あべこべ・ざ・ろっく! (ポターて)
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1.ボーカル飛び事件

貞操逆転世界──非モテの男にとってあこがれの世界である。

どうせならかわいい女性から言い寄られたいので、男女比が極端ならなおの事良しとされる。しかし、実際そんなにうまくいくことはない。

 

元々非モテの男が貞操逆転世界に転生したとして、異性に対する耐性があるわけがないのに仲良くなって侍らせるなんて到底無理な話だ。

結局のところ、女性が飢えていようとも、扱いの慣れているリア充男子にどれだけの倍率だろうが集まり、弱者男性は淘汰されしまうのが世の常だ。

 

そして、あの際たる例が今、目の前で起きようとしていた。

 

「あっあの先輩!放課後校舎裏に来てくれませんか?」

「…今日の放課後は予定があるから手短にお願い」

「わかりました…失礼しますリョウ先輩!」

 

そういって赤い顔を隠して去っていく後輩の女の子。廊下にて緊張した様子の後輩の女の子に呼び止められて放課後、校舎裏に来てほしいという男の子なら誰もが望むドキドキイベントだ。

もし自分がこんなセリフを言われる立場であったら、放課後までの時間落ち着かなくて、これから受ける授業にまともに集中できないだろう。

 

しかし、ひどく残念なことにその相手は自身ではない。この世界の日本は一夫多妻も認められているのにも関わらずだ。貞操逆転という夢の世界へ転生した藤原あやせは、なぜ世界は僕を追い詰めるのかと、フジは目の前の光景に絶望していた。

 

「なんでリョウはこんなにモテるんだ…?あきらかに僕より告白されること多くない?」

「別にフジはモテなくはないでしょ」

 

「フジ」や「フジくん」とは、藤原あやせという名前を略したもので、友人の間ではこのようして呼ばれることが多い。

 

そして、先程後輩に呼び出しを受けていたフジの隣にいる中性的な女子生徒がフジを差し置いて後輩・同級生に人気が謎にある『山田リョウ』という。

 

ユニセ〇クスな見た目で楽器が弾けて、スタイルもよくて、モテない要素がないのだが、完全に見た目だけであることをなぜ誰も見抜けないのだろうかとフジは永らく疑問に思っていた。

 

リョウはフジのつぶやきを聞いて、モテないこともないと、否定するも、実際フジはこの下高に入って以来告白を受けたことがほとんどなかった。

 

「同年代の子と関わりたいだろ」

「それなら下高はあきらめ方がいい」

「なんでだよ」

 

年上の女性に好かれてもママ活みたいになってしまうので、もっとクリーンな恋愛がしたいとフジは常日頃考えている。しかし、下高では厳しいらしく、それはフジたちが通っている学校ではフジに関するある噂が立っていることが原因だとリョウから伝えられる。

 

「『フジは気に入らない女子を殴る』って噂が立ってるから」

「誰だよ!そんな噂流したやつ!」

「私」

「リョウかよ。なんでそんなことするわけ?」

 

フジはありもしない噂を流した人物に憤慨したが、流した人物の正体をなんと本人から聞かされ、もはや驚きを通り越して、リョウならやるだろうなというある種の納得ができてしまった。

 

「よく変な女の人に絡まれるっていってたじゃん。だってこういう噂流しとけば誰も寄ってこないでしょ」

「いい感じに忘れてたのに思い出しちまった…。というかそれが目的ならもっといい方法あるだろ」

 

フジは変な女に好かれやすいことを自覚していた。その経験上、寄ってくるのはえぐいぐらい酒臭い女やストーカーまがい女などろくな人間が今までにいなかった。

 

酒臭い女については、ベースを忘れ物として、届けただけなのに永遠と絡まれ、挙句の果てに寝落ちし、酔っ払い女のバンドメンバーらしき人が迎えにくるまで延々と担ぐ羽目になったことは今でも思い出す。

 

その日以来、新宿には行かないと心に誓ったが、奴は下北にも出現しており、生態未確定なのが恐ろしい。

 

そんなわけで価値観が近いであろうクラスの女の子と話そうにも、フジと話す時のクラスメイトはやけにオドオドしているなとフジも密かに思っていた。しかし、通う高校でそんな噂が流れてはフジの交友関係が悲しいことになってしまうこと間違いないだろう。

 

「別に貰い手がいなくても虹夏と私は友人でいてあげるよ」

「もしそうなっても虹夏だけでいい、リョウはいらないな」

 

自分で蒔いた種なのにしょうがないといった感じでリョウはそんな提案をしてくる。

 

「…」

「ぐあ、いてえ…」

 

金遣いの荒いリョウがいると家計を圧迫しそうだし、結局虹夏とフジでリョウの面倒を見ることになりそうで反射的に拒否した。すると、クレ〇ンしんちゃんで見るグルグル攻撃をリョウから受け、見た目以上の痛さにフジはうめき声をあげてしまう。

 

「やっと見つけた!リョウ、フジくん大変大変!」

「虹夏。そんなに急いでどうした?」

 

フジはジンジンと痛むこめかみを抑えていると、教師に怒られないように急いで廊下を移動している女子に気づいた。

小走りでこちらへ向かってきた髪をサイドでまとめている元気づけられる印象を持った女の子が『伊地知虹夏』というフジのもうひとりの友人である。

リョウとは異なり、非常に気づかいができていい子なのだが、色々と突っ走りやすい側面がある。

 

虹夏はフジたちを探し回っていたようで、その焦り様からもかなり緊急事態であることがわかる。

 

「ボーカルの子が昨日から連絡が着かないの!ロインは既読つかないし、電話にも出ないし!」

「なんだそれ。まずくないか、今日ライブっていってなかったっけ?」

 

現在、虹夏とリョウは『結束バンド』というダジャレネームのバンドを組んでおり、新しくボーカルギターの子を加えて、ライブをする予定だったのだが、よりによって前日からそのボーカルの子に連絡がつかなければ、最悪飛んでしまった可能性が考えられる。

 

「そう!だからもうどうしよう~」

「どんまい」

「あんたもバンド仲間でしょ!」

 

リョウの呑気な返事に虹夏による鋭いツッコミがはいる。

そのあんまりなリョウの様子にリョウはもっと焦れ、刹那に生きすぎだとフジは思った。

 

「フジくんお願い!今日のライブもキーボードでヘルプお願いできないかな?」

「こればっかりは大変だろうし、いいよ」

「いいの!?ありがとう!放課後STARRY集合ね!」

 

フジが了承の返事を返すと、虹夏はほっと安心した笑顔を見せる。

 

なぜフジが結束バンドにこうもヘルプに呼ばれているのかというと、虹夏にピアノをできること知られてから何度かバンドに勧誘されていた経緯がある。

 

ただフジ自身、バンドへの興味はあったものの、男女のこの世界の価値観に違いに悩み、ガールズバンドに男がいるのはどうなのかという気持ちもあったため、虹夏に悪いと思いつつも保留させてもらっていた。

しかし、虹夏たちのことを考えるとそろそろ答えを出さなければいけないとも考えていた。

 

午後の授業が終わり、即帰宅し、着替えを済ませた後、自前の機材を持ち、結束バンドのライブ予定のライブハウスへと向かった。

 

「お疲れ様でーす」

「よお、フジか」

 

正式なメンバーではないものの、今回の件のような不幸すぎてどうしようもない場合やリョウがサボって虹夏1人になってしまった時はヘルプとして参加することもあった。

 

とりあえずライブの話をしようとライブハウス「STARRY」までやってきた。このSTARRYというライブハウスは虹夏の姉が店長を務めており、その伝手によって、まだ経験の浅い結束バンドがライブハウスでライブをすることが出来ている。顔馴染みである店長にいつものように挨拶するとなにやら不機嫌な様子で挨拶が返ってきた。

 

「フジ、こっちこっち」

 

先についていたリョウに手招きされて、空いている椅子へと腰掛ける。虹夏は今頃必死に助っ人を探しているだろうにリョウは不愛想に椅子に座っている。

 

ライブの事前準備があるため、結束バンドの二人抜けるのまずいと思って、留守番しているのだろうか。おそらくリョウという人間はそこまで考えていないだろう。

 

「店長不機嫌だったけど、なんかあった?」

「虹夏が店長に何も言わずに抜け出しからそれで怒っているんだと思う」

「ああ、例のボーカルの件でか。放課後先に探しに行くとか言ってたな」

「虹夏も全然ロイン返さないから」

「ちょっと探しに行くか」

 

授業が終わり次第、ライブの助っ人を探すために飛ぶように出ていった虹夏は店長に連絡を忘れていたらしい。

 

店長の不機嫌な理由がわかり、何も言わずに出ていった虹夏のロインを送っても、返事がしばらくないため、少し心配になって、近くを探しにいくことになった。

店を出るとタイミングがいいことにちょうど虹夏がギターを背負ってきた女の子と一緒にやってきたことで取り越し苦労にならずに済んだ

 

「やっと帰ってきた」

「リョウ~フジくん〜」

 

虹夏はなんとか間に合ったという様子で出迎えたフジたちに駆け寄った。虹夏が無事に帰ってきてよかった気持ちはあるが、フジたちにとって、現在気になるのは虹夏の連れてきた女の子だ。

 

虹夏が連れ着た少女は見た感じ下高の子ではなさそうで、目が前髪で半分ほど隠れ、常に視線がよそを向いており、姿勢は猫背で服装は制服の上にジャージを着ている。突然現れた初対面のフジたちに対して尋常じゃないキョドリ方をしている。

 

「見たことない子だけど、どこから連れてきたんだ?」

「公園のブランコで座ってたからギター背負ってたし、連れてきた!」

 

虹夏は行動力の擬人化か?と思ってしまうほどの強引さに初対面の子をライブに誘うなんて、フジは虹夏が人類みんな友達と思っているのではないかと驚愕した。

 

聞きところによると、流行りの曲は一通り弾けるみたいだが、それが本当なら今のフジたちには、かなり心強い味方だろう。一方、リョウは虹夏が連れてきた子に対して、特に気にした様子を見せておらず、メンバー見つかってよかったねといった相変わらずの呑気な雰囲気だ。

 

「この子はベースの山田リョウだよ」

「こんにちは」

「リョウは表情が出にくいの!変人って言ったら喜ぶよ」

「嬉しくないし」

 

リョウは感情が感じられない無表情で少女をじっと見つめ、ひたすら困惑させていたが、虹夏に変人と評されたことで、少し頬が緩んでいた。

 

なぜかリョウは変人アピールにこだわっており、その結果ついには野草を食べだし、演じているキャラが人格を侵食し始めている。

 

「こっちが今日キーボードをやってくれる藤原あやせくんだよ」

「どうも」

 

この世界はいわゆる貞操逆転というか男性が少ない世界であり、僕は前世の記憶を残し、転生という形でこの世界に生まれた。

 

極端な人見知りのこの少女は交流が少ない同世代の男子との突然の対面にびっくりしてしまったのだろう。

リョウと虹夏はだいぶ付き合いが長いので、踏み入ったやりとりをするが、自分がこの女の子と同じ立場なら同年代の異性相手に絶対かっこつけていたに違いないとフジは思った。

 

「男の人がいてびっくりしたでしょ。フジくんは乱暴な人じゃないから安心してね!」

「紳士です」

 

フジの転生した世界は女性の人口比率が多く、かつ貞操観念が逆転している。それ故に多少男性が優遇されており、力が強い分乱暴なことが起こりやすいため、フジが高圧的な人間ではないと説明する事で誤解を生まないようにしていた。

 

虹夏が代わりに紹介してくれたため、フジとリョウは、はじめましてのあいさつを終えて、少女の自己紹介を待っていたが、静寂の時が少し流れた後、少女はとてつもなく緊張した面持ちで口を開いた。

 

「あっ後藤ひとりっていいいいます。あっええと、ギターはそこそこ弾けます…」

 

勇気を振り絞った自己紹介がうまくいかなったと感じたのか、後半はかなり声がしぼんでいた。フォローがてらに拍手を送ると、ひとりは気を遣われたことを察して余計に自信を無くしていった。

 

「まだ時間あるからスタジオで練習しよ。あと勝手に抜け出して店長怒ってたよ」

「不機嫌オーラがめちゃくちゃ出てたな」

「ひぃ!も~早くいってよ。ばかばか…あほ~」

「語彙力なさすぎる。ぷぷっ」

「なんで僕を叩くんだよ」

 

お怒りモードの店長に語彙力を無くした虹夏にその様子を笑っているリョウではなく、フジはなぜ自分がぽかぽかと叩かれているのかと解せなかった。

新しく後藤ひとりを招き、ライブハウスに入ったが、ひとりはライブハウスに入るのが初めてなのか、はたから見てもわかるくらいに緊張していた。

 

「ひとりちゃん大丈夫?」

 

虹夏がひとりの様子を察して、声をかける。

 

「私の家!」

「ここあたしの家なんだけど!」

 

どういう事情があってSTARRYはひとりの家となったのか、ひとりはニヤニヤしながら伊地知家を乗っ取っていた。

 

次に虹夏がSTARRYにおける照明やPA(public address) を紹介していると、こちらに気づいたフジたちと顔なじみのPAが挨拶をしてくれた。長い黒髪とところどころに見えるインナーカラーに加えて、口元のピアスからPAはアーティスト感が溢れ出ており、見る人には威圧感を与えてしまうだろう。

 

「いいいいイキってごめんなさい…」

 

案の定PAの雰囲気にやられてしまったひとりは上には上がいると、即へりくだっていた。一方で突如挨拶を返してくれただけの相手に初手謝罪をしだしたひとりにフジたちは困惑を隠せなかった。

 

虹夏によるだいたいライブハウス内の紹介が終わったので、いよいよ練習に取り掛かる。

 

「これ今日のセットリストと楽譜。あとあたしたちインストバンドだから」

 

虹夏からセットリストと楽譜を受け取り、内容を確認して、この曲なら大丈夫だとフジは考えていたら、横からドンドンと音が聞こえてきたので、何の音だと顔を向けると後藤さんが胸を叩きドラミングをしていた。独特すぎる感情表現にギタリストなのか、フジは疑問を持ち始めていた。

 

ライブがすぐに始まるというところで、初めてにして最終の合わせ練習ということで、ひとりも本番前に実力を知ってもらうおうと気合が入っている。虹夏のドラムスティックによる合図の後、一斉に演奏が始まる。

 

「…ド下手だ(キミは最高のギタリストだ!)」

「虹夏、逆になってる」

 

一通りの合わせの練習が終わった感想で思わず、虹夏からそんな言葉が溢れでた。つい虹夏の本音が漏れてしまい、リョウがツッコミを入れるという珍しいことが起こるぐらいだ。

 

相当虹夏にとって衝撃だったのだろう。実際に練習中、ひとりはかなり走った演奏をしており、かなり浮いていた。まあ、ひとりの出会いからして、フリーのギタリストでカッコよく決めてくれると、こちらが過剰にハードルを上げてしまったのにも非があるとフジは感じてはいた。

 

「どっどうもプランクトン後藤です…」

「売れないお笑い芸人みたいな人出てきた!!」

「プランクトンと名乗るあたりまだ生き物と認識されたい小さなプライドが見える」

「うっ!」

「フジくんも余計なこと言わないで!」

 

プランクトンはまだ生物としては最下層ではない、そこをつつくとフジは虹夏に怒られてしまった。そして、ひとりはさきほどの練習で自信を喪失してしまったのか、泣きながら火葬される気満々で可燃ゴミ箱にこもっている。

 

「しょうがないよ!即席バンドなんだし」

「へへへへっへへへへ」

 

無理を言って連れて来た虹夏が一生懸命に励ましているが、ひとりは変な笑い声をあげて虚空を見つめている。

 

そんなひとりのおかしな様子にまた摩訶不思議な女性に巡り合ってしまったのかとフジは身震いした。

 

「あたしとフジくんだってそんなにうまくないし!」

「ひどいな」

「私はうまい」

 

リョウはもうちょっと場の空気を読め、ここはひとりをフォローをするところだろうがとフジは心の中で非難した。

 

「あっえっ演奏もですけどMCも全く役に立てないですし、あはは私の命をもってハラキリショーでも…。ばっバンド名くらいは覚えて帰ってもらえるはず…」

「ロックすぎる!!」

「責任の取り方が戦国時代の武士だな」

 

虹夏のフォローにリョウが空気の読めない一言を入れるが、ひとりは卑屈を通り越し、命を払う潔さを見せ始めていた。

MCがスベりっぱなしの結束バンドであるが、前代未聞のハラキリショーは夜のニュースに取り上げられること間違いない。悪い意味でだ。

 

「ひとりちゃんが野次られたら私がベースで『ぽむ』ってするから」

 

本来の用途ではないし、ベースはそんなファンシーな音はしない。

 

「流血沙汰もロックだからね!」

「ロックだからしょうがない」

「ロックを免罪符にしすぎだろ」

 

ステージの上の血を見て喜ぶなんて闇の権力者ぐらいだろう。

 

「それにうちのバンド見に来るの多分私の友達だけだし!安心せい!普通の女子高生に演奏の良し悪しとかわかんないって~」

「私はわかる」

 

自身の友達でもある普通の女子高生をベースで殴り、流血ロックを見せつけようとしていたわけだが、今度は音楽のセンスを否定し始めた。

この会話を客に聞かれたら大炎上まったなし、イソスタで愚痴られ厄介DMが山ほど飛んでくることになるだろう。

 

しかし、今回の客はバンドメンバーの身内と分かってもひとりはまだ勇気を出せず、ごみ箱から出てこない。

 

「怖いならこれに入って演奏したら?」

「さすがにそれはないだろ」

 

代替案としてリョウはダンボールを持ってきて、それを人が一人入れるサイズへと改造した。

 

「いっつも弾いている環境と同じです!」

 

フジはさすがにこの扱いは拒否するだろうと思ったが、ひとりは躊躇なくその扱いを受け入れ、今までの中で一番安心した様子を見せていた。

 

完熟マンゴーと書かれたダンボールはガタガタと揺れ、色物バンド感が半端ではない。

 

「どんな所に住んでんの?」

「薄々気づいてはいたがこの子変じゃないか?」

「みっみなさん下北盛り上げていきましょう!」

 

姿が見えなくなった瞬間、ひとりは少し気が大きくなったのか、わかりやすく調子に乗り始めた。

フジは背けていた現実を直視し、この奇妙な完熟マンゴーもとい後藤ひとりという人間が変わりものである事実を受け入れる覚悟を決めた。

 

「そういえばひとりちゃんってあだ名とかないの?本名でライブ出る?」

「あっ…。ちゅっ中学では『あの~』とか『おい』とか…」

「それあだ名じゃなくない!?」

 

初めてライブに出るひとりの本名を出すべきか迷って、虹夏があだ名をについて聞くと、その呼びかけに応えるようにダンボール部屋の顔あたりの位置から小窓が開いた。そこからひとりが顔を出すと衝撃の返答が返ってきた。

 

「ひとり…ぼっち。ぼっちちゃんは?」

「ぼぼぼぼぼっちです!」

「家族に心配されない?」

 

リョウがラインギリギリのあだ名を提案したが、それに対してひとりは顔を輝かせてうれしそうに受け入れていた。

 

どう考えてもひどいあだ名だが、本人はいたって嬉しそうなので、フジや虹夏は思わず涙がこぼれそうになっていた。

 

いままでのやりとりでバックグラウンドはある程度察していたが、出てくるエピソードは常に想像を超えてくる。だがぼっちと呼ぶのはさすがに心が引けるのでぼっさんと呼ぼうとフジは心の中で決めた。

 

「あっまだバンド名聞いてなかったです」

「うっ」

「結束バンド。ぷぷっ傑作…」

「ダジャレ寒いし、絶対変えるから!」

 

正直バンド名としてややこしすぎるとフジは思っている。「結束バンド好きなんだよねー」なんて話をしたら、なんで便利道具の話になったんだろう?って絶対に会話止まるだろう。

 

しかし、ぼっちというあだ名を受け入れたひとりは案の定結束バンドもたやすく受け入れてしまっていた。あまつさえ、結束という言葉に感動している節さえ見える。虹夏のバンド名変更の願いは今ここで絶たれてしまった。

 

「とっとにかく下手でも怖くても楽しく弾くことだけは心がけて。音ってものすごく感情が現れやすいから!演奏技術を求めていくのはこれからで全然いいよ!次頑張ろっ!」

 

いよいよフジたちの出番が回ってきたことで、結束バンドとスタッフから呼ばれて虹夏がダメージを受けていたが、それをごまかすようにひとりを虹夏は激励する。

 

「まあ失敗しても毎晩この出来事を思い出すだけだから」

「ひっ!あっあのそれは何ですか?」

「男だと目立つから一応覆面してるんだよ。前は馬の顔だったんだけど、虹夏にかわいくないって言われて犬になったけど」

「あれ首が揺れて気持ち悪いし、気が散る!」

「かわいいのに…」

 

ひとりをフォローしたつもりが悲鳴をあげられてしまったので、そういえばステージに出るときは覆面をしてすることを説明していなかったことをフジは思い出した。

 

前までは馬の首の被り物をしていたのだが、虹夏の評判は悪く、ふわふわの犬の被り物に変更している。前の覆面はリョウからの評判は良かったあたり、覆面を変えたことは間違いなく正解だろう。

 

しかし、フジの違和感を消し飛ばすほどの異物がステージへと上がっており、リョウや虹夏とのギャップで見た目ヤババンドに仕上がっている。ちなみにフジのライブ上での呼び名は「顔面犬P」となっている。命名はリョウ。

 

「初めまして!結束バンドでーす!」

 

フジのせまい視界から確認できるかぎり、でかいダンボールが小刻みに揺れており、それが気になって観客はライブに集中できていない。

 

加えて演奏はミスりまくり、MCもだだスベりと出来は最悪といっていい結果でライブは終わった。

 

「ミスりまくった~!」

「MCスベったね」

「結束バンド名前ネタ何回やってもウケないな」

 

散々な出来ではあったが、即席バンドでもあり、初対面の緊張の中でひとりが頑張ってくれたので、フジ達の中には失敗をしたというよりも不思議と達成感があった。

 

完熟マンゴーと犬顔面がめちゃくちゃな演奏をしているわけで、フジはMCも男とばれないようにまともにしゃべれず、犬のふりしてごまかすという暴挙に出るという愚行を犯した。

 

ひとりは言わずもがなあんなキャラ立った感じで登場したものの大いに人見知りを発揮し大スベりをかましたが、お客さんの反応は見えていないので最早無敵状態だった。

 

