千の言葉を紡ぐ者 (チキンうまうま)
しおりを挟む

プロローグ

 

「知っているか?フィン。」

「どうしたんだい?スヴェン。質問を投げかけるなんて君らしくも無い。」

 

 とある部屋の執務室。豪華な机と椅子に座った金髪の美少年と、ボサボサな茶髪の青年が書類を睨みつけながら話をしていた。

 

「いやなに。白という色は200色あるらしいんだ。俺たちはそれらをまとめて白、と呼んでいるだけでな。」

「へえ、それは興味深いね。普段僕たちの意識してない部分か。」

「ああ。俺も1人の物書きとしてそういうところは大事にしておきたくてな。最近は注意してみるようにしているんだ。」

 

 パラリ、と書類を捲りながら会話が続いていく。

 

「物書き、ね。本業は『冒険者』だろう?」

「個人的には物書きを優先したいところだがな。俺にとってはダンジョンなどネタを探す場所に過ぎん。」

「…それについて【ロキ・ファミリア】の団長として言いたいことはあるけどね。君は無駄にちゃんと仕事をしているから文句をつけづらいな。」

「そうか、意外だな。そう見えるのか、俺は。」

 

 その言葉にふむ、と頷く彼─スヴェン。その様子にフィンと呼ばれた少年は眉根を顰めた。

 

「…どういうことだい?スヴェン。なにが言いたいんだ?」

「…話を戻すぞ。白、についての話だ。」

 

 言いにくいのだろう。問い詰められるような、いや実際に問い詰められた彼は重々しく口を開いた。

 

「この書類を見ろ、フィン。真っ白だな。」

「…そうだね。真っ白だ。それもびっくりするほどにね。」

 

 そう言って彼が突きつけてきたのは1枚の書類。上の表題には『ロキ・ファミリア決算書類』と書かれている。かなり重要な書類なのだろう。

 

「だよな。俺も驚いた。何せこの書類のギルドへの提出期限、今日までだろう?」

「………そうだね。」

 

 ゆっくりとお互いに顔を見合わせると、机の上の時計を引っ掴むようにして確認する。その時刻は─13時。

 

「これはまずくないか!?フィン!間に合うかこれ!?担当者誰だよ!」

「担当者なんか後で探せ!今からならリヴェリアを呼べばいけるかもしれない!早く呼んで来るんだ!」

「そんなことしてる余裕あるか!?お前の机のベル鳴らせ!その方が早い!」

「そんなことしてみろ!暴走したティオネに荒らされるに決まってる!それならまだしないほうがマシだ!」

「否定できんなそれは!…ええい、窓から叫べ!それが一番早い!」

「なるほど!その手があったか!」

 

 2人は連日の書類仕事に疲れていた。

 なんの躊躇いもなく窓を全開にすると、第一級にまで上り詰めた身体能力を活かして全力で声を張り上げる。

 

「「リヴェリアーーーー!助けてくれーーー!!」」

「何事だお前たち!?」

 

 この直後、怒鳴りながらも助けに来てくれた副団長、リヴェリアによってギリギリで書類が間に合ったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きてる。俺。」

「よくやったよ、僕たちは…。」

「…本当になにがあったんだお前たちは。」

 

 その日の夜。なんとか書類をまとめ上げた3人は、執務室で力尽きていた。最も育ちの良いリヴェリアはソファでぐったりしているだけだが、男2人はもはや死に体と言わんばかりに机に突っ伏している。

 

「…本当に誰だ、あの書類の担当。マジで潰してやる。」

「やめてくれよ?君の魔法は本当におっかないんだから。」

「うるさいぞ、フィン。俺のこの怨み、断じて晴らさずにいられるものか。今までに溜め込んだ魔法100種全盛りで叩き込んでやる。」

「やめんか馬鹿者。」

 

 ベシッとリヴェリアが物騒なことを言い続けるスヴェンの頭を叩いた。同ファミリア、同職の上司部下である2人には絶対的な力関係が存在するのだ。

 

「全く…。最初にちゃんと確認をしておけばよかっただけの話だろう?それをしなかった時点でお前の責任でもある。理解しているんだろう?」

「…ぐうの音も出ない正論だね、リヴェリア。」

「ぐう。」

 

 だからといって誰がそう言えと。

 

「誰がそんなこと言えと言った。」

 

 同じように思ったのだろう。再びリヴェリアがスヴェンの頭を叩いた。ぐえっと声を上げて潰れるスヴェンを見下ろすと、リヴェリアが立ち上がる。

 

「ん?リヴェリアはどこかいくのかい?」

「ああ。部屋に帰って休む。明日からはレフィーヤの指導もあるしな。」

「そうか、頑張ってくれよ。」

 

 未だに疲れ切った様相の2人に、リヴェリアがはあ、とため息をついた。どうもこのファミリアは書類仕事ができるものが少ない。事務員でも雇うべきなのだろうか、とまで彼女は近頃考えているのだ。

 

「全く…おい、スヴェン。疲れが取れないなら()()()()()使()()。多少はマシになるはずだ。」

「そんなことしたら精神疲弊(マインドダウン)を起こすに決まっているだろう…。後で余裕があればやるさ。」

「いや、スヴェン。今やってくれ。僕は休みたい。」

 

 リヴェリアからの許可を受けて、フィンが即座にキメ顔を作った。無駄に顔がいい分様になるのが腹立たしい。

 

「…仕方ないな。やってやろう。…こういう時には俺の魔法は燃費良くて助かるな。─【千の言葉。万の想い。その全てを今ここに紡ぎ出さん。全てを語り、全てを騙れ。─グリモワール】」

 

 そう言って彼が虚空に手をかざすと、そこに光の粒子と共に、一冊の本が現れる。それを見てフィンは僅かに口笛を吹いた。

 

「お、やってくれるんだ。」

「…相変わらず妙な魔法だな。」

 

 2人を無視してスヴェンはページを捲る。お目当ては目の前のエルフ、リヴェリアの魔法。

 

「えーと、どれだどれだ。確かこの辺りに…。」

 

 ベラベラとめくっていたが、お目当てのページが見つかったのだろう。その魔法が載っているページを睨むと、そこに載っている詠唱を始める。

 

「おおー、流石になれてるね、スヴェンも。」

「まあ、私の魔法はあいつも唱え慣れているだろうしな。」

「───【ヴァン・アルヘイム】!」

 

 ようやく詠唱を終えたスヴェンがそう締めくくると同時に、部屋が光に満たされる。その光が収まった時には、部屋には1人の半死体と2人の健康な男女がいた。

 

「流石はリヴェリアの魔法。効き目がいいね。」

 

 グリグリと肩を回すフィン。その様子に先程までの疲れ切った様子は見られない。

 

「とは言え、スヴェンの魔力あってのことでもあるだろう。日頃の鍛錬の成果が出ているな。」

 

 瞠目して頷くリヴェリアもまた、満足した様子。後進が育つのは彼女にとって嬉しいことなのだ。

 

「………」

 

 そして疲弊した状況で魔法を使ったために力尽きたスヴェン。彼はもはや突っ伏してピクリとも動かない。ただの屍のようだ。

 

 三者三様。まさにその言葉通りの様子であった。

 

 

 

 

 

 

 

「……スヴェンはどうだ。」

 

 動かなくなった(生きてはいる)スヴェンに毛布をかけながらリヴェリアがフィンに尋ねた。彼女とフィンは『オラリオ』最大派閥の団長と副団長。どうしても部下の様子は気になるのだ。

 

「すごくいいと思うよ。仕事はするし、規律は乱さない。周りとの協調性もそこそこにある。…まあ、蔵書が多いし行き詰まった時の奇行は時々苦情がくるけど、そのくらいだろうね。」

 

 スヴェンという人物は、冒険者であるにもかかわらず、ダンジョンをネタの宝庫としか考えていない、自称『物書き』である。そのために、彼はしばしば小説絡みでの問題を起こすことがあった。……まあ他の若手たちに比べるとそんなもの些細なものなのだが。

 

「そうか。ならいい。…こいつ以外にも書類仕事ができる若手を増やさねばならんな。」

「だね。そろそろラウルにも本格的に教え込もうと思ってたし、丁度いいかな?」

「あいつはあいつでスヴェンを次期団長にしようとしているらしいがな。…スヴェンはそういうのに向いていないんだがな。」

「仕方ないさ。年も近くて仲もいいのに実力差は歴然。そうなると劣等感が生まれるのも仕方ないのさ。」

 

 スヴェンはその特異な魔法も相まって極めて高い戦闘能力を有する。同世代でも、そんな彼に引け目のある人物は多いのだ。

 

「…そういうものか。」

「そういうものさ。ま、とりあえず今の僕たちにできるのは若手を育てることだけ。お互いにそこを頑張るとしようか。」

「そうだな。そうしよう。」

 

 力尽きた1人の若者を囲むようにして、付き合いの長い2人はこれからの話を紡いでいく。

 オラリオの、ロキ・ファミリアの夜はまだまだこれからだ。




スヴェン
 ロキ・ファミリア所属の後衛魔道士。レベル6。【グリモワール】は彼の魔法。
 
フィン
 ロキ・ファミリア団長。少年のようだがアラフォー。

リヴェリア
 ロキ・ファミリア副団長。年齢不詳のエルフ。スヴェンの直属の上司。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

