夏の頭痛に一番効く薬 (キョクアジサシ)
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1話
「ごめん、プロデューサー。クラっとした、少し」
地上波のトークバラエティー番組収録を終え、社有車を運転していた俺へ、不意に透が言った。
すっかり夜の帳は降り、星々が瞬き始める時刻で、道もそれほど混雑していない。
一旦、社有車を路肩へ寄せて停車し、振り向いて見た透の顔はやや青ざめていて、俺は驚いてしまう。
「ど、どうした? 体調、悪いのか?」
透は一度、手で後頭部を撫でた後、制服の首の根元付近を押さえながら、目を伏せた。
「ちょっと、頭痛。家まで大丈夫だと思ったんだけど……」
そう答え、透はやや苦し気に眉根をしかめる。
頭を数回振ったり、額に手を当てたりしている様子から、「ちょっと」の痛みではないことが伺えてしまう。
基本的に普段は涼しい表情で、痛みに耐えるような素振りを見せないから、相当辛いのだろう。
俺はハンドルを握る前に、確認する。
「ここから透の家まで距離があるから一旦、事務所で休もう。……それまで我慢できるか?」
天を仰ぐように顔を上げ、目の上に腕を当てていた透が、右手を振って見せる。
俺は頷き、振動が頭に響かないよう気を付けながら、再び社有車を発進させた。
それから三十分ほど車を走らせ、何とか事務所へたどり着いた。
車を降りた透は鈍い足取りで階段を昇り、倒れ込むようにソファーで横になる。
近くにあった枕と毛布を引き寄せ、目を閉じ、浅い息を吐く姿は痛々しい。
「透、カットフルーツとヨーグルト、ここにおいておくぞ」
とりあえずではあるが、身体を休められる場所まで来られたことに俺は安堵しつつ、コンビニで買った食料をテーブルへ置いた。
「……やっぱ、ダメかな? 何か食べなきゃ」
透は目を閉じたまま、弱めの声で問いを投げかけて来る。
俺はジャケットをパソコンデスクへ置きながら、答えた。
「薬を飲むなら、一口で構わないから食べた方がいい。果物だし、なんなら冷蔵庫にゼリー飲料があったはず。……って」
「?」
あることに気付き、ぴたりと動きを止めてしまった俺へ、透が不思議そうな視線を向けて来る。
「どうしたの?」
「……そういえば、薬買ってくるの忘れたと思って。この間、はづきさんが事務所の置き薬を切らしたって言ってたから」
「あー、それなら大丈夫。持ってるから、私」
「?」
透はそう答え、自身のショルダーバッグから市販の頭痛薬を取り出す。
身体を起こし、カットされたオレンジとパイナップルを二口ほど食べた後、それを飲み、また横になって言う。
「そう言えばプロデューサー、知ってる? 夏の頭痛に一番効く薬」
「え? いや、なんだそれ?」
大したことはないという強がりなのか、透は多少の無理を表情に滲ませて微笑む。
「寝ること。なんだかんだで、それが一番」
その透なりの気遣いを受け、俺は少し肩の力が抜けたのを実感しつつ、苦笑してしまった。
「そうだな、俺もそう思う。……だから、もう休んだ方がいい」
「……うん。だから、寝るね? ちょっと」
「ああ。親御さんには俺から連絡しておくよ」
「……ありがと」
言うが早いか透はすぐに、「すぅ」と眠りにつく。
俺は一度だけ、顔色と、その手が首元に添えられていることを確認した。
そして、リビングの端に置いてあるベージュのパーティションを使い、室内を二つに句切る。
どうしても移動と収録時間の兼ね合いが取れない時、事務所で着替える際に皆が使用しているものだ。
LEDを落とすとリビングは夜の暗闇に染まり、窓越しに月明りと星の瞬きだけを臨む、静寂が落ちて来る。
「今日はもう仕事がないのが、不幸中の幸い、か。でも……」
俺はとあることを思い出し、ガリガリとやや乱暴に頭を掻いてしまう。
「『あれ』に意味がないってことはないだろうから、その辺りは目を覚ましたら聞いてみないとな……」
そう呟き、俺も目を閉じる。
その予感が当たっているかどうかは、分からない。
だが、もしそうだったとしても、今抱いているやるせない気持ちを自分へ向ければいいのか、透へ向ければいいのか分からず、ため息がこぼれてしまった。
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2話
「……プロデューサー?」
星の位置がわずかに変わるていどの時間が流れた後、パーティション越しに透の声が耳へ届く。
パソコンデスクに座り、何をするワケでもなく、ぼんやりとしていた俺はその声を聞き、パーティションを動かして、ソファーで身体を起こしている透の姿を確認した。
「頭痛はもう、大丈夫か?」
透は少し寝グセの付いた髪と眠気まなこのまま、ちょっとぼおっとした口調で答えた。
「……うん、もうほとんど。薬、効いたっぽい」
「そっか」
実際、表情は和らいでいるし、辛そうでもないのでもう大丈夫なのだろう。
俺はそう判断し、LEDを灯して、パーティションを片付けた。
透はスマートフォンで時刻を確認し、頬を掻く。
「……あー、結構、時間経ってる」
「そうだな、よく寝てた。……のど、乾いてないか?」
「ごめん、じゃあスポーツドリンク、ある?」
「ああ。ちょっと待ってくれ」
俺は台所へ移動し、冷蔵庫を開ける。
夏場でもあるし、飲み物は豊富に揃えられているため、目当てのスポーツドリンクはすぐに見つかった。
リビングへ戻り、それを渡そうとすると、ソファーに座っていた透はその隣を、ぽんぽんと叩いて見せた。
「あー……」
俺はややためらったが、聞きたいこともあったので、それに従って透の隣に腰を下ろす。
透は一度、目を細めた後、スポーツドリンクに口を付けた。
何度かそれを繰り返し、落ち着いたことを確認してから、俺は意を決して口を開く。
「透」
「ん?」
「トークバラエティー、そんなに負担だったのか?」
俺の問いに、スポーツドリンクを口へ運んでいた手が止まる。
透は少し、思案するような間を挟んだ後、言った。
「……なんで?」
「頭痛。……多分だけど、不安や緊張からくるやつだっただろうから」
「……」
透は目を瞬かせた後、わずかに下唇を動かす。
「どうして?」
俺は自分の後頭部に手を当てて、続ける。
「偏頭痛とか肩こりとか、頭痛の原因はいろいろあるけど、ここと首元から来る頭痛はだいたい、不安や緊張だから。……あと、それ」
「?」
透は俺の指差した先にあるものを見る。
そこには食べかけのカットフルーツとヨーグルト、そして頭痛薬が並んでいた。
「見るつもりはなかったんだけど、視界に入って。……特に緊張に効くやつだったから」
「あー……」
透は、「失敗したな」と小さく呟いた後、苦笑する。
「よく知ってるね?」
「自慢じゃないけど、俺もよく頭痛あるから。疲れて頭が痛くなった時、いろいろ試したことがあって。種類別に効くやつを覚えたんだ」
「……えーと、それ、ホントに自慢じゃない」
やや引き気味の透の発言に、俺は肩をすくめる他ない。
「全くだ。できる限り、薬には頼りたくないんだけど、そうも言っていられない時もあるから」
「……そうだね」
頷く透へ、俺はもう一度、問いを投げかける。
「やっぱり、辛かったか?」
透は目を伏せ、汗をかくスポーツドリンクの側面を撫でながら答えた。
「……そうだね。テレビの大きな番組で、283プロからの出演者は私だけで、映画で見たことのある女優さんや有名な芸人さんがいて」
俺は透の発言を頭の中でなぞりながら、今日の出演者を思い出す。
透の言う通り、有名芸人と司会、大御所の俳優が名を連ね、その中に、「話題の新人アイドル枠」として出演したワケだが、やはりプレッシャーはあったのだろう。
普段ラジオなどに出演する際は、「新曲のリリース」や「ライブ」のプロモーションを兼ねていることが多い。
つまり、MCにとってもゲスト出演者にとっても、共通の話題があり、ある意味、「守られている」状態なのだ。
だがテレビのトークとなれば、事情は変わり、283プロという看板を背負って、自分をアピールするための喋りが必要となってくる。
透は、ぽつりぽつりと続けた。
「その中で、自分を立てるために喋ろうとするのは、辛かった……んだと思う。いつも通りできたとは、感じてるけど」
「……相談してくれればよかったのに」
透が眠った後、感じていたやるせなさを俺は言葉にする。
それが、相談してくれなかった透に対しての悔しさなのか、力不足の自分自身に対する不甲斐なさなのか分からないままではあった。
けれど、取り繕うこともしたくなかったので、正直な気持ちをそのまま口にしたのだが、口調がやや沈み、硬くなってしまったせいか、透は少し慌てた様子で付け加えた。
「ううん、違う。違うよ、プロデューサー。頼りにしてなかったワケじゃない。……何て言うか、自分でも分からなかったんだ」
「……分からなかった?」
「うん。不安って言っても収録前まで、強く感じたりはしなかった。薬を飲んでたのもぼんやり、違和感があった時だけ」
「そう……なのか?」
「薬飲んで寝ちゃえば、すぐ楽になれたから」
俺は内心で、ああ、それでさっき、あんなにはっきり、「寝ること」と言えたのかと納得する。
「……例えば、プロデューサーだって、喉が痛いけど、咳は出ないていどで社長やはづきさんに相談する?」
「え? あー……。そうだな、そのていどだと、しない……かな」
透は、「うん」と頷き、スポーツドリンクを再度、口へ運ぶ。
「で、収録が終わった後、どっと来た。……それが、ついさっき」
「そ、そっか……」
「話したら負担になるかなーってっていうのもあったけど、自分の状態がよかったのか、悪かったのかは今でも分からないんだ。体調は崩したけど結局、元気だし、どういうことだったんだろ……?」
そう零して透は側頭部を撫でながら、不思議そうな表情を浮かべた。
だが、「自分の状態」については俺にも思うところがあったので、それに答える。
「……コンディションとしては、多分よかったじゃないかな。不安や緊張を感じられる状態だったってことは」
「え?」
透は不思議そうな目でこちらを見て来る。
「どうして? どちらかというと、悪いんじゃ?」
「いや、例えばだけど、100パーセント失敗すると分かってることをする場合、透は緊張するか?」
「……ううん、やだなーって思うけど、緊張とは違う感じ」
「逆に、100パーセント成功すると分かっていることをする場合は?」
透は口元に手を当て、少し考えた後、首を左右に振る。
「だと思う。じゃあ、緊張や不安を持つのはどういう場合ってことになるけど、それは成功率が60から70パーセントの時だと思う」
「60から70?」
「そう。自分の力を出し切って、ようやくこなせるていどだから、失敗も見えて心細くなる」
「つまり、自分の実力が分かっているから、コンディションとしてはいいってこと?」
俺は頷き、透へ視線を向ける。
「ああ。だから、今回の件はいい経験になると思う。こういうケースを経て、身に付けたバランス感覚は自分だけのものだから、仕事だけじゃなく普段の生活でも役に立つんじゃないか?」
「うーん……?」
透は実感が湧かないという表情で唸る。
確かに、今回に限っては体調を崩してしまったワケだから、「なるほど」と素直に頷くことも出来ないのだろう。
だが、こうして手間と時間をかけて掴んだ感覚は、いつか大きな武器となることもあるから、結論を急がず、大切にして欲しいと思う。
「じゃあ」
不意に透が顔を上げる。
「じゃあ、プロデューサーは? いつも仕事頑張ってるけど、どんな感覚でやってるの?」
「え?」
漠然としているようで、鋭い質問に、思わず言葉が詰まる。
だが、透の瞳に映る光はまっすぐだったから、俺は言葉を選びつつも、感じるままに答えた。
「そうだな……。正直、自分で頑張ろう、自分で何とかしようって思うと、行き詰まることが多い……かな」
「行き詰まる……?」
不思議そうな表情の透へ、俺はゆっくりと話す。
「ああ。なんて言うか、透もそうだし、みんなもそうだし、俺はどちらかというと貰うことが多いから、自分を立てようとするより、その分を返すためってことなんだと思う」
「……返す?」
「その辺りは透達がステージに立って、ファンや支えてくれるスタッフに対して感じてることと同じなのかもしれない。……透だって、自分を立てるために、ステージで歌ってるワケじゃないだろ?」
透は一瞬、きょとんとしたが何か思い当たることがあったのか、やがて口元に静かな微笑みを見せた。
「……そうだね。そういうところは、あるかもしれない」
「だから、頑張る理由なんてそのていど。でも、それで充分だと思ってる」
「そっか」
ふと、気付くと透が目を細め、柔らかな表情でこちらを見ていたので、俺は自身の発言を顧みて、赤くなってしまった。
透は、「ふふっ」と嬉しそうに笑う。
「私、プロデューサーに何かあげてたんだ?」
「……その辺りは、あんまり自覚しなくていい」
「えー、なんで」
こっちを覗き込みながらの口調は悪戯っぽく、それだけに俺は顔を逸らし、透を直視できない。
「なんででも」
俺は精一杯の照れ隠しを込めて、返答する。
「……夢というか理想論みたいなものだから、そこそこに受け取ってくれ。ただ」
「ただ?」
「いい加減な気持ちで行動したことはない。……それは本当」
俺の言葉を聞き遂げた透は、やがてゆっくりと頷いた。
「……うん。次からは相談するよ。ていどが軽くても重くても、すぐ」
「?」
どういう解釈をしたのか、透はそんなことを言い、頬を緩めて、スポーツドリンクを飲んでいる。
何か伝わったっぽいけど、どこまで何が伝わったのか分からない辺りが、やっぱり透だなあと思い、苦笑してしまう。
やがて、透は少し熱っぽい口調で話し出した。
「そういえばさ、知ってる? プロデューサー。夏の頭痛に一番効く薬」
「……? それは、さっき言ってたじゃないか。寝ることだって」
「そうだね。そう、思ってた」
そして透は不意に俺の首元へ、すとんと頭を乗せた。
「と、透?」
「でも今の一番は、安心だと思う。屋台のラムネみたいに刺激的で、甘いやつ」
「え?」
俺の理解が追い付かないまま、透は瞳を閉じて、身体から力を抜く。
首元で感じる暖かな重さが、ぐっと増した気がして、俺は戸惑ってしまう。
「プロデューサーにとって負担じゃないって、分かったから。……だからもう少し、休ませて欲しい。ホントはね、強がってたし、まだちょっと痛いんだ」
その口調には今まで見せたことのない、微かな弱さが滲んでいる。
トークバラエティー番組の収録。
大物芸能人との共演。
それらを経て、不安定に上下する体調の波は透本人にもコントロールできていない。
目を閉じ、静かな呼吸と共に揺れる肩はやっぱり17歳の女の子のソレで、年相応に華奢だ。
細いまなじりとあどけなさを残す頬の輪郭を見ると、改めて繊細な年頃なのだと実感してしまう。
だから今回、無理をさせてしまったことに苦い感情を覚えたが、後悔を口にするのは違うと思ったので、俺は透の髪を撫でながら答えた。
「今日はお疲れさま、透。……次も頑張ろうな」
眠っていると思っていた透の手が動き、俺のそれに、そっと重ねられる。
透は瞳を閉じたまま、ささやくような声で答えた。
「……ふふっ、ありがと。次もよろしくね、プロデューサー」
そして一度、くすぐったそうに身じろぎをした後、透は今度こそ眠りに落ちて行く。
俺はそれに答えるようにもう一度、髪を撫で、LEDをリモコンで落とす。
すると、静かな夜闇がリビングに満ち、背後から月明りがソファーを照らした。
周囲に音はなく、上がり続ける体温と高いリズムで鳴る鼓動だけが、時間の流れを自覚させる。
そして今この瞬間が、透にとっても心の休まる時間であることを願いながら、俺はそっと目を閉じた。
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