ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- (緑餅 +上新粉)
しおりを挟む


人物紹介・用語辞典


ここでは人物、用語紹介をしております。※先に人物紹介、後に用語紹介という順番です。

長らく作っては来なかったのですが、やはり原作未読者にも読みやすいようにと考えると、こういったものは必要だろうと思い至った次第です。
なるべく意図しないネタバレ等には気を付けて構成したつもりですが、喰らってしまった方、誠にすみません....

挿絵も挟んでありますが、原作のイメージを大切にしたい方などは、なるべく閲覧をお控え下さい。
大丈夫、という方は以降自己責任でお願いいたします。感想等での批判もお答えしかねます。

以上です。もっとブラブレ界隈賑やかにならないかなぁ。


─────────・序説・─────────

 

 

 

 

 

 生き残る種とは、最も強いものではない。

 

 最も知的なものでもない。

 

 それは、変化に最もよく適応したものである。

 

 ──チャールズ・ダーウィン───

 

 

 

 

 

 そう。

 ただ貪るだけでは生き残れない。強者となれない。

 正しき選択とは何だ。何をすれば命を失わずに済む。

 

 思考、施行、失敗、学習。思考、施行、失敗、学習。思考、施行────

 

 無限とも言える、そのサイクル。無駄とも取れる、その自然摂理への逆行。数多在る生物が生命を賭して繰り返し、導き出した答えは、即ち、

 

 ────適応せよ。順応せよ。地獄や煉獄に負けぬ意志を、そして屈強さを求めよ。

 さすれば、弱者の纏う襤褸(らんる)は脱げよう。昇華した力は、自ずと生存に最適な道を示すだろう。

 

 だが、決して慢心するな。己を絶対と過信するな。

 世界は何れの生命にも手心を加えぬ。結果に胡座をかいた者から命脈は絶たれる。

 

 嗚呼。だというのに、残念だ。

 結局、霊長類最強、『知恵のあるひと』と目された人類でさえ、戴天の敵一個に悉く殺された。

 

 何故か。その疑問こそ、堕落した元凶。

 

 人はいつしか、思考を止め、施行を辞め、失敗のみを繰り返した。

 己が築いた栄華に酔い、致命的な欠陥すら失念し続けた。

 

 ────ヒトは、根源的には弱者(愚か)であった。

 

 否、若しくは。ヒト『でさえ』弱者となり得るのであれば、或いはこの世の何処にも、そして未来永劫、真の強者など存在しえないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────・人物紹介・────────

 

※一つめの項で全章共通の内容、それ以降は各章で明らかになっている情報を追加していきます。まだ本作を読み進めていない方は、前述の一項のみの文を閲覧ください。

※章ごと、登場する人物を紹介していきます。本作未読の方は、一章以降の人物紹介の閲覧を推奨いたしません。

 

 

 

 

 

【一章 『弱者・美ヶ月樹万』 登場人物】

 

 

美ヶ月(みかづき) 樹万(たつま) 

【挿絵表示】

 

 本作、『弱者と強者の境界線』のオリジナルキャラクター兼主人公。黒髪黒目。23歳、男性。民警。イニシエーターは高島飛那。初期の序列は約15万位。

 

 美ヶ月民間警備会社社長。社員は己を除くとイニシエーターである高島飛那しかいないので、社長職と民警職の二足のわらじを履いてやりくりしている。とはいえ、依頼など滅多に来ないので、別段忙しいというわけでは全くない。

 

 一章時点では争いごとを好まず、基本外周区近くの事務所でぐーたれる毎日を送る。また、日々の仕事は高島飛那とともに生活できる、ごく最低限の分のみ行っている。それ故に序列は全く上がっておらず、民警としてのランクは下位中の下位。 

 

 

 

 

 

────ここからは二章既読後閲覧推奨────

 

 

 二章で驚異的な自己再生能を持つことが判明。通常であれば致命傷であるはずの傷も瞬く間に修復する。ただ、樹万は人間としての有り様に拘りがあり、積極的にこの能力を使いたがらない節がある。

 

 大戦時、大型ガストレアに故郷を滅ぼされた過去を持つ。当時は樹万自身も重傷を負ったが、偶然その場に居合わせた謎の神父の男、『オッサン』に助けられる。その後は原因不明の高い再生能力に興味を持たれ、ガストレア大戦時代を共に生き延びた。

 

 二章中盤以降は、里見蓮太郎に引っ張られる形で東京エリア内の事件に巻き込まれていく。樹万は血液中のガストレアウイルスを操るという特異体質を利用し、指定した生物の因子を持つウイルスのみを動かし、自在に体内組成を変化させて戦闘を行う。

 

 ステージごとに強化のレベルを上げることが可能で、外見の変質(形象崩壊)もある程度ならコントロールができる。単因子と複合因子とを分けて発現させたり、主因子を指定し、それに他の生物の特徴を付属させるという細かい指示も実行可能。

 

 発動時はイニシエーターと同様に赤目となるが、室戸菫製の特殊コンタクトレンズで、発光する赤い目を覆い隠すことができている。

 以下にステージごとの特徴を示す。

 

 

ステージⅠ:自身の身体の一部を指定した生物因子で強化。基本単因子。形象崩壊を完全抑制可能だが、逆に形象崩壊を作為的に起こすことはできない。

 

ステージⅡ:自身の身体の複数部位を同時多発的に変異・強化。単因子、複合因子双方指定可能。形象崩壊を完全抑制可能。手足など、身体を作為的に形象崩壊させることも可能。

 

ステージⅢ:自身の身体の複数部位を同時多発的に変異・強化。基本、単因子は指定不可能。防御や攻撃といった方面に秀でた変異体、特化型複合因子を発現可能。形象崩壊抑制可能。ただし、発現因子の数によっては抑制不可。

 

ステージⅣ:自身の身体の一部、または全てを変異・強化。単因子も可能だが、その場合は主因子を指定した後、複数の生物因子で強化を施す特化型単因子を使用する。複合因子選択時、形象崩壊抑制不可能。

 

ステージⅤ:?

 

 

 これに合わせ、『オッサン』直伝の戦闘技術を駆使し立ち回る。この技はどれも大威力で、会得してからは素手でガストレアを殺すことも可能になった。しかし、発動前に行う動作はどれも意味不明なものが大半で、また攻撃に全く関連しないことから、謎が非常に多い。

 以下は判明しているオッサン直伝技の名称と特徴を示す。

 

 

当たって砕けろ(タケミカヅチ)

 背負い投げに近いモーションで敵を捕捉、亜音速で障害物に激突させる。その衝撃は一切外に漏れず、内部に無理矢理押し込められる。外皮や装甲の厚さ堅さを無視できるため、ガストレアには致命的な一撃となる。

 

天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)

 作中でも屈指の使用頻度を誇る拳技。ただの正拳突きでも十分な威力を発揮するが、しっかりと意味不明な予備動作を行った後に発動した場合は、二つの技の段階がある。一段目は普通の正拳突き。二段目は一段目に放った拳を真横にスライドすることで発生し、任意で『衝撃の全てを無効化する』か、『障害物の全てを破壊する』というトンデモない効力を発揮する。

 

日出は瞬きの間(アメノオシホミミ)

 通称絶対回避。未知の部分が多いが、敵の認識をどうこうすることにより絶対回避は演出されるらしい。連続使用は不可。

 

嵐が来れば大火は収まる(スサノヲノカミ)

 拳を作った腕を上方へ垂直に立てたあと、片膝をついて地面にその拳を落とし、力を込めながら反時計回りに腕を回す。これで発動する技。

 その威力は非常に高く、拳を置いた地点から扇状に大気の断層が20cm間隔で発生。断層では気圧が急激に上昇し、瞬間的に千m級の深海と同様のものとなる。

 広範囲に渡って破壊をもたらし、ガストレアが綺麗にカッティングされる光景を見ることができる。

 

五月蠅けりゃ青い鳥も撃たれる(アメノワカヒコノカミ)

 手に何らかの物体を持つ場合のみ使用可能。腕を後ろに引くモーションだけで発動できるため、即時使用したい場合に最適。

 手中にある物体を音速近い速度で射出。撃ち出された物体は質量や体積の大小にかかわらず等速直線運動をするため、障害物に衝突したりしない限り速度は緩まない。

 

蛇に睨まれた蚤(ヤマタノオロチ)

 自身に纏わせた『圧』を飛ばす。視界に映らずとも、当たりさえすれば効果を発揮する。喰らった相手は長時間に渡り行動不能となり、事実上置物状態にすることが可能。

 『一対一』、『二対一』(最上位で八対一)とレベルを設定でき、ガストレアの再生レベルに合わせて使用する。また、行動を止めるだけでなく、殺害することも可能。

 例えば、ステージⅠガストレアに対して使用する場合、通常なら『一対一』で行動は停止させることが可能だが、二つ上の『三対一』をすると、運動機能だけでなく臓器の活動までをも停止させてしまうため、撃破ができる。

 

一を窮めて全を成す(ゾウカサンジン)

 右中指を二度折り、左の親指と人差し指の腹同士を三度叩き、続けて中指、薬指、小指を一度ずつ親指の腹と合わせ、発動。効果は、使用者の意図することを、大体上手く叶えてくれる。という技。言葉だけでは分かりにくいので、以下に例を示す。

 仮に目前のガストレアを倒すために使用したとすれば、何の前触れもなく頭が消し飛んだり、空中から岩石が落ちて来たり、爆発したりする。結果、相手は死ぬ。

 現実では事が起こるにあたり、必ず原因が存在し、複数の過程を踏んで結果に結びつくものだが、これはそういったものをすっ飛ばし、結果へ直結するという性質を持つ。

 非常に強力な技だが、かなりの制約がある模様。

 

 

 以降、新規に判明し次第更新。

 

 また、ガストレア大戦を生き抜き、世界各地の戦場を点々としたため、鹵獲した銃火器の数は大量。それら全ては旧事務所の地下に保管しており、必要になればそこから調達している。

 

 過去、多くの人々を助け、また救えなかった樹万だが、彼の名は殆どの人間に知られていない。

 ただ、室戸菫からは『英雄』と呼ばれ、ステージⅤを討伐したともされるが、詳細は不明。

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

高島(たかしま) 飛那(ひな) 

【挿絵表示】

 

 本作、『弱者と強者の境界線』オリジナルキャラクター兼ヒロインの一人。銀髪蒼眼。10歳、女性。

 

 美ヶ月樹万のイニシエーターとして、美ヶ月民間警備会社の社員に属している。鉄面皮、愛想無し、怜悧な面持ち、これらの要素から非常にとっつきにくいイメージを持たれがちだが、素の彼女は割とコミカルで残念。

 

 とはいえ、これまでに心を完全に開いたプロモーターは美ヶ月樹万ただ一人であり、それまでの人間とは前述した見た目通りの意思疎通しかしていない。そのため、彼女の持つ身体的性質もあり、大抵のプロモーターは一か月もしないうちに、すぐに他のイニシエーターと再契約をしている。

 

 

 

 

 

────ここから一章既読後閲覧推奨────

 

 

 飛那はモデル・ホークとモデル・イーグルの両方を持つ、複合因子(ダブルファクター)のイニシエーター。

 

 当初はどちらかを単一で発現することができず、また双方を同時発現させるとガストレアウイルスによる体内侵食が平時の5~6倍上昇してしまうことから、戦闘を真面に行うことが出来なかった。

 

 本来なら民警の社員として採用できるようなポテンシャルではないのだが、東京エリアはイニシエーター含め、呪われた子どもたちの人権はある程度保証されている。なので、身体的、もしくは精神的に問題があっても、このことに予め同意した者であれば、東京エリアの民警限定で、基本的に契約は可能だった。

 

 そんな背景を余所に、飛那は他のイニシエーターと比べても雰囲気やプロポーションは別格であり、それを目当てに契約を持ちかけるプロモーターが多くいたため、ハンデを加味しても通常のイニシエーターより需要は寧ろ高かった。が、そういう人間は全て彼女の『今すぐガストレアになって貴方を喰い殺しますよ?』という発言によりトラウマを植え付けられている。

 

 現在は樹万の奮闘により因子の単一発現に成功し、戦闘時はどちらか一方を選択している。それまでの間は室戸菫に依頼し、本来なら液化型の侵食抑制剤を錠剤型に加工してもらっており、戦闘前に服用することで侵食率の上昇を抑え、イニシエーターとして活動はできていた。

 

 戦闘スタイルは主に視力の良さを生かした狙撃。運動能力も高いため、本来なら近接戦闘もある程度できるが、樹万はその方面を伸ばそうとはしなかった。理由は単純に、可能な限り敵から遠ざけた状態で戦って欲しいからである。

 

 己が抱えていた闇の全てを消し去り、また戦う理由をくれた樹万に対し、飛那はこの上ない好意を寄せている。世界と樹万を天秤に乗せても、彼一人に傾くほどだ。

 

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

・オッサン

 本作、『弱者と強者の境界線』オリジナルキャラクターの一人。茶髪に神父服を着こみ、長剣やガトリングを使用する男。

 

 見た目は美ヶ月樹万の言によりある程度判明しているが、その素性は定かではない。ガストレア大戦初期に故郷を奪われた樹万を救っており、その後は彼とともに行動したが、その目的や理由も胡乱で、はっきりとしていない。

 

 樹万を東京エリアへ住まわせた張本人。また、バレットナイフの元持ち主。生きているのに死んでいる人間、つまり惰性と諦観混じりで生きる人間が殺したいほど嫌いな人物。

 

 戦闘能力に関しては、樹万によれば大戦中も傷付いた姿を一切見たことがないという。ガストレアとの交戦時は常に一方的で、百だろうが万だろうが、その気になれば集ったガストレアを一瞬で消し飛ばしているらしい。

 

 樹万と共に世界各国のガストレア交戦地域へ足を運び、多くの人々を救ってきたが、両名の記録はほとんど残っていない。

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 ガストレア大戦終了後、作中には二度だけ表に顔を出している。

 

 一度目は天童木更をJNSC会議室まで導く案内役として登場。その後、がなり立てる轡田防衛大臣を蹴り飛ばした。更には、刀ではなく無手とはいえ、天童菊之丞の攻撃を防ぐなど、やりたい放題した挙句、勝手に姿を消した。当時の本人の発言から、かなり踏み込んだ知識量を持つことが予想される。

 

 二度目は美ヶ月樹万の新居訪問。樹万が高島飛那、千寿夏世へ初めて自身の秘密を打ち明ける場面に立ち会う。彼が居るだけで盗聴や立ち聞きといった小細工をほぼ無効にできるという。

 

 いずれも物語の中核あたりで登場しているが、そこまで大きな影響を残してはいない。

 

 これ以降、現在も行方は様として知れない。たまに樹万の携帯電話へ非通知で通話を掛けて来ていることから、生存は確認できている。とはいえ、少なくとも安全なエリアに身は置いていないようで、ガストレア犇めく未踏査領域を闊歩していると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【二章 『強者・蛭子影胤』 登場人物】

 

 

里見(さとみ) 蓮太郎(れんたろう) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の主人公。東京エリアの勾田高校へ通う高校二年生。16歳、男性。序列は初期時点で12万3452位。木更大好き。

 

 天童民間警備会社の社員。イニシエーターは藍原延珠。相当な不幸顔らしく、他人が抱く第一印象は最悪と言っていい。とはいえ、根は善良で思いやりはあり、口調は乱暴ながらも端々からその()が出ている。

 

 会社からの収入が少なく、オンボロアパートで延珠と二人暮らしをしている。日々の良心は特売日で買ったモヤシ。そして、そんな粗末な食材からでも彼は上手い飯を作る。こういう生活をしているからか、料理だけでなく家事スキルも総じて高い。

 

 また、幼少の頃に図書館に籠って読んでいたファーブル昆虫記の影響で、生き物にはとても詳しい。

 

 本作の主人公、美ヶ月樹万とは一章以降に出会うこととなり、東京エリア内で起こる数々の戦いに立ち向かっていく。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後閲覧推奨────

 

 

 蓮太郎は六歳のころにガストレア大戦で両親を亡くし、あらゆる戦闘術の流派を持つ名家、天童家に引き取られている。そこでは政治家へ仕立て上げようと目論んだ天童菊之丞により、著名人らが出席する催し物に連れ回されたり、仏師の修行を受けさせられたりしていた。その過程で天童木更とは顔見知りになり、やがて仲良くなった。

 

 ある日、唐突に屋敷へ侵入したガストレアにより、天童木更を庇って右腕右足、そして左目を失う重傷を受けた。瀕死状態の彼が運び込まれたのは、室戸菫が執刀医のセクション22。そこで『新人類創造計画』の手術を受けることで機械化兵士となり、命を繋ぎとめた。後に木更とともに天童家を出奔し、民間警備会社を設立し、社員となった。

 

 失った右腕右足には超バラニウムという、通常のバラニウムより純度の高い素材が使われており、カートリッジを撃発させれば高速移動、そして高威力の一撃を可能とできる。カートリッジの弾数は、腕に10、足に15となっている。菫曰く『君は100億円の人間だ』。

 

 また左目は『二一式黒膂石義眼』という、視神経と直結し、内蔵された演算装置により思考回転数の増加を行える機器を備える。それに合わせ、会得した天童式戦闘術を振るうことで高次の戦闘能力を発揮可能。

 

 天童式戦闘術は、拳を元に技を繰り出す『一の型』、足を元に技を繰り出す『二の型』、そのどれにも属さない技の『三の型』で構成されている。また、技の流れや精度、威力を上げる術の一つとして『構え』という型も存在する。

 

 二章で同じ機械化兵士である蛭子影胤、小比奈と戦い、そして勝利した『蛭子影胤追撃作戦』後は、序列1000位まで引き上げている。

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 三章でのティナ・スプラウト戦勝利時は、序列300位となっている。

 

 ガストレア戦争後、自身の大切なものの全てを奪っていったガストレアを憎んでいたが、藍原延珠と出会い、憎悪の渦から救われた。このことから、彼は延珠の幸せを心から望んでいる。また、彼女も同様に蓮太郎の幸せを心から願っている。

 

 蓮太郎の最終目標は、自身の肉親である里見高春、里見舞風優のことを知り、そして己のルーツを知ること。

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

藍原(あいはら) 延珠(えんじゅ) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒い銃弾』の登場人物の一人。長い橙色の髪を兎柄のヘアピンでツインテールに纏めた少女。10歳。

 里見蓮太郎のイニシエーターにして、自称婚約者(ふぃあんせ)。蓮太郎に『女性として』恋心を抱いており、木更を目の敵にしている。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後閲覧推奨────

 

 

 明るく闊達な少女だが、児童養護施設に居た頃に、給付金目的で虐待を受けた暗い過去を持っており、人を信じることを忘れたこともあった。

 

 現在は蓮太郎から貰える給料を元手に、『天誅ガールズ』というアニメグッズを揃えることを趣味としている。たまにコスプレするらしい。

 

 モデルはラビット。素早い動きと強烈な蹴りが特徴。ステージⅠ程度の体躯なら蹴り一発で軽々と吹き飛ばせる。また膂力も相当で、蓮太郎を肩に乗せて走り回ることも可能。

 

 移動速度や動体視力も凄まじく、接近戦では並大抵のイニシエーターでは敵わないだろうとされる蛭子小比奈の攻撃をいなしている。なお、彼女には勝手にライバル視されている模様。

 

 高いポテンシャルを持つイニシエーターではあるが、同時に高い体内侵食率という問題も抱える。三章にて判明している時点で40%となっており、この事実を知る蓮太郎や菫は延珠に伝えられずにいる。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

天童(てんどう) 木更(きさら) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』のヒロイン。蓮太郎とは同い年の16歳だが、通う学園は美和女学院という屈指のお嬢様学校。黒い長髪に、高校生とは思えない胸部の戦闘力を誇る女性。

 

 天童民間警備会社の社長を務める。しかし、一階がゲイバーで二回がキャバクラと言う立地条件の悪さ故か、本人が直接事務所に足を運んでの依頼は極端に少ない。というか無い。なので収入が少なく、学院に通うための高い学費を自身で捻出していることもあり、極貧生活を余儀なくされている。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 司馬重工の社長令嬢、司馬未織とは犬猿の仲。羽振りの良さを暗に見せつけられている、という面も嫌う要因だろうが、何より蓮太郎へ必要以上にスキンシップを求めるのが大層気に入らないらしい。その蓮太郎曰く『水と油どころか、天と地ほどに相容れないと言っていい』。

 

 甲斐性無しだおバカだ何だといいながらも、蓮太郎には少なからず好意を寄せている。だが、持ち前のプライドの高さと暗い過去とが邪魔をし、想いを伝える道は辛く困難な様相を呈している模様。

 

 天童式抜刀術の免許皆伝。その剣閃は光の如く鮮烈で、刀身が触れずとも対象を別つ離れ業すら会得している。また、情報収集能力も極めて高く、標的の足取りを高い精度で掴むことができる。

 

 木更は、父と母、また蓮太郎がガストレアに襲われている現場を見たショックで、腎臓の機能が大きく失われており、定期的な人工透析を強いられている。これが原因で、高い戦闘能力を持っているにもかかわらず、事務が大半の社長と言う職務につかざるを得ない現状となった。

 

 このガストレアによる天童家襲撃事件だが、同じ天童の家の者の(はかりごと)である可能性が高く、それを知った木更は復讐の鬼となり、狂ったように剣へと打ちこんだ。それで身に着けた技は全て、天童の人間を殺し尽すためのもの。

 

 普段はこのような側面は見せないが、内に秘めるその憎悪は人をして抱えられるものとは思えないほどに淀み、濁り切っている。もしそれを吐き出せるような人間、つまり天童の者が現れ、そして戦闘に持ち込むことが出来れば────恐らく、彼女は迷うことなく『ソレ』を行うだろう。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 四章では緊急事態のため、急きょ聖天子に掛け合い、序列剥奪中であったティナ・スプラウトとペアを組んだ。序列は9200位。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

千寿(せんじゅ) 夏世(かよ) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。また本作のヒロインの一人。伊熊将監のイニシエーター。碧がかったショートボブに左右から下げる三つ編みが特徴。序列は1584位。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 表情の起伏が少なく、穏やかな性格。元々は将監のイニシエーターとして三ヶ島ロイヤルガーターに所属していたが、二章の『蛭子影胤追撃作戦』にて戦闘中に将監が右腕を失う重傷を負い、作戦終了後に民警を辞退。それによりフリーとなった夏世は、同作戦中に共に行動し、また胸の内をぶつけ合った美ヶ月樹万とのペア結成を志願し、それが認められた。

 

 だが、その後に帰ってきた高島飛那により猛反発を受け、結果ペアは即日解消。代わりにIISOのイニシエーター登録を自ら抹消依頼し、美ヶ月民間警備会社のいち社員として雇われ、現在は東京エリア第一区の新事務所に居住中。主に家事やお茶出し等の仕事をしている。

 

 モデル・ドルフィン、イルカの因子を持つイニシエーターのため、高い思考能力を持つ。十代前半の少女とは思えない落ち着いた判断力と、戦況の分析力は後方支援に適している。とはいえ、直接的な戦闘面はあまり得意ではなく、攻撃は主に銃器に依存。愛用しているのはG11突撃銃。

 

 

 原作準拠であれば、夏世は二章にて死亡している。

 影胤との戦闘に向かう道すがら、蓮太郎と延珠の後方から迫った大量のガストレアと必死の戦闘を繰り広げ、結果全ての敵を打倒。蓮太郎は影胤とステージⅤガストレア・スコーピオンを撃破した後に、ガストレアの死骸に沈む彼女を発見する。生存はしていたが、既に体内侵食率は50%以上を割っており、それを理解した夏世自身も『人のまま死にたい』という懇願を申し出る。

 XD拳銃を構えつつも躊躇う蓮太郎だが、彼女の後押しで未来に進む決意をし、その責務を全うした。

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------

 

 

 

 

 

聖天子(せいてんし) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。白いセミロングの髪に白い肌、白いドレスという純白で彩られた穢れ無き少女。16歳。現東京エリア国家元首。

 

 まだ若いが、強い信念を持った少女。齢16にして、国にとって必要なものは手繰り、不必要なものは吟味した上で切り捨てるという、難しい判断ができる。それに合わせて行動力もあり、東京エリアの国家元首としての器はあるように思える。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 年相応の部分も無論あり、特に自分にとって初対面時から遠慮のなかった蓮太郎に対しては特別な想いを抱いている。どうにかして彼を助けようと私欲で動きかけることも。

 

 また、他国ではまず見られない呪われたこどもたちに対し一定の地位を与える政策を行う。だが、批判は根強く、蓮太郎のようにガストレアによって親族や友人が被害を受けた民衆からは軒並み嫌悪感を抱かれている。

 

 二章から物語に主要人物として介入し始める。天童菊之丞を補佐官とし、国家元首の執務を行う傍ら、突発的な緊急事態に対する対応も見られる。

 

 

 原作では最新刊まで存命。三章のようにあからさまに命を狙われることは以降なく、基本聖居にいることもあり、生命の危機は無い....ように思える。

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

天童(てんどう) 菊之丞(きくのじょう) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。武士の如く後頭部で纏めた白髪に同色の顎鬚。普段から袴を身に着け、只者ではない雰囲気を湛えた妙齢の男性。聖天子の補佐官にして、里見蓮太郎の祖父にあたる。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 東京エリアの政治や経済を裏で牛耳る。その影響力は絶大であり、剣士としての腕前でも、政治の手腕でも東京エリア内では彼の右に出る者はいないといっていい。

 

 天童家現当主。抜刀術免許皆伝。戦争時は只の一刀でステージⅣを斬り殺し、生きる意志を失いかけた蓮太郎へ『死にたくなければ生きろ』という言葉をかけた。菊之丞はガストレアに関係するすべてを憎んでいるため、呪われた子どもたちに対しても容赦はない。故に蓮太郎とは明確に敵対しているが、彼に対して一定の評価は持っている。

 

 他の何をおいてもガストレアを駆逐する。それのみを目的に生きる鬼。愛妻を殺されてからは、人であるための感情のほとんどは失ってしまった。故に、呪われた子どもたちに一般人と同様の人権を与えんとする聖天子に並みならぬ怒りを抱える。が、それと同じくらいの忠誠心も確かに存在し、彼の中は混沌の様相を呈している。

 

 二章では蛭子影胤を利用して、呪われたこどもたちの地位獲得を促す『ガストレア新法』賛同者の意見を覆そうと画策。本作では最初からステージⅤ召喚計画を施行せず、強力なステージⅣガストレアのエリア内侵入、という事件で目的を達成しようと目論んだ。

 

 しかし、期せずしてそれに巻き込まれた美ヶ月樹万の手によって件のガストレアは討伐される。その中で樹万は重傷を負い、使用を禁じていたガストレアウイルスの自己再生能力を発動させるに至った。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 

 三章で判明するが、暴君と名高い大阪エリアの国家元首、斉武宗玄とは腐れ縁らしい。ガストレア大戦以前から政敵として関係はあったというが、具体的な繋がりは不明。

 

 

 原作でも同様に影胤と共謀し、呪われた子どもたちの地位失墜を企む。だが、蓮太郎によって計画は阻まれ、失敗に終わる。何者かにこれが露見した場合でも足がつかないよう、同じ派閥の轡田防衛大臣らを蜥蜴の尻尾きりよろしく、あっさりと見捨てている。

 

 

 

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

 

 

蛭子(ひるこ) 影胤(かげたね) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒い銃弾』の登場人物の一人。元民警、序列は134位。ワインレッドの燕尾服、そしてシルクハットに笑顔を象った白貌の仮面を身に付ける奇怪な男。イニシエーターは蛭子小比奈。

 

 美ヶ月樹万、里見蓮太郎曰く『手遅れ』。思考や言動は狂気に染まっており、気まぐれで人を殺し、愉しいから戦争を起こし、目的のためであれば怪物だろうと利用する怪人。平和と安寧を嫌悪し、戦乱と恐慌を望む。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 元自衛隊員。ガストレア大戦時に致命傷を負ったが、四賢人の一人である『アルブレヒト・グリューネワルト』の手で機械化兵士となり、内部を含めた身体の殆どを機械へと換装した。そのため、蓮太郎と同様に高い戦闘能力を持ち、主に防御面へ特化している。

 

 斥力フィールドと呼ばれる強固な透明のバリアを展開可能。銃弾は当然、対戦車ライフルや工事用クレーンの鉄球すら弾く。これを応用し、対象を障害物と斥力フィールドとで板挟みし圧殺したり、凝縮して撃ち出し、刺突するなど攻撃にも使用できる。

 

 愛銃は二挺のベレッタを改造した『スパンキング・ソドミー』、『サイケデリック・ゴスペル』。CQC用のマズルスパイク、格納式の銃剣、刻印やらと、やたらゴテゴテとした装飾を付属している。原作者である神崎紫電様曰く、『史上最低の二挺拳銃』。

 

 一章で美ヶ月樹万とエンカウント。彼らは天童菊之丞の依頼で行動していたが、彼の技量を見抜いた影胤は強い興味を示し、一時とはいえ仕事を失念していた。

 

 二章ではステージⅤガストレア・スコーピオン召喚の元凶として登場。多数の民警を悉く殺害し、蓮太郎ら三人も追い詰める。だが、彼の実力を見誤ったか、最終的には斥力フィールドを貫通するほどの一撃を喰らい、海中へと沈んだ。

 

 事件後の公式発表では死亡とされているが、命を救われた借りのある美ヶ月樹万により海から引き上げられており、その後は小比奈とともに姿を消した。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 三章後半で再登場。東京エリアへ侵入したガストレア討伐の任を受ける民警数人を殺した。当人は二章で受けた傷の回復を確かめるため、準備運動を目的にしていたとのこと。

 

 そして、同様の依頼を受けてやってきた樹万を襲撃するが、撃破される。その後は意味深な台詞を残して立ち去った。

 

 

 原作での立ち回りは本作とほぼ変わりない。美ヶ月樹万関連を抜けば、殆ど彼の動向は同じである。現状最新話まで存命。

 

 

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

 

 

蛭子(ひるこ) 小比奈(こひな) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。闇色のクセ毛を短めで纏め、髪色とほぼ同色のドレスを着た少女。蛭子影胤のイニシエーター。

 

 二本の小太刀を腰に差し、無邪気に人を殺す人格破綻者。プロモーターである蛭子影胤をパパと呼び、実際血縁関係にある。

 

 基本他者には無関心だが、強い人間には相応の興味を示す。また、影胤の命令は大抵なんでも聞く。ただし、自身の意図とは違った命令にはこれ見よがしに不満を露わにしている。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 モデル・マンティス。蟷螂(かまきり)の因子を持つイニシエーター。

 

 長い刀を持たせれば接近戦においてはほぼ無敵と評されるほどで、素早い動作と、高速移動する対象物を捕捉し続ける動体視力の良さは群を抜き、銃弾を斬り伏せることも可能。

 

 二章での『蛭子影胤追撃作戦』の折、高島飛那、藍原延珠二人の猛攻を容易く凌ぎ、また飛那を戦闘不能にしている。

 

 剣の技術はそこまで高くは無く、見えさえすれば回避は可能とのこと。それに合わせ、敵の策や道具なども『取りあえず斬って解決』という単純な考えが原因となり、蓮太郎の投げた焼夷手榴弾を真面に受けてしまい、バラニウム義肢を解放した彼によって撃破されている。

 

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 三章後半では、影胤について美ヶ月樹万と戦闘を行う。苛烈な高速攻撃で彼を追い詰めるが、『目』を強化していたことにより剣閃を視認され、やはり軌道を読まれてしまい敗北。小太刀を折られて涙目になった。

 

 

 原作では常に影胤に着いてまわり、一人でいることは現状無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室戸(むろと) (すみれ) 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。伸ばし放題の黒髪に床まで届く白衣、常時不健康そうな顔色の女性。死体愛好家。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 四賢人の一人。法医学教室室長。世界トップクラスの頭脳を持つ天才医師だが、現在は病院の地下に籠って死体を弄繰り回す頭のおかしい人。菫自身も己をそう評しており、外に出ることを拒んでいる。

 

 ひきこもってやることといえば、時たまやってくる蓮太郎をからかったり、映画を鑑賞したり、18禁ゲームをやったりなど。

 

 落ちる所まで落ちたかと思いきや、スナック菓子感覚で懸賞問題などに手を出し、さらりと答案を出すなど、天才性は健在。こういったことをしているからか、菫の所持金は相当な額になっているのだが、極度の出不精が災いし、度々地下で行き倒れる。

 

 これを防止するために、よく美ヶ月樹万が名義を伏せて食料などを送ったりしているのだが、ごちゃごちゃした部屋のため、どこに何があるのかを忘れがち。見つけた時には腐ってることもよくある。

 

 彼女の持つ資金の大半は、美ヶ月樹万のバラニウムナイフ、そして里見蓮太郎を含めた、彼女自身が手術を施し、機械化兵士となった人間のメンテナンスに使用される。菫は今でも『新人類創造計画』を発足していた過去を悔いており、人命を救う為とはいえ、彼らが歩んで来たそれまでの人生を180度変えてしまったことは許されないと、自分を責めている。

 

 普段の冷たい態度から誤解されやすいが、蓮太郎や樹万に的確な助言を授けたり、無謀な行いに対して声を荒げて引き止めたりなど、彼らには親身に接する。よく皮肉や毒舌も混じる。

 

 初登場時以前の美ヶ月樹万を知る数少ない人物。彼自身も長い付き合いになると言っていることから、両者にはそれなりの確執がある模様。

 

 

 原作では知識量に磨きがかかる。とはいえ基本的な構図は同じで、思い悩む蓮太郎に回りくどい助言を与え、前に進む勇気と、これから歩むことになる現実の両方を提示する。最新話まで存命。

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

伊熊(いくま) 将監(しょうげん)

 原作『黒の銃弾』の登場人物の一人。金髪に髑髏柄のフェイスマスク、バラニウム製の大剣を背負う大柄の男性。民警。イニシエーターは千寿夏世。序列は1584位。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 誰かれ構わず苛立たし気に突っかかり、下手をすればその場で己の武器を抜きかねない危険な男。三ヶ島ロイヤルガーター所属。民警の中でも大手の有名会社であるらしく、社長である三ヶ島影以は将監以上の高位序列者を抱えるという。

 

 二章『蛭子影胤追撃作戦』に参加。初登場は里見蓮太郎と天童木更が防衛省へ赴いた際、真っ先に喧嘩を吹っかけてきた場面。

 

 作戦中に美ヶ月樹万と出会うが、邪魔者と断じて斬りつけようとする。それを難なく躱され、更には周囲に集まりつつあった大量のガストレアたちにも気付けないという失態を犯した。

 

 これだけ聞くと、実力が序列に見合っていないと思われがちだが、再起した瞬間に一刀でガストレア数体をねじ伏せたり、急所を狙ったはずであるガストレアの音速近い不意打ちを直感で回避し、右腕の欠損だけで済ませるなど、冷静であればそれなりの実力を発揮する。

 利き手である右腕を失ったことにより、蛭子影胤追撃作戦以降の民警活動を断念。現在は病院内にて療養中。

 

 

────以降はオリジナル設定────

 

 

 将監は幼い時分、ガストレア大戦にて一家全ての人間を怪物に殺される現場を目撃した事、安全な場所を求めて戦地を飛び回る過程で夥しい数の死者を見たことで、価値観に大きな歪みを来している。これが原因で彼は生者に対し嫌悪感を抱くようになり、過去に殺人未遂を数度起こした。

 

 事件となり、大人が彼に介入するようになって初めて、これが『やってはいけないこと』であることを知った将監は、民警となってガストレアを殺すことにより、殺人衝動を抑えた。

 

 現在は、右手を失って死の淵まで行ったことから、『生者』の存在に寛容となりだしている。

 

 

 原作でも同じく初出は防衛省での会談時。その後『蛭子影胤追撃作戦』に参加している。戦時中、他の民警らと結託して影胤に挑むも、自身の大剣で背中を穿たれ死亡している。

 

 

 

 

 

-------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

多田島(ただしま) 茂徳 (しげとく)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。短めの茶髪をオールバックにした強面の男性。警視庁捜査一課所属。警部。

 

 里見蓮太郎、美ヶ月樹万双方と面識がある(蓮太郎は二章序盤時点)。煙草を吹かしながら東京エリアの現状を嘆く、ごく善良で一般的な人間。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 二章の序盤に登場し、天童民間警備会社にガストレア討伐を依頼する。ガストレアに対し通常の銃弾をぶっ放すなど、警察組織の知識不足と対応力の低さをまざまざと見せつけてくれる。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 三章にも登場。藍原延珠がティナ・スプラウトと交戦、敗北した後に行方不明となった現場を調査し、蓮太郎に報告している。

 

 本作では具体的な現場の状況は描写されていないが、肉片や骨片等が飛び散る凄惨な有様だった。にもかかわらず平然としていた事から、それなりの修羅場は潜ってきている模様。

 

 

 原作でも登場タイミングは同じ。現場の状況を詳らかに教えてくれる。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

・アルブレヒト・グリューネワルト

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。外見、年齢不明。男性。『グリューネワルト翁』と呼ばれる。

 

 

 

 

 

────ここから二章既読後推奨────

 

 

 四賢人の一人。機械化兵士計画元統括責任者。出身はドイツであるが、拠点は日本、オーストラリア、アメリカの三つに置いている。四賢人の中でもトップの天才と謳われ、彼の描いた図面には室戸菫をして『理解できない』と目される箇所が散見されるほど。

 

 蛭子影胤を機械化兵士として新生させた張本人。しかし、四賢人の中では最も人の命を尊ぶ人物であり、彼の実験は紛れもなく人命を救うためという基礎の上にあったという。

 

 

 原作では時折室戸菫の口から語られる程度で、いまだ能力の本質は未知数。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【三章 『弱者・ティナ・スプラウト』 登場人物】

 

 

・ティナ・スプラウト 

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。また、本作のヒロインの一人。クセのある長い金髪に碧眼。アメリカ人の少女だが、日本語は堪能。

 

 聖居前で出会った当初は、朝起きてそのまま外出したようなパジャマ姿にスリッパ、そして三輪車という珍妙な出で立ちで、しかも会話中に船を漕ぎ始めるという訳の分からない人物だった。

 

 しかし、数多くの奇人変人と相対してきた美ヶ月樹万は、出会って直ぐティナに対し親身に相談に乗る。そのお蔭か、それとも天性の幼い少女限定たらしの為せる技か、速攻で彼に懐いたティナは連絡先を交換。以降は時間を縫っては連絡を取り合って外出し、お互いの素状を知らぬまま東京エリアを練り歩いた。

 

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 彼女、ティナ・スプラウトの正体は四賢人の一人、機械化兵士計画アメリカ支部『NEXT』元最高責任者、エイン・ランドの創り出した強化兵士。聖天子暗殺の任を受け、東京エリアへ秘密裏に潜入した殺し屋。モデルはオウル、梟の因子である。

 

 序列は98位。それも、この数字はプロモーターを含まない、イニシエーター単体の戦闘能力でのみ評価、算出されたもの。

 

 その前提通り、凄まじいスペックを誇る。菫が実現不可能と語っていたBMIを運用し、小型偵察機や遠隔操作モジュールを搭載した狙撃銃を用い、蓮太郎は二回、樹万ですら一度敗北を余儀なくされた。

 

 基本的な戦闘スタイルは、視力に特化した梟の能力を遺憾なく発揮できる狙撃。であれば、近接戦に持ち込めば勝てる。と思いきや、蓮太郎でも全く相手にならないほどの卓越したCQC技術も併せ持っており、死角は殆ど皆無に等しい。また、強化兵士としての完成度も高く、身体の一部をスーパー繊維、メタルスキンなどで強化し、代替臓器も取り入れている。

 

 三章では樹万と正面からの戦闘を行い、予想も出来ない動きをされたことから敗北。ただ、作中ではステージⅢの複合因子発現状態、かつ現時点では人に向かって放つことが一切なかったオッサン直伝技をぶつけ、ようやく勝てているのが現状。樹万に対人戦の経験が全くない事を裏付けるシーンとなった。

 

 その後は聖天子の取り計らいもあり、序列は剥奪されたが、本来なら死罪は免れない罪を背負いつつも無罪放免。美ヶ月民間警備会社に雇われている。

 

 本作のヒロインの中でも特段に樹万への親愛度が高く、隙あらばくっついてくる。当人を含め、飛那と夏世とで痴話喧嘩が始まった場合、大体は彼女が発端であるといっても過言ではない。曰く、美ヶ月樹万は『私のすべて』。

 

 家事方面では夏世に劣るが飛那よりできる、というレベル。調理技術はピザのみが限界突破しており、他は一切作れない。

 

 

 原作では同様にエイン・ランドから派遣され、東京エリア国家元首の聖天子を暗殺する殺し屋として同時期に登場し、蓮太郎、延珠ペアと激闘を繰り広げた。

 

 三十九区の廃ビル群の中で戦闘を行い、フクロウの弱点である強烈な光を不発と思われた焼夷手榴弾により受けてしまい、前後不覚となっていたところへ連続攻撃を叩き込まれ、蓮太郎に敗北。その後は保脇卓人の謀略に嵌められそうになるが、聖天子の介入により事なきを得る。

 

 命を救われ、そしてエイン・ランドの魔手より逃れたティナは、以降天童民間警備会社に雇われて働いている。

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------

 

 

 

 

 

司馬(しば) 未織(みおり)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。長い黒髪に和服が特徴の美しい少女。日本屈指の巨大会社である司馬重工社長令嬢。勾田高校生徒会長。

 

 司馬重工は兵器製作会社であり、世界各国に通常の武器からバラニウム製武器までを各種販売している。そのシェアは相当なものらしい。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 それほどの大手会社のバックアップを蓮太郎は受けている。理由は未織の『これは将来大物になる』という確信なのか予想なのか思い込みなのか怪しいところの評価による。ともあれ、彼女のお蔭で蓮太郎は基本的な武装を無償で司馬重工から仕入れており、財政事情の厳しい天童民間警備会社には救世主ともいっていい存在である。

 

 無論、その好待遇と引き換えに交換条件はある。自社プロデュースのCM出演や、新兵器開発支援、そして勾田高校への入学、これらの条件を蓮太郎が呑むことで成り立っている。

 

 民警とこういった兵器製造会社の提携は、そう珍しいことではない。主に序列の高い民警とスポンサー契約のようなものを結ぶと、自社製品の宣伝効果にもなり、彼らの使用する武具のプロトタイプやモデル製品といった幅広い開発も行える。民警側も広告収入や出演費用といった金銭面でのプラスもあり、上手くいけばWINWINの関係になれる。

 

 また、具体的な詳細は不明だが、司馬流という戦闘技法を習得しているようで、自前の鉄扇を武器に殺り合いは出来るらしい。天童流という由緒ある流派を『にわか』と評し、超常的な剣の技法を持つ天童木更とも拮抗できている(?)辺り、相当な手合いだと予想される。

 

 そして、前述の文からある程度察せるように、木更とは壊滅的なほど仲が悪い。

 

 三章にて登場。美ヶ月樹万と電話越しに初めて接触する。蓮太郎が気にかけているということもあって、すぐさま興味を抱いた彼女はコンタクトを試みている。近々、対面しての話し合いの場を設けたいと思っているらしい。

 

 

 原作ではもう少し登場の頻度は高い。作中のバックアップはかなりのレベルで、蓮太郎が次々序列を上げる中での、室戸菫に次ぐ影の功労者といえる。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

・エイン・ランド

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。外見や年齢は不明。男性。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 四賢人の一人。機械化兵士計画アメリカ支部『NEXT』元最高責任者。

 

 ティナ・スプラウトという強化兵士を『造った』天才。ティナの他にも成功例となる強化兵士が多数存在するようだが、詳細は不明。彼女の言から察するに、自身より実力的に上の人物も数人いる模様。

 

 手術方法から、呪われた子どもたちを大量に殺害していることが判明。同じ四賢人である室戸菫からはひどく嫌悪されている。

 

 三章でティナとともに東京エリアで暗躍。主に情報提供役を務める。彼個人に戦闘能力は無く、作戦中も本国にある研究所から指示を飛ばしていたと予想される。

 

 ティナ撃破後はあっさりと雲隠れし、彼女との繋がりを一切絶っている。しかし、ティナが自分を少なからず知っている人物であることは変わりないため、保険として彼女より高位の強化兵士を秘密裏に派遣し、始末しようと目論んでいる。

 

 

 原作でも同様にティナの補佐役兼プロモーターとして聖天子暗殺を指示。彼女が蓮太郎に撃破された後は、やはり諸々のつながりは絶っている。

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

保脇(やすわき) 卓人(たくと)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。目にかかる程度の長さの茶髪に、白い外套を着こむ男性。聖室付護衛隊隊長。階級は三尉。防衛大学主席卒業。

 

 学もあり、人当たりもよく、『高級の人間たち』からの評判も良い。六人ほどいる他の聖室付護衛隊隊員をまとめる隊長。作中では常に隊服となる外套を纏い、腰に拳銃を差している。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 しかし、彼の本性は聖天子を我が物とするために、東京エリアを支配しようと企む外道。そのため、蛭子影胤の撃破、そしてスコーピオンの撃滅といった絶大な功績を残し、聖天子から信頼を得ている里見蓮太郎に殺意まじりの嫉妬を持っている。

 

 本作では登場時から蓮太郎に剥き出しの敵愾心を露わにし、それを軽くあしらわれたことから更に敵意に磨きがかかっている。依頼遂行中のどさくさに紛れて始末するための方策を優先的に練っていたお蔭で、肝心の聖天子護衛が蔑ろになっていた。

 

 ティナ戦終了後、蓮太郎や美ヶ月樹万の功績を横取りするために再度現れる。樹万を不意打ちで銃撃し行動不能に、既にティナ戦で重傷の体であった蓮太郎はこれに対応できず他の隊員に捕縛。事態は最悪の結末を迎えようとしていた。

 

 そこへ突如、撃ち殺されたと思われた樹万からの支援が入り、縛を抜けた蓮太郎によって頭部を銃撃され、死亡する。その一部始終を見ていた聖天子は、彼の本性を知り自省している。

 

 

 原作では本性を表すのが少し遅れる。蓮太郎との初顔合わせでは、聖天子の御前であることもあって極丁寧な対応をしており、彼の言動に何となく嫌なものを感じていた蓮太郎だが、最終的には気のせいという結論を出している。

 

 のちに本作と同様の行動を見せる。VSティナの終盤に蓮太郎を嵌め、ティナ共々殺害しようと画策するが、その一歩手前で聖天子に介入され、国家元首の特権を行使し蓮太郎の序列を三百位に上昇、保脇より階級の高い二尉となる。恐怖に慄く彼は右肩と左脇、そして親指を蓮太郎に銃撃され、戦意を完全に喪失した。

 

 その後、度を過ぎた恐慌状態により精神を病み、精神病院に入院している。

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

松崎(まつざき)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。眼鏡をかけ、優しそうな笑顔が特徴の初老の男性。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 第三十九区のマンホール下にある拠点で、呪われた子どもたちを保護している。そこはかつて美ヶ月樹万が整備、拡張しており、マンホールの直下とは思えない構造と良好な衛生環境になっている。

 

 彼は主に呪われた子どもたちの小・中等教育のほか、因子の発現による能力拡張、昂ぶる感情のコントロールを自発的に引き受けている。

 

 無辜であるはずの幼い少女たちが迫害され続ける世の現状を憂い、志を共にする樹万と結託して多くの子どもたちを救ってきた。彼女たちからは長老という愛称で親しまれている。

 

 本作では三章で登場。樹万がティナをマンホールへ案内した際、彼女と出会ってすぐにその苦悩を見抜いた。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 四章にも登場。樹万の提案により、彼が普段から行っている学校教育を蓮太郎や木更が代替した。

 

 

 原作でも同様に三十九区の呪われた子どもたちを保護。しかし、本作の四章にあたる内容で、暴徒と化した東京エリア住民による攻撃を受け、子どもたちの多くを亡くしてしまう。しかし、蓮太郎の彼女たちに対する真摯な姿勢を見た松崎は、ある程度持ち直してきている。

 

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

斉武(さいたけ) 宗玄(そうげん)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。獅子のような面持ちの高齢の男性。齢65。現大阪エリア国家元首。

 

 

 

 

 

────ここから三章既読後推奨────

 

 

 独裁的な政治や重税などで批判を浴び、過去17回に渡り暗殺されかけた。その中でも当人はどこ吹く風と体制を改めるつもりはない。

 

 天童菊之丞とは旧知の間柄。ガストレア戦争以来からの政敵であるらしく、波風を立てない意図からか、彼の不在時に聖天子との会談を行っている。

 

 三章にて登場。名前のみで直接的な描写は無いが、聖天子との会談の際、蓮太郎と顔を合わせるなり口汚く罵り合った。

 

 そんな口上に見合った過激な思想の持ち主で、線形超電磁投射装置、『天の梯子』を月に移送し、抑止力として運用する計画も飛び出している。しかし、スコーピオン撃滅の際に無理な動作で行使したため故障。以後の使用は絶望的となっている。

 

 

 原作では会談の様子が描かれている。傍若無人で傲慢極まりない態度のまま、蓮太郎や聖天子と接する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【四章 『識別不能・S-Ⅳガストレア・アルデバラン』 登場人物】

 

 

片桐(かたぎり) 玉樹(たまき)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。くすんだ金髪に時代錯誤なパンクファッション、アメリカ被れな口調が特徴。イニシエーターは妹の片桐弓月。序列は初期時点で1850位。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 自宅と事務所兼用のボロ屋で、妹の弓月とともに暮らしている。四章にて彼の家を訪問した里見蓮太郎は、自分たちの事務所より酷いところがあるとは、と戦慄していた。一方、中の環境も劣悪で、床に溢した牛乳を拭いたあと、丸一週間ほど放置した雑巾のような悪臭がする。また埃だらけで、ゴミも散乱している。

 

 序列から見て分かる通り、実力は確か。バラニウム製のナックルダスターを拳に巻き、決して素人ではない踏み込みと殴打で敵を粉砕する。また、ブーツにもバラニウムチェーンソーを仕込んでおり、その鍛え抜かれた体幹から繰り出される攻撃はどれも強力。中距離戦では愛銃のマテバを使用。

 

 また、蜘蛛の因子を持つ弓月との相性もよく、タッグを組んで戦うと、途端にパワータイプとは思えないテクニカルな戦闘法を見せる。常人には弓月の張る糸を視認することはできないが、普段からつけている飴色のサングラスを通すと可視化することができるため、彼自身が罠にかかることはない。

 

 実は二章の『蛭子影胤追撃作戦』に参加しており、一度里見蓮太郎とは輸送ヘリ内で出会っている。その時に互いに顔見知りとなったからか、四章にて対アルデバラン用のアジュバントを組む際、何とか彼を頼れないかと蓮太郎は思っていた。結果は散々であったが(既に弓月からの印象は最悪という有様)。

 

 弱者にはつかないというモットーの元、美ヶ月樹万、ティナ・スプラウトの即興ペアと戦い、結果彼らの実力を認めた玉樹は、蓮太郎率いるアジュバントへ参入。後に出会った天童木更に一目惚れし、使い走りのような真似をして得点稼ぎをしている。

 

 

 二章の蛭子影胤追撃作戦への参加も含め、現状弓月ともども原作通りの動向。

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

片桐(かたぎり) 弓月(ゆづき)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。兄である片桐玉樹と同じ金髪にパンクファッションが特徴の少女。蓮太郎をロリコンと詰り、顔を合わせれば敵意をむき出しにしている。

 

 作中で初登場した際にはランドセルを背負っており、学校に通っていることが伺える。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 モデル・スパイダー、蜘蛛の因子を持つ。高い跳躍力と瞬発力、粘度の高い蜘蛛糸といった要素を活かし、素早くテリトリーを作って敵の身動きを封じ、確実に倒すという戦法を取る。

 

 戦闘を行う場合、弓月の素性を知らない初見での対応は難しく、気づいたら不可視の蜘蛛糸に取り囲まれ、雁字搦めにされてお終い、というケースが多い。これに玉樹の援護が加わると更に強力な包囲網となり、並のペアでは太刀打ちできない。派手さには欠けるが、型に嵌まれば先ず負けることは無いといえる。

 

 アジュバント内のイニシエーター陣とは意識的に距離を取っていたが、藍原延珠の持ち前の快活さと容赦のなさから無理矢理輪の中に引っ張り込まれたが、既に馴染みつつある。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

我堂(がどう) 長正(ながまさ)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。禿頭に年齢相応の厳つい面構え。日本鎧の姿が似合う男性。御年57歳。民警。序列は275位。イニシエーターは壬生朝霞。

 

 知勇兼備の英傑と呼ばれ、武のみではなく戦術眼にも長ける。高齢の身ではあるが実力は凄まじく、序列百番台にふさわしい剣術を備えた猛将。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 本作四章に登場。第三次関東会戦を迎えるにあたり、結成された民警軍団の団長を務める。その鋭い口調と不動の面持ちから、瞬く間に不良だらけの民警をまとめ上げた。

 

 しかし、自陣へ攻め込んで来たアルデバランの実力を計り違え、踏み込み過ぎた彼と、そのアジュバントのメンバーは逃げ場を失う。それでも自身を囮とし、メンバー全員を攻撃範囲から離脱させることに成功。その際に激しい攻撃を受けたことにより、致命傷を負っている。

 

 その状態でも朝霞を父心から逃がすため、尚も囮を続行。最終的には下半身を集中攻撃され、自立できなくなったところを拘束、四肢を貫かれる。

 

 最期は、戦場にかけつけた美ヶ月樹万の援護もあり、決死の特攻を試みてアルデバランに肉薄、その命と引き換えに頭部を吹き飛ばした。

 

 

────ここからオリジナル設定────

 

 

 学生時代から親交のあった女性と一度結婚しており、英彦という息子を持っているが、ガストレア大戦にて両親ともども彼女を失っている。その後は一度自衛隊に志願し、己を磨く過程で一人の女性と出会う。

 

 名を春歌。彼女は両親と兄をガストレア大戦で亡くし、失意の中で日々摩耗する精神に耐えきれず、モノリス外へ出て自ら命を絶とうとモノリスへ足を運んだ。

 

 当時、偶然そのモノリスの周辺警戒、管理の任に就いていた我堂長正は、春歌が外周区外へと直線に進む様子を目撃、間一髪で連れ戻すことに成功した。それ以来、何かと彼女の様子が気になっては顔を合わせるようになり、親交は深まっていった。その甲斐あってか、退院後に結婚している。

 

 長正はやがて自衛隊という組織で得られる自身の成長要素に限界を感じ、身勝手な戦闘行為や隊の規律を乱す訓練等を行うようになった。それらで発生した問題は全て、自身が強くなるためには仕方ないことだと歯牙にも掛けなかった。

 

 その中で、ひとつの事件が起きた。

 

 ある日、定期的に行うモノリスの警固の任に就く筈だった長正は、いつものようにそれを無視して自身の鍛錬に打ちこんでいた。基本的にモノリス拠点警護は二人組で行うため、既に相応の肩書きを得ていた彼は、自身より下位のペアが選出された場合、ほぼ全て相手方へ事前に口止めした上で横着していた。

 

 そこへ、運悪くモノリスを高飛びしてきたガストレアが突如として奇襲。入隊して一年と間もない隊員はこれを撃破できず死亡し、周辺市街への侵入を許した。唐突なことで対応が遅れたこともあり、犠牲者は数十人に上った。────そして、その中に春歌との間に生まれ、今年で8歳になる愛娘が、含まれていた。

 

 幸い、自衛隊内での責任の所在は長正ではなく、当時バラニウム銃器の支給を怠っていた『下』へ流れた。

 

 確かに、ただの銃弾では攻撃したところでガストレアを殺せはしない。だが、彼ほどの腕前であれば長時間の足止めは十分可能であり、その道のプロである民警が来るまで現場に縫い付けることはできた。

 

 そして、我堂長正は責任を取る意も込めて自衛隊を辞め、民警になった。また、彼は先の失態から何よりも規律を重んじ、和を乱すことを嫌うようになる。

 

 ────終始、何よりも求め続けた強さ。それは結局、彼をどこまでも弱者であると自覚させるためのものでしかなかったのかもしれない。

 

 

 原作では同じく第三次関東大戦で死亡している。

 作中でも示した通り、本作に登場するアルデバランは通常よりも強力で、本来なら二度目の交戦で命を落とすはずが、初戦での敗北を喫した。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

壬生(みぶ) 朝霞(あさか)

【挿絵表示】

 

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。艶やかな長い黒髪に、凛とした佇まいが特徴の少女。我堂長正のイニシエーター。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 長正ととともに第三次関東会戦に望む。交戦時は主に刀を使用して立ち回り、その矮躯からは想像もつかない程の速度と腕力の太刀筋で敵を両断する。

 

 普段から冷静で泰全自若としているが、不測の事態にめっぽう弱い。また義に厚く、礼節を重んじる気質。一度弱い部分を見せてしまったからか、美ヶ月樹万に対しては距離感を計りかねている。

 

 

────ここからオリジナル設定────

 

 

 一時、我堂長正、春歌との間の疑似的な娘役を演じた。そして、再び顔を合わせる資格はないという長正の代わりに、春歌の心へ一時とはいえ安息を取り戻した立役者。

 

 朝霞は誠実で実直な性分であるため、組んで来た民警との間の軋轢は絶えず、プロモーター候補となる我堂長正と初めて出会った当時は、重度の人間不信に陥りつつあった。

 

 それを見た長正により春歌と会うように強要され、さらには娘として振る舞えなどという無茶振りもされたことから、当初の彼への印象は最悪だった。

 

 だが、春歌と会話を重ねていく内に忘れかけていた母の暖かさを想起し始め、彼女に対する信頼を確たるものにしていく。そして、偽りとはいえ娘として在る自身を受け容れ始めた矢先、春歌を亡くす。

 

 そこでようやく、何故長正が春歌と出会うことを己に強要したのかを知り、同時に彼への忠誠を誓うに至った。

 

 

 原作では、アルデバラン戦を長正と共に試み、生存。しかし、プロモーターである長正は死亡したことから、アジュバントに属すことが出来ないという現状。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

我堂(がどう) 春歌(はるか)

 本作、『弱者と強者の境界線』オリジナルキャラクターの一人。長い黒髪のおっとりとした女性。43歳。我堂長正の妻。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 幼少の頃は負けん気が強く、周囲を進んで引っ張っていくような性格の少女だったが、ガストレア大戦で次々肉親や友人を亡くすにつれて精神を病んでいき、その頃の面影は完全になくなっている。

 

 最後の肉親であった兄を亡くし、天涯孤独の身となった折に自殺を決意。モノリスの外へ出ようとする。方法として、高所からの飛び降り等を選択しなかったのは、万が一ではあるが、ガストレアとなってしまった自分の親しいひとに殺して貰えるかもしれない、という一種の願望の表れである。

 

 結果から言うと、偶然その場に居合わせた我堂長正に救われ、酷く憔悴していたことから病院へ移送された。その後は何かと長正が顔を出しては語り合い、過去の境遇が似ていることから共感が多くかったため、互いを励まし合いながら少しずつ生気を取り戻していく。

 

 退院と同時に結婚。その三年後に出産し、朝香(あさか)と名付ける。春歌に似て綺麗な長い黒髪をしており、彼女の髪を梳かすのが毎日の楽しみだった。

 

 朝香が8歳になって間もなく、夕食の買い出しに行っていた最中に自宅をガストレアが襲撃。既に学校から帰っていた朝香はこれに巻き込まれ、死亡。その後、警報から異常を察知した春歌は急いで帰宅するが、変わり果てた娘の姿を発見する。直後に彼女は絶叫し、意識を失う。

 

 強烈な精神負荷により多臓器不全となった春歌は、余命一年と医師から宣告される。食事も少しずつとれなくなっていき、徐々に衰弱していくなかで、長正の計らいにより娘と瓜二つの少女、壬生朝霞と出会う。

 

 春歌は朝霞の姿を霞む意識の中で朝香と幻視したが、会話を重ねるうちに別人と気付く。にも拘らずこの逢瀬を続けたのは、朝霞が自分を必要としていることにも同時に気がついたからである。彼女のために母としての役目を最期まで全うしようと、春歌は生存を望み始めた。

 

 しかし、既に生命維持機能の多くを失いつつあった春歌は、ついに死神の足音を聞く。意識混濁状態に陥りながらも、一度奇跡的な回復を遂げ、朝霞の来訪まで命を繋ぎ続けた。

 

 そして、ずっと告げたかったその言葉と、自身の手で渡したかったお守りを朝霞に握らせた春歌は、その期を見計らったかのように黄泉へと攫われていった。

 

 

 

 

 

---------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

薙沢(なぎさわ) 彰磨(しょうま)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。色素の抜けた白髪に切れ長の瞳。長いコートとバイザーを身に付ける青年。イニシエーターは布施翠。序列は970位。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 美ヶ月樹万からして、『隙の無い男』と言わしめた実力未知数の人物。細めとはいえ樹木を拳打で叩き折っている。また、SIG SAUER P226も腰に帯銃し、戦闘ではケースバイケースで扱うと思われる。

 天童の持つ流派の一つである天童式戦闘術を修める。段数は八。同じ道場で教えを受けていたため、里見蓮太郎とは兄弟子の関係。あの捻くれ者の蓮太郎が一切の皮肉なしに評価することから、人格的にも非常に秀でていることが伺える。

 

 本作四章にて初登場。第三次関東会戦間際にメンバー候補として現れ、参入を提案する。戦力不足どころか必要人数すら満たしていなかった蓮太郎はこれを快諾、大幅な戦力の増強を期待されている。

 

 

 原作でも同時期に登場。メンバー不足に悩む蓮太郎の救世主として現れた。

 

 

 

 

 

-----------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

布施(ふせ) (みどり)

 原作、『黒の銃弾』の登場人物の一人。長めの白髪を三つ編みにし後背で一つに纏め、魔女のような三角帽子を被った少女。薙沢彰磨のイニシエーター。

 

 重度の人見知りで、初対面の人との会話ではほぼ確実に噛む。噛むと照れ、彰磨の影に隠れる。しかし、人とのかかわり合い自体が嫌いという訳ではないらしい。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 モデル・キャット。猫の因子を持つ。素早い動きと鋭利な爪を組み合わせたコンビネーションで、敵を翻弄しながら切り刻む。猫特有の嗅覚も備わっており、これを活かした索敵などの情報収集も可能。また、匂い占いという技を持ち、人の持つ個々の匂いを嗅ぎ分け占いを行うことができる。

 

 翠は作中に登場する複数のイニシエーターとは一風変わった特徴を持つ。それは頭頂部にある猫耳であり、ガストレア因子の強い影響により骨格が変化することで現れたとされる。彼女はこれに強いコンプレックスを持っており、普段はこの耳を隠す目的で帽子を被っている。

 

 だが、樹万の気遣いと思いやりに心打たれた翠は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で自らの特徴をメンバーに開示する。この甲斐もあり、延珠を筆頭にイニシエーターたちからは軒並み羨ましがられ、彼女が当初抱いていた不安は杞憂に終わっている。

 

 

 原作でも同様に、プロモーターである薙沢彰磨とともに里見蓮太郎のアジュバントへ参入。匂い占い等の特技を活かし、チーム内には早々に解けこんでいる。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

我堂(がどう) 英彦(ひでひこ)

 原作『黒の銃弾』の登場人物の一人。眼鏡をかけ、いかにも戦場には不向きそうな体幹をした男性。民警。序列は2187位(※本作独自設定)。イニシエーターは心音。

 

 第三次関東会戦にて、里見蓮太郎率いるアジュバントが所属する一個部隊の中隊長を務める。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 父である我堂長正によって、半ば己の意志を無視された形で民警になっている。そのため、民警として踏んだ場数も数えるくらいで、戦闘行為に対しては全くと言っていいほど免疫がない。高めの序列も、全て長正による取り計らいから得ている。

 

 英彦がこうなるに至ったのは、長正の最初の妻、すなわち己にとっての母がガストレアに為す術もなく殺されてしまったところを目撃したことによる。元々は利発な少年であったが、それ以降はガストレアに対し過剰な恐怖を抱くようになり、民警発足以降も頑なにその道へすすむことを拒んだ。

 

 四章登場時、心音を胸に抱きながら自衛隊の勝利を祈り、自身に戦闘のお鉢が回ってくることを恐れた。が、その祈り届かず自衛隊は敗北し、ガストレアの大群と対することとなる。

 

 しかし、戦闘中に空から降り注いだ銀の槍によって戦意を喪失。砲撃に巻き込まれる一歩手前のところを蓮太郎と延珠に救われ、発破をかけられる。

 

 守るべきものが隣にいることを再確認した英彦は、再び戦場へと目を向ける。今度は逃げるためではなく、挑むために。

 

 原作でも同様に第三次関東会戦にて登場する。しかし、突如として降り注いだ銀の槍によって心音を失い、平静を失っていたところをガストレアにより襲撃され、死亡している。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------

 

 

 

 

・モンスタア・イエローギフト

【挿絵表示】

 

 本作『弱者と強者の境界線』のオリジナルキャラクター。言うまでもなく偽名である。本名があるのかは不明。

 金髪碧眼。ボロボロのぬいぐるみを手に持つ片角少女。衣服は何故か非常に損傷している。

 

 

 

 

 

────ここから四章既読後推奨────

 

 

 IP序列第三位。モデル・アンノウン。

 

 人の形をした正真正銘の化物である。降り立っただけで地面を陥没させる、ガストレア数十体を一度に挽肉にするなど、強力なパワータイプ。二つ名は『虚の少女(イミテーション・テンプテーション)

 

 ガストレアを玩具と称し、戦闘に対しては積極的である節が伺える。また、無邪気な笑顔が印象的。何故か唐突に口が悪くなることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────・用語紹介・────────

 

 

※人物紹介と同様に章ごと明らかとなった用語を解説していきます。予め指定されている章を閲覧した後、ご覧になることを推奨いたします。

 

 

 

 

 

【一章 『弱者・美ヶ月樹万』】

 

 

・ガストレアウイルス、ガストレア

 突如として出現し、瞬く間に世界に蔓延したウイルス性寄生生物。これに感染し、ウイルスの持つ特定の生物遺伝子情報を元にDNAを書き換えられ、姿が大きく変質した人間をガストレアと呼ぶ。

 現状、ガストレアウイルスは人間にのみ感染することが分かっている。感染経路は血液。ガストレアに直接ウイルスを注入されない限りはガストレア化することはないが、口内に入った場合でも決して無害という訳ではない。その最たる例として、妊婦に対する影響である。ガストレアウイルスに長期間曝されることで胎児の中にウイルスが蓄積し、『呪われた子どもたち(※後述)』として生まれる場合がある。

 量によって変化はするものの、ウイルスのDNA改変速度は常軌を逸しており、大量に血液へ投与されると数時間、もしくは数分の後に人の遺伝情報は完全に抹消され、異形へと変わる。その変異のラインが存在し、体内侵食率と呼ぶ。これが50%を超えると形象崩壊を起こし、突然変異と言った不確定要素はあるものの、大体はウイルスの持つ因子に則した外見へと変化する。

 こうして人からガストレアとなった怪物には、取り込んだ生物のDNAの量によってレベルが変動する。有効とされるバラニウム(※後述)に対する抵抗度合いも変化。以下にその例を示す。

 

 

ステージⅠ:基本単因子。身体のどこかにバラニウム製の銃弾を撃ち込むことができれば、その部位は再生不可能となるため、大きな行動制限を期待できる。バラニウム武具の斬撃・打撃なども非常に有効。急所を狙った場合はほぼ即死させることが可能。

 

ステージⅡ:複数因子により構成。特徴も二つほどの生物のものが混ざり始める。バラニウムの再生阻害効果をある程度無視できるが、攻撃されれば運動能力を十分に奪える。ステージⅠと同様に、急所を狙えば即死させることが可能。

 

ステージⅢ:多数の因子により構成。外見だけではどれほどの生物の遺伝子を取り込んでいるのか判別がつかない場合が多く、危険。足や手などを失っても再生が可能。急所以外の部位に傷をつけてもあまり効果的ではないため、心臓や脳を優先的に狙う必要がある。

 

ステージⅣ:無数の因子により構成。ガストレアの完全体。一個の民警ペアで挑むのは自殺行為。戦車や戦闘機などを動員して討伐するのが最も手堅い手段。個人が立ち向かうには対戦車ライフルやロケットランチャーなどが最低限必要となる。

 

ステージⅤ:通称、ゾディアック。ガストレアの変異体。災厄の具現。バラニウムの磁場を無効化し、モノリス(※後述)を破壊できる唯一の個体。対抗できる手段は片手で数えるほどしかなく、人類の九割が死に絶えた諸悪の根源と言われる。現在、世界で12体(原作では11体)確認されている。

 

 

 特に危険な特徴を持つステージⅣ、そしてステージⅤ全種には主に星座の名にちなんだ識別名が与えられ、畏怖されている。

 

 

 

 

 

・ガストレア大戦

 異形の怪物、ガストレアと人間の間で起きた全面戦争。西暦2021年に人類側が事実上の敗北宣言を行い、2031年時点で生き残っている世界人口は戦争前のおよそ一割ほど。それに止まらず、人間の活動領域もガストレアにその大半を侵略され、大幅に減退している。

 

 

 

 

 

・エリア

 日本を東京・大阪・札幌・仙台・博多の五つに分けた国家の総称。それぞれはガストレアの侵攻により居住地域を限定され、モノリス(※後述)という壁の内側に閉じこもって生活している。また、各エリアには民衆をまとめ上げ、法などを布く国家元首という人間が一人ずつ存在する。

 本作の舞台は東京エリア。前述のモノリスが、今でいう関東平野の東京都、神奈川県。千葉県、埼玉県の一部に点在し、ぐるりと取り囲むことによってガストレアの侵入を防いでいる。東京エリアは初代聖天子によって四十三区制に改称しており、聖居(※後述)が存在するのは第一区。エリア中心部に迫るにつれて数字は低くなっている。

 

 

 

 

 

・呪われた子どもたち

 ガストレアウイルスによって影響を受けた母体から生まれ落ちる嬰児の総称、または蔑称。人間がガストレアに対抗できる数少ない希望の一つを担う。

 呪われた子どもたちはその全てが女性。その理由は、ガストレアウイルスの影響で性別決定の段階に胚が何らかの異常を来し、男性へと分化しないからである。また、生まれたときは目が赤く光っているため、すぐに『どちらか』の判別がつく。

 ウイルスの抑制因子を生まれつき備える。完全に抑制は出来ないが、自身の体内に在るウイルスを使用して、その生物由来の能力を発現させること、そして高い自己再生機能を繰り返し使用しないことで、通常の人間と同様の寿命で生を全うできるという。

 

 

 

 

 

・民間警備会社

 作中では主に民警という。会社では基本的にイニシエーター(※後述)とプロモーター(※後述)両名のペアが社員として起用される。『民間』と称されるだけあり、その規模は大小さまざま。大手から零細までなんでもござれで、そういったことから貧富の差や人間性の差などが浮き彫りになっている。

 ガストレアに対する対策、抗戦を一手に引き受ける。当初は警察組織がその役目を担っていたが、人間の起こす乱痴気騒ぎとは一線を画し、若手から熟練まで対応が全く取れず、死亡率が凄まじい勢いで上昇したことから発足した背景を持つ。そのため、己の領分であったはずの案件を奪われた警察側は面白くなく、民警との関係は良好とは言い難い。

 ガストレア戦に置いての民警らの戦果は途方もないものであるが、それでも『呪われた子どもたち』というガストレアに極めて近しい存在であるイニシエーターを使役する彼らに対し、向けられる社会の目は厳しい。

 

 

 

 

 

・イニシエーター

 生物学でいうところの開始因子。ガストレアウイルスによって身体能力、再生能力を飛躍的に上昇させた『呪われた子どもたち』を、IISO(※後述)や国家が戦闘要員として運用する際に用いられる名。

 IISOにて専門の教育を受けた後に民警許可証(ライセンス)が交付され、必ずプロモーター(※後述)と契約する。イニシエーターとなった彼女たちには侵食抑制剤が支給され、毎日一度の投与が義務付けられている。これはガストレアの明確な対抗手段であるため、必然的に戦闘が多くなり、それに伴ってガストレアウイルスの持つ生物因子の力を引き出したり、大なり小なり怪我を負うことから、体内侵食率の上昇をウイルス抑制因子のみで抑えるのは難しいからである。

 現状、各国の世論やプロモーターの大半が不良気質であることも災いし、イニシエーターのほとんどは対ガストレア戦の道具、兵器扱いをされている。

 

 

 

 

 

・プロモーター

 生物学でいうところの加速因子。IISOが主導する必要な教育を受けたあとに適性試験を受け、民警許可証(ライセンス)を発行されることでイニシエーターとペアを組み、初めて民警として活動できる。

 民間警備会社に所属し、警察組織からの要請を受けて現場へ急行、適切な対応を取る。とはいえ、やることといえばチャカぶっぱなして怪物をぶち殺すことなので、頭の良さはあまり関係ない。そういった仕事柄が不良連中に好まれ、暴れたいだけの人間が多く参入しているのが現状。

 しかし、プロモーターにはIISOの設定するIP序列(※後述)というシステムがあり、それを上昇させなければ民警として回ってくる仕事は皆無。そして、ただの暴漢如きでは高位序列に食い込むことはまず不可能である。

 

 

 

 

 

・バラニウム

 ガストレアに対し、人類が明確に対抗できる手段を担う要。黒い金属。通常は銃弾や武具に加工され、対ガストレア戦に組織された民警が使用する。

 ガストレアが嫌う磁場を発生させることから、超巨大なバラニウムの巨壁、モノリス(※後述)の加工に利用される。また人間の生体電気にも反応する特性から、機械化兵士計画(※後述)発足の要因となっている。

 主に火山列島に偏在していることが確認されており、日本はとりわけ埋蔵量が多い。そのためか、バラニウムの安定供給を求める各国は日本に目を向け始め、あらゆる手段をもって鉱脈を強奪するだろうと予想されている。

 このことから、バラニウムの所持量は即ち国力に比例すると考えられているが、世界各国の地中に眠る有限のバラニウム、その全てを用いたとしてもガストレア全てを絶滅させるには足らない、という試算が既に明らかにされている。

 

 

 

 

 

・モノリス

 ガストレアに対し嫌悪感を伴う磁場を発生させるバラニウム。これをブロック状に積み上げて、幅およそ1km、高度およそ1.6kmまで築いた漆黒の巨壁。

 通常、高度100mまで積み上がった時点でガストレアは侵入できなくなるという試算があったが、かつて超高高度から飛行型ガストレアが飛来したという過去があり、現在はそういった不測を可能な限り潰すため、1.6kmという高さになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【二章 『強者・蛭子影胤』】

 

 

・IISO

 国際イニシエーター監督機構。呪われた子どもたちの志願を募り、イニシエーターとして教育、訓練を行うほか、身柄の管理も行っている。各民警ペアのIP序列勘案と決定、侵食抑制剤の支給も行う。

 

 

 

 

 

・IP序列

 イニシエータープロモーター序列。IISOが規定する民警ペアの実力指標。基本的に序列は両名の挙げた戦果により決定されるが、イニシエーター単独の数値で算出される場合もある。千番台、百番台という値毎の大台があり、その数字の端数帯に居るペアは先ずキリの良い概数帯を目指す。そして、百位以内から序列について『二つ名』が与えられるという。

 序列が上がるごとに機密アクセスキーという、世界が隠匿したガストレア関連の情報を一部閲覧できる権利を与えられる。千番台でレベル3。十番台となれば最高レベルの13となる。また、それに合わせて疑似階級と呼ばれるものも与えられ、軍人と同様に下位の人間に対し命令権を獲得することができる。しかし、これは政府による『首輪』の意味合いの方が強い。

 片方が死亡したり、重大な規則違反でペアの登録が抹消されたりした場合は、数値はリセットされる。

 

 

 

 

 

・ガストレア新法

呪われた子どもたちの基本的人権の尊重に関しての要項を審議し、改訂するという法案。これに対し、奪われた世代による反発は強い。

 

 

 

 

 

・七星の遺産

 謎に包まれた、ステージⅤガストレアを呼び寄せる『触媒』。その正体は壊れた三輪車。通常は未踏査領域の何処かに保管しているらしいが、具体的な居所は一切不明。

 『取り返しに来た』という聖天子の発言をそのまま鵜呑みにすれば、元々は彼等の持ち物、ということになるが、これも同様に一切不明。

 

 

 

 

 

・奪われた世代

 ガストレア大戦を生き抜いた人間。世界人口の八割方を占める。ほぼ全員が家族や親戚筋をガストレアにより殺害されているため、ガストレアに関する恐怖と憎悪は非常に高い。

 

 

 

 

 

・無垢の世代

 ガストレア大戦以降に生まれた人間。呪われた子どもたちの第一世代がガストレア大戦の渦中で生まれているため、これに当たる。

 

 

 

 

 

・未踏査領域

 モノリスの外側に広がる、かつて人間が住んでいた世界。現在はガストレアの侵攻により事実上人間の居住は不可能。ガストレア大戦から十年の歳月がたち、市街は既に荒廃、森に呑まれている。

 

 

 

 

 

・超バラニウム

 無重力状態でバラニウムをベースにレアメタルとコモンメタル数十種類を掛け合わせた、通常のバラニウム金属より数倍の硬度と融点を持つ次世代金属。作中ではこれより配合率を調整し、低純度で生成した超バラニウムも存在する。

 

 

 

 

 

・線形超電導投射装置

 レールガンモジュール。またの名を天の梯子。東京エリアにほど近い未踏査領域に鎮座する、『奪われた世代』の残した遺物。直径800mm以下の金属飛翔体を亜光速まで加速し、撃ち出せる兵器。

 完成後、ガストレア侵攻により放棄され、一度も使用されることないまま忘れ去られようとしていた。

 

 

 

 

 

・バレットナイフ

 謎の人物、『オッサン』が美ヶ月樹万へ譲渡した、銃とナイフ両方の役割を備えるタクティカルナイフ。

 ナイフはボタンロック式で、取り付け後にロックを掛けることでナイフとして運用できる。そして、ロックを解除し、また銃口から吐き出すものを銃弾ではなく炸薬にしている場合、引き金を引くことで前部のナイフを射出することが可能。それ以降は再びナイフを取り付けて戦うもよし、銃弾を詰めて戦うもよしという幅広い戦闘方式を取れる。

 初期時点では自動排莢を可能にするエキストラクターやエジェクター等は取り付けられておらず、装弾や排莢は一発ごとに手動で行わなければならなかったが、二章中盤以降は室戸菫の改造と改良を受けて、セミオートマチック方式の射撃が可能となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【三章 『弱者・ティナ・スプラウト』】

 

 

・機械化兵士計画

 オーストラリア支部『オベリスク』元最高責任者アーサー・ザナック、アメリカ支部『NEXT』元最高責任者エイン・ランド、日本支部『新人類創造計画』元最高責任者室戸菫、そして統括責任者であるアルブレヒト・グリューネワルトの以上四名、四賢人と言われる天才たちが集って立案した、機械化兵士と呼ばれる人間を生み出すプロジェクト。

 この計画は、今まさに死に向かう人間を救うために在る、という前提があり、そこからさらに患者に機械化兵士として新生する施術を受け容れるか否か問う、といった規則があった。しかし、思想の違いは各人激しく、それが四賢人たち全ての間で堅守されてきたのかは甚だ疑問である。

最終的には、手術成功率の低さ、そして莫大な経費、極めつけは何のリスクもなく自然発生的に生まれてくる『呪われた子どもたち』が、彼らの開発した機械化兵士に負けずとも劣らない能力を備えていた事から、ガストレア大戦終戦時に頓挫した。

市井では都市伝説の一つとして囁かれている。

 

 

 

 

 

・ゾーン

 イニシエーターが『成長限界点』を突破した先の姿。超高位序列者の大半はこれに至った者達で占められており、このことからゾーン到達者は途方もない能力を持つと予想される。数多いるイニシエーターの中でも、これを為せるのはほんの一握り。

 

 

 

 

 

・強化兵士

 四賢人の一人、エイン・ランドが実行した、呪われた子どもたちに対する機械化手術。通常の手術器具では傷が再生してしまうため、再生阻害効果のあるバラニウム製の器具を使用して施術する。

 人間を基礎(ベース)とした機械化兵士の手術でさえ成功率が低いにもかかわらず、自然治癒能力をほぼシャットアウトしてしまうことことから、その成功率は更に落ち込んでいる。

 

 

 

 

 

・BMI

 ブレイン・マシン・インターフェイス。手足等の一部が不自由となってしまった患者のために開発されたシステム。使用者の脳波をコンピュータが受け取り、電気信号に変換することで、義手などを思った通りに動かし、近くの物を取ったり持ち上げたりできる技術。

 これをティナ・スプラウトは応用し、脳にニューロチップを埋め込むことで複数の機器と交信を行い、ビットや遠隔操作モジュール等を操る。しかし、本来であればニューロチップが演算処理の過程で熱を持つため、使用者の脳を焼いてしまうことから、実現は不可能とされていた。

 四賢人の一人であるエイン・ランドはこれを実現しており、狙撃兵として超常的なポテンシャルを演出していた。それでも限界はあり、同時に操れるビットは三つまでと言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【四章 『識別不能・S-Ⅳガストレア・アルデバラン』】

 

 

・アジュバント・システム

 国内で異常事態が発生した場合にのみ発足するシステム。民警と自衛隊を一個の組織として運用し、その際に民警で部隊を構成し、分隊にする。この民警ペア数組で作られた隊をアジュバントと呼ぶ。最低構成人数は3組6人。

 また、複数分隊のまとめ役である中隊長、そして軍団全てをまとめる団長という存在もあり、基本的にソロプレイを好む民警をまとめるには、団長に相当なカリスマ性を求めることになる。

 

 

 

 

 

・第一次関東会戦

 ガストレアが出現し、日本が五つのエリアに別たれた時、関東地方で行われた抗戦のこと。自衛隊による防衛線が張られ、激しい戦いの末にガストレアを退けている。この戦争によって、現在の東京エリアまで人間の居住区は後退した。

 

 

 

 

 

・第二次関東会戦

 東京エリアに大挙したガストレアとの二度目の交戦。現時点でガストレアがバラニウムに弱いことは発表されていたため、これを銃器などの現代兵器に応用して戦ったこと、そしてバラニウムの巨壁であるモノリスを建設したことで自衛隊は快勝している。

 

 

 

 

 

・アルデバラン

 かつてステージⅤであるタウルスについて国々を破壊して回っていたステージⅣガストレア。灰色の非常に厚さのある外皮と、背の甲殻より伸びる無数の触椀、首長竜みたく変異した頭部が特徴的。主要なベースとなった生物は蜂。

 バラニウム侵食液を体内で生成し、口から吐き出すことが出来る。これを受けたバラニウムは白化し、やがて内部まで浸漬すると粉状に崩れる。また、バラニウムの再生阻害を押し退けるほどの再生力を持ち、研究文献によると頭部、心臓部を失っても再生するだろうという記述がある。

 多数のフェロモンを使い分け、ガストレアを統率する。人間より効率的に動く場面もあることから、複雑な命令系統を形成しているとされる。

 

 

 

 

・ステージⅤ

 ゾディアック。世界に12体存在する、ガストレアの中でも特に異質な存在。分子レベルの再生能力を持つほか、完全体のステージⅣが子どもに見えるほどの巨躯と、無数の生物因子を編み込んだことによる超常的な硬度と厚さを誇る外皮を持つ。識別名として、黄道十二星座の名で呼ばれる。

 以下に判明しているゾディアック・ガストレアの特徴と経歴を示す。

 

【スコーピオン】

 天蠍宮の名を冠するゾディアック。黒に近い澱んだ灰色の外皮、その表面に複数の眼球。頭部が異常なほど大きく、また無数の触手を備え、二足歩行で進む巨人。全長およそ400m。

 里見蓮太郎の撃ち放った『天の梯子』を頭部に受け、脳髄を消失。撃破される。

 

【タウルス】

 金牛宮の名を冠するゾディアック。その外見は不明。『オッサン』に連れられる形で、美ヶ月樹万が一度発見している。

 ガストレアの中ではほとんど見られない、集団を形成して移動を繰り返す習性を持つ。タウルスが滅ぼした国は相当数に昇り、『無敵』とまで称されて恐れられていた。

現在は、序列一位のイニシエーターによって撃破されている。

 

【ヴァルゴ】

 処女宮の名を冠するゾディアック。姿も特性も不明。

 序列二位のイニシエーターによって撃破されている。

 

【ドラコ】※本作オリジナル

 黄道十二星座に属さない、異質なゾディアック。その外見から、黄道南極に位置する竜座の名称が取られた。

 ガストレア大戦中、突如として同時多発的に現れ、世界に破壊の限りを齎したゾディアック。その行動を一時的に停止させた謎のガストレア。

 サハラ砂漠に前触れなく出現し、日本の打ち上げた人工衛星からの熱源探知反応を以て偶然捉えられた。外見は岩山のような鋭く頑強な体表に、まるで天を衝かんとばかりに伸びる不揃いの二本角が際立った特徴。観測時は四本足で地上に立っていたとされる。

 当時の記録によると、出現から間もなく『ドラコ』は苛立たし気に唸り、突如として咆哮を上げた。その衝撃波は地球を五周半に渡り駆け抜け、当時観測していた人工衛星はこの直後に地球軌道上で空中分解、サハラ砂漠は常軌を逸した暴風と破壊で地表の砂と岩石が九割方消滅。当時豪雨に見舞われていたとされるトルコやウクライナ、エジプト近傍の国々は、衝撃波により曇が分散し、快晴となっている。また、周囲に数万体ほどいたガストレアはソニックブームにより残らず死滅した。

 それから間もなく、ドラコ除く11体のガストレアは丸一日間に渡って行動を停止し、それ以降も動きは鈍っていることが確認された。タウルス、ヴァルゴが高位序列のイニシエーターによって撃破されたのも、この後である。

 『ドラコ』は咆哮を上げた後、忽然と地上から姿を消している。僅かの間ではあるが、人工衛星が記録した映像を各国の研究機関が精査した結果、深海1000m以上の水圧にも耐えられること、そして地球内部の上部マントル層の熱にも耐えられるという結果が出ていることから、いずれかの場所に潜んでいるとされる。

 

 

 

 

・モデル・アンノウン

 人類が現在まで明らかにできなかった、世に存在していながら未だに確認されていない生物の因子、それの総称。未確認生物因子。

 当然記録などは一切皆無なため、どのような特徴を持つのか、どのような能力を持つのかは、その因子を持つイニシエーターの力を実際に見て判断するよりほかない。

 確認されているのは非常に強力な能力ばかりで、超高位序列者が多く宿すと考えられる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一 弱者・美ヶ月樹万
00.プロローグ


 最初はオリ主が暴れるので、暫くれんたろー出てきません。
 また、本編は原作初回(影胤サンがケースパクるやつ)より更に過去から始まりますので、あしからず。

 上記にようにオリ要素が結構ありますので、嫌な方は舌打ちしながら引き返してくれて構いません。


 

 喰われた。みんな喰われて、いなくなってしまった。

 かくいう自分も、身体についていた『それ』がない。

 

 痛みに耐え、逃げるために『それ』があった場所へ鉄の棒を刺した。

 痛い、痛い、痛い。肉が抉れる。意識が霞んで倒れそうになる。

 

 それでも、前へ進む。生きる為に。

 

 だが、必死に逃げ続けた俺を嘲笑うかのように、終わりはあっさりと追い抜いて行った。

 

 ...おかしい。何で、何で歩けない?

 足を動かしている筈なのに、歩いている筈なのに。何故視界は地面ばかりを映すのか。

 

 背後から、粘着質な音がする。いや、それに混じって固い何かを砕くような音も。

 

 よく見ると、自分の腹から『下』が無くて。後ろでひたすら咀嚼を繰り返す化物の口内には、己が身に着けていた衣服の一部があって。

 

 

「あ、あ」

 

 

 だが、その時は自らの一部を食している化物にも、周りへ集まってくる新たな化物にも、視線は向けていなかった。

 見つめ続けたのは、突如目の前に踊り出た、己に似たカタチを持つ何か。

 

 ....俺の意識は、そこで情報の受信を絶った。

 

 

 

          ***

 

 

 

「ん...」

 

 

 視界が、光を捉える。

 思わず顔を(しか)めるが、明るい世界へ順応するため瞳孔が急速に縮小し、周りの光景を浮き彫りにする。

 何とか慣れてきたところで、ようやく自分がベッドの上で寝ている事に気付いた。

 

 

「な、何....一体、どうなったんだ」

 

 

 半ば無意識に身体を起こし、周囲へ目を向ける...が、此処で遅まきながら、己が身は絶望的な状況下にあった事実を思いだした。

 片腕は飛んできた破砕物によって切り離され、下半身は化物に喰われて、内に収まる内容物を余すところなく地にぶちまけた。

 

 

「ぅぐっ!げぼっ!」

 

 

 余りにも克明な凄惨たる記憶がフラッシュバックし、胃液が逆流したか、起き上がって激しく嘔吐する。暫くして吐き出すものが底をついてきた頃、ふと自分の行動に違和感を覚えた。

 ...下半身を丸ごと喰われたのなら、胃は勿論、命すらあの化物の腹中にあるのでは...?

 と、ここで勢いよく扉を開ける音が響き、それに混じって怒声が木霊(こだま)した。

 

 

「げぇッ!あーあ、何となくこうなるんじゃないかと思っていたが、神にも祈ってねぇことを叶えんなよ!ゲロ吐き小僧が!」

 

 

「あ.....?あぁ!!」

 

「っだー、煩ぇなァ!狭いんだから声絞っても聞こえるっての!」

 

「アンタは、あの時の....!」

 

「!...へェ、あんな状態でもちゃんと意識があったのか」

 

 

 己が死を悟ったあの時、霞んだ視界が最後に映したのは、紛れもなく目の前でせせら笑う男の姿だった。普通であればここまでの確信をもって言えないが、死に際だったからこそ、より印象的に映ったのかもしれない。

 それにしても、まさかこんなにも粗暴な言葉遣いで、血濡れた神父服を着込んでいるとは思わなかったが。極め付けに、その手に持つのは巨大なガトリングときた。

 

 

「オッサンは...神父、なのか?」

 

「がはは、んなわきゃねぇだろ...と言いたい所だが、確かに俺の『表側』は神父だ」

 

「表側...?」

 

 

 妙な言い回しに疑問を覚え、その部分を復唱して問いかける。だが、神父は問いに答えずケラケラと喉を震わせて言った。

 

 

「ガキのテメェにゃ早い話だよ。.....さァて、実は俺の方も聞きたい事があるんだけどな」

 

 

 そう言うと、自称偽物の神父は物騒なガトリングを脇に置き、埃を被った回転椅子の上へ腰を下ろす。途端にぼふりと音を立てて白煙が吹きあがるが、慣れているのか表情一つ変えない。

 ────直後、今までのふざけた態度は鳴りを潜め、彼は真剣な顔つきで俺の瞳を射抜いた。

 

 

「俺ァお前をあの場に放っぽっていくつもりだったんだが、見て分かる通りここにいるよなァ。ってぇことは、俺がテメェを抱えて此処まで来たことになる。....モチロン、なんの理由もないわけじゃねぇ」

 

 

 偽神父はタバコをくわえ、火をつけて一息吐く。すると、吐き出された白煙を追うように、暫く彼の視線は虚空へと向けられた。

 言葉を選んでいるのか、彼は煙が完全に空気へ溶けたのを見計らい、椅子ごと此方へ向き直って話を続ける。

 

 

「...死にかけてた、というより半身喰われてんだから即死するはずのテメェは、どういうわけか息があった。ってことは常考、奴等になりかけてんだろうなと思ってよ。コイツで綺麗さっぱり始末しようとしたんだよ」

 

 

 偽神父はガトリングを片手で乱暴に叩き、もう片方の手でタバコを口の端に移動させてから椅子を立つ。そのまま俺の元へ来ると、座る目線に合わせて屈んだ。

 

 

「ところがどっこい、傷が猛烈な勢いで塞がり始めてよ。丁度弾切れだったからヤベェヤベェってな感じで急いでコイツに補充してた訳だ。...だがな、肝心のテメェはいつまで経っても奴等みてぇにはならなかった」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。オッサンがさっきから言う『奴等』ってなんの事なんだよ」

 

「あぁ?『ガストレア』に決まってんだろうがよォ」

 

 

 偽神父は他人様の顔に煙を吐きつけながら、至極当然であるかのように答える。だが、俺はそんな名前の生き物は全く知らなかった。

 ...ただ、偽神父の言うガストレアなるものが、俺の住んでいた場所を破壊し尽くし、逃げ惑う人々を貪り喰った、あの化物である事は分かる。しかし、まるで周知の事実であるように言うとなると、あんな奴等がもうここら一帯に蔓延(はびこ)っているとでも言うのか。

 

 

「ハァ...どうやら、此処辺りでは情報の循環が滞ってるみてぇだな。......いや、上が意図的に伝えなかった線もあるか」

 

「循環?伝えなかった?...それって」

 

「ああ、お前ら子供の混乱を避ける為に、この村の住民は分かってて隠してたんだろうよ。...その結果がこれだけどな」

 

 

 自嘲気味に鼻を鳴らす神父は、大きく煙を吐き出しながら椅子を回す。一方の俺は、その言葉を聞いてもなお、あの現実離れした状況を信じられずにいた。

 故に、必死になって『あれ』が現実ではないと否定できる材料を頭の中から絞り出そうと足掻く。

 

 

「っ....でも、こんな山奥の中にまで来るとは思って無かったんじゃ...!」

 

 

「残念だが、もう世界の半分は奴等...ガストレアにヤられてる。この国も..言わずもがな、だ」

 

 

 偽神父は苛立たしげに、もう一度肺に溜め込んだ煙を吐き出す。それは勝負に負けて、しかし結果に納得がいかなかった同年代の友人の顔と酷似しており、何故か不思議な気分になった。

 そんな俺の心中を知る筈もない偽神父は、何やら思いついたような声を出したかと思いきや、突然一枚の写真らしきモノを取り出して俺へ投げ寄越してくる。唐突だったので焦ったものの、何とか背伸びをして二本の指で挟み取り、何の気なく眺めてみる。

 

 ...そこには、身体の大部分が肥大化してしまっている、かつて人間だったであろうと推測できる生物が映っていた。

 

 

「うっ、ぷ」

 

「ほう、よく吐かなかったな。で、それが何だか分かるか?」

 

「ッ、....分からない」

 

「そこに写ってんのは、ガストレアになっちまった奴等が総じて血液中に持っていた、ガストレアウイルスっつうモンの第一感染者だ」

 

「ウイルス...?」

 

 

 確かに、あれらが何の原因もなくして人では無くなってしまった訳ではないだろう。だが、それがウイルスだったとは...

 偽神父は返した写真を乱雑に懐へ仕舞い、代わりに新しいタバコを取り出しながら俺のした質問に答える。

 

 

「アレは人の遺伝情報を書き換えてあんな化物にしちまう。ウイルスはガストレアのみが媒介するが、奴等はとんでもねぇ再生力と性能を持ちやがるから増えていく一方だ。...一応躍起になって対策を考えてはいるが、今の所バラニウムっつう金属を嫌う事ぐらいしか分かってねぇ」

 

「そんな...じゃあ」

 

 

「ああ。現状、止める手立ては無いに等しい。このままだと日本は.....世界は滅ぶ」

 

 

 震えが止まらない。そんな馬鹿な、世界が滅ぶなどアニメや映画の中でしか有り得ない話だろう。そもそも実感がないのだ。現実には有り得ない、そういう話としか思えない。

 

 ────ならば、これは何か悪い夢に違いない。

 

 事実、喰われた筈の下半身はしっかりと此処にある。もしも、あれが現実だったとしたらとうの昔に死んでいるだろう。

 そうだ、ここにいる自分と、目覚める前の自分とに決定的な差があるじゃないか。それも、現実に起きていたら到底埋められない、誤魔化しようのない差が。ならどうせ、この状況もなんらかの悪戯に違いない。

 

 

「そうだ。あれは...夢だ。そうに決まってる」

 

「.....ふん!」

 

 

 バチィン!!

 

 

「あだぁ?!」

 

 

 埃が溜まった工場のような場所へ、頬を張った痛快な音が響く。

 俺は暫く状況が飲み込めず、ぐらぐら揺れる頭を左右に振っていたが、目の前で軽薄な笑みを浮かべる偽神父の顔を見た瞬間、一気に頭へ血が昇った。

 

 

「てめっ...!?」

 

 

 怒りに任せて掴みかかろうと手を伸ばしかけたが、逆にその腕を取られて引き寄せられ、胸ぐらを持ち上げられる。

 ...気がつけば、先ほどの揺れる視界で見えた表情が嘘のように消えており、偽神父の目は冷たく輝いていた。

 

 

「逃避したトコで逃げ場はねぇ。..いいか?この地獄を夢物語にしちまうのもいいかもしれんがな、ソコで語られるテメェの自殺譚に俺を巻き込むんじゃねぇよ」

 

 

 犬歯を剥き出しにし、その地獄を生きた神父は俺を糾弾する。逃げるな、と。

 彼は直ぐに鼻を鳴らして服を掴んでいた手を引っ込めると、新しいタバコを歯に挟む。

 

 

「お前がどんなイキモンなのか気にはなるが、どういう訳かガストレア並みの再生力を持ってやがる。...なら、戦え。テメェとおんなじ場に立たされて、下半身食いちぎられて死んでる奴はうじゃうじゃいるんだ」

 

「........今、生きているから、だから地獄の中でも戦って、これからも生きろっていうのか」

 

「あぁ、その通りだ。何もかも失くしたと絶望するにゃまだ早いぜ。本当に絶望するのは、あの化物どものはらわたン中に納まってからでいい。....興味が湧いたからな、お前が絶望するまでに辿る生き方を俺に見せてくれや」

 

 

 何とも不穏な事を(のたま)ったエセ神父は、しかし何処か嬉しそうだった。それが気に入らなかった俺は、ベッドから身を乗り出して反論する。

 

 

「自分は巻き込むなって言っておいて、俺はオッサンに巻き込まれるのかよ」

 

「カカカ、俺はテメェと違って英雄譚だ。これなら文句はないだろ?....安心しろよ、最初は幾らか助けてやるからな」

 

「ああ、そりゃいい。俺より先に死なないでくれよ」

 

「たりめーだ、ガキが」

 

 

 首に十字を下げてもいない、血にまみれた偽物神父。

 

 取り柄など何もなく、少し頑丈なだけの少年、美ヶ月(みかづき)樹万(たつま)

 

 数奇な巡り合わせにより出会った俺たちは、世界の存亡すら除外し、ただ己が生き延びるという名目で、二人だけのガストレア戦争を始める。

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 西暦2021年。人類はガストレアへ屈した。

 

 だが、膝を着き(こうべ)を垂れる我らの姿は、彼らの紅き目には映らなかった。

 

 モノリス。

 

 バラニウムと呼ばれる、ガストレアが嫌悪する金属で創られた壁。

 

 人々はその内側に立てこもり、偽りの安息を手に入れた。

 

 人類はモノリス内でガストレアに対抗するため、兵器開発、世界各国との強い提携をし、自衛隊や警察だけでなく、民警という組織も発足した。

 

 これによって、多くの侵入したガストレアを屠ることが可能となる。

 

 だが、それも長くは続かないだろう。

 

 

 ....弱者は強者に追われ、捕食されるのみ。

 

 

 モノリスという境界線の両側に佇む二つの種は、果たしてどちらが強者たりえるのか。

 

 

 

 ───────ガストレア戦争終結から十年後。両者の拮抗は、確実に歪みを見せ始めていた。

 

 

 




 なるべく原作未読者、アニメ未視聴者にも分かりやすいように書いていきたいですが、私の技量では限界がありますので、過度な期待はなさらないようお願いします。


 目指せ、ロリの聖地!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

01.民警

 この話から本編に入ります。

 00.の前書きでも書いたように、時系列が少し違います。




『美ヶ月民間警備会社』

 

 ここはそう呼ばれる質素な一戸建て事務所だ。

 立地条件は悪くなく、夏の真っ昼間でも適度な日陰が保たれる。理由は実に単純。目前に建つ廃ビルが、体よく直射日光を遮ってくれているからだ。

 

 ────こんな見慣れた風景を、一々感慨深く眺めていても仕方ないな。

 

 そう決めると、日が当たっていた車道を足早に退散し、柵の無い歩道を横切ってから己が居の扉を開け放った。

 

 

 

 

          ***

 

 

 

「帰ったぞウッ!」

 

「お帰りなふぁい。樹万」

 

「....毎度ながら、帰る度にそうやって飛びつくの止めてくれないか?」

 

「いやれふ」

 

 

 安っぽいTシャツへ顔を埋め、少ない言葉数の割には表情を豊かに綻ばせる少女。

 

 彼女は俺の相棒(イニシエーター)高島(たかしま)飛那(ひな)』だ。

 

 飛那は何故か好んで後背が大きく開いた純白のワンピースを着ているため、抱き止めている此方側から見ると、年相応の瑞々しい背中が丸見えである。毎回止めろと言ってるのに聞きゃあしない。

 いつまでもくっついてるので軽く身じろぎするが、離す気は全くないらしく、腰に腕をガッチリと回されてしまっている。こうなると、対ガストレア因子を持つ彼女を引き剥がすことは不可能だ (長年の経験上、恐らく能力を解放している。こんな事に使うな、アホ) 。仕方なしに無理矢理足を動かして進むことにする。

 手放しで歩くとバランスを崩して倒れ、飛那を下敷きにしてしまうという事態になりかねないので、彼女の腰に己の手を廻して抱き上げたのだが、どういうわけか当人はその行為を別の意味として受け取ったらしく、

 

 

「ふふ...もっと積極的になってもいいんですよ?」

 

 

 そういうと、銀に近い白色の髪を揺らしながら首を傾げてくる飛那。贔屓目に見なくても可愛らしい事この上ないが、十才の女の子に手を出すほど、俺は人間として終わっちゃいないのだ。

 

 

「よいしょっ、と」

 

「そんな荷物を置くような声出さないで下さい...」

 

 

 丁寧にソファまで運んでやったのに、随分と贅沢な奴だな。そんな不満の意を込めて、膨らんだ頬を人差し指でつつき空気を抜いてやる。

 人前ではいつも無言、鉄面皮、オブジェクト化という、意思疎通を計る上で致命的と言っていい武器をフルに装備してしまうのだが、俺の前では別だ。全部そこらに放り棄てて着の身着のまま飛び込んで来る。

 出会ったばかりの当時は何とか仲良くなろうと必死だったが、今となってはもう少し過剰な言動を抑えて欲しいのが本音である。その時と比べるなら別人と言ってもいい程の変貌ぶりなのだ。....無論、どちらかといえば良い方向へ変わってくれたと思うが。

 

 

「なんだ?気に障ったか?」

 

「....................................いえ、大丈夫ですよ」

 

「凄まじい間だなオイ」

 

 

 ...そんな事を思いつつも、飛那を甘やかしている俺は親役失格なのだろうか。

 

 事務所内の蛍光灯の光を反射し、きらびやかな銀色に輝く髪をぱさぱさと多少雑に撫でる。しかし、飛那はそれが心地よいのか、瞼を伏せて頬を紅潮させていた。

 俺の身長は174㎝と、20代前半としては平均的な数値である。対し、飛那は齢十にして130㎝と随分低い。だからか、飛那が近くにいると丁度いい高さに頭があるので、無性に撫でたくなる。うむ、やはり俺は倒錯しているな。

 

 

「よっと...今日のご飯はなんですか?」

 

 

 乗せていた俺の手に自分の両手を重ねた飛那は、帰宅の折に先程此方へ持ってきたポリ袋へ視線を向けながら言った。彼女を見ていた俺もつられて袋の方へ目を動かしかけるが、意識して青空を映す窓へと視線を移動させる。

 

 

「今日は鍋にするぞ。豪勢になるから覚悟しとけ」

 

 

 ニヒルな笑みを浮かばせながらポリ袋を指さし、少し高価だった食材のみを口頭で羅列していく。すると、飛那の普段眠たげな瞳が一瞬驚きに見開かれ、しかし直ぐに喜色で染まった。

 頭の上にあった俺の手は、いつの間にか彼女の小さな両手に包まれて、宝物を抱えるように胸元へと導かれていた。

 

 

 

          ***

 

 

 

「良いモノを見つけたって?」

 

 

「うん」

 

 

 グツグツと目の前で音を立てる鍋へ蓋を置くと同時に、何やら不穏な言葉が飛那から告げられた。

 ちなみに、今はもも辺りにまで伸びた茶色の短パン、白い薄手のカットソーを着ており。ワンピースは風呂を入り終わった時に脱いでいる。言っておくが、決して残念ではない。

 

 ともあれ、そんな飛那がポケットから取り出したのは....黒い銃弾だった。

 

 

「なんだ、『バラニウム弾』か。でもまぁ、撃ったあとの片づけはちゃんとされるから珍しくはあるな」

 

 

 バラニウム弾とは、対ガストレア用に試行錯誤を繰り返して作った、バラニウム金属と呼ばれる物質で出来た銃弾だ。これをガストレアの体内に打ち込む事によって、ガストレアウイルスの持つ驚異的な再生能を阻害し、死に至らしめる。

 バラニウムはそこにあるだけでも奴らへ影響を及ぼすため、同対策案には必ずといっていいほど必要になるものだ。

 事実、都市が広がる東京エリア外の『外周区』に建てられた、バラニウム製の『モノリス』と呼ばれる巨大な壁群は、今までガストレアの侵入を拒み続けて来た。

 

 

「........」

 

 

 目の前に佇む飛那は、特定の生物因子を持つガストレアウイルスを宿した、忌み嫌われし『呪われた子供たち』の一人である。内在している因子を発現させれば、その生物の能力を自在に操ることが可能となり、一時的に人間離れした運動能力を発揮できるのだ。

 そして、ガストレアの襲撃で家族や友人を殺された『奪われた世代』たちは、姿形は違えど、己の大切な物を根こそぎ喰らって行った、奴らの遺伝子を持つ彼女たちを許容できなかった。

 民警(プロモーター)はそんな存在を相棒(イニシエーター)としているのだから、無論周囲からの風当たりも強い。

 

 

「心配すんな。お前をそんなモンで撃たせはしないって」

 

「でも、やっぱり怖い。....体内侵食率関係なしに、明日になったら化物になってるんじゃないかって、思う」

 

「────────」

 

 

 中途半端な言葉で慰めるなど、彼女の辛さを感じたこともない俺に出来る資格はない。

 

 そう感じるが、それでも飛那には将来を悲観しては欲しくなかった。いずれ、体内のガストレアウイルスが彼女を蝕み尽くし、人の身でなくなってしまうのだとしても。

 俺は鍋に白菜を突っ込んでから溜息を一つ吐いて、俯く飛那の両頬を挟み込み目線を合わせる。

 

 

「ガストレアなんかに負けるな。他人の意見なんかに負けるな。....今の世界はお前にとって生きるには辛いところかもしれんが、頑張ってりゃ少しずつでも何かがいい方向へ変わる筈だ」

 

「樹万...でも、私」

 

「怖くなったら、淋しくなったら俺を頼れ。幾らだって飛那の味方してやるからさ」

 

 

 こっ恥ずかしい台詞を吐いた自覚はあったので、頬から手を離して直ぐに立ち上がろうとする。が、勢いよく腕を引っ張られて前のめりになり、飛那のいる方へ倒れ込んでしまった。

 不味い。と思う前に下敷きになった彼女を助けようと、両手を地面に着いて身体を浮かせる。しかし、ガッチリと首に腕を廻されて動けない。

 眼下には、濡れた赤い瞳を湛えて俺を見つめる飛那がいた。

 

 

「お、おい?これは一体どういう」

 

「ずっと」

 

「....?」

 

 

 普段の彼女らしからない艶めいた声と仕草に内心混乱していると、首へ廻していた腕の片方を俺の後頭部へ持っていき、ぐぐっと下へ....飛那自身の顔に近づけられていく。

 赤色信号を察知したときには遅かった。視界いっぱいに広がった、白く端正な幼い顔は...............俺の額と接触した。

 

 ────え?額なの?

 

 思わず自問するが、どうやら飛那はお凸同士をくっつけたかっただけらしいと見える。親としての人格は安心する反面、内に潜むもう一人の俺は露骨に残念がっていた。

 

 

「ずっと、怖かったんです。樹万の所へ来るまで仕えたプロモーターたちは、『全員私がガストレアになった時、食い殺されればいい』と思ってましたが...」

 

 

 ここで飛那は幸せそうに微笑み、俺の瞳を真っ直ぐ捉えたまま言葉を続ける。

 

 

「樹万だけは違うと、初めて会ったその時からわかりました。....最初はある程度探るような態度を取ってしまいましたが」

 

「はは、最初の頃は『はい』か『いいえ』しか言わなかったもんな」

 

 

 飛那が酷く後悔したように目尻を下げたため、俺は『気にしてない』の意を込めて頭を撫でた。すると一転して赤面し、思い切り顔を背けてしまったので思わず笑ってしまう。

 少ししてから、多少頬を紅色に染めながらも、飛那はゆっくりと此方を向いた。

 

 

「...樹万は、私に無いあるものをくれました」

 

「そうか?飯くらいだろ」

 

「ふふ、暖かくて美味しいご飯も確かにその一つかもしれませんね。ですが、それよりももっと大切で、当然とも言えるものです」

 

 

 何だろうかと期待する俺の頬へ、唐突に手が添えられる。それに疑問を感じた直後、俺の口全体を覆うようにして、暖かく柔らかいものが被さる。

 暫く何が起きているのか分からなかったが、控えめに口内で響いた生々しい水音で我に返った。と、それを見計らったかのようなタイミングで唇を離した飛那は、赤い目から元に戻した本来の碧き瞳で、俺を陶然と眺めてから耳元で囁いた。

 

 

「私に、怒りと悲しみ以外の感情を教えてくれたことです」

 

 

 このあと耳を甘噛みまでされたので、流石に怒って羽交い絞めにした後、くすぐりの刑を敢行した。

 しかし事の最中、当人は明らかに嬉しそうな表情をしていたため、罰として成り立っていたかどうかは甚だ疑問である。

 

 

 

          ***

 

 

 

「ほれ、箸だ」

 

「はい」

 

 

 食うものは出来たので、後は舞台のセッティングと相成った。もちろん今回の主役は鍋。その引き立て役に卵とポン酢を用意している。ついでに脇役には出来あいの御惣菜が並ぶ。

 そういう訳で、事務所の応接間に備え付けられている大きめの木製テーブルを飛那と一緒に拭いた後、二人分の箸を彼女へ持って行って欲しかったので渡したのだが...

 

 

「♪」

 

「...あのねぇ」

 

 

 箸を持ったまま、俺の背中にぴっとりとくっついて離れないコバンザメがいる。

 あまりにも嬉しそうな笑顔を見せるもので、強く言えないのが悩ましい....が、流石にこの状態だと鍋を運べない。厳正なる協議の結果、誠に残念ながら飛那には俺との片利共生を止めて貰わなければならなくなった。

 

 

「飛那さん?これから私、大鍋を持たなくてはならないので、離れてくれま」

 

「一緒に持と?」

 

「....あぁ、はいはい。わかりましたよ」

 

 

 この発言を受け、脳内会議の最高責任者たる議長は早々に白旗を挙げ、意見を最大限酌むべきという見事な手のひら返しを披露した。まぁここは年長者である此方が一歩引くことにしよう。

 ....勘違いしてはいけない。決して彼女の穢れない笑顔にノックアウトされて、思考が混乱した上に妙な事を口走りそうだったため、その回避手段として承諾した訳では断じてないのだ。

 何はともあれ、左右挟んで鍋の取っ手を持ち、飛那の身長に合わせた無理な体勢で運搬作業に勤しむ。結構腰にキたが、何とか弱音を吐かずにテーブルへたどり着くことに成功。

 

 

「ふぃー」

 

「お疲れ様です。樹万」

 

「おお、ありがとう」

 

 

 ソファへ背を預けて頭上を仰いでいると、その隣に座った飛那がお茶の入った紙コップを差し出してくる。俺はそんな彼女の頭を一撫でしてから遠慮なく受け取り、半ばまで飲み干していく。と、そこで視線を感じ、自分の持つコップを脇でじっと見つめる少女に気付いた。

 それに『またか』と呆れまじりの深い息を吐きつつ、長い付き合いなので言われずとも意図を察した俺は、持っているコップを渡してみる。すると、やはり俺の口を付けた寸分たがわぬ位置へ飛那は唇をあわせた。

 

 

「自分ので飲めって」

 

「これでいいんです。あむっ」

 

「あ、こら。歯型つくっての」

 

 

 中身が無くなった上に歯型の付いた紙コップをふんだくり、これに新しいお茶を入れようか思案していると、俺の耳元に顔を寄せて来た飛那が囁くような声で言う。

 

 

「同じ場所、口付けてもいいですよ....?」

 

「........」

 

「いっそ噛んだり舐めても───あた」

 

 

 今度は上目遣いで縋るように見てきた飛那の額へ軽く手刀を落としてから、新しいコップと歯型付きのコップにお茶を注ぐ。これを見た飛那は、隣で満面の笑みを浮かべていた。

 ....はいはい、もういいよ俺の負けで。

 

 

 

          ***

 

 

 

「ご馳走さまです」

 

「おう」

 

 

 ちゃんと手まで合わせて言うのは、日ごろの生活がしっかりしている証拠だ。

 しかし、飛那が来るまでの俺が送っていた毎日は、極端に自堕落なものであった。食事時の礼儀作法はもちろんのこと、衛生面や健康も全くのおざなりだ。彼女へそんなどうしようもない俺を見せるのは良くない。...ならば、自然と自身の身なりや行動は改められる。これぞ善行善意の連鎖反応。

 だが、俺たちのような事例は極端に少ない。何故なら、世の中にいるプロモーターは、自分の相棒を道具だと思っている連中が大半を占めているからだ。

 

 

「.....ん?電話か」

 

「片付けは私がやりますから、樹万は電話の対応をお願いします」

 

「了解。鍋は一人で運ぶなよー?」

 

「分かってます」

 

 

 全て食べきってしまったので、持ってきた時よりは軽いだろう。それに、飛那にはいざというときのイニシエーターとしての力もある。寧ろ俺の方が危ないくらいだ。

 しかし、そんな中身だけの有用性や生産性で決めるのは、己の流儀に反する。

 

 

「ま、所謂我儘ってやつだ」

 

 

 こればっかりはどうしようもないと達観しながら、甲高い電子音を一定のリズムで響かせる白い受話器を掴みとって耳に当てた。

 

 

「うい、美ヶ月民間警備会社社長の美ヶ月樹万だ」

 

『はぁ...相変わらず、やる気の欠片も感じられない対応だな。美ヶ月』

 

「これが俺の通常運行だよ」

 

 

 受話器越しに聞こえた、中年に近い男性の呆れた声を聴き流し、早々に本題へ入るよう促す。世間話をするには些か役不足な相手だからだ。

 

 

「で、何の用だ?多田島警部」

 

『...ああ、突然で悪いんだが、依頼を受けてくれないか』

 

「その『依頼』は、ソッチの個人的な内容なのか?」

 

『いや、残念ながら「上」から降って来たモンだ』

 

 

 声と同時に、資料と思われる紙を漁る音が聞こえる。

 ....電話の主の多田島(ただしま)警部は、その肩書き通り一警官だ。民警とは違い、ガストレアに対する有効な武器を持たないのだが、彼らは時として捜査だけでもしようと表へ出張る事がある。そういった時は、不測の事態に陥った場合の被害を最小限に抑える名目で、民警の助力を乞うのが決まりなのだ。

 そして、今回はそのお鉢が俺たちへ回って来た、と。

 

 

『今日も無理か?なら、他のツテで天童民間警備会社の方へ...』

 

「いや、やらせてくれ。警部」

 

『なんだ、珍しいな.....分かった。依頼内容は────』

 

 

 ウチの経営も結構危険なところまで来ている。ある程度の軍資金を得られるのなら、多少の怪我も功名となるだろう。

 実際、上手く行かなくて困窮している民警もいるらしいし、ひもじい思いをしているのは俺たちだけではない。そう考えると幾らかマシな気分には....ならないか。

 

 大方の依頼内容を確認し終え、受話器を置いて一息吐く。

 何となく右横に視線をスライドさせると、瞳をキラキラと輝かせた飛那が映った。

 

 

「依頼?」

 

「あ、ああ。そうだが」

 

「久しぶりに樹万と一緒に戦える」

 

 

 鼻から白煙でも上げそうな程意気込む飛那を放って置き、頭を掻きながら応接間へ戻る。

 

 確かに、久しぶりのガストレア戦だ。少し前までは報告が無かったのに、ここのところ急激にその件数は増えて来ているのが若干気になるところではあるが。....無関係と決められないし、俺も少し気を引き締めて置くか。

 

 

 戻った応接間のテーブルからは、置いてあった鍋が忽然と姿を消していた。

 

 




 途中から己の妄想が漏れ始めて焦りました(汗)

 次回は戦闘です。
 これで主人公ペアの強さが分かる...はず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02.戦闘

 この作品はシリアス分が強めです。そのため、ギャグは適度なスパイスとして盛り込んでいきます。

※時折作者が暴走して妄想が垂れ流される危険性もあります。平にご容赦を....


「いいか、飛那。依頼内容を確認するぞ?」

 

「はい」

 

 

 雨の降らぬ曇天の下。

 いくつかの電車を乗り継いだ俺たちは、現在外周区近くのオフィス街跡に来ている。そこは生々しい人々の生活痕が残っていると同時に、劣化したコンクリートが放つ退廃的な雰囲気も相まって、幽霊がひょっこりと姿を見せても何ら不思議ではない。

 

 ....東京エリアの外周区近辺は背の高い建物が多い。そのためか、時折強い風が吹き付ける。

 まだ暦上夏になっていない事もあり、その冷たい突風は幾らか体温を奪う要因となってしまう。

 唐突な戦闘が起こりうる場では、多少の筋肉硬直も命とりだ。そのため、俺は動きやすいシャツの上へ黒いコートを着込み、飛那はフードのついたジャケットを羽織っている。

 

 さて、多田島警部から言い渡されたのは、別件の襲撃で逃げ出したガストレアの捜索、討滅作戦だ。

 どうやら感染源だったらしいが、爆発的感染(パンデミック)が起こる前に目標を発見出来たのだという。

 すぐさま派遣された民警数人とともに討伐に移り、深手を負わせる事に成功。しかし、敵が弱っているところを見て気が抜けたのか、飛行型ガストレアの専売特許である、羽を高速振動させたソニックブームを全員真面に喰らい、まんまと逃走を許したのだそうだ。

 

 一連の不祥事を聞いた飛那は、しかし気にしたような様子もなくプラスチックカップの蓋を開けた。

 

 

「ん、そうですか。では、私たちが狩るのはその逃げたガストレア、ということですね」

 

 

 彼女はそこで言葉を切ると、手にぶちまけた四錠の丸い薬物を口内へ放り込んだ。

バリバリと軽快な音を立ててから飲み込み、カップをジャケットの裏ポケットへしまう。

 そして直ぐに、いつもと変わらぬ表情で俺に笑いかけた。

 

 

「大方、依頼終了後の手柄が誰に渡るかを言い争ったりしてたんでしょう。本当にそうなら、実に下らない理由で逃したものだと後ろ指さして笑ってやりたいところですが、そのおかげで私たちにまで仕事が回って来たんですから。精々報酬ふんだくって、美味いもの食べてやりますよ」

 

 

 飛那の歯に衣着せぬ物言いに多少面食らうが、過去の凄絶なまでの民警嫌いと比べれば、この程度の悪態など可愛いものだ。事実、こんなふうにブー垂れる飛那は欲目無しに可愛らしい。

 俺は飛那の見せた心境の変化を再確認しながら、そうだなと素直に頷いておくことにした。

 

 

 

          ***

 

 

 

 先ずは、敵の潜伏先を知らなければなるまい。

 多田島警部から聞かされた、事前に調べた警察らの情報によると、どうやら例のガストレアはここら一帯を寝床とし、負った傷の回復に努めているのだという。

 ならば、虱潰しに一つ一つのオフィスビル内を探して廻り、痕跡を見つけ出すしかない。...だが、それはあくまで一般的な方法のみから選出するのなら、の話しだ。

 

 

「飛那、どうだ?」

 

 

「......二時の方向、隣接する十字路正面から見て左にあるショッピングセンター五階駐車場、東エレベーター側に敵を確認、です」

 

 

「流石『鷹の目(ホークアイ)』、だな」

 

 

 俺の相棒、高島飛那は『鷹』と『鷲』の遺伝子を併せ持つ、複合因子(ダブルファクター)のイニシエーターだ。

 勿論、それ故に強力な能力を持ちうるが、彼女は二つの力を発現させる際に、何故かガストレアウイルスの持つ遺伝子改変速度を著しく上昇させてしまうのだ。

 これだけは原因が判明しておらず、放って置けば能力発現のたびに通常のイニシエーターより倍近い速度で飛那の遺伝情報はガストレアウイルスに書き換えられてしまう。

 そして、侵食率が全体の五十%を超えれば形象崩壊を起こし、異形の怪物と化す。そうなれば無論、二度と彼女は帰って来なくなる。

 

 それを防ぐために、先ほどのプラスチックカップに入った侵食抑制薬を服用するのだ。

 しかし、本来なら十分かつ即時的な効果を発揮可能な、血液へ直接投与する液化型を使用するのが一般的である。だが、飛那の持つこの薬は、定められた時間に連日投与するのではなく、戦闘時のみという極めて不定期な場合に限られてしまう。

 抑制剤にも保管可能な期間が決められているので、余りにも超過してしまうと、その効果をほぼ失ってしまう。それでは意味が無いので、ある程度は長持ちする錠剤型を支給させて貰っている。

 

 ...まぁ、よっぽどのことがない限り、二つの能力を同時発現させることは無いのだが。

 

 そんな背景を思い起こしていると、自然と目線は動き、ショッピングセンターの正面玄関を潜りながら横目で飛那を見てしまう。すると、ちょうど彼女も此方へ視線を向けていた所だった。

 ばっちり目が合うが、敵が移動している可能性は否めないので会話は最小限に留めたい。居所がバレたら襲い掛かってくるタイプのガストレアならいいが、負傷しているため、どちらかといえば逃走してしまう可能性が極めて高い。

 俺の意図が伝わったか、彼女は鷹の目を使って周囲を索敵、居ないことを確認し終わってから口を開く。

 

 

「大丈夫。私はあの薬に頼らなくても生きて行けますから。今では『保険』みたいなものです」

 

「ああ、そうだな。....もう、能力の差別化には成功してるもんな」

 

 

 当初は能力が制御できず、力を解放すると強制的に『鷹』と『鷲』の両方を同時発現してしまっていた。

 それが分かっていたからこそ、今までのプロモーターとペアを組んだ時には力を一切使わなかったのだろう。...その行為が、役立たずのレッテルを張られることだとも知って。

 俺は飛那自身から事情を聞く意志があったので、対策を練り、それに向けて努力をさせ、また自身がすることは出来たが、今までは『己のこと』を話すことの一切が許されなかったという。

 どんな意見も聞き入れられず、どんな抵抗も許されない...いや、抵抗なら出来た筈だが、飛那は敢えてそれをしなかった。

 かつてのプロモーターを信じていたからなのか、信じていたかったからなのか。

 もしそうなのだとすれば、飛那は一体どれほど裏切られてきたのだろう?

 

 

「お前は強いよ、間違いなく。....俺なんかより、ずっと」

 

 

 声だけにしたつもりだったが、余計なものまで表情に出てしまっていたのだろうか。

 飛那は俺の考えていたことを悟り、哀しげに顔を伏せるも、一息分の間を置いて直ぐに俺へ向き直った。

 

 

「今の私が強いのだとすれば、それは樹万がいるからですよ。....別に、過去の私は強くなんてありませんでしたから」

 

 

 銀色の髪を風で揺らしながら振り向いた飛那は、歳不相応な笑顔を浮かばせていた。

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 硝子があちこちに散乱している。時には他の落下物に乗り上げる形で、鋭利な面が上方を向いているものもあり、大変危険だ。

 もし、そんじょそこいらのカジュアルシューズやサンダルで歩こうものなら、己の足は数秒で赤く染まる事だろう。

 

 

「にしても、本当に出そうだなぁ」

 

 

 時折吹く強い風は、行き場を求めるようにあちこちの隙間を出入りする。すると、耳障りなあの怪音が四方八方から聞こえて来るのだ。

 ...まるで、地獄の亡者が生ける者すべてを呪うような、怨嗟の(こえ)が。

 

 と、俺が偶然蹴ったガラス片がロッカーの扉に当たり、甲高い悲鳴を響かせた。

 

 

「ひうっ!」

 

「おわっ」

 

 

 己の不注意を嘆く間もなく、唐突に背中に衝撃。油断していたのと同時に、彼女が片手に持っていた銃器のケースの衝突も重なり、予想外につんのめって不格好極まりない体勢となる。

 そんな体当たりの犯人である飛那の方へ振り返って、どうしたのか。と聞く前に、コートを掴んだ手と肩が小刻みに震えている事に気付いた。...まぁ、十代になったばかりの女の子に、こういう雰囲気はキツいかな。

 

 

「ほれ、幽霊なんかいないって。...仮に後悔やら憎しみやらで上がって来れるんだとしたら、この世はそいつらで溢れかえってるよ」

 

「あう。そ、それもそうですね....」

 

 

 ぽむぽむと気楽に頭を叩いてやると、幾分か心に余裕が生まれたのか、ようやっと離れてくれた飛那。せめて暗闇から湧きあがる恐怖心を軽減させようと思い、足元を照らす程度のLEDライトでも使おうかと考えたが、やはり発見されるリスクは高まる。止めておいたほうが無難だろう。

 

 

「さて、何時までも油を売ってたらガストレアが逃げちまう。さっさと五階へ上がろうぜ」

 

「はいっ」

 

 

 俺たちは、階段へ足を掛けた。

 

 

 

          ***

 

 

 

 五階まで上がる為に利用したのは、ガストレアがいる東側の正反対、西側階段だ。

 この辺りは一際施設の劣化が激しく、手摺は子供が殴っても壊せそうなほど赤錆に侵食されていた。

 駐車場へのドアも蝶番が錆にやられていたのか、開いた時の勢いを緩めることなく百八十度回転し、やがて自重に耐えかね倒れてしまう。それにあたり決して小さくはない音が響いてしまったが、大分距離が空いていた所為か気づかれてはいないようだ。

 

 

「よし、飛那。いつものスタイルで行くぞ」

 

「はぁ....やっぱりそうですか....」

 

「なんだ、不満か?」

 

 

 プロモーターとイニシエーターがタッグを組んでガストレアと戦う場合、よっぽどの事が無い限りはイニシエーターが前衛を務め、プロモーターがバックアップに徹するのが一般的なスタイルだ。

 

 実際、そうしないペアは皆ガストレアに喰われてきた。

 

 ただの人間であるプロモーターが殿を務めたところで、よっぽど運動能力に長けていない限り、あっさりと取って食われるだろう。そして、相棒が貪り食われる光景を見たイニシエーターは、ショックで正常な判断を失う。

 この事態を何度も経験した世のプロモーターは、『イニシエーター風情に前衛を任せられるか』というプライド優先的な思考を止め、『もし負けたとしても、自分のイニシエーターが喰われている間に逃げ延びる』という碌でもない安全策にすり替えた。

 

 

「お願いですから、無茶はしないで下さい」

 

「...ああ、分かってる」

 

 

 思惑は違えど、そんな屑らと同じ戦法を取るのは我慢ならない。

 それに、この場で飛那を守れるのは俺しかいないのだ。ならば、戦うべきは己を置いて他にいない。

 

 死にたくないのなら、勝てばいい。結果、俺も飛那も無事....これで万事解決だ。

 

 障害物などを上手く利用しながら身を隠し、また足元に散らばるものを避け、慎重に進むこと数分。

 ついに埃で煙る視界でも、はっきりとその巨躯を網膜に映せた。

 

 

「いた、な」

 

「はい、あれで間違いないでしょう。報告通り、腹部にあるという大きな傷も確認できました」

 

 

 ....飛那が言うには、かなり回復が進みつつある状態らしい。

 これで、傷の痛みによってある程度動きが鈍くなるという憶測は、ほぼ潰えたと言っていい。

 

 

「前脚が長いな....邪魔だし、振り回されてココの柱をいくつか持っていかれれば、恐らく崩落して俺ら全員生き埋めだ」

 

「なら、私が先制で両前脚を打ち抜きます。...二射目はターゲットが動くので、当たらないかもしれませんが」

 

「ん、十分だ。もしそうなったら俺が折る」

 

 

 了解を聞くと、飛那は手馴れた様子で持っていたアタッシュケースを開き、中から分解された状態のあるスナイパーライフルを取り出す。

 

 素早い組立てで、そのフォルムを顕わにしたのは...『wa2000』

 

 知る人ぞ知る、ドイツのワルサー社が開発したブルパップ式セミオートマチックスナイパーライフルだ。

 Wa2000は、ある不運な事件によって表に出回る事の叶わなかった代物だが、最近になってスナイパーライフル中でも屈指の取り回しの良さと高い命中精度が再注目され、対ガストレア用に更なる進化を遂げた。運用を楽にするため簡易組み立て式とし、銃声を極力抑えたまま、威力の向上まで可能とした名銃である。

 

 

「.......では、合図と共に撃ちます」

 

 

 吊り下げ型バイポッドを取り付け、更に安定性、命中精度の向上をさせた飛那は、うつ伏せに寝そべりながらナイトスコープを覗き込んだ状態で言う。

 一連の準備が終わったのを見計らった俺は、視線を飛ばし、相棒の準備完了の頷きを以てカウントを開始した。

 

 

「...3,2,1..Go!」

 

 

 パパッ!と、隣がマズルフラッシュで光った瞬間に、俺は駆け出す。先行して吐き出された7.62mmバラニウム弾は見事目標へヒットし、周りの大気ごと円形に切り取った。

 直後、折り畳まれた二つの脚と、ガストレア本体の脚が『あった』断面から大量の体液が吹き出した。それによって多少視界が悪くなるが、構わず走り続ける。

 己の武器を早々に無くしたことと、俺たちの無駄が見られない行動に恐れを為したか、奴は背の外殻を跳ね上げ、羽を勢いよく振動させ始めた。...飛ぶらしい。

 

 

「させない、ぞっと!」

 

 

 俺は予め手中に忍ばせて置いた、何の変哲もない大きめの石を振りかぶり、投げる。

 それは大口径のショットガンが炸裂したかのような音を響かせて撃ちだされ、当然の如く真っ直ぐに飛翔し、ちょうど狙ったガストレアの腹部側面辺りへ当たった。

 

 ........音に違わぬ、凶悪な速度で。

 

 強固だと言われているガストレアの外殻を貫通し、石は体内に留まることなく一瞬で突き抜けた。その直後、噴水のように体液が辺りへまき散らされる。

 それを確認することなく急接近し、耳障りな絶叫と共に動作を多少鈍らせたガストレアの後ろ脚を蹴り上げる。

 バギンッ!!という固い何かが砕けるような異音が響き、痛撃を受けた脚が関節を軸に200度程曲がった。

 

 

「今だ、撃て...なんて言わなくてもいいかね?飛那」

 

 

 俺がそう呟きながら後退した瞬間、重ね塗りをするような断末魔に銃声が混じった。と思ってから直ぐにガストレアの頭部が爆ぜる。

 声帯もろとも吹き飛んだのか、声を上げる間もなくあっさりと事切れた肉塊は、辛うじて上げていた脚を竦ませて倒れた。

 

 

「うわっと、あぶねっ!」

 

 

 突如、脳髄や外皮、脂の塊等々が俺目掛けて飛来し、割と本気で避ける。被弾した時点で、その服は確実に廃棄処分行きだからな。

 どうやら飛那は、一発で敵を確実に仕留めるためにバラニウム混合の榴弾を使ったようだ。最近はガストレア用の兵器も一層凶悪化してきたと見える。

 

 

「ひぇー、中々にえげつない」

 

「胴体は結構綺麗に残りましたね...研究材料として重宝されるんじゃないでしょうか」

 

「...恐らく、大体の検査が終わったコレの行く末は、あそこだな」

 

 

 脳裏に嬉々とした表情で死体を弄るマッドサイエンティストの姿が浮かぶが、目の前の惨状も相まって尚更気分が悪くなったため、早々に思考を打ち切る。

 取りあえずは、無事に感染源たるガストレアを撃破出来たので、ここいら一帯に監視の目を光らせている警察らへ報告しなければ。

 

 

 ────────。

 

 

「....飛那、屋上に上がって信号弾を打ち上げて来てくれ。それで警察に場所が分かる筈だ」

 

「ん、了解しました」

 

 

 俺から弾薬を受け取った飛那は頷くと、畳んだwa2000を入れたアタッシュケースを持って階段へ向かう。やはり、こういう場面での彼女の素直さは助かる。

 ....飛那が階段を上がって上の階へ昇るまでの一部始終を確認してから、俺は振り返りざまに背後の柱を注視する。

 そして、

 

 

「観客席を用意した覚えはないんだが?」

 

 

 俺の言葉は、静まり返った駐車場内に万遍なく反響する。それを聞いたのは、俺自身と物言わぬ屍となったガストレアだけ────では、なかった。

 

 俺の向ける視線の先。周囲に建つものと比べて少し大めな柱の裏に、もう一人いる。

 

 直後、威圧感を込めた俺の言葉を聞いたであろうその闖入者は、しかし飄々とした声色で返答してきた。

 

 

「いやぁ、すまないね。オーディエンスは必要なかったかい?」

 

 

 まるで、気心の知れた友人にでも話しかけているような、緊張感が著しく損なわれた男性のものと推測できる笑い声が響く。しかし、当の本人は姿を見せない。

 上階へと続く階段の方を少し横目で伺ってから、疑問には応えず、新たな質問を...否、命令を飛ばす。

 

 

「素性を明かせ」

 

 

 正直、期待してはいなかった。

 こういった場面では普通、名乗ることもしない。何故なら、ここまで隠密行動をした意味がまるごと無くなってしまうからだ。

 しかし、そんな俺の予想を裏切って、闖入者は塗装のはがれた柱から姿を晒し、己の名を口にした。

 

 

「私の名は蛭子(ひるこ)影胤(かげたね)。『世界を滅ぼす者』だ」

 

 

 ────濃密な死臭漂う駐車場内に、今度は愉し気な声が反響した。




 飛那が服用していた抑制薬は、もう必要ないくらいに能力の発現を調整できています。作中でも彼女自身が言っていたように、あれは保険にすぎません。


 さて、原作から結構なフライングで登場となりました。影胤サンです。

 彼の憎めないさっぱりとした外道っぷり(?)を表現出来ればと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03.狂人

 影胤サンが何故此処に居るのか?

 考えてみましょう。



 ........うーん、わからん。(すっとぼけ)




 茶けた柱の(かげ)から姿を現した影胤なる人物は、矢鱈と派手な赤い燕尾服を身に纏い、シルクハットまで被っている。

 ...いや、何より特筆すべきは、あの不気味な仮面だ。笑顔を象ってはいるが、その眼尻は必要以上に下がっており、切れ長な線を刻んでいる。口元も三日月のような鋭い形だった。

 ....これだけ揃えば、現在俺の目前に立つ人物がどれほど異様な存在であるか分かるだろう。────しかし、だ。

 

 

「お前、『普通』じゃないな」

 

「ヒヒッ、分かるかい?でも、君のその『普通じゃない』は私の身なりだけで判断しての言葉ではないだろう?...うん、実にいいね。君は()()()()()を持っている」

 

「....」

 

 

 その通りだ。確かにこの男、蛭子影胤は見た目の奇抜さだけで十二分に異常であると断じられる。当人も他人から抱かれる印象がそうであるように望んでいるのかもしれない。

 だが、その判断では完璧ではない。間違いではないが、完璧ではない。

 何故なら、この男は()()をするのではなく、完全な狂人としてそこに在るからだ。

 

   

「私を見た者はね。最初は驚愕、困惑、恐怖!そのどちらかしか顔に貼り付けたことがないんだよ。....ところが君はどうだ!『泰然』と来た!」

 

「随分と楽しそうだな」

 

「まぁね。こういった類の想定外なら喜んで受け入れるとも」

 

 

 まるで劇の一幕を演じるように、水際立った動きで両腕を拡げて見せる影胤。周囲が舞台なら拍手の一つでもするだろうが、ここは人世の終焉を象徴する外周区に建つショッピングセンターだ。

 付き合う道理も無いので、そろそろ『目的』を白状して貰わねばなるまい。それに対する俺の返答や態度如何によっては腰の武装を抜かれることになりそうだが、そうなれば飛那が帰ってくる前にさっさと片を付けてしまおう。

 

 

「蛭子影胤、だったか」

 

「うん?ああ、そうだとも」

 

「ここに来た目的はなんだ?」

 

 

 色をつけず、もったいぶらず、単刀直入に本題へと切り込む。過去に相応の話術が必要な手合いの人間との交渉事はあったので、ある程度の掛け合いには自信がある。

 だが、この男には必要ない。聞けば求める答えが返ってくるからだ。

 

 

「ふむ。君はこの東京の国家元首をどう思う?」

 

「....聖天子をか?」

 

「そう、聖天子だ。知性ある佇まいと美貌、そして弱者に対し手を差し伸べる姿勢。それら諸々によって民衆から絶対的支持を獲得した少女だよ」

 

 

 影胤から放たれた返答は、俺が投げかけた疑問の主旨とは大きく異なるものであったが、俺がした二度目の疑問のあとに続いた、彼の聖天子を評価する、いっそ甘言とまで言っていい言葉の羅列。

 それが気になった俺は、彼女の何が彼をこうまで()()()()()のかを考えてみる。

 

 ────聖天子とは、東京エリアの国家元首だ。

 若くしてその座に就いたにも関わらず、その美貌と愚直なまでの献身さで、瞬く間に民衆の支持を得た稀代のカリスマであり、人格者である。

 

 

「私は多くの指導者を見て来た。恐怖によって反抗を鎮める者、強権を振りかざし反乱の芽を摘む者、切り捨てることで栄華を保つ者....その全てが正道だった。生きる為の争いがあったからだ。だが、彼女の政治はどうだ?」

 

「........」

 

「何もかもが平等だ。生存競争と言う当たり前の概念がない。無能な人間が教唆する平和と言う悪性に組み敷かれ、この国に住む誰もが死の恐怖から遠ざかっている。...ああ、全く。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 俺は思わず閉口する。影胤は決して激昂している訳ではないため、怒気に気圧されてのことではないが、あまりに考え方が『手遅れ』すぎて返答に正解がないことを悟ったからだ。

 しかし、影胤の言わんとしていることも、少しは分かるのだ。...彼女はガストレアを、『戦争』を知らな過ぎる。

 

 

「だから変えるんだ。東京を、地獄にね」

 

「...それで、ガストレアの恐怖をもう一度世界に知らしめて、お前の言う無能な奴らに学んで貰おうってことか?」

 

「へぇ、勘が良いじゃないか。..まぁ、私の目的はそれで終わりじゃないんだがね」

 

 

 肩を竦めて見せながらそう言い終えると、影胤は唐突に名前と思われる言葉を発した。

 

 

小比奈(こひな)

 

 

 途端、背筋が粟立つような感覚がしたと同時に、後方にあったガストレアの死骸がブロック状に解体された。

 べちゃ!という肉の弾ける音が間近で聞こえ、その音源である下を見ると、四角くなった奴の一部が転がっていた。

 

 

「パパー、コイツじゃないよ?私たちが追っかけてるやつ」

 

「ああ。だけど、いいオマケが付いてきたよ、小比奈」

 

「...へぇー。あれ、斬ってイイの?」

 

 

 ....何だか雲行きが怪しくなって来たな。

 見間違いじゃなければ、影胤に小比奈と呼ばれた黒いドレスを着た少女が持っている二本の小太刀と、くりくりとした無邪気な両目はこちらを向いている。

 俺もあのガストレアみたく、綺麗に解体されるのだろうか....?

 

 

「うん、いいよ。だけど、余り汚し過ぎないようにね」

 

「はーい、パパ」

 

 

 どうやら、予想は確信となってしまったらしい。小比奈は黒光りする小太刀を両手に構え、風のような速さで突っ込んで来た。

 ...当然、何もしなかったら分断されて終わるので、丁度よく足元にあったガストレアの肉塊を彼女に向かって蹴り上げた。

 

 

「それ」

 

「ひゃ?!」

 

 

 小比奈は予想外の飛来物に驚き、思わずといった形で防御姿勢を取る。

 ...発現している生物種のモデルによって効果は上下するが、さしものイニシエーターと言えど、突発的な物事に対しては、その優れた思考や行動はある程度制限されてしまう。

 そう、そこは俺たち人間と同じだ。人型である以上、必ず共通の弱点は存在する。

 

 

「はっ」

 

「!」

 

 

 小比奈に十分な隙が出来たところで、間髪入れずに体重を乗せたアッパーカットを見舞う。だが、彼女は寸での所で防御を間に合わせた。

 常人ならまず対処不可能であったが、そこはイニシエーターの持つポテンシャルの為せる業か。

 不安定な体勢で受けたらしく、空中でバランスを崩しかけるも、弾かれた衝撃に逆らわずに後退。肩を押さえながら、切羽詰まった表情で隣の影胤を見やる。

 

 

「くっ!パパ、アイツ強い!」

 

「....ふむ、私が行こう」

 

 

 入れ替わるように飛び出した影胤は、ぬめった挙動で接近してくる。しかし....

 

 

「速いな」

 

 

 上半身を不規則に倒しながらの歩行は、相手へ緩慢な動作であるイメージを植え付ける。場合によってはプロの格闘家でも、あっという間に自分のリズムを狂わせてしまう動きだ。

 と、お互い両手が届く範囲に入ったところで、影胤がすぐさま貫き手を見舞って来た。...速度はかなりあったが、それだけだ。

 動きに()()()ていない俺は、合わせるように肘を下げ、それと対照的に膝を上げる。これで腕を挟み込み、動きを止めれば────

 

 

「残念」

 

 

 目と鼻の先にいる影胤は、腕を挟まれる寸前にそう言ったが、俺は構わず、ホッチキスで紙束を留めるように肘と膝の杭を打ち込み、貫き手を阻止した。

 多少滑った奴の手が、俺の腹に軽く当たり、止まる。....だが、その直後にカチリ、という金属音が鳴った。

 

 

「チェックメイト」

 

 

 貫き手はフェイク。本命は、この突きつけられた銃口だった、ということか。

 .....いやまぁ、知ってたけど。

 

 

「よっ」

 

「!なっ」

 

 

 予め構えて置いた片手の拳でインパクト。銃を上へ弾く。影胤の驚愕を聞くことなく、挟まれた手首を捻り、此方側へ巻き込むようにして半回転、地面へ引き倒した。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 初めて聞く苦悶の声を上げた影胤を見ず、直ぐに片足で先ほど弾いて地に落とした銃のグリップを踏み、跳ね上げる。

 俺が小比奈へ銃口を突きつけるのと、彼女が小太刀の刃を俺へ突き付けるのは、ほぼ同時だった。....のだが、すぐに小比奈は気付いたらしい。

 

 ────空いた俺の片手で、自身の小太刀の刀身が掴まれているのを。

 

 二人一緒に暫く同じ状態で固まるが、数秒経った所で彼女の眉が途端に下がる。

 

 

「....うーん、勝てない。パパ」

 

「はは。同感だね」

 

 

 こんな状態でも余裕な体を崩さない影胤へ密かに感心していると、小比奈の小太刀が降ろされた。そして、腰の鞘へ丁寧に仕舞ったところで、俺に向かってにんまりと笑った。

 

 

「私は蛭子小比奈。モデル....あれぇ?なんだっけ、パパ」

 

 

「『マンティス』。カマキリだよ、我が娘よ」

 

「うん、それそれ」

 

 

 二人の間抜けなやり取りで不覚にも笑いそうになったが、それを強引に押し込める。 .....この二人は間違いなく、本気で俺を殺そうとしていたからだ。

 小比奈は何処までも純粋な、影胤は蛇のように狡猾な、殺意で。しかも、それを愉悦に心躍らせながら発しているのだ。

 さきの戦いを見ている者がいたとしたら、十人中十人が狂っていると評するだろう。

 何が二人を此処まで壊してしまったのか本気で思案していると、肩や腕を軽く回しながら影胤が俺へ問いかけて来た。

 

 

「互いの命を取り合った仲だ。...取りあえずは、君の名前を教えて欲しいなぁ」

 

「ん?あぁ、美ヶ月樹万だ」

 

「あんまり強くなさそうな名前ー」

 

「ほっとけ」

 

 

 小比奈の白歯を覗かせた挑発には取り合わず、影胤へ持っていた銃を投げ渡す。

 すると、当の彼は片手を挙げるだけで器用にキャッチしながら、意外そうな声を上げた。

 

 

「へぇ、返してくれるのかい?」

 

「そんな趣味わりぃ銃をどうこうする気はねぇよ」

 

 

 彼の持っていたそれは、恐らくベレッタだ。色々後付け装備されており、お世辞にも見た目はよろしくない。

 よく見てみると、彼の腰にもう一挺かかっていたため、影胤は二挺拳銃(トゥーハンド)らしい。

 なんとなくで戦力の分析していると、前方から酷薄な笑い声が響いてきた。

 

 

「ヒヒ、中々に失礼だね....美ヶ月君っ!」

 

 

 突如、影胤が今し方返した....というよりしてやった銃を持ち上げ、発砲しようと構える。初弾は装填されているらしく、既にトリガーへ指をかけていた。

 かなりの脈絡の無さに驚きはしたが、撃たせる前に念のため手中へ残しておいた小石を素早く親指で弾く。

 俺が打ち出したその銃弾は、影胤によって向けられたベレッタの首を勢いよく跳ね上げた。

 直後、撃針が弾丸の雷管を打ち、聞きなれた銃の発砲音が響く。

 

 

「っ!」

 

 

 吐き出されたバラニウム弾はあらぬ方向へと打ち出され、天井に突きささってコンクリート片の雨を降らす。

 俺はその雨中で唖然としているだろう影胤の手を掴み、素早く捻転、背に手を当ててから足を払い、再度地面へ叩き付けた。

 

 

「がっ!....ッは」

 

「おおー」

 

 

 小比奈がすぐ隣で感心したように拍手をする。....やっぱ茶番劇かよ。

 呆れたように溜息を吐いていると、影胤は仰向けのままで低く笑った。

 

 

「クク....どれほど、君が不測の事態に強いか気になって、ね。....付き合ってくれたお礼に、良いモノを見せてあげよう」

 

 

 腕を取られ、更に寝腐っている状態で何が出来るというのか。甚だ疑問であったが、幸い直ぐに答えは出された。

 

 ....吹き飛ばされる衝撃と共に。

 

 宙へ投げ出された俺は、混乱状態へと陥る脳に慣れた挙動で冷や水を浴びせかけ、正常な思考を真っ先に手繰り寄せる。

 まずは危険な箇所からの落下を避ける為、空中でなんとか身体を捻って天地を確認。腕から肩に掛けて滑るような着地で、上手く衝撃を逃がそうと画策する。

 しかし、ゴギリ、という剣呑な音が内部から響き、首元辺りに痛みを感じた。が、それに気を向ける前に、鋭い銃声が俺の鼓膜を震わせた。

 

 

「飛那、か」

 

 

 腕を立てて階段の方を見ると、果たして段上から連続した発火光を瞬かせる飛那がいた。

 どうやら先ほどの一部始終を見ていたらしく、頭に血が昇っている...筈なのだが、みるみる内にその表情へ青ざめた色が差すのを見た。

 気になって影胤の方へ目を向けると、驚愕の光景が視界へ飛び込んで来る。

 

 

「凄いでしょ?あれ」

 

 

 いつの間に隣へ来ていたのか、小比奈が自慢げな声で同調を求めてきた。...いや、確かに凄い。何せ、己の周りに薄く半透明な膜を張り巡らし、それで銃弾をすべて弾いてしまっているからだ。

 一体何が起きているのか計りかねていると、やがて飛那が弾切れを起こし、放った数十発全てが『壁』に阻まれているのを見る。

 すると突然、彼女は小銃を捨て去って猛然と駆け出した。...手に持つのは、抜き身の小型ダガーナイフ。

 隣で小比奈が飛び出そうとしたが、やんわりとそれを押しとどめる。彼女は不満そうな顔をするが、渋々引き下がってくれた。

 俺は一つ頷くと、周りが完璧に見えなくなっている飛那と、丁度謎の壁を解除した影胤の間へ一息で割って入る。

 

 

「なっ!」

 

「おっと」

 

 

 制止を伝える声では止められそうにない事を悟った俺は、ナイフを突き出した飛那の腕へ己のそれを蛇のように絡ませる。

 ナイフの切っ先が頬を擦過する痛みに耐え、体当たりをするように飛び込んで来た飛那の腕を軽く捻り、強引に背を向けられたところで首に片手を回し、拘束した。

 

 

「ったく、本当俺のことになると、普段の落ち着きと冷静さが嘘みたいだな。ちっとは抑えろ」

 

「わ、分かりました!分かりましたから拘束を解いてくださいっ」

 

 

 力の入っていない片腕で腿あたりをタップされ、緩めにしておいた戒めを解いてやる。

 腕を擦りながら脹れっ面を作る飛那に謝っていると、何故か影胤が小比奈を連れて柱の裏へ隠れるのを見た。

 

 

「はぁ...こ、ここか..?」

 

「随分と厄介な所で───ん?...あぁ、やっと見つけたぜ」

 

 

 此方へ近づいてきたのは、俺たちの補佐役で警察側から派遣された二人の警官だ。彼らとは電話口でしか会話したことがないので、実際に顔を合わせるのは初めてだ。

 どうやら、影胤は連中の気配を察していたようだ。

 

 

「ガストレアならこの通りだ。ここの被害もあまりない」

 

「それを判断するのは俺たちだ。てめぇには聞いてねぇよ」

 

「うへぇ...何だこれ、サイコロみたいになってる...」

 

 

 先に声を掛けて来たケンカ腰の警官は、挑発するような口調と共に警棒で俺の胸をどつく。もう一方は、小比奈のライブ解体ショーによってバラバラにされたガストレアを見て顔を青くしていた。

 飛那は彼らへ目に見えて敵意を露わにしていたが、俺が前に出ることで視界へ入れさせないようにする。

 

 

「....じゃ、後はこっちで応援寄越させるから、てめぇらはさっさと帰れ。邪魔だ」

 

「へいへい」

 

 

 挑発するような口調には、敢えて真面に取り合わず生返事で流す。度が過ぎると手を出してくる可能性も出てくるが、片手に()()()()()()()()をチラつかせておいたので、その心配はないだろう。

 俺の態度が気に入らないらしい奴は、尚も何かを言いかけるが、盛大な舌打ちのみで手を打ったらしく、もう一人の警官を呼びつけると荒々しい足取りで階下へと消えて行った。....全く、余裕のない連中だ。

 

 

「目に余る態度ですね。そればかりか、ガストレアを倒した樹万に礼一つ言わないなんて....」

 

 

 飛那は先ほどのヤンキー警官へ噛みつかんばかりに憤慨し、ブツクサと文句を垂れている。

 ....警察の民警嫌いは今に始まった話ではないので、特に思う所はない。ちゃんと仕事して、あとは働いた分の報酬を出してくれればそれでいい。

 

 

「全く、君も物好きだねぇ。あんなゴミ屑を生かしておくなんて」

 

 

「私が斬ってこようか?タツマー」

 

 

 気楽な声調でどす黒い言葉を放ちながら、柱へ身を隠していた影胤と小比奈が姿を現す。

 それに対し、俺は片腕を回しながら冗談交じりに返答した。

 

 

「俺はお前らみたいに目立ちたがり屋じゃないんだよ。....あと飛那、銃を降ろしてくれ。そいつらは確かに悪党だが、今は話の分かる悪党だ」

 

「ですが!あの二人は樹万を殺そうとしました!」

 

「俺は奴らに姑息な手は使われてないし、殺されてもいない。...復讐するにはちと早くないか?」

 

 

 飛那は暫く唸ったあと、行き場の無い怒りを発散するためか、ガストレアの肉塊をwa2000で数個消し飛ばした。

 ...死にながらにして此処までいびられたガストレアは、恐らく過去類を見ないんじゃないだろうか...南無三。

 

 

「クフフ、中々威勢の良い御姫様じゃないか」

 

 

 影胤は顎を押さえながら低く笑い、吹き込んでくる風で燕尾服の裾をはためかせる。

 ほどなくして、空を裂くような音が此方へ近づいてきた。...そろそろ、回収用のヘリが到着するらしい。

 あの警官が言っていたように、俺たちが此処へとどまっていても邪魔になる、というのは本当のことだ。死骸の回収と合わせて、現場検証、鑑定まで行われるためである。

 早々に退散しようと飛那を呼んだ所で、影胤の口から(くら)く、地を這うような言葉が紡がれた。

 

 

「美ヶ月樹万。...私と共に来ないか?」

 

 

「........何でまた」

 

 

 提案の意図が掴めず、単純に理解できなかったので理由を問うた。

 すると、影胤は緩慢な動作で背を向ける。....どうやら、地平へ(そび)えたモノリスへと視線を合わせているらしい。

 

 

「....死合う前にも言ったがね、私はこの世界を滅ぼす。その思想の理解者が君にはピッタリだと思うんだよ」

 

「く...はははっ」

 

「?....何故笑う」

 

「いや、明らかな人選ミスだろ」

 

 

 俺は世界の破滅を望む程この世を、自分の生を悲観してはいない。『奪われた世代』ではあるが、もう過去との折り合いもつけた。

 にべもなく取り下げられた意見に納得できず、尚も説得を試みようと影胤は口を開きかけたようだが、此処で小比奈がタイムリミットを知らせた。

 

 

「パパ、もう無理。人が沢山くるよ」

 

「......いずれ君にも分かるよ、美ヶ月君。力を持つ者は、支配される側ではなく、する側に居るのが常であるとね」

 

 

 最後にそう言葉を溢すと、非常階段の縁へと足を掛け、飛び降りて行った。

 

 

「じゃあね、タツマ。また逢ったら、今度こそ斬るよ」

 

 

 小比奈も凄絶な笑顔を浮かべると、影胤と同じように飛び降りた。ここは地上から数えて五階なのだが、まぁ工夫はあるのだろう。

 

 そして、その後は少しの間、沈黙が蟠る。

 

 俺としては、影胤の話題をこれ以上出すべきかどうか迷っていたのだが....ヘリコプターのローター音がはっきりと聞こえ始めた時、飛那が最初の口火を切った。

 

 

「あまり...気にしない方がいいですよ」

 

 

 俺の片手を掴み、両手で包み込むようにして抱えると、そう上目遣いで懇願してくる。

 不器用ながらも、俺を精一杯励まそうとしてくれている飛那に胸が熱くなり、思わず抱きしめた。

 

 

「大丈夫だ。俺は自分がどういう生き物か、分かってるからな」

 

「ん」

 

 

 その言葉で安心したように微笑んだ飛那は、一層抱く手に力が入った。俺も彼女の頭を優しく撫でる....が、ここで俺はつい視線をこの階全体に向けてしまう。

 

 ...血肉が飛び散った場所でこの雰囲気って、俺たち完璧に危ない人なんじゃ...