超凡夫①

 ラウル・ノールドは後悔していた。どうして自分はこの道を通ってしまったのだろう。真昼間から彼は真剣にそう思った。

 

「………なにしてんすか?スヴェン先輩。」

 

 その状態でも彼は目の前の先輩─スヴェンに声をかけざるを得なかった。彼はなにかと周りの面倒ごとを背負い込む性分なのである。

 

「……ふぁんだ(なんだ)ふぁふぁ(ああ)ふぁふるか(ラウルか)。」

 

 彼の目の前ではラウルの先輩、スヴェンが芝生に寝転がっている。─なぜか芝生をもしゃもしゃと食べながら。

 

「いや、なに?じゃないんすよ!なんでまたこんなことしてるんすかあんた!」

「ごくん。…いやなに、少し行き詰まってな。気分転換というやつだ。」

「気分転換で本拠(ホーム)の芝生を食べる奴がどこにいるんすか!?」

「ここにいるだろう。」

「そうっすねえ!」

 

 悲しいことにラウルはスヴェンの奇行に毎度のように巻き込まれているのだ。

 

「まあよく聞くんだ、ラウル。俺とて別に好き好んでこんなことをしているわけではないんだ。」

「でしょうね。もし好き好んでやってたら先輩との関係を考えるとこっすもん。」

「なんだお前、そんなことを言っていいのか?もう飯奢ってやらんぞ?」

「やっぱ誰だってそういうことをしたくなる時くらいあるっすよね。仕方ないっす。」

「よろしい。」

 

 ラウルとスヴェン。この2人に絶対的な力関係が生まれた瞬間である。

 

「まあそんなことはいい。ことの始まりはこの俺が連載に行き詰まったことだ。」

「…例のやつですか。」

「そうだ。『月刊 ダンジョンに生きる』。そこで俺は第一級冒険者としてコラムを書いていてな。」

「また地味に適任が他にいなさそうな役目っすよね…。」

 

 大体の第一級冒険者は多忙である。例えダンジョンに潜っていない日でも、ファミリアの運営に携わったり、ギルドの任務に駆り出されたりしているのだ。そんな中で、雑誌のコラムを好き好んで受けるやつはそうそういないだろう。

 

「ああ。悔しいが今回の連載は俺の実力ではなく、その立場あってのことだろう。そのことは理解しているが、それはそれとして俺は今回の連載に全力を注ぐつもりだ。」

「…そういうところはすごいと思うっすよ。」

 

 ラウルは素直に感心した。てっきりこの男なら『立場も実力のうちだぜがはは』とか言い出すかと思っていたのである。

 

「ああ。俺はまずここを認めねばならん。俺が作家として認められていないのはなによりも実力が足りていない、ということをな。…そこで俺は毎度毎度ネタを搾り出しているわけだが、今回はまずいんだ。」

「まずい?なにがっすか?」

「ああ。話すと長くなるんだが…ここで話すのもなんだな。飯でも食いながら話さないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、本当に来てくれるのがお前のいいところだよな、ラウル。」

「いや、ここまで来たらそりゃ悩み聞くっすよ。俺も先輩には世話になってますし。」

「そうか…ありがとう。ならせめてここの代金は俺に出させてくれ。」

「正直期待してたっす。」

「そういうところだぞラウル。」

 

 2人が場所を変えたのは『豊穣の女主人』。ロキ・ファミリアでもしばしば贔屓にしている、オラリオでも人気の酒場である。ここは昼間ならかなりリーズナブルな値段で絶品料理が味わえるのだ。

 

「…ああ、リュー。ボンゴレパスタとシーフードピザとオムライスとシーザーサラダとドリアを頼む。全部大盛りで。ラウルはどうするんだ?」

「あ…俺はこのトマトパスタで。…先輩、あの店員さんと知り合いなんすか?」

「まあな。昔からの知り合いだ。それに俺がこの店に週何回通ってると思っている?」

 

 近くにいたエルフの店員に手早く注文を済ますと、スヴェンはラウルの方へと向き直る。その瞳のいつになく真剣さに、ラウルは思わず背筋を伸ばした。

 

「…で、だ。俺も作家の端くれ。絶対につまらない文章を書くやつだとは思われたくない。冒険者が強いと思われたいのと同じだ。」

「なるほど。わかりやすい。」

「ああ、…だが、今回はテーマがテーマでな。」

 

 そう言ってスヴェンはその端正な顔を歪ませる。ロキの趣味でファミリアには顔のいい男女が集まるが、その中でもこの男は知性あるイケメン、という方向でならかなり上に入るだろうとラウルは踏んでいた。

 

「テーマ?なんなんすかそれ。」

「今回の雑誌のテーマだ。…それが『冒険者の恋愛と結婚』でな。正直俺にはとんと見当がつかん。」

「れんあいとけっこん」

 

 つい復唱してしまった。なんというテーマなのか。

 

「そうなんだ。…お前も知る通り、俺には恋人がいたことがなくてな。どうしようかと困っていたところなんだ。」

 

 少し恥ずかしげに語るスヴェンに、ラウルが驚いて聞き返した。と、いうか、恋人がいないという事実自体が初めて聞くものである。

 

「…え?先輩彼女いたことないんすか?ガネーシャ・ファミリアの幼馴染って恋人なんじゃなかったんすか?」

「アーディか。あいつはただの幼馴染だぞ。そういう関係になったことはない。そもそもお互いにそういう目で見てもいないだろうしな。」

 

 遠くから聞こえる皿の割れる音を背景に、2人は話し続ける。

 

「いや、あの【象神の詩(ヴィヤーサ)】っすよ!?ガネーシャ・ファミリアのアイドルっすよ!?」

「だとしても、だ。俺たちが何年の付き合いになると思っている?そもそも俺は初恋の相手に自分の手で引導を渡しているし、あまりにもそういうことに縁がないんだ。」

「いまさらっととんでもないこと言いませんでした?」

 

 少なくとも昼間から水の入ったグラスを傾けながら言っていいことではないことは間違いない。

 

「気のせいだ。…まあとにかく、そのせいで俺は困り果ててな。『こんな思いをするなら子兎にでもなってしまいたい』とまで思ったわけだ。」

「はあ…。え、まさか、それで?」

「ああ。子兎になるならまずは言動から。とりあえず芝生を食べてみたんだ。……びっくりするくらいまずかった。リアリティの追求、という意味ではある意味味を見ておいて良かったのかもしれん。」

「んなわけないでしょう…!」

 

 ここにきてラウルは深く後悔した。自分はなんて変人に捕まってしまったのか、と。

 

「…いや待て。ここはお前に聞けばいいのか。」

「は?なんでっすか?」

 

 思いついた、とばかりにとんでもないことを言い出したスヴェンに、ラウルが目を丸くする。割といつものことだが、この男の言動はラウルにとって予想つかないものが多いのだ。

 

「?なにを言っている。お前とアキの話だ。付き合っている、とまではいかなくてもいい感じにはなっているのだろう?それを聞かせてくれ。」

「なにを言ってるんすかあんた!俺とアキはただの同期で同僚っすよ!」

 

 話題に上がったのはアナキティ・オータム。彼らと同じファミリアに所属する大層美人な猫人(キャットピープル)。本人たちからは否定されているが、何かとアキとラウルはニコイチで数えられることが多いコンビだった。

 

「なんだと?…まあいい。それでも俺よりはマシだろう。ほらキリキリ話せ。」

「なんでっすか!話すことなんてないっすよ!」

 

 そう言って抵抗するラウルに、スヴェンはそれはそれは綺麗な笑みを浮かべた。

 

「いいのか?お前が抵抗するなら俺にはここの飯代を払わない、という選択肢もある。今財布持ってるのか?お前。」

「…なんて、悪辣な…!」

 

 ホームを歩いていたところを連れてこられたラウルは確かに財布を持っていない。しかもこの店で食い逃げなんぞしよう者は間違いなく殺される。なんてことを言ってくれるんだ、この男。ラウルは心底この男に話しかけたことを後悔した。

 

「なに、そんな顔をするな。ただお前は最近あったことを教えてくれればいい。…な、そうだろ?………言っておくが、話すまで俺はお前を解放しないと思え。」

「…悪魔っすかあんた…!」

「いい記事を書くためなら俺は悪魔にでもなろう。」

 

 そう言って笑う男が、ラウルにはこの世の何よりも恐ろしく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、スヴェンだー!おーい!」

「ああ、アーディか。久しぶりだな。」

「うん、久しぶり!そうそう、あの記事読んだよ!」

「そうか、どうだった?」

「んっとねー、あれ、スヴェンの実体験?妙にリアリティあったけど。」

「いや?後輩から尋も…取材しただけだ。どうした?」

「ふーん…。私には聞いてくれないんだ?」

「…え?そもそもお前恋愛経験あるのか?俺今までお前の彼氏とか聞いたことないんだが。」

「…………」

「…………え、なにこの沈黙。」

「スヴェンの馬鹿ー!」 

「はぐわあああああ!?」




ラウル
 超凡夫。器用有能とは彼のこと。

アーディ
 僕はあの結末を認めません。

スヴェン
 紅葉食らってロキに大爆笑された。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大切断①

 

