東方化物脳 Re:make (薬売り)
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前編
前編 プロローグ


 俺は何者なのだろう。

 アイデンティティの形成、つまりは青年期にこれを思った人は少なくないだろう。ただ、俺のそれは少しベクトルが違う。

 気がついたら俺は真っ暗な、しかしキラキラと光る星たちに囲まれて存在していた。何のために、そして誰が生んだのかも分からないまま、存在していた。

 何もせずに宇宙に身を任せているのもつまらないので、滅んでしまった星を再生、もしくは生まれ変わるように働きかけたりした。

 それを繰り返している内に、俺は滅びた星を再生するために生まれたんじゃないかと思った。

 ただそう思っただけ、宇宙の役割は星の創造と破壊。

 

 俺の役割は星の再生と転生、そう思った。あの星に着くまでは…

 

────────────

 

 最近、水がある星が崩壊したことを知った。その星は少し特殊で意思のある生物が存在していた。それでもってなぜだか大切な星のように思えていたのだ。他の星とは違う、大切な星に。

 その時はその星に名前などなかったが、それは今で言う『地球』だ。俺らが足をつけてるこの星だ。

 地球に到着して早速再生しようと思ったが…

 

「なんだ、勝手に再生してるじゃないか」

 

 地球にはすでに人間が居た。ちなみに、崩壊する前に居たのは恐竜だ。隕石が降って氷河期が来て、そして雪が解けて人が生まれたということだ。

 その当時の人間は都を造り、文明を創り、更には自らが崇める神なんかも創りあげていた。

 俺は仕事をしなくて良いと思い、その場を去ろうとしたのだが、ふと思った。勝手に再生するんだったら、俺は何のために居るのだろうと。

 俺の役割じゃないのか?それともこの地球が特殊なのか?分からない。ならば、人間になってこの星を調べよう。

 そうして俺は地球に降り立った。

 

────────────

 

 暫く観察していると、どうやらこの星ではそれぞれの人間に固有の名前があるらしい。

 郷に入れば郷に従え。ということで俺の名前は適当に『神田零』という名前にした。神田零…今思えばなんでこんな名前にしてしまったのか。現代では厨二病扱いな名前だ。

 それはさておき、人間になるには生まれ変わらねばならない。俺は意識を手放し、視界が一瞬ぼやけ、そして光に包まれる。この地に生まれるように。

 

 暫くして目を覚ますと視界いっぱいに草木が広がっており、その間から青い空がこちらを見つめていた。どうやらどこかの森に生まれ変わるったようだ。

 

「ここは、どこだ?」

 

 声が聞こえる。そうか、これが俺の声で、これが俺の耳か。そうして自分の体を確かめるように観察する。筋肉の形、骨の構造、血の巡り方。これが俺の体であることを理解する。

 とりあえず、人間のいる場所に行かなくてはわざわざ人間になった意味が無い。探そう。

 俺は目を閉じ、脳から『波長』を流して周囲に人がいないかを調べる。帰ってきた波から、南南西の方向に多くの人工物と多くの人間の存在を確認した。波を送るのを止め、目をゆっくりと開く。

 

「さて、それじゃあその方向に移動するか。」

 

 誰かがいるわけでもないのに、俺は自分に声という新たな波があることを面白がってわざわざ独り言を口にしていた。

 しかしながら、歩いて移動するには少し遠い。人間になる前の力は果たして使えるだろうか?試してみる価値はあるだろう。

 

「『瞬間移動』。」

 

 呟くと、俺の体は一瞬にして目的の都へと到着した。どうやら、俺の力は今も尚使えるらしい。尤も、微調整は出来なくなったようだ。人工物の中に移動してしまった。人間が生活するための家具や食べ物が周りにあった。

 波長によると、現在の位置は都の中心らしい。恐らく、ここが一番偉い奴の家だな。 

 

「色々物色するか。」

 

 人間の生活はどのようなものなのか、非常に興味がある。恐竜の時代はこのような服や家具なんてものはなく、ここまで社会的な生物も存在しなかった。

 

「これは、何だ?教えてくれないか?」

「それは薬よ。」

「薬…?中身を見るに病気を治す為の物か?」

「えぇ、そうよ。」

 

 その者は、俺に弓矢を向けて喋っている。先程も言ったように、波長でどこに何があるのか、誰がいるのかは把握出来る。そこに何者かがいることは分かっていた。

 

「何者かしら。」

「姓が神田、名が零。」

「名前じゃないわよ。」

「一応人間だ。」

 

 ご期待の返答を聞けたのか、彼女は黙った。ずっと弓を構えてジッとしているのに対し、俺はその薬というものを物色している。

 俯瞰してみれば異様な空間だが、俺はそんなことよりも好奇心を満たすことに忙しかった。構っていられない。

 

「何しにここに来たの。」

「人間ってさ、何で出来たのかな。君は知ってる?」

「質問に答えなさい。」

「それを知りたいから。」

 

 俺はやっと彼女の方に目を向ける。俺の質問には応えてない。

 

「俺の質問の答えは?」

「知ってるわ。」

「そっか。じゃあさ、君の家に住ませてくれないか。」

「………は?」 

 

 これが物語の始まりとなった。無知な俺が、地獄を知る物語が。



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永琳の苦労
永琳の苦労 Ⅰ 『苦労』


「君の家に住ませてくれないか。」

「………は?」

 

 今思えば、あの言葉がきっかけだった。

 まず、彼が本当に人間かどうか調べた。そしたら99.9%人間であることが分かり、こちらとしては良い実験体が見つかったと思っていた。

 でも、どの薬にも反応しない。毒薬にすら。実験体と思ったら実験対だった、なんて笑えない冗談よ。二つの意味で。

 更には、彼が寝てる間に実験してたはずなのだが、次の日の朝に「俺を実験に使うな。」と怒られた。全くもって理解ができない。

 

 何故、住むこと許可したのだろう。

 

「おい、永琳。」

「なにかしら?」

 

 唯一喜ばしいのは、彼の顔が整っているということ。面食いの私からすればそれだけでも良しとすることが出来る。と思い込むことで精神を落ち着かせてる。

 

「今日はちょっと出掛けるから、なんか手伝えと言われても手伝わねぇぞ。」

「は!?ちょっと待ちなさいよ!」

「それじゃ。」

 

 そう言い残し、扉を閉めた。部屋には静寂と私の怒りで満たされ、しかしどうしようもないその怒りは机を叩くことで軽減された。

 

「あんた腐っても居候でしょ…」

 

 あぁ、銀髪が白髪になる。

 

────────────

 

「あぁ、そこはそっちじゃなくてこっち。」

「こっちですか?」

「そうそう。」

 

 普段は零に任せて部下の実習を行っているのだが、今日は私が行っている。あんな人間だが、私が1人で全てを担っていた頃に比べて、非常に楽になったことは確かだ。だからこそ調子が狂う。

 

「そういえば八意様、神田様は?」

「どっか行ったわよ…」

「あぁ、なるほど…」

 

 なるほど、とはなんだろう。まるでどっか行くのは知っていたかのような口ぶりだ。いや、彼が適当なのは皆知ってるか。

 本当はあんなに適当じゃあすぐクビだ。しかし先程言ったように彼が来てから断トツに楽になった。それに加え、頭が私並みに良い。いや、下手したら私よりも…なんて恐ろしいことを考えてしまうほどに。

 

 今日、私誕生日なんですけど。誰もおめでとうって言ってくれない。泣いて良いだろうか。 

 

「薬の材料が切れたわね。買いに行くわ。」

「私が行きましょうか?」

「いや、良いわ。外の空気も吸いたいし。」

「そうですか。分かりました。」

「じゃあ行ってくるわ…」

 

────────────

 

「38900円になります。」

「4万円からお願いします。」

「はい、1100円のお釣りになります。」

 

 もう一日が終わる。結局誰にも祝われなかった。もう、なんなのかしら…

 帰り道、私は視線を道に落としながら歩いていた。私はいま、あからさまに落ち込んでいる。

 

「あら、八意さんじゃないの。」

「え?あ、どうも。」

 

 私くらいになれば、都の中心人物として有名なのである。たまにこうして街の人から声をかけられたりする。

 

「あんた、良い部下を持ったねぇ。」

「え?」

「ふふ、それじゃあね。」

「え、ちょっと…」

 

 それだけを言い残し、その場を去っていった。一体なんだったのだろう。分からないが、再び目線を定位置に落とし、帰路に着く。

 

「はぁ、もう6時か。」

 

 今から自分の誕生日プレゼントを買うというのも、もう億劫になっている。というより、どうでも良くなっていた。だが、せめて部下には祝われたかった。

 悲しみに耽っていると、目の前にはもう家の扉があった。私だけの特別な日は、特別も何も無い、いつも通りの苦労で終えるのだ。そう思いながら扉を開ける。

 

「お誕生日おめでとうございまーす!!」

「え?」

 

 扉の向こうは色鮮やかな装飾と、暖かいクラッカーの音の出迎えがあった。部下全員が私を見ていて、その真ん中にはにっこりと笑う零の姿もあった。

 

「おめでとう、永琳。」

 

 理解が出来なかった。最高の頭脳を持ってしても、数秒かかった。しかし、理解している最中、自然と目から熱い何かが流れ出てきた。

 

「泣くなよ。そんなに嬉しかったのか?」

「うるさい!」

 

 笑いながら私の反対側の肩を掴み、顔を近付け煽るような口調をする零を、私は誤魔化すように軽く叩いた。

 

「全部、神田様が計画したものなんですよ。」

 

 部下の一人が嬉しそうな口調でそう言った。

 

「う、うそよ…だって…きょうどっか行ってたじゃない…」

「あれは、誕生日のために買い物をしに行ってたんだよ。」

 

 今日一日、彼は実験室から離れていた。今まで彼が実験をサボることなど日常茶飯事だったが、わざわざ仕事を手伝わないということを報告してきたのは確かに初めてだった。

 帰り道に言われたことを思い出す。

 

「あんた、良い部下を持ったねぇ。」

 

 それは、零のことだったんだ。

 

「じゃあ、今日は飲むぞ!」

「おおおおおおおお~~~~~!!」

 

 零が中心となり、この場を盛り上げる。部下もそれに続きバカ騒ぎをする。無礼講と言って酒という酒を開け始めた。

 こんなこと、今まで経験したことがなかった。

 

「永琳。」

 

 零が私を呼ぶ。彼は何やらイタズラをしている子どものようなワクワクした表情をしながら、懐から何かを出す。

 

「はい、プレゼント。」

「こ、これは…?」

「首飾りだ。綺麗だろう?」

 

 そこには、ブリリアンカットが施された光輝く宝石が何個も付いている首飾りがあった。首飾りは疎か、装飾品を身につけたこともなかった私からすれば、新鮮な感情だった。

 

「綺麗…」

「これ買うために、結構節約したんだぜ?」

「あ……ありが……とう…!」

 

 その日は仕事のしの字も無い、楽しく、にぎやかに、夜が深くなるまで騒いだ。それもこれも、何もかもが初めてだった。私だけの特別な日が、経験もした事の無い生涯において特別な日となった。

 

 そして…

 

「今日はありがとね。」

「かまわないよ。これは今までのお礼も兼ねてる。」

「そう…」

 

 部下たちが身動きが取れないほど酒に浸り、騒いでいる人はもう居なくなった。床に寝転がっている部下を避けながら、私と零は外の風に辺りに来ていた。

 今日は、まるで月も祝っているかのように満ちていて、綺麗に輝いている。

 

「俺は、お前には感謝しても仕切れないんだよ。」

「え?」

「お前に出会って一年弱か。」

「えぇ、そうね。」

 

 肯定しながらも、もうそんなに経っていたのかと、微笑んだ。彼は月を見つめている。

 

「俺は、いつも適当で、大雑把で、やる気が無くて…でも、そんな俺をお前は受け入れてくれた。優しくしてくれた。一緒に笑ってくれた。」

 

 いつも、彼はこんなにも私を思ってくれていたのか?嬉しさと同時に悔んだ。私は彼を軽く見ていた。

 

「たまに俺を実験台にするが…」

「一言余計。」

「ハハ…でも、それでもお前には感謝してる。初めてであった人間が永琳でよかった。」

「うん…」

 

 彼の視線が月から私へと移った。目が合い、彼は優しく笑う。月明かりに照らされている彼は、綺麗で美しく、どこか妖しかった。

 未だ、私は彼のことが分からない。だからこそ、彼をもっと知りたい。彼のことについて、彼以上に知りたいと思っていた。

 

「この星も、この都も、ここの人たちも、俺は好きだ。もちろん、永琳のことも大好きだよ。」

「そ、そう…」

 

 嬉しかった。でも、彼が言っている『好き』は、そういうのではないのだろう。なのに私はその言葉に心臓を大きく動かしてしまう。そうか、私は彼のことが好きなのだ。

 ズルい。本当にズルい。私だけがこんなにもドキドキしているのに。

 

「零、こっち向いて。」

「ん?なん………!」

 

 反撃をするまでよ。私は彼にキスをした。少しでも私を意識して欲しくて、少しでも彼を感じていたくて、月の光に照らされたキスを、私は彼に捧げた。

 彼も最初こそ驚いたが、抵抗はしなかった。

 

「私は貴方のことが、『好き』。貴方は…?」

「………」

 

 やっぱり、ダメよね。こんなんじゃ…

 無理やりキスをして、私はなんてことをしてしまったのだろう。

 私は彼から視線を外した。しかし、彼は私の顎を親指と人差し指で摘み、私の目線を再度彼の瞳へと移させた。

 

「……さっき言っただろ?」

「え?」

「お前のことが大好きだって。」

「え、それって…」

 

 彼が妖しく微笑んだ。また、心臓が動く。

 

「愛してるよ、永琳。」

 

 彼は私にキスをした。



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永琳の苦労 Ⅱ 『能力』

 あれから、私と零は恋人という関係となった。だから、彼とイチャイチャしたり、大人っぽいことをしたり、そんな想像をこの天才の頭脳で行っていたのだけれど…

 

「永琳、そこの薬取ってくれ」

 

 そんなことは一切無かった。全てが今まで通りだった。拍子抜けだった。いや、まぁ、良いんだけどさ。もう少しラブラブとしたイベントがあっても良いのではないのかなと思うのだけれど…

 

「永琳?どうした?」

「え!?あ、なに?」

「いや、だからそこの薬取ってくれ。」

 

 こんな風に、彼は今までのように私の手伝いをしている。余計な事は一切していない。まぁ、なんて素晴らしい助手なのでしょう。今までのサボりをこんなに願う日が来ると思わなかった。

 

「分かったわ。これかしら。」

「ん、ありがとう。」

「どういたしまして…」

 

 もう諦めたほうが良さそうだ。まぁ、仕事と私情を混ぜないのは本当に良いことではあるし、このまま仕事を終わらせるとしよう。

 頑張ろうと気合を入れた所に、部下が慌てた様子で部屋のドアを激しい勢いで開けた。

 

「八意様、神田様!妖怪が数匹、都を襲っています!」

「なんですって!?」

「知ってる。」

「え?」

 

 知ってる?冷静に薬品を調合しながら「当たり前でしょ?」とでも言うように興味なく彼は呟いた。

 

「なんで知ってるの?」

「匂いと波形で分かった」

 

 私の鼻には薬品の匂いしか通っていない。それに、波形というのは一体なんのことを言っているのだろうか?

 彼は説明をするでもなく、合わせた薬品を漏斗から試験管に流し込み、軽く一息ついた。

 

「じゃあこれの反応を待ってる間に処理しに行こうか。」

「え、えぇ…」

 

 つくづく、彼が何者なのか分からない。

 

────────────

 

 襲撃してきた妖怪を退治し、何とか収まった。今回のように都へ襲撃してくる妖怪はあまり多くはない。が、彼の力もあり難なく対処ができた。

 そう、彼の力が…

 

「ねぇ、零。」

「どうした?」 

 

 やはり、先ほどのことを無視するわけにはいかない。彼の頭脳や彼の能力は、文献にも載っていないし、出会ったこともなかった。彼自身も分かっていないようだし、その為に私の元へとやってきたわけだから。

 

「貴方、さっき匂いと波形で妖怪が居ること知ってたみたいなこと言っていたけれど、ここから私たちがいた研究所まで結構離れてたわよ?鼻が良いって言葉じゃ済まされないわ。」

 

 犬なんか、比じゃない。距離にして約30km。余程強い力を持った何が本気を出さない限り、とても存在なんかを感じ取ることはできない。

 

「う~ん、俺の能力みたいなものかな。」

「と言うと?」

「これは完全に俺の予想になるのだけれど、永琳は人間の脳は100%中10%しか使われていないっていう仮説があるのは知っているか?」

「えぇ、まだ判明はしてない最近できた仮説ね。」

 

 その仮説と零の異様な能力はどのように結びつくのだろうか。それに、彼もあくまで予想ということで、彼自身も断言ができるほど確信はしていないのか。

 少なくとも、これが一番近い彼の仮説ということだ。

 

「もしかしたら、俺は脳を100%活用できているのかもしれない。」

「…なるほど。なぜそう思ったの?」

 

 もちろん、仮説を立てるからには、仮説を立てるに至るまでの経緯がある。私はそれを彼に問うた。

 

「なんでも出来るんだ。」

「なんでも?」

「あぁ、そう。『想像したことが何でもできてしまう』んだ。」

「んな馬鹿な…」

 

 やはり、彼は人智を超えている。人間は想像することを叶えることができるとはよく言ったものだが、彼の場合、叶えるまでのプロセスは皆無であるということなのだろう。

 全てが自分の想像通りに動く、全てが想像通りに実現する。それはもはや、人間と言えるのだろうか。

 

「あぁ、人間じゃない。」

「え!?」

 

 私の心を読まれた。きっと証明するためにわざと読んだのだろう。

 

「俺は元々人間じゃない。」

「じゃあ、元々何よ。」

「分からない。」

 

 そう、彼はずっと『分からない』のだ。元々人間ではないのは初耳だが、彼はずっと自分の正体を追っていた。

 

「なんの為に生まれたかも、誰が生み出したのかも、何も分からないんだ。」

 

 彼の表情は、酷く悲しそうだった。恋人として彼に何か出来ることはないかと脳を働かせた。何とか零の正体が分からないか。

 

「月に行きましょう。」

「え?月?」

「月には世界の真理について書かれた本があるって噂で聞いたことがあるわ。」

「世界の真理?」

「そう、その本はありとあらゆる種族にことが載っているらしいの。そのほかにも、宇宙の始まりや、宇宙の外のことも載っているみたい。」

 

 我ながら素晴らしい案だと思う。彼の種族はなんなのか、彼しか存在しない種族だとしても、何かヒントになる情報はきっとあるはずなのだ。

 

「本当か!?」

「えぇ、私もずっと前から行ってみたかったし、ついでよ。」

「ついでかよ。」

 

 なんだか彼が喜んでくれたようで、ちょっと恥ずかしくなった私は「ついで」なんて言ってそれを隠した。きっと彼にはバレているのだろうけど。

 

「あ、言っとけど、今は人間だからな。」

「分かってるわよ。」

 

 明日から忙しくなるだろう。だが、私の恋人の為だ。これしきの事で疲れることしない。明日から頑張るとしよう。

 

「永琳。」

「ん?なに?」

「ありがとうな。」

 

 彼の笑顔は、やはりズルいと思う。私は顔を赤らめて足早に研究所へと向かった。



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永琳の苦労 Ⅲ 『裏切り』

 昨日の決意から、私たちは大規模なロケットの設計図を考えていた。帰って来れるとは限らないため、都に住民を置いていく訳にもいかず、そんな大規模なロケットを数十機も造らねばならないのだ。

 

「ここはどうしたらいいと思う?」

「横20m、縦15m、高さ30mにした方がいい。」

 

 今設計している場所は全体の1割も満たない。それほど大きく、また、それを動かすのに相応のエネルギーが必要である。核燃料を詰め込む予定だ。行きの分と帰りの分を詰め込むと、気が遠くなるエネルギー量だ。

 少しでも量を減らすために、零に設計を手伝ってもらっている。とは言うものの、ほとんど零が考えていて、私は設計図を書いている感じだ。

 やはり、私よりも頭いいのかもしれない。その頭脳が欲しいわ。

 

「欲しいのか?」

「心を読まないで。」

 

 そういえば、彼は人の考えていることを読めるのだ。全く便利な能力だ。指揮も取りやすいし、交渉にも使えるだろう。

 

「欲しいのかって…じゃあ、欲しいって言ったらくれるの?」

「脳の細胞を創ることは出来るぞ。」

「………そうだったわね。貴方はモンスターだった。」

「じゃあ、今から創るから一分位待ってて。」

「いや、いらないわ。」

 

 お願いしようとは決して思わない。いやちょっと欲しい気もするけど、なんだか生理的に受け付けない。

 

「そう?じゃあいいや。にしても昼か…何か作ろうか?」

「えぇ、お願い。」

 

 本気か、冗談か。彼はたまに言っていることが狂気じみていて恐ろしい。頭を掻き、髪を崩しながら私は紙に真っ直ぐな線を引いた。

 

────────────

 

 暫くして、部屋の奥からいい匂いが漂ってきた。昼ごはんが完成したのだろう。しかし、先程は流れでお願いしたものの、彼が昼ごはんを作るのは初めてなのではないか?果たして美味しいのだろうか。

 いや、彼はなんでも出来る生命体だ。料理ぐらいできるだろう。

 

「出来たぜ。」

「あぁ、ありが……なにこれ。」

「え?料理だけど。」

「そうじゃなくて、なんでこんなに豪華なのよ。」

 

 隣の部屋へ行くと、20人くらいが余裕で座れるぐらいの長テーブルに、テーブルの板が見えないほど大量で豪華な食べ物がそこに並べられていた。

 ここから海まで徒歩4日はかかるはずなのだが、なぜ蟹が、なぜウニが、なぜ鰻があるのだろうか?それにこの鰻、異様に大きくないか?

 

「この鰻、痺れて痺れて苦戦したよ。」

 

 まさかの電気鰻だった。もはや陸すら違う。確かに電気鰻がどのような味なのかは気になるものの、まさか今日それを味わえるとは誰が分かっただろうか。

 いやそれより、どうして触れるのだ。

 

「俺がモンスターだからじゃね?」

「心を読むな!」

 

 結局、部下達も呼び、なんのパーティーかも分からないパーティーが開かれることになった。

 

────────────

 

「いやー、食った食った。ありがとうございました、僕達を呼んでくれて。」

 

 一人の部下が膨れた腹を擦りながら感謝してきた。零が自慢げな顔をしているのがなんともイラつく。

 

「このアホが十分で世界を旅して、三分で全部の食材を使って料理したから食べきれなかったのよ、むしろ助かったわ。」

「誰がアホだよ。」

「貴方よ。」

 

 わざとらしく彼は半笑いで首を傾げている。恋人であろうとその笑顔を拳で破壊してやりたくなった。

 

「ド直球に言うなよ、普通に傷つくぞ。俺のハートは90%がガラスで出来ているんだぜ?」

「残り10%は?」

「カッコ良さ。」

 

 私はついに彼を殴った。可哀想だから腹にしてあげた。もう流石にウザすぎる。

 

「うげぇ!?俺でも痛いもんは痛いんだぞ!」

「あっそ。」

「こ、こいつ…!」

「というか、昼ご飯の筈だったのに、何でもう夜なのよ。」

 

 窓を見ればスッカリ暗くなっている。部下たちは酒を開け始め、パーティーはほぼ宴と化してきた。なんの祝い事でもないのに騒いでいる部下たちは、ただ酒を飲みたいだけだろう。

 

「ハァ…」

「ため息は幸せを逃がすぜ。」

 

 誰のせいだと思っているんだ。

 

──────────── 

 

 いつものように部下たちが酔いつぶれ、部屋が地獄と様変わりした後、私たちはその地獄の研究所から自宅へと向かっていた。夜風が気持ちよく、酒を呑んだ後には丁度いい。

 

「そういえばさ、さっきのパーティーで気になるやつが居たんだよ。」

「気になるやつ?部下しかいなかったと思うのだけど…」

「なんか、見た目人間だけど中身が妖怪だったな。」

 

 彼は一体なにを仰っているのだろうか?

 

「イヤイヤイヤ、なに言ってるのよ!この都に妖怪が入れるはずないじゃない!?」

「いやでも妖怪だったぞ、断言出来る程度には。」

「もし妖怪が居るんだとしたらなんで私に言わなかったのよ!?」

「だって、飲みの席で白けること言いたくないじゃん。」

 

 この人が元々人間ではなかったとしても、さすがに感覚がズレていると思わざるを得ない。優先順位は確実にそれではないのだ。

 

「あと、勘だけど相当強いよ。」

「勘って…」

 

 しかし、もしそうだとするとスパイだろうか。この私でさえ、分からないくらい妖力を隠すのが上手いということは零の言う通り、強いかもしれない。

 ただでさえ忙しいのに、さらに厄介事が増えてしまった。いつしか恋人のためなら疲れないと言ったが前言撤回をする。

 

「とりあえず分かったわ。明日から捜しましょう。」

「ガンバレー。」

「なに言ってるの?貴方もよ。」

「ロケットはどうするのさ。期限までに間に合うか?」

 

 何も言えなくなった。

 

「ガンバレー。」

「頑張ります…」

 

 一人で捜さねばならないのか。最近、私ばかりが苦労してばかり。特にこの男が来てからだ。惚れた弱みがすぎる。

 ロケットを造って、月に到着したら『永琳の苦労』って本を出そう。そう決心した。



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永琳の苦労 Ⅳ 『臭い』

 都に入り込んでいる妖怪は情報が少なすぎるため、私でさえ探すのが難しい。そこで、零からその妖怪の特徴を聞くことにした。

 

「その妖怪はどんな奴だったの?」

「何か人気者っぽかったなぁ。」

 

 人気者。比較的捜しやすい、と思うのだが、スパイになるものがそんなに目立って良いのだろうか。そこは少し気になるところだ。

 

「他は?」

「う~ん、面倒だから絵に描く。」

 

 そう言うと彼は、設計図のために用意したメモ帳に絵を描いていく。彼のことだからすぐに終わるだろう。終わるまで珈琲でも淹れてこようか。 

 

「出来たぞ。」

「早ッ!?」

 

 ものの10秒だ。早く終わるとは思っていたが、そこまで早いとは誰も思わない。というより不可能だろう。

 

「ちょっと雑だけど、どうぞ。」

「写真じゃないのよ…」

 

 都の絵師が筆を投げ捨てるほど、それは正確に書かれていた。輪郭や陰影がハッキリとしており、決して雑とは言い難い絵だった。

 

「それにしても…あ、まさかこの人!?」

「あ、もうわかった?」

「誰だ!?」

 

 暫時、静寂がこの部屋の空気を重くした。零は明らかに眉に皺を寄せてこちらを睨んでいる。 

 

「…オーバーリアクションをするな。紛らわしい。捜しに行ってこい。」

「すみません。貴方の反応が見たくて…」

「早く行ってこい。」

「ハイ…」

 

 恋人にもう少し優しくしてくれてもいいじゃない。凍えるほどの視線を背中に刺されながら私は部屋を出た。

 

────────────

 

 あれから数時間が経過した。しかしながら、部下たちからは「知らない。」という言葉しか聞けなかった。

 零は人気者のようだったと言っていた。確かに、部下の話では昨日の宴では盛り上げ役だったようだが、その人がどのような人物なのかは分からず盛り上がっていただけであったというのだ。

 先程はふざけたが、例え直属の部下でないにしろ、全く見たことがなかったというのは、私自身不思議に思っていた。

 手詰まりか。そう思い、一度部屋に戻ろうとした。

 

「ッ!?」

 

 悪寒。それはいきなりだった。全身を覆うほどの殺気を感じた気がした。しかし、それは一瞬の事だったため、気のせいだろうかと、冷や汗をかきながら部屋に向かう。 

 

「永琳様。」

「え!?あぁ、何?」

 

 私を呼び止めたのは、部下の中で一番仕事ができる、私も信頼を置いている女性の部下だった。そういえば、今日は彼女と出会っていない。彼女にも訊いておくべきか。

 

「その紙は何ですか?」

「あぁ、この人を捜してるのよ。」

「どれどれ…」

 

 とはいえ、恐らく他の部下と同じく分からないだろう。ここまで来てしまえば、この人物がその場で作られた顔であることは想像がつく。

 

「あぁ、この人ですか?知ってますよ。」

「え!?本当!?教えて!」

 

 予想に反して、この人物を知っている人が現れた。全身の力が抜けていくのを感じる。流石にこんなにも時間をかけていれば疲れる。しかし、これだけ頑張れば零にも褒められるだろう。そう、思っていた。

 

「あ、あれ?」  

 

 達成して力が抜けていくのは分かるのだが、あまりにも脱力しすぎている。次第に足の力が失われ、その場に倒れる。部下の靴はこちらに近付いてきて、やっと理解した。コイツは、彼女の皮を被った『何か』だ。 

 

「この人物はこの俺だよ。」

 

 男性の声だ。しかし、それは彼女の口から発せられていた。本物の彼女は、どこに?

 

「焦ったよ。俺の事について嗅ぎ回ってやがったんだからな。」

 

 動こうとしても動けない。奴は私の髪の毛を鷲掴みし、顔を寄せた。彼女の顔で嫌らしい笑顔を見せないでくれ。

 

「だからお前の部下殺して、その皮貰ったよ。薬品臭い肉は食ってやった。」

 

 私の脳は、その言葉を受け付けられなかった。昨日まで話していた、信頼していた彼女が、知らない間に死んでいて、死体すら残っていないという事実。受け付けられる訳がない。

 

「動けないだろ?そういう妖術だからな。」

「クソが…」

「お前を喰えば俺達は最強になるんだ。」

 

 絶望を最後に、私の意識は途絶えた。

 

──────────── 

 

 耐えられないほどの異臭によって目が覚める。どうやらここは廃墟のようで壊れかけの壁から太陽の光が差し込んでいた。周りには三体の妖怪がいる。

 

「よくやったな!」

「簡単だったよ。」

「またまた~。」

 

 舌なめずりをしながら私を見つめていた。これからどうやって調理しようかと、考えているのだろうか。

 

「顔も可愛いし、楽しむのも悪くはねぇよな?」

「やめとけ、そんな時間はないだろ。こいつを食らってバケモンに対抗出来る手段を得たい。こいつを誘拐したからには捜しに来るぞ。偵察組を全員綺麗に殺しやがって。」

 

 零の事だ。最近妖怪の出現が多かったのは、都を襲うための偵察だったのか。それが、零に毎回邪魔されたコイツらは、対抗出来る手段として力が強い私を食べようとしているのか。

 妖怪たちがゆっくりと私に近付いてくる。口から垂れた涎を腕で拭いながら、ゆっくりと。

 嫌だ。死にたくない。まだ生きたい。まだ零と遊びたい。零と笑いたい。零と悲しみ合いたい。零と、零と…

 

「早速頂くとしよう。」

 

 零と愛し合いたい。

 

「いただきまーす。」

 

 私は目を閉じた。その時、涙が流れ、私の生涯はそこで終えるのだと覚悟をする。雷の音が聞こえ、天も私の死に怒りを抱いているのか。

 

「え?雷?」

「そんなわけないだろう。外は雲の一切もない晴れだぞ?」

 

 痛みが来ない。どうやら、妖怪たちは動きを止めたようだ。晴れているのにも拘わらず、雷の音が聞こえることに不思議がっている。

 私は再び目を開いた。同時に雷がもう一度落ちる。逆光で四体の影が私の視界に飛び込んできた。

 四体?私の周りにいた妖怪は三体だったはずだ。どういうことなのだろうか。強い光から目が慣れた頃に、漸くそれが見えた。

 

「だ、誰だお前!」

「姓は神田、名が零だ。よろしくな。」

「れ…い?」

 

 零が来た。雷の光と共に、彼は現れたのだ。

 

「何故貴様がここにいる!」

「臭いだよ。」

「は?」

 

 彼はいつものように軽口を叩くかのように妖怪たちに半笑いで話しかける。そしてわざとらしく自分の鼻をつまんだ。

 

「永琳の花の匂いと、お前らの吐瀉物を何日か放置したような臭いが感じられたからだ。」

「なんだと?」

「お前らの臭いのせいで、永琳の匂いが台無しになるんだよ。あぁ、くさい。恥ずかしくないの?」

「テメェェェェーーー!!」

 

 明らかな挑発に、一人の妖怪が鉤爪を縦に振りかざした。

 

「うお、マジかよ。」

 

 零もそのあからさまな挑発に乗ると思ってなかったのか、軽く驚くような表情を見せた。が、すぐに彼はその攻撃を横に避ける。勢い余った妖怪はそのまま床に鉤爪を刺す。もちろん零はそれを見逃さず、妖怪の腕を掴んだ。

 

「お前たちの仲間がどうやって俺に殺されたか教えてあげようか?」

 

 そう言うと、彼は前腕から皮膚を破るように青い鎌のようなのような物を出し、妖怪の頭に突き刺した。脳天から顎まで貫通している。一見、妖怪は死んだかのように思えたが…

 

「俺が刺されただけで死ぬと思うか!」

 

 やはり、零が予想していたように妖怪は強いようだ。それだけで死ぬことは無いようだ。

 

「……」

「恐怖を覚えたか?クズが!こいつと一緒に死にに来たのか!?」

 

 零は喋らない。そればかりか、彼は、笑っていた。

 

「……フフ。」

「あん?何笑っていやがる?」

「さっき、なんで雷が落ちてきたんだと思う?」

 

 焦るでもなく、ただ彼は妖しく笑っていた。妖怪に対する恐怖は、一切なく、格下の存在を弄ぶ神様のように、不敵に笑っていた。

 

「何言ってんだ、お前?」

「もし、雷を生成できるとしたら、どう思う?」

 

 その言葉で、その場にいた全員が理解した。他の妖怪たちも刺された妖怪と余裕綽々に話し込んでいる零を殺そうと後ろから襲おうとしていたのだが、すぐに後ろに下がった。

 

「『痺の細胞』。」

 

 彼がそれを呟くと、弾けるような凄まじい爆音が、目を閉じても眩しい程の光と共に部屋の中で鳴り響いた。 

 『痺の細胞』。名前から見るに、零が何かしらの細胞を創ったのか?音と光が収まると、零に刺された妖怪は黒く焦げており、元の形は保てていなかった。

 

「これを今から、残りのお前らにやるからな。」

「………」

 

 妖怪だったそれを他の妖怪は固唾を飲んで、ただ見つめていた。

 

「次は、どっちがいい?」

「う、うわぁぁぁ!!」

 

 一人の妖怪が出口に向かって逃げ出した。しかし、零は壁を蹴って先に出口へとたどり着き、その妖怪の頭を掴んだ。

 

「なんだ、怖いのか?」

「すみませんでした!もうしません!都に近付きません!だからどうか許してください。」

「いや無理よ?」

 

 再び部屋は爆音と眩い光に包まれた。そして、収まった頃にはその妖怪は煤と化していた。

 

「……つかえねぇ。」

 

 残るは、私を誘拐した妖怪一人のみ。ソイツは面倒くさそうに頭を掻く。深いため息、それと同時に廃墟の石や鉄骨の破片が宙に浮いた。これは、奴の能力なのだろうか。

 

「使えないんじゃないよ、俺が強いんだ。」

「腐れが…」

「死んで腐るのはお前だぞ?」

「……」

 

 沈黙。それしか無かった。

 互いが互いを牽制している。どちらも先に動こうとせず、じっくりとした空間に緊迫が走る。しかし、いずれそれは終わる。

 キシ…と、廃墟の床が軋んだ。瞬間、彼らは動いた。

 

「死ねぇぇぇ!!」

「オラァァァ!!」

 

 金属と金属が思い切りぶつかった様な音が響いた。余韻まで綺麗に聞こえるほどに。どちらが、勝ったのか。その余韻が収まり始めた頃、その結果が分かった。

 

「クソ、がぁ…」

 

 妖怪は膝から崩れ落ちるように倒れた。うつ伏せになり、全身という全身から血が溢れ出している。あの一瞬にして切り刻まれたのだ。

 零は腕から出していた青い鎌のようなそれを引っ込める。ひとつの汗を拭い、一息付いた。

 すると、倒れた妖怪は絞りカスような声を出す。

 

「最後に…言っておこう。俺達はロケットを発射することを知っているからな…ハハハハハハハハ!!」

 

 全くもって意味が分からない。ロケットを発射することを知っている?スパイをしていたのだから知っているのは当たり前だ。奴はこの期に及んで何故それを伝えたのだ。

 狂気じみた笑い声は次第に弱々しくなり、遂には動かなくなった。零の目からは、少し焦りの感情が伝わった。彼は、何に焦っている?

 

────────────

 

「ありがとうね、零。」

「あぁ、どういたしまして。」

 

 帰り道、私は零におぶられていた。妖怪の妖術がまだ抜けきっていないようで、自力で帰ることが出来なかった。とはいえ、恐らく一晩眠れば解けるだろう。

 

「ねぇ、零。」

「ん?」

「私の匂いってお花の匂いなの?」

 

 先ほどの発言が気になった。彼は私の匂いが花の匂いだと言ってくれた。思い出して少し嬉しくなったため、ちょっと聞いてみることにした。

 

「あぁ、お前の近くに居るだけで、その匂いで癒される。今もな。」

「ふーん、そうなんだ。」

 

 思わずニヤける。好きな人からそう言われると、やっぱり嬉しい。

 

「ねぇ、零。」

「どうした?」

「好きよ。」

「奇遇だな、俺もだ。」

 

 こんな一時がずっと続けばいいのに。私は彼の匂いに心を落ち着かせながら、そう切に願った。



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永琳の苦労 Ⅴ 『後悔』

「出来たーーーーー!!」

 

 私の大きな声に周りの部下や、都の住民でさえ歓声を上げていた。私の鼓膜が歓声を味わうと、今までの重荷がふっと軽くなったような気がした。同時に今までの疲れを自覚した。

 私、こんなに頑張ったのか。巨大なロケットを見上げて、私は私を褒めた。

 

「終わったわね!」

「あぁ、そうだな…」

 

 零の顔はなんだか浮かない表情をしていた。なにか、心配事をしている時の表情だ。

 

「どうしたの?」

「え?あぁ、考え事。良かったよ、完成して。」

「そうね…」 

 

 零は歓声の中をひっそりと歩き、研究所へと帰って行った。どうしたのだろうか。

 

────────────

 

「乾杯!」

 

 ロケットが完成したということで、製作陣チームと部下達とで打ち上げをすることになった。だが、やはり零は何かを考え込んでるような難しい顔をしている。ここまで考え込んでいる零は久々に見た。

 

「本当にどうしたのかしら…」

 

 心配している中、宴は構わず行われた。いつものように部下たちがバカ騒ぎをし、製作陣チームもつられてバカ騒ぎをする。酒の強さで勝負をする人はこぞって外で吐きに行った。薬剤を取り扱う者たちとは思えないほど、急性アルコール中毒を考えていない。師匠として怒るべきだが、それは明日にしておこう。

 そして夜も深け、例のごとく部下たちが酔いつぶれた頃、彼のことを思い出し、その姿を探した。

 

「あ、いた。」

 

 そこには空の盃をもって机に顔面を置いている零の姿があった。彼の周りには酒瓶が数え切れないほども転がっており、致死量の約50倍程の量だった。

 

「………ヒック。」

 

 いや、バカでしょう?おおよそ、何か考え事をしてて、いつの間にかこんなに飲んでたのだろう。ホント、バカだ。ていうか、バカだ。

 

「それにしても、この人は一体何を考えていたんだろう?」

 

 あんなに長考していたのだから、きっと難しいことだったのだろう。若しくは、きっと零の事だから「風呂とかどうするんだろう」とか考えていたのかもしれない。零はお風呂好きだから。

 

「さてと…」

 

 周りを見ると皆、床やテーブルに寝っ転がっている。いびきがうるさい。流石にこのまま寝かせたままにするのは、師匠として許せない。私は一人で部下たちを背負い、全員を隣の部屋まで運んだ。

 

──────────── 

 

 いよいよ、この時が来た。ロケットがあと少しで出発する。私たちはロケットの中に入り、真空や超高熱にも耐えることの出来るガラスからもぬけの殻になった都を眺めていた。

 

「ロケット発射まで1時間前です。」

 

 機長のアナウンスが流れた。もう1時間前だ。時の流れは早い。私たちは時間をかけて創り上げたロケットが動き出すその瞬間を、身をもってして体験できるのだ。

 

「楽しみだな~。」

「なぁ、永琳。」

「なにかしら?」

「お前は、俺の事が好きか?」

 

 いきなりの発言に、心臓が跳ねる。少し動揺してしまい、目をあちらこちらに泳がせながらも、最後には彼の目を見る。

 

「そ、そりゃあ、好きよ?」

「そうか、俺もお前が好きだ。」

 

 どうしたのだろう。いつになく真剣な眼差しで、私のことを見つめる。

 

「ハグしていいか?」

「え、えぇ、良いわよ?」

「ありがとう。」

 

 本当にどうしたのだろう。彼は私を強く抱き締め、私は彼の胸に顔を埋める。彼の匂いがする。彼も、私の匂いを感じてくれているのだろうか。花の匂いだと言ってくれた。

 

「恋人になる前にも言ったが、俺はお前に出会えて本当に良かった。俺の目的が、とかではなく、八意永琳という君に出会えたことが何よりも幸せだった。」

「うん、私もよ。」

「本当は、この時が来て欲しくなかった。俺の杞憂で終わってくれれば良かった。だが、奴らは来た。」

「え?それってどういう…」

「さよなら永琳、ずっと愛してるよ。」

 

 その瞬間、零は消えた。いや、瞬間移動したのだ。どこに?彼は「さよなら」と言った。慌てて私はガラスの向こうを見る。

 

「なに…あれ。」

 

 そこには大量の妖怪が都を囲うように攻めてきている。大妖怪が1体や2体なんてもんじゃなく、50や60くらい、いや、それ以上か。

 その時、私は誘拐してきた妖怪の最期の言葉を思い出す。

 

「俺達はロケットの事を知っている。」

 

 もしかしてあれは、ロケットが発射するこの日に襲ってやるという意味だったのか。ロケットには都に住む全ての人類が乗る。一点に集まっているため、囲うように襲撃されてしまえば、ひとたまりもない。

 零は、私たちを守るためにずっと考えていたのだ。例え、それを報告した所で、妖怪の大襲撃が無くなる訳では無い。都の人間全員を別の土地へと移動させるのは、むしろそちらの方が時間がかかり、守りきれない。死者を一人も出さないためには、零だけが足止めをして、ロケットを発射させることだった。

 私は一瞬で、全てを理解した。

 

「ここを開けて!」

「分かりました!」

 

 部下は急いで非常用出口を開けようとするが、開閉のボタンは反応を示さない。

 

「開かない!?」

 

 零によってロックされてしまっている。設計士は、彼だった。電力と繋がっているように見せかけているのだ。製作している段階で気付けるはずなのに、彼の頭脳に追いつけない私たちは気付くことが出来なかった。

 悔やんでいると、ロケットがいきなり揺れ始めたのだ。

 

「なに!?」

「ロケットが発射します!」

「なんでよ!」

「発射のボタンが勝手に!」

 

 全て、彼が設計したのだ。彼は、設計していた数年間、私たちを守るために戦っていたのだ。誰にも言わず、ただ一人で。

 

「零!!」

 

──────────── 

 

「すまない、永琳。」

 

 窓の向こうに、大粒の涙を流しながら俺を呼んでいる永琳が見える。お願いだ、後悔しないでくれ。これは俺が選んだ道だ。決して、君が悔やむことでは無いのだ。

 それに、安心してくれ。俺は誓うさ。大きく息を吸い、妖怪共の中心で思い切り叫ぶ。

 

「俺は死なない!生きて、必ずまた君に会いにいく!!」

 

 妖怪共は俺の声に反応し、一斉に襲いかかってくる。これでいい。俺は前腕から青く輝く鎌のような武器を露にした。

 

「『亜空間の原子』!!」

 

 そう叫び、俺は目の前に亜空間を創り出した。そして、その亜空間から無数の黒い手が飛び出し、妖怪たちをそのまま引きずり込んでいく。

 金切り声を上げながら、次々と死んでいく妖怪。だが、妖怪も皆が雑魚ではない。

 

「ッうぐ!?…オラァ!」

 

 横っ腹が削り取られ、そこから俺の小腸が流れ出す。体の中身がなくなる感覚。空気が中身に触れる度に激痛を感じる。流石に動きづらい。

 俺は空を見上げた。ロケットはもう発射してる。100mくらいは飛んだだろうか。やっとロケットの爆風が俺を含め妖怪の所まで到着し、全員を吹き飛ばす。

 200…300…400…500……………1000……………………2000m到達。そろそろだな。零は指を鳴らした。

 すると、空から…核爆弾が落ちてくる。

 

「じゃあな、永琳。また会おう。」

 

 俺の体は宙を舞い、紐状の臓物は竜巻のように渦を巻いている。その渦の中心にロケットの姿を捉えて、なんだか少し笑ってしまった。そして、視界が暗くなった。

 

 永琳、どうか後悔しないでくれ。俺はお前を愛している。お前も俺を愛していると言ってくれた。だから、また会える。愛しているから、また会える。お前が俺のことを愛さなくなっても、俺はお前を愛す。

 

 ただ、それだけだ。



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諏訪信仰の蛙
諏訪信仰の蛙 Ⅰ 『信仰』


前回、章の設定を間違えてしまいました。申し訳ありません。


 暗い。目をつぶっているからだろうか?俺はゆっくりと目を開けた。だが、やはりくらいままだった。星が見える訳では無い。もしかして、ここは地中か?とりあえず、地上まで『瞬間移動』をしよう。口をゆっくりと動かし、土が若干入りつつも唱え、俺の体は地上のどこかへと移動した。

 視界は切り替わり、青空が目の前に広がっている。とても綺麗だ。が、それよりも、酷く、身体中が痛い。まるで体が痛覚を思い出したかのように、痛みが駆け巡る。

 俺は、自分の体を見た。皮膚は黒く、そして剥がれていて、少し動いただけでボロボロ落ちる。しかし、驚きはしなかった。それは当たり前だからだ。妖怪達を、俺と一緒に核爆弾で討伐したのだから。

 幸い、いや、皮肉にも俺は妖怪よりも外れた人外のため生きていられる。

 

「……ぁ…ぇ……………」

 

 喋れない…これも当然だ。どうやら細胞で回復するしかないらしいが、生憎、もう技名を唱えるほどの気力はなかった。

 

────────────

 

 一日を費やし、漸く体の全ての器官が完全に治療された。しかし、同時に半端ない眠気が襲っている。流石に疲れ果てた。ここで寝てしまおう。

 

「お休みなさい。」

 

 こだまする訳がないことを知っていながらも、その言葉を言い、眠りについた。

 

────────────

 

 目を開くと、目の前には木造の天井があった。流石に動揺し、体を起こす。

 

「あ、起きた。」

 

 俺が起きた瞬間、誰かの声がした。女性…いや、女の子のような幼い声だ。右にその声の主がいた。目玉の付いた帽子をかぶり、足を伸ばしてその少女は寛いでいる。

 

「ここはどこだ?」

「ここは諏訪の国さ。」

 

 どうやら、この少女が住んでいる『諏訪』という国らしい。しかし、何故そんなところに俺はいるんだ?

 

「俺は何故ここにいるんだ。」

「私が運んだからだよ。」

 

 放射能が漂っているあそこから…?にわかには信じ難いが、事実、俺は建造物の中で目が覚めた。

 

「どうして俺を運んできたんだ?」

「どうしてって…散歩の道中に人が倒れてたら、流石に放っておけないでしょ。」

「そうか…ありがとな。」

 

 どうやら、この少女は倒れてた、もとい、眠ってた俺をここまで運んでくれたのか。

 

「ムフフ、もっと褒めて良いよ?」

「よし、もっと褒めてやる。」

 

 子どもはかわいい。よく都の道でケンケンパをして遊んでいる子どもなんかを見て、思わず微笑んでいたのを覚えている。懐かしい。暫くロケットを造っていたから、都に降りることが少なくなっていた。

 俺は言われた通り、10分程褒めまくった。

 

「そこまで言われると照れるな~。」

「ハハハ、可愛いな。」

「え、そう?可愛いのか~、照れるな~。ムフフ。」

 

 子どもとこうして相対して関わることはロケットの製作前でもそうそうなかった。これを機に、めいっぱい可愛がろうとしたが…

 

「君は…」

「もうそれ以上言ったら照れすぎて死ぬからもう良いよ。」

 

 どうやらギブアップのようだ。

 俺は布団からやっと外に出て立ち上がり、軽く体を伸ばす。どうやらどこも異常はないらしい。自分でも化け物じみていると思う。

 

「そうだ、君の名前を教えてくれないか?」

「洩矢諏訪子だよ!ここの国の祟り神をやってる。」

「そうか、祟り神。え?祟り神?」

 

 この少女が、祟り神?

 

「うん、皆からは、『御社宮司様』って呼ばれてるよ。」

 

 確かに、人間は神すらも創り、祀った。神はそれぞれ信仰心に比例した神力を持っているはずだ。なのだが、彼女からそれを感じ取ることが出来ない。だからか、彼女が神であることが分からなかった。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。そんな事より俺の名前を言ってなかったな、俺の名前は『神田零』だ。宜しく。」

「神田零か~、宜しくね。」

 

 俺が手を差し伸べると、諏訪子はその手を掴み握手をする。それにしても、御社宮司様か。聞いたことがない。いつから存在する神なのだろうか。神力のこともあり、少し気になる。

 

「ところで、諏訪子。」

「ん?」

「君はいつから存在する神なんだ?」

「大規模な爆発がこの近くであったらしいんだけど、その後に生まれた。」

 

 大規模な爆発とは、恐らくロケットのことだろう。そういえば今更ながら、この地球から穢れがそこいらから感じ取れる。もしかして、あの爆発により大量の妖怪が死んだことによって、異常な程の穢れが地球を蔓延しているのだろうか。非常に興味深いな。

 

「零はいつ生まれたの?」

「俺か?俺は正確にいつ生まれたかとかは分からないけれど、この星が滅ぶ遥か前には既に生まれてるよ。」

「いや、なんだその冗談。」

「冗談じゃないぞ?」

 

 確かに、この地球で生まれたからには、それ相応の物差しでしか測れないだろう。彼女が困惑するのも無理はない。

 諏訪子は人差し指で皺の寄った眉間を押さえる。

 

「えっと、本気で言ってる?」

「あぁ、本気だ。だから力もあるぞ。」

「へ、へぇ?じゃあ、見せてくれない?」

 

 なんだか、永琳と出会った時の頃を思い出した。彼女も自分の物差しで測りきれない俺に対してどう接するべきか分からないようだった。

 

「あぁ、良いぞ。『亜空間の原子』。」

 

 そう呟くと、諏訪子の目の前の空間が歪み、そして切れ目が生まれ亜空間が発生した。実は、亜空間は2種類扱うことが出来、一つは俺の荷物置きにも使っており、もう一つは攻撃手段として使っている。今広げているのは荷物おきの方だ。

 

「ス、スゲー…」

 

 諏訪子は目を輝かせているが、そんなにスゴいのだろうか。俺としては最初からできる能力であるため、よくわからない。だが確かに、永琳も興味深そうにしていた。特殊相対性理論がどうとか、なんだかブツブツと独り言を言っていた。

 

「種族は地球に来た時に人間に変えたけど、元々何だったのかよくわからないんだ。」

「種族を変えた!?じゃあ、『神様』に成ることは出来る?」

「まあ、やろうと思えばできるけど。」

 

 俺の発言に、諏訪子は分かりやすく声色を明るくした。

 

「じゃあ、神様に成ってこの神社の一柱になってよ!」

「え?」

 

 勢いよく俺の手を掴み、キラキラと輝く期待を孕んだ瞳で俺を見つめてくる。ここから、俺は新しい一歩を踏むことになる。しかしその一歩は、一体どこへ向かうのだろうか。



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諏訪信仰の蛙 Ⅱ 『神格』

「神になれって言われてもな。俺は人間のままが良いし、人間っていいなだし。」

「そこをどうにか!!」

 

 神になってくれと神に頼まれたのは、おそらく地球上で俺一人だろうな。しかしながら、俺を神にすることで、彼女にどのような利益があるのだろうか。神についてはあまり詳しくは無いため、予想があまりつかない。 

 

「なんで俺を神にしたいんだ?」

「神は多い方が信仰が増えるんじゃないかなって。ダメかな?」

 

 それで果たして信仰心が強まるのかは疑問だが、とりあえず目的は分かった。俺としても、やることが無いため特に断る理由もない。

 永琳がいる月に向かうには、人手も能力も足りないのだ。前の種族に戻ればいい話ではあるのだが、その元の種族すら分からない。宇宙を彷徨うことの出来る種族など、調べても出てこない。というより、天文学的な数値が出てくる程には、そんな生物は存在しないとすら言えるぐらいなのだから。

 

「じゃあ、500年程度なら良いよ。」

「本当に!?ヤター!」

「でも、何の神をやれば良いんだ?」

「あ…」

 

 どうやら、考えていなかったようだ。諏訪子の無計画さが少し面白く、少し笑ってしまった。諏訪子はそれに口を膨らませて怒っているぞと分かりやすく表現してくれた。本当に面白い子だ。

 

「それじゃあ、『細胞の神』ってのはどうだ。」

「お~、良いね!でも、細胞って何?」

「え?」

 

 神には細胞の概念はないのだろうか。しかし、永琳や部下達は皆知っていた。それだけでなくとも、都に住んでいた一般の人間も常識的に知っていた知識だ。だというのに、どういうことだ?

 都の人が何もかものデータを持っていったとしても、そんなすぐに忘れられるものでは無いだろう。

 

「なぁ、諏訪子が生まれる前に起きた大規模な爆発って、どれぐらい前の話だ?」

「あ〜、一億年ぐらい?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、視界が歪んだ。一億年だと?俺は一億年もの間、眠りこけていたのか?月には穢れがないため、永琳は生きているだろうが、それにしても、一億年も彼女を待たせてしまっているのか。 

 

「え、どしたの。」

「いや、な、なんでもない。それより、細胞が何なのか、だよな。」

「あ、うん。」

「細胞というのは…」

 

 そこから10分程の軽い説明して、なんとなく理解したようだ。腕を組みながら深く頷き、俺の話を真剣に聞いていた。

 

「へ~、面白いね。それで『細胞の神』だっけ?カッコイイじゃん。」

 

 ちゃんと伝わったようで何よりだ。自分の中で常識的なことを説明するのは意外と難しいからな。

 

「ところで、諏訪子も神なんだよな?」

「もちろんですとも。」

「じゃあ、もちろん強いんだよな?」

「まあ、人並み…じゃなかった、神並みには。」

 

 言い淀むことなく、堂々と答えた。それならば神力を感じとれなかったのは、どういうことなのだろうか。

 

「そうか、それなら軽く諏訪子と戦ってみたいのだが、良いか?」

「いいよー。」

「よし、じゃあ早速…」

 

 言葉の途中で俺は辺りを見渡す。木の匂いがするこの建物で戦いは、流石に気が引ける。というより、最早無礼の域を超えている。

 

「ここじゃ、ダメだね。違う所でやろうか。」

「そうだね、それじゃあ良い草原が近くにあるから、ついてきて。」

 

 俺は諏訪子に続くように外に出た。彼女の神力のことを知る良いチャンスだ。

 

────────────

 

「ここでいいんじゃない?」

「そうだな。」

 

 まわりには建物も何もなく、どこへ行っても太陽の光が照らしてくれる草原が広がっていた。心地よい風が俺の肌を優しく撫でた。ここなら純粋な力を見るのに最適な場所だった。俺と諏訪子は程よい距離を保って相対してる。

 俺は転がっている適当な小石を持つ。

 

「これを上に投げるから、落ちた瞬間スタートな。」

「え、でも、ここ草原だから合図の音聞こえなくない?地面草よ?」

「あぁ、大丈夫。転がってる小石とぶつかる様に投げるから。」

「えぇ…?まぁ、分かった。」

 

 諏訪子は戸惑いながらも了承してくれた。俺は彼女の目を見て準備が出来ていることを確認する。どうやら大丈夫のようだ。

 俺は持っている小石を軽く空に向かって投げる。その小石は弧を描き、そして丁度俺と諏訪子の間の地面に着き───

 カッと、乾いた音をたてた。

 

「『冷の細胞』!」

 

 先制したのは俺だった。いや、先制と言うより、威嚇だ。威嚇をするからには相手が予想する力を上回らなければならない。結果的に、俺の威嚇に諏訪子は舌を巻いた。

 何をしたか。俺は周囲に生えている草を、『冷の細胞』で凍らせた。ものの一瞬で。

 半径10m程の綺麗な円ができ、この空間は一気に冷気を帯び始める。

 

「どうした、諏訪子?口が開いているぞ。」

「ッ!はあ!!」

 

 諏訪子は気合いを入れるように自分を鼓舞し、先ほどのほんわかした彼女とは打つまで変わって、神に相応しいオーラを、つまり神力をどこからともなくその体に纏い始めた。

 どうやら、妖力や霊力のように、常に纏っているものでは無いらしい。感心していると、諏訪子は鉄の輪のような物を出した。あれが武器のようだ。

 

「これを避けられるかな!」

 

 諏訪子はその鉄の輪を、俺の方へ一直線に投げた。そのスピードは恐ろしく速い。触れていない草が鉄の輪の軌道に沿って散っていた。普通の人間なら当たるだろうし、当たればひとたまりもない攻撃だ。普通の人間なら、だが。

 

「よっと」

 

 俺は避けずに、その高速に飛んできた鉄の輪を掴んだ。手の平にジリジリとした痛みを感じる。掴んだ衝撃は予想していたよりも少し強かった。

 

「これは鉄か。諏訪子も能力持ち?」

「そうだよ、坤を創れるよ。」

「なるほど、面白い。」

 

 坤とは大地のことを意味し、彼女は大地を操っているということとなる。使い方によっては非常に化ける能力だ。そう考えながら、俺は掴んだ鉄の輪を諏訪子に投げる。そのスピードは、諏訪子が投げたスピードの凡そ10倍。突風を巻き起こす。

 

「あぶなッ!?」

 

 流石、神なだけあってギリギリではあるがなんとか避けたようだ。しかし、彼女はそれで安心してしまった。

 

「諏訪子、もう少し自分の能力に対して工夫をしてみたらいいぞ。そしたら、俺みたいに出来たのに。」

「え?…ッ!?」

 

 俺の言葉に首を傾げる諏訪子首に、俺が投げた鉄の輪が当たる。実は、帰ってくるように工夫をしたのである。鉄の輪を少し変形させ、ブーメランの容量で帰ってくるようにしたのだ。

 諏訪子が地面に倒れ、うつ伏せになる。白目を剥いており、気絶してしまったようだ。

 

「しょうがない、一回神社に帰ろう。」

 

 俺は諏訪子を背負い、神社に帰ることにした。凍った草の上をシャリシャリと良い音をたてながら考える。諏訪子をもっと強く出来ないかと。背中で寝息を立てている少女は、未完成な力であるように思える。これは、指導のし甲斐がある。

 凍っていない草を踏み始めた辺りから楽しくなってきたと、ステップを踏みたい気分で帰路に着いた。



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諏訪信仰の蛙 Ⅲ 『脅迫』

 俺が諏訪大社で神になってから、丁度499年の月日が経った。体が1億年も眠っていたからか、あまり長いとは思えなかった。何より、諏訪子がとても面白い子であるため、退屈しなかった。しかし、俺も行かねばならない。永琳に、再び会いに行くために。

 なのだが───

 

も"うずごしいでよぉ(もう少し居てよぉ)。」

「諏訪子、鼻水垂らしながら抱きつくな。」

だっでぇ…れい"がぁ…(だってぇ…零がぁ…)

 

 毎日これを繰り返している。正直面倒だ。いや、もちろん嬉しい気持ちもある。でも、流石に毎日は面倒だ。

 

「泣くなよ。500年だけって約束しただろ?それに、まだ1年もあるじゃないか。」

も"ういぢねん"じがない"よぉー(もう1年しかないよぉー)。」

 

 非常に聴き取りづらい。俺はちり紙を彼女に渡すと、彼女は受け取り鼻をかむ。これで少しはマシになっただろうか。

 

「だからさ、この1年間で思い残したことをやろうぜ。なにか俺としたいことは?」

「あ"ーう"ーぅぅ…」

 

 諏訪子は少し俯いて考える。鼻をすすり、涙を拭い、思い付いたのか、俺の顔を見上げた。

 

「な"い"ぃー。」

 

 確かに面倒だとは思ったが、俺としたいことはないって言われると、この俺でも傷付く。

 諏訪子の頭を撫でていると、玄関の扉を叩く音が聞こえた。来客だろうか。

 

「諏訪の神は居るか。」

「少し待っていてくれ。」

 

 言い方から察するに他の地域の神だろうか。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっている諏訪子を見せる訳にはいかないため、俺が代わりに行くことにする。

 

「はい、どちらしょう?」

「私は大和の神の遣いだ。手紙を預かっている。」

「手紙?」

 

 そう言われ、1つの手紙を渡された。神の遣いは要件を済ませたようでそのまま大和へと帰って行った。俺はとりあえず預かった手紙を諏訪子に渡すとしよう。

 

「諏訪子、大和から手紙だとよ。」

「ぞん"なごどよ"り…へ?今なんて?」

「大和から手紙。」

「えええええええ!?」

「落ち着け。」

 

 諏訪子は驚きのあまり勢いよく後退していき、障子を破って裏庭までぶっ飛んだ。一体何がそんなに驚くことなのだろうか。大和とは一体なんだ?