 

 そんな考えが脳内を駆け巡ったが、吹いた風で運ばれた飛那の髪の香りで全部吹き飛んだ。

 

 .........恐るべし、イニシエーターの力。

 

 




 小比奈ちゃんヒロイン枠に入るかも。

 そうなったらご主人と全面戦争に発展しますね.....


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04.依頼

 遂に原作キャラもう二人初登場です。

 あと、この話でようやく主人公の序列が明らかとなりますよー


「ん。ほう、新しいのが届いたか」

 

「そうらしいが、まとめて俺に運ばせるのは止めてくれよ先生...」

 

「軟弱な言葉を吐くな。キリキリ働きたまえ、助手くん」

 

 

 訳の分からないモノを口に咥えながら姿を現した先生は、俺の持つ大きな木箱を見ると、会社の上司宜しくパイプ椅子に座り、足を組みながら檄を飛ばし始める。

 恐らく今の俺の顔は、疲労と理不尽さと格差社会のままならなさと、その他諸々のマイナスな感情によって酷く歪んでいるに違いない。

 

 

「ふぅ。先生、これが、最後だぞっ」

 

 

 ドスンと重厚な音を立てた木箱を重ね終え、それが終わった途端にひっくり返る。

 仰向けに寝そべった俺を見た先生は、欠伸を噛み殺し、その辺を漁って取り出した煎餅を齧りながら言った。

 

 

「むぐ、全く....君は栄えある民警の一人だろうに。こんな雑務で音を上げているようでは、延珠(えんじゅ)ちゃんを任せられんぞ?里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)くん」

 

「辛いもんは辛いって....てか何入ってんだよ、重すぎんだろ」

 

 

 ようやく身体を起こせるまでに回復すると、先生は木箱の一つを開け終えた所だったらしく、中から真空パック詰めになった赤黒い何かを取り出していた。

 詰め方からして明らかにガストレアの遺骸だが、こうまで原型を留めていない奴もいるのか。殺した民警は相当な人格者である事が伺える。

 

 

「...ふむ、珍しいな。彼がガストレアをこんな風に殺したのは」

 

「え?知ってるのか、先生」

 

「ああ、彼らは───っと、電話か....」

 

 

 口を開きかけた所で無機質なバイブ音が遮り、先生は仕方なさそうに傍らにあった携帯電話を手に取った。

 

 

「....私だ」

 

 

 耳に当てている最中も不機嫌そうな顔を止めず、空いた片手で机を忙しなく叩いている。....しかし、あるタイミングから急に豹変し、椅子を弾き飛ばしながら立ち上がった。背後で何かが割れるような音が響いたが、まぁ大丈夫だろう。

 

 

「そうか、わかった。また頼むよ....それじゃ」

 

「.....で、先生?一体何処の誰だったんだよ。何か良い知らせでもあったのか?」

 

 

 頭を垂れた状態では、長い髪が邪魔をしていて表情が読めない。...筈なのだが、何故か大体わかってしまう己が恐ろしい。

 果たして顔を上げた先生の目は、飢えた肉食獣すら泣いて逃げるほど爛々と輝いていた。

 

 

「里見くん。今すぐ出て行ってくれたまえ」

 

「な、なんでだ?」

 

「私はこれから、想い人との逢瀬をするのだ。邪魔をするのなら手段は選ばん....」

 

 

 両手をワキワキさせながら暗い笑みをこちらへ向ける先生だが、こんなんでも世界に数えるほどしかいない天才なのだ。

 ...過去、ガストレアとの激しい戦争の最中、数々の兵器開発、発明を行った日本の『頭脳』。『新人類創造計画』の元最高責任者、室戸(むろと)(すみれ)

 しかし、彼女はかつての己の行いを悔いており、その多くを語らない。

 先ほどみたく、ここに居るとこき使われてばかりだが、俺には先生へ返すべき恩がある。到底己の一生分では不可能なくらいの、だ。

 と、考えている最中に簀巻きにされかけていたので、モルモットとなる前に退散を決め込む。

 ....あ、待てよ?

 

 

「そ、そういや先生、あのガストレアを倒した民警ペアって、結局どんな奴らなんだ?」

 

「ん?あぁ....彼らは美ヶ月民間警備会社に所属していてね。───少し待っていてくれ」

 

 

 どこを見ても大体雑多なこの研究室にしては珍しく、ちゃんと整理がされている本棚の前に立ち、分厚いファイルから一枚の紙を取り出して俺へ見せた。

 

 

「写真はないが、社長である美ヶ月樹万は堕落を極めたような目をしていたな。その隣に記してあるのが、いかにも君が好きそうな銀髪ロリっ娘で、会社唯一の社員兼美ヶ月社長のイニシエーター、高島飛那だよ」

 

「...所々入る変な補足説明さえなければ十分だったよ先生。....にしても、これじゃ分からないな」

 

 

 そう。このペアがガストレアを惨殺したかどうかが結局分からない。

 ....一応、社長の目は死んでいるらしいが、それだけでは確証とできない。写真が無いのは痛いな。

 

 

「先生、二人のIP序列は?」

 

「ん.....む、序列は別紙のようだね」

 

 

 IP序列とは、世界各地に散らばる民警たちの実力を示す、いわばレベルのようなものだ。

 千番台に上がれば晴れて上位ランカーの仲間入り、百番台は国や世界の英雄級、十番台は....神の領域、とでも言っておこうか。

 ちなみに俺は十二万。イニシエーターである藍原(あいはら)延珠の実力は確かなのだが、己が足を引っ張ってしまっているため、中々順位が上がらない。お陰でウチの社長から何度「お馬鹿」というお怒りの声を頂いたか....

 一人で暗鬱な思考を垂れ流していると、先生は俺の前へ一枚の紙を差し出してきた。....どうやら、IP序列はこれに書かれているらしい。

 

 

「....序列、約十五万位....?そんな馬鹿な」

 

 

 思わず呻くが、これが事実だ。IP序列が実力の指標という言葉をそのまま鵜呑みにして評価するのだとすれば、彼等は下の下、ということになってしまう。

 そんな人間が、ガストレアをあそこまで無惨に解体できる戦闘技術を持つのかと問われれば、疑問しかない。

 一方の先生は、さも当然であるかのように俺へ言った。

 

 

「彼らは余り闘争を好としないんだよ。それでも、時折二人の名義で運び込まれるガストレアは綺麗だったからね、覚えているんだ」

 

 

 話の内容としては、もう少し嬉しそうに語って良いもののはずだが....紙をファイルに戻しながら長い息を吐く先生の横顔には、どこか陰が差しているように見えた。

 俺はそんな先生へ、どんな風に答えを返したら正解なのか、終ぞ分からなかった。

 

 

 

          ****

 

 

 

「ぶあーっくしゅっ!」

 

 

「ひぁっ!?だ、大丈夫ですか、樹万?」

 

「あ、ああ。誰かが俺の噂でもしてんのかね....」

 

 

 いや、そんなはずはない。俺と飛那の序列は十五万。誰も歯牙に掛けない程の低ランカーだ。

 しかし、元より戦闘好きではない俺にとっては、世界が決めたランク付けなどどーだっていい。生活が困窮しない程度に働けば、怠け者だと他の民警から後ろ指を指されながらでも、生きては行ける。

 

 

「はい、樹万」

 

「ん?....おお、毛布か」

 

「風邪を引いてはいけませんからね。もしそうなっても、私が看病してあげますけど」

 

 

 飛那の持ってきたそれを受け取り、ソファに寝そべって自分の身体を覆うように掛ける。と、漂うのは微かなオンナノコの香り。自分の掛け布団を持ってきたなコイツめ。

 だが、匂いを嗅がなくても隣で人差し指を突き合わせ、もじもじしている飛那を見れば瞭然だ。こんなにも理不尽かつ痛烈な攻撃(ご褒美)を貰ったとなれば、反撃(お礼)もやぶさかではない。

 俺は毛布の端を掴み、持ち上げてから言った。

 

 

「....一緒に寝るか?」

 

「!はいっ」

 

 

 途端に両腕を広げて凄まじい勢いで走り出し、頭から毛布が作った穴へ飛び込む。すると、俺の眼前には尻を突き出して蠢く飛那の滑稽な姿が作りだされる。

 ....成程、これが頭隠して尻隠さずという諺の起源なのだなと、俺は昔日の折に生み出された言葉の原点を辿っていた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 ─────何かが、聞こえる。

 

 呻き声、叫び声、そのどちらとも取れるような....

 

 否、違う。これは、笑声だ。

 無力な俺を嘲笑い、半身を無くしても尚生きようと地面を這いつくばる、あの時の俺を見下す笑声。

 

 茫洋とした視線の先には、確かに。

 

 己と、己の大切な物を喰らって行った化物がいた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「....ッは!」

 

 

 力一杯瞼を開き、纏わりついた闇を振り払うかのように飛び起きる。

 今まで眠っていたというのに、全力疾走したような、荒く、浅い呼吸が続く。身体も珠のような汗でぐっしょりと湿っていた。

 

 俺は深く深呼吸をしてから顔を片手で覆い、光と闇の曖昧な境界線上に佇んでいたガストレアを思い出す。

 

 

「ったく.....あまりにも、リアル過ぎだろが」

 

 

 今でも、その姿は思い出せる。ヤツは四足歩行で爪が鋭く、体表はまるで岩のようだった。そのくせに身軽で素早く、俺が追われている最中にも、家屋を踏み潰し、蹴破り、罪のない人間たちを轢き殺した。

 ....そして、俺を─────

 

 

「っぐぅ!....く、そ」

 

 

 喉奥から上がって来た酸っぱいモノを無理やり押し込め、過去の記憶ごと蓋をする。軽く嘔吐いてしまうが、背をソファへ預けて上を向くことで何とか収拾をつけた。

 

 ....こんなザマは飛那に見せられないな。

 

 俺以上に傷付く事を恐れる少女は、今や身近な人がそうなる事すら恐れるようになってしまった。

 だからこそ、彼女の前でだけは絶対に弱音は吐かない。そして、いつか来るその時までは、俺は人間でいるのだ。

 

 

「....うし、大丈夫だ」

 

 

 飛那を起こさないようにソファから立ち上がり、足早に駆け込んだ洗面台で顔を洗う。

 冷たい水の恩恵で熱暴走しかけていた思考は平常に戻り、他の事を考えられる程度には精神的余裕が生まれた。

 と、此処へ来たついでに寝汗をかいた身体を洗おうと思い立ち、シャツの裾に手を掛けた....所で、玄関の方から呼び鈴の音が鳴った。

 

 

「何だ...?」

 

 

 時は既に夕刻に差し掛かろうとかといった所だ。誰かが訪ねてくるには遅い時間だろう。

 いやそもそも、この寂れた会社を見初めて訪ねて来るような依頼人はいるのだろうか。

 

 ....少なくとも、俺だったらもっと信頼の置けそうなトコへ依頼するな。

 

 俺は一つ溜息を吐くと、最初から依頼人と決めつけて話を進めている己の思考に終止符を打つ。そして、後頭部を掻きながら、敢えて複雑な表情を浮かべたままで扉を開け放つ。

 

 

「あの、ウチはそういうのいいんで....、ッ?」

 

 

「────────」

 

 

「....なんだ、アンタ?」

 

 

 依頼人でないのなら、あとに残るのはセールスか何かだろうと踏み、開口一番常套句を並べ立てようとしたが....目前に佇んでいたのは、黒いスーツを着た大男だった。

 俺は尋常ならざる雰囲気を察し、後ろ手で扉を閉めてから手持ちの鍵で施錠、立ちはだかるような位置に立つ。

 

 

「君は、美ヶ月民間警備会社の社長だな?」

 

 

 男が野太い声で言い放った問いかけに、俺は無言で頷く。

 すると、彼は左手に持っていたビジネスバッグから、一枚の紙を差し出してきた。

 

 

「明日、外周区郊外にてガストレア掃討作戦が行われる。指定の民警ペアは、これに参加するよう言い渡された」

 

 

「な、何....?」

 

「聖天子様の許可も頂いている。些か性急ではあるが、正式な依頼書だ」

 

 

 にわかには信じられず、男から紙をひったくって見てみるが、間違いなく聖天子のみが持つ判子の朱印が押されていた。

 

 ...いや、あの善人を象徴するような人間が、まさかこんな事を許すはずがない。

 

 必ず事前に通達を行い、下手をすれば一週間の準備期間を置いた上で、更に参加の可否を問う事すらしそうだ。

 良く言うのなら、他人の意見を尊重する、といった所か。....ならば、異常は明らかである。

 

 

「お前ら、何を企んでやがる。悪戯にしちゃ手が込み過ぎてるぞ」

 

「悪戯か否かはそちらで判断して貰おう。いずれにせよ、逆らえば聖天子様の威を借りし我らの権限で、お前の民警ライセンスを永久に剥奪させて貰う」

 

「!っち....」

 

 

 何となく分かってはいたが、こうなった以上選択の余地は無いという事らしい。用意が良いことだ。

 無論、民警ライセンスを奪われる訳にはいかないので、俺は紙へ了承のサインを書き殴り、男へ突き返してやる。対する彼はそれを大人しく受け取ると、代わりに小さいマイク付きイヤホンを渡してきた。

 

 

「これは、本作戦に参加する他の民警と情報の交信を行う為の機器だ。お前のイニシエーターにも渡しておけ。...それと、それには小型ICチップが埋め込まれている。逃げられはせんぞ」

 

「はっは....どれだけの人間が裏で動いてんだ?こいつは」

 

「明日で死ぬお前には、知る必要のない事だ」

 

 

 それだけ言うと、奴は地面に置いた鞄を持ち上げた。その隙間から見えたのは、元々複数の資料が入っていたと思われるファイル、ケースの類だ。いずれも空であり、恐らく俺が最後の依頼人、ということなのだろう。

 

 これ以上の会話は無駄だ、と男は暗に俺へ告げているのか、無言のまま顎で背後の扉を示した。さっさと戻れということらしい。

 

 俺は男の意に従って施錠を外し、家に戻る。が、彼が玄関を抜けたところを見計らって再度外に出る。そして先の曲がり角を抜けた直後に駆け、音も無く角の家の塀に張り付いた。

 

 それから直ぐに車の停車音が聞こえ、さきほどの男の狼狽したような声が響いて来る。そんな男の発言に応える声は無く、代わりにサイレンサーがついた銃の発砲音が二三こちらの耳に届いた。

 

 撃ち殺されたであろう男は車に詰め込まれたらしく、バタンとスライドドアが閉まる音が聞こえ、直後にエンジンがかかる。位置的には俺が隠れる塀は車の進行方向なので、このまま留まっていてはバックミラー等を通して気付かれる可能性が高い。

 

 俺は身を翻して壁伝いに移動し、丁度暗殺者連中にとっては塀向こうの家で死角になる位置で跳躍し、頂点に手を着いて塀の内側に己が身を滑り込ませる。

 それから間もなくして、車は静かなエンジン音を奏でながら現場を去っていった。塀の隙間から見たが、アレは()()が保有している専用車だ。

 

 

「犯人は聖居関連の人間。しかも下層への情報漏洩を潰すためには人殺しもやる、か....これは、結構ヤバいことに片足突っ込んでる状態かもな」

 

 

 俺以外に選ばれた民警は、ほぼ確実に低ランカーだろう。敵の詳細な規模は分からないが、この作戦で生き残りは出さない為だ。....まさか、目立たなかったことが裏目に出るとは思わなかった。

 ────だが、分からない。そんな事をして、一体誰に何の得があるのか。

 

 

「分からないんなら探るまでだ、ってね」

 

 

 他人様の家の領地に入るのは不法侵入だ。通報されれば御縄になってしまうので、さっさとその場を退散する。しかし、久しぶりに()()()()の時のような動きをしたからか、少し身体が驚いているな。

 俺は歩きながらポケットから鍵を取り出し、数分前に閉めたばかりの質素な扉を開ける。

 

 ....この予備の鍵は、飛那に渡しておくかな。

 

 そう決めると、俺は玄関に置こうと伸ばした手を引っ込めた。

 




 急展開です。

 次話はもっと急展開になる筈。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05.暗躍

 アニメとかの主人公って、一目で「強い!」って思える武器を持ってることが多いですよね...

 なので、本作品は敢えてメンドクサイものを持たせてみました。


「三日前に依頼が来たばかりなのに、もう次の仕事ですか」

 

「何だ、いつもは働けって言うのに」

 

「いえ、やっとその気になってくれたのかと」

 

「そりゃないな」

 

 

 飛那と他愛ない会話をしながら、外周区まで足を運ぶ。そして、その更に先へ進むと未踏査領域───モノリス外の、ガストレアが蔓延る場所───へと行き着く。そこは、中途半端な覚悟で踏み入ったが最後、生息するガストレアに骨まで残さず食い散らかされるだろう魔境だ。

 

 周囲は遮るモノなど殆どなく、吹き抜ける風はひたすら荒涼としていた。...しかし、今回は晴れているため、度が過ぎるほどの厚着をしては汗を吸った衣服がまとわりつき、動作が鈍る。

 司馬重工が開発した身体の機能性を損なわない強化繊維のシャツとジーンズを着込む飛那は、時折路傍の石に乗り上げて跳ねる、じゃじゃ馬なアタッシュケースを引っ張りながら俺を見上げて言った。

 

 

「今回受けたのは、随分と重要な依頼なんですよね?......やはり、危険なのでしょうか」

 

「あぁ、だろうな」

 

 

 既にあれだけの『闇』を見たのだ。今更楽観視しろなど、強制されても出来はしない。

 

 ────しかし一方で、良かったとも思えるのも確かである。

 

 暗躍する何者かの思惑は、きっと碌なことではないだろう。何せ聖居関連の人間が、人をあれほど無理なやり方で消しているのだ。東京エリア全体が危機的状況に陥る何事かを仕出かそうと企んでいてもおかしくはない。

 それを()が阻止するのなら、聖居の持っている自分の情報を確かめられるチャンスだ。この際、最大限利用させてもらおう。

 

 

「『相手の持つ手札と行動は、ケンカになる程凝視してけ』....か」

 

「?」

 

 

 ふと、常に鼻孔を刺激しているはずの人の営みの匂いが消えた瞬間、口を衝いて出た言葉。それは絶望に唾棄し、悲嘆を笑い飛ばしていた者の零していたものだった。

 懐かしき姿と声を脳裏から掘り出しながら、俺は寂寞(せきばく)の思いと共に晴天を見上げた。

 

 

 

          ****

 

 

 

 ────結構奥まった所まで歩いて来た。周りは一転して木々が多い茂る場へと様変わりしており、時々聞こえて来る鳥たちのさえずる声が耳に優しい。

 そして、マイク付きイヤホンと一緒に渡された地図の終着点は.....

 

 

「あの、廃墟か」

 

 

 何らかの工場だったのだろうか。しかし、見当が付けられないほど劣化が激しいため、らしき物、としか形容できない。

 気は進まないが、まるで血を浴びせかけたかのような赤錆だらけの廃工場に飛那とともに近づき、開いていた観音開きの戸の隙間を抜ける。日中だというのに中は薄暗く、扉から漏れる陽光以外の光は総じて頼りない。

 

 

「うう....何でこんな場所を集合地にしたのでしょうか....」

 

 

 飛那が俺の袖を摘みながら文句を言う。しかし声は震えており、これでは寧ろ相手の保護欲を掻き立ててしまうだろう。

 ....普段から一緒にいる筈の俺でさえそうなのだから、間違いない。と、怖がる飛那の頭を撫でながら、ほとんど諦めたような考えを巡らす。

 

 ────こんなことへ現を抜かしていたからこそ、背後から迫る魔手に気付くのが遅れた。

 

 

「っ、樹万!」

 

 

 飛那の声が耳に届くが、遅い。その時にはもう後方から伸びた腕に後頭部を掴まれ、地面へと叩き付けられていた。

 

 

「っがぁ....!」

 

 

 額を強打したことで、激しく視界が揺れる。しかし、インパクトの寸前に辛うじて手を着いたため、脳震盪で意識を失う事は避けられた。

 

 

 

「く、ははははは!どうだテメェら、これで俺の全勝だぜ!」

 

「ちっ!ザケんなよクソ野郎、何で雑魚ばっか寄越すんだ!」

 

「だから言っただろうが!止めとけってよォ!」

 

 

 俺がコンクリートへ叩き付けられた音が消えてから直ぐに、多方向から複数の男の嗤い声が響き渡った。....そうだ。低ランカーばかりが集められるのだから、こういう事も事前に予期しておくべきだったな。

 軽く舌打ちしてから首だけを動かして辺りを見渡すと、俺と同様に奴らに()()られたらしい民警たちが倒れており、そのイニシエーターも傷を負っていた。

 

 

「......お?随分といいモン連れてんじゃねえか」

 

「へぇ。確かに、こりゃ的にしちまうには勿体ねぇぜ」

 

「俺ぁ鬱憤溜まってんだ、多少痛くしても問題ねぇよなぁ?」

 

 

 男達の視線が俺から飛那へ移ると、色めき立ちながら爪先を向け始める。一方、俺を地面に叩きつけた男は銃を取り出し、頭を掴んだ状態のまま背に片膝を立て、後頭部に銃口を押し付けてきた。飛那に対する脅し、ということか。

 飛那にも銃口が突きつけられた状態なので、少しでも動けば足を撃たれるだろう。とはいえ、低ランカーのイニシエーターということで舐めているのか、もしくはこうされた彼女たちは総じて混乱してしまったのか定かではないが、男たち全員は隙だらけだ。これなら彼女は一息で銃を奪い、立場を逆にすることも十分可能だろう。

 

 

「..........」

 

 

 さて、何故俺は飛那を助けに動かないのか、飛那は近づいて来る男共へ反撃に出ないのか。

 

 ────その答えは、間もなく目前で証明される。

 

 突如、爆撃にも似た大音響が頭上から降り注ぎ、周囲の闇より色濃い漆黒の鉄槌が落とされた。完全に飛那へ意識を傾けていたアホの一人はそれの下敷きとなり、内容物全てを地に塗布され即死する。

 壮絶な衝撃と風圧に煽られた後ろの二人は、尻もちをつきながらもようやく異常に気付くが、もう遅い。奴等から見て後方の壁を突き破り、横滑りしてきたもう一本の槌に二人纏めて弾かれた。

 一人は勢いよく上方へ打ち上げられて天井のシミとなり、もう一人は直撃したらしく、衝撃の一分も受け流せず身体の内側から破裂、赤い霧となってしまった。

 一部始終を確認し次第、俺はすぐに自分に乗っている銃口を突きつけていた男を転がって振り落とし、わき腹に蹴りを一発。もんどりうっているうちに腕を掴んで投げ、扉側へ落としておく。

 

 

「飛那!ソコらで伸びてる奴等を全員避難させてくれ!」

 

「樹万は!?」

 

「誰かがコイツを止めなきゃ、全滅だろ!」

 

 

 ────多くの人間は、この判断に驚愕するだろう。

 普通、こういった場面ではガストレアと戦うべく身体能力を向上させた、イニシエーターが前衛へ出るべきだからだ。ただの人間が対峙していいのは、ステージⅠの最も再生レベルが低いガストレアまで。それも、バラニウムで武装した者に限られる。

 しかし、飛那は互いに姿を晒しての白兵戦には向かない。一応、大抵の戦闘法はオールラウンドにこなせるが、そもそも今回の敵は....

 

 

「恐らく、ステージⅣ....」

 

 

 このクラスになると、体調が数十メートル級を越す個体が殆どとなる。何らかの大型兵器を使用しなければ、いくら高い戦闘力を持ちうるイニシエーターでも太刀打ちできない。

 考えている最中に、襲撃を成功させたガストレアは天井を突き破った足を動かし、周りのトタン屋根を剥がしながらその顔を覗かせた。

 

 ────瞬間、俺の思考は暫しの空白を生む。

 

 

「樹万っ、避けて!」

 

 

「っ、は!」

 

 

 飛那の叫びで何とか我を取り戻し、上空から迫るガストレアの前脚を回避した。

 着弾時の爆風で数度転がるが、足でブレーキをかけて停止。そして、今一度首を動かし、見間違いではないかと自問しながら、その敵を視界へ映す。だが、

 

 

「お前は────」

 

 

 ここまで全容を捉えてしまえば、今更間違えようもない。現れたガストレアは、あの時、俺の全てを奪って行った化物だった。

 鋭利な爪を凝り固めたような前脚を引いた奴は、時間にして数秒、その視線を俺と交錯させた。するとおもむろに、その時は血に染まっていた口を開け、土気色の瘴気を吐き出す。

 

 

 ミ、ツ、ケ、タ。

 

 

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 俺は腹に手を置きながら、もう片方の手で己の『牙』を抜く。

 恨みや憎しみは、ない。そんなものはあの男と出会った時に全てその場へ置いて来てしまった。あの日の俺はとうに死に、今の俺が持つのは(他人)が殺された光景と、全てを亡くしたという事実だけ。奴に抱くのは『人を殺すガストレアは殺さねば』という、有象無象の敵と同様の感情に過ぎない。

 

 それに、ここへ辿り着くまでに経た戦場で────()()()()()()()()()()()()()

 

 

「再会が遅くなったな。残念だろうが、俺はお前を()()()()()()()

 

 

 駆け出しざまに一閃。

 太陽光を反射し、煌めくのは細見の刀身。刀や剣と比べると余りにも脆弱で、短い。しかし、全く届かない筈の刃は、甲高い破裂音を響かせ、数メートル先にある奴の片目を容易に穿った。

 

 俺が手に持つのは、取り付けた刃を高速で射出可能な大型のタクティカルナイフだ。

 射出方法は一般の銃などと同様で、大量の火薬を使って打ち出すため威力は申し分ない。しかし、自動排莢を可能とするエキストラクターやエジェクター等は取り付けられていないので、装弾や排莢は手動で行う。

 更に、銃弾の役割をするバラニウム製ナイフも、その都度取り付けなければならない。常人から見れば非常識極まりない武器である。

 

 

「あの時の俺は弱かったな。....だが、今は」

 

 

 しかし、火薬を入れる為のマガジンへ普通の弾丸を込める事が出来る。多少の制約はあれど、一つで何役もこなす万能さがあるのだ。

 後は、己の腕で全てが決まる.....!

 

 

「────俺の方が、強い」

 

 

 虎のような顔を苦痛で歪ませている頭部へ、装弾したバラニウム弾を撃ち込む。発射後は着弾を確認せず、疾走しながらすぐさま排莢し、ホルスターから予備の刀身と火薬を引き抜き装着、装弾。手を引っ込めるついでに撃鉄を起こす。

 ナイフ本体へ刀身を装着する際、射出する以外はロックを掛けなければ、刀身は簡単に外れてしまう。だが、俺は敢えてロックを掛けずに奴の顎へ刃を突き刺し、引き金を引く。

 

 直後、火薬の爆破推進によって打ち上げられた刀身が、面妖な顔面を縦に引き裂いた。

 

 俺は血と断末魔を浴びながらも、暴れまわる首を全力の蹴りで打ち抜いた。

バゴッ!!と響いた肉を叩く音と共に、続く痛打を受けたガストレアは堪らず横倒しになる。数十メートルの巨体が倒れた振動と衝撃で、廃工場は見る影もないほどに崩れてしまった。

 

 

「はあ、は、ぁ」

 

 

 上がった息を整えながら、先ほどの攻防で使用した火薬の空薬莢を取り除く。そして、新しい火薬と刀身を装着しようと腰へ手を伸ばした所で、視界の端に映ったモノに左半身を打たれ、急速に視界がぶれる。

 

 

「ごはっ!」

 

 

 此処へ来た時にあの民警にやられたものとは、比べ物にならない程の一撃。

 弾き飛ばされる最中に見えたが、あの細長く(しな)るモノ。どうやら尻尾らしい。初めて会った時はあんなのはついていなかったが、恐らく身体を進化させる過程で手に入れたものだろう。

 そうやって考えている内にも樹木を何本も突き抜け、名も知らぬ大木に背中から激突し、やっと制止する。途端に痛覚の許容値を超える程の電気信号が駆け抜け、脳が焼き切れそうになるが、耐えた。

 

 

「グボッ、あ..グ....」

 

 

 血を大量に吐いてから、改めて自分の身体を見てみる。.....思わず、笑い声が漏れた。

 

 

「はは....左手、左足は旅行に出かけちまったか。有給休暇の申請は、受けてねぇぞ」

 

 

 生きているのは、右半分だけ。...絶望的だ。もう戦う事はおろか、歩く事すらままならないだろう。視線を上げると、前方の樹木の枝にひしゃげた自分の左腕がぶら下がっているのが見え、更に笑いを誘う。

 しかし、その直後に目を覆うような閃光がガストレアのいる方向から迸り、視界を白で塗り潰されたであろうバカの絶叫が聞こえて来た。一方の俺は右手で遮ろうとしたが、走った激痛で対応が遅れ、己もバカの一員となってしまった。

 悪態を吐きながらも、何とか痛みに抗って腕を動かそうと足掻いていたが、響いてきた声に意識を全て奪われる。

 

 

「たつ、ま....!?そんなッ!」

 

「おう....飛那、か」

 

 

 出来れば見られたくは無かったが、彼女が突然消えた俺を探さない訳がない。

 少しずつ回復してきた片側の視界は、ノイズを走らせながらも、泣きそうな飛那の顔だけはしっかりと映し出した。

 

 

「すまねぇ。バカ、やっちまった」

 

「ま、まだ....まだ助かります!大丈夫ですから!」

 

「は、は.....こっから生き返ったら俺、人外だろ」

 

「そうです、樹万は人外です!だから....だからッ」

 

 

 何気に酷いことを言われているが、まぁ別にいい。これは、遅かれ早かれいつの日か来るべきである、俺と共に生きる決意をした飛那の辛い運命なのだ。

 俺は死に行く半身に鞭打ち、右腕を持ち上げて飛那の肩に置く。そして、努めて優しく、残酷なその言葉を放った。

 

 

「逃げてくれ」

 

「っ.....」

 

 

 ビクッと大きく震えた飛那は、ゆっくりと持ち上げた首で俺の顔を見たあと、涙を零しながら肩に置かれる俺の手を持ち上げ、額を押し付けた。

 

 

「そんなこと....そんなこと言わないで、下さい...!」

 

「逃げて、くれ....頼む」

 

 

「嫌ですッ!!貴方が居なければ、私は生きている意味がありません!!」

 

 

 ────ああ。やはり、同じだったのか。

 飛那は、過去の経験からずっと安息の地を求めていた。そして、俺も生まれてからずっと心の底から信じられる人が欲しかった。その互いの心を埋め合えるという存在認識は、強烈な依存という形で、今ここに現れてしまっている。

 

 .....全く、何とも勝手な事だ。

 

 仮にこれが逆の立場であれば、俺はどんな手を使ってでも飛那を救おうととするだろうに。助かって欲しいから、生きていて欲しいから。そんな自分勝手な意見で、彼女の心からの懇願を無下にしようとしている。

 そう。俺は飛那へ、この世で最愛の人間を見捨てろ、と言っているのだ。

 

 

「.........」

 

 

 頭を冷やす。...もう時間が無い。彼女には決断して貰わなければ。そうしなければ、()()()()()()()()()()

 俺は深呼吸し、上がってくる血液を何度も嚥下しながら言葉を紡ぐ。

 

 

「助けなきゃならない奴等が...いる」

 

「....え?」

 

「あそこで寝てる民警と、そのイニシエーターたちだ」

 

「あ..ぁ......」

 

 

 飛那は今度こそ、絶望した声を漏らす。俺一人の命と、顔も知らぬ人間数十人。理性で判断すれば、天秤にかけられた秤は後者に傾くのは道理だ。

 

 そう、それでいい。彼らを見捨てて逃げる訳にはいかない。このままでは、皆なにも知らずに死なせてしまう。それだけは避けねばならない。

 俺は葛藤を投げ捨て、敢えて突き放すような口調で続ける。

 

 

「行け、飛那。....俺は此処に残って、奴を殺しきるまで戦う。....お前が、皆を助けるんだ」

 

「ぅ....く...」

 

「恐らく、外周区内で起きた騒ぎでも、そろそろ聖居の連中は気付き始める。そうなれば、俺たちは残らず影武者に殺されちまう」

 

 

 その人物は、どこかで俺たちを監視している筈だ。既にここへ来るまで三人ほど確認してあるが、気配が薄いことを鑑みるに、例のガストレアとの交戦に巻き込まれないよう距離を取っているのだろう。

 先ほどの善戦っぷりには肝を冷やしただろうが、こんなザマになった俺を見て安心しているのではなかろうか。

 精々そこで踏ん反り返ってろ。これからが本番なんだからな。

 

 

「......樹万。一つ、約束してください」

 

「ん?何だ...ゴホッ!」

 

 

 飛那へ返事をしたところで、喉を緩めた隙を見て駆け上がって来た血を吐き散らす。今の所は何とか普通を装って喋ることができているが、口の端からはとめどなく血が溢れているのだ。

 俺が腰を下ろしている地面も、深く、鮮やかな赤色に染まっている。

 

 ────飛那はもう、泣いていなかった。

 

 

 

「ガストレアには、ならないで。私は、樹万を撃ちたくないから」

 

「..........ああ。わかったよ」

 

 

 上手く作れたらしい俺の笑顔を見た飛那は満足げに頷くと、懐を漁って何かを取り出した。それは....一発のバラニウム弾をチェーンでつなげたペンダントだ。

 受け取ってからよく見てみると、俺と飛那の名前が彫られていた。お世辞にも綺麗とはいえない文字の形から予想するに、自分で彫ったのだろう。

 

 

「私、頑張りますから。頑張って、この世を受け入れますから」

 

「....はは、その意気だ」

 

 

 あくまでも笑顔を浮かべ続ける俺に対し、飛那は何かを堪えるような表情をしたあと、此方へ背を向けた。我慢しているのだろうが、明らかにその背中が震えている。

 ....こんな時まで気を使わせるとは、何ともプロモーター使いの荒いお姫様だ。

 

 

「ありがとな。また、逢おうぜ」

 

 

 その言葉に背中を押されたか、彼女は遂に駆け出した。

 大木の陰から抜け、晴天の下を走り去る飛那は、明るい世界へ飛び立って行く。奇しくも、暗い陰に沈む俺を見捨てるかのような形で.....

 

 

「っは、アホらし」

 

 

 一度大きく咳き込むと、一目で致死量だと明白な程の血液を吐き出した。それを無視し、離さなかったタクティカルナイフを持ち直すと、ホルスターから火薬を取り出してマガジンへ押し込む。

 もうすぐ死ぬだろう俺は、しかし笑みを絶やさない。....理由は簡単だ。俺は此処で死ぬ気など毛頭無いからである。

 

 

「さ、て....と。丁度向こうさんも立ち直ったようだし、こっちも()()()()とするか。久しぶりだから加減できるか分からんが」

 

 

 全身から血液を滴らせながらゆっくりと立ち上がる。すると、木々の向こうで高らかに吼えるガストレアが見えた。

 ....試運転も兼ねて、先ずは小手調べだ。

 

 

「―――――――――――――開始(スタート)。ステージⅡ」

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「ステージⅣですって....!?」

 

「はい!今し方確認されました!」

 

「何故侵入されているのです...?モノリスを抜けられるのは、ステージⅤ(ゾディアック)のみのはず.....ッ」

 

 

 ────いや、焦るな。いつもの泰然とした自分に切り替えろ。

 今ここで我を忘れて恐慌してしまえば、この場は間違いなく混乱する。先ずは落ち着いて、盤石の構えを崩さない事が重要だ。

 そう内心で繰り返し、熱を取り去った思考で、現在、今後の起きうる状況を整理していく。結果、納得のいく答えは幾つか捻出できた。

 

 取りあえず、早急な討伐のために自衛隊を動かして────

 

 と、ここで私の肩へそっと手が置かれた。

 

 

「聖天子様、心配なさる必要は有りませぬ。この天童菊之丞(きくのじょう)、既に策を廻らせて御座います」

 

「.....聞きましょう」

 

 

 背後に立ち、頼もしい言葉を掛けてくれたのは、私の補佐官である天童菊之丞だ。

 今まであらゆる執務を請け負ってくれた彼は、今や国家政策の一部を担う程の存在である。そんな菊之丞が直接指揮を執るのだから、その策に何ら問題はないだろう。

 

 

「この事態には、複数の民間警備会社から協力を仰ぎ、当たらせております」

 

 

 だからこそ、彼の言ったあまりにも簡素で、異常な答えに驚愕した。

 

 

「な....民警の方々のみに対処をさせるのですか?!」

 

「問題は御座いませぬ。敵は図体のみでステージⅢからⅣへ格上げされた、名も与えていないガストレアです。....十分、民警でも屠る事は可能でしょう」

 

「....そう、ですか」

 

 

 ────納得は、行かなかった。

 何故なら、いつもの菊之丞は原因の核心を刀で真っ直ぐ両断するような判断を陳ずるからだ。しかし、今回は未曽有の事態にも関わらず、その解決手段が明らかに不明瞭。周囲に散らばる不確定要素を、拾いきれていない。

 

 

「私の、取り越し苦労だといいのですが....」

 

 

 

 その数時間後、ステージⅣガストレア撃滅の報告がされた。

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

「何?斃された、だと」

 

 

『えぇ、それはもう見事に』

 

 

 (にわ)かには信じがたい。あれは十分都市一個を破壊し尽くすぐらいの個体だった筈。

 まさか、彼奴を興奮させるだけに投入した、序列十万以上の何者かが殺したとでもいうのか。

 

 

「監視の者はどうした?」

 

『残らず殺されていたよ。数人はガストレアの暴挙で踏みつぶされていたけどね。ヒヒ』

 

「ちっ」

 

 

 危ない橋を渡ったにも関わらず此方は痛手を受け、策を頓挫させた敵の正体まで掴めなかった。完全なる敗北だ。

 ....やはり、アレを敢行するしかあるまいか。今まで以上に危険な試みだが、この男がいつまでもこちらの与えた仮面を被り続けるか分からないのだ。

 

 

「策を変える」

 

 

『やるのかい?あの方法を』

 

「此方から遣いを送る。回収次第、指定のポイントへ移動して貰おう」

 

 

 奴がした確認の声へ返答せず、口頭で説明を終わらせる。

 すると、耳に当てた携帯電話の内臓スピーカーから、くぐもった笑い声が聞こえて来た。

 

 

『クク....貴方も中々、狂ってますねぇ』

 

「....黙れ、若造。その狂った誘いに乗った貴様も大概だろうに」

 

 

 狂っていられるのならまだいい。生きている間永久に続く、この苦しみを感じずに済むのだから。

 だが、もう遅い。己の憎しみは、その狂気すら食い物にこの身体を動かし始めている。

 

 

「ガストレアも、呪われた子供たちも、この世には存在してはならぬのだ」

 

 

 もし、奴等を皆殺しに出来る方法や、力が手に入るのなら。

 

 喩えこの身を裂かれようとも手中に収めよう。

 

 

 

          ****

 

 

 

「.....やれやれ、面倒なことになったねぇ。最初は遊び半分だったが、これはそうも言ってられなくなってきたかな」

 

 

 もの言わぬ機械の塊となった携帯電話を耳から離し、両手を広げて大仰に(かぶり)を振って見せる。

 そんな私の様子を訝しく思ったか、己が愛娘たる小比奈は顔を顰めた。

 

 

「どうなったのー?パパ」

 

「どっかの誰かさんがね、私たちが苦労して此処まで連れて来たガストレアを殺したんだ」

 

「えぇー?」

 

 

 あまり面白くなさそうな声と表情で首を傾けると、小比奈はむぅむぅと唸り始めてしまった。

 私はそれを見て笑うと、元々は工場だった瓦礫の山から飛び降り、手に乗せた携帯電話を一廻ししてから仕舞う。....そのまま頭上の晴天を見上げると、幾分か気分が晴れた。

 

 

「もしアレが上手く行けば、東京エリアは間違いなく滅びるねぇ」

 

 

 雲一つない青い世界は、深々とした木々が茂るこの場とよくマッチしていた。

 近距離に聳える漆黒の壁さえなければ、もっとロケーションは良かったと言えるだろう。

 

 ────そして、濃い血臭も。

 

 

 

「さて、どうするかね?美ヶ月樹万くん」

 

 

 

 私は、背後の木陰で血の海に沈む友へ問いかける。

 

 

 返事は無論、無かった。

 

 




 原作読んでる人なら、何故『あの二人』が繋がっているか分かってしまう筈。

 次話辺りから原作入りするかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二 強者・蛭子影胤
06.邂逅


 この話かられんたろーやら木更サン本格参戦です。

 原作√に入るのは次話からですね...



「プロモーター狩り?」

 

 

「そうよ。....集められた情報によると、どうやら謎のイニシエーターが単独で、それも見境なくプロモーターのみを襲っているらしいわ」

 

 

 真新しい紙の資料をペラペラと捲りながら、我が天童民間警備会社の社長は俺の問いかけに対し、乱れのない長髪の黒髪を揺らしつつ肯定する。

 やがて目的のページへ辿り着いたのか、そこで手を止めてこちらへ差し出した。ご丁寧に赤丸で囲ってあったため、苦も無く探すべき要項が目に入る。

 

 

「印がつけられてる民警が、この近くで襲撃を受けた人たちよ」

 

「この近く....ていうと、会社(ウチ)のか?」

 

「ええ。多いでしょ?」

 

 

 彼女の問に頷くと、ここでようやく己が勾田高校から強制送還された理由を悟る。同時に眉は歪み、口端は下を向き、返答の言葉が喉に閊える。ようするに、俺はとても嫌そうな表情をした。

 

 

「き、木更さん。まさか」

 

「あら、察しがいいわね。里見くん」

 

 

 そう言って端正な白い顔を笑みで綻ばすと、黒髪を翻しながら立ち上がった。そして、ビシッと俺へ人差し指を突きつけながら、否やは許さないとばかりに宣言する。

 

 

「天童民間警備会社社長、天童木更(きさら)の命よ。里見蓮太郎くん、件のプロモーター狩りを一丁捕えてきて頂戴!」

 

「ええー」

 

「ほらそこ、口答えしない!」

 

 

 俺の鈍い返答を聞いた木更は指先を向けたまま、片手で机をバンバン叩きながら憤慨する。その指が向かい合わせで立つ俺の鼻に直撃しているのは余談である。が、途中で思い直したか、一度呼吸を整えて落ち着きを取り戻した。

 ぼふり、と不満顔のままと誰が見ても社長が座るだろう回転椅子に腰を下ろした木更は、今度は別の紙を手繰ってこちらへ渡してくる。俺はその紙片を鼻をさすりながら手に取り、目を落とす。

 

 

「高島飛那....?」

 

 

 紙面には、以前どこかで見聞きしたことのあるような、そんな名前の少女が顔写真付きで載っている。情報項目をさらりと確認したところ、イニシエーターであることが伺えた。

 

 

「目撃者や、襲撃されてから意識を取り戻した民警の話を統合して浮かび上がった犯人が、彼女らしいわ」

 

「.......」

 

「いい、里見くん?....実はね、彼女はプロモーターを亡くしているのと、両親もいないこと、あとは今回の事件とが重なって、交戦に発展した際は已むを得ない殺害も認めるそうよ」

 

「な....!何だよそれは!」

 

 

 今度は俺が頭に血を昇らせる番だった。木更さんが列挙した内容は、少女の背後には擁護する者がいない事を如実に表わしている。だが、だからと言ってそんな不条理が罷り通っていいはずがない。

 そんな俺の怒りは予想していたようで、彼女は高島飛那のプロフィールが載るA4用紙をファイルに戻しながら続けた。

 

 

「だからこそ、よ。他の民警にこの依頼が委託されてしまえば、こちらは一切関与が出来なくなるわ。....助けたいなら、助けられるのは今しかない」

 

「....くっ」

 

 

 このまま放って置けば少女による被害は拡大するだろう。東京エリア内でも決して有名とは言えない天童民間警備会社へ依頼が廻って来たのは、ただ付近の事件数が多いから、土地勘のある分捕捉できる可能性が高いと思われたに過ぎない。

 この調子で二の足を踏んでいては、恐らく他の有力者に依頼が移され、彼女は殺される。絶対とは言えないはずだが、そんな気がするのだ。そう思った瞬間、木更の手から高島飛那の情報が掲載されている紙を手に取っていた。

 

 

「分かったよ木更さん。依頼、受けるぜ」

 

「ふふ、それでこそ里見くんね」

 

 

 猶予期間はまだあるし、焦っても仕方ない。彼女の笑顔を前払いとして、犯人捜しを頑張るとしよう。

 

 

 

          ****

 

 

 

 人を探すというのは、簡単に見えて難しい。

 

 範囲が狭ければ虱潰しなどが出来るが、地図上で指定された赤い円形は数キロを示していた。自転車を走らせて廻っているのがせめてもの救いだ。

 

 

「ヤベ....延珠を迎えにいかねぇと」

 

 

 携帯の時刻を確認してから、今度は別の理由でペダルを強く踏み込む。定刻が迫っているということもあるが、俺の心を乱すのはもっと別の要因だ。

 ────やはり、アイツが通う学校まで行く間は気が気じゃない。

 延珠は呪われた子どもたちだ。その身へガストレアの血を宿す、忌み嫌われし存在。それが周囲へ露見してしまえば、親友であった者すら手のひらを返してしまうだろう。アイツは毎日、その恐怖と戦っているのだ。

 

 

「このままじゃ、間に合わねぇな....!」

 

 

 二度目の時刻確認で遅刻を確信した俺は、路肩の狭い道へ滑り込む。近道だ。

 直ぐに細道はある程度開け、広場のような場所へ様変わりする。そこを駆け抜け───ようとしたところで、前方に人影。

 

 

「っ!」

 

 

 咄嗟に急ブレーキをかけて、後輪の跡を残しながらも何とか横滑りして制止させる。突然の減速で前項姿勢になり過ぎたか、俺の腰に掛けたXD拳銃が滑り落ちた。

 からから、と黒い拳銃は軽い音を立てながら滑って行くが、先にあった靴に当たり移動が止まる。不味いと思った時にはもう遅く、拳銃はフードを目深に被った何者かに拾われてしまう。

 

 

「......」

 

 

 黙ったまま銃を弄んでいる謎の人物は、背がかなり低い。更に覗く肌は白く、肉付きも細い事も相まって、呪われた子ども達の一人だと確信した。

 

 

「....貴方は、民警?」

 

 

 手を止めた....少女は、感情の起伏を感じさせない声で、そう聞いてきた。意図は掴めないが、ここで嘘を吐く理由も無いので真実を伝える。

 

 

「ああ。まぁ、一応そうだ」

 

 

 一応ってなんだよ....と、自分で言ってから後悔するアホな俺。どうやら民警としての己の腕によっぽど自信が持てないでいるらしい。

 ともあれ、民警であることは伝えられたはずなので、銃は返してもらえるか....そう踏んでいた矢先、俺の言葉に対する答えは予想外な形で返された。

 

 

「そうですか....では」

 

 

 少女は水際だった動きで、今し方拾った俺のXD拳銃の銃口をこちらに構え、上部フレームを引っ張って弾を装弾、トリガーに指を掛けた。それを見た俺は、考えるよりも先に横へ飛ぶ。

 甲高い銃声と共に、横目でコンクリートへ穴が空くのを確認。今の行動により害意がある事は明確だが、攻撃された理由が全く分からない。

 

 

「....何故撃った?」

 

「貴方が民警で、プロモーターだからです。私は、東京エリアのイニシエーターを守るために戦います」

 

「どういう意味....っ!」

 

 

 銃口が向けられ、立て続けに発砲。しかし、彼女とは背の差があるため、角度調整されていない銃弾は足や腹に集中する。

 思考は後だ。先ずは話ができる状況に持っていかなければどうしようもない。俺はそう考えをすぐに切り替えると、左足で踏み込み、横向きになりながら右肘と右膝を合わせて、顔面や腹を防御しながら突っ込む。

 こんな事をしても意味が無いと大半の人間が思うだろうが、俺だけは別だ。

 

 

「ッ!?」

 

 

 腕、腹に直撃したはずの銃弾は、およそ人間に当たったとは思えない金属音を響かせ、その全てが音に違わぬ硬質さから弾かれる。一部始終を見たフードの少女は予想外の出来事に目に見えて驚愕する。

 俺はその隙に勢いそのまま手首を返し、足、腹に力を込め、少女の懐へ踏み込む。

 

 

「天童式戦闘術一の型八番────『焔火扇』!」

 

 

 穿つような右拳を繰り出し、咄嗟に防御した少女の腕ごと打つと、鉄柵に向かって弾き飛ばした。

 手加減しても常人なら片腕骨折は当たり前だが、流石はイニシエーター。大きな外傷はない。しかし、肩を痛めたらしく、苦悶の呻きを漏らして座り込んでいる。

 俺は地面に落ちていたXD拳銃を拾い上げ、一息吐いてからホルスターへ仕舞う。そんな俺の動作を見た少女は、当惑したような声で聞いてきた。

 

 

「....何故、撃たないのですか?」

 

「お前、俺を殺す気無かっただろ」

 

「っ」

 

 

 図星だったらしく、少女は口元を引き結んで黙り込んでしまう。実際、彼女の言葉、そして行為はすべてが冷え切っていたが、殺意は感じられなかった。....あくまでも俺の予想だが、殺すのではなく、痛めつける。そういう意図があったのかもしれない。

 俺は頭を掻きながら、先ほどの言葉の意味を問いかけることにした。

 

 

「お前の言ってた、イニシエーターを守る....ってのはどういう事なんだ?」

 

「貴方は....いいえ、貴方も。イニシエーターを使い捨ての駒だと思っているのでしょう?私はそんな貴方達を赦さない。だから───この東京エリアに蔓延る屑は、私が全て潰します。守る、というのはそういう意味です」

 

「な....まさか、お前が」

 

 

 プロモーターのみを狙って襲撃している、木更さんの言っていたプロモーター狩り...!

 

 だが、俺は彼女がいうような連中とは断じて違う。だからこそ、俺がイニシエーターを....延珠を駒だと思っているという彼女の発言は聞き捨てならない。

 

 

「力が使えなければ罵倒し、気が利かなければ殴り、要らなくなったら捨てる....!貴方達にとっての私たちは、ガストレアとの殺し合いや、憂さ晴らしに都合のいい、使い捨ての道具でしかない!」

 

「....っ」

 

「己の欲望や負の情念を叩き付け、理不尽な思想でイニシエーターを排斥する人間...そんな奴等は皆、ガストレアに喰われてしまえばいい!」

 

 

 ────その時、風が吹いた。

 

 突風は俺の横をすり抜け、少女....高島飛那のフードを持ち上げる。突如、光沢を帯びた綺麗な白髪が宙を踊り、太陽の光を反射して銀色に輝いた。

 やがて、その顔が露わになった時、俺は胸が突き上げられるような衝動に駆られる。

 

 ....彼女は、泣いていた。今すぐにでも消えてしまうそうな程の、儚さを湛えて。

 

 

「....こんな腐った世でも、たった一人、心の底から愛せた人すら奪ったこの世界を私は、赦さない」

 

「くっ────」

 

 

 俺にはどうしてやる事も出来ないのか。目の前で復讐の慙愧(ざんき)となりかけている幼き少女を、ただ見ているしかないのか。それは違うと、それは間違いだと言うのは簡単だが、彼女の拒絶と憎悪は理性的、倫理的な訴えでは覆らないだろう。

 ....俺の脳裏に浮かんだのは、ガストレアに何もかもを奪われ、己の意志を憎しみに染めた義父の姿だ。

 ふざけるな。目前の少女をあんな風にはさせない。なら、もう己が訴える言葉は決まったようなものだ。

 

 

「負けてんじゃねぇよ」

 

「え────?」

 

「お前は、自分が一番辛い思いをしてるんだと思い込んでいる」

 

「!....そんなこと、私はそんなこと、一度たりとも思ったことはありません!」

 

 

 あくまでもシラを切るつもりか。

 俺はかつての、大切なものの悉くを失って沈み切っていた自分を少女の姿に重ねてしまったからか、思考に熱が廻るのも構わず捲し立てる。

 

 

「何もかもを無くした奴なら沢山いる!家族も、友人も、恋人もだ!そんだけのもの全部を目の前で喰い散らかされた奴らがいるんだよ!....でも!それでも今日を生きている人がいる!」

 

「そんなのはこじつけです!私の苦しみは、私にしか分からない!....この気持ちを理解してくれる人なんて、もう────」

 

 

 この言葉で、一時脳の神経が焼き切れかけた。言っても理解されなかったのならいい。幾ら憎んでくれても、それこそ銃を向けてくれても構わない。だが、口にもせず一方的に理解されることはないと断じ、殻に閉じこもるのは我慢ならない。

 俺は歯を食いしばって項垂れる彼女の肩を掴み、死にもの狂いで叫ぶ。

 

 

 

「言いもしないで気持ちなんか伝わる訳ねぇだろうがよッ!」

 

 

「っ....なら、なら!貴方は理解してくれるんですか!?私の存在を───私の気持ちを!」

 

 

 俺以上に激昂しながら涙を流す彼女の姿で、少しばかり思考が冷まされた。暴走する己を鎮めるために一度深呼吸をしてから、己を引け合いに出す自己嫌悪に苛まれながらも口を開く。

 

 

「してやれるはずだ....いや、出来る。俺は家族だけじゃ飽き足らず、自分の一部すら奪われたんだからな」

 

「どういう、ことです?」

 

「────こういうことだ」

 

 

 俺は先ほどの攻防で穴を空けた右腕、右足の人工皮膚を見せる。そこから覗いていたのは、黒光りする金属質なフォルムだ。

 

 

「これは、まさか....バラニウム?」

 

「ああ。俺はガストレアに右半身と左目を喰われた。その代わりに取り付けられたのがコイツって訳だ」

 

「左目は....義眼、ですか」

 

「正解だ」

 

 

 苦々しい表情で俺の顔を覗き込んで来た高島飛那は、すぐに目を伏せてしまう。

 ちなみに、これはただのバラニウム製の義手やら義眼ではないのだが、一々説明すると日が暮れてしまうだろう。

 ────ん?日が暮れる?

 

 

「あぁっ!」

 

「ひゃ!?な、何ですかいきなり!」

 

「延珠の迎え忘れてたっ」

 

 

 たまにサプライズで行くこともあるのだが、今回はアイツへ事前に伝えてある。となれば、自分が来るまでの間ずっと校門前に立たせている訳で....

 

 

「ヤベッ!今すぐれんら────ぶほっ!?」

 

 

「ふふ...その必要はないぞ」

 

 

「な....まさか延珠、()からずっと見てたのか?オイ」

 

「そんな筈はなかろう!妾は今しがたここへ着いたばかりだ。だからこの状況を説明するぎむが蓮太郎にはあるぞ」

 

 

 胸を張って言うのはいいのだが、延珠の登場は頭上から降ってくるという過去類を見ない方法であり、着地は俺の肩だった。

 まぁ、そこは百歩譲っていいとしよう。問題は、俺の頭が延珠のスカートの中に埋まっているこの状況だ。早急に降ろさねば、さっきまで心の叫びをぶつけ合っていた高島飛那に変態の汚名を着せられてしまう!

 

 

「え、延珠っ。降りろって!」

 

「やだ。蓮太郎は妾を放って他のオンナと会ってたバツとして、肩車をしなくてはならないのだ!」

 

 

 ────だったらせめて、スカートを頭から外してください!寧ろこれが最大級のバツです!

 そう泣いて懇願しそうになったが、突如響いてきた明るい声に遮られる。....声の主は、高島飛那だった。

 

 

「ふふふ....あははは!」

 

 

 悲しみ打ちひしがれて泣いていた表情とは全くの対。笑顔を浮かべて朗らかに笑い続ける彼女は、とても魅力的だった。

 

 

 

          ***

 

 

 

 

「妾はな、蓮太郎の『つま』なのだぞ!」

 

「そうなんですか!やはり年の差は関係ないのですね」

 

 

 あの緊張感溢れる雰囲気はどこへやら、このように今は二人で仲良く談笑をしている。

 しかし、こうやって見ると改めて分かる。やはり延珠には、人の心を解きほぐす天性の才能があるのだと。また、彼女が早々に高島飛那へ、俺が()()()()()()()()()()ことを伝えてくれたことも大きいのだろう。

 

 

「おい待て、俺は延珠とそういう関係になった覚えはない。あとな、年の差にも限度ってモンがあるぞ」

 

「ふふ、冗談です」

 

「.......」

 

 

 ────妙に、調子が狂うな。尤も、その原因なら既に分かっているのだが。

 理由の大半として、普段は延珠の年相応の幼稚な言動を眺めているからか、彼女と同じかそれ以下の身長と年齢であるはずの高島飛那の、歳不相応に理知的で落ち着いた雰囲気に圧されてしまってしまっているのだろう。

 

 

「....むむ、何だかそかはくとなく馬鹿にされた気がするぞ?蓮太郎」

 

「気のせいだろ。あと、『そこはかとなく』な。....で、お前はこれからどうするんだ?高島飛那」

 

 

 延珠の隣に立つ銀髪のイニシエーターに、敢えて名指しでそう問いかけると、彼女は少し驚いたような顔をした。

 

 

「知ってたんですか?私のこと」

 

「あんだけ派手にプロモーターを倒してりゃ、顔は割れんだろ。ウチへ顔写真付きの依頼書が届いたんだから、明白だ」

 

「むぅ?どういうことだ蓮太郎。ヒナが何かしたのか?」

 

 

 しまった。そういえば、延珠はこの依頼のことを全く知らないんだった。

 内容が内容なので少し逡巡するが、話をすり替えたり、誤魔化したりしても延珠には通用しないだろう。そもそも、そんな器用な真似は俺には出来ない。危ない所だけ避けて話す事にしよう。

 

 

「───そ、そんな事が....す、すまぬ!妾はヒナの気持ちも知らず」

 

「いいんです。延珠さんの、里見さんを信頼する強い想いが伝わりましたから」

 

「あう....ほ、ほんとか?怒ってない?」

 

 

 コクコク頷く彼女を見た延珠は安心したように笑顔を漏らした。それを確認した飛那は、表情を引き締めて俺の方へ向き直る。

 

 

「私は、自分の家へ戻ります」

 

「え....で、でも」

 

 

 口に出す事が憚られた延珠は、以降口をもごもごさせて黙り込む。そんな心優しき相棒の頭を優しく撫でてから、俺は彼女へ諭すように言う。

 

 

「止めとけ。もう東京エリアの警察連中にはお前の顔が知れ渡ってる。家の方も既に差し押さえられてんだろ」

 

「あ....それもそうです、ね」

 

「むー、何とかならないのか?蓮太郎」

 

 

 延珠は困ったようにそう言うが、実の所八方塞がりだ。唯一まともに暮らせる場所として挙げられる外周区の『子供たち』がいる場所は、勿論警察の手が及んでいるだろう。仮に預けたとしても、彼女らが高島飛那を売るとは思えないが、長期間の滞在は彼女らと本人の心象から見て望めはしない。

 東京エリア内は....言うまでもないだろう。

 

 

「やっぱり、私は....」

 

 

 思いつめたように顔を伏せた彼女は、どこか諦観を滲ませた呟きを漏らす。俺は何かを言おうと声を絞り出そうとするが、言葉が見つからずに歯噛みしてしまった。延珠も必死にとりなそうとするが、俺と同じ結果に終わる。

 

 

「....っ?」

 

 

 突然、痛々しい沈黙を破るように一帯へバイブ音が響き渡った。正体は....俺の右ポケットで震える携帯電話だ。発信元を確認すると、わが社の社長、天童木更であった。まさか、依頼を終わらせたことを察知したのだろうか。だとしたらすごいエスパーだ。

 

 

「木更さん?どうした」

 

『里見くん!今から行って欲しい所があるの!』

 

「はっ?」

 

 

 事態が全く飲み込めないが、どうやら当人は相当焦っているらしい。またスーパーの安売り情報でも手に入れたのだろうか。悲しいことに、木更が焦ることなどこれを除いてほぼないといっていいのだ。

 木更は、そんな風に早々に鷹を括り、呆れていた俺の予測を大きく外す答えを返した。

 

 

『ガストレアが出たわ!すぐに現場へ直行して!』

 

 




 オリ主の行方はちゃんと明らかになりますのでご安心を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07.仲間

 やっとこさ原作突入です。

 影胤サンが樹万たちに会ってるのと、飛那がれんたろーについて行ってる事とが重なり、確率事象に変化が....


「ガストレアが出た!延珠、スマンがすぐに現場へ向かうぞ!」

 

「ぬぬ、このタイミングでか!くーきの読めない奴だな!」

 

 

 俺は持っていたXD拳銃をホルスターへしまい込みながら、ここまで乗ってきていた自転車を起こし、延珠は後輪側の荷台へと乗せる。そして、ここは一旦休戦にしよう、という提案を高島飛那にするために、それまで彼女が立っていた方へ顔を向ける。

 しかし、そこに彼女の姿はなく、逃げたか、と思った矢先、前方....位置的には俺の乗る自転車の前部、カゴのある辺りから声が聞こえた。

 

 

「里見蓮太郎さん。迷惑かもしれませんが、同行させてください」

 

「....何をするつもりだ?」

 

「無論、そのガストレアと戦います。戦力は多いに越したことはないでしょう?」

 

 

 声の主は、前輪側自転車カゴの中に収まる高島飛那からのものだ。いつのまに移動したのか。

 ともかく、彼女の言う戦力云々の論は尤もだ。だが、何故ここで協力を申し出る?理由がないではないか。そして、当然のこと利益もだ。であれば、純粋に俺を案じて?....いいや、多少言を交わし、彼女がただの愉快犯ではないことは判明したとはいえ、プロモーターに対し憎しみを持っていることは変わりない。

 俺は考え、しかし三秒ほどで止めた。今はなにより、目的地に向かうことが先決だ。であれば、高島飛那にかける言葉は、

 

 

「高島。もし話足りないってんなら、ガストレアを倒し終わった後でだ。でねぇと、プロモーターどころか東京の人間全員がお釈迦になる」

 

「ええ、私は獣ではありません。物事の優先度は理解しています」

 

 

 その高島飛那の声に応えるような形で、俺はペダルを強く踏み込んだ。

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「はぁ?お前が天童の民警だと?かの天童菊之丞と同じ名前の会社なら、やり手の厳ついオッサンとかが出てくんじゃねぇのかよ」

 

「残念だが、あのジジィと俺の会社はマリアナ海溝ぐらいの深い溝があるんだ」

 

「んだそりゃ」

 

 

 質素なマンションの前で、着いて早々に中年と思われる年頃の男性警官から愚痴を吐かれた。出された人間の名が名なので、気勢を削がれた俺は早くも帰りたくなるが、これも依頼だ。それに、対処が遅れれば感染爆発(パンデミック)で東京エリアが滅ぶ。

 取りあえずは歩きながら名刺と電話番号を交換し、隣の男性警官の名前を確認してから、今の状況について聞く。

 

 

「で、今はどんな事になってんだ?多田島警部」

 

「あ~っと、何でも、上から血の雨漏りがするってんで、下に住む奴が悲鳴あげながら電話してきたんだよ。事前に集めた情報を総合すると、犯人は恐らくガストレアだ」

 

「.........」

 

 

 何となく嫌な感じがする。延珠を置いてきたのは不味かったか....?

 連れてこなかった理由としては、室内での交戦となるので、兎の因子を持つアイツには戦い辛いということからだ。障害物が多い場での戦闘では、兎の脚力を生かした素早い動きを発揮できない。故に限度はあるが、戦場は広ければ広いほどいい。

 ....まぁ、俺が不利になったら何とかして外に蹴り出そう。そうすりゃ、俺より数倍の威力がある延珠のぶっ飛びキックでお陀仏にできる。

 しかし、だ。もしかしたら、その必要はない可能性もある。理由は単純、現場に乗り込むのは俺一人ではないからだ。 

 

 

「で、こいつがお前のイニシエーターか?外にもう一人いた気がするが....てか、フードで顔を隠してるたぁ、穏やかじゃねぇな」

 

「あ、あぁ。気にしないでくれ、恥ずかしがり屋なんだ」

 

「よろしくお願いします」

 

 

 ペコリと多田島警部へお辞儀したのは、件のプロモーター狩り、高島飛那だ。警察連中に顔が割れてるというのに、その渦中へ飛び込むとは随分と豪胆なものである。

 と、ここで目的の部屋に到着したらしく、扉の前に立つ物々しい武装を着込んだ警官隊が数人見えてくる。そいつらは俺たちを見た瞬間、一様に眉を顰めてあからさまな嫌悪感を丸出しにしてきた。

 

 

「お前ら、何か変わった事は無かったか?」

 

「いえ、今の所はありません」

 

「ちっ、民警が出しゃばりやがって」

 

 

 後ろの方で毒を吐いた警官がいたが、毎度の事なので聞こえなかった体を装う。別に反論してもいいのだが、民警とは、対ガストレア戦においてはほぼ無力となってしまった警察組織から仕方なく仕事を委任されている立場にあるので、職務を奪われた彼らが嫌味な態度をとってしまう感情も分からなくはないからだ。

 ともかく、あまり時間を掛ける気はない。実際、時間をかければかけた分だけ危険度は増す。さっさと現場を確認し、騒動のもとである元凶を叩こう。

 俺は扉の前に固まる警官を押しのけて歩み寄り、異常なほど静まり返った部屋の奥へ───

 

 

「ラァッ!」

 

 

 ───扉を蹴破って突入する。

 そこで止まらず、直線の廊下を走り、すぐにリビングらしき場所へ移動。ここへ踏み込んだ時点で、敵にイニシアチブを取られる可能性を考慮し、確認してからでは遅いと踏んだ俺は、初弾装填済みのXD拳銃をすぐさま構え....と、そこで妙な人物を発見した。

 

 

「な、何だ?....アンタは」

 

「おや?てっきり、無能な警官諸君が我先にと飛び込んで来ると思ったのだが」

 

 

 佇んでいたのは、赤い燕尾服にシルクハット、更には仮面といった、この場にはあまりにも不釣り合いな恰好をしている不気味な長身の男性だった。しかし、手もあれば足もある。ガストレアとは似ても似つかない、俺と同じ人間だ。

 一歩遅れて俺の両隣へと走ってきた武装警官たちは、そんな得体の知れない男を見てぎょっとした表情を作りつつ、多少引け腰になりながらも全員M16のカスタムモデルを構えた。

 

 

「き、貴様は何者だ!ここは立ち入り禁止だぞ!」

 

「ん?ああ、そうだねぇ....」

 

 

 謎の仮面男は顎に手を当て、警官の一人が投げた質問に対する答えを選ぶかのように暫く思案する。....だが、俺はその中で見た。

 

 流れるような動作で、両腰にかけた拳銃の一方を引き抜いたのを。

 

 

 

「ッ!伏せろ!」

 

 

 叫びながら両隣に居る警官隊二人の脚を蹴った所で、立て続けに発砲音が響く。被弾は避けられなかったが、全員肩や腹など急所を外した場所へヒットしていた。だが、これでは寧ろ足手まといだ。

 俺は舌打ちしながら、腰を落としたまま地を舐めるようにして疾走。ほぼ一瞬で仮面男へ肉薄し、掌打を放つ。しかし、いとも簡単に片腕で手首を掴まれてしまった。

 

 

「へぇ、中々いいね、君。後は....そこに隠れている君も、ね」

 

「っ!?」

 

 

 完璧に死角の壁へ隠れていた筈の高島飛那を言い当てられ、これに動揺してしまった俺は腕を上方へ弾かれる。続けざまに強い掌打を逆に喰らい、壁まで吹き飛んで背中を強打。息が詰まり意識が明滅するが、歯を喰いしばって耐えた。

 下を向いて思い切り咳き込みながら呼気を整えていると、突如仮面男の嬉しそうな声が聞こえて来た。

 

 

「ほう!君はあの時の」

 

「ええ、その節はお世話になりましたね。....私の名前は高島飛那と言います」

 

「私は蛭子影胤という。───では、君にも問おうか、少年」

 

「里見....蓮太郎」

 

「ふぅん....里見くん、ね。ヒヒ、なるほど」

 

 

 俺は男....影胤の視線が飛那に向いている今を好機と読み、足裏でフローリングを蹴る。振るうのは拳。狙いは腹部。

 間合いに入る。影胤はまだ動かない。これなら、行ける。肩、肘をバネに前腕を撃ち出し、狙い過たずそれは───

 

 

「不意打ち、結構上手いね」

 

 

 影胤は首を動かさないまま、俺の放つ拳に手のひらを合わせ、真横にスライド。それに流され、あっけなくこちらの拳打は空を切った。そして、返す刃で影胤の掌底が横っ面に直撃。台所の棚まで吹き飛び、咳き込むと口の中に血の味が広がる。

 ───強い。正攻法で向かってはまるで相手にならない。

 

 

「君の動き、そして一撃の重さ。それらを考慮するに、まだ芸を隠しているだろう?」

 

「ッ」

 

「易々と出さずに温存しているのは手堅い判断だけどねぇ。早めに手札を切らないと....ヒヒ、うっかり殺しちゃうかもしれないよ?」

 

 

 お見通し、ということか。現状では技の精度も、戦場に置いての判断力すら相手に後れを取っているらしい。

 これほどまでの手合いが、何故こんなところにいるのか?....相手の目的があまりにも不明瞭だ。これ以上戦う必要はないと思いたいが、先に武器を抜いたのは影胤だ。話し合いの余地は、あるのだろうか?

 俺は血まじりの痰を吐き出し、多少よろめきながらも両足をしっかりと着け、立ち上がる。よし、ダメージは予想よりは軽度だ。

 

 

「影胤、お前がここにいる目的は、何だ?何故、警官を攻撃した」

 

「ほう。ここまで一方的にこちらが君たちに危害を加えて置きながら、君は私と和解できる可能性を模索するのか。ハハハ、実に平和的な思考だね」

 

「いいから答えろ。テメェの目的は、何だ」

 

「なぁに、簡単だとも。私は世界を滅ぼすために活動している。ここにいる目的も、それに到達するまでの一つの過程さ。では、さて?これを聞いた君はどうするのかな?私に協力するかね?それとも....ふざけるな、と激昂し殴りかかるのかな?」

 

 

 俺は悪寒を覚えた。なまじ同じ人間(カタチ)であるから、思考が根本から違うとここまで『気持ちが悪い』ものなのか。

 しかし、端から己の第六感的な部分が、この男とは分かり合えない、と早々に結論を出していたが、ああ、全くその通りだ。

 先ほど宣った、世界を滅ぼす、と言う発言。まさか、(イチ)足す(イチ)()に決まっているだろう、とでも言うような、至極当たり前な声調で言い切るとは思わなかった!

 この男、蛭子影胤は───()()()()

 

 

「天童式戦闘術一の型八番───『焔火扇』!」

 

「むっ」

 

 

 すぐさま駆け出し、先ほどの掌打とは比べものにならない威力の拳で影胤の防御を強引に崩し、続けざまに踏み込む。

 天童式戦闘術二の型十六番─────

 

 

「『隠禅・黒天風』!」

 

 

 叫びながら鋭い蹴りを操り出す。敵は体勢が整っていないため、これは躱しきれずに顎へ直撃した。

 パァン!という軽快な音と衝撃で上体を大きく仰け反らした影胤は、しかし効いた様子もなく身体を直立へ戻す。そして、実に愉快気な声で笑いながら両手を叩き始めた。

 

 

「ハハハハ!いいねぇ、結構効いたよ」

 

「くっ」

 

 

 ───全くそんな気を感じさせない風に言われても嬉しくねぇ!

 俺は底が見えない影胤に尻込みし、一度床を蹴って距離を取り、腰からXD拳銃を引き抜いて銃口を向ける。すると、彼は両手を上げておどけたように言った。

 

 

「おっとっと、向こうにも腕の立つ子がいるからねぇ。私はこれでお暇させてもらうよ」

 

「おい待てよ!」

 

 

 割られた硝子戸を踏み越え、ベランダの方へ向かう所を呼び止める。彼はベランダの手摺へ足を掛けると、嗤う仮面の内側から此方を見た。

 

 

「テメェの達すべき目標は分かった。だが、ここへ来た目的は何だ。ガストレアは?この部屋の住人はどうなった」

 

 

 言いながら部屋を見渡してみると、奥の居間に大量の血痕があった。夥しい量のそれは、素人目でも致命傷だと判断できるほどだ。

 彼も倣ってそちらへ顔を向けてから、風に揺れるシルクハットを片手で押さえて答える。

 

 

「───私も、感染源ガストレアを追っていた。だが、一足遅かったようでね」

 

「なに....?」

 

 

 ならば、やはりこのアパートにガストレアが現れ、ここの部屋に住む民間人を襲ったのだろう。しかし、現場に死体はなく、残っているのは致死量を明らかに越えている血痕のみ。

 だとすると....もしや。

 

 

「襲われた被害者は感染者になり、外をさまよっている....ということですか?」

 

 

 俺の言いたいことを代弁してくれたのは、警官たちの応急処置を終えた高島飛那だった。

 既に武器をしまい込み、泰然としている彼女の態度に少なからず驚いたが、影胤と過去に面識がある分、彼の引き際を弁えているのだろう。

 

 

「その通り。ま、事後処理は君たちにお願いするよ。....近々また会うだろうし、その時にお礼を言うことにするね」

 

 

 影胤は低く笑ってから、もう片方の足もベランダの手摺に乗せる。そして、

 

 

「じゃ、ご主人様に宜しく。お姫様」

 

 

 落下が始まる寸前、彼は横目でこちらを見ながら何かを言った気がする。よく聞き取れなかったが、それ以上に隣の高島飛那が、目を見開いて固まっていた事が気になった。

 彼女はそれからすぐに眉間に皺を寄せてから首を振り、二度三度大きな呼吸をして落ち着いたようだが、一方の俺はそのあとに忘れていた脅威を思い出して青くなった。

 

 

「あ....そうだ、このままじゃ不味い!」

 

 

 失念していた。感染源ガストレアがほっつき歩いているのもそうだが、感染者まで野放しなのは非常に危険だ。このままでは感染爆発(パンデミック)が起こり、東京エリアは未曽有の大惨事となる!

 そう確信した俺は携帯を取り出し、延珠を一旦呼び戻そうと....したが、先に着信のバイブレーションが持つ腕を震わせた。

 ディスプレイに映し出されていたのは、先刻登録したばかりの多田島警部の名前だ。

 

 

「ど、どうしたんだ警部?....まさか」

 

 

 既に最悪の事態に発展してしまっているのかと気が気ではなかったが、彼の声はそんな暗い報告をするような種類ではなかった。

 

 

 

『イニシエーターてのはスゲェな....鉛弾何発撃ってもビクともしないガストレアを、蹴り一発でのしちまうんだからよ』

 

 

「はっ?」

 

 

 一瞬本気で目が点になりかけたが、警部の話しを鑑みるに延珠がガストレアを倒したらしい。

 

 その後に聴いた詳しい話によると、事の顛末はこうだ。

 延珠が暇を持て余して散歩をしていると、明らかに様子がおかしい男性を発見。よく見てみると、全身の損傷が激しく大量の出血をしていた。

 それでも普通に歩き回っているということで、ガストレアウイルス感染者であると同時に、体内侵食率が五十%を振り切っていると判断。

 被害者の男性が形象崩壊を起こしたとほぼ同時期に多田島警部が合流。この時に拳銃で応戦したようだ。で、単因子のステージⅠが延珠に敵う筈もなく、見事キック一発で沈ませた....と。

 

 

『蓮太郎!妾は今回、ばしゃうまーのように働いたぞ!ご褒美が欲しいのだ!』

 

「あぁ、分かったよ。....し、食費が潰れない程度に抑えてな?」

 

『わかったのだ!』

 

 

 分かってないな、絶対。

 今月一杯は修行僧のようなメニューになりそうだ....

 

 

 

          ***

 

 

 

「ったく....なんだか美味しいトコ全部持ってかれた気分だぜ」

 

「そうでもないですよ。延珠さんを外で警備させていなかったら、どうなっていたか分かりませんから。....さて、外で待機している警察の方たちにも報告しましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 ガストレアのこともそうだが、あの蛭子影胤は相当な危険人物だった。滑りやすいフローリングの上だったために動きが制限されていたとはいえ、俺の天童式戦闘術の大半を看破していた。....ならば、あの程度で撃退出来たのは僥倖であったのだろうか。

 だが、妙だ。何かを見落としているような気がする。重大な、何かを....

 

 

「里見さん?どうかしましたか」

 

 

 彼女は玄関に向かおうと歩き出した所で立ち止まり、居間に屈んだままでいる俺を訝しんだか、こちらを振り向いていた。

 ....俺は溜息に近い深呼吸を吐き、畳に落ちた血痕から目を離してゆっくりと立ち上がる。

 

 今は目前の事に集中しよう。ありもしない憶測でいつまでも思考を占領していては、普段の生活にまで支障が出るというもの。そも、依頼はこなしたのだ。今はその事実をありのまま受け止めればいい。

 俺は元よりそんなに深く考えない性格だ。....だからこそ、木更さんに馬鹿やら甲斐性無しと罵られるのだが。

 

 

「俺の事は蓮太郎でいい。....なぁ高島、俺等のところ....天童民間警備会社へ来ないか?」

 

「え───私が、ですか?」

 

「あぁ。この場で話せるヤツはお前以外誰がいるんだよ」

 

 

 どうだ?と聞き返すと、暫く不安そうな顔をしながら俺の顔と地面とを交互に眺めていたが。やがてゆっくりとその首が盾に振られる。

 

 

「分かりました。....ですが、私にも目的はあります。この境遇を足掛かりに、何らかのトラブルに巻き込んでしまう事も」

 

「はは、大丈夫だろ。お前はそんなに器用じゃなさそうだしな」

 

「むっ....まぁいいです。では、今後ともよろしくお願いします、蓮太郎さん。私の事も飛那と呼んでくださいね」

 

「おう」

 

 

 俺は飛那と握手を交わし、和解の証とした。

 腕を振りながら微笑む彼女からは、出会った当時の棘がある程度取れたように思える。

 




 れんたろーが飛那をお仲間にしちまった。


 どうするオリ主。あんたこのままじゃ孤独死するぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

08.過去

前話まででれんたろーは十分活躍したので、この話では出てきません。

彼のファンは次話まで待ちましょう。


 雨が、降っている。

 冷たい雨だ。

 

 

「う.....ぁ.....」

 

 

 その中で赤色に沈むのは、俺と....膨大な数の人間。その全ては自分自身を除き、身体の大部分を欠損して息絶えていた。

 まさにヒトの死の見本市。地獄の具現といっていいそこは、紛れもない現実だ。目を逸らそうと、音が、匂いが、周囲のあらゆるモノが、生々しく起きた災厄を知らせてくる。

 

 

「ほー。顔半分なくなってて、下半身まるごと喰われても生きてられんのか。坊主」

 

 

 そんな地獄に、生者がもう一人。男は神父の姿をし、血濡れた黒い長剣を片手に嗤っていた。

 この男は、俺が『オッサン』と呼ぶ、ガストレア(怪物)に匹敵した....いや、それを超えると言っても過言ではない化物だ。

 俺はそいつに向かって声を出そうとしたが、代わりに血の塊を吐いた。とはいえ、拭うために動かす腕もないため、そのまま雨を落とす曇天を眺めることしかできない。

 

 

 (はは、戦うとか一端なことを口走っておいて、結局このザマだ)

 

 

 正直、もう何度()()()()か分からない。

 オッサンと出会ったあの日、共にガストレアと戦うと決めてから、これまで多くの怪物どもと殺し合いをしてきたが、結果はほぼ今現在と同じだ。

 ガストレアはバラニウムという金属が弱点なため、基本はそれを加工して作られた武器でのみ有効打を与えられる。とはいえ、どこを狙っても当たれば即死などというものでは決してなく、すぐさま息の根を止めるのならば、やはり脳や心臓部を穿つしかない。

 そして、俺が対ガストレア戦で使用しているのは銃だ。現状、バラニウムは稀少なため、無駄撃ちは控えろとオッサンに言われていることと合わせ、ド素人の戦闘技能を加味すれば、正面から対峙したとして両者のどちらが優勢かは明白だ。

 

 

(照準つけてる間に飛び掛かられて踏み潰される、仮に当てることが出来ても怒り狂った敵に吹っ飛ばされる....結果は変わらねぇな)

 

 

 そう。結果は何一つ変わっていない。守ると宣言し、逃げる人々の前に立ちはだかって戦ったが、俺は敢えなく敗北。そして誓いを立てた己を嘲笑うかのごとく、ヤツは背後の命を存分に貪った。

 無力な人間一人が抗ったところで、目前に広がるソレが少し遅いか早いかだけの違いしかない。その光景に変わった事実はなく、俺が戦おうと戦うまいと、結果は変わらない。意味が、無いのだ。

 それどころか....守るといった約束を反故にした、俺にこそ責任があるのではないか?

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()────?

 

 

(なんだよ....それ)

 

 

 分かっていたはずだった。だが、実際は何一つ分かっちゃいなかった。

 ここは倫理的なルールが適用される公式の戦場などではない。勝者は敗者を殺そうが嬲ろうが文字通り何をしても許されるのだ。裁定者など存在しない、無法の地獄といっていい。

 俺は無意識に、世界で為される悪逆非道には一定の限界があるのだと思い込んでいた。理性的な人間が創った世の中なのだから、そこで起きる事件も、きっと想像の範疇にあるのだろうと。

 だが、現実は──────

 

 

「........」

 

「へぇ?何だ、お前諦めるのか」

 

 

 だって、諦めるしかないじゃないか。死なないからと言って、殺されない訳じゃない。戦ったってこんな結果じゃ、俺がここにいる意味なんてないだろう。

 俺がこの地獄を生き抜いてきたのは、潰されて壊されて、失ってしまった故郷の仇を取るためなのだ。だから、ガストレアを殺せない俺は生きている、理由、が────、あれ?

 

 

(故郷の仇?あれ、そんな理由だったっけ?)

 

 

 いや。まて、おかしいだろう。何故ここで疑問が生じる?十年程とはいえ、生まれ育った場所にあんなことをされたんだ。憎んで当然だろう。理不尽に涙するのが当然だろう。

 じゃあ、この釈然としない感覚は何だ?まるで、見つからないパズルのピースの代わりに、急拵えの偽物を嵌め込んだかのようなズレは。

 

 俺は考える。この『納得のいかなさ』に対する答えを求めるために。

 だが、案外あっけなくそれらしきものに己の指先が触れた。

 

 確かに、喪失感はあった。だが、それだけだ。

 その証拠に、全てが終わり、そして始まったあの日。俺はオッサンの『家に一度戻るか?』という提案をにべもなく断っている。

 泣きもせず、怒りもせず。ただこうなったという現状を受け容れた。

 理由は、分からない。しかし、少なくともこの疑問だけは解消できる。俺は、

 

 

「ああ、そうだ。テメェは、恨みつらみを糧にここまで戦ってきた訳じゃねぇ」

 

 

 まさか────先に言われるとは思わなかった。

 この男は、些か他人の心情を察知する能力が高すぎる。

 

 

「顔半分削がれてても分かるぜ。お前納得いかなかっただろ?ここまで生きて来た理由がよォ」

 

「ぅ....ぐ......」

 

 

 その通りだ。てっきり、俺は故郷を廃墟に変えたガストレアを憎悪からぶち殺すために生きているのだと思っていたが、どうやら違う()()()

 いや、勿論件のガストレアを見つけたら確実に殺すつもりでいるが、他の何をおいても、というほど前のめりという訳でもないのだ。

 俺は、この分かりやす過ぎる生存理由で、本当の目的を別のモノとすり替えていた?だとしたら、気づいた時点でそれに気付けてもいいはずだが....

 

 

「あぁーあ、しかしようやくか。理由も無しによくもまァここまでボロ雑巾になれたもんだ。お人好しににもホドがあンだろ」

 

「な、に....?」

 

 

 再生が追い付いてきたか、少しずつ喉が動くようになってきた。いや、それよりもだ。理由もなしに、だと?

 馬鹿な。じゃあ俺は、生きる理由を別のモノとすり変えたんじゃなく、初めからなかったから、いかにも尤もらしいソレを当て嵌めただけだってのか?

 いや、それでも辻褄は合わない。もし初めからなかったのだとしたら、そもそもオッサンと出会ったあの時点で俺は全てを諦めていた。『己の持つ何もかもを奪ったガストレアに復讐する』、これが後から生まれて定着したものだとしたら、オッサンの叱咤で立ち上がった俺は、一体何を理由に克己できたのか。

 

 

「テメェがあの場で立ち上がれた理由はな、知りたい、という無謀で自分勝手な欲望、その一点だ。この世は俺が言ったように正しく地獄の有様なのか。外に出ることを是としたテメェは、コレを知らねぇままじゃあ死んでも死にきれん、って顔だったぜ?」

 

「......」

 

「なぁにとぼけた顔してやがる。俺だってなァ、何の目的も覚悟も無ェガキ連れ回すほど物好きじゃねぇさ。何度も言ってるだろ?俺は生きてんのか死んでんのか分からねぇ奴が一番嫌いだってな」

 

 

 オッサンの言葉は決して嘘ではない。だって、そういう人間を彼は一切の躊躇なく殺してきたからだ。そして、生存の芽を摘まれた者も、同様に。

 

 ───意識がまだあり、泣き叫んで生きることを渇望する者も。

 ───喰われてもいいと訴える夫の目の前で、ガストレアになりかけている妻も。

 ───この世は終わりだと、自暴自棄になって人間を殺した者も。

 

 等しく、殺してきた。無慈悲に、機械的に。()()()()()()()()()()()()()()、この男は自ら外道の所業を買って出た。

 

 

 

「いいか、あの廃工場に居た時のお前には少なくとも、今の世の中を知りたいっつー理由があった。だが、それは俺とこのクソ溜めみてぇな地獄を駆けずり回るなかで自然と達成されちまった。で、その後は無意識に碌に燃えもしねぇ復讐の火を焚き続けてたって訳だ。動き続ける燃料としてな」

 

 

 無くなってしまった生存理由の代わりに、ガストレアへの恨みはあった。だが、それは心からのものでは無く、唐突に空いた大きな穴を埋めるための補填でしかなかった。

 本来なら、生きる理由というのは人間にとって不可欠で大切なものだ。にもかかわらず、このようなことになってしまったのは....偏に、大きすぎたからなのかもしれない。

 常に己の傍にあるものをいちいち確認などしないように、『生きる理由』などというあまりにも根本的な自身の構成要素は、再定義しようとする思考すら湧かないのだ。

 また、新たにすり替えられた理由が、現状を続けるのに全く疑問を抱かない内容だったことも大きな原因だろう。

 

 

「それに気づかせるにゃあ、一度心身ともにズタボロにされる必要があったのさ。でもねぇと、しっかり死ぬ理由探さねえだろ?で、死ぬ理由は生きる理由と表裏一体。お前さんはようやく()()まで辿り着けたって訳だ」

 

 

 回りくどいことを、と思う。オッサンは他人にすぐ答えを出すよう求めるから、正直なところ短気で非人情なのだろうなと高を括っていたが、思い返すとそれは死に直接繋がることばかりだった。

 案外、こういった人の本質や本音を見抜いたりして、それを本人に気付かせるなどという行為も、オッサンの分かりにくい優しさの表れなのかもしれない。

 

 

「さ、て。ここまで懇切丁寧に答え合わせをしてやったわけだが」

 

 

 オッサンは担いでいた長剣を動かし、俺の頭が置いてある真横の地面へ切っ先を落とす。

 ヤツの表情は依然としてそのまま、軽薄な笑みを形作っている。だが、地面に臥せった状態で見上げる俺には、この男がまるで死神であるかのように映った。

 次の瞬間、俺はこの男が次に何をするか、己に何を問うかを悟った。

 

 

「今度こそ生き続ける理由を失くしちまったテメェは、この後どうするのかねェ」

 

 

 そうだ。俺は死を覚悟したがために己の生と向き合い、そして肝心の部分が空っぽだった事実に気が付いた。

 これまで戦って来た理由は、はき違えた虚飾のものだったが、それでも歩くことはできたのだ。贋作を真作と最初に刷り込まれてしまえば、贋作こそが正規の造形なのだと思い込み、己の中では価値を維持できるように。

 だが、それもここまでだ。自身の中にあるものは贋作だと露見した。代わりを見繕わねば、俺は永遠に動けない。

 

 

(ハ、探したところでどうする?また殺されて、また人を目の前で喰われて、それを繰り返すっていうのか?)

 

 

 これからも生き続けるというのは、つまるところ悪夢を継続させるという狂った選択だ。俺がここに至るまでに見てきた光景であれば、常人なら死という結末に十分な希望と言い訳を見いだせるだろう。

 俺は確かに、他の人間と違って特別なのだと断言はできる。だが、この程度の特別では、あの怪物との間に開いた差を埋めるには全く足らない。何度コンティニューが出来ようと、初めから敗北が決定していては戦う意味がないのだ。

 

 

「返答無し、か。なら殺すぞ?おっと、声が出ねぇなんて言い訳すんなよ?本当に生きたいって思ってんなら、それくらいの逆境跳ね返せや」

 

 

 だが、何だろうか。この感覚は。

 後悔、か?今ここで死ぬと、絶対に後悔することになると、己の中にある何かが囁いている。

 否、駄目だ。そんな胡乱なものじゃ、この地獄を歩き続けることなどできはしない。

 

 ────オッサンが地面に刺した長剣の切っ先を持ち上げる。

 

 

「まぁ、ここで死んでおいた方が確実にいいぜ。実力のある無しもそうだがな、精神面での弱者も生きる資格はねぇ。この世で生き残れるのはなァ、残酷非道で奸黠(かんかつ)な、賊徒だけよ」

 

 

 生きる理由がなければ、生きられない。目標が無ければ、目的にはたどり着けない。戦う理由が無いから、戦えない。無力だから、抗えない。

 違う。何が違うか?まず前提からだ。何かを成すためには犠牲が必要ではあるが、身の丈に合わない結果を手に入れようと遮二無二吶喊したところで、返ってくるのは無謀な行動を起こした自分と、期待をした周囲への報復だ。

 

 俺はガストレアとは戦えない。強くないから。俺は誰かを守れない。強くないから。

 

 では、問おう。弱者である俺は、どうすればこの身に余る望みを叶えることができるのか?

 

 ────長剣の切っ先が上を向く。

 

 

「じゃあな、樹万」

 

 

 斃せぬ敵が居るのなら、斃せるまでに強く成ればいい。

 守れぬ人が居るのなら、守れるまでに強く成ればいい。

 

 そうだ。この地獄でも心折らぬ、絶対的な強者と成ればいい。

 

 

「────!?」

 

「俺は、強く成る。教えてくれ、オッサン。どうすればできるんだ」

 

 

 

 俺はオッサンの振り下ろした長剣を片手で掴み、その顔を下方から視線で射抜く。見上げた彼の顔は始めて見る驚愕に染まっていたが、今はそんなことなどどうでもいい。

 やがてオッサンは剣を俺の手から引き、地面に思い切り突き刺すと、顔を覆って笑い始める。それは耳にタコといわんばかりの頻度でよく聞く呆れまじりのものではなく、純粋な『喜』から生まれたもの。

 

 

「あーあ。止せばいいのに、()()()()に来ちまったか!あぁでも、今のお前なら恐らく、出来るだろうな!」

 

 

「....何を、言ってんだ?」

 

 

「あぁ、つまるところ合格ってこった。いいじゃねぇの、『強く成るために生きる』。同じ男としてソンケ―する目標だねェ」

 

 

 ソンケー(尊敬)してるとは到底思えないヘラヘラした口調だが、彼の纏っていた死神の雰囲気は嘘のように霧散している。どうやら、少なくとも『合格』というのは本当のことらしい。

 俺は通常なら一時間以上は掛かる筈の重傷を数分で完治させた異常事態をも忘れ、思わず前のめりになって偽物神父に問いかける。

 

 

「じゃあ、俺を強くしてくれるのか?」

 

「いいぜ、テメェが諦めない限り幾らでも強くしてやるよ。だがなァ、ガストレアに殺されるより何倍も辛いぜ。それでもやるか?」

 

「....望むところだ」

 

 

 俺は周囲に倒れ伏す無辜の人々を見下ろしてから、決意を新たに、そう答えた。

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

「────!」

 

 グン、と意識が急激に現世へ浮上し、勢いそのまま跳び起きる。その動作で腹部と背中に激痛。状態を確認しようと動かした右腕も付け根が激痛を訴え、であればと首を動かして傷の程度だけでも視ようとしたら激痛が迸った。

 全身痛む箇所だらけで軽く絶望した俺は、ゆっくりと刺激しないように再び上体を横たえることにした。どうやら、動かさなければ痛むことはないらしい。

 そうして幾分か思考に余裕ができたところで、俺は脳内に展開された複数の行動選択の中から、周囲を気にするという選択肢(カード)を選び取ることにした。

 

 ....さて、ここは何処だろうか?

 

 己はベッドに寝かされていたらしく、何故か装いは病人服となっており、周りを半透明なビニールらしき物で隔離されていた。そのせいか、ここからでは外の様子は判然としない。

 ただ、断言できるのは己の身体が執拗なまでに痛めつけられたということだ。

 

 

「....この感じ、()()してるな」

 

 

 身体の内側から水が湧き出るような不快感。今では慣れたものだが、当初は身体の再生の折に何度も吐いてしまった。これのお蔭で、あのエセ神父から暫くゲロ吐き小僧の呼称が消えなかったのだ。

 ...とにかく、嫌な過去の記憶ばかりに浸るのを止め、今度はこれまでのことを顧みようと、霞がかった脳みそに指令を飛ばすことにした。すると、こんなことも忘れるんなら、いっそ人間止めれば?とでも言いたげな速度で、今までの事が芋づる式に脳内で展開された。

 

 

「こ、こりゃ....やべぇ!」

 

「何がだい?」

 

「何がってそりゃ....うおぁっ!」

 

 

 立ち上がろうとベッドに手を着き、身体の重心を移動させようかというその時を見計らうかのようにして、右横から穏やかでいて、どこか生気の抜けた声が聞こえた。驚いてひっくり返りそうになるが、そんなことをしようものなら全身が激痛に見舞われるので、必死に耐える。

 ────やはり、眼前で笑う明らか不健康そうなこの女性は、

 

 

「やぁ、久し振りだね美ヶ月樹万くん。壮健そうで何よりだ」

 

 

「この状態でそう見えるんなら、医者辞めた方が良いですよ」

 

「おや、北極圏の海水でもぶっかけられたかのような元気のいい飛び起きっぷりだったじゃないか。それに、私の本職は医者ではないぞ?」

 

 

 最初から見てたのかよ...と非難まじりの呟きを飛ばすが、本人はどこ吹く風で計器の操作を始めている。まぁ、お互い浅い付き合いの人間ではないから、多少の痴態を晒したところでどうという事でもないが。

 

 

「で、一つ聞きたいんですけど。俺を助けてくれたのは貴女ですか?室戸菫ドクター」

 

「ん....まぁ半分正解かな」

 

「え?半分ってどういう」

 

研究室(ココ)の扉の前に血塗れで転がっていてね。邪魔くさいから持ってきて適当に治療しただけさ。というかね、よく考えたまえよ。この私が、君の死体を回収するためだけに外出すると思うかい?」

 

 

 咄嗟に否定できない所が流石ではあるが、では一体何処の誰がドクターの研究室まで俺を運んで来てくれたのだろうか。

 そんな俺の疑問を予期していたらしく、彼女は赤い手紙のようなものを羽織る白衣のポケットから取り出し、こちらへ手渡してきた。気になるだろうに、ご丁寧に開封は一度もされてなく、「こういう当たり前な常識を、私生活にも持ってきて欲しいな」という愚痴を零しながら封を切る。そして、中身を見た瞬間に思わず目を見開いた。

 

 

「....!ま、マジかよ。アイツら」

 

「ほう。君の反応を見る分だと、相当借りを作りたくない人物に助けて貰ったと思える」

 

「ええまぁ、概ねその通りです」

 

 

口元を引き攣らせながら眺める紙には、こう書かれていた。

 

 

『ウチの娘が、終始寝首を掻こうか迷っていたよ?』

 

 

 脳裏に笑顔を象る白貌の面を被った奇怪な男と、壊れた笑みを浮かべる少女の姿が浮かび上がり、俄かに背筋へ冷たいものが走る。この借りは早めに返しておかねば、精神衛生上大変よろしくない。

 俺は紙を畳んでから溜息を漏らすと、上げた視線の先で、『君はよくよく殺されながらにして次の殺される要因を連れてくる器用な男だからねぇ』などと呟きつつ、肩を竦めながら立ち上がるドクターが目に入った。 

 

 

「あの....」

 

「ああ、やりたい事があるのは分かるさ。それの重要性を承知した上で、私はこう忠告しよう。今の君は絶対安静だ」

 

「っ....はあぁ、ドクターにはなんでもお見通しですね」

 

「ハハハ、私はそんなに万能じゃない。ただ、常人より少し察しが良い程度のマッドサイエンティストなだけだ」

 

 

 ドクターは色白の肌を歪めて笑うと、おもむろに上を指さした。釣られて視線を向けてしまったが、そこにはビニールらしき物の透明な壁面が微かに揺れているのみだ。

 訝しむ俺を見て答えが出そうにない事を悟ったか、ドクターは正解を口にした。

 

 

「ここは簡易性の無菌室だ。大方の再生が終わったら出てくれよ?結構場所取ってるんだからな」

 

「こういう場面で金銭面を気にしないのは、やっぱりドクターらしいですね」

 

「皮肉として受け取っておこう」

 

 

 彼女は気にした風もなくそう言い放つと、最後に事情を後で説明するよう付け加えてから、緩慢な足取りで無菌室を出て行った。

 ────何だか、どっと疲れが出て来たな。

 

 

「やっぱり、中途半端な状態でステージⅣとまともにやりあうのは辛かったかぁ....」

 

 

 ベッドへ四肢を投げ出し、既に慣れ切ったはずの鈍い痛みをトリガーとして、錠前の掛かった過去の棚を開け放つ。

 

 ────かつて英雄と持て囃され、ステージⅤ(ゾディアック)ガストレアをも討滅した俺は、もういない。

 

 戦うことでしか己を証明できなかった俺は、エセ神父から平和学習という名の下で東京エリアに缶詰めとなった。....それにしても、ここ以外に札幌、仙台、大阪、博多と日本には四つのエリアがあるのだが、何故東京なのかは未だに不明だ。

 

 

「....最初は、ここで笑っている人間全てが悪人に見えたもんだ」

 

 

 モノリスの内側で暮らす平和を知った者達は、まるであの日々の惨劇を忘れてしまったかのように、のうのうと生きていた。

 俺はそれが腹立たしく、同時に理解できず、思わず道行く一人の男性の胸倉を掴み上げ、ガストレアへの恐怖、憎悪を何処にやってしまったのかを聞いたのだ。すると、男は逆に俺の胸倉を掴み返しながらこう言った。

 

 

『そんなものをいつまでも燻らせていたら周りが見えないだろう!?俺も、この世界も、あの時から少しづつ変わって行ってるんだ!───もう、憎しみと怒りだけで生きる世じゃなくなったんだよ!』

 

 

 衆目に晒さることも構わずにそう怒鳴った男は、しかし大きく息を吐いた後に『変わる自分と周囲を認め、そして受け入れろ。でないと精神がもたんぞ』と打って変わって諭すように呟くと、微笑を湛え俺の頭を小突いてから立ち去った。

 

 後から知ったのだが、あの男性はガストレア戦争時に前線で指揮を執り、多くの人間を救い、または殺した陸軍大佐であった。

 当時は、きっと俺以上にこの世に絶望し、希望を見失っていたのだろう。『人の世にあらざる地獄』を見た者特有の、煤けた灰色を瞳の奥に湛えていたのが何よりの証拠だ。....あるいは、彼も俺の目を見てそれを悟っていたのかもしれない。

 

 だからか、いつまでも周りの人間に対し怒りをぶつけていた己が馬鹿らしくて、惨めで仕方なく思えた。

 

 

「....ま、色々変えようと頑張ったけど、戦争時代は毎日のようにガストレアを惨殺してたんだからなぁ」

 

 

 そんな俺でも、確かに変化はあった。

 

 食生活は酷く、毎日生きて行ける最低限のモノを口にするだけだった。

 人との交流を過剰に避け、外出を全くしなかった。

 時折未踏査領域へ踏み入って、狂ったようにガストレアの死体を積み上げ、翌日のトップニュースを飾ったこともあった。

 

 

「でも、飛那と会ってから、あっというまに何もかも変わった」

 

 

 彼女と出会えたからこそ、今の自分はある。

 殺し、殺されることが日常となってしまった壊れた俺に、安息をもたらした少女。

 

 

「アイツ───生きてるよな」

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「『東京エリア内プロモーター連続傷害事件容疑者、高島飛那捕縛依頼』....か」

 

 

 先ほど印刷した紙の上部には、そう大きく書かれていた。そして、その一番下の詳細へ目を落とすと....

 

 

『抵抗による実害を被った時点で、已むを得ない殺害を認める。尚、個人的な理由、第三者の介入や意見、その他違反とみられる意図や行動を含んだ殺害、傷害に及んだ場合は、厳重処罰の対象となる』

 

 

 一連の件に目を通した後、私は思い切り舌打ちをしながら紙を破り捨てた。こんな真っ当な約款を並べ立てるくらいなら、初めから真っ当な組織や人物に依頼して然るべきだろうに。何故、そんな地位とは縁遠い愚物ばかりをクライアントとして優先しているのか。

 

 

「ハ、大方は一度手を汚した輩であれば、さっさと事を収めてくれるとでも思っているのだろうな。尤も、解決法としては最低の部類だが」

 

 

 無糖のコーヒーを口にしながら、手に付いている紙屑をゴミ箱へ落としていく。次に、カップをデスクへ置いてからマウスを操作し、PCのブラウザを閉じる。そして新たに画面へ写し出したのは、IISO....国際イニシエーター監督機構という、世界中の民警ペアが登録されているデータベースから引っ張って来た、高島飛那のプロフィールだ。

 

 

「何でこう、無気力だったり不幸顔だったりな男にばかり、可愛いイニシエーターが食いつくのかねぇ。....全く、世の不条理だよ」

 

 

 ブツクサと、声に出したところで現実など変わりはしない文句を垂れながらカチカチと画像を下にスクロールし、プロモーター情報へと行き着く。

 

 ────が、目的の箇所は虫に喰われたかのように空白となっていた。

 

 そして、更にその下へ移動すると。

 

 

「ふむ....これは、樹万くんに伝えるか否か。どちらがいいのかねぇ」

 

 

 椅子に深く腰掛け、響く金属音の悲鳴を聞きながらコーヒーをもう一度口元へ運ぶ。

 ────届けられた苦味は、何故か最初より色濃く刻み込まれた。

 

 




 次回、れんたろーとオリ主が対面します。(予定)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09.談合

 二人とも隠している事が結構多いので、会話内容が少し制約されますね。

 ま、それでも十分漫才できますが。


「......あの、ドクター」

 

「む?何だ」

 

 

 口からフォークの先端を取り出しながらこちらを向いた日本最高の頭脳を誇る天才は、白いベッドへ横たわる俺の顔を見下ろして咀嚼を続ける。

 片手に注射器を持ち、もう片方の手で得体の知れない食べ物(?)を持つ彼女は、誰から見ても狂気のソレだ。信頼は勿論しているが、命を預けている身としてはもう少し体裁というものを気にして欲しい訳で.....

 

 

「治療中はせめて、その手に持っている悪魔の食いモノを置いてくれまモゴッ」

 

「失礼だぞ樹万くん。私が食しているのは、真っ当な熱量と内容物を含む人間の食べ物だ」

 

「あががっがががおごごごごご!」

 

「ほれみろ。普通過ぎてリアクションに困るだろう?」

 

 

 舌と喉に強酸を擦り込まれたような感覚で目を白黒させているうちに、圧力注射器の中身が投与される。....ドクター、貴女は手足を痙攣させながら白目を向く反応を普通だというのか。

 

 

「....ふむ。ウイルス投与による血液の流れ、心拍数共に異常なし」

 

 

 ドクターはパイプ椅子に座り、機器のモニターを見て紙にチェックをつけながら、今さっき俺を三途の川へ派遣したダークマターを口内へ数個一気に放り込んだ。

 やはり長年付き合ってきた俺でも、未だに彼女の味覚に関してはさっぱりである。

 

 

「.....うむ。体内組成にも異常は無し。要所の目立った変化も皆無だ。良かったな、英雄くん」

 

「その呼び方止めて下さいって」

 

「はっはっは」

 

 

 身体を起こしながら文句を言うが、ドクターは高笑いするのみだ。この人は性格に多少難はあるが、行く当てのない俺を置いてくれるくらいには基本いい人だ。見返りは人体実験の被験者役かなぁ....

 

 

「っ!...とと」

 

「おっと、大丈夫かい?」

 

 

 喉が渇いたので水を飲みに行こうとしたのだが、踏んばった足が(もつ)れて倒れそうになった。辛うじて先生に支えて貰い、ひっくり返る事だけは回避する。

 

 

「まだ筋組織の修復が不完全なんだろうな。松葉杖を使うかね?」

 

「いや、大丈夫ですよ。スミマセン」

 

「..............」

 

 

 何かを言いたそうなドクターに笑いかけてから歩みを再開させ、仕切られたカーテンをスライドさせて外に出る。多少足を引き摺ってしまうが、地面は浅いタイル張りなのでさした問題もない。

 

 

「えーと、水水.....」

 

 

 よくわからないモノでごった返している台所の前に立ち、無装飾の透明なコップを探し当てると、水道水を注いで飲み干す。...どうやら、自分が思っていた以上に身体は水分を欲していたようで、一息で目一杯汲んだ水を流し込んでしまった。

 続けて二杯目を拝借しようと栓へ手を掛けたとき。背後から、普段は滅多に聞かない研究室の戸が開閉する音が響いた。

 

 

「先生―?どこだ.....」

 

 

 扉を開けて入って来たのは、制服姿の少年だった。

 水道は出入り口の割と近くにあるので、彼とばっちり目が合う。そして、二人ほぼ同時に叫んだ。

 

 

『あのドクター(先生)に客だと!?』

 

 

 信じられないものを見たような顔で仰け反った少年は、勢い余って今し方開けた扉に頭を打ち付ける。

 

 

「~~~~~~~~」

 

「....大丈夫か?少し落ち着け」

 

「あ、あぁ」

 

 

 俺もコップを落としそうになったが、取りあえずは頭を押さえて屈む彼の下へ近寄り、素早く観察してみる。

 ボサボサの髪に、人類代表と自信を持って誇れるほどの不幸顔。そして、かなり鍛えられた四肢と腰の拳銃。...最初の二つは除外して、導き出される答えは、

 

 

「お前、民警か?」

 

「ん?なんだ、よく分かったな。アンタ」

 

 

 微量の驚愕を湛えた表情で後頭部を擦りながら立ち上がった少年は、俺の発言に束の間痛みを忘れて目を見開く。

 そして、己の素性を言い当てられた意趣返しか、観察の意図を多分に含む視線で俺を眺め始めた。が、その直後に何故か唸りだす。

 

 

「あぁー、そういうアンタは、只者じゃなさそうだな」

 

「....俺は普通さ」

 

「嘘だ。先生の研究室に来る人間が普通な訳がない」

 

「ははは!言うなぁ、お前」

 

 

 少年もつられて吹き出すと、片手で頬を掻きながら手を差し出してきた。

 

 

「俺は里見蓮太郎。天童民間警備会社に所属してる」

 

 

 聞かない会社名だったが、俺は特に気にする事なく握手を受ける。

 

 

「俺は美ヶ月樹万。ドクターには野暮用で会いに来てる」

 

「美ヶ月...?」

 

「?どうした」

 

「い、いや、なんでもねぇ.....うおっ!?」

 

 

 俺の名前に歯切れ悪く反応したところで、気配を消して近づいた先生が蓮太郎の肩にのしかかった。彼女は実に面白そうな顔で俺たちの顔を見回すと、唐突に毒を吐いてくる。

 

 

「いやぁ、君たち二人が集まると空気が澱むねぇ」

 

『そんなことねぇ(ないです)!』

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 ドクターはパソコンが置いてあるデスクの椅子に座ると、腕を組みながら蓮太郎へ視線を投げた。

 

 

「で、蓮太郎くん。君は何をしにココへ来たのかね?まさか、タダの雑談が目的では無かろう」

 

「当たり前だ。.....先生、延珠が倒したあのガストレアは感染源じゃなかった」

 

「ああ、知っているよ。しっかり解剖(バラ)させて貰ったからね」

 

「昨日の夜中ずっと哄笑を響かせながら腐臭のする肉を弄ってたのは、それだったんですか」

 

「そうだとも。生物の肉体は未知の宝庫だ。弄り回さずして研究者など名乗れまい?そもそも、ガストレアなど未知の最たるもので───」

 

 

 ドクターが寝てる俺を何度も起こし、一つ一つの臓器や筋肉の一部を解説付きでぶら下げられたのは記憶に新しい。今日の俺が悪夢にうなされる羽目になった要因は十中八九これだ。

 ともかく。遠まわしにガストレアを解剖する必要性に対し疑問を呈したからか、彼女の研究者としての価値観に触れてしまったようだ。

 そこからガストレアの進化に関する講義へ移り始めようとしていたところ、本格的に火がつき始める寸前で蓮太郎のストップが入った。 

 

 

「先生―?話に戻らせてくれ」

 

「おっと、そうだったな....で、君は感染源ガストレアを追っている、と」

 

 

 解剖中に聞いた(聞かされたともいう)話では、確かステージⅠ、モデル・スパイダーの単因子だったはず。そして、あのガストレアは感染者であり、感染源のガストレアは見つかっていないと。

 記憶の引き出しを漁っていると、蓮太郎が表情を苦々しいものへ変えながら言った。

 

 

「そうなんだが、当のガストレアは殲滅どころか、目撃報告すら未だにされていない。何処かに潜伏している可能性が高いんだ。....先生、何か分からないか?」

 

「そうだねぇ。東京エリアがガストレアを野放しにする筈がないし、身を隠す上で最適な能力を持ちうる。というのが最も妥当なところではないかね?」

 

「地中に潜っているとか、人間に擬態するとか、透明化しているとか....ですかね」

 

 

 節操なしに挙げてみるが、ドクターは肘をついた手の甲に顎を乗せてフッと鼻で笑う。

 次に、蓮太郎が地面を指さしながらこちらを向いた。

 

 

「地中に潜ってるとしたら、掘削時の穴が必ず残る筈だ。ガストレアはステージⅠからⅢでも十分体長が大きいから、一日もしないうちに発見される」

 

「んー......じゃあ、下水道とかはどうだ?」

 

 

 この方法なら、穴を開けなくても周りから身を隠す事は可能だろう。だが、蓮太郎は首を横に振った。

 

 

「地下水道とかには全部監視カメラが取り付けられてる。そこにいるんだったら直ぐに見つかってるぜ」

 

「それとだ、他の二つも無いだろうね。そんな能力を有しているんだとしたら、今日にも感染爆発(パンデミック)で東京エリアは滅ぶよ」

 

 

 次々と論破されてしまい、俺の手元には切るカードが無くなった。しかし、俺が挙げたものは、ほぼ最悪の結末へと直結する。寧ろ否定されて安心できた。

 椅子に背を深く預けながら肩を竦め、俺はささやかな反撃として蓮太郎へ嫌味を言うことにする。

 

 

「ま、ならそのうち見つかるだろ?そちらさんには、優秀な民警諸君がいるんだからよ」

 

「お、俺はその優秀な民警だぜ?」

 

「蓮太郎くん、君は序列十二万なんちゃらだろう。そういう事は、あと一ケタ飛ばして四捨五入したくらいの数字になってから言うんだね」

 

「あぐ」

 

 

 蓮太郎は頭に金ダライでも喰らったかのように勢いよく項垂れるが、溜息を一つ吐いて立ち上がった。

 

 

「色々スマン。先生、樹万。ここまで関わったからには、俺と延珠でこの件を片付けて見せるぜ」

 

「ん。延珠ちゃんの足を引っ張らないようにな」

 

「うっかり死ぬなよ」

 

「二人とも随分辛辣な助言をしますねぇ」

 

 

 俺たちに言いたい放題された蓮太郎は悄然と肩を落としてから、何処か板についた苦笑いを残して帰って行った。...多少危なっかしい所はありそうだが、アイツなら大丈夫かもな。

 そう思考を区切った所で、俺は蓮太郎が出て行った研究室を戸を眺めながら、ドクターへ声を掛ける。

 

 

「あの、ドクター」

 

「どうした、今度こそガストレアの素敵な死体講習を受ける気になったか?」

 

「素敵じゃないし、今日も今後も受ける予定はありません。蓮太郎が言っていた延珠という名前は、彼のイニシエーターですよね?」

 

「ああ、藍原延珠。モデル・ラビットのイニシエーターだ」

 

 

 俺の問に首肯しながら答えた先生は、それがどうかしたのかとでも言いたそうにこちらを見る。

 

 

「いえ、聞いてみただけですよ。...あと、俺の事を蓮太郎に黙っていてくれて、ありがとうございます」

 

「はは、...お安い御用だよ」

 

 

 しかし、言葉とは裏腹に、その時のドクターの顔は少し曇っていた。

 




 原作からまぁまぁ様変わりしました。

 ちなみにこの作品では、先生の毒舌が控えめになっていると思います。ですが、「こんなの先生じゃねぇ!」と思った方は遠慮なく言ってください。
...できるかぎり頑張りますので!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.再来

 今回はいつもよりちょっと長めです。理由は単純で、話の切り際が此処しかない!といった次第でして...


「飛那、昨日はよく眠れたか?」

 

「はい。問題ありません」

 

「ふふ、安心しろヒナ!妾が蓮太郎をしっかり見張っていてやるからなっ!」

 

「んなことせんでよろしい」

 

 

 朝の食卓に並ぶ質素なメニューは、しかし食べ盛りな少女たちの食欲を十分に満たせるものだと思う。

 延珠はいちごジャムがたっぷりと塗られたパンにかじりつきながら、飛那の方へ顔を向けて言った。

 

 

「それにしても、よくヒナがここに住む事の了解が、あのおっぱい魔神から出たな蓮太郎」

 

「あー...それには隠された激闘がだな」

 

 

 昨日、無事にプロモーター連続傷害事件の犯人である高島飛那を捉える事に成功し、それと急遽舞い込んだ同日のガストレア討伐依頼達成と、秘密裏に保護した飛那の報告を木更さんにしようと会社を訪れた。

 

 

『うん!今回は目覚ましい活躍だったわね、里見くん。社長の私としても鼻が高いわ』

 

『ど、どうも』

 

『じゃ、飛那ちゃんを私に預けなさい』

 

『.....それは駄目だ』

 

『何でよ!里見くんに任せたら絶対に飛那ちゃんが危ないわ』

 

『まるで前科があるみたいに言うが、俺はこれまで何もしてないからな?』

 

『フン。里見くんだって男の子なんだから信用無いわ。裏では延珠ちゃんハァハァとか言ってるんでしょ?』

 

『ただの変態じゃねぇか!』

 

 

 ───まぁ、このように会話が平行線を辿ってしまい、お互いが譲らない事もあって話の内容もズレ始めた。

 こうなる事を大方予想していた俺は、万を持してとある言葉を口にする。

 

 

『木更さん、アンタは曲がりなりにも良家の出だ。そこに犯罪の肩書きを背負った飛那を置くのは、かなり不味いんじゃないのか?』

 

『!っぐ.....それは』

 

 

 これが決定打となり、俺は九回裏に逆転ホームランを相手スタンドへ叩き込んだ。

 木更さんは尚も聖天子に掛け合うだとか、疑いを晴らすだとか、飛那ちゃん可愛いだとか言っていたが、彼女を迎え入れれば、ただでさえ今現在貧しい暮らしを強いられている自分の立場を、更に悪くさせる可能性があるのだ。

 飛那を助けたい気持ちはあるにしても、だからといって己の保身をないがしろに出来なかった彼女の気持ちは、寧ろ当然と言える。

 プライドのある人間は、自ら泥沼に飛び込んで他人の足場になる事など出来はしないのだ。

 

 

「まぁ、色々あったんだよ...」

 

『??』

 

 

 言うなれば、飛那を犯罪者と口にしてしまったのが唯一の心残りだ。

 その言葉と共に思考を打ち切ってから、俺は残った朝食を胃に詰め込み、聖天子が映るテレビの電源を落とした。

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「えーと、玉ねぎ玉ねぎ...と」

 

 

 今日の夜に作るメニューが書かれた紙きれと照らし合わせ、食材を呟きながらカゴへ放り込んでいく。気付くと結構な量になっていたが、これだけあればバリエーションに困る事は無いだろう。

 

 

「ほっとくと悪魔の食い物ばっか食うからなぁ....あの人」

 

 

 あの人とは勿論、室戸菫ドクターだ。

 俺は彼女に住む処と治療を善意のみで賜っているので、ある程度回復した今となっては、家事くらい請け負おうと思った次第なのだ。

 実の所、舞い込んで来る解析依頼や国からの出資、時たま手を出す懸賞問題等々で、ドクターの懐は暖かいどころの話しではない──のだが、極度の出不精ぶりが災いして、度々研究室内で行き倒れるという謎事態が発生する。

 

 

「むっ、ちと買いすぎたか...?」

 

 

 カゴを持ち上げると、過負荷により腕の付け根辺りへ鋭い痛みが走った。

 手を滑らせて落としそうになったが、もう片方の手で底面を押さえて持ち上げ、事なきを得る。

 俺は溜息を吐き、見栄を張らずにカートで回ればよかったと後悔した。

 

 

 

 

「あぁー、重ぃー」

 

 

 膨れ上がった二つのポリ袋をぶら下げながら、弱音を溢して歩く。普通なら間違いなく通行人の目を引いてしまうだろうが、現在は道行く人が殆どいないので、さっきから愚痴を吐き放題だ。

 大分歩いたところで、道の端に置いてあった長椅子を発見した。俺はいるかもわからない神様仏様に感謝しながら、迷わずそこへ二つの袋を放って、鉛に近い己の五体も預ける。

 

 ──その気になればこんな傷、一日も経たずに完治させられるのになぁ──。

 

 ボケっと車道を眺めながらそう考えたが、何故かそうしようという結論には至らなかった。

 どうやら、自分が思っている以上に、己が人間であることへ固執しているのかもしれない。

 

 ちなみに、俺が足を延ばしたスーパーから、ドクターの研究室がある大学病院まではある程度距離がある。リハビリに託けて遠くのスーパーに来たのが仇となったか。

 後悔もほどほどに椅子から立ち上がり、今までよりも早足で歩く。腕が痛んで勿論辛いが、この調子では生モノが危ないし、折角買ったアイスまで溶けてしまう。

 今日何度目かの溜息を吐いた所で、ふと妙な空気を感じて視線をそちらへ向ける。

 

 

「...?なんだか、随分とピリついてんな」

 

 

 通りかかった防衛省前には高価そうな車が沢山停まっており、それだけでなく内部から漂ってくるプレッシャーは多くの剣呑さを内包していた。そんな雰囲気を見れば勿論気になるので、俺はなんとなく入口近くに立って見上げる。

 ────しかし、ここで己の失策に気付いた。

 

 そう。俺はかつて東京エリア上層部連中に消されそうになった。いや、記録上では既に消されている事となっているだろう。

 闇に葬られるはずだった俺が、政府直営の建造物に不用意な考えで近づくなど、奴等へ殺しそびれてることをご親切に伝えているようなものだ。

 その考えに達した瞬間、直ぐにこの場を離れようと足を動かしかけたが、視界に映る中で気になる箇所を発見した。

 

 

「監視カメラが───無い?」

 

 

 そう、こういった場所には必ずある筈の監視カメラが一台も見当たらない。

 流石におかしいと思い、出入口周辺を万遍なく観察するが、一向にそれらしきものは見当たらない。これでますます己の中で疑問は膨れ上がった訳だが、常駐していた警備員に訝しげな目で見られたため、これ以上は分が悪いことを悟り退散しようとする。

 

 

「....お、もしかして樹万か?」

 

 

 だが、背後から掛けられた聞き覚えのある声に再度足を止める。直ぐに目を動かしながら振り向くと案の定、不幸面を若干の笑みで彩った里見蓮太郎が立っていた。

 

 

「蓮太郎?何でこんなトコに───」

 

 

 言葉を途中で切ったのは、隣に佇む新顔の少女がいたからだ。先方は会話に入るタイミングが掴めないらしく、居心地悪そうに視線を空に彷徨わせながらスカートの裾を弄っていた。

 俺は何となく得心し、蓮太郎に向けて小指を立てて見せる。

 

 

 

「こちらのお嬢さんは、お前のコレか?」

 

 

「んなっ!」

 

「ぶっ」

 

 

 一瞬で顔を真っ赤にしたのは件の少女。蓮太郎はその隣で噎せていた。

 俺は勿論冗談半分で言ったつもりだが、少女は茹で上がった状態のまま掴みかからん勢いで否定を始める。やばい、瞳孔が完全に開いてるな...。

 

 

「な、なななな何言ってるの君は!私と里見くんはタダの社長と社員の関係よ?!だ、大体、こんな甲斐性の絶望的なお馬鹿にはついていけないわ!将来性皆無だもの!」

 

「はは...彼女は天童木更っていう、俺が所属してる天童民間警備会社の社長なんだ。普段はいい人だぜ」

 

 

 何だか混沌としてきてしまったので、取り敢えずは蓮太郎と協力し、荒ぶる天童社長を落ち着かせる。双方の必死のフォローあってか、彼女は割と早めに立ち直ってくれた。

 

 

「ゴホン。お、お見苦しい所を見せしてしまいすみません。改めて、貴方は里見くんのご友人ですか?」

 

「ああ。天童社長は蓮太郎から聞いてなかったのか」

 

 

 と、ここで何故か、目前の天童木更から決して少なくない負の念が溢れた。

 

 思わず手をナイフのある懐へ伸ばしかけたが、一瞬の事だったので堪える。常人にならいいが、こういうことに敏感な奴には控えて欲しい行為だ。

 何か気に障った発言をしたのかと心配する前に、本人は先ほどの雰囲気が嘘だと思えてしまうくらいの声調で言葉を返す。

 

 

「はい。里見くんはあまり普段の事を喋りませんので...あと、できれば私の事は木更と呼んで下さい」

 

「ん、分かった」

 

 

 ───どうやら、己の苗字を快く思っていないようだ。

 何やら深い訳がありそうだが、あの殺気を鑑みるにこれ以上の詮索は禁物だろう。隣の蓮太郎も厳しい目つきをしていた。

 めんどくさい女を好きになっちまったなぁ、お前は。

 

 

「俺は美ヶ月樹万。今は室戸菫ドクターのトコで世話になってるから、その時にコイツと、な」

 

「ええ!あの人の所で?!」

 

 

 会ったばかりの蓮太郎と全く同じ反応をした木更は、目を丸くして驚きを露わにする。ドクター、頼むから外へ出てください...。

 

 

「君たち....ちょぉっと別の所でやってくれないかなぁ?」

 

 

 突如、口元を大きくヒクつかせた警備員が現れ、俺と蓮太郎の肩を掴みながらそう言った。まぁ、これだけ門前で騒がれればこうなるだろう。

 しかし、当の蓮太郎はそれに取り合わず、スーツ調の学生服から己の民警ライセンスを取り出してみせる。

 

 

「!天童民間警備会社様でしたか。...では、案内しますのでこちらへ」

 

 

 それを見た警備員は直ぐに仕事側の顔へ切り替え、出入口の方へ二人を招く。

 木更は満足げに蓮太郎へ親指を立ててから、俺に顔を向けると軽く会釈する。

 

 

「では、私たちはこれで失礼します。これからも、里見くんとはお友達でいてくださいね」

 

 

「んん、どうだろうな」

 

 

「いや、そこは素直に頷いとけよ!」

 

 

 蓮太郎は地味にショックを受け、それを笑う木更の二人を手を振って見送る。

 

 そして、俺は警備員と天童コンビが自動ドアの中へ消えて行ったのを見計らい、携帯を取り出してドクターへ連絡する。

 

 

『どうした?私は今忙しいんだ』

 

 

「すみません。でも、防衛省に東京エリア中の民警が集められてるんですよ。何かあったのか分かります?」

 

 

『...少し待っていてくれ』

 

 

 スピーカー越しに彼女が椅子を蹴って移動する音が響き、少ししてからパソコンのキーをタイプする快音へと変わった。

 ...暫く不規則なタイミングでキーやマウスを叩く音だけが耳へ入るが、やがて深い呼吸音が割り込んだ。

 

 

『ふぅーむ、特に変わったことはないね。開かれる会議の日程とかにも、そんな要項は見当たらないよ』

 

「そう、ですか」

 

『何かあったのかい?』

 

「────」

 

 

 口にするべきか迷う。少し近づいてみるが、確証がないまま侵入するのはあまりにも危険だろう。

 

 だが、あの警備員が手中から覗かせた紙には、確かに有力な民警を抱える会社名が連なっていた。

 そこへ、天童民間警備会社という全くの無名が参入するというのなら、殆どの民警がかき集められているとみて間違いないのではないか。

 

 

『樹万くん?』

 

 

 ドクターの声で意識を戻し、何でもない旨を伝えようと喉を動かしかけたが──

 

 

「ッ!」

 

 

 木更が出した殺気とは別物の()()を察し、素早く携帯を仕舞ってからコートを翻らせて腰のタクティカルナイフを引き抜く。

 同時に深く屈み、頭上を通過した黒い刃を回避。直ぐに背後へナイフを突き立てる。

 

 

「アハッ!」

 

 

 心底愉しそうな笑い声と共に、それを片方の黒い小太刀で弾いたのは...蛭子小比奈。

 やはりお前かと思う間にも、もう一本の小太刀で風を切るほどの突きを見舞って来た。が、俺は首だけを傾かせてそれを回避し、右手の甲で通過した刀の峰を叩いて刃先を地面に落とす。

 同時にポリ袋から買いすぎた人参を取り出し、下を向いた刀と一緒に身体を傾がせた小比奈の口に素早く挿入。

 

 

「んむっ!?」

 

 

 口内へと捻じ込まれる太くて固い緑黄色野菜の一つに驚いた小比奈は、予想の上を行く事態に対応が暫し遅れる。

 俺はその隙にナイフを仕舞い、もう片方の小太刀が握られた手を上方へ突き上げる拳で弾き、それでも残った黒刃で反撃しようとする彼女の喉奥へ、更に人参を押し込んだ。

 

 

「むひゃあ!」

 

 

 小振りなのを選んだつもりだが、小比奈の口はもっと小さかったらしく、思い切り喉につっかえてしまったのだろう。首辺りを押さえ、涙目でへたり込む彼女へ罪悪感が湧くが、直ぐに意識を切り替えて後方へ飛ぶ。

 そこへ影胤のハイキックが額を擦過し、俺の前髪を風圧で躍らせた。

 

 

「相変わらず反応早いねぇ」

 

「そりゃどうも」

 

 

 そこから続けざまに放たれた拳は全て反対方向への払いによっていなし、何十手目かで頭上から繰り出された手刀を好機と読んだ俺は、その手首を反対側の手で掴んで腕を交差させると、もう一方の掌で影胤の顎を撃ち抜く。

 そこから、掴んだ手を離さずに身体をわざと後方に倒して影胤をこちらへ引き込み、前のめりとなった彼の腹部へ片足を押し当てて後転。

 

 

「よい、しょっと!」

 

 

 当てた足をバネの要領で伸ばし、後転した慣性も手伝って影胤を大きく空へ打ち上げる。敢えてこの技の名前を言うなら───巴投げ。

 そのまま地面へと自由落下を始めたところで、跳躍した小比奈に空中でキャッチ。両者とも無事に降り立つ。

 

 

「おぉーやるね」

 

「むぅ、パパかっこ悪い」

 

「げほっ...ハハハ。許してくれ、我が娘よ」

 

 

 いつかの仕返しに俺が拍手してやると、小比奈は顔を赤らめながら己が父の力不足に憤慨した。今の彼は仮面の内側で苦笑いを作っているに違いない。

 小比奈の手から降ろされた影胤は、軽く身なりを整えてからシルクハットを持ち上げて俺へ挨拶をする。

 

 

「やぁ、久しぶりだね美ヶ月くん。傷の具合はどうだい?」

 

「ボロボロだったよね、タツマ。大丈夫?」

 

 

 心配されているらしいが、何だか裏がありそうで正直怖い。しかし、小比奈は人参をかじりながら、影胤は顎をさすりながらなので、どうも緊張感を感じにくいのが難しい所だ。

 俺は横目で周囲へ警戒を向けながら、影胤へ質問...というより詰問をする。

 

 

「で?何でこんなとこに来たんだ」

 

「んー、ここにいる民警諸君へ挨拶しに、かな」

 

「.....挨拶?」

 

 

 そんな俺の疑問を聞いた影胤は、顎を押さえていた手をシルクハットの鍔に移し、どこか吟味するような間を空ける。

 

 

「私たちの計画に必要なアイテムを奪い合うレースへ、エントリーする事を伝えに行くのさ」

 

「言い方が回りくどすぎて分からん」

 

「ハハハ!だろうねぇ」

 

 

 愉快そうに笑う影胤を無視し、このままでは溶けてしまうアイスを袋の中から二つほど取り出すと、ほぼ液体となった保冷剤を退けてから小比奈へ渡す。

 キラキラした瞳で食べていいのかを問う彼女へ頷き、付属の木製スプーンも親切につけてやる。

 

 

「タツマはいい人だー」

 

「おう、俺はいい人だ。だから出合い頭に頭斬り飛ばそうとするのは止めてくれ、な?」

 

「♪」

 

「聞いてねぇし」

 

 

 餌付けで懐柔作戦に出たが、威力が強すぎたらしく聞く耳を持たなくなってしまった。

 諦めて立ち上がり、明らかに妙な雰囲気を纏う仮面男へ向き直る。

 

 

「....どうした?」

 

「いや、小比奈がここまで他人に懐くのは初めてでねぇ」

 

「そうか?ただ食い物あげただけだぞ」

 

 

 俺の返答には肩を竦めるに留め、影胤はアイスを頬張る小比奈を催促する。

 それを受けた彼女は、掬った一口を口内で溶かしてから間延びした声で返事をすると、凄まじい勢いでかっ込んでものの数秒で平らげてしまう。しかし、一気食いしたおかげでアイスクリーム頭痛がきたらしく、首を竦めて頭を抑えた。

 そんなハンデを抱えつつ、残ったもう一カップは懐へ仕舞い、彼女は自動ドアの前へ立つ影胤の下に覚束ない足取りながらも走って行った。

 

 

「──もし、後々私を止めたいと思ったのなら、喜んで受けて立つよ。美ヶ月くん」

 

「うー、アタマ痛い。...タツマ、今度もまたアイス持ってきてね」

 

「そうかい。ほれ、はよ行かんと見つかるぞ」

 

 

 二人の言葉に軽く答えながら、ヒラヒラと手を振ってやる。

 

 そして、悠々と防衛省の内部へ消えて行った彼らを見て、ようやくあの時の疑問が氷塊した。

 

 監視カメラが取り外されていたのは、影胤の隠密侵入を助けるためだろう。元々取り付けられていなかった線はまずないと見て、可能性はそれくらいしかない。一応本体の補修なども考えられるが、恐らく代わりのものが用意されるはず……

 しかしそうなると、影胤は政府の何者かと内通している事になる。それに、かつて俺がはめられたあの時と何処か似通ったものを感じた。

 

 

「どうやら、奴さんの考えてることは相当ぶっ飛んでそうだな」

 

 

 俺はそれだけ呟くと、人参一つ、カップアイス二つを吐き出して軽くなった(ような気がする)ポリ袋を持ち直し、追加する今晩の夕飯メニューについて考えながらその場を後にした。

 

 




 監視カメラがなかったので、補足されなかったオリ主。影胤サンのお蔭ですね。

 飛那ちゃんは天童民権警備会社の手で○されたことになってます。何とか避けたかったシナリオの一つなのですが、作者の無い頭ではこうするしかありませんでした....



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11.召集

今回の話は前話よりも長いです。どうしてこうなった...




 数時間前────勾田高校。

 

 

 

 

「ん....電話か」

 

 

 こんな時間に誰だと訝しみながらも、机へ突っ伏していた頭を上げ、懐で震える携帯電話を掴んで発信元の名前を確認する。

 ───またなのか?木更さん。

 

 

「はぁ....依頼ですかね?社長さんよ」

 

『今は勤務時間外。普通に呼んで...と言いたい所なんだけど、ちょっとその仕事絡みで厄介事に巻き込まれそうよ』

 

 

 俺は彼女へ聞こえないように溜息を吐き、舞い込んで来る依頼はほぼ厄介事なんだが...と脳内で愚痴を溢す。危うく言いかけそうになったが、確実に話が逸れるし、当人の機嫌をいたずらに損なわせる要因となる。自重自重。

 

 

「あぁー、一体どんな?」

 

『防衛省に召集がかかったの』

 

「はい?」

 

 

 一度携帯から耳を離し、指を突っ込んで通気性の確認をする。...異常なし。では、一体誰がおかしいというのか。

 

 

『防衛省に、行くのよ』

 

 

 恐らく、この世の中がおかしくなってしまったのだろう。

 

 

 

 

          ***

 

 

 

 そして────現在。

 

 

 

 

「はぁ、こんな大層なトコでなにするってんだ」

 

「分からないから落ち着きが無いんでしょ?お互い様よ」

 

「...いつも通りに見えますが」

 

 

 前方を早足で歩きながら「そう?」と言った木更さんは、とても落ち着きが無いようには見えない。寧ろ、普段より凛々しくすら感じる。

 

 

「いや、こういう時だからこそか」

 

 

 俺は改めて、天童木更とは凄い人だと思った。

 月並みではあるが、かつて義父である天童菊之丞に、偉いさんの前を何度も歩かされた俺でも緊張を隠せないのだ。

 

 

「ここ、ね」

 

 

 先導してくれた案内役の職員へ会釈し、木更さんの見つめる第一会議室と白いプレートに書かれた扉に手をかけた。

 纏わりつく緊張感を振り払うように一息で開け放つと、小ぶりな扉の内側とは思えない程の広い内装と大きな円卓が視界に飛び込んできた。奥の壁には巨大なELパネルが嵌め込まれており、いかにも会議室といった設備内容だ。

 しかし、俺の目はそんなものより、円卓に着いている人物らへ視線が集中した。

 

 

「っ、木更さん。ここにいる奴らは...」

 

「ええ、間違いないわね。机に会社名が書かれた札がある...同業者よ」

 

 

 ただならぬ雰囲気を纏っているのは、その社長らだけではない。座る彼らの背後に影武者の如く控えているのが、

 

 

「民警と、イニシエーターか」

 

 

 民警らは皆何らかのバラニウム製武具を身に着けており、スーツ姿の社長らと比べると派手さ全開である。そして、一様に有り余る殺気を周囲へ振りまいていた。

 ある程度覚悟した以外の一般人がこの部屋に入れば、恐らく気分を悪くしてしまうだろう。

 と、そこまで思考を巡らせながら扉を閉め、歩き出そうとしたところで、唐突に視界へ影が差した。

 

 

「最近の民警はこんなガキを起用しなくちゃなんねぇほど堕ちたのか。...チッ、面汚しもいいトコだぜ?テメェらよ」

 

 

 これ見よがしに不快そうな体で暴言を吐きながら俺と木更さんの前へ立ちはだかったのは、黒い大剣を背負う、体格の良い不良のような風貌の大男だ。

 口元に黒を基調とした不気味な髑髏柄のフェイススカーフを巻いているが、もし取っていたら唾でも吐きかけてきそうな内容である。このままでは背後の木更さんまで標的にされかねないので、俺は彼女に視線を向けられないように歩み出て反論することにした。

 

 

「さっさと要件を言えよ。こちとら、お前が邪魔で通れねぇんだ」

 

 

 目前の男は苛立ち紛れに凄むだけだ。

 とはいえ、持ち前の三白眼も合わせれば逃げ腰になる奴が大半だろう。

 

 だが、あの仮面男のようなドス黒い狂気。

 

 そして、美ヶ月樹万の底知れぬ力量に比べれば、コイツの纏う空気は()()

 

 

「調子に乗んなガキが!今すぐその口利けなく────」

 

「止めないか、将監!」

 

「────ッ、三ヶ島さん!」

 

「これ以上荒事を起こす気なら、此処から即刻退出して貰うぞ!」

 

 

 彼...将監は、己が所属している会社の社長らしい三ヶ島という男の一喝を受けるが、食い下がろうと何かを言いかける。しかし、目を閉じてから大剣に掛けた手を離すと、大きく鼻を鳴らして俺を一睨みし、少し離れた部屋の壁に背中を預けて沈黙した。

 俺と木更さんは止めてくれた三ヶ島社長に会釈すると、「気にするな。こちらこそすまない」と言ってから申し訳なさそうに頭を下げ、天童民間警備会社という立札のある席を指で示してくれた。

 他の民警らは将監と同じように壁へ背中を預けていたが、俺は椅子に座った木更さんのすぐ隣に控えることにする。彼女は軽く身なりを整えると、さっき庇ったことのお礼を俺に言った。さりげなくやったつもりだったが、やはり見透かされてたか。

 彼女は照れる俺を見て少し笑うと、視線をあの男へ移してから口を開いた。

 

 

「彼は伊熊将監。IP序列は千五百八十四、ああ見えてかなりの実力者よ」

 

「千番台、なのか」

 

 

 道理で戦う意志が湧いてこなかった訳だ。仮に俺が拳を構えて飛び掛かっても、届く前にあの大剣で真っ二つにされるのがオチだろう。

 まぁ、義眼と義手義足を使えば何とかなりそうではあるが...

 

 ここで、先ほど俺たちが入って来た扉の方から、数人の男らの話し声が聞こえて来た。

 やがてその渦中にいる、スーツを着た大柄な禿頭の男が、数回職員と言葉を交わしてからELパネルの前に立ち、低く通る声調で場の静寂を破る。

 

 

「諸君らにここへ集まって貰った理由は、とある依頼を受けるか受けないかの可否を問うためだ。依頼は政府からものだと思ってくれ」

 

 

 これだけのプレッシャーを受け、しかし一切声を震わせずに言葉を紡ぐ男へ、俺は少なからず感銘を受けていた。

 彼はそこで一旦言葉を切り、周囲を見回すと、ある一点に視線を固定させた。

 

 

「む、空席が一つか」

 

 

 男の言った通り、向けた視線の先には誰も着席していない空の席が存在していた。

 この場へ来た当初から気になっていた、俺たちのいる席から六つ隣にある『大瀬フューチャーコーポレーション様』と書かれた札の席だけが空という事実。一応顔見知りではあるため、社長とその秘書の顔が一瞬脳内にちらついたが、話を再開させた禿頭男の声で現実に引き戻される。

 

 

「今回はこの場を見て分かるように、特殊な依頼内容となっている。そのため、一度説明を聞いた後での辞退は原則不可能だ。...この条件が呑めぬ者は部屋から退出して欲しい」

 

 

 普通、この状況で堂々と席を立ち、部屋を出ていく人間はそういないだろう。

 それにしても、狙ってやってるのだとしたら性格が悪い。個人が集団に属する時は、その意見や行動を多数派へ委ねる心理現象が連鎖的に起きる事は、容易に想像出来るだろうに。

 その予想通り、場の誰ひとりとして席を立つ者はおらず、男は目を閉じて一言、「よろしい」とだけ答えたあとに身を退いた。

 

 

「では以降、依頼の説明はこのお方に行ってもらう」

 

 

 そう言葉を切った途端パネルが発光し、美しい銀髪の少女が映し出された。

 

 

『ご機嫌よう、皆さん』

 

 

 これを視界に入れた社長らは、目前の木更さん含めて椅子を倒さんばかりに立ち上がった。───これは一体何の冗談だ?

 しかし、紛れもなくディスプレイに映し出される少女は東京エリアの国家元首、聖天子その人である。背後にもお馴染みの天童菊之丞が付き添い、微動だにせず瞳を閉じていた。

 俺は生唾を飲み込み、己が何かとんでもないことに巻き込まれたのではないかという憶測を懸命に振り払う。

 

 

『依頼内容は至ってシンプルです。昨日東京エリア内に侵入して感染者を一人出したガストレアの排除、対象の体内に取り込まれている筈のケースを無傷で回収して下さい』

 

 

 聖天子が言い終えたと同時に、画面端へ件のケースの写真が出現し、矢鱈と0が並ぶ長い数字も一緒に表示された。これは恐らく報酬金額だろう。

 それにしても、一、十、百、千、万...こりゃ出し過ぎじゃないか?

 この場の全員もそう思ったらしく、目に見えて困惑の色が強くなり始めた。

 

 

「質問、宜しいでしょうか?」

 

 

 混沌としてきた会議室内の空気に変化をもたらしたのは、木更さんの澄んだ声だった。

 聖天子は木更さんに目をやり、暫しの間を置いてからその口を開く。

 

 

『貴女は?』

 

「天童民間警備会社社長、天童木更と申します」

 

『────お噂はかねがね、聞いております』

 

 

 彼女の名を聞いた瞬間、今までの泰然とした雰囲気を少し崩したが、すぐに取り繕って質問を了承した。それを聞いた木更さんは視線をディスプレイに表示されたシルバーのケースへ向けると、真剣な顔付きで問う。

 

 

「ケースの中身について、何が入っているのか知りたいのです」

 

『それは答えられません。依頼人のプライバシーに関わります』

 

「....感染源とはいえ、被害者と同因子のモデルスパイダーなはず。その程度、私の下に所属するプロモーターで十分対処可能です。これでは、示された高額報酬と、この場に集められた敏腕な民警や社長各位に見合いません」

 

 

 ───俺は冷や汗が止まらなくなってきた。

 我が社の社長は、一旦熱が入ると周りが全く見えなくなる悪い癖がある。このままでは何を口走るか分かったものではない...が、今の状況で俺が口を挟むと高確率で木更さんと口論になるだろう。そんな痴態は社内だけに留めたい。絶対に。

 

 

 ────カラン────。

 

 

 

「っ?」

 

 

 唐突に響く、あまりにも場違いであろう軽快な音。

 社長らにも聞こえたようで、辺りがざわつき始める。俺は訝しみながらも音源を探していると、円卓の上に妙な物を見つけた。

 

 

「アイスの...カップ?」

 

「え?」

 

 

 俺の口から出たその言葉に木更さんは変な顔をしたが、視線を同じ方へ向けると目を見開いた。

 やがて一人、また一人と巨大な卓上の中央に置かれた紙製の容器へ視線が集まり、室内は瞬く間に喧噪で包まれる。

 転がっているのは、コンビニやスーパーに行けば定価数十円で手に入る、何の変哲もないカップアイス。だが、非常識なタイミングで常識が割り込めば、非常識を念頭に置いていた人間は常識の存在を訝しむ。

 

 

『皆さん、落ち着いて下さい!』

 

「っ!」

 

 

 これまで生きて来て聞いたことのない聖天子の声色に、それまで喧々囂々としていた会議室内は静まり返った。

 

 

『疑問は多々あると思います。ですが、皆さん方にお任せするこの依頼は、間違いなく東京エリアの存亡に関わる事です』

 

「ならば、やはりケースの中身を公開するべきでは?」

 

『────それは』

 

 

 三ヶ島社長の追及するような声に言いよどむ聖天子。失礼に値するだろうが、東京エリアの存亡が天秤に掛けられているとなれば話は別だ。

 国家元首たる彼女も、俺たちへ碌な説明も出来ない事が悔しいのだろう。視線を逸らしながらも、辛そうに眉根を寄せていた。

 

 しかし、唐突にそんな場面へ凡そ似つかわしくない笑い声が響いた。

 

 室内にいる全員へ再び緊張が走り、俺も注意深く回りを見渡す。

 

 

『何者です?姿を現しなさい』

 

「私は此処だ」

 

 

 聖天子の問いかけに答えた声は、横。空席だった大瀬フューチャーコーポレーションの椅子に、両足を机へ上げて座る仮面男から放たれたものだった。

 怪人が突然真横に現れたであろう両隣の社長二人は、悲鳴を上げながら椅子から転げ落ちてしまう。それを見た仮面男は、これ見よがしに両手を上げながら溜息を吐いた。

 

 

「いやぁ、君たちは本当にトップの民警やその飼い主なのかい?私が()()()()落としてしまったソレを見ても気付けないうえ、寂しくなって声を上げてみれば、大の大人が高価なスーツを汚して情けなく這いずり回るとはねぇ...ククッ」

 

 

 仮面男は笑いながらも、円卓の上に転がる空のカップを器用に足で持ち上げる。...いや、そんなことより、だ。

 

 何故ここにあの男が───蛭子影胤がいるのだ?!

 

 

「テメェ!どっから入って来やがった!」

 

「おっ、その声はいつぞやの民警くんかね?」

 

 

 奴はそう言うと机に乗せていた両足を着き、どういう訳かそのまま上体を起こして見せた。まるで弥次郎兵衛のようだ。

 卓上に直立すると、影胤はこちらを向いて首を傾げた。

 

 

「んー、あのお姫様はいないのかい?」

 

「生憎、学校抜け出してそのまま来たんでな」

 

「そうかい、残念だ...っと、そういえば」

 

 

 彼は急に思い立ったかのような声を上げると、踵を軸に九十度回転し、聖天子の映るELパネルへ向き直った。

 

 

「私の名は蛭子影胤。お初に御目にかかるねぇ、無能な国家元首殿」

 

 

 そして、シルクハットを片手で掴み、丁寧なお辞儀をして見せる。

 先の読めない行動に悪寒を覚えた俺は、腰からXD拳銃を引き抜いて影胤へ向けた。その隣で木更さんが泡を食っていたが、聖天子は俺の行動を見ても声色を変えない。

 

 

『この場に忍び込んだ目的は何です?』

 

「君たちが欲しがっているケースの中身...『七星の遺産』を見つけるレースにエントリーしようと思ってねぇ」

 

『!』

 

 

 聖天子は目を見開き、影胤の言葉で明確に動揺を露わにする。...それで分かった。奴の言った七星の遺産とやらが、ケースの中に入っている物の正体なのだと。

 影胤はざわめく社長らを満足げに眺めるが、何故か俺の背後を見た所で視線を止めた。

 

 

「....ん、そろそろ焦れているね。ほら、おいで小比奈。自己紹介だ」

 

「むぅ、遅いよパパ」

 

「なッ!」

 

 

 影胤が声をかけたと同時、俺のすぐ後ろから幼い少女と見られる不満げな声が発せられた。いや、そう普通に聞くだけなら別段驚くことは無いのだが、気を張っているこの状況で全く気配を感じられなかったのは異常だ。

 

 少女は俺に突きつけていた小太刀のようなものを腰の鞘へ仕舞い、すぐ横を通り過ぎて円卓にのぼ...ろうとするが、身長差で足をばたつかせていた。

 何とか片足を卓上に乗せ、そこから無事に昇り終えると影胤の下へ移動し、聖天子へお辞儀をする。

 

 

「蛭子小比奈。パパのイニシエーターだよ」

 

 

 自己紹介の最後に口角を吊り上げ、純粋さの中にある狂気を垣間見せた小比奈。彼女がイニシエーターということは、影胤は民警だったのか...!

 そして、すぐに俺の方へ小太刀を再度突きつける。

 

 

「アイツ、さっきから鉄砲をパパに向けてる。他の人たちも私を見てる。斬りたい、パパ」

 

「駄目だよ。まだゲームは始まっていないんだからね」

 

「むむぅ」

 

 

 小比奈は膨れっ面をつくると黙り込み、アイスのカップを弄び始める。

 今しがた気が付いたのだが、彼女の小太刀から血が滴っている。恐らく、防衛省内の警備員や職員のものだろう。無事だといいのだが。

 と、ここで部屋の奥から足音と金属が擦れる高い音が響いてきた。

 

 

「さっきからゴタゴタうるせぇんだよ」

 

 

 音源の方へ顔を向けると、かなりの怒気と共に伊熊将監の低く威圧するような声が続けて空気を震わせた。

 そして、言い終えると同時に奴は持っている大剣を肩に乗せ、地を蹴る。

 

 

「────黙って斬られろォ!」

 

 

 早い。

 

 移動速度もさることながら、あれほど巨大なバラニウムの塊を振り回せる人間はそういない。流石の影胤も、構えをしていない状態から攻守に回るのは出来ないだろう。

 

 

「ッ?!」

 

 

 だが、そんな必殺と言ってもいい一撃は、彼より一回り以上小柄な少女に拍子抜けするほど、いとも簡単に弾かれてしまった。

 

 

「弱いね。斬っていい?」

 

「...ちっ!」

 

「将監、下がれ!」

 

 

 銃を構えた三ヶ島の声にすぐさま意図を悟り、将監が後退する。それと同時に、影胤らを除くこの場の全員で銃撃を開始。バラニウム弾の雨が降り注ぎ、二人は避ける術無く全身に穴を空ける────はずだった。

 

 

「なッ...バカな!」

 

 

 俺は思わず叫ぶ。何故なら、あれだけ激しい掃射のあとにも拘わらず、影胤は何事もなかったかのように同じ場所へ佇んでいたからだ。

 

 問題はまだある。攻撃していたはずのこちら側に負傷者が出ている事だ。どうやら跳弾によるものらしいが、一体どうやってあれだけのバラニウム弾を捌いたというのか。

 

 

「里見くん!あれッ」

 

「────?」

 

 

 木更さんが何かに気付いたらしく、帯刀する刀の柄に手を掛けながら影胤を指さした。俺はそれを目線で追うが、特に変わったところは無い。

 

 

「いや、なんだ?あれは」

 

 

 申し訳程度に一人が撃った弾を弾いた時に見えた。...半透明の防壁がドーム状に展開しているのを。

 まさか、あれが。

 

 

「斥力フィールド。私はイマジナリーギミックと呼んでいる。これを可能とするために、自身の身体をほぼバラニウム製の機械に入れ替えてしまっているがね」

 

「機械、化」

 

「クク。そう!私は元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』、蛭子影胤だ」

 

「機械化特殊部隊だと?バカな、あの対ガストレア用特殊部隊が存在するはずはない!」

 

 

 三ヶ島が虚言だと責めたてるが、当の本人は取り合わず、芝居めいた動きでこちらに背を向けると、首を傾けて視線のみを飛ばしてくる。

 窓ガラスから差し込む陽が逆光となり、笑顔を象る白貌の面が不気味に耀いた。

 

 

「別に、信じろとは言わないさ。じゃ、私はそろそろ御暇させて貰うよ?───おっと、でもその前に」

 

 

 影胤は何処からともなく取り出した白い布を手に掛け、三つ数えて払う。するとそこには、普段あまり見る事の無い出来過ぎなプレゼントボックスが乗っていた。

 それを足元の円卓へ置くと、俺を呼んだ。

 

 

「里見くん、これは私からの贈り物だ。皆に自慢してやるといい。ヒヒヒ」

 

 

 彼は背後の俺を横目で眺め、片手で仮面を押さえながら嗤う。そして、すぐに両手を広げて高らかに宣言した。

 

 

「では、残り少ない時間を有意義に過ごしてくれ、諸君!...行くよ、小比奈」

 

「うん、パパ」

 

 

 二人は卓上を歩き始め、出口とは反対側の窓辺へ向かう。

 

 このまま逃がすのか、俺。

 奴らは間違いなく、これから東京エリアを破滅に導くだろう。それだけの力が、実力がある。

 それでも、俺は────

 

 

 天童式戦闘術二の型十六番、

 

 

 

「『隠禅・黒天風』ッ!」

 

 

 迷いを振り切って猛然と駆け出し、円卓へ片足を着いて跳躍。前を向く影胤の後頭部へ回し蹴りを放つ。

 完全な不意打ちだ。このタイミングなら確実に対応不可能───!

 だが、直後正体不明の一撃が顎へ炸裂し、視界に映る光景が回転した。

 

 

「がはッ!?」

 

「弱いくせに、パパに逆らうな。パパを倒していいのは、タツマだけ」

 

 

 知っている名前が聞こえた気がするが、卓上へ激しく身体を打ち付け、地面に転げ落ちた衝撃で聴覚が機能しなくなる。

 

 薄れる視界の中、二人は会議室内の窓を破って逃走して行った。

 

 

 

          ****

 

 

 

 目が覚めたのは、病室のベッドでだった。

 頭を押さえながら周りを見回すと、隣に木更さんが座っており、軽度の脳震盪で意識を失っていた事を伝えられた。それが終わると、なんであんな無茶をしたのかと説教が始まってしまう。しかし、勿論反論できる立場ではないので、赤べこのように頭をひたすら頷かせるしかない。

 一頻りお小言を言い終えた木更さんは、俺が寝ていた間にあったことを掻い摘んで説明を始めた。

 

 

「な、あの箱に入っていたのは───!」

 

「ええ、大瀬フューチャーコーポレーションの社長の()らしいわ」

 

 

 俺は歯噛みするが、顎に激痛が走りすぐに止める。

 

 そして、影胤がケースを奪うという宣言をし逃走したあと、聖天子からとんでもない言葉が放たれたらしい。

 

 ───七星の遺産とは、ステージⅤガストレアを呼び寄せる触媒である───。

 

 そんなものが影胤の手に渡れば、東京エリアは間違いなく滅びる。それを危惧した聖天子は任に就く際、蛭子影胤、小比奈ペアの存在に最大限の注意を払うように通達した。

 

 

「アイツは...強い。だけど」

 

「ええ、分かってるわ」

 

 

 蛭子影胤、蛭子小比奈との圧倒的な実力差を痛感した複数の民警たちは、その多くが戦意喪失してしまったらしい。

 千番台の筆頭である将監がああも簡単にいなされ、あの場にいた全員の掃射も斥力フィールドとやらで無傷。確かに、そんな光景をまざまざと見せつけられれば、挑むのは自殺行為に等しいと分かる。

 

 

「それでも、蛭子影胤には勝たなければならない、ね」

 

 

 決然とそう言った木更さんは、戦意に溢れていた。

 まぁ、戦うのは俺なんだけどな。

 

 

「木更さん、絶対に俺たちの手でケースを回収しよう」

 

「うん...そうしたいところなんだけど」

 

「?」

 

 

 何故か歯切れ悪く言葉を濁す我が社の社長。そこはかとなく嫌な予感がするが、この真実を知らなければ先へ進めない。

 俺は観念して、彼女の言葉を促すことにした。

 

 

「えっと、一体どうしたんだ?」

 

「お金」

 

「んっ?」

 

「この前入って来たお金、全部溜まってた借金返済に当てちゃったから...じ、自力で探してね☆」

 

「はいぃ!?」

 

 

 前途多難である。

 

 




 夏世ちゃん期待していた人はごめんなさい....。オリ主パートで沢山登場させる予定ですので。
 というか、避けていたらイニシエーター全員の影が薄くなってしまいましたね。ち、ちゃんと会議室にはいましたよ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12.始動

 いい加減二字だけでタイトル作るの難しくなってきた.....