 深夜のロキ・ファミリア。スヴェンはそのとある一室にて、机に向き合っていた。その右手には万年筆が握られており、カリカリと音を立てて紙にその想いを刻み込んでいく。

 別に彼は好き好んで夜に執筆を行うわけではない。ただいいネタが思い浮かんだために、寝る間も惜しんでその熱を冷まさないようにしているのだ。ネタは鮮度が命。これは彼のポリシーだった。

 

 そして小一時間は経っただろうか。ようやくいいところまで書き終わったスヴェンが眼鏡を外し、目を揉んだ瞬間に『それ』は来た。

 とっとっとっと軽い足取りが聞こえたかと思うと、急に扉が開かれる。そこから顔を出したのは1人のアマゾネスの少女。

 

「スヴェーーン!なんか本貸してーー!」

「ティオナ…。ノックくらいしろ。」

 

 ノックの一つもせずに入って来たのはティオナ・ヒリュテ。スヴェンの読者の1人である。

 

 

 

 

 

 

「というか、いいか?ティオナ。そもそもだがな、深夜に男の部屋に1人で来るんじゃあない。俺以外だと手を出されるぞ?」

「大丈夫大丈夫。あたしがこんなことするのスヴェンくらいだから。」

 

 なにが大丈夫なのかはわからないがとりあえずスヴェンはこの少女に(筋力的な意味で)手を出せないから確かに問題は無いのかもしれない。

 

「……それ本当に他の奴に言うんじゃ無いぞ。現実(リアル)の女を諦めた俺ならともかく、ラウルあたりは勘違いしかねん。」

「だから言わないって。」

 

 スヴェンの部屋の大量の蔵書を漁りながらティオナはおざなりに返事をする。大量の本があるこの部屋は、読書家にとっては暇つぶしに最適なのだ。部屋に入ってすぐ彼女は欠片も整頓されていない本棚に向かうと、その中をいじり回すのである。

 

「荒らすな、ティオナ。それでも整頓している。」

 

 嘘をつけ。

 

「こんなに汚いのに整頓してるわけないじゃん。なに言ってんの?」

「俺にだけわかる置き方だ。他人には理解できんだろうがな。」

 

 整頓してないやつはみんなそう言うんだ。

 それを知っているのだろう、ティオナは彼の発言を無視して、お目当ての本を探し始める。

 

「おい、だから漁るなと…、いつもの英雄譚なら場所を変えたからそこじゃない。その上だ。」

「あ、本当だ。え、本当に整頓してるの?」

「当然だ。蔵書の管理は持ち主の義務だからな。」

 

 …本当に整頓した結果なのかも知れない。そう言って得意げに彼はメガネを押し上げるが、実はしばしば『資料が無い!』と叫んでいるのは内緒である。

 

「ふーん…、ていうかさ、スヴェンなんで起きてんの?もう2時だよ?」

「そうか。その言葉、そっくりそのまま返してやろう。お前こそ寝ないのか若いのに。肌に悪いぞ。」

「あたしは今日ガッツリ昼寝しちゃったからさー、目が冴えてんだよね。」

 

 そう言ってペラペラと彼女が捲る本の名は『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』。多くの英雄の生き様を綴った名作である。今なお多くの訳本が出ており、スヴェンはそのほとんどを所持していた。

 

「お、やっぱこれ見たことない人だ。新しく買ったの?」

「ああ。有名な先生が訳していたのでな。つい買ってしまった。ちょっと高かったが幸い臨時収入もあったもんだから大人買いというやつだ。」

「モンスターを臨時収入って言うのはやめなよ。仮にも冒険者なんだしさ。」

「本職は物書きだ。収入比率をさておけば、の話ならな。」

 

 実際、まだまだ駆け出しであるスヴェンの原稿料は低い。そのために彼はネタ探しを兼ねてダンジョンへと潜るのだ。…その際、流石は第一級冒険者。たったの2.3日で数百万ヴァリスを稼いでくるのだが、それでも彼は本業は物書きだと言って憚らない。

 

「ふーん、あたしはよくわかんないなー、そういうの。」

「ならお前も書いてみればいい。丁度コンクールがあるから、出してみたらどうだ?」

「やめとく。途中で飽きそうだし。…てか、スヴェンが起きてたのってそのコンクールに出す原稿書くため?もしかしてあたしすごい邪魔?」

「いや?どうせ今夜は切り上げているからな。別に構わんぞ。」

 

 そう言って彼はすっかり冷めきったコーヒーを啜る。元は執筆作業のお供として眠気覚ましに用意していたものだが、今ではそれはティオナの話し相手を務めるためのものとなっていた。

 

「そっかー…。てかさ、スヴェンが今書いてるの見せてよ。どうせいい感じに書けたんでしょ?」

「…まあ、構わんが。汚すなよ。」

 

 そう言ってスヴェンが書きかけの原稿を手渡すと、ティオナは勢いよくそれを引ったくるようにして手に取った。

 

「わかってるわかってる。大事に読むよ。」

 

 そう言って読み始めたティオナが、数分後に突然ポツリとつぶやいた。

 

「…あたしさ、スヴェンの書くお話好きなんだよね。ちゃんとみんながハッピーエンドになるからさ。」

「それが俺のポリシーだからな。『せめて本の中だけでも誰もが幸せな物語を』、それが7年前に俺が立てた誓いだ。…って聞いてないのか。」

 

 どうやら独り言だったらしい。ティオナが聞いていないことに気づくと、スヴェンは小さく肩をすくめた。そのまま小さなあくびを一つ。どうやら夜更かしをしすぎたらしい。

 

「…ティオナ。すまないがもう帰ってくれ。俺は寝たい。原稿は貸してやるから明日にでも返してくれ。」

「んー…もうちょっと。」

「それでお前がちょっとで済んだ事はないんだよ。」

 

 まったく、と言いながらも彼は諦めたのか深くソファに腰を沈めた。どうやらただ言ってみただけだったらしい。暇なのか、そのまま小さく()()を開始する。

 

「【我が手中にあるは不変の財、不毀(こわれず)の宝。無限の蔵、時駆ける船。この世の全てを喰らうもの─『エニグマ』】」

 

 そう言った彼の手に、真っ黒な装丁のされた大きめの本が現れる。それを彼は掴み取ると、無造作にページを開いた。

 

「…これでいいか。」

 

 ぼそっと呟くと、彼は本の中に手を突っ込んで、中から一冊の文庫本を取り出した。いつでもどこでも読めるように【エニグマ】の中に仕舞ってあるこの本は彼のお気に入りなのだ。

 黙って原稿を読み続けるティオナを尻目に、スヴェンもまた、本の世界へと沈んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だめだ、俺はもう限界だな。シャワーだけ浴びて寝るとしよう。」

「あたしもシャワー入る…。まさか2人して夜通し本読んじゃうなんてね…。」

「仕方ない。一冊読んだら変に目が冴えてしまったのが我々の運の尽きだ。」

 

 翌日の早朝。ティオナとスヴェンはホームの廊下をふらふらと歩いていた。その目元にはクマができており、誰がどうみても一睡もしてないのが明らかである。

 

「…どうだった?俺の小説は。」

「よかったよ?ただ回りくどいところがあったからそこだけなんとかしたほうがいいんじゃない?」

「そうか。なら見直すとしよう。…一眠りしたら、な。」

 

 話しながらも廊下を歩いていく2人。だが、圧倒的に動いていない彼らはとあることを忘れていた。

 そもそもロキ・ファミリアはほぼ全員が冒険者。そのため朝が早いものが多いのである。つまり、早朝から連れ立って歩く2人はそれなりに目撃されたと言うことだ。そして、だが今の彼らの状況とは、

 

 1、2人は22歳と17歳。決してあり得なくはない歳の差である。

 2、両者共に第一級冒険者。割と普段から仲が良いことも知られている。

 3、目の下のクマ。昨晩全く寝ていないことは明らか。

 4、その割には元気。

である。

 

 …それなりにお年頃も多いこのファミリアで、そんな2人が早朝から「シャワー」などと口走っているのを聞いた団員の心境や如何なものだったか。要は、「え?あの2人そんな仲だったの?」である。

 

 

 

 目撃者の誰かから生まれたこの噂が巡り巡ってこのことがロキ・ファミリアに激震をもたらすのはこの数日後の話。

 ついでにこの件はガネーシャ・ファミリアにも飛び火したとかなんとか。

 

 

 

「ティオナ!?ティオナなの!?友達だと思ってたのに!」

「違うってアーディ!本当になにもしてないからぁ!」

 

 そこには荒れ狂うショートカットの冒険者と、それを必死に宥めるアマゾネスがいたとかなんとか。当事者の男?ああ、ガネーシャ・ファミリアの団長に連れていかれたよ。生きているといいね。

 

 

 




【エニグマ】
 スヴェンの魔法。大型の図鑑くらいの本を召喚し、その中に自在にものを放り込むことができる。最大収容個数は本のページ数、現在では150ページくらい。本の大きさよりも大きいものは入れられない、と言う制限がある。

ティオナ
 かわいい。

スヴェン
 後衛なので耐久がゴミ。この後アマゾネスの姉の方からもボロ雑巾にされた。誤解なんです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

千の妖精①

レフィーヤさんが後輩でもいいじゃない。その意志で書きました。


 