 

「ひーひーふー…落ち着いた。さて、読もう。」

「お、おう。」

 

 彼女のテンションに付いていけないが、諏訪子と一緒に手紙を読むことにした。手紙にはこう書いてあった。

 

『我ら大和は汝らの国、諏訪の国の信仰を譲渡せよ。でなければ、国を襲おう。』

 

 とだけ、書いてあった。大和が例え物凄く大きな組織であったとしても、この文はなんだろうか?神の依代である信仰を奪うというのは、どういう意味であるか分からないのだろうか。

 

「………諏訪子、お前には思い残しが無くても、俺にはある。」

「なッ!?零!?」

「出掛てくる。」

「出掛けるってまさか…」

「あぁ、大和に。」

 

 諏訪子は顔を真っ青にして俺の肩を力強く掴んだ。ここまで諏訪子が焦っているのは初めてだ。相当引き止めたいのだろう。

 

「危ないよ!私は平気だからさ!」

「嘘だな、信仰が無くなれば諏訪子は死ぬ。」

「で、でも…」

「おい、諏訪子。俺を誰だと思ってる?細胞の神様だぜ。安心しな。」

 

 諏訪湖の頭に手を置き、そして俺は瞬間移動で大和へと向かった。

 

────────────

 

 背の高い建物が並んでおり、永琳が住んでいた都を思い出した。しかし、あの都に比べて少し退化したように思える。最新技術は全て月に持っていったことを示している。

 

「ここが大和か…『ナビゲーター』。」

 

 脳から波長を出して、帰ってきた波形からどこに誰がいるのかを見る。技名がないのも不便なため、『ナビゲーター』と命名した。

 一番大きな建物の最上階、そして手前から3番目の部屋に、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が居る。

 

「探知した。『瞬間移動』。」

 

 瞬時に移動し、木造の床を足で踏む。一応の確認で波形を見てみるが、ここが目的の場所で間違いない。目の前には大きな扉がその部屋を隔てており、俺は躊躇なくそれをゆっくりと開く。

 中には大男が胡座をかいてお猪口を持っていた。傍にはお酌をしている女性もいる。彼は特に驚く様子もなく、ニヤケ顔で酒を仰いでいた。

 

「もう来たか。早いな、諏訪の者よ。」

「あぁ、来た。」

「ふん…さて、一応用件を聞こう。」

 

 どうやら、答えは予め分かっているらしい。それもそうか、俺の表情から進行を譲渡する意志など微塵も感じられないだろうから。

 

「諏訪の信仰を貰うとの事だが、断る。」

「なら攻めこもう。」

「それも断る。」

「ふん、我が儘な神よ。」

「自己紹介か?」

 

 流石に俺の返しに腹が立ったのか、少し睨みながら鼻で笑った。

 

「自己中心で何が悪い?我はお前らと違って格が違う。お前に何が出来る?」

「お前のような神、幾らでも殺せる。」

「ふむ、なら、殺ってみろ。」

 

 須佐之男は神力と殺気を放つ。確かに、諏訪子など比にならないくらいの力量だった。しかし、これだけか。

 

「ふはは、どうした。やってみろ。」

「………」

「恐怖で言葉が発せんか。だろうな。お前とは格が違うのだ。お前に力など有るはずが…ぬッ!?」

 

 俺は須佐之男の10倍程度の神力と殺気を放つ。それには奴も眉をひそめた。

 

「驚いた。我ら上位の神と同等の力を持つと言うのか。」

「まだ1割、こんなのは序の口だ。」

「我は1割も出しておらんかった。」

 

 反論の仕方が子どもじみている。大和の神は皆こうなのだろうか。

 

「だからなんだ。貴様を殺し、諏訪の平穏を保つだけだ。」

「祟り神の国の神がなにを言う。」

 

 どうやら、埒が明かないらしい。そう思ったのはあちらも同じなのか、何かを思いついたように口を開く。

 

「ふん…仕方がない。なら、こうはどうだ。大和の神、建御名方(タケミナカタ)御社宮司(ミシャグジ)を一騎討ちで戦わせる。どうだ?」

「ふぅん…考えさせてもらう。」

「3日後、答えを聞こう。」

「良いだろう。それまでに済ませよう。」

 

 俺は奴に背を向け、瞬間移動で大和から去った。

 

────────────

 

 諏訪大社の前で、俺はどうしようか悩んでいた。諏訪子に心配をかけてしまった。もしかしたら怒っているかもしれない。衝動的に大和に向かった上に、勝手に話を進めてしまった。

 仕方がないか。俺は覚悟を決め、戸を開ける。

 

「ただいま。」

「れ"い"ぃぃぃ!!」

「うおぉ!?」

 

 中に入るや否や、諏訪子は俺の鳩尾を目掛けて飛び込んできた。衝撃で俺の体内の空気が全て抜け、鈍い痛みが俺を襲うが、何とか持ちこたえる。

 

「ご、ごめんな?」

「ウワァァァァァン!!」

 

 今日で何度目か。泣きじゃくる諏訪子の頭を撫でる。

 一騎討ちの件は、どうしたものか。今の諏訪子では確実に勝てないだろう。とりあえず今はそれ所では無いため、明日にでも話そう。



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諏訪信仰の蛙 IV 『鍛え』

 次の日の朝、俺は昨日の話を諏訪子に説明していた。それと、勝手に話を進めてしまったことへの謝罪もした。

 

「大和の神と私が一騎討ちぃ!?」

「あぁ、そうだ。」

 

 案の定、驚いている。 体を軽く仰け反り、開いた口はワナワナと動いている。本当に申し訳ない。

 

「そ、そんなぁ…私、勝てる気がしないよ。て言うか勝てないよ。」

「そうだな。」

「少しは否定してほしかったなぁ。まぁ、事実だけどさ。」

 

 聞くところによると、相手は乾を創造する能力があるらしい。『乾』とは天を意味し、諏訪子の『坤』と相手の『乾』は相反する能力だ。須佐之男はそこをついたのだろう。

 

「だから、負けない為にこれから鍛えるぞ。」

「いやだよー、めんどくさいよー。」

「自分の信仰が無くなれば死ぬぞ?」

「死にたくないよー。」

「じゃあ決まりだな。」

 

 諏訪子は駄々をこねるように床に寝そべった。ブーイングをすることは勝手だが、決定した事だ。

 だが、あれから冷静に考えたのだが、諏訪子は負けたとしても死ぬことは無い。諏訪子、もとい、御社宮司(ミシャグジ)の信仰は根深いはずだ。今まで熱心に供物やら儀式やらを手間かけて行って信仰していた神から、ポっと出の神をこれから信仰しましょうというのは厳しいだろう。人間には返報性の原理というものがあるのだから。

 諏訪子は祟り神だから、祟られないように苦労をして信仰している。苦労してきた分、それが水の泡と化すようなことをするはずもない。

 つまり、結果がどうあれ、諏訪子は死なないと俺は予想している。恐らく、我が儘な能天気駄神の須佐之男は自分を過信しているあまりこれに気が付いてない。哀れな神だ。

 

 しかし、これは良い機会だ。これは諏訪子を立派な神に鍛えさせるチャンスだ。この事は諏訪子には内緒にしておき、訓練を受けさせる。単純に万が一に備えてということもあるが。

 

「兎に角、鍛えるぞ。一騎討ちは受けると言うことでいいな?」

「嫌だけど良いよ。」

「分かった、そう伝えておく。」

 

 とりあえず、方向性は決まった。後は、訓練するのみ。

 

「早速、始めようか。」

「やだなぁ…」

 

────────────

 

 初めて諏訪子の力を見た時の草原で訓練を行うことにした。今日も風が心地よく、天気もいい。なんて良い訓練日和なのだろう。

 嫌々な表情を見せる諏訪子を無視して、俺は彼女の前で腕を組み仁王立ちをする。

 

「いいか?まず、基礎からやるぞ。」

「うん。」

「まず、飛ばされた時の受け身だ。教えるからそこに仰向けになってくれ。」

 

 永琳の助手をやっていた頃は、都の兵士にこのような体術などを教えて貰っていたが、まさか教える側になるとは、人生何があるか分からない。効率よく教えてもらっていたのを鮮明に思い出す。あの時の教官を真似て、スムーズに教えることが出来たように思える。

 

「へぇ~、結構受け身って使えるね。」

「あぁ、受け身は日常で転んだ時とかにも使えるし、これは最初に覚えるべきだ。」

 

 どうやら、諏訪子もやる気が出てきたようだ。きっと鬼のような訓練を強いられると思っていたのだろう。全く、そんなわけがない。それは明日からだ。

 

────────────

 

 暫く基礎練を行い、気が付けば夜は更けていた。今日は訓練を終え、汗まみれの体を洗い、諏訪子は泥のように眠った。それを確認し、俺は一人で大和に向かう。

 昨日と同じく大きな扉の前まで瞬間移動をして、その扉をゆっくりと開く。今日も奴は酒を飲んでいた。

 

「昨日の今日で決まったのか?」

「あぁ、一騎討ちで決めるということに御社宮司は賛成した。」

「そうか、それじゃあ…1年だ。1年後にそっちに向かう。」

 

 丁度、俺が諏訪の国を去る時期だ。しかし、決して長い期間では無い。これは明日からのメニューをより厳しくしなくてはいけないな。可哀想だが、諏訪子には死ぬ気で訓練してもらわなくてもらう。

 

「良いだろう。一騎討ちの時はズルをするなよ。部下にも言っておけ。」

「フン、誰が雑魚にイカサマをするものか。」

「ズルを一つでもしたら、俺がソイツを殺す。それは『お前も含む』からな。」

 

 部下がズルをすると言うより、コイツが一番信用ならない。その言葉に殺気や怒り等を込め、須佐之男に言い放つ。しかし、ソイツはそれを聞くととても愉快そうに、腹を抱えて笑った。

 

「我も含むのか、それは困ったものだなッ!ハッハッハッ!!」

 

 今すぐ殺してやりたいが、どちらに転んでも諏訪子は生きることとなる考えに至らなかった可哀想な頭に免じて許してやるとする。

 それに、諏訪子を鍛え上げてそっちの神を叩きのめさせるから、それで今の侮辱も白紙にしてやろう。

 俺は奴に何の反応も示さず、その場を去った。

 

────────────

 

「ただいま。」

 

 当たり前だが返事はない。一応、寝てるか確認するため、寝室の戸を少し開ける。

 中には相変わらず寝相の悪い諏訪子が、露呈した腹を掻いていた。そのまま寝かせるわけにもいかず、寝巻きを綺麗に着せて布団を直し。

 

「明日も頑張るか。諏訪子も頑張れよ?」

 

 そう言うと、偶然とは思うが「うん…」と返事が来た。思わず笑みをこぼす。戸を閉め、俺も明日に備えて寝ることにした。



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諏訪信仰の蛙 Ⅴ 『一騎』

 地獄のような日々を諏訪子に与え続け、1年の月日が流れた。約束の一騎打ちの日が訪れた。

 

「この日がやっと、来たか。」

 

 一騎討ちをする会場で、諏訪子は仁王立ちしながらそう呟いた。1年前と比べ、諏訪子の神力は約50倍にも膨れ上がっていた。さらに戦闘技術なども兼ねて、諏訪子は確実に成長をしていたのだ。

 大和の神達が諏訪子と建御名方(タテミナカタ)御社宮司(ミシャグジ)建御名方(タテミナカタ)の一騎討ち。ある程度のオーラを纏う諏訪子を見て、相手方の応援陣も少しどよめいている。しかし、対戦相手自身は眉ひとつ動かさず、また諏訪子自身も堂々とした風格で睨み合っていた。

 

「私の名は御社宮司!またの名を洩矢諏訪子!」

「我が名は建御名方!またの名を八坂神奈子!」

 

 双方が名乗った。そして、2人は口を閉じた。相手方の応援陣も、予想していなかった緊迫がその場を制する。沈黙の音が鳴る。

 2人は同時に息を吸い、息を吐く。読んで字のごとく、息を合わせた。双方が殺気を解き放つ。

 

「いざ、参らん!」

 

 諏訪子と神奈子の一騎討ちが始まった。

 諏訪子はチャクラを、神奈子は御柱(おんばしら)を出し、その2つが神力を纏って衝突した。鈍い音が先に響き、衝撃波がその地に轟いた。

 力の差は対等だろうか。次は、速さ比べとして武器と武器がまるで超高速の舞のように美しい軌道を描いていた。互いに、一歩も譲らぬ戦い。一つのミスも犯してはならぬ戦い。そんな状況であるはずなのに、2人は思い切り口の端を吊り上げて笑っていた。

 

「頑張れ、諏訪子!」

「建御名方!何をしている?遅い、遅いぞォ!」

 

 須佐之男が焦っている。少し神奈子とやらが押され始めてているのだ。持久の面で諏訪子よりも若干劣っていたようだ。

 諏訪子は今でも風格を保っている。このまま行けば諏訪子は勝てる。

 さて、須佐之男はどんな顔をしているのか。間抜けな面を見ようと、その男の顔を見る。しかし、なぜか奴はニヤついていた。なにか、おかしい。

 俺は脳波を飛ばし、奴の思考を覗き見ることとした。この500年で新たに得た技だ。

 

「『ディア』。アイツの考えを読む。」

 

 須佐之男が何を考えているのか、それを覗き見る。その内容を知った瞬間、俺はこの神の薄っぺらいプライドの強さを侮っていたと後悔した。

 

「『ナビゲーター』ッ!」

 

 帰ってきた波形からそれらしい気配を確認する。すると1人、怪しい動きをしている神が、俺の反対側の応援陣にいた。しかし、これでは間に合わない!

 

「ッ!?」

 

 いきなり、目眩が諏訪子を襲った。視界が歪み、世界が回る。その一瞬に、神奈子の御柱が諏訪子の小さな体を吹き飛ばす。

 

「オラアアアッ!」

 

 諏訪子は辛うじて受け身をとるが、全身の骨は折れてしまっているようだ。体を動かすことが出来ない。

 神奈子は転がっている諏訪子にゆっくりと近付き、頭上に巨大な御柱を創る。

 

「お前は中々の勇者だった。挑発することもなく、本気で我が力に挑んできた。お前のような戦士は久しぶりに戦った。感謝するぞ。そして、お前はここで死ぬ運命なのだ。」

 

 神奈子は頭上の御柱を振り下ろす───

 

「ギャアアアアアアアッッ!?」

 

 その直前に、ある大和の神が悶え苦しむような叫び声を会場に響かせた。全員がその方向を見る。目線の先には、目を抉られ地面で悶えている神と、息の荒い零が立っていた。

 

「スサノオォォォッ!!」

 

 怒りに身を任せた殺気に、周囲にいた神の数柱が気絶し、その場に倒れた。いくら須佐之男でも、この威圧に恐怖する。

 

「言ったよなぁ?ズルをするなと…言ったよなぁぁッッ!」

「ふ、ふん…知らぬ。そこの祟り神が負けるのは絶対の確信を持っていた。そんなこと、この須佐之男がするわけがなかろうが。無いことを真実にしようなど出来ぬのだ。見苦しい悪あがきを見せて、滑稽だな。」

 

 白を切るつもりだ。とことん、そのプライドの薄っぺらさには呆れる。

 

「『こいつ、何故分かったのだ』っと、完全一致で思っている。」

「なに!?」

 

 須佐之男は驚いた、本当に完全一致で思っていたためである。その動揺に、周囲の神々も本当のことなのだと認め始める。

 

「いいか?俺は心を読める。そんなこと分かるんだよ!神奈子とやら!諏訪子の首筋を見てみろ、何がある!?」

 

 あまりの殺気に足が少し退きながらも、神奈子は諏訪子の首筋を見る。首筋には痺れの毒が塗られた矢があった。それは小さく、針のような形状をしていた。目を潰された神を見る。その近くには吹き矢が転がっていた。

 

「針が、刺さっている!」

「建御名方!貴様ァァァッ!」

 

 須佐之男は持っていた剣で神奈子に急接近した。諏訪子と神奈子との戦いとは比にならないスピードで、剣を振りかざす。

 

「お前はこの戦いに関わった全ての者を侮辱した。」

 

 金属と金属がぶつかる高い音が鳴り響く。青い鉄、否、ダイヤモンドのような物体が手袋のように零の右腕を覆い、須佐之男の剣を握っていた。

 

「ッ!?この手、まさかッ!」

 

 その覆われた、青く輝く手を見た須佐之御は突然笑いだす。

 

「ついに見つけたぞォ!お前を()()()()()()!!」

 

 捜していた。そう、口走ったのだ。こんな虫けらの残骸のような男に捜されなくてはいけないのだ?

 

「お前を倒せば、俺が最高神だァ!天照(アマテラス)なんか屁でもないぞ!」

「気でも違ったか、須佐之男。」

「何億と探し求めた物が目の前じゃあ誰でも狂うぞォ!!」

 

 何億もの間、俺のことを捜していたのか。全くもって心当たりがない。少なくともコイツよりは。

 

「部下に嫌われてちゃあ、上司失格だな。」

 

 そう忠告してあげると同時にの須佐之男の後ろから、神奈子が御柱で殴りかかった。須佐之男は地面に血が吹き出た頭を付ける。

 

「侮辱しやがって…お前のことを尊敬していた私を殴り殺してやりたいわッ!」

「き、貴様ァ…ガハァ!?」

 

 吐血した。頭全体が赤黒い血で染まり、滑稽な顔を大和の神に晒す。愚かで、無様だ。

 怒り狂った神奈子が、もう一度須佐之男を御柱で殴ろうとする。しかし、その柱は乱切りされる。

 

「お前の柱など、我が剣で絶ち斬ってやろうぞッ!」

「なッ!?」

「オラアッ!!」

 

 腐っても最高神に近い神。その実力は紛い物ではなく、一瞬にして剣は光を置き去りにした剣筋を魅せる。俺にも、その軌道を確認出来なかった。

 神奈子は両腕を切り落とされ、その場に崩れ落ちる。

 

「裏切った罪は苦しみながら償え!安心しろ、後でちゃんと首を飛ばしてやる!!」

 

 俺は急いで、須佐之男に攻撃しようとした。しかし、気が付くと、俺は虚空に腕を振りかざしていた。これは...まさか『瞬間移動』か?

 

「そこには誰も居ないぞ?」

 

 背後をとられた。急いで振り返るが、既に振りかざされた剣は俺の頭上を僅か一寸空けて迫っていた。

 

「死ねぇ!!」

 

 この一瞬、時の流れ全てがゆっくりに見えた。いつまで経っても振りかざされた剣が俺の額を割らない。なんだ、これは?

 次第に冷静になり、俺は永琳達の研究を思い出した。生き物は死ぬ際、物事が全て遅く動いてあるように見えるとか。

 つまり、俺は死ぬのだろうか。この命、無くなるのだろうか。永琳に再会が果たせないまま。露と消える。

 水を掴んでも、切っても、地面に行く運命のように、人生が終わる。

 

────────────

 

「君はやはり、何も出来ない。」

 

 ふと、声がした気がした。前に聞いた気がする、この言葉。果たして、何処で聞いたのだろう。

 

「水は斬れないが、水が斬ることはできる。」

 

 斬ることが?

 

「君が、細胞を操るように、水も操れば良いさ。」

「一滴一滴の雫が石を削るだろう?それと同じように…」

 

 俺の背後に誰かがいる。しかし振り返ることが出来ない。見てはいけない、なにかが居る。

 正体不明のそれは、その手で俺の頬を撫でるように沿わせ、耳元で囁いた。

 

「相手ヲ貫ケバ良イノサ。」

 

 悪寒が全身を襲う。恐ろしい、考えだ。嫌な汗を一つ、顔のラインに従って垂れた。瞬間、その悪寒は背後の気配とともに消え去った。

 正面の須佐之男を見る。奥に転がる神奈子と諏訪子を見る。俺は、今、妙に落ち着いていた。スローモーションが、普通の速度となった。

 

「…なんだ…と?」

 

 須佐之男の持っていた剣は、2つに分断され、1つは地面に突き刺さっていた。

 俺の青く輝くそれに覆われた右腕は、更に水で纏われていた。

 

「この水、どっから取ったと思う?」

 

 零はさっき殺した神を見る。その目線の動きから、須佐之男もつられてその神を見る。そこには、干からびた神が居た。

 

「なん…」

「余所見すんなよ。」

 

 俺は須佐之男の鳩尾を蹴り飛ばし、血を吐きながら地面に転がる。今の衝撃で、諏訪子と同じように全身の骨を折ったようだ。

 苦しむ須佐之男を余所に、俺は右腕に纏っていた水で弓矢の形を作る。

 

「さぁ、初めての弓矢。当たるかな?」

 

 的はデカい。初心者には優しい練習台だ。俺ははち切れそうな弓を解放してあげる。とても弓矢とは言い表せることが馬鹿らしい程の スピードで、矢は放たれる。全身を骨折した体では避けることが出来ない。

 須佐之男は本来使う予定のなかった名刀を取りだした。かの有名な、ヤマタノオロチを倒し、手に入れた剣で、それを跳ね返そうと振るった。しかし、矢はいとも容易く剣を削ったのである。そして、須佐之男の眉間を貫いたのだ。

 『水威矢』と名付けよう。実に良い技の練習台だった。興奮による心臓の速さは、それを境に段々と落ち着いていき、今の状況を思い出す。

 

「諏訪子!神奈子!直ぐに治す!」

 

 すぐに神奈子の両腕を拾い、断面と断面をくっ付ける。

 

「『治癒の細胞』。」

 

 すると、神奈子の両腕は繋がり、治った。諏訪子にも同様に『治癒の細胞』を施し、全身の折れた骨を接着させる。

 

「これで大丈夫だ。2人とも、意識はあるか?」

 

 反応はない。しかし、息はあるためただ気絶しているだけだと分かるだろう。

 

「仕方がない。神奈子と諏訪子を神社まで運ぶか。」

 

 動揺を隠せない大和の神の群れは、俺が近付いてくると勝手に道を開けた。最強だと思われていた神に勝ったのだ。それはそれは恐怖の表情で染まっている。少し面白いなと感じつつも、俺は帰路に着いた。



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諏訪信仰の蛙 VI 『信頼』

「うぅ……」

 

 私は何故、布団の中にいるのだろう。確か、神奈子との一騎打ちに敗れたはず。しかし、瞼の僅かな隙間から見えた景色は私の家の天井だった。私は、生きている?

 

「起きたか!」

「そうみたいだな。おーい諏訪子、大丈夫か?」

 

 それに加えて、私と敵同士だったはずの神奈子と零が居た。どう言った状況なのだ、これは。1番味方の零は心配そうな顔をせず、敵対していた神奈子が過剰なほどの心配そうな表情と声色だった。

 

「なんで、あんたがここにいるの。」

「神奈子、説明してやれ。」

 

 零が説明するよう促すと、神奈子は苦虫を噛み潰したような表情をする。本当に何があったんだ。

 

「分かった、説明する。実は……」

 

────────────

 

 私は昨日の事の顛末を知った。目眩の理由、須佐之男のイカサマ、神奈子の怒り、そして零の化け物さ加減を。

 

「改めて、申し訳なかった。」

「まぁ、良いよ。神奈子は知らなかったんでしょ?それに須佐之男も信仰がある限り死にはしないけど、もう流石に懲りたでしょ。」

 

 最高神に近い神が、姑息なことをしたいたと周囲に知られた挙句、脳天に風穴が開けば、恥ずかしくて出歩けなさそう。

 

「神奈子、お前はこれからどうするんだ。あんなどこに出しても恥ずかしい神でも、大和のてっぺんに楯突いたわけだ。もう大和には戻れんだろう?」

 

 零の発言に、神奈子は静かに頷いた。

 

「旅に出るとする。」

「そうか。」

 

 今まで下に従えていた存在よりも、拳を交えただけの私を尊重してこんなことになっていることに、少し申し訳なさを感じてしまう。そんな必要は私にはないことが分かっていてもだ。

 

「…ねぇ。ここの一柱になってよ。」

「え!?」

 

 神奈子は目を丸くしてこちらを見た。しかし、零も私の意見に頷いており、肯定的のようだ。

 

「なるほど、その方がいいな。」

「ま、待ってくれ。良いのか?元は敵だったやつだぞ?」

「心配そうにしていた神奈子がそれを言うの?」

「う…」

 

 頬を赤らめた。なんだ、堅苦しい奴かと思ったが、案外弄りがいのあるやつなのかもしれない。そう思うと少し悪い顔になってしまうな。

 

「諏訪子が許してくれた、そのお礼にこの神社を守る。って言う理由でどうだ?納得しないか?って言うか納得しなさい。」

「うぅ…」

「ここへ来て500年、俺ももうここを離れる。代わりにお前がここを守れ。」

 

 いま、それ言わなくてもいいじゃないか。思い出してしまった。私は少し気分が落ち込んでしまった。

 

「……分かった。ここを守らせてもらう。よろしくお願い申し上げる。」

「うん、よろしくね。」

「俺は明日、ここを出る。二人で仲良くここで暮らしてくれ。」

「本当に行くの?」

 

 零は申し訳なさそうな表情をしている。

 本当は知っている。彼はなにか目的があり、旅をしなくてはいけないのだ。それなのに私は500年という歳月を彼から奪ってしまったのだ。一刻も早く目的を達成したいはずなのに。

 彼の目的が、叶うことを願うしかないのだろう。どんな目的なのだろうか。世界平和?自分探し?それとも、私の知らない愛する人のため?

 

「大丈夫さ、たまに帰る。それまで待っていてくれ。」

「うん…」

 

 零はいつものように私の頭を撫で、優しい声で答えた。この生活の、最後なのだ。ならば、私は笑っていよう。彼の言葉に頷き、涙を流しながら笑った。すると、零も笑ってくれた。

 

「零よ、私はお前に感謝する。私が憎んだ須佐之男を倒し、傷も治してもらい、本当にありがとう。」

「いや、礼には及ばんさ。俺は傷ついた奴を治しただけ、ただそれだけだ。こんな感謝合戦をしていても楽しくない。酒を飲もうぜ。」

 

 普段酒なんか飲まない癖に。でもまぁ、最後なら彼の酔っ払った姿でも焼き付けておこう。また帰ってきた時に弄りまくってやるために。

 

「倉にある酒があるから、持ってきて。」

「よしきた。」

 

 零は外へとすっ飛んで行った。まるで子どものようにはしゃいでいる彼を見て、私と神奈子はそれが可笑しくて笑いあった。

 その晩、私達は夜が深けるまで飲み明かした。神奈子が諏訪大社の神になった祝いと、零の旅の安全を祈って。

 

 

────────────

 

 深夜、私は目が覚めた。玄関の戸が開かれる音だ。神奈子は寝ていた布団に寝転がっていびきをかいている。零の姿はなかった。

 私は急いで布団から出て、転びそうになりながらも外へと向かう。すると、月明かりに照らされた妖しい雰囲気を纏う男性がそこに立っていた。

 

「しんみりした空気は嫌なんだけどな。」

 

 彼は、ポツリと呟いた。

 

「起きちゃったか?」

「キザ男め、何もなしに行くなんてズルいよ。」

「すまんな。」

 

 深夜の風は冷たい。しかし、こう風に当たっていると出会った時のことを思い出す。夜風が冷たく、そして心地よい。

 人に恐怖でしか信仰されない私にとって関係性とは、その上下の構図でしかなかった。愛とはなにか、私にだって考える時がある。そんな時に、綺麗な顔をして眠っていた彼を見つけた。諏訪の国の者ではない。特別な力も感ぜられる。何も知らなく、そして不思議な力を持つ彼なら、私と対等になれるのではないか。そう、自分勝手な理由で彼を連れ帰ったのだ。

 こんな自分勝手な私を、彼はいつも受け入れてくれたのだ。手放したくない、私の元にずっと居て欲しいとは、もう言えなかった。だから、せめて最後くらいは、彼の中で良い女でいたい。

 

「また帰ってくる。」

「うん、いつでも帰ってきてね。」

「あぁ、ありがとう。」

 

 風の音が、沈黙を埋める。彼の足が少し、鳥居の方へと向いた。行くつもりなのだろう。

 私は止めない。笑顔で、見送らなくては。

 

「ねぇ、零。目をつぶって手を出して。」

「え?」

 

 零はなんだろうと言うような顔をしながらも、私の言う通りに行動してくれた。

 

「こうか?」

「そう、それでいいよ。」

 

 私は彼に近づき、そして、出された手を思い切り引っ張った。

 

「うぉ!?」

 

 私は彼の唇に、キスをした。心臓の音がうるさい。良い女でいるなど私には出来ない。私は私らしく、彼の中に居座ってたい。

 ゆっくりと唇を離す。

 

「ごめんなさい。本当は、貴方に愛する人がいるって、何となく分かってる。だから貴方とどうにかなりたいだなんて思ってない。でも、私は貴方が好き。だから…絶対に帰ってきて。」

「分かった」

 

 彼は、やはり拒絶しなかった。

 

「それじゃあな、元気でな。」

「うん、病気やったりしないでね。」

 

 大きく手を振り、彼を見送る。彼が豆粒ほどに小さくなるまで、振り続けた。

 あのまま、私を拒否してくれたら、きっと楽だっただろう。彼の優しさは、残酷だ。だから、私は彼を祟ることにした。私の事を忘れる事など出来ない祟りを、彼の唇に住まわせた。

 

 涙を拭い部屋に戻ると、神奈子が起きていた。布団の上に座り、優しい表情で「頑張ったな。」と声をかけてくれた。涙が堪えられず、神奈子に抱きついて子どものように泣きじゃくった。

 私の初恋は、夜風と共に遥か遠くへと行ってしまった。



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九人の欲と一人の希望
九人の欲と一人の希望 Ⅰ 『聖徳』


 幾年をかけてこの大地を練り歩いているが、意外と発見などが多いのだ。研究していた頃は多くを知っているつもりだったが、不便を日常的に感じることで見えていなかった世界が見える。

 目的地のない旅をし続けている訳だが、今日は運がいいようだ。大きな都にたどり着いくことが出来た。

 

「大きい都だな。」

 

 永琳と住んでいた時の都ほどでは無いが、この旅の中では1番の大きさであると言えよう。

 早速、その都へと入ろうとするが、抑揚のない声が俺を呼び止める。

 

「そこの者、止まれ。」

「なんだ?」

 

 声の方を向くと、黄緑の髪色をした若干つり目の、警戒して腰を低くしている女性がいた。

 

「お前、何者だ?強い力を感じるぞ。」

「怪しい者じゃない。ただの旅人だ。妖怪とも戦ったこともあるから、その鍛えた力ではないだろうか。」

「それだけでは説明がつかない。上手く隠してはいるが、私には無意味。お前、名は?」

 

 この女性は中々にやれるらしい。確かに、そこら辺の武術家に比べると、霊力は桁違いだ。面白い。

 

「名前を相手から聞くより、自分から名乗り出るのが普通だろう。」

「お前に誇り高きこの名を教える義理無し。早く名乗れ。」

 

 プライドも一丁前のようだ。

 

「神田零だ。」

「神田零だとッ!?ほう、お前が…」

 

 俺のことを知っている?どういうことがろうか。須佐之男の件もあり、俺は少し警戒しながら彼女の動向を伺う。

 

「本物かどうか、確かめて貰わせるッ!」

 

 そう言い放つと、彼女は数珠を付けた手を俺に向ける。すると、その手からなにか弾けるような音が聞こえてきた。これは、もしや雷だろうか。とはいえ、あまり脅威でもなさそうだし、何より本物かどうか確かめるとも言っていた。ならば、当たってやった方が良いかもしれない。

 避けることも無く、その電撃を食らう。

 

「なんだ、偽物か。」

「いや、偽物なんかじゃないよ。」

「なにッ!?」

 

 期待通り、いや、期待以上の反応をしてくれた。目を点にし、口を大きく開いてパクパクとさせている。ここで嫌味を言ってやったらどう反応するだろうか。

 

「避ける必要がないから、避けなかっただけだ。静電気を避けたって仕方がないからな。」

「は?いや、私も別に本気じゃなかったし。なに余裕ぶってるんだか。」

 

 本当に期待以上の逸材だ。

 

「とりあえず、お前が本物の神田零と言うことを確認した。」

「……さっきから、思っていたんだが何故、俺の名を知っている?」

「お前は、旅人の中でも有名な存在。知らない方がおかしい。」

 

 なるほど、そういうことだったのか。最近妙に視線を感じると思ったら、いつの間にか俺は有名になっていたらしい。旅の途中で人助けや山賊なんかを懲らしめたりしていたから、これが原因だろう。

 

「すまない、申し遅れた。私は蘇我屠自古と言う者だ。お前に頼みがある、来い。」

「何故、上から目線なんだ。良いが、何をするんだ?」

「黙って着いてこい!」

「…え、俺頼み事を聞いてあげてんだよね?可笑しいだろ。」

 

 腑に落ちないまま、俺は彼女について行く。

 

────────────

 

「私の部下がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!!」

「太子様!!貴女様のような人が頭を下げるなど…屠自古!貴様がこの旅人にアホのような態度をとったから!!」

 

 土下座をする多分偉い人、屠自古に怒り狂う人、そっぽを向き口笛を吹く屠自古。混沌としすぎて何が何だか分からなかい。

 

「あの…気にしてないし、顔を上げてくれ。」

「ありがとうございます!」

「なんと!心優しいお方じゃな!」

 

 屠自古に怒り狂っていた銀髪の少女は明らかに俺のご機嫌を取ろうとしているが、噂での俺のイメージは一体どうなっているのだろうか。

 

「それより、何故俺はここに連れてこられたんだ?」

「はい、それは…あ、まず自己紹介をさせてもらいますね。豊聡耳神子と言います。そして、こちらの銀髪が物部布都です。」

「物部布都だ!宜しくお願いする!」

「あぁ、宜しく。」

 

 手を差し伸べてきたため、その手を掴み握手を交わす。俺も別に敵対視している訳でもないので、にこやかに行うと相手も友好的であると察して少し緊張を解いてくれた。

 

「それで頼み事なんだが、遣隋使を守ってはくれぬか!」

 

 唐突がすぎる。

 

「すまない、遣隋使とは?」

「海を挟んで向こう側にある、『隋』と言う国がある。その国に行って勉学をして、隋の知識を持って帰るのだ。」

 

 屠自古が「そんなことも分からないのか。」とでも言うように顎を上げて見下げながら説明してくれた。

 さっきの嫌味に腹を立てすぎだろう。どこまでプライドが高いのだ。

 

「ふむ、今までで行ったことは?」

「ありません。」

「なるほど、初めての試みである以上、用心に越したことはないな。」

 

 敢えて悩むような素振りをみせると、彼女たちは固唾を飲んで答えを待っている。心臓の音がこちらにまで聞こえてきそうだ。

 

「それじゃあ、引き受けるとするよ。」

「ありがとうございます!!」

 

 思い切り笑顔を咲かせ、勢いよく俺の両手を掴んで感謝の念を述べてきた。表情豊かだな。

 

「それで、いつ隋に行くんだ?」

「一ヶ月後です。それまで、こちらで宿泊施設の手配をしておきますので、そこに泊まっていただけると幸いです。」

「そうか、わかった。」

 

 そうして、改めて握手を交わした。



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九人の欲と一人の希望 Ⅱ 『志望』

 遣隋使を護衛することが正式に決まったため、その護るべき人たちの紹介をしている。それぞれ、この都の発展を願って日々勉学に励んでいるようで、加えて思慮深い者達ばかりだった。

 

「こちらが小野妹子さんです。」

「貴方が神田零殿ですな。私が小野妹子です。」

「神田零だ。よろしく。」

 

 中でも、この小野妹子という人物は一際優秀であるよう。しかしながら、妹子という名前の割りには髭オッサンな外見だ。しかも、目付き悪い。どういう人間か、妹子に『ディア』をして基本的な志しを見たところ「太子様のために勉強するぞ!」ということしか頭になかった。見かけによらないのはいつの時代も変わらないな。そして、無闇に人の心を見るもんじゃない。反省し、今度から気を付けるとしよう。

 遣隋使との挨拶を終え、軽く世間話をしていると、遠くの方で妖怪の臭いを感じ取った。波形から人間らしき存在と寝転がっている妖怪がいるようだ。これは、俺の出番のようだ。というのも、今はこの国を無償で護っており、言わばボランティアのようなことをやっていた。

 

「妖怪が国の近くにいる気配を感じる。追い返してくる。」

「なんと、護衛をしてくれているとのことは本当だったとは。ありがたい。」

 

 本当に良い奴だな。小野妹子とは仲良くやっていけそうだ。そんなどうでもいいようなことを考えながら立ち上がり、首を鳴らした。

 

「『瞬間移動』。」

 

 誰かからの「ありがたい」というこの一言を嬉しく受け取れない奴は、嫌味と受け取らない限り存在しないだろう。実際、その言葉があるからこそ金銭を求めず守っているのだ。

 目的の場所に着いた。しかし、その場所の景色は少しばかり予想外だった。

 

「妖怪の臭いが妙に強いと思ったら、血肉が飛び散ればそれは臭いが強いわけだ。波形から寝転がっているように見えたのも納得がいく。」

 

 そして、僅かながらに自然エネルギーも残留している。自然エネルギーというのは、自然から発せられる力であり、それを駆使する代表例は仙術だ。

 

「仙人か?殺り方に容赦がないことをみれば、戦闘好きな仙人か、仙人と言うことを悪用した邪悪なる者か。」

「どちらでしょうね。」

 

 後ろから声がする。先程、波形からみたもう1人の方だろう。顔を向けると、そこには青髪の淑女が立っていた。

 

「隋から来たのか?」

「ええそうよ。霍青蛾。よろしくね。」

「神田零だ。それで、なぜここに来た?」

 

 俺は警戒しながらも、彼女の目的を伺う。

 

「ここに、人が死ぬのは何故なのだろうと悩んでいる偉い人がいるらしいから、道教を薦めてみようかなって思って来たのよ。」

 

 偉い人?神子のことだろうか。欲を見通せる者故の疑問なのか。

 一応、俺は不老不死だが、寿命がないってだけで、攻撃や衝撃による死はある筈だ。そんな俺だが、その事について疑問になったことはない。

 

「貴方ではなさそうね。でもお強いのよね?」

「まあな、道教はこの国にはあまり向かないと思う、一応案内はするが…」

「あら?簡単に信用していいのかしら?」

「嘘をついてないからな。分かるんだよ、そう言うの。」

 

 単純に『ディア』をして思考を覗き見ただけだが。妹子の時の反省が全く活かされなかった。

 

「ふ~ん。まあいいわ。案内してくれるのは嬉しいわ。」

「こっちだ。」

 

 ここから都までそう遠くは無い。青娥が俺を掴んで瞬間移動をしようかと迷ったが、そんな距離でもないし、それに未だ信用している訳ではない。手の内は明かさない方が吉だ。

 

「にしても、貴方からスゴいエネルギーを感じるわ。何者よ?」

「旅人さ。」

「何故、旅を?」

「俺の恋人に会うために。」

「行方不明なの?」

「いや、居場所は分かっている。だが、会えない。」

 

 青娥はその掴みどころのない回答に首を傾げている。全て事実だから、他に言うことは無い。

 永琳は今、何をしているのだろうか。俺は瞬間移動は出来てもある程度距離があったらそこへは行けないし、物を創造することは出来ても、ロケットのような細部までしっかりやらないと動かない、機械系の物を造ると完成より前に生命エネルギーが枯渇する。

 

「それで、幾年もの間1人で旅をしているのね。強くて硬い、誰にも壊すことの出来ないその愛が、貴方をそうさせているのねぇ。」

「やめろ、恥ずかしい。わざわざ口にしなくていい。ほら、ここだ。」

 

 青娥に茶化されながらも、どうやら国についたようだ。番人がこちらを訝しんている。隣のコイツだろう。

 

「零様、そちらの方は…?」

「こいつは…「恋人よ」…は?」

 

 コイツ、今なんて言いやがった?

 

「恋人なのよ!ね?」

「そうでしたか、失礼しました。どうぞ。」

 

 門は開かれ、青娥は俺を引っ張るようにして中に入る。都の中では青蛾が俺の腕にくっついている。

 

「おい、なんのつもりだ?」

「恋人のつもりよ。」

「俺には恋人がいる。一人しか愛せない。」

「夫は妻を何人ももっていいのよ。」

 

 分かって言ってやがるな。コイツの性根が腐りきってやがることは十分にわかった。

 俺は彼女を無理やり引き剥がし、軽蔑の眼差しで睨む。

 

「俺はそれに反対する人間なんだ。離れろ。」

「女に向かって離れろなんて、私綺麗なのに。」

「心は汚いけどな。」

「全く分かりませんわ?」

「邪仙が。」

「じゃ、邪仙はひどくありません?」

 

 一矢報いることはできたようだ。俺は彼女を無視して神子の所へと向かう。置いてかれそうになった青娥は慌てて俺について行く。

 なにか青娥が話しかけているように思えるが、全て無視する。コイツと話してて碌なことがない。

 

「わ、わかったわよ。ごめんなさいね。」

「よろしい。さて、もうそろそろ着く。あの大きい建物がそうだ。」

「へえ、そんな大きくはないわね。」

「まあ、こんなもんだろ。」

 

 隋はもっと大きいようだ。中に入り、波形から神子がどの部屋にいるのかを確認しながら木目の床を歩く。

 

「それにしても、よくここまで来たよな。船は大丈夫なのか?」

「ええ、運良く波は少なかったのよ。」

「なるほど。」

 

 目の前には神子がいる部屋の扉があった。俺は静かにノックし、中に入る。布都は俺を見るや否や、目を輝かせて出迎えてくれた。

 

「おお!おかえ…り?その方は一体なんだ?」

「私は零の…」

 

 殺気を放つ。

 

「友人です…」

「おおそうかそうか。にしても…もしかして、隋の者か!?」

「え?ええ、そうよ。」

「零!!私達の為にワザワザ隋の人を呼んでいてくれたのか。どうやって連絡したかは分からんが、どうでもいいこと。ありがとう!!」

 

 何やら勘違いをしてしまったらしい。前々から思っていたが、布都は思い込みが激しい。確か、永琳の研究していた心理学から引用すると、確証性バイアスが人よりも強い傾向にあるのだと思う。

 

「さあこっちじゃ。太子様に紹介せねば!」

 

 なんとも上機嫌で俺たちを先導する。

 

「この娘、少しおバカな娘ね。」

「そっとしといてやれ。」

 

 だが、そこが良いところでもある。

 

「さあ速く!!善は急げ!」

「分かった分かった、行こうか。」

 

 青娥もつられて笑っている。コイツのことを警戒しなくてもいいのかもしれないな。ただ、性格が悪いだけだろう。

 いつでも出せるように、得意の青く輝くそれを準備していたが、それを引っ込めて布都について行った。



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九人の欲と一人の希望 Ⅲ 『臆』

「太子様!朗報ですぞ!」

「どうしたのですか?」

 

 布都は神子がいる部屋の扉を開けた瞬間、心底嬉しそうな声色で叫んだ。その興奮した布都の顔を見て、神子は体を跳ねさせた。

 

「なんと、零殿が隋の人を呼んでくれたらしいのです!」

「隋!?」

 

 布都の反応が面白く静かに笑っている青娥はゆっくりと丁寧にお辞儀した。俺からすれば胡散臭すぎるのだが、第一にこの礼儀正しさを見てしまうと信用してしまうのだろう。

 

「ご機嫌よう。私、霍青蛾と言います。」

「え、あ、ごきげんよう。豊聡耳神子と言います。」

「早速、この小さな島に来た理由をお話ししたいかと思います。その方が本題に入りやすいので。零さん、少し豊聡耳様と、その部下達と話させてください。」

 

 完全にペースを掴みにきているな。布都は完全に信用しているし、神子はナヨナヨしている。我が強い俺がいてはスムーズに進まないのだろう。

 

「…分かった。」

「あら、すんなりと受け入れますのね。まぁ、しつこい男は嫌われますものね。」

 

 お前に嫌われた所でどうということは無い、という言葉は言わないでおく。

 俺は踵を返して都の商店街へと向かう。昼飯時だ、食事処にでも行こう。

 

────────────

 

 なかなかどうして、思い通りにいかないものだ。いや、俺がお節介なだけでもあるが。冷めたことを言うと、神子たちと俺は雇い雇われの関係であり、霍青娥とかいう怪しさ満点の奴にどうと言われようが関係はないのだ。しかし、見ていられない。これが俺の性分のようだ。

 適当に歩き回っていると、営業中の食事処があった。あそこで腹を満たそう。

 

「いらっしゃい!」

 

 中は満員で、空いている席はほぼ見当たらない。困ったな、一人でゆっくり食べたいのだが、店員に訊いてみることにしよう。

 

「あーっと、すまない。空いてる席はないか?」

「すいませんね。相席しかありません。」

 

 仕方がないか。

 

「どこだい?」

「あそこです。でもあの席に座っている人は、結構地位の高い人ですぜ。」

 

 店員が指さした方向には見た事のある緑髪が静かに座って食べていた。高い地位に就いていてもこういう庶民派な店で食事を取っているのか。

 

「あぁ、知り合いだ。気にしなくて良い。」

「えぇ!?そ、そうなんですかい…?」

「あぁ、心配ありがとう。」

 

 そう言い、喧騒の中をカニ歩きで移動する。屠自古が座っているテーブルに手をついて、にこやかに話しかけた。。

 

「やあ、独りか?」

「……いきなり無礼な事をニヤケ顔で言う奴だなと思ったら、お前か。何だ、私を口説きに来たか?口説き方間違ってるぞ?」

「安心しろ、俺には恋人がいる。」

 

 得意顔で真正面の席に着き、足を組む。

 

「自慢か?」

「半分な。おーい、オススメ一つお願いだ!」

「まいど!」

 

 屠自古は少し不機嫌そうに顔を顰めながら言葉を発した。

 

「何の用だ?」

「この店で飯を食おうと思っていたら、空いてる席がここしかなかっただけだ。お前に用なんてない。」

「ふん、確かに混んでいるな。」

 

 ここ以外満席だ。位の高い奴と一緒に飯を食いたくは無いからだろうが、傍から見たらハブられている可哀想な奴だ。実に面白かった。

 

「お前もここで飯か?ちょうど良い、奢ってやるよ。」

「え、いや良いよ。何か企んでるのか?」

「お前の中の俺のイメージはなんなんだよ?」

「ズル賢い、嫌な男。」

「そこまでド直球で、しかも真顔で言われると逆に清々しいな。」

 

『ディア』で心を読む気にもならなかった。というより、なぜそんなイメージが付いているのだ。前の嫌味を引きずってるのか?心の小さい奴だ。

 

「だが、なにも企んでいないのなら、奢られても構わないぞ。」

「前々から思っていたが、何故そんなに上からなんだ。」

「強い上に偉いからな。」

 

 なんて傲慢なんだ。

 

「まぁ、体は人間だから、その点は妖怪とかに比べれば貧弱だよな。身体を捨てたら最強なんだかな。」

「ヘイお待ち。」

 

 すごい思想をしてるやつの横から店のご飯が出てきた。

 美味そうな飯だ。魚の油が照っており、米も1粒1粒が立っている。ここが大盛況な理由がひと目でわかる。

 

「いただきます。」

 

────────────

 

「ふう、旨かったな、あの店のは。」

「追加でいっぱい喰いやがって。」

「奢ると言ったのはお前だ。」

「分かってる。男に二言はないって言うだろ?」

「さてどうかな。」

 

 何に張り合ってるんだコイツ。

 

「着いたな。お前と話していると時間が長い。」

 

 大分こちらの台詞ではある。

 屠自古が扉を開けると、何やら考え込んでいる神子と布都が居た。青娥は一体何の話をしていたんだ。

 

「どうかしたか?」

「え、あ…いえ、なんでもありません。」

「なら良いんだが…」

 

 確実になんでもなくはない。申し訳ないが、『ディア』をすることにした。全くもって反省していないことに目を瞑り、その悩ましい2人の心を覗き見る。

 

『どうすればいいのでしょう。零さんには心配かけたくないし…でも、人が何故死ぬのかの研究が続けられる。でも、怖い…い、いや、臆してはダメ。』

 

 なにかに恐怖を抱いているようだ。だが、それを乗り越えれば人が死ぬ理についてを追求することを続けられるらしい。布都は何を考えている?

 

『太子様に万が一の事があったら…その為には私が最初に実験台として…太子様の為なら死など怖くない。』

 

 なぜ、死を意識しているんだ。青娥は一体なんの話しをしていたのだ。『ディア』で心を覗いた時は仙人にするという抽象的なことしか分からなかったが、それと死がどう直結するのだ。

 

「神子、布都。」

「え、はい?」

「な、なんじゃ?」

「アイツに何を言われた?」

 

 瞬間、2人はあからさまに瞳孔の開いた目が泳ぎ、動揺している。波長を流さなくとも、心臓の動きが大きくなったのが伝わる。

 

「え…あの…」

「隋の戦術や文化について話し合っていたんじゃ!」

「相当衝撃的な内容だったんだな。2人とも震えているぞ。」

「おお、そうじゃ。隋は進んでおった。衝撃も走る!」

 

 青蛾は確か道教を薦めに、この国へ来たと言っており、『ディア』からもそれは確認済み。しかし、道教の内容は確かにショッキングなものがあったりもするが、話を聞くだけで顔面蒼白になるほどのものではない。

 死ぬことが前提で、死ぬ理を追求することが出来る。死んでしまえば普通は追求など不可能だ。『道教』『死』『仙人』、そして2人の思考。

 もしかして、彼女らは付け入られたのだろうか。俺の道教に対する知識が間違っていなければ、答えは────

 

「尸解仙か…?」

 

 その一言だけで十分だった。答え合わせはいらない、彼女らの目が、何よりも物語っていた。青娥の目的は、仲間を増やすことだったのだ。尸解仙の仲間を。



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九人の欲と一人の希望 IV 『覚悟』

 空気が重い。二酸化炭素がこの場を支配しているようだ。丁度息苦しくもある。神子と布都の顔は相変わらず青白く、いかにも気まずそうだ。

 しかし、その震える唇を久々に開き、沈黙を破った。

 

「すみません…でも、どうしても仙人に成りたいんです。」

 

 精一杯のようだった。既に死にかけのような声で神子はハッキリと俺に訴えた。

 辺りを見るが青蛾の姿はない。彼女も、俺が引き止めることなど恐らく想定済みだ。その上でいないということは、好きに引き止めてみろ、ということだろう。

 

「謝る必要性はない。お前の人生はお前が決めろ。」

「え…」

 

 少し意外だったのかもしれない。少しの間の仲とはいえ、俺の性格的に引き止めることなど火を見るより明らかだった。もちろん、引き止めるさ。

 

「ただ、俺には人の人生を決める権利はなくとも思い直させる権利はある。もう少し考えるべきだ。生きて周りの人間を想うか、人が死ぬ理由を探して世界の人間を想うかを。」

 

 神子は布都、屠自古を見た。きっと彼女は、その周りの人間に値する布都と屠自古を見ていたのだろう。

 

「わ…私は…」

 

 やはり、唇は震えている。

 

「布都、お前もだ。」

「…!」

「考え直すんだ。」

「私は、太子様に…!」

「なんでもかんでも神子に頼るんじゃあねぇぞ?」

「ッ!」

 

 先程から、布都は「太子様に...」「太子様が...」と言っている。仕えていることなど知っているが、逆に言えば神子の責任にしているのだ。

 

「お前の意思でものを言え。お前自身の人生の『覚悟』を持て。」

「だ、黙れ!私は太子様に付いていくのだ!!」

 

 コイツは俺の意図が分かって言っているのかだろうか。ゆっくりと布都に近付き、少し威圧をかけながらもう一度問う。

 

「それがお前の『覚悟』か?」

「あ、ああ。そうじゃ。これが、私の…」

 

 ため息をついた。失望した。勝手に期待したのが悪いのだが。それほど、彼女から『覚悟』が見えなかった。もう、包んで言わずハッキリと言ってやるべきか。

 

「君は、決断をする勇気がないだけだろう?」

「なッ!?」

 

 否めなかった。

 

「自分自身の『覚悟』は正しいと、胸を張って言える勇気がないだけだ。」

「黙れぇ!」

「自分で決めろ。仙人になるかならないかは、自分でだ。」

「…なる。なるぞ。なってやるぞぉぉッ!自分で決めたぞッ!」

「…そうか。」

 

 布都は、泣いていた。泣きながら、零を睨み付けていた。これでは、意固地になっているだけだ。こうなってしまえば、俺にはどうしようもない。

 

「ならば、もうなにも言えまい。」

「わ、私も…」

 

 神子が震えた唇を動かした。

 今にも泣きそうな目でこちらを見た。しかし、その目からは『覚悟』が見え、口も端と端をしっかりと閉めていた。

 

「仙人になります…全ての人間のために。」

「そうか。」

 

 神子の意志を、思い直させる自信はない。なるほど、国の1番上にいるだけはある。それ相応の風格があった。

 俺はその場から去り、扉を静かに閉める。

 

「彼女らを止めることが出来なかった自分にムカつく。まったく…俺は自分勝手だ。」

「あんな止め方なら仕方ないわ。」

 

 青蛾は柱にもたれながら言葉を発した。

 

「道教を薦めるんじゃなかったのかよ。」

「薦めてるじゃない。遠回しにね。」

 

 やられた。いや、勝手にやらかしただけである。『ディア』に固執し過ぎた。コイツはビジネスにしている時はボロを出さないように確信めいたことを普段から考えないようにしているのだろう。

 

「まあ、いい。俺に止める権利はない。」

「意外と紳士的よね、貴方。」

 

 人をイラつかせる天才だな。

 

「別に仙人になることが悪いことじゃあない。ただ、彼女らは一度死ぬことになるだろう?そこが気に食わなかった。」

「まあ、そうね。でも安心して頂戴。必ず彼女らは仙人になるわ。」

「…必ずだぞ。」

「えぇ…必ず。」

 

 俺は泊まっている宿泊施設へと向かった。

 青蛾にはドス黒い悪は心の芯には無い。それは知っている。だからこそ、自分への怒りが込み上げていた。怒りの矛先を向ける人が居ないから。

 

「俺は、どこまでも自分勝手だな。」

 

 何も考えたくない。俺は宿泊施設の自室へと入るとすぐに布団に倒れ込んで早めの睡眠を摂ることにした。

 

────────────

 

 朝、俺は神子たちが集まるいつもの大広間に行くと、皆が既に集まっていた。やはり、空気が重い。まるで葬式だ。まだ誰も死んでいないというのに。

 

「おはよう。」

「おはよう…」

「おはよう御座います…」

 

 布都と神子が挨拶に応じてくれたが、屠自古はなにか考え耽っていた。そして、俺の姿を確認すると、待っていたかのように口を開いた。

 

「…あのさ、私は仙人にならないよ。」

「ッ!?」

 

 その言葉に布都は驚きを隠せていない。しかし、その反応は布都のみで、俺と神子はその言葉を静かに受け止めた。

 

「そうか…」

「そうですか…」

「自分で決めた。これは私の人生だから。零の言う通りな。」

 

 人の道はその人自身のものだ。屠自古は自分の意思で神子に従っており、自分の意思で仙人になることを拒否した。ただ、それだけの話。

 神子もそれを分かっているようだ。逆に言えば、それを分かっているからこそ、神子も仙人になると決めたのは自分の意思であるということが明らかなのだ。

 布都を見る。明らかに動揺している。コイツのみが、自分を見失っている。それを気付いていないのだ。もはや俺が引き止めようとも考えていない。好きにすればいいさ。

 俺は欠伸をしながら、書斎を借りることを神子に告げ、その部屋を出た。



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九人の欲と一人の希望 Ⅴ 『怨霊』

 霍青娥という隋から来られた仙人に、尸解仙にならないかという誘いが来た。尸解仙とは、簡単に言えば一度死に、他の土地で生まれ変わり仙人になるというものだ。

 太子様に仕えて、幾年の歳月を重ねてきただろうか。太子様はその尸解仙になられようとされている。ならば、我も太子様と一緒に死に、そして生まれ変わりもう一度太子様に仕えるべきなのだ。しかし、屠自古はそれを拒否した。許せなかった。真意を問うべく、我は奴を都を一望できる屋敷の最上階へ来るように誘った。

 

「なんだ?こんなところに呼んで。」

「……何故じゃ。」

「は?なにがだよ。」

「貴様も太子様に忠誠を誓ったろうが!!」

 

 屠自古のいけ好かないその態度で、我の怒りは頂点に達する。今にも殺しそうなくらいだ。

 今の我の発言から察したようで、そして、呆れたようにためいきをつきおった。

 

「……忠誠を誓ったのはお前の意思だろう?私もそうだ。それと同じで仙人にならないのもの私の意思だ。」

「なに?」

「それとも、零も言っていたが、自分の意思が無いんじゃあないか?お前にはな。」

「なんじゃと!」

 

 その言葉は我の忠誠心への侮辱でしかない。思わず屠自古の胸ぐらをつかみ、睨みつける。しかし、奴は一切の表情を変えずに淡々と我に言葉を垂らす。

 

「そもそも、お前がこう怒っているのは、自分の意思が言えた私への『嫉妬』なんじゃあないか?」

「違う!!貴様ふざけるなよ!?」

 

 嫉妬心などでは無い。純粋な怒りだ。そうに決まっている。だのに、奴はいつまでも我を侮辱し続ける。

 

「ふざけてなんかいない。本気だよ。」

「貴様に嫉妬だと、笑わせるな!!」

「だったら、大人しく仙人になれ。私は私だ。自分の愚かさを怒りと嘘の善で隠すなよ。お前が決めたんだからな。」

 

 屠自古は軽蔑した目で我の手を払い除け、そのまま下の階へと降りていった。零殿も、屠自古の奴も、誰も彼も我を侮辱する。嫉妬など来ていない。太子様がそれを選ばれたのだ。それは私の意思と同じことだ。太子様も我が一緒に尸解仙になることを喜ばれているに違いないのだから。

 我は不発弾のような怒りを抱えたまま、その場に立ち尽くすしか無かった。

 

────────────

 

「この怒りは、どうすれば良いのじゃ!!」

 

 自室の机を殴っても、その怒りが落ち着くことは無かった。屠自古に言われた『嫉妬』という言葉が特に腹立たしい。我が嫉妬などするわけが無い。死に対し恐怖した軟弱者に、なぜ我が嫉妬しなくてはならないのだ。所詮、屠自古の忠誠心などちっぽけな志しだった。ただそれだけ。嫉妬など、していない。

 ドス黒い感情が、我の心を支配していた。腹の中に仕舞っている臓物が得体の知れない液体に浸っている。そんな気分だった。怒りがどうにも収まらない。

 殺してやりたい────

 

 その瞬間、辺りの空気が変わった。殺意を抱いた、その一瞬で。その異変に布都は気付く。これは、なにか不吉な予感がする。

 

「なんじゃ!?」

 

 後ろを振り返ると、なにか黒いモヤのようなものが空気中に広まっていた。そいつは決して人の形をしていないにもかかわらず、それが意思のあるものであると本能的に察する。

 

「憎いか?」

 

 それは地ならしのような低い声と青年のような声が同時に話しているような、不穏な声が我の鼓膜を揺らした。

 

「何者じゃ貴様!妖怪か?怨霊か!?」

「その怒りはどこに向ける?」

「何者…なんだ?」

 

 その声は、なにか安心感と不安が入り交じる感情にさせる。その所為か、怒りがあるにも拘らず大人しく話を聞いてしまう。

 

「アイツにぶつければ良い。その怒りは何故出来た?あの男だろう?」

 

 神田零。そうだ、奴のせいでこんなに苦しんでいる。自分の意思?滑稽なものだ。人に仕えているものに、意思など不要。

 

「殺せ。奴を、殺すのだ。」

 

 そうだ、我は最初から間違ってなどいなかった。迷いなどない。奴を、殺す。

 何かが自分の中に、自分の心の中に入って来るのを感じた。

 

「ついでに言っておこう。俺の名前は……」

 

────────────

 

「ハァ……」

 

 俺は書斎にて、だらしなく本をペラペラと捲っていた。

 青蛾は仙人になるための道具等を持って来るため、一度だけ隋に帰らなければいけないようだ。なので、零が遣隋使の護衛として隋に行く為の船に、青蛾も乗ることとなった。

 そして遣隋使の護衛の俺は、この国に戻ったら神子とは会わず、旅を続けてほしいとのことだった。顔は合わせづらいからもあるだろうが、それ以前に俺に心配されたくないんだろう。

 

「何でこう、上手くいかないんだろうか。」

 

 零は一人寂しく考えていた。そこに、書斎の扉をノックする音が響く。

 

「……入っていいぞ。」

 

 中に入ってきたのは布都だった。いや、布都だが、布都ではない『なにか』が零を警戒させた。コイツは何者だ?



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九人の欲と一人の希望 Ⅵ 『死人』

「用はなんだ。」

「自分の意思についてだ。」

「わかった、聞こう。」

 

 こいつは、明らかに『布都ではない』なにかだ。妖怪が取りついているのか?いや、うまく隠れている。何かは分からない。それこそ、神子や屠自古は分からない程に。

 

「疑問なんだけど、自分の意思を貫くってさぁ、それはただ回りの意見を聞かない自分勝手な人間になれって意味じゃあない?」

 

 口調も大分違う。なぜそこだけ騙し方が荒いのだろうか。布都のことを調べずに憑いたのだろうか。それほど相手に時間的余裕がない。ということか。

 

「そうは言ってない。俺が言ってるのは、自分の意思を心の中に仕舞わず、ちゃんと回りの人にわかってもらえって言ってるんだ。」

「そっかぁ…」

 

 布都の姿をしたそれは、椅子ではなく机に腰かけて足を組んだ。品がどんどん悪くなっている。

 

「じゃあ、私も自分の意思を示そうかなぁ。」

「………」

「テメェを殺してやるぜぇ!!」

 

 正体を表すのが早い。それこそ憑いている意味が無いほどに。そうか、コイツは油断させることが目的では無い、これは人質だ。こちらからは攻撃ができないと思っているのだろう。

 

「かかってこいよ。」

「死んで、悔やめ!」

「何を、してるのですか…?」

 

 そこに神子が居た。書斎の扉に手を付けて、そこにいた。

 

「え…あぁ、み、神子様じゃあないですか。これは…あれですよ。戦闘の練習です。より本当の戦いに近づける為に演技をしてましてぇ。」

「そうですか。もうひとつ、良いですか。」

「ええ、なんなりと。」

()()()()()()()()

 

 その言葉で布都は…否、妖怪は青ざめた。俺からすると当たり前だろと言いたいが、神子が説明してくれるだろう。その間に、俺は俺の事をしよう。

 

「し、質問の意図が分かりませんね。」

「そのままです。言葉通りの。」

「私は、布都ですよ。認知症ですか?」

「貴女は本物の布都と、性格が違う。態度が違う。雰囲気が違う。そして、私の呼び方も違うのですよ。本物は『太子様』と呼びます。貴女は『神子様』と呼びました。」

 

 妖怪は理解したようだ。自分の荒さに。とはいえ、あいつは人質を持っていると思い込んでいるから、目の前の神子を襲うことだろう。

 

「ド畜生がァァァァッ!!」

「俺からしたら、ド畜生はテメェだよ。」

 

 俺は妖怪の振り上げた布都の右腕を掴む。する妖怪はこっちに振り返ったが、顔面の真正面に掴んだ逆側の手をかざし、波長を流す。不協和音のような波長は、布都の中にいる妖怪のみを吹っ飛ばした。つまり、布都の体に干渉し、直接妖怪に攻撃をした。

 妖怪に意識を奪われていた布都はその場で倒れそうになったところを、俺が抱きかかえる。

 

「貴様らァァァッ!!」

 

 動揺。どうやら俺が想像以上の強さだったようだ。吹っ飛んだ妖怪は狐のような尻尾を生やした男性だった。尻尾の数が少ないから、人質を取るようことをしたのだろう。

 すると、騒ぎを聞きつけたのか、屠自古が慌てた様子でやってきた。

 

「何事だ!?」

「……ッ!」

 

 妖怪はすぐに立ち上がり、屠自古の首を腕で軽く絞めた。

 

「こいつの命がなくなってもいいのか?」

「ハァ…」

 

 本当に、コイツは何も調べていないようだ。

 

「溜め息?頭がおかしいのか?こいつは、人質だぞ!?」

「私のような高貴な人間が人質になるわけないな。」

「はあ?」

「もし私が、雷を扱える人間だったら?」

「な...!?」

 

 その時、書斎の中が光と爆音で満たされる。数秒それが続き、収まった頃には、妖怪は白目を向いて黒く焦げていた。妖怪はヨロヨロと倒れ、解放された屠自古は服についた汚れを払う。

 腐っても妖怪、まだ息はあるはずだ。俺は黒焦げの首を掴んで指から出した青く輝くそれを動脈の近くに置いた。

 

「質問だ、お前はなぜ俺を狙った。」

「フフ……」

「あ?」

「フハハハハ!!」

 

 ソイツは突然、笑いだした。穴という穴から血が吹き出しながらも、笑う。

 

「『あの人』の事を言うわけがないだろうが!そしてまだ、俺は負けてないぜ?」

「何をするつもりだ?」

 

 何かをする前に、仕留めることにしよう。そう思い、動脈を切ろうとした時、屠自古が叫んだ。

 

「ッ!?体が…動かないッ!?」

 

 屠自古はなにかに縛られた様な体勢で、動けなくなっており、眠っていた布都の体が勝手に起き上がる。そして、布都は近くにあった刃物を持ち、屠自古に近づいていった。

 

「布都!!」

 

 神子は布都を抱きしめて止めようとするが、それをものともせずに進み続ける。

 

「無駄だよ!こいつは今、俺が妖力で遠隔操作してんだからな!妖力に人間の貧弱な力が勝てるわけねぇだろ!」

 

 そう、妖怪が言い終わった瞬間、布都の動きが止まった。

 

「なんだ?早く動けよ。」

「俺も遠隔操作出来たとしたら良いのになぁ。」

 

 首を掴んでいない方の手から霊力を放ち、妖力に対抗する。今こいつを倒せば、妖力で繋がっている布都にも影響を与えかねない。

 

「何だと……テメェ、どこまで俺の邪魔をしやがる!」

「どこまでもだ。」

「クソが!だが、テメェには能力が大量にあるから、それぞれに分散した力が弱いんじゃあないか?ほら、ちょっとずつだがこの女に近づいてるぜ!」

 

 俺の弱点が分かっている?能力が大量にあることを、コイツがなぜ知っているのだ。

 それよりも、このままでは屠自古が殺されてしまう。俺は霊力を強める。

 対抗していると、近くに神子がやってくる。手にはどこから出したのか、小型の刃物を持っている。妖怪を殺そうとしているのか!?