「あっあの!つつつつ…つっつつつつつ…」

「何!何!?怖いんだけどっ」

「まて!なにか話そうとしているみたいだ」

 

下を向いて「つ」を連呼しながらにじり寄ってくるひとりに虹夏は若干おびえている。対話を試みようとしていることに気づいたフジは聞く姿勢になりつつも、もしものことを考え、一応虹夏たちの盾になるように前に出る。

 

「次のライブまでにはクラスメイトに挨拶できるくらいになっておきます!!」

「なんの宣言!?」

 

ひとりにとってはものすごくハードルが高い目標であろう決意表明を受け、虹夏はさっきまで行動と宣言の内容のギャップに驚き、リョウは立派になったと謎の保護者目線で涙を流している。

 

ライブの出来はイマイチだったものの、以外にも、このバンドでやっていけるのではないかと期待感を持った虹夏はより親睦を深めようとひとりの歓迎会を開こうと考えた。

 

「よーしぼっちちゃん歓迎会兼反省会するぞ~!」

「ごめん眠い」

「あっきょっ今日は人と話過ぎたので帰ります…」

「結束力全然ない!!」

 

相変わらず空気が読めないリョウとコミュニケーションの許容量が限界突破したひとりの結束とは程遠いバラバラの行動にこれからも虹夏は苦労することがこの場面を切り取っただけでも、予想できてしまう。

 

フジからしても後藤ひとりという人物との邂逅は劇的なものであった。

あんな人間にこれからの人生で後にも先にも巡り合うことはないだろうと思ってしまうほどの衝撃的な出会いだった。

 

「まあ僕は付き合うよ」

「フジくんだけだよ~バンドのことを考えてくれるのは!」

 

苦労人の虹夏のガス抜きの付き合った結果、フジは結束バンドのリーダーとしてストレスを溜めた虹夏の愚痴を結構な時間聞く羽目となった。

 



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2.アルバイト事件

「フジくん、この前はありがとね!」

「僕がいなくても別になんとかなったんじゃないか?」

「全然そんなことないって!ぼっちちゃんのサポートもしてくれたでしょ!リョウもフジくんがいてくれてよかったよね?」

 

ひとりのステージ上のパフォーマンスや演奏の腕前は要改善ではあったが、当日楽譜を渡されてライブに出演するというのは本当にすごいことのように思う。

 

一方で後藤ひとりという新たな可能性がいるならば、フジは結束バンドにおける自身の重要性をそこまで感じられなかった。

 

「フジがいないと力仕事大変だから」

「もっと音楽関連のフォローが欲しかったが、ありがとう」

 

素直な言い方ではないが、珍しくリョウに気を使わせてしまったように感じたので、フジは卑屈な考え方をしすぎたと心の中で反省した。

 

「じゃあ今後のバンド活動についてみんなで話し合おう!明日ライブハウスに集合ね!」

 

学校から帰り道の別れ際に虹夏にそういわれてフジとリョウは再びSTARRYに訪れることとなった。

当たり前のように招集されているが、ナチュラルに丸め込まれて結束バンドに加入されてないか?とフジは内心疑問を浮かべていた。

 

「ぼっちちゃん遅いなー」

「まだ二回目だし、迷ってるかもな」 

 

違う高校に通っていても、時間帯的にそろそろ授業も終わっているはずなので到着してもおかしくないのだが、ひとりはまだ来ていない。

 

一晩過ぎて冷静に昨日のライブのことを思い返してしまったのだろうか、ひとりの性格を顧みるに分厚い黒歴史の一ページを飾ったと思っても仕方ない。バンドとはああいうものだ強くなれぼっち!

 

「ちょっとあたし見てくる!」

 

そういって虹夏は店から出ていったが、なんと5分もしないうちにひとりを連れて帰ってきた。

 

「早くない?」

「虹夏ついに瞬間移動を」

「そんなわけないでしょ!ぼっちちゃん扉の前でうろうろしてたの!」

「あっひっひとりでお店に入るのが怖くて…」

 

やたら戻ってくるのが早かったのでどういうことか聞くと、どうやらひとりは一人でライブハウスに入る勇気が出ず、ずっと扉の前を行ったり来たりしていたらしい。

 

虹夏が来なかったからずっと入ってこなかったのだろうか。もしかしてひとりをSTARRYまで連れてくる「ぼっち係」を誰かが担う必要があるのかとフジはひとりを手のかかる子を見るような目で見ていた。

 

「それじゃえっと、思えば全然仲良くないから何話せばいいかわかんない…」

 

いくら虹夏といえど、会ってまだ2回目ではどう会話をしていいか、わからないらしい。ただライブに誘って一緒に出れるというのはフジの中で、虹夏の基準がわからなかった。

 

「そんな時のためにこんなものを」

「なんかやたらでかい荷物を持たされてると思ったらそんなもの入れてたのかよ」

 

フジが今日一日ずっとでかい荷物を押し付けられていたことを疑問に思っていたが、どこかのテレビ番組で見たことがある話のネタになりそうなタイトルが書かれたサイコロをリョウをフジがずっと運ばされていたカバンから取り出した。

 

ちらっち見えた一面にはバンジージャンプと書かれており、明らかにやばいのも混じっている。

 

「何が出るかな♪何が出るかな♪」

 

聞き覚えのあるフレーズを虹夏が口ずさみながらサイコロを振る。この世界でもライオンの番組やっているんだなとフジはノスタルジーに浸っていると学校の話という面で止まった。 

 

「学校の話~!」

「あっそういえば3人とも同じ学校…」

「そう!下高」

「3人とも下北沢に住んでいるから近いところ選んだ」

 

リョウは高校はどこでもよかったけど、しいて言うなら家から近い下高に入ったみたいな余裕の言い方をしてるが、中学の担任からはそれまでのテストの結果を踏まえて、受験ギリギリまでめちゃくちゃ説得されていたことを忘れているらしい。

 

「ぼっさんは秀華高だっけ家はここらへん?」

「あっいや県外で片道2時間です」 

「2時間!?なんで!?」

 

ずいぶん遠い学校まで通っているが、ひょっとすると進路の関係で特別な学科に入りたかった可能性もあるとフジは一抹の希望に縋った。

 

「高校は過去の自分を知らない所にしたくて…」

「学校の話終了~」

 

しかし、予想だにしないひとりの高校の進学理由にまだまだ底知れぬ闇が解き放たれる前に学校の話は打ち切りとなった。

 

ひとりのメンタル的に朝早く起きて2時間も電車で通学し続ける生活に絶対耐えられないと思うが、おそらくそこまで考えずに謎の突発的な行動力だけで高校を選んでしまったのだろう。

 

3年間登下校のたびに何時間も電車で孤独に揺られることを思い描いたのか、後悔しているようにさえ見える。

 

「リョウも友達少ないから気にしない方がいいよ」

「フジと虹夏だけ。でも休日は廃墟探索したり、一人で古着屋さん巡ったり」

「あっえっそうなんですね…」

 

コイツ!せっかくひとりが仲間を見つけて心開きかけていたのに一人でいる方が気楽感だすなよとリョウのマイペースさにフジは呆れていた。

 

「ぼっちちゃん会話を楽しもうよ…?」

 

ひとりの地雷が多すぎて発言のひとつひとつにリアクションと感情の落差が激しくなり、言葉選びが難しい。ひとりという地雷を起爆させないためのフジと虹夏は爆弾処理班となっている。

 

「つっ次は音楽の話~!」

 

また一段と気まずくなった空気と話題を変えるために虹夏はサイコロを振り直した。

音楽の話という面で止まり、これで暗い話になりようがないだろうと二虹夏も安堵した。

 

「あたしはメロコアとかジャバニーズパンクかな?」

「僕ロックあんまり詳しくないからな。ゲームミュージックとかが好きだな」

 

一応この世界の音楽事情というのは意外にもバンドが流行っている。もちろん女性が多いことで多少の偏りはあったりするが、ロックフェスなどのバンドのイベントは元の世界と変わりないほどに盛況を見せている。なので、ロックは音楽ジャンルとしての世界でもメジャーな部類とされている。 

 

一方でアニソンやボカロといったオタク系のジャンルは男性人口がいない分熱気も少ない。

 

「私はテクノ歌謡とかサウジアラビアのヒットチャートを…「絶対嘘!」ほんとだもん」

 

リョウの魂胆はまる分かりやすい。絶対「へー変わってるね」っていう言葉を言われたいがためのジャンルチョイスだとフジたちには容易に想像できた。

 

「私は青春コンプレックスを刺激しない歌ならなんでも…」

「青春コンプレックスって何?」 

 

ある程度単語の羅列で言いたいことは理解できるが、辞書にない陰キャ独自の言葉に虹夏は困惑を隠せないようだ。

妄想をしては勝手に落ち込みついにひとりは壊れたラジオのように夏や青春を届ける世のロックバンドの不満を垂れ流し始める。

 

M〇s.G〇EEN A〇PLEとかWA○IMAとか聞かせたらこの後藤ひとりという生命体はどうなるのだろうか?めちゃくちゃ気になるー!椅子に縛り付けて陽気なMVと一緒に見せつけてー!とフジの中で好奇心が湧き出てきた。

 

虹夏は改めて先日のライブから自分達の理想のバンド像を思い描いた。

 

「昨日はインストだったけど次はボーカル入れたいんだよね。ほんとは逃げたギターの子が歌うはずだったんだけど。ボーカルもまた探さなきゃ…」

 

バンドといえば歌のイメージが強い。虹夏のバンド像もそれに沿ったものであるため、どうしてもボーカルを入れたいと考えている。結束バンドとして始動する上で一番の問題点でもある。

 

「あたしは歌下手だし、フジくんも声出せないし…。ぼっちちゃんは?」

 

虹夏はひとりにボーカルの期待をするが、あの人見知りで歌うのは酷だ。次にフジだが、フジの親はかなり過保護厳気味でバンド活動しているのもラインギリギリである。歌を歌おうにも声を出してしまったら即男とバレるし、被り物をしている意味がなくなってしまう。 

 

「リョウは?」

「フロントマンまでしたら私のワンマンバンドになってバンドをつぶしてしまう」

「その湧き出る自信の源は何?」

 

リョウは正直演奏がずば抜けてうまいため、ボーカルまでやりだしたら見た目も相まって、ソロデビューとしてレコード会社に声をかけられる可能性はあるだろう。だが、面と向かって自逆風自慢に言われるとフジはちょっとイラついた。

 

「ぼっさんも怒っていいぞ。自分がうまいからって調子に乗るなって」

「あっえっはっはい」

 

ひとりはなんでも「はい」というのでイエスマンにちょうどいいなとフジはふと思った。

 

「リョウは作曲できるし、ボーカル見つけたら曲も作っていこうよ!」

「歌詞に地雷多いからぼっさんが書くしかないな」

 

ひとりは急に自分の名前が出てきたことにびっくりしているが意外と適任ではないかと思う。誰かのかいた歌詞で青春コンプレックスを発動されては結束バンドはサーカスに変えなければならなくなる。

その点ひとりであれば、いい感じに歌詞を考えるついでにサインとか考えてそうだとフジは思った。

 

「虹夏は何するの?」

「どっドラムはバンド内の潤滑油としての役割がありまして~!」

「就活生か」 

 

実際虹夏がいなければ、このバンドは早々に崩壊してもおかしくはないので、ある意味超重要な役割を担っているといえる。 

 

「フジくんも暇じゃん!」

「フジは客寄せだから」

「あの見た目でどうやって客寄せするんだよ」

 

いくら男といえども被り物被ってるし、学校ではDV男呼ばわりされてるし、客寄せ効果があるとはフジは思えなかった。

 

「CD10万枚売れたら顔出しします!とか」

「そんなあからさまなようつべの動画みたいな宣伝嫌だ…」

 

しかもそういうのが目的で来る人は大抵目的のものが見れたらすぐ離れて行ってしまうからファンにはならないだろう。

 

「次はノルマの話~」

「のっノルマ?」 

 

今度はノルマと書かれた面で止まったわけだが、こうもバンドの話題に尽きないこのサイコロは一体何なんだ。

 

「昨日出たライブはブッキングライブだからさ」

「バンド側は動員を保証するためのノルマがあるから集客できなかったら自腹を切らなきゃいけない」 

 

このノルマが本当にきつい。毎回客を呼び込まないといけないし、仮にノルマ以上売ったとしても半分はライブハウスに持っていかれる。いくら経営のためとはいえ、もう少し手心を加えてほしものである。

 

「つまり売れるまでは滅茶苦茶お金いる」

「ざっくりしすぎ!!」

「実際その通りだしな」

 

現実的な話、個人のバンド活動は曲を作るにもライブをするにも自腹だし、加えて機材やライブ会場の移動の交通費もかかり、挙げればきりがない。実家がよほど裕福でなければ、バイトは必須だ。

 

「昨日のライブはあたしの友達が来てくれたけど、ライブの出来もよくなかったから2回目は来てくれないだろうし」

「まああのできはな…金返せって言われないだけましだよ」

 

フジも観客側で行っていたら次のライブは期待できないと思ってしまうほどの出来だと思った。友達としてフィルターがあっても、お金を払ってきてもらって来てくれているわけだし、半端な演奏をしていては客足は遠のくばかりだ。

 

「僕もライブに出るなんて周囲には言えないから集客は難しいな」

「リョウも集客は期待できないし、ファンが増えるまでは当分ライブの度に数万はいるね~。ぼっちちゃんも集客は…ね?」

「あっすみません」

 

 

虹夏もだいぶひとりの人となりを理解したようで即集客の戦力外通告をする。残酷すぎる宣言だが、よしんば、ひとりの地元の知り合いが興味を持ってくれても片道2時間だしな。まずひとりは地元の同級生に話しかけることすら厳しい道のりとなるだろう。

 

「というわけでライブのノルマ代稼ぐためにバイトしよう!」

 

バイトという単語が出てきた瞬間、ひとりは小刻みに震えだした。その震えの余波でひとりの体からは働きたくない・社会が怖いオーラが出始めていた。

 

そして、それが限界に達したのか、恐る恐るひとりは机の上に泣きながらブタの貯金箱を差し出した。 

 

「なにこれ?」

「あっお母さんが私の結婚費用にと貯めてくれてるお金…。どうせ使わないし…」

「あたし達を鬼にする気!?」

 

まさに鉄に意志でひとりは労働を拒否する構えらしい。

 

超激重貯金を差し出してきたことにひとりの相当な覚悟が垣間見えるが、なぜこんなものを持ち歩いているのだろうかとフジは困惑した。

 

「そんな覚悟を…!ありがたく頂こう」

「「「え?」」」

「ん?」 

 

フジはいたずら心からネタ風に貯金箱をもらうしぐさをすると突然場が凍り付いた。フジは尋常じゃない視線と圧力を受けて、なにかまずったのか冷汗が止まらなくなる。 

 

「フジくんってぼっちちゃんみたいなのがタイプなの?」

「あーあ、フジやっちゃったね」

「なにが!?」

 

虹夏は驚くほど落胆し、今にも泣きそうな顔をしている。ひとりは顔を赤くしてうつむいており、リョウはあーあといった首を振るジェスチャーをしている。

 

張本人のフジはこの期に及んでまだなにが起きたのかわかっていなかった。 

 

「この貯金箱もらうってそういうことでしょ!?」

「あ!いや違くて…」

 

ここでフジがようやく自分のやったことを理解した。この結婚費用の貯金箱を受け取るということはすなわちひとりと結婚しますと言っていることになる。

 

意図知れず、公開プロポーズの様な状況に大いに慌てて思わず、そんな考えはなかったと、否定してしまう。 

 

「残念ぼっち振られちゃったね」

「ぐすっ…」

「別にぼっさん…いや、ひとりちゃんが魅力ないといっているわけじゃなくて」

 

ひとりを泣かしてしまい、罪悪感に苛まれたフジはあだ名をやめて名前で呼ぶくらい取り乱していた。虹夏にはやたら詰められてテンパっているフジをリョウはいままで見たことないぐらいニヤついた顔で眺めていた。

 

前世を含めてもこれ以上にないくらい頭をフル回転させ、必死で僕はもてあそんだわけではないことを誠心誠意説明し、何とか場を治めることに成功した。

 

「とっとにかく!ぼっちちゃんもここでバイトすればいいじゃん!」

「えっあっえ…?」

「あたしもリョウもいるから怖くないよ!」

「アットホームで和気あいあいとした職場です」

 

バイトの話へと軌道修正市、ひとりの不安を解消できる案として、STARRYでのバイトを虹夏は提案する。

 

アットホームなんて言っているが、リョウは不愛想で和気あいあいとは程遠い存在だ。

 

「内容もドリンクスタッフとか掃除だし!いろんなバンド見れるよ~!」

「いっ…がんばりましゅ…」

 

断る勇気を持てないひとりは結局押されるがままにSTARRYでのバイトが決定してしまった。ただ接客など人と話すことが強制されることはひとりに地獄となることは間違いないだろう。

やっぱり無理だから断るということなどコミュ障のひとりには出来ず、必死に休む方法について、頭を回らせていた。

 

「もちろんフジくんもね!」

「え?僕はバイトしないよ」

「あんな風に弄んどいて自分だけ逃げないよね?」

「しゅっ週2なら…」

「週3」

「はい…」

 

虹夏にさっきのひとりの貯金の話を責められると強くは出られないが故にフジも週3日のシフトでバイトをすることとなってしまった。予定ないバイトをすることとなり、過保護ぎみの親になんて言い訳しようか、フジもひたすら頭を巡らせることになった。

 

「それとバンドの経費はあたしが管理するね」

「えっあっリョウさんに預けた方がいいんじゃ…」 

 

どうやらこんな身近まだリョウの見た目に騙されいる人間がいたらしい。リョウは音楽以外、いやその気になれば音楽のことも忘れてしまうくらいポンコツであることを知らせて目を覚まさせなければならない。それが自分にとって使命であるとフジは感じていた。

 

「ぼっさんリョウは見た目だけだから」

「そう!こう見えて滅茶苦茶お金遣い荒いの!お小遣いたくさんもらってるのに楽器いっぱい買うから常に金欠だよ」

 

最近はもう金遣い荒いどころの話ではなくなってきている。借りる上に全く返す気配ないし、踏み倒そうしているのではないかという勢いでクズの階段をリョウは昇り続けている。

 

「ぼっさんは絶対にリョウに財布とか見せない方がいいよ」

 

ほっぺに手を当てて、「てれっ」というしぐさをするリョウにフジは怒りが込み上げてきた。リョウのお金遣いは本当に荒く、実家は病院を経営しているのにもかかわらず、フジに頻繁に金をたかる有様だ。

 

中でも、ひとりは断れない性格をしているため、間違いなくリョウに食い物にされてしまう危険があるだろう。

 

「じゃあ近いうちにまたライブできるように頑張ろう!バイト来週からね~学校終ったらうちに直行ね」

「ぼっちばいばい」

「ぼっさん気を付けてな」

「あっはい…」

 

虹夏が今後の目標を決めて今日のミーティングは終了となった。帰り道が長いひとりは一足先に帰ることになり、扉から身を乗り出してフジたちが手を振るも、それに応じるひとりの手には覇気がない。

 

「今日はもう解散で!あ、フジくんはまだ話があるから」

「…」

 

今日の結束バンドとしての集会が終わりを告げたことでフジを帰ろうかと立ち上がると、虹夏に恐ろしい力で肩を掴まれ、その場から動くことができず、冷や汗が噴き出した。

 

いまだ虹夏はひとりの結婚費用貯金のこと覚えていたようで、居残りを宣言される。誰かに助けを求めようにも、頼みの綱になり得たリョウはいつの間にか、この場から去っており、しばらくフジは解放されることはなかった。



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3. ボーカル加入事件

今日は正式なバイト初日でSTARRYに向かっている。フジは去年あたりに夏休みにイベントなどで忙しい時期に臨時で手伝いに行ったことがあるので、まっさらの状態でバイトに臨むというわけではない。

 

ただ、バイトをする上で不安なのは女性とかかわらなければならないことだ。

 

STARRYのスタッフは虹夏の自宅で結束バンドとして何回も通っていることで顔見知りではあるが、お客さんとして来る人には初対面でも、ほとんど絡まれる。

 

スタッフさん曰く、フジの顔は女の子を殴ってそうな顔をしているらしく、それ故にリョウの噂が信憑性を増していた。この世界美的感覚が元の世界と差異はそれほどないが、容姿が整っているかはその評価では判断ができない。

 

「店長おはようございます」

「フジもやっと働く気になったか、これで客も増えるな」

「そういうのは心の中で留めてくださいよ」

 

店長は虹夏の姉でもあるわけなので当然フジにとっても、よく知る相手である。虹夏と同じく、頭のてっぺんにドリトスを乗せ、ぶっきらぼうな人に見えつつも結構いい人なのだが、経営者の思考が出すぎて今のような残念な発言をすること多々ある。

 

この世界における男性が労働するというのは基本的に珍しい。単純に一夫多妻で女性が働くならば、男性は働く必要はなくなる。優遇されている分働く男性がいても、ストレスを感じたらすぐやめてしまう現状にある。男性を雇用するのは女性社員のモチベーションは上がるが、会社側からすると一長一短だろう。

 

「お、フジくんおは~」

「虹夏おはっす。ぼっさん今日からじゃなかった?」

 

自分のバイトの心配もあるが、極度の人見知りであるひとりはバイトという苦難に打ち勝つことができるのだろうか。しかし、いまのところフジの目にその姿が見当たらない。

 

「そうだよ~!いま掃除教えてる途中…あれぼっちちゃんどこ?」

「ふぅ…」

「ひと息つかないで!!」

 

なんとひとりはテーブルの下でくつろいでいた。始まって早々にやり切った感を出しているが、バイトの終了時間までまだまだ先は長い。ひとりがジャージできたことに驚きだ。ライブハウスでは中々見られないファッションスタイルだ。

 

教育係の虹夏は苦労しそうだが、自分が誘ったこともあり、なんとか仕事を教えているみたいだが、ひとりの相手は一筋縄ではいかないようだ。

 

準備を進めているとバーカウンター方面からギターの音が突然鳴り響く。もうリハーサル始まっているのかと、見に行くとその正体はひとりが無言でギターを弾いていたもので、虹夏はその様子にひたすら困惑して止めようとしている。

 

仲間スタッフには奇異の目で見られ、ついに店長の鉄拳制裁を受けてしまったが、フジは彼女たちの知り合いと思われないようにこそこそと持ち場に戻った。

 