「…ぐおおおおお…痛い……。ここまで痛むのは久しぶりだな…。」

「あの…大丈夫ですか?」

「…ああ、レフィーヤか。問題ない。この感じなら魔法さえ使えたら治る。」

 

 それは某ガネーシャ・ファミリアの団長とアマゾネスの姉の方からの折檻により死に体のスヴェンが、医務室に転がっていた時のことである。みっともなくゴロゴロとベッドの上でのたうち回る彼に、1人のエルフが声をかけてきた。声の主はレフィーヤ・ウィリディス。スヴェンの後輩の魔道士である。

 

「えっ…そうは見えないんですけど…。」

「心配するな。今回はギリギリで骨が折れていないだけあいつらにも温情がある。後で【ディア・フラーテル】でも使うさ。今は体が痛すぎて制御できる気がせんが。」

「あ、その魔法使うくらいには痛いんですね。」

 

 と、言うかこいつが使おうとしているのは都市最高の治癒師の使う魔法である。それを使おうとしているあたりどれだけダメージを与えたんだあの2人。

 

「…そう言えば、スヴェンさんも他の人の魔法使えるんですよね。」

「ああ。【グリモワール】のお陰でな。お前がオラリオに来るまでは俺が唯一他人の魔法を使える魔道士だった。」

 

 そう言って彼は僅かの詠唱の後に一冊の真っ赤な表紙の本を顕現させる。これこそ凡庸な素質の彼を第一級冒険者まで押し上げた魔法。『魔法を記録し、行使する魔法』と言う埒外のイレギュラー。

 

「割ととんでもない魔法ですよね、それ。魔法大国からも狙われてるらしいですよ?」

「それはそうだろうな。実際、この魔法が出た時はロキはひっくり返ったくらいだし、当時は戦争遊戯まで巻き起こした。」

 

 それも駆け出しの頃に、である。当時はまだまだロキ・ファミリアも規模が小さく、希少な魔法を持ったスヴェンを狙って戦争遊戯(ウォーゲーム)まで引き起こしたものだ。

 

「戦争遊戯って…それは、なんというか…。」

「ゼウスとヘラがいなくなった後だったしな。あの時はオラリオは今よりも混沌としていた時期だ。わりとそういうのはあったぞ。」

 

 絶対強者にして秩序の守り手を失ったオラリオはあの頃治安が悪化し続けていた。『欲しければ奪う。奪うのに邪魔だから潰す』が罷り通っていた時代である。

 

「ま、うちは全部勝ったわけだが。おまけにあの頃の戦争遊戯のお陰で魔法のストックもだいぶ溜まったし、悪いことばかりではなかったぞ。」

「あ、そうなんですね。なんというか、強かというか…。」

「そのくらいじゃないとやってけんぞ、冒険者なんて。基本はやるかやられるかだ。」

 

 呆れた表情をするレフィーヤに、スヴェンは割と真面目に忠告した。あの暗黒期を生き抜いたものたちは基本的にかなりその辺りにシビア。そのため、レフィーヤのような新人はその甘さに漬け込まれやすいのだ。

 

「…覚えておきます。それと、スヴェンさん。」

「なんだ?どうせなら話していてくれ。痛みがまぎれる。」

「いえ、どうせなら私が治癒魔法使った方が早いんじゃないかと。」

「…あ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、助かった。ありがとうレフィーヤ。」

「いえ、この程度ならお礼を言われることでは…。」

 

 数分後。そこには『黄昏の館』の廊下を歩きながらぐるぐると肩を回すスヴェンと、その隣を歩くレフィーヤの姿があった。スヴェンは先ほどまでの苦痛に満ちた表情はどこへやら、完全に普段通りの様相となっている。

 

「いや、本当に感謝しているんだ。実は折檻されている時にいいネタを思いついてな。早く書き残したいところだったんだ。」

「実は意外と余裕あったんですね?」

「痛みには慣れているだけだ。俺は昔からよくシャクティさんに怒られていたからな。」

 

 まあティオネにまでされるとは思わんかったが、とぼやきながらも首を鳴らす彼に、レフィーヤが懐疑的な目を向ける。この男は割とどこまで本心を言っているのかが彼女にはわからないのだ。

 

「…第一級冒険者、というかレベル6ってそんなに痛みに強いものなんですか?」

 

 なんだかんだいいながらも割と平気そうな様子を見て、レフィーヤがついうっかりこぼしてしまった。

 

「ふむ?人によるだろうが…まああるだろうな。俺でもレベル6の後衛魔道士としては平均あるかどうか、ってところだろうしな。アイズとかガレスみたいな前衛はもっとあるはずだろう。」

「やっぱり、そう、ですよね…。」

「なんだ?悩みか?治療してもらった礼と言ってはなんだが…相談くらいなら乗るぞ?」

 

 急に暗い顔をし出したレフィーヤにスヴェンが非常に慌て出す。

 

「いや…やっぱり、アイズさんは遠いなあって。それだけなんですけど…。」

「…レベル3でレベル5を目標にしながらなに言ってるんだ…。というかお前は既に火力だけならとうに俺を超えているだろうに。」

 

 なにを言い出しているのか、とその答えを聞いたスヴェンが呆れた顔をした。というのも、彼からしたらレフィーヤは相当にやばい後輩なのである。まあ最近入ってきた後輩が、あっさりと自分を追い抜いてファミリア最高火力に肩を並べ始めたらそう思うのも当然なのだろうが。

 

「でも、やっぱり実戦だとスヴェンさんの方が強くないですか…?」

「そこは場数の差だろう。これでも俺のキャリアは10年越え、あの暗黒期を乗り越えた古参兵だぞ。というか、俺の強さとお前の強さは全く違うから気にしなくてもいいだろう。」

 

 放っておくとどんどんと落ち込んでいくレフィーヤを、どうにか慰めようと格闘する。彼は後輩に弱いタイプの先輩であった。

 

「レベル3でありながらあのリヴェリアにも匹敵する魔道士などお前しかいない。なに、あと1年か2年もすれば確実にアイズに追いつけるさ。お前ならな。だから安心しろ、レフィーヤ。」

「…でも、アイズさんを超えていくってのもそれはそれで解釈違いのような…。」

「本当に面倒だなお前。」

 

 そう言ってスヴェンはため息をつくと、悩み始めたレフィーヤを置いて先へと歩き始める。

 

「悩みごとがあるのは結構だがな。そういうのはただ悩むだけでは時間の無駄。甘いものでも食べて脳を動かしながら考えるのが一番だぞ。と、いうわけでお茶にでもしようじゃないか。リヴェリア(母代わり)アイズ(妹分)でも誘ってやるから。」

「……それ、スヴェンさんが甘いもの食べたいだけですよね?」

「ふむ、バレたか。正直俺1人だとその手の店はハードルが高くてな。誰かを誘わんとやってられんのだ。と、いうわけで一緒に来てくれ。奢ってやるから。」

「はい!そういうことならお願いします!」

 

 とりあえずリヴェリア辺りを誘うのだろう。迷うことなく彼女の書斎へと歩き始めたスヴェンを追って、レフィーヤは少し歩調を早めて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レフィーヤ・ウィリディスにとって、スヴェン・アルブレヒトという人物は割と不思議な存在である。

 

 魔法種族(マジックユーザー)でないにも関わらず、並のエルフを容易く置き去りにする魔力。時を経るごとに強くなっていくというその特異なる魔法。そしてそれを使うセンス。本人は凡庸と言って憚らないが、十分に第一級の名を冠するにふさわしい実力者であるとレフィーヤは思っている。

 

「ふむ、うまい。このクリームはなかなかだな。」

「そうだな、アーディもこの味は好むだろう。」

「誰がいつあいつの話をした?」

 

 目の前にいるハイエルフ、リヴェリア様が彼を指導したらしいが、彼自身は、リヴェリアよりも強い魔術師を参考にした、とまで言ってのけている。そのせいでそのことを聞いたエルフが彼に詰め寄ったこともあるのだが、彼がその憧れの魔術師の名を言ってのけた瞬間、全員が黙ったのも印象的だった。

 

「いや、お前がこういう店に来る時は大体アーディの機嫌を取る時だろう?違うのか?」

「…これだから子供の頃を知っている奴は嫌なんだ…!」

「ふっ。いくら大人ぶろうとお前はまだ子供だということだ。」

 

 魔道士として、そして冒険者として大成したその上で、彼は物書きであり続けている。一体その原動力はどこから来るのだろうか。

 

「…これだから年寄りは…!」

「……ほう?」

「…あ、これ俺死んだな。」

 

 なぜこの人は【万魔王(フロプト)】を名乗らず、【記す者(ブックマン)】を名乗り続けるのか。

 

「歯を!食いしばれ!」

「ぐわああああああああああ!」

 

 本当にこの人は謎が多い人だ。レフィーヤ・ウィリディスは彼の断末魔をBGMに、そう思うのだった。




レフィーヤ
 チート魔法持ち。かわいい。

【グリモワール】
 魔法を記録し、行使する魔法、というかなり異質な魔法。レフィーヤの魔法の上位互換のようでデメリットもあるのでそうでもなかったりする。

スヴェン
 彼の魔法は「形無い魔法を記録するもの」と「形ある物質を残しておくもの」の2つがメインである。もう一つあるけどあまり使わない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

象神の詩①

えっあの…なんかランキング載ったんですか?え?マジで?
その…お気に入り、感想、評価本当にありがとうございます。モチベになります。



え?日刊2位?嘘だろ?


