっかり忘れてしまった。

 

「でもそれでも、私たちはここで一緒に居たんだよ」

 

 ドアの向こう、小さな硝子窓の向こうで彼女が微笑む。

 そうだ、キミは艦娘で、つまるところ軍人だから頑なに座ろうとしなかったんだったな。

 

 だんだんと座席が埋まっていく車内で、満員になるまでずっとドアの脇に立っていたんだったな。

 

 まるで記憶を辿るように、車両の中にヒトが詰め込まれていく。

 座席が埋まり、つり革が埋まり……そしてやがて、両脇に大荷物。あれと呟くと、彼女はまた笑う。

 

「なーに惚けてるのさ。そりゃ新刊もってかないとコミマ始まらないでしょ?」

 

 なるほど、それもそうかと納得したところで列車が止まる。

 

 待ってましたと言わんばかりに駆け下りていく乗客達。

 それを追うように、大荷物を抱えて歩いて行く。はっきり言って歩きづらい。

 

 どう考えても持つべきでない荷物の量、どう考えても適切ではない荷物の量。

 恐らくその殆どを送り返すのであろうという確信に似た予感を抱いて、逆三角形が象徴的なコミマの会場へと足を運ぶ。

 

 不思議な関係だった。国の守護神たる艦娘と、どこにでもいる工場労働者。

 

 そんな二人が、コミマなんていうアマチュア同人誌の即売会へと向かっている。

 

 一緒に肩をならべて、歩幅を合わせて。

 

「ねえ。コミマは楽しかった?」

 

 どうだろう。楽しかったような気もするし、そうでなかったような気もする。

 

 もうアレが中止になってから2年も経つのだ。忘れもするよ。

 

「また機会があったら、やりたいと思う?」

 

 そんなことを彼女が聞く。2年経っても彼女の顔は昔のまま。なるほど確かに、艦娘は歳を取らないなんて噂が出回るわけだと、妙な納得をしてしまう。

 

「ああ、でも。違うんだよ」

 

 そう声に出す。何もかも整合性がとれていない世界で、自分だけが思い通りに動けている――――動けているのは、口だけだったけれど――――のが妙に安心する。

 

「コミマそのものが楽しかった訳じゃないんだ。コミマに至るまでが」

 

 至るまでが楽しかったんだ。その言葉を聞いた彼女は無言で頷く。

 

 そうだ。朝霧が晴れるように記憶が明瞭になっていく。彼女とは確かにパートナーだったけれど、それは創作のパートナーだった。少なくとも、出発点はそうだった。

 

 毎週のように集まった。軍隊の寮じゃ出来ることが限られるとか言って、隙をみつけては家に入り浸っていた。段々と二人は様々なパートナーを兼任するようになっていったけれど、それでも大前提は変わらなかった。

 

「なあ、昔に戻れないのか」

 

 口を突いて出た答えは、少なくとも彼女に解決できる問題ではない。

 覆水盆に返らず。既に終わってしまったものを、元の鞘に収めることは叶わない。

 

「うーん、どうだろうね?」

 

 それなのに、彼女は言うのだ。

 期待させるような素振りで、思わせぶりな言葉を使って。

 

「その答えは、コミマにあると思うよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……夢、か」

 

 奇妙な。それでいていやに現実感のある夢だった。

 まるで自分の記憶を切り貼り(コピペ)したみたいな構成、ありとあらゆる所に現れる彼女の幻影。

 

「コミマにある、か……」

 

 そして布団から眺めるカレンダーには、確かに開催の迫ったコミマの日程が記されているのだった。

 

 

 


 

 

 

 来てしまった。

 彼女が去ってから、ずっと離れていた場所に。来てしまった。

 

 

『それでは、ただいまより――――――』

「列とぉりまあぁす!」

「走らないで! 走らないで!」

 

 

 喧騒だ。喧騒が巨大な空間を占領している。

 

 それは行き場を喪った熱のようで、そこら中に並べられた本やグッズが、誰かの情熱を加工して変換した証明になる。

 

 彼女は、この空間の何が好きだったんだろう。

 机と机の間を彷徨うように歩いて行く。目につく派手な本はいくつも見た。しかしどうにも、心に来ない。

 

 なぜだろうと自問する。とっくに気付いている答えから目を逸らしながら。

 

 並ぶ本、本、本。

 コミマはあらゆる創作物が存在を許される場所。

 

 ゲームや音楽を収めたCDーROMが並び、よく持ち込んだなと思ってしまうくらい大きな液晶画面にサンプルと思しき動画が表示されている。

 

 それでも探しているのは、結局の所。彼女の横顔だけ。

 

 歩きながらに思う。

 自分はなんて、つまらない人間になったのだろうと。

 

 その実、昔はこれでも結構真面目な参加者だったのだ。

 買い物リストを編集し、会場地図と付き合わせながら巡回順序を定めて、必要があれば他の友人達にも依頼を回して。これでも結構、楽しんでいたつもりなのだ。

 

 それなのにどうして、こうもやる気が出ないのだろう。

 どの机に並んでいるモノも代わり映えしない量産品のように見えて、少し興味を引かれた頒布物はなんだか何時かみたような出来映えで。

 

 

「ああ、つまらないな」

 

 

 そりゃそうだ。夢で答えに辿り着いているのだから。

 

 

 

 

「そっか、残念」

 

 

 

 

 ふと、そんな――――――酷く懐かしい声が――――――聞こえた気がした。

 

「ここに結構、いやかなーり面白い本。あるんだけどな」

 

 考えるより早く、身体が動いていた。どうして気付かなかったのだろう。服装も髪型も、なんなら顔の形までも少し違う。だけれどこの声は彼女だ。

 

「さっ、そこのお兄さん。新刊ひとつ、持っていきませんか?」

「あっ、えっと……」

 

 それから値札を探すために視線を這わせるけれど、値札らしき表はどこにも見当たらない。

 おかしいなと思いつつ財布を取り出そうとすると、今度はその財布がない。何処かに落としたかと辺りを見回せば、今度はその「辺り」が消えてしまう。

 

「えっ、あれ?」

「ん? お金がないんです? だったら新刊交換しましょうよ」

 

 その言葉の意味を理解するのに、ほんの少しだけ時間を要したのは仕方のないことだったと思う。なにせ新刊なんて持っていなかったし、交換なんてのも、しばらくしてこなかったから。

 

「いやでも。私新刊もってなくて……」

「? 何言ってるんです? そこにあるじゃないですか」

 

 言われてみると、何故か新刊が手元にあった。まるで誰かに渡すためのように、綺麗な包装紙にまで丁寧に包まれている。

 

 まるで夢のよう――――――それとも、ここもまだ。夢の続きなのだろうか。

 

 ああ、それでも。

 

「はい、じゃあ交換ね! いつもありがとう」

 

 新刊を手渡してくる彼女の笑顔は、とても素敵で。

 彼女が本物なら、後は全部偽物でもいいやと、そう思えるほどで。

 

「……いつも、お疲れ様です」

 

 そんな言葉と共に、新刊が交換される。

 

 

 

 

 そして、世界が――――――弾ける。

 

 

 

 


 

 

 

 

 とっても、懐かしい夢を見た。

 

 昼下がりのこと。大陸で少し流行ったらしい新種の流行風邪(はやりやまい)が日本にもやってきて、私の勤めている職場で集団感染(クラスター)が発生してしまった日の翌日。

 

 自宅待機を命じられた私は、机につっぷして考えていたのだ。

 休みはいい。どうせ働きづめだったのだから、むしろ丁度いいくらい。

 自宅で待機するのも構わない。私はパチンコとか麻雀に精を出すタイプじゃなかったし、むしろどっちかと言えば家でやりたいことが沢山ある人間だから。

 

「でもまさか……こんなにヒマだなんてね」

 

 ぐるりと、そんなに大きくないはずの部屋を見回す。いつもは二人で場所を譲り合いながら使っている部屋も、一人になってしまえば妙に広くて落ち着かない。

 

 でも、退屈の一番の理由は――――――そうではなくて。

 

「あはは、私。思ったよりもアイツのこと、好きなんだな」

 

 口に出してみた言葉は思った以上に重たい。口から出切らなかった言葉が喉まで降って、身体の中へと落ちていく。

 

 暖房が切れているせいだろうか。心なしか寒い。

 春先のはずなのに、外では大雪が降っている。

 

「ねえ、寂しいよ」

 

 返事はない。返事はなくて…………。

 突然、頬にあったかいもの触れた。

 

「何が寂しいって?」

「うひゃあ!」

 

 慌てて飛び退く私を見越してか、彼はパッとマグカップを逃がして回避。

 

「……ちょっと、脅かさないでよね」

「はは、ごめんごめん」

 

 反省してなさそうな調子で笑う彼。まったくもう勘弁してよと私が言えば、彼は暖房のスイッチに手を掛けながら続ける。

 

「暖房もつけずに寒い寒い言ってるから、大丈夫かと心配したんだぞ。そしたら変なこと言い始めるし――――――」

「ちょっと待った! もしかして、もしかすると聞いてた感じ?」

「さぁどうだかなぁ?」

「うっわ! それ絶対聞いてるヤツじゃん!」

 

 あははと笑った彼。私はああちくしょう覚えてろよと、ペンを手に取る。

 それは文明の利器。パソコン接続の液晶ペンタブを動かす魔法の杖。

 

「それで? 進捗はいかがですか、先生?」

「誰かさんが居てくれないお陰で、ミゴト()()でございます」

 

 それは大変だと笑う彼。手伝ってよねと(つつ)く私。マグカップが差し出されて、いよいよ原稿執筆の準備が整う。

 

「さーて、こっから追い込みますよ! アシストよろしくね!」

「おうよ。任せとけ」

 

 

 

 春先の大雪。

 

 明けない冬の季節だけれど――――――今だけは、春が訪れている。

 

 

 

 

 

 

 ねえ、でも。知ってる?

 

 

 

A.D.2019

A.D.2020

A.D.2021

A.D.2022

A.D.2023

 

 

 

 この世界は、もう。

 

 

 

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A.D.2032

A.D.2032

A.D.2033

 

 

 

 とっくの、むかしに。どうしようもないくらい。

 

 

 

A.D.2034

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A.D.2036

A.D.2037

A.D.2038

A.D.2039

 

 

 

 

 おかしくなって、しまっているんだってコト。

 

 

 

 


 


 


 

 

 

 

「おはよう。たのしかった?」

 

 真っ白な天井。冬を思わせる景色に、私は想わず身震い。

 けれど身体の周囲には加熱器が張り巡らされていて、身体は重い。

 

「……彼、元気でしたよ。今回はココアを入れてくれました」

 

 そう報告する私に「少佐」は微笑む。

 

「モニタリングでは、カップの中までは見えなかったけれど」

「いつもココアだったんですよ。原稿がヤバいときはいつもそう」

 

 そんな私に「少佐」が向けるのは、果たして哀れみだろうか。

 

「霊力の補給は上手くいってるみたいよ。良かったわね」

 

 よかった、か。私はそっとため息。

 

「でも、もう随分と真っ白になってしまいましたよ。彼の世界は」

 

 というか驚いたんですけれど、(あつち)はまだ2年なんですね。私が力なく笑ったのを見て「少佐」は嘆息。

 

「戦争は、技術を10年分は押し上げると言われているわ。今の私たちはさながら浦島太郎みたいなものだし、あながち間違いでもないんじゃない?」

「いやだなぁ。若作りなのはもう表面(ガワ)だけですよ?」

 

 それに、と言いかけた私を「少佐」は遮る。

 

「ヤツが帰ってくる」

「…………」

 

 そうか。ついに、来てしまったか。

 

 私は彼の寝そべるベットを眺める。

 彼を物理的に生かすための点滴、各種生命維持装置。

 

 それを繋いでも尚弱っていくばかりの魂を支えるための、私の新刊交換(れいりよくかいふく)

 

「ねえ、はやく目覚めてよ。私、ずっと待ってるんだからさ」

 

 そう問いかけても、返事はない。返事のないまま、もう何年もの月日が過ぎた。

 

「感傷に浸る時間は終わりだぞ、()()

 

 そしてその声が、私を現実へと引き戻す。

 

「…………分かっていますよ『少佐』」

 

 本当に、早く目覚めてほしいものだ。

 

 そうしなければ――――――私の戦争(ふゆ)は何時まで経っても終わらないのだから。

 

 

「それで。私はどうするんです?」

「当面は『彼女』のさせたいようにさせてやれ。ヤツには『彼女』の親友が導いてくれる」

「『少佐』はそれで良いので?」

 

 私の問いに、愚問とばかりに肩を竦めるだけの『少佐』。そうだろう、未練たらたらの私と違って、あなたは全部捨てられる人だ。

 そうやって自分のことは全部捨てて、護ろうとしてきたヒトだ。

 

 立派だとは、思う。

 けれど私は、到底あなたみたいにはなれないと思う。

 

 なりたいとも、もちろん思わない。

 

 

「安心しろ。彼の命は繋いでおく……それを生かせるかどうかは、あなた次第だけれど」

「ええ。契約は続行でお願いしますよ『少佐』」

 

 この国に少佐という階級は存在しない。

 この国に少佐の居る場所は存在しない。

 

 それは少佐と契約を結ぶ「私」にも、同じ事。

 

 

 ああ、けれど。

 

 あなたにお別れも言ってないのに。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 とても苦しくて、出来ない。

 










 本稿(105話)は2021年12月30日に初頒布した同人誌「冬芽未だ咲かず:冬芽いまだ咲かず」を加筆再編集したものです。


 来週こそは設定編です。アンケートありがとうございました。


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【おまけ】一部用語と登場人物などの解説

思ったよりも時間がかかりました。あとで補足したり削ったりするかもしれません。

どっかのタイミングで年表とかも出した方がいいのだろうか……?


・本作において登場する「艦娘」を示す用語

【特務神祇官】

 特務神祇官とは霊力を外部に向けて使用することが出来る者に与えられる国防軍の内部資格。

 戦闘職種に充てられる要員(特務艇乗組員)は全員が特務神祇官である。また、支援職種であれば単に神祇官とするのが適当であるが、大抵の神祇官は戦闘職種に配置されるため「神祇官=艦娘」という認識が一般である。

 

【特務艇】

 深海棲艦対処で活躍する国防海軍の装備品。いわゆる「艦娘」。ただし装備品そのものを指す場合は「特務艇艤装」と表現することが多い。法的には小型船舶となる。

 特務艇艤装+特務神祇官=特務艇(艦娘)と解釈するのが妥当。

 

 

 


 

 

 

・2035年時点において特務艇(艦娘)を運用する日本国国防海軍の部隊について

 

 ここに示されるのは組織としての部隊であり、実務上の関係や指揮系統は示さない。なお、海上幕僚監部勤務や教育機関などにも艦娘(特務神祇官)は配属されていることが予想されるが、特務艇艤装は配備されていない(=軍艦としての戦闘能力はない)ためにここでは割愛する。

 大まかな括りとして五段階の単位に分けたが、これは厳密なものではないので注意。なお国防軍には統合運用の概念が導入されていることから作戦ごとに統合任務部隊を編成するのが一般であるが、煩雑となるのでその点には触れない。

 

0、防衛大臣直轄部隊

 国防海軍に求められる任務ごとに編成される。

0ー1、自衛艦隊

 国土全域の保全、海外派遣を担う。機動的に運用される。

0ー2、地方隊

 担当地域・海域の警備を担う。特に各地方隊に設置された訓練学校にて特務艇の操縦技術の指導を新隊員に施す役目を担う。

0ー3、特務艇艤装試験隊

 通称「琵琶湖教導隊」。自衛艦隊開発隊群と名称が似ていることから専ら琵琶湖教導隊と呼ばれる。哨戒艦隊設置以前の特務艇冷遇期に試験部隊を保護する目的で大臣直轄として設置され、今日までその体制が維持されている。

 

1、戦略単位

 地上司令部や後方支援部隊を持ち、独力で任務を遂行する能力を持っている。

1ー1、護衛艦隊

 自衛艦隊の指揮下で活動する。主として国土および海上交通路の防護を主任務とし深海棲艦対処には重点を置かない(国内沿岸は地方隊の特務艇が対処担当のため)。

1ー2、哨戒艦隊

 自衛艦隊の指揮下で活動する。2014年に新設された。深海棲艦対処専従部隊であり、基本的には特務艇により編成される。

 

2、作戦単位

 地上司令部や後方支援部隊を持ち、独力で任務を遂行する能力を持っている。なお、本来であれば副司令官職は存在しないが、特務艇が配備される部隊においては運用円滑化を目的として特務神祇官に副司令のポストを与えている。

2-1、護衛隊群

 常設の作戦単位。通常は複数の母港に分散して配備され、作戦に応じて展開する。

2-2、特務艇隊

 複数の特務艇によって編成される。後述の分遣隊に似た機能を持つ。地方隊の指揮下で活動する*1

 

3、戦術単位

 戦闘行動などの実施者。単独で戦闘を行うことが出来る。必要に応じた継戦能力(後方支援部隊など)を持つ。なお、本来であれば副司令官職は存在しないが、特務艇が配備される部隊においては運用円滑化を目的として特務神祇官に副司令のポストを与えている。

3-1、前方展開群

 大規模作戦などの際に必要に応じて編成される(基本は統合任務部隊)。分遣隊や護衛隊を指揮下に組み込む。

3-2、分遣隊

 担当海域の航路維持を目的として編成される。哨戒艦隊所属部隊は殆どがこの分遣隊に組み込まれている。

3-3、護衛隊群付特務艇隊

 護衛隊群司令部直轄の特務艇部隊。護衛艦隊所属護衛隊群(および駐留先がグアムのみの第9護衛隊群)で編成されている。

 

4、戦闘単位……護衛隊*2

 戦闘における最小単位。戦艦・空母特務艇艤装などの一部特務艇は1隻で戦闘単位を構成することもある。

 

5、個艦単位……特務艇

 やや特殊な例外となるが、空母特務艇艤装であれば航空隊がこれに相当する(独立して行動することが可能なため)。

 

 

 


 

 

 

 

・登場人物について

 

 鉤括弧内は特務艇艤装名、その後に乗組特務神祇官の対応を示すことで艦名と人名の対応を示した(官姓名が明らかにされていない場合は艦名のみを示す)。

 なお、可能な限り登場人物が作品に登場した順に掲載しているが、都合上順序を入れ換えた箇所がある。なお一部の登場人物は2度記載することがあるが、これは文民(民間人)として登場した後に艦娘となった登場人物のため、誤解のないように文民の時期と軍人の時期を分けたことによるものである。

 

 

【第1部(2017~2019)】

 

「瑞鶴」瑞島ハルカ→瀬戸月ハルカ……2等海佐(1話時点。後に昇格して1等海佐)。両親を幼い頃に亡くし、姉から逃げるようにして自衛官を目指した(8話)。深海棲艦の出現により艦娘となる。ミクロネシア連邦チューク州を防衛する第8護衛隊群第3分遣隊(チューク分遣隊)に配属後、姉の死をきっかけに上官である「提督さん」こと瀬戸月ミナトと結婚した(14話)。しかし幸せな結婚生活は長くは続かず夫である瀬戸月ミナトは殉職。その後は司令代理としてチューク分遣隊を切り盛りする(15話)。第4次ミクロネシア沖海戦*3の最中に瀬戸月ミナトが謀殺されたことを知り(16話)、復讐のために深海棲艦化することになる(21話)。

 

瀬戸月ミナト……1等海佐(殉職後海将補)。チューク分遣隊司令。ミクロネシア防衛の英雄であり、彼の率いるチューク分遣隊は「グンカンドリ」と呼ばれていた。深海棲艦出現以前は学者であり、深海棲艦の発見に大きく寄与し(103話)艦娘の戦力向上にも貢献する。しかしその過程で行ったとされる非人道的な人体実験*4により謀殺(粛清)された。その評価は様々であり、粛清に至る経緯やその最期についても謎が多い*5

 

瀬戸月ヒナタ……瀬戸月ミナトの養子。瑞鶴(瑞島ハルカ)のことを「お姉さん」と慕う。瑞鶴との交流をきっかけに艦娘を目指す(91話)が、養父の瀬戸月ミナトには反対された挙げ句に血の繋がりがない養子*6であることを明かされショックから家出同然に艦娘養成機関である幼年学校*7へと進学する。

 

「明石」久世(くぜ)……チューク諸島、もしくはミクロネシア連邦に守護を与える(藤見はこれを「日本にする」と表現している)ために人柱として封印されていた。「安芸と蝦夷の瀬戸月家。坂東の新田家。奥羽の藤原家。畿内の秋葉家。出島の久世家」とよばれる5つ(厳密には4つ)の霊力に秀でた血族の出身(18話)。

 

藤見……チューク分遣隊の支援部門(整備部隊)の長。瀬戸月ミナトや久世と協力し艦娘の強化に携わる。背後に強力な権力が控えているようである(22話)。

 

「衣笠」……瀬戸月ミナト不在の際は執務を手伝う(7話)など、チューク分遣隊の中堅ポジションを務めていた。第4次ミクロネシア沖海戦が始まる前に本土に引き抜かれた。

 

「皐月」……チューク分遣隊に所属していた。

 

「文月」……チューク分遣隊に所属していた。

 

「加賀」山下ケイコ……3等海尉(第4部時点では2等海佐)。チューク分遣隊に所属していた。瑞鶴(瑞島ハルカ)とは高校時代から交流があった。第4次ミクロネシア沖海戦を生き残ると高級幕僚の道を志し艦娘を深海棲艦対処の主軸に据えるべきと考える「艦娘派*8」の中心人物となる。

 

「磯風」……チューク分遣隊に所属していた。第4次ミクロネシア沖海戦の最終盤*9、瑞鶴に従い深海棲艦化することになる(21話)。

 

「神通」……チューク分遣隊に所属していた。第4次ミクロネシア沖海戦の最終盤、瑞鶴に従い深海棲艦化することになる(21話)。

 

「長門」山本……3等海佐(第3部)。チューク分遣隊に所属していた。第4次ミクロネシア沖海戦が始まる前に本土に引き抜かれた。アメリカ合衆国にルーツを持つ「平和艦隊*10」とはミクロネシア戦役時代から通じており(17話)、第3部では瀬戸月ハルカを援護するような行動を取っている。

 

「翔鶴」瑞島ショウコ……第8護衛隊群第4分遣隊(マーシャル諸島)に所属していた。アメリカにおける深海棲艦化実験の被験体となる(17話)。艦娘になる以前は瀬戸月ミナトと共に深海棲艦の研究に携わっていた。

 

「サラトガ」……アメリカ合衆国の海軍軍人を名乗る艦娘。瑞鶴に爆撃機の融通と引き換えに深海棲艦化実験に協力するよう求める(17話)。

 

「アトランタ」……サラトガの代理人として瑞鶴に接触した艦娘。「太平洋艦隊」という存在しない組織*11を名乗った。翔鶴の護衛も務めていた(17話)。

 

「ホーネット」……アメリカの艦娘。

 

「飛龍」城島アスカ……3等海佐。護衛艦隊所属の艦娘として第4次ミクロネシア沖海戦に参加、度重なる命令無視の末に反乱を起こしたチューク分遣隊を鎮圧しにかかるが失敗する(21話)。

 

小沢……3等空佐(第4部では空将)。ミクロネシア連邦チューク州に派遣されていた第83高射隊の指揮官。

 

 

 

【第2部(2033)】

 

「風雲」……マリアナ諸島に駐留する第9護衛隊群*12に所属していた。第7護衛隊群への配置換え後にポートモレスビー蜂起*13に巻き込まれる。艦娘を志すきっかけとなった飛龍に憧れて空母艦娘を目指していた(26話)が、第7護衛隊群に配置換えとなって以降(第5部)では心境の変化があったのか空母艦娘を目指す発言をしていない*14

 

「蒼龍」片桐アオイ*15……1等海佐。「華の1期」と呼ばれる任官当初から艦娘であった最初の上級幹部。艦娘が消耗品扱いされる現状に忌避感を示し、無人運用される護衛艦による戦線構築を主張している(60話)。

 

「秋雲」……第9護衛隊群に所属していた。第7護衛隊群への配置換え後にポートモレスビー蜂起に巻き込まれる。霊力を用いた特殊技能が使え、その能力でポートモレスビー蜂起では風雲を救う。

 

「岸波」……第9護衛隊群に所属していた。

 

「曙」……第9護衛隊群に所属していた。

 

「巻雲」……第9護衛隊群に所属していた。第7護衛隊群への配置換え後にポートモレスビー蜂起に巻き込まれる。

 

「夕雲」……第9護衛隊群に所属していた。第7護衛隊群への配置換え後にポートモレスビー蜂起に巻き込まれる*16

 

 

 

【第3部(2023)】

 

飯田=マクファーレン・ヒカリ……国防軍不祥事*17以前は専業主婦、その後は特務艇運用を行う民間軍事企業K&Iセキュリティーズの立ち上げに関わり、同社の役員となる。英国貴族の生まれであり、国際結婚により日本に来た。

 

ハルナ……地下資源開発企業の役員。飯田ヒカリの義理の妹。

 

ケイカ……ハルナの義母。

 

ダイスケ……ハルナの息子。

 

飯田コウスケ……2等海佐(後に海将、第4部では横須賀総監)。国防軍不祥事により斬首された統合幕僚監部の生き残りで、国防軍不祥事を収束へ導いた。その後はミクロネシア疑獄における告発者となる。政界への進出を目指している(104話)。

 

大迫ヨシミツ……海上幕僚長たる海将。国防軍不祥事で殉職する。飯田コウスケとは個人的な親交があった(49話)。

 

「龍驤」槇島リョーコ……陸上自衛隊出身のベテラン国防軍人。子持ち。

 

「アークロイヤル」……日本英国大使館の職員を名乗る。英国貴族の血縁を持つ飯田ヒカリを救出しに来た(44話)。

 

松原ショウヘイ……海軍軍人。飯田コウスケの同期。大迫ヨシミツとの交流もあったが反政府側に加担し、ヒト型深海棲艦に哨戒線をすり抜けさせた(41・46話)。

 

小河原アツシ……1等海尉。

 

「戦艦ヒラヌマ」飯田ヒカリ……国防軍不祥事を受け「平和艦隊」に対抗するべく生まれた特務艇。所属は民間軍事企業K&Iセキュリティーズ。第二次世界大戦において米軍に誤認された存在しない戦艦の名前を使用している。

 

 

 

【第4部(2034)】

 

「赤城」新田ミコト……2等海佐。加賀(山下ケイコ)の同期。蒼龍(片桐アオイ)と盟友関係にある。

 

瀬戸月ミライ……瀬戸月ミナトと瀬戸月ハルカの娘。ミクロネシア戦役後は加賀(山下ケイコ)によって育てられた。

 

新田ホマレ……新田ミコトの姉。「防空網*18」の維持に関わっていた。

 

新田……新田ミコト、新田ホマレの父。衆議院議員。北関東に地盤を持つ(56話)。空軍の小沢とは自衛隊時代から連携している(22話)。

 

飯田ノゾミ→小河原ノゾミ……1等空尉。特務神祇官でありながら戦闘機パイロットという珍しい立ち位置にある。飯田コウスケと飯田ヒカリの娘。

 

「萩風」……加賀(山下ケイコ)の部下。上官であり艦娘派の中心人物である加賀のことを信奉している。

 

「舞風」……加賀(山下ケイコ)の部下。

 

秋葉……「艦娘7社*19」の一角、PHIオーシャンテックの職員。

 

 

 

【第5部(2034)】

「陽炎」瀬戸月ヒナタ……1等海尉。護衛艦隊に所属していた。ポートモレスビー蜂起を防ぐ密命を受けてニューギニアへと派遣されるが、実際には蜂起の「火付け役」として利用される(92話)。最終的には蜂起の旗印となり内側から武力衝突を避ける選択肢を取った*20

 

「霰」……陽炎の指揮する第163護衛隊に所属していた。

 

「霞」……陽炎の指揮する第163護衛隊に所属していた。

 

「不知火」……陽炎の指揮する第163護衛隊に所属していた。ポートモレスビー蜂起における主犯格。陽炎を「実の姉」であると主張している*21

 

 

 

【その他】

 

先輩……Good-bye Beijing Expressに登場する。夕雲に戦い方を教え、深海棲艦化技術を用いる「存在しない艦隊(ブラックスワン)*22に対抗する「白鳥部隊」に所属している。

 

「山城」……プレアデス重工業(PHI)の特務艇テストパイロット*23。ミクロネシア戦役で姉を亡くした。

 

中島……PHIの技術者。

 

「翔鶴」瑞島ショウコ……マーシャル諸島で殉職する(12話)。深海棲艦の発見に関わった学者の1人であり、瀬戸月ミナトとは深い交遊関係があった(103話)。

 

飯田ケイスケ……参議院議員。与党・立憲友民党に所属している。特務艇艤装の生産に携わる「艦娘7社」のひとつ飯田製造の創業者一族。飯田コウスケ、ハルナの実父、飯田ヒカリの義父。

 

飯田ハルヒデ……飯田インダストリーグループ役員。飯田ケイスケの甥にあたる。

 

少佐……謎の人物。「白鳥部隊」の指揮官(105話)*24

 

 

 


 

 

 

 

・国家および超国家的枠組み

 

【インド太平洋地域の主要国家】

1、日本国

 東北アジアに位置する。議院内閣制(間接民主主義)を採用している。2019年に憲法を改正し国軍の保持を認めた*25

1ー1、日本国の経済・政治

 人口に占める高齢者の割合が30%を越える超高齢社会。社会保障の負担が国家予算の4割を占める。

 議会は二院制であり、両院における与党・立憲友民党の優位が続いている。首相(内閣総理大臣)の交代は与党の総裁選か衆議院総選挙に連動することが多く、概ね安定した政治状況といえる。

1-2、日本国による深海棲艦対処

 国土に比して広大な領海*26を抱え、恒常的に深海棲艦の脅威にさらされている。同盟諸国(後述)にも積極的に防衛力の提供を行っている。

 対処方法としては特務艇を中心とする「霊力戦*27」に重きを置く。いわゆる通常兵器を積極的に用いるのは大規模作戦の時のみ。その際もあくまで「質量戦*28」は補助と位置づける「霊質協同戦」を展開している。シーレーン防衛*29を目的とする外洋作戦を積極的に行う。

 

2、中華人民共和国

 東アジアに位置する。人民民主専制(人民民主主義)を採用している。

2ー1、中華人民共和国の経済・政治

 人口に占める高齢者の割合が30%を越える超高齢社会。ただし東南アジアの難民を加味すれば高齢化率は25%ほどとの指摘もある。

 議会は一院制であり、与党・中国共産党の優位が続いている。他政党も幹部は共産党との二重党籍である場合が多く、与党の指導力は極めて高い。

2-2、中華人民共和国による深海棲艦対処

 大陸国家であり、領海・排他的経済水域周辺などの領域*30において深海棲艦の脅威にさらされる。また同盟諸国(後述)にも積極的に派兵を行っている。

 対処方法としては無人機、誘導弾、長距離誘導砲弾を中心とする質量戦を展開している。人民解放軍*31を中核とする多国籍軍により沿岸部で深海棲艦を迎撃する。

 

 

3、アメリカ合衆国

 北アメリカに位置する。大統領制・連邦制(直接民主主義と間接民主主義の併用)を採用している。

3ー1、アメリカ合衆国の経済・政治

 人口に占める高齢者の割合が15%を越える高齢社会。欧州をはじめとする同盟国に莫大な軍需品の援助(有償含む)を行っており、国内産業に占める軍需産業の割合が急増している。

 議会は二院制であり、二大政党の勢力が拮抗している。ただし両党ともに党議拘束が存在しない、地方支部が事実上別組織であるなど政党としての繋がりは緩い。ただし大統領に集約された権限は強力であり、安定した指導力を発揮できる。

3-2、アメリカ合衆国による深海棲艦対処

 大陸国家であるが太平洋と大西洋の両岸を深海棲艦の脅威にさらされている。2019年に世界で初めて深海棲艦に対する核投射を実施した国家でもあり、核兵器使用の枠組み「アンカレジ協定」を主導するなど核兵器使用に躊躇いがない*32

 日本と同様の「霊質協同戦」を展開する。ただしアメリカ合衆国においては「質量戦」に重きを置く傾向があり、特に空軍による火力投射を実施するためある種の敵防空網制圧(SEAD)として「霊力戦」を展開する*33ことも多い。

 

4、インド共和国

 南アジアに位置する。議院内閣制(間接民主主義)を採用している。

4-1、インド共和国の経済・政治

 人口に占める高齢者の割合は10%ほどの高齢化社会。「アフリカとアジアの兵器廠」を自称する軍需産業への集中投資によって失業者問題などの解決を図っている。ハイテク産業の伸長も著しく、中国に代わる世界の工場として世界経済を牽引している。

 議会は二院制。大統領は存在するが実権はなく、議会により選出された内閣が指導力を持つ。政党は与党系、宗教政党、地方政党など様々な形で分化しており多党制となっているが、全体の傾向として政権への参加に意欲的なため政権運営は安定している。

4-2、インド共和国による深海棲艦対処

 大陸国家であり、沿岸部において深海棲艦の脅威にさらされている。ただし他の主要国と比較すると内陸に経済・工業の重点が寄っていることから、あくまで対処は主要港湾や輸送船団、漁船団の護衛を中心に行っている。

 日本と同様の「霊質協同戦」を展開する。またインド共和国における「霊力戦」はその人的リソースの多さから日本以上に積極的な物量的霊力戦を展開する*34

 

 

【太平洋地域の主要な国家間の枠組み】

1、イギリス連邦

 オーストラリア、インドなどが参加する国家連合。相互扶助を目的とする緩やかな連合体であるが、オーストラリアやニュージーランドなど英国王を国家元首と規定する国家も存在する。なお連邦加盟国は世界中に分散しており、それぞれで統合的な対処を行うことは難しい。各国は独力もしくは個別の同盟枠組みで対処している。

 

2、東南アジア諸国連合(ASEAN)

 東南アジアの11か国により構成される政府間組織。政治経済をはじめとした協力体制、共同体の構築を目指すが現在は形骸化しつつある。

 

3、アジア連合

 2013年に設立された中華人民共和国を中心とする国家連合。中華系メディアでは「兄弟同盟」と表現される。深海棲艦による東南アジア諸国の被害を阻止・救済するために設立され、加盟国により相互防衛のための多国籍軍である「アジア連合軍*35」を編成している。

 

4、新自由連合盟約

 2015年に設立された日本を中心とする国家連合*36。日系メディアではアメリカ中心の旧自由連合盟約と区別して「ニューコンパクト」と表現される。深海棲艦による環太平洋諸国・地域の被害を阻止・救済するために設立され、加盟国には日本国国防軍(2019年以前は自衛隊)が派遣されている。

 なお、主権問題の存在する台湾と北マリアナ諸島は「独立したパートナー地域」、東南アジア諸国連合に加盟する国家については加盟交渉中国(準加盟国)との位置付けとしている。

 

5、環太平洋三か国戦略会議

 2019年に米国の手動で設置された日米豪による枠組み。太平洋地域の深海棲艦に対して封じ込め政策を実施していくことで合意している。実際には深海棲艦を太平洋地域で封じ込めることにはこの時点で既に失敗しており、会議の枠組みは形骸化しつつある。

 

6、アンカレジ協定

 米国を中心とした核兵器保有国*37(および核兵器共有を実施する国)が参加する深海棲艦に対する核兵器使用を協議するための枠組み、協定参加国は核兵器保有状況の報告、相互の核査察を受け容れることが義務づけられている。核兵器使用は原則として「加盟国の領域と主権を維持するため」に用いることとされており、当然ながら他国の領域や公海において核兵器を使用することはできない*38

 

 

 

 

 

 

*1
防備隊や掃海隊、ミサイル艇隊と同列の部隊である。

*2
大型護衛艦により編成される護衛隊との判別のため、特務艇艤装による護衛隊には3桁か4桁の番号が割り振られる。

*3
2019年に発生した大規模作戦。間引きが深海棲艦の個体数増加速度に追いつかなかったために発生したとされる。大規模作戦は本来攻勢作戦となることが多いが、大規模作戦向けの再編に手間取った自衛隊はこの海戦においては対応が後手にまわり、結果としてミクロネシア連邦の陥落を招くことになった。チューク分遣隊は当時司令を喪ったばかりで大規模作戦には不参加の予定だったが、守勢となったことで前線を担当することになり、攻勢を数週間押し留めた後に玉砕する。

*4
作中で明らかになっているものとしては、霊力回復による不受胎問題(瑞鶴に妊娠の描写があることからこの問題は後に解決されたようである)が挙げられる。

*5
亡命を成功させた可能性が言及されている(22話)。

*6
長門によると、このことについて瀬戸月ミナトは「関わるなら覚悟を決めておけ」と発言している。(7話)

*7
中学校に相当する教育機関。学力試験か特務神祇官適性検査のどちらかで基準を満たせば入学できる。全国に複数箇所設置されている。特務神祇官の早期養成を目的としているが、殉職自衛官、深海棲艦被害者の遺族(子供)の救済という側面もある。

*8
特務艇(艦娘)が深海棲艦対処で多大な戦果を挙げてきたこともあり、艦娘派は特務神祇官(艦娘)以外からも幅広い支持を獲得、派閥を形成している(57話)。

*9
失陥が避けられなくなったミクロネシア連邦に対して、米軍は核兵器を投下することになる。これは結果としてミクロネシア連邦を陥落させた深海棲艦の主力に打撃を与え、マリアナ諸島や日本列島を救ったとされるが、核使用に至るプロセスには不明瞭な箇所が多い。

*10
深海棲艦への対抗策として、深海棲艦と同様の能力を獲得することを目指した研究プロジェクトが母体。当時のアメリカ合衆国政府から弾圧の対象となったためにアンダーグラウンド化したという経緯を持つ。余談ではあるが平和艦隊という呼称は「太平洋艦隊(PACIFIC FLEET)」とかけたものである。

*11
アメリカ太平洋艦隊は第二次世界大戦の終盤に第7艦隊へと組織改編されている。

*12
元々マリアナ諸島は第8護衛隊群の管轄であったが、第8護衛隊群が解体され欠番扱いとなったことで同部隊が編成された。

*13
日本は特務神祇官のなり手不足から「子供」と呼ばれる特殊な人的資源を活用していた。これは国外から生まれたばかりの子供を集め、日本人として高等教育を施すことにより移民問題を回避しつつ労働人口の減少を避けようという「美しき家庭計画」を下敷きとしている。本来ならコストの問題から成立しないが、特務神祇官という先天的な才能に依存する人的資源養成においては有効であった。この事実と第7護衛隊群における腐敗、日本に経済・軍事的に依存する現地政府の不満などが連携した結果発生した一連の反乱事件のことをいう。

*14
ただし第5部や幕間からも分かる通り風雲は告発をはじめとする政治的な活動に注力しており、単純に優先順位が低くなっている可能性もある。

*15
同人誌発行時期の関係で、第2部と第5部では「蒼龍隊長」「蒼龍1佐」と記述されているが、これは全て片桐アオイのことである。

*16
ただし夕雲は秋雲と思われる謎の人物と接触し、ある程度の裏事情を把握している(33話)。

*17
2023年12月に発生した複数の本土空襲。自衛隊から改編されたばかりの国防軍が主な戦術として用いていた斬首作戦(指揮を司る個体を撃破し群れを混乱させる戦術)を摸倣されたことにより複数の将官を喪い指揮系統は混乱、人的・経済的被害こそ少なかったものの国軍と国政に影響力を保持していた複数の人物を「斬首」された。

*18
航空機は深海棲艦、特に艦載機を運用する空母種に対して相性が悪い、この弱点を克服するために航空機に特務艇と同様の霊力防壁を構築することを目的として展開される領域がここでいう「防空網」である。パイロットに特務神祇官の適性がなくとも深海棲艦に対して優位を確立することが出来る(74話)。

*19
ポセイドン・ユナイテッド、八菱リギング、神崎重工業、帝国艤装、PHIオーシャンテック、K&Iシップヤード、飯田製造によって構成される特務艇艤装産業の主要企業。現在では2034年に撤退を表明した帝国艤装と、艤装組立てを行わない飯田製造を除いて艦娘5社と呼ぶのが一般的である

*20
陽炎は一連の推理からポートモレスビー蜂起は蜂起主体を「斬り捨てる」ため、すなわちニューギニア・インドネシア両地域からの日本国撤退の理由作りであると考えており、むしろ蜂起を鎮圧しては被害が拡大すると考えた(95話)。

*21
「美しき家庭計画」は子供のアイデンティティーを日本人とするために、幼児期健忘を利用するのが一般的である。不知火はこの幼児期健忘が起こらなかったために、陽炎のことを実の姉として認知できたというのが主張の要旨である。

*22
平和艦隊のこと。

*23
ただし退役軍人ではない。軍への復帰にも触れている(55話)。

*24
つまり先輩の上官ということになる

*25
憲法改正以前から国軍に相当する組織(自衛隊)は存在する

*26
排他的経済水域も含めれば国土の12倍

*27
深海棲艦は現行の科学では再現できない特殊な波長(力場)によって物理的に攻撃を阻止する。この波長を中和する能力として認識されているのが霊力であり、これを軸に深海棲艦の力場を無効化する戦術

*28
深海棲艦は物理的に攻撃を阻止するが、それは即ち物理的な干渉が可能ということである。質量戦とは即ち物理干渉を最大限に行い、深海棲艦の力場を飽和させ無力化、そのようにして深海棲艦を殺傷する戦術

*29
対潜哨戒、洋上警戒、港湾設備の防御や掃海能力の維持により海上輸送路を確保すること

*30
同国特有の事情として南シナ海に広がる九段線海域も「領域」と位置づけている

*31
中華人民共和国における事実上の国軍

*32
補足として2020年代前半に放射能汚染が低減された「レーザー水爆」が実用化されており、核兵器使用のハードルが単純に下がっているという事情もある

*33
航空機に対する脅威は空母種である。空母種の展開する艦載機に航空機は有効な対抗策を持ち得ず、特務艇により空母種を排除した後に火力投射を実施するのが有効とされている

*34
第4部でも軽く触れられているが、霊力戦の最大の利点は費用対効果の安さである

*35
中華人民共和国の人民解放軍を中心に編成。米軍の世界戦略転換を受け、アジア地域での秩序構築のために提唱されたASEAN+1連合軍が前身。当初は一帯一路(21世紀海上シルクロード)構想を掲げていたことからASEAN加盟国すべての保護を目指していた中国であったが、深海棲艦の物量の前に東南アジアでの制海権を喪失、海上ルートから陸運ルート構築にシフトしたことでインドシナ半島国家群による連合軍と改編された。この改編により排除されたインドネシアをはじめとする「海のASEAN」は新自由連合盟約へと傾倒することになり、東南アジア諸国連合(ASEAN)は分裂した

*36
日本・マーシャル諸島共和国・パラオ共和国・ミクロネシア連邦・北マリアナ諸島により形成される自由連合。米国はオブザーバー国として参加しているが、事実上の加盟国と目する向きもある。期限は5年、もしくは国連による深海棲艦に伴う動乱の終息宣言がなされた時点とされたが、2019年の更新交渉により5年おき自動更新と改訂された

*37
核兵器の提供を受けた国も含まれる

*38
これには純軍事的な事情も存在する。あまりに水深が深い海域での核兵器使用は深海棲艦に潜水による回避を可能とさせてしまい、効果が見込めなくなるという点である



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第6部「ふね浮かぶ掛焔硝」
第106話 特務神祇官よ永遠なれ(1)


〈西暦1980年 瀬戸月ミナト 北海道に産まれる〉

 

〈西暦1990年 瑞島ハルカ 奈良県に産まれる〉

 

〈西暦2006年 瀬戸月ヒナタ 北海道に産まれる〉

 

〈西暦2015年 「ミクロネシア戦役」勃発〉

 

 

 

 




 

 

 

 

〈西暦2017年 ミクロネシア連邦 チューク州〉

 

「ヒナちゃん……大丈夫?」

 

 

 今でも覚えている――――べとりとした、あの感覚。

 

 酸素を沢山含んだヘモグロビン、血漿に溶け込んだ凝固因子がへばりつくあの不快感。どくどくと流されるその供給元は、あんまりにも温かくて。

 

「痛いところ……ない?」

「お姉さん……血が、血が……」

 

 血だということは、床に広がったそれの色から。

 

 流れているのが自分を庇った女性によるものだというのは、背中から、頭の上から、そこらかしこから流れてくる温かさから。

 

 それを理解してしまった記憶の中の少女は、必死にもがこうとする。

 その記憶を忘れないようにと、忘却の彼方へ送らぬようにと、もがいている。

 

「あー。慣れっこ。これ位だったら……」

 

 けれど。

 忘れられるはずがない。あの少しだけ酸っぱい香りを。

 それを包み込むような、硝煙と、炎の匂いも。

 

 

 

 

〈西暦2036年 日本国 東京都〉

 

 

 国防省ビルA棟は地上19階、地下4階という巨大な建造物である。

 

 屋上には大型輸送ヘリも着陸可能なヘリポートを備え、取り巻くように配置された各庁舎と共に東京の街並みを見守っている。

 その一角、ピカピカに磨き上げられたデスクにキャビネット、書類ロッカーが並べられた小部屋の扉が音をたてて――室内の調度品とは対照的に、ずいぶんと立て付けの悪そうな音をたてながら――開いた。

 

 

「本日付で配属となりました。瀬戸月(せとづき)ヒナタ1等海尉です」

 

 

 その声に、部屋の奥に陣取った制服姿の男性が顔を上げる。

 

 彼が目にしたのは、比較的小柄な部類にあるであろう女性――――いや少女と見間違えそうなほどに若い幹部国防軍人であった。

 

「驚いたな、ずいぶんと若い――……」

「お褒めに預かり光栄です海将補。しかしながら、これは霊力再生のもたらす錯覚のようなものであります」

 

 書類の生年月日に不備があったのか――――そんな聞き飽きた台詞が飛び出しそうであったので先手を打つ女性、いや少女。

 

 霊力再生とは身体の物理的修復ではなく形而上学的な修復を優先するという、現代医学の権威たちが眉を顰めるような方法によって行われる治療方式である。そのため、霊力再生を受けた彼女たちは総じて()()()()()のである。

 

「そうか。特務神祇官を部下に持つのは初めてでね、失礼した」

「いえ」

「小河原だ。国防省大臣官房監察課行動係の係長。よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 そう言いながらデスクへと足を進める瀬戸月1尉。座席の説明は一切していないが、そもそも部屋には机が二つしかなく、片方には海将補が居座っている。これで間違えるのは難しいだろう。

 

 瀬戸月が席についたのを見て、小河原海将補は手元のPCへと目線を戻す。手元の冊子をめくりながら時折PCへ何かを打ち込んでは、また冊子をめくる。

 

「あの、私は何をすればよろしいのですか」

 

 瀬戸月1尉の問いかけに、小河原は応じない。

 

「あの、閣下?」

「君は私の階級を知っているか」

 

 瀬戸月は己の耳を疑った。

 階級もなにも、目の前の人物は国防軍の制服を着込み階級章を身につけている。

 言うまでもないことであるが公的機関の階級を詐称することは禁じられており、従って彼の階級は2つの大きな桜が示す通りの海将補に他ならないはずである。

 

「……海将補、ですよね」

「ではなぜ将官クラスの人間が係長をやっているか分かるか? まして大臣官房監察課のポストは本来なら内局組のものだ、制服組が居ていい場所ではない」

 

 そして、それだけ言い放つと話はそれまでとばかりに視線を冊子に戻す小河原。想定していたよりも()()()()()だと瀬戸月は思ったが、それを口に出すことはしない。

 

 分かり切っていたことだ。やけに掃除の行き届いた室内に立て付けの悪い扉。配置された海将補という過剰な階級の上官に2つしかないデスク。

 

 ここが()()()()()()()()()()()ことは明らかだ。

 

 

 ――――彼は何をしたのだろうか?

 

 

 そんなことを考えながら瀬戸月はデスクの上に持ち込んだ大量の資料を並べる。

 手元には支給品であるハンドスキャナ、特段利用価値はないが保管することになっているらしい書類をスキャンするのが彼女の仕事である。仕事に貴賤は存在しないというのが世の中の建前ではあるが、少なくとも特務神祇官たる幹部国防軍人にやらせる仕事ではなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「1尉、先に謝罪しておこう」

 

 そんなことを小河原が言ったのは、時計の短針がちょうど真上に来た時だった。

 つまり午前の課業はきっかり全て、この意味があるかも分からぬ仕事に費やされたことになる――――もっとも、瀬戸月にとってそれは慣れたものであったが。

 

「謝罪、と言いますと……?」

 

 何のことですか、という瀬戸月の問いは最後まで紡がれることはなかった。

 なぜなら、立て付けの悪い扉が音を立てながら力任せに開かれたからである。

 

「貴官が瀬戸月ヒナタか!」

 

 第一声は怒鳴るようなそれ。声の主は上半身が白、下半身が赤という国防省内部では奇抜な――しかし巫女装束と説明されれば誰もが納得するような――格好。

 どうやらアクセスしやすい場所にあるとはいえないこの部屋まで全力疾走でやってきたらしく、息は荒く、頬は上気して真っ赤になっている。

 

「ええと、自分は確かに瀬戸月でありますが」

「よーしアンタがうちのダーリンを籠絡しに来た泥棒猫って訳ね!」

「は?」

 

 理解が追いつかなかった。

 

「というか、誰ですか?」

 

 理解が追いつかない、というより。訳が分からないと表現するべきか。

 

「ほうほう……自らは名乗りもせずに名乗らせようとは……」

「いや、私の名前知ってましたよね? いまさっき『貴官が瀬戸月ヒナタか』って……」

「いいだろう。そこまで聞きたいのなら聞かせてやる!」

「人の話を聞いて頂けますぅ!?」

 

 瀬戸月のツッコミを意に介する様子もない巫女装束。そのまま瀬戸月の眼前までつかつかと詰め寄ると、顔を限界まで近づけてこう言い放った。

 

「私は小河原ノゾミ、お・が・わ・ら・ノゾミだ!」

「……()()()海将補?」

 

 「小河原」の姓を名乗ると言うことは明らかにこの部屋の主である小河原海将補の関係者であろう。そう言いながら上官のデスクへと目を向ければ――――――ついと目を反らされた。

 

「このフロアに民間人の立ち入りは許可されていないはずですか」

「……」

 

 現実から逃げるな。無言の追及にも彼は応じない。

 

「瀬戸月1尉、勘違いしているようだが私はれっきとした特務神祇官だぞ! ほらこれを見たまえ! ほら!」

 

 巫女装束がIDカードを差し出してくる。付与されたセキュリティ権限(レベル)の示されたそれには……よりにもよって特務神祇官であることが示されていた。

 

 ……どうしてこう、()()には変な人物しかいないのだろうか。嘆息しそうになった瀬戸月の眼に、ふと妙な文言が映る。

 

「3等()()? 海軍ではないのですか」

「またそれか。海軍の特務神祇官はこれだから困る。あの化け物どもを倒すには航空攻撃がもっとも効果的なのは知っているだろうに」

「そう言われましても」

 

 基本的に神祇官の適性を持っている人間は全て海軍の特務艇部隊に配置されるのだから、空軍所属の特務神祇官なんて聞いたことがあるはずもない。

 

「そもそも空軍が昨今の対処行動において次点、いやそれより低い位置づけとなっているのはなぜか? 特務艇が最適解だから――――――などという思考停止を幹部国防軍人にされてもらっては困るぞ」

「そうは言ってませんけれども」

「ほう? そう言っているようにしか聞こえなかったが?」

「……はあ。そうですか」

 

 それは失礼しましたとでも言えば満足なのだろうか。いやそれだけで満足はすまい……なんと面倒なことかと瀬戸月は天井を仰ぎたい心持ちになった。

 

 特務艇、そしてそれを操る特務神祇官に全幅の信頼を置くべきか――――――その議論は常に派閥争いと共に繰り広げられてきた。特務艇という「一人乗りの軍艦」を推進したい者がいれば、一方で廃止させたい者もいる。廃止とまで言わずとも、現状の特務艇偏重予算には物申したいという輩も……海軍内部ですらこの有様なのだから、空軍や陸軍の特務艇嫌いはどれほどだろうか。

 

「神祇官が必要とされるのはひとえに奴らが放つ特殊な波長……いや、諸君らには『異能』とでも言ってやった方がいいかな? ともかくそれが原因だろう?」

 

 電子機器の正常な作動を阻害する波長。事実、誘導弾の終末誘導を著しく阻害し、場合によっては物理的にも『干渉』するその波長は通常兵器による対処を()()()なものとしているが……。

 

「航空機が無力化されたのは『空母種』のせいだろうに」

「あっ、そういうこと言わないでよねダー……」

「小河原()()。部下の前だぞ」

「……おっと。失礼しました、海将補」

 

 口を挟むのは小河原海将補。

 航空機は快速で、大質量を前線に投射することが可能である。しかしその運用にはとにかく制約が多く――――――特に『空母種』のいる海域ではその実力を発揮できないことが多かった。

 だからこそ特務神祇官という人的資源は全て特務艇艤装へと集中している。特務艇を用いて戦わない特務神祇官がいるという事実自体、瀬戸月にとっては驚きであった。

 

「そもそも小河原三等空佐、貴官はまだ職務中だろう。『防空網』の世話はいいのか」

「その心配は無用です小河原海将補。『防空網』を無力化するのが私らの仕事なんですから……それよりお弁当はどう? 今日の卵焼きは結構頑張ったんだけど!」

「…………あぁ、おいしいよ」

「それは重畳、大変結構!」

 

 弁当を食べながら感想を述べる小河原海将補と一転して笑顔になる小河原3等空佐。

 それをみた瀬戸月は思った――――なんだこの茶番劇。

 

「もうよろしいですか」

「ん? あぁいいよいいよ! 私とダーリンの関係性は分かっただろうしね! ではサラダバー!」

 

 悲鳴を上げながら閉められる立て付けの悪い扉。

 

 静寂。

 

 

「…………なんなんですかッ!?」

 

 

 

「だから先に謝っただろうに。ともかくそういうことだ」

「どういうことなんですか! ここは国防省であってご自宅ではありませんよ!」

「真面目だな、瀬戸月1尉」

 

 小河原海将補の眼が細められる。

 

「少なくとも小河原空佐殿は不真面目かと思いますが!?」

「真面目だから、あんなことをしたのか」

「……っ」

 

 再び訪れた静寂は、瀬戸月が押し黙ったことによるものだった。

 

「間違ったことをしたつもりは、ありません。私は部下を守りました」

「『庇いたかった』の間違いだろう。彼らは法を犯した、ならば裁かれるべきだ」

「その過程でオセアニア地域を失陥し、数千万の難民が発生するとしてもですか?」

「貴官が職務を全うすればオセアニアの失陥は免れたはずだ。なにせ貴官の仕事はクーデターの鎮圧だったのだからな」

 

 それは、今日まで瀬戸月ヒナタに対して向けられなかった――――否、誰も向けることが出来なかった問いであった。なるほどそういうことかと彼女は理解する。

 

 

 ここは、ようやく開かれることになった「査問会」なのだ。

 



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第107話 特務神祇官よ永遠なれ(2)

 

 

 デスクの上には何も広げられていない。

 

 書記官もおらず、必要な手順もおそらく踏まれていない。

 録音は流石に録るだろうが、おそらくその存在は抹消される。

 

 何のために必要なのかもすら分からない「査問会」が始められようとしていた。

 

「瀬戸月ヒナタ。2006年北海道に生まれる。父親の海外赴任に伴いミクロネシア連邦チューク州へ転居……」

「一点修正させてください。私の生まれは北海道ではありません」

 

 出鼻を挫かれた小河原海将補が露骨に嫌そうな顔をする。とはいえここを修正しておかないことには説明が難しいのだ。

 

「私の生まれは東南アジアです」

「……国名は?」

「そこまでは分かりません」

「訳が分からんな。母親は駐在員だったのか?」

「いえ」

「父親の瀬戸月博士にミクロネシア連邦以前の出国記録はないが」

「当然です。私は彼の子ではありませんから」

「……養子縁組の記録はないはずだが」

 

 それは当然だろう。記録は抹消、改竄されているのだから。

 

「私は本来、存在しない子供なのです」

 

 小河原海将補は眉を顰める。恐らくは、『子供』というワードが引っ掛かったのだろう。

 

「つまり、君はポートモレスビーにおける『大規模な通信障害』を引き起こした……」

「訂正を、大規模な通信障害並びに無人哨戒護衛艦制御システムへのクラッキング、基地施設の破壊、第7護衛隊群ポートモレスビー分遣隊の作戦能力喪失……」

「もういい、やめろ瀬戸月1尉」

「別に誰も聞いていません。そのレコーダーだって、どうせ処分するんでしょう?」

 

 瀬戸月は小河原を睨む。睨まれた小河原は肩を竦めた。

 

「君なぁ……私に八つ当たりなんかしてどうするんだ?」

「八つ当たりなどしておりません閣下。どうやら閣下は今回の件について『不勉強』なようですので、いくつか説明させて頂いているまでですが」

「あのなあ、瀬戸月くん」

 

 つっけんどんな瀬戸月の態度に、小河原は呆れたように肩を竦めた。

 

「君は勘違いしているようだから言っておくがね、本来ならポートモレスビーの事件は()()()になるべきだったんだ」

「それは閣下の個人的なご意見でしょう?」

「いいや。軍全体の意見だ。ことが明るみに出れば『子供』を()()できる」

 

 その言葉に、瀬戸月はぴたりと動きを止めた。小河原は続ける。

 

「そもそもなぜポートモレスビーでクーデターが起きたと思う?」

 

 正確にはクーデター「未遂」なのだが、彼はそうは考えていないのだろう。表沙汰になるべきと考えているのなら、尚更。

 だが、今となってはそれは幻想だ。クーデターは隠蔽された。他でもない、瀬戸月の手回しによって。

 

 それを無視して、小河原海将補は続ける。

 

「オセアニア地域の要衝であるポートモレスビーは我が軍の兵站拠点で、特務艇の整備拠点もある。ここで軍事クーデターを起こすのは、なるほど『正しい』。軍事的合理性がある」

 

 しかし政治的にはどうだ? 小河原は机の上に太平洋全域を写した地図を広げる。

 

「ポートモレスビーはニューギニアの首都、そしてニューギニア政府は人類の最前線国家。ここに駐留する国防軍部隊がクーデター? オセアニア地域が崩壊する」

「もちろんです。だから私はそれを()()()()()()クーデター未遂を起こしました」

 

 そう言ってのける瀬戸月。もちろん国防省ビルの一角に平然と勤務している時点で、彼女の経歴は真っ白である――――表向きは。

 

 瀬戸月ヒナタ、国防海軍の1等海尉。

 彼女が部隊長を務める第193護衛隊――特務艇4隻で構成――は第7護衛隊群への教導任務のため東南アジアへと派遣された。

 

「しかし君に課せられた任務はクーデターを防ぐことだったはずだ」

「止められない所まで来ていたんですよ。まして、糸を引いていたのは日本だった」

 

 奇妙な話である。なぜ日本政府が自らの統制下にあるはずの日本国国防軍にクーデターを起こさせるように誘導するというのか。

 

「それは、君の勝手な思い込みじゃないのかい。瀬戸月1尉」

「思い込みにしては状況証拠が揃っているように見えますが」

 

 そう言いながら瀬戸月は「状況証拠」とやらを列挙していく。

 

 ねつ造された大規模作戦によりポートモレスビーへと集結させられた第7護衛隊群主力、彼らを殲滅(せんめつ)する道具としてクラッキングされた無人哨戒艦。そしてなにより、クーデターへの参加意思を確認するかのように東南アジアを巡回していた教導部隊。

 

あの蜂起(クーデター)は単なる反政府活動家が起こすにはあまりに周到で、準備が良すぎるものでした。まるで、何もかもがお膳立てされているように」

「それだけ準備に時間をかけたんだろう。哨戒艦隊のずさんな管理体制はグアムの一件でも明らかになっていた。あり得ない話ではない」

「その『準備』にどれだけの手順が必要かご存じですか? 無人護衛艦制御システムの量子暗号を突破するのはいいとして、大規模作戦の立案には偽装された偵察結果と状況分析報告(レポート)の提出、統合幕僚監部の認可が必要なんですよ?」

 

「だからこそ、この件は()()()()()()()()()()()

 

 そうすれば浸透した反政府主義者を一網打尽に出来ると小河原は冷たく言い放つ。

 

 しかし国防軍は「膿出し」を行わなかった――――いや、出来なかった。

 小河原は一枚のコピー用紙を持ち上げる。そこには仰々しい「機密」の文字で固められた、表に出すことの許されない声明文が書き記されている。

 

 

「それが全部、これで台無しになった」

 

 

 

 


 

 我々はここに要求する。

一、世界保健機関に報告された、西暦2010年から西暦2034年までの人口について、作為的に操作された実数を修正すること

一、現在まで東南アジア地域で行われている人身売買行為について、国際人権連盟の調査団を派遣し、結果を公表すること

一、全世界において艦娘を運用する五六カ国の政府は、管理下にある艦娘の人権ならびに尊厳が保たれているかの調査を行い、結果を公表すること

一、日本国政府によるインドネシアならびにニューギニアにおける平和維持活動は、内政干渉であるから一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すること

 以上の4項目を顧みない時、我々はソロモン諸島海域において人類のために行っている哨戒活動を放棄し、当該地域の防衛設備を完全に破壊する。

 


 

 

 

「『人類のために行っている哨戒活動を放棄する』――――なるほど、脅し文句としては上等だったな。キチンと保身を図る強かさもある」

 

 けが人こそあれ犠牲者が出なかったのは、不幸な奇跡だったのだろうが。小河原は口にこそ出さなかったが、その表情には不満がありありと滲み出ていた。

 

「賭けでした。ですがおかげで、人類(われわれ)は1ヘクタールの領土も失わずに事態を終息させることが出来た」

「そうだな。君が反乱未遂を起こしていなければ、今頃は幕僚課程に進めていただろうに」

「嬉しくないですね。私、これでも現場が大好きなんで」

 

 もどかしい会話だ。肝心な場所に触れずに、遠回しに非難と失望を浴びせられる。

 今さら失うものもないので、瀬戸月は踏み込んで聞いてやることにした。

 

「そろそろハッキリ言って下さいよ。『お前のせいで大迷惑だ』って」

「…………迷惑どころの騒ぎじゃない」

 

 海将補はそこで一呼吸。

 

 

 

『常套手段なのよ』

 

 2年前。無人艦艇が暴走し、武装蜂起(クーデター)が目前に迫っていたあの場所で瀬戸月の上官が言った言葉。

 

 政治的混乱と現地軍の動揺は常にセットだ。まして反乱ともなれば最前線が陥落しても()()()()()。少なくとも、支援や援護は不要になる。

 

 だからこそ、日本は……国防軍はクーデターを()()()

 

 

 

 

「君の活躍によって、南方の見知りもしない土地を守るために子供たちが死ぬことになる」

 

 その言葉に、瀬戸月の胸に炎が宿る。それは赤熱した炭のように、長い時間をかけて熟成された大いなる怒りであった。

 

「その子供すらも南方から『収穫』した我々に、それを言う権利がありますか?」

「知らんな」

 

 そんな筈はないだろう。この「査問会」を担当することが決まった時点で、もしくは既に知っていたからこそ、彼はこの場所にいる。

 

「人口統計が不正に操作されていることを証明する手段はありません。我が国では一次情報が書き換えられ、南方は地方政府の機能不全から統計自体が存在しませんからね。しかし閣下もご存じでしょう。最前線を担う哨戒艦隊、彼らはあまりに――――日本人らしからぬ顔立ちをしている者が多い」

「君、それは容姿差別(ルツキズム)だぞ。撤回しなさい」

差別(それ)をしたのは日本政府だと、私は申し上げているのです!」

 

 そもそも歴史上で穢多(えた)非人(ひにん)、部落や同和といった造語が作られてきたのは、己が下々とは一線を引いていると優越感を得るために行われた国家ぐるみの差別によるものだった。そうして水呑み百姓にすら植え付けられた感性が、移民はおろか難民すら受け入れようとしない国家を作り上げてしまった。

 

「そうだとも」

 

 そしてそれを自覚して尚、国防軍は突き進み続けた。進み続けてしまった。

 

「そして君は瀬戸月博士の子。()()()()だ」

 

 小河原は悪びれる様子もなくそう告げる。ドン、とデスクが音を立てた。

 

「南洋生まれの小娘を担ぎだして特別(にほんじん)扱いですか。養父(はかせ)は涙したことでしょうね!」

 

 もちろん、音は瀬戸月によるもの。彼女がその両拳をデスクへと叩きつけたのだ。

 

「……何に対して怒っているのか、全く理解しかねる」

「護衛艦隊こそ国家防衛の要と信じる本土の人間(あなたがた)に、理解出来るはずがありません」

 

 国防海軍の実戦部隊は、一部を除いて自衛艦隊に集約されている。

 その自衛艦隊の中で主力を成すのが護衛艦隊と哨戒艦隊。第1から第4までの護衛隊群により構成される護衛艦隊は、国防海軍が「海上自衛隊」を名乗っていたときからこの国を守ってきた伝統ある部隊である。

 

「護衛艦隊は本土防衛に温存された。しかし哨戒艦隊(5から9)が消えた後に何が残ります?」

 

 そして哨戒艦隊とは、第5から第9までの護衛隊群で構成される「第2艦隊」――――とある目的のために新設された専従部隊。

 ちなみに第9護衛隊群は不祥事により解散、第8護衛隊群に至っては15年前に()()している。他ならぬ軍部の方針により、私の8護群(ふるさと)9護群(せんゆう)も存在しなくなった。

 

「だが、君。5、6、7は未だ健在だろうに」

「ではクーデターが『予定通りに成功』したら、どうでしたか?」

「7護群は解散だろうな。『鎮圧』という形で」

 

 そうすれば確かに日本政府に仇なそうとする反乱分子はいなくなるだろう。しかしそれがオセアニア地域の失陥を意味することは、誰の目にだって明らかなはず。

 瀬戸月は畳み掛けるように続ける。

 

「では6護群(マニラ)が、5護群(タイペイ)が消えたらどうなります?」

「その時は護衛艦隊が前線(まえ)に出るまでだ。そして――――」

 

 小河原はそこで息を吸うと、ゆっくり吐き出すように言葉を紡ぐ。

 

「だからこそ、君は護衛艦隊に配属されていた。護衛艦隊(われわれ)が特務艇を運用するためにな」

 

 もっともらしい風に言う小河原の言葉も、戦場を知る瀬戸月には机上の空論にしか聞こえない。彼女たちが立ち向かう敵はそんな容易い存在ではないのだが、小河原にはそれが分かっていないように聞こえるのだ。

 

「……仮に、護衛艦隊(わたしたち)が特務艇運用のノウハウを維持していたとして」

 

 太平洋における戦線は環太平洋造山帯をぐるりと取り囲むように広がっている。保持しなければならない戦線は長く広がっているが、一方で「奴ら」にも太平洋中への()()()()()()ことが出来ていた。

 オセアニアを、フィリピンを、台湾を、それぞれ失陥すれば奴らは戦力を分散しなくても済む。奴らは総力を集結して脆弱な日米合意(マリアナ=パラオ)線に殺到することになるだろう。

 

「その時、私たちは戦えますか? 国防すらも『子供』に委ね、本土での平穏と繁栄を享受していた私たちが戦えますか?」

 

「だからこそ、表沙汰になるべきだったんだ。この件(クーデター)は」

 

 小河原は表情を崩さずに続ける。そこにはもはや、愛妻弁当に舌鼓を打つ一人の男は存在しない。

 

「国民を目覚めさせるために、ですか?」

「政府を目覚めさせるためだ」

「『子供』を犠牲にしてもですか?」

「日本国民を犠牲にしないためだ」

「……子供(わたしたち)は、日本国民ではないと?」

日本国民(そう)でないと思ったから、クーデターを起こそうとしたんだろう?」

「選択肢なんてなかった。子供たち(かれら)に蜂起を選ばせたのは政府です」

「そうだ。選択肢はなかった。だから白日の下に晒されねばならなかった」

「そんなことをすれば私たちは迫害されます」

「迫害? 国家と人類を守った君たちがなぜ迫害されなければならない? 迫害されるべきなのはむしろ、道を違えた我が国だよ」

 

 小河原は静かに、淡々と告げる。

 

 

 政府は反乱分子を鎮めたかった、だからこそ子供たち――戸籍上は日本国籍として登録されている人材たち――を弾圧する大義名分として「蜂起」を望んだ。

 

 子供たちは追い詰められていた。

 いくら愛国教育を施された彼らといえ、経済的な事情がなければ軍人を志す者は少ないだろう。支援してくれていた孤児院や里親も、国家的な陰謀による「仕掛け」と分かれば失望してしまうのも仕方ない。

 

 そして国防軍は、その「仕掛け」の遂行者としてシステムの限界を感じていた。

 制度疲労や兵站線の限界……口にこそ出さないが、国防軍は今現在の戦線を維持することが出来ないのである。「蜂起」が起これば戦線を放棄できる。だからこそ彼らは蜂起を許容した。

 

 

 誰も本当のことは口にしないだろう。だからこそ問答に終着点はない。互いの意見をすり合わせたところで平行線を辿るだけ。

 

 それでも、はっきりさせねばならないことはあった。

 

「仮に、国防軍という組織に意思があるとして――――」

 

 瀬戸月は目の前の将官を見据えて言葉を紡ぐ。

 

「小河原海将補、()()()()どうお考えなのですか」

 

 しばし沈黙。彼は深く息を吐いてから、すっくとデスクを立った。

 

「本日はここまでとする。仮眠室に戻ってよろしい」

 

 瀬戸月が息を呑んだ。もし彼女の表情を形容するならば、それは絶望――――もしくは、言葉で言い表しようのないほどの義憤と憐憫、そして諦観だろうか。

 

「国が滅びますよ」

 

 小河原は答えない。まるで知ったことではないと言わんばかりに。

 

「閣下、私は――――」

「もういい。結構だ瀬戸月1等海尉」

 

 手で遮って、小河原海将補は立て付けの悪い扉に手をかける。ガタガタと動かない扉にため息をついて、ぼやくように漏らす。

 

 

「君たちには()()()()()()()()()。だからこそ聞きたいのだが――――」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 国防省ビルに設けられた瀬戸月1尉の「仮眠室」は厳重な監視と引き換えに安全を保証してくれる。あらゆる通信は監視され盗聴は当然のこと赤外線カメラすらも設置されたその部屋で、瀬戸月は通信端末を開いた。

 

「まったく、こうも平行線だと嫌になっちゃうわね」

 

 ぼやいて解決するなら、そもそも自分はこのように囚われの身にはなっていないことであろう。そんなことはもちろん瀬戸月とて理解している。

 それでもぼやかずには居られないものだ。通信端末を開き、わずかに許可された通信先を選択。警務隊による傍受は承知の上で、回線を開く。

 

『……どうも』

「お疲れ! 愛しの不知火ちゃん! 今ひま?」

『暇でなければ応じませんよ。今日は艤装の整備でオフなんです』

 

 あくまで素っ気ない調子の相手。しかし呼び出し音が一回も鳴り終わらないうちに応答があったあたり、尻尾があったらブンブン振られているのではないかと瀬戸月は考えている。もちろん彼女の勝手な想像なので証拠はないが。

 

『それにしても、今日は遅かったですね。どうされたんですか?』

「あー今日はね、新しい収監先に護送されたのよ」

『そうですか』

「安心して? けっこう気さくなヒトだし、話は通じそうだから」

 

 まるでパン屋の新作を食べた感想を述べるかのように瀬戸月は言う。護送やら収監やら物騒な言葉が並ぶあたり扱いはまるで政治犯のそれであるが、瀬戸月ヒナタは事実として政治犯――国防海軍による武装蜂起(クーデター)未遂を起こした主犯格の国防軍幹部――としての扱いを受けているのである。

 

 存在しない事件、存在してはならない不祥事。存在しないのだから処分すら出来ない。国防軍は瀬戸月ヒナタという人物を飼い殺しにするほかなかったのである。

 

「そういえばね、いよいよ始まったわよ。私の取り調べ」

『……それは、私に伝えてもよろしいのですか?』

「さぁ? だめなら通信が遮断されているんじゃない?」

 

 その言葉を放っても遮断されないのだから、おそらく問題はないのであろう。瀬戸月は雑談を続ける。芸能スキャンダルや人気アニメの展開予想、健康の話題。

 そんな言葉をころころと転がしながら、瀬戸月は先ほど小河原と交わした最後の会話を思い返していた。

 

 

 

 ――――なぜ君は「復讐」を成し遂げなかったんだ?