ひとりが勝手にバーカウンターを閉めたりして紆余曲折あったが、チケット販売が始まり、ぼちぼち客が入ってくるので受付の対応をしていく。

 

「ワンドリンク500円です。今日はどのバンドを見に来られましたか?」

 

興行場法の都合で飲食店の方が許可は下りやすいため、飲み物を提供し、集客の手段としてライブをしているという形をライブハウスはとっている。お菓子売り場でおもちゃを売るためにちっちゃいガム一個つけるみたいな話だが、チケット代を考慮するとワンドリンク500円は安くはない。ライブハウス経営も大変だとフジは思った。

 

「お兄さんここでバイトしてんのー?」

「わたしもここで働こっかなー?」

「すみません。後ろが混雑しますのでチケット購入後は入場をお願いします」

 

チケットを売った後も女性客に話しかけられることは珍しい話ではない。中には連絡先を聞いてくることもあるわけだが、フジはモテたいという欲求があるものの、この場合のモテるは肉食獣に囲まれているような気分になってしまうのである。

 

「ライブ終ったらまた話に来るね〜」

 

そもそも女性への耐性がないフジはナンパを受けても、義務的に対応することしかできない。アプローチを続けてくる女性を振り切り、なんとか山場を乗り越えたところで、久々のバイトということもあって、想像以上の疲労感にため息を吐いてしまう。

 

「フジ、ライブ始まるし受付変わるぞ。勉強のためにライブ見てこい」

「店長ありがとうございます。助かりました」

 

さっきのお客さんにまた絡まれるかもしれなったので、頼もしい店長の心遣いはフジにとって、本当に助かった。会釈した後、カウンターにいる虹夏たちと合流するとリョウもそこに混じっていた。

 

「あれ、フジくん受付は大丈夫なの?」

「ライブを見て勉強しろって店長が変わってくれたから。というかリョウいるなら受付変わってくれよ」

「店長がフジの方がリピーター増えるって」

 

前言撤回、店長全然優しくないわとフジは店長の評価を180度ひっくり返した。商売のためにただの飴と鞭で利用する気満々という店長の悪の部分が存分に現れていた。

 

といっても店長の打算を抜きにしても、今回のライブは人気バンドが多く、クオリティも高いので見られるのはありがたい。この世界の都合上、出演するのはガールズバンドだけだが、それでもライブの雰囲気は変わらず楽しむことができる。

 

そして、ライブハウスの熱気に当てられたのか、勇気を出したひとりがお客さんの目を見てドリンクを提供する頑張りを見せたことで人見知り克服に一歩前進していた。

 

その姿をフジと虹夏は巣を飛び立つ雛鳥を見守るように見ていた。

 

「じゃ今日はお疲れ。気を付けて帰れよ」

「あっお疲れさまでした…」

「お疲れ様です」

「え?リョウは帰らないの」

「もう少ししたら帰る」

 

珍しく帰らないリョウに店長が訪ねると、もう少ししたら帰るとは言っているが、時間帯的に伊地知家はこれから夕飯の時間になることを考えると、間違いなくリョウは晩御飯をあやかるつもりで残っていた。

 

そんなリョウは置いておいて、店長から労いの言葉とあがっていいとお許しが出たので、時間の割に疲れた体をほぐしつつ、ひとりとフジは一足先に帰宅の準備をする。

 

「どうだった?初バイト」

「あっしんどかったです…」

「慣れるまでが大変だよな。それに…」

 

フジは途中までの一緒の帰り道にひとりに今日の初バイトの感想を何気なしに尋ねると、なんとも疲れた声で答えが返ってくる。

 

ライブに出演していたバンドの話やノルマ以外に初給料をどう使おうかの話など、フジとひとりとの会話は以外にも途切れることはなかったが、最終的には苦労が絶えないバイトの愚痴に終着してしまっていた。

 

「ぼっさんは駅だからここでお別れだな、またな」

「えっあっはいまた明日」

 

ひとりは駅に向かうために別方向になる道で別れ際にフジが手を振ると、ひとりは小さく手を振り返した。

初めて誰かと帰り道を一緒に歩いたひとりはそのこと噛み締めるようにもう一度フジの背中に向かって、大きく手を振ろうと手を挙げた。フジは中々ひとりが歩き出さないなと思って振り返って確認すると、ちょうどひとりは手をあげていたところをフジに見られて恥ずかしくなり、思わず手を引っ込めてしまった。

フジはなぜひとりが手を上下させているのか、わからなかったが、その姿が少し面白くて、笑って手をもう一度振り返すと、照れてしまったひとりは顔を赤くして、前を向いて歩き始めたことで、いよいよ2人は帰路に着いた。

 

その夜、ひとりは布団の中で永遠とフジとの帰り道の言動の反省会を心の中でしていた。

 

「ぼっちちゃん昨日よかったね〜!」

「最初はどうなるかと思ったけど、努力家だよな」

「これで私の仕事も減る」

 

翌日午前の授業が終わり、昼休みに3人で昨日のバイトについて、雑談しながら、昼食を食べていると、虹夏のスマホにひとりから謎のロインが来ていた。

 

『すみません…!EDMガンガンかけてリョウたちとエナジードリンク片手に踊りくるいながらバイトしててください』

 

「なんだこれ。なんかぼっちちゃんから変なロインが来た」

「そういう時期なんだろ。友達いないらしいし派手なことをしたくなっているんじゃないか?」

「絶対そういうのじゃなくない!?」

 

放課後ひとりの要望通り、理由は不明だが、とりあえずそうしてほしいということで、エナドリの買い出しをしにいくことになった。

 

「レ○ドブルでいいかな?」

「モン○ナも買っとくか」

 

どうやらこれを片手に飲みながらEDMをガンガンにかけて踊ってほしいらしいが、一体どういう目的があるのかは本人にしかわからない。

 

「お!!ぼっちちゃーん!よく分かんないけどエナドリたくさん買ってきたよ~」

「おい!虹夏炭酸振るなって!」

 

買い物が終わり、STARRYに向っていると同じく偶然、STARRYに向かう途中のひとりとバッタリ会った虹夏は嬉しさのあまりエナドリが入った袋を振り回しながら近づいて行ったので、後の悲劇を考え、フジは慌てて止めに入った。

 

フジの目にはただ信じられない光景が映っていた。ひとりが見知らぬ少女を連れていたのである。

しかも、連れられてきた子はわかりづらいが、ひとりと同じ制服を着て今どきの女子高生らしいキラキラした女の子であり、ひとりとは正反対な存在で決して交わることがないはずだと誰の目にも明らかであった。

 

「ってあ~!逃げたギタ~!!」

「あひいいいいいいい!!」

「なに?どうした?」

 

ただ虹夏はひとりと一緒にいる女の子をまじまじと見つめており、この子に対して、大いに心当たりがあったようで、指を差して不穏な言葉を放っていた。

 

一方の女の子は出会ってはいけないものに出会ってしまったかのように尋常じゃない驚き方をしているので、なにごとかと蚊帳の外であるフジは何事かと困惑した。

 

「あれ」

「!!あああ…あう…リョウせんぱい…」

「リョウ今度はこの子に金借りたのか?」

「ほら例のボーカルの子だよ」

「何でもしますからあの日の無礼をお許しください!どうぞ私を滅茶苦茶にしてください!」

 

リョウを見て、感極まった少女を見て、フジはリョウが今度は年下の女の子にお金をせびるようになったのかと疑っていたが、予想外にその子はコンクリに頭をこすりつけ、渾身の謝罪として土下座を披露した。

 

こんな女子高生の姿は早々お目にかかれるものではないだろう。

 

「誤解を生みそうな発言やめて!」

「何か言うことあるでしょ」

「ごめん。リョウが土下座する側じゃなかったのか…」

 

どうやらリョウが悪いわけではなかったようで、普段の行いによる先入観で決めつけていたにも関わらず、リョウの無罪が証明されてしまったので、チクチクとフジはリョウに責められることになってしまった。

 

「喜多さんっていうのか」

「えっと…」

「喜多ちゃんは会うの初めてだっけ?キーボードの藤原あやせくん!」

「どうも初めまして」

 

立ち話もなんだということで、とりあえずSTARRY内に移動して詳しい事情を聴くことになった。

この前のライブのこともあり、フジはある程度この少女について、知っていた。喜多郁代というこの少女は結束バンドの元ボーカル志望であり、ひとりが参加することになったライブを抜け出した張本人である。

 

喜多さんはリョウ目当てでバンドに加入した風に見えるが、この世界は男女比の関係上、同性愛というのは珍しい話ではない。実際目の前で美少女が触れ合っているところ見ると心に込み上がるものがある。

 

「音信不通になって死んだかと思って最近は毎日お線香あげてた…」

「こいつ頭おかしいから。香典とかいって僕から金巻き上げようとしたんだぞ」

「あれは冗談」

「嘘つくな。リボ払いして親にバレるかもって言ってただろ」

 

あの時のリョウの顔は本当にまずいことをしたときの表情をしていたので、緊迫していたのは間違いない。昼食代も可能な限り節約し、スマホを解約とベースも売ろうかどうかの瀬戸際だった。見た目に騙されている郁代に貢ぎ癖がついて取り返しがつかなくなる前に目を覚ませないといけない使命感にフジは駆られていた。

 

「あっあの怒らないんですか?」

「いやいや気づかない虹夏たちがおかしいって。合わせ練習なしでお客さん入れてライブとか」

 

ライブをドタキャンしたにもかかわらず、怒るどころか気にしている様子すら見せない虹夏たちに郁代はむしろ罪悪感が一層生まれた。郁代の行動は良くないことではあるが、虹夏たちも虹夏たちでいきなりライブとか勢いに任せすぎな部分もある。

 

「そういわれると確かにそうだけど、あの日は何とかなったしね」

「でっでもそれじゃあ私の気が収まりません!何か罪滅ぼしさせてください!」

「じゃあ今日一日ライブハウス手伝ってくんない?忙しくなりそうだから」

 

一方的に約束を破ってしまった側からすると、「あの件は何とかなったので、はい!終わり」と流せるほど軽い出来事ではなく、ずっと後悔していたのだろう。

 

それ故になんとか食い下がる郁代だが、フジたちは今罪滅びしとして解決できそうな問題を抱えているわけではないので困っていたところ、店長から助け舟が出される。仕事も虹夏が教えることができるので、落としどころとしてはいい塩梅だろう。

 

「そっそれだけじゃ…」

「じゃあ恥ずかしい恰好もしてもらおう」

 

臨時のバイトだけでは気が済まない郁代は、まだ何かないかと聞くと店長の私物のメイド服を着て働くことになった。雰囲気がライブハウスから離れてもはやコンカフェになっている。

店長の恥ずかしい恰好をしてもらおうという発想はいったいどういう趣向なんだとフジは店長が上司として怖くなってきた。

 

「喜多さん手際良いな。愛想いいし、リョウよりも受付向いているから僕の仕事も減りそう」

「リョウ無表情で怖いからね~」

「リョウ先輩はあの顔がいいんですよ!」

 

郁代のリョウへの思いは、熱狂的なもののようで、かなりバイアスがかかっているよう見える。現実のリョウはいまも惰眠を貪り時給が減らされているにも関わらず、この有様だ。

 

手際よくスラスラと仕事を覚えていく郁代はひとりが任されていない受付の仕事も虹夏から直々手解きを受け、試しにフライヤーを持ち、接客の練習をして見たところ、笑顔・発声・目線が百点満点である。

 

その日入った新人が自分よりも仕事をこなしていることで完全上位互換として君臨してしまっている。それによりアイデンティティを喪失してしまったひとりは、いつものごみ箱へこもり、ジャランジャランとギターを弾き始め、ひたすらに自分を慰めた。

 

「ぼっちちゃん喜多ちゃんにドリンク教えてあげてよ」

「あっはい!」

 

虹夏が落ち込んでいるひとりに気を利かせてドリンクを教えるように頼んだところ、名誉挽回と意気込んで、しょっぱなから手のひらに熱湯をぶっかけ、郁代に気を使われるという情けない結果となってしまった。この有様ではこれから先できるであろう後輩にひとりが仕事を教えるというビジョンがフジたちには全く見えなかった。

 

「ぼっちちゃんも学校の友達出来たみたいだね」

「あのままだと本当に高校中退しそうな勢いだもんな」

「ぼっち立派になって…!」

「リョウは何目線なの…?」

 

それでも、郁代のコミュ力に助けられている部分もあるが、ひとりと郁代はかなり相性が良く、仲良く仕事をこなしているので、ひとりの学校生活はフジたちの想像よりもましかもしれない。

灰色の学校生活を開き直られて、もう何も怖くないされたら、とてもフジたちには手のつけようがなくなってしまう。郁代、君が最後の希望だ。

 

「じゃあお疲れ今日はもう帰っていいよ」

「「「「お疲れ様でした~!」」」」

 

「今日はありがとうございました。これからもバンド活動頑張ってください。影ながら応援しています。それじゃ」

 

新人なのに郁代はそつなく仕事をこなしていたのでバイトは何事もなく終わり、店長からも帰宅の許可が下りる。すると、郁代はそそくさと帰りの準備を進め、今日のお礼と今後のバンド活動を応援する言葉をいって帰ろうとする。

 

しかし、そこには罪滅ぼしをできてほっとした顔とどこか未練を残して悔いたような表情が伺える。

 

「きっ喜多さん!あっちょ…まっまっちょ…帰らな…」

「待ってあげるから落ち着いて!!」

 

その迷いの表情に気づいたひとりが幾代を呼び止めるが、そこでも人見知りが大いに発揮され、発する言葉もままならかなかったが、逆にその挙動不審が郁代を引き留めることに成功していた。

 

「ぼっちちゃんどうしたの!?」

「虹夏ちょっと待って。ぼっさんに任せてみよう」

 

ひとりが思いにもよらない行動に出たことに虹夏は二人の元に駆け寄ろうとするが、ひとりが郁代の手の皮の硬さでギター練習をずっとしていたことやバンド活動に今も憧れていることに気づいたのは、ひとり自身が虹夏と出会うまでにずっとバンドを組むことを熱望していたからに他ならない。

 

だからこそひとりは郁代と一緒にバンドをやりたいと強く思い、バンドに誘おうと決意したのだろう。

 

「あたしも喜多ちゃんにこのバンドを盛り上げるの手伝ってほしいな!」

「そらもう喜多さんなら大歓迎」

「ギターが増えたら音が賑やかになるし、ノルマもさらに分割」

 

郁代はひとりの説得に気持ちが揺れ始めると、すかさず虹夏が後押しをする。それに続いてフジとリョウも勧誘するが、リョウの打算まみれの言葉にフジと虹夏は呆れてしまう。

 

「もー素直な言い方しなよ!」

「…先輩分のノルマ貢ぎたい!!」

「爛れた関係が爆誕しそうなんだけど!!」

 

女の子同士の恋愛はいいんだが、バンド内でこじれた恋愛関係にお金の貸し借りが複雑に絡むとバンドが崩壊するので勘弁してほしいとフジは心から思った。

 

「もっもう一回結束バンドに入りませんか…ひっ一人で弾くよりみんなで弾くのは楽しいですよ…?」

「後藤さん…うん、頑張る。結束バンドのギターとして」

 

一度もひとりの目が郁代と合うことがなかったが、その言葉は間違いなく本心であり、郁代の心を動かした。そして、ひとりの思いの力で結束バンドが元通りとなった。

 

「あっでも先輩たち今のパリピ路線はやめた方がいいですよ…毎晩踊りくるってるんですよね」

「どこ情報!?」

 

郁代が結束バンドの情報をひとり経由で受け取っているはずなので、その誤情報を流したのはひとりだろう。

 

「あっじゃあ、お先に失礼します…」

「ぼっちちゃん待ってよ!一番の功労者なのに」

「ぼっちのおかげで復活できた」

「後藤さんありがとう!」

「あっいや…私なんか全然たいした事なんて…うへへ…」

 

「後藤さんすぐ顔に出るわ!」

 

結束バンドの問題が解決され、さらにボーカルギターが再加入するという功績を残したひとりがあっさり帰ろうとするのを虹夏たちは慌てて止めて、べた褒めするとわかりやすく調子に乗り、口角が顔の輪郭を貫いてジョーカー化している。

 

「でもいくら練習しても本当にギター弾けなかったの…。何かボンボンって低い音がするのよね…」

 

「「「「え?」」」」

 

郁代のギターは新品であるはずなのでそこまで異常があるわけではないと思うが、郁代に発言からもしやという疑念がほかのメンバーにも浮かび始める。そしていざケースを開くと…

 

「それベースじゃ…」

「あはは、私そこまで無知じゃないってベースって弦が4本のやつでしょ」

「弦が6本のやつもあります…」

「それ多弦ベース」

 

ベースとギターを間違える人なんて実在したんだなとフジは一層のこと感心していた。高い買い物で慎重になるし、間違えようがないと思うんだが、それをやってしまうのが郁代クオリティなのだろう。

 

「ローンあと30回残ってるのに…あひゅう…」

 

しかもローンまで組んでいたとは、あまりのショックに郁代から魂が抜けてしまう。霊体になることができるのはひとり以外も会得できたようだ。さすがにギターがなければバンド活動もままならないので、ベースはリョウが買い取り、代わりのギターとしてリョウの私物のギターを貸し出すことになった。

 

「僕もちょっと出すよ」

 

リョウだけに負担させるのは悪いと思い、フジが財布からお札をいくらか取り出すと、横から感謝の言葉もなく一瞬でひったくられた。フジが意地汚すぎないかとリョウも見ると、顔に貧さを全面に出して、念入りにお札を数える姿に思わず引いてしまった。

 

「リョウ先輩!フジ先輩も本当にありがとうございます!」

「これで私は所持金が底を尽きたので草でも食べて生きていきます」

「エナドリ全部やるから飲んで腹ふくらましとけ」

 

これでついにメンバーが揃い、結束バンドは始動することとなる。

郁代が改めてギターの練習があって大変な道のりとなるが、ひとりという良い先生とともに二人三脚で歩めば、困難な道も乗り越えられるだろう。

 

翌日、リョウは学生特有のエナドリは一本じゃ効かない、昨日から全く寝てないという謎自慢をしてきて虹夏とフジは呆れていた。



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4.アー写撮影

「え~みなさんに今日集まってもらったのは理由があります!アー写を撮ろう!」

 

結束バンドに郁代が再加入して、結束バンドの面々はまたSTARRYに集まっていた。今回の要件はどうやら新しくアーティスト写を撮ろうということで集められた。ひとりが突発的に加入していたことも相まって、せっかくなら新しく撮り直すべきかと虹夏は考えていたからだ。

 

「この前のライブの時のやつはどうしたんだ?」

「フジくんは事前に了承得てたけど、喜多ちゃんは逃げちゃったから…」

 

テーブルの前にこの前のライブのアー写が出されるが、郁代は卒業写真を欠席したクラスメイトみたいに雑に付け加え方をされていた。これだけでもひどいが、フジに至っては犬の被り物で演奏することから犬のぬいぐるみをリョウが持つことで代用されている。

 

「こんな酷いアー写初めて見た…」

 

ひとりの口からそんな言葉がこぼれ出ていたが、この写真を見れば、誰もが同じ感想を持つことだろう。実際このアー写が貼られた時、STARRYのスタッフは店長の妹さんがおかしくなったのではないかとざわついていたらしい。

 

アー写はバンドの方向性やメンバーの特徴を一枚で伝える上にフライヤーなどの広告においても重要なものされているので、パッと済ませてしまうよりも工夫を凝らすために虹夏は屋外に出て、アー写を撮ることを提案した。

 

「今日のためにバンドグッズだって作ってきたよ!」

「それって結束バンド巻いてるだけですよね!」

「あんなに結束バンドっていう名前変えたがってたのに図太いな」

「物販で500円で売ろうサイン付きは650円で」

 

虹夏の作ったバンドグッズとはカラフルな結束バンドを腕に巻いただけのものである。こんなアコギな商売をしてしまったら、また「これ原価率低いですよね」連中が勢いづくとフジは余計な心配をしていた。

 

「金欠バンドウーマンの定番どころといえば、階段・フェンス・植物の前・公園…あとなんかよさげな壁!」

「なんですか?そのふわふわしたやつは」

 

壁際に立っているバンドメンバーのアー写はよく見るものだが、ピンと来ていないらしい郁代に対して、虹夏はリョウをモデルに使ってどれだけ壁の効果があるか実演してみせる。

 

「たとえば普通の壁だとお昼に雑草を食べてお腹を壊したリョウにしか見ないけど…」

 

「本当に食べたんですか!?」

 

ちなみにガチで雑草を食べた。最初リョウは冗談でタンポポを手に持っていただけだったが、クラスメイトの変人を見る目線に期待されたと思ったらしく、調子に乗って口にまで入れた。それがあたったようで顔が真っ青で壁の前でしんどそうに立っている。

 

「こうゆう退廃的なよさげな壁だと、ちょっとダウナーな貫禄あるベーシストに見えるでしょ!?」

「そうですか!?」

 

壁が変わっても、ただお腹を壊したリョウから家につくまで我慢するんじゃなくて、さっき通り過ぎたコンビニのトイレを借りればよかったと後悔するリョウになっただけだった。

 

「とりあえず探検に行こう!」

「楽器持ってた方が更にかっこよくなりそうですけど…」

「君たちはね…。ドラマーは手に持つのはドラムスティックだけだよ」

「フジにいたってはキーボードでなにも持てないけどね」

 

ドラムスティックを持てるだけましだ。フジに至ってはキーボードを持とうとしたらラジカセ担ぐラッパーの如く肩に乗せるしかない。

 

「フジくんも写ればいいのに。またぬいぐるみ?」

「うん。ぬいぐるみもキャラ立ってて良くない?」

 

虹夏はフジにアー写にはいってはどうかと提案したものの、写真だと体格的に男だとバレやすいという理由でフジは断っていた。ライブ中は照明で暗く、ごまかせるものの、写真だとそうはいかなかったからだ。

 

今も外出するときだってフジには帽子とマスクが手放せない。フジ自身いつまでも隠し通せるとは思っていないので、別にそこまで神経質になる必要はないのだが、虹夏は渋々といった感じで了承してくれた。

 

「うーん、いまいちバンド感がないな」

 

アーティストの雰囲気が出そうな場所を発見したことで、フジがカメラマンをし、何枚か撮っているが、メンバーのキャラだけが前面に出ており、バンド感が出ていない。とにかくひとりが浮きすぎるあまり完全に修学旅行で無理やり3人組の仲良しグループ放り込まれた子みたいになっている。

 