「スヴェンっと、パットロール〜♪」

「ご機嫌だな、アーディ。」

 

 それはとある日の昼下がり。スヴェンとアーディはオラリオの街中を連れ立って步いていた。彼は時折、『暇だから』という理由でネタを求めて街中を歩きつつ、都市の警備に勤しんでいるのである。

 

「そりゃね!久しぶりにスヴェンとパトロールだよ?何ヶ月ぶり?」

「何ヶ月…いや、2ヶ月もは空いてないだろう?」

「そうかもしれないけどさ!スヴェンはもっと【ガネーシャ・ファミリア(うち)】の仕事を手伝ってくれてもいいと思う!」

「…まあ、一応俺は他派閥の幹部だからな?治安維持に協力したいのは山々だが、そうほいほいと参加するわけにもいかんのだ。」

 

 急に頬を膨らませてきたアーディから目を逸らしつつ答える。

 

「むー…でもお姉ちゃんは、『スヴェンはそのうち【ガネーシャ・ファミリア(うち)】に入るからどれだけ仕事を手伝わせても問題ない』って言ってたよ?」

「仮にも最大派閥の幹部になにをするつもりだあの人!?」

 

 さて何をする気だろうね?

 スヴェンにとって絶対に逆らえない相手であるシャクティの企みに震えつつ、2人は巡回を続けていく。今日は晴天、風もなし。非常に穏やかな1日である。

 

「さあ?お姉ちゃんも私に教えてくれなかったしね。でも、お姉ちゃんのすることなら多分大丈夫だよ!」

「本当だな!?俺あの人に折檻されたこと10や20どころでは無いのだが!?」

「うんうん。多分大丈夫大丈夫!」

 

 アーディは軽く安請け合いをしているが、スヴェンからしたら不安でしかない。るんたったと歩いていくアーディの後ろを追うしか彼にはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「よお、アーディちゃん!いつもありがとね。隣は…彼氏かい?」

 

「あっらアーディちゃん。こんなところで会うなんてねえ。そうだ、これ持ってってちょうだい。普段お世話になってるからそのお礼よ。それとなんだけどね、隣の男の子は彼氏なの?」

 

「あ、アーディお姉ちゃんだ!久しぶりー……って、彼氏連れてる!」

 

 

 

 

 

 

「ほんっっっっとに人気者だなあお前は!」

 

 被っていた帽子を全力で地面に叩きつけつつスヴェンは叫んだ。ちょっと歩けば誰かに(アーディが)声をかけられる。ついでに自分がアーディに手を出した不届き者扱いを受ける。彼は最近のアーディの市井での人気を侮っていた。

 

「いやー…今までここまで声かけられることはなかったんだけどね…。どうしたんだろ?」

 

 そう言って首を傾げるアーディには本当に心当たりがないらしい。なんでだろー?と言いつつ頭を捻った。なんでってそりゃ可愛いからだよ。

 

「…お前が知らんのに俺が知るわけもないだろう。まあいい。この際誰もこの俺に気づかんかったことは気にしない方向でいこう。」

「あ、地味にそこ気にしてるんだ。」

 

 そう、彼がここまで荒れているのには理由がある。スヴェンはあそこまでアーディが声をかけられているのと対照的に、誰一人として『作家のアルブレヒト』として認識されなかったのである。なおアルブレヒト、は彼の苗字である。

 

「当たり前だ!誰も『あの、アルブレヒト先生ですよね!ファンです!(裏声)』って言ってくれなかったんだぞ!?」

「駆け出しのスヴェンにそんなファンがいるわけないじゃん…。」

「ぐはああああ!?」

 

 的確な正論に心を抉られてスヴェンが膝をついた。時にただの言葉は如何なる魔法よりも凶刃よりも恐ろしき武器となるのだ。

 

「あっごめん!いくら本当のことでも言っちゃいけないことと悪いことがあったよね。」

「ぐぼは!?」

 

 無自覚の追撃!スヴェンのハートに999のダメージ!スヴェンはもう虫の息だ!

 完全天然少女による一撃に、第一級冒険者達ですらへし折れなかったスヴェンの心が凄い勢いでへし折れていく。あまりの苦痛についには道路へ倒れ込んだスヴェンに、アーディはその体を必死に揺すって起こそうとする。

 

「…こんな思いをするのなら花や草にでも生まれたかった。」

「そしたら私とお話しできないよ!?いいの?」

「…ああ、アルフィア姉さん、そこにいたんだな…。」

「…見えてる見えてる!見えちゃいけない人見えてるよスヴェン!っていうか、あの人そんなちゃんと出迎えてくれるほど優しくないでしょ!?」

 

 本人が聞いたらゴスペられそうな発言が飛び出しているが、そこは誰も気にしない。そんな2人の謎のコントに周りが生暖かい目を向けるのも気付かず、謎のコントは続いていく。

 

「…墓石には、『この世で最も偉大な作家、ここに眠る』とでも書いてくれ。頼んだぞ。」

「いくらなんでも図々しくない!?っていうか、冒険者(私たち)はそれあんまりシャレにならないよ!?」

 

 ついにスヴェンを引き摺り起こすとアーディがその胸元を掴んで揺さぶりながら叫んだ。果たしてスヴェンの首がガックンガックンなっているがその辺は大丈夫なのだろうか。

 そしてそれが起こったのはそんな2人が何気ない日常を楽しんでいる時だった。

 

「ひったくりだー!」

 

 平穏をぶち壊す事件というのは突然起こるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひったくり…!」

 

 その言葉を聞いた2人の行動は速かった。先程まで死人のようだったスヴェンは即座に跳ね起きると、アーディと共に声の方へと走り出す。たとえ足の遅めの魔道士といえども流石はレベル6。幾度もの昇華を終えた彼は前衛のアーディとほぼ同速で走ることができている。

 

「犯人は!?」

「…いた!あの人!」

 

 彼は走りながら【グリモワール】を召喚すると、アーディの手を借りて犯人を捕捉する。それと同時に、己の()()()を発動させた。その影響によって、彼の舌に謎の紋様が刻まれる。

 

「『───』」

 

 スキルの影響を受けて彼が紡ぐのはもはや声にすらならない声。あまりにも発声が速すぎて声とすら認識できなくなった詠唱。それでもなお、彼ならば魔法を発現させられる。

 詠唱時間の短さに比例して、ほんの僅かにしか魔力は練れなかったが、問題はない。前を走る犯人に向けて、その魔法を行使した。

 

「【リスト・イオルム】!」

 

 それと同時に犯人の足元から光の鞭を生み出すと、即座に拘束する。それは元はティオネの魔法であったのを、スヴェンがコピーした魔法。相手を拘束する、というなかなかに使い勝手がよい魔法であり、このようなパトロール時には非常に重宝する魔法である。

 

「犯人…逮捕!」

 

 倒れ込んだ犯人をアーディが捕縛し、その手に手錠をかける。その手際良い仕事ぶりに、周囲から歓声が上がった。

 

「流石はガネーシャ・ファミリアだ!」

「あれ【象神の詩】だろ?やっぱすごいなぁ。」

「ガネーシャ・ファミリアがいればもう安心ね。」

「アーディちゃん俺と結婚してー!」

「ファンクラブ会員!あの大馬鹿者を処せ!」

「「「「応!!」」」」

 

 いくつか変なのも混じっていたが、概ね住民は安心しているようだ。その様子にスヴェンは小さく安堵のため息をつくと、アーディの後始末を手伝いに行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時。2人は真っ赤な夕日が照らすオラリオの街を歩いていた。

 

「いやー、今日は大変だったねえ。」

「そうか?起こったのは所詮はひったくり1件。こんなものなどなんのネタにもならん、つまらんものだ。」

 

 そう言ってスヴェンがはあ、とため息をつく中、アーディはニコニコと微笑みながらその顔を覗き込んだ。

 

「そう?私は楽しかったよ?」

「…何がだ。この程度の事件、お前ならいくらでも解決してきただろう。」

「そうじゃなくてさ、」

 

 くるりくるりと踊るようにステップを踏みながらアーディはスヴェンの前を歩いていく。そのまま1つターンを決めると、スヴェンの方を向いて、嬉しそうに笑った。

 

「久しぶりだったから。スヴェンとこうやって2人でいられるの。」

「………」

 

 その言葉にパチクリ、と目を瞬かせるスヴェンにアーディはなおも続けた。

 

「スヴェンがさ、小説書いたり、ダンジョン行ったりして毎日忙しいのは知ってるけど、私だってスヴェンとこうやってお話ししたりしたいんだよ?」

「…それは、すまない。」

「ううん、別に怒ってるとかじゃないから。その代わり、」

 

 つい、と寄ってきたアーディがスヴェンの手を取った。その距離感は2人が小さな頃から変わらないもの。この街の誰よりも長い時間を過ごしてきた相手との距離感。

 

「また、こうやって一緒にいよ?」

「…しょうがないな。」

 