 

 

 

 それをするだけの権利があった、というのは果たしてどういう意味なのだろうか。それは瀬戸月のあずかり知るところではない。

 

 ただ、これだけは言える。

 

「でも。新司令について一つだけ不安な点があるのよ」

『なんです?』

「あのヒト、たぶん特務神祇官(わたしたち)のこと分かってないのよねー」

 

 

 特務神祇官。

 

 霊力と呼ばれる「科学により観測されたオカルト」により戦う特殊な技能を用いる職業。その異能をもってして、敵対的な害獣ともエイリアンとも神の審判とも呼ばれる正体不明の生物――――深海棲艦と戦う職業。

 

 

「私たちが戦場で何を頼りにするか、誰を守ろうと思って戦うのか」

 

 たとえ嘘に塗れたとしても、虚構の祖国を守り抜くことになったとしても。

 守るべき対象がある限り、戦うことをやめるわけにはいかない。だからこそ瀬戸月は、遠い戦場に彼女のかつての相方は、戦い続けることが出来る。

 

 その思いは電話先の相棒にはキチンと伝わったようである。わずかに嘆息するような息づかい――まるでやれやれと、女房が旦那に漏らすような――が聞こえた後に、短く言の葉が続く。

 

『ご帰還をお待ちしております、陽炎』

「――――ったりまえよ! いつまでも本土で拘留され(まもられ)っぱなしにはいかないわ。すぐに海将補(あのアホ)と査問会をとっちめてやって、戦線に復帰してやるわ!」

 

 

 特務艇〈陽炎〉艇長、瀬戸月ヒナタ。監視下に置かれた携帯端末を閉じた彼女は、盗聴器に聞こえるようにひとつ呟く。

 

 それは宣戦布告であり――――今の彼女を支える、最後の矜持。

 

 

 

無礼(なめ)るんじゃないわよ、私たち艦娘を」

 

 



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第108話 智に働けば角が立つ

 国防省ビルA棟の某所で、今日も今日とて立て付けの悪い扉が音を立てて開く。

 

 

「おはようございます」

 

 

 国防省大臣官房監査課行動係の朝は早い。なぜなら、構成部員の約半数が通勤時間ゼロ分だからである。

 その半数を占める瀬戸月ヒナタ――――駆逐艦〈陽炎〉は鞄からラジオを取り出すと自らに割り当てられたデスクの上にセット、電源を入れると聞き慣れた体操の歌が流れ出す。

 

 ブラインドを上げれば東京の街並みに反射した朝日が差し込み、それを全身に浴びるようにしながら朝の体操をこなしていく。

 陽炎がこのように早朝出勤に勤しむのは彼女が勤勉な国防軍人だから……ではない。この朝の時間こそ、彼女に許された数少ない自由時間だからである。

 

 

「いっちに、さんし……」

「いやー、精が出るねぇ陽炎ちゃん」

「当たり前です。毎朝のルーティーンなんですから」

 

 それに、課業開始までずっと陽の差し込まない()()に押し込められているようでは息も詰まるというもの。

 

「ということはこの部屋には盗聴器の類いはないんだ?」

「いくら監視対象がいるからといって職場に盗聴器を設置するのは現実的ではないですよ。それは『悪しき前例』を作ることになります」

「ま、確かに()()()()()()()相手なんかに前例は作りたくないか……ここら辺は国防軍(わたしたち)の官僚()()()()()主義に感謝しなくちゃね」

 

 ラジオ体操を終えた陽炎。彼女は併設されている駐屯地の食堂――国防省ビルが林立する市ヶ谷地区は国家枢要の防御拠点としても機能しており、陸空軍の部隊が駐留している――まで軽く走る。

 

「前から考えてるんだけれど、陸と空の食堂往復したら2回食べられないかな?」

「幹部とは思えないケチな発想ですね。ちなみにそれ、以前問題になって処分下ってますから」

「へーそうなの」

 

 

「…………というか」

 

 

 そのような調子で幹部食堂で朝食をかき込んでいた陽炎は、ようやく隣に座る謎の人物へと目を向けた。

 

 それは陽炎と同じ海軍の幹部制服。

 波飛沫へと舞い降りる錨に落下傘の水上空挺徽章が示すのは精鋭たる証。

 歴戦を示して余りある略綬がはち切れんばかりに膨らんだ胸部――本人曰く「被弾面積が増えて困っちゃう」と悩みの種であるらしいが、本当なのかは疑わしいところ――にずらりと並ぶ。

 

 陽炎としては本当は、心の底から無視したい相手なのだが。ここまで付きまとわれてはもはや無視することも叶わないであろう。

 

「なんでここにいるんですか?」

 

 陽炎の問いに、相対する豊満な体つきの彼女が両人差し指を頬へと当てる。

 

「なぜって、そりゃ……私が艦娘だから?」

「ぶりっ子ぶっても無駄ですからね」

 

 丸顔寄り、僅かに垂れた眼。血色のいい肌。そして極めつけは左右に流した黒髪を房としてまとめた典型的なツインテール。

 そんな顔を備える彼女が指で頬を指せばそれはもう「絵」になる。

 

「えぇ~? 別にいいじゃんねえ。駐屯地に艦娘はいるもんだし」

 

 そしてこの甘ったるいしゃべり口調。どんなに首の下に厳つい略綬が並ぼうとも、多くの男性は、いや女性ですらもその顔立ちと胸に目がいってしまう。霊力再生とメイクで誤魔化しているとしても、ここまでくると一種の芸術だろう。

 そしてこのヒトは息を吐くようにそのポテンシャルを活用するのだ。これは時代が流転しても変わらないのだろうと陽炎は思っている。

 

「それで、なんでここにいるんですか?」

「いや、だから私が艦娘だからって……あーはいはい分かった分かった」

 

 答えりゃいいんでしょと、なぜか投げやりな調子で言われる。彼女はただでさえ主張の激しい胸部を陽炎に突き出すように張ると、威勢の良い調子で言ってのける。

 

「私、この片桐アオイはね……あなたの援護に来たのよ!」

「……陥れに来たの間違いじゃないですか?」

「ヒドくない⁉」

 

 大げさに天井を仰いでみせる片桐。国防軍の一等海佐である彼女は、陽炎が引き起こしたポートモレスビー事件の関係者だ。

 

「だいたい、片桐1佐はなんでお咎めなしなんですか」

「国防軍は命を張った者こそを優遇するんだよ。陽炎ちゃん」

「……命を張った?」

「あれ忘れちゃった? わたしってば主犯に銃で脅されたんだけど。やーん怖い」

「…………」

 

 保身の鬼め。

 

 陽炎はほとんど空になった朝食のトレイへと視線を戻す。わずかにこびり付いたご飯粒を箸でつまむようにして、納得のいかない心をなだめる。

 主犯側に回って状況を制御しようとした陽炎に対して、片桐のとった行動は被害者ぶることであった。本当はクーデターの件を事前に察知していたことはもちろん、それを力尽くで鎮圧する手段すら用意していた。

 

 

『殺せるもんなら、殺してみなさいよ』

 

 

 しかし片桐は土壇場で動かなかった。

 陽炎の動きを止めることすら……それ自体は陽炎の脅迫により出来なかったのだが、その後の処理を見ていると体よく責任の全てを陽炎に押しつけたともとれる。

 

「あいつらを撃てるくらいに残酷なら、あなたも苦労しなかったのにね」

 

 そうすれば、全部私がやってあげたのに。

 

 片桐の言葉は聞き流す。

 2年前のあの日、あの場所で、陽炎が武装蜂起(クーデター)を防ぐどころか起こす側へと回ったのは()()()()()()()()()だった。

 

 回避が絶望的となったあの戦場で、せめて死傷者を出さないためについた苦し紛れの嘘――――国防軍が陽炎を「飼い殺す」選択肢をとったのも、そんな綻びだらけの嘘と辻褄を合わせようとしているから。

 

 なにもかも、全部ウソだらけ。それが国防軍の現実であった。

 

「とにかく。査問会が開催されるなら私はそれで満足。1佐の口添えは結構です」

「口添えだなんて、私は真っ当な証人として陽炎ちゃんを援護しようと」

「あなたの援護が『真っ当』だったことなんてないでしょうに」

「うーん。それはそうかも……あ、ちょっとちょっと! まってまって!」

 

 背後で慌てて片付ける気配を聞きながら、陽炎は食堂を後にする。片桐はすぐに追いついてきた。

 

「いいじゃない証人になってあげるんだからさ。陽炎ちゃんだってこんな状態早く脱したいでしょ?」

「それはそうですが、1佐に私をどうこうできる権限はないでしょうに」

「や、それはそうなんだけれど……でもほら、出来ることは色々あるでしょ?」

「本当にやめてください。小河原海将補には奥さんが張り付いてます。1佐のやりかただと却って心証を損ねますから」

「海将補なんて実行部隊(したっぱ)に突っ込んでどうするのよ、私が狙うのはもっと()に決まってるでしょ?」

「ですから、そういうのを止めてくださいと言っているんです」

「堅い、堅すぎるよ陽炎ちゃん! そんなんで勝てると思っているの?」

 

 片桐は嘆くような素振りで陽炎の前に躍り出る。

 

「勝つも負けるもありません」

「もっと単純に考えよう。陽炎ちゃんは前線に復帰したい、これはオーケー?」

「当然です」

 

 陽炎は焦っていた。

 なにせこの厳重な――下手をしなくともいくつかの基本的人権を侵害していそうな――監視下に置かれてから既に2年、空費してはならない時間を彼女は喪っている。その間にも国防軍は、艦娘は戦い続けている。

 

「深海棲艦は相手が『子供』であろうが真っ当な日本人であろうが見境なく命を奪っていく」

 

 今この瞬間も、陽炎の戦友たちは戦い続けているというのに。

 電話越しにしか話すことの許されない彼女たちが、いつ散ってしまうかもしれないのに、指を咥えて見ていることしか出来ない。

 

 それが不甲斐なかった。悔しかった。

 だからこそ彼女の中には焦りが募る。

 

「どうして私がこんな風に留め置かれなきゃいけないっていうんですか」

「……そうね。ひと言で説明するなら、残酷だけれど――――」

 

 片桐はそこでいったん言葉を切ると、まっすぐに陽炎の眼を見てひと言。

 

「陽炎ちゃんの適性が低いからよ。貴女を全線に出すリスクは、戦果(リターン)に見合わない」

「……えぇ、知っています。知っていますとも」

 

 そしてそれは、片桐1佐が既に復帰していることの理由でもある。

 

 あの武装蜂起の起きたポートモレスビーに、片桐1佐は分遣隊副司令として務めていた。当然ながら反乱を防げなかった責任は重大。しかし彼女には降格処分どころか懲戒処分すら下っていない。

 

「『理由』なんていくらでもでっち上げられるの。でも、それが出来ない。私ってば天才だからね、必要とされてるんだな~」

「本当の天才なら、上層部に取り入ろうなんてしないのでは?」

「おっと手厳しい。でも正解、本当の天才は上層部に取り入ろうなんてしない。自分の力だけで全てを手に入れる」

 

 私に言わせればそれは最悪の選択なんだけれどね。片桐は付け足すように言って笑ってから、言葉を繋ぐ。

 

「真面目な話をすると、厚遇されているのは陽炎ちゃんの方なんだよね」

「私がですか? まさか」

「不思議な話でもないわよ。私は職責さえ与えなければいいけれど、陽炎ちゃんは『再発』の危険性があるわけだし……」

 

 片桐の表情は笑っているようには見えなかった。少なくとも、陽炎の認識では。

 

「やばいんだよね。ポートモレスビーは小火(ぼや)で済んだ。けれど次は? その次は?」

 

 緒戦における急激な戦線拡大、ミクロネシアでの大敗北、そして20年に渡る戦線の維持……日本は常に艦娘不足に悩まされてきていた。だからこそ艦娘としての適性が高い「子供」たちを外部から補充する必要があった。

 しかしそれは国家ぐるみの人身売買、もしくは拉致行為に手を染めるということ。

 

 だからこそ情報は徹底的に隠匿され、全容が明らかにならないように分散された。

 

「私たちは『子供』たちの全容を知らない。孤児院とかで育てられたなら把握しやすいでしょうけれど、陽炎ちゃんみたいに里親によって育てられた場合は……」

「私みたいに、養子である事実自体が抹消されている?」

 

 片桐は首肯。それから空を仰ぐ。

 

「つまり、陽炎ちゃんの脅しはまさに国家の根幹を揺るがす問題だったってワケ。艦娘が『子供』によって成立しているだけなら()()()()なの」

 

 

 もしも『子供』が民間の労働者としても「供給」されていたとしたら?

 

 移民を、難民ですらも受け入れを拒んできたこの国が、労働者として必要な『子供』だけを搾取していたとしたら?

 

 

「あくまで仮定の話よ。でもそれが明らかになったら最後、地獄の釜が開く」

 

 だからこそ陽炎は「厚遇」されているのだと片桐は言う。しかしそれでは、このタイミングで査問会が開かれた理由が分からない。当事者としては不本意であるだろうが、陽炎だって自分のことを()()()世間から隔離するのが正解なのは理解していた。

 

「でもそれなら」

「言わせないわよ。そんなこと、私が許すわけないじゃない」

 

 片桐の眼に宿っていたのは、おそらく怒気。そして陽炎は、彼女がそこまで怒る理由を理解できない。

 

 片桐にとって陽炎とは、目にかけた一人の部下で。

 可哀想な『子供』の一人で。

 それ以上の存在ではないはずなのに。

 

 そんな自分に言い聞かせるような陽炎の内心を知って知らず、片桐は言葉を紡ぐ。

 

「いい? 私はいい人なんかじゃないから、貴女みたいに全部の『子供』を守ろうとは思わない。けれど貴女は特別なの」

 

 特別。

 嬉しくもない言葉だ。

 

 海将補も目の前の片桐も、どうしてか陽炎のことを「特別」にしたがる。

 それが陽炎にとってどれだけ不本意で不愉快なのか知っているだろうに、彼らはみんな陽炎を特別扱いする。

 

「なにせ貴女は、アイツの娘なんだから」

「……また、瀬戸月1佐の話ですか」

 

 陽炎とて分かってはいたが、この問題の根の深さに感嘆するしかない。

 

 瀬戸月ハルカ1等海佐――――〈陽炎〉艇長である瀬戸月ヒナタの義理の母親。

 

「天才だったよ。それで、深海棲艦を倒すことしか頭にないようなヤツだった」

 

 貴女と一緒ね、と片桐は呆れるように言う。実際、信じられないくらい似てしまったものだと陽炎も思う。

 

「私を愚かだと思いますか」

「まさか。陽炎ちゃんは針の穴を通すような『最適解』をあの土壇場で編み出してみせた。きっとお母さんも誇りに思っているはずよ。いつか褒めてもらいなさい」

 

 私には褒める権利がないからと、そう片桐は言外に告げるのだった。

 



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第109話 情に棹させば流される

 仮眠室という名の独房に戻り、軽くシャワーを浴びてから制服に着替え、今度こそ正式に出勤。

 

 業務開始前にやるべきことは単純。部屋の掃除、平たく言えば上司兼監視役兼査問会主催への()()()だ。

 部屋中のチリとホコリを消し去り、電子ケトルに水を補充し、茶葉をはじめとする各種消耗品が補充されているか確認する。

 

「まるで昭和のオフィスレディね、陽炎ちゃんがやるような仕事じゃないでしょ」

「それで結構。媚びへつらう程度で復帰できるなら、なんでも……というか、いつまで見てるんです、暇なんですか?」

「なに言ってるの。待つのが仕事でしょ、私たちは」

 

 そうして課業開始のきっかり五分前。小河原海将補が入室。

「おはよう……なんだ、片桐1佐まで来てるのか」

「おはようございます!」

「やっほー小河原クン、こちとらおたくらに無戦研(はばつ)を潰されて以来ヒマでね」

 

 直立からの最敬礼を繰り出した陽炎とは対照的に、デスクに手をついて挑発するように言ってのける片桐。

 ちなみに「無戦研」とは無人戦闘システム研究会の略称で、ポートモレスビー事件で無人艦艇が『暴走』して以来勢いを失いつつある「無人艦派」のことである。

 

 つまり片桐1佐は小河原海将補に「よくも責任を転嫁してくれたな」と文句を言っている訳であるが、それを意に介することもなく小河原は手狭な部屋の最奥に設置されたデスクに座った。

 

「海将補、珈琲をいれましょうか」

 

 駆け寄った陽炎に片桐は白い目。しかし陽炎はあくまで媚尽くすつもりである。

 

「いや結構。今日はこれがあるんでね」

 

 小河原は首を横に振って、鞄の中から魔法瓶を取り出した。そしてコップを取り出すと、熱い珈琲を自分で注いでしまう。

 

 出鼻を挫かれた陽炎を傍目に、うんいい香りだと小河原は呟く。それから陽炎を見て言った。

 

「妻に持たされた時は妙に気が利くとしか思わなかったが……なるほど、そういうことか」

「あらら、ばれてーら」

 

 呆れ顔でため息交じりに言うのは片桐。小河原は頭を抱える素振り。

 

「非公開で非公式とはいえ、査問は査問だ。この程度で覆るとでも?」

「表に出せない事柄には表に出せないやり方があると学びました」

「君は国防軍でそんなことを学んだのか」

出世街道(いきのこるの)が最優先です」

 

 口を挟んだのは片桐だった。彼女は陽炎を押しのけるようにして前に出ると、小河原の目の前に胸を張って……いや突き出して言ってのける。

 

「我らが(たお)れれば、背後の祖国が滅びることになる……ミクロネシア撤退戦の際、救援に向かっていた護衛艦隊に転進を命じた大迫海将の言葉です」

 

 小河原は「それがどうした」と虚勢を張ることはしなかった。続けてみろと、顎で片桐に促してみせる。

 

「古今東西、目的は手段を正当化して参りました。日本列島のために南洋を見捨てた大迫海将と同様、私たちも国家防衛に殉ずる『戦力』の保持を図る必要があった」

「それが命令違反、独断専行の根拠となってはならないだろう。そも片桐1佐、帳簿外の物資を隠蔽することはいかなる理由があろうと国家国民への背信行為で……」

「ならば」

 

 どん、と小河原のデスクが音を立てる。片桐はそのまま熱のこもった声で続けた。

 

「ならば、マーシャル諸島にミクロネシア連邦を見捨てた日本国には、いったいどのような権能があったのですか。かの国々を見捨てたことは新自由連合盟約(ニユーコンパクト)に定められた防衛義務に明確に違反しております」

「はぁ……1佐、これは私からわざわざ説明することなのか?」

 

 小河原は大げさにため息をついてみせると、そのまま片桐をにらみつける。

 

「条約における防衛義務とは、即ち参戦義務だ。侵略行為が発生した際に軍隊を派遣するまでが条約の履行であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 事前の取り決めで雌雄を決することが出来るなら、軍備の放棄だって容易だろう。そんな理想論は存在しないのだと小河原は言う。

 

「そもそも、深海棲艦はその性質から『敵対的な生命体』として分類することしか出来なかった。我が国がマーシャル、ミクロネシアの両国を援護したのは災害発生に伴う人道的支援でしかなく、戦争ではないのだよ」

「だから護衛艦隊は参戦しなかったと? ろくに艦艇も配備されていなかった哨戒艦隊を捨て駒として派遣し、条約を履行したフリをしたと?」

「履行するフリもなにも、履行する状態でもなかった。友邦の民を救うための『災害派遣』で『急を要するから』と、どうにか国会の事後承諾を取り付けていたんだ」

 

 そしてそれこそが『裏帳簿』を産み出した。ポートモレスビー事件の直接的な原因が『子供』なら、『裏帳簿』はその武装蜂起の手段となった。

 

哨戒艦隊(げんば)が『裏帳簿』を使わざるを得なかったのは分かる。弾は積み上げておくにこしたことはないし、定数通りの艤装で戦ったら整備も追いつかない」

 

 だからこそ許容されてきた。国防軍も目を瞑ってきた。

 

「しかし、ポートモレスビーの一件はその関係をぶち壊した。もう少し正確にいうと、その信頼関係が妄想に過ぎないことを知らしめた」

 

 帳簿外の兵器が不満分子の手に渡る可能性。その不満分子が既に軍内部に浸透している事実。果たして国防軍は今まで通りに『裏帳簿』の存在を許せるだろうか。

 

「国防軍が反乱を防止するのは賛成だけれど、『裏帳簿』なしでどう戦うっての?」

「帳簿内で戦えばいい。戦えるもんならな」

「全ての弾を命中させ、あらゆる攻撃を回避すればまぁ、可能でしょうね?」

 

 茶々をいれる片桐の表情にも余裕はない。陽炎は足下がぐらつくのを感じた。

 

「(そんな、じゃあ今。最前線にいる不知火(あのこ)たちは――――)」

 

 つい昨日の会話が思い出される。

 

『暇でなければ応じませんよ。今日は艤装の整備でオフなんです』

 

 そうだ。考えてみれば整備の都合でオフになるなんておかしいじゃないか。量産できる特務艇艤装と違って、それを操る特務神祇官は才能頼みの希少存在。だから国防軍は『裏帳簿』を用意してまで彼女たちを酷使しなければならなかったハズなのに。

 

「だから言っただろう。()()は明らかになるべきだったんだ、そうすれば――――」

 

 小河原の言葉を最後まで聞く余裕は陽炎にはなかった。なにせ、彼の言わんとすることは陽炎にも――彼女に刷り込まれた幹部教育の知識から――理解することが出来たのだから、聞く必要もなかった。

 

「ちょ、陽炎ちゃん⁉」

 

 床を蹴って、魔法瓶とコップだけが置かれた海将補のデスクへと跳躍。そのままヒトの名を騙る肉塊へと鉄拳を食らわせようとして。

 

 

 ――――突然、自分の腕を空気に捕まれた。

 

 

 腕があらぬ方向に吹き飛んで、関節で接続された胴体もつられて吹き飛ぶ。

 視界から海将補が消えるのと、眼前にリノリウム張りの床面が現れるのはほぼ同時だった。

 

「ったく……まさか本当に殴りかかるとは思わなかったわよ。媚を売るって話はどこへ行ったんだか、この戦闘狂(ウォーモンガー)め」

 

 陽炎が事態を理解したのは、ヴンと空気が揺れるのと共に聞いたばかりの声が耳に届いた時。

 どうやら、空軍(そら)特務神祇官(かんむす)に投げ飛ばされ床に組み伏せられたらしい。

 

「……媚はまもなく発売しますので、どいて頂けますか?」

「いやーキツイっしょ。駆逐艦は喧嘩っ早くて(これだから)困るんだよねぇ」

 

 戦闘機乗り(あたしら)余所(ひと)のこと言えないけれどさ。そう言いながらも陽炎に腕一本動かさせないのは小河原三等空佐。デスクでため息を吐く小河原海将補の妻を名乗る女性。

 

彼女(かげろう)には私を殴る権利があると思うがね。そして、彼女に殴られることで彼女に実刑判決を言い渡すまでが私の仕事だ」

「ダーリンさぁ、将官になったクセにまーだこんな鉄砲玉みたいな仕事してるの? というか、この私以外の女に傷物にされるとか絶対許さないから」

「君が私に傷をつけることはないだろうに」

「へへ、まーねっ♪」

 

 今日も茶番劇か。

 

 しかし陽炎とてタダで終わる艦娘ではない。関節を固められているのなら、()()()()()だけのこと。

 

「しっかしそれ、スゴい擬装ね。というか擬態? どうなってるの?」

「飯田製造謹製の試作多用途潜入任務用装備……まぁいわゆる熱光学迷彩ってヤツですよ。片桐1佐みたいにハイレベルな神祇官には効かないでしょうが」

「ホントよ。せっかく見逃したってのに。こんな茶番をやるためだったなんてね」

 

 部屋を見回す。状況を俯瞰していた片桐はもちろん、制圧したと見切っている小河原空佐も状況は終了したと思い込んでいる。

 

「さて。それでは本題に入ろうか」

 

 そして小手調べは終わったとばかりに、小河原海将補は書類をデスクの上に広げて立ち上がる。

 

「(今ッ!)」

 

 顔面を床に押しつけられていようとなんのその、陽炎は一瞬で関節を外して軟体動物へと変態する。小河原空佐が表情を変えるより先に半身の拘束を抜け出すと、ありったけの筋肉を総動員して身体を捻る。

 

 そして仰向けになった陽炎の視線の先に捕らえるのは――――小河原海将補。

 

 

「喰らえいっ!」

 

 

 床は撃鉄、踵は雷管。僅か数百グラムの革靴とて跳べば凶器。

 

 陽炎が放った――正確には蹴り飛ばした――靴の一撃は、そのまま小河原海将補へと横軸縦軸のブレがなく向かった、が……。

 

 ゴン、ドン――――ゴシャ。

 

「……」

 

 その場にいる誰もが沈黙した。

 

 ちなみに、最初の「ゴン」は靴がデスクのヘリに当たった音。全ては仰々しく整えられた無駄に奥行きの広い執務机の所為。

 「ドン」はヘリに当たってその勢いのまま跳ねた靴が天井に激突した音。

 最後の「ゴシャ」は落下した靴が――天のイタズラか知らないが――デスク上のコップに見事墜落(クリーンヒツト)した音である。

 

「あ、あぁ……」

 

 そして最初に重い口を開いたのは、陽炎の「狙撃」を許した小河原空佐であった。

 彼女は青ざめた後に赤く顔を染め、絞り出すように声をあげる。

 

「よくも、私の淹れたコーヒィーをぉ!」

「違う、そうじゃない」

 

 片桐のツッコミを無視して陽炎に掴みかかる小河原空佐。

 

「待て待て小河原三佐。彼女関節が外れたままだ、まずはくっつけてだな……」

「ダーリンはいいの⁉ コイツ私たちの愛の結晶を踏みにじったんだよ文字通り!」

「や。そうかもしれないが……」

「いやいや。どう考えてもデスク、デスクでしょ」

「なにを1等海尉風情が……ん? デスク?」

 

 小河原空佐がデスクを見遣れば、そこには現在進行形で広がっていく珈琲の津波。

 小河原海将補が並べていたのであろう書類が次々と黒い波に呑まれていく。

 

 大慌てで陽炎を放置してハンカチを取り出した小河原夫妻に、片桐が肩を竦める。

 

「陽炎ちゃん、そういう所は真面目よね……自分のことは棚にあげるくせに」

「書類を無下にしてシワ寄せが来るの、残念ながら私なんですよね」

 

 じゃあ蹴らなきゃ良かったじゃない、とは片桐は言わない。小河原海将補本人がそう言ったように、陽炎には「殴る権利がある」と考えているのである――――陽炎が行使したのは蹴る権利だったが、それは言葉の綾というものだろう。

 

 それよりも。

 

「……片桐1佐、知ってましたね?」

「知ってたよー。もちろん口止めもされてたけど」

 

 クーデターは闇に葬られた。

 

 主犯格を騙った陽炎ですら処罰()()()()というのに、まさか『子供』たちを処罰できるハズがない。だから処罰はせずとも反乱を防止するために『裏帳簿』を絶つ。

 

 その結果がもたらすのは……全戦線の崩壊。

 それもじわりと、真綿で首を絞められるような緩慢な死。

 

「許せないのは分かるよ」

「ええ許せません。私自身のことが許せません」

 

 守れたと思っていた。良い方向に導けたと、本気で思っていた。

 しかしそうではなかった。状況はもっと、ずっと悪化している。

 

「にしても、関節外しで海将補にダイレクトアタックはやり過ぎなんじゃない?」

瀬戸月(わたし)は勝つためなら手段を選びません」

両親(おや)両親(おや)なら、子も子ね……呆れた」

 

 片桐のこれみよがしなため息を聞き流しながら陽炎は関節をはめる。その様子を見ていた小河原海将補が落ち着き払った様子で言う。

 

「ま、安心するんだな。裏帳簿は消したが物資を摘発した訳ではない。元より正規の補給は届けさせているからスグに枯渇はしないだろう」

「閣下は、もしや2年という数字を甘く見ておられるので?」

 

 陽炎のその言葉に、小河原は却って目つきを鋭くする。

 

「誰が甘く見るものか。『子供』が()()()()()()()()()()までに2年かかったんだ。いったいどれほどの弾薬を保管していたのやら……」

「ダーリンちょっと訂正、あれは霊力媒体の消費期限切れを狙ったのであって弾薬じゃないよ。霊力再生(ゾンビアタツク)さえ防げれば反乱は起こせないって寸法」

「あ~、医療設備系統の再編ってもしかしてそのため? どうりで病院船の予算承認が早くなるわけだ……」

 

 小河原海将補、小河原空佐、片桐がそれぞれ勝手に喋る。陽炎にとってはどれもこれもが初耳の話ばかりであり――――それらの情報が開示されているという事実が、ひとつの示唆となっていた。

 もはや「子供」が反乱を起こすことはない。そして「子供」を扇動したり、はたまた担がれる可能性もなくなった陽炎を放置しておくほど、国防軍の人材は厚くない。

 

「私に、なにをさせるつもりなんです?」

「いつも通りの書類整理だ。書類上はな」

 

 そう言いながら海将補はデスクに手を伸ばし……引っ込めた。それから咳払い。

 

「あー、そうだな1尉。仕事だ、書類を印刷してくれ」

「仕事ですか。ええ、いいですよ仕事なら。それが私の仕事ですからね」

「……」

 

 よく言うよ、と視線を陽炎に向ける一同。誰かさんがデスク上の書類を珈琲で汚さなければ仕事は増えなかったのに、と誰も言わなかったのは英断だろう。

 

「それで、これなんの書類なんです?」

「任務の書類だ――――君の、誇るべき復帰第一号任務のな」

 



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第110話 意地を通せば窮屈だ

「くぅ~! 来たわよ北の大地!」

「テンション上がってきたわね。ね、ダーリン!」

「……ああ、そうだな」

 

「いや、なんなんですか?」

 

 北海道千歳市。

 

 およそ一時間半のフライトを経て陽炎たちは石狩平野へと降り立った。

 ちなみに一行の装束はフォーマルスーツに海軍将官服、空軍幹部服に特務神祇官(かんむす)用の戦闘装束。はっきり言って統一性がない。

 

「さて、観光しているヒマはないぞ。このまま南千歳で陽炎の艤装を受領し、そのまま専用機で一度北稚内まで移動する」

「北稚内? ははーんなるほど」

 

 片桐は納得顔。何のことか分からない陽炎が目配せすると、彼女はそっと耳打ち。

 

「北稚内ってのは樺太(サハリン)の隠語よ。あそこの領有権って厳密には確定していないから」

「ああ……そういうことですか」

 

 深海棲艦により世界秩序が壊れても、世の中には変わらないものもある。

 

 それは例えば日本政府の北方領土に対する見解であったり、国民も国土も捨てることは許されないが極東に割くほどの軍事力は持たないロシア政府であったり。

 そして、生きるには食料と燃料が必要という古今東西普遍の大原則であったり。

 

「知っての通り、南樺太およびオホーツク海への日本国防軍の『侵入』をロシア政府は拒否している。我が軍としても国境未策定地域に『入国』する事態は避けたい」

 

 小河原海将補が日露両政府の建前を述べる。しかしそんなのはお構いなしに深海棲艦はやってくるわけで。

 ロシアは特務艇を保有しておらず、日本は燃料・食料輸入国。のっぴきならない事情が双方に妥協を強いることになった。

 

「……で、それがこのコスプレ大会みたいな格好ってワケですか」

「やだなぁ陽炎ちゃん、全員正装だよ?」

 

 呆れたような陽炎の台詞に、ニコニコしながらフォーマルスーツ姿の片桐がIDカードを取り出す。

 

「私は予備特務神祇官の片桐アオイ。民間企業K&Iセキュリティーの軍事顧問」

「いや片桐さんはバリバリ現役ですよね? いつ予備役になったんです?」

「今日!」

 

 もはやどこから突っ込んだらいいのか分からない。

 

「しょうがないでしょ~? サハリン州政府と契約を結んだ民間軍事企業(PMC)は特務艇艤装や軍事物資の持ち込みを許可されているから、こうやって()()するしかないの」

 

 そう言いながら片桐は小河原夫妻に目をやる。

 

「あ、ちなみにこちらはロシア連邦軍サハリン統合軍集団との交渉任務にあたる自衛艦隊司令部の小河原海将補。そして……」

「航空支援集団所属、第408輸送隊の小河原三等空佐。北部地域には民間機の飛行制限があります故、国防空軍の民間支援として輸送業務を務めさせて頂きます」

 

 片桐の言葉を継ぐよう恭しくお辞儀をする小河原空佐。わざとらしさは一〇〇%。

 

「……えぇ」

「安心しろ。あれでもU4操縦経験者だ」

「転換訓練は受けてないから、本当は任務に従事しちゃダメなんだけどねー」

「書類上は受けている。安心しろ」

 

 全く安心できない。しかし突っ込んでいては始まらないし突っ込む気力すらも起きないので、陽炎は己の任務に集中することにした。

 

「それで、私の肩書きはなんなんです?」

「国防省大臣官房監察課行動係の特務艇〈陽炎〉艇長」

「……ん? それ私だけ変わってなくないです?」

「変える必要がないからな」

 

 なんでも、将官クラスには国防軍特務艇の巡洋艦クラス以下であれば1隻帯同させても問題ないということになっているらしい。

 

「……要は、他国の将官(VIP)の安全を保証することすら出来ないと?」

「穿った見方が過ぎるよ。護衛官の1人くらいはいても良いではないか」

 

 それはそうかもしれない。とはいえ、護衛()では過剰防衛な気もするが。

 

「君の任務は()()()()樺太(サハリン)滞在の間、我々をあらゆる脅威から保護するように」

「交戦規定は?」

 

 あらゆる脅威、と海将補は言った。軍人がこのように曖昧な言い方をするのは、何か()()がある時だけだろう。

 

「無制限。ただし護衛対象(ダーリン)には当てないようにね」

「小河原空佐、割り込んで勝手なことを言うな」

 

 小河原海将補はそう窘めつつも、その言葉自体を否定することはなかった。

 

「……そんな初歩的なヘマはしません」

 

 なにせ、この任務には陽炎の前線復帰が掛かっているのである。そして前線では、戦友(しらぬい)たちが死に物狂いで生き残ろうとしている(たたかっている)

 

「私は、早く帰らないといけないんだから」

 

 決意を固める陽炎。あ、と声を上げたのは片桐だった。

 

「小河原クン、便の出発までどれくらいある?」

「……艤装の受領を勘案にいれるなら、スケジュールに猶予は」

相分った(あいわかった)、即座に否定しないなら多少の時間はあるね? よーし! ラーメン食べに行くわよ、陽炎(ヒナタ)ちゃん」

「いえ、行きませんが?」

 

 仮にも任務中である。あなたはもう少し自覚を……と言おうとして、今の彼女は民間人扱いであったことを思い出す。保身の鬼である片桐アオイに建前を持たせることは、まさに鬼に金棒だ。

 

「えぇ~、いいじゃん行こうよ! 私、バターコーンホイップマシマシラーメン食べたい!」

「いや、なんですかその冒涜的商品名は……じゃなくて! 行きませんからね! 片桐さんはともかく私は任務中なんですから!」

 

 そうでしょう? と一応の上官である海将補を振り返れば、彼は曖昧な態度を取る。

 

「君、仮にも幹部(1尉)だろう。なんでもかんでもコッチに振るのはやめてくれ」

「そうそう。官民交流を図るのも仕事のうちじゃない?」

 

 判断を投げる小河原海将補に、すかさず援護射撃をいれてくる小河原空佐。どうやら陽炎の味方はいないらしい。

 とはいえ実際、出張先で美味しい思いをするのは官民問わずの「あるある」であった。別に彼らの言い分も、非常識というほどおかしなものではないのだろう。

 

 

 とはいえそれは、世の中が「平時」であればこその話だ。

 

 

「とにかく、私はいきませんからね」

「あっ、どこ行くのよ」

「食糧を調達してきます!」

 

 陽炎はツカツカ歩みを早める。若干どころか相当に馴れ合いの匂いがする任務に、早くも彼女は辟易としていた。

 本当はこんなことをしている場合ではない。この任務は陽炎の「忠誠心」を試す任務。手を抜くことは許されないが……それにしても、なんとも守る気力が失せる面子だった。

 

 つまるところ、

 

「(どいつもこいつもヘラヘラと……私たちは戦争の真っ只中にいるのに!)」

 

 というのが陽炎の偽らざる心境であったのである。

 

「ちょっと、陽炎ちゃん」

 

 しかし苛立ったまま勢い任せに歩くというのは危険な行為である。まして、多くの人が行き交う国際空港のターミナルともなればなおさらのこと。

 

「うっ」

「……あっ。これは失礼しました!」

 

 ドン、と陽炎は前からやってきた女性に正面衝突。女性は倒れるかと思われたが、驚異的な体幹能力を発揮してよろめくだけで堪えた。

 

「すみませんお怪我は……って、え?」

 

 相手の無事を確認しようとした陽炎。そこに居たのは、国防軍の人間なら知らない者はいない人物であった。

 

「はぁ……なんでこんな目に……不幸だわ……」

「せっ、戦艦〈山城〉……!?」

 

 

 戦艦。

 

 

 数ある特務艇分類の中で最も排水出力の大きな艦艇。一人乗りの軍艦である特務艇艤装に乗せられる限界を突き詰めた大口径主砲を搭載し、その火力でもって深海棲艦を文字通りに吹き飛ばす……高出力ゆえに、操作できる人間はほんの一握り。

 

 その戦艦艤装使いの一人が、陽炎の目の前にいる。

 

「はぁ……どいつもこいつも、困るのよね……」

 

 そして何が気に障ったのか――――十中八九、陽炎が激突したことだろうが――――彼女は血色の悪い顔で陽炎を見下ろす。

 あまり背丈が高い方ではない陽炎は見下ろされることには慣れているつもりであったが、その山城が放つ圧力、蔑みすらも同居していそうな威圧感に、思わず後ずさりたくなってしまう。

 

 彼女は小河原のように制服と階級章といった権威を着込んだ人間ではない。

 神祇官としての隠せない才能を持つ強者、自然界で言うところの「捕食者」なのである。

 

 とはいえ、それで引き下がるようであれば瀬戸月家(ちちはは)の、ひいては駆逐艦娘の名折れである。陽炎は後ずさりしかけた足をあえて前に出し、山城へと一歩近づく。

 

「ご無礼はお詫びいたします。しかし『困る』とはどういうことでしょうか?」

「……は?」

「…………おいおい瀬戸月1尉! いきなりおっぱじめるのはやめてくれ!」

 

 本名で呼んでまで――――基本、作戦行動中の艦娘は艦名で呼ぶのが通例である――――止めに入る小河原海将補。いやぁうちの部下がすみませんと山城に謝るのは小河原空佐。お前は上司じゃないだろうと陽炎は思ったが、まずは目の前の上官を睨む。

 

「なぜ止めるのですか」

「そりゃ止めるだろう。私は君に殴られるのが仕事だ。しかし彼女は違う」

「いやいや小河原クン、君の仕事は殴られることじゃないと、一般人たる片桐さんは思うのだけれどねぇ?」

 

 山城と陽炎に小河原が割って入ったところで一触即発に変わりはない。そこでさらに片桐が割って入ろうとするが……。

 

「片桐顧問は黙っていて頂けますか」

「片桐さんは関係ないでしょ」

「おぉう……」

 

 見せ場もなく撃退。小河原海将補はため息の後、陽炎にひとこと。

 

「君の仕事は任務の遂行だ。もう少し外交的に振る舞ってはどうかな?」

「お言葉ですが、私は駆逐艦特務艇艤装要員乗り組み特務神祇官です。たとえ戦艦相手であろうと、馬鹿にされて黙っているワケにはいきません」

 

 駆逐艦には駆逐艦の流儀がある。ひとりの駆逐艦娘を侮辱することは、全ての駆逐艦娘を侮辱することと同義なのだ。

 

「馬鹿にはしてないだろうに。山城くん、君からもいってやってくれ」

「駆逐艦は苦手です。戦艦を絶対的な存在か何かだと思い込んでいるようなので」

「山城くぅん?!」

 

 小河原海将補はもはやたじたじである。山城は仮にも海将補である小河原を押しのけるようにして陽炎の前へ。

 

「駆逐艦が戦艦(あたしら)をどう思ってるか知らないけど。そういうのやめて、単純に迷惑」

 

 外交的に振る舞うとは何だったのか。いや、もしかすると山城なりに外交的に振る舞ったのかもしれない。

 しかしそれは、駆逐艦(かげろう)にとっては宣戦布告(ケンカをうられた)に等しかった。

 

「なんですって? 駆逐艦がいなければ魚雷探知すらも出来ないくせに……」

 

 駆逐艦が戦艦に抱く感情は複雑だ。

 陽炎のような幹部ならまだしも、幼年学校や訓練学校出の駆逐艦は最低限の才能しか持てなかった者たちの行き着く場所。空母や戦艦のように大出力の霊力運用は当然ながら、潜水艦のようなに特殊な霊力運用をすることすらも叶わない。

 

 そして、才能がなかった者たちに宛がわれる特務艇艤装が――――――駆逐艦。

 

 駆逐艦乗りとは、いうなれば「出涸らし」のような存在。彼女たちは戦場の駒(てつぽうだま)、だからこそ唯一の武器であり矜持である「駆逐艦」を馬鹿にされることを本能的に嫌うし、同系艦種(くちくかん)の間には強い連帯感が生まれる。

 

「はいはいはい! やめやめ! 双方用具納め!」

 

 だからこそ小河原海将補は止めに入った。無理矢理にでも割り込むべきと判断した。今の陽炎――――幹部の幹部たる所以も喪いかけ、追い詰められた駆逐艦――――は手負いの獣に等しい。本人がそれを自覚していないので余計に質が悪い。

 

「ですが海将補!」

「そうだ、私は海将補だぞ。海将補の命令が聞けないのか?」

 

 これでも上官、それも海将補(ていとく)の命令である。陽炎はしぶしぶと言った様子で引き下がった。山城は憮然とした表情のまま。小河原は咳払いを一つ。

 

「さて、これで全員揃った訳だが……」

 

 揃った? ということはまさか、山城も連れて行くのか。陽炎は思った。

 今回は幸いにも理性的な反射――――――即ち、ロシアとの協定により戦艦特務艇艤装は持ち込めないはずでは、という疑問であった。

 

彼女(やましろ)は通訳だ。現地との折衝にはロシア語話者が必要だからな」

「……ちなみに、海将補はロシア語の方は」

「もちろん出来ない――――――と、いうことにしておかないと通訳は連れ込めないな」

 

 なんとも言えない沈黙が流れる。知ってたと言わんばかりの片桐、流石はダーリンと言い出しそうな小河原空佐、方便だらけではないかと呆れる陽炎。

 

「じゃあなんですか。私は要らないのに呼ばれたんですか」

 

 そして、負のオーラを隠そうともしない山城。

 

「まあ待て、そう結論を急ぐな。喋れない方が都合がいいんだよ」

 

 悪びれもせずに事情を説明するのは小河原海将補だ。

 

「まずひとつ、通訳を挟めば返答までの時間が稼げる。ふたつ、言葉が通じないと分かればふとした時にスキをみせるかもしれない。そして最後に……」

 

 そこで小河原は言葉を句切ると、陽炎たちにだけ聞こえる声量でぼそりと言った。

 

「ロシアが戦艦級艤装を持ち込んだとの情報がある。対抗するための戦力が欲しい」

 

 

 

 


 

 

 

 

 サハリンは、果ての地である。

 

 

 ロシアの極東、日本の極北に位置するこの土地は、かつては日露の雑居地であった。

 それはつまり、双方の行政権が行き届かない程に遠い果ての地であったことを意味している。そして樺太(サハリン)は、北方の要衝。果て同士の2ヶ国を繋ぐ橋でもある。

 

「基本的に、ロシアは領土割譲を認めない。なにがあってもね」

 

 それは大国の意地。しかしそのちっぽけな意地も守れないようでは、大国は大国たり得ない――――――厄介な話だよねと、片桐は苦笑。

 

「でもそれって、裏を返してしまえば()()()()()()()()()何をしてもいいということ。だから樺太(ここ)を守るのが日本製の特務艇艤装であっても、南樺太の経済特区からロシア人がほとんど閉め出されていても、ロシア政府(クレムリン)は文句一つ言わない」

「……()()を払っているってワケですか」

 

 陽炎がため息交じりに言ったのに、そうそうとフランクフルトに齧り付く片桐。片手には薄っぺらい新聞紙が握られている。

 

「悲しい話よね。いくら自国領土と言い張ったところで、守る軍隊がいなければ行政権すらも維持できない」

「古来より軍権と政権は等しい存在です。当然のことでは?」

 

 ばっさり切り捨てたのは小河原3等空佐。こういっては何だが、小河原海将補(だんなさん)さえ居なければ彼女も真面目な軍人であった……いや、本当に真面目だろうか。

 

「……あの。もういい加減突っ込んでいいですかね」

「つっこむ? なにに?」

 

 とぼけるように片桐が首を揺らす。つられてツインテールが青空になびく。馬群じゃないですかと小河原空佐まで呆けてみせるので、陽炎は拳を握りしめる。

 

「だぁーかーらぁ! なんで樺太くんだりまで来たっていうのに――――――!」

 

 

 

 ――――――私たちは競馬場なんかにいるんですか!