 かなり原作内容をトばしています。合間に何があったのか詳しく知りたい方は、原作やアニメを確認してみて下さい。

 


「ケースを奪われた上に怪我?」

 

『お、おう。延珠を連れて行ったんだが、影胤と小比奈には全く歯が立たなくてな...』

 

「ったく、本当危なっかしいなお前」

 

 

 あの会議の話を聞いてから以降、影胤と既に会って目を付けられていた事や、この前も己のイニシエーターが行方不明になる事など、日に日に蓮太郎の不幸指数は上昇しているのではなかろうか。

 いや、それらもそうだが、今もっとも話題にしたいのが、

 

 

「お前のイニシエーター...延珠は大丈夫だったのか?」

 

『あぁ、呪われた子どもたちだってことを隠して学校に通わせてたんだが、情報が影胤に流されたらしくてな』

 

「学友親友が、一日にして敵に回った....か」

 

 

 それはショックだったろう。彼女にも仲のよい友人が一人二人いただろうに。しかし、蓮太郎の話ではもう収拾がつかない程に双方の関係は拗れてしまったらしい。

 にしても、こんなことになって尚転校させる意志があるとは。お前は親の鏡だな蓮太郎。

 

 

「で、傷は大丈夫なのか?」

 

『ん。延珠以外にも雇ってる───というより、助っ人みたいなイニシエーターがいるからな。俺が手負いでも、その分をカバーしてくれるさ』

 

「羽振りいいなぁオイ」

 

 

 全く、こちとら死んだことにされてるらしく、碌に外出歩けんのだぞ。

 それにしても、データベースを覗いたら飛那も名前を消されていたのには驚いた。()()()にいたのだから、俺と一緒に死亡扱いされてしまったとしてもおかしくはないが。

 俺と同様に何処かに潜伏しているのだとしたら、候補地としては『あそこ』ぐらいか。

 脳内で考えを巡らしながら、手に持つ携帯の背面を指で叩く。しかし、それが十へ届く前にスピーカーから真剣な蓮太郎の声が響いてきた。

 

 

『樹万、頼みがある』

 

「ん?何だ」

 

『俺たちと一緒に戦って欲しい』

 

 

 その言葉が何を意味するのかは、割と早くに気が付いた。しかし、彼が何故民警をやっていない俺を頼るのかが分からない。イニシエーターもいないのだから、事実上俺は単一かつ一般人としての戦力しか持たない。武装させただけの一般人を二三人参戦させたところで、戦力は全く変わらないと誰でも気づくだろうに。

 そのことを伝えてみるが、蓮太郎は先ほどまでの真剣な声色のまま言った。

 

 

『お前の実力は分かってる───いや、この言い方は違うな。ホントは全く分からないんだが、非凡人の実力がある程度分かるからこそ、底が見えないお前は只者じゃねぇ』

 

「へぇ、中々目が肥えてんな」

 

『これでも、義父の天童菊之丞に連れ回されて色んな奴と会って来たからな』

 

「はっ?人間国宝、天童菊之丞の養子だと!?テメェが?」

 

『...わりぃかよ』

 

 

 悪い事なんて勿論ないが、風格の欠片でも分けて貰えばよかったのに。今の蓮太郎には威圧感など皆無なのだから、もう少しぐらいは付けておかないと小学生にすら馬鹿にされてしまうぞ....。

 

 

『あー!んなことどうだっていい!結局行くのか?行かないのか?!』

 

 

 余計な話題に逸れかかったからか、蓮太郎が電話越しで癇癪を起してしまった。面倒くさいので、早々に返答をすることにしよう。

 

 

「やるさ。最近身体が鈍って仕方ねぇ。でも、随伴はしないからな?こっちは単独でやらせてもらうぞ」

 

『ああ、それで十分だ!...ありがとな』

 

「役に立てるかどうかは保証せんが...でもな、影胤はお前の手で倒せ。延珠の仇だろ?」

 

『アイツはちゃんと生きてるぜ...?まぁ、学校追い出されたってデカい借りはあるが』

 

「なら、それをあの仮面ぶち壊す勢いで叩き付けてこい」

 

 

 俺の言い草に蓮太郎から少し笑い声が漏れる。俺もつられて声を出さずに笑みを浮かばせるが、それをすぐ引っ込めて重い声調で彼へ助言を授けることにした。

 

 

「だが、影胤は強い。二度対峙したなら分かるだろうが、機械化兵士としての能力以上に奴の考えが危険だ。...呑まれるなよ?」

 

『────分かった。そっちも頑張ってくれよ、樹万』

 

 

 答えに間があったため少し心配だったが、聞こえて来た声は明るいものだった。それに俺は頷くと、命令するように言い放つ。

 

 

「生きて帰って来い」

 

 

 

 

          ****

 

 

 

「蛭子影胤、小比奈ペアは、目にあまる問題行為により、民警ライセンスを剥奪されている。それ以前までのIP序列は百三十四位...その高位序列に見合った実力を持ち、蛭子影胤から出力される斥力フィールドは対戦車ライフルの弾丸、工事用クレーンの鉄球をも止める防御力を持つ」

 

 

 対面に座る室戸菫ドクターは、二枚の紙に目を通しながら言葉を続ける。

 

 

「そして、彼のイニシエーターである小比奈はカマキリの因子を持つ、『モデル・マンティス』。バラニウム製の小太刀を二本腰に下げ、その漆黒の刃から繰り出される神速の斬撃は、接近戦においてほぼ無敵───」

 

 

 彼女は手持ちの紙をめくって一通り言い終えると、それを研究用デスクに放り捨てながら突然肩を震わせ始める。

 

 

「これを蓮太郎くんに言ったら、口を半開きにして動かなくなったよ。フハハハハハ!」

 

「無理ねぇな...てか、他人事のようにバカ笑いしないで下さい」

 

 

 デスクに投げられて奥に飛んで行ってしまった資料を難儀しながら指先で摘み取ると、俺はドクターが羅列した言葉と照らし合わせて、蓮太郎の大まかな勝算を考えてみる。

 影胤は、確かに人間が持つ基本能力を大きく逸脱している。だが、機械化兵士...そのポテンシャルを発揮した時のみ戦力を大きく向上させているので、勿論デフォルトでも強敵ではあるが、蓮太郎には天童式戦闘術という強力な近接戦闘の心得がある。それを駆使して上手く立ち回れば、少なくとも手の内を大きく明かさない間は善戦を演出できる筈だ。

 あとは小比奈だが、彼女は現状影胤よりも危険な存在だと言える。こればっかりは蓮太郎の下に二人いるというイニシエーターに頑張ってもらうしかない。

 

 

「...ドクター、天童式の流派にも色々あるんですか?」

 

「らしいね。ああそうそう、天童木更が抜刀術の免許皆伝だと、蓮太郎くんから聞いているよ」

 

 

 やはり、天童にはかなりの強者が軒を連ねているみたいだ。菊之丞もガストレア戦争の折に刀一本でガストレアを何体も切り殺し、その振るう太刀筋は疾すぎて見えなかったという。

 いや、今は天童ではなく、里見蓮太郎の心配が最優先だろう。

 

 

「てかアイツ、何だか聖天子様にまで期待されてるみたいだし...プレッシャーで動きを鈍くしなけりゃいいが」

 

「いいや、彼には寧ろ押し潰す勢いでプレッシャーをかけた方がいい」

 

「?そりゃまた何で」

 

 

 緊張と焦燥は適度に。そうしなければ思考も行動も碌な結果を生まないだろう。

 しかし、ドクターは口角を吊り上げながら人差し指を立てて言った。

 

 

「逆境の中でこそ、人間は強くなれるのさ。───君は少年漫画を読んだ事がないのかい?」

 

 

 

          ****

 

 

 

「いいですか?蓮太郎さんに拒否権はありません」

 

「は、はい」

 

「私を蛭子影胤追撃作戦に同行させてください」

 

「いや、でもな飛那」

 

「言ったはずですよ?拒否権はありませんと」

 

「うぐっ」

 

 

 俺は現在、病室にて飛那から脅迫を受けている。...とは言っても、この状況を作り出したのは間違いなく己なのだが。

 延珠が家を飛び出した時にも一生懸命捜索に手を貸してくれ、何かあったらちゃんと相談するようにまで言ってくれた。だというのに、木更さんが大金叩いて入手したケース発見の情報に先走り、それを取り込んだガストレアを倒せたものの肝心のブツは影胤に奪われ、ボロクソにやられて病院送り。あれ、視界が滲んで来たぞ?

 兎も角、そんな無様を晒した俺には言い返せるだけの気力などある筈もなく、溜息を吐きながら了承の言葉を垂れるしかなかった。

 

 

「はぁ....わかったよ。ただ、無茶はするなよ」

 

「分かってます。でも、それは私からも言える事ですよ?」

 

「あぁ、そうだな」

 

 

 俺が気の無い生返事を返したのを見ると、飛那は窓際に置いてあったパイプ椅子を立ち、白いベッドに座る俺の下へ来てから、膝の上に置いていた片手を取って来た。

 想像以上の手の柔らかさと温かさ、窓から覗く太陽光を弱く反射して煌めく銀髪、寄せた顔の端正さと悲哀に伏せられた睫毛。...俺は無意識に息を呑んでいた。

 

 

「蓮太郎さんが蛭子影胤と交戦し、深手を負ったと聞いた私の気持ち、分かりますか?」

 

 

 飛那の必死に言葉を紡ぐ唇は、震えていた。それを見た俺は思わず手を伸ばしてしまいそうになるが、それを堪えて耳を傾け続ける。

 

 

「仮とはいえ、貴方は私のパートナーです。...ですから、もうちょっとは自分の身を大切にしてください」

 

「ああ、約束するよ。まだ、お前らを一人にさせる訳にはいかないからな」

 

「むっ、あまり子ども扱いしては欲しくないです。....子どもですけど」

 

 

 視線を逸らしながら口をすぼめる飛那が可愛過ぎて、ついさっき触れるのを我慢した己すら忘れて抱きしめかけるが、「俺には延珠が!」という言葉を脳内に響かせ、何とか頭を撫でるにおさめた。

 ...ん?よくよく考えたらさっき自制した言葉おかしくね?

 

 

「ひゃわ!ちょ...言ってる傍からそういうことしますかー!」

 

「ははは!別に子ども扱いしてる気はないからノーカンだぜ!」

 

「その行動が全てを物語ってますってば!」

 

「こら蓮太郎!妾という美少女がおりながら、なんという事をしとるかぁー!」

 

 

 飛那の頭を執拗に撫でていると、突然扉を開け放って飛び込んで来た延珠が乱入。病室は更にカオス化する。しかし、先ほどまでの辛気臭い雰囲気は消え去り、幾分か気持ちにも余裕が持てた。

 きっと、これなら。この三人なら影胤を倒せるはずだ。

 

 ....ちなみに、この騒ぎは後に現れた木更さんの強烈なストレートによって俺がぶっ飛ばされることにより、ようやく終息を迎えたのだった。

 

 

 

          ****

 

 

 

「ホントは、裏で影胤を動かす人物を見つけようと思ったんだが。まさか現場仕事が舞い込んで来るとはねぇ」

 

 

 夜の闇が迫る空を眺めながら、外周区を歩く。

 民警らは輸送ヘリが未踏査領域近郊まで連れて行ってくれるらしいが、俺は勿論それに同乗する訳にはいかないので、こうして一人淋しく荒廃した街中を歩いている。

 そうはいっても実の所、時折見知った外周区住まいの呪われた子どもたちと会ったりして、そこまで孤独ではないのも事実ではあるのだが。

 それにしても、何人か着いて行きたいと言い出しながら引っ付いてきたのは焦った。説得するのに数十分は要したし。

 

 

「ま、その情報収集は天童の社長さんがやってくれるみたいだしな」

 

 

 蓮太郎から聞いた話では、蛭子影胤の狙うステージⅤガストレア召喚の情報が、東京エリアのマスコミにリークされる寸前だったらしい。

 こんな、ひとたび広まればエリア内が間違いなく混乱するであろう情報が、容易に流れる一歩手前まで行ったことに疑問を感じた木更は、独自に調査をする決心をしたらしい。彼女程の手腕なら、恐らく真実を掴んでくれるだろう。

 

 そんなことを考えていると、前方にある建物の影から長髪を大きなリボンで纏めた女の子が、もう一人の女の子の手を引っ張りながら走って来た。

 手を引いている子は知っている顔だったので、どうやら背後でひっぱられている子を俺に紹介したいらしい。

 

 

「みかづきお兄ちゃん!」

 

「おおー。りり、久しぶりだな。皆から俺がここに来てること聞いたのか?」

 

「うん!だからね、りりの新しい友達をお兄ちゃんに紹介したくて」

 

「情報が廻るの早いなぁ」

 

 

 頭を撫でられたりりは喜色満面に頬を赤らめながら、恥ずかしそうに隣で俯くポニーテールの女の子を俺の前に押し出す。が、かちこちに固まっていたからか、急に押された女の子はバランスを崩してしまう。

 

 

「おっとっと、大丈夫か?そんな緊張しなくてもいいぞ」

 

「ひ、ひゃい...」

 

「ちょっとみう!どさくさに紛れてなに抱き付いてるの!」

 

「り、りりが押したからでしょ!」

 

 

 そこからわいわいとケンカになり始めてしまったので、俺は一つ溜息を吐いて二人に軽い拳骨を落とす。

 

 

「あたっ」「いたっ」

 

「ほれ、ケンカはなしだ。...んで、みうちゃんだったか?」

 

「は、はい」

 

 

 相変わらず固いみうに俺は苦笑いしながらも手招きし、近づいてきたところで両手を彼女の両脇に滑り込ませて持ち上げ、首の後ろへ乗せる。

 

 

「ひゃわわわわわっ」

 

「ちゃんと掴まってろよー?」

 

「いいなぁー、肩車」

 

 

 俺の服の裾を摘みながらぶー垂れるりりにフォローを入れながら、少しして大分落ち着いてきた頭上のみうへ感想聞くことにした。

 

 

「みう、どうだ?」

 

「はい...とても、高いですね」

 

「みかづきお兄ちゃんなんだから当然でしょー?」

 

 

 りりが当たり前だと言わんばかりに両手を腰に当てたのを見て、俺は軽く笑みを溢しながら瑠璃色に彩られる地平線へと目を移す。りりとみうは、そんな俺を不思議そうに眺めて来た。

 

 

「そこから見える景色は、高くて...広いだろ」

 

「うん。とっても広くて、空が近くに感じます」

 

「だろ?ちょっと角度や高さを変えただけで、いつも見てる景色だってここまで変わっちまう。...だからさ、まだみうの知らないことがこの世界には沢山ある」

 

「──────」

 

「いつかこの世界が平和になったら、俺がお前らをいろんなトコへ連れてってやるから。その前に、今から楽しいことを見つける練習をしておくんだ」

 

 

 陽が沈み、闇が降りた地平線を眺めながら、ゆっくりと歩みを進める。暗い闇が蟠るこの地も、いつか夜が明け、朝日が照らすことになるだろう。

 りりも、みうも今は外周区に追いやられ、人外として扱われる暗黒の時を過ごしている。だが、それはいつか終わる。

 そして、その時が来たら、俺が照らされた道の歩き方を皆に教えるのだ。

 

 

「俺も、ちゃんと協力してやるからな」

 

「────美ヶ月さん」

 

「?おう、なんだ」

 

「人間嫌いだったりりが、貴方に心を許した理由....なんとなく分かった気がします」

 

「そうか?...っとと、すまんみう。りりが肩車交代しろってうるさいんだが」

 

「まだ嫌です」

 

「ううー!みう、いいかげん私にもさせてよ!」

 

 

 りりに譲らないと頭にしがみつくみうの手が地味に首元へキマってて苦しいが、彼女が無事に心を開いてくれたことで良しとしよう。

 暫く上と下の両方から幼女に責められる幸福感に浸っていると、背後の上空から連続して空気を裂く音が響いてきた。まだみうを肩車しているため上を向くわけにはいかないので、足を止めてから眼球のみを動かして確認する。

 

 

「輸送ヘリ、か」

 

「凄い数ですね」

 

「何かあるの?みかづきお兄ちゃん」

 

 

 りりの少し怯えたような声を聞いた俺は、安心させるように抱きしめてやってから輸送機の飛んで言った方角を睨みつける。

 あの中で、生きて帰って来れる人間は一体どれほどの数なのだろうか。

 

 

「何もないよ。...だから、普段通りにこの街にいてくれな」

 

 




 幼女分補充です。ホントはもっといちゃこらさせたかった....(本音)

 次回からはオリ主が欠伸をしながら未踏査領域のガストレアを大量虐殺していきます。多分。あと、もしかしたら将監と夏世ちゃん出すかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13.覚悟

 皆さんお待ちかね...将監サン、ついに今話初登場ですっ!

 ...え?将監じゃなくって夏世ちゃんを待ってた?いやいや、将監サンにもカッコイイトコあると思いますよ?


「んしょっと...」

 

 

 鬱蒼とした夜の森の中を歩きながら、逐一ライトで周りを照らす。....本当はこんなものが無くとも視界を改善させる手立てはあるのだが、ワザとガストレアを俺の下へ引き付けるために、こんな誰が見ても自殺行為としか思えない手法をとっている。

 湿った土を底の厚い靴で跳ね飛ばしながら、目前に現れたうねるような木の根を跨ぎ、一息で通過する。しかし、

 

 

「────こりゃ、キリないな」

 

 

 前方に目を向けると、さっきと全く同じ光景が連なっており、あと何回同じ動作を繰り返さねばならないのかと辟易する。だが、ここを進まなければ同作戦行動中の民警とエンカウントする恐れがあるのだ。

 発生するであろう面倒事は避けたいので、必然的に道を外れるしかない。

 

 

「悪路を進んで選択してるにしても、見通しが悪すぎるぞ」

 

 

 俺は現在、蛭子影胤追撃作戦に秘密裏の参加をしている。

 東京エリア全土が危機の今、ほぼ全ての民警がこれに加わっていた。勿論蓮太郎たちも、この未踏査領域の何処かにいるのだろう。

 

 

「よっと」

 

 

 未踏査領域とあっては、無論ガストレアの宝庫だ。今さっきもハエ型らしきガストレアが突っ込んで来たので蹴散らした。

 かなり接近を許してしまったので、普通に無手を繰り出して内部から爆散させたのだが、見ると腕や上着全体にベットリとした体液が付着していた。

 

 

(足とか手でやると汚れるな....)

 

 

 奴等の体液は粘ついており、一度服などにつけようものならまず落ちない。

 一般的な民警の戦法である、遠距離から銃で攻撃する手法をとればその心配はないのだが、素手でもガストレアを殺せる俺は例外なのだ。

 

 

「ぬぁーっと、これで...三十越えたか?」

 

 

 この森へ踏み入ってから屍と変えたガストレアを指折り数えてみる。その途中で、犬型ガストレアの集団奇襲があったことを思い出した。

 ....流石にずらっと赤い目が立ち並ぶあの光景には俺も余裕を無くし、片っ端から肉片にしたので、残念ながら数をカウントする思考の余地はなかった。一頻り掃討し終えたあとに周囲を見たら、正に死山血河な有様であった。ありゃ数えられないね。

 

 

「シャアァー!」

 

「グルルルルルル!」

 

「ウウウウウ....!」

 

 

 と、考えているうちに三匹の化物が木々から顔を覗かせたので、仕方なく計算はここで諦めることとし、懐から抜いたあるモノを前方に向ける。

 甲高い発砲音を響かせてバラニウム弾を吐き出したソレは、名もなき化物共の脳天を撃ち抜き、奴らは碌な断末魔も上げることなく息絶えた。

 

 

「うん。やっぱあの人は天才だ」

 

 

 そう言いながら、俺は硝煙をゆらめかせる鈍色の銃口へ目を向ける。

 

 実は、俺が今まで使っていたタクティカルナイフ型のハンドガンは、ある人の手で劇的な変化を遂げていた。

 マガジンを外部に装着し、簡易機構を可能とした自動装弾エンジンを搭載。撃鉄は極力縮小化され、初弾装填は外付けレバーを使ってスライドさせるセミオートマチックとなった。

 内部機構の増幅で、どうしてもナイフ本体のハンドル部分が大きくなってしまったのだが、そこまで取り回しの良さは損なわれていない。

 何にしても、状況に応じてマガジンを変えれば、ナイフと銃の利点を更に引き出した戦法が取れる事が可能となった。

 

 

『ハハハハハ!こ、こんな馬鹿みたいな銃をつ、使ってる馬鹿がいるとはなぁ!しかもシングルアクションだと?フハハハハハハ!』

 

 

 ある人───室戸菫ドクターは俺の主力武器を見た瞬間大爆笑し、「アイツの趣味に付き合うな、同類になるぞ?...いや、もう手遅れかね」と嫌味まで言われた。お代の代わりに心から出費した代償はデカかったぞ。

 

 

「『バレット・ナイフ』か...安直だけど、良い名前だ」

 

 

 元々名前が無かったコイツは、そのことを申し出たら改造するついでにドクターがつけてくれた。完成品と共に『Bullet Knife』と書かれた紙を渡された時、俺はこれだと一発で決めたのだ。

 一応他にも候補はあったのだが、厨二病に侵された名称ばかりが紙面に並んでいたので、丁重にお断りさせて貰った次第である。

 

 

「てか、オッサンなんで俺にこれ渡したんだろ...」

 

 

 考えているうちにもガストレアが沸くので、マガジンを片手間に取り付け、レバーを起こしてスライドさせ、弾丸が無くなったらまた取り外し、蹴りやら拳も交えて次々と殲滅していく。

 この調子で民警を襲う可能性のあるガストレアを排除していこう。

 

 

 

 

          ***

 

 

 

 

「っいてててて!」

 

 

 左肩に深々と刺さった木の枝を抜き、乱暴に叩き折る。木の枝を放ってから傷口を見ると当然流血していたが、すぐに塞がってしまう。

 だが、服に空いた穴は別だ。

 

 

「くそ...ガストレアより、ウイルスで突然変異したここの樹木の方が怖いとはな」

 

 

 軽く腕を回しながら呟くと、温い風が吹き抜けて木々がざわめく。陽が完全に沈んだ時刻ともあり、周囲は闇色に彩られ不気味な雰囲気を湛えていた。しかし、だからと言ってビクビクしながら進んではいられない。

 いつまでも二の足を踏んでいると、影胤がステージⅤガストレアを召喚してしまう。

 

 

「だから、こうやって民警らの邪魔するガストレアを殺して廻ってるんだからなぁ....」

 

 

 影胤と直接対決出来ない俺は、『道ならし』に徹するしかない。

 聖居の連中は、恐らく何らかの方法でここをモニタリングしているだろうから、下手に森を出たり他の民警と合流したりすれば、我が身を晒すことになる。

 作戦の指揮や管制などを担っている人物の中に、『俺たち』を殺した犯人が紛れている可能性は非常に高い。すぐに気付かれることは先ずないと思うが、リスクは出来る限り排したい。

 

 

「蓮太郎、頼んだぜ」

 

 

 影胤と対峙することになるだろう、不幸顔の友人へ勝利を願いながら、目前に現れた狼型ガストレアの顎を爪先で砕き、半回転してもう片足の踵を喰らわす。だが、衝撃をうまく逃がせなかったのか、また頭を爆散させてしまい、派手に体液を浴びる。

 時間が経った奴らの血液は酸化し、凄まじい悪臭を放つ。己から漂うその匂いは、数十人を失神させても余りある程のものだろう。

 

 

「替えを持ってきておいてよかった」

 

 

 腰につけたバックパックから、まずは水の入ったペットボトルを取り出し、頭からかぶって髪と顔を洗浄する。すぐにタオルで拭いたあと、その二つを仕舞うついでに今度は新しい服を取り出し、広げようと...したところで、殺気を感じた俺は後方へ飛び退く。

 すると、俺が今まで立っていた空間を、突如飛び出してきた大男の持つ黒い大剣が真っ二つに引き裂いた。

 

 ────替えの服ごと。

 

 

 

「おあぁぁぁああぁぁぁ!」

 

「な、なんだ、当たったのか?」

 

 

 剣の刃へ血がついているかを確認する大男には目もくれず、両断された衣服を検める。しかし、最早手の施しようがない程に無残な有様となっていた。

 俺は怒りそのままに男を睨みつけ、手の平に乗る布屑を見せつける。

 

 

「テメェ!なんてことしやがる!俺の新しい服がメチャクチャじゃねぇか!」

 

「バカじゃねぇのか?命狙われてたんだぞ?」

 

 

 何やら命がどうとか言っているが、そんなことはどうでもいい。とにかくは、どこの民警だか知らんが後で確実に賠償請求させて貰おう。

 身一つでドクターの下へ転がり込んでいる俺としては、三食食わせて貰っているだけでも身に余る恩である。そこへ服を買ってなどと申し出るなど....後々、個人的な実験の被験者とされかねない。

 

 

「まぁ、過ぎたこと気にしても仕方ねぇ。それに、こんなこともあろうかと...」

 

「?」

 

 

 俺が漏らした意味深な言葉に疑問符を浮かべる大男。俺はそんな彼へ不敵な笑みを浮かばせながら、再度バックパックから素早く取り出したものを拡げて見せる。

 

 

「もう一着、あるッ!」

 

 

 瞬間、大男はアニメのように後方へひっくり返った。本当に予想を大きく外されると腰が抜けて転倒するのか。

 もし俺たちが芸人の類だとしたら、ギャグが成立して観客を大いに賑わせられるのだろう。しかし、上体を起こした急増コンビのツッコミ役は、額に幾つもの青筋を浮かべていた。

 

 ───今更だが、大男は凄まじい恰好である。

 逆立った髪、威圧するような三白眼と口元に巻かれた髑髏柄のスカーフ。そして、なによりも目立つのがその手に持った漆黒の大剣。

 チラチラ観察しながらもガストレアの体液まみれになったシャツを脱ぎ捨てる。と、丁度上半身裸になった俺を狙うかのようにして、憤怒の形相をした大男が突貫してきた。

 

 

「よっと」

 

「おぁっ!?」

 

 

 確実に当たると踏んでいた一撃を躱され、大男は思い切りつんのめって地面に手を着いてしまう。一方の俺はその間に袖を通し、裾まで直してから一息吐く。

 確かに振るう速度は速かったが、初手を大振りにしたのは駄目だ。剣や刀は体重を乗せた分威力も向上するが、攻撃範囲が狭すぎる。太刀筋を視認できない対象には有効な一手だが、見えてしまう者に対しては致命的な隙を晒す羽目になる。

 二手目も外したが、大男は声を張り上げながら尚も肉薄する。...しかし、今回は今までの攻撃手段とは違った。

 

 

「夏世ッ!奴を殺せェ!」

 

 

 名前と思しき言葉を叫んだ所でようやく思い出した。

 コイツは見た目があれだが民警だ。イニシエーターも勿論、いる!

 

 

「────?」

 

 

 奴の剣を躱しながらも、しかし銃声は聞こえてこない。どうやら先方は撃つのを躊躇っているようだ。

 だが、戦場においては数秒の隙も命取り。俺はすぐさま索敵を続け、数瞬で正確な位置を弾き出す。

 銃を構えてから撃つのでは遅い。流石に、先方も自分を明確に害するものが向けられれば攻撃の意志を固めるはず。

 

 ───ならばこうしよう。

 

 俺は腰に下げたホルスターへ片手を突っ込み、親指と人差し指、中指でバレット・ナイフ用のバラニウムナイフを引き抜くと、勢いそのままに投合する。直線を描くナイフは直ぐに木々の闇間に消え、そして────、

 

 

「きゃ...!」

 

 

 ガギャ!という金属同士が激しく衝突する音とともに短い悲鳴が聞こると、少ししてから重い何かが地面に落ちる音も響いた。

 ───衝撃で誤射していない?大男のイニシエーターはトリガーに指を掛けることもしなかったのか。

 

 

「クソが!役に立たねぇなァッ!」

 

 

 とにかく、今は一人で暴走しまくっているこの馬鹿を止めなければ。何となくコイツの相棒にも会ってみたくなったし。

 凄まじい速度で剣が振るわれ、空気を裂く音が絶え間なく続くが、これは奴が望んでいる音ではない。奴は、俺の肉を断ち、内包する臓器を叩き潰す怪音を聞きたいのだろう。

 だが、あまり悠長に相手はしていられない。周りの空気が明らかに変わっているからだ。

 

 

「オラァァアア!」

 

 

 ───コイツは全く気づいちゃいねぇな。

 目の前で死なれても寝覚めが悪いので、一際大振りな一撃を繰り出そうとした大剣の側面を蹴りで打ち抜く。すると、大男は強く握っていた剣に振られて思い切り転倒した。

 そして、その直後。大男の胴体があった辺りを、凄まじい勢いで細い何かが通過する。

 

 

「ひっ!」

 

 

 目前を掠めて行った死そのものに恐怖したか、奴は腰が抜けて動けなくなってしまったようだ。...全く、世話の焼ける!

 しかし、判断が少し遅れたか、既に二撃目が振り下ろされてしまっている。このまま男の下まで走っても間に合わないので、バレット・ナイフを取り出そうと腰に手を伸ばした時、甲高い銃声が耳をつんざいた。

 

 

「!...アイツのイニシエーターか」

 

 

 無事ヒットしたらしく、男の隣に本体と切り離された『ソレ』が落ちた。そして、断末魔を形容するように暫くのたうち回った後、パタリと事切れる。

 それを確認した後に近寄り、よく観察してみると、

 

 

「触手みたいだな...吸盤もある。蛸の因子を持つガストレアか」

 

 

 蛸と言うと、足は八本。恐らく追撃が来るだろう事が考えられるので、未だ固まっている大男を引っ張って安全な場所まで避難させる。

 引き摺っている最中に、自分がこの男の名前を知らないことに気付き、何となく聞くことにした。

 

 

「お前、名前は?」

 

「俺、か?」

 

「そうだよ、さっさと言え。俺の名前は美ヶ月樹万だ」

 

「────伊熊、将監」

 

 

 何処かで聞いたことのある名前だ。しかし、今は肩書や名声でどうにかなる状況じゃない。実力はあるようだが、あんな事で怯んでしまう程の温室育ちなら足手まといだし、なによりその行動理念が気に喰わない。

 俺は将監を開けた場所の木の幹へ寝かせ、吐き捨てるように言う。

 

 

「お前はそこにいろ、伊熊将監。戦う理由をはき違えている人間が、俺の隣で必死を繕われちゃ気分が悪い」

 

「どういう、意味だ」

 

「お前が剣を振るう理由は憎しみでも正義感からでもねぇだろ。殺したいから殺すっていう中身の無い理由だ。そんなに死体を見てぇんなら全部終わった後の戦場に来い」

 

「────」

 

 

 気が抜けてしまったかのように黙り込む将監を放り、俺は背後に向かって言葉を投げかける。

 

 

「変なことする気はないから安心してくれ。話も終わったし、な」

 

「分かりました」

 

 

 ガチャリという重々しい金属音が移動した音で一息ついた俺は、ようやく視線を彼女へ向ける。そこには、限りなく無表情に近い表情を湛え、H&K・G11突撃銃を下に向けるワンピースとスパッツを着ている三つ編みの少女がいた。

 

 

「ええと、君が」

 

「はい。私が伊熊将監さんのイニシエーター、千寿夏世と申します。夏世とお呼び下さい」

 

「俺は────」

 

「将監さんとの会話を聞いていたので、貴方の名前は既に補完済みですよ」

 

 

 あくまでも表情を変えない夏世へ苦笑いしながら頬を掻いていると、今まで感じていた嫌な雰囲気が一段と濃くなった気がした。

 

 

「....来ますね、美ヶ月さん」

 

「ん、分かるのか」

 

「大体皆察する事は出来ると思いますが、将監さんはちょっと.....そういうことに疎いので」

 

 

 夏世なりに隠そうとしているのだろうが、寧ろ彼の脳筋ぶりが浮き彫りとなっていた。同時に背後から当人と思われる大きな咳払いが響くが、無視してバレット・ナイフを抜く。

 

 

「援護は任せて下さい。横からの敵は全て請け負います」

 

「了解、俺は中央から沸いて来る敵を叩く。あぶれた奴は頼む」

 

 

 夏世はゆっくりと頷いた後、G11を構えて先手を取る。

 彼女の持つG11は薬莢が排出されないケースレス弾を使用しており、速射にも長けた万能型のアサルトライフルだ。しかし、バラニウム弾の規格に合わせるため、もとより難航していた開発は更に難しくなったらしい。

 最終的に、完成品は専用弾薬で押さえられていた反動が多少強まってしまったと聞いた。

 

 

「俺はコイツで十分だな」

 

 

 暗闇に隠れていた両翼のガストレアを次々と蜂の巣にする夏世は、確かに中々の手腕ではある。だが、横顔は何処か淡々としていて、一抹の危うさを感じさせた。

 

 

「美ヶ月さん、敵が突貫を仕掛けてきました!中央を崩して勢いを削いでください!」

 

「ッ!分かった!」

 

 

 上の空だった意識は夏世の切羽詰まった声で戻され、すぐに現状を理解してバレット・ナイフのマガジンをバラニウム弾から火薬に換装してから刀身を装着。目前にまで迫った戦闘集団のガストレアへ向けて引き金を絞る。

 炸裂音を響かせて飛び出したバラニウムナイフは先頭の脳天を貫き、後方にいたガストレアも切り裂いて飛翔した。

 

 

「さて、全員殲滅してやる。先に死にたい奴から前に出な」

 

 




 え?冒頭であれだけ持ち上げておいて、将監サン全く良いトコ無しじゃないかって?

 ........まぁ、次話に期待しましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14.元凶

 オリ主はエセ神父と色んなところへ行ってガストレアを倒していましたが、時折手持ちの武器では火力がたらず重火器などを扱う事が多かったため、そちらの知識が豊富です。

 作中で銃の名前や性能がポンポン出て来るのはそう言った理由だと思ってください。


「こりゃキリねぇわ」

 

 

 俺がそう呟いた瞬間にも、目前の化物が三体血飛沫を上げて屍となった。しかし、それを踏み越え踏み潰し、血肉に足を滑らせながらも背後から新顔が沸いて来る。

 こんなことを繰り返された俺と夏世は、目に見えて心労が嵩んでいた。

 

 

「何でこんなに多いんでしょうか?流石に妙です」

 

 

 ガストレアは基本、異種間で群れを作る事はない。そういった社会性が皆無である訳ではないが、それでも確認された集団は二三匹程度の小規模さだ。

 それを前提として考えるのならば、まずこのような状況には陥らない筈である。向かってくるガストレアの種に相関は全く見られないのだから。

 俺はバラニウム弾をばら撒きながら夏世に向かって口を開く。

 

 

「恐らく、何らかの方法で第三者が俺たちのいる場所へ集まるように仕向けているな。ま、常考、犯人は最初に触手を伸ばして不意打ちしてきたやつだろう」

 

「なるほど、確かに芯が通った論です。ですが───」

 

「大丈夫、ここを放り出す気はないよ。...でも、これじゃいずれコッチが折れる」

 

 

 夏世は俺の出した答えに難しい顔をしながら装填の合図を出す。

 俺はそれに頷き、マガジンをバラニウム弾から火薬のものに換装し、バレット・ナイフへバラニウムナイフをセットしてロック。同時に彼女から投げ渡されたワルサ―P99を受け取り、コックしてから夏世の前に立つと、遠方のガストレアを撃ちながら、近距離に迫ったガストレアをバレット・ナイフで刻んでいく。

 肉体的な疲労はまだ底が分かるくらいしか蓄積していないため、俺は縦横無尽に腕を振り、背後の夏世を死守して戦う。

 

 

「チッ、上からも来やがる」

 

 

 飛行型ガストレアが耳障りな羽音を響かせながらこちらへ迫る。それを見た俺は、一旦攻撃の手を止め、装着されているバラニウムナイフのロックを素早く外す。

 

 

「今ッ!」

 

 

 飛行型ガストレアが前に出た瞬間を狙い、引き金を迷うことなく握り込む。

 飛び出した黒い塊は、俺を狙って殺到してきた多くの化物共を切り裂いた。しかし、両翼から迫る奴等は未だ健在。とてもハンドガン一挺で対応可能な場面ではない。

 

 

「二挺はあんまり得意じゃないんだが」

 

 

 ワルサーP99とバレットナイフを両手に構え、集団を率いる筆頭のみを選んで高速銃撃し勢いを削ぐ。そして、多少攻勢が弱まった所で正面の雑魚を叩き、こちらへ敵を近づけないまま瞬く間にガストレアの屍を積み上げていく。

 と、ここで度重なる乱射により、ワルサ―P99がスライドストップしてしまう。流石に弾数増量モデルでもこれはキツかったか。しかし、それと入れ替わるように後方から頼もしい援護射撃の銃声が聞こえて来た。──夏世だ。

 

 

「す、すみません。つい貴方の技量に見入ってしまいました。それにしても、そのマガジンには火薬しか装填されていないはずでは?」

 

「ん?ああ、簡単だ。初弾にだけ火薬を詰め込んで、他はバラニウム弾にしただけ。これならナイフを飛ばしたあとにすぐ射撃へ移れる。あと、ほれ」

 

 

 言い終わったあとに、夏世へワルサ―を返してやる。そして、弾数ゼロになったバレット・ナイフのマガジンを捨て去り、新しいものを装着。コッキング代わりの起きたトリガーを手前に引き、射撃を再開する。

 再度二人がかりになり抗戦は大分楽になったが、ガストレアの数が一向に減らない。このままではこちらが弾切れに追い込まれてしまう。

 

 

「────行ってください」

 

「え?」

 

「ここは私が受け持ちます」

 

 

 恐怖による震えなど全く感じさせない声で、そう俺に訴えかける夏世。確かにこの状況を打開するには、仲間を呼び寄せているガストレアを倒す以外無いだろう。だが、

 

 

「駄目だ。お前が確実に死ぬ」

 

「大丈夫です。私には切り札がありますから」

 

「下手な嘘は止せ」

 

「────っ」

 

 

 見抜かれたことに驚いたらしく、伏し目がちな瞳を見開くが、すぐに唇を噛み締めながら俯いてしまう。

 俺はそんな夏世の頭に手を置き、安心させるように言った。

 

 

「一人で背負い込もうとするな。何とかいい作戦を立ててみるさ。......んん、そうだな。元凶は恐らくタコの因子持ちだから、好物のカニでも用意するか!ここから海近いし、将監に取ってきて貰おうぜ!」

 

 

 これまで考えても碌な作戦が浮かばなかったくせにやるといった手前、何も言わないのもアレかと思い、半ばやけくそ気味でふざけた作戦を口にする。自分で言っておいてなんだが、場を和ますにももっとやり方があるだろうに。

 そんな俺の心配は、夏世の風がそよぐような声によって杞憂と変わる。

 

 

「ふふふ、貴方は面白い方です。この状況では間違いなく絶望が先行するというのに、悲観ではなく、まさか笑みで顔を歪ませることになるとは」

 

 

 彼女は微笑みを浮かばせているが、その瞳は力強い光を宿している。必死で打開策を捻出しようと躍起になっているのだろう。

 だが、恐らく見つからない。周囲に散らばる夥しい数の死体と化したガストレアが、密かに蘇生しているのではと勘繰る程にあちらの攻勢は弱まる事を知らないのだ。

 

 せめてここが、未踏査領域の()()()()()()()()ところだったら良かったのに。そして、伊熊将監が居るのも痛い。

 

 煙る視界に目を細めながら、本日何度目とも知れぬ装弾を行う。

 そんな俺の横を何かが通過し、死地へ躍り出た。それは漆黒の大剣を振りかざし、横なぎの一撃を放つ。

 恐ろしい威力で振るわれた闇を纏いし凶刃は、異形の怪物どもを容易に砕き、潰し、両断した。

 

 

「で、結構行き詰まっていると見たが────どうだ?」

 

 

 俺と夏世の前に立っていたのは、伊熊将監。

 ガストレアの血肉の雨が降る中、大剣を肩に掲げて此方を眺める彼は、出会った時の小物臭溢れる雰囲気が完全に霧散し、精悍な顔付きを湛えていた。

 よし。今の将監なら、ここを任せられるな。

 

 

「この場を頼む。危なくなったら逃げてくれて構わない」

 

「ケッ、どうせ後ろは森だ。逃げたとして消耗してる俺等じゃ振り切れねぇよ」

 

 

 彼は再び迫って来たガストレアをまとめて斬り伏せながらそう吐き捨てる。しかし、俺の方を向くと自身に溢れた気迫をぶつけてきた。

 

 

「テメェの言う通り、俺は殺さねぇと気が済まねぇ人間だ。でも、今はそれでいいよなァ?コイツら全員死体にすりゃ、大助かりだろうからよ」

 

 

 随分と気持ちのいいセリフを言うようになったものだ。是非とも、その大言壮語を現実のものとして欲しいところである。

 俺は将監に『頼む』と一言声を掛けてから、バレットナイフに新しい弾倉をセットしてから、腰のホルスターに差しこむ。

 

 

「なるべく、早めに戻る」

 

「お願いします。美ヶ月さん」

 

 

 夏世の優しい声に背中を押されながら、俺は二人を残して戦場から離脱した。

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「───っと、やっぱりいるか」

 

 

 素早く脇道を迂回しようとしたのだが、既に複数のガストレアが網を張っていた。随分と目のいい奴が敵側にいると見える。

 

 

「お前らには構ってられねぇんだよ」

 

 

 

 『開始(スタート)。ステージⅢ、形象崩壊のプロセスを介せず体内組成のみを変換。適正因子からの遺伝子情報共有完了。特化型単因子....モデル・ベア』

 

 

 

「くっおォ...!」

 

 

 噛み締めた歯が不規則に蠢き、しかし収まる。全ての細胞を破らんばかりの衝動にも耐え、全身の感覚がひっくり返るかのような嫌悪感にも耐え忍ぶ。

 しかし、目に見えて変化を顕した箇所がひとつだけ、ある。

 

 ────赤目。

 それはこの世で最も忌み嫌われており、呪われた子どもたちがガストレア因子をその身に宿す証。能力を解放した時のみ、その瞳は赤く染まる。

 彼女たちはウイルスに対抗する術を有してはいるが、完全な支配下に置いている訳ではない。あくまで、通常より体内遺伝子の侵食を遅らせているだけ。いずれは皆、俺の目の前で叩き潰され、八つ裂きにされている化物と同じ姿となってしまうのだ。

 

 

「くっ」

 

 

 嫌な思考を振り払っていると、鋭くとがった爪や牙を閃かせて三体の犬型ガストレアが飛びついて来る。しかし、俺が発現させているのはホッキョクグマの因子だ。傷などつく筈もない。

 倒れない俺を心底不思議そうに頭上から睨む獣三匹を投げ飛ばし、周りにいた連中も巻き込んでやる。

 

 

「よし、大分空間が出来たか」

 

 

 ホッキョクグマは、熊の中でも凄まじい機動力とスタミナを誇る。だが、その分エネルギー消費量が激しく、下手に動きすぎると凄まじい勢いで腹が減る。兎も角、これに任せて一気に包囲網を抜けよう。

 俺は腰を低く下げ、両腕を顔の前で交差させる。そのまま、後方へ引いてある足をバネとし、ガストレアの大群へ突っ込んだ。

 

 

「楽勝────だな!」

 

 

 己の身体より一回りも小さい俺へ衝突したガストレア共は、まるで重機に轢かれたかのような勢いで吹き飛ばされていく。

 足を止めず、茂る木々をもなぎ倒して進んでいると、開けた視界へ細長い何かが飛び込んで来た。

 

 

「ぬおっ!っと、あれはあの時の!」

 

 

 そう。以前夏世の銃撃によって撃ち落とされた、蛸の触手と全く同じ物が暗闇に浮いているのだ。

 もう、諸悪の根源がこの先にいるのは間違いない。そう思った俺は、迷いなく突貫を再開させる。しかし、敵もこの先へ行かせたくはないようで、更に暗闇から伸びて来た三本の触手で応戦してきた。しかし、

 

 

「こうも楽だと、寧ろ怖いな」

 

 

 不規則に翻り、空を裂く蛸の触手を流すように避ける。速い事は速いが、見えなくはないので欠伸をしながらでも対応可能だ。そして、待ちわびていた横なぎの一撃を難なく掴みとり、熊の腕力を以て全力で手前に引く。

 

 

「よっしゃ、フィィッシュ!」

 

 

 目前に立つ樹木をメチャクチャにしながら引っ張り出されたのは、矢鱈と頭部が肥大化し、ぶよぶよと体皮を弛ませる謎のガストレアだった。

 ビターン!と地面へ叩き付けられた衝撃で蠢く軟体動物は、唐突に頭の天辺に当たる部分から何かを垂れた。

 そんな気になるものを目前に置かれれば前述の通り気になるので、ゆらゆらとぶら下がるそれに目を向けた───その瞬間、俺は酷く後悔する羽目になる。

 

 

「うおっ!まぶしっ!」

 

 

 突如、強烈な閃光が瞳孔を焼き、視界が完全な白へ塗り潰される。まさか、チョウチンアンコウの因子まで持っているとは思わなかった。

 恐らく、あの光を使ってガストレアを集めていたのだろう。なら、やはりコイツを倒せば万事解決だ。

 俺の視覚を潰した隙に体勢を整えたらしい敵方は、生える触手を全て使い、俺を屠ろうとしたのだろう。

 

 

「おっと」

 

 

 しかし、それは完全な愚策。何故なら、俺は既に聴覚で生物の位置を把握することはお手の物だからだ。

 修羅場という言葉すら生ぬるい地獄を駆け巡ってきた俺は、五感の一つさえ生きていれば大抵の敵は捌ける。異常だと思う人間が大半だろうが、戦場であらゆる殺され方を試していれば、自然とそうなってしまうものだ。

 

 振るわれた触手の槌を軽く避け、敵の下へ疾走する。最中に身体の内に意識の数割を向けると、

 

 

 

『ステージⅢリテンション(保持)。特化型単因子解除、主要因子を追加。モデル・イッカク。指定した一部の形象崩壊のプロセスを介して発現』

 

 

 俺はイッカクの因子を発現し、ホッキョクグマとの複合因子(ダブルファクター)となる。そして、イッカクの代名詞とも言えるあの歯を────、

 

 

「喰らえタコ野郎ッ!」

 

 

 右腕のみを形象崩壊させ、新たに再構築して作りだした。

 ホッキョクグマの膂力で打ち出した、イッカクの槍の如く鋭い歯。この一撃を脳天へ深々と貰った名も知らぬガストレアは、回復しつつある視界のなかで仰向け(?)に崩れ落ち、割とあっさり絶命した。

 

 

「うし、急いで戻らんと二人が危ないな」

 

 

 やはり、人間の先端兵器相手に連勝していた攻撃特化のガストレアと比べると、ここらのガストレアは幾ばくか変態が護身寄りへ傾いている。

 近々、もしかしたら集団行動を成す厄介な奴等が出て来るかもしれない。

 

 

「ガストレアにそんな知能はない、か」

 

 

 しかし、それは喉に刺さった魚の小骨みたく、予想以上に俺の思考を長い間占領した。

 




 オリ主の持つ能力の詳細は、今後明らかにする予定です。

 原作ではモデル名がみんな英語で表されていましたが、イッカクはちょっとアレなので、イッカクのままにしました。分かりやすさ重視です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15.謬錯

 結構続いたオリ主視点の話は、一旦この話で切ります。

 次回からはれんたろーが主役です。


 敵が多い。多すぎる。

 がむしゃらにトリガーを引き、弾が無くなれば装弾、あとは前の行動に戻る。...そんな単純作業を続けていると、最早自分が何を撃っているのか分からなくなって来た。

 しかし、こんな状況下の私でも気づいてしまう異常が、突如舞い込んだ。

 

 

「っ、獣声?」

 

 

 そんな音が聞こえたと同時に、周りのガストレアたちが一斉に動きを止め、ぞろぞろと森の中へ引き返して行った。

 訝しみながら霞む視線を前方へ向けていると、横から何かに思い切り突き飛ばされた。私は地面に叩き付けられたその衝撃で、今まで茫洋としていた意識がある程度鮮明になり、目前の光景をはっきりと理解することぐらいは出来るようになる。

 

 

「ちっ、ボサっとしてんじゃ...ねぇよ」

 

「し、将監さん?」

 

 

 前方から響いたのは、己のプロモーターである伊熊将監の苦し気な声だった。

 明らかに様子のおかしい彼へ嫌な予感がした私は、軽く打って頭痛のする後頭部を押さえながら上体を起こす。

 ───すると、そこには、

 

 

「なっ!将監さん...う、腕が」

 

「ああ。右腕、やられた」

 

 

 右腕が根本から無くなってしまった将監さんが、痛みに顔を歪めながら残った左腕で大剣を持ち、立っていた。

 傷口へ目を向けると、鋭い何かに断ち切られたというより、強引に千切られたかのような状態だと感じる。それ故に痛々しいが、今は周りに注意を向けなければならない。彼の腕を切り落としたガストレアが、必ずどこかにいるはず───、

 

 

「ッ!夏世、後ろだ!」

 

「っ!」

 

 

 叫びに促され、背後へ顔を向けると....そこには、歪な化物がいた。少し離れているが、背丈はあまり大きくない。特筆すべきは、足がなく、まるでナマコかウミウシのように這ってこちらへ近づいて来ていることか。

 私はすぐに冷静になり、銃を持ち直してから戦闘態勢に入ろうと立ち上がりかけた。

 

 

「ぐっ?!」

 

 

 しかし、突如足首辺りに鋭い痛みが走り、踏ん張りが効かず再度地面へ膝を着いてしまう。どうやら、倒れたときに捻ってしまったらしい。

 それでも、片膝を立てた状態で引き金を引くことは出来る。私は前のめりとなった身体を立て直し、銃口を敵へ向けた。次に人差し指でトリガーを引き、

 

 バキャア!!

 

 

「───え?」

 

 

 銃声とは明らかに質の違う音が、己のすぐ隣から響いた。恐る恐る音源へ顔を向けると、ソコにあったはずG11が、グリップを残して綺麗に抉り取られており、破片となって地面に散乱しているのが目に映る。

 まさか、あの一瞬で?敵に目を向けていたはずなのに、何をしたのか全く分からなかった。

 

 

「夏世ッ!下がれ!」

 

 

 将監さんの怒声が聞こえたが、足を負傷している事もあり、素早い離脱は不可能だ。それに、少しでも逃げる素振りを見せれば、恐らく将監さんの腕と、この銃を吹き飛ばしたアレが飛んでくるだろう。

 ナマコのようなガストレアは、こちらを馬鹿にするような緩慢な動きで迫ってくる。しかし、それに対し敵の攻撃は瞬きより速い。

 どうするべきか思考を巡らす私の背後から、将監さんの急いた足音が聞こえるが、まず間に合わないだろう。

 ────ここまで、か。

 

 

「邪魔だなコノヤロー!」

 

 

 

 だが、そんな悲観的な空気は、ある男の怒声によってぶち壊される。

 

 ナマコのガストレアから急に白い棘のようなものが飛び出し、奴は胴体を貫かれた痛みで耳障りな断末魔を上げた。その後、推定数トンはあるだろう化物がゆっくりと持ち上げられ、すぐに振り回されて宙へ投げ出される。

 ガストレアは私たちのいる木々の開けた場所まで吹き飛び、呆然と固まる将監さんの傍らに凄まじい爆音を響かせて落下すると、そのままゴロゴロ転がって奥の樹木を四、五本薙ぎ倒してからやっと止まった。

 

 

「あら、今の結構大物だったなぁ...っと、お。二人とも大丈夫か?」

 

「み、美ヶ月さん。その、これ」

 

「あ?あぁなんだ、もしかして倒しちゃ不味かったか?」

 

 

 私が不業の死を遂げたガストレアへ指を向けると、美ヶ月さんは額に手を当てて片目を瞑る。いや、そういうことじゃないんです...。

 と、困る私の隣へ歩いてきた将監さんが、私の言いたい事を代弁してくれた。

 

 

「いやな、俺たちが苦戦してた相手をこうも一瞬で倒されると───って、テメェその腕は何だ?!」

 

「あー、これには深い事情が....っておい!お前が一番ヤバいぞ将監!」

 

「!ッチ、忘れてたぜ。にしても、確かに血を流し過ぎたな。頭がグラグラしやがる。つか、さっきから痛みが全然治まらねぇ」

 

 

 将監さんは歯を噛み締めながら、かなり苦しそうにうめく。腕がもげた痛みは筆舌に尽くしがたいだろう。だが、彼の表情からはまたの何かを感じさせる。

 私はそれが気になったので、先ほど美ヶ月さんによって倒されたガストレアの下へ足を引き摺りながら近づきよく観察してみる。すると、案外その原因は早期に発覚した。

 

 

「美ヶ月さんっ、ミズクラゲです!」

 

「は?」

 

「将監さんの右腕を切り離したのは、ミズクラゲの触手です!」

 

「また触手かよ。...いや、まてよ?ミズクラゲは確か」

 

 

 私はガストレアの死体から移動して、気づいた美ヶ月さんへ確認の言葉を口にする。

 

 

「はい、微量の神経毒を持つ棘を触手に持っています」

 

「不味いな、普通なら刺されても痛いぐらいで済むが、ガストレア化した後なら話は別だ!」

 

 

 美ヶ月さんが血相を変えて叫んだあと、その時を見計らうかのように将監さんの身体が大きく傾いだ。すぐに抱きとめられるが、揺すられても起き上がる気配はない。

 彼はすぐに懐から携帯電話を取り出し、私へ救護の要請をする旨を伝える。あまりの必死さに思わず頷いてしまったが、よくよく考えるとこの場へ救護など来れるはずがない。...未踏査領域の最中、しかも野生ガストレアがそこらに蔓延る場所へ、など。

 

 

「怪我人が出た!今すぐに治療すれば助かる傷だから、ヘリを飛ばしてくれ!ああ、後は───」

 

 

 会話を続ける美ヶ月さんを尻目に、私は将監さんの腕を自分の服から裂いて調達した布で被せ、切断面を隠す応急処置をする。

 俄には信じがたいが、彼は既に細かな場所などの確認をしているようで、救護のヘリは来るらしい。

 

 

「え、俺の名前?......美ヶ月、美ヶ月樹万だ」

 

 

 多少の逡巡を含ませた顔で己の名を口にした後、美ヶ月さんは一言のお礼とともに通話を終了させた。溜息を吐きながら携帯を仕舞う彼へ、私は一番気になる事を確認する。

 

 

「救助は来るのですか?」

 

「あぁ。大丈夫、ちゃんとくるぞ」

 

「そう、ですか。でも、この場所へ要請するなど不可能だと思うのですが」

 

 

 否、不可能でなければならない。未踏査領域はモノリスの加護を失った怪物の生息域、跳梁跋扈の無法地帯なのだ。

 そんな場所へ一人の人間のために救援隊を送ったところで、襲撃を受けて犠牲者が増えるだけの話だ。

 それは美ヶ月さんもよく分かっていたようで、私の言葉を否定する事なく首肯してみせた。

 

 

「確かに、ここは未踏査領域っていう、人間にとっちゃ絶対の死地だ。いくら目の前に傷を負った人間がいようと、大抵の輩は『こんな場所に救援など来るはずない』って諦めるだろうさ」

 

「そうです。だって来るはずがないんですから」

 

「でも、それだって場合による。特に今回は未踏査領域の中でも比較的浅い地点であること、事前に大量のガストレアを排除済みであること。この要素から()()()()()()()と俺は判断した」

 

「────それは」

 

 

 確かに、その通りではある。しかし、安全性が必ずしも確立されているわけではない。

 こんな場所へ複数の人間を派遣するのだ。かもしれない、で判断していいことではないだろう。

 

 

「でも結局は『賭け』です。誰かのために、他の誰かを危険に晒すことが罷り通っていいはずがありません」

 

「それはそうだろうな。でも俺は、そんな()()()理由を盾に誰かを救える可能性を捨てたくはない」

 

 

 彼の言いたいことは分かる。....だが、それでも。

 私はバッグを枕にして荒い息を吐いている将監さんへ視線を向けながら口を開く。

 

 

「私は預言者じゃない。それで何もかも解決する保障なんてないんですよ。最善と思った選択肢を選び取っても、最低の悪手に転じることだってある」

 

 

 気が付けば下唇を思い切り噛み締めていた。しかし、何故かと己に問うても分からない。

 ....もしかしたら、望まずに他者の命を奪って来た自分を、正当化したかったのかもしれない。

 選択肢が与えられつつも『命令だから』という逃げ道を作って、己の保身に走った愚かな自分自身を、身勝手にも正当化したかったのかも、しれない。

 

 

「夏世。100%ってのは、この世に無いんだよ」

 

「...どういう、ことです?」

 

「絶対に助かる、絶対に助からない。そのどっちも、結果が分からない俺たちには判断のしようがないんだ」

 

 

 理屈は分かる。でもそんな舌先三寸で先の綺麗な言葉を誤魔化して欲しくは無かった。

 私は美ヶ月樹万の本心を聞きたいがため、意地の悪い疑問を浴びせかける。

 

 

「じゃあ貴方はこれまで、助かるかもわからない方法に頼って誰かの命を救って来た、とでも言うんですか?」

 

「ああ、そうだな」

 

「な────」

 

 

 だというのに、美ヶ月さんはあっさりと肯定してみせた。

 人を救うという行為は、正しく正義であるはずだ。否、そう評価されなければならない。

 にもかかわらず、彼は己の行使してきた正義が浅はかなものであると認めてしまったのだ。

 

 しかし、私はその考えを糾弾する気は起きなかった。

 彼の瞳を、見てしまったからだ。

 

 

 

「万全の対策を取ったのに、誰一人として救えなかったことがある」

 

 

 それは、あまりにも理不尽だ。

 

 

「万全の対策を取れなかったのに、誰一人として失わなかったことがある」

 

 

 そんなことが、あるのか。

 

 

「だから結局。その場でできることをできるだけやって、自分の中にある分かり切った失敗ってやつよりも良い結果を運否天賦で望むしかないんだ」

 

「───美ヶ月さん。貴方は、一体」

 

 

 ───一体、どれほどの人間の生き死にに関わってきたのか。

 彼の目は、形容しがたい灰色を湛えていた。普通に生きてきた人間ができる目とは到底思えない色だ。

 絶望とは何か、地獄とは何か。その答えを、彼ならば誰よりも正確に表現できるのではないか。そうとさえ、思ってしまう。

 呼気すら忘れて言葉を失う私の隣で、美ヶ月さんは座ったまま首を傾け、無数の星が輝く夜空を眺める。

 

 

「でも、最悪を見たからこそ、最善に繋がるものを見いだせるんだ。実現不可能な『絶対』ってやつに、少しでも近づくことができる」

 

「『絶対』に、近づく」

 

 

 絶対は、有り得ない。だが、()()()()()ことはできる。と彼は謂う。それは紛れもなく、絶望に潰されてしまった者の抱く望みでは無かった。

 美ヶ月樹万の中にある正義は、決して浅はかなものではなく。極限まで理想や願望を削ぎ落した結果、残った回答の形であったのだ。

 その上で彼は、救助される将監さんが救われ、救助する人間も救われる最善を選択した。 

 

 

 

「確かに、この状況。未踏査領域においては『絶対』に限りなく近い形で、将監さんを救出できるかもしれませんね」 

 

「そうだ。地獄なんて尤もらしい言葉で、誰も救われないことを正当化なんてしちゃいけないからな」

 

 

 ああ、凄い。自分が間違っていたことをこうも素直に受け入れた試しが、今まであっただろうか。

 私は人を救う上では誤ったことばかりを選択してきた。救いようのない結末ばかりを眺めてきた。

 でも、それでよかった。私の誤りが、目を背けたいほどに汚く、どこまでも愚かしいものであってよかった。

 

 ───己がずっと望んでいたものは、ここまで綺麗な在り方だったのだから───。

 

 

 私が初めて見た『正義の担い手』。

 それは、地獄に墜ちた人間すら諦めずに救い上げる、そんなひとであった。

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 将監を乗せたヘリを見送り、俺はこの場に残った夏世を眺める。上空を見詰めるその横顔は、いつも通りの無表情だった。

 それにしても、てっきり彼へついていくものだと思っていたので、どんな意図があるのか気になる。

 

 

「それにしても、どうやってここにヘリを寄越せたんですか?常人なら、まず了解は出さないはずだと思いますよ」

 

「っ、あー。それはだな」

 

 

 こちらから質問を飛ばす前に問いかけられ、喉元までせりあがった言葉を無理矢理変換する。多少声がひきつってしまったが、悟られまいと続けた。

 

 

「聖天子に直接掛け合って救護の要請をしたんだ。...予想通り、二つ返事だったよ」

 

「せ、聖天子様にですかっ?一体どうやって」

 

「一度聖居の方へ問い合わせて、コッチの事情を粗方話してから繋いでくれって頼んだら繋がったよ。流石に逆探知は出来ないようにしてあるだろうがな」

 

 

 どうやら、周辺のガストレアが異常に少ない事は、他の民警によって既に報告されていたようで、電話口で大量のガストレアを予め始末しておいた旨を伝えると、対応していた職員は急いた様子で聖天子に繋ぐ事を告げてから、代わった聖天子に詳しい説明を求められた。

 ここで嘘を吐いても良い事はないし、救助要請の件で引き合いに出す話題であったことも合わせ、俺は出来る限りありのままを語る事とし、光源を利用し敵を誘致したガストレアの存在、大方のガストレア討伐数、犠牲者の有無を彼女へ報告した。

 討伐数は恐らく二百は行きそうだが、百ぐらいと偽っておいた。それでも十分驚かれたが。しかし、名前を聞かれるのは盲点だった。俺は秘密裏の介入にて戦闘を行っているため、正規の民警ではない。一応元ではあるが、もうIISOからは完璧に除名されているだろう。

 この作戦が終わった後、面倒な事にならなければよいのだが...。

 

 

「そう考えると、少し不用心ですね。聖天子直通の電話番号は逐一変わってはいるんでしょうが、何があるか分かりませんから」

 

「だよな。っと、そうだ。なんで夏世はここに残ったんだ?」

 

「!...ええと、そうです、ね」

 

 

 夏世は何故か仄かに顔を赤らめ、視線を下方へさ迷わせ始めた。彼女なりに深いわけがあるのだろうか?

 多少の逡巡のあと、意を決したのか、空いた間を埋めるように詰め寄ってきた夏世は、俺の腹に額を当ててきた。

 

 

「樹万さんを、一人で戦わせられないからですっ」

 

「なんでまた」

 

「貴方は、私と違って強い人です。...でも、だからこそ分かることがあるんですよ」

 

 

 夏世はそのまま両手をゆっくりと俺の腰に回し、顔全体を密着させてきた。

 熱い呼吸が薄いシャツの布地を通り抜け、染み込むようにして肌を焼く。

 

 

「樹万さんは、自分の犯した罪を背負うことに慣れ過ぎています」

 

「......」

 

「それでも潰されないことは、先の会話の中で痛いほど理解できましたが...やっぱり駄目です、これ以上は人間じゃなくなってしまう」

 

 

 ───夏世の発言に、少しばかり心臓が跳ねる。

 身体はとうに人間とは程遠いものとなってしまったが、心までもが人ではなくなるというのは避けたいことだった。

 ただでさえ、この身体と長い間付き合ってきた弊害で、人間的な思考が希薄になってきているというのに。

 脳裏を嫌な記憶が掠めていくが、それを努めて顔に出さぬよう繕い、ここまで自分のことを理解してくれた少女に感謝を込めた言葉を送る。

 

 

「ん──じゃあ夏世は、俺をフォローする為に残ったんだな?」

 

「はい」

 

 

 さらさらの髪を撫でながら笑ってやると、顔を上げた夏世の表情が綻ぶ。同時に、心なしか回された腕の力が増したように思えた。同時に己の中の感情の波も幾分か落ち着いてくる。

 ───さて、あまり和やかな空気を垂れ流してはいられない。ヘリのローター音を聞きつけたガストレアが、ここに集まるだろうから。

 

 

「夏世。足は大丈夫か?」

 

「はい、軽度のものだったので。戦闘に支障ないほどには回復しています」

 

 

 彼女は腕をゆっくり解くと、腿に差してあったワルサ―P99ハンドガンに手を掛け、目つきを戦闘のそれに切り替える。

 

 それを見た俺は、直後に疾走。繁る木々の間を駆け、発見したカメムシのようなガストレアを撃ち抜く。一方、将監のいる小規模の広場に留まる夏世は、いつでもガストレアを迎撃できるよう周囲を警戒していた。

 

 

「さて、この俺が望んだ『最善』だ。お前らの『最善』は通らねぇぞ」

 

 

 

 俺は地に落ちた空薬莢を蹴飛ばし、バレット・ナイフの先を暗闇に潜む敵へ向けた。

 

 




 オリ主、後に修羅場展開発生決定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16.決戦

 蓮太郎、延珠、飛那vs影胤、小比奈.....。

 戦闘シーンメチャクチャ荒れそうです。


「うーん、拍子抜けだな」

 

 

 正直、ここへ来るまでに十回以上の戦闘は覚悟していたのだが、現在はそれを大きく下回る三回にとどまっている。良いことであるのは間違いないのだが、何故か気分的に締まらない。

 

 

「何だか、ガストレアが極端に少ないですね....」

 

「妾もそう思うが、時々死体が転がっているのを見るに、先を行く仲間たちが倒してくれてるのだろうなぁ」

 

 

 延珠が言った通り、そこらへんにガストレアの死骸が時折転がっているため、いることにはいるのだろう。しかし、そうと見れば、俺たちの先を行く民警はかなり多いことになる。

 影胤の居場所は不明であるため、奇襲などでこちらの戦力を削いでいく可能性が....

 

 

「いや、それはないか」

 

 

 あの男は、そんな方法で俺たちと戦うほど弱くはない。

 先生から聞いた通りのスペックを持ち合わせているのなら、寧ろ真っ向からの殺しあいを望む....いや、能力が高いからではなく、奴の思想が闘争を望んでいるのだろう。

 

 ふと、俺はここから良く見える、天高くそびえた物々しい建造物へ視線を向ける。

 まるで天を突きささんばかりにその首を持ち上げているのは、『天の梯子』と呼ばれる兵器。またの名を線形超電磁投射装置。

 ガストレア戦争の末期に生まれた、奪われた世代たちが残した遺物。完成はしたが、ついに戦争の最後まで起動することは無かった。

 

 

「蓮太郎さん!森を抜けましたよ!」

 

「うーむ。街....みたいなのが見えるぞ?」

 

「!────ホントかっ?」

 

 

 先を進んでいた二人の相棒から声が掛かったので、俺は向けていた視線を天の梯子から外し、早足で近くに駆け寄ってその景色をみやる。...すると、眼下に広がっていたのは、確かに延珠が言っていた街のようなものだった。

 海が近いので、長い間潮風に晒された建物は酷く劣化しており、俺たちが立つ少し離れた高台から見ても、そこらじゅうが腐食だらけだと分かる。

 

 

「っ!蓮太郎さん、あの中で銃声や叫び声が聞こえます!」

 

「じゃあ...まさか」

 

 

 俺と飛那の緊迫した声で理解したか、延珠が隣で力を開放し、瞳が赤く変色する。

 とりあえず俺は街中をよく観察してみるが...やはりダメだ、この距離からでは事の細部を捉えられない。中央に建つ教会らしき場所のみに明かりが見えるので、それを足掛かりに探そう。

 俺はすぐに此方へ視線を向けてきた延珠と頷き合い、今度は飛那に顔を向けた。

 

 

「飛那、俺は延珠に抱えて運んで行って貰うが....ついてこれそうか?」

 

 

 延珠は兎の因子を持つイニシエーターであるため、脚力を生かした素早い移動はお手のものだ。今回は俺を背負うことで多少動きは鈍るが、複雑な陸路での運搬は、効率性で見るなら車より断然優れている。

 しかし、飛那は鷹と鷲のイニシエーターだ。足が早いとはあまり思えないのだが...

 

 

「ふふ、大丈夫ですよ。鷹も鷲も、体力ありますから」

 

 

 フッと笑った飛那は、力を解放してから迷うことなく目前の急斜面へ踏み込む。思わず手を伸ばしかけたが、彼女はステップを踏むように跳躍し、凄まじい身軽さで崖を駆け降りて行く。

 それを見て一先ず安心すると、隣で感心したように下方を覗き込む延珠に肩車をお願いして、俺たちも急ぎ戦場へ向かう。

 

 ────影胤がいるであろう、決戦の場に。

 

 

 

 

          ***

 

 

 

 むせかえるほどに漂う、濃厚な血臭。

 俺たちがたどり着いた場には、大勢の民警と、そのイニシエーターたちが屍の道を作っていた。

 この世のものとは思えない光景を既に焼き付けた俺の網膜でも、これには沸き上がるショックと脱力感を隠せない。

 

 

「酷い、ですね」

 

「───────」

 

 

 飛那と延珠も、赤色で染め上げられた最悪の景色に歯を食い縛り、生まれ出る絶望感へ必死に抗っていた。俺はそんな二人の頭を優しく撫で、波打つ心を鎮める為の呼気を挟み、鋭い視線を前方へ向ける。

 

 

「蛭子影胤...!俺はテメェを許さねぇ!」

 

「クク、許さないから何だい?ココに転がる能無し共は、死ぬ覚悟も無しに私を殺そうと銃や剣を向けたのかね?」

 

 

 影胤は隣で血溜りに沈む民警を指さし、心底馬鹿にしたような声調で俺へ問う。...確かに奴の言っている事は一理ある。ならば、

 

 

「じゃあ影胤、ステージⅤガストレアの召喚を止めろ。お前は戦う意思のない人間たちも皆殺しにするのか?」

 

「ハハハ!君は知っているだろう、蓮太郎くん?....私は、世界を滅ぼす者だと」

 

「テメェ....っ!」

 

 

 仮面を押さえて嗤う影胤に頭が沸騰しかけるが、飛那と延珠の両隣から袖を引っ張られる。

 

 

「挑発に乗っては駄目です。蓮太郎さん」

 

「うむ。アイツは戦ってぶっ飛ばさなきゃならん!」

 

「────はは、何だよ。俺より断然冷静じゃねぇか」

 

『当然!』

 

 

 息の合った二人の返答に微笑みながら、俺は拳を強く握りしめる。

 そう、こいつとは絶対に分かりあえない。止めたければ、力づくで捩じ伏せるしかないのだ!

 

 

「延珠、飛那は影胤のイニシエーターを頼む!」

 

「分かりました!」「うむっ!」

 

 

 

 

          ***

 

 

 

 会議室のモニターにリアルタイムで映し出されている、蛭子影胤と一組の民警ペアが対峙した光景。

 手元の資料にある顔写真と見比べると、右端に居るのが藍原延珠だと分かるが、左端にスナイパーライフルを持って立つ銀髪の少女は未だ正体が掴めない。そして、彼女らに挟まれるようにして中央に佇んでいるのが...あの時会議室にいた社長や、他の民警らより早期に蛭子影胤と接触していた少年、里見蓮太郎だ。

 

 私が聖天子の位として座る席の目前には長机がある。そこに同じく腰掛けていた内閣官房長官や防衛大臣は、先程から落ち着きがない様子で此方へ視線を投げているが...それも無理はない。何故なら、今さっき何十人もの民警らが影胤に挑んで、しかし傷一つ付けられずに虐殺されたばかりだからだ。

 たった一組の民警が今更出てきても、時間稼ぎにすらならないと苛立っているのだろう。

 

 

「付近に他の民警はいますか?」

 

「いえ、最も近くにいるペアでも、到着に一時間はかかります」

 

「............」

 

 

 この場において副議長を担う天童菊之丞は私の目線にうなずきで返答し、それを確認してから一つ深呼吸をする。

 

 

「では────」

 

 

 それから言葉を続けようとしたが、会議室内の静かな対話とは対照的な荒々しい怒声が耳に飛び込んできた。そして、私が扉の方へ顔を向けた瞬間に、勢いよく戸が開かれ、黒髪の少女...天童木更を先頭に数人の人だかりが雪崩込んでくる。

 私はあまりの不測の事態に思考が追い付かなくなりかけたが、なんとかこの場面で最も適した発言をすることができた。

 

 

「何事ですッ?」

 

 

 私だけではなく、席に着いていた全員が動揺しながら天童木更を黙視する中、彼女は一枚の紙を取り出しながら長机に歩み寄ってくる。やがて私たちの見える位置まで紙を持ってくると、それを広げて見せた。

 紙には一つのサークルがあり、その外側に直筆とみられる名前と判が押してある。と、ここまで視界に入れた私は驚愕した。

 傘連判(からかされんばん)。古の昔、百姓一揆の固い団結を約束すると同時、その首謀者を隠す為に円上にしたもの。

 天童木更は、紙に書かれた名前のひとり、防衛大臣へ視線を向ける。勿論、この場にいる他の人間の目も、彼に集中した。

 

 

「さて、轡田防衛大臣」

 

「っ!これはどう言うことだ」

 

「それは此方が貴方に聞くことですよ?」

 

「ぐ────」

 

 

 大臣は目を白黒させながら明らかな動揺を露呈する。彼の回りにいた高官も後退りしてしまっていた。

 

 

「これは貴方の部下が持っていたモノです。連判状に書かれている通り、貴方が蛭子影胤の背後で暗躍した依頼人ということよ。そして、七星の遺産を盗み出させ、その事実をマスコミ各社に補足させようとした.....これも全て、貴方の仕業ですね?」

 

「ち、違う!こんなモノ、私は知らんっ!」

 

 

 大臣は必死に取り繕おうとするが、想定外の事態に激しく取り乱していた。

 しかし、これ以上は場を取り締まる此方も、天童木更の暴挙には黙っていられない。

 

 

「この会議室内は、国防を担うべく置かれた超法規的な場所ですよ。なんの許しもなく踏み込むのは、此方としても看過できません」

 

「そ、その通りだ。貴様は所詮薄汚い民警の飼い主に過ぎない!その紙を持ってとっとと失せろ阿呆が!」

 

 

 私の言に水を得た魚の如く息を吹き返した大臣は、天童木更に罵詈雑言を浴びせかける。しかし、当の彼女は冷めた表情で流し、私の方へ視線を向けた。

 

 

「聖天子様の仰る事は、まことに我が意を得た思いです。ですが────」

 

 

 彼女の言葉が続かなかったのは、目前で轡田防衛大臣が横から勢いよく突きだされた足に吹き飛ばされたからだ。

 そのまま机と椅子を派手に巻き込みながら会議室の端まで転がっていった大臣は、当然の如く意識を失って起き上がってこない。

 

 

 

「あァースッキリした。やっぱ何処の国でも、小うるさい蛆虫共を蹴飛ばすのは痛快だな」

 

 

『!?』

 

 

 驚いた。何よりも、いくら一言も発してはいないと言え、私のすぐそばに来るまで天童菊之丞が全く気配に気付けなかったことに一番驚いた。

 闖入者は足を引っ込めると、茶色がかった髪をガシガシ掻く。そして、場違いも甚だしい修道服を着込んだ男は、胸に下げた金色の十字架を揺らしながら溜め息を吐いた。一体、何者────?

 

 

「ちょっと貴方!ココへ案内してもらってる最中に言いましたよね!?手は出さないって!」

 

「えぇー、だって木更ちゃん程の美人がアホとか言われたんだぜ?んなこたァ俺が黙ってるはずねぇだろ」

 

「も、もう!大事な交渉だったんですよ!?」

 

『.......』

 

 

 呆気に取られて固まる全員。しかし、この場で唯一明確な行動を現した人物がいた。

 

 

「っと....おいおい、無理すんなよ爺さん。もう歳だろ?」

 

「!馬鹿な、この無手を止めるだと?」

 

 

 菊之丞の手首を掴んだ男はニマリと笑い、そのまま彼へ向かって言った。

 

 

「あそこで寝てる馬鹿を連れてけ、木更ちゃんの言っている事は本当だ」

 

「侵入者の汚名を着る貴様の世迷言を聞く通りはない」

 

「ったく、相変わらず頭固ェなぁ爺さん」

 

 

 このままでは話がますますずれる。ここは早急に事態を動かさなければ、ステージⅤガストレアへの対策にまで遅れが出てしまう。

 

 

「聖天子様。今は蛭子影胤と内通していた防衛大臣を連行してくれませんか?事態は一刻を争うのでしょう?」

 

「ええ、そうですね......分かりました」

 

 

 丁度己の思っていた事を天童木更に催促され、踏み切る覚悟がより固まった。

 ついで私の向けた視線に観念したか、菊之丞は気絶している轡田防衛大臣を見ながら冷たく言いはなった。

 

 

「連れて行け」

 

 

 彼は室内の護衛官に抱えられ、身動ぎ一つせぬまま外へ運び出された。その一部始終を見た神父のような男は、口笛を吹きながら私に向かって拍手する。

 

 

「流石聖天子様。理解が早くて助かるぜ」

 

「貴様!」

 

「私から言わせてください」

 

 

 眉を顰めた菊之丞を手で制し、入れ替わるようにして男と対峙する。

 ...聖天子の名を得るまでに何人もの人種を見てきたつもりだが、彼は全くの未知数だ。何を考えているかが、全く分からない。

 私は脳内で慎重に言葉を選びながら、この場にきた理由を探ろうと躍起になる。すると、そんな私の額に何かが軽くコツンと当たった。

 

 

「ハハハ!俺ァお前の命を取りに来たわけじゃねぇよ、だから少し肩の力を抜きな」

 

「え......?」

 

 

 己の額に伝わった衝撃が、凸ピンだと理解するには数秒の間を要した。再び彼の背後から菊之丞が迫るが、同じように手首を捕まれてしまう。

 

 

「貴様.....それ以上聖天子様に無礼をしてみろ。この場で刀を抜かせて貰うぞ!」

 

「あぁー、そう熱くなるなって。とにかく今は」

 

 

 修道服の男は怒れる菊之丞を適当にいなし、モニターに映る一人の少年───里見蓮太郎へ視線を移動させた。

 

 

「あの坊主が何処までグリューネワルトのアホンダラが創った作品と渡り合えるか、見てみようぜ」

 

 

 




 オッサン、襲来。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17.空論

 戦闘シーンばっかで文面が疲弊しているかもしれません(汗)

 それにしても、れんたろーが真面に戦うと拳一発出すだけで漢字や横文字が羅列されますから、何というか面白いですねー。


「ケースはあの教会の中だな」

 

「フフ、残念だが、君たちはあれを見ることはないよ。私と小比奈には勝てないのだからね」

 

「...やってみなきゃ、わかんねぇだろ」

 

 

 横目で相棒二人を確認すると、延珠があまり接近し過ぎない位置からの飛び蹴りで牽制し、建物の合間から狙う飛那の弾道へと誘い込んでいる。

 いい作戦だとは思うが、小比奈はそれを承知しているらしく、飛那からみると延珠が壁になってしまう位置を常に維持していた。これでは、銃による延珠の援護が機能しない。

 そこまで考えてから視線を影胤へ戻すと、何故か奴は肩を震わせていた。なにがおかしいんだ?

 

 

「ククク...里見くん、君はもう分かっているはずだろう?」

 

「何がだ」

 

 そう答えたが、奴の言いたい事は大体分かっていた。

 既に俺と戦って完膚なきまで打ちのめしたのだから、今さら此処にその打ちのめされた当人が立つことは、誰がどう見ても死にたがりな行為にしか見えない。と言いたいのだろう。

 

 

「君の拳では、私のイマジナリーギミックを破れない。ということさ」

 

 

 予想と対して変わらぬ発言に、俺は少し笑ってしまう。

 一方、そんな表情が浮かぶとは全く思っていなかった影胤は、対照的に怪訝そうな顔をした。

 

 

「まぁ、さっきも言ったが────やってみなきゃ、わからねぇだろ?」

 

「ふむ。あの御姫様を連れてきたとは言え、我が娘は引けを取らないよ?」

 

「はは、忠告痛み入るぜ。...なら、さっさとテメェを倒して、アイツらの加勢に入らないとな!」

 

 

 拳を構え、腰を低く落としてから駆け出す。それを見た影胤は、あの時と同じ姿勢を取った。

 右手を前に突きだし、親指と中指の腹をつけた....つまり、()()()()()()()()()をする姿勢に。

 

 

「『マキシマム・ペイン』!」

 

「天童式戦闘術一の型三番――――『轆轤鹿伏鬼』!」

 

 

 俺が拳を突き出した瞬間に指が鳴らされ、そこから球状に強力な防御壁...斥力フィールドが出現する。

 奴が目前で展開した『マキシマム・ペイン』なるものは、会議室で銃弾を打ち返した壁よりも強固で、人間を圧殺出来る程のパワーを秘めている。俺の放った右拳は難なくそれに阻まれ、ケースを奪われてしまったあの時と全く同じ道筋を辿ってしまう。

 

 

「ぐっ........おおお...!」

 

「む?」

 

 

 しかし、今回は違う。もう、絶対に負けられない理由が幾つも出来てしまったのだ。

 

 ここからは────掛け値無しの、全力で行かせてもらう。

 

 腕を全力で押し込むと同時、甲高い炸裂音とともに右腕部、擬似尺骨神経に沿うような形で伸びたエキストラクターが黄金色の薬莢を掴み出し、回転しながら蹴り出される。

 

 

「ラアアアアッ!」

 

 

 吠えながら、カートリッジ推進力により驚異的な速度を得た拳で壁をねじ伏せ、貫通させる。

 その衝撃で影胤は後方へ吹き飛ばされると、俺も同じように余波で弾かれ、靴あとを尾のように引きながら後退した。手ごたえは.....ある。

 

 

「マ、マキシマムペインが、破られた?────っガハ!」

 

「ハハ、自慢の斥力フィールドじゃ、この拳は止められなかったみたいだな!」

 

 

 影胤は口から血液を吐き出し、膝を折ると呻き声を上げる。

 それでも素早く顔を上げた奴は、そこで人工皮膚が剥がれた俺の手足を見たのだろう。...バラニウム製の機械化された、右腕と右足を。

 

 

「バラニウムの、義肢?里見くん...まさか、君も」

 

「あぁ、俺も名乗らせて貰うぞ影胤ッ!元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊『新人類創造計画』里見蓮太郎!」

 

 

 それを聞いた影胤は口元の血を拭いながら立ち上がり、すぐにその喉から不気味な哄笑を迸しらせる。

 

 

「ハハハ、くはハハハハハハ!そうかそうか、そうだったのか!一目見たときから何故か親近感を感じていたが、まさか本当に同類だったとは!ッあぐ...ハハハ、私は痛い、私は生きている!素晴らしきかな人生!ハレルヤ!」

 

 

 片手で顔を覆いながら心底愉しそうに笑う影胤へ苛立ちを抑えきれなかった俺は、再度拳を構えて腰を落とす。が、突然延珠と飛那の悲痛な叫び声が耳に飛び込んできた。

 

 

「蓮太郎(さん)よけて!」

 

「ッ!?」

 

「パパを───傷つけるなッ!」

 

 

 振り向くと、二人との戦いを放棄して小太刀を構え、怒りに燃えた瞳で俺へ肉薄する小比奈が映った。

 

 早すぎる。このままでは確実に八つ裂きにされてしまう。───そう、このままでは、だ。

 

 俺は落ちついて左義眼に内臓されたグラフェント・トランジスタ仕様のナノ・コアプロセッサを起動。

 回転する黒目内部に幾何学的な模様が浮かび上がり、目前に映る小比奈の行動予想を演算し、己がするべき最適な回避パターンを検出する。

 

 

「うそッ?!」

 

 

 立て続けに振るわれた疾風のごとき剣は、全て右腕の防御により弾かれる。さらに、早いだけで単純な軌跡を通過する剣閃に気づいた俺は、反撃の手まで加えて行く。

 

 

「────里見くん?私を忘れないで欲しいねぇ!」

 

 

 何度目かの攻防を終えた時、影胤の声が真横から聞こえた。

 横目で見ると、彼は二丁の拳銃(ベレッタ)を構え、今にも引き金を引かんと銃口を此方へ向けている。

 再起が予想より早い、だが、対応する。すぐに左目で弾道予測を高速演算。まだ右腕を持ち上げて防御するくらいの時間的余裕はある。

 しかし、そこで気付いた。目の前の小比奈が、既に小太刀を振るう動作に入ってしまっていることに。

 双方の攻撃を防ぐためには、バラニウム製の右手、右足でなければ不可能。ここから右足を上げることなど出来はしないので、片方の攻撃にしか対応できない。つまり、

 

 

「────!」

 

 

 最早詰みかと諦めかけた瞬間、目前の小比奈が横から飛び出してきた延珠のキックで視界から消失し、間もなく突如背後から響いた重い銃声と同時、影胤も俺の前方へ吹き飛ばされて地面に転がる。

 

 

「た、助かったぜ、延珠、飛那!」

 

「ふぅー、大丈夫か?蓮太郎!」

 

「危ない所でしたね」

 

 

 延珠は深呼吸しながら俺の前に立ち、飛那もスナイパーライフルを持ちながら横へ駆け寄ってくる。二人の援護がなかったら確実に死んでたな。

 小比奈は延珠の蹴りをモロに喰らって道路反対側の家屋へ突っ込み、影胤は飛那の銃撃を受けた。....しかし、恐らくは。

 

 

「ふむ、大丈夫かい?小比奈」

 

「うー、ちょっと怪我した」

 

 

 普通に起き上がった影胤は、血の滲む肩を押さえながら、崩れたコンクリートが巻き上げる煙の中にいるだろう小比奈へ問いかける。彼の声へ返答しながら出てきた小比奈も所々にすり傷があり、かなり痛々しい有り様だった。

 

 

「あれだけの傷を受けたのに、まだ闘志が衰えないなんて」

 

 

 しかし、飛那の言った通り、たちはだかる二人は戦闘を始めた時と何ら変わりのない、むしろ増しているのではと思えるくらいの戦闘意欲があった。

 

 

「ちょっと先走り過ぎたねぇ。じゃ、再戦と行こうか?ヒヒッ」

 

「次は殺すよ。延珠!」

 

 

 

 

          ***

 

 

 

「つ、強い」

 

 

 モニターを眺める官房長官は、天童社長の渡した里見さんに関する書類とを見比べながら呆然と呟いた。

 私たちの目の前で繰り広げられた一連の戦闘は、他の民警らとは次元の違うものだった。

 いいや、そもそも人間がガストレア因子を持つ呪われた子どもたちと同等に渡り合う事など、まず不可能だというのに。

 

 

「アイツの義肢と義眼は超バラニウムだ。そこいらの金属なんて紙のように叩き壊せる強度を持つ」

 

 

 隣に立つ神父は彼の黒光りする手足を見たあと、その視線をモニターから背後に立つ天童社長へ向けた。

 

 

「そういや木更ちゃん、アイツはなんで片手足と左目があんなんなっちまったんだ?」

 

「新人類創造計画、天才技師グリューネワルト翁、超バラニウムの名前を知っているということは、貴方も相応の人間だと思ってもいいのでしょうね?」

 

「ハハハハ、あんま深くは聞かねぇから安心しなって。それに、俺にゃ『所属』なんてものはねぇよ」

 

 

 ケタケタ笑う神父と、腕を組む天童社長の双方を嫌悪感丸出しの視線で睨み付ける菊之丞にハラハラしながら、天童社長の言う里見さんの過去へ耳を傾ける。

 

 

「十年前、里見くんが天童の家に引き取られてすぐの頃、私の家に野良ガストレアが侵入し、私の父と母を殺しました。私はその時のストレスで、持病の糖尿病が悪化、腎臓の機能がほぼ停止しています」

 

「へェ....木更ちゃんがそんな事になってたとはな」

 

「里見くんはその時私を庇って、右手、右足をガストレアに喰われ、左目も抉られて失いました。瀕死の彼が運び込まれたのがセクション二十二。執刀医は───室戸菫医師」

 

「そういう、ことですか」

 

 

 私は思わず声を出してしまうが、それも構わず言葉を続けた。

 

 

「蛭子影胤の所属していたセクション十六は、ステージⅣガストレアの攻撃をも止めることができる、斥力フィールドによる絶対防御の戦術思想。里見さんが所属していたセクション二十二の戦術思想はその真逆。腕に十、足に十五発仕込んだカートリッジの推進力を利用して驚異的な攻撃力を生み出す....人をしてガストレアを葬る為に生まれた、新人類創造計画兵士の個人兵装」

 

「流石国家元首様。よく知ってるなぁ」

 

「....私は、どんな過去も背負って立たねばなりませんから」

 

 

 私は座っていた席を立つと、この場にいる皆へ聞こえるように告げた。

 

 

「彼が一人前線に出て、それでも退かせなかった理由はこの通りです。機械化兵士といえど、二人とも人間としての意思を持っています。....彼なら、里見蓮太郎なら、必ずや東京エリアを守護するという確固たる意志の下、この地を脅かす蛭子影胤に打ち勝ってくれるでしょう!」

 

 

 

          ***

 

 

 

「うおぉおおぉぉ!」

 

 

 俺は影胤が両手に持つベレッタから吐き出された銃弾を、右腕と右足を盾にして弾きながら突っ込む。

 しかし、頭を守っていたことで視界の大部分が遮られていた俺は、影胤の接近に気付けなかった。失策を悟ったのは、腕が上方へ勢いよく弾かれてからだ。

 それが斥力フィールドによるものだと気付いた瞬間、背筋が凍った。

 

 

「ッ!させ、るかよ!」

 

 

 俺は弾かれた右腕のスラスターを炸裂させ、デタラメな推進力で身体を浮かせる。こ体感的には、腕に縄をくくりつけて勢いよく上へ引っ張られる気分が最も近しいと言えるか。

 ギリギリで銃弾を躱すと、そこへ飛那の援護射撃が入る。が、それはすぐさま展開された斥力フィールドで簡単に弾かれてしまう。

 

 

「ててて....」

 

 

 派手に吹き飛んだはいいものの、背中から着地したため、痛みで顔を顰めながら立ち上がる───ところをチャンスと見初めた小比奈が、頭上から素早く斬りかかってくる。

 驚きながらもすぐ右手で対応するが、動くたびに打った背中へ痛みが走り、回避の質が落ちてしまう。

 瞬く間に切り傷が己の身体へ刻まれていき、刀の刃先が擦過する恐怖で舌が急激に乾く。しかし、それでも義眼のする負傷込みの演算結果の恩恵で、どれも致命傷には至っていない。

 

 

「───ッ」

 

 

 義眼のお蔭で出来始めた攻撃の際の僅かな合間を縫い、横目で影胤の様子を見ると、ヤツは今まさに斥力フィールドを展開しながら飛那へ肉薄しようとしているところだった。

 俺は血相を変え、小比奈の隙を伺う延珠に向かって叫んだ。

  

 

「くっ、延珠!飛那だけじゃマズい!影胤の応戦に回ってくれ!」

 

「ッ!うむ、分かった!」

 

 

 延珠は少しばかり躊躇ったが、了解を伝えると全力で踏み込み、影胤と飛那の間へ一瞬で割り込む。続けての回し蹴り。

 凄まじい轟音を立てて影胤が後方へ弾かれるが、外傷はない。...やはり斥力フィールドは脅威だ。俺の義肢みたく、継続的に大威力の一撃を叩き込めるようなものでないと、アレを破るのは難しいだろう。

 俺は歯噛みしながらも小比奈の甘い一撃を狙い、反撃の拳を放つ。だが、彼女はそれを片方の小太刀で流すように避けた。そして───

 

 

「ザンネンッ!」

 

「ぐあっ!」

 

 

 俺の腹へ、引いていたもう片方の小太刀を突き立てられ貫通する。何とかみじろきして抜け出そうとするも、刃が根本まで埋まっていることと、イニシエーターの規格外なパワーで強引に縫い付けられてしまう。

 すると突然、小比奈は腹へ刺した刀を抜かず、俺の身体へ隠れるようにして走り始めた。

 痛みで顔をしかめながら疑問を感じていると、予想もしないタイミングで俺は唐突に横へ突き飛ばされる。───そして、その時に見えた。俺のすぐ背後にいた、飛那が。

 小比奈は俺を盾にして、狙撃手の苦手とする接近戦へ持ち込む気だったのか!

 

 

「ぐっ?!」

 

 

 彼女はすぐに腰からナイフを抜くが、たった一合で弾かれ、小太刀の柄を使った突きを腹部へ撃ち込まれる。

 コンクリート塀の家屋へ背中から激突した飛那は、糸の切れた人形のようにぐたりとしてしまった。

 ここまで見た俺は不味いと思い、腹部の穴も気にせず、凶刃を振り上げた小比奈へあるものを放る。

 彼女はそれに気付き、両断しようと向き直った。

 

 

「小比奈ッ!それは───」

 

 

 俺の意図を悟った影胤は、焦ったように小比奈へ静止を叫ぶ。だが、もう遅い。

 放ったのは『特殊音響閃光弾』。それは狙ったタイミング通りで強烈な閃光を放ちながら爆発し、周囲の闇が消し飛ばされる。

 

 

「うあああぁっ!」

 

 

 文字通り目の前でその衝撃波を喰らった小比奈は、耳を押さえて苦悶に喘ぐ。一方の影胤はギリギリで効果を逃れたか、延珠の奇襲をギリギリ展開した斥力フィールドで受けていた。....延珠、影胤をそこに縫い付けておいてくれよ。

 

 俺は小比奈がスタン状態から脱する前に、拳を構えて肉薄する。

 しかし、俺の気配を察したか、彼女は咄嗟に片方の小太刀を前方に振るった。

 ───流石の反応だ。でも、

 

 

「遅い!天童式戦闘術一の型八番―――『焔華扇・三点撃(バースト)』!」

 

 

 インパクトの前に腕から三つの薬莢を同時に吐き出し、己の足が浮き上がる程の剛撃を打ち出す。

 対角線上へ突き出された一本の小太刀は、右腕にヒットした瞬間粉々に粉砕され、それでも威力を全く弱めないまま小比奈の矮躯を吹き飛ばす。

 彼女は地面を何度も転がるが、勢いを緩めることなく停泊していた小型船舶へ激突して、やっと静止した。

 

 

「ハァ、ハァ.......やった」

 

 

 何とか影胤のイニシエーターを倒した。直後に喜びが先行するが、それを抑えて飛那の下へ駆け寄る。...大丈夫だ。大したことはない。その途端に思わず安堵の溜め息を吐いてしまうが、同時に腹部へ激痛が走った。

 ───そうだ、小比奈にやられた傷があったのをすっかり忘れていた。

 俺は多少の逡巡をしながらも、腰へストックされたプラスチック製の注射器に手を伸ばし、指でキャップを弾いて腹へ突き立てる。

 

 

「くっ、おおお....!」

 

 

 己の身体がカッと熱くなり、血液が炎に変わったのではないかという錯覚へ陥る。

 思わず膝を折り、喉元まで湧き上がった嫌悪感を必死に飲み下していると、腹の傷が瞬く間に再生していくのが見えた。

 あの注射器には『AGV試験薬』という、先生がガストレア研究中に生み出した、人間の再生力を飛躍的に上昇させる薬が入っている。だが、二十%もの高確率で使用者をガストレア化させてしまう最悪の副作用が存在していた...が、どうやらその博打には勝ったようだ。

 

 

「っ!はぁ....はぁ.....」

 

 

 立ち上がろうと足へ力を込めるが、よろよろと足元が覚束ない状態で何とか直立する。

 こんな状態では戦えたものではないので、喝を入れるために頬を張ろうかと思っていたとき、突然俺の隣を何かが掠めていった。

 

 

「な───延珠ッ!」

 

 

 視線を背後に向けると、そこには片手足へバラニウム弾を撃ち込まれている延珠が倒れていた。

 血相を変えて駆け寄ろうとするが、すぐに思い止まり直感で頭を防御。直後に二発の弾丸が右腕を叩き、肝を冷やした。

 

 

「何故だ....何故邪魔をする里見蓮太郎!私たち機械化兵士はガストレア戦争のために生み出された!ならば、戦うことこそ己の存在意義を証明する手段だろう!?戦争が終末を迎えれば、我々は生きる意味を無くしてしまう!」

 

「ざけんな!テメェはそんな馬鹿げた理由の為に、あらゆる人間を殺すってのかッ!」

 

「ああそうだ!私の望む世界に弱者は要らないッ!繰り返される闘争を生き延び、その中で自らの存在を証明できる強者のみを私は欲する!君たちはそれに選ばれし者だ!...さぁ、私と共に世界へ戦の火種を撒こうではないか!里見蓮太郎ッ!」

 

 

 影胤が叫んだその言葉で、俺はこの男とは一生分かり合えないと確信した。そして同時に全身を焼き尽くさんばかりに燃え上がるのは───怒り。

 

 

「俺はお前を止めるッ!殺し合いを肯定するその考え......断じて許容できねぇ!」

 

「ならば我が計画の礎となり、その身をこの地へ埋めるがいいッ!」

 

 




 ハレルヤなんて言葉、久しぶりに聞きましたね。流石影胤サンです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18.決着

 原作と比べると、戦闘描写の内容があっさりしているな。と感じる方がいるかもしれませんが、このままだと影胤サンの章だけで二十話以上行ってしまうので...


「...ん?」

 

 

 ふと違和感を感じ、銀月が浮かぶ夜空を見上げる。

 そうしながらも、牛のような体格をしたガストレアの額へナイフを突き立て、すぐに引き金を引いて打ち出す。炸裂音を響かせて射出されたバラニウムナイフは、容易に強固な頭部の外皮を突き抜け、その命を奪って飛翔した。

 バレット・ナイフを下ろしてから、俺は今しがた絶命し巨体を横たえたガストレアを、向こうで戦う夏世の方へ蹴り飛ばす。すると、ボウリングのピンみたく周囲の化物どもは牛ガストレアの巨体に轢き潰され、敵の数が激減した。

 

 

「ありがとうございます。樹万さん」

 

 

 残った敵を素早く殲滅し終えた夏世は、笑顔とともにこちらへ小走りで近づいてきた。

 ...銃で応戦していたが敵が多かったらしく、近距離での交戦を余儀無くされていたようで、彼女の顔や服にはガストレアの体液が飛び散っていた。それを見た俺はバックパックからタオルを取りだし、水を含ませたあとに優しく顔を拭ってやる。

 

 

「ほれ、少し我慢してろ。このままじゃ、可愛い顔が台無しになっちまうからな」

 

「は、はい...ふふ」

 

 

 抵抗されるかと思ったが、むしろ嬉しそうな表情をしているように感じた。会った当時と比べると、少しは感情表現が豊かになってきているな。

 

 

「おっと、そうだ」

 

「どうかしましたか?」

 

 

 容量が半分以下となったペットボトルとタオルを仕舞ったあと、先程の違和感を夏世へ説明する。しかし、彼女は特に何も感じなかったらしい。

 それでも、周辺のガストレアは粗方倒したことと、夏世本人が俺の勘を信じるということもあり、俺たちは移動を開始することにした。

 

 

 

          ***

 

 

 

 

「天童式戦闘術一の型三番─────」

 

 

「『マキシマム・ペイン』ッ!」

 

「『轆轤鹿伏鬼』!」

 

 

 黄金色の薬莢が右腕から飛び出し、俺の腕は凄まじい推進力で影胤が張った斥力フィールドの壁面を穿つ。しかし、影胤は殺せなかった衝撃へ無駄に張り合わず、わざと出力を落としてうまく後方へ流した。

 すると、俺は拳を突きだした不安定な態勢で影胤の目の前に存在することになる。

 

 

「ヤバ───!」

 

「ハハハ!そう何度も同じ手は喰わない、よッ!」

 

「ッガハ?!」

 

 

 そこを影胤の足が炸裂し、腹を撃ち抜いた。

 まるでボールのように軽々と数メートルはうち上がった俺の身体を、さらに二挺のベレッタで追い討ちをかけようとする。───あれを喰らうのだけは回避しろ!

 何とか脚部のスラスターを爆発させ、進行方向へかなりの勢いで跳躍し、弾丸を回避する。

 しかし、そのあとの事を全く考えていなかった俺は、すぐに己の不用意さに後悔することとなる。

 

 

「─────しまった!」

 

 

 碌に考えもせず天高く飛び上がってしまったが、うまく着地する対策を全く立てていなかった。

 このままでは、視界の下方にある錆び付いた船の甲板に激突する!

 

 

「ぐはっ....ァ...がっ、あぁ!」

 

 

 為す術なく固い甲板に身を打ち付け、数度転がった後に勢いよく船の柵へ激突する。

 幸い右半身から落下したらしく、強固な超バラニウムが味方し、骨折や内臓の損傷は避けられた。が、響いた衝撃は容赦なく全身を揺さぶり、激しい痛みと酩酊感を俺にもたらした。

 

 

「くっ....そ」

 

 

 急いで立ち上がろうとしたが、そこで凄絶な悪寒を感じた。

 ───俺の全感覚が告げている。今すぐそこを離れろ、と。

 

 

「そろそろこの戦いを終わりにしよう。我が友よ」

 

 

 俯く己の前方から聞こえた、死神の声。

 ザワッ!と、人間の原始的な危機察知能力が発した電気信号に、俺は逆らうことなく回避を───しようとした。だが、もう遅い。嗤う奴の魔手はすでに腹部へ接触している。そして、

 

 

「『エンドレス・スクリーム』」

 

 

 俺の腹に、大きな穴が空いた。

 

 

「...は?」

 

 

 あまりの事態に思考がついていかない。ただ、下に向けた視界へ映るのは、影胤の斥力フィールドがその形状を変化させ、槍の如く俺を貫いていた光景のみだ。

 ああ。これは、駄目だ。だって、俺の大事なものが、どんどん、溢れて───

 

 

「ゴボッ!」

 

 

 ここまでくれば痛覚などない。あるのは、急速に己へ迫る暗き死のみ。

 避けることのできないその闇は、最早身体の大半を呑み込みつつある。それに抵抗する気力も、時間も俺には残されていない。

 

 

「さぁ、終幕(フィナーレ)だ」

 

 

 赤く染まった横倒しの視界の中、影胤は船の甲板を歩いて端まで辿り着く。そこまで行くと、おもむろにベレッタを構えた。

 まさか、あの場から下にいる動けない延珠を撃つつもりか?

 

 

(延珠が───死ぬ?)

 

 

 俺だけでなく、あの無垢な少女まで殺すというのか?

 

 

(延珠が───アイツに、殺される?)

 

 

 あの男は。蛭子影胤は、まだ世に残された希望を信じ、懸命に生き続けてきた延珠の未来を潰すと言うのか?

 たった一発の、黒い銃弾で。

 

 

「─────────ッ!!!」

 

 

 

 延珠と過ごした日々が、閉じた瞼の裏によぎる。

 

 苦しかった、辛かった。そんな過去を抱えながらもアイツは笑ってくれた。俺が守ってやると、この世界全ての人間がお前を見捨てても、俺だけは味方だと。そんな俺の言葉を信じて、笑っていてくれたんだ。

 今ここで俺が倒れれば、延珠は今度こそ壊れてしまう。この世界に絶望してしまう。

 

 ──────なら、こんな所で死ぬ訳にはいかないだろうがッ!!

 

 目を見開き、右手を素早く動かす。時間が無い。命そのものが零れ落ちている。

 懐にある残りのAGV試験薬をまとめて抜きとると、キャップを弾いてから一切の躊躇なく己の腹へ突き立てる。

 その直後、1本のみ使ったあのときとは比べ物にならない程の業火が身を焼き、四肢全ての感覚が脳と断絶した。

 やがて熱は伽藍となったはずの腹で激しく渦巻き、溶鉱炉を抱いているような感覚に陥る。そんな火炎の中で、今まさに死に往く内部の骨や臓器、血管などを無理矢理蘇生させ繋ぎ合わせていく。

 

 

「グッ、オオおあああああああああ!!」

 

 

 全身を得体の知れないモノが這い回っているような感覚に苛まれ、自分がその何かに侵食されていっている錯覚が明滅する自らの思考を掠めた途端、堪らず腰を折り、甲板を全力で殴りつけた。しかし、正常な思考は流れる溶岩のごとき熱波で溶け消えようとする。

 それを塞き止めるかのように頭を地へ擦り付け、やがて一際大きな絶叫とともに、地面を割るほどの勢いで両足を叩きつけて立ち上がった。

 

 全てが終わった後、最初に俺の瞳孔へ焼き付いたのは───ベレッタを取り落とす蛭子影胤の姿だった。

 

 

「里見くん....君は、一体」

 

 

 明らかに動揺した声を無視し、俺は瞳を見開いて思いきり踏み込み、同時に義足を撃発。

 壮絶な肉体再生にひきつった足は、生まれたての小鹿をして軟弱と言わしめるほどに震えていたが、己の強固な意志...延珠を守るという確たる意志で、しっかり芯を通わせる。

 影胤は思わずといった形で地に落ちたベレッタへ手を伸ばすが、そこで失態を悟ったか、すぐにあの態勢へ移る。

 

 

「ッ!エンドレス・スクリー」

 

 

 天童式戦闘術一の型十五番──────

 

 

「遅ぇんだよッ!雲嶺毘湖鯉鮒(うねびこりゅう)!」

 

 

 影胤が槍を形成し終わる前に下方から抉るようなアッパーを撃ち、同時に腕を撃発させる。

 しかし敵もさるもの、最初は出力が低めではあったが、少しずつその密度を上げて押し返し始めていた。

 

 

「ぐっ!おおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 まだだ──────まだ、いけるッ!

 俺は吠えながら続けざまに右腕を撃発させ、その拳を一段、一段と沈ませていく。そして、腕部の薬莢が尽きようかという数発目で、今まで強くあった腕への抵抗感がスッと消え、すぐに何枚ものガラスを打ち破ったかのような快音が響く。

 俺はその先にいる影胤に向かって、残った薬莢を更に吐き出しながら壮絶な拳を振るった。

 

 

「がァッ!?」

 

 

 奴が打ち上げられたところを見ると、俺は全力で跳躍し、後方に向けた状態の脚部スラスターを撃発。空中で半回転し、そのタイミングで影胤と並ぶ。

 頂点まで来た所で、俺は脚に残った全ての薬莢を炸裂した。

 

 

「天童式戦闘術二の型十一番───」

 

 

 踵がその体を撃つ寸前、影胤は俺を見た。

 すると、掠れた声で自嘲気味にこう俺へ告げた。

 

 

「はは、君のような民警に負けるのは、これで、二回目か───」

 

 

 回る視界から影胤が消える。

 

 

「隠禅・哭汀・全弾撃発(アンリミテッド・バースト)!!」

 

 

 ついに一回転した踵は彼の胸部に炸裂し、猛烈な勢いで今しがた立っていた船の甲板を突き破ると、さらに海面をバウンドして数百メートル先まで吹き飛んだ。

 一方の俺は、腕にも足にも薬莢が残っていないため、このままでは沈みかけている船に垂直落下してしまう。しかし、どうする術もなく、もはやこれまでと目を瞑りかけた瞬間、体が妙な浮遊感に包まれた。

 

 

「......っと?」

 

「蓮太郎、よかった。...妾たちは、勝ったのだな」

 

「え、延珠っ?」

 

 

 俺を抱えていたのは、左右でまとめた髪を風にたなびかせる延珠だった。

 いや、彼女は影胤との交戦で片腕、片足へバラニウム弾を撃ち込まれ、とても歩けるような状態ではなかったはず。

 そう言ってみたが、延珠はにかっと笑い、沈み行く船の柵に足をかけてから跳躍して、すぐ近くの倉庫屋根に飛び乗ると、一旦俺を下ろしてから足を見せてきた。

 

 

「足なら多少かすったくらいだったのだ。動けるまで回復したのはついさっきだけど、間に合ってよかった。妾の回避能力凄いっ!」

 

「っ───よかった、延珠」

 

「ふおっ...むふ、蓮太郎は寂しがり屋だなぁ」

 

 

 思わず抱き締めてしまったが、延珠は突き放すことなく俺の頭を撫でてくれた。

 そろそろ離れようかと思ったところで、ポケットが携帯のバイブ震動で揺れた。このタイミングだと発信相手が誰だか大体見当はついたので、取り出してから迷うことなく通話ボタンをタップする。

 

 

『里見くん、よく頑張ったわね。一部始終しっかり見させて貰ったわ』

 

「あぁ、ありがとう。木更さん」

 

 

 聞き慣れた、しかしこの状況に限っては何よりも安心する人の声音に、思わず目頭が熱くなってくる。

 すぐに目元を拭うと、悪戯っぽい笑みを浮かべる延珠の頭をわしわしと撫でてからスピーカーへ意識を向けた。

 

 

『大仕事のあとで疲弊しているところ申し訳ないんだけど。───ちょっと、悪いことが起きたわ』

 

「悪いこと?」

 

ステージⅤ(ゾディアック)ガストレアが、現れたの』

 

「う、そだろ?」

 

『残念だけど、冗談じゃないわ。里見くん、私は今東京エリアの重鎮たちが集っている...JNSC会議室にいるの』

 

 

 最初は言葉の意味を図りかねたが、スピーカーの奥の方で木更さん以外の誰かが大声で騒ぎ立て、椅子や机を蹴るような音まで聞こえた所で、ようやく理解した。

 

 

「東京エリア最後の砦が、混乱状態に陥っている...てことは、やっぱり」

 

『そうよ。こっちはステージⅤ、スコーピオンの対応に追われているわ。最新鋭の武器を使って攻撃を続けてるけど、全く効果なし。お陰で御偉いさん方はパニックよ』

 

 

 俺は片手で顔を覆いながら、赤い光を断続的に明滅させる東京湾の地平線を眺める。

 ステージⅤは召喚されてしまった。ならば、もう俺たちに残される道は───

 

 

『聞いて、里見くん。まだ諦めるには早いわ。...可能性は、残ってる』

 

「っ!ステージⅤを倒す方法があるのかっ?!」

 

『ええ、たったひとつだけ。それは───』

 

 

 

          ***

 

 

 

「うっ.....あ、れ?蓮太郎さん...?」

 

「大丈夫か?飛那」

 

「痛ぅ...あれ?私───はっ!そうだ、蛭子影胤はッ?!」

 

 

 木更さんとの電話を終えた俺は、気を失っている飛那の元へ来ていた。

 彼女は目を覚ますと、暫く打った後頭部や背中に手を当てて唸るが、すぐに今までの事に気付き、俺へ詰め寄ってきた。

 

 

「大丈夫、もう終わったぜ」

 

「そう、ですか...役に立てなくてすみません」

 

「そんな事はないぞ飛那!妾だって腕と足撃たれて動けなくなったからな!」

 

「延珠。それ自慢することじゃねぇよ」

 

 

 笑う延珠にジト目を向けてやるが、本人はどこ吹く風だ。しかし、少しは飛那の気持ちを楽に出来ただろう。

 

 

「では蓮太郎さん、任務完了...ということですか?」

 

「いや」

 

「?」

 

 

 飛那は首を傾げ、疑問符を浮かべる。

 確かに、元凶である蛭子影胤は倒されたのだから、もう東京エリアの危機は去ったと誰しも考えるだろう。

 だが、事態はむしろ悪化していた。

 

 

「ステージⅤガストレアが現れちまったんだ」

 

「!そんな───何とかならないんですかッ!?」

 

 

 飛那は目を見開き、絶望したような声を上げる。しかし、俺はこれに対する返答を用意していた。

 

 

「『天の梯子』を使って、奴を消し飛ばす。これが東京エリアを救う、ただひとつの方法だ」

 

 




 影胤サンがぶっ飛ばされるシーンをアニメで見た作者は、「うわああああ力ちゃんがぁ!?」と、盛大に嘆きました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19.救出

 今回は前話終了時より時間が巻き戻り、オリ主視点で進行します。


 俺は黄色い箱から取り出した、長方形ブロック状のクッキーを齧る。そのあとに口内で瓦解させ、蠕動運動に舌を交えて喉の奥へと送り込んだ。

 そんなのんびりと咀嚼を続ける俺の目前では、東京エリアの明暗を分けるだろう激闘が繰り広げられている。

 蓮太郎は主にバラニウムの拳と足を交えて近接攻撃を仕掛け、影胤はそれを斥力フィールドで防ぎながらカウンターを狙う。先ほどから続けられている攻防は、正にそれの応酬である。

 

 それにしても、影胤だけでなく蓮太郎まで機械化兵士だとは思わなかった。...だが、これは嬉しい誤算の方へ入るだろう。

 

 

「あっ!」

 

 

 蓮太郎が影胤の蹴りを喰らい空高く打ち上げられた所で、俺は思わず潜んでいた倉庫端から身を乗り出す。すると、隣から同じくブロック状のクッキーをもそもそと口に含む夏世が、俺のシャツを掴んで首を横に振っていた。

 

 

「樹万さん、見えちゃいますから隠れていて下さい」

 

「む、分かったよ」

 

 

 大人しく身体を引っ込めてから、残った欠片を口に放り込んで飲み込む。パサついたモノを食べたせいか喉が渇いてきたので、すぐに水の入ったペットボトルを取り出して流し込む。

 

 

「これは美味しいですね。...ふむ、カロリーメイドなのは分かりますが、一体何味なんですか?樹万さん」

 

「ドラゴンフルーツ味。何故か人気無いんだよなぁ、こんなに美味しいのに。な?」

 

「ふふっ...不人気の理由は恐らく、味が連想出来ないからでしょうね」

 

 

 なるほどな、と言いながら、袋に入ったもう1本のカロリーメイドを取り出し、齧りつく。程よい酸味と甘味に合わせ、異国のフルーツらしいジューシーさを損なっていない味わいが味覚を刺激する。かと思いきや、クッキー独特の歯応えでフルーツには無い満腹感を得られる。とても栄養補助食品とは思えないですね!

 と、食レポのような言葉を並べているうちに、あちらで動きがあった。

 

 

「おぉ!」

 

 

 蓮太郎の拳が影胤の斥力フィールドを貫通し、甲高い破砕音を響かせた。続けてもう一発薬莢を吐き出してから、威力をさらに増加させた強烈なアッパーで今度は影胤が天高く打ち上げられる。

 しかし蓮太郎はそれに留まらず、足から薬莢を撃発させて大跳躍し、空中で一回転の回し蹴りを炸裂させた。

 

 

「ぬおっ!」

 

「きゃっ!」

 

 

 俺たちの潜伏場所は二人の戦闘場所から結構近かったため、影胤が海面に着弾したときの水飛沫を結構浴びた。

 と、目を細めながらも完全に瞑らなかった前方へ向けた視界の隅に、黒い何かが映った。その後すぐ、俺は直感で咄嗟に背後の夏世を庇う。

 

 

「ぐぅっ!」

 

「樹万さん?!」

 

 

 直後、船から飛んできた甲板の破片が俺の腹に突き刺さり、盛大に喀血する。...もし俺がここに立たなかったら、夏世の頭に直撃していただろう。よくやった俺。

 見るからに今の俺は重体だが、それでも百メートル程先の海に沈んだ影胤を救出するのが先だ。まずは腹に刺さった邪魔な破片を抜くことにする。

 

 

「ぐっ、あァッ!」

 

「樹万さんッ!そんな事をしたら傷口が!」

 

 

 乱雑に抜き取った後、血の塊を吐き出しながら破片を近場に放り捨て、安心させるために慌てる夏世の頭を撫でる。それでも彼女は悲痛な面持ちで、こちらを向いた俺の腹を血塗れになりながらも押さえていた。

 夏世には悪いが、その手を掴んでゆっくりどける。

 

 

「樹万さん!今すぐ治療を!でないと死んでしまいますッ!」

 

「いや、大丈夫だ。夏世はここにいてくれ。すぐ戻る」

 

「イヤです!行っちゃイヤですっ!このままじゃ....ぐすっ」

 

「おいおい」

 

 

 踵を返した俺の腰へ抱きつき制止を叫ぶ夏世の声には、明らかに涙が混じりつつあった。

 そこまで心配されるとは思ってなかった俺は、面喰らいながらもすぐに目下の行動を破棄して彼女を落ち着かせる。

 

 

「ほ、ほら夏世っ?もう治ってるから!な?」

 

「うぅ、下手な嘘つかないでくださ───え?」

 

 

 穴が空いていた筈の腹へ夏世の手を手繰ってやると、そこで嘘のように傷が塞がっている事実を理解したようだ。

 彼女は尚も血塗れな手で俺の腹をまさぐるが、服についた血液を残して、傷は完治していた。というか、そこまで撫で擦られるとくすぐったい。

 

 

「確かにあったはずなのに。一体どういう」

 

「ま、後で説明するよ。今は他に目的があるから」

 

「...はい、分かりました」

 

 

 最後に頭をひと撫ですると、多少納得が行ってない表情ながらも、夏世は俺から離れてくれた。

 

 ───では、あの時の借りを返しに行きますか。

 

 

「ふっ!」

 

 

 倉庫の影から飛び出し、船の停泊所を突っ切って古びた桟橋に入った。段々と海が近づいて来るが、歩みを止めずに走り続ける。

 

開始(スタート)、ステージⅢ。形象崩壊のプロセスを介さず体内組成変換。適正因子からの遺伝子情報共有完了。複合因子....モデル・ベア&アリゲーター』

 

 四肢から聞こえる悲鳴を聞き流し、己の身体が凄まじい勢いで水中の行動に適した構造へ変化していく感覚のみを受け取る。

 形象崩壊を抑えたはずだが、幾つかの細胞が突然変異を起こしたらしく、数本の爪や歯が鋭くなり、下半身の一部の体表がワニのそれに近くなっていた。

 

 

「ま、いいや」

 

 

 複合因子の一括発現をするとよくあることなので、動作に支障がないこともあり、気にせず桟橋の先から海へ飛び込んだ。

 冷たい水が、鈍くなった感覚を貫いてまで脳へ冷感信号を送る。俺はそれに構わず、ホッキョクグマの規格外な腕力で海中を泳ぎ、ワニの長時間潜水能力と合わせ、沈んだ影胤の下へ急ぐ。

 

 

(確か、ここらへんだったはず───)

 

 

 しばらく泳ぎ続け、影胤が沈んだはずの場所までたどり着いた。海中が少し濁ってはいるが、ワニの視力ならば問題はない。

 海中を漂いながら注意深く底へ視線を向けていると、不気味に浮き上がる白い仮面が見えた。かなりびっくりしたぞ。

 

 

(発見ッ!)

 

 

 探しはじめてから既に五分以上経過している。今は兎に角時間が惜しい。考える時間はないので、影胤の両脇を抱えてから全力で水を蹴る。

 ものの数秒で海面へ上がると、先ずは彼の心音を確認、と思った矢先に、ゲホゲホと咳き込む声が隣から聞こえた。

 

 

「はっは....いや、助かったよ美ヶ月くん」

 

「おー、流石にしぶといな」

 

「フフ、それはお互い様だろう?」

 

 

 吐き出される軽口を顔に付着した海水と一緒に払いながら、俺は急いで岸へ向かって泳ぎ出す。何気なく後ろを見ると、奴も足をばたつかせていた。どうやら、下半身の損傷はほとんど無いらしい。

先刻の激しい戦闘で沈没する船に巻き込まれないよう多少の距離を取りながら迂回していると、背負われた影胤から疑問の声が上がった。

 

 

「泳ぎ速いねぇ....道具でも持ってきたのかい?」

 

「どうだろうな」

 

「君は本当に掴み所のない人間だ」

 

 

 もう岸で手を振る夏世の姿が見える。俺はそれに控えめな返答を返していると、気になった事があったので影胤に聞いてみた。

 

 

「小比奈はどうした?」

 

「ああ...娘には後で謝っておかなければな。実に情けない姿を晒したよ」

 

 

 影胤は少し視線をずらして、街の船着き場辺りへ向けた。気になった俺もそれにならって目を動かすと...岸を小走りで駆ける小比奈がいた。

 それを見た夏世が驚いていたが、必死に影胤と俺へ向けて手を振る彼女に敵意が全くないことを悟ったか、腿に掛けてあったワルサーP99へ伸ばした手を引っ込めていた。

 

 やがて岸へ辿り着き、背中に乗せた影胤を持ち上げる。

 

 

「んしょ...っと。ほれ、上がれるか?」

 

「ヒヒヒ、無理だと言ったら上げてくれるかな?」

 

「....夏世、このアホを突き落としてくれ」

 

 

 岸にいる夏世へ言うと、察してくれたらしく足を振りかぶって来たので、それを見た影胤は慌てて陸へ上がった。しかし、途端に小比奈が飛び付いて来たため、また落下しそうになっていたが。

 

 

「タツマ!パパを助けてくれてありがとう!」

 

「おうおう、これで貸し借りなしだぞ」

 

「?......お二人の間柄には、何か確執があったみたいですね」

 

「フフ。まぁ、色々とね」

 

 

 影胤は衣服の水を軽く落としながら含み笑いを漏らすが、少し顔色が悪そうだ。まぁ、それもうなずける。何故なら、彼の胸骨は蓮太郎によって完全に粉砕しているだろうから。

 俺は濡れるのも構わず抱きついてきた小比奈の背中を撫でながら、密かに危ない綱渡り状態である影胤へ告げた。

 

 

「さ、とっとと逃げとけ。また聖居の連中に補足されたら厄介な事になるぞ?」

 

「そうだね。じゃあ、お言葉に甘えて退散させて貰うよ...小比奈、おいで」

 

「うん」

 

 

 一度ぎゅっと腕に力を込めてすりよってから離れた小比奈は、最後にもう一度俺へお礼を言ってから、影胤と連れ立って錆びた街の闇へと消えていった。そして、完全に見えなくなってから大きなため息を吐く。

 一先ず、これで俺の仕事は終わった、な。そんなふうに安心していると、ムスッとした不機嫌顔の夏世が俺の腰に腕を回してきた。

 

 

「あの娘の背中撫でてました」

 

「いや、あの」

 

「撫でてました」

 

「ハイ。すみません」

 

 

 夏世のする無表情の圧力は怖い。分かりやすくその恐ろしさを伝えるなら、約十年血河の流れる修羅場を潜ってきた俺でも肝が冷えるほど。

 勝機のない白黒盤上に早々白旗を揚げ、夏世の柔らかい髪に指を絡めて優しく梳いてやる。目を細めて俺の胸へ頬を寄せているのを見るに、お気に召してくれたようだ。

 

 ずっと無言でこうしているのも何だし、何か話題を振ることにするか。

 

 

「そういえば、夏世は何の因子を持ってるんだ?」

 

「ん.....イルカです」

 

「イルカかぁ...なるほどな」

 

「何がなるほどなんですか?」

 

 

 目線でも訴えて来たので結構気になるらしい。それにしても、普段眠たげな子の上目遣いは破壊力が凄まじいことこの上ないな。少し不安げに瞳を揺らしているのも相まって、更にその威力を底上げして来ている。

 俺は努めて冷静さを保ちながら腕の動きを止めぬまま、夏世に目線をあわせて答える。

 

 

「気分屋で、のんびりしているようだけど実は鋭く強か...イルカの性格とちょっと似てる」

 

「そ、そうでしょうか」

 

 

 多少恥ずかしそうに視線を逸らしながら、顔を俺の胸に埋める夏世。そんな彼女の反応に笑いながら、続く言葉をかけてやる。

 

 

「でも、本当の夏世は誰かに頼りたくても言い出せない、自覚なしな甘えん坊さん。俺はそう思ってるかな」

 

「...樹万さん」

 

「怒ったんならスマン。でも、もしそうなら遠慮なく俺を頼って、いいや、甘えてくれて全然構わないんだ。...そんな相手、今までいなかったろ」

 

 

 頭を掻いてから、途中で恥ずかしくなって海へ向けていた視線を、夏世のいる方へ戻した...その瞬間、瞳を赤くした夏世に両頬を挟まれ、訳のわからぬまま強引に下方へ引っ張られる。

 首が取れちまう!と思った矢先、すぐに口元へ柔らかな感触が走った。

 

 

「んっ....」

 

「!......!?」

 

 

 しばらく目を白黒させていたが、夏世の艶かしい吐息が己の口内に侵入してきた感触で、ようやく自覚する。───俺は、彼女にキスをされてるらしい。

 視界に目一杯広がるのは、白くて柔らかそうな肌。そして、閉じられた事でよく強調された長い睫毛。淡雪を張り付けたような肌とは対照的に頬は赤く上気しており、眉尻もかなり下がっていた。

 

 

「ちゅ.....っはぁ...」

 

 

 軽く啄まれたのを最後に、ようやくお互いの顔が少し離れる。...それでも、鼻の先が当たるくらいの至近距離だが。

 薄目を開ける夏世の濡れた瞳は、俺の見開いた状態の視線と完璧に絡み合っている。よく見ると涙まで浮かび始めていた。

 

 

「.........っ」

 

 

 俺は堪らなくなり、思わず彼女の頭を撫でてしまう。そして、それが引き金となり、夏世の端正な顔が再接近する。

 避ける理由など、ない。故にこちらもそれを受け入れようとして───、

 

 

「っ!」

 

 

 しかし、腰のポケットに入れた携帯電話が震える振動ではたと我に返る。目前で固まる夏世も気まずそうな表情で俺から離れ、何処か迷うような素振りを見せた。

 なんとも言えない空気に耐えかねた俺は、携帯を抜き取ろうとポケットへ手をゆっくりと伸ばす。その途中で、前方に立つ夏世が動いた。

 

 

「樹万さん...出て、下さい」

 

 

 恥ずかしそうに頬を染めながらか細い声でそう言った夏世は、それでもしっかりと俺を見ていた。

 頷いてから素早く取り出し、バイブが切れる前に急いで通話をタップ。───その瞬間に聞こえてきた声に、俺は驚愕した。

 

 

『おッせーんだよ!ワンコールで出ろやクソ坊主!』

 

「え....オッサン?!」

 




黒緑餅「ディープ!ディープ!」

白緑餅「R15」

黒緑餅「」


 まぁ、仕方ないですよね。

 ちなみに、オリ主はまだ飛那と出会えていません。
 オリ主と夏世は民警たちの通る道から大きく外れ、海沿いの√を通って来たので、街の中は探索せずに直接船着き場へ行き、途中で影胤サンとれんたろーのバトルを目撃して身を隠した次第です。もし、二人が街中で戦っていたり、飛那が気絶させられていなければ感動の再会(?)でしたね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20.結末

 今話で登場するステージVガストレア・スコーピオンは、とんでもなく巨大で大質量の化物です。
 外皮は大抵の兵器を受けても跳ね返せるほど硬質で、毒ガスを使ってもウイルスの働きにより無毒化され、生半可なバラニウム武器ではすぐに傷が塞がる。文字通りの化物であります。

 前話での説明が足りなかったかと思い、改めて補足説明させて貰いました。


『簡単に言うと、だ。ステージⅤガストレアを、里見蓮太郎が天の梯子で倒す。だが、起動時に周辺のガストレアが群がる可能性がある。ソイツらを掃討するのがお前の役目だ。...あぁー違うそっちじゃない。こう配置しないと南側が手薄になんだろ?』

 

「分かった。ってか今、JNSC会議室にいるのか?」

 

「んぁ?そうだぜ。こんのオッサン共は型通りの作戦しか脳にねぇからな。口出ししてんだ」

 

 

 一応、要人が詰める最重要拠点だ。あまり不用意な行動は慎んでほしいものだが。

 それにしても、と俺は森の中を夏世とともに疾走しながら、頭の中で悪態の口火を切る。

 影胤の奴、とんでもない置き土産を残して退場していきやがった。まさか既に召喚を終えていたとは。

 

 

『カカカ!しっかし数年ぶりにした会話内容がこれとは、随分と乙なもんだな樹万』

 

「うっせぇ!この作戦が終わったら、真っ先にテメェのトコ行ってやるからな!待ってろよ!?」

 

 

 それを最後に通話を終えると、ポケットへ携帯を素早く仕舞い、その動作の延長線上で腰に差したバレット・ナイフを抜き、前方へ突き出す。

 そこへ飛び出してきた魚のようなガストレアの額にバラニウムナイフが深々と突き刺さり、すぐ顎を蹴り砕いてナイフを抜く。さらに、予めかけておいた指でロックを外すと、引き金をしぼってバラニウムナイフを射出。脳天へ穴を空け完全に絶命させる。

 

 

「相変わらず凄まじい手際の良さですね!」

 

「ありがとよっ!」

 

 

 目前に聳える天の梯子がようやく起動シークエンスを始め、けたたましい警告音と作動音が辺りへ鳴り響く。これは間違いなくガストレアを呼び込むな。

 俺は予備のマガジンを口にくわえ、集まるガストレアを次々に射殺していく。

 

 

「夏世っ!俺から離れるな!」

 

「は、はいっ」

 

 

 既に夥しい数の赤い目が木々の間から覗き、完全に囲まれているのが分かった。これは、流石に銃のみで対処できるレベルを越えている。

 ──────ならば。

 

 

『開始、ステージⅣ。四肢全てを形象崩壊させ発現。他因子からの強化遺伝子情報適合確認。攻撃特化型複合因子...モデル、リザード』

 

 

「ガアアアアアアアアッ!!」

 

 

「た、樹万さん?!」

 

 

 全身が固い鱗で覆われていく中、咆哮を上げながら己の体を軋ませる。周囲のガストレアは脈絡の無い俺の奇行に驚いたらしく、動きを止めて様子を見ていた。

 その隙を狙い、まだ完全な細胞の変化を終えていないが、構わず呆然とする夏世を背負ってから長い尻尾を一閃させ、ガストレア共を薙ぎ払う。

 

 

「うおっ、とと」

 

 

 形象崩壊をさせたお蔭で身体の体積がかなり変化しているので、人間であるままの考えを入れて行動すると平衡感覚が狂う。

 と、トカゲの顔になってしまっても普通である俺の声を聞いたのか、肩に乗せられた夏世は目を丸くして問い掛けてきた。

 

 

「樹万さん、ですよね.....?」

 

「はは、そうだ。脅かしてすまんな」

 

「も、もう...驚きましたよ。本当にガストレア化しちゃったのかと思って」

 

「ごめんごめん。でも今は、ちょっとお説教を後回しにしてくれないか?」

 

 

 立て続けに尻尾を振るってガストレアを弾き飛ばす俺へ頷き、腕から降ろされた夏世は少し距離を空け、銃での援護を続けてくれた。

 

 

「よし、かなり数が減って来たな」

 

 

 俺は尻尾での攻撃を止め、危険なガストレアのみを集中的に狙って飛び掛かる。

 勢いを削がれた状態で前線の戦力に致命的な打撃を与えた事が功を為し、敗走する奴もちらほら見え始めた。

 

 

「このままなら勝てる───ッ!?」

 

 

 鋭くなった爪を振るい、上手く二体のガストレアを切り裂いた瞬間、長年培ってきた危機察知能力が防御態勢を取れと喚いた。

 俺はそれに逆らうことなく両手を交差させ、素早く顔面を死守する。

 

 

「ぐあっ?!」

 

 

 その瞬間に、対戦車ライフルの弾丸でも飛んできたのかと勘ぐる程の衝撃が俺の両腕を叩き、あらゆる生物の遺伝子を配合して編み上げた強硬な鱗が、破壊された。

 威力を完全に殺しきれなかったらしく、足を滑らせて数十メートル後ほど後退したあとに、震えながら大量の血液を流している腕を降ろす。

 視線の先に佇んでいたのは、大木のような四つの足で立ち、首長竜が如く頭を揺らす、そこらのガストレアより群を抜いて巨大な化け物だった。

 

 

「ステージ、Ⅳか...!」

 

 

 先程の一撃は、建つビルさえ一撃で倒壊出来そうな太さの尾から繰り出されたものらしい。複合因子にしてなかったら恐らく死んでいただろう。

 俺はすぐに攻撃特化型から防御特化型へと体内組成を変化させ、より強硬な鱗を生成した。度重なる遺伝子操作に身体が悲鳴を上げるが、俺は気にせず飛んできた尾を再度受け止める。

 

 

「っぐ!」

 

 

 多少腕が痺れ、足も地面に沈んでしまうが、今度は衝撃に耐えきった。だが、それも序の口、今度は長い尻尾を鞭のようにしならせて連続で振るう。

 避けることはできる。出来るが、それをすれば大質量の物体が地面を叩いた衝撃で、決して遠くない距離で戦う夏世の身にまで危険が及んでしまう。

 

 

「くっ───がふっ?!」

 

 

 弱点である頭のみを守っていたことが災いし、木々を薙ぎ倒しながら水平に振るわれた尻尾が、無防備だった俺の右半身へ直撃した。

 足で蹴られた路傍に転がる小石の如く何度も地面をバウンドし、天の梯子のコンクリート塀に激突してやっと止まる。

 

 

「がっは...ッ!!」

 

 

 幾ら防御特化とはいえ、耐えうる衝撃には限度がある。そして、今受けた一撃はそのキャパシティを言うまでもなく上回っていた。

 背後にあるのは、東京エリアに残された最後の希望、天の梯子。

 まだ発射される兆しは無く、エネルギー充填率などの小難しい単語を並べ立てながら、先ほどの一撃でおかしくなったはずの俺の鼓膜を無理矢理震わせる。

 

 

「ッチ、蓮太郎....早く、しろ。馬鹿...」

 

 

 痛みを堪えて壁から這い出し、地面へと降り立つ。同時に、喉の奥から駆け上がってきた血液を吐き出した。

 それを一切気にすることなく、俺は人類が生み出した負の遺産を死守するために、前の敵だけを見据える。

 

 

「じゃねぇと───俺が、ステージⅤ(ゾディアック)を殺っちまうぞ」

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「クソっ!何で...何でよりによって俺なんだよ!」

 

 

 俺はコントロールパネルへ拳を打ち付け、音信不通になった携帯電話へ恨めし気な視線を注ぐ。しかし、通信していた木更さんとの交信はここの強力な磁場の影響で途絶えた。

 

 悪いことは重なるもので、彼女との会話が途絶える寸前に聞いたのが、弾丸役を担うバラニウム徹甲弾の装填不能...残弾0という事実だった。

 延珠と飛那も、最早絶望的な表情でスクリーンへ映し出されたステージⅤ(ゾディアック)ガストレア、スコーピオンを眺めるのみだ。

 

 

「............」

 

 

 その巨躯はゆっくりと移動しており、追随している数機の戦闘機へ向かって無数の触手を振るい、応戦している。

 と、赤い燐光を振り撒きながら、頭部とおぼしき場所へ連続して空対空ミサイルが着弾した。しかし、爆炎を掻い潜るように伸ばされた触手が一機、また一機と戦闘機を貫き、先程上がった赤色と同じくらいの炎を巻き上げてから墜落していく。

 

 俺がここで立ち止まっていれば、あれ以上の人間がいとも容易く殺される。

 ───そんな光景を黙って見ていることは、許されない。

 

 考えろ。何か、何かあるはずだ。思考を止めるな。

 必要なのは弾丸となるバラニウム。それも、音速を超える速度で飛翔するエネルギに耐えられる純度の高いバラニウム───待て。純度の高い、バラニウムだと? 

 

 

「...蓮太郎?何をするつもりなのだ?」

 

 

 俺は右手の指を弓矢のようにすぼめてから、左手で上腕骨の裏、本来の腕なら上腕三頭筋が覆っている辺りを探り、見つけたボタンを押し込んだまま腕を反時計回りに回転させ、そのまま右腕を肘の先から丸々取り外した。

 

 

「まさか、蓮太郎さん。それを」

 

「ああ、超バラニウムでできた右腕だ。こいつなら恐らく...!」

 

 

 腕をチャンバー部へ送り込み終わった所で、飛那は得心が行ったように目を見開いた。

 俺はそんな彼女に頷きながら、分析を進めるモニターへ視線を移す。

 結果は、程なくして表示された。

 

 

「よし、行けるぞ....!」

 

 

 パネルに映った光速の五%まで耐えられるという内容の文に笑みを漏らしていると、手動発射へ切り替える旨を伝えるアナウンスが入り、コントロールパネルから操縦桿のようなものがせりだした。

 席に座ってからよく見ると、それにはトリガーらしき引き金がついており、生唾を飲み込みながら慎重に左手を添えた。

 しかし、

 

 

「っ........」

 

 

 駄目だ───遠い。あまりにも、遠すぎる。

 

 房総半島に存在する天の梯子から、標的であるガストレアがいる東京湾までの距離は...約五十キロ。

 さらに手動で狙撃しなければならない上、チャンスは一度きり。条件はまさに最悪だ。

 

 

「クソ........無理だ...俺にはッ....!」

 

 

 震える手で顔を覆い、絶望する。

 こんなのは不可能だ。だって、当たる確率は多く見積もっても一%すらない。

 折角、ここまで来たのに。もう東京エリアの命運は─────、

 

 

「大丈夫だ。蓮太郎なら絶対当てる」

 

 

 隣から優しい声が聞こえたと同時に、俺の頬へ、延珠の小さくも暖かい手が添えられた。

 それにハッとし、影胤と戦い、そして瀕死に追い込まれた時に駆け巡った想いを脳裏へ今一度浮かばせる。

 少しずつ弱い己を押し込めていく俺へ、今度は飛那の力強い言葉が耳朶を打つ。

 

 

「蓮太郎さん、私が持てる力を全て使ってタイミングを見計らいます。それに習って発射してください」

 

「飛那...ッ、できる、のか?」

 

「はい、確実に当てます。いえ、当たります」

 

 

 俺は深呼吸をしてから強く頷き、再度操縦桿を握り込むとトリガーへ指を掛ける。

 そこに笑顔の延珠が手を重ね、これで運命に立ちむかう準備が出来た。

 

 そして──────。

 

 

「──────きた。蓮太郎さんッ!!今です!」

 

 

 飛那が叫んだ瞬間、確かに浮動するターゲットがステージⅤ(ゾディアック)ガストレアへ重なった。...そのコンマ数秒前に、俺と延珠は迷うことなくトリガーを絞る。

 

 

 途端、視界が光に塗り潰された。

 その中で、俺は光の矢がガストレアの巨躯を貫く光景を...確かに、見た。

 




 今回は文字数が少なかったですね。

 兎も角、ようやく続いたシリアス戦闘回は一旦終了です。次の話からは日常が多くなって来ます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21.生者

 影胤サンの章はこの話にて終了です。

 犠牲者がいないっていいですね。...え?モブキャラ?そんな奴等は知らないよ(すっとぼけ)


 かなりの距離を吹き飛ばされたことで、夏世の戦うエリアとは大分距離を開けられた。

 再度体内組成を攻撃特化型へと変化させ、今まで真正面から受けていた大質量の攻撃を避け、オッサン直伝の無手で奴の尻尾を爆散させた。

 

 そこからは一方的な部位破壊を繰り返し、最終的には両前足を砕いて転倒させ、頭へ強烈な一撃を叩き込んだ所でステージⅣガストレアは絶命した。

 

 夏世の方も大方の敵は片付いたようですぐに合流したのだが、それとほぼ同時に天の梯子から強烈な光が迸り、凄まじい衝撃波によって吹き飛ばされる。

 

 しかし、すぐに体勢を立て直して俺は全力で駆けた。木々を抜け、ガストレアの死骸を飛び越え、只一つの目的地へ向けて突っ走る。

 

 蓮太郎は、今の一発で確実にステージⅤを仕留めただろう。

 ならば、その後に俺がすることは、

 

 ────待ってろよ。そのアホ面に絶対一発喰らわせてやる。オッサン...!

 

 

 

          ***

 

 

 

「で、駄目だったと」

 

「ぐ.....」

 

 

 そう呆れたように言った男は、俺が剥いてやったリンゴに左手を伸ばしてかじる。

 

 ────そう、オッサンには会えなかった。

 会議室にいた木更へ聞いたところ、ステージⅤガストレアの消滅が確認されたと同時に、一言も告げずさっさと出ていってしまったらしい。しかも、室内にいた全員に気付かれず、だ。

 

 

「ったく、俺のことはいいから自分を心配しろよ。伊熊将監」

 

「..........」

 

 

 リンゴを食べ終わると、男....将監は失われた右腕に目を落とす。かけられた薄布はその箇所だけ膨らみがなく、否応なしにその現実を突き付けられる。

 

 

「民警、辞めるんだって?」

 

「────ああ」

 

 

 ここへ来るときに、三ヶ島という男に出会った。

 彼は俺の顔を見かけると、病院の中にも拘わらず、うなじが見えんばかりの平身低頭ぶりでお礼を言ってきた。

 突然だったので焦ったが、将監の所属する会社の社長だと聞いたところで納得がいった。本人から聞いて、顔をある程度把握していたのだろう。

 

 そして、そんな三ヶ島の口から紡がれたのは、伊熊将監が民警を辞職するというものだったのだ。

 

 

「やっぱり、右腕か?」

 

 

 利き腕である事と、主力であるあの大剣を振るっていた右腕がなくなったとあれば、確かにその結論が出るのはおかしくない。

 しかし、いま俺の目の前にいる将監からは、それ以外の何かを感じさせた。

 

 

「夏世が、な」

 

「...あいつがどうかしたのか?」

 

 

 将監のイニシエーターである彼女は、まず己と彼の二人だけで話をしたいと俺に告げ、一足先に面会を済ませている。今は病室の前にいるだろう。

 冒頭を聞く分だと、どうやらその折に何か言われたらしい。

 

 

「『頑張れ』って、俺に言ったんだ」

 

「......」

 

「はは、おかしいよな?あんだけの事させときながら、励ましたんだぜ...この俺をよ」

 

「そうか」

 

「ああ、笑えるぜ」

 

 

 そう言いながらも、彼の瞳は真剣そのものだった。

 やがて瞳を閉じた将監は、意を決するように深い呼気を挟んだあと、首を傾けて瞼を開き、天井を睨む。そして、

 

 

「まだガキだった頃。俺の価値観はガストレアにぶち壊された」

 

 

 将監は、己の過去を口にし始めた。

 訥々(とつとつ)と語られるその内容は、思わず目を覆いたくなるようなものばかりだ。

 

 ────目前で実行される、度重なる凄惨な殺戮。立ち向かう勇気も力もなかった自分は、物陰に身を隠しながら、ただそれの終わりを待った。

 そして、己は幼き記憶へ、生ある者より死に逝く者の姿を濃く網膜に塗りつけられたが為か、生者の価値を見出だせなくなってしまった。

 

 

「俺は生きている人間が嫌いだったんだ。なんつーか、本来は『死んでいる』姿が『生きている』んだと。それが正常なんだと思ってた」

 

「.....治ったのか?」

 

「がむしゃらに刃物振り回していた時期よりは、な」

 

 

 将監は一旦そこで言葉を切り、上げていた視線を窓の外へ移してから続けた。

 

 

「民警になったのは、ガストレアを殺すことで殺人衝動を抑えるためだった。...だが、夏世と出会ってから悪化しちまったんだ」

 

「?なんでだ」

 

「簡単だ。アイツは、俺なんかよりずっと繊細で、敏感で、頭が良かったからさ」

 

 

 将監は左手でベッドの白いシーツを握りこんで皺を作りながら、それと同じくらい眉を顰めて苦々しい表情をする。

 

 

「気に入らなかった。俺のことを全部理解しているかのようなアイツの目が、表情が。だから、『コッチ』へ引き摺り込みたくなった。死が正常の、最悪な世界へとな」

 

「なるほどな。....それで夏世に人殺しをさせたのか」

 

「ああ、そうだ。今頃になってそれが異常だって分かってきたんだ....はは、馬鹿だよな」

 

 

 自嘲気味に嗤った将監は、少しの間を空けてから俺の方を向く。

 

 

「俺は夏世の幸せを奪った。...だが、テメェならそれを取り戻せるはずだ」

 

「俺が?」

 

「そうだ。どうやったのか知らねェが、アイツはテメェに全幅の信頼を寄せてる」

 

「ほう、何でそんなことが分かるんだ?」

 

「仮にも長い間パートナーやってたんだ。それくらいはな」

 

 

 未踏査領域で初めて会った時と同じ底意地悪い笑みを張り付かせるが、すぐにひっこめる。

 そして、突然俺へ頭を下げてきた。

 

 

「夏世を頼む。...テメェが民警じゃねぇ事は分かってて言う事だ」

 

「いいのか?俺で」

 

「ケッ、アイツはテメェにベタ惚れだっつの鈍感野郎。あの様子じゃあ、もう誰のプロモーターにも付けねぇよ」

 

 

 将監は、言わせんな馬鹿とでも吐き捨てそうな顔で俺を睨みながら、左手の甲へ顎を乗せる。

 一応夏世の好意には気付いていたので、彼が言うほど俺は鈍ちんではないはずだ。そうに決まってる。

 そうとなれば、少しだけ謂れの無い暴言に対する反撃をさせて貰おう。

 

 

「なら問題ないか。お前が了承くれねぇと駄目だからよかったわ」

 

「?なんの話だ」

 

「実はな...聖天子直々の頼みで、俺は民警へ復帰することになった。んで、特例なんだが、俺の一時的なパートナーとして夏世が立候補したんだ」

 

「はぁ?!なんだそりゃ聞いてねぇぞ!」

 

「見舞いに来る直前のとこで決まった事だからな。まだ聖天子と俺と、夏世ぐらいしかしらない事実だぜ。嬉しいだろ」

 

 

 手の甲へ乗せていた顎を滑らせるほど驚いた将監だったが、夏世の行き先は望み通りの形へ収まったも同然なので、不満げな顔ながらも、どこか安心した色を含んでいた。

 

 

「はぁ....ったく、好きにしろ。だがな、これだけは言っておく────夏世の事は幸せにしてやってくれ。俺が言える資格なんざねぇだろうが、それでもだ。頼む」

 

 

 随分と態度も雰囲気もコロコロ変える男だ。しかしまぁ、この伊熊将監の方が俺は好きだ。無論、変な意味ではなく。

 しかし、こんなしんみりした空気のままお別れはどうも締まらない。なので、再度頭を下げた将監が顔をあげるのを見計らって、俺は唐突に叫んだ。

 

 

「あぁ!あそこに素っ裸の夏世がッ!」

 

「何ィ?!」

 

「マジで引っかかる奴があるか!」

 

 

 明らかに嘘だと分かる文字通りの嘘に、見事な反応で引っ掛かってくれた将監の頬へ張り手を喰らわす。

 あべしっ!という謎の呻き声を上げた彼は、暫しそのままの状態で固まると、虚言に踊らされた羞恥、そして理不尽な暴力を受けた事実を解し、怒りのボルテージを急激に引き上げる。

 

 

「テメ───!」

 

「早く元気になって戻って来い!お前はこれくらいでへこたれる奴じゃないはずだ!」

 

 

 ここで励ましの言葉は予想外だったのだろう。目を見開いたまま固まる将監へ手をヒラヒラと振ってから、制止を叫ぶ声に取り合わず俺は病室を出た。

 

 

「全く、ここは病院ですよ?非常識です」

 

 

 そして、さっそく扉の前に立っていた夏世からお叱りを貰う。本気ではないようだが、顔を赤くしているので恥ずかしかったらしい。やっぱ聞こえたよな、さっきのアレ。

 無論冗談とはいえ、俺も負い目がある訳で素直に謝る。

 

 

「すまん。やっぱアイツ元気なさそうだったからな。つい」

 

「そう、ですか」

 

「ん、あれでも心の整理はまだついていないんだろうから、肩の力抜かせるためにもな。折角療養してるってのに暗いまんまじゃ、治るものも治らんだろ」

 

 

 最後に「病は気からって言うしな」と付け加えたところで、夏世は嬉しそうな表情で顔を綻ばせた。

 

 

「樹万さんは優しいです」

 

「そうでもないぜ?だって────」

 

 

 俺はポケットを漁り、先ほど将監から徴収してきた『あの』シャツの弁償代を見せる。以外にも律儀なもので、言ったら『ほらよ』という言葉とともに投げ渡してくれた。

 その額800円。服を買うには少しばかり厳しい数字だ。

 それを見ると、夏世は何故かさらに嬉しそうな顔をした。

 

 

「ふふ、そういうお茶目な所も含めて、です」

 

「お、おう....」

 

 

 すっかり毒気を抜かれてしまい、悪人となりきれなかった己に気恥ずかしさを覚え、代金をすぐに仕舞うと頭を掻く。

 そんな俺を見た夏世は、一目を憚らず抱きついてきた。

 

 結局、注意されるのはお互い様だったかな。

 

 

 

          ***

 

 

 

 正直に言うと、民警へ復帰することはあまり乗り気ではなかったりする。

 

 確かに聖天子から新しい貸家を賜ったり、蛭子影胤追撃作戦へ不正規参加をしたというのに、高額な報酬を手渡されたりと....得るものは沢山あった。

 しかし、それらを枯れ葉のように軽く吹き飛ばしてしまう、『リスク』という名の大嵐がある。

 

 

「だからといって、いつまでもドクターのトコに居座る訳にゃいかんよなぁ」

 

 

 作戦終了後に彼女のいる研究室へ帰ったのだが、男の死体へ突っ伏して爆睡していた。勿論起こしたが、寝起きが悪くメスが飛んで来たのだ。

 改めて話を聞くとやはり心配していたようで、蓮太郎の分とあわせると、その心労は馬鹿にならないだろう。

 ただでさえ不健康な生活習慣が根づいているのに、そこへ心の病気まで舞い込めば百%倒れる。

 生活拠点の移動は後々報告しておこう。その時に世話になった分の謝礼も持って行くとしようか。

 

 

「あーだこーだ言いながらも、ちゃんと気遣ってくれてた.....。なら、これ以上はただの甘えだな」

 

 

 どちらにせよ、あの作戦が終われば研究室を出ようと密かに決めていたのだ。もし家が無ければ野宿でもするか、とまで決心をして。

 しかし、気づいてみれば収入源を得て、住むべき場所も手に入っている。....何とかなるどころか、今までより良質な生活を送れるはずだ。

 

 

「おっし、そうとなればさっさと帰るか!夏世を迎えに────ん?」

 

 

夏世は一旦自宅へ戻り、自分の荷物をまとめてから俺と合流することになっている。で、その合流場所が聖居前の噴水広場なのだが...

 

 

「オラ!イシャリョー出せやガキ!」

 

「あー!折れたよこれ、絶対折れちゃったよ!イタイイタイ!」

 

「...............」

 

 

 噴水のある方でチャラチャラした兄ちゃん二人と、三輪車を持ったパジャマ少女の三人で三文芝居が行われていた。三輪車(アレ)でぶつかってしまったのだろうか?

 てか、あんな小さい女の子に慰謝料て、アイツらは馬鹿か?...と思ったが、俺はすぐに思い直す。

 

 

(あぁーなるほど)

 

 

 男らはどうやら少女の親に金をたかるつもりらしく、逃げ道を塞ぐような位置へ立ってギャアギャアと喚いている。

 一方の責められている少女は、意味も解らずボケッと二人の顔を眺めながら眉を潜めていた。多分うるさいんだろうな。

 周囲には(まば)らながらも人はいるのだが、面倒だと言わんばかりに避けて通っている。

 まぁ、当然の態度だと思う。が、外周区の『こどもたち』を何人も見てきた俺には、年端もいかない少女が目前で暴力に屈する光景など耐えられるはずもない。

 つまり、これからこちらがとる行動など決まっている。

 

 

「お兄さん方、ちといいか?」

 

「ああ?んだよボケ」

 

「邪魔すんじゃねぇよタコ」

 

「────んふッ」

 

 

 予想の上を行く底レベルな発言に、思わず変な笑い声が喉から漏れてしまった。

 面倒ごとへ発展させたくはなかったので空咳をして誤魔化そうとしたが、しっかりとご拝聴頂いていたようで、不良お馴染みの常套句を喚きながら拳を振り上げてきた。

 欠伸が出るほどの稚拙な攻撃だったが、俺は敢えて避けずに喰らう。

 

 

「ハッハァ!オラ!これで懲りた.....ろ...」

 

 

 ────オッサン曰く、俺は上目遣いをすると壊滅的に目付きが悪くなるらしい。

 一度やってみたところ、「こりゃ殺る気マンマンじゃねェか」と、奴には珍しく本気で引いていた。

 今回はそれに加え、微量の殺気も乗せてみたのだが。

 

 

『あ...う....』

 

 

 効果覿面のようで、さっきから二人とも俺に呑まれてしまっていた。

 とはいえ、いつまでもこんな馬鹿みたいな状況は続けられない。さっさとお引き取り願おうと、上目遣いのみを止めてから微笑みかける。

 

 

「分かってるよな?(殺気増量)」

 

 

 それを聞いた二人は首がちぎれんばかりの頷きを残し、一目散に退散していった。

 最近の若いもんは気合いが足らないなぁと、世の行く末を憂う老人みたいなことを思っていると、コートの裾が引っ張られた。

 

 

「正義の、ヒーロー...生まれて、初めて見ました」

 

 

 半開きの目でこちらを眺めるのは、ついさっきまで喧騒の渦中にいた少女だった。

 ボサボサの金髪に乱れた上下のパジャマ、足にはフクロウ(?)の可愛らしいデフォルメが描かれたスリッパを履いている。なんというか、朝起きてからそのままのような身なりだな。

 

 

「あー、と...大丈夫だったか?」

 

「はい。貴方が助けてくれたので、私はまだ傷物じゃありませんよ」

 

「そうだろうな」

 

 

 何やらひっかかる言い回しだったが、暴力は振るわれていないらしい。証拠として噴水の近くでひっくり返っていた三輪車を自力で起こせていた。

 ならば、もう大丈夫だろう。これ以上関わっても逆に迷惑なはずだ。

 

 

「じゃ、俺はこれで────」

 

「待ってください」

 

「おおっ?」

 

 

 再びコートの裾を掴まれて、たたらを踏みながらも立ち止まる。まだ用事があるのだろうか?

 

 

「道に迷いました.....ここ、何処ですか?」

 

「えっ」

 

 

 直後に強い風が吹き抜け、呆けた俺の顔を噴水の水飛沫が濡らした。

 




 ――――――――またょぅι゛ょか。


 お前ら、丁重にご案内しろ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三 弱者・ティナ・スプラウト
22.功績


 「ティナって誰や!?」と思った方がいると思います。
 すみません、その娘を探さないで下さい。ま、まだ作中で名前出てないので....(汗)

 ですが、勘のいい人、原作知ってる人はもう分かっちゃってますかね。


 叙勲式があった日は散々だった。

 

 式典の目的は勿論、ステージⅤガストレアの撃破と、蛭子影胤、小比奈ペアを退けた俺と延珠の表彰だ。とは言っても、延珠は式典に顔を出せないため、先生のところで検査を受けているのだが。

 

 俺は聖天子直々から賛辞の言葉を貰い、『特一級戦果』という功績を残した。

 

 序列も大幅に昇格され、十二万という超がつく程の低ランカーから、一気に千番台という高ランクにまで上り詰めた。それと同時に機密アクセスキーを貰い、世間から隠蔽されたガストレア戦争の情報の一端を知る権利を得た。

 そこまでは滞りなく式典も進み、参加していた誰しもがこのまま終われると確信していただろう。

 

 最後に質問はあるかと聖天子から問いかけられた俺は、意を決してあの事を口にした。

 

 

『俺は、ケースの中身を見た』

 

 

 室内の空気が一変したのにも拘わらず、気にかけずに動揺を呈する聖天子へ言葉を投げ掛ける。

 

 

『中には、壊れた三輪車が入っていた。....これは一体どういうことなんだ?あんなもんが何故ステージⅤを呼び寄せる触媒になりえたんだ?そもそもガストレアは何者なんだ!?十年前、この世界に何が起こった!?』

 

 

 これを聞いた聖天子は、七星の遺産が未踏査領域にあること、複数存在するということを俺へ告げた。しかし、それ以降は閉口し、追随する俺を知る権利がないとの一点張りで通した。

 

 

『序列が上がれば、あなたたち民警はあらゆる権利が与えられます。里見さんの序列は千番なので、許された機密情報アクセスレベルは三。....これ以上を望むのなら、序列を十番台へ上昇させ、最高レベルである十二を手に入れなさい』

 

 

 語る聖天子の声に耳を傾けながら、己がこれからすべきことの整理をしていく。

 

 

『真実にたどり着けば、貴方が何を為すために生まれてきたか知ることが出来るでしょう。里見貴春(たかはる)、里見舞風優(まふゆ)の息子を名乗るなら、里見さんは真実を目にする権利がある』

 

 

 全く予期していなかったタイミングで亡き父さんと母さんの名を出され、俺は完璧に冷静さを欠いた。気づけば聖天子へ詰め寄り、犬歯を剥き出しにしていた。

 ガストレアと合わせてその話題をされるのは腸が煮え繰り返る思いなのだ。それは彼女も分かっていただろうに...!