 

「神子、止めろ!」

 

 神子は驚き、その振り下ろした刃物を止める。

 

「おっと、神子さぁん…今俺を攻撃してみろよ。操っている間に俺が死んだら操っていた対象もお陀仏だぜ?」

「そんな...」

「零くぅん。そろそろ操ってる右手が限界じゃあないか?右手が千切れそうだよ?ン?」

 

 浮き出た血管から赤い血が吹き出し、床に溜まっていく。同時にゴキゴキと、嫌な音も聞こえてくる。皮膚が千切れ赤と白の筋肉が見え、それも千切れ始める。

 

「もう、テメェの腕は終わりだよ。」

 

 なにかがまた千切れた音がした。その瞬間、腕から先の痛覚がなくなった。腕が取れた。

 

「アッハハハ!死んでしまえ!」

 

 布都は持っていた刃物で、屠自古は両足を切断された。

 

「グァァァッ!!」

「いい悲鳴だぁ!!さあ死ね!」

「やめろおおお!」

 

 俺の叫び声は、それを止めさせることはできなかった。グチュ、グチュ、グチュ、グチュと、何度もその肉の形が変わる血の音が耳に入る。

 刃物は、何回も屠自古に刺さる。屠自古の表情は次第に消えていった。

 

「ギャハハハハ!!次は神子様だぜぇ?こいつも血を流しすぎたからな、もう動けんだろ。」

 

 力ない俺を、妖怪は払って床に転がす。

 怒りでなにもわからなかった。今見た光景は、本当に現実なのか。俺は腕を生やし、屠自古から血液のように流れる霊力を、自分の中に溜め込む。

 そして、立ち上がる。

 

「あ?おいおい。なにやってンだよ。なんで疲労してる状態でたてるんだ?それに...なんで手が生えてるんだ?」

 

 体の中にある霊力、全てを解き放つ。俺を中心に突風が吹き始める。その姿に、妖怪はようやく身の危険を感じた始めたようだ。

 

「近づくな!俺に寄るんじゃあねぇ!!」

 

 神子に妖力を流そうとしている。その前に、霊力でその流れを打ち消した。

 

「なんなんだよ...お前なんなんだよ!!」

 

 超音波に霊力を乗せて、それを妖怪に一点集中させる。

 

「は?な、なん…だ?痛いぞ。痛い…痛い痛い、イタイイタイイタイイタイッ!」

 

 妖怪の中から、破壊する。苦しみを与える。ただそれだけに全てを霊力を使う。

 

「ウガァァァアアアッ!!」

 

 次の瞬間、妖怪は木っ端微塵になった。高音に耐えられずに割れるガラスのように、跡形もなく破裂した。髪の毛のひとつも、残っていない。奴の穢れた血のみが飛び散っていた。

 

「零さん…」

「守れなかった。な…にも……」

 

 霊力が枯渇した俺は、意識を手放した。



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九人の欲と一人の希望 Ⅶ 『希望』

 暗い世界に、俺は浮いているような感覚だ。しかし、周りに星の煌めきはなかった。何も無い、ただ暗闇のみが俺を包んでいた。

 

『……零』

 

 聞き覚えのある、女性の声が俺を呼んでいる。声の方向が分からない。あちらこちらを見渡していると、いつの間にか大きな岩が目の前に鎮座していた。そして、浮かんでいたはずなのに、いつの間にか立っていた。

 

『……零』

 

 誰かが、俺の肩を叩いている。俺は振り返る。するとそこには────

 

『ミ タ ナ』

 

 蛆虫にまみれた人型のなにかが、そこにいた。

 

────────────

 

「うわぁぁぁああッ!?」

 

 飛び起きると、そこは神子たちが住む屋敷の寝室だった。脂汗が、全身を濡らしている。

 

「零さん!?大丈夫ですか!?」

 

 横にいて看病をしてくれていたらしい神子が、俺の叫び声に驚きながらも心配した表情で俺の体を支えてくれた。

 今見たのは、夢か?後ろにウジ虫だらけの人間が、俺を恨めしそうに立っていた。あれは一体、なんだったのだろうか。

 

「ごめん、嫌な夢を見ただけだ...そうだ、屠自古と布都は!?」

 

 心配していた顔は暗い表情となり、視線は床へと落下していった。口を開いて言葉を発そうとしたが、何も言えずその口をとざす。

 

「屠自古は死んだ。」

 

 神子が再び口を開く前に、部屋の外からその声は躊躇いもなく伝えてきた。

 

「布都...」

「おはよう、零。」

 

 布都は操られていた時の後遺症などはなかったようだ。しかし、結局屠自古を守ることはできなかった。自惚れていた。自分を過信しすぎていた。

 

「そう悔やむなよ。死んだけど、こうしているんだからさ。」

 

 俺が悔やみ、自分に掛けられている布団に拳をぶつけていると、屠自古が宥めてきた。しかし、どうしても自分が許せなかった。

 

「いや、俺は結局、屠自古を守ってやれなか…ん?」

「まぁ、そうだけどさ。」

 

 布都の横に屠自古が居る。

 

「あぁ、悔しさのあまり幻覚まで見えるようになったのか。」

「なってねぇよ、バーカ。」

「え、本当に言ってる?神子、こいつ見える?」

「ええ、見えます。」

 

 暫時、それを理解するのに時間がかかった。しかし、どう疑えど、目の前に死人が腕を組んで俺に罵倒を投げかけたのだ。

 

「はぁあ!?」

「いや、死んだんだけどさ、なんか幽霊として生まれ変わったわ。」

「いや、生まれてねぇじゃん!?死んでるじゃん!?」

「あぁ、そうだな。死に変わった。」

「どうツッコめばいいんだよ!?」

 

 どういうことだ。どういう原理で屠自古は俺に話しかけてきているのだ。

 

「うん、私も戸惑ったよ。生きてるのかなぁ、て思ってたら足無いし。」

「実際、私達もビックリしましたから。」

「でも、神子言いにくそうにしてただろ?」

「どう説明しようか困ってしまいまして...」

 

 なんて紛らわしい。

 俺は頭を抱え、蹲る。頭で理解しているが、今度は気持ちが追いつかない。

 

「幽霊になったのか...」

「そういうわけさ。悪霊だ。」

「どうか呪わないでほしい。」

「呪わねぇよ。」

 

 しかし、屠自古が死んでしまった事実は変わりない。妖怪から守ることは出来なかったのだ。俺の過信が、屠自古の死を招いてしまった。

 

「お前、なんで暗い顔してんの。この屠自古様が元気に出てやってると言うのに。」

「死なせてしまったことは、変わりないだろ。」

「えぇ?自分のせいとか思っていやがってるの?」

 

 屠自古はニヤケながら俺の肩に手を置く。そして、大きく口を広げて爆笑をした。

 

「お前って、本当にバカだよなぁ!!アッハッハッハ!!」

「え?」

「いや、何思い上がってんだよマジ!まず妖怪がいなけりゃいい話だったんだから、私を殺した妖怪のせいだろ!」

 

 屠自古は俺をバカにしながらその場に笑い転げる。あまりのことに、布都が声を慌てるように声を荒らげた。

 

「な、何笑っとるんじゃ!零殿は屠自古の死を悼んでおられるんじゃぞ!!」

「俺のせいで〜、ってな!私以外お前が助けたってのに、強欲がすぎるだろ!自惚れんなよ〜?」

 

 なんだか、落ち込むことが馬鹿らしくなってきた。

 

「あ〜、面白かった。まぁ、こうして存在してる訳だし?前にも言ったけど、身体捨てて最強になりたいって言ってただろ?それ叶ったし、問題ないな。」

 

 屠自古は長めの息を吐いて、その込み上げている笑いを落ち着かせた。そして、何かを思い出したかのように話を続ける。

 

「そういえば、死んだ後に夢みたいなものを見たんだよ。何か目の前に岩があったんだよね。」

「岩だって?」

「そしたら、中から聞こえるんだよ。来るな~って声。」

 

 俺が見た夢と少し似ている。しかし、どうやら俺の夢と違い蛆虫にまみれた人は出てきていないようだ。共通点は、大きな岩。これは一体何を意味しているのだろうか。

 

「おい、布都。なにか零に言うんじゃあなかったのか?」

 

 屠自古は布都に対して何かを促す。布都の方は何か微妙な顔をしつつも俺の方に体を向ける。一体なんだ?

 

「…申し訳なかった!零殿に…いや、皆に迷惑をかけてしまった。零殿の『自分の意思』の話に納得いっていなかった。いや、認めたくなかったのじゃ。自分の浅ましさを、認めたくなくて、そんなことのために、妖怪に心の隙間を狙われ、迷惑をかけた。本当に、すまなかった!」

 

 布都は腰を90度に曲げ、全身全霊で俺に謝ってきた。

 

「昨日から、私はちゃんと自分で考えた。そして、決めた。お主に止められるのは分かっているが、それでも言うぞ。私は『仙人』になる!」

 

 布都は今までで1番と言えるほどイキイキとした目で、真っ直ぐに俺に宣言する。こんなにも力強く言われてしまえば、仕方がないだろう。

 

「頑張れよ。」

「ッ!うむ!!」

 

 布都の確固たる意思を確認できて、俺も少し安心した。俺は神子の方へと向き直る。

 

「なぁ、神子。」

「どうされました?」

「もうそろそろ、隋への船は出される。だから、最後に言っておく。」

「...はい。」

「世話になったな。」

「……ッ!い、いえ...礼の言葉を言うべきはこちらです。本当にありがとうございました。この御恩は忘れません!」

 

 神子は、声を震わせて頭を下げてくれた。

 そして俺は、屠自古に目を合わせる。屠自古もその目線に気付き、首を傾げる。

 

「屠自古も、ありがとうな。」

「なんの事だかサッパリだが、その言葉は受け取っておこう。」

 

 口が悪いため、感謝されるのは慣れていないのか、顔を赤くしてそっぽを向いた。

 先程の爆笑は、俺が落ち込まないように、俺を笑ってくれたのだろう。屠自古には、どうやら敵わないらしい。

 

────────────

 

 潮風が香る。ゆらゆらと揺れる船は俺を乗せ、隋へ向かう準備をしている。波は、安定していた。

 俺は船から身を乗り出し、陸にいる神子たちに別れを告げることにした。

 

「じゃあな、元気でな。」

「零殿には感謝してもしきれぬ。また会おう!」

「おう、元気でな。」

 

 布都は腕を組み、自信に満ち満ちている声で、また会う約束をした。

 

「あの、頑張って仙人になりますので…あなたも頑張ってください!」

「ありがとう、頑張るよ。」

 

 神子は満点の笑顔で応援してくれた。これに、応えられる人生にしなくてはならないな。

 

「おい、零。」

「なんだ、俺との別れが悲しくなったか?」

「は?この屠自古様がお前ごときの別れに悲しむわけないが?」

「相変わらずだな...」

「と言いたいが、寂しいよ。」

 

 屠自古は、らしくない言葉を真剣な、そして真っ直ぐな表情で俺に伝えてきた。予想していない言葉に、俺だけではなく他の面々も驚く。

 

「私と本当の意味で対等に接してくれたのは、私の人生でお前だけだった。」

「上から目線だったくせによく言うぜ。」

「そうしないと、やってられなかったからな。」

 

 屠自古は何かを俺目掛けて投げ、俺はそれを掴んだ。手を開くと、綺麗な数珠がそこにあった。

 

「それ、私の親から貰った、私が蘇我の家である証拠のような物だ。だけど、いらないからお前にやるよ。私の家系的に、偉くなくてはいけなかった。人より弱くてはいけなかった。都の子どもたちが遊んでいる間、私は大人に囲まれていた。正直、苦痛でしか無かったよ。だが、上から目線で接しても、お前は面倒臭そうな顔を一切せず、同じ机で飯を食らいさえもした。新鮮だったよ。」

 

 いつもの馬鹿にしたような笑い方ではなく、純粋な笑顔を俺に向ける。

 

「ありがとうな。」

「...おう。」

 

 別れの言葉というのは、悲しくなるから苦手だったが、こういうのも悪くない。俺は受けとった数珠を手首にはめる。太陽の光が反射し、輝いている。

 

「そろそろ船を出します!」

 

 船員が帆をまとめる縄を緩めながら叫ぶ。同時に船の揺れが大きくなった。

 

「じゃあな。2人が仙人になった後に、どこかで会おう。」

 

 涙を流し、手を振ってくれた。屠自古も、それは例外ではなかった。船は陸から離れ、ゆっくりと進んでいく。徐々に小さくなっていく皆は、暫くして見えなくなっていた。

 俺は手すりから手を離し、振り返って腰かける。すると青娥が不思議そうな顔で俺に話しかける。

 

「ねぇ、別に隋から戻ったら会えるんじゃあないの?和解もしたらしいじゃない?なんで、そんなに…」

「俺が旅をしている理由、言ったよな。」

「えぇ、確か恋人に会うために、よね?」

「俺の役目は遣隋使の護衛だ。それが終わったら仕事はなくなる。だから、また旅に出るんだ。一刻も早く、彼女に会うために。」

「そう…」

 

 永琳、待っててくれ。俺は潮風を肌に感じながら、空を、いや、まだ姿が見えない月を見上げた。



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空の雲は輝いて
空の雲は輝いて Ⅰ 『歴史』


 長い船旅の末、向こうから陸が見えてきた。あれが、隋だ。港には大勢の人が出迎えてくれている。

 

「着いたな。」

「ええ、そうですな。」

 

 妹子は緊張しているのか、口をへの字にし、眉間に皺を寄せながらゆっくりと近付いてくる隋を眺めている。

 船が港に着き、青娥が先導して船を降りる。俺や妹子それに続いて船を降りる。すると、隋の人々は明るく歓迎してくれた。

 

「ようこそ、我が隋へ!」

 

 出迎えてくれた人々の中から、女性の方が前に出てきて歓迎の言葉を述べてくれた。この雰囲気に、妹子は安心したように口の端を緩ませる。

 

「久しぶりね、芳香。」

「おお、青蛾じゃあないか。久しいな!」

 

 どうやら、この女性と青娥は知り合いのようだ。

 

「青蛾、彼女は?」

「この娘は『宮古芳香』、私の親しい友人よ。芳香ちゃん。この人は遣隋使の護衛を担っている『神田零』よ。」

「よろしくお願いしますね。零さん。」

「ああ、宜しくな。」

 

 差し出された手を掴み、握手をする。本来、この立ち位置は妹子のはずなのだが、妹子は妹子で別の方と挨拶をしているようだから、良いだろう。

 しかし、いい雰囲気の国だ。楽しそうというか、我が国より発展してるようだ。

 

「さて、我々は隋の王に挨拶をしに行くとしましょう。」

「あぁ、それなんですが…」

 

 妹子の言葉に、芳香は歯切れが悪そうにしている。すると、青娥が変わりに説明してくれた。

 

「今の王様は、虫の妖怪に呪いを掛けられているの。」

「呪い?」

「そう、呪い。どんな呪いかは王様自身が口止めしてるから、貴方には言えないわ。」

「そうか。」

 

 なぜ口止めされているかが気になるが、それよりも妖怪の方が気になるな。わざわざ王を狙う辺り、相当強い妖怪なのだろう。王を狙えば、隋の優秀な陰陽師に首を狙われるはずなのだから。

 

「その為、会うこともできないのよ。」

「ふむ…そうなのですね。それでは、隋の技術を勉強させて頂きたい。」

「分かったわ!でもその前に、お腹空きましたよね。案内しまーす!」

 

 芳香の明るい言葉と提案に、妹子を含めた遣隋使達は芳香の方へと寄って行った。俺は護衛として外から見守るとしよう。

 

「フフ…」

「どうした、青娥。」

「あの娘、可愛いでしょう?」

「そうだな。」

「もう可愛くて可愛くて仕方がないわ!」

 

 青娥の勢いが凄いが、確かに、諏訪子と初めて会った時のような、元気であどけない印象を感じる。

 

────────────

 

「この『素麺』ってのが美味しいな…この『箸』というのも、手を使わないから衛生面が良い。」

「毎回毎回思うけど、沢山に食べるわねぇ。」

 

 芳香が遣隋使達と食事をしている隅で、俺は青娥と一緒に隋の食事を食べていた。

 青娥は素麺を一玉食べているのに対し、俺は今30玉を食べ終えた頃だ。後で、饅頭という甘い食べ物も食べてみようと思う。

 

「いや、普通だよ。寧ろ少なくて逆におかしい。仮説ではあるけど、俺は『脳を100%活用できる』んだ。でもその為には栄養も摂る必要がある。100%に値する栄養がこれだけだったら、少なく感じないか?」

「そう考えれば…あなた少食ね。」

「少食どころじゃあない。普通の人間じゃあ米を三十粒食べて腹一杯って言ってるようなもんだぜ。」

「そんなの、死んじゃうわ。」

「栄養失調でな。過労死や老化はない。俺って不老だから。」

「あら、私と永く過ごせるじゃない。」

「お前のような邪仙とはお断りだ。」

 

 30玉目を完食した俺は席を立ち、俺の分の代金を払う。遣隋使達は隋の文化について話の花を咲かせている。店の外で待っているとしよう。青娥も俺についてきたようだ。

 建築物などを見ようかと思っていたが、それよりも先に目に入って来た光景は、さっきの言葉に怒ってプンプンしている青蛾…の奥にいる柄の悪い男3人に囲まれている少女の姿。

 

「嬢ちゃん。チョイと俺らの所に来ねぇか?良い店知ってるぜ。」

「ヒヒッ、可愛い顔してんじゃあねぇか。」

 

 絵に描いたような輩だな。対して、囲まれている少女は臆することなく、正面にいる男の目を睨んでいる。

 

「……貴殿方、お強いですか?」

「そりゃあな。見た目でわかるだろ?この筋肉とか…ゲブッ!?」

 

 少女の正面にいた男は筋肉自慢を始めた瞬間、後方へと飛んでいった。理由は、少女の拳だ。風を切る拳には、思わず詠嘆の声が漏れる。

 

「なんだ…弱いじゃないですか。」

「テメェ、何しやがる!」

 

 少女の右側にいた男は、右ストレートを放つ。しかし、予知していたかの如く、少女はしゃがみ、そのまま立つ勢いを利用して右足の裏を男の顎に食らわせる。

 それを見た残りの男は勝てないのを悟ったようで、スタコラと逃げていった。

 

「お手合わせ、ありがとうございました。」

 

 少女は、その場で礼をした。面白いな、動きが独特で、恐らく隋に伝わる体術か何かだろう。

 俺は居てもたってもいられなくなり、少女に話しかけに行く。

 

「素晴らしい拳だ。」

「次は、貴方ですか?」

「別に相手になっても良いのだが、単純に君に興味がわいてな。名前は?」

「私は『紅美鈴(ホン・メイリン)』です。」

「そうか、俺は『神田零』だ。」

 

 俺は握手を求めると、少女は警戒する素振りも見せずにその手を取る。俺はその手をこちら側に軽く引き、美鈴の耳元で囁く。

 

「君、妖怪だろ?」

 

 その瞬間、何か巨大な岩と岩が衝突したかのような地響きがその一帯を揺らした。それには、建物にいた人間全員が外に避難してきた。

 砂埃が舞っている。それが落ち着いた頃に、それが見える。

 

「おいおい、人の話は最後まで聞こうぜ。」

「貴方は…強いようだ!」

 

 美鈴は俺に回し蹴りを入れたのだが、俺はそれを指で止めていた。美鈴は一度俺と距離を取り、腰を落として戦闘態勢に入った。

 

「手合わせ、お願いします。」

「負けても泣くなよ。」

 

 俺は応えるように、いつもの戦闘態勢へと入った。




以降の回からは、1日1本の投稿ペースにさせていただきます。


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空の雲は輝いて Ⅱ 『正拳』

「私の蹴りを指で止めるなんて、一体貴方は何者なのですか?」

 

 美鈴の目線と構えた手の延長線に俺を捉えている。組手も視野に入れているような構え方が、面白い。

 

「旅人だ、日本のね。」

「へぇ、あんな小さな島のような国にもこんな強いお方はいるのか…」

「神様にもなったことがあるぜ。」

「こりゃ期待が出来そうだ…なッ!」

 

 美鈴は俺を目掛けて拳を振りかざす。見事に俺の右頬に当たった…ように見えるだろうが、俺は顔を逸らして受け流す。その勢いを利用して回転すると、俺が裏拳で殴ってくると予想したのか、美鈴は左腕で受け止めようとした。

 

「ガードのタイミングが早い。バレてるぞ。」

「なッ!?」

 

 俺は拳を引っ込めて、回転の勢いを殺さずに美鈴のガードした腕に沿って背後に回る。そして、美鈴のガードした腕を巻き込み首を軽く絞める。反対側の手で美鈴の空いている手も掴み、美鈴は足しか使えない状況だ。

 足にも警戒をしておこう。もし地面を蹴って頭で顎を壊そうとしようものなら、勢いのまま仰け反って地面に叩きつけてやる。

 

「…お強いですね。」

 

 負けた声をしていない?足を見るが蹴る素振りを見せないどころか、力も入れていない。

 ...なるほど。

 

「お前は、俺の閉めている腕に『氣』を送り込み、この状態を逃れようとしてるな?」

「ッ!?」

 

 何故バレた?と言う顔をしている。『ディア』は非常に便利だと思う。戦闘中はあまり使わないようにしてるが、あまりにも余裕の声質で話していれば、流石に気になってしまう。

 そして、バレたことによって、相手が対処法を知っていると思い込む。実は考えていないがな。唯一の逃げ場は無くなる。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 危機、それが彼女の頭に過っている言葉だろう。彼女がヤケクソで氣を使ったらピンチ。つまり、俺も危機の言葉が過ってる。

 しかし、俺は彼女がヤケクソを起こさないことを知っている。どんなに雑魚にも戦った後に一礼をする武闘家だ。彼女は戦闘のベテラン。ヤケクソは流石に起こさないだろう。

 

「君は、一つの拳を俺に向けた。それだけでほぼ敗けの状態だ。つまり、俺と君の差は目に見えているだろう?ここは、潔く認めた方がいい。」

「…99999戦中、99999勝でした。初めて敗けを味わい、誠に光栄です。『降参』です。」

 

 その言葉を聞いて、俺は腕を離す。その腕は濡れていて、どうやら彼女の涙のようだ。

 

「お手合わせ、ありがとうございました。」

「素直に敗けを認める君は、嫌いじゃあないぞ。悔し涙もまた闘い。次に向けての力になるんだな。」

「……はい。」

 

 初めての敗け。それを認めたことで悔し涙を流す。これが彼女のいい経験になっているを願うが、女の子を泣かせたことに、不快を感じる。

 複雑な感情の中、側で見ていた青娥が話しかけに来る。

 

「スゴいわね。芳香ちゃんと同じ…いや、それ以上かも知れないわ。」

「芳香ってそんな強いのか?意外だな。」

「武術を独学ね。」

「へぇ…」

 

 今度、手合わせ願いたいな。

 ふと空を見ると、赤く染っていた。戦闘はほぼ一瞬で終わったし、意外と時間をかけて飯を食らっていたらしい。野次馬に混じった遣隋使達も同じように驚いているようだ。

 

「そろそろ帰りましょう。宿の手配はしているらしいから。」

「そうだな、そろそろ…」

「待ってください!」

 

 呼び止められ、振り返る。そこには先程俺に負けた美鈴が地面に膝を着いていた。

 

「どうした?」

「そ、その…で、弟子にしてください!」

「…え?」

 

 1億年この星にいて初めて言われた言葉だった。美鈴は頭を地面に着け、懇願している。別にいいのだが、俺は日本人だ。俺の弟子になるということは、彼女はこの母国を離れることになるのではないだろうか。

 

「日本にでも、地獄でも天国でも…どこへでも付いていきます!」

 

 それはそれで怖い。だが、そう言うことならば断る理由は持ち合わせていない。

 

「良いぜ。」

「あ、ありがとうございます!」

 

 師匠か。少し、にやけてしまう。別に、彼女の真剣な気持ちを、軽い気持ちで受け入れる訳ではないが、にやけるもんは、にやける。

 横にいる青娥が俺のニヤケ顔をジトーっとした目で見ていた。本当に軽い気持ちではないのだ。本当に、軽くないのだ。軽くはないのだか、謝っておこう。こんな師匠でごめん、美鈴。



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空の雲は輝いて Ⅲ 『弟子』

 あの後雨が降り、芳香が手配してくれたらしい宿にてその雨から逃げてきた。

 美鈴に泊まる所がないことが分かると、どうやら芳香は人望が厚いようで、美宿泊を宿主に頼んだところ「芳香ちゃんが言うなら。」ということで許可が出たらしい。

 その宿の夜、女性と男性に別れて就寝する予定が、雨漏りが酷いらしいので一緒の部屋になった。ちなみに小野妹子や、他の遣隋使はもっと豪華な宿に留まっているらしい。羨ましい。所詮は護衛の扱いだった。

 

「そんなに強いの?」

「初めて負けましたもん。しかも一瞬で。」

「へぇ~今度、手合わせ願おうかしら。」

 

 美鈴が芳香に、先程の俺との決闘の話をしていた。傍から聞いてると物凄く絶賛されており、非常にむず痒い。

 

「手合わせなら、いつでも構わんよ。」

「凄い自信ね。」

「まぁな。」

 

 神とも戦ったことがあるぐらいなのだからな。自信なんてもんじゃない。傲慢になってしまうぐらいなのだから。

 

「ところで師匠、いつから修行をするのでしょう?」

「そうだな…。美鈴、君はいつから修行をしているんだ?」

「多分60年程です。」

「60年でその技術か…うむ。修行はお前の自由にやってくれ。俺はそれに手を加える。明日、早速やろう。」

「はい!」

 

 元気な返事に、師匠は思わずニッコリしてしまう。美鈴は修行に励む良い弟子です。

 それしても、たった60年でこれほどまでの戦闘技術を持ち合わせているのは驚きだ。俺が戦闘技術を学んで60年目ぐらいの頃は、美鈴の3分の1の実力だったと言える。素直に感心する。

 

「もう師匠って感じになっているじゃあないの。」

 

 美鈴の才能に心の中で称賛していると、青娥が俺の姿を見て茶化すように言ってきた。しかし、自覚していないため、首を傾げる。

 

「そうか?」

「そうね。私も弟子にしてもらおうかしら。」

 

 青娥に便乗するように、芳香も面白がる。が、青娥が少し慌てるように止める。

 

「コラコラ、弟子になっちゃったら日本に行かなきゃならないわよ。隋での仕事はどうするのよ?」

「冗談よ、冗談。」

 

 青娥と芳香は本当に仲がいいのだな。この和やかな光景を見ると、少し微笑ましい。しかし、時間というのは流れるもの。明日も仕事はあるため、休息を取らなくてはならない。というのは言い訳で、俺は欠伸を大きくする。

 

「そろそろ寝ないか?眠くてしょうがない。」

「そうね。寝ましょうか。」

 

 俺の言葉に肯定した青娥は、せっせと布団の中に入る。灯を消し、寝ることにする。暗闇の中、それぞれが布団に入る。そして、今日を終えようと目を閉じる。

 その時、カサカサと何かが這う音が聞こえる。虫だろうか。豪華な部屋に泊まりたかったと嘆いていると、その悲鳴は聞こえた。

 

「キャァァアアアッ!?」

「芳香、どうした!?」

「レイィィィィ!!」

 

 暗闇の中、芳香が恐怖しながら勢いで抱きついてきた。腕と足でしっかりと俺に抱きつき叫んでいるのは、まるで蝉のようだ。

 

「一体どうしたんだ?」

「怖いよぉぉぉ…」

 

 何が、彼女をここまで怖がらせる?青娥から聴いたところによると、彼女は決して弱くは無いらしい。そんな彼女が、ここまで...?

 すると、青娥が呆れたように話し始める。

 

「ああ、虫が出たのね。」

「...虫?」

「そう、虫。芳香ちゃんは虫が苦手なのよ。」

 

 戦闘技術に長けて、コミュニケーション能力も、人を引きつける力もある、そんな芳香が、小さな虫に恐怖している。あまり想像がつかないが、現に芳香は恐怖のあまり俺に巻きついている。

 

「へぇ、意外。」

「女の子に抱きつかれながら冷静でいる貴方が、男として意外よ…」

 

 青娥の若干引くようなその視線には納得いかないぞ。

 

「と、取り合えず、灯…つけましょうか?」

「おう、よろしく。」

 

 我が弟子は気を利かせて、近く灯台に火をつけてくれる。青娥には美鈴を見習って欲しい。

 

────────────

 

「怖いよ…」

「芳香。」

「うぅ…」

「芳香!」

「うへぁ!?」

 

 明かりをつけ、虫を青娥に虫を追い出してもらったのだが、芳香は恐れから目を閉じていたために虫がいなくなったことも気がついていなかった。

 仕方なしに呼びかけると面白い反応を見せる。

 

「もう虫は居ないよ。」

「あ、ありがとう…」

 

 と言いながらも俺のことを離そうとしない。

 

「あの、取り合えず離れてくれないか?」

「……ごめん。もうちょっとこのまま。」

「どうした?」

 

 顔を埋めたままの芳香。今日初めて会った男に色目を使う訳でもないだろうし、何か理由でもあるのだろうか。

 

「力入れすぎて固まっちゃった。」

「どんだけ怖いんだよ。」

「お願い…」

 

 涙目の顔をこちらに向けて、まるで子どものようにお願いする。なんとも断りずらい。それより、力入れすぎて固まる人を初めて見た。この1億年で、だ。

 

「よしよし、もう安心だからなぁ。」

 

 かつて諏訪子の頭を撫でていたように、芳香の頭も撫でる。こうすると安心して眠っていたのだが、芳香はどうだろうか。そうやって顔を覗いてみると頬の筋肉を緩ませていた。これで脱力して、いつかは眠りにつくだろう。

 それにしても、先程の虫は初めて見た。新種の虫だったか、隋にだけに生息する虫だったのか、それは分からないが、妙に気になっていた。

 

────────────

 

「ふむ。零という人間が厄介だな。彼女が欲しいなぁ…芳香ちゃん。」

 

 暗い部屋に、男は深く椅子に座り、グラスに入った血を飲む。

 

「彼を始末したあと、彼女を…大好きな()()()()を頂こう。」

 

 愛する女性との夢のような結婚生活を想像するかのように、その男は微笑んでいた。その後ろに、女性の死体が積み重なり、虫が無感情に貪っていた。



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空の雲は輝いて IV 『害虫』

「すう……すう……」

「んん…」

 

 芳香はあの後すぐに寝てしまい、離れられずにいたのは分かるのだ。何故、美鈴が芳香とは逆側の腕に食っていて寝息を立てているのだろう。

 しかも、美鈴とは青娥を挟んで寝ていたはずなのだが。昨日初めてあった女性2人に抱きつかれるのは、今後の人生でこれきりだろう。

 

「ふわぁ…おはよ……なんか増えてるわね。」

「あぁ、嬉しい苦行だね。」

「若い娘が好きなのね!プンプンッ!」

「………お前が抱きついてこなくて良かったよ。」

「酷くないかしら。」

 

 俺は青娥の可愛こぶる態度には、冗談でも見たくはなかった。精神的にキツイものがある。俺は込み上げる吐き気を何とか耐えながら、2人を起こさないように動かないでいる。

 これの光景を、永琳が見てなくて良かった。こんなの、洒落にならない。

 身も震える恐ろしい想像をしていると、耳元で何かが動く音がした。目を向けると、昨日の虫がいた。

 

「また、この虫か。昨日のやつだよな?」

「えぇ、最近増えてるの。えぇっと…蛍かしら?」

「水辺でもなんでもない、人だらけの場所によくいられるな。」

 

 眠っている芳香は寝息を立てたまま。今起きたら昨日の騒動が蘇るだろう。

 

「この国の王様が虫の妖怪に呪いをかけられたことは話したわね?」

「あぁ、話してた。」

「この蛍。もしかして、虫の妖怪の手下なのかなって思ったりして…」

 

 蛍はブゥーンとした音とともに羽を広げ旅たとうとする。俺はそれを霊力を飛ばして握りつぶした。緑の液体を流しながら床に落ちる。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!?蛍をいきなり潰して…」

「こいつ……害虫だな。」

「え?」

 

 青娥は酷い人間を見るように顔を引き攣らせていた。蛍は苦しみ悶えながら足を動かしているが、そんなこと気にも止めず、話を続ける。

 

「明らかに不自然だろう。お前がこの蛍のことを『妖怪の手下』と思っていることを話したら、こいつは羽を広げ何事もなかったかのように飛んでいこうとした。」

「たったそれだけで…」

「んな訳ねぇだろ。コイツ自身からは無いが、奥の方から殺意や殺気を感じれる。お前も仙人だろ?ちょっとぐらいは感じられるだろ。」

 

 そう言われて、青蛾は精神統一をし始めた。暫く目をつぶっていると、突然ハッとしたように目を見開いた。

 青娥も感ぜられたのだろう。極わずかだが、完全に悪意のある殺気が。

 

「あ、消えた。死んじゃったのね。にしても、よくこんな小さな殺気を…」

「まぁな、これでも師匠なので。」

 

 俺も青娥に感心した。腐っても仙人らしい。どんな小さくても、一応は感じれたようだ。邪仙は撤回してやらんでもない。

 ただ、殺したのはいいが、弟子と虫嫌いが邪魔で動けない。

 

「なぁ、コイツらのせいで動けないんだ。この虫の処理、お前に頼んでいいか?」

「え~?乙女に虫の処理を頼みますか、普通…」

 

 そう言いながら青蛾はガラガラっと戸を開け、外の空気を吸いながら処理を始めた。結局やってくれるところに、俺は青娥らしさを感じる。

 しかし、一体どんな妖怪だろうか。一体何が目的で王を呪い、何の目的で俺たちを盗み見ていたのだろうか。思考を巡らせていると右腕から芳香の声が聞こえる。

 

「零……?」

「お、どうした?」

「ムニャムニャ…」

 

 また寝息を再開する。どうやら寝言だったらしい。思

 

「…かわいい顔してやがる。さっきも思ってたんだが、一緒に誰かと寝るこの行動で、永琳を思い出させてくれる。」

 

 芳香、そして美鈴の寝顔を見て、昔の永琳との生活を思い出した。しかし、そんな思い出は虫の死臭により邪魔をされてしまった。この不快感に腹が立つ。

 ついでだ、その妖怪も俺が退治するとしようか。そう、軽く考えていた。それが過ちだったのだろう。



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空の雲は輝いて Ⅴ 『死骸』

 我が師匠の零さんが隋に来てから1ヶ月、蝉の鳴き声が至る所から聞こえてくる。

 私は、もう日課になっていた修行を終え、散歩を兼ねてそこらの妖怪と闘っていた。その内に感情が昂ってしまい、なんだか楽しくなってきた。鼻歌交じりに森を歩く。

 

「それにしても、暑いなぁ。こんな炎天下でも虫は元気に飛び回ってる。」

 

 最近、虫が多くなってきている気がする。夏だからというのもそうだが、隋の王が虫の妖怪に呪いをかけられていることから、少しきな臭くもある。

 ここら辺は特に虫が多い。バッタや蜂は勿論、百足やカミキリムシなどのあまり頻繁に出てくることの無い虫すらもいる。この付近は虫嫌いな芳香さんの勤務先付近である。可哀想に。

 しかし、この調子ならカブトムシもいるかもしれない。ついでに捕まえてみるのもいいだろう。

 

「そこのお嬢さん。」

「はい?なんでしょう。」

 

 周りの木にカブトムシが居ないか目を凝らしていると、男性が話しかけてきた。道を塞ぐように立っており、コイツも戦いたいのだろうと察する。

 

「おやおや、思いの外美しいですね。」

「ナンパですか?間に合ってますよ。」

 

 嘘だけど。

 

「大丈夫ですよ。」

 

 会話が成立しない。少し発音に引っかかる。顔も彫りが深く、この国の人間とは思えない。外国人だろうか。

 男は優雅にお辞儀をし、胸に手を当て自己紹介を始めた。

 

「『ユーベ=ナイトバグ』と申します。以後お見知りおきを。」

 

 彼が現れてから、虫の様子がおかしい。活発になってきており、共食いすらも起こっている。もしかすると、この男は例の...?

 

「…おや?非常識な人ですね。名乗らないのですか。」

「信用してないので。」

「マナー知らずには罰を与えなければ。」

 

 不敵に笑う男に、私は身構える。それに構わず、奴は指を鳴らして森に反響させる。しかし、何が起きる訳でもない。奴は一体、何をした?

 目の前の男のみを睨み、視線の直線上に自分の拳を置く。いつ、攻撃してくる。後ろからか、横からか、上からか?全方向に意識を向ける。

 しかし、そのどれでもなく、足に何か違和感を感じる。何が這うような、違和感。

 

「ッ!?」

 

 目を向けると、大量の虫が足から登ってくる。ゲジゲジ、百足、ゴキブリ、蛆虫等。一般的に気持ちが悪いとされている虫が私の足を登っていた。

 動揺を誘っているのか?

 

「驚かないのですね。虫がお好きですか?これは気が合いそうですね。でも残念です。貴女は私の好みじゃあありません。」

「虫の妖怪か…王様を呪ったのは貴方ですか?」

「正解ですよ。」

 

 やはりだ。そうと分かれば、相手は相当に強いはずだ。奴から何も纏う力を感じないのは、妖力を上手く隠せる力量があるから。

 

「なぜ、王を狙ったのですか。宣戦布告ですか?」

「いや、たまたまそこに居たんで襲いました。」

 

「「嘘だけど」」

 

「おやおや。」

「結構単純ですね。流石、虫なだけありますね。脳も虫けら並みなのでしょう。」

「そりゃあ、虫ですから。」

 

 いつまでも余裕綽々なのが鼻につく。私を相手にしていないような態度だ。目的は一体なんだ?なぜ私の前に現れた。

 

「宣戦布告…ということは、殺す気ですか?」

「物分かりが良いようで。」

「そりゃあ、虫じゃあないですから。」

 

 奴は気持ちの悪い引き笑いをすると、私を一瞥して、また笑う。何が可笑しいのだ。

 

「虫に動じなかったのが、仇になりましたね。」

「……?」

 

 奴は何を言っている?動けるし、思考もできる。何が仇になった?何も感じないのに、何をいっている。いや、何だこの違和感は。

 

『何も感じない?』

 

 力が抜けた。その場に座り込み、体の痺れを感じる。雪崩のように襲ってくる吐き気、目眩、痙攣。どうやら吐いたようだ。気持ち悪い。頭が痛い。訳がわからない。

 

「白眼向いて、涙と鼻水を同時に垂らして、胃酸と中身を吐き散らかして…汚ねぇ顔をしますね。」

 

 何事にも動じぬ心が、仇になった訳か。意識がかすれてくる。弟子になったばかりなのに、もうお仕舞いか。我が生涯は、何も得れぬものだった。そう、諦めた時、何かが遠くから迫ってくるのが、かすれた視界に映る。

 

「ウゲェ!?」

 

 奴の間抜けな声と同時に視界がクリアになる。

 

「何を……ッ!!」

「私の友人に何するのさ。」

「よ、芳香さん?」

 

 芳香さんが飛び蹴りを食らわせたらしい。怒っているのか、その目つきは見たこともないほど鋭かった。

 しかしおかしい。蹴りを食らったユーベは怒ることも無く、むしろ喜んだ表情で立ち上がる。

 

「よ…芳香ちゃんッ!!会いたかったよ!!」

 

 会いたかった?言われた本人も首を傾げる。知り合いというわけでも無さそうだ。

 

「何を言っているの?」

「はい!」

 

 虫野郎が芳香さんになにかを見せる。すると、芳香さんはそのまま背中側に倒れるように気絶した。もしかして、芳香さんに虫を見せたのか?なぜ、彼女が虫嫌いであることを知っている?

 

「これから一緒に過ごそうね。芳香ちゃん?」

 ユーベは芳香さんを担ぎ、去って行く。体が動かない。追いかけたいのに、上手く力が入らないのだ。また、意識が……

 

____________________________________________

 

「……りん…………いりん……美鈴ッ!!」

 

 私を呼ぶ声が聞こえる。目を開くとそこには、心配するような表情を見せる我が師匠の顔があった。

 

「零さん……?」

 

 私は何をしていたのだろう。森の中、寝転がって空を仰いでいた。確か、妖怪に対峙していたはずだ。誰かに助けられ───

 

「そうだ!芳香さんが拐われました!」

「えぇ、そのようね。彼女からの連絡が一切ない。」

「芳香の場所は『ナビゲーター』で分かる。行こう。」

 

 青娥さんと零さんは険しい顔をしながら私のことを腕で支える。何も出来ないままでは弟子として不甲斐ない。意識が朦朧としていた時、その前のことを懸命に思い出す。

 

「奴は虫の妖怪です!名は『ユーベ=ナイトバグ』、男です!」

「虫…王様に呪いを掛けた妖怪か。」

「はい。強かったです。」

 

 零さんの眉間の皺がより深くなる、なにかを考えているようだ。青娥さんはそんな零さんの肩を叩く。そんな暇はないというように首を振ると、零さんはすぐに私たちの顔を見る。

 

「とりあえず、行くぞ。俺に掴まれ、『瞬間移動』をする。」

 

 零さんの言う『瞬間移動』が何なのかは分からないが、私と青娥さんは零さんの腕に掴まる。すると空間が歪んでいき、森の中にいたはずが、様々な色が流動的に混ざりあう世界へと変化した。

 そんな零さんの異様な能力に触れながらも、私達は芳香さんの所へと向かう。



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空の雲は輝いて VI 『幼虫』

「芳香ちゃん、声が出てないよ?何を言っているか分からないじゃあないか。」

 

 『ふざけるな』、そう言いたい。でも、喋れない。口を動かすだけでなにも喋れない。

 アイツが座っている椅子の隣に、私の体が座っている。私の首はここにある。つまり、生首だ。呪文により、生きている。痛みはあるのに、死ねずにナイフで斬られた痛みのみが鮮明にある。血は出てないが、これも呪文だろうか。

 私の首は檻の中にある。本来、小動物なのが入れられるであろう小さい檻。

 

「フフフフ……可愛いなぁ芳香ちゃん。愛してるよ。」

 

 貴様のような異常性癖の変態野郎に愛されたくなどない。ぶっ殺してやる。そう思っていても、私の体は膝の上に手を置き動こうとしない。

 コイツが死ねば、私も呪いが解かれて死んでしまうだろう。しかし、そんなことはどうでもいい。早く、目の前の妖怪を殺してやりたい。

 

「怒った顔も可愛いね。でも、芳香ちゃん。虫、嫌いなんだろう?」

 

 妖怪は不敵な笑みを浮かべると、ナメクジやゴキブリなどの虫が私の身体を這い始めた。しかし、それはどこか性的に舐めまわされているように、ゆっくりと這っている。気持ち悪い。吐きたくても、口からは何も出てこない。

 

「それ、困るんだよねぇ。だって僕、虫の妖怪なんだから。」

 

 ユーベはゆっくりと立ち上がり、私に近付いてくる。そして彼はニヤつきながら大きく口を開き、その長い舌を出した。その舌の上に、見たこともないほどの大きな蜘蛛が私のことを見つめていた。喉の奥から百足、タガメ、カマキリなどの肉食の虫が吐くように溢れ出てくる。

 私は、自分の顔が青くなるのがわかった。そして、やつが今からすることも、容易に想像できてしまう。

 

「好きになってもらわないと。虫も、僕のことも。だから、『慣れて』くれよ?」

 

____________________________________________

 

 瞬間移動して辿り着いたのは、暗くジメジメとした虫の好みそうな廃墟だった。しかし、俺の鼻に感じるこの匂いと、波長から見えるその姿に、俺はとてつもなく大きな絶望を感じざるを得なかった。

 

「あそこから芳香の…気配がする。」

「零さん、どうしました...?」

 

 美鈴は俺の様子から、不安を大きくしているようだ。俺には、芳香の結末が分かってしまう。だからこそ、心が抉られる感覚に苛まれる。この感覚は、長い間生きてきて慣れたことは無い。慣れたくもない。

 

「青娥。」

「な、なに?」

「...動じるな、目の前の妖怪を倒すことに集中してくれ。」

「え?」

 

 俺はカビで黒く染まっている扉を開ける。目に入ってきたのは、首のない芳香の裸体とその隣に座る男の姿。男が俺たちの存在に気がつくと、ゆっくりと立ち上がりこちらに体を向ける。その際に、男に隠れていた後ろの檻が見えた。

 檻の中には生気の感じられない芳香の首が入っており、蜘蛛やムカデなどが口や耳の中を出たり入ったりしている。

 

「なんですか?貴方達は、夫婦円満の時を邪魔し…」

「『熱の細胞』ッ!」

「グッ!?」

 

 俺は有無を言わさずその男を『熱の細胞』を拳に纏い、顔面を殴り抜けた。男は勢い良く吹っ飛び、芳香の首が入った檻の向こうにある壁にぶち当たる。壁に罅が入ると、その罅からも虫が湧き出る。

 

「熱っちィィィ!?」

「そうかそうか、熱いか。じゃあ冷やしてやるよ。『冷の細胞』。」

 

 俺は地面を蹴って奴に近付き、腕を掴む。そこから『冷の細胞』でユーベの腕の筋肉や血液など全てが凍り罅割れる。そんな脆くなった汚らわしい腕をもぎ取り、投げ捨てる。すると腕の凍結は嘘のように溶け、裂けた腕が転がった。

 

「ハァ……ハァ……」

「…ッ!」

 

 ユーベが、零に取られた方とは逆の方の手を向けた。俺は、不審に思い飛び退いた。その手から何か呪術の力を感じる。妖力などではない、別の力。

 

「いい勘してるじゃないですか。貴方に呪いを掛けようとしたんですよ。」

 

 そのかざした手を引っ込めながら気持ち悪く引き笑いをする。片腕からは大量に出血しているにも拘わらず、奴は嬉しそうにしていた。

 

「…何故、芳香を狙った?なにか企んでいるのか。」

「フ、フフフ…少し、下品なんですが…人の生首や首のない身体を見ると、性的快感を得れるんですよ。刺激もしてないのにね。」

 

 理解が出来なかった。コイツの勝手な性癖の為だけに、芳香は死ななくてはならなかったのか。嫌いな虫に覆われ、無惨な姿に変わり果てた。

 怒りで握った拳から血が垂れる。その血が滴った手で変態野郎を指差し、睨みつける。

 

「テメーはこの俺が殺す。できるだけ苦痛を与えてやるから覚悟しろよ。」

「おぉ、怖い怖い。落ち着いてくださいよ、『神田零』さん。」

「...何故、俺の名前を知っている。」

 

 名前をわかるのはいい。恐らく偵察に送った虫から仕入れた情報だろうから。しかし、虫のいる前で俺の姓を口に出しても出されてもいないはずだ。

 俺の質問に、ユーベは呆れたように鼻で笑う。

 

「『神田零』。カスみたいな名前ですね。元々の名前がよかったのに。」

「何?」

「この事件を起こしたのは、芳香ちゃんを愛する為と、あんたを殺す為に起こした。王への呪いも、恐らく挨拶のために出会うであろうと、罠としてかけておいたのになぁ。意外と王は勘が鋭いらしい。」

 

 何者なんだ、こいつは。元々の名前とはなんなんだ。俺の正体を知っているのか。そうだとしても、何故こんな一端の妖怪が知っているのだ。

 ユーベは不気味な笑みを浮かべ、心底楽しそうに笑い飛ばす。

 

「さて、始めましょうか。血が飛び交う、ダンスショーを!」



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空の雲は輝いて Ⅶ 『処理』

 ユーベは片腕の断面を抑えながらも、まるでちょっとしたゲームを楽しむかのように笑っていた。その不気味さ、そして狂気に嫌悪感を抱いていた。

 

「フフフ……貴方のフルネームと、『元々の名前』を知っている理由を教えてほしいんですね?そうなんでしょう?」

「『元々の名前』っていうのはなんだ?俺が何者か分かるのか?だとすれば、何故お前のような妖怪に俺の正体が分かる?」

 

 俺の質問を聞いているのかいないのか、ユーベは落とされた腕を拾って、まるで元は自分の物ではなかったかのように、気持ち悪がって指で持ち上げた。

 

「他人のものには興奮するんだけどなぁ……うわぁ、エグいな…」

 

 汚いものを触っているようだった。それを適当に投げ捨てる。繋がっていた腕の断面から赤黒い血が滴っているのだが、反対側の手をかざすと血が止まった。

 

「…それで、何故知っているか、ですね。良いでしょう。教えてあげれる所までは教えましょうか。」

 

 ユーベに嘘をつこうという意思は感じられなかった。しかし、念の為と『ディア』を使ってみたのだが、何故かノイズがかかり、それを覗き見ることが出来なかった。

 

「さて、まず……というか、全部そうなんですが、貴方の名前を知ったのは『黄泉』で知りました。」

「なに?つまりお前は…」

 

 ユーベは俺の言いたいことを悟ったように、話した。

 

「はい、死んでいます。そして、一時的に生き返りました。黄泉の入口が塞がっていたって、隙間がありますからねぇ。僕のような体を虫に変身できる者や、物を遠隔操作出来る者は出入りが出来るんですよ。勿論、黄泉の中と外では環境が違いすぎて、中にいる人にも悪影響が及ぶんです。出られる者は極わずか。」

 

 もしかすると、布都を操った妖怪も黄泉から来たのかもしれない。布都曰く、その妖怪も執拗に俺を殺すように仕向けていたらしい。そしてこいつも、黄泉から来た。

 しかし、須佐之男は違うだろう。しかし、アイツも俺のことを捜していたようだった。

 

「それで、なんで俺のことを知ってる。」

「ダメダメダメダメダメ。これ以上は教えられませんねぇ。」

「は?」

「これ以上話せば『あの人』に殺されてしまうのでね。」

 

 やはり『あの人』か。件の妖怪も、真実を話せば『あの人』とやらに殺されると言っていた。話から察するに、『あの人』が俺の命を狙う黒幕だろう。俺を殺せば、コイツらに何かしらの利益をもたらすのだろう。

 いや、こんなことを考えている場合ではない。早く、この屑を殺さねばならない。

 

「あ~あ、僕のもげた腕が視界に入るなぁ。潰そ。」

 

 そうすると、ユーベは生々しい音をたてながら転がった腕を足で思い切り潰した。そこには血が飛び散り、広範囲に広がっている。

 今までの敵の中で一番何がしたいのか分からず、狂気じみていた。コイツは生かしてはいけない。殺さなくてはならない。俺は拳を構える。

 

「『熱の細胞』。」

「おやおや、またそれですか。それ結構熱いんですよ。私のような妖怪じゃなければ一瞬で溶けているでしょう。」

「そりゃ結構。狙ってやってるんだよ。」

 

 俺の拳が赤く発光し、徐々に熱が増していく。それに比例し、赤い拳は白へと変色していく。

 

「全く…黄泉に帰す気ですか?」

「いい勘してるじゃあねぇか。」

「良いでしょう、かかってきてください。」

 

 思いきり地面を蹴る。今までで最速の速さ。奴の顔面を掴み、廃墟の壁に叩きつける。この屑の顔面から骨が見えるほど溶かしてやる。

 

「アアァァァアアアァアッ!!」

 

 ユーベはあまりの熱に顔を溶かしていく。しかし、ソイツは逃げもせず、俺の腕を掴んだ。そして、コイツはまたしても笑い飛ばした。

 

「捕まえたぁ!」

 

 文字通り顔を歪ませながら、俺の手の中でそう叫んだ。その瞬間、視界がグニャリと変形していく。吐き気がする。これは、コイツの呪いか?

 あまりの気持ちの悪さに、全身の力が抜ける。

 

「アッチィィィィィッ!」

「うッ...おぇ...」

「ハァ…ハァ…い、痛い。フフ…まぁ、いい。これでようやく術にかけれた。」

 

 爛れた皮膚を引き剥がし、筋肉が露呈した顔面を青娥たちに向ける。次は、二人を狙うらしい。

 

「神田零は呪いをかけられた。これで、もう脅威は去りました。次は、貴女達だ。」

 

 ユーベは、荒い息で二人に近づく。ゆっくり、ゆっくりと。まるでゾンビのように二人に迫る。

 しかし、その二人は何も焦らず、逃げようともしなかった。

 

「…いや、貴方は負けたようね。」

「は?」

「師匠の攻撃は続いている。」

「クク...ハッハッハ!何を言っているんですか!?零さんはここに倒れ込んで…え?」

 

 その姿は居ない。辺りを見ても居ない。俺の姿は、奴の目には映らなかった。慌てて俺の体を探す。

 

「ど、どこだ!?どこにいる!!」

「居るじゃあないの、貴方の近くにね。」

 

 ユーベは足を掴まれた。恐る恐る、下を見る。そこには、ダイヤモンドよりも硬い、青く輝く手が飛び散った血から出て、足を掴んでいた。

 

「なんだこれは!?」

「俺の手だよ。」

「何!?」

 

 俺は、まるでそこが深さのある泉のように、その血溜まりから身体を出した。ユーベの顔は、皮膚がなくなっていても分かるぐらい、驚きと恐怖で染まっていた。

 

「さっきお前、腕を潰しただろう?その時、血が飛び散った。その時思い付いたんだよ。『自分の細胞を分裂させ飛び散った血の中に潜り込む』ってね。」

「なんなんだ…貴方は!?私の呪いはどうしたんだ!?」

「俺は、細胞一つ一つが生きているんだ。全細胞を分裂させて、呪いという毒素が残った細胞を殺処分したんだ。新しい俺を創り、古い身体の俺を殺した。記憶だけを残してね。」

 

 自分でも、こんな狂気じみた方法はおかしいと思っている。しかし、狂気には狂気で対抗しなくてはならない。

 

「死んで償え。お前はこの世界に必要とされていない。」

「やめろ…」

「ダメだね。『熱の細胞』。」

 

 ユーベ=ナイトバグが溶けてゆく。体から出てきた油に火が付き、全身を火が覆う。その火達磨の足を引っ張り、暴れられないように廃墟の床に押さえつける。

 骨が見えても叫び続けていたが、息もできないそれは次第に静かになったいき、無様に死んだ。

 俺は手を放し、自分の細胞を集める。全てが終わると冷静さを取り戻していき、俺は芳香の存在を思い出す。

 

「…芳香。」

 

 芳香を見れば、付いていた虫はもう消えていた。当たり前だが、返事がない。死んでいる。元気であどけない芳香の瞳に輝きは宿っていなかった。

 

「…クソ!」

 

 俺は地面を殴る。何度も殴り、皮や肉が削れ骨が見えるまで殴り続けた。

 

「……零。」

「身近な人が死ぬのはこれで二度目だ。奴らは俺を狙っていた。俺が、芳香や屠自古に関わっていなければ死んでいなかった!」

「零、こっちを向きなさい。」

 

 青娥は静かに俺を呼ぶ。青娥の方に顔を向けると、彼女の目からは大粒の涙が零れていた。そんな彼女の手は、大きく振り上げられ、思い切り俺の頬を叩く。

 

「貴方のせいじゃない。全部自分のせいにしないで。大きい責任を一人で持ち込もうとしないで。貴方がその責任に押し潰されているのを見たくはないわ。私達が居るのよ。重い荷物を皆で持つように、大きい責任は皆で背負いましょう?」

 

 俺はその時、初めて泣いた。そんな俺を、青娥は強く抱きしめた。迷いなく、俺を抱きしめた。

 その光景に美鈴は驚いたが、視線を落とし、俺から視線を外す。

 

「安心して。芳香ちゃんは私が何とかするわ。」

 

 後悔の念を残して、俺達はその場を去った。



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空の雲は輝いて Ⅷ 『名前』

 あれから数ヶ月が経ち、遣隋使達はあらゆる知見を得て、ついに出発の日の前日となった。隋の王から呪いを解いてくれたお礼を頂いたが、旅にそれほどの大金は要らないため、九割は神子達に寄付することにした。

 そして、やはり美鈴は付いてくるようだ。

 

「本当に良いんだよな?」

「はい!師匠に付いていきますよ!」

「な、ならいいんだが…」

 

 師匠に忠実な愛弟子だ。俺には勿体無いぐらいの。

 しかし、まだ随分と先の話になるのが、いつかは師匠離れしないといけない。師匠離れをしたら、美鈴が弟子をつくれると自信が持てるぐらいの気持ちで修行を挑んでほしい。若しくは、誰かを守る存在になってほしい。自分勝手な師匠の願いだがね。

 

「そう言えば、あれから青蛾さん見てないですね。」

「そうだな、どこにいるかも分からん。」

 

 芳香の死から、青蛾が忽然と姿を消したのだ。いや、『ナビゲーター』を行えばどこにいるかなんて分かるが、彼女人生は彼女の自由だ。そっとしておくのが正解なのだろう。

 しかしそうは言っても、確かに彼女の行方は気になるのだけども。

 芳香が死んだことを隋の人達に伝えるのは辛かった。やはり、芳香はみんなから愛されていたらしい。みんな悲しんでいた。泣いている者も居た。妖怪に怒っていた者も、悔しがっている者も、隋の人間全員が愛していたのだ。

 

「なんか、師匠に出会ってそんなに経ちませんが、既に濃い人生です。」

「多分これからも濃いぞ。なんせ、何者かに狙われているからな。」

「そうですね。」

 

 そう言い、美鈴は苦笑いをする。それもそのはずだ。あのような辛い体験は、これっきりが良いだろう。だが、そうもいかない。この星に着いた以上そうなる運命だったのだろう。この星…か。

 俺は何者なんだろうか。そもそも、宇宙に居たんだから永琳に会えるだろうと思っていたが、元々の種族になれなかった。元々何かが分からなかったから。

 なんという皮肉だ。人間にならなければ永琳に月まで会いに行けたのだが、人間にならなければ永琳に出会えなかった。

 残酷過ぎる。それも、苦しいほどに。

 

「師匠?」

 

 難しい表情を浮かべていたのだろう。心配した美鈴が、俺の顔を覗き込む。

 

「いや、なんでもない。気にするな。ほら、明日に向けて体を休めよう。」

「そうですね、分かりました。お休みなさい。」

 

____________________________________________

 

 翌日、もうそろそろ出発の時刻になる。結局、青蛾は現れなかった。

 

「あ~、いよいよ師匠の故郷に行くのですね!ウキウキしてきました!」

「そうかそうか、良い所だからな。」

 

 そんな楽しみを抱いていたようだが、次第に美鈴の視線は床に落ちる。

 

「青蛾さんは…どうしたのでしょうか。」

「彼女の人生だ。自由にさせてやってくれ。」

「は、はぁ。でも最後くらい、顔だけでも見せてくれても…」

「最後じゃあないわよ!」

 

 そんな俺たちの会話に、その声は高らかに割って入ってきた。聞き覚えのある声だ。俺達は声のした方へと視線を向ける。

 そこには、数ヶ月姿を現さなかった青蛾の姿があった。そして、その隣にもう一人、いるはずのない女性の姿があった。

 

「芳香!?」

 

 額にお札をつけている芳香がいたのだ。彼女は死んだはずだった。しかし、目の前にいる。

 

「待たせたわね!」

「待たせたぁー。」

 

 青娥の言葉を、芳香は幼い子供のような口調で繰り返した。

 

「待たせたって…どういうことだよ?」

「キョンシーよ。だから、記憶はないけど、ちゃんとここに芳香がいるわ!」

「えぇ…?」

「……なんか反応がおかしいわね。」

 

 美鈴も同じように思っているのか、少し引くような声が漏れていた。なんというか、形容し難い感情が複雑に入り交じっている。

 

「いや、気持ちはうれしいよ。ありがとう。でも…何て言うかな…」

 

 その気持ちは嬉しい。俺のことを思ってかもしれないが…それは芳香の意志とは関係なく、その身を復活させられているのだ。

 俺は頭を悩ませた、どうしたものかと。そんな様子を見て、芳香は首を傾げている。

 

「レイ、どうしたー?」

「なッ!?」

 

 記憶が無いはずの芳香の口から、俺の名前が出てきた。自然に、あたかも記憶があるかのように。

 

「あれー?なんでこの人の名前分かるんだろ?でも、なんか安心する!」

「この娘に零の名前は言っていないのに…どうして?」

 

 芳香は曲がらない腕をブンブン振って、「ちーかーよーれー」と言ってる。芳香が俺の名前を言ってくれた瞬間、涙が出そうになった。

 俺は彼女に近付き、頭を撫でた。気持ち良さそうにしている彼女の笑顔を見て思った。

 

「青蛾、ありがとうな。」

「どういたしまして。これからよろしくね!」

「え?これから?」

「これからぁ?」

「えぇ、私達も零についていくわ。彼女、生前に零の弟子になってみたいとか言ってたじゃない?だから、ね?」

 

 あの時か。よく覚えていたな。

 

「そうだな。一緒に行こう。」

「本当に!?やったー!」

「やたー!」

 

 青娥は芳香を抱きしめながら喜ぶ。関節が曲がらない芳香は抵抗もせずに笑っていた。

 

「その前に体の柔軟性が必要だな。」

 

 頭を撫でるといい香りがする。お札の効果だろうか。死体の独特な臭いというものはない。取り合えず、子どもを撫でているようで、可愛い。後ろで小さくガッツポーズしている青蛾も含め。

 これからの旅は楽しくなりそうだ。美鈴、青蛾、芳香…そして俺の旅。一人だけだったはずの旅に新しい光が差し込むことに思わず微笑みながら、俺は船の出航を待った。



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満月は光る
満月は光る Ⅰ 『竹取』


今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。

野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける。

その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。

 

______________________

 

 青娥、芳香、美鈴が旅に同行するようになってから、幾年の月日が経った。四人で旅をしてきて、元々名の知れた旅人だったがもっと有名になった。俺に関する神話さえ出てしまったぐらいなのだから。

 しかし、これまで本当に色々あった。神に喧嘩売ったり、諏訪の地に戻ったり、旅先で困っている人を助けたりした。

 そんな中、最近では都に美しい姫様が居るとか、いないとか。なんとも、貴族のアプローチを無理難題を押し付けて求婚を拒絶すると言う、中々肝の座った者のようだ。名は何だっけな…そうだ、確か『かぐや姫』だ。

 無論、野次馬の俺は見に行く。四人も賛成だった。しかし、現実は甘くない。誰もが注目する話題のかぐや姫には、案の定会えないようだ。

 

「あ~あ、やっぱりダメね…」

「そうだろうよ。今、貴族の全員な大注目するぐらい美人の姫らしいしな。そうそう会わせてはくれないだろ。」

 

 青娥のガッカリした肩に手を置く。分かりきってはいたものの、どうしても気になるらしい。

 

「じゃあ仕方ありませんね。食料を調達して旅を続けましょうか。」

「え、なんで?」

 

 我が弟子は、何故か諦めて旅を続けようとしている。俺と青娥はそんな美鈴に首を傾げる。

 

「え?いや、だって会えないんじゃ仕方が…まさか…?」

「屋敷に忍び込むだろ?」

「うわ、やっぱりですか。」

 

 美鈴は俺たちに呆れたかのような視線をぶつける。俺の弟子であるはずなのだが、妙に真面目で困る。

 すると、芳香は俺の肩に顎を置いて曲がらない腕を身体に回す。

 

「レイ、なにするんだー?」

「不法侵入。」

「そっかー。」

「ハァ…もう慣れましたよ。分かりました、今日の夜ですね。」

「お、美鈴もやっと分かってきたな。そうでなくちゃあな。」

 

 深く溜め息をつき、「やれやれ」と諦めた声。俺との旅でようやく俺の性格が分かってきたか。

 さて、そうと決まれば夜まで時間でも潰そう。今日は晴れ。このまま晴れれば月が見れるかもしれない。でも今日は新月だったか?それなら月明かりがないため、俺たちの姿がバレにくい。丁度良い。

 

____________________________________________

 

 予想通り、星が見えるのにも関わらず月の姿は無かった。俺たちは闇に紛れて、噂のかぐや姫が住むという屋敷が囲われた塀の外にいた。

 

「零さん、本当に行くんですか?」

「当たり前さ。もう入り口は目の前だぜ?」

「はぁ…」

「いいか、芳香。声を出すなよ?」

 

 芳香は口を真っ直ぐに閉じ、首を縦に振っている。大丈夫のようだ。

 さて、『ナビゲーター』で確認した見張りは、正面に二人、池に三人、かぐやの部屋の前には……十二人!?幾らなんでもこれは多すぎる。過保護と言うか、何かあったのか?