 

 

 

 そんな陽炎の叫びもむなしく、ユジノ=サハリンスク仮設競馬場の第4レースは出走したのであった。

 



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第111話 兎角この世は住みにくい

 さて。時は数時間ほど遡る。

 

 

 サハリン州の州都ユジノ=サハリンスクに降り立った小河原海将補以下軍人3名および民間人1名は、空港でロシア海軍によって出迎えられる手はずになっていた。

 

「一応、真面目な現地部隊同士の調整会議だから。くれぐれも粗相のないようにな」

 

 そう釘を刺した小河原海将補。護衛役として小河原の脇に控えた陽炎は、そっと出迎えの陣容を盗み見る。

 出迎えの中心に立つのは女性。ロシア海軍の艦娘だろうか。その脇には細身の海兵服に身を包んだ儀仗兵が銃剣付きの小銃で捧げ銃をしている。

 

「あれが、ロシアの艦娘……」

 

 それにしても綺麗なヒトだと、陽炎は無責任に思う。ロシア人女性が美女揃いとは聞いていた。しかし透き通るような髪の毛やくりりとした眼は、美女というより西洋人形のような精巧さを感じさせる。

 ずんずんと進む小河原の姿を認めたのだろう。その人形の眼が、ぱちりと瞬いた。

 

「やぁ同志! また会ったね!」

 

 満面の笑みで小河原に敬礼をしたロシア人。いや、ロシア人であることは問題ないのだが、あまりにも流暢な日本語が飛び出してきたのだから驚くほかない。

 しかしそれよりなにより問題なのは、どうやらこのロシア人と小河原が既知の中でありそうなことであった。

 

「……コホン。はじめまして。小河原アツシ、階級は海将補。中島、訳してくれ」

 

 しかし小河原は無視して強行突破を図る。ちなみに中島とは山城の本名、ここで戦艦艤装の使い手と明かすわけにはいかない故の処置である。

 

「おおっと、その必要はないんじゃないかい同志! あんなに夜を通して熱く語り合ったというのに……」

「夜を通して語り合う!?」

 

 そして、あっさり引っかかるのが小河原空佐であった。

 

「ダーリン、ちょっとこれどういうこと⁉」

「なんのことだか分からんな。中島、訳して」

「ひどいじゃないか、私のことを忘れてしまったのかい? でも灼熱の極寒を過ごしたことは覚えているよね?」

「灼熱の極寒!? なにかの隠喩ねッ! このドロボー猫!」

「中島! 訳してくれ! はやくっ!」

「なんですかこれ。何かの馴れ合いですか」

 

 憤る空佐、焦る海将補、煽るロシア女。背後に控えた儀仗兵たちはニヤけ顔。

 

「だから連れてきたくなかったんだ……」

 

 一方、海将補の面子は丸つぶれである。やりきったとばかりにロシア人女性が手を差し出した。

 

「ごめんごめん。まさか本当にキミが来てくれる、それもちゃんと奥さんを連れてきてくれるなんて思わなくてね! 私は教導駆逐艦〈タシュケント〉。よろしくね!」

「二度とこんな茶番には付き合わんからな……さて、行政官代行のところに案内してもらおうか」

「もちろん!」

 

 そこまで言われれば事情を全く知らない陽炎でも分かる。

 

 どうやらこれ、出迎えではなかったらしい。

 

 

 


 

 

 

「でもまぁ、まさか樺太がそんなことになってるなんてね」

 

 知らなかったわと漏らす片桐。どちらかというと政治寄り幹部であるはずの片桐が珍しいと陽炎が口にすると、私は太平洋戦線(しんかいせいかん)専門だからと返される。

 

「軍事支出が民政を圧迫しきっているんですよ。国営企業でもなければロクに操業できないような状況では、どうしても現地軍の発言力が強まります」

 

 燃料とパンを運んでくれるわけですからねと説明する小河原空佐。繰り返しにはなるが、彼女は小河原海将補(だんなさん)さえ関わらなければ政情分析も出来るようである……おそらく。そう願いたいと、散々振り回された陽炎は思う。

 そんな陽炎の願いも知らず、片桐は遠くを、正確には競馬場のスタンドから向かって奥の直線を走る馬群を見つめる。官給品である双眼鏡をそんなことに使わないでほしい。

 

「ま、日本(こつち)も似たような状況だけどさ。ここまで酷いとはね」

「……」

 

 ロシア連邦軍は、結論から言えば軍閥化の道を辿っていた。

 長らく続いた深海棲艦との戦い。それはあらゆる国家を疲弊させる。しかしロシアは大陸国家であり、影響は最小限に留まるはずであった――――――沿岸部を除いては。

 

「樺太に千島列島を守るために役立つのは、モスクワよりも大湊。それは当然、サハリン州も理解しているというわけです」

 

 そうまとめる小河原。納得げに頷く片桐。納得いかないのは陽炎である。

 

「いやあの、競馬場に来ていることの説明にはなっていませんよね?」

「え、馬が走るのにこちらが賭けねば無作法というものでは……?」

「発想がおっさん!」

「こーら、女の子に歳を感じさせること言わないの……おっ、来た! よし、いけっさせぇッ!!!」

 

 

 ……ひとまず要点を押えると、以下のようになるだろう。

 

 ひとつ、既に日本国国防軍とロシア連邦サハリン州派遣軍は癒着している。

 ふたつ、今回の協議は形式的な、それこそロシア本国(クレムリン)への方便程度である。

 みっつ、もちろん本国はサハリン州の動向に注視しており、国防軍から派遣された将官は厳重監視される。

 

「だから()()()海軍幹部である小河原海将補(ダーリン)と通訳役の中島(やましろ)さんだけが派遣軍司令部に引っ張られることになった……と」

 

 ちなみに小河原空佐は空軍の所属なので会議には参加しない。彼女の任務はあくまで民間支援だ。

 

「それに、さすがに反乱の首謀者(かげろうちやん)一般人(わたし)はお呼びじゃないもんねぇ」

 

 そう言いながら小さな紙キレをポケットに仕舞い、手元に置いた新聞――――もちろん競馬新聞である――――を開く片桐。

 

「にしても、気を抜きすぎでは? それによりにもよって競馬場なんて……」

 

 陽炎は競馬が苦手であった。これは決して片桐に唆されて単勝に一万円をぶち込んだら案の定負けたのがトラウマになっているとかそういう話ではなく、彼女の()()が関係している。

 

「こういう場所は、一種のバロメーターなんだよ。娯楽を楽しめる階級がどのくらい居るのか、居るとしたらどういった階級なのか、労働者は? 軍人は? 売店で売られている商品からも経済水準が分かるものよ?」

 

 知った風で言う片桐だが、競馬新聞とにらめっこしているので説得力はなかった。

 

「でも真面目な話、日本人か中国人(モンゴロイド)しか居ませんよね」

「そりゃそうでしょ。明らかに()()()()()の娯楽だもの」

 

 それは当然、樺太が日中といった外国資本の占領下にあることを意味していた。

 

「さーて。じゃあ勝ち馬投票券買ってくるけど。陽炎ちゃんと3佐はなにか買う?」

「……結構です」

 

 買わないことは分かっていたのだろう。すぐ戻ると言って片桐は立ち去っていく。残されたのは陽炎と小河原空佐。陽炎は小河原を見ないようにした。

 彼女は空軍の所属で陽炎や『子供』たちを処断しようとする小河原海将補の妻。当然ではあるが、彼女に対して良いイメージを陽炎は抱いていない。出来れば話しかけないで欲しい。

 

 しかしそんな陽炎のささやかな祈りを打ち砕いて、小河原は口を開いた。

 

「最近、()()()()()()()には顔を出してないの?」

 

 その言葉に、陽炎はなにも返さない。

 

 瀬戸月ファームは北海道日高にある畜産業者、競走馬(サラブレツド)専門の牧場だ。この戦時に信じがたいことに、穀物も食用肉も産み出さない競走馬の育成を行っている。

 

 そして陽炎にとって、そんな情報は問題ではない。問題はその牧場が冠する名前、瀬戸月にこそあった。

 

「線香くらいあげてあげればいいじゃない、父親なんだからさ」

「……あんなところに父はいません、勘当されたんですから」

 

 ご存じでしょう、とは言わない。

 

 こんな踏み込んだ話をするのだから自分のことを調べているに違いないと陽炎は踏んでいたが、皮肉を言えるほど小河原のことを知っている訳ではなかった。

 

「勘当、か……最後の最後で尻尾切りにされたんじゃ、確かに勘当みたいなものか」

 

 そう呟いて陽炎に向き直る小河原空佐。しばし沈黙の後に、彼女は語り出した。

 

「瀬戸月1尉。あなたには権利があると、私は考えているんだ」

「聞き飽きましたよ、それ」

 

 あなたの旦那から何度も聞きましたから、とまでは言わないが。

 

「いや、小河原海将補(かれ)みたいな煽りではなくて――――――《私たち》》は()()()()を守らなければいけなかった」

「は……?」

 

 私の名前知ってるでしょと彼女が言う。小河原ノゾミだというのは聞いているが、陽炎に心当たりはない。

 

「いやそっちじゃなくて、私の旧姓」

「……いえ、知りませんが」

 

 もっと言うと、そんなこと知りたいとも思わない。旧姓がなんだと言うのだ。

 

「あれ、もしかして本当に知らない?」

 

 陽炎が頷けば、小河原は目を丸くした。それから怪訝そうな表情をして言う。

 

「あなたの名前って瀬戸月ヒナタよね? 南洋の英雄、瀬戸月ミナト海将補の娘」

 

 それは事実だ。

 

 陽炎が初等教育を終えるまで住んでいたミクロネシア連邦。その構成州のひとつであるチューク州を守っていた第8護衛隊群第3分遣隊の長、それが瀬戸月ミナト海将補。殉職により昇進したので、当時はまだ1佐だったけれど。

 

 しかし、それがどうしたというのか。

 話の要領を得ない陽炎に、小河原は困惑顔。

 

「もしかしてだけれど、瀬戸月のご親戚に会ったことない感じだったり……?」

「なんなんですか。悪うございましたね親族付き合いが悪くて」

 

 会ったことがない……訳ではない。一応。

 

 しかし陽炎の父というのは、所詮は義父。血のつながりがないとなれば親戚なんてあってないようなものである。

 そもそも、陽炎は後見人を必要としていなかった。義父と義母が死んだ時点で既に幼年学校生、その後は高等幼年学校、国防大学校に国防軍と常に衣食住と給与の発生する組織に所属していたため、親族の不在で困ったことがないのである。

 

 だから考えることはなかった。本音を言えば、赤の他人に家族面されても困る。

 なにせ最初に、お義父さんとお義母さん(たいせつなかぞく)を見放したのは陽炎自身なのだから。

 

「えぇと……これあれか。もしかして最初から説明しないといけない感じか……」

 

 そして小河原はというと何故か頭を抱えている。しかし結局は説明することにしたらしく、ちょっと長くなるわよと前置きして話し始めた。

 

「私たち特務神祇官の技能を用いて深海棲艦と戦うことを『霊力戦』と呼ぶのは知っているわね? そして、その技量は少なからず先天的な才能に左右される」

 

 艦娘なら知らない者はいないであろう基礎的な知識である。艤装は一人乗りの小型艇、そんな小型艇が時に百人乗りの大型護衛艦以上に戦果を挙げるのは質量戦よりも霊力戦の優位があるからこそ。

 そしてその霊力戦は、霊力を扱う神祇官の技量と霊力量に依存するのである。

 

「で、その霊力の才能は日本人に異様に多い。だから日本は諸外国よりも早く、大量の艦娘を配備することが出来たとされている訳だけれど……」

 

 霊力――――それは決して日本人に与えられた贈り物(ギフト)ではない。根っからの日本人でない陽炎が今艦娘としてここにいるのがその証左である。

 

「うん。普通に考えればおかしいわけだ。なぜ日本だけが特務神祇官を素早く育成することが出来たのか。日本にだけ艦娘という()()が隠されていたというのか?」

 

 その答えは()であると、小河原は言う。

 

「我が国には古くより、国家の霊的守護を担う血族がいたんだよ。彼らは血統を練り上げ、時代と共に進化する怪異に対抗するべく改良を続けてきた」

 

 ちょうどほら、あそこにいる軽種馬(サラブレツド)みたいにね。そう言いながら小河原は目の前に広がるコースを指さす。庶民の娯楽として提供されている競馬も、かつては軍用馬を育成するための国家事業であったことは有名な話である。

 

「あなたの瀬戸月家は北海道の守護者だった」

 

 あそこは微妙な土地だったと小河原は続ける。

 

「倭人とピースの異なる信仰(言語)体系、北方民族の流入、まして肝心の日本が、鎖国以来の外来文化を受け入れるという大規模外科手術の最中だった」

 

 彼女が放つ言葉の羅列は、ともすればオカルト雑誌でも一笑に付されるような内容。しかし深海棲艦が「科学で観測されたオカルト」と呼ばれるように――――観測されてしまえば、それは科学となる。

 

「とはいえ、ほかの一族と違って北海道に()()()()()()()瀬戸月の分家には経済的な基盤がなかった。だからこそ彼らを支えるパートナーが必要だった」

 

 そこまで言われれば小河原の言わんとすることは明白であろう。霊的な守護がどのような行為なのかは知らないが、特務神祇官と同じようなことをしているのであればそれこそ国家規模のバックアップが必要であるはずだ。

 

「それがあなた方……ええと」

「飯田家」

「……飯田家だったと?」

「歪んだ制度だよ。本当なら神祇院がやんなきゃいけないんだけどね」

 

 そういうの全部、ぶち壊されちゃったから。そう語る小河原の言葉が、どこまで本当かどうかは分からない。

 なにせ陽炎の義父は、親族の話なんて一つもしたことはなかったから。

 

「……そんな話、聞いたこともありませんでした」

 

 思えば陽炎は、義父のことを何も知らない。それどころか知ろうともしなかった。ただ居て当たり前の父親だと思い……それが偽りだと知った後は、近寄りがたい存在として忌避していた。そうしているうちに永遠に逢えなくなってしまった。

 

「話さなかっただろうね。瀬戸月海将補、本家(実家)のこと嫌いだったらしいし」

義父(ちち)のこと、知っているんですか?」

 

 だからだろう、そんな言葉が漏れてしまったのは。

 

「私の親が、直接の知り合いだったよ」

 

 そう言って、小河原は携帯端末を取り出す。幼稚園児らしき制服を着込んだ幼子が映るロック画面を指紋認証でパスすると、手際よく画像を展開した。

 

「ほら、写真を取ったから画質は悪いけれど」

 

 そこには、陽炎の記憶にない養父の姿があった。

 

 上半身と下半身が一体となった作業着……いわゆるツナギに、ゴム製長靴。

 それらは新品からは程遠い使い込まれ具合で、くすんだ色の上に重ね塗りされるのは泥や枯れ草。

 記憶の中の養父よりずっと若いはずなのに、記憶よりも重々しく、老けたように伏せられる(まなこ)

 

 記憶と変わらないのは、刈り揃えられた頭髪くらい。

 けれど間違いなく、養父(おとうさん)だ。

 

「いつの写真ですかっ?」

「端に書いてあるでしょ、えっと……1996年の7月だから、丁度今から40年前かな」

「……40年、前」

 

 その時間のスケールを、陽炎は考えたこともない。

 まだ新自由連合盟約(ニューコンパクト)が、深海棲艦が、艦娘が……そして自分自身が、この世に存在していない頃の話。

 

「瀬戸月ファームはいい隠れ蓑だったらしい」

 

 競走馬を買いに金持ちや名士が日高地方を訪れるのは自然なこと。多額の資金が動くのも『よくある話』。

 

「この写真、彼が曳いている馬の背中に乗っている女の子。誰か分かる?」

「?」

 

 それを言われて初めて写真の大部分に目を向ける陽炎。写真は彼女の養父である瀬戸月ミナトを写したものではなく、むしろ彼の曳く馬、その背中に跨がる人物を中心に写していた。

 女性なのは、分かる。発展途上の少女らしい体つきは、フリルを数多備える服飾によって幼女と呼んで差し支えない外見になっている。それはおそらく彼女の顔が幼いからであろう。ぱちりと開いた眼は色付き、三つ編に結われたブロンドの髪は日本人にはあり得ない組み合わせで、まるでオモチャの人形だ。

 

「これ、私の母親なんだよね」

「……は?」

「ほら、瞳の色一緒でしょ? 髪の毛だって」

 

 言われてみれば、なるほど。確かに写真の中心に納められた少女と目の前の小河原は同じ風貌……いや、少しだけ瞳は黒いだろうか。しかし大差あるようには見えない。

 ああ、なるほど。確かに似ている。けれど陽炎は気付きもしなかった。もっと言えば、彼女の髪や目が黒くないことに()()()()()()()()()()()()()()

 

「……カラコンとか、染めているわけではないんですか」

「そ。色染め文化は海軍だけだよ」

 

 もう少し正確には、特務艇部隊だけ――――……

 

「……では、小河原空佐も。ご存じなんですね」

 

 髪の毛を染めたり、カラーコンタクトを仕込むことは特務神祇官の数少ないオシャレだった。

 街をぶらぶら歩き、友と語らう時間を投げ出した少女たちに許された自己の発露を行う領域だった。

 

 けれどそれは、不都合な『子供』の真実――――日本国外から持ち込んだ『子供』を日本人として育てていること――――を覆い隠すための、仕込まれた「文化」だった。

 

「ま、認めるわけにはいかないけれどね。それに今は枝葉の話だ。本筋に戻ろう」

「……」

 

 陽炎の怒りを、果たして小河原は理解できるだろうか。いや出来まい。理解されて堪るものか。

 

「たぶん、瀬戸月海将補も怒り狂っていたんだろうね」

 

 貴女のように、と。小河原が漏らす。

 

「私の母親は()()()()()()()()()()だった。少なくとも、瀬戸月家……いや、瀬戸月ファームはそう認識していた」

 

 日本という国を霊的に守護する血族が、写真の中の彼女を「輸入された血」と表現する。

 それが意味することは、ただひとつ。

 

「この人にも、神祇官としての才能が」

「証拠はこの私で十分、でしょ?」

 

 なるほど。空軍軍人でありながら特務神祇官としての資格を持つ彼女は、確かにそれだけの才能を持っているということなのだろう。

 

「結婚させる気だったんだよ。瀬戸月ミナトと、この子(私の母親)を」

 

 周囲の喧騒が、少し遠退く。

 

「私はそれが、悪いことだとは思わない。瀬戸月海将補も理解はしていたんじゃないかな? 優秀な親を掛け合わせて優秀な子供を作る、何も不思議な話じゃない」

 

 けれどそれに「納得」出来るかは別問題。

 

「だから出奔したってところかな? それ以来、彼は実家には一度も……」

「馬鹿にしないでください」

 

 ぴしゃりと、陽炎は言ってのける。

 

「あなたに何が分かるんです? 養父と会ったことのない貴女に」

「分からない。でも、ボタンを掛け違えれば私の父になるかもしれなかったヒトだ。それに想いを馳せるのは……」

 

 小河原の言葉が最後まで続くことはなかった。

 

 

「おやおや。なーんか穏やかじゃなさそう?」

 

 

 なぜなら、そんな声が聞こえたから。

 

「お腹空いたよね? 色々買ってきたから食べよっ」

 

 声の主は香ばしい匂いを振りまきながらひょっこりと顔を出した片桐。匂いの正体はこれでもかと抱えられた焼きそばやらたこ焼きやらの食べ物たち。

 出鼻をくじかれる格好となった陽炎は眉をひそめた。

 

「どうしたんですか、ソレ」

「いやぁ、ひと穴当てちゃった! オッズ十七倍。もー、ウハウハよ」

 

 食べ物の出所を聞いたのだがと呆れる陽炎。大手ファストフード店も出店してたわよと言いながら片桐は陽炎と小河原に食べ物を配っていく。

 

「一応、仕事なんですけど」

「まーまー。硬いこと言わないでよ、陽炎ちゃん。やるときはやって、遊ぶときは遊ぶ。これは人間の鉄則だよ?」

「少なくとも遊んでいていい状況だとは思いませんね」

「え、じゃあ口止め料にガラナあげる」

「いりません」

「いーから、いーから。はい、小河原3佐も」

 

 強引に謎の缶を押し付けられる。どことなく毒々しい色をした缶だけど、果たして本当に飲んでも大丈夫なのだろうか。勝手に開けられたプルタブに口をつけてぐいっと傾けると、甘ったるい粉薬みたいな味が口いっぱいに広がった。

 

「どう? クセが強いけど、意外とイケるでしょ?」

「……まずいですよ、これ」

「ありゃ? 口に合わなかったかぁ。でもまあ、そういう経験も必要だよねぇ」

 

 じゃ、私はこの賞金をまた何倍かに膨らませてくるから! のんきに鼻歌なんかを歌いながら、片桐一佐は馬券を買うためにまた消えていく。

 

「なんというか、嵐のような人ね。ずっとああなの?」

「……まあ、そうですね」

「というかあのパターンは大外しするでしょ。止めなくていいの」

「…………そういうの、昔から聞かないんです」

 

 気軽なものだ。こっちの気も知らないで……

 

 

 

 

 

 ……いや、誰だって。

 

 他人の気を知ってなどいない。知った気になって、知ったフリをしているだけ。

 だからこそ、もう少し。聞いてみようと思った。

 

 例えそれが、どんなに苦い味だったとしても。

 

「もし、私の養父とあなたの母親が結婚していたら。何が起きたと思いますか」

 

 沈黙。そう表現するにはほんの少し短い間を置いて、小河原は口を開く。

 

「わたしも、あなたも。ここには居なかった」

 

 

 ああ、そうだろう。

 

 

「私はそもそも産まれようがない。飯田家は、ハッキリ言って瀬戸月家を財政的に支えていただけ。霊力の血筋としては雑草もいいところ、だから私は産まれない」

 

 そう言いきれる彼女が、少しだけ羨ましい。

 

「そしてあなたは、おそらく」

「いいわよ、皆まで言わなくて」

 

 深海棲艦の出現は2012年。陽炎の戸籍は偽装されているが、歳が大幅に違うということはないだろう。

 そしてその偽装された戸籍によれば、瀬戸月ヒナタ(かげろう)は2012年に小学生になっている。

 

「私は、間違いなく小学生にはなれなかった」

 

 きっと何処かで野垂れ死ぬか、もしくは少年兵にでもなっていたのではないだろうか……国際秩序が生きていた当時のことを思えば、日本が『子供』を集められる場所は限られてくる。自身が紛争国出身であることは容易に想像がついた。

 

「そうよ。私は運が良かった。」

 

 半ば当てつけのように缶をひっくり返して中身を飲み干す。クセのある後味が喉に引っかかる。

 

「幸せだったのよ」

 

 そしてその幸せを、陽炎は自ら手放してしまったのだ。

 



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第112話 ショウ・ザ・フラッグ(1)

今さらと言えば今さらなのですが、Web投稿においては結構追加で加筆しております。
これは同人誌という文字数(ページ数)に制約がある状況で、エンタテインメント性を重視した結果です。政治や世界観設定に触れる箇所、また過剰な感情描写など、作品において枝葉になりかねない(かつ描写すると分量が多くなりがちな)要素は可能な限り簡潔に描写するように心がけていました。

さて、なぜこのタイミングでこんな話をするかといいますと。
しばらく重い話が続くからです。

さくっと読めて楽しめる同人誌版もよろしくね!!!(なお文字数は30万字ほどある模様……)


 忘れられるはずがない。あの少しだけ酸っぱい香りを。

 それを包み込むような、硝煙と、炎の匂いを。

 

 

 

『ごめんね。じゃあ怖い思いをさせちゃったよね』

 

 養父、瀬戸月ミナトは自身が自衛官であることを隠していた。

 その理由は分からなかったけれど、あの頃の私は、とにかく養父やお姉さんがとんでもない隠し事をしているのが怖かった。

 

 私は、あの場所を「居場所」だと思えていなかったのだ。

 なぜなら、他でもない養父が……あの家を、あの場所を。

 

 

 私の居場所とは、思っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

〈西暦2018年 ミクロネシア連邦 チューク州〉

 

 

 お姉さんは、今日は楽しい日にしようと言ってくれた。

 しばしの別れとなる我が家に、早く帰ってきたくなるようにと。

 

「すまない、ヒナタ」

 

 そんなタイミングで「あの話」をした養父は、一体何を考えていたのだろうか?

 

「父さんはな。お前の本当の父さんじゃないんだ」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

〈西暦2036年 ロシア連邦 サハリン州〉

 

 

 90を超える連邦構成体を抱えるロシアにとって、サハリン州は僻地に過ぎない。

 

 しかし僻地といえど、そこは立派なロシア連邦の一部な訳で。

 

 

 

「目標16番沈黙……っと、これで全部かな?」

 

 艦載機からの報告を確認した片桐がこちらに目配せ。しまったと陽炎は口を開く。

 

「テルペニエ湾への深海棲艦の侵入は阻止されました。これにて作戦を終了します」

 

 無線に陽炎がそう吹き込めば、受信先では日本語の報告をロシア語に変換、それから同地に展開する日ロ両司令部の認可をもって作戦の終了宣言は正式に受理される。

 

『ご苦労だった、帰投してくれ』

 

 現場にいる陽炎ですらそのプロセスを知っているのだから、実際の行程はさらに煩雑で複雑なことだろう。これが国際合同作戦の煩雑さ、面倒臭さというものである。

 

「なるほどね、こりゃ日本も新自由連合盟約(ニユーコンパクト)なんて枠組みを作るわけだよ。作戦を終了するのにすら相手国の認可が必要なんじゃやってられない」

「作戦自体は楽なんですけれどね……」

 

 ぼやく片桐に陽炎が同意を示せば、よく言うわよと彼女は口を尖らせた。

 

「陽炎ちゃんは私の護衛していただけじゃない」

「……いや、駆逐艦の仕事は空母の護衛ですが?」

 

 なにを当たり前のことをと言わんばかりに反論する陽炎に、片桐は肩を竦める。

 

「やー、それはそうなんだけどさ。なんというかズルいものはズルいというか? というかこれなら全部空母(わたし)だけでよくない?」

 

 実際、火力投射だけを考えればそうであろう。空母の特性は遠距離に対する艦載機を用いた攻撃。近接戦闘に持ち込む前に射程外から(アウトレンジで)倒すという戦術教義(ドクトリン)だ。

 しかし、それで済むならとうの昔に深海棲艦に勝利しなければおかしいわけで。

 

「……おっと。同志カタギリ、そうも言ってられないみたいだよ?」

 

 横から割り込むのはソプラノの日本語。随分と流暢なそれを使いこなしながら空色の影が加速して、次の瞬間にはドカンと水柱が立つ。

 

「あれま。()()()が残っていたのね」

「…………」

 

 見落としてたわねと後頭部に手を当てて舌をちろりと出す片桐に、そんな彼女を呆れたように見やる陽炎――――それからしばらくして、ぷかりと浮いたのは乗用車ほどのサイズがありそうな駆逐級であった。

 それを素早く屠ってみせたのは、ロシア連邦海軍の誇る快速の特務艇乗り(かんむす)

 

「役に立ててよかったよ。こういうのをメンボクヤクジョっていうんだよね?」

 

 妙に間違っていることわざを披露する彼女の艦名は〈タシュケント〉と言った。

 

 

 

 


 

 

 

 

「で。どうなんだ」

「想像以上に練度が低いです。ここまでとは思いませんでした」

 

 中部サハリン、ポロナイツク市。ロシア軍高官との協議に臨む小河原海将補を護衛する名目で戦闘を繰り広げる陽炎は、当然ながら上官に対する報告義務がある。

 

「そこまで低いのか」

「実戦経験が殆どないのでしょう。基礎的な動作は問題ありませんが、勘が足りないと言いますか。今回の出撃でも、片桐1佐が()()()()駆逐級が雷撃必中圏ギリギリに近づくまで気がつかなかったようです」

 

 ちなみに、ここまでの会話は全て携帯端末の画面を見せ合う形――――つまり筆談形式で行われている。

 

「……最終コーナーからの追い上げを見たときは『いける』と思ったんだがな。何事も思いどおりにはいかないものだよ……」

 

 従って、部屋に仕込まれているであろう()()()には小河原海将補が昨年の公営賭博で大負けした時の不幸自慢が延々と記録されていた。

 

『これでは華を持たせるのも難しい。次回からは日本の単独任務で行うことにする』

「『了解』……とにかく、次から1頭軸流しで買うのはやめた方がいいですよ」

「次はボックス買いでいくことにしよう、付き合わせて悪かったな」

 

 それを合図に解散、陽炎は海将補に割り当てられた部屋を出る。

 ここはポロナイツク市最大のホテル。様々なゲストを迎えることを想定しているのだろう。陽炎が歩く廊下の装飾も大変豪勢なものとなっていた。

 

「やっほ、陽炎(ヒナタ)ちゃん。我らが海将補(ボス)の様子はどうだった?」

「酷いですね。競馬(かんむす)の愚痴ばかりでした」

サハリン競馬(ロシアかんむす)は導入されたばっかりだからね。長い目で見てあげましょ」

 

 誰に聞かれても構わないように言葉を置き換えながら、陽炎は片桐に海将補からの話を伝えていく。

 いくら監視の目が厳しいとはいえ、満足に会議も出来ないのは問題であった。

 

「なにか良い方法はありませんか?」

「うーん。私は防諜(そういうの)専門外だし……とりあえず知り合いに聞いてみようか」

 

 

 

 

 

 

 とはいったものの。

 

 もちろん国外に知り合いなんてそうそう居ないわけで、当然相談相手は共にサハリンに来た人間ということになる。

 

「…………で、なんでその流れで私のところに来るのよ」

 

 完全に巻き込まれる格好となった中島3佐(やましろ)は、苛立ちを隠すことなく片桐を睨み付けた。

 盗聴や尾行を警戒しつつ、ポロナイツク市街を歩きながらの作戦会議である。

 

「いやー。三人寄れば文殊の知恵っていうじゃない?」

「素人を集めたところでどうしようもないわよ。そんなことも分からないの?」

「いや~手厳しい」

 

 へらりと頭に手を当てて見せる片桐。とはいえ、遥々サハリンへと来た目的が果たせていないのは事実であった。

 

「私たちはロシアがサハリンに持ち込んだとされる『戦艦』を探しに来た。けれど、まだその影すらも掴んでいない……というか、そもそも調査に取りかかれていない」

 

 ひとまず各地を回ったことで、南サハリンの経済特区がどのような状況なのかは把握できた。事前に目を通していた統計は案の定役に立たず、整備された街区から一歩踏み出せばそこにはバラック街が広がっている。

 治安はもちろん、衛生状態も決して良いとは言えなかった。

 

「……そもそも、本当に彼らは『戦艦』を持ち込んでいるの?」

 

 あえて食いつくのを待っているとしたら? と中島3佐(やましろ)は言う。

 

「こうして現に、国防軍(わたしたち)主力特務艇(せんかんくうぼ)が2隻も拘束されている」

「あー、それ言っちゃう?」

 

 否定は出来ないのよね、と片桐は漏らした。

 

「日本にとっては大問題なのよね。ロシアが『戦艦』を持ち込むことって」

 

 南サハリンの経済特区は、日本が防衛力を、ロシアが領土を、そして最後に中国が労働力を提供することで成立している。軍閥化しているサハリン統合軍集団と手を組むことで辛うじて主導権(イニシアチブ)は抑えているが、それはあくまで砂上の楼閣だ。

 

「だから反応すること自体は必要なのよ。サハリンを抑えるためならこれだけの軍事力を動員する気概がある。それはキチンと示さないといけないじゃない?」

 

 サハリンは海上輸送を介さず――――厳密には僅かな距離を海上輸送する必要があるが――――日本に天然ガスを持ち込める唯一のルート。

 日本にとっては生命線だ。

 

「その生命線をロシアがこのタイミングで脅かす……ま、理由はひとつしかないわよね」

「『兵器としての天然ガス』ってワケね。ホント最悪」

 

 片桐の振りに、不幸だわと返す中島3佐(やましろ)

 資源大国であるロシアは、深海棲艦により大混乱した国際社会においてその資源をひとつの武器として利用している。

 

「トランス=ドニエプルの混迷は深まる一方。北大西洋条約機構(NATO)や中国、新自由連合盟約(ニューコンパクト)に付け入る隙を与えないためにも、ここで軍事大国としてのロシアを見せつけておきたいのよ」

 

 実際、情けない話ではある……2人の会話を聴きながら、陽炎は思う。

 ロシア連邦は極東に、正確には深海同艦に振り向けるだけの兵力を持たない。ウラジオストクの太平洋艦隊は壊滅して久しく、新造艦や特務艇戦力は欧州への影響力を維持するのに欠かせないガスパイプライン(ノルドストリーム)防御に回されてしまう。

 

 そのようなロシアにとって、サハリンに戦艦特務艇艤装を持ち込むことは利点しかない。分解すれば鉄道輸送も可能な特務艇艤装は、極めて使い勝手の良い影響力(ブレゼンス)だった。

 

「……でも、それなら『戦艦』にも共同戦線を張ってもらえばいいのでは?」

「素直にそうしてくれれば、それで良いんだけれどねぇ」

 

 一番問題なのは共同戦線を張ってくれなかった場合なのだと片桐はため息。

 

「サハリンを守っているのはあくまで日系企業、つまり雇い主はロシア。やろうと思えば彼らはいつでも日本をサハリンから排除できるのよ」

 

 それをこれまでしてこなかったのは、単純に軍事力が足りないから。均衡を崩す手段をロシアは常に確保しているのだ。

 なるほど日本が慌てて主力艦を2隻も送るわけだと、陽炎は他人事のように納得した。

 

「……というか、そんなことはどうでも良いのよ。私たちは()()()()()()()()()()()()()。なんとかして自由に動ける理由を作れない?」

 

 そして、それが目下の課題であろう。小河原海将補の護衛としてやってきた陽炎はともかく、片桐は民間軍事企業の社員であり、中島3佐(やましろ)に至っては通訳。これでは艤装に触れることも出来ない。

 

「そういうのを考えるのが片桐1佐の仕事では?」

「ううん? わたしはただの会社員だよ?」

「なら私も一介の通訳ですので。瀬戸月1尉(かげろう)、アンタが考えなさい」

「んな無茶振りなアリですか!?」

 

 とはいえ、命じられたらやるしかないのが軍人の宿命である。

 陽炎はひとまず、思いつく限りの案を出してみることにした。

 

「現状でも片桐()()は艤装を企業への依頼の範囲内で艤装を動かせている訳ですから、より活動したいのであれば営業活動によって現地の民間と契約を結べばいいのではありませんか?」

「いいわね、採用」

 

「中島通訳の問題は艤装に接触出来ないことですが、艤装自体は持ち込めています。なので後はこれを起動させれば良いだけですから、問題はないと思いますが」

「確かにね、これは盲点だったわ。採用!」

「……」

 

 嘘つけ。

 

「監視そのものが問題なのでしたら、深海棲艦の電波障害を利用して……」

 

「却下、守るべき市民を危険に曝すなんて軍人として非常識なんじゃないの?」

「これだから駆逐艦は……」

「そこまでいいますかッ!?」

 

 これはキレてもいいのではないだろうか。完全に言わされている流れだというのに。

 そもそも何故こんなことを言わされなければならないのか、陽炎の口から言おうが言うまいがやることはどうせ同じだろうに……と怒りに沸いた所で、そういえば国防軍は自分を罰したがっているのだと思い出す。

 

 なるほど、いざとなれば責任を押し付けようって魂胆か。

 

「……くそっ」

 

 静かに毒づく。ポートモレスビー以来、こんなことばっかりだ。

 

 責任を取らないヤツ、責任を見ようとすらしないヤツ、責任を押し付けようとするヤツ……そうして義務を果たさない奴らが国家単位で蔓延った結果、最前線で戦友たちが()()されていく。

 なるほど、ポートモレスビーで武装蜂起もしたくなるわけだ。それすらも最前線に責任を押し付けるために仕組まれたものなのだから笑えないが。

 

「こらこら、そうやって悪い方向にばっかり考えないの」

「やめてください」

 

 肩に乗せられた手を振り払うと、困ったように笑う相手。もちろんこんなことをするのは片桐だけだ。

 

「何事にも建前が必要なの。陽炎(ヒナタ)ちゃんなら分かるでしょ?」

 

 陽炎には幹部艦娘として積むことになった経験があった。国防軍は暴力装置である以前に行政機構に組み込まれた官僚組織。そこでは前例と、法令が重視される。

 そのような場所において、建前は物事を前進させるための原動力だ。

 

 しかし、だからといって。

 誰かを犠牲(いけにえ)にしないと前に進めないのだろうか。

 

 ふいに、海将補にぶつけた問いが口から零れ落ちた。

 

 

「……国防軍に意思があるとして」

「国防軍に意思はないわ」

 

 陽炎の声を遮って、片桐は言い切る。

 

 

「それは、私たちが決めるの」

 







少し迷ったのですが明日と明後日もこの時間に更新します。


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第113話 ショウ・ザ・フラッグ(2)

昨日も更新しています。


 随分昔の記憶が呼び覚まされる。

 

 

『私はね、ヒナタちゃん。戦争に復讐するの――――貴女の母親(アイツ)が負けた戦争に』

 

 

 それは、幼年学校の隅でうずくまっていた陽炎を無理矢理に連れ出した片桐の言った言葉。美味しいモノを食べて笑って暮らすんだと、それが戦争への復讐なのだと宣った彼女。

 

 

「それは、私たちが決めるの」

 

 力強い言葉だった。何にも動じない芯の通った言葉だった。

 

「国防軍に意思なんてものは存在しない。だから私たちが決めるのよ」

 

 私たちはロクデナシではないのだからと、片桐はそう結んだ。

 

 

 

 


 

 

 

 

「や。瀬戸月1尉、調子はどうかな?」

「……」

 

 瀬戸月ヒナタこと陽炎と、目の前で片手を挙げる小河原3等空佐の関係は結論から言うと良くない。いや、悪い。

 

 その原因のひとつは彼女の旦那である小河原海将補と陽炎の関係。陽炎を処断するために動く国防軍、その手先である小河原海将補のイメージはどうやったって悪い。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとの言葉の通り、小河原3佐に恨みはなくとも……いや、急に言いがかり付けられたり床に組み伏せられたり、割と恨みはあるのだが。

 

 

 ともかく、それらは本題ではない。

 じっと眼前の人物を眺めていると、チノパンにシャツ、ユニセックスジャケットという中性的な私服の着こなしをした小河原3佐は気まずそうに手を下げた。

 

 

「……呼び出したのはそっち、だよね?」

「ええ。仮設競馬場で聞いた例の話、最後まで聞けていませんでしたから」

 

 冷静でなかったのは事実だ。なまじ自身の出自に関わることもあり、『子供』の話を聞くと心が掻き乱されてしまう。

 だからあそこで、片桐が止めに入ったことには、感謝している。

 

 それでも結局、あの後は片桐が横でずっと騒いでいたので、養父に関する話はそこですっぱりと止まってしまっていた。

 

「よし。まぁ飲もう」

「ノンアルコールでいいです?」

 

 つれないなぁと溢す小河原。カウンターに腰掛けた陽炎は不覚を取りたくないのでと一蹴。

 

「なにから聞きたい? ……一応、信頼の置ける友人が紹介してくれたお店だから、なんでも聞いてくれて構わない」

 

 思えば、競馬場に連れていかれたのも片桐の気まぐれという訳ではなかったのだろう。

 日本からやって来た陽炎たち、しかも特務神祇官となれば当然厳重な監視がついている。しかし陽炎に限っていえば、むしろ厳重な監視がつくのは日本の方。

 

 なにせ陽炎は――――紆余曲折の末とはいえ――――クーデターの主犯なのだから。

 

「じゃあ、私に養父(ちち)の話をした理由から」

 

 とはいえこれに関しては、およそ予想がついている。

 瀬戸月ミナト……瀬戸月ヒナタ(かげろう)の養父である彼のネームバリューは絶大だ。ミクロネシア戦役での活躍だけではない。艦娘という「手段」を編み出した技術者。深海棲艦という「敵」を見出だし警鐘を鳴らしていた先見性……そのいずれを取り上げても、彼の功績は誰にも否定し得ないものである。

 

 そしていくら血の繋がりのない瀬戸月ヒナタ(かげろう)といえど、その瀬戸月という「名前」だけは受け継いでいる。

 これほど担ぎやすい神輿はないだろう。

 

「理由は大きく3つ。ひとつに、瀬戸月ヒナタ(あなた)が間違いなく興味を持つ話題だったこと。あなたがどのような印象を抱くかはともかく、あなたの意識に私たちのことを認知させるにはこれが一番手っ取り早かった」

「なら、やり方を間違えたわね。そんな言い方をされて良い印象を抱くヤツがいたら、会ってみたいわ」

「目の前にいるじゃない?」

「…………」

 

 はぐらかされても困るが、こんな直球に言われては怒りよりも困惑が先に立つ。

 養父の話が釣り餌なのは分かっている。しかしそれを、こうもオブラートに包まず言えるとは……面の皮が厚いにも程があるのではなかろうか。

 

「次に2つ目、これは3つ目の理由にも絡んでくるが、君の立ち位置……というか役職」

 

 役職というと、今の陽炎は国防省大臣官房監察課行動係に所属する1等海尉。所属部署はともかく、1等海尉となればさして数の少ない階級でもない筈だ。

 

「しかし特務神祇官となると話は別だ」

「……幹部艦娘である瀬戸月1尉(わたし)に用事があるってこと?」

「より正確には『瀬戸月ミナト海将補』と接触したことのある幹部艦娘」

「……ああ、そういう」

 

 要は派閥の話である。

 

 大前提として、幹部艦娘の数は少ない。これはいうまでもなく艦娘になるための適性……特務神祇官としての才能を持つ人間の絶対数が少ないということ、そして幹部になりたがる神祇官が少ないことが原因だ。

 まあ当然だろう。幹部艦娘を充てるのが適当とされるポストは護衛隊と呼ばれる戦術単位(ユニット)の司令から。そしてこの護衛隊は4隻の特務艇で構成される。

 つまり特務神祇官は単純計算で4人に1人が幹部でなければならない……もちろんそんな大量の幹部を手当てできる訳がなく、幹部になるということは司令として最前線に出ずっぱりになる。それはつまりずっと前線勤務を強いられるということ。

 

 もちろん、護衛艦隊の所属や司令部要員となればその限りではないが……ここで出てくるのが派閥の問題である。

 派閥の結束力は基本的に地位(ポスト)を与えることで高められる。故に幹部艦娘に多くの役職を与えられる哨戒艦隊司令部は艦娘派の牙城となり、護衛艦艦長など非艦娘幹部に多くの役職を与えられる護衛艦隊が艦隊派と呼ばれるようになる。

 

「その中でも、艦娘派に連なる訳でもなく艦隊派に与する訳でもない……貴女は特異な存在なんだよ。瀬戸月1尉」

「別に、私だけって訳でもないでしょう」

 

 例えば、片桐1佐とか……と、言うべきなのだろうが、陽炎にとっての片桐は急に連れ出したり雪ではしゃいだりラーメンを二人前食べたり馬券を外して憤ったりする人物である。

 いや、このように小河原3佐と言葉を交わしているのは彼女のお陰なのだから、彼女が派閥絡み(そういうこと)に関わっているのは火を見るよりも明らかなのだけれど。どうにも印象が合わない……

 

 

 ……身内意識(それ)こそが派閥の本質であるということには、陽炎はまだ気付いていない。

 

 

 

 

「貴女だけなんだよ。キレイなグンカンドリは」

「……グンカンドリ?」

 

 思わずオウム返しとなった陽炎に、小河原は頷く。

 

「そう。南洋の守護神、太平洋神話における戦の神様……瀬戸月海将補の率いた第3分遣隊の異名」

 

 知らない、訳ではない。

 ミクロネシアが陥落して、その後本土が襲われて……それでようやく、日本はこれが戦争であることを理解した。そしてその戦争を10年もの間本土に到達させなかった第8護衛隊群がいかに優秀だったのかを理解した……そうして遅ればせながら、グンカンドリは英雄になった。

 

 少なくとも、陽炎を含む多くの日本人にとっての「グンカンドリ」とは、そのような認識であった。

 

「私は、違います。私は……」

「貴女の意見はどうでも良いんだ」

 

 陽炎の言葉をピシャリと遮る小河原。

 

「貴女は瀬戸月海将補と深い関係にあり、幹部艦娘で、艦娘派にも艦隊派にも属していない」

「でも私は、養父(ちち)が軍人だなんて知らなかった」

 

 養父は隠していた。自分が何者であるか、なんのためにミクロネシアに居たのかを。

 

「なにも、知らなかった」

「周りはそうは見ていない」

「でしょうね、知ってますよ。そんなことぐらい」

 

 だからこれは、派閥の話なのだ。

 

「グンカンドリ……旧第8護衛隊群にルーツを持つ幹部艦娘の数は少ない。なにせもう20年も昔の話だ。ほとんどみんな退役して、残りは出世しすぎた」

「まるで出世するのが悪いかのような言い方ですね」

「見不相応な出世は単なる神輿だよ。みんな不幸になる結末しか招かない」

「これから私を神輿にするくせに、良くそんなことが言えたものですね」

 

 せめてもの皮肉を言ってやれば、小河原3佐は首を傾げた。

 

「ちがうちがう、派閥に染まっていない(キレイな)グンカンドリを汚してどうするのさ? 私は貴女を担ぎに来たんじゃない」

「じゃあ、なにをしに……」

「そこで、3つ目の理由だよ」

 

 間を置くように、小河原3佐はカウンターの向こうへなにやらかを告げる。聞き慣れない言語は、おそらく中国語。

 バーテンダーらしき男性が手早く材料を揃えるのを眺めながら、彼女はポツリと呟いた。

 

「3つ目の理由を説明する前に、私の父親……私の生家である飯田家の話をしても良いだろうか?」

 

 陽炎は何も口にしない。それを肯定と受け取った小河原3佐は先を続けた。

 

「この間、蝦夷(ほっかいどう)の瀬戸月家を支えるのが飯田家の役割だった。という話をしたのは覚えているかな」

「まあ、一応」

 

 なぜ支援が必要だったのか、どのように支援を行っていたのかはともかく、何らかの支援を受けていたことは聞いている。

 

「それは私達にとっては必要な『投資』だった。この国の基盤をより磐石なものにする上で、北方は欠かせない。故に飯田家は瀬戸月家を支え続けた……深海棲艦が現れるまでは」

 

 つまり、深海棲艦が現れてからは様変わりしたということだろうか。そんな陽炎の疑問に答えるように、彼女は続けた。

 

飯田家(かれら)は損切りをした」

「……それは」

「ミクロネシア戦役の時、私の父である飯田コウスケは自衛艦隊司令部に勤務していた。ミクロネシア前方展開群に関われない筈がなかった。もちろん、チューク分遣隊司令(瀬戸月ミナト)の動向や、彼に迫る害意を把握することだって容易だった」

 

 何が言いたい。

 

養父(ちち)の件は事故でしょ?」

「これは驚いた。『子供』のことを知り、ポートモレスビー蜂起に関わり、主権国家たるロシアに土足で乗り込んだ(艤装を持ち込んだ)人間がアレを事故だと信じる。貴女を育てた幼年学校はさぞ素晴らしい教育機関なんだろうな? えぇ?」

 

 一瞬だけ嗤ってグラスを仰ぐと、それからすぐに険しい表情を作る小河原3佐。

 

父親(かれ)は海将補を助けようとしなかった。為すべきことをしなかった」

「……」

 

 

 それは、陽炎も同じだ。

 

 

 逃げるべきではなかった。もっとちゃんと向き合って、義父のこと、義母のことを知らなければならなかった。

 

「だからね、私は貴女に権利があると考えているんだ」

 

 小河原の眼は真剣そのもの。権利があるから使うべきと、そう言わんばかりに。

 

「…………権利があったら、どうなるっていうの」

 

 どうにもならないでしょうと、そう言いたくなるのを堪えて陽炎は目の前の女性を睨みつける。

 権利があったのならポートモレスビーの一件は許されたとでも考えているのだろうか。

 

 誰かを傷つけ――――殺めてしまう権利が、あるというのだろうか。

 

「私に刃をお向けなさい。瀬戸月の子よ」

 

 そしてそれを、小河原はなんの躊躇いもなく肯定する。信じられないといった表情でもしたのだろうか、そんな顔をするものじゃないと彼女は続ける。

 

「私はね、やろうと思えばいくらでも『損切り』を正当化出来る。でも貴女は違う……だから『あれは事故だった』と思い込みたいんじゃないのか?」

 

 陽炎は、答えない。

 

「全て『仕方ない』で済まされた」

 

「難民受け入れの拒否も」

新自由連合盟約(ニューコンパクト)も」

「ミクロネシア戦役も」

「そこからの撤退も」

「……貴女のような、艦娘(子供)も」

 

 

 恥の世代だ、と小河原3佐は吐き捨てる。

 

「ならば私は、一族の業を。この国の罪を清算してみせる、これはその第一歩だ」

 

 そう言って、彼女は一本のナイフを投げて寄越す。

 

「……馬鹿馬鹿しい。酔っ払いの戯れ事を誰が真に受けると?」

「あいにく、ノンアルしか口につけていなくてね。中国語の聞き取りが出来たなら気付けただろうけど」

「じゃあ、私がそれに乗らないってことは百も承知なワケだ」

 

 矛盾だらけの大言壮語。()()()とやらで殺されてしまっては元も子もないだろうに。

 

「狂言回しで挑発するのは止めて。アンタの目的は何? なんでこんな回りくどい方法で私に接触したの?」

「言った通り、罪を清算するため(責任を取るため)だ」

 

 それはつまり、瀬戸月ミナト海将補――――陽炎の義父を死なせてしまった責任、ということだろうか。

 だとしたら嗤うしかないと、陽炎は内心でひとりごちる。義父のことを知りもしない人間が責任を取ると? どうやって、どのようにして?

 

「これが3つ目の理由だよ。瀬戸月ヒナタ。私は責任を取るためにここへ来た」

 

 自己満足になるかすら怪しい宣言。

 責任と取るとはいうが、それは何年も……それこそ十何年も前の話。時計の針が巻き戻るはずもないというのに責任を取ると?

 

「納得できない。あなたに責任を取ってほしいなんて微塵も思ってないし」

 

 そもそもこれは陽炎と、その両親の問題である。それを横から「一族」だとか「恥の世代」だとか、訳の分からないお題目を持ち出される時点で不愉快だ。

 

「納得できない? いや、私は貴女に納得してほしいとは言っていない」

「なら、なにを……」

「私を利用しろ、そう言っている」

 

 それから小河原3佐は立ち上がる。カウンター席に座ったままの陽炎に近づく彼女。中途半端に暗い店内でその髪の毛は鈍い茶色の光を放ち、アルコールの刺激臭とは違う柑橘系の香りが鼻をつく。それが香水なのか、はたまたカクテルか何かのフレーバーなのかは分からない。

 

「貴女は焦っている筈だ。確かにポートモレスビー蜂起は乗り越えた。しかし『子供』が『処分』されつつある現状は変わらない」

 

 否定のしようがない。国防省で、片桐や小河原は霊力関連がどうとか言っていた。それはつまり、負傷した艦娘を救うための霊力回復が絞られつつあるということ。

 これまでなら数日の入院、数週間で復帰できたような怪我で……死んでしまうかも知れないということ。

 

「貴女は追い詰められている筈だ。『子供』を救う方法には目処が立たず、自分自身もまた、復帰任務と称して国防軍の責任転嫁先(スケープゴート)として言質を取られつつある」

 

 陽炎は振り返らなかった。

 

「『もう間に合わないんじゃないのか』」

 

 眼を合わせてはいけない、直感だった。

 

「『こんなことをしている場合ではない』……ずっと、そう考えているのだろう?」

 

 そしてそれは、恐らく正しかった。

 肩に乗せられた手を振り払って、陽炎は口を開く。

 

「……バカなこと言わないで下さい。小河原3佐こそ、ご自身が何を仰っているか分かっているんですか?」

「当然」

 

 手を振り払われても、彼女は陽炎から身体を離さなかった。そうして耳元で囁く。

 

「これから『子供』たちを助ける。もちろん、一人残らず全員」

「…………全員、ね。それなら」

 

 ひとつだけ訂正しなければならないことがあると、陽炎は背後の人物を振り返る。

 

「『子供』を全員助ける方法なら、実はもう考えてある」

 

 簡単な話だ。

 

 『子供』たちは日本という場所を故郷として育ち、忠実になってから艤装を背負って戦わせられる。

 戦うのだから死んでしまう。

 ならば、戦わなければ良い。

 

「そうだろうとも。そして、私は貴女にその()()()を提供できる」

「それはご立派ですね」

 

 しかし、行き先も分からぬチケットを受け取ることが出来るだろうか? そう問えば、尤もな指摘だと返される。

 

「だが詳細について私の口から言うことは出来ない」

「……そういう言い方をするってことは。この話、ロクなものじゃないわね?」

 

 ぐるりと振り返った陽炎に、ふむと小河原3佐は思案顔。

 

 

「別に国には拘らないんだろう?」

 

 

 その言葉を聞いて、陽炎は遅ればせながら気づいた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そもそも()()()()()()()とは何者だ?

 

 いや、もっと早く気付くべきだったのだと陽炎は内心で毒づいた。どうして片桐がここにいないのか、()()()()()()()()()()()()()()()

 戦友と呼べるかも怪しい知り合いの義娘というだけであそこまでお節介を焼いてきた彼女……それだけ瀬戸月ヒナタ(かげろう)に利用価値を見出だしているであろう彼女が、まさかこんな話に首を突っ込んでこない筈がないというのに。

 

「小河原3佐、まさかアンタ」

「国家の存続が最優先事項だ」

 

 グラスを握った小河原3佐が語気を強める。

 

「我が国が抱える特務神祇官は国家の領域を防衛する上で決して欠くことの出来ない財産。それをみすみす擂り潰すことを、見逃すわけにはいかないのだよ、1尉」

 

 とんでもない話であった。

 逃げ道の提示、国には拘らない、そして誰も犠牲にしない……要するに、『子供』たちに一斉亡命しろと言っているのである。

 

「国家の存続が最優先で……それでやることが日本からの亡命? それって矛盾してない?」

 

 第一、それを国防軍の幹部である小河原3佐が言い出すのもおかしな話。

 

「国民の義務は国家に服従することだけではない。国家の過ちを正し、繁栄に導くのも国民の務め」

「……口で言うのは簡単ね。だから国を裏切ってもいいわけ?」

 

 そして、その台詞は仮にも軍服に袖を通した人間が口にして良いものではなかった。

 そんな陽炎の発言は、反逆行為を働いた人間にしては殊勝な心掛けだと笑って蹴飛ばされる。

 

「いずれにせよ、貴女は理解している筈だぞ。もはや通常の手段で国防はなし得ない段に来ていることを」

 

 ポートモレスビーの反乱未遂は、まさにそういった事情が吹き出したことによるものだった。それを否定することはできない。

 

「馬鹿げてる。いくらなんでもそんなこと、アンタの旦那さんだって……」

 

 そうして海将補を引き合いに出そうとして、気付く。思い出してしまう。

 

 

『事態は明るみに出るべきだった』

『迫害されるべきなのはむしろ、道を違えた我が国だよ』

 

 

「……限界なんだよ。この国は」

 

 意外と、あまり知られていないけれどさと小河原3佐は言う。

 

「なぜ『子供』なんてシステムが生まれたと思う? まさか深海棲艦に対抗するためなんて思ってはいないだろうね?」

 

 貴女自身が証拠だぞと小河原3佐は続ける。

 

「瀬戸月ヒナタ、2006年北海道生まれ……2006年だぞ? 深海棲艦なんて影も形もなかった時代だ」

「それは」

 

 否定することが出来ずに陽炎は口ごもる。物心ついたときには養父は養父(ちち)だった。ミクロネシアに移住したのは、あくまで深海棲艦が現れたから。

 

 そしてなにより……陽炎に、特務神祇官としての才能はない。

 

第2次ベビーブーム(1970年代前半生まれ)世代による出産ラッシュ……第3次ベビーブームが事実上発生しなかったことにより、この国の少子高齢化は確定してしまった。そこでこれを根本から解決するために、ありとあらゆる研究が行われた」

「……」

 

 

 であるならば。

 

 彼女の言う「限界」というのは、深海棲艦と戦う話ではないのか。

 

 

「そしてこれが、その成果のひとつ。当時の政策提言にあわせて『美しい家庭計画』と呼ばれていたそうだが……って、おい! 瀬戸月1尉、どこへ行く気だ」

「帰ります。興味ないんで」

「いいのか1尉、このままだと『子供』は全員殺されるんだぞ」

 

 小河原の言葉に、陽炎はぴたりと足を止める。

 

「あの、言わせてもらいますがね。なぜ()()()は私達を焚き付けようとするんですか?」

「焚き付ける? 私はただ、君には権利があると――――……」

「なら、権利を行使しない権利もありますよね? いやむしろ、そんな権利は存在しない筈なんですよ。今の法律では」

 

 にも関わらず、この2人は陽炎の行動を諌めようとすらしなかった。そう、オフィス内で上官に向けて暴力を振るうという、あからさまな違法行為を働いたというのにである。

 

『事件は表沙汰になるべきだった』

 

 それは泥を被ってまで事態を収めた陽炎への侮辱だ。

 

『だから、武装蜂起(クーデター)そのものを止めることに意味はないの。止められればその分だけ、別の事件が起きるだけ』

 

 それは喪われる命を数字としてしか見れない人間の傲慢だ。

 

「そんなに艦娘を悪者にしたいの?」

「勘違いしちゃいけない。責任は政府にある」

「でも艦娘を実行犯に仕立てあげようとしている点じゃ、その政府となんら変わりがない……アンタらが結局、私を利用しようとしているだけでしょ?」

 

 見え透いてるのよ。その魂胆が。

 そう突き付けても、小河原3佐は表情を崩さない。

 

「これは手厳しい。しかし言った筈だぞ? 私を利用しろと」

「その分だけこちらも利用する……って? 呆れた、責任を取るんじゃなかったの?」

「それだと納得しないのだろう? なら、ギブアンドテイクの方が分かりやすい」

「……ああ言えばこう言う。まるで政治家ね」

 

 困ったことに祖父が参議院議員だよと返す小河原。これ以上の水掛け論に意味はないと、陽炎は再び足を踏み出す。

 

「政治を嫌悪するのは結構。しかし政治に無防備なのはよろしくない」

 

 それから、何かが飛んでくる気配。すかさず受け止めた陽炎の掌には、メモリ端末。

 

()()()()()()()()()である『美しい家庭計画』の概略。目を通しておくことをお奨めするよ」

「…………お優しいことで」

「貴女を不快にさせてしまったことへの、せめてもの謝罪として受け取ってほしい。すまなかった」

 

 そう言って頭を下げる小河原3佐。己の企みが暴かれても、まだ白々しく頭を下げられる。

 

 その精神構造が、陽炎には理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 片桐アオイ

 

既読21:03
夜分遅くに失礼します。

オフラインで使えて処分可能なジャンク端末

をお持ちでしょうか?

 

んー21:12

 

ざっと確認したけれど手元にはないから調達かな!

スペックは?21:15

 

既読21:26
いえ、ファイルを閲覧したいだけなので低スペ

で大丈夫です。

 

え!

なんか興奮してきたわね

ヤバいファイル見る感じ?21:27

 

既読21:28
セクハラで訴えますよ。

 

 大丈夫だ

 問題ない21:28

 

 

 

 



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第114話 ショウ・ザ・フラッグ(3)

3日連続更新です。書籍にする時は思い切ってシーンを減らすのですが、WEB投稿なので自由に加筆していきます。


 ポロナイツクにおける中国の影響力は他の勢力を圧倒している。

 

 その理由が、陽炎の目の前にある巨大な建屋。工場と格納庫を兼ねているらしいそこから引き出されるのは、モスグリーンに着色された「サハリンの盾」。

 

「装甲列車なんて旧世紀の遺物かと思ってたのに、これはまぁなんと……」

 

 呆気に取られたようにボーッと車列を眺めているのは片桐。

 

「装甲の類いは施されていませんので、厳密には装甲列車ではありませんよ」

 

 そしてその隣でそう補足するのは……誰だろうか。見知らぬ細身の男性が立っている。

 

「細かいことはいいのよ。高西さん」

 

 しかしどうやら片桐はその男性のことを把握しているらしく、ひらひらと手を振って話を続ける。

 

「砲兵戦力の軌道化なんて、兵站破壊や対砲兵射撃なんて概念を持たない深海棲艦に対してのみ有効な方法よね。発射地点から逃げられない砲兵なんて本来なら単なる的だし……ちなみにこれ、何両あるの?」

「正確な数字は把握していませんが……発射機2両で1セット、1編成につき4セットが基本的な編成と言われています。中国からの有償援助として公表されている提供数が46編成ですから……およそ350両ほどではないでしょうか」

 

 自信なさげに予想を立てる高西なる男性。誰なのかと眼で問えば、そういえば伝えてなかったわねと片桐は手を叩いた。

 

「飯田製造の高西さん。一応、私が顧問やってる*1K&Iセキュリティーズの親会社の人ね」

「飯田……」

 

 その名前に思わずたじろぐ陽炎。しかしそんな陽炎に気付く様子もなく、高西は恭しくお辞儀をした。

 

「えっと、それで飯田製造の方がなんの用事なんでしょうか」

「なんでも新型砲を売りに来たらしいのよ。それで、こうして護衛任務をしているって訳」

「はぁ……護衛任務だったんですか、これ」

 

 つまり片桐は護衛対象と雑談していたことになるのだが、それはそれでどうなのだろうか。

 そんな陽炎の疑問はもちろん脇に放置され、片桐は話を進めていく。

 

「あぁ、そういえば高西さんには紹介してなかったね? この子は陽炎型シリーズの駆逐艦特務艇艤装の乗組員。期待のベテラン」

 

 期待、という枕詞は新人にこそ使われるべきではないだろうか。そんな考えても仕方のないことで現実逃避をしようとする陽炎。

 この手の紹介を片桐がした時、話が面倒な方向に転ばないことはないのである。

 

「例の新機軸兵器のテスターは、この子に務めてもらう予定よ」

「聞いてませんよ?!」

「言ってないからね。で、どうなの進捗は」

 

 そんなフランクに聞いても良いことなのだろうか。仮にも新機軸兵器となれば機密にも抵触しかねないというのに……しかし高西は顔色ひとつ変えず、順調ですよと短く答える。

 

「ネックであった消費電力問題は概ねパスしました。次のアジア国防技術サミット(ADAMS)にはひとまずコンセプト案として提出、可能なら同時並行で試験の方も進めたいですね」

「おっけ、とりあえず琵琶湖の方で興味持ってくれるのは見つけといたから、あとで連絡先を送っとく。頼むわよ」

 

 この流れで琵琶湖と言われれば、まず間違いなく琵琶湖教導隊のことであろう。特務艇艤装の戦術研究を行う部隊である彼らは、同時に新規艤装の開発も行っているのである。

 ……当然ながら、一介の1等海佐に過ぎない片桐にとって艤装開発は管轄外。本人は「知り合い同士を繋いだだけ」と言い訳するのだろうが、越権行為なのは明らかだった。

 

 

 まぁ、今に始まったことではないのだが。

 

 

 

 

 

 

「やられた」

 

 片桐アオイは喜哀楽をよく見せる。

 しかし喜怒哀楽の「怒」というのは、滅多に見せたことがない人物であった……少なくとも、瀬戸月ヒナタ(かげろう)にとっては。

 

「冗談じゃ済まされないわよ、こんなの……!」

 

 彼女の手に握り潰されたのは「美しい家庭計画」と印刷されたコピー用紙。わざわざ印刷して正解だったと陽炎はため息。

 

「怪文書ですよ。こんなのは」

「それはそう、でもね。それはそうでは済まされない事だってあるのよ」

 

 そこに記されているのは、陽炎が小河原3佐に押し付けられたメモリ端末に収まっていたのと同じ内容。

 そこには「美しい家庭計画」なる政策の概略……言葉を選ばずに言えば、国ぐるみで行われる人身売買の概型(スキーム)が記されていた。

 

「途上国の破綻を防ぐために行われる家族計画に便乗する形での政策……家族計画から外れた()()()()()()を現地法人で引き取り養育、高度に教育された人材として途上国の経済発展を後押しする……ええ、マトモでしょうね。0歳児から日本への海外研修に行かされることを除けば」

 

 日本人は余所者を嫌う。少子高齢化がいかに進展しようとも、移民を全面的に受け入れることはない。

 故に編み出された、移民を日本人として教育しようという計画。

 

「採算度外視。いくら施設を使ってまとめて教育しようとしても、還元されるのは数十年先。いや、それどころかリスクばかりでリターンが一切得られない可能性だってある。だから、予備研究だけで終わる筈だった」

 

 

 しかし、全てが変わってしまった。他ならぬ深海棲艦の出現によって。

 

 

「怪文書ですよ、こんなのは。信じるに値しません」

「なら私に見せる必要はなかった筈だよ、ヒナタちゃん」

 

 片桐の目がつい、と瀬戸月ヒナタに向けられる。

 

「そう。これは怪文書なんだよ。けれど私達は『子供』の存在を知ってしまっている。そしてなにより『子供』を確保したことで何が起きたかも知っている」

 

 それに、全部繋がるんだよねと片桐は続ける。

 

「ミクロネシア戦役は深海棲艦を太平洋に封じ込める戦いでもあった。そして世界中に深海棲艦が拡散したあと、日本は続々と国外向け艤装の開発に着手した」

 

 深海棲艦に対抗する手段を欲しがった国々の要望に答える形でそれらの艤装は受注国向けにカスタマイズされ、受注国の艦名を冠して輸出される。

 

「そしてそこには、日本人の教導乗組員が必ずセットになっていた。技術支援、派遣と言えば聞こえはいいけれど……!」

 

 もう分かるでしょ? と片桐は結論まで触れずに話を締める。それは閉じた筈の地獄の釜が、実は閉じていなかったのだと知った人間の顔。

 

「くそっ、ドイツもコイツもグルかッ!」

 

 紙束が机に叩きつけられる音、まるで癇癪を起こした子供だと思う陽炎は、己が徐々に冷静になっていくのを感じていた。

 それと同時に、目の前に鎮座していた怒気がゆっくりと収まっていくのも。

 

「はぁ――…………さて、仕事の話をしましょうか」

「……急に落ち着きますね!?」

「怒りのエネルギーは5秒と続かないの、火傷しないように吐き出して、種火だけは残しておきなさい」

 

 それが仕事をするコツだと言って、彼女は握り潰したコピー用紙の束を机の上に置いた。

 

「いずれにせよ。このままでは『子供』たちの真実が暴露されてしまうわ」

「暴露、とは言いますけれど……最初から皆、知っていることでは?」

 

 特務艇艤装と特務神祇官を運用する国は、およそ50か国。それらは全てこの「美しい家庭計画」とやらの共犯者。

 スケールの大きい話なのは分かるが、それ自体は想像の範疇ではないだろうか?

 

「分からない? 小河原3佐はそんな『想像の範疇(分かりきったこと)』をわざわざ資料化したの。これは要するに『暗黙の了解』を白日の下に晒そうという試みなのよ」

「そんなことをして、誰が得をすると?」

「でも、損をする人間はいる」

「損をする人間はいるって……それじゃ」

 

 足の引っ張り合いではないか。艦娘が深海棲艦に対して有効な対処方法であることは火を見るよりも明らか。だというのにそれを妨害するだなんて。

 

「もう分かってるでしょ。艦娘を運用しない……いいえ、政治的な事情から運用できなかった国。新自由連合盟約(わたしたち)にその政策を妨害され続けた国」

「いや。言いたいことは分かりますけれど、でも」

 

 『子供』のことが暴露されることを政府がどれほど恐れているかは陽炎が身にしみて知っている。

 なにせ「ソレ」を利用してポートモレスビーの件を闇に葬ったのは、他ならぬ陽炎なのだから。

 

「ポートモレスビーには()()()()()()()()()。『子供』の件は隠匿が前提、だからこそ『交渉』は成立した」

 

 『子供』のことを晒されてでも『処分』を断行するか、それとも『処分』を諦めるか。諦めさせ、皆を救うことが出来たのは『子供』のことを日本政府……ひいては艦娘に関わる全ての勢力が隠そうと必死になったから。

 

「でも今回は違うのよ、瀬戸月1尉(ヒナタちゃん)

「……小河原3佐と海将補は、むしろ真実を明るみに出そうとしている」

 

 頭を抱えたくもなる。そんな告発(こと)をして、なんの得になるというのか。

 ……いや、得をすることなど考えてはいないのだ。

 

 

『この国の罪を清算してみせる』

 

 

 清算、ただそのために。

 

「とんだ狂信者ね」

 

 そう短くまとめて片桐は総括する。

 

「狂信者、ですか」

「そりゃそうでしょ? 世界を大混乱に陥れても、自己満足な精算(やりたいこと)をやるなんて……それとも、まさか本当に非艦娘運用国(権威主義国家陣営)に主導権を握らせたいのかしら?」

 

 そう呟く片桐に陽炎は内心で首を傾げる――――――確かに、艦娘運用国たちが大混乱に陥って損をしないのは中国をはじめとする非艦娘運用国。そして小河原3佐は陽炎の目の前で露骨なほどに中国語を使い、そして『子供』たちに逃げ道を用意してやるとまで囁いた。その行き先がどこの国かなんて、もう考えなくても分かるだろう。

 

 言い訳の余地のない裏切り行為――――――余地が無さすぎて、不気味だ。

 

 

「小河原アツシ。出身は神奈川県平塚、防衛大学校54期」

 

 陽炎の耳に届いたのは、突拍子もない片桐の言葉だった。

 声の方を見てみれば、どうやら問題の人物たちの経歴を閲覧しているらしい。手元に握られた端末を指でスクロールしながら彼女は続ける。

 

「深海棲艦がまだテロの一種だと思われていた頃にたまたま対テロリズムの部署に従事していて、その伝もあってか駐在武官へと。ロシアや中国との交流を持ったのは恐らくマレーシアにいた2027年あたりから……ちょうど水爆弾頭誤爆事件(マレーショック)のタイミングね。あの頃はまだ、中国もアジア連合軍を本気でやろうとしてたから」

「はぁ、そうですか」

 

 気のない返事をする陽炎に、片桐はチラリと目配せ。

 

「ちなみに防衛大学校での席次(せいせき)は上位には入ってるけど抜群って訳でもないのよねー……本当なら将官には届かない席次なのに、どうしてか49歳で海将補。ま、ここら辺は初期対応による(のせいで)人材ふっ底が酷かった(みんな死んじゃった)から、繰り上がりで将官になったんでしょうね」

「まるで他人事ですね」

 

 仮にも私たちの上官だろうにと考える陽炎。人材がふっ底するほどに追い詰められた2010年代は悲惨だろう。しかしその皺寄せをうける現在の艦娘たちも、また悲惨である。

 ところがそんな陽炎に対して、片桐はきょとんとしている。

 

「他人事だよ? 少なくとも陽炎(ヒナタ)ちゃんよりは、ずっとね」

「え?」

 

 唖然とした陽炎に、片桐は何を当たり前のことをと続ける。

 

「だってそうでしょ? 今の私は民間人扱いで、従うべきは民間軍事企業(K&Iセキュリティーズ)の方。小河原海将補(この人物)は私に直接的な被害を与えない」

「それは……」

 

 確かに、そうだ。

 そしてもっと踏み込んで言えば、仮に『子供』のことを小河原夫妻が暴露しようと、それに直接関わっていたわけではない片桐には何ら被害が及ばない。

 

「むしろヤバイのは陽炎ちゃんでしょ? 国外勢力と繋がる上司。我らが祖国に『処分』されかかっているお仲間。そして貴女自身も『子供』でありながら、その売買に関わってしまっている」

 

 八方塞がりよ、今の貴女。

 

「…………そんなこと、分かってますよ!」

 

 口をついて出たのは、言ったところでどうにもならない叫びだった。

 ずっと抑えてきたから、一度口を突いたら、止まらない。

 

 身体の中の焔が燃え上がる。火傷しないように、それを陽炎は吐き出した。

 

「私が、不知火たちが何か悪いことをしたんですか?! 『子供』を使うことは悪いことだ? えぇそうですね悪いことですよ……! そんなこと、みんな分かってるんだ! でも!」

 

 艦娘が戦わなければ、人類はとっくの昔に滅んでいた。

 そんな当たり前のことが、どうして分からないんだ。

 

「艦娘は悪者じゃなきゃいけないんですか、棄てられる筈だった子供を助けて、何が悪いんですか!? 私たちは、私たちは……そんなに悪者ですか?!」

 

 

 

 

 

 


 

 

〈西暦2018年 ミクロネシア連邦チューク州〉

 

 

「お前に、艦娘になるだけの才能はない」

 

 何を言っているのか、最初はさっぱり分からなかった。

 

「さい、のう……?」

「そうだ。艦娘になるには、努力や頭の良さよりも大事な、才能が必要なんだ」

 

 信じられなかった。だってそうだろう、適正試験には合格しているのだ。適正試験に合格したということはつまり、才能があるってことなワケで。

 だというのに記憶の中の養父(ちち)は、殺風景なテーブルの向こうで残酷に言葉を続ける。

 

「特務神祇官……艦娘に求められる要素はただひとつ、霊力だ。それが深海棲艦を()()チカラになる」

 

 おかしいな。今ごろ、楽しい合格祝いのハズだったのに。

 ご馳走で埋まる予定のテーブル。大事な話があるからと残された私と養父(ちち)。私に「艦娘」を教えてくれた義母(おねえさん)は、買い出しに行ったきり。

 

 今だから、分かる。

 恐らく義母(おねえさん)は何も知らなかったのだ。だから養父(ちち)は、あの日ふたりきりになることを選んだ。

 ふたりで話すことを、選んだ。

 

「お前には確かに霊力がある。だがそれは、本来だれでも持ち合わせているもの。それ自体を才能とは、呼ばない」

 

 なんで?