 

 

『ッ...失礼、しました』

 

 

 俺はギリギリで感情の荒波を静めることに成功したが、周囲からぶつけられる殺気混じりの空気に当てられ、腰を折ってから素早くその場から退散した。

 ....もし聖天子へ危害を与えようものなら、俺は英雄から反逆者に転向してしまっていた。聖居を引き返す道中、人知れず冷や汗が止まらなかったのは当然だといえよう。

 

 だが、今はその時よりも更に逼迫した状況下にいる。

 

 

 

 

「此処は天童の家ぞ。何故お前がいる?...蓮太郎」

 

「.......一連の事件の真相を掴むためだ」

 

 

 目前には、白い袴姿をした天童菊之丞がマグナム拳銃を突き付けて立っている。一方の俺も、XD拳銃を抜いて同じく銃口を向けていた。

 

 彼の言った通り、俺が忍び込んだのは天童の屋敷だ。

 本家は東京エリア第一区――――つまり、聖居が建つ東京エリアの中心部に存在する。ここは、幼少の俺が引き取られた、第二の家でもあるのだ。

 

 

「事件だと?....蛭子影胤か?」

 

「ああ。今回の騒動は、轡田防衛大臣が首謀だとされている。だが、真の黒幕はアンタだ。天童菊之丞」

 

 

 表情に変化はなかったが、拳銃のグリップを掴む手へ力が入ったらしく、金属の軋む音が彼自信の執務室へ響いた。

 そして、それが全てを物語っているように俺は感じた。

 

 

「轡田防衛大臣が、保釈中に首を吊って自殺した」

 

「知っている。それがどうした?」

 

「それが...どうしただって?連判状に書かれていた名前は、全員アンタの派閥と関係のあった人間じゃねぇか!」

 

 

 連判状にあった人たちは、皆逮捕された。

 しかし、納得がいかない。あの中に菊之丞の名前が無かったのは明らかにおかしいのだ。

 

 

「フッ、では何だ?私は東京エリアを破滅させるのが目的だったと言いたい訳か?」

 

「最初はそうじゃないかと思ったがな、影胤がケースを奪って未踏査領域に逃げ込んだ情報が漏れそうになっていた。そして、それはアンタにとって唯一得となることだったんだよ」

 

「...答えが分かっているのか?」

 

 

「―――――――――『ガストレア新法』

 

 

 

 瞬間、菊之丞の目の色が変わった。

 視線を介してかかる重圧も増し、足が震えそうになる。だが、それを我慢して切り出した。

 

 

「これは、地を這うも同然の『呪われたこどもたち』が抱える社会的地位を向上させる案だ。でも、発案した聖天子様は国民からいくつもの反対意見を喰らった。.....奥さんをガストレアに殺されて以来、アンタもそっち側の人間だろ?」

 

 

 菊之丞がギリッと歯を鳴らす音が聞こえたが、構わず続ける。

 

 

「ガストレアを忌み嫌うアンタと、闘争を好とする...つまり、ガストレアとの戦争を再開させたい影胤とで、少なからずも互いの利害は一致していた。蛭子小比奈...いや、呪われたこどもたちの一人が事件に協力していた事がエリアの市民へ知られれば、世論は誰も呪われたこどもたちの味方をしなくなる。だが、一歩間違えば東京エリアは完全に滅んでいた!天童菊之丞、アンタは聖天子樣の味方じゃなかったのかよ!?」

 

 

 叫び終わったと同時に腹を蹴られ、俺は背後の本棚に背中から突っ込んだ。それに止まらず、襟首を掴まれ無理矢理立たされる。

 

 

「私は彼女を敬愛している!しかし、だからこそ許せんこともあるのだ!呪われた子どもたちを野放しにするということは、敵国の息が掛かった諜報員をまざまざと歩かせているのも同然なのだぞ!?」

 

 

 烈火の如き怒りをぶつける菊之丞は、何故か俺の目には危うく見えた。

 恐らく、ガストレアへの有り余る憎悪と、聖天子への並みならぬ忠誠心...この二つが、彼の心で激しくせめぎあっているからだろう。

 天童菊之丞という一人の人間は、以前の形を残したまま、その意識を殺してしまった。目前にいる男は、彼の亡霊だ。

 

 

「あの地獄から十年経ち、人間はモノリスという境界線の内側で平和を知った。だが、それもいつか終わるッ。ここでガストレアの血を宿した餓鬼共に人権など与えてみろ。....東京エリアは確実に堕落する!」

 

 

 俺は菊之丞の周りが見えなくなっている今の状態を機と読み、鳩尾へ拳を叩き込む。

 苦悶の声をあげる彼の指から力が抜けたのを感じ、襟首を掴まれていた腕から脱出すると、咳き込みながら叫ぶ。

 

 

「確かに俺もガストレアが憎かった!奴等も、呪われた子どもたちも皆殺しにしてやると思っていた!」

 

「ぐぅ....なら、ならば何故だ!?何故貴春と舞風優を奪った、奴等に(ちかし)い存在を赦せるというのだ?!蓮太郎ッ!」

 

「彼女たちは人間だッ!アンタと、俺と同じ人間なんだよ!だから俺は、感情も人格もある彼女たちを…延珠を信じる!」

 

「馬鹿な..........」

 

 

 菊之丞は、心底理解が行かないといった表情で眉を歪める。

 俺はそんな彼を見ながら思った。...もし藍原延珠と出会っていなかったら、俺は刻々と蝕む憎悪に精神を喰われ、この男と同じ道を辿っていただろう、と。

 

 

「俺を今まで生かしてくれたこと、感謝してるよ。『死にたく無ければ生きろ』...いつかアンタの言ったこの言葉を糧に、絶望の日々を掻い潜ってこれた。だから――――――有難う。そしてさようなら、お義父さん」

 

 

 

          ***

 

 

 

 あの事件から数日が経ち、俺は現在聖居内にいる。何故かと言われれば、当然聖天子と会うためだ。

 叙勲式以来となる再会だったが、俺としては全く嬉しくないものであった。

 何故なら、誰からみても俺はあの式典をぶち壊しにしてしまったのだから。

 

 

「あぁー....ったく、本人は気にしてないって言ってたじゃねぇか」

 

 

 豪奢な聖居の中を歩きながら頭を軽く掻いたあと、もう一度彼女と話し合った内容を思い返す。

 

 

『里見さん。大阪エリア代表の斉武(さいたけ)大統領が非公式に明後日、東京エリアを訪れます。...貴方には、不在である菊之丞さんの代わりに、私の護衛をして欲しいのです』

 

 

 改めて考えると、もの凄い重要な案件だったのだと今更思えて来た。

 斉武の爺とは菊之丞とのツテで一度会ったことがある。だからこそ分かるのだ...アイツは間違いなく、会談などという形式をぶち破って脅迫まがいの事を聖天子様へするはずだと。

 ただでさえ、ステージⅤガストレアを倒すために使った天の梯子を起動不能にしてしまったのだ。それ相応の糾弾は避けられない。

 

 

「菊之丞がいない間を狙って押しかけてくるって....ホント性格わりぃな」

 

 

 奴は菊之丞と因縁深い関係にあり、あまり顔を合わせたくないのだろう。何せガストレア戦争以前からの間柄なのだ。

 

 

「にしても、飛那はどうしたんだ.........?」

 

 

 ポケットから取り出した携帯へ目を落としながら、先ほどした会話を思い出してみる。

 

 

「お、飛那か?さっきイニシエーターへ戻れるよう聖天子様に掛け合ってみたんだが、お前の元プロモーターが樹万だったとは知らなかったぞ?」

 

『え?ちょっと待って下さいッ、樹万を知ってるんですか?!』

 

「あ、ああ。少し前に先生のところで知り合ってな....今は民警として復帰したらしいぞ?」

 

『お願いします!詳しく教えてくださいッ!』

 

「お、おう。ええと確か――――――――――」

 

 

 そこから、彼が千寿夏世というイニシエーターと新規にタッグを組んだこと、新しく住む家の住所などを一方的に俺から聞き出した後、すぐに通話を切られてしまった。

 スピーカーからガチャガチャという重い金属音が聞こえたし、飛那の声も段々低くなっていくしでかなり怖かった。

 

 ―――――――待てよ?そういえば飛那から、昔プロモーターを亡くしたって話を聞いた気が――――――――

 

 

 

「そこを動くな、里見蓮太郎」

 

 

 ガチャリ、と金属が擦れる剣呑な音が響いたと同時、何か固いモノが俺の後頭部へ押し付けられた。

 放たれたのは男性の声....否、つい今しがた会って来た『あの男』の声音だった。

 

 

保脇(やすわき)三尉、これはどういうことだ?」

 

「フン、此方から貴様に告げることは一つだけだ贋作英雄。...今すぐ聖天子様の護衛依頼を辞退しろ」

 

 

 保脇がそう言い放った途端、背後から奴の部下らしき人間が二人、俺の方へ銃口を向けながら前方に姿を現した。

 俺は内心で舌打ちする。やはりコイツの腹は最初からこうだったのか。

 背後で銃口を押し付けている男は、今日聖天子様と会談する時に同席していた、聖室護衛隊隊長、保脇卓人(たくと)。初見のときは温和な態度だったが、恐らく『コレ』が奴の本性なのだろう。

 

 

「何でだ?たかが民警一人が聖天子様についたところでそっちに悪いことはねぇだろ。やることといっても、斉武大統領との会談の時に聖天子様の後ろへ控えるくらいだしな」

 

「とぼけるな!貴様は不埒な考えを持って聖天子様に近づく無礼者だろう!何が東京エリアの救世主だ!英雄だ!私が天の梯子にいれば、こんなガキなんかに.....!」

 

 

 銃のグリップを握る手に力が入っているらしく、カチカチと俺の後頭部で音を鳴らしている。....今なら行けるな。

 俺は素早く屈みこんだと同時、前方からの足払いで保脇を転倒させる。完全に思考へ没頭していたらしく、奴は碌な受け身も取れずに地面へうつ伏せに倒れた。

 目の前にいた部下二人がようやく状況を理解し銃口を向けるが、俺は保脇の腕を背中へ回して拘束し、盾の役割をさせる。

 

 

「き、さまァ......!」

 

「ったく...お前ら、敵意を向けるべき相手を間違えてんぞ?」

 

 

 二人の戦意が喪失したのを見計らってから、保脇の拘束を解いて背中を押す。

 たたらを踏みながらも此方を振り返った奴は、ギリギリと歯軋りして俺を睨む。だが、俺の足元へ落下している己の銃を見ると、悔しげに眉を歪めて舌打ちをした。

 

 

「チッ!....行くぞ」

 

 

 聖居の内装とよく似た白いスーツを手早く整えると、保脇は部下を引き連れて足早にその場を去っていった。

 

 ...本当にあれが聖天子つきの護衛隊隊長なのか?軍の一兵卒でもそれなりの礼式は知ってるぞ?

 

 俺は地に横たわるベレッタを手に取り、腰へ差してから溜息を吐く。

 

 

「聖天子様、アンタはガストレアより先に対処すべき難題がありすぎだ」

 

 

 しかし、その言葉は異様に俺の脳内へ響き渡り、何故か自らの心まで締め付けた。

 

 理由?理由などとうに分かっているだろう。

 俺自身も、都合の悪いことから目を背けているのだと――――――!

 

 

 

 

 

 

―――――――――藍原延珠診断カルテ

 

                        担当医 室戸菫

 

 

・藍原延珠、ガストレアウイルスによる体内侵食率四二.八%

 

・形象崩壊予測値まで残り七.二%

 

・担当医コメント...超危険領域。ショックを受けないように本人には低い数値を告げてあります。規定により、本人への告知はプロモーターの任意とします。

 

 

 ここからは医師としてではなく、友として忠告する。

 これ以上彼女を戦わせるな、蓮太郎くん。




 形象崩壊とは、ウイルス感染者がガストレアになってしまうことですね。ブラック・ブレットのダークな要素は、主にこれが主因となっていることはお気づきかと思います。

 私としては、この絶望的な要素をオリ主という名のワクチンでぶっ飛ばしたいと考えております。

 ....限度はありますけども。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23.再会

 今回はオリ主メイン。


 待望の.............?


 取り敢えずは聖居前から離れ、少女を連れて近場の公園まで移動した。

 彼女は歩いている最中もぼんやりとしていて、ここへ来るまでに何度も転けそうになり、危ない事この上ないので手を繋ぐ事にした。

 

 何とか公園内にある川沿いの歩道まで歩き、沈む夕陽の赤色に染められたベンチへ座らせる。

 

 

「ほれ、ここに一端座ってくれ」

 

「ふぁい」

 

 

 あまりにも頼りない返事をされたため、このまま質問へ会話を持っていくのは危険だと悟り、俺は近くにあった水道でハンカチを濡らすと、目覚ましがわりに少女の顔を拭くことにした。

 

 

「っと、どうだ。少しは眠気マシになったか?」

 

「ん...私が眠そうにしている事に、よく気が付きましたね」

 

「そりゃあんだけ転けてりゃな」

 

 

 多少覚醒したらしく、以前よりは発言が流暢になった少女は、ペコリと俺へ向かって頭を下げてきた。

 

 

「あらためて。助けて頂き、ありがとう御座いました」

 

「あぁ、気にすんな。......ん、一応自己紹介しとくか。俺は美ヶ月樹万だ、樹万でいい」

 

「私は.................ティナです。ティナ・スプラウト」

 

「じゃ、ティナ。どこから来たか言えるか?」

 

 

 俺のした決して難しくはない問いに十秒以上唸り続け、やっとこさ出した答えは――――――

 

 

「自宅のマンションからです」

 

「ふむ、それで...?」

 

「................」

 

「................」

 

「..........?」

 

「終わりかよ!」

 

 

 具体的な場所の説明が全くないじゃないか!せめて何区にあるかぐらいは知っててくれよ!

 そんな心の声を押し込め、俺は溜め息を一つついてから別の質問を飛ばす。

 

 

「じゃあ、何のためにあんなトコヘきたんだ?」

 

「...............」

 

「.....ティナ?おーい」

 

「..................(ウトウト)」

 

「寝るなっ!」

 

「ふあっ?」

 

 

 金髪が跳ね放大のティナの頭をぺちんと叩き、夢の世界から帰還させる。軽くだったので痛くはなかったはずだが、彼女は唇を尖らせながら俺を上目遣いで睨んできた。.....あれ、全く怖くない。寧ろ庇護欲がそそられてくる。

 

 

「私は、樹万さんに傷物にされました。責任、とって下さい...」

 

「ちょっと軽くツッコミ入れただけじゃねぇか...てか、またうつらうつらしてきたぞ?」

 

「んぅー...」

 

 

 ティナは俺の指摘を受けると、瞼を擦りながらパジャマのポケットからプラスチックのカップを取り出した。

 パコッ、という軽快な音を響かせて蓋を取り外してから、中を探って白い錠剤みたいなものを四粒ほど手のひらへ乗せる。ちなみに、持ったカップには『カフェイン』と英語で明記されていた。...眠気覚ましか。

 それを一気に口内へ放り込むと、慣れたようにバリバリ噛み砕いて飲み下す。

 

 

「カフェイン錠剤とは...寝不足常習化してんのか?」

 

「ん...私は極度の夜型なので」

 

「えらく面倒な体質だなぁ」

 

 

 ...実に困った。こんな意識が散漫とした少女を此処へ一人にしたまま置いて行くことなど出来ない。

 だからといって一緒に家を探していては、いずれ聖居前の噴水広場へ来る夏世と行き違いになる。こちらにもそれなりの事情があるので、安請け合いの代償は大きいだろう。

 

 

「.....スミマセン、樹万さん」

 

「え?何だ急に」

 

 

 起死回生の案はないものかと首を捻っていたら、ティナに行きなり頭を下げられた。

 顔をあげた彼女の表情は、嬉しそうで、でもどこか申し訳なさそうだった。

 

 

「私、自分の家の場所、知ってます」

 

「ゑゑ」

 

「すごく真剣に考えてましたので、罪悪感が湧きました。...樹万さんはいい人ですね」

 

 

 どうやら遊ばれていたらしい。だが、不思議と悪い気分ではなかった。

 ティナが素直に謝ってくれたのもそうだが、今までろくに表情を表さなかった彼女の笑顔を見たからだろうか。

 

 

「ま、ならいいさ。俺は女の子の味方だからな」

 

「それは、暗に小さい女の子が好きだと公言しているのですか?」

 

「ふむ、聞き手の解釈によってそれぞれだろうが、確かにそうかもな!好きに受け取ってくれて構わんぞ?」

 

 

 ティナの頭をポムポム撫でながら笑ってやると、彼女も肩を震わせて微笑んでいた。寝不足さえなければ、百%の笑顔だったんだけどなぁ。

 名残惜しくはあるが、このままでは夏世との合流時間に遅れる。彼女はああ見えて結構根に持つので、またキスでも要求されたらたまったもんじゃない。

 

 

「じゃ、ティナ。俺はそろそろ行くよ」

 

「ぁ...待ってくださいっ」

 

「ん、どうした?」

 

「よかったら、連絡先を教えてくれませんか...?」

 

 

 予想外の要望に少したじろいでしまったが、悪用する気はまず無さそうだし、寧ろ今回のような何か困ったときがあれば助けに行ける。

 以上の理由で、俺は持ち歩いている名刺入れを開き、その一枚をティナへ渡した。

 

 

「っ!.....ありがとう、ございます」

 

「ああ、何かあったら連絡していいからな」

 

 

 深々と頭を下げるティナだが、やはり眠気が強いのか、かなり挙動不審なお辞儀になっていた。

 そんな危なっかしさ溢れる金髪碧眼の寝坊助少女は、夕日の照らす赤い公園を三輪車片手に去って行った。

 

 

          ***

 

 

 

「全く、何で定刻に聖居前にいなかったんですか。探したんですよ?」

 

「ゴメンゴメン」

 

 

 夏世は待ち合わせ時刻より少し早く着いたようだった。なので、最初からいるはずだった俺の姿が見当たらないことで酷く心配させてしまったらしい。

 已むに已まれぬ事情があったとはいえ、俺はその可能性を考慮しながらも首を突っ込んだ。ならば、弁解は全て言い訳にしかならないだろう。

 

 

「今度好きなもの買ってきてやるから、まずは荷物を家に置こう」

 

「そうですね」

 

 

 乗っていたエレベーターが目的の階で電子音を鳴らし、扉がゆっくりと開く。

 

 俺たちがこれから生活の拠点とする場所は、聖居近くのマンションだった。

 近場とはいえ、一般人が住める範囲のマンションの中での話だ。VIP待遇など決してされていない。...別に不満を漏らしている訳ではないぞ?

 それでも良質な間取り、トイレ付きのバスルームなど、人によっては当たり前でも俺にとっては嬉しい設備が満載だった。

 しかし、ここが事務所って...直接訪ねてくる依頼者はもういないだろうな。いや、元々いなかったか。

 

 3階の通路を渡り、自分の部屋を探す。

 その途中で、夏世が疑問の声をあげた。

 

 

「?....人、でしょうか?」

 

「え?人―――――――ッ!!?」

 

 

 このマンションは筒状に建てられており、廊下の通路はその形をなぞるようにせりだしている。

 そのため、およそ数メートル先は、湾曲する道なりのお陰で壁が視界を遮ってしまう。なので、人が立っていても遠くからでは視認が出来ない。

 

 

「飛、那......?」

 

 

 目前に立っていたのは、廊下へ射し込む朱い斜光を反射し、本来は銀色に輝く髪を血のような紅色へ染めた少女。顔は俯いている状態のため、表情が確認出来ない。

 しかし、今目の前にいるのは、間違いなく―――――――

 

 

「..........」

 

 

 飛那は俺の問に答えず無言で腰に手を回し、何か黒く光る物を取り出した。...まて、それは.....!

 

 ―――――――俺は、こうなることを事前に予想できていたかもしれない。そして、あの時聖居で下した、夏世をイニシエーターにする決断は迂闊でもあった。

 要するに、これまでの己の行いを鑑みるに飛那は....

 

 

「この、裏切り者ぉー!!」

 

 

 無茶苦茶怒っている!

 

 

「ヤベ....夏世、壁側に避難しろ!」

 

 

 背後にいる夏世へそう言った直後、消音機をつけたコルト・ガバメントが火を吹く。

 俺は一旦後ろへ下がり、乱射される銃弾の射程距離から脱出を試みる...が、その前に頬を鈍色の殺意が掠めて行き、俺は冷汗を流した。 

 何とか説得したいが、完全に激情で周りが見えなくなっている。

 だが、飛那の目は黒いままだ。どうやら本気で殺しに掛かってきた訳ではないらしい。

 

 

「でも、やっぱり避けねぇと当たるな....っうぉ!」

 

 

 少し踏み込もうと足に体重をかけた瞬間、爪先から数ミリずれた所へ弾が着弾。慌てて再び後方へ下がる。

 これは完全に怒らせちまってるなぁ....

 

 

「飛那!まずは話し合おう!?ちゃんとした事情があ―――――――」

 

「どんな事情があろうと、私がいるのに無許可で他のイニシエーターと登録なんて許せません!蓮太郎さんが私をイニシエーターとして復帰できるよう聖天子さまにへ掛け合ってくれた時に聞いた言葉は、『美ヶ月さんは先日、千寿夏世さんというイニシエーターとパートナーになりましたよ?』ですからね?!その時どれだけ私が傷ついたか分かりますかッ!?」

 

「なんもいえねぇっ!」

 

 

 ヤバい。幾ら消音機をつけているからといえ、これだけドンパチやってたら人が来る…!

 俺は歯を食い縛り、引いた右足へ力を込めた。

 ...これ以上、飛那と不毛な争いはしたくない。あの時飛那へ辛い思いをさせておきながら、今も彼女を傷付けている。

 

 

「ならっ、俺がここで取るべき行動は一つ!」

 

「!?」

 

 

 右足の力をバネに、弾切れ一歩手前で駆け出す。飛那の弾薬装填速度はかなりのものなので、それを見越したタイミングだ。

 動きを直線へ変えたため左腕に放たれた銃弾が一発ヒットし、その衝撃で腕が変な方向へ曲がる。が、気にせず飛那の下へ全力で駆け、驚愕で目を見開く彼女をそのまま抱き締めた。

 

 

「たつ、ま。腕.....」

 

「そんな掠り傷、お前が負ったものと比べたらどうってことねぇよ」

 

 脳内で叩きつけられる痛みなど無視し、俺は飛那へ何度も謝る。

 一人にさせたこと、探さなかったこと、突き放してしまったこと。...途中で彼女の懐かしい温もりに当てられたか、鼻の奥がツンとしてきた。

 

 

「樹万...私、犯罪者になっちゃったんです。約束、破ってしまいました」

 

「犯罪者...?どういうことだ」

 

 

 本人から詳しく聞いてみると、とんでもない内容が耳へ飛び込んできた。

 プロモーターを無差別に襲うイニシエーターなど、かなりの重大事件だ。何故ドクターは教えてくれなかったんだ...?

 

 

(いや、あの人のことだ…恐らく意図的に隠したんだろう。確かにあのときの俺は、正常な心持ちじゃなかった)

 

 

 そこへ飛那が犯罪者になったなどという火薬が投下されれば、俺は間違いなく巡航ミサイルが如く研究室を飛び出していただろう。

 エリア上層部の何者かから目をつけられている中、不用意に己の姿を衆目へ晒すのは不味い。そこまで考えての黙秘か...流石はドクターだな。

 今となっては正式に民警へ復帰し、聖天子にまで一目置かれる存在になった。もう簡単に手は出せまい。

 

 

「飛那....そこまで絶望させちまったか。ごめん、ごめんな?くそっ、俺は相棒失格だ」

 

「違います!貴方は...樹万は私とした一番の約束を守ってくれましたっ」

「え...?」

 

 飛那は手に持っていた銃と弾倉を投げ捨て、俺の背中へ手を回してきた。

 顔を首下へ埋めた彼女は、くぐもった声でその『約束』を口にした。

 

 

「ガストレアにならず....ちゃんと生きていてくれたことです」

 

「あぁ..........そうだったな」

 

 

 あのとき貰ったバラニウム弾は、ネックレスにして首にかけている。今ではお守りみたいなものだ。

 とりあえず和解には成功したらしい。代償は結構でかかったような気がしないでもないが。

 

 

「樹万さんっ、左腕は大丈夫ですか?」

 

「どうってことねぇよ。バラニウム弾だったらやばかったけどな」

 

 

 銃弾は体内に留まっていないので、内部の蘇生が終わればそれで解決だ。親指と人差し指の神経の修復がまだなので、少しの間ちょっと不便ではあるが...

 心配そうに腕を掴む夏世の頭を右手で撫でてから、上手いこと銃弾がヒットしていなかった荷物を持ち上げる。

 

 

「じゃ、いい加減家に入ろうぜ。飛那もいいだろ?」

 

「はいっ」

 

「うし。夏世、壁際の荷物頼む」

 

「了解しました」

 

 

 あとで空薬莢と地面に落ちた大量の血を何とかしないとな。...確実に殺人事件が起きたと勘違いされる光景だ。

 俺はため息を吐いてから、飛那が開けてくれたドアを潜る。

 

 

「ただいまー...ってあれ、新居の場合はこういう時.....何て言うんだ?」

 

 

「別にどっちだっていいだろうがよ。細けェこと気にすんな」

 

 

「まぁ、それもそうだなオッサン........................オッサン!?」

 

「ふあっ?こんな怖そうな人と、し、知り合いなんですか?」

 

「よいしょ.....え?樹万さん、この人は…?」

 

 

 腰に手を当ててタバコを吹かしながら目前に立つのは....見慣れた神父服の男。

 そうだ、忘れていた。コイツは極自然に、何の違和感なく、狙った神出鬼没を遂行できる規格外な存在であったことを。

 

 

 ―――――――神父を装っていながら、行うのは残虐非道な殺戮。

 天上に住まう神ではなく、獄下に占住する死神の加護を受けし羅刹の申し子。

 

 しかし、その者が刈り取るのは人ではなく、異形の魂。

 

 ガストレア戦争時、前線で武を振るっていたとある者は、無窮に迫る悪鬼を退けながら血に濡れた手で弱者を救う彼の姿を見て、こう呟いた。

 

 

 『死生の神職者』と―――――――。

 

 

 

「邪魔してるぜ、樹万」

 

 




 オリ主、死亡フラグ神☆回避!左腕は犠牲になりました(但し再生する)

 ともあれ、物語の序盤で登場しておきながら今まで碌な出番がなかったオッサンが、やっと真面に出場です。


 さて、恐らく次話は主人公の能力を詳細に語る回になると思います。
 「いや、それはないだろ」と思う箇所が多々あるかもしれませんが、よろしくお願いしますm(__)m


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24.神父

 更新遅れて申し訳ありません...



 オッサンはソファに寝そべりながらタバコを吸い殻入れへ捩じ込み、蓋を閉じてから懐に仕舞う。その後は頭をボリボリ掻くと大欠伸までする始末。

 こんな体たらくではあるが、今の今まで一瞬たりとも隙を見せていない。

 コイツの危機察知能力は、全方位へ神経を手足のように伸ばせるのとほぼ同じくらいだ。断言させて貰うが、人間じゃない。

 

 

「で、お掃除はようやく終わりか....あやうく寝ちまうとこだったぜ」

 

「悪かったな。.....ってか住人がまだ一度も足を踏み入れていない他人ン家勝手に入っておいてその言い草かよ」

 

「お前のモンは俺のモンだよ。分かれ」

 

「分かって堪るか!」

 

 

 一人で大きいソファに寝そべって占領しているオッサンは、俺が幼少時代の頃から発揮されていたジャイアニズムを存分に撒き散らす。

 俺の反論を手を振ってうっとおしげに散らしたかと思うと、次にオッサンの視線は飛那と夏世へ向かい、ニタリと嫌な笑みを浮かべた。

 

 

「樹万はロリコ」「はいストーップ!二人がいる前でそういうこと言うの禁止!」

 

「...ンだよ、別に知られたってヘーキだろ?コイツらは恐らく、お前が『コレ』でも見放さないで着いてくるぜ」

 

 

 『コレ』という言葉と同時に手を反対側の頬へ当てるオッサン。二人ともドン引いちゃってるんですが...

 俺は溜め息を吐いてからゲラゲラ笑うオッサンを睨み、すっかり弛緩していた空気をはりつめさせる。

 

 

「....へぇ。何だ、いい顔するようになってんじゃねぇか」

 

「アンタが会議室を抜け出したりしなきゃ、こんな状況にはならずに済んだろうよ」

 

 

 わざわざこんな回りくどい事などせずに、あそこで決着をつけておけば良かったのだ。

 なのにこのオッサンはスタコラと――――っ!?

 

 

「がふっ?!」

 

「樹万!」「樹万さん!」

 

 

 気がついた時には、オッサンが目の前に立っていた。

 そう認識はしたものの回避は間に合わず、そのまま頬をぶん殴られた。

 

 

「馬鹿が。テメェがわざと今まで民警をド底辺でやってきた理由はどこ行った?」

 

「....っ!」

 

「上の奴等に目をつけられないため、だろ?...でも、弱者の立場に甘んじていた筈のお前は、想定外の闇に巻き込まれた」

 

 

 何故知っているのか?などと無粋な質問はしなかった。

 したところで、どうせオッサンは答えてくれないのだ。ならば、不毛な問答などこの場では不用であり、そして現在最優先すべきはコイツから語られる論だ。

 

 

「その闇を作った阿呆が、あの会議室内にいたらどうする?....ここまで言えば、脳味噌の代わりにかに味噌が詰まったテメェの頭ン中でも旨いダシ取れんだろ?」

 

「...最後の暴言は気に入らねぇが、スマン。迂闊だった」

 

「カカカ!ちったぁ身も詰めるようにしろよ坊主」

 

 

 オッサンは豪快に笑ったあと、一人がけのソファに腰掛けて呆然としている飛那と夏世を見た。

 

 

「高原飛那、千寿夏世だったな」

 

『は、はい!?』

 

「落ち着け落ち着け、別にとって喰ったりはしねェよ」

 

 

 二人とも純粋なんだから、あんまり悪い刺激をして欲しくはないなぁ....

 俺はそんな事を思いながら首や腕を回して、もう一度一人がけのソファに座り直す。久し振りにオッサンに殴られたな。てかさりげなく前より威力上がってね?

 頬を撫でながらこっそり戦慄していると、オッサンは再び底意地の悪そうな笑みを顔面へ張り付かせた。

 

 

「樹万が隠してる秘密...気にならねぇか?」

 

『気になります!』

 

「フフフ、なら教えてやろう。実はな―――」

 

「ちょちょ!何でそんなあっさりと!?」

 

「ンだよ...どうせ、今日この場で教えるつもりだったんだろ?」

 

 

 俺はうぐ、と言葉に詰まり、二の句が告げなくなってしまう。まぁ、実際話そうと思ってたし...夏世にも説明するって言っちゃってたし......

 で、でもやっぱり、こういうのは自分の口からするのが道理だろ!

 

 

「説明は俺からするつもりだったから、オッサンは聞き手に回ってくれ。頼む」

 

「へっ、素直な奴は嫌いじゃねぇぜ?」

 

 

 オッサンの浮かべる小馬鹿にしたような笑みへ突っ込むのをぐっと我慢した後、俺は気持ちを入れ換えながら飛那と夏世の方へ向いた。

 

 

「飛那、お前は思ったよな?腕と足がもげ、左半身がめちゃくちゃになっちまった俺が、何故今ここでのうのうと生きているのかって」

 

 

 飛那はその問いに対し強く頷いた。

 あの場で安心したという気持ちは勿論あるのだろう。だが、改めて考えると、あれほどの致命傷を受けておきながらピンピンしてるのはおかしい。そう思うのも仕方ない。

 

 

「夏世、お前は思ったよな?腹に刺さったはずの甲板を抜いたあと、すぐ傷も、出血も止まったのはおかしいって」

 

「はい。あの回復速度は、現代の医療でリスクなしに実現することはまず不可能です」

 

 

 夏世も半ば詰め寄りながら同意の言葉を口にする。彼女に関しては目前で目の当たりにしたのだから、尚更不可解だろう。

 

 ...さて、もう誤魔化せないところまで来てしまった。

 俺が今から口にする内容が外部へ漏れれば、間違いなく取り返しのつかない事態となる。

 

 

 

「俺の体内には、ガストレアウイルスの働きを完全に抑制、制御出来る何らかの因子が存在する」

 

 

『?!』

 

 

 だが、もう決めた。二人を信じると。

 それに、オッサンがいるこの場なら一番安全だ。盗聴や立ち聞きとかの工作は一切通じないからな。

 

 

「実はドクター...室戸菫が俺の身体を調べた事が過去何回かあったんだ。でも、何度解析してもそんな因子の存在は確認されなかった」

 

「ま、待って下さい樹万さんっ。ガストレアウイルスを支配下に置いているという事は、まさか傷を治療したのは...!」

 

「ああ。ガストレアウイルスの強力な再生能力を利用した」

 

 

 夏世の確認するような言葉へ頷きを返してから、質問前の話の説明を続ける。

 

 

「ウイルスの血清が作れるかもしれないと、最初こそドクターは狂喜乱舞してたんだが、俺の血液へウイルスを投与してから結果を分析した途端、表情が一気に固くなったんだ」

 

 

 

『樹万くん。...恐らく、これはガストレアと、人間へのささやかな反撃なのかもしれんな』

 

 

 前提で話された詳しい理論は全く分からなかったが、どうやら俺の血液に入ったウイルスはその活動を停止させるらしい。

 かといって失活している訳でも死滅させられた訳でもなく、本体の能力、性質は顕在していた。...ただ、まるで見えない糸や網にでもからめとられたかのように、将又(はたまた)恐怖に怯えるかのように、ただ細胞内に留まり続ける。

 

 ....初めて聞いたときは耳を疑った。しかし、それくらい分かっていれば、こんな芸当をしでかした原因は自ずと判明されると思ったのだが.....ドクターは白旗を挙げた。

 

 

「そ、そんな事があるわけ...いや、そうじゃない限り樹万の体質は説明出来ませんね」

 

「ふーむ、アイツは分からない事があってこそ燃えるってタイプじゃねぇからなァ...。カカ、そもそも防腐剤ぶっかけられた死体弄って喜ぶ研究者なんていねェか」

 

 

 オッサンとドクターは浅くない仲なので、言葉の内容は悪いものの、口調から滲んだ親しみまでは隠せていなかった。

 そして彼の言った通り、ドクターは途中で大々的な研究を一切しなくなり、それまでとった資料の類いまで全て処分し始めたのだ。それも、証拠を徹底的にまで潰す手段を以て。

 

 

「ガストレアと人間、双方への反撃...ドクターが言ったこの言葉には違和感を感じてな。ウイルスを制御できる人間が生まれたんだから、こっち側からガストレアへの反撃って言った方があってるんじゃないかと」

 

「む...確かにそうですね。樹万の存在は確実に人間側へプラスとなります 」

 

 

 飛那は顎に手をあてながら思案する。

 その隣にいた夏世は得心が行っているらしく、さっきから明らかにそわそわしていた。

 

 

「夏世、分かったのか?」

 

「...は、はい。樹万さんの持つ力は、必ずしも私たちにとって益となる事ばかりではありません」

 

 

 顔をパアッと明るくさせた夏世は、嬉しそうに説明をし始める。

 ふむ、流石はイルカの因子。閃きと発想に関してはズバ抜けているな。

 

 

「国という概念が一度崩壊しかけ、今現在も世界各国の主導者が立て直しに躍起となってはいますが、そのなかで他国の暗躍をさせている国はほとんど全てなはずです。理由は勿論、ガストレア戦争を利用した、世の覇権争いを牽制し合うためです」

 

「ハハ、東京エリアっつー箱庭に収まってる子供が考えることじゃねェな、それ。でも正解だ。そんな火花チリッチリのとこにウイルス耐性を持つ人間の遺伝子なんて火薬の塊投下したら―――――――――ドカーン!世界戦争!」

 

「ガストレアがいる中でそれはないだろオッサン」

 

「いやいや、案外そんな事すら考えられねぇくらい頭に血が昇る奴がいるかもしれないぜ?」

 

 

 ...まぁ、世界戦争は言い過ぎだとしても、いざこざに発展するのは間違いない。ガストレアという人間の天敵を差し置いて、同族で争いを起こすなど自殺行為に等しい。

 それに恐らく、戦争で行われるのは敵となる国のモノリス破壊だろう。そうすれば、自国の資源消費を極力抑える事が可能となり、防壁を失った敵方はガストレアに食い尽くされて勝手に破滅する。しかし、それでガストレアが増えてしまうのも確かだ。

 

 

「もし自国で管理されるとしても、兵器としてモノリス外へ度々派遣されるか、または身体中を隅々まで研究されるかの毎日となるでしょう。保護という名目の下で行われるのは、確実にこの二つと言えます」

 

「そ、そんな....やっぱり、樹万はこのことを黙って置くべきだったんじゃ」

 

「あァー、それなら安心しろ。俺は最初から知ってたし、テメェらも家族や命の恩人を売るなんて真似しねぇだろ?」

 

『当然ですっ!』

 

 

 二人の強い返答を聞いたオッサンは俺の方へ目を向け、ニッと笑って見せた。ったく、照れるな。

 俺は恥ずかしさを紛らわす理由も兼ね、夏世の説明を引き継いだ。

 

 

「只でさえ日本は元主要都市が国として各個独立してるから、そこらの国同士の揉め事より厄介だ。何せ飛行機に乗れば数時間で着ける上地続きだからな。他人事では済ませられない」

 

「ケッ、ようやくそこまで再確認出来たか樹万。...んじゃま、あまり湿っぽい話を続けるのも何だし、景気付けにコイツをっとな!」

 

 

 ゴドンッ!という重い音とともに机へ置かれたのは、矢鱈と縦長な段ボール箱。てか、今どこからコレ出しやがった?多く見積もっても1m50cm以上はあるぞ。

 オッサンはそんな俺の疑問になど気付く筈も...いや、もしかしたら分かっているのかもしれないが、箱の上部に貼ってある封を剥がし、中身を取り出した。

 

 瞬間、俺を含む三人全員が、オッサンの両手に鎮座している物体を見て愕然とした。

 

 

「どうだ?俺が秘密裏に入手したFIM-92スティンガーは!クゥー!やっぱ個人兵装として赤外線追尾の地対空ミサイル持たせる案を出した奴は天才だな!最高にイカすぜ!!」

 

『.......』

 

 

 今このとき、物騒な砲身を抱えて子供のように瞳を輝かせる神父を見た三人の心は、確実に一つとなった。

 

 コイツは、どうしようもないくらいの変人だ。

 

 

 

 




 これからは二週、三週間ほど空けた更新が続くと思います。
 先を楽しみに待っていてくれる方には本当に申し訳ありません....


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25.狙撃

今回はオリ主お休みです。代わりにれんたろーさんが頑張ってくれます。


 斉武大統領との非公式会議は、俺の眼前に聳える八十六階建ての超高層ホテルで行われるらしい。こんなものを創るほどの金銭的余裕があるのなら、もう少しガストレア対策の方にも資金を廻して貰ってもいいじゃないかと心から思う。しかし、今はそんなことより別の問題でモチベーションが下がっている。

 俺の意気消沈ぶりに気が付いたらしく、今日も今日とて純白の礼装に身を包んだ聖天子様は、心配そうに形の良い眉を歪めた。

 

 

「お気分が優れないのですか?」

 

「いや、昨日ちょっと頭が痛くなる事件が起こってな...。でもこっちの事だから気にしないでくれ。アンタは今日の事だけ考えてろ」

 

 

 愚痴のようにそう漏らしてから、脳内に一人の女性を思い浮かべる。

 

 ――――――――『司馬(しば)未織(みおり)』。

 対ガストレア兵器製作の第一人者である司馬重工の社長令嬢。いつも豪奢な着物を身に着け、長い黒髪を左右で纏め、鉄扇(護身用)まで持つ人物だ。俺が勾田高校に通う羽目となったのは、半分以上そこの生徒会長をしている未織のせい...お蔭だ。

 で、その未織が昨日の晩に何故か俺の家へ特攻かまして来て、運悪く後からやって来た木更さんとエンカウント。

 事情を知らない人間がこれを聞いても事態の深刻さは全く伝わらないだろう。....勘のいい人は分かるかもしれないが、二人は壊滅的に仲が悪い。水と油どころではなく、天と地ほどに相容れないと言っていい。

 そんな二人が、昨日俺の家で火花を散らしたのだ。比喩ではなく、物理的に。

 木更さんは天童式抜刀術免許皆伝。対する未織は数百年の歴史を持つ司馬流戦闘術の使い手、規格外な彼女らの技が密室で放たれた場合、ソコがどうなるか...駄目だ。あの惨劇は本気で思い出したくない。

 

 と、そんな事を考えているうちにホテル内のエレベーター前まで来てしまった。

 聖天子様はエレベーターらしからぬ重厚な扉を潜ると、先ほどフロントで渡されたらしい鍵を穴へ差し込み、先ほどまで表示されていなかった最上階のボタンを押し込んだ。

 

 それからは暫く沈黙が蟠ったが、聖天子様の澄んだ声で破られる。

 

 

「里見さんは、斉武大統領と面識があるのですよね?」

 

「あぁ。昔は菊之丞に連れられて政治家がわんさかいるパーティとか連れ回されたからな」

 

「では、里見さんの思う斉武大統領のイメージはどのようなものなのですか?菊之丞さんに尋ねると途端に不機嫌になるものですから、追及しづらかったんです」

 

 

 確かに、あのジジィは斉武と仲が悪い。木更さんと未織ほどではないが。

 俺は変動するエレベーターの回数表示を視界に入れながら少し唸ったが、三秒経たないうちに斉武とピッタリなとある偉人の名前が脳裏へ浮かんだ。

 

 

「アドルフ・ヒトラーだな」

 

「は?」

 

 

 俺の返答を聞いた聖天子様は、見たこともない表情で愕然とした。

 彼女は目を閉じながら首を振ると、額に手を当てる

 

 

「...すみません里見さん。もう一度言ってくれませんか?」

 

「だから、アドルフ・ヒトラーだって。アンタも知ってんだろ?斉武が自国(大阪)に重税かけたお蔭で市民に十七回も暗殺されかかったことは。....今のうちに言っておくが、何処のエリアの頭も一代でガストレア戦争から自領を立て直した奴等(化物)だ。全員、アンタとは比べ物にならないくらい野心の塊だぜ?」

 

 

 その中でも斉武は筋金入りだと、最後に聖天子様へ付け加えておく。彼女は緊張を顕わに重々しく首を縦に振った。

 実際、それだけ殺されかかっておきながら本人はどこ吹く風だしな...。馬鹿ではないのだが、些か考えが浅薄な気がする。

 

 俺の思考を中断させたのは、目的地に着いたことを伝えるエレベーターの電子音だった。

 はぁ...恐らく、初見から罵声が飛び交うんだろうなぁ。ウチの純粋な国家元首様を失神させないように気を付けねぇと.....

 

 そんな失礼極まりないことを考えながら、俺は聖天子様に続いて再びエレベーターの扉を潜った。

 

 

          ***

 

 

 帰りのリムジンへ乗り込んだ頃には、すっかりと夜の帳が降りていた。

 車内にいた延珠は長時間待たされていたお蔭で、今は俺の膝上にて夢の中だ。妾は護衛役を頂戴するのだ!とか言っていた奴の体たらくがコレか。大したもんだ。

 

 聖天子は隣で目に見えて落ち込んでいる。会談で浴びせかけられた斉武の言があまりに横暴だったのにもかかわらず、気迫や迫力に押されて言い返せなかった事が原因だろう。

 しかし、ある程度予測していたとは言え、レールガンを本気で抑止力として運用する気があったとは...。実際問題、アイツの目は日本だけでなく世界へ向いていた。

 それにしても、今回の会談は俺がついていて良かったかもしれないな。聖天子様は完全に斉武のジジイに呑まれかけていたんだから。

 

 

「まぁ、元気出せって」

 

「ですが、私は...」

 

「アンタはアンタなりにやりたい事があんだろ?ならあのジジイの挑発に乗るな。ちっと歳喰っただけで偉そうにしてる小五月蠅い爺さんとでも思っとけ」

 

「.........ふふ、里見さんは豪胆ですね」

 

「ったく、国家元首を名乗るアンタがゴロツキの民警に励まされてるなんて、誰にも言えねぇぞ?」

 

「里見さんはゴロツキなんかじゃないですよ。我が国の英雄です」

 

 

 そう言った聖天子は微笑み、俺もつられて笑うと、車内へ暖かな空気が流れた。これで少しは持ち直したか。

 胸を撫で下ろしていると、唐突に俺の膝上から不機嫌そうな声が聞こえてきた。

 

 

「蓮太郎はだめだぞ」

 

「んっ?」「えっ?」

 

「蓮太郎はおっぱい星人だから、木更より小さいと女として認識されないのだ。だから――――――」

 

「だぁぁぁ!なに言ってんだ延珠っ、言い掛かりも甚だしいぞ!」

 

「里見さん、不潔です」

 

「ちっがうってのッ」

 

 

 俺を見る聖天子様の目は嫌悪感丸出しだった。何か、何か弁解のネタはないのかっ?

 俺は一縷の希望を掛けて延珠を見るが、当の言いがかり少女は車窓から夜の街を眺めていた。何故か顰めっ面で。

 

 

「蓮太郎、なんか嫌な感じがする」

 

「随分と抽象的な言い方だな」

 

 

 リムジンはちょうど十字路の交差点へ差し掛かり、赤信号で停車する。俺はその隙に窓際へ取り付き、己の両目へ全神経を集中させた。

 延珠の向けた指の先...ビル群の屋上へと瞳を動かすが、赤く点滅する航空誘導灯ぐらいしか見えない。ましてや人影など皆無だ。

 

 やがてリムジンは発車し、身体が慣性によって少し傾ぐ。

 ―――――その時に、見えた。白い銃口炎(マズルフラッシュ)が。

 

 

「ヤバいッ!皆、何かに掴ま―――――」

 

 

 言い終わる前に、強烈な破砕音が耳を打った。

 リムジンは横腹に受けた衝撃と、運転手の動揺によるステアリングミスで横滑りし、かなりの勢いとともに歩道脇の道路標識へ突っ込んだ。

 車内にいた俺たちは揉みくちゃにされ、身体をいたるところにぶつけた。しかし、痛みに呻いている時間はない。これは恐らく、いや確実に聖天子様を狙った狙撃だ!

 

 

「延珠はドライバーを頼む!聖天子様、外に出るぞ!」

 

「そ、外は寧ろ危険なのでは....?」

 

「俺たちを撃った狙撃手は走行するリムジンを狙える。―――――恐らく、次に鉛玉ブチ込むターゲットは....」

 

 

 ドアを蹴破り、俺は聖天子様と転がるようにしてリムジンの車外へ躍り出る。そして、その直後に背後から爆発音とともに熱風が吹き付けた。

 

 

 (やっぱり、ガソリンタンクを狙ってきたな...!)

 

 

 動揺しながらも俺は何とか我が国のトップを守ろうと庇うが、結局一緒に吹き飛ばされて路上へ転がる。それでも横目で倒れている聖天子様を確認し、目だった傷がない事にホッとした。

 だが、あまりうかうかしてはいられない。此方が態勢を立て直す前に三射目が来るはず――――――――

 

 

(ッ!)

 

 

 盛大な悪寒が背中を走った。...確実に、俺は今狙撃手の可殺領域内に入っている。

 脳内へ己の死が濃厚に投影される直前、延珠が叫んだ。

 

 

「蓮太郎、しゃがんでッ!」

 

「っ!」

 

 

 必死の形相だったため、言葉の意味を理解してからではなく本能に近い挙動で身をかがめる。

 すると、俺の頭と入れ替わるように延珠は長いツインテールを翻しながら蹴りを放った。

 

 

「ハァッ!」

 

 

ガッギィィンッ!!

 

 頭上で甲高い金属音。それが途切れたと同時に延珠が足を振り抜き、相殺しきれなかった威力を証明するかのように地面を何度も転がった。

 俺は聖天子様を抱え起こしながら、銃口炎が見えたビルを凝視する。しかし、すぐに止めた。

 先ほどまでの殺意が無くなっている。敵はもう逃げたのだろう。

 

 延珠にも臨戦態勢を解いて貰うが、俺は思わず歯軋りした。

 

 あの銃口炎が見えたビルは、狙撃された地点から何kmある...?いや、それ以前に走行するリムジンの左後輪を正確に狙い撃ち、更に爆破させるなど人間の為せる業ではない。

 ならば、偶々当たった――――?

 

 

(車のタイヤとガソリンタンク、でもって俺の頭部射撃(ヘッドショット)。偶然にしてはあまりにも出来過ぎてるな)

 

 

 ―――――そう。偶然ではない。何故なら、狙撃手は撃ち出した三発とも、寸分の狂いなく対象を捉えていたからだ。

 

 俺はまだ見ぬ敵に感服するとともに、心の底から戦慄した。有り得ない。...が、それは事実として目の前で起こっている。

 顔を蒼白にしてしまっている聖天子様を抱え直した時、俺の耳が何かを捉えた。

 

 

(ん.......?何だ、この音)

 

 

 虫の羽音らしき異音が聞こえ周囲に目を向けるが、夜の闇が手伝って確認できなかった。

 二台分の車のブレーキ音で意識を此方側へ戻された俺は、その車内から出て来た保脇たちに眉を顰める。今更ご到着とは、ホント良い御身分だな...

 

 とりあえず、聖天子様をこの場所から移動させよう。無能な聖天子付き護衛官などには任せられない。

 

 

          ***

 

 

 

「マスター、作戦失敗しました。ターゲットに手練れの民警が護衛として付いています」

 

『なんだと...?馬鹿な、聖天子のお守り役はあの烏合の衆だけではないのかっ?チッ、情報と違うぞ!』

 

 

 インカムを通して聞こえるマスターの苛立たしげな声に取り合わず、置いてあった固定台を畳んでから、持っていた対戦車ライフルと一緒にケースへしまう。

 丁度留め金を嵌めた所で、幾分か落ち着いたらしいマスターの声が耳朶を打った。

 

 

『護衛していた民警の姿は見えたか?』

 

「確認出来ましたが、遠すぎて顔立ちまでは見てとれませんでした」

 

 

 言いながら、今一度肉眼であの交差点を俯瞰する。

 自分の目がおかしくなければ、二発目に放った銃弾は飛び出してきたイニシエーターの蹴りによって弾かれていた。

 対艦砲やバルカン砲などを除けば、この対戦車ライフルから吐き出される弾の威力は既存しているほぼ全ての銃弾を凌ぐ。それを防ぐとなると―――――間違いなく強敵だ。

 

 

「邪魔をする者は....排除する」

 

 

 己へ言い聞かせるように。そうするべきが正義なのだと窘めるように、誰もいないビルの屋上で呟く。

 しかし、その言葉は吹きすさぶ強風に掻き消される。

 

 身を震わせた時に響いたカフェイン錠剤のぶつかり合う音が、初めて五月蝿く聞こえた。

 

 




なんだか、誰かを殺すことに葛藤する場面が多い気がします。
...うむ、この作品のコンセプトにしようか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26.外出

原作の内容を削るのって勇気いりますね。...うっかり大事なトコ抜けてたりするかも。


 

 ここ最近は大変だったお蔭で、危うく体調を崩しかけてしまった。

 ちなみに、俺の身体で一番ダメージを受けたのは胃だ。理由はまぁ...飛那のことである。

 

 蓮太郎と顔を合わせたのは久し振りだった。

 お互いに蛭子影胤追撃作戦での功績や近況についてなど、話題には事欠かなかったはずなのに...天童民間警備会社の事務所へ入ってから蓮太郎と言葉を交わすまで、凡そ三十分を要した。

 已むに已まれぬ事情があったとはいえ、断りなく飛那を何日も彼の所へ預け、彼女の独断で危ない賭けにまで乗せてしまったのだ。普段通りの態度で話せる訳がない。

 しかし、そんな俺の緊張は杞憂だったようで、蓮太郎は純粋にカチコチになっている俺を見てついに笑いだしたのだ。

 驚きはしたものの、同時に俺の中で張り詰めた弦が弛緩したのを感じ、それまでの自分が唐突に馬鹿らしくなったか、俺も爆笑してしまった。

 一頻り笑い転げた後の会話は実にスムーズで、所々蓮太郎から嫌味を言われたものの、いつの間にか友人同士の関係に戻っていた。

 

 

『たまには飛那と一緒に遊びに来てくれ。...延珠が寂しがるからな』

 

 

 別れ際にそう言った蓮太郎だったが、延珠と同じくらい、彼自身も寂しそうな顔をしていた。

 そんな蓮太郎へ後ろめたさを感じながらも、勿論。と約束してから、俺は天童民間警備会社を後にした。

 

 これで、一先ずは飛那の件が片付いた....のだが、問題はまだあったのである。

 その『問題』は、携帯の通話履歴を見れば一目で分かるのだが...何故か先日会ったティナから、ほぼ間断なく連絡がくるのだ。

 やれ、街を案内してだの、買い物に付き合ってだの、遊びに連れてってだの...本人には悪いが、その都度飛那と夏世へ外出する理由を考える此方の身にもなって欲しいものである。

 実は、一度朝にコッソリ家を出た事があるのだが、帰って早々俺の目に飛び込んで来たのは、玄関に仁王立ちで佇む二柱の鬼神だった。俺は二度とあのお二方を世に生み出さぬよう、軽率な行動を避けねばならない。

 

 しかし、その願いは天上の神々に聞き届けられてはいないようだ。

 

 

          ***

 

 

 時は昼の2時過ぎ。

 ご飯を食べて腹が膨れれば眠くなるのは道理ではある。が、目前に座る金髪の少女は些か過剰な睡魔に襲われているらしい。

 

 

「ふぁ....ぁ」

 

「眠いか?」

 

「あっ!..いえ、全然大丈夫です」

 

「そうは見えなかったけどなぁ....」

 

 

 俺は先程一緒に食べた昼飯中でしていたティナの暴挙を今一度思い浮かべる。

 箸で料理を掴んでも口元へ運ぶ道すがらに船をこぎ始め、何度も何度も取り落としては焦っていた少女のいた光景を見た後では、とても眠くないなどと言えるものではなかった。

 今回は俺自らが腕を振るって作った弁当だ。自発的に作った訳ではなく、前回の彼女との外出時に自炊能力があるとうっかり口を滑らせてしまったが為に、ティナから遠まわしでお願いされ、疑いの眼差し×2を全身で受けながら調理する羽目に合った次第である。正直並の拷問より堪えるぞ、あれ。

 

 

「べ、別につまらなかったり、退屈だったりしてるわけじゃ――――」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫。だからちょっと落ち着けって」

 

「ふむっ」

 

 

 ティナは最初に会ったときのパジャマ姿から一変し、目に見えて気合いの入ったドレス姿となっている。そのため肩が露出しており、俺は彼女の肩ではなく後頭部に触れてから優しく押して己の胸元へ招き入れる。

 

 

(抜け出せないように軽くぎゅっとしとくか...意外に頑固だからな、コイツ)

 

 

 後頭部と腰に廻した腕へ多少力を加え、拘束の意味も込めた抱擁をする。

 あまり無理をするつもりはないが、こうでもしないとティナは今日中ずっと肩肘張って過ごすだろう。それこそ『無理』というものだ。

 

 

「いらないお世話かもしれないけど、俺といる時ぐらいリラックスしたらどうだ。まぁ、理由は知らないし、聞かないが...最近大変なんだろ?」

 

「!知って.....?」

 

「こう何回も顔合わせてりゃ、少しはな。それを差し引いても、お前は普段から分かりやすい」

 

「........」

 

 

 何かを隠している。

 否、隠し事が無い人間など皆無ではあるが、目前の少女は自覚せず表情や雰囲気にまで影響が出ていた。これではむしろ気にしない方が難しい。

 しかし、先程彼女へ言ったように、追究することはしない。が、せめてお節介ぐらいは焼こうと思った。

 

 

「.......分かりました。樹万さんのご厚意に甘えたいと思います」

 

「おう。任せとけ」

 

「エッチなこと...しないで下さいね?」

 

「任せとk...って、んなことするかっ!」

 

 

 そんな釘を刺して置きながらも、ティナは笑顔と共に遠慮なく俺の胸元へ身を預けて腕を廻してきた。やべっ、女の子特有のいい香りが...!

 端から見たら、仲の良い兄弟が公園で戯れているように映るのかもしれない。だが、ティナからは何処か幼子らしさの抜けた、大人の女性にも負けない程の色気を感じた。

 

 

(馬鹿か俺!意識するな...意識するな.....!)

 

 

 こんな風に思ってしまっている時点で意識していることは明白なのだが、それすら頭から除外して思考自体を放棄する。

 

 素数を必死に数えては失敗しを何度か繰り返した頃、突然ティナの携帯が震えだした。どうやらメールの類いではなく通話のようで、腕の中で眠るティナを起こそうとしたのだが、彼女はそれを上回るスピードで飛び起きた。

 

 

「...........ッ」

 

 

 ティナは素早く携帯の画面を確認すると、僅かながら眉を顰めた。一瞬の事だったので特に言及しなかったが、彼女は俺が事情を聞く前に頭を下げた。

 

 

「すみません樹万さん。急用が出来たので失礼します」

 

「.......そうか。気を付けてな」

 

「樹万さんも、気を付けて」

 

 

 ティナの表情は強張っていた。まるで何かと争っているかのように、あるいは耐えているかのように。

 しかし、彼女の雰囲気からは明確な拒絶が感じられた。これ以上こっちには来ないで、と。それは感情的なものではなく、俺の身を案じるような意図があった...と思う。

 

 

「ま、深追いしたら後が怖いし...大人しく帰るかな」

 

 

 さてと。うぅーむ、帰りの買い物ついでにご機嫌とりグッズ買ってくか。そうすれば少しは二人も...

 と、目下の問題解決に勤しんでいるうちに、ティナから感じた違和感はすっかりと忘れていた。

 

 

          ***

 

 

 彼のいた場所からある程度離れたところで、先程通話を試みて来た相手へ折り返し電話をかける。

 

 

『遅いぞ。何かよからぬ事があったのではなかろうな?』

 

「すみません、マスター。どうしても応答出来ない状況下にありました。ですが、不足の事態は起きていません」

 

『ならいい。...本題に入らせて貰おう』

 

 

 私は霞がかる意識へ鞭打ち、次の言葉に備える。

 

 

『次回の聖天子の警護計画書が手に入った』

 

「...随分と早いですね」

 

『クク...なに、あちらへ()()な協力者が居るだけだ』

 

 

 鼻につくような低い笑声を聞きながら、私は情報を流した聖居内の人物が何を思ってこのような行為に及んだのか気になった。だが、これから行うことには必要の無い知識だ。

 そんなことより、まず最優先で対処しなければならないことがある。

 

 

「ですがマスター、聖天子の側には先の(はかりごと)を妨害した民警が存在します」

 

『それも問題はない。お前がこれからすべき事は、その民警の対処だからな。次まで邪魔される訳にはいかん』

 

 

 私の狙撃を真正面から受け回避してみせた、あの民警ペアと戦う....面白い。

 携帯を握る手に力が入り、ミシリと音をたてた。

 

 

『ティナ・スプラウト、次の任務だ。天童民間警備会社社長、天童木更を殺害せよ』

 

 

 

          ***

 

 

 

「狙撃ぃ?聖天子の乗ったリムジンがかよ」

 

『ああ、そうだ。俺も危うく殺されかけた』

 

 

 俺は今しがた淹れ終わったドリップコーヒーを持ちながら移動し、ソファへ座ってから溜め息を吐く。こいつはまた厄介な問題を抱えて来やがったな...

 しかし、狙撃か。数キロ離れた地点から対象へ狙い撃ち出来る規格外相手に、よく生き残ったもんだ。

 

 

「...はぁ。相変わらず危ねぇことに巻き込まれてんなぁ蓮太郎」

 

『俺だって好き好んで巻き込まれてるわけじゃねぇよ。んで、ちょっとその件で相談したいことがだな...っておい未織止めろ!今大事な話を――――おあぁっ!?』

 

「?」

 

 

 なにやら愉快な悲鳴が聞こえたかと思いきや、蓮太郎の声が完全にフェードアウトしてしまった。

 代わりに鼓膜を震わせたのは、訛りがありながら艶然とした美声だ。

 

 

『別にええでしょ?里見ちゃん、何でもかんでも隠したがるのはあかんよ。そういうのは木更だけにしとき』

 

「あのー、どちら様で?」

 

『あらごめんなさいね、こっちが騒がしくて。ちと里見ちゃんがヘソ曲げてなぁ...私は司馬未織。司馬重工ってとこの社長令嬢つーいらん肩書き持っとるいち高校生や。兎も角、蛭子影胤追撃作戦の影の功労者である美ヵ月樹万さんに、どうしても正式なお礼を言いたくてなー』

 

「いや、俺は別に...ってか、司馬重工の令嬢だって?」

 

『そやそや。コレがあるから、里見ちゃんへ個人的な武器のバックアップできんねんよ』

 

「はぁー、なるほど....って話の趣旨ずれてね?」

 

 

 未織ののんびりした声に乗せられて、こっちまで持ってかれそうになった。意外に油断できない人物だな....

 俺は勝手に戦々恐々としているが、あちらはケラケラと笑いながら明るい態度を崩さない。

 

 

『それもそや。今里見ちゃんとはなしとったんはな?今回の聖天子様を狙った狙撃に関してなんやけど...ひゃ!もー里見ちゃん乱暴!もちっとれでぃの扱いを心得や!――――――』

 

「??」

 

 

 今度は未織の声がフェードアウトしていき、首を傾げる。俺の携帯がおかしい訳じゃないよな...?

 と、訝しんでいる間に今度は蓮太郎の声が復活した。

 

 

『ったく未織の奴、言いたい放題しやがって...スマン樹万、話の続きだが――――」

 

 

 ここで何かがぶち壊される派手な音がスピーカーから響き、同時に女性のものと思われる叫び声まで...もうなんなんだよ一体...

 軽くげんなりしていると、蓮太郎の焦ったような声が割り込んできた。

 

 

「樹万!続きは先生のトコで話す!だから勾田大学病院の研究室まで来てくれ――――――」

 

 

ブツッ。ツー、ツー....

 

 

「えぇ....」

 

 

 俺は冷めたコーヒーを前に、呆然とすることしかできなかった。




ティナがついに天童民間警備会社を補足です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27.進化

サブタイに自信が無くなってきた今日この頃。


 相変わらず趣味の悪い悪魔のバストアップを見ないように扉を開け、いつものようにドクターの研究室へ足を踏み入れる。ってあぶねぇ!何で出入口前の地面へ試験管転がしてんだよ!客人を殺す気か!

 俺は殺人罪を被りそうになった試験管を嘆息しながら拾い上げ、近場のゴチャゴチャした机へ置く。その途中、奥の方で先に来ていた蓮太郎から声がかかった。

 

 

「よう、樹万」

 

「む?学校のトモダチか?蓮太郎」

 

「いや、樹万は俺の仕事仲間だ。...そういや、延珠は顔をあわせるのが初めてだったか」

 

 

 可愛らしい髪留めでまとめたポニーテールを揺らしながら此方へ顔を向けたのは、蓮太郎のイニシエーターである藍原延珠だ。

 一応初対面ではあるが、特に気負うことなく自己紹介する。彼女たちの強い警戒を解くには、己が警戒しないことが最も効果的なのだ。

 

 

「初めまして。俺は美ヶ月樹万、そっちで世話になった飛那のプロモーターだ。よろしく」

 

「おぉ、ヒナの相棒か!確かもういないと言っていた筈だが....うむ、まぁ細かいことはナシだな!妾は蓮太郎の相棒、藍原延珠!よろしくしてやろう!」

 

「ほう、随分しっかりしてんな。この分だと、蓮太郎のお守は大変だろ?」

 

「そうなのだ!蓮太郎はすぐに木更の凶悪おっぱいに飛びつくから大変でな―――――もごご」

 

「こらこら!謂れの無い俺のネタで盛り上がるんじゃない!」

 

 

 延珠の口を手で塞ぎ、自身の名誉を守ろうと必死の蓮太郎。ドクターが『いじりがいのある少年』と呼称するのにも大いに頷けるな。てか、もう名誉なんてとうの昔に失墜してんだろ。諦めろって。

 と、背後から嫌な気配を察知し、俺はその場から素早く飛び退く。瞬間、今まで己が立っていた空間へ注射器が突き立てられた。

 

 

「チッ、避けられたか」

 

「こっちは避けられた事実に万々歳ですよドクター。危ないですからそれ仕舞ってください」

 

「なに、こいつはそれほど危険なものじゃないさ。一滴分で牛が一週間ほど昏睡する程度の麻酔薬だ」

 

「よかった。本当に避けられてよかった」

 

 

 心の底から安堵しながら、俺は念のためドクターと距離を取って置く。

 それを微妙な表情で眺めていた蓮太郎が口を開いた。ああ、お前も被害者だったんだな。同情するぜ?お互いにな。

 

 

「樹万、改めてになるが....今回の聖天子狙撃を行った犯人の捕縛に協力してくれないか?」

 

 

 

****

 

 

 

「五十口径の重機関銃で、約一キロ先の標的へ鉛玉をぶち込める敵、か」

 

「はっはっは!その話をそこいらの歩兵が聞いたら確実にチビるな」

 

 

 ドクターの言い分は尤もだ。恐らく同業者でも尻尾を巻いて逃げるだろう。

 さて、詳しい情報の整理をしたものの、やはりこの分では勝算がないに等しい。というか、敵方の素性が全く分かっていないのでは話にすらならない。

 ――――――ということで。

 

 

「蓮太郎、現時点での協力は出来ない。誰が考えても、こりゃふざけた博打にも程がある」

 

「そう、か」

 

「だが、だ。狙撃手の素性を割って、それなりの情報を揃えてくれさえすれば考えるぜ?」

 

「む....ああ、分かった。出来る限り、このことは俺と延珠でやってみる」

 

 

 蓮太郎も俺に頼りっぱなしは不味いと悟ったのだろう。これ以上の追及をすっぱりと諦めた。コイツのこういう所は気に入ってるんだよな。

 彼の一瞬見せた悲壮感を感じ取ったか、延珠は隣で明るい表情を覗かせながら笑いかける。

 

 

「大丈夫だ蓮太郎。妾が守ってやるからな」

 

「ああ。ありがとな延珠」

 

「ほうほう、その年で既にヒモ宣言か。君は恥も外聞も豚へでも喰わせているのかね?」

 

「俺は何も豚に喰わせちゃいねぇって、先生」

 

 

 いいところでドクターの茶々が入り、締まった表情が一瞬にして台無しになる蓮太郎。このやり取りは大衆に受け....ないな恐らく。

 己のギャグセンスへ密かに危機感を持っていると、ドクターは蓮太郎弄りに満足したか、座っていた椅子から立ち上がり大欠伸をしながら言った。

 

 

「さて、蓮太郎くん。これから私は延珠ちゃんとお話をする。君には聞かれたくない内容の、な」

 

「!まさか...」

 

「ああ、それとは違うから安心したまえ」

 

「......分かった。延珠、一人で家にまで帰って来れるか?」

 

「うむ、大丈夫だぞ。蓮太郎は心配性だな!」

 

 

 その言葉で決心を固めたのだろう。蓮太郎は多少名残惜しげながらも研究室を出て行った。

 俺は彼がいなくなったのを見計らい、ドクターへ疑問の言葉を投げかける。

 

 

「俺はここに居てもいんですか?」

 

「ああ。君は私が話す事の知識を、大方熟知してるだろうからね」

 

 

 その中身が一言も語られていないのでは、此方で判断をつけることが出来ない...が、俺はドクターの言葉に首肯する。元より、俺の事を俺自身より知っている彼女のことだ。間違いはない。

 しかし、俺が閉口したのと入れ替わるように口を開いたのは、訝しげな表情を湛えた藍原延珠だ。

 

 

「なんで蓮太郎を帰したのだ?」

 

「これからする話は、蓮太郎くんに聞かせたら君が嫌がるんじゃないかと思ってね。私なりの不器用な心配りさ」

 

 

 蓮太郎に聞かせて、延珠に不都合のある話題?...一体何なのか想像がつかない。

 ドクターは机の上にあるものを脇に押しのけながら、その話題を発起させる。

 

 

「君は強力なイニシエーターと戦っている時、または街中を歩いている時に、寒気を感じて首の後ろがピリッとしたことはないかい?」

 

「....ないぞ」

 

「ふむ、では話を変える。君はスピード特化型のイニシエーターではあるが、そのスピードは最近伸び悩んでいないかい?」

 

「!薫は何か知ってるのか....?」

 

 

 二度目の質問で、明らかに肯定と思える反応をした延珠。それを見たドクターは、机を整理する手を一旦止めて延珠の方へ顔を向ける。

 

 

「やっぱり、そうか。君にも『成長限界点』が来ていたか」

 

「成長限界点....イニシエーターが、モデルとなった因子の力を引き出せるボーダーラインですか」

 

「その通りだ、樹万くん。レベルMxといえば聞こえは良いが、裏を返せばそれ以上の進化はないということでもある。...さて、延珠ちゃん。そのことについて自分なりに話してみてくれないか?」

 

 

 資料や参考書などが積み重なった場所から一つのバインダーを取り出し、それを捲りながら少女へ問いかける。

 

 

「昔は、力を使えば使うほどスピードは上がって行ったんだけど....最近はそんな感じが全然しなくなったのだ。なんというか...その」

 

「見えない壁にぶつかってるような感じかい?」

 

「ああ、それが今の妾にはピッタリだ!いくら練習しても、前みたく速くなった感覚がしない」

 

「ふむふむ。レポート通りだね。やっぱり君は停滞期に入っている」

 

 

 ドクターの放り投げたバインダーを何とかキャッチした俺は、その資料を捲って確認してみる。

 細かな数値や固有名詞は無視し、停滞期に入っているという前提で資料を読み進めていくと、確かに分かった気がする。多分。

 そして、同時にドクターが話題にしたい内容を理解した。

 

 

「ドクター、『ゾーン』ですか?」

 

「はっは!流石だな、樹万くん。そうだ。イニシエーターが成長限界点というラインを踏み越えられる唯一のポテンシャル...それが『ゾーン』。だが、延珠ちゃんにはそれを身に着けることは出来ない」

 

「なッ...何でだ薫!妾はこれ以上強くなれないのか?!ずっと停滞期のままなのか!?」

 

「..........」

 

「薫!」

 

 

 ゾーンとは、イニシエーターが持つ因子の能力を最大限にまで高めるものだ。そして、それはつまりガストレアの体内組成へ限りなく近づくことを意味する。

 そうなれば、体内侵食率はこれまでの比ではない程に上昇するだろう。だが、俺とて前例であるゾーン到達者を見たことは無い。

 存在するのか、しないのか。するとしたら、どれほどの実力なのか。しないとしたら、かつてゾーンへ到達しながらも、その瞬間にガストレア化してしまったか。...全て憶測だ。

 

 

「薫、頼む!妾はもっと強くなりたいのだ!蓮太郎を、もうあんな目には合わせたくない!」

 

「ッ...ああ、全く君って奴は.....!」

 

 

 苛立ったように、将又(はたまた)観念したかのような表情でどっかりと椅子へ腰かけたドクターは、机に肘を着きながら延珠へ『ゾーン』のことを説明し始める。

 ....と、机の上に見慣れないフォルダーを発見した。俺は何となくそれを摘み上げ、中の紙パラパラとめくって確認する。

 

 

「ドクター、これは?」

 

「ん?...ああ、それは今回の聖天子狙撃事件の詳しい情報が記された資料だろう。君へ事件の概要を説明するために蓮太郎くんが持ってきたモノだ。忘れていっちゃ世話ないがね」

 

「そうですか.........ん?」

 

 

 俺は読み進めていくうちに一つの懸念事項へ思い至った。

 今回の狙撃は、普通なら出来ない筈だった。否、技術的な面ではなく、そもそも聖天子が外出し、あの公道をリムジンが走行するなどという情報が手に入る時点で間違っている。

 それほどまでに敵方の情報収集能力が高いと仮定すれば、狙撃時に邪魔をした民警...つまり蓮太郎と延珠の存在はすでに掴んでいるはず。先方も一度妨害が入ったことに苛立っているだろう。ならば、次手は天童民間警備会社の襲撃....!

 

 

「――――――――ドクター。俺、もう出ますね」

 

「ああ、帰るのかい?夜道に気をつけたまえよ」

 

「はい」

 

 

 俺は最も速度の出る因子を使用し、身体の組成を再編成した。

 

 

          ***

 

 

 夕日を眺めながら繁華街を出たところで、ふとした疑問が湧きあがってきたので、その波に任せて質問を投げかける事にした。

 

 

「マスター、天童民間警備会社について詳しい情報を頂けませんか」

 

『ふむ。何が知りたい?』

 

「事前の大まかな調べによると、天童という名は聖天子付補佐官である天童菊之丞の字と同一です。なにか関連性があるのでしょうか?」

 

 

 作戦にあまり関係の無い、単純な好奇心から来る質問ではあったが、存外に彼は流暢な口調で応答し始める。

 

 

『社長の天童木更は、天童菊之丞の孫だ。だが、彼女は天童から離反し、単独で民間警備会社を設立した。...他の経歴にも目を通したのだが、コイツがなかなか興味深いものでな』

 

 

 ククッ、と低い笑い声を漏らしたあと、彼は続けて言葉を重ねた。

 

 

『天童木更は幼少期に天童本家へ迷い込んで来たガストレアに両親を喰い殺されており、自身もその時の強いショックからくるストレスで腎臓の機能が大半失われている』

 

 

 予想外の内容に思わず面喰らってしまうが、内心の動揺を取り繕って返答する。

 

 

「では、天童木更は腎臓を取り替えたのですか?」

 

『いや、どういう訳か現状のままだ。ドナーはあると思うのだが、こればかりは本人の思惑が絡むな。...そして、ここからが面白いところだ。どうやらこの事件は謀殺の可能性が高いらしく、犯人は天童一族の誰からしい。ククク、そのことを知った天童木更は復讐の慙愧(ざんき)に取り憑かれ、狂ったように剣の腕を磨き、天童の家を出奔した。現在も天童の一族を殺して廻るための強迫観念に突き動かされているらしい』

 

「そう、ですか」

 

 

 復讐。それだけのために剣を握り、それだけのために技を究めた。

 恐らく、いや確実に彼女は強い。どのような感情や目的であれ、それが強ければ強い程に技の探究には淀みがない。世の不条理ではあるが、正より負の情念の方が人を強く動かすというのは真実なのだろう。

 暫く歩いていると交差点に差し掛かったが、人の量が多い。もう一つ先の場所へ移動しよう。

 

 

『金がないのか少数精鋭主義なのかは不明だが、天童民間警備会社に連なる民警ペアは一組しかいない。先日の作戦へ横やりを入れて来たのは此奴らだ』

 

 

 その言葉で、今回の作戦に使うガンケースを握る手に力が入る。

 

 

「名前は?」

 

『イニシエーターの名は藍原延珠、プロモーターの方は....里見蓮太郎』

 

「―――――了解しました。マスター」

 

 

 そう告げてから通話を終えると、大きく深呼吸をする。

 そろそろ陽が沈む逢魔が時ではあるが、念のためにプラスチックカップからカフェイン錠剤を五錠ほど取り出して口内へ放り込んだ。

 

 少し意識が鮮明になって来たところで、何となくドレスの裾へ手を入れると、一枚の紙片を取り出して眺めた。その紙片...名刺に刻まれている名前を見ると、思わず頬が緩む。

 

 

「美ヶ月民間警備会社社長、美ヶ月樹万....さん」

 

 

 その名を指先でゆっくりとなぞりながら想う。

 

 この作戦が終わったら、また会えるだろうか?

 私を一人の女の子として、迎え入れてくれるだろうか?

 

 

 ああ大丈夫、きっと彼なら――――――――――――




オリ主は果たして間に合うかどうか...後半へ続く!的な。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28.襲撃

 更新が遅くなってしまい申し訳ありません...m(__)m
 他作品を集中的に執筆していたために期間がかなり空きました。
 一応そちらの方は落ち着いたので、不測の事態が起きない限り、これからは万遍なく更新していきたいと思います。


 手に下げたポリ袋のガサガサという騒音を聞きながら歩く。

 中に入っているのはもやし一袋だけなのだが、俺...いや、俺たちにとっては貴重な食糧である。

 

 

「偶々安いのがあったのはラッキーだったぜ。これからは特売日以外も覗いとくかな」

 

 

 ここ最近いいことがあまりなかったので、素直に嬉しい。この調子で諭吉が風に乗って飛んではこないだろうか?...来るわけがない。

 金銭に貪欲な我が身に辟易しながら歩を進め、お馴染みの天童民間警備会社前に辿りつく。

 一階がゲイバーで二回がキャバクラという相変わらずの出で立ちに、どこか諦観を滲ませた溜息を吐く。立地条件の悪質さを謳い文句に提訴すれば、自治体に勝てそうなくらいだと思うんだけどなぁ。

 

 

「なにをするにしても、まず金が必要ってか...」

 

 

 人類が危機に瀕してる今でも、やはり金銭は人命より上の位置に存在しているのか。

 金は天下の回り物、なんて言葉は、所詮金持ちが作った言葉でしかない身勝手な妄想なのかもしれない。

 後ろ向き思考まっしぐらな状態のところ、気のせいには決してできない爆音が俺の耳を叩き、ハッとして顔を上げる。

 

 

「これは...ガトリング?!」

 

 

 雷にも似た恐ろしい悲鳴と、鉄のようなものを噛み砕く破砕音が断続的に階上から響いて来る。もしかしなくとも、その音源は俺が帰ろうとしていた、天童民間警備会社の事務所内からだ。

 一瞬にして口内が渇き、心臓が早鐘のように脈打つ。そんな、ウソだろッ!?

 判断を誤った。恐らく襲撃者は、先日聖天子狙撃を行った犯人だろう。敵方が情報収集能力に長けていることは、会談後のリムジン送迎ルートを事前に手に入れていた時点で気付くべきだった。

 階段を駆け上がりながら、木更さんの無事を何度も祈る。同時に、十中八九戦闘になると踏み、俺は腰に下げたXD拳銃の上部フレームをスライドさせ、初弾を装填させておく。

 事務所の扉を開けて真っ先に俺の目へ入ったのは、弾痕だらけになった内装ではなく――――――

 

 金髪の少女に首を絞められている、何にも代え難い人の姿だった。

 

 

「天童式戦闘術二の型十六番―――――ッ!」

 

 

 俺は怒りに任せて飛び出し、散らばった破砕物を蹴り飛ばしながら少女へ肉薄する。

 

 

「『隠禅・黒天風』ッ!」

 

「ッ!」

 

 

 一切の容赦なく放った回し蹴りを、見事なまでの体術で身を捻って回避され、更にはバック転を使った移動で距離を空けられる。

 顔を上げた少女の目は赤く染まっており、否応なく『呪われた子どもたち』であると認識させられる。やはり、あんな芸当ができるのは彼女たち以外ありえない、か。

 同時に、俺は目の前に佇む少女を利用する誰かへ激しい憤りを感じた。

 

 

「貴方は...里見蓮太郎、ですね」

 

「ああ、そうだ。...そういうお前は、何者だ」

 

「...ティナ・スプラウト」

 

 

 俺の問いに若干の間を挟んで答えたあと、彼女は少し迷うような素振りを見せ、持っていたガトリングを降ろしてから厳しい表情を作り直す。

 

 

「私が受けた命令は、『天童木更を殺害せよ』という言葉のみです。...里見蓮太郎、殺されたくなければ、即刻この場を立ち去って下さい」

 

「ざけんなッ!そんなこと出来るはずがねぇだろうが!」

 

「そうですか....では」

 

 

 ガシャリ、という重々しい音とともに、今一度取り付けられた六つの砲門が此方を向く。

 悪夢を形にしたようなソレに構わず、身を低くして特攻を試みる。彼女がそれに合わせて引き金を引くタイミングを見極め、素早く横へ飛んだ。

 壁に寄りかかっている木更さんを巻き込まないように、この狭空間で戦闘を行うのはかなり難しいが、やらなければどちらとも殺される。

 いくらイニシエーターとしてのパワーを備えているとはいっても、大の大人すら数分で音をあげるほどの取り回しの劣悪さを誇るガトリングだ。場の制圧には圧倒的な有利さを発揮するが、個人に振るう武器としてはあまりにも適していない。

 素早い動作で部屋を横っ飛びに移動し、十分距離を詰められたところで、木更さんの執務机を使って跳躍、次に壁を蹴って更に速度を上げた。

 

 

「天童式戦闘術二の型十六番――――――『隠禅・黒天風』!」

 

 

 バランスが上手く取れていなかったが、何とか技を繰り出す。しかし、ティナはガトリングを盾にして俺の蹴りを防ぎ、更にその反動を利用して砲身を振り回すと、ハンマー投げの要領で俺を殴った。

 インパクト寸前で身体との間に右手を割り込ませたので、ガトリングからの直接的な衝撃は受け止められたが、弾き飛ばされたあとに壁と衝突した威力は全く消せなかった。

 

 

「あがッ...!」

 

 

 なんつー判断力と瞬発力だ。けど、不意を突ければ....!

 背中を強打したお蔭で呼吸が乱れ、盛大に咳をしながら喘ぐ。星が散らばった視界では、ゆっくりと此方へ歩いて来るティナの姿が見て取れた。

 俺は咄嗟に腰へ手を伸ばしてXDを構える。が、彼女はそうすることが端から分かっていたかのようにガトリングを捨てて地を蹴り、握っていた銃を手で弾くと、宙を舞ったところをキャッチし、数秒前と構図が逆になる。

 ヤバいヤバい!こりゃ到底敵う相手じゃない!クロスコンバットの実力においては俺より断然上だ!

 

 

「.......」

 

 

 ティナは手に取ったXDをそのまま俺に向け、引き金に指を掛ける。...くそ、このまま俺は死ぬのかよ!?

 俺がここで殺されれば、今度は木更さんの番だ。自分だけでなく、守ると誓った少女まで巻き込むのか?

 悔しさのあまり奥歯を噛み砕きそうになったが、視界の中で気になる光景があった。

 

 

(震えて、る?)

 

 

 ふと見上げたティナの顔は今にも泣きそうなほど歪んでおり、何かを堪えるかのように、何かと(せめ)ぎ合うかのように唇を噛み締めていた。

 そうだ、彼女の顔は、まるで―――――――――――

 

 その時、轟音と共に事務所の扉が蹴り飛ばされた。

 

 

 

          ***

 

 

 

 着いて早々乱暴な体で事務所へ乗り込んでみたが、そこには驚愕の光景が幾つも展開されていた。

 一つは、弾痕でメチャクチャになった部屋だ。見てくれは戦争圏内の廃墟みたいな様相である。

 そして、もう一つは―――――――――――――――――

 

 

「ティナ、なのか.....?」

 

「うそ...樹万、さん」

 

 

 先日あったばかりの寝坊助少女が、蓮太郎へ拳銃を構えている。しかし、俺の姿をその赤い目で認めると、この世の終わりのような表情をして銃を取り落してしまった。

 このタイミングで武器を持ち、天童民間警備会社を襲撃している...となれば、もうティナをアレの犯人だと断定せざるを得ない。しかしまぁ、数奇な運命もあったもんだ。

 さて、どうする?....そんなのは、もう決まってる。

 

 俺はティナへ向かって歩きながら、腰に差してあるバレット・ナイフを抜いて構えた。

 

 

「ま、待って下さい樹万さん!私は」

 

「銃を取るか無手で構えるかしろ。でないと、死ぬぞ」

 

「ッ」

 

 

 忠告の後に地を蹴って黒い刃を振るう。それを避けながら後退するティナには、もう戦闘意欲が皆無に等しかった。ただ、絶望した表情で回避のために無理矢理身体を動かすのみだ。

 彼女の涙でぬれた頬を拭ってやりたかったが、今は駄目だ。俺には、敵を味方にするなんて特殊能力はないのだから。

 無力な自分を呪い、再びの突貫。俺が本気であることを悟った彼女は、遂に悲痛な叫び声をあげながら持っていたナイフを閃かせる。その刃が交錯した瞬間、彼女にのみ聞こえる声で伝えた。

 

 

「逃げてくれ」

 

 

 懇願への返答は行動で示された。

 俺は三度目の交錯をした瞬間、致命的にならないほどの微小な隙を敢えて露呈する。ティナはそこを突き、瞬時に身を捻り俺の腹を蹴った。

 明らか加減されていたような気がしたが、それでもイニシエーターの力だ。俺の身体を壁際まで吹き飛ばすには十分なくらいの威力があった。

 彼女はその間に事務所の扉を抜け、逃走した。否、してくれた。

 

 

「げほごほっ、いやー強烈」

 

「ぐ...強烈、じゃないだろ樹万。聖天子狙撃の犯人と顔見知りたぁ...どういうことか説明してくれるよな?」

 

「なに、日常生活でちっと顔合わせただけだ。お互いなんの探りもいれてない、一般人の皮を被った状態で、な。それより、身体は大丈夫か?」

 

「ああ、俺はなんとか平気だ。それより木更さんを優先して見てやってくれ」

 

 

 予想通りの返答に苦笑いしながらも立ち上がって移動し、蓮太郎の進言通り壁にもたれかかったままの天童木更を看る。しかし、俺が目前に立っても彼女はピクリとも動かない。

 ....?反応が全くない?一体どういう――――――――――ッ!

 

 

「これは不味い!蓮太郎、今すぐ病院へ搬送しないと手遅れになる!」

 

「なに...まさか?!」

 

 

 木更は珠のような汗を掻き、呼吸が目に見えて浅くなっていた。

 誰の目から見てもこれは異常だ。外傷がない状態でここまで衰弱しているとすれば、確実に中...臓器の問題だ。

 

 俺はすぐさま救急の電話番号を入力し、携帯を耳に当てた。

 

 

 

          ***

 

 

 

「腎不全....だって?」

 

「そうだ。木更さんの腎臓はほぼ機能を停止してる。だから定期的に人工透析をしなきゃなんねぇ」

 

 

 病室の外で改めて蓮太郎と向き合った俺は、彼女の容体を詳しく聞いてみたところ、予想外の重病で驚いた。

 彼女が民警となって最前線で刀を振るわない理由はこれか。戦場で倒れたら一貫の終わりだもんな。

 見上げた蓮太郎の顔は沈み切った色をしており、木更の病室から出て来てからずっとこうだ。扉の向こうでは、今しがたやって来た延珠と話す声が聞こえて来る。

 俺たちは深夜で静まり返った病院内を移動しながら、会話を続けた。

 

 

「樹万、木更さんが治療を拒む理由....分かるか?」

 

「治療?ああ、そういえばドナーって手があるよな」

 

 

 言われてみれば、なぜドナーを受け入れずにあのような措置を取っているのか甚だ疑問だ。妥当な予測としては、他人の臓器を移植するという治療法に嫌悪感を抱いている、ということだろうが...。蓮太郎の厳しい表情を見るに、それはないはず。

 その後も少し思考を巡らせたが、結局尤もらしい理由に見当はつけられなかった。

 

 

「木更さんはな...復讐の心を忘れないために、治療をしてないんだ」

 

「.....ッ。まさか、あの時の」

 

 

 天童。かつて彼女へその名を言い放ったときに、濃厚な憎悪の念を漏らしていたことを思い出す。それが元凶なのかと蓮太郎へ聞くと、忌々しそうな表情をしながらも首肯した。

 つくづく、人とは恐ろしい生き物だ。自分の命を危険に晒してまで憎しみの鮮度を保つとは、悪趣味を通り越して狂気すら感じる。

 何故、それほどまで復讐に憑かれてしまったのか?その疑問に、蓮太郎は感情を押し殺した声で答えた。

 

 天童の家を襲ったガストレア。

 そのガストレアに両親を喰われ、蓮太郎自身も右腕と右足、左目をもっていかれた。その光景をまざまざと見せつけられた天童木更は、絶望のあまり腎臓の機能が停止へと追い込まれてしまった。

 その後、事件は天童の家の誰かが謀ったものだという情報を掴み、以降は剣術の鍛錬へ狂ったように打ち込んだという。

 

 

「天童式抜刀術は、天童の一族を殺し尽くすために身に着けたのか」

 

「...そうだ」

 

「で、実際木更は、下手すりゃ機械化兵士であるお前より強いと」

 

「ああ」

 

 

 ....現代ではあらゆる治療法が確立され、精神治療(メンタルケア)すら高度なものとなっている。だが、それでも復讐に取り憑かれた心だけはどうにもならない。医療技術では治せないのだ。

 しかし、道は確かに存在する。木更ほどのものでは難しいだろうが、彼女のことを真っ直ぐ見れるこの少年なら、あるいは。

 

 

「...蓮太郎。お前が木更を救ってやれ」

 

「!俺が....救うだって?」

 

「そうだ。これはお前にしかできないことだ」

 

 

 息を呑む蓮太郎だが、すぐに拳を握りしめてリノリウム製の白い地面へ顔を向ける。

 

 

「どうやって....どうやって救えばいいんだよ!分からねぇんだ、全然分からねぇんだよ、木更さんの考えてることが!....俺のこと、どんな目で見てるのかが...っ!」

 

「どうやって、か。そんなの簡単なことじゃねぇか」

 

「か、んたん...だって?」

 

 

 あんぐりと口を半開きにしてしてしまった蓮太郎へ、俺は苦笑いしながら説明する。

 理論は至って単純。天童木更の中に存在する優先順位を置き換えればいいだけの事。

現在、彼女が人生で第一としているのは勿論天童への復讐。しかし、そこへ里見蓮太郎という人物が割り込めば。

 

 

「オとせ、蓮太郎。復讐の闇へ呑まれちまう前に、木更を自分の色で染め上げちまうんだ」

 

「なっ、ななな!染め上げるなんて馬鹿な....!」

 

「俺はからかってるわけでもふざけてるわけでもねぇ、本気で言ってんだよ。人を変えられるのは恋だって昔から決まってんだ。なら、お前がそれを成せ」

 

「俺が....」

 

 

 俺の言葉で顔を上げた蓮太郎の瞳へは光が戻っていた。どうやら、腹は決まったらしい。

 全く、世話のかかる同僚だ。....そんな事を思いながら彼の肩を叩き、横を通り過ぎる。少し歩いたところで、蓮太郎の声が響いた。

 

 

「分かったぜ、樹万!俺が木更さんを救う、絶対に救って見せる!」

 

「....ああ、頑張ってくれよ」

 

 

 片手を挙げてキザったく返事をしてから、歩みを再開...させようとして、一つのことに思い至った。

 

 

「蓮太郎。例の依頼はどうするんだ」

 

「......続ける。一回受けたからには、最後まで責任を持つに決まってんだろ」

 

「そう、か」

 

 

 一瞬、俺も手伝う。という言葉が浮かんだが、すぐに横へ押しやる。代わりに、東京のトップを頼むという当たり障りのない発言に留め、その場を去った。

 蓮太郎はあくまで聖天子の護衛だ。ティナと戦う訳じゃない。―――――なら。

 

 

(アイツとのケリは、俺がつけるべき、か)

 

 

 夜風の冷たさに目を細めながら、俺は明るい街並みに足を向ける。

 

 

          ***

 

 

(あ、れ...?私は)

 

 気付いたら、一時的に住処としているマンションの一室に立っていた。

 そうだ。私は天童民間警備会社を襲撃して、樹万さんに出会って、それから....

 その先を考えようとすると、途端に足が震え、立っていられなくなる。呆然と見上げた質素な天井には、自分の望む答えなど書いていない。

 しかし、上を向いていないと、涙がこぼれてしまいそうだった。

 

 

「私...あの人に、刃を向けた」

 

 

 そう呟いた瞬間、己の努力を嘲笑うかのごとく、溢れた雫が手の甲へ落ちる。一度決壊した感情は止めようがなく、私は後悔と自責の濁流に呑まれた。

 ―――――本当は戦いたくなかった。だけど、彼と自分は敵同士。あの場所で笑いあえたのは、お互いがお互いの素性を一切明かしていなかったからに過ぎない。いや、彼は民警であることを私に教えてはいたか。

 

 

「戻りたい。あの関係に...!」

 

 

 それは無理だ。彼は私が里見蓮太郎を殺そうとしているところを見てしまった。

 あの場に顔を出せたということは、彼と天童民間警備会社には何らかの接点があるのだろう。ならば、以前聖天子を狙撃したという情報も抑えているはず。

 なにもかも、手が付けられない程に手遅れだ。

 

 

(なら...せめて、せめて私とはこれ以上関わらないように)

 

 

 ふと気になって調べたのだが、美ヶ月樹万という青年のIP序列は千番台にも上がってきていない民警ペアだった。そんな彼が()()()()である私と関われば、絶対に殺されてしまう。

 幸い、今の所マスターに不審がられてはいない。だが、これ以上は特定される恐れがある。やはり遠ざけるのが一番だ。

 きっと、彼も私の事を調べて経歴を知るはず。そうなれば、もう関わって来る事なんてしない。

 

 ―――――それが最善の選択なのに、何故私はいつまでも泣いているんだろう?

 

 認めろ。私は、彼ともう一度会いたいと願っている。声を掛けて、手を握って、抱きしめて欲しいと願っている。

 ふざけるな。私は殺し屋だ。マスターの命令に従って対象を殺し、任務を完遂する。ただの道具に過ぎない。

 違う、違う違う違う!私は―――――――――――――――!

 

 

「ッ!」

 

 

 混沌とした思考から引き上げた張本人は、携帯の無機質なコール音だった。

 ベッドへ無造作に投げられたソレを取ろうと立ち上がったところで、何か白いものが地面にハラリと落ちる。

 涙を拭いながら急いでそれを拾い上げてみると、ソレは何度も眺めた彼の名刺だった。

 

 

「ッ!これ、だけは...!」

 

 

 私はそれを胸に抱き、さっき拭ったばかりの瞳から涙が流れるのも構わず、彼の遺した唯一のものへ想いを馳せた。

 これで、美ヶ月樹万と共にいた時が嘘ではないと証明できる。...これを持っていれば、あの人とずっと繋がっていられる。

 

 ――――――――――もう、私は殺し屋の仮面を被ることができる。

 

 携帯は数十コールに後に、その音を途絶えさせた。

 




 ティナの願いとは裏腹に動き出すオリ主。今回は空気読んだ行動ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29.失策

とんだりはねたりの描写って難しいですね。
そういうことで、今回は地の分が増量されとります。


「うーん、やっぱりダメか」

 

 

 スクロールさせていたマウスから手を離し、ソファの背もたれへ上半身を預けながら頭を掻く。デスクの上に置いてあるノートPCのディスプレイには、『このアカウントにはアクセス権限が存在しません』という文字。ティナの情報が見れるかもと思いデータベースを覗いてみたのだが、有象無象の民警が持つしがない権利では門前払いを喰らうらしい。

 

 

「もうちょい、悪足掻きしてみるかね」

 

 

 マウスを掴み、ブラウザバックを押してから検索エンジンまで戻る。

 何故、俺がここまでティナの経歴を知りたがっているのか....それは、昨日天童民間警備会社にて少し手合せした時、彼女が明らか狙撃手の取る戦闘スタイルとはケタ違いの体術を見せたからだ。

 

 普通、狙撃を生業とする者は近接戦闘術を身に着けようとしない。何故なら、大抵必要ないからである。

 闇夜や建物の翳に隠れ、遠方から対象を俯瞰し、己を認識される事無く命を刈り取る。それこそが狙撃手の本領。だからこそ、接近戦が強いられる状況を創り出すことは余りにも愚行。なので、大抵失敗すれば事前に確保していたルートで逃走し、相手へ気づかれないうちに身を隠すし、第三者の乱入は予め想定して事前に手を打っておくのが定石。つまり、銃を撃つという技量以外はほぼ無駄。...しかし、ティナはその前提を叩き壊した。

 あのときの戦闘は確実に本気では無かった。無論俺もそうではあるが、正直本気の彼女と交戦を行う際には、搦め手を講じなければまず勝てない。理由は、ティナが対人用の格闘術であるのに対し、俺は対ガストレア用の格闘術であるからだ。結果的に不利なのは、人としての規格に当てはまる俺の方だろう。正攻法で立ち向かえば、ものの数合で癖を看破されて組み伏せられ、主要な関節を折られた後に首を裂かれてお陀仏だ。

 何個目かになる民警の非公式情報サイトから出て、全くと言っていいほど収穫が無かったことに辟易しながら背筋を伸ばす。最近少なくなったデスクワークにやられたか、バキボキと足腰から悲鳴が上がる。そんな音を隣で聞いた夏世は、心配そうに俺の腕を抱いた。

 

 

「大丈夫ですか?長い間筋組織を緊張状態にするのは良くないですよ」

 

「はは、嫌な音聞かせたな。...どうやら、俺には身体動かす仕事の方が合ってるみたいだ」

 

「む....そんなこと言って、私を放ったらかしにする気ですか?」

 

 

 頬を膨らませたと思ったら、弁解する間もなく座っていた俺の膝に腰を下ろしてくる夏世。別段拒む理由はないので、寧ろそのまま抱え込みにかかる。突然背後から腰に手を回され肩口まで引っ張り込まれた夏世は、可愛い悲鳴を上げて倒れ込んで来た。

 只でさえ不機嫌だったのにヤンチャしたので、このままだと十中八九ヘソを曲げる。それを見越した上で、俺は自然な挙動を心掛けて彼女の頭を撫で始めた。すると、今まで怒っていた肩がみるみるうちに下がり始め、背後からでも分かってしまうほどの多幸感が漏れ出て来る。

 

 

(飛那もそうだが、小さい子は頭を撫でられるのが好きなのか...?)

 

 

 己がやられた時を思い浮かべてみても、特に何の感慨も浮かんでこない。それどころか、子ども扱いするな、と怒鳴って撥ね退けてしまう可能性が高いだろう。一体どういう理屈でこの行為に幸福を感じるのか....ううむ、分からない。俺も飛那や夏世の気持ちに立ち代わってみれば分かるのだろうか?いやいや、幼児退行などゴメンだ。

 暫くして満足したのか、夏世は頭に乗せられた自身よりずっと大きな手を両手で掴み、こちらを笑顔で振り返って来た。

 

 

「樹万さん。あまり危ないことに関わり過ぎないでくださいね」

 

「ど、どうした急に」

 

「私、分かってますから。貴方は誰かを助けるためなら、自分の保身を蔑ろにしてでも手を伸ばす人だって」

 

「.......すまん。心配かけたな、夏世」

 

 

 今度は真正面から抱きしめ、敢えて深くは聞こうとしない鷹揚な少女に謝る。

 正直、今回の敵は飛那や夏世と相性が悪い。何故なら、飛那の戦闘スタイルはティナと同じなので、単純な技量の差で勝敗は決する。だとすれば、約一キロから正確に対象をぶち抜けるティナ相手に勝てる同業者はまずいない。運動能力は複合因子である飛那に軍配が上がるだろうが、俺の見立てでは接近戦に持ち込めても、ティナには勝てない。夏世は....言わずもがなだろう。

 

 ―――――――聖天子狙撃事件...いや、ティナ・スプラウトとの決着は俺がつける。つけなければならない。

 

 そう決意を新たに、夏世の頭をもう一度撫でて元気づけていたところを...乱入者のヒステリックな声が割り込んで来る。

 

 

「ああぁ?!抜け駆け!抜け駆けですよ夏世!というか、仕事中にべたべたするの禁止っていったの貴女じゃないですかっ!」

 

 

 持ってきたお茶の乗ったお盆を俺のデスクへ叩き付けながら夏世を睨む飛那。しかし、当の夏世は俺の首もとに頬を擦り付けながら言う。ああ、この子はまた余計な爆薬を投下しおってからに!

 

 

「今は休憩中ですよ。ね、樹万さん?」

 

「え、えーと」

 

(...頷いてくれたら、今日一緒にお風呂入ってあげます)

 

(それ寧ろ頷けないよ?!)

 

「ンなーにを、お二人でコソコソお喋りしてるんですかァ?」

 

「ひぃ!ちょっと飛那さん?!オンナノコが出していい声じゃないよそれ!」

 

「うるさいです。罰として今日の夜は私の部屋に来てください。...絶対ですよ?(これはもう、既成事実を作るしか手はなさそうですしね)」

 

 

 不穏な独り言を残して踵を返した飛那は、俺の返答を聞く間もなく部屋から出て行ってしまった。ど、どうしよう。どうやったら飛那の暴挙を止められるだろうか。部屋入った途端に力を解放した飛那に組み伏せられる可能性もあるし、無視して行かなかったらそれこそ今後が怖い。なにかアイツを説得できるいい方法はないのか....?

 考えうる最悪のケースを幾つも連想していると、そんな俺の隣で黙々と服を脱ぎだす夏世が目に飛び込んで来た。小さくも白く瑞々しい背中が艶めかしく動くその光景に、不覚にも唾を飲み込んでしまう。って、いやいやいや!

 

 

「何やってんの君!?」

 

「いえ、樹万さんが飛那さんにやられる前にやっておこうかと。...あの、樹万さんも初めてですか?」

 

「そ、そうだけど....って何言わせんだ!」

 

「よかったです。なら、樹万さんの最初は私が貰えるんですね」

 

 

 そう言うや否や半裸で俺の腰に抱き付いてきた夏世。瞬間、俺の脳内で完成されていた理性というパズルのピースが四散しそうになった。が、俺を信じて預けてくれた将監の顔がその寸前で浮かび、何とか踏みとどまる。

 ――――――――俺は考えた。必死に考えた。この状況を打開するためには....!

 

 

          ***

 

 

 俺の顔を見たドクターは、開口一番にこう言った

 

 

「ふむ、随分と憔悴しているね。献血にでも行って来たのかい?」

 

「俺の血液を誰かにやったら、その人ガストレア化しますって。ちょっと別の事で色々あっただけです」

 

「内輪揉めは大概にしたまえよ」

 

 

 さらっと人の心を読んだあと、昼飯らしき黒い物体をフォークで突き刺して口内に放り込む。繰り返されるその行動をなるべく見ないようにして、俺はここに来た目的を話し始めた。内容は、聖天子狙撃事件を起こした犯人の顔と名前が割れたんだけど、ドクターはこの子知ってますか、というものだ。

 咀嚼を止めることなく最後まで説明を聞き終わり、昼飯とは断じて認めない物体を全て食べきったあと、ドクターはフォークの乗った白い皿を机に置きながら言った。

 

 

「知らん」

 

「それだけ間を持たせておきながら酷い言い草ですね」

 

「なんだ?君は己の無知をひけらかして非難される事が趣味のマゾヒストなのかね?知らないことを言い繕って語られる方が、よっぽど迷惑かつ低俗な行為だと私は思ったのだが」

 

「.........」

 

 

 相変わらずこの人は性格が悪い。しかも、大方言ってることが間違ってないから、尚更こっちの敗北感が濃厚となる。こんなんだからドクターには友達ができないんだ。

 ともかく愚痴は置いておいて、ドクターまで知らないとなるといよいよ八方塞がりだ。事前情報を頼りに戦闘時の作戦を練ることは出来そうにない。...未知の部分を少しでも埋めようと思ったのだが、あんまり甘えた事を言ってはいられないな。

 考え込む俺を見たドクターは、三角フラスコに溜まっていた緑色の液体を煽った後に唸る。

 

 

「君が言った、狙撃と近接格闘術の両方を身に着けた輩なら五万といる。何でもオールラウンドにこなせる方が、人殺しで稼ぐ傭兵崩れには依頼が多く舞い込んで来るだろうからね」

 

「ああ。そうだろうな」

 

「だが、そいつらは所詮どっちつかずの半端者だ。いずれかの本職と戦えば、あっけなく胸に風穴空けるか、地面を這い蹲る羽目になるだろう」

 

 

 どれか一つを極めたものと、どれも極めていない半端者。いくら芸達者でも本職のマジシャンには敵わない。しかし、そのどちらも極めてしまっている者がいるのだとしたら、多角的な攻めを講じることが出来る分、一つのみを極めた者より明らか有利となるだろう。

 遠方に潜伏されれば、卓越した狙撃によって敵を葬り、接近戦へ持ち込まれても、敵をねじ伏せ葬る。...まさに死角の無い全能の兵士(オールラウンダー)

 

 

「君が多少なりとも畏怖したのなら、そのティナ・スプラウトという少女は、()()()()()()()ということだろう。...UNKNOWNな要素がこれでもかと盛り込まれてるのが気がかりだがな」

 

「.....それでも」

 

 

 ドクターは俺の態度を見て露骨な溜息を吐き、机を人差し指で小刻みに叩きながら呟いた。

 

 

「――――――――今日の夜、二回目の非公式会談が行われる」

 

「っ!」

 

「今日蓮太郎くんから相談されてね。ちなみに、送迎はリムジンじゃなく乗用車にでもしたらどうだと言ったら頷いたんだ。くく、笑えるだろう?でも奴らの目を欺くにはこれが一番だと思ってね」

 

「ドクター。そんなことはいいから場所とか日時を教えてくれ」

 

「詳しいことは蓮太郎くんに聞きたまえ。本当は外部に漏らしては駄目なんだろうが、君になら快く教えてくれるだろうさ」

 

 

 俺はドクターの言葉に頷き、携帯を取り出して蓮太郎の電話番号を呼び出す。

 ...ティナは確実に今回の会談の情報も手に入れているだろう。もはや聖居内に内通者がいることは確実だ。本当は真っ先にそちらを潰したいところだが、以前蓮太郎から聞いた話によると、聖居内関係者は皆責任の擦り付け合いしかしないクズらしい。大々的な検挙へ動くのは、事件が終わってからでないとまず時間の無駄だろう。

 今はとにかく、俺にしかできない事をやるだけだ。

 

 

          ***

 

 

 俺はここ辺りを見晴らすのに最適な公園へ入り、ほぼ中央に鎮座していたブランコ横のベンチへ腰かける。一息ついてから周りを見渡してみると、立ち並ぶオフィスビルの屋上が良く見えた。

 

 俺は以前ドクターの研究室で世話になった時に来ていた黒いコートを羽織り、革製の手袋を両手にはめている。少し暑いが、コートの裏には予備のバラニウムナイフや火薬、弾薬がセットされており、ちょっとした武器庫状態となっているのだ。これなら弾切れというオチは絶対に無い。

 蓮太郎の話しによると、会談はここの公園近くのとある料亭で八時から深夜頃まで行われるらしい。彼や聖天子が乗っている車の型、ナンバーはつい先ほどの連絡で把握済みだ。あとは....

 

 

開始(スタート)。ステージⅢ、形象崩壊を抑制し発現。適正因子による遺伝子情報共有、完了。単因子、モデル・ラビット』

 

 

 ステージⅢの脚力なら、ここら一帯のビル群を飛び移ることは造作もないだろう。しかし、これだけでは足らない。何故なら、現在は夜。地上は人工の光がもたらす恩恵でいっそ過剰なくらい明るいが、聳えるビルの屋上までは残念ながら届かない。...なので、もう一つ小細工をしないと、俺の作戦は意味をなさなくなる。

 時計を見ながら周りも見るという異様に精神力をすり減らす行為を続けていると、ついに待ちに待ったその時が来た。

 

 

(光った!)

 

 

 確かにこの目で捉えた狙撃銃の発射光(マズルフラッシュ)。その瞬間に俺は公園を出て、ここから最も近場のビルへ駆け込む。...捉えた位置は予想より大分遠かった。だが、蓮太郎のことだ、戦闘をこれでもかと長引かせてくれるはず!

 兎の脚力を遺憾なく発揮して階段を昇り、鉄製の扉を蹴破ってから屋上を駆ける。その間に、俺は再び体内組成の変換を試みる。....例の小細工をするためだ。

 

 

『ステージⅢ、リテンション(保持)。形象崩壊を抑制し因子を追加。遺伝子情報共有、完了。モデル・オウル』

 

 

 追加したのは、フクロウの因子。これで一応夜目が聞くようになるのだが、代わりに色覚がほぼ絶望的となる。なので、暗所に入った時点で変化させないと、ちょっとした前後不覚になってしまう。なにせ人間が捉える原始的な感覚の一つを失うので、分かっていてもクるものがある。それでも走る最中に素早く夜目の感覚に慣れ、ビルの縁を蹴って夜空へ飛び出した。

 一つ隣のビルに素早く飛び移り、再度コンクリートの地面を全力で蹴る。そして、息つく間もなく今一度無重力の世界へ。度重なる平衡感覚の消失と、全身を叩く恐ろしいGの影響で吐き気が湧きあがる...が、それを押し込みながら三度目の飛行、そして自由落下。

 やってみると、これが想像以上に難しい。加減を間違えれば飛びすぎて、次のビルへ飛び移るまでの助走をつける距離が喰い潰されてしまうし、だからといって弱くすれば風圧に負けて地上までのフリーフォールを味わう羽目になる。なので、屋上を走る途中にビル風の程度に見切りをつけ、わずかな間のうちに跳躍の加減を決定するしかない。プロスタントマンも真っ青な大博打であるが、やらなければ到底間に合わない。

 

 

「よし、っと!あと一つ!」

 

 

 四度目の飛行を終え、五つ目のビルへ飛び移った。実のところ最短距離で行けばビル三つで済むのだが、それではティナへ気付かれてしまう可能性が高い。なので、ワザと背後を取る形で迂回させて貰った。幸い戦闘はまだ続いているようだし、このままいけばきっと―――――――

 

 その時、俺の耳が何か妙な音を捉えた。例えるなら....そう、虫の羽音のような、生理的に嫌悪感を伴う音。

 

 

「―――――――――――ッ!」

 

 

 背筋に氷の棒を突っ込まれたかのような感覚。何かに見られている、補足されていると俺の直感が五月蠅く喚き散らす。しかし、それを知覚した時はあまりにも手遅れだった。

 

 何故なら、既に自身の左足と右手が消し飛んでいたからである。

 

 

「あがッ....!!」

 

 

 轟音と共に背後の地面へ何かが衝突する。...一体、何が起きた?その疑問を解消すべく、己が身だけではなく思考まで蹂躙される中で、視線のみを動かし背後を見る。そこには、コンクリートに深々と穴を穿つ弾痕があった。まさか、狙撃....?じゃあ、俺は分かった上でティナに泳がされていたのか?!

 否、その理屈はおかしい。現に俺の身体からは腕と足が一本ずつ消失している。いくら敵が神のごとき技を持つと言っても、これは人の形を取る者が為せる所業ではない。...それぞれ別方向から全く同じタイミングで、かつ走っていた俺の四肢を正確に撃ち抜いたのだから。

 何だ。俺が戦っているのは一体何なんだ!?本当にティナが、ティナ『一人』が撃ってるのかよ?!

 恐怖に苛まれながらも手足の再生を全力で行っているが、二つとも根本から食い破られたので時間が掛かる。俺はその事実に舌打ちしながらも、片足で地面を蹴って転がり、近くにあった貯水タンクの影に避難する。あの場に留まり続けたら的役に転身してしまうからだ。

 

 

「はぁ、はぁ...くっそ。多方向からの狙撃というと、普通に考えて複数だよな」

 

 

 だとすると、ティナ以外にもう一人いる?いや、殺しを躊躇う彼女に任務を遂行させるくらいなら、最初から『もう一人』が出張ってくるはず。では、表に出られない何らかの理由があるとしたら...?

 泡沫の如く湧きあがっては消えていく推測に待ったをかけたのは、俺の持つ携帯電話が知らせた着信だった。それに眉を顰めつつもディスプレイを眺めると、そこには里見蓮太郎の文字。俺は迷うことなく応答した。

 

 

「蓮太郎!無事か?!」

 

『ああ。一応怪我したけど、これくらいどうってことねぇ。....それより、そっちへ延珠が応援に向かったぜ。これで勝てるだろ?』

 

「.....待て。延珠を、送っただって?」

 

『?...不味かったか?ってか、電話に出られたってことは樹万が勝っちまったのか!なら、延珠を連れ戻して―――――――――』

 

「違う、違うんだ蓮太郎!俺は勝ったんじゃない!()()()()()!」

 

 

 そう蓮太郎へ叫んだ瞬間、隣のビルで断続的に発砲音が響いた。

 間違いない。これは、延珠への――――――――――――――!

 

 

「蓮太郎!延珠の向かったビルへ急げ!」

 

『わ、分かった!』

 

 

 俺は通話が終わった後に地面を思い切り殴りつけ、自分の不甲斐なさと迂闊さに歯を砕くほど噛み締める。失った手足は未だ半分ほどしか再生しておらず、これでは歩けそうにない。

 銃声が収まったビルを見据えるが、この角度からでは外壁が邪魔になり、見えなかった。




久しぶりの暴走。無論後悔はしていない。(キリッ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30.救済

今回はお話ばっかです。


 蓮太郎から貰った電話で病院まで急ぎ、俺は受付から面会の許可を得て()()の病室を探し歩く。しかし、それから数分とかからないうちに、扉の前で医師と会話をする蓮太郎と木更を発見した。

 俺は暫しその場で待つことにし、話が終わったところを見計らって二人に声を掛ける。

 

 

「あら、美ヶ月さん。怪我をしたって里見くんから聞いていたけど...壮健そうで何よりです」

 

「はは、この通りピンシャンしてるよ。蓮太郎は....やばいな、その顔」

 

「やっぱりそうか。いやでも、今は俺の身体より先に説明しなきゃならないことがある」

 

 

 蓮太郎は背後の病室の扉を開けると、中に入るよう促す。俺はそれに頷き、生唾を飲み込んでから扉を潜った。そして、その先にある白いベッドには――――――――――――――

 

 

「延珠は人間が持つ致死量の数十倍の麻酔を打たれて、廃墟の一室に寝かされてたらしい」

 

「それでも生きてるってことは、ガストレアウイルスが麻酔の効果を和らげたから、か」

 

 

 実は、延珠とティナの戦闘が行われたビルは建設途中であり、その階下をくまなく調べられたのだが...延珠は忽然と姿を眩ませており、夥しい血痕と、彼女のものと思われる服の切れ端ぐらいしか発見できなかった。

 警察の調べによると、銃撃に使われていたのはバラニウム混合の弾丸ではないらしく、彼女の生存率は極めて高かったはずなのだ。しかし、この場にいないのであれば、生きたまま何かしらの方法で移動した可能性が浮上してくる。となれば、推測される方法の中でもっとも信憑性が高いのは...延珠がティナに連れ去られた可能性だろう。

 

 

(いや、それより.....)

 

 

 これはその場にいた多田島警部から聞いた話だが、血痕が飛んだ方向、量などを調査してみたところ、複数個所から同時に狙撃された可能性が高かったらしく、不可解に思い周囲のビルも調査してみると、固定された重機関銃が三か所から発見されたらしい。

 常識的に考えれば、それぞれの機関銃に使い手がいるはずなのだが...

 

 

(おかしい。じゃあ何で延珠はここにいる)

 

 

 『延珠は強い。だからこそ確実に排除する』そう考えての作戦であったはずだ。

 ならば、一度手中にターゲットを収めて置いて、二日寝込むくらいの麻酔を打って帰すなどありえない。....あまりにも、甘すぎる。

 仮に狙撃手が複数いたとして、全員ティナのような考えの輩を固めて寄越すか?もしそれが正解だったとしたら、黒幕の頭は沸いているだろう。

 ならば――――――――

 

 

「蓮太郎。三回目の非公式会議は明日だったよな」

 

「あ、ああ」

 

「よし。お前はまず体裁を整えてこい。それが終わったら、聖天子様から渡されたティナの情報をくれ」

 

 

 

 ―――――一人だけでもそれを為せる、なんらかの方法を使っているはずだ。

 

 

 

          ****

 

 

 四賢人。

 それは、日本を含め、アメリカ、オーストラリア、ドイツの四か国に存在する、機械化兵士プロジェクトの元最高責任者たち。

 蓮太郎が関わったのは、日本の『新人類創造計画』。主導は室戸菫ドクターだ。

 そして、かつて東京エリア破滅を目論んだ男である蛭子影胤は、機械化兵士の計画そのものを統括するアルブレヒト・グリューネワルト教授が関わっている。

 そのほかにも、オーストラリア支部『オベリスク』の最高責任者アーサー・ザナック教授、アメリカ支部『NEXT』最高責任者エイン・ランド教授と並ぶが...

 

 今回の聖天子狙撃事件に一枚噛んでいるのは、驚くことにこの中の一人であった。

 

 

「エイン・ランド...アメリカの頭脳がティナのバックに着いていたとは」

 

「離せ樹万くん!あの阿呆は一度殴ってやらねば気が済まんッ!」

 

「だからってどうするんですか。今からアメリカへ飛んでいってケンカ売るんですか?」

 

「..............ハァ、すまない。取り乱した」

 

 

 何とか落ち着いてくれたドクターを羽交い絞め状態から解放し、俺は資料を拡げる。その紙には、イニシエーターであるティナの名前と、プロモーターであるエイン・ランドの名前、そして、ティナの強化兵士としてのスペックを数値で表したグラフが添付されていた。

 さきほど、この紙を見た瞬間に怒号を上げて暴れ出したドクターを見た蓮太郎は、今しがたようやく驚きから帰って来たらしく、多少居心地悪そうな表情をしながら聞いた。

 

 

「先生。なんであんなに怒ってたんだ?」

 

「.......君はガストレアに身体の大部分を喰われ、瀕死の重傷の中で手術を受けただろう?」

 

「そうだったな。受けなきゃ完璧に死んでた」

 

「そう、それだ」

 

 

 ドクターは蓮太郎の返答に頷くと、腕を組みながら続ける。

 

 

「それは、あの蛭子影胤も同じでね。内臓の障害があって、機械化兵士とならなければ死んでいたんだ。そして、彼は君と同じように生きることを望んで手術を受けた。...つまり私たち四賢人は、科学者である前に『医者』であろうとしたんだ。これは、計画が始まる前に立てた私たちの誓いなんだよ」

 

 そう。ドクターの言う通り、絶望的な状況に追いやられた人を救うための『治療』として、機械化兵士プロジェクトは存在した。

 手術の成功率は決して高いとは言えなかったが、それでも彼らは命に対して最大限の畏敬を持って接していたのだ。

 彼女はそこで一旦言葉を切り、腕を組み替えると下に向けていた視線を上げ、蓮太郎の方へ向けた。

 

 

「今の話を分かった上で聞こうか...君は、呪われた子どもたちが病に罹って死んだという話をきいたことはあるかい?」

 

「......いいや」

 

 

 ガストレアウイルスは宿主を守る働きがある。俺も経験したことではあるが、彼女たちはどんな環境であろうと、一切の病気や障害にかかることはない。具体的には、宿主の体内に侵入してきたもので生命維持に関わる異物を無毒化するように働く、ということだ。

 だとすれば、蓮太郎や影胤のように、彼女たちが衰弱してしまうことはありえない。

 

 

「『子供たち』をバラニウム器具で手術して、身体能力を向上させているんですか」

 

「そういうことだ。奴は医者として持つべき最低限の矜持さえゴミ箱へ投げ捨てた。人道的、道徳的とは実に名ばかりの世の中ではあるが、それらを牽引するべき私たちは無視することなど許されないんだよ」

 

 

 机を叩いて再度怒りを顕わにするドクター。蓮太郎も、エイン・ランドが行った手術がいかに酷いものか理解が及んだらしく、爪が食い込みそうなほど拳を握りしめていた。

 恐らく、彼の研究室は『失敗作』の山となっているはずだ。成功確率は人間がベースとなる通常の手術よりも確実に低くなるから、ティナのような完成体は数えるくらいしか存在しないだろう。...はた目から見れば、ただ殺してるようにしか見えないのではないか?

 

 

「―――――さて、話は変わるが、目下問題となっている敵の攻略法だ。と、その前に一つだけ話しておきたいことがある」

 

 

 ドクターは人差し指を立てると、資料が山積みとなった机に備え付けられた椅子へ腰を下ろす。

 

 

「エインのヤツに戦闘能力は無い。だから、ティナ・スプラウトとともに東京エリアへ潜伏はしていないだろう。きっと無線かなにかの通信手段で情報提供するにとどまっているはずだ」

 

「じゃあ、イニシエーターのティナは....」

 

「察しがいいな、蓮太郎くん。そう、ティナ・スプラウトのIP序列...九十八という数字は、彼女自身の能力によって保たれている」

 

 

 蓮太郎は目を見開いたまま固まる。それはそうだろう。IPとはプロモーターとイニシエーターの頭文字をとり、二者の戦闘能力を総合した上で数値化しているのだ。個人の能力のみで二桁台に達するなど、彼にとってカルチャーショックにも等しい衝撃なはずだ。

 ドクターは蓮太郎の反応を華麗にスルーし、資料の山から一枚のディスクを取り出しながら口を開いた。

 

 

「では、本題だ。戦闘時に集めた君たちの情報を総合して見たところ、ティナ・スプラウトの能力...つまり、多方向からの同時射撃や、動作する標的への遠距離射撃を可能とする方法について心当たりが出てきた」

 

「やっぱり、あるんですね。そんなものが」

 

「あるにはある。だが、実現は不可能と言われていたものだ」

 

 

 PCへディスクを挿入し、すぐにデスクトップから表示されたフォルダに飛ぶ。すると、開いたデータの中には一つの動画があった。

 起動させる前に、ドクターは心底面倒そうな表情をしながらも机を漁り、一つのリモコンを掘り当てる。続けて、それを操作してスクリーンを降ろし、PCとプロジェクターを無線で繋いでから動画を再生させた。

 

 

「何だ...?」

 

 

 映し出されたのは、目隠しされた大柄な男性がハンドガンを一丁握って立っている映像だった。男と向かい合うように、大分離れたところへ射撃用ターゲットがある。これは、目隠しした状態の射撃訓練か?

 蓮太郎とともに、画像が荒く、碌なBGMすらない映像を訝しみながら見ていると、画面が男のやや背後に切り替わる。同時に、男はジャケットから妙な黒い球のようなモノを引っ張り出してきた。それは無造作に地面に向かって放られたが、接触することなくゆっくりと浮き上がり、男の周りを旋回し始める。

 そして、男が腕を振り下ろした瞬間、謎の黒い球体はターゲットに向かって素早く飛行していく。それからすぐに持っていた拳銃を発砲し、ターゲットの中心に穴をあけた。

 ......なるほど、理屈は分かった。

 

 

「せ、先生。これは...」

 

「思考駆動型インターフェース『シェンフィールド』。これは、ブレイン・マシン・インターフェースの理論を使ったものだ」

 

 

 ブレイン(B)マシン(M)インターフェース(I)。それは、かつて手足が不自由な人たちのために開発され、使用者の脳波をコンピュータが受け取り電気信号に変換することで、義手などを思った通りに動かし、近くの物を取ったり持ち上げたりできる技術だ。これを蓮太郎にそっくりそのまましたあと、説明する過程で浮かんだおかしな点について考える。

 ...あの映像で見た限りでは、男の頭に電極は一つもついておらず、部屋にパソコンなどの通信機器が一切見当たらなかった。

 

 

「BMI....俺は一応知っていますが、既存する理論をそっくりそのまま当てはめたのだとしたら、あの動画は良くできたCGか何かだと思います」

 

「ふははは!言ってくれるじゃないか。だが、残念ながらこれは現実で起こったものの記録さ。ただ、君の言った通り従来のBMI技術ではこんな芸当を為すのは不可能だろう。しかし、BMIは大幅な進歩を遂げたんだ。映像の男は脳内にニューロチップを埋め込まれていてね。あのビットに積まれた観測機器で、風速やら位置情報やらの詳細なデータを無線で使用者へ送っている」

 

「だから、目隠しした状態でもターゲットを撃ち抜けたんですか。でも――――っうお!蓮太郎、何で音を最大にしてんだ!?うるさいっての!」

 

 

 何故か動画をもう一度最初から再生し、かつ音を最大にするという訳の分からない行動をした蓮太郎を諌めるが、映像から響いてきた聞き覚えのある音に声を止めた。

 ...間違いない。これはビルを飛び移ってる最中、狙撃される前に聞こえた虫の羽音みたいな異音だ!

 どうやら蓮太郎も聞いていたらしく、動画を止めて俺の方を見ると、少し口角を吊り上げた。ああ、ドンピシャだ蓮太郎!

 

 

「ふむ、よくわからんが何か掴めたようだな。....しかし、エインの奴がこれの研究を続けていたことにも驚いたが、まさか完成させていたとは露程も思わなかった」

 

「完成させてた?...でも、あの映像じゃ完璧に使いこなしてたじゃねぇか」

 

「いいや、アレには欠点があってね。使い続けるとニューロチップが熱を持って、使用者の脳を焼いてしまうんだ。実際、動画に映っていた男はこの実験後に死亡している」

 

 

 やはりそうか。あれだけの精密射撃を為すほど情報処理を任せてるんだ。何のリスクも無しだとはおかしいと思っていた。だが、アメリカの頭脳、エイン・ランドはBMIの究極型を完成させた。証明はティナの狙撃で既にされている。

 ...目標をシェンフィールドで追い、その情報を下に寸分たがわぬ狙撃を可能とさせる。これなら、車や人間などの動く標的にも、自分が見えている限りいくらでも銃弾を叩き込める。しかし、それだけでは夜に行った遠距離からの狙撃は説明できない。暗視サイトだけでは、タイヤやガソリンタンクなどをピンポイントで狙えないからだ。

 

 この問題は、ティナの持っていたフクロウの因子が解決する。

 

 フクロウは夜目に優れ、かつ視力も人間とは比べようもないほど優れている。この二つの要因が重なり、ティナは人間離れした狙撃技術を演出していた。

 改めて考えると、噛み合いすぎて寒気がするほどだ。

 

 

「.....蓮太郎。お前はティナとの戦いから降りろ」

 

「なッ、一人で行くつもりかよ!」

 

「お前じゃティナに勝てない」

 

「っ...確かにそうだけどよ。それは樹万だって同じだろうが」

 

 

 そうだ。俺は彼女との戦闘に敗北している。いくらガストレアウイルスの驚異的な再生能力があろうと、腕や足が飛ばされれれば完全な修復には数十分かかるし、その間にハチの巣にされれば死ぬ。

 次は、きっとない。度重なる非公式会談もここ辺りが引き際だろう。もし邪魔をすれば、今度こそ殺される。

 

 

「二人とも、今回は止めておきたまえ」

 

「先生まで!何でだ、蛭子影胤と戦うときは止めなかったじゃねぇか!」

 

「あの時は東京エリア全体が危機に陥っていた。だが、今回は違う。たった一人の犠牲で全てが丸く収まるものだ」

 

 

 俺はドクターの言に口を挟まず、目を背ける。この人は欲目無しに状況を評価して正論を突きつけて来るから、聞き手にはダメージ大だ。

 それに対し、蓮太郎は尚も反論を繰り返す。

 

 

「まさか先生....聖天子様を見殺しにしろっていうのかよ」

 

「そのまさかさ。確かに、彼女が持つ人としての価値は相当なものだ。だがな、それは統治者としての価値だろう?統治する場所が、民衆がいなければそれは全く意味を為さなくなる。天秤が圧倒的に釣り合わない。言っておくが、彼女は神ではないんだぞ?」

 

 

 蓮太郎は何かを言いかけるが、歯を噛み締めてしまう。

 ドクターはそんな蓮太郎を見ながら真摯な表情で言った。

 

 

「君たちは強い。そして、多くの人の心の支えにもなっている。無論私もだ。...だから思いとどまれ。二人とも今死ぬべきではない」

 

 

 聖天子様を失うわけにはいかない。だが、彼女を狙うティナと俺たちが戦って、勝てるという確証がない。つまり、聖天子様を守れず俺も蓮太郎も殺されるという結末もあるということだ。ドクターはそれを危惧している。

 最小限の犠牲で事を終える。それは確かにハッピーエンドなのだろう。しかし、俺はそれで納得しない。

 全員救って全員笑顔。それこそが、本当のハッピーエンドだ。

 

 

「ドクター、残念ながら俺は死にませんよ」

 

「いいや、樹万くん。君は『死に難い』だけでちゃんと死と直結している。相手は対人戦のプロフェッショナルだろう。分が悪すぎる」

 

「人生諦めが肝心。そんな事を抜かすオッサンと長い間一緒にいたから、俺は諦めるとか、妥協するとか言う言葉は大嫌いなんです。....だから、大事なものは全部一網打尽にしないと、気が済まない」

 

 

 俺はそれだけ言うと、研究室を後にしようとする。が、腕を捕られて足が止まった。背後には、何かを訴えかけるような強い意志を瞳に宿す蓮太郎の顔があった。....ああ、そうか。お前も諦めたくないのか。

 俺は一瞬だけ笑みを浮かべると、一回り成長した蓮太郎へ頷きかける。しかし、彼の背後で、世をいつも現実的に捉えて来たドクターが俺の考えを一蹴した。

 

 

「ふざけるな!君は何もかもを救うと、そう言っているのか!?この腐った世界に救いなど一片もないことは、地獄すら生ぬるい場所を生きて来たことで知ったはずだろうが!」

 

「ええ、知ってますよ。それくらい腐った世界だから、救いの無い世界だから.....俺は誰かを救おうと思えるんです」

 

 

 そうだ。何を俺は悩んでいたんだ。世界が誰かを救ってくれないなら、自分でその誰かを救えばいい。選択肢は必ずしも限られているわけではないのだから。

 どちらかを選んでどちらかを捨てるという覚悟を持てないのは、甘えなのかもしれない。でも、何も捨てずに全てを選び取るという覚悟が持てるのなら、それは強さだ。

 

 蓮太郎は、俺の言葉が終わった後にドクターの方へ振り返る。

 

 

 

「先生、俺は何もしないで諦めるのは嫌だ。だから、戦ってくる」

 

「何もしないのが最善だと言っているッ!君は聖天子とともに死にたいのか?!」

 

「聖天子様はまだなにも成し遂げてないッ。俺たちが絶対に死なせねぇよ」

 

 

 そう言うと、蓮太郎は俺の横を通り過ぎて研究室を出て行った。アイツも覚悟を決めたみたいだな。

 短く息を吐いてから、俺も御暇しようと扉に手を掛けた時、

 

 

「樹万くん。人間は、心臓を潰されれば死ぬんだ」

 

「....ええ、そうですね。一応、心臓を再生させることも出来ますが、終わる頃には脳が死んでるでしょう」

 

「――――――これが最後だ。ティナ・スプラウトとの戦闘を止めろ」

 

「それは無理です。ティナを放っておくことはできません。俺はアイツの事を知り過ぎましたから」

 

 

 俺は今度こそ立ち去ろうと扉を開けたが、ドクターの尚も俺の名前を呼ぶ声が聞こえ、眉を顰めながら振り返る。すると、突如大き目のプラスチックケースが前方から飛来し、自分の顔面へ衝突する前に片手で掴みとる。

 透明なケースの中には、赤い液体が入った十本以上の注射器が並んでいた。これは...見覚えがあるな。

 

 

「AGV試験薬だ。君はそれを何のリスクも無しに使えるだろう。きっと役に立つはずだ」

 

「ドクター...」

 

「感慨に耽るのは全て終わってからにしろ。私がここまで譲歩したんだ。二人とも五体満足で帰って来なければ、死体を弄繰り回してやるからな」

 

 

 捨て台詞のような事を吐くと、ドクターは肩を怒らせながら研究室の奥に引っ込んで行ってしまった。

 全く不器用な人だ。俺はそう思いながら、後腐れの無い気分で研究室を後にする。

 

 




次回はティナとの決戦。
本当は蓮太郎との共闘はナシにする予定だったんですが、彼の性格を考えると樹万一人に任せるのはおかしいかなと思ったので、結果こうなりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31.死線

き、共闘の描写難しい。


「本当に、行くんですか?」

 

「.....」

 

 

 玄関に立つ俺を見る二人の少女は、まるで帰って来ない人間を引き留めるかのような表情をしていた。無論そのつもりは毛頭ないが、絶対と約束できるものでもない。

 俺が何と戦いに行くのかは二人とも知らない筈ではあるが、昨日血まみれで帰ってきたことから、その『何か』は俺の命を脅かすものだと察知していて然るべきだ。ならば、黙って行かせることなど誰ができようものか。

 

 

「この際だからはっきりさせておきますよ。聖天子様は確かに大切です。ですが、私たちにとって樹万は彼女よりずっと大切な人なんです」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけどな、それはあまり口外するなよ」

 

 

 飛那はどこまでも真剣な瞳で言い切る。まるでそれが世の理であるかのように。いや、彼女の中ではそうなのだろう。

 俺は苦笑いしながら頬を掻き、隣の夏世に目を向ける。だが、彼女は飛那と違って、心配そうな顔をしながらも別種の雰囲気を纏っていた。

 

 

「私は、樹万さんが負けると思ってないですから。...でも、心配なものは心配です」

 

「...そうか」

 

「分かってますよ。私たちのことを巻き込まないように、敢えて敵の事を言わないんですよね?」

 

「むぐ」

 

「ちょっと樹万、なんですかその反応!私たちはそんな柔じゃないんですからね!」

 

 

 図星を指され、思わず喉に飴でも詰まらせたような声を上げてしまった。これを聞いた飛那は膨れっ面を作りながら、俺の腹をポカポカ殴ってくる。

 彼女たちは強い。腕っぷしだけじゃなく、精神面でも俺を軽く凌駕してくる。これじゃあフォローするんじゃなくてされる側に回らざるを得なくなるな。

 

 

「絶対とは言えないけど、頑張って無事に帰って来れるよう努力する」

 

「そこは誇張でもいいから百パーセントって言ってくださいよ、樹万」

 

「そりゃ無理な相談だ。んじゃ、明日の朝には戻ってくるよ。飛那を頼む、夏世」

 

「はい。朝食を用意して待ってますね」

 

「夏世は私のお母さんじゃないです!」

 

 

 何だかんだで、結局いつも通りの俺たちに戻っていた。

 

 

          ***

 

 

 深夜。

 俺と蓮太郎はティナとの決戦地へ赴くため、終電の列車に乗っていた。

 

 

「偽の警護資料を流させた?」

 

「ああ、先生の研究所で落ち合う前に保脇と会ってな。喧嘩売られたついでに拳銃突きつけながら言ってやった」

 

「お前...無茶するなぁ」

 

 

 保脇は仮にも聖室付き護衛隊隊長だ。この件を必要以上に恨まれて、後で何かしらの言いがかりをつけられなければいいのだが...

 とはいっても、これで聖天子様の狙撃に大幅なタイムラグを生み出せる上、ティナの潜伏場所をこちらで割り出せる。エイン・ランドが頼っている聖居内の情報流出元は、恐らく大金か何かで簡単に靡くような下位層の輩だろうし、事前にこれの虚偽を確かめる術はない。

 これで、全ての御膳立ては成った。後は、どのようにしてティナの持つ『シェンフィールド』を搔い潜るかだが.....

 

 

「蓮太郎、ティナの格闘術に対抗策はありそうか?」

 

「率直に言うと無理だ。あの強さに対抗するには、人間離れした動体視力と反射神経、足の腱を断裂させるくらいの素早さがないと真面に戦えない」

 

「笑う気すら起きないな」

 

 

 さて、どうする?形象崩壊を起こさない程度の複合因子を用い、音速に達する銃弾を寸分たがわぬ位置へ撃ち込め、卓越した戦闘能力を持つ相手に勝つには。

 まず一つ。厚さ五センチ以上の鉄の壁すらぶち抜く銃弾を回避する方法だが....強固な体表?いや、それでは外観が変わってしまうし、動きが愚鈍になってただの的になる。却下だ。

 ならば、受けるではなく避ける。それへ特化するには、並外れた動体視力が必要だ。

 

 

(飛那の持つ鷹、鷲の類だな)

 

 

 彼らにとってパラパラ漫画は処理落ちしてカクカク動く動画のように見え、蛍光灯の光すら点滅して見えるらしい。その能力をステージⅢぐらいにまで高めれば、きっと飛来する銃弾を目視することは可能なはず。そして、それはティナの体術にも当てはまる。

 あとは、それを避けられるだけの運動能力が必要だ。いくら見えていても、脳から発せられる電気信号へ肉体がついていけなければ意味を為さないのだから。

 

 

「樹万。俺の右腕と右足にある超バラニウム製の義手義足なら、恐らくティナの狙撃を防げる。キツイとは思うが、お前を庇いながらティナのところへ走れるぜ」

 

「いや、俺は.....ああ、そうか」

 

「?何がそうかなんだ」

 

 

 蓮太郎には超バラニウム、そして義眼に埋め込まれた脳の思考回数を極限まで高められる高性能CPUがある。しかし、常人の脳を持つ彼では飛来する銃弾を長時間コマ送りのようにさせることは難しいだろう。何故なら、そんなことを何度も試みれば脳が処理できる情報量を超えて疲弊し、最悪の場合脳死に至る危険性があるからだ。

 だが、その弱点を俺の目で補えば....あれ?

 

 

(いや、待て。着弾場所の弾道が割り出せても、それを口にする頃には.....)

 

 

 そう。蓮太郎に言葉で伝えるには時間が掛かり過ぎる。着弾場所を口頭で伝え、そのために彼が身体を移動させるまで...早く見積もっても、おおおそ三、四秒。弾丸の速度と渡り合う為には、コンマ数秒単位に抑えなければ話にならない。

 これでは、俺からのバックアップは不可能に等しい。意思疎通を計る余裕がないのだから、他に出来ることもかなり限られてしまう。

 残る手は...蓮太郎自身の可能性のみ、か?

 

 

「お前はティナの銃弾を躱せるか?」

 

「短期決戦で済むんなら、未織の作戦と合わせて義眼を解放すれば行ける...と思う」

 

「やっぱそうか.....よし、じゃあ一射目は来たら自力で回避してくれ。その後は俺が先頭走って敵の注意を引き付ける。流した偽の会議場所がこの地形なら、確実にティナはどこかのビルの屋上から狙撃してくるはずだ。なら、そのビルの中に入っちまえば、少なくとも狙撃される可能性は限りなくゼロになる。俺が狙われてるうちに全力で翔べ」

 

「樹万は...大丈夫なのか?」

 

「なに、対策がちゃんと取れてるから言えるんだ。撃たれる事が最初から分かってれば、スナイパーライフル一丁の前で踊るくらいワケはないさ」

 

 

 明るい声で笑って見せ、沈痛な面持ちをする蓮太郎の肩を叩く。楽観視するのは危険だが、極度の緊張で肩に力を入れ過ぎるのもよくはない。コイツは後者寄りの思考をしているようだ。

 

 戦闘方針の確認やお互いの鼓舞をしているうちに、目的地の三十九区へ辿り着いた。

 外周区のため、周囲は捨てられた車や自転車、劣化などで瓦解している家屋が見受けられる。以前人が住んでいた場所とは思えない有様だ。

 蓮太郎と共にそんな光景を目にしながら注意深く歩いていると、突然俺のポケットの中にあった携帯が震えた。...なるほど、こういった時に不意打ちとかはしない派か。

 

 

「よう。ティナ。元気だったか」

 

 

 開口一番に飛び出した俺の言葉を聞いて目を剥く蓮太郎。それに構わず、俺は歩きながらの通話を続けた。

 

 

『何故...!どうしてこんな事をしてまで私の邪魔をするんですか!戦うのは無意味だって、あの時に分かってくれたんじゃなかったんですか....!?』

 

「無意味じゃない。聖天子様を殺させないために戦うんだからな」

 

『っ.....腕と足はどうしたんですか。あれは確実に数日で何とかなるものではなかった筈です』

 

「心配いらないって。こっちには日本の頭脳がついてるからな」

 

『!室戸、菫医師...!なんで、そんな余計な事を』

 

 

 ティナの問いかけに返答をしながら、俺は思考の片隅で通話の内容を吟味し始めた。

 ...電話をかけてくるタイミングが良すぎる。それに、会話から消し飛ばしたはずの俺の手と足が存在することに気付いている事も合わせて、俺たちの様子をどこかで見ているのは確実だ。

 携帯に耳を傾けながら、この辺りで最も周囲の観察に優れている建物...夜空より黒い巨大なモノリスを背に立っている複数のビルへ目を向けた。間違いない、あそこだ。

 俺は蓮太郎に小声で合図し、ビルの屋上から目を離さないよう言っておく。彼は会話相手がティナ自身であること、やたら親しげに話していることに訝しげな表情をしていたが、言葉を飲み込んで言う通りにしてくれた。

 

 

「さぁ、もう後戻りはできないぞ。戦う準備はいいか?」

 

『それはこちらの台詞です。もう私は、あの時のように貴方を見逃すことはできません。邪魔をするのなら、隣にいる里見蓮太郎も殺します』

 

「ああ、それでいい」

 

 

 その言葉を最後に通話は切れ、耳に届くのは一定の間隔で鳴る電子音のみとなった。

 俺は携帯を仕舞うと、すぐに体内組成の変換を試みる。こっちの場所が特定されている以上、シェンフィールドで既に補足済みだろう。いつ鉄の装甲を食い破る悪夢のような弾丸が飛んできてもおかしくはない。

 

 

開始(スタート)。ステージⅢ、形象崩壊を抑制し発現。適正因子からの情報共有、完了。複合因子、モデル・ホーク、ラビット』

 

 

 主となる二つの因子の他に、猫を含めた瞬発力の高いものを『混ぜた』。お蔭で身体の中全部が引っくり返るような感覚をいつもより長く感じられたが、何とか平静を保つ。

 人知れず目を白黒させ荒い息を吐く俺に向かい、蓮太郎は視線をこちらへ移動させずに問いかける。

 

 

「樹万。ティナはもう俺たちを補足してるか?」

 

「ふぅー。ああ、電話の口振りからすると確実にそうだ。いつ来てもおかしくない」

 

 

 神経を研ぎ澄まし、ひたすらに摩天楼を見上げ続ける。

 銃撃での応戦を考えなかった俺は、予備の弾薬やバラニウムナイフを大量にセットできるコートを羽織っていない。そのため上着は薄いジャケットくらいで、吹き抜ける冷たい夜風を強く感じていた。

 

 と、その風が不意に止んだ。そして―――――――それとまったく時を同じくして銃口炎(マズルフラッシュ)がきらめく。

 その弾道は......蓮太郎!

 

 

「轆轤鹿伏鬼ッ!」

 

 

 凄まじい金属音が響き、蓮太郎の正面に突き出した右腕が対戦車ライフルの弾丸を弾く。超バラニウムの拳に打ち負けた徹甲弾は大きく弾道を逸らされ、見当違いな場所へ穴を穿った。よし!これなら突破は行ける!

 蓮太郎と頷き合い、俺が先頭になって駆け出す。これで一度でもティナとシェンフィールドの目が俺に向けば、それだけ蓮太郎の進む距離が稼げる。

 何故なら――――次弾発射のために距離、風速、対象の移動速度、諸々を再計算するにはそれなりの時間がかかるからだ。

 

 

「ッ、喰い付いた!蓮太郎、前だけを見て全力で走れ!お前を狙う弾は俺が何とかする!」

 

 

 言う間にも、俺は片目を閉じて正面から光の尾を引くように飛来してくる弾丸を目視する。何故両目で見ないかというと、脳にかかる負担を少しでも減らすためだ。これによって多少予測地点はズレるが、それを考慮した回避をすれば問題は無い。

 おおよその着弾部位を割り出した瞬間、俺は人知を超えた速度で身を捻り、見事に俺の右腿を撃ち抜かんとした徹甲弾を回避する。...なるほど、要領は掴んだぞ。

 それより少し早くに、蓮太郎は足から空薬莢を幾つも吐き出させながら飛び、あっという間にビルとの距離を詰める。だが、ティナはこのまま辿りつかせてくれないだろう。

 俺は兎の脚力で地面を抉り、時速数百キロはくだらないスピードで前を進む蓮太郎の後を追う。続けて腰に手を伸ばすとバレット・ナイフを抜き、初弾装填後に構えた。

 直後、チカッとビル屋上で発射光が瞬き、足を止めてから片目を瞑り再度弾道予測を試みる。結果は、蓮太郎の頭を間違いなく撃ち抜くコースだった。

 俺は改めてその正確無比な射撃に舌を巻く。しかし――――

 

 

(正確過ぎるのも考え物だな)

 

 

 俺は構えたバレット・ナイフの引き金を引いた。瞬間、その弾丸は空中で激しく火花をまき散らし、その身を砕きながらも飛来してきた徹甲弾の弾道を僅かに逸らす。

 蓮太郎の命を確実に奪うはずだった弾丸は、予想外の妨害を受けたことで当初の目的を果たせず、地面へと着地して砂礫を巻き上げるにとどまった。

 ――――弾丸と弾丸を衝突させ、自身に迫るそれを回避する離れ技。凡そ銃を扱う人間が意図して起こせる現象ではなく、あまりにも成功確率が低いことから実用性皆無で、練習して身に着けようとする者はまずいない。

 ティナは今さっき何が起こったか全く分からなかっただろう。いや、分かってはいるが、その事実を認めたくないはず。何故なら、ソレはあまりにも非常識だから。

 蓮太郎はその間に足を撃発させて一層加速し、無事にビルへの潜入を果たした。

 

 

「....よし、俺も急ぐか」

 

 

 ティナは蓮太郎を迎え撃つためにシェンフィールドを連れて屋上を移動したのだろう。俺への狙撃は無くなり、蓮太郎が入ったものとは別のビルへ楽々侵入出来た。

 ボロボロに朽ちた正面玄関を通り、ホールへとたどり着く。ここで、俺は鷲の因子を外してフクロウの因子を導入する。理由は―――――

 

 

「....地雷がわんさか置かれてるな」

 

 

 見本市の如く並べられていたのは、指向性対人地雷。

 設置者がこの場にいないことから推測するに、ざっと見渡して二十ほどある地雷の数々は、起爆方式が圧力に依存しているものだろう。クレイモアに匹敵する威力ではないにせよ、足を挽肉にするぐらいはあるはず。

 そんなスプラッター映像をお届けするわけにはいかないので、夜目が利くフクロウの視界を利用し、はっきりと見える地雷(物理)の数々を搔い潜って歩く。流石にこれだけのものを他のビルへ設置するだけの物量はないはずだから、恐らく蓮太郎の入っていったビルは蛻の空だろう。

 と、ホールの大体半分以上を渡り切ったところで、懐の携帯電話が震えた。ディスプレイには里見蓮太郎の文字。

 

 

「どうした蓮太郎、何かあったか?」

 

『樹万、絶対にシェンフィールドに補足されるな』

 

「?どういうことだ」

 

 

 息を潜めながらの会話。蓮太郎もそうだが、通話中でも周りを警戒し続けなければ危険極まりない。いつ、どのようにしてティナが攻撃を仕掛けて来るかわからないのだから。

 それでも、俺は携帯から響く彼の重苦しい言葉が気になった。

 

 

『未織から聞いたんだが、延珠を撃った機関銃を解析したら遠隔操作モジュールが見つかったらしい。...それで、今俺がいるフロアだけでも確認したら機関銃がいくつか設置されてあった。コイツらにもそれがついてると見ていい』

 

「遠隔操作...?待て、まさか」

 

 

 蓮太郎の言った言葉を反芻するうちに恐ろしい憶測へ辿り着いた。もう、彼が何を言わんとしているか大方見当がついてくる。

 

 

『ティナはシェンフィールドと一緒に、機関銃までBMIで動かしてる。...俺のビルだけじゃなく樹万のいるビルにも、恐らく機関銃は設置されてるはずだ。だとしたら、シェンフィールドに補足されたら瞬間、俺たちは穴だらけにされる』

 

 

 ――――間違いだった。ビルの中なら安全だと思い込んでいたが、むしろ逃げ場をある程度限定させられる分こちらが不利となる。ビルの一室で機関銃の掃射など避けられるはずがない。

 急ごしらえの戦場とは言え、まさかここまで嵌めた側を好き放題蹂躙するとは...

 俺はホールの壁に背中を預けると、再確認するような口調で蓮太郎に問いかける。

 

 

「....それでも、やるのか蓮太郎」

 

『ああ。尚更樹万をひとりでは戦わせられない』

 

「....わかった」

 

 

 本当によくわからない奴だ。

 一端に死にたくないとかほざいてる癖に、一番死にやすい道ばかり選んで通っている。常人が寝物語か何かで聞けば、言ってることとやってることがちぐはぐ過ぎて笑われるだろう。

 しかし、彼の行いは、考えは間違いではない。

 時には、天秤に乗ったものを重さだけで判断していけない場面がある。...里見蓮太郎という人間は、重さ以外の『大切な何か』を見抜ける人間だ。

 

 俺は最後に死ぬなよ、とだけ言い残し、蓮太郎との通話を切った。それとほぼ同時に、聞き覚えのある異音が鼓膜を震わせる。

 

 

「シェンフィールドか」

 

 

 あの虫の羽音のような異音を確認すると、壁に張り付いたまま階段へと続く通路の先を伺う。そこには、レーザーで周囲を監視しながら飛行する球体がいた。

 蓮太郎の言った通りならば、あのレーザーを浴びたものは、温度、形状などが解析されるのだろう。そして、それらの要素が人としての規格に当てはまった場合のみ、辺りに設置された機関銃がターゲットの位置に銃口を向け、一斉掃射するようにティナへ伝える。...強力な無人迎撃システムの完成だ。

 

 ――――――――だが、攻略法はある。

 

 その内容は至って単純。ビットの装甲はおそらく堅強な素材でできているだろうが、レーザーを吐き出すカメラアイは別だ。そこに鉛玉ないしナイフを撃ち込めば破壊できるはず。

 そのためには、一度シェンフィールドに此方を向いて貰い、自身が解析され、ビットからティナへ情報が発信される前に機能を停止させる必要がある。恐ろしい銃の速射技術と命中率を誇る腕前でないと、次の瞬間にはレンコンへ変身する羽目になるが...どちらにせよ、やらないとこちらがやられる。

 

 

「ッ!」

 

 

 通路から出て来たシェンフィールドとばっちり目が合い、解析が終わるより先に腰へ伸ばしていたバラニウムナイフを素早く投合する。それは決まったかのように綺麗な直線を飛び、軽い破砕音を響かせて円形のカメラを貫くと、地面へと落下させた。

 暫くノイズのような音を漏らしていたが、やがて完全に沈黙し、辺りへ再び静寂が戻る。

 俺は多少警戒しながらもビットに深々と刺さったバラニウムナイフを抜くと、それを腰に下げているホルスターへと戻した。節約節約っと。

 立ち上がって只の残骸と化したシェンフィールドを眺めてから、蓮太郎が消えて行った隣接するビルの一階へ視線を向ける。...司馬未織と逐次連絡をして情報交換しているとはいえ、蓮太郎はこれの相手を一人でしてるんだよな...大丈夫か?

 

 

「この調子でシェンフィールド全部こっちに.....いや、流石に辛いか」

 

 

 一機ずつなら何とか捌けるが、これが二機同時に来たら確実に補足される。設置されている機関銃の量はかなりあるし、レンコン化は避けられないだろう。

 俺は資料や倒れた手摺を避けながら階段を昇り、一階昇るごとに耳を澄ませる。だが、どの階も人の気配はなく、シェンフィールドの飛行音もしない。屋上の一つ下から移動するか。

 極力音を立てないように通路を移動し、ティナがいる隣のビルに近い部屋へ潜入する。中は倒れたデスクや朽ちた大量の電源コード、なんらかの企画資料が辺りへ散らばっていた。

 そのなかにトラップでも紛れてるんじゃないかと疑心暗鬼になっていた時、甲高い発砲音が上から聞こえて来た。

 

 

「!シェンフィールドの迎撃、か。機関銃が火を噴いてないことを見るに、成功したらしいな。.....これで、あと一つか」

 

 

 実は、ドクターの研究所に訪問した日の深夜、電話で『言い忘れた事がある』と前置きされて、彼女からシェンフィールドについての情報が補足されていたのだ。

 

 

『シェンフィールドを同時に操れるのは三つまでだ。それ以上飛ばせば脳がもたない』

 

 

 蓮太郎もこの事実を知っている。なので、俺がティナとの戦いを請け負うと言った手前、彼はシェンフィールドの撃滅に徹するだろう。こちらから一機破壊したことを伝えた方がいいか...いや、ティナとの戦闘中かもしれない。止めておくか。

 

 そう決めてから思考を放棄し、下げていた視線を隣のビルへ移すと...丁度割れた窓を潜ってきたシェンフィールドと完璧に目が合った。

 

 

 

「やばいッ!!」

 

 

 俺は兎の跳躍力を発揮し、浮遊する白い球体へ向かって全力で跳んだ。

 急速に迫りくる俺を最後に映しただろうシェンフィールドを片手で引っ掴み、ビルから飛び出す。これで機関銃の弾を全て避けられるかと思ったが、尚も背後から追って来た弾丸が足や背中を少し掠め、特に足は肉が大きく抉れる感覚がした。

 痛みを堪えながら硝子を割って飛び込み、地面へ足を着ける前に掴んでいたビットを思い切り『投げた』。

 兎の跳躍で得た慣性力と、鷲の筋力から得られる投擲力の全てをカメラアイが受け止め、シェンフィールドは分厚い鉄筋コンクリートの壁を大きく穿った後に爆散した。

 その後の着地は足の激痛によりあえなく失敗。埃だらけの地面を転がりながら速度を殺した。

 

 

「ごほごほ!痛っつぅ.....ぐ、右足のふくらはぎが半分無くなってやがる」

 

 

 問題の箇所は化物に齧られたかのようにバックリと肉が無くなっており、断面から血と一緒に出てはいけないものが零れてしまっている。パッとみた分だと、完全な再生には少し時間がかかるな。

 そう判断すると、ジャケットの裏からプラスチックケースを取り出し、その中にある赤い液体を含んだ注射器を取り出す。針にかぶせられたキャップを外し、それを傷口に突き立てた。

 すると、血流の中にいるガストレアウイルスの働きが活性化し、傷の再生が瞬く間に為されていく。

 

 

「っく....やっぱ天才だよ、ドクター」

 

 

 体内に溶存するガストレアウイルスの数が急激に変動したため、軽い眩暈を覚える。しかし、それも数秒の後に収まり、全快した俺は注射器を捨てると立ち上がった。

 しかし、こういう場所で負った傷ならいいが、一刻を争うような場面では注射器を悠長にケースから取り出してキャップを外す行程など時間の無駄だ。即時使用が出来るよう場所を移動させておいた方が無難か。

 俺はケースから三本ほど注射器を抜き取り、キャップを外してからジャケットへ仕舞う。

 

 

「これでよしっと.....ん?さっき流れで壊したシェンフィールドで三機目だったっけか」

 

 

 あの時は機関銃の弾から逃れることで頭が一杯だったが、不意打ち紛いのことをしたシェンフィールドへの怒りが無意識のうちに表へ出てしまっていたらしい。

 ともかく、これでティナの『目』は全て落とした。あとは――――――――

 

 

「ッ!?この音....上か!」

 

 

 階上から響いてきた大きな破砕音。間違いなく蓮太郎とティナの交戦で起きた音だ。銃撃や格闘技で出せる類のものでは無い事から、何らかの道具を使ったか、蓮太郎が機械化兵士の力を解放したかのどちらかになる。

 彼がティナに負けるとは思いたくない。だが、彼がティナに勝つのは想像出来ない。だから、せめて....

 

 

「生きていてくれよ、蓮太郎!」

 




銃弾撃ち(ビリヤード)の元ネタは、皆さんご存じ『緋弾のアリア』です。

次回はれんたろーさん視点でお送り...するかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32.反撃

対人戦闘術vs対ガストレア戦闘術────決着。


 シェンフィールドに補足された瞬間、全方位から乱射される機関銃の徹甲弾でハチの巣になる。...口に出して言うとより理解が深まり、尚更絶望感が濃厚になった。

 いくらなんでも人の技を越え過ぎだろう。先生はよく『程度はあるが、科学は不可能を可能にする』と言っていたが、BMIの発展形はまさにそれの具現だ。

 俺は肩と頬で携帯を挟んで未織と会話を続けながら、腰に差してあるXD拳銃を抜き取ると、上部フレームをスライドさせて初弾装填させておく。

 

 

「未織、仮に五方向からビル内部にいる俺目掛けて機関銃を乱射されたら、ざっと見積もって生存確率はどれくらいだ?」

 

『端数が碌につかんくらいゼロやね。でも、これは一般人が持つ確率や。里見ちゃんなら右腕右足で致命傷を回避できれば、数値はぐっと上がる』

 

 

 確かに致命傷からは逃れられるかもしれない。だが、逆に言えば完璧に避けられる術はないということだ。

 俺は通話を切ると携帯をポケットにねじ込み、大きく息を吐いてから階段に向かう。その途中でXD拳銃を構え、極限まで神経を研ぎ澄ませながら周囲を窺って歩く。...静かだ。自分の息遣いと足音ぐらいしか聞こえてこない。

 どうする?もし、このまま上がってティナと鉢合わせたら戦闘は避けられなくなる。だからと言って、蛻の空状態で隠れ蓑などほとんどないこの場に留まるか?いや、そんなことをしたら巡回するシェンフィールドの餌食になる。

 ベルトコンベアに乗って次々回ってくる思考へ可否のラベルを付けていくが、結局具体的な案が流れてくる事無く、無策のまま階段を上がっていく。

 ...もう三十階近い。結局ここまで何とも接触することなく上がって来れたが、いい加減敵方からのアクションがないと、同じ作業ばかりで気が狂ってしまいそうだ。

 その願いが通じたか、階上に続く階段へ足を掛けた時、あの音が響いてきた。

 

 

「ッ!」

 

 

 一気に血の気が引いて、背中から冷汗が吹き出す。...この階に、いる。

 俺は階段にかけた足を外し、身を低くしながら音のしたフロアへ潜入。積み上げられたデスクや機材の影に身を潜ませ、慎重に辺りを伺う。

 音を立てないように上体を影から覗かせ、片手に銃を握った。向けた視線の先には、ゆっくりと飛行する黒い球体が一機。

 あんなものが俺と聖天子様の近くを飛んでたのか。

 

 

(見つけはしたが....くそ、距離が開きすぎてる。ここからじゃ狙えねぇ)

 

 

 逸る気持ちを抑え、シェンフィールドの観察に専念する。滲んだ手汗でグリップが滑りそうだ。

 生唾を飲み込み、極度の緊張で霞んで来た思考に鞭打つ。こういった場所での戦闘はストレスが恐ろしい勢いで堆積し、正常な判断ができにくくなる。最終的には、ありもしない可能性に背中を押され、見当違いなタイミングで敵の正面へ顔を晒してしまうだろう。

 俺は自分の手の甲をガリッと噛み、埋没しつつあった意識を痛みによってサルベージした。もう少しだ。もう少しで確実に隙が出来る。

 自分が隠れている所まで十メートルを切ったところで、赤いレーザーを吐き出す目は、突如見当違いな方向を向いた。...否、奴は俺がここに飛び込んだときに通った、階段へ続く通路の方へ目を向けたのだ。

 

 

(今ッ!)

 

 

 完全に虚を突いた一瞬に飛び出したはずだったが、馬か何かと勘繰るくらいの広い視界で俺を映したシェンフィールドと目が合ってしまう。いいや、こっちの方が一歩速い!

 引き金にかけていた指へ力を込め、直後に雷管が炸裂。バラニウム製の弾丸が吐き出されて、シェンフィールドのカメラ中心部を深く穿つ。

 着弾時の衝撃で大きく後方へ飛んだ球体は、スパークをまき散らしながら近くの機材へぶつかり、浮力を失って地面へと落下した。

 その後は暫くコンクリートの地面を転がっていたが、破砕したガラス片に乗り上げて動きが止まる。

 

 

「やった、か」

 

 

 銃を降ろし、戻って来た静寂の中で深い安堵のため息を吐く。まだ一機目だが、これでシェンフィールドの撃墜が不可能ではない事を知ることが出来た。成果はとてつもなく大きい。

 しかし、まだ二つ残っている。気を抜くには残り二つとも撃破してからだ。そう気合を入れ直してから立ち上がり、銃を腰にしまおうとした時。

 

 

「ッ!銃声.....しかもこの量、まさか!」

 

 

 数百発分の断続的な銃声。位置から察するに隣のビルからだろう。

 そして、俺ではない誰かが撃たれているのだとしたら、その『誰か』とは考えるまでもないく美ヶ月樹万ただ一人。

 

 俺は思わず下へ通じる階段へと目を向ける。

 

 ――――もし、このフロアに敵がいたのだったら、今した俺の行動は致命的な隙を晒す羽目になっただろう。しかし、この時に限っては結果的にいい方向へ転がった。

 

 

「ッ?!」

 

 

 ――――その通路を風のような速さで突っ走ってくるティナに気付けたからだ。

 

 

「っ、らァ!」

 

 

 迎撃は間に合わない。俺は即座にそう判断し、右腕を顔面に移動させてナイフの一撃を受ける。弾かれつつも回転して背後から振るわれたもう一撃は、振り返りざまの手刀で横へ流した。

 ティナは地面に膝を着くと、素早くナイフの持ち方を変え、地面を蹴って再度肉薄。それに対して、俺は左目での演算を利用して素早く身を翻し、わき腹を狙った一閃を薄皮一枚で流すと、至近距離からXDを発砲する。が、彼女は有り得ないくらい鋭角なステップで俺の隣に回り込み、拳打で銃を弾いてから回し蹴りを背中に叩き込んだ。

 

 

「ぐはッ!」

 

 

 凄絶な威力に背骨が悲鳴を上げ、何とかインパクト時の威力を削ぐために踏んばらずワザと吹き飛ぶ。その先にあった机の山へ突っ込むと、積もっていた埃を勢いよく周囲へ巻き上げた。

 休む間もなく痛みを堪えながら懐をまさぐり、つかみ取った焼夷手榴弾のピンを抜き取ると、ティナのいた方向へ素早く転がす。フクロウの因子を持つのなら、強い光にめっぽう弱いはずだ。

 しかし、それからすぐに背中を這い回るような嫌な予感を覚え、爆発を待たずして煙の中から飛び出した。

 それから数秒と経たずに、さっきまで自分がいたところで何かが炸裂し、横倒しになったいくつかの机が粉々に吹き飛んだ。

 

 

(破片手榴弾か!)

 

 

 予感は的中した。もしあの場に留まっていたら間違いなく八つ裂きになっていただろう。

 一応、ティナの投げた手榴弾の爆発と同時に焼夷手榴弾の方も光を辺りへまき散らしたが、こちらの考えを読まれた以上効果的だったとは判断し難い。

 硝煙の香りが充満する中、標的を見失った俺は、努めて冷静になる意を込めて『百載無窮の構え』を取り、周囲を万遍なく警戒する。そして、極限まで研ぎ澄まされた己の神経は、やがて一つの音を捉えた。

 

 

 天童式戦闘術一の型三番―――――――――――

 

「轆轤鹿伏鬼ッ!」

 

「ぐッ!」

 

 

 正確に俺の首を狙ったナイフによる一撃を見切り、超バラニウムの拳でナイフの刃を容易く砕いた。よし、武器を殺ったぞ。今ならいける!

 俺は続けて追い打ちをかけようと足に意識を向けるが、突然の発砲音とともに横腹と腿に穴が空き、驚愕に目を見開く。

 

 

(俺の...XD!?)

 

 

 ティナがもう片方の手に握っていたのは、以前の交錯で弾かれたXD拳銃。一度ならず二度までも敵の手に渡らせてしまうとは、何とも因果な相棒だ。

 身体を蝕む激痛に耐えながらたたらを踏み、倒れることなく反撃の意志を衰えさせなかった俺だが、それは自身の腹へ小さい足がめり込んだ瞬間に儚くも消失した。為す統べなく吹き飛び、コンクリートの固い壁へ背中から叩き付けられる。

 大きく咳き込むと、喉奥から迸った血の塊が地面へぶちまけられる。弾が穿った二つの穴からも血が流れ、手足の先からみるみるうちに温度が失われていく。

 これは...不味い。まだ動けない訳ではないが、仮に動けたとしてもその後の攻略法が全くといっていいほど見当たらない。

 

 

「貴方の負けです。里見蓮太郎」

 

 

 無傷で目前に立ち、壁に背を預ける俺へ拳銃を突きつけながら言うティナ。

 闇より暗い銃口を直視した瞬間、戦闘時に分泌されていた脳内麻薬の効果が薄まり、それまで隠れていた恐怖が急速に精神を蝕み始めた。

 今の彼女に、天童の事務所内で見せた時のような迷いは感じられない。赤く輝く瞳は、俺を殺した数秒後の未来を受け容れる強さを持っていた。

 

 ――――――本気だ。殺される。

 

 引き金にかかった指が動く。それがスローモーションのように見え、ついに弾丸が放たれようかという時、激しい金属音が辺りへ響き、ティナの持っていたXDが宙を舞う。

 俺の足元へ転がって来たのは、漆黒に煌めく刃。

 

 

「ッ!.....樹万、さん」

 

 

 彼女の発した悲しそうな声と共に、向けられた視線の先を辿る。

 そこには、肩で息をする同僚がいた。

 

 

「ふぅ...何とか間に合ったか。少しばかり手際が良すぎるぜ。ティナ」

 

 

 

          ****

 

 

 何故、こうなってしまったのか。...何故、出会ってしまったのか。

 いくら自問しても現実は変わらない。起こってしまった事象は、どんな手法を用いてもなかったことには出来ないから。

 だがしかし、もしも神がこの状況を受け容れろと言っているのなら、私は躊躇いなくその頭へ銃口を向けるだろう。

 

 

「蓮太郎、大丈夫か?」

 

「がっ....バカ野郎、目の前に敵がいるんだぞ?俺はほっとけよ」

 

「ったく、このままじゃ失血死するっての。応急処置ぐらいはさせろ」

 

 

 目の前には、あの時と全く変わらない表情で笑う彼がいる。それを見ただけで、私の覚悟は容易く揺らぎ始めた。

 いいや、私に『日常』など存在しない。それでも、あえて日常というものを私に当てはめて表現するのだとしたら、それはマスターの命令通りに動く人形である日々に他ならないのだ。

 ならば、彼のくれた数日間を決して受け容れてはいけない。

 

 だから...だから、私は私の『日常』を守らなければならない。

 

 

 

「うっし、待たせたな。念のために他のフロアへ移動させてたから時間喰っちまった」

 

「ッ」

 

 

 声のする方を見ると、自分と対峙するように立つ彼の姿があった。たったそれだけなのに、拳を作った手が大きく震えはじめる。

 

 ―――――迷うな、もう決めたはずだ。私は殺し屋になると。

 

 全て、無かったことにする。ここであったことの何もかもを壊し、いつもの毎日に戻るのだ。

 すべきことを確認した私は、腰から新しいナイフを抜く。同時に深い呼吸をして熱を持った思考回路を冷ました。

 

 

「準備は、出来たみたいだな」

 

 

 彼は妙な構えを取り、右足を大きく後ろに下げた。...見たことのないスタンス。これから戦闘を行う人間がする姿勢とはとても思えない。

 気を付けなければ。未だに信じられないが、彼は私が狙撃した銃弾を弾いている。何かしらのバックアップはあったのかもしれないが、それを加味してもあり得ない芸当だ。

 私たちのような存在ならともかく、普通の人間にあのような業は為せない。そう断定した直後、彼の姿が掻き消えた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 消えた?馬鹿な、死角を探せ。

 すぐに視線を動かし、右横からナイフを突き出してくる彼を捉えた。その直後に持っていたナイフの柄で腕を叩き、僅かに軌道をずらす。

 金色の髪を数本散らせるにとどまった黒い切っ先に構わず、先の行動で上げた腕を使い、肘を鳩尾に打ち込もうと思った瞬間、彼の姿が今一度視界から消えた。不味い、既に攻撃のモーションに入ってしまっている!

 無理矢理にでも腕を引っ込めようとした所へ、背中に衝撃。幸い急所にはヒットしなかったが、威力が凄まじかったお蔭で壁際まで吹き飛ばされた。まさか、イニシエーターの身体をここまで吹き飛ばすなんて。

 

 

「っと、一撃目を捉えられるとは思わなかったぞ...あれは初見必殺だったんだけど、考えを改めなけりゃな」

 

「...ぐ、一体どうやって」

 

「何、簡単だ。『凄い勢いで倒れる』。それを地面スレスレのところまでやって、あとは走ればいい」

 

 

 意味が分からない。今の行動で姿が見えなくなるまでの早さを生み出せるとは考えられない。

 だが、彼の言った原理が本当なら、ごく短距離での移動しか出来ないはず。態勢が著しく崩れている状態では、長い間走ることは不可能だからだ。

 対抗策を練り終えた私は地面を蹴り、横なぎにナイフを閃かせる。それをしゃがんで回避した彼に向かい、今度は膝を叩き込む。が、予測していた手のひらに阻まれた。

 

 

「ふゥッ!」

 

 

 三手目。素早く持ち替えたナイフで更に一閃。それは横に飛んで回避されたが、もう片方の手に持っていたナイフを後ろ手に投合し、彼の足を地面と縫い付けた。

 それから二個目の破片手榴弾を取り出し、何度もやった手順で安全ピンを抜くと、後退しながら素早く投合。

 すぐに爆発が起こり、周囲へ殺傷能力の高い破片がまき散らされる。コンクリートの粉塵によって目視での生死確認は出来ないが、恐らくこれで終わってはいない。

 何故なら、彼は爆発の寸前にナイフを抜き取り、上着を手榴弾の上にかぶせていたからである。恐ろしい分析力と判断の素早さだ。

 しかし、早めに決着をつけなければ。今の爆発で老朽化していた鉄筋コンクリートに多大な負荷がかかったようだ。ギシギシと剣呑極まる音が足元から響いて来る。

 

 

(.....?)

 

 

 何だ。何故出てこない?まさか、本当にあれで...

 そう訝しんだ時、微かに頭上で何かが軋む音を捉えた。私はその勘に任せ、持っていた最後のナイフを躊躇いなく投合する。だが、その時には自分の首に何かが巻き付いたあとだった。

 現状をはっきりと理解した瞬間、平衡感覚が失われる。彼の回転しながら落下する身体に巻き込まれる形で、クリンチされた足に全身を持っていかれた。...まるで、土中から抜き取られる雑草のように。

 

 

「ぐぅッ!」

 

 

 壮絶な轟音。二人分の重量と運動エネルギーを受け止めたコンクリート製の地面は、もはや耐えきれないとばかりに悲鳴を上げながら瓦解し、私は続けて階下の地面へと背中から叩き付けられた。

 手榴弾の爆発を三つも受けて限界が近かったとはいえ、固いコンクリートを破砕するほどの勢いで地面に叩き付けるとは...

 落盤事故の如き勢いで頭上から落下してくる、自分の身体と同じくらいのコンクリート片。それを転がって回避し、同時に狂った平衡感覚と聴覚の回復を試みる。

 

 

「オッサン直伝―――――――!」

 

「っな?!」

 

 

 粉塵の中から飛び出してきた手。咄嗟に手刀で弾くが、それで元々悪かったバランスを大きく崩し、再度伸びた腕に胸元を掴まれる。

 不味い!そう思った私は、投げられる寸前に身を捻り、態勢を入れ替えてのカウンターを敢行した。―――が、そこで気付く。

 

 これは、普通の背負い投げじゃない!

 

 

 

「『当たって砕けろ(タケミカヅチ)』!」

 

 

 凄まじい勢いで横に振られたあと、肩口から地面へ打ち付けられる。威力は先ほどよりも上だったはずなのに、なぜか地面は割れない。

 しかし、直後に重い打撃音が遅れて響き、私の口から酸素と共に大量の血液が溢れた。

 まさか、衝撃が体内に無理矢理押し込まれて...!?

 

 

「結局原理は碌に分からなかったが、この技は衝突した時に分散する全てのエネルギーを、受け手へ強制的に押し付けるんだ。しかも、そのダメージは内部に浸透する」

 

「っぐ...あ」

 

「お前の負けだよ、ティナ」

 

 

 その言葉を聞き、改めて自分の身体を見る。

 右肩、主要な関節と肩甲骨粉砕。右鎖骨、骨折。肋骨、数本骨折。一部臓器損傷、吐いた血液は赤黒い事から、食道以降からの出血による吐血。...総合して判断するのなら、考えるまでも無く重傷。

 無理矢理戦闘を続けることも出来るだろうが、確実に回復する前に殺される。といっても、既に戦いを続ける気は起きてこない。

 もう、疲れた。戦うことも、悲しむ事も、悔いる事にも。

 

 

「樹万、さん。....ボロボロです、ね」

 

「はは、そうだな」

 

 

 上げた視線の先には、差し込む月光で照らされる彼の姿があった。...片腕が曲がり、肩にナイフが突き立ち、腹や足に手榴弾の破片が刺さった状態の美ヶ月樹万の姿が。

 ああ、駄目だ。これ以上長引かせれば彼まで死んでしまう。それは絶対に避けないと。

 私は血で粘つく口内を動かし、痛みで引き攣る喉から声を搾り出す。

 

 

「私を...殺して、ください」

 

「....何でだ」

 

「任務に失敗、したら...生きることが許されないから、です」

 

「誰が許さないんだ?」

 

「私の、マスター....が」

 

 

 これが最後なのだから、全て喋ってしまってもいい。元より、彼に隠しごとはしたくなかった。

 懺悔とも取れる言葉を聞いた彼は呆れたように深い溜息を吐くと、しゃがみ込んで私のドレスを漁り始める。い、いきなり何を...?

 こんな状況だというのに羞恥を感じてしまうとは、全く馬鹿らしい。だが、命の危機に瀕すると、動物的本能で子孫を残そうとするというのは、どうやら本当のようだ。

 

 

「おっ、見つけたぜ」

 

 

 ドレスの中から取り出したのは、私の携帯電話。それの電源を点けると、二三操作して耳に当てた。

 そして、そこでようやく彼のしようとしている事に合点が行く。止めようと声を上げかけたが、血が喉に詰まって噎せてしまった。

 

 

「よぉ。アメリカの頭脳、エイン・ランド教授。....ん、お前は誰かって?そうだな、悪を挫く正義の味方ってところか」

 

 

 まるで、旧友と世間話をするような気軽さで通話をし始める。当の私はあまりの事に思考が追い付いていけない。

 何故なら、目の前で私の『日常』が壊されて行っているからだ。

 

 

「お前さんトコのティナは預かった。何をくれても返す気はないから、責任持ってこっちで幸せにするわ。.....え、ふざけるな?今すぐ殺せ?」

 

 

 彼の声に身が凍る。恐らく、いや確実にそれはマスターの言葉だろう。

 私は負けた、だから用済み。――――必要とされない。

 かつて親を亡くし、その後の人生は誰からも必要とされないまま虐げられるだけの毎日だった。...もう、そんな日々には戻りたくない。だからといって、今みたいに利用される人生も嫌だ。

 なら、私が望む毎日は―――――。そんなことを考えたとき、メキリという金属がひしゃげる音が辺りに響いた。

 

 

「ティナは、呪われた子どもたちはテメェの道具なんかじゃねぇ。俺たちと同じ人間なんだよ。それが分からねぇんなら、ドクターと同じ四賢人を名乗る資格はない。...それと、テメェが親として今までティナに与えなかった人生は、俺が代わりに与える。刺客を送るなら送れ、全員返り討ちにしてやるよ」

 

 

 その言葉を最後に、彼は持っていた携帯電話をグシャリと潰す。金属の塊と化したそれは、マスターとのつながりを完全に失くした証に見えた。

 そして、数秒前は携帯電話だったモノを放ると、袖に噛みついてから肩に突き刺さったナイフを抜き、横たわる私の手を取ってゆっくりと抱き起こした。

 

 

「樹万、さん?...何を」

 

「おいおい、さっきの話聞いてなかったのか?」

 

 

 やや苦笑いの成分を含んだ彼の声に、慌ててさっきの会話をもう一度思い越してみた。

 その中で一番印象的だった台詞を脳内に浮かべ、少し自身で吟味してから声に出す。

 

 

「.....人生を、与える?」

 

「ああ、そうだ」

 

 

 復唱すると、私を抱き上げた状態の彼は頭上で笑った。....ずっと、ずっと見たかった笑顔で。

 あの日々に戻れるのか。...初めて、世界はこんな色鮮やかだったんだと知ることができた、彼が隣にいる数日間に。

 

 

「―――――――世界がティナを救ってくれないなら、俺がティナを救う」

 




作中でオリ主がやった足での投げ技は、雪崩式フランケンシュタイナー...よりは、ウラカン・ラナ・インベルティダの方が近いかな。※プロレス技です。

エイン・ランドとの会話は原作ではありませんでしたね。
執筆してる途中に何か腹立ってきたので、今回のような形を取らせていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33.慟哭

大分どころかかなり期間が空きましたが、ようやっとの更新です。


 散らばった瓦礫やガラクタを足でどかすか踏み越えるかして、彼...樹万さんと外周区内を歩く。そんな私の内心は、ここに来る前からずっと申し訳なさと嬉しさが半々で同居していた。

 一緒に出かける口実が欲しくて、外出場所を地図とにらめっこして考えたのだが、もうエリア内にある手近な娯楽施設は回ってしまったし、何度も同じ所へ連れて行っても彼に悪い。だからといってもやはり諦める訳にはいかず、結果こんな荒廃とした場所に...

 どうしよう、本当に迷惑じゃなかったでしょうか?

 

 

「ん?ティナ、なんか顔色悪くないか?」

 

「ひゃ?!ら、らんでもないれすよ!?」

 

「...明らかなんかありそうな感じではあるけどなぁ。まぁいいけどさ。ああ、あと疲れたんなら無理しないで言えよ?」

 

 

 心配そうにこちらを振り返ったあと、樹万さんは背負ったリュックを肩にかけ直す。それから少しして、何かを思いついたような声を上げたかと思いきや、私の隣に並ぶともう片方の空いた手で私の手を極自然な挙動で握ってきた。

 その感触をしっかりと理解した瞬間、思考回路が完全にショートし、周りに映るもの全ての情報が脳内から蒸発した。今の状態で受信できるただひとつの知識は、触覚から伝達される繋がれた二つの手という感触のみ。

 

 

(手汗とか掻いてないでしょうか?もし掻いていたら不快な思いをさせてしまうんじゃ...)

 

 

 表面上は普段通りの態度を繕いつつも、内心は大嵐が間近までやった来たように大慌て。これじゃ駄目だと分かっていても、やっぱり感情というものはそう簡単に言うことを聞いてくれない。

 膨らんで来た猜疑心に我慢できず、私は遂に意を決し、歩みを進める樹万さんの顔をそっと覗き込んでみる。...が、そこにあったのは寧ろ楽しそうな表情を浮かべる、自身の予想を良い意味で裏切った顔だった。

 

 

「...お?どうした」

 

「っ!い、いえ何も!目的地はまだかなと思ったので!」

 

「それならもう少しだから我慢してくれ。さっきも言ったが、疲れたなら休むぞ?」

 

「それなら本当に平気です」

 

 

 これくらいで疲労を感じるようでは、戦場で生き残ることなどまず不可能だ。その点、無論私は問題ない。

 心配無用だという返答を聞いた樹万さんは、「そうか」と言いながら笑顔を溢し、空いた手で私の頭を撫でてきた。

 頭の上をスッポリと覆う、自分のものではない別の人の手のひら。だというのに、この湧きあがる幸福感は一体何なのだろう。身体の一部だけに触れられているはずなのに、彼の手から伝わる熱は瞬く間に全身を包む。まるで、自分の体温より微量に高い湯へ全身浸かっているようだ。―――それに対して、何故か胸の内だけは暖炉で火を焚いているかのように熱い。

 自然と口元が緩み、私は彼の手を握る腕に少し力を入れた。本当は指を絡めたい、と本心から思ったが、それは流石に理性がSTOPをかけてくる。

 

 

「お、見えてきたな」

 

 それから少ししてから、樹万さんは前方を指差してそう言った。が、そこに広がるのは以前と全く同じ、ガラクタや瓦礫が散らばる荒れた景色のみだ。

 私は思わず首を傾げてしまったが、彼は悪戯っぽく笑うと、続けてその指を下に向けた。

 

 

「.....マンホール?」

 

「正解だ。この先に案内しよう、お嬢さん(マドモアゼル)

 

「??」

 

 

 何故そんな場所に?そう聞こうと思ったときには、既にマンホールのふたが外された後だった。

 多少の不安を抱えながらも、私は手摺を伝って下りていく樹万さんに続く。そんな地上から下っていく道すがら、下水特有の鼻につく異臭をある程度覚悟していたのだが、地に足を着けたのにもかかわらず、そんな臭いはあまり漂ってこない。かわりに、人が生活する場特有のものを仄かに感じた。

 

 

「この先にあるのは、親に捨てられた『子どもたち』の住居なんだ。これを知っている人間の間では、マンホールチルドレンって呼ばれてる。...俺は蔑称みたいで嫌な名前だから、普段は言わないけどな」

 

「子どもたち、ですか...」

 

 

 苦々しい表情をする樹万さんの言葉で、私は点々と灯りの置かれた通路へ目を向ける。

 この先に、自分と同じ人がいるのか。ガストレア(化物)と同じくらいの扱いを受け、人の世から排斥されかかっている子たちが。

 

 やはり、どこの国も同じなのだ。私たちは。万人から望まれずに生を受け、疎まれ、迫害されるためだけに存在する。

 

 もし、彼女たちにとってこの世でもっとも恵まれた場所があるとするならば、それはプロモーターの隣に立ってガストレアと戦うことだろう。その立場を保ち続けることができれば、ガストレアと対立していることを証明することとなり、最低限の人権は確保される。

 しかし、その道だって運が悪ければ、私たちをただの使い捨て道具としてしか認識しないプロモーターの傍におかれたりする。

 ...では、私たちはどのような環境の下で幸福を感じられるというのか。いや、そもそもそんな場所など、既にこの世のどこにも存在しないのではないか...?

 

 

「チョップ」

 

「あたっ...い、いきなりなにするんですか」

 

 

 熱が回ってきた思考へ突然の衝撃。当然、それで意識の矛が外に向かってしまったため、錯綜していた情報は記憶の引き出しに全て納まった。

 やり方はアレだったけど、頭を冷やしてくれた樹万さんに感謝...したかったはずなのに、その意思に反して私の表層の感情は膨れっ面を作らせる。

 しかし、彼は気にした風もなくこちらへ笑顔で手を伸ばし、今さっき叩いた場所を優しく撫でた。すると、波打っていた感情はあっという間に凪となり、代わりに胸の中心から全身へ甘い疼きが迸った。

 

 

「ティナ、今よくないことを考えてたろ?」

 

「っ」

 

 

 言葉に詰まる。それだけで樹万さんには肯定であると受け取られてしまうだろう。彼のこういうところはちょっとズルいし、困る。でも、言葉にしなくても伝わるというのは、やっぱりうれしい。

 そして、彼がさっき言ったことは事実、よくないことだ。自分の存在を否定的に捉え、他の子供たちも勝手に報われないと頭ごなしに断定してしまったのだから。

 

 

「お前は何も悪くない。過去何を見たのか、何を見てきたの知らないし聞かないけど、これだけは確信を持って言える。...こんな世の中にしたのは俺たちなんだからな」

 

 

 言いながら、彼は手を私の額から頬へ移動させ、親指で目元をゆっくりとなぞった。

 

 

「その顔、あいつらを世話してる時によく見たんだよ。...他人の罪を自分も背負おうと決意した目。誰かがすぐ隣で責められるのに耐えきれず、一人善人でいるより自分も悪人になろうとする表情」

 

 

 驚きに目を見開く。まるで心臓を鷲掴みにされた気分だ。まさか自分自身でも名前のつけられない感情を他人に見透かされるとは...

 樹万さんは手を引っ込めると、再び止まった歩みを再開させた。が、それからも言葉は続く。

 

 

「呪われた子どもたちは、ガストレアのもつ巨大な業の一端を背負わされ、存在も人権も否定されて生きている。それに合わせて、自分たちに恐怖心を抱かない分、ガストレアを憎む人たちから積もった憎悪や暴力すらぶつけられている状態だ。こんなことがつづけば、自分を間接的に悪だと決め付け、希望を自ら断つ子だって当然でてくる」

 

 

 コンクリートを叩く二人分の足音と、樹万さんの重い独白が下水道内に響く。

 人間は生まれながら親の庇護下にあるのが普通であり、それに適した進化を選択してきた。しかし、だからこそ幼いながらに親から捨てられ、傷つけられながら育った少女たちは、本来愛情を納めるべき心の溝に深い闇が巣くってしまう。

 皆はそれに気づかぬ振りをして、精神の均衡を保ちながら生きるしかない。ないのだが、いつか救いなど何処にもない事を確実に悟り、絶望する日はくるだろう。

 

 

「...マンホール下にあるここはな、そういった子どもたちが唯一安らげる場所だ」

 

「この場所が、ですか?」

 

「ああ。もう少し奥に行けば見えてくるよ」

 

 

 彼女たちに心休まる場所などない。そう私は決め付けていたが、彼の言葉が嘘だとは思えない。果たしてどういった場所なのだろう?

 あれやこれやと想像を膨らませながら歩き、樹万さんが言葉を切ってから数十秒後、突然背後に小さい気配を感じた。とはいっても、身の丈はおおよそ自分と同程度のものだが。

 敵意は無いが、無害とはやはり言い切れない。尚もついてくる影をどうするか逡巡しはじめた時、前を歩いていた樹万さんが唐突に足を止めた。

 

 

「だるまさんがー...ころんだ!」

 

「ふえぇ?!」

 

 

 それからいきなり訳のわからない事を口走ったかと思えば、『ころんだ』の一言とともに勢いよく私の方...正確には、私より更に背後へ視線を向けて振りかえる樹万さん。

 すると、それまで後ろをつけていた大きなリボンで髪をまとめた少女が予想もしなかった事態に驚き、ちょうど前に進もうと重心移動させてた爪先を地面に突っ掛けてしまった。

 目を見開いて何とか踏んばろうとするも、すでに身体の大部分が傾いてしまっている。助けてあげたかったが、ここからでは幾ら私でも間に合わない。

 

 

「ほっと」

 

「きゃ...」

 

(―――――え?)

 

 

宙を泳ぐ少女の手を取り、自分の腹へ引き寄せて抱き止める樹万さん。これは...驚いた。一体彼はどうやってあの距離を移動したのだ?

 瞬発力に特化したイニシエーターなら可能だろうが、それ以外では難しいし、ましてや普通の人間になど到底不可能だ。運動神経がどうとかいうレベルを完璧に越えてしまっている。

 

 

「ふっふっふ、驚かせる側が驚かされてどうするんだ?りり」

 

「む~、お兄ちゃん!今のはイジワルだよ」

 

「そうか?じゃあ、俺の上をいくイジワルを頑張って考えることだ。そうすりゃ仕返しできるぞ」

 

 

 少女は頬を膨らませながら樹万さんのお腹へ顔を埋めるが、ワシワシと頭を撫でられると一転してその表情は笑顔となる。...しかし、これは見ていてなんだか面白くない。いや、むしろイライラしてきた。

 と、不意にその視線が私と交錯した。が、驚いたのは私だけで、少女は丸い瞳を喜色に染めて樹万さんの服の裾を引っ張る。

 

 

「みかづきお兄ちゃん。あの子って、もしかして新入りさん?凄くかわいいね」

 

 

 新入り?一体何処の?

 そう私が疑問の声を飛ばす前に、樹万さんからそれに対する答えが放たれた。

 

 

「いいや、ティナはマンホール(ここ)じゃ暮らさない。でも友達になってやってほしくて連れて来たんだ。な?ティナ」

 

「え?ああ、はい。そうなんです」

 

 

 一瞬彼が作ってくれた流れに逆らいそうになってしまったが、すぐに意図を汲んで少女に笑顔を向ける。ここに来た理由をそう解釈しましたか。まぁ、普通そうですよね。

 少女は一度大きく頷いて髪を揺らすと、私の手を取って瞳を輝かせた。

 

 

「初めまして!私はりり!やっぱり外で暮らす子は凄い綺麗!うらやましいなぁ」

 

「りりちゃんも十分かわいいですよ。私はティナです。よろしくお願いします」

 

「そ、そうかな。みかづきお兄ちゃん!私ってかわいい?!」

 

「ハハハ!可愛くないわけがないだろう!」

 

「やったーっ!」

 

 

 清々しい笑顔で親指を立てる樹万さんを見て、心の底から嬉しそうに飛び跳ね、彼の懐へダイブするりりちゃん。

 その喧騒を聞きつけたか、通路の奥から一人、また一人と樹万さんの下に集まってくる少女たち。気付けば、あっという間にお祭り騒ぎ状態になってしまった。

 彼の傍にいる彼女たちはみんな笑顔で、親に捨てられたという悲壮感や絶望感など微塵も感じさせないほど幸せそうだ。

 

 

「不思議かね?」

 

「.....いいえ、そうは思いません」

 

「ふふ、なら『君もあの子らと同じ』。ということかな」

 

 

 隣に歩いてきた初老のメガネをかけた男性の問いかけには、何故かあまり悩まなかった。しかし、私がりりちゃんたちと同じ、とは一体どういう意味なのだろうか。

 男性は松崎と己の名を名乗ってから、孫の成長を見守る祖父のような表情で、樹万さんへじゃれつく少女たちを眺める。

 

 

「あの子たちは、苦痛を心の内に押し込めながら毎日を生きていた。だが、そんなことをいつまでもしていたら壊れてしまう。私のようないい歳した男なら、苦痛の上手い抱え方を知ってはいるが、こればかりは教えてどうにかなるものではなくてね。私が彼女たちにできることは、せいぜい能力との付き合い方や読み書きぐらいなものだった」

 

 

 松崎は、目の前で苦しむ少女たちを自分での手で救えなかったことに嘆き、言葉の端々で悔しそうな色を滲ませる。不甲斐ないと、情けないと自分で自分を罵りながら。

 あまりにも自虐がすぎるのではないか?そう思ったが、親という役目を担う難しさの程度が理解できなかったため、口を挟むことは憚られた。だが、松崎はそれまで固かった表情を少し崩し、目元を緩ませながら持っていた杖を両手でつつみこんだ。

 

 

「しかし、だね。彼が...美ヶ月くんが来てから彼女たちは変わった」

 

「樹万さんが?」

 

「ああ。彼は皆の苦痛を全て吐き出させた。しかも、決して自分からは傷付けずに、だ。それを見た私は思ったよ。まるで全ての人間の苦しみを見て来たかのようだ、とね」

 

 

 彼の言葉を聞いて、私は羨ましい。と、そう思った。

 疑い、悩み、肩肘を張る理由の全てをなくし、心の底から信頼できる人を見つけられた彼女たちが、羨ましくて仕方なかった。

 

 私も...私を助けて。

 

 そう言えば、きっと樹万さんは助けてくれるのかもしれない。でも、そんなことをすれば自分ともどもマスターに消されてしまうだろう。そんな結末は赦せない。

 

 

「君も...苦しんでいるようだね」

 

「ッ!?」

 

「はは、これも何かの縁だろう。頑張ってまだ見ぬ幸せを掴みなさい。彼とともにね」

 

 

 本当に、そんなことが可能なのか?私が幸せを掴むなんてことが...

 私は両腕で四人の子を持ち上げ、一人を肩車して笑いながら走り回る樹万さんを見る。

 

 

「私の、幸せは――――」

 

 

 きっと、あの人の隣に。

 

 

          ***

 

 

 

「っは?!」

 

 

 目が覚めた、と同時に猛烈な痛みが体中を走り回り、思わず噎せてしまった。咄嗟に口元を抑えた手のひらには赤が彩り、それで自分が瀕死だったということに気付く。

 と、激痛に目を白黒させている自分の額に何か温かいものが置かれた。それはどこか覚えのある感覚で、無性に気になってしまう。そんなことを思った私は、死に体であるにも関わらず、自分のことなど一切顧みないでぼやけるピントを必死に絞って合わせ、頭上に影を落とすものの正体を目視する。

 

 

「っとと、大丈夫か?もう少しでビル抜けるから我慢しろな」

 

「あ.....樹...万、さん?」

 

「おう、俺だ。何分抱えてるもんだから振動は直に伝わるだろうが、俺の血を分けたから少しは再生が早まるはずだ。だから、もう死ぬなんて二度と言わないでくれよ」

 

 

 言われてみれば、さっきから見える景色が上下している。意識が途切れる間際に聞こえた、彼の救うという言葉はやはり嘘ではなかったのか。しかし、いくらありのままの心情を吐露したとはいえ、それをそのまま信じ込んで敵を助けるなんてお人好しがすぎる。もしよからぬことを考えている輩だったら一体どうするというのか。

 私は樹万さんの迂闊さに憤慨したが、ここで端と衝撃的な事実に気付く。この目線の高さと回された腕の位置から鑑みるに、今の私は御姫様だっこ状態....?!

 

 

「?...樹万、ティナが急に真っ赤になってるぞ。大丈夫なのかよ?」

 

「うおッ!ホントだ。おいティナ、ヤバいか?ヤバいなら言ってくれ」

 

 

 樹万さんの焦った声で正常な意識を手繰り寄せた私は、まず自分の命を何とかするのが先、と数度唱え、ある程度落ち着きを取り戻してから異常の無いことを伝える。そんな私を見た樹万さんと里見蓮太郎は不思議そうに顔を見合わせてから『ならいいけど...』としまりのない返答をした。もしかして私、隠し事とか上手くないのでしょうか?

 なにか負けた気がして悔しかったので、私は少し調子に乗って樹万さんの胸に顔を埋めてみた。すると、さっきまで巣食っていた嫌な感情は吹き飛び、たちまち暖かい温もりと優しい香りに心が満たされた。

 そして、私は改めて実感する。...ああ、もうこの人の隣でしか生きられないな。と。

 

 しかし、そんな気持ちに長いあいだ浸ることは許されなかった。

 

 

「ッ、蓮太郎!!」

 

「っ?!」

 

 

 樹万さんは里見蓮太郎の名前を叫んだあと、直接見てはいないが彼を突き飛ばすような挙動をした。事実、その直後に何か重いものがアスファルトを滑る音が響き、彼らしき声も聞こえてきた。

 突然のことに訳がわからず、私はどうするべきか頭の片隅で考え始めたとき、樹万さんは急に背中を丸め、私をきつく抱きしめてきた。

 

 

「すまん、ティナ。ちょっと我慢しててくれな」

 

 

 それからすぐに、甲高い発砲音がビル内へ断続的に木霊した。

 

 その音が鳴るたびに樹万さんの身体が不自然に痙攣し、回された腕から少しづつ力が抜けていく。

 五回目の発砲音。―――それで彼の身体はふらりと揺れ、懐にいた私を巻き込む形で埃だらけのアスファルトへ横倒しとなった。

 

 端から見れば、まるで添い寝をするような絵。だが、その口からはとめどなく血が溢れ、取った手からは冗談のような速さで脈拍が弱くなっていく。

 

 

「........」

 

 

 痛みを堪えて地面から起き上がり、樹万さんの身体を揺らしてみる。しかし、全く反応がない。

 何故?血が溢れて来ているから?じゃあ何でこんなにたくさん血がでることになった?何で彼は死に向かっているのだろう。

 考えても考えても希望的観測を司る歯車は空転し、そのくせ裏では真実を伝える歯車が回り続ける。それでも私は、絶えず目の前に流れて来る真実を虚実と判断し、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ捨て続ける。

 ああ、そんなことよりさきほどから誰かが喚いていてうるさい。とてもうるさい。.....オマエが喚くのはこれからだろうに。

 

 

「―――――動け。私のからだ」

 

 

 もう悲しむのは沢山だ。

 もう何かを喪うのは沢山だ。

 

 もう――――――こんな腐敗しきった世界で生きていたくない。

 

 

 

「動けえええええええええええええええええ!!」

 

 

 ――――――だけど、せめて。

 

 目前に立って嗤う、彼を撃ち殺した男を殺すだけの時間を、私にください。神様。




前と後で温度差がかなりありますが、原作でも上げて落とすのが仕様です。
場面によっては急降下+緩衝材なしという悪魔のような内容ですからね...


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34.憤怒

相変わらず遅くてすみません。
脳内で大方のプロットが出来ていても、やはり文字として書き起こすのに時間が掛かりますね。


「ハハ、ハハハハハハハハ!何だ、何だよ!僕自身、こうまで上手くいくとは思わなかったぞ!」

 

 

 撃たれた。目の前で、樹万が。

 この目に狂いはないと言うのなら、ベレッタを持って壊れたように笑う保脇卓人が...彼を殺したのだ。

 

 

(アイツ―――――――――――ッ!!!)

 

 

 脳髄を焼くほどの怒りを以て起き上がろうとしたものの、さっきの戦闘で空いた二つの風穴に凄絶な激痛が走り、俺の意志などお構いなしに立てた腕が曲がって再び倒れ込んでしまった。同時に喉を通ってきた鉄臭い血の香りが鼻孔を通り抜け、貧血による軽い眩暈も相まって気分を著しく悪化させる。地面に片手を着いて下を向いた瞬間、思わずえずいてしまった。

 俺がそんなみっともないことをしていた時、横たわる樹万の傍らにいたティナ・スプラウトが人の出せる声とは思えないほどの咆哮を上げ、片手に樹万のものと思われる黒いナイフを持ちながら立ち上がった。その身体は本来、碌に動かないほどの酷い有様であるはずだが、アレはどうやら気力という名の芯を骨の代わりに突っ込んでいると見ていい。...しかし、誰が見てもそれだけで精一杯だ。とても戦闘をできる身体ではない。

 

 

「全く、ギャアギャアと喚き散らしやがって。黙れよゴミ屑」

 

 

 保脇は心底気分の悪そうな表情で吐き捨てながら、一切の躊躇なしに持っていたベレッタを再び構え、引き金を絞って二回の発砲。その一発がティナの肩に着弾し、二発目は腹部に。それだけで容易く小さな体躯は吹き飛び、アスファルトへ多量の赤色を塗布しながら仰向けに倒れた。それですべてが終わったかのように、黒いナイフが地面へ落下して幕引きの音を響かせる。

 .....何故、何故だ。もう少しで誰もが笑って終わる結末を迎えられたはずなのに。拾い集めた希望はこうも簡単に手から滑り落ち、代わりに等価交換の法則を無視した量の絶望が天から降ってくる。抱く希望が大きい程握らされる絶望はより色濃く、それを捨てる方法を知らない俺たちは絶望に心を蝕まれ続ける。

 深い失意に身を沈ませたまま、俺は保脇の部下二人に両腕を拘束され、無理矢理跪かされた。そこへ下卑た笑みを浮かべる保脇が近づき、俺の顔をおもむろに蹴りあげた。その瞬間、一度は勢いを削がれた憤怒の炎が再び燃え上がり、やはりこの男は止めねばという観念に突き動かされる。

 

 

「がはッ!げほ、グッ....保、脇ィ...テメェ!」

 

「クク。いいぞ、その表情!口では反抗しつつも、為す術ないこの状況に絶望しているのだろう!?実に気分がいい!」

 

「ケッ、どうしようもない、外道だな」

 

 

 英雄と言われる俺に嫌悪感を抱いていたのは以前から知ってはいたが、まさかこれほどまでとは。それら全ては聖天子様が俺に向ける期待に帰結するのだから、保脇の常軌を逸した固執振りが伺える。...そう、彼女が俺に対し興味を抱きさえしなければ、たとえ周りから英雄などと持て囃されたところで、悪質な粘着をされることはないのだから。

 この男の聖天子様に対する感情は、もはや忠誠心や敬愛などではないだろう。一刻も早くこのゲス野郎を始末しなければ、あの平和ボケしたお姫様が危ない。そんなことを思っていたところ、いきなり前髪を掴まれて上を向かされた。

 

 

「あまり居丈高な態度を取るなよ?里見蓮太郎。折角この国の英雄となる僕が、君みたいな小僧にいい提案をしてあげようとしてるんだからな」

 

「...なん、だと?」

 

「くく、僕だけが聖天子様を守った英雄になるのは忍びないからねぇ。君らにも一枚噛ませてやるよ」

 

 

 俺の前髪から乱暴に手を離した保脇は、血塗れになって横たわるティナの横に立つと、その頭に銃口を突きつけた。その暴挙で再度頭に血が昇ったが、両隣の男二人に背中を殴られ、無理矢理大人しくさせられた。それを見る保脇はさらに笑みを濃くさせながら言う。

 

 

「僕の考えたシナリオはこうだ。――――君と、そこに転がるもう一人の雑魚民警が奮闘の末、極悪な聖天子狙撃事件の犯人を見事追い詰めました!しかぁし!あと一歩というところで及ばずに二人は力尽き、重傷を負っているとはいえ極悪犯が勝ってしまいました!これは不味い!」

 

「テメェ、まさか」

 

「クククク、そこへ颯爽と登場した僕が、君たちに代わり正義の鉄槌を以てこのクズの息の根を止める!かくして聖天子様は、東京エリアは救われた!そして、僕は彼女に認められる英雄となった!」

 

 

 この男は今、目先の功績にしか興味がない。権力に酔い、権力に支配される輩の典型的な思考だ。こういった時の悪党は犠牲となる人間にとってどこまでも最悪な結末を思いつく確率が極めて高い。今ここで止めねば、奴はどんなことをしてでも聖天子様を救った英雄となることを優先し、ここにいる俺たち以外の誰かまで影響を及ぼすだろう。いや、そんな馬鹿げたことは絶対に阻止する!

 焦燥感で思考を熱くしながらも、情報の処理は冷静に試みる。...一応樹万から手当を受けているが、そんなものは急場しのぎの止血ぐらいだ。傷は全く塞がっていないのだから、必然無理をすればいとも簡単に死ねる。それに、XDはビルの中に置いて来てしまったし、ナイフももってないので武器すらない。

 

 

「どうだ?お前たちは高尚な僕の引き立て役となって死ぬのだ。身に余る光栄だろう」

 

「保脇...!お前は英雄になんざなれねぇよ!」

 

「ふ、せいぜい吼えるがいい。...さて、そろそろこのゴミを始末するか。バラニウムでなくても心臓と脳をぶち抜けば殺せるだろ。.......ん、ああそうだ。良いことを思いついた」

 

 

 保脇はティナに向けた銃口をそのまま、顔だけをもう一度俺の方へ向ける。

 ――――――その表情は、今まで見た奴の顔の中で最も不気味な笑みを象っていた。

 

 

「里見蓮太郎。お前には藍原延珠というイニシエーターがいたな」

 

「それが.....どうした」

 

 

 口の中が干上がる。呼吸が凄まじい勢いで浅くなっていく。俺の脳みそがひっきりなしに警鐘を鳴らしている。それ以上言わせるなと。その男が口に出し、実行しようとしていることは、里見蓮太郎にとって何よりも許せない事であると。理性すら食い破るほどの勢いで叫び続ける。しかし、それでも。現実というものは本当にままならない。

 保脇は笑顔のまま、恐ろしいことをのたまった。

 

 

「お前のイニシエーターは、聖天子狙撃事件の犯人と内通していた。いいな?」

 

「...........は?」

 

 

 何を言っている。延珠がそんなことをするはずがない。...いや、そうか。コイツは延珠を――――――!

 

 

「聖天子様は随分とあのゴミ屑らにご執心のようだからな。事前に潰しておかないと後々が面倒だ。...ということで、お前のイニシエーターは敵に寝返った悪党だという事にする。後はその敵も赤目だったという情報を流せば、間違いなくこのゴミ屑どもを支持する阿呆は東京エリアからいなくなるぞ!」

 

 

 ――――コイツは、延珠とティナを利用して東京エリア内の『呪われた子どもたち』全てを始末しようとしている――――。そう頭で理解した瞬間、目の前に火花が散ったのではないかというほど壮絶な衝動が湧きあがる。.....その衝動の名は、夜の闇より深い、どこまでもドス黒い殺意。

 駄目だ。コイツは、このクソ野郎だけは生かしておけない。殺す。殺す殺す殺す!今すぐ、この場で、確実に、俺がッッ!!じゃないと、俺だけじゃなく延珠まで絶望を抱いたまま殺されることになる!!

 感情は憎しみと怒りに彩られる。あまりの激情に奥歯を物理的に噛み砕きながら、抑えつけられる力へ抗うために上半身を揉みくちゃに動かし、殴られても蹴られても意に介さず、この不快な黒い感情を溢れさせる目前の要因を駆逐するために咆哮を上げる。

 

 

「ふ...ざけんなァァァッ!!保脇ィィィィッ!!!」

 

「ふはははは!君ほどの英雄くんが負けたんだ!敵方へ情報を垂れ流す奴がいて当然だよなぁ!それが一番信頼していた仲間だとは悲しいねぇ!悔しいねぇ!許せないよねぇ!安心したまえよ!裏切り者にはこの世に存在する苦痛全てを味わわせた後に君の下へ送ってやるよ、里見蓮太郎!!」

 

「殺す!テメェだけは絶対に殺すッ!!ぅうおおおオオオオオオ!!」

 

「ハハハハハ!最高だ、最高に愉快だよ!その表情ッ!叫び!!さぁ、先ずは君の目の前で一人目の屑を始末してあげようじゃないか!泣いて喜べよ贋作英雄!」

 

 

 何でもいい。延珠以外なら俺から何を奪ってくれても構わない。だから、誰か。あの男を止めてくれ―――――――――!!

 

 保脇の哄笑。俺の発する慟哭。涙と土埃で滲む視界。

 

 しかし、その中でも確かに聞こえ、そして見えた。一人の男が、俺の叫びに答える瞬間を。

 

 

「蓮太郎!腰のベレッタを抜け!」

 

「ッ!」

 

「何?!」

 

 

 響いた発砲音は二。その全てが両隣で俺を拘束していた男二人へ直撃し、後方へ絶叫と共にもんどりうって倒れた。保脇はその光景を見て驚愕を呈するが、腐っても聖室付き護衛隊隊長(エリート)か。今し方立ち上がった影に向かって素早く銃口をスライドさせると、間髪入れずに発砲する。しかし、響いたのはまるで金属を打つような甲高い音。無論、砂埃の向こうに立つ影は以前として立ったままだ。

 俺はその隙に、先ほどの指示通り腰を素早くまさぐる。すると、確かに保脇の持っているものと酷似したベレッタが顔を出した。...いいや、これは俺の持っていたものじゃない。コイツは確か――――――

 

 

『ったく...お前ら、敵意を向けるべき相手を間違えてんぞ?』

 

『チッ!....行くぞ』

 

 

 ――――そうだ。以前、聖居の中で保脇ともみあいになった時、奴が落として行ったベレッタ。俺はそれを拾い、腰に差したままだった。

 それを思い出した俺はどこか複雑な気分のままベレッタを抜き取り、今まで生きて来た最高速度で初弾を装填する。今日は自分の持っていたXDに銃口を向けられ、自分のものではないベレッタの銃口を元持ち主に向けるなどと、随分と武器に踊らされたな。

 銃を構える俺に気付いたか、保脇は何事かを叫びながら俺に向かって照準を合わせる。その前に発砲し、躊躇なく目前の外道野郎の眉間を撃ち抜く。奴は何も言わず、間抜けな表情のまま持っていたベレッタを落とし、自分も埃だらけのアスファルトに転がった。

 

 

「はは、迷うことなくドタマぶち抜いたか。そりゃ、あんだけのこと言われりゃ当然だわな」

 

「ッ.....!」

 

 

 もう、二度と聞くことはないと思っていた声。多大な喪失感は保脇へ対する怒りで姿を無理やりにでも消されていたが、覆うように燃え盛っていた焔が鎮火した今、もはやそれを隠すものはない。にも関わらず、俺が俺の中にある悲しみに気付くより先に、この男は勝手気ままに帰って来た。

 だが、この時ばかりは思惑通りに進まぬ現実へ深く感謝しなければならない。

 

 

「死んでねぇなら、最初から死んだような面すんなよ、バカ樹万」

 

「わりぃな。お前と同じで、俺もまだまだ死ねねぇんだよ。アホ蓮太郎」

 

 

 パチン、と。白煙の向こうから手を挙げて歩いてきた樹万のハイタッチに答え、乾いた音を響かせた。

 

 

 

          ***

 

 

「なぁ樹万」

 

「んー?」

 

「あんだけ撃たれておいて、なんで生きてんだ?」

 

「随分ド直球な質問だな。ええと...これだよ、これ」

 

 

 いっそ死ななかったことが残念だとも取れる言葉遣いに半眼となりながら、俺は懐を漁って数本の空の注射器を見せる。蓮太郎はそれに見覚えがあったらしく、当初期待していなかった反応を貰えたので、話がスムーズに運べそうだった。

 

 

「コイツはAGV試験薬だ。効果は...」

 

「使用者に驚異的な再生能力をもたらす代わりに、約20%の確率でガストレア化する、だろ?」

 

「ご名答。コイツを使って何とか生き延びた」

 

 

 血を流し過ぎて危うく心臓が止まりかけたが、その前に傷の修復を何とか終えて一命を取りとめ、それからは一時的な脳の酸欠によって昏倒し、蓮太郎とティナがピンチのときまで眠りこけていた。...そういったら頭を叩かれたが、「無事でよかったよ」と最後に挟まれ、典型的なツンデレ気質に思わず大爆笑してしまった。

 蓮太郎はもう一度俺を叩いて黙らせてから、今度は顔を横たわるティナに向ける。

 

 

「大丈夫そうか?」

 

「ん...急げば平気だ。これ以上撃たれてたら流石に不味かったけどな」

 

「そうか。よかったぜ」

 

 

 苦しそうに喘ぐティナへ銃弾を抜く、止血するなどの応急処置を施しながら、蓮太郎の質問に答える。

 蓮太郎はティナが四賢人、エイン・ランド教授の操り人形だと聞いてからこの通り、自分や聖天子様を狙撃したことの全てを許している。彼は恐らく、日の当たるところに居場所を作りたくても作れず、結局いいように利用されるだけの未来しかない、深い影のさす場へ廻される彼女たちの事を良く知っているからだろう。俺たちは、殺しを望まぬというのに殺しを強要させられたティナの辛さなど推し量ることはできようもないが、その苦境にいる彼女を救う事はできる。

 さて、とっととティナを連れてこの場とオサラバしたいところなのだが、最後の大仕事がまだある。俺はティナの腹部へ包帯を巻き終えたあと、ゆっくりと立ち上がりながら、独り言にしては大きい声量で『この場に居る誰か』へ質問を投げる。

 

 

「で、どうでした?貴方の一番近くにいた信頼すべき聖室付き護衛隊隊長の末路は」

 

 

 それから間もなく甲高い靴音が地面を鳴らし、辺りへ大きく反響した。位置的に俺の目前に立つ蓮太郎は、その眼で本来この場にいるはずのない彼女を見ることが出来たのだろう。面白いほど顔を驚愕に染めていた。

 

 

「な、聖天子様?!アンタなんでこんなトコにいるんだよ!斉武のジジィとの会談はどうした!」

 

「美ヶ月樹万さんのイニシエーターから、貴方達が私を狙う狙撃手との交戦をしている知らせを聞き、斉武大統領との会談は中止してきました。お蔭で、私は東京の抱えていた闇の一つを知る事ができたのです。対価としてはお釣りが来るくらいでしょう」

 

「ッ...たく、本当になんちゅう国家元首様だ。よりにもよって斉武のジジィに喧嘩売るとは」

 

 

 蓮太郎は大げさに頭を抱えるが、声には全くと言っていいほど怒りは含まれていなかった。実際助かったのは確かだし、暗に俺たちを心配して来てくれたのだから、その好意を無碍にもできない。しかし、だからといって大阪との国交を蔑ろにしていい訳でもないのだが。...実に難しい判断だな。

 聖天子様はそんな俺たちの下へ歩み寄ると、おもむろに深く頭を下げた。それは支配する側が支配される側に対して取る行動にはあまりにも適さないものだったが、顔を上げた彼女には有無を言わせぬ意志があり、口を出すことは憚られた。

 

 

「私は無力です。国家元首という大層な肩書きを提げていようと、私は所詮周りの力を利用するだけの弱者。...正直、ここで終わるのならそれまでと覚悟していました」

 

「聖天子様、アンタ.....ッ」

 

「ですが、貴方達は教えてくれました。立ち向かう勇気、諦めない思想、その気高さを。弱者も武器を手に取り、戦えるのだということを」

 

 

 聖天子様のした弱気な発言に食って掛かろうとした蓮太郎だったが、遮るように放たれた力強い言葉によって溜飲を下げたようだ。彼女の蓮太郎へ向けた表情を見るに、アイツはこの国家元首様を良い方向へ導いてくれつつあるらしい。というか、蓮太郎の口が悪く、所々挟まれる致命的なまでに分かり難い親切心を汲み取れる人間がこの世に存在するとは。...驚きだ。

 

 既に俺たちの周りでは、聖天子様お付きの連中が現場検証を始めている。保脇の部下は殺していないので身柄を拘束され、保脇本人の亡骸は白い布を掛けられ運ばれていた。蓮太郎はそれを見て、聖天子様にティナを保護するよう交渉してくれている。

 俺は深いため息を吐いたあと、オフィスビルの出口近くまでさりげなく移動してから、半眼を作りながら口を開く。

 

 

「さてと。いつまでそこに隠れてるつもりかな?お二人さん」

 

「うっ」「...バレましたか」

 

 

 二人...飛那と夏世は、まるでお菓子の万引きを指摘されたかのように縮こまりながら、柱の翳からゆっくりと出て来る。そんな様子に少し笑いそうになったが、ぐっとこらえてココに来るまでの経緯を聞いてみた。すると、離しにくそうにしながらも、案外第一声は早くに放たれる。

 

 

「樹万さんのデスクに置いてあった、直前まで立ててた作戦要項...あれを見て、エリア内にある場所から方角、建造物とかを調べて、大体の位置を割り出しました。それからはもう居てもたってもいられずで、考えれば考えるほど悪い想像しか浮かんでこなくて...!」

 

「ひ、秘密だって言うなら、ちゃんとそれなりの管理をしてくださいよ、樹万。私たちにこらえ性がないことはとっくに分かってるはずです。もう、あんな血塗れになった樹万は見たくないんですから...ッ!」

 

 

 本当は怒るべきなのだろうが、二人の必死さに心打たれ、寧ろここまで心配させてしまった自分へ腹が立ってきた。こういった時でもあまり表情を変えないはずの夏世は涙を滲ませて激情を露わにし、飛那に関しては既に溢れんばかりの涙を零しながら訴えかけてくるのだから、罪悪感は強まるばかりだ。

 俺は血に濡れた衣服も構わず、二人を思い切り抱きしめる。泣き止むようにと思っての行動だったのだが、それは寧ろ逆効果となってしまったようで、安心感からか更に泣かせてしまった。そのため、俺は目的を変更して好きなだけ泣かせるために両肩を貸すことにした。

 




次話がティナ編最後になると思います。
小説ではようやっと二巻が終わったところですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35.罪過

本当にすみません!今回も遅くなりました!
あともう一つ謝罪をば。前話でティナ編最後をこの話にするという事でしたが、内容が膨らみ、二話跨ぐ形となりました。ご了承ください。


 暗くて、寒い。こんな場所にいたのは、果たして何時からだったか。

 決して好き好んで来たいところではないし、恐らく.....きっと私はこの場に居続けることよりももっと辛い何かから逃げるため、より苦しみの堆積量の少ないここで寒さを耐え忍んでいるのだろう。

 ―――ああ、そうだ。思い出した。記憶が途絶えているのは、大切な人を目の前で失い、怒りに任せて怨敵の前へ飛び出したあの時からだ。既に重傷の体だった私は上手く動けず、それからすぐ銃口を向けられた後に撃たれ、こうやって生きるか死ぬかの瀬戸際に流れ着いてしまった。...全く、こんな大事なことをすっかり忘れていたなんて。私は記憶障害の気でもあるらしい。

 

 .......こんな下らない事を何度繰り返して、悲しみをやり過ごせばいいのだろう。

 

 忘れたなんて嘘だ。私はあの光景を今も克明に記憶している。彼が言った言葉も、耳障りな銃声も、私の手を濡らした血の色も、自分のした行動も...その結末も。だというのに、こうやって忘れたふりをして思い出す努力をし、思い出してもすぐに胸の内にしまい込む。自分が絶望に押しつぶされてしまうその前に。

 でも、繰り返してきたその行為も既に限界。一瞬とはいえ記憶の欠片を拾ってしまうのだから、投げ捨て忘れ去るよりも先に過去の思い出を無意識下で眺めてしまう。そればかりは目を背けることなどで出来はしない。だって、私が歩み、経験してきたものごとの中で、それはどんな価値ある宝石よりも輝いているから。

 

 だから、もう諦めることにした。どうせ、私はあと少しで死ぬのだから。

 

 彼が死んで、私も意識を失ったあの状況から、私との交戦で既に重傷である里見蓮太郎一人にできることなどない。あのまま全員闇に葬られたか、私のように何らかの理由で眠らされたままにされているのかのどちらかだろう。しかし、それもそろそろお終いだ。過程がどうあれ、東京エリアの国家元首暗殺を企てた重罪人に命はない。

 

 

(.....嫌だ)

 

 

 そんなのはあんまりだ。せっかく心の底から信頼できる人と出会えたのに、目の前で奪われた挙句自分も殺されるなんて酷過ぎる。こんな辛い思いをするくらいなら、いっそ最初から彼となんて出会わなければよかった。

 ...そう強く断じてみても、やはりだめだった。ついさっきまで『出会わなければよかった』などと考えた自分の首を絞めたくなるほど憎んだ。当然だろう。空っぽだった私の心に、初めて意味のある感情を芽吹かせてくれた人と出会ったことを、後悔なんてしていいはずがない。

 

 私に幸福を教えてくれた人。私に笑顔を教えてくれた人。

 私の...すべて。

 

 

 

(ああ――――)

 

 

 思い出の中の彼に寄り添い、そのぬくもりに顔を埋める。もう二度と手の届く事ないそれに涙を流しながら縋り、自分を慰めながら最後の時を待つことにした。

 そして―――――――――――、

 

 

『おい、そろそろ起きたらどうだね?もう傷は完治しているはずだ。.......ふむ、なるほど。どうやら、今の君には生きたいという欲求がほとんどないと見える。無理はないか』

 

 

 ??これは一体どういうことだろう。迎えの声にしてはおかしい内容だ。改めて言葉の内容を吟味するに、やはり明らか死の宣告ではないし、生きているなら目を覚ませ、ということらしいが...

 

 

『まぁいい。対策は講じてある。大人げないかもしれんが、初っ端から最終兵器を投下させて貰うぞ。――――――――――――――樹万くんにもう一度逢いたくはないのかね?』

 

 

なんだ、そんなのは聞かれるまでもなく、当然―――――――

 

 

『あい、たい.........もう一度、逢いたいです!!」

 

 

 ―――――そう叫んだ瞬間。まとわりつくような常闇を激しい光が一閃し、私の視界は白一色に塗りつぶされる。

 

 

          ****

 

 

 ぼんやりと、光が照らすものの輪郭が見えてくる。情報の処理が酷く緩慢に為されているためか、暫く己の身が現世にあると証明する方法すら模索し、やがて言葉を出すという至極簡潔な答えに行き着いた。

 

 

「あ、れ.....?」

 

「くっく、流石は無意識幼女キラーの樹万くんだな。この一週間ほど植物状態に限りなく近い状態を彷徨っていた患者を名前一つでよみがえらせるとは」

 

「たつま...?ッ、樹万さん!貴女は樹万さんを知っているんですか?!」

 

 

 今まで低Aの電流しか流れていなかった思考回路に高Aの電流が流され、それまで地を這っていた私の脳の処理能力は飛躍的に上昇した。それからすぐに自分がここに至るまでの経過を思い出し、この世の終わりすら生ぬるい絶望感に襲われる。が、しかし。

 

 

「君は彼が絡むと分かりやすいな。飛那ちゃんもそうだが。...まぁ、それも仕方あるまい。命の恩人かつ幸福の伝道師だものな。何にも代えがたい存在なのだろう。だがな、早合点して貰っては困る。私は君に『もう一度逢いたくはないか』と聞いたんだぞ?」

 

「あ.....」

 

「彼は、美ヶ月樹万は生きているよ」

 

「!...う、あ.....ぅう..あり、がとう」

 

 

 本当は抑えたかった。人生で初めての嬉し涙は再会時に取っておきたかったし、彼の前でだけ見せたかったのに。それに、目前の女性が言っていることが真実とは限らないのだ。しかし、そんなものでせき止められるほど、生じた感情の波は優しくなかった。

 暫く泣いた後に、彼の生存を少しでも確たるものにしたいため、彼女の素性を問うことにした。それで返ってきたものは言葉ではなく、一枚の紙切れ。が、それを見た私の目は大きく見開かれることとなる。

 

 

「四賢人...室戸菫?!」

 

「ああ、そうだよ。名乗るだけでは信用して貰えそうもないから、身分証のコピーを渡したのは正解だったようだ」

 

 

 そして、女性の素状が明らかとなったと同時に、彼の生存がぐっと真実味を帯びて来た。私が迎撃のために奪った彼の手足を治療したのは、他でもなく室戸医師だからだ。彼女と彼の間には親交があると見ていい。

 笑う室戸医師を見て十分な信頼を得られたところだったのだが、その隙を突いて大きな不安が湧きあがって来た。言葉とするのに決して少なくない恐怖はあったが、我慢できず質問をぶつけてみることにした。

 

 

「あの...」

 

「ん、なんだい?」

 

「私の処分はどうなったんでしょう。東京エリアの国家元首を暗殺しようとした犯人であることは、既に現地で私と接触した聖居の関係者によって知られている筈です。もしそうなら、私は独房のような場所で枷を嵌められているのが当然では...」

 

 

 そも、治療はおろか捕縛もされず、意識を失った状態のままあの場で殺されていない時点でおかしい。国家元首が殺されかかったという過去を知る者ならば、その主犯を害することに対し理性など介在させる余地は確実にないはずであり、国の司法もその行為を赦すだろう。ましてやあの場にいたのは聖居関連者だ。そう考えると、ますます己の置かれているこの状況に強い疑問が膨らんできてしまう。

 室戸医師は私の言葉を聞き、『まぁ、君の考えは尤もだ』と前置きは挟むと、置いてあったカップのコーヒーを口に含んでから卓に置くと立ち上がり、散らかったデスクの上からノートPCとUSBを持って戻って来た。

 

 

「ティナ・スプラウト...ティナちゃんでいいかな?君が今現在罪に問われる事無く、五体満足でここにいられるのは、全てあの愛しき美ヶ月樹万くんの奮闘によるものだ」

 

「え――――――――」

 

「ふむ、彼が依頼を片付けて帰ってくるまでの話としては十分だな。さて、まずは何から語ろうか―――――――」

 

 

 

          ****

 

 

 住宅地の立ち並ぶ道であるはずのこの場は、とある理由で閑散としてしまっている。どころか、周囲の家や公園からも全く人の声や気配を感じられない。

 俺は欠伸をしながら手元のバレット・ナイフのマガジンへバラニウム弾を詰め込み、最後に火薬の詰まった炸薬弾をセット。本体へ装着させてから跳ねたトリガーを手前に引いて、あらかじめ初弾を装填させておいてから呟く。

 

 

「見たとこ、市民の避難は終わってるな」

 

「そうですね。今回は侵入したガストレアの発見が早かったおかげで、余裕を持った避難体制が敷けたそうです」

 

 

 俺の呟きに答えたのは、隣で自分の身長の半分以上はあろうかという、対物ライフルの『PGM ウルティマラティオ へカートⅡ』を折り畳んで入れてあるキャリーケースを引っ張る飛那だ。今日の依頼で交戦予定である敵は堅牢な外殻を持つガストレアらしく、それなりの武器を用意しろとのことだった。ということで、俺はかつてオッサンと大戦を渡り歩いた時に鹵獲した数ある兵器を漁り、コイツを持ち出してきたのだ。その時、俺が当時好んで使っていた対戦車ライフルの『シモノフ PTRS1941』と合わせて悩んだが、取り回しはへカートⅡの方が断然いいので、俺の個人的な願望には引っ込んでもらった。

 

 

「飛那、ターゲットの潜伏場所は掴んでるんだよな?」

 

「はい。正面に見える白いビル三棟で、周りを旋回する飛行型ガストレア一体、北棟三階駐車場にて討滅目的のガストレア一体を確認してますよ。発見当初はどの個体ともモノリス通過直後で弱っていましたが、数日経った今は多少なりとも気力を取り戻してるはずです」

 

「了解。んじゃ、街に出て被害拡大させないうちになるべく急ぐか。この作戦には俺たちしか投入されてないしな」

 

「はい」

 

 

 結構な規模の作戦ではあるが、共同戦線の提案は此方から頼み込んで取りさげてもらった。理由は無論、俺の能力によるものだ。万が一にでもこれを知られてしまったら、俺は一生世界から追われる身となってしまう。それを危惧しての決断だったのだが、実はこのガストレア、既に千番台込みである全五組もの民警を返り討ちにしており、それをポッと出の下っ端民警がたった一組で今更挑むという事実に、聖居は失敗の報告を聞き次第すぐ次作戦へ移れるよう現在も準備をしている。つまり、俺たち全く期待されてない。

 電話口で心底あきれたような声で情報提供をしてくれた多田島警部を思い出してげんなりしながら歩いていると、袖を引っ張られる感触がした。

 

 

「あの...今更こんなことを聞くのも良くないかと思うんですが、夏世も心配していたようなので」

 

「夏世もか?何だ、どうした」

 

「何故あの子を、ティナを会社(ウチ)に入れたんですか?このままではエイン・ランドの反感を買って、彼女以上のイニシエーターが送り込まれかねません。...そうしたら、また樹万が危険な目に」

 

 

 うーん。反感買うどころか、もう喧嘩売っちゃってるんだけどなぁ。

 脳内でぼやきながら、飛那がそこまで言ったところで頭に手を置き、言葉を遮らせる。...どうも俺は、彼女たちの聡さに甘えてしまうな。そう反省してから、俺は歩みを止めないまま空を見上げ、不安そうな飛那へ向けてかける言葉を選ぶ。

 

 

「俺は―――――――――」

 

 

 

          ****

 

 

 

「――――――彼はね、君を家族だと思っているよ」

 

「私を、家族」

 

 

 室戸医師の言葉で、彼の...樹万さんが私に対して抱く温かい感情を知ることができ、とても嬉しいはずなのに、何故か少しだけ心の隅に不満の色が蟠った。...いや、『何故』などと言って何を誤魔化しているのだ、私は。とうにその感情の正体は理解しているだろうに。

 

 

「そう、家族だ。親の顔を知らず、彼らに頼る、甘えるということをしてこれなかった君に、今からでもその行為を受け止める役割を代わりに担いたいと、そう言っていた」

 

「.........」

 

「っくく、ティナちゃん自身が望む立ち位置からは少しずれてはいるが、それでも樹万くんは君に信頼と愛情をくれると思うがね」

 

 

 室戸医師のその言葉で、今しがた嚥下しようとした唾が変なところへ入り、盛大に噎せる。これまでの事を鑑みた上で、彼女が私の気持ちを理解していない筈はないけれど、このタイミングでそれはズルい。この反応はハイそうですと言っているも同然だ。

 そんな私の少し恨めし気な目を見ただろう室戸医師は、実に満足気な笑顔を湛えたまま肩を竦め、パソコンをタイプしながらマウスを動かし、それを続けたまま言葉を続ける。

 

 

「だがしかし、発言権に乏しい民警一人のそんなワガママで、国家元首暗殺を企てた凶悪犯を野放しには出来ない。例え裏に教唆犯の存在があろうと、実行犯に贖宥状は渡されない。それに、その裏にいる阿呆はあまり表立って詰ることのできない名だ」

 

 

 何とも周到な事だ。流石のマスターと言えど、私が生きて寝返ることは想定外であるはずなのだが、それでも事を起こした以上、東京エリアに留まる事はほぼ不可能に近い。結局は逃亡でも裏切りでも、私は籠の中で糸に絡まっている状態となる。マスターの手先が捕えて殺す事など造作もない。

 

 

「そういった理由から、本来なら君は戦闘不能に陥った状態のまま捕縛、投獄、そして首を縦にも横にも振るう暇すら許されず、死罪が決定するはずだった」

 

「では、何故...?」

 

「それはね―――――――――――」

 

 

 

          ****

 

 

 

「―――――――聖天子様が、認めてくれたんだ。ティナを」

 

「え、聖天子様自身が?」

 

「ああ。――――――――――と、着いたな」

 

 

 ティナの置かれていた状況を簡単に説明したあと、彼女が何故罪を免れたかの核心に触れたところで、目的地であるビルの前までたどり着いてしまった。飛那も俺の言葉に頷くとすぐに戦闘モードへ切り替え、キャリーケースの留め具を指ではじいて素早く開き、その道を知らぬ者でも感嘆してしまうほどのスピードと鮮やかさで折り畳まれたへカートⅡを組み立てると、弾倉をセットする。最後に合わせて取り出したマズルブレーキを取り付け、バイポッドは腰のバックパックへしまい込んだ。残ったキャリーケースは閉じた後に出入口の横へ置き、戻って来たところで飛那は俺に準備完了のハンドサインを送り、俺は頷くと彼女に倣って先へ進む旨のハンドサインを送った。

 

 

「さて、と。敵の潜伏位置から一番遠いところに出たいな。どうしようか」

 

「あれ、ハンドサインオンリーで行くんじゃなかったんですか」

 

「アレだけじゃ細かい会話できないぞ。それに、一切言葉を発さないなんて淋しいじゃんか。...で、詳細な位置まで特定はできてたっけか?」

 

「ええまぁ、確認した当時は結構絞れてましけど、あれからかなり時間たってますし、一階のフロアにいる可能性すら否めませんよ」

 

 

 それもそうだ、と答えながら、廃墟とは比べものにならないくらい綺麗なフロアを進む。...当然だろう。つい数日前までは普通に人が生活の場としていた所なのだから。まさかその場がガストレアの穴倉になるなど、だれが予想できただろうか。

 取りあえず、一階の駐車場を見て、そこからは駐車場にある階段を伝って上階への進出を試みよう。...っと、その前に。

 

 

開始(スタート)。ステージⅡ、形象崩壊を抑制し発現。適正因子、補助因子の遺伝子情報共有、完了。単因子、モデル・ベア』

 

 

 ステージⅡの熊の因子を投入し、車を軽々と持ち上げられるくらいの膂力と、落盤くらいでは死なない程度の耐久力を身に着けておく。ミシィ!という内部の筋肉が脈動する感覚を流し、終わった後に軽く腕を振って違和感の有無を確かめる。...よし。

 飛那も既に力を解放し、およそ14kgほどあるへカートⅡを持ちながら俺の隣を歩いている。本来なら、地面に設置した状態で敵を遠方から狙撃するのが対物ライフルの本領なのだが、力を解放している飛那なら、アサルトライフル程では無いにせよ、腕力にモノをいわせ、片足を着いた体勢でストックを肩に当てながらガンガン撃つことは不可能ではない。とはいえ、一発ごとの排莢が必要なへカートⅡやスナイパーライフルの規格では、速射を望むのはおおよそ無理な話だが。

 

 

「.....一階駐車場には居なそうですね」

 

「はは、そうみたいだな」

 

 

 飛那の少し口元を歪ませたその言葉に笑いながら答えると、さっと背中を向けてその場を後にし、階上に続く連絡階段のある方向へ足を進め――――――――ようとして、腰から抜いたバレット・ナイフを振り向きざまに薙ぎ、後方から飛んできた何かを弾く。ちッ、結構重いな!

 その直後に、迷いなくバイポッドを取り付けて地面へうつ伏せとなった飛那のへカートⅡが咆哮を上げた。

 

 

「ギギィィィィィィィィイイ!!」

 

 

 バギィンッ!!という鈍い音が響いたあと、今しがた俺を襲った鎌のようなものが折れ、コンクリートの天井へ盛大な音を立てて突き刺さった。...あれはどうやら前脚だったらしい。蟷螂の因子でも含まれていたのだろうか。

 飛那は敵を見据えたまま傾くボルトハンドルを上げ、後方へスライドし排莢、そのあと前方へもう一度スライドさせて次弾装填後にレバーを落とし、ほぼ狙う時間を待たず再びの轟音。マズルブレーキの孔からガスが溢れ、俺の服の袖を大きく揺らす。発射されたバラニウム弾は、奇襲に失敗して一度態勢を整えるために撤退しようとした後ろ足を見事撃ち抜き、敵のバランスを大きく崩した。

 俺はこのタイミングで駆け出し、飛那へ向けてガストレアの振るった長い前脚をバレット・ナイフの黒い刃で強引に弾きながら挑発を織り交ぜ、攻撃対象を俺へ移させる。普通の状態なら腕を持っていかれてしまう衝撃だが、今の俺の力は熊のそれをガストレアウイルスによって更にブーストさせているものだ。後は真正面から打ち合わず、受け流すことに重点を置きながら攻める。

 

 

「ふッ!」

 

 

 中々当たらないことに焦れたような前脚の振り下ろしをワザと寸でのところで避けると、その脚を思い切り踏みつけて地面へ固定し、すぐにバラニウムナイフのロックを外して至近距離から炸裂させ、縫い付ける。瞬間、前方から痛みに呻く奇声が迸り、大きく胴体を振るったお蔭で近場の柱に衝突し、半ばから粉砕してコンクリート片を巻き上げた。それからすぐに脚を起こそうと関節を曲げる苛立たし気な声に変わるが、地面へ放射状に罅を発生させるほど深々と穿ったからか、一向に行為は実を結ばない。そこへ―――――――

 

 

「ギァ........ッ!?」

 

 

 三度目の甲高い発砲音。直後に俺の横を超高速の弾丸が駆け抜け、ガストレアの両複眼の中間、人間でいう眉間に穴を穿ち、断末魔を出す間すら許さず絶命させた。背後から排莢のスライド音と空薬莢が地面に落ちる音が響き、そちらに目をやると、ビルの風に銀髪を揺らす飛那が、地面に片膝を着き笑顔を浮かべていた。

 

 

「いつもの如く、フォローありがとうございます」

 

「おう、お安い御用だ。俺はお前を守るためにここに居るようなもんだからな」

 

 

 弾倉へ火薬を詰め直しながらそういうと、一層笑顔の色を濃くした飛那からもう一度お礼を言われた。そんな朗らかな空気の中で互いの武器の調整を終え、改めて仕留めたガストレアの死骸を確認してみる。すると、案外早くにそいつの正体が分かった。

 

 

「ああー、コイツおまけの飛行型のほうだな。どうりで柔らかいと思ったんだ」

 

「やはりですか。...じゃあ、問題のガストレアは」

 

「ああ、この先だろうな」

 

 

 しかしまぁ、何度も人間との交戦を経験したお蔭か、随分と奇襲が板についていた。これでは大抵の民警が初手で戦闘不能となってしまうのも無理はない。...だが、妙だと思うことがある。

 このガストレアの奇襲は、確かに多くの民警を驚かせ得るだろう。しかし、『それ』は多く踏んだ場数と、研ぎ澄まされた勘の両方を持つ千番台の連中を屠るにはあまりにも足りない。将監だったら肩慣らしで終わらせられる戦闘内容だ。にも拘らず、投入された千番台でも上位の二組がその日のうちにあっさりと消された。

 せめて二体同時での奇襲なら、彼等が手古摺るくらいのレベルにはなる。なるのだが、ついにこのガストレアが殺されたあとも、もう一体が仕掛けてくることはなかった。

 

 

 

「...飛那、ターゲットのガストレアの再生レベルは?」

 

「え?ああ、ステージⅢです」

 

「コイツもⅡ寄りのⅢくらいだよな......いよいよキナ臭くなってきたぞ」

 

「?」

 

 

 おかしい。千番台二組含む五組もの民警が投入されて、今まで一体も殺せずにいたのは、明らかにおかしい。この結果を招く候補として、確認したターゲットのガストレアが、ここ数日のうちにステージⅣになる...のは現実的に考えてありえないし、繰り返しの調査全ての情報が間違っていることもまず、ない。

 ならば、残る可能性としては....

 

 

「未知との遭遇、かね」

 

 

 

 ――――未確認の強力なガストレアか、それらとは全く違う『何か』の介入による、全滅。

 

 

 




前話から一週間ほど経っている設定です。その間に色々ありましたが、誰かしらの回想でパパ―と済ます予定。

ティナちゃんデレデレにしたいされたい(ボソッ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36.混沌

どうもお久しぶりです。緑餅(作者)です。
なんだか一か月以上空けないと更新できない身体になってしまったようです。惰性と煩悩に塗れた私をお許しください...
とりあえず、文字数は頑張って増やしていくので、それでプラマイゼロにしくれると嬉しいです(キリッ


 二体いるステージⅡ、Ⅲガストレアでの挟撃。例えそれが不意をついての一手だとしても、千番台の熟練民警を屠るには足りなさすぎる。せめてⅣクラスのガストレア一体を用意した上で、ようやくⅢ以下のガストレアが奇襲することに意味を見いだせる。しかし、この程度なら蓮太郎と延珠ペアでも十分捌くことが出来るはずだ。

 ―――――故に、俺は一つの仮説を打ち立てた。

 

 

「飛那。もし俺の読みが当たれば、そろそろもう一体のガストレアが出てくる」

 

「ええと、そのガストレアって今回のターゲットのですよね?」

 

「ああ。だが、きっと()()()()()()()()()()()()

 

「え...?」

 

 

 二階の駐車場へ続く坂を上がりきり、周囲を素早く見回す。...だが、気配を探知するまでも無く、それは視覚で受け取った情報のみで確認できた。

 まるで、俺たちの到着を待っていたかのように広い駐車場の真ん中へ鎮座していたガストレアは、球体に近いフォルムを持つ胴体をもそりと動かし、巨大な身体とは反する小さな頭部についた両目で侵入者の存在を察知した。その直後、全身装甲の内側に隠れていた足を緩慢な動作で延ばし、耳障りな高音の鳴き声を上げて立ち上がる。

 間違いない。コイツはモデルアルマジロのガストレア。そして、事前に言い渡されたターゲットの特徴と目前の化物の持つ特徴がほぼ一致する。

 

 

「飛那。バラニウム徹甲榴弾に換装しろ」

 

「はい。すぐに」

 

「俺がアイツを引きつける。準備が出来次第隙をみて順次発射だ。撃ちすぎるなよ」

 

「了解です」

 

 

 飛那が近場の柱まで駆けるのを見送ると、既に発現させている熊の因子に鷲と兎を混ぜながら、俺もガストレアへ向かって突貫を試みる。しかし流石のバレット・ナイフでも、あんな鉄の壁みたいなやつに即死攻撃(フェイタル)を叩き出すのは無理だ。切ってもナイフは毀れるし、射出しても刺さりはするだろうが、有効打とするために全く同じ部位へ撃ち続けるのは現実的に不可能。一応、分厚い装甲に覆われていない頭を攻撃するのも手ではあるが、相手は動く壁だ。的は小さいし、動くとあってはかなり狙い難い。

 と、俺の接近を認めたヤツは、それまで己の図体の後ろに隠していたものを振り上げた。

 

 

「なんだありゃ、尻尾か...ってか、なげぇ!デケェ!」

 

 

 悠に四、五メートルはあろうかという鈍器は、その外殻全てが逆立った装甲に覆われており、一種の拷問器具を連想させる。あれをモロに喰らえば、人間などあっという間に潰され、挽肉にされてしまうだろう。そんな物騒極まるものをゆらりと一廻しした後、風切り音を響かせて勢いよく横なぎに振るい、周りに建つ鉄筋コンクリート製の柱をなぎ倒しながら、俺に向かって派手な攻撃を見舞う。

 避けることはできなくもない。だが、それをすればこの階の柱の大部分が瓦礫に代わることとなる。つまり、今後予想される激しい戦闘により地面がまるごと抜け、俺たちは生き埋めになる可能性が極めて高い。そうなった場合、あのガストレアと俺はまず無事だろうが、飛那はただでは済まない。

 俺は空気を目一杯吸ってから腰を不自然なほど傾け、片足を限界まで引いて拳を作る。

 

 

「オッサン直伝・天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)ッ!!」

 

 

 引いていた片足で地面を思い切り蹴り、同時に前へ置いたもう一方の足を後方に滑らせて全身を回転させ、地から身体を離して摩擦抵抗をゼロにする。その拳は空気を破裂させるような音を響かせて飛び、地上全ての障害物を破壊しかねない槌と真正面から激突する。瞬間、俺は拳を『戸をスライドさせる』ように真横へ振りぬく。すると、衝突時以上の凄絶な衝撃が敵の尻尾を打ち抜き、俺から見て右側にあった駐車場の壁面が余波で円形状にくり抜かれた。そんな埒外な威力で弾かれた己の尻尾に振られたガストレアは、その巨体を宙に浮かせ、更に一回転しながら宙を舞った。

 

 

「飛那!腹に向かって掃射!」

 

「は、はい!」

 

 

 飛那はこの光景に唖然としながらも機会はちゃんと心得ていたようで、構えながら返事をすると、横倒しになったガストレアの腹へ榴弾を立て続けに打ち込む。一発撃つごとにマズルブレーキから漏れだした強い風圧と、榴弾が炸裂する爆風でアスファルトの粉塵が舞い上がり、周囲が白いカーテンに覆われる。

 装填した最後の榴弾を打ち終わり、何度目かの肉が弾ける音と爆音が轟いた。正直敵の状態を確認するのは気が進まないが、ちゃんと証拠をとっておかねば任務達成の報告ができない。そう自分に言い聞かせて腹をくくると、飛那が排莢した大量の空薬莢を蹴り飛ばしながら歩き、粉塵の向こう側にいる惨殺死体へ近づく。

 

 

「うへぇ、これは派手にいったな」

 

「樹万ー、敵の状態はどうですかー?」

 

「おう、見事なまでにスプラッタな光景を展開してご逝去なさってるぞ」

 

「そ、そうですか」

 

 

 ガストレアは腹に連続して爆撃を受けたためか、まるで猛獣の(アギト)が乱暴に食い漁ったかのような有様となっていた。これをみると、巻き上がったコンクリート片で視界は劣悪だったのにも関わらず、ほとんど同じ部位へ弾をめり込ませたことになる。流石は飛那。ガストレアの効果的な殺し方をよく分かってるな。

 さて、では証拠としてコイツの写真を取らせて貰おう。大規模な鑑定や処理は本職の方々に任せるとして、残った俺の仕事は侵入したガストレアを倒したのでもう安全ですよ、という知らせを行うまでだ。

 

 

「おーい、カメラプリーズ」

 

「はい。ちょっと待っててくださいね」

 

「おう。別にそんなに急がなくても――――――――――――、ッ?!」

 

 

 弛んだ警戒心の糸が締まる。この直後に腹を、四肢を貫かれ、または噛み千切られて死にかけた記憶が蘇り、条件反射に限りなく近い強制力で周辺一帯を全力で警戒する。

―――――――そして、やはり死はすぐそこにいた。

 

 

「飛那!下がれッ!」

 

「え?」

 

 

 かつてオッサンが『逃げるために』使えと一番最初に教えてくれた、基本的かつ効果的な回避技を迷いなく使う。それは、両足の踵を全力で地面へ叩き付け、ただ前方に己を射出するだけという、あまりの単純さに技と称するのも憚られるものだ。

 しかし、そう文面として捉えるだけでは難易度の推定が上手くできず、工程が単純であるが故に容易だと決めつけてしまうだろう。先に結論を言うと、実際常人がこれをやってみても、思い切りつんのめって地面に顔を強打するだけで終わる。跳ぶことなどもってのほかで、普通に立ち飛びしたほうがまだ距離を伸ばせるはずだ。それが当然の結果であるのだが、俺やオッサンがやると.....

 

 

「――――――――ふッ!」

 

 

 プラスチック爆弾の炸裂が如き轟音を足元から叩き出し、影さえ置き去りにするほどの速度で固まった飛那の前へ瞬間移動する。直後、その場で急停止するために振り下ろした杭のような踵落としで、前方へ向かってコンクリートの破砕物が散弾のようにばら撒かれた。...その速度は、凡そ400km/h超。防弾チョッキを着こんでいても衝撃が伝わるくらいの威力はある。

 

 

「飛那、退避しててくれ」

 

 

 時間が圧倒的に足りないので、背後にいる相棒へそう呟いた後は返答を待たずに次手の準備へと入る。だが、かすかに頷いた気配と、砂利を踏む靴の音が聞こえた気がした。

 さて、即興の初手にしては十分殺傷力のある攻撃だ。ステージⅠくらいのガストレアなら、これだけで長時間行動を制限することができるはず。当然、生身の人間が喰らえばどうなるかは想像に難くない。

 ...では問おう、俺の前方に立って不気味に笑う相手は果たして普通の人間なのだろうか?

 

 

「ヒヒッ!本当に君は、いつも私の予想を覆すね」

 

 

 バチィ!という電気の迸る音によく似た快音が耳朶を打った瞬間、俺は直ぐ様その場から離脱し、コンクリートを爪先で蹴りながら後退すると、短い呼吸を挟んでから腰に手を伸ばす。それから一歩遅れて、さっきまで立っていた場所で衝突音が断続的に響き、白い粉塵が立ち昇る。だが、俺はその光景を気にせず腰の愛銃兼愛刀を抜き、真横から飛び込んで来た黒い小太刀を真上に弾いてから柄を持ち替え、ほぼ間断なく別の方向から跳んだ同色の刃も、一撃目で挙げた腕を振り下ろすことで弾く。

 

 

「あれ??気付いてた?」

 

「残念ながらな」

 

 

 腕を下ろした態勢で大きな目を更に見開く、懐かしき仇敵である蛭子小比奈。しかし、そんな驚きからすぐに一転。真下へ弾かれた小太刀の切っ先を此方へ戻さずに地面へ突き立て、それを軸に上半身を捻転させると、疾風のような蹴りを見舞って来た。俺はそれを仰け反って回避し、更にもう一方の小太刀も合わせて繰り出される多彩で俊敏な蹴り技を、ナイフや腕、足などで全て受けながら食い下がる。そして、何度かの交錯の後に両手を軸として放つ回転蹴りの予備動作を機とみた俺は、それまでとは打って変わって一息に踏み込むと、腕を振るって彼女の靴へバレット・ナイフの柄頭をぶつける。すると、乾いた打撃音を響かせ回転していた矮躯が完全に静止した。それからすぐに驚愕の真っ最中である小比奈の足を構えていた腕で掴...もうとしたが、体勢を変えバック転で後ろに下がる。

 

 

「チィッ、君は後ろに目でも付けてるのかい!?」

 

 

 影胤の銃撃を躱してから、両手を着いて更に高く跳び上がった時を狙い、ホルスターから抜いたバラニウムナイフを三本投擲した。が、無論即時展開した斥力フィールドに阻まれ、容易く弾かれてしまった。

 それを確認してから間もなく、影胤の持つ二挺のベレッタが再び連続して吼える。銃口から吐き出された弾丸は全部で8。うち己に被弾する軌道線上を飛ぶのは4。それら全てを猛禽の目で以て把握し、回避行動を行う上で最も安全な経路を導き出すと、すぐに『前』へ向かって跳ぶ。そして、その経路を通る上で唯一自身の身体を通過する弾丸のみをバレット・ナイフで弾き、疾風の如く駆け抜ける。

 

 

「っな?!」

 

「よお」

 

 

 弾幕を通過して肉薄してきた俺を見た影胤は驚愕の声を上げる。そのままナイフを奔らせ、咄嗟に防御のために挙げた影胤のベレッタを打つ。しかし、反応しきれなかったためか、彼の腕はみるみる内側へと押し込まれていく。それを認めた俺は更に踏み込もうと腹に力を入れかけるが、すぐに片手を動かして腰のホルスターからバラニウムナイフを抜き、真横から稲妻のように割り込んで来た小比奈の黒い凶刃を受け止める。と思いきや、それから1秒も経たないうちに拮抗させる力を緩め、バランスを大きく崩させる。そして、前のめりとなった彼女の小太刀を横に弾き、続けて後頭部へナイフの峰を叩き込んで地面へ転がす。

 

 

「フ、油断したね樹万くん!マキシマム・ペ―――――ッ?!」

 

「おっと、油断してると思ったか?」

 

「!馬鹿な、グゥッ!」

 

 

 横腹に当てられた影胤の腕に肘を落とし、離れた腕を片手で掴んで引っ張ると、腹に八卦を叩き込んでから顎に拳を撃ち込む。胚の空気を全て吐き出し悶絶する影胤の足を払い、先ほどの小比奈と同じように地面へ転倒させた。そして、奴と入れ替わるように俺の足を斬り飛ばそうと迫った刃をバレット・ナイフで受ける。

 

 

「まだまだ元気そうだなぁ、小比奈」

 

「パパの仇を取るまで、負けれないから」

 

「ふむ、それでは私は死んだことになるね。ゲホッ」

 

 

 どこかとぼけたような口調でそう言う影胤を無視し、俺はバレット・ナイフのロックを外して小比奈に向け、引き金を引く。銃の発射音とはかけ離れた爆音を響かせて飛んだバラニウムナイフは、しかし漆黒の一太刀により甲高い断末魔を残して消える。

 

 

「へぇ!そのナイフ飛ぶんだ」

 

「まぁな。でも、やっぱ体積と重量があると弾丸より遅くなるから、お前には見えちまうか」

 

「うん。で、終わり?降参?」

 

 

 臨戦態勢のまま首を傾げ、答えの分かり切った質問を飛ばす小比奈。なので、俺はバレット・ナイフの銃口へ新しいナイフを取りつけ、ロックをかけながら彼女の望む返答をすることにした。

 

 

「いや...まだまだ斬り足りないだろ?」

 

「あは。―――――――――じゃあ、全力でキルよ」

 

 

 逆手に持った小太刀を構え、放送自粛ギリギリの笑顔を炸裂させてから疾走を開始する小比奈。ある種純粋な感情のもとに悦んでいるようではあるが、まっとうな人間全員が知る『喜び』から生まれたものならば、こんな壊れた笑みが普通であるはずはない。よくもここまで弄りまわしたものだと、親の仮面を被った狂人に対し称賛の言葉がでそうになる。

 

 

「...フゥーゥ」

 

 

 俺はオッサンから教えて貰った独特の呼吸法で、普段体感している時間の流れを遅延させる。小比奈と真正面から殺り合うには、ガストレアの力とこれを加えねば多少危ないからだ。さきほどの小手先も二度目は通じないだろう。

バレット・ナイフを手のひらで一度回してから強く握り込み、上段より振り下ろされる黒い刃を受け止める。受け止めるとは言っても正面からぶつかるのではなく、斜めに軌道をずらし、押すようにして流しきったあとで横へ落ちて来た太刀の刀身を蹴った。それで出来れば小太刀一本を奪ってしまいたかったのだが、中途半端な一手だったのもあり、小比奈はバランスを崩しながらも持ちこたえた。

 

 

「む、やるな」

 

「くっ、まだマダァ!」

 

 

 二度目の交錯。俺は小比奈の型など何もない下段からの斬撃を飛んで躱す。そんな一振りでも振るわれた速度、威力は大の大人を真っ二つに斬り伏せる程のものだろう。防御特化していない身で受ければ、流石の俺でも致命傷だ。そんな刃の持ち主は、空いた空間へ瞬時に足を滑らせて再び己の間合いへ入り、もう片方に持った小太刀を(サイ)の角の如く突き出してきた。それを下方から打ち上げた膝と上から落とした肘で挟み込んで止め、素早く片手で小比奈の腕を打つ。

 

 

「ッあ!?」

 

「そら、今度こそ一本貰い!」

 

 

 俺の肘と膝の間から横に逸れた小太刀の鍔にバレット・ナイフの刃を引っ掛け、手首の動作のみで後方へ引っこ抜く。すると、小太刀はいとも容易く手からすっぽ抜け、金属がコンクリートを叩く独特な音を響かせ路面を滑っていった。

 剣道には『巻き上げ』と言う、相手の手から竹刀を奪う技がある。しかし、あれほど強烈な一撃を打ち込むのだから、相手は常時竹刀を強く握ってるのは当然。であれば、巻き上げなどそうそう決まる技ではない。...そう思われるが、実のところ剣の振り方を知れば知るほど、その者の剣の握りは緩くなる。力を込めるのは一瞬。打突の瞬間を除いて他にはない。

 小比奈の剣に特殊な技はないが、だからといって知識を得ることに無頓着なことはあり得ない。そんな技術も興味もない人間は、そもそも剣を持つことなどしない。どうやらこの少女は、相手を上手く自分好みの形に斬ろうとするうちに剣の扱い方を洗練させていたようだ。

 

 

「くッ!武器とるなんてズルい!」

 

 

 逆ギレした小比奈から、文字通り風を切る速さで黒い小太刀が振るわれる。それを斜に突き出したバレット・ナイフの刃に相手の刃を乗せ、当たらない位置へずらす。今までの二刀流であれば、この捌き方は先方の放つ手数が多くて不可能だったのだが、一本のみならば間に合う。俺は続けて飛ぶ神速の剣をいなし、その時を待つ。

 

 

「なるほど、これは一本とられたねぇ。我が娘よ」

 

 

 火花が何度も飛び、鉄と鉄が打ち合う音に混じって妙な異音が聞こえ始める。それを確認した俺は、腹を裂く小比奈の一太刀を受けたあと、その刃を前方へ滑らせ、鍔に勢いよく打ち付けた。その衝撃に怯んだ隙を狙い、ナイフの峰で彼女の小太刀を外側へ一度弾き、続いて小太刀の刀身を強く叩いた。小比奈はそれに驚き、その場で地面を蹴って後方へ飛ぶと、俺と距離をとった。

 

 

「?今のはなに、タツマ」

 

「んー、自分が左手に持ってるものをよく見てみたらどうだ」

 

「え?左手って、持ってるのは折れた私の武器...って、折れてる?!」

 

 

 そう。小比奈の持っていた唯一の武器は、半ばからぽっきりと折れてしまっていた。無論、原因はさっき俺が叩いた衝撃だ。...しかし、本元の原因はそれではない。

 俺が小比奈との開戦の狼煙みたく撃った、初回のバラニウムナイフでの一撃。彼女はそれを避けるではなく刀で受け止めてしまっていた。アレは蓮太郎の超バラニウム程では無いにせよ、実はかなり純度の高いバラニウムで出来ているのだ。そんな超硬の物体が時速数百キロでヒットすれば、並の金属などガラス細工のように砕かれる。それは、純度の低いバラニウム製の武具も例外ではない。

 

 

「うぅ、また壊された...」

 

「それならすぐに用意できる。安心するといい、我が娘よ」

 

「うん.....」

 

 

 さて、向こうも戦意喪失してくれたみたいだし、そろそろ本題に行くか。

 あ、やべ。飛那を連れてこないと。

 

 

          ****

 

 

 

「ここに来た民警を殺した理由?」

 

「ああ、そうだ。今更やったのは自分じゃないなんて馬鹿なこと抜かすなよ?」

 

「ククク、ここで道化を演じるほど、私は落ちぶれてはいないさ。それなりに立場を弁えた発言を心がけようじゃないか」

 

 

 シルクハットの鍔を指ではじき、立場を弁えた人間がするものとはとても思えない声調で言葉を吐く影胤。隣で飛那がへカートⅡに弾を装填する剣呑な音が聞こえた。まぁ、らしといえばらしいが、殺された民警がもし知り合いだったとしたら、俺も間違いなくここでブチ切れていただろう。恐らく蓮太郎だったらもう殴ってる。

 影胤は俺の内心に構わず片手を挙げて上を指さすと、仮面をつけていても笑みを浮かべていると確信できる、実に愉快そうな声でこうのたまった。

 

 

「私と小比奈が殺した民警どもなら、三階駐車場のワンボックスカーにまとめて放り込んであるよ。ま、私としてはそこらに放置していてもよかったんだが、そうすると住み着いてるガストレア二匹が食い荒らすからねぇ。二、三人の身体は半分くらい欠損してるけど、別にいいだろう?」

 

「なッ!」

 

「.....そうか」

 

「ふむ?てっきり、怒髪天を突いて斬りかかってくるものだと思っていたのだが」

 

「そうですよ!樹万、まさかこの殺人鬼を見過ごす気ですか?!」

 

 

 俺はへカートⅡを構えて叫ぶ飛那を下がらせてから一つ息を吐き、それから影胤を見る。

 この場において奴に聞きたいことは二つ。何故このタイミングで表舞台へ出張って来たのか。何故ここに派遣された民警を殺す必要があったのか。前回のスコーピオン出現の渦中にいた輩なのだから、これら二つの疑問ははっきりと回答を貰っておきたいところだ。

 

 

「さて、民警を殺した理由...だったかな?」

 

「ああ。...まさか、お前があのガストレア二体をエリア内に進入させたのか?」

 

「いいや。下とあそこに転がるガストレアは全くの偶然さ。でも、お蔭で目的を果たしやすかったから好都合だったね」

 

「目的?貴方、またあの時みたいに変な悪だくみをしているんじゃ!」

 

 

 飛那が食って掛かるが、影胤はどこ吹く風でその怒りを受け流し、薄く嗤うのみだった。それに彼女は増々眉を顰めていくお蔭で、周囲の空気は急速に澱んできている。何となく感づいてはいたが、この二人とんでもなく相性悪いな。

 

 

「パパはタツマを殺さないよ。仲間にするから」

 

「そんなのこっちから願い下げです!」

 

「...ねぇパパ。あのうるさいの刻んでいい?」

 

 

 小比奈は今さっき拾って来た小太刀一本を片手で構え、飛那に向けながら影胤に問う。しかし彼女のご主人様は首を縦には振るわなかった。小比奈は拗ねた。

 

 

「私の目的というのはね、『君たち東京エリアに住む人間たちへの警告』。といったところかな」

 

「警告?どういうことだ」

 

「まぁ、半分くらいは己の傷の快復を確かめる名目もあるのだがね。ヒヒヒ」

 

 

 ここでいらん軽口が入り、あまりの緊張感のなさに一瞬バレット・ナイフを抜きかけたが、寸でのところで踏みとどまって先を促す。

 

 

「具体的なことは何ともいえないがね。私から言えることはこれだけだ。.....混沌と破滅が近づいている。平穏と日常を餌と貪る化物と戦う準備をしたまえ」

 

「混沌、破滅...化物だって?」

 

 

 問いには応えず、奴は小比奈の名を呼ぶと俺たちに背を向けた。

 

 

「私は闘争を望む。私は絶望を喰らう。だからこそ、君たち人間の明日を願おう。弛まぬ努力を繰り返し、私によって浪費される命を絶えず燃やし続けるがいい。―――――――――樹万くん。君は喰らう側の人間だ。精々、絶望に呑まれないでいてくれよ。...クククク」

 

 

 唄うようにそうつぶやきながら、彼はアスファルトから巻き上がった白い煙の向こうに消えて行った




影胤サンとオリ主が戦うのは二度目ですね。今回は二人とも本気に限りなく近い戦闘でした。
ちなみに、飛那ちゃんを戦闘に参加させなかった理由は、ターゲットを移されたらすぐに対応できないからです。多対一ですし、一方を止めようとしても一方に邪魔されますから。そうなると不味いと樹万くんは予測しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37.家族

時間ができたので、久しぶりに原本開いて最新話を書こうと思ったら、いつの間にか溜まっていた願望欲望が吐き散らされただけのナニかが出来上がってました。
原本の原本は自主規制な単語で埋め尽くされていたので、結果自己嫌悪に陥りながら添削を繰り返し、ようやく見栄えのよくなった、しかし要所幼女に個人的な願望の入る本話をお送りいたします。


「...うし、準備オーケーだな。じゃあ、晴れて我が美ヶ月民間警備会社に入社した、ティナの歓迎会を始めるぞ!」

 

「ちょっと、ちょっと待って下さい。樹万」

 

「ん?どうした飛那。目が怖いぞ」

 

 

 声高らかに宣言した直後、頭に赤と緑の縞模様が入ったカラフルなコーンを乗せる飛那が、そんなコミカルな見た目にそぐわぬ真剣な声と視線を以て俺に詰め寄る。それに気圧された俺は、手に持ったパーティー用クラッカー三十個を全て机に置き、静止を求めた理由を態度で問うた。

 飛那は一度溜息を吐き、突き出した上半身を少し引っ込めてから、両目を瞑って額に出来た皺を指で押さえて低く唸ると、片目だけを開けて不機嫌そうに言う。

 

 

「ティナ・スプラウトさんの歓迎会というからには、彼女が今日この場において主役であることは間違いないでしょうね。ええ。──────で・す・が」

 

「は、はい」

 

「ですが!あすなろ抱きだけは!断じて!許容できません!」

 

「へぇ!足の間に座らせて後ろから抱きしめるのって、そういう名前がちゃんとあったのか。...博識だな、飛那」

 

「えへへ、ありがとうございます....って、ちっがーう!」

 

 

 一瞬表情が弛んだものの、すぐに飛那は憤慨しながら勢いよく腕をバンザイして、頭を撫でていた俺の手を弾いた。実のところ飛那が突っかかってくることは何となく予想していたが、一度やったのに今になって個人的な理由でティナを強引に降ろしてしまうのもよくない。

 すると、この状況下で黙っていた二名が口を開いた。

 

 

「────ティナさん。貴女がここに来てから今日で約二日経ちました。そしてその間、いつも樹万さんの傍にいた」

 

「.....何が言いたいのでしょう?夏世さん」

 

「私たち以上に傷つき、救いを求めた貴女のことを思い、私と飛那さんは理由を問うことなく自ら身を退いていました。...でも、それもここまででしょう」

 

 

 唐突に始まった夏世の独白に俺と飛那は言葉を詰まらせる。が、その雰囲気に当てられるうち、夏世が歓迎会前に妙な緊迫感を纏っていた理由が少しずつ分かってきた。どうやら、最初から『これ』をやるつもりだったらしい。とはいえ、『これ』が一体どういった問答なのか、問い返したティナと同じように俺も分からない。

 そんな風に思っていると、気がつけば夏世は俺のすぐ近くまで移動しており、足の間に座るティナを見下ろす構図となっていた。捉えようによっては諍いの前兆にも感じるのだが、こうやってティナと同じく見上げる立場側になってみると分かる。今の彼女には有無を言わせぬ、聞く者を閉口させるほどの只ならない覚悟と信念があった。

 

 

「いいですか、ティナ・スプラウト。信頼と依存は全く違うものです。本来ならば、私たちの年代にこういった棲み分けは必要ないのですが、残念ながら私と貴女は暖かい家庭の中で育てられた、世の穢れの知らない無知の子どもではありません。...故に、警告します」

 

「警告、ですか?」

 

 

 ティナはぐっと俺の服の裾を握り、表情を変えないまま淡々と言葉を吐き出し続ける夏世のプレッシャーに耐える。間違えないで欲しいのだが、このプレッシャーには糾弾の意が全く含まれていない。単純に表現するならば、責めるではなく諭す。それは『分かっていない』幼子に知恵を授けるように、厳しくも優しく。

 

 

「貴女の持つそれがただの依存なら、今ある一番大切な感情の昇華を全力で阻止してください。拒むというのならば、刺し違えてでも私が止めます」

 

「.....それは、本気ですか」

 

「無論、本気です。私よりもずっと、それを許さない人がいますから」

 

 

 夏世はチラリと飛那の方を見る。すると、さっきまでとは違い真剣な表情となった飛那が頷きを返し、そうですね、と短く答えた。その態度を見るに、どうやら夏世の言いたいことを完璧に理解した後のようだ。俺はまだ全く分からないのだが。と、そんな飛那を確認した夏世は、再びティナの顔へ視線を落とす。

 ...さて、こうして無言で成り行きを見守っている俺だが、そろそろ何の問答をしているのかを明かして欲しいところである。しかし、このピアノ線が限界まで張りつめたような鋭い空気の中では、口を挟んだ瞬間に喉を掻き切られるような恐怖が湧きあがり、言葉を内心で練れるほどの余裕がない。

 夏世の眼差しを受けたティナは、暫く黙考した後に『なるほど、そう言うことですか』と呟くと、多少とはいえ笑みすら滲ませつつ返答を返す。

 

 

「本当に、好きなんですね。二人とも」

 

『.......(コクリ)』

 

「????」

 

 

 何だ?ついに俺以外の全員がこのお話の主題を分かってしまったようだが、ここまでの会話を脳内で辿ってみても全く何のことか判らない。そのことに頭を悩ませてはいるものの、何故か深く突っ込んではいけないような気がして思考が先に進まなくなった。と、内心唸っているうちにティナが俺の懐からゆっくりと抜け出し、それからすぐに腰を下ろした。位置は俺の隣だ。

 

 

「分かりました。お二人が信頼と取れるだけの『理由』をこの後お話します。私は絶対、逃げませんから」

 

『!...望むところです』

 

 

 ティナはそう毅然と言い放ち、それを見た飛那と夏世は好敵手と相対したかのように強気な笑みを浮かばせる。その光景はまるで、長い間仲たがいしていた仲間の一人が、自分の非を詫びてチームの一員へと戻っていくような、そんな胸が熱くなる一幕だった。しかし、それはあくまで事の全容が掴めている場合にのみ湧きあがる感情である。

 

 だ、だれか俺に説明を.....!

 

 

 

          ***

 

 

 コーヒーを淹れ、ベランダに出て夜の外気に全身を晒す。中身と同色の黒いカップから立ち昇る白い煙が吹き付ける強い風に煽られ、不規則にたなびいた後に掻き消えた。しかし、身を切るほどの寒さ、というものでもなく、休眠段階へと移行しつつある脳を明瞭にするくらいに留まるものだ。

 息を吹きかけて冷ます工程を無視し、砂糖を入れていないコーヒーを一口啜る。それでもう一歩分だけ睡眠欲を遠ざけ、咀嚼した苦みを己の嗜好の一つとして受け入れた。

 

 

「ここから見える夜景は...いいもんだ」

 

 

 最近の習慣は、ここからコーヒー片手に深夜の街並みを見渡すことだ。やはり東京エリアの中心地だということもあり、草木も寝静まる時間になっても結構明るく、視界いっぱいに広がった人間の築く繁栄を眺望するのは、中々どうして気分がよくなる。人工物だというのに、こればかりは内なる感性の問題だ。しかし、やはりというか、少しすると目を通して脳内に補完された『ある記憶』が顔を覗かせ、それは瞬く間に夜の街並みを赤い何かで侵食していく。

 

 ────俺が見て来た過去は、高台に昇っても煌びやかな景色などなく、赤い炎や転がる人の死体しか見えなかった。それは正真正銘の地獄。繁栄など影も形もなく、蹂躙されたものと蹂躙したものが残した秩序なき世界が何処までも広がっていた。無論それを悲しく思い、当時の俺はこんな凄惨な有様を作り上げたあの化物共が許せなかった。しかし、それ以上に自分がこの景色を変えることが出来るのか分からず、迷っていた。そのために今の今まで戦っているというのに、こんなものを何度も見せられてしまっては、己が何をしているのか、何をしたいのかが絶望のあまり手元から抜け落ちかけた。

 

 

「.........『早々に狂った奴は正解だ。こんな異常な世の中を正常な思考で理解しようとしたら、恐らく絶望に足を捕られながらゆっくりと狂気に喰われてくだろう』」

 

 

 コーヒーを口に含んでから、その景色を見て呆然としていた俺に向かい、オッサンが言った言葉をそのまま復唱する。あの時ばかりは、あの男もふざけた態度を自重していた。

 オッサンは生きることに貪欲にならなかったから、生に執着しなかったから、どんなむごたらしいヒトの死に様や、死屍累々という言葉をそっくり投影したような景色にも眉一つ動かさなかった。だから今思うと、人の生死に無頓着であったオッサンは、あの地獄を見てどんな思いを抱いたのか気になるのだ。恐怖?憤怒?悲哀?...それとも、やはり無感動?そんな風に予測を立てて見ても、異常だ気持ち悪いだと色々言ってはいたが、それは他人の意見を代弁するようなもので、己の心情を表す言葉は一切口にしなかったため、いずれにせよ判然としない。

 

 ───夜風を吸い込み、熱が回った思考を冷ます。やはり広い景色を見渡すと、それと比較できる何かを無意識に引っ張って来てしまい、間接的に過去を思い起こしてしまう。これ以上はマイナスに傾きそうだし、そろそろ引き上げるか───

 

 

「...ん?」

 

「あ」

 

「ティナ、か。どうした、こんな夜中に」

 

「.....ええと、私の因子は梟なので、基本的に夜行性なんです。確かこの話、最初の頃に話してましたね...。あ、あとすみません。覗き見るつもりはなかったんですが」

 

「その言い方だと、大分前から見てたのか。...さすが、気配の遮断も並外れてるな」

 

 

 正常な思考をサルベージした直後、後ろから僅かに空気の流れが変化したことを察知したものの、殺気が微塵も含まれていなかったため、別段焦ることはなかった。それでも、今までこの時間に他に誰かが話しかけて来ることなどなかったので、若干の驚きはある。しかし何故だろうか、どうも今のティナの顔は少し赤すぎる気がするのだが...

 

 

「....ここで、何を考えていたんですか?」

 

「ああ、ちょっと昔のことをな。ホントは何にも考えずに夜景を見てたいんだけどさ」

 

「昔...それって樹万さんの過去、ですよね?」

 

「まぁな」

 

 

 ティナは深呼吸をした後に無表情を作ると、俺の隣までゆっくりとした歩調で移動してくる。それから背をベランダの壁に預け、金髪を風に靡かせながらぽつぽつと質問をして来た。そんな小さい少女を見下ろしていると、今更ではあるが、彼女がいまここにいるという事実がとても嬉しく思えた。数日前までは銃を突きつけあい、ナイフをぶつけ合うほどに決裂したが、互いの関係が露見する前までは、仲の良い兄妹のような関係だったのだから。俺とティナは恐らく、いや絶対にあの関係に戻れる。そう、確信めいた何かが敵として邂逅したあの日から既にあった。

 再び夜景へと視線を戻して、感慨深い気持ちに耽りながらティナの言葉を暫く待っていたが、なかなか次の質問が飛んでこない。気になって隣へと目を動かしてみると、うんうんと頭を押さえながら唸り、激しい葛藤をしている最中のティナがいた。

 

 

「どうした急に。別に言いたくないことなら無理しなくてもいいんだぞ?」

 

「い、いえ!これは大事なことで...あああでも、もしかしたら嫌われるんじゃ...」

 

「嫌われる?」

 

「う......はい」

 

 

 俺は縮こまるティナの前で一旦立ち、手に持っていたカップの中で波打つコーヒーを一気に煽り、空になったカップをベランダの地面へ置くと、彼女の頭を優しく撫で、それから抱きしめた。突然のことで大分パニックになっているのか、彼女の顎が乗る肩の耳からは『あうあう』という声が聞こえてくる。

 

 

「大丈夫だ。何されても何言われても嫌いになんてならない。だから言ってみてくれ、な?」

 

「......(コクリ)」

 

 

 語り出したティナの口から零れ落ちたものは、俺の過去の話だった。それに内心驚きはしたが、当然ティナを嫌いになんてなる筈がない。だが、彼女自身はドクターから無理言って聞き出したことなので、その内容も相まって果てしないほどの罪悪感を感じてしまったらしい。なので、嫌われることを覚悟した上で打ち明けることを当時は決意したというのだが、やはり嫌われるのはイヤだとストッパーが働き、この時までずっと口にできなかったという。

 涙声になりつつも必死に絞り出して言ってくれたことだが、ここまで真剣になってしまったティナが可愛すぎて寧ろ高感度が急上昇すること請け合いだった。取りあえず感情の波が落ち着くまで背中をさすり、髪を優しく梳いた。そして、数分経って元に戻って来たのを見計らい、俺は選んだ言葉を声に出す。

 

 

「俺の過去なんて、別にどうということでもない。ただ、こんな理不尽な世の中はおかしいと思って我武者羅にガストレアと戦ったから、他人より少し多く血を見て来ただけだ。俺と同じようなことを思った人は五万といるはずだし、特別だなんて言わないでくれ」

 

「え?でも、嫌じゃないんですか...?大勢の人たちは、あの大戦を間違いなく人生最大の苦痛としてるはずです。それをわざわざこうやって掘り起こしているんですから.....大抵の人は嫌な気分になるはずです」

 

 

 ティナは俺の服を背中に回した手でぎゅっと掴み、泣き顔を見られまいと強めにしがみついてきた。そんな小さい体躯を抱き止めながら思う。こんな些細なことでここまで強烈な不安を感じてしまうのは、今まで人との強固な結びつきを知らなかったからだ。本来ならば親と子がそのカテゴリーに含まれるのだが、呪われた子どもたちという存在が作られてしまったこの時世では、それも不確定なものとなってしまった。ティナの場合は両親を失ったそれ以降も互いに信頼関係を築ける境遇の者と出会う機会にすら恵まれず、今日この時まで『マスター』と呼ばれるエイン・ランドとの主従の繋がり以外、人との関係を知る事が出来なかったのだ。

 俺はこれを鑑みた上で一つの妙案を思い付いたのだが、俺の言うこと全部を二つ返事で飲み込んでしまうのだとしたら、彼女を自分の好みに仕立て上げることが───と考えかけたが、すぐに止めて真面目な思考回路へ戻る。

 

 

「そりゃまぁ、赤の他人から自分の過去を喋られたらいい気分はしない。でも、ティナは別だ」

 

「え...私は、別?」

 

「ああ。あと飛那と夏世もな」

 

「.......(私だけじゃないんですか)」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「い、いえ。何も」

 

 

 俺が向けた視線から逃げるように顔を肩へ押し付けてくるティナ。耳まで赤くなってるのを見るに、何か恥ずかしいことでも口走ったのだろうか。まぁ、これから俺も大概恥ずかしいことを言うんだが。

 

 

「理由はな、三人とも皆、俺の家族だからだ」

 

「家族、ですか?.....でも、それって血縁関係がある集団にのみ言える言葉じゃ」

 

「いんや、誰が何と言おうと俺たちは家族なんだ。証明も承認も必要ない。だから、全員切っても切れない絆で雁字搦め、嫌と拒もうが俺が代表してお前らを守る」

 

「う...で、でも、私は...」

 

 

 ティナは尚も辞書通りの言葉を口にし、先ほどの罪悪感も手伝って自ら距離を置こうとする。傍目には嫌がっているように見えるが、これは違う。彼女は俺たちと家族になるのを嫌がっている訳ではなく、家族という近しい存在になることで俺たちに迷惑をかけてしまうことを恐れているのだ。これ以上嫌われたり裏切られたりしたくないからこその自己防衛手段ではあるが、これではティナが永遠に一人ぼっちになってしまう。それが分かっているからこそ、俺はさらに彼女の下へ踏み込んでいく。

 

 

「さっき言ったろ?証明も承認も必要ないって。要はティナが認めるかどうかだ。俺の一方通行じゃ全く意味はないけど、ティナがそれに応えてくれればいいんだ。勿論、嫌なら嫌でいい」

 

「嫌だなんて有り得ません!...でも、樹万さんに救って貰っただけで十分幸せだったのに、その上これから迷惑までかけるなんてこと、あっていいはずが」

 

 

 また涙が混じった声が聞こえ始め、俺はこの後に及んでまだ遠慮するティナの両肩を掴み、ゆっくりと引き離して目の前まで顔を持ってくる。彼女は泣き顔が見られてしまうと多少身を捩ったが、暫くすると抵抗を諦め、赤い顔のまま俺の顔を見上げて来た。それを見た俺は『よろしい』、とだけ笑顔で呟くと、彼女の頬を手で包みながら言葉を続ける。

 

 

「一切の我儘も願望も、今まで無理矢理押し込まれてきたんだろ?なら、いいんだ。一緒に東京の色んなところを回ったあのときみたいにさ。笑って、遊んで、楽しんで、それ以上にもっともっとお前は幸せになっていいんだ。だから、言ってくれればこれからだってどこにでも連れ出してやる。好きなものを好きなだけ見て触れて、ここにある綺麗なものも俺が沢山教えるよ。その途中途中で新しいものを知る度にはしゃぐティナを見れれば、俺は十分満足だ。迷惑なんて、もう対戦車ライフルの鉛玉とダンスさせられる以上のことなんてないだろ?...ま、仮にそれ以上をさせられても嫌いになんてならないけどな。愛しいと思うからこその家族宣言だし、何があってもこれを曲げるつもりはない」

 

 

「──────」

 

「?...どうした、ティ──────」

 

 

 言ってる途中で猛烈に照れくさくなり、それでも言葉が次から次へと湧き出て来たため、俺は自然と目線を星の見える夜空へと移していた。...そして、それが災いしてティナのとった突然の行動を完璧に許してしまった。

 返答がないことに訝しんだ俺だが、上げていた顔を正面に戻した瞬間、後頭部に両手を素早く回されガッシリと固定される。その直後に蕩けきった表情をしたティナが覆いかぶさってきて、あっという間に唇を押し付けられた。無論、いきなり視界一杯広がった白磁のように白い端正な顔で俺は何が何だか分からなくなり、そういえば夏世にもされたなぁ、あの時も凄いパニックになってたなぁ、なんて現実逃避までし始める始末。と、その時。辛うじて引き上げた俺の五感が、とある囁きを傍受した。

 

 

「...好き、です」

 

「む、────!?」

 

「大好き、です。ちゅ...樹万さん....好き」

 

 

 頭を金鎚で思い切り殴られたような衝撃を覚えた。それは当然だろう。ティナは俺の唇や舌をついばみながら、何度も何度も好意を訴えて来ているのだから。いや、待て、待つんだ俺。これはきっとLove ではなくLikeだ。だから絶対に流されるな。こんな可愛くて純粋な少女に邪な想いを向けるなんて許される事じゃない。せめてもうちょっと成長してからだな...いいや違う待てそうじゃない落ち着け。

 ぐるぐる、ぐるぐると訳の分からない自問自答が繰り返される。そんな風に心の制御で精一杯な状態をいいことに、ティナは顔を傾けて一層深く唇を押し付けてくると、舌まで差し入れて来た。

 これは...不味い。いよいよ本気で押し退けようかと考えたが、それから直ぐにティナの顔は離れ、ちゅぱ、という淫靡な水音が響く。長らく空気を吸い込んでいなかったからか、お互いに呼吸は荒く、顔が近いこともあり熱い吐息が口内へ吹き付けられる。

 

 

「...い、いきなり、どうしたんだ?」

 

「........から」

 

「え?」

 

「幸せになっていいって、言いましたからっ」

 

 

 ティナは絞り出すようにそう言うと、口元を拭いながら視線を逸らし、しかしチラチラと真っ赤な顔のまま時折こちらを伺ってくる。その表情は不安と期待がない交ぜになり、俺の返答を早く早くと急かしているように思えた。

 俺は熱が回りきった脳みそを冷ますために夜の外気を思い切り吸い込み、それから刺激された情欲も一緒に全て吐き出した。

 

 

「ティナ、俺は見た目と年齢的に親にはなれないが、兄妹にならなれると思うんだ」

 

「兄妹...ですか?」

 

「ああ。家族なんだし、そういう関係から始めたっていいだろ?」

 

「兄妹...大好きな樹万さんがお兄さん。お兄さん...ふふふふ」

 

 

 赤くなった両頬に手を当てて嬉しそうにもじもじするティナ。これはどこをどう見ても受け入れ体勢ばっちりだろう。とまぁ、兄妹関係の提案は元々考えていたことだったのだが、先ほどの暴走事件のことを考えて、一つ予防線を張って置こう。

 

 

「ティナ。兄弟になったらキスは禁止な」

 

「えええ!何故ですかッ」

 

「兄妹がキスしちゃあかんでしょ」

 

「むむむ、じゃあ兄妹止めます!」

 

 

 腕を組んで顔をプイと背けるティナが可愛くて思わず頭を撫でてしまったが、流されないように撫でながらも用意していた釘を撃ち込む。

 

 

「ティナが兄妹になるの断ったらキスを拒むようにする」

 

「ええ!それって結局どっちも出来ないってことじゃないですかぁ!お兄さんのイジワル!」

 

 

 うーうーいいながら俺の胸元に飛び込み、ぽかぽかと全く威力のない拳を撃ち込むティナ。どうやら本気では無かったようで安心はしたが、あまりにもワガママになられては困るので、要所要所でちゃんと注意喚起をせねば...。いや、もう精神的に成熟した彼女なら問題はないか。飛那は本当に一時期『本当』に酷かったからなぁ。

 

 今日のところは折衷案として一緒の布団で眠ることをティナに提案したところ、一瞬で首肯して飛び付いてきた愛らしい少女を優しく抱き止め、ベランダを出て窓を閉める間際、この家に住む無垢な少女たち全員が良い夢をみられるよう祈りながら、星空に別れを告げた。




タツマ「あ、やべ。コーヒーカップ忘れた」


次回から新しい章に入ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四 識別不能・S-Ⅳガストレア・アルデバラン
38.侵食


感想、評価などありがとうございます。私が今までやってこれたのは、間違いなく読者の方々の応援があったからです。
一人一人のご期待に応えていくのは難しいですが、改編ではなく改善なら積極的に行っていきますので、これからもどうしようもないくらいロリコンの私を許して...いえ、お願いいたします。

※最終回ではありません。


 今回、序列九十八位という破格の相手と交戦し、分かったことがある。

 

 無謀、蛮勇という判断を降すには、実際にその場に立って敵と戦い、己が無様で無残な敗北を喫しない限りは、必ずしも正解ではないということだ。仮に立ち向かうべき相手がどれほど恐ろしいものでも、不確定要素の乱立地帯である戦場では何が起こるか予測できない。しかし、その『要素』が自身にとってプラスに働くかマイナスに働くかは皆目見当がつかないため、必然、分の悪すぎる賭けになることは必至。死の轍を自ら辿りに行く事などしないに限る。

 

 俺は神算鬼謀を巡らしたティナ・スプラウトとの賭けに勝った。それも誰一人失うことなくだ。正直命が幾つあっても足りないと思ってはいたが、代替の利かないたった一つの心臓は、未だ俺の胸の中で鼓動を打っている。さらに腕や足もちゃんとついているという五体満足。普段の生活で消費される分の幸運がこういったことに回されているのだと思えば合点はいくが、そもそもこんな頻繁に命を落としかかっていること自体、辛うじて命を拾った幸運分を差し引いても余りある不幸である。

 

 散々悪態を吐いたが、無論良いこともあった。それは俺と延珠のIP序列、並びに機密アクセスキーのレベル向上だ。序列は蛭子影胤の起こしたテロ事件の解決により上がった千番台から更に上昇し、三百番台となった。アクセスキーもレベル五となり、先生に渡して事前に情報を収集して貰っている。その折に樹万と一緒に顔を見せたのだが、どことなく複雑そうな表情で、『全く。少しは年長者の助言を聞いて欲しいものだが、これではぐうの音もでないではないか』と、先生には珍しく自嘲気味な発言を漏らした。樹万はそれを聞きすぐに謝ったのだが、許さんと言った先生に首根っこを掴まれ、奥の実験室に消えていってしまった。アイツが何をされたのかは、今後己もああなる可能性を鑑みて、余計な恐怖心を生まない為にもあまり知りたくない。

 

 さて、件のティナは聖天子様により身柄を一時的とはいえ拘束されたが、元の序列を剥奪された後に簡単な事情聴取を受け、その後はあっさりと放免、そのまま樹万の民警事務所に雇われたらしい。俺はそれ自体に文句はない。だが、幾ら国家元首の下した判断といっても、明確に命を狙った攻撃をしてしまった彼女に対し、そんな温情措置をとってしまうのは如何なものか。そう聞いてみたい所だったが、生憎と聖天子様は一般人がお出掛け感覚で訪問出来る場所に身を置いてはいない。

 

 

 

「里見さん、天童社長。国家存亡の危機です。是非、私の嘆願を聞き入れてはいただけないでしょうか」

 

 

『え...?』

 

 

 ───そのはずだったのだが。何故か彼女は現在、我が天童民間警備会社の事務所にいる。

 

 突然聞きなれぬ事務所のインターフォンが鳴り、何事かと思って扉を開けてみれば、こんな寂れた場では違和感しかない豪奢な純白のドレスに身を包んだ聖天子様の姿が。そして開口一番に放たれたのが前述の文句である。直後に目が点となったのは当たり前のことであり、彼女に対する礼節を欠いたのは仕方のないことだろう。

 取り敢えず人数分のお茶を用意し、聖天子様の来訪で無駄にテンションが上がっている延珠を宥めすかし、ようやく気分を落ち着けることができた頃にソファへ全員が腰を落ち着けた。

 

 

「.....で、聖天子様。一体何があってこんな所に来たんだ」

 

「はい。先ずはお二人とも、これに目を通して欲しいのです」

 

「?これは...写真か」

 

 

 大きめの封筒の中からいくつかの写真を取り出し、硝子テーブルの上に丁寧な所作で並べる聖天子様。それを木更さんと延珠、俺で手に取って確認すると、ほぼ間を置かずにこれが何なのか理解し、同時に何故この場でこんな写真を見せたのか疑問に思う。そんな俺の内心を代弁したのは木更さんだ。

 

 

「これは...白化したモノリス、ですよね?あとは、見たこともないガストレアの頭部。これは一体」

 

「はい。それらは全て昨日の内に入手したものです。そして、その白化した三十二号モノリスは今日から数えて六日の後に倒壊し、背後に集まりつつあるガストレアが東京エリアになだれ込みます」

 

『なッ....!?』

 

 

 理解を超えた、いや、想像を超えた発言が鼓膜を震わせ、木更さんと一緒に暫く酸欠の金魚みたく口を開閉させた。それも当然。六日後に東京エリアが滅び、そこに住む人間はみんな死ぬという宣告を何の前触もれなく受けたのだ。それも、笑い話や冗談と切り捨てることは決して出来ない、聖天子様の口から直接。

 と、俺たちが混乱の境地に身を投じている中、未だに写真とにらめっこを続けていた延珠が不意に顔を上げた。

 

 

「うーん。何故モノリスが壊れるのだ?黒じゃなくって白くなってるからか?」

 

「そうですね、大体合っています。その白い染みのようなものはバラニウム侵食液。ステージⅣガストレアのアルデバランが注入したものです」

 

「...?待て、アルデバランだと?」

 

 

 ───アルデバラン。その名を聞いた俺は、選び取ったパズルのピースが何処にも当てはまらないような違和感を覚えた。アルデバランとは、世界で12()体確認されているステージⅤ(ゾディアック)ガストレアの中の一体、金牛宮(タウルス)とかつて行動を共にしていた珍しい行動理念を持つ奴だ。ちなみに、金牛宮は序列一位のイニシエーターによって既に撃滅が為されている。話しを戻すと、アルデバランはあくまでもステージⅤにくっついていただけであって、コイツ自体は完全体のⅣ。ならば...

 

 

「聖天子様。アルデバランはステージⅣだろ?なら、モノリスの発する磁場に影響されるはずだ」

 

「そう、ですよね。ですが、実際にアルデバランはモノリスに取り付き、侵食液を注入しています」

 

「...それで、侵食液を撒いたあとアルデバランは何処にいった?」

 

「モノリスの背後で二千ものガストレアを招聘しています」

 

「二千...そんな」

 

 

 木更さんはその表情を絶望で歪め、手に持った写真をテーブルの上に落とす。延珠も事の深刻さに気付いてきたか、余計な口を挟まずに俺の隣で唸っている。

 昨日テレビで放送されたニュースでは、モノリスに接近したガストレアを発見したが、無事に斥けることが出来たと伝えられていた。だが、この分だとメディアは聖居の力で情報統制され、今現在正しく起きていることの発信は封じられているのだろう。しかし、これも長くは持たないはずだ。数日も経てば白化したモノリスを目視で確認できるようになるし、ネットでの噂にも歯止めは利かない。人の口には戸を立てる事などできないのだから。

 俺は冷たいを茶を喉に流し込み、外気で熱せられた冷汗を手で拭いながら考える。一体どうすればいい?六日でできる事など当然の如く限られる。エリア内の人間を全て国外へ逃がすか?...無理だ。空路を使った輸送では圧倒的に効率が悪い。陸路も海路も棲息するガストレアの餌食となる。もしもの時のために地下シェルターが建設されていると聞くが、これも収容力に乏しいだろうし、全員の市民を助ける事など到底できない。.....じゃあ、じゃあどうすりゃいってんだ。

 

 

「────じゃあ、妾たちがそのガストレアを全員やっつければいいのではないか?」

 

「な.....延珠。お前本気で言ってるのか?相手は二千のガストレアだぞ」

 

 

 これほど勝利という二文字が湧かぬ戦もないだろう。ガストレア二千の進撃に対し突っ込むなど、それは戦いではなく自殺だ。十中八九繰り広げるのは人間たちが蹂躙される光景のみだろう。にも関わらず、延珠の馬鹿げた発言に聖天子様は深く頷き、元々真っ直ぐだった背筋を更に伸ばして厳かな雰囲気を纏った。

 

 

「里見さん。私たちは座して死を待つより、立って剣を取ることに決めました。この意向は各軍事組織に通達し、無論民警の方々にも協力を仰ぎます。」

 

「.....勝算は、あるのかよ」

 

「アジュバントを結成するのです」

 

「?何だそれ」

 

 

 これまで生きて来て一度も聞いたことがない単語をさも当然であるかのように出されたのだが、知らないものは知らない。知ってるふりをされるよりは、俺の疑問は話し手にとって優しいだろう。しかし、俺の返事に聖天子様は苦笑いを作り、隣の木更さんには拳骨を落とされる。そして、それを見た延珠に爆笑された。オイ先人の知恵、仕事しろよ。

 

 

「アジュバント・システム。これは政府の緊急措置で民警を自衛隊に組み込んで運用するとき、各民警で部隊を構成して分隊とするシステムのことよ」

 

「み、民警に組織的な行動をさせるのかよ。ってか、まさか聖天子様、アンタは俺に隊を作れとでも言いたいのか?」

 

「その通りです。統率力のある民警がチームのリーダーとなり、モノリス倒壊の後に迫るガストレアとの戦争に参加して欲しいのです。代わりとなるモノリスが完成するのに、あと九日。そして、侵食液に侵されたモノリスの倒壊まで六日。この空白の三日間、アジュバントを構成した民警の方々によりガストレアの侵攻を防ぎ、東京エリアを死守して頂きたいのです」

 

「........」

 

 

 聖天子様の目は本気だ。本気で二千ものガストレア、そしてアルデバランに武力を以て対抗しようとしている。確かに彼女の言う通り何もしないで死ぬのは癪だ。しかし、だからと言って捨て身の特攻をすることが正解ともいえない。これこそ無謀、蛮勇と呼べるに等しい行為だ。

 それに、アジュバント...民警を組織化して戦場に出すというのも賛同しかねる。民警という輩は『お仲間同士手を取り合って仲良く敵を倒しましょう』なんて平和的な思考を持つ集団ではない。寧ろその真逆、『邪魔をするなら気に入らねぇからお前を先にぶっ殺す』だ。そんな非協力的な不良どもを無理矢理一つところに集めても、いざ戦いとなったらてんでバラバラな行動をするに決まっている。

 

 

「お願いします、里見さん。一度、いえ二度も東京エリアの危機を救っている貴方の御力、この難局を乗り越えるために貸して頂けませんか?」

 

「だけどな、こんな有事に約に立ちそうな民警なんて............いや、いるか」

 

「?」

 

 

 首を傾げる聖天子様を見ず、俺は心の中でその『役に立ちそうな民警』の顔を思い浮かべた。

 

 ...何故か無性に腹が立った。

 

 

 

          ****

 

 

 

 俺はオッサンに助けられたあの日から、ずっとずっと飽きるほどにガストレアと戦ってきた。その理由など、生き延びるため、という言葉以外他にない。

 己より何十倍も大きな化物、己より何十倍も速い化物、己より何十倍も膂力のある化物...言い出したらキリがないくらいに自分より優位な能力を持つ化物と対峙した。それこそ、ただぶつかっただけで容易に死ねるような輩などわんさかおり、しかしそれが全ての戦場において普通だったのだ。

 

 そんなガストレアと度々殺し合った俺は、無論何度も死んだ。ナイフを持って切りかかるも傷一つ着かずに弾き飛ばされ手足を千切り、銃を持ってがむしゃらに撃ち続けると背後から奇襲され上下真っ二つ、這いずり回って逃げると追ってきた化物に下半身を踏みくだかれた。そんな風に数え切れないほど死んで死んで、死んで死んで死んで...奴らとの戦い方を学んだ。

 

 以前、ティナと戦う前だったか。あの時に彼女と交戦するという俺と蓮太郎の意見を真っ向から否定したドクターは、尚も退こうとしない俺に向かい『心臓を潰されれば、超常の再生能を持つお前とて死ぬ』と言われ、それを肯定しながらも戦うことを望むと伝えた。しかし、実は心臓を失っても俺は存命できるのだ。つまり、頭部さえ残れば高確率で全身再生できるということになる。こればかりは判明した時に安心より恐怖を覚え、その後も命に対する人間としての価値観を無くさぬよう、心臓と脳だけは破壊されれば死ぬのだという意識を持ち続けた。故にこのことはオッサンを除き、未だ誰にも打ち明けていない。

 

 ガストレアウイルスの宿主を生かそうとする力は凄まじく、一度宿主が命の危機に瀕すれば、その再生能は飛躍的に向上する。ステージⅤとしての再生速度を以ってすれば、心臓などものの数秒で元に戻し、加えて機能を回復させる事が可能だ。それでも、人間は心臓が無くなれば死ぬ。少なくとも俺は、両手両足の指で数えても足りぬほど命を刈り取られようと、死という感触に慣れることはなかった。 

 

 攻撃は死。防御も死。逃走も死。回避は全力。本命は奇襲。...まだ戦いという戦いが出来なかった俺にオッサンが言ったのはこれだけだ。カスみたいな攻撃はしない方がマシ、それは同等の防御と逃げもそうだと呆れ混じりに説かれた時は腹が立ったものの、いざ実行してみるとどうしようもないほどに事実だった。

 

 最低限オッサンの足手まといにはならなくなってきた頃、ようやくオッサン直伝の技の数々を修得し、同時に自身の中にあるガストレアウイルスが持つ情報を元に、指定した生命体の特徴通り体内組成を変化させる能力を得た。この2つを組み合わせて攻勢に出たところ、あれだけ試行錯誤を繰り返し、しかしその悉くを無に帰された悪魔のガストレアたちが、まるで害虫の如き扱いで己の前に為すすべもなく駆逐されていった。かつ体内に飼うガストレアウイルスで自身を強化し防御力を向上させたことで、飛躍的に負傷率も下がったのだ。

 

 そして───自身の持つ最大の攻撃・防御を会得した『この』ときからずっと。今日『この』時まで、俺は人間に対して技を振るうことなど一度すら考えなかった。

 

 

 

「対人戦ではいち早く敵の癖や型を読み、先んじて手を打ち、その攻勢を防ぎつつ決定打のチャンスを伺います」

 

「くっ、う...とっ!」

 

 

 昼下がりの公園。そこに俺とティナ、そして夏世は集まっていた。公園とは言っても、平日である事とこの時間帯なので、人の行き交いはゼロに等しい。...故に、戦闘訓練をする場としては適している。

 目前には刃止めしたナイフを片手に構え、人間離れした体術を介して徒手空拳から上・下段突きを疾風のように繰り出すティナの姿。一方の対面する俺は、それを受け、または流して何とかやり過ごし続ける状態だ。無論攻守逆転を当初から狙ってはいるが、それを目論んだ瞬間に沈黙しているティナのナイフが動き、それが原因で今日は既に三度も敗北を喫していた。

 勘違いしないよう補足すると、俺の敗北はティナの卒爾な行動に対し防御が間に合わなかったから、という理由ではない。大本の原因は、ナイフを構えること事態がフェイクだということだ。しかし、頭ではそうだと分かっていても、戦場を永く駆けた人間の防衛本能は相当なもので、どうしても分かりやすい凶器の動きに目が逸れ、そして身体が固まった一瞬の間に俺の片腕を掴み、大の大人すら投げ飛ばすほどの膂力を以って引き寄せられると、喉元にナイフを突きつけられてフィニッシュ。それが分かっている俺は、ティナが動く前に先手を打たなければならない。...のだが、こうやって何度か手合わせしても、彼女の癖や型など一向に見えてこない。

 

 

「なので、どれだけその癖や型などの弱点を矯正出来るかで勝敗は決します」

 

「とは言ってもなぁ...っと、アレばっかりは、どうにもならんぞっ」

 

「ふふ、フェイクに動じればやられると、それも無意識に刷り込むしかありません」

 

「っ!」

 

 

 ティナの言葉を聞き終わらぬうちに、拳を打つリズムをさり気なく変えたコンマ数秒の間を逃さず、土煙を上げながら片足を滑らせ、防戦から攻勢へと意識を刹那に変遷させる。風切る拳を打ち出し、まずは彼女の手を─────

 

 

「はっ!」

 

(っ!反応した!?なら、これも罠───!)

 

 

 今し方リズムを変えたついでに拳の握り方を変えた腕が飛び、俺の片腕を外に払った。それは明らかに人間を越えた、恐ろしいまでの反射速度と正確無比さ。だが、俺は序列九十八位としてのティナの戦闘能力を既に体験している。ならば、この戦闘を征するには、人知を超越した一手を更に超えなければならないことは明白だろう。それでも、俺は彼女の動きを熟知しているわけではない。ならば、対抗策を講じるには過去と合わせ現在の知識を総員する必要がある。

 

 片手が宙を泳ぐ。俺が叩き落とそうとしたナイフが銀閃を放つ。これで、また俺の敗北.............いいや。

 

 

「人間は」

 

「っ!?」

 

「学ぶ生き物だ!」

 

 

 踏み込んでいた足を引く。それで俺の前には一歩分の空間が生まれ、そこをナイフは通った。つまり、ナイフの刃は空を切ったのだ。

 それでもティナは焦らない。俺の初期行動を見て既に避けることを確信していたらしい彼女は、ナイフを振り抜いた後に回転し、回避のため片足で地面を蹴る──ところまでを読み切っていた俺は、一度退いたにも関わらず直ぐさま肉薄し、その足を踏みつけた。流石にこれは予想外だったようで一時は瞠目するが、つま先を軸に回転させる運動は止めず、その力のみ向上させることで上に乗った俺の足を滑らせ、拘束を解こうとするという有り得ない思考回転数の速さを披露し、尚も俺を驚かせた。だが、その機転の良さも予測済みだ。

 拘束から抜けたと同時に俺のバランスを崩したティナは、決着をつけるための一撃を徒手空拳の左腕で放つ予備動作へと入る。とはいえ、そんな時間は一秒もないが。

 

 

「オッサン直伝・『日出ずるは瞬の間(アメノオシホミミ)』」

 

「な...?!」

 

 

 ───否、回避行動に一秒もかけるなど遅い。そんな鈍までは強者犇めく戦場で生きていけない。故に速く。疾く。迅く。我が身を既に怪物の爪牙が抉り、心臓に到達する1ミリ前からでも回避できる速さを。

 そういう意図から生まれたのが、この技。通称絶対回避だ。オッサンからは相手の認識をどうこうすることで成り立つと教えられたのだが、やはりこれも原理がよく分からない状態である。ただ、この技は連続使用が出来ないらしい。

 俺は労せずティナの背後に廻り、ナイフを持った腕を掴んで捻ると、背中に回して拘束する。徒手空拳の腕もガッチリと捕まえさせて貰い、痛くならない程度に一連の事を終える。が、そんな気遣いをしても、動きを封じられた彼女はと言うと、納得のいかないような唸り声を漏らしてきた。

 

 

「お~に~い~さ~ん~?そういう技は禁止って言ってましたよねぇ~?」

 

「お、おう?そうだったっけか」

 

「むぅ、私の目でしても捉えられないなんて.....まぁ、お兄さんが強いのは純粋に嬉しいんですが、今は普通の対人体術の指南をしてたんですよ?」

 

「ごめんごめん、ふざけたわけじゃないんだ。ティナの真剣さに触発されちまってな」

 

 

 少し癖のあるブロンドヘアーに手を置き、ポンポンと元気づけるような撫で方をする。お嬢様はそれがお気に召したらしく、尖らせた唇はすぐに笑みの形へ取って代わり、腰に腕を回して抱き付いてきた。と、そこで何の前触れなく『ぴぴー!』というサッカーやらのスポーツを一度はやったことがある人間なら誰でも聞いたことがあるホイッスル音が響き、無表情の中にうすら寒い何かを湛えた雰囲気の夏世がティナに小走りで近づくと、胸元から黄色い札を取り出し、天高く掲げた。

 

 

「イエローカード。ティナさん退場」

 

「イエローカードのペナルティ重いな!?」

 

「く、迂闊でした。...でも、レッドカードじゃなくて良かったと思うべきですか」

 

「ええ?ちょっとレッドの効果知りたくなって来たんだが」

 

 

 サッカーの規則に当てはめるとすれば、本来レッドカードの提示で選手退場となる筈だが、何故か飛那と夏世、ティナの間で取り決めた規則では、イエローカード一枚で即刻退場らしい。一見子どもの遊びに思えるが、ティナは逆らわずに悄然と肩を落として俺から離れた。というかそもそも、コイツの発動条件って一体何なんだろうか。

 ティナの姿が見えなくなると、夏世はこちらへやって来た時より幾分か相好を崩し、近場のベンチに俺を案内したと思いきや、手に持つ救急箱を手早く拡げ、俺の腕を取って甲斐甲斐しく傷の手当てを始めた。

 

 

「あのー夏世さん?俺って傷の修復自分でやっちゃうから必要ないよ?」

 

「いいんです。私がこうしたいだけですから。でも、あまり自分の能力を過信しないでください」

 

「...ああ。ありがとな、夏世」

 

 

 手際のいい応急治療の様子を感心しながら暫く眺め、次に目線を空へ移す。頭上の青空はどこまでも広がり、雲も少ないため太陽の日差しが肌に痛いくらいだ。それでも、こんな陽気だと約一か月前に起きた血生臭い事件など無かったように思えてしまう。

 

 本人から聞いた話だと、蓮太郎は一連の事件を解決した褒賞に序列が三百台まで上がったらしい。数か月前までは俺とほぼ同レベルの低ランカーだったのに、いつの間にかとんでもない大物になっている事に驚きだ。とはいえ、俺は聖天子様に頼んで大きく序列を上げないよう掛け合っているため、自然と蓮太郎との序列の差は開く。別に悔しくはないが、年の功ってやつを分かりやすい結果で示せないのは何処か釈然としない。

 

 

「どうかしました?ふふ、溜息なんてらしくないですよ」

 

「っとと、ナイーブな内面が外に出てたか。いや、蓮太郎の奴が出世街道まっしぐらだからな。なんというか、ままならないなーと」

 

「IP序列なんて、所詮武功が積み重なっただけの無機質な記号です。そんな定規で人の細部を、内面を量ることなどできません」

 

「...内面、か」

 

 

 どれだけ実力があろうとも、人間としての人格が伴わなければ決して信頼しない。

 こんな要求は贅沢とは言わない。人と人とが関係を築く上で至極当然のことではある。しかし、呪われた子どもたちであるイニシエーターにとっては違う。彼女たちに向かい、人間としての感性をそのままに接するプロモーターなどほんの一握りしかいない。

 今日の東京エリアでは大衆が知る事実。それをあるがまま許容する社会の、なんと異質なことか。そう評しても、ここより彼女たちを酷く扱う場は幾らでもある。過去それをオッサンと数多く見て回り、同時に残らず叩き潰してきた。その内容は、これが己と同じ種の者がした行為かと疑いたくなる光景ばかりであったが、大半はその『行為』の真っ最中を目撃し、淡い希望を打ち砕かれてきた。あの時ばかりはガストレアより人間に対して凄絶な憎しみを抱いたものだ。

 

 と、嫌な記憶をえっさほいさと掘削していた時。不意に右手の指先辺りに暖かく湿ったような感覚が襲った。しかも、その生暖かいナニかは俺の指の表面を絶えず移動している。ここまで考えて、もう大分状況を呑み込めてしまった。

 

 

「あの、夏世さん?なんで俺の指舐めてるの」

 

「傷口に唾液をつける行為には医学的根拠があります。ふふぅぉうふぇふ(有効です)

 

「君の隣に民間療法最大の味方があるでしょう!コラ、もぐもぐしないの!」

 

 

 そんな風に夏世と公園のベンチでくんずほぐれつやっていると、本日二度目の『ぴぴー!』というホイッスル音が響き渡った。それも二つ。驚いて音の発信源に目を向けると、その先には猛然と駆けるティナと飛那の姿を発見。そして、二人の手には太陽光を反射して赤く輝くカードが。というか、俺のところまで2mない場まで近づいても減速してないってことは、まさかこのまま突っ込む気じゃないだろうな!?

 

 

『レッドカード!夏世(さん)今日一日樹万(お兄さん)と接触禁止!!』

 

「ちょ、お前ら止ま.....ごふぅ!」

 

 

 腹部に強烈なタックル×2。幾ら軽い少女とはいえ、二人分の突貫だとかなりの衝撃だ。長年ガストレアのパンチに耐えて来た俺でもグロッキ―になるのが良い証拠である。それは兎も角、二人とも少し登場のタイミングが良すぎるのではないか?...もしや、ティナは退くふりをしてどこかで見張っていたのだろうか。それとも、こうなることが初めから分かって、買い物に行っていた飛那を援軍として呼んできていたのか。どちらにせよ、夏世には悪いが、このまま二人に連行していってもらおう。

 

 

「お、おい?樹万...お前何やってんだ?」

 

「その声、は...蓮太郎か?」

 

 

 前方から飛んできた聞き覚えのある声に反応し、腹の痛みを堪えながら顔を向ける。すると、やはりお馴染みの不幸顔の少年が呆れたような表情で立っていた。開口一番憎まれ口でも叩いてやろうかと思ったが、何故か蓮太郎の目には俺を軽蔑するような意が含まれていた。

 

 あとで聞いたところ、『あの時のお前を傍目から見たら、幼女を日中から侍らすどうしようもない変態』だったそうだ。無論腹が立ったので、取りあえず一発殴っておいた。

 




夏世ちゃんって、将監サンがあんなだから家事スキルはもの凄く高かったと想像しております。
食事面では夏世ちゃんが和洋中オールマイティにこなせ、オリ主が長年の経験で夏世ちゃんほどではないにせよ結構うまく、ティナがピザマシーン、飛那は...インスタントマシーン(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39.兄妹

二か月以上の更新なし、非常に申し訳ないです....
今後も度々こういうことがあるかもしれませんので、どうかご了承下さい。


 ティナとの模擬訓練を終え、現在は公園から所変わって電車に揺られている。その車内は平日の昼頃ということもあってか、座っている人が俺たちを除き二人ほどで疎らだ。

 俺の右隣にティナ、左隣に蓮太郎と並んで席に腰かけており、事情を知らぬ人間が今の俺たちを見れば、恐らく妹と友人を連れて外出でもしているのか、と思うことだろう。多少妹や友人の辺りが別の単語に変わりそうではあるが、それを加味しても大多数の人間はこの光景に驚くなんてことはしないはずだ。

 だが、ここにいるのは、ステージⅤガストレアの侵攻から東京エリアを守った英雄と、人技を超越した御業でもって聖天子暗殺を成し遂げようとした元序列九十八位だ。それを知る者はごく限られた一部の人間のみだが、もし彼らが見れば、確実にこれが只のお出掛けではないと分かるだろう。

 

 

「アルデバランと、およそ二千体のガストレアを撃退、か」

 

「あぁ。冗談と一蹴したい内容だが、聖天子様はタダで頸を与えてやるつもりはねぇらしい」

 

 

 俺は白化したモノリスを映した写真を眺めてから、聖天子の意向を代弁する蓮太郎の声を聞いて嘆息する。その行動の意味は、東京エリアの全武力を当てて、アルデバランとガストレア二千体に挑むことに対する無謀さを自嘲した蓮太郎への『同意』ではない。俺が込めた意とは、寧ろその真逆────『二千体のガストレアとアルデバラン撃退?そんなの楽勝じゃねぇか』、である。

 

 オッサンと共に歩いた、それこそ数万以上のガストレアがひしめく世界各国の地獄と比べれば、二千体のガストレア駆逐など児戯に等しい。仮に奴ら全員のターゲットをオッサンに集中させることができたら、恐らく一分ほどで片付くだろう。俺でも数時間ほどで全滅させられる自信はある。

 

 

(でもま、そうもいかねぇんだよな……)

 

 

 そう。この東京エリアを守って戦うからには、協力者がいる。もっと極端な言い方をすれば、俺の動向をその目に映す第三者がいるのだ。そして、それは俺にとって最大の足かせとなってしまう。

 俺は恐らく、現時点では唯一のガストレアウイルスに対し支配力を行使できる人間だろう。そんな奴が、仮にいくら東京エリアの危機を救ったとはいえ、自在に己の体内組成を変化させて暴れ回ったとしたら、十中八九その特異性に目が付けられる。後はもう、以前にオッサンや飛那、夏世と話した最悪の結末に直行だ。それだけは避けねばならない。

 世のままならなさに二度目の嘆息を零していると、ちゃっかり俺の右手を抱いているティナが、アルデバラン侵攻に対する話題から止まった俺たちの間に、再び会話の種をまいた。

 

 

「それで、里見さんは来るべき戦争のためにチーム要員の補填をしたかったと」

 

「そうだ。.....ってか、随分と樹万に懐いてんのな」

 

「犬や猫みたいに言わないで下さい」

 

 

 蓮太郎の懐いてる発言に半眼となるティナ。まぁ、取っ組み合いする前の俺たちの関係はあまり喋っていないのだから仕方ないのだが、それにしてもデリカシーに欠ける物言いだ。俺やドクターや木更なら事情を知った上で受け流せるが、蓮太郎のことを深く知らない人間が初見でこれを聞いたら確実に気を悪くするだろうに。しかし、彼が人の評価を努力して変えようとするタイプではないこともまた、既に分かっている。

 そんな蓮太郎の性質に呆れながら、頬を膨らませてぷんすかしているティナの頭を左手も総員して撫で、『大丈夫大丈夫、仮に犬とか猫だったとしても好きだぞー』とついでに慰めると、あっという間に纏っていた怒気は収まり、赤らめた顔を引っ張った俺の右手の上腕に埋め、手先をすり合わせる太ももへと潜り込ませてきた。...ふむ、素数を数えてればこの柔らかさと温かさを誤魔化せるだろうか?

 

 

「はぁー。ったく、確かにここ最近に急な序列向上でやっかみが混ざるのも分かるが、そういうのを気にしてる場合じゃねぇってのに」

 

「そうだな」

 

「俺だって好きで大層な事件の中心にぶち込まれてるわけじゃねぇし、向上心だって人並みだ。それを下らねぇ予測立てて勝手にあることないこと考えてんじゃねぇっての」

 

「そうだな」

 

「だがまぁ、流石に次で駄目ならアシを使った模索は一旦諦める。貴重な戦力だし、向こうもチーム人数が足りないからって作戦から外しはしないだろ。でも、今回は樹万の口で上手く片桐(かたぎり)兄妹をだな.....っと、おい?携帯鳴ってるぞ?」

 

「そうだな.....って、携帯?」

 

 

 迫りくる大罪の一つから必死に逃げているところだったが、蓮太郎の呼び掛けと懐から響く無機質なコール音で現世に呼び戻される。直後に我が意を得た俺は、取りあえずティナに断って右手を抜き取り、安堵の気持ちのまま携帯を手にすると、画面に表示された呼び出しの相手が誰なのか確認する。だが...

 

 

「ち.....()()か」

 

 

 画面にあるのは、非通知着信という表示。つまり、相手が誰なのかこちらは分からず、向こうが一方的に俺を知っているということになる。普通こういうかけ方をする輩は下らない悪戯目的が大多数を占めるだろうが、恐らく()()()()は違う。

 俺は迷うことなく受話器を取るアイコンをタップし、開口一番に悪態を吐く。

 

 

「なんだよ、オッサン。今電車の中だから掛けてくんな」

 

『カカカ!よぉ、久しぶりだな樹万。今日も平和な日常を享受してるかぁ?』

 

 

 いえ、もうすぐガストレアとの全面戦争です。という言葉が喉元まで出かかったが、取り敢えずここ最近は本当に平和なので肯定しておく。一方のオッサンのいる『向こう側』では、ガトリング機関銃のものと思われる壮絶な駆動音とガストレアの悲鳴が交錯していた。オッサンはいつも通り平和とは最も縁遠い境地に身を置いているようで何故か安心した。

 兎も角、疑問符を浮かべる蓮太郎とティナに話し相手が昔の知り合いだということを伝え、ガリガリという毎分数千発に及ぶバラニウム弾を吐き出す騒音の只中にいるオッサンへ再度意識を向ける。ってかうるせぇ!何か言ってるのは分かるが、さっきみたく話す時くらいガトリング止めろ!

 

 

「おい!何言ってんのか聞こえんのだが?!」

 

『▼%$¥&●〒♨』

 

 

 分っかるかボケ!日本語で喋れや!

 そう突っ込んでも、返って来るのは至近距離で死をバラ撒くガトリングの咆哮と、全身に穴を空け激痛に絶叫するガストレアからの命を張った返答のみである。肝心のオッサンの声は両者のものに完璧に呑まれ、最早誰と話しているのか分からなくなること必死だ。

 そうして会話を諦めること暫し、とはいっても一分経つか経たないかくらいの時間だ。元々大方片付いていたらしく、俺が本格的にキレる前にコトを終え、ようやく真面な人語がスピーカーから響いて来る。

 

 

『ふぃー、待たせたな樹万。コイツら電話し始めた途端にまた沸いて来やがってよ』

 

「じゃあ、そんなところで電話かけるなよ」

 

『しゃーねぇだろ?ここはまだ人類が繁栄していた頃で言うブラジルってトコだ。俺が今ケツ置いてんのはコルコバードの丘に突っ立つキリスト像の脳天だからな。安全圏のアメリカまで何千キロあると思ってんだよ』

 

「じゃあブラジルなんかに行く前に電話くれよ.....」

 

 

 南アメリカなどとうにガストレア天国だろう。昔は世界遺産などと世界各地に残る歴史的建造物に対し命名していたそうだが、そういったものは残らずガストレアどもに荒らされ、観光などできようはずがない。行っても代わりに見れるのは多種多様な進化を遂げたガストレア共の歪な御身のみだ。小鳥の囀りもなければ心地よい爽風もない。なら、そんなところに行って何になるというのか、とオッサンを知らぬ人物は思うはずだ。物見遊山するにしてももう少しマシなところがあるだろうに、と。

 俺はオッサンと行動を共にしていたから知っている。コイツの目的は、ステージⅤへ今まさに昇り詰めようとしているガストレアの駆逐だ。そういった危険性のあるガストレアは世界各国の未踏査領域に散在しているため、こうして歩いて探しまわるしかない。空恐ろしい仕事ではあるが、成ってしまった後と前では天地ほどの差が生まれてしまう。一体で国一つを滅ぼせるなんて馬鹿げた存在は、無論少ないほうがいい。

 俺のブラジル発言に変な顔をしている蓮太郎とティナの方を努めて見ないようにし、向かい側の車窓に映るビル群の方へ目を向けながら携帯を持ち変える。

 

 

『ハッハハ!まぁいいじゃねぇか。ってかよ、東京は結構不味い事態になってるんだよなぁ?モノリス崩壊の危機!だっけか』

 

「ん.....そう、だな」

 

『歯切れわりぃな。それも仕方ねぇとは思うが、その程度の絶体絶命くらい何とかできねぇと、どのみち東京も長くはねぇさ』

 

「........」

 

 

 オッサンの言う通りなのかもしれない。人間が元の九割方殺し尽くされ、モノリスの向こう側はガストレアの群れという事実を踏まえた上で、なお再びの人類の繁栄を望むというのなら、この程度の窮地は問題なく対処できなければ、前述の題目を達成することなど夢のまた夢。事実、今以上の絶体絶命のパターンなど幾らでも上げる事などできよう。

 俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、オッサンは慰めるような言葉を言ったあと、解決策の提案を申し出て来る。嫌な予感はこの時点から既に満載だったが、すげなく断るとヘソを曲げて大変面倒な事になるので、人間にとって絶対の死地だというのに呑気に煙草をふかし始めたオッサンへ続きを促す。すると案の定、深刻さも難儀さも全く感じない声でとんでもないことを言い出した。

 

 

『モノリス一個くらいなら、持っていけるぜ?』

 

「.......一応聞くけど、そのモノリスってどこから調達すんだよ」

 

『アッメィリカ』

 

「却下」

 

『えぇー?代替モノリスできたら返せばいいじゃんよ』

 

「その頃にはアメリカ滅びてるわ!」

 

 

 モノリスを持ってくるという発言に対し明確な言及をしなかったのは、あの漆黒の巨壁を引き摺ってやってくるオッサンの姿をあながち想像できなくもなかったからだ。それいいな!やろうぜ!とか言って気を良くし、実際にやられたら堪ったもんじゃないので、事前に釘を打っておかねば。とはいえ、人間同士でつぶし合いをすることの愚かさを最もよく分かっているオッサンが、そんなことを本気でするとは思えないが。

 さて、そろそろ目的の駅に着きそうだ。オッサンが電話を掛けて来た理由も大方分かったことだし、答えてくれるとは思えないが、取りあえずこれだけは聞いておかねば。

 

 

「.....オッサン、いい加減連絡先教えろ」

 

『おうおう樹万。そんな安易に連絡先教えろなんて言ってみろ。大抵の女はドン引きだぞ』

 

「おい、俺は真剣にだな────」

 

『何度も言ってるが、俺とお前はもうこの世界じゃどこまで行っても『他人』になっちまったんだ。お前を東京エリアに置いてきたあの日からな。だから、俺とのつながりなんて必要ねぇ。俺の冷やかしでたまに話すぐらいの関係で十分なんだよ。............んじゃな!精々達者で生きろよ、樹万』

 

 

 脈絡なく感情の抜け落ちた声でそう言われたかと思いきや、急に元のテンションへシフトチェンジし、俺が答えに窮しているうちに通話を切られた。以前と全く同じ手管で躱されたことに腹は立ったが、俺の出していた一触即発の雰囲気に訝しむ蓮太郎とティナの顔を見て、何とか平静を取り戻した。

 

 

「...おい樹万、お前には珍しく随分と取り乱してたが、大丈夫だったのか?」

 

「あぁ、東京エリアの住民が聞いたら、十割が呆れかえるような内容の話をしてた。それだけだ」

 

 

 蓮太郎の問いかけに応えながら携帯を仕舞ったとき、見計らうかのようなタイミングで車内放送が目的地への到着を告げた。

 

 

          ****

 

 

 俺は片桐兄妹という人物を知らないが、蓮太郎は蛭子影胤追撃作戦の折に同作戦上で出会っているらしく、当てもなくメンバー候補を探し回っていた時より幾分か気が楽だと言っていた。にもかかわらず、その言に反して表情は暗い。幾らかマシというだけで、容易に此方へ取り込めるような人物ではないのかもしれないな。

 

 

「ここ...ですか。結構、あの.....寂れてますね」

 

「正直にボロ家って言っていいぜ。誰が見たってそうだ」

 

 

 ティナの気を使った発言をばっさり両断する蓮太郎。一見すると人が住んでいるのかさえ怪しい風貌は、容赦なく評するならボロ家と言うか廃屋だ。壁面には落書きが走り、劣化も進み大部分が変色している。それでも俺たちがこの住居の前に佇む理由は、戸の横に立て掛けられている看板に『片桐民間警備会社』と書かれているからだ。

 蓮太郎は『まさか俺たちの会社より酷いトコがあるとは...』と言って戦慄しながらも代表として歩みを進め、錆が激しい鉄階段を昇りきると呼び鈴を鳴らして来客を告げる。が、それに対する答えは一向になく、今度は声を出しながら呼び鈴を押し込み、暫く待ってみる。しかし応答はない。

 困ったように頭を掻く蓮太郎を視界に入れながら、隣で小さい口を目一杯空けて欠伸をするティナの頭を撫でると、俺は腕を組んで唸る。ざっと観察したところ、家中から人の気配はするため留守ではない。だが家主と思われる人物は一つ所に留まって動きがないため、寝ているか居留守を決め込んでいるかのどちらかだ。このままだと三度四度と声かけしても同じだろう.....と思っていたところ、蓮太郎の四度目の呼びかけに対しついに明確な反応が返って来た。

 それは戸を挟んだ向かい側からではなく、背後から掛けられたものだが。

 

 

「げ、アンタまさか変態の里見蓮太郎?!何でウチに来てんの!嫌がらせ!?」

 

「....その声は片桐妹か」

 

「うっわこっち見んな!変態が感染る!」

 

 

 蓮太郎にむかって敵意をむき出しにしているのは、金色に染めた髪と趣味の悪いパンクファッションで身を固め、背中に赤いランドセルを背負うという珍妙な出で立ちの少女だ。

 そして、事前の情報と見た目を総合し、現在の蓮太郎の反応を含めると、恐らくこの少女は片桐玉樹(たまき)の妹、片桐弓月(ゆづき)だろう。

 

 

「すまんがお前の兄貴に依頼話があって来た。今家に居るのか?」

 

「依頼~?そんなの頼んでないんだけど。てか変態から貰う仕事なんてゴメンなんだけど」

 

「と、取りあえず話通すだけでもいいだろ?」

 

 

 散々な言われようだが、人員確保に必死な蓮太郎はここで最有力候補を逃す訳にはいかず、半ば顔は笑っていないが好意的な姿勢を保ち続けている。それを知ってか知らずか、弓月はさも仕方なさげに首を振ると、階段を上がって戸の前に立つ蓮太郎を手で払い、チョーカーの裏から鍵を取り出して施錠を外すと、俺たちに目もくれず踏み込んでいく。途端にかびだか埃だかよく分からない、ともかくあらゆる負の臭いを詰め込んだかのような空気が俺の鼻孔を刺激した。

 

 

「兄貴―!お客さん!」

 

「.........あぁん、客だぁ?」

 

 

 三人して目を細めながら玄関を潜ると、弓月の甲高い呼びかけに答える低くくぐもった声が響いてきた。それはどうやら、ガラクタが山積したデスクに両足を乗せ、椅子の背もたれに首を預けて顔にグラビア雑誌を被せた人型から放たれたもののようだ。何故確定的な言い回しではないかというと、飛散している埃が窓から入る光を反射するせいで、極端に視界が悪くなっているからだ。

 男がいるデスクの元まで近づいてみると、がっしりとした筋肉質な身体を椅子に預け、妹の弓月と同じようなくすんだ金髪に、やはり趣味の悪いパンクファッションで身を固めた姿を確認できた。そんな片桐玉樹と思われる人物は、デスクに足を乗せた姿勢をそのままに、頭だけを動かして出入口、つまり俺たちの方向へ目を向ける。その折に雑誌が顔からずり落ち、音を立てて地面に落下した。

 

 

「んん?.....ゲ、見覚えがあるそのシケた顔。テメェ、まさか里見蓮太郎か」

 

「あぁ、そうだ。あの時以来だな。というか、人の顔を見てその反応はねぇだろ」

 

「起き抜けにこの世全ての不幸を持ってきてるような顔が目の前にあったら、誰だってこうなるぜ。ボーイ」

 

 

 落ちた雑誌はそのままに、玉樹は蓮太郎の言葉に応じながら、飴色のサングラスをかけ直して幾分か姿勢を正して座る。それでも、太い両腕を後頭部に回して組み、更には大欠伸をかますなど、とても来客者を前にした人間が取る態度とは思えない。

 蓮太郎と玉樹が会話を続けている最中に、俺は改めてその内装を見回してみる。外があんな状態だったので、中身も大体の見当はついていたが、これはその予想を超える。こんな劣悪な環境の中にティナをいつまでも置いておくのは気が進まないので、リーダーである蓮太郎が話をつけられるなら、俺たちは外で待機していることにしよう。そう思ったのだが、タイミング悪く玉樹の視線が俺とティナを捉える。

 

 

「何だ。てっきり誰も集められてねぇもんだと高を括ってたが、一組いるのか」

 

「.....まぁ、な」

 

「へ、でもそのツラを見る限りだと、もう一組を集めるのはきつそうだな。しっかし、何でまたこんな天も星も味方に付けられなさそうな輩のアジュバントに入ろうと思ったんだ?ボーイ」

 

 

 どうやら完璧に逃げる時期を逃してしまったらしい。このまま一度でも会話の席に顔を出してしまえば、俺は傍聴人でなくなってしまう。できれば蓮太郎だけでさっさと終わらして欲しかったんだが、後に退けないという意識がコイツの気概をから廻らせているらしい。...仕方ない。

 

 

「俺はコイツを信頼してるよ。向こう見ずで鉄砲玉みたいなやつだが、実力は確かだ」

 

「ほぉ、随分高く買ってるみたいだな」

 

「まぁな。で?片桐社長、アンタはそんなウチのリーダーについていくのか?どうなんだ」

 

 

 会話に加わって間もない俺がぐいぐい来たことに驚いているのか、玉樹はサングラスの向こう側で目を瞬かせ、それから直ぐに両目を瞑って鼻から息を吐き出すと、浮かせた背を椅子に再び預けてスプリングを軋ませた。

 

 

「.....その前にオレっちから一つ質問だ。モノリスがぶっ壊れるっつー事は知ってるがな。そんなクソファッキンなことをしやがった敵の全容が掴めてねぇ」

 

「敵はガストレア二千。親玉はステージⅣガストレア、アルデバランだ」

 

「ほーなるほどな。すまんが他を当たってくれやボーイ」

 

「ちょ、待てよ!確かに勢力差はデカい。でも、だからって何もしないで死ぬつもりかッ?」

 

 

 にべもなく断られたことに納得がいかなかった蓮太郎は、犬歯を剥いて玉樹に詰め寄る。デスクに拳を落とした衝撃で空き缶やボトルが揺れ、それが蓮太郎の心中を形容しているようだ。が、それでもなお玉樹は突き放すような態度を崩さない。

 

 

「真正面からぶつかって戦うことこそ愚策だっつってんだ。いいかボーイ。ガストレア二千もあれだが、アルデバランは正真正銘の化けモンだ。お前みてぇなガキでも知ってんだろ?アイツがタウルスにくっついて三つの都市を廃墟にしたってのは」

 

「じゃあ、テメェらは一体どうするつもりなんだよ!」

 

「一番賢い選択はとっととトンズラすることだ。モノリスが崩れる前なら航空券の在庫に余裕はあんだろ」

 

「な...それじゃあ───────!ッ、樹万?」

 

 

 怒りのボルテージを更にもう一段階上げようかというところで、俺は蓮太郎の肩を掴んだ。

 確かに、玉樹の言うことはもっともだ。ガストレア二千とアルデバランとの全面戦争。そんなことをするのは自分の命を捨てに行くようなものだと、少しでも脳味噌が足りてる人間なら考える事はできるだろう。だが、俺たちはそんな馬鹿みたいなことに挑みに行くのだ。今更正論を振りかざされて説得される謂れはない。

 

 

「他を当たるぞ。こんな日和っちまった奴は、どんなに実力があろうと戦地じゃ役にたたねぇ」

 

「で、でもよ」

 

「履き違えるなよ蓮太郎。俺たちが望むのは戦う意志がある人間だろう。それすら持たないんじゃ、実力が伴わなくても鬨の声を上げられる奴のほうがマシ────、っと!」

 

 

 デスクを飛び越え一瞬で肉薄してきた玉樹の拳を片手で受ける。怒りに任せたからか腰の入ったものではないが、それでも十分な威力だ。()()()いないとはいえ、踵が少し後ろに滑ってしまった。...しかし、俺より一歩早く腰のナイフに手を伸ばしていたティナは、やはり格が違う。

 一方の玉樹は、拳を受け止めた瞬間に纏っていた怒気は消え、代わりに野生染みた獰猛な笑みを受かべる。

 

 

「大口叩いただけあって、結構出来るみてぇだな」

 

「お前も、日和ってたくせに良い拳もってんじゃねぇか」

 

 

 拳を降ろした玉樹は、それから暫く考える素振りを見せる。少ししてから妙案が思いついたらしい彼は、自分の相棒(いもうと)を呼んでから、俺を指さして言う。

 

 

「テメェの言う戦う意志はオレっちたちにもある。だがな、ハナから負けること前提で武器振り回すようなクソファッキンな連中の下じゃ一ミリたりとも沸いてこねぇ」

 

「.....なるほど。つまり、俺たちがただの自殺願望者じゃないってことを」

 

「ザッツライ!実力で証明して見せろや!」

 

 

 これは、口の説得では折れてくれそうもなさそうだ。考えていた中では一二を争う避けたかった意見の落としどころだが、ここまで来たらルビコンの川を渡り切るとするか。




VS片桐兄妹は対戦カードに悩みました。会話の流れから誰と誰が出るかは大方見当つく方が多いかもしれませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40.蜘蛛

前回と内容繋がっているので、勢いがついたお蔭で完成が早まりました。

話は変わりますが、バトルは燃えますね。


 玉樹はイイ場所があるというや否や俺たちを事務所から連れ出すと、近場の市民体育館まで移動した。中では子どもたちがボールなどを投げて運んでの遊戯に興じていたが、彼は迷うことなくその渦中に踏み込み、出て行けガキどもと容赦なく一喝。その後は手をジャケットに突っ込みながら腰を折り、ワザと大股に歩いてガンを飛ばすなどして、理不尽な人払いは終わりを告げた。

 体育館はここの他にもう二つほど存在し、玉樹が強奪したこの第三体育館は、その中でも比較的小さいものだが、それでも体育館という銘を打っているだけあって、天井は高く、四方は広い。その端々には追いやられた子どもたちや騒ぎを聞きつけた人たちが、遊び場を奪われた腹いせ混じりにせめて何をやるのかくらいは見届けようと続々と集まり、ギャラリーを形成しつつあった。

 

 

「よっし。で?俺っちたちとバトるのは美ヶ月のアンちゃんと、そのイニシエーターでいいのか?」

 

「いや、ここはリーダーである俺が戦うべきだろ」

 

「って言ってもよボーイ、お前さんの相棒は小うるさいバニーガールなんじゃねぇのかよ?」

 

「む....」

 

 

 そうだ。蓮太郎はここに延珠を連れてきていない。敵はプロモーターとイニシエーターとのタッグでのバトルを所望しているのだから、必然イニシエーターが同行していない蓮太郎の参加は難しい。

 一応、ティナと即興コンビを組む手もあるが、連携がうまく取れないんじゃ勝利自体が危うくなる。ここは俺とティナのコンビで出るのが順当だろう。とはいえ、俺とて彼女との連携がうまくとれる補償などないが。

 

 

「すまんがリーダー、今日は俺たちに譲ってくれ。...大丈夫だ、やるからには勝つ」

 

「ああ。そこは心配してない。派手な怪我はさせないでやってくれよ」

 

「おう、任せとけ。...ティナ、いいか?」

 

「無論です。お兄さんがそう望むのなら、私はその命に従います」

 

 

 確認するまでもないと暗に示唆するような言葉と笑顔で俺を見上げるティナ。よし。これで役者はそろった。後は対峙し、戦い、勝利するのみ。一方、歩み出て来た俺とティナを認めた玉樹は、みるみるうちにその口角を吊り上げ、実に楽しそうな表情となる。

 

 

「何だ、俺たちが出て来て安心したか」

 

「ったりめーよ!あれだけコケにされたんだからな!このケンカできっちり利子つけて返さねぇと腹が収まんねぇ!」

 

 

 玉樹は拳を胸の前で打ち付け、ガァン!という重い金属音を響かせる。それは広い箱型の体育館の中だという事もあって、音が大きく反響し、獣の鳴き声を思わせた。

 無論、生身の人間がどれほど強く拳を打ち合わせようと、そんな恐ろしい音は出ない。では何故、玉樹の拳からはそんな音が出たか?理由は単純、バラニウム製のナックルダスターを両手拳に巻いているからだ。彼の筋力と合わせ、あんなもので思い切り殴打されれば、ガストレアとて容易く骨は砕けよう。

 

 

「んじゃ、いっちょ名乗らせて貰うぜ!序列千八百二十位、片桐玉樹だ!」

 

「あの変態を合法的に蹴り飛ばせる機会が無くなったのはちょっと残念だけど...まぁいいわ。同じく序列千八百二十位、片桐弓月よ」

 

「...序列八千百位、美ヶ月樹万」

 

「私はティナ・スプラウト。現在序列は剥奪中なのでありません」

 

『え!?』

 

 

 ティナの序列剥奪というワードに片桐兄妹はそろって驚愕を呈する。それもそうだろう。序列剥奪など、素行の悪い輩の掃きだめである民警でも早々ならないのだから。影胤のように、ガストレアよりも人間の殺しを優先的に行うような目に余る殺戮者でもなければ、恐らく序列、民警ライセンスの剥奪とはならない。

 一度は動揺を見せたものの、二人は戦闘態勢に移行した俺たちを見て気の弛みを引き締める。しかし、ティナがドレスから取り出した黒い球体を飛行させた瞬間、再び驚きの声が上がる。

 

 

「へっへ、実に面白いショーを見せてくれるじゃねぇの。じゃあまぁ、こっちもそれ相応の見世物をしねぇとな!行くぜ弓月ッ!」

 

「分かってる!」

 

 

 俺は弾倉をセットしていない、ナイフのみを装着したバレットナイフを取り出し、構える。一方のティナは、回る黒い球体...シェンフィールド三機に何やら命令らしき言葉を与えて頭上に待機させ、片手に手袋を嵌めた。と、それを終えたと同時に片桐兄妹は突貫、と思いきや弓月が玉樹の肩を踏み台に跳躍し、背後に降り立つ。

 なるほど、挟撃か。そう呟くと、俺は短く息を吐いて暫し己の体内に意識を向ける。

 

 

開始(スタート)。ステージⅡ、形象崩壊を抑制し発現。適正因子からの遺伝子情報共有、完了。単因子、モデル・キャット』

 

 

 あまりガチガチの強化だとアレなので、身体能力の総合的な向上が見込める猫の因子をぶち込んだ。自動車を持ち上げるとか銃弾に耐えるとかいう凄まじいことはできないが、瞬発力は大幅に上昇しただろう。しかし、一転し視力は大幅に減退。進行度は抑えたが、それでも猫の能力を発揮するには避けられないデメリットだ。そして、それを対価に得たメリットは──────

 

 

「!なにっ?」

 

「────遅いぜ」

 

「ぬっ、ぐぉふ!」

 

 

 一気に距離を詰めて放って来た拳打を上半身の動きのみで避け、胸と腹にカウンターの掌底をめり込ませる。...いや、手ごたえがない。どうやら踏み込みが元々浅かったらしい。玉樹は反撃を貰うとすぐさまバックステップで後退し、体勢を立て直している。今のは様子見か。

 ここで弓月が攻勢に動いた。兄のした攻撃をカウンターで撃退した動作から抜けきらぬうちに、すぐさま俺の右横に移動していた彼女が体育館の床を蹴り抜き、凄まじい勢いの飛び蹴りを敢行する。しかし、俺がその行動を逐次説明できているように、彼女の動きは既に捉えていた。

 

 

「ふんッ!」

 

「うそっ?コイツ視えてる?!」

 

 

 弓月のした一連の行動を逃さず瞳で追っていた俺は、下方から打ち上げた右腕で彼女のブーツを打つ。それでバランスを大きく崩したところへ、風の如く割り込んで来たティナのアッパーと掌底が顎、腹部に続けて決まり、乾いた音を響かせた後に吹き飛んだ。

 

 猫はサッケードという、素早く動き回るものを絶えず捉え続ける能力を持つ。サッケード時の猫の目の動きは上下左右にカチカチと瞬時に移動しているため、その速度は人間とは比にならない程のスピードを誇り、結果狩りの成功率を飛躍的に高めている。俺はそれをガストレアウイルスの働きで更に高めているため、弓月の疾風のような動きにも対応できた。ちなみに、これをステージⅣで使おうものなら、降る雨や飛ぶ鳥は静止して見える。

 ここで、ティナは攻撃的な型に入る。思わぬ反撃を貰って動揺したはずの弓月を追撃するためだ。しかし、派手に吹き飛んだはずの彼女が体育館の壁に激突することは無かった。

 

 

「!」

 

 

 何故なら、弓月の矮躯はまるで不可視の網に掛かったかのように速度を緩め、そして高速で跳ね返って来たからである。

 今度は此方が驚愕する番だ。謎の斥力を経て再び繰り出される蹴りの標的となったティナは、それでもシェンフィールドという全方位警戒システムで絶大なバックアップを得ているため、辛くも回避を成功させる。が、そちらに注意が釘つけとなってしまった俺は別だった。

 

 

「そらそら!余所見なんて馬鹿がすることだ、ぜッ!」

 

「ッ!ヤベ...ぐはっ!」

 

 

 肉を叩く鈍重な音とともに、腹部から過剰に伝達された電気信号を受け取った俺の脳内は、一瞬で激痛という二文字の単語で埋め尽くされる。それの突端を知覚するより前に直前の光景を思い起こし、他のなによりも優先して身体を屈め、利き足で床に杭を打つと同時、両手も動員してブレーキを掛ける。ほどなくして後方へ動く俺の身体は運動エネルギーを失い、速力もそれに伴い減退した。だが、入れ替わるように湧きあがってきた腹の痛みに噎せ、想定外の衝撃で乱れた呼気を整える。

 もしあのまま吹き飛ばされていたら、背中にあの不可視の網が当たり、猛烈な反発を受けて強制的に前方へ射出されたはず。その後は、足を動かす必要もなく、戻ってくる対象を思い切り殴打するだけの玉樹の追撃が待っていた訳だ。彼の拳とは全く逆ベクトルへ高速移動している分、その威力は絶大となるだろう。

 

 

「ほう、よく気付いたな。でも、そのままにしてりゃ楽にイけたのによ!」

 

「ち」

 

 

 先方は俺が衝撃から立ち直る前に勝負を決めるつもりらしく、インファイターとなって迷わず突貫してくる。それに舌打ちしてから、屈んだまま片手を突き、逆立ちとなったあとに跳び上がって玉樹のタックルを回避した。

 彼はすぐに背後へ移動した標的を補足し、頭で考えるより直感で放ったような挙動の回し蹴りが繰り出される。その靴底をバレットナイフの柄頭で受け止め、真上に払った峰でふくらはぎを強かに打ち抜く。玉樹はその激痛に堪らず足を引っ込めるが、歯を食い縛りながら無事な方の片足で踏み込み、尚も漆黒の拳打を振るう。俺はそれをバレットナイフで受け止め、多少押し込まれながらも弾いて距離を取る。

 

 

「クッソ、峰撃ちでこの一撃たぁ、ナイフの癖してえげつねぇな!」

 

「まぁ、なるべく痛くなるようにしたからな」

 

 

 俺の答えに、んな努力してんじゃねぇよ!と至極真っ当なお返事を頂くが、それを無視してこの状況...まともに動きまわることが困難な場を作り上げた元凶だと思われる弓月を横目で追う。幸い玉樹は先ほどの攻防で一時的に動きが鈍っている。現状を打開するタイミングは、恐らくここしかない。

 

 

「.....ッ、あれは」

 

 

 弓月が凄まじい脚力で跳躍し、体育館の露出した骨組みに足を掛けた時に気付いた。体育館の窓から差し込む太陽の入射光に照らされて輝く、彼女の後を追うように走った何か細い糸状のものが。

 

 アレは────もしや、蜘蛛糸か。

 

 過った確信に近い憶測を吟味しようとしたとき、俺を呼ぶティナの声で素早く顔を上げ、目前に迫った玉樹のナックルダスターを横に転がって回避し、続けて追って来た裏拳をバレットナイフの刀身で受ける。その衝撃を相殺しきれずに蹈鞴(たたら)を踏んだ拍子、背中に弓月の張った糸の感触が走る。それで完璧に片桐兄妹の戦法が見えた。

 

 

「ったく、すばしっこい野郎だ。男なら真正面からぶつかってこそだろ?」

 

「確かに、その意見には同意したいところだが。コッチにゃ戦法も何もあったもんじゃないんでね」

 

「ケッ、じゃあオレっちたちの戦法は分かったってのか?」

 

「さぁ?どうだかな」

 

 

 俺は呼吸を整え、ティナと弓月の方の戦況を流し見る。...大丈夫そうだ。既に二人の戦い方を分かってるな。

 確認を終えると、俺は先方の進言に敢えて従い、真正面から挑み出る。それが罠だと分かっていても、男の沽券に関わるのならやらない訳にはいかない。言葉を借りるが、俺もバカにされたままで腹が収まるタイプではないのだ。一方のそれを見た玉樹は笑みを濃くし、一転して逃げるような横への移動を開始し始めた。

 さて、ここいらでプロモーター同士の戦闘には片を付けさせてもらうか。俺は玉樹の後を追いながらそう呟くと、一際強く踏み込む前に己の聴覚へ意識を集中させる。室内であるため多少難儀するが、決して『風』がない訳ではない。なら、張り巡らされた蜘蛛糸によって、それが変わる向きは分かるはずだ。

 やがて、集積した風の音と向きの情報を元に周囲の状況をイメージすると、網膜の裏に白く細い糸が何本も浮かび上がってくる。...なるほど、玉樹が誘い込もうとしているエリアは、言うなれば蜘蛛の狩場といったところか。それでも視えてさえしまえば、所詮タネの明かされたトリックのような子供騙しだ。

 

 

「...ここか」

 

「────な、に?」

 

 

 玉樹から驚愕の声が上がる。その反応に聞くに、どうやら見えないはずの蜘蛛糸を避けられたらしい。というのも、俺は聴覚から受け取る事が出来る情報量を最大限増加し、また素早く必要なもののみを精査する効率も上昇させるため、目を閉じて視覚からもたらされる不要な情報を一切合切遮断している。

 そう。どうやっても視ることができないのなら、糸を知覚することが出来る五感の一つに全てを任せたほうがいい。一切の無駄を省くことができれば、それだけ己が必要とするものの解像度は増すのだから。だが、聴覚だけで視覚からもたらされる最低限の情報を補える人間はごく少数に限られる。耳から聞こえる音だけで周囲の状況を掴み、歩き続けるのは難しい。

 この戦況を見るギャラリー側からすれば、俺は何もない空間を無意味な動作で通過する奇人に見えるだろう。だが、その意味が分かっている標的は、文字通り蜘蛛の巣を搔い潜ってやってくる天敵としか認識できないはずだ。事実、最後の罠を抜けて目を開いた瞬間に飛び込んで来たのは、戦慄に強張った玉樹の顔だった。

 

 

「.....く、そったれがぁ!!」

 

 

 既に何度も見た玉樹の正拳突き。それが攻撃として放たれる機序はとうに把握済みだ。───故に、猫の能力を使わずとも見切れる。

 俺は玉樹の拳を最低限の動作で避け、伸びた上腕を下方から掴み、もう片方の手を十字に交差させる形で彼の顎に伸ばして掴むと、足を払った瞬間に垂直落下させる。その威力はガストレアウイルスでブーストした筋力によって激増しているため、一撃のもとに体育館の床は派手な音を立てて陥没し、彼の上半身は丸ごと地上から消失する。

 その有様を見た俺は、自分でやったにも関わらず、それきりピクリとも動かなくなった玉樹の安否が怪しくなってきて、後頭部を掻きながら思わず息を詰まらせる。

 

 

「やべ、力加減ミスったか?......っとぉ!」

 

「アンタやり過ぎ!兄貴の頭がこれ以上悪くなったらどうしてくれんの!?」

 

「ええ?!心配するとこソコかよ!」

 

 

 衝撃音に気付いたらしい弓月はティナとの攻防を抜け、空中から飛んで俺に鋭い蹴りをかます。それを飛び退いて避け、ひとまずはこんな風になっても無事らしい玉樹に向かって安堵の息を漏らす。貴重な戦力を早々に病院送りにしたくはないからな。

 埋まった玉樹を引き上げるか迷っていると、弓月との戦いの場にいるティナから声がかかる。

 

 

「お兄さん、お腹大丈夫ですか?」

 

「おう、問題ないぞ。で、さっきまでの戦いはやっぱり?」

 

「はい。決める気はありませんでした」

 

「ティナ先生はスパルタだなぁ」

 

 

 ことのあらましはこうだ。本格的な戦闘に入る前にティナから提案があり、それは『今まで教えた対人戦闘術を駆使し、片桐兄妹を実質俺一人で撃退しろ』とのことだった。正直気は進まなかったが、面目躍如の場はやはりここしかないと思い、ティナをあくまでバックアップとし、二人が取る戦術の打開と勝敗の決め手は俺が担うこととなった。

 恐らく、初回はプロモーター同士とイニシエーター同士でそれぞれ土俵をつくるだろうと思っており、実際にそれが現実となったため良かったが、二人してプロモーターを先に潰し、後に残ったイニシエーターを結託して確実に倒すという戦法だと危うかった。

 

 

「やはり、一番の効果を望むには実戦ですから。でも、先の戦いを見て確信しました」

 

「?...何をだ」

 

「お兄さんはちゃんと相手の型を読んでいました。でなければ、あのような投げは決まりませんから」

 

「お、おお...そうか」

 

 

 どうやら期せずして目的はしっかりと果たされていたらしい。確かに、決める間際に玉樹の殴打を分析し、その癖と型を弾き出してはいたが、ほとんど無意識だった。故に精度を上げようだとか、カウンターの動きをどうしようだとか考えているヒマはなかったのだが、むしろそれが最適解だったのかもしれない。

 久方ぶりの達成感を感じていると、隣で新しい手袋をつけ直すティナから予想外の言葉が発せられる。

 

 

「なので、あとは私に任せて下さい」

 

「え、いいのか?」

 

「はい。改めて思うと、イニシエーターがプロモーターに倒されるなんて、彼女の心を折りかねませんから」

 

 

 普通は無理ですけど、お兄さんは特別ですからね。といって微笑むと、ティナは改めて俺の対面にいる弓月へ挑戦的な視線を飛ばす。それを真正面から受け止める蜘蛛の因子を持つ少女は、余裕の笑みを浮かばせる。

 

 

「随分と面白いことを言うじゃないの。でも、イニシエーターであるアンタがその様じゃ、ただの冗談だわ」

 

 

 弓月の『最早勝負は決した』ともとれる発言に、俺はどういうことだと訝しむ。そんなところへ頭に木くずを乗せた玉樹が歩いて来て、罅割れたサングラスを手渡してきた。促されるままにかけてみると、なるほど、ティナが置かれている状況と合わせ、彼が何故妹の張った包囲網に掛からなかったのかが同時に理解できた。

 

 

「糸が...見えるな」

 

「だろ?なら、お前さんのイニシエーターが勝ち目ねぇこともわかる筈だ」

 

「.......」

 

 

 ティナの周囲を囲うようにして、その糸は縦横無尽に張り巡らされている。あれでは腕を振り上げても、回避行動を取ろうとしても捕縛されてしまう。玉樹の言っている通り、これでは勝ち目など見えようはずもない。

 一時はそう思ったが、肝心の渦中にいるティナは動揺も焦燥もなく、ただ微動だにせず弓月を視線で射抜くのみだ。ここから先何が起ころうと、それに対する対応はできる。という自信すら言外に感じられる。そんな俺と同じ意をティナから汲んだか、弓月は眉を顰めてギリリと歯を鳴らすと、即座に張った自分の糸を足場に天井近くまで昇っていく。

 玉樹と一緒になってその後を視線で追い、首を持ち上げると、天井に張り付いて逆さになった弓月が見えた。

 

 

「降参するなら今のうちよ!次の攻撃、痛いじゃすまないだかんね!」

 

「.......」

 

「いいわ。...なら!」

 

 

 弓月は怒りより疑問の表情を一瞬浮かばせるが、構わず片手を下方のティナに向け、大量の糸を展開する。それは瞬く間に上に上に引き絞られ、対照的に下へいくごとにその密度を高め、膨張していく。その威容はまるで────

 

 

「ハンマー、みたいになっちまったな」

 

「オイオイ弓月、あんなもんぶつけたら流石のイニシエーターもヤベェんじゃねぇのか?」

 

 

 白い鎚と化した糸塊を携えた弓月は、手繰る手を動かして鎚を大きく振り子運動させ、前方へ高く振られた瞬間に天上に着けていた足を離して自由落下をはじめる。それから間もなく、白い流星がティナのいる場所に激しく衝突し、体育館を大きく振動させた。木端が派手に舞い上がり、ギャラリーから悲鳴と歓声が上がる。一方の弓月は少し遅れて、爆心地より幾分か離れたところに降り立つ。

 玉樹はあちゃー、やっちまった。と呟いてバツが悪そうに頭を掻いているが、俺はといえばティナの張った策に未だに瞠目している状態だ。これは仕方ない。弓月も、相手が悪かったと割り切るしかなかろう。

 

 勝利を確信した弓月が、鎚と繋がった手元の糸を手前に引っ張る。それで返って来るはずの重い手応えと音は無く、戻って来たのはただの糸くずだった。────否。それは、鎚と繋がっていたはずの()の部分。

 

 直後、弓月の勝利に湧く体育館に、場違いなほど滑らかな声が響く。

 

 

「今の一手、なかなか驚かされました」

 

「..........どう、やって?」

 

「貴女が明確に私を拘束し始める前に、あらかじめ頭上へ束ねたワイヤを仕込んでいました。高純度バラニウム製なので、強固な蜘蛛糸とといえど、切れてしまうでしょう。結果、落下地点がずれた」

 

「はは...どうりで、何かに引っかかったような感触があったわけね」

 

 

 硬直した弓月の背後からその首に手刀を当てたティナは、己の勝因をあっさりと種明かしする。あの場から動かず、わざと敵の包囲網にかかったのはこのためだったのだ。つまり、戦術的に嵌められたのはティナではなく、完璧に弓月の方だった。それを理解した彼女は、膝から崩れ落ちて悔しさに呻く。

 

 

「アタシは、イニシエーターとしても二流、三流なのね。こんなんじゃ、人間としても、イニシエーターとしても必要とされるわけない...ッ!」

 

「そんなことはありませんよ。...だから顔を上げて下さい、弓月さん」

 

 

 俯く弓月の隣に片膝をついて視線を合わせ、優しく諭すように言葉をかけるティナ。差し伸べられた手は、しかし手に取られない。が、ティナは尚も笑顔を浮かばせて賛辞を贈る。

 

 

「私に与えられていた元々の序列は九十八。そんな手合いの者と弓月さんは戦い、あれだけの善戦を見せたんです。私が保証します。貴女は決して、二流、三流のイニシエーターなどではありませんよ」

 

「きゅ、きゅうじゅうはち!??」

 

 

 バッ!ともの凄い勢いで顔をあげてティナを見て、頷いたのを確認すると、今度は俺に視線が移る。その意図は、『この子が序列九十八位なんて本当なの?』といったところだろう。本当なので俺は素直に頷いておく。隣で玉樹が聞いてねぇぞと肩を揺らしてくるが、言って無いので知ってるはずもなかろう。

 

 

「彼の戦争では貴女の力が必要です。どうかこの手をお取りください。共にお兄さんを守りましょう」

 

「~っ!守る、守る!アタシ、ティナやんを守るために戦う!」

 

「ふあっ?」

 

 

 予想と違った返答に戸惑いながら、上気した表情で飛びついてきた弓月を受け止めるティナ。まぁ、俺を守るために戦えなんて、恐らく身内三人くらいしか承諾しないだろう。それが普通なのは分かっているはずだが、どこか釈然としない。

 と、ここで俺を呼ぶ蓮太郎の声に振り返り、掲げられた手に応えてハイタッチする。期待通りの働きができたようで、こちらとしてもなによりだ。

 

 

「結構ヒヤヒヤしたぜ?樹万。でも、これで約束通り俺のアジュバントに入ってくれんだよな?片桐社長」

 

「おういいぜ。だがな、ボーイ。俺ぁお前の実力を認めて入るわけじゃねぇ。美ヶ月のダンナの実力を買って参入するんだ。それが悔しかったら、実戦で活躍してみせろや」

 

「へ、言われなくてもそのつもりだ」

 

 

 俺と蓮太郎、玉樹の三人で結束の証として腕をぶつけ合うと、その一部始終をみていたギャラリーから喝采が響き渡り、健闘を讃える声までもが飛び交う。やがて体育館の端まで喧騒は広がり、『民警は嫌われ者』という周知の事実を暫しの間忘れることができた。

 




弓月、ティナ戦の決着むちゃくちゃ悩みました。原作通りだと味気ないので、どうしてもオリジナルにしたいと試行錯誤を重ねた結果、ナゲナワグモの存在を思い出し、じゃあいっそのこと糸をメテオにして、ぶちかまそうという感じになりました。無理矢理感あったらゴメンなさい...

対するティナの持っていた高純度バラニウム製ワイヤ。あれは原作にはありませんでしたが、タツマのバラニウムナイフをドクターの手によってワイヤに加工したものだとお考えください。

あと、タツマがガストレアの能力を解放すると、イニシエーターと同じように赤目になってしまうのですが、特殊なカラーコンタクトレンズを仕込むことによって黒目を維持しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41.武人

更新、遅くなりました!
もはや申し訳ないと言葉にするだけではどうしようもないほど期間が空いてしまいましたが、これからの本編で何とか巻き返しを図って行きたいと思います。


 破滅へのカウントダウンは既に始まっている。酷く暗い闇の中で牙を研いでいたどうしようもない真実という化物は、陽の光が上がってくるにつれてその輪郭を露わにする。それを知らずにいた人たちも、陽が上昇するにつれ、己の享受する平穏が、切り取ったかのような化物の影で覆われていることを悟るだろう。

 そして、今回は特に分かりやすい。何故なら、その平穏の象徴が変調をきたしているのだから。

 

 

「......お前の近隣の街の様子は?」

 

「すでに徒党を組んで聖天子様の批判をしている連中がそこらにいる。落ち着いてる奴なんて殆どいねぇ。が、聖天子様がやったことは間違ってないと思う」

 

 

 支給されたテントを設置しながら、俺が所属するアジュバントのリーダーである里見蓮太郎と会話を交わす。その内容は決して明るいものでは無く、周囲の喧騒とはかけ離れた、今まさに未来への希望を失いつつあるこの国を憂えるものだ。事前に聖天子から伝えられ、俺たちが危惧していた災厄は、もう目前にまで迫っている。

 俺は釘を打つ手を止め、滲んだ汗を手の甲で拭いながら空を見上げる。そこには、確実に阿鼻叫喚となるだろう四日後のことなど、まるで感じさせないほど澄み切った青空があった。

 ...昨夜、モノリスの白化がついに一般住民層に露見した。報道各社は一斉にこの話題を取り上げ、今まで隠匿されていた腹いせのように東京エリアの危機を声高に叫んだ。そのときに空撮されたモノリス外にひしめくガストレアは、未だ状況を呑みこめずにいた無知蒙昧な人間たちに、逃れようのない危機が迫っている現実を知らせるには十分だった。

 住民たちの理解が絶大な混乱に繋がるというその直前に、政府から正式なモノリス倒壊の事実を伝えられた。その内容に一切の脚色はなく、圧倒的なまでの脅威が間近にあることをありのままに告白したのだ。

 無論、絶望だけをぶちまけて後は終わり、ということはなく、恐怖と狂乱の波に呑まれるだろう民衆へ希望と言う防波堤を築き、また地下に敷設されたシェルターへ収容される人間の名簿が公表された。

 

 

「間違ってない....そう思える人間は、今の東京エリアにどれくらいいるんだろうな」

 

 

 シェルターへ避難できる者は、コンピューターによってランダムに選ばれている。東京エリアに住む凡そ30%が収容可能ということだったが、ただでさえあぶれた残り70%の住民から不満の声が上がる事は避けられないというのに、聖天子は、前述の避難できる人員のなかに、呪われた子どもたちの名前も含んでいたのだ。これには激しい非難の声が相次ぎ、今朝も各地でデモ行進が行われていた。

 時期があまりにも悪すぎる。彼女たち、呪われた子どもたちの社会的地位を向上させるという法案が、苛烈な反対によって破り棄てられたのは記憶に新しい。そのほとぼりが完全には冷めていない中で、この行いを堂々と敢行する聖天子の蛮勇さは、愚かしいという評価すら生ぬるい。だが、蓮太郎はそんな判断を下した彼女が責められることに....否、火急の事態だからという言い訳のもと、地位や人種を盾に己が身を守ろうとする人間に怒りを燻らせる。

 

 

「自分の命が脅かされてる状況だからって、弱い立場にいる誰かを脅かして生存権を略奪する行為が肯定されるのかよ?」

 

「確かに、それはそうだ。だが、そうすることでしか、武器を携え立ち上がることもできない人間は恐怖を消化することができない。現状の打開に直接的な影響を与えられる俺たちのするべきことは、住民の弾劾じゃなく、戦争を無事に終わらせることだけだ」

 

 

 俺の冷静な言葉に歯を噛み締めて俯く蓮太郎。握る金鎚に力が籠められ、その先端が少し揺れる。それでも、俺は今言った言葉を訂正する気はない。戦争において武器を取り命がけで戦う人間と、それをせず己が身を守る人間は、もはや別種の存在なのだ。命を捨てる覚悟を持った人間と、命を必ず守り抜く覚悟を持った人間....価値観が致命的にすれ違う者同士の対話が、成立するはずはない。

 俺は再び青空を仰ぎながら、周囲の喧騒を耳に入れて思う。....ある意味、現在のこの東京エリアで最も希望を持つ人間が集まっているのは、俺たちのいるここなのではないだろうか、と。

 明確な目的があり、それを達成すれば皆が助かる。その難度はともかく、俺たちの前には分かりやすい答えが提示されており、今やるべきことがはっきりとしているのだから。

 

 

「戦争を終わらせる....か。なぁ樹万、俺たちチーム全員、生きて帰れると思うか?」

 

「リーダーが弱気でどうするよ。士気を上げるのも下げるのもお前次第なんだぞ」

 

「けどよ、敵は四桁を悠に超える化物集団だ。正直、そんなのと正面から当たるのは想像もつかねぇ」

 

 

 蓮太郎の感想がごく一般的であるのは否めない。仮に蟻で見立ててみても、目前に並べれば千以上と言うと圧巻の様相となるだろう。それが、一体につき自動車以上を誇る大きさで、ヒトを容易に食い殺すガストレアとなると、最早地獄絵図だ。にもかかわらず、此処にいる多くの民警達が、気の抜けた表情で食い物の屋台やら武器を並べた露店を歩き回っているのは理由がある。それは...

 

 

「その化物集団と真っ先に正面から当たってくれるのは自衛隊だ。勝敗は知らんが」

 

「ああ...そうだったな」

 

 

 第二次関東大戦時、多大な戦果を上げた自衛隊。この事実は住民にも広く知られており、実力に対する信頼も厚い。そんな彼らが徹底抗戦の姿勢を表していると同時、その背後に民警まで陣を敷いているという状況だ。東京エリアの住民たちのみならず、民警の間でも、『もしかしたら自衛隊がやってくれるんじゃないか』という期待を抱いている。

 俺も、できればそうなってほしいとは思う。だが、なぜだろうか。敵がそんな俺たちの浅薄な思考を全て見通しているような気がしてならないのは。隣の蓮太郎も、俺の返答に頷きながらも、どこか納得のいかない表情を貼りつかせていた。

 取り敢えず、あるかもないかもわからない事に一々頭を悩ませていては、悪戯にストレスを蓄積するだけだ。気分転換の意も込めて一旦休憩し、飲み物でも口に含もうかと立ち上がりかけたとき、背中に一、二、三とリズムよく誰かが体当たりしてきて、再び腰を落とす羽目になる。そして、続けて同僚の一人である片桐玉樹の声が降ってきた。

 

 

「ったく、辛気臭ぇツラしてんなよ。特にそこの不幸顔、テメェ俺っちと旦那にまでアンラッキーを伝染すつもりか?」

 

「テントの設営サボって喰い歩きしてたテメェにだけは言われたくねぇ」

 

「んだとコラ!俺っちは旦那に言われた情報収集とバディ探ししてたけだ!」

 

「兄貴、歯に青のりついてる」

 

 

 蓮太郎と取っ組み合いを始めた玉樹は取りあえず放っておこう。弓月の言った通り歯に青のりついてるし、どうやら未遂ではなく既遂なのは確実だ。成果はあまり期待しない方がいいだろう。実はこうなることを半ば予想しており、彼とは別にもう一個小隊を派遣していたのだ。そして、その大本命である派遣要員は、今し方背中にのしかかって来た彼女たちだ。

 俺はその三人...飛那、夏世、ティナを地面へ降ろしたあとに向き直る。

 

 

「うし、ご苦労だった、三人とも。それで、周りの雰囲気はどうだった?」

 

「えと、樹万の言う危険な人は見当たりませんでしたよ。とはいっても、全員見た訳ではないので100%保証できるわけではありませんが」

 

「残念ですが、現行のフリーの民警の方々はお世辞にも私たちと肩を並べて戦える実力ではありませんでした。樹万さんが望むなら、更に当たってみますよ」

 

 

 飛那に頼んでいたのは、危険人物の事前リサーチだ。こういう人が密集している場では、稀に人を殺したいがために紛れ込む狂人がいるので、その調査を頼んでいた。何故、よりにもよってこんな時期に?と思われがちだが、こういう時期だからこそ、気が触れて凶行に走る者も出てしまう。

 『どうせ、皆死んでいなくなる』。こういう生に対する打算的な思考が過った瞬間、心の中で無意識に飼っていた悪魔に魅入られることがままある。それを危惧していたのだが、今のところはその心配はなさそうだった。

 次に、夏世に頼んでいたのは、新たな戦力の発見だ。現状の里見蓮太郎率いるアジュバントの要員は、俺と玉樹だけ。俺は前線で思い切った実力をだせないため、このままでは純粋に戦力が足りない恐れがある。最低限あと一組は欲しいところなのだが、今更あぶれている連中は相当な下位か嫌われ者だろう。言葉は悪いが、入れても水増し要員にしかならないばかりか、下手をすれば足手まといとなり、戦地での柔軟な対応力を欠く可能性が高い。

 俺は夏世と同じく戦力探しを頼んでいたティナに、一縷の希望を乗せた視線を送る。

 

 

「すみません。私の方も感触はイマイチでした」

 

「そ、そうか....いや、いいんだ。まだチャンスがない訳じゃないしな」

 

 

 そう言いつつ、落胆の色は隠せていなかったのだろう。ティナは少し励ますような口調でもう一言付け足した。

 

 

「ですが、向こうで少し気になる騒ぎを見つけましたよ」

 

 

 

          ****

 

 

 

 勧誘なら俺も行く、リーダーの顔があった方が何かと便利だろ?と言いつつ、テントの中で居眠りしていた延珠を起こして俺とティナについてきた蓮太郎は、やはり俺と同じく、人が足りないことを危険視しているようだ。

 そんな中でも、しっかりと人選は行わなければならない。蓮太郎とてそのことは理解しているだろうし、ある程度のことには目を瞑るとはいえ、必要な点はきっちりと抑えて来るだろう。その御眼鏡に適うかどうかの保証は出来ないが、少なくともティナは、チンピラ同士の諍いなどを気にかけるはずはない。

 

 

(協力的でも実力が伴わなければボツ、実力があっても協力的でなければボツ。こんな言い方するとワガママだと吐き捨てられかねないが、実力面では民警の中でも平均より少し上、精神面では人間として平均レベルでいい。この際、贅沢はいってられないからな)

 

 

 ステージⅤガストレアのスコーピオンを退けた東京エリアの英雄。強さを示す肩書きとしてはこれ以上ないほどのものだが、受け取った当人が里見蓮太郎であるという点で、多くの同業者から反感を買ってしまっている。現状、人が集まらない理由の大半がこれだろう。

だからといって、蓮太郎を謗るのは甚だ見当違いだ。悪いのは彼ではなく、年長者というつまらないプライドで己が身の自尊心を守る、どうしようもない民警達だ。蓮太郎の行いは正しく英雄であり、評価されることはあっても、誰かに中傷されるいわれはない。

 そんなことを考えているうちに、目的の場所に到着する。その場所には人だかりが出来ているものの、ざわめきようから察するに、ことは済んでいるようである。しかし、集まった野次馬の輪が崩れていないので、恐らく渦中の人物は未だ中心にいるはずだ。

 無理矢理にでも踏み込んで姿を確認するか、出てくるまで待つか。その選択に頭を捻っているうちに、向こう側で先んじて動きがあった。

 

 

「お、出て来るみたいだぜ」

 

「ふぁ....何がでてくるのだ?れんたろーの友達か?」

 

「そうなってくれそうヤツならいいんだがな」

 

 

 半覚醒状態の延珠が呑気に欠伸をかます。いっそのこと、彼女の言う通り蓮太郎の顔見知りだったら話が早いのだが、彼のような気遣いを悪態の内に隠す面倒な性質に付き合う、有体に言えば『友人』と呼べる者は極々少数に限られるだろう。相当人間が出来ていなければ、表層の部分のみを受け取って気分を一方的に悪くし、関係は悪化するのみだ。

 そういったことから、『蓮太郎の友達である可能性』は、碌に審議もせず丸めてゴミ箱にポイし、初対面であるという前提のもとで会話の工程を組み立てていく。やはり事は現実的に見て進めるのがいちば....

 

 

「む....そこにいるのは里見か?」

 

「な!まさか彰磨兄(しょうまに)ぃ....なのか!?」

 

「?!」

 

 

 思考が一瞬空白を生む。今、蓮太郎の口から何という言葉が飛び出た?大体の人の名前を目上目下問わず、乱暴に呼ぶコイツが、『彰磨兄ぃ』だと?

 そんな内心の動揺を隠し、蓮太郎の元へ歩み寄る謎の男を観察する。まず、目元には深くかけたバイザーだ。日光を遮る半透明の樹脂板から覗く瞳は、数多の死線を潜り抜けた証左である、無駄を一切省いたような色の抜けた眼光を備える。そして、コートを纏う長身から立ち昇る、未だ冷めやらぬ闘気。鋭利な剣めいたそれは、彼が実力者であることを克明に現すものだ。....これらの要素を総合すると、間違いなくこの男は只者ではない。

 輪を作っていた野次運たちの目が、輪の内側から親し気に言葉を交わす謎のバイザーの男と蓮太郎の方に移る。その時に動いた人の波の隙間から、いかにも舐められたら食って掛かりそうなモヒカン男と、相棒であるイニシエーターが大の字で目を回しているのが目に入る。一体どのような手並みでこうなったのか非常に気になるところだが...と、そんな風に別のところへ行っていた意識が、ジャケットの裾を控えめに引っ張って来たティナによって戻される。

 

 

「彼が、私の見つけた『気になる騒ぎ』の渦中にいた人物です。樹万さんなら、言わずとも気付いているでしょうけど」

 

「ああ。確かに、これは下手すりゃそこいらの千番台よりとんでもないかもしれん」    

 

 

 こうして他者と話している間も隙が無い。それも、長年にわたって洗練されてきたらしく、無理して周囲を警戒しているような素振りは一切なく、あくまで自然体に極力近づけ、しかし拳の間合いに入るものすべてを瞬時に迎撃できるだけの予備動作を、既に肉体の内に内包している。

 ティナが気がかりに思うのも仕方ない。アレは並みの武芸者では辿り着けない極地に足を踏み入れた者ができる技だ。それは武と称することすら憚れる、行き過ぎた暴力ともいえる。俺やオッサンもそうで、小石の投擲で対戦車ライフル同然の一撃、拳打一撃で鉄骨をへし折るなど、恐ろしい技の数々がある。尤も、オッサンはそれすら超える人外なのだが。

 と、蓮太郎が俺の方を指さしてから歩き出し、バイザーの男を手招きしている。どうやら紹介してくれるらしいので、俺も彼らの方へ向かおうと足を動かす途中、男が今まで左半身を向けていた身体を正面に向けた時、彼の右半身に何かが取り付いていることに気が付いた。

 

 

「君が里見のアジュバントの一人か。俺の名は薙沢彰磨(なぎさわしょうま)。天童の家に居た頃、里見とは共に技の練度を高めた関係だ。そして、」

 

「え、えと。彰磨さんのイニシエーター、も、モデル・キャット、布施翠(ふせみどり)でっしゅ!よ、よろしくおねがい、します....はぅ」

 

 

 バイザーの男....彰磨に優しく背中を叩かれた彼の右端に取り付いていたものは、カチコチとした挙動で俺とティナの前に立つと、同じくカチコチの声で自己紹介した。重度の人見知りらしく、言葉が終わるや否やパタパタと移動し、主人の背中に隠れ、とんがり帽子の乗った頭だけをこちらにそろりと出してくる。

 彰磨の隣に立っていた蓮太郎は自己紹介が済むと同時に、少し得意げな顔で彼の肩に手を乗せると、

 

 

「彰磨兄ぃは天童式戦闘術八段の腕前で、天童流の俺の兄弟子だ。実力は折り紙付きだぜ」

 

 

 あの蓮太郎が嫌味なしに実力を認めるか。これまでの彼の隙が無い一挙手一投足と、この評価。どうやら、存外に彼の人脈は侮れないらしい。

 




現実感かなりあるのに、さらっとブラブレって人技越えてるキャラ多いですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42.信頼

彰磨くんは強い。マスターガンダム並みに強い。


 貴重な戦力を無事に入手できた俺と蓮太郎は、ひとまず安堵の気持ちを湛えたままテントへ帰還する。結果的に、彰磨は蓮太郎と顔見知りで、同じ天童式戦闘術の使い手であるため技もある程度把握できており、延珠の生来の気質故か、引っ込み思案で主の背中に隠れてばかりの翠にも、めげずに笑顔と共に会話を試み、早くも固い態度を氷解させつつあることで、二人は実力面も、協調性も当初の条件を軽々合格できる逸材となりそうだ。

 

 

「薙沢彰磨だ。よろしく頼む」

 

「ふ、布施翠です」

 

 

 少し野暮用を済ませた後にテントに戻ると、蓮太郎と延珠が中心になり、同じチームの仲間たちに二人を紹介していた。その反応は様々で、玉樹はもっとマッチョなクールガイの方がいいんじゃねぇの?といいつつも、人手不足である点はしっかりと分かっていたようで、己の偏見一つで突っぱねることはせず、歓迎の意を示していた。

 弓月や飛那、夏世たちイニシエーターは、一足先に仲良くなっていた延珠が上手く立ち回り、彼女たちが翠に抱く第一印象をより良いものとできるよう、彼女の良い所を舌鋒鋭く語っていた。といっても、延珠の持つ語彙力では必然限界があり、挙げていた良い所はだんだんと抽象的な表現になっていっていたが、その頃には既に三者から十分な信頼を得ていた。

 俺は携帯の液晶へ落としていた視線を上げ、一頻り雑談を終え、皆の緊張感がある程度弛み始めていることを確認してから、流れをこちら側に持っていくため、蓮太郎に向かって今後の方針が定まっているのかを問うことにした。

 

 

「さて、蓮太郎。人員に関して目下の問題は解決したが、これで戦術組むか?」

 

「......いや」

 

 

 突然振られた現実的な話題に多少息を詰まらせた蓮太郎だが、すぐに思考回路を切り替え、顎に手を当てて思案を始める。その目はテント内のメンバーを順繰りに眺めていき、一周したあとに再び俺へ視線を投げた。

 

 

「俺は、できれば五組十人は欲しいと思ってる」

 

「....ふむ。里見、なぜその人数なのか理由を聞かせて貰いたい」

 

「それは、俺がまとめ切れる人数で、かつ戦闘において死角をより多くつぶせる人数が、恐らくそこまでだと思ってるからだ」

 

 

 胡坐をかいた状態で両手の親指同士を擦りあわせながら、彰磨のした疑問に答える蓮太郎。その顔には、妥協を許すべきではないという厳しい表情と、完璧に近い形で成りつつある仲間の環を、異分子の介入で崩したくないと煩悶する表情が同居していた。

 ともあれ、理想は五組十人。現時点での里見蓮太郎率いるアジュバントは四組八人。あと一組入れば、リーダーの不安を限りなく除いた状態で戦に臨める。だが、望まれるのは実力的に問題がなく、チーム内に不和をもたらさない人物だ。決戦まで日がない今、そんな集められれば真っ先に集めていく者を今更募れるとは思えない。....そう、誰もが思うだろう。

 

 

「了解したぜ、リーダーさんよ」

 

「?了解って、どういうことだ樹万」

 

「言葉の通り、お前の要望に応えようって話だよ。....おーい!待たせて悪かった!入ってくれ!」

 

 

 突然、テントの外に向かって呼びかけた俺に訝し気な視線が集中する。が、それから間もなくテントの幕が動き、夜の風とともに黒を纏った一人の少女が姿を見せ、あっという間に俺へ向いていた視線は闖入者の方へ移動する。

 しかし、当の少女....天童木更は、少し唇を尖らせながら俺の方を見ると、

 

 

「女の子を長く外で待たせるのはよくないですよ?美ヶ月さん」

 

「いや、それは本当にすまなかった。和気藹々とした空気が固まるまで待ってたんだ。チームの結束には必要不可欠だからな」

 

「お、おい待てよ!まさか樹万テメェ、木更さんを参加させようってんじゃねぇだろうな!?」

 

 

 俺と木更の会話に割って入って来た蓮太郎は、今まさに飛び掛かからんとばかりに犬歯を剥き出しにして睨んで来る。踏みとどまっているのは、彼が危惧しているそれが憶測の域を出ないからだ。

 だが、残念ながらそれは事実だ。実に察しが良いと褒めてやりたいが、銃口を向けられたくはないので言葉は選ばねばならない。そうして正念場の交渉に踏み込もうと口を開きかけたとき、俺の前に黒い影が割り込んで来た。

 

 

「そのまさかよ。私はこの戦争に参加するわ」

 

「ふざけないでくれッ!樹万に唆されたってんだったら今すぐ降りろ!生粋の武人だった自分が、何で事務室の椅子に座って書類仕事してるか分かってるはずだろうが!」

 

「勿論分かってるわ。でもね、だからといって私が安穏と皆の帰りを待つ理由にはならない。危険を顧みずに戦うおバカな里見くんを守るっていう理由がある。それができる力もあるって信じてる」

 

「っ....それは、嬉しい。嬉しいけど......でもッ、イニシエーターはどうすんだ!」

 

 

 彼女の覚悟に心を揺さぶられて尚、蓮太郎は戦線への参加を認めたくはないようで、握り拳を作りながら反論を絞り出す。

 それに対し、木更は涼しい顔で首を巡らすと、俺の隣に座るドレスを着た金髪の少女に視線を止め、微笑む。少女....ティナはそれに笑顔で返してから立ち上がり、木更の隣まで歩いて移動したあと、皆に軽く会釈する。

 

 

「美ヶ月さんの許可を借りて、ティナちゃんと私の一時的なペア結成を聖天子様に直接打診してきたの。戦力が足りない今なら、あの事件に関わったティナちゃんでも可能なんじゃないかって」

 

「はい。結果、通りました。一時的ということなのでライセンスの発行や序列の付与などはされませんが、今回の戦争への参加権は無事得ました」

 

「お、お前ら....勝手に、話を進めて......!」

 

「里見くん。勘違いしないで欲しいんだけれど、このことは全部私の独断よ。二人に当たるのは止めなさい」

 

 

 踏み出しかける蓮太郎に向かい、木更の鋭い言葉が突き刺さる。彼女にめっぽう弱い彼は、それで機先を制されてしまい、二の句が継げなくなった。

 それに、心のどこかでは木更の参戦を受け容れつつあるのだろう。なにせ、今の東京エリアには絶対と言える安全な場所などないのだ。戦う力が、意志があり、逃げる場がないのならば、状況の好転を少しでも己が手で作れる可能性が望める分、戦争への参加を考えるはずだ。ましてや、戦場に赴く者の中に大切な人が混じっている。こんな条件下での遁走など考えられない。それを蓮太郎も分かっている。

 

 

「戦うべきときに戦わないのは恥ずべきこと。私はあの時戦えるだけの力も気概もなかったから、ただ見てることしかできなかったわ。でも、今は違う。せめて刀を取って抗えるくらいの武力も意志も身に着けたつもりよ」

 

「....戦うってのか。木更さん」

 

「そうよ。....だから里見くん、お願いだから一人で抱え込もうとしないで。少しは頼るって言うことを覚えなさい。――――私たち、仲間でしょ?」

 

 

 木更のその言葉で、俺や延珠を始め、全員が蓮太郎に向かって声を掛ける。頼られることを許し、受け容れ、誇るように。

 そんな木更と俺たちを見た蓮太郎は、一瞬仕方なさそうな、しかし嬉しそうな笑顔を覗かせ、すぐにもとの不機嫌そうな顔になると、今まで対峙していた上司の前まで歩みより、拳を差し出す。

 

 

「頼りにさせて貰う....が、ちゃんと身体は労わってくれ」

 

「うん。折を見て透析にはちゃんと行ってくるから」

 

 

 それを見た木更も拳を前に出し、仲直りをするように蓮太郎と突き合わせた。

 

 

 

          ****

 

 

 

 ここに里見蓮太郎率いる完全無欠のチームが完成し、ほぼほぼ問題もなく全員が自己紹介を終えた。皆アクの強い性質を持ってはいるが、連携面では特段障害になることはないだろう。

 ただ........

 

 

「うっす!姐さん、メロンパン買ってきました!お望み通り外はカリッと中はふんわりです!」

 

「あら、ありがとう」

 

 

 どうやら玉樹は、先ほど蓮太郎に見せた木更の超然的な雰囲気に惚れ込んでしまったようで、自ら下っ端のような役割を買って出て得点稼ぎのようなことをしている。傍目からみるとかなりアレなのだが、木更自身もこのような扱いをされることに満更でもなさそうなので、現状維持となっている。

 それはともかく、戦場においての主要な戦い方をそれぞれ把握するためにも、メンバー全員で腕前披露と相成った。

 

 玉樹や弓月、延珠と順々に技を披露していく中、俺は蓮太郎の隣でそれを眺めていく。そして、改めて個々の戦闘力の高さをまざまざと知らされた。中でも突出していたのは彰磨だ。

 

 

「....まさか、俺とオッサンが踏み込んでる領域の近くまで来れる人間が、他にいるとはな」

 

「?どうした樹万」

 

「いや―――――」

 

 

 蓮太郎の疑問を曖昧に流してから、少し思案する。そもそも、オッサンが教えてくれたあの技は何なのかを。

 彰磨が行ったのは、細い木の幹を素手で叩き折るという離れ業だ。アレは自分の身体から訳の分からない力を放ち、対象を問答無用で爆裂させるものに似ている。だが、彼の取った身体の動きはオッサンや俺のものと近くはあるが、根本の性質が大きくかけ離れており、由来が分からない俺には回答の糸口が見えてこない。

 それでも、何故だろうか。どうも、彰磨の力は....

 

 

「おい、樹万?」

 

「っと、すまん。どうした?」

 

「今度はお前の番だぞ。何だかんだで、皆結構気にしてんだ」

 

 

 蓮太郎にそう言われて広場を見渡してみると、確かに全員からどこか期待の眼差しに近いものを向けられている気がした。

 少し、いやかなり居心地が悪い。この状況から早めに脱するためにも、無難な形で信頼を得て終わりたい所だ。戦闘スタイルは多々あるが、一番使うやつでいくか。

 俺は腰からバレットナイフを抜き、少し悩んでから名刺入れを取り出すと、一枚だけ引き抜いて、近くに立っていた夏世に質問する。

 

 

「俺の名前、上と下どっちがいい?」

 

「えっ?....そ、そうですね。たったた樹万さんが好きです」

 

「了解」

 

 

 俺は何故か噛みまくって恥ずかしがる夏世の頭を軽く撫でてから、皆にも分かるように説明する。

 

 ――――まず、このバレットナイフで名刺を姓と名に切断し、その後に名が書かれた方の紙片のみを撃ち抜く、と。

 

 これでも実力の示す方法を譲歩したつもりなのだが、周囲からはどよめきの声が漏れる。それを努めて聞かぬようにし、俺は片手の人差し指と中指で挟んだ名刺を宙空に放った。

 

 

「――――――!」

 

 

 下段からの一閃。不規則に舞う名刺を姓、名に別つ。――――成功。

 分断された紙片を横目に見ながら、振り上げた腕の中でバラニウムナイフのロックを外す。

 そして、多少は予想していたより風に流されたものの、しっかりと己の名が書かれた紙片の視界に入れ、迷いなく発砲。

 ナイフは紙片をざっくりと抉っていき、そのまま星の煌めく夜空に消えた。

 

 

「ほい。これでどうだ」

 

 

 俺はバレットナイフを軽やかに回してから、『美ヶ月』と『樹万』の間が綺麗に分かたれた紙片を持ち、皆に見せる。名である『樹万』の方はバラニウムナイフで撃ち抜かれて万の字が欠損していたが。

 ともあれ、確かに宣言通りの状態となっている名刺の有様を目に映した飛那、夏世、ティナ、延珠、そして翠は黄色い声を上げて感嘆の意を全身で現してくれたが、弓月を含む大人たちは、何処か感触が悪いようだった。

 

 

「ええと、実際に見ると、少し」

 

「だな」

 

「うむ」

 

「兄貴よりはマシだけど」

 

「おい弓月?」

 

 

 木更、蓮太郎、彰磨、弓月、玉樹はそろって顔を顔を見合わせると、声を合わせ―――――

 

 

『地味』

 

 

 オーディエンスからの評価は辛辣なものだった。

 マジックなどでも、実はかなりの高等技術が使われているにもかかわらず、見た目の地味さで観衆からウケないものがあるように、彰磨のやった木の破壊、木更のやった剣圧を飛ばしての岩の粉砕みたく、相手の五感を直接揺さぶる、分かりやすい見世物の方が効果はあったかもしれない。

 俺は微妙な笑みを浮かばせながら、こんなもんさと肩を竦めてから、純真無垢な目で賛辞を送ってくれた少女たちの頭を撫でる。その途中、翠の三角帽越しに頭へ触れたとき、覚えのある感触に襲われた。

 その感触に大方の見当は直ぐついたが、こういったものを指摘されることに嫌悪感を持つ子がいることは、これまでの経験で知っている。ちなみにその件で仲たがいしてしまった少女とは既に和解し、一方的に結婚の約束をされるほどの間柄になっているので、安心してほしい。

 その経験をもとに、俺は敢えて追及することなく、触れたことでずれた翠の帽子をさりげなく直してから離れる....はずだった。

 その直前で翠にコートの裾を掴まれ、暗に制止を求められたのだ。気付かれたかと自分の迂闊さを呪いかけたが、三角帽の鍔から覗く瞳には、嫌悪とは真逆の光を湛えていた。

 

 

「美ヶ月さんは、優しいですね」

 

「....こうなっちゃ、その優しさも形無しだけどな」

 

「いえ....私は、向けられた優しさには、気付きたいですから。......だって」

 

 

 『気付けば、それに応えられます』と、そう言った翠は、帽子のつばに手をかけて頭上から胸の前に移動させる。そうして彼女の頭部には何も乗っていない状態となるはずだったのだが、黒い帽子と入れ替わるようにして姿を現したものがある。

 

 ――――それは、今まで帽子の中に隠れていた一対の獣耳だ。

 

 蓮太郎たちもこれには驚きを隠せずにいるようで、翠の頭の上で小刻みに動く、あまりにも人間とは逸脱した身体的特徴の一つに視線を注ぐ。プロモーターである彰磨も驚いているようだが、これは彼女が己の意志で自分の秘を打ち明けたことに対してのものだろう。

 

 

「里見くん、翠ちゃんのこれって」

 

「恐らく、ベースの動物である猫の因子が強く作用して、骨格の作りを変えたんだ。前例は少ないが、実在はする」

 

 

 木更の疑問に答えた蓮太郎の言う通り、発現した生物の身体的特徴を恒常的に維持してしまう症例はいくつか確認されている。こういったことが起こる原因として、ウイルスに対する抵抗性が低い、発現経路や機序が他と異なったなど研究結果が挙げられているが、詳しい部分の解明はされていない。

 向けられた奇異の視線を浴びた翠は、湯気が出そうなほど顔を赤く上気させながら帽子をかぶり直し、その場で縮こまってしまうが、延珠や飛那たちが彼女の前に集まり、羨望の眼差しと声をかける。

 

 

「恥ずかしがることないぞ!妾だってウサギの耳欲しいくらいだからな!なんたって蓮太郎が悦ぶ!」

 

「そうですね。私も羽が欲しかったです。樹万が喜びそうなので」

 

「....なんでだかオレっちにゃ分からねぇが、二人の『よろこぶ』が意味的に違うような気がするんだが?」

 

「やっぱり里見蓮太郎は変態のロリコンね....最低」

 

「俺はロリコンじゃねぇ!木更さんの前で変なこと言うな!」

 

 

 一定のペースで弓月の株を大暴落させていく蓮太郎。基本的に彼女たちからの信頼を勝ち得るに足る性格と立ち回りをしているのだが、どうも片桐妹は相当に手ごわいらしい。

 そんな風にてんやわんややっていた時、外部の人間の気配を察知し、暗闇に意識を向ける。緩く構えていたが、暫くして現れた細身の自衛官の一挙手一投足を見て改めて戦闘意識を手放し、彼が用のあるであろう人物に当たりをつけ、その当人である蓮太郎を呼んだ。

 予想通り自衛官は蓮太郎を指名すると、少し離れたところで二、三口頭でのやり取りをし、互いに一礼してから別れ、此方に戻って来た。

 

 

「団長である我堂長正(がどうながまさ)が決起集会やるらしい。作戦に参加する民警全員だってよ」

 

 

 蓮太郎のその言葉で、抜けていた緊張が僅かに戻り、空気が引き締まった。

 我堂長正。それは列強揃いの民警の中で知勇兼備の英傑とまで言われる傑物だ。一体どのような男なのか気になるところだが....

 

 俺は三十二号モノリスのある方向へ目を向け、身体を駆けまわる妙な焦燥感に抗う。自分に似た、自分ではない何かが俺の耳元で囁きかけてくる言葉に、抗う。

 

 ―――ハヤク、ハヤクコロセ。クワレルゾ。ナニモカモ、クワレルゾ。

 

 拳を握り、眉間を揉んで得体の知れない衝動を抑え込むが、まるで用意していたかのように、代わりに永く在った戦場の勘が告げてくる。

 

 此処は間違いなく地獄になる、と。

 

 




ょぅι゛ょ爆殺はやらせねぇ....絶対にだ。(迫真)

どうやって回避するかはお楽しみに!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43.決起

この話で原作の第三次関東大戦とは異なる点が明らかになります。

異なるとはいっても、イージーになることだけは有り得ないと、何となく察してしまう方がいるでしょうけど......えぇまぁ、ハードモードですけど?(白目)


 会場は急造だと思われたが、割としっかりしたひな壇が組まれており、焚かれた篝火がその場に集った大勢の民警たちを照らし出していた。

 俺たちも無論その一団の中におり、此度の戦争において東京エリア全土から召集された民警各位を束ねる、辣腕と噂の我堂長正の登場を待つ。これだけの大任を負う人物が、果たして壇上にて何を語り、どのような影響を俺たちに与えるのか。実に楽しみだ。

 

 ────我堂長正。序列二百七十五位。イニシエーターは壬生朝霞。年の頃は五十四。

 一瞬冗談かと疑うような年齢ではあるが、事実である。何度かメディアに顔を出しているところを見ていたので、その佇まいと巌のような雰囲気から、無為に年を重ねただけの老骨ではないことは見て取れた。

 そういった諸々の評価はあるが、この状況下でも寡黙な武人としての振舞を持ってくるのでは失格だ。ただ、本来荒くれ者である周囲の民警も一目置くほどなのだから、反抗や野次という点を心配している訳ではないことは事前にご理解願いたい。

 真に不安なところは....

 

 

「────おい、樹万。来たぞ....我堂だ」

 

 

 隣にいる蓮太郎の声に気付き、それまで下げていた視線を、舞台に上がって来た鎧姿の禿頭の男....我堂長正に向ける。そして、演説が始まった瞬間、彼が何故二百番台にまで躍進しているか理解し、先ほどの不安も霧散した。

 

 

「よくぞ集ってくれた!我らが領有する聖地に侵略せんとする、無法な蛮族どもを打倒する勇者諸君!」

 

 

 大気を震わせる一喝。意図せず背を伸ばして、居住まいを正してしまうような強制力すら感じる大声(たいせい)。隣の蓮太郎も細めていた目を見開いた直後、ほうと感嘆に近いつぶやきを漏らしていた。

 第一声で民警らの空気が一変したのを見逃さず、我堂は低く通る声を存分に振りかざし、握り拳を作りながら熱弁を披露する。それに次々と呑まれていく民警達は、いつのまにか彼の舌鋒鋭い演説に応える姿勢すら見せ始めていた。

 我堂の語っている内容は、決して難しいことではない。ただ、ガストレアは悪である。故に、その悪を打ち滅ぼさんと大挙する我ら民警は正義と成り得る。ということだけ。言葉の中で徹底的にガストレアを糾弾、弾劾し、戦争にて殺戮することを是とする叫びだ。それはあまりにも単純で極端で、明快な焚き付け方だろう。だが、単純で極端で、分かりやすいことを好む民警には効果抜群に相違ない。

 これなら、安心だ。我堂は殿として十全な働きを期待できるはず。

 

 

「この口振り、民警のことをよく分かってやがるな」

 

「ああ。確かにな」

 

 

 俺と同じ危惧を蓮太郎も持っていたようで、我堂の良采配を確認すると、表情から目に見えて安堵の色が滲んだ。隊の頭となれば、実質命を預ける相手とも取れるのだ。そんな要人が無能な人間だと分かれば、その後は絶望感しかないだろう。

 我らが民警の団長は、そんな不安を一挙に消し飛ばしてくれた。

 

 このような形で、存分に己の節を披露した我堂自身の所信表明は終わり、その後は今回の大規模戦闘....『第三次関東大戦』についての話に移行した。

 

 語られた内容は、戦争で行われる自衛隊と民警の連携がどのようなものかという説明だ。自衛隊は第二次関東大戦で大勝した経験を遺憾なく発揮した布陣に加え、実力派の民警も傘下に加えている。両者が手を組んでガストレアに当たれば、勝利は見えて来るかもしれない。

 そう思っていたのだが、我堂の口から語られる作戦内容は、顔が勝手に渋面を作ってしまう程におかしなものだった。

 端的に言ってしまえば、民警は戦争終盤で用兵する後詰めとして後方にて待機。序盤は前衛より交戦中の自衛隊から支援要請の入電があった場合のみ介入を認める。....大筋は大体こんなものだ。しかし、である。

 

 

「自衛隊が民警に支援要請したとして、戦地に派遣するまでの道のりはおよそ三キロ強。....どれだけ急いでも、普通の人間じゃ三、四十分くらいはかかるな」

 

「......樹万も、やっぱりおかしいと思うか」

 

「思わざるを得ない。これじゃ相互の連携が取れないだろうしな」

 

 

 

 そう。効果的な連携を取るには、自衛隊と民警との間の距離が離れすぎているのだ。既に聞いていた通り、やはり自衛隊が前衛に立ってガストレアを全て抹殺する腹積もりなのだろうか。それで片がついてしまうのなら悩むことはないのだが、どうも、このままではいけないような気がする。

 俺の不信感に同調を見せた蓮太郎も、淡々と感情を押し殺した言葉で作戦内容を口にし続ける我堂に不満を募らせているようで、眉間に深い皺を刻み込んでいる。蓮太郎を挟み、俺と反対側の位置にいる彰磨も、何処か諦めたような長い息を吐いていた。

 何故、自衛隊はこのような布陣を決めたのか。それは蓮太郎も彰磨も薄々勘付いているはずだ。

 

 

(国を守る、って栄誉ある職務に手を出されてることは、思ってたよりずっとお冠だったらしいな)

 

 

 原因はほぼ間違いなくこれだろう。ただでさえ民警は嫌われ者のイニシエーターを従えているのだ。現在の世論のお蔭で東京エリアの市民にまであまり良い顔をされていないのは確かであり、更には秩序の代名詞である警察すら、己の仕事を奪われるという苦境に身を置いているため、彼らの間では厄介者という印象しかない。

 これだけの人間に嫌悪されているにもかかわらず、『民警』という組織が未だ存在し続ける理由は、偏にガストレア討滅に群を抜いて貢献しているからである。

 

 そして────この第三次関東大戦でも、前述の考えは如実に現れてしまった。

 

 もし、自衛隊に有力な対抗手段がなければ、このようなあからさまな遠ざけ方はしなかったはずだが、彼らは第二次関東大戦でガストレアに完勝したという絶大な功績を持っている。仮に民警が口出ししようと、それらは全て『自分たちの方が上手くやれる』という言葉で切り捨てられてしまう。面倒なのが、それを否定できる余地が此方側にないことだ。

 我堂は一通りの説明を終えると、首を巡らしてから質問の有無を問いかける。すると、隣の蓮太郎が音も無く挙手した。

 

 

「ほう、若いな。そこの君、名は?」

 

「序列三百位、里見蓮太郎だ」

 

 

 蓮太郎が名乗った瞬間、周囲の民警たちが目に見えてどよめく。隣にいる俺としては、奇異の眼差しが被弾するなどいい迷惑なのだが。

 我堂の目もそれまでと変わって多少の感情の起伏が現れ、蓮太郎を興味深げに、しかし値踏みするような視線をぶつける。

 

 

「聞きたいことがある。さっきの自衛隊と民警の連携の話だ。アンタは俺たちが蔑ろにされてるの、分かってんだろ?」

 

「....そのような物言いでは語弊があるな。自衛隊は別命あるまで後方にて陣を設け、待機せよと命じただけだ」

 

 

 なるほど。どうやら我堂は、あくまでも自衛隊を貶めるような発言はしないよう努めるつもりらしい。それもそうだろう。ここで無用に自衛隊への不信感や不満を募らせる連中を煽っても、戦争に対しての障害にしかならない。

 それを知ってか知らずか、我堂の物言いに蓮太郎の苛立ちは目に見えて増加していた。

 

 

「アンタ....自衛隊からの応援要請、本当に来ると思ってんのか?」

 

「────」

 

 

 我堂のそれまでしていた好奇心が多分に含まれた目の色が変わり、剣呑な雰囲気が溢れる。蓮太郎の方はそれに対し一歩も引かず、真正面から睨めつけている。

 俺は危うい空気へと遷移していく場を察知して溜息を吐くと、緩慢とした動作で手を上げた。

 

 

「......君は?」

 

「序列八千百位、美ヶ月樹万。疑問ではないが、一つ提案がある」

 

「ほう、提案だと?なにかね」

 

 

 蓮太郎の持ち込んだ話題を続けたくなかった我堂は、俺がした挙手を見つけると、纏っていた剣呑な雰囲気を霧散させ、あっという間に身体ごと視線を動かして俺の方に関心を持った。蓮太郎はそれに納得いかなそうな顔をしていたが、背後にいた木更に釘を刺されていたので、一先ずそちらは安心だろう。

 口にした序列が原因か、蓮太郎が名乗った時と比べて奇異の視線は疎ら、更にはどこからか馬鹿にしたような嘲笑すら聞こえたことに遺憾を覚えつつも、幾ばくか和らいだ空気に安心してその提案を口にする。

 

 

「戦場での単独行動を許可して欲しい」

 

「なに?」

 

「勿論、常時という訳じゃない。あくまでも緊急時のみだ。アジュバント・システムという根底のルールは覆さない」

 

 

 よほど予想外の提案だったのだろう。我堂は赤い鎧型の外骨格(エクサスケルトン)を軋ませながら身体を一度揺らし、両目を瞑った。対し、それまで微動だにせずいた、同じく鎧姿の黒髪の少女、我堂のイニシエーターである壬生朝霞が切れ長の目を開き、こちらを見た。

 それから間もなくして、我堂は考えをまとめたか、俺を壇上へと上がるよう指示してくる。それにさして驚きを見せなかったのは、一も二もなく否定されることは、これまでの態度を鑑みるに可能性としては低いだろうという見当をつけていたのと合わせ、少なくともただで了承はしまい、とも鷹を括っていたからだ。故に、特段迷うことなく了解の意を伝えると、心配そうな視線を向けて来る仲間たちに手を振ってから、二人のいる壇上へ上がる。

 ここにきて改めて感じたが、この男と近距離で向き合うと、まさに『巌』という表現がぴったりだ。相手の気配に疎いと、何もしていないのに次の瞬間に恫喝が飛んできそうだと錯覚するのも、仕方ないとさえ思える。

 

 

「何故、単独行動を望む?」

 

「戦場に不測の事態はつきものだ。目前のことに注視し過ぎて背後を突かれる。こんな、もっともありがちでこちらにとって効果のある『不測』を潰すことが、単独行動を提案した理由だ。これをより効果的に遂行するに当たっては、現場に大穴が空く可能性のあるアジュバント単位で動くより、同チーム内に現場の戦闘行為を委任し、独断で動けるこちらのほうが安全かつ即時対応ができる」

 

「ふむ。アジュバントを抜けたことによる戦力、戦術の綻びは如何様にする?」

 

「俺がいないこと前提での戦術プランは、アジュバント内で複数立案してある。最上位のものなら、仮にステージⅢまでなら包囲されようと問題なく対処できる」

 

「....なるほど。足場は固めてある、ということか」

 

 

 我堂は淀みのない俺の返答に閉じていた目を開け、若干の感心を露わにする。

 こちらの一方的なワガママを通して貰うのだから、それ相応の手札は用意しておかねばならない。一方が特別扱いされてしまえば、通常の扱いのみに甘んじる人間は不平を訴えるわけで、それが連鎖すれば最早ルールなど意味を為さなくなる。俺が我堂に頼んでいるのは、そういう類の危険性を孕むものだ。

 挙げられた問題点に対し、自信を持って間断なく答えたことが奏を為したか、我堂は納得の素振りを見せる。

 しかし────そんな中で脈絡なく呟かれた言葉があった。

 

 

「では、君は死に直面したとき、恐怖をどれほど抑えられる?」

 

 

 瞬間。それまで『静』を徹底的なまでに貫いていた朝霞が動く。

 刀の鯉口を切る音、鞘走りの音、地面を蹴り滑る音、風を薙ぐ音。それら全てが同一の音となって、迫る外敵の情報を環境が一斉に知らせて来る。常人ではまず一つ一つを分けて認識できないそれを俺は一瞬で判別し、最適な回避法を弾き出す。

 自分の半身ほどしか身長のない少女でも、高速移動すればここまでの風圧が生まれるのだな。と、首に刀を当てられながら他人事のように思う俺は、朝霞の吶喊に対し対抗手段を編み出しつつも────何もしていなかった。

 どよめきが当たりを埋め尽くす。それは瞬きの間に数メートルの距離を詰め、かつ俺の首に刀の切っ先を当てた壬生朝霞の手腕にか、彼女の猛烈なまでの殺気と攻勢を受けておきながら、微動だにしなかった俺に対してか。....恐らく、大半は前者だろう。

 我堂は民警らの喧騒を意に介さず、俺の元にゆっくりとした所作で歩み寄ると、朝霞の刀が当てられていた辺りの首筋を見る。すると大きく頷き、笑みさえ湛えながら言った。

 

 

「よかろう。美ヶ月樹万、今作戦内での君の単独行動を認める。それによって発生した問題は、全てこの我堂長正が負うこととする。以上だ」

 

 

 有無をいわさぬ声でそう言った後、我堂は身を翻して壇上を去ってゆく。どうやら俺は認められたようだが、心臓に悪い度胸試しはこれきりにして貰いたい。

 押し寄せて来た疲労感に抗わず、溜息と共に肩を揉んでいると、刀を鞘に戻した朝霞が唐突に俺に向かって頭を下げてきた。同時に長い黒髪が肩から流れ、目の前の宙空に美しい清流を描く。

 

 

「え、どしたの?」

 

「私の殺意と御技を以てしても、一部の恐怖すら見せぬ佇まい。誠勝手な行いながら、感服致しました」

 

「ん、そうか。......でも、一つ間違いがあるから、それを正しておこう」

 

「はい?」

 

 

 このような返事がくるとは思っていなかったか、素に近いトーンでの疑問が朝霞の口から漏れだす。それを内心でこっそりと嬉しく思いながら、俺はさきほど刀が当てられた首の位置を人差し指で叩く。

 

 

「恐怖は、していたよ。そりゃ、真剣をこんな場所に突きつけられて置きながら、怖がらない人間はいない」

 

「....?では、なぜ恐怖したにもかかわらず身体を震わせた刀傷が首にないのでしょう?貴方の瞳には終始恐れなど無かった。恐怖を打倒したからこその自若とした態度でした」

 

「いいや、恐怖は普通打倒できないし、してはいけない。俺は上手い隠し方を覚えたに過ぎないんだよ。恐怖を失くしたら、そいつは人間じゃなくなる。死ぬことも、傷つくことも恐れないなんて異常だ。....間違っても、そんな在り方を目標にするな、壬生朝霞」

 

 

 朝霞が息を呑んだ気配を感じる。距離が近いからこそではあるが、細い目は僅かに見開かれ、刀を納めたときから握っていた柄が手のひらを介して震え、鎧と擦れて独特の金属音を奏でたことに気付いた。それが、今の彼女の心象を現していると思うのは……無粋か。

 

 俺は、恐怖を忘れてしまった人間を知っている。神父の恰好をして、かと思えば十字架も下げず、ひたすらにガストレアを殺戮した奴だ。そいつは恐怖に喘ぐ人間を愚図と吐き捨て、女だろうと子どもだろうと容赦なく切り捨てて行った怪物である。故に恐怖という感情を棄てた人間は、他人の抱く恐怖にも感知しなくなってしまう。

 出会ってものの数分ではあるが、俺は彼女にそうなってほしくは無かった。

 

 ともかく、当初の目的は達した。後はココに居ても悪目立ちするだけなので、さっさと退散することにしようと断じ、背中を向けながら、朝霞に恐怖を忘れないための釘をさしておく。

 

 

「我堂を守るんだろ?なら、それを為すために恐怖は覚えておけ。でないと、最適解を見失うぞ」

 

「────────っ」

 

 

 彼女の名誉のため、俺は振り返らずに壇上を降りた。

 

 

 

 

         ****

 

 

 

「全く、里見くんも美ヶ月さんも私の寿命を縮めたいのかしら」

 

「悪かったって木更さん。樹万の奴の意図ははっきりとはわからねぇけど、少なくとも俺は自衛隊の考えていることに対して、我堂の奴がどう思ってるのか知りたかったんだよ」

 

 

 出過ぎた真似をしたことは承知だ。それでも、周囲の民警らが抱いていた不信感を少しでも代弁したかった。....冷静になって考えると、当時はそんな考えより、単に自分が知りたいからという理由の方が大きかったことは否定できない気もするが。

 俺と木更さんはテントから少し離れ、三十二号モノリスに続く道をなんとなく歩いていた。この先には自衛隊の屯所もあり、東京エリアの国防を担う総戦力が結集しているのだろう。

 

 

「....俺たちは、人間はガストレアに勝てるのか?」

 

「勝てるわよ。そう思ってるから、私たちはここにいるんでしょ?」

 

「そう、だな」

 

 

 じゃり、という小石まじりの砂を踏む音を聞きながら、あてどなく深夜の路を歩く。きっと東京の中心部はこんなに静かではないはずで、それが今は嬉しく感じた。

 雑音が限りなく取り払われた宵闇の中で考える。アルデバランを伴って現れた二千ものガストレアに対し、固まっているこの時を機と見て先手を打ち、火炎の海で一網打尽にしようとした戦力が、謎の迎撃を受けて撃墜された原因を、考える。

 本来なら、この作戦は多くの効果を上げるに足ると思われた。密集しているガストレアに対し、イージス艦からの巡航ミサイルや対艦ミサイル、戦闘機が搭載したAAMやJDAMなどで、遠距離から何もかもを吹き飛ばせば終わりだと。

 

 

(だが、ミサイルは全て撃ち落とされ、戦闘機すら主翼を切り裂かれて墜落している。都合のいい手段は全て潰されちまった)

 

 

 謎なのは、音速に達する速度で移動するミサイルや戦闘機をどのような方法で捉え、撃墜したかだ。それらの候補を色々と考えてみたものの、どれも現実で起こった結果や過程と祖語が生まれてしまう。

 そんな風に考え込んでいると、隣にいる木更さんが不機嫌そうな声を漏らした。

 

 

「里見くん?もしかして、また変なこと考え込んでる?」

 

「またってなんだよ....。ただ、ちょっと妙なことがあって、それについて考えてただけだよ」

 

「妙なこと、ね。この戦争についてなら、ちょっと考えただけでも四つくらいはでてくるわ」

 

 

 そう。現状は妙なことだらけだ。何も、俺が考えていたミサイルや戦闘機撃墜の件だけが、一際特別という訳でもない。そもそも、この戦争の発端からして謎だ。何故ステージⅣのアルデバランがモノリスに取り付けた?何故東京エリアの、そして目前の夜空に輪郭を浮かばせる三十二号モノリスを狙った?....不可解なことなど、掘り返せばきりがない。

 

 

「そうね。今直近で妙だな、って思ってるのは、アルデバランがここ以外のモノリスを狙わない理由ね」

 

「....そうだな。それは、俺も妙だとは思った」

 

 

 木更さんが上げていた四つの指の内、親指だけを折って俺に言う。ついさっきまで自分が考えていた妙なことの内の一つと重なり、少し嬉しく思ったのもつかの間、木更さんは真剣味の増した顔で身体ごと俺に向き直る。

 

 

「アルデバランがモノリスの発する磁場の影響を受けない、もしくは軽減できるのだとしたら、ここだけでなく、他のモノリスにも侵食液を注入するはず。でも、政府によると実際は他のモノリスに影響はなかった。アルデバランにもその意思は見られていないのよ」

 

「もし、アルデバランにモノリスへ対抗できる有効な手段があるなら、既に東京エリアは滅んでるはずだ。....なら、ガストレア側の問題じゃなく、俺たち人間側の問題の方が近いかもしれないな」

 

「それは....どういうこと?」

 

「三十二号モノリスの作りに問題がある。────それが、アルデバランが取り付けた理由の確率としては高いんじゃないか?」

 

 

 思わずと言った形で歩を止めた木更さんは、夜の闇にも紛れないほどに漆黒の威容を見せるモノリスへ目を移す。その半分以上にまで白化現象は進んではいたが、未だ上空1.6キロにまで及ぶ巨大な壁は、見る者を圧倒する姿を保っている。

 

 いや────待て。半分以上だと?先に表面から白化が進み、深部までは時間がかかるとはいえ、いくらなんでも侵食が早すぎはしないか?

 

 過った不安を飲み下せずにいると、いつの間にか視線を俺のほうに戻していた木更さんが、隣で訝し気な顔をしていることに気が付く。それに慌ててなんでもないという旨を伝えようと思ったのだが、不意に響いてきた自動車の駆動音に遮られた。

 

 

「あれは....」

 

「恐らく、自衛隊の物資搬入じゃない?」

 

「いや、あれは軽トラだ。自衛隊が物資搬入するときは、普通輸送車を使うだろ」

 

「ということは......?」

 

 

 考えるより先に身体が動いていた。さきほど感じた嫌な予感もあり、このトラックが何らかのカギになるんじゃないかと考えてしまう。一つの疑問は際限の無い猜疑心を抱かせ、不審な物事は全て関連性があるように思える....まさに、人の持つ悪癖だ。

 それでも、行動しないで燻っているより、解決の糸口を探っていると思えた方が気が楽なのは確かである。そう結論し、俺は道路の中心に躍り出て、手を振り声を張り上げ、制止を求めた。それを見た木更さんは泡を食った表情になっていたが、悪路でそこまで速度を出していなかった軽トラは、目論見通り距離に余裕を持って停車してくれた。

 軽快なエンジン音を響かせる軽トラの運転席から顔を覗かせたのは、作業服を着た初老の男性だ。俺を見て不機嫌そうな顔を隠しもせずいる。

 

 

「なんだお前、轢かれたいのか?ったく、ここにいるってことは民警だろうが。せめて戦争で死んでくれ」

 

「勝手に俺を自殺願望者にすんじゃねぇ。....アンタに聞きたい事があるんだよ」

 

「なんだ」

 

 

 俺は会話をしながら、少し目を動かして軽トラを観察する。

 助手席に乗っている人間も、運転席に乗っている男と同じく作業服を着ている。何やら機器の操作をしているらしく、話に入ってこようとはしない。一方、荷台の方はカバーが掛けられており、外側から確認することはできないが、二人の服装から見て十中八九自衛隊への物資搬入の線は消えた。

 何故か先ほどの憶測が脳裏を掠め、内心で首を振る。....ここで妙な言動をすることは避けねばならない。あちらが俺たちを民警と察知してくれたおかげで、少なくともある程度の信用はあるはずなのだから。

 俺は意識して表情を繕いながら、しかし有無を言わせぬ語調で男に問いかける。

 

 

「これから、何をしにいく」

 

「......白化したモノリスの調査だ。聖天子様の命でな」

 

 

 男の返答に喉の奥が干上がる。言葉をつっかえさせないように唾を呑みこんで滑りを良くしてから、俺は至極当然の疑問をぶつけた。

 

 

「モノリスの調査....?それはもう終わってるんじゃないのか」

 

「それは俺も知らない。再調査ってことだから、おおよそ何らかの不備があったとかだろう?ってか、一応部外秘なんでな。あんまり喋らすんじゃねぇ」

 

「いや、もう十分喋ってるように思えるんだが?」

 

「だー、うるせぇ!もう行くからホレ、彼女の隣んとこまで戻りな!」

 

「か、彼女じゃねぇ!」

 

 

 男は俺の反論を無視し、お話はここまでだと言わんばかりにクラクションを鳴らすと、運転席の窓を閉め、さっさと走り去ってしまう。聞きたいことは大方聞けたが、とりあえず彼は今回の仕事に向いてはいないと思う。

 遠のいていく軽トラのテールランプを眺める俺に近づいてきた木更さんは、聞き耳だけはしっかりと立てていたようで、彼らがモノリスに何をしに行くか勘付いたかどうかを聞いて来る。

 

 

「....不備があっての再調査、か。もしかしたら、モノリス倒壊のシナリオが変わるかもしれないな」

 

「それは、倒壊までの期間が伸びる可能性もあるのかしら」

 

「........」

 

 

 木更さんの希望的観測を聞きながら、最後にチラと三十二号モノリスを流し見る。

 そして、何とか浮かばせた笑顔を貼り付けた俺は、言った。

 

 

「そうだと、いいな」

 

 

 

 

 翌日早朝。聖天子による緊急の報告が為される。

 

 ────その放送内で、モノリスの白化侵食は想定以上の速度で進んでいることが公表され、東京エリアは凍り付くこととなる。

 

 




我堂長正と壬生朝霞が身に着けていた外骨格(エクサスケルトン)とは、纏うことで筋力や防御力を上昇させることができる、俗にいうパワードスーツと呼ばれるものです。
従来のものは素材の関係上、耐久力の向上と共に重量が増し、実用化は困難とされていましたが、度重なる技術革新により加工のレベルが上がったことで、エクサスケルトンは運用可能なものになったそうです。
あと、とってもお高いらしいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44.無法

モノリス崩壊に先駆け東京エリアがソマリア化?

流石にそこまでは行きませんが、原作でも描写されているように、当時はかなり酷い有様だったようです。蓮太郎はまだしも、あの延珠が東京を救おうか迷ってしまうほどですからね。
ちなみに、暴徒と化した東京エリアの市民を放っておくと....?


 俺は歩きながら持ち運び可能の小型ラジオを片手に下げ、何度も同じ文言を繰り返すニュースキャスターの話に、イヤホン越しで耳を傾ける。

 

 

『明朝、聖天子様からの緊急放送が為され、崩壊が危ぶまれる第三十二号モノリスについて、新たな情報がもたらされました。前日深夜に派遣した専門家が行った実地調査によると、ガストレアにより注入されたバラニウム侵食液は、明らかとなっている通常の侵食液より効果が強く、通常より1.6倍ほどの効力を持つことが専門家の調べにより判明しました。これを受け、モノリス崩壊までの時間が早まることは避けられないとされ、最前線にて戦力を展開する自衛隊は、万が一を予測した聖天子様の命により、既に出撃準備は整えられている模様です。しかし、未だ崩壊する具体的な期日は定まっておらず、発表は今日の夜を予定し────』

 

「....さて、どうなるかな」

 

 

 行き先の分からない乗り物に揺すられているような、漠然とした不安が呟きに滲む。その原因はラジオから垂れ流される物騒な話題に相違ないのだが、残念ながらどこの局に変えようと、やっている内容はほぼこれと同じだ。ラジオに限らず、テレビなどの主要メディアもそうだろう。

 

 ────唐突に発表された、三十二号モノリスの新たな異常。それは、バラニウムの特殊な磁場を無効化し、石灰化させてしまうバラニウム侵食液の侵食速度だ。このバラニウム侵食液の存在は人類にとって既知のものであり、当時は大きな脅威であったが故に情報も多種多様にわたる。だが、侵食液の強弱については記載がなかったという。つまり、これは状況によって変動しうる不確定要素の一つだったというわけだ。

 

 

「流石に、原因究明に関わった有識者を責めるわけにはいかないよな....」

 

 

 これに気付いた人間がいた可能性は極めて高い。だが、目前に提示された逃れようのない絶望に恐慌する中で、さらなる『可能性としての絶望』まで上塗りすることなど狂気の沙汰だ。言ったところで誰も受け入れてはくれないし、己もその絶望を享受する人間に含まれる。何も進んで自分の首を絞める必要はあるまい。

 いずれにせよ、こうしてあり得る可能は起こり得る事実として俺たちの前に姿を現してしまった。おかげで朝の東京は未曾有の混乱状態となりかけたが、火急の事態に陥りつつも終始泰然と構えていた聖天子と菊之丞、そして自衛隊の素早く鮮やかな対応を目にした住民は、多少なりとも落ち着きを取り戻してくれた。

 しかし、天秤は希望を持てる人間側より、持つことが出来ない人間側の方に大きく傾いている。具体的にいうと、地下シェルターに避難できなかった者の大勢が暴徒化し、行き場のない無力感と焦燥感を他者にぶつけることで少量の安堵を得ている、というのが実状だ。

 

 ────そんな人間等が格好の餌にするのは、元々あった雀の涙ほどの信頼すら奪われてしまった『呪われた子どもたち』である。

 

 

 

「っと....アイツら怪しいな」

 

 

 目に映ったのは、草臥れたスーツ姿の男二人組。一方が青いネクタイをしており、もう片方が赤いネクタイを首から申し訳程度に下げている。そんな一件普通の彼らが何故怪しいかと言うと、微かに血の臭いがしたからだ。普通の人間ではまず嗅ぎ分けられないが、今の俺はステージⅠの犬の因子を発現させている。故に、一時的に多少の運動能力向上と、鋭い嗅覚を得ていた。

 俺は片耳に入れていたイヤホンを抜き、手に持つラジオを小さめのショルダーバッグへ押し込む。そして、本来は主婦でごった返すはずの閑散とした夕刻の商業施設内を歩き、幾ばくかの距離を開けて二人の男を尾行する。

 

 さて、そろそろ俺が何をしているのか説明しておきたい。前述の通り、今の東京エリアは混沌の様相となって間もない。各々の手段で大半の住民が避難した街には、悪逆の意志に侵された暴徒が少なからず徘徊し、治安は悪化の一途をたどっている状況だ。そして、そんな輩の主な標的は、呪われた子どもたち。

 長年に渡り、彼女らを妹のように可愛がってきた俺に、そんな現状を見過ごす事などできようか。....いいや、できるはずがない。

 

 男たちが足を止めたのは、服飾品が売られていた店の中。その奥の柱に、肩から足までを布で雁字搦めにされた少女が、傷だらけで転がっていた。

 

 

「───────ギルティ」

 

 

 それだけ呟き、手に巻いていた黒いTシャツを素早く解いて目出しの頭巾を作成すると、バッグを置いて隠れていた商品棚の影から飛び出す。店内のタイルを滑るようにして移動しながら右横に居た青ネクタイの隣に移動すると、気付いた赤ネクタイが男を挟んだ向こう側で驚愕に目を剥いたが、構わず両方まとめて蹴飛ばす。

 派手な音を立てて台車に衝突した二人は、化粧品の入った小包をぶちまけながら地面に転がる。だが、両者は多少の覚えがあるらしく、存外に短時間で態勢を立て直し、野生の獣の如くギラついた双眸を此方に向ける。

 

 

「テメェ....!余計な邪魔しやがって!」

 

「後悔させてやる!このガキがァ!」

 

 

 基礎的な型のファイティングポーズを取った二人は、こちらを舐めているのか、ほぼ正面切っての吶喊を開始する。対する俺は、視線だけを動かして周囲を粗方確認し終え、迎撃の方法を決定した。

 それに則り、まずは近場にあった商品カゴの中から伸縮性のある婦人服を引っ掴み、両手で伸ばして青ネクタイの拳を受け止める。突っ込んで来たもう片割れの赤ネクタイの蹴りは、掴んでいた袖を伸ばして足首を持ち上げ、そこを起点にくるりと腕を一廻しして巻き付かせる。

 

 

「なっ?!....クソッ!」

 

 

 想定外の手法で拳を止められた青ネクタイは動揺しつつも足を動かすが、軸足を弧を描いて滑らした爪先で払い、仰向けに転倒させる。一方の片足を持ち上げられたまま動けないでいる赤ネクタイには、袖で吊るしている足を思い切り持ち上げて尻もちをつかせ、呻いているところを拳で水月に一発。途端に身体をくの字に折り曲げて激しく嘔吐した。

 

 

「ああぁぁ!死ねやオラ!!」

 

 

 青ネクタイは怒号を上げながら腰からバタフライナイフを引き抜き、畳んでいた刃を慣れた手つきで弾き出すと、明確な殺意を乗せて振りかぶる。そのまま閃いたナイフの刃は、横なぎに俺の首を切りつける軌道だ。

 それらを無感動に読み切ってから青ネクタイの手首を掴み、捻って膝をつかせる。次に空いた手で顎と手の甲に一撃、ナイフを落とす。続けて側頭部を膝で蹴りつけ、最後に背負い投げの要領で近場の商品棚へ向かって投げた。

 短く息を吐いて次手に移る。俺は後ろ向きのまま、地面に手を着いて吶喊してきた赤ネクタイの顎を踵で蹴り抜く。次に軸足で半回転し、視界に星が飛んでるだろう彼の肩へ肘を落として鎖骨を砕いたあと、その手で後頭部を抑えて顔面に膝を撃ち込む。瞬間、パッと鼻孔から漏れた鮮血が舞い、それが地面に落ちて血痕を作るよりも先に顎を掴み、容赦なく地面へ叩き付けた。

 前のダメージもあって、これで赤ネクタイは意識を手放し、先ほど商品棚に突っ込んだ青ネクタイも立ち上がる気配はなく、二人とも沈んだらしい。ティナから教えを受け始めて最初の対人戦だったのだが、上手くいったようでよかった。ガストレアを倒す時と同じ加減でやると爆散させかねないからな。

 

 

「よし、女の子は....っと。あぁ、めっちゃくちゃ俺を見て怖がってる....」

 

 

 俺の視点で見ると、少女を救うために颯爽と現れたヒーロー的な立ち位置だと思われがちだが、彼女からしてみれば、今まで自分に暴力を振るっていた人間より更に上の暴力を振るえる人間が現れた、みたいなところだろう。世の中には自分に都合のいいものが折良く転がっていることなど稀であり、それは彼女たちが最も痛感しているはずの残酷な事実なのだ。

 しかし、例えそんな世にいるのだとしても諦めてほしくない。何度裏切られ続けても、目の前に誰かがいるのなら『助けて』と、そう言ってほしい。もし、その雑踏の中に俺がいれば、その声を頼りに救うことが出来るのだから。

 

 ───────閑話休題。

 

 暴漢との戦闘以上に、ある意味これからが本番なのだ。

 俺は顔に巻いていた頭巾を取り、再び腕に巻き付けて縛りながら少女に近づくと、出来る限り恐怖心を与えないような言動を心掛け、いの一番に伝えなければいけないことを口にする。

 

 

「ごめん、怖がらせたな。俺はコイツらと同じじゃない。助けに来ただけから安心してくれ」

 

「....ホント?」

 

「ああ。ちょっと待ってろ、布を解いてやるからな」

 

「う、うん」

 

 

 少し茶混じりの髪を撫でてやってから、少女を拘束していた布を一つづつ解いていく。その中にはかなりきつく縛っているものもあり、ところによっては痣が残ってしまうだろう。そう思うと、自分がやった訳ではないにもかかわらず、途方もない罪悪感が湧きあがるのを止められなかった。

 

 全て解き終わったのを確認すると、横たわる少女に『もう大丈夫だぞ』と声をかける。だが、水際立った動きで起き上がった彼女は、銀閃を以て俺の行動に応えた。

 

 震える少女の手に握られていたものは、青ネクタイの手から落としたバタフライナイフ。そして、その刃先は俺の腹部に半ばまで埋まり、流れ出た鮮血で銀色を赤く汚している。それら全てを見た俺は、すっかり慣れてしまった痛みの中で自嘲気味な笑みを浮かべ、荒い息を吐く少女の頭に優しく手を乗せながら言った。

 

 

「これで、許して貰えるか?」

 

「えっ....?」

 

「『俺たち』がお前にしたことは、決して許されることじゃない。でも、俺に向けたこの怒りで今の気が済むなら、それに越したことはないから」

 

「うそ。さ、刺されてるのよ?普通は怒るでしょ?仕返し、しようとするでしょ?....なんで、許してなんて」

 

「最初に言ったろ、助けに来たって。お前がこのまま俺に助けられて欲しいから、許してくれってお願いしてるんだ」

 

 

 少女は今の言葉で今度こそ絶句する。だが、俺はその反応で彼女の心根が優しいものであると確信し、そっと安堵の息を吐く。この分だと、ナイフでの報復も思わずやってしまったか、激しい葛藤の末での行いだろう。その証拠に、俺が尚も頭を撫でる行為を止めずにいると、少女はやがてナイフから手を離し、俯いてしまう。

 俺は口に溜まった血を呑みこんでから、無造作に腹のナイフを抜いて放る。他の人間だったらかなりの重傷だが、俺は別だ。腹に空いた穴は瞬く間に修復され、血痕のみが残る形となった。

 少女はナイフが地面を転がる甲高い音にビクリと肩を震わせ、思わず俯いていた顔を上げる。その折に俺の腹部を見たのだろう。直後に自分が何をしたのか完璧に理解した少女は、血の気の引いた顔で己を縛っていた布を三束ほど引っ手繰り、慌てて俺の腹に巻き付けていく。

 

 

「ご、ごめんなさいッ!私、こんなこと!布を解いてくれた時点で、助けにきてくれた人って、分かってたのに....!」

 

「いいや、あんな状況だ。相当に剛毅な奴でもない限り、誰だってお前と同じことをするさ。....それに、俺にだったら大丈夫だ。だから気を落とすなって。ほら、傷の手当はもういいから。ここに居たら、ああいう奴と同類のが来るぞ」

 

「そ、それは────って、きゃっ!」

 

「そうら、肩車だ!子どもは元気が一番だぞ!」

 

「ちょ、そういうアンタが一番元気なんじゃないの!?」

 

 

 非難の声が頭上から響いてくるが、無視して店内を歩き回る。少しの間は反抗の意志表示らしく頭をポカポカと叩いていたが、歩く途中でノびている赤ネクタイの男が視界に入って来ると、一転して少女の息を呑んだ雰囲気が俺の頭に置いた小さな両手から伝わってきた。

 俺は彼女に断ってから止まっていた歩みを再開させ、あちこちを物色しながら口を開く。

 

 

「......勝手なことだと分かってていうけどさ」

 

「なに?」

 

「あの二人は、元はこういうことをする人間じゃなかったんだ」

 

「........」

 

「『命の危機にある。でも、自分の身を守る術がない』。その恐怖を少しでも和らげるために、理性のタガを外していた。それは逃げではあるけど、そうすることでしか生き続ける希望を持てなかった弱い人たちだ」

 

「....弱い、ね。でも、結局は言い訳でしょ。それで全部許されるなら、警察はいらないわ。その警察も腐ってるけど」

 

「─────」

 

 

 予想以上に鋭い物言いで言葉に詰まる。気になって問いかけてみたところ、普段は多くの時間を読書に充てているとのことだった。なるほど、思考のレベルが上がる訳である。

 少女の言った通り、自分の弱さを盾に罪から逃れようとするのは低俗な行為だ。彼女を襲った男二人も、そこにある現実と向き合うことができず、混乱の中で自分を棄ててしまった弱き者であり、同時に罪科を背負ってしまった者だ。

 

 

「でも、皆が皆俺たちのように強くはない。だから、こういう人間もいることを許容してやってくれ。コイツらが間違った行いをすることを許してくれと言ってるわけじゃないんだ。ただ、『いる』ということを認めてやってくれないか」

 

「....さっきまで襲われていた本人に、酷なことをいうのね」

 

「そうだな」

 

「世の中が、アンタみたいな優しい人ばかりだったらいいんだけど....そうもいかないのよね」

 

「そう、だな」

 

「私、アンタのこと好きよ」

 

「そう......え?」

 

 

 思わず歩みを止めてしまうと、悪戯が成功したような笑い声を頭上で上げる少女。それに少しだけイラッときた俺は、肩車した姿勢で飛んだり跳ねたりする。それに年相応の黄色い歓声で応える彼女は、ようやく生来の気質を顕わにしてくれたのだろう。

 そうしている間に目的のものを一通り手に入れた俺は、もう少し肩車しててもいいのに、と宣う少女を降ろしてから、戦利品を目の前に広げてやる。

 それらは至って普通の子供用の服だ。それでも、外周区に住まう彼女たちにしてみれば、こんなものは到底手の届かない領域にある物品である。案の定、少女は当てつけかと言外に非難している視線をぶつけてくるが、そんな不機嫌急転直下の彼女に向かって、俺は悪びれもせず言う。

 

 

「この中から一着、選んでくれ」

 

「なによ。それをどうするっての?」

 

「お前にあげるんだよ」

 

「は?」

 

「ここであったのも何かの縁だ。折角もとが可愛いんだから、そんな煤だらけの服じゃなく、もっとマシなのを着てけ」

 

「かわっ?!......も、もう。分かったわよ」

 

 

 仕方なさそうに言うものの、口の端は明らかに持ち上がっており、手は既に俺の用意した服の一着を持ち上げていた。素直じゃないが、そういうところがまたいいと思うのは、もしかして末期なのだろうか。

 体感で数十分ほど消費して散々悩みぬいた末に少女が選び取ったのは、目立たない程度に花柄をあしらったワンピースだ。きっと着たら似合うだろう。しかし、俺が選んできた服の中で最もお高いのがそれなのだが....まぁいい。ここは彼女の審美眼を褒めておくことにしよう。

 俺は財布を取り出し、男らしくきっちり8000円を抜き取って会計の台を飛び越えると、レジの中へ突っ込んでおいた。その一部始終を見ていた少女は、どこか呆れたような表情をして戻って来た俺を出迎える。

 

 

「ホント、アンタって損な性分してるわね」

 

「そうか?俺はなるべく後々に自分の行いを悔いないような選択を心掛けてるつもりなんだが」

 

「そういった考えも含めて、よ」

 

 

 少女の言いたいことも分かる。だが、いくらこんな状況だからと言って、物盗りをやっていいかと問われれば、答えは無論NOだ。この考えを善人気取りだと謗り、後ろ指を指してくれても別に構わない。ただ、己の中にある普通の人間の在り方とは、こういう選択肢を迫られた時にこういう選択をする、というだけのことだ。

 少女は怯まない俺に対し大仰に肩をすくめて見せてから、少し悩む素振りをみせつつも、ちょっと待ってなさいよ、と言ってワンピースを胸に抱えると、足早に近くの試着室へ入って行った。俺はそんな少女を見て、あんなところに行かなくてもココで着替えたらいいのに、と思ったが、口にしたらもう一度ナイフが飛んでくることだろう。言わなくてよかった。

 そして、待つこと五分。試着室のカーテンが開け放たれると、そこには純然たる無垢の象徴が立っていた。

 

 

「ど、どうかしら」

 

「うん。凄く似合ってるぞ」

 

「....ストレートに言われると、結構照れるわね」

 

「可愛いよ!むっちゃ可愛いよ!」

 

「く......!」

 

 

 要望に応えてストレートな評価を口にしてみると、少女は目を逸らしつつ激しく赤面するという期待通りの反応を見せてくれた。あまりの初々しさにもう一度からかいたい衝動に駆られるが、怒らせては意味がない。

 

 ────さて、一頻りはしゃいでおいて今更だが、さすがに長居し過ぎたかもしれない。どれくらいの頻度でこの場を人が行き交うのか検証できていない以上、彼女とここに留まり続けるのは新たな火種を生む要因になるだろう。それに、素顔を晒しての戦闘は避けたい。

 そうした反省の意も含め、少し真面目な顔を作ってから少女へ向かって手を伸ばす。

 

 

「さ、そろそろここから出るぞ。少なくともこの場所よりは絶対に安全なところへ案内してやるから、着いて来てくれ」

 

「ん、分かったわ」

 

 

 迷うことなく俺の手を取ってくれた少女に向けて笑みを浮かべると、肩車で行くか?と提案してみる。すると、恥ずかしいから嫌だ、といって照れ隠しに腹へ拳を撃ち込んで来のだが、自分が刺した傷があったことに遅れて気付き、半泣きになりながら謝り始めてしまう。

 俺はそんな彼女に布を解いて服を捲り、その傷が何処にもないことを証明すると、露骨に安堵した顔を見せてくれた。それにニヤニヤしていると、もう一度腹パンをされる憂き目にあう。今度は加減を抜いたもので普通に痛い。

 少し歩いた所で、『肩車をした方が、より兄妹のような体で自分の身分を偽れるんじゃないかしら』という発言で、結局遠まわしに肩車をお願いされた。俺がそれに快く承諾すると、三割増し元気になった。単純である。

 

 

 ─────そんな風に談笑をしながら歩き、やがて目的地についた。

 

 

 

「このマンホールの中?」

 

「そうだ。....一応確認しておくが、今は『あの報道』のお蔭で、お前たちに対する害悪の感情が正当化されつつあることはわかってるか?」

 

「......ええ」

 

「正直気は進まないが、それのほとぼりが冷めるまでは、なるべく一つところに集まっていて貰いたいんだ」

 

 

 外周区に出てしまえば、今のところは安全だろう。しかし、街に入ればどうなるか分からない。

 実際、避難により人が少なった今を機と見て、街の中に入り込んで資源を調達しようとする子がチラホラとおり、その中の数%が少女のように捕えられ、嬲られている。

 更に人々の鬱屈とした感情は高まる危険性もある。揺らぐ精神の均衡を保つために、彼女たちの迫害という目的を掲げ、それに邁進することで理性と希望を得ている人種が集まった場合、その集団が何をしでかすかは予想もつかない。少女たちの安全を確保するのなら、その行動を制限してしまうのが最も望ましい。

 だが、流石に軟禁してしまうのも行き過ぎだ。目的のために負わせる代償が些か大きすぎる。

 

 

「あくまでお願いな。外周区内だったら出歩いて構わない。でも、街には出ないでくれ。それだけは....頼む」

 

 

 俺はありったけの誠意を込めて頭を下げる。遊び盛りの無邪気な少女たちに酷な仕打ちだとは思うが、それは今だけだ。今を乗り切れば、少なくとも彼女たちの生活は数日前のものに戻る。

 

 失われてからでは、遅いのだ。今ある彼女たちの命を守らねばならない。

 

 そんな決意を固めていたところ、下げた頭に何か柔らかいものがぶつかって来た。その正体を確かめるために閉じていた両目を開くと、小さい足が視界に入ってくる。どうやら少女に頭を抱きしめられているらしい。

 

 

「いい大人がこんな子どもに頭を下げないの。安く見られるわよ」

 

「もし安く見られたんなら、それは普段の行いの結果だ。いい大人だと思ってくれなくて構わない」

 

「....ホント、アンタって損な性分してるわね。笑えるわ」

 

 

 少女はそんな発言に反して力のない声を口にすると、一度ぎゅっと頭を強めに抱きしめてから、離す。それを皮切りに、言いたいことの全てを既に言い終えていた俺は、踵を返して元来た道を引き返していく。

 その途中、まだ歩数が二桁に届かないうちに呼び止める声が背後から掛けられ、歩みを止めると首だけ動かして後ろを見る。思わず制止を叫んでしまったのか、少女は暫しモゴモゴと口を動かしていたが、やがて明確に意味のある言葉が紡がれる。

 

 

「わ、私!カザネっていうの!アンタは?!」

 

「俺か?俺は───── 」

 

 

 強い風が吹き、発言の間を空ける。その最中に犬の因子を多少強化し、膨れ上がった脚力で地面を踏む。そして、風が止んだと同時に答えを口にし、直後に爪先で前方へ向かって強く跳躍した。

 

 

「美ヶ月樹万だ」

 

「え───────」

 

 

 驚愕の声は、流れる強風が鼓膜を叩く音で遮られた。

 




樹万サンの名は、外周区の子どもたちの間ではとってもポピュラーです。
ただ、人相は子ども特有の大雑把な解釈で為されています。その点、彼は突出した身体的特徴がないため、挙げられるものは人によっててんでバラバラ。そのため、初めて会った場合は名前を知っていても既知の姿と全く一致しないことが大半であり、ほとんど本人と気付けません。

ちなみに、蓮太郎は本能で察せるレベルの不幸顔なので、彼女たちはあっという間に覚えられました。
木更サンはおっp(ザシュ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45.崩壊

今回は最初地の文が続きます。


 治安維持と大規模な暴動抑止のため、俺は今後の残った時間を東京エリアのパトロールに充てるつもりだ。今朝のカザネのように囚われ、理不尽な暴力を受けている少女も決して少なくないはずだし、そんな彼女たちを救えるのなら己が身を危険に晒してでも強行する価値は十二分にある。

 

 相方の蓮太郎も同じく民警の駐屯地から出ており、木更を連れ立って松崎に頼まれた子どもたちの教師役を買って出ていた。マンホールの地下には俺が作った巨大広間があるので、そこを教室として使えば全員を集めた授業も不可能ではないだろう。

 

 そして、その日の夜。モノリス倒壊はおよそ三日後....明々後日にまで短縮される予想が出たとの報道が流れた。

 

 最初期に発表された予定日より一日早まるということは、モノリスが失われた空白の期間もそれだけ延長されることになる。つまり、自衛隊と民警の混成部隊は、四日間にわたって二千のガストレア、そしてアルデバランの前に壁を築き続けなければならない。

 

 厳しい戦いになることは最早必定。それを見越した上で、圧倒的な火力で敵の戦力を削いで後退させ、あくまでこちらが優勢のまま時間を稼ぐという従来の戦法から、兵士の消耗を極力抑え、侵攻を妨げるための牽制をしつつ深追いしないという戦法に切り替えるという予感があった。

 

 俺は、その激動の時の中で静かに覚悟を決める。....このままでは、確実に東京エリアは滅ぶ。その結果を明確に変えられるのは、きっと己なのだろう、と。

 

 謎の飛翔物によるミサイル迎撃、戦闘機撃墜。そして通常より強力なバラニウム侵食液。こんな分かりやすい不安要素が足元まで転がってきたというのに、尚も民警側に緊密な提携を申し出てこない自衛隊は、第二次関東大戦の勝利時から思考が止まっているに違いない。

 

 そのような状態の自衛隊では、恐らくアルデバラン率いるガストレアを止められない。何故か?当然だろう。数億年の歴史の中で生物とは絶えず進化を続けて自然の壁を乗り越えているのだから。

 

 人間という圧倒的な地上の支配者がいながら、従来の生物種では数百年かかるクラスの変異を数か月単位で繰り返し、ここまで勢力を伸ばしたガストレアが、たった数十年で進化という最大の強化手段を棄てるなど楽観が過ぎる。

 

 ......いざというときは、()()を使う可能性も考慮せねばなるまい。

 

 

 

 次の日の明朝。我堂による簡単な訓練と座学が催され、緊張感のない午前中を過ごす。壇上に立った彼は、激変した戦況分析に対する代替方案を練っていたのだろう。目に見えて心労が溜まっていた。

 

 訓練では、複数のアジュバントを統率する中隊長による現場指揮訓練を行い、想定される状況下で、正確かつ素早く各アジュバントへ指示を送れるよう、繰り返しの練習が施行された。

 

 それで判明したのだが、蓮太郎率いる俺たちのアジュバント直属の中隊長である我堂英彦(ひでひこ)は、実の父である長正と相反し、率直に言って無能であった。彼には悪いが、単独行動の具申をしておいて心から良かったと思う。

 

 一方、座学では身振りを使ったハンドサインの意味、戦場にて使われる特殊な機器の説明など、終始基礎的な内容に留まり、受講していた民警らの多くは欠伸を噛み殺していた。案の定、少し離れた席で玉樹が豪快にいびきをかきながら寝ていて気が気ではなかったが、居所がかなり後方であったこともあってバレずに済んだ。

 

 全ての説明を終えると、我堂は一度瞑目し、それから初めて(まみ)えたときの大喝をもう一度放ち、気の抜けていた多くの民警の背筋を伸ばさせる。そして、普段より一層濃密な覇気を纏いながら叫んだ。

 

 

「恐怖するな!我らが為すべきことは端から一部たりとも変わってはいない!───ここで!アルデバランを確実に滅する!故に、蹂躙するのは此方だ!勝鬨を挙げるのは此方だ!怒りと空腹に啼く飢狼を心中に飼う我らこそ、この戦場での強者よ!」

 

 

 戦に向かう人間をこれ以上ない程に駆り立たせる我堂の鼓舞。カリスマといっても差支えないほどの立ち振る舞いは、ここにきて常人には到底真似できない境地にあった。

 

 おかげで、はっきりと落ち込んでいた民警の士気は、我堂の苛烈な激励によって取り戻されつつある。

 

 そして、その日の昼過ぎ。俺は当初の予定通りにパトロールへ出かけ、蓮太郎は木更と延珠、飛那たちを連れて松崎のところへ出向いた。玉樹と弓月は武器のメンテナンスや休息、彰磨と翠は鍛錬を行うそうだ。

 

 風の噂では、謎の黒覆面が暴徒たちを見境なく襲っているという情報があちこちに飛び回っているようで、ところによっては大げさな尾ひれがついていることもあり、その活動はかなり鎮静化しているとのことらしい。これに対する大きな反発は考えられたが、その芽も今のところ上手く摘めている。想定通りの事の運びだ。

 

 しかし、こんなことをしているとは知らずとも、蓮太郎にとっては俺の単独行動自体が不満でいるらしい。

 

 

「なぁ、樹万も来てくれよ。お前に会いたいって言ってる奴は沢山いるんだぞ?あの三人だって口には出さねぇがお前のところに居たいはずだしな」

 

 

 蓮太郎は、行くたびに樹万と勘違いされて落ち込まれる俺の気になってみろ、と文句を垂れるが、それでもやることがあるから明日も頼む、と頭を下げて嘆願すると、居心地悪そうに頭を掻きむしり、結局は了承するのだ。俺への借りもあって断りにくいのだろうが、少しはコイツの御し方を分かってきたような気がする。

 

 陽が沈み、宵闇が空を万遍なく覆った頃。俺たちは支給された質素な夕飯を口に運びながら、テント内で顔を突き合わせて語り合っていた。

 

 その内容は各々の明日の予定だ。一応、我堂による最終確認と諸注意を兼ねた訓練が明日の明朝に入る予定だが、午後は今日のように手持ち無沙汰となる見通しだった。

 

 この話題に最初に答えた蓮太郎と木更、延珠はやはり学校に行くつもりらしい。それを楽しそうに語る三者に対し、仏頂面の玉樹は頬杖を突きながら咥えたスプーンを上下運動させ、理解に苦しむ旨を漏らす。そんな彼と妹の弓月は、事務所から娯楽道具をいくつか持ち出して夜までしけこむとのことだ。

 

 この二人とは対照的なのが彰磨と翠だ。相変わらず厳しすぎないほどの鍛錬を行い、十分な休息を取るという隙の無いメニューであり、戦場では一部の妥協も許さないという姿勢が見て取れた。これには蓮太郎と玉樹も苦笑いだ。

 

 そして俺は、昨日、今日とやったパトロール....というよりエリア内の威力偵察を明日も続けるつもりだが、同メンバーにいらぬ心配を掛けぬよう、手持ちの武器をメンテナンスするという言葉にすり変えて伝えた。東京エリア治安悪化の件は非常にデリケートな問題なので、可能な限り口にすることは控えたいのが本音だ。

 

 と、この発言に最初の時と同じく飛那が待ったをかけてくる。その次に放たれた言葉はやはり、手伝うから一緒についていくという提案だった。

 

 しかし、機械いじりに必要な知識に乏しい飛那では、満足な手伝いを行えるとは残念ながら思えない。この反対も以前に繰り返したものと一緒で、それを予期していたらしい彼女は、ならば武器のスペシャリストであるティナを連れて行けばいい、と夕飯を咀嚼している途中で迷惑そうな当人を無理矢理引っ張ってきた。

 

 確かに、スナイパーライフルとは使い手に合わせて大規模な換装も可能なため、遠隔操作モジュール等の取り付けを行っていたティナは、自然とその方面の知識も身に付いている可能性は高い。連れて行くことになんらデメリットはないだろう。

 

 しかし、そんなティナは口内のご飯をゆっくりと嚥下した後、助っ人ととして召喚したはずの飛那の肩をガッシと掴むと、お兄さんにはお兄さんのやりたいことがあるんですよ、といって逆に引き摺っていってしまった。『裏切り者~!』という飛那の断末魔が聞こえてくるが、ここはティナに感謝をしておこう。

 

 

 

 そうして、多くの人間がそれぞれ異なる感情を抱えたまま、再び一日が過ぎる。

 

 ────モノリス倒壊まで、あと四十八時間。

 

 

 

          ****

 

 

 

 まだ日が昇り切らない明朝。温い風が吹き抜ける中をゆっくりと歩く。

 

 今日が最後の一日だ。我堂は昨日の訓練の最後に、今日一日を全て自由にするという旨を伝えており、戦争までの空いた時間を思い思いの目的に費やせるよう仕向けた。

 最後といえど、俺の出来る事などたかが知れている。語らう家族などいないし、最期と決めつけてやりたいことを思い切りやるなどという後ろ向き全開な度胸も皆無だ。

 

 

「ん....なるほど。戦場には中々適した地形、だな」

 

 

 現在、俺はアジュバントを形成した民警軍団が立つ予定の戦場にいる。そうはいっても、周囲には控えめに朝を告げる小鳥たちの囀り、そして草間を駆ける小動物くらいしかおらず、とても戦場とは呼べない穏やかさだ。

 明日はきっと、この場には鮮血と臓腑がぶちまけられ、屍山血河の光景となるのだろう。ガストレアと俺たち民警、どちらのものとは敢えて言うまいが、互いに無傷でこの戦を終える事など不可能だ。どちらかが絶滅するまで止められない、凄惨な殺し合いが幕を開ける。

 

 

「だからこそ、少しでも被害を抑える努力をしなきゃな」

 

 

 俺は万遍なく戦場を丘の上から俯瞰し、その先に見える自衛隊の交戦予定地も視界に入れる。地形はなだらかな平地が続いており、重火器や戦車による応戦は目に見えて効果的だろう。ガストレアの大群が歩行する地面の直下に地雷などを埋め、足止めをしつつ前線を崩すという、自衛隊が得意とする戦法も遺憾なく効果を発揮するに違いない。

 

 

「ただし、以前までのガストレアなら。な」

 

 

 そう。数年前までのガストレアの大群にだったら、これで十分対抗できる。思惑通り先遣隊が吹っ飛び、後方の列は乱れ、後はそれを狙って砲撃、射撃を繰り返せばいい。既に敵の弱点を理解しているのだから、何度も繰り返したシミュレーション通りに動き、そして適切な部位に弾丸を撃ち込めば勝てる。所詮は統率の取れていない烏合の衆なのだから、指揮系統の存在する高尚な自分たちに無能な蟲どもが敵うはずがない。そう思っているのだろう。....昔も、今も。

 それはあまりに危険な思考停止だ。一度勝ったのだから次も勝てるなど、ありきたりな慢心も大概にして欲しい。そのパターンで何度も世界各地の強国が滅ぼされたことは、奪われた世代なら誰しもが知っている事実だろうに。

 

 

「ん?.....っと」

 

 

 丘を下りながら歩いていると、ふっと視界に何か不自然な白い飛翔物が映る。木の葉と言うには些か小さく、色素が抜けすぎている。気になった俺は風で後方に流れていくそれを間一髪で掴むが、かなり脆かったらしく手の中で崩れるような感触がした。その感触を別のものに例えるなら、一度だけオッサンに連れられて行ったことがある、海の....砂浜の砂の感じだ。

 それで一つの恐ろしい憶測にたどり着く。まさか、と思いかぶりをふりつつ、手の中のものを確認しようとしたとき。

 

 

「樹万―!」

 

 

 後ろから響いて来る聞きなれた声。飛那だ。見ると、その後に続いて夏世とティナも歩いて来ている。朝も早いというのに、随分と闊達なものだ。

 丘の上から此方へ向かって駆けて来た三人は、少し息を弾ませながら俺の下までくると、安心感からくるような笑顔をそれぞれ浮かべる。この分だと、テントから俺がいなくなっていることに深刻さを感じてしまっていたようだ。一言伝えるか、書置きぐらいはしておいた方が良かったなと自省した。

 

 

「お兄さん、こんな場所に来てどうかしたのですか?確か....ガストレアとの交戦地ですよね。ここ」

 

「む....抜け目ない樹万さんのことですから、大まかな行動の予定を立てるため、戦地の下見にきたのでは?」

 

 

 ティナがきょろきょろと周囲を見回しながら疑問を投げ、それを予想する形で代弁したのは夏世だ。流石の分析力に舌を巻きつつ、『正解だ』という褒め言葉とともに夏世の頭を撫でる。そんな彼女の肩をおもむろに掴んだ飛那は、その脳みそ下さい、という猟奇的な発言を真顔で言ってのける。夏世は思わずドン引きの表情だ。

 

 

「?....お兄さん、右手に持ってるものって何ですか?」

 

「ん?あ、ああ。これな」

 

 

 そんな二人を差し置き、隣にいたティナはいち早く俺が右手を不自然に握り込んでいることに気が付いたらしく、首を傾けながら腕を取ると、手の甲を撫でながら何を持っているのか聞いてきた。戦場での勘を培ってきたティナのことだから、恐らく真っ先に聞いて来るだろうと予見してはいたが、さきほどの緊張感を不意に呼び覚まされ、返答の声が僅かに上擦る。

 ....ともあれ、まずは確認だ。飛那と夏世も合わせ、俺の右手に乗るモノの正体を────

 

 

「......粉?」

 

「白い、粉ですね」

 

「これがどうかしたんですか?樹万」

 

「───────────」

 

 

 俺は無言のまま親指でサラリと白塵を撫で、それから直ぐに自衛隊の交戦地へ視線を飛ばす。否、向ける先はそんな場所ではなく、更に先....地平線に佇む巨壁、モノリスだ。漆黒の威容は既に失われ、まるで降雪に見舞われたかの如く白化している。そう、白く、だ。

 俺は今までとは違う意識を持って周囲を見回す。説明を求める三人に構わず、おもむろに近場でしゃがみ込むと、雑草の葉を軽く指でこする。微かにザラリという感触が返答。それでなるほど、と納得しつつ、しかし厳しい顔となっていたのだろう。それまで騒いでいた飛那たちは口を噤んでしまった。

 

 

「ティナ、テント端に防水カバー掛けて置いてあるカールグスタフとパンツァーファウストを用意しておいてくれ。弾薬はそれぞれHPとHEATで頼む。金属の弾薬箱の中にある、灰色の角張ってないケースに入ってる」

 

「────。そういう、ことですか。....わかりました、私も武装を出しておきます」

 

「ああ。話が早くて助かる」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!何がどうなってるのか説明してくれなきゃ私は分かりませんよ!」

 

 

 俺の言わんとしている核心に自力で辿り着き、基地の方へ駆けていくティナ。そんな彼女を余所に俺へ詰め寄ってくるのは飛那だ。流石にこれだけの要素で気付けと言われても難しいか。俺もこれだけ悩んでやっと確信がもてたのだから。

 しかし、俺から説明する必要はなさそうだ。同じように雑草の葉を指で擦っていた夏世が、明らかに理解の色を瞳に滲ませていたからだ。

 

 

「樹万さん....もう、モノリスは崩壊するんですね」

 

「そうだ。ここまで遠くに白化したバラニウムの粉塵が飛んできてるってことは、恐らく真下は雪のように積もってるはず。それだけ大量に剥がれ落ちる段階にまでくれば、もう深部まで侵食は進んでる」

 

「な....ま、まだ今日一日は猶予があったはずじゃ?!」

 

「風だ」

 

「か、ぜ?」

 

 

 血相を変えた飛那は、俺の口から飛び出た予想外の単語に目を白黒させながら問い返す。風がなんだというのか。たかが大気の気圧差で生まれた空気の流れ。そんな四六時中発生している自然現象が、一体モノリスにどのような影響を与えると言うのか。....そう思うのも仕方ない。

 しかし、バラニウム侵食液に侵されたモノリスにとっては風すら脅威となりうる。大河を流れる水流が少しずつ岸壁を削るように、ゆっくりと、それでも確実に白化した巨壁を削ぎ、その命脈を断ち切ってゆく。そして、その風は────

 

 

「風の発生を完璧に予測することは現代科学でも不可能です。故に、その『風』という外的要因による影響が嵩み、およそ一日の誤差として現れてしまったのだと思います」

 

「そんな....じゃあ、どうすればいいんですか」

 

 

 力を失った声で自問する飛那。立て続けに襲い来る想定外の波に翻弄され、精神的にまいってしまってるのだろう。これだけ何度も前提を覆されれば、ありもしない想像だって誰しも抱くと言うものだ。

 それでも俺は飛那の肩を力強く、そして発破するように叩き、驚きつつ此方を振り向いた彼女に不敵な笑みを浮かべる。そして、我堂ほどではないにせよ、精一杯の気持ちを込めて声を張り上げた。

 

 

「戦うんだ!過程は結果じゃないだろ!いくら結果に向かうための過程が覆されても、戦えるならまだ負けじゃない!────守る場所も、守る人も!まだ、俺たちの背後にある!」

 

 

 何も終わっていない。始まってすらいない。全てはこの日のための布石に過ぎないのだ。

 顔を合わせない、水面下での闘争が幕を引けば、後は直接対決のみ。その戦で勝利することができさえすれば、次善の策が通じぬなど後の笑い話にすらできよう。....絶望するには、あまりにも時期尚早だ。

 

 

「樹万....うん、そうですね。まだ、諦めていいところじゃありません」

 

「ええ。諦めてもらっていては困りますよ、飛那さん。樹万さんが作ってくれた私たちの居場所、土足で踏み入ることは決して赦しません」

 

「か、夏世が燃えてます。かつてないほどに」

 

「燃えてるところすまんが、お前さんは民警の救護、治療に回るんだからな?」

 

「..........」

 

「ああ、あっという間に鎮火して灰に....」

 

 

 夏世はパートナーがいないので、戦場には立たず傷付いた民警の応急治療などにその役目を傾けている。博識な彼女のことだ。現場でも適切な指示を出せるだろうし、丁寧な処置にも大きな期待が持てる。しかし、本人は己の役どころに不満そうではあるが。

 

 

 と、一際強い風が吹き抜け、辺りの木々が突風にかき混ぜられてざわめく。

その音に紛れ、『とてつもなく大きな物体がずれる』ような異音が耳に届く。その音源は......

 

 

「────始まったか」

 

 

 黒い身のほとんどが白く染められてしまったモノリス。その表面に大きな亀裂が入ったのだろう。此処からでも目視できるほどの大量のモノリスの残骸が空中に飛散する。それが呼び水となったらしく、下部に集中して連鎖的な亀裂が発生し、至る所で白煙が上がる。奇しくも、俺にはそれが祝福の号砲に見えてしまった。

 そして、十に届くほどの破砕を目にした時、ついに上部の自重に耐えかねた下部のモノリスが倒壊。ビルの爆破解体を何倍にもスケールアップしたような光景が目前に展開し、ヒトの築いた安寧の象徴が、ただの壁の如く崩壊していく様を目に映す。

 

 

 ────間違いなく後の人類史に刻まれるだろう、第三次関東大戦。

 

 その幕が、ついに開かれる。

 




ここからがこの章の本番。
戦闘描写を書くのが割と好きな作者にとっては、結構楽しみにしていた所です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

46.予測

今回一万文字超えた...
何故だか、話数を重ねるごとに切り上げ時が後ろにズレて行ってるような気がします。

ともかく。年明け一発目の更新ですので、謝辞を。
読者の皆々様方、私がここまでやってこれたのは幾度にも渡る応援の声があったからです。ありがとうございました。
これからも皆様の言葉を糧に執筆を続けていきたいと思っていますので、今年も応援宜しくお願いします。


....こういうのは年明け前にやっといた方がよかったかもしれない。(汗)


 モノリスは倒壊した。安寧の象徴はついに取り払われ、その向こう側から人類を食み貪る死の御使いが姿を現す。

 

 かつてモノリスが消失し、そこからガストレアが雪崩込んできた場合の都市、国の存亡は、記録上例外なく『滅亡』のみだ。只の一人すら生きること叶わず、漆黒の波濤に呑まれて消えた。

 

 それと全く同じ立場に、今まさに東京エリアは立たされている。

 

 戦闘要員、兵器数、都市の規模など、細かな相違点はあるものの、モノリスが失われた穴から溢れて来たガストレアを、背後の拠点を守護しながら迎撃するという根本的な構図は変わらない。そして、それこそが大絶滅を招く要因となる。

 成功という前例はない。生存の道は暗く閉ざされている。退路もない。

 

 ────────だが、

 

 

「さて、生き残るための戦いを始めるか」

 

 

 ────前例がないなら、初めての成功例として世に知らしめればいい。

 ────道が無いなら、光明を探して歩き回ればいい。

 ────退路がなければ、前に居座る者を退ければいい。

 

 これは生存を諦めた末の悪あがきじゃない。生き残り、種を存続させるための意義ある抵抗だ。

 

 俺は厚手のジャケットの襟を前に引っ張りながら立ち上がり、赤い点の並ぶ地平線を眺める。その背筋を粟立たせるまでの赤色は、全てガストレアの赤眼だ。

 周囲は闇に覆われており、点在する篝火が所々を明るく照らしているが、現在の時刻は十八時を回ったところだ。夏季であれば、未だ地に影が目視できるほどの明るさは保たれているはずだが、巨大建造物であるモノリスは、倒壊の衝撃で大量の白化したバラニウム片を巻き上げ、地球外からでも視認できるほどの黒煙を発生させた。

 モノリスの残骸は偏西風に乗って大規模な範囲にまで降灰などの異常気象をもたらし、太陽を長時間隠してしまうそうだ。

 そして、自衛隊や民警軍団はモノリス近くに布陣していたため、それらの影響を一身に受けてしまった。

 突如として空を覆った黒煙。吹き荒ぶモノリス片と壮絶な衝撃波。不意に起こったそれらで自衛隊は混乱し、隊は乱れ、従来の布陣を完成させられない。指揮系統はそれを正すために数時間を要してしまった。

 しかし、民警軍団はその中でも素早く立ち回り、厳格な訓練を受け続けている自衛隊とほぼ同時期に整列を完了させていた。それは偏に、我堂長正が執った苛烈ともいえる的確な指示のお蔭だろう。

 

 

「....なぁ、樹万。本当に自衛隊は負けるのか?」

 

「言っちゃなんだが、確実に負ける」

 

 

 怒号や怒声飛び交う整列から一息つき、俺と同じく地平線を眺めていた蓮太郎が問いかけて来る。雁首を揃えた現代の最新兵器の数々を目にし、ここへ布陣を完了した時点で俺が打ち明けた事実に対し疑問を抱いたのだろう。尤もだが、その確信はすでに確固たるものとなりつつある。

 俺はカールグスタフM4の砲身後部に取り付けられた蓋を上部にスライドし、中にHE441弾頭を詰め込みながら蓮太郎を見る。

 

 

「俺は大戦時代、ガストレアの大群を何度も見て来たからわかる。あれは()()()()()()

 

「揃う?いや、こんな距離があっちゃそんなの分からないだろ」

 

「全容を捉えなくてもいいんだ。『目』を見ればな」

 

「......!」

 

 

 通常なら、ガストレアの行軍は乱雑なものだ。隊列という概念はなく、足の速い者が率先して先頭へ喰らいつき、後続がそれに続くという戦闘倫理。

 だが、この場にて立ちはだかったガストレアはどうだろう。先んじて押し寄せる白波が如く前列の赤い眼は横一線を作り、後ろに行くにつれてその密集具合は高まる。これは一見してありふれた進軍に見えるが、その実、ガストレアとして見れば多大なる進歩だ。

 

 何しろ、今までの戦いの中で欠片ほども見えなかった、『戦術』と言うものが存在しているのだ。

 

 これに気付ける人間は恐らく俺を除いてこの場にはいないはず。夥しい数のガストレアに幾度も囲まれておきながら、そのどれからも生還したと言うことになるのだから。

 

 

「俄かには信じがたいが、なるほど。言われてみれば、奴らの動きは些か妙だ」

 

「そ、そうですね。言葉では上手く表現できませんが、行動を律しているように思えます」

 

 

 俺と蓮太郎の背後に控えていた彰磨、翠ペアが賛同の意を漏らす。彰磨は既に戦闘用の手袋を嵌め、バイザーを深く落とし、俺の言う自衛隊の敗北を言外に信じたともとれる格好をしていた。

 二人のガストレアとの交戦回数はチーム内でも群を抜いているだろうが、やはり集団戦は経験に乏しいらしい。まぁ、先ほど説明した通り、経験している人間であれば、まずこの場に立ってはいないのだが。

 と、開戦間もなくして異常性を垣間見せるガストレアの様子を窺っていた時、突如前方で赤い火炎が断続的に瞬いた。

 

 

「ッ!始まりやがったか、自衛隊の砲火が!────っぬぉ!」

 

「ひゃ!爆風がここまで!」

 

 

 玉樹はサングラスを持ち上げながら、真紅の柱を何本も突き立て始めた戦地に向けて視線を飛ばす。それから少し遅れて爆破の衝撃が此方まで到達し、傍らで悲鳴を上げた弓月共々顔を伏せた。

 人類の持つあらゆる最新兵器の数々が吐き出した砲弾で、前衛のガストレアは次々と千切れ飛ぶ。その爆炎から飛び出してきたガストレアも同様に弾け、やがて上塗りされていく炎の柱で見えなくなる。

 瞬く間に戦場は血のような火炎一色となり、それは上空に上がるにつれてドス黒く変わってゆく。

 

 

「ふわぁぁ!蓮太郎、凄いバクハツだぞ!」

 

「っく....なんて砲撃だ!延珠、俺に掴まってろ!────おい樹万ッ、これでも駄目だってのか?!」

 

 

 蓮太郎の叫びに近い声を聴きながら、俺は黙って戦場を俯瞰する。

 一見すると、自衛隊の攻撃はガストレア側にとって為す術ないほど苛烈なものかと思われるが、実はそうでもない。あくまでも、敵対しているのが『従来のガストレア』だと思っていなければ、これの対抗策は向こう側で複数捻出できるのだ。

 

 ────そして、開戦の狼煙があがる間際に見せた奴らの行軍。これは、俺が打ちたてた新生ガストレアの取るであろう作戦の一部と合致する。

 

 そんな俺の考えも余所に砲火は続いたが、少しずつ吹きあがる火炎の数と爆音が減少していき、やがて火薬の切れた花火の如く自衛隊の攻撃は止んだ。また同時に、ガストレアの声も、足音も、一切が消え失せた。

 

 

「......これ、もしかして勝ったのかしら?静かになっちゃったもの」

 

「あれほど近代兵器の集中砲火を浴びれば、幾ら数千のガストレアといえどひとたまりもないと思うんですが。現に敵の攻勢も止みましたし....どうです?樹万」

 

「────────」

 

 

 確かに、この状況では木更と飛那の言った通りの結果が()の一番に脳内を占めるだろう。だが、俺はその答えを棄てている。

 初戦はお互いに手の内が明瞭ではないため、戦で取る手段は大きく二通りに分けられるはず。一つは、自分のとれる万全の方策を固め、全力で潰しに来る。二つ目は、敵の戦力や戦術を確認し、後に方策を組むため、最低限の人員を割く、だ。

 そして、今回のガストレアが俺たちに挑むに際して取った手段は、恐らく前者だ。ここまでのガストレアの動きを観察し、その結論に至った。

 正直、内心では激しく混乱している。これほど敵のアプローチの方法が変化しているのなら、最早一も二もないだろう。

 

 

「リーダー。俺が合図したら照明弾を打て」

 

「な───アレは我堂の合図があってからだろ!?独断専行したら重罰だ!」

 

「その前にこっちが半数はやられるぞ。....奴らはもう次手を打ってる」

 

「おい。何だよ、その次手ってのは」

 

「説明してる時間はない。いいか?やってくれ」

 

「......くそッ、どうなっても知らねぇぞ!」

 

 

 蓮太郎は半ば自棄気味に中折式の照明弾打ち上げ専用の銃を取り出し、チャンバーへ弾薬を押し込み、セットする。俺はそれを横目に見ながら暗闇を注視し、手元に置いておいたカールグスタフM4用の弾頭収納ケースを拡げる。

 だが、この一連の流れを黙って見ている訳にはいかなかったのだろう。玉樹や木更が制止の声を上げた。

 

 

「ちょっと待ってくれや、旦那。ここからどうなったら俺っちたち軍団(レギオン)が真っ二つになるってんだ?今回のガストレアどもは違うのかもしれないけどよ、ちっとばかし逸りすぎなんじゃねぇのか?」

 

「そうよ、美ヶ月さん。悪いことばかり考えず、少し落ち着きましょう?」

 

 

 俺は両者の勧告に耳を貸さず、緊張と不安を身に押し込む周囲の民警たちを眺めながら、代わりに別の答えを投げかけた。

 

 

「戦場では、誰がやられたかじゃなく、何人やられたかが士気を大きく左右する」

 

『えっ?』

 

「名のある人間が倒れたらその限りじゃないが、そういうヤツは不測の事態でも立ち回れるだけの実力と胆力が備わってる。だが、それ以外の連中はどうなる?対応できずに全滅だ」

 

 

 戦とは、強い人間のみが行うものではない。戦場に立つ間は、敵との戦闘行為と並行し恐怖と理性が鍔競り合っている者も多くいるのだ。そういう者達は、仲間の大多数が斃れると同時に死への恐怖が連鎖的にストップ高となり、潰走状態へと陥ってしまう。

 そうなってからでは遅い。なにもかもが取り返しのつかないところに至ってから最善の対策を打ちだすのではなく、あらゆる選択を残せる可能性がある『今』に最善を尽くすのだ。

 そのために何らかの犠牲を払うことになろうと、それらは全て次に生きる。その犠牲は無論のこと少ない方がいいが、例え多くとも、より多くの命が救えるのなら、俺は迷うことなくそれを選ぶ。

 

 

「泥ならどうにかして俺が全部引っ被ってやる。だからついて来てくれ、頼む」

 

「なに、ここに来て気負う必要などない。確信があるのだろう?」

 

「....ああ、ある」

 

「なら、確たる意見のない俺たちはそれを全霊で援護するまでだ。....里見」

 

「分かってる。彰磨兄ぃが覚悟決めたってんなら、俺も腹を括るぜ」

 

 

 良い義兄弟の信頼だ、と呟いて笑みを浮かべてから、改めて同チーム内に軽く確認を取る。とはいえ、先んじてリーダー含む主要なメンバーが賛同してくれたおかげで、それはすぐに済んだ。あとは....

 

 地面を蹴り、立っていた丘を滑り降りると、あらかじめ設定しておいたポイントへ素早く移動開始。

 目標の地点には数分とかからず到着し、同時に膝をつくと、カールグスタフのラッパ状の砲門を広がる平原へ向けながら、少しばかり上がった息を整えるために目を閉じる。それで脳裏に映ったのは、移動直前の我堂英彦中隊長の姿だ。

 

 彼は己のイニシエーターを腕に抱きながら、焔燻る自衛隊の戦地へ向けて何事かを必死に紡いでいた。

 きっと文言の内容は、自衛隊の勝利を祈り、自分が死線に立つことを回避しようとしている旨だろう。戦地へと赴く人間の行動とは到底思えないが、彼は本来、戦地に赴くような人間ではないのかもしれない。長正は何故....いや、栓なきことだ。

 俺はカールグスタフに取り付けられているスコープを覗き、そして意識を集中させる。オッサンと共に渡り歩き、死地で培った感覚を呼び覚ますのだ。

 

 

「........ここか」

 

 

 他の動物因子を使うまでも無い。いくら息を殺し足音を殺し、眼光すらも消そうと、俺の中に在る獣性が微かな痕跡も逃さない。俺も同類みたいで嫌気が差すが、今は得をしたとだけ思っておこう。

 俺はトリガーに指を掛けた状態で携帯電話を取り出し、スコープを覗きながら片手で蓮太郎の番号を入力する。そして、コールが掛かったと同時に迷うことなく引き金を引き、発射確認後はすぐさまその場を離脱した。

 カールグスタフにより発射されたHE441弾頭は初速が240m/s。時速で表わすと864km/h。当然、信号弾が発射されるより早く着弾し、俺の判断が間違っていたか否かが白日の下に晒される。

 

 

『あ────当たりだ!樹万ッ!アイツら目を閉じてここまで移動してきやがったのか!』

 

 

 携帯電話のマイクから響く蓮太郎の声につられ、移動途中に後方を流し見る。そこには、やはり予想通りの光景が広がっていた。

 

 酸素を貪欲に貪る爆炎が蜷局を巻き、弾頭後部に収容されたバラニウム鉄球と破片が飛び散り、隠密移動のために密集していたはずのガストレア数体を絶命させる。撃たれるなど夢にも思っていなかったのか、混乱しているとおぼしき叫喚が立て続けに響き、爆破地点で赤眼が複数瞬く。

 

 直後に上空で照明弾が発光し、闇に潜んで奇襲を掛けようとしたガストレアの前衛部隊が、今度こそ完全に照らし出された。

 その一部始終を見た俺はしたり顔のまま丘を駆け上がると、メンバー全員からの称賛を受けながら定位置に戻り、カールグスタフへの次弾装填を開始する。並行して、改めて戦場を俯瞰してみた矢先、この結果が現実になったのであれば、必ず戦場に姿を現すだろう存在が視界に映った。

 

 

「おいおい....あの迷彩服、まさか」

 

「本当に、美ヶ月の予想通りとなってしまったな」

 

 

 己の愛銃であるマテバの初弾を装填しようとした玉樹は、若干裏返った声で前方を指さす。彼の隣にいた彰磨はその正体にすぐ気づいたらしく、苦々しい表情をしながら厳しい視線を向けた。

 平原の横手に広がる草木の間を抜けて来た人型は、自衛隊の隊員だった者たちだ。彼らは一様に身体の至るところを激しく損傷しており、夥しい量の血液をこぼしながら近づいてくる。

 人から大きく逸脱した姿は、その実、既に人の身体構造から離れつつあるのだろう。それを証明するかのように隊員の身体が矢継ぎ早に内側から弾け、異形のモノが産声を上げる。

 性質の悪いホラー映画のような光景に痛々しいものを感じる暇もなく、策を破られたガストレアたちの怒号が木霊し、地鳴りを響かせながら突進してくる。それに混じる形で、左方からは我堂英彦中隊長の怒りの声が轟いた。

 

 

「き、君たちッ!末端のアジュバントは中隊長の指示後に行動するものと事前に教わっただろう?!」

 

「....見て分からないのか?我堂中隊長。俺たちが先んじて動かなかったら、どうしようもない距離にまでガストレアの軍勢を接近させていたことになる」

 

「く、だが規則違反は規則違反だろう!」

 

「自衛隊が敗北したという事実を受け入れられないのは分かるが、そろそろ戦闘準備の号令をくれ中隊長。貴方が指揮を執ってくれなきゃ、あいつらと戦うのは俺たちだけになる」

 

「っ....クソッ!総員、戦闘準備!」

 

 

 我堂中隊長は苛立ち紛れに叫ぶと、それに一歩遅れて各アジュバントのリーダーがメンバーに同様の指示を下す。

 以降の民警らの動きは、俺たちの不意打ちで前衛のガストレアが吹き飛んだ光景を見たことと、十分な距離を確保できたこともあり、精神的な余裕が幾ばくか捻出できたか、訓練で予習した配置を短時間でやってのけた。

 俺は蓮太郎の号令とともに遠距離部隊に混じって前へ踏み出ると、今一度カールグスタフM4のスコープを覗き、前衛に照準を合わせる。他のアジュバントの民警はライフル銃などで敵を照準している為、俺の武装は大層浮くことだろう。

 

 

「お兄さん、リロードアシストは私がやりましょうか?」

 

「いや、一人でも効率の良いやり方知ってるから大丈夫だ。今は一人でも戦闘要員が欲しいから、要になるティナは攻撃に回ってくれ」

 

「了解です。助けが必要なときはいつでも言ってくださいね」

 

 

 ティナは撫でられた頭を嬉しそうに両手で押さえると、笑顔のまま配置に戻る。本当は二人一組の方が良いのだが、致命的なほど遅れる訳ではないので問題はない。それよりも、射手が一人減ることのほうが大問題だ。

 俺は照準に戻り、トリガーに指を掛ける。それに際して湧きあがるものは、過去に渡り歩いた数々の戦地だ。

 

 慣れた戦場の空気は、手の震えも冷汗も生じさせない。最初は躊躇っていた殺戮兵器の使用も、人類存亡の危機という大義名分により、とうの昔に塗りつぶされている。それは何度も死地に立つ俺にとって喜ばしいことであったが、同時に何も知らずにいたあの時の俺にはどうやっても戻れないことを確信し、いつかの日に涙を流した。

 あの時の俺が、今の俺と歩んだ過去をその眼で見たとき、果たして何と言うだろうか。

 

 ───そして、ついに我堂団長の攻撃命令が下る。直後に横一線に並んだ砲門が激しく火を噴き、ガストレアにとって極めて致死性の高いバラニウム金属の弾丸がばら撒かれる。

 だが、そんな死の雨に等しき砲火を受けたはずの前衛のガストレアは、血飛沫を上げながらも侵攻を止めず、寧ろ咆哮を轟かせながらスピードを上げてくる。

 

 

「なるほど。そういうことか」

 

 

 理解の声を呟いたあと、俺は我堂の号令で引かずにいたトリガーを動かし、弾丸の雨を搔い潜ってきたガストレア数体をあっさりと爆散させる。それで倒れない敵の不可解さに息を呑んでいた民警らの混乱を大分落ち着けることができた。

 俺はリロードをしながらさきほどの現象を顧みる。....大方アルデバランの仕業だろうが、ガストレア一体一体の耐久力が向上しているのは明白だ。特徴的なのが、それが回復力によるものではなく、過剰な脳内麻薬による痛覚の快楽変換、端的にいうと戦闘高揚状態によるものなのだ。

 ならば、再生不可能である脳か心臓を真っ先に撃ち抜いてしまうのが最適解だろう。ステージⅤ(ゾディアック)は例外だが、それ以外のガストレアならば、そこを突かれた時点でもれなく昇天だ。

 至った結論を周囲の民警とイニシエーターに伝えようと息を吸い込み、しかしそれを途中でやめる。

 

 空中を飛行するガストレアが、闇に紛れて民警軍団の交戦地を抜け、後方へ向け別動隊を運搬するところを見てしまったからだ。

 

 

「お兄さん、見ましたか?」

 

「流石はティナだな。やっぱ気付いたか」

 

「はい。....でもどうしましょうか。アレを捨ておくと背後を突かれるので、混乱を防ぐためにも早急に対処すべきですが、ここを離れれば重大な命令違反になります。既に私たちは一度独断専行をしているので、我堂長正からのペナルティは相当なものになりますよ」

 

 

 確かに、先ほど頭上を通過したガストレアは無視できない行軍だが、ティナの忠告も決して無碍にはできない。ここもいずれ激しい交戦が始まるだろうし、人員は少しでも多く確保しておきたいはずだ。そこを無許可に抜けたとあっては、正当な理由があっても糾弾は避けられまい。

 

 とはいっても、だ。軍規違反を起こしたところで、人員が足りない中で科されるペナルティなどたかが知れていると思えるだろう。

 

 だが、我堂は何よりも和が乱されることを恐れている。それを保つためであったら、違反者の首を刎ねることもいとわないほどに。

 ────とまぁ、こんなジレンマに陥る予想が何となくあったから、俺は事前にあんなことをしておいたのである。

 

 

「なに、こういう時のために俺は単独行動の許可を我堂から貰っておいたんだ」

 

「単独って....まさか、あの一群を一人で相手にするつもりですか?!無謀すぎます!」

 

「飛那もいるから大丈夫だ。んじゃ、ちゃちゃっと片して戻ってくるから!ああそれと、俺のグスタフ使ってもいいからな!」

 

「お、お兄さん!」

 

 

 ティナの制止の声を振り切り、遠距離部隊から外れる。そこから次に向かった先は、緊張で顔を強張らせている蓮太郎のところだ。

 彼は視界に映った俺を認めると、驚きの後に何故か若干安心したような顔を浮かばせてから、此方へ小走りで駆けてくる。

 

 

「どうした樹万。何かあったのか?」

 

「ああ、無視できない問題がな。だから、スマンが暫くの単独行動を許してくれ。....戦場を大きく迂回して、後方に奇襲部隊を抱えた飛行型ガストレアの群れが飛んで行った。これを一掃してくる」

 

「....ッ、お前と飛那だけで、大丈夫なのか?」

 

「問題ない。こっちは頼んだぞ、リーダー」

 

「────分かった。そっちこそ頼んだぜ、樹万」

 

 

 頷く蓮太郎の肩を叩いてから、部隊入れ替えの号令が掛かかった蓮太郎を見送る。

 その後はメンバーの皆に軽く説明をしてから、飛那を呼んで前線から抜け、基地の方へ繋がる森の中へ入る。光源がない森中は一寸先も見通せないほど闇に沈んでいるため、猫のステージⅠを混ぜておいた。

 それでも、足元には時折うねる樹木の根や太い木の枝などが見られ、視えていても転びそうなものが散らばっている。

 

 

「飛那、足元気を付けろよ」

 

「鷹も鷲も夜目は利きますから大丈夫ですって。寧ろ樹万の方が心配です」

 

「俺は()()を使って猫の因子混ぜてるから平気」

 

「む....あまりその力は使い過ぎないでくださいよ?ずっとその状態でいられる保証なんてどこにもないんですから」

 

 

 飛那は不機嫌そうに言いながらついて来る。彼女にとって人生最大に忌避すべきことは、ガストレア化した俺をその手で殺すという結末なのだから、その原因を利用し続けるなど気が気ではないだろう。

 しかし、俺はガストレアウイルスがなければ今日まで確実に生きてこれなかった。人類の敵を生み出し続ける諸悪の根源が、俺にとって力の源泉であるなど訳が分からないが、過去数百数千考えても答えなど出なかったのだ。今更考えても仕方ない。

 

 

「────よし、ここらで上に上がってくれるか?」

 

「了解です」

 

 

 俺の言葉に頷いた飛那は、二本の樹木の幹を交互に蹴って上昇し、中腹辺りに陣取ると、銃口を森の闇間へと向ける。それを確認した俺は、視線を飛那と同じ場所へ移した。

 ここまで奥にくれば、森の中に放たれたガストレアも俺たちの存在を察知する。伏兵として潜んでいたはずの己を気取られて困惑したかもしれないが、大方それが鼠二匹だと知るや否や、餌にしか見えなくなったことだろう。

 

 ────残念だが、お前らの前に立ってるのは鼠じゃなく、獅子の類だ。

 

 

「チチチチチチキキキキキキキッ!!」

「オオオオオオガガアアアアアア!!」

 

 

 赤い眼光の尾を引きながら吶喊してきた一匹目のガストレアを避け、その後ろから突っ込んで来た二匹目の顔面を蹴り上げる。更に衝撃で浮き上がったところを二度目の蹴りで吹き飛ばし、肉と骨の散弾で後続の一匹を文字通り削り取った。

 

 

「そうら、よっと!」

 

 

 俺はその場を動かず、続けて後ろへ回し蹴りをすると、先ほど吶喊を流した一匹目のガストレアが頭部を丸ごと左手の樹木に叩き付けられて絶命する。最中に右から鎌のようなものを振り上げて来た一匹は頭部に飛那の銃撃を受けて倒れ、前方の木々の間に潜んでいた三匹も同様に頭をバラニウム弾で抉られ事切れた。

 しかし、このまま一匹ずつ丁寧に相手をすると時間がかかる。向こうで何かあってからでは遅いので、さっさと片づけてしまった方がいいかもしれない。

 

 

「人目もないし、ちょっと派手めなの使っても大丈夫だろ」

 

 

 あっという間に仲間の数匹が肉塊になったのを見たガストレアは、ジリジリと一定の距離をおいて隙を伺っている。危機感を感じてくれて大層結構。

 俺は右拳を上方へ垂直に立てたあと、片膝をついて地面にその拳を落とす。そして、力を込め反時計回りに腕を回しながら叫ぶ。

 

 

「オッサン直伝!『嵐が来れば大火は収まる(スサノオノカミ)』!」

 

 

 瞬間、地面に打ち付けた右拳から前方へ向かって舐めるような突風が駆け抜け、それから一歩遅れて轟音が断続的に響き、地面から大量の砂礫が吹きあがる。宙には細切れになった木々とガストレアも飛び、さながら無差別爆撃を受けているような光景だ。

 砂のカーテンが晴れた後に残ったのは、乱切り状態になったガストレア数十体と、このまま材木店に並べても平気なくらい綺麗にカッティングされた樹木だ。

 

 

「よし、全部片づいたな。....にしても、これで本家の威力の千分の一か。オッサンがやると街一個が滅ぶな」

 

 

 この技は、自分の拳を打ち付けた地点から扇状に攻撃範囲が展開し、二十センチメートルほどの間隔を空けて大気の断層が連続的に発生するものだ。

 断層では気圧が急激に上昇しており、一瞬ではあるが数千メートル級の深海を悠に越すほどの気圧となっている。何故そんなことができるのかは使っている俺にも全く分からない。

 ともあれ、ガストレア群は局所的な超高圧により十センチ刻みで裁断された。目視で確認し、ある程度の見切りを事前につけて置いた奇襲部隊の数と、ここに転がる数は大体合っているので、掃討したと考えてよいだろう。

 樹木の上に昇ったまま、念のために周囲を警戒していた飛那も、これ以上の援軍はないと見たらしく、長髪を翻しながらwa2000を抱えたまま降り立つと、微妙な顔を浮かばせて此方にやってくる。

 

 

「ま、なんとなく言いたいことは分かるが、出来れば腹の中に収めておいてくれると助かる」

 

「....ええ、いいですけど。ただ、絶っ対に危ないことにだけは関わったり、手を出したりしないで下さいよ?私からはそれだけです」

 

「────ああ。ホントにお前は、俺なんかにゃ勿体ない相棒だよ」

 

「何とんちんかんなこと言ってんですか。私と樹万は世界一相性の良い民警ペアです」

 

 

 憮然とした顔でそう言い放った飛那は、愛銃を持ち直してから歩き出し、この森に来たときの道を逆方向に辿り始める。俺はそんな彼女の態度に後ろ髪を掻くが、それから少しして失言だったことをようやく悟った。

 

 かつて世の全てを信じられないと言った少女は、今まで信ずるべきものに向けることができなかった、そしてこれから出会うかもしれないものに対する信頼と情愛の全てを俺にささげると、『あの日』に誓った。であればこそ、世界中の何よりも信じるべき存在に己がこの場にいることを『否定』されることは、どのような暴言よりも堪えることだろう。

 

 俺は銀髪を揺らしながら歩く飛那の背を眺めたあと、思わず両手で顔を覆って天を仰ぐ。湧きあがるのは後悔と、あまりにも慮外な己に対する怒りだ。

 

 

(ったく、らしくない。こんなこと、考えるまでもなく分かってたつもりなんだけどな)

 

 

 内心で奥歯を割るほど噛み締め、渦巻く自責の念を鎮める。だが、考えれば考えるほどにそれは増し、あっという間に溢れて感情の波に呑まれた。

 飛那が当時、どのような思いで俺にこの言葉を伝えたか分かるからこそ、その期待を裏切ったに等しき先の発言が悔やまれた。気付けば現実でも歯を噛み締めていたようで、鈍い音とともに口の中に細かい物体が散らばる。奥歯を砕いてしまったらしい。

 

 俺は溜息とともに散在する歯の破片を口内の裂傷も気にせず掻き集め、一度に吐き捨てる。こんな心境では、戦場には到底戻れたものでは無い。

 飛那は望まないだろうが、謝らなければ俺の気が済まない。そして、謝ったときにもう二度と同じバカはしないと心に刻もう。

 

 俺はそう決め、胸に下げた飛那お手製のバラニウム弾ペンダントを握りしめながら、先を行く彼女の名を呼び、そして言葉を───続けようと、した。

 

 

「────────」

 

 

 星の数ほどの戦闘を経験して、分かったことがある。

 それは、人間に第六感(シックスセンス)というものは本当に備わっているということだ。

 

 俺は、俺の命を削り取るに足る攻撃の接近を無意識下で察知し、体感時間を引き伸ばすオッサンの技を使っていたのだろう。故にこそ、『それ』は恐ろしいほど鮮明に、そしてどうしようもないほどの絶望を以て、俺の視界に映る。

 上空から猛烈な速度で注がれるのは、金属質の液体。およそ自然の落下物として有り得ない様相の『それ』は、言うまでも無くガストレア()の攻撃手段なのだろう。直下に居る飛那に接触した場合、質量、体積、速度の観点から、まず助からない。

 

 俺の呼び声に応じ、此方を向いた状態の飛那と目が合う。能力の影響でゆっくりとした挙動を見せる彼女は、まだ俺の姿をしっかりと映していないだろう。かくいう俺も、湧きあがる凄絶な無力感、寂寥感、悲壮感を持て余し、視界が早くも滲み始めている。

 

 

(飛、那────────)

 

 

 助けられない。救けられない。もう、手遅れだ。

 

 『向こう』まで行くことはできる。だが、そこまでだ。飛那を突き飛ばすまでの時間は残されておらず、二人もろとも押しつぶされる。

 飛那がこの世にいる僅かなこの時間。それをこうして無為に過ごすことしかできないのか。いっそ彼女の元へ飛び込み、共に果ててしまった方が良いのかもしれない。

 手の中にある、俺と飛那の名が刻まれたバラニウム弾を握りしめ、俺は────俺は。

 

 

 ─────────バラニウム、弾?

 

 

 俺は目を限界まで見開く。

 そして、考えるよりも前に握ったペンダントの結合部を握力で破壊し、ステージⅠの猫の因子で強化された瞬発力をオーバーヒート寸前まで引き絞ると、バラニウム弾の握られた右腕の肘を後方へ引く。

 

 ───────そして。

 

 

「オッサン直伝・『五月蠅けりゃ幸運の青い鳥も撃たれる(アメノワカヒコノカミ)』」

 

 

 物理法則の一切を無視した運動エネルギーにより射出されたバラニウム弾が、ただの火器から放たれるよりも迅く空を翔ける。上空より迫る金属塊をも凌ぎ、そして────音すら悠に越えた。

 

 届け。届け、届け届け届いてくれ──────ッ!!

 

 

 直後、大質量の物体が着弾した衝撃が地面を揺るがし、俺の視界は黒に塗りつぶされた。




いきなり急展開で申し訳ないです。

とまぁ、急展開ついでに一つ。現状の三人娘が樹万に抱く好意の度合いについてです。気になる方もおられるのではないでしょうか?
大まかな形では...

ティナ>飛那>夏世

となっています。予想通りですかね?

具体的には、
夏世:仮に樹万がいなくなっても生きてはいけるレベル。しかし、喪失感から少なくとも一~三年ほどは荒れる模様。一緒にいる時間が増えるごとに依存度も増す傾向あり。

飛那:仮に樹万がいなくなったら生きる理由を見失うレベル。しかし、作中でも垣間見せている通り、蓮太郎の元にいれば希望を見いだせる可能性がある。但し、どんな状況に陥ろうと、蓮太郎に対し一定以上の好意は抱かない。

ティナ:仮に樹万がいなくなったらこの世の全てを憎むレベル。簡単に表わすと、ティナが望む全て=樹万。彼女が樹万に対して抱く感情は信奉心にも等しいので、失うと同時に心が壊れる。以降は誰にもその心は治せない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

47.忘我

ようやくの更新!GW様様ですね。

筆者の活動報告にも書いてある通り、今後もしばらくは日が空きがちの更新となります。
何とかモチベ―ションを捻り出して、一か月更新を目標にやっていきたいと思います。


 赤い火が見える。木々の間を駆けて熱波が此方まで届くあたり、相当な熱量が戦場では渦巻いているのだろう。

 そして、その渦中で数百の人間が、文字通り命を賭して戦っている。己が身を守るため、東京エリアを守るため、家族を守るため....それぞれの戦う理由を裡に秘めながら。

 共に戦地へ赴くことを提案し、しかし後方で控えているよう樹万さんに諌められたことは、正直今でも納得がいかない。いかないが、それは私個人の感情の部分だ。もっと冷静な、理性的な部分の私が下した判断は、ほぼ確実な自身の死だ。

 

 

「....でも、心配なものは心配ですから」

 

 

 せめて、無事だけでも確認できれば。そうすれば、この背を焼かれるにも似た焦燥感を霧散させられるのに。

 背後には廃校舎の体育館を拠点にした病棟がある。そこには既に負傷した民警や、生き残った自衛隊員などが担ぎ込まれ、応急治療が行われている。中にはかなり酷い状態の者もおり、これから彼らのような人間が増えるかと思うとぞっとする。

 そういった人たちが命を繋ぎとめられているのは、室戸菫医師の迅速かつ的確な指示があってこそだ。招聘された歴戦の医師たちすら目から鱗と驚くほどの術前対処、治療技術。彼女がいなかったら、重傷患者の殆どは識別救急(トリアージ)の段階にて黒札をつけられていただろう。

 

 

「そろそろ、戻りましょうか。休憩など、五分もあれば十分です」

 

 

 かくいう私も、医療技術に関して一定の知識はある。知識だけで、その大半は現場で施行したことはないのだが、数度医師の前で行った異物摘出、皮膚等の縫合などは満点を頂いたので、この場において役立たずという最悪のレッテルを貼られることはないはず。

 そう自分を鼓舞すると同時に、戦場....というより、樹万さんに向いていた意識を、これから行う負傷者の治療という点に向けていたとき。

 

 

「───────ッ!?」

 

 

 突如響く、樹木がなぎ倒される轟音。否、そんな生易しいものでは無い。

 些か現状の説明に苦慮するが、端的に表現するなら、『木の上部が丸ごと吹き飛んだ』。

 幸い、吹き飛んだ『モノ』は私の立つ方ではないところへ落下していったが、あまりの異常事態に身体と思考が暫し固まってしまった。

 無論、ここに立つ以上最低限の武装はしているのだが、すでに私の脳内には『これほどの膂力を持つ者に勝てるわけがない』という暗い結論がでており、その上での硬直なのかもしれない。

 

 待て。馬鹿なことをいうな。ここで死ぬことを受け容れていいはずがないだろう。

 敵わぬなら逃げればいい。この場で勝敗に拘る理由は微塵もない。生きる為に足掻け!その手に....銃を取れッ!

 

 

 

「夏世、か?」

 

「────────え」

 

 

 結果的には、判断が遅れていたのは幸いだったのかもしれない。

 たとえ間違いであれ、彼....樹万さんに銃口を向けることは避けられたのだから。

 

 そんな安堵は、彼の全貌をその眼にした途端に跡形もなく吹き飛んでしまったのだが。

 

 

 

「!た、樹万さ、うそ....血、が」

 

「....いや、違う。これは俺じゃない。......飛那の、だ」

 

「え....飛那、さん?」

 

 

 彼の胸から腰までべっとりと張り付いた夥しい量の血液が、樹万さん本人のものでは無いとわかり、胸をなでおろしたのもつかの間、耳を疑うような返答が鼓膜を震わせた。

 

 だって、いやまさか。その胸に抱いている血塗れの『ソレ』が....?!

 

 

 

「飛那を....頼む。菫のところまで、運んでくれ」

 

 

 樹万さんの上着だろうか。元々黒かったであろうそれに包まれた飛那さんは、主に左半身を激しく損傷しており、左手足は無論丸々削ぎ落とされ、右足は脛から先が無かった。

 これまで生きて来て、惨い人の死はかなりの数を見て来た。故に、そこまで精神的なショックは無いと鷹を括っていたが、親しい誰か、というだけでここまで打ちのめされるものなのか。私でこれなのだから、家族のように接していた樹万さんの気持ちなど、私では到底量れるものでは────────....ああ、そんな。

 

 

「樹万さん......貴方」

 

「どうした」

 

「なんて、目をしているんですか」

 

 

 彼の、美ヶ月樹万の目は、冷え切っていた。きっと、彼は視線の先に映るものの悉くを視ていない。認識はしているが、それに対し何の反応も示していない。

 これでは、殺意と憎悪に衝き動かされている方がまだマシだ。何故なら、今の彼には感情と言うものが無い。いいや、違うか。本来なら多様な感情が介在するはずの容れ物が、たった一つで埋まってしまっている、といったほうが適切だ。ここまで外からもたらされる情報を遮断するのは、飛那さんを『こんな風にした』敵のことしか考えてないからだろう。他のものが入る余地がないのだ。

 しかし、こんな状態の彼を野放しにしてはいけない。私は『飛那さんを預けられる誰か』として認識されたにすぎず、本来の彼が知る千寿夏世として接している訳ではない。それは室戸菫医師も同様だろう。極論だが、彼は私たちを人間と見てすらいないのだ。

 止めなければ。こんな状態の彼は一秒と眺めていたくない。だが、止めれば容赦なく殺しにかかってくるだろう。普通の人間であればそれでもかまわないが、彼は文字通りガストレアをも素手で殺す術を持っている。あのティナさんを倒したのだから、私が抑えられるはずもない。

 ─────否、例えそれでも。

 

 

「樹万さん、飛那さんはまだ生きてます」

 

「......そうか」

 

「報復の理由はあります。けど、そうなる必要はどこにもないでしょう」

 

「....................」

 

 

 彼の態度は変わらない。だが、確実に今の発言で私を『敵』と判断しただろう。眼光に何かうすら寒いものを感じ、背筋が粟立つ。

 いいや、それでも構わない。大丈夫だ。飛那さんが原因でこうなったのであれば、きっと、いや確実にこの言葉は無視できない。

 

 

「今の貴方を見た飛那さんが、喜ぶと思いますか?」

 

「──────────」

 

「普段の貴方のことを誰よりも知る飛那さんが、何もかもを諦めてしまった貴方の姿を見て、喜ぶと思いますか?」

 

「──────、────」

 

 

 ここまでの台詞は、決して長いものではない。なのに、周囲を漂う質量を感じるほどのプレッシャーで息が続かず、喉が不自然に渇く。危うく唾を呑みこむタイミングを間違えそうだった。

 しかし、私の訴えを聞き終えた彼は、目に見えて雰囲気が変わっていた。感情の無かった瞳には怒りとも無念とも取れる色が渦巻き、だらりと下げるだけだった右手がぐっと握りしめられたのだ。

 

 

「諦める....諦める、だって?そんなことは思ってない。俺には目的がある。目的。アイツらを殺して根絶やしにする目的。諦めとは違う、違うはずだ」

 

「......なら、なんでそんなに嫌そうな顔をしているんですか?」

 

「違う、嫌なんかじゃあない。これは正しいことだ。何かを奪われたんなら、取り返しに行くのは当然だ。だから、殺す。殺せば戻ってくる。ぜんぶ無かったことになる。.....そうすれば元通りだ。何もかも元通り。あのときからまた、すべてやり直せ────ぐがッ!」

 

 

 私は、その言葉をとても最後まで聞いていられなかった。それ以上の発言を身体が拒むように動き、呆然と佇む彼の顎を全霊を以て爪先で跳ね上げる。

 直後、絶対零度の眼差しとなった彼から放たれる右拳を間一髪で避け、身体全部を使って腕を拘束する。

 と、同時に右肩に激痛。どうやら先ほどの反撃が掠ってしまったらしい。だが、歯を割れるほど噛み締めて耐え、彼のものとは対になるであろう激情を込めた目を向ける。

 駄目だ、冷静になれ、と理性が語りかけてくるが、赤熱する怒りの奔流であっという間に溶かされる。こんな彼を見るのは初めてだから、ショックが大きかったのも一因だろうが、それ以上に許せないことがあった。

 

 彼は、もう高島飛那を諦めてしまっているのだ。

 

 それは駄目だ。彼に生きていてほしいと願ってそうなった彼女に対し、それだけは許せない。

 

 

「ふざけるな────ふざけるな!諦めてないなんて嘘!とっくに諦めてる!」

 

「黙れ。諦めてなんかない。俺は、俺は────」

 

「違う!貴方の中ではもう、飛那さんは『取り戻せないもの』になってる!でも認めたくないから、取り戻せないものを奪われた復讐という動機ではなく、奪われたものを取り戻しに行く目的にすり替えている!まだ望みはあるんだと、原因を絶てば全て元通りになるんだと、そう言い聞かせて貴方はここに立てている!違いますか!?」

 

「っ......やめて、くれ。やめてくれ....!」

 

 

 必死に己の中で誤魔化し続けていただろう本質を言い当てられ、彼は血に濡れた口の端をわななかせる。

 そう、彼はずっと飛那さんのことを誤魔化し続けていた。ずっと腕に抱きかかえているくせに、今の今まで一度たりとも彼女のことを見ておらず、取り返しのつかない事実を知りながら取り戻せると叫んでいる。背後から迫る真実に追いつかれぬよう、『今』を絶えず否定しているのだ。

 その姿は、かつて星空の下で私を諭した彼とは思えぬほど小さく。化物と呼称し、絶望の象徴とも言えるガストレアを容易くなぎ倒す勇猛さも、微塵も感じられない。

 

 ─────だが、私はそれに心から安堵していた。

 

 だって、いままでの美ヶ月樹万は強く、精悍で、たくましすぎたのだ。

 そう。同じ人間とは思えぬほどに。

 

 しかし、今の彼はままならぬ現実に打ちのめされ、絶望と悲嘆に沈んでいる。....ガストレアに何もかもを奪われた当時の、私たちのように。

 

 それで、今更ながらに気付いたのだ。

 

 彼も。美ヶ月樹万も、人に見せぬ弱さを抱える、私たちと同じ人間なのだと。

 

 

 

「....樹万さん。飛那さんは私と室戸医師で治療します」

 

「な、に?」

 

 

 信じられない、という顔で此方を見る樹万さん。腕の中にいる飛那さんへ目を移したところを見るに、相当動揺しているのだろう。

 確かに、これはイニシエーターであっても命を落とすに足る重傷だ。実際、私だったら傷を負って数分足らずで再生が最低限の生命維持にすら追い付かず、死亡するだろう。

 しかし、彼女は例外だ。何故なら、

 

 

「さっき私が生きている、といったのは気休めではないんですよ?....飛那さんは鷹と鷲のガストレア因子を併せ持つ複合因子型(ダブルファクター)でしょう。体内侵食の速度は早まりますが、その分負傷時の回復力は単因子型と比べ大きく向上しています」

 

 

 今はその回復力を持ってすら生命維持で手いっぱいだが、それを私と室戸医師でアシストすれば、十分持ち直す可能性はあるだろう。倒すべき怨敵の持つ強力かつ忌まわしい能力だが、この時だけはそれに感謝しよう。

 しかし、この取り乱しようだと、樹万さんは飛那さんが傷ついたところをほとんど見たことが無いと考えられる。そうでもなければ、浅くとも確かにしている呼気、緩慢であろうと微かに鼓動している心臓に気付かないはずはない。

 それと合わせ、世界を渡り歩くなかで多様な因子を持つイニシエーターを知り、能力や特性から、傷がどれほどの程度からデッドゾーンなのかは大方把握しているだろうから、彼女の生死は直後にでも概ね見当をつけられたはずだ。

 それが出来なかったのは、単純に彼が普通の精神状態では無かったからだろう。希望的観測など、この状態の彼女を見た時点で思考の外側へ押し流されてしまったに違いない。

 

 私の発言を聞いた樹万さんは、此方にまで聞こえるほど息を呑む音を響かせると、やっと気づけたといわんばかりに、飛那さんの生命維持活動を担う要所を凄まじい勢いで確認していく。

 知識として補完しているからこそ分かるが、その精度は医学書が指南する手法よりも高い。以前室戸医師と話していたときに、彼がもし職を失ったら、私のところに助手に来てほしいんだよ、という願望を黒い笑みと共に漏らしていたことを何となく思い出し、それが冗談ではなく事実だったことを確信する。

 きっと、戦場は凶器をぶつけあうだけの戦いだけではなかったのだろう。消えゆこうとする命を繋ぎとめるための凄絶な戦いも彼は経験し、身に着けてきたのだ。

 

 

「........俺さ、飛那と出会う前はめちゃくちゃ荒れてたんだ」

 

「......はい」

 

 

 飛那さんに出来る限りの応急処置を施しながら、独りごとのようにつぶやいた樹万さん。にもかかわらず私が返事をしたのは、聞き手がいることで会話を円滑にしようという意図だ。

 

 

「最初は全く干渉してこなかったし、俺もしなかったけどさ。....ある日、俺がいつものように血まみれで帰ってきたら、玄関で待っててタオルを渡してくれたんだ。びっくりして、なんで、って聞いたら、臭いから、だって。笑っちまうよな」

 

 

 その笑顔は、思い出すというより、噛み締めるようで。恐らく思い出すという工程を挟む間もないほど、常に近くにそれを置いているのだろう。

 羨ましいと、素直にそう思う。自分の笑顔を思い浮かべて、彼にこんな幸せそうな表情をさせることができたら、どんなに幸福だろうか。

 

 

「最初はぶっきらぼうで、言葉数も少なかったけどな。掃除とか洗濯とか、段々気遣いの頻度が増えてきて、何度目かでやっと気づいたんだ。ああ、コイツは俺のこと心配してくれてるんだな、って。で、今度はなんでそんなに気に掛けてくれるんだ、って聞いたら、貴方が先に私を気にかけてくれたから、って返って来たんだ」

 

「....気にかけてくれた。ですか」

 

「ああ。毎日下手くそな飯を作って衣服を与えて、風呂に入らせて。それが飛那の言った気遣い。そんな当然のことに、そんな感謝をされるとは微塵も思ってなくてさ。寧ろ、こんな抜け殻みたいな人間と一緒にいても苦痛しかないだろうなって申し訳なさを感じてたってのに」

 

 

 イニシエーターに対し差別的な態度を取るプロモーターは、それこそ掃いて捨てるほどいる。....話からすると、以前は()()()()人間のところにいたのだろう、飛那さんは。

 満足な食事、最低限の清潔、健康。そういったものすら与えられてこなかった彼女たちにしてみれば、樹万さんが与えた生活は、猜疑心すら抱くほどの待遇なのだ。

 しかしそれも、ある程度の期間を共に過ごすことで徐々に消えてなくなり、あとに残るのは確かな信頼だけ。曲がったことが嫌いな飛那さんのことだ。一度すると決めたら真っ直ぐだったろう。

 

 

「それからはあっという間だったな。私のこと気にする前に自分をよく見ろって言って、今度は俺がお世話されるようになっちまった。気付けばくよくよしてる暇なんてなくなっててさ。飛那と一緒に笑うことばかり増えていった」

 

「........」

 

 

 樹万さんは創傷を手早く湿った布で覆いながら喋っているが、その一切に乱雑さなどなく、丁寧に処置を施す。持参しているらしい医療キットから、彼の手によって次々と器具が飛び出し、忙しなくまた戻ってゆく。

 私は返事の言葉を出そうと喉を絞ったが、直前に彼の視線が飛那さんを捉えていることを察知し、寸でのところで口腔内の空気ごと呑みこんだ。

 ────もしかしたら、彼はそれは独りごとではなく、飛那さんに語り聞かせる胸中の告白なのかもしれない。

 

 

「いっぱい、助けられてきた。錆びついて動かなくなった足でも、もう一度立ち上がろうと思えたのは、お前がいたからだ。どうでもいいとさえ思っていた世界でも、お前が生きているなら、生きていてくれるなら、もう一度あの地獄に戻ってもいいと、そう思ったんだ」

 

 

 樹万さんは最後に、布で血に塗れた飛那さんの顔を優しく拭き、一息に抱きかかえる。完全に脱力した状態の人体は、たとえ小児であろうと想像以上に重いと言うが、しっかりと芯を入れた足で立ち上がって見せた。

 

 その光景に一安心していた矢先、彼は大きく息を吐いたあと、空へ向かって『あぁッ!!』と短く叫ぶ。それで自分の中にあったどす黒いものを吹き飛ばしたか、面食らってる最中の私の方へ身体ごと向き直り、そのまま頭を下げた。

 

 

 

「本当に申し訳ない。不甲斐ないところを見せた。......でも、ありがとう、夏世。お前の叱咤は確かに届いてたぞ。────お蔭で、俺の中にあった弱い部分に、また一つ気が付けた」

 

「─────はい」

 

 

 きっと、彼だけではないのだろう。

 誰であろうと、大切な人を失った時は平静でいられるはずがない。数多の戦場で、多くの死を経験してきた樹万さんであろうと、やはりかけがえのないものを失う苦痛には向き合えず、逃避を選んだ。

 強さとは、必ずしも実力を尺度として指すのではない。精神面での泰然さも、それは強さというのだ。....だが、それも行き過ぎれば暴力、非情、冷徹という言葉に変わる。他者を守るために必要な強さも、結局はリスクしか生まないのかもしれない。

 大切であればあるほど、失った時の悲しみが大きいのであれば。いっそ大切なものなど作らない方が却っていいのではないか。そんな、いつ壊れるかもわからない存在を身近において危うい人生を歩むより、己が手で盤石を築き、己のみを守って生きれば良いのではないか。

 

 

「もう、大丈夫だ。お別れなんて絶対に言わせねぇからな」

 

「......ふふ」

 

「?....どうした、夏世」

 

「いえ、何でないですよ。さぁ、樹万さん。飛那さんが重傷であることには変わりないんですから、早く室戸医師のところまで運びますよ」

 

「お、おう」

 

 

 ───────その考えは間違っている。

 何かを、誰かを守らねばいう想いに衝き動かされて取った剣は、きっと他のどんな理由で持つ剣よりも輝いていることだろう。振るえば多くの者達が勇気づけられ、鞘に戻し還れば祝福と喝采を浴びる────。

 

 何を隠そうこの私、千寿夏世は、彼のそんな姿が見られる日を、ずっと願っているのだ。

 




飛那ちゃん戦闘不能。傷の程度は....深刻ですね。
今後の活躍は、果たして?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48.奇跡

今回は冒頭で投稿期間について謝らなくていいですかね...?
まぁほとんど定型みたいなものですし、いずれにせよ言っておいたほうがいいですね。
では改めて。遅れて申し訳ありません。

今話は飛那ちゃんの治療風景をお届けします。
まさか手術の描写に詰まりまくるとは思ってませんでした。


「あの馬鹿め!ほんの30時間ほど前にした『全員無事で帰ってくる』という約束を早速違えるつもりか!」

 

 

 怒声を響かせつつも、室戸医師の手の動きは感嘆の溜息が出てしまうほどに精緻だ。思わず見入ってしまっていると、前方から掛けられた開創器を貸せという言葉に半歩遅れてしまった。

 

 現在は飛那さんの手術中だ。執刀医は室戸菫医師、助手は私、千寿夏世が担当している。

 本当はもう一人くらい助手が欲しかったのだが、院内には次々と負傷した自衛隊や民警の方々が運び込まれており、人手が全く足りていないのだ。

 手術をしなければ危ない人たちも当然おり、その中でも敏腕の室戸医師が飛那さんを優先したのは、親しい間柄だから、という訳ではもちろんなく、単純に重傷度の問題だ。治療を施せば助かる見込みはあるが、しなければ一時間も経たずに命を落とす。

 幸い、院内で最も重傷の患者でも意識ははっきりとしていたため、優先度は飛那さんに傾いたのだが、その旨を伝えに言った時は当人に激しく抗議されてしまった。

 それはそうだろう。好き好んで痛みと苦しみを継続させたいなど誰も思わない。ましてや、その人は自衛隊の中でもかなり位が高いらしく、『後回し』というのはプライド的に許せなかったとみえる。

 だが―――――――――――

 

 

『それだけ吼える元気があるなら、少しは血が抜けても安心だな。もう300mlほど抜いておきたまえ』

 

 

 室戸医師はがなり立てる患者にそう冷たく言い放つと、さっさとその場を後にしてしまった。

 慌ててその後を追うと、彼女は『ああいう連中は真面目に取り合うだけ無駄だよ。身の危険を五感で感じ取れてしまっているんだから、大抵の輩は目の前にどれほどの重篤患者がいようと、自分の治療を優先しろと叫ぶのさ』と言い捨て、足早に簡易的な手術室へと入った。

 

 

(命の優先順位....医師にはそんなものを決定する責任が伴う)

 

 

 止血鉗子(かんし)や持針器、ゾンデなどを渡しながら、思考の裏で医療の倫理観について言及する。無駄だと分かっていても、うまく振り切る術がなかなか浮かばなかった。

 これから指数関数的に増加し続ける患者に対しても、私は感情の一切を抜きにして、傷だけを評価し選別することができるのだろうか。泣き叫ぶ声も、怒りに猛る声も、悲しみに咽ぶ声も無視して。

 そんな私の葛藤に気付いたか、室戸医師は手元に視線を固定したまま、マスク越しに抑揚のない声で私の名を呼んだ。

 

 

「夏世ちゃん。気持ちは分かる。死に直面した生物が発声する絶望は、他者に憐憫と同情を抱かせるようにできているからね。....でも、医師にそれを聞き届けることは許されないんだ」

 

「......では、どうすれば」

 

「さぁね。少なくとも私は君が欲している解答を用意はできない。なにせ、ヒトは蟻にすら憐憫の情を持てる生物だ。もし、君がそういう感情を理解し、是としてしまえるのなら、単純に向いていないのだろうさ」

 

 

つまるところ、医師とは酷薄で非情な人間がなる役職なんだ。....皮肉なものだな。かつて医師を志した頃は、きっと病める者すべてを平等に救えるという理想を抱いていたはずなのにね。────そう、室戸医師は言葉を続けた。

 

 本当にどうしようもなさそうに声を落とす彼女は、同時に生々しい傷に向ける視線が一瞬厳しいものになった気がした。すぐに引っ込んでしまったので、大抵の人は気のせいで片付けてしまうだろうが.....先の会話で他者の表わす感情に対して敏感になってしまったので、分かった。分かってしまえた。

 

 きっと、彼女ほどの人でも、未だ苦悩は断ち切れていないのかもしれない。

 

 本人はさきほど、『医師とは酷薄で非情な人間がなる役職』といったが、そんなことは有り得ない。順序や手法はどうあれ、人を救うために手と知恵を尽くす人物が、『ひとでなし』な訳はないのだから。

 

 

「─────、なんだ。これは」

 

「?どうかしましたか」

 

 

 響いた声で、離れかけていた現実に目を戻す。それが比較的簡単にできてしまうほど、これまでもっとも聞きなれない、室戸医師の素の『疑問』を呈した発言だった。

 現在は溢れる血液を吸引機で極力抜き、ウイルスによる再生を助けるため、重要な患部の縫合などを行おうとしているところだ。これまでの作業に何か致命的なミスを犯すような難しいものは無かったし、この状態では治療のターゲットを間違えることもない。

 それでも、室戸医師の厳しい表情は変わらない。彼女は素早く止血鉗子、電気メスなどを使ってさらに止血を行い、本人が見たという『それ』を明らかにしていく。

 そして、

 

 

「な......これは」

 

「───夏世ちゃん。一先ずこれを吸引機で摘出、その後、解析と同定をお願いしてもいいかね?」

 

「は、はい!」

 

 

 室戸医師が視線で指し示したそれを吸引機で吸い取り、血液から分離する。そして、この部屋にあるpH測定器や分光光度計などを用い、これが一体何なのかを解析していく。

 もっとも、鈍色で金属質な液体、などという見た目を持つ物質など、相当に限られてくるが。

 疑問なのは、何故こんなものが重傷の飛那さんから出て来たのか、という点だ。事前に樹万さんから大まかな当時の状況を聞いているが、『何かが降って来た』ということぐらいしか覚えていないらしい。

 そして、確信の持てる解析結果が得られた。やはりこれは、

 

 

「室戸医師。飛那さんの体内にあったあれは、水銀です。」

 

「水銀、か。....人体にとって有害である水銀は、体内にあればウイルスの作用で無毒化され、最終的には排出されてしまうはずだ。であれば、元々あったのではなく、傷を負う過程で付着した、と見るのが妥当だろう」

 

「そうですね。では、樹万さんが見たという空からの落下物は」

 

「ああ。水銀を多量に含む何かか、水銀そのものであったと考えていい」

 

 

 水銀を攻撃に使うガストレアなど、これまで聞いたことがない。であれば新種か、それとも目撃されてはいるものの、その攻撃手段が判明していない類のガストレアか。

 それは追々調べるとして、問題はこんなガストレアがいるということを、戦場にいる民警のどれほどが把握しているかだ。一撃でイニシエーターを戦闘不能にしてしまうのだから、もし虚を突いての襲撃をされた場合、その被害は甚大なものとなる。

 

 

「では、まずこの水銀を最優先に除いて行こう。無毒化にウイルスの機能を削がれてはいけないからね。あくまでも、彼らには宿主である飛那ちゃんの肉体の再生を率先して貰おう」

 

「はい」

 

 

 それでも、私はその推測を振り切って、治療を進める室戸医師の対面に立つ。彼女の言葉通りに吸引機を取り、ウイルスが傷の再生だけに腐心できるよう、水銀を除いていく。

 

 この場に在る限り、私は医師なのだ。最優先すべきは目の前にある人命であり、それから目を背けることなどできはしない。

 

 

「....おや、これは」

 

「?」

 

 

 大半の水銀を除去しきった頃、血管や臓器の治療を施していた室戸医師が、再び疑問の声を上げる。今回は声質にそこまでの深刻さはないので、一目で異常と感知できるものではないのかもしれない。

 果たして創傷の断面から有鈎鑷子(ゆうこうせっし)でつまみ上げたそれは、ひしゃげた小さい金属塊だった。それだけだとそこまでだが、室戸医師は手元の水で付着した血液を洗い落とす。

 現れたのは、底冷えのする黒色。ガストレアに対する有効な対抗武具に数えられる、バラニウム弾だ。

 

 

「それは....バラニウム弾ですか?何故そんなものが」

 

「ふむ..............ああ、なるほど」

 

 

 彼女は有鈎鑷子からスケールルーペに持ち変えると、片手にバラニウム弾を持ち、さらりと表面を確認する。と、なにやら発見したらしく、その表情をどこか興味深そうな笑みへと変化させた。

 飛那さんの体内からバラニウム弾が発見された時点で驚きだったのに、それを見つけた室戸医師が笑みを浮かべるというのは驚きを超えてもはや意味不明だ。人体から銃弾、それも被弾者は重篤な状態のイニシエーターで、銃弾はバラニウム弾だというのに。

 混乱の境地にある私に向かい、あくまでも笑みを浮かべたままの室戸医師は、『まぁ、見てまたまえ。すぐわかる』と言葉を掛けると、私に例のバラニウム弾とスケールルーペを手渡してきた。

 

 

「........」

 

 

 無言のままそれを受け取り、表面を順繰りに眺めていく。

 銃弾とはご存知、人の体内に音速で侵入し、臓器を損傷させることでダメージを与えるものだ。人が人を殺すために開発した武器の中で、最も発展したといっても差支えないだろう。

 

 そんな銃弾は、人体に留まることでこそ威力を発揮する。

 

 人の身体の構成は、その多くが水である。また、水の中にある物体は大きな抵抗を受ける。これらを踏まえ、音速近い速度で肉と水の塊に銃弾が衝突し、内部を進行した場合、その本体は急激な抵抗を受け、運動エネルギーの分散を行うにあたり膨張し、炸裂。断片化する。

 この一連の流れによって断片化した銃弾の破片が、体内にある多くの臓器を傷付けることによって、重大なダメージを与えることが可能となる。

 勿論、この機構はバラニウム弾にも搭載されている。バラニウムは通常の銃弾に使われる鉛などの金属とは性質が異なるため、再現には多くの失敗と挫折があったそうだが、断片化が発生する確率は悠に90%を超えるほどまでになっており、ヒットすれば余程のことが無い限り発生する。

 だが、この銃弾は違う。衝撃と抵抗を受けたことによる多少の変形と欠損はあるものの、断片化は起きていない。

 

 

「まさか、体内に残ったにも関わらずフラグメンテーションが発生していないなんて」

 

「だろう?まさに奇跡に等しいが....右の表面を見てみるんだ」

 

「右ですか?......ぁ、これは」

 

 

 銃弾の右表面は少し欠損があったところだ。それを発見して終わりにしてしまっていたが、改めて見てみると、何か文字らしきものが刻まれているのが分かる。

 その部分を再度、注意深くスケールルーペで見てみると、

 

 

『Hina Takashima & Tatu      』

 

 

 樹万さんの名前が途中でなくなっているのは、欠損している部分がその箇所から始まっているからだ。

 そう、恐らくは。彼の名前が彫られたこの部分が真っ先に大きく破損したことで、銃弾に宿った大半の運動エネルギーが抜け、断片化を避けられたのだろう。

 そして、この銃弾を打ちこんだのは、樹万さんただ一人。その理由は、着弾時の衝撃で身体の位置をずらし、水銀を使った敵の攻撃から回避させる名目だ。

 結果、被弾は避けられなかったものの、弾が摘出されたのは心臓にほど近い左胸であることから、銃撃による回避は有効に働いていたと判断できる。また、断片化の抑制により、本来なら確実に無事では済まない心臓部の損傷も防がれている。

 

 

「くく....はははは!何だ!何だこれは!全く、マンガの読みすぎだろう!ああ、しかしアレだ。ここまでお膳立てされては、私たちは高島飛那を救わずにはいられなくなった!」

 

 

 笑うしかない。まさにそう形容するに等しい哄笑を漏らす室戸医師は、実に生気に溢れていた。医師に対する在り方と価値観を語っていたときの暗さなど、微塵もない。

 他者の絶望を見てしまった者が、同じく自身も絶望に侵される、という感覚は知っている。だが、希望を見せられた者が、同じく希望を見出す、という感覚は、知らない。

 ────ああ、これがそうなのか。

 

 

(本当に、凄い人です。貴方は)

 

 

 私たちは、美ヶ月樹万が一縷の希望を託した黒い銃弾の先にある、高島飛那を救える可能性の上に立っているのだ。

 

ならば。

 

 

「これまで散々絶望を見せられてきたんだ。....ここいらでそろそろ、世界は私に対して優しくするべきじゃないかね?」

 

 

その先へ、繋ごう。

 

 

 

          ****

 

 

 

 宵闇に沈む森の中を走る。

 水を多量に含んだ粘質な土壌を足裏で跳ね飛ばし、赤く燃える戦場を敢えて迂回しながら急ぐ。

 ――――その理由は明快だ。

 

 見た。視えてしまったのだ。

 そう。今回真っ先に倒すべき、アルデバランを。

 そして、そいつと真正面からぶつかっている、何者かを。

 

 

「ったく!集まった民警軍団の中で、アルデバランと戦って持ちそうなのは我堂団長くらいか!いくらなんでも早まり過ぎだっての!」

 

 

 実は一度、俺はアルデバランをこの目で目撃したことがある。

 オッサンと一緒に行動してたとき、遠目からゾディアック・タウルスに引っ付いて行動しているところを。

 あの時はまだ()()()()()。体躯も無論そうだが、存在感や威圧感といった、強者には当然備わっているべき要素が微塵も感じられなかった。

 まさに、ボスの取り巻き、という表現がぴったり。それが当初、俺がアルデバランに抱いた印象であった。

 

 

「あれほど変わったってことは何かしらあったんだろうが、なんだろうかね....!」

 

 

 あのアルデバランと、今回東京エリアに進行してきたアルデバランとでは相当な差がある。

 別固体という可能性も考えられるが、不死に近いというトンデモスキルを持つガストレアに対し、個体数を調査しないはずはない。そして、複数体確認されているという項目が記録にないということは、現状、一個体だけなのだろう。

 

 

「くそ、できればアルデバランは単独行動の最中に真っ先に位置を掴んで、単身乗り込みで人知れず決着付けちまいたかったんだが....あんなことが、あったからな」

 

 

 一瞬、脳裏に『あの』飛那の姿がチラつき、動く足が進行方向を迷いかけるが、すぐに意識を持ち直し、真っ直ぐ前を向く。

 今、民警の士気を高める大きな一因となっている我堂長正を失うわけにはいかない。最悪、手足を引っこ抜かれた状態であろうと、無事に戻ってきて貰わねば。

 あの傑物が斃れたと知れば、我堂英彦のような気弱な民警から先に崩れ始め、遠からぬうちに軍は潰走状態へと陥るだろう。そうなれば、最後の砦である民警軍団は敗北。東京エリアは終わってしまう。

 

 

「世の中はアニメのヒーローみたく、巨大な敵を訳わからねぇ凄い力で倒して、民衆から称賛の嵐、でエンドじゃないからな」

 

 

 この戦争は、俺とガストレアとの戦いではない。民警とガストレアとの戦いだ。故に、望まれるのは俺の勝利ではなく、民警の勝利に他ならない。

 だからこそ、先ほどはああ言ったが、アルデバランは東京の民警各位の協力で打ち果たしたということにしたい。

 ────さもなくば、東京に未来はないのだ。

 

 

「....ん?」

 

 

 己の立ち位置、すべきことを再確認していると、視界の端に何かが映った。

 それは鈍色の何かで、凄まじい勢いのまま俺の頭上を通過していく。見覚えのある色で、体感したことのある早さで、そして聞き覚えのある爆音で、それがどういったものだったかを思い出した。

 

 同時に烈火のごとき衝動が鎌首を擡げ、周囲に存在する情報の全てが白く塗りつぶされていく。それは怒りか、殺意か、憎悪か。否、そんな生ぬるいものではない。そんな人間らしい感情が、動機がこの獣性に当てはまるものか。

 

 思い出せ。思い出せ。奪われたものを。何ものにも侵されることを許さなかった『それ』が、惨たらしく踏みつぶされた光景を。赦されるはずがない。赦していいはずがない。

 

 人間であるがままコレを受け容れるなど烏滸がましい。理性を溶かせ。常識、倫理などという杓子定規な思考は棄てろ。お前はそうするに足る理由を手に入れたのだ。

 

 人から外れた獣であれば、誰もお前を止めはしない。誰もお前の行いを否定しない。善悪の定義など下らぬ。唾棄すべき狂った羈絆だ。殺せ、殺せ殺せ。殺────、

 

 

(飛那さんなら、必ず助けます。だから、次は安心して帰ってきてくださいね)

 

(正直、私は君の方も十分心配だが....まぁいい。いち医師として、預かった患者は治療するよ。なぁに、生きているなら死なせんさ)

 

 

「ォ――――――――――――ぁッ!!」

 

 

 今まさに汚泥の中へ沈みきろうかという時、突如生じた思考の空白。その刹那に垣間見たのは、『俺』へ絶対の親愛と信頼を寄せるヒトの笑顔と言葉だった。

 

 俺は全力で自分の顔面を殴り、歯のほとんどを飛ばし、鼻と顎の骨を砕く。加減ができなかったので近場の樹木まで吹っ飛んだが、それら全ての状況を無視して、ただ必死に致命的な側面まで沈み込んだ元の自分を手繰り寄せる。

 暫くは痛みと、口と鼻から湯水のように溢れる血液も無視し、再び顔を見せた内にある狂気を抑え込んでいたが....やがてそれも終わり、その頃には傷の再生も完了していた。

 

 ────戻って、来れた。本当に危なかった。

 

 

 

「クッソ....ああ、情けねぇな。もう」

 

 

 ガリッ、と地面を掻いた後に長い息を吐き、頭上を通り過ぎていく流星を見る。それらは全て民警とガストレアが抗争を繰り広げる戦場へと飛んでいき、唸るような地響きを轟かせた。

 この先で、一体どれほどの被害が出ている?前方のガストレアに気を取られている中での、唐突な頭上からの砲撃なのだ。防御、回避のいずれも間に合わない。

 

 

「これは....流石に放ってはおけないな」

 

 

 俺は二本の樹木の幹を交互に蹴り、一本の木の頂点へと立つ。できれば、ここから戦場の様子を眺望できればと思ったのだが、流石に高さが足りなかった。

 意識を切り替え、今度は砲弾の発射地点を目視で探る。とはいえ、あれほど目立つ弾頭だ。高台に昇ってしまいさえすれば、その位置を特定することなど造作もない。

 

 

「あれか」

 

 

 砲台がある場所は発見したが、いかんせん遠い。ほぼ直線で突っ走っても五分以上はかかる。

 戦場で発生している被害を考えれば、ここで何としてでも倒しておくべき敵なのだろうが、一度そっちに行ってしまえば、アルデバランと交戦している我堂は確実に死ぬ。先も言ったが、それは避けたい事態だ。

 それでも、天秤を傾けるべきは大多数の民警の命を左右する、正体不明の砲台を撃破する事なのだが....今回は、()()()も取らせて貰おう。

 

 

「オッサン直伝・蛇に睨まれた蚤(ヤマタノオロチ)『六対一』」

 

 

 左右の手で空気を掴むような挙動をし、それで作った両拳を胸の前でぶつける。同時に目を動かし、砲台役のガストレアが潜んでいる場所へ固定すると、軽く呼気を吐き出す。

 直後、()()。と金属が耳元で軽くぶつかったような音が響き、それから間もなく、あれだけ激しかった砲撃がぴたりと止んだ。

 

 

「よし、効いたな」

 

 

 この『蛇に睨まれた蚤』は、自分の内にある力の一端を飛ばし、当たった敵を硬直状態にする、というもの。何とも便利なのが、敵との間に距離があっても、また、敵の姿が実際に見えなくても、当たりさえすれば効果を発揮してくれることだ。

 しかし、ガストレアのステージごとにレベルを上げていかなければならないので、ステージⅠのものをステージⅢに向けて放っても効果はほぼない。そして、今回のガストレアは攻撃の規模からステージⅣと睨んだが、どうやら正解だったらしい。

 

 

「今のうちに、っと!」

 

 

 俺は樹木から飛び降り、アルデバランに向けての疾走を再開させる。

 『蛇に睨まれた蚤』を受けた敵は、種によってまちまちだが、最大で三十分ほどは沈黙してくれるだろう。その間に民警軍団は態勢を立て直し、支援砲撃が止まったことに困惑するガストレア軍を上手に退けてくれればいい。

 課題は、得体の知れない敵により発生した被害で、恐怖心から大きく戦意を削がれてしまった者たちをどうやって扇動するか、だが......

 

 

「あの民警軍団の中に、カエサルみたいなヤツがいることを祈る!」

 

 

 残念ながら、俺にできることはここまでだ。

 




原作では普通のアルデバランの応戦でもいっぱいいっぱいだった我堂のおっちゃん。
本作で登場するのは強化型アルデバランなので、おっちゃんの体力は秒間50くらい減ってます。(全快時HP50000くらい)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

49.戦火

やっと更新できた....お仕事辛い。
毎度毎度お待たせして本当に申し訳ないです。年末が近くなれば仕事の方も少し落ち着いてくると思うので、頑張って更新頻度は増やして行こうと思います。


「なん....だよ、これ」

 

 

 俺は目の前で起こっていることの全容が全く掴めていなかった。何故、何が、どうして。そういった至極真っ当な疑問に対する答えが見つからない。

 

 だというのに、その銀槍が上空から降り注ぐたび、確実に一人以上の仲間が殺されている。

 

 ただでさえ、俺たちは前線でガストレアの大群を押しとどめている一団なのだ。上に気を向けているヒマなどなく、謎の砲撃が始まってから数分で、あっさりと数十人の屍が戦場に転がった。

 このまま傍観していれば全滅は確実。どうする?動揺は後方で援護を行う軍団にも波及していることだろう。ここで俺たちが理性を手放せば、前後共々崩れて────

 

 

「蓮太郎ッ!しっかりするのだっ!あれを放っておいたら皆死んじゃう!」

 

「!─────スマン、延珠。そうだよな、今ここで考えるのはそういうことじゃない....!」

 

 

 延珠の鋭い叱責を受けて、どうにも固くなってしまっていた脳味噌の思考回路を切り替える。....情けない。冷静になっているようで全く周りが見えていないのでは、思考する行為に意味などないのに。

 犯人はどういった敵性生物なのか、どういったものを使った攻撃なのか、現時点での被害状況はどうか、といった考えはまず、捨てる。ここで己が真っ先に取るべき行動をこそ思考しろ────。

 

 

「こ、ころされる!逃げるんだ、早く!逃げろぉっ!」

 

 

 戦場でガストレアと交戦している民警達が、まるで路傍の蟻が如く潰され、バラバラになっていく光景を見ていた我堂中隊長が、くしゃくしゃになった紙みたく顔を歪ませ、悲痛な叫びを上げる。

 その恐慌に触発された民警の一人が手にしていた銃を放り出して遁走を始めるが、背を向けていなければ目視できていたはずの銀槍に穿たれ、跡形もなく消え去った。

 我堂中隊長の言い方はアレだが、最適解の大筋は逃走に変わりないため、彼の逃げろ、と言う発言を全否定はしない。ただ、これだけは間違えないで欲しい。

 

 

「一旦下がるぞ!砲撃の被害を少しでも抑えるために、二人一組で固まらずに散ってくれ!一人は上空の警戒、もう一人は前方のガストレアを警戒だ!いいか、絶対に背中を見せて逃げるな!互いに援護をしあいながら、少しでも前線からの帰投人数を増やすんだ!」

 

 

 敵わないと自ら心を折り、手に握った武器を放り出して逃走するのではなく。窮地だからこそ結束し、恐怖も絶望も呑みこんで生きることを渇望するのだ。

 今は生存こそが最善。幾ら絶望のなかでも戦う意志があろうと、一人や二人で数千のガストレアに挑むことなど不可能だ。ここは被害を最小限に抑え、我堂団長が取る次手の策の幅を広げることに腐心する。

 方針は決まった。であれば、俺の仲間に告げる言葉は決まっている。

 

 

「前線に出て他の民警の撤退を支援するぞ!それに合わせて、今の作戦を方々へ伝えることも忘れないでくれ!....くれぐれも、無理はするなよ!」

 

『了解!』

 

 

 誰一人異を唱えることの無い二つ返事の了承に、火急の事態の中でも知らず顔がほころんだ。ここには俺と同じ考えを持って共に戦ってくれる仲間がいる。そう思うだけで、心強い。

 俺は各所に散っていく彼らの姿を見送ったあと、最も危険そうな戦闘エリアを確認しようとした矢先、

 

 

「!─────我堂中隊長ッ!」

 

「は?」

 

 

 とぼけた声を上げる我堂中隊長の頭上には、銀の槍が煌めく。それに気づいていないのか、呆然自失とした顔をこちらに向ける。そんな彼に倣うように、傍らに控えるイニシエーターも一向に動く気配はない。

 くそ!俺の足じゃ間に合わない!危険だが、恐らくこの距離なら!

 

 

「延珠!」

 

「うむ!任されたぞ蓮太郎!」

 

 

 一声で俺の考えを把握してくれた延珠は、壮絶な踏み込みで地面を抉ると、我堂中隊長の所まで跳躍する。俺の目ではそれ以降を捉えることはできなかったが、銀槍が破壊の嵐を撒き散らす直前に、その射程範囲から外れた場所へ三人纏めて転がり込む姿が映った。

 

 

「っく、なんつー威力だ......!延珠!無事か!?」

 

「ふぅ....今回は流石の妾もヒヤッとしたぞ」

 

「すまん。無茶させたな。────おい、我堂中隊長」

 

 

 ヒヤッとした割には笑顔の延珠の頭を撫でてから、これからの俺と我堂とのやり取りを見せないためにも、周囲の警戒を頼んでおく。そして、その隣で放心している我堂英彦に鋭い声をかけた。それにびくりと肩をすくませて反応を返した彼は、色を失った顔でこちらを見る。

 あまりこういう精神状態の人間に追い打ちをかけるのは良くないのだが、延珠を危険な目に合わせる一因を作った彼に対し、怒りという私情が挟まってしまうのは道理だろう。何せ、それを彼女に命じるしか他に方法を思いつかなかった自分自身に対しても、激しい憤りを感じているのだから。

 

 

「なに諦めてんだ、お前」

 

「....は、はは。馬鹿な。君は『アレ』を見ても、まだ希望を持てるのかい?里見リーダー」

 

「『アレ』....銀色の槍か」

 

 

 曇天から降り注ぐ銀の光槍。その規模の大きさから、まるで天罰のような印象すら受ける。また、大元の原因の姿が見えないことも、その印象に拍車をかける要因になっているのだろう。....人は、あれに抗ってはならないのではないか、と。

 馬鹿馬鹿しい。まさか、あの銀の槍が神によって創り出されたものだとでも言うのか。人間を見放したが故の、拒絶という意志の表れだと。

 

 

「持てるに決まってんだろ。アレを発射してる砲台を潰せば解決だ」

 

「ッ....君は、出来もしないことを簡単に!」

 

「じゃあここで死ぬのか?テメェの勝手な答えの結果に、お前の大切なパートナーも巻き込むのかよ」

 

「───、─────」

 

 

 その言葉で、隣に佇む、自身と同様に土と泥にまみれた少女へ目を移す。それで────我堂英彦の瞳に色が、感情の起伏が戻った。

 彼は彼女の小さな手を震える両手で握り、懺悔するかの如く蹲り嗚咽を響かせる。激しい感情が渦巻く坩堝と化した痩身は、しかし口にする言葉を悲しみとも、怒りとも、苦しみともせず、ただ『心音』という少女の名を選んだ。

 

 

「死にたくない....死んでいい筈がない!この子を、心音を残して!僕が死ねるはずがないだろう!畜生!!」

 

 

 初めて見る、我堂英彦という男の芯からの激昂。理不尽に対する真っ当な憤怒。

 それで、俺は安堵した。この男は、戦場に立つ理由を己と同じく、『誰かを守るため』という意志で占めている。であれば、もう死という答えが間違いであることなど明白。真の答えは、

 

 

「なら立てよ、我堂中隊長。俺も同じだ。誰かを死なせたくないからここに立って銃を握っている。守るものがあるから、絶望の中でも手を震わせず、敵を撃ち抜ける」

 

「里見、リーダー。君も?」

 

「ああ、そうだ。いいか、この地獄では自分の身を守るので誰もが精一杯だ。中には自分の身すら守るのが嫌になって死ぬ人間もいる。....そして、お前のように抗った末に守るべきものを殺され、失意の中で死ぬより、無抵抗のまま守るべきものを抱えて、共に死ぬことを選ぶ人間もいる。だがな────そんなことをする奴はクソッタレだ」

 

 

 我堂英彦の手に力が戻ってくる。少女の手を通して、守るべきものが確かに在ることを実感しているのだろう。そして、その手が失われればどうなるかも、恐らく。

 かくいう俺も、藍原延珠が無くなった世界を許容できない。俺と我堂英彦は、その一点。互いに()()()()()()()()()()()()()()()()を理解しているからこそ、外れた道の間違いを正せるのだ。

 

 

「そいつの終わりをテメエが勝手に決めてんじゃねぇよ。そいつを守れるたった一人の人間が、守る役目を放棄してどうする。俺は延珠を意地でも守る。まだ全然足りねぇんだよ、アイツの笑顔が、幸せが。ここで終わりなんて、絶対に許せねぇ!」

 

「───────あぁ」

 

 

 今度こそ、明確に心音の手を握る腕に力が漲る。それは彼女を害するために込めたものではなく、彼女を守ると決めた決意の証だ。

 彼は短く息を吐くと、掛けていた眼鏡をゆっくりと外し、懐へ仕舞う。その手で代わりにホルスターから取り出したのは、S&W M&Pだ。

 

 

「覚悟は、決めたよ。まだ死ぬのは恐ろしいけどね。....でも、心音を失う方が、僕はよっぽど恐ろしい。だから、君と共に戦う。生きて、生きて生き残って、戦争が終わった世で、この子の幸せを探すよ」

 

「ああ」

 

 

 我堂は慣れない操作で弾倉を挿し込み、上部フレームをスライドさせ、初弾を装填する。その顔は強張り、手は震え、呼気も浅い。仲間として頼もしいかどうかを問われれば、まず首を縦には振るまい。

 だが、彼は俺と同じ道を歩むと決めた。なら、共にこの死地を潜り抜けよう。その渦中で、緊張も手の震えも時期におさまるだろう。

 

 

「里見リーダーッ!僕が上空を警戒しながら支援する!弾の装填の時は交代だ!いいね!?」

 

「おうッ!その作戦でいくぞ!我堂中隊長!」

 

 

 

 

           ****

 

 

 

 謎の砲台ガストレアの沈黙を確認してから直ぐに我堂団長の元へ向かったが、大量のガストレアが包囲網を敷いており、そう易々とは進ませてくれそうも無かった。中にはステージⅣと推定される大物もおり、正攻法でぶつかれば苦戦を強いられるどころか死にかねない。

 なので、必然的に方法は一つに絞られる。

 

 

「オッサン直伝────『嵐が来れば大火は収まる(スサノオノカミ)』!」

 

 

 轟音を響かせ、拳を置いた位置から前方へ向かい、扇状に気圧の断層が発生。巻き込まれた大小さまざまなガストレア群が小間切れとなり宙を舞う。

 脈絡のない大量殺戮に、生き残ったガストレアたちの目が俺を見るも、本当にこんな男1人がやったことなのか、と自問しているかの如く動きを止めている。その答えが出るまで待ってやる義理も無いので、開けた道を突っ走って抜け、アルデバランの元へ急ぐ。

 天を突かんばかりの巨躯を誇るアルデバランは、その身体から縦横無尽に触手を伸ばし、足元にいる何者かと交戦している。目測で数百はある触手だが、実際に戦闘に使っているのは、そのうちの数十本ほどだ。手を抜いていることは自明の理だが、それを抜いても常人との差は歴然と言える。

 

 

「なんせ、触手視えないからな。速すぎて」

 

 

 今日まで戦った敵の中で、速度が売りのガストレアは数えるのが億劫なほど多かった。故に、対応と対策の捻出はそれなりに慣れているが、どれも一体一体が速いだけで、それだけに注意すれば大層な策など必要ない。が、アレは数百もの『速い物体』を携えている。

 動く物体が一つだけなら、視えなくてもある程度の対策はとれる。身体の大きさや攻撃に使う部位などを把握してさえいれば、避けること自体は容易いのだ。しかし、数百もあるとなれば話は別。視界すべてを埋めるほどの物量が一緒くたに襲い来るとすれば、ミリ単位の回避精度が必要だ。聴覚だけに頼っては精度が粗くなるため、やはり視えなくては話にならない。

 

 

「我堂はアレとやってるのか。何か対策が無ければ常人じゃ即死だが、いまだに攻撃の手が緩んでないってことは生きてるってことだよな。どうやって─────ああ、強化外装(エクサスケルトン)、か」

 

 

 我堂が着こんでいた鎧型の強化外装。その高い防御力で耐えている説が濃厚か。

 だが、最新鋭の強化外装でさえ、恐らくは音速に達するほどの一撃を貰い続ければただではすむまい。鎧自体は無事でも、中身まで確実に衝撃は届くのだ。実際、現代の先端技術を駆使しても、衝撃の軽減率は上げることはできるが、未だに無効化は達成できていない。

 俺は道を阻むガストレアを拳で穿ちながら疾走し、やがて森を抜け、少し開けた草原へと踊り出る。これを機と読み、足を動かしながら自身の内へと意識を飛ばす。

 

 

開始(スタート)、ステージⅢ。形象崩壊のプロセスを介さず体内組成変換。指定因子からの遺伝子情報共有完了。単因子....モデル・キャット』

 

 

 猫の遺伝子情報を持つガストレアウイルスによる自身の遺伝子の一部上書き(オーバーライド)が完了し、視界に映る情報が一変する。その中で最も衝撃的な変化といえば、景色から色が無くなったことだ。

 思わず顔を顰めてしまうが、猫の視認性の良さを手に入れるためには避けられない代償だ。森の中で体内組成の変化を試みれば、この色覚を失ったショックで障害物に激突しかねないため、開けた場所でこれをする必要があった。

 

 

「....よし。慣れたな」

 

 

 赤目にネコ目とはある意味マッチしているな、と妙なことを考えながら跳躍し、十メートル以上の木々を飛び越えて移動する。ステージⅠではここまでの運動能力は到底発現できないが、Ⅲともなればこれほどのレベルにまで至れるのだ。

 俺は樹木の頂点を足場に高速移動しながら、アルデバランとの距離を凄まじい勢いで詰めていく。この時点で気付かれる可能性も考えられたが、それはないだろう。奴は我堂団長とのお遊戯に首ったけで、周りが見えていない。あと少しはこの方法で接近を続けても良さそうだ。

 時短のため、このまま更に速度を上げようかと考えた矢先、夜目にも優れた猫の目が、木々の闇間に隠れたガストレア数体の姿を映す。それだけなら特に気にせず通過するのだが、その数体のガストレアに囲まれた、何者かの姿も一緒に映してしまった。

 

 

「ち────スマンが寄り道だ!持ってくれよ!我堂団長!」

 

 

 次の足場にしようとした樹木の頂点を軸に進路変更し、下方への跳躍を行う。それによる目的地への高速落下をする最中、腰のホルスターに差してあるバレットナイフを抜き、バラニウムナイフのロックを解除。間もなく直下にまで迫ったガストレアの一匹へ向かい発砲する。

 爆裂音とともに身体を穿たれた甲虫型のガストレアに対し、今度はブーツの先端をナイフが着弾した裂傷へねじ込み、落下の慣性も手伝って体内へと己が身を滑り込ませる。その後は両拳を左右へ思い切りつき出し、件のガストレアを爆散させた。次にバレットナイフを立て続けに発砲し、他三体のガストレアの頭部を撃ち抜く。

 あっという間に制圧を完了し、何が起きたのか全く分からない様子の少女....壬生朝霞に対し、努めて爽やかな笑顔を向ける。

 

 

「うん、無事でよかったよ」

 

「は、はい。どういたしまして....?」

 

 

 状況が呑みこめていない朝霞は、この場において何をするのが最適解かを伺うように、身体を案じた俺に向かって折り目正しく頭を下げてくる。これで彼女からの礼を受け取るのは二回目か。

 最初は如何に不測の事態でも冷静に対処できる類の稀有な少女だと思ったが、どうやらこういった状況に置かれると、流石の彼女でも慌ててしまうらしい。....いや、誰でもこんな状況に遭遇したら慌てるだろう、という至極当然のツッコミは無しの方向で。

 いかん、意識を真面目な側面へ戻そう。―――さて、改めて彼女の姿を見てみると、綺麗だったはずの強化外装はあちこち歪み、欠け、罅割れていた。それだけの衝撃を受けたということは、肉体へのダメージも相当なものであると想像できる。

 そう思っていた瞬間、朝霞は唐突に辛そうなうめき声をあげ、その場に倒れ込んでしまった。

 

 

「っ!おい、大丈夫か?」

 

「う....心配は、無用です。これしきの痛みで、ご迷惑をかける訳には....あぐっ!」

 

「右足だな?ちょっと見せてみろ」

 

 

 朝霞は抵抗する素振りを見せたが、痛みで身体が言うことを聞かぬらしく、多少良心が痛んだものの、鎧と衣服をはぎ取って右足を外気に晒す。それで、痛みの原因は直ぐに分かった。

 激しい痛みの原因は実に単純。骨が折れているからだ。寧ろ、よく今まで立っていられたものだと、彼女の気概に舌を巻く思いだ。なまじ相当な衝撃を受けたのか、もう少しで解放骨折に至るところまできているのだから。

 

 

「ったく、これじゃ痛いに決まってるだろ。....ほれ、コレ噛んでろ」

 

「?」

 

「よし、噛んだな?じゃ、ちょっと痛いけど我慢してくれ。......よっ!」

 

「?!~~~~~ッ!!!」

 

「お、声出さなかったな。大の大人でも音を上げるのに。偉いぞ」

 

 

 ずれた骨の位置を手で探ってから大体の位置を掴み、元の位置まで戻す整復を行った。本当はレントゲンを取り、正確な位置や折れた部位の状況を把握してから行うのだが、この場ではそんな贅沢は言ってられない。あとは彼女自身の自然回復力に賭けよう。

 俺は涙を目尻に溜めて唸る彼女の口から布を取ると、それで鎧の一部とを縛って簡単なギプスを作成し、患部へ当てて固定する。

 

 

「....慣れているのですね」

 

「ん。自分もそうだが、誰かにも施すことは多かったからな」

 

「成程........ッ!美ヶ月様。このようなところで油を売ってる場合じゃありません!長正様が!」

 

 

 やはり、彼女も我堂団長の状況は知っているのか。しかし、何故彼は朝霞を戦場から引き離したのだろう。これでは、元から低い勝率を更に下げる判断にしかならないはず。仮に彼のアジュバントのメンバーが数人、もしくは全て残るとしても、同じく朝霞を遠ざける意味がわからない。

 歴戦の猛者であり、殿である彼が、アルデバランとの最初の激突でその事実を悟れない事など考えられない。であれば....あるいは。

 

 

「ああ、分かってる。アレと戦ってるんだろう?......よし、応急処置はこれでいい。じゃ行くか」

 

「私のことなど放っておいて構いません!それより長正様を!」

 

「ここでお前さんを置いていったら治療した意味ないだろうに。ほれ行くぞ、肩に乗ってくれ」

 

「わわ、言葉ではお願いしてる癖に貴方が乗せるのですか?!」

 

「結構揺れるからしっかり掴まってろ。あと舌噛むなよー」

 

「話を聞いてください!?」

 

 

 朝霞の抗議の大半を右から左へ流し、猫の跳躍力で地面を蹴る。それであっという間に先ほどまでの景色を後方へ置き去りにし、木々の合間を最小限の左右移動で縫って駆ける。

 朝霞は恐らく俺の移動速度に愕然としているのだろう。抗議の声はぴたりと止み、黙って俺に身体を預けている。

 こんな細身で刀を握り、あれほどの巨躯を持つガストレアと血生臭い戦闘を繰り広げているとは思えないが、俺たちが彼女のようなイニシエーターの力を頼りにしているのは、最早偽りようのない事実。それでも、精神は少女のままなのだ。力があるからと言って、その心まで強靭であると決めつけるなど、勝手が過ぎる。

 

 ────そんな思考は、目と鼻の先にまで迫った灰色の触手を目視した瞬間、コンマ1秒で蒸発した。

 

 

「ッおぁ!」

 

 

 驚きの声と共に拳を振り上げ、間一髪で直撃を回避。次にバレットナイフを抜き、三発撃発。それらは全て伸びた触手の半ばに着弾し、まさか反撃されるとは思っていなかったのか、驚くように森の中へ引っ込んだ。

 どうやら、先方にこちらの存在が気取られてしまったらしい。当初に立てていた予想より少し早めだが、これからの方針に大きな変化はないだろう。反して、完璧な想定外は背中にいる壬生朝霞の存在なのだが....

 

 

「美ヶ月様!御無事ですか?!」

 

「ああ、なんてことはない。しかし、ここからは奴のテリトリーだ。今まで以上に動くから気を付けてくれ」

 

「待って下さい!負傷した私など背負っていては戦闘の邪魔にしかなりません!どうか降ろしてください!」

 

「はは。なぁに、丁度いいハンデだ!」

 

 

 俺は笑みを浮かべ、必死に制止を求める朝霞を無視して前方への疾走を再開。直後に二本の触手が風を切って迫るが、猫の目で捉えたそれらはスローモーションに等しい。バレットナイフを構え、それぞれに三発ずつ叩き込む。

 

 

「攻撃する側ばかりで、受ける側の気持ちなんて知らんだろ。....俺が教えてやるよ」

 

 

 俺はホルスターからオールバラニウムの弾倉を取り出し、口に咥える。

 さて、戦闘法としては背後の朝霞のこともあるので、出来れば徒手空拳での戦いは避けたいところだ。そのためには必然、銃での応戦が基本となってくるだろう。激しい動作をなるべく抑え、迎撃を行うには最適だ。

 しかし、アルデバランの抱く俺への危険意識が高まり、触手の本数が増えると不味い。銃での応戦では間に合わなくなり、足での回避か、拳での迎撃を視野に入れざるを得なくなる。だが、そうなると背にしがみつくだけの朝霞が無事では済まない。

 故に、なるべく早くアルデバランの元へ辿り着き、我堂団長を回収し撤退ルートに入りたい。

 

 

「ち、また増えてやがる。今度は八本か」

 

 

 俺は真っ先に肉薄してきた二本へ二発ずつ叩き込んで引っ込ませ、次に出てこようとした三本へ牽制のため一発ずつ発砲。それを最後に残弾ゼロとなった弾倉を口に咥えた新しい弾倉の突端に引っ掛けて抜き、それで弾かれて宙を舞う新しいものが頭を横に向けた瞬間を狙い、腕を水平に振る動作のみで挿し込み、照準をつけるのと並行して跳ねたレバーを引き、初弾装填を行う。

 瞬間、炸裂。三本の触手は二発ずつ喰らって痛みに仰け反り、慌てて引っ込む。残りの三本も(いとま)を与えるまいと殺到するが、後方へ下がりながら一発ずつ速射。それで動きが鈍ったところへ、更に二度ずつ発砲。外殻に穴を空けた触手は同様に撤退していく。

 

 

(あと10本ぐらいが、銃で応戦できる限界ってところか)

 

 

 このペースで行けば、間もなくアルデバランのところへ辿り着けるだろう。鳴き声も足音も、身体の芯まで響くほど近いのだから。だが、応戦のために少し後方へ引いている分、距離はさほど予想より詰められていない。

 それを差し引いたとしても、恐らくは道中あと一回の交戦だろう。それで確実に森を抜ける。

 俺は疾走しつつ腰のホルスターから三つの弾倉を一気に取り出し、手中に収めながらその時を待つ。とはいえ、幾ら速さに目がついて行けるからといって、コレが上手くいく補償はない。バレットナイフ自体も、人の域を超えた速射に耐えられるかわからない。

 などと弱音を吐いていても仕方ないのだ。何故なら────

 

 

(あー、その数推定.....15!)

 

 

 先の数の二倍近くを持ってきたか。我堂はまだ持ってるみたいだが、アルデバランの意識は確実にこっちへ向き始めているな。....早々に片を付けないと、共倒れになりかねないか。

 嫌な想像を振り払ったのと入れ替わるように、サッケードを長時間続けている弊害で痛み始めた頭に舌打ちする。そろそろ来るかと予想自体はしていたが、あともう少し後にして欲しかったのが本音だ。

 

 

(ったく、文句吐いても....状況は変わらんだろうに!)

 

 

 思考の最中で距離感を掴んだ俺は、先ず手に持っていた弾倉三つを天高くまで放り投げる。次にバレットナイフで触手四本へ続けざまに照準を合わせ、水平移動しながら三発ずつ弾をぶち込む。うち一本が妙に粘ったので二発追加。途中に動き出しそうだった五本目に牽制の一発。

 それで残弾ゼロになった弾倉を移動途中に樹木の幹に引っ掛けてリリース、丁度上から振って来た新しい弾倉を銃本体でキャッチ。予め掛けて置いた指で跳ねたコッキングレバーを引き、初弾装填。ここまでの行為の最中に着けていた照準に合わせ、銃身を横に倒したまま発砲。一息に五本の触手に向かい三発の弾丸をめり込ませた。

 

 

(横打ちはバレルの位置が変わるから命中精度下がるし、反動も腕で吸収しにくくなるしでいいトコ無しなんだが、今回に限っては当たりさえすればいいからな)

 

 

 空になった弾倉を再び移動途中にすれ違った樹木を使ってリリースし、元の───弾薬を込めてある弾倉を上方に投擲した地点へ戻ると、降って来た二つ目を再び銃でキャッチ。薬室に弾を送り込み、二秒と待たずに迎撃再開。それをもう一度繰り返し、15全ての触手を撃退した。

 

 

「み....見事な手腕です」

 

「ありがとさん」

 

 

 背負う朝霞が掠れた声で絞り出した称賛に礼を言いながらも走る。マガジンには二発の弾丸が残っていたが、戦闘開始直後の弾切れは危険なので、特にためらいもせずリリースし、新しい弾倉を詰める。それが終わったと同時に───森を抜けた。

 出たのは小高い丘の上だった。目前にはアルデバランの首があり、すぐに俺たちの存在を察したのだろう。途端に伸びて来た無数の触手のうち数本をすぐさま銃撃で撃退。全てを相手にする理由などないので、朝霞に断ってから高速移動し、森の中へ一度戻ってから場所を変え、もう一度丘へ踏み込む。

 

 そして、ついに俺たちは、探し求めていたその人物との邂逅を果たす。

 

 

「ッ────あれは」

 

 

 

 我堂長正は、いた。確かにそこに居たのだ。

 

 ただし。無数の触手に、その体躯を貫かれた状態で。

 

 

「───────長正様ッ!!」

 

 

 壬生朝霞の悲痛な絶叫が、宵の森に木霊した。

 




バレットナイフにはマガジンリリースのボタンないんですよね。不便。

強化型アルデバランは原作の通常アルデバランと比べ、触手(原作では触椀ですが)の数が半端なく増えてます。
これには我堂団長も真っ青です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

50.不帰

結構前々から書きたかった内容なので、更新早めです。
.....え、一か月って遅い?

※最後の方、少しばかり改訂しました。


「長正様ッ!!」

 

「ストップだ」

 

「っく?!何故止める────、ッ!」

 

 

 一も二も無く飛び出そうとした朝霞の手を引き、入れ替わるように前へ出ると、後ろ手にバレットナイフを発砲し、飛来してきた二本の触手を撃ち抜く。これで痛みに仰け反った触手は本体へ撤退するはずなのだが、どういうわけか軌道を修正して再度肉薄をしてきた。

 俺は驚きながら手を動かし、右方向から迫った一本を掌底で横に流し、正面からの一本は拳で打ち、半ばまで爆裂させた。その後はすぐに朝霞を背に乗せ、森に入る。

 

 

「....すみません、美ヶ月さま」

 

「謝ることはない。親しい誰かがあんなことになってたら、誰だって取り乱す」

 

「.......」

 

「ともかく、あの場は危険だ。奴は俺に対して手抜きを止めつつあるからな」

 

 

 先ほどまでは俺の傍が最も安全ではあったが、アルデバランの警戒対象となってしまったらそれもおじゃんだ。朝霞はここにおいていかなければならない。

 攪乱のために森の中を駆けながら、俺は腰に提げてある予備のワルサーP99を抜き、装填後に背後の朝霞へ手渡す。

 

 

「ここは親玉の間近だから、恐らく取り巻きもそうこないだろうが、持っておいてくれ」

 

「....では、私からはこれを」

 

「これは────朝霞の刀か」

 

「はい。貴方はアルデバランの触椀が見える。であれば、銃より此方で対応したほうが効率的でしょう」

 

 

 朝霞は自身が持っていた刀を器用に腰のベルトへ挿し込んでくれる。それを頼もしく思いながら、アルデバランの丁度背後辺りで足を止め、彼女を降ろす。そうして降りた彼女は樹木に手を着き、折れた足を浮かせながら立つと、悔しそうな顔を此方に向けて来る。

 

 

「すみません。....その、お手数をおかけしました」

 

「負い目を感じてるなら生きてくれ。そうすりゃ、俺がここであのデカブツと戦う意義があるってもんだ」

 

「意義、ですか?」

 

「ここにいる誰かを守るために戦えるってことだ。性分だろうが、死んだ人間の仇を討つっていう意義は、戦う理由付けとしちゃあんまり好みじゃないんでね」

 

 

 風を切りながら闇間を抜けて来た触手を素早く抜いた刀で撃退してから、朝霞の問に答える。

 戦場の経験、というものから来るのだが、どうも弔い合戦という名目で戦っている連中は碌な死に方をしたためしがないのだ。ともすれば憎しみという言葉にすり替えられる『仇討ち』とは、負の側面が強すぎるのかもしれない。

 故に、俺はガストレア戦争の折、助けられなかった人たちの無念を晴らすため、というより、今いる人たちの命を守るため、という考えが強かったのだろう。マイナスの感情より、プラスの感情を燃料に身体を動かした方が生産的かつ、精神衛生面でも安全だ。

 そんな俺を見て、どういう想いを抱いたのだろうか。朝霞は磨かれ抜かれた刀のような瞳をフッと緩めると、手に巻いていた鉢金を額に巻きつけた。

 

 

「抗いましょう。たとえ生き汚くとも、死しては守る守らないの選択肢すら、与えられないのですから」

 

「ああ。.......待ってろ、我堂長正は必ず生きて連れ戻してくる」

 

「はい、よろしくお願いします。────美ヶ月さまも、ご無理をなさらぬよう」

 

 

 片手を挙げて応え、俺は森を抜ける。

 

 

          ****

 

 

 

「オッサン直伝・『天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)』!」

 

 

 残してきた朝霞に攻撃の手が行かないよう、森を出てすぐのアルデバランに痛烈な一撃をぶち込んでおく。インパクトを受けた右後ろ足は大きく波打った後、轟音とともに水の入った風船が弾けるようにして消し飛び、支柱の一つを失った巨体が右へ傾ぐ。

 その最中に腹の下を駆け抜け、バラニウムナイフの数本を投擲して腹部と喪失した足の断面に打ちこむ。そして、その先に見えた我堂団長....を拘束する触手に向かい、バレットナイフを速射。

 アルデバランは身体の立て直しに夢中になっているため、狙い通りに妨害なしで我堂団長を救出することができた。あとは─────、

 

 

「ち、もう再生し終わったのか。速いな」

 

 

 根元から丸ごと、とまではいくまいが、半分は失われたはずの長大な肉の塊が、ものの三分ほどで再生するなど常軌を逸している。これが不死身と言われたアルデバランの再生力か。

 俺は我堂団長の移送を一旦諦め、猛烈な速度で飛来してきた触手を真横に払った拳で弾き、続けて追って来た三本は跳躍で躱し、地面へ突き刺さった二本を踏みつけ、直後に薙いだ刀で切断。もう一本はバレットナイフで撃ち抜く。その最中に、

 

 

開始(スタート)。ステージⅢ保持(リテンション)。因子を追加。指定因子の遺伝子情報共有完了。モデル・ヒポポタムス』

 

 

 ヒポポタムス。名称は河馬(カバ)。アフリカのサバンナに主に棲息したと言われる、あまりにも有名な動物だ。この河馬は巨大な顎による咬合力が際立った特徴として挙げられるが、その皮膚の厚さも動物界では屈指のものだ。

 つまり、この場面で登用した理由としては、単純な防御力の向上である。皮膚の硬質化、多層化により変色はするが、顎から上の皮膚には適用していない。そのため、衣服を着ている限りは見た目の変化はほとんど見受けられないだろう。

 遺伝子操作後特有の酩酊感に抗いながら、後方で倒れ伏す我堂団長の元へバックステップで接近を試みる。最中に次々と伸びてくる触手をバレットナイフで迎撃していき、捌けないものは抜いた朝霞の刀で切り、弾き、絡め取って引きちぎる。見た目は人間のままでも、こんな戦い方をしてるところを常人に見られたら致命的だ。

 我堂団長の元へ辿り着くと、一度迎撃のペースを速めてから素早く身を翻し、彼を抱えて疾走を開始する。唐突な上下運動に気が付いたか、彼はそれまで閉じていた目を開け、俺の顔を見たのだろう。すぐに無力感を多分に含んだ笑みを浮かべた。

 

 

「美ヶ月、か。お前が()の一番に此処にたどり着いたということは、他は全滅したか」

 

「他?どういうことだ」

 

「最初にアレと対峙した時、己が思考した万策を尽くしても敵わぬと察知してな。一人で戦うことにしたのだ。私直属のアジュバントのメンバーには、まだ生存の芽がある周囲のガストレア掃討を命じていたが....その望みも薄いだろう」

 

「........」

 

 

 やはり、我堂団長は分かっていたのだ。ここにいるアルデバランが、記録通りの存在とは程遠いことに。

 ならば、作戦方針を変えることは必然。勝つためではなく、死なないためという大幅な下方修正を余儀なくされた。

 

 

「アレの猛攻を搔い潜れるのは私と朝霞くらいのものでな。他に誰がいたとしても、恐らく一分ともつまい。故に、私は勝つことではなく、彼奴を撃退することを考えた」

 

「だが、攻撃すら真面にできなかった、か?」

 

「フ、情けない話だがな。アレの触椀の動きは人の目には見えんよ。お蔭で、碌に対抗策もひねり出せぬまま朝霞も斃れ、私は真面に刀も握れん始末。あとは、朝霞を戦場から離脱させることが精一杯だった。....それに、奴は遊んでいた。まるで狩りをする猫が、捕食する鼠をすぐには殺さずに足で跳ね飛ばすようにな」

 

 

 我堂団長は、風を切る音が常に耳を苛む最中でも聞き取れるほど歯を噛み締め、全身のうち、満足に動く右腕と顔だけを使い、悔しさを体現する。遊ばれていた、というのは、命の取り合いを念頭に置いて戦に望んでいた彼に対し、これ以上ない屈辱なのだろう。

 俺はアルデバランの様子を伺いながら、次々と伸びる触手を搔い潜る。壮絶な遠心力にさしもの我堂団長も苦痛の呻きを上げるが、何とか最も危険なエリアを脱することに成功。それとほぼ同時に、手の中に忍ばせて置いた小型の『起爆装置』の安全ピンを抜いてから押し込む。

 

 

「そら、もっかい倒れてろ!」

 

 

 直後、アルデバランの腹部を中心に爆音と火炎が吹きあがり、今しがた再生したばかりの右後ろ足も、内側から溢れ出した熱波に耐えられず膨張し、やがて湧きあがる焔とともに弾けた。

 実はアルデバランの股下を通るついでに投げたバラニウムナイフには、超小型プラスチック爆弾が仕込まれていたのである。腹部に向かって投げたものは、やはり大きな打撃を望めなかったようだが、本命である後ろ足に仕込んだものは期待通りの効果を上げてくれた。

 爆破の衝撃で破砕したバラニウム片によって驚異的な再生能は抑制され、爆炎が肉を食い破る速度が勝り、結果的に再び右後足を失ったアルデバランはバランスを崩し、身体を傾がせる。

 

 

「ありえん、あの化物をこうも手玉にとるなど」

 

「残念だが、策もこれで打ち止めだ!あとは朝霞を回収して撤退するぞ!」

 

「待て、美ヶ月。私はここに置いて行け」

 

「馬鹿言うな!アンタがいなくなったらな、俺だけじゃない!みんなが困るんだよ!」

 

 

 我堂団長の弱気な発言に構わず疾走し、朝霞を置いてきた森の中へ入る。鬱蒼とした樹林の中で感覚を巡らし、彼女は何処にいるのだったか、そう考えていた途端に腹、顎へ脈絡のない衝撃。思わず抱えていた彼を離してしまう。

 朝霞を探していたこともあり、奔る速度は落としていたとはいえ、それでも常人のものとは比べようもない速さだ。慣性に引っ張られた我堂団長は吹っ飛び、地面に叩き付けられる。

 

 

「く....なんのつもりだ。ここでアルデバランに殺されたいのかよ」

 

「ああ、その通りだとも。君は気付いていないようだがね。───私は既に死に体だよ」

 

「ッ......!」

 

 

 我堂が強化外装(エクサスケルトン)を外して見せた内側は、凄惨な有様だった。コレを億尾にも出さずにここまで会話を続けた精神の強靭さは、並大抵のものでは無い。

 そう、彼が言った死に体という表現は正鵠を射ていると言える。触手に貫かれた孔は急所を上手く外していたが、ここまで骨と肉を掻き混ぜられてしまっては、治療など不可能だろう。幾度も強い衝撃を受けたことが主な原因だろうが、普通ならこうなる前に痛みで死んでいる。

 

 

「こんな身体で戻ったところで、他人の不安を煽ることにしかならんだろう。ここで死ぬのが、最も周囲に波風立てぬ手よ。....それに、な。今までしてきたやせ我慢もここいらで潮時だ」

 

「っ............せめて、朝霞には会っていってくれ」

 

「朝霞、か....あぁ、そうだな。そう────ぐふッ!ガハッ!」

 

「ちッ、今更思い出したかのように死にかけてるんじゃねぇよ!ここまで来たんだ、頼むからもう一息持ってくれ!」

 

 

 激しく吐血した我堂団長を抱え直し、疾走を再開。彼とのやり取りの間で、朝霞の居る場所に大方の見当はついていたので、その歩みに迷いはない。

 我堂団長の顔は、過去に何度もその目で見てきた死にゆく人間の表情をしている。だが、()()は何の憂いもなく安心してこの世を去れる者のする形相ではない。それは、後悔、憤怒、怨嗟。そういった()()()()()()()を内に未だ秘める者のする顔だ。

 やがて、俺は朝霞のいる樹木の傍らにたどり着く。思わずといった形で銃口を此方に向けた彼女の手を、そうするだろうと分かっていた俺は先んじて掴み、ゆっくりと降ろさせる。

 そして、朝霞は現れた()()が何者かを視界が広がったことで気付いたのだろう。色覚が失われようともわかるほど血の気が失せたような表情を顕わにした。

 

 

「長正さまッ!?そんな、もしかして.....!」

 

「く、ぬ....朝霞。大きな声を、出すな。頭に、響く」

 

「あ......」

 

 

 俺にぐったりと身を預ける血塗れの我堂団長の姿を見た朝霞は、もしやと思ったのだろう。彼からの返事があると、一転して心の底から安堵したような顔へと変わる。だが、いずれにせよ、もう彼に猶予はないのだ。そして───それを伝えるのは、俺であってはならない。

 

 俺は我堂団長をその場に降ろすと、短く息を吐いた後に踵を返す。

 

 あるいは、という予測は戦争前の演説で既にあった。それが確信へと変わったのは、彼が弱った隙に見せた朝霞を呼ぶときの顔....そう、()の顔をした時だ。

 

 

「み、美ヶ月さま?何処へ行くのですか!」

 

「積もる話は五分で済ませてくれ。その時間は俺が何としてでも作る。....だから、現実を受け入れる強さを持つんだ」

 

「え─────」

 

「頼むぞ」

 

 

 俺はそれだけ言い残し、寸前までに迫っていたアルデバランの伸ばす触手を掴み、身体を反転させながら捩じって螺旋を作ると、そのまま後方へ引っ張って千切る。そして、駆け出しざまに朝霞の刀を抜き、片手で触手の一撃を受け、別方向から飛んできたものを斬り落としながら、受けた一方を掴んで捩じり、同様に切って捨てる。

 森の隙間を通って響いて来る咆哮は、怪物の怒号。それに呼応するかのように、俺は静かに口を開く。

 

 

「『開始(スタート)。ステージⅢ保持(リテンション)。現行発現種の遺伝子情報編纂─────。』」

 

 

 

          ****

 

 

 猫の持つサッケードは、連続して移動するものを優れた精度で捉える性質がある。故に、目と脳への負担がかなり大きい。例え五分程度の戦闘でも、音速近い物体が飛び交う中での交戦に対応するということは、それに応じて体感する時間も緩慢になるということになる。

 人間では到底処理しきれない高精度かつ膨大な視覚情報。それは正しく()()()()であり、五分間アルデバランの伸ばす触手全てをサッケードで対応すれば、目と脳は使い物にならなくなるだろう。

 そこで、俺は避けるべきものだけを目視し、避けなくてもいいものは視ていない。避けなくても良いものは同時発現しておいた河馬の因子による分厚い皮膚で致命傷を逃れており、反して避けるべき位置とは───言うまでもなく人間の生命維持に直結する重要器官を内包した頭や胸部、そして運動能力の大部分を依存する足だが───それに対する一撃だろう。

 そして、脳と目にかかる負担を極力軽減し、五分....否、体感では一時間ほどの攻防を終えた俺は、最後にサッケードで全ての触手を目視し、そこに在るものを総じて迎撃した後に我堂団長たちの元へ戻る。唐突な手痛い殲滅に怯んでいる今が狙い目だ。

 痛む目の奥と脳髄を冷ましながら、聴覚だけで周囲の状況を把握しながら走る。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()俺は、着いてからすぐに我堂団長へ問いかけた。

 

 

「で。決まったか、我堂長正団長。貴方が望む最期は、どんなものかを」

 

「───────ハ」

 

 

 ────そして、俺は素直にこの男の底知れなさに慄然とした。

 だって、嗤っているのだ。この我堂長正という男は。下半身は壊死した腰と腹部の骨肉塊により血流が阻まれて動かず、応急処置が施されているとはいえ、身体に複数の穴を空けながらも。

 

 ....だが、だからこそ俺は問うことが出来る。我堂団長が、これから()()するのかを。

 

 その瞳は、未だ生への渇望に溢れている。命という灯を燃やす油が無いのなら、自らの肉を千切ってくべるほどの、いっそ生き汚いと呼べるほどの往生際の悪さを、この男は見せているのだ。

 そんな、死ぬ定めと分かっていながら、およそ数十分にも満たない僅かな時に絶対的な意味を見出そうとしている我堂長正は、死に体とは思えぬはっきりとした声音で、俺に告げた。

 

 

「先の搦め手で、あの怪物を一時とはいえ行動不能にした()()。あれをありったけ寄越せ」

 

 

 

          ****

 

 

 あれからいくつかの策を講じた俺と我堂団長は、方針が固まり次第出発し、現在は森の中を進んでいる。彼の足は既に使い物にならなくなっているため、俺の背に乗り、片手でバランスをとっていた。

 一方の朝霞は足の骨折に回復の兆候が見られたものの、戦場に連れることは我堂の意見により取り下げられた。

 だが、きっと彼女は───────。

 

 

「────美ヶ月」

 

「?」

 

「私と朝霞の会話。聞いていただろう」

 

「....まぁ、な」

 

 

 事実だ。否定はしない。それに対し何かしらの小言でもあるのかと思ったのだが、そんな予想に反して我堂団長は笑みを漏らす。

 

 

「ならば、話は早い。....朝霞を、頼む」

 

「..........」

 

「朝霞は忠義に厚い。それゆえに、()()()()。....あれで、結構な民警を斬ってしまった経歴がある」

 

 

 俺は黙って我堂団長の声を聞く。目前から飛んで来る触手の対応に集中しているかのように見せかけて、口を開かずに。

 朝霞は、民警には最も扱いずらい性格だろう。義を重んじ、与えられた責務を確実に果たす。何もかもを中途半端で済ませようとする彼らからすれば、この性質は鬱陶しいことこの上ない。

 しかし、朝霞は考えを、自分の在り方を変えなかった。罵声を浴びようと、暴力を受けようと、間違いは間違いだと、そう指摘し続けた。

 

 

「朝霞を分かってやれるのは....もう、お前くらいのものだろう」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

「でも、それを決めるのは俺じゃない」

 

「......フ、今の言葉でお前の人となりは大分理解したぞ、美ヶ月」

 

 

 俺はそれに対する返事はせず、何故か上機嫌そうな我堂団長を肩に乗せたまま、幾つかの触手を搔い潜りながら森を抜ける。真面に回避行動を行うと彼が危ないので、上手く間を縫うかバレットナイフでの迎撃でやり過ごし、辿り着いた。

 これまでの交戦により、奴の攻撃対象は完全に俺へ移行している。触手の動きに最早遊びは無く、少しでも隙を見せようものなら貫く、と言わんばかりの剣呑さを漂わせていた。

 とはいえ、それまで碌に姿を見せぬ森の中での迎撃、交戦が主だった中で、唐突に正面から姿を晒してきた俺たちを訝しんだのだろう。アルデバランは出方を窺うように体の前面で無数の触手を揺らす。

 

 

「チャンスは一度きりだ。うっかり、意識を飛ばすさないでくれ」

 

「なに、この死にかけの爺相手に、ここまでのお膳立てをしてくれたのだからな。....義理は果たす」

 

 

 何とも、頼もしい言葉だ。強い望み、願いというものは、死に蝕まれる人をもここまで精強にさせるのか。

 流石に、永く血に彩られた戦場を渡り歩いた中でも、これほど精神の強さのみで死を遠ざけ続けた者は類を見ない。こういう人間は恐らく、精神(こころ)を先に殺さねば、肉体を殺しても死なないだろう。

 ああ、故に頼もしいのだ。そして恐ろしいのだ。

 

 ────この男は、己が望みを達するまで死なぬと信じられるからこそ。

 ────この男は、決してこの世を赦しはしないと分かってしまうからこそ。

 

 

「ふぅっ、─────行くぞ!」

 

 

 駆ける。その軌道は愚直なまでの一直線。

 我堂団長は俺の首に唯一動く右腕をガッシリと巻き付けると、対する俺は我堂の左肩をガッシリと掴む。そして、

 

 

「ぐううううおおおおおおッ!」

 

 

 強烈な遠心力に蹂躙される我堂団長の苦鳴が鼓膜へ届く。雪崩のように触手が迫っているのだから、サッケードによる回避性能がフル稼働するのは当然のこと。それが高速度の動作であれば、身体に掛かるGは戦闘機に乗ってアクロバット飛行するのと同等のものとなる。

 しかし、これは雨の中を潜るようだ。たとえ動きが緩やかであろうと、隙間が無ければ回避はしようにも出来ない。そして、攻撃を貰うか足を止めてしまうかすれば、存在していた隙間はあっという間に壁となってしまう。

 ましてや、今は我堂団長を脇に抱えていることもあり、回避のために通る面積は広く見積もらねばならないのだ。この苦境、決して無傷では抜けられまい───。そう思った矢先だった。

 

 

『────?!しまった!』

 

 

 右が際どいため、左に行ったら抜けられるかと思ったが、失敗だ。右が駄目なら左と人間的な思考の帰結に至ってしまった。これはむしろ一歩下がって迂回するのが正解だ。このまま無理矢理抜けたら、恐らく。

 だが、もう進んでしまっている。後退の判断、行動はコンマ数秒前に為していなければならない。故に、文字通り進むほか道は無い。

 

 

「ぐゥ!?」

 

 

 我堂団長の左腕がちぎれ飛ぶ。通過した拍子に掠った程度だが、音速近い速度で運動する物体に僅かでも衝突すればこうなるのは必定。掴んでいた俺の右手も衝撃を貰ったが、河馬の皮膚が衝撃をやわらげ、薬指が弾ける程度で済んだ。

 俺は思わず我堂団長に意識を向けかけるが、垣間見えた彼の瞳が雄弁に語っていた。

 

 構うな。前だけを見て走れ、と。

 

 

『おおッ!』

 

 

 そうだ。何を悩む。足踏みをする。ついさっき自分で断じたばかりではないか。

 この男は、心の臓を砕かれない限り、何があってもこの時だけは生き続けるのだ。

 数秒後に形作る己の結末。それを目し、答えを得ない限りは、死と言う逃避など許されない。我堂長正は、この後に訪れるアルデバランとの交錯で、自分が歩んできたこれまでの生を精算しようとしている。

 

 

『ここが、一人の武人の死地になる訳だ!なら、見送りする人間としちゃ、舞台を整えてやるのが道理ってもんだろう!』

 

 

 俺は隣の我堂団長を一切気にせず、自分にとって最適な回避手段のみを選択して駆け抜ける。安全策を選んで悪戯に時間を消費するより、多少のリスクを呑みこんで最短を行ったほうがいい。

 

 今の彼にとって最も敵と成り得るのが、確実に命を蝕んでいく『時間』なのだから。

 

 飛来してくる触手を左右に跳んで避ける。もしくは手で弾く。時折飛んで来るバラニウム侵食液は空いた拳で打ち払い、周囲の触手共々爆散させる。それらを幾度と繰り返し、色彩を失った世界を走る。

 サッケードによって捉える速度に対応するため、脳が音速の世界にいることで、体感時間が酷く遅い。五分の攻防が一時間に思えたように、この交錯もスローモーションの動画みたく引き伸ばされている感覚に陥る。

 

 

『ッ!』

 

 

 それもやがて終わる。触手が視界から消え、映るのはアルデバランの胸部。あらゆる生物の特性を編み込んだ分厚い灰色の皮膚だ。

 ここが、俺の()()()地点。

 そして、我堂長正にとっては()()()()地点だ。

 

 

「今、こっちから迎えが行くからよ、そこで待ってろ!『オッサン直伝・天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)』!」

 

 

 胸部への凄絶なインパクト。拳をねじ込んだ途端に、バヅッ!!という鈍い音が響き、弛んだ外皮が破れて大量の血液が迸る。が、効果は薄い。足と比べて肉の厚さが相当にあるらしく、()()()()()()()の威力ではここが限界らしい。

 それでいい。俺の攻撃は、アルデバランに有効なダメージを与えることが目的ではないのだ。

 

 

「我堂ッ!!」

 

()()()!美ヶ月ィ!!」

 

「オオオオオオオオオオオオオっ!」

 

 

 オッサン直伝技で得た出所不明の力が残る腕力を用い、傍らにいる我堂団長を、抱えていた手で()()する。人間を投げるなどあり得ない所業だが、俺の手から放たれた彼は猛烈な速度で垂直に跳び上がり、上空で苦悶に喘ぐアルデバランの頭部に向かって飛翔した。

 これは、我堂団長自身が提案したことだ。己の身体に超小型プラスチック爆弾を付属してあるバラニウムナイフを仕込み、自分自身が弾頭となって奴の頭部へ肉薄し、その命と引き換えに『一度』殺してみせると。

 その提案に面喰った俺と朝霞だったが、我堂団長の目に冗談の色がないことに気が付くと、俺は先の意見を上げたのだ。そして、今度はそれを聞いた我堂団長の方が面食らったのは言うまでもない。朝霞に至っては二度目だ。

 アルデバランは恐らく、死と言うものを知らない。何故そう言えるのかと問われれば、俺と戦った時に初めて触手を切断された瞬間、痛みに怯えるような挙動を見せたからだ。であれば、初めての死という感覚は筆舌に尽くしがたい恐怖を与えることができるだろう。撤退の可能性は非常に高い。

 

 

「ッ?!不味い!」

 

 

 突如、上空を進む我堂団長の真横に灰色の影が映り込む。

 予想が甘かった。アルデバランが痛みで前後不覚になったことはいい。これで己に迫りくる我堂団長に気付く可能性はぐっと低くなったからだ。だが、それは必ずしも良い結果を生むだけとは限らなかった。

 

 暴れた拍子に飛んだ触手の一本が、我堂団長の下半身を丸ごと刈り取った。

 

 

「──────────」

 

 

 

 ────────。

 

 ───────。

 

 ──────。

 

 

 ───それでも。....それでも、命ある限りは。と、内に在る()が謂った。

 毀れる肉体。雨下し失われていく命。この世に踏みとどまる限り終わりることの無い痛み。

 その中にあっても、彼の男は嗤う。

 

 ────我堂長正は、アルデバランの頭部に壬生朝霞の刀を突き立て、終端(答え)へ辿り着いていた。

 

 

「ハハ。そうか」

 

 

 我堂は()()に隠していた起爆装置を転がしながら微笑する。

 風圧で棚引く着物の下には、黒い刃を無数に突き立てた死にかけの肉体。左腕を失くし、片耳は削げ落ち、左目はとうに潰れている。

 

 だが、アルデバラン(怪物)はそんな半身の男の背後に鬼神を幻視し()た。

 

 途端、与えられた望まぬ痛みに対する苛立ちは蒸発し、取ってかわるのは際限のない恐怖。

 ...恐怖?恐怖とは何だ。この身を堅く縛る筆舌に尽くし難い感覚を謂うのか。では何故、恐怖する。この身は不死なれば。眼前の矮小な生物が何をしようが───

 

 

「成程───やはり、私は今ここで貴様を殺すために、生きてきたのだな」

 

 

 直後、両歯の間に挟まれた起爆装置が押し込まれ、砕ける。

 

 そして、男の憤怒が具現したかの如く焔が吹き荒れ、文字通り、怪物の頭は跡形もなく消し飛んだ。

 

 

 

 そして───初めての死を味わった人ならざる者の絶叫が、戦場に響き渡る。




我堂のおっちゃん、退場。
地味にちゃんと名前出てる悪役以外のキャラで死亡したのは、彼が初めてではないでしょうか。

一応、我堂長正と壬生朝霞の過去は掘り下げるつもりです。特に我堂のおっちゃんは原作じゃ碌に語られないまま居なくなってしまいましたからね....


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

51.追憶

何だ....これ。気がついたら最新話更新まで四か月くらいかかってやがる。
お待たせして申し訳ありません。いやもう忘れられてたりして....

今話は我堂長正の回想編です。彼は過去の設定をかなり盛りました。


 ────何故、こうまでアルデバランに拘るのですか?同胞を失ったという理由はあれど、死するまで戦う、というのは些か逸った判断です。

 今からでも遅くはありません。まだ退路はあります。延命措置だってきっと。

 

 

 退路は、確かに作れるだろう。そして、私が助かる術もあるやもしれぬ。だがな、ここを退いたら誰があの怪物を止める?障害がなくなれば彼奴の侵攻は再開するだろう。阻まねば、いずれにせよ此方の敗北だ。

 

 

 私たち以外に、美ヶ月樹万という青年がいますが、彼は....

 

 

 言いたいことは分かる。確かに、善戦はしていた。だが、アルデバランは未だ戯れの域を脱していない。あれが本気で攻勢に出た時、仮に背の触椀全てが動くのだとしたら、単独で受けるのはあまりにも危険だ。

 

 

 では────結局。

 

 

 ああ。結局は戦うしかないのだよ。....しかし、この戦場で死ぬのは私だけでいい。字義通り、死んででも撃退だけはしてみせよう。そのための策も、もう頭にある。

 

 

 貴方は、強い人ですね。

 

 

 ふん、世辞は止せ。真の強者は、この状況にあってもなお生を渇望するだろう。そして、生きながらにして勝利する方策を模索するのだろうさ。....私は諦めた。無力な己を自覚してな。であれば、敵が如何な異形であろうと、もはや弱者よ。

 

 

 いいえ、嘘はおやめください。もしも先のお言葉が真で、無力さから生存を諦めたというのなら....きっと、貴方はこの場で自害なさる筈です。

 故に、諦観とは違います。それは恐らく、乾坤一擲、というものでしょう。

 

 

 ────ク、これは一本取られたか。しかし、ほとほと私も往生際の悪い男よ。これでは、天に昇った()()に笑われよう。だろう?朝霞。

 

 

 ふふ。母上ならば、これからのことを全てご覧になった後でも、赦してくださるでしょう。ご安心ください。貴方には私がついております、長正様。

 

 

 莫迦者。これから黄泉へ行く私に付くなど、縁起でもない。

ああ、しかし。そうか。────私は、やっと。お前を守ることが出来るのだな。()()

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

 

「ああ、()()。来てくれたのね」

 

「はい、久方ぶりです。母上」

 

 

 

 無機質な白い病室の中に、その女性は横たわっていた。彼女は来客に気が付くと、そのか細い身体をおもむろに動かし、黒い瞳を湛えた目尻を優し気に緩める。

 それを見た少女────壬生朝霞は、手に持った白桃色のプリザーブドフラワーを揺らしながら、笑顔と共に挨拶を交わす。

 

 我堂(がどう)春歌(はるか)。この病室の扉に表示された札には、そう書かれている。

 つまり、この白く広い室内の中に居る女性こそが、その人だ。

 

 朝霞は手に持った鮮やかな花々をベッド脇のチェストへ置くと、包装を取って透明な花瓶へと移し替える。それだけで、殺風景だった室内の雰囲気が、幾分か明るくなったようだ。

 

 開け放たれていた窓から吹き込む爽風に、華やかさを感じる。

 凍える冬は既に去った。もうすぐ、春だ。

 

 そんな暖かい風に踊る朝霞の黒く艶やかな長髪を、春歌の白く嫋やかな手が撫でる。掬い上げては指の間から零れ落ちていくその様は、彼女の歩んで来た人生を形容しているようだった。

 

 

「ふふ。朝香はこうして出会うたびに、きれいになっていくわね」

 

「あ、ありがとうございます。己の持つ女性としての魅力を考えたことはあまりなく、自信はありませんでしたが....母上が仰るのなら、自恃心を持てます」

 

「そうよ、もっと自信をもって、笑顔でね。でないと、ただでさえいっつも仏頂面のあの人の顔、戻らなくなりそうだから」

 

 

 そう言いつつ、口元に手を持ってきて上品に微笑む春歌。朝霞もそれにつられたか、控えめな笑みを漏らす。

 春歌の言うあの人とは、夫である長正のことだ。この場には居ないが、彼女はまるですぐ傍にいるかのように虚空へ手を伸ばし、言葉を続ける。

 

 

「私ではもう駄目だけれど、朝香なら大丈夫。娘の笑顔を見て、つられない親は居ないわ」

 

「......そうですね。私も、そう思います」

 

 

 

 朝霞はまるで生きているかのような色彩を放つ、生きていない花の表面をそっとなぞる。にもかかわらず、ふわりとした感触が指先の触覚へ応答し、俄かには生花でない事実へ猜疑を抱いた。が、やはりと言うか、それはどこかうそくさかった。

 この世にあるものすべてが、そして自身の知る全てが真実である必要はない。厳しい現実を覆い隠すための都合の良い嘘がなければ、人は簡単に潰されてしまう。自由や平等といった概念は、こういった集団無意識を流布させるのに適した社会なのだ。

 今、こうして春歌と親し気に会話する朝霞も、都合の良い嘘を利用し、本来の『現実』を塗り潰している。それは自分にとっての益からか、あるいは他人にとっての益からか。

 

 

「朝香、座って?いつものように髪を結んであげるわ」

 

「ぁ、はい。お願いします」

 

「私もね、若い頃はこれぐらいきれいな黒髪だったのよ?....今はこんな『飾り』になっちゃったけれど」

 

 

 木製の櫛で、朝霞の髪を優しく梳いていく春歌。その慣れた手つきから、彼女が朝霞の髪を扱うことが一度や二度でない事実は明白だろう。瞬く間に所々跳ねた毛先は纏められ、黒く艶やかな流線を形作る。

 両者の間に言葉は交わされない。何者の介入もない、静止したと錯覚するほど穏やかな時間の流れの渦中で、壁掛け時計が刻む一秒ごとの動作だけが、時の経過を認識させる。

 病室には、他の患者の様子を見に来た看護婦の足音や、風がカーテンを叩く音、そして櫛が滑る音が響く。

 そこへ、新たな音が加わる。

 

 

「ぁ────たしが」

 

「?母上、何かおっしゃいましたか?」

 

「私がいなくなっても....泣かないでね?」

 

「────」

 

 

 春歌の言葉に、朝霞は二の句が継げなくなった。

 それは、内容が重いくせに話題の発起が唐突だったのもあるし、何より....声色がいつもと明らかに違ったからだ。

 

 

「泣くと悲しいことばかり思い出すし、悲しいことばかり、想像するから」

 

「母上」

 

「私は、母親として失格だったけれど....それでも、朝香のことは本当に愛しているわ」

 

 

 春歌は、自分の髪をまとめていた白い髪留めを外し、きれいに整えられた朝霞の髪につける。純白の飾りは、黒い長髪によく似合っていた。

 いつもの通りだと、春歌が朝霞の髪を梳いて、その間に雑談に花を咲かせ、そして最後に沢山持っているという色とりどりの髪飾りのうち、一つをプレゼントとしてつけてくれる。この髪飾りの贈答が、『今日のお話はこれでお終い』という合図にもなっていた。

 

 だが───春歌自身が今まで付けていた髪飾りを渡したことは、これまで一度もない。ましてやこの髪飾りは、朝霞が出会ってから今まで、ずっとつけていたものだ。

 

 朝霞は座っていたパイプ椅子から立ち上がり、春歌の姿を目に映す。いつも笑顔を絶やさずいた、貴人(あてびと)の姿を。

 この役割を担うようになってから、我堂春歌の病室を訪問し、そして出会った回数は、既に二十あまり。無駄だと思っていた。無為だと思っていた。この時間に、何の意味があるのかと思っていた。

 最期となる今日で、ようやく。忘れかけていた己の中にある大切なものを、手繰り寄せることができた気がした。

 

 

「ごめんなさい。でも、ありがとう────()()

 

 

 この翌日、我堂春歌は栄養失調が原因の衰弱により、死亡した。

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

 

 壬生朝霞。お前は暫く、この病院にいる私の妻と会え。理由は問うな。

 

 

 ....我堂長正。貴方は気でも触れているのですか?私はイニシエーター、ガストレアを殺すための武具そのものです。それを知った上で民警などという組織に属し、私を雇ったのでは?

 

 

 今のお前は抜き身の刀だ。人であることを忘れている獣に等しい。そんなものを近くに置いたとあっては、戦場で先ずお前を斬りかねんからな。

 

 

 本気で仰っているのでしょうか。貴方が私を斬れると?

 

 

 ああ、信念無き者の刀に技は宿らん。そして、術理の無い刀に窮みは有り得ぬ。驕りも大概にしておけ。

 

 

 ......それ以上の愚弄は、いくら主と言えども見過ごせませぬ。

 

 

 フ、気に障ったか。なら、やはり私の言葉通りにするのだな。お前にはまず、人であることを思い起こして貰わねばなるまい。

 

 

 ────いいでしょう。そこまでおっしゃるのならば、貴方の妻に一度は見えましょう。これ以上の下らぬ問答が繰り返されないことを祈りますが。

 

 

 ハハ、そうさな。ああ、言い忘れていたが、あれと会うに当たり私から一つ、助言がある。....お前はあれの子として振る舞え。何、特別な身振りや態度は必要ない。意識してさえいればいい。

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

 

 私では、あれの心を癒せなかった。

 

 両親を、そしてようやく生まれ落ちた愛し子さえガストレアに奪われた、その絶望。まこと、計りかねよう。

 だからこそ、私たちは夫婦となれたのやもしれぬが。

 

 私も、かつての妻をあの怪物どもに殺されている。息子の英彦は、それを見た影響で必要以上にガストレアを恐れ、また同時に戦場へ立つことを忌避するようになった。

 どうしようもないことだ。弱き者は食み貪られるのが世の常。理不尽など、人が勝手に設定した、人にとって都合の良い結末の見方だ。

 人は弱かった。ガストレアは強かった。であれば、この過程や結果は灼然たるものだろう。

 

 それでも、私は戦わなくてはならない。勝てる勝てない、死ぬ死なないの問題ではないのだ。

 

 奪われたものが、失くしたものが多すぎる。

 単純に、()()()()。それは理屈など通じぬ、烈火の如き感情。悪鬼を前にしても冷めぬ憎悪の焔だ。

 

 そう。

 私は絶望に屈しなかった。それに勝る理由を手に入れたからだ。

 だが、あれは心を折った。生きる理由を見失うほどの絶望に呑まれたからだ。

 

 もう、私とあれはかつてのように笑い合えない。立つ位置が致命的なほどズレてしまった。

 

 だが、それでも。せめて最期くらいは、たとえ偽りであろうと安息を与えたい。

 

 そのための、朝霞だ。

 

 あの少女は、朝香()に似ている。同名ということも相まって、一時は生まれ変わりかと本気で疑ったほどだ。

 私が民警となるにあたり、イニシエーターを彼女に選んだ理由も、それが大半だ。実力も戦闘法の傾向すら、一切目に入れてはいない。

 

 だというのに────数奇なものよな。彼女は私と同じく、剣鬼となることを望む外れ者だった。....いいや、業は既に()()()へ足を掛けていたか。当時、それを快く思わなかった私は、信念のない刃と評してはいたが。

 外見は瓜二つであるにもかかわらず、中身は似ても似つかない。本当に、神とは残酷なことをするものだ。

 

 朝霞。お前はきっと私を恨むのだろうな。

 どのような美辞麗句で誤魔化そうと、お前に朝香の代わりという役割を求めたのは、言い逃れできぬ事実だ。朝霞というお前の本当の側面を、私は蔑ろにした。

 

 ────ああ、そのことを謝れなかったのが、心残りだ。

 

 そして、何より。これまでのことの全てに、感謝をしていると。救われていたのは、私も同じなのだと。伝えたかった。

 或いは......過去の業を清算し、再びお前と歩みだせる勇気と決意が私にあれば、もう一度やり直せたかもしれない。

 そう考えるのは、事ここに至っては....もはや詮無いことだろう。

 

 

 ────復讐とは、哀しいな。春歌────。

 

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

 

 ────我堂長正は、信念を貫き通した。

 

 

「これは、流石のアルデバランも堪らんだろうな!」

 

 

 壮絶な爆風が俺の四肢を叩く。頭上で蜷局を巻いた爆炎は悠に十メートルを超え、頭部どころか首の半分ほどまですっぽりと覆った。

 と、俺の立つところから一メートルほど離れた場所に、しゃん、という静かな音を奏で、黒い刃の破片が落ちた。それは、我堂が俺の腰から引き抜いていった、朝霞の太刀だ。

 その刃を拾い上げる白磁の手が、視界に映る。

 

 

「行きましょう、美ヶ月さま。長正さまは、無事に最期のお役目を果たしました」

 

「....ああ。そうだな」

 

 

 悲しいかどうかを問うなどと言う残酷なことはしない。少なくとも、この場でしていい問答ではないだろう。

 俺は我堂との約束を果たすため、彼女────壬生朝霞を抱え、駆けた。

 




長正や春歌の過去をもう少し詳しく知りたい方は、人物紹介の方を覗いてみてください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

52.戦場

今回の地の文は第三者視点でお送りします。


 我堂英彦はS&W M&Pを構え、眼前で蠢くガストレアを射撃。銃口から吐き出された三つの黒い銃弾は狙い通り、ステージⅠと思われる幼虫のような怪物の頭部に吸い込まれ、見事に即死させる。

 その最中に背後の天童木更が要救護者の応急処置を手早く終え、その身体を担いだ。

 

 

「我堂中隊長、これより移動します!申し訳ありませんが警護を!」

 

「了解ッ!」

 

 

 応えてから、森の中へと駆ける木更の背後を追いつつ、注意深く周囲を警戒する我堂。血みどろの戦場となった場からは獣の唸り声のような地響きが断続的に皮膚を震わせ、そして至るところからは異形どもの絶叫が大気を伝い、生きる者の耳朶を撃つ。

 我堂は未だ治まらぬ恐怖に身をすくませながらも、赤眼の尾を引きながら闇間から飛び込んで来る怪物──ガストレアの出現にだけは鋭敏に反応し、照準。トリガーを引いて対象を確実に撃滅する。

 我堂は不思議に思っていた。今まで碌に戦場に立たなかった自分が、何故こうまで過酷な場で戦えているのかを。が、答えは考える間もなく、最初から用意されていたかのように己の中から生じた。

 ──守りたいものが、あるからだ。そして恐らく。己と同じく彼女たちも───、

 

 

「塹壕....あれね!見つけたわ!」

 

(!これが、里見リーダーの言っていた塹壕。戦争までの短期間に、これほどの規模のものを作ったのか!?)

 

 

 前を往く木更が叫んだ、塹壕という言葉。これは里見蓮太郎から天童木更と行動を共にするよう言われ、彼から離れる前に聞いていたものだ。その言によると、塹壕は戦場を囲うように掘られているらしく、深い所で5mはあるという。ここに負傷した民警らを一時的に運び込み、戦場から離脱させるのだ。

 これだけでは周辺を闊歩するガストレアどもに餌を与えるだけになってしまうが、この塹壕の周りには非常に純度の高いバラニウムの刃が等間隔で設置されており、ステージⅡ、ステージⅢの初期段階のガストレアさえ忌避する磁場を発することから、まず彼等が襲われることは無いという。

 天から降りそそぐ銀の槍、そして前方から迫るガストレアの大群。敵の凄まじい攻勢によってこちらの戦力は大幅に削がれつつある。以降の戦闘を有利に進めるためにも、ここで悪戯に死者を増やすことは避けねばならない。とはいえ、見つけるたびに負傷者を本陣まで運んでいては消耗するし、戦線復帰までに時間がかかる。

 塹壕の存在は、これらの問題を一気に解決したのだ。故に、我堂はこれを作った美ヶ月樹万という人間に心から感心している。

 

 

「負傷者救護完了!我堂中隊長、戦場に戻ります!」

 

「ああ、分かった!───こちらD()()()、これより戦場に戻る!」

 

 

 我堂は木更と共に走って来た道を引き返しながら、他の小隊....里見蓮太郎と藍原延珠の『A小隊』、薙沢彰磨と布施翠の『B小隊』、片桐玉樹と片桐弓月の『C小隊』との通信が繋がった端末に向かって宣言する。間もなく各小隊から了解の旨を伝える声が響いてきた。

 

 里見蓮太郎によると、美ヶ月樹万とそのイニシエーターは、別動隊として派遣されたガストレアの殲滅のため、一時離脱しているらしい。

 本来なら我堂長正の軍規に触れる重大違反なのだが、彼は一度壇上にて長正と問答し、単独行動の了解を得ている。もしこうなることを予見していたのだとしたら、凄まじい先見の明といえる。

 

 そして、彼が抜けたあとはアジュバント内で各二名ずつチームを組み、小隊として行動することにしていたらしい。チーム構成は遠距離特化と近距離特化、そしてそれなりのチームワークができることを条件に設定されている。幸い、もとの民警ペア間で遠近の棲み分けは出来ていたので、ほぼ全員がそのままの構成で小隊を組むことができた。

 天童木更のペアであるティナ・スプラウトは別の役目があるらしく、彼女は本来なら里見蓮太郎の小隊に配属さる予定だったらしいのだが、我堂の参入により急遽『D小隊』を編成したという。

 森を抜け、再び戦場に舞いもどる。それからすぐに木更は刀を抜刀、近場に居たガストレア二体を切り刻む。一方の我堂は銀の槍が降る頭上を警戒しながら、手元の通信端末を確認。GPSにより示された一個小隊を表す赤い点滅は白線で結ばれ、菱形に近い形状となっていた。

 それに一度頷いてから、我堂は傍らにいる木更を確認。そして、少し離れたところでガストレアと交戦している里見蓮太郎、片桐玉樹の両名を確認した。

 

 

「天童さん!ここが規定のポイントです!里見リーダーと片桐さんを目視で確認できました!」

 

「分かりました!もし移動の指令があったら言ってください!」

 

「ああ!了解!」

 

 

 これが、美ヶ月樹万の考案したもう一つの戦術。出来る限り互いが目の届く範囲内で交戦できるよう組んだ、常時相互援護型フォーメーションだ。この戦いにおいて遠距離戦を担う小隊メンバーがGPS内蔵の通信端末をそれぞれ所持し、他小隊の遠距離戦担当と連絡を取り合い、また互いが目視によって確認できるような位置取りを行う。同時に、遠距離戦担当は同小隊メンバーである近接戦担当を常に目視によって確認、援護できるような位置取りを行う。

 これにより、理論上はメンバーの誰しもが常に一人以上の目により安全確認がとられるようになるのだ。

 そして、もうひとつ────

 

 

「っ、天童さん!B小隊が負傷者発見、救護に入るそうです!移動しますよ!」

 

「分かったわ!ティナちゃん、お願い!」

 

 

 移動する薙沢彰磨の持つGPS端末を表わした赤点にそって、フォーメーションを極力崩さないように各メンバーともに移動を開始。と、それまで一つ所で動かずにいた()()()の赤い点が猛烈な速度で移動を始め、薙沢彰磨の現在地を示す点滅のほど近くで止まる。

 これこそが、ティナ・スプラウトという天童木更のペアであるイニシエーター。『目』を複数持ち、自身の身の安全と、周囲の警戒を同時にこなせる万能の戦士。....という事らしいが、詳細を聞いていない我堂は、何故そんなことができるのかは全く分からない。

 

 

『B小隊、これより要救護者の移送に移る。ティナ・スプラウト、不測の事態のみ援護を頼む』

 

『了解しました』

 

 

 両者の通信がこちらの耳に届く。そして、陣形から離れた薙沢彰磨の反応にそってティナ・スプラウトの反応も追随し、やがて止まる。塹壕に到達したのだろう。

 考案者である美ヶ月樹万によると、いかな常時相互援護型フォーメーションといえど、見通しの悪い森中にまで踏み込んだ小隊を追うのは危険だという。それに、そこまでガチガチの保身に走ってしまうと、相対的に戦果が落ち込む。

 ここで、遊撃役であるティナ・スプラウトの出番という訳だ。主な役目は、救護に回った小隊について移動し、広範囲の警戒をすることである。彼女は暗所でも視界の確保は為されるらしく、救護を行っているメンバー近傍という狭範囲しか目視できないハンデを背負った遠距離戦担当を援護するのだ。

 

 

『こちらB小隊、今しがた戦場に戻った』

 

『ティナ・スプラウト、これより状況の総合評価、不利と判断した小隊の援護に回ります』

 

 

 ───完璧だ、と我堂は確信する。これぞまさに無欠の策、死角などあるはずもない。

 我堂は頭上から飛来する銀の槍を警戒しながら、前方の木更に集うガストレア数匹へ援護射撃、勢力を削いだところを銀閃が駆け抜け、怪物たちは瞬く間に解体されていく。空から飛来し、奇襲せんと目論むガストレアも、ティナ・スプラウトの射撃により撃ち落とされた。

 周囲の戦況も概ねこちらと同様だ。敵は最低限の人員で為される最適な相互連携により、瞬く間に屍が積み上がっていく。他のアジュバントでも同じようなチーム編成が為されつつあり、優勢が少しずつ人間側へ傾きつつある....その時だった。

 

 

「────?」

 

「我堂中隊長、これは」

 

「ああ....銀の槍の砲撃が、止まっている」

 

 

 あれほど間断なく降り注いでいた銀の槍の放射が、唐突にパタリと止んだ。果たしてこれは好機か、それとも災厄の前触れか。

 と、判断しかねていた我堂の横で、唐突に地割れが発生。同じように空を見て呆けていた民警ペア二組四人が穴に呑みこまれた。その一部始終を見てぎょっとする彼と木更を尻目に、這い出て来たのは....熊。ただしその体長は悠に6mほどあり、爪は異常なほど鋭く、目が無いという有様ではあるが。

 

 

「これは、厄介そうなのがでてきたわね。......恐らく、ステージⅢ」

 

 

 眉を顰めた天童木更の言に、我堂の身が強張る。現れた熊のような怪物は、ここまで戦ってきたガストレアたちが子どもと取れてしまうほどの威容さだ。我堂の中に在る人間の本能が、あれを見た途端に告げている。『逃げろ、お前が敵う相手じゃない』、と。

 そして、更に状況は悪化の一途を辿る。

 

 

『こちらA小隊ッ、ステージⅢと思われるガストレアが出現!ベースは土竜だ!クソ、蔓が背中から出てやがる、シダ系列の植物因子も取り込んでると推測!』

 

『こちらB小隊、同様にステージⅢの大型ガストレアを確認した。里見と同じく土竜だろう。地中を移動することで姿を隠していたな。接近に気付けなかった』

 

『あー、こちらC小隊!ヤベェのが出たぜ!周りにいた五人が、不意打ちとはいえ一瞬でやられちまった!』

 

 

 手中の通信端末から立て続けにステージⅢか、それ以上と思われるガストレア出現の報告が届く。一体だけでも十分な脅威だと言える怪物が、同時に四体も。銀の槍の放射が止まったとしても、これでは結局全滅必死だろう。

 我堂の思考が、極度の絶望から停止する。これまでの抗戦によって何とか勢力を盛り返しつつあった盤上の布陣が、敵の一手で簡単に崩されてしまった。最早、抵抗は無意味────

 

 

「我堂中隊長!....我堂さんッ!」

 

「ッ!?は、はい!」

 

「大丈夫です。この状況でもギリギリ私たちで対処はできます!」

 

「────、指示を!」

 

 

 天童木更の目は、本気であった。本気で、この状況を覆そうという意志の眼差しがあった。それに当てられた我堂は、気付いた時には『これからどうすればいいか』を問いかけていた。

 木更は我堂の言葉に一つ頷くと、通信端末を寄越すよう言ってくる。彼は寄ってくるガストレアに対し応戦しながら、端末を木更に向かって投げた。

 それをキャッチした木更は、交信のボタンを指で押し込みながら高らかに宣言する。

 

 

「これより、最上位の対ガストレア戦闘陣形を取ります!里見リーダー、指示をお願い!」

 

『────ああ、分かった!よしッ、各小隊!現れた大型ガストレアを一匹ずつ後方へ誘導!くれぐれも、他の民警ペアを巻き込まないよう注意してくれ!』 

 

 

 通信を終えた天童木更から端末が投げ返される。それを何とか受け取った我堂は、次の瞬間に己の味方が取った行動に目を剥いた。木更が周囲のガストレアを一瞬で斬り飛ばし、ステージⅢの大型ガストレアへ疾走を始めたのだ。

 死にたいのかッ?そう思ったところだったが、木更は二度ほど刀を振るって体表に浅い傷を穿ったあと、驚くほどあっさりとこちらへ撤退してきた。とはいえ、今の交錯で熊型ガストレアの顔は明らかに我堂たちの方へ向いている。

 

 

「ど、どういうつもりなんだ?!天童さん!」

 

「ここから少し後ろに下がったところへ、あのガストレアを誘導するわ!それ以降の動きは移動しながら説明します!」

 

「りょ、了解ッ!」

 

 

 我堂は駆ける木更を追って背後のガストレアを警戒しながら走り出す。と、それまで二足立ちだった熊はおもむろに前脚を地面について四足へ。次に一度肥大化した鼻を左右に振る。何だ?と訝しんだのもつかの間、熊は猛烈な速度で地面を蹴り、我堂らへ向かって飛び出してきた。

 

 

「て、天童さん!ヤツがッ」

 

「分かってるわ!」

 

 

 応えてすぐ、木更は爪先で地面を蹴り、身体を回転させて背後から追っていた我堂と対面する形になる。その中空に在る一瞬の間に目視不可能な三度の抜刀。それらは我堂の横をすり抜け、岩が露出した地面へ立て続けに衝突し、()()()()()()()()

 絶句する我堂を尻目に、目が見えないらしいガストレアは数瞬遅れてそれに激突し、凄まじい音を響かせた。

 

 

「ば、馬鹿な....」

 

 

 我堂のそんな気の抜けた言は、ガストレアの超常的な膂力に対してか、それとも天童木更の人間離れした絶技に対してか。いずれにせよ、これで大幅な時間稼ぎを可能にした両者は、余裕を持って目的地に到着することができた。

 ここで、本当に木更の言っていた作戦が効果を発揮するのだろうか、と我堂は訝しんだ。

 

 

『こちらA小隊、目的地に到着した!』

 

『B小隊、同じく目的地到着だ』

 

『C小隊、到着したぜッ』

 

 

 立て続けに仲間から通信が入る。周囲を見回すと、目視でも周囲にいるメンバーを全て確認できた。これで、位置取りも完璧に近い。

 

 我堂はごくりと唾を呑む。あの化物と、ここで決着をつけるのだ。

 

 明らかな怒気をまとまわせつつ、のそりのそりとこちらに近づいてくるのは、先ほどの大型熊ガストレア。数えるほどの戦場しか経験していない我堂だが、それでも、これが通常のガストレアとは一線を画す手合いの者だという事は、肌で感じ取ることが出来た。

 

 

「....いいですか、我堂中隊長。周囲の敵は一切気にしないで下さい。私たちが注視するのは『アレ』だけです」

 

「ああ....けど、本当に?」

 

「ええ。美ヶ月さんが言うには、大型のガストレアと戦う際の鉄則は、遠距離、近距離両方の戦闘要員を備えること、必ず複数ではなく一体ずつ相手にすること、敵の取り込んだ生物因子をいち早く察知すること、だといいます」

 

 

 逃走する最中に天童木更と言葉を交わし、我堂が結論した敵のガストレアの主因子は、土竜。それを補佐する形で発現しているのが、恐らく熊。根拠の出所としては、ガストレアが現れた時は地中からであったこと、そして、平坦な道での運動能力が極めて高かったことなどが挙げられる。

 この情報を元に、戦うしかない。そう覚悟を決めたときだった。

 

 

「■■■■■■────!!」

 

 

 身の毛もよだつ咆哮を上げて、熊のガストレアが飛び出してくる。狙いは前方にいる近接戦担当の天童木更。援護をする我堂は────だが、動けない。敵の放った暴力的なまでの圧力に、身体が知らず固まってしまっていた。

 そんな混乱の渦中で、彼は()()と思い出す。塹壕に置いてきた、不安そうな表情をする傷ついた己のイニシエーターの顔を、思い出す。それだけで、自身の中にある全ての覚悟を手繰るには十分だった。

 

 

「お、おおおおオオオッ!!」

 

 

 咆哮し────縛を、解く。

 我堂は横に移動しながら銃を構え、ガストレアへ速射。顔面に見事複数ヒットするが、肉が厚く脳髄まで弾丸が届いていない。それでも、ガストレアは突然の痛撃に進行を忘れ、上体を起こして痛みに悶絶する。

 そこを、天童木更の太刀筋が複数通過。肉を断つ不快な音を立てて腹部に連続の斬痕を穿つ。

 

 

「天童さん!敵が動きます!」

 

「ッ!」

 

 

 我堂の宣言により、踏み込んだ木更がすぐさま後退。その直後に鋭い爪を蓄えた剛腕が振るわれ、地面に放射状の罅を発生させる。直後に轟音。そして憤怒の咆哮。

 

 

「く────」

 

 

 怖い。怖い怖い。けど、戦える。戦えている。

 かつては奪われるだけで何もできなかった己の惨めさを、ただ力が無かったからと言い訳し、ある筈の怒りを絶望により押し込めて来た。それが出来たのだ。でも、いざこうして再び自分の抱えた掛けがえのないものに魔手を伸ばされると、そんな『建前』は容易く粉微塵にされてしまった。

 どうしようもないと、我堂は思っていた。歴然とした力の差の前には、たとえ目前で大切なものを壊されようと、戦う意志など起こらないと思っていたのだ。

 だが、我堂英彦の中には、意地があった。

 

 

「もう、あんな思いは沢山だッ!」

 

 

 抗う気すら起きなくなるほどの凄惨な生命の凌辱。穢れた化物の爪で身体を千切られ、唾液にまみれた牙ではらわたを貪られ、人である身を崩されていく非道の行為。死ぬほどに痛いだろう。殺して欲しいほどに苦しいだろう。そんなことを....『彼女』に赦してなるものか!

 我堂は有る限りの力を以て引き金を引き、天童木更に狙いを向けたガストレアの右脚部を狙う。一発目、二発目、三発目、四発目───で、身体が傾ぎ、前脚をついて四足へ。今度は狙いが我堂へ移る。が、それを機と見た木更が鋭敏に察知。中距離から風のような速度で踏み込み、抜刀。

 

 

「天童式抜刀術二の型六番────『雲散豁然』」

 

 

 一刀で描く筈の剣閃が、X字に奔る。ガストレアの胴を舐めるように沿ったそれは、一時の間をおいて烈風となって翔け、肉を断った。血液が噴水のように上方へ吹き出し、半身を別たれたガストレアは絶叫しながら腕を我武者羅に振るう。木更はその生命力に驚愕し、撤退の足運びが僅かに遅れた。

 不味い!そう思って銃口をガストレアに向けた我堂だったが、遅い。人外の暴力が、木更の矮躯を叩き潰す────

 

 

「ッ!?」

 

 

 寸前、二発の重い銃声。一発が極端に細くなっていた腕の肘関節に当たって千切れ飛び、木更を救う。二発目が熊型ガストレアの頭部に深々と弾痕を穿ち、絶命させた。

 辛うじて上体を起こしていた片腕も、やがて力尽きたように折れ、崩れ落ちる。そしてついに、ズシン、という重量を感じさせる音を響かせ、先ほどまで暴虐の限りを尽くしていたガストレアは、ただの物言わぬ肉塊となった。

 一部始終を見届け、放心状態となっている我堂のところへ、肩に差してあった通信端末から声が届く。

 

 

『こちらティナ・スプラウト。D小隊、我堂英彦中隊長。天童さんともにお怪我はありませんか?』

 

「あ、ああ。これは君が?」

 

『はい。危険な状況下にあると判断し、援護を致しました』

 

「ありがとう。お蔭で天童さんを助けられたよ」

 

『いえ、これが私の役目ですから。では、以後D小隊のお二人は、他小隊付近に現れた敵性ガストレアの駆逐をお願いいたします』

 

 

 その声に応答してから通信を切り、周囲を見回す。ステージⅢガストレアとの戦闘はまだ各小隊で続いているが、戦況は優勢といえる。やはりこの作戦は非常に有効だったのだろう。

 

 天童木更が言うところによれば、『敵の狙いを分散させる』。それこそが、大型ガストレアとの戦いで何よりも優先する戦術だという。

 

 先ずは近接戦役のメンバーが攻撃範囲ギリギリの場でダメージを与え、敵の攻撃対象となったあと、戦闘を続けず安全圏まで撤退。その直後に遠距離戦役が敵に即時攻撃。初手はなるべく急所にほど近い場所か、運動能力の大部分を依存する足部等を狙う。それにより今度は攻撃対象を遠距離戦役へと移させ、もしくは一時的に動きを封じることで、中距離付近にいる近接戦役が再度斬り込み、致命打を与える。それで戦闘不能にできなかった場合は、再び遠距離戦役に攻撃対象を移させ、以降このサイクルを繰り返す。

 

 この戦い方の一番の問題は、周囲に全く気が回らないため、他の敵性生物による奇襲はほぼ対応不可能、という点だ。特に今回のような一つところに複数の敵を集めてしまった場合、遠距離の攻撃手段を持つガストレアが、唐突に目標を変更する可能性も否めない。

 

 この欠点は、ティナ・スプラウトが補完する。彼女は複数の目を持つため、各所で行われる戦闘を総合的に俯瞰、評価できる。先ほど披露してみせた通り、遠距離からの狙撃技術も卓越しており、不意の奇襲の動向を抜け目なく察知し、防止できる。

 故に、結果は────、

 

 

『こちらA小隊、戦闘完了したぜ』

 

『こちらB小隊、目標撃破だ』

 

『うし!C小隊、デカブツぶっ潰したぜ!』

 

 

 我堂は、この時に気付いた。この戦争は、自分一人で戦っていると思い込んではいけないのだと。

 

 誰もが等しく必死で、決死だ。自分の命を守るため、誰かの命を守るため。多少の差異はあれど、いずれもこの場でおめおめと死ぬことを認めはしない。

 

 我堂英彦とて、そうだ。だからこそ、こうして『共に戦うと』決めた。ひとりでは碌に持つことさえできなかった金属の塊も、こうして志を共にしてくれる誰かの声に押され、初めて真面な武器として振るえることができた気がした。

 

 笑顔の木更に肩を叩かれた我堂は、確かな達成感とともに、暫し遅れた勝利宣言をする。

 

 

「────こちらD小隊、戦闘終了です」

 

 




我堂英彦は基本的に身体を動かすのは苦手ですが、射撃はかなり上手い....という本作オリジナル設定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

53.境界

遅筆にもかかわらず、評価等ありがとうございます…(恐縮)
以降もできる範囲で努力していきます。

今話は冒頭から中盤にかけて第三者視点での地の文となっております。


 ────ある、巨躯の怪物は困惑していた。

 

 例え理性が在らずとも、己と同じ形をし、己と同じ目的のもと、大量の『己たち』が一つの『標的』に(たか)ればどうなるか。それは幾度も繰り返した略奪と破壊で身に染みていたことだった。

 そも、あらゆる領域で『己たち』は『標的』より勝っていた。故にこそ、腕を振るえば枯れ枝の如く宙を舞ってひしゃげ、碌な体重を掛けずとも踏みつぶせば、熟した果実の如く身体を崩した。

 

 では、『あれ』は何なのだろうか。と、対象の再定義を試みる怪物。

 

 『あれ』は『己たち』の知る『標的』の特徴と合致する。殺そうとすれば容易く死ぬ弱き生物だ。

 

 なのに、積み上がるのは『己たち』の屍ばかり。

 

 進軍の最中に突如飛び込んできた一個の影。すぐさま百に及ぶ包囲網を築かれ、息つく間もない攻勢を受けて尚、その『標的』は健在だった。

 怪物には、とても理解が及ばないのだ。眼下で展開される結果の意味が捉えられないのだ。

 

 それも当然だろう。()()なのだから。

 

 何の感慨もなく大量に殺してきた『標的』が行う『己たち』の殺戮。

 当事者の振るう暴力を客観視してこなかったガストレアにとって、こうなるに至った原理や原因を特定することなど望むべくもない事だろう。

 

 かつて名のある軍人すら貪り食った蛇型ガストレアが顎を砕かれ、脳天を不可視の一撃で消し飛ばされる。

 かつて一つの都市を半壊させた熊型ガストレアが腹と胸を大きく凹ませたかと思うと、頭部を弾き、赤色の液体を噴出するだけの彫像と化す。

 そして、群がるステージⅠやⅡのガストレアたちは、ただの一発の銃弾で急所に穴を穿たれて絶命する。

 

 槿花一日の栄、という言葉がある。

 巨躯の怪物は、一人の人間が振るう次元の違う暴力を前に、『己たち』の落日を幻視した。

 

 

 ────と、その時。

 

 

 何が引き金だったのか、怪物の中ではとうに終わっていた筈である、()()()()()を可能とする駆動系に稲妻が奔った。

 

 情報が、錯綜する。

 視界が、切り替わる。

 

 電子の運動で明滅する錆びついた蛍光灯。

 照らしだされる劣化したデスク。

 机上に置いてあった手稿は、どうも『己のもの』であるらしい。

 

 ノイズが走った己の身体で、茶けた紙を捲る。

 しかし、書いてある事の何もかもが、理解できない。何かを伝えるためのものだろうが、こうなってしまった以上、解することなど不可能だ。

 だが、何故だろうか。分からない。

 これを見てから、己の中にたった一つだけ、生じた疑問がある。

 

 ────この場だけを切り取るように照らす蛍光灯が、激しく明滅する。

 

 

 

 己も、たしか。

 かつて、あの者のような『■■■■』であった時が、あったのでは、なかったか?

 

 

 

 ────やがて、暗闇が戻る。

 

 

 怪物の意識が立たれると同時期、空を裂いて迫った破断の一撃が、提起した問題ごと()の世へと連れ去って行った。

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 無事、アルデバランに致命的な一撃を与えることに成功した美ヶ月樹万は、救出した壬生朝霞を抱え、ひとまず民警軍団の駐屯地へと急ぎ戻ることにした。

 …のだが、現在は数百のガストレアに囲まれ、進むに進めない状況である。

 

 

「よし、デカいの撃破!」

 

「あ、頭が消し飛びましたね」

 

 

 樹万としてはこういう殺し方を出来れば避けたいところだったのだが、幾らなんでも頭数が多すぎるので、一匹ずつ、それも常識的範疇で()()に殺す余裕など流石になかった。

 尤も、普通の人間がこの場に放り込まれれば、一秒と経たずに己が死を悟って絶望するのだが。

 殺し方の選択に悩むなど、世界広しとはいえ彼くらいなものだろう───否、あの神父も候補には入るので、世には実質二人といったところか。

 

 

「あんまり急ぎ過ぎても回避精度落ちるからあれなんだが、このままだとアルデバランお付きの連中が全員こっちに来ちまうな!」

 

「に、二千全部がですか!?」

 

「ボスが撤退を始めてるからな!連中は後ろ(ケツ)にくっついて行くだろうから、丁度その地点にいる俺たちは行軍の波をモロに受ける!」

 

 

 なるべく短時間で戻るために迂回しなかったのは選択ミスだったといえる。結果ガストレア全軍を何かしらの方法を用いて統率しているアルデバランの取り巻きと正面衝突してしまったのだ。

 それから樹万と朝霞の両者は、大量の怪物どもとの継続戦闘を余儀なくされている。考え得る中で最悪のケースと言ってもいいだろう。

 朝霞はギリリと奥歯を噛み鳴らしながら、何とかこの状況を打開するための方策を捻り出そうと眉を顰める。

 

 

「く、なら救援要請を!」

 

「無し。犠牲者が増えるだけだからな」

 

「では、遠方からの支援砲撃だけでも!」

 

「自衛隊は最初の衝突で壊滅的な打撃を受けてる。立て直しには一日くらいかかるだろうよ」

 

「ぬぬ、じゃあ…うう」

 

 

 朝霞は樹万の背で縮こまる。その手は悔し気に彼の服を握りしめていた。

 そんな呻きに近い声を聞いた樹万は、苦笑いしながらも戦場を縦横無尽に駆ける。これまでしてきた会話の最中でも、一度たりとて足を止めてはいない。

 

 飛んできた強酸の液体を二歩動いて躱す。その途中でH&K USPを二発発砲して二匹殺す。

 

 後方へ跳躍。前方と左方、上方から飛び掛かってきた五体のガストレアを躱す。その前に背後へH&K USPを三発発砲。弾数と同じ怪物が息絶える。移動後は今し方飛び掛かって来たガストレア全員を片腕に持つバレットナイフで殺す。

 

 上方へ跳躍。その際にワザと踏み込みを強くし、直下に壮絶な衝撃。蜘蛛の巣状に地面がひび割れ、土中に潜んでいたガストレア数体が圧殺、岩石の隙間から大量の血液が噴出する。

 

 跳び上がった先の鳥獣ガストレアの腹へバレットナイフを突き立て、心臓を貫く。抜きざまにバレットナイフで三発発砲。周囲の飛行型ガストレアを弾数分殺す。それより少し早期に片手のH&K USPで四発発砲。陸上のガストレアを同様に弾数だけ殺害。

 

 その際に出来た僅かな間で、右中指を二度折り、左の親指と人差し指の腹同士を三度叩き、それから続けて中指、薬指、小指を一度ずつ親指の腹と合わせる。そして、

 

 

「オッサン直伝・『一を窮めて全を成す(ゾウカサンジン)』」

 

 

 意味不明な行為の後に樹万が口にしたのは、お馴染みのオッサン直伝技だ。

 すると驚いたことに、今まさにステージⅠガストレアを蹴散らしながら猛然と駆け、接近しつつあった大型ガストレアの頭が、()()()()()()()()()()()()()()()()()し、そのまま横倒しになる。

 それと時を同じくして、やはり大型のガストレアばかりが忽然と頭部を失くし、そのまま絶命していく。不思議なのが、その断面から血液が一切漏れていないことだ。まるで、それが元々の状態であったようにも思える様相である。

 樹万の背中にしがみつく朝霞は、想像を超えた事態を目にして完全な混乱状態へと陥っていた。

 

 

「な、なにが起きて…?!」

 

「大丈夫大丈夫。流石の俺もこう来るとは思ってなかったけど、大丈夫だから」

 

「本当に大丈夫なんですかッ!?」

 

 

 実は先ほどのオッサン直伝技だが、これは使用者の意図することを『一応、大体は上手く叶えてくれる』という酷く胡乱で大雑把なものなのだ。

 樹万が今回望んだのは、目に映るだけのデカいガストレアの駆逐、である。その結果として展開されたものは、確かにステージⅢからⅣ辺りのガストレアのみが絶命した、当初の彼が望んだ通りの光景であるのだが、それに至るために行われたのが、()()()()()、という酷く雑なものだった。

 つまり、この技は『もっともらしい過程工程をすっとばして、結果に直結する』という技だと思えばいい。ちなみに原理は全くの不明らしい。

 

 

「ホント緊張感ないんだよなぁ、この技はっ、と!」

 

 

 地面に降り立ったと同時、四匹のガストレアをバレットナイフで、二匹のガストレアをH&K USPで殺す。

 

 次に後方へステップ。首を巡らせることなく左右に二発ずつ発砲。崩れ落ちる死体を飛び越えて襲い来るガストレアを駆逐する。前方から飛び掛かった一匹は、さきほど上空で息絶えた鳥獣型ガストレアが()()()()()お蔭で下敷きになり、もろとも地面に転がる。

 

 

「もっと周りを見るんだな」

 

 

 吐き捨てながらの一発。死体の下でもがく兎のような怪物の頭部を撃ち抜き、土壌へ赤色をぶちまける。

 

 右に跳躍、二歩分移動。飛来してきた棘のようなものと長い前脚三本が直前に立っていた場所へ突き立つ。最中にH&K USPの空弾倉を排出、本体を宙に放り、バレットナイフを前後右左に乱射。

 

 その隙に空いた片手でバックパックを素早くまさぐり、装填済みの弾倉を取り出す───

 

 

「ッ、美ヶ月さま!横!」

 

「おうさ」

 

 

 ───その前に右横から突進してきた牛のガストレアの頭部を掴む。同時にバレットナイフで後方と左方、上方から迫ったガストレア一匹ずつを殺害。前方から飛んできた一匹は右足で蹴り上げ、後続の二匹を巻き添えに吹き飛ばす。最中に掴んでいた牛の顔面を地面へ一撃、続けて掌底をめり込ませて5メートルほど先へ放る。

 

 弾倉を投げ、大分落ちて来ていたH&K USPのマガジンへ挿し込み、キャッチ。すぐに右横へ四歩分跳躍し、ガストレア数匹の攻撃を躱す。そのガストレア共はバレットナイフのロックを親指で弾き、取り付けていたナイフを発射。壮絶な音を立てて飛翔し、背後数体を巻き添えに半数ほどを即死させる。

 

 すぐにH&K USPの上部フレームをスライド、装填後すぐに三発発砲。バラニウムナイフで始末し損ねたガストレアを駆逐する。最後一発を火薬とし弾切れとなったバレットナイフは、グリップ上部にあるレバーを指で跳ね上げ、銃身外部に装着していた予備弾倉を接続。迫るガストレア五匹を速射し殺害。

 

 

「お、見えた」

 

「え?」

 

 

 何が、と続けて聞き返したかった朝霞だが、これまで以上に鋭い動きで樹万が動いたため、慌ててしがみつく。

 この戦場では何も出来ない、役立たずな自分が恨めしいところだったが、こんな身体で何かをしようとするほど、彼女は愚かでは無い。しかし、なまじ動けたとしても、彼について行けるだろうか、と本気で考えてしまう。

 

 一方の樹万は、今しがた横目で捉えていた目的地───ステージⅣガストレアの亡骸───へと高く跳躍していた。

 考えは読めずとも、犇めくガストレアがそれを眺めているだけなどある筈もない。ましてや、陸上では前から数列後方に居るまでの者しか樹万を捕捉できなかったが、空中に居るとなれば相当数の敵から視認されることとなる。

 

 故にこれ幸いと、食虫植物であるサラセニアとカマドウマの混成因子のガストレアは消化液を分泌し始める。これまでは遙か前方に居座られたため、全くこちらへお鉢が回ってこなかったのだ。ようやく真面に戦闘へ参加できるというもの。

 そんな意気込みを見せている…のかどうかは定かではない当人の目前に、黒い大型のナイフが重い音を立てて突き立った。

 しかし、ガストレアは己に直接的な害を及ぼさなかった落下物など気にも留めず、大量の同胞を葬り去った元凶に向け、今まさに報復の弾頭を浴びせかけようとする。

 

 

「我堂団長には悪いが、実は二つほど残してたんだよな、これ。───っし!朝霞、ちょっと掴まってろよ!」

 

「へ?美ヶ月さま、今度は何をなさるおつもりですか?!」

 

 

 樹万は中空で身を捻ってから、手中に忍ばせて置いた起爆装置を容赦なく押下。直後に信号を受け取った信管が反応し、盛大な爆裂を起こす。

 爆発の衝撃を受けた樹万と朝霞は、もろとも前方へと吹き飛ばされるが、直前に身体の位置を入れ替えておいたので、背負う朝霞への被害は軽微だ。一方の樹万は腹と肩に軽い火傷を負うにとどまった。

 それに構わず、樹万はすぐに身体を仰け反らせて180度回転。突然の爆破にどよめくガストレアの一匹、その背に降り立つ。

 続けてそのまま更に跳躍。頭部を失って倒れ伏す巨大なガストレアの遺骸からほど近い場所へと立った。

 

 

「も、もしかして先ほどの『見えた』、というのは()()のことですか?」

 

「ん、そうだ。何をするのかは、まぁ見てからのお楽しみってことで」

 

 

 口を動かしながら手も間断なく動かす樹万。周囲にいたガストレアを次々銃撃して駆逐し、瞬く間に包囲網を後方へ押しやって空間を作り出す。

 そして、H&K USP、バレットナイフ双方の装填を挟んだ後、H&K USPのみを腰のホルスターへ戻し、空いた手をステージⅣガストレアの亡骸へ添え、間もなく腕を引いた。

 次に樹万が動かしたのは、足でも目でもなく、口であった。

 

 

「オッサン直伝・『五月蠅けりゃ青い鳥も撃たれる(アメノワカヒコノカミ)』」

 

 

 

 ────すべてが終わった後。

 その光景は、筆舌に尽くし難いものだった。

 

 

 全長凡そ数十メートル、約数百トンにも及ぶだろう長大な肉の塊が、一人の人間の手から猛烈な速度で射出され、軌道上の怪物を轢殺し、地面を抉りながら進んだのだから。

 

 

「よし、文字通り血路が開けたな。敵方の血だけど」

 

 

 絶句する朝霞を抱えながら、超常の現象によって造りだされた道を直進する美ヶ月樹万。最早、前方に遮るモノなど何に一つとしてない。

 この道を辿ると、小規模の樹林帯を抜けた後、やがて荒廃した市街の一角に出る。そこから北に向かえば、そう時間もかからずに民警軍団の駐屯地に出られるだろう。

 脳内で広げた地図を再確認しながら、樹万はバレットナイフにバラニウムナイフをセットし、ロック。続けて新しい主弾倉を装填しつつ、銃身に予備弾倉を取り付けて畳む。

 

 一方、地獄の具現と錯覚する現象の収束から暫し、尚も自陣に甚大な被害を及ぼした諸悪の根源を追おうと、彼から一歩遅れる形で足を動かし始めたガストレアたち。

 だが、その中の一匹も、彼の足取りを捉えることはできなかった。

 

 

 ────この戦闘で絶命したガストレアの数、推定150。

 

 

 

 

          ****

 

 

 

 

「美ヶ月さま」

 

「おう、どうした」

 

 

 幾つかの追っ手を完全に撒いたあと、森の中を進む中で朝霞が俺の名前を呼んだ。

 少し呼びにくそうな声色であったことから、その後に語られる内容が何であるかは、ある程度予測できた。

 

 

「あの、先刻のガストレアとの戦闘ですが…」

 

「ああ」

 

「どうして、あれほどの力を?」

 

「……」

 

 

 説明は、難しい。扱っている俺でさえ原理不明なものが大半なのだから。付け加えるなら、教授したオッサンでさえ碌に知らないらしい。

 こんな返答では納得など到底できないだろうが、こちらが彼女のために用意できる最善で最高の答えは、これだけだ。

 

 

「あれは、俺がガストレアと戦うために身に着けたものだ。…一応言っておくが、常人のそれとは一線を画している自覚はある」

 

「そう、ですか」

 

 

 朝霞の今の気持ちは、よく分かる。何せ、俺もよくよくぶつかった壁だからだ。

 あんな馬鹿げた力を持っているのなら、助けられる人たちは皆助けられたはず。何故それを最初から振るわず、人力の範疇で事に当たっていたのか。

 直截的な言い方をすれば、だ。

 

 もしかしたら、我堂長正は死なずに済んだのではなかったか。

 

 そういう類の疑念が、朝霞の中では蜷局を巻いていることだろう。

 …疑いとは鎖のようなものだ。一度マイナスの猜疑を抱けば、その人間に関連する同列のマイナスまで繋ぎ、連れて来てしまう。

 厄介なのが、連鎖すればするほど、その先にある疑念は元の疑念の性質とは別物になっていることだ。

 俺は昏い闇に沈む森の中を足早に進みながら、この力を手に入れてからこれまでの行動を顧みる。

 

 

「世の中には、人が一人で成し遂げていいことと、しちゃいけないものがある」

 

「え?」

 

「その最たるものが戦争なんだよ。ちなみに、国のお偉いさん同士が高椅子に腰かけてやる、書類上でのものじゃなく、な」

 

 

 個人同士が行う只の取っ組み合いと戦争は、わざわざ言わずとも天地の差があることは誰しもが理解できることだ。

 数万、数億の人間の命が懸かる、それが戦争だ。であるからこそ、必ずしも注視するのは当事者だけではない。

 

 

「世界に存在するのが、自分の国ともう一つの国だけならいいけど、残念ながら俺たちの動向に目を光らせてる他国が一杯いる」

 

「……そういうことですか」

 

「ん、理解が早いな。助かるよ」

 

 

 強い、というのは単純なポテンシャルとしては最高峰のものだ。ましてや、それが一騎当千に相当するのならば、尚更といえよう。

 

 が、それを聴衆の下で十全に振るえる場など、この世には存在しない。

 

 強い、というのは、同時にそれだけ脅威なのだ。早い話、人型の核弾頭だと思ってくれればいい。

 手元にあるのなら心強いが、別のところにあるのならば恐怖以外の何物でもない。仮に手元にあると想定しても、()()()()()()()()()野放しは危険と判断して枷をつけるだろう。

 

 争いを鎮める力は絶大で、魅力的だ。在るのならば、誰だって手に入れたいと願うだろう。

 故にこそ、争いを起こさせない力を手に入れるための争いが、起こってしまう。

 

 ────全く、人の創る世は矛盾だらけだ。

 

 

「申し訳ありません。その、考えが足りませんでしたね」

 

「いいや、俺の気持ちを分かってくれるヤツなんてそうそう居ないからな。嬉しいよ」

 

「そうです、ね。美ヶ月さまのお気持ちを他者が解するのは、非常に難しいことでしょう」

 

 

 歩行の拍子に身体が上下に揺れ、朝霞の鎧が音を立てる。

 戦場に居たときは気にも止められなかった雑音だが、それが耳に入っていることを情報の一つとして受け取れたということは、それだけ気持ちにも余裕が出て来た、ということか。

 フッと溜息を吐き、片手に持っていたバレットナイフをホルスターに仕舞う。カーボンファイバーと動物皮が擦れる聞きなれた音が控えめに響いた。

 

 

「でも、最初から分かって貰えないと、見限ってしまうのは勿体ないですから───」

 

 

 空いた腕を使い、今まで自力で背に乗っていた朝霞を抱えながら、言葉の続きを促すように手の位置を調整する。

 

 

「貴方を理解してくれるひとを。貴方を助けてくれるひとを、ちゃんと見つけてくださいね」

 

 

 俺は口角が上がるのを自覚しながら、ひとまず朝霞に向かって礼を言ったあと、続けて───

 

 

 もう、十分なほどそいつらに助けて貰ってるよ。

 

 

 そう、答えた。

 




戦闘描写たのしかったです(こなみ)

え?タツマさん控えるとか言って好き放題やってるじゃないかって?
(朝霞以外には)見られてないから平気平気。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

54.解明

時が流れるのは早いものですね…(遠い目)

資料として原作を読むと、2014年のあの頃を思い出します。


 悪夢のようなガストレア地獄から帰投した俺と壬生朝霞は、我がアジュバント一同が確保する廃ホテルに移動した。

 外観はおぞましかったが、中は掃除をしてくれたこともあり、存外に綺麗だった。

 

 各人と交わす感動の再開もそこそこに、すぐ報告しなければならないことがあるため、蓮太郎をとある部屋の一室へ招く。

 

 そして粗方の準備を終えた現在、俺はアジュバントメンバーの集まる食堂から離れた客間の一室で、蓮太郎と向かい合うように立っていた。

 

 そこに、どさり、という音が響く。

 

 それは里見蓮太郎が手に持っていた、水の入るペットボトルだ。落下の拍子に横倒しとなってしまったため、飲み口から我先にと中身が零れ落ちている。

 しかし、今の蓮太郎にはそんなことを気にする余裕などなさそうだ。

 

 

「我堂団長が戦死、しただって?」

 

「ああ」

 

 

 絶対的なリーダーシップと、屈強な戦闘力を併せ持つ、民警軍団にとっての最大戦力を失ったという事実。俺は、それを目前の少年に容赦なく突きつける。

 這う這うの体で戦場から戻って早々の彼にこんな知らせをしなければならないのは、俺だって望むところではない。だからといって、これを後回しにしては後の再起に致命的なタイムラグを生むことになってしまう。

 何故なら、民警が複数のアジュバントを組んで群体を作成するにあたり、それの総指揮を執るのは全戦闘要員の中で最も序列の高い者だからだ。

 東京エリア死守を目標に集った民警らの中で、我堂長正の次に序列が高いのは────、

 

 

「ちょっと待ってくれ!我堂は俺たちの頭だろ!?序列百番台の異次元に片足突っ込んだ人間だ!いくらアルデバランがステージⅣの中で飛びぬけて異質だと言っても、たった一回の衝突で死ぬはずが…!」

 

「確かに、集団を率いて行う戦闘の場数を踏んだ人間は、頭が失われることの重大さは理解しているはずだ。我堂長正がそういう立ち回り方を知らないはずがないし、実力も申し分ない。けど、今回ばかりは条件が最悪だった」

 

「条件?なんだよそれはっ」

 

「敵の情報が、既にある程度存在していたからだ」

 

 

 正確な情報であれば問題は無い。それを元に組み立てた戦術は、その者の才に則した結果をもたらすことだろう。仮に覆されるとしても、全く関連の無い第三者の介入によるものとなるはずだ。

 だが、事前情報が誤っていた場合は、程度にもよるが策の殆どは前提から覆ってしまう。そして、どれほどの才人であろうと、不確定な情報を元に完璧な策は生みだせない。

 

 ()()アルデバランのことを正しく理解していたのなら、迎撃を行うにせよ、己が属するアジュバントたった一つで斬り込むことなどしなかっただろう。

 

 また、俺たちが我堂長正の強さを盲目的に過信し過ぎていたのも、悪条件の一つといえる。

 

 『この人は強い』。『この人なら大丈夫』という類の信頼は、『大抵のことは彼一人でも何とかできる』という言葉に置き換えることができてしまう。

 戦前にあれほど大立ち回りをしてしまったことから、『我堂長正であれば、仮にアルデバランと一騎打ちになろうと対処できるのでは?』といった意識が民警らの間で芽生えてしまったのだ。

 攻め込んで来たアルデバランの侵攻が止まっていることから、当時は我堂団長の状況を把握できている者も幾らかいた筈だが、彼自身が敷いた軍規と、『盲目的な信頼』に邪魔をされ、救援の可能性は完全に途絶えてしまった。

 

 

「情報が間違ってた、だって?…いや、それでもだ!お前が救援に行ったんだろ?我堂のイニシエーターを連れてるってことは間に合ってるはずだよな。お前が加わっても、アルデバランは倒せなかったのかよ」

 

「ああ。一度殺すことはできたが、死ななかった」

 

「…頓知に付き合うつもりはねぇぞ」

 

 

 仮に、本当に我堂長正が戦死した場合、己がどのような立場に置かれるのか理解しているのだろう。遠まわしな言葉を放つ俺に対し、苛立たし気な表情を隠しもせずに歯を擦らせる蓮太郎。

 が、俺本人としては決して遊んでいるつもりなどない。ただ、彼はこれから先、少なくともこの戦争中は、激情を抑えること、そして状況を正確に、冷徹に俯瞰する能力を発揮して貰わねばならないのだ。

 これしきの謎かけで苛立ち、一々犬歯を向いていては、元来烏合の衆である民警らを『率いて行けない』。

 

 

「我堂団長はアルデバランの首から上を消し飛ばした。確実にな」

 

「首から上…?アルデバランは頭部を失ったのか。なら、流石に不死身の再生力を謳う奴も終わりだろ」

 

「いいや、残念ながら再生を確認したよ。頭であれなら、恐らく心臓も同じだろう」

 

「────」

 

 

 有り得ない、という顔をする蓮太郎。

 如何に超常の再生力を持つガストレアといえど、その再生能自体を発揮させる根本的な部分である心臓部や脳髄などを破壊されれば、命を落とすのが通説なのだ。

 しかし、アルデバランはそれを覆した。同じ生命としてあるまじき、背徳的とも言える行為だ。

 ────さて、次々と状況を悪化させる真実を開示する俺に対し、蓮太郎のストレスもそろそろ限界近い頃だろう。ここらで、反撃の一手を具申することにしよう。

 

 

「心配すんな。頭を失くしても心臓を失くしても死なない奴だろうと、始末できる手立てはある」

 

「何だよ。それは」

 

「一度の衝撃で、アルデバランの肉体全部をフっ飛ばせばいい。無から再生なんてできんからな」

 

 

 その言葉で一度は目を丸くした蓮太郎だったが、すぐに片手でガシガシと頭を掻き、呆れたような声調で吐き捨てた。

 

 

「…出来ると思ってんのかよ。アメリカからICBMでも発射要請掛ける気か?」

 

「なに、方法についちゃコッチにアテがある。指定の場所まで誘導してくれれば、俺が何とかしてやれるぞ」

 

「っ」

 

 

 この場限りの嘘などではない。実際、どうにかできる手立てはある。

 ────ただ、条件はかなり厳しい。俺の予想だが、成功させるにあたって民警の半数は犠牲になると踏んでいる。

 それでも、やらなければ。さもないと、東京エリアは終わりだ。民警半数どころではなく、後方の住民を含めた全員が殺される。

 そうして状況を再確認していた俺の襟首を、無造作に伸びた黒鉄の腕が乱暴に持ち上げる。

 

 

「ッ!」

 

「ストップだ、朝霞」

 

 

 これまで一切言葉を漏らさずに俺の隣で待機していた壬生朝霞が、唐突に動いたはずの蓮太郎の動きを完全に制するタイミングで、鞘を身に着けたままの刀を閃かせる。

 そんな紫電の如き一閃を俺は片手で引っ掴み、このまま奔れば横腹に当たるであろう軌道を阻んだ。

 

 

「覚悟は、あんのかよ」

 

「命を背負う覚悟のことか?」

 

「そうだよ!そうに決まってんだろ!いいか、一つや二つじゃねぇ。数万の命だ。お前の溢した気まぐれみてぇな言葉で、それだけの命が左右されるんだぞッ!」

 

 

 蓮太郎は言っている。失敗など許されないことなのだと。

 恐らく、己が無力であることを承知のうえで、俺を問いただしているのだろう。

 意見が無いから、誰かの提示した意見を濫りに受け入れてしまうのではなく。意見が無いから、状況を打開できる策を持ちえないからこそ、彼はその責任の犠牲となる人間目線から、こちらへ問いかけてくれているのだ。…()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

「俺はいい。成功するんなら囮だろうと捨て駒だろうと演じ切ってやるよ。───けどな」

 

 

 蓮太郎は一度言葉を切ると、一層凄みを増した眼光を作り、俺を射抜いた。

 

 

「延珠と木更さんを同じ役に就かせてみろ。テメェのドタマぶち抜いてでも止めてやる」

 

「…ああ、だろうな。お前はそういうやつだよ、蓮太郎」

 

 

 この少年は俺とは違う。違うというのは、モノの考え方の話だ。

 主観的な見方での『この世の終わり』とは、己の死だ。死とは、世界を観測する術を失くし、また干渉する手段を剥奪される、とも言い換えられる。

 人一人にできる事など限られているが、確かに己の周囲にあるのは世界の一部だ。そして、その一部に含まれる多くのモノに価値を見出すのが人間と言う生物。

 

 だからこそ、この世界で人間はガストレアと戦い続けている。

 

 しかし、蓮太郎は藍原延珠と天童木更を危険に晒した場合、ガストレアと対する俺を敵として処理するという。己の、そして東京エリア全ての住民の命すら無視した行動だ。

 つまり、彼にとっての両者は、失われれば『この世の終わり』と等しき結末をもたらす存在なのだろう。決して誤った感情ではないが、別の何かを支えに強さを保っている人間は、それが崩されれば呆気なく倒れ込んでしまう。

 

 

「勿論、重責を背負う覚悟はあるさ。さんざやってきたことだからな」

 

「やってきた?じゃあなんだ、お前は大勢の人間を守って戦った経験が、他にわんさかあるってのかよ」

 

「まぁな。『狩人』時代にやってたことだ」

 

「ハ、どうだか」

 

 

 ひとまずは落ち着いてくれたらしく、襟を掴んでいた手を離した蓮太郎。同時に朝霞も刀を引っ込めてくれたので、軽く安堵の溜息を吐く。人間同士が感情をぶつけ合うピリピリした空気は、いつまでたっても慣れそうにない。

 ともあれ、俺がアルデバラン撃滅の作戦立案を行うことにこれ以上の反論はなさそうなので、会話の駒を一つ進めることにする。

 

 

「彰磨、入ってきてくれるか」

 

「ッ?!」

 

 

 唐突に知った名前を口に出された蓮太郎は激しい動揺を見せる。何故ここに?何故このタイミングで?そういった憶測が堂々巡りしていることだろう。

 果たして、軽い返事の言葉を上げてから、薄汚れたホテルのドアを開けて入室してくる薙沢彰磨。そして、そのイニシエーターである布施翠。

 両者とも厳しい顔付きをしていた。

 

 

「彼には、交戦中に現れた『銀の槍』を吐き出すガストレアの討伐を依頼した」

 

「なッ…!」

 

 

 銀の槍。俺が民警軍団から離れてアルデバランの下へ向かおうとしていた最中、戦場を蹂躙していた砲撃の名称だという。言い得て妙だ。

 道中で砲台として機能していたガストレアを発見し、野放しにするのは危険だと判断して動きを止めたのだが、既に砲火による被害は深刻なものであったらしい。

 なので、まずは次の交戦までにコイツを始末しておきたい。長距離射程の支援砲撃を行える敵など、戦時においては真っ先に落とすのが定石だ。

 

 そして、それを為して貰うのが彰磨という訳だ。

 

 だが、そうなれば必然未踏査領域まで足を伸ばさなければならないし、敵方としてもこちらを攻略する上で重要な武器として考えているだろうから、恐らくはアルデバランの取り巻き、その中心にまで踏み込まなければならないだろう。

 端的にいえば、自殺行為だ。

 それが分かっている蓮太郎は、俺の隣に朝霞がいるのも忘れて肉薄する。が、その侵攻は彰磨の腕により阻まれた。

 

 

「これは俺が発案し、美ヶ月に提案したものだ。里見、怒りの矛先を間違えるな」

 

「なッ、何でだよ!分かってんだろ!幾ら彰磨兄でも、こんなの…!」

 

 

 行かせるわけにはいかないのだろう。絶対に。

 しかし、蓮太郎も頭では分かっているのだ。あのガストレアを放って置いた状態で交戦してしまえば、次こそ完膚なきまでに己たちは敗北すると。

 しかし、理性と感情は切り離せない。誰かがやらねばならないとしても、彼である必要はないじゃないか、そう考えてしまう。

 

 

「美ヶ月、里見。お前たちは対アルデバラン戦の要だ。万が一でもポテンシャルに影響の出る傷を負うべきではない」

 

「でも!」

 

「いいのさ。少しは俺の力を役立てさせてほしい。この、壊すしか能の無い拳を、な」

 

 

 彰磨は淋しそうな表情で握り拳を作る己の手を見やる。そんな彼を慰めるように、傍に立つ翠がフルフルと首を振った。

 薙沢彰磨の能力。それは俺でさえ驚きを隠せないほどの技を内包するものだ。

 実力披露でみせた、あの破壊力。『内部破壊』に特化した、怖気がするくらいエネルギ―を効率的に対象の内部へ伝える技法。あれで調整を施していたものだとすれば、上手くいけばステージⅣすら屠ることも可能なはずだ。

 彰磨の決意の固さを感じ取った蓮太郎は、瞼をぐっと閉じて奥歯を噛む。

 

 

「あのガストレアは、恐らく鉄砲魚だ。攻撃の規模と性質から考えて、姿はそれにかなり近いと思う」

 

「鉄砲魚…!それがあったか」

 

 

 生物に関しての分析力は相変わらずのようで、俺は思わず舌を巻く。確かに、ガストレア化したとしても、あんな芸当が為せるのは鉄砲魚くらいのものだろう。

 隣に立っていた彰磨も、なるほど、と納得の素振りをみせていた。

 そんな俺たちの反応を気にすることなく、蓮太郎は言葉を続ける。

 

 

「具体的な形態は予想できないが、運動能力は零に等しいはずだ。殆ど陸上を移動する術は持っていないと見ていい」

 

「ふむ。つまり、身体を構成する筋肉のほぼ全てが、砲弾の発射に使われているということか」

 

「そうだ。そうでもないと、流石にガストレアとはいえ長距離の射撃なんて無理だ」

 

 

 モノを発射するガストレアとの交戦経験は星の数ほどあるが、あれほどのものを飛ばすヤツは流石にお目に掛かったことは無い。

 とはいえ、飛ばすにせよせいぜいが数百メートル程度だ。キロメートル単位の飛距離など普通ではない。

 それはガストレアにとっても同じで、無理矢理可能な形態をとろうとしたのであれば、本当に只の砲台と化している可能性が高いのだろう。

 

 

「そう考えれば、勝算はあるように思える。けどな、結局は俺の手前勝手な予想だし、ガストレアだって大量にいる!成功するかも分からない賭けごとに首突っ込む道理なんかねぇだろ!」

 

「いいや、分の悪い賭けじゃないんだよ。これが」

 

「な、に?」

 

 

 俺は頭を掻きながら、口にするか迷っていた事実を明かそうと決める。

 もとより、兄弟子である薙沢彰磨を立てた時点で、碌な対策もなしじゃ蓮太郎が納得しないことなど薄々分かっていたし、早々に腹を括るべきだった。

驚愕の途中である蓮太郎と、疑問の表情をする彰磨たちに向け、俺は口を開く。

 

 

「アルデバラン戦の帰り道に、俺はガストレアの軍団と戦ったんだ」

 

『…?!』

 

 

 二千あまりのガストレアと相対した。何とも滑稽極まる冗談だろう。

 しかし、この場は冗談などを吐いていいところではない。ここで立てた方針は、つまり全ての民警たちの命を左右するのだから。それは、蓮太郎に胸倉を掴まれるまでもなく理解していたことだった。

 蓮太郎も、今更になって虚言を吐くとは思わないだろうが、だからといって『そうですか』と易々頷けるような内容ではない。

 どうしようかと悩んでいたところ、意外な人物から助け舟が出された。

 

 

「美ヶ月さまの仰っていることは真実です。私もその場には居ましたので、この目で確認しています」

 

 

 その声の主は、壬生朝霞。先みたく俺に直接的な危害が及ばない限り静観しているだけかと思ったが、こういった面でも支援はしてくれるらしかった。実にありがたい。

 冗談などとは無縁のような雰囲気を放つ朝霞の言だ。蓮太郎と彰磨は大いに気圧されたようで、出かかっていた反論の言葉を軒並み呑みこむ気配がした。

 しかし、その中でおもむろに挙げられた手が一つ、あった。

 

 

「あ、あのっ。聞きたいんですけどよろしいですか?」

 

「何です?」

 

「ひぅ」

 

 

 質問の挙手をしたのは意外や意外、布施翠だった。…のだが、直後に朝霞の鋭い視線に射抜かれ、慌てて彰磨の影に隠れてしまう。

 朝霞としては単に視線を動かしただけで、非難の意は全くないのだろうが、その怜悧ともいえる面持ちのお蔭で、他者を無意識に威圧してしまうきらいがある。

 これ以上、この役回りをさせるのは朝霞にも翠にも悪いので、さっさと俺が矢面へ立つことにする。

 

 

「それで、どんなことを聞きたいと思ったんだ?」

 

「ぁ、ええと、その。交戦した、ということが事実だとして、何で『悪くない』って言えるのか分からなくて。この状況だと、それで沢山のガストレアを倒したわけじゃ、ないんですよね?」

 

「ああ、そうだ。流石に()()()()じゃそんなことできないからな」

 

 

 実際、翠の疑問は尤もだった。

 彼女の意見を端的に表すと───戦ったにせよ、それがどうして直接的な有利に結びつくのか分からない。敵の数を少し削ったからと言って大勢に影響が出るとは思えない。───こういうことだろう。

 中々鋭い指摘だ。上手く靄がかかっていた根拠の穴を突いている。

 それを分かった上で、俺は足りなかった状況説明を付け加える。

 

 

「敵を分散させたんだ。言い換えると、隊を乱したともいえるかな。本来ならアルデバランの尻にくっついて移動するはずだった奴らは、唐突な異分子の乱入で、その行軍が大きく乱れてる。恐らく、まだ陣地に帰れてない連中は相当数いるだろうさ」

 

「…!あれからアルデバランはフェロモンを発散してない。樹万との戦闘中に意識が乱されて、指示系統を失った連中が出てるのか!」

 

「待て里見、フェロモンだと?アルデバランはそれを利用できるのか?」

 

 

 彰磨の指摘に、蓮太郎はしまった、という声を上げて顔半分を片手で覆う。本当は早めに伝える予定だったのだろうが、俺のした我堂団長の戦死報告によるショックで、完全に頭から抜け落ちてしまっていたと見える。

 フェロモン、というと生物間であらゆる意志の伝達を担うことができる物質だ。人間でいうところの言語に近しいとさえ言われている。

 確か、フェロモンには相当数の種類があったはずだ。その中に、仲間を集めるようなものもあったはず。であれば、

 

 

「すっかり言い忘れてたが、そうだ。あれほどガストレアに緻密な動きをさせるには、フェロモンくらいしか方法がねぇ。何せ、解明されてるだけで千六百種類はあるからな。それと、恐らくは解明されてない何らかのものまで合わせて、完璧な統率を演出してるんだろう」

 

「流石は生き物博士だな。蓮太郎先生」

 

「うっせぇ。…で、それだけのフェロモンを使えるとなると、アルデバランは蜂がベースのガストレアかもしれない」

 

 

 次々と明らかになる情報の数々。いずれも根本的な解決には至らないものだが、分かっていることが多いに越したことはない。

 そして、現時点で俺たち民警軍団が真っ先に取るべき手は決定した。

 

 

「よし。なら先ずは向こうの砲台を潰そう。…頼めるか?彰磨、翠」

 

「元より、そのつもりだ。今更断る理由などない」

 

「は、はい!精一杯がんばりましゅ!」

 

 

 翠は噛んだが、大丈夫だ。これが彼女の通常運転なのだから。…当人に言ったら怒られそうな発言だな。

 そして、今度は蓮太郎の方へ確認の意を含ませて問いかける。

 

 

「蓮太郎も、いいな?」

 

「…ああ。分かったよ」

 

 

 渋々、という表情だが、頷いてくれた。

 本当は自分が何とかしたいのだろうが、彼にはこれから大役を担ってもらわねばならないのだ。ここを離れる行為は、残念ながら許されない。

 

 それはこの場にいる誰も、そして、東京エリアにいる誰にも任せられないものなのだから。

 

 里見蓮太郎がこれから帯びる肩書きとは、東京エリア在住の民警総勢によって作成されるアジュバント、その総指揮。

 つまり、我堂長正に代わる、民警軍団の団長である。

 




彰磨と翠が単独行動決定。
オリ主が動かなかったのは、アルデバラン戦の作戦立案をしなければならないからです。

ちなみに原作だと蓮太郎がこの役割を帯びます。我堂団長まだ生きてますしね…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

55.出立

「はっ、はっ…!」

 

「お兄さんっ、そこを右です」

 

「ああ!」

 

「樹万さん、体育館に向かってください。負傷者の治療はそこで行われています」

 

「了解!」

 

 

 

 走る。走る。歩いてなど到底いられなかった。

 

 目下の緊急を要する件は大方片付いた。であれば、己の足が次に向かう場所など『彼女』の居所以外にあるまい。

 

 俺は夏世とティナの案内を受けながら廃中学校の錆びついた門を駆け抜け、光の漏れる体育館へ飛び込む。

 途端に鼻を衝くのは、ツンと来る強いアルコールの匂い。そして耳を劈く怒号と哀哭の声。

 

 

「生き残ったのは、これぐらいの数しかいないか…!」

 

 

 自衛隊員は元の数が七千ほどあったというが、うち存命できたのが六十二。その三割ほどが四肢欠損や内臓損傷などの重傷を負い、残りの七割も骨折といった決して軽くはないダメージを受けた。

 

 また、例の砲台ガストレアは圧縮水銀を撃ち出すという奇怪な個体らしく、その砲撃に巻き込まれた人々は水銀中毒の諸症状を見せている。

 

 これらの結果から、先の戦闘で負傷した民警らと共に、要救護の自衛隊隊員をこの体育館の中に放り込んでも、辛うじておさまるくらいの数になってしまった。

 

 対して、敵であるガストレア軍団は自衛隊隊員の一部をガストレア化させて取り込み、更なる戦力増強を行っている。

 

 単純な頭数で評価するのなら、既にこちらの敗色は濃厚。このまま次戦に望めば、結果がどうなるかなど考えるまでもないことだ。

 

 ────分かっている。いずれにせよ、俺たちがやることには変わりない。

 

 俺は行き交う人の間を縫い、ティナと夏世に教えて貰った、中でも輪をかけて酷い重傷者のみが収容されている背の低いテントの中へ滑り込む。そして開口一番、その名を叫んだ。

 

 

「飛────ッ!?」

 

「患者の前で騒ぐな樹万くん。さもなくば、口が二つに増えるぞ?」

 

 

 出入口の脇に立っていたドクターからメスを喉元に突きつけられ、硬直する。手術用のものは切れ味が凄まじいので、無理に通ればざっくりと肉が裂けるだろう。

 

 居ること自体は察知していたが、まさかこういう形でお出迎えをされるとは。おかげで、彼女が自分の手を尽くした患者に対しては、ひどく神経質になってしまう性質であることを思い出せた。

 

 そうして落ち着いた俺を見ると、一つ溜息を吐いてから組んでいた腕を解き、血塗れの白衣を翻しながら手術台へと歩を向ける。そして、ストレッチャーの上に片手を置きながらこちらを振り返った。

 

 

「君がここに息せき切って飛び込んでくることは想定の範囲内ではあったが…流石の私も、コアラと化した幼女を二人も装備してくるとは思わなかったよ。ユーカリにでもなったつもりかい?」

 

「フフ、甘いですよドク。…私はフクロウです。コアラでなくとも、そしてユーカリでなくとも、止まり木であれば大抵何であろうと住処にできます」

 

「イルカは基本的に群れで行動する生物です。よって、私が樹万さんにしがみついているこの状態は正常と言えます。いっそ永遠にこのままでいいのでは?」

 

 

 俺は木でもなけりゃイルカでもないぞ、と正面で抱えるティナと背に乗る夏世の二人へ苦言を申し立てる。しかし、両者ともにさらりと笑顔で流して、柔らかくて甘い香りのする身体を押しつけてくる。

 

 いくら危険な単独行動をした挙句、(ガストレアの)血塗れで帰って来たからといって、心配の度合いがあまりにも振り切り過ぎている。蓮太郎との会話が終わった後はトイレにまでついて来るのだから始末に負えない。

 

 そんな背景など知る由もないドクターは、侮蔑の表情を隠しもせずに『両手が後ろに回らない程度にしておけよ』と、失礼な忠告を投げ寄越してから言葉を続ける。

 

 

「さて、最早疑いようもない小児性愛者である樹万くんの行く末はともかく、肝心の飛那ちゃんの容態だが。憚らずにいうなら────ここに運び込まれた時は、まさに『死に体』だったといっていい」

 

「…そう、ですよね。イニシエーターだとしても、あれは厳しい状態だった」

 

 

 そうだ。身体の四分一近くが失われたのだから、そんな結論がでるのも当然と言える。いくらガストレアウイルスの再生機能が備わっているとはいえ、あれほどの傷から生還した例は類を見ない。

 

 だが、それでもドクターなら。『神医』、室戸菫であれば、決定的と言えるほど離れてしまった命も、繋ぎとめてくれると信じたのだ。故に、俺はあの時出会った夏世に飛那を預けた。

 

 そんな一方的な俺の信頼を感じたのか、ドクターは人が悪そうな顔つきで口角を持ち上げる。そして、術時の明瞭な視界確保のためのLEDスタンドの灯火スイッチを押し込み、同時にアコーディオンカーテンを滑らした。

 

 

「全く、失礼も甚だしい。忘れたのかい樹万くん?私はね、天才なんだよ。…これくらいの不可能、可能にできなければ二つ名を帯びる資格など無いというものさ」

 

 

 吐き出される白い光で顕わになったのは、間違えようもない己の相棒の姿。身体の輪郭を見失うほど全身を染め上げていた赤色は全て取り払われ、綺麗だった肌を取り戻している。

 

 ただ――――失われた左手の付け根と左足首には、円形の金属部品のようなモノが嵌め込まれたいた。

 

 

「ドクター、飛那の左手足は?」

 

 

「臓器の修復分でウイルスの活動を終わらせなければ、飛那ちゃんの体内侵食率は絶望的な数値にまで上昇するだろう。残念だが、手足の傷は『これ』で塞ぐしかなかった」

 

 

「……」

 

 

 一命は、とりとめた。飛那は生きている。己の判断は誤りではなかった。

 

 そう思いたかったが、今の彼女の姿と、これまでの彼女の姿を重ねてしまうと、そんな言葉を免罪符とすることは到底できなかった。

 

 油断、慢心。そういったものが取り返しのつかない結末を連れてくることは、骨身にこたえるほど教え込まれたはずだったのに。

 

 そうして強い自責の念に沈み込む俺を引き揚げたのは、肩に置かれたドクターの手だった。

 

 

「完璧を追い求めていた時期は、私にもあった。けれどね、必ずどこかで妥協しなければならないところが出てくるのさ。それがどれほど大切なものであってもね」

 

「じゃあ、こんな有様が『善い終着点だった』と、そう思えとドクターは言いたいんですか?」

 

「そうさ。というかね、この点に関しては君の方が達者だと思うんだが、違うかい?」

 

 

 妥協、諦め。この先を望むのなら、何かを切り捨てなければならないという事実。

 

 俺は、何度もその考えの岐路に立った。総てを選び取って、総てを失くす可能性を含む道を辿るか。幾つかを選び取って、より確実に実を得る道を辿るか。…どちらを多く選んだかと問われれば、後者だ。

 

 理想論者を貫く事など無理な相談だった。誰かを救おうと手を伸ばせば、別の誰かが手中から滑り落ちる。自分の手のひらに収まりきらない数の人間を救おうとしたところで、その先にあるのは、分不相応な願いを持った己に対する報いのみだ。

 

 踏み込んだが最後、その結果を受け容れろと迫ってくるのが現実というもの。そして、同時に人間である限り、完璧な選択というものはできない。

 

 ふぅ、と息を吐く。許容はできないが、納得はできた。

 御託はいい。あとは戦時と同じように、ここからの最善を模索していこう。

 

 

「――――はぁ。ありがとうございます、ドクター。少し、頭が冷えました」

 

「ん、よかったよ。君は、もう私のようになってほしくはないからね」

 

 

 ドクターは小さく笑顔を零すと、もう一度だけ俺の肩を軽く叩いてから白衣を脱ぎ、近場の卓へ乱暴に放る。

 

 そして、テントの支柱に掛けてあった比較的綺麗な方の白衣を手に取ると、腕を通しながら大欠伸をかます。長丁場だったのだろう。

 

 缶コーヒーの一つでも差し入れようかと考えていたところ、いつの間にか飛那の下まで移動していたのか、ティナの信じられないものを見たかのような悲鳴が耳朶を打った。

 

 

「こ、これはッ?!ドク、飛那さんの手足についているものって、バラニウム義肢のコネクションパーツじゃないですか!」

 

「────?!」

 

 

 ティナが口にする冗談としては性質が悪すぎる。俺は泡を食って飛那の眠る手術台に取り付くと、その金属を検める。

 

 それは、紛れもないバラニウムだった。どうにも黒みがかっているなと思っていたが、遠目からだとLEDスタンドの強い白色光が反射し、どうも認識に齟齬ができてしまったようだ。

 

 背後に佇んでいた夏世は、どこか申し訳なさそうな顔で俯く。

 彼女は飛那の手術に立ち会っていたのだから、この事実は知っていた筈だが…恐らくは、言い出せなかったのだろう。無理もない話だ。

 

 そして、ティナの発言を聞いた当のドクターはと言えば、欠伸をする際に散らばった前髪を片手で退けてから向き直り、肩を竦めてみせた。

 

 

「やれやれ、見つかってしまったか。…そうだ。飛那ちゃんの腕と足についているのはね、蓮太郎君の義肢に使用している生体パーツの一種だよ。つまり、バラニウム義肢だ」

 

「それは、つまり────」

 

「必要な措置であったとはいえ、私は、私に科した掟を堂々と破り棄てた。全く、正義とは恐ろしいものだね、樹万くん。こうも容易く人間を盲目的にするのは、コイツを置いて他にはあるまいよ」

 

 

 ドクターの言葉をそのままとれば、飛那は機械化兵士に近い状態になっている、ということになる。あとは、露出しているパーツに蓮太郎と同様の義肢を取り付ければ、恐らく。

 

 いや、しかしだ。呪われた子どもたちを機械化兵士化するのは本来無謀な行いのはず。四賢人の一人であるエイン・ランドですら、『失敗』を何度も繰り返しているのだから。

 

 

「どうして、この方法を?」

 

「ああ。宿主が大きな傷を負ってしまっている場合だと、ウイルスの蘇生機能はより生命維持に直結する部位に集中する。その間であれば、バラニウム義肢と生体との神経接続を成功させる可能性は現実的な域にまで向上する」

 

「…」

 

「そう怖い顔をしないでくれ。現状の持ち合わせだと、飛那ちゃんの手足をどうにかするためには、この方法しかなかったんだ。目覚めた後のことも考えると、やはり四肢はあったほうが精神上いいと思ってね、多少は賭けの要素もあったが踏み切ったのさ」

 

 

 彼女は、機械化兵士を生み出していた過去を本気で悔いている。その信念を曲げたのは、助かる見込みがあったから、そして、患者の意図に沿っているから。その二点に尽きるだろう。

 

 ―――手術を間近で見ていた夏世は言っていた。彼女も等しく、戦場で戦う者であったと。

 

 舞台となる盤上は違えど、やることは互いに変わらない。誰かを救う、その点だけは。

 

 俺は夏世の頭に手を置き、努めて優しく動かす。恐る恐るという形で上げられた視線には、笑顔で返した。

 

 

「大丈夫だ、夏世。ドクターも、お前も間違ってない。これでいいんだ」

 

「ほんとう、に?」

 

「ああ。長年付き合って来た俺が保証する。飛那はきっと、目を覚ました後も変わらず笑ってくれるだろうさ」

 

 

 言いながらティナも同じく空いた片手で頭を撫で、落ち着かせる。彼女はランドから望まない機械化手術を受けているため、こういうことには一際敏感なのだろう。

 

 幸い、それからすぐに納得のいく結論を出せたか、ティナの強張った顔の大部分は解け、つり上がっていた肩もストンと落ちた。

 

 飛那はきっと、俺が戦い続ける限り、共に隣に立って戦うのだと、そう言うのだろう。

 

 なればこそ、彼女から剣を持つ手と、立ち上がる足を奪ってはならない。…そんな確信と呼べる予感が、俺の中にはあった。

 

 ────さぁ、悲嘆と絶望はもう沢山だ。

 飛那が目を覚ますころには、全て終わらせてしまおう。

 

 

「俺も、俺の役割を果たさないとな」

 

「ほう、蓮太郎君が団長を務める民警一派でかね?」

 

「…まぁ、そうですけど」

 

「私がメンバーの一人として加わっていたら、不安で夜も眠れんな」

 

 

 ああ、スマン蓮太郎。実のところ俺も不安だ。

 

 我堂団長のような立ち居振る舞いを求めるのは流石に高望みが過ぎるが、この状況────アルデバランの統率力、銀の槍の威力、この二つによって心を折られかけている民警らを奮起させるには、彼と同等かそれ以上の腕が求められる。

 

 こちらから援護は無理…いや、待て。アイツを上手く使えば、もしかしたら上手く事が運ぶかもしれない。幸い、当人の実力は民警であればよく理解させられている。

 ただ、うまく()()できるかは怪しいところであるが。

 

 

「それも問題としては大きなものだが、なにより遠距離攻撃を仕掛けるガストレア、『プレヤデス』が喫緊の処理すべき問題だろう」

 

「!…識別名が決まったんですか」

 

「ああ。金牛宮の中の中心星団、プレヤデス。JNSCのお歴々は、アルデバランと変わりない脅威と位置づけたらしいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 ────PM十時。里見蓮太郎と、その麾下であるアジュバントメンバーが拠点とする『センチュリーハイツホテル』近傍にて。

 

 

「プレヤデス、か」

 

 

 薙沢彰磨は、最低限の荷物をつめたウエストバッグを装着しながら頷く。バッグの中には携帯食料や応急治療用具などが詰め込まれており、武器は彼自身の持つ SIG SAUER P226 とサバイバルナイフ一本のみだ。

 

 一方、パートナーである布施翠は戦闘面での要であるため、動きを制限してしまう余計な荷物はつけていない。

 

 そんな彼らの前に並ぶのは、リーダーである里見蓮太郎を始めとするアジュバントの面々だ。一様に厳しい表情を浮かべており、粛々と準備を進める二人にどう言葉をかけるべきか悩んでいるようであった。

 

 ────しかし、ここに例外が一人。

 

 

「アルデバランが頭になっている以上、奴らは集団を形成しているだろう。道中の戦闘は少ないが…気は抜かないようにな」

 

「ああ。分かっている」

 

「あと、重要なのは足場だ。ウイルスの影響を受けた樹木は変質して根を大きくうねらせるからな。その場所で戦闘をしたら足をとられる。常に平坦な道を選ぶよう心掛けてくれ」 

 

「なるほど…」

 

 

 周囲のメンバーと違い、美ヶ月樹万は普段と変わらない雰囲気で彰磨と翠に助言を授けていた。

 

 いずれも目から鱗と言えるものばかりで、蓮太郎からは『まるで実際に歩いてきたみたいだな』という、ある種正鵠を射た発言まで飛び出した。それを聞いた樹万は苦笑いを零すにとどめる。

 

 そうして粗方の教授を受けた彰磨は一度バイザーを外し、前髪を掻き上げてから曇天を見上げ、大きく息を吐いてから目深に被り直した。

 

 

「…行くのか、彰磨兄ぃ」

 

「無論だ。目的を果たし、必ず翠と共に帰還する。必ずだ」

 

 

 蓮太郎の問いかけに間を置かずに答える彰磨。彼の隣に控える翠も、帽子の鍔を抑えながら遠慮がちに、しかしはっきりと頷いて見せた。

 

 森の中は闇に沈み切っている。それは、モノリス崩壊の際に巻き上がった煙が上空の雲とともに曇天を形成し、月明かりをほぼ完全に遮ってしまったからだ。

 

 幸い、雨は現在に至るまで降っておらず、足場がぬかるんだり、増水した河川に道を遮られるという事態は避けられるだろう。

 

 ───バラニウムを含んだ雨雲が降らす雨は、黒く変色しているのだという。それは世界各地で数件あるモノリス倒壊の際に発生し、人々の恐怖と不安を増長させ、幾度となく混乱を招いた。

 

 そんな黒い雨が無くとも、人間であれば根源的な恐怖を覚える深い暗闇が、この先にはどこまでも広がっている。

 

 

「里見、こちらは頼む。お前ならきっと、団長の任をこなせるだろう」

 

「…ああ、やれるだけやってやるつもりだ。彰磨兄ぃも、気をつけてな」

 

「分かっている」

 

 

 彰磨は蓮太郎と拳を突き合わせ、互いの負う責務に全力を尽くすことを誓う。己の行動が、窮地を打開する術の発見に通じると信じて。

 

 拳を引っ込めた彰磨は、続けてアジュバント全員の顔を見回してから瞑目、白亜のコートを翻しながら踵を返す。

 

 

「────行くぞ」

 

 

 暗闇へ、躊躇いもせずに歩みを進めていく。月明かりのない夜は一歩ごと彼らの姿を呑みこんでいき、瞬く間に黒く塗り潰された。

 

 そして、今まさにその背が完全に闇へ溶け消えようとする寸前、制止を求める声が掛けられる。

 

 

「ストップだ、彰磨!これを持ってけ!」

 

「む――――?っと。これは、バラニウムで作った、十字のペンダント?」

 

「下げて置いてくれ!もしかしたら、役に立つかもしれん!」

 

「意図は掴めないが…了解した!」

 

 

 投げ寄越した美ヶ月樹万に片手を挙げて応えながら、彰磨と翠は今度こそ森の中に消える。

 間もなく、一定の間隔で響いていた足音も、風に揺れる梢が葉を擦らせる音で掻き消された。

 

 そして、それを見計らったかのように飴色のサングラスをかけた大男…片桐玉樹が樹万に向かって問いかけた。

 

 

「なぁ旦那。確かに、ガストレアどもの一部はバラけてるのかもしれねぇが、本陣に踏み込むんだったら百、二百の差し引きもそう変わらんだろ?野郎が強いのは認めるが、一度に相手どれる限度は良くて十かそこらだ。つまりは何がいいてぇかと言うとだな…死ぬだろ」

 

「まぁ、確かにな。ターゲットが外れにいるならいいが、十中八九本丸だし。死ぬな」

 

 

 まさか肯定が返されるとは思ってもみなかったのか、玉樹は絶句して固まってしまう。それはアジュバントのメンバーも同じだったようで、驚愕の表情を浮かべていた。

 

 その衝撃からいち早く立ち直り、至極真っ当な怒りとして発露させたのは、里見蓮太郎だった。

 

 彼は樹万の胸倉を掴み上げ、至近距離でにらみつける。許容値を超えた感情の波を表すかのように奥歯がカチカチと噛み鳴らされていた。

 

 

「ざっけんなよテメェ…!じゃあ何のために彰磨兄ぃを行かせたってんだッ!」

 

「落ち着け蓮太郎。確かにこのままじゃ危険だが、何とかなるって根拠はある」

 

「クソッ!自分一人で知ったような顔してんじゃねぇよ!説明しやがれ!」

 

 

 蓮太郎に胸倉を掴まれたまま、あくまでも飄々とした態度を貫く樹万は、激昂する彼に対し、こう答えた。

 

 

「『嵐』を味方に付ける。危険は承知だが、彰磨ならきっと御眼鏡に適うはずだ」

 




蓮太郎怒ってばっかでストレスがマッハ。
すまんな。オリ主はソロプレイが長いから説明が不足しがちなんだ。

────次回、ヤベェ奴が登場。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

56.狩場

「…!?」

 

 

 道中、布施翠は唐突に言い知れぬ悪寒を覚えた。具体的な表現へ変えるとするなら、背をナイフの(ブレード)で撫でられるような感覚。

 

 本能が発した警鐘に任せ、すぐさま四方を確認。並行して発達した耳で周囲を索敵。…異常は、ない。

 

 そんな彼女の脈絡のない警戒行動を見た薙沢彰磨は、腰のSIG SAUER P226 に手を伸ばしながら、夜目である程度慣れた森の中を見回す。

 

 

「どうした、翠。近いか?」

 

「いえ…すみません。勘違いでした」

 

「いや、ささいなことでもいい。何かあったら躊躇わず口にしろ」

 

 

 申し訳なさそうに肩を落とす翠の頭を軽く撫で、彰磨は必要なことだと過剰な警戒行為を肯定する。

 

 人間では感知できない領域にある情報。それを手繰れる彼女が感じ取ったものだ。決して意味のない行動と片付けていいものではない。

 

 そうして警戒を続けながらも移動を再開する。翠が先行し、そのすぐ背後を彰磨が続く形だ。翠が近距離戦、彰磨が中・近距離戦を担えるのだとしたら、妥当な配置だろう。

 

 

「む────、森が開けたな」

 

「はい、先に廃墟が見えます。市街地ですね」

 

 

 予想されたガストレアの集団が拠点とする場所は、この廃市街を抜けた先の森だ。突っ切ってしまった方が時間効率はいい。が、その際のリスクはどうか。

 

 彰磨は少々勘案する素振りを見せたものの、しかしすぐに結論を出した。

 

 

「廃墟を直進し、抜ける。変わらず先行、索敵を頼む」

 

「了解です」

 

 

 森の中は見通しが悪く、足場も悪い。廃墟となった街も同様だろうが、どちらがと問われれば森中の方に軍配が上がるだろう。

 

 両者は木々の合間から飛び出し、街へ入る。森へ呑まれつつあるコンクリートジャングルは、自然の奮う猛威を前に為すすべなく緑に侵食されていた。

 

 ところどころ罅割れる、しかし舗装の残ったアスファルトの道路を二人分の足が前後と移動する。倒れた電信柱がぶちまける電線、倒壊した家屋や外壁の瓦礫、路面を貫く水道管、そういったものを避けながらも、しかし足音は鳴らさず、速度も緩めない。

 

 人の営みを失って久しい市街地。日常の喧騒は最早忘れ去られ、ただ静寂のみがこの地を支配していた。

 

 だが、公園に停められた錆びついた三輪車や、砂場に転がる空気の抜けたサッカーボール、直前まで手入れされていただろう花壇など。人々が謳歌していた日常を思い起こさせるような、そんな『痕跡』が確かにあった。

 

 飛び込んできた景色に、在りし日の人々の姿がオーバーラップする。

 それを自覚した彰磨は、眉を顰めながら振り払うように駆けた。…ここは少々、精神(こころ)に毒な場所だ。

 

 そうして行軍はスムーズに行われ、一度の接敵もなく廃市街を抜けると、再度森の中へ足を踏み入れる。

 

 

「この先は河川がある。地形の変化に気をつけてくれ」

 

「はい。了解です」

 

 

 不規則に絡み合う樹木の根を迂回し、平地を選びながら進む。多少の時間ロスは承知だが、安全を考慮するならこの方策を取るべきだ。

 

 彰磨も翠も、こういった地形での戦闘経験は皆無。だからこそ不測の事態は多岐に渡って存在する。であれば、戦闘の際は少しでもこちら側の土俵へ引き込むことこそ肝要。

 

 極度の緊張、慣れない戦場。この二つは疲労の蓄積を加速度的に引き上げる。必然息は上がり始め、思考にも少しばかり靄がかかりつつあった。

 

 しかし、そんな中でも、彰磨の中には一つの疑問が渦巻いていた。

 

 

「翠、周囲に敵の気配はあるか?」

 

「…いえ、ありません」

 

「そう、か」

 

 

 敵が、ガストレアがここまでいないのは、妙だと。

 

 自衛隊の人間たちも取り込み、兵数などそれこそ二千以上はあるのだ。例え撹乱が行われていようと、千以上は確実に居座っているはず。

 

 それを一か所に固めて置くなど、果たして有り得るだろうか。

 主要な拠点を決め、別動隊を配置する数的余裕など幾らでもあるはず。それをしないのは何故か。

 

 ───まさか、三ヶ月樹万はこれすらも織り込み済みだというのだろうか。

 

 次々去来してくる疑問に対し、殆ど明確な結論は出せないまま、翠と彰磨の二人は河川に到着。警戒しながらも渡り切り、対岸の森へ踏み込んで間もなく、僅かに先行する翠が制止を促した。

 

 

 

「居ます…一。いえ、二です」

 

「距離、方角は?」

 

「二つともこちらから見て正面。距離は10mほどです」

 

 

 ────ついに、来た。

 翠の言葉を聞き終わらぬうちに彰磨は腰のSIG SAUER P226を抜き、初弾装填。森の中へサプレッサーを取り付けた銃口を向ける。

 

 一方の翠は腰を低くし、爪の変形、硬質化を行う。そして、

 

 

「!」

 

 

 闇に紛れて突進してくる影。数は二つ。敵は敢えて迂回し、左右から挟み込むように仕掛けた。

 

 彰磨はそれに驚くことなく、腕と目のみを動かして再照準。一匹の頭蓋へ穴を空ける。

 

 翠は地を蹴り、喉元へ指を束ねた突きをめり込ませ、硬直したところに続けて片腕の手刀で一閃。もう一匹のガストレアは頭部をスライスされ、大量の体液と共に地面に散らばる。

 

 彰磨は死体を一瞥。発達した鋭い歯。白い(たてがみ)。これらの特徴から、狼がベースのガストレアと推測した。

 集団を作り、その中からリーダーを選出することで、類まれな統率力と狡猾さを演出して狩猟を行う危険な動物だ。ガストレア化したとして、人間にとっては非常に危険と言える殺戮者(ハウンド)

 

 ここで、複数の遠吠えが大気を震わせた。距離は、近い。

 

 

「ッ!?そんな、囲まれてる!いつの間に?!」

 

「何ッ」

 

 

 敵に包囲された?あの一瞬で?馬鹿な。

 

 彰磨は動揺を呈するが、一瞬で鎮める。今は状況を打開することに思考のメモリを使わねばなるまい。

 

 早まる拍動を自覚しながら、彼はサプレッサーを捻って取り外すと、事態の急変で冷静さを欠いた翠の名を叫ぶ。

 

 

「翠っ!迎撃するぞ!」

 

「は、はい!」

 

 

 正面から先行して飛び出してきたのは、先ほどのガストレアと同じく狼が三匹。彰磨はうち二匹を射殺。残りの一匹は翠が八つ裂きにした。

 

 次に後方。首を巡らせて認めた狼型ガストレアに向かい、照準もそこそこに発砲。二匹を仕留めるが、もう二匹がこちらへ迫る。

 

 

「前から来る敵を頼む!俺は後ろを請け負う!」

 

「分かりましたっ!」

 

 

 迫る二匹へ、拳を打ち込む。その衝撃がどう伝わればそうなるのか、首から上を破裂させて狼は事切れる。

 

 翠は猫の俊敏さを活かし、不規則な動きをしつつガストレアを翻弄。あっという間に三匹を解体する。

 

 爪にこびりついた体液を払い落とした翠は、すぐさま彰磨の背後に舞いもどる。それと同時に足音や息遣いを『聞いて』敵の位置を捕捉。己のパートナーに伝える…前に、一つの憶測へと辿り着いた。

 

 

「これは…もしかして、待ち伏せ?」

 

「なるほど。翠の耳で探知できなかったのは、最初から潜んでいた、と考えるのが妥当なところだろうしな」

 

「でも、そんなことガストレアにできるはずが…!」

 

「里見の言っていた、アルデバランの飛散するフェロモンによる統率だろう。元々の狼の狡猾さを合わせれば、ここまで周到な『狩り』を行うことも可能、ということだ。…しかし、これは相手の方が数段上手だな」

 

 

 彰磨は、こうなることをある程度予想していた。

 総勢一千超の敵本陣目掛けて突っ込むのだ。攪乱で削れた数は良くて百、二百ほどだろうし、自殺行為に変わりはない。

 

 それでも、あの場にいる全員が美ヶ月樹万の策に乗ったのは、終始一切損なわれなかった自信をうかがわせる口調と、持ち札を切るタイミングの良さ、プレヤデス討伐の重要性に因る。

 

 正直、彰磨は一ペア単独でのプレヤデス討伐を樹万に提案する際、十中八九断られるだろうと鷹を括っていた。無駄で無謀な行為だと一蹴されてお終いだろうと。

 しかし、それに反して彼の口からもたらされたのは、『よっしゃ、それでいこう』という当初の予測を大きく裏切る言葉であった。

 

 それに対して思うところはある。実は策が他に無いから『コレ』を採用した?二人なら実力的に可能であるという信頼の現れ?何かしら援護できる手段を持ち合わせている?…あらゆる憶測が脳内を飛び交った。

 ただ、確実に言えることが、一つだけある。

 

 美ヶ月樹万は、決して意味の無い行動や行為を赦す人間ではない、ということだ。

 

 

「ふッ!」

 

 

 次々と湧き出る狼型ガストレア。耳ざわりな弾む呼気を響かせ、腐葉土を蹴り上げながら間断なく四方より牙を剥いて来る。────対応が、間に合わない。

 

 ならば、間に合わせるよう調()()すればいい。

 

 

「────」

 

 

 撥刃総倦(はつばそうげん)の構え。思考の空白、予備動作の速度を極限にまで縮め、結果乱戦時の戦闘能力を飛躍的に高める型。

 

 使用頻度は決して高くはない技だ。その理由は、偏に対人戦においては強力過ぎる、という理由にある。

 

 講ずるは只一点、孜々忽忽。───活眼。

 

 右方から牙を突き立ててきた一匹へ拳を振り下ろし、ほぼ同時に前方のもう一匹へ跳ね上げた膝を顎へ撃ち込み、後ろ足で跳躍力し上方より飛来した一匹は下顎を掴み、他一匹を下敷きに地面へ叩き付ける。

 

 一息の間も置かず、拳を二発撃ち込んで二匹の脳髄へ打撃。水風船を落としたかのように脳漿の混じった体液が地面へ飛散する。

 

 

「はぁッ」

 

 

 翠も負けていない。地を舐めるような前傾姿勢でガストレア群の間を駆け抜け、足を切断。もんどりうって倒れた個体から容赦なく頭部のみを細切れにしていく。

 

 暗い戦場に、肉を叩き潰す音、引き裂く音、イヌ科特有の悲鳴が連続して木霊する。常人であればとうに貪られるだけの死肉と化しているはずが、彰磨と翠の両名は超常の奮戦を見せ、未だ健在であった。

 

 しかし、森の闇間に並ぶ赤目は数を減らすどころか、増えていっているような気さえする。

 

 彰磨は体液の滴る拳をそのままに、肩で息をしながら翠に問いかける。

 

 

「翠、ここから突破はできそうか?」

 

「…難しい、です。一方の壁に集中しても、およそ二十の個体から一斉攻撃されます」

 

 

 翠の絶望的な言を受け、彰磨は苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべる。

 

 一つの層で、その数だ。ここに集まっている敵は、恐らく五十以上に昇るだろう。

 

 それでも。この絶対の死地を突破しなければ、先などない。そして、ここで終わるつもりなど欠片とてない。

 

 

「翠ッ!川伝いに突破するぞ!敵の補足は最小限でいい!足を止めるな!」

 

「はいッ!」

 

 

 コートを翻し、彰磨は森を抜けて川縁を伝い疾走。その後に翠が続く。そして、両名を追うように他三方からガストレアの群が大挙して飛び出し、赤眼の参列を作る。

 

 彰磨は素早くSIG SAUER P226の空弾倉を排出。少しでも時間を短縮するために空弾倉は廃棄し、予め手の内に忍ばせて置いたものをセット、装填。

 

 装弾後すぐに前方から迫る群れを引き連れる中央三体を射撃。いずれも頭部にヒット。

 

 力尽きて地面へ頽れる前に彰磨は肩を突き出し、ガストレア一匹の体躯へ激突。亡骸は首の骨を折り、血飛沫をあげながら前方へ吹っ飛び、仲間の無惨な死体姿が飛来したことで、群れの間に多少の硬直が生まれる。

 

 進行の緩んだ彰磨の脇を抜け、今度は風のような速度で翠が先行。動きの鈍った両脇のガストレアの前脚を切断する。

 

 間髪入れずに銃撃。足を失った個体を飛び込えて来た二匹を死体へ変えるが、ここで彰磨は悟る。

 

 ────層が、厚すぎる。

 

 二十どころではない。少なく見積もってもその倍はいる。ここを突破する事は物理的に不可能だ。

 

 それでも、もう戻れない。数瞬前の判断が誤りであろうと、前に進むしかない。

 

 彰磨は己に言い聞かせる。もう、やるしかないのだと。天童から教えを受けていたという矜持はあるが、今はそんな利己的な欲求を優先させるつもりはない。

 

 翠の命が、最優先だ。

 

 

 天童式戦闘術三の型三番────鬼亟咒々(きこくしゅうしゅう)

 

 

 呼気を短く、ひたすらに短く保つ。血流は豪雨の後の河川が如く激流へ転じ、心臓へ猛烈な負荷がかかる。

 

 薙沢彰磨は、天童流を破門された。それは師範である助喜与から、『悪事に技を使用する』と断じられたが故だ。

 

 信じるものに裏切られ、空虚となった彼は、それでも『天童流』を追い求めた。その結果の一つが、これだ。

 

 脈拍、血流の高速化による、一時的な運動能力の向上。彰磨はこの瞬間を境に、人をして人を超えた鬼人と化した。

 

 

「────!」

 

 

 近場のガストレア五匹の頭を一瞬で破壊。続けて手首を捻り、逆巻く疾風を纏う掌底を繰り出し、もう一匹の胴体を四散させる。

 

 臍下丹田に力を込めながら、更に半身を前へ。そして、緩慢となった時間へ追いつくために限界を超えた筋収縮を行使する片腕が射出。

 

 ガストレアの喉を捉えたそれは、天童式戦闘術一の型五番・虎搏天成。紫電と見紛う突き技。

 

 

「翠ッ!全力で走れ!」

 

 

 敏捷さに特化した生物因子を持つ翠であれば、猫の身体能力で包囲網を駆け抜けることはできる。だが、通常の人間としてのポテンシャルに止まる彰磨はそうはいかない。

 

 だが、一時的に運動能力を強化した状態であれば、彼女の動きにも辛うじてついて行ける。

 

 彰磨の言葉に、翠は行動で応えた。再び彼の脇を通過し、先行する。

 

 それに追いすがるため、彰磨は全力を以て地面を蹴る。人が運動する際のスペックを大きく逸脱した筋力行使の連続に、猛烈な吐き気と激痛を覚えるが、構わず足を動かす。止まればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。

 

 一、二、三四と進むうち、体格差による歩幅の差も手伝ったか、視界に移る翠の背が近づいてきた。

 

 密集する敵の間隙を縫う。先を往く翠は数瞬後に変化する陣形を予測し、比較的安全な道へ誘導する。

 

 とはいえ、それにも限度はある。

 

 

「ぐっ!」

 

 

 彰磨の右肩にガストレアの牙が擦過。視界の端に血が舞うが、軽傷と断じ構わず足を動かすこと、技の効果を持続させることにのみ注力する。

 

 彰磨は超高速度の世界に慣れていない。翠の背に追いすがるので意識が埋まっているため、周囲への対応力が著しく低下している。

 

 だが、彼とてそれは承知だ。そして、翠もそれを理解した上で、より良い退路の選出を行っている。

 

 それでも、速い。視線では姿を捉えられても、攻撃という動作を完遂する前に視界からは消え失せている。

 

 狼とて逃走する得物を捕捉し続けるため、動体視力は高いはずであるが、両者の動きはそれを大きく上回っていた。

 

 故に、

 

 

「────!」

 

 

 包囲網を抜けた。あともう少しだ。

 

 そう思った矢先、視界に巨大な何かが突如として割り込む。それは、白い毛に覆われた二つの柱だった。

 

 『狼型ガストレアをそのままスケールアップさせたら、こんな形になるのでは?』

 

 そんな思考が脳裏を掠めた瞬間、叫びながら横に跳んだ。

 

 

「避けろッ!」

 

 

 直後、それまで二人が居た地点を何かが通過し、爆轟を響かせる。地面はめくれ上がり、土砂が辺りへぶちまけられる。

 

 彰磨と翠はそれぞれ左右に跳躍して回避し、目立った外傷はない。しかし、それからすぐに彰磨の身体に異変が起き始めた。

 

 鼻孔からとめどなく朱い血液が溢れ、視界が酷くぼやける。それは言うまでもなく、先の技による弊害だろう。血流の高速化で、体内の血管のいくつかが破断したのだ。

 

 しかし、駄目だ。このまま立ち止まっていては────、

 

 そう思って身体を動かしかけたとき、彰磨自身の意志とは無関係の外的な力により、右横へ大きく投げ出される。予想外の事態に対応が遅れ、肩を打った痛みに呻く。

 

 それからすぐ、肉を重い金鎚で打ったかのような嫌悪感を伴う音が響き渡り、彰磨は弾かれるように上体を起こす。

 

 

「み、どり?」

 

 

 霞む視界には、頭から血を流して地面に倒れ伏す翠の姿があった。衝撃から身を守るために咄嗟に手で防御したのか、片腕が異様な方向へ曲がっている。

 

 そんな彼女の近傍に、巨大な怪物が立つ。それは、これまで戦っていた狼型ガストレアが子どもと思えてしまうほどの巨躯を誇るガストレアであった。役どころは群れを率いる長、といったところだろう。

 

 怪物は樹木の幹のような前脚を持ち上げると、転がる翠に向けて照準。せせら笑うかのように口角を上げ、粘度の高い唾液を彼女の右足へ落とし汚す。

 

 そこまで見た彰磨は、怒りによって意識を完全に覚醒させる。滞った血流を僅かな間で回復させ、四肢に力を通わせると、数秒後に展開される凄惨な結末を何としてでも回避するため、全霊を以て跳ぶ。

 

 

「ラァァアッ!」

 

 

 足裏を滑らせながら両者の間に割り込む。そして、悪夢のような速度で振り下ろされた鎚に向かって、円運動させる左拳を放つ。それは天童式戦闘術一の型三番・轆轤鹿伏兎。

 

 壮絶な打撃音。あまりの重量に彰磨の五指が潰れ、手首が曲がり、肩の関節が外れる。しかし、直後にガストレアの前脚は大きく膨張、炸裂。激痛と上体を支える支柱の一つを失ったことで、彼の手により弾かれた巨体は態勢を崩し、大きく傾いで横倒しになる。

 

 そこへ続けて右腕を引き、落とす。紛う事なき全力の拳打。

 インパクトを受けた点から胴体が波打ち、心臓も含め爆裂。波濤の如き血液を辺り一帯へぶちまけ、絶命させた。

 

 

「ハッ、ハッ…ぐ、翠」

 

 

 使いものにならなくなった左腕をだらりと下げ、激痛を呑みこみながらパートナーの名を呼ぶ。

 

 己の不注意で彼女がこうなったのかと思うと腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えるが、先ずはここを離れることが先決だ。

 

 そう断じた彰磨の横腹を、飛び掛かって来た狼型ガストレアの牙が貫く。

 

 

「ぐ────ァッ!」

 

 

 地面を転がる最中に態勢を入れ替え、肘を鼻面へ落とし、靴底でガストレアの腹を蹴り飛ばして拘束を解く。傷を検めると、開けられた穴は背まで貫通していた。重傷だ。

 

 親玉の方に気を取られ過ぎた。彰磨は己の浅慮さに舌打ちを零す。

 

 急いで寝ていた身体を起こし、SIG SAUER P226をドロウ。奇襲を講じた狼を撃ち抜く。手は震え、視界は大きく揺れていたが、何とか一度の撃発で目的を達した。

 

 それに安堵する間もなく視線を巡らせると、翠の横たわる場所に次々と狼型ガストレアが集まってきていた。

 

 カッと血が上り、思考に任せて飛び出そうとしたが、真横から飛び掛かった別の一匹の体当たりを喰らい、樹木の幹に激しく叩き付けられる。その拍子に蓄積していたダメージが再び鎌首を擡げ、視界が明滅する。

 

 

「ぐ、あ…」

 

 

 ここで意識を失えば、終わる。彰磨も翠も、群がるガストレアに喰われて死ぬ。

 

 そんなことは許容できない。まだ目的の一部も果たせていないのだ。終わるには、あまりにも早すぎる。

 

 彰磨は血に濡れる歯を食いしばり、目前にまで迫っていたガストレアの(アギト)を右腕で砕く。

 

 血飛沫を上げて倒れ伏す怪物の向こう側の景色では、今まさに一匹の狼に腕を食まれ、関節の可動域外にまで折り曲げられている翠の姿があった。

 

 

「やめ、ろ…ッ」

 

 

 やめてくれ。そう叫びたかったが、そうするに足る気力すら彰磨の中には残っていなかった。

 

 弱肉強食こそ、世の摂理。敗北したものは命を犯し貪られ、息絶えるのが常だ。

 

 だからといって、薙沢彰磨は無感動にこの状況を眺めていられるほど理性的ではなかった。武人である彼とて一皮むけば一個の人間。一般論を盾に感情を押さえつける機械的思考など、持ち合わせている筈もない。

 

 届くはずの無い手を、伸ばす。この後に及んでも、恐らく彼女は彰磨に恨み言を零すことなどないのだろう。

 

 薙沢彰磨の人生は空虚であった。

 だが、彼女が傍にいる毎日は、暖かくて、安らかであったことを思い出す。

 

 伸ばした手は、鋭い牙に遮られる。

 肉が裂け、血が溢れ、そして薙沢彰磨は、ここで死ぬ。

 

 

「ふーん。終わりかな?まぁ、雑魚(おさかなさん)にしちゃあよく頑張った方なんじゃないの?」

 

 

 情報の受信を半ば放棄しかけていた聴覚に、およそ理解の及ばない言葉が飛び込んでくる。

 

 転瞬、轟音が鳴り響き、地面が盛大な悲鳴を上げる。

 

 衝撃で上空に投げ出された河川の水が落ち、周囲に激しい雨を降らす最中、彰磨は冗談のような深さにまで陥没したクレーターの爆心地に目を向ける。

 

 そこには、歪な黒い片角を生やした金髪の少女がぬいぐるみ片手に、不気味なほど楽しそうな笑顔で、こちらを見上げながら立っていた。

 

 場違いも甚だしい明るい微笑を漏らすと、少女は両手を広げながら宣言する。

 

 

「さーぁ、私が来たからにはもぅ安心だよ!ふふっ、なんでかというとねぇ───」

 

 

 言葉が続かなかったのは、彰磨と翠に屯していたガストレアたちが咆哮を上げ、一斉に少女めがけて飛び掛かったからだ。

 

 クレーターはあっという間に狼で埋まり、少女の矮躯は白い波に呑みこまれてしまった。中で行われている惨殺を想像すると、思わず彰磨は目を覆いそうになる。

 

 しかし、その前に違和感に気付いた。

 

 幾ら唐突に現れたとはいえ、ガストレア全員のターゲットが少女に向くことなどありえるだろうか、と。

 あぶれた連中でさえ、低い唸り声を上げながら穴の縁に立ち、その中心部に眼光を飛ばしている。

 

 些か行き過ぎた警戒行動だ。一体何故?その疑念が解消する前に、向こうで動きがあった。

 

 

「ッ!?」

 

 

 先刻、少女が地上へ降りて来たときの衝撃より、更に上の轟音。彰磨は地面に降ろしていた腰が大きく浮きあがり、落下の際に臀部を打ち付け、痛みに顔を顰めた。

 

 一体何が起きたのかと、当初より更に広がったクレーターの方へ改めて視線を投げる。そして、目に映った惨状を見て愕然としてしまった。

 

 一言で形容するのなら、血の池。そこには原型をとどめていないガストレアの遺骸が大量に浮かんでおり、さながら地獄の具現だ。

 

 縁に立っていたガストレア数匹は、その光景を前に恐れをなして遁走してしまった。

 

 

「助かった、のか」

 

 

 状況整理は全くできていないので、そう結論していいのかは実のところ不安ではあったが、ともかく直近の危機を切り抜けられたのは確かだ。彰磨は樹木の幹に背を預け、瞼を落としながら深く深く息を吐く。

 

 しかし、すぐに閉じた目を開いて上体を起こす。その理由は無論、己とともに襲われた翠の容態をまだ確認していないからだ。

 

 彰磨は疲労と痛みを訴える身体に鞭打ち、鉛のように重くなった身体を動かそうとしたが、その前に真横から快活な声がかけられた。

 

 

「あの猫耳の雑魚(おさかなさん)なら大丈夫だよ?ちょっと腕折れてるけど」

 

「なッ?!」

 

 

 全く気配を感じ取れなかった彰磨は、あまりの驚愕に声を漏らす。その反応を見た少女はと言えば、悪戯が成功したかのように首を傾けて笑みを深くした。

 

 天童流を学んだ彰磨は、敵の存在を決定づけるあらゆる要素に対し敏感だ。音、匂い、殺気、そういったものは常人よりは高い精度で感じ取ることができる。

 

 そのはずなのに、彰磨はこの少女からいずれの情報も感じ取ることができなかった。

 

 仮にその面へ秀でていようとおかしい話なのだ。こうして対面しているにも関わらず、生命としてあるべき()()というものが、少女は決定的に不足していりのだから。

 

 あまりにも異常だ。もう相手がどういう意図で動いているのかを暗に探るなどできる精神状態ではない。彰磨は観念して、直接当人に尋ねることにした。

 

 与えられる情報が嘘だとしても、少しの気休め程度にはなる。そう思っての判断であった。

 

 

「君は、何者なんだ」

 

「おっ、よく聞いてくれたねぇ!さっきは分を弁えねぇクソ玩具からボーガイ入っちゃったから、決め台詞も言い損ねたし!じゃ改めてっ」

 

 

 問いかけられた少女は、待ってましたと言わんばかりに居住まいを正すと、片手に持ったウサギのぬいぐるみを肩に担ぎ、指でVサインを作りながら片目を瞑り、座り込む彰磨の目線と合わせるように中腰になる。

 

 その拍子に、口内と首のチョーカーの間に繋がれたアクセサリのチェーンが、じゃら、という音を立てた。

 

 

「私は『モンスタア・イエローギフト』!なんか面白そうな玩具の気配がしたからねぇ、きちゃった!」

 

「おも、ちゃ?…それは、ガストレアのことか?」

 

「んふ、そーだよ!」

 

 

 彰磨は言葉を失う。あのガストレアを、人を滅亡一歩手前まで追いやった災厄の生物を、弄ぶ道具…玩具(オモチャ)と称するのか。

 

 少女の思考すらも理解不能に陥った彰磨だが、先の戦闘と称するのも憚られる虐殺がフラッシュバックし、そうと言えるに値する実力を秘めているのは確かなのかもしれない、と認識を少しばかり改める。

 

 しかし、そうなると分からないことが出てくる。

 

 この世界において、ガストレアと正面から対抗できるのは、バラニウムで武装した人間か、ガストレア因子をその身に宿した呪われた子どもたち、そのいずれかに限られる。

 

 目前の金髪の少女はバラニウム武具など身に着けていないし、見たところ十代前後。であれば、先の候補のなかでは後者となるのだろうが…

 

 彰磨は、この少女に対し『呪われた子どもたち』という呼称を用いることを躊躇った。

 

 その明確な根拠を探すため、彰磨は生唾を呑みんでから、翼を捥がれた羽虫を眺めるかのような笑顔を湛えた少女に問いを投げかける。

 

 

「君は、イニシエーターなのか?」

 

 

 彰磨の絞り出すような声に、彼女は尚も笑顔を崩さぬまま、特別なものなど何もないかのような口調で答えた。

 

 

「うん?そうだよ。()()()()、モデルは()()()()()。ぷろもーたーはね、ホントはお兄ちゃんがよかったんだけど、今は『ダディ』で我慢してるの!」

 

「…!?」

 

 

 彰磨は、この少女に抱いていた数々の違和感すべてに合点がいった。

 

 異常でなければ、序列三位などという雲上の高みへ辿り着くことなどできはしない。故にこそ、彼女が異常なのは、寧ろ正常なのだ。

 

 ────『虚の少女(イミテーション・テンプテーション)』という二つ名を持つ、正体不明の高位序列の一角。

 それが、この少女である。




原作では、序列一位、二位のイニシエーターはステージⅤを討伐したということで存在が明らかになっていますが、一桁台だと恐らくその二名だけでしょうね。

ということで、属性もりもりのオリジナル三位ちゃん登場です。
『モデル・アンノウン』について一足先に知りたい方は、人物紹介の方を覗いて見て下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

零 The strong or The weak ?
First Contact -Ⅰ-


こちらは本作の過去編となっています。
ガストレア大戦が終結した西暦2021年から、作中で中心となっている西暦2031年までの美ヶ月樹万が歩んだ軌跡を描いて行こうと思います。
かなりオリジナル要素入るのと、ほとんど既存のキャラクターが登場しない点はご承知ください。

そして、何より特筆すべきは、本編と違って過去編は惨い物語を中心に作成していく、ということです。
原作の雰囲気により近い内容を目指すつもりですので、男女問わず出てきたキャラクターがあっさり死ぬ、ということは必然多くなりますので、どうかご留意ください。

また、過去編の閲覧は本編最新話読了後、もしくは本編二章読了後を推奨しております。


 ────とある母親は、己の子に銃を向ける少年を、こう罵倒した。

 

 

『何でよ!何で生きてるのに殺すのよ!その子をあんな化物と一緒にしないでよッ!』

 

 

 ────少年は答える。

 

 

 もうすぐ、その化物になっちまうからだよ。

 

 

 銃声。

 

 

 

 

 ────とある男は、己の恋人に銃を向ける少年へ、こう嘆願した。

 

 

『止めてくれッ!お願いだ!俺ならどうなってもいい!だから頼むッ、殺さないでくれぇ!』

 

 

 ────少年は答える。

 

 

 放っておいたら、どうにかなるのはテメェだけじゃねぇだろ。

 

 

 銃声。

 

 

 

 

 とある少女は、己に向かって銃を向ける少年へ、こう問いかけた。

 

 

『私を、殺すの?』

 

 

 ────少年は答える。

 

 

 ああ…ごめんな。

 

 

 銃声。

 

 

 

 

 銃声、銃声、銃声。

 

 その数だけ、屍が増える。決して消えぬ残響が鼓膜にこびりつく。決して癒えぬ創傷が精神を蝕む。

 

 少年よ、その罪を指折り数えろ。

 

 果たして、お前は怪物と人間、どちらを多く殺した?

 

 

 

 

          ※※※※

 

 

 

 原型をとどめぬほど崩壊した街の一画。生存者などいるはずもないそこに、二人の人間が立っていた。

 そのうちの一人である神父服を着た男は、煙草を吹かしながらピュウと口笛を鳴らす。

 

 

「上出来だ。もう俺は要らねェな」

 

「……」

 

 

 巨大な怪物の亡骸。その隣に立つもう一人の青年は、称賛を受けたとは思えない仏頂面で男を睨む。

 

 

「何が上出来、だよ。片腕もげて首が百八十度後ろに回ったの見てなかったのか?」

 

「ばっかおめぇ、相手ブチころせりゃそれでいいんだよ。内容なんか客から金貰える時だけ気にしろや。しかもソレ、『Ⅳ』だからな?」

 

 

 ガストレアという怪物には、その個体によってランク分けが為される。

 そして、男が言ったⅣ…ステージⅣのガストレアは、安全策を取るなら軍一個師団がまとまって相手しなければならないほどの化物である。

 人間一人など、逆立ちしてジャンプして、その上回転までしたとしてもどうにもならない相手だ。

 にもかかわらず、それを成した青年はつまらなそうな口調で吐き捨てた。

 

 

「オッサンはⅣでもビンタすりゃ吹っ飛んじまうじゃねぇか」

 

「ありゃビンタじゃなく張り手だっていつも言ってんだろうがよォ」

 

 

 神父服の男は不服そうに青年の言葉を正すと、煙草の吸殻を親指と人差し指の腹で擦って()()、腰に差してあった拳銃一丁と、タクティカルナイフを引き抜く。

 

 

「何にせよ、立派に人間卒業してくれてオッサン嬉しいぜ?ということで、だ。…うーんとえっと」

 

「?」

 

 

 その二つを路上へ投げ出すと、何故か顎に手を当てて唸り始める。

 それから少しして、何かに気が付いたかのような声を上げたかと思いきや、腰に巻いていた三つのうちのバックパックひとつを取り外し、追加で放り投げた。

 

 

「…おい、オッサン?元々アレだったが、とうとう本格的に頭おかしくなっちまったのか?」

 

 

 嫌な予感しかしなかった青年は、少しの間を空けて恐る恐る聞いてみる。

 それに対する男からもたらされた答えは、彼にとって予想の遥か上を行く内容であった。

 

 

「よッし餞別はこれくらいかねェ!じゃちょっくら、独り立ちしてけ!」

 

「は?」

 

 

 路上に落ちていた諸々が、何の前触れもなく青年へ向かって蹴り飛ばされたのである。

 

 

 

          ※※※※

 

 

 

 あの男は、いつも唐突で、勝手で、酷く生産的だ。

 そう、荒れ果てた市街を歩む青年は思う。

 

 

「そりゃあ、端から馴れ合うつもりなんかなかったけどさぁ」

 

 

 西暦2022年。ドイツ。ガストレアとの戦争に敗北し、全ての人間が蹂躙された後の、とある市街。そこに、青年はいた。

 彼の名を、美ヶ月樹万。黒髪黒目、薄汚れた分厚いコートを着込む、普通の日本人だ。

 しかし────彼を普通と称するのは、些か憚られる。

 

 

「何も、(コレ)ナイフ(コレ)一個ずつだけ投げつけてポイは、流石に酷過ぎやしないか?」

 

 

 樹万が手中で弄ぶそれは、一丁の拳銃。決してモデルガンなどではなく、金属の塊を亜音速で吐き出す、れっきとした個人兵装だ。

 

 FN Five Seven. FN社の開発した自動拳銃である。

 口径は狭く、扱う銃弾も小型だが、その分弾の速度を引き上げる。それに合わせ、使用弾丸である SS190 C-Varaniumは先端が鋭利となっており、貫通力にも優れた性能を発揮する。

 また、装弾数も多く、拡張マガジンを取り付ければ最大装填数は30にも上る。これはハンドガンタイプでは破格の数だ。

 

 だが、それらを加味しても拳銃とナイフ一つずつで人食い怪物の跋扈する地に投げ出されてしまうのなら、常人であれば早々と己の歩んで来た人生を振り返り、適当なところで切りあげて銃口を頭部に押し当てることだろう。

 そう。この青年とは違い、常人であれば、の話だ。

 

 

「はあ、文句言ってても仕方ない、か。…実際、二人でいてもあんまり意味なかったしな」

 

 

 そう、実際のところ意味はあまりなかったのだ。

 何せ、敵を効率よく殺しすぎてしまう。相方が片手間に処理していても、あっという間に片がつくほど。

 RPGなどで例えれば、中盤以降の攻略で十分に育ったパーティを用い、初期ステージの敵を倒しているようなものだ。大体味方の一人が小技を出しただけで全ての敵は一撃死。他のメンバーがいたところで、せいぜい置物役が関の山だ。

 であれば、手分けして戦闘を行うことに異論など挟む余地もない。彼もその部分には概ね同意を示せている。

 美ヶ月樹万が不満に思うのは一点。有り余るほど火器類を溜め込んでいるのなら、その中から一割ほどでも分けてくれたっていいだろうに。と、そういうことである。

 

 

「あんのクソ神父、どうせ真面に使うのなんてガトリングくらいだろうに!」

 

 

 ガトリング───ガトリング機関銃。本来なら戦闘機などに搭載して運用されるものであり、個人武装用の火器としては明らかにオーバースペックなものだ。

 青年の言うオッサンという男の使用するガトリング機関銃は、飛行型ガストレアの襲撃により墜落した軍用機からちゃっかり頂戴したという、M197。

 M61から幾つかの銃身が取り除かれ、軽量化が図られたモデルなのだが、それでも本体重量は60kg近い。プラスでベルトリンクを装備するとなれば、到底一個の人間が持ち出せるものではない。

 だというのに、使用者である当人は、これを片手で軽々と持ちながら煙草を吹かすのだから恐ろしい。

 

 

「アサルトライフルの一つくらい持ってっても罰は当たらんだろうに────、っ」

 

 

 取りとめもない思考を凍結させ、戦場に無用な感情を一畳間の隅へ蹴り飛ばす。────敵だ。

 犬も歩けばなんとやら。もっとも、この世界にいること自体、常時そんな危険に晒されているようなものだが。

 

 曲がり角の端に建つ、崩壊した家屋の外壁に背中を貼り付け、セーフティを掛けていなかったFive Sevenを構える。いつ戦闘が起こるか分からない場で、ワンアクションを消費するセーフティを用いるなど自殺行為だ。

 青年の視界には────しかし、怪物は映らない。が、構わず射撃。雷管が炸裂し、標的皆無の軌道上に弾丸が吐き出される。

 それはまさしく暴挙と言うに等しい。素人から見ても、玄人からですら見ても弾の無駄遣いどころか、己の位置を知らせるだけの行為だ。

 弾丸は真っ直ぐ、青年の狙ったモノ────傾いだ街灯にヒット。

 耳障りな金属音が辺りへ響いたあと、何故かそれを上回る化物の断末魔が轟く。最後に重量物の落下震と、石畳の石材が砕ける音もおまけについた。

 樹万は腰のホルスターに銃を仕舞うと、外壁の角を曲がって音源に向かう。

 

 

「ん、やっぱり蜘蛛か。上手く急所狙えてよかった」

 

 

 信じられない話だが、彼は硬質の物体に弾丸が衝突した際に発生する『跳弾』を意図的に発生させ、攻撃を行ったのだ。

 言うまでもないことが、その現象はどちらかと問われればバッドラックに含まれるもので、戦場では自滅やフレンドファイヤーを起こしかねない危険なものだ。

 まず、対象を撃破するために使用するような現象ではない。そして、人為的にコントロールできるようなモノでもないことはあらかじめ理解を願いたい。

 

 

「にしてもこの街、ガストレアに襲われる前は綺麗な所だったろうに。…残念だ」

 

 

 ヨーロッパらしい赤と白が多分に含まれた建築物。油断していると足を痛める石畳。実にドイツらしい景観と言える。

 それも、好き放題あの怪物たちが荒らし回ったお蔭で、家屋は倒壊し、街灯はへし折れ湾曲、石畳の表面には亀裂が走ったり、夥しい量の血痕、挙句の果てには人だったものの亡骸が転がっている始末。

 まさに、世の終わりにふさわしい光景だろう。誰が目にしても、一瞬でこの世界は人間にとって最悪の時代であると理解できる。

 

 余談だが、実は此処。ドイツ国内でも屈指の名所に数えられるほどの地だ。

 しかし、日本の都道府県すら満足に答えられない樹万が、これを知っているはずもないことは推して知るべきことであろう。

 

 

「ッち、弾の無駄遣いは嫌なんだが、何かここらのガストレアどもにむかっ腹がたって来たな」

 

 

 バラニウムは稀少である。世界的な産出量は決して少なくはないが、いかんせん需要がそれを大きく上回ってしまっていることと、埋蔵している土地がかなり偏っていることにより、稀少鉱物というレッテルを貼られることになった。

 

 先進国の殆どはいち早くモノリスというバラニウムの壁を築いているのだが、ガストレア大戦中は建設が追いついていない国々がこぞって手を伸ばしていたため、常時品薄状態であった。

 

 バラニウムの輸出入については、急遽立ち上がった世界機関によって管理されているのだが、残念ながら半ば機能していないも同然で、産出量の多い国による法外な価格の取引が今なお横行している。

 

 故に、途上国の多くは既にガストレアの波に呑まれ、更には此処ドイツを含む、決して国力の低くはなかった先進国の幾つかすら、首都を陥落()とされ国としての機能を失った。

 

 それも全て、今まさに殺されようとしている者を笑みとともに見下ろし、己の揺るがぬ優位性を飴玉の如く味わいながら、救いを求めて伸ばした手を踏み躙る権力者どもの行いによるものだ。

 

 

「馬鹿が。人間同士で潰し合ってどうするってんだ。こんな時まで目先の利益と、たかだか数日程度しかつけられねぇ支配者の仮面に眩む奴がいるかよ」

 

 

 何かを守るため、というのならまだいい。人としては真面な部類の理由による悪事だろう。だが、一部の人間は快楽を求めるためだけに、国を間接的とはいえ滅ぼした。

 たった一人の傲慢が、数万、数億の人間を殺す。仮に大切な誰かを守る行為の先にある結末だとしても、到底受け入れられない犠牲だというのに。

 

 ───人間を殺すのは、いつだって人間だ。

 

 事の善悪を量る天秤が壊れた、ガストレアと大差ない大量殺人を起こす人でなし。そんな外道が一国の主として在る事実。

 何と、度し難いことか。

 

 

「ああクソッ!一番真面じゃなきゃいけない人間の中に、どうしてこう屑が紛れ込むんだ!」

 

 

 あちこち亀裂の入った家屋の屋根。そこにいるガストレアを発見した樹万は、どうにもならなかった非情な現実に咆哮しながら跳躍。屋根の端に降り立つ。

 それを認めた甲殻類、とりわけ蟹に近い姿を取るガストレアは、口蓋をバカリと開け、猛烈な速度で消化液を排出。当たれば当然、ただではすまない。

 一方の樹万は、屋根の石材を蹴り飛ばしながら()()()吶喊。その途中、中段で構えた拳を放ち、目前に迫っていた消化液を爆発四散させる。

 

 

「弾け飛べ」

 

 

 肉薄は一瞬。そして、阿呆らしく口蓋を開けたままの怪物へめり込む、弱者であるはずの人間の拳打。

 直後に烈風が炸裂、ガストレアの後方にあった屋根の石材がまるごと砕ける。それから一歩遅れ、衝撃を受けた対象がベクトルに則って移動を開始。

 つまりは、思いっきり後ろへ吹き飛び、石造りのカール・テオドール橋の路面に穴を空けると、一際大きな河川…ネッカー川の川面へ激突したのである。

 そして、推定十メートルにも届く巨大な水柱を立てた。

 

 

「ふー。少しスッキリ、っと」

 

 

 ストレスの解消による笑顔を零しながらも、腰のFive Sevenをドロウ。寄って来た飛行型ガストレア二体を碌な照準も無しに撃ち抜く。

 それに喜ぶ間もなく、樹万は屋根から空身で飛び降りる。最中に左右の壁面に貼りついていたガストレア三体を速射。いずれも急所へヒットする。

 着地は石畳の上───かと思いきや、ガストレアの背である。しかし、彼は承知の上であったようで、

 

 

初めまして(Es freut mich)地獄に落ちろ(Fahrt zur Hölle)!」

 

 

 前口上を放っての容赦ない射撃。再生不能の脳髄に弾痕を穿たれたガストレアは、まるで背に乗る人間の重量に屈するような形で足を折り、絶命する。

 続けて右に二体のガストレアをFive Sevenで射撃。それと同時に腰に差したナイフを抜き、半回転させ向きを上方へ。続けて腕を後方へ引き、

 

 

「オッサン直伝・『五月蠅けりゃ青い鳥も撃たれる(アメノワカヒコノカミ)』」

 

 

 空気を裂く音を響かせ、ナイフが手から『射出』される。その速度は銃弾をも超えるほど音速に近く、被弾した左方のガストレアは、頼りにしていただろう外殻を容易く撃ち抜かれて力尽きる。

 肉を貫き、石畳に深々と突き刺さったナイフが、弔うかのような高音を辺りへ振りまいた。

 それを厭うように樹万は跳躍、すれ違いざまにナイフの柄を取り、続けて石畳を蹴ると、迫る家屋の壁面を使用して月面宙返り(ムーンサルト)。ガストレアの背に舞い戻った。

 そんな最中に見えたのは、ぞろぞろと此方にやってくる怪物たちの行列。どうやら、先の芸には周囲の索敵という意味があったらしい。

 

 

「ま、これだけドンパチ騒ぎやってりゃ、オーディエンスが増えるのも道理ってもんだよな」

 

 

 左右から、その怪物の鳴き声が近づいて来る。とはいえ、一匹一匹はステージⅠ程度なので、バラニウムで武装していれば常人でも対処は可能なレベルだ。

 

 しかし、大挙して押し寄せるとなれば話は別である。

 

 体躯が大きい分、照準も上下左右と振れるし、狙いがつけにくい。そして何より、己を喰らわんとする怪物が迫る恐怖だ。これに耐え、平静を保つことができる者はごく少数だろう。

 樹万は足場をガストレアの背から石畳へ変える。が、彼は何を思ったか、そのガストレアを片手で掴むと、フッと息を吐いた後に目を瞑る。

 

 

開始(スタート)。ステージⅡ、形象崩壊のプロセスを介せず体内組成のみを変換。適正因子からの遺伝子情報共有、完了。単因子…モデル・ベア』

 

 

 ホッキョクグマの因子を持つガストレアウイルスを走らせ、体内組成を限りなく対象生物の構成に近い形へ変化させる。この間、僅か三秒。

 現代科学でも到底考えられないレベルの細胞変異速度。ガストレアウイルスを発見した当時の科学者たちが、遺伝子改変する過程を見て卒倒しかかったのも頷ける話だろう。

 

 目を開けた美ヶ月樹万の目は、血に濡れたかのような赤色をしていた。

 それは、ガストレアであれば必ず有するという、赤く発光する眼球と酷似したもの。

 

 

「ラァッ!」

 

 

 樹万は熊の因子により強化された腕力で、実に数百kgはくだらないガストレアの亡骸を持ち上げ、右方の道路先へ向かって投擲。

 今まさに彼に仕掛けようと目論んでいた先頭の鼻っ面に肉の塊が衝突。堪らず後方へもろとも吹っ飛び、更に後続を巻き込んで外壁へ大穴を空ける。

 その隙に石畳を割るほどの踏み込みで接近した樹万は、サンドイッチみたく折り重なった怪物たちへ向かい、風を纏う拳打を振るう。

 

 

「これがッ、熊さんパンチLevel2だァッ!」

 

 

 雷でも落下したのかと勘繰るほどの轟音。次の瞬間には拳の先にいたガストレア全員が破裂し、紫色の液体を辺りへ振りまく。余剰分の衝撃波で外壁は完全に崩れ、家屋にも穴が開いた。冗談のような光景だ。

 さきほどは街の景観がどうとか言っていたが、言っていた当人の行いによって更に被害は広がるばかりである。

 ドイツ…ハイデルベルクの誇る旧市街を次々と破壊し、屈指の観光スポットであったカール・テオドール橋にも穴を空けた。

 

 

「ったく、めんどくせぇ。迎撃はやっぱり一本道に限るなぁ」

 

 

 退路の開けた右方の道を走りながら愚痴をこぼす樹万。ちなみに、熊の因子を発現させているため、その速度は人間を大きく逸脱している。

 流れる景色は次々に代わり、一際大きく欠損している家屋の隙間から覗いた先に…それはあった。

 

 

「へぇ。あの城、面白そうだな」

 

 

 ───ドイツ三大名城の一つである、ハイデルベルク城だ。

 

 




ドイツにゆかりのある方、もしくは好きな方、気分を害してしまわれたら申し訳ありません…。

樹万の戦い方は基本派手なので、どうしても市街に被害が出てしまうのです。
あとはまぁ、破壊力を表現するためには、周囲にあるものをぶち壊すのがやり易いですし、分かりやすいのです。…分かりやすいですよね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

First Contact -Ⅱ-

ドイツ旅行してみたいです。(フォローの意も込めて


 男は、昔見た映画の一つで、まさにこういうシチュエーションのワンシーンがあったな、と霞がかった思考を巡らせた。

 

 その時は、果たしてどう思ったのだったか。怪物どもが外をうろつく恐怖と、己の命が尽きていく事実に絶望する登場人物たちを見て。

 大方、『もっと良いやり方があるだろう!』とか、『僕だったらこうするね。これなら、もっとうまく立ち回れるに違いない!』とか、スナック菓子の袋を漁りながら偉そうに語っていたに違いない。

 今となっては、そんな過去の自分を殴ってやりたい気持ちであった。

 

 

「……」

 

 

 男の名をフェリクス・カント。ハイデルベルク市街で喫茶店を営んでいた、普通の人間だ。今年で35歳になる。

 元々フランクフルト在住であったが、都会の空気が嫌になり、行員を辞め、ハイデルベルクに越してきて喫茶店を始めた。お手本のような人生の急転換だ。

 無論、そうするに際しての不安はあった。というより不安しかなかったフェリクスだが、そんな思いを尻目に店の経営は日を追うごと軌道に乗り始め、妻と子にも恵まれた。

 気がつけば、パソコンのキーを打つためだけのものだと自嘲していた己の手は、常連客に『アンタのコーヒーは世界一だ!』と言われる程のものを挽けるようになっていた。

 だから、この場でもやっていけると思った。ここで順風満帆の人生を続けていけるものだと。

 

 しかし、世は非情であった。

 

 突如現れた人を殺す怪物(ガストレア)。ハイデルベルクは瞬く間に、それらに侵略された。

 軍が決死の覚悟で応戦していたが、防衛線はみるみるうちに後方へ押しやられた。それを友人の伝手で知ったフェリクスは恐慌し、食料の多くを車に詰め込んでハイデルベルク城へ一人避難した。…家に妻と子を残して。

 城は複雑に入り組んでおり、立て籠もれば助かると思ったのだ。そして、そのうちに軍が応援を寄越し、あの怪物どもを駆逐してくれると。

 

 この判断の結果を言うなら。半分が正解で、半分が不正解であった。

 

 フェリクスのした、城の構造上ガストレアに見つかりにくいという判断は、正解だ。暗所や狭所を好むものがいれば結末は変わってしまうが、幸いそういう類の生物がここに近づくことはなかった。

 そして、軍の応援が来る、という判断。これが不正解だ。あの時は既に首都であるベルリンすらガストレアの侵攻を許し、国としての機能の大半を失っていた。

 寧ろ、各地に散在する彼らに、ベルリンへの結集命令が出ていたのだ。応援など永遠に来る筈もない。

 

 そんなことは、三か月にも及ぶ籠城生活で、とうに分かり切っていた答えだった。

 

 一過性の恐怖に任せて保身に走った結果がこれだ。その報いとして彼は己の大切なものの全てを失い、失意の底に沈みながら辛うじて生き続けるだけの木偶の坊と化した。

 フェリクスは妻と子に謝りたかった。本当に済まなかったと。

 そして、出来るのなら二人の手で、死の怖さ故に尚も生きようともがく臆病者の命を終わらせてほしかった。憎悪の眼差しも、怨嗟の言葉も、受け入れる覚悟はあるのだ。

 だが、とフェリクスは思う。こうして生き続け、苦しみ続けることこそが、己に科された罰なのではないかと。

 

 そうして、フェリクス・カントはハイデルベルクで、ただ一人の生存者となった。

 尤も、この衰弱しきった彼の状態を見て、手放しに幸運だったと評せる者はごく小数に限られるだろうが。

 

 ───と、それまで濁った眼で地面を眺めていた彼の視線が動く。

 

 

(なん、だ…爆発?)

 

 

 幻聴ではないはずだ。微かに振動も感じる。

 フェリクスは思わず身体を動かしかけるが、思った通りに足へ力が入らず、赤い石材の地面に顎を強打する。その激痛に悶絶しつつも、声だけは出すまいと口を噤む。

 長い期間に渡り碌に運動もしていない身体では、全盛の頃の意識のまま四肢を動かすとこうなる。それを学んだフェリクスは、血の味がする唾液を嚥下し、ここに来てからずっと使っていた、石材の隙間という監視場所を覗く。

 ごく限定的な地点しか見えないが、他に二つほど少しずつ掘削して作成したものがあるのため、それと合わせれば大まかな外の状況を掴める。

 そして、フェリクスが現在覗いているのは、旧市街の景色が見える小穴だ。

 

 

(!…町から煙が、上がってる)

 

 

 籠城期間中、ガストレア同士が争う騒ぎなど一度たりともなかった。

 つまりは、あの怪物以外の何かが、あそこで暴れ回っている、ということだ。

 

 

(何だ、一体何なんだ?今更どんな化物が湧いて出てきても、僕の結末にそう変わりはないだろうし、特に驚くことなんかないけど…)

 

 

 フェリクスは手元に落ちている缶詰の空容器を注意しながら横に退け、石材の壁に背を預けて深く息を吐く。

 ────鼻孔を抜けていくのは、すっかり慣れた腐臭と、汚物の臭いが入り混じった空気だ。

 何となく投げた視線は、食べ物や飲み物の入っていた容器が山積する窪地や、糞尿がぶちまけられた部屋の隅、外へ続く鉄柵と、順繰りに移っていく。

 

 もうそろそろ、食料が尽きる。そこが、同時に彼の命運も尽きる時だ。

 

 フェリクスは、望んでもない殺された方をした挙句、苦しみ喘いで死ぬのは嫌だった。

 だからこそ、その最たるものと言える、ガストレアに腸を食まれて死ぬ結末だけは避けたかったのだ。

 なら、このままゆっくりと衰弱していくことが、いずれ迫られる死の中では最善の選択肢であろう。…そう、結論した。

 

 

「……」

 

 

 この後に及んで楽な死に方を模索する己の臆病さに苦笑いを零すフェリクスだが、その臆病さのお蔭で、ここまで生きながらえたのだ。

 とはいえ、逃げ続けるだけの弱者が勝利を掴めるわけもなく。

 過程は違えどもたどり着く道は一緒で、『死』なのだから────、

 

 

『アッ!やべぇ!』

 

 

 直後、何の前触れも、何の事前通知もなく己が背を預けていた石材を何かが突き破り、フェリクスはゴミ溜めの中に頭から突っ込んだ。

 

 壮絶な異臭が彼の鼻を衝く。三か月間も放置し続けたそれは、少し離れた場所に居さえすれば生活臭としてギリギリ許容できたが、流石にこうも近場だと次元が違う。

 軽くえずきながら頭を引っこ抜き、混乱の渦中に放り込まれた状況のまま、ただ一つ理解できる『異常事態』という認識を頼りに現場の評価を試みる。

 

 

「ィヒぁ…!?」

 

 

 三か月間にわたって動かして来なかった声帯を唐突に使用した所為か、悲鳴の音程が何処か上擦る。

 そう、悲鳴だ。彼はガストレアとの命がけのかくれんぼを何としてでも続けるため、ここに来てから一度たりとも声をあげていなかった。

 だというのに、その努力を一瞬で水の泡にする暴挙を、たった今行ってしまったのだ。

 

 しかし、そうなるのも当然である。フェリクスの目前には、己をこんな場所へ閉じ込めるに至った元凶が転がっているのだから。

 

 ────男は、有り余る時間を怪物(ガストレア)のとる姿の想像に費やした。

 人の恐怖の具現。死の御使い。この世ならざる者。災厄の悪魔。人の業の裁定者。…どれもが等しくフェリクスに絶対の死を抱かせるには十分な(すがた)をしていた。

 

 故に。

 

 『ソレ』が顕れたショックは並大抵のものではなく。

 

 

(あ、あああああああアアアアアアアアアア────)

 

 

 ああ、死ぬ。殺される。殺される。喰われて、貪られて殺される。千切られて、碎かれて、潰されて、掻き回されて殺される殺される殺される殺される嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ────!

 

 

「おお!大丈夫だったか、そこのアンタ!」

 

「……ッ?」

 

 

 ずっと忌避していたはずだった『死』一色に塗りつぶされる感覚からフェリクスを救い上げたのは、もう二度と聞くことはないだろうと諦めていた、懐かしい母国の言葉であった。

 

 束の間、ここに居る限りは鼻孔を絶えず侵す異臭と、鼓膜を叩く耳障りな小蠅の合唱を忘れる。

 フェリクスは息を呑み、まさか、という言葉を何度も心中で繰り返す。目ヤニだらけの瞼を擦り、視覚から受け取れる情報の精度を少しでも引き上げようと足掻いた。

 

 ずっと身を隠していた、文字通り『最後の砦』に開けられた穴に現れたのは、フェリクスより小柄な人型だった。

 

 

「とりあえず、外の怪物どもは粗方始末した。動けるか?…いや、無理そうだな」

 

 

 フェリクスのもとへ近づいて来る人型。あまりの衝撃に、都合の良い幻覚だと疑って逃げる気力すら湧かなかった。

 逆光が弱まる。少しずつ、その輪郭が定かになっていく。

 そして、その度にフェリクスの四肢から力が抜けていく。何故なら、

 

 

「そら、少しずつ立てるようになってくれ。これからも世話になる両足だろ?」

 

 

 彼に救いの手を差し伸べたのは、あまりにも普通の人間で、普通の青年だったからだ。

 

 

 

          ※※※※

 

 

 

 フェリクス・カントは美ヶ月樹万の手に引かれ、苦労しながらハイデルベルク城の一画、その小部屋から這い出る。

 三か月間にも及ぶ籠城生活で、完全にフェリクスの筋力は衰えており、何とか樹万の肩に手を回して立っている有様だ。

 そんな状況ながらも、『生きている人間』との邂逅の衝撃から立ち直ったフェリクスは、真っ先に聞きたかった言葉を樹万へ投げかける。

 

 

「き、君は軍の人間なのか?」

 

「いいや?この髪とか肌を見れば大方分かるだろ。完全にこの土地、果てはこの国とは縁もゆかりもない異邦人だよ」

 

「縁、も、ゆかりも…ない?」

 

 

 そんな馬鹿な、とフェリクスは思う。確かに樹万の髪色、肌色を総合すれば、こういう棲み分け自体を知らない人種以外は東洋人であると断言できるだろう。

 だが、それはおかしいのだ。何故なら、既にこの世界は、

 

 

「どうやって、こんな所にまでこれたんだ。もう飛行機だって、飛んでないだろう?」

 

「ああ、俺は世界中にわんさかいるガストレア…あの怪物どもを殺して回ってるからな。その道中に寄ったのさ」

 

「───────」

 

 

 言葉を完全に失うフェリクス。それを見る樹万は、まぁ仕方ないかと思う。

 ガストレアに蹂躙された経験を持つ人間は、あんな化物に敵うわけがないという意志の擦り込みが為されるからだ。軍の持つ銃火器を喰らっても侵攻は止まらず、数日前まで在った己の日常の悉くを破壊した張本人なのだから、そうなっても不思議ではない。

 『ガストレアに、人間は太刀打ちできない』。世界中の人間が聞けば、半数は渋面を作りながら地面を睨み、黙考してしまうだろう言葉。

 それを、美ヶ月樹万は鼻で笑って聞き流す。

 

 

「怪物らしい見た目だけどな、あいつらも結局生き物だ。心臓があって脳がある。…なら、殺すことはできる」

 

「だけど、僕たちは負けた。それは、人間よりも強かったからだろう?」

 

「そうだな。でも、そんなの今更だろ。人間は元々、動物界隈じゃ最弱に等しい生き物だ」

 

 

 力も弱い、足も遅い、視力も弱い、聴力も弱い、嗅覚も弱い。ただ、頭だけは少しばかり達者で、手先が器用。それが人間だ。

 そんな輩に、予想外の外敵をぶつければどうなるかなど瞭然だろう。力押しにはめっぽう弱い人間など、あっという間に潰されていくに決まっている。

 

 

「でも、俺たちは研究ができる。敵の行動や性能、それから弱点を導き出すことができるんだよ」

 

「じゃあ何だい?その弱点とやらを、見つけることができたとでも?」

 

 

 フェリクスの疑いを多分に含んだ問いかけに、樹万はニッと口角を上げて見せてから、腰に差していたFive Sevenを素早くドロウ。これが答えだと言わんばかりに構えた。

 その鮮やかな挙動に一時は息を呑んだフェリクスだったが、掲げたものが拳銃だと分かると、城の外壁に手を付いて顔を覆い、首を振った。

 

 

「君は、そんなおもちゃでガストレアを殺せるとでも、思っているのか?」

 

 

 久しぶりに喉を動かすからか、フェリクスの言葉は妙なところで途切れる。

 それでも、問いかけなければ気が済まなかった。

 フェリクスは、ガストレアと人間の行う戦闘を見ている。故に知っているのだ。ガストレアに対し銃火器を持ち出すのは意味の無い行為であると。

 

 

「軍の特殊部隊は、拠点防衛用のマシンガンを、設置していた。道幅の狭い路地が続くハイデルベルクじゃ、こういった弾幕を張れる武器が最適だ」

 

「なのに、負けた。か」

 

「そうだ。ということは、あのガストレアという怪物、銃弾を無効化するほどの力を持つ、ということだろう?…マシンガンでも駄目だったんなら、ハンドガンなんて話にもならないよ。ふざけないでくれ」

 

 

 フェリクスは期待を大きく外されたからか、節々に苛立ちが混じり、言葉尻が少し跳ねる。

 こんな絶望的な状況下にある人間を助けに現れたのだ。それは凄まじい装備を纏っているに違いない、と思うのは至極当然なことであり、事実そうでなくては、怪物蔓延る人間の世が終わってしまった廃墟になどやって来れる訳がない。

 

 呆れと怒気を含む言葉を浴びせかけられた樹万は、返答の代わりに肩を竦めてから、()()()()()()()()銃のセーフティを外す。

 

 ────フェリクスはホラーやパニックといった映画を好んで鑑賞していたからか、銃器に少しだけ詳しい。

 ならば、この行為の意味するところは、

 

 

「っ?!君、まさか!」

 

 

 樹万の向ける銃口の先に立っていたフェリクスは、その暴挙に青ざめて後ずさる。が、背後はハイデルベルク城の分厚い壁。退路は皆無。

 意味などないと分かっていようと、痛みから少しでも逃れるために思わず顔を背けるが、それより少し前にトリガーが引かれ、銃声が重なる。

 

 

「────え?」

 

 

 轟音は、立て続けに3つ。

 

 一つは、フェリクス・カントがねぐらにしていた城の小部屋で蠢いていた怪物へ。

 一つは、頭上から奇襲をかけようと急降下し、今まさに美ヶ月樹万へ迫っていた怪物へ。

 一つは、背後に茂る木々の合間から様子を窺っていた怪物へ。

 

 それぞれ全て、首を動かすことも、眼球を動かすこともなく。肩から手を動作させる挙動だけで、殺した。

 何が起こったのかよく分からないフェリクスの眼前に、重い落下音を響かせて降ってくる亡骸。地面へ乱雑に投げ出された頭部からは、夥しい量の体液が噴き出していた。

 フェリクスは、もしやと思い背後を振り返る。そこには、同様に頭部を撃ち抜かれたガストレアが横たわっていた。

 

 

「結構しぶとかったな、ソイツ。首ねじ切った後にブン投げたんだが、まだ息がありやがった」

 

「さっきの、は」

 

「ああ、コイツらを始末するためだよ。…何だ。もしかして、打ち殺されるとでも思ったか?」

 

 

 フェリクスは気の抜けたため息を漏らしながら、ゴツゴツした石の城壁に背中を擦るのも構わず、音を立てて尻もちをついた。その様子では、誰が見てもそう思っていた人間の反応であると分かる。

 樹万は笑顔を零しながら、年季の入ったバックパックのベルトに掛けたウエストポーチを探り、あるモノを投げた。

 

 

「っとと!…これは、銃弾?」

 

「そう。バラニウム弾って名前の銃弾だ」

 

「バラニウム…聞いたことの無い名前だな」

 

 

 およそ銃弾には似つかわしくない、黒い光沢を放つ金属。

 とはいえ、普通の銃弾と比べても変わったところは色くらいで、感触や見た目の構造は殆ど同じだ。

 フェリクスは親指と人差し指で挟むバラニウム弾から視線を外し、今度は不思議そうな顔を作ってから樹万の方へ目を移す。

 

 

「これが、ガストレアに有効な武器かい?」

 

「そうだ。バラニウムはガストレアの再生能力を阻害するからな」

 

「再生?…ということは、皮膚が堅すぎて、銃弾が効かないわけじゃなくて、傷を受けてもすぐに再生するから、僕達人間は、奴らを倒せなかったのか!」

 

 

 超常の怪物に銃弾が効かない、というのは、フェリクスの見て来た映画でもよくある話だった。寧ろ、怪物なら銃弾くらい無効化して当然、とまで彼は見ている。

 作品にもよるが、その場合は大抵、戦車装甲並みの分厚い皮膚や外殻を備えている、といった要因が多い。ホラー系だと、心臓部を失わない限りは動き続けるアンデッドなどが相場だろう。

 創作の世界であれば、傷の超再生という考えも或いはフェリクスの中に生じたのかもしれない。しかし、ここはフィクションなどではなく現実世界だ。

 かすり傷さえ数日かけなければ治らないような人間が。また、それを至極当然と捉える人間が、マシンガンを浴びて出来る傷を秒単位で再生可能な生物など、到底考え至るようなものではない。

 

 

「じゃあ、さっきアイツらを殺せたのも」

 

「そう。コイツをぶち込んで、再生不可能な致命傷を負わせたからだ」

 

 

 であれば、軍が負けた理由は単純明快だろう。

 彼等は鉛玉を使用し、美ヶ月樹万はバラニウム弾を使用した。それが、両者の間にあった決定的な差だ。

 ならば。とフェリクスは眉を顰める。

 

 

「何故そんなものがありながら、僕達の国の軍は通常の銃弾を使用したんだ…?」

 

「……」

 

 

 樹万は言い難そうに言葉を詰まらせる。これは決して、フェリクスにとって耳ざわりの良い言葉ではないし、今すぐに知らずとも良い真実だったからだ。

 しかし、樹万はその逡巡をすぐに止めた。

 所詮、少し遅いか速いかだけの違いだ。それに、この男にはもう一度立ち上がってもらわなければならないのだ。

 少々刺激は強いが、所々()()を混ぜれば緩和できるはず。だから、『コレ』を糧にして、地獄のような現実へ歯向かう意志を持っていただこう。…できれば、人間のまま在れる望みを選び取って。

 そう、いつかの己の姿を思い出しながら、美ヶ月樹万は思った。

 

 

「バラニウムは主に火山列島に偏在する」

 

「火山に?でも、ドイツは───」

 

「そう。ドイツに火山は一つ。それに合わせ、周囲の鉱脈もごく小規模にとどまった」

 

「ということは、僕達の国はバラニウムに恵まれなかった、と?」

 

「その通りだ。だが、そうであっても埋蔵量の多い国から取り寄せればいい」

 

 

 フェリクスは段々と先が読めて来たのか、みるみるうちに表情が苦々しいものへと変わっていく。

 一方の樹万は、感情を除き、淡々と事実のみを説明する役割に徹する。

 

 

「その要請を、ある国は無視し、ある国は莫大な額の金を要求し、それを返答とした。何故なら産出国もまた、ガストレアを退けるために必要なバラニウム量の試算が明らかにできていなかったからだ」

 

「馬鹿な!だからって僕達を、他の国に住む数億の同じ人間を、見殺しにするのかッ!?」

 

 

 フェリクスは激昂する。その直後に、長期間使っていなかった喉を急激に動かしたためか、激しく咳き込んだ。

 樹万は思う。彼の怒りは尤もであると。しかし、世の中は正しいことばかりで成り立っている訳ではない。

 

 その方が理に適っているから。その方が人道的だから。

 

 否、形だけの正しさなど、己の身や価値あるモノが天秤にかけられれば、あっという間に消えてなくなる。

 

 

「ああ、そうだ。やつらは自分の国を守るために、他の人間全てを見殺しにしようとした。…けど、それは間違ってるか?」

 

「…!」

 

「自分を満足に守れる盾を作れる確証もなしに、他の誰かのためにその資材を(なげう)つことなんて、出来るか?アンタに」

 

「それ、は」

 

 

 フェリクスは認めたくなかった。これが正論であると認めてしまえば、己は母国を滅ぼした人間と同じ穴の狢と化してしまう。それだけは何としても避けたかった。

 樹万は、そうして懊悩する彼を見てから、背を反らして雲のばらつく青空を眺める。

 ────愚かしくも甘言を重ねようとする己自身を嫌悪した、その顔を見られまいと。

 

 

「誰も、間違ってなんかないんだよ。誰かの正義が、他の誰かの正義と同じとは限らないんだから」

 

「何が、いいたいんだ」

 

「自分一人の正義を、『絶対』なんて思うなってことだ。…突き詰めちまえば、仲の良い隣人でさえ、守りたいものも、大切なものも違うんだ。国のトップ同士なんて、そりゃあもっと顕著だろうよ」

 

 

 樹万の言葉に、フェリクスは顔を覆って奥歯を噛み締める。

 分かっていた。彼だって分かっていたのだ。考える時間なんて十分にあったのだから。

 でも、譲れなかった。こうして、個々人の持つ『正義』を樹万から聞かされてもなお、フェリクスにとっての悪は母国を滅ぼした人間だった。

 

 

「僕の…正義は。悪は」

 

「ああ」

 

「それでも。僕の正義と悪は、変わらない」

 

 

 例え、それでどこかの国が滅んでしまおうとも、フェリクスは我が母国を見捨てた人間を赦せはしなかった。

 どれほど片側の天秤に大勢の人の命が載ろうと、彼の愛妻と愛し子の価値は揺るがない。

 酷い人間だと、フェリクスは己の導き出した結論に自嘲する。多くの人にとって、これは『悪』と成り得るものだろうと。

 それでも良かった。もとより、人間の抱く感情に理屈など通じないのだから。

 多くの者が救われたからといって、切り棄てられた小数が納得できる訳がない。つまりは、そういうことだ。

 

 

「お願いだ。もうしばらく、僕に生きる時間を与えて欲しい」

 

「つまり、アンタは俺に、この地獄から抜け出す手助けをしてほしいと?」

 

「その通りだ」

 

 

 フェリクスのした嘆願は、普通であれば断る申し出だろう。

 ここは幾分か落ち着いたが、少し歩けば確実にガストレアと出くわす。武装していようと、四方を囲まれればお終いだ。

 それでなくとも、美ヶ月樹万は武器が圧倒的に不足している。幾ら複数の敵を相手に立ち回れる高い戦闘力を有していようと、それが長期に渡って続けば疲弊もするのだ。そこへ庇護対象というハンデを負うなど、ただでさえ頼りないプラス要素が無に帰すどころか、マイナスに傾く判断だ。

 それを分かっていないはずがないのに、美ヶ月樹万という青年は悠然と笑みを浮かべ、

 

 

「いいぜ。ここからなら、アンタ一人くらいどうってこともない」

 

「…自分から申し出ておいてなんだけど、本当に?」

 

「ああ、そういや言ってなかったな。俺がこうして時期を完璧に間違えた世界旅行をしてるもう一つの理由」

 

 

 言いながら、樹万はFive Sevenのマガジンを抜き、取り出した別のマガジンを挿し込む。そして、フェリクスの背後に鎮座する、とあるモノへ照準。

 二秒ほどの間を空け、トリガーを引き込み発射。連続して響く跳弾の音に混じり、一際甲高い音が応答する。その音源は真っ直ぐに樹万の広げていた手中に向かって飛翔し、収まる。

 それは、ひしゃげた魚の缶詰だった。

 

 

「俺とは違って、望んでも無い地獄に放り込まれちまった連中を助けるためさ」

 

「────」

 

 

 絶句するフェリクスの隣に、チン、という音を立てて、独楽のように回転する銃弾が落下した。見ると、それはバラニウム弾ではなく、ただの鉛玉であった。

 常識外の絶技を目の当たりにしたフェリクスは、着弾した際にできた穴から缶の中身を流し込む青年を半笑いしながら眺めることしかできなかった。

 

 実のところ空腹であった樹万は、あっというまに中身を全て平らげると、山積みになったゴミ溜めへ空き缶を投げ込んだ。

 放物線を描いて飛んだ缶は見事てっぺんに落下して留まるが、その拍子に弾き出された別の空き缶が山肌を転げ落ち、最底辺である地面へ衝突して止まる。

 

 

「で?ここから生き残って、その先はどうするつもりだ?…復讐でもするか?」

 

「え、と…それは」

 

 

 唐突な踏み込んだ質問に面食らうフェリクス。

 言われて気付いたが、『この先』など城に逃げ込んでから一度だって考えたことなどなかった。

 先の生きたい、という発言は、滅ぼされた側からの滅ぼした側へ対する意趣返しのような考えから生じたものだ。今後の望みではない以上、樹万の投げかけた問に返す答えとしては正しくない。

 

 フェリクスは考える。己の正義に悖ることない『これからの目標』を。

 そして、彼の導き出した答えは。

 

 

「まずは、妻と子の墓を建てるよ。それからのことは、そこから考えるさ」

 

「そうか…うん、いいな。前向きな答えで安心したよ」

 

 

 笑顔で答えたフェリクスに、同じく笑顔で応える美ヶ月樹万。

 

 しかし───Five Sevenに挿していたマガジンを抜き、ウエストポーチから取り出したバラニウムのものに替え終わると、鉛玉の入ったマガジンを宙空に放って───一言。

 

 

 

 

「復讐の内容によっちゃあ、ここで殺してたからな」

 

 

 

 

 そう、冷たく言い放った。

 

 言葉は、路面に落下したマガジンが鉛玉をぶちまける音で、全て掻き消された。

 




そういえば、存続している諸外国って原作でもあまり明言はされていませんよね。…たぶん。
原作が出ていたとして、果たしてドイツは滅ぼされていなかったのだろうか。

一応、序列二位のイニシエーターが出身ドイツなので、もしかしたら存続してる設定だったのかもしれませんね…。

補足:ガストレア大戦後なので、バラニウムの存在は周知の事実であったはずですが、その情報共有は国の要人から、主だって使用する軍などに留まり、市民への告知はほとんど為されなかった、という設定となっております。(ただし、現時点でモノリスの建造を終え、安全がある程度確保されている国はこの限りではない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外
夏世とおやすみ


滑り込みセーフ(アウト)!

何とか年内に更新できました。番外編ですけど。
この話は血みどろバトル一切無し、終始夏世ちゃんとオリ主とのイチャコラを描き続けております。なので、肩の力を抜いてお楽しみいただけると作者としては幸いです。

機会があれば、飛那、ティナの両者も更新しようと思っているので、作者の気まぐれではありますが頭の片隅にでも置いておいてくれると宜しいかと。※期待し過ぎは厳禁です(汗)

ち、ちゃんと本編も描きますよ?


 新たな環境というものは、得てして元いた環境より落ち着きにくいものだ。中でも、住む家を変える、というのは、それを最も明確に感じることができる手段だろう。

 

 新居特有の匂いや目にしなかった色調、家具の配置や部屋数、以前あったものがなく、無い筈のものがあるという違和感。そして、それらに昂揚感を覚えることもあれば、寂寥感に襲われることもある。

 

 こういった感情に悩まされているのは、偏に引っ越しや事務所の移転などの経験がほとんどなかったことの裏付けではあるのだが、それも時期になくなるのだろう。

 

 日が経つにつれて昔日の記憶は薄れ、現在の記憶が蓄積されていき、一度目にした新鮮さは数を増す毎に見慣れた感情に変化する。何しろ己の家なのだから、こと環境においては他の何よりも目にする機会は多い。

 

 単純ではあるが、年数が経てば新居もそうではなくなる。そして、人間と言う生物は順応性が高い生命体だ。大抵の場合は数か月もすれば、よほど劣悪な環境下でもない限り、ある程度はその場の有用性を見出し、ストレスを緩和していくのだろう。

 

 

「ほぁー、ユニットバスって実は不便だったんだな。この広さと自由さを知ったら到底戻れないわ」

 

 

 尤も、有用性が想像以上に高かったら、しち面倒くさい感情論や言い訳など即刻かなぐり捨てて全力で現状を受け容れるのだが。

 

 興奮してしまうのも許して欲しい。以前の民警事務所兼我が家の風呂場は、トイレ込みの浴室、つまりはユニットバスだったのである。

 

 それがどうしたという疑問を持った人は、とりあえず俺が言うことを今すぐに考えて見て欲しい。トイレには普通トイレットペーパーや足置きマットなどがあるだろう。それらが同じ部屋に存在している中でシャワーやふろおけの湯をぶちまけたらどうなる?普通に考えてびしょ濡れだ。ということで、身体の洗浄も浴槽の中で細々としなければならない。

 

 今まではユニットバスしか使った経験がなかったため、寧ろ毎日風呂が入れるだけ贅沢だと思いながら、飛那共々特に不満も無く使ってこれていたのだが、浴室を浴室であるがまま惜しげもなく使用できる開放感を知ってしまったら、今までの風呂で満足していた自分に向かって、木製の風呂桶を思い切り叩きつけて良い音をさせてやりたい気分に駆られる。

 

 

「まぁ、いいや。知らぬが仏っていうしな」

 

 

 世の中には便利なものなど掃いて捨てるほどに溢れている。仮にそれら全てを手に入れたとして、出来上がるのは怠惰を極めたダメ人間一人だ。まともな感性と価値観を保つには、少しくらい不便なくらいが却っていいのである。

 

 俺は湯冷めしないうちに手早く下着と簡素な黒い長ジャージ、そしてシャツを身に着けると、バスタオルを首にかけて脱衣所を出る。そこからダイニングまで続く廊下を歩き、湿った足の裏が冷たい廊下の表面と吸い付く感触を楽しむ。

 

 

「ん......?」

 

 

 居間の奥にある冷蔵庫を開け、愛飲しているインスタントコーヒーを取り出していた時にふと気づく。そういえば、風呂上りにいつも特攻してくる三人娘がいないな、と。

 

 そんな疑問を頭の片隅におきながら、木製の食器棚を開け、調和のとれた波状の木目が印象的なキッチン台に黒いカップを置く。これは飛那が俺の誕生日プレゼントに選んでくれたカップで、是非コーヒー好きである俺にもっと美味しいコーヒーを、という意を込めたものらしい。

 

 そんなことを思い出して目じりを緩めながら、お気に入りのカフェオレ用のミルクを取り出し、小鍋に注いで火にかける。次にカップへコーヒーの粉末を入れ、ぬるま湯を少し注いでかき混ぜておく。

 

 ふと立っているキッチンからダイニングの方を見回し、誰もいないことを確認。次に耳を澄ませてみるが、目立った物音もしない。一応一等地に建つビルの一室なので、防音はかなり効いている。流石にそれぞれ割り当てられた部屋にいるのかどうかまでは()()()()じゃ分からない。

 

 意識の変化でもあったのだろうか?そう思いながら小鍋にかけていた火を止め、ミルクの温度を確認してからカップに注ぐ。途端にコーヒー特有の香ばしい芳香に柔らかい色が混ざり、思わず呼吸を深くする。やはり風呂上りはこれに限る。

 

 至福の時を暫し味わったあと、無いと落ち着かないコースターをカップの底に敷き、ちびちびと口をつけながら一度来た廊下を再度歩く。そして、浴室のある扉の二つ手前にある自室の扉を開けると、中に人の気配を感じた。

 

 

「あ、樹万さん。湯加減はどうでした?」

 

「おお、ばっちりだったぞ。熱すぎず温すぎずで、俺好みの温度だった」

 

「それはよかった。っと....はい、読中の本です。栞が随分と草臥れていたので、新しいものと交換しておきました」

 

「助かるよ」

 

 

 俺の使っているシングルベッドの中央に腰かけていた夏世は、茶縁の伊達メガネをかけ、枕を抱きながら自分の保管している本を読んでいた。体勢的というか、間に挟んだ枕のせいで読みにくいのではと思ったのだが、本人は全く気にした様子も無く控えめな笑顔を浮かべている。外ではほぼ一貫して無表情なのに、家に帰るとこれだ。まぁ嬉しいことではあるが。

 

 そんな考えもそこそこに、俺は脇のチェストの上にコーヒーを置くと、元々座っていた夏世を驚かせないようにゆっくりとベッドに腰かけ、栞を起点に受け取った文庫本を開く。直後に視界へ映ったのは、若葉の描かれた真新しい栞だ。さすが、夏世は俺の趣味をよくわかっていいる。

 

 しかし、ふとこの状況に言いようのない違和を感じ、冒頭のページに挟もうとしていた栞を元に戻すと、一旦本を閉じて足に乗せる。そして、違和の元である少女の方を向こうとした矢先、背中に柔らかい感触が走り、仄かな熱もうっすらとだが伝わってきた。何故か、夏世は俺と背中合わせの状態になっているらしい。

 

 

「....あのさ?物凄く自然に溶け込んでたけど、なんでいるの」

 

「来たかったからです」

 

「いやでも、またなんか抜け駆けだって飛那とティナが乗り込んでこないか?」

 

「安心してください。既に了承済みですよ」

 

「ええ?ホントかよ」

 

 

 これまでの行動を鑑みるに、どうにも三人は俺を独占することに多大な意義を見出しているようなのだ。それはイニシエーターとしての役割を全うしたいがためなのか、俺限定で寂しがり屋なのか、単純な好意の現れなのか。

 

 ....割合としては後者に偏りそうだけど、自分で言うなんて自意識過剰みたいで何か嫌だ。

 

 いずれにせよ、こんな状況は今までにない。一人がこんなシチュエーションを作ろうものなら、絶対に他の二人が止めに入るはずなのだから。レッドカード、イエローカードのルールが毎日のように猛威を振るっていることが何よりの証拠だ。

 

 そう思うとどうも納得がいかず、実はドアの向こう側に般若のような形相をした二人が張り付いているのではないかと勘繰ってしまう。それを想像するとかなり恐ろしいので、素直に背後の夏世に聞いてみることにした。

 

 

「何で二人は了承したんだ?正直、理由が思いつかないんだが」

 

「簡単です。私が得られるであろう益を、同様に彼女たちも得られるから、です」

 

「益....ってなんだ?」

 

 

 益。己が得すること。この場合は、夏世が得られるという具体的な利益について聞いているのだが、これまででも結構な数の『俺と彼女たちの間で利益となりうること』を聞かされている。にもかかわらず、俺はその基準が全くと言っていいほど理解できていないのが現状だ。今回も恐らくは、そういう類のものなのだろう。

 

 夏世は俺の問いかけに対しすぐには答えず、代わりに背中に掛かっていた体重が消えた。

 

 思わず疑問の声を出しかけたが、それを口にする間もなく、再び柔らかい感触が背を包むと同時、後ろから伸びて来た二つの手に掴まれる夏世の伊達メガネが、俺の両耳に優しくかけられる。それから何故かワザワザ正面まで移動し、満面の笑みを浮かべた。

 

 

「樹万さんと一緒に寝ることです」

 

「........一緒に、寝る?」

 

「より正確に表現するのであれば、夜9時から起床まで共に同部屋で生活する、といったところでしょう」

 

「な、なるほど。要求自体はさして問題ない....と、ちょい待て。お前が得られる利益があの二人にも、みたいなこと言ってたよな?」

 

 

 この時点で大筋の予測は立てられていたが、念のために確認を取っておきたい。もしかしたら、本当にもしかしたらではあるが、過った想像とは違う答えが─────

 

 

「はい。飛那さんとティナさんも樹万さんと一緒に寝るということになります。ですが、同じ日に一度に全員で、というのは満足にイチャ....ンンッ、失礼。満足な語らう時間を取るのは難しいので、一日ごとのローテーションを組むことにしました」

 

「じゃあ、あれか。明日は飛那かティナが同じように来て、その次の日は前日に来れなかった奴が来て....ってことか」

 

「その通りです。順番は此方で決めますので、樹万さんは安心して待っていてください。あと、一周したら一番目に戻りますから」

 

「そ、そうっスか....」

 

 

 どうやら、俺の一人で過ごす静かな夜は空の彼方に飛んで行ってしまったらしい。

 まぁ、ある程度期間が過ぎて、少しほとぼりが冷めたら俺の案も通るだろう。それまでの辛抱だ。

 

 そう自分を慰めつつ、伊達メガネ越しに眺めていた白煙を棚引かせるコーヒーカップを手に取った。

 

 

 

          ****

 

 

 

 俺が読んでいる文庫本は、主人公のサラリーマンが一年発起して仕事を辞め、家を売っぱらって海外を転々とするという中々に思い切った内容のものだ。

 

 そんなあらすじも十分興味を惹かれる要因ではあるが、一番は『海外の風景が文字列から鮮明に想起できる』という点に尽きる。現代ではその大部分が失われてしまった国々の景色が、より具体的な輪郭をもって目の前に浮かび上がるのだから、見ていて実に飽きない。それでいて、細部の造形に関してはある程度読者に想像の余地を与えるところがまたニクい。

 

 ....とまぁ、ツラツラとこの本の良い箇所を挙げはしたが、それらを十二分に楽しむためには、それ相応の環境が必要になる。完全に自分の世界へ没入できる、そんな環境が。

 

 

「樹万さん、樹万さん」

 

「ん、んー?」

 

「コーヒー飲みます?」

 

「いや、大丈夫」

 

「そうですか」

 

「............」

 

「............」

 

「樹万さん」

 

「んー?」

 

「ページ、めくります?」

 

「んや、まだ二項残ってる」

 

「そうですか」

 

「..............」

 

「..............」

 

「樹万さ」

 

「だー!なんなの?!俺読書中!構って欲しいなら素直にそう言って!」

 

「ここで出て行けって言わない樹万さん、私大好きですよ」

 

「ぬぐぐ」

 

 

 俺の膝に向かい合わせの状態で座っている夏世が猛烈にかまってちゃん発揮しているお蔭で、本の世界に全く没入できない。といっても、集中できない環境であると分かってて読んでいる俺にも非はある。ここは素直に読書を諦め、さっきからしきりにTシャツの袖を引っ張ってくる彼女の相手に集中しよう。

 

 あらかじめ言っておくが、決して彼女の『大好き』発言に絆された訳ではない。決して違う。

 

 俺が手元の本から目を離したのを見ると、夏世は冒頭のページに挟んでおいた栞を器用に抜き取り、開いていたページに挿し込んだ。そんな彼女の暗黙の勝利宣言に一つ溜息を零してから、パタリと本を閉じ、掛けていた....というより掛けさせられていた茶縁の伊達メガネを外し、持ち主の顔に戻してやる。そんな俺の行動に若干の驚きを見せた夏世だったが、次の瞬間には嬉しそうな笑顔にとって変わる。

 

 

「この眼鏡、樹万さんがくれたんですよね」

 

「ああ、俺と飛那の私物ばっかりじゃアレだからって、色んな小物を買ってたっけ」

 

「はい。これもその中の一つでした。冗談で欲しいって言ったのに、律儀に包装までして渡してくれるんですから」

 

「はは。まぁ、入社記念って名目もあったんだ。本当はもっと上等なものをプレゼントしたかったんだが、申し訳ないな」

 

「いいんですよ。冗談でも、欲しいっていったことに変わりはありません」

 

 

 夏世は身体の向きを変え、胡坐をかいて座る俺の胸を背もたれ代わりにして体重を預けて来る。その手には、決して高価とは言えない伊達メガネが、しかし大事そうに鎮座していた。

 

 俺は丁度良い温度になりつつあるカフェオレを多めに口へ含み、舌の上でゆっくりと程よい苦みを転がしながら少しずつ嚥下していく。喉を降りていく心地よい熱は、やがて夏世の背と重なり合う腹部で優しく混ざり、芯まで温まるようだった。

 

 そんな風にリラックスしている俺の顔を見ていた夏世は、普段は全く見せない笑顔を再び浮かべながら伊達メガネを耳に掛け、持っていたカフェオレのカップを人差し指で遠慮がちにつついてきた。

 

 

「....飲みたいのか?」

 

「はい。口移し(マウストゥマウス)で」

 

「よし、じゃあ今からもう一杯新しいの作ってくるわ」

 

「嘘です嘘です。普通に頂きます」

 

 

 腰を上げかけた俺の頬をバチリと両手で挟み込んで制止を呼びかける夏世。腕を掴むなり服の裾を引っ張るなりで、その意思を表現するには十分なのだが、何故頬にしたのか。しかもしばらくむにむに揉んで来るし。

 

 言いたいことは諸々あったが、黙ってもう一度坐りなおし、持っていた黒いコーヒーカップを彼女に手渡す。一方の受け取った当人は、とてもただのカフェオレを飲む人間とはかけ離れた珍妙な微笑を浮かべていた。

 

 夏世は直ぐにカップへ口をつけることはせず、入念に香りを吸い込んでから、赤みが増したような気がする表情のまま一度、二度とカップを傾けた。一連の行動に一種の艶めかしさを感じてしまった俺はおかしいのだろうか。

 

 はふ、と熱っぽいため息を吐いた夏世は、カップから顔を離し、俺の肩に頭を預けてクリーム色の天井を茫と眺める。そんな彼女の瞳には、橙色の光を控えめに発するペンダントライトが反射して、ゆっくりと揺らいでいた。

 

 

「夏世は今の生活ってどう思ってるんだ?」

 

「ん....今の生活ですか」

 

 

 そう復唱すると、夏世はおもむろに俺の顔をじっと見つめて来る。それは一見、いつも通りの気怠そうな半開きの瞳なのだが、毎日のように顔を合わせているうちに、その機微が大分察せるようになってきた。

 

 俺はふぅと溜息を吐き、無表情のまま徐々に近づきつつあった夏世のおでこを手のひらでキャッチする。あまりにもナチュラルな動作なため、最初の頃は何度か接触しそうになっていたのだが、ここのところは上手く対応できるようになってきた。

 

 

「ぶう、最近の樹万さんはガードが固すぎます。警戒レベルを下げて下さい」

 

「常習的にレベルを引き上げるようなことをしなければな」

 

「むむ、何故ここまで求めているのに応えてくれないのでしょうか....やはり樹万さんの性的嗜好は年配の方に傾いて──────」

 

「ストップストッープ!はいはい、さっきの質問にまで移りましょうね!ちゃんと相槌を打ってくれる夏世は俺好きだなぁ!」

 

「そ、そうですか。好きですか。私のこと好きですか」

 

 

 一瞬暗いオーラを纏った夏世だったが、俺の『好きだ』発言で一転して表情を変え、前髪をしきりに弄りながら目を逸らすと、唇をツンと尖らせる。よし、危なかった。夏世はああなると行動が全く読めなくなるから、未然に防げて正解だ。

 

 夏世は今更口にするまでもないですが、と前置きを入れると、手にしていたコーヒーカップの中身を一度煽る。そして、カップをベッド脇のチェストにゆっくりと置きながら、その先の答えを紡いだ。

 

 

「とても、幸せです。ここで起こることのすべてが私にとってかけがえのないもので、生きる喜びを感じられるものです。ただ生きる為に生きていたあの頃では考えもしなかった感情ですが....まさか、一時でも『外』のことを忘れてしまえるほどに変わるとは思いませんでした」

 

「外....ガストレアのこと、か」

 

「はい」

 

「そうか....ん、よかったな」

 

 

 夏世はガストレアの存在を片時とはいえ失念したことを自省気味に語ってはいたが、俺はそれを含め、彼女の幸せを『よかった』という言葉で返した。

 

 忘れてもいいのだ。幸福とは負の感情を介在させないからこそ人の中で成立するものであり、幸せを感じたいのならそれら一切を切り離さなければならないのだから。そして、幸せを感じることは罪ではない。故に、忘れることも罪ではないのだ。

 

 俺は対面に座る夏世の額を撫で、前髪をサラサラと弄んでから、こめかみを通って手を移動させ、滑らかで柔らかい頬を包むように撫でる。

 

 

「人間はさ、憎しみだけを燃やして生きることはできないんだよ。だって疲れるだろう?毎日好きでもない奴のことを考えて、その結末を思い描く。当人は復讐までの道のりを快楽的に捉えるが、その実、心の傷をアイスピックでほじくり返してるようなもんだ」

 

「復讐という感情の源泉である生傷が時間と共に癒され、やがて忘れてしまうことを防ぐため、自ら傷つけてその時を鮮明に記憶し続ける....はい。それは確かに、辛いです」

 

「ああ。だからいいんだよ。必要なことだけを胸のうちに仕舞って、復讐の心はその場において来ていいんだ。ちゃんと置いてきたことを覚えてさえいれば、それだけで十分な戒めになる」

 

 

 持ち続けても辛く、苦しいだけだ。それが大きければ大きいほど復讐の原動力は巨大なものとなるが、同時に持ち主の人間性は早々に剥がれ落ちる。『それ』だけを達成する獣になり果て、総てが終わったと同時に心は跡形もなく砕けてしまう。....生きる意味を失うからだ。

 

 嫌な思い出など、時折思い返すくらいでいい。かつての復讐のために生きるより、これから先の幸福のために生きる方が何倍も建設的で、魅力的だ。

 

 何より、彼女たちは悲嘆に暮れ涙するより、幸に溢れ溌溂としているほうが似合っている。それが普段から寡黙で感情表現に乏しい夏世であれ同じことだ。

 

 

「俺はオッサンと一緒に戦争時代を生きたとき、泣きわめく子どもを何人も見た。家を失い、両親を失い、生きる意味を失った子どもたちを」

 

「........樹万さんは、見ていて辛くなかったんですか?」

 

「辛かった。俺もその喪失感を少しは知ってるからかもしれないが、悲しみに頭まで沈みこむより先に、オッサンと出会ったからな。何もかもを蹂躙して破壊し尽くしたはずの恐怖の象徴が、そこらの軽石みたく吹き飛んでく光景を見せられたんだから、悲嘆の心なんてそのうちどっかいっちまったよ」

 

「以前から気になってはいるんですが、その『オッサン』は一体何者なんでしょうか....?」

 

 

 長い間一緒に居たため、自分とあの男とは浅はかならぬ関係であると自負しているが、オッサンは自分の身の上を一切語らなかった。聞いてみても『忘れた』、『知ると死ぬぞ』、『あ、あそこにでっけぇガストレアが』とか言ってはぐらかされるので、結局今日まで聞けずじまいだ。

 

 まぁ、オッサンのことはどうでもいい。確かに大戦中は何度も助けられたが、ただ目的が一致していたから共に行動しただけで、特に戦友といった良い感情は持っていない。故に、夏世には『さぁな』といって言葉を濁しておくことにした。

 

 そして、すっかりズレてしまった話の軸を戻すため、頭を切り替える。

 

 

「俺みたいに、そんな突飛な状況へ放り込まれた子は恐らくいない。少なくとも、俺が見て来た戦地じゃ絶望と死の空気しか漂ってなかった」

 

「それでも、樹万さんは救ったんですよね?そこに居る皆を」

 

「..........」

 

 

 夏世の期待を滲ませた問いかけに、俺は己の心臓に重い鎖が絡みつく光景を幻視した。

 

 否、救えていない。誰一人救えなかった。あの場には希望も救いもなかったのだ。全てが手遅れで、俺とオッサンはそこから更に発生するであろう悪性を取り除くことしかできなかった。

 

 痛い、苦しい、殺さないで、死にたくない、生きていたい。そう懇願する変わりゆく命を刈り取る行為でしか、彼らに報いることはできなかった。

 

 答えに窮していると、不意に両手を暖かく柔らかい何かに包まれる感触があった。それにハッとして顔を上げると、目の前には年不相応な優しい笑みを湛えた夏世の顔が映った。

 

 

「ごめんなさい。酷い言葉でした。樹万さんならもしかして、と思いましたが、そんな都合の良い自分の理想を押し付けるのは甚だ間違いというものです」

 

「....いや、いいさ。生きているのなら、生きていられる可能性は僅かでもあったはずだ。それを十全に模索できなかった自覚はある。恨まれても仕方ない」

 

「そんなことは無いですよ。誰しもが自分の身を案じる中、樹万さんは誰かを救おうと必死だったんですから。その行いは尊いものであって、誹りを受ける謂れはありません」

 

 

 夏世は自嘲気味な俺の言を否定しながら手の五指に自分の指を絡ませ、ぎゅっと握ってくれた。触れ合う肌から暖かい体温と感情が流れ込んできて、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来てくる。

 

 俺は渇いた喉を自覚してカップを手に取り、残り少なかったカフェオレを全て胃に落とし込んでから息を吐く。それから目を閉じ、蓮太郎から聞いた、『俺を失った』ときの飛那の様子を瞼の裏で想像する。

 

 

「救えなかった多くの命がある。望まない怨嗟の声を漏らしながら亡くなった人がいる。そんな人たちに少しでも報いるために、俺はこれからの未来を創る子どもたちに全力で尽くすんだ。お前たちに明るい世の中を見せるためだったら、この身体を百だろうが万だろうが潰され、刻まれても耐えて見せる」

 

「────もう、仕方のない人なんですから」

 

「?....っむぉ」

 

 

 結構な勢いで胸に飛び込んで来たものだから、意図せず変な声が出てしまった。その直前に夏世が呟いた言葉は心持ち不機嫌そうな声色だったので、何か不味いことを言ってしまったのかと不安になる。

 

 取り敢えずご機嫌を伺うために表情だけでも確認しようと思ったのだが、残念ながら夏世は両手をしっかりと背中に回してホールドしているため、胸板に押し付けられた顔面は容易には見れない。

 

 どうしたものかと思案していると、夏世はひっついた状態から軽く身じろぎし、顔のみを上げて俺へ視線を飛ばしてきた。....そして、その目の色の本気さに息を呑む。

 

 

「『私たち』のために貴方が傷付くなんて、そんなことは『私』が耐えられません。貴方が傷つきながらも戦うというのなら、私も同じくらい傷付いて、苦しんで戦います」

 

「....俺は死ににくい。命以外なら、犠牲の対価として差し出す場合は他者より安い」

 

「止めて下さい。樹万さんは血を流せば痛みを感じる、私たちと同じ人です。代わりがあるから安いなんて、()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ......すまん、言いすぎた」

 

 

 ──────()()()()()。その発言は、暗闇に浸りかけた俺を的確に引き上げた。

 

そうだ。俺は人なのだ。命は一つ限りで、傷つけられれば創傷は痛み、失えば涙する。オッサンからも、痛みだけは忘れるなと常々言われていた。アレは恐らく、俺が道を踏み外さぬよう注意するものだったのだろう。

 

 救うとか、報いるとか散々偉そうなことを言っておきながら、救うべき子に諌められるなど情けなさすぎる。当人がこれでは先人たちも未来を託すのを躊躇うというのものだ。

 

 

「はぁ....かっこ悪いな、俺」

 

「何言ってるんですか。貴方は世界一格好いいですよ」

 

「!......お、おう」

 

「ふふふ。樹万さん、照れてます。なるほど....こういうアプローチが効果的なんですね」

 

 

 夏世は何やらメモ用紙を取り出すと、付属のクリップで挟んでいたボールペンでしきりにメモを取り始める。その表情は朗らかで、やはり夏世は無表情より笑顔の方が似合うなと、改めて思った。

 

 そんな夏世を横目に見ながら、ふと傾けたコーヒーカップは空。時計の針は零時過ぎ。

 

 

「────今日はここまでにするか」

 

 

 俺はカップに残った一滴のカフェオレを舌の上に落とす。

 

 その味は、幾分か甘かった。

 

 

 

          ****

 

 

 

 樹万さんはコーヒーカップを洗い場に持って行ってから帰ってくると、私の対面に座って結んだ髪を解いてくれる。くすぐったくて、こそばゆくて、でもずっと触れていて欲しくなる時間だ。

 

 今日は貴重な一日だった。普段は気丈に、気高く振る舞う彼だが、その裏には数多の苦難を背負っており、ある種の強迫観念ともとれる『強くあれ』という思いがあることを知れたのだから。

 

 美ヶ月樹万は、私が勝手に押し付けていた理想像とは程遠い。何もかもを可能にする英雄などではなく、人並みに悩み、これからの未来を案じる一人の人間だ。ただ、苦鳴を呑みこみ、理不尽に抗う意志が多少なりとも強いだけ。

 

 それでいい。一人で全てを解決できてしまう存在では、私が此処に居る意味が無くなってしまう。それではあまりにも淋しい。もっと頼ってほしいし、縋ってほしい。

 

 そう。叶うのなら、私だけに────────。

 

 

「おい夏世?髪、解き終わったぞ」

 

「ぁ....すみません。ぼーっとしてしまって」

 

「ちょっと話し疲れたか?遅くまでごめんな」

 

 

 先ほどまで不純な思考に埋没していたことを知らない彼は、純粋に私を労う笑顔を向け、下ろした髪を梳いてくれる。こんな自分にここまでの優しさなど、分不相応だといつも思う。もっと飛那さんみたく明るくなれればいいのに、私の顔はいつまで経っても上手く動いてくれない。

 

 樹万さんはライトを消すためにベッドを離れるが、私も何となくそれについていく。聖天子様はとてもいい部屋を私たちに賜ってくれたのだが、いかんせん広すぎて自然と彼との距離が出来てしまう。部屋一つとってもこれだ。

 

 

「っと、ライト消したら足元暗くなるぞ」

 

「では、私の目が暗順応するまで待っていてくれますか?」

 

「それまで突っ立ってるのは妙な光景過ぎるな。じゃあ、ほれ」

 

「!」

 

 

 唐突な浮遊感。回された手の感触と位置を鑑みるに、どうやらお姫様だっこされているらしい。大方無意識なのだろうが、これは狡い。女性に対しこんな芸当をさらりとできるなど、相当な甲斐性だ。....尤も、女性として意識されていないという可能性もあるのだが。だとしたら誠に遺憾である。

 

 

「あのー夏世さーん、お布団に着きましたよー?」

 

「樹万さんなんて知りません」

 

「知りませんとか言いながら俺の首に腕を巻き付けるって、一体どういうことなの」

 

 

 とはいえ、あまり意固地になって好感度を下げても仕方ない。飛那さんとティナさんには悪いけれど、このままベッドインさせて貰おう。

 

 ということで、そのままベッドに寝かして頂くよう進言し、降ろされた瞬間に力を解放。今まで私を散々苦しめた忌まわしい赤目の能力だが、彼を助けるときや、『こういう場面』でも役に立つのならば赦せる。

 

 私を寝かせるためにただでさえ中腰の姿勢だったのだ。その状態から突然首を掴まれ、前に引っ張られれば、そのまま倒れ込まざるをえない。流石の彼とはいえ、想定外だったことも手伝い、容易にベッドの中へ引き摺りこむことができた。

 

 しかし、唐突にこんなことをしでかした私に、彼はかなりお冠らしい。

 

 

「夏~世~?」

 

「樹万さん、すみません。でも、こうでもしないと向き合って寝てくれないでしょうから」

 

「いや、それは......ぐむむ」

 

 

 すぐさま返答できず答えに詰まる樹万さん。やはり図星であったらしい。彼には悪いが、強行してよかったと思う。

 

 先んじて釘を打ちこんだので、彼は迷う素振りを見せながらも、この場からは絶対に動かないという私の意を察したか、やがて諦めたかのような溜息を吐き、掛布団を引っ張って私と自分にかぶせた。

 

 普段から彼が使用しているベッドなので、その途端に脳を溶かすような香りが鼻孔を抜け、思わず内股を擦り合わせてしまった。

 

 しかし、交わした盟約のこともあるので、これ以上は流石に踏み込まない。あとはただ、この愛しい温もりと香りに包まれて夢の中に落ちるだけ。

 

 とても名残惜しいが、筆舌に尽くしがたい多幸感と安心感からか、既に睡魔が足元辺りにまで迫ってきている。無論限界まで抗う腹積もりだが、直後に胸元へと抱き寄せられ、頭を撫でられてしまった。これは....あぁ、堪える。

 

 

「全く仕方のないお姫様だなぁ。でも、そういうところも含めて好きなんだけどな」

 

「ん......私も、好きですよ....。樹万さん」

 

 

 急速に受け取る情報の精度が落ちてゆく。

 

 ただ、ただ心地いい。全身を苛む衣服の擦れる感触すら、その心地よさを助長する。それに合わせ、呼気を行うたびに彼の香りが思考を甘く犯すのだ。もしもこの状態が覚醒時に起きていたら、自制できる自信は無い。

 

 

「おやすみ、夏世」

 

 

 止めとばかりにそう耳打ちされ、私の意識はあっというまに蒸発(ブラックアウト)した。

 




はい。番外編の夏世ちゃん回は如何だったでしょうか。
もう少し甘々成分が欲しいと思った方はすみません。(あれば)第二回にご期待ください。


そして、今話の後書きを更新するに至った原因を一つ。

できれば、番外編に限り一話につき一枚の挿絵を挟もうと思っております。やはり小説に絵(花)があれば一層作品として良いと思うんですよね。(以前挿絵要らないと言った自分から目をそらしつつ)
原作を知らないまま本作を呼んでいる方もおられるかもしれないので、できれば夏世、ティナといった少女たちの姿を目にして、幼女...いえ、原作の素晴らしさを知っていただけたらと思います。

とはいえ、原作を知っている方も無論おられるので、そのイメージを崩したくない、鵜飼沙樹さんの絵しか許せない、という方は閲覧をお控え下さい。私自身絵描きとしてはひよっこなので、読者の方々全員の目を十分に楽しませられる自信はありません。

以上の注意点を留意して下さる方のみ、閲覧をお願いいたします。


コンセプトは『読後の休息』です。
【挿絵表示】



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。