 そして今気がついたのだが、かぐや姫の霊力に、なにか懐かしさを感じる。なんだろうか。まさか……いや、そんなはずは…

 いや、今はいい。さて、まずどう中に入るかだ。塀を越えて入るか…そうしよう。比較的かぐや姫の部屋に近い所から潜入しよう。

 

「よし、此方だ。」

 

 三人を引き連れて、目的の位置まで来た。塀を挟んだ先には池がある。そこの見張り三人はどうしようか。池があるならば、それを利用してやろう。

 俺は地面に手をつける。十分に湿っている。

 

「『水威矢』。」

 

 俺は水の弓矢を作った。これを使って、今から怪奇現象を起こす。俺は落下地点を計算し、見張りの目の前に落ちるように水威矢を空に射った。地面に落下すると、それはピチャッと音を立て、跳ねた水が見張りにかかる。

 

「うわ、濡れちまった。なんだ?誰か落っこちたかー?」

 

 そういい、見張りの男は手を差し伸べた。その差し出された手を何かがしっかりと掴む。

 その辺で、他の見張り二人がその男に駆け寄る。

 

「なにやってんだよ、なにかあったか?」

「いや、誰か池に落ちたはずなんだが…」

「俺ら三人だけで見張っていたろ?て言うか、そっちに池はねえよ。お前の真後ろじゃあねぇか。寝ぼけてんのか?」

 

 池の見張りは三人。しかし、その全員がその場にいる。ならば、この捕まっている手は一体何なのだろう。見張りは声を上ずらせた。

 

「そ、そんなはずは…だってほら、誰かに手を掴まれてるんだぞ?見えねえな…ちょいと灯をくれ。」

「ホラよ。」

「おお、ありが…!?」

 

 彼の手を掴んでいたのは、地面から飛び出した半透明の手だった。水威矢を『遠隔操作』で手の形に変えただけの即席幽霊だが、何も知らない奴らからすれば立派な幽霊だろう。

 

「ば、化けもんだ!」

「逃げろォ!」

 

 すたこらさっさと逃げる見張り。そのザルな警備に鼻で笑いながらも、人がいないその内に侵入する。四人全員が塀を飛び越えると、すぐさま草に紛れる。

 

「付いてこい。」

 

 屈みながら進んでいたが、後ろを振り返ると芳香は関節を曲曲げられずに飛び跳ねながら付いてきているため、ほぼ意味はないだろう。俺はツッコミたい気持ちを抑えて立ち上がり、真顔で移動した。

 兎も角、壁に身を隠しながらも部屋が見える所まで辿り着いた。この大量の見張りはどうするべきか。思考していると、足元に木の枝が落ちていた。それを拾い上げ『熱の細胞』をつける。それを『遠隔操作』で浮かせると完成。なんちゃって火の玉。

 それを飛ばしてみると、見張り共は「う、うわぁぁぁぁぁ!?」とか言ってどっかに行く。

結構アッサリだな。等と思っていると、部屋の戸が開いた。そこにいたのは……

 

「誰かいるの?」

 

 美しい、きれいな女性がいた。



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満月は光る Ⅱ 『美貌』

 『美しい』。その言葉だけで全てが物語れた。その目、鼻、口、顔の形、表情、出で立ち、雰囲気、その全てか美しかったのだ。永琳と一位二位を争う程だ。流石は同じ…。

 それより、あの阿鼻叫喚を聞けば、外の様子を見ようとするのは当たり前だろう。丁度いい、彼女の質問に答えるように、俺はその姿を現した。

 

「やあ、お姫様。」

 

 俺の姿をその目で捉えると、視線が鋭くなり俺を睨む。

 

「今は警備が厳重なはずよ。」

「あれがか?量が多いだけで、厳重でもなんでもない。」

「…そうね。」

 

 そう、無愛想に吐き捨てた。というよりも、警戒をしているようにも見える。過保護なほどの警備といい、何かあるのだろうか。

 すると後ろから3人が我先にと顔を出し、彼女の姿を見て三者三様に驚いていた。

 

「本当にきれいね!」

「噂通りです…」

「ご飯じゃなかった…」

 

 このように女性すらも圧倒される美しさなのだ。この時代のトレンドとは言い難い顔立ちであるにも関わらず、この姿を潜在的に美しいと思えるのだ。

 とりあえず芳香には後で肉団子でもあげよう。

 

「あなたも求婚者?新しいわね、嫁を連れてくる人なんて。しかも夜中に。」

 

 それは、斬新すぎるプロポーズだな。そんなわけはないと、あちらも分かっていそうであるが、その理由としては恐らく…少し、試してみよう。

 

「いや、生憎俺達は結婚している訳じゃないし、求婚しに来た訳でもない。何故来たか…分かるよな?」

 

 俺はまるで何か含みがある様な言い方で、彼女に対してニヤリと笑う。すると、それに対して彼女は軽蔑した目をしながら鼻で笑った。

 

「ふん。そうと思ったわ。やっぱりあなたは月び…」

「ただ興味だけで見に来た野次馬旅人だ。」

「…へ?」

 

 やはり引っ掛かった。面白い、少し悪戯をしてやろう。

 

「それより『やっぱり』ってなんだ?ん?何か思い当たる節でも?」

「ググ…べ、別に?なにもないけど?」

 

 あくまでも白を切るようだ。こういう反応は弄り甲斐がある。俺は縁側に座り、目線を合わせようとしないお姫様を見上げる。

 

「へぇ、それより何か言いかけたよね?『月び』…何?」

「うぐッ!?た、焚き火と間違えたのよ!!『た』を『つ』と間違えたのよ!」

「ほぅ?仮にそうだとして、なんで今、焚き火なん?」

「ウガーー!うるさいうるさい!『月人』よ、これでいい!?」

 

 俺の質問に耐えかねたのか、姫という立場にはあるまじき態度を示した。こちらが本当の性格なのだろう。繕った仮面を剥がすことに成功した。これで、腹を割って話すことが出来る。

 

「よろしい。ならば、『八意永琳』を知っているか?」

「やっぱりあなた!」

 

 また警戒して、少し後退る。気が立っているのだろうな。俺は落ち着いてその誤解を解く。

 

「おいおい、月人が月人に『八意永琳を知っているか?』なんて聞かねえだろ。」

「それも…そうね。」

 

 納得してくれたのか、落ち着きを取り戻してくれた。落ち着いてくれなくては話せるものも話せない。これは、俺が旅をしてきた中で初めて目的に近付ける内容になるはずなのだから。

 

「でも、何故永琳を知っているの?」

「それは話が長くなってしまうな。取り合えず、名前を言っておこう。俺は神田零だ。」

「え!?ちょっと待って嘘でしょ!?」

 

 反応がおかしい。確かに、俺の名前は旅をしていく中でよく知られるようになったが、それにしてもこの驚き様は異常だ。

 

「初対面の君に嘘をつくわけがないだろ。そして、その反応なんだ?」

「神田零って…妖怪から皆を助け、核兵器で自分ごと妖怪を殺して、更に永琳の恋人の『月の英雄』の、あの神田零!?」

「合ってるけど、月の英雄?」

 

 月の英雄という言葉に疑問符を浮かべる。俺は英雄になった覚えはないし、そもそも月に行った覚えはない。そんな俺がそんな称号を得ているとは初耳だ。

 

「貴方、どんな人生歩んでいるのよ…」

 

 と、ジト目の青蛾。

 

「す、すげー…」

 

 話を素直に信じる可愛い弟子。

 

「……ン?話聞いてなかったー。」

 

 それはそれで悲しいぜ芳香。

 話すつもりもないことを旅の仲間に知られてしまった訳だが、この際どうでもいい。月での俺の逸話がどう伝わっているのかが気になる。

 

「わ、私は『蓬莱山輝夜』です!月の英雄…神田零様!」

「止めてその呼び方。怖いよ急に。」

 

 先程の態度からは考えられない変わり様。警戒心なんてものは元々なかったかのように、敬語で尊敬の眼差しを送ってくる。怖いとすら思える。

 

「お願いです。私をここから連れ出してください!」

 

 唐突なお願いに、流石の俺も驚きが隠せない。そんな時に簡単に気持ちを表現出来る、たった一文字の不思議な言葉を思わず口に出してしまった。

 

「は?」

 

 記号を入れたら二文字だった。



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満月は光る Ⅲ 『英雄』

「連れ出せって言われてもな。」

「お願いします!」

 

 輝夜はその場に正座し、床に手を着いて懇願してきた。想像もしていなかった展開になってきた。

 

「取り合えず、その敬語やめてくれ。」

「あ、うん…」

 

 連れ出せといっても、一体なにから連れ出せば良いのか。この屋敷からか、この都からか。そもそも、なぜ連れ出してほしいと思っているのか。これらをハッキリさせなくてはならない。

 

「なぜ連れ出してほしいんだ?」

 

 輝夜はその質問に答えづらそうな表情を見せつつも、ゆっくりと口を開いた。

 

「私は、不老不死の薬を飲んだの。」

「不老不死!?」

 

 後ろにいる美鈴や青娥は目を大きく見開いて驚く。俺は静かに思考しながら、輝夜の真剣な表情に目をやった。

 不老不死。老いることも死ぬこともない薬。薬となると、恐らく永琳が作ったのだろう。

 

「薬は『八意思兼神(やごころおもいかねしん)』が創ったわ。」

「八意思兼神?」

「あ、永琳のことよ。」

「あいつ、神になったのか。」

「えぇ、知恵を司る神にね。」

 

 あいつにピッタリの神だ。

 永琳は今でも研究はしてるだろうから、もうあいつの方が知恵の量は上だろう。前までは教えたりしていたが、恐らく次に会った時には逆に教えられる側になる。

 

「それで、その薬を飲んだからなんだっていうんだ?」

「重罪なのよ。それを飲むのも、作るのも。」

「永琳は何故創ったんだ。」

「そ、それは………」

 

 輝夜は今度こそ口を閉じた。これは、本人に聞くしかないのだろう。俺は、目を閉じて軽く息を吐く。

 

「重罪か。それで、地上に逃げてきたということか?」

「いえ、それが罰よ。」

「どういう事だ?」

「地上で暮らすことが罰なの。月では、地上は穢れた世界っていう認識をしているのよ。」

 

 それこそ、俺が永琳たちを守るために妖怪を核爆弾で大量に殺したあの事件が原因だ。放射能、妖怪の血、怨念、それらがこの地球上にばらまかれ、この星は穢れてしまった。

 逆に、月にはそれが無いから、永琳達がまだ生きている。それでは、俺は何故生きているのか。今まで不老と言っていたが、老いない薬を飲んだわけでもないのに、何故穢れたこの地で生きている?寿命はなぜ来ないのか。脳に100%の負担がかかれば早くて一日で死ぬはずだ。

 全ては、俺が元々何だったのかが分かればいい。何者なのか、今は考えても仕方がない。

 

「…その罰も終わりが近いから、月人が迎えに来る。それらから連れ出せと言っている。そういうことか?」

「えぇ、理解が早くて助かるわ。この星が好きになったから、帰りたくないの。でも、男に言い寄られるのはもうコリゴリ。どこか静かな場所で暮らしたいの。」

 

 輝夜は心の底からそう願っているようだった。月のない空を恨めしそうに睨む。俺のいない間に、一体何があったのか。

 

「良いぜ。月人は俺が何とかしよう。きっと顔見知りも居るだろうよ。」

「ありがとう!」

 

 恨めしそうな目からは打って代わり、今日見せた表情で一番輝いていた。その名にふさわしい笑顔だった。

 

「本当に、零はお人好しね。」

「いや、そんなことねぇよ。」

 

 青娥の褒め言葉には素直に感謝しつつも、それを否定する。これは俺の為だ。輝夜はついでに、という考えだ。

 永琳は最高の役職に就いているはず。そして、その不老不死の薬を作ったのも永琳だ。責任感からか、別の思惑か、どちらにせよ永琳は必ず輝夜を迎えに来る。

 

「さて、話が変わるが、なんで俺が月でそんなに有名なんだ?」

「だって、素敵じゃない。恋人と仕事仲間、そして暮らしていた人々を救うべく、自らの命が危険にさらされても戦うなんて。」

「お、おぉ…」

 

 俺のしてきたことをまるで英雄の話をしているかのように語る輝夜に、俺は反応しづらかった。どうすれば良いのか。

 得体の知れない困惑に悩んでいると、美鈴が顔を覗き込んできた。

 

「照れてます?」

「な…!そんなわけないだろう!」

「露骨ね。」

 

 今までの反撃のつもりか、青娥は面白がるように言い放った。輝夜はそんな光景に苦笑いをしている。

 俺は大きく咳払いをし、話題を変える。

 

「何故、俺が神田零と信じた?」

「どう言うこと?」

「そのままの意味だ。もしかしたら、嘘をついているかもしれないじゃないか。」

「まぁ、そうね。」

 

 意外にも、アッサリ肯定した。

 

「では、何故?」

「そうね…力かしら。貴方の言霊の力と言うか。」

 

 言霊。俺はそれに関しては一切分からないのだが、もしかしたら永琳が研究で新たに発見した力の一種なのだろうか。

 

「貴方は無意識でしょうけど、言霊に霊力や神力がこもってる。普通の人間は神力は持ってないし、そもそも言霊に霊力をこもらせるのは困難。出来るようになっても、一言一言に膨大な霊力を吹き込まなきゃならない。なのに、貴方はそれを意識もせずに、まるで呼吸や瞬きのように平然とやるの。そんなことをできるのは月人の上級の人達ぐらいしか出来ないのよ。そこに神力も入っているから、もう『月読命(つくよみのみこと)』様ぐらいしか出来ないのよ。」

 

 意識していないから気が付かなかった。普通ならばありえないのだろうが、俺は溢れるほどそれらを持ち合わせている。いや、文字通り溢れたのだろう。溢れたものが言葉に付随したのだろう。

 

「へぇ…今まで気が付かなかった。」

「だから、師匠が言ったことを信じちゃうんですね。」

 

 後ろの面々も納得するように頷いている。

 

「とりあえず、わかった。それで、迎えはいつ来るんだ?」

「次の満月の時よ。」

「もうすぐじゃねぇか。」

 

 今夜は新月だ。それから満月の時まで2週間ほどだ。

 

「しかしそうだな…迎えが来る丁度、俺はお前を連れ出す。」

「今じゃダメなの?」

「輝夜が月に帰ったと言うことにして逃げる。そうすれば男から言い寄られることはないだろう?」

 

 我ながら良い考えだ。輝夜もそれに納得してくれたらしい。

 

「決定だな。」

 

 それまで、都で観光か。楽しみだ、どう過ごそうか。美味しい食べ物や綺麗な街並みをゆっくり見ていくとしよう。

 

「あなた達がいつでもここに入れるように言っておくわ。」

「おう、分かった。それじゃ、またな。」

 

 そう言って立ち上がり、3人を俺に捕まるように促し、『瞬間移動』で塀の外へと移動をした。すると、丁度見張りが戻ってきた。何をしてたの?と輝夜が言うと、何も答えなかったので心の中で笑ってやった。



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満月は光る IV 『藤原』

「このお菓子、美味しいわねぇ。」

「そうですね!」

 

 俺達は満月の夜の日まで時間が有り余っているため、都で観光をしている。こうして都に並ぶ木造建築たちを眺めていると、ほんの僅かな時でよくここまで築き上げたなと人間の力に感動を覚える。氷河期を含め、俺の放った核爆弾で二回滅んだにも拘らず、こうして美味しいもんはあるし、風情ある建物もある。

 

「はは、食い急ぐな。喉を詰まらせたら大変だからな。」

「はーい。うぐッ!?」

「言わんこっちゃない…」

 

 喉を詰まらせる美鈴に呆れながらも笑ってしまう。青娥もつられて笑い、詰まらせる苦しみを知らない芳香は不思議そうにしながらお菓子を口に放り込んだ。

 こういう一時を生きることに幸せを感じる。普通が一番だ。

 

「ゴホッゴホッ…す、すいません。」

「気を付けろよ。と言うか今思ったが、マナー的にどうなのさ。」

「ハイ、スミマセン。」

「青蛾を見てみろ。大人しく食ってるぞ?」

「うう…」

 

 ちなみに、上手く隠していたが青娥は喉に詰まらせかけていたことを俺は見逃してはいなかった。『ディア』をしてみれば俺の言葉に冷や汗をかいていることが分かる。これだから青娥はを弄るのは止められない。

 そんな思考に頬を緩めていると、一人少女が話しかけてきた。安い着物を着た少女。

 

「ねぇ、あんた。」

「ん?どうした。すまないが、道案内は出来ないぞ。俺、旅人だから。」

「知ってる。」

「そうか。じゃあ何用かな?」

「貴方、神田零でしょ。」

 

 やはり、有名になってしまっているようだ。それもそうか、元々旅人としても名を知られていたのに、加えて輝夜は俺たちの屋敷への入出を許可したわけだ。フラれた貴族どものプライドは更にズタズタだろう。

 

「そうだ。」

「依頼とか、受けたりしてるんでしょ?」

「あぁ、依頼か。なんだ、妖怪退治か?」

 

 旅には金が必要だ。そう言うわけで、このように依頼を受けながら旅をしていることが多い。普通は町や都からの依頼が多いのだが、このように個人的に、そして少女からの依頼というのは珍しい。

 俺は少女の方に体を向ける。

 

「依頼の内容は『かぐや姫を殺してほしい』の。」

「え?何を…」

 

 少女からの予想だにしない依頼内容に、隣でお菓子を楽しんでいた美鈴は驚きの声を漏らす。

 

「理由は?」

「父に恥をかかせたから。」

 

 もしや、この娘は貴族の娘だろうか。見た目からは考えられなかったが、内容的にそうなのだろう。輝夜に無理難題を押し付けられて、諦めさせられた貴族の中の一人がこの少女の父だ。

 

「どうやって、恥をかかせられた?」

「かぐや姫に無理難題を求められた。父の難題は『蓬莱の玉の枝』だった。そんな難題は無理だから職人に造らせたの。持っていってこれで嫁にできると思ったときに、職人が押し掛けてきた。父は大きな恥を負った。」

 

 なんとも間抜けな話だ。

 

「それは、輝夜は悪くないな。」

「悪いだろ!あの女が無理難題を求めなければ、欲にまみれた要求をしたから、父は恥を負ったんだ!」

 

 なるほどな。何やら勘違いをしているらしい。少女はこちらを睨み、歯をガチガチさせている。

 俺は背筋を伸ばし、真剣な表情でその少女を見つめる。

 

「なぁ。」

「なんだ!」

「俺と結婚しよう。」

「…え?」

 

 瞬間、その一辺の時間が止まった。俺以外の…俺と芳香以外の3人はその言葉を理解するのに時間を十分にかけた。そして理解をすると、今度は少女の顔がだんだん赤くなってきた。予想通りに面白い反応だ。

 

「え、あ、いや…は!?」

「落ち着け。」

 

 前言撤回。予想以上の反応だった。

 

「まぁ、そう言うことだな。」

「どういうことですか!?」

「そうよ!ちゃんと説明して!?」

 

 過去一に動揺している二人を見て、流石に込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。

 

「皆、顔赤いぞー。タコみたーい」

 

 芳香の言葉には激しく同意をしておこう。

 俺は大きく笑いながらも少女に視線を戻し、伝えたいことを伝える。

 

「好きでもない男に結婚してくれなんて言われたら、断るだろう?」

「ま、まぁ…」

「だから、無理難題を押し付けた。結婚しない為にな。」

 

 少女はどうやら欲望から無理難題を押し付けたのだと勘違いをしているようだった。しかし、口だけでは理解してくれない可能性もあるため、こうして実践したのだ。半分は反応を見てみたいという俺の私益のためだが。

 

「…普通に断れば良かったじゃあないか。」

「貴族は無駄にプライドが高いからな。そのプライドを折らないと絶対諦めない訳さ。」

 

 少女は黙り込んではいるものの、何も言おうとしない辺り、納得してくれたのだろう。

 

「よって、依頼は承れない。」

「…うん。」

「一応、名前を聞いておこうか。」

「『藤原妹紅』だ。」

 

 藤原か。結構有名じゃあないか。輝夜もそんな貴族に、結構度胸があるもんだな。

 

「さて、さっきから気になっていることを聞いていいかな?」

「答えられるものなら。」

「貴族のあんたがそんな服装でこんな町中を歩いて、一体どうしたんだ?まさか、俺に依頼をする為とかじゃあないよな。」

 

 妹紅は、無言のまま後ろを振り返り、去っていった。彼女にとっての答えらる質問ではなかったようだ。

 俺は腰掛けている椅子に深く座り直し、お菓子を口に入れた。

 

「まぁ、今の話の限りじゃあ藤原の奴も悪い訳じゃあないな。どっちも悪くない。」

「それにしても、驚きましたよ。いきなり、結婚してくれなんて。」

「私、言われたことなんて一度もないのに。」

「お前には絶対言わない。」

 

 再び、よく見る光景に戻った。我ながら切り替えが早いと思う。そして、安定の芳香は無限の胃袋にお菓子を詰めていた。



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満月は光る Ⅴ 『開華』

 少し湿り気を持つ風に苦しませられながら、ある場所に向かう。花畑を見に来たのだ。どうやら妖怪が持つ花畑らしく、早めに暑くなったこの時期に満開の向日葵があると聞く。

 

「楽しみですね!」

「そだねー。」

「どこに行くか分かっていないのに肯定する。今日も、いつも通りの芳香ちゃんね。」

「それダメだろ。」

 

 暑い。太陽がサンサンと俺達を照らし、過剰に熱している。恨めしく太陽を睨もうと思ったが、生憎眩しいのでそれすらできない。

 そんな、下らないことを考える内に着いた花畑。

 

「綺麗…」

「そうだな。」

 

 美鈴はその花を見て、感動したのだろう。感想が口から溢れ出た。

 辺り一面向日葵に埋め尽くされている。どうやら、相当長い年月を生きている妖怪なのだろう。長く生きないと、ここまで多くの花を一人の妖力では管理できない。恐らく、大妖怪と言える存在だ。

 素直に感心していると、後ろから女性が俺に声をかける。

 

「あら、どなたですか?ここに来るなんて、珍しいわね。」

「ここの花畑を管理していると言う妖怪さんですか。綺麗ですねぇ。観光できたんですよ。」

「あらあら、こんな場所まで御足労頂いて。」

「いえいえ、ここの美しい花を見たら疲れなんか吹き飛びますよ。」

「フフフフ。」

「ハハハハ。」

 

 次の瞬間、女性と俺のの拳がぶつかり、その交わった拳を中心に衝撃波が向日葵を揺らした。

 なんの前触れもなく先頭が始まったことに対し、青娥は呆れ、美鈴は何が何だかわかっていないようだった。

 

「えぇ!?何処に喧嘩する場面があったんですか!?」

「ない。」

 

 口を揃えて、俺たちは否定した。

 

「私の名前は『風見幽香』。ヨロシクね。」

 

 幽香は上手く作りあげた笑顔で手を差し伸べる。ヨロシクされたくないのだが、今はどうでもいい。

 

「『神田零』だ。」

「フフフ…暦の上では夏ではないのに、もう夏の暑さになっている。花は太陽に左右されるの。人間や妖怪もね。」

「知ってる。思考が鈍るからな。」

「あなた、何しに来たの?」

 

 噂では聞いていた、恐ろしい妖怪だと。どうやら、彼女は人間にいいイメージを持っていないらしい。その目には憎悪や憤怒のそれを孕んでいた。

 

「貴方の首をはねて、都にさらしてやる!」

「……」

「死になさい!」

「フッ…」

 

 殴りかかってくる幽香を手で押し返し、その反動で背中を向けて歩く。幽香は訳がわからなく、俺を呼び止めようとする。

 

「な、何やってるの?私を殺しに来たんじゃ…」

「なんで殺さなきゃなんねぇの?」

「え?」

 

 俺は妖怪退治の依頼を請け負っていることで有名らしいのだ。そんな人間が目の前に現れたら、妖怪は自分を退治しに来たと考えてしまうだろう。

 

「俺らは、ただただ花を見に来ただけなんだ。」

「ふうん?久々に誰かと戦えると思ったのだけれど。」

「どうしても戦いたいのなら…『亜空間の原子』。」

 

 その瞬間、その場にいる俺以外の者の真下に、亜空間が開く。

 

「俺の連れと戦うんだな。」

 

____________________________________________

 

 地面らしきものが見えたため、タイミングよく受身を取る。すると私に続いて、神田零の連れが同じように降ってきた。

 

「イテテテ……なんで私たち何でしょう。」

「知らないわよ。」

 

 呑気に神田零の愚痴をこぼす目の前の奴らに、なんとも言えない苛立ちを感じる。

 

「…もういいわ、全員殺してやる。」

 

 まずは、あのずっと手をのばしている。弱そうな奴を殺そう。私は地面を蹴り、一瞬で移動して札を顔面に貼ったソイツの鳩尾を殴る。

 

「なにやっているんだー?」

 

 おかしい。変形しないどころかビクともしなかった。何者だ?彼女らに不気味な印象を抱き始める。

 

「言っとくけど、そこら辺の妖怪とは違うわよ。」

「あの人の弟子なんです。負けるわけにはいきませんのでね。」

「しぬのは、あなたかも。」

 

 お札女は、私の両腕を掴んで地面に叩きつける。先程までニコニコしていた彼女は、戦闘が始まった瞬間に別人のように変わった。



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満月は光る VI 『花畑』

 私としたことが、こんな頭が弱そうな娘に恐怖してしまうとは。しかし、この娘が人間ではないのは確かだ。なにせ、六割の攻撃を受け止めたのだから。

 他の二人も、恐らく人間ではないだろう。一人は妖力を感じる。一人は、何だろう。感じたことのない力の流れを感じる。

 考えても仕方がない、攻撃をするために一気に近付く。

 

「ちーかよーるなー!」

「断るわ。」

 

 私の振りかぶった拳と、お札女のただただその位置に置いただけの握り拳が交わった。しかし、ビクとしなかった。関節をずっと伸ばして居るはずなのに、一体これはどういうことだ? 

 私は拳を思い切り当てた筈なのに、あっちは何もしていないのに、こんなに硬いのは何故だ?

 私ほどの力はない。だが、得体の知れない力を持っている。 

 それに加え、何がなんでも腕や足の関節を曲げないのだ。なめてる。ハンデのつもりか。

 

「関節、曲げたらどうよ。」

「むりー。」

 

 何がなんでも曲げない気か。その生意気な態度に、だんだん苛ついてきた。久々に怒りに任せた拳を心臓の辺りに当てる。これで血の流れを変えて別の苦しみを与えようとしたのだが、それで気がついた。動いてない。心臓が動いていないのだ。妖怪でも心臓は動いているはず。死んでいるのに、生きている?どういうことだ?

 そんな思考をしている中、私の周りをうろちょろしている赤髪の女が鬱陶しい。攻撃をしてこないからいいものの、静かにできないのだろうか。

 

「貴女、何者よ?」

「芳香。」

「名前じゃない。」

「えと…忘れたぁ。」

 

 笑顔で、バカのような発言。私を完全になめてる。あまりの苛立ちを抑えるために深く溜め息を吐く。

 すると、後ろから気配。やっと攻撃してきたようだ。

 

「私達を!」

「忘れないで下さい!」

 

 囲まれながら顔面を狙ってきたため、私はしゃがむように下へ逃げた。その状態で足を崩そうと蹴ろうとするが、案の定跳んで避けた。そんなことを最初から知ってた私は彼女等の間で足を止め、能力を発動する。

 

「食らいなさい。私の植物の力を!」

 

 私は、自分の足が着いている地面から茨を出し、青髪の女と赤髪の女に巻き付くように攻撃する。これで動き回ることも出来ないはずだ。

 関節を曲げない娘は足をつかんで転ばす。

 

「うぬわぁー。」

 

 避けると思っていたのだがコケた。普通にコケた。

 

「案外楽だったわね。一度に全員を戦闘不能の状態にしたのだから。」

「いや、それはないですよ。」

「何?」

「私たちにだって能力はありますし。」

 

 茨に巻き付かれていながらも赤髪の女は強い目線でそう呟いた。そこから抜け出す能力があるのか。面白い。是非とも見せてもらい限りだが、今はこの舐めきっているお札女に目を向ける。すると、お札女は先程までの雰囲気や口調とは全く違う、別人のように変わっていた。

 

「終わらない。戦いは終わらない。何故なら、敗けてないから」

「…貴女はそうかもね。だって、関節を曲げればすぐ立てるもの。もう曲げたらいいんじゃあないかしら?それとも何、悔しいの?」

「まがらないのー。」

 

 また、先程の口調へと戻った。この女は人格が二つあるのか?いや、それよりも曲がらないとはなんだ?曲げたくても曲げられないということなのか。

 

「本当なの?」

「うん。」

「えぇ…」

 

 ずっと抱いていた怒りが馬鹿みたいだ。なんとも言えない複雑な感情が渦巻く。

 お札女は地面を腕で叩き、勢いで立ち上がる。運動神経も得体の知れない域にいるらしい。

 

「本当に何者よ。」

 

 頭が痛くなってきた。両極のこめかみを親指と中指で抑える。

 

「よっと、これでやっと動けますね。」

「え!?」

 

 背後から声が聞こえる。振り返るとそこには、茨で縛った筈の赤髪が居た。その奥を見れば、枯れた茨が在った。

 

「私は『気を使う力』があります。ですから、私の中の気を使って茨を枯らしました。」

「え、ズルい。そんなことできるのなら私の茨も外してよー。」

 

 私の植物を枯らしただと?私の可愛い子どもたちを、目の前の赤髪に殺された。

 殺意。生まれた物は殺意だ。殺してやる。

 

「貴女を殺すわ。」

「え、私単体!?」

 

 私は日傘を向けて、宣言をした。

 

「う~ん…ガンバ★。私のことは気にしないでね!」

「うぉおいい!?」

 

 私は、赤髪に向けた日傘からレーザーを放った。しかし、ソイツは逃げるでもなく、ただ深く呼吸をしていた。

 

「フーッ………ハァッ!」

 

 赤髪は私の放ったレーザーを殴った。跳ね返るはずがない。食い止められるはずもない。奇行を行った赤髪は、何をしているのだ。そう、嘲笑していた。しかし、それは予想と反した。

 跳ね返したのだ、レーザーを。

 

「気を拳に集中させ、跳ね返しました。」

「………チッ。」

 

 私は殺す気で戦っているのに…コイツらはずっとふざけている。赤髪が青髪の方に向けて跳ね返したのだ。

 

「あ、惜しい。」

「貴女…わざと私の方に跳ね返したわよね?」

「偶然です。」

 

 もう、限界が近い。

 

「ちゃんと戦え。」

「ちゃんと戦ってます。これでも、私は戦闘に誇りを持っている人でして。」

 

 どこがだ、戦っていない。

 

「いいえ、戦ってます。それじゃあ、おさらいをしましょう!」

「は?」

 

 いきなり、なにを言っているんだ。

 

「私は『気を使う力』を持っています。それにより、レーザーを跳ね返すことが出来ました。」

「一体何を…」

「一番最初に攻撃された芳香さんに興味を持ち、一切私達に見向きもしなかった。」

 

 こいつは何をしているのだ。気でも狂ったか?

 

「今思えば、不思議じゃありません?芳香さんと戦っている間にもっと早く三人で攻撃をできたはず。」

 

 確かに、不思議には思っていた。

 

「なのに私は、周りをグルグルまわっているだけ。」

 

 チラチラとは見えていた。

 

「それがなんだっていうの。」

「私も力を求めし旅人ですから、どこからどのような力の流れがあるか、分かるのですよ。例えば、この日傘から力の放出がなされることは何となく分かっていました。」

「だから、何を言っているの!?」

 

 我慢できない。私は日傘をもう一度赤髪に向ける。私も分かるのだ。彼女には、その気とやらを使う力を使い果たしてしまったことを。

 これで最後だ。しかし、赤髪は余裕の表情で話を続ける。

 

「もし、周りをまわっている時に『空間にレーザーを跳ね返す気だけを留めていたら』?」

「…?」

「そして、私が跳ね返したレーザーは青蛾さんに当てる為ではない。」

「…まさか!?」

「もう遅い。」

 

 振り返ると、一寸も離れていない所に私のレーザーが在った。そして、飲み込まれる。

 つまりだ。赤髪が、留めておいた気がレーザーを跳ね返しながら移動させていたのだ。赤髪はワザと私を怒らせ、日傘を使わせた。

 レーザーに焼かれた私はその場に倒れ込む。すると、どこから現れたのか、神田零が得意げな表情をしながら赤髪に近付いた。

 

「よく頑張ったな、美鈴。」

「え、えへへ……そうですかねぇ?」

 

 頭を撫でられ、赤髪はニヤけている。なんという屈辱なのだろう。

 

「すまんな、弟子達の実力を見たかったんだ。許してくれ。」

「許さないわ。だって、私の茨を枯らしたのだもの。許さない。」

「え?確かに枯らしましたけど…元に戻しましたよ?」

「…は?」

 

 茨があった方に目を向けると、綺麗な色をした茨しかなく、枯れた茨は見つからなかった。

 

「ど、どう言うこと?」

「気を使ったんですよ。気は、大きく分けると二種類に分けられます。『再生』と『破壊』です。」

「『再生』と…『破壊』?」

「茨を『破壊』させ、そのあとに『再生』をしました。」

 

 トコトン、訳の分からない力だ。

 

「まぁ、結局枯らしたことは事実だしな。謝るよ、すまなかった。」

「い、いや!師匠が謝らないで下さいよ!あ、あの本当に申し訳ありませんでした!」

「…ハァ、もういいわ。早く、ここから出してはくれないかしら?」

「いいぜ。」

 

 神田零が空間を手で切るような動作をすると、見慣れた向日葵が見える切り目が現れた。そこから出て、久しぶりの外の空気を吸うかのように、私は深呼吸をする。

 

「いい空気!あの空間吐き気がするのよ。」

「む、すまんな。」

「いいわよ、もう。なんか、いいわ。」

「なんだよ。」

「知らない。」

 

 この年一番内容がない会話をした気がした。ともあれ、やっと終わった。見ればもう夜になりかけていた。

 

「もう、今日は泊まりなさい。」

「良いのか?」

「ええ、いいわよ。さぁ、家はこっち。来なさい。」

 

 私はコイツらを許しはしない。けど、何となく、コイツらは醜いドロドロとした人間味がないのだろうと感ぜられた。

 きっと、酷く疲れた表情をしているだろうが、気分は少し晴れていた。



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満月は光る Ⅶ 『満月』

 時は来た。月は満ち、夜は闇。見えるのは幾つもの行灯からの火。風はなく、辺りには弓矢を持った兵士や輝夜の部屋を護る兵士が居る。輝夜は渡さんと、輝夜の養父である讃岐造(さぬきのみやつこ)と、同じく養母の(おうな)は固い表情を浮かべていた。

 

「必ず返り討ちじゃ。月になど行かせん。」

「良いかい。ここから出るんじゃないよ。」

「…はい。」

 

 造と嫗は、にっこり笑うとそこから出ていった。1人ぽつんと部屋に残された私は、ただ静かに座っていた。

 

「来るかな。零と、永琳。」

 

 帝を色目で騙し、富士の山に不死の薬を授けるという体で処理したのだが、月人からそれを察せられないかが重要だ。

 

「来たぞッ!」

 

 外で待機している兵士の怒声にも似た呼びかけが聞こえた。ついに始まってしまったと、抑えていた恐怖が一気に押し寄せ、私は体を縮めて泣きそうな顔を隠すように埋めた。

 

____________________________________________

 

「射てぇッ!」

 

 先頭にいる兵士の言葉を切っ掛けに、雨のような矢が上向きに射たれる。だが、それは効かない。月の兎の妙な波長により兵士たちは気絶するように次々と倒れていく。

 

「良いぞレイセン。もっとやるんだ。」

「はい。」

 

 月の兎の赤い瞳により、ほぼ全ての兵士は倒れる。それに焦るように讃岐造は叫び始める。

 

「おい、お前ら、起きろ!目を覚ませ!」

 

 しかし、その声に応じる兵士はとうとういなくなる。すると、後ろの戸が開いた。開けたのは、輝夜だった。

 

「かぐや!?部屋から出てはなりません!」

「体が勝手に動くんです…」

 

 輝夜は苦い表情をしながら、迎えに来た月読命のところまで行った。その後ろには、永琳がいた。

 月読は咳払いして、輝夜を馬鹿にするようにニヤつきながら話しかける。

 

「これでわかったろう、汝の罪の重さを。穢れというのは辛いだろう?」

「…いいえ。」

「なに?」

 

 月読命の予想できなかった応えに、眉を顰める。そんな月読に、輝夜は許し難い理由を言い放った。

 

「地上よりもっと穢れているあなたの心が有る限り、ここは楽しい。」

「なんだと?我を侮辱しようというのか!」

 

 怒りに、顔を真っ赤にして歪ませている。しかし、なにかを思い出したかのように落ち着く。

 

「まぁ、いい。帰ったら人体実験をするつもりだ。お前を使ってな。」

「それが穢れた心だと言っているのです。」

「チッ。」

 

 月読は、腹立たせて輝夜を睨んでいた。反して、輝夜は目を閉じ、そこに正座し、なにか余裕を持っていた。いや、余裕を持っているような態度をしながら押しつぶされるような不安に耐えているのだろう。

 その後ろで、讃岐造が月読に向かって叫ぶ。

 

「輝夜を返せ!」

「返せ?逆だろう。返してもらうのはこっちだ。よし、見えた。今までずっと送っていた宝石や宝が欲しいからそう言っているのだろう?分かった分かった。これからも送ろう。」

 

 その言葉に、讃岐造は何も言わなくなった。それを見た嫗は居ても立ってもいられずに、月読に頭を下げて懇願する。

 

「輝夜を返して下さい。お願いします、私の娘なのです…」

「娘?フフ…貴女のではないですよ。血が繋がってないのになにを言っているのです?」

「血は繋がってない。そうです。ですが、それでも家族です。」

「お母様…」

 

 嫗のそんな娘想いの美しい姿を、月読は嘲笑うように見下す。

 

「フッ、くだらない。さあ、行こう。永琳よ。…永琳?」

 

 永琳は、そこに立ったまま、俯いて何もしなかった。どうやら、永琳は行動を移そうとしているらしい。月読が永琳に気を取られている今が、その時だ。

 

「うぐッ!?」

 

 一匹の兎が苦しんだ。それを最初に、ある程度雑魚の者はどんどん苦しむ。何故、雑魚だけか。水の弓矢が文字通り雨のように飛んできたからだ。強いものは回避した。

 

「なんだこれは……?」

 

 百も居た兎は、一羽しか立っていない。その他に強者が二人と、月読と永琳、輝夜の三人の計六人だけが残った。

レイセンと呼ばれた者。

 

「やあ、輝夜。この前に会ったきりだったな。」

 

 俺の出番だ。後ろに青娥立ちを引連れて、俺らは奴らの目の前に立った。

 

「お、お前は…神田零か。」

「え…?」

 

 月読が呟いたその名を聞いた周りの者たちは驚いた。なにせ、死んだと思われた人物がノコノコと水の弓矢を挨拶がわりに射ってきたのだから。

 

「噂は本当だったとは…神田零よ。私と来ないか?君は良い戦力になる。」

「断るよ。なにせ、この地より穢れた心のあんたに従うのは、地獄の他ない。」

「なんだと?」

「もしかして、輝夜がさっき言い放った言葉は挑発だと思ったのか?違う、本心さ。」

 

 明らかに顔を赤くして、睨む月読命。神々は無駄にプライドが高いから扱い易い。

 

「永琳…やれ。」

「……」

 

 永琳は持っていた弓矢を、敵に向けた。そして、射った。()()()()()のだ。

 

「何を…している?」

「私は、敵に矢を射っただけです。」

 

 月読は、永琳が射った矢を空中で掴んでいる。永琳は恋人を選んだ。

 

「久しぶり、永琳。」

「久しぶりね…零。」

 

 永琳は涙を浮かべていた。安心したように、笑っていた。そうか、永琳だけは俺が生きていると信じてくれていたのか。彼女のみは驚かず、こうやって笑っていた。

 しかし、月読は空気は読まずに剣を永琳の首元に向けた。

 

「貴様、私を裏切って生きていられると思うなよッ!」

「五月蝿い。」

「なッ!?ぐふッ!?」

 

 俺は『瞬間移動』で奴の背後に周り、背中から青く輝く右手を腹部に貫通させる。

 

「生きるよ。なんとしてもな。愛した者と一緒に生きる。」

「ふ……ざけ…る……なよ…!」

「いいえ、ふざけてなどおりません。貴方が邪魔だから、貴方を殺します。」

 

 月読はその場に倒れる。圧倒的の強さを誇っていた月読が、呆気なく負けた。その姿に、一拍置いて弓矢を避けた強者二人がハッとして駆け寄る。

 

「月読様!」

「大丈夫さ、神は信仰が有る限り死なない。」

 

 俺は亜空間を開け、永琳と輝夜を連れて、移動しようとする。

 

「待て。」

 

 二人の女性が、俺を呼び止めた。

 

「なんだ?」

「私達と勝負をしなさい。」

 

 その二人それぞれ刀と扇子を構えている。その姿に、永琳は静かに辞めるように促す。

 

「依姫、もういいわよ。貴女に教えることはなにもないわ。」

 

 しかし、依姫と呼ばれた女性は、剣を仕舞うことはしなかった。俺をジッと見据えている。

 

「皆、先に行っててくれ。」

「ですが、零さん…」

「久しぶりに動きたい。月読が呆気無さ過ぎてつまらなかった。」

 

 その言葉に、永琳は思わず笑う。

 

「フフ…後で、今までの話を聞かせてね。」

「いいぜ、じゃあまた後でだ。」

 

 亜空間を閉じた。

 

「我が名は『綿月依姫』ッ!」

「我が名は『綿月豊姫』。」

「え、あ、『レイセン』です!」

「神田零だ。」

 

 そう言うと、三人は構えた。



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満月は光る Ⅷ 『儚月』

 永琳の部下らしき豊姫と依姫、そして俺の『水威矢』を唯一避けることが出来た月の兎のレイセンに戦闘を申し込まれた。永琳の影響があるのか、豊姫と依姫は敵対とは違い、尊敬のような眼差しがあってこそばゆい。

 

「それにしても、月の民の科学は着々と進化しているようだな。」

「はい、神田様が居なかったらここまでは進んでいなかったはずです。」

「神田様は、止めてくれないか?」

「え、ですが…」

「やりにくいんだよ。」

 

 豊姫と依姫は、少し考えてから顔をこちらに向けた。

 

「断ります。」

「同じく。」

「えぇ、なんで?」

 

 予想に反する反応に戸惑いが隠せない。しかし、本人たちもどうやら真剣に応えているようで、あまり無闇に否定的な態度は取れない。

 

「私達は、あなたに憧れて部隊に入ったのです。」

「目指す人物に無礼があってはなりませんわ。」

「……やれやれ。」

 

 永琳の部下にしては堅すぎる。仮にも月の神である月読を倒した敵なのだが、この態度を見るに月の神は月の住人に慕われていなかったらしい。

 

「俺は、月読を倒して、永琳を拐って、堂々と悪人役になった俺を憧れているのか?」

「はい。」

 

 なんの迷いもなく、二人は頷いた。後ろで微妙な顔をしている兎の彼女が、本来正解だろう。仲間を大量に倒されたされたからな。

 

「じゃあ、目指されている者として、アドバイスをやろう。」

 

 その言葉に二人は、顔をパァっと輝かせた。幸い、師匠のような態度になるのはもう慣れている。

 

「はい!」

 

 心地よい返事には感心する。

 

「君はどうする。」

「え…あ、はい。」

 

 自分よりも位の高い豊姫と依姫がノリ気な手前、拒絶できないのだろう。気をつかって訊いたのは失敗だったかもしれない。レイセンに心の中で謝る。

 さて、少し目的とズレたが、アドバイスも兼ねての戦闘だったら良いだろう。

 

「取り合えず、来い。攻撃をしろ。お前達の実力を見る。」

 

 三人はそれぞれ違う構え方をする。最初に攻撃は、依姫だ。しかし、彼女は刀を地面に突き刺すという不思議な行動をとった。

 

「…?」

「『祇園様の力』。」

 

 刹那、俺の周囲には無数の刀が地面から生え、鋭い刃がこちらを向いた。

 

「なるほど。下手には動けんな。」

「よし。」

「だがしかし…」

 

 俺はその無数の刃に構わず前に進む。依姫は慌てながら俺に静止するよう呼びかける。

 

「う、動いてはなりません!」

 

 刃がこちらを刺そうとしてくる。しかし、瞬間で右手に硬く青いモノを生やし、それを全身に纏った。

 

「これは…!?」

 

 刃を弾いたのだ。

 

「まぁ、地上の人達からすりゃ人溜まりもない。だが、硬化系の妖怪等だったら効かない。いや、技名から察するに、祇園の力を借りているから効かないこともないだろうが、望ましい結果はないだろうな。」

 

 依姫は目を大きく開かせて、驚いている。開いた口が塞がらないという表現にピッタリな表情だ。

 

「考えろ、どう倒すかをな。」

 

 依姫はハッとして、俺の言葉から思考を巡らす。暫くの時間をかけ、やっと口を開いた。

 

「柔らかい部分を、刺す?」

「そうだ。たぶん共通して柔らかいのは目だ。」

「目、ですか。」

「目には水分がたくさんある。柔らかいはずだ。」

 

 全身の青いモノを、一瞬で消した。

 

「あらゆる攻撃にも言えるものだが、相手の弱点を狙う事が重要だ。と言ってもどうすりゃいいか分からないだろう。だったら、『弱者に共通するモノを探せ』。」

 

 依姫は納得したような表情をして、静かにおれに礼をする。そして豊姫に譲るようにその場から退いた。

 豊姫が前に出ると、静かに扇子を広げて空を扇いだ。

 

「お願いします。」

 

 武器が、扇子?珍しいその武器に興味が湧き、注意深くそれを観察する。一体どのような攻撃を仕掛けてくるのだろうか。

 すると、豊姫の武器に、依姫は慌てるような表情を見せる。

 

「お姉様!?」

「私は、信じているからこそ、やるのです。『消えたら』それまでの人だった。」

「…?」

 

 なにをやる気なのだろつかと考えていると、瞬間的に距離を詰めて、俺に扇子の風をあびせた。

 

「…残念です。」

「……」

 

 神田零が、その場から消えた。

 

「この扇子は森を素粒子レベルに浄化させることもできる。貴方を浄化させました。」

 

 失望感。それしかないだろう。失望感と言うのは残酷なもので、人の向上心の華を削ぎ落とす。だがもし、華を削ぎ落としたフリをしていて、それを本人達が知ったら、華はさっきよりももっと成長するだろう。

 

「つまり、こういうことだ。」

「…参りました。」

 

 何があったか、順を追って説明しよう。

 まず、扇子を観察していくとそれの特徴が見えたのだ。そもそも広げた時点で風は起こる。空気中の水蒸気がH(水素)O(酸素)に分解及び浄化したのを感じた。その時点で、もう俺の勝ちは決定した。そして、彼女達の華を成長させる機会になる。

 何故、俺が消えたか。『遠隔操作』を使って水蒸気を纏ったのだ。水蒸気を纏い、光の反射で消えたように見せた。ただそれだけ。

 そして、彼女の首元に青い右手を向けている。

 

「そういうことでしたか。」

「そう。君は扇子の扱いを注意した方がいい。ただでさえ珍しい武器なのだから、馬鹿じゃない限り警戒するぞ。とは言え、空気中の水蒸気が浄化するのを感じれるのなんて、俺以外居ないがな。」

 

 二人はなかなか強い。俺は右手を下ろし、豊姫の拘束を解く。豊姫は満足気な表情で礼をした。

 最後にレイセンだ。レイセンは前に出るや否や、いきなり攻撃を仕掛けてきた。とは言っても、その攻撃というのはその赤い瞳による狂気の波長。

 

「…クッ!?」

 

 酷い目眩。酷い吐き気。酷い怠さ。

 全てが俺を襲う。この感覚は、ユーベ=ナイトバグの能力に似てた。

 

「レ、レイセンッ!止めなさい!私達にまで…」

「…仲間の仇だ。」

 

 やはりか。仲間を殺されたと勘違いしているらしい。レイセンは、俺に人差し指を向ける。そして、その指から何かを放つ。

 

「うぐッ!?」

 

 それは、俺の心臓を貫いていた。

 なんだこの感覚は?もしかしたら、俺の弱点なのかもしれない。この、吐き気のする感覚。トラウマのような、何かが俺を襲う。

 

お前を許さない 必ずだ

 

 なんだ、この、見たことのない光景は?

 頭痛が酷い。寒い。意識の朦朧とした中、女性が見えた。それは、豊姫でも依姫もでレイセンでもなく、ましてや、知った顔ではない。だが、どこかで見た顔。

 あぁ、蛆虫が穴という穴、毛穴からも湧いて出てくる。全身を蝕んでいる。

 なにか、女性は喋っている。生憎、読唇術はない。ただ、何となく言っていることは分かる。俺は…

人間じゃあないと言われている

 いつの間にか吐き気もなく、頭痛もなく、心臓には穴も空いていない。レイセンが狂気の瞳から恐怖の瞳へと変わっていた。俺に対する恐怖だろう。

 

「……フフフ。」

「神田…様?」

 

 思わず笑ってしまう。何かも分からない女性から人間じゃないと言われただけ、にも拘らずこの悪寒と絶望はなんだ?

 薄々は気付いていた。脳を100%使う?馬鹿馬鹿しい。そんなわけない。俺は誰だ?俺は誰だ?おれはだれだ?オレハダレダ?俺波誰打?俺ハ誰ダ?

おれ スペース エンター は エンター だれ スペース エンター だ エンター はてな スペース スペース エンター

俺は誰だ?

orehadareda?

エラー エラー エラー

 

____________________________________________

 

「私の敗けです。やっぱり御強いですね。」

 

 俺は一体何をしていた?気付けば俺はレイセンに跨って殴り掛かるような姿勢をとっていた。俺は慌ててその身体を退ける。

 

「神田様が怒るのも無理ないわ。反省しなさい。幾ら仲間の仇とはいえ。」

「いや、俺も悪かった。無慈悲に君の仲間を攻撃してしまって。」

 

 ダメだ。いくら脳を巡らせても分からない。記憶が飛んでいる。

 

「まぁ、兎たちは死んでないがな。」

「え!?」

「水の衝撃で気絶させただけさ。時期に目も覚める。」

 

 須佐之男の時のような威力は、流石にここでは出さない。仮にも永琳が世話になった者たちだ。

 

「なんだぁ…なら最初からいってくださいよぉ~。」

「うむ、すまないな。」

 

 予想外のことがあったが、無事に終わった。久しぶりに面白い戦闘ができた気がした。

 しかし、レイセンの幻覚で見たあの女性は一体何だったのだろうか。見たことは無いはずなのだが、なぜだか知っているような気がしてならない。今は、考えても分からないだろうが。

 

「そろそろ、俺は永琳に会いに行く。じゃあな、また会うことがあればその時はよろしくな。」

「はい、ありがとうございました!」

 

 俺は、亜空間を開き三人に、永琳のいる場所へと向かった。



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満月は光る Ⅸ 『月見』

 亜空間から出ると、そこは都の外だった。夜風は強くなく、弱々しい。ゆったりと靡く花に、青い蝶々が蜜を吸っている。

 月明かりに照らされた八意永琳は、俺を見つめて嬉しそうな表情で、目から溢す。

 

「久しぶりね…本当に。」

「あぁ、久しぶりだな。」

 

 別れ時とは違った涙が頬を伝っている彼女に対し、俺は微笑む。近付き、彼女を思いっきり抱き締めた。強く、もっと強く。

 

「……ごめんなさい。ごめんなさい…!」

「何で謝ってんのさ?君はなにも悪くない。」

 

 多分、別れた時の事を言っているのだろう。彼女は悪くないというのに。俺だって、何か方法はあったはず。なのに、あんな自ら死を覚悟して行うような方法を選んだ。俺こそ、悪い。

 

「永琳…会えて良かった。君に会えて、こんなに嬉しかったことしかない。なのに今まで、悲しい思いをさせてしまった。」

「ち、違う。確かに、悲しかったけど…でもそれは、私達を守ってくれたから。」

 

 あぁ、こんな俺を思ってくれていたのに、どうして悲しませてしまったのだろう。

 胸が痛い。苦しみを感じる。だが同時に、長年味わえなかった温かみを感じる。香りを感じる。肌の触れ合いを感じる。

 

「零…」

 

 彼女は目を瞑り、唇をこちらに向けている。薄紅色に潤ったその唇を、向けている。俺はその柔らかいであろう魅力から耐え、永琳の頬を触れる。

 

「今はダメだ。」

「え…」

「あいつらがいる。」

 

 木の影に目をやる。隠れているつもりか、団子のように重なった複数の顔がこちらを見ている。

 

「良いわよ。なんなら、見せつけましょ。」

「…フフ、変わらないな。そうだな、こんなに祝うべき日に、人目を気にしちゃ味気ない。」

 

 永琳は再び目を閉じた。美しい顔立ちに、俺は惚れる。いや、昔から惚れている。

 俺は、そのまま唇と唇を重ねた。熱く、熱く重ねた唇は、懐かしい。暫く、その甘くふわふわとした果肉を味わい、そしてゆっくりと離してその煌めき艶かしい瞳を見つめる。

 愛おしく、俺は彼女の頭に手を置いて優しく撫でる。まるで猫のように目を閉じてその心地良さを感じている永琳に、我慢できずに抱きしめた。

 

「追っ手が来てもいいように、隠れるように住んだ方がいい。」

「貴方は?一緒に暮らしましょう。」

「…ある程度一緒にいることはできる。だが何故か追われているんだ、俺も。」

「そんな…」

「安心しろ。定期的に帰ってくる。」

 

 腕の中に永琳の香りを感じながら、『ナビゲーター』で人が入りにくい、そして見つかりにくい場所を探す。するとすぐに見つかった。竹林だ。広範囲の竹林、あまり整っていないことから所有者はいないと思われる。

 抱きしめた力を緩め、その代わり永琳の手を握る。永琳はその手に微笑んだ。

 

「おい、お前ら。こっちこい。」

「き、気付いてたんですか。」

「その上で見せてたのね…」

 

 覗き魔どもを呼ぶとなんとも複雑そうな表情で木の影から出てきた。

 

「永琳があんなに笑ったの久しぶりに見たわ。」

「いいな~。」

 

 芳香のそれはどういうことだ。

 

「お花の蜜の味が分かってて。」

 

 蝶々の話かよ。いつまでもマイペースな芳香に、思わず笑ってしまう。

 永琳はというと、腰に手を当て胸を張り、俺の旅仲間に満面の笑みで話しかけていた。

 

「羨ましいでしょ。」

「全くよ!」

 

 初めまして、となるはずの青娥に対して、その自慢の仕方は流石と言える。青娥も青娥でわざとらしく悔しそうに振舞っている。コイツらは仲良くなれそうだな。

 

「落ち着け。取り合えず…俺に掴まれ。移動するぞ、」

「はーい、分かりました。」

 

 美鈴、青蛾、芳香は直ぐに俺に掴まった。永琳も思い出したかのように、せっせと近付いてきて俺の腕に抱きついた。対して、輝夜はポカンとしてる。

 

「輝夜、俺を掴め。最初にあった時のこと思い出せ。どうやって俺たちは屋敷から帰って行った?」

 

 その言葉に、輝夜はやっと思い出したようで、俺の袖を掴んだ。準備は出来た。

 それにしても、永琳め。胸を当てやがって。分かってやっている。いや、青蛾は対抗しなくていい。

 

「絶体離すなよ。『瞬間移動』。」

 

 刹那、空間が歪み、世界の色が流動的に混ざり合う。暫く、その景色に耐えていると、逆再生のように動き出し、歪みが直るとそこは竹林の中だった。

 

「よし、着いた。」

「うおぉ…これが月の英雄の力…」

「その名称はやめてくれ。」

 

 数え切れない程の竹がいい加減に並び、自然の美しさに心が和む。ここに、永琳たちの家を建てるとしよう。

 俺は亜空間から木材や瓦を取り出す。集中するように深呼吸をする。手を合し、精神統一。『遠隔操作』で家を建築し、同じく『遠隔操作』やその他の能力の応用で足りない素材を地球の元素をかき集めて生成する。

 

「『創造』。」

 

 ものの数秒で、竹林に紛れる雅を感じる家が建った。

 

「すごい…」

「だろ?」

 

 輝夜が感動しているのを見て、素直に嬉しく思う。俺達はそのまま家に入る。中の家具なども問題なく創造できている。

 

____________________________________________

 

 一先ず、厄介なことは終わったということで、酒を飲む程の元気もなく、そのまま寝ることとした。

 部屋も布団も人数分揃っている。美鈴と輝夜。青蛾と芳香。俺と永琳がそれぞれ同じ部屋で寝ることとなった。

 俺は永琳と一緒に窓から満月を見上げていた。

 

「月が輝いている。」

「えぇ、そうね。」

 

 静かな夜。こんな夜に無粋かもしれないが、懸念していることを永琳に問う。

 

「この星に住むことになって、良かったのか?この星は穢れている。寿命というのが付いてまわるぞ。」

「そう、ね。話さなくてはならないことがあるわ。聴いてくれる?」

 

 俺はその問いかけに頷く。永琳は月を見上げたまま、話を続けた。

 

「私が、不死の薬を創った理由なのだけれど、貴方に会うためなの。」

「俺に…?」

「この星に降りてしまえば、長くは生きられない。でも、不死の薬を飲めば、あなたと暮らしていける。それに、禁忌の薬は創るも飲むも大罪。私は地上に堕とされるであろうと、確信していた。」

 

 罰を利用して、この地球に帰ろうとしていたのか。そこまでして、俺に会おうとしていた。しかし、輝夜はどういうことなのだろうか。その疑問に、永琳は分かっているかのように応えてくれた。

 

「でも、私の月の都への影響は予想を遥かに超えるほど大きかった。月読は私の罪を姫様に擦り付け、その薬も姫様に飲ませた。」

「その結果、罰は輝夜が?」

 

 永琳は苦い表現で頷く。輝夜のそれは本意ではなかったのだろう。俺は彼女を抱き寄せ、その手で頭を撫でる。

 

「フフ、ありがとう。でも、姫様が巻き込まれたのは、許されることでは無いわ。」

「そうか。なら、この先ずっと輝夜の世話をしていけばいい。それが永琳の償いだ。許されないなら、そのまま償い続けるしかない。」

「…酷ね。」

 

 その言葉とは裏腹に、永琳は頬を緩ませて俺の肩に頭を預けていた。

 

「さっきの質問だけど、つまり私も不老不死となったから、死ぬことは無い。貴方を永遠と愛せるわ。」

「そりゃ最高に幸せだな。今まで会えなかった分、いや、その何億倍も愛するよ。」

 

 俺は額にキスをする。すると、永琳は顔を赤くしながら目線を逸らして俺の指と自身の指を絡ませる。

 

「その…今日ってどうする?」

「…どうするって?」

「分かってるくせに。その、久しぶりにあった訳じゃない?だから…ね?」

 

 恥ずかしかって更に顔を赤くしている。可愛い。

 

「今日は熱くなりそうだな。」

「……」

「なぁ、永琳。」

「なぁに?」

 

 俺は永琳の服を軽く脱がす。肩が露呈し、胸の谷間に月明かりの影が落ちる。白い玉のように美しい肌に触れると永琳は体をビクつかせた。

 やっと会えたんだ。愛する者に。俺は胸の高鳴りを抑え、息が少し荒くなった熱っぽい永琳に、俺が表現できる精一杯の愛情を言葉で伝える。

 

「月が綺麗だな。」



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玉の緒の刀
玉の緒の刀 Ⅰ 『天狗』


 小鳥の声が聞こえる。木々の声も聞こえる。それに相反して遠くから聞こえる、さざめいた笑い声達。人がいるのか、それとも妖怪か。

 俺達は今、山にいる。旅には迷うことが多い。いや、『ナビゲーター』を使えばいいのだが、このように迷うと強き者共と出会うことが多い。だから、声のする方へと進む。

 

「近くですね。」

「うむ、約一里程だろうな。」

 

 後ろの青蛾は疲れ果てたような顔をしているが、関係なしに進む。暫く休憩はとっていない。あるのは、睡眠だけだ。

 ある程度歩いていくと、その気配が近くなってきた。この気配は妖怪だろう。どうやらあちらも俺たちの存在に気が付いているらしい。

 

「待て、そこの旅人。」

 

 声の方に目を向けると、顰めっ面な烏天狗が、木の枝の上に立っていた。

 

「何だ?」

「ここは通してはやれん。引き返せ。」

 

 そうもいかない。空は赤く染っており、今引き返せば青娥の足は石と化してしまうだろう。流石に休ませてやりたい。

 

「もう、日も傾いてきている。泊まらせてはくれないだろうか。」

「…待っていろ。」

 

 その烏天狗は、指笛をならし烏を呼ぶ。その烏になにかを呟いて、放した。飛んだ方向は先程から声のする方。

 

「確認をしている。暫し待っておれ。」

「休憩!?足を休めて良いの!?」

「あぁ、良いぞ。」

「ヤッタァァァ!」

 

 諸手を上に広げ、最高の笑顔で叫ぶ。不覚にも可愛いと思った。俺や美鈴も適当な石の上に座り、芳香は足を伸ばして地面に座った。

 時は経ち、先程の烏が戻ってきた。その烏は手紙を口に加えていた。その手紙を天狗が読み、暫くすると俺たちの方を見た。表情は相変わらずの顰めっ面だ。

 

「入れ。許可を得た。この紙を持っていろ許可証の代わりだ。」

「礼を言う。」

「その代わり、鞍馬様に会いに行け。貴様に話があるらしい。」

「俺にか?その鞍馬って奴がか。」

「鞍馬様は、貴様らが来るのを予知していたらしい。」

「予知だと?」

 

 何やら面白そうじゃあないか。予知の能力は俺も持ち合わせていないため、実に興味深い。会って色々と話してみたいものだ。

 それに、天狗も中々強いはず。美鈴の練習相手になるかもしれん。

 

「ふむ、分かった。行こう。」

 

 俺たちが腰を持ち上げ、その声の方向へと進む。

 

____________________________________________

 

 辿り着いたそこは、天狗の住まう小さな都のような場所で、その建築法や食べ物から見るに独自の文化が根ずいているようだ。

 その中心まで歩くと大きな寺が鎮座しており、厳かな雰囲気に感動を覚える。案内をしてくれた烏天狗が寺の入口の前で止まり、中にいる誰かに向かって声を張る。

 

「鞍馬様、例の旅人が。」

「入れ。」

 

 戸が開く。すると見えたのは、妖力の豊富な天狗、幼くあどけない少女の烏天狗、明らかな殺気を放つ青年がいた。その青年はどうやら人間のよう。

 

「よう来たのう。ワシャ鞍馬と言う。まぁ、とりあえず座れ。」

「俺になにか用があるのか?」

 

 促された畳の上に座り、彼に目的を問う。

 

「お主、神田零じゃろ?」

「そうだ。門番が言うに、予知をしていたそうだな?」

「カッカッカ、本当に来るとは思うておらんかったがな。」

 

 鞍馬は心底愉快そうに笑う。部屋に色々な感情が入り乱れ、なんとも混沌とした空間だ。思わず苦笑いしてしまう。

 

「おっと、そうじゃ。気付いてはいるじゃろうが、この『牛若丸』は人間じゃ。」

「あぁ、知っている。」

 

 しかし、どうやら他の三人は気が付かなかったようで、驚いたような表情を各々見せる。

 

「え、そうなんですか!?」

「カッカッカ、嬢ちゃん妖怪じゃろう?人間の区別はできんと、後先大変ぞぉ。」

「いえ、彼の殺気が人間独特の気を掻き消しているので、てっきり…」

 

 そう、強い殺気。常人じゃあ、気絶するほどだ。何故彼がここまで俺たちに向けて殺気を向けているのかは、まるで分からないが、面倒なのであまり触れずにいよう。

 

「え、じゃあ彼女は…」

 

 メイリンが目を向けたのは、牛若丸のとは反対側に座る少女の烏天狗。先程から何か緊張をしているようだが、一体どうしたのだろう。

 

「『射命丸文』。烏天狗です…」

「コラ、もっと愛想よくせんか。」

 

 叱るべきなのはその逆側にいる牛若丸だと思うのは俺だけか。

 それにしても、この烏天狗はまだ幼いと思うのだが、それにしては妖力の量は比較的多いように思える。

 

「…君、相当強いな。」

「ッ!」

 

 俺の呟きに、少女は笑った。しかし、それに気付いたのか、恥ずかしそうに顔を片手で隠す。

 

「お主の言う通り、射命丸は中々強い。力じゃあ負けんが、速さはワシ以上じゃ。」

「フフ、顔が子の自慢をする親のようだ。」

「ン、すまぬ。」

 

 牛若丸の鋭い眼差しのおかげで敵対されていると思っていたが、どうやらこの雰囲気を見るにそうでも無いらしい。恐らく、鞍馬もそれを示すために自己紹介を兼ねた雑談をしてくれたのだろう。だか、それも十分だろう。

 

「それで、本題に入ろうか。」

「うむ、そうじゃな。」

 

 気になる点は幾つかある。

 

「まず、俺は何故ここへ呼ばれたのか、教えてくれるか。」

 

 鞍馬は愉快そうな笑顔からは一変し、真剣な表情で俺を真っ直ぐに見つめた。

 

「そうじゃな。お主には頼みたいことがある。」

「なんだ?」

 

 鞍馬は改まって、少し崩れていた座り方を直し、その手を膝の上に置いた。その姿勢に、俺の背筋も伸びる。

 

「『ワシのフリ』をしてくれぬか?」

「…あんたの『フリ』?」

「そうじゃ。ワシらの山は、見ての通り天狗が仕切っておる。じゃが、先日に大江山から手紙が届いてのう。」

 

 大江山。確か、鬼の住まう山だ。詰まり、鬼から天狗の所に手紙が届いたと言うことか。あまり穏やかでは無いような雰囲気だ。

 

「その内容は、領土の引き渡しの交渉じゃった。二週間後に直接交渉しに来るそうじゃ。」

 

 やはり、その手紙の内容はあまり楽観出来るものではなかった。鬼と天狗の力の差を考えると、それは脅しの様に捉えられる。

 

「ワシでも、鬼には勝てのじゃ。じゃがお主。お主は、神をも倒す旅人じゃろう?情けないのは分かっておるが、どうか聞いてはくれんか。」

 

 ここで断る理由は無い。悪い言い方になるが、天狗に恩を売ることもできるし、妖怪の中でも名が高い鬼に勝てばより世渡りに融通が効く。

 それに、単純に鬼と戦ったことがなかった。一度手合わせ願いたいと思っていた所だ。

 

「いいぜ。」

 

 この楽しみが腹の底から込み上げてくる感覚は、いつまで経っても好きだ。俺はここ最近で1番口角が上がっているだろうと自覚する。

 

「次の質問だ。何故、俺らがここへ来ると分かっていた?」

「うむ…」

 

 これが一番の気になる点だ。『予知』のような能力を持ち合わせているのなら、実に興味深いのだが、鞍馬のこの質問へのリアクションは、どうやらそんなに単純なものではないようだ。

 

「鬼からの手紙を貰った日の夜、ワシは夢を見た。」

「夢を?」

「暗く、薄気味悪い場所にポツンと…老妖怪のワシが立っていた。寿命かと思ったわい。じゃが、どこか違う。頭を整理している時に、いきなり記憶が入り込んできたのじゃ。否、お主の顔が、頭の中に出てきたのじゃ。」

 

 つまり、予知夢と言うやつか。あまり期待していたような返しではなかったが、実際に俺たちはこうして訪れたのだ。何か因果はあるだろう。

 しかし、何かが引っかかる。

 

「…この顔は見たことがある。確か、生きる伝説と言われた男『神田零』じゃ。そう、理解した。じゃが不思議じゃった。何故、お主の顔が出てきたのか。すると後ろから、女の声がしたんじゃ。『神田零は貴方を救いにやって来る』とな。」

「おい、それもしかして!?」

 

 あまりにも聞き覚えのある話。そして、記憶の中にある経験と酷似していた。俺は固唾を飲んで、口を開く。

 

「…その夢、目の前に大きな岩があったか?」

「なんじゃと!?やはり、偶然ではなかったか!ああ、有ったぞ。」

「なんてことだ…」

 

 時折見える、あの女は一体誰なんだ。まるで呪いのように付きまとわれているような、悪寒が走る。

 

「いや、気にしないでくれ。」

「そうか…一先ず、引き受けてくれたこと、感謝いたす。」

「…堅苦しい爺さんだ。」

「お主は気楽すぎるジジイじゃろうて。」

 

 今まで生きてきて初めての返しに、思わず笑ってしまった。見た目の若さもあって、そのように言われたことは無かった。後ろの青娥も笑っているため、後でお仕置をするとしよう。

 すると、若手と思われる烏天狗が中に入ってきた。手には盃が二つ。なるほど、雰囲気といい、タイミングといい、実に良い待遇だ。

 

「呑もう、零よ。これは、仲間の印じゃ。」

「そうだな。」

 

 その透き通る黄金色に輝く日本酒を、互いに互いの酒を酌み、腕を組み合いながらその方の手で呑む。喉の奥がカッと開く感覚が、なんとも美味しい。

 飲み干した頃には、お互い愉快に笑い合う。すると、鞍馬が小声で喋る。俺にしか届かない声。

 

「あの射命丸。お前に憧れて、強くなった。んで、お主の前で照れておる。良くしてくれ。」

「分かった。」

 

 そちらに目をやると、射命丸は未だに片手で顔を隠していた。



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玉の緒の刀 Ⅱ 『風神』

 まだ日が出きっていない早朝、静けさの中に威勢の良い声が駆け巡る。朝の稽古だろうか、気になってその方へと向かうと、道場らしき建物が建っていた。

 中を覗いてみると、道着を着た勇ましい烏天狗達が模擬試合を行っていた。既に試合をしているとなると、準備運動や基礎の訓練は既に終えているということになる。となると、一体いつから起きているんだ…?