 

「艦娘にはなれるだろう。だが、お前のなりたいものにはなれないんだよ。ヒナタ」

 

 どうして?

 

「絶対に、なれないんだ」

 

 私はただ、応援して欲しかっただけなのに。

 がんばれ、って。言って欲しかっただけなのに。

 

「なれないなんて、なんで分かるの」

「…………すまない、ヒナタ」

 

 私は、怒っていたのかもしれない。

 私は、悲しかったのかもしれない。

 

 けれど、あの日あの家にあったのは。

 

「父さんはな。お前の本当の父さんじゃないんだ」

 

 

 救いようのないほどの――――――困惑だった。

 

 

 

 

 そんなタイミングで「あの話」をした養父は、一体何を考えていたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「――――――落ち着いた?」

 

「すみません、取り乱しました」

「いいのよ。でも小河原夫妻には見せないでね? 漬け込まれるし、なにより陽炎ちゃんのレアな一面は私だけのものだから」

 

 そうですかと流す気力も起こらない。不知火なら、今の自分をどう慰めたのだろうか。

 

「しっかし、国防軍もホント諦め悪いわねー……どうせ同盟国はみんなグルなんだから、今更でしょうに」

 

 ま、民主主義国家の定めかとぼやく片桐。瀬戸月ヒナタ(かげろう)は何も言い返せず、静かに俯いた。

 

「…………じゃあ、どうすればいいんですか」

「どうしたい?」

「それが分かったら、聞いてないです」

 

 結んだ拳に力が入る。このまま全部砕けてしまえばいいのに、己の身ばかり可愛い神経細胞がそうさせてくれない。

 

「いいのよ、分からなくて。貴女はまだ、何も知らないのだから」

 

 

 だからまずは、知ることから始めましょうと。片桐はそう言う。

 

 

 

 

「見に行きましょう――――――特務神祇官(わたしたち)のいない、戦場を」

 

 

*1
名目上(第108話参照)



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第115話 私の、唯一の、

 単線だった線路が、突然複線になる。駅に着いたのかと思えばそうではなく、そこには開けた草原……というより湿地帯が広がっていた。

 所々に顔を覗かせる泥濘、それを覆い尽くさんと背伸びする葦たち。動物たちはどこかに身を潜めているのだろうか。

 

 そんなことを考える陽炎の視界に飛び込んでくるのは、線路、線路、そして線路。

 先程の複線なんて目ではない。操車場もかくやとばかりの複雑な配線が広がっていく。

 

「ロシア連邦軍は北部サハリンへの偏重配備が特徴よ。北周りで突破されると内陸部(アムール)一直線だから、当然といえば当然だけれど」

 

 そしてその代償として、サハリン島自体をロシア連邦軍は防護しようとしていない。濃密にセンサーだけを配備しているあたり、深海棲艦に対する防波堤としてしか見ていないのだろう。

 

「ただし、実態としては防波堤(それ)すら建前。北方領土(係争地)を抱えるロシアが民間軍事企業(PMC)なんて言い訳をしながら日本の艦娘を受け入れている時点で、まさか北部だけでも守れる戦力が残っているハズがない」

 

 故に()()()()のだと、何本か分からないほどに平行して敷かれた線路を見ながら片桐はため息をつく。

 ゆるゆると、ディーゼル機関車に押された車列が進んでいく。その車体に描かれるのは、もちろん赤字に黄色い星。

 

「搭載しているのは220ミリ8連装ロケット砲、装填装置付きの補給車両を横付けすれば、大火力を継続して叩き出す砲兵陣地が完成する……と」

 

 そしてもちろん、ここまで便乗してきた列車もその巨大な砲撃システムの一角ということになる。今いる指揮統制車両の接続部に設けられた吹きさらしのデッキからでも、その220ミリだというミサイルが収められた筒が見えていた。

 

「さ、いくわよ」

「……行くって、どこに?」

 

 首を傾げる陽炎を余所に、ひょいと備え付けの梯子を持ち上げる片桐。

 

「そんなの、目的地に決まってるじゃない」

 

 その目的地がどこかと聞いているのであるが、それには答えず片桐は梯子を降ろす。後ろから続くのは飯田製造からやってきたという高西。場違いなスーツ姿ながらも、梯子を降る手付きには迷いがない。

 ともかくもあとに続き、砂利の敷かれた操車場(砲撃陣地)へと降り立つ陽炎。すいすいと歩いていく片桐を見る限り、さほど遠い場所ではないようである。

 

 その片桐は後を追う陽炎へと振り返ると、さて、と人差し指を立てた。

 

「瀬戸月学生、質量戦による深海棲艦対処における課題は?」

 

 学生なんて、教え子に先週のおさらいをする教師のような口調で片桐が言う。

 要するに、これは深海棲艦と戦う者にとっての常識。ならば、答えはひとつである。

 

「体積当たり力場出力*1の高い個体をいかに撃破するか」

「その通り」

 

 つまるところ、精鋭種(Elite)旗艦種(Flagship)と呼ばれる強い力場で攻撃を防いでくる個体をどう撃破するか。

 

「これに対する質量戦の回答(こたえ)は至極簡単……『知るものか、叩き潰してやる』」

 

 即ち、力場を突破するまでごり押しする。物量だけを頼りに撃破するという脳筋戦術である。

 

「とはいえ、そんな質量戦にもスマートな解決策はある。そのひとつがここにあるって訳」

 

 そこで高西――――ポロナイツクから同行してきている兵器メーカー(飯田製造)の人間――――が静かにタブレット端末を差し出す。ちなみにここまで、彼は一言も発することなく片桐の話を聞いていた。

 並々ならぬ協力関係にあるのだろう。どんな取引をしているのかは知らないが……ともかくも陽炎はタブレット端末を覗き込む。

 

「……これは」

 

 何かの図面、それも形状からして大砲のような武器であることは分かる。端に記された人のシルエットから、それなりに大きな兵器であることも、分かる。

 

電磁投射砲(レールガン)よ」

 

 どやり、と音が出そうな程の決め顔をする片桐に、高西は無表情で言葉を継ぐ。

 

「拳銃から艦載砲まで、現在の兵器は火薬の急速な反応、爆発により弾丸を加速、発射しています。しかし、この方法では()()()()()()()以上の弾速を実現できません」

 

 あっこれ面倒くさいやつ……陽炎は気付くも時すでに遅し。

 

「電磁誘導についてはご存じですね? これを利用して2本のレールに挟んだ金属片(プロジェクタイル)に電流を流すとレールから磁場が発生、金属片は自身に流れる電流と磁場により生じた電磁気(ローレンツ)力により加速度を得る、というものです。これにより弾丸を高速で射出します。対空火器としては既に成立しているジャンルではありますが、深海棲艦に直接投射するには威力不足が指摘されてきました、これは空気抵抗によるエネルギー損失はもちろんなのですが…………」

 

 電車が急には停まれないように、金属に延焼した火災がそうそう鎮火できないように、喋りだした技術者を止めるのは難しいのであった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ヒトの手で作り出した雲が空へと伸びていく。ひとつふたつという数ではない、何十何百と立ち上るそれが、風に流されるに従って巨大な雲へと形を変え、そのまま砕けるように消えていく。

 

 多連装ロケット砲システム(MLRS)の特徴は、ひとえにその瞬間火力の高さにある。

 精密射撃なんて概念を物理的に吹き飛ばす攻撃法、相手が物量で押してくるならこちらも物量で押せばいいじゃないと言わんばかりの面制圧射撃。

 

 深海棲艦対処における質量戦なら、間違いなくMLRSは主力のひとつとなる。霊力戦と比べると効率が悪いと評されることも多いが……。

 

「恐ろしい数ですね」

「だねー。総火演(総合火力演習)でもあんな数の特科(砲兵)揃わないわよ?」

 

 ……ここまでの数を揃えれば、話は別である。

 

 分岐して平行に敷かれた線路の上に集結した軍用列車たち、そこに載せられたロケット砲が順番に発射されていく。

 撃ち終えた車両では隣の線路に進入しているクレーン付き補給車両によるロケットパレットへの換装作業が行われており、作業が終われば射撃が開始されるのだろう。

 

 ()()()()から見下ろす陽炎にとって、それはある意味羨ましい光景でもあった。

 

「…………日本に、あんな火力はない」

 

 いや、火力自体はある。これでも深海棲艦と20年以上戦ってその国土を維持しているのである。日本国国防軍は質量ともに充実している……が、これだけの火力を集中させることはできないだろう。

 

 数万キロの沿岸を抱える日本は、しかも山ばかりで平野は少ない。しかもその僅かな平野はほとんど全てが市街地か農地である。

 ここのように広大な砲兵陣地を全国の沿岸部に築くとなれば、いったい何万世帯、何十万人を疎開させなければならないだろうか。何百万トンの食糧を諦めなければならないだろうか。

 

「着弾します」

 

 日本語で報告するのは端末に張り付いていたオペレーター。アルファベットの「I」を2本クロスさせて丸で囲っただけの単純なデザインが描かれたヘルメットを被ったオペレーターは飯田製造の技術者である。

 

「よーし、では試験をはじめる。手順1ー1を……」

 

 そして彼らが行うのは、もちろん新型兵器である電磁投射砲の実地試験であった。

 

「さっき、開発はまだ完了してない的なこと言ってませんでしたっけ?」

「アレは別件。なに? もしかして陽炎ちゃん電磁投射砲(こんなもの)背負ってみたいの?」

「まさか。生身で海に飛び込むより早く沈めますよ」

 

 なにせ砲身だけで戦車よりも長く、周辺部品まで含めれば下手なプレハブ小屋より大きい。しかも電源は外部から引っ張ってきているという有り様……ヒト一人分のサイズしかない特務艇(かんむす)に載せられたものではない。艦艇に載るかも怪しいところだ。

 

 そしてそれこそが、このサハリンという特殊な場所が試験場に選ばれる理由なのだろう。

 艦娘による霊力戦を軸に据える国防軍は、質量戦とは特務艇(かんむす)部隊投入前の「露払い」である。つまり()()()や群れの外縁にいる低脅威個体を倒すのが仕事であって、力場の強い上位個体とは戦わないのである。

 

 なにせ上位個体と接敵したら最後、よほどの運に恵まれない限り大型艦艇は逃げ切れないのだから。

 

「となると、ここの砲兵隊は囮だと?」

「まさか。連中の射程に入る前に撤退するわよ。そのために線路があるんじゃない……万に一つ上陸を許しても、ここは無人地帯。その時はロシア連邦が橋頭堡建設を防ぐためにアンカレジ協定を利用するでしょうね」

 

 アンカレジ協定とは、核兵器使用に関する多国間協定である。海が深海棲艦のモノになろうとも、そこに核兵器を無秩序に撃ち込むほど人類は落ちぶれていないのである。

 

「つまり、仮に試験が失敗しても困るのは領土に核を撃ち込むことになるロシアだけ……と」

「今年のペースだとロシアは協定枠に余裕があるから、戦術核(二桁キロトン)なら躊躇うことなく使うでしょうね」

 

 ロクでもない話である。しかしそれは、艦娘を用いずに戦う国の定めでもあった。

 

「だこらこそ、この実験をここ(サハリン)でやる意味があるのです」

 

 口を挟んだのは大きな双眼鏡を抱えた高西だった。

 

「電磁投射砲の低コスト運用が実現すれば、沿岸防衛に『選択肢』が産まれます。都市部に向かう群れを無理矢理に無人地帯に誘導したり、効果が薄いことを承知で核爆雷を使用しなくてもよくなる」

 

 売り込むに(セールスポイントとして)は十分だと続ける高西。言葉を継ぐ片桐は水平線の向こうを睨んでいた。

 

「沿岸部を守れるようになれば、主要国クラスの軍備や艦娘に頼らなくても港を維持できるようになる。国際物流網が回復する。そうすれば……」

 

 そうすれば、人類は勝利に近づくのだろうか――――――考えたところで、陽炎にそれを判断する権限はなかった。

 

 

 

「さ、おいでなすったわよ」

 

 気付けば、目の前の線路からは車両が消えていた。水平線はほんのりと黒に染まっており、ここまでに繰り広げられた激戦――――といっても一方的なものであったが――――を物語っている。

 

「試験目標である旗艦級(Flagship)は12体健在、低脅威目標は300ほどです」

「思ったより残ってたな。ヒト型目標は?」

旗艦級(Flagship)12体のうち、2体!」

 

 双眼鏡を覗き込む高西に倣って支給品のデジタル双眼鏡を覗けば、確かに脅威度警告がつけられた目標がちらほら。

 

「……駆逐艦を4隻貸してもらえれば蹴散らせます」

「そういう問題じゃないでしょ、まあ言いたいことは分かるけれど」

 

 既にこちらを射程に収めているであろう彼らは、しかし地球の丸みに隠れて見えない場所から砲撃されていたが故に攻撃目標を見つけられていない。しかしこちらを視界に収めた今、一度攻撃を行えば激しい反撃に晒されることは明らかだ。

 

「2体のヒト型目標を連続射撃で撃破し指揮系統を崩壊させる。その後は高脅威判定の目標を撃破。距離2000まで砲撃戦を行い、以後は陣地を放棄する」

 

 きびきびと応えるオペレーターたちに、ふと陽炎は違和感を覚える。

 ――――仮にもここは戦場。軍需産業とはいえ民間企業の人間がここまで冷静にいられるだろうか?

 

「……片桐さん。もしかしてこの人たち……」

「ん? 民間の人たちだよ? ()()()()()()()()

「やっぱりそういうことじゃないですか…………」

 

 民間企業の体を取った派遣軍という訳である。普通に考えれば新型兵器の実験に軍が付き合わないわけがないので、当たり前のことなのだが。

 

「一応、高西さんをはじめとして何人かはちゃんとした民間のエンジニアさんだけどね」

 

 そこまで言って、ああそういえばと片桐は手を叩く。

 

「高西さんはミクロネシアに駐在していたって聞いたから、なにか聞けるんじゃないかな?」

「話を聞いておけ、と?」

「人聞き悪いなぁ陽炎ちゃんは……でも、飯田製造のことは聞いておきたいでしょ?」

「それは」

 

 否定できない。飯田製造は親会社である飯田産業グループの完全子会社……飯田家による一族経営企業の象徴的な存在だ。

 

「ほとんどの創業者一族が市場から追放されて久しいけれど、それは何も創業者一族が無能だったからというだけじゃない……不気味なんだよ、創業者ってのは」

 

 起業というのはそう簡単なものではない。理由は単純、事業化できるような(金儲けが出来そうな)仕事は既に事業化されているからである。

 

「創業者ってのは先駆者(パイオニア)だ。誰もが思いつかないことに突然手を出した突然変異みたいなもんだ。ファースト・(最初に海に飛び込んだ)ペンギンだって、鳥類学者から見れば気の狂った鳥にしか見えなかった筈だよ」

 

 だから、不気味なんだよと片桐は続ける。

 

「正直、小河原夫妻が狂人なのか先駆者なのかは私にも判断はつかない……ううん、違うか。結果が出るまで彼らは()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「そして、小河原夫妻の背後には間違いなく飯田家がいる。こうしてサハリンにも進出し、サハリン特別経済区にもガッツリ関わっている」

 

 なら、飯田製造(彼ら)を知ることは決して無駄にならない筈だと片桐は結論付ける。

 

「まして飯田製造は、霊力戦系兵器の先駆者なんだから」

「それは、」

「射程に入ります!」

「照準最終調整よしっ!」

「攻撃開始」

 

 陽炎が言いかけた言葉は誰の耳にも届くことなく、砲台は慌ただしい喧騒に包まれる。

 

 

 そして、空気がぐっと震えた。

 

 

 まるで圧縮されるような、音を伝える空気そのものが切り裂かれたが故の無音。

 

「っ!?」

 

 異様な感覚に、大慌てでデジタル双眼鏡を手に取る。電磁パルス対策も施されている最新鋭のそれは、こんな状況でも覗き込めば見たい場所を素早くズームしてくれる。

 

 そしてそこには、ぱっくりと割れたヒト型()()()()()が映されていた。

 

 遅れてやってくる轟音、衝撃波の余波が土埃を飛ばし、髪を容赦なくかき回す。

 それでも双眼鏡は、しっかりとヒト型を捉えていた。ようやく体幹を喪ったことに気付いたのだろうか。立ち枯れた草が萎れるように、海の中へと落ちていく。

 

「高脅威目標の破壊を確認。通常射撃に移行」

「コンディション・チェック」

「4番コンデンサ温度が想定よりも高いです。他は異常なし」

「4番コンデンサ回路を切り離せ。試験を続行する。手順の……」

 

 そこから先は、単なる屠殺場だった。

 ロケット砲による入念な事前攻撃で必要最低限にまで減らされた個体数、戦闘開始と同時に群れを統率しているであろう旗艦級(Flagship)を撃破されたことによる混乱……そういった要素を抜きにしても、強すぎる。

 

 

『まして飯田製造は、霊力戦系兵器の先駆者なんだから』

 

 それは、もう過去(かこ)の話だろう。片桐の言葉に返せなかった陽炎の言葉が、身体の内で跳ね返る。

 

 確かに、飯田製造は艦娘7社――――帝産HD(帝国産業ホールディングス)の撤退により6社となってしまったが――――と呼ばれる特務艇艤装・特務艇関連装備の主力製造メーカーだ。

 しかしこの会社(飯田製造)はあくまで搭載兵器の開発・生産が主業務。ハッキリ言って、存在感は薄い。それこそ、飯田を除外した艦娘5社を艤装メーカーと呼ぶこともあるくらいには。

 

 そもそも、艤装メーカーだというのならどうして目の前にあるような兵器を開発しているのだ。これこそ、彼らが艦娘を軽視している証拠ではないか。

 そしてなにより……

 

 

飯田家(かれら)は損切りをした』

 

 

 飯田家は既に、霊力戦を……陽炎の養父(おとうさん)を、損切りして(見限って)いる――……

 

 ……いや、違う。

 これは小河原3佐(あのオンナ)が勝手に言っただけ。確たる根拠があるわけではない。

 

「(ああ、クソっ)」

 

 考えがまとまらない。何もかもが怪しく見える。己が疑心暗鬼に陥っているのは分かるが、分かったところで対処なんてできない。

 

 

『あなたは、どうしたいの』

 

 

 どうしたいかって? そんなことが分かったら苦労はしない。もう八方塞がりで、周りにいる人間は敵にしか見えない。踏みしめるのは異国の地、遠巻きに見守る仮想敵国の軍隊、行動を共にするのは得体の知れない民間軍事企業(PMC)……。

 

 こんな状況で、誰を信じろと?

 

 

 いや、違うか。

 

『私には、まだ分遣隊を守るって仕事が残っているからね。もう少しの辛抱よ』

『気持ちは分かります。お辛いでしょう、ですがこれはお互いに幸せな選択でもあるんです。これで、この子たちは暖かいスープと毛布を与えられる。教育だって受けられる』

『もういいわ。あなたの気持ちは十分わかった。それじゃあ、もう終わりにするわよ』

『君たちには復讐する権利がある』

『国防軍は命を張った者こそを優遇するんだよ』

 

 

 あの時……ミクロネシアで、インドネシアで、ニューギニアで、ニッポンで、サハリンで。

 私の言った言葉も、私にかけられた言葉も、どんな相手から言われた言葉も、全部ウソだったじゃないか。

 

『父さんはな。お前の本当の父さんじゃないんだ』

『あなたが、私の家族だったということです』

 

 信じたときに限って、ロクなことには――……違う!

 

「(みんな必死だった!)」

 

 だって、義母さん(おねえさん)には守らなければならない部下(ヒト)たちがいた。

 泣く泣く我が子を手放した母親には同じくらい大切な子供たちがいた。

 不知火(あのこ)()()()()()()()()として見ず知らずの『子供』たちの運命までも背負い込もうとした。

 片桐が瀬戸月(わたし)なんかに肩入れするのは、私が瀬戸月(わたし)だからだった。

 

 

 それを全部知ってたクセに、私は、それを全部、()()にしてきた。

 

 

 義母さん(おねえさん)の言葉を信じたのは、圧倒的な劣勢を強いられているミクロネシアに行って、戻ってこられるか分からなかったから。

 他人に引き渡される我が子にせめてもの幸せを求める母親に応じたのは、さっさと取引(しごと)を終わらせたかったから。

 不知火(あのこ)の役目を奪ったのは、破滅に向かう戦友を見捨てるクソ野郎になりたくなかったから。

 片桐の手を振り払わないのは、私が自分を守れるだけの……力を、持っていないから。

 

 

 そして。

 

 

 養父(ちちおや)の言葉を信じたのは…………私は孤独(ひとり)だって、そんな予感があったから。

 

 不知火(あのこ)の言葉を信じたのは……孤独(ひとり)はやっぱり、イヤだったから。

 

 あんまりだ。あまりにも自己中心的。

 でもそれが、瀬戸月ヒナタ(わたし)の本性なのだ。

 

*1
深海棲艦の用いる「特殊な力場」のこと。



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第116話 袖振り合うのも鍔迫り合い

「少し、ひとりにしてもらえませんか」

「亡命しないって約束してね? 私が怒られるから」

 

 

 許可が降りる時点で監視はするんでしょう……なんて、軽口を言える気分ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程までの轟音が嘘のように、線路の並んだ陣地は静か。己の靴底で砂利を鳴らし、幻聴のような遠雷に耳をそばだてる。

 

 もちろん、それが何も解決しないことくらい分かっている。現状維持は明らかに悪手で、けれど踏み出そうにも目的地がないのだから仕方がない。

 結局、ひとりになったところで焦燥感が募るばかり。だからこそ片桐は簡単に許可を出したのだろう……生産的でなくとも、私の気を沈め、ある種の諦観を植え付けることは可能だから。

 

 もちろん、それを半ば理解した上で乗っている私にも問題はあるのだろう。

 現在位置は泥沼の底。なんとか足掻いて抜け出したいが、どちらが上なのかも分からない……だいたいそんな感じの状況。

 

 詰みだ。たぶんもうとっくに詰んでる。そもそも産まれたときから詰んでいた。顔も知らない親に売り払われた時点で、私の人生は詰んでいた。

 少年兵として使い潰される未来と、特務神祇官として精々30過ぎまで生き長らえて使い潰される未来、果たしてどっちがマシなのだろうか……その点、小河原3佐が羨ましい。

 

 彼女は歯車が狂っていれば、こんな世界に産まれずに済んだのだから。

 

「……いけない、そんな現実逃避に意味なんてないのよ」

 

 それでも、逃避のひとつでもしなければ耐えられない。息をしていられない。

 なにせ、今の私に誇りと呼ぶべきものは何もないのだ。幸福な家族を手放した、立身出世のために罪のない人々を利用した、戦友を守るために恩義がある筈の組織に楯突いた……せめてと特務神祇官(かんむす)としての矜持を騙っても、もはや駆逐艦として戦うことも赦されてはいない。

 

 

 嗚呼、海が見たい。

 

 

 そう思わせたのは、艦娘としての存立理由(アイデンティティ)を保とうとする故か……はたまた業火に消えたミクロネシアの透き通るような珊瑚の海か。

 

「バカみたい、つい数分前に見たばかりなのに」

 

 電磁投射砲としては珍しい威力重視のそれは、空気抵抗によるエネルギー減衰を最低限にするために直射を行っていた。故にあの小高い砲陣地からは当然、サハリンの東部に横たわるオホーツク海を望むことが出来たのだが……。

 

「……」

 

 自然と、目の前の土塁を睨んでいる自分に気付く。ロケット砲は直射なんてしない。相手方の観測射撃――――そんな高度なことが可能なのに、学会は未だに深海棲艦を動物として扱っている――――を防ぐために視界が通らないようにしているのである。

 もちろん、基本的には射程に入る前に退避するので無意味な用意なのだが、整地の際に出た土砂を廃棄する意味もあったのだろう。土塁は無意味に、そして堂々と積み上げられていた。

 

「まるで防波堤、ね」

 

 目の前の土塁だけではない。このサハリン州自体が防波堤なのだろう。南北におよそ1000キロ。細長くて巨大なこの島は、アムール川(ロシア内陸部)や日本海に化け者共の侵入を拒む天然の要害である。

 そしてそれを維持するために、あらゆる資源を周辺国は投入している。日本の艦娘、中国の砲兵……そしてロシアの核。

 

 土塁に足をかける。コンクリートなどで舗装こそされていないが、流石にキチンと固めてはあるらしい。確かな感触を信じて、滑らないように慎重に斜面を登る。

 それにしても、建設の土砂を流用したというには妙になだらかな土塁だと陽炎は思う。確かに気を抜けば転びそうだが、よほど運動神経が悪くなければどうにかなりそうな……。

 

 と、そこで陽炎の耳に音が届く。

 波の音でもない、風の音でもない。もちろん、爆発音なんかではない――――――それは。

 

「……ヒトの声?」

 

 そう。人の声。

 無人であるはずの、無人でなければならないはずの場所から聞こえる、人の声。

 

「嘘でしょ……」

 

 けれど呟いたところで目の前の光景は変わらない。土塁の向こうに広がっていたのは、まるでスラム。それとも難民キャンプとでも表現した方がいいのだろうか。

 キャンプといっても流石に北国、テントが立ち並んでいることはなく、建てるだけ建てて放置されたような集合住宅というべきか。

 

「なんでこんな所に、難民キャンプが……」

 

 疑問が浮かぶよりも先に耳へと飛び込む喧騒。建物から出てきているらしい住人達は、押しかけるようにある一点に集まっている。

 

 群がる人々の先には、武骨なデザインの軍用トラック。

 バラバラと何かが配られ、受け取った人は口々に何事かを口走る。陽炎にはロシア語も中国語も分からないが、感謝を示しているらしいことは理解できる。

 

「あんなところでなにやって……」

そんなことも知らないんだ、お姉さん

 

 突然割り込んだ知らない声に振り返れば、そこにはアジア系の少年。

 身長は150センチほどだろうか。目深に帽子を被り、切れ長の視線を覗かせる子供がそこにいた。

 

『報酬』だよ。今日も囮になってくれてありがとうってさ

「……は?」

戦闘のあとに配られる物資がなければ、ここで生きていくこともままならないからね

 

 なにを言っているのだろうか。ロシア語らしい発音なのは分かるのだけれど……。

 

「え、えーと……いんイングリッシュぷりーず……?」

 

 普段は統合情報端末の自動翻訳に頼り切りなので正直英語も怪しいが、流石に日本語は高望みだろうと英語での会話を試みる。

 するとその子は、すっと掌を差し出した。

 

お姉さんたち外国のヒトでしょ? 元か円はないの?

 

 ロシア語が分からなくともこれは分かる。ふてぶてしい「おねだり」だ。

 さて困った。国防軍は衣食住の全てを提供する。日本資本が大々的に進出している南部サハリンでは日本円があれば事足りる。

 つまり陽炎は、現地通貨を持っていない。

 

「えーと。悪いわね、これしかないの。日本円……だいたいワンハンドレッドダラーくらいあるわよ! 持ってっていいから、いんイングリッシュぷりーず!」

 

 翻訳料としてはボッタクリだろうが、今持っているお札がこれしかないのだから仕方がない。持ってけドロボーと渡せば、少年はそれを受け取りじっと見つめ……――――。

 

 

「――――――日本の1万円札(渋沢栄一)なんて久しぶりに見たよ」

「いや日本語喋れるんかいッ!!!」

 

 崩れ落ちそうになる陽炎相手に、彼は涼しい顔。

 

「カミは死んだけれど、カネは死なない。ドルなら米語を、ルーブルには露語を、元には北京語を……そういうものだろう?」

 

 いや全く分からないんけど!? 困惑する陽炎に対して少年は悠々との頭からつま先までを流し見すると、それからふむと首を傾げる。

 

「……それにしても同郷、しかも軍人さん? 驚いた、日本軍もこんなところに興味があるなんて」

「同郷……じゃあ、あなた。まさか」

 

 頭の中にすーっと入ってくるそれ。呆れんばかりに流暢な日本語。

 

「そうだよ、一応日本の生まれ。なんでかこんな場所にいるけれど」

 

 昔は北部樺太(サハリン)も日露雑居地だったからねと、そんなよく分からないことをブツブツ呟く彼。

 

「ああそうだ、それで、いんイングリッシュぷりーずだったかな?」

「日本語が出来るなら、日本語でお願いします」

 

 そうかい、と。そして彼は群衆を示す。

 

「『働かざる者食うべからず』と言うだろう。あそこにいるのが彼らの仕事なのさ」

「それって、どういう」

「それはね…………」

 

 そこまで言ってから、少年は陽炎を一瞥。

 

「なんだろう。凄く久しぶりに日本語を喋ったら、喉が乾いてしまったな」

 

 

 

 

 

 

 少年に案内されてたどり着いたのは、スラム化した集合住宅の地階にあるバーであった。

 昼間ということもあり閑散としたそこは密談には都合がいいのだろうが、少年の外見が酒場には()()()()()。せり上がったカウンター席に、もはやしがみ付くようによじ登るのだから尚更だ。

 

いつものを頼む

 

 少年が女主人にロシア語で声をかければ、彼女は無言で辣酒と書かれた手作り感溢れるラベルを棚から取り出して、並々とコップに注ぐ。

 色などは照明の都合もあるのか暖色系、度数は知らないが少なくともそれが単なる水でないことは明らかだ。

 

「ちょっとアンタ、まだ未成年じゃ……!」

 

 陽炎の極めて常識的な指摘を無視して、少年はその液体を一気に喉へと流し込んだ。

 

「このくらい、ここじゃジュースだよ」

 

 その言葉と共に目の前に置かれる陶器のコップ。白かっただろう地は薄汚れてくすんでおり、口は少し欠けていた。

 

「……なによ」

「同郷(にほんじん)と会うのは久しぶりなんだ。商売とは別に、飲み交わしたくもなるさ」

 

 付き合う他ないのだろう。少なくとも毒ではない……はずである。陽炎は席についてコップを手に取る。

 

「それじゃ、同胞との再会を祝して」

 

 次々と料理が並べられていく。

 

 どれも味が濃そうなものばかり。

 

 塗りたくられたマヨネーズを綺麗に焦がした大海老……あれはもはやエビマヨの範疇を超えているのではないだろうか。彼はぺろりと尻尾までたいらげた。

 食べないのでは体裁が悪い。少年は歓待してくれているのだ。それを無碍にするべきではない――――――尤も、支払いは陽炎もちなのだが。

 

「……うへぇ」

 

 いやこれ、本当に口にして大丈夫だろうか。

 まず衛生の面。洗剤で綺麗に洗われているなんて期待できないし、そもそもちゃんとした水で洗い流しているのかさえわからない。食材だって腐っていない保証はない。冷蔵庫なんて上等なものを使っているかどうか。

 

「……ええい、覚悟を決めろ私!」

 

 えいやっと謎の揚げ物を突き刺す。きつね色を通り越して褐色の物体X。火を入れすぎているような気がするけれど、加熱されているだけマシだろう。

 

「う”っ……」

 

 まず口に広がったのは使い古した艤装の潤滑油みたいな油の匂いがするべちゃべちゃの生地。

 生地の中から飛び出してくるのは、ねちゃっと糸を引くようなどろどろの食感とべたべたした甘さ。

 

 たった一口ならいけるだろうと思っていたが、甘い考えだった。もうすでに口から戻しそうだ。

 

「おやおや。あまりお口には合わなかったようだね」

 

 けらけらと愉快そうに笑いながら、少年はフチの欠けたマグカップをひと息に煽り、平然とした顔で他の料理にも手を付けていく。

 

「……くっ、負けて堪るかぁ!」

 

 これでも駆逐艦、それも一番艦(ネームシップ)の名を賜るのが陽炎こと瀬戸月ヒナタ1等海尉である。

 明日の胃腸は後で心配することにして、目の前の難敵に彼女は視線をむけるのであった。

 

 

 

 ――――――それにしても、と少年が言ったのはカウンターの皿がひとしきり空になった頃合いであった。

 

「せっかく観光に来たんだから、ロシアっぽいものは食べてるのかい?」

「ボルシチはもうたらふく頂いてるわよ」

「軍人さんなのに北部によく来られたよね。サハリン軍とは仲がいいんだ? いや、中国軍かな?」

 

 仲がいい、分かりきったことを。

 それどころか中国軍からは亡命のお誘い(ヘッドハンティング)が来るぐらいよと言ってやりたかったが、流石にそれは単なる情報漏洩なので陽炎は無言を貫く。

 そんな陽炎に、少年は肩を竦めた。

 

「それにしても酔狂だよ、このご時世にわざわざ沿岸部にくるなんて」

「そうかしら。サハリン・ナンバーズはみんな海沿いじゃない」

 

 日本のエネルギー事情は逼迫している。差し迫った危機は耐用年数を間もなく迎える原発群だ。

 廃熱の都合上沿岸部に立地する他ない原子力発電所は深海棲艦からすれば格好の「的」で、新規建設おろか原子炉の交換すらも自治体の大反対で頓挫している始末。

 

「エネルギー確保は急務でしょ? 私達は日本から何とか融通して貰えないかって、おねだりしに来てる立場なの」

「いくら地下資源が有望でも、沿岸の国防力の一切を艦娘に頼らざるを得ないってのは辛いよね」

 

 これが超大国って嗤えるでしょと少年は呟いた。追加で給仕された麻婆豆腐を口の端に塗りつけながら話すその様は、まるで他人事。

 

「そういうお姉さんだって、文字通り対岸の火事だよね。だって日本軍は南洋から締め上げた油がたくさん余ってるじゃないか。それとも何? ロシアが力尽きるまでに手元に置いておきたいの?」

 

 支払いは()()にしちゃえばいいものね。少年が嗤う。

 

「武器はどのくらい持ってきたんだい? 見る限りかなり鍛えてるよね。カラテがあれば素手で制圧することも出来るのかな?」

「しないわよ、そんなこと」

 

 そう言いながら万札を財布からあるだけ出してぶちまける。すっと女主人が半分かっさらっていった。

 

「ロシアの国土を日本が守り、働いているのは中国人。なんとまぁ首の皮一枚で成り立っている経済圏じゃないか。楽しそうなのは深海棲艦でシューティング(ゲーム)をしている軍人さんくらいだね」

「悪いけれど、遊びに来ている訳じゃないの。()()()()()()()が出てくる前に話して貰えるかしら?」

「怖いねぇ」

 

 言葉とは裏腹に怖がる素振りは微塵も見せず、少年は中華スープを呑みほして、グラスの酒を再び流し込む。大袈裟な動きはさも消費という行為を説明するかのよう。

 

「折角だしクイズに付き合ってよ。世界で一番不安定な商品(モノ)ってなんだと思う?」

「不安定?」

 

 高価とか安価ではなく、不安定なもの。

 陽炎の脳裏に浮かんだのは毎朝のニュースでとりあえず報じられる日経平均株価だったが、もちろんそんな話ではないだろう。

 少年は指を指す。それがどこかを考える前に、ピタリと陽炎を一直線に射貫く。

 

「考えたらダメだよ。ここは頭じゃ分からない、君たちの尺度じゃ測れない。その身の丈は特別だけれど、信じることが出来るだけ」

 

 要するに人間だと、彼女は言いたいらしい。

 

「人間に絶対的な価値があると思うかい? 豚ですら食べた分だけ肉になるのに、同じだけ食べている筈の人間が貧乏だったり金持ちだったりする」

 

 だから不安定なのだと彼女は言いたいらしい。

 価値を生む人間に生まない人間、その違いはどこから来るのだろうねと彼女は続ける。

 

「ここはね、中国人の町ではないよ。中国人は南サハリンで吸い取られるからね」

 

 地図を逆さまにして考えてみてよと少年は言う。

 

「アジア経済圏は巨大な()()装置だ。遥かなる南方(グレイトサウス)で難民が産まれる。それはまず艦娘候補として召し上げられる」

「!」

 

 それは「子供」の話……日本が、ひた隠しにしている筈の秘密。

 僅かに頬を強張らせる陽炎に、気付かぬふりで少年は続ける。

 

「まぁ当然の事だよね。霊力はいまや人間由来の希少資源、栽培型の日本と消費型の中国という違いはあれど、利用するにこしたことはない」

「たまげた陰謀論ね」

「隠さなくてもいいんだよ、どうせ皆やっているんだからさ」

 

 嗤う少年は、続けるよと喋り続ける。

 

「そして次に南部穀倉地帯。アジア連合ならタイベトナム、新自由連合盟約(ニューコンパクト)ならフィリピンってところかな? 難民の大半はここで単純労働に従事させられる」

 

 もしかしたらここに引っ掛かるのが一番幸せかもねと、ではここで捕まらなかった人たちは不幸なのかと、少年はひとりで問いかける。

 

「そんなことはない筈だ。なにせその下には、ジャパン・コリア・チャイナの三傑が待っている。基幹産業に重工業を据え独力で怪物たちに抗うことが出来る地域大国、消えない電気、有り余る食料、戦時を忘れた贅沢の数々……でも、そこにたどり着いた難民は彼らに仲間入りできる訳じゃない」

 

 鎖国主義のジャパンは難民を受け入れない、閉塞したコリアは仕事がない、チャイナは高度な技能を持つ人材だけを搾取する。もっと言えばジャパンはその「中国産高度人材」を輸入していると少年は言う。

 

「で、最後に南部サハリン。母国語の優位を生かせず、難民に仕事を奪われ居場所(こきょう)から押し出された人々が行き着く場所」

 

 そうして()()の行程が終わるのだと、少年は北部サハリン(このばしょ)を棚に上げて締める。

 

「じゃあ、ここは?」

 

 誘導されきった質問だった。それでも問わずにはいられない。ろ過されきった難民、ありとあらゆる需要(ネット)にかからなかった人々の行く末。

 

「不安定なんだよ。人間の価値は」

 

 いつ必要とされるか、いつ不要になるか。必要ならどれ程の度合いで必要とされているのか。

 

「その点、北部サハリン(ここ)におけるヒトの価値は()()()()だ。生きているだけで場所を取る、息をするだけで空気を汚す。でも何故か物資の配給はある。電気や燃料も供給されている。なぜかここは維持されている」

 

 いったいどうしてだろうねと、少年は微笑む。それは憐憫の笑み。

 

「そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね」

 

 少年の口角が、吊り上がる。

 

「あそこは維持するような場所じゃなかった」

 

 価値がマイナスになるのはヒトに限った話ではないと少年が言う。

 

「米軍の空母打撃群(スーパーキャリア)が負けた時点で、維持できるわけがなかった」

 

 陽炎が少年を睨み付ける。おぉ怖いと流して、少年は続ける。

 

「ミクロネシア戦役。ジャパンとアメリカの威信をかけて行われた太平洋の防衛戦争。考えてみればあそこを5年も持たせたのはスゴかった、うん。すごいよ」

()()()()()()をしないで」

「キミだって知らないだろう? 瀬戸月ヒナタ」

 

 ぴしゃりと少年が言いつける。なぜ私の名前(それ)をと陽炎が動揺したのを見て、少年の独壇場は止まらない。

 

「でも不思議だよね。どうしてジャパンもアメリカも南洋の人々を避難させようとはしなかったんだろう? それどころか移住を促進してすらいた。国際貿易が寸断されたことによって生じた余剰在庫を解放するための市場が欲しかったのかな」

 

 だとしたらそれは南部サハリンと同じだと、少年は言う。

 

「当時はまだASEAN+1連合軍構想が健在だったからね、東南アジアに活路を見いだせなかった日本の気持ちも分かるよ。うん」

 

 それは陽炎にとっては知らない、知ったことではない話。

 ミクロネシア戦役は過去の話でしかなくて、それは自らが犯した罪で。

 

「でも、やっぱり無理だった。深海棲艦相手に艦娘だけで立ち向かうことは現実的ではなかった…………軍艦ナシ護衛隊群、艦娘だけで構成された誇り高き第8護衛隊群の英雄には厳しい現実かな? けれどね、これが現実なんだよ」

 

 人類を守るためだとか、世界のためだとか――――――そんな崇高な理由ではなく、ただただ自国経済のためにミクロネシア戦役は始まったのだと少年は告げる。

 

瀬戸月ミナト(キミのおとうさん)……悲劇の英雄、チューク十万、ミクロネシア全域なら何十万を救った英雄――――――さぞ腹を煮やしたことだろうね、当時の日本政府は。なんせ実態は植民地を失った挙げ句に難民(おにもつ)まで抱える羽目になったんだから、彼のせいで」

 

 そして不幸なことに、民主主義は棄民を許さなかったと。少年は断じる。

 

「だからロシアやチャイナは勉強した。どうすれば棄民を効率的に実施できるか、どうすれば国際社会から後ろ指を指されず、自国民からも文句を言われずに行えるか」

 

 その結果が南北サハリンだと、少年は断罪する。経済特区の名目で安い労働力を押し込める南部、地続きでありながらも足を踏み入れること自体は違法である北部。

 

「ここは価格の調整弁、人間という不安定な価値を持つ商品の『端数』を処理する場所」

「…………で、私に何をして欲しいの?」

 

 

 陽炎は、冷静だった。主観的には。

 

 

 なにせやり口が同じだ、現実を突き付け、様々な感情を煽り、それから何かを要求する。先日、小河原3佐にやられたことと全く同じ。

 

 そこまで感情に流されやすいと思われているとは、少々心外である。

 ……いや、前科(ポートモレスビー)があるのだから当たり前か。

 

「いや、別になにも」

「はい?」

「だから。何もしなければ、それでいい」

「……」

 

 それは要求だろう。

 

「これで『はいそうですか』なんて言うわけないでしょ? 要は私に動かれると困るわけだ、それで釘を刺しにきた」

 

 陽炎は少年を見つめ直す。背後関係は何一つ見えないが、ただの難民でないことだけは分かる。

 けれど、それだけ。いや、ひとつだけ分かることはあるか。

 

「ずっと私のことを見ていたのね?」

「否定はできないかな」

 

 陽炎が単独で行動することはなかった。これは偶然ではなく、リスク回避をする上での基本の行動。

 単独(ひとり)になった途端に接触するなんて、継続的な監視がなければ不可能だ。

 

「私、そんなに危険人物かしら。他にいくらでも『危ないの』はいると思うのだけれど」

 

 それこそ小河原夫妻とか、私を人身売買に関わらせた(ポートモレスビー事件に巻き込んだ)上官とか。

 

「君の『おっかない上司』よりは危険人物かな。彼女はまだ、弁えているからね」

「彼女?」

片桐1等海佐(キャプテン・カタギリ)だよ。君、小河原海将補(アドミラル・オガワラ)のことを上官とは思っていないだろう?」

「……ノーコメントで」

 

 それにしても「弁えている」だなんて、片桐には最も相応しくない言葉のように思える。

 

「彼女はアレで現実主義者(リアリスト)だ。20年も艦娘を、しかも空母なんて高級艤装を扱って()()()()()()()()だけでも、十分『マトモ』なのさ」

「うそでしょ?」

 

 無人艦艇による深海棲艦対処、艦娘の活用を最小限に抑えようとする片桐は中々の夢想家だと思うのだが……いや、そんなことはどうでもいい。

 

「で、私が片桐(アイツ)より危険なら、どうするわけ?」

「別に、どうもしない。けれどそれで十分だよ」

 

 もう全部終わったからね。少年の言葉に答えたのは、陽炎ではなく、陽炎に装着された骨伝導イヤフォンだった。

 

『陽炎ちゃん、悪いけどすぐ戻って来て』

 

 いやな予感がする。陽炎は表情ひとつ変えずに……変えないように努力しながら、送話機を指で叩いて続きを促す。

 

『深海棲艦の大規模集団が出現。それも千島列島の後ろ、オホーツク海……サハリン島(わたしたち)のすぐ近くよ』

 

 ぎょっとして、隠せなかったことに気付いて少年をみやる。少年は、静かな微笑みを湛えていた。

 

 

「変わるしかないんだよ。世界も、ヒトも」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 サハリン島、もう少し正確には南部サハリンの特別経済区に進出した日系民間軍事企業(PMC)は3社存在する。

 

 1つ目は、統合警備保障。金融機関の警備とホームセキュリティでお馴染み、サハリンに展開した日系企業の玄関を守っている。

 2つ目は、幹央警備保障。鉄道駅や大規模公共設備の常駐警備に強みがあり、サハリンでは主要インフラ施設の警備を担う。過去にはミクロネシアで日系資本を標的にしたテロ事件もあったことから、日本国内のそれとは比べ物にならない重装備で固めている。

 

 そして最後にK&Iセキュリティーズ。大手商船のオーシャン・カンザキと老舗警備会社の飯田警備保障を中心に、複数の商船会社が出資する商船専門の警備会社。もちろん装備品は特務艇艤装である。

 

 

 

 そしてなぜか、K&Iはポロナイツクにオペレーションセンターを抱えている。陽炎も頭を抱えている。

 

「いや、流石にこれは無理が……」

 

 

「小河原海将補、入られます」

 

 その言葉にオペレーションセンターの全ての人員が立ち上がる。三十は優に越えるであろう視線に彼は素早く応じ、敬礼を解くことで仕事に戻るよう促す。

 K&Iセキュリティーズは警備会社。しかし特務艇を専門に扱う以上どうしても海軍OGOBが多くなる。

 

「天下りが多ければ、天下りだけで編成された支社があっても……いやいや、おかしいですよね?」

 

 そんな陽炎のぼやきに応じてくれる者はいない。なにせ、ことは急を要するのである。お喋り好きな片桐ですら応じないのだから、余程のことである。

 

「状況は」

幌筵(ぱらむしる)択捉島(ひとかっぷ)はスクランブルをかけましたが、間に合いません」

 

 当たり前である。国防海軍の展開が公式に認められているのは千島列島のみ。その千島列島を飛び越して敵がオホーツク海に現れたのだから、追い付ける筈がない。

 

「初動は我々だけか。お隣さんはどうだ」

「北部サハリンに駐屯する中露連合軍は既に迎撃体制を整え、カムチャッカからは航空軍の戦略爆撃機があがったようです」

「デコイだな? 進路は変わるか?」

「ネクスト25にナンバーズが攻撃圏に入ります」

 

 つまり進路が変わる気配はない、と。「今のところは」なんて枕詞で誤魔化すには、サハリンに接近され過ぎている。

 

「それにしても、よりにもよってナンバーズとは…………」

 

 そう言いながら、空席のひとつに腰かける小河原海将補。

 サハリンには艦娘がいない。いや、民間警備会社の体である程度はいるのだろうが、少なくともここには3隻しかいない。

 即ち陽炎(瀬戸月1尉)と、蒼龍(片桐1佐)と、山城(中島3佐)である。護衛だとか顧問だとか通訳だとか、そういう名目はもはやどうでもいい。

 

 腰かけて数秒ほど静止した小河原海将補の眼が、その3隻の艦娘に向けられた。

 

「この際だからハッキリ言っておく。私は霊力戦は()()()()だ」

 

 全くの門外漢であると。唐突に宣言する海将補。

 

「だからこそ。こうして君ら幹部艦娘だけが集められた、そう私は考えている」

 

 故に、些事は専門家に任せると、そう言わんばかりに。そして……

 

 

「勝てるな?」

 

 

「いやー、きついでしょ」

「ちょっ、片桐1佐(そうりゅう)なにいってんの!?」

 

 狼狽したのは戦艦〈山城〉を預かる中島3佐である。いや、ほんと。おっしゃる通りですよと陽炎はため息。

 そんな僚艦たちにお構いなしに、彼女は続ける。

 

「勘違いしてもらっちゃ困るよ小河原クン、艦娘は万能薬じゃない」

「しかし他に手段がない」

「その割に『艦娘以外は使いたくない』って顔してるけどね。このオペレーションセンターはなに?」

 

 単なる艦娘部隊(哨戒艦隊)じゃこんな豪勢な指揮所は使わないわよと、片桐は周囲を見回す。

 

「それに艦娘を突っ込ませる前にやることはいくらでもあるでしょ。空中ミサイル(ラピッドドラゴン)とか、長距離射撃(ヴォルカノ)とか」

 

 しかし小河原は厳しい表情を崩さない。

 

「通常ならば、そうだ。しかしナンバーズとなると話は違う。あれはサハリン権益の中心だ」

 

 サハリン・ナンバーズ。オホーツク海の海底資源を掘削する海上プラットフォーム群の総称。

 現在はサハリンIからサハリンIVまで、大きく4群のプラットフォームが設置されているそれは、ロシアにとって対日外交のカードでもある。

 

「ロシアはナンバーズだけは自力で守ってきた。日本や中国に守らせるなんて、海底資源を奪われたも同然だからな」

 

 もしも日本国国防軍が採掘プラットフォームを直接防衛することになれば、有事の際(もしものとき)には必ず接収されてしまう……そんな恐怖が、ロシア側にはあるのだろう。

 

「つまり小河原クンが言いたいのはこういうことね?」

 

 片桐が簡潔にまとめる。

 

「日本によるナンバーズ防衛はロシアが許さない。でも日本がナンバーズの破壊を座して待っていたとなれば外聞が悪い……だから特務艇(かんむす)だけを死地に突っ込ませる」

 

「否定はしないな」

 

「そして、蒼龍(わたし)山城(こっちの彼女)は貴重な主力艦。喪失させるわけにはいかない」

 

 小河原がなにやら反論するために口を開こうとするが、片桐の方が早かった。

 

「そして小河原海将補(アンタ)が直接指揮出来る特務神祇官(かんむす)はひとりだけ。もう分かるわよね?」

 

 ぐい、と。片桐が小河原のネクタイに手を掛ける。

 

「やり方が明け透け過ぎるのよ、アンタらは……そんなに陽炎(あの娘)が邪魔なの?」

「なにか誤解があるようだな」

「『誤解』ですって?!」

 

 ぎり、と片桐が小河原のネクタイを握る。

 

「そうだ、誤解だ。まずは落ち着いて話をしよう。おい誰か、片桐顧問殿にお茶を淹れてやってくれ」

 

 小河原の一言に、しんと静まり返るオペレーションセンター。

 誰も動かない。まさか聞こえなかった訳ではないだろう。

 

「……言っておくけど、私だって肩書きだけの顧問じゃないのよ? ここはあくまでK&Iの施設。そして私はK&Iの顧問」

 

 ()()()くらいするわよと片桐。いつの間にそんなことをと陽炎は感心。

 

「てっきり遊んでばかり(競馬とか麻雀とか宴会とかして)いるものと……」

「おおーう陽炎(ヒナタ)ちゃん後でお話ね? なんにせよ、アンタらの事情で可愛い部下を死なされちゃ困るの」

「手駒の間違いだろう」

「この期に及んで挑発とは良い度胸ね?」

「挑発ではない。説明だよ片桐1佐」

 

 ネクタイを掴まれ、首を絞められる一歩手前だというのに小河原は異様なほど冷静だった。

 

「まず、()()()1等海尉のために千島列島の防衛線を抜かせる訳がないだろう。1佐の君なら、部下の殺し方……とまでは言わずとも、殉職しやすい配置なんていくらでも知っている筈だ」

 

 それから小河原は片桐の腕を掴んだ。露骨に嫌そうな顔をする片桐に、先にやったのはそちらだろうと小河原の皮肉が飛ぶ。

 

「手駒を大事にするアピールはいいが、わざわざサハリンくんだりまで来てやるのは『やりすぎ』だな。そこまで瀬戸月の名前が大事か?」

陽炎(ヒナタ)ちゃんのためならいくらでも……と言いたいところだけれど、それはそう。彼女ひとりのためなら、私はここまで来ていない。でもね」

 

 これは皆のためなの、と片桐は続ける。

 

「特務神祇官は確かに強力な『個』の力を持っている、けどそれを発揮するには連携が欠かせない。ちょうど、海軍(わたしたち)軍艦(ふね)を艦隊で運用するように……特務艇の連携、信頼ってのは命の預け合いなの」

 

 だから私は絶対に見捨てない。そう語る彼女の眼は本気だった。

 …………そう、本気になってしまうのだ。この人は。

 

 今こうしてサハリンに、日本のエネルギー源に危機が迫っている、こんな状況でも。本気になれてしまう。なんなら私なんかのために貴重なエネルギーも捨ててしまえる。

 それが夢想家、片桐アオイなのだ。

 

 

「やめて下さい。片桐1佐」

 

 肩に手を乗せれば、振り返った顔は予想通りの驚き顔。

 

「でも陽炎ちゃん」

「『出撃しろ』とはまだ一言も言っていません、彼は」

「いや、命じるつもりだが?」

「……ちょっと海将補は黙ってもらえます?」

「黙らんよ。これが私の仕事だからな」

 

 場をかき乱すことしか考えていないのかと内心憤る陽炎に、そこも含めて誤解だと小河原は続ける。

 

「そもそもの話。我々がサハリン(ここ)へ来た理由はなんだ? わざわざ主力艦を引き連れてまで来たんだぞ?」

「……それは」

 

 

『ロシアが戦艦級艤装を持ち込んだとの情報がある。対抗するための戦力が欲しい』

 

 

「そして今日、君らは間引きの様子を見たんだろう? なら、オホーツク海に深海棲艦がいること自体は知っている筈だ。それをまとめあげる上位個体の存在だって」

「なにが言いたいんです?」

「ここまで言って分からないのか」

 

 驚いたなと、心底バカにした調子で小河原は続ける。

 

「あぶり出すんだよ、ロシアの『戦艦』を。サハリン・ナンバーズが狙われれば、連中も切り札を切るしかない」

「ちょっと、それはおかしいでしょ」

 

 口を挟んだのは沈黙を守っていた山城(中島3佐)。彼女の指摘は、深海棲艦に採掘プラットフォームを破壊されては困るというもの。

 

「確かに日本(わたしたち)に防衛義務はない、けれどそこで生産される天然ガスの恩恵を受けるのは日本(わたしたち)なのよ?」

「再建すればいい。備蓄もあるから、再稼働するまでくらいなら問題はない」

 

 平然と言ってのける小河原に、呆れたとばかりに口を閉ざす山城(中島3佐)

 

「そもそも、事ここに至ってもロシアからの救援要請はない。どうなろうと、こちらに責任はない」

 

 自分勝手が過ぎる。

 

 

「(ううん、違う。そうじゃなくて……)」

 

 

 全員が、自分勝手なのだ。

 

 



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第117話 突き捨てられた歩は何処

整理も兼ねた休憩回です。


『……続いて、深海棲艦対処に関する報道です。7月10日午後2時、統合幕僚監部発表。6月30日から7月6日までの期間、西太平洋において国防軍は……』

 

 衛星テレビ放送が、呑気な戦局報道を垂れ流している。

 

 国民に理解を得ることを目的として、日本は戦局報道に積極的だ。速報値とはいえ週あたりの討伐数、犠牲者の数まで隠さず報じている。

 流石に部隊の具体的な損害までは触れないが……殉職者の数が三桁を越えれば、艦艇か基地のどちらかが大損害を被ったことは分かる。四桁に迫ればそれは大規模作戦クラスの海戦が勃発していることは分かる。

 

『また、オホーツク海にて発生している深海棲艦の大量発生について、現地のロシア軍と情報共有を密にし、必要に応じて適切な対応を行う用意をしているとしています』

 

 そんな報道で、国防省が北サハリンへの介入を「正式に示唆」したのは、コトが起こってから4日後のこと。定例会見での発表と考えれば、最速の部類に入るだろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

「うーん……」

 

 盤上にて繰り広げられる()()は、いよいよ終局へと向かっていた。

 

「いや、こりゃ無理かな。投了!」

 

 空中に匙を放りあげるようなジェスチャーで片桐がそう宣言する。彼女の目の前には、見事に瓦解した陣地が広がっている。

 

「いやー強いわね、というか最後の方、打つの早すぎ、どうなってるの?」

「詰め将棋は、昔からよくやっていたので」

 

 予想通りというか、片桐は将棋がめっぽう弱かった。とはいえこれは弱いというより、将棋を知らないが故の弱さ。

 

「片桐さんは駒得を意識しすぎですよ。いくらなんでも釣られ過ぎです」

 

 盤上で駒を戦わせるゲームといえば、チェスがもっとも有名だろう。そして将棋とチェスの違いは、駒の種類以上にそのルール……取った駒を再利用できる点にある。

 故に駒得、つまり相手より多くの駒を確保しておくことは将棋の基本といえるが……。

 

「終盤のここ、飛車を取らなければ私に歩を打たれませんでしたよね」

「いやでも、これは取るでしょ」

「その結果、片桐さんの駒が遊んでしまい(前線から離脱して)ました。その間に崩されたので、飛車取りは失敗です」

 

 得した駒は、予備戦力である。しかし予備戦力も運用されなければ意味がない。

 

 片桐のやっていることは、予備戦力を積み上げることにばかり執着して前線を突破されたようなもの。駒を再配置する時間を与えずに侵攻すれば、そのまま陥落という寸法である。

 

「ふーん。よく考えてるのね」

「相手の目標が分かれば、の話です」

「え、私が単純ってこと?」

「そうなりますね」

「急に馬鹿にするじゃん」

 

 まさか。むしろ羨ましいくらい。

 やるべきことへ向けて邁進する彼女は、やりたいことすら見えない自分自身と比べて輝いて見えるのだから。

 

「というか、ちょっと意外です。てっきりゲーム(こういうの)は強いものと」

「ああ、そういう?」

 

 陽炎の素朴な疑問に片桐は苦笑い。手は将棋の駒を並べ直しにかかっている。

 

「あんまり待機時間ないからね、空母艦娘(わたし)は。それに、将棋だと大人数で遊べないし時間もかかるから」

「暇潰しには便利だと思いますけど」

「そんな暇なら論文読むわよ」

 

 軍隊の仕事は待つことである。哨戒任務や警戒待機(アラート)任務、相手あってこその軍隊は、とにかく相手の動きを待つ時間が長い。

 

「(ああ、そうか。空母はそんなことしないのか)」

 

 陽炎のような駆逐艦は、その受動的な任務を請け負う艦種である――――――将棋に例えるなら歩だろうか?

 序盤は前進することで位置取り(前線)を押し上げ、終盤には敵陣に躍り込んで崩しにかかる。

 

「将棋は好きです。平等だから」

 

 将棋に弱い駒など存在しない。

 愚直に一歩ずつ前に進むことしか出来ない歩ですら、全ての駒を倒すことが出来る。

 

陽炎(ヒナタ)ちゃんはアレだ。成り駒が好きそうね」

「別に、好きって訳じゃないです。成った(昇格した)駒が強いのは()()()()()()()()()()()

 

 弱い駒が、強い駒を倒せる。ジャイアントキリングが起きるから好きなのだ。

 

「でも、貴女は()()たかったんじゃないの」

 

 

 

 

 ――――――お前は、父さんの子供じゃないんだ。

 

 

 

 

「納得はしています」

「そうかな」

「そうですよ」

 

 沈黙。

 

 片桐の言わんとすることは分かる。

 養父(おとうさん)の件は間違いなく陽炎の弱点。この話題が出る度に感情的にならずにはいられないのだから、もう致命的な弱点といってもよい。

 

「次は陽炎ちゃんが先手でいいよ」

 

 いつの間にやら並べ終わっていた将棋の駒たち、整然と陣形を組む彼らが総大将の指示を待っている。

 

「先手が、一番最初に打つとき。片桐さんは相手のことを考えますか」

「まさか。考えるだけ無駄じゃない?」

「考えるべきなんですよ。相手は、()()()()()()()()()()打つんですから」

 

 今回の件だってそう。海上採掘プラットフォームの「サハリン・ナンバーズ」襲撃、人類が生きていくのに欠かせないエネルギー資源に対する攻撃を、日本は見過ごした。

 

「ロシアは日本(わたしたち)の思惑を知っていたはずです。千島列島を防衛するのも、南サハリンの経済特区に資金を投下したのも、全ては北方四島返還のため」

 

 逆に言えば、北方四島を返還さえしなければ日本はいつまでも言いなりになってくれると。

 

「ナンバーズを守らなければ意趣返しにでもなるんですか?」

「必要なプロセスだったよ」

 

 パチリと、後手の片桐が歩を進める。

 

「ロシアはサハリンに国防軍が進入することをひどく嫌っていた。もし国防軍がナンバーズを守れば、内政干渉だと、日本がサハリンを不当に占領しようとしていると主張するだろうね」

「そんな滅茶苦茶な」

「でも、彼ら目線ではそれが『真実』なんだよ。事実として日本人と日系資本(わたしたち)はサハリンに入り込み、経済と資源を握ろうとしている」

 

 パチ、パチと。目まぐるしい早さで盤面が動いていく。

 将棋には定石がある。マニュアルに書かれた手順に従って打てばそう間違いはない……だから速攻を仕掛けない限り、序盤の展開はあくまで自己完結的なものとなる。

 

「もちろん。日本(こっち)だって向こうの物語(ナラティブ)に付き合うほど暇じゃない」

 

 そして、自陣(じぶん)のことにばかりかまけていれば足元を掬われる。

 

「日本人にとって、ロシアは恐ろしくも遠い国。シベリア抑留ですら日本国外の出来事、当事者以外は他人事」

 

 攻めてくるならともかく、守りになんて行きたくないでしょうと片桐。

 

「でもガスや小麦のことがあるから、仕方なく派兵を容認している……まぁ、軍部はそうは考えていないみたいだけれど」

 

 だってそうじゃなきゃ、あそこまで「ロシアの戦艦」なんかに固執しないでしょと、桂馬を進出させた片桐がそう言う。

 

「小河原海将補、本当に更迭しなくて(おろさなくて)いいの?」

 

 今なら多分できるけどと軽い調子で言うが、現役の将官を更迭するなんて相当に物騒な話である。

 

「いいんです。海将補の方は目的がハッキリしていますから」

 

 彼が目指しているのはあくまでサハリンからロシアの軍事力(プレゼンス)を排除すること。ただしロシア軍サハリン統合軍と積極的に交流しているのをみるに、決して力ずくでの排除を目指しているわけではない。

 ロシアを排除した後は……中国寄りであることを隠さない彼の奥さん(小河原ノゾミ3等空佐)をみる限り、日中の雑居地でも目指すのだろう。

 そうすればサハリンはともかく、千島列島――――――北方領土は手に入るという算段である。

 

「面倒な話よね? 北方領土は日本のモノ~って……いや名目上は侵略された土地(そうなん)だろうけどさ」

 

 時代錯誤にも程があるよと言いたげな片桐。

 

「別に、時代錯誤ならそれでいいんです。目的が分かっていれば怖くない」

 

 問題は彼の嫁、小河原ノゾミ3等空佐の方だ。

 

 

 

『別に国には拘らないんだろう?』

 

 

 

 ハッキリ「国を裏切れ」と伝えてきた彼女の声と香りが蘇る。陽炎たち『子供』を産み出した「美しき家庭計画」の資料も脳裏をよぎる。

 伝えたいことは伝えたとばかりに帰国した小河原ノゾミ、一時退役や予備役などの言い訳を使うこともなく堂々とサハリンに入域した空軍軍人。

 

 彼女がなにを考えているのか、分からない。

 

「なにやってんのかしらね……あぁ、とりあえず哨戒艦隊の人事には眼を光らせるよう言っといたから」

「……ありがとうございます」

 

 『亡命』の件に関しては、話が話だけに即決してもらえるとは思っていないだろう。しかし亡命を促すことなら、平気でやりかねない。

 何かやられるのも怖いが、陽炎は阻止する手段を持たない――――――だから、片桐に頼らざるを得ない。無人艦艇派(無人戦闘システム研究会)という、明確な派閥を持つ彼女に。

 

 いーよいーよと笑う片桐は、けれど、と真剣な顔で続ける。

 将棋を打つ手は、いつの間にか止まっていた。

 

「流石に幹部の方には手を出せないし、配置換えが多すぎて監視も無理だから。あんまり当てにはしないでね?」

 

「そうそう。小河原3佐といえば…………これはまだ、与太話(ウワサ)なんだけどさ」

 

 裏取りはしていないと前置きした上で、片桐が一言。

 

「小河原ノゾミ、本当は艦娘になりたかったらしいのよ」

「はい?」

 

 ピンと来ない話である。艦娘になりたかった?