「バンドマンのお手本たる存在こと私の表情をマネしてみて」

「どこからくるのその自信!!」

 

リョウはバンドの経験がフジたちよりもあるので、もしかしたらいい見本になる可能性もないとはいえないだろう。

 

「でも先輩のいう通りにすれば間違いなんてないわよね!ねっ後藤さん!」

「あっはい」

「イエスマンが二人…」

「じゃあ撮るぞー」

 

リョウの提案した案がごり押しで決まったが、

 

「お通夜みたい…」

 

次に撮った写真はリョウの無表情さが全員に伝播し、今度は修学旅行中にケンカして口もきかないのに一緒にいなければならないギスギスグループになった。ぬいぐるみも心なしか悲しそうな目をしている気がする。この後も何枚か撮ったが、中々これ!と決まるような写真が撮れない。

 

「それにしても喜多ちゃんはどの写真も可愛いねぇ」

「そんなことないですよ!でもイソスタはほぼ毎日更新しているので、写真はそのおかけで慣れてるかもです!」

「よし!SNS担当大臣に任命しよう!」

 

虹夏がどの写真を見ても映りがいい郁代を褒めると、郁代は謙遜しつつ、イソスタによって写真を撮る機会も必然と多いため、自然と写りの良い姿勢や角度を熟知しているからだと結論づけた。試しにSNS担当大臣に任命された郁代のアカウントをみんなで見させてもらった。

 

「うわっ!なんという光だ…これが陽の光」

「うぅ…青春コンプレックス発動…」

「ぼっちちゃんが瀕死状態に…!」

 

そのあまりの私生活の充実具合にフジでさえも直視できないキラキラを出現させている。さらに光耐性のないひとりは郁代の友達との写真や流行りの店のメニューが載せられたイソスタを見て震えあがり、ついには青春コンプレックスを発動させていた。

 

「後藤さんがツチノコから戻らないんですけど!」

「今日の当番はフジくんだから。喜多ちゃんも同じ学校だし、やり方を覚えといたほうがいいよ」

 

郁代と自身の高校生活のあまりの落差に現代の女子高生として自分を見失ったひとりは下北沢をさまようツチノコと化した。それを誰かが人間へと戻してやらねばならないのだが、今日の当番はフジの日となっている。

 

「当番!?やり方って何ですか!?」

「ぼっちはよく顔が崩壊するから日替わりで治してる」

「そんな当たり前かのように…」

 

虹夏は手先が器用なので一番忠実にひとりを元通りにする。リョウは不器用ではないが接合が甘いので、すぐ顔が崩れる。

 

「一番起こるのはブラックホールだな」

「ぶっブラックホール…?」

「ブラックホールはぼっさんの目と口が黒い渦になるやつ。ブラックホールは紙やすりで黒い部分削るだけだからそんなに難しくないよ。でもたまにパーツがとれるから糊とか米粒でくっつける」

 

「あの顔ブラックホールっていうんですね…。それより人間の話をしているとは思えないんですけど!」

 

ひとり自体が異次元の人体をしているので、フジたちも通常の人間ではありえない作業をせざるおえない。

 

「ツチノコはどうするんですか?」

「暗いじめじめした場所に移動させよう。そこでギターの音を聴かせたら人間であることを思い出すはずだ」

 

少し皮膚にツチノコの名残として鱗が残っているが、だいたいひとりをなんとか人の形戻すことに成功した。ただ、人に戻るときは恐ろしいほど気持ち悪いものだった。

同じ高校ということは毎回この作業が今後求められるのかと郁代は不安になったが、数日でコツを掴み、まさかルーティンになってしまうとはこの時は思いもしなかった。

 

「あっありがとうございます…」

 

人としてのあり方を思い出せてくれたフジと郁代にひとりは感謝していた。

 

「ぼっちちゃんもイソスタはじめてみれば?友達になろう!」

「あっいや大丈夫です…」

 

少しでもひとりの学校生活の彩りにでもなればと虹夏がひとりをイソスタに誘うものの、いつもイエスマンなひとりが珍しく断っていた。

 

フジもネットで成功してちやほやされたら現実を放棄して間違いなくニチャっていただろうとネットの依存を危険視している。

 

「それこそフジ先輩はイソスタやってないんですか?フォロワーいっぱいいそうですけど」

「僕はいいよ。そういうの苦手だから変なメッセージいっぱい来そうじゃない?」

 

『てか○○やってる?』って聞かれることが現実にあるなんてバイトを始めるまでフジは思いもしなかった。

 

「フジくんは変な子に好かれるからねー。距離感がおかしい時あるし」

「あっそれちょっとわかります…」

「私はリョウ先輩派です!」

 

会話の流れが変な方向に曲がり、フジ派とリョウ派という意味不明な派閥まで出来上がっていた。

 

「フジの時代はもう終わったこれから私が先頭に立つ」

「僕の時代ってなんだよ。もしあったとしてリョウの時代なんて来ないし来させない」

 

このクズベーシストの代表格みたいなやつの時代が来たら日本は終わってしまう。僕がなんとかしなければいけないとフジは使命感を感じていた。

 

引き続きアー写撮影に臨んではいるものの、やはり凝り性な一面がある虹夏が納得するものには出会えずにいた。

 

「なかなか決まらないね。フジくんは何か案ある?」

「僕?ポケットに手を入れるとかぐらいしか思いつかないな」

 

虹夏にアドバイスを求められ、色々ポーズを考えてはみたが、腕組みはアーティストっぽくないし、フジにはそれぐらいしか思いつかなかった。

 

「うーん、一応それでいってみよう!」

 

フジの提案したポーズで写真を撮ってはみたが、寒がりな人と鍵を無くして家に入るのをあきらめた人にしか見えず、ミステリアスなアーティスト感が全くない。フジの案も採用とはならず、結局振り出しに戻ってしまった。

 

「それにしてもアー写どうしようかなぁ」

「あっジャンプとかどうですか?絵になるしみんなの素の感じでそうですけど」

「確かにそれいいかも!喜多ちゃんてんさーい!」

「有識者が言っていた…OPでジャンプするアニメは神アニメ…と。つまりアー写でジャンプすれば神バンドになれるのでは…!?」

「なにがつまり!?」

 

まさかここで見られるのか!?あの伝説のきららジャンプが…!唯一心残りがあるとするならばバックに青空を移せないことで、そこだけが本当に悔やまれるとフジは思った。

 

「せーの!ジャンプ!」

 

みんなが飛ぶタイミングを合わせてシャッターを切る。

 

「あ~ぼっちちゃんとあたしパンツ見えちゃってる」

「うお!ごめん」

 

撮影のときは集中して気づかなかったが、改めて写真を確認するとガッツリスカートがめくれてひとりと虹夏のパンツが写ってしまっている。思わぬ光景に目を背けてしまったフジの反応に虹夏たちは不思議そうにしていた。

 

「え?なにが?」

「…あーいや別に気にしてないならいいっす…」

 

フジの前世の価値観であれば、ラッキースケベとも呼べる事態が起これば、なんらかの反応があって然るべきだが、こうも何ともない反応をされてしまうと、複雑な感情がフジの心に渦巻いた。

 

「フジくん急にどうしちゃったんだろ?」

「フジは満足に撮れないカメラマンとして才能に悩んでいるのかもしれない」

「本業忘れてカメラマンに目覚めないでほしいんだけど!」

 

急に歯切れの悪い返事をしだすフジに虹夏は不思議に思っていると、リョウから

もう一度撮り直すと、さきほどとはうって変わって事故が起こらず、今度はいい感じに撮ることができた。

 

「結構いいんじゃないか?」

 

「バンド感に青春っぽさがプラスされたね!人気バンドへの夢にまた一歩近づいた!結束バンドこれから本格始動だよ!」

「あっあのフジくんさんもいっ一応一枚くらい一緒に撮りませんか?いっいやだったらすっすみません…」

 

アー写が完成したことで、ひと段落つき、解散の流れになろうとしていたところ、ひとりは全員で集まった写真がないのは寂しく思った。

 

「そうだね!ぼっちちゃん!」

「フジ先輩も結束バンドのメンバーですからね!」

「これで5人だからセンターは私」

「…山田ァ。虹夏も喜多さんもぼっさんもありがとう」

 

ひとりは全員が映った写真がないのは寂しく思って提案し、すかさず虹夏と郁代がその後押しをした。リョウはともかく、写真を撮る誘いを受けるのは少し恥ずかしかったが、ひとりが勇気を出して提案してくれたことがフジはとても嬉しかった。

 

三脚がなかったので郁代の自撮り棒でアー写に使えない5人ギリギリ枠に収まった写真になってしまった。写真を見返すとガールズバンドに男が一人混じっている光景はなんだか僕がサークルの殿様に見えなくもなく、フジはなんとも言えない気持ちになった。

 

 

アー写撮影が終わってすぐフジはリョウに連れられておしゃれな喫茶店来ていた。リョウとフジの二人っきりであるが、恋愛的な雰囲気は全くない。ただお腹がすいて昼飯を食べに来たという有り様だ。

 

「曲の方は順調か?」

「ぼっちの歌詞次第」

「初めての作詞だし苦労してそうだな」

 

曲に合わせてフレーズを考えなければならない作詞は音楽経験が豊富でないとできない作業なので、ひとりに任せられているが、歌詞担当に任命されたときかなり調子に乗っていた。

郁代がボーカルとして歌うことを念頭に入れすぎて、変な方向に走ってえづきながら応援ソングを書いていないか、フジは大変心配である。

 

「ぼっちから歌詞見せたいってロイン来た」

「なら、ぼっさんが来たタイミングで僕は帰るよ。バンドのみんなで集まったときに見たいし」

 

ひとりも自分がいては試作段階の歌詞の相談もしづらいだろうとフジは思ったが、口下手なリョウのことを考えると同席した方がいい気もしてきた。だが、

 

「フジは曲出さないの?」

 

料理が来るまで二人で待っているといつもは無言でスマホをいじっているだけのリョウがめずらしく話を切り出してきた。リョウのいう曲とはフジがネットでアップしていたボカロ曲のことを言っていることはすぐにわかった。

 

この世界でボカロは前世ほど周知されているわけではない。なんせ誰津玄師がボカロPとして知られていないほどだ。

ピアノをかじっていたフジは意気込んで有名ボカロ曲をネットで上げていたわけだが、この世界ではまだマイナーなジャンルであり、下地ができておらず、バズるわけがなかった。

 

「まだ迷ってる」

 

有名ボカロの曲を借りたにも関わらず、思った通りの反応がなかったことでフジは自分が情けなくなり、ネットでアップすることはやめて、ボカロ曲を再現してはストックすること繰り返していた。

 

変人アピールをしているリョウはボカロも聴いていたようで、その場面を偶然目撃して投稿者が自分だとポロっとこぼしてしまったとき、頭がおかしくなったのかと疑われたのをフジは覚えている。

 

それ以降新曲は投稿しないのか、何回か聞かれ、もう上げないと言ったら残念そうにしていたので時々音源は聴いてもらっていた。リョウは虹夏から作曲の担当を任された時、フジがボカロの曲を作っていることを黙っていたのも、そういう事情があった。

 

「別にネットで上げなくても結束バンドでやるのもいいんじゃない?」

「…」

「なに?」

「意外と前向きなこと言ってくれるなぁと思って」

「ボカロ好きだし、もったいないと思ったから」

 

リョウに結束バンドでやってみてはどうかと提案されるとは思っていなかったので、フジが面食らった表情をしているとリョウは少し不服そうにしていた。

滅多にいうことのないリョウの本音が少し聞けて、フジは嬉しくなった。

 

フジは自分だけがこの曲を知っているという気持ちに囚われすぎていた。ただ自分一人で決めるわけにはいかないので、他のバンドメンバーにも相談した方がいいだろうとフジはバンドをやっていて良かったと改めて実感した。

 

「曲については虹夏にも相談してみる」

「待って」

「どうした?」

「今お金ないからおごって」

「え?リョウがこの店にしようっていったよな」

 

憑き物が落ちたようなすっきりした気持ちで会計を済ませようとフジが席を立った瞬間、リョウに呼び止められたので、なにか言い忘れたことでもあったのかと思いきや衝撃の言葉がリョウの口から出る。

 

リョウは最初から奢らせる前提だったから察しの良い虹夏じゃなくてフジを連れてきた理由はそこにあった。

 

「このまま残されたらぼっちに払ってもらうことになる」

「お前ほんとにやばいぞ!?」

 

リョウはもしフジがいなかったらひとりにお金を出してもらうつもりでいるという。別にリョウがどうなろうとも構わないのだが、何も知らないひとりにしわ寄せがいってしまうのはかわいそうだと思ったフジは本当に仕方なく奢って上げた。

 

来月返すといっているが、まあ返さないだろうとフジはリョウを全く信用していなかった。

 

店を出るとちょうどひとりが店に到着していたが、なぜか入口の扉の目の前に立っていたので、扉を開いた瞬間、両者ともめちゃくちゃびっくりした。ひとり曰く、おしゃれな喫茶店に気圧されてなかなか入れなかったらしいが、単独行動の適正なさすぎだろとフジは思った。

 

「リョウは僕がいなかったらこのお店のお会計ぼっさんに奢ってもらうつもりだったらしいぞ。いつかリョウにお金をたかられたら僕か虹夏に言ってくれていいからな」

「さっさすがにそれは…」

「いやマジで」

 

フジのあんまりな言い様にさすがにそんなことはないだろうとひとりは苦笑いをこぼしているが、断れないひとりは間違いなく奢らされた挙句、その返済の催促も人見知り故にできず、リョウへの貸しだけが増えていく未来までフジには見ていた。

 



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5. オーディションに向けて

「お前らお待ちかねの給料日だぞ」

 

待ちに待った給料日。ノルマのためといえど、封筒に詰まったお金へのワクワク感がフジたちには溜まらない。

 

「「「「やった~!」」」」

「じゃあ一人一万円ライブ代徴収しまーす!」

 

みんな自分の給料袋をもらっていくが、ひとりはみんなの何倍も初給料に感激している。極度の人見知りであるひとりにとって、大変な思いをして手に入れた一万円は他の人が手に入れる一万円と雲泥の差がある。

 

しかし、重い一万円の苦労があろうともノルマの徴収ということで、それをすぐに失ったひとりはあまりのショックにまたゴミ箱へと籠ってしまった。

 

「バンドってお金かかるんですねぇ…」

 

バンドの費用はライブノルマに収まらず、アルバム作成・そのMV撮影にその他諸々の費用をSTARRYのバイトだけで賄うのは厳しい。

虹夏たちがバイトを増やすという話をしてからというのもゴミ箱の中のひとりが凄まじい勢いでスマホを操作していたので、フジはバイトを探しているのかなと思い、人のスマホを見るのは良いことではないと理解しながらも、好奇心から覗くと?なんと闇金について調べていた。

 

いくらなんでも最後の最後の手段を選ぶのが早すぎだろとフジは驚愕した。

その最中にリョウに曲が完成したと声を掛けられたにも関わらず、闇金の注意を受けると勘違いしたのか、ギターを担保にするとか言い出していた。

 

「なんでゴミ箱の上?」

 

ゴミ箱にこもっていたひとりの元にみんな集まったので、すぐに近くにテーブルがあるにもかかわらず、ゴミ箱の上にスマホを置いてそれを囲うように曲を聴いている。しかし、曲が再生されるとフジはそのことが頭から抜けるほど引き込まれていく。

 

「結構良くない!?」

「はい!とっても!」

「ぼっちの書いた歌詞見てたら浮かんできた。褒めて遣わす」

「うへ…うへへ…」

 

喫茶店での話し合いを得て、歌詞を作成する上での悩みが解消されたのか、ひとりとリョウの仲が以前よりも深まっているように見えた。喫茶店での話し合いはどちらも口下手で泥沼になるかとフジは危惧していたが、想像以上にこの二人は相性が良かったみたいだ。

 

リョウがひとりの頭をなでているのを見て、郁代は嫉妬心をむき出しにしてギターが上手くなったところを見せ、ひとりに対抗していた。そして、郁代の頭をリョウが撫でると郁代はデレデレした雰囲気となり、ホストクラブのようになっていた。

 

「そうだ!フジくんも曲作ってきたんでしょ!」

 

アー写撮影が終わった日の晩に虹夏へフジも曲を持っていってもいいかという連絡をしたら驚きはしていたものの、二つ返事がもらえたので今日フジはみんな聴いてもらおうと持ってきていた。

 

「あ、あー…」

「そうなんですか!」

 

リョウとひとりの作った曲がめちゃくちゃ良かったので、さっきまで反応を楽しみにしていたが、思わず出すのを躊躇っていた。喜多さんや虹夏の期待の眼差しに観念したフジはスマホを取り出し、『ロキ』を再生する。ちょっと攻めた歌詞だが、ひとりのイメージに合っていると思ったフジは、バンドで活動する転機としてこの選曲にした。

 

「ぼっボカロ…」

「ぼっさん知ってるんだ」

 

音源をそのまま持ってきたのでボーカルのキャラの声が入ったままであったため、それを聴いたひとりはすぐに反応していたことにフジは少し驚いた。どっちかというとひとりはサブカルに明るそうだし、知っててもおかしくはないとフジは納得する。

 

「いいじゃん!フジくんもやるね!」

「この歌詞後藤さんっぽくないですか!?」

「あっそっそうですか…?」

「喜多さん鋭いな」

 

ちょっと不安はあったがバンドメンバーからはおおむね良い反応がもらえたことにフジは安心してほっと息を吐いた。曲を聴いて郁代は歌詞がひとりのキャラに似ていると指摘していたが、当の本人はピンと来ていないようだった。

 

「あたしに相談してきた割にはぼっちちゃんの曲作ってきたんだ~」

 

虹夏はフジの隣ににじり寄り、そんなことを言いながらにらむようにフジを見る。

 

「別にぼっさんが特別なわけじゃない。みんなのイメージに沿った曲考えてるよ」

「そーゆーことじゃないの!」

 

てっきりひとりのイメージにあった曲を真っ先に作ったことに拗ねているかとフジは思っていたため、ひとりが特別じゃないことを説明するも、虹夏を口を尖がらせて頬をつついてきた。

 

「あっこれ匂わせだと思われるんじゃ…?」

「それは気にしなくていいよ。お客さんはこれ聴いてもぼっちちゃんとは思わないし」

 

ちょっとニヤついた顔で調子に乗ってそんなことをいうひとりに対して、そんな杞憂を虹夏はばっさりと切り捨てていた。その後、虹夏に実物はこの歌詞よりもっとひどいと付け足されたことでひとりはかなりショックを受けていた。

 

「せっかく曲ができたしライブできるようにお姉ちゃんに頼んでみるね!」

「まだ言ってなかったのか」

「大丈夫だって!この前もすぐ出させてくれたもん!」

 

そういって颯爽と店長の元へと虹夏は向かっていったが、結束バンドのライブ出演は取りつく島もなく断られた。下手なバンドを身内という理由で何度も出すわけにいかない店長の言い分もわからなくもないが、仲間内で一生やってろと厳しい言葉を放ったことで、耐えられなくなった虹夏は店を飛び出してしまった。

 

その際に捨て台詞として店長は未だにぬいぐるみを抱いて寝ていることを暴露していった。

 

「ぬいぐるみってこのパンダとウサギのこと?」

「あらかわいい」

「ギャップ萌えってやつだな」

「その画像消せ!いますぐに!」

 

リョウの手にあるスマホには店長がソファでパンダとウサギのぬいぐるみを抱えて寝ている姿の画像が映し出されている。リョウはなんでこんな画像持ってるのかフジは不思議で仕方なかった。

 

「何してるんですか!?伊地知先輩追いかけますよ。ほら、後藤さんも!」

「フジ、ちょっと待って」

 

郁代にちょっと怒り気味にそういわれて、みんなで虹夏を追いかけに店を出ようとするとフジのみが直前に店長に呼び止められる。

 

「虹夏に伝えといてライブに出たいならまずはオーディション。一週間後の土曜に演奏みて決めるから」

「わかりました。伝えときます」

 

どうせ絶対に家で顔を合わせるんだからあんな言い方をせずにもっと素直になればいいのにフジは不器用な人だと思う。しかし、口に出せばシスコンでツンデレな店長に怒られてしまうので心のうちに秘めておき、遅れてフジも虹夏を追いかけに店に出た。

 

外に出ると店からちょっと離れたところでひとりがなぜか一人で焦ったように辺りをキョロキョロしており、見当違いの方向に走っていこうとしたのでフジは慌てて声をかける。

 

「おーい!ぼっさんどこ行くんだ!?」

「ひっ!あっすっすみません。みなさんとはぐれてしまって…」

「この距離で!?」

 

一緒に出ていったのにはぐれるなんてことあるかと思いたくなるが、ひとりは下北沢の雰囲気に慣れていないらしく気づいたら見失ったらしい。

ひとりはよくこれで学校通えているなとフジは思いつつ、虹夏が向かっただろう場所へと歩き始めるとひとりは先ほどフジが店長に呼び止められてたところ見ていたのか、恐る恐るそのことについて質問する。

 

「あっ店長さんはなんて…?」

「ライブが出たいならオーディションを受けろって虹夏に伝えといてって。ぼっさんは不安そうだな」

 

バンドメンバー集め、曲作り、ノルマのバイトそして、いよいよバンド活動としてライブをしようというところでオーディション。壁を越えても、壁の連続でここで躓いたらやっていけるのか、とひとりが不安になる気持ちもフジにも理解できた。

 

「あっはい…まだ人前でちゃんと演奏できないし、何のためにバンドしてるのかって思うようになって…。あっすみません、後ろ向きなことばっかり…」

「自分の思い描いていた理想と現実の違いに落ち込むことは僕もたくさんあるから。でもバンドをする理由はきっとあるよ」

 

オーディションやライブへの自信がひとりは、はっきりと持てていない。成長というのは自分で自覚できるものではない。夢のバンド活動をしているのに何もできていないのではないかとひとりは常々思うようになっていた。

ただ、みんなとバイトを始めたり、歌詞を考えたり、ひとりの結束バンドを通じて起きた変化はちゃんとあるとフジは思っている。

 

「フジさんはなぜバンドを…?」

「うーん、最初はなし崩し的な感じだったけど、元々自分の思う曲を広めたいって気持ちがあって、でもそれは誰でもいいわけじゃないんだ。今は結束バンドのみんなとその曲でライブができたら最高だなって思ってさ」

「あっそれで今日曲を…」

 

リョウがフジにそのきっかけをくれた。普段は金にがめつい奴ではあるが、リョウは誰よりもその人の個性を大事にする。あの言葉がなければ、ずっと自分だけがよさを知っとけばいいみたいなフジはずっと卑屈な考えをしていたかもしれないことからリョウには感謝していた。

 

「ぼっさんはバンドを組むことが夢だったんだっけ。いまはそこで立ち止まって次の目標が定まってないかもしれない。だから新しい夢を見つけないとな」

「…はい」

 

ひとりはバンドを組みたいという夢は叶えたものの、その先のビジョンがまだ漠然としていることに不安を感じていた。そんな気負う必要はないとフジは思いつつも、考え込み始めたひとりの姿を見て、彼女なりに何かを見つけたいという意志をフジは感じた。

 

「お、虹夏たち居たな。見るからに不機嫌だな店長が絡むとあんな風によく拗ねるんだよ」

「別にそんなことないし、でもフジくんもぼっちちゃんもいきなり飛び出してごめんね」

 

店長がシスコンなのに素直になれないだけなのだが、アフターケアにリョウは向いていないので、代わりにいつもフジが駆り出される。あの虹夏が拗ねるような事態は大体店長が多く、年の離れた姉だし、甘えてしまうなのだろうフジは考えている。

 

虹夏と先に向かった郁代たちが飲み物を片手に談笑しているのが見え、フジたちが着いたころには虹夏はだいぶ落ち着いているように見える。そこでフジは店を出る前に店長から言われたことを虹夏たちに伝える。

 

「はじめからそう言ってくれればいいのにお姉ちゃんのいじわる…」

「それに合格したらライブに出られるってことですよね!」

「うんうん」

「この二人が一番不安なんだけどって顔しているな」

 

前向きな郁代とそれに釣られて楽観的になったひとりを見て、苦笑いをしている虹夏を見て、フジが虹夏の考えてそうなことを予想して指摘するとわかりやすくギクっとしていた。

 

「二人のパートはオケ流しとくからアテフリの練習だけしっかりしてくるように。今回はがんばなんくていい」

「「はい!」」

「めっちゃいい返事」

 

郁代の前向きな発言はまさかアテフリを考えていたからだとしたらこの子もなかなかネジが外れているとフジは呆気に取られる。

 

「ちゃんと練習するんだよ!全員リョウ並みに演奏できることを求めてるわけじゃなくて、バンドらしくなってるのかが見たいんだと思う!」

「バンドらしく…」

 

バンドらしくという言葉が各々の解釈として課題となりつつ、今日は解散となった。

後日オーディションのための練習にSTARRYに集まると先に着いていたリョウ、郁代、ひとりの三人が髪型をショートヘアにしてフジと虹夏を待ち構えていた。

 

どうやらリョウがバンドの成長を見た目で表現しようと提案したことで、そこにイエスマン二人が乗っかり、今の事態へとつながる。

 

フジと虹夏はやっぱりリョウのせいかといった感じで呆れ返った。

 

「飲酒・喫煙・女遊び、そして髪型はキノコヘア。それがバンドマン」

「イメージがこてこてすぎる!!」

 

さすがはクズベーシストのリョウ。誰よりもバンドのイメージが終っている。というかこの世界で女遊びはどうなっているんだとフジは純粋に疑問に思ったが、リョウの発言を深く考える方が無駄だと思い直した。

 

「あっ私と遊んでくれる女の人がいません…」

「下北沢のビレバン前でギターを背負ってけだるそうにしとけば寄ってくるから。ね、フジ」

「ね、じゃねぇよ。馬鹿にしてんだろ!」

 

このキノコヘアはフジをイメージしているらしく、確かに似たような髪形をしているが故にフジは普通にイラっとした。

放課後STARRYに真っ先に向かっていったからやる気あるなと思ったらこんなこと考えてやがったのかとなおさらフジは憤りを感じる。

 

「でも成長って目に見えないし、判断基準ぼんやりしてるし」

「はっきりしてるよ!とにかくお姉ちゃんを納得させればいいんだから、練習あるのみ!」

 

虹夏のいう通り、店長を納得させるには見た目がどうこうよりも、演奏で認めてもらえるようにオーディションの日までひたすら練習するしかないと虹夏の言葉にフジは同感だ。

 

オーディションの日が近づいていくたびに練習に集中できていないわけではないが、虹夏はひとりがどこか思い詰めているのではないかと感じていた。今日の合わせ練習を早めに切り上げ、一足先に帰ったひとりを急いで虹夏は追いかけた。

 

「ぼっちちゃーん!驚かせてごめんね!」

「あっいえっ…」

 

いきなり声をかけたことで驚かせてしまったことを悪く思い、お詫びとしてひとりを呼び止めた場所に自販機が置かれていたので、ひとりの分は何がいいかを聞いてコーラを購入する。

虹夏は自分の分を買うと本題に入る前に喉を潤し、わざわざ追いかけてきた理由を話し始める。

 

「ぼっちちゃんが結束バンドに入ってくれたのってその場の成り行きじゃん?そういえば、ぼっちちゃんがどんなバンドをしたいとか、何のためにバンドしているとか、聞いたことなかったなって」

 

「あっ…この前フジさんとバンドをする理由について話をして。それで今日もずっと考えてて、あっ練習に集中できてなかったらすみません…」

 

「全然そんなことないって。バンドをする理由とか人それぞれじゃん?フジくんなんて一人で曲も作れるし、バンドにこだわる必要なんてライブくらいだし」

 

自分の目標に夢中になってしまうと周りを巻き込んで、なにも見えなくなってしまう悪いところが自分にあると虹夏は自覚していた。そうやって無意識にひとりやフジにプレッシャーを与えていないか心配だった。

 

「ぼっちちゃんもフジくんもあたしが無理に付き合わせちゃったりしてないかなーって…」

「あっいいえっそんなことないです…。フジさんも結束バンドでやりたいことできたって」

 

「そう?ならよかった!」

「虹夏ちゃんは売れて武道館ライブですよね…」

「うーん、私の本当の夢はその先にあるんだ。ぼっちちゃんにもまだ秘密だよ!」

 

結局ひとりがバンドをする理由について聞くことはできなかったが、久々に二人っきりで話したことで彼女の本音も少し聞けて、改めてバンドに勧誘してよかったと虹夏は思った。

 

帰宅し、ご飯を食べてお風呂に入り、就寝の準備を整えたが、今日まだやり残していることがある。ベッドに座って気になる彼に電話をかける。何度も対面で会話しているのに電話がつながるまでのコール音はいつも緊張する。

 

「もしもしフジくん今大丈夫?」

『もしもし虹夏か?大丈夫だけど、どうした?』

「いやぁ今日あんまり話せてないかなーと思って」

 

彼が通話に出て、こんな時間に電話を掛けたことに対して、どう説明しようか迷ってつい口に出してしまった。大丈夫かな、重い女だと思われていないだろうか虹夏は少し心配になり、誤魔化すようにフジに話題を振る。

 

「なにしてたの?」

『ちょっと編曲の作業してた』

「お、今度は誰宛の曲作ってるのかな~?」

『なんだ虹夏の曲って言ってほしいのか?』

 

編曲の作業をしていたのを聞いて今日彼が持ってきた曲のことを思い出した。虹夏もその曲を聴いたときにひとりのイメージを思い浮かべ、彼から曲を持っていきたいと相談も受けていたのも相まって、ちょっぴり羨ましかった。

鈍感か、はぐらかされているのか、おそらく前者だろうが、そんな彼にちょっとした嫉妬心をぶつける。

 

「どうかな~?ぼっちちゃんにはバンドする理由も話してたみたいだし、二曲連続だったりして」

『そういう虹夏も今日の練習早く終わって、急いでぼっさんを追いかけてたのはどうなんだ?』

「確かにそう思うとぼっちちゃん大人気だね。あたしとフジくんどっちがぼっちちゃんに好かれてるかな~」

『それは僕の分が悪いだろ』

 

いつの間にか、ひとりの話に変わっており、彼女のいない所でこんなに会話に出てくるのはそれほど彼女の魅力があるからだろう。

他愛もない雑談を彼と交わす。楽しい、最近はバンドも忙しくなったし、二人きりで話すのは久しぶりでもっと話していたいが、あまり長話して彼に嫌われたくないので、ずっと聞きたかった質問をする。

 

「フジくんは自分で曲作れるなら、なおさら結束バンドに入ってよかったの?」

『うん。むしろ僕がいていいのかって思ってたぐらいだし、曲を持ってきたのもみんなとライブしたいと思ったからだよ』

「その割には入るの渋ってたけどな~」

『本当に嫌だったらちゃんと断ってるって。だから虹夏が誘ってくれた時は嬉しかったよ』

 

スマホを通しての会話だからだろうか、直接は恥ずかしくて言えないフジの本音が聞けたような気がして嬉しくなった。彼もいずれは男の人として義務を果たすために多くの人を妻として迎えることになる。

でも、このときだけ虹夏は自分が彼のことを独占しても罰はあたらないだろうと思った。

 

「ふふっそっか。こんな時間にごめんね、オーディション頑張ろうね!」

『おう。あれもういいのか?なにか話があったんじゃないのか?』

「うん、でももう解決したから」

『そうか、じゃあまた明日。おやすみ』

「おやすみ、またね」

 

通話が終了し、ふうっと息を吐く。顔が熱い。挨拶なんてそれこそ毎日のようにしているが、「おやすみ」と言う機会は今までになかった。照れずにまともにおやすみの返事を返せた自分をほめてあげたい。

 

ひとりと話し、彼女の悩んでいる姿を見て、フジのバンドに対する思いも気になっていた。

 

フジを自分の夢に付き合わせているのではないかと不安を感じていたが、彼の言葉を聞いてそれが杞憂だとわかったことで安心してベッドに寝っ転がると疲れが溜まっていたのか、瞼がおりてきて虹夏はそのまま眠りについた。

 



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6.ノルマチケットを売ろう

5話が文字数多くてぶった切ったので引き続き三人称視点になってます。この世界のボカロは一応初音ミクみたいな女の子キャラということにします。




迎えたオーディション当日の日。演奏しなれたSTARRYのステージに加えて、審査するのが親しい間柄の店長ということもあってメンバーの緊張はあまり見えない。とはいえ初オーディションを一発合格で終えて、結束バンドのスタートを幸先よく切りたい。

特に虹夏は店長に仲間内でやっとけと言われた手前、見返したいと気合の入った表情をしている。

 

「絶対合格してお姉ちゃんをギャフンと言わせてやろう!」

「「「「おー!」」」」

 

虹夏の檄が入り、全員にそれが伝播する。

そして、ステージにて各自の準備が終わり次第、虹夏が曲紹介を行う。

 

「結束バンドです!ギターと孤独と蒼い惑星って曲やりまーす!」

 

顔を見合わせて、合図をとるとついに演奏が始まる。大きなミスもなく、順調にスタートする。ギター初心者である郁代のミスがありながらも、リズム隊でカバーしていく。それでも郁代の演奏は初めて間もないとは思えないほどのクオリティといっても過言ではない。

 

そして、サビに差し掛かろうとした瞬間、この楽器が鳴り響く中で鮮明に聞こえるくらいにひとりが足を強く踏み込むと、ひとりのギターの雰囲気と演奏が一変する。

 

「「「!」」」

 

切れのある演奏へと変貌し、それに気づいたリョウと虹夏とフジは顔を互いに見合わせ、ひとりのギターを際立させるサポートへシフトする。こんな演奏ができる子だったのか、とフジは驚愕していた。

 

練習でも見たことがない迫力のあるストローク、そしてなによりそれをここぞという時に出せる本番強さがこのフレーズの中だけでも感じられた。曲が終わりを迎え、全員の集中が弛緩する。出来栄えとしては今までの練習の中でも一番手ごたえがあったといっても過言ではない。

 

「「「「「ありがとうございました!」」」」」

 

力を抜いたことで疲労が押し寄せ、肩で息をしながら店長の言葉を待つ。

 

「お前らがどういうバンドなのかは大体わかった。いいんじゃない?って言いたいところだけど、ドラム、肩に力入りすぎ」

 

身内がやっているバンドであっても、贔屓目なしに駄目なところはしていくべきだと成長は見込めないと店長は考えている。いつもの姉ではなく、店長としての言葉に虹夏は少し萎縮していた。

 

「ギター、二人下向きすぎ」

「「うっ」」

 

人によって違うが、特にボーカルの声の出方に姿勢は大きく影響するので、修正していかなければならない。また演奏に集中しすぎて周りに目を向けられなければ、観客との一体感は生まれない。ファンサービスもライブをする上では欠かせない要素だ。

 

「ベース、自分の世界に入りすぎ」

 

リョウの演奏は文句なしで上手いが、それ故に周りに気を配れていない所が見受けられた。

 

「キーボード、周りに気を使いすぎ」

 

リョウとは真逆でフジは演奏のカバーに徹底しようとするあまり、店長の視点からはメンバーの演奏を信用できていないようにも見えた。

 

「アドバイスありがとうございました…」

 

全員の評価が終わり、虹夏は振り絞った声で返事をする。力を入れて練習をして、なおかつ本番の出来が良かっただけに「次頑張れ」と思えるような言葉に結束バンドのメンバーは落胆を隠せない。

 

「え?なにそのリアクション…。お前らがどういうバンドなのかはわかったって、ここ喜ぶところだから!」

 

ただ店長だけがなぜこんなに重苦しい空気になっているのか理解できていなかった。

 

「多分合格だってことだと思いますよ」

「だから!そう言ってるだろ。…合格」

「もうー!お姉ちゃんわかりにくすぎー!」

 

妹の虹夏ですら察せないあたり、言葉選びが下手なことが伺えるが、PAがフォローをしていたあたり、オーディションの時はいつもこんな感じのわかりにくい言い方をしているのだろう。しかし、改めて合格という言葉が聞けたことで、全員表情が喜びのものに変わっていった。

 

「ぼっさんやったな!」

「うぷ…ゔっ…おえっゔぉええ…」

「ぎゃあああ!」

 

みんなが喜びあっている中、かがんで微動だにしないひとりにフジが声をかけると、顔が真っ青な状態で立ち上がった瞬間、頭の上からゲロを吐きかけられる。

犬のマスクをしていたことで直接顔にゲロを浴びるという惨事には至らなかったが、隙間から凄まじい臭いが漂ってきたことでフジはもらいゲロをしそうになるほど気分が悪くなっていた。

 

「ふたりともなにやってんの!?」

「ロックすぎてすごいことになってますよ!?」

「ぷぷっ」

 

マスクの中でもらいゲロしてしまったら、フジの顔面は恐ろしいことになってしまうため、必死になってマスクを外そうとするが、手汗とゲロのぬめりでなかなか外せない。限界が近づいてくる中、虹夏たちがもがいているフジとその横でグロッキー状態のひとりに気が付き、駆けつけてくる。

虹夏と郁代の手を借りて、なんとかマスクを外したフジの顔は冷汗でびっしょりしている。フジの顔が出たときにリョウは真顔に戻ったが、解放された視界にはリョウが口に手を当てて笑っている姿がばっちり見えていた。

 

「…お前、今笑ってた?」

「笑ってない」

「うそつけ、笑ってただろ!」

「もーケンカしないの!フジくんは早く顔洗ってきなって!」

 

フジとリョウの笑っていたかどうかの押し問答に虹夏が割って入ると、渋々フジは顔を洗いに行こうとするが、リョウが自分の鼻をつまみ、臭いアピールをした。

これに対してフジは青筋を立てたものの、暴力は良くないと必死に自分を言い聞かせ、歯を食いしばりながらその場を後にした。

 

その姿を見たリョウは「勝った」といわんばかりのドヤ顔を見せ、もちろん虹夏に滅茶苦茶怒られた。

 

「本当に申し訳ございません…」

「もう気にしなくていいって!ぼっさん今日調子よかったからその反動が来たんだろ」

 

気分が落ち着いたひとりは自分がやらかしてしまったことを思い出し、フジに対して土下座をした。フジだからよかったものの、この世界の男性にゲロを吐いたら、ただでは済まないため、そのことを想像したことで死刑宣告を受けた顔をしているぼっさんを宥めてなんとか立たせた。

 

「そうそう散々人のことを金に汚い人間した扱いした罰だと思えばいいよ」

「リョウそんな態度取るなら今までの借金、直接リョウの家に取り立てに行ってもいいんだぞ?」

「この戦いは不毛だからやめよう。私が悪かったから」

「なんで僕がわからず屋みたいになってるんだ…」

 

分が悪くなったリョウはやれやれといった態度で謝り、なぜかフジの方が悪いみたいな雰囲気にしようとしていた。

 

「とりあえずライブは決まったからチケットノルマ一人五枚ずつね!」

 

そんなリョウとフジのやりとりを虹夏はガン無視し、その様子を見た郁代はバンド内の不和が起きるのではないかと危惧していたが、いつものことだと虹夏が説明したことで困惑しながらも納得していた。

 

一方でひとりはノルマという言葉に頭がいっぱいになっているようで必死に指を折り曲げ、ノルマ分どう売るか計算しているが、何十回やっても4本目の指で止まっていたので、確実に一枚余っていることがわかる。

 

「後藤さん泣くほど嬉しいのね…!」

「絶対皆でいいライブにしようね!」

「あれはノルマに絶望している涙だと思うけどな」

 

かくいうフジもバンドでは顔を伏せているため友人に堂々とライブの宣伝ができない。他に売る方法としては路上ライブ…は許可が厳しくて取れない。校内ライブ…は夏休みで人が集まらない。

 

家族と親戚の分を除いて、残り2枚どう売るかをひたすら悩みながら帰宅した。ノルマの問題が解決できないまま、オーディションから数日経ったころ大変珍しいことにリョウからチケット販促の路上ライブをやろうという誘いが来た。

 

「よく路上ライブの許可とれたな」

「取れてない。だから駅前で無許可でやる。怒られたら撤収すればいい」

「まじかよ…」

 

基本めんどうくさがりなリョウが路上ライブの許可なんて取れるのか疑問に思ったが、ある種フジの期待通りそんなことするわけもなかった。そして、許可がとれてないどころか、無許可で行い、フジを共犯にしようというのである。

 

「私たち友達いないし、これぐらいのことはやらないと」

「いやいやリョウと一緒にするなよ、僕は他にも友人ぐらいいる」

 

フジを自分と同じ友達のいない人間だと思っているリョウの勘違いを訂正すると、反論が返ってくると思わなかったリョウは詳細を聞き出そうとする。

 

「…どこの誰?」

「中学の○○とか」

「…女の子?」

 

フジはリョウに対してこの話題にはやけに突っかかってくるなと思いながら、質問に答える。

 

「男だけど覚えてないのか」

「ならいい」

「なんなんだ…」

 

勝手に質問にして、勝手に納得したリョウに困惑しながら、フジには結局何が聞きたかったのかわからないままだった。

それこそお互いの共通の友人である虹夏はバイトの都合で今日は来ることができなくなってしまった。

 

「もう日程ずらして結束バンドのみんなとやればよかったんじゃないか?」

「ぼっちも郁代も自分の練習があると思うし、ライブとはいってもノルマのためだから付き合わせられない」

「いや僕ならいいんかい」

「嫌なら別に付き合わなくてもいい。一人でもやるから」

 

リョウはフジの性格をよく知っている。口ではやいのやいの言ってはいるが、こうしてあっさり引き下がってもなんだかんだフジは最後には引き受ける。リョウはいつもそうやって金を毟ってきた。

 

「嫌とは言ってないだろ」

「ちょろ」

「聞こえてんぞ」

 

駅前に到着すると人通りが多くなり、その人たちに足を止めてもらうためにちらほら路上ライブをやっている人も見受けられた。フジは機材のセッティングをしている途中でライブをする上で重要な被り物を持ってきていないことに気づいた。

 

なにせ誘われたのが昨日でオーディションまで使っていた奴はゲロまみれになって新しいのが必要となり、いますぐ使えるものが手元になかったことで完全に頭から抜けていた。

 

「犬の被り物持ってきてないけど、どうすればいい?」

「大丈夫、ちゃんと考えてある。恥ずかしがり屋の友達の代わりにヘルプで来ましたっていいえばいい」

 

フジはどうしようか迷い、リョウに相談するとこの事態をあらかじめ想定していたらしく、ギリ自然といえなくもない設定を用意していた。いくら男がライブをするといっても名も知れぬバンドの演奏に足を止める人とは限らないし、顔を出すリスクはそんなにないだろうとフジは高を括っていた。

 

「いまから路上ライブをやります。良ければ見て行ってください」

 

黙って演奏するのもどうかと思ったフジは一応口上を述べて、リョウが新しく作ったまだひとりの歌詞がつけられていない後に「あのバンド」となる曲の演奏をする。『ギターと孤独と蒼い惑星』に続いて、自分にはできない最高の作曲をするリョウをフジは少し羨ましく思った。ライブを始めてから数人が足を止めて聞いてくれている。

 

「あの~歌は歌わないんですか?」

 

その言葉に対して、リョウたちが他にいた観客に反応を窺うと同じような期待を持っていたらしい。一応マイクが用意されているため、どうしようかとフジがリョウに目線を向けると、二人で一曲ずつ歌おうかという話になった。

 

「では『メルト』という曲を次はやります」

 

路上ライブ自体が初めてでさらに観客がすでにいる前で歌うとなると緊張が押し寄せてくる。声が出るかと不安になりながらイントロが弾き終わるとフジは息を吸い込み、歌い始める。

 

ひとまず声がしっかり出ていることに安心し、女性目線の歌詞である『メルト』の歌詞を男性目線にアレンジされたものを歌う。ボーカルの目線に立つと、緊張も相まって楽器を弾きながら観客の方を見て歌うことは想像以上に難しく、ギターを弾いて歌っている郁代の大変さが身をもって知ることができた。

 

歌い終わり、曲が終了すると、拍手が送られてフジは一礼した後に顔を上げるといつの間にか観客が二桁に届くぐらいにまで増えていたことに驚いた。

 

「ファンになりました!ライブ楽しみにしてます!頑張ってください!」

「すみません、僕はバンドメンバーじゃないんですよ。今日は友達の手伝いで来てて…」

「じゃあ別のバンドでやられてるんですか!?」

「え~いやしてないっすね…」『リョウ!助けて!』

「…」

 

『おーいリョウさーん!もう限界なんだけど!』

 

いきなりの観客からの質問攻めになんとかボロを出さないように気を付けていたものの、リョウにつけられた設定ではさすがに捌ききれなかったので、フジはリョウに助けてくれという目線を送るが、リョウはひたすら無言でこちらを見つめるだけで全く動く気配はない。そして、リョウが機嫌悪そうに話しかけるなオーラを出しているため、より一層フジに人が集中する。

 

「そこの人たち!ライブするのをやめてください!」

「すみません!注意が入ったのでライブはこれで終わりです!」

 

幸か不幸か、もう一曲を今度はリョウが歌うはずだったが、人が増えすぎたのか警官に注意をされてしまったため、これ以上続けることはできなくなった。

一枚でもチケットが売れれば御の字であったが、意外と売れたのでフジたちは観客にライブを終了することを伝え、機材を片付けて帰路につく。

 

「あんなに人集まるとはな」

「なんかチケット売れた」

 

なんか売れたって路上ライブの目的はチケットの販促だろと心の中でツッコミながら、フジは今日の誘いは珍しいことにリョウ主導だったことを思い出した。

 

「思えばリョウから誘ってくるなんて何気に初めてじゃん」

 

基本的に一人で過ごすことが好きなリョウがフジや虹夏を誘うことはいままでになく、3人で集まるときはほとんど虹夏が主導でたまにフジが提案することもあるといった感じだった。フジはライブ終わりの帰り道で何か心境の変化でもあったのかとリョウに尋ねた。

 

「…別に荷物持ちが欲しかっただけ」

「いや、ギターくらい自分で持てよ…」

 

荷物持ちなんて口実で本当はなんとなくライブセッションをしたかったというのがリョウの本心だ。ただ真っ正面から誘うのはなんとなく気恥ずかしかった。それっぽいこと言って誘われ待ちを試みた。

虹夏はなんか企んでるんだろうなと察していたが、鈍感なフジには通じなかった。

 

チケットの販促という名目で路上ライブに誘えば、ノルマも消化できるし一石二鳥だとリョウは考えて今日を迎えた。個性にあふれた結束バンドのメンバーは何にも代えられない。でもそれと同じくらいリョウにとって同い年の二人の友人と過ごす時間も好きだ。

 

「草しか食べてないし、お腹減った。なにか食べに行こう」

「別にいいけど、お金あんの?」

「3000円ある」

「それさっき買ってもらったチケット代だろ!」

 

ノルマのチケット代を自分のご飯代に充てるのはさすがに冗談だったようだが、つまりそれはリョウはお金がなく、フジに奢ってもらうということを意味している。

 

「家遠くないんだし、家のご飯食べればいいだろ」

「じゃあフジの家でいいよ」

「なにがじゃあなんだよ」

 

さっきの路上ライブのフジの姿を見て、リョウの心はざわついていた。虹夏やリョウ以外の友人がいると知った時や路上ライブで複数の女性に囲まれているのを見た時、フジに対して独占欲が生まれたのか、お気に入りのものがよく知らない人間にとられる気がして嫌だった。

これからも悪い虫にフジが現を抜かす暇がないようにしっかりとスネをかじらせてもらうから覚悟しとけと心の中で宣言する。

 

後日SNSに観客の誰かが撮ったリョウとフジの路上ライブの動画がアップされたことで、すぐさまその情報は虹夏に伝わり、別にやましいことなど二人には何もないのだが、虹夏の目線が厳しいものになった。

 

 



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7. 後藤家へ行こう

戻すタイミング失いました。今回と次回は引き続き三人称視点です。








リョウを除いたフジ・虹夏・郁代の三人は横浜の住宅街を歩いていた。その目的とは下北沢が少し離れたところにあるひとりの家に向かうためだ。

 

「リョウ先輩もくればよかったのに」

「おばあちゃん今夜が峠なんだって今年で10回目だけど」

「リョウのおばあちゃんドリフトの練習でもしてるんじゃないか?」

 

虹夏とフジはリョウのこの手の断り方に慣れてるので、嘘だとすぐにわかる。峠に行きすぎてフジの中でリョウのおばあちゃんは走り屋のイメージとなっている。

 

「二人っきりで路上ライブはしてたみたいだけどね…あたしも急にバイト入っちゃったからな~」

「私も知ってますよ!駅前ですごい二人組がいるって話題になってました!私たちも誘ってくれたらよかったのに!」

「どうかな?二人っきりで何かしてたんじゃないかってあたしは怪しんでるよ」

「なにもねぇって」

 

ライブ経験者だけでやろうとしたのはちゃんと理由があり、実家が遠いひとりをオフの日に誘うのは申し訳ないし、環境が整っていない路上で初心者の郁代をライブさせるのはハードルが高いと二人に対してリョウなりに気を使っていたらしい。

 

「帰りにフジくんの家に寄ってたんでしょ!家に帰ってこないってリョウの両親からウチに連絡きたし!」

「えー!私の家にも先輩呼びたいです!」

「リョウのふてぶてしさなめすぎだから。勝手にもの置かれるし、自分のスペースなくなるから家にあげたこと後悔するぞ」

 

フジの前世の価値観ならば、リョウとフジの状況はベーシストのバンドマンが女の子の家に頻繁に出入りしているのと同じであり、ちゃんと悪いバンドマンの素行と言っても過言ではない。

 

「それはちょっとわかる…。あっ着いたよ」

「…後藤さん家って旅館でしたっけ」

「どうみても普通の一軒家だな。恐ろしいことに表札も後藤って書いてある」

 

屋根から横断幕がかかっており、そこに『歓迎!結束バンド御一行様』と書かれている。初めてくる虹夏たちにとって家の場所がわかりやすくていいのだが、ご近所の視線とか気にならないのだろうかとフジは思った。

インターホンを押し、ひとりの応答を待っていると扉が開き、同時に勢いよくひとりが飛び出し、手に持っていたクラッカーが鳴らされる。

 

「ぼっちちゃん楽しそうだね…」

 

「なにかのドッキリか…?」

 

「いや…あっはい…」

 

ひとりの姿をよく見るといつものジャージに1日巡査部長と書かれたタスキをつけ、顔には星型の縁のサングラスとつけ髭という小学生でもギリ笑わないだろう格好をしていた。

クラッカーの紙吹雪が虹夏たちに降りかかり、もはやなにかのドッキリかと疑うレベルの衝撃的なひとりの登場に虹夏たちはどういうリアクションを取ればいいかわからずにいた。

 

絶対にウケると思ったひとりもこの空気の収拾を付ける技量を持っているわけがなかったため、よくわからない雰囲気のままひとりの家に上がった。

 

「おすすめの映画持ってきましたよ~!」

「今日はライブで着るTシャツのデザイン考えに来たんでしょ!皆バラバラな服だと見栄え悪いからって!」

「さすが虹夏、丁寧な説明助かる」

「まあね!ともかく遊びに来たんじゃないからね!」

 

遊びに意識が向いている郁代へ虹夏の注意が入りながら、ひとりの部屋が開かれると、誰かの誕生日会でも行うのかと思われるほど、その部屋は飾りつけやライティングが施されており、ひとりの友人が家にやってくるイベントへの浮かれ具合が伺える。

 

「あっいますぐ片づけますね…」

「虹夏…こんなに準備したのにひでえよ…」

「やっやっぱりちょっとは遊ぼうかな!」

 

先ほどの虹夏の言動とは場違いな自身の部屋の有様をひとりは猛省し、風船を一個ずつ割っていく様子に虹夏は罪悪感に駆られて自ら主旨を捻じ曲げることになった。

 

自身が浮かれていたことを自覚したひとりが落ち込みながら飲み物を取りに出ていくと、改めてフジ達は装飾された部屋を観察する。

 

「それにしてもすごい飾りつけだね~」

「でもエフェクターとかギターとか何もありませんねぇ。もっとロックな感じの部屋想像してました」

「なんで盛塩が置いてあるんだ…?」

「ほんとだ…壁にお札も貼ってあるよ…」

「ロックですねぇ…」

 

ひとりの部屋はロックという音楽の次元ではない。事故物件の怨霊だ。家族からもこの扱いを受けているところを見るとあのネガティブさは後藤家特有のものではないらしい。

フジたちもひとりの発作を見るたびにお寺に連れていってお祓いしてもらった方がいいのではないかと思う時がある。

 

「それお姉ちゃんがこの前お化けにとり憑りつかれたから貼ってあるの~!」

 

部屋の隅に置かれている盛塩や壁に何枚も貼り付けられているお札に戦々恐々としているとひとりに似た小さい女の子がペットと思われる犬と一緒に顔を覗かせていた。

 

「ぼっさん妹いたんだ」

「後藤ふたりです!犬はジミヘン!」

「「かわいい~」」

 

虹夏たちは姉であるひとりのバンドメンバーだと言うと、初対面でも恐れずにふたりはギターを弾いてとねだったり、次はいつうちに来るのか聞いたり、人見知りの姉の性格とは正反対だ。また犬のジミヘンも初めて会う虹夏にすり寄っており、人懐っこいことがわかる。

 

「あやせくんはお姉ちゃんの彼氏なの~?」

 

指を口に当てながらじっとふたりに見られていると感じていたフジはどうかしたのかと目を合わせると、フジをひとりの彼氏と勘違いしていたようだ。

 

「えっちょ…」

「違うよ。なんでそう思ったの?」

「だってお姉ちゃんけっこんのお金もらってくれた人い「ふたりー!お姉ちゃん大事な話があるから下で待ってようね!」

 

ふたりの声をかき消すために大声を張り上げ、見たことないくらい俊敏な動きでひとりは妹のふたりを連れ出した。

 

結婚貯金という単語が出てきた瞬間の虹夏のフジに対する目の据わり方が尋常ではなくなり、フジは冷房がそれほど効いているわけでもないのに肌寒さを感じ、在りし日の夜のことを思い出させた。

 

「あれくらいの子が一番かわいいよなー」

「えっあっフジさん、ふっふたりはコードも抑えられないし、歯ギターもできないですよ…」

「急にどうした?」

「ぼっちちゃんさすがにあんなに小さい妹に対抗意識燃やすのはどうかと思うよ…」

 

兄妹に憧れを持っているフジはふたりを褒めると、妹にフジを盗られる危機感を抱いたひとりはフジの服の裾を引っ張り、必死に自分を売り込んだ。見捨てられないように5歳の妹と張り合っているひとりを傍から見た虹夏は少し引いていた。

 

「ちょっと気になったんだが、後藤家に3人目の子どもが産まれたら名前どうなるんだろう?」

「確かに気になりますね~。後藤さんの両親の名前はなんていうの?」

「あっお母さんもお父さんも普通の名前です」

 

ひとりやふたりが生まれたときにつけられたもので、特別に後藤家が数字に関する名前の付け方をするというわけではないようだ。

 

「ひとりちゃん、ふたりちゃん…さんにんちゃんはちょっと変かもね

「後藤サンちゃんなら可愛くないですか?」

「フルネームでさん付けされるとき後藤サンさんって呼ばれることになるけどね」

 

それ以外にも、もの○けの姫みたいな名前を付けられたら、学校で変ないじられ方しそうだ。

 

ただこの部屋の有様だと集中できないので騒がしいパーティー部屋から少し派手な部屋ぐらいに少し片づけ、飲み物やお菓子の準備が整ったところで虹夏が改めて今日集まった目的について切り出す。

 

「じゃあ、みんなTシャツのデザイン案考えよう!思いついたアイデアがあったらこれに書いて!」

 

虹夏から一人ずつスケッチブックが渡され、色えんぴつで各々ライブで着たいTシャツのデザインをそこに描き、一番よかったものを採用し、実際にTシャツにしようというのが、今日の目的だ。

 

「無難にロゴTでもいいんだけど、せっかくだから物販にも売りたいし!」

「虹夏ちゃん物販に貪欲…」

 

虹夏が物販に貪欲にならずとも、リョウという金の亡者が必ず物販に手を出すことは間違いないので、いずれにせよ誰かがやるなら虹夏が担当したほうがまだましな選択だろう。虹夏も虹夏でただの結束バンドをぼったくった値段で売っているので、どんぐりの背比べだ。

 

「できました~!」

「早いな」

「お!どんなの?」

 

全員が書き始めてからそんなにも時間が経っていないが、すでに描き上げた郁代が自身のデザイン案を発表する。

 

「コンセプトは友情・努力・勝利です!」

「体育祭で見るやつ!」

「曲はちょっとネガティブな感じなのにTシャツが熱血体育会系なのアンバランス過ぎない?」

 

郁代の出したTシャツ案はまず色がどピンクで星が散りばめられており、真ん中には結束バンドと書かれ、その横に一致団結や優勝の文字が見える。まるで強豪校の部活動の応援幕のようなデザインは結束バンドの雰囲気と比べて、Tシャツが元気すぎる。

 

郁代がTシャツ案を出してからひとりは小刻みに震え、いつもの発作が発動する。今日は猛暑日ということもあってひとりの体はドロドロに溶けており、ひとりの体の有様から真夏が到来したことをフジたちは実感していた。

 

「私が何かやっちゃいました?」

「なにがトリガーだったんだろうな」

「喜多ちゃんも罪な女だね~」

 

ひとりのぼやきを聞く限り、体育祭に相当のトラウマがあるようで郁代のTシャツからそれを思い出したらしく、陰キャのトラウマイベントランキングの中でも第一位らしい。

 

引きこもりで運動能力皆無なひとりにとっては地獄のようなイベントであり、かといって積極的に参加しなければ、和を乱しているとチーム内で吊り上げられるという陰キャには絶望しかない。

 

「えー体育祭楽しくないですか?みんな協力して優勝するぞって感じで」

「喜多ちゃんはね…ぼっちちゃんは直射日光、高温を避けて保存しないといけないから」

「ぼっさんのクラスが振り分けられる組はいつも負けてたんだろうな」

 

体育祭の勝利は一人の力でどうこうなるものでもないので、チーム全体の責任なわけだが、ここまでのトラウマ級の思い出となると、ひとりは疫病神扱いでもされていた可能性が浮上してくる。。

 

「ほら、ほんとにいるでしょ?」

「ほんとだ。あのひとりが家に友達を呼ぶなんて、しかも男の子もいるじゃないか!」

 

「あっお邪魔してます」

 

買い物から帰ってきたひとりのご両親が部屋にまで様子を見に来ていたので、フジたちは改めて挨拶をする。

ちょうどお昼時であり、一緒にご飯を食べようと誘われたため、お言葉に甘えてフジたちも同席させてもらった。

 

「まだまだたくさんあるからいっぱい食べてね!」

「「「ありがとうございます!」」」

「ちなみになんだけどレンタル友達とかそういう類のものではないんだよね?」

「正真正銘のバンド仲間です!」

「え…」

「そこ疑われることある?」

 

普段のひとりの様子を見れば、学校生活に苦労していることはフジたちにもわかるぐらいであるため、間近で見ている家族もそのことを承知しているのだろう。

真に恐ろしいのは家族でさえ、ひとりは青春コンプレックスを引きずるあまり、レンタルで友達を作って、自宅に呼びかねないと考えていることだ。

 

「藤原くん良い食べっぷりだねぇ」

「毎日食べたいくらいうまいです」

 

親が家を空けることが多いため、フジはご飯をコンビニで済ませている。

 

この世界の女性人口の需要からコンビニのご飯はヘルシーであったり、甘いパンであったり、女性を対象にした商品がほとんどであるため、ひとりの父が作ってくれた唐揚げはまさにフジが求めていた食べ物だった。

 

「ほんとによく食べますね。もうなくなっちゃいますよ!」

「あたしも食べたいからちょっとは残してね!」

 

吸い込まれていくようにテーブルの上のおかずが減っていくことに郁代は驚愕し、虹夏もこんなにガッツリ食べる姿はなかなか見ないと思いつつ、全員の分を食べ尽くしてしまいそうな勢いのフジを軽くたしなめる。

 

「ふふっそんなに気に入ったなら、ひとりがお家に伺って作って上げれればいいんだけど、この子お料理得意じゃないから」

「大丈夫!父さんと同じもの作れるようにみっちり教えてやるからな!」

「お母さん!お父さん!そういうこと言うのやめてよぅ…」

「まじですか!ぼっさん頼む。僕のために作ってくれ!」

「あっがっがんばりましゅ…」

 

『毎日味噌汁を作ってくれ』と同じニュアンスのプロポーズ同然の言葉をフジが放ったことで、ひとりも俯きながら了承の返事をする。

 

虹夏や郁代はまたやってるよといった感じの呆れた視線をフジへと送り、フジは遅れて自身の発言が相手にどう伝わったのか、について理解する。

 

「ほら~またそういうこという!」

「フジ先輩、さすがに家族の前で言うのはちょっと…」

「いっいや社交辞令じゃないけど、そうなってくれたら嬉しいなって感じのあれだって」

「藤原くんは平然とこういうこと言っちゃうタイプなんだね…」

 

初対面であるひとりの両親からも少し呆れられた視線を受けたことで、虹夏たちは今後フジの言動の改善がより必要だと思った。

 

ご飯をごちそうになり、その片づけが終わって、ひと段落ついたところ、またTシャツ案会議の再開しようかという合間にふたりが手に何かを持ってこちらへとやってくる。

 

「喜多ちゃんこれなに~?」

「それは私のお気に入りの映画!とっても胸がキュンキュンするの!」

「あ!その映画あたしも気になってたんだよね~!」

「じゃあ今から見ちゃう?」

「「「さんせ~い」」」

 

ふたりが手に持っていたのは郁代が持ってきた映画のDVDであり、内容は胸キュン青春ストーリーだという。虹夏もこの映画は元々気になっていたということからみんなで鑑賞会をする流れになった。

 

女性向けのジャンルというのも相まって、この世界においても胸キュン映画は普通の胸キュン映画である。フジはこんな俺様気質の男いないだろと斜に構えた見方をしていたが、ひとりを除いた女性陣は大盛り上がりだ。

 

「壁ドンシーンとかキュンとしちゃうよね~!」

「フジ先輩、全然わからないって顔してますよ虹夏先輩!試しに実践してみましょう!」

「いやいや別にそこまでする必要ないけど…ってもう準備完了してるし」

 

女性陣と男性陣の露骨な温度差があることから胸キュンシーンを再現という提案が郁代から出され、フジが反論するころには既に虹夏はリビングの壁でしおらしい顔をして待ちの姿勢に入っており、いつの間にか壁ドンをやらざるをえない状況となっていた。

 

仕方なく、フジも壁のそばまで移動し、胸キュン映画と同じように腕を突き出して壁に手を当てて、虹夏との距離をぐっと詰める。

 

「「…」」

 

しばらく見つめあうと心なしか虹夏の顔が赤くなっており、何が正解なのかわからないが、とりあえずこれだけ遊びに付き合ったんだから十分だろうと思い、フジは壁ドンの姿勢を解いた。

 

「これで満足か?」

「う~ん、なんか物足りないですね。そうだフジ先輩!壁ドンしたままキュンとするセリフ言ってみてください!」

「今度はセリフ付き…しかも人の家で。準備するの速いし…」

 

郁代からすると満足のいくものではなかったようで、やり直しを要求されたのだが、さきほどと同様にフジが渋っている間に止める暇もなく、虹夏はすでに準備が完了していた。

 

渋々フジは虹夏が立っている壁のそばまで近寄って壁ドンを行う。一回目とは違ってここでキュンとするセリフを言わなければならないのだが、そんなセリフの引き出しをフジは持っていないので、さっきの映画のシーンを必死に思い出し言葉を絞りだす。

 

「虹夏はほんとにわがままだよな」

「…」

「そこがかわいいんだけど」

 

映画では「俺の目を見ろよ」的なことを言っていたが、そんな王様系のセリフは恥ずかしかったので、フジは下げて上げる戦法をとった。

 

「キャーッ先輩!すごくいいですよ!」

 

女性陣の反応は好評らしく、郁代は大盛り上がりしており、虹夏もこれには大満足なのか、顔をフジの胸板にくっつけて悶えている。

その一方で恥ずかしいセリフをいったフジは只々しんどい思いをしていた。

 

「なんだよこの遊びは…」

「フジ先輩!もう一パターンお願いします!ほら虹夏先輩も待ってますよ!」

「これまだやるの!?」

 

相変わらずスタンバイが速い虹夏は壁に背中をくっつけて微動だにしない。しかもさっきまでとは異なる虹夏の態勢に郁代はとある確信を得ていた。

 

──虹夏先輩、完全にキス待ちの顔だ!

 

今回の虹夏は目を閉じて、唇を固く結んでいるが、唇を心なしか少し前に出しているように見えるため、郁代にはすぐにわかった。

しかし、傍から見ていても、いつも虹夏とじれったいやりとりをしているフジはそんなことに気づく様子もなく一体どうするのか、郁代は野次馬根性むき出しにしていた。

 

「あやせくん!お姉ちゃんも壁ドンやってほしいって!」

「えっちょあっ私なんかがその…」

 

そんな攻防が繰り広げられている一方胸キュン映画に青春コンプレックスを刺激され、ダメージを受けていたひとりは気を持ち直し、いつの間にか我が家で繰り広げられている青春ごっこに再び心をえぐられていた。

 

そんな姉の姿を見かねたふたりは絶対に自分から仲間に入れてほしいと言えない姉の性格を理解し、気を利かせたが、当の本人はいつものごとくネガティブ思考に陥り、しどろもどろになるだけだった。

 

「しょうがないな~ぼっちちゃんに譲ってあげよう!」

「後藤さんもなんだかんだ憧れてたのね!」

「ひぃ~」

 

それまで若干置いてけぼり感を感じて傍から見ているだけであったが、半ば強引に虹夏と郁代に連れられたことで情けない声を出している。この地獄から解放されるかと思ったフジだったが、どうやらまだ続くらしく、ひとりが相手ならまだそんなに無茶しなくていいと無理やり自分を納得させた。

 

ドンッと音が鳴るくらい勢いよく壁に手を当てて、壁際に立っているひとりとの距離を詰める。しかし、一切ひとりはフジの顔を見ずに視線を下に向けているので、傍から見るとひとりがカツアゲされているようにしか見えない。

 

雰囲気が全然なかったので、どうしようかと思ったら郁代から強引にセリフにいけといった感じの指示を受けて、またも唐突なアドリブにフジは頭を悩ませる。

 

「ぼっさんはいつも根暗で地味だから付き合ってくれる人なんていないな」

「…」

「僕以外」

「…ふへっ」

 

学校でのひとりの姿を想像して浮かんだ言葉を口に出し、言い過ぎたと思いすぐにフォローの言葉を入れたが、なんでこんなことしているんだろうとフジは自分で言ってて死にたくなった。

 

さすがにキモすぎたかなと思ったが、ひとりの反応は想像以上にニヤついており、不気味さを通り越してそこまで喜んでくれるならよかったとフジは前向きに考えることにした。

 

「フジ先輩本当に才能ありますね!俳優とかやってました?」

「…喜多さんその手には乗らないよ。おだててもっと恥ずかしいシチュエーションやらせる魂胆だろ」

「あっばれちゃいました?てへっ」

「…」

「痛いです!フジ先輩!」

 

舌を出し、手をこめかみに当ててぶりっ子ポーズをして誤魔化そうとしているのだが、妙に様になってかわいいのにムカついて、フジは郁代の額を小突いた。

 

「フジくんやりすぎ~!ぼっちちゃんの様子が変なんだけど!」

「口角上がりすぎて口の形が飛ぶ斬撃みたいになってますよ!」

「あやせくん、ふたりにもやって~!」

「もう少し大きくなったらな」

 

目の前で繰り広げられている光景を見て後藤母は自分も胸キュンシチュエーションに入れてもらえないか、ソワソワしており、後藤父は引っ込み思案の娘に遊んでくれる友達ができたことに喜んでいるため、誰もこの場をまともに仕切れる人間が存在しなかった。

 

 



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8.友達に家での勉強は息抜きが本番

一人称に戻す話でしたが、以降はずっと地の文は三人称視点にします。1話から4話あたりも気が向いたら三人称に変えます。すみません。

地の文におけるオリ主は結束バンドのキャラがフジと呼んでいるので、分かりやすいように地の文もフジにします。










「いっぱい遊びましたねー!」

 

トランプやUNOなどのカードがテーブルの上に積み重なり、息抜きどころではない本腰入れた遊びの形跡が見られる。

数分前まではゲームで笑いあっていたが、虹夏はふと今日何しに来たっけと思い返した時に遊んでいる場合じゃないと我に返った。

 

「楽しかった…楽しかったけど…!」

「全然Tシャツデザイン進んでないもんな」

 

あんなに遊びに来たわけじゃないと前置きしたにもかかわらず、この有様だ。このままでは本当に郁代のどピンク一致団結Tシャツが正式採用となってしまう。

 

「後藤さん大丈夫ですかね?」

「ぼっちちゃん、運動ほんとにダメなんだね…」

「ツイスターゲームあんな最速で終わるの見たことない」

 

初めて友達と家で遊んだ感動をかみ締めていておかしくないひとりは心も体もボロボロになってしまったのか、机に突っ伏してしまっている。

 

こうなってしまった原因は練習に励んだはずのツイスターゲームがひとりによって、何連続も3ターンで終了させられていたことにある。運動神経皆無のひとりが下手すぎるあまりゲームがすぐに終わってしまうので、妹のふたりから「空気読んで」なんて言われる有様だ。

 

「あっ!リョウからもたくさんデザイン案きてるよ!」

「見たいです!」

「ぼっさんも見ようぜ」

 

リョウから虹夏宛にメッセージが届き、ちゃんとTシャツ案のことを覚えていたんだなと感心して、送られてきたメッセージを開くと、無地の白Tシャツの上にカレーライスの写真が貼り付けられた画像が出てきた。

 

「カレーですね」

「なにこれ…」

「変人扱い待ちか?」

 

続けて2件のメッセージが送られているが、何かと間違いだと信じて2個目を開くと次はTシャツの上に寿司の画像が貼り付けられている。

 

「今度はお寿司ですね」

「意味わかんないだけど…」

「もうなにも期待できないが、最後の一つ見てみよう」

 

満を持して最後のメッセージを開くとTシャツの上に『夕飯どっちがいいかな?』と付け加えられた画像が映し出された。

 

「どっちでもいいわ!」

「こいつなにがしたいんだ…」

 

自分たちも遊んではいた手前、リョウにどうこう言える立場ではないかも入れないが、フジはリョウのあまりの奔放さに本気で寿司とカレーがプリントされたTシャツをリョウだけ着させた方がいいんじゃないかと思えてきた。

 

「カレーがいいですっと!」

「喜多ちゃんもまじめに答えなくていいから!」

「この子も大概な気がしてきたな…」

 

リョウのことになると見境がなくなる喜多に対して、虹夏とフジは想像していたよりもヤバい子なのではないかと評価を改めた。

 

「あっ私のデザイン案も見てもらっていいですか?」

「うん、いいよ!」

 

いつもは引っ込み思案なひとりは自分の家というテリトリーにいるからか、いつにない主体性を持ち、考えたアイデアを発表した。

 

「どうですか?おしゃれすぎますかね…」

 

ひとりが見せたスケッチブックに描かれたTシャツはど真ん中によくわからないフォントの英単語が書かれ、ところどころダメージ加工のように破けている。Tシャツなのに用途不明のファスナーがつけられ、装飾品に鎖が巻き付けられている。

 

『だっっっっっっっっっせぇ~!』

『絶対にぼっさんの案だけは採用しないでくれよ!』

『そうですよね!びっくりしすぎてあたしのセンスがずれてるのかと思いました!』

 

自信満々にデザインを披露しているひとりを除き、他の面々はこれならひとりのジャージを全員で着る方がましだと思うレベルのダサさにフジはみんなにこの案だけは絶対に採用しないようにコソコソと頼んだ。

ただフジの相談の必要性もなく、虹夏も郁代も同じ意見だったようで心の底から安心した。

 

「大量のファスナーと鎖はなににつかうの?」

「ポケットにはギターピックを入れて、鎖はギターストラップにもできます」

「ドラムとキーボードが着たら、ただの飾りじゃん!」

 

郁代がファスナーや鎖の意味について聞いたところ、まさかちゃんと用途があってデザインされていたこと驚いたが、Tシャツにそこまでの機能性は必要ではない。

 

「これはないな…」

「あっいままでにないですよね…こんな斬新なデザイン」

「いや、そのないじゃなくて、ありかなしかの方でいうと…」

 

 

「「「…なし」」」

 

思わずこぼれたフジのつぶやきにいままでにないポジティブな捉え方をするひとりに対して、よりわかりやすいように伝え直し、ひとり以外の3人でアイコンタクトを行い、「なし」の判定が下される。

 

「えっあっはい…」

 

三人から却下の判定が出るとは思っていなかったのか、意気消沈したようにひとりは座り込んでしまった。

 

「もっもしかして私服もこんな感じかな…?」

「あっ服はお母さんが買ってきてくれるから違います。好みじゃないから一回も着たことないけど…」

 

季節感を感じさせない異次元のジャージスタイルであるひとりの私服を虹夏たちはいまだに見たことがなかったが、私服は母親が買ってきてはいるものの、好みではないらしく着たことがないという。

 

妹のふたりの服を見た限り母親のセンスを虹夏と郁代は信用できると思ったのか、ひとりにその服を着てほしいとお願いし始める。

 

「いやぁお見せするほどのものでは…」

「そこをなんとか!フジ先輩も見たいですよね!」

「え?ぼく?確かにいつもジャージだもんな…見たいかも」

 

知り合いの前でファッションショーをするのは恥ずかしいのか、渋るひとりを説得するために郁代はフジに話をふる。

 

自分に話をふられるとは思ってなかったのか、フジは気の抜けた返事をする。話は聞こえていたので、状況は把握しているが、フジはひとりの服について、いつもジャージだなと思っていただけで服装については気にしていなかった。

 

しかし、虹夏と郁代の空気を読めといいたげな視線を受け、つい虹夏と郁代の肩を持ってしまう。

 

「いいですけど…」

「「やったー!」」

 

さっきまで渋っていたにもかかわらず、ひとりはフジの一言が入るとあっさりと承諾した。

 

ひとりが着替えるために席を外してから数分経ったころ準備が終わったとひとりの声が聞こえたので、虹夏たちはどんな変身を見せるのか期待をしながら、扉を開ける。

 

「「かわいい~!」」

「いいじゃん」

 

ジャージが決して悪いわけではないが、全身がジャージではない私服姿のひとりはフジの目にも2割3割増しにかわいく映った。中でも郁代にはクリティカルヒットしたのか、スマホのカメラで激写している。

 

「喜多さんってやっぱり面食いか」

「そうなるとあたしたちに食いついてこないのアレじゃない?」

「え!?じゃあフジ先輩も虹夏先輩も好きにしていいんですか!?」

 

郁代が面食いだと察して、自分たちに興味ないのは郁代の好みではないんだなとフジと虹夏が互いに残念がっていると、郁代はすごい勢いでこちらに振り向き、そんなことを言い放った。

 

「こわいって…」

 

フジたちはそんなに食い気味に返事をしてくるとは想定していなかったので、郁代の知らない部分が垣間見えて末恐ろしくなった。

 

「フジ先輩の服はシンプルですよね」

「フジくんももっとおしゃれしようよ~」

「僕は十分おしゃれしてるつもりだけど」

「あのねフジくん、ジーンズにパーカーやシャツはおしゃれとは言わないんだよ…」

 

フジの服装はいつも似たような恰好で下はジーンズに上は季節によってパーカーやシャツに変わるだけの超ミニマムスタイルだ。虹夏からするとお気に召さないようでもっと自分の服装に気をつかってほしい。

 

「嘘だな。僕はこれで全然デートとか行けるし」

「一緒に歩いても男の子なのにリョウの方が街でスカウトされやすいんだよ!喜多ちゃんから見てもどう?」

 

「さすがリョウ先輩!モデルになったら出てる雑誌絶対買っちゃいます!」

「だめこりゃ…話ふる相手間違えた…」

 

二対一なら少しこちらの意見も聞き入れる気になるだろうと、郁代を味方に引き入れようとしたが、リョウがスカウトされたという部分しか聞いておらず、まったく戦力にならなかった。

 

さっき実はヤバい子だと再認識したのになぜ人は同じ過ちをするのか、虹夏は思わず、天を仰いだ。

 

「ぼっさんはどう思う?僕の恰好」

 

よりにもよって激ヤバのセンスの人間に服について聞くのかと虹夏は戦慄した。フジ自身も質問した後に聞く相手を間違えたと思い直した。

 

「えっあっダサくはないと思います…」

「ぼっちちゃん、毒にも薬にもならない言葉だね…」

 

意見を求められたひとりはなんとか相手の気分を害さないように言葉を選んだものの、結局一番つまらないコメントになってしまった。

 

「あっもう着替えていいですか…?」

 

バンドメンバーにあまり着ない私服を見られるのは恥ずかしかったのか、ひとりは着替えようとするが、虹夏はまだ変身できる余地を残していると思い、今一度ひとりの姿を眺める。

 

相変わらず人の視線になれないひとりは虹夏の目線に恥ずかしさのあまり身をよじっていたが、じっくりと眺めた結果、伸びっぱなしの髪が気になった。

 

「そうだ!せっかくなら前髪も上げてみようよ!」

「前髪伸ばしてるの?」

「あっいや美容院いけないから伸びてるだけで…」

「もう一生髪切れなくない?」

 

親同伴で美容院に行く手もあるが、成人してからも、それをし続けるには限度があるため、どこで踏ん切りがつられたらいいのだが、ひとりにそれができたら苦労はしない。これからも伸ばし続けて、ピンクの毛玉となってしまうことだろう。

 

「よし!あたしがセットしてあげよう!」

「ひっ!」

 

髪型をセットすればより可愛くなるのではないかと思った虹夏が櫛を持って近づくが、前髪をあげた瞬間、ひとりの体はまるで干物のようにカラカラになっていく。

 

「ぼっちちゃんがどんどんしおれていく!」

「前髪をあげるストレスに体が耐えきれなかったんだわ!」

「化学分解を起こしてる!どういう人体だ!」

 

やがて体の水分が完全になくなり、ひとりの体は塵と化して空中へと舞っていく。ひとりを元の体に戻そうにも、既に取り返しのつかない事態にまで崩壊が進んでいしまっている。

 

さらに空気と混じったことで、呼吸するとともにひとりの体であった何かがフジたちの体内へと次々に侵入してくる。

 

「この部屋空気薄くないですか?」

「なんか意識が朦朧としてきたかも…」

「これはまずいぞ、なんとしても部屋から出ないと…」

 

ひとりの体から粒子となって空中に舞い散ってからフジたちの体に異変が生じ始めており、部屋も日が差し込んで明るいはずなのにカーテンを閉め切ったように暗く感じる。

 

「私もうダメかも…」

「せっかくオーディションに受かってライブがあるのに…後藤さんの呪いだわ…」

「せめてリョウに一人でライブしてもらうようにお願いしないと…」

 

すでにひとりがいなくなってギターが欠けてしまっている状態でライブもくそもないが、そのひとりの残留思念にやられてしまった三人は意識を失い、床に倒れ込んでしまった。

このままここで全員息絶えることとなるかと思ったが、倒れ込むような音に異常を感じた後藤家の人たちがすぐに駆け付けた。

 

「すごい音したけど、大丈夫かい?って…うわ!!」

 

ノックしても応答がないことに異変を感じた後藤父は様子を確認するために扉を開けると真っ暗な部屋の死屍累々の光景に驚愕した。

 

「いつも明るさだけで乗り越えようとしてごめんなさい…」

「ギター上手くならなくてごめんなさい…あとかわいくてごめんなさい…」

 

大気中のひとり成分を体に取り入れてしまったことでネガティブ思考が伝染してしまい、3人は自虐的となるが、郁代の場合は少し自我が残っているのか自虐風自慢になっている。

 

「モテたいなんて高望みしないで今ある幸せを大切にしよう…」

「あははっ!みんなお姉ちゃんみた~い!」

「お父さん!塩とお札持ってきて!」

「霊媒師さんも呼んでこようか!?」

 

フジにいたってはもはやネガティブ思考の自虐から一周回って、前向きな気持ちに切り替わっていた。そして、ふたりはフジたちがひとり化するこの惨状を見て、無邪気という言葉で表していいのかというほどの態度で笑っていた。

 

 

「ちょっとトイレ借りてもいいかな?」

「あっはい。下に降りて右に曲がったところにあります」

「ありがとう」

 

なんとか後藤家の方たちの尽力によってフジたちは正気に戻ることに成功したが、記憶が朧気ながら精神汚染をもたらしたであろうひとりの存在をひそかに恐ろしく感じた。

 

別のことに気が向きつつ脱線を繰り返しながら、Tシャツについてあーでもないこーでもないと話続けていたら、少しの間フジが離籍し、部屋は女子3人だけとなる。

 

「ちょうどフジくんいなくなっちゃったし、リョウとの路上ライブの動画見ちゃう?」

「見たいです!私噂だけ聞いてまだ見てなかったんですよね!」

 

虹夏はちょっとしたドッキリをしようという意味でそんな提案をする。リョウに対するアンテナを常時はっている郁代は駅前にて二人で路上ライブをやっているという情報を掴んではいたものの、まだその様子を視聴していたわけではなかったので、その提案に賛成する。

 

「あっフジさんとリョウさん二人で路上ライブしてたんですか?」

「そうだよ~チケット売るためだって言って、二人でやってたんだよ!」

 

フジとリョウの路上ライブについて初耳だったひとりは詳しい事情を聴くとだいぶ感情が高ぶっている虹夏にひとりだけではなく、郁代も気圧されてしまう。

 

落ち着きを取り戻した虹夏は少しおびえた郁代とひとりに謝り、タブレットを操作してフジとリョウのライブの様子が撮影された動画を開く。

 

『──メルト 目も合わせられない』

 

「この歌知ってます!最近イソスタライブでも歌ってる人見ます!」

「フジくんの歌久しぶりに聴いたな~。最近ボカロの歌ってみたの動画も流行ってるよね~!」

「あっフジさん歌上手ですね…」

 

虹夏たちは各々体でリズムを刻みながら静かに聴いていたが、サビの終わりのあるフレーズを聴いた瞬間に虹夏に電撃が走った。

 

「今のところもう一回再生していい?」

「え?いいですけど…」

 

余程嬉しいことでもあったのか、少しだらしない顔をしている虹夏を疑問に思ったが、郁代はその申し出をあっさり承諾する。

 

『──だって君のことが好きだよ』

「っ!!」

 

これか!と郁代は2度目の歌を聴いて理解した。郁代でさえも、フジの歌声でこのフレーズを聴いたとき思わず、少しドキッとしてしまった。ならば、フジのことを意識しまくっている虹夏にはより一層響いたに違いない。

 

しかし、何度もリプレイしたいなら自宅まで我慢できなかったのかと郁代は思った。こんなバンドメンバーの家で自身の欲望に対して、あっぴろげすぎる。

 

「もう一回いい?」

「気持ちはわかりますけど、続き見ましょうよ!フジ先輩帰ってきますよ!」

「一回あと一回だけでいいから!」

 

もしかしたらリョウの歌も聴けるかもと期待感でいっぱいの中、一向に続きが見れない郁代となにかの禁断症状が出始めている虹夏が問答しているうちに実は同じく何回も聞きたかったひとりはこっそりシークバー動かし、勝手に巻き戻した。

 

『──だって君のことが好きだよ』

「ふへっ」

 

自身が陰キャだと自覚しているひとりは普段ならば、甘酸っぱい曲にグロッキーになってもおかしくはない。ただ、さきの壁ドンを受けて、青春コンプレックスが緩和されたのか、『好きだよ』という歌詞を聴いて、にやけるぐらいには自惚れていた。

 

「ただいま」

「おかえり~」

 

フジが戻ってきた瞬間、虹夏は郁代とのやり取りを一瞬でシャットアウトし、目に留まらないスピードで動画を閉じ、何食わぬ顔で出迎えた。その時の鬼気迫る顔での恐ろしく速いスワイプ。郁代でなきゃ見逃しちゃうね。

 

ヤムチャ視点のひとりはいつの間にか現実に引き戻されたことに気づき、にやけ面がばれないように取り繕うも、傍からは百面相をしているようにしか見えなかった。

フジたちはそんなひとりの様子は見慣れているので全員総スルーしており、話し合いを再開していた。

 

「フジ先輩はなにかデザイン思いつきました?」

「う~ん、僕はこれしか思いつかなかったな」

「できたの?見せて見せて!」

 

まだデザイン案を発表していないフジに何かあるか、郁代が尋ねるとフジは考えていた手を止めて、ひとまず思い付いていたデザインを発表する。

 

「結束バンドを繋げてみた」

「なんかこわい!」

 

フジの提示したデザインは結束バンドを数珠つなぎの要領で輪っかにしたものが、真ん中に描かれている。しかし、結束バンドの大きさがバラバラで、輪っかもきれいな円ではなく、ガタガタな円で酔っている人が書いた絵のような不気味さがある。

 

「この目みたいな黒い点はなんですか?」

「インパクト足りないと思って、ぼっさんの驚いた顔付け足した」

「え…これが私…?」

 

白地のTシャツに目立つように黒い斑点模様が存在し、結束バンドの数珠も相まって『ミ〇ク〇ャク様』と化している。これもデザインかと郁代が恐る恐る尋ねると、驚きの返答が来たため、ひとりは自分の姿が周囲にはこう見えているのか、疑心に囚われてしまった。

 

S〇N値が下がるという理由でフジの案は採用とはならず、結局Tシャツのデザインが決まることなかった。

 

話し合いを続けるも結論が出ないまま、すでに日が落ち始めており、後日また思い浮かんだ案が出たらその都度ロインで上げて、その中から正式に決めようという話になった。

 

「じゃあまたSTARRYでね!」

「後藤さん今日楽しかったわ!」

「あっよかったまた来てください…」

 

玄関まで見送りに来てくれたひとりに虹夏たちは家にお邪魔させてくれた礼を言って、靴を履いて家を出ようという直前リビングから顔を覗かせた後藤父はフジを名指しで呼び止めた。

 

「藤原くんちょっといいかな?」

 

突如呼び止められたフジは自分のことかと指を指すと、頷かれて手招きをされたため、何かしてしまったのかと心当たりが特にないものの少し不穏な気持ちなりながら近づくと、後藤父はあたりの様子を確認したあとフジに耳打ちをする。

 

一連の流れを虹夏や郁代はなんだなんだという様子で見ていたが、ひとりは自分の父親がフジを呼び出した理由が分からず、気が気ではなかった。

 

「藤原くんがもしかしてひとりの噂の彼氏だったりする?」

「噂?いや、ぼっさ…ひとりさんとはお付き合いしてませんが…」

 

自分とひとりが噂になるようなことなんてあったかと、フジは考え込んだが、二人きりで過ごしたこともほとんどなかったので、全く心当たりはなかった。

 

「もしかすると事実かと思ったけど、やっぱりあれはひとりの妄想だったのか…」

 

ひとりが家族の共有のアカウントを使って、動画投稿をしているため、ひとりがギターヒーローであることは後藤家にとって公然の事実である。

そのため、妄言まみれのリア充アピールも目にしており、彼氏いるなどてっきり嘘だと思っていたが、フジがもしかすると彼氏なのかと、かすかな希望を抱いた。

 

「ひとりさんに何かありました?」

 

ぶつぶつと考え込み始めた後藤父にひとりのことで聞きたいでもあるのかと、こちらから聞き直すとその質問ははぐらかされてしまった。

 

「ごめんごめんこっちの話!変なこと聞いてごめんね。女の子のバンドで男の子一人だと大変でしょ。妻は一人だけど、色々あったからね…」

「あっはい、頑張ります…」

 

数少ない男同士として歳の差はあれど、男の苦労をわかってくれそうな存在に出会えたことが嬉しいのか、遠い目をしながらそんなことを言う後藤父に自分もそう遠くない未来に同じ境遇に遭うことを予見して少し苦笑いをした。

 

その後、フジは後藤父とのやりとりを好奇心に刺激された虹夏たちに根掘り葉掘り聞かれることになった。

 

そして、近々投稿されるギターヒーローの動画は後藤家に新たな波紋を呼んだのだった。

 

 

問題のギターヒーロー(後藤ひとり)の動画

 

【ギター】『メルト』guitar cover【弾いてみた】

12,016回視聴

 

―――――――――――――

guitarhero

2,022/8/○○に公開

 

概要欄

結婚貯金も共有した彼氏がカラオケで歌詞アレンジして歌ってくれて

その勢いで弾いてみた動画撮っちゃいました!(*^▽^*)

その後お家デートで一緒に胸キュン映画見てたら壁ドンとかされちゃって

家族に聞かれてないか心配~!(*ノωノ)

 

のコメント欄

 

 

―――――――――――――

パパみかん 1時間前

 

原曲あまり知らないけどギターアレンジすごい!

 

返信b3 q

 

―――――――――――――

mou rock 1時間前

 

コード教えてほしいです!

 

返信b q

 

―――――――――――――

碧 1時間前

 

絶対顔(確信)かわいい!