 そう考えていると、その汗臭い道場の中に一人少女が混ざっている。あれは確か、射命丸文だ。

 

「一本!」

 

 自分よりも明らかにガタイが大きな烏天狗を背負い投げする。やはり彼女は強いようだ。互いが礼をすると、文は汗を拭い、水分を補給する。

 この稽古は本来、どうやら中程度の天狗が行う稽古のようで、周りには大人ばかり。素直に感心する。

 そういえば、昨日に鞍馬は文が俺に憧れていると言っていた。それならばその思いに応えるとしようか。そうして、俺は彼女の方へと近づく。

 

「アッツゥゥイ…」

「重心が少し左に片寄っているぞ。」

「そう、気を付けるわ。」

 

 そう汗を拭いながら俺を見上げた。その瞬間、彼女の動きが止まり、徐々にその目と口が大きく開いていき、俺の存在認知していく。

 

「うわぁああッ!?

「そんなに驚くか?」

 

 こういった反応はいつ見ても面白い。

 わなわなと体を震わして、余程混乱しているのか汗を拭っていた布を畳んだりまた拭ったりしていた。

 

「とりあえず落ち着け。」

「わ、わわ、分かりましィたァァ!?」

「分かってないじゃん。面白いなぁこの娘。」

 

 ここまでの反応は過去一では無いだろうか。込み上げてくる笑いが抑えられない。

 

「あああ、あのォオ…アド、アドバイスを…の、続きを…」

「そんなんでアドバイスなんか聴いてられないだろう?まずは目を瞑れ。」

「は、ひぃ…!」

 

 頭からつま先まで力みまくっている文は、俺の言葉を素直を聴いてその目を閉じた。

 

「良し、じゃあまず深呼吸だ。吐いて…吸って…吐いて…」

 

 正しい深呼吸の仕方は、まず体の中の空気を全て吐き出してから息を吸うのだ。もちろん、立ちくらみにならない程度に抑えながら行う必要がある。

 文は俺の声に合わせて深呼吸をしていると、段々と筋肉の力みが緩んでいくのが見てとれる。深呼吸を終え、目を見開いた頃にはだいぶ落ち着いていた。

 

「そうそう。何事も落ち着かなきゃ、良い判断はできないぜ。」

「はい…」

 

 気分が大きく落ち込んでしまったようだ。憧れの人の前で面白い反応を見せたのから当たり前だ。

 

「あの、重心が左に寄っているっていうのは…?」

「君の癖なのかな。左に重心が寄っている所為で、左に回避することが多い。」

「なるほど…」

 

 何とか折り合いをつけて切り替えたようだ。流石に掘り返すのは可哀想だから、今日のところはやめておこう。

 

「質問だけど、後ろから名前を呼ばれたらどっちから振り向く?」

「…左かも、しれません。」

「やっぱりか。」

 

 それから、永琳と研究していた時に培った生物の構造の話を組み込んだ専門的な知見を駆使し、質問を繰り返して文に合った戦い方をアドバイスを行うこととした。

 

「片足で何回か跳んでみてくれ。」

「こうでしょうか?」

「そうそう…ふむふむ。君、走るときは地面を蹴ることを意識した方がいい」

「え?どうしてそんなことが分かるんですか?」

 

 研究していた頃からは大きく文明が退化しているために、精神論などで全てを補おうとする時代を生きているこの娘にとって、全てが新鮮なのか目を輝かせて俺の話を聴いている。

 

「跳んだとき、地面に着けていない足を折って跳んでたよな。」

「そう言えば…そうですね」

「そういう人は蹴るイメージを持つんだ。ついでに言うと、前に足が出る人は、足を上げるイメージを持つんだ。」

 

 他にも、様々な文の身体の構造を調べる質問を行う。他の天狗たちも、俺の話を盗み聞きするように注目していた。

 いくつかの指導を行い、暫くして文の模擬戦の時間が迫る。

 

「うわ、相手強い奴だ。」

「まぁ、頑張れ。さっきのやつだが、意識し過ぎると逆に動けないぞ。俺は傍から応援してるから。」

「はい!」

 

 威勢良く返事をし、進む。

 

「おうおう、今日も叩き潰してやるぜ!」

「かかってこい!」

 

 相手の先制攻撃。大きな体の割に素早く力強いパンチを放つ。それを文は紙一重で回避。回避した方向は、右だ。腕を掴み、そのまま投げる。

 

「うおっと、あぶねぇあぶねぇ。」

 

 相手の天狗もなかなかやる。投げられて、真っ逆さまになったが、勢いを利用して前方倒立前転をして一本を回避。

 

「流石ね…」

「だろう?さぁ、行くぜ!」

 

 天狗の右足の回し蹴り。それを後ろに回避。だが、追撃で左足の蹴り。風を切る勢いだ。

 しかし、文も負けていない。それを難なくと素早くしゃがんで回避する。それを予測していた天狗は、またも蹴りの勢いで姿勢を低くして文に蹴りを与えようとする。彼は蹴りが得意なのか?毎回速いくせに重い。

 文はしゃがんだ状態にも関わらずジャンプし、バク転。

 

「なに!?」

 

 文は地面に足を着けた瞬間、思いっきり蹴り相手に急接近する。相手は腕を前に出してガードをする。

 

「うおおおおおッ!」

 

 しかし文は殴りも蹴りもせず、跳び箱のように天狗を飛び越えた。飛び越える時に掴んだその手は離さず、空中で前に一回転して相手の胴体を持ち上げ、地面に叩きつけた。

 あまりにも美しい戦い方に、俺や周りの人、そして文自身が感動していた。

 

「一本ッ!」

 

 審判の声とともに、観客と化していた周りの天狗たちが大きく声を響かせて盛り上がった。

 

「え、えへへ…」

「見事だったぞ、文。圧勝だな。」

「ありがとうございます!」

 

 また新たな弟子ができたような、その弟子が成長を見せた時のような独特な高揚感が湧き、俺は文の頭に手を乗せ、撫でた。

 

「うへぇ!?」

「うぉ。す、すまん。」

「あ、あやややややぁ…」

 

 文は顔を真っ赤にして道場を出ていった。諏訪子や芳香を撫でるように、文を撫でてしまった。憧れているとはいえ、会ったばかりの人間に頭を撫でられるのは怖いだろうな。

 自分の行動を反省しつつ、俺はその道場を出た。




実はこの回あまり好きじゃないです。(過去の自分を呪う)


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玉の緒の刀 Ⅲ 『偽装』

「良いですか?いかにも鞍馬様っぽくしてくださいね」

「おう。」

 

 文の確認に、俺は自信満々に応じる。俺は鞍馬がいつも着ている服装を身に纏い、座布団の上に鎮座してきた。

 今日は、遂に鬼の来る日。周りの天狗達は緊張と恐怖の空気を漂わせている。ちなみに、本物の鞍馬は俺の側近として、身を隠している。

 争い事になっても、全面戦争は避けねばならない。

 

「……零様。」

 

 鬼との会合に対して思考をしていると、牛若丸が自分の定位置に向かう流れで俺の耳元で呼びかけてきた。

 

「なんだ?」

「もし負けたら殺すからな。」

「……フフッ、分かった分かった。そんな心配するな。負けはしない。」

 

 緊張を霞ほど見せない俺に対し、牛若丸は殺気を放ちつつ、そこに座る。

 

「殺気は消せ。バレるぞ。」

「……」

 

 すると、まるで嘘かのように殺気が消えた。何度も思うが、牛若丸のそれは並な人間では考えられないほどだ。一体どんな育て方をすればここまでの力量が付くのか。

 さておき、牛若丸の殺気が消えたことで、他の殺気を感じることができた。遠くにいても尚、その殺気は俺の心臓を撫でる。これが、鬼の殺気か。

 次第にどんどん大きくなっていく。暫くしてその殺気は、この天狗の都の中を通過し始めた。

 楽しみで仕方がない。俺は笑いながら冷や汗をかいていた。気が付けばその殺気は、戸を挟んだ向こう側にいる。

 

「入れ。」

「お邪魔するわよ。」

 

 中に入ってきたのは三人の鬼だった。額に立派な角が一本生えた長い髪の鬼、日本の角を生やした幼い見た目の鬼、腕に包帯を巻いた二本の角の鬼。

 それぞれが、そこにいるだけで強さを物語っていた。

 

「私は『星熊勇儀』さ。よろしく。」

「ワシは鞍馬、ここのてっぺんをやらせてもらっている。」

 

 できる限り、鞍馬らしい態度をとる。目を逸らさずに真っ直ぐと見つめる。目線をズラせば負けを認めるようなものだ。

 後ろの美鈴や青蛾などは辛そうな表情をしているのが容易の想像できる。

 

「んで、このちっこいのが『伊吹萃香』だ。」

「誰がちっこいだ。」

「そして、この薄紅の髪の包帯巻いたのが『茨木華扇』だ。」

「宜しくお願いします。」

「あぁ、宜しく。まぁ、座れや。」

 

 それに従い、鬼三人は用意していた座布団に座った。

 勇儀はさっきを放ちながらも、申し訳なさそうに笑い、聞いてもいない事情を話し始めた。

 

「いやぁ、すまないね。本当は鬼全員で来る予定だったのに、鬼の四天王だけで行けって言われてね。」

「鬼の四天王…?」

「そ、鬼の四天王。天狗なら聞いたことぐらいはあるでしょ?」

 

 全くもって聞いたことがない。しかし、バレてしまっては全て台無しだ。適当に話を合わせるとしよう。

 

「もう一人は?」

「行方不明。」

「なに?」

「まぁ、良くあることだし気にしないでくれ。」

 

 天狗からすれば今後の歴史を左右する会合だと言うのに、コイツらは適当に事を運ばせすぎている。全てにおいて、軽い。

 

「にしても、天狗以外にも何か居るねぇ?」

 

 そういうと、勇儀は物珍しそうな目で俺の後ろを見渡した。同時に、何か馬鹿にしたような笑みを浮かべている。

 

「他の妖怪、死人、仙人……そして、人間。天狗には誇りが無いのかい?」

「ッ!?」

 

 後ろで牛若丸が反応している。

 なるほど。こうやって煽ることによって、こちら側から手を出させようとしているのか。牛若丸は強いが若い。強さの自信は武器だが、時として錆となる。怒りに抗いにくくなるからだ。

 牛若丸から攻撃し、それに鬼が勝てば交渉ではなく賠償金のような形となり、ここは植民地となる。

 

「人間と妖怪は敵対する生き物。なのに、鞍馬。あんたはその人間を育ててる。全く、笑い話にも出来やしないねぇ。」

 

 牛若丸が立ち上がる音が聞こえる。

 

「勇儀さん、もう挑発はよしましょう。」

「思ったことを言っているだけさ。頭がおかしいとしか思えない。もしその育てた人間に殺されたら……()()()()だよ。」

 

 華扇は勇儀を止めようとしているが、それでもその口が閉じることは無かった。

 遂に牛若丸は声を荒らげて俺の前に出た。隠していた殺気も、もう溢れ出てしまうほどに怒りで何も考えられなくなっているのだろう。

 

「私が鞍馬様にそんなことをするわけがない!!」

「ハハハ、本当かねぇ?そんなに怒っているのも演技かもしれないな。」

「貴様ァ!」

 

 牛若丸は刀を引き、鬼達に斬りかかる。しかし、それが鬼に届くことは無かった。

 

「……へぇ?」

「クッ離せ!」

 

 俺は牛若丸の腕を掴み、その刀の軌道と途切らせる。勇儀はそれが意外だったようで、面白おかしくそれを見ていた。対して牛若丸は暴れながら俺の手を離そうとするが、俺の手は微塵も動かない。

 

「離せといっているだろうッ!」

「やめろ。」

「ッ!?」

 

 その瞬間、牛若丸は恐怖した目を俺に向けた。それもそのはずだ。さっきから漏れ出ている牛若丸の殺気を遥かに超えるそれを放ったのだから。

 まるで天敵に見つかった動物のように、牛若丸はその場で腰を抜かした。

 

「やっぱり教育は出来てないようだね。妖怪じゃあ人間を教育することなど出来ないのさ。」

「………」

 

 俺は牛若丸の手を離し、ゆっくり勇儀に近付いて行く。

 

「なんだい?詫びの品でも出すのかい?鬼の機嫌を損なわない為に?だとしたら、あの青年の方がもっともっと強い心を持っているね。」

「………」

 

 そして、勇儀の前に立つ。

 

「額を地面に付けて、謝罪してごらんよ。情けない天狗の頂点が。」

「……そうだな。謝らなくてはいけないことがある。」

「ハァ、本当にしょうもな…」

 

 瞬間、勇儀の顔は地面にめり込んでいた。俺の拳が彼女の脳天を叩き割る勢いで殴ったからだ。誰にも捉えることの出来ないほどの速度で殴り、周りの妖怪たちも何が何だか分かっていない様子だ。

 

「勇儀!?」

「勇儀さん!?」

 

 萃香と華扇はやっと理解したのか、頭から血を流す勇儀に駆け寄る。

 俺は拳に付いた遊戯の血を、手首をブラブラと振って払いながらも勇儀を見下す形で口を開く。

 

「すまないな。俺は鞍馬天狗じゃねぇ。」

「お、お主…」

 

 鞍馬には申し訳ないが、牛若丸同様に我慢ができなかった。

 何回経験しても、感情を抑えるのは難しい。何度これで後悔したことか。

 

「な……んだと?」

 

 俺は勇儀の胸ぐらを掴み、無理やり立ち上がらせる。勇儀は倒れそうになったが、後ろの鬼二人が支えた。

 

「表に出ろ。『治癒の細胞』で傷を治してやった。」

「…なんなんだお前。」

 

 傷口が消えた血だらけの勇儀は、自分の足でしっかりと立ちながら、俺を訝しむような目を向ける。

 

「ただの旅人だよ。」

 

 後ろで座り込んでいる牛若丸に目をやって、俺は安心するように微笑んだ。鞍馬への侮辱はキッチリと晴らしてやる。

 三人を引連れ、俺らは外に出る。



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玉の緒の刀 IV 『必殺』

 青空の下で、遊戯に睨まれている俺は体を伸ばしながら先程の勇儀のように分かりやすく煽る。

 

「まずは誰からだ?それとも全員同時に掛かってくるか?」

「コケにしやがる…」

「お互い様だろ。」

 

 俺の言葉に、勇儀の眉間の皺はより深くなる。そんな勇儀の震える拳を、萃香が手を添えて静止させる。

 

「私が行くよ。」

「分かった。」

 

 伊吹萃香という鬼。人からは『酒呑童子』と恐れられているらしいが、そんなものどうでもいい今は鞍馬の侮辱を取り消させる。それしか考えていない。

 人間だって素晴らしいものだし、妖怪も素晴らしいもの。確かに、妖怪は人間に悪さをして、人間は自身を護るために妖怪を退治する。その繰り返しが続いているが、絶対に人間と妖怪が共に生存できる世界があるはずなのだ。できるはずなのだ。

 しかし、殆どの奴等は無意識に匙を投げている。「どうせ無理だ」と。

 それが許せない。一種の八つ当たりであるのは自覚しているが。バカにしたことには変わりない。

 

「いくよ。」

 

 先制は萃香。高速のスピードで拳を突き出す。中々に良い拳であるとは思うが、甘い。次の動きの予測をしていない拳だ。こっちが簡単に予想をできてしまう。

 例えば、次は右のアッパーだ。

 

「オラァ!!」

 

 俺は彼女の手を掴む。なにやら驚いたような顔をしているが、特に反応を示さずに骨を折るつもりで捻る。

 折れた振動が伝わって来ない?俺は彼女の顔を見上げると、汗をかきながら「あぶねぇー。」と口パクをしている。

 

「怖いねぇ。私にこの能力がなかったら骨がバッキバキだったよ。」

「…なるほど。」

 

 彼女の肩から先が霧状になっている。どうやら、彼女は霧状になれるらしい。正確に言うと、体の密度を小さくして霧状になったのだろう。まだこの程度の文明を生きているのだから、本人にもよくわかっていないのだろうが。

 腕から広がるように彼女の身体は霧状になっていく。そして、とうとう彼女の姿はなくなった。

 辺りが霧が籠っている。

 

「そういうことさ。あんたは私に攻撃できない。」

 

 霧は一ヶ所に集まって行き、萃香の形を型どってゆく。

 

「なにせ霧状になるから。」

 

 萃香は声を大きく張って、自信満々な瞳でこちらを見ている。周りの妖怪も、まるで圧倒的な存在に遭遇したかのような反応を示している。

 

「そうか、それで?」

「え?」

「いや、霧状になれるから何ができるんだ?」

「え、いや、だから…」

 

 そう言うと、萃香は明らかに口ごもる。鬼はもっと堂々としている印象があったのだが。それとも、俺がおかしな事を言ったからだろうか。

 どちらにせよ、困った姿は普通に女の子に見える。角がなかったらな。つまりその威風堂々の風格は、堂々とした風の格なのだろう。

 

「えぇい、めんどうだな!」

「あ、諦めた。」

「ウヌォラァァァッ!」

 

 ヤケクソに放たれたその拳は予備動作がなかったために反応が少し遅れてしまった。俺は直ぐに腕で受け止めるが、なんという馬鹿力だ。ガードしていても響く。技術で戦う美鈴とは真逆の力任せな拳だ。

 ならば、俺も拳を振るう。だが、案の定萃香の身体は霧状になった。

 

「絶対に勝ってやる。」

 

 その意気込みは素晴らしいが、俺はそんな萃香の言葉に対して息を漏らすように鼻で笑う。

 

「無理だよ。」

「なんだって?」

 

 深呼吸。そして目を瞑り、手を広げて後ろに倒れる。俺の背中が地面に着いた瞬間、俺の身体は霧散した。見方によれば俺が地面にめり込んでいったようにも見てるだろう。

 

「え!?」

 

 萃香と同じような反応をその場にいる者全てが、同じ反応をしている。それもそうだ。急に消えたのだから。

 だが、実際は消えていない。逆に、目の前にいるのだ。

 

「う!?何だ…?勝手に私が集まってく…何かに押し込まれてる!?」

「俺だよ。」

「な!?」

「あんたの能力、借りたぜ。俺の細胞を空気中に舞わせた。」

 

 霧が一ヶ所にどんどん集まっていく。それは徐々に形を作っていき、二人の男女の姿へと変化していった。

 最終的には、俺が建物の壁を背にした萃香の首を右手て掴むような形に留まった。萃香はその手を外そうとするがビクともしない。

 

「ハァ…これはもう、負けたね。完敗だよ。」

「よし。ほら、立てるか。」

 

 素直に負けを認めた萃香に手を伸べると、彼女は驚きつつもその手を掴み体重を預けて立ち上がる。

 

「ん、ありがと。」

 

 立ち上がったあとは、持参していた瓢箪を口に付けて中に入っているであろう酒を飲む。すると険しい表情は一気に柔らかくなる。

 その時に気が付く。コイツは酒を飲んだ方が強いということに。つまり、コイツは本気で戦っていなかったのだ。そうでなくては困る。鬼はそこそこの強さだと勘違いする所だった。

 

「次は誰だ?」

「私です。」

 

 茨木華扇。『茨木童子』と恐れられている…筈なのだが、何となく鬼のような雰囲気を纏っていない。

 敬語で話し、行儀が正しく、驕るような態度でもない。いや、これは鬼への偏見だったのかもしれない。気を付けなければ。

 それにしても、包帯をグルグルと腕に巻いているのは一対どのような理由なのか。怪我だろうか。としたら、風邪の奴よりも休んだ方が良かったのではと思ってしまう。

 

「いきます。」

「おう。かかってこい。」

 

 萃香との戦いで少し身体が温まってきた。思う存分戦ってやる。俺は手を前に出して平を空に向け、クイクイっと四本の指を曲げて挑発する。先制は相手にくれてやる。

 

「ハァァァッ!」

 

 華扇は地面を蹴り、猛スピードで接近。拳を振り上げる動作から、俺は力量を見るためにも防御の体制をとる。しかし、彼女は俺の予想に反する行動をとる。

 

「フッ!」

「通り過ぎた?」

 

 俺は彼女の姿を目で追おうと振り返る。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。綺麗さっぱりと、その姿は消え失せた。

 直ぐに脳波を飛ばし『ナビゲーター』を発動する。しかし、その姿は捉えられない。まさかと思い、俺は後ろを振り返る。

 

「バレた!?」

「…やはりか。」

 

 居るはずのない、後ろからの攻撃。すぐにその殺気の籠った拳を避ける。

 彼女が何をしたのか理解した。それは、俺も使える能力だからだ。

 

「『瞬間移動』、だな?」

 

 華扇の眉がピクリと動いた事を見るに、どうやら当たりのようだ。正解した喜びに口角が上がるが…

 

「久しく血を流した。」

 

 頭から少しだけ流れる血。飛鳥時代以来、流していなかったものだ。腹の底から湧き上がる高揚を感じる。

 華扇はその能力が俺にバレても尚、体勢を整える。

 

「フッ!」

「またか。」

 

 華扇の殺気が至る所から感ぜられる。今度は横から。と思うとまた瞬間移動。横から、前から、横から、横から、後ろから、横から、後ろから…そういう作戦か。

 俺は目を閉じ、その姿を波形から捉える。今度は、前から来た。

 

「ハァァァァッ!」

「『瞬間移動』。」

「な、消えた!?」

 

 実に面白い戦術だ。こんなに面白いものを見せてくれたお礼に、逆にやり返すとしよう。その瞬間移動の速さは末恐ろしく、相手からすれば俺がが二人、三人、四人と増えた残像が自分に殴りかかっているかのように見えているはずだ。

 これは華扇にも出来ないだろう。伊達に長生きしていない。

 

「うぐ!」

 

 一回殴り、そのまま瞬間移動を続ける。二回、三回、四回…どんどん回数が増えていき、比例してスピードも増していく。

 この光景だけを切り取ってみたら、同じ顔の集団が、一人の女性を殴っているように見えるのだろう。なんともシュールだ。

 

「オラァァァ!」

 

 敬意を込めて、俺は彼女の鳩尾に拳を容赦なく入れる。華扇は悶えながら床に寝転がり、腹を押さえる。息を整えながら、ゆっくりと口を開き、寝そべった状態で俺に言葉を投げる。

 

「ま、負けました…」

 

 驚いた。まさか喋れるとは思わなかった。流石、鬼といえようそのタフさには、感心せざるを得ない。

 華扇は萃香に支えられながら後ろに下がった。

 

「よし。最後は…」

 

 そんな二人とすれ違うように、俺に向かって歩いてくる鬼が居る。ソイツはある程度近付くと立ち止まり、仁王立ちでこちらを睨む。

 

「最後はあんただな、勇儀。」

 

 他二人とはちがう、本気で殺そうとしているその重みのある殺気を放ち威嚇する。肌がヒリヒリと焼けるような感覚さえ覚える。

 本気で挑ませていただこう。そう思い、俺はニヤケながら汗を拭った。



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玉の緒の刀 Ⅴ 『仲立』

「全力で行くよ。」

「おう、来い。」

 

 やっと、コイツの番が回ってきた。鞍馬への侮辱を撤回させるために拳を構えているのだが、同時に俺はこの戦いを楽しんでしまっている。悪い癖だというのは俺も理解している。ただ、感情ってのはそう簡単に制御できるもんじゃない。

 

「四天王の二人が誰かに負けるなんて初めてでねぇ…本気で行かせてもらうよ。」

「そうか。ならば、俺も。」

 

 俺は右手から、青く輝く刃物のような物体を出した。そろそろこれに名前を付けたい。でも、どうにもしっくりくる技名が思いつかない。

 そんなどうでも良いことを考えていると、鬼達はこれに反応した。萃香や華扇は驚愕した眼差しを向け、勇儀はジッとそれを見ていた。

 

「…アンタ、神殺しだね。」

「人聞きの悪い。神は信仰が有る限り死なないんだよ。」

「でも、結局は戦って勝ってきたと。」

 

 コイツは一体何が言いたいのか。含みを持つような言い方をしていて、なんともむず痒い。取り合えず、顔を縦に振って肯定する。すると、勇儀は片手で顔を隠すように俯いた。

 

「…フフ。」

「…?」

「ハッハッハッハッ!!」

 

 唐突に勇儀は盛大に笑い出す。その笑い声に俺らや天狗達は勿論、相手の鬼達も困惑していた。

 

「ハッハッハッ!!いやぁ、だったら当たり前だわ。」

「は?」

「そりゃ負けるよ。あー腹痛い。」

 

 開き直りってやつか?まだ戦ってないのに。あまりの拍子抜けな展開に、俺は構えを解いた。

 勇儀は涙を人差し指で拭って話し続ける。

 

「だけど勝つよ、アンタにね。そんな気持ちで戦わないと失礼だしね。」

「お、おう…」

 

 勇儀はそう言いながら、笑って乱れてしまった呼吸を整え始めた。

 

「フゥ…ハァアッ!」

 

 またも、予備動作なしで勇儀が拳を突き出してきた。萃香の時のこともあり、瞬時に避ける。そのついでに『痺の細胞』を使い、勇儀にカウンターをくらわせようと顔を掴もうとする。

 勇儀はカウンターの存在に気付き、手で受け止めるが意味無し。触れた瞬間、体が痺れる。

 

「アアァ!?」

 

 ズシンと渡る激痛が全身を駆け巡っているだろう。だが、勇儀はそれを耐え、俺の腕を掴む。そして引っ張り、地面に叩き付けた。

 

「グッ!」

 

 地面に寝転がっている俺の顔面目掛けて殴りかかるが、首を傾げて回避。

 俺の真下に『亜空間の原子』を開き、そのまま落ちる。俺の出鱈目な能力に周りは驚いた。もちろん、勇儀も。

 気になったようで、勇儀は亜空間を覗き込む。そんな彼女のその真上に、一つ亜空間が開いた。

 

「一緒に来るんだ。」

 

 下に落ちた俺が上から降ってくる俺にビックリしたのか、口を開いていた。

 そんな勇儀を掴み真下の亜空間に入る。ループだ。 どんどん加速して行く。そして、一瞬で真下の亜空間が閉まり、勇儀を地面に叩き付けた。

 

「ガハッ!?」

 

 最後に閉め技。これで身動きがとれない。勇儀は観念したのか、俺の背中をポンポンと叩き、ギブアップのサインを出した。

 

「あ~あ、直ぐに負けちまった。」

「ほら、立てるか?」

「ありがと。」

 

 俺の手を掴み、立ち上がる。

 

「神は殺して私は殺さないんだね。」

「だから殺してねぇって。」

 

 勇儀は大きく息を吐き、負けをしみじみと実感しているようだった。

 

「領土の事だね。分かった、諦めるよ。」

 

 その発言に、天狗達の喜ぶ声が聞こえた。中には鞍馬や文の声、俺の仲間も混じっている。

 

「本物の鞍馬はいるかい?」

「ワシだ。」

「領土は諦める。ただ、友好的にアンタ達と接したい。」

 

 ここまで宣戦布告をして…という無粋な横槍は入れない。これは、天狗の代表である鞍馬が決めることだ。鞍馬は顎に手を置き、眉を顰める。

 

「うむ、それなら構わない。」

「い、いいんですか!?」

 

 その反応は文のみではなかった。他の天狗たちも驚いていたが、俺からすれば納得の判断だった。変に溝を深めるより、友好を築いた方が、天狗としても今後の動きがスムーズになるだろう。

 

「こやつは本気で諦めたようじゃ。コイツらよりは弱いが、コイツらよりは長く生きている。目で分かるわい。」

 

 流石、と言って良いだろう。この鞍馬のカリスマ性は尋常じゃあないだろう。根拠がないが、何か説得力がある。こいつもきっと、言霊ってやつが実っているのだ。言霊は余り感じにくい物だな。

 

「んじゃ、記念に呑むか。」

「お、いいねぇ。」

「みな、今宵は宴じゃ。酒を倉から出せ!」

 

 俺の提案に、勇儀も鞍馬も大賛成する。緊迫していた空気は嘘のように、明るい活気のある雰囲気になった。思わず笑みがこぼれる。

 そんな中、萃香が俺に話し掛けてきた。

 

「あのさ、私は人間には死んだってことにされているからさ…」

「あぁ、言わないよ。」

「そう…ありがとう。」

 

 その言葉を聞いて、俺は亜空間から酒を取り出した。



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玉の緒の刀 Ⅵ 『酒呑』

「そう言うわけで、私は死んだように思われている。」

「悪い人間も居たもんだな。毒入りの酒とか、あり得ないな。」

 

 宴会の中、二人で呑む。周りの奴等は気分が上がって、バカをやっている。しかし、その宴会にはあまり馴染みのない妖怪などもいる。河童や、神様等。そんな中、俺と萃香はその光景を背にして夜空を眺めながら、萃香の死んだことになっている経緯を聞いていた。

 どうやら、萃香は鬼と言うだけであらぬ噂が独り歩きし、人間の女性を攫う恐ろしい妖怪だと言われているらしい。更には男の鬼だと言われている。実際はただ酒が好きで怪力なだけの女の鬼なのだが。その噂を利用して名をあげようとした輩が萃香に毒入りの酒を贈り、首を斬ったのだという。

 

「しかし、何故生き延びれた?毒が入っていたのだろう、対妖怪の。」

「あぁ、入ってた。だが、生きている。何故だろうね、この悪運っていうのかな。」

 

 呆れるように酒を仰ぐ萃香に、俺は何となく寂しさというものを感じた。事実無根の噂で命を狙われているのだから、それはそんな哀愁も漂うだろう。

 暫くの沈黙の後、萃香が口を開く。

 

「毒が回っている時、夢を見たのさ。」

「…!」

 

 もしや目の前に大きい岩があるあの夢じゃないかと思い、無意識に眉が動いた。しかし、どうやら違うようだ。

 

「あそこにいる華扇が出てきたのさ。その、夢にね。」

「…ふむ」

「確か…『貴女に教えられたのです。希望の存在を、光に進む価値を、栄光を。幾度も貴女はふざけていて迷惑しています。ですが…そんな迷惑な貴女を失いたくない』ってね。」

「良い話じゃあないか。」

「馬鹿らしくなったよ。あぁ、もう死ぬかもなぁって思ってたから。」

 

 萃香は少し恥ずかしそうに酒を飲んでいた。その頬の赤みは月明かりによってよく見える。たぶんその事を言ったら、本人は酒のせいだと無理な言い訳を言うだろう。

 

「私が目を覚めたとき、周りの仲間達は殴り、人間は刀で斬ってた。刀…それは私の首を斬る為に持ってきたものだと理解した。」

 

 萃香の首を取ったところで、見た目は完全に幼い女の子だ。噂通りでは無いことはすぐに判断できたはずだが、人間は何故それでも実行したのか。後に引けなくなったのだろうか、それとも…

 

「鬼にも器用な奴はいてね。いつかそんな日が来るかもしれないって言って、偽の首を作っていたらしい。」

「そして、彼らはまんまと騙されたわけか。」

「そう言うこと。」

 

 なんとも許し難い話だ。少し、人間に対して怒りを感じる。正式に戦い、勝つなら良いが…酒に毒を盛る。日出ずる国の者として恥ずかしくはないのだろうか?

 

「さぁ、私の過去は話したよ。次はアンタの番さ。」

 

 萃香は頬杖を付いてニヤリと笑いこちらを見ている。そういう事かと、俺は溜め息を吐く。

 

「…分かった。話そう。」

 

 俺は今までのことを話した。永琳との出会い、諏訪子達との出会い、青蛾や神子達との出会い、芳香と美鈴との出会い、輝夜との出会いと永琳との再会等々。

 その、出会いの物語は次第に皆の興味を引き付けていた。

 

「そんな作り話みたいなのが…」

「いいえ、作り話じゃあありません。」

 

 萃香のご尤もな感想に、美鈴がフォローしてくれた。俺でも、まるで物語の人物のようだと、たまに思えてしまう。

 

「分かってるさ、例えだよ。にしても、相当辛い人生だったろう?」

「まぁな、俺のせいで人の死んだことが二回あったからな。」

「別に貴方のせいじゃ…」

「俺のせいさ。な、芳香。」

「ん~?分かんないや。」

「そりゃそうかぁ。」

 

 俺は芳香の頭に手を乗せ、撫でる。芳香は気持ち良さそうに笑顔になるが、その笑顔によって生前を思い出し、気持ちが苦しくなる。青娥も、きっと俺のために言ってくれたのだろうが、俺は俺を許すことは決してない。

 すると、いつからか聞いていた勇儀が萃香の隣に座り、その大きな盃に入った酒を喉に通して俺に話しかける。

 

「あんたは長い年月生きているから、友人の存在に対して強い思いがあるんだな。」

「そう言うことだ。『深く広くの友好関係』を目指している。」

「零よ。お主ならその友好関係は築けられるぞ。」

「ありがとよ。」

 

 鞍馬の言葉にはやはり言霊が宿っている気がする。本当に伝えたいと思っている鞍馬の言葉は、普段の無数のそれらとは比にならないほど重みがある。

 俺は芳香に乗せていた手を下ろした。

 

「そういや、知ってるかい?軍が妖怪を雇ったって話。」

「知らないなぁ。」

 

 勇儀の話が言葉通りならば、近いうちに妖怪と人間は共存できるだろうが、きっとそうもいかないのだろう。そんな単純な世界では無いのだから。

 この先の未来に憂鬱を抱いて、俺は酒を口に含む。



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玉の緒の刀 Ⅶ 『再開』

 鬼と天狗の同盟を組み、予定以上のに円満に終わった会合を終え、数日が経過した。

 相変わらずの青空の下、牛若丸が生き別れた母親を探しに旅へと出ることになったらしい。ついでに、俺たちも旅を再開することにして荷物を背負い、牛若丸と一緒に天狗達に見送られていた。

 牛若丸は天狗たちに深々と礼をする。

 

「皆さん、今までお世話になりました。」

「立派に育ちよって…」

「死ぬんじゃあないわよ。」

 

 育ての親である鞍馬は涙を流し、隣にいる文も涙こそ流さなかったが優しい表情で牛若丸を見ていた。二人はまるで、姉弟のようにのように育ってきたという。その温かい見送りに牛若丸は決意をしたような瞳をして、皆に安心してもらうために笑顔を向ける。

 

「そして、零よ。お主には感謝してもしきれん。」

「そうか、そういってくれると嬉しいぜ。」

「鬼達に領土を渡さず、更にその鬼達との交流もできた。本当に感謝するぞ。」

 

 鞍馬のように、まるで気の置けない友のような妖怪に出会ったのは初めてだった。俺はこの別れを惜しみながらも力強く握手をする。

 それに続き、文も俺に向かって言葉を贈ってくれた。

 

「私も、ありがとうございました。その、そう。アドバイスとか…」

「どういたしまして。これからも稽古頑張れよ。」

「はい!病気とか気を付けてくださいね。」

「おうよ。文も、元気でな。」

 

 文だけでは無い。天狗たち全員に向かって改めて別れの言葉を贈る。この旅に、また新たな故郷が出来た。大勢の天狗たちが俺たちのためにここまで盛大に見送ってくれているのだ。感動の二文字に尽きる。

 

「まぁ、定期的には戻ってくるよ。」

「勿論じゃ。いつでも戻ってこい。」

 

 鞍馬は牛若丸に向き直り、真剣な表情で彼を見つめる。その表情に、牛若丸も背を改めて伸ばす。

 

「牛若丸よ…」

「はい。」

「お前は戦闘の天才として、人間の先端を生きることとなるじゃろう。時にはそれが重荷となったり、お主を利用しようとしする輩も、きっと現れる。とても、生易しい世界だとは言えん。」

 

 鞍馬は人間特有のドロドロとした薄汚いそれを、知り尽くしているようだった。その言葉の重み、つまり言霊の重さはいつにもなく大きく感ぜられた。

 

「じゃがな…」

 

 鞍馬は牛若丸の肩をがっしり掴んで、目を真っ直ぐに見つめて言葉を放った。

 

「自身の意思を貫くのだ。今、人間が失った大切な心を取り戻せ。お前がこの世の光となるのだ!」

「…!はい!!」

 

 男達は固く誓った。全く美しいものだ。鞍馬の言葉により、牛若丸の勇ましい顔つきに、更に強い決意が漲っているようだ。

 

「牛若丸、そろそろ行こう。」

「はい、行きましょう!」

 

 青娥達に並び、牛若丸は一時的にも俺と共に歩みを共有することとなった。出会った当初の殺気は向けられておらず、その代わりに信頼のような眼差しを向けられていることが分かる。

 

「また会おう。」

 

 そう言って俺達は故郷に背を向け、山の一本道を歩き始める。いつまでも後ろから聞こえる天狗たちの声に、笑みがこぼれる。牛若丸と目が合うと、どうやら彼も俺と同じようだった。

 

____________________________________________

 

 山を歩き続け、天狗たちの声も聞こえなくなった頃、牛若丸は俺に話しかけてきた。

 

「零さん。」

「なんだ?」

「私は出会った当初、貴方のことをあまり信用してなかったです。」

「うん、知ってる。」

 

 その言葉に、牛若丸が少し苦笑した。

 

「でも、鬼との戦いを見たとき、感じたんです。貴方は素晴らしいお方だと。」

「………」

「今までのご無礼、誠に申し訳ありませんでした。」

「フ…」

「え?」

「フフフ…ハッハッハッハ!」

 

 突然の爆笑に牛若丸は驚く。他の皆は慣れたのか、何も反応はない。というより、また始まったと呆れたような空気が伝わる。

 

「あー、おかし。あのな、そんなん気にしてたら天下取れねぇぜ?腐りきったこの平安をぶち壊せ。」

「は、はぁ…?」

「例えば…」

 

 俺は道に染み込んだ水分を取りだし、『水威矢』を作る。他の皆は疑問符を頭上に浮かべる。みんな、まだまだだな。

 俺は気にせず、真横にそれを射る。

 

「ウグア!?」

「話に集中するだけじゃなく、周りに敵が居ることも集中するとかな」

 

 俺の攻撃を境に、木の影から何十人もの妖怪の集団が現れ、俺達を睨み付けている。その場にいる全員がが構える。

 

「…何用だ?」

「あんたを殺すよう、上から言われているのさ。」

 

 一人の妖怪がそう答える。しかし、その妖怪は社会的な組織を作るような妖怪では無い。

 

「上から?もしかして、軍が妖怪を雇ったってのと関係があるのか。」

「その通りだ。まぁ、もう気にしなくて言い。何故なら…」

「お前が死ぬから」

 

 妖怪の言葉を奪った牛若丸がその妖怪の首を斬った。目にも止まらぬ速度で斬った。伊達に天狗の弟子ではない。

 これは、俺も負けていられないな。

 

「ウオオオオッ!」

 

 俺の地面を揺らすほどの雄叫びに察して、美鈴達は牛若丸を抱えて飛んだ。それを確認した俺は、思い切り地面を殴る。

 

「『痺の細胞』!!」

 

 その電撃は地面を伝わり、一瞬にして多くの妖怪達を倒していった。だが、美鈴達を見て飛んだ妖怪もいる。しかし、そんなことは想定内だ。

 

「ハァァアッ!」

「テイヤァッ!」

 

 美鈴と青娥は、空を舞いながらそれらの妖怪を蹴り散らかす。

 二人の蹴りの範囲外にいる妖怪は、芳香が弱そうに見えたのか、嫌らしくニヤケながら囲っている。しかし、手助けは無用だ。

 

「…イナクナリナサイ。」

「…!?」

 

 妖怪達は芳香から溢れる形容しがたい恐怖に、尻を着かせた。汗が大量に吹き出している。次第に恐怖に耐えられずに意識を失い、その場に倒れる。

 

「ハッハッハ~勝ったぞ~。」

「よしよ〜し、芳香はいい子だ強い子だ〜。」

 

 芳香の頭を撫でる。すると青娥がハエのように集ってくる。

 

「あ、私にもして~?」

「は?」

「どして…」

 

 落ち込んでいる青娥の横で、美鈴は身体を伸ばしている。

 

「良い体操になったな。」

 

 俺らのいつも通りの日常を見て、牛若丸は先程までの決意の堅い瞳はなくなり、呆然としていた。

 

「…マジかよ。」

 

 妖怪の返り血を浴びながらふざけ合っている俺達に対して後に「かなり恐怖を感じた。」と述べていた。



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玉の緒の刀 Ⅷ 『情報』

 あの後、牛若丸とは別れて俺は旅を続けている。牛若丸の方は、今では目的の母親に会ったそうだ。祝福すべき出来事だ。今では『源義経(みなもとのよしつね)』として、兄弟である『源頼朝(みなもとのよりとも)』と軍を率いているらしい。俺達は、そんな情報を聞いて心が踊るような気分だった。

 ある日、俺達は久しぶりに諏訪へ行くことになった。いつ来ても懐かしさを感じさせる諏訪大社の大きな注連縄を目の前に、俺は思わず笑みがこぼれる。

 

「ん~、久しいな。」

「本当に定期的に帰りますよね。」

「まぁ、約束したしな。」

 

 諏訪大社の戸をいきなり開け、中にいるであろう諏訪子の反応を期待する。唐突な戸の開閉に、中にいた人物は驚いたような表情でこちらを見るら、

 

「うぇ!?れ、零!?か、か、帰ってくるなら言ってくれれば…もっと準備出来たのに…!!」

「いやぁ、いつもこのぐらいには来てるだろ。何で毎回同じ反応なんだ?」

 

 俺はニヤニヤと弄り甲斐のある諏訪子の赤面を覗き込む。そんな俺に諏訪子は慌てて顔を隠す。

 

「あーうー…あ、どうもお久しぶりです。お弟子さん達。」

「お久しぶりです。」

「ヤッホー!」

「あーうー。」

 

 青蛾は軽いし、芳香は挨拶じゃない。ただ諏訪子の真似しただけだ。最初に連れてきた時はもう少し丁寧だったはずなのだが。

 苦笑いをしていると、奥の部屋から神奈子が珍しそうに現れた。

 

「おや、零じゃあないか。久しいな。」

「久しぶり。」

 

 フランクに挨拶をしてくれたため、同じように返した。所で、神奈子の後ろに誰かいる。小さな女の子だ。もしや…

 

「神奈子、その子は次の巫女かい?」

「ん?あぁ、そうだ。ほら椿、諏訪子が恋した男性だよ。」

「んな!?」

 

 それに関しましては俺も申し訳ないと思っている。どうやって反応すれば良いのか分からない。神奈子は分かってそう言っていやがる。いい性格だ。

 

「はじめまして…」

「ん、初めまして。」

 

 笑顔で挨拶をすると、照れなのか、俺が嫌なのか、椿は神奈子の後ろに隠れ、こちらを覗いている。

 

「ハッハッハ、この子は人見知りだからねぇ。悪く思わないでくれ。」

「分かっているよ。」

 

 暫く話し込んだ後、酒を開けて、毎度恒例となっている再会を祝う小さな宴を行うこととなった。

 

____________________________________________

 

「久しぶりに呑む酒もウマイ。」

「もっと呑めー。そして酔えー。過去の恥ずかしい黒歴史を語れぇ!!」

「遠慮しておく。」

「くっ…!」

「っていうか、お前が酔ってるやん。」

 

 俺の肩に頭を預けながら呂律の回っていない口で話しかける。目も薄らと開いていて、焦点が合っていない。誰がなんと言おうとベロベロに酔ってる。

 

「そってしておけ。」

 

 神奈子が呆れながら、諏訪子とは逆側に座る。

 

「そういや、今は源頼朝だとか義経だとかが有名だよなぁ。」

「義経ね、懐かしいな。」

「知り合いかい?」

「色々あってね。」

 

 今、彼は何をしているのだろう。きっと、大勢の武士の先頭に立ち、導いているのだろう。

 牛若丸の活躍を祈っていると、そんな俺に神奈子は複雑な表情を見せる。

 

「だとしたら、言いづらいが悲報がある。」

「…何だ?」

「今、彼は追われる身になっている。」

 

 あの高い志を持つ青年が、追われる身だと?あまりの事実に上手く飲み込めない。

 

「何故?」

「兄の頼朝と戦術や考え方の違い、それと行き違いがあってそうなったらしい。」

 

 俺は当事者では無い。だから、頼朝に対して何かを思うことは無い。しかし、あの牛若丸が兄に拒絶されているという、その事実が受け入れられなかった。

 

「…今日はもう寝るよ。」

「そうかい。じゃあ私も寝るか。」

 

 酔いが一気に冷め、呑む気も失せてしまった。しかし、俺はある覚悟を決め、その夜を越した。

 

____________________________________________

 

「みんな、もう準備は出来たか?」

「えぇ、勿論よ。」

 

 朝、俺は諏訪子たちと別れ、青娥たちと険しい表情をしながら晴天の下を歩く。

 

「じゃあ行くぜ。義経のもとに。『ナビゲーター』。場所は……『東北』?」

「相当逃げたのですね…」

 

 俺は、彼を助けたい。彼が今、助けを求めているのならば、今すぐにでも駆け付けたい。

 

「『瞬間移動』ッ!」



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玉の緒の刀 Ⅸ 『霊魂』

 俺達はその光景に絶望した。そこはもう、死体が沈む火の海だった。悪臭が周囲を立ちこめる。

 

「これは…」

 

 言葉を失う。この中に牛若丸がいるのだろうか。青ざめていく俺を見て、青娥は背中を擦る。

 

「彼なら大丈夫よ。捜しましょう。」

「…そうだな。」

 

 再び『ナビゲーター』で位置を確認する。どうやら屋敷に居るらしい。しかし、その道中で大量の妖怪がその屋敷に向かっている。軍が雇った妖怪だ。

 何故義経がこんな目にあわなければならないのだろう。あまりの悔しさに感情が飲まれそうになるが、俺は目を閉じて心を落ち着かせる。

 

「牛若丸は屋敷に居るが、途中で大量の妖怪がその屋敷に向かっている……殲滅しながら急いで向かう。」

「分かりました。」

「行くぞ!」

 

 瞬間、風をも追い付けぬ韋駄天の如く俺達は走った。目の前にそれらが現れたのならば、右手の前腕から青に輝く鉱石のようなものを出す。

 そして、斬った。何度も斬る。速すぎで血なども着かない。あぁ、あまりの速さに体が裂けそうだ。

 軽く100を超える数の首を飛ばしながら進んでいると、目的地が見えてきた。

 

「…な、んだと?」

 

 だが、その目的地は火に覆われていたのだ。直ぐ様ドアを開け、『冷の細胞』で消火する。

 そうして分かる。中には人が居るらしい。そちらも気付いたようで構える。

 

「何奴!?これ程の火を消す等とは……」

「義経はどこだ!?生きているか!?」

「その慌て様、敵ではないな。私は『弁慶』だ。義経様に一生涯付いて行くと決めた者だ。」

 

 牛若丸の家来か。この落ち着きようは、牛若丸が生存しているのだろう。どこにいるのかも分かっているのか。

 なるほど、この火は牛若丸が死んだように見せるための演出なのか。俺はやっと落ち着きを取り戻す。

 

「そうか、生きているんだな?」

「あぁ、生きている。地下に隠れているのだ。」

「良かった…」

 

 その言葉を聞いて漸く安心した。自分の頭の理解だけでは安心など出来ない。胸を大きく撫で下ろす。

 アイツはここで死ぬべき人間ではない。彼は生きるべきなのだ。弁慶は床に通じるドアを開き、着いてくるように手を大きく招いて中に入って行った。

 

「義経様、私です……返事がないな?」

「……!?まさか!!」

 

 刹那、俺は走った。追いかけるように後ろの四人も付いてくる。

 嫌な予感。それが俺の心の中に渦巻いていた。どうか杞憂であって欲しい。そう願っていても、その光景を見てしまった。

 

「…そんな。」

 

 その嫌な予感は当たっていた。

 血の臭いが漂っていた。光景は残酷だった。あの頃から成長した牛若丸、つまり源義経の体に刀が刺さっている。人を圧倒する程の殺気は、塵ほども感じることは出来なかった。

 俺に続き、後ろの4人がそれぞれに彼の死を認識して、それぞれに反応を示す。美鈴は手に口を当てて青ざめ、青娥は歯を食いしばって俯き、芳香は目を大きく見開いて動かず、弁慶は震える手を義経に刺さった刀に伸ばした。

 

「これは、この刀は、この人のものだ…」

「なに!?」

 

 自分の刀に殺されたと言うことになる。しかし、一体どう言うことなのだ。

 思考を巡らせていると、その刀を握っていた弁慶が苦しそうに胸に爪を立ててしまう程強く掴み、その場に崩れ落ちる。

 

「…!?な、なんだ、これ、は…!くるし…い…」

「おい、どうした!?」

 

 弁慶は苦悶の表情を浮かべ、瞳の光を失い始める。荒々しい呼吸は薄れていき、やがて彼は全身が脱力して動かなくなった。

 弁慶の唐突の死。その奥から心底愉快そうに笑いながら俺らの方に向かってくる。コイツが元凶か。

 

「フッフッフ…久しぶりだなぁ。」

「……誰だ。」

「あぁ?忘れたってのか?そりゃねぇぜ、兄弟。俺達の仲じゃねぇか。」

「お前など知らん。顔を出せ。」

「そうだな…良いだろう。俺の顔さえ見れば分かるだろう。」

 

 そして、そいつは影から抜け出し、その顔を見せた。

 

「お前は…!?」

「ハッハッハ!!驚いただろう?当たり前さ、一、二億年前に殺した妖怪がいるんだからな。」

 

 そいつは昔、永琳を拉致した妖怪だったのだ。あの時に、確かにこいつは殺したはずだった。なのに、何故そこに存在するんだ。

 

「おーおー驚いているなぁ!!立派になりやがって、可愛い弟子まで居るじゃねぇか。」

 

 いや、きっと黄泉から来たのだ。

 ユーベ・ナイトバグ、そして屠自古を殺した妖怪も黄泉から来たらしい。あいつらの言う『あの人』という者が俺の命を狙っている。つまりコイツもか。

 

「あぁ、そうだ。俺の名前、知らないよな?」

「興味はない。」

「まぁ、聞けって。」

 

 何故、名前を言いたいのだ?不思議に思うが、今はそれどころではない。

 

「俺は『ユナ・ネイティブ』だ。」

「…だからどうした。」

「あれ、分からない?そのキョンシーを見る限り、蟲野郎には会ったよなぁ?」

「………」

「答えろよ……あぁ?」

 

 こいつはなにがしたいのだ?分からない。ユーベ=ナイトバグがなんだと言うのだ?

 いや、待てよ。何か引っ掛かる。

 

「まぁ、いいや。死ねよ。」

 

 刹那、俺は吹っ飛ばされた。腹部に鋭い激痛が走る。今の攻撃や過去の戦いから察するに、やつの能力は『物を移動させる能力』だ。

 奴は、予め持っていた石か何かを俺の腹に高速移動指せたのだ。手は動かさず。

 

「さっきの弁慶の顔見たか!?最高だったよなぁ!苦しむ顔、最高だ!只の毒殺だぜ!?能力なんて使ってもいない!」

「うるせぇ…」

「あ?……なッ!?」

 

 俺は奴に石を返した、『熱の細胞』付きを。砂埃を破って高速で突き進むそれは見事命中し、奴も吹っ飛んでった。

 

「アッチィィィィッ!?クソが!!」

「はぁ、はぁ…奴を殺すぞ。」

「勿論です。」

「えぇ、喜んで。」

「…」

 

 俺は水威矢を創り、そして射る。ユナは咄嗟に右に回避するがしかし、その先には美鈴の足がユナの顔を捉えていた。

 

「テイヤァ!」

「ガハァッ!!」

 

 美鈴の蹴りを顔面に食らい、口内から血ヘドように吐くユナに更なる追い討ち。

 

「ちょっと残酷だけど、許してね。」

 

 簪を投げて、ユナがもたれかかった壁に刺し、青娥がギリギリ通れる程の穴を開ける。青蛾はその穴の中に入り、外側から二点の穴を開け、そこからユナの頭を持つ。

 そのまま思い切り、壁に叩き付ける。何度も何度も、頭の形が変形するほどに。ユナが漸くその手を殴ろうとすると、青娥はその手を引っ込めて、ユナは自分を殴る形になる。

 青娥は別の壁から戻ってくる。

 

「…チッ。」

 

 その舌打ちと共に、横に居た弁慶の死体が何にも触れられていないにも関わらず、青蛾と美鈴にぶつかった。

 多分、死体を移動させたのだろう。

 

「あぶねぇなぁ。」

 

 ユナは不意の拳をガードした。その拳は芳香のものであった。たまに見せる、芳香の刺すような殺気の籠った拳に、ユナはニヤリと笑う。

 

「嬢ちゃん。キョンシーなんだろ?その割には、生前の感情が残っているなぁ、いや、実は全部覚えていたりして。」

「………」

「なんだ、本当に忘れているのか。ただ、少し感情が残っていることは事実だな。」

 

 ユナは大刈りで芳香を転ばし、腹にパンチをする。芳香にはあまり効かないが、分かっていても腹が立つ。

 

「んじゃあ、俺のターン。」

 

 瞬間、奴は自身の体を高速移動させ、美鈴と青娥の前に現れる。二人は構えるが、遅い。その時には既にそれぞれに二十発程殴られていた。

 

「フッフッフ。成長か…素晴らしい。残りは…オマエダ。」

「ッ!?」

 

 刹那、重力が俺に対して強く働く。重い。何だこれは。

 

「おお!!これが『あの人』の言っていた特典か…」

「なに、しやがった…!」

「フッフッフ…」

 

 奴は俺に近付き、しゃがみこんで不気味な笑みを浮かべる。

 

「あん時の借りを返すぜ。お前を後でなぶり殺してやるよ。今は、あんたの弟子達を強姦でもしてるから、そこで勃起させながら見てろ。」

「……や…めろ…!」

「あぁ?やめろだぁ?おっかしいなぁ…敬語がないように聞こえたなぁ。」

 

 ユナはわざとらしく耳の裏に手を当てて俺に向ける。俺は血反吐を吐きながらもゆっくりと言葉にする。

 

「やめ…て……くださ…い…」

「う~ん、ゴメン無理。」

「ッ!?」

 

 ユナは高笑いしながら、美鈴達の方へ進んでいく。

 俺は死んでもいい、だから、彼女達だけは汚さないでくれ。また、俺のせいだ。

 俺が居るから、周りの人は地獄を見る。俺が居なければ、彼女らは幸せだったのだ。俺が死ねばよかったのに…俺が……

 

死ネバヨカッタノニ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなことはありません」

 

 声が聞こえた気がした。聞き覚えのある声だった。

 

「零さん、私はここにいます。死んでしまいましたが、霊として」

 

 いや、気の所為ではない。確かに聞こえた。義経はいる。ここにいる。

 俺は目を開いた。そこに居たのは浮遊する玉の緒。

 

「私の緒を持ってください。そして、挑んでください」

 

 義経…いや、牛若丸。お前が居てくれて良かったよ。

 

「その言葉、そっくりそのままお返しします」

 

 いつの間にか、重力の重みが消えた。俺は立ち上がり、牛若丸の玉の緒を掴んだ。

 

「おい、腐れ外道。」

「なにッ!?」

 

 ユナは驚きながら後ろを振り返る。そこには、鋭い刀の形をした牛若丸の魂を持った俺が立っている。

 

「お、お前、何故立っている?」

「二人だからだよ。」

「は?」

「もう、痛みも重さも無い。傷や負傷は、友によって書き消された。」

 

 俺は構える。鋭い目付きを奴に向け、剣の道筋を見る。

 

「行くぞ、丸!!」

「はい!」



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玉の緒の刀 Ⅹ 『友情』

 俺の構える刀を見て、ユナは納得したように頷いた。

 

「なるほど、霊魂か。しかも擬態化するとは珍しい。よっぽど強い念だ。」

「当たり前だ。零さんの命が狙われているんだ。そのままにはいかぬ。」

 

 こう思ってくれる人がいる。そう気付く。それは、美鈴達や諏訪子達、神子達や文達、そして永琳達。挙げると数多の数だった。

 俺は、護られている。

 

「まぁ、どうでも良い。どっちにしろ…死ね。」

 

 ユナは一瞬で俺の前へと現れ、渾身の一撃を食らわそうと拳を振るうが、その拳は刀によって遮られた。

 そろそろ、美鈴達も目を覚ましたようだ。

 

「ッウグ!!……あんただけが、刃物を扱うなんてフェアじゃあないよなぁ!?」

「………?」

「まさか!零さん、構えてください!」

 

 丸に言われた通りに構えるが、ユナはお構い無しに弁慶の死体の方へと向かった。ユナは弁慶に触れる。軽く撫でる程度。

 すると、空中に幾つもの武器が浮かんできた。あらゆる場所から出てくる。

 

「あれは弁慶の所有物です。武器を集めるにが趣味でした。」

「おかしくないか?アイツ、武器に触れていないのに能力が発動している。」

「なにやら『特典』というもので、『生物を触れるだけで、それの所有物を扱える』らしいです。俺も、彼に触れられて刀を奪われていたのです。」

 

 『特典』か。次から次へと問題が降りかかってくる。その一つ一つの問題を潰すのにどれだけ労力を割かなくてはならぬのか。苛まれる。徒花を見ている気分だ。憂鬱な気分。

 

「食らえェ!!」

「……」

 

 それらは一気に向かってくる。勿論避けるが、限界が来るのは当たり前。何処かで防がなくてはならぬ。

 …否、その必要性はない。

 

「当たれェェェ!」

「回りを見ねぇのが、あんたの悪いところだな。」

「あ?」

 

 次の瞬間、美鈴の拳によってユナは吹っ飛ばされる。勢いで俺の方へ。

 

「ハァッ!」

 

 斬る。ユナはすれ違うように倒れ、その胴体から一筋の綺麗な線が血を吹き出した。

 

「ガハッ!!ハァ……まだだ、刀に触れたからな。」

 

 俺の手の中に納まっている刀になった丸は、ユナの後ろの方へと飛んでいき、地面に刺さった。

 

「お前に刃物は効かない様なもんだからな。」

「よくわかっているじゃあないか。」

「お前を殺すためにお前を知ってきた。」

「その努力は無駄になる。」

「どうかな?」

 

 軽口を叩くのもそろそろ止めにしよう。俺は確信した勝利に、思わず笑いが込み上げる。

 

「…もう、無駄になっているか。」

「は?」

 

 何かが勢いよく斬れる音。ユナの背中が斬れたのだ。斬ったのは、丸である。

 

「刀になるだけじゃない。幽霊なんだから、人の形をするのは当然。なぁ、丸。」

「えぇ、そうですよ。」

「…ク、クソ……クソどもがぁぁぁぁぁぁッ!!」

「秘技『八艘飛び』。」

 

 出鱈目に斬っているようで毎回致命傷を与えている。正に秘技である。

 

「テイヤァッ!!」

 

 とどめを刺す。ユナ・ネイティブはもう動く様子がなかった。

 

____________________________________________

 

「いやぁ、終わったな。」

「そうですねぇ。」

 

 ボロボロになりながらも、灰まみれの屋敷の屋根の上で朝日を眺める。

 

「強くなったんですねぇ。」

「えぇ、それはもう。死んで霊になっても、力は死にません。」

 

 美鈴のシミジミとした言葉に、丸は嬉しそうに答える。

 

「貴方、あのユナ・ネイティブって人と知り合いみたいだったけど…」

「まぁな。」

 

 青娥の問いには、あまり深く答えなかった。青娥もそれに察したのか、あまり触れようとはしなかった。

 俺は空を見上げ、目を瞑る。すると、微かな風の流れを感じる。

 

「なぁ、丸。一緒に来るか?」

 

 丸は少し驚いた。が、直ぐにその表情は笑顔になる。

 

「勿論です。」

 

 と、答えた。

 

「よし、じゃあ行くか」

 

 そして、旅は朝日に照らされながら再開する。この旅は、一体どこへ向かっているのか。それは誰にも分からない。

 ただ一つ、その終わりの見えない旅は確実に終わりに近づいていっていることは分かるのだ。黄泉からの刺客。俺が命を狙われている、その理由が分かれば、全てが終わる。

 俺は立ち上がると、四人も立ち上がる。頼もしい仲間がここにいるのだ。必ず、この呪いの旅に終止符を打つ。そうして、俺はその足を前に出した。



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心の隙間の温かみ
心の隙間の温かみ Ⅰ 『喪失』


 時は戦国時代。織田信長が勢力を上げ、全国を統一するかと予想されていた時代。ここで、俺の今後の人生を変える妖怪と出会った。

 場所は蝦夷地。実は、この土地は何度か訪れており、恐らく5回ほどは踏み入れていた。

 

「しかし、寒いな。」

「そうですね、もう一枚着てくればよかったです。」

 

 俺と並び、美鈴と青娥が肩を震わせる中、丸と芳香は同じような反応は示さなかった。

 

「私は何も感じませんねー。」

「私もー。」

「お前ら…」

 

 来る度にこの寒さを経験しているはずなのに、なぜ俺らは厚着をしてこないのだろう。来る前の謎の自信はなんなのだろうな。

 

「…ん?何か話し声が聞こえる。」

 

 それは遠くの方からだった。妖怪の声か、人間か、どちらにしても、とても楽しそうな世間話には思えない雰囲気だった。

 

「……行くのですか?」

「勿論だ。」

「ハァ…お人好しね。」

「まだ、人かどうか分からない。ホラ、掴まれ。」

 

 俺の性格など分かりきっている皆は、呆れながらも俺に掴まる。丸は刀になって実態化し、鞘に収まっている状態で握りしめる。

 

「『瞬間移動』。」

 

____________________________________________

 

 木々に囲まれた場所に着き、見上げると近くに雪を被った山が並んでいた。木の葉の囁きにそぐわない怒声と懇願する声。その近くまで訪れると、内容も聴き取りやすくなる。

 

「おい、紫。人と妖怪が共存するだぁ?舐めたこと言ってんじゃあねぇぞ!!」

「うッ!」

 

 鈍い音が森に響く。これは、どんな事情であれ介入しなくてはならない。『ナビゲーター』では一人の男と額を地面に着けている女妖怪二人の波形を捉えた。

 

「妖刀と呼ばれた『イペタム』様がお前らの言うことを聞くと思うたか?」

「お願いします。」

「紫様、もうお止めになった方が…」

「黙りなさい。」

「………」

 

 紫と呼ばれた妖怪はそれでも頭を地面に擦り、いつまでも願い出ていた。イペタムとやらは見苦しく思ったか、どこかへ行こうとした。

 

「お願いします!」

 

 紫はイペタムの脚にしがみつき、諦めなかった。妖力的には大妖怪と言える力量を感じるのだが、最早そのプライドなど考えているほど余裕はないようだ。

 

「しつこい奴だ。」

 

 イペタムは腰にしまっていた剣を取りだし、紫に振りかざす。

 

「面倒という理由だけで殺生は好ましくないな。」

 

 ギリギリの所で、俺はイペタムの腕を掴んだ。何とか間に合った。イペタムは突然現れた俺の存在に驚いており、紫ともう一人の妖怪も何が何だか分からないようで顔を上げた。

 

「な、なんだお前!?」

「神田零だ。しがない旅人さ。」

「神田…零?」

「んな!?…チッ、分かったよ。生きる伝説を見ることができたし、今回は許してやる。」

 

 そう言い残し、イペタムは森の方へと消えていった。生きる伝説とか言われていた事に蝦夷地とは違った寒気を覚えながらも、俺はしゃがみこんで紫と呼ばれた妖怪に手を差し伸べた。

 

「大丈夫か?」

「零………なの?」

 

 少し、不思議な反応を示した。俺の顔を驚いたように見て、名前を確認する。今までにないパターンだった。そんなに有名になったのか、というような感じでもない。

 

「まぁ、そうだが…どうした?」

「零!」

「うお!?」

 

 紫はいきなり俺に抱きついて、その腕の力を強める。一体、これはどういうことなのだろうか。まず様子を見るに、彼女は俺のことを知っている。しかし、俺の海馬は彼女のような妖怪を記憶していなかった。誰だ、この娘は?