 

「うちの若い子が彼女と同期でね。ほら、国防大って途中から陸海空に分けられるじゃない」

 

 一応希望調査はあるが、ほとんど適性に応じた「分配」となる。もちろん、艦娘としての適性があれば特務艇勤務(海軍へ配置されるの)は確定だ。

 

「小河原ノゾミ……あ、当時はまだ結婚してなくて飯田ノゾミか。ともかく彼女は特務神祇官としての適性があったにも関わらず航空要員になった。それで、一旦は退学騒動になったらしいのよ」

「……」

 

 信じられない、という表情をすれば裏取りしてないから話し半分で聞いてよねと返される。

 

「結局、飯田ノゾミ学生は最後には航空要員を受け入れたらしいんだけど、どうもここに、圧力があったんじゃないかって」

 

 将棋盤をずらし、メモ用紙と筆記具を取り出す片桐。一人の人物の名前が書き込まれる。

 

「西園マサノブ。今は第6護衛隊群(フィリピン)で参謀勤務、専門は霊力戦と無人航空機(UAV)

 

 いわゆる基地航空隊――――武装にのみ霊力の加護を付与することで使い捨て式火力投射プラットフォームとして運用される哨戒艦隊の補助兵器――――を扱う将校である。

 

「その人が圧力をかけたと?」

「説得したのが当時教官だった彼、って感じかな。でもこの話には裏がある」

 

 そして片桐は「西園マサノブ」と書かれた横にもう一人の名前を書き込む。

 

「飯田コウスケ、今は統合幕僚監部の計画部長。説明するまでもないとは思うけれど、飯田ノゾミの父親ね」

「……まぁ、圧力ってなるとそうなりますよね。でも二人は関係ないんじゃ?」

「そ。西園マサノブが2期上、だから本来なら2人は繋がらない、けれど……」

 

 そして2人の名前の上に、誰もが知る海将(ていとく)が書き込まれる。

 

「『悲劇の海幕長』こと大迫ヨシミツ。霊質協同戦を体系化し、そして……」

「…………ミクロネシアの陥落を招いた、戦犯のひとり」

 

 ミクロネシア撤退戦時、当時の護衛艦隊司令官であった大迫海将はグアムまでしか艦隊を進出させなかった。

 その後アメリカがほとんど事前通告なしで核兵器を投入したため、結果論としてはグアムより先に進まなかったのは英断だと彼を擁護する向きもあるが……彼がもっと早く艦隊を動かせば、そもそもミクロネシアは陥落しなかった筈だ。

 

 それから、陽炎はハッとした。目の前にいるのは片桐ではないか。

 

「すみません、私、」

「いいよ。貴女には言う権利がある。私達は戦犯なんだから」

 

 グアムで足止めを食らった一人の艦娘は、茶化すこともしてくれない。

 

「何はともあれ、大迫ヨシミツが西園と飯田を結んだ。2人は彼に師事していた」

 

 話を再開した片桐が、大迫と2人を線で結ぶ。

 

「で、気になるのは。この出来事は2025年だってこと。大迫ヨシミツが戦死して、彼の派閥がバラバラになってから一年以上も経っている」

「2人が個人的な親交を保っているのでは?」

 

 陽炎の言葉に、2人だけの話ならねと片桐は応じる。

 

「そもそも、なんで艦娘に()()()()()()()飯田ノゾミが航空要員になれるのかって話なのよ、これは」

 

 普通に考えたら海軍が持っていって終わりでしょ?

 全くもってその通りである。特務神祇官は常に不足している。そうでなければ「美しき家庭計画」で『子供』を拐ってきたりなんてしない。

 

 大事な艦娘要員に横槍をいれるなんて、()()()()()()()()()()()()()だろう。

 

「で、ここで受け入れ先の人物。空軍の小沢空将が出てくるって訳……彼が航空幕僚長になっているのは知ってるでしょ?」

「ええ」

「あれ、なんか反応薄くない?知り合いだよね?」

「………………なぜ?」

 

 なにがどうなると幕僚長なんかと知り合いになれるというのか。

 

「小沢空将といえば『チュークの双璧』の片割れこと第83高射隊の指揮官じゃない」

「いや知りませんよ!?」

 

 本当に知らない。まず高射(ミサイル)部隊が艦娘と並んで双璧扱いされるってなんなのだ、そんなに戦力がなかったのかミクロネシアには。

 

「でも会ったことぐらいあるんじゃ」

養父(瀬戸月海将補)は私に軍人であることを隠してましたから。多分会ったことはないです」

 

 仮に会っていたとしても、その人物が小沢という名前だとは聞かされていないはずだ。

 

「そっか。まぁ私はここの全員と話したことあるけどね」

「なんの自慢ですか……?」

 

 そして、その小沢空将がどう関わってくるというのか。

 

小河原(飯田)ノゾミは、たぶん小沢空将の下で動いてる。たぶんだけどね」

 

 あくまで憶測だと念を押しつつ、片桐は紙に書き込む。飯田コウスケの下に娘の小河原(飯田)ノゾミが現れ、その斜め上に小沢空将が現れる。

 

「そして、小沢空将の同期で政界入りした人物がいる。立憲友民党(ゆーみん)の幹事長で、姓は新田」

「え、まだ増えるんですか」

「だから紙に書いてるのよ。で、その新田幹事長の傘下にいるのが……」

 

 そして片桐は、小河原(飯田)ノゾミ、飯田コウスケの上に名前を書く。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「飯田ケイスケ。飯田コウスケの父親、飯田ノゾミの祖父。元陸上自衛隊1等陸尉。バリバリの国防族議員」

「………」

「ちなみに古い方の国防族ね、今の艦隊派の源流っていえば分かりやすい?」

 

 要するに特務神祇官(霊力戦)ではなく旧来の兵器(質量戦)で深海棲艦に対抗しようとした派閥ということになる。

 

「あれ。でも飯田コウスケ海将は大迫ヨシミツに師事していたんですよね?」

 

 つまり霊力戦派閥ということになる筈だが、親と子で属する派閥が違うなんてことあるのだろうか?

 

「リスクヘッジの一種じゃない?保元の乱でも源為義(父親)源義朝(息子)が別々の陣営に参加したように、どっちが勝っても血が残るようにしておくの」

「なるほど?」

 

 ともかく、結果として通常兵器を主力とする古い国防族は廃れ、飯田ケイスケは霊力戦を主軸に据える新しい国防族(新田派)の傘下についたと。

 そういう文脈で見れば、この図は全く違う意味を持ってくる。

 

 てっきり、飯田ノゾミが空軍に進んだのはいわゆる艦娘逃れ――――実際、その手の話はよくある――――だと。無意識のうちに思い込んでいたが……。

 

「これ、飯田ノゾミを空軍に配置させるよう圧力をかけたのって……」

「そ、新田派ってこと。言い方は悪いけれど、飯田ノゾミは飯田ケイスケの差し出した『手土産』ってところね」

 

 

『飯田家は損切りをした』

 

 

 

 ああ、なるほど。

 小河原ノゾミ(かのじょ)は切られた側だったのか。

 

 

 

「面倒なことになったわね」

「……そうですね、大変そうです」

 

 少し同情気味に溢す陽炎に、なに寝惚けたこと言ってるのと片桐は呆れ顔。

 

「私達の状況分かってる? 小河原ノゾミはお家騒動(飯田と新田のパワーゲーム)内憂(子供)外患(中共)ぜんぶぶちこんで滅茶苦茶にしようとしているのよ? しかもそこに! 全く関係ない私達を巻き込んで!!」

 

「私は瀬戸月なんで……」

 

「ん……? ああ! 飯田は瀬戸月の後援だったわね? そうじゃんガッツリ当事者だコレ!?」

 

 頭を抱える片桐。いや分かって言いましたよねと突っ込めば、ゴメン本当に失念してたと返ってくる。それはそれでどうかと陽炎は思うが……。

 

「だってそうじゃない。これって血の奪い合いなのよ? それに陽炎ちゃん、そっち側って感じしないし……」

「あぁそうでした、駆逐艦風情で悪うございましたね」

「いやいや、そういう話じゃなくてね陽炎ちゃん~……」

 

 こちらの気も知らないで、片桐は困ったような、それでいて茶化すような視線を投げてくる。

 特務神祇官(かんむす)の適性がどのように発現するかは未だに分かっていない。

 ただし客観的な事実として、後天的な適性の発現は確認されたことがなかった。

 

 

 だから私は贈り物(奪い合いの対象)にはなり得ない。

 私は養父の娘ではなくて……義母さん(おねえさん)のような艦娘には、なれない。

 

 

 だから養父は、私を突き放したのだろうか。

 

 

「なにか、考えている顔ね」

 

 良かったら話してよと、片桐が言う。

 とはいえ流石に、養父の(そんな)話をする気にはならない。

 

「結局、戦艦はいるんですかね」

「いなければ、今頃ナンバーズは海の底でしょうね」

 

 故に陽炎は仕事の話でお茶を濁す。片桐は握ったペンをくるりと器用に回して見せた。

 

「問題は、結局その『戦艦』とやらの詳細が分かっていないことね」

「とはいえ、十月革命(戦艦ガングート)みたいなものでしょう?」

「ん? ……あぁ、あの帝産の戦艦艤装をリバースエンジニアリングしたやつ? 重巡の最新ブロックの方がまだ強いわよ」

 

 だから恐らく、技術蓄積による最新機種だろうと片桐は言う。

 

「そもそも、タシュケントの艤装だって日本(ウチ)の駆逐艦艤装と遜色ないものに仕上がっているのよ? 要員の錬度はともかく、単純なカタログスペックでは十分に肩を並ぶんだから」

「じゃあ、日本の優位は崩れてきていると」

 

 ならば、向こうが欲しいのは熟練した特務神祇官のノウハウ――――――小河原ノゾミ3佐が持ちかけたのが『亡命』だったと言うのも納得だ。

 欲しいのは戦力ではなく、特務神祇官の持つ経験なのだから。

 

 そう言えば、そこが謎なのよねと片桐。

 

「そもそも、日本が技術供与をもっと進めれば良いんじゃないの?」

 

 『子供』をこっそり()()するとかそういうやり方ではなくと、言外にそう含みながら彼女は続ける。

 

「別に人間同士で戦争するって訳じゃあるまいし、他国にも戦ってもらった方がいいと思うけれど」

 

 ……まあ、確かに。

 日本は友好国に国防軍を派遣するという形で実質的な勢力圏を確立している。その結果が深刻な人材不足な訳だから、派遣をやめ、友好国に前線を張ってもらった方が負担は減るだろう。

 もちろん。それを日本政府が許すかというと、難しいだろうけれど。

 

「それはまぁ、いろいろ考えているんじゃないですか? 戦後の事とか」

「陽炎ちゃんそれ本気で言ってる? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でしょうに」

 

 実際、艦娘は霊力戦を行えるから強いというだけである。

 つまり深海棲艦(あいて)と同じ土俵に立てるために強いのであって、人間相手なら単なる歩兵と変わらない……いや、防壁がある分多少は有利かも知れないが。

 

「艦娘は()()()3インチ(76mm)砲で倒せてしまう。空を飛ぶわけでもなく平面移動しか出来ない艦娘は、ハッキリ言って弱いのよ」

 

 艦載機(ドローン)だって今は対抗手段がいくらでもあると片桐。

 

「なにかあるんでしょうね。技術供与が『駒損』になる理由が」

 

 そしてそれは、軍事的な理由(駒損)ではないのだろう。

 

「じゃあ、政治ですか」

「うん。つまり考えるだけ無駄ってこと」

「無駄、ですか……」

 

 それなら、ずっとこうして悩んでいる私はなんなのだ。そう考える陽炎に片桐は苦笑い。

 

「政治と将棋は違うのよ。将棋なら、駒損や駒得って、一定の基準があるでしょ?でも政治には基準(それ)がない。私達が損だと思うことが、相手にとっては得だったりする。だから、考えるだけ無駄なの」

 

 まぁ逆に、だからこそありがたかったりもするんだけれどね。首を傾げる陽炎に、だってそうでしょ? と片桐は微笑む。

 

「基準がないなら、勝ち負けだって一様じゃない。将棋は『勝つか負けるか』だけれど、政治なら『両方が勝つ道』だってある」

 

 やはり片桐(このヒト)は理想家だ――――――陽炎は改めて思う。

 両方が勝つ道があると信じて疑わない。だから派閥を作ったり、政治をしたりなんて険しい道を邁進していける。

 

 それは目映いほどの輝きを持つ、細い蝋燭のようだった。

 

「分かりません。私には、とても」

 

 将棋は得意だった。

 養父(ちち)を負かしたことだってあるし、定石も詰み手も、人並み以上に知っている。義母さん(おねえさん)にも褒めてもらった。

 

 けれどその向こう、駒損の条件(ルール)すら見えない戦いのことなんて、理解も出来そうにない。

 

「なに言ってるの。あなたがやるのよ」

 

 だってそうしないと、子供たち(あの子たち)を救えないわよ。

 そう言いながら片桐は、すっと将棋盤を二人の間に戻す。

 

「……分かってますよ。だから、教えてください。この戦いのルール(やりかた)を」

「ええ、いいわよ」

 

 

 

 それが、私が残してあげられるものだからね。

 その言葉は、聴かなかったフリをして。

 

 

 陽炎は老練の艦娘に向けてパチリと、次の手を打った。

 



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第118話 どこが河やら海さえ知れず

 復讐のために戦う。片桐アオイという人物は、そう公言して憚らない。

 

 

「軍人になるんでしょう? それであなたも戦おうとしている」

 

 彼女と初めて出会ったのは、私が養親と故郷を喪ってから半年後。2020年の春。

 あの時の私にはもう、幼年学校しか居場所がなかった。子供が食べていくには国の支援を受けるしかない。艦娘になるしか道がない。

 

 そんな私に対して「艦娘になりたがっている」と言い切った。

 

「あなただって、誰かに引き取られる道はあったはず。アイツはその道もちゃんと残してた」

 

 瀬戸月家から距離を置いている(他の選択肢を選ばなかった)理由にも、たぶん気付いていた。

 

 

 そう、私は――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

〈西暦2036年7月12日 ロシア連邦 サハリン州〉

 

 

 

「回せぇー!」

 

 その古めかしい掛け声と共に、掃除機と洗濯機を掛け合わせたような甲高い音が鳴り響く。数珠繋ぎになった発電機から電力を供給されて、地上電源ユニットが稼働したのだ。

 

「回転数500……1000……」

 

 地上要員がモーターの駆動音に負けぬようにと声を張り上げるなか、戦艦〈山城〉乗り込みの中島キョウコ3等海佐は艤装付整備員とインカムで打ち合わせをしている。

 知識として理解はしているが、相変わらず戦艦の優遇され具合には驚くものだ。

 

「一番フライホイール回転数規定値、続いて二番始動」

 

 もちろん、優遇されるのには理由がある。特務艇艤装は全て一人乗りの小型艦艇、書類上の分類は存在しない。しかし現実に戦艦や空母、駆逐艦という区分が存在するのは、その艤装に搭載される装置が全くことなるからである。

 

 

 その中でも戦艦は別格――――――特務艇艤装で唯一、視界外砲撃戦能力を付与されている特務艇。

 

 

 戦場の女神(砲兵戦力)としての活躍を期待されるそれに積載されるのは、巨大な主砲塔。その火力は駆逐艦・巡洋艦主砲の比ではない。

 巨大で鈍重な艤装を支えるために当然ながら浮力装置も大型化、その大電力を賄うために燃料電池が主流の特務艇では珍しい内燃機関、しかもガスタービンエンジン方式を採用。

 挙げ句の果てに補助・非常用電源としてフライホイール・バッテリーを装備、回転体によるジャイロ効果で砲撃時の姿勢安定化にも寄与する優れものではあるが……いかんせん整備コストが高い。

 

 いや、そもそもフライホイール(あんなもの)積んだら小回りが効かなくなるから駆逐艦に搭載されることはあり得ないのだが……間近で観てしまうと、どうしても差が目についてしまうものである。

 

「ぼさっとしない1尉! コンタクト!」

 

 片桐の声が飛んできて、慌てて回線を開く陽炎。戦闘が始まれば役に立たないデータリンクも、戦場に到達するためには必要だ。

 統合情報端末起動、ユーザ認証、端末認証……そうして空中に浮かび上がる国防海軍の紋章、続いてデータリンク画面――――言うまでもないが擬似的な投影画像である――――に写し出されるのは、数えきれないほどの赤マーカー。

 

 

「……どうしてこんなになるまで放って置いたんですか!?」

 

 

 ロシア連邦軍からの「メッセージ」は、本当に消極的なものばかりだった。

 それは「戦艦」の存在もあるし、強力な中国軍が駐屯しているという安心感もあったのだろう。彼らは()()()()()()()()()。そして実際――――日本の予想とは裏腹に――――第一波第二波第三波と防ぎ続けてきた。

 

 しかし海域の警戒情報が漁業の制限へと変わり、海域及び空域への進入制限へと変わり……そして未確認情報という注釈をつけながらも()()()個体の出現情報を流し始めた頃にはもう手遅れ。

 

 そしてついに、正式な出撃要請が届くに至る。

 

第一報があった時点(一週間前)から艤装の移送も、要員の展開もやってるんだよ瀬戸月1尉(ヒナタちゃん)……ただ単に、サハリン本島に展開している戦力がいないの」

 

 片桐の声が意識の外で響くなか、陽炎はこの埋め尽くすような数の敵が沿岸に到達した時の被害を計算し始めていた。

 いや、本当のところ。計算するまでもなく分かっている筈だった。

 

 

『今年のペースだとロシアは協定枠に余裕があるから、戦術核(二桁キロトン)なら躊躇うことなく使うでしょうね』

 

 

 なにせサハリン(ここ)は、核兵器を投下した方が()()()()()()()()()()戦場なのだから。

 

『総員に告ぐ、本日1800時をもって南サハリン緊急展開群が編成された』

「小河原クン、遅いよ。遅すぎる」

 

 無線の向こうから聞こえる声は小河原海将補のもの。すかさず反応した片桐に、彼はこれでも最速だと返す。

 

『既に護衛艦隊の空母打撃群(DDHグループ)が千島列島線の外に展開済み。片桐1佐が再三要請していた特務艇も用意してある。緊急展開群が設置されたから、すぐにでもこれらの部隊を投入できる』

「あのねぇ、私たちがいるのはサハリンなのよ? そしてこれから向かうのは北サハリン、数百キロ後ろの友軍なんて当てに出来るわけないじゃない」

『仕方ないだろう。もともと南部サハリンですら我が軍の責任領域ではない。それに新自由連合盟約(ニューコンパクト)はロシアにとって「アジアのNATO」だ。ロシア領内に軍の展開を認めたこと自体が異常事態なんだよ』

 

 要するに、そこまでロシアは追い詰められたと。呟いた陽炎を知ってか知らず、彼は続ける。

 

『ロシア側の詳細な情報はないが、絶望的な状況にあるのは疑いようがない。そして私の仕事は自軍を勝利させることだ。打てる手は全て打っている』

 

 データリンクが映し出された陽炎の視界に、新たな情報が飛び込んでくる。

 その内容を陽炎より先に咀嚼したらしい片桐の声が踊った。

 

「あらビックリ、護衛艦隊の定期哨戒(パトロール)なんて借りていいの?」

『……改つるぎ型は海保の船だ。間違えるな』

「あーはいはい。そういえば海軍のミサイル艇(はやぶさ型)と似た船体設計の海保の船もいましたねぇ……そうそう、こういうのでいいのよ。こういうので」

 

 データリンクの偽装(マスキング)が消滅、変わりに友軍識別(フレンドリー)で現れる。

 3インチ(76mm)速射砲とミサイル発射筒を備える快速ミサイル艇。低脅威深海棲艦の排除が可能で、高脅威の深海棲艦からは持ち前の脚で逃げられる。深海棲艦対処のエキスパート。

 

『私は国防海軍の海将補だ。諸君らが私にどんな「誤解」をしようとも、私は常に軍令を遂行する。諸君らも同様に、軍令に忠実であることを期待する』

「ツンデレにしては堅いぞぉ小河原クン」

 

 片桐が茶化すが、彼の言葉は言葉通りに受け取った方がいいのだろう。

 小河原海将補――――と、その背後にいる軍上層部――――の目的はサハリンからロシアの影響力を排除すること。そして現状、その試みは上手く行っている。

 問題はその次、陥落しつつあるサハリンを救い、ロシアからガス油田の権益を奪い取れるかどうか。

 

 そのために、彼は軍令と軍勢を揃えた。

 彼らの政治に、陽炎たちは付き合わされている。

 

「で、このミサイル艇は好きに使っていいわけ?」

『霊力戦は()()()()だと言っただろう。専門家に任せる』

「ふーん……ま、いいでしょ。専門家の本領、みせたげようじゃないの」

 

 何がおかしいのか片桐が笑って、自らの浮力装置を起動させる。空母型の比較的小振りな無人機管制ユニットが浮かび上がり、彼女はそのまま海へと足を踏み入れる。

 

「ヒナタちゃん」

 

 そして、海に浮かぶ軍事兵器(ヒトから離れたモノ)となった彼女(蒼龍)が、陽炎をみやった。

 

戦場(ここ)では『はじめまして』だね」

「…………はい」

 

 (みず)の上で、鍛練のために特務艇(艦娘)として相対したことならば、ある。

 同じ部隊の構成員として、作戦に参加したことも。

 

 しかし、同じ戦場で、轡を並べて戦うのは、はじめて。

 

「もしかして気負ってる?」

「まさか。やることはいつも通り、同じです」

 

 なら良かったと前を向く片桐……いや、空母〈蒼龍〉。偽装のためのスーツは今や翡翠のような特務神祇官の装束に代わり、ツインテールに鉢巻という見慣れた上官の姿。

 

 それが今日は、どうにも眩しくみえる。

 

「……」

 

 それは、そうだろう。

 だって陽炎(わたし)は。

 

 

 ツインテールの(お姉さんみたいな)空母艦娘に、なりたかったのだから。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 今でも覚えている――――べとりとした、あの感覚。

 

『ヒナちゃん……大丈夫?』

 

 忘れられるはずがない。あの少しだけ酸っぱい香りを。

 

 それを包み込むような、硝煙と、炎の匂いも。

 

 

 

 

 

〈2018年 ミクロネシア連邦 チューク州〉

 

 

「は、や、く、げ、ん、き、に……」

 

 はやくげんきになってね、と。そう書いたお手紙のお陰だろうか。お姉さんはとてもとても元気になっていた。

 

『これじゃ私たち(ずいかく)は人殺しよ!』

 

 でもそれは、私の望んでいた「元気」とは程遠いもので。

 

 

 あの大雨の夜。お姉さんの声が聞こえた時。私は馬鹿なことに、喜びすら感じていた。

 養父(ちち)が夜更かしする時は、子供(わたし)も夜更かしする……そんな不文律に従って本を読んでいた私は、その時ばかりは夜更かししたことを後悔していた。

 

 ……なにせ、私の目の前で繰り広げられる光景は。

 とてもじゃないけれど、耐えられないモノだったから。

 

「意識が戻ってすらいないお前を叩き起こしてまで出撃させてみろ! 間違いなく沈むぞ!」

「そんな言い訳いらない! 提督さんらしくないよ! だって……」

 

 貴方なら空母(ずいかく)を棄てて、最善を尽くすんでしょ。そう言ったお姉さんの言葉の意味を、もちろん私は理解できていない。

 なにせ当時は、空母がなんなのか、お姉さんが何者なのかも、知らなかった。分からないのは当たり前のこと。

 ただそれでも、お姉さんが言いたいことは何となく分かった。

 

 

 殺してくれ、そうお姉さんは叫んでいた。

 

 

「図上演習でもそうだったじゃない! 最大限の戦果を上げる、そうすれば皆が幸せになれる!」

 

 どうして。

 どうしてそんなことを言うの。

 もちろん、あの時の私はそんな言葉すらも紡げていなくて。頭の中は真っ白で、胸の中では感情が渦巻いていて。

 

 そう、怖かったのだ。

 ホントはずっと、怖かった。あの日から。

 

 だって。死んじゃったと思ってたから。

 

『お姉さん……血が、血が……』

『あー。慣れっこ。これ、くら、い……だっ……た、ら……』

 

 ふらりと。バランスを喪った積み木みたいに倒れて。

 

『お姉さんっ……! お姉さんッ!?』

 

 ドロドロと、血が床の上に広がって。

 私を取り囲むように、私に張り付くように。

 

『瑞鶴さんっ! 大丈夫!?』

『基地に……司令官に電話ッ! お願い繋がって!』

 

 お姉さんの知り合いだっていう人達の声すら、遠い残響のように響いて。

 

 

「たかが小娘一人……命令だ死んでくれってッ!」

 

 

 だから「助かった」って聞いて。

 

 すごく、嬉しかったのに――――――

 

 

 

 

 

 

「――――――生きている意味がないじゃない!」

 

 

 なんで。

 どうして。

 

 そしてようやく、幼くて馬鹿な子供(わたし)は言葉を得た。

 

 

「お姉さん()行っちゃうの?」

 

 ピタリと、時間が止まったみたいなお姉さんの顔を覚えている。

 でもそれは、養父(おとう)さんを介抱してくれたお姉さんじゃない。

 このヒトは、晩御飯を作ってくれたお姉さんさんじゃない。

 私と遊んでくれた、勉強を教えてくれた、クレープを買ってくれたお姉さんじゃない!

 

 血を流して、勝手に死んじゃう……人殺しのお姉さんだ。

 

「やっぱり、お姉さんの事が嫌いだよ。だって、だって。仲良くなったのにいなくなっちゃうんでしょ。私とさよならするんでしょ!」

 

 私はこの人に助けてもらった。

 でもそれは、この人が死ぬためにやったことだった。

 

 ()()()()()()()()、この人は養父(おとう)さんに頼んで殺してくれって言っている。

 私のことを、()()()()()している。

 

「違う、違う。そんなつもりじゃ」

「知らないッ!」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『データリンク更新、トラックナンバー248から253がグリッドG03(ゴルフーゼロスリー)より接近中。山城ッ!』

『あぁッもう、やればいいんでしょやれば! というか蒼龍アンタ、さっきから戦艦(ヒト)遣い荒すぎ!!』

 

 無線に飛ぶのは山城の苛立ったような声。とはいえ即座に砲撃音が聞こえてくるあたり、流石は歴戦の戦艦といったところだろうか。

 いくらソフトウェアによる演算補助があるとはいえ、上空の観測機からしか見えない敵を撃ち抜くなんてそうそう出来はしない。

 

『着弾観測……命中2、至近弾3。砲撃やめ、続いてグリッドH05(ホテルーゼロファイブ)より接近する集団へ阻止砲撃』

『……ちぃッ!』

 

 歯噛みするような山城の声。それは矢継ぎ早に出される指示への憤りではなく、次から次へと現れる深海棲艦に対するもの。

 

『120秒後に第2次攻撃隊が着艦行程に入ります。その後空母〈蒼龍〉は補給を実施予定。陽炎、あと80秒で海域(LZ)の確保はできる?』

 

 問いかけの体を取っているが、要するに制圧命令である。データリンクに目標海域のレイヤーが現れる。

 

「了解っ!」

 

 推進装置をフルスロットルへ、前傾姿勢も吹き飛びそうな加速度が身体をおそうが、もはや慣れたもの。

 本来なら、いかに小規模とはいえ海域の制圧を単艦で行うなんて正気の沙汰ではない。特務艇は2隻セット(エレメント)運用が前提である。遮蔽物に身を隠すことの出来ない海上では、互いに死角を補い合わなければならない。

 

 だが、ここに陽炎以外の駆逐艦(フネ)はいない。

 せめて指導した子が誰かひとりでも、いや新人でもいいから回してくれたら……。

 

「(……なんて、願っても仕方ない!)」

 

 余計な思考を振り払う。対水上電探(レーダー)が捉える目標、応じない敵味方識別(トラポン)。方向別に作動する接近警報が一斉に音を立てる。

 

「――――――もらった!」

 

 そして引き金を、絞る。

 軽い反動。一撃離脱戦法に特化した神崎重工業の駆逐艦主砲は連射性能と引き換えに低反動・高威力をコンセプトとしている。砲弾としては低速の主砲弾は僅かに弧を描きながら虚空へと飛び込み――――――そこに敵が、水平線の向こうから顔を出す。瞬時に爆散。

 

 まずひとつ。

 速度を緩めずに火器管制と主砲をリンク。射撃支援ソフトウェアの弾き出す優先目標を視線でロックオン、続いて射撃――――――ふたつ、みっつ、よっつ。

 しかしいくら雑魚を倒したところで埒が明かない。倒すべき目標は常に首領。群れる動物である深海棲艦には曖昧か明確かはともかくとして指揮系統が存在する――――――故の斬首戦術。日本国国防海軍の金科玉条。

 

「(大将首は――――――あそこかッ!)」

 

 波を蹴るようにして急旋回。背面艤装をカウンターウェイトにして横Gをいなし、速度を殺さない最小旋回半径を実現。そのまま第二撃へと移る。

 目標は当然、ひときわ目立つ巡洋クラス。駆逐級の備える砲門を無理矢理に束ねたような歪なスタイルは、陽炎のような駆逐艦にとっては紛うことなき脅威となる。

 

 原始的な群れを築く深海棲艦にとって「強さ」はそのまま「偉さ」となる。高脅威度目標と指揮系統の攪乱を同時に行える――――――それが斬首戦術が国防軍に好まれる理由でもあった。

 陽炎が針路を向けたのを見て、向こうも己が標的とされたのを勘づいたのだろう。そこらかしこの海が割れ、隠し球のつもりか伏兵たちの弾丸が飛んでくる。

 しかし愚直。陽炎の速度と加速度から算出したつもりであろう未来位置に丁寧に撃ち込んでくるだけの弾丸が掠めるはずもない。

 

「当たるわけないでしょ!? モグラは沈んでろッ!」

 

 むっつ、やっつ。連装式の主砲が唸れば、そのまま伏兵は海に臥せる。

 遮蔽物なし、頼れる霊力防壁は適性のなさ故に薄っぺら……そんな駆逐艦娘が生き残る方法となれば、擬似的な空中戦闘機動(マニューバ)以外に道はない。

 海を()()、空を()()。生命の源たる大海原(わだつみ)の力を借りる浮力装置は、霊力を過剰消費(オーバードライブ)させることで艦娘に翼を授けるのだ。

 

 主砲斉射。空中で逃げ場のない反動(リコイル)が容赦なく陽炎を横に吹き飛ばさんと殴りかかるが、それを逃がして空中で回転。着地の瞬間に最大出力で吹かすことで姿勢を崩さずに着地、そのまま左右の敵を射爆する。

 

 無論、多用は出来ない。霊力が尽きれば艦娘は海に沈むのだから。

 

「(けどッ……霊力防壁(シールド)使うよかずっと燃費はいい!)」

 

 伏兵の群れを抜け、標的(えもの)に狙いを定める。相対した異形はどうしても生物には見えない。これがヒト型であれば話は変わってくるが……残念ながら陽炎にはヒト型(上位種)と対峙した時、深海棲艦が生物であるかどうかなどという些事に構うほどの余裕はなかった。

 無論、ヒト型でないからといって気を抜いたりはしない。牽制程度の射撃、火器管制装置を用いた視覚器官(センサ類)への狙撃(目眩まし)――――――そして本命の。

 

 

「――――――魚雷管1番、解放!」

 

 

 安全装置の限界まで接近しての魚雷発射。霊力関連技術をふんだんに詰め込んだ小型高威力弾頭を搭載するマイクロ誘導魚雷が巡洋クラスへと突撃する。

 刹那、爆裂。異形を水面下からの爆圧で押し上げれば、足下を支える水はそのまま凶器へと変わる。

 

 ヒト型ならともかく、あの程度なら一撃のハズ――――――確信に近い感触を得た陽炎は、そのまま戦域をかき乱すように突進しようとして……。

 

 違和感。

 指揮系統をかき乱したはずなのに、圧力が減らない。飛んでくる砲弾の数、針路を塞ごうと乱打される魚雷群。

 本来なら薄れるどころか霧散してしまうはずの火網が消えない。

 

 まさか。

 

「(指揮系統が引き継がれた――――――!?)」

 

 あり得ない。早すぎる。

 そんな疑問は脇に置き、陽炎は直ちに次の首領(ターゲット)を探す。幸いにも深海棲艦は群れの(おさ)を守るように動く。そうでなくとも妨害波の最も濃い場所に強い敵はいるのだから、群れの長(それ)を見つけるの自体は容易い。

 

 魚雷発射、撃破。

 しかし深海棲艦の連携が崩れる気配はない。

 

 このまま捻じ伏せるか――――――一瞬浮かんだ選択肢を、陽炎は即座に却下した。

 殲滅戦(その選択肢)がとれるのは、頼れる僚艦が居るときだけだ。死角を生み出さないための高機動戦術では燃料弾薬の消費がどうしても激しくなる。

 不足(それ)は多少なら霊力で補うことも出来るが……そうなれば敵の殲滅よりも先に、こちらが霊力切れになる。

 

「(でも……ッ!)」

 

 どんなに主機が焼け付こうとも、感情の熱が脳漿を沸騰させようとも。陽炎の理性という名の思考回路は冷えている。その回路が安易な作戦放棄を許さない。

 戦況は圧倒的に不利、辛うじて耐えられているのは山城の火力と、全方位を薄くカバーする蒼龍の航空隊によるもの…………そして陽炎の任務は、その蒼龍が補給を受ける安全域を確保すること。

 

 任務失敗?

 冗談じゃない。

 

 陽炎は駆逐艦である。駆逐艦娘の価値観はただひとつ――――――克つか斃れる(まける)か。

 それでずっとやってきた。高等幼年学校を座学で駆け抜け、国防大で意地の強さを見せつけ、魔窟と呼ばれる水雷戦隊勤務をこなした。これでも首都防衛の第1護衛隊群――――よしんばそこに、実力以外の要素が加味されていようとも――――第163護衛隊を預かった幹部艦娘(指揮官)でもある。

 

「いざ尋常に――――――勝負ッ!」

 

 波を蹴る。浮力装置に頼らない短跳躍、斬首が上手くいかないなら全てを滅すればいい。懐に入らずとも、表皮を割き肉を削り骨を折れば、いずれ巨人も力尽きるのだから。

 肌を焼く感覚は掠めた砲弾の衝撃波。大振りな機動を止めることは、即ち砲弾を振り切るのではなく火網を縫う機動(うごき)への切替を意味している。

 残り時間と殲滅ペースを確かめる。弾倉交換の時間すらも加味しないといけないほどの綱渡り。取り回しが悪くなることを嫌ってベルト給弾を選ばなかったのはやはり失敗だっただろうか。

 

 それでも、数字はいつも残酷だ。

 予定時刻(ノルマ)まであと20秒、出される結論は『間に合わない(時間切れ)』。

 

「違うッ!」

 

 間に合わせる。間に合わせてみせる。

 もう北サハリンの防衛は崩壊しつつある。私たちが抜かれたら最後、沿岸部にも奴らは押し寄せる。

 

 そうなればどうなる?

 アンカレジ協定を遵守するなら、ロシアの核は無人地帯にしか落ちない。それは逆説的には、ロシアが無人地帯と、世界が無人地帯と認めた場所に核が落ちるということ。

 

『その点、北部サハリン(ここ)におけるヒトの価値は()()()()だ。生きているだけで場所を取る、息をするだけで空気を汚す』

 

 許せない。

 

『ここは価格の調整弁、人間という不安定な価値を持つ商品の『端数』を処理する場所』

 

 認められない。

 

『そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね――――――』

 

 

 ――――――ミクロネシア戦役。養父さん(おとうさん)が、義母さん(おねえさん)が、命をかけて守った難民。2人が命を投げ出したから救われた数十万の命。

 

 それが、いま。喪われようとしている。

 であるならば、私は………………

 

 

 

 

 

「……――――チェストォッッ!!」

 

 次の瞬間、目の前の駆逐級が()()()()()

 

「は?」

「こぉんの、化け物風情がッッ!」

 

 続いて暴風。乱打されるのは高角砲だろうか、霊力比率が高いのか、弾頭炸薬より激しく爆発して異形の軍勢を引き裂いていく。

 まるで嵐のよう。硝煙の渦巻を引き起こした中心には、ツインテールの空母艦娘。

 

陽炎(ヒナタ)ちゃん! 無理なら無理って言う! 報連相は基本でしょうがッ!」

「……ぃゃ、蒼龍(片桐)さんこそ、なにを」

「なにって、霊力防壁最大出力・最大戦速でラムアタックしただけだけど!? 主力艦舐めんな!」

「ぇぇ……」

 

 突入するなら突入すると、報連相がなっていないのはどちらだと。

 言いたいことを言おうとするのに、言葉が出ない。舌の感覚はあるのに、肺から空気が出てこない。

 

斬首戦術(首狩り)が機能してないことくらい、ちょっとデータリンクに気ぃ配ってれば分かるのよ。いちいち隠すな、全部自分でやろうとするな! ほんっと、()()()()()……」

 

 

 ……でも。今回は間に合って、よかった。

 

 そんな彼女の言葉を聞く前に、陽炎の意識は重力に引かれるように沈んでしまった。

 



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第119話 われらとわれらの子孫のために

(ものすごい今更ですが)
本作品はフィクションであり、あらゆる国家と団体は架空のものであり、あらゆる概念と思想を貶める意図はありません。


 

 高緯度帯である北部サハリンにおいて、夏の昼は長く薄い。

 沈みそうで沈まない太陽。アルミ箔みたいに引き伸ばされた細い雲。だだっ広い空に開くのは、人の手で作られた純白の造花。

 

「落下傘展開確認、回収するわよ」

 

 ポロナイツクより電磁投射砲にて発射された補給物資搭載機(カーゴ)、高速で滑空してきたそれが最終着水行程に入ったのである。

 

「というわけで山城、頼める?」

「ったく。どうして私が……」

「しょうがないでしょ。回収要員(小回りの効く駆逐艦)がのびちゃったんだから」

 

 補給の時間を稼ぐための全力射撃により、オホーツク海には一瞬の()が訪れている。

 とはいえそれは本当に一時的なもの。今頃「お相手」も群れの再編と補給に勤しみ――――深海棲艦にも補給という概念はあるというのが通説である――――それが終わり次第、徒党を組んでこちらに攻め寄せることだろう。

 ……それにしても。

 

「ねぇ、連中の錬度が高いように思わない?」

『さあどうだか。確かに、引き際は良いように感じるけれど。指揮艦(flagship)の頭がいいんじゃないの?』

 

 艦載機の収容作業を進める蒼龍が漏らした言葉に、山城は減速を終えてゆるゆると落ちていくカーゴを追いながら返事をする。

 

「それもあるけれど、総じて個々の応答が早い。火網の形成、陣形の再編、指揮の引き継ぎ……全体のレベルが高くないと出来ないことよ」

『アンタの腰巾着が弱いだけじゃないの?』

 

 フンと鼻で笑う山城とて理解はしているのだろう。カーゴに取りつくと、心なしか急いで弾薬と燃料を充填していく。

 

「そうね、なんにせよ……」

 

 口は動かしながらも蒼龍は短距離データリンクにアクセス。オンラインになった補給カーゴより補充機の内容を確認して、射出コマンドを選択。

 

「こっから先は余計に不利になるってことだけは確かね」

『はぁ……』

 

 無線の向こうから聞こえるため息。蒼龍はそれを右から左へ流しつつも、内心では己の判断ミスを呪っていた。

 

「(まさか、こうにもアイツに似るとはね…………)」

 

 

 戦場の中の陽炎――――――瀬戸月ヒナタの姿。装束は破け、防壁は最小限しか使用せず。髪の毛や皮膚は衝撃波に炙られてあちこちが燻りそうな程。

 まさに満身創痍とはこのこと。

 

「(でも、私が思っていたより()()()()()。まさか、戦果を部下にでも譲っていたのかしら?)」

 

 よくある話だ。「良い上官」の定義は色々だが、華を持たせてくれる人間を悪く言うヤツはそうそういない。

 それでも、駆逐艦乗組みの特務神祇官に華を持たせるのは大変なことだろう。彼らは舐められるのを嫌い、施しなど受け付けないのだから。

 

 意識的に戦果を譲れているなら、その指揮官としての素質は優れているなんて言葉では足りないくらいだ。

 

「(とはいえ、そんなに部隊運用が得意というイメージもないのよね……となると……酷使する『対象』が部下から自分に切り替わっただけ?)」

 

 空母〈蒼龍〉の艇長たる片桐アオイ1等海佐は、己が俗物であることを理解している。

 

 滅私奉公などという形ばかりのお題目は嫌いであったし、なんなら国防海軍のことだって嫌いである。特務神祇官としての適性だけで就職やら将来やらを奪ったのだ、どうして好きになれるだろうか?

 

 しかし片桐アオイは俗物である。嫌いだからと言ってそれを過剰に憎んだりはしない。この自由主義国家日本で自由を奪うほど自分の身体が貴重なら、お目こぼしを貰えるめい一杯まで立場を利用してやればいいのである。公正取引委員会より国防軍の方が強いなんて世も末だが、残念ながら世界経済は末どころか崩壊済みである。

 

 そして片桐アオイは俗物であるには、友人を喪いすぎた。

 

 もうどんなに預金残高が増えても。

 高層タワーマンションに休暇で帰っても。

 チャリティに札束を投げても。

 

 少しでも気を抜けば、すぐに亡き者たちの恨み節が聞こえる。

 そして困ったことに、連中は仇を取れなどとは言わないのだ。

 

 より良い未来を創れと言うのだ。

 「私たちが死んで良かった」と思える国を創れと言って止まない。

 

 良い未来?

 そんなもの、深海棲艦を倒すだけで手に入る訳がないというのに。

 持ち前の霊力量だけで生き残らされた片桐に、彼らはただ良い未来(無茶振り)を望む。

 

 

「(決死と必死は、違う)」

 

 片桐アオイは俗物だ。死にたくない、そう単純に考えることの出来る人間だ。

 片桐なら生き残るための道を創るために決死の覚悟を決める。

 

 では、彼女の腕のなかで眠る瀬戸月ヒナタ(この娘)は?

 

「部下を酷使するのは……仕事()()()いいのよ。陽炎ちゃん」

 

 だが、自分自身を(なげう)つのは。

 任務(しごと)()()()で命まで投げ出すのは。

 

 

 それは、違うだろう。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「やぁカゲロウ? もしかして空色の巡洋艦の助けがいるんじゃないのかな?」

 

 まるで風呂桶に顔を突っ込んだみたいな不快さがまとわりついている。苦しい程ではないが、身体の自由が利かなく「なりそうな」危機感だけがそこにある。

 意識を取り戻した陽炎が最初に認識したのは、聞き覚えのある声。ロシア連邦海軍の特務艇(かんむす)タシュケント。

 

「あんたっ、いつの間に!?」

 

 思わず飛び起きて、それから自分が横になっていたのだと認識する。

 横になっていた? そんな、つい先ほどまで深海棲艦相手に……混乱する陽炎に対して、そんなに警戒しないで欲しいなとタシュケントは目を細める。

 

「仮にも祖国の危機だよ? 他国の兵隊にばかり任せていたら……」

 

 ネコババされてしまうじゃないか。なんて冗談でもないことを言って。

 

「それに、君たち本当に危ないところだったんだよ? なにせ周囲の部隊が次々沿岸を放棄する中で戦い続けたものだから、どんどん孤立無援になっちゃってさ」

「戦闘は! サハリンはどうなったの!」

 

 口ばかりは達者なタシュケントだが、はっきり言ってそんなこと気にしていられない。詰め寄る陽炎に、彼女はまぁ落ち着いてよと両手で押し留める。

 

「見て分からない? ここは現代科学の結晶、サハリンⅣだよ」

 

 そう言われて陽炎は、周囲が茜色に染まっていることに気づく。夕日などではない。人工の赤色ランプが彩る、暗い夕焼け。

 

「サハリンⅣ……ってことは」

「そうさ。ここは『サハリン・ナンバーズ』の最新設備。最南端の海上採掘施設(ガスリグ)だよ」

 

 外国人としては、初めてのお客さんになるんじゃないかなとタシュケント。

 

「さ! 一緒に戦おうじゃないか、データリンクを寄越して貰えるかな?」

「……ちょいちょい、なーに勝手に話を進めているのよ」

 

 そして、しれっと会話に入ってくるのが空母〈蒼龍〉こと片桐1佐である。彼女は重厚な鉄扉――――水密隔壁なのだろう――――をゆっくり閉じると、陽炎とタシュケントの間に身体を捩じ込むような立ち位置を取る。

 

「米軍ともリンクしているデータリンクを、そう簡単にロシアさんに解放するわけないでしょ……? ダメ元にしたってもう少し現実的なのを頼むべきね」

 

 そう言いながらも片桐は端末をタシュケントに手渡す。

 

K&Iセキュリティーズ(KIS)の特務艇向け端末。衛星通信には対応してないけれど、レベル3の戦術情報共有に対応しています」

 

 やけに準備がいい、陽炎の直感を肯定するかのように、片桐は言葉を続ける。

 

「この連携がオホーツク海の安定に繋がることを、期待しているわ」

「もちろんだとも!」

 

 タシュケントは朗らかに答えると、端末を彼女の艤装に組み込もうとパネルを開く。海上で活動する特務艇艤装は常に塩害に晒されるので、こうした追加装置を組み込むだけでも一苦労なのだ。

 

 ……逆に、この「一苦労」だけで済んでしまう事実が、タシュケントがここにたまたま居合わせた訳ではないことを物語ってはいるのだが。

 もちろん、特務神祇官(駆逐艦陽炎)たる瀬戸月ヒナタ1等海尉としてやるべきことは、そんな背後関係に気を配ることではない。

 

「それで、片桐1佐。ご命令は」

「寝てなさい……って、言いたいところだけれど。ちょっと付き合いなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「小河原海将補から、()()()()()()()()()()()()()()サハリンⅣを確保するように命令があったわ」

「……」

「期限は明日(7月13日)午前10時(ヒトマルマルマル)。要するに、我らが護衛艦隊の空母打撃群(DDHグループ)がここら一帯を射程にいれるまでね」

 

 そう言いながら片桐は、上層階へと続く階段を登っていく。網目状になった踏み面からは、3階分ほど上にある出口が見えていた。

 何も返さない陽炎。硬い靴底と踏み面の金属が擦れる音が狭い階段部屋に反響していく。

 

「ヒナタちゃん、何か感想は?」

「…………正気の沙汰とは思えません。本気で戦争を始める気なんですか?」

 

 少し考えてから、陽炎は言葉を発した。軽々しく言える事ではなかった。

 

 深海棲艦の攻勢に乗じて、海上油田を制圧する。

 そんなことをしたら、戦争になる。

 

「始まるも何も、日本とロシア(ソ連)は第二次世界大戦から()()()()()()()()

 

 もちろん、それで両国関係に具体的な問題が起きたことはなかった。

 ソ連はロシアと名を変えても十分な抑止力を持つ軍事大国であったし、北方領土を占領された日本は「紛争の解決手段」としての武力行使を放棄している――――幸いにもその文言は憲法改正を経た今でも残されている――――のだから、両者の間で戦火がこれ以上広がることはない。

 

 はずだった。

 

「2010年代初頭の深海棲艦出現でロシアは海軍大国としての威厳(抑止力)を喪った。そして日本を止めるはずだった国際世論は、2014年のクリミア・ドニエプル戦争ですら声をあげなかった」

 

 もはや日本によるサハリン侵攻は現実的なシナリオだ。なんなら千島列島には既に日章旗が翻っている。日本国の法令が適用されるのは駐屯地限定で、後の場所ではロシアの法を遵守すると言う日本政府の公式見解は、ロシアからしたら信じられない話だろう。

 

「だから私の『感想』はこうよ、ヒナタちゃん」

 

 出口に辿り着いた片桐が重たそうな鉄製の扉を開ける。それから、叫ぶ。

 

 

バッキャロ(馬鹿野郎)――――――――ッ!!!」

 

 

 

 水平線上には、まだ太陽が輝いていた。

 北緯50度を越える北サハリン地域の昼は長い。北極圏ではないので白夜と呼ばれる丸1日太陽が沈まない現象こそ起きないが、7月ともなれば昼は18時間近くもある……。

 

 ……待った。

 それでも、昼は18時間()()()()はずだ。

 

「……っ!」

 

 腕時計を見る。示す時刻は午後9時(フタヒトマルマル)の少し前。緊急展開群が設置されて出撃したのが午後6時(ヒトハチマルマル)だったことを考えれば、およそ一時間ほど気を喪っていたと言うことになる。

 いや、そうではなくて。違うのだ。

 

 意識が途切れる前に陽炎が命を賭けてでも奪おうとした海域(LZ)には、()()()()()()()()()()()も納められていたはずなのだ。

 

 つまり、今は陽が沈んでいなければおかしくて。

 それなら、あの。目の前にある太陽は。

 

「見てよ陽炎ちゃん、キレイだよね。人類の叡知、放射線の残らない、キレイな核(レーザー式水素爆弾)

 

 太陽が()()()

 そして、咲く。

 

「ホント馬鹿だよ、みんな馬鹿」

「な、ナンバーズは……!」

 

 陽炎の言葉に、うんうん流石ねと片桐は満足顔。

 

「大丈夫、今はまだ無事よ。というか、無事だから護衛艦隊は急行しているのよ」

 

 ひとつでも多くのガスリグを確保するために。

 ロシアに破壊されてしまう前に。

 

「これで一連の茶番劇(プロセス)は終わり。無限に湧き続ける深海棲艦相手にロシアはオホーツク海に大量の核兵器を投射するという愚を犯し、アンカレジ協定の枠を使いきることに。そしてサハリンを守れなくなったことで、ここの支配者は日本に移ることになる」

 

 出来すぎだよね? 片桐は嗤う。

 

「そもそもの前提から違うんだよ。深海棲艦(あいつら)はオホーツク海に突然現れた訳じゃない、千島列島の防衛線を素通りして、だから数が減らなかった。凄まじい攻防戦で生き残った深海棲艦は精鋭となり、私たちですら苦戦する相手になった。こうまでしてガスを手に入れる必要があったのかな?」

「それは」

「答えは簡単。『ある』んだよ。それだけのことをする価値が」

 

 太陽が再びしぼみ、暗さを取り戻した空を片桐が見上げる。

 

「酷いものだったよ。この戦争が始まったばかりの頃は」

 

 海上交通が絶たれて。

 ヒトも、荷物も、石油も、食料すら届かなくなって。

 

「本当に酷かった。そんな世界につけ込む奴らも」

 

 世界秩序が崩壊したとされる2014年のクリミア・ドニエプル戦争を国際世論が止められなかったのは、当事者である筈のユーラシア大陸がロシアに依存していたから。封鎖された海に代わり、陸上を走るパイプラインと肥沃な穀倉地帯をロシアが提供したから。

 

「誰かに生殺与奪の権を握らせちゃダメなんだ。それを身をもって知ったから、この国はこんなに残酷になった。自分が『握る側』になるしかないと決意した」

 

 それはひとえに、誰かを守るため。

 食卓を、電気を、家族の団らんを。

 そのためならば、他国の侵略をも躊躇わない国家。

 

「よく覚えておきなさい――――――これが貴女の戦う相手よ、瀬戸月ヒナタ」

 

 

 

 

 

「それは違うな」

 

 

 聞いたことのある声だった。つい数時間前に聞いた声だった。

 

「前々から思っていたが、やはり軍人に必要なのは適切な政治教育だな。独学でやられると分かったフリをした奴ばかりで、話の前提情報の摺合せから始めることになる」

 

 肩に着けた階級章は、桜が2つ。

 胸を埋める防衛記念章が語るのは、過去の実績。

 

「……小河原海将補、なぜここに」

「妻は止めろと言うんだが、私は所詮『鉄砲玉』でね」

 

 それと、現場に後方(うしろ)は政治ばかりだと言われるのも癪なのでねと言いながら彼はこちらへと歩み寄ってくる。

 

「現場への寄り添いアピールなら、せめて野戦服で来て欲しかったですね」

「瀬戸月1尉、それこそアピールに他ならない。社会主義国家で指導者が人民服を着るのと同じだよ」

 

 陽炎の言葉をひらりと躱して小河原海将補は欄干へと手を掛ける。太陽が咲いて、彼の顔を仄かに照らす。

 

「結局のところ、軍人は世間知らずだ。社会(シャバ)に出た事がない、お客様としてしか世間と触れあったことがない……だから『陛下を惑わす奸臣を排す』などと訳の分からん蜂起が起きることになる」

「面白い話ね、小河原クン。あなただって純粋培養、防大卒の軍人サマじゃないの」

 

 鼻で笑った片桐に、小河原海将補は首を向ける。

 

「…………他人の背景事情(バックボーン)くらいは調べておくべきだな」

「知ってるわよ。神奈川県出身の54期生。専門は対テロ作戦などの治安戦でしょ?」

「だが、なぜ私が対テロリズムに傾倒したかは知らない。要するにそういうことだ」

 

 何が言いたいのだろうか。

 しかし海将補は答える素振りも見せず、水爆の焔が照らす白夜を眺める。

 

「同志オガワラの任務(しごと)ロシア連邦(この国)の安定化だったんだよ」

 

 背後から現れたのは、タシュケント。

 そして、何名かの連邦軍制服を着た士官達に、山城の姿まで。

 

「残念だけれど、今の連邦は崩壊寸前さ。そもそもが独立国家共同体で主導的な地位を占めるための寄り合い所帯だからね」

 

 93の連邦構成主体――――――共和国・地方・連邦市・自治州・自治管区という内実の全く異なる地位の等しい共同体の集合体であるロシア連邦。

 

「私たちは成功しすぎたんだ」

 

 世界最大の面積。世界最大の穀倉地帯。世界最大の地下資源。

 世界最強の(資源に裏打ちされた)経済。世界最強の懐古主義(超大国としての誇り)世界最強の陸海空軍(200万を数える精兵)

 

「成功……?」

 

 彼らの口にするそれらが、陽炎には成功とは思えない。なるほど間違いなくロシア連邦は強国だ。しかしそれは彼の国が超大国にのし上がったのではない。あらゆる国が深海棲艦の攻撃に晒されることで傾いたから。

 彼らのいう「成功」は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から成しえたこと。

 

「そう、成功さ」

()()()()()んだ。ロシアという広大な後背地がユーラシアの人類を勇気づけているのは、紛れもない事実だからな」

 

 タシュケントの言葉に、日本の海将補は肯首。

 南サハリンの小麦、北サハリンのガス。それらの資源が日本の経済を支えていることは疑いようのない事実だ――――――けれども。

 

「けれど、ロシア連邦(わたしたち)は失敗した」

 

 そう言ったのは誰だろうか。タシュケント? それとも連邦軍士官の誰か?

 

「構成主体の分離が止まらない。ユーラシア大陸で最も成功したが故に、ユーラシアの全てから付け狙われるようになってしまった」

「いわゆる『ロシア降ろし』だな。聞いたことぐらいはあると思うが……」

 

 補足する小河原海将補。タシュケントは前髪を掻き上げ、大袈裟な嘆きの表情を作る。

 

「酷い話だよ。一体どうやって、誰の力を借りて地獄の2010年代を生き抜いたのか忘れてしまったのかな?」

「もう20年前の話だ。仕方あるまい」

「しかしだよ同志オガワラ。キミの国だって今、軍隊を差し向けているじゃないか!」

「やむを得まい。南サハリンの邦人保護は国防軍の責務だからな……なによりこのままでは、ロシアは南にも核を落とすだろう」

 

 口論をしながら論点を整理していく二人。

 

「そう、問題はロシアの核だ。そして領土の割譲を一切認めないロシアの憲法だ……領土の割譲を認めないなんて『当たり前のことを』どうしてわざわざ憲法なんかで規定する必要があるのかな? 南サハリンごとき、切り売りして日本にオホーツク海を守ってもらえばいいのにね?」

 

 とんでもない発言をするロシア人。しかし誰も咎めない。遮ることもしない。

 

「なら、方法はひとつしかないよね?」

 

 

 その言葉と共に、採掘プラットフォームの上空に現れる回転翼機(ティルトローター)。あっという間に陽炎たちの1階層上に備え付けられたヘリポートに着陸すると、続々と人垣が降りてくる。

 

 その機体に刻まれた赤い星――――――中華人民共和国、人民解放軍の国際識別標(ラウンデル)。降りてくるのは大振りなカメラを抱えた……カメラ?

 

 最前線のプラットフォームに集結した、ロシア軍。日本の艦娘。そして中国共産党の党軍たる人民解放軍の機体……最後にメディア。胸には「報道(PRESS)」のプレートと「汎華社」と書かれた腕章。中国の主要メディアが登場したことで、場は一瞬で混沌(カオス)へと堕ちる。

 

「片桐くん……瀬戸月くんと中島くんも憶えておくといい」

 

 そんな状況にも関わらず、海将補は冷静だった。

 

「国防軍の任務は、国民の生命と財産を守ることだ」

「そして民主主義国家の任務とは、国民の意思を代弁することだ*1

 

 

 日本国民(わたしたち)が本当に樺太奪還(侵略)を望んでいるとでも思ったのか?