 そう言って笑いかけてくるアーディに、こいつには敵わないな、と思いながら。スヴェンはアーディの隣を歩くのだった。




アーディ
 何度も言いますが僕はあの結末を認めません。

スヴェンのスキル
 【八丁弁士】、読みは【ザ・キャスター】。詠唱が早くなる。ついでに早口言葉も得意になる。ただしこのスキルを使ったからと言って魔力を練る時間が短くなるわけではないので一長一短。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

剣姫①

 

 その日のロキ・ファミリアには朝からズッダンズッダンという音が響いていた。そのせいで誰もが一瞬は「何だこの音は?」と思うのだが、その音の出どころを知るや否や即座に対応を変える。「ああ、またあいつか」、と。

 

「……いや、それでほっといていいものなんすか?これ。」

「ならラウルが行きなさいよ。あたし嫌よ?スヴェン先輩に変に絡まれるの。」

 

 朝から鳴り止まない音楽を無視して団員たちが平常運転で動き始める中、残念なことに一般的な感覚を持つラウルだけはこの状況に疑問を抱いていた。

 

「それも嫌っすけど…今ベートさんとかいないんすかね?あの人いたら速攻殴り込んでくれそうなんすけど。」

「昨日からダンジョン潜ってるらしいわよ。こないだからリヴェリア達もファミリア離れてダンジョン潜ってるし、そりゃ誰も先輩を止めないわよね。」

 

 そう言ってラウルと話していた猫人(キャットピープル)、アナキティ・オータムことアキは肩をすくめた。彼女もまた定期的に湧き出る被害者の1人なのである。

 

「ま、ネタが湧くか眠くなったら止まるでしょ。それまでの辛抱よ。」

「だといいんすけどねぇ…。」

 

 話しながら2人もまた他の団員にならってダンジョンに潜る準備を始める。せめて自分達は巻き込まれないように、そう願いながらファミリアをいち早く離れようとしているのだ。

 既に巻き込まれた人がいる、なんてことを思わないまま、彼らは自分の身を守ろうとするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………。」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインにとってスヴェンという人物は何かと付き合いの長い兄貴分である。それこそファミリアに入った時以来なのだから10年とまでは行かなくても人生の半分は行動を共にしている仲。彼もまた幼少期よりリヴェリアに育てられたこともあり、昔から自分を可愛がってくれた人物でもある。つまりはファミリアでもトップクラスに頭の上がらない人物、ということだ。

 

「…………………。」

 

 だからこそ信じたくなかった。

 

「フッ…!フッ……!!」

「もっとや!もっとキレを意識するんや!」

「ああ、任せろ!」

「ええで!その調子や!……アイズたん!タンバリン止まっとるで!」

「…………うん。」

 

 何でこの人は朝からズッダンズッダンと踊っているのだろうか。そしてなぜ自分はそれに巻き込まれてタンバリンを叩き続けているのだろうか。

 

「ええでええで!いい感じや!…その勢いでなるんや!ギャング・スターに!」

 

 なって一体どうするつもりなのだろうか。スヴェンは冒険者どころか小説家ですらなかったのだろうか。と、いうかガネーシャ・ファミリアと仲がいいのに反社会勢力になってどうするつもりなのだろうか。

 

 考えることをやめた頭のまま、アイズは静かに天井を眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「も、もう限界だ…。すまない、ロキ。今日はここまでにしよう。」

「お?もう終いか?…まあこんな時間やしな。無理するわけにはいかんしこんなもんでええやろ。アイズたんもありがとね。」

「…あの、なんでスヴェンはいきなり踊り出したの?」

 

 時計の針が11時を指す頃、ついにスヴェンの体力に限界が来た。床に倒れ込む彼を見て冒険者のくせにその程度で音を上げるのか、とアイズは一瞬思ったが、机の上の原稿用紙の束を見てその考えを改めた。どうやら原稿を徹夜で仕上げたあと、ノリと勢いで躍り続けていたらしい。そのせいで身体、というよりも心の方が限界を迎えたのだろう。アイズはそう結論づけた。

 

「…ああ。俺が急に躍り出した理由か。大した理由ではないんだがな。」

 

 床に倒れ込んだ状態で、スヴェンが荒い呼吸のまま口を開いた。運動の後の汗のせいか無駄に爽やかな雰囲気を醸し出しているのが腹が立つ。

 

「そもそも俺がこの間ガネーシャ・ファミリアに遊びに行っていたのは知っているな?」

「うん。アーディさんのところだよね?」

「いやそんな『友達の家行ってきたわ』みたいな感覚で他派閥のホーム行かれても困るんやけどな?」

 

 とりあえずロキの文句は放っておくとして、スヴェンが時折ガネーシャ・ファミリアのところへ遊びに行っているのは割と周知の事実である。彼が言うにはどうやらあの独特なセンスのホームを気に入ったとかなんとか。

 

「なら話が早い。で、だ。その日も俺はいつもの如くアーディとおやつを食べながら話したり本読んだりネタ出しをしていたわけだ。」

「やっとることがほんまに15年前から変わらんのよな2人とも。」

 

 呆れるロキを無視してスヴェンの話は続く。

 

「その時だった。急に謎の音楽が『アイアム・ガネーシャ』の中にかかったのは!」

 

 『アイアム・ガネーシャ』とはガネーシャ・ファミリアのホームの名前である。

 

「音楽ぅ?それがどないしてん。」

「ああ。俺も驚いたんだがな、その音楽がかかった途端、アーディが楽しそうに踊り出したんだ。」

「「………は?」」

 

 あまりにも予想のつかない展開に、思わずアイズとロキの声が重なった。一体スヴェンは何を言っているのだろうか。

 

「言いたいことはわかる。だがな、これは事実なんだ。そして急に躍りながら移動し始めたアーディを追って俺が見たものは…!」

「ま、まさか!」

「そうだ!音楽に合わせてファミリアの全員が楽しそうに踊っているところだったんだ!あのシャクティさんですらがだぞ!」

「シャクティですらか!」

「そう!シャクティさんですらがだ!それも満面の笑みでだ!」

 

 シャクティ・ヴァルマ。ガネーシャ・ファミリアの団長にしてスヴェンの幼馴染、アーディの実姉。現在独身。妙齢の麗人、子供(妹)がいる、独身という共通点からかリヴェリアと仲の良い人物でもある。

 基本クール、と言うか冷静な彼女が音楽に合わせて踊る、と言うのはアイズにもロキにもちょっと想像ができなかった。が、スヴェンがここまで言うなら本当なのだろう。思わず出てきた生唾を飲み込みながら2人はそう思った。

 

「驚くのはここからだ!俺はただその踊りを眺めていたと思っていたが、気がつけば俺もその中に加わって踊っていた。…何を言っているのかわからんと思うが俺も一体何でそうなったのかが全くわからなかった。…ただ催眠術とかそんなチャチなもんじゃないと言うのは確かだ。全く…恐ろしいものを味わったものだ。」

「…それ、ほんとに恐ろしいの?」

 

 聞く限りではまあまあ楽しそうである。

 

「気がつけばよくわからん踊りを踊っている、と言うのはなかなかに怖いぞ。で、だ。話を戻すと、躍り終わった俺はこう思ったわけだ。」

「お?なんや?」

 

 そこで一度スヴェンは言葉を溜めた。キリッと普段よりも遥かに真剣そうな眼差しで2人を見据え、口を開く。

 

これはネタになる、と

「…いや、結局そこなんかい!」

 

 ロキ、吠えた。それはそれはきっちり吠えた。そして大声こそ上げなかったが『近くにいたから』、と言う理由で巻き込まれたアイズもそう思っていた。コクコクと首肯して同意を示す。

 

「当たり前だろう。何で俺がわざわざネタにもならんことをせねばならんのだ。」

「いや、急に朝っぱらから人の部屋殴り込んできて『ダンスのレッスンだぜロキ!』とか言われたらなんか事情があるんかなって思うやん普通!いやまあ何も聞かんと着いてきたウチもウチやけどな!?思ったよりいつも通りやったんやな自分は!」

「それはそこで理由を聞かなかったロキの落ち度だな。俺がネタになるかどうか以外で動くかどうか。ロキはまずそこを判断すべきだったな。」

 

 意外とロキも巻き込まれた側だったらしい。食ってかかるロキにしゃあしゃあと言い返すスヴェンを眺めながら、アイズは呆れかえっていた。

 

「ああ、アイズ。巻き込んですまないな。お礼、と言うのも何だが飯でも奢ろう。それが他に何かして欲しいこととかあるか?」

「して欲しいこと…。」

 

 急に話しかけられてふむ、と考え込んでしまう。いっぱいのじゃが丸くん?悪くないけど自分でもできる。高いご飯?興味ない。武器?もうある。むむむ、とちょびっとだけ考えた後、閃いたアイズが口を開いた。

 

「…あ、ある。スヴェンにやって欲しいこと。」

「お?なんや?言ってみ言ってみ?」

「なんでロキが言うんだ…?まあいい、言ってみろ。俺にできることなら全力を尽くそうじゃないか。」

 

 滅多にない妹のお願いに目を輝かせるスヴェンに、アイズはその『お願い』を告げた。

 

「うん…。私と一緒にダンジョン、来て?今から。」

「……うん?」

「…おっと?」

 

 予想と違いますが?みたいな顔をする2人にアイズはなおも続ける。

 