 とりあえず、訊きにくいが俺は紫の事を知らないことを伝えて、誰なのかを確かめよう。

 

「あの、申し訳ないのだが…」

「やっと…会えた…うっ…うう……」

 

 遂には泣いてしまった。更に訊きにくくなった。

 ここまで来ると逆に心配になってきた。俺は今まで事物を忘れたことなど一回もないのだが、俺が忘れているだけなのかもしれないと自信をなくしてしまう。

 いやしかし、彼女の付き添いも目を点にしている。意を決して、訊くしかない。

 

「…すまないが、俺は君のことを知らないんだ。忘れているのか、本当に会ったことがないのか分からない。」

「え…そ、そんな。」

 

 酷く絶望した表情。そんな目で俺を見つめないでくれ、胸が痛い。

 

「すまん、本当に君が分からないんだ。」

「…そう。やっぱり、私のせいなのかもね。」

「え?どういう…」

「ううん、気にしないで。」

 

 紫はゆっくりと俺から離れ、俺達に向かって頭を下げてきた。何事かと思ったが、腰の角度的に自己紹介であることを察する。

 

「私は『八雲紫』。この娘は私の式の…」

「『八雲藍』です。以後、お見知りおきを。」

「うむ、分かった。」

 

 自身の自己紹介を改めてやった後、美鈴達の紹介もした。紹介する度に思うことだが、この旅のメンツは異様でしかない。紫と藍も驚いている。

 

「キョンシーや幽霊も一緒に…しかも幽霊が源義経って…」

「式ではないんですか?」

 

 紫は何千回と見た反応を示す。藍は自身が紫の式だからか、四人が俺に式ではないのかを伺う。

 

「うん、青蛾や芳香は親友、美鈴は弟子、丸……義経は友人の息子だ。」

「兼、零さんの武器ですね。」

「説明されてもよく分からないわ。」

 

 ごもっともな意見だ。

 

「……」

「どうした?」

 

 ある程度紹介を終えると、紫はなにやら真剣な顔付きになった。どうかしたのだろうか。

 

「ねぇ、零。」

「どうした?」

 

 改まった態度、これは何かを頼もうをしているようだ。そう言えば、イペタムにも何かを頼み込んでいた。頭を下げられた側があんな態度になるぐらいの依頼とは、一体どんなことなのかと、少し身構える。

 紫はゆっくりと口を開く。

 

「その…人間と妖怪の共存できる世界を一緒に創りませんか!?」

「いいよ。」

「……え?」

「え?」

 

 何故疑問になった?

 

「い、いいの?あ、あれだよ?妖怪と人間の共存する世界だよ?」

「だから、いいって言ってんじゃん。っというか、どんな依頼が来るかと身構えちゃったよ。そんなことか。」

「そ、そんなこと…」

 

 またも、紫は驚いた表情で俺を見つめる。たが、そんなに驚くことだろうか?俺の後ろにいる四人は驚く所か俺と同じような反応をしている。

 俺は紫に手を伸べる。紫は若干震える手で握り、そうして俺と謎の妖怪、紫はすんなりと契約を結んだ。



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心の隙間の温かみ Ⅱ 『契約』

 握手を交わした紫が少し二人で話したいと申し出たので、近くにあったボロボロの建物で話し合うことにした。念の為、ということで、俺と紫以外の五人は外で待機してもらうことになった。

 寒い中で待たせるのは申し訳ないので、適当な枝を集めて『熱の細胞』で火をつけて焚き火を作っておいた。

 

「その…零、本当に良いのよね?」

「あぁ。というか、さっきからそう言っているだろう。理論上は可能だしな。」

「創るのにも膨大な霊力と妖力、それに神力が……」

「膨大に有り余ってるよ。」

「……うん。」

 

 改めて訊いてきた紫は、俺の返答を聞くと口を綻ばせた。

 

「取りあえず、広い土地を結界で囲めばいい。探してくるよ。その後に、俺が色々な力を使って小さな異世界を創る。」

「あ、貴方にそこまで負担はかけたくは…」

「君が誘ってきたんだろう?」

「うぅ、でもぉ…」

 

 何をそんなに遠慮してるのか。やはり、俺が忘れているだけで過去にこいつと何かがあった?

 だとしても、思い出せない。

 

「ああもう、めんどくせぇ!んだったら、霊力が豊富な神社の巫女や神主も誘ったらどうだ!?」

「え……?」

「その世界。出来た後はどうなる?」

「後?」

 

 計画性がまるでないな。良いだろう。手伝うと契約を結んだんだ、折角なら助言をしてやるとしよう。

 

「いいか?その世界を創って永遠に平和がくるわけじゃない。平和は只じゃないんだよ。」

「…なるほど、必ず『異変』が起きる。」

「そうだ。結界で孤立した世界だぜ?妖力と霊力で溢れて仕方がない。暴れたい妖怪も出てくるさ。」

「…それを解決するために『巫女』、もしくは『神主』と言うわけね。」

 

 理解したようだ。

 

「しかしだ、油断してはならない。」

「え、なんで?」

「その異変を解決する者自身が異変を起こすかもしれない。」

「……」

「異変を解決する者は二人以上であり、そして親しい仲や犬猿の仲等の様々な関係性を持たせた方がいい。」

 

 紫は納得したように頷いた。それと同時に肩をすくめた。

 

「しつこいようだけど、本当に覚えてないの?」

「すまない。やはり、君の顔を見たことはないと、俺の脳が判断している。」

「そう…昔はこうやって意見を言い合ってたのに。用意周到なのはいつでも変わらないのね。」

 

 そんな懐かしむように言われても、分からないものは分からない。なんとも言えないやりづらさを感じる。

 この際だ、あやふやにするのも気持ちが悪い。俺は紫に問う。

 

「俺達が出会ったのはいつのことなのだ?」

「…いえ、いいわ。もしかしたら、同姓同名の顔が似た人なのかも。」

「そんな人、いるのか?」

「存在の否定は出来ないわ。」

「確かにそうだ。」

 

 俺は肯定したが、心の中では否定した。少なからず、顔のパーツは何処か違うだろうし、久しく会ったにしろ、抱き付くほどの仲の異性の顔を間違えるだろうか?雰囲気だって違うだろうし、態度だって違うはず。

 そう思考をしていると、後方の戸が開く。振り返ると青娥の姿があった。

 

「零、ちょっと来て。」

「分かった。すまん、少し空ける。」

「いいわよ、気にしないで行ってらっしゃい。」

 

 俺は後ろ手で戸を閉め、青蛾の用事を伺う。

 

「気になったのだけれど、何故彼女の計画に参加したの?」

「何故って?」

「きっと、永琳達を匿うためと、彼女のこと。記憶にないから償う気持ち半分で乗ったのだろうと思うけど、その他に理由があるんじゃないの?」

 

 鋭いな。流石青蛾だ。伊達に何百年も共に旅をしていない。

 

「何故そう思う?」

「……勘?」

「結構。ならば教えよう。」

 

 青蛾は少し前屈みになった。

 

「自身の正体を知るためさ。」

「なにか関係が?」

「力を結界で閉じ込めていれば、自と住民は強くなるだろう。その人達に頼んで一緒に正体を暴いてほしい。」

 

 それを聞くと、青蛾は少し驚いた様子だった。

 

「うむ、自分勝手なのは分かっている。だが…」

「意外…」

「え?」

 

 青娥は口に手を当て、わざとらしく驚く。というか、流石にわざとだ。何か嫌味を言うぞ。

 

「意外と気にしてたのね…自分の正体なんて気にも止めてないのかと。」

「おい、それどういう意味だ。」

「そう…でも、それは私達だけじゃ不満かしら?」

「い、いや、そういう訳では…」

 

 漸く気がついた。これは、青蛾達に対して力不足だと言っているようなものであると。しかし、今となっては断れない。身勝手すぎる。

 

「すまない…だが、多い方が早く分かると思い…」

「ふふ、良いのよ。別に悪気があったわけじゃないでしょうし。」

「……」

 

 何故、こんなことをしてしまったのだろう。俺はなんて酷い人間なのか。

 自己嫌悪に陥っていると、青娥は俺の肩をトントンと叩く。

 

「ほら、彼女の顔を見て。」

「え?」

 

 青蛾が指差したのは芳香だった。

 芳香は芋虫の行動に興味を示している。前まではあれほど虫を嫌っていたのに、不思議なものだ。

 

「彼女、実は生前の記憶をほんの少しだけ取り戻したそうよ。」

「なに!?」

「いつも蝶に戯れてたでしょう?それで、良い記憶じゃないけど『ユーベ』を思い出したらしいの。」

「………」

「貴方も、見つかるわ。」

 

 そうだな、と応えた。しかし、俺の心は晴れない。

 

「もう、いつまでもイジイジしてたらこの青娥ちゃんが抱き付くよ!」

「…お願いだ。」

「え?」

「…少し、人肌が恋しい。」

 

 俺の返答に、青娥は驚きつつも冗談めかして笑う。

 

「ダーメ。紫さん、放っておいてイチャつくのは悪いわ。後、本気にしちゃうから止めて。貴方にはもう居るでしょ?」

「…そうだな」

 

 もはや、精神が歪んできているのかもしれない。俺には永琳がいるのに、何をしているのだろう。俺は最低だ。

 

「じゃあ、納屋に入ってらっしゃい。」

「あぁ、分かった。」

 

 俺は背中に何か重荷が乗っかるような苦しみを味わいながら、建物に戻った。



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心の隙間の温かみ Ⅲ 『計画』

「…うん、ある程度は話は煮詰まったわね。それじゃあ皆を呼びましょうか。」

「あぁ、呼んでくる。」

 

 俺は戸を開け、焚き火で暖を取る青蛾達に呼び掛けた。青蛾達はそれに気付き、こちらの方へと向かってくる。

 

「終わりましたか?」

「あぁ、中に入ってくれ。」

「お邪魔しまーす。」

 

 建物は思ったより広いので、あと二、三人は入れるぐらいのスペースはある。そうして、俺らは火を灯した蝋燭を円陣で囲むように座った。

 すると、青娥が早速計画の内容を訊いていた。

 

「それで、どういう話になったわけ?」

「まず、私の理想郷を創るためには土地が必要。出来れば山奥が良い。」

「旅をしてきた俺達は土地には詳しい。だから候補を挙げた。」

 

 候補は二つ挙げた。一つは北方領土のどれか。国後島とか良いかもしれない。そして、白馬村の山。信州にある山に囲まれた村だ。それぞれ大きいから半分にしてその理想郷を創ろうという魂胆だ。

 

「妖怪と人間の共存する世界。しかし妖怪がいなきゃ意味がない。だから、全国から妖怪を集める。そして、その理想郷を創るわけだ。」

「その理想郷の名前は『幻想郷』というの。」

「幻想郷…」

 

 美鈴がその名前を聞いて復唱した。

 

「これは膨大な計画だ。治安を守る巫女や神主を幻想郷の主要人物に決めたり、しかしある程度悪さを働く妖怪や人間も必要だ」

「悪さを働く?またどうして。」

 

 案の定の質問が来た。

 

「皆が善人で世界が長続きすると思うか?」

「えぇ、私はそう思うけど…」

「いいか?善人であることは良いことだ。しかしだ、言い方を悪くすれば刺激がない人間だ。」

「刺激がない?」

 

 まだ俺の伝えたいことが伝わっていないようで、もう一度それを聞き返してきた。

 

「優しさに刺激があると思うか?無いな。人間は誰しも刺激を欲する。つまらないからだ。人生を退屈しないためにな。」

 

 皆は「なんとなくは理解した」と言うような顔で頷いた。喜びというのは悲しみがあるから感じられる、表裏一体の存在だ。感情のない世界は、俺は理想郷とは言えない。

 

「これは日本各地を廻って行う計画だ。そうだなぁ…この計画を『東方Project』と呼ぼう。」

「東方ぷろ…何?」

「東方Projectよ。Projectの意味は計画って意味。」

 

 俺の命名に、紫が補足した。青蛾は納得したようなしていないような、そんな微妙なラインでの頷きを見せた。

 すると更に、美鈴からの質問が来た。

 

「何故『東方』なのですか?日本全国なのに。」

「日が昇るのは東からだろう?日本は日が昇る国。つまり、世界の東方に存在する国って訳だ。」

「あぁ、成る程!」

 

 こちらは凄く感心した上で理解したようだ。

 

「取りあえずだ。まずは土地の確保だ。」

「先に北方領土に行きましょうか。」

「そうだな。」

 

 行先が決まった。北方領土にも何度か足を踏み入れており、友人もそこに居たりする。

 美鈴もその目的地を聞くと嬉しそうに頬を緩ませた。

 

「北方領土かぁ、懐かしいですねぇ~。」

「今度こそコロポックルを見るそー。」

「芳香、もう何回か見ただろう?」

 

 いつもの雰囲気で、まるで観光をしに行くように話しをしているが、このプロジェクトはこの人生で最も最難関なものになるだろう。しかし、面白味も詰まっている筈。楽しみで仕方がない。

 俺は薄氷が張った土を踏みながら、蝦夷の風を感じる。



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心の隙間の温かみ IV 『小人』

 オホーツクの波が聞こえてくる所までやって来た。やはり冬も近いため、肌で感じる潮の香りは震えるほど冷たい。

 俺は『創造』でそれぞれの個室があるぐらい大きな船を造り、北方領土に渡る準備を終わらせる。

 

「零って『生きる伝説』なだけあってなんでも出来るのね〜。」

「その呼び方止めてくれ。むず痒い。」

 

 恥ずかしいことこの上ない。紫はニヤニヤしながら話していた辺り、わざとだろう。俺の扱い方を分かっているような態度だ。

 本当に俺の事を知っている?

 

「それじゃあ、早速いきましょう!」

「待て待て、俺達も久し振りに来た。昔からの友人たちに挨拶をさせてくれ。」

「友人たち?」

 

 オホーツクの近くには旅の中で仲良くなった友達が居る。来ているのに顔を見せないのは申し訳ない。

 俺達は紫と藍に付いてくるように言って、森の中へ入る。森の樹々は入り乱れて躓きそうになるも、何とか奥へ進んだ。

 暫く歩き続けていると、藍が俺に話しかけてくる。

 

「一体何処まで…」

「静かに。」

「………」

 

 耳をすますと声が聞こえる。ここら辺だろうと、俺はその声に向かって声を張る。

 

「イランカラプテ!」

「え?」

「こんにちはって意味よ。」

 

 困惑する藍に、紫が翻訳を伝えてくれた。意味を知らなければ唐突に変な言葉を叫んだヤツだ。

 暫く待っていると、俺たちに向けて話しかける声が聞こえた。声は下の方からだ。

 

「誰だ?」

「神田零だ。仲間を連れた来た。」

「合言葉は?」

アシリウパシ(新しい雪)。」

「零ぃ!久しいな!」

 

 すると目の前の地面がいきなり空いた。それまでは踏んでも跳んでもただの地面だったのにと、藍は驚いている。

 その穴から、小さな人間が現れた。コロポックルだ。

 

「久しいな、一尺。」

「おいおい、その名前は嫌いなんだ。背はそこまでないし、俺の器にしては小さいからな。」

「はいはい、今まで通り『シャク』って呼ぶよ。」

 

 シャクは腕を組んで白い歯を見せながら笑う。コロポックルの戦士で、俺が今まで会ってきた戦士で五本の指に入るほど強い。

 

「シャクさん、お久しぶりです。」

「おお、義経じゃないか!久しい面がこんなにも…そこのベッピン達は?」

 

 紫は至って平常に自己紹介。対して藍は唖然としながらも、自己紹介を始めた。

 

「八雲紫です。こちらは私の式の…」

「や、八雲藍です…」

「紫さんに藍さんね…美人はしっかり覚えとかなくちゃあな。というか寒いだろ。早く入りなよ!」

「おう、分かった。」

 

 俺達はシャクに続いて中へ入っていった。

 

____________________________________________

 

「綺麗……」

「だろう?何せ我らが先祖、少名毘古那様から授かった理想郷だからな。」

「何度見ても絶景だな。」

「そうね。」

「え?初めて来たんじゃないのか?」

「え、あぁ、絶景って所に共感したの。」

「なるほど。」

 

 そこは幻想的な風景が拡がっていた。町を照らす炎の光、天上に滴る小さな雫、それが落ちた緑の泉、所々に生えた草、全てが美しかった。

 これから理想郷を創る紫にとっては刺激的な世界だろう。

 

「大きい人用の通り道はこっちだ。」

 

 決して広くはないが、確かに通れる道。実は俺が来た時の為だけに作ってもらった道なのだ。

 

「でも、地面に理想郷を作ってよかったの?もし、地面が掘られたら……」

「ハッハッハ、いらん心配さ。此処と彼処は異次元の場所にあるのさ。」

「そうなの。だからか…」

「ん?どうかしたか?」

「いえ、なんでも。」

 

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。人間が人数いても座れる程に広い場所。ここは元からあった場所だ。

 

「さぁ、座りな。」

 

 シャクの言葉で皆は腰を下ろした。芳香は足を伸ばして座ってる。気付くと周りにはコロポックル達が大量にいる。

 

「それで、どうして蝦夷なんかに?」

「いやぁ、ただの里帰りさ。」

「お前の里は幾つ有るんだっての。」

「ハハハ。でも、別の目的が此処で出来ちゃってね。な?」

「えぇ。」

 

 紫はゆっくり頷いた。

 

「へぇ、聞かせちゃあくれないか?」

「わかったわ。」

 

____________________________________________

 

「ハァ、幻想郷ねぇ?」

「はい。」

「良いんじゃないか?零も付いてるんだし。実現するさ。」

 

 コイツ適当に言ってるな。話長くて途中で飽きてたぞ。

 

「にしても、まさか俺らもその幻想郷に招待する気じゃあねえよな?」

「そうしたいですが、嫌なら構いません。」

「押しが弱いねぇ。ま、でもそうだね。その船になる気はねぇな。俺達は蝦夷で充分さ。」

「分かりました。」

 

 イペタムに土下座してまで幻想郷を創りあげようと思っていた割にはすんなりとしている。協力者が出来たことにより余裕ができたのだろうか。

 

「にしても…『一寸』は元気かねぇ。」

「さあな。」

「え、あの…一寸って、あの一寸ですか?」

「なんだ嬢ちゃん、御伽だと思ってんのか?チッチッチ、実話だよ。」

「え!?」

 

 藍は分かりやすく驚いた。手を地面に着け、前屈みにシャクの言葉に興味を持ったようだ。一寸のファンか?

 

「俺の息子である『少名一寸』の本当の話、聞きたいか?」

「息子!?」

「おうよ、息子さ。実はだな、奴を姫様の所に送ったのは俺達なんだぜ。」

「御地蔵様が老夫婦に授けたんじゃなかったんですか?」

「そんなの話の誇張さ。いや、逆か。膨大な話を抑えたんだ。」

 

 一寸自身がそうやって語っている。

 

「お父さんに迷惑は掛けたくないんだとよ。親孝行な奴だよなぁ。」

「そうだったんですか…」

「昔は『零さんのような強者になりたいです!』なんて言っててな!」

「そうそう!あの頃は泣きそうになったね、嬉しくて。」

「俺も泣きそうになったな、妬ましくて。」

 

 シャクの視線が痛い。

 

「やっぱり零さんってお強いのでしょうか…?」

「ッたりめーよ!なまら強いぜ。なんてったって、性格に似ねぇ『神殺しの零』って二つ名を持ってんだからな!」

 

 俺の二つ名ありすぎるだろ。何故全てもれなく恥ずかしいのだろうか。

 それにしても、先に話していた幻想郷の話はどこかへ行ってしまった。紫も困っている様子で、なんだか可哀想な気がする。

 俺は紫の方に顔を向けた。

 

「そうだ。なんならこれからについて話そうか。シャク達の意見も聞いてさ。」

 

 すると、紫は俺の顔を見てニッコリと笑う。俺の発言にシャクも乗っかる。これで話の軌道修正はできただろう。



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心の隙間の温かみ Ⅴ 『排煙』

「まさか、君の式が船に弱いとはね。意外だよ。」

「ふふ、気にしないであげて。心配をしたら落ち込むから。」

「う、うっぷ。」

 

 藍は海に真っ青な顔を向け、口から出しそうな顔をしている。それを見て、紫はニコニコ笑っている。鬼なのか、コイツは。

 俺も海に体を向け、懐から煙管と少し湿った干し草を取りだし詰めた。

 

「『熱の細胞』。」

 

 干し草に火がつき、紫煙が空に溶ける。俺は口をつけて煙を吸い、喉を焼く。肺胞の隅まで煙で満たして味わい、脱力感を感じながら息を吐いた。

 

「煙草は体に悪いのよ?」

「よく知っているな。だが、俺の体はこんなもんじゃ弱らない。」

「フフフ、それもそうね。」

 

 口と煙管から出る煙は海風に流れていく。それを見ていた芳香は何を思っているのか、ただただずっと見ていた。何も、喋らずに。

 

「どうしたの、芳香。」

「わからない。」

 

 いつもとは違う芳香の様子に、青娥は心配そうな顔を見せる。

 

「あの煙…焼かれた蟲に似てる。」

 

 焼かれた蟲。ユーベ=ナイトバグのことだろうか。俺の『熱の細胞』で焼かれた奴。

 すると、芳香は急にその場に座り、汗を大量に流している。近くにいた青娥や俺は駆け寄る。

 

「芳香!?」

「どうした!?」

「う、うう…」

 

 苦しそうな顔をして、目を瞑った。

 俺は芳香のこめかみを指で触れ、何を苦しんでいるのかを探す。重ねて『ディア』も行う。

 

「…記憶がまた少し戻ったようだ。」

「記憶が…?」

「うう、零…辛いよ…痛いよ…恐いよぉ………」

 

 俺は芳香の頭を撫で、安心できるように囁いて抱える。痛いという感覚がある。それは死んでいるはずの芳香には本来無いはずの感覚だ。ならば何故「痛い」と言ったのか。

 もしかしたら…首だけだった時、彼女は生きていた?分からない。憶測に過ぎない。

 暫く続けていると、痛みは彼女を襲って来なくなったようだ。芳香はぐっすりと眠りについた。

 

「…どうやら、彼女には自身も知らぬ真実があるようだ。」

「真実?」

「確実ではないが仮定がある。今はまだ言えないが。」

 

 紫も心配するように芳香の顔を覗く。藍の心配はしないくせに、と少しおかしくて笑う。

 芳香を部屋に運び布団に寝かせる。その後、俺は藍の方へ行き、背中を擦った。

 

「少し落ち着いたか?」

「あ、ありがとうございます……その、芳香さんが大変な状態なのに御心配を御掛けして申し訳ないです…」

 

 分かりやすく落ち込む。本当だったようだ。紫は「あ~あ、やってしまった。」と呆れるような顔をした。鬼みたいな奴だ。

 俺は擦る手を止め、藍と一緒に遠くの景色を見る。煙を改めて吸いたかったが諦めることにしよう。

 

「心配?まさか。君は強いんだから、心配する必要性がない。俺はただ、落ち着いたかどうかを聞いただけだ。」

「え、あーその…慣れては来ました。あと、その、恐縮です。」

 

 恐縮ですの声が震えていた。絶対慣れてない。今にも吐きそうな顔をしている。なんとも面白い娘だが、流石に今弄るようなことはしない。

 相変わらずの真っ青顔の藍を背にして自分の部屋へと戻った。

 

「……おえ…」

「なにが慣れてきたよ。」

「ス、スミマセン……うっ!うう…」

 

 藍の呻き声は一日中、オホーツクの海に響いていた。



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心の隙間の温かみ Ⅵ 『未来』

 私は零に紹介された島に降り立っていた。やっと目的地に着いたが、私の式の藍は未だに船の上で青い顔をしながら唸り声を上げている。

 

「藍、もう着いたわよ。」

「は、はい。ありが…うッぷ。」

「ハァ…」

 

 零も地を足で踏み、広がる光景を眺めている。私も横に並び、この候補の島を眺める。

 

「そう言えば、芳香は?」

「ぐっすり寝てるわ。」

「そ、そうなの。」

 

 この人達は普通の感覚になっているけれど、キョンシーって元々は死人で、さっきみたいに痛いなんて言わないし、寝たりもしない筈。つまり、人間らしいことはしないはず。

 やっぱり、おかしい。

 

「紫?」

「へ!?」

「うお。す、すまない。」

「え?ああ、気にしないで、考え事をしていただけだから…」

「そうか?なら良いんだ。」

 

 驚いた。心臓が体内で跳ねた気がした。その後も血液が体を巡る音が聞こえて止まない。取り合えず落ち着くために少し大きく息を吐くが、なんの変わりもない。

 

「今は幻想郷のことだけを考えるのよ…」

 

 そう自分に言い聞かせた。

 

「あ~、落ち着いてきた…」

「あら、もう落ち着いたの?良かったわ。」

「すみません…」

 

 藍はやっと船から降りて、またその場にしゃがむ。何が落ち着いたのだろうか。

 

「にしても変わったな、この島は。」

「そうですね…」

「同意です。」

「なにが変わったの?」

 

 ただ単に森が広がっている様にしか見えない。昔は巨大都市があったとかだろうか。そのような形跡は無いが。

 

「昔は、自由な島だった。楽しさで溢れた、笑顔の耐えない島。」

 

 もし昔がその様な島だった場合、今はその情報とは合わない。似ても似つかない。

 この島に人の声も聞こえなければ、動物の姿も見えない。ただなにかに支配されているような、重たい空気が漂っていた。

 

「…ダメだな。」

「え?」

 

 突然、零の口の否定に声が漏れた。ダメ…なんとなく何を指して言っているのかは分かる。候補として挙げたが、あまりにも変わり果ててしまったのだろう。

 

「今日の朝飯、当たったぜ…本気でダメだ…」

「いや、そっちかよ!?」

「すまん、部屋に戻る。」

 

 呆れたよりも驚きが多い。久しぶりに零の変人っぷりを見た気がする。でも、それを見て少し嬉しいと思ってしまう私も大概だ。

 

「あの人こそ自由ですよね。」

「そこが良いのよね。なんか母性本能がくすぐられる…」

 

 それはない。

 

「と、兎も角、私達も休みましょう。潮風に当たり続けて疲れましたし。」

「そうね、寝ましょー。芳香の具合も気になるし。」

「落ち着きはしましたが……ちょっとまだ胃に違和感がありますね。」

「じゃあ、霊体は疲れないので修行をしてますね。」

 

 各々が行動をするらしい。確かに、肝心の零がダウンしてしまったのだから私たちは下手に行動出来ない。

 

「なら、私も寝ることにするわ」

 

 そう言って、部屋に戻った。と見せかけ、零の部屋へ向かった。ドアをノックして、中にいる零に声をかける。

 

「零、入って良いかしら?」

「ん?いいぞー。」

 

 私はドアを開け、中に入る。中には寝具に横たわった零がいた。顔色は悪くなさそうだ。

 

「お腹、大丈夫?」

「ダメだ。まぁ、心配するな。俺の体だし、すぐに回復する。」

 

 確かに、零の体は特殊であるために大事に至ることは無いだろう。でも、心配は心配。

 

「心配するなって。別に死ぬ訳じゃあないし。」

「無理ね、心配するなって方が。」

「ふーん、優しいんだな。」

「…そんなことないわ。」

 

 もし、私が優しかったら貴方をこんな事に巻き込まない。巻き込まなかった。私に自信がないから貴方達を巻き込んでしまったんだもの。

 

「ねぇ、零。」

「どうした?」

「必ず、幻想郷を創ろうね。」

「当たり前だ。」

 

 零はあの頃と変わらない屈託のない笑顔で静かに頷いた。



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心の隙間の温かみ Ⅶ 『悪神』

 この島の殺気は静かだ。

 多分、この殺気に気付いているのは、俺と気を扱う美鈴と仙人である青蛾。この三人だけだろう。いや、紫も微妙な表情をしている。

 殺気と言うのは基本、大きければ大きいほどその者は強い。しかし、この殺気は小さい訳ではないのだが、この島全体をまるで縄張りを示すように覆っているのだ。しかも、この殺気はわざと気付かれないようにされてる。そんな器用な事を出来るのは───

 

「どうやら、この島は呪われているようだな。多分、悪神かなにか。」

「悪神…?」

「霊魂が島の中心に集まってる。更にその中心に神力を感じる。」

 

 先程、『ナビゲーター』でこの島を調べた。奇妙なことに霊魂が悪神を中心として神力を纏うように集まっている。というより、支配して集めさせている。人間の反応を少なく、最早その命ももう僅か。ここまで来ると祟りに近い。

 

「死者をなんだと思っているんだ。」

「…命の尊さを知らぬとは、愚か過ぎるな。」

 

 丸と俺の言葉に周りの者は揃って頷いた。人の死に何度も触れてきた俺は、この悪神を許すことは出来ない。

 

「でも、相当強いわ。油断はならない。藍、この島に悪神が逃げないよう結界を張りなさい。」

 

 紫の言葉に藍は従い、結界を張り始める。その様子に美鈴はソワソワし始め落ち着きがない。

 

「そんなことしたら悪神に存在を気付かれてしまうんじゃ…」

「宣戦布告さ。こんな幼稚な愚神、小さな挑発にも乗るだろう。いや寧ろ…」

 

 瞬間、俺の足元に矢が刺さった。

 

「もう乗っているだろう。」

 

 その矢から黒いオーラのようなものが溢れ出て、そこから霊が出現した。美鈴や紫、藍や青蛾はその場で構えた。が…

 

「成仏せよ、親不孝者共。」

「え?」

 

 芳香の、突然の発言に皆も俺も驚いた。先程から黙り混んでいた芳香が開いた口から出てきた言葉は芳香らしからぬものだった。

 

「………」

「親に産んでもらい育てられ、それらを護るべく自らは戦士となったのだろう?それを途中で目的を忘れ、いざ死んだら恨めしくこの世に参ってくる。」

 

 異様な光景だった。芳香のそれは怒りから作られた言葉。何処か八つ当たりのようにも聞こえる。

 

「恥を知れ。」

「………!!」

「お前を冥土で待っている親をいつまで待たせるのだ?悲劇ぶるなよ。どうすることも出来ない者の方が余程悲劇なのを思い知れ。」

 

 その言葉に、霊は刀を降ろした。そして、その姿は薄れゆく。消える直前にみせたその表情は、言うなれば懺悔をしている顔だった。

 それよりも、俺は芳香に恐る恐る話しかける。

 

「お、おい。芳香…?」

「……うん?どこ、ここ?」

 

 そこ瞬間、表情や仕草など、全ていつもの彼女のものとなった。やはりだ。彼女は、生きていた時に戻ろうとしている。記憶を呼び覚まそうとしている。

 

「零~頭撫でて~。」

 

 俺はいつものように彼女を撫でる。いつものように暖かい芳香の身体。一体どういうことなのだろう。彼女は死者。しかし、死者とは程遠い。

 死者であり、死者ではない存在。近い内、彼女は記憶を完全に取り戻すのかもしれない。そしたら、今度こそ彼女の精神は崩壊しかねない。

 俺は芳香の笑顔を見つめながら、不穏の手が心臓を撫でているのを感じていた。



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心の隙間の温かみ Ⅷ 『知名』

 目を見開き返り血を存分に浴びている男が妖怪の脳天をナイフでほじくっている。それは、八つ当たりと、村を襲っていた妖怪を退治して感謝されるという二点を報酬のためにい、勝った後の光景。

 

「どうしてだ、どうして!!俺は讃えられないんだ!!」

 

 ただただ、生々しい音だけが響いた。

 

「幾ら悪人を殺しても、殺しても有名にも評判にもされやしねぇ!!」

 

 暫くナイフで抉っている内に、楽しくも嬉しくもないのに、笑えてきた。狂気じみたその笑い声が、森の中を駆け巡る。

 

「…ならいっそ。」

 

お前が悪となればいい

 

____________________________________________

 

「…!?」

 

 今の記憶は…?いきなり俺の頭の中に入ってきた。もしかして、今のはこの島を支配している悪神なのか。

 しかし、最後に聞こえた言葉の『お前が悪となればいい』というのは、話の流れ的におかしい。『俺が悪となればいい』では無いのだろうか。

 分からないが、それにしても何故そんな過去の記憶が脳内に入ってきたのか。

 

「零?どうかしたの?」

 

 青娥は俺の困惑に気がついたのか、心配しながら俺の顔を覗いてきた。

 ということは、俺だけだということか。

 

「あ、あぁ…気にするな。」

 

 こんな入り込んできた記憶なんてどうでもいい。目指すは島の奥地、霊魂の集う場所。そこで悪神を潰す。

 

「そこまで時間はかからない筈だ。」

「それなら、私の能力を使いましょうか。」

「君の能力?」

 

 そう言えば、紫の能力を俺は知らない。俺の興味が紫の方にいくと、彼女は俺を見つめて少し考えているような素振りを見せると、次第にイタズラを企む子どものような不穏な笑顔と変化していった。

 

「私の能力はね…」

 

 すると、紫はパチンッと指を鳴らした。その瞬間、落下したような感覚が俺を襲う。いや…これは、本当に落ちている!?

 

「『境界を操る程度の能力』よ。」

 

 そして、俺の視界は暗転した。

 

____________________________________________

 

「誰だ!?」

「お前…そんなにこの世から注目をされたいか?」

「な、何?」

 

 正しくその通りだ。俺はこの世から注目されたい。だが、そんな理由で妖怪退治をやっているなんて知られたら、格好が悪い。

 

「そんなはず…ないな。」

「それなら、何故一瞬でも悪になろうと思った?」

「それは…」

「注目をされたいから、だろう?」

 

 図星だった。先程から正論で突いてくる。

 こんな惨めな生活は嫌だ。苦でしかない。そんなことを思っている自分がいる。

 

「良いじゃあないか。夢のない者より断然にな。お前を尊重する。」

「……」

「なればいいじゃないか、悪に。お前のスゴさを理解しようとしない奴等を支配しろ。」

「支配…」

 

 俺はその言葉を呟くと、自然と笑いが込み上げてきた。そうだ、『支配』をすればいいのだと、理解したのだ。

 

____________________________________________

 

「………」

 

 また、記憶が入ってきた。これを俺に見せて、一体なんなのだというのだ。

 俺は顔を上げて、辺りを見渡した。俺を囲うように広がる森。中に入る分かるが、霊力が非常に強い。丸の2倍程の霊力が森を覆っている。

 すると、後方から声が聞こえてきた。

 

「どう?凄いでしょ。」

「あぁ、驚いた。」

「フフン。」

 

 分かりやすく上機嫌になった紫と、それを呆れたように見ている藍。いつもこんな感じなのだろうな。

 それにしても、よく考えるとこの二人は凄いコンビだ。世界で唯一無二の妖怪が二人いて、片や伝説の大妖怪である九尾(キュウビ)。そもそも、九尾の方が式と言うのも面白い。

 

「…どうかしました?」

「いや、気にするな。」

「難題ですね。その口癖、直したらどうですか。気にするなって本当に無責任な言葉ですよ。」

「………」

 

 その式に説教されました。



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心の隙間の温かみ Ⅸ 『揶揄』

 俺が予想するに布都を襲った妖怪、名前は知らないが、その遠隔操作系の能力を持ったあの妖怪が人間だった頃の悪神に囁いたのだろう。いきなり入り込んできた記憶の中の声、男に話しかけていた声が一致する。

 アイツは俺が息の根を止めたはず。しかし、この島がこのように祟られたのは恐らく最近だ。アイツに襲われたことのある人間が死後、悪神となりこの島を支配しているのだろうが、そうなるとアイツが再び蘇ったということになるのだろうか。

 考えても考えても、その答えに行き着く気がしない。

 

「零さん。中心部はどの様な状況でしょうか?」

「急かすな、待ってろ。」

 

 考えながら『ナビゲーター』で状況を確認していたせいで、少し藍に冷たく当たってしまった。申し訳ない。

 

「ハァ…」

「…?」

「いやなに、そこまで強くないように思える。」

「でも、この殺気…」

 

 俺の反応に、紫が疑問符を浮かべている。他も同様の反応だ。

 

「取り巻いている霊達、集められていると言うより『護らされている』ようだ。」

 

 まるで細胞。核を核膜が覆っているように、悪神を霊魂達で覆っている。そしてこの島は細胞質基質。悪神の殺気が細胞膜。そう例えられる構図だ。

 

「とりあえず、近付くだけだったら危険ではないらしい。」

 

 皆は俺の言葉を聞き、耳を疑った。

 何故、そう言えるか。俺達は悪神のテリトリーに入ってきているのに、確りとした攻撃を受けてない。さっきの矢も当てる気はない上に、そこから出てきた霊も説得如きで成仏だ。それに中心部の悪神、まるで生きてる気がしない。こう言うときは大体、敵を目の前にして戦う気がない時である。

 

「うーん、じゃあ行きましょう。」

「もう少し慎重になった方が…」

「藍は臆病ねー。」

「むぅ…」

 

 紫は自分の式の扱いに慣れている。藍はその一言で、向きになって島の中心部へと足を進める。紫は俺にウィンクをして藍に付いて行った。俺達もそれに続く。

 中心部に迫れば迫るほど景色は不気味になってゆき、雲の色が青紫になったり、木から血液が出てきたりしてる。決して竜血樹じゃない。白樺だ。

 そんな景色を数分見ながら歩いて、中心に着いた。そこには、紫色の大きな卵のようなものがあり、中に人影が薄らと見える。コイツが、悪神だ。

 

「これが…」

 

 先程、悪神がまるで生きてる気がしないと言ったが、ちゃんと生きてるし、証拠に膨大な殺気がある。戦う意思がないのに殺気だ。

 この不思議な感覚、どういうことなのだろうか。

 

「にしても、殺気はもうないのね。」

「え?」

 

 紫ほどの妖怪なのに、この殺気を感じられない。もしかして、俺単体に向けての殺気だろうか。

 その時、不思議な感覚が蠢く。蠢きながら、蝕むような気がした。

 

「零?」

 

 意識が遠退くような気がした。まるで何者かに崖から突き落とされたような感覚。視界が完全にブラックアウトした。

 

____________________________________________

 

「零、目が覚めた?」

「ん……」

「大丈夫?」

 

 気絶いていたのか。確かに殺気は強いが、この俺が気絶をする程ではない。一体、何が起きたのだ。

 目の前には青娥の顔がある。

 

「…あー、すまない。心配をかけてしまって。大丈夫、俺は元気だ。」

「そう、良かった。」

 

 それよりも、なぜ俺は彼女に膝枕をされているのだろうか。まぁ、心地が良いし、別にいいか…いや、良くない。俺には永琳がいるっていうのに。

 俺は体を起こそうと、地面に手を着く。

 

「どっこいしょ。」

「まだ寝てて大丈夫よ。」

「え?」

 

 青蛾は俺が起きようとするのを止めた。

 

「今、美鈴達が漢方薬作ってくれているから、疲労回復のね。」

「俺のためにか?」

「えぇ、そうよ。だから、まだ寝てていいわ。あの悪神は攻撃しないらしいし。」

 

 その悪神に背を向けている青娥は、俺の顔をジッと見詰めてそう言い切った。

 …今日は、彼女に甘えよう。これは、決して浮気ではない。絶対に。

 俺は起こした頭を再び彼女の太股に置いた。女性特有の良い匂いが漂いながら、柔らかい感触が後頭部に伝わる。

 

「フフ、それは何よりよ。」

「え?」

「口に出てたわよ。」

 

 この場に永琳がいなくて本当に良かったと思う。浮気と勘違いされそう。…勘違いだから。

 というより、女性の太股に対し「柔らかい」って、なんだか変態みたいだ。俺は決して変態なんかではないから。性欲は人並みだし、変態ではない。

 でも、前から人にこうして甘えたかったという願望は、少なからずあった。それは認めよう。

 何故か今は青蛾のことを綺麗に思える。いや、元々綺麗な顔立ちだし、近くに顔があるからそう思えるのか。

 

「可愛いわね。」

「む、嬉しくないな。」

「でも、貴方ってカッコいい…って部分もあることはあるけど、顔は物凄く可愛いわ。男としてね?」

「よくわからない。」

「そう?ざーんねん。」

 

 不意に彼女はニコッと笑った。その行動に心臓が跳ねた。可愛いと、そう思ってしまった。顔が赤く染っていくのを感じる。

 

「………」

 

 こんな、まるで妄想のような出来事が、あっていいのだろうか。永琳がいるのに、どうしてこのようなことに…

 すると、青蛾は無言で顔を近付けてきた。

 

「口付け…していい?」

「お前……」

「二番でも良いから…貴方のことが…」

「……」

 

 ある意味、絶対絶命である。

 しかし、なんだか考えるのが面倒になってきた。もういいやと、俺は目を瞑る。

 

「………」

「………」

「………」

「………?」

 

 中々来ない。いや、別にその、口付けを待ってた訳ではないが。ただ、なんというか、いや、墓穴を掘っている気がする。

 しかし、気になるは気になる。俺はゆっくりと目を開けようとしたが、半分空いた瞬間にそれをが見えてしまい一気に見開いた。

 

「…う………」

「せい……が…?」

 

 彼女が血を吐き出しているのだ。横目からは青蛾の腹が見えるが、そこからは緋色の液体が服を伝い、中心には鋭利なものが突き出ている。

俺は急いで頭を上げた。そこには悪神がいる核から突き出た何かが、青蛾を貫いていた。

 その何かはすぐに核へ戻る。そして、その場に倒れ込む青蛾の血が俺に飛び散った。勢いよく血は吹き出て、頭の中が真っ白になった。

 

「青蛾!!」

 

 俺はひたすら、彼女を呼び掛けた。『治癒の細胞』を傷口に垂らす。しかしその傷口は塞がろうとしない。

 

「そんな…青蛾!青蛾ァ!」

「零…」

 

 青蛾は俺の手をとる。

 

「もういいよ…貴方の『治癒の細胞』も効かないなら、私はもうダメね。」

 

 やめろ…

 

「今まで、貴方の力になれて良かったわ」

 

 やめろ

 

「ありがとう、零。」

「やめろォッ!!」

 

ごめんね、れい

 

「あああああああッ!!」

 

 青蛾が、喋らなくなった。眼の光はスッと消え、彼女のてから感じる鼓動も、今は届いてこない。

 彼女の手は一ミリも動かない。動かない。動かない。



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心の隙間の温かみ Ⅹ 『無駄』

 もう、彼女は動かない。なんなんだ、この気持ちは。心臓を抉り取られたかのようだ。今まで触れてきた『死』の中で初めて目の前が揺らめいた。

 

「全ては汝の所為なのだ。」

「……なに?」

 

 初めて、その卵のような悪神が喋った。その声は、吐息混じりの低い声をしていた。こいつが、青蛾を殺した。

 

「我が名は『アンダイン・ナルキッス』。汝を黄泉へと引きずりに来た。」

「また黄泉、か…」

 

 何度も送られてきた刺客。何度も何度も、奴らは俺の心を壊しに来る。いつまで、こんな苦しい想いをしなくてはならないのだ。

 

「汝を想うあの女人も連れる事にした。よって、辛き別れなし。」

「………」

 

 俺の為に死んだのだと、悪神はそう言うことを言いたいのか。そもそもお前が居なければ青娥は死ななかったのだ。

 しかし、俺の命を狙う存在がありながらも大切な存在を創っている俺がいなければ良かったのだと、そう思ったことは何度もある。だから、悪神の言葉が今の俺には今まで持ち上げてきた何よりも重かった。

 

「次は汝が死ぬ。然らずんば、女人の死は無駄であるぞ。」

 

 青娥の死が、無駄に。

 冷静に考えろ。青蛾の死は全てを失ったかのように、苦しい。代わりに俺が死ねば良いとも思えてくる。しかし、俺は死なない、この目の前の屑を殺すまでは。

 これは、俺を殺すための罠だ。冷静さを…俺には今、冷静さが大切だ。

 考察しよう。まず、この状況だ。

 最初に、美鈴達が漢方を作っている。青蛾曰く、俺が急に倒れたから疲労を回復する漢方を作っているという。

 次に、決して動かないと思われていた、奴が急に動いた。何か条件があってか、様子を伺っていたのか、それとも…。

 次に、青蛾を刺した攻撃についてだが、アレはなんなのだ。俺に向ける殺気は一流だが攻撃出来る力がないと判断した。自惚れじゃあないが、俺がそんな安易に判断は間違えない。しかし、攻撃は行われた。

 最後に、この感情。それは青蛾が死んだから。彼女のことも好きなのかもしれない、そう気付いた瞬間に死ぬ。それが一番の要因。この感情が俺を精神的に追い詰め、それにより悪神は俺を死に負いやろうとしているのだろう。

 

「何をしている?汝は生きると言うのか?あぁ、我を殺してから自害するか?構わぬ、殺せ。元より汝の死を望んでいたのだからな。」

「………」

 

 追加して、彼は生前に目立ちたいと思っていた。しかし、今は自分を殺していいと言っている。まだ、彼は目立ったとは言えない。ならば、この提案はなんのために?

 

「そうか…そうだな。」

「決心がついたか。」

「お前を殺す。それは絶対だ。」

「あぁ、良いだろう。」

「言ったな?殺していいと。」

 

 俺は、ニヤリと笑った。

 

「なら……『現実世界のお前を殺す』。」

アン「なッ!?」

「フッ、全て分かったぜ。全てだ。」

 

 俺はアンダインの周辺を廻りながら説明する。状況から掴める真実、そして奴の能力を。

 

「まず、俺が何故急に倒れたか…それは、『俺の妄想の世界に入ったから』だ。いや、これじゃあ語弊がある。俺の精神世界にお前が干渉して『俺の意識を引きずりこんだ』んだろ?」

「………」

 

 アンダインは苦虫を噛んだような顔をしている。自信満々に話すと、確信がなくともこうやってボロを出すから良いんだよ。

 

「だから、俺は青蛾とまるで『妄想』みたいにイチャイチャしてたわけだ。」

「何故……」

「何故、気付いたか?俺がこの場にいる理由がおかしい。滅多に倒れない俺が倒れたのならば、まずは原因であろうこの場所から遠避けようと、俺を船に運ぶはずだ」

 

 アンダインは黙って俯いている。

 

「いつ、俺の精神世界に干渉してきたか。それは、この島に入った瞬間だろ?」

「ッ!!」

「お、ビンゴ。あの記憶はやはりお前の、生前の記憶。干渉したことによりお前の記憶が見えてしまった。お前、目立ちたいらしいな、そんなやつが、殺しても構わないなんて、言わないよな。妄想の中で殺したって、意味ねえもんな。」

「殺さないでくれ。」

 

 ここに来て命乞い、今までにないパターンだ。

 本当は苦しませながら殺したい所だが、そこまで俺は冷静さを欠いてはいない。とはいえ、今までの戦いで一番精神的に苦しかったのは事実だが、蓋を開けてみればどうってことはない。

 

「いいぜ、お前を生かしてやる。この島はお前という恐ろしい悪神が住み着いているという噂も流してやろう。ただし、『あの人』とか言う奴の詳細を聞こうか?」

「分かった…あの人は………」

 

 アンダインは話そうと口を開いた瞬間、ガタガタと震えだした。卵のような殻は罅割れながら、中の人影は暴れ始める。

 何が起きているのだ。

 

「どうした!?」

 

 殻の罅はついに穴へと変わる。その中からは見るも無惨なドロドロと皮膚を溶かした、男性か女性かも分からない人型の何かが手を伸ばしてきた。そして……

 

「消えた?」

 

 跡形もなく、なにもなくなった。

 

____________________________________________

 

 目を覚ますと、見慣れた青娥の顔が一つと船の天井。どうやら、帰ってきたらしい。

 

「零っ!?よかった……」

「すまん、心配かけたな。」

「本当よ!バカ!!」

 

 青娥は本当に心配したような顔を見せて、俺の頭を叩いた。そうだ、青娥は本当に俺を心配する時は、抱きつこうとかキスをしようとは思わない。

 俺としたことが、そんなこと分かりきってきたのに。いや、分かっていても、偽物でも青娥の死は堪えられない。

 

「みんなは?」

「船に妖怪が来ないか見張ってるわ、紫と藍は貴方が倒れた原因を調べる為に核の部分を調査してる。」

「そうか…」

 

 みんな各々、動いてくれているらしい。これが、俺の知っている現実だ。

 

「あ、美鈴は貴方のために漢方を作ってくれているそうよ。」

「え、あっ、そうか。」

「…なんで頬をつねってるの?」

「お気になさらず。」

 

 現実でも我が弟子は漢方を作ってるのか。俺は頬の痛みで現実を、文字通り痛感しながら青娥の方に顔を向ける。

 

「なあ、青蛾。」

「何?」

「ありがとうな。」



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心の隙間の温かみ ⅩⅠ 『現実』

「ありがとうな。」

「うん?なにが?」

 

 生きていてくれて、ありがとう。それしか、言葉は見つからない。何も知らない青娥に、ありがとうと伝えられることに感動すら覚える。

 

「いや、なんとなく伝えたかっただけ。」

「そう…?」

 

 青蛾は可愛く首を傾げ、不思議そうにポツンとこちらを見ている。

 

「さて、みんなの所に行くか。」

「大丈夫?」

「平気、平気…よっこらせ。」

 

 しかし、その瞬間に視界がグニャァと歪み、俺は体のバランス感覚を失う。立ち眩みだ。

 

「え!?ちょ、ちょっと……」

 

 視界が回転している上に、思考が止まっている。今、自分がどういう状態なのかが分からない。ただ、何となくだが青娥の声が近くに聞こえる気がする。

 

「ど、どうしたのよ?」

 

 段々と、霞みがかった視界がクリアになってくる。思考力も復活してきた。そして、理解する。今、自分がどういう状態かを。

 

「……ごめん。」

 

 俺の顔のすぐ近くに、頬を赤くしている青娥がいた。まだ、妄想の中なのではないかと疑う程、俺は運が良い。唇と唇が触れ合いそうな程の近さ。

 俺は、青蛾に抱き付きながら後ろに倒れたらしい。後ろは布団がある。つまり、俺は青娥を抱きながら一緒に布団で寝ている状態になっている。

 青娥の柔らかい感触が伝わる。

 

「その、どうしたの?」

「立ち眩みが…」

「貴方にも立ち眩みはあるのね。」

「そりゃあるだろ。」

 

 失礼なことを言う割に、青娥の表情は変に艶かしい。瞳が潤んで、頬を赤らめ、ついには足を絡めてきた。

 

「……」

 

 青蛾の顔がこんなに近い。妄想の中にいた時よりも、ずっと近い。

 青蛾は俺の顔から目をそらす。しかし、逃れようとはせず、互いの頬を頬を密着させ、吐息が俺の耳にかかる。

 

「…人肌、恋しいの?」

 

 心臓が跳ねた。掠れるほど小さく甘い声が、俺の鼓膜をくすぐる。段々と青娥の息が荒くなっていくのを感じる。

 青娥は顔を離し、しかし近い距離で俺の目を見つめる。

 

「零なら…いいわ。」

 

 それが何を意味しているかなど、容易に想像ができた。だが、俺には永琳がいる。その誘いに乗る訳にはいかず、つまり断らなければならない。

 しかし、どうしてもその言葉を発することが出来ない。

 

「大丈夫、誰にも言わない。私たちだけの秘密…」

 

 そう言って、顔を近付けてきた。今度は唇と唇が付きそう。先程耳にかかっていた吐息は、俺の下唇に当たっている。

 青娥は俺の手を握り、指と指を交差させる。もう、逃げられない。俺は彼女に身を任せ───

 

「零さーん!漢方薬出来ましたー!!」

 

 元気なノックと元気な声で、俺と青娥は慌てて立ち上がり離れた。俺は声を裏返しながら「入っていいぞ。」とドアの向こうに居る美鈴に声をかける。

 

「あれ、青娥さんもいたんですね。」

「え、えぇ。少し心配でね。」

 

 青娥は自身の髪を指でクルクルさせながら美鈴と目を合わせようとしない。そんな青娥に首を傾げながらも俺に目を向ける。

 

「それにしても、もう元気そうですね。」

「そんなことは無い!!」

「元気じゃないですか。」

 

 先程までの青娥とのやり取りのせいで頭が混乱してしまっている。墓穴を掘った。

 

「まぁ、とりあえずここに漢方置いておきますね。お大事にー。」

 

 そうして、美鈴は部屋から出ていった。

 沈黙が重いとこれほど感じたのは、初めての経験だ。あちらも、俺の事をチラチラと見ている。この空気は耐えられる気がしない。

 

「あー、そう言えば、紫達は悪神を調べに行っているんだよな?」

「え、あ、うん。」

「そうか。その、心配だから俺も行ってくる。」

 

 これは、決して逃げなんかでは無い。理由は、まだアンダインが死んだとは限らないからだ。

 アイツは確かに消滅したかのように崩れていったが、飽くまで俺の妄想の中。死んだと思い込ませているだけかもしれない。そう仮定すると、彼女らが危ない。

 俺は急いで戸を開けようと取っ手を持つ。が、それは勝手に開いたのだ。

 

「あら、もう起きていたのね。」

「え?…よかった、俺の考え過ぎか。」

「なにが?」

「いや、なんでもない。」

 

 紫は不思議そうな表情を浮かべつつ、調査の報告をしてきた。青娥も部屋を出るタイミングを逃したようで、なんとも言えない微妙な表情をしている。

 

「結果から言うと、何かが分かる前に分からなくなったわ。」

「というと?」

「あの核、消滅したのよ。」

 

 やはり、その場から消滅したか。

 

「しかも、消え方が気持ち悪くて…」

「すまないが、詳細に教えてくれるか?」

「悪神が核を破って飛び出してきて、毛穴からウジ虫が蠢きながら呻いていたわ。」

 

 ユーベ・ナイトバグは関係しているのか、それともしていないのか、それはまだ判断できない。同じ黄泉の者だということしか分からない。

 

「その際、『見るな!!』って叫んでた。」

「なるほど。」

「その瞬間、地面から黒い手のような何かが、悪神を…多分黄泉に引っ張っていたわ。」

「何故、黄泉と分かった?」

「生気のない殺気が私を襲ったわ。正直、もう味わいたくはないわね。」

 

 紫は苦い顔をしながらも丁寧に話した。

 それにしても、『生気のない殺気』か。思い当たるものがある。神子の所にいた時に見たあの夢。あのウジ虫だらけの女性から、それを感じれた。そして、ウジ虫という点で、奇妙な一致をしている。

 興味深い。それと同時に怖い。まるでトラウマをずっと見ているかのような、そんな恐怖が襲う。

 

「この島は酷く穢れてしまったようだ。穢れをある程度除くには相当な時間が必要になる。50年ぐらいだろうか、それほどはかかる。」

「そうね、この島は諦めましょう。」

「それじゃあ…次は白馬村?信濃の。」

 

 青娥の言葉に俺は頷いた。

 信濃か。諏訪子や神奈子に顔を見せてやろう。

 

「行くか…アイツら呼びに行くぞ。」

「はーい。」

「分かったわ。」

 

 そういうと紫は部屋から出ていく。俺もそれに続き部屋を出ようとすると、袖を引っ張られる感覚があり、そちらに目を向ける。青娥が恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうにしている。

 

「その、ごめんね。気にしないで。」

 

 そうして、青娥は俺より先に部屋を出ていった。一人残された俺は、最後まで行わなかったことは正しいのだと自分に言い聞かせる。しかし、どうにも青娥の最後の表情は俺の心に引っかかる。

 正しいはずなのに、どうしてこんな気持ちになっているのだろう。考えても、考えても、俺には分からなかった。いや、分からないふりをしているのかもしれない。

 俺はその場にしゃがみ込み、深いため息を地面に這わせた。



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椿の香り
椿の香り Ⅰ 『九相図』


 腐敗した臭い。しかし、この臭いにも慣れた。私は今、腐っている。犬や烏が私を食い散らかした。やがて骨に成った私は、発見された後に火葬された。

 私は、アイツらを許さない。

 

____________________________________________ 

 

「懐かしいな。」

「雰囲気が明るいわね…なにかあったのかしら?」

「祭りはこの時期じゃあないしな。」

 

 蝦夷から出てすぐというわけではないが、今は諏訪にいる。

本来、10年に1回は帰宅するのだが、何かと昨年は忙しくてアイツらに顔を合わせていなかった。

 そして、久方ぶりに帰った第2の故郷は異様に明るい。何か祝い事でもあるのだろうか。

 

「なあ、そこの。」

 

 適当に、老いが来ている商人に問うてみる。その商人は俺を見るなり、すぐに神田零であることを理解しお辞儀をしてきた。

 

「おお、神田様。お帰りなさいませ。どうなされた?」

「妙に明るくてな。何だ?今年は豊作か?」

「いえいえ、そうではないのです。」

 

 では、何があってこのように盛り上がっているのか。

 

「では何故?」

「4代前の椿様が若くしてお亡くなりになられたでしょう?」

「……あぁ。」

 

 彼女の名前は『東風谷椿』、諏訪大社の巫女の4代前であり、僅か15歳で亡くなった少女。

 死に方が残酷で、とても思い出したくはなかった。俺は眉間に皺を寄せながらも商人に質問を投げかける。

 

「椿が、どうした?」

「なんと、生き返ったのです!!」

「…何?」

 

 彼女は焼かれて灰になった。しかも、灰になったのだって、極僅か。骨しか残ってない様なものだ。そんな魂の依り代がない状態で、どうやって?