 

 

「私たちは右派でもなければ左派でもない。日本国民が希求するのは自由で開かれた世界であり、世界の諸国民が団結し、笑って食事にありつける世界だ。これを為すために、政府は常に全力を尽くさねばならない*2

 

 小河原海将補の言葉は熱など帯びてはいない。ただ当然のことを当然だと、読み上げることに特化した機械のように。

 

「だからこそ我々は他国を侵略してはならない。他国を貶めてはならない。しかし他国が道を違えたときには、それを正さねばならない*3

 

 

 

「故に『われら』は――――――『日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成する』。そうでなければ、我が国の存立理由(アイデンティティ)が危うい」

 

 

「狂ってる」

「そうだな。真に正しい法など存在しない。だが自衛隊法……今の国防軍法(国防軍)憲法(国家)の求めによって生まれた。世界平和を謳った憲法は、私にとっては従うに値するモノなんだよ」

 

 少なくとも、無人艦に国防を任せ、列島に引き籠もろうとするキミの派閥よりかはね。

 片桐の台詞を斬り捨て、小河原海将補は前面へと視線を注ぐ。既に目の前では、ロシア連邦軍による核兵器の無制限投入と、それがいかに悲惨で残酷な結末をもたらすかをロシア連邦軍士官……いや、サハリン統合軍の報道官がカメラに向けて述べている。

 

 

『ことここに至っては、もはや私たちに選択肢はありません。我等はここに――――――』

 

 

 そこでふと、陽炎は北サハリンの少年を思い出す。

 ――――――変わるしかないんだよ。世界も、ヒトも。

 

「さて、カゲロウ。キミは私たちの同志国になってくれるのかな?」

 

 揶揄うように問いかけるタシュケント。言葉も返せない陽炎に見せつけるように、彼女はポケットから小さなバッジを取り出した――――――赤い槌と鍬は、かつて超大国を名乗った国家のシンボル。

 

 

『サハリン島および連邦軍サハリン統合軍のロシア連邦政府よりの離脱、ならびにサハリンスク共和政府設立と共和政府のソビエト連邦加盟を宣言致します』

 

 

 

「さぁ、綱渡り(革命)のはじまりだ」

 

*1
そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。

*2
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

*3
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。






日本国憲法(前文)



 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

(衆議院HPより)


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第120話 これまでの正義の話をしよう

〈西暦2036年7月13日 ソビエト社会主義共和国連邦 サハリン共和国〉

 

 

 

 地球の湾曲と水蒸気がもたらす蜃気楼の向こう、遠目に見ても巨大と分かる建造物がそこには鎮座している。

 それは要塞。冷たい海に抱かれ、外部からの侵入を拒む。

 

 サハリンⅣ。日中露共同開発の採掘プラットフォーム。今日までの人類経済を支え、これからも担うであろう生命線。

 そして今は――――――

 

 

 

 

 

 

「なんなんですか、いまさらソ連だなんて」

「そうね。ホント狂ってる。それは同意」

 

 ただそれでも、今採りうる選択肢としては妥当だったと片桐は漏らす。

 

 防ぎたいのは「ロシアによるサハリン・ナンバーズへの核投射」――――――課題は2つ。

 

 ひとつ、ロシア連邦は他国軍の介入をよしとしない。

 ふたつ、サハリンがロシア領である限り、核の投射権利はロシアにある。

 

「『独立』しないと話が進まない問題ではあった。問題は、独立にどう根拠を持たせるか……幸い、中国を支配するのは曲がりなりにも『共産党』よ。だから社会主義国家の誕生であれば()()()()()()()()

 

 少なくとも、社会主義国家が新自由連合盟約(ニューコンパクト)加入はあり得ないからね。政治の事情を話す片桐。

 

「中国だって、別に社会主義国って訳じゃないじゃないですか」

「実態はどうでもいいのよ……新ソ連の建設を中国のメディアが報じる。これだけでロシアは核兵器をサハリンに落とせなくなる。ロシアの核に代わって国防海軍(わたしたち)の空母打撃群がオホーツク海を掃討、これで終わり」

「酷いマッチポンプです」

「ええ、完敗。よくやったよ彼は」

「でも、ロシアは許さないでしょうね」

「うん? 許さないだろうね。でもどうやってサハリンを奪還するのさ。日本海軍と中国陸軍がガッツリ展開しているこの島を」

 

 そう言いながら、片桐は採掘プラットフォーム「サハリンⅣ」の屋上から空を見上げる。本物の太陽がようやく顔を出したオホーツク海は薄暗い。

 

「上手くやったよ。手間が掛かったし敵は増えたけれど、日本が欲しいのは燃料と食糧だけ。サハリンを支配する気がないことは伝えられた……厄介なのは千島列島だけれど」

 

 まあ、ロシアの地位を引き継いだ新ソ連と和平条約を結んで、そこで北方四島だけ割譲って形が丸いかな? そう言う片桐。実際、千島列島に国防軍が駐留している今では「どうにでもなる」案件だ。

 

「でも、こんなの。正しくない」

 

 陽炎が漏らすと、ふぅん? と片桐は首を傾げた。

 

「ねぇ、陽炎(ヒタナ)ちゃん。私たちは『正義』のためにここへ来たの?」

 

 違うでしょと、片桐は言う。陽炎の考えていることを見透かしたように。

 

「これは戦争(せいじ)なんだよ陽炎ちゃん。サハリンという巨大な小島を巡る戦い。本国から逃れようとするサハリン軍閥あらため新ソ連、離脱を許さないロシア政府(クレムリン)、そして樺太千島を確保したい日本に、中国……三つ巴なんて簡単な話じゃない」

 

 そして、そんなの私たちには関係ないと、そう片桐は続ける。

 

「あなたの目的は『子供』を……ううん姉妹(しらぬい)を救うこと。政府の企みなんて放っておきなさい?」

 

 そうは言われても、現実として陽炎はその「政府の企み」とやらに荷担しているわけで。

 

「でも! 私たちはその片棒を担がされた!」

 

 なにも変わっていない。変えられていない。

 「子供」を人質に取られたような状態で軍の手先として利用された。このままでは彼らの目論み通り「子供」たちは南方の最前線で磨り潰されてしまう。

 

 それを防ぐために力を欲した。でもまだ足りない。どこまで行けば、どれほどの力をつければ願いが叶うのか、全く分からない。

 

「小河原海将補だっておかしいです。言ってることメチャクチャですよ。国際平和を守る? 道を違えた他国を正す? 日本がこれまで、どれだけの国家を見捨ててきたか……!」

「だからこそ、届く範囲の命には手を差し伸べる。そういうことじゃない?」

サハリン(ここ)には資源があるからでしょう?!」

「サハリン・ナンバーズには日本資本も入ってる。『国民の財産』を守るのだって立派な国防軍法(ルール)よ」

「ルールってなんですか? 難民を見捨てて、資源を刈り取って、稼いだ時間と食事で列島に引き籠もることがルールだっていうんですか?」

「この国は民主国家よ」

 

 悔しいけれどね、と片桐。

 

「民主国家では国民の合意がルールになる」

「だからって。そんなことが許されるとは」

「許したのよ――――――だから英雄は戦犯になった。違う?」

 

 それは、と言葉を詰まらせる陽炎。片桐は続ける。

 

「小河原の3等空佐の方から聞いたんじゃないの?」

「……守らなかった、と」

 

 守れなかった、ではなく。明確な意思をもって見捨てたと告げた小河原空佐。

 

「でもそれは、一部の権力者によるもので……」

「権力者なんて国民(だれか)のシモベでしょ。偉い奴がいないからこの国は民主国家なの」

「そんなのおかしいですよ」

「なんで?」

 

 なぜって、そんなの決まっている。

 

 

()()()()()()()を守らなければならなかった』

 

 

 小河原ノゾミは「私たちの罪」と言った。

 

 きっとその「一族」とやらはミクロネシア戦役の時も権勢を誇っていたのだろう。だからこそ瀬戸月を見捨てたことが罪だと、だからこそ罪を償わなければならないと考えている。その傲慢さで、傲慢の清算をしたいと言っているのである。

 けれど彼らに権力がないのなら、偉い奴がいないのなら、国民(だれも)が望んだことならば。それではまるで。

 

「だってそれじゃ、誰が悪いのか分からない」

「悪いヒトがいないといけないんだ?」

 

 その言葉に、陽炎は身体を強ばらせる。見せつけるかのように上空を通過(フライパス)した海軍機の翼に低認識(ロービジ)の日の丸が鈍く輝く。

 

「もう一度聞くよ陽炎(ヒナタ)ちゃん。私たちは『正義』のためにここへ来たの?」

 

 違うでしょと、片桐は言う。陽炎の考えていることを見透かしたように。

 

「今はそんな話をしている場合では」

「いんや、今しか出来ない今んだよ。ヒナタちゃん」

 

 片桐がそう言い切る。

 

「今の貴女は2つの鍵を持ってるんだ」

 

 それは選択肢だと、可能性だと彼女は言う。

 

「ひとつは組織の鍵。サハリンの(このクソッタレな)任務が終われば貴女は晴れて自由の身だ。それはつまり、この国防軍という巨大な官僚組織で生き抜いていくことを意味する」

「それなら、いつもと同じじゃないですか」

「全然違うよ。もう貴女はただの幹部艦娘じゃない、だって愛しの『子供』たち(しらぬいちやん)を救うために手段を選んでいられないでしょ?」

 

 答えたくないとばかりに黙り込んだ陽炎。それを無視して片桐は続ける。

 

「で、もうひとつは家族の鍵。意味は分かるわよね?」

 

 それは陽炎の名前。特務神祇官たる海軍軍人である瀬戸月ヒナタという名前(かぞく)

 

「小河原夫妻の接触は僥倖だった。彼らが『瀬戸月』の名前に利用価値がまだあることを教えてくれた――――――これは武器だよ。あなただけが使える」

 

 それは、そうだろう。ミクロネシア戦役の英雄、瀬戸月夫妻の子供なんて、瀬戸月ヒナタを置いては他にいない……と、言えれば良かったのだが。

 

 

「――――私にそんな権利はないですよ」

 

 

 片桐は一瞬、かける言葉を迷ったように見えた。

 

「権利は、大事じゃない。大事なのは『なにをするか』。違う?」

 

 それから絞り出された問いの、なんと簡単で難しいことか。

 

「なにをするかって、そんなの。正しいこと、間違ったことを正すために……」

 

 そして思い出す。それは小河原海将補の台詞と同じだと。

 正しいことをすると言って、サハリンに国防軍を持ち込んだ彼と同じだと。

 

「日本とロシア、それにサハリン(新ソ連)で正しいのはどこ?」

 

 もちろん、陽炎に答えられるはずはない。

 

「正義なんて方便よ。それそのものに価値はないの」

 

 だとしても、だからこそ陽炎は認めたくなかった。

 ポートモレスビーの時だってそう――――「子供」という、歪んだ国防装置に国が守られていると知っても無感情に受け入れていた陽炎は、戦友(しらぬい)が「子供」だと知るまで鎮圧に手を貸そうとしていた。

 

 もしも鎮圧が実行に移され、積み上がった死体袋のひとつに彼女が入っていると知ったのなら、陽炎は果たして狂わずにいられたであろうか?

 だからこそ、陽炎はもうそんな「不正義」を許したくない。気付いてからでは、失われてからでは遅いと知ったからこそ、正義を貫き通さなければいけなかった。

 

「正しくなきゃ、いけないんです。私は、もう間違えられない」

 

 私は間違えたから、私は大切な家族(モノ)を見捨ててしまったから。

 

「……もう、よそうよ。ヒナタちゃん、それは貴女を傷つける理由にはならない」

「傷つけてなんかいません」

「傷つけてるでしょ。貴女はまだ、瀬戸月ハルカ(あなたの義母)が自分のせいで死んだと思ってる」

「そんなこと……!」

 

 ない――――などとは、口が裂けても言えない。言えるわけがない。

 歯を食いしばる陽炎の肩を、となりの女性は静かに撫でる。

 

「……昔、父が妙なことを言っていたんです」

 

 詰まっていた言葉が、誰にも吐き出さなかった言葉が、もう抑えられない。

 

「俺たちは呪われた一族だって、でもお前は違う。俺たちに縛られる必要はないんだ、って……酷い話ですよ」

 

 私は、ただずっと……あの家で暮らしていたかっただけなのに。

 みんなと一緒に居たかっただけなのに。

 

「突き放された思いでした。義両親(おや)を信じ切れなかった私に嫌気も差しました……でも、なにより」

 

 

 ――――――父さんの子供じゃないんだ。

 

 

「本当の子供じゃないから。私は、要らないのかって」

「そっか」

 

 片桐は相槌だけを打った。それに聞いているという確認以上の意味はなかった。

 それを聞いて、思う。彼女はきっと知っていたのだろう。親に取り残された瀬戸月ヒナタが何を考えているか。どんな思いで我武者羅に艦娘になろうとしていたか。

 

「けど、小河原3佐の話を聞いて繋がりました。きっと両親は私を守ってくれたんです。私が本土に行ってすぐ義父が死んで、転がるように戦局が悪くなって」

 

 そして小河原の傲慢さが真実であるのなら、両親を「助けなかったヒト」がいて――――――それなら、その存在を予知して義父が義娘を引き離したのも理解はできる。

 

「私、酷い娘なんです。ミクロネシアの大敗は瀬戸月のせいだってみんな言ってた。核爆弾がチュークに落ちて、誰も住めなくなったのは瀬戸月ハルカの、義母(かあ)さんのせいだって……私も、そうなんじゃないかって。ほんとは」

 

 心の何処かで。片隅で。信じられないでいて。

 

 

「誰かのせいにしたかった」

 

 

 私がこんなに苦しくて、悲しくて。

 それは全部誰かのせいだって。

 

 だから恨んだ。嘘つきのことを、帰るって言ったくせに帰らなくて、私のことを一人にして。そんな義母のことを、恨んで。

 

「でも、ミクロネシア疑獄が全部をひっくり返しちゃったワケだ」

 

 無感動な片桐の声が聞こえる。

 

「当時の戦局報道は半分嘘、悪化する戦線に対して政府は自衛隊の増派どころか戦力の引き抜きを行っていた……それでも、瀬戸月夫妻はミクロネシアを守り続けた」

 

 彼らは間違いなく南洋の英雄だったと、あくまで片桐はそう言ってくれる。

 

瀬戸月夫妻(あなたのりようしん)は戦犯に仕立て上げられた……騙されてたのよ。みんな騙されてた」

「でも、(わたし)だけは信じてあげなきゃいけなかった!」

 

 少女の慟哭は誰にも届かない。

 

「義母さんは必死に戦ってたんです。負けないようにって、皆のためにって」

 

 それなのに自分は、義母の戦いに耳を貸そうともしなかった。本人が大丈夫、必ず帰ると言っているんだから大丈夫だとすら思っていた――――その結果どうなった。

 

 結果だけをみて嘘つきと罵る少女の、なんと身勝手で傲慢で愚かなことか。

 

「私は欠けた人間だったんです。自分のことばっかり、家族も大切にしない――――だからその報いを受けて当然なんです」

 

 なにせ私は、義父の葬式にすら顔を出さなかったんですからと嗤う陽炎。

 

「私はただ、義父が死んだときに帰ればよかった。それだけで、義母をあの地獄から連れ出すことができたのに」

「それは思い上がりだ。瀬戸月ハルカは弱みをみせない、あなたは気付けない」

「片桐さんに何が分かるっていうんですかッ!」

 

 片桐は陽炎を一瞥して、極めてフラットな口調で続ける。だから――――。

 

「分かんないよ」

 

 だから、片桐が悔しがっていることを理解できたのは陽炎だけだった。十五年前と同じ光景を知る陽炎だけが、それを理解することが出来た。

 

「分かっているのはひとつ、何にも変わっていない事だけだよ。私も、あなたも」

 

 真相は闇の中。ミクロネシア疑獄ですらそれを暴くことは出来なかった。ただただ少女に罪を自覚させ、己を欠けた人間だと定義させただけであった。

 

「自分を責めるのを止めろとは言わない。でも、自分を悪者にするのは止めなさい」

「できません、そんなことしたら」

 

 私は両親を悪者にしなければいけなくなってしまう――――それは瀬戸月ヒナタという少女にとって、両親を再び殺すことに他ならない。

 

「……できません」

 

 義母は私のカミサマなのだ。もちろん義父も私を救ってくれた存在なのだが、性質がまったく異なる。

 

「はじめてだったんです。命をかけて、守ってもらったの」

 


 

 今でも覚えている――――べとりとした、あの感覚。

 

『ヒナちゃん……大丈夫?』

 

 忘れられるはずがない。あの少しだけ酸っぱい香りを。

 

 それを包み込むような、硝煙と、炎の匂いも。

 


 

 

 

 

「テロだって聞きました。日本の支配に抵抗する現地人のパルチザン活動だって」

「ミクロネシアの同時多発テロね。覚えてるわよ、あれが両国関係を決定的に冷え込ませた……ヒナタちゃん、そんなのにまで巻き込まれてたんだ」

「死んじゃったと思ったんです。助かるなんて、少しも思ってなかったんです」

 

 怖かった。自分があそこにいなければ、義母は怪我せずに済んだんじゃないかと。

 

「よかったじゃない。瀬戸月ハルカは不死身だった。テロリスト如きじゃ殺せない」

「けど。義母を欠いた期間があったからマーシャル諸島の失陥は起きてしまった。あの数週間、チューク環礁(あのばしよ)に空母がいなかったから戦線が崩壊した」

 

 陽炎の義母は、瀬戸月ハルカは空母使いだった。それこそ片桐と同じ、主力級の空母艤装を使いこなし、空を支配する存在だった。

 

「……()()()()()()ってなんですか。()()()()ってなんですか? 私はあの人たちの本当の子供じゃないんです、あの人たちの血を、一滴も受け継いでいないんです。それどころか、私さえ居なければみんな血を流さないで済んだはずなのに――――……!」

「ヒナタちゃん。それは違うよ。アイツらは親としての責任を果たしたんだ、ぶきっちょだけれど。あなたを守ろうとしてた」

「分かってますよ、分かって……だから。ああ、チクショウ。悔しいなぁ……!」

 

 

 

 陽炎は未だに無力であった。

 

 

 1等海佐という階級まで駆け上がった片桐ですらも無力だというのに、いったい何処までゆけば「力」が手に入るのだろう。それとも小河原空佐のような「一族」と手を組まなければ「力」は手に入らないのだろうか。

 

 でも、そんな他人任せの「力」で何が出来るだろう。

 

 国に依存した力では『子供』たちを救えない。自分の力では何も変えられない。そして「力」がなかったから、義父は、義母は……ミクロネシアは、消えてしまったのだろうか。

 

 

 

「あのね、陽炎ちゃん。私、実はもうひとつだけ鍵を持ってるんだ」

 

 重苦しい沈黙がどれほど続いたのか、片桐の柔らかい声が陽炎の耳朶を撫でる。顔を上げた彼女に、片桐は前を見据えたままに言う。

 

「私はこの戦争に復讐する。戦って(いきて)、生き続けて。己の無力さを呪うことだってある。どうしようもない壁にぶつかることだってある。それでも、己のやるべきことへ向かって。ただひたすら、まっすぐに進むしかないんだからさ」

 

 その道を切り開く鍵があると、彼女は言う。

 

「仲間の鍵――――――この任務が終わったら、あなたにも作り方を教えてあげる」

「……」

 

 仲間の鍵、だなんて。また随分と胡散臭いものが出てきたモノだ。

 

「あなたがもし正義を貫きたいなら、それでもいい。自分を悪者にしないと許せないんなら、それでもいい。けれど、戦うんならしっかりやりきりなさい」

 

 沈黙。陽炎がようやく捻り出したのは、ほんの小さな苦情だけ。

 

「片桐さんの言うことは、いつも無理難題が過ぎます」

「焦らなくていいわよ、貴女はまだ若いんだから」

 

 そう言う片桐の肌は、色褪せたように見えた。

 

 ほんの少し、そう。本当に少しだけ。

 そこにあるべき艶と張りが、なくなったように――――――そう、みえた。

 

 

「……やっぱり、あなたも」

 


 

 昔の話を思い出す。初めて片桐アオイ(このひと)と出会ったときのこと。

 随分と、本当に申し訳ないくらい甲斐甲斐しく世話を焼いて貰った。

 でもあの時の私は、そんなことにも感謝できなくて……今でもやっぱり、あれは打算ありきの行動だったんじゃないかって疑っているけれど。

 

『片桐さんも、居なくなっちゃうんですよね』

『……難しい質問だね。それは』

 

 それでも、あの時。どこまでも空に向かっていくあの場所で聞いた言葉は。

 

『ヒナタちゃん! 私はアイツじゃない。でも……でもねッ!』

 

 


 

 

 

 あなたは。言ってくれたじゃないか、あの時。

 

「いなくならないで」

 

 もう、誰も。喪いたくない。

 

「無理だよ」

 

 なのに。

 

「私はあなたより先に死ぬ。絶対に」

「なんで」

 

 口約束でいいじゃないか。いなくならないって、私はサイキョーだって。

 あの時みたいに、そう嘘を吐いてくれるだけでいいじゃないか。

 

「今のあなたに嘘はいらない。そして私はもう、その嘘に責任を持てない」

「どうして、そんなこと!」

「だって貴女は」

 

 

 もうオトナなんだから。

 



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第121話 義務なき権利なく、権利なき義務なし。

◎あなたのサークル「帝都ファンタジア」は 土曜日 東地区 “キ” ブロック 56b に配置されています。

更新滞らないように頑張りますね……。(同人誌Web掲載のハズなのに書き下ろし部分の文字が永遠に膨らむ作者より)


〈西暦2036年7月14日 ソビエト社会主義共和国連邦 サハリン共和国〉

 

 

 「ロシア降ろし」が本格化している。

 

 ロシア中央政府の横暴、ロシア連邦軍による核兵器投下の被害から民衆を守るために独立したサハリン共和国政府を、ロシア政府は「国内分離主義勢力によるクーデター」と位置付けた。中国と日本の介入があったのは明らかにも関わらず、彼らはそれを認めなかった……認められなかった。

 

 そうなれば、あとはもう早い。

 なにせロシアに「抑止力がないこと」が証明されてしまったのだから。

 

 そして実際、ロシアに抑止力はなかった。

 人口減には歯止めがかからず、資源輸出以外の外貨獲得手段は喪われて久しく、かの国を唯一大国足らしめていた軍事リソースは深海棲艦との戦い、更には新領土(ノヴォロシア)での終わらない抗争によりほとんど喪われた。

 肝心の核兵器も、いまやアンカレッジ協定に基づき使用される「通常兵器」。

 

 もはや誰かが侵略する必要もない。

 サハリン共和国政府の独立から36時間以内に10の共和国がロシア連邦を離脱、3の地方と6の州、1つの連邦市が独立。もちろんこれは序の口――――当たり前の話として、たった1日で独立できる勢力は「事前に準備している」――――で、この動きはまだ広がると見られている。

 

 ユーラシアの巨人は、その重みに耐えかねて自壊した。

 

 

 そう、()()()()()()()()

 

 

 

 

「殺したかっただけで、死んでほしくはなかった」

「ちょっとなに言ってるか分かんないですね」

 

 陽炎の突っ込みに、ホントの話だよ? と片桐は漏らす。

 

「ロシアは世界の敵でも構わないけれど、ロシアが消えると世界が困るのよ。仮にも常任理事国、核兵器の保有数は世界第3位の国だよ? ロシア内戦は間違いなく安全保障理事会の緊急会合案件だけれど、このままじゃ開催できない」

 

 常任理事国のロシアを欠席扱いにしたところで、無数の自称ロシアが拒否権を行使するだろう。

 

「でも、常任理事国の交代は過去にもあったわけですし……」

「中華民国と中華人民共和国は一対一の内戦だったし、ソ連は中核国がロシア共和国だってことが明らかだったから認められただけの話よ」

 

 今回みたいに、無数の国が乱立して『ロシア』を主張する状況は想定されてない。そもそも国連は第二次世界大戦における連合国を母体とした……そのように説明する片桐の説明は若干偏りがある*1が、ともかくもロシアの崩壊は国際秩序に大きな影響をもたらすのだろう。

 

「……というか、だからこその『新ソ連』なんじゃないんですか」

「まぁね。本来の常任理事国はソ連な訳だし」

 

 とはいえ、国名で正統性を名乗ったところで中身が伴わなければ空虚そのもの。現状サハリン共和国しか加盟していない新ソ連は看板だけである。

 

「とりあえずハバロフスクのトランス=アムール共和国とイルクーツクのシベリア合同共和国の合流は既定路線として、後はどこまで引き込めるかよねぇ……CIS諸国も引き込んで東ソ連って呼べるくらいの大きさになればいいんだけれど」

「まるで東西ローマですね」

 

 陽炎のぼやきに、当たらずも遠からずねと片桐。

 

「ロシアが崩壊した以上、新しいロシアが必要なのよ。資源と後背地を供給してくれて、なにより()()()()()()()()()()()()ロシアが」

 

 そう、ロシアが内乱に陥ることでもたらされる危機である。群雄割拠となれば外部勢力は黙っていない。己の利権を確保するべく、どこかの国を支援する。

 

「深海棲艦のおかげでギリギリの共闘を保てている日中が、広大なシベリアに広がる武装勢力をそれぞれ支援する……それはもう代理戦争よ。しかも、近いうちに直接対決に発展する」

 

 冷戦時代の再来。最初は食糧、次に武器、特殊部隊による現地軍訓練、それでもダメなら遠征軍の派遣。

 

「戦争してる場合じゃないのよ」

「……少なくとも、内戦を仕掛けた側の台詞じゃないですよね。それ」

「だから『殺したかっただけで死んでほしかった訳じゃない』って言ってるじゃない。それが偽らざる本音なのよ」

 

 おそらく、最初の青写真は日中でサハリンを分け合うことだったのだろう。日本は北方領土を取り返してサハリンのガスと小麦が手に入れば文句はない。領土は中国に渡しても良かった筈だ。ロシアとの関係は絶望的だが、それは今に始まったことではない。

 しかしその目論見は、ロシアがあまりにもあっさり崩壊したことで崩れてしまった。

 

「それにしても、遅いわね」

 

 そう言いながら片桐は重厚な扉に視線を送る。新ソ連を国家として承認する予定の日本とサハリン共和国による事前協議は、開始から既に4時間が経過していた。

 

「というか、そんな実務的な話あったっけ?」

 

 そう片桐は首を傾げるが、陽炎にはてんで予想がつかない。

 

「……そもそもなんですけれど、この会議の議題ってなんなんです?」

「ん? 一言で言えば共同声明の骨子作りかな」

 

 共同声明。外交ニュースなどではよく聴く言葉である。しかしこれが意外とバカに出来ないのよねと片桐は続ける。

 

「ぶっちゃけ中身がなくてもいいのよ。お互いがお互いを『対等な主権国家』と見なし並んで発言する。これだけでいいの」

 

 それだけで、新ソ連の承認を内外にアピールできる……らしい。

 片桐の言う通りなら簡単な理屈である。さっさと記者を呼んで両政府の代表が原則論を述べて終わりだ。

 

「じゃあ、なんで時間がかかってるんですか?」

 

 

 

 

 


 

 

 

「イエスかノーか。まずはここからです」

 

 

 小河原アツシ海将補はロシア語を話せる。故に今回の任務に選ばれた……訳ではない。

 

 この任務は極めて綱渡りの多い任務であった。まずロシアに派遣の真意を悟られるわけにはいかない――――なにせ内乱を起こすのである。バレたら生きては帰れないだろう――――し最終的に海軍が介入することを考えれば低い階級の人間を放りこんでは状況の制御が効かなくなる。

 更に言えば、サハリン利権には中国も絡むため、彼らへの人脈も必要だ。

 

 この無理難題を押し付けられた小河原アツシは、素早くチームを編成してこれに対応する。

 

 彼には成算があった。それも、かなり確度の高い成算が。

 

 まず、小河原アツシは駐在武官時代にロシアとのコネクションがある。しかも日本人として対テロ戦に精通――――即ち、米国式の対テロ戦に精通――――していた彼は、既に何度かロシア連邦軍との交流がある。これで難関である「ロシアへの偽装」は達成できた。実際、サハリンで彼はほとんどの時間をロシア国内で発生しているクーデターや独立運動の鎮圧協力に費やしている。

 

 次に、小河原アツシは個人的な情報網から「瀬戸月ヒナタ」の存在を知っていた。彼女はポートモレスビー事件の関係者であり、国防軍にとっては「飼い殺すしかない」人材。内乱の起爆剤としてはうってつけ、使い捨てても問題はない。早速彼は彼女を自分の作業チームである大臣官房監察課行動係へと回させた。彼女の「保護者」である片桐アオイが出てきたのは想定外だったが、彼女には小河原の任務を邪魔しない程度の理性が……いや、一度は妨害されかけたが、結果として上手く行ったので良しとしよう……二度目はなさそうだが。

 

 更に幸運なことに、小河原アツシの妻である小河原ノゾミは中国軍とのコネクションを持っていた。香港経由での「汚れた」ルートを使おうと考えていた彼にとって、これは望外の喜びであった。

 2児の母になりながらも空を飛びたがる御転婆娘であるが、御転婆もたまには役に立つ、というわけである。

 

 色々と並べたが、ともかく総じて今回の任務は上手くいっていたのである。

 

「我々は北方領土の四島、択捉島までのラインを確約してくれればいいと言っているのです。それ以上はいらないと言っている」

 

 しかしよりにもよって、ここで躓くとは。

 

「確約は出来ない。密約であろうと無理だ。私たちは常に敗北をシナリオに含めている」

「トランス=アムールとサハリンが戦争になるとでも? あり得ない、ナンセンスだ!」

 

 ドンと机を叩くのは外務省職員。長机の向こう側は肩を竦める。

 

「今頃、トランス=アムールは間違いなく中国と交渉している。我々は貴国(にほん)が陸軍戦力を出さないこと、中国が陸軍戦力を出し惜しみしないことを知っている」

「だからサハリンはトランス=アムールに負ける。日本は我々を見捨ててイトゥルップ*2だけを確保するのは明らか。認められない」

 

 そう。ここへ来ても北方領土の問題が片付かない。

 

「では北方領土返還についてはノーということですね? ならば共同声明の件はナシですよ。閣下」

「そうは言ってない。我が国が主権国家として独立守られたらソ連代表国として日本との平和条約締結に応じる用意がある。条約にはもちろん、イトゥルップ返還は含まれる」

 

 そう。ロシア崩壊は「出来過ぎ」だった。だからこそ次の問題が発生した。

 

 それは「誰がサハリンの主権を尊重するのか」という問題。本来なら中国と日本で分け合う予定だったサハリン。それはロシアには手を出せないが故の妥協的な共存案であった。

 しかしシベリアやアムールまでもが独立した今、中国と日本で棲み分けることができる。()()()()()()

 

 故に生じた戦争のリスク。サハリンが独立を守れない危険性。それは即ち、日本が戦争に巻き込まれる危険性でもある。

 平行線だ。議論の進みようがない。

 

「小杉局長」

「なにかな、小河原海将補」

 

 小休憩と言う名の作戦会議。会議室横の個室に移動したそこで、小河原は外務省の代表に話しかけた。

 

「北方領土については諦めましょう」

「バカなことを言うな」

 

 そう、実際小河原の発言は「馬鹿なこと」である。なにせ「返還」という言い回しすら妥協の産物。固有の領土たる北方領土は日本にとっては奪われた土地だ。

 

「千島列島には我が軍が駐留しております。オホーツク海の制海権も。最悪は、サハリンが負けてから併合すればいいのです」

「……これだから軍人は」

 

 日本側の代表である小杉ヨウイチの眼には、並々ならぬ嫌悪が浮かんでいた。

 

「君は、私に戦後日本が初めて()()()()()()()という蛮行の実行者になれと言うのか?」

「それは」

「ナンセンスだよ。小河原海将補、ナンセンスだ」

 

 ロシアが憲法で領土の割譲を禁じるように、日本も憲法により領土紛争の武力による解決を禁じている。

 北方領土の返還は、100%の外交交渉に依らなければならない。

 

「そもそも新ソ連がアムールやシベリアと合流してみたまえ。彼らは再びロシアとなり、北方領土は政治のエサにされるのがオチだ。違うかね?」

 

 ギロリ、と小杉は鋭い視線を小河原に注ぐ。

 

「分かるかな? 故に我々は『ここで』確約を得なければならない」

 

 そう言ってから彼は持ち込んだペットボトルの水を呷ると、時間がないと呟いた。

 

「簡潔に聞く、連中は件の『戦艦』を引き合いに出してくるか?」

「その質問は『交渉材料として彼らが保有する戦艦を活用するか』ということですか」

 

 即ち「独立を保証する軍事力」としての特務艇として「サハリンの戦艦」が活用されるか、という質問。

 

「あり得ません。特務艇戦力は日本が圧倒的であり、まして彼らの特務艇は総じて錬度が低い。特殊部隊としての価値もありません」

「なるほど。それが分かれば結構」

 

 それから小杉は小河原に向き直る。

 

「海軍から直ちに、かつ無期限に供出できる特務艇戦力はいくらある?」

「……駆逐艦で構成される護衛隊(ユニット)なら無期限でも3つか4つは可能ですが。それでなにを?」

「決まっている。人類のためになることをやるのだ」

 

 歴戦の外務官僚は、会議場へと戻る。

 

 

 

 


 

 

 

 

「5時間と40分。とりあえず日を跨がずに済んで良かったってところかしらね?」

 

 サハリン中部、ポロナイツク。豪勢なホテルの大広間に設けられた記者会見場で片桐はそんなことを言う。

 隣に座る陽炎は、気まずそうに辺りを見回してから今更ながらに彼女に耳打ち。

 

「ここにいていいんですかね? 私たち軍人ですけど」

「警備も兼ねてるからね。怪しいのいたら艦載機回すから通報しなさいよ?」

 

 そう言われて周囲を改めて見回すも、どこもかしこも見知らぬ人間ばかり。この場合の怪しいとは? 全く分からない。

 なにせここは記者会見場である。サハリン独立の立会人に過ぎなかった汎華社通信はもちろん、国内メディア、海外メディアの東京駐在員も皆すっ飛んできている。人種のるつぼなんてレベルではない。

 当然だろう。崩壊しつつあるロシア連邦、その「最後の引き金」となったサハリン共和国もとい新ソ連と、日本による共同記者会見なんてビックスクープ以外の何物でもないのだから。

 

「全世界の視線がここに集まっている。ロシアがソ連となるのか、それとも内乱のなんでもない弱小国群となるのか」

「……そして皆、前者を望んでいる?」

「そうよ。これは期待の視線。同時に、監視の眼でもある」

 

 監視対象は、もちろん日本国。

 

「今の日本は新自由連合盟約(ニューコンパクト)の盟主で、アジアの地域大国で、人類の中でも相応に広い海を確保している。この日本が選ぶ道はなんなのか……それを皆、見定めようとしている」

 

 そしてその答えが、壇上に上がろうとしている。

 2つの並んだ演壇。国家のマークは間に合わなかったらしいが、その背後にはハッキリと写るよう白地にと赤丸の日本国旗、赤地に黄色の鎚と鍬のソ連国旗が置かれている。演壇に登った2人は、共に軍服。煌びやかな勲章の群れを胸に従えているところまで同じだ。

 

 ざわめきが止む。いや、日本のメディアだけは逆にどよめきが上がる。

 そうだろう。政府間の共同記者会見に()()()()()()()()()()なんて、日本では考えられないことだ。

 

 

『こんにちは』

 

 そして壇上に登った日本の将官――――――小河原海将補は口を開く。ピタリと止んだどよめきに、彼は感情を載せない英語で話を進めていく。

 

『私は日本国国防海軍の小河原アツシ海将補。南サハリン緊急展開群の司令官です。現在オホーツク海で発生している緊急事態について説明させて頂きます』

 

 ざわめきが吹き上がる。ここに集まった彼らにとって深海棲艦の話は「どうでもいい」。聴きたいのは新ソ連と日本の話である。

 しかしそれらを一切無視して、小河原は壇上の横に視線をやる。そこにはいつの間にか用意されたスクリーン。オホーツク海周辺の地図が投影される。

 

『現在、私たちはサハリン島を守るべく大きく3つの場所に展開しています。ひとつめに……』

 

 防衛線の構成、緊急展開群の参加兵力、指揮系統の説明。現在は大兵力で編成される緊急展開群であるが、事態の収拾後はオホーツク前方展開群へと縮小再編し、哨戒艦隊の指揮下に置かれるとの説明が入る。

 

『……今後も、日本国国防軍は事態の収拾に努めて参ります。以上です、ご清聴ありがとうございました』

 

 そして、会見が終わる。

 

『それでは、質問の方を……』

 

 司会進行役が口を開くのと、会場中からブーイングのような質問の波が沸き上がるのはほぼ同時であった。

 

『冗談で言ってるのか?』

『新ソ連との関係は?!』

『ロシア連邦サハリン統合軍はどのように関わっているのですか?』

『日本軍の展開は主権侵害にはあたらないのか?』

『はぐらかすな!!』

 

「これはまた……とんでもない爆弾を突っ込んで来たわね」

「えぇ……」

 

 しかし片桐と陽炎には分かる。

 彼の仕込んだ爆弾が。

 

『インターナショナル・フロント・トゥデイです』

 

 そしてもちろん、記者たちの中にも。

 

『前方展開群は日本の編成する深海棲艦対処部隊であると認識しておりますが、この部隊の派遣は新自由連合盟約(ニューコンパクト)加盟国以外では特例法案が必要である筈です』

 

 

 

 日本の軍隊を海外に派遣することは、原則として違憲である。

 

 

 

 この問題を回避するため、日本は伝統的に特例法案の制定で違憲を回避してきた。

 派遣目的はあくまで人道支援。派遣期間を明確に定める時限立法とし、期限切れの後はすぐに撤退する。

 

 この例外が新自由連合盟約(ニューコンパクト)である。新自由連合盟約(ニューコンパクト)の条文は日本に加盟国の防衛義務を課している。国際条約は当然ながら、国内法より優先される*3

 

 

『それについては、私から』

 

 口を挟んだのは、先程まで沈黙を貫いてきたサハリン側の将官であった。昨日までのロシア連邦軍陸軍中将、本日からはソビエト社会主義共和国連邦軍最高指揮官にしてサハリン共和国の暫定政府首班。首班候補であったサハリン州知事が就任を拒んだための兼任ではあるが、ともかくサハリン共和国を統べる人物。

 

『現在、共和国連邦は中央議会を持っておりません。大変遺憾ながら、連邦としての意思統一が出来ない状況です』

 

「いやいや。加盟国ひとつしかいないんだから統一も何もないでしょ」

 

 片桐が陽炎にだけ聴こえるようぼそりと呟く。

 

『そのため、加盟各国は己の意思に基づき外交を行うことが出来る。これを我々は黙殺せざるを得ない』

『黙殺とはどのような意味ですか』

『答えかねます』

『サハリン共和国があなたの仰る「ソビエト社会主義共和国連邦」とは独自の外交を展開していると?』

『答えかねます』

『前提として、ソビエト社会主義共和国連邦は1991年のベロヴェーシ合意で「存在しない」とされたはずですが。これについての説明は?』

『答えかねます』

『それはおかしい。あなたは答えられない連邦体制に所属しているのか』

『答えかねます。私はソビエトの軍人であり、連邦政府の人間ではありません』

 

 見かねた進行役が質問を遮ろうとマイクに顔を近づける。それを見た将軍はそれを遮る。

 

『時間はあります。質問の続きを』

『ではありがたく。貴方はサハリン共和国の政府首班を名乗っている。これは間違いないですか?』

『間違いありません』

『ではお聞きします。サハリン共和国に、日本の前方展開群が合法的に進出するような外交的交渉――――――新自由連合盟約(ニューコンパクト)への加入交渉が行われているのですか?』

『答えかねます』

『サハリン共和国の政府首班なら答えられるはずですが』

『答えかねます』

 

「あぁなるほど。厄介ね、軍人と政治家を兼任するってのは」

 

 片桐がぼやく。

 

「あの将軍は軍人として会見に参加している。けれど彼はサハリン共和国の暫定首班でもあるから、サハリン共和国の外交については把握していないと筋が通らない」

 

『サハリン共和国が新自由連合盟約(ニューコンパクト)に加盟することはあるのですか?』

『外交的な合意がなく日本軍の進駐が行われているのであれば、それは主権の侵害では?』

 

 他の記者たちもようやく状況が飲み込めたらしい。雨後のタケノコみたいに質問が生えてくる。

 

 そう、これは加盟交渉国条項、いわゆるモラトリアム制度の適用だ。

 新自由連合盟約(ニューコンパクト)は深海棲艦から太平洋を守るための枠組みである。なので軍隊の派遣は迅速に行われなければならない。しかし日本国国防軍は加盟国内でしか活動できないため、非加盟国が奇襲を受けた場合に即応できないことがある。

 軍隊は国境線まで来ているのに、加盟手続きに手間取って目の前の命を救えない……そんな悲劇を避けるための加盟交渉条項。

 

「当該国が深刻な深海棲艦の脅威に晒されており」

「当該国が加盟国軍の領域内での活動を許可し」

「当該国への派遣が加盟国の不利益とならない」場合……つまり当事者が誰も反対しなければ派兵できるという制度である。

 

 そしてこの制度には「交渉期限を定める文言は存在しない」。つまり事実上の無期限派遣が可能なのである。

 

「玉虫色の妥協案ってところね。国家承認は北方四島の件が確定するまでお預けってことかしら?」

「……いいんですか? 正直、国なのかも怪しいサハリンを加盟させるなんて信じられない話ですけど」

「なにいってんのよ。台湾も北マリアナも国ではない*4でしょ」

 

『では日本軍は、今後も恒常的にサハリンに駐留するということでしょうか?』

『先ほど小河原提督から説明がありました通り、サハリン共和国には日本軍のオホーツク前方展開群が展開することになります』

『具体的な期日は?』

『サハリン共和国が領土を単独で防衛するための法的準備が整うまでと考えています』

『法的な準備とはアンカレジ協定への参加ですか』

『お答えしかねます』

 

 将軍は新自由連合盟約(ニューコンパクト)加盟を否定せず、ソ連という枠組みも肯定せずに記者会見を進めていく。記者も不満は少なからずあるだろうが、既に十分すぎるほどのインパクトを与えられたのか突拍子もない質問が起こる様子はなかった。

 

「しっかし、やっぱり北方四島は意地でも手放さないのかしらねぇ。まだまだ揉めそうだ、これは」

 

 とはいえ片桐が漏らした通り、サハリン独立への道筋はそう容易くはなさそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『質問です』

『どうぞ』

『ありがとうございます。両提督、将軍にお聞きします』

 

 ソ連はいつ、ロシア連邦を名乗る武装組織に宣戦布告を行うのですか?

 

*1
【作者注釈】いわゆる敵国条項が死文化されている以上、かつての枢軸陣営国に対する差別は存在しない。国連が連合国の後継組織という主張は時代遅れであろう。なおロシアは日本の北方領土の保持に敵国条項を適用している節があり、国連憲章にも敵国条項自体は存在することから、この解釈が正しいかどうかは微妙なところである。

*2
択捉のロシア名。ここでは北方領土のこと

*3
【作者注釈】憲法が優先されるとする解釈が一般的ではあるが、そもそも国家の指針を包括的に取り扱う憲法に違反するような条約を主権国家が締結することはないので建前論として本稿では無視する。

*4
両地域の位置付けは「独立したパートナー地域」。これは独立した主権主体を持ちパートナーシップを発揮するものに与えられる地位である。日本は両地域と国交を結んでいない。



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第122話 我等に平和あれ、暴君に戦乱あれ!

厨二系のフレーバーテキスト、よく皆思い付くなと思います。
書き下ろしパート、このままアクセルを踏んでいきます。よろしくお願いします。


『両提督、将軍にお聞きします。ソ連はいつ、ロシア連邦を名乗る武装組織に宣戦布告を行うのですか?』

 

 

 沈黙。

 

 

「……はい?」

 

 漏れた声が自分の物だと気付くのに瞬きひとつ分くらいは使っただろうか。陽炎は反射的に隣の片桐を見て、それから彼女の手元の形(ハンドサイン)を視界に入れる。

 

 ――――――その場で待機(Freeze)

 

『以上で会見を終了させていただきます』

 

 最初に動いたのは司会進行役の士官であった。冷静に、しかし僅かに逸った様子で会見を締め括ると、会見場の演壇に立つ2人の将官に退場を促す素振りを取る。

 そして分かりやすく動いたのは脇に控えた警備担当の兵士たちであった。ロシア連邦軍サハリン統合軍――――――現時点ではサハリン共和国軍にしてソビエト社会主義共和国連邦軍兵士の彼らは2人の将官の前に全力で駆け出す。

 

『まだ質問は終わっていませんよ』

 

 声が聴こえる。その人物はまだ質問を続けようとしている。

 とはいえ、もはや誰も発言に耳を貸そうとはしない。そもそも質問の内容からして支離滅裂。ロシアを名乗る武装組織? 宣戦布告? 共同記者会見の内容に1グラムたりとも関係のない質問、いや戯言である。

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。厳重な身体検査と、身元確認を済ませているハズの記者の中に、何故。

 

 しかし、そんなことは二の次。既に警備兵たちは質問者を取り囲まんと椅子の合間を縫って迫っており、サハリン共和国が「反乱し独立したばかりの未承認国家」であること――――言葉を濁さずにいえば、会見場が襲撃されかねない不安定な地域であること――――を理解している記者は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

『質問は、まだ終わっていませんよ?』

 

 そして、発言者はすっと右手を()()()

 それに合わせるように、将軍と記者席の間に割ってはいった警備兵が()()()()()()()

 

 彼の首もとには、真っ赤な鮮血。

 

「陽炎ッ!」

 

 号令一声。陽炎は全ての関節を動かして全身をバネにすると、堂々と立つ「質問者(襲撃者)」へと飛びかかる。向こうは記者席に警備がいるとは思っていなかったらしく、そのまま背中への直接攻撃を許した。

 

 どたん、がちゃん。切迫した状況に見合わない間抜けな音。体当たりをもろに食らった襲撃者が倒れる音。会場に設置されたパイプ椅子の騒々しい音。

 

 そうして漸く、会場に悲鳴が錯綜する。

 

 浮かび上がった警備兵が地面に墜落、状況を飲み込んだ記者の一人が椅子ごと転倒。日本と新ソ連、2人の将官はその隙に待避。

 

「確ッ……保ォッッ!」

 

 備えあればなんとやら、押し倒した襲撃者に対して馬乗りになった陽炎はケーブルなどを拘束するのに使う事務用品で両の親指を縛る。残りの脚や首も後続の警備兵が押さえたことで、下手人は動くことすらままならなくなった。

 

「ナイス陽炎っ! 怪我は!?」

「ありません、それより他の人は」

 

 駆け寄る片桐に陽炎は先ほど()()()()()警備兵を探す。見れば咳き込んではいるものの、命に別状はなさそうである。

 にも関わらず、彼の首もとは血で真っ赤に染まっていた。

 

「……まさか、本当に存在するとはね」

 

 それを見た片桐は、驚き半分といった様子。

 

()()術。身体そのものを武器とする殺人術の中でも、特に脅威とされる変幻自在の技」

 

 残り半分は、恐怖。

 

「血は人間の生命力そのものよ。だからこそ、血を喪うことは致命的で……故に切り札として使われる」

 

 分かってると思うけれど喋らせないでよ。言霊(マジック)でも使われたら堪らないもの。そう言う片桐の言葉を聞いたのか、警備兵達は丁寧に猿ぐつわを噛ませていく。

 

「……やけに準備がいいわね」

 

 記者陣の居なくなった会見場に片桐の声が響く。そう、確かに準備がいい。

 襲撃を想定していたのは、分かる。そもそもが独立直後、端からみれば()()武装組織の記者会見である。襲撃されない方がおかしい。

 だがそれでも、下手人はとんでもない技を使ってきた。少なくとも、陽炎には理解出来ない技を。

 

 それが()()()()()()()()()()()()なんて……。

 

「――――――神は人に言われた

 

 ロシア連邦軍の正装に身を包んだタシュケントが歩み寄ってくる。

 手に持たれているのは……縄、だろうか。

 

「――――――あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。

 

 見るからに刺々しい鉄条網で編まれた縄。握るだけでも表皮を引き裂き、真皮を深く傷つけそうなそれを、タシュケントは見たこともない色の手袋で掴みながら下手人に近づいてくる。

 

「――――――大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。

 

「え、なになに。野草を食べるって、ご飯の話してる?」

「……いやいや、こういうのは聖書からの引用ですよ*1

 

 見当違いなことを言う片桐に突っ込む陽炎。しかしタシュケントは気にも留めずに下手人の前に跪く。

 

「――――――あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。

 

 そして、手に持った縄をグルリと頭に被せる。

 

「これは(いばら)の冠。我等が連邦保安庁(FSB)が開発した特務神祇官(きみたち)向けの拘束具だよ」

「連邦保安庁って……あの国家保安委員会(KGB)の後継組織の?」

 

 陽炎の言葉に、今さらKGB? とタシュケントは肩を竦める。

 

「対策自体はしていたのさ。まさか、こんなに上手くいくとは思わなかったけれど」

 

 彼女の見下ろす先には、茨の拘束具で動きを封じられた下手人。頭に被せられた冠は、僅かでも身動ぎすれば顔に酷い傷を負わせることだろう。

 もういいよと命じられて、警備兵がソレから離れる。既に手足を縛られたソレを見下ろしたタシュケント。ロシア語だろうか、陽炎には聞き取れない言葉で何やら声をかける。

 

「……要するに、サハリン組も一枚岩じゃないってことね」

 

 割って入ってきた日本語は〈山城〉のもの。肩で息をしているあたり、屋外の警備からすっ飛んできたらしい。ロシア語訳者としてここにいる彼女は、タシュケントの会話……というより、ほとんど一方的な罵りをひとしきり聞いてから、溜め息。

 

「あの娘、裏切りとか理解できないとか言ってるわよ。そしてさっきの騒動で見せた特務神祇官としての適性……要するに、彼女が『ロシアの戦艦』なんじゃないの?」

「まさか」

「いんや。そのまさかかもしれないよ?」

 

 片桐は下手人の頭に被せられた拘束具を指差しながら言う。

 

「さっきタシュケントの言ってた『荊の冠』って、アレでしょ。イエス・キリストが頭に載せてる奴。漫画で見たとこある」

「…………王冠の対極、貶められたキリストが磔刑に処される前に被せられたモノね。というか、宗教は外国の特務神祇官のバックグラウンドにもなるんだから押さえときなさいよ片桐1佐(そうりゅう)

 

 山城の指摘に、いやぁゴメンと頭を掻く片桐。そんなおどけた様子から一転、「けれどさ」と彼女は続ける。

 

「そんな神話的なモノ(オカルト)に頼らないと封じ込められない。まぁ確かにコイツが『ロシアの戦艦』ってこともあるかもしれない……」

 

 戦艦艤装を扱える神祇官は皆トップクラスの適性を持っている。というか、適性がなければ艤装を扱いきれない。

 そして目の前の相手は己の血を操り兵士を空中に持ち上げてみせたから、特務神祇官としての適性はあるのだろう。深海棲艦の防御を打ち破り、また攻撃を防壁で防ぐ特務神祇官の適性とは究極的には「外部に物理的に干渉する力」なのだから、当然だ。

 

「……でも、それなら。どうして記者会見に乱入するなんて面倒な方法を取ったんだろうね?」

「簡単な話さ」

 

 片桐の疑問に答えたのはタシュケントであった。彼女はクイと顎を動かして、会見場に放置されたソ連国旗を指し示してみせる。

 

「ロシアを滅ぼす、彼女の願望(いのり)はそれだけなんだ」

 

 本当に残念だよと、彼女は続ける。そのまま独白が始まりそうな雰囲気であったが、片桐はそれを遮った。

 

「その前に。状況を整理させてくれない? ロシアに宣戦布告ってこのヒト言ってたわよね? で、当のロシア政府はこのサハリンで反乱が起きたって言ってて貴女たちはその反乱軍。なのに貴女が使ったその拘束具は連邦保安庁が開発した? ひっちゃかめっちゃかになってて訳が分からない」

 

 ともかく勢力が入り乱れていて端から見れば訳が分からない。

 ……その入り乱れる勢力に日本も入っているのだから、なおのことタチが悪い。

 

「ふむ。なるほど、どう説明したものかな」

「とりあえず、ソイツは何者なの」

 

 推論では『戦艦』ということになっている人物。記者会見襲撃を実行し、やけにあっさりと捕まった彼女……彼女でいいのだろうか? 厚着の服を着ているからボディラインは分かりづらいし、顔立ちは中性的だ。

 

「君たちの推論通り、彼女こそ『ロシア(わたしたち)の戦艦』さ。また同時に、私たちが日本(きみたち)に頼らざるを得なくなった原因でもある」

「続けて」

「どうしてサハリンが独立なんかしなくちゃいけなくなったか、って話さ」

 

 サハリンが独立という綱渡りを選んだのは、ロシア連邦が日本軍の介入を認めず、更には足りない防衛力を核兵器で補おうとしたからである。

 

「『戦艦』があれば中央政府(クレムリン)は核を落としてこない。特務艇があれば日本も介入する理由がない」

「……ん? それなら何で独立なんて話になったの?」

 

 首を傾げる片桐。実際、今の話は全てロシア側の視点。もう少し正確に言うなら軍閥化したサハリン統合軍の視点である。

 サハリンにおける『戦艦』の価値や、小河原海将補がその『戦艦』を排除したがっていたのとは合致するが……。

 

「だから、そもそも独立なんてする予定はなかったんだよ」

「はぃい?」

 

 思わず変な声が出た片桐。そんな彼女にタシュケントは同志オガワラもヒトが悪いと嗤う。

 

「彼がなんて説明したのかは知らないけれど、まさか私たちが日本の軍門に降るのを望むとでも思ったのかい?」

 

 そんな訳はないだろうと、至極当然のことを言い放つタシュケント。誰だって自分から独立を投げ出したりはしない……まぁ、当たり前のことだ。

 

「同志オガワラは私たちの協力者さ。実際、今回ここまで上手く事が運んだのも彼の協力あってこそさ」

「……小河原海将補が、協力?」

 

 そんなことがあるものか、と片桐が怪訝な表情で漏らす。海将補の目的は『戦艦』の排除、サハリンからロシアのプレゼンスを取り除くこと……。

 

「あれ?」

 

 陽炎は気付いた。なら彼の行いは一貫している。現に、その『戦艦』らしき人物は目の前に横たわっているではないか。ロシアのプレゼンスは排除され(完全に崩壊し)つつあるではないか。

 

「彼女は裏切り者だよ。ソビエトの偉大な戦艦、ソビエッキー=ソユーズ級の二番艦の名前を借りておきながら……母なるロシアに弓を引いたわけだからね」

 

 流暢に日本語を垂れ流すタシュケントの声が会場に響く……考えてみれば、タシュケントは奇妙であった。日本語が得意なのはともかく、妙な慣用句の誤用や、変に目立つところでイントネーションを外してみたり。

 しかしそれも、日本語が下手なように見せかけたかったのだとすれば説明はつく。

 

「私たちはずっと追ってたのさ。そしてようやく掴んだ。彼女が日中露の結合点であるサハリンを破壊しようとしていること、それでロシアを、本当の意味で滅ぼそうとしていること」

 

 そしてようやく捕まえた。そう言いながらタシュケントは『戦艦』を見下ろす。

 大なり小なり首を傾げることになるのは、もちろん陽炎たち日本勢だ。

 

()()()()()()()()()?」

「政権の転覆や連邦の解体なんて生半可なものじゃない……といえば、分かるよね?」

 

 分かるか分からないかと問われれば、分かる。

 中国で王朝が途絶えようとも、日本で政権の拠り所が変わろうとも。両国が日本であり中国であり続けるのは、ひとえにその国土()民族()が変わらないからである。ヒトは地と血によって己を定める。ミクロネシアで生まれ瀬戸月の血を引かない陽炎が日本人に成りきれないように、ロシアで生まれたロシアの民は何があろうとロシア人であり続ける。

 

 ならば滅ぼす方法など、民族浄化の他には(根絶やしにするしか)ない。

 

「そんなこと、出来るわけ」

「出来るかどうかは、これから『戦艦』サマに聞けば分かるよ。少なくとも、彼女は既にロシア連邦を崩壊させることには成功している」

「……そこが分からないのよね」

 

 口を挟んだのは片桐だった。

 

「ロシア連邦が崩壊したきっかけは千島列島のラインを素通りした深海棲艦でしょう? むしろ『戦艦』はそれを防いでいたんじゃないの?」

 

 実際、日本の想定よりサハリンの防衛は長く持ちこたえた。それこそ、護衛艦隊が万全の準備を整えられる程度には耐えた。

 それは他ならぬ『戦艦』の活躍によるものではなかったのか?

 

「とんでもない! 彼女こそがオホーツク海に連中を呼び寄せた()()()だよ」

「はい……?」

 

 呼び寄せた? どうやって?

 当然のように沸くその問いに、それを今から調べるんじゃないかとタシュケント。

 

「いやぁ、同志オガワラが居てくれて助かったよ。彼が居なかった日には、こちらも本気で日本の自作自演を疑わないといけなかったからね!」

 

 なんだろう。

 なんだろう、この違和感は。

 

 戦艦を捕まえるためだけなら、独立なんてする必要はなかったハズ。やっていることが大袈裟過ぎる。

 最初から独立は既定路線だった? それともタシュケントと小河原海将補が共謀して土壇場でシナリオを変えた? いや、そもそも……彼らが共謀した理由はなんだ?

 日本国国防海軍と、ロシア連邦保安庁。繋がりが見えない。関わるべき場所が存在しない。

 

 ……いや。

 

『世界中に深海棲艦が拡散したあと、日本は続々と国外向け艤装の開発に着手した』

『そしてそこには、日本人の教導乗組員が必ずセットになっていた』

『タシュケントの艤装だって日本(ウチ)の駆逐艦艤装と遜色ないものに仕上がっているのよ?』

『想像以上に錬度が低いです』

 

 ヒントは特務艇(かんむす)の存在。日本は特務艇先進国で、ロシアは途上国。

 艤装こそ技術蓄積でなんとかできるのだろうが、その乗組員たる特務神祇官の育成にロシアは苦しんでいる――――――故に、美しき家庭計画が活きてくる。

 

 幼子を日本人として教育し、特務神祇官を()()する「美しき家庭計画」。

 彼らの繋がりは、ここか。

 

「ロシア連邦が滅びてもいいんですか」

 

 陽炎の言葉に、ロシアの神祇官(かんむす)は爽やかな笑み。

 

「滅びないさ。滅びる理由がない……けれど、罪だけは彼らが持っていってくれる」

 

 ああ、やっぱり。

 彼ら(世界)は美しき家庭計画の罪をロシアに被せる気だ。

 

「全て手筈通り。今頃モスクワでは大統領が幼児誘拐の疑いで連邦保安庁に拘束され、国防大臣や参謀総長は国民居住地への核兵器投下で祖国に対する罪が適用されていることだろうね」

「連邦保安庁によるクーデター、ってわけね」

「君が始めた騒乱(物語)だろう? 陽炎」

 

 ポートモレスビーでの武装蜂起と告発がなければ、子供たちの存在に世界は気がつかずに済んだのに。

 揉み消されたのでは、なんて問いは無駄なのだろう。現に小河原3等空佐は告発用の資料を準備していた。誰かが誰かの足を引っ張るなら、美しき家庭計画は格好のネタだ。

 だから、そのネタが芽吹き世界を壊す前に、ネタそのものを無害化してしまおうと。そういうことなのか。

 

「みんなの意思だよ。悪者(ヴィラン)は実際、()()()()()()()()()だからね」

「みんなの、意思?」

 

 そんな訳がない。現に小河原空佐は、小河原(飯田)ノゾミは告発しようとしていた。一族(飯田)の責任を取るという彼女の考え方は傲慢そのものだが、それでも当事者なりに、損切りされた(犠牲になった)人間として筋を通そうとしていた。

 にも関わらず、彼女の夫であるはずの小河原海将補は(それ)をロシアに押し付けようとしている。

 

「……お笑いですね」

 

 夫婦の間ですら意思統一できないのに語られる「みんなの意思」。

 正義で片付けられるクーデター。

 身勝手な――――自分で言うのもなんだけれど、まぁ身勝手ではあった――――介入で騒乱(物語)をはじめてしまった自分自身(瀬戸月ヒナタ)

 

『ポートモレスビーには()()()()()()()()()。『子供』の件は隠匿が前提、だからこそ『交渉』は成立した』

 

 そして、この盤面にルールはない。

 

ナラ、ヤルシカナイデショウ?

 

「!?」

「マズイっ、鎮静剤を!」

 

 タシュケントの台詞はロシア語だったハズだけれど、意味は理解できた。警備兵のひとりが注射器を取り出す……が、それを防ぐかのように()()()が組み伏せられた彼女の体表から飛び出した。

 

「血闘術は封じたんじゃ!?」

 

 しかし保安庁も抜かりはない。血の鞭が迫った次の瞬間、警備兵は二の腕をあげるようにしてそれをガード。

 無茶なと思うも、血の鞭はたちまち吸い込まれるかのように勢いをなくし、消えてしまう。残されたのは真っ赤になった警備兵の服……いや、あれは服じゃない。

 

「血を吸った……って、こと?」

 

 つまり、彼は隠し持ってた脱脂綿で血ごと鞭を吸い取ってしまったのである。やはりというか、準備がよい。

 そのまま流れるように鎮静剤を打たれ、『戦艦』は再び項垂れる。

 

「いやぁ、危なかったね。猿轡を噛み砕いた? それとも血を使って切り刻むか溶かすでもしたのかな? まあなんにせよ、とっとと移送しないとね」

 

 それから移送に使う車両を手配するためだろう。無線機を手に取った彼女は、しかしそこで顔を曇らせた。

 

「?」

 

 ロシア語で警備兵になにかを指示するタシュケント。なにかの装備を確かめたらしい彼らの表情が困惑のそれに変わっていく。

 

「……どうなってるの?」

「通信機を確認するよう言ってるみたいね」

 

 小声で話す片桐と山城、それを聞いた陽炎が携帯端末を取り出すと……画面は真っ黒のまま。

 電池切れ? まさか。

 

「電磁パルス攻撃? ということは戦略核兵器部隊の掌握に失敗した……マズイ、マズイよこれは……」

 

 タシュケントが頓珍漢なことを言っている。いや、彼女の立場なら頓珍漢(そう)でもないのだろう。相手はいつも人類で、疑うべきは人類だけで良いのだから。

 

 だが、艦娘(陽炎)は違う。

 身に付けている双眼鏡を手に取る。電子制御のデジタルズーム機能付き、()()()()()()()も実装されている最新機種が……()()()()()

 

 

 ならば、答えはひとつしかないだろう。

 

 

ロシアの戦艦(かのじょ)は、深海棲艦よ」

 

*1
創世記3章17ー19節。訳語は新改訳2017準拠。旧約聖書。



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第123話 Out of control

ロシアの戦艦(かのじょ)は、深海棲艦よ」

 

 

 

 

 

 そして、それで全て説明がつく。

 というか、もっと早くこの可能性を考慮するべきだったのだ。

 

 タシュケントは『ロシアの戦艦』が深海棲艦を呼び寄せたと言った。それはロシアを滅ぼすための一手。しかしサハリンは崩壊しなかった。それどころか、国防軍上層部の予想に反して一週間以上も持ちこたえた。

 

 では、どうやって持ちこたえたというのか? 最初は小河原海将補の言葉通り『ロシアの戦艦』が防衛したものと考えていた。しかしそれは、最初から『ロシアの戦艦』を追っていたというタシュケントの言葉で否定される。サハリンは最初から『ロシアの戦艦』抜きで防衛戦を展開していた。

 

 

 ……そんなこと、あってたまるか。

 

 サハリン沖で戦った深海棲艦(やつら)は間違いなく強敵だった。連携が取れていて、指揮系統の引き継ぎも早い。

 千島列島の防衛線をすり抜けた「はぐれ」? まさか、とんでもない。彼らは間違いなく精鋭集団だ。

 そしてそんな敵を相手にして、たかだか地上の砲兵戦力しかないサハリンの部隊が戦えるとでも?

 

「セーブされていたのよ、サハリン(あなた達)が日本に泣きつかないように」

 

 その裏で、日本はいつ泣きつかれてもいいよう準備を進めていた……逆に言えば、()()は日本の準備が整うのを「待っていた」。

 

 そして呼び寄せた深海棲艦。

 そう、どうやって深海棲艦を呼び寄せることができたのか。

 

「深海棲艦の習性は単純明快、強いか弱いか、従うべきか従わないべきか」

 

 どのようにして深海棲艦を統制したのか。

 

「彼女が同類(深海棲艦)なら、説明はつく」

 

 壊れた電子双眼鏡。深海棲艦の発する特殊な波長、それにより生じる特殊な力場……既知の物理法則を超越するそれは、感知することも、防ぐことも出来ない。

 しかしそれは、確かに()()()()()()()()()

 

「片桐1佐」

「もうやってる」

 

 霊力通信にシフトしたらしい端末を叩く片桐。察しのいい彼女のことだ。波長のパターン照合を申請して、国防省のデータベースから類似の存在がいないかどうかを調べていることだろう。

 一方のタシュケントは、未だ現実を受け入れられない様子……本当のことを言えば、陽炎(わたし)だって信じたくはないけれど。

 

「コイツが深海棲艦? ありえない……」

「なら、これはどう説明するのかしら」

 

 困惑するサハリンの人間たちに、片桐が端末の画面を突き出す。そこに映し出されているのは波長の照合結果。

 

「乙種目標、いわゆる呼称付き(ネームド)と同レベルの体積あたり力場。人間だと思っていたから血闘術と誤解したけれど……深海棲艦と考えれば、まあ納得ね」

「彼女が扱っていたのは……血ではなく、水そのもの」

 

 深海棲艦は水を操る。力場を用いた物理的防御とは、水によって行われている。

 

「水は最強の防壁よ。銃弾や衝撃はもちろん、放射線だって防ぐことができる……最初から封印はもちろん、拘束すらできていなかったわけね」

 

 その猿芝居を辞めなさいと言えば、応じるかのように鉄条網の冠が崩れ落ちる。急速な酸化反応が鉄を燃やし、灰へと変えていく。

 

「バレテハ、シカタナイワネ……」

「!」

 

 鎮静剤を打たれたばかりのソレから、声が聞こえる。

 どろり、溶け落ちる表皮。いや化粧(メイク)と言うべきだろうか? 化粧落としにしては随分と緩慢に、まるで蝶々がサナギを脱ぎ捨て羽化するかのように。ゆっくりと()()は立ち上がる。怖れるように警備兵達が一歩下がる。

 

「はっ、ようやく本性を現したってワケね?」

 

 腰から拳銃を抜きとりつつ、片桐は余裕ぶって笑った。

 

「流石ロシア人に擬態するだけはある。日本語がお上手なことで」

「ソレハチガウヨ。ワレラオナジ、母ナル黒キ海ヨリ産マレル……言葉が通じないことなどあり得ない」

 

 調律を施された楽器のように、ソレは見事な日本語を奏でる。完璧でこそないが、コミュニケーションを取る上では必要十分なそれ。

 深海棲艦が単なる害獣であるという定説を覆すには、十分な……いや。違うか。

 

「(深海棲艦は、もうここまで()()()()()()()……!)」

 

 最初は、本当に害獣だったハズだ。

 本能で力場を操り、人類の物理的攻撃手段を遮断するという厄介な特性を除けば……あくまで危険な、危険なだけの動物だった。

 

 しかし今、目の前にいるソレは人語を解し、さらにはコミュニケーションを確立させている。ヒト型深海棲艦が人類を模倣したというのはよく耳にする説ではあるが、100万年以上かけて構築された音声コミュニケーションをこうも簡単に模倣してしまうとは。

 信号が点滅している。色は赤。目の前のコレは危険だ、あまりにも。

 

「下がって、陽炎ちゃん」

「ですが」

「分かってるでしょ……貴女じゃ勝てない」

 

 そこには歴然とした差があった。

 国防軍が優先攻撃目標として指定する乙種目標(ネームド)は、基本的に1個護衛隊群かそれ以上の戦力を用いて討伐が実施される。強さがそのまま権力となる深海棲艦においては強力な個体ほど従える個体数が増えるので数を揃える必要があるという事情もあるが、一番の理由はその力場の強さにある。とにかく硬いのだ。

 その堅牢さときたら、数百発の砲弾が全て直撃したとしても突破できない程。もちろん、霊的加護を付与した弾頭であればその限りではないが……駆逐艦に、そんな霊力保有量(さいのう)はない。

 

蒼龍さん(片桐1佐)だって、厳しいんじゃないですか」

 

 けれど、敵わずとも立ち向かうのが護衛艦の仕事である。主力(空母)を守護し、反撃の糸目を探る。それを為さなければ、艦名(陽炎)を預かる意味を喪ってしまう。

 

 双方動かず。陽炎の手はベルトにまでは伸びているが、得物(ナイフ)の固定具は外せていない。これを解放すれば奴は必ず襲いかかってくるが、そうでなければ奴は陽炎を襲う理由がない。脅威度が低い(大した敵ではない)からだ。

 ならば、この均衡を利用するまで。敢えてベルトから手を離すと、陽炎は腰を落とす格闘戦の構えを解く。

 

「手を出してこない、ってことは……話し合いの余地はあるってことでいいのかしら?」

 

 話し合いの余地がないなら、全員殺される。ここには艤装も、大口径の武器もない。タシュケント達サハリン組もそうだろう。会見場を襲撃するのは人間の筈だった。深海棲艦は想定していない。

 

「話シアイ?」

「そうよ。あなたの目的は知らないけれど、わざわざ海上(ホーム)を離れて地上(アウェー)にあがった。それには理由があるんじゃないの?」

 

 国防軍のように「斬首」が目的なら、会見中に2人の将官を殺してしまえば良かった。サハリンにダメージを与えることが目的なら、そもそも記者会見が始まるまで待つ必要もなかった。

 そして情報収集が目的なら、最後まで人間のフリをしていれば良かった。

 

「何度モ言ワセルナ。我ノ要求ハ既ニ伝エタ」

「ロシアに宣戦布告しろって話?」

 

 陽炎の確認に否定の言葉は返ってこない。深海棲艦とコミュニケーションが取れているだけでも歴史がひっくり返りそうなのに、話題は世界をひっくり返しかねないもの。

 陽炎は慎重に、細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。

 

「宣戦布告をするのは誰なの? 一応、ロシアとサハリン共和国は戦争中(独立戦争)という扱いになるとは思うのだけれど」

「手段ハ問ワナイ、ロシアヲ滅ボス」

 

 要求は宣戦布告よりも酷い。戦争はあくまで外交の手段。目的を達成したら講和を結ぶし、互いの捕虜だって返還される。

 そもそも相手を滅ぼすなんて、軍事的には()()()()()()()

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 慌てたように口を挟んだのはロシアの艦娘。

 

「キミは、やはりソビエツカヤなんだろう? どうやって深海に擬態したのかは知らないけれど、」

 

黙レ

 

 黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙レ、ダマれ、ダマレ黙れダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレ――――――

 

 その言葉のひとつひとつが空間を揺らす。骨の髄まで震えさせ、魂へと響かせる。

 だが、その言霊の主は()()()()()。虚ろな瞳には怨恨すら宿っているようには見えない。

 それは黒、光の届かぬ深海の黒。

 

「……あのですね。深海棲艦さん」

 

 口火を切ったのは、やはりというべきか片桐であった。

 

「要求には、基本的に対価が伴うものです……我らが得られる()はなんですか?」

 

 答えはない。拳銃を構えたままに彼女は続ける。

 

「ロシアを滅ぼす。なるほど魅力的な提案ね。樺太、千島、北方領土、そしてシベリア……無念の死を遂げた同胞への手向けになる」

 

 片桐はスラスラと口上を垂れ流す。そしてそれから「だけどね」と本題へと入る。

 

「悪いけど、私たちは現代(いま)に生きているの。昔のことなんて、ハッキリ言ってどうでもいい」

 

 そう断言する片桐は、苦虫を噛み潰したような顔だった。

 

『でも。アイツは還らなかった』

『樺太を日本に取り戻そう~とか言う、時代錯誤な人達を相手にしなきゃいけない』

『くそっ、ドイツもコイツもグルかッ!』

『この国はこんなに残酷になった――――――これが貴女の戦う相手よ』

 

 それは、過去と戦い続けている彼女だからこそ、言える言葉であった。

 

「ナラ、忘レロト?」

 

 それに対する返答は、怒り。

 

「我ラノ怒リヲ。我ラノ苦シミヲ。我ラノ悲シミヲ……我ラノ、歴史ヲ」

「深海棲艦に歴史なんてないわよ」

 

 片桐はそれを切り捨てる。彼女だって、目の前のソレが「単なる深海棲艦」でないことには気付いているだろうに。

 

「あなた達は人類史の1ページになるの。この戦争は、私が……この片桐アオイが終わらせる」

 

 それを踏み潰すと、彼女は宣言してみせた。目の前のソレが何者かは分からない。もしもソレが本当に深海棲艦なら大変なことになるし、深海棲艦でなかったとしたら更に大変なことになる。けれど片桐には、そんな些事よりも大事なことがある。

 

「ソウカ」

 

 故に、妥結は許されない。

 

「……従ワヌナラ、滅スルノミ

 

 次の瞬間、網膜に浮かび上がる(投影される)警告――――――いや、どこから?

 頭が高速回転する。目の前の深海棲艦により従来の端末は破壊された。霊力量の余裕から端末にも霊的保護を施していた片桐が国防省のデータベースに問い合わせるために霊力通信によるハブ無し通信網(メッシュ・データリンク)を構築……その過程で、陽炎自身も()()端末としてデータリンクに組み込まれたのは分かる。会場の警備に充てられている各種兵器や防空システムとの繋がり(リンク)が確立されているのも分かる。

 

『砲撃検知』

 

 となれば、この警告……対砲レーダーの砲撃検知報告が意味するものとは?

 その一瞬の疑問が、致命的な隙。しかし幸いにもそこには、現役25年のベテラン特務神祇官(かんむす)がいた。それも2人。

 

「まずっ……伏せて(ヘッダウン)ッ!」

 

 空間が揺れる。反射で伏せた陽炎は建物全体が揺れていることに気づき、間に合わなかったものは容赦なく床に身体を叩きつけられる。

 パラパラと聞こえる不気味な音、思わず上を見上げれば、切り出した花崗岩たちの継ぎ目から土煙が漏れ出ている。

 揺れる建物、耳に届くのはくぐもった爆発音。

 

 崩れる。そんな直感を肯定するかのように、空間の圧力が一気に高まる。耳が正常な機能を喪い、せめてもの生存本能が視界(せかい)をスローモーションへ変える。

 震える柱、走る亀裂。高級ホテルの堅牢な構造を破壊せんと暴れ狂う暴力。

 

 そして頭上から、殺気。

 

「っ!」

 

 慌てて身体を転がせば、二束に結った髪の毛にナイフが突き刺さる。武装解除されたんじゃなかったのかなんて考える前に、ブチリと髪やら結布やらが千切れる音が毛根へとダイレクトに伝わる。

 

「このッ!?」

 

 腰から引き抜いた軍用ナイフが空を切る。仰向けでは力が出ないのもあるが、なにより相手が間合いからすぐに離れたのだから届きようがない。

 逃げるつもりだ、それはすぐに理解できた。

 

「陽炎ちゃん!?」

「追いますっ! アイツが本当に深海棲艦なら、()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 当たり前だ。深海棲艦は「水があってこそ」本領を発揮する。ヒト型深海棲艦、その中でも最上位とされる乙種目標ですら、防御力は力場そのものより力場により操られ形成された高密度の水防壁の方が優る。

 

「(それに彼女は、体内の血だけで(少量の水のみを用いて)兵士を制圧できる実力を持っている)」

 

 だから、誰かが捕まえてくれるだろう……なんて楽観に頼るわけにはいかない。

 特務神祇官(かんむす)である陽炎(わたし)が、やらなくちゃ。

 

 廊下に出る、窓が割れる。中庭の煉瓦敷が砲撃に吹き飛ばされ、瓦礫のひとつが目の前を掠める。直撃でもしたら最後、陽炎の弱々しい防壁では衝撃を和らげることも叶わないだろう。

 

 なんて激しい砲撃だろう。というか、サハリン沖の空母打撃群(DDHグループ)はなにをしているのか。沿岸への砲撃を許すなんて、とんだ失態だというのに。

 

「こちら陽炎っ!」

 

 ほとんど無意識に耳元を叩いていた。装着された通信機がプリセットの通信先――――――上官たる小河原海将補を呼び出す。返事はない。機器の不調を確認する暇はなかった。

 

「ポロナイツク市街が砲撃を受けています。混乱に乗じて会見の襲撃者が逃走を図っています。指示を!」

 

 返事くらいしたらどうなんだ。仮にも記者会見が襲撃され、街に砲弾が降り注いでいるというのに……いや、考えてみれば海将補は特務神祇官ではない。つまり彼は専用の機器なしには霊力通信網にアクセス出来ないわけで。

 波長で通常の電子機器がダウンしている以上、霊力通信の行えるオペレーションセンターへと移動しなければ彼は通信すらも行えない。

 

 報告が届かずとも陽炎は走る。空気を切り裂く音が何重にも聞こえる。信じられないほどに精度のよい砲撃が、記者会見となっているホテルを抉り、中に隠れるものたちを縮こまらせる。

 逃げられる。奴を止められない。足をどんなに早く回しても、奴の背中は遠ざかっていく。

 

「(クソっ、私はどうして……)」

 

 こんなにも無力なのか。

 状況に振り回されるばかり。本当は今の今だって理解できていない。深海棲艦が喋る? ロシアに宣戦布告? クーデター? ハッキリ言って、意味が分からない。

 

 だけれど「このままではいけない」。それだけは火を見るよりも明らか。

 ……思えば、いつもそうだった。

 

 

 

 このままではいけない。そんなことは分かっている。けれど、そこまでしか分からない。

 どうしてこうなった? 理由までは突き止められる。しかし理由が分かったところで、解決策はいつも見つからない。

 

『なぜ君は「復讐」を成し遂げなかったんだ?』

『お前は、父さんの子供じゃない』

『貴女は鍵を持っている』

 

 解決策なんて、本当にあるのだろうか。もしかすると解決策(それ)は、誰かの言いなりになることではないだろうか。

 疑いだしたらキリがない。誰も彼もが怪しくて、世界中が自分勝手。私自身ですら……理解もしたくなかった、こんな現実(こと)

 

『どう? 「国防軍の真実」を知った感想は』

『この国の罪を清算してみせる』

 

 私を利用しようとしている? こんな無力で、何の価値もない私を?

 

 ――――――違う、()()()()()()()()()利用されるんだ。

 

 自らを鉄砲玉と嗤った小河原海将補は南サハリン緊急展開群(占領軍)の司令官で、部下に入れ込む夢想家片桐アオイは理想を掲げるからこそ派閥の長となる。

 

 多くのヒトはそうじゃない。御してきた駆逐艦たちがそうであったように、拳銃を突きつけてきた不知火がそうであったように。力がないから力を求めてしまう。その過程で利用される。誰もが誰かの()()()であるように。総理大臣ですらも、有権者には逆らえないように。

 

 それなら、私はどうしたらいい?

 

『どうしたい?』

 

 そんな簡単な筈のことすら、私は分からない。決められない。

 

『いいのよ、分からなくて。貴女はまだ、何も知らないのだから』

 

 どうしたらいいのか、分からない。

 

『そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね』

『常套手段なのよ』

 

 世界がどんなに残酷かは知った。理解したくないほど、理解した。

 けれど、目標(ゴール)に辿り着く方法が見えない。

 

脅迫(テロ)には脅迫(テロ)で立ち向かうのよ』

 

 ……いや。違う。

 私は、きっと辿り着こうとしていない。

 

 正解に。

 

『でも、(わたし)だけは信じてあげなきゃいけなかった!』

 

 正義に。

 

『あなたはもう――――――』

 

 罪と責任を負う人物(オトナという存在)に。

 

 

 

 

 

「山城」

 

 無意識のうちに、霊力通信を繋いでいた。

 

「ファイルC88を展開して下さい」

 

 ハッキリと意識して、その数字を呼び出した。

 目の前でヒト型が警備兵を押し退ける。銃を構えた瞬間に機関部が爆発、最小限の(みず)で無力化して、外へと飛び出す。

 

 歴戦の特務神祇官(かんむす)は、なにも片桐(蒼龍)だけではない。

 砲撃が始まったとき、片桐は周囲に呼び掛けることで被害を減らそうとしていた。ではもうひとりの艦娘は何をしていたのか?

 

 山城(彼女)は為すべきことをしていた。彼女にしか出来ないことを。

 

 

「――――――砲撃支援要請」

 

 

 ハッキリと意識して、その言葉をひねり出す。逃げるだけの的なら未来位置の予測は容易い。なにより、ここには観測班(陽炎)がいる。

 座標を読み上げる。データリンクに戦艦艤装が表示される。外敵の襲来に備えて屋外に固定砲台としてマウントされていた艤装が、ある意味では正しい使われ方をされようとしている。

 

 

 

 思えば。

 

 私はずっと、決断を避けてきた。

 『子供』の存在(国防軍の真実)を知った時。私は命令に従った。

 北サハリンの難民(世界の現実)を知った時も。私は命令に従った。

 

 そのクセに、喪われる命にだけは敏感で。それだけは譲れなくて。

 

 けれど決断しないから、命はどんどん溢れていく。

 

 

 幸せになりたかった。

 たぶん皆も、幸せになりたかった。

 

 だから噛み合わない。誰かの平和を願うことで、誰かの平和を奪うことになる。

 

 強くなりたい。無力な自分が嫌いだ。未来(ゆめ)すら描けない自分が嫌いだ。

 

 

 ()()()()()()()()()()、弱いままの自分が嫌いだ。

 

 

『射撃準備完了』

 

 戦艦艤装と協働するための砲撃支援ソフトがデータリンクの結果を伝える。奴の背中は見失っていない。市街地の中だけれど、着弾までの誤差はほとんど無し、砲撃騒ぎで路上に留まっている人間はいない。

 

 今なら、撃てる。

 

「撃て」

 

 弱さが罪というなら、私も責任を取ろう(オトナになろう)

 













「劇場版PSYCHO-PASS PROVIDENC」観賞後に書いた原稿です。陽炎の所属部隊に「行動係」なんて名称をつけていることからも分かる通り、作者はPSYCHO-PASSシリーズのファンです。
ちなみに、この話の最後の一文を「当事者(オトナ)」としようか迷ったのですが、瀬戸月ヒナタはそこまで覚悟を極められてないのでやめました。ヒナタの保護者たちは当事者なんですけれどね。


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第124話 時計はずっと、止まったまま

〈西暦2018年 ミクロネシア連邦 チューク州〉

 

 

 遠い日本では、春は別れの季節らしい。

 しかしミクロネシアに季節はない。雨がよく降るか、降らないかの違いしかない。

 

 

 だから瀬戸月ヒナタは、あの夜のことを考えていた。

 

『これじゃ私たちは人殺しよ!』

 

 あの夜、おそらく幸せだった偽りの景色が全部崩れてしまったあの夜。瀬戸月ヒナタは家族の事を信じられなくなった、あの夜。

 

 父は変わらない、いつも通りに仕事に行って、いつも遅く帰ってくる。

 そして「お姉さん」だった人物は「義母」になった。なにが彼女にそうさせたのかは分からないけれど、今思えば、引いていた一線が消えてなくなったのはあの夜から。

 

「ヒナちゃん!」

 

 お姉さんの声が聞こえる。見つからないように身を縮めるが、その声はどんどん近づいてくる。

 お父さんは追いかけてこないのに、お姉さんは追いかけてくる……そりゃそうだ、だって私はお父さんの子供じゃない。お姉さんは「あなたはお父さんの子」と言ってくれたけれど、多分それは、お姉さんも騙されているからで。

 

「ヒナちゃん? そこにいるんでしょ」

「いません。帰ってください」

 

 そんなヒトと話したいとは、とてもじゃないけれど思えなくて。

 

 でも、突き放せるほど。瀬戸月ヒナタは強くなかった。強くなるために本土への進学を選んだのだから、なおさら。

 

「もう帰ろ? お父さんに謝れなんて言わないからさ。お風呂に入って、ベッドで寝よう?」

「一晩くらい()()()()したって平気、です」

 

 だから、ただ放っておかれることを望んだ。そうすれば明日の船便で本土に行ける。偽物だらけのこの島から、逃げられる。

 

「うーん、そうだなぁ……じゃあさ。これは私の独り言なんだけれど」

 

 なのにお姉さんは、逃がしてくれなかった。

 

「多分だけどさ。あなたのお父さんは誠実であろうとしたんだと思うよ」

「……」

「バカなヒトだよね。本当の誠実は、ウソをずっと隠しておくことなのに……」

「……ウソは良くないって、お父さんは言ってました」

「そっか。じゃあ、私も隠し事はやめるね」

 

 誠実に、真摯に。残酷に。

 私に事実を突きつける。

 

「実はね、子供が出来たみたいなの」

 

 

 だからきっと、わたしのせいなんだ。

 

 

 

 

 

 

「ちがうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈西暦2036年7月14日 ソビエト社会主義共和国連邦 サハリン共和国〉

 

 

 

 考えていた。生まれた意味を。

 探していた。遺された意味を。

 

 

「直撃……流石です、中島3佐(やましろ)

 

 体内のありったけの体液(みず)を絞り尽くしたのだろう。目に見えるほどに分厚くて赤黒い防殻が形成されて、戦艦〈山城〉の砲撃はそこに寸分違わず飛び込んだ。

 そして弾頭に付与された霊力を以て波長を中和、単なる水に成り下がった針穴ほどの空間から弾芯が飛び込み、防殻を逆手に取って内部で乱反射。

 

 そして防殻が崩れる頃には、そこには何も遺されてはいなかった。

 思い出したようにサイレンがポロナイツクの街に響く。爆発音も、減ってはいない。

 

 

「あ、そうか。ここの群れは斬首が効かないんだっけ」

 

 なら、全部殺さないと。

 陽炎は海へと向かう。

 

 艤装も、敵も、みんな海で待っている。

 

 

 

 


 

 

 

「酷い顔ですね、先輩」

 

 誰よ。とは今更言えなかった。廊下から差し込む光が煌々と、彼女の影を際立たせる。

 

「群司令の伝言(ことづて)をお伝えしますね……『本日付で瀬戸月ヒナタを南サハリン緊急展開群司令部付とする』」

 

 「懲役終了」ですよ。おめでとうございます。

 そんな文字列が、ポートモレスビーの共犯者から聞こえる。

 

「人手が足りない、って和訳するべきなんじゃないの?」

「ですが、あなたを司令部要員に復帰させるのは大きなメッセージですよ。国防軍はもう、先輩を不当に扱ったりはしない」

「あなたらしくもない楽観論ね、夕雲」

 

 陽炎の言葉に、夕雲は丁寧に編まれた髪を揺らしてみせた。深い海色の作業服を飾るのは、陽炎と同じ1等海尉の階級章。

 コツ、と半長靴が床を鳴らす。存在を知らせるわざとらしい足音が、陽炎のうずくまるベッドの脇を通りすぎていく。

 

「先輩はご存じだったハズですよ? 今回の任務は先輩の『復帰試験』だったと」

「でも、アイツらは私を使い潰すつもりだった」

「させませんよ」

 

 音を立ててカーテンが開かれる。窓からも太陽光が降り注ぐ。夏のサハリン、透き通った空。

 

「貴女のおかげで沢山のヒトが救われた」

 

 『子供』だけじゃない。鎮圧の過程で生まれたであろう戦死者、戦線の後退で生まれたであろう難民。

 ポートモレスビーの叛乱未遂(茶番劇)は、間違いなく多くの人々を救ったのだと彼女は言う。

 

「だから、貴女をこんな場所で朽ちさせたりはしない。保護者は片桐1佐だけだと思いました?」

「保護者だなんて」

 

 反論しかけて、そういう意味ではないかと思い止まる。変な穴を掘るところだった。

 

「確かに貴女は世界を変えてしまったかもしれない。けれど変化とは、なにも悪い方向にばかり進むものではありません」

 

 そうは思わないけれどと返せば、既得権益の中枢たる官衙(かんが)に閉じ込められていればそうも感じるでしょうと嗤われる。

 

「知ってます? ポートモレスビーの件を受けて、ソロモン諸島が新自由連合盟約(ニューコンパクト)への加盟交渉に本腰をいれ始めたんです。激戦地であるにも関わらず米中対立の狭間でコウモリ外交を続けていたあの国が、です」

 

 世界中に対立が満ちているなら、漁夫の利を得ようとする輩も必ず現れる。アメリカとアジアを繋ぐ連絡線であるソロモン諸島は、かねてから主権侵害を盾に駐留軍から譲歩を引き出す前線国家として有名であった。日本もそれなりの経済支援(ODA)を実施している。

 

「見捨てられる恐怖に怖じ気付いたんでしょ」

「だけれど、日本はまだ誰も見捨てていない。だからこれは、良い変化なんです」

 

 まだ?

 ミクロネシアとマーシャルは見捨てたクセに?

 

 胸の底から沸き上がった感情を陽炎は押さえ込む。それはもう()()()()()。少なくとも目の前の夕雲(彼女)にとっては遠い過去の話だ。

 

「だから先輩、胸を張ってください」

 

 そして過去を知らない後輩は、陽炎を否定するどころか肯定する。

 

「貴女のおかげで風雲さんが助かった」

 

 その代わりに、国防軍は長大な戦線を抱えたまま消耗を強いられている。

 

「貴女のおかげで国防軍は『子供』の問題に向き合う気になった」

 

 その代わりに、美しき家庭計画(『子供』の問題)の責任はロシアに押し付けられようとしている。

 

「世界は変わるんです、変えられるんですよ。先輩」

 

 

 ()()()()()()()()と、影法師が陽炎に囁く。緑に染められた髪の毛が、風に吹かれて崩れてゆく。

 

 

 そうか。これは夢だ。

 だって夕雲は、南サハリン(こんなところ)にはいないのだから。

 司令部付きの件は南サハリン緊急展開群の司令となった小河原から直接聞いたし、懲役終了なんてからかうのは片桐くらいだろう。ソロモン諸島の件はもう2年も前の話だし、そもそも夕雲は『子供』の件を知らない……知らないハズだ、たぶん。

 

 影法師がまとわりつく。陽炎の足元からそれは生えていて、ベッドから立ち上がっても、廊下に駆け出しても離れてくれない。

 もちろん廊下には誰もいない。天井はなくて、底無しの空が広がっている。

 

 振り替えると、先程まであったハズの寝室も消えていた。

 心地よい潮風が肩を撫でる。これはきっと、故郷の風。

 

「……明晰夢なんて、本当にみるのね。ビックリだわ」

 

 それを振り払いたくて、陽炎は口を動かした。幸いにも、口は自由に動いてくれた。

 

「にしても、なんで夕雲なのかしら。私そんなに、あなたにコンプレックス抱いてたかなぁ……」

 

 いや、思い当たりはある。

 夕雲には「空母艦娘としての適性」があった。陽炎、瀬戸月ヒナタが求めてやまなかったものを持っていた……にも関わらず、彼女は空母にならなかった。駆逐艦乗りになりたいのだと、彼女は語っていた。

 

 駆逐艦にしかなれなかった陽炎。

 駆逐艦にこそなりたかった夕雲。

 

「あはは、コンプレックスの塊だ。そーよね、アンタはいつも優秀で」

 

 そして、陽炎(わたし)はいつも後輩(あなた)から逃げていた。

 決して追い付かれまいと。

 決して抜かされまいと。

 

「……なにやってんだ、私」

 

 力が欲しかった。

 国防軍における力は、階級章だった。

 

 指揮権なんて明確なものを求めた訳じゃない。ただ、絶対的な価値として君臨する階級章ピラミッドを駆け上がろうとした。

 だから国防大学に進んだ、特務神祇官の幹部は階級が上がりやすいと聞いたから。

 だから片桐に誘われても派閥抗争(隊内政治)からは距離を置いていた。評価に政治は含まれないし、下手に目をつけられたくなかったから。

 

 そうして気付けば、従順な駒(テッポウダマ)が出来上がっていた。

 階級は上がったけれど、力なんて得られてはいなかった。

 

 

 

 でも。

 

 

「うん、そうだ。軍隊の(こま)でいるのは、気楽だった」

 

 考えなくてよかったから。

 物理的な「力」だけは手に出来たから。

 

 富良野に行った。大地を疾走する地上の王、無限軌道に均された広大な北海道。後背(おか)の守りは磐石だと感じた。

 習志野に行った。飛び降り台は恐怖よりも興奮が勝った。筋が良いと言われ、迷わず水上空挺の資格を取った。簡単だった。

 嘉手納に行った。エアパワーとは物量が物を言う。勝利を担保するだけの物量は、見ているだけで清々しい気持ちになった。

 

 そんなもの、ひとつも自分の力ではないというのに……私はどうしてか、それを自分の力と誤解していた。

 

 そして、本当に力が必要な時が来てしまった。ひらりと舞う書類。国防省の定める書式番号が記載されたA4再生紙。再生紙比率が高すぎて黒ずんだそれは、使いなれた特務艇艤装の使用申請書。

 

 これにサインのひとつをして、承認印を押すだけ。それだけで特務艇艤装(暴力装置)は活動を許可される。

 武力を行使するには、拳銃のひとつすらも必要ない。

 

「『ペンは剣よりも強し(The pen is mightier than the sword.)』」

「!」

 

 声が聴こえる。記憶から合成された、それにしては明瞭な英語。

 

お義父さん(おとうさん)

 

 そういえば、彼が武器を持っているのを見たことなんてなかった。彼は部隊の司令官で、命令を出して力を行使する立場で。

 風が吹く、申請書が空に舞う。大手新聞社の朝刊、グラビアで飾った週刊誌、インターネット記事のコピーが空を飛ぶ。

 

『ミクロネシア連邦陥落』

『醜態さらした撤退戦!「英雄」瀬戸月ミナトは核攻撃の「真犯人」!?』

『継承権を悪用、副司令に支配されたチューク諸島の地獄』

 

 そんな流言飛語で埋め尽くされたペーパーが、義父の姿を覆い隠していく。

 

「ごめんなさい、私は、信じてあげなきゃいけなかったのに」

 

 もう何処にもいない義父に許しを乞う。

 返事はない。赦されるハズもない。

 

『知らないッ!』

 

 幼くて愚かな瀬戸月ヒナタ(わたし)が視界に映る。全部誰かのせいにして、自分は悪くないと言い張る少女。

 

「……ちがう、お前(わたし)のせいなんだよ」

 

 手のひらにゴツゴツとした感触。見れば国防軍制式の9ミリ自動拳銃。流石は明晰夢というべきか、私の欲しいものをよく分かっている。

 

 昨日までの私は、引き金に責任を持っていなかった。誰かの命令で絞る引き金は軽すぎた。

 けれどもう、違う。私は私の意思で――――――

 

 

「ちがうよ」

 

 

 拳銃に手が添えられた。

 細い手、白い手。いつの間にか私の方が使い込んでしまった手。

 核の発射ボタンに手を掛けた(ミクロネシアを焼き払った)、手。

 

「おかあ、さん」

 

 顔が上げられない。彼女の顔を見る余裕がない。ぎり、と拳銃ごと()()()()両手が悲鳴をあげる。

 

「だめ、だめ、やだ。やめて」

 

 強引に照準がねじ曲げられて、愚かな少女から外される。

 

「だめっ、だめだよ! やめて! お願いだからッ!」

 

 そして銃口は、彼女の腹部へ。

 ()()()()()()()()()そのお腹へ。

 

「謝るから、わたしが悪かったからッ! ごめんなさいっ、やめて、そんなことしないでッ!」

 

 

 でも。

 

 

『父さんの子供じゃない』

『子供が出来たみたい』

 

 

 堕ろせば(殺せば)

 

 私はまだ。

 

 あなた達の『子供』で、いられたのかな?

 

 

 

 


 

パンッ

 


 

 


 


 

 

 

 

 

 

〈西暦2036年7月15日 ソビエト社会主義共和国連邦 サハリン共和国〉

 

 

 

 

 扉枠が叩かれた。

 

「瀬戸月1尉、起きてるか?」

 

 寝付ける訳がなかった。外に出れば嫌でも硝煙と腐臭――――もちろん駆除した深海棲艦によるもの――――で吐き気がするから、ベッドの外へ逃げ出すことも出来ない。

 

「なんでしょうか」

「酷い顔だ。やはりオンラインでカウンセリングを……」

「結構です」

 

 知り合って数週間の上司に心配されるほど酷い顔をしているのか、私は。

 

「深海棲艦を殺すのは、慣れていますから。それで、ご用件は」

 

 さっさと済ませてくれと言わんばかりに顔を上げれば、小河原海将補は溜め息。

 

「……その深海棲艦についての話だ。少し外を歩こう」

 

 つまり、ある程度の機密を含む話ということか。黙って従い外へ出る。砲撃が直撃したのだろう、廊下の壁は一部が崩れ落ち、朝焼けに染まりつつあるポロナイツク市街を見渡すことが出来た。

 

「統合幕僚監部は、昨日討伐された目標を正式に乙種目標であると認めた。ナンバリングは乙308号目標となる」

 

 相変わらずこういう仕事だけは早いなと小河原、陽炎の胸に湧くのは違和感だった。

 乙種目標とは、極めて脅威度の高いとされる個体に割り当てられる識別符号(ネームド)である。

 

「……乙種という割には、随分と簡単に討伐できたようにも思えますが」

「今回の脅威は個体そのものの脅威ではないからな」

 

 そこで言葉を区切る小河原。まだ破片の片付けきれていない街路へと出る。

 

「戦闘の経過は聞いている。斬首作戦の通用しない群れ……なるほど厄介だ。しかし単純な動物に過ぎない奴らに、なぜ斬首作戦が通用しなかった?」

 

 問いかけの体をとってはいるが、答えを待つわけでもなく小河原は続ける。

 

「答えは『教育』だ。奴らは非肉体言語的(腕っぷしの強さではない)コミュニケーションを確立し、個体間の双方向な意志疎通を可能にしたのだろう。だから昨日倒したアレは群れ長などではないのだ」

 

 人類(我々)でいうところの伝令みたいなものかと小河原は言う。

 

「では、乙308号は討伐されていないと?」

「それどころか、まだ連中はオホーツク海に潜んでいると上層部(うえ)は見ている」

「……」

 

 理解が追い付かない。

 追い付かなくて、少し先に行った海将補が振り向くまで陽炎は動けなかった。

 

「な、なーんだ。じゃ、じゃあ。私が独断専行してまで倒したヒト型は単なる伝令だったってことですね? それじゃあ、勲章ものだって話もチャラですか? 私はまた、国防省の隅っこで飼い殺しですか?」

「やけに饒舌だな、瀬戸月1尉」

「……いやですね海将補、これでも私、飼い殺しは結構、というかかなりストレスだったんですよ? せっかく終わるって思ったのに、戦果は実は挙げられてなくて……これじゃ、テストは不合格ってことですよね。私は、わた、しは……」

 

 視界が霞む、瓦礫の埃が眼に入ってしまったらしい。思わず擦ると、手には涙がついていた(私の両手は血に染まっている)

 

「わたし、もう……」

 

 あんなに沢山、深海棲艦(いのち)を殺してた。

 

「それはそうだろう」

 

 そしてそれを、小河原は信じがたいほど当たり前のように肯定する。部下のフォローも上官の仕事かとため息を吐いて、彼は続ける。

 

「配食に含まれる動物性タンパク質がどれほどあると思っているんだ? ハエが飛んでいたら叩き落とすし、ゴキブリが出たら潰すじゃないか」

「そんな屁理屈は聞いていません」

 

 そもそも、そんな話じゃない。

 

「アレが群れの長だったかどうかはどうでもいい、私は、アレと『言語(ことば)』を交わしてしまったんですよ。だって、あんなに、あんなに流暢に喋るんですよ? おかしいじゃないですか、深海棲艦は動物じゃなかったんですか? アレじゃまるで」

「ヒトみたいだから『ヒト型』という分類があるんだろう。今更なにを言っているんだ」

 

 そうじゃない、そうじゃない。

 

「あんなの『ヒト型』なんて生易しいものじゃありません。知性があって、感情がある。ヒトの模倣じゃないんですよ、あれじゃまるで」

()()()()()()だと?」

 

 小河原の視線が突き刺さる。上官に対して滅茶苦茶なことを言っているのは分かっている。それでも、一度そう思ってしまったら許せないのだ。

 

 

 ――――――人殺しが。

 それを「いまさら」許容してしまった、己の浅はかさが。

 

 

「…………君は若いな、瀬戸月1尉」

 

 軍人としては致命的なほどに、と小河原は溜め息。

 

「羨むべきなのか、蔑むべきなのか分からなくなる。君は本当に純粋で、素直だ」

 

 人気のない早朝の街路に、小河原の声が転がる。

 

「最初期から、奴らが哺乳類としての特性を備えていたことは明らかにされていた。高度な学問であるはずの弾道学を経験則とはいえ命中させるまで洗練させることの出来る発達した記憶能力、複数の子機を操れるだけの処理能力」

 

 なんの話かは分からないが、深海棲艦の話をしていることは理解できる。

 

「しかし、学会は頑なに奴らが知性ある生物であることを認めなかった。昔から疑問だった。なぜ学会が、あそこまで頑なに深海棲艦の知性を否定するのか」

 

 特にヒト型が出てからは顕著だったな。ありとあらゆる傍証を捏造しては人間とヒト型の違いを示そうとしていた。そう小河原は言う。

 その時代を、ヒナタ(わたし)は知らない。私が生きていた場所は、深海棲艦が当たり前に居る世界だった。

 

「深海棲艦はヒトを殺す。直接的にせよ、間接的にせよ……人類(我々)が彼らを駆除(殺す)には十分な理由と思うのだがな」

 

 ああ、その通りだ。深海棲艦がヒトを殺すのは当たり前だった。

 陽炎が深海棲艦(ヤツラ)を殺すことになんの疑いも持たないように、当たり前だった。

 

 

『ナラ、忘レロト? ――――――我ラノ、()()ヲ』

 

 

 昨日までは。

 

 

「そんなにも知性が、感情がある動物を殺すのは悪いことなのか?」

「悪いこと……では、ない、はずです」

 

 

 だって、そうでなければ。この戦争を肯定できなくなってしまう。

 ミクロネシアを維持した義父(ちち)を、ミクロネシアを焼いた義母(はは)を。

 

『子供が出来たみたいなの』

 

 2人が守ろうとした、義妹(ミライ)を――――嘘吐け

 

 

 本物の子供が産まれたから(その結果)、私は棄てられたんじゃないか(ひとりぼっちになった)

 もっと早くに覚悟を持てれば(殺しておけば)、こんなことにはならなかったじゃないか。他人のせいにしなくても、済んだじゃないか。

 

 

「……正当化できても(悪くはなくとも)正義では(正しくは)ないと?」

「ええ、そうですよ。正しいわけがない」

「貴官には権利があるはずだが?」

 

 家族を殺されたから、殺す権利があると?

 家族を奪われそうだから、堕ろす権利があると?

 

 まさか、あり得ない。そんな権利――――――存在しては、ならない。

 

『子供が出来たみたいなの』

 

 なにせ、命は素晴らしいものだから。

 

『父さんの子供じゃないんだ』

 

 私は本来、存在するべき存在(いのち)ではなかったから。

 

 だから怨むのは正しくない。怨むべきは無力な己、正しくないのは、見捨てた己。

 ……覚悟を持てなかった(偽家族を手放した)、私。

 

 つくづく歪んでいる。ヒトとして大事なナニかが欠けている――――陽炎は嗤う。

 

「海将補。私を命令違反で処罰して頂けませんか。あなたの命令を待たず、市民の残る市街地への発砲を命じた、瀬戸月ヒナタ1等海尉を」

「その件は済ませたはずだぞ。的確な状況判断であったし、そもそも君は幹部艦娘だろう。幹部艦娘は指揮を執るために存在する」

「ですが」

「――――――そんなに正義が大事か、瀬戸月ヒナタ」

「ッ!」

 

 顔が強張るのが分かる。国防海軍の海将補、小河原アツシが睨んでくる。

 

 きっとそうなのだろう。

 正義が大事なのだろう。

 

 

『でも、(わたし)だけは信じてあげなきゃいけなかった!』

『ご両親はミクロネシアの英雄だった』

『艦娘は悪者じゃなきゃいけないんですか、棄てられる筈だった子供を助けて、何が悪いんですか!? 私たちは、私たちは……そんなに悪者ですか?!』

『すまない、ヒナタ』

『そうよ。私は運が良かった。幸せだったのよ』

『本当の誠実は、ウソをずっと隠しておくことなのに』

『お前は、父さんの子供じゃないんだ』

 

 

 正義が大事ということにしておかないと、大切なヒトを恨んでしまいそうで。

 

 ――――だって、義母さんは正しいことをした。

 義母さんが戦わなければ、きっと日本は滅びていた。

 だって義父と義母の部隊(第8護衛隊群第3分遣隊)は、最強だったから――――そう思わないと、嘘つきって言ってしまいそうで。

 

 優しい2人を。

 なんで私を見棄てたのって恨まないといけなくなって。

 

 そんなこと絶対、ゼッタイにイヤだ。

 

 

「正義を、為さなければならないんです。私は『瀬戸月ヒナタ』ですから」

 

 悪いことは、悪い。

 そうでなければ、私は悪者になれない(罪を背負えない)

 

「そうか」

 

 ストンと落ちるような声。

 

「ならば正義を与えてやろう、瀬戸月ヒナタ」

 

 正義を与える? どうやって?

 

「『子供』たちを救いたいのだろう? ならば、我々に協力しろ。美しき家庭計画を葬り去る」

 

 新ソ連の正統性担保、ポートモレスビー事件の公表、平和条約の締結、北方領土問題の解決――――――全てを片付けると、彼は宣言する。

 

「それで『子供』たちを救うための名目がつく。日本(我々)は連邦に騙されていたと、脅されていたと。我々は被害者だと」

「そんなの、感情論じゃないですか」

 

 現実は違う。日本は明確にロシア領に兵力を進出させていて、これから更に進出を強めようとしている。

 

「その通りだ、瀬戸月1尉。正義とは感情論(そんなもの)なのだよ。そして民主主義国家における正義とは国民が決める――――――だからミクロネシアの英雄は戦犯になった」

「それは違います!」

 

 思わず声が出た。だって戦犯扱いしたのは、他ならぬ私なのだから。

 

「みんな、みんな騙されていたんです。だから今はもう、名誉だって回復されているじゃないですかッ!」

 

 それは、ミクロネシア疑獄の話。

 ミクロネシア戦役に端を発する2020年代の混乱。戦役で支払った軍事的、経済的損失が今の日本を消極的防衛策に回らせたという通説は厳密には誤りだ。

 

 日本が本当に引き摺られているのは戦役そのものではなくその後の「ミクロネシア疑獄」。

 2020年代の日本はこれの処理に全ての政治的リソースを割いたと言っても過言ではなかったし、その間に国防軍も随分と変質した。反戦色を隠さない南洋戦友会や艦娘派の中でも特に強硬な戦中任官艦娘グループ、戦前からの自衛官たちが徒党を組んだ中立派……そしてポートモレスビー事件が示す通り、前線の部隊すらも主義主張のために武装蜂起を起こしかねない。

 そして現実に、武装蜂起(ポートモレスビー)が起きている。

 

「正義が無意味なことなんて知ってますよ。海将補、あなただってそんなこと、ご存じのはずだ」

「だが貴官がそうであるように、正義は大事だ。ひとつの組織をまとめるのに、正義は多いに役に立つ」

「……ですが、かつて人々は正義に力を与えなかった。違いますか」

 

 絞り出した反論は借り物*1

 借り物の命令、借り物の引き金、借り物の存在(いのち)

 

「なるほど。ようやく己が圧政者たり得ることに気がついたか」

 

 だから、いとも簡単に論破される。

 

ポートモレスビーの時の貴官(テロリストとしてのキミ)は誰もが認知していた。それは貴官の正義(告発)を真に受けたのではない。貴官の抱えた脅し(チカラ)がハッキリしていたからだ。貴官は正義なき力の行使者(圧政を為す者)と思っていたが、所詮は力の手綱も握れていなかったということか」

 

 私を彼は『子供』扱いする。

 その結果を、私は受け入れるしかない。事実として、ポートモレスビーは誰もを不幸にしただけだった。あの武装蜂起を軟着陸させただけで、墜落したという事実は変えられなかった。

 

「手綱を握れなかったからこそ、余計に分かるんじゃないのか? 力を手にした正義がいかに恐ろしいか。正義がどれほど陳腐なものか」

 

 …………じゃあ、なんだ。今の私が全部、すべて感情論100%だと言いたいのか。

 親を見殺しにした私の不正義()を、感情論だと切り捨てるのか。

 大切なヒト(不知火たち)を守るための不法行為(クーデター)を、失敗と決めつけるのか。

 

 私の苦しみを、こうも否定するのか。

 

 

「それでも、私は。瀬戸月の娘だ」

 

 

 なら私は、その否定を否定する。

 

 

「……何を言いたいのか分からないな」

「売られた喧嘩は買う、そう言っているんです」

 

 義母は喧嘩っ早くて、それで強かったと。そう片桐は教えてくれた。

 その剥き身の刀に勝る者はいなかったと語ってくれた。

 

「ミクロネシア撤退戦で、なぜ瀬戸月司令代理が撤退を拒んだか。背中に住民が、守るべき人たちがいたから……ヒトを守ることすら上層部(アンタたち)が拒んだから、瀬戸月司令代理(かあさん)は核を使ってでも戦線を押し留めようとしたんだ」

 

 本当に、とんでもない喧嘩の仕方だと思う。誰もが使うことを避けていた核兵器を、いとも簡単に太平洋に投じた義母。

 

「誰かを守るためなら、手を汚す。それがあの人の正義だった」

「目的は常に手段を美化すると?」

「まさか。なら私は、もっと早くに手を下してた」

 

 腰に手が延びる。ホルスターには当然、制式の9ミリ拳銃が収められている。

 

「そうだ、君には権利がある」

 

 射撃場で繰り返した動作。引き抜き、右手で握り、スライドを動かせば薬室に初弾が送られる――――――が、左手はマガジンリリースを押していた。

 スルリと抜ける弾倉、スライドを動かして排莢口から弾丸が入っていないことを目視で確認。

 

「言った筈だ小河原アツシ、瀬戸月ヒナタはその権利を行使するつもりはない」

 

 なぜなら、私は臆病だから。

 

 臆病だから逃げた。

 臆病だから助けようとした。

 臆病だから見捨てられるのが怖かった。

 そして臆病だから恨めなかった。過去を認めることが、出来なかった。

 

 だから、いつまでたっても前には進めない。

 

 あの人みたいになりたかった。

 血は繋がっていないけれど、その()()は確かにこの身体に流れていると、そう信じたかった。

 

「私は私のやり方で、正義を守る。正義を与える? そんな正義に価値があるものか」

職業軍人(わたしたち)は常に与えられた正義で戦ってきたんだぞ、瀬戸月1尉。それを否定して、お前は何になるつもりだ」

「知ったことじゃない、でもやるべきことはハッキリしている」

 

 進むしかないのだ。誰も殺さないし殺させない。誰も恨まないし怨ませない。そんな馬鹿げた臆病者の道を、嘘を吐きながら突き進むしかない。

 だから瀬戸月ヒナタは、その拳銃を小河原に差し出した。

 

「今はあなた方の策略に乗ってやります」

「売られた喧嘩は買うのではないのか」

「喧嘩したい相手と笑顔で握手する、そんな先輩に師事しておりまして」

「たまげた二重規範(ダブルスタンダード)だな」

 

 小河原は眉をひそめると、拳銃を受け取らずに背を向ける。

 

「誤解されては困るが、私はひとりの職業軍人(サラリーマン)だ。私はただ、君が軍令に忠実であることを願うよ」

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 小河原アツシは、静かに裏路地へと入った。空を無人機(ドローン)が動く気配がして、やはりここかと足をとめる。

 全くもって。鉄砲玉も楽ではない。

 

「ましてや、()()()1等海佐にこき使われるとはな」

「悪いわね、小河原クン」

 

 ポン、と肩を叩いたのは片桐だった。暗がりから現れた彼女を、小河原は暗い眼で睨む。

 

「悪気があるなら、最初から私を頼るな」

 

 部下の管理も上官の仕事じゃないと嗤う片桐。心底嫌そうにため息をつく小河原に、彼女は手を振りながらフォローしていく。

 

「いやぁごめんねぇ? 私ってば憎まれ役は苦手でね~」

「情が移って余計に残酷なことをする(甘やかしてしまう)だけだろう……同じ親として、理解はするが」

「…………私は、あの子の親じゃないよ」

「知るか。だがこの私を鉄砲玉にした対価は払え、いいな」

「当然。感謝してるよ、小河原閣下」

 

 そう言いながらホテルとは逆方向に立ち去ろうとする片桐。小河原は待てと呼び止める。

 

「……私が彼女の親なら、もう辞めろと言うところだ。なぜ彼女に戦わせる、なぜ戦い以外の選択肢を与えない?」

 

 今回の騒動で、瀬戸月ヒナタが負った心的ダメージは明らか。既に彼女が役立つ場面は終わっている以上、このまま後送しても小河原にとっては問題がない。

 にも関わらず、片桐は彼女を戦場に残そうとした。傷を抉り、追い詰め、最後の反骨心を振り絞らせ、この心も凍てつく北方に残そうとした。

 

「ん? そんなことも分からないなんて、相変わらず小河原クンは官僚サンだ」

 

 そして片桐アオイは、一言。

 

「戦えなかった結果が、私だからだよ」

「……」

「ミクロネシアで戦えなかった。仲間を助けに行けなかった。米軍の核兵器投射を止められなかった。瀬戸月ハルカ(私の後輩)に、罪を着せてしまった」

 

 だから瀬戸月ヒナタ(アイツの子供)には、英霊(アイツ)にも、政治屋(わたし)にもなって欲しくない。

 ただ普通の子供として、成長して(オトナになって)欲しいのだと、彼女は言う。

 

「エゴだな」

「エゴで結構。子育てのセンパイとして言っとくけれど、案外子供は、思い通りにはいかないものよ?」

 

 その言葉に見え透いている『期待』を無視して、小河原は踵を返す。

 

「……狂ってるな、ミクロネシア組は」

 

 悪態のような現状分析が、歯ぎしりの隙間から漏れた。

 

 

 

 

 

 

「…………そうよ、狂ってるのよ。私たちは」

 

 小河原と別れた片桐は歩く。

 路地を抜け、通りを越え、造成地の端、ここが日本領だった頃から使われている波止場に向かう。

 

「でも。逃げ出したら貴女は、私と同じになってしまうから」

 

 耳を澄ませる。

 そうすれば、聴こえる。

 

――――――われらの栄光も、自由もいまだ滅びぬ

 

「独りで戦えば、貴女はアイツと同じ結末を辿ってしまうから」

 

――――――若人たちよ、運命は我らにやがて微笑むことだろう

 

 

 

 絶望の唄が。

 栄光の歌が。

 

「だから、一緒に戦ってあげる」

 

――――――太陽を前にした朝露の如く、敵は滅ぶことだろう

 

 この絶望に。

 

――――――同胞よ、われらに故郷を、われらの手に取り戻さん

 

 

 

 

 この戦争に。

 

「……ねぇ、ハルカ」

 

 耳障りな歌が止まらない。耳を塞いでも血肉を震わせ、その存在を主張する。

 これは海の怒りか。

 

――――――自由のためならば、われらは魂と身体を捧げよう

 

 はたまた、海に流れた血の怒りか。

 

「勝手にこっちがした約束だけど、約束は約束だ。娘のことは守ってあげる」

 

 歌が聴こえる。海の怒りが、浄化されてしまった誰かの怒りが。

 

――――――同胞よ、わが氏族の誇りよ、わが氏族の名誉を示そう

 

 誰かの破滅を願う、荒神の声が。

 

 

「だからミクロネシアの借りは、全部チャラにしてもらうわよ」

 

 

*1
プラトンの「国家」。対話形式で正義について論じられている。



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第125話 世界(ワタシ)はもう、くるっているの?

〈西暦2036年7月21日 日本国 北海道〉

 

 

 

 その日も、いつもどおりの手伝いの筈だった。

 学校に行く前、朝御飯前のルーティン。お祖父ちゃんの漁船を出迎えて、お魚をたくさん詰めた箱から変なものを探す作業。

 

「あれ……?」

 

 そんないつもどおりの朝に、不意に少女は気付いた。

 気付いてしまった。

 

「ねぇ、お母さん」

「なあに、よっちゃん」

 

 少女は語彙が豊富ではなかった。自分の家の住所は覚えていないし、ざっくりとこの町が北海道のどこら辺にあるのかもよく分かっていなかった。

 それでも、五感は正直であった。

 

「きこえる」

「え? 聞こえる?」

「きこえる、きこえるよ」

 

 そして、第六感と呼ぶべき本能は、確かに機能していた。

 

「こわいよ、こわい……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

〈同日 ソビエト社会主義共和国連邦 サハリン共和国〉

 

 

 

「歌?」

「ええ、歌です」

 

 旧サハリン州都、現ソビエト臨時首都ユジノサハリンスク。そこに設置された南サハリン緊急展開群の司令部で、片桐アオイは一束のレポートを会議机の上に置いた。

 

第一管区(海上保安庁)旭川、北見(北海道警察)の友人たちからの情報です。巡視船乗り込みの特務神祇官からは数十件、住民からの通報もちらほら」

 

 大まかな地図だと言いながら、片桐はコピー用紙を机に詰めかける各々に配る。オホーツク海とその周辺の地図、いくつかのプロットが意味ありげに並んでいた。

 

「これが歌の聞こえた場所です」

「すまん。前提から説明してもらえるだろうか? 歌とは何を意味しているんだ?」

 

 早くも全面降伏の小河原。片桐が視線を横に流すと、脇に控えた中島3佐(やましろ)が言葉を継ぐ。

 

「船乗りの嫌い(好き)な与太話の類です、閣下。だからこそ報告も慎重になります。ご理解を」

 

 敬語の山城に陽炎は驚いたが、南サハリン緊急展開群の編成により彼女も司令部直轄特務艇群の指揮官に任じられている。

 そして組織に従う限り、組織人たる小河原はそれを無下にはしない。

 

「構わん。そのための副司令制度だ……で? 具体的な説明を期待していいんだろうな、片桐副司令」

 

 役職付きで呼ばれた片桐。彼女は当然と言いながら説明を始める。

 

海から(セイレーン)の歌声。今回の歌声は空気を震わせるんじゃなくて()()()()()を震わせている」

「……なるほど。つまり、上級の特務神祇官、霊力の扱いに長けて奴らの波長に敏感な者だけに聴こえる歌か」

 

 その会話を、陽炎は壁の染みになったつもりで聞いていた。司令部付といえば聞こえはいいが、要するに特定の仕事を持たない使い走り、良く言えば幕僚見習いである。

 そして海の叫びも聞こえない(特務神祇官の才能もナシ)となれば、本当にすることがないのである。

 

「それで? これから何が分かる」

「乙308号目標を擁すると思われる深海棲艦群は数日かけて南下、そして今朝、宗谷海峡に進路をとりました」

「避難指示がいるな」

「既に担当部署は動いているようです。それぞれの管区が自発的に、という形ではありますが」

「……なるほど、だから『理解』を求めたわけか」

 

 日本は多重行政の国だ。軍隊を国が、警察を地方公共団体が、救急消防を基礎自治体が……避難に関わる部門だけでも、指揮の統一がされていない。実務的には連携していても、書類上ではそうはいかない。

 

「越権行為は百も承知、今は人命最優先」

「……君からその言葉が出てくる辺り、どうして我が国が縦深を求めるのか分かるというものだな」

 

 小河原は深くため息をついてから、手元の指揮端末にタッチペンを滑らせる。

 

「片桐副司令の手配を事後承認する。この案件は国防軍(われわれ)で預かる。それで、敵の目標は」

「彼女の思想的背景を見れば明らかです。閣下ならご存じでは?」

「……確認しておくが、それはロシア連邦軍を離脱したソビエッキー=ソユーズ級戦艦特務艇のことを言っているのか?」

「私よりもお詳しいのでは?」

 

 挑発ともとれる片桐の発言に、ため息を吐きながら小河原は卓上端末を操作する。どうやら事前に資料まで用意してあるらしい。

 

「彼女はトランス=ドニエプル共和国で活動するテロリストだった」

 

 その言葉と共にプロジェクターから映し出されるのはスキャンしたらしいボロボロの身分証。2010年代の混乱で滅びた国の紋章が刻まれたそこには、軍服姿の女性が映っている。

 それは間違いなく、あの記者会見場を襲ったロシアの戦艦艦娘であった。

 

「『民族自決のための実力保持』を目指した彼らは、2027年にロシア連邦の核兵器保管運用協定(ニュークリアシェアリング)に参加していた同盟国の核弾頭保管施設を急襲した」

 

 核弾頭がテロリストの手に渡れば欧州の安定は損なわれる。それは世界が許容しない。

 

オペレーション・ブルーフォレスト(青き森作戦)――――――」

 

 複数の写真が表示される。墜落した回転翼機、横転した乗用車、真っ黒焦げになった鉄製の隔壁。並んだ死体袋。

 

「――――――ドニエプル独立派の目的は核兵器の奪取、これをモスクワをはじめとするロシアの諸都市で炸裂させること」

 

 それを以て、ロシアを民族丸ごと地上から消し去ることだった。

 

「いやぁ懐かしいね。同志オガワラとの熱い夜の記憶が蘇るよ」

 

 新ソ連の連絡将校(リエゾン)としてこの場にいるタシュケントが揶揄うように言う。それを気にも留めず、小河原は続ける。

 

「ブルーフォレストは成功裏に終わった。しかしもし『彼女』が……いや、ポロナイツクで死んだ彼女の遺志を『教育』された乙308号目標がそれと同じことをやろうとしているのなら、向かう場所は一つだろう」

 

 そして表示される地図。日本海とその周辺を示した白地図には、ロシア連邦の全土を覆うようにして大きな丸が書かれている。

 

「……えっと、どこです?」

「どこかだ。実際の場所は彼女が教えてくれる」

 

 小河原の視線に誘導され、会議室の視線は新ソ連の艦娘であるタシュケントに集中する。

 

「うん。つまりこの何処かにある作戦外貯蔵中の核兵器さ。国家安全保障上の問題になるから具体的なことは言えないけれど……」

 

 まあ、だいたいこの辺にある。そう言いながら彼女が指し示したのは、アムール川流域。

 

「あともう一つは、ウラジオストクの原潜部隊……と言いたい所なんだけれど、こっちの潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)は実戦配備されてるものだからロシアには飛ばせない」

 

 この発言には会議室の大半が眉をひそめる。なにせ、深海棲艦が宗谷海峡を目指すのはウラジオストクの原潜部隊が標的にされたと考えていたからだ。電子部品を無効化し核弾頭を取り出し、爆撃機迎撃にも用いられる超巨大艦載機を用いれば擬似的な弾道ミサイルを再現することは可能だろうに。

 そしてその答えは、ため息を吐いた小河原によってもたらされる。

 

「…….部下をコケにするのはよしてくれ。太平洋艦隊は核抑止任務をもはや担っていないだろうに」

「おおっと同志、ちょっとネタばらしが早すぎやしないかい?」

「核抑止という言葉自体、殆ど死語だろう」

「あは、それもそうか!」

 

 ケラケラと嗤うタシュケント。小河原は時間がないと続ける。

 

「要するに、戦艦の狙いは日本とロシア連邦が歩調を合わせづらくすることだった。宗谷海峡は国際海峡、ロシア連邦は核兵器を使えないし、日本はサハリン側に兵力を配置できない。その隙をついて乙308号目標は突破を図ろうとしたわけだ」

「新ソ連が生まれてなかったら今頃会議は紛糾したろうねぇ」

 

 これが綱渡り(革命)の成果だよと言わんばかりの新ソ連艦娘。片桐はこめかみに手を当てる。内心では相当お冠だろうと陽炎は嘆息。

 

「……いずれにせよ。宗谷海峡突入前に阻止します。作戦計画をお話ししても?」

 

 そうして片桐1等海佐の口から説明される作戦は、型だけみればいつもの部隊配置に攻撃計画。小河原海将補は終始質問を挟むことなく聞き、最後に簡潔にまとめてみせた。

 

「つまり宗谷海峡へ深海棲艦が殺到する事態を想定したオホーツク海作戦要綱の3号そのまま、ということだな」

「斬首作戦が効かない前提ですがね。結果として、投入戦力が恐ろしい規模になりました」

 

 そしてその「恐ろしい規模」を投入するための布石が、確たる証拠を持たないうちの各部隊の動員、ということである。事前の避難により国防陸軍はその全力を特科兵力の展開・支援に充てることが出来る。

 

「北部サハリンの中国軍砲兵と合わせれば、平押しでも潰せるだけの火網(キルゾーン)を形成できる」

 

 そして中国軍砲兵は鉄道軌道に対応している。北部のように十全にとはいかないだろうが、それでも多くの砲兵を展開させることが出来るだろう。

 

「……そして後は、射爆理論の支配する鉄火(タマ打ち)場と化した宗谷海峡に連中を引きつける()()があれば完成って訳」

 

 要するに、いつも通りってこと。特務艇部隊(わたしたち)は体の良い囮役。別に今に始まった話じゃない。三陸沖じゃ自分の座標をそのまま統合砲爆撃システム(ウーバーボム)*1に打ち込んだことだってある。

 

 それが正解だ。

 もっとも効率的に、最小限の犠牲で。敵を殲滅する。

 

 

『あなたのご両親は英雄だったッ!』

 

 


 

 嗚呼――――――でもそれは、瀬戸月ヒナタの正義じゃない。

 


 

「ひとつ、お聞きしたいのですが」

 

 これは、きっと不正解。

 いや間違いなく落第点。代償はこの世からの落第。

 

「……乙308号目標。『教育』を受けた彼らと、交渉する余地はないのでしょうか」

 

 そんな私、瀬戸月ヒナタの言葉に部屋の空気が止まる。淀んだソレは直ぐに腐り落ち、ドロドロと淀んだ感情が漏れ出していく。

 

「瀬戸月1尉、君はいまなんと?」

 

 訂正するチャンスをやると、そう言わんばかりの小河原海将補。もはや臆する理由もない、私は勢いそのままに再放送(リピート)

 

「深海棲艦と、交渉する余地はないのかと。そう言ったのです」

 

 私たちと言葉を交わした、知性あるべき存在と。

 

「……君は学界の論文を読んだこともないのか?」

 

 南サハリン緊急展開群群司令、今や北方の守りを一手に担う海将補がこちらを昏い眼で睨む。そのあからさまな突破口と共に。

 

「深海棲艦は単なる危険生物だ。知性を示す証拠も発見されていない」

「ですが彼らは強力な個体には従う、これは十分な社会性を示しているでしょう。そしてなにより、彼らと私たちは()()()()()()()()()()()

「あれは単なるテロリストだ。赤い血を見ただろう、ヤツは人間だ」

「その人間が、深海棲艦(ヤツら)を手懐けたのだとしたら?」

 

 もしもこの戦争に、終わりがあるのだとしたら?

 

 全てを殺し尽くした先ではなく、話し合いの先に、答えがあるのだとしたら?

 

深海棲艦の駆除活動(このせんそう)が始まって、もう25年ですよ。海将補」

 

 瀬戸月ヒナタ(わたし)が子供の頃から、私が大人になってしまうほどに。

 戦争は、長く続いている。終わりの見えない下り坂を、ずっと人類は突き進んでいる。

 

 本当は分かっている筈だ。もう人類は残された資源(パイ)を奪い合う段階に来ている。全員を養うことができないから、北サハリンを最終処分場とした国家ぐるみの「棄民」まで始まっている。

 

「もし上手くいけば、誰も傷つかずに済むかもしれない」

「悪いけれど、カゲロウ。それはないよ。ヤツは我が祖国(ロシア)を許さない。絶対にね」

「ソイツはもう私が殺した」

 

 私が、私自身の意思で。目の前で血の塊に変えてみせた。

 

「だからもう、残っているのは彼女の残滓だけだ」

「馬鹿げたことをいうな瀬戸月1尉。残滓と交渉するとでも?」

「少なくとも彼女は、交渉する気配は見せていたじゃないですか。そうでなければあんな風に会見場に現れる必要はなかったはずだ」

 

 だからもう、世界(だれか)の意思で流される血があって欲しくない。

 

「もしも彼らが詩を歌うなら、それは彼らが伝えたいからではないですか? 己の存在を、己の痕跡を、歴史を」

 

 その詩を、瀬戸月ヒナタは聞いたことはない。恐らくよほど近くに、それこそ銃剣を突き刺すような距離にまで近づいてようやく聞こえるのだろう。

 私には才能がないから。見るべきものから、眼を逸らしてきたから。

 

 だからもう、なにひとつ聞き逃すつもりはない。

 

交渉させて(本官を単独突撃させて)ください。もしも奴らが動きを止めれば儲けもの、決裂した瞬間に重砲でもミサイルでも叩き込めばいい」

 

 少なくとも、特務艇部隊をまるごと喪うよりは安いですよと。さも算盤弾きの上手い参謀のように澄まして言ってみせる。コレでも一応、司令部付将校だ。

 

 

「いかがですか? 小河原提督」

 

 

 

 


 

 

 

 

「例え話をしよう」

「なんです出し抜けに」

 

 そして、このタイミングで繰り出される例え話にロクなものはない。少なくとも目の前の御仁はそういう手合いであるのだから、陽炎が顔をしかめたのも無理はなかった。

 

「我が国防軍は島嶼用高速滑空弾を保有したことにより、ほぼ全ての対艦ミサイル連隊が相互に支援し合う体制を構築している。でも費用対効果を重視する官僚組織の性かな、霊力戦に殆ど寄与しない対艦ミサイル連隊は『最後の切り札』という名の税金の溶鉱炉と化している」

 

 まあ本土の安寧(それ自体)はいいことなんだけれどと言いつつ、特務神祇官の装束に身を包んだ片桐1等海佐は「そこで」と続ける。

 

「我等が無人戦闘システム研究会が彼らに利益供与をするというのはどうだろう。積み上がった在庫を一気に吐き出させ、無血で深海棲艦を追い返す」

 

 全国に配備された数百の高速滑空弾が宗谷海峡に殺到する。核兵器を搭載しない通常弾頭であったとしても、馬鹿にならない被害が出るに違いない。

 

「……そこまでして、私の出番(正義)を奪いたいって訳ですか?」

「だから言ってるじゃん『例え話』だって」

 

 ここまでちゃんと予防線張ってあげてるのになんで食い付くかなぁと片桐は呆れ顔。

 

「ま、それが陽炎(ヒナタ)ちゃんのいいところなんだろうけれどね」

「皮肉ですか」

 

 そうとしか思えなかった。半分不正解だと片桐は笑う。

 

「確かに貴女は青いかも知れない。でも今の貴女はもう、世間知らずでも担がれる神輿でもない」

 

 インドネシアや、ポートモレスビーで国防軍の限界を知った。

 東京やサハリンで世界の限界を知った。(ヒト)の醜さも。

 

「そして、貴女は止まらなかった」

「止まれないんですよ、もう」

「かもね。でも、貴女のまっすぐなワガママは武器だ」

「本気で言ってます?」

「言ってるよ。ワガママを御したなら、それは理想だから」

 

 その言葉に、陽炎は愕然とした。片桐でも誤解することがあるのかと。

 

「貴女はヒトを殺さない。目的達成のための手段にしない」

 

 違う、私は臆病なだけ。

 かつて両親を見捨ててしまったから。見殺しにしてしまったから。

 

「臆病だって才能よ。自分の身より他人を重んじる。それは人間らしさじゃないの?」

 

 違う、私は人間らしくない。私は欠けた人間なんだ。

 

 だから母の嘘を見抜けなかった。

 必ず帰るって言葉を鵜呑みにした。

 本当は分かっていたくせに、止められたハズなのに。

 

 でも止めなかった。それは私が臆病だったから。

 

 両親のことを信じられなかったから。

 

「でも、周りは貴女をそうは見ていない。貴女はもうとっくに『英雄』なんだよ。ポートモレスビーで、貴女は何人救ったと思う? それだけじゃない、三陸沖で、マラッカで、そしてオホーツク海で、貴女の活躍で救われた命がいくつあると思う?」

 

 陽炎は黙る。それは命令に従っていただけで……なんて言い訳は、もう出来ない。

 二度と見捨てないと決めた。「子供」たちは最前線に囚われたまま、けれど武装蜂起(クーデター)の駒として使い捨てられる未来は回避できた。

 

 だからこそ、今がある。

 

「……でも、違うんですよ」

 

 ずっと、未来が見えなかった。

 もちろん今も見えていない。

 

 先があるかも分からない。ただ助けたいのに助けられない現実ばかりを思い知らされてきた陽炎に、未来のことなんて考えられる筈もない。

 

「わたしは、ただ。みんなに生きていて欲しかっただけなんです」

 

 覚えている。忘れられるはずがない。

 あの日のことを、あの日の匂いと、身体にのしかかる重みと、温かな血液を。

 

 私を文字通り、命懸けで助けてくれたあの人のことを。

 

「私は、自分の周りしかみえてなくて。ずっと、みんなに側に居て欲しいだけで」

 

 棄てて欲しくなかった。置いていって欲しくなかった。

 

 こんな世界にひとりぼっちにするぐらいなら、いっそ守らないで欲しかった。

 

「なら、最後までワガママを突き通すしかないよ。陽炎(ヒナタ)ちゃん」

「無茶言いますね、片桐さんは」

「まーね。でも私は、失敗した。戦争を終わらせることが出来なかった」

 

 話が急展開、最強の艦娘を自称した彼女が、そんなことを言いだす。呆気に取られた私に、彼女は言葉を重ねていく。 

 

「言った通りよ。私の世代で戦争を終わらせることができなかった」

 

 終わらせられなかった。なんて、どうして過去形で語ろうとするのか。

 

「ごめんね」

「なに勝手に謝まってるんですか」

「戦争に勝てなかった私たちは、けれど未来へ橋を繋ぐ(せんそうにまけない)ことが出来る」

 

 私たちは時代の渡し役になるしかないの。

 

 それは絶望、もしくは希望。

 今を打開できない片桐は、未来に頼るしかないという。

 

「だから、貴女に預けるよ」

「なにを言ってるんですか」

「分からない? 言葉通りの意味だよ。戦争を終わらせるんでしょう? 話し合いで、本気で解決すると思っているんでしょう? なら私は、アンタに全部賭け(オール)だ」

「……な」

 

 言葉が出ない。私に全部を賭ける(預ける)

 保身の鬼である筈の彼女がそんなことを言うなんて、なにか質の悪い冗談としか思えなかった。

 陽炎の顔を見た片桐が、ふふと笑う。

 

「信じられないって顔ね」

「当たり前でしょう? そもそも、私の考えとあなたの理想は別物ですよ」

「そうかな? 貴女にも『子供(あのこ)』たちにも次の時代が必要だ。次の時代があると分かれば、自棄(やけ)になんかならずに済むからね」

「今の私が自棄になっていないと、なんで言えるんですか」

「私がまだ自棄じゃないからだよ」

 

 意味が分からない。向こうもそれは百も承知のようで、言葉を繋げていく。

 

「昔の私は本気で考えてた。現場(最前線)はこんなに頑張ってるのに、上はそれをいつも()()にする」

 

 だから変えてやると思って政治屋になったと、自嘲するように彼女は言う。

 

「『幕僚長になれば全部良くなる』って、本気で考えていたんだよ。笑えるでしょ? ……でも、幕僚長になれば変えられることもある。だから私は自棄にならずにいられる」

 

 貴女も同じ筈だと、言葉を積む。

 

「流石の陽炎(ヒナタ)ちゃんも、深海棲艦と話し合って解決だなんてパッパラパーじゃないでしょ? でも、対話を諦めるのは正しくないと考えてる」

 

 対話を積み重ねた先に何かがあると……少なくとも、今みたいに鉄と血で殴り合うだけの未来が変わるかもしれないって信じてる。違う?

 片桐が少し微笑んだように見えた。

 

「そんな高尚な(ごりっぱな)考えがある訳じゃないです。私はただ、責任を取りたいだけで」

「十分だよ。それすらしないヒトが、世の中には沢山いるんだから」

「『責任を取りたい』というエゴでも?」

 

 踏み潰した命への責任。

 踏み台にした命への責任。

 

「私は肯定するよ」

 

 歩いてきた道に横たわる屍を()()()()()その業を、片桐アオイは肯定する。

 

「貴女がなにを為そうと、死んだ人たちはなにも言わない。彼らは喋るかも知れないけれど、それは彼らの口を借りた誰かの台詞なんだよ。だからね、ヒナタちゃん」

 

 もっと信じて欲しい。そう彼女は言った。

 

「貴女の存在を、貴女の価値を。少なくともここには、貴女のエゴすら肯定する人間が()()()()

「は? 2人って……」

 

「水臭いですね、陽炎」

 

 その声。スピーカーを介さずに聞いたのはいつぶりの事だろうか。弾き出された答えは2年、もうあれから2年も経っている。

 駆逐艦〈不知火〉。艦娘不足を補うために何処かから拐われてきた『子供』であり、歯車ひとつ違えば陽炎のもうひとつの道であった反逆者……その姿が、そこにあった。

 

「私がいつ、陽炎の行いを否定しましたか?」

「いや、あんた。なんで……」

「駆逐艦の行動単位は2隻編成(エレメント)です。忘れたとは言わせませんよ」

 

 いや、そういう問題じゃと陽炎。片桐が愉しげに笑いながら補足する。

 

「特務艇が足りないって話、してたじゃない。なんとか間に合って良かったわね」

「片桐さん、あなたは……」

「ん、なーに? そんなに肩を震わせちゃって。感激で涙出ちゃいそうな感じ?」

 

 そして口から溢れた言葉は。

 

「あなたは、卑怯だ」

 

 

 

 説明不要の、怒りだった。

 

*1
【作者感想】GIS ARTAはたぶん当作品世界には存在しないのだろうけれど、ウーバー砲兵って表現はセンスあって好きです。一昔前のハッカーにしか理解出来ないサイバー戦争じゃなくて、誰もの手に届く場所までITツールが浸透したって感じですよね。



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第126話 その言葉だけは、伝えてやらない

「あなたは、卑怯だ」

 

 

 卑怯だ。その言葉に口角が吊り上がる。

 そうだよ、その通り。気付いてくれて良かった。

 

「私が司令部付として『復帰』した時点で、不知火の件はいつでも捩じ込めた筈ですよね? なぜ今なんです、それも、作戦開始の直前になって」

 

 答えなんて分かりきっているだろうに、それでも問いを重ねようとする彼女。

 卑怯、なんて言葉が出てくる時点で分かっているだろうに。知らぬ振りで来るならこっちも建前で返してやる。

 

「副司令ポスト*1をやれば分かるけど、特務神祇官って奪い合いなのよ? 取れるか分からない増援でぬか喜びさせたくないじゃない」

「だとしても、今ここで不知火が出てくるのはおかしいでしょう」

「そう? 貴女を援護できる(に付いていける)駆逐艦で、使用艤装も同型。適任だと思うけど」

 

 瀬戸月ヒナタはそんな言い逃れを許してくれるような人間ではない。

 当然だ、私がそう育てたのだから。

 

 ……いや育てたか? うーん。まあ育てたってことにしとこう。よし。

 

「それで? どうして陽炎ちゃんはそんなに不満顔なのかしら。せっかく不知火ちゃんと引き合わせてあげたのに」

「あなたは、本当に……!」

 

 そうだよ、ヒナタちゃん。

 貴女は怒っていい。泣いてくれたって構いやしない。でも、誰がそうさせようとしているのかは理解してもらわないと困るのだ。

 

「……なるほど、妙だとは思っていましたが、1佐。そういう意図で私を連れてきたのですね?」

 

 押し黙った陽炎に代わり、ようやく状況が飲み込めたらしい不知火が口を開く。

 

「確かに、陽炎は私のことが大好きですが、無理心中してしまうほど感情家という訳ではない。となれば私は人質ってところですか」

「不知火ちゃんも私のやり方は卑怯だって言いたいのかな? 卑怯で結構!」

 

 それで彼女が大人になれるなら、いくらでも。

 

 

「だって陽炎ちゃん、死ぬ気でしょ」

 

 

 対話とか言っちゃってさ。それが無理なことなんて、平和活動家ですら気付いてることなのに。

 

「凄く残念だったよ。貴女が捻り出した正義がこんなにショボかったなんて。もう生きるのに疲れちゃった? でも死ねない?」

 

 瀬戸月ヒナタの「正義」とは、自分のために犠牲になった全てに報いることなのだろう。

 だから、この子は自分を棄てた両親すらも肯定しなければならない。

 

「貴女のやろうとしていることの先に待っているのは、ミクロネシアの再生産だよ?」

 

 そりゃ、旧式核兵器のバーゲンセール(オペレーション・ブルー)*2よかマシだろうけれど。

 目の前の少女はなにも言わない。

 

「幹部としてならそれでいいかもしれない。己を犠牲にして公共の福祉を守る。それが公僕たる国防軍人の存在意義だからね……でも、そうして貴女はひとりぼっちになった」

「だとしても、私だけはお義母さんを肯定しないといけない」

「本当にそうかな」

 

 今だけは、アイツを正面から否定しなければ。

 瀬戸月(瑞島)ハルカ。本土の救援(再編計画)生き残る名分(撤退命令)も、何もかも無視して玉砕した……愚かな後輩のことを、否定しなければ。

 

「間違ってたんだよ」

「間違ってない!」

「なら、なんでアナタまで命を粗末にするの!?」

 

 正面から。真正面から。

 命より大事なものがあってたまるか。金なんかのために、正義なんかのために命が粗末にされてたまるものか。

 

「司令部でアナタの提案を聞いたとき、呆れたよ、軽蔑したよ。しかも、小河原海将補の方がアンタの本質をちゃんと見抜いてたってことに気付いたらさ」

 

 きっと彼は。監察課行動係の要員に瀬戸月ヒナタを選んだときから気付いていたのだろう。でなければ、こんな綱渡りのサハリンに連れてきたりなどしないハズ。

 

「もう恨むよね、自分のこと。私、貴女のことを何も分かってあげられていなかった」

 

 いつから()()()()()のだろうか。まさか最初から?

 もしそうだとしたら、本当に救われない。

 

「ずっと死ぬに足るだけの正義を求めてたんだね。生きがいならぬ、()()()()ってヤツ? なら一般市民として生きるより、軍人、それも特務神祇官とかいう前線送り待ったなしの職業に就いた方が良いよね」

 

 私たちは分かり合えていなかったのだろう。分かった気に勝手になって、自分が想像する理想の瀬戸月ヒナタを相手にしていただけだった。

 

「私がやったことは貴女を破滅へと導くことだったわけだ。まあでも、やってしまったことは仕方ない。今からでも止められると信じているから、私は手を打った」

「そのエゴに……不知火を巻き込んだと?」

 

 陽炎の声が冷える。そこまで想える仲間がいるなら、どうして彼女を遺して逝こうとなど考えたのだろうか、彼女は。

 とはいえ真正面から「巻き込んだのはアナタの方だよ」とは言わない。私の口から、直接この子を否定するわけにはいかない。

 

 彼女は、瀬戸月ハルカは孤立していた。

 私はそれを、助けなかった。

 

「だから言ってるじゃん。私はエゴを肯定するって」

 

 そもそも。彼女に声を掛けたこと自体が私のエゴだ。

 ミクロネシアで瀬戸月ハルカを見捨ててしまった。その責任を取ろうと、独りぼっちになろうとしている瀬戸月ヒナタ(瀬戸月ハルカの忘れ形見)に声を掛けた。

 

「悪いね、陽炎(ヒナタ)ちゃん。貴女を軍人にしちゃいけなかったみたいだ。私は」

「そんな勝手なこと、今更……!」

 

 陽炎が掴み掛かってくる。

 

「なら、どうして私を軍人にしたんですか! 私は、貴女に全部教えて貰ったんだ!」

 

 ああ、そうだろうね。

 全部教えたよ。テストの山張り、謎に値段の張るバー、部下との付き合い方、勝ち抜けるための確率論、通りやすい意見具申、穴馬の見つけ方。

 でもそれは、貴女にこの世界を楽しんで欲しかったからだった。仕事で苦労せず、余暇を適切に浪費できるようになり、戦争という時代を、貴女に忘れて欲しかったからだった。

 私のように、戦争に囚われて欲しくなかったからだった。

 

 この戦争に、負けるわけにはいかないのだから。

 

「決まってるでしょ? 私の心は『戦うな』と言われて壊されたからよ」

 

 あのミクロネシアの夜。核兵器が明るく照らした南洋の海。

 そこで私は、ミクロネシアに征かずしてミクロネシア戦役に囚われた。

 

 同じように、いやそれ以上にミクロネシアに魂が縛られているであろう彼女に、どうして戦うなと言えるだろうか?

 

 だから全部教えた。どうすれば生き残れるかを。

 それが、全部間違いだったなんて知らずに。

 

「私はいつも命を大切にしてきた。無人戦闘システム研究会、誰も死なない戦場を作るための私の派閥(なかま)。艦艇の無人化、長距離攻撃の多重化、霊力防壁の強化……戦死者ゼロの、理想の戦場。それを成し遂げたら、私が巻き込んだ全員を幸せに出来るはずだった。アナタも含めてね」

 

 でも失敗した。無人艦艇は経済を殺すと言われ、ポートモレスビー事件では無人艦艇そのものが悪用された。大切な戦友たちにその砲口が向けられてしまった。

 急なシステム変更は国防に悪影響だとして無人艦艇はまだ運用されているけれど、あんなことがあった以上……無人艦艇に今後、大きくメスが入るのは避けられない。

 

「私の理想は、もう叶わない」

 

 けれどそれは、諦めることに繋がるわけではない。

 

「だから、私はせめて貴女の独り善がり(エゴ)を否定する」

 

 私は、この期に及んでも()()()()()()

 

「だから貴女の理想が本物なら、私たちの命を賭してみろ。瀬戸月ヒナタ」

 

 多分これは、腐れ縁の片桐アオイがしてやれる最後のお節介。

 

「出来ないなら、それでもいい。対艦ミサイル連隊に電話一本、連中をアウトレンジから殲滅するだけだからね」

 

 深海棲艦による精密機器への影響を無視する方法は実は簡単。機械の入っていない弾道ミサイルを投下すればいい。というか、その理屈で多くの国がレーザー水爆搭載弾道ミサイルによる沿岸防衛を成立させている。

 通常弾頭では流石に費用対効果(コストパフォーマンス)が悪いが、日本本土を守るためなら日本人は戦力を惜しまない。

 

 だから、誰かを守るため。なんて言い訳は使えない。使わせない。

 

 

「さぁ、ここが最初(さいご)の分岐点よ」

 

 

 貴女のエゴは未来のためか。

 それとも、独り善がり(ちっぽけ)な正義のためか。

 

 

 


 

 

 

 本当に、酷いヒトだ。

 

 

「……私に、人殺しになれと言うんですね。片桐さんは」

 

 彼女が私に強いたのは、究極の二択。

 

 すなわち、目の前の2人と心中するか、はたまた戦争をやめるか。

 どちらを選ぼうと瀬戸月ヒナタは殺人犯になる。対艦ミサイル連隊で殲滅する? 本当にそれが出来るんなら、小河原海将補は最初からそれを選んでいるだろうに。

 どちらを選んでもヒトが死ぬ。私が知る人間か、知らない人間かの違いしかない。

 

「違うね。ヒトが死ななくてもいい方法を模索しているんだよ。私は」

 

 教えたハズなんだけどな。軍隊の士官ってのは、究極的には兵隊を騙して()()()()()()仕事だって。

 

「……あ、いや。そこまではキツく言ってないか。甘やかしちゃった(酷いことをしちゃった)かな、私」

 

 

 その通りだ。

 

 あなたは甘やかし過ぎた。

 そして私は、甘えすぎた。

 

「ねぇ、ヒナタちゃん。私たちが幸せになるために、世界を守る必要はないんだよ」

「……それを、それをあなたが言いますか?」

 

 そう言ってやれば、自分で言ってなんだけど、確かにね。と彼女は苦笑い。

 

「私はとっくに不幸なんだもの。世界でも守らないとやってらんないの。でも、貴女は違う筈だよ。瀬戸月ヒナタ」

 

 貴女にはまだ身近な幸せがある。それを守るために努力すればいい。そんなことを彼女は嘯く。

 もちろん納得する訳のない私に、彼女は首をかしげた。

 

「……いや、待てよ。これはアレだ、一番大切なことを共有し忘れてるかな」

 

 生き残るってさ。惨めなことだよね。

 

「惨めだから、自棄(ヤケ)にもなりたくなる。分かるよ、私もずぅーっとそうだから」

「……」

「それでも、私は正気と狂気の境界線で踊り続ける――――だって決めてるから、全員ぶん殴るって」

 

 こんなクソッタレな世界を、戦争を。

 

「どんなに惨めでも構いやしない。無人艦構想は資源の無駄遣い? 経済のお荷物? バッカじゃないの?」

 

 そういう利他(愛国)的な思考回路が、世界を狂わせたんじゃないのか。世界と戦い続けた片桐アオイが叫ぶ。

 

「この世界は人類(わたしたち)のものでしょ? 特務神祇官(かんむす)だって、平和な日常を享受する権利があるでしょ? どうして私達を犠牲にして世界が成り立たなきゃいけないの?」

 

 きっと絶望することも、狂いきることも出来なかった独りの少女が言葉を紡ぐ。

 

「分かるかなヒナタちゃん。分かるよね――――私は、片桐アオイはワガママなんだよ。そのワガママが貴女には、何故か完璧で究極の偶像(理想)みたいに見えてるらしいけど」

 

 偶像、なるほど。言い得て妙かもしれない。

 確かに私は、彼女を偶像として扱ってしまったのかもしれない。

 

「艦娘を悪者にしたいのかと、貴女は言ったね」

 

 私がかつて吐いた台詞を、彼女が再生する。天に向かって吐いた唾のように、私に降り掛かる。

 

「違うんだよ。生きていれば必ず、誰かにとっての悪者にならなくちゃいけないんだよ」

 

 無人艦艇構想が財政の敵であるように。

 ロシアが世界の敵になってしまったように。

 乙308号目標が国防軍の敵になってしまったように。

 

「だから惨めなんだよ、生きていくのは。でも私達は、生きていくしかないんだよ」

 

 死んでしまったら、戦争に負けてしまう。負けるわけには、いかない。

 

「なら」

 

 それなら、貴女に送る言葉はひとつしかない。

 

「アンタは嘘つきだ」

「!」

 

 驚いたらいいのか、喜んだらいいのやら。そんな顔をあなたはする。

 嗚呼、そうでしょうね。あなたならそうだ。

 

「自分のことを正当化しちゃダメですよ、片桐さん」

 

 まして嘘を正当化に使うのはもっとダメだと私は言う。

 

「あなたは生きている。なら、あなたは悪者なんでしょう? この国が、世界が生きている。なら世界も全部悪者なんでしょう?」

 

 だったらどうして、世界に平和を享受する権利があるのかと彼女に問う。

 

「私は、責任を果たしたいだけなんだ」

 

 ただ、本当に。それだけ。

 ……いや、これも嘘か。でも全部が嘘じゃない。

 

「責任を果たさずのうのうと生きることなんて私には出来ない。まして、私が平和を享受したことで誰かの平和が奪われるなら、なおさら」

「じゃあ、あなたはいつ幸せになるのさ!」

 

「幸せだったんですよ」

 

 もう十分に、十二分なくらいに。

 ……見え透いた嘘。だけれど、幸せだったのは本当だから。

 

「そして今だって、幸せです」

 

 ……これはせめて、本当であって欲しい。そう願いたいながら、そっと私は恩師に抱きつく。

 

「ヒナタちゃん……」

「……」

 

 ビンゴ。指先に固いものが当たった。それを引き抜く。

 

「ほら、やっぱりあなたは嘘つきだ」

 

 さっと離れた私の手には、霊力回復のアンプル。

 

「あなたはいつもそう、結局最後は自分が生き残ることを考えてる」

「……今さら取り繕う気も起きないよ。というか、だから不知火を連れてきたんだもん」

 

 何が起ころうと、このアンプルを使って自分だけは生き残る算段を立てている。

 やはりこの人は、狡くて卑怯で、強い。

 

「ですが、今回ばかりは不知火を連れてきたのが運のつきです……不知火ッ!」

 

 その言葉で、形勢逆転。

 

「ポートモレスビー事件以後、携帯式の霊力回復アンプルは危険であるとして全部隊で禁止されています……薬事法違反の現行犯ですよ、片桐アオイ1等海佐」

「おっとと……? これは、なんというか。予想外だなぁ……」

 

 不知火に手早く拘束された恩師の姿。というか薬事法であってる? とおどける片桐に私は嗤う。

 どうせ嘘だとバレてるなら、せいぜい小物らしく振る舞ってやろうじゃないの。

 

「いい? 不知火、アンタは絶対にソイツを離すんじゃないわよ」

「陽炎。私は、あなたとなら」

「口を慎みなさい。それとも、口に鉛玉を詰め込んであげてもいいのよ」

 

 拳銃を引き抜いて、初弾装填。

 向ける先は、もちろん不知火。

 

「なっ……!?」

「悪いけど本当に撃つわよ? まぁ、殺しちゃ目覚めが悪いから足とかで手加減してあげるけど」

 

 これで不知火は絶対に動けない。足を撃たれては()()()()()()()()()()()から。

 私を助けたければ、後から来るしかないのだ。

 

「だから貴女は、ずっとそこで片桐1佐を押さえてなさい」

 

 拳銃を構えたまま、私はジリジリと壁際に寄る。そして操縦室(コックピット)に直通する受話器を手に取った。

 

「聴いてたわね? このまま予定どおり、目標海域に私を落としなさい! さもなくば、こっちから燃料系に火をつけてやるッ!」

『お言葉ですが、1尉』

「黙れッ! 私がひとりで全部やってやるつってんだッ!! アンタらだって本音じゃ、これ以上危険な橋渡りたくないんだろうがっ!」

 

 反論などさせるものか、言うだけ言って受話器を叩きつける。それからさっさと、ベルトで固定された艤装輸送パレットに取り付く。拳銃は片手で構えたまま、残りの手でナイフを操りベルトを切っていく。

 ふと、横目に同じサイズの「特殊弾頭在中」と書かれた箱を見て……なるほど、こんなところにヒントがあったのかと、気付くことも出来なかった自分を呪った。

 

「すみませんね、片桐さん。私はアンタの最低な教え子だ」

「まだ撤回できるよ、ヒナタちゃん」

「いいえ。ごめんなさい。私、理想とか興味ないんで」

「なら、その意味を私が教えてあげる。見てなさい、いまから不知火と貴女を半殺しにして、私が乙308号を討伐してやったっていい……だから。お願い、ヒナタちゃん」

 

 さあ帰ろうと誘う彼女の視線を振り切って、私は艤装に乗り込む。

 

 後部のランプが開く、光と暴風が吹き込んで、エンジンの音が()()()()()()()を埋め尽くす。

 今なら、誰にも聴かれない。そっと拳銃の照準(バレバレな嘘)を外す。

 

「いままで、本当にお世話になりました」

 

 パラシュート展張、艤装を載せたパレットが一瞬で引き伸ばされ、ぐんと後ろに引き出される。貨物室の壁面に張り付いた2人が口を動かしたような気がするが、知ったことではない。

 

 遠ざかる輸送機の尻。それを覆い尽くすような真っ黒な華と猛烈な破片。

 そりゃそうだ。これは強襲海上空挺。霊力防壁のスペックにモノを言わせて、敵中に特務艇を放り込む斬首戦術の境地。またの名を――――――自殺行為。

 

「ぐぅっ……!」

 

 それでも、それでも特務艇〈陽炎〉は駆逐艦なのだ。盤面の端に辿り着いた「歩」のように、大将だって討ち取れる最初で最後の切り札なのだ。

 

 いくら海面スレスレで飛び降りたとはいえ、対地速度は時速100キロを優に越える。艤装と身体(バイタルパート)を守るのが精一杯でボロボロにされたパラシュートでは。ロクな減速も望めないが……それで結構。川面を跳ねる石のように、飛びながら徐々に海との接地面を増やしていく。ホッピング中にも主砲を発砲、目の前の敵を屠っていく。

 

 さて、艦娘輸送に特化した低高度飛行向け輸送機とはいえ、高度の低い航空機が同じ空域にアプローチをかけるにはそれなりに時間がかかる。もっとも、本気で機動力を発揮すれば100秒ちょっとで戻って来られるだろう。

 そしてその自殺行為の()()()()で来るのは……不知火だけ。この密度の高い対空砲火を輸送機がくぐり抜けるためにも、霊力防壁発生装置と化した片桐1佐を降ろすわけにはいかないのだから。

 

 ……正確には、もう少し砲火の薄い場所で全員降ろすという道もあったのだろうけれど。

 その道はもう、私が潰した。

 

 

 だからこそ、絶対に不知火は殺させない。

 

 

 血路を啓け、瀬戸月ヒナタ。

 私が私の、自分勝手な責任を果たすために。

 

 自分の力で生きていけない未来なんて、無意味なのだから。

 

 

*1
特務艇を擁する部隊には必ず特務神祇官の長として副司令職が設置される。これは特務艇部隊を指揮する幹部が霊力戦に不馴れなことが多かったために行われた措置である。国防軍は幹部特務神祇官の養成も行っているが、幹部特務神祇官の幕僚課程履修率は他の幹部と比べると低く、ごく一部を除き特務神祇官が特務艇部隊を率いる形態には至っていない。護衛艦隊などに置かれる副司令官職とは異なる。

*2
2019年7月に実施されたミクロネシア連邦に対する核兵器投射作戦の作戦名。主権国家たるミクロネシア連邦に対する核兵器投下は国際問題となった。現在は日米両政府がこの作戦の責任を認め、現地住民に対する賠償を行っている。作中で何度か触れている通りこの作戦を主導したのは瀬戸月ハルカ(チューク分遣隊司令代理)、瀬戸月ヒナタの義母である。



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第127話 存在意義(レーゾンデートル)

〈西暦2036年7月22日 オホーツク海 北海道沖〉

 

 

 

 主砲を構えて撃鉄を落とす。

 

 信頼性が売りの携帯式主砲から放たれた砲弾。それが纏う霊力の鎧が敵の波長を中和し、甲殻へと直撃。耳障りな断末魔を残して泡沫に消えていく。

 

「うじゃうじゃ湧いてからに!」

 

 放った砲弾が敵部隊を抉ろうと、その屍を越えて深海棲艦がわんさか湧いてくる。一匹見つけたら何匹を疑えば良いのだろう。まるで害虫駆除だ*1

 

 大規模作戦――――深海棲艦の個体数制御、いわゆる間引きに失敗した時にやむを得ず行われる大規模駆除作戦――――のセオリーは単純、拘束と斬首、撹乱と浸透。群れを包囲するような物量で相手の量的主力を拘束し、斬首戦術により質的主力を撃破する。

 そこで活用されるのが撹乱と浸透。斬首戦術を実施するには群れの中枢に飛び込む必要がある。長を助けんと集まる雑魚は烏合の衆だが、数に頼まれれば斬首の前にこちらの身体がねじ切れる……故に、突入部隊は撹乱と撤退地点(LZ)を維持する後衛と斬首を実行する前衛に分かれるのだ。

 

 もっともここには、陽炎一隻。無いものを欲しがっても仕方がない――――あるもので戦う。

 死力を尽くすとは、とどのつまりそういうことである。それがいつかは戦果を生むと信じて、戦うのだ。度重なる爆音で耳が麻痺している中、声が飛んでくる。

 

『シズメ……ッ、シズメ……ウラギリモノタチ……シズンデシマエェッ!』

 

 それはヒト型の声、怨恨に全ての熱を注ぎ込む深海棲艦の姿。

 

 お返しだ、こちらも回線を開き、威勢よく叫んでやる。

 

「ええ、ええ……! いいわよ、戦争をしようじゃないのッ!」

 

 最後に立つのはこちらかあちらか。結果を見るまでは分からない。

 

「……悪いですね、片桐さん。あとしまつ、お願いしますよ」

 

 生き残らなくちゃ駄目と彼女は喚くだろうか。それならそれで、瀬戸月ハルカの義娘だったと諦めて貰うしかないけれど。

 

 右手の連装砲が乾いた金属音を立てる――――弾詰まり。

 

「ッ! こんなタイミングで……!」

 

 そもそもが暴発のリスクを無視した連続砲撃。これだけの負荷をかけてまともに出来ている方が奇跡だった――――とはいえまだ砲には在庫がある。

 敵に向かって投擲した砲塔を残らせた得物で破壊すれば、忽ちに出来上がる殺意の火球。

 周りにいた二隻を巻き込んで更なる爆炎を躍らせながら、陽炎は海を跳ねる。

 

「まだまだぁッ!」

 

 アームから切り離した主砲を両手に構え、滅多撃ちにして巡洋艦クラスを叩きのめす。格上なんのその、駆逐艦陽炎は此処にいる。

 

 そして駆逐艦陽炎を乗りこなすのがこの私――――1等海尉の瀬戸月ヒナタ。

 

 「ミクロネシアの英雄」瀬戸月ハルカの娘であり、片桐アオイの……向こうがどう思ってるかは知らないし甚だ遺憾だけれど一番弟子。

 そのどれが欠けても私ではない。それら全てが、私を海の上に立たせている。

 

 薄霧から飛び出して敵の駆逐艦を穿つ。

 不意を突かれた結果、悲鳴も挙げられなかったそれは胴体に大きな風穴を空けて沈黙。闇討ちを繰り返し、一隻でも多くの敵を屠る。

 勘のいい巡洋艦級は目を物理的に潰し、錨を以って肉弾戦で叩く。

 

警告(ワーニン)! 新たな敵集団出現、急速に接近』

 

 自動音声が読み上げる警告。対砲レーダーはとうに切った。接近警報だけでもうるさい、全方位から敵が迫っている。

 

「ッチ、これでも、あとちょっとで抜ける算段だったんだけれどなぁ!」

 

 新たな敵集団といったか。もちろん敵味方識別(トラポン)に該当無し、これで援軍なハズがない。

 

「いよいよもって万事休すね……」

「本当ですよ、どちらに抜けますか?」

 

 こんな時に限って、頼もしい幻覚が聞こえる。幻覚であってくれと、内心で祈る。

 

「そーねぇ……ま、本丸に向かって撤退一択っしょ?」

「平らな海じゃ、釣り伏せは使えませんよ?」

「であるが故に前進あるのみ! ……悪いわね、付き合わせて」

「なにを。いまさらです」

 

 作戦が変わる。私は間に合わなかった。ここからは決死ではいけない。いかに死中に活を求めるか、この僚艦(不知火)だけでも生き残れるか。

 

「それと、片桐副司令から通信を預かっています。稚内の28(フタハチ)地対艦ミサイル連隊(SSMR)から対艦誘導弾18発、有効に使えと」

「……ったく、相変わらずの大洞吹き(ウソつき)ね。あの人は」

 

 大方、事前の火力調整でそれしかもぎ取れなかったのだろう。クラスター弾頭搭載として、被撃墜を考慮すれば撤退路を確保するのが精々の弾薬量だ。

 

「片桐1佐のコネを考えれば、全てのミサイル連隊を動員することも不可能ではないのでは?」

「だとしても、電話1本では呼び出せないわよ。ピザじゃないんだから」

 

 各方面への弾薬使用量を振り分ける火力調整は至難を極める。砲兵火力は戦場の女神で兵士の命綱なのだから、誰だってもそう簡単には手放さない。

 ……ここら辺の感覚は、実際に火力割当てをもぎ取ってくる立場にならないと分からないのだろう。

 

「それともうひとつ、帰ってこいと。死んだら殺してやると」

「……それ、脚色してない感じ?」

「1尉殿の理解に委ねます」

 

 皮肉で応じてくれる不知火。死んだ人間をどう殺すのかは謎だが、まぁ義母の忘れ形見かも怪しい自分を育て上げた狂人だ、地獄に空挺降下するくらいの無茶はするだろう。

 

 バカらしいことを考えた刹那、こちらを見ろとばかりに怨念の主砲弾が海を切り裂く。

 

「なんにせよ、ここを乗り越えるっきゃないわね! 不知火、煙幕展開!」

 

 その命令に従って不知火が発煙装置(スモーク)を起動、熱光学探知を阻止する高温の煙がそこら中にばらまかれる。

 通称「聖なるお香(バルサン)」、霊力をたっぷり練り込んだ特殊溶液を突沸することで発生させる、深海棲艦専用の目眩ましだ。

 

 効果時間は短いが――――なに、突貫の間だけ持てば十分。

 

「いくわよっ」

「はい」

 

 端末に発射要請を入力、目標は保留。終末誘導のレーザー照射機は水上空挺の基本装備だ、ギリギリまで目標の指定は行わず、目の前の敵に千余発のクラスター子爆弾をぶつける――――――承認。5秒間隔連続発射、着弾までの残り時間とレーザー誘導の限界時間が表示される。

 その間にも予備の主砲で敵を屠る。気合いでカバーしていた死角は今や僚艦(不知火)が埋めてくれる。

 

 大丈夫、私たちは上手くやっている。だから、だから。

 

 

 

 

 

 


 

『シズメ、シズメ……!』

 


 

 

 

「ッ――……!」

 

 爆発の衝撃から目覚めるのに何秒消費しただろう。流れ出していく血の拍動。全身を切り刻む痛み。そしてぼやけた焦点の向こうには――――。

 

「不知火っ!」

 

 私の声に彼女は動かない。

 ひっきりなしの警告音を無視して近づこうとするも、思うように動かない――――脚部の推進機は半壊。軸が曲がり退くも進むも覚束ない。

 

「このっ、動きなさいよ……!」

 

 武装はどうか。圧し折れて満足に稼働しないが反応はする。

 浮力装置は辛うじて生きているのか海に膝をついた彼女にどうにかこうにか取りついて脈を測る――――善かった、まだ生きている。

 

 幸い、こちらには先ほど片桐から奪った霊力アンプルがある。これを打ち込めば死の淵からは掬われるはずだ。

 

「ちょっとまっててね、すぐに……っ?!」

 

 そして、気づく。

 

 アンプルが既に、()()()()()()()()()()()()()

 

「あ、そんな……」

 

 何秒、いや。どれだけ経ってしまったんだ? 慌てて端末を見る、経過時間は十数秒。じゃあアンプルを不知火が私に打ち込んで、私が生き返るまでに彼女がこうなってしまったのか。

 ならこれは生きている、じゃない。彼女は死に向かって真っ逆さま。

 私のせいで――――――。

 

「――――……大丈夫。わたしが、まもるから」

 

 でも、私はまだ謝らない。

 身勝手だろう。なんて無様だろう。結局みんな巻き込んだ。全員を不幸にしてしまった。私は生きているだけで不幸を撒き散らす、息を吸うだけで罪を犯している。

 だからせめて、最期くらいは正義でありたかったのに。

 

 彼女の艤装から剥ぎ取った魚雷発射管を右背部に装着。息を吐く暇すら惜しい。

 

「わたしは、やるんだ」

 

 たった一人でも血路を啓かねばならない。

 

 小さな抵抗だ。

 太平洋を取り囲む長大な戦線の、その切れ端にも満たない小さな戦場での抵抗――――それが私の全力。

 

 敵の注意が向かぬように()になる。頭数が減れば優位になるが、()()とは撃破ではない。

 

「聴こえていますか。片桐1佐」

 

 端末を操作する。セミアクティブ誘導をキャンセル。座標入力、瀕死の特務神祇官に霊力通信式の非常ビーコンを立てる。

 

「方位120から60に向けて航路啓開を行います。ビーコンの回収を願います……本艦は現在補給作業(ニコイチ整備)実施中、まもなく再突入」

『ふざけんなッ、瀬戸月ヒナタ! アンタも帰るのよ!』

 

 そりゃあないでしょう、1佐。

 切り札の対艦ミサイルも投入した。宗谷海峡の通過を許せば北海道に被害が出る。不知火の弾薬を剥ぎ取り装填、こっちはまだ戦える。

 

「それに陽動役がいないと、流石に離脱はキツイでしょう?」

『それを決めるのは副司令たる私よ。アンタは所詮は司令部付なんだから、指示に従っていればいいのよ』

「小河原海将補に告げ口していいですよ。私、命令違反は得意なんで」

『いい加減にしなさいッ!』

 

「そっちこそ」

 

 もういいだろう。十分だろう。

 これ以上構わないでよ。お願いだから。

 

「あなたと一緒にいると惨めになる。何もできない私が、決断しきれない、決めきれない私が……私の正義を私が決めちゃダメなんですか!? 私に決めさせろよ!」

 

 骨伝導イヤフォンと咽頭マイクを引きちぎる。位置情報を発信するトラポンやらも投げ捨てる。これで私はミサイルの誤爆予防コードに引っかかることはない、片桐1佐からも、見つけられることはない。

 大丈夫、あの人は私と違ってマトモだ。居場所の分かっている不知火の救出を優先してくれるに違いない。

 

 さあ、状況は単純になった。

 1秒でも時間を稼ぐ。そうすれば皆を無事に、帰すことができる。

 

 ならば私は、それを完遂するまでだ。

 不知火から借りた四門の魚雷発射管。視界に映る敵影を見てマニュアルで矛先を傾ける。

 波飛沫を立てて投下された青色の牙が想像通りの航路を描いた敵を貫く。撃破を喜ぶ暇もなく現れた後詰めには――――主砲弾がお似合いだ。

 

「こなくそ、道を開けろぉッ!」

 

 予備弾倉はない。残るは申し訳程度の機銃と、連装砲一丁だけ――――いよいよ攻撃に耐えられなくなった砲身が爆発。宙を舞う金属片に右半分の視界が奪われる。

 

「いっ……!」

 

 痛いものか――――沸騰しそうな思考の渦をアドレナリンで押さえ込む。

 痛む暇は致命傷になりうる隙、まだ戦えると伝えてくる諸手の温さを信じて身体に鞭を打つ。

 

 意地でもって空中で掴んだグリップを、後方に向けて振りかぶり三発。

 敵の眉間を撃ち抜けるあたり、まだ神様には見放されていない……しかし、それもここまで。

 

「しまっ」

 

 見逃したのは束の間を突くように躍り出た巡洋艦の砲撃。

 結わえているはずのツインテールが引きちぎられて飛んでいく――――その髪束が海面に落ちるよりも先に、接近してきた相手の胴体に蹴りを入れて爆雷を放り込む。

 

 それから、海に消えていく髪へと陽炎はほんの一瞬だけ意識を向ける。

 

 全然左右対称に結べなかった義父の手。

 きれいに結ってくれた義母の手。

 

 はるか昔の記憶、おもいで――――思い出されて、過去へと消えていく。

 

 

 ……――大丈夫、もうひとりで結べるから。

 

 

 そんな追想を断ち切るのは、迫りくる敵機が空を裂く音。

 今の相瀬で右側(みぎめ)が見えていないのに気付かれた。意地悪く回り込んでくる戦闘機。その機銃弾は威力は控えめなものの、艦娘の加護を貫くには十分で。

 

 肩に、大腿部に。ついには右腕が穿たれて、赤黒い液体が滴り落ちてくる。

 

「――――嗚呼、チクショウ。ここまでか」

 

 まさに刀折れ矢尽きるとはこのこと。ゆらりと現れた爆撃機が、スローモーションみたいな緩慢な動作で爆撃位置へやってくる。ここで終わりか。ここが終わりか。

 

 それでも。

 

「いかな、きゃ……いきなくちゃ……」

 

 臆病なら隠れていればよかった。

 全部を投げ出して逃げてしまえばよかった。

 

 けれど、そうはしなかった。

 いつからそうなったのだろう。妹分の不知火と死線を潜ったから? 不足した艦娘を補うために国防軍が犯した罪を知ったから?

 

 いや違う。それよりもずっと前。きっと魂にまで刻みつけられた()()()という命令文……呪いにも似た祝言だったをそれを――――どうしてか今、思い出した。

 

 

『よし、ヒナちゃんは強い子だね』

『うん……私つよいよ。お父さんの子供だもん』 

 

 

 私が最初に見た赤いもの。

 

 赤くて温かくて、私を守るために流された血の海。

 

 そうだ。これが私を此処まで導いてきた……だから、繋がなくちゃいけないのだ。

 義母(はは)が繋いでくれた命を、一秒でも長く。そのために足掻こうとして。

 

 

 しかし嘲笑うように、爆撃機は目前まで迫ってきていて。

 

 

 

 


 

 

 

 頭上に迫る爆撃機が――――爆発四散した。

 

「……援軍っ? 一体誰がッ?」

 

 続いて頭上を通過(フライパス)するのは歪なフォルムの艦上戦闘機。空を埋め尽くさんばかりの敵機には到底対抗しきれないそれらは、しかし熟練の動きで空を取り返していく。

 

「――――――大丈夫?」

 

 誰の手かなんて関係ない。差し伸べられた手を握ろうとして、右腕がもう動かない事に気付く。私が反対側を上げたのを見て、慌てて左肩の構造物を後方に回す気配。

 

「……正直、大丈夫じゃない。艤装がガラクタと変わんないし」

 

 視界も揺らいで、焦点を合わせるのすら一苦労。耐えきれずに崩れ落ちそうになる陽炎を、彼女は慌てて抱え込む。頭一つ高い上背、片桐(そうりゆう)でも不知火でもない、誰か。

 

「っとと……さっきから見てたけど、本当に諦めが悪いのね、貴女」

 

 さっきから? その言葉に疑問を挟む余裕は精神的にも、肉体的にもない。

 

「……立派になったわね、本当に」

 

 立派、だなんて――――臆病なだけだと言おうとして、代わりに出たのは血の混じった痰。臆病で、見捨てるのが、見捨てられるのが怖くて、それで戦い続けた結果がこのザマである。

 

 笑えない。笑いたくても、もう笑えない。

 

「大丈夫よ、もう喋らないで」

 

 優しく背中が撫でられる。同時に周囲に広がるのは肌が粟立つような殺気。

 滾る闘志が海を駆け抜ける。それは怒りにも似たオーラで、呼び寄せられるように飛行甲板と三連装砲を纏う大魚が飛び出してくる。それは人類を傷付けるのではなく、命令を今か今かと待ちわびるよう。 

 

「あなた、は……?」

「通りすがりの深海棲艦よ……覚えなくて構わないわ。露払いは私がやってあげる。貴女は貴女の仕事をなさい、ヒナちゃん」

 

 目の前の女性が笑う気配。作り笑いに紛れ込む優しさで、何かの残骸に腰かけさせられる。

 白き長髪を潮風に流す女性は、振り返らずとも己の存在を脳裏に焼き付ける。私の背面艤装には遠征用の増槽(エネルギーパック)が何時の間にか取り付けられており、これで動けるでしょうと言わんばかり。

 

「さて、ちょっとアイツらに灸を据えないといけないわね」

 

 ――――私の艦娘(むすめ)に手を出したのを後悔しなさい。

 そして、そう、彼女は宣言した。逆光でその姿ははっきりしない。

 

 滾る闘志が海を駆け抜ける。それは怒りにも似たオーラで、呼び寄せられるように飛行甲板と三連装砲を纏う大魚が飛び出してくる。それは人類を傷付けるのではなく、命令を今か今かと待ちわびるよう。

 

『キサマ……ウラミモツモノ、ナゼジャマスルゥッ!!』

「ちったぁ人の話を聞きなさいよこのオタンコナスッ!」

 

 2つの叫び声が北洋に木霊する。それは大気を震わせ場を搔き乱し、ヒトでない者達の戦場(ラグナロック)が産まれ落ちた。

 同時に展開されるのは大量の艦載機。その数は100機を優に超えている。

 

「いか、なきゃ……私は、わたしのっ……」

 

 なぜ彼女が瀬戸月ヒナタ(わたし)の名前を知っているのか。そもそも彼女は何者なのか。そんなことはどうでもいい、ただ今がチャンスだ。この機を逃せば、あの怨念に囚われたヒト型を沈めることは出来なくなってしまう。

 震える脚を叱咤し、再び立ち上がる。防壁すら張れない程に消耗しているが、走れない程ではない。

 今なら、やれる。だから――――

 

 

 

「やぁ、絶好の雷撃日和だね」

 

 

 

 その一言と共に、海面が爆ぜた。

 

 そして大量の黒煙……いや、煙幕。このエリア一帯を埋めつくさんとばかりに視界が封じられる。

 

 仮にここが地上であれば足音がしただろう。その代わりに浮揚ユニット付きの水上滑走用のブーツ――――つまりは私達と同じものを装備した小柄な影が現れる。

 

「貴方……あの時のっ!」

 

 その姿は紛れもなく、ロシアのやんごとなき事情をつらつらと話していた少年……否、彼女は艦娘だったのだ。こちらが勝手に少年と思い込んでいただけで。

 

「邪魔して悪いね……でも先に進まれると困るんだ。なにせここで彼女に沈まれても、投降されても困るからね」

 

 それが乙308目標、怨念を抱いたロシアの艦娘もどきであることは疑いようがない。目的は分からないが、私のやろうとしていることを邪魔しているのは分かる。

 

「……いやだと言ったら?」

 

 そう言って前を睨む。これでも陽炎は第1護衛隊群にも所属した精鋭。大口径主砲や艦載機を持たない同格相手には負けるつもりもない。

 

「言わないさ……君の優先順位は知っているからね」

 

 その言葉と共に飛んできた物体。なんとかキャッチした陽炎を見て、艦娘は微笑む。

 

「ほら、それを早く大切な部下に使ってあげた方がいいんじゃないかな?」

 

 それは霊力アンプル……ではない。パッケージに書かれた文字は緊急用高速修復材(ダメコン)。ポートモレスビーの事件以来、前線には配備されなくなった高性能修復液、その原典。旧式だが、効果は変わらない。喉から手が出るほどに陽炎が欲していたモノ。

 

「……分からない、あなた達は何者?」

 

 陽炎の問いかけに、その艦娘は満面の笑みで手を広げて見せる。

 

「私たちはね――――……」

 

 役者がかったそれは、まるで世紀の大発明を開陳するかのようであった。

 

*1
国防軍による深海棲艦対処は有害鳥獣駆除の扱いなので、間違いではない。



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第128話 掛焔硝を消さないで

 国防省大臣官房監察課行動係の朝は早い――――ただし、常識的な範囲で。

 

 なにせ当直を置かないこの部署では、国防省ビルの()()()()()()()()()()早朝出勤は不可能だから。

 そして、鼻唄混じりに部屋の掃除をする女性が1人。

 

「ふふふふーんふんふんふーん、ふふふふんふふっふんふーん……」

 

 彼女が掃除係でないことは、3佐の階級章と胸に輝く航空徽章(ウイングバツジ)をみれば分かる。

 

「おはようございます……って、あれ? この扉、立て付けよくなりました?」

 

 そして、するりと開く扉に驚きながら入ってくるのは今日で晴れて退院、復帰することになった瀬戸月1等海尉。特務艇〈陽炎〉の艇長である。

 

「お! 流石に気付くか瀬戸月1尉、海将補(ダーリン)と賭けてたんだけれど私の勝ちね!」

「……なにやってるんですか」

 

 そして応じるのは公私混同甚だしい3等空佐、小河原ノゾミである。あきれ果てた瀬戸月を余所に、彼女はそのままコーヒーを淹れてデスクへと持ってくる。

 

「どういう風の吹きまわしです?」

「復帰祝いよ。それと『行動係』本格始動の前祝い」

「……なるほど」

 

 つい数週間前まで、行動係とは形式的な存在に過ぎなかった。監察課は行動でもって不届き者を成敗する用意があるぞという意思表示のためだけの部隊であって、実際に抜かれることはない伝家の宝刀であるはずだった。

 しかしサハリンでの「成果」――――ヒト型深海棲艦は取り逃がしたにも関わらず、サハリン州を基幹とした独立勢力「新ソ連」の発足とロシアのプレゼンス低下は成果となるらしい――――を受け、上層部はこれを本格運用する気になったのである。

 

「……って言えば聞こえはいいけれど、要は今後もグレーゾーンを押し付けられるってことだけどね」

「ここでそれいいます? 祝う気あるんですか?」

 

 呆れる陽炎に、あるよあるよと笑う1等空佐。

 

「敵は多いわよ~? サハリン・千島列島地域以外の極東ロシアを飲み込んだシベリア合同共和国に、背後の中国。我らが同志国に目を向ければマレーショック以来ボロボロの大陸ASEANに新自由連合盟約(ニユーコンパクト)加盟各国……

米国(アメさん)だっていつまで沈黙を保ってくれるか」

 

 まさに内憂外患! そう彼女が叫んだタイミングで、もう一人が顔を出す。

 

「こらこら、扉を開け放ったままにとんでもない話をするんじゃないよ」

 

 入ってきたのは行動係の長を勤める小河原アツシ海将補である。彼はそのまま部屋奥のデスクに腰掛けると、瀬戸月を見て小さくため息。

 

「瀬戸月1尉、よく戻ってきてくれた」

「いえ。任務ですから」

 

 自ら望んで、飛び込んだ戦場だから。

 私は逃げる気は微塵もないのだと、瀬戸月ヒナタは目の前の上官へと告げる。海将補はそうかとだけ溢して、ノートパソコンを開こうとする。そうされては困るとばかりに瀬戸月は一枚の書類をねじ込んだ。

 

「……これは?」

「判子を押す紙です。そろそろ国防軍の有給取得率に貢献しようかと思いまして」

 

 

 

 


 

 

 

「……待ってましたよ」

「ごめん、時間かかりすぎた」

 

 窓の外は土色の風景だった。木枯らしに揉まれた葉は茶色く染まり、砂利とセメントにより作り出されたコンクリート打ちっぱなしの建造物を背景に揺れている。

 

「いいんですよ。今回は、来るって分かってましたから」

「ひどい言い様、私が来なかったことある?」

 

 その言葉に相手は苦笑。信頼され過ぎてて涙が出そう。

 ホント、目頭が熱くて仕方がない。

 

「ただいま、不知火」

「おかえりなさい……ようやく、帰って来られましたね」

 

 本当に、よく帰って来られたものだ。あのポートモレスビーから、珊瑚海から、サハリンから。

 なにから話したものか分からないが、分からないならば定型文から始めるのが良いだろう。陽炎はスツールに腰かけると、ありきたりな台詞を探した。

 

「怪我はどう?」

「お陰様で……と、言いたいところですが。なかなか退院の許可が降りません」

「そっか」

 

 本来、霊力回復は特務神祇官の素早い復帰を目的としている。しかしそれは、人の(ことわり)を離れた力で強制的にヒトをヒトならざる回復力を持つ化け物に変える技術だ。

 現にアンプルを打たれた陽炎は、とっくにピンピンしているのにも関わらず入院させられたのである。経過観察という名の、化け物がヒトに戻るまでの拘束期間。

 

 しかし、不知火は違う。

 

「……なにか、問題でもあるのでしょうか」

「あー、問題? そりゃあるわよ。聞いてない? 『子供』の件で本格的な調査が行われることになったって話」

 

 表向きには、ロシアで起きたという大規模な子供の連れ去り行為の追跡調査。子供という資源を奪ったロシアにその使い道が問われるのは当然のことであり、要はそれに日本も荷担していないかという調査である。

 ……残念ながら、本格的な『子供』問題の解決には向かわないだろう。今回はあくまで、ロシアが略奪行為を働いた地域にルーツを持つ子供たちだけが対象なのだから。

 

「そうですか……それは、よかった」

 

 やっぱりお前は嘘つきだよ、瀬戸月ヒナタ。自嘲したところで現実は変わらない。しかしどうして、目の前の安心しきった彼女の心を折れるというのだろう。

 本当の誠実は、嘘を隠しておくこと……ねぇ、義母さん。あなたがなんで嘘をついたのか、私だって分からない訳じゃないんだよ?

 

「それよりさ、ご飯とか美味しくないんじゃないの?」

「えぇ、まぁ……ですが、そういうものですから」

 

 結論から言うと、不知火が退院できないのは経過観察を越えた隔離措置だ。恐らくこれは、もうしばらく続く。

 宗谷海峡で彼女に打ち込んだあの高速修復材。もちろん効果はてきめんだった。だから不知火は生きている。けれども、アレは。

 

「そーいうと思って、用意してきたわよ! 片桐さん!」

 

 内心は押し隠して私は笑う。信じられないほど底抜けに明るい声に、はいはい元気ねと応じたのは大荷物を抱えた片桐さん。

 

「はいはい、若い子が好きそうな物みんな持ってきたわよ。どれから食べちゃう?」

「え、いえ……別に私は、そんなに若くは……」

「なにいってんの! こちとら定年が見えてるマダムよ? ……誰がオバサンじゃいっ!!!」

「えぇ……」

 

 ノリツッコミに突っ込む暇も与えられなかった不知火が呆然とする横で、バリンッと大袈裟にスナック菓子の袋を破り去る片桐さん。

 ずっと変な人だと思っていた。けれどどうして彼女が道化を演じるのか、少し分かってしまった。

 

 嗚呼、分かりたくなんてなかったな。

 

「ささ! どんどん食べましょ! 今日は戦勝祝い、私の奢りよ!」

 

 こうやってバカやっていないと辛いのだ。もちろん、バカは楽しいけれど。それよりなにより、辛いことを考えないでいられるから。

 

「不知火も遠慮しちゃダメよ? 今日は私も、たっくさん食べるからね!」

 

 

 


 

 

「――――――私たちは、平和艦隊」

 

 燃える宗谷海峡で、その少年――――海に浮いている以上、実際には少年ではなく艦娘であったようだが――――は名乗った。

 

「なにそれ、意味分かんない」

「名前そのものに意味はないよ。元々は太平洋艦隊(パシフィック)と名乗ってたのを、語感がいいからそう言ってるだけだし」

 

 しかし名は体を表すという言葉もある。なれば彼らの目的はなんだというのだ。

 ……答えは、既に陽炎の手の中にあった。目の前の艦娘らしきボーイッシュな少女から手渡されたアンプル。そこに刻まれた高速修復材の文字。

 

「あなた、国防軍の……」

「国防軍? しらないな、そんな組織は」

 

 そんな訳ないだろう。霊力回復は日本が独占する門外不出の技術。そして高速修復材は、その回復アンプルの旧名称だ。

 いや、違うだろう瀬戸月ヒナタ。いまの私がやるべきことは、とにかく不知火を救うことで。

 

「安心していい、彼女……君たちが乙308号目標と呼ぶ彼女は、私たちが責任を持って回収する。海峡の突破も、核兵器の奪取もさせないよ」

「……礼は、言っておくわ」

 

 だけれど、あまりに不気味だ。突然に現れて、全てを知ったような顔で澄まして……そして、なにより。

 

 

 

『貴女は貴女の仕事をなさい、ヒナちゃん』

 

 私のことをヒナちゃんと呼ぶのは、この世界に一人だけ。

 

 

 


 

 

 

 棄てて欲しくなかった。置いていって欲しくなかった。

 

 こんな世界にひとりぼっちにするぐらいなら、いっそ守らないで欲しかった。

 

 わたしは、ただ。またひとりになるのが怖かっただけ。けれど周りにヒトは勝手に増える。来るなって言っても増えてくる。

 

 

「私には、無理です。自分のことですら、精一杯で」

「そっか」

 

 小さな祝宴が終わり、不知火の病室を去った後――――瀬戸月ヒナタの言葉に、片桐アオイは小さく息を吐く。

 

「なら、やめとこっかな」

 

 たった一言。それだけで、片桐は一枚の紙をクシャクシャにした。それからビリビリに破って、紙吹雪にしてしまう。

 

「……よかったんですか?」

「別にぃ? 政治家とのコネはもうあるし」

 

 それに気にくわないのよね。片桐アオイは紙吹雪になった招待状の送り主を睨む。

 

「よりにもよってなんで私に送るかな。送るべきは、どう考えてもヒナタちゃん本人であるべきじゃないの?」

「それは、片桐さんに利用価値があるからでしょう」

「あなたにこそ利用価値があるから、私をダシにしようとしているのよ、彼らは」

 

 私()()()()ではないだろう。私の持つ家族の鍵――――私の持つ名前、瀬戸月の名字にこそ利用価値がある。

 

「アナタは、いつまで戦うつもりなの?」

 

 片桐がそんなことを言う。決まっているでしょうと陽炎は返す。

 

「最後までです。だって私の命(これ)は、義父と、義母に託されたものだから」

 

 戦い続けるしかないのだ。生き続けるしかないのだ。世界から放り出されて、ミクロネシアのあの家に救ってもらった私は、彼らの優しさを、生きた証を証明しなくちゃいけないのだ。

 

「私は、彼らのことをロクに知らないけれどさ」

 

 片桐は珍しく言葉を選んでいるように見えた。いや、決して珍しいという訳じゃない。今はおどける時間(スキ)がなかったから、言葉を選んでいるように見えるだけ。

 

「……子供に傷付いて欲しい親は、いないと思うよ」

「それ、片桐さんにだけは言われたくないと思いますよ」

 

 返せば、それもそうねと溜め息。

 

「ま。助けが必要だったら、いつでも言いなさいな」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 ねぇ。

 片桐の独り言が虚空に溶ける。

 

 

「……殴ってやるって、約束。覚えてるわよね?」

 

 それは彼女が押しつけた誓い。戦争に負けてしまった彼女の代わりに戦い抜いてやる、だから黄泉の国(靖国)で殴らせろという、片桐アオイによる一方的な約束。

 

 

「そこに居たのよね? 瑞島ハルカ、あんたは」

 

 

 作戦の経過は聞いている。陽炎も不知火も報告はしなかったが、あの場所に第三者の存在があったのは明らか。

 ――――そしてそれの仔細を調べようとした瞬間に、この招待状が届いた。しかも厄介なオマケ付で。

 

「知りたければパーティーに来いって? ただ飯(フリーランチ)なんてこの世にないのよ」

 

 それは高速修復材、そのパッケージ。ミクロネシア戦役の汚点、前線部隊で不正に使用されたヒトを化け物に変える薬。腕が飛んでも、足が折れても、一瞬で元通りになるという魔法の薬。

 だがそれには、あまりにも。あまりにも多くの代償が付きまとった。不受胎問題だけじゃない、生えてきた手足への嫌悪や自己存立(アイデンティティ)の崩壊、あまりに多くの犠牲が生まれた。

 

 そしてその研究に関わっていたのが――――――当時最前線に居た『誰か』。軍艦(フネ)ナシ護衛隊群、圧倒的な戦力差にも関わらず化け物を、異形の艦隊をはね除けるには……艦娘もまた、化け物になるしかなかった。

 

「ミクロネシアは終わらない……か」

 

 彼女の呟きは誰にも聞き取られない。聞き取られることは許されない。

 招待状はどこにでもある政治資金集め目的のパーティ。アレはチケットを売ることが目的で、パーティーそのものに価値はない。問題は差出人だ。

 

「立憲友民党、飯田ケイスケ……ね」

 

 この戦争以前の国防族、国防軍不祥事を境に新田派に下ったとされる政治家。

 そして飯田家……蝦夷の瀬戸月を支えたとされる一族の、当主。

 

 彼がなにを考えているのかは分からない。彼がなにを知っていて、なにを知らないかは分からない。

 

 ――――――けれどそれでも、新田と繋がりのある片桐にこそ分かることはある。

 

「このタイミングで私に接触するってのが、もう答えみたいなものよね」

 

 ミクロネシア疑獄。飯田ケイスケをはじめとする旧国防族議員を壊滅させ、特務神祇官偏重の国防軍が作り上げられるに至った政治変動。彼がここで片桐に、無人艦戦略を提唱し、ある種の特務艇(かんむす)アンチテーゼとなっている片桐に接触する理由は明らかだ。

 

「さーてと。とりあえずまぁ、ミコトに相談かなぁこれは……」

 

 ぼやくように頭を叩き、秋の夜へと消えていく片桐。ゴミ箱に無造作に放られる高速修復材のパッケージ。消える前に、一言。

 

 

 

「どうやらまだ、私はぶん殴ってやらないといけないみたいね。ハルカ」

 

 

 










お疲れ様でした。加筆文字数を数えるのは止めました。同人誌版だともっとスマートな展開なんですけれどね……ドロドロになってしまった……。

ともあれこれにて第6部完結です。次は少し書き下ろしで幕間を書こうと思っていたのですが、夏コミ原稿をしていたらストックを書き溜める時間がなくなってしまいました。なので、次回更新まではしばらくお時間を頂きたいと思います。

お休みの間お茶を濁す……というわけではありませんが、別の同人誌の再掲も行っていこうかなと思います。こちらもよろしくお願いしますー!


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