 

返信b1 q

 

―――――――――――――

STARRY 1時間前

 

やっぱりいつ見てもうまいな

 

返信b2 q

 

 

 

 

―――――――――――――

世界のYAMADA 2時間前

 

概要欄に目が行く    

 

返信 b5 q

 

 

 






動画サイトのプラットフォームは岸若まみず様の「あの日のナポレオンを覚えているか」という作品から借りさせていただきました。


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9. 雨にも負けず、アウェーにも負けず

 後藤家の訪問から刻一刻とライブの日が近づいていく中、全員そろっての初ライブを少しでもいいものにするために今日もSTARRYに結束バンドは集まっていた。

 

「いい案が出なかったので、Tシャツはあたしのデザインに決まりました~!」

 

虹夏のデザインしたTシャツは真ん中に『結束バンド』の文字と結束バンドのイラストが描かれており、シンプルでなおかつわかりやすい、まとまりのあるデザインとなっている。

 

「なら最初から虹夏がデザインすればよかったのにな?」

「あっはい実は私もちょっと思いました」

 

郁代に褒められて、後出しでデザインが得意だと鼻を伸ばしている虹夏に対して、自分たちの頑張りは何だったのかと、フジは横にいたひとりとボソボソと話していたら、そんな考えはお見通しだという目をして虹夏はフジたちをジロリと見ていた。

 

「二人とも、じゃあ最初から虹夏がデザインすればよかったとでも言いたげだね?」

「えっエスパー!?」

「そんなわかりやすい顔してたか?」

 

ひとりは虹夏がエスパーだと驚いていたが、そんなわけもなく、虹夏が考えを見破ったのは、単にフジたちがわかりやすく『最初からこうすればよかった』みたいな顔をしていたからに他ならない。

 

「いいね!結束感出てきたよ!」

「確かに全員同じ衣装だとバンド感あるな」

 

各自もらったTシャツに着替え集合し直した。Tシャツでそこまで変わるかと疑問を持っていたが、同じく服を着たことで一体感が生まれたように見える。さらにフジにとっては、暑苦しいシャツからTシャツへの移行したことで解放感に満たされていた。

 

「やっぱり半袖は刺激が強いね…」

「リョウ先輩みたいに長袖の上に着た方が良くないですか?」

「でも、あの腕が見れないのは…」

 

今まではシャツに隠れていた逞しい腕が露わになったことで、あべこべ世界の女子目線にはとても刺激が強く、虹夏に至ってはヨダレを拭うほどであった。

こちらの方をチラチラと見てはコソコソと話している虹夏たちの様子が気になっているフジにリョウが近づいてきた。

 

「ちょっと力入れてみて」

「ん?こうか」

 

フジはリョウに腕をちょんちょんと指でつつかれ、力を入れてみてと催促される。はじめはリョウに何を要求されるかと気構えていたが、そのくらいなら別にいいかと、要望通りグッと腕に力を入れた。

 

「おお~これはすごい」

「キーボード結構重いからな。筋肉もつく」

 

力んだ腕は筋肉が引き締まって硬くなっているが、リョウはそれをペタペタと触って、感嘆の声をあげている。

この世界における男性の腕の筋肉はかなりのチャームポイントのようで、リョウもその例外ではなく、お気に召したのか、何度も感触を確かめるように触っていた。

 

「よし!このままでいこう!」

「虹夏先輩!欲に忠実!」

 

その光景をまじまじと見ていた虹夏は、もはや再考の余地なしでリーダー権限を行使し、フジの半袖を決定した。先ほどまで悩んでいたにもかかわらず、虹夏の変わり身の早さに郁代は自身の欲望にとことん抗う気はないのかと思った。

 

「リョウはいつまで触ってんだよ」

「もう少しだけ…あぁ」

 

そう言いつつも一向に触るのを止める気配がないリョウに対し、フジがちょっと強引に腕を振り払うと、名残惜しそうな声をあげていた。

 

「フーッ!フーッ!」

「ぼっちちゃん息荒いって!」

「後藤さんには刺激が強すぎたんだわ!」

 

フジが半袖に着替えてからというものずっと悶々としていたひとりは蒸気機関のように鼻息が荒くなっており、虹夏から心配されていた。

その生腕に触れているリョウに対する嫉妬か、はたまた単に男性の腕を直に見たことへの興奮か、その内情は本人にしかわからない。

バンドTシャツのお披露目だけで、ここまでひと悶着あるのは結束バンドぐらいだと虹夏は思った。

 

やっと練習を始めようというところで、新しい衣装に身を包んだメンバーの写真を撮り、イソスタへ投稿していた郁代から不吉な知らせが届く。

 

「台風が近づいて来てるみたいです」

「うそ~!そんなの出てなかったのに~!」

 

なんとく郁代はイソスタのついでに天気予報を眺めていると、当日までに台風が接近しているという予報が目に入った。

 

「夏の天気は気まぐれ」

「気まぐれ同士台風と仲良くできそうだな」

 

どうせなら台風と仲良しになって、関東から外れてもらえるように説得してほしいものだと、気まぐれの自覚があるのかないのかわからないリョウを見てフジは思った。

 

「じゃあライブは!?」

 

天候に左右されない屋内のライブといえど、台風が近づけば、その分客足も遠のいてしまう。せめてチケットを買ってきてくれた人たちには見に来てもらいたいが、台風が直撃すれば、それすらも難しくなってしまう。

 

人一倍ライブの心配をしていたひとりは当日無事に迎えられるのかを危惧していた。

 

「てるてる坊主でも作る?」

「それだ!一人につきノルマ10個!」

「台風には数で対抗か」

 

一足先にひとりの心情を察したリョウが気休めとして、てるてる坊主をと作ってはどうかという提案をし、虹夏がそれに乗っかった。虹夏から一人ノルマ10個という指令が下され、5人で作れば、総数は50個ということになる。

 

作ったてるてる坊主はSTARRYに飾ることになると思われるが、いかんせん数が多すぎて、満員電車のようにぎゅうぎゅうになりかねない。

 

「でも関東からはずれているみたいです!」

「よかった~!じゃあ練習はじめよっか!」

 

台風の進路について詳しい情報を得ようと、郁代は引き続きスマホで調べていると、予想図では台風は関東を避けて進行していくということが分かった。そのことを聞いた虹夏はひとまず目先の不安が消えたと少々楽観的に判断して、他のメンバーへ練習開始の号令をかける。

 

「あの!やっやっぱり作りませんか?そっそのてるてる坊主…」

 

他のメンバーは予報を信じて、練習へと意識が切り替わっている中、ひとりはどうしても最悪の事態が頭から離れなかった。

例え気休めだとしても、ひとりは何かせずにはいられなかった。

 

「そうだね!なにが起こるわからないし!」

「備えあれば、なんとやらっていうしな」

「てるてる坊主作るなんて久しぶりです!」

 

練習そっちのけで、てるてる坊主作りにバンドメンバー全員で励むことになった。Tシャツと同じくメンバーの個性がてるてる坊主にも出ていた。

 

「この化け物なに?」

「あっそれ私が作ったやつです…」

「この怖さなら台風もびびって避けていくかもな」

 

てるてる坊主で個性を出す部分といえば、顔しかないのだが、ひとりの作ったてるてる坊主は瞳孔や口から何かの液体が垂れており、恐ろしい顔をしたホラーテイストに仕上がっている。

 

「それ本当に飾るのか…?」

「せっかくぼっさんが作ったんですし、これも飾らないと」

 

店長からは本当に飾るのかと何度も念を押されたが、厄除けどころか、厄を呼び寄せてしまいそうなひとり作のてるてる坊主も他のものと一緒に並べていく。

 

「これだけあれば台風でもへっちゃらでしょ!」

「明日が楽しみですね!」

 

すべて飾り終えて、改めて50体のてるてる坊主が並んでいるバーカウンター付近の姿は仰々しい光景となっており、お化け屋敷の様相を呈している。

店の雰囲気を変える域の模様替えの果てにやれることはやったと、残りは明日の本番を待つだけとなった。

 

「といったもののこの有様か…」

 

 迎えたライブ当日の日。願掛けむなしく、フジたちの期待を悪い方向に裏切るように天候は大雨に見舞われることになった。

縦横無尽に雨は降り注いでいるため、STARRYに向かうだけでも、雨の勢いが強すぎるあまりフジは傘を差そうが関係なしにところが濡れてしまっている。

 

「夕方以降はもっと強くなるみたいだな」

「私の友達も今日は来れないって、今連絡来ました」

「あっうちの親もふたりをおばあちゃんが見てくれるから来るって言ってたんですけど、やっぱりダメみたいで…」

 

ライブ前の最終確認の合間にチケットを買ってくれた人たちからは、キャンセルの連絡が届き、悪い知らせが重なっていく。

 

「僕らのノルマ買ってくれた人たちも期待できそうにないな」

「元々晴れでも来るか人わからない人たちだし」

 

純粋に曲を聴きたいと思っていないだろう路上ライブでチケット購入した人に対して、リョウをひどく冷めた発言だったが、結束バンドの曲を聴かせて見返してやろうという気持ちは少なからずあったのか、無表情ながらもフジには少し落胆しているようにも見えた。

 

「ぼっちちゃん来たよ~!」

「あっお姉さん…」

「この酒の匂いはまさか…!?」

 

フジはまだバンドTシャツの上にパーカーを羽織っている状態なので、幸いバンドメンバーだとばれていないと思いたいが、なぜこの場に現れたのか、疑問だらけだ。

千鳥足かつ全身ずぶ濡れで登場したひとりの知り合いらしき女性にフジのみではならず、虹夏も郁代も動揺が隠せない。

 

「え?お前ぼっちちゃん目当てできたの?」

「そうだよ~チケットもちゃんと買ったもん」

「あっお知り合いだったんですか?」

 

知り合いと再会したような反応を見せる店長は酔っ払いの女性を知っていたのか、ひとりが尋ねると大学時代の後輩だという。

 

「ぼっちちゃんにあんな知り合いがいたとはね。あれフジくんどうしたの?」

「あの女の人に新宿で昔絡まれたことがあるんだ…」

 

酔っ払いの女性が現れてからというもの、パーカーのフードを被り、こそこそと隠れているフジを虹夏は不思議に思っていた。

酔っ払いの女は店長にうざ絡みしており、フジの方へ意識は向いていなかなかったが、例の女は打ち上げに参加するつもりであるという恐ろしい言葉を耳にしたことでフジは気が気ではなかった。

 

「あ!ひとりちゃん!」

「あっこの前の路上ライブの…来てくれたんですか!?」

 

しかし、悪い知らせばかりではなく、続いて現れた女の子2人組はフジたちにとって嬉しいことに結束バンドを見にきてくれたらしく、なんでもひとりが開催した路上ライブを見てファンになったという。

 

「もちろん!私たちひとりちゃんのファンですから」

「台風吹き飛ばしちゃうくらいのライブ期待してますね!」

「ぼっちちゃん!やったね!」

「ぼっさんすごいじゃん!」

 

ひとりの努力の甲斐あってか、結束バンドを見るためにライブハウスにまで足を運んでくれるファンも存在していた。

 

「あっふへへっぐふふっ私のファン…」

「すいません!人違いでした!」

 

ただファンの獲得によって承認欲求が大いに満たされたのか、気持ちの悪い笑みをこぼし、最速でファンを幻滅させて無くしかけようとしていた。

 

「でも結局半分以下になっちゃいましたね」

「いまからネットで無観客ライブ配信して初めから客なんていなかったことに…」

「無理に決まってんだろ。ほらシャキッと立て」

 

アウェーな環境に珍しくリョウは怖気付いているのか、観客の少なさを利用したリモートライブの作戦を下策していた。そんな様子で低気圧の気だるさのあまりしなだれかかってくるリョウにフジは喝を入れる。

 

少々暗い雰囲気になっていた結束バンドの面々だったが、一際元気を取り戻したメンバーがいた。

 

先ほど現実のファンができたことを知ったひとりである。

 

「大丈夫です!見てくれているファンの方もいるので頑張りましょう!」

 

自身の初めてのファンがライブに駆けつけてくれたことが余程嬉しいのか、調子に乗ったひとりは初ライブ以来の完熟マンゴーを再び身に纏っていた。

 

「なんか進化してるし!そんなのダメだから脱げ〜!」

 

完熟マンゴーのダンボールはひとりの初ライブの時とは異なり、機動性を重視の上半身のみの形態で、かつ両腕が出せるように改造されていた。

どれだけ姿形が変わろうとも、ひとりを完熟マンゴーのままステージに出したくない虹夏は必死で脱がしていた。

結束バンドの中でも、異彩を放っているのはひとりだけではない。

オーディション以来のフジも犬マスクがひとりにゲロをかけられたことでリニューアルし、ハスキーからポメラニアンへと変身していた。

 

ステージ上では、被り物をしているフジも異物混入感が満載で、改めてじっくりと眺めた郁代はこれで演奏していたのかと驚くばかりだ。

 

「フジ先輩はそれ被って演奏するんですよね、気になってたんですけどキーボード見えるんですか?」

「見えないこともないよ。強いて言うなら暑苦しい」

 

既にライブの準備が完了し、フジたちは出番を待つだけの状態となっている。各々メンバーは緊張解すために雑談をしたり、時折ステージの様子を覗いたりしていた。

 

「もう本番始まるのにお客さん全然いませんね」

「ライブが始まったら、他のバンドも見に人も増える…はず」

 

結束バンドはトップバッターという都合上、ライブが始まれば、他のバンドを見にきたお客さんも来て、数が増えていくと思われるが、フジたちが想定した客の入りよりも今の観客はずっと少ない状態である。

 

「1番目結束バンドだって、知ってる?」

「知らないし、興味な〜い」

「見とくのだるいね」

 

フジたちは舞台袖から二桁にも満たない観客の様子を確認するが、全く無名のバンドである結束バンドを期待する声は非常に少ない。

 

「まっまあしょうがないね!あたしたちまだ無名だし、これからファンも増えていくよ!」

「でっですね!」

 

元々少ない今日の集客にも関わらず、その中で結束バンドを純粋に観にきた人というのはより少ない数となる。

 

そのため、自分たちに期待する声がないことはフジたちにとって、ある程度予想の範疇であり、虹夏は即座に意識を切り替える。しかし、実際に目にしたことのショックは大きかったのか、動揺を無理やり隠していることは、フジにはわかった。

 

「うわフジくん!なにするの!」

「緊張しすぎて辛そうな顔してたからつい。ごめんな」

「も〜なにそれ髪ぐちゃぐちゃになったじゃん!」

 

虹夏が思い詰めていることはわかったでも、フジにはなんと言葉をかければいいか、なにも思い浮かばなかった。

 

ただ、ここで迷ってなにもしないというのも憚れたので、少しでも気が紛れればいいと思い、フジは虹夏の頭を乱雑に撫でた。

 

「緊張解いてくれたのはわかるけど、それとこれとは別だから!」

「悪かったって」

「なに2人でイチャついてるの?」

「本番前になにやってるんですか!後藤さんまた効いちゃってますよ!」

 

髪型が崩れたことにほっぺたを膨らませて抗議してくる虹夏に対して、フジは犬の被り物をずらし、笑って誤魔化しながら次は髪を優しく撫でるように整えると、虹夏の機嫌は見る見る良くなった。

 

その様子を見ていた外野の3人の中でも、リョウは非難の目線を2人に送っており、郁代は青春コンプレックスの大ダメージを受けているひとりを介護していた。

 

「よっよし、じゃあみんな気合い入れていこう!」

「ごまかした」

「なに拗ねてんだよ。ほらいくぞぼっさんも」

 

いつもの顔面崩壊を起こしたひとりを高速修理で元に戻した後、結束バンドの面々はステージへ上がり、各自機材の最終調整を行う。

音の出方を聴いて、機材に問題ないことを確認し、いよいよライブが始まると集中のためにフジはマスク越しにふぅっと息を吐きだす。

 

「結束バンドです!今日は皆さん天気が悪い中、足を運んでいただいてありがとうございます」

「カウンターのてるてる坊主も私たちが作ったんですけど、むしろ逆効果になっちゃいました!」

 

すべり続きだった結束バンドのMCも今回の掴みはよかったのか、ところどころ観客の笑いが溢れており、上々のスタートを切ることができていた。

 

(虹夏ちゃんたちが場を盛り上げてる。ここは私も!)

(ぼっさん、ステイ)

(あっはい)

 

ひとりもその勢いに乗ろうと、例の星縁のサングラスを取り出し、笑いを取ろうと考えた。しかし、フジがひとりの不穏な雰囲気を感じとり、寸前に止めたことで地獄の悲劇は免れた。

 

「一曲目は『ギターと孤独と蒼い惑星』です!」

 

郁代の曲紹介の後、虹夏の合図によって、一斉に演奏が始まる。

初めてのライブでオリジナルの曲を歌うプレッシャーがのしかかっているのか、緊張による細かなミスが郁代にあったり、虹夏とリョウにズレがあったりしつつも修正し直し、順調な運び出しであった。

 

(この状況下のライブにしてはよくやっていると言いたいところだが…)

 

オーディションの時から結束バンドを見てきた店長からすると、細かなミスも多くまだまだ荒削りな部分もある。今の演奏の現状に点数をつけるとすれば、70点といったところで、まずまずな出来として成功といってもいいだろう。

ただ、どうしても店長の中には結束バンドはこんなものじゃない、もっと周囲の目を惹きつける演奏ができるはずだとモヤついていてしまう部分もある。主に注目してきたひとりに対しては、本来の技術力を出し切れていないように見えた。

 

(ぼっさんの力を僕たちがまだ引き出せていないのか…)

 

オーディションから時折見せる人が変わったかのように演奏に気迫が増すひとりのギターはあの日だけのまぐれだとはフジには信じられなかった。何らか理由でひとり本来の実力が発揮できていないのではないかと自分たちの力不足を感じていた。

 

「続いての曲は…」

(このまま終わらせたくない。私は結束バンドのギターなんだ!)

 

ひとりは元々ソロでギターを弾いてきたことからバンドに合わせることに慣れおらず、走りやすいことは重々承知していた。そのため、ライブにおける自身の力を最大限発揮できる部分は、イントロへのつなぎをソロで弾くしかないと考えていた。

 

ひとりは一瞬だけフジをちらりと見た。『ロキ』という曲に対する理解が最も深く、これから行うギターソロから曲に入るにはフジのカバー必須だと思ったからだ。しっかり目を見て、アイコンタクト行わなければ、意図が伝わらない可能性があったが、ひとりが異性とずっと目を合わせられるはずもなく、フジが気づいた瞬間には目を逸らしていた。

 

(うぅ…目が見れないフジさん今ので気づいてくれたかな…)

(やっぱり上手い。それでこのまま曲に入ればいいんだな)

 

ただ鈍いのは色恋だけのようでフジには、その仕草でひとりがなにかしたがっているのかを察することができていた。

 

そして、まるで覚醒したかのように短い時間に自身の最大限の技術を詰め込み、圧倒的な演奏をひとりは披露する。その圧巻のパフォーマンスに結束バンドのメンバーのみならず、ライブハウス全体がステージへと注目を集める。

 

フジは全員の演奏が乱れないようにカバーに徹し、2曲目の『ロキ』へと突入する。

郁代とリョウのダブルボーカルに切り替わり、また違った雰囲気の曲となったことで、より観客の注目が上がる。

 

(やりゃできんじゃん)

(おっ見事なドヤ顔)

 

一気に観客を沸かせ始めた結束バンドの底力を見た店長は思い知ったかと言わんばかりの後方プロデューサー面にドヤ顔を決めていた。その浮かれ顔を見事に隣にいる酔っ払いの後輩のスマホで撮られてしまったわけだが、それに気づくことはなかった。

 

十分な手ごたえを感じたひとりはおそらくこれで良かったのだろうと思い、不安ながらも虹夏にグッドサインを送ると、そんな彼女の不安を吹き飛ばすような満面の笑顔でそれに返した。

 

1番目のバンドとは思えないくらいの盛り上がりを感じ、名残惜しくも最後の曲へと向かう。

 

「2曲目は『ロキ』でした!そして次の3曲目が最後になります!聴いてください『あのバンド』」

 

『あのバンド』という曲は『ギターと孤独と蒼い惑星』と同じく、後藤ひとり節の効いた世の中への不満を込めた歌となっている。

 

結束バンドでは、幅広いジャンルの理解があり、作曲を担当しているリョウに全員が従う形で演奏している。ただ、バンドの個性を大事にするリョウは他のメンバーがよりいい音色が思いついたら、そっちを採用するスタンスを同時にとっている。特にキーボードは音色の数が豊富であるため、リョウは担当であるフジに裁量を自由に任せている。

 

(今までだったらこんな曲の印象を壊す可能性のあることなんて絶対しないが…!)

 

普段であれば、フジはリョウと打ち合わせをして、曲の印象を考えながら音色を決めるため、ライブでの音色変更はほとんどしない。

しかし、今の盛り上がりなら間違いなく、アレンジを加えた方がいいとフジは判断した。ぶっつけ本番でやる怖さが切り替えを行うフットペダルを押す足を竦ませるが、先陣を切ったひとりの姿を思い出し、覚悟を決めてキーボードの音色を変更する。

 

練習にはない完全なるアドリブでフジの演奏で一段と重厚感が増す。その曲の変化に結束バンドのメンバーはすぐに気づいた。

 

(ぼっちちゃんもフジくんもすごい!)

(確かにこっちの方がいいかも)

(私もしっかりしなきゃ!)

 

三者三様の反応を見せ、虹夏は素直に賞賛し、リョウは事前の打ち合わせよりもいいアレンジだと受け入れ、郁代は自分も負けていられないと気合を入れ直す。

 

(最高のメンバーだ。バンドに誘ってくれたことに本当に感謝しないと)

 

慣れない演奏に神経を消費しつつも、完璧に合わせてくれるバンド仲間がいる。それだけでフジは今この瞬間が楽しくて仕方なかった。

 

他のバンド目当てで興味なさそうにしていた観客も結束バンドの出番が終わる頃には全員が拍手を送る程にまで変化していたおり、ライブは大成功という形で終了した。

 

「あっつい。やっと脱げる」

「フジ先輩!顔がしわっ皺ですよ!」

「顔の水分持っていかれすぎ!」

 

控室に戻り、息苦しいマスクを取ったフジの素顔はダー○ベイダーの死に際に仮面を外した時と同じように皺まみれの顔となっていた。

この30分のライブで恐ろしいぐらいに歳をとってしまった好きな人の顔が戻ることを虹夏は切に願った。



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