「スヴェンのせいで朝からダンジョン行けなかったから。その分。荷物持ちと回復魔法、お願い。今から。」

「あの、アイズ?俺今ちょっと体調やばいんだが…?明日ではダメか?」

「今すぐ。」

「あ、はい。」

 

 普段よりも遥かに強い意思表示を示すアイズに、スヴェンが諦めた。ヤバくないかこれは、と呟きながらよろよろと立ち上がる彼の肩に、ポンと手が置かれる。

 

「…なんだ、ロキ。俺は今から死地に向かうんだが。」

「ドン☆マイ!」

「……貴様ああ!」

 

 死相を浮かべたスヴェンに対してロキはそれはそれはいい笑顔を向けた。これは決して安眠を妨害されたことに対する恨みからではない。決して。

 そのままポコスカと殴り合う2人を置いて、アイズはスヴェンの部屋を出て自室へと向かう。ダンジョンへと向かう準備をするのだ。

 

「…スヴェンのできる範囲で潜らないと。」

 

 むん、と小さくやる気を込めながら、アイズは廊下を歩いて行った。

 




ガネーシャと言えばインド。インドと言えばダンス。これは古事記にも書いています。


アイズ
 かわいい。強い。

ロキ
 関西弁が変だったら教えてください。

ポコスカと殴り合う2人
 不思議な力が働いているので2人は殴り合っても無傷です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

疾風 ①

 

「俺の嫌いなものを知っているか、ラウル。」

「なんすか?作品をこき下ろしてくる評論家ですか?」

 

 某月某日。スヴェンは拠点(ホーム)の一室で、眉間に皺を寄せて紙束と睨めっこをしていた。そんな彼の近くには、悲しくも巻き込まれたのだろう後輩、ラウルもまた同様に紙をその手に持っている。

 

「否定はしない。だがな、この俺の最も嫌いなものは…」

「は?」

「したくもない仕事だ!特にこんな遠征前の事務処理など反吐が出る!」

 

 そう吐き捨てて、スヴェンは紙束を机に放り投げた。ちゃんと物理的に纏められていなかったために当然のように散り散りになる書類を見て、ラウルはため息をついた。こうなったら愚痴に巻き込まれるんだろうな、という確信が彼にはあったのだ。

 

「とか言いながらも毎回ちゃんとやってるじゃないっすか。正直今更感ありますよ。」

「それは違うぞラウル!いいか?俺は別に自発的にしているんじゃない!他に当てがないからやらされているだけだ!」

「当てがない…まあ、否定はしませんけど。」

 

 そう言う彼らの脳裏には、現在の第一級冒険者達、つまりは幹部陣の顔が浮かんでいく。その中で団長であるフィン、副団長であるリヴェリアはともかくとして、最古参のはずのガレスはこういった仕事に欠片も向かず、それは同様に古参であるアイズも同様。ベートは書類仕事を嫌い、ティオナは細かい仕事ができない。ティオネはいたらフィンの負担が増える。ことごとくが脳筋という、悲しい現実なのである。

 

「だろう?だからこそ俺は今回お前を巻き込んだわけなんだが…。」

「なんで!?なんでそうなったんすか先輩!?」

「そんなもの俺が仕事を抱えている時にお前が暇そうなツラをしていたからだろう。恨むなら俺ではなく、ノコノコと俺の前に現れた自分を恨め。」

 

 これはひどい。パワハラかなにかか?

 

「クソだ!この人性格クソだ!」

 

 なお、巻き込まれた時にラウルは精一杯の抵抗をしているのだが、悲しいかなステータスの暴力で抑え込まれてしまっている。例えラウルがオールマイティ型の前衛でスヴェンが後衛といえど、レベル2つの差はあまりにも大きかった。

 

「今更だな。散々俺に巻き込まれておいてまだその境地に至っていなかったのか。」

「自覚あるクソ野郎!?一番厄介なやつじゃないっすか!!」

 

 悲しそうな声を上げるラウルを軽く鼻で笑うと、スヴェンは地面に落ちた書類を拾い上げた。どうやら作業を再開するつもりらしい。

 

「はは、なあにそう言うな。無事に終わったら飯の一つでも奢ってやる。『豊穣の女主人』でいいな?」

「あんたマジでそこしか行かないっすよね。まあ美味いし別にいいっすけど。」

 

 なお、その店は店主の意向で夜のメニューはなかなかのお値段をすることで有名である。まあなかなかのお値段とはいえ、第一級冒険者にとっては余裕で出せる金額なのだが。

 

「ならいいじゃないか。ほらとっとと終わらせるぞ。」

「はいっす。…ところで、先輩。」

「?なんだ?」

 

 再び書類に目を通したスヴェンに、これまた書類に視線を落としているラウルが口を開いた。

 

「飯屋のレパートリー少ない男はモテないっすよ。」

「マジで潰すぞお前。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、後輩を潰したと言うわけですか。」

「人聞きの悪いことを言うな、疾風(リオン)。」

 

 その日の夜。どうにか半死半生、と言った体ではあるが書類を終えた2人は、『豊穣の女主人』へとやってきていた。オラリオ屈指の名店として知られるこの店は、今日も多くの人で賑わっている。

 

「これは潰したんじゃない。勝手にバカスカ酒飲んで潰れたんだ。だから俺は悪くない。」

「…止めていないのなら同じなのでは?」

 

 はあ、と一つため息をついて、給仕のエルフ、リュー・リオンは彼の前に水の入ったグラスを置いた。そんな彼女の側には小さな箱が一つある。

 

「と言うか、私をその名前で呼ばないでください。」

「…別に誰も聞いてないと思うが。」

「それでも、です。シル達に迷惑をかけたくはありませんから。」

 

 リオン。スヴェンは、いやスヴェン()はかつてリューのことをそう呼んでいた。今ではその名で呼ぶことを基本的にはやめているが、それでもこう言った場面で話していると、彼は自分のことをそうやって呼んでくるのだ。

 

「……相変わらず真面目だな、お前は。」

 

 まるで、あの頃を懐かしむかのように。

 

「そうですか?」

「そうだ。まあ真面目なだけじゃなくてお前はあの頃から頑固でめんどくさい奴だったが、本当に変わらん。」

「…怒られたいんですか?」

 

 そう言われてリューはスッとその目を細めた。彼女の中で、スヴェンは数少ない『雑に扱ってもいい相手』枠なのだ。

 

「やめてくれ、本当に。お前に殴られたら吐く。」

 

 そして睨まれたスヴェンはノータイムで降参した。かつて肩を並べたこの友人の強さはよく知っているし、なにより当時何度も怒らせては打ち込まれた拳の重みは彼の中に恐怖として刻み込まれている。

 

「ならそんなことは言わなければいいでしょう。相変わらず一言多いんです、あなたは。」

「…この間同じことをアーディにも言われたが…そんなにか?」

「そんなにです。…話は変わりますが、あなたに頼みがありまして。」

「なんだ?」

 

 スヴェンは油断していた。それはきっとエールと、そして美味しい食事のせいだろう。ほろ酔いで、ご機嫌な彼には悲しいことに危機察知能力が欠如していた。

 

「試食をお願いしたいんです。」

「へえ、試食を…なに?」

「ですから、試食です。」

 

 そう言って彼女は側に置いていた小さな容器を手に取った。それは弁当箱。スヴェンよりも小さなその手で握れるほどの、小さめの木製のお弁当箱であった。

 

「はっはっは…試食、試食か…。先に聞いておくが今回は何を作った?」

 

 側から見れば美女の手作り料理を味わえる幸せ者なのだが、彼の背中からは冷や汗が止まらない。彼の内心は、ただただ恐怖に支配されていた。リューの持つ可愛らしいサイズの弁当箱は、彼の目には深層のモンスターよりも禍々しいものに映っている。

 

「今回はパスタです。」

 

 リューはそう言って蓋を開けた。深淵かと思われるほどに真っ黒なパスタらしき何かが現れると同時に、形容し難い臭いが店内に溢れ出る。もうこの時点でスヴェンは逃げ出したくなっていた。

 

「パスタ、そう、パスタか。そうか、今回は黒いしイカスミパスタだな?」

「いいえ、普通のボンゴレパスタです。あなた好きでしょう?」

「……ああ、ボンゴレパスタは好きだな。確かに。」

 

 何故だ。何故イカスミを使っていないパスタが黒くなるんだ。そしてこの臭いの原因は海鮮に由来するものだったのか。通りで臭うはずだ。オラリオ育ちである彼には海は馴染みが薄く、だからこそこの臭いは耐え難いものだった。

 

「でしょう?さあ、食べてみてください。」

 

 そう言ってリューはパスタをスヴェンへと押し出した。異様な存在が、いよいよ彼へと突きつけられる。

 

(誰か!誰か助けてくれ!?)

 

 まさに絶対絶命。そんな彼は全力で助け舟(生贄)を探すが、第一候補(ラウル)は潰れたままだし、店員達は全員素知らぬ顔をして仕事に励んでいる。薄情な奴らだ。今度差し入れと称してクソまずいジュースをくれてやろう。ミア店長だけは目を合わせてきたが、お前がやるんだよ、と言わんばかりに顎をしゃくってきた。スヴェンを生贄にする気満々である。

 

「…食べてくれない、のですか?」

「いや、食べる!食べるとも!いやあ楽しみだ!」

 

 なかなか食べようとしないスヴェンに、リューは悲しげな顔をした。そしてスヴェンは、旧知の友人の悲しいことにそんな顔を無視できるほど外道ではなかった。

 

「…いただきます。」

「ええ、どうぞ。」

 

 リューが見守る中、スヴェンはとうとうパスタらしき何かへと口をつけた。

 

 

 そして次の日彼はトイレと親友になった。

 

「…スヴェン?大丈夫?」

「大丈夫ではない。ないが、流石にリオンのあの顔を見ては断れなかったんだ…。」

「そっか…。胃薬とかいる?」

「頼む。…いつもすまないな、アーディ。」

「それは言わない約束でしょ?」

 

 





リュー
 かわいい!強い!最高!

スヴェン
 トイレは友達。敵じゃない。

ラウル
 貧乏くじギリ回避。おめでとう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層 1

 

 轟音が鳴り響いた。

 

 その音が発せられたのは迷宮都市、オラリオの遥か地下深く。人類の殆どの足を踏み入れることを許されない領域だった。そして今、そこでは巨大な怪物(モンスター)の軍勢と、様々な人種の集団─『ロキ・ファミリア』が激しい激突を繰り広げていた。

 

「前衛!密集陣形を崩すな!後衛組は攻撃を続行!」

 

 彼らの頭脳、フィンが檄を飛ばすなか、団員全員が己の為すべきことのためにその全身に力を込める。ある者は盾を構え直し、ある者は戦場を駆ける脚をより一層早く動かし、またある者は魔法を紡ぎ出す詠唱に、さらなる魔力を込める。

 

 だが、それでも怪物の進軍は止まらない。どこから湧き出してきたのかも分からない怪物たちは、奮起する冒険者たちを討ち取らんと咆哮し、手に持った棍棒を振り回す。モンスターの振り回した棍棒と、冒険者たちの大楯が衝突し、またしても激しい音を立てた。

 

 そしてその最中、彼ら前衛の後ろで詠唱を紡ぎ続ける彼らは見た。モンスターたちの後ろから、一際巨大な一頭、『フォモール』が来る。仲間さえも蹴散らして驀進してくるそれはいとも容易く盾持ちを吹き飛ばすと、それだけでは止まらずに前衛のいる一角そのものを吹き飛ばした。

 自分たちを守っていた前衛たちが吹き飛んだことで、後衛たちに動揺が走る。練り上げていた魔力が乱れ、詠唱に遅れが出る。このままだと更なる被害が生まれるだろう。

 

「…ふむ。」

 

 その状況に、魔導士の1人であるスヴェンが動いた。

 彼は練り上げていた魔力を霧散させて紡いでいた超長文詠唱を一度止めると、神速で手元の魔本を捲り、目当てのページを探し出す。それは彼が最も畏怖し、敬愛し、憧憬を抱く、かつてこの地に君臨していた天才の使っていた魔法。

 

「───ぁ。」

 

 今、フォモールの棍棒が振りかざされ、1人のエルフへと放たれる。周囲の狼人(ウェアウルフ)も、アマゾネスも、金髪の剣士もがなんとか間に合ってくれ、と彼女へと駆けつける中、それを見ながら冷静にスヴェンは至高の一撃を撃ち放った。

 

「─【福音(ゴスペル)】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…暇だ。」

 

 眼前で団員たちが天幕を張るのを見ながら、スヴェンはそう言ってため息を漏らした。

 

「何が『暇』だお前は。そう言うなら手伝いの一つでもしたらどうだ。」

 

 そんな彼の頭を杖でこづいて、緑髪の麗人、リヴェリアはため息を漏らした。彼女は痛そうに頭を抑えるスヴェンの横に立つと、並んで団員たちの様子を眺め始める。

 

「断る。肉体労働は俺の主義じゃないんだ。」

 

 なお、実際のところスヴェンは仮にも幹部なので準備を免除されているだけである。

 

「冒険者とは思えない発言だな。…と言うか、そんなご立派な発言は小説家として生計を立てれるようになってから言え。」

「耳が痛いな。…だがまあ、確かに一理ある。と言うわけで俺はこれから執筆に専念するから次の遠征には俺が来ないことを覚悟しておいてくれ。」

「それを私が許すとでも?」

 

 睨むリヴェリアに、スヴェンは肩をすくめることで返した。はいはい、どうせ無理なんですよねー、と言わんばかりの態度である。軽くイラっとした。そしてスヴェンに視線を向けたリヴェリアは、彼が手に持ったある物に興味を示すこととなる。

 

「スヴェン、それは…カメラか?」

「ああ。記録をとるのに役立つかと思ってな。今回持ってきたはいいんだが…どうにも使い物にならなくて困っている。」

「ふむ?壊れたのか?」

 

 その質問に彼は首を横に振った。

 

「いや。単に光が足りないだけだ。恩恵(ファルナ)のおかげで見えるから忘れていたが…ここは光が少ないんだったな。」

「…光が無いならカメラは使えない、か。言われてみれば確かに迷宮(ダンジョン)ではカメラが使われたという話は聞かないな。」

「何事にも理由はある、というわけだ。勉強になったな。」

 

 そう言うとスヴェンは僅かな詠唱の後に顕現させた手元の本にカメラを沈めた。本来ならあり得ない、波紋を紙面に浮かべて姿を消すカメラに2人はなんの興味も示さず、再び遠くに視線をやった。

 

「…暇だ。」

「またそれか。そこまで言うなら仕事を増やしてやろうか?」

「断る。ただでさえ俺はさっきまで前衛共の治療で忙しかったんだ。これ以上仕事なんぞしてたまるか。」

「だが暇なんだろう?」

「それとこれとは話が別だ。暇だろうと俺は休息を謳歌する。」

 

 キリッとした顔でそう言ったスヴェンに、リヴェリアはため息をついた。幼少期に両親を無くしてきたスヴェンを自分が親代わりになって育ててきたが、なぜかこの男は幹部の誰にも似つかず育ってしまったのである。…いや、口調だけは自分に少し似ているか。

 

「全くお前は…ただでさえ今回はアイズとレフィーヤの面倒も見なければならないのに、お前まで面倒を増やすのはやめてくれ。」

「大変だな、母親(ママ)は。」

「誰が母親(ママ)だ、誰が。」

「お前以外に誰がいぐぼはあああ!?」

 

 再び杖がスヴェンの頭を襲った。それもなかなかの威力と共に。そして突然の凶行になんの反応もできなかったスヴェンは衝撃を殺しきれずに、悲鳴を上げながら地面とキスすることとなった。

 

「次は殴るぞ。」

「もう殴ってるだろうに…うわ…土の味がする…。」

 

 ぺっぺっと口の中に入った土を吐き出す。慣れた味だが、それはそれとして美味しい物では無いなあ、なんて感想しか出てこなかった。

 

「…これが未知の味ならまだ面白かったんだが。深層の土もただの土の味だな。」

「所詮は土、か。と言うかこんなところでまでネタを探そうとするのはやめろ。ここは50階層だぞ?」

「だからこそ、だ。ここに来たことのある物書きなんぞ俺以外におらんだろうかな。他の奴らには書けん文章を書くなら、細かくてもこう言ったところで差をつけていきたいんだ。」

 

 なるほど、一理ある。リヴェリアは一瞬納得したが、ふとあることを思い出してしまった。

 

「…だが、スヴェン。」

「なんだ?」

「50階層から下は、ギルドから情報規制がかかっていなかったか?」

「…………………あ。」

 

 すっかり忘れていた。忘れていたが、確かにそうだ。50階層より下、つまり彼らが今いるところから下はすでにその対象。どれだけ面白いことを見つけようとも、それを公開することは許されないエリア。

 

「…つまり、俺はこれからわざわざ深層まで来て面白い物を見つけても、それを公開できないと言うわけか?」

「まあ、気づかれないように改変したらいけるだろうが、直接は無理なんじゃ無いか?ギルドにバレたら相当な罰則があるだろうしな。」

「それだとリアリティに欠けるだろう!?なんてことだ!俺としたことがこんな単純なことを失念していたなんて!」

 

 頭を抱えて、うずくまるスヴェン。そのままうごうご何やら呻いている彼を見下ろしながら、リヴェリアは慰めるべく口を開こうとし、

 

「…もう遠征なんて二度と来んぞ、俺は。その間に30階層で俺はネタを探すことにする。」

「それを私が許すとでも?」

 

 慰めの言葉を引っ込めて説教に移行した。

 

 何年も前から変わらずにロキ・ファミリアで見受けられる、サボろうとして母親に叱られる息子の様子を団員が遠巻きに見守る中、今回の遠征も今のところは順調に進んでいく。

 

 

 彼らに試練が訪れるまで、あと1日。

 

 

 





【福音】
 ある才禍の怪物の有した魔法の詠唱。スヴェンはそれをコピーすることで必殺の通常技として使用する。

ステータス
【スヴェン・アルヴレヒド】
 レベル5 最終ステータス
 力  F 386
 耐久 E 405
 器用 A 865
 敏捷 C 641
 魔力 S 986

 魔導─E
 対異常 ─G
 洞察 ─H
 魔防 ─ I

「本当に恐ろしいのはあいつは執筆の合間を縫って、片手間でここまで辿り着いたことだ。」─リヴェリア


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。