 

「まぁ、神社に行けば分かりますよ。」

「……分かった、ありがとう。」

「いえいえ。」

 

 俺が振り返ると、顔を青くした仲間達の姿があった。紫と藍は違うが。

 とりあえず、真偽を確かめるためにも神社に向かうとしよう。諏訪子にも、詳しく話を聞かなくてはならない。

 

____________________________________________

 

「おーい、ただいま。」

 

 諏訪大社の戸を開けながら言う。すると目の前にはだらしなく床に寝転がる諏訪子の姿があった。

 諏訪子は顔をこちらに向けて俺の姿を確認すると、慌てるように目と口を大きく開く。

 

「えぇ!?か、帰ってくるなら言ってよ!!」

「毎回うるせぇ。」

 

 最早、恒例行事へと化した。いつになったら彼女は慣れるのだろうか。面白いのだが、毎度やられると耳が壊れる。

 すると、奥の方から呼び鈴代わりの諏訪子の声を聞き付けた神奈子がやってきた。

 

「よう、久しぶり。」

「おう、久しぶりだな。」

「おーう。」

 

 俺を真似るように挨拶をした芳香の頭を神奈子は優しく撫でる。芳香も満足そうに頬を緩めた。そして、神奈子に続くように、奥から足音が聞こえる。とても静かな足音にも拘らず、俺にはその足音が犇々と聞こえてくる。

 固唾を飲んで、その姿が現れるのを待つ。戸が、横に開いた。

 

「あら、神田様。お帰りなさいませ。」

「あ、あぁ…」

 

 冷や汗がたらりと頬を伝わり、とてもではないが、喜べない。彼女は椿ではない。しかし、彼女は椿である。

 分からない。椿の反応があれば、違う反応も混ざっている。

違和感。一体どういうことなのか。

 

「まぁ、新しい旅のお供ですわね。椿と申します。」

「初めまして、八雲紫です。」

「同じく八雲藍です。」

「また女性じゃん…」

 

 二人に屈託のない笑顔を向ける椿。やはり、おかしい。妙に彼女は落ち着いている。それに彼女の笑顔が、不気味な妖艶さを孕んでいる。

 

「あら大変!そう言えば、倉のお酒が少ないわ。すみません、少々お待ちください。唯今買いに行きますので。」

「気を付けてねー。」

 

 お気遣いありがとうございます。そう言って、彼女は出た。

そして、沈黙。俺はその中で声を発した。

 

「なぁ、椿って…」

「死んだよ。」

 

 俺が質問してくることなど容易に予想ができただろう。諏訪子は俺の言葉を遮るように応えた。

 

「…では、彼女は?」

「………」

 

 分かるわけがない。その無言が答えだった。

 

「……本当に、倉に酒はないのか?」

「え?……いや、たぶんあるはず。」

 

 では、何故彼女は買いに行ったのか。彼女の言葉は、あまり信じてあげれない。

 丁度、新しい能力を試すついでに彼女を観察するとしよう。

 

「『視界ジャック』。」

 

 眼を閉じる。彼女は今、何を見ているのか。脳波から発せられる、感覚を共有させる能力だ。

 能力が成功したようで、野菜売っている店の前で考え込むような素振りを見せる椿の視界に切り替わった。

 

「意外に早くいらっしゃったわ。どうしましょう?どう料理しましょう?早く決めないとお酒も売り切れてしまうわ。」

 

 野菜が並んでいる店を見ている。

 …宴の料理に困っているのだろうか。分からないが、そうなのだろう。酒はこの後に買うとなると、特におかしな所もない。

 俺の早とちりか…?俺は目を開いて『視界ジャック』を解く。

 

「ふぅ…」

「その、どう?」

「いや、料理がどうとかしか言ってなかった。」

「へ?」

 

 拍子抜けた、と言うような声が出た。だが、それを笑おうとは思わない。

 俺の言葉に、神奈子や青娥は納得できないようだった。

 

「しかし、雰囲気が全く違う。とても椿とは…」

「確かに、椿はもっと明るいわ。目にも光がないし。」

 

 分からない。とても、彼女の存在を理解出来ることではなかった。

 悩ませている中、何も事情を知らない紫が質問をしてくる。

 

「ねぇ、なんでそんな考え込んでるの?聖人が生き返るなんて、ない話じゃあないでしょ?」

 

 紫が言いたいことはよく分かる。しかし、無理なんだ、絶対に。

 何故なら…

 

「彼女には『生き返る為の身体』がない。」

「え?」

 

 彼女の身体は、ほとんどが土としてある。あんな残酷なことを、言っても良いだろうか?椿の名誉のためにも、口を慎んだ良いのではないだろうか。

 俺は悩むばかりである。



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椿の香り Ⅱ 『料理』

 椿が帰ってきて、彼女はそのまま台所へと向かった。今のところ、彼女に殺気は感じられない。どうしたものか…

 

「椿が生き返ったとき、あの子思いっきり私達を抱き締めて泣いていたの。」

「ふむ…」

 

 疑わしい。何が、と言われれば分からないが、強いて言うならば彼女が偽物だと言うこと。いや、正確には半信半疑なのだ。彼女が本物と信じ込ませるために、そうやって抱き締めたのかもしれない。

 視界ジャックをしたときも、もしものために言葉を隠していたのかもしれない。

 彼女がもし、俺を殺すために黄泉の世界から来た者なら、『ディア』をしても意味はないだろう。きっと俺の能力はバレている。今まで、色々な技を見せてきた。当然である。きっと何かしらの対策を練っているに違いない。

 しかし、ならばどうするか?

 

「はーい、零様の好きな鰻ですよ。」

「ありがとうな。」

 

 俺の好物も、その俺流鰻の料理の手順も知っている。この料理のやり方は代々巫女に伝わっている。俺流というように、俺が考えた調理方だ。

 簡単さ。鰻を開き、等間隔で身と皮の間を串で刺し、秘伝のタレを塗りたくりながら火で炙る。それを飯に乗せ、最後に追うように秘伝のタレをかける。これで完成だ。

 しかし、予想じゃそろそろ世間もやり始めるな。そんな気がする。

 

「にしても、椿は魚を捌くのは慣れたか?まだ魚屋に任せてないだろうな?」

「あ、あはは……」

 

 椿は都合の悪い時、苦笑いをする。昔の椿と差異はない。寧ろ、同一人物かのように思える。

 

「ハァ…分かった。俺が後で教えてやる。生きた魚買ってくるから。」

「まさか、〆るところからやるんですか……?」

「当たり前だ。」

「あーうー…」

 

 諏訪子の真似をしてたらなった口癖も、彼女が苦手とするものも、質問する時に首をちょいと傾けるのも、すべて生前の彼女だ。明らかに一致する。しかし、明らかに違う。

 どこか、暗い。もっと明るかった。彼女の一番良いところは明るいところだ。

 昔、彼女にそれを言ったら激しく喜んでいたのを鮮明に覚えている。そんな彼女が、こんなに悲しい目をするだろうか?否、あり得ない、余程の事がない限り……いや、あった。彼女には余程なんてもんじゃあない死があった。

 だからと言って、生き返ったのならば明るくなれるのでは?とも一瞬思ったが、それは人による。

 駄目だ、考えたら考える程分からなくなる。

 

「零様?お口に合いませんか?」

「え、あ、いや、違う。考え事をしていたんだ。」

「そうでしたか、てっきり……」

「椿のご飯は俺の好物だ。合わない訳がない。」

 

 そう言って、つい昔のように頭を撫でてしまった。

 

「えへへ……」

「ッ!?」

 

 今、確信した。彼女は東風谷椿だ。間違いない。頭を撫でたときの、声、笑顔、動作。すべてが東風谷椿だ。

 だとしたら、そもそも何故、彼女は生き返ったのか?どうやって生き返ったのか?

 分からない。やはりどう考えても───

 

「ごちそうさま、美味しかったよ。」

「お粗末さまです。」

「お粗末なんかじゃあないさ。旨かったぞ。」

「えへへ、ありがとうございます。」

 

 一瞬、彼女の悲しい目は消え失せ、昔のように笑った。そうだった。彼女はそういう人だった。人前では華奢な姿を見せ、女性から憧れの存在として目を向けられていた。が、諏訪子や神奈子、俺の前では甘えん坊になるのだ。

 諏訪子や青蛾が羨ましそうに見ている。そんなに椿の頭を撫でたいのか。

 

「それでは、私は器を洗いに行きますので、おくつろぎ下さい。」

「手伝うか?」

「いえ、家事は私のお楽しみになので。」

 

 なら、お言葉に甘えさせていただくか。俺は腰を持ち上げて部屋に戻り、考えることにした。

 布団の上に胡座をかき、正面に丸が座った。

 

「零さん、彼女は……」

「椿は間違いなく、椿だ。あぁ、間違いない。」

「そうですか…しかし……」

「あぁ、丸の言いたいことも分かる。」

 

 どうやって生き返ったか?ということ。

 先にも言ったが、彼女には生き返る身体がない。考えられるのは、『黄泉からの刺客』として現れた。

 それなら無いことはないのだ。言い切れる理由は、ユナ・ネイティブを最初に殺した後、俺は奴を完全に燃やした。骨が溶ける程、熱く。

 しかし、奴は再び目の前に現れたのだ。

 

 それを考えると、彼女が目の前にいるのも納得がいく。彼女の死は、決して忘れない。あの不幸を、忘れるわけにはいかないのだ。



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椿の香り Ⅲ 『過去』

 丸を旅に連れるようになって初めて諏訪に帰った時の事だ。

 

「ただいま~」

「うわぁッ!?か、帰ってくるの早くない!?あぁぁ、寝癖がぁ!!」

「うむ、今回ははやく帰ってきた。」

「うむ。」

 

 諏訪にも流石に慣れた芳香はいつものように俺の言葉を反復する。そして、毎度恒例の諏訪子の叫び声に耳を抑え、本殿の中へと入っていく。

 初めて諏訪に訪れた丸は緊張した面持ちで中を覗いている。

 

「お、お邪魔します。」

「新しい仲間だ。おー、男だ。珍しい。」

 

 どう言う意味だ。

 久々の諏訪子のテンションに苦笑いをしながら頭を撫でてやっていると、襖の向こうからドタドタと騒がしい足音を立てながら何かが近づいてくる。

 その音源が襖を勢いよく開き、その勢いのままに迫ってくる。

 

「零さまーーーッ!!」

「へぶらッ!?」

「うわぁ、痛そう。」

 

 俺は長生きしているため、ちょっとの帰省程度だが、椿にとっては久しぶりに会った。そういう感覚なのだろう。

 俺を見るや否や、腹に飛び込んできた。痛いです。そして、青蛾の他人事な言葉に腹が立つ。

 

「お帰りなさいませ~。」

「た、ただいま……」

 

 消えるような掠れた声で返事をし、椿を撫でた。

 

「えへへ……」

「……」

 

 鳩尾が痛い。その感情を全力で抑え込んで、ニコッと笑った。思えば、出会った当初は人見知りだった。一緒に遊んで信頼を得た。よく一日でここまで懐かれたなと自分で自分を褒めてやりたい。旅再開の時はギャーギャー泣いてた。

 

「お、大きくなったな。」

「ハイ!!」

 

 チラッと前を見る。

 

「なんで私を見るのさ!?」

 

 諏訪子は越えたな、確実に。

 

「やあ、今回は早いな。新しい仲間も連れて。」

「何となく帰ってきた。今回は長く居座るかもしれん。」

「聞いてないけど。」

 

 呆れたように俺を見る。俺がいつも無計画なのは今に始まったわけではない。

 一年はここに居ようか。などと考えていると、椿が俺を見上げながら満点の笑顔で話しかけてくる。

 

「零さま!!私、お料理練習しました!!」

「なら、今日は椿の手料理だな。」

「ハイ!」

「この子、凄く上手になったんだから。」

 

 まるで我が子を自慢するように、えっへんと腰に手を置いて言った。いや、諏訪子や神奈子にとって、今までの歴代巫女は娘同然なのだろう。

 

「あーッと、椿?そろそろ離れてくれるか?身動きがとりづらくてな。」

「じゃあ、頭を撫でて下さい。そしたら離れます。」

 

 とてつもなく可愛い。反抗期は来ないでほしい。

 反抗期が来た巫女は何人もいた。その度に落ち込んでしまうんだよなぁ。これが、子を持つ父親の気持ちなのだろうか?

 

「幾らでも撫でてやるさ。」

「あーうー……」

 

 頭に手を置いて撫でると、たまに諏訪子が言う『あーうー』と言う謎の言葉を発する。椿が真似してたら口癖になっちゃったやつだ。寧ろ、本人より言ってる。

 

「ずるいなぁ…」

「……諏訪子、こっち来い」

「!」

 

 察したようで、嬉しそうに近寄り頭を差し出してきた。

 

「ほい!!」

「よし…」

 

 諏訪子を撫でたのは久々な気がする。

 気持ち良さそうに笑顔で顔を緩めた。青蛾がガン見してくるが、無視しておこう。

 

「それじゃあ、ごはん作ってきますね。」

「おう、期待してる。」

 

 離れるときに残念そうな顔をしていた。まだ反抗期は来ないはずだ。

 

「にしても、諏訪子は本当に零が好きだね。」

「まーね。夫になってほしいぐらいよ。」

 

 その言葉に、心臓が大きく跳ねる。

 

「あー……えっとな…」

「分かってる。零が一途だってことは。」

「損だよな~、一夫多妻だよ?神の世界は。いや、人間も偉い奴は皆そうだ。」

 

 それが、俺は好かない。女性は一つの方向を愛するのに、野郎はあらゆる方向を愛する。それが気に食わない。気持ち悪いだ。

 諏訪子や、青蛾は、自惚れでなければ、俺のことを好いている。が、俺は永琳と同じように愛せるか?と言われれば、無理だろう。理解ができない。多くの女性は愛せない。

 青蛾をチラッと見る。いや、やはりできない。俺は、永琳ただ一人。青蛾を好きだと想うことは多分ないだろう。

 俺が永琳以外の女性を好くなど、砂漠に落ちた米粒を見つけることと同じぐらい難しい。

 

「まぁ、お前の考えは理解できなくもないがな。珍しい奴だよ。全く……」

「世間がおかしいのさ。」

 

 絶対、将来的には俺の考えが当たり前になるはずだ。

 

____________________________________________

 

 神奈子も参戦し、暫く雑談に花を咲かせていると、奥の方から鼻をくすぐる香ばしい匂いが神社内に充満する。椿の料理だろう。

 

「出来ました!!どうぞ召し上がって下さい!!」

「やべぇ、めっちゃ旨そう。いただきます。」

「いただきます。」

 

 煮物、緑野菜の素揚げ、サンマの塩焼き、お吸い物、玄米と、庶民的なものなのに、見た目が高級な食べ物並みに旨そう。

 煮物の人参を口の中に入れてよく噛む。すると、ほのかに温かく、中まで味が染み込んでいて、柔らかすぎずに味も食感も美味しい。

 素揚げもパリパリして、塩はつけておらず素材そのものの旨味が伝わる。しかも、その伝わり方が衝撃的だ。塩もなにも付けてないのに、旨味が溢れるように分かる。どう調理したらこうなる?

 他の献立も非の打ち所もない旨さだった。永琳と一位二位を争う。

 

「ご馳走さま。」

「はやッ!?」

「旨かった、マジで旨かった。」

「えへへ、ありがとうございます!」

 

 諏訪子が自慢してきたのも納得がいった。この成長具合は、育ててきた諏訪子からしたら、この上なく嬉しいのだろう。

 

「こんなにもうまくなったなら、『あれ』を教える時が来たか。」

 

 椿は首を傾けてこちらを見つめる。諏訪子や神奈子は「ついにか…」と感慨深そうに頷いていた。

 

「あの、『あれ』とは?」

「まぁまぁ、ちょっと台所に来てみな。あ、諏訪子、鰻ある?」

「あるよ!」

 

 椿と一緒に俺が開発した『鰻の蒲焼き』を教えることにした。が、ここで椿が魚を捌くのが苦手と言うことが分かり、完成には少し時間がかかった。

 時間がかかったことに、椿は酷く落ち込んでいた。

 

「うぅ…」

「別に椿が下手な訳じゃない。ちょっとずつ、出来るようになろうぜ?」

「はい…」

「さ、食いな。食ったら気分も上がるもんさ。」

 

 そう言われ、パクッと食べた椿。瞬間、驚いたようで、暗い気分どころではない。すぐに笑顔になり、嬉しそうにまた一口、また一口と、箸は止まらずどんどん進む。

 

「零さま!これ美味しいです!」

「だろ?」

 

 こんな一時がずっと続けばいいのにな。そんな遠い未来になりそうな夢を見ても意味はない、分かってはいるが…

 ご馳走さまでしたと、笑顔な椿の頭を撫で、無理に笑顔になった。




 ご閲覧していただき、ありがとうございます。作者の薬売りです。
 リメイク前の東方化物脳に追いつきました。そのため、これからは一から文章を作る形になるので、一日一本のペースは出来なくなります。私のリアルのこともあるため、不定期更新になると思われます。それでも読んでいただけると幸いです。
 これからも東方化物脳をよろしくお願いします。


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椿の香り Ⅳ 『奇術』

 当時は久々にのんびりしたいということで、諏訪に数ヶ月は滞在していた。一年が経てば再び旅立とうとしていたが、椿の懐き様が歴代の巫女の比ではなく、彼女の性格上その時に駄々をこねられてしまうのでは無いのだろうかと、贅沢な悩みをしていたのを覚えている。

 未だに魚の捌き方がぎこちない椿の木の葉の色をした髪を撫でる。そうやってあどけなく微笑む椿に、父親の代わりができているのだと実感すると同時に、あまり会えないことに申し訳なさを覚える。

 

「そういえば、先日諏訪に『私は奇術師だ。』と自己紹介の方がいらっしゃったらしいのですが、どうも奇妙で面白いことをなさるようですね。」

 

 ある時、雑談の最中で椿がそう話してきた。どうやらその奇術師とやらは、物を空中で留めたり、書いた文字を白紙に戻したり、何も入っていない茶碗の中に水を貯めたりと、面白い事をするのだという。

 それらは俺には造作もないが、それは俺だからであって普通の人間には簡単では無い。

 

「面白そうだな、興味がある。」

「あ、それなら今見ていきますか?この時間にいつもその奇術をしているそうですよ。」

 

 それは非常に丁度いい。そう思い、その提案に賛成して椿と出かけることにした。

 ある程度の支度をして、俺が鳥居の下で待っていると椿が駆け足で近寄ってくる。

 

「それじゃあ、行こうか。」

 

 そうして、街の方へと足を運ぶ。その際、椿は俺の腕に抱きつき、並行して歩く。少し歩きづらいものの、仲のいい親子のような気持ちになり、俺も笑顔でその腕を貸した。

 

____________________________________________

 

 暫くして、目的の奇術師が披露しているという場所まで辿り着いた。驚くほどの人集りが既にできており、椿は前の人に遮られて良く見えていないらしい。何度が背伸びをしながらも不満そうな顔をしている。

 俺は背が高いためその中心にいる奇術師が見える。茶色の長い髪をした、目を布で覆っている女性が大衆に向かいお辞儀をしている。

 

「前の人で見えないです…」

「すごい人だかりだもんな。よし、ちょっと場所を移動しようか。」

 

 我が子が悲しい顔をしていたら、何とかしたくなるのが父親である。俺は椿の手を引き、何とか奇術師の見える場所まで移動する。

 確実に見える場所は、既に思いついている。ただ、奇術師より目立ってしまう可能性があり、それは申し訳がないため路地裏に入る。

 

「ここからどうするのですか?」

「すぐにわかるよ。」

 

 俺は椿を抱え上げ、その場にしゃがみ込む。椿は何が何だか分かっていないようで、少し慌てている。

 

「しっかり掴まっていろよ。」

 

 そう言われて、椿は俺の腕を掴む。それを確認して、俺は勢いよく垂直に飛んだ。空気抵抗を感じながらも屋根の上まで着き、足を広げて着地をする。

 

「上からなら見えるだろ?」

「そ、そうですね。」

 

 椿は顔を赤らめている。確かに、その歳にもなって子どものように抱えられるのは恥ずかしかったか。とはいえ、安全性を考えるとあの様にするしかない。

 

「でも、上にいたら注目されませんか?」

「安心してくれ、それも対策済みだ。」

 

 俺は水蒸気を身にまとい、光の反射でまるでそこに居ないかのように見せる。椿はその現象に驚く。

 少し悪戯心が芽生え、俺はその水蒸気から腕を出して椿をその中に引きずり込んだ。椿からすれば何も無いところから腕が生えて掴まれたように見えるだろう。椿を抱き寄せると案の定心臓で大きく拍を刻んでいる。

 

「び、びっくりしました。」

「ははは、すまんな。」

 

 俺と椿は誰にも確認できなくなった。これでゆっくりとその奇術を見ることが出来る。一応霊力も遮断することにしよう。

 俺は瓦の上に座ると、椿も俺の隣に座る。奇術師に目を向けると、次の奇術を行うようで、その手には割れた石がある。何をするつもりなのだろう。

 

「さぁ、皆様。お次はこの石でございますが、ご覧と通りかけております。こちら、元々はとても綺麗な形をしており、美しい石だったのですが、このように割れて形が複雑になってしまい、その美しさ失われてしまいました。」

 

 確かあの意思は『薔薇輝石』という石で、永琳なんかは『ラブシリカ』と呼んでいた気がする。確かに、あの石は薄紅梅の色をしていて綺麗だったと記憶している。

 

「皆様は、この石の美しい姿を見たいですよね。私がその願い叶えましょう。」

 

 そう言って、奇術師はその石を欠片も残さず手で覆い隠す。何が行われるのかと大衆や隣の椿も前のめりになっている。

 暫くして、奇術師はニヤリと笑う。わざとらしく見せつけるようにその覆った手を震わして、止める。そして、ゆっくりとその手の中を明かしていく。

 その中には、綺麗でツヤっとした輝きを放つ薔薇輝石が転がっていた。大衆はその存在を確認すると騒ぎ始める。

 

「す、すごい…」

 

 椿も思わずそう呟いた。霊力や妖力の類は感じられなかった。これに関しては俺にも分からない。これが奇術というものなのか。力のエネルギーを感じることがなかったことからなにか仕掛けがあるのだろうが、全く分からない。

 

「ありがとうございます。ありがとうございます。このように、私は不可思議な力を持っております。何かを修復するのはお手の物。その他にも様々なことをしております。困ったことがあれば、私にお任せ下さい。」

 

 なるほど、そういった商売か。いつの間にか溢れかえるほどに集まっていた大衆は一様にして、家で壊れたものや仕事道具の修復を頼もうか、と話している。

 

「そろそろ行こうか。」

「そうですね。それにしても凄かったですね!霊力とか、そういった外的な力とか感じられなかったですもの。」

 

 椿は興奮したように話しかけてくる。そんな椿の頭を撫でて笑顔を確認した後、ゆっくりと立ち上がる。椿は先程の路地裏の方へとかけて行き、俺もそれについて行く。

 ふと、先程の奇術師の方に目をやると、こちらの方に顔を向けている。そして、ニヤリと笑う。布で覆われた目で、こちらを見ているような気がする。同時に寒気。

 

「どうしました?」

「え、いや…」

 

 椿が心配したように顔を覗かせる。俺は椿に今の出来事を伝えようと、再び奇術師の方に目をやるが、既にその姿はなかった。

 

「…なんでもない。」

 

____________________________________________

 

 次の日、俺は欠けたツボを風呂敷に入れ、一人で街に降りていた。目的はもちろん、例の奇術師だ。

 昨日のことが妙に気になる。俺を追う黄泉の奴らのこともあり、可能性を潰すためにも会わなければならない。

 

「確か、この辺りだ。」

 

 周りを見渡す。しかし、その姿を捉えることが出来ず、昨日の大衆に混じっていた人々も何処に店を開いているのだろうと右往左往している。

 あんなに盛大に見世物をして、店の在処が分からないとはどういうことだ。怪しすぎて、訳が分からない。罠にしては粗悪だ。

 

「『ナビゲーター』。」

 

 脳波を発して、波の返りを待つ。路地裏の方に、机と椅子と、その椅子に座った女性を確認できた。俺はそっちに足を向けて歩み始める。

 人が三人横に並べるぐらいの広さの路地裏の一番奥に、昨日の奇術師が座っていた。静かに座っている様は、何処か妖しく怪しい。俺はそれに向かって歩き、真正面に座る。

 

「お客様ですか?」

「そうだ。昨日の奇術を見て、壺の修復を頼みたくなったんだ。」

 

 そう言って、机の上に風呂敷を置いて広げる。すると、奇術師は机の上を人差し指でトントンと二回叩く。

 

「壺ですか。欠けてしまわれたのですね。」

「分かるのか?」

「ええ、見ての通り目が見えませんので、音の波から見ています。」

 

 音が波であることをなぜ知っているのか。全てが怪しい。

 

「そんな怪しいですか?」

「何?」

 

 目が見えないとはいえ、そこまで分かるのは明らかにおかしい。一体この女性はなんだと言うのだ。

 

「昨日、屋根の上からご覧になられていた方ですね?」

「そこまで分かっているのか。」

「不思議な心臓の音をされていたので。」

 

 あんな人集りの中の心臓の音すら、彼女には聞こえているというのか。俺の『ナビゲーター』でも、そこまで正確には捉えられない。

 

「この壺も、私と話すための口実でしょう?ご要件はなんですか。」

「…何者だ?」

「奇術師でございます。」

 

 遠くで人々が騒がしいのにも拘らず、この空間だけが切り取られたかのような緊迫感が独占していた。



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椿の香り Ⅴ 『限界』

「奇術師、か。」

「奇術師、ですね。」

 

 求めている返答では無い。そんなことは彼女にも分かっていることだろう。飽く迄も教える気は無いらしいようだ。優しい笑顔を保っているのが腹立たしい。

 この奇術師のペースになるのはゴメンだ。

 

「ならいい、商売頑張れよ。」

「え?」

 

 俺は椅子から立ち上がり路地裏から立ち去ろうとする。俺の心臓の音はいつも通りだった。

 恐らく、この奇術師は俺に興味を持たれたいらしい。その理由は定かでは無いものの、俺にしか分からないような場所に店を開いたり、質問に勿体ぶるような言い方は、そう思ってもしょうがない。ならば、興味を失えばいい。フリではあるが、相手の反応を見るには丁度いい。

 

「良いのですか?私の事怪しいのですよね?」

「怪しんで欲しいのか?」

「い、いえ、そういう訳では…」

「じゃあ、どういう訳だ?」

 

 奇術師は言葉を詰まらせる。まさか、こんなにも簡単にペースを乱せられるとは思わなかった。なんだか、言葉でしかけたのが馬鹿らしい様にも思え、俺はため息を吐いた。

 俺は椅子に座り直し、机に頬杖のための肘を置く。

 

「アンタ、なにが目的?」

「なんのことですか?」

「心臓の音、速くなったな。」

 

 人集りもない、対面したこの状況下なら人の心臓の音なんてものは俺にも聞こえる。この娘は絶望的に駆け引きのような状況が弱い。これが演技なら大したものだ。

 奇術師は咳払いをして、心拍数を抑えるために息を深く吐いた。この時点で肯定したようなものだが。

 

「申し遅れました。私の名前は『空蝉 菜々』と言います。」

「そうか。俺の名前は…」

「『神田 零』様、ですよね。」

 

 どうやら、もう隠すつもりはないらしい。俺のことを知っているのは何故か。答え次第では、その首を斬る必要がある。

 頬杖をついている腕とは逆の手から、机の下で青く輝くそれを生やす。彼女は何を言うのか。

 

「何故、俺を知っている?」

「…分かっていますよね。私が知っている理由なんて。」

「やはりか…」

 

 心拍数は変わらないとは、余程の自信のようだ。しかし、ずっと黙っていては、先に攻撃を仕掛けられる可能性がある。

 殺られる前に、殺るか。俺は立ち上がりその刃物と化した右腕を奇術師の首元に…

 

「小さい頃からの大ファンなんです!!」

「…は?」

 

 今、彼女はなんと言った?

 

「あれ、どうしました?立ち上がって。」

「え、いや、なんでもない。」

 

 俺はゆっくりとその椅子に腰かける。俺のファンだと?にわかには信じ難い。いや、確かに俺の名前は知れ渡っていることは恥ずかしながらも認めよう。しかし、このような反応は旅の中で初めてだった。

 俺を騙すための嘘である可能性は少なくない。一応、『ディア』で彼女の思考を覗き見ることにする。

 

『嬉しい!!会えた会えた!!やっと会えた!!零様零様零様零様…』

 

 うん、怖い。俺を殺そうとか言う思考は微塵もなかったものの、別の恐怖が存在している。

 

「それにしても、やっと会えましたぁ…でへへ。」

「あぁ、うん、そっか。」

「零様のお手に触れてもいいですか?」

「い、いいよ。」

 

 菜々は俺が差し出した手を、息を荒らげながら恐る恐る握ると奇声を上げながら体を跳ねさせる。

 

「零様の手だぁ…うへへへ。」

「その、俺に会うためにわざわざこんな人通りの少ない路地裏に店を?」

「零様なら私の事を見つけてくれると信じていました!」

 

 何だこの疲労感は。話しているだけで俺の活力が吸い取られていく感覚だ。目の前の奇術師は口元をだらしなくして笑っている。

 

「あ、あのぉ…」

「なんだ。」

「ふへ…もしよろしければ、また会ってくれませんか?」

 

 絶対に嫌だ。と言いたいが、流石にストレートにそんなことを言う訳にはいかない。どうしたものか。

 

「いや、俺も忙しいんだ。残念だけどこれで会えるのは最後だ。」

「諏訪大社で寝転がっているのが忙しいなんて、零様はなんて面白いご冗談を…ぬふふ。」

 

 なんで知っているのだ。

 

「もしかして…会いたくないですか?」

「いやぁ、その…」

「私の身体、好きにしていいですよ?」

「そういうの止めろ。」

「ふへへへへへ、こんな気持ち悪い私にも優しい…」

 

 先程までの人格が嘘のようだ。別の人格と話している気分だった。このままずっと話していると、本当に疲れ果ててしまう。これは、諦めて直接伝えるとしよう。

 

「申し訳ないが、君の行き過ぎた愛は俺にとって非常に怖い。だから、正直また会いたいとは思えなかった。すまないな。」

「そ、そんな…」

 

 俺は漸くその椅子から立ち上がる。踵を返して諏訪大社へと戻ろうとする。彼女には申し訳ないが、俺も聖人では無い。諦めてもらうとしよう。

 

「昔はあんなにも愛を受け止めてくれたのに…」

 

 後ろの方でブツブツと呟いている。

 記憶すら捏造されては、俺もどうしようもない。俺と会ったことがあるとするならば、こんな回りくどい会い方をしなくても会えたはずだ。つまり、こうしなければ俺が会いに来てくれないと判断しているわけだ。よって、その記憶は嘘の記憶と言える。

 俺は路地裏から出ると、見知った姿があった。

 

「おう、椿。買い出しか?」

「あ、零様。今日の晩御飯を買いに来ました。零様はどうされました?」

「俺は昨日の奇術師が気になって会いに行った。」

 

 癒しの椿は、俺の疲れきった心に恵みを与えてくれる。俺の顔は自然と笑顔に溢れる。

 

「そうなんですね。どうでした?」

「あぁ、いや、うん。凄かった。」

「え?」

 

 俺のあやふやな返答に首を傾げる椿の頭を撫でて、俺も彼女の買い出しを手伝うことにした。



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椿の香り VI 『腐敗』

 あれからまた数ヶ月が経過し、明日で俺は再び旅立つことになった。その頃には奇術師の話も聞かなくなり、諏訪から出て次の町へと旅立ったのかと安心していたのだが、別の問題が発生していた。

 

「ねーねー、椿。そんなに拗ねないでよー。」

 

 諏訪子が懸命に椿の背を摩って、声をかけて続けている。予想をしていたことではあるが、椿は俺の旅立ちに対して駄々をこねた。

 

「諏訪子様はいいですよね。長生きだから零様に何度も会えるけど、私は指で数えられるほどしか会えないのですから。」

 

 諏訪子と俺に椿の鋭い言の葉、もとい言の刃が脳天に刺さる。諏訪子はともかく、俺に関してはぐうの音も出ない。

 しかし、あまり長居できないのも事実なのである。1年程度の滞在なら問題は無いが、あまりにも長居してしまうといつ襲い掛かるか分からない黄泉からの刺客と対峙してしまうかもしれない。そうなれば、巻き込んでしまうのは確実だ。

 

「零だって、本当は椿ともっと居たいと思っているよ。」

「それなら何故出ていかれるのでしょうか。」

「それは…」

 

 椿には俺の旅の理由を教えていない。理由としては、俺の旅はあまりにも血生臭く、黄泉からの殺気や憎悪が渦巻いている。純粋な少女を穢れに浸らせる訳にはいかない。

 

「…まだ、私に教えて下さらないのですね。」

 

 椿はゆっくりと立ち上がり、覚束無い足取りで外へと向かう。そんな椿に、諏訪子は心配した声で呼びかける。

 

「椿…」

「分かっているんです。零様は別に私に意地悪をしているわけではありません。寧ろ、零様は人のためにご自身の身体が傷付くことを厭わないお方です。きっと、その沈黙も、回り回って私のためを思っていただいたものなのでしょう。」

 

 顔半分をこちらに向け、覇気のない声で呟いた。椿も、俺を尊敬してくれているからこそ、俺の意図は理解しているらしい。しかし、こちらから見える顔の右半分は今までに見た事がないほど、寂しそうな表情をしていた。

 

「頭を冷やしてきます。」

 

 そう言って戸を開け、すっかりと暗くなった外へと出ていった。その後に訪れる、暫くの沈黙が息苦しい。

 

「…ま、まぁ、椿も年頃だからな。」

 

 神奈子がその沈黙を破り、椿のフォローを入れる。そのフォローも少しズレている気がするが、神奈子もどうすれば良いか分からないのだろう。そんな中で気にかけるのは神奈子の美点でもあるだろう。

 

「…追いかけてくる。」

「貴方が行くとややこしい事になるだろうから、私が行くわ。」

「そ、そうか…」

 

 椿を追いかけようとする俺を、青娥が止める。日々鈍感だと俺に言い続けている青娥が動くということは、まだ俺が察せられていない何かがあるのだろう。

 俺は素直に受け入れ、座り直す。青娥は静かに戸を開けて椿の姿を追う。

 

「仕方ないよね。零だって、椿を巻き込みたくないんだもんね。」

「…ありがとう。」

 

 歴代の巫女が反抗期で俺に暴言を吐いた時も、諏訪子はこうやって俺を励ましてくれた。今回はベクトルが違うものの、変わらず励ましてくれるのは非常にありがたい。

 俺も長く生きているが、好意的な関係性の人間からネガティブな態度をとられると傷付いてしまう。いくら生きていてもツライものだ。

 

「零さん、やっぱり椿さんには言わないんですか?」

「あぁ、言うつもりは無い。」

「しかし、椿さんもあのままではツライのでは?」

 

 美鈴と丸の意見はごもっともだ。しかし、知らない世界である方がいい。これは俺のわがままでもある。身勝手で、幼稚な考えだ。それでも、椿には清らかなままでいて欲しい。

 

「少し考えさせてくれ。」

 

 そう言い残し、俺は寝室に戻ろうと立ち上がったその時、壊れんばかりの勢いで椿を追ったはずの青娥が戸を開ける。身体で荒い息をして、慌てた表情で顔を上げた。

 

「椿の姿が見当たらない!」

「な!?」

 

 青娥の言葉に、目の前がグラリと揺らめいた。しかし、こんなことをしていられない。探しに行かねば。

 俺は『ナビゲーター』をしながら神社を出た。たが、椿の姿を脳波が捉えることはなかった。神社の周りの森を、日が昇っても探し続けたにも拘らず、やはり椿の姿は見当たらなかった。神社にも帰ってきておらず、神隠しにあったかのように、椿は忽然と姿を消したのだ。

 

____________________________________________

 

 椿の過去の話を、紫と藍は真剣な眼差しで聴いていた。後ろにいる青娥や諏訪子達は苦い顔をしている。もちろん、この場に椿は居ない。

 

「それで、彼女はどうなったの?」

「見つかったのは、行方不明になっておよそ一週間後だった。」

 

 見つかったという言葉に、藍は胸を撫で下ろす。しかし、隣の紫は冷や汗を垂らした。どうやら、紫には分かるらしい。俺たちが如何に椿の死に触れたくないかが。

 

「椿は死体として発見された。」

 

 その言葉は、この部屋の空気を一気に重くした。藍も、予想していただあろう紫も、その事実に絶句している。

 

「い、一週間ってことは…」

「それ以上は言うな。思い出したくない。」

 

 藍の言葉を止める。その行為が、藍への答えになってくれるだろう。彼女はバツが悪そうに口を閉じる。

 

「その後、丁寧に火葬をした。つまり椿は骨だけのはずなんだ。」

「でも先月、彼女の墓から蘇ったの。」

 

 俺の言葉に続き、諏訪子が説明を入れる。彼女の血や肉は何処から生まれたのだろうか。今まで聞いたことがない事例だった。合理的な説明や考察ができる気がしない。できるとしたら…黄泉からの刺客しか有り得なかった。

 

「あの表情は椿そのものだ。決して誰かが模倣している訳では無い。」

「うん、私もそう思う。」

「そうなのね…」

 

 俺と諏訪子の断言に、紫は考え込むように黙った。そして、何かを思い出したかのようにして口を開く。

 

「ねぇ、少し気になることが…」

「皆様どうされました?」

 

 紫の言葉を遮り、椿が部屋に入ってきた。皆は軽く慌てているが、俺は落ち着いて返答をする。

 

「いや、今後の予定を考えていた。」

「随分真剣に考えていらっしゃるのですね。お聴きしてもよろしいですか?」

「構わないぞ。」

 

 そう言って、俺は紫の計画『東方project』を利用して話を切りかえた。白馬村のどの部分を幻想郷にするかとか、どのように交渉をするかなどを口にすると、紫や青娥は話を合わせてくれた。



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椿の香り Ⅶ 『崩壊』

 目を覚ますと、いい匂いが俺の鼻をくすぐる。体を起こして台所の方へと足を運ぶと、椿が鼻歌を歌いながら今日の朝ごはんを作っていた。

 椿は俺の存在に気が付き、その可愛らしい顔に花を咲かせる。

 

「零様、おはようございます。」

「おはよう。」

 

 匂いの正体は味噌汁だったよう。椿が作る味噌汁は絶品であり、そこらの料理人も顔負けの出来栄えである。

 

「美味しそうだな。」

「えへへ、ありがとうございます。」

 

 やはり、その笑顔は彼女そのものである。それなのに、俺は椿を怪しんでしまっている。複雑な感情のまま、俺は彼女の木の葉の色をした髪を撫でる。

 そうしていると、次第に他の奴らも顔を出していき、自然と席に着いていた。俺は茶碗などを出して椿の手伝いをした後に椅子に座る。

 

「いただきます。」

 

 そうして、俺はその味噌汁を啜った。

 

____________________________________________

 

 毒殺もしない、隙を伺っている訳でもない、ただ昔のように一緒に暮らしている。彼女は、俺にはまだ見えていない真実があり、それにより生き返ったのだろうか。黄泉は関係がない?

 神社の屋根に寝転がり、青空を眺めながらぼんやりと考えていた。

 

「分からない…」

 

 あれから一週間が経過したものの、未だに分からずにいた。当たり前だ、安直に黄泉からの刺客と言える訳が無い。いや、そう思い込みたいだけなのかもしれないが。

 俺も人間臭くなったものだ。逆に、多くの死に触れてきて、良くまともな人間のままでいられたものだ。

 

「零様、どうされました?」

 

 声が頭上から聞こえる。顔の角度を変えてそちらを見ると、椿の姿があった。彼女も屋根の上に昇ってきたらしいが、俺がいるからだろうか。

 

「考え事だ、気にするな。」

「そうですか。それなら、気にせず零様の横に座らせていただきますね。」

 

 そう言い、彼女は俺の隣に座る。今更、焦ることもなくなった。目線は青空のまま、外の涼しい風を感じている。何が楽しいのか、椿はそんな俺を見て微笑んでいた。

 

「なぁ、椿。」

「なんでしょう?」

「どうして蘇ることが出来たんだ。」

 

 ついに、俺は訊いた。世間話のように、軽く。

 もう、こんな思考を終わらせたい。そんな怠惰が働いたのだろう。所詮、俺も人間臭い人間なのだ。

 椿の方に目を向ける。椿は未だに微笑んでいた。

 

「分かりません。」

「そうか。」

「でも、予想はしてます。合ってるかは分かりませんけど。」

「それでもいいから、聴かせてくれないか。」

 

 俺は考え込みすぎたのだろう。最早、作業のような質問だった。それでも椿は笑顔を絶やさない。

 

「本当に予想なのですけど、でももしそれが理由なら私は幸せです。」

「どういうことだ?」

 

 椿はその手を、滑らすように俺の手に重ねる。人差し指と中指で絡ませようとしてくる。何か、おかしい。

 

「零様に会いたいから、です。」

 

 そう言うと、椿は俺の上に跨ってくる。椿の笑顔が、まるで艶かしいもののように見える。

 俺はやっと焦りを覚えた。今の椿は何かがおかしい。いや、本当はずっと…

 

「零様ぁ…あの頃からずっと貴方様をお慕いしておりました。」

 

 手が動かない。彼女の力量は俺と比べるまでもなく弱いはずだ。しかし、手が動かないのだ。それは決して心因的な原因では無い。椿は俺に何をした。

 

「零様も私の事を好いておりますよね。私にはわかっております。ただ、先に恋人ができてしまわれたので、公に愛せないだけですよね?」

 

 違う。そう否定しようとしても、口も動かない。霊力の動きは無い。エネルギーの流れを感じることが出来ない。しかし、現に動かなくなっている。

 

「零様…私たち二人だけですね。」

 

 そう言うと、彼女はまるで今から狩り取ろうと獲物を見る肉食獣の様に俺を見下ろし、ニヤリと笑う。

 椿はゆっくりと、そのあどけない顔を近付ける。俺の顔を両の手で持ち、更に近付けてくる。彼女は、俺と接吻をしようとしている。

 抵抗したくても出来ない。動かない腕に出鱈目な力をいれる。しかし、虚しく微動だにしない。もうすぐ、彼女の唇が───

 

「れいー、どこだー。」

 

 屋根の下から芳香の声が聞こえる。それに反応し、椿の動きが止まる。

 彼女は顔を離し、俺の上から退けた。その瞬間、やっと腕や口が動くことを確認する。

 

「邪魔が入りましたね。えへへ、続きはまた今度。」

 

 そう言って、椿は屋根から飛び降りて芳香に話しかけている。芳香は顔を見上げ、俺に向かって手を大きく振る。

 俺は手を振り返すが、心はここにあらず。今まで娘のように可愛がっていた椿の妖しい笑みを思い出し、これまでにないほどの動悸を感じた。

 彼女は確実に椿であることは明らかだった。しかし、その上でずっと俺に対してあの様な感情を抱いていたのか?俺の中の椿の像が崩れていくのを感じる。

 

「れいー、青娥が呼んでるぞー。」

「あ、あぁ、今行く。」

 

 いつの間にか椿の姿はなかった。俺は冷や汗を拭うと屋根の上から降り、芳香の方へと駆け寄った。



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椿の香り Ⅷ 『冷酷』

 青娥は俺の目の前に座り、じっとこちらを見つめていた。その真剣の眼差しは、一体何を意味するのかが俺には検討もつかない。何かやらかしてしまったのだろうか。

 青娥は次第に前のめりになっていくぐらいに、何も言わずこちらを見続けている。

 

「あの、なんだ?」

「え?」

 

 耐えきれず、俺は彼女に真意を訊くことにした。青娥は俺の言葉でハッとしたのか、顔を赤くしながら自分の姿勢を元に戻す。恥ずかしさを誤魔化すために、咳払いを一つ。

 

「貴方、最近身体にガタが来てるでしょ?」

「いや来てない。」

「いや来てる。」

 

 しかし、これと言って自覚のできる不調や疲労は感じられない。それに、仮にそのような症状があったとしても自身で解決出来る問題がほとんどである。流行病ですら泣いて逃げていく俺の身体に、そのようなガタなど来るはずもない。

 

「自覚できる症状だけが全てではないわよ。」

 

 俺の思考を読んだかのような発言だった。俺への理解があまりにもありすぎて、たまにやりづらい時がある。俺は深く息を吐きながら頭を搔いた。

 

「それで、お前の目的はなんだ。」

「話が早くて助かるわ。」

 

 誇った顔をしている青娥に対し、なんとも言えない苛立ちを覚える。いつもの仕返しのつもりなのだろう。

 

「それに、これは貴方にとって悪い話では無いわ。」

 

 打って変わって、いつもとは違った邪気のない笑顔を見せてくる辺り、青娥は狡い人間だ。仕方がないと、俺は足を崩して青娥の話を聴くこととした。

 

「早くしろ。何が目的だ?」

「もー、せっかちね。しょうがないから教えてあげる。」

 

 そう言い、青娥は座り直した。俺の無自覚な不調と、一体どのような関係性があるのか。正直、全く予想ができないだけに少し期待している。何を言ってくるのか、俺は少し前に重心が動く。

 

「今から貴方にマッサージをしてあげるわ。」

「何が目的だ?」

「今言ったでしょう!?」

 

 何が目的だ。俺の機嫌を取り、何を要求するつもりなのだ。何の見返りもなしに、青娥が俺にマッサージなどするわけがない。

 俺は訝しむような目で青娥を見る。それを見て、彼女はショックを受けているのか、笑いながら遠い目をしていた。

 

「そんなに信用ないのね…私…」

「お前に裏があるのは確実だ。お前だからな。」

「そういう信用はいらないわよ…」

 

 分かりやすく肩を落とす青娥に、絶えず疑いの眼差しを向け続ける。そんな俺を青娥はチラッと横目で見て、床全体を這うぐらいの溜め息を吐いた。

 

「貴方、今まで精神的にツライことが沢山あったでしょう?」

「…まぁ、そうだな。」

「私なりに労ってみようかなって思っただけよ。ハァ…」

 

 今度は本当に落ち込んだ様子だった。それにしても、青娥が本気でそこまで思ってくれていたことに、少し驚きつつも申し訳なさを覚える。

 俺はその場でうつ伏せになり、不思議そうにしている青娥を片目で見る。

 

「何やってるの?」

「マッサージ、してくれるんだろ?」

 

 そうすると、青娥の顔には花が咲き、ウキウキしながら俺の上に跨った。膝立ちしながら彼女は俺の背中に手を置き、嬉しそうな声色で話しかけてくる。

 

「ではお客様、これからマッサージを始めさせていただきますね。」

「…お手柔らかに。」

 

 何故か嫌な予感がする。やはり疑い続けた方が良かっただろうか。手遅れな思考をしながらも、俺は彼女の指圧を待つことにする。

 嫌な予感とは裏腹に、肩甲骨の下に感じる指圧はなんとも心地よいものだった。若干の痛みが、筋肉の緊張を解してくれる。

 

「やっぱり零って筋肉あるわよねぇ。」

「まぁな。」

 

 戦闘は数え切れないという言葉では言い表せない程繰り返してきた。それこそ、黄泉からの刺客、全く関係ない大妖怪や強力な人間と命懸けの戦闘を行っていれば、見た目で分かる程度に筋肉は付く。能力頼りでは人を守ることが出来ないことを、俺は知っている。

 

「それで、今の問題はどうなの。」

「…椿か。」

 

 なるほど。飽くまでマッサージは俺と話すための口実、及びカモフラージュか。椿に聞かれては困る内容になることは間違いない。嫌な予感とは、これのことか。今、椿のことを考えたくはなかったのだ。

 部屋の外で耳を立てていれば、俺の『ナビゲーター』ですぐに分かる。俺は青娥に誰にも聞かれていないことを伝えるためにも、そう答えた。

 

「椿は、どうやら生前から俺のことが好きだったらしい。」

「…え?それはそうでしょう?」

「いや、好意的だという意味ではなく、一人の男として好きだったらしい。」

「うん、だからそうでしょ?」

 

 暫くの沈黙。青娥の疑問符を噛み砕くのに、非常に時間がかかった。そんな俺の反応に気がついたのか、彼女は呆れたような深い溜め息を再度吐いた。

 

「本当に零ってば良い男よね。女の敵よ、バーカ。」

「はい、すみません…」

 

 衝撃の事実だったのだが、青娥からしてみれば、いや、その言葉から察するに俺以外の人は周知の事実だったのだろう。そう考えると、椿が行方不明になる前に、俺が追いかけようとしたのを止めたのには納得がいく。純粋な恋心に、俺の鈍感さはもはや暴力とも言える。

 

「それでなんだが、先程椿に誘惑された。」

「え!?」

「いや、それも確かに驚きなのだが、問題はそれからだ。」

 

 青娥は俺の腰に圧をかけながらも、俺の言葉に耳を傾ける。

 

「もちろん俺は抵抗をしようとしたのだが、全くと言っていいほど身体が動かなかった。先に言っておくが心因的なものでは無く、全くだ。」

「貴方が…?」

「俺がだ。」

 

 自分で言うのも少し違うが、俺の規格外の力を青娥が一番知っている。そう驚くのも不思議では無い。

 

「霊力やその他のエネルギーの流れは感じられなかった。つまり、俺が知らない力が働いていたはずだ。素で俺を超える力があるとは考えられない。」

「確かに…でも、だとしたらどういった力が働いていたというの?」

「…考えたくないが、椿は『黄泉からの刺客』なのではないかと思っている。」

 

 その瞬間、背中の指圧が力んだのを感じる。考えたくない可能性。それは青娥も同じだったようだ。

 しかし、目を背けてもいられない。

 

「飽くまで可能性だ。しかし、十分に有り得る。」

「…どうしてそう思ったの。」

「丸を殺した妖怪がいただろ?確か『ユナ・ネイティブ』とかいうクソダサい名前だったはずだ。アイツ、途中で『特典』とかいう力を手に入れたとか、言っていたのを覚えているか。」

 

 その投げかけに、青娥は俺の言いたいことを察したようだ。指がピクリと動いたのを感じる。

 

「つまり、零の体が動かなかったのは椿が手に入れた『特典』って言うこと?」

「その可能性が高い。」

「そう、なのね…」

 

 青娥は信じたくもない可能性を無理やり飲み込んだ。彼女には申し訳ないが、そうしてくれると助かる。

 

「それと、椿は病的とも言えるほど俺を好きでいる様に感じる。言葉を選ばずに言うと、一種の狂気を感じた。」

「そうなの?」

 

 静画の反応から、それは生前にはなかったものらしい。つまり、蘇った後からの感情のようだ。もし彼女が『黄泉からの刺客』なのだとしたら、今までの奴らが言う『あの人』に何かされた可能性が高い。

 これ以上、俺の愛娘の変わっていく様を見てはいられない。何とかしなくてはならない。しかし、どうやって…

 

「とりあえず、俺の周りにいる君や美鈴なんかは気をつけた方がいい。嫉妬で何をするか分からない。」

「そんな言い方しなくても…」

「冷酷にならなきゃ、やっていけないさ…」

 

 その言葉を自嘲気味に呟くと、青娥は押し黙りマッサージを続けた。心地よいはずなのに、居心地は悪い。その苦しい沈黙は、マッサージが終わるまで続いた。



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椿の香り Ⅸ 『愛憎』

 あれからほぼ毎日、俺は椿から軽い誘惑を受けている。あの時のように体が動かないということは無かったが、それでも娘のような存在の椿に誘惑されるのは精神的に苦しい。

 しかし、それは椿からしても同じことが言えるだろう。何度誘惑しても俺は振り返らない。好きな人に振り向いて貰えない気持ちを俺は知る由もないが、それでも苦しいことは変わらないだろう。

 このままではいけない。ハッキリと伝える必要がある。仮に彼女が『黄泉からの刺客』であろうと、椿は椿だ。命を狙われるかもしれないが、彼女は他の誰でもない、椿なのだ。

 

「零…本当にいいの?」

「あぁ。」

 

 旅の面子を連れて、街の外れにある草原までやってきた。万が一のことを考え、諏訪子たちに迷惑をかけまいとここに椿を呼び出した。

 青娥の表情は浮かない。いや、青娥だけでは無い。美鈴や丸も同じ表情をしていた。芳香は、いつも通りで安心した。

 

「来た。」

 

 椿の姿が『ナビゲーター』に引っかかった。俺の言葉に、後ろの四人は反応しない。しかし、少し身体が緊張して固まったのを感じる。きっと、それは俺も同じなのだろう。

 椿の姿が見えてきた。

 

「零様、お待たせしました。…青娥様方もいらっしゃるのですね。」

「あぁ、いや、話の内容が内容だからな。コイツらは少し外してもらう。」

「そうなのですか?」

 

 流石に、今までの誘惑を拒絶される瞬間は見られたくないし、青娥達も見たくはないだろう。

 後ろに目配りし、芳香以外の三人は無言で頷く。彼女らはそのまま振り返り、遠くへと歩いていった。姿が見えなくなるほど。

 

「二人きり、ですね。」

 

 椿は何かを含んだような言い方で、妖しく笑った。しかし、俺の表情は一切変わらずに椿を見つめる。

 

「大事な話だ。」

「…どうされたのですか?」

 

 いつもとは違った俺の様子に、流石の椿もその笑みは止め、いつもの優しい笑へと変わった。しかし、それでもなお椿の目は虎視眈々と狙う獣のような鋭さを感じる。そんな心臓を刺すような感覚が、椿がかわった、もしくは変えられてしまった事実を証明しているようで、悲しみが脳内に満たされる。

 

「前に、椿は俺に好きであることを告白してくれた。」

「はい、今でもお慕いしておりますよ。」

「その気持ち自体は、嬉しい。だが、俺は君をそのような目で見ることは出来ない。」

 

 その言葉を言い放った瞬間、椿の笑顔が無くなった。というより、笑顔を保つ筋肉の力が抜けた。代わりに、椿の眉が若干吊り上がっている。

 

「零様、いいのですよ?無理はなさらない方が…」

「俺は君を娘のように思っている。」

「や、やめてください。」

「君のことを好きでいるのは、家族としてだ。」

「やめて…」

「君の気持ちは受け取れない。娘に恋など出来ない。」

「やめろ!!」

 

 椿は荒らげた声を草原に響かせた。これまでに一度も聞いた事のない声だった。

 肩で息をして、俯き、拳は血が出るほど握りしめていた。声の残響が静まると、彼女は俯いたまま目線をこちらに向ける。

 

「なんで、なんでなんでなんで!!なんで私の愛を受け止めてくれないの!?」

 

 口調も、声色も、今までの彼女からは想像もできないほど変わってしまった。当たり前だ。唐突に現実を突きつけられた彼女には心の拠り所がない。

 

「俺は、椿を家族として愛しているんだ。」

「それじゃダメなのよ!!何が家族よ、体のいい逃げ道じゃない!!」

「そうじゃない!俺は本当に愛して…」

「私の気持ちはどうするのよ!!」

 

 返す言葉もなかった。家族として愛しているなど、それは俺の気持ちであって椿の肥大化した想いに対する応えではなかった。

 

「…アハハ!アハハハハ!!」

 

 唐突に笑い声をあげる。それは、自暴自棄をしているようにも見えた。目は血走り、口角を思い切り吊り上げ、自分の髪を掻きむしる。

 俺は、何も出来ずにただ見ていた。

 

「ハァ…じゃあもう、殺すしかないですね。」

「…やっぱり、君は『黄泉からの刺客』だったんだな。」

「うへへ、そうですよ。死んでからずっと貴方様を恨んでおりました!」

 

 彼女は天を仰ぎながら、高らかにそう言い放った。どういう訳か、彼女の木の葉の色をした美しい髪は、まるで紅葉のような紅の髪へと変色していく。

 

「身体が腐って、ガスで破裂して、烏や野犬がこの身を啄んでいくんです。その感覚を貴方様はご存知ですか!?」

 

 椿の惨憺たる姿がフラッシュバックする。変色した肌さえも、僅かに残っていた程に肉は骨についておらず、椿だと判断することも困難だった。

 俺は彼女の苦しみを分かってあげられない。

 

「貴方様が八意永琳を好いている所為で!貴方様が女性を引き連れている所為で!貴方様が諏訪子様に好かれている所為で!!」

「………」

「貴方様が…零様が私を愛してくれない所為で、私が死んだ。」

 

 その一瞬だけ、椿の顔が曇る。狂っていなければ生きていけないのだと、声のない悲痛な叫びを俺に伝えようとしている気がした。

 椿は真っ直ぐに俺を見つめ、いつもの見慣れた優しい笑顔をする。

 

「零様、お慕いしております。ですので、私に殺されてください。」

 

 優しい殺意が、俺の心臓を撫でた。



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椿の香り Ⅹ 『癖』

 椿と戦うことは、予想の範囲内だった。だから、青娥達を連れてきたのだ。彼女らは今、草原の周りで二次被害の防止を防いでくれている。

 俺は合図として大きな霊力を身に纏う。離れていても分かるぐらいに。それからすぐに、この草原には青娥の生命エネルギーと美鈴の氣を纏った結界もどきが張られた。

 

「うへへ、戦う気満々だったのですねぇ?」

 

 もちろん、それは椿にも分かるようだ。いつものあどけない笑い方はない。椿は、本当に変わってしまったのだ。

 

「最悪の想定をしていただけだ。避けられることなら避けたかったよ。」

「私との戦いも、私の死も、何も避けれないのですね。」

 

 正直、彼女と戦って何を得れるのだろうか、何を守れるのかが分からない。なんの為に、俺は今から戦うのだろうか。

 いや、考えてはいけない。何も考えてはいけない。椿を巻き込んでしまった。それは俺の責任だ。俺が、その責任を負わなくてはならない。

 右手の前腕から青く輝く刃物を生やす。重心を落とし、居合切りのような体勢になる。

 

「今の貴方様には、陳腐な煽りは通用しませんね。流石、生きる伝説ですね。」

 

 彼女の口から出る全ての言葉が俺に刺さる。しかし、当然の罵倒だ。俺はその一つ一つを受け入れ、椿を憎しみから解放する。

 

「行くぞ、椿。」

 

 そう一言かけ、俺は地面を蹴った。刹那で間合いを詰め、その硬化した右手を振るう。しかし、それは空を斬った。椿は、人間ではありえない速度で背中を仰け反らせ、その勢いで俺を蹴り上げた。

 その足は俺の鳩尾に入るが、俺は痛みに耐えてその足を掴む。そして、空中で前方に体を回転させて椿を地面に叩きつける。

 

「ッガ!?」

 

 背中から叩きつけられたため、椿の肺の中の空気は一気に外へと追い出されたのだろう。呼吸困難になっている椿に向かって、着地の勢いで『冷の細胞』を纏った拳を振りかざす。

 

「ふ、ふへ、へへ、へ!!」

 

 呼吸もままならない状態で笑う。椿は地面に萌える草を握り、引っ張るように身体をズラす。

 これの拳は地面に着地する。同時に地面が凍るが、椿はバク宙をしてその冷気も回避した。

 

「はぁ…はぁ…すぅー…はぁー……他の黄泉の方が苦労するわけです。私にさえ躊躇いがない。」

「…」

「ならば、私も全力でいかせてもらいます。」

 

 椿は、先程握っていた草を彼女の頭上へと投げる。ヒラヒラとゆっくり下降する草は突然動かなくなり、物理法則の外へと出る。つまり、宙に留まっている。

 

「私の『特典』、見たいですよね?」

 

 その草はとてつもなく早いスピードで俺の方へと向かってくる。俺の足元を狙っているようで、飛んで回避する。それを見計らった様に、椿も同じようなスピードで俺に向かって飛んでくる。

 これは、避けられない。腕に霊力を纏い、ガードをする。

 

「うッ!?重い…ッ!!」

 

 椿もまた、その拳に霊力を纏っていた。俺の体は勢いよく後方へと吹っ飛んでいき、地面を抉るように着地しては体が跳ねて、また抉るように着地をして、それを数回繰り返してようやく運動エネルギーは失われていった。

 俺が顔を上げると、既に目の前に椿がいる。手を振りかざしているため、俺は素早く腕を前に出して防ごうとするが、先程の衝撃が前腕を襲うことはなかった。

 

「土…?」

 

 椿はまた殴るわけでもなく、俺に対して粉々になっている土を投げつけた。先程俺の身体が抉った地面から取ったものか。

 拍子抜けしてしまいそうな事だが、油断してはならない。俺は急いでその場から退く。

 

「あら、零様は勘が鋭いですね。」

 

 椿が投げつけた土が、集まるようにして大きな塊となった。もし俺が退かなかったら、集まった土に俺の体が押しつぶされていただろう。

 先程の草と言い、この土の塊と言い、彼女の『特典』は一体何なのだろうか。物体を元の状態に戻す能力、とかだろうか。

 

「考えたところで分かりませんよ?」

 

 俺の思考を読んだかのように、椿は微笑んだ。

 

「私はまだ、『特典』の応用を見せているだけ。根幹となる力は使っておりません。」

「なんで俺の考えていることがわかったんだ?」

「うふ、うふふふふ…」

 

 その質問に、椿は心底嬉しそうな笑みを浮かべる。まるで訳が分からない。

 

「零様の癖は全て知っています。考えている時に口が軽く空く癖、嫌悪感を抱いたら歯を噛み締める癖、無理して笑っている時に拳を小さく震えさせる癖。全部全部全部全部全部全部、私が知っています!貴方様をずっと見てきましたから!!!」

 

 叫ぶ様に言い放ちながら高速で迫ってくる。俺は硬化した右手でガードをすると、椿はあえてそれを殴る。そして、顔を近づけてきた。

 

「でも、戦っている時の零様は見たことがありませんでした。こぉんな顔をされるのですね…んふふふふ!!」

 

 右手で椿を払うと、彼女は後退した。くねくねと身体を捩らせては熱っぽい目線を俺に送ってくる。

 考えないようにしていたのに、限界が近い。どんどんと壊れてくる彼女を、もう見たくない。

 

「あぁ、零様。なんて凛々しいお顔…食べちゃいたい。」

 

 もう、彼女を見ていられない。



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椿の香り ⅩⅠ 『原罪』

椿は今までの敵とは比にならないほど強い。能力だよりの力ではなく、美鈴すらも相手にならない彼女の潜在的な力が非常に厄介だ。さらに、皮肉にも椿は俺の事を熟知しており、決して驕らず警戒している。

 椿への迷いを、俺は捨てなければならない。だが、どうしても思考に迷いが生じる。

 

「零様、だんだんと動きが鈍くなってきていますよ?」

「クソッ…」 

 

 椿の攻撃を防いで、防いで、防いで…それを繰り返してしまっている所為で俺の体力が削れていく。一方、椿は激しい打撃を延々と与え続けているにも拘らず、息が軽く上がっているだけ。

 椿は俺の顔面を目掛けて拳を振るい、それを紙一重で避ける。しかし殴りぬけることはなく、彼女は勢いのまま俺の腕を掴んだ。

 

「つーかまーえた。」

「『空中分解』ッ!!」

 

 何かをされる前に、俺は萃香の技から参考にした『空中分解』を唱えた。細胞一つ一つを切り離し、空に分解する。

 椿の手から逃れることができると、俺はすぐに細胞を集合させて元の形へと戻る。

 

「すごーい!奇想天外な技を魅せていただけるのですね!」

 

 悔しがる訳でも無く、まるで奇術師の技を間にした時のような無邪気な反応をする。コロコロと変わる椿の表情に、なんとも言えぬ悲しみを抱いてしまう。

 それが、迷いに繋がってしまうというのに。

 

____________________________________________

 

 美鈴と結界を張って30分程が経った。零は強い。いつもなら短時間で全てを終わらすのだが、彼の霊圧は未だに収まらない。

 私たちは手助けをすることは出来ない。これは、彼の意思である。彼らしいし、彼らしくない意思だった。彼はいつもどこか人間的で、どこか機械的な思考をしている。しかし、今回のこれは人間的な感情のみの判断だった。

 いつものような彼の強みは、欠けて言っているような気がした。それほど、椿の死と蘇りが彼にとって堪えがたい傷となってしまったのだろう。

 私に、何か出来ることは無いのか。私は彼に、何をしてあげれる?彼の淀んだ瞳が頭から離れずに、私の思考の邪魔をする。

 私が深いため息を吐いていると、美鈴が私に話しかけてくる。

 

「青娥さん、誰か来ました…」

「え?」

 

 顔を上げると、遠くの方にこちらへと向かってくる人影が見えた。女性の方だろうか。 

 

「すみません、ここから先は危険ですので通せないです!」

「美鈴さん、なにか彼女おかしいですよ。」

 

 美鈴が人影に呼びかけるが、丸が警戒を促す。私は目を細め、その風貌を詳しく見ようとする。

 杖をついているが、老婆のように腰が曲がっている訳では無い。というより、地面に杖を続きながら歩いている。目元が布で覆われており、茶色の髪をした女性だった。

 なにか、既視感を感じる。

 

「お初にお目にかかります。零様の、ご友人の方ですね?」

「貴女は一体…?」

 

 丸が彼女に問いかける。すると、その足を止めニヤリと口角を上げる。 

 

「私の名前は───」

 

____________________________________________

 

 椿の猛撃からの防御も限界が近くなってきた。防ぎきれなかった拳が頭蓋骨の右側を捉え、俺の眼球が潰れてしまった。左目だけで戦うしかない。

 どうすればいいのだ。彼女は未だ笑っている。

 

「零様、どうしたのですか?貴方様の本気を魅せてください。分かっているのですよ、貴方様が本気になれば私なんて一瞬だってこと。」

 

 彼女の言っていることは間違っていない。最初こそ、彼女も容赦がないように捉えていたが、これだけ攻防が逆転しなければ察してしまうだろう。

 

「やっぱり、零様は私を傷つけたくないのですね。意を決したのも、続かなかったのですね。私に未練がおありで?」

「………」

「フフ、無言は肯定と捉えますね。」

「椿の言う未練とは違…」

 

 全てを言い終える前に、俺の体は動かなくなった。

 まただ。またあの時のように、身体がビクとも動かなくなった。それ見た椿は妖しく、ゆっくりと近寄ってくる。

 椿は俺の頬に手を添えて、息を漏らすように笑う。彼女は囁くように、俺の耳に向かって話しかける。 

 

「貴方様は私を性的な目で見られないのですよね。それは、仕方がないですよね。貴方様にとって私は娘のような存在。大丈夫、分かっていますから。怒ってしまってすみません。」

 

 それにしては、誘惑するような熱っぽい声色で囁き続ける。

 

「でも、もう安心してください。その認識から、私が解放してあげます。私のことしか考えられないようにしてあげますから…」

 

 椿は頬に添えている手とは逆の手を、俺の胸に置いた。それを滑らすように下に移動させる。寒気が背筋を走る。このままでは、俺の精神が保てられない。

 俺の心の弱さが、彼女をこのようにさせてしまったのだ。俺の所為で、俺の関わる人間は不幸になるのだ。これは、俺への罰なのだろうか。生まれた罪への罰。

 ならば、俺はこの心を捨てなければならない。ただひたすらに絶望し、虚無感を抱き、償うことにした。俺に関わってきた者たちへの償いを。

 ニッコリと笑った椿は、生前の輝かしい表情と何一つ変わらなかった。

 

「抵抗しようとしなくなりましたね。貴方様の目に、決意が失われました。ふふふ、分かっていただけたのですね!」

 

 そういうと、俺の身体が動き始めた。

 

「えへへ、ずっと一緒ですよ。零様…」

 

 椿は目を閉じて、俺の顔を寄せようとした。そんな彼女を、俺は思い切り殴りぬける。椿は強い衝撃波を纏いながら後方へと吹っ飛んでいき、何度か地面に衝突しながら転がった。

 

「え…?」

 

 理解ができていないようだった。しかし、関係ない。俺は『瞬間移動』で彼女の上まで移動し、予備動作なく両手両足を殴る。骨が砕ける音が4回響き、それぞれが曲がるはずのない方向へと曲っている。これで、椿は開放されることに従順になる。

 

「え、え?なん…」 

 

 椿の顔面を掴み、軽く持ち上げる。それを地面に叩きつけると彼女を中心に半径50m程のクレーターが出来上がった。地響きは数秒後に収まり、内蔵がぐちゃぐちゃになったであろう。これで、椿は苦しみの声を上げなくて済む。

 

「もう、苦しくなくなるからな。」

 

 これら全ては、俺の責任だ。俺の心の弱さ故の罪と、それに伴う罰。俺は償っても償いきれない。ならば、せめて椿をこの大きな苦しみから解放してあげよう。今度は俺が彼女の頬を摩った。俺の大きな愛を持ってして、彼女を終わらせてあげよう。

 そうして、俺は拳を振るう。

 

「あ〜ら〜?いけませんよ、零様。」

 

 体が動かない。空を向いた俺の拳は、彼女の脳みそを破壊することは無かった。そして、聞き覚えのある声が後方から聞こえる。

 その声の主は俺の横を歩き、椿に跨いで俺を見下ろしているようだ。目さえも動かせないため、その声の主の足しか見えないが、いや、彼女の杖も見える。

 

「どうして、お前がいる?」

「貴方様に会いに来たんですよ。それと、この未熟な娘を回収しに来たんです。」

「そうじゃない。あれから歳月が経って、人間なら寿命を迎えるはずだ。それなのに、なんで生きている?『空蝉 菜々』。」

 

 彼女の名前を呼ぶと、本人は息を漏らすように笑う。

 

「私が、あなた達の言う『黄泉からの刺客』だからです。」

 

 そういう事か。椿を苦しめることとなる直接的な原因の手下が、俺の前に立っている。

 

「この娘も、私の存在に気付いたから最後の力を振り絞って特典の力を使ったようですね。」

「青娥たちはどうした。」

「んー、まぁ、死んでませんよ。構ってたら時間がなくなって零様がこの娘を殺していたでしょうし。」

 

 殴りたい、この女を。しかし、俺の拳は椿の特典の力により動かすことが出来ない。

 空蝉は椿を担ぎ、俺の後ろへと歩いていく。

 

「ふふふ。さて、私はこれでお暇させていただきますね。また、会いましょうね。私の愛しい人。」

 

 そう言い、空蝉は俺の頬にキスをして去っていった。それから十分程経過し、体は動き出して俺の拳は何も無い地面を殴った。



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椿の香り ⅩⅡ 『修行』

 俺はクレーターを後にして、青娥たちの所へと『瞬間移動』をした。そこには傷だらけの三人と、刃こぼれした丸の刀が地面に刺さっていた。

 

「零…さん!目が…いえ、生きていただけで…何より、です。」

 

 三人は気絶しているが、丸は辛うじて意識を保っていたようだ。俺は丸の柄頭に触れ、霊力を送る。すると、刃こぼれはまるで嘘かのように消え失せ、いつもの鋭い刃と輝いた。

 

「ありがとうございます。実は…」

「わかってる。彼女も椿と同じ『黄泉からの刺客』だ。」

「そうなんですね。」

 

 俺はそれぞれ三人の身体に触れ、『治癒の細胞』で傷を癒す。土なんかは付いているが、傷はひとつ残らず消えたことを確認する。そして漸く、俺は自分の傷を治した。視界が元に戻る。

 

「丸、帰るぞ。」

「はい。」

 

 俺は青娥と美鈴を背負う。その際、丸は自分が背負うと言ってくれたが、丸には芳香を背負うように指示をした。

 

____________________________________________

 

 諏訪大社に戻り三人を寝室に寝かした後、事の顛末を諏訪子と神奈子、そして紫と藍と丸に話した。皆は俺の言葉を遮ることなく、静かに聴いていた。

 

「これが、今回の出来事だ。」

「…そっか。」

 

 諏訪子は驚く様子もなく、椿の正体を受け入れた。彼女も覚悟していたのだろう。しかし、同時に悔しさが込み上げていることを俺は知っている。それも、俺以上に。

 諏訪子は、椿の育ての親だ。小さい頃から今まで全てを知っている諏訪子にとって、椿の変貌は言葉では表せないほどの悔しさでいっぱいなはずだ。

 

「俺は今回のことで、自分の情けなさを痛感した。」

「零…」

「奴らの狙いは俺だ。その俺を中々殺せない為に、椿は利用されたんだ。」

 

 畳の目を見詰めながら、今の俺の素直な気持ちを吐露する。俺の性格を知っている皆は、頭ごなしに「そんなことは無い。」と言わずにいてくれる。こんなにも人に恵まれているのに、俺はそんな彼女らを護れないのだ。

 最初は永琳に会うための旅だった。そして、今は自分が何者かを知るための旅。長い時の中を歩いている内に、俺の旅はいつしか俺だけの旅ではなくなった。俺の、大切な友人との旅となった。そんな彼女らを、俺は守れる自信がなかった。奴らの『特典』の力に対抗出来る力が俺には無い。

 

「丸、そして紫。」

 

 俺が声をかけると、二人は俺の目を真っ直ぐと見つめてくれる。

 

「俺は、これから暫く修行をすることにする。『黄泉からの刺客』から皆を護るための修行を。」

「では、旅は一度止めるということですか。」

「あぁ。青娥、芳香、美鈴には丸から説明してくれ。紫には、申し訳ないが俺が力を付けるまで『東方Project』の件は全て任せていいか。」

 

 俺の言葉に、二人は頷いた。しかし、そんな光景を見て神奈子は慌てるように口を挟む。

 

「ちょっと待て。丸に彼女らへの説明を頼むということは…お前、1人で修行をするということか?」

「そうだ。」

「…青娥たちが納得すると思うか?」

「だから、丸に頼んでいるんだ。青娥たちが目覚める前に、山に俺自身を封印する。」

 

 その言葉には、流石に頷いた二人も驚いているようだった。神奈子は浅くため息を吐き、呆れるような目を向ける。

 

「お前、身勝手が過ぎるぞ?」

「なんと言われても構わない。だが、今の俺には奴らから皆を護るための力がない。恨まれてもいい、嫌われてもいい。皆を護りたいんだ。」

「…ハァ。」

 

 神奈子の言うことも理解している。寧ろ、彼女の言うことは全て正しい。しかし、俺と関わる人間は不幸になる。思い込みでは無い。現に、そうなっているのだ。

 ならば、誰にも関わらず俺一人で修行をして、俺一人が力を付けるのが一番誰にも不幸は訪れないのだ。

 

「皆、零のしたいようにさせてあげよう。」

「諏訪子…」

「零は頑固だからね。そう言ったら曲げない人だから。修行から戻ってきたらみんなで1発ずつ殴ろう。」

「え?」

 

 そういうと諏訪子は拳に大量の神力を纏う。俺の頭の形が変わる程の力に、冷や汗が垂れる。

 

「それぐらい良いよね?」

「あ…はい。」

 

 この場にいる全員が俺に対する怒りで満ち満ちている気がして、気圧された俺は素直に従った。そう怒るのも、無理はないことだ。

 

「この裏にある山、使って。」

「いいのか?」

「うん。修行から終わっても私の拳から逃げられないためにね。」

「あぁ、はい。」

 

 終始笑顔の諏訪子が酷く恐ろしいと感じるのは俺だけだろうか。

 

____________________________________________

 

 木々をくぐり抜け、木漏れ日が俺の視界にチラつく中に大きな石がポツンと寂しく鎮座していた。ここら辺が、修行をする場所に相応しいだろう。

 俺は歩みを止めて後ろを振り返る。諏訪子と丸と紫も、それに従い足を止めた。神奈子と藍は青娥たちを看てもらっている。

 

「暫く会えなくなるが、俺は必ず帰ってくる。だから、それまで待っていてくれ。」

「分かりました。」

 

 丸に続いて二人も頷く。それを確認して、俺は紫の方へと顔を向ける。

 

「『東方Project』の件、改めて謝らせてくれ。すまなかった。」

「ううん、いいのよ。」

「ありがとう。修行を終えたら、結界やらの霊力は任せてくれ。全力で取り組む。」

「えぇ。」

 

 紫は優しく微笑んだ。それに安心してしまう辺り、俺はまだまだ未熟な存在なのだろう。俺自身が頼れる存在にならなくてはならない。

 

「それと…頼みがあるんだ。」

「何かしら?」

「八意永琳と、その同居している人に俺の事を伝えて欲しい。暫く会えなくなることと、その理由を。」

「…わかったわ。」

 

 その瞬間、紫の目が一瞬だけ曇ったような気がした。しかし、それは気の所為なのだろうと思わせるように、元気に親指を立てる。

 

「それじゃあ、また会おう。」

「えぇ、また。」

「待っていますよ。」

「またね、零。」

 

 俺は地面に手を付き、霊力を解放する。ここら一体を封印し、その封印された空間で修行を行う。眩い光が辺りを覆う。視界が光のみになった頃、人の気配はなくなった。

 光が収まる。ここには俺だけが存在する。動物も虫も微生物もいない。しかし、青い空だけが俺の上で揺蕩っていた。



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幻想の園に夢の花を
幻想の園に夢の花を Ⅰ 『苦労』


 明治18年。徳川の統制は終わり、西洋の文化を取り入れた街並みに、彼はどんな反応を示すのだろう。もちろん、封印されている辺りは自然で溢れているものの、街へ降りればそれを拝めるだろう。

 しかしその前に、彼を1発殴らなければならない。私を散々待たせたのだ。

 

「永琳、もうちょっとで着くわ。」

「ありがとう。彼を殴れるのが楽しみだわ。」

「私も楽しみだよ。」

 

 紫が私の所に来て零の話をしてきた時には、悲しみで涙が溢れかえったが、今となっては彼の身勝手さに腹が立って仕方がない。それは、私の隣を歩いている諏訪子というこの地域の神も同じようで、私たちは目線を合わせてイタズラっ子のような笑顔をお互いに見せる。

 

「それにしても、彼の旅を共にした彼女たちは何処へ?」

「青娥は怒り狂って芳香を連れて旅へ出たため、今何処にいるかは分からない。美鈴はあの後、西洋の妖怪に拾われてメイドをしているそうよ。その館の主が我儘でね、本当は来たいらしいのだけど、許可は得られなかったらしいわ。」

「義経さんは…」

「ここにいますよ。」

 

 紫の持っている刀から声がする。少し驚いたが、どうやら彼は具現化するタイプの霊魂のようだ。

 義経さんは育ての親の所へと帰省し、彼の復活をそこでずっと待っていたらしい。育ての親は鞍馬天狗らしく、零の親友だという。私の知らない間に、友好関係は計り知れないほど広がっていたようだ。

 

「さて、目的の場所に着いたわ。」

 

 木漏れ日が落ちたところに、大きな石が寂しそうに存在していた。風に揺られ木の葉が歌う。ここに、彼がいるのだ。

 

「封印が、緩んでいるのね。」

「そうなんだよ。だから、そろそろかなって思ってね。」

 

 今にも解けそうな紐を見ているようだった。少しの弾みで、この封印は解け、彼が現れる。

 

「まさか封印の中で死んでいるなんてことないよね…?」

「それは無いわよ。彼は…零は生きているわ。」

 

 諏訪子の疑問もご尤もだが、零は生きている。身勝手な人だけれど、彼は約束を破らない。私がこの世にあり続ける限り、彼は生き続ける。つまり、彼が死ぬことは無い。私を置いていかないのを、私は知っている。

 その時、時空が歪み始めた。封印が、解ける。

 

「キタキタ!!」

「えぇ、やっと彼に会えるわ。」

 

 時空は上下左右がグチャグチャになり、三半規管も頼りにならないほどの目眩や吐き気が私達を襲う。しかし、そんなことよりも彼に会える期待が勝り、誰一人として顔色を変えなかった。

 眩い光が辺りを包む。暫く目が開けられずにいたが、次第にその光は薄まっていき、ついにその光は鎮まった。

 私は、ゆっくりと目を開ける。目の前には、一人の男がいた。

 

「…久しぶりだな、永琳。」

 

 気が付いたら、私は彼に抱きついていた。彼を殴ろうとしていたのに、説教をしようとしていたのに、笑って許そうと思ったのに、私は身体が勝手に動いて、泣きながら彼の温もりを感じていた。久々に嗅いだ、彼の匂い。懐かしく、そして落ち着く匂いだった。

 私の泣き声が山の中に響く。紫や諏訪子も、それを涙ぐみながら微笑んで見ていた。

 

____________________________________________

 

「何か言うことは?」

「すみませんでした。」

 

 瘤を三つ作った零は諏訪大社の床の上に正座している。義経さんにも殴るように勧めたのだが、遠慮していた。

 

「私たちがどれだけブチブチにブチ切れたと思ってるの?私の銀髪が白髪になっちゃうわよ。」

「いや、もうほんと、すみません。」

「青娥なんてもう、今まで見た事がないほどキレ散らかしてたからね?」

 

 諏訪子は恐怖に身体を震わせる。その様子を見て、零は青ざめている。

 

「あ、あの〜、青娥さんは今どこにいらっしゃるのでしょうか…?」

 

 零がいつにもなく怯えながら訊くと、紫が呆れながら青娥と芳香、それと美鈴のことについて説明をする。それを聞くと、零は吐息混じりに「そうですかぁ…」と声を漏らした。

 

「後で謝罪巡りさせていただきます…」

「そうしなさい。」

 

 そう言って、私はもう1回彼を軽く殴った。瘤のところを。

 

「でもその前に、紫との約束を守らなくちゃな。」

「そうよ、ずっと待ってたんだから。いつでも取りかかれるわよ。」

 

 そう言って、紫は腰に手を当てフンと鼻息をわざとらしく吹く。

 

「ありがとう、紫。」

「フフン、どうってことないわ!」

「それなら…早速取りかかるか。」

「え、今?」

「いつでも取りかかれるんだろ?」

「まぁ、そうだけど、修行が終わったばかりじゃない。」

 

 流石に疲れているだろう?と、紫はあたふたとし始めたが、そんな彼女を見て零は納得したように笑った。

 

「大丈夫だよ。最後の方はずっと瞑想していたから。そんなに疲れてないよ。」

「そうなのね…因みにどれぐらい瞑想していたの?」

「あ〜…ざっと一億年かな?」

 

 …うん?

 

「ちょっと待ってくれない?なんて言ったの、今。」

「え?だから、一億年ぐらいかな。」

「修行期間は300年弱でしょ?一億年なわけないでしょ…?」

「封印した空間は時間の流れをできる限り遅めたからな。」

 

 彼のぶっ飛んだ発言に、この場にいる誰もが思考を停止させた。開いた口が塞がらないという言葉の真髄を噛み締めている気がする。

 

「えっと…だとしたら、貴方は一体どれだけあの空間にいたの?」

「1兆年。」

 

 幼い子どもが言ってそうな数字が出てきた。にわかにも信じ難い、とも言えないのが零の不思議なところである。この人なら有り得そう。

 

「だから寂しかったよ〜、えーりん。」

「待って、私の脳が貴方を受け付けようとしていないから。」

「え、酷くないか?」

 

 化け物のような彼の行動力を改めて実感した。月の脳では処理しきれない程の歳月だ。

 

「それほど、貴方は本気で皆を護ろうとしているのよね。」

「…あぁ、もちろんだ。」

 

 ふざけたような態度をしていた零も、その言葉だけは力強く口にした。その目には今までに見た事もない程の、零の決意を感じた。

 

「ハァ…分かったわ。貴方って本当に極端よね。」

「だからこそ、昔の比にならない程の力をつけたぞ。」

 

 そういうと、彼は指先から一瞬だけ霊力を放つ。私たちに向けられている訳でもないのに、その霊力を感じるだけでその場の全員が心臓を突き刺されるような恐怖を抱く。

 

「な?」

「貴方、極めすぎよ…」

 

 白髪どころか髪が抜け落ちるかと思った。今執筆している『永琳の苦労』という本に、新たなエピソードが加わることになるだろう。



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幻想の園に夢の花を Ⅱ 『龍神』

 零が封印から解かれ、直ぐに私達は信濃…基、長野県の白馬村に向かった。紫が言うには、ここが幻想郷の土地となるらしい。

 上を見上げると夏の綺麗な夜空は見えず、激しい雨が降り始めている。今日は止めようと紫が言ったものの、零は今日に固執していた。なにか理由があるのか訊いたものの、それらしい返答は得られなかった。

 

「ここに決めた理由とかあるの?」

「四季があり、且つ土地の霊力や妖力が安定している大きな土地を選んだ。」

「へぇ。」

 

 肌で感じるエネルギーは決して、多くもなく少なくもない。それに加えて一定を保っているらしい。不安定だと、妖怪が暴走をするなんてこともあるだろう。ならば、この土地を選んだのも納得できる。

 それにしても、長閑な土地だ。明治が始まり、和洋折衷の街並みが空の下に乱立する中、ここは昔ながらの雰囲気を漂わせている。しかし、人が住む時に家を建てる為、このノスタルジックな風景は洋風の要素を取り入れた街になってしまうのだろうか。私は今の土臭い建築が好きだ。どうかこのままであって欲しいと願う。

 

「あれ、そういえばもう1人幻想郷の創世の協力者がいるんじゃなかったの?」

 

 諏訪子が不思議そうに紫に問う。全くもって初耳なのだが、もう1人協力者がいるらしい。しかし、そのような人物は見当たらない。

 私があちこちを見渡していることに気がついたのか、紫は少し微笑みながら説明をしてくれる。

 

「彼女は自分の支配する領域からサポートするらしいわ。零の亜空間みたいなね。」

「なるほど。」

「まぁ、同じ協力者だし、名前を伝えておくと『摩多羅隠岐奈』という人よ。」

 

 見えない領域からの支援。果たして、どう役に立つのかは気になる所だ。

 

「支援があるなら、結界なんて余裕だぞ。片手間で管理できるぐらいしっかりした結界を張れる。」

 

 零が得意気にしながら言う。先程の霊力を見れば、その言葉に嘘偽り無いことは明らかだ。

 

「なんなら、遊びながら張れるぞ。」

「ちゃんとやりなさい。」

 

 調子に乗った零にチョップを下す。すると、彼はわざとらしく頭を摩り、拗ねたような返事をする。

 

「さて、早速で申し訳ないけれど、お願いしていいかしら?」

「いつでも大丈夫だ。」

 

 紫の確認に、零はすんなりと返す。修行が終わってばかりにも拘らず、全く疲労を見せないことにも何も思わなくなった。それほど、彼の力と生態は異様なのだ。そして、それが彼の強さであり、心の余裕なのだと思っていた。

 しかし、全ては彼が抑え込んでいただけだった。それを私が一緒に担おうとしても。彼は私を頼らない。悔しさが私を苛ませる。

 

「よぉーし。永琳、見ててくれよー。」

「えぇ、しっかりとね。」

 

 わかってる。彼は、私の前で格好をつけたいだけだ。彼はそういう人なのだ。

 もちろん、悔しいことに変わりは無いが、彼のその子どものような心が、どうしようもなく愛おしい。彼は私のことになると自分の身さえ投げるほど狂ったような愛を持っているが、どうやら私も人のことが言えないほど、彼を愛しているらしい。

 結界を張ろうと、激しい雨に打たれながら目を瞑る零の背中を眺める。

 

「他の協力者の力もあって、霊力が安定し易いな。ナイスサポートだ、顔も知らない協力者さん。」

 

 零の言葉を返すかのように、霊力の流れが一瞬強まった。しかし、その一瞬は強力なものだったのだが、零は眉一つ動かさない。それどころか、それを笑った。

 恐らく「私のサポートなしでも行けるだろう。」という嫌味も込めた返事だったのだろう。

 

「面白い協力者だな。いつか呑もう。」

 

 のびのびと霊力を放出している。もちろん、私達が立っていられるように調節もしながら。エネルギーの扱い方が、芸術を見ているかのような錯覚に陥るほど、美しい。

 私が惚れ惚れしてその光景を眺めていると、零が紫の方に顔を向ける。

 

「幻想郷に住む予定の人や妖怪なんかは、どうしてるんだ?」

「万が一のために、結界から1km程離れた所に集まって待機してもらっているわ。」

「お、それなら…」

 

 何を企んでいるのか、零はイタズラをする前の子どものような笑顔をする。私のチョップが響いていなかったらしい。私は呆れたようにため息を吐きながらも、彼らしいと思い口角が上がった。

 

「俺から、幻想郷に祝福を!!」

 

 彼がそう叫ぶと、手で霊力の流れを一気に引っ張り、ホースから出る水のように、上空へと霊力を打ち上げる。それが雨雲を破り星空が満開に咲いた。

 霊力がキラキラと輝いている。まるで天の川が私達の平和を願っているかのようだった。

 

「まだまだぁ!!」

 

 すると、その天の川は形を変え、一匹の龍のような形へと姿を変え、うねうねと上空を飛び回っている。こんなにも美しい光景を、私はこの二億年で見たことがなかった。その霊力の一つ一つが温かくて、目を奪われる。

 

「綺麗…」

 

 紫が言葉を漏らす。その場にいた誰もが、その言葉に頷いた。そして、どうやら皆同じように目を瞑り祈ったようだ。これからの幻想郷の平和を。

 

「これが、最後だ!!」

 

 零は華麗に舞い、それと連動するように龍は螺旋状に上空へと上る。そして、徐々にその形は崩れていき、まるで星で形成された柳のように輝きが落ちてくる。

 結界が張られているのを確認する。いつの間に完成していたのだろうか。全ての人間、妖怪、幽霊、妖精…いくつもの意思あるものが、零が生み出した龍神に目を奪われていたのだ。

 

「どうだった?最高だっただろ、永琳。」

 

 でもその龍神は私の為の輝きだったと思って、いいだろうか。



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幻想の園に夢の花を Ⅲ 『勝手』

 零や協力者などにより結界が張られ、次は幻想郷の住民になる予定の数多な種族を移動させる作業に取り掛かった。しかし、これは紫の仕事であり、私や零などはただそれ見ているだけだった。

 

「そういえば諏訪子、紫から聴いたけど幻想郷に移住しないらしいな。なんか理由があるのか?」

「うん。やっぱり、諏訪の民を置いては行けないよね。」

 

 神という存在は、一種の束縛に抜け出せない存在である。信仰とは人間の返報性の具体例のようなものだ。地域ごとに神が存在しているのも、これが原因だろう。

 零は彼女の返事に納得したように、そして少し寂しそうにしながら頷いた。

 

「そっか。まぁ、今までのように偶に顔出すから。」

「いつでも待ってるよ。あ、永琳も来てね。」

「ふふ、ありがとう。」

 

 私と諏訪子の会話に、零は不思議そうな顔をしている。どうしたのだろうか。

 

「お前らって、いつ仲良くなったんだ?というか、なんで仲良くなったんだ?」

「どっかの誰かさんが勝手に修行し始めたからだけど?」

「あ、はい。」

 

 申し訳なさそうに肩をすくめる。そんな彼に私達はクスリと笑いながらも、ちゃんと説明してあげることにした。

 

____________________________________________

 

 約300年前、私は姫様と屋敷の縁側でゆったりと茶を啜っていた時だった。零の旅の付き添いである義経さんと、知らない女性三人が神妙な面持ちで目の前に現れた。

 零の姿がない。この時点で少し嫌なことが起こっている気がしていた。

 

「義経さん、零は…?」

 

 私の質問に、彼は目線を下にずらした。まさかとは思うが、死んでしまったなんてことはないだろうか。ありえないことでも、不安が私の心臓を握りしめた。

 

「まず前提として、零さんは生きています。」

 

 私の心を読んだように、彼は目的よりも先に不安を取り除いた。しかし、それならば彼らは何故目を合わせようとしないのか。

 

「その…零さんは身の回りの人を守ることが出来なかったと自分を責めてしまい、山に自分を封印してその空間で修行をするらしいです。」

 

 …言っている意味がよく分からなかった。

 笑った方がいいのだろうか。しかし、彼らは真剣そのものだった。私は苦笑いをしてしまう。

 

「あの…とりあえず上がっていってください。」

 

 そうして、義経さんと謎の女性三人を屋敷に通した。

 

____________________________________________

 

「えっと、永琳?どなた様方?」

「さぁ…?」

 

 輝夜は戸惑いながら私の隣に座っている。こそこそと話しかけてくるが、私自身彼女らが誰なのかは分かっていない。

 

「あの、お名前をお聴きしても…?」

 

 私が慎重になりながら訊くと、三人はハッとした表情を見せる。

 

「あ、そうですよね。すみません。」

 

 白いドレスに中華風の紫色をした前掛を着た女性が申し訳なさそうに頭を下げる。こんなに綺麗な方が、恐らく零の知り合いであることにモヤモヤとした不安を抱いてしまう。

 

「私の名前は『八雲紫』と言います。こちらは私の式の『八雲藍』です。」

「八雲藍です。」

 

 藍はそう言いながら丁寧に頭を下げる。私や輝夜もつられて頭を下げる。

 すると、もう1人のカエルのような目が付いている帽子をかぶった小さな女の子が作ったような笑顔を向け、自己紹介を始めた。

 

「私は『洩矢諏訪子』だよ。諏訪で信仰されてる祟り神だね。」

「祟り神…?」

「あ、祟り神と言っても、良い祟り神だからね!」

 

 祟り神に良いも悪いも無いような気がするのは私だけだろうか。

 

「それで、零の修行云々の話を詳しく聴かせていただますか?」

「そうですね、どこから話したものか…」

 

 そう言い、紫は義経さんの補足もありながら零の歴史を私に教えてくれた。諏訪大社の巫女をしていた椿のこと、紫と一緒に幻想郷という妖怪と人間が共存する世界を作ること、そして、黄泉からの刺客のこと。

 二時間程でその全容が分かり、同時に彼の壮絶な苦悩が垣間見えた。彼は私を死ぬ覚悟で守ろうとする馬鹿だ。そして、優しい人だ。優しいが故の精神的苦痛と、彼本来の身勝手な性格が合わさった結界なのだろう。彼は山に自分を封印した。

 

「そうですか…分かりました。あの人らしいですね。」

「…」

 

 私の言葉に反応する人はいなかった。空気がそこはかとなく重い。

 私は軽いため息を吐き、明るく沈黙を破る。

 

「皆さんも彼に振り回されて大変だったでしょう?」

「え?」

 

 紫と藍、そして義経さんは驚いた表情を見せる。しかし、諏訪子は私のその声色に合わせるように笑顔で言葉を返す。

 

「いやーホント、身勝手すぎだよね。それに、奥さんになんにも言わずにっていうのもねー。許されないよ。紫や藍もそう思うでしょ?」

「えぇっと…」

 

 戸惑う紫と藍を見て、私達はなんだか面白く笑ってしまった。零は、昔から勝手な人だった。でも、そんな勝手な人でもついて行きたくなるような魅力があった。

 待たされるなんて、何も苦しくない。死んでしまったと思い込んでしまったあの時に比べたら、かすり傷ですらない。本当にツライのは、今も尚修行をしている彼自身なのだ。

 私は生きている限り、彼は死なない。ならば、気長に彼の帰りを待ってあげるのも悪くない。

 その代わり、帰ってきたら拳骨のひとつでもお見舞いしてやろう。



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幻想の園に夢の花を IV 『白兎』

 人と妖怪の幻想郷への移住が終了した。人間は社会的な生物であるため、幻想郷の中央の少し東側に位置する『人間の里』に固まって住み、妖怪は各々の過ごしやすい環境に住んでいる。一方、私と輝夜は竹林に住むことに慣れ、というより愛着が湧き、人里から南東の方に位置する『迷いの竹林』に屋敷を移動させた。

 これから隠居生活のようなゆったりとした生活が始まるのだと、そう思っていたのだが───

 

「…」

「黙っていても分からないわよ。あなた、何者?」

 

 土で汚れた兎の妖怪が正座をしながら、不貞腐れるようにしてそっぽを向く。

 数十分前、屋敷の維持費を考え、薬剤師を生業にしていこうか悩んでいると、外から実験用の獣を捕らえる罠の音となにかが暴れているような音がした。外へ出てみると、そこには足首にロープが巻かれて宙ぶらりんになっている兎の妖怪が暴れていたのだ。

 狙った獣ではなかったため、その罠を解いてやるといきなり襲いかかってきたため、返り討ちにして今に至る。

 

「この竹林は私の旦那でもない限り、迷ってしまう場所よ。あなたが何者か、どこから来たのか分からないと返してあげれないのよ。」

「なに言ってるのよ…」

 

 やっと口を開いたが、どうやら私の発言に腹を立ててのことのようだ。

 

「私の家はこの竹林よ。私はこの竹林に、あんたが生まれるよりも遥か昔から住んでいるのよ。」

「あぁら、あなたって此処に二億年以上も住んでいるのね。」

「へ?」

 

 私もまだまだ若いってことね。そう言われてしまうと、なんだか嬉しくて、面白くて、彼女には申し訳がないけど堪えきれない笑みを零す。

 

「お嬢さん、挨拶もなしにここに屋敷を建てた事は謝るわ。ごめんなさいね。」

「え、あ、うん…」

「中に入りなさい。その汚れをお風呂で洗い流しましょう。そのまま、食事でもしましょうか。」

「食事?」

「引越し蕎麦よ。」

 

 キョトンとした顔をしている兎さんを家の中へと招く。兎の妖怪なだけあって、なんだか小動物のような可愛い女の子だ。これは思う存分に可愛がってあげないと。

 

____________________________________________

 

「あんた、なかなか良い奴だね。」

「あら、そう?そう言ってくれるのは嬉しいわね。」

 

 蕎麦をたらふく食らった兎さんはお腹を擦りながら鼻をすする。

 

「なぁ、永琳。この少女は一体?」

 

 零は少し戸惑ったように私に問う。隣にいる輝夜も同じような表情をしていた。

 

「なにぃ、少女だって?私はあんたの何千倍も…」

「彼は私の年上よ?」

「…若いのよ。」

「じゃあ良いじゃねえか。」

 

 兎さんはまた不貞腐れる。なんて可愛らしいのでしょう。家で飼いたいわ。

 

「それで、この少女は誰なんだ?」

「私も分からないわ。」

「分からない妖怪を招くなよ。」

「可愛いんだもん。」

「えぇ…?」

 

 なんで零が私の行動に引いているのだろうか。全くもって人のことが言えないような性格をしているくせに。

 

「あー、君の名前を教えてくれるか?」

「まずそっちから名乗ったら?」

「それもそうだな。俺は神田零だ、よろしく。」

「ん、『因幡てゐ』よ。」

 

 互いの名を名乗り、てゐと零は握手を交わした。次に、てゐは私の方に目線を向け、手を差し出してくる。私はその手を取り、握手を交わす。

 

「八意永琳よ。」

「あんたは?」

「蓬莱山輝夜よ。」

 

 長生きを主張してくるだけあって、堂々とした風格はあるようには思える。しかし、それに加えて小動物のような可愛らしさも共存している生物は見たことがなかった。

 

「それにしても驚いたよ?私の縄張りに立派な屋敷が建ったんだから。」

「先住民がいるとは思わなかったんだ。すまない。」

「いいよいいよ。蕎麦もいただいたしね。」

 

 てゐは楊枝を取って、歯の隙間に挟まった七味の胡麻を掻き出す。やっていることはオジサンなのだが、それすらも可愛らしい。本格的に飼うことを検討しようか。

 

「ホント、最近は変なことばかり起きるね。龍が空を飛んだり、大きな結界が張られたり、屋敷が竹林に建てられたり。」

「え?もしかして、てゐって…」

「ん、なに?」

「幻想郷について知らないのか?」

「何それ?」

 

 零の質問に対して何が何だか分からないような、素っ頓狂な声で返す。その声に、零や私はそういう事かと頭を沈めた。

 

「てゐが見た不可思議なそれらについて、話しておこう。」

「え、何さ知ってるの?」

 

 零は頷き、てゐにそれらの真相、そして東方projectについても話した。最初こそ訳が分からなそうな顔をしていたものの、真実がわかってくる事にてゐの顔は疲れたような表情になっていった。

 

「えぇと、つまり私は幻想郷の住民に図らずもなってしまったってこと?」

「そういうことになるな。恐らく迷いの竹林が迷いの竹林過ぎて、紫がてゐのことを見つけられなかったんだろう。」

「何それぇ…?」

 

 てゐはなんとも言えない感情をその態度に出す。畳の上に寝転がり、両手を広げて大きな溜め息を吐く。

 

「別に実害は無いけどさぁ、なんか疎外感。」

「紫の代わりに謝るよ。」

「いいよ別に。」

 

 本日3度目の不貞腐れ。流石に可愛いよりも可哀想が勝る。それは零や輝夜も同じなのか、苦笑いをしつつもてゐに優しく話しかける。

 

「そのー、いつでもこの屋敷に来ていいわよ。人もあまり来ないから、来客は嬉しいもの。」

「そうそう、歓迎するよ。」

「…ホント?」

「ホントホント。」

 

 てゐはゆっくりと体を起こし、その両の眼で私たちをじっくりと見つめる。

 

「ならよろしくね。」

 

 そう言い、先程の不貞腐れた表情が嘘かのような晴れ晴れした笑顔を向ける。もしかしたらこの展開を狙っていたのかもしれないが、そんなことは知る由もなく、三人は安堵の息を吐く。

 因みに、毎回こんなに飯を食われては首が回らなくなるため、薬剤師は確定した。




最近忙しくなったためペースが落ちます。ご了承ください。


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幻想の園に夢の花を Ⅴ 『幻想』

 東方projectが無事完遂し、数日が経った。幻想郷の大結界に守られているため追っ手の心配もしなくて良いことから人里へ大手を振って遊びに行けるのは、私にとって非常に良い変化だった。屋敷に帰ると愛しの恋人もいるし、愛玩動物のてゐも遊びに来る。こんなにも自由の効く中で、輝夜のお世話をすることは非常に満足だった。

 しかし、彼は言った。

 

「そろそろ謝罪しに行くとする。」

 

 食事を四人で囲っている中、唐突に言ったのだ。

 

「謝罪?なんの話?」

「てゐは知らないもんな、俺の無責任さを。」

 

 首を傾げるてゐに、零の今までの旅路を話す。武勇伝のような話を、まるで恥ずかしい失敗談のように話す彼に、改めてその異様さを認識する。

 まるで子どもの妄想から生まれた粗末な物語のようにハチャメチャな話に、てゐは驚愕の表情を見せる。開いた口が塞がらないとはよく言ったものだ。

 

「何その…訳の分からない話は。」

「恥ずかしい限りだ。」

 

 そういう意味でてゐは驚いているのでは無い。何度も聞いても、私でさえ理解が難しい。しかし、決して弱くは無い彼がここまで苦しめている『黄泉からの刺客』から私たちを守るために、あの時一緒に住むことを断ったのだ。今度こそ、彼と1つ屋根の下で…そう思っていたのだが───

 

「まぁ、そういうわけで、西洋の館でメイドをしてるらしい美鈴と、怒り狂って芳香を連れて旅に出た青娥達に謝りに行くとするよ。」

 

 確かに、封印を解かれた直後はそんなことを言っていた。しかし、それは幻想郷の外へ出るということだ。私は付いて行けそうにない。

 

「義経さんは一緒に行くの?」

 

 因みに、義経さんは一緒に暮らしておらず、『妖怪の山』という天狗や河童などの妖怪が住んでいる山で日々修行をしているらしい。

 

「いや、丸は連れていかない。なんでも、外の世界は刀を持っているといけないらしいからな。なんでかは知らないけど。」

「そっか。」

 

 それに関しては、私も竹林に篭っていたため、世の情勢に対して疎いところがある。豊臣以来の刀狩りが行われている理由に関しては分からないが、恐らく西洋の文化に遅れを取らないために、といった考えの下だろうという私なりの予想だ。

 

「それじゃあ、一人で?」

「あぁ。二人を外に連れていく訳にもいかないしな。」

 

 そう言うと同時に、彼は手のひらを合わせて「ご馳走様でした」と感謝し、食器を持って立ち上がった。

 

「まぁ、そんなに長い間家を空けたりはしないから。『ナビゲーター』で青娥達を見つけるのは簡単だからな。」

「わかったわ。ただ、来週に『博麗神社』で幻想郷創世の祈祷を執り行われるらしいから、それまでは幻想郷を出ないでね。」

「え、初耳なんだが。」

「初めて言ったからね。」

 

 零が幻想郷の結界を張り終わり、屋敷で伸びきっていた頃に紫が私に伝言としてそう言っていた。零も何かと疲れているだろうからと、今まで伝えていなかった。

 

「そうか、それじゃあそれまではここにいなければな。」

「うん、よろしくね。」

 

 そうして、私は空になった器の前で手を合わせた。

 

____________________________________________

 

 晴天、雲ひとつもない青空の下、幻想郷の住民が鳥居の下を潜り始めていた。私はというと、零の立ち話を横で聞いているだけ。話し相手は、幻想郷の治安を取り締まる巫女さんだ。無論、この博麗神社の。

 

「お初にお目にかかります。神田零様と八意永琳様ですね。私は博麗靈夢と申します。」

 

 恭しくお辞儀をして、巫女らしい清らかさも感ぜられる。

 

「堅苦しいな、気軽にでいいぞ。」

「あっそう、わかったわ。」

「…さては元々畏まるつもり無かっただろ。」

「紫がやれって言うのだからしょうがないでしょ?」

 

 そんな印象は綺麗に崩れ去った。とはいえ、零も堅苦しいことは嫌っている。紫も分かっていて、小さなサプライズとして靈夢にそのような態度を強いたのだろう。

 

「幻想郷を守る巫女がこんなにも落ち着いていて物怖じしない者なら、安心だな。」

「任せなさい。アンタが何かやらかしたら封印してやるから。」

「おう、任せたぞ。」

 

 零は実に愉快そうだった。本気で、彼は安心しているのかもしれない。彼は何も言わないが、この結界は、本当に外の世界と断絶された結界なのだ。つまり、外子から認知されることは無いに等しい。それは、零に送られる『黄泉からの刺客』からも同様に言えることなのだ。紫曰く、幻想郷の冥界や地獄は外の世界のものとは違う、新たなものらしい。魂の行く末は、黄泉に繋がらない。

 しかし、万が一『黄泉からの刺客』に存在を気付かれたら?そんな小さな可能性を孕んでいる以上、中で平和ボケしている訳にはいかないのだ。零は修行をして大きく成長し、強くなった。しかし、やはり人を守るにも限界がある。ならば、幻想郷の個人それぞれが自分の身を守れる程の力が必要になるのだ。

 

「永琳?」

「え?」

「どうした、もう始まるぞ。」

「あ、あぁ。」

 

 私は、彼に何をしてあげられるのだろう。それだけが、ここ最近で一番並んでいることだ。もちろん、一緒にいるだけでも良いと彼は言ってくれるが、エゴ的な考えだが私自身が彼のために尽くしたいと思っているのだが、それに見合う程の実感がない。

 彼は今始まった靈夢の祈祷の舞を岩に腰かけて眺めている。私もその隣に座り、彼と同じ方向を眺める。

 

「ねぇ、零。」

「なんだ?」

「…」

 

 彼は言った、輝夜に一生をかけて償えと。しかし、私にはもう一つ、一生をかけてでもしたいことがある。

 私は彼の方に頭を預け、彼の安心する香りを鼻で感じる。

 

「大好きよ。」

「俺も、大好きだ。」

 

 そうして、彼は私の頭を優しく撫でた。




 これにて、東方化物脳の前編を終えます。次回から中編に入り、主人公も変わります。いきなり主人公が変わると皆様が困惑される可能性を考え、事前にお知らせ致します。もちろん、神田零は中編でも出てきますのでご安心を。
 因みに、東方化物脳の主人公は神田零と次回からの主人公の二人のみです。三人目が出てくることはありませんし、無駄に話を伸ばすこともありませんことをお知らせいたします。

 それでは、また次回にお会いしましょう。


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中編
中編 プロローグ


やっと、幻想郷内の物語が始まります。お待たせいたしました。


 学校はとても楽しい所です。友達もいるし、勉強も部活も充実しています。学校帰りにはみんなとカラオケに行って、ラーメンを食べたりしています。家では学校で流行ってる曲を聞いたり、流行ってるゲームをプレイしたり、流行ってる漫画を読んだり、流行ってるドラマを見たり…それを次の日の学校で友達と話すんです。

 勉強はできた方が友達に頼られるから毎日しています。必ず共通の話題にもできますから。部活もみんなの足を引っ張らないために空いているポジションに必要な技術を磨いています。カラオケは流行りの曲を歌えた方が盛り上がります。

 

「それで?」

「え?」

 

 目の前の男性はつまらなさそうにタバコの煙を吐いた。

 

「君はそんな最大公約数的な処世術を実行している訳だが…君自身のことは?」

「僕自身?」

 

 和服なんて古風な服を着ているのに、メビウスを吸っている男性が煙を肺に含み、ため息のように煙を吐いた。

 

「…君の好きな科目は?」

「えっと…」

「サッカーのどういうところが好き?」

「あの…」

「好きな歌は?」

「ちょ…」

「好きなラーメンの味は?」

「ちょっと待って!」

 

 畳み掛けるように質問をしたと思えば、またつまらなさそうにメビウスを吸う。

 

「もう一度問おう。君のことを教えてくれ。」

 

 僕は───

 

____________________________________________

 

 

「上嶋。どうだ、目覚めの気分は。」

「…なんか悪夢を見た気がします。」

「正夢かもな。授業終わったら職員室に来い。」

 

 僕は目を擦り、ぼやけた黒板に目を凝らす。すると次第に目のレンズが調整されて、板書された漢文とレ点が顕になる。隣や後ろからは抑えるような笑い声と哀れだという感情を乗せた視線が刺さる。きっと後で弄られることは間違いないだろう。

 それにしても、僕はどんな夢を見ていたのだろうか。あまり覚えていない。酷く焦燥感に駆られ、不安の渦に臓物が巻き込まれていたような気がする。

 僕は汗を拭う。今は春だ。暑いはずは無いのだが、額から滲み出た水滴は僕の顔のラインを象った。

 

「来年に受けることになる共通テストには漢文にルビなんて書かれてないからな。気をつけろよ。」

 

 教師の言葉に文句を垂れるクラスメイトの声が重複する。

 

「それじゃあ、上嶋。寝てた罰だ、この文の意味を答えろ。」

 

 指名された僕は立ち上がる。寝ていたのだから分かるわけが無いのだが、何とか予習した知識から無理やりにでも思考を巡らす。

 しかし、どうもおかしい。普段ならスっと答えられるのだが、脳が覚束無い。それに、教室が歪んできている。

 

「おい、上嶋?」

 

 教師に名前を呼ばれた。僕は返事をしようとしたが、どうも喉から言葉が出てこない。そういえば、先程まで黒板を見ていたはずなのに、今は教室の天井が見える。

 教師の顔が僕の顔を覗いている。もしかして、僕は倒れているのか?

 

「しっかりしろ、上嶋!!」

 

 あぁ、でも、これで職員室に行かなくて済むのか。それなら、少し眠っていよう。僕は心配の声に囲まれて瞳を閉じた。



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普遍の海に沈むエゴ
普遍の海に沈むエゴ Ⅰ 『困惑』


 どれぐらいの間、僕は眠っていたのだろう。それは定かでは無いが、少なくとも僕が運ばれたのは保健室の妙に硬いベッドでは無いらしい。木造の梁が丸出しの天井には、流石に心当たりがなかった。

 気分は問題ない。視界も良好。僕は自分の体を起こして今いる部屋を見渡した。

 薬品棚やビーカーが並んだ質素な空間。町医者にでも引き取られたのだろうか。ベッドから降りて、少し散策しようと床に足を着くと、扉のノブが犇いた。

 

「あれ、お目覚めになられたのですね。」

 

 女性の声が聞こえる。看護師の方だろうかと目線を上げると、どうにも非現実的な格好をした女性が立っていた。

 

「えぇと…?」

 

 困惑することは決して間違った反応では無いはずだ。非現実的な格好、正確に言うと兎の耳を頭から生やした、ロングの紫髪を靡かせる、高校生のようなツービース制服を着た女性がいるのだから。コスプレするとしても、この場ではナース服にして欲しかった。

 

「あぁ、申し遅れました。私、『鈴仙・優曇華院・イナバ』と申します。」

「れいせ…何ですか?」

「鈴仙・優曇華院・イナバ、です。言いづらいと思うので、うどんげとお呼びください。」

 

 ハンドルネームかなにかだろうか。寝起き早々、情報量が多くて困る。しかし、名乗られたにも拘らず無視するわけにもいかないため、こちらも名乗ることにした。

 

「『上嶋直人』です。」

「直人さんですね!よろしくお願いします。」

 

 自分の格好の説明は一切せず、しかし丁寧に自己紹介をする謎の女性。僕はどうすれば良いかも分からず、ただ流れに任せて彼女に礼をした。

 

「貴方、この屋敷の外で倒れていたのですが、覚えていますか?」

「そ、外で?教室じゃなく?」

「キョーシツ?いえ、竹林に倒れていらっしゃったそうですよ。」

 

 竹林?そんな場所は僕の住む地域には存在していない。しかしながら、目の前の女性は真っ直ぐな目で当たり前のようにつらつらと状況を話し始める。

 

「発見してから数時間は目を覚ましていませんでしたが、どこかお身体に不自然な点などはありませんか?」

「いや、大丈夫です…」

「そうですか!それは良かったです。今、師匠を…先生をお呼びしますね。少々お待ちください。」

 

 先生を呼びに行く、ということはやはりここは病院なのだろう。いや、病院と言うより診療所だろうか。ともかく、保健室では対応できない程の症状だったのかもしれない。それなら病院に連れてくれそうな気がするが、患者が病室を埋めつくしていたのだろうか。

 うどんげさんは部屋の外を出て、「師匠ー!」と大きい声を出しながら忙しなく走っていった。一人残された僕は、ベッドに再び腰かけ、大人しく待つこととした。

 そういえば、スマホはどこだろう。もしかしたらここがどこか分かるかもしれない。そう思い、僕は身体中のポケットを探る。しかし、硬い長方形の感触は伝わらなかった。

 

「無い…」

 

 僕は慌てるように立ち上がり、もう一度部屋を見渡す。もしかしたら僕の鞄が預けられていて、その中にしまわれているのかもしれない。そんな希望を抱いたものの、そんなものは存在しなかった。

 

「スマホが、無い…」

 

 僕は落胆するようにベッドに座り込んだ。現代社会において必要不可欠な存在のスマホを無くしてしまった。これじゃあ、友達と繋がれない。学校で孤独になってしまう。そんな思考が脳内を駆け巡り、僕は頭を抱えた。

 

「どうかしましたか?直人さん。」

「え、あ、どうも。」

 

 そんな僕の姿に困惑する声が、また部屋の外から響いた。そこに目をやると、先程のコスプレイヤーのうどんげさんと、青と赤のツートンカラーをしたチャイナ風のワンピースを着た銀髪の女性が腰に手を当て立っていた。頭には赤十字マークが刻まれたナース帽を被っているため、この診療所の方なのだろう。

 

「うどんげから聴いたけど、元気そうには見えないわね。」

「あぁ、いや、スマホが見つからなくて落ち込んでただけです。」

「スマホ…ね。」

 

 スマホという言葉にえらく思考を巡らしている様子だ。それに、とてつもなく面倒くさそうな顔をしている。何があったのだろうか。

 もしかして、探してくれるということだろうか。それは確かに面倒だろうが、こちらとしては万々歳だ。

 

「あの、どうしました?師匠。」

「外来人に全部を説明するのは面倒臭いのよ。」

「あ〜…外来人の方なのですね。」

「服を見りゃ分かるでしょ。それに、スマホなんて私達が聞いたことも無いものを探しているくらいだし。あの人なら知ってるかもだけど。」

 

 全くもってちんぷんかんぷんな話を二人だけで進める。外来人とはなんのことだろうか?僕のことをブラックバスの魚人だと勘違いされているのだろうか。この人が条例絶対ウーマンではないことを祈ろう。

 

「貴方、幻想郷って知ってる?」

「幻想郷、ですか?」

 

 随分とファンシーな字面が出てきた。恐らく地名か何かだろう。しかし、全く聞いたことがない。

 

「その様子は知らなさそうね。」

「珍しいですね、この辺りに外来人なんて。」

「偶然では無い気がするわね。」

 

 また思考を巡らすお師匠さんに、僕は堪らず声をかける。

 

「あの、色々と説明していただいてもよろしいですか?」

「え?あぁ、ごめんなさいね。まず、私の名前は『八意永琳』。医者だと思ってくれて構わないわ。」

 

 素直に「医者です。」と言わない辺りに若干の不安が募るが、とりあえずどうしようもないので頷いておいた。

 

「上嶋直人です。よろしくお願いします。」

「よろしくね、直人くん。」

 

 そして、伸べられた手に応じるように握手を交わす。

 

「それで?倒れる前はどうしていたのかしら?」

「学校で授業を受けてました。」

「突然倒れたの?」

「はい。」

 

 僕の返答に永琳さんは不可解だと言わんばかりに眉を顰める。まだ質問した回数は少ないというのに、何をそんなに考えることがあるのだろうか。

 

「貴方、私が今から言うことに落ち着いて聞いてもらえるかしら。」

「え…頑張ります。」

 

 まさか、余命宣告でもされるのだろうか。心做しか、先生はとても言いづらそうに、苦しそうな表情をしている気がする。僕は固唾を飲んで先生の次の発言を待つ。

 そしてついに、ゆっくりと先生の口が開かれた。

 

「貴方がいた世界と貴方が今いる世界は別のもの、つまり別世界よ。」

「…は?」

 

 どうやら目の前の医者と思われた女性は、世界観を大切にしているタイプのコスプレイヤーだったようだ。



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普遍の海に沈むエゴ Ⅱ 『孤独』

 今どき、異世界系に憧れる人がいるとは思わなかった。こういう時は話を合わせた方がいいのだろうか。あまり関わりのないクラスメイトがそういった系統のラノベを読んでいた気がするが、それらにも手を出しておいた方が良かったと後悔をしている。

 

「あの、どういうことですか?」

 

 とりあえず、頭ごなしに否定したり馬鹿にされたりすると、逆上して何をされるか分からないため、話を聞いておこう。こういう人は自分の世界観を語りたいだけのはずだから、聞き手側に回るのが吉だ。

 

「さっき、幻想郷を知っているか訊いたでしょう?」

「はい、訊かれましたね。」

「ここが、その幻想郷なのよ。」

 

 なるほど、彼女は幻想郷という世界に住んでいると思い込んでいるのか。

 

「この幻想郷は人間はもちろん、妖怪、妖精、幽霊などが存在する、忘れられた者が行き着く世界。」

「へぇ、そうなんですね。」

「…なんか妙に落ち着いてるわね。いや、私がそういう風に頼んだのだけれど、そこまで冷静だと不気味ね。」

 

 初対面の人に直接不気味と評価するのは些かどうかとは思うが、確かに、リアクションは彼女の求めるようなものでは無かったかもしれない。妙にリアリティを纏っている。

 何か適当に辻褄を合わせよう。

 

「いやぁ、異世界にいる実感が湧かないので。」

 

 咄嗟とはいえ、少し嫌味っぽくなってしまっただろうか。僕は恐る恐る彼女の顔を見る。

 

「…それもそうよね。」

 

 良かった。どうやら機嫌を損なうことはなかったらしい。

 僕が胸を撫で下ろしていると、永琳さんは続けるように話しかけてくる。

 

「まぁ、今はとりあえずここで休んでいて。どこも悪くはなさそうだけど、安静にね。」

「分かりました。」

 

 そう言い、うどんげさんと永琳さんは踵を返して部屋の外へと出ていった。扉の閉まる音、そして廊下を歩く音が徐々に遠のいていく。

 

「…よし。」

 

 さて、この屋敷から脱出をしよう。こんな妄想癖だらけの残念なヤツらに誘拐されてしまったのだから。スマホに関しては諦めよう。家には代えのスマホがあるから、友達と繋がりが無くなることは無い。手元にないと落ち着かないという弊害はあるが。

 まず初めに、この屋敷の構造を理解しなくてはならない。ならば、それを把握するためにもトイレなどを口実にして部屋の外に出る必要がある。幸い、自分を医者だと思い込んでいる一般人であるためか、監禁はされておらず部屋を出ることは容易そうだ。

 部屋を出る時に脱出ができるのならばそのまま脱出するのも良いだろう。なんだかステレスミッションを行っているみたいでワクワクしているのは年相応の反応だ。

 

「とりあえず、出るか。」

 

 僕は扉のノブに手をかけ、部屋の外へと出る。

 

「やぁ、こんにちは。」

「…コンニチハ。」

「お兄さん、誰?」

「患者ダヨー。」

 

 初手で新たな住民に出会ってしまった。小さな女の子のようだが、この子も頭から兎の耳を生やしている。とはいえ、この子ぐらいの年齢ならアニメのキャラに憧れて、という動機で耳を付けるのは何ら不思議では無い。

 そうだ、この子に出口を訊くというのはどうだろうか。

 

「ねぇ、君。もし良かったらここの玄関がどこにあるか教えてくれないか?」

「なんで?」

「外の空気が吸いたくてね。」

「ふーん。」

 

 少女は少し悩んだような素振りを見せた後、角度の問題か、悪事を働こうとする所謂悪い顔をしたように見えた。

 

「いいよ!この先を突き当たり右に出て、暫く進んだら左手の方に玄関があるよー。」

「そっか、ありがとうね!」

「どういたしまして!じゃあねー!」

 

 悪い顔に見えたのは気のせいだったようだ。少女は無垢な笑顔を見せ、可愛らしく手を振りながら去っていった。僕も手を振り返し、その少女を見送った。

 さて、早速玄関の位置が分かったためそのまま脱出することを決めた。息を殺し、足音を消し、人の気配を感じ取ろうと十分に周囲に警戒する。

 曲がり角、壁に背を付けてこっそりと角の奥を覗く。人がいないことを確認。そのまま足早に廊下を渡っていき、玄関を探す。

 

「…あった。」

 

 磨りガラスの向こうに緑が見える戸を発見した。これでこの屋敷から脱出することが出来る。スマホはあちらに握られているため直ぐに警察に連絡はできないが、仕方がない。

 そうして、僕はその戸を開いた。

 

「え…?」

 

 目の前は僕の見知った街並みが見える…と思っていた。しかし、僕の視神経は竹林の風景を捉えた。立派な竹が乱立しており、青い空は屋敷の上のみにしか広がっていなかった。

 

「どういう…い、いや…」

 

 誰も、住んでいる地域の全てを知っている訳では無い。僕がたまたま知らなかっただけだ。そう言い聞かせ、僕はその竹林の中に入っていく。後ろの屋敷がどんどんと小さく、そして竹に隠れていく。

 気が付けば、僕の周りには竹だけが存在していなかった。どれだけ歩いても同じ風景、と言うよりも、同じ道を通っている気がしてならなかった。焦燥感と孤独感が僕の全身を襲う。もしこのまま、孤独に迷い続けてしまったら…そういった想像をしてしまう。

 

「大丈夫、僕は死なない。」

 

 根拠の無い言葉を自分に言い続けなければ、僕は絶望をしてしまう。そう嫌な確信を抱きながら、ひたすらに足を動かし続けた。

 

____________________________________________

 

 しかし、夜の闇が竹林を覆った。未だ、僕は竹林の外へ出られていない。既に自分に言い聞かせられるほどのメンタルを保ってはいられなかった。

 足は靴擦れでとても歩けられるような状況でもない。地面に座り込み、竹に寄りかかる。竹の葉がカサカサと乾いた音を鳴らし続けているが、一向に生物の声は聞こえない。

 

「お腹空いたな…」

 

 食べ物もない。スマホもない。ポケットの中はズボンの繊維が丸まったゴミのみ。どうしようもなかった。

 寒さを凌ぐために丸まって夜を明かすしかない。

 

「このまま、死んじゃうのかな…」

 

 独り言が増えた気がする。僕の心を蝕む孤独は、具体性を持った不安へと変化しつつあった。自然と涙が目から溢れてくる。

 僕が一体何をしたというのだろう。

 

「…何もしてこなかったな。」

 

 僕にはアイデンティティがない。それは常々思っていた。他人の顔を窺って、誰にも見捨てられないように流行りに便乗し、蜘蛛の糸のように細い人との繋がりを何とか保っていた。それを幸せだと思い込みながら。

 しかし、スマホがない事で気がついた。そんな繋がりは僕にとってなんの意味もないものであると。ファントムバイブレーションシンドロームに悩まされていたぐらいだ。

 それでもきっと、スマホが手に入れば僕はきっとまた元の生活に戻ってしまうのだろう。なんて、つまらない人間なのか。

 

「僕の好きなモノって、なんだっけ。」

 

 誰かから、好きなモノを訊かれていたような気がする。しかし、その誰かは思い出すことが出来ない。

 現実逃避のための思考に耽りながら、僕は徐々に意識を手放していく。これが夢であればよかったのに。



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普遍の海に沈むエゴ Ⅲ 『非現実』

 物語の先に、謝罪しなくてはならないことがあります。
 中編からの主人公の名前を、私の別に考えていた作品の主人公の名前で間違えて今まで書いていました。正しくは『上嶋直人』です。大変申し訳ありませんでした。


 瞼の奥に光を感じる。それに、香ばしい匂いと共にパチパチと何かが弾けるような音も聞こえる。これは、焚き火だろうか?

 僕は不思議に思い、その目を開く。

 

「お、起きた。」

 

 僕の目の前には長く白い髪の毛が綺麗な、もんぺを履いた女性が火でなにかの肉を炙っていた。

 

「私に感謝しろよ。遭難したお前を見つけてやったんだから。」

「すみません…」

「感謝しろって言ってんのになぁ?」

「あ、ありがとうございます…」

 

 そういうと彼女は満足そうな顔をした後、その丁度良く焼けた肉をワイルドに噛みちぎる。

 確か僕は竹林を抜け出せずにいて、そのまま眠ってしまっていたはずだ。そう思い、周りを見渡すと変わらず夜の闇に覆われた竹林だった。つまり、僕は奇跡的に人に見つかったのだろう。目の前の女性がまるで天使のように見えてきた。

 そうこうしていると、彼女はもう1つの肉を僕に差し出した。

 

「ほら、腹減ってるだろ?」

「ッ!!ありがとうございます!!」

 

 僕はその手渡された肉を咀嚼する。空腹の状態で暫く過ごしていたため、喉を詰まらせる勢いで食べる。と言うより実際に詰まらせた。女性はそんな俺に呆れながらもコップのように加工された竹を渡してくる。中には水が入っていた。

 

「それにしても何の用だ?。『迷いの竹林』まで来て。」

「んぐっ…その、用があった訳では無いんです。」

「じゃあなんで?」

 

 僕は今までの事を目の前の女性に話す。授業中に気を失ったこと、自分を医者だと思い込んでいるコスプレイヤーに誘拐されたこと、そこから脱出したものの竹林で迷ってしまったこと。

 女性は僕の話を疑う様子もなく、ただただ聴きながら目の前の踊る火を眺めていた。

 

「そして、今に至ります。」

「ふぅん。」

 

 僕が話し終えると、女性は火を消した。すると一瞬にして彼女の姿は闇に溶ける。

 

「あの、どうして火を消したんですか?」

「お前さ、その医者の、永琳の話は全て妄想だと思ってるんだろ?」

「え、あ、はい。」

 

 目が暗闇に慣れないためか、彼女の姿は一向に見えない。しかし、その声の方向にいる女性は確実に存在している。

 

「それなら、良いもん見せてやるよ。」

 

 彼女がそう言うと、なんだか周囲の空気が変わったような気がした。竹の葉が触れ合う乾いた音や、僅かに残っていた火の粉の弾ける音も、全てが静まった気がした。しかし、それに反比例するように、温度が上昇しているのをその肌身で感じる。

 目は、未だに慣れない。

 

「いいか?これが、お前が信じてやまない現実を根底から崩す、非現実だ。」

 

 その瞬間、闇の中から彼女の姿が現れた。目が慣れたから、なんかでは無い。火が灯されたのだ、彼女の掌に。

 理解が出来なかった。しかし、その否定し続けていた非現実は目の前の女性によって存在している。

 

「いや、そんなまさか…」

「まだ信じられないのか?面倒だなお前。」

 

 若干不機嫌そうに溜め息を吐く彼女は、その表情のまま全身を火で覆う。火の中に彼女の影が存在している。しかし、その人影からは苦しみの悲鳴は一切聞こえない。

 徐々に体を覆う炎は後退していき、皮膚や髪の毛一本も燃えていない綺麗な姿が現れた。そしてその炎が彼女の背中まで下がると、それは形を変えて、まるで翼のように背中に居座った。先程、僕は彼女のことを天使のようだと比喩したが、それにしては荒々しい存在だった。

 

「どうだ、理解したか?」

「…え?」

「ここは幻想郷。人間と妖怪が共存し住まう世界だ。」

 

 翼を羽ばたかせながら、彼女は再び焚き火を作る。着火剤なんかは一切使っていなかった。彼女が操る炎のみ。

 認めざるを得なかった。僕はまるでゲームのような、或いはラノベのような、そんな非現実的な現実に巻き込まれてしまったのだと。

 彼女は背中の翼を鎮火し、先程と同じ位置に座る。

 

「朝になったら『永遠亭』に送り届ける。運んではやらないから、それまで休んでろ。」

「…」

 

 流石にもう信じてはいるのだが、すぐにはそれを受け入れられそうにはなかった。放心状態、という言葉が僕には似合うだろう。竹のコップに入った水が零れていることに気付けない程度には。

 

____________________________________________

 

 日が昇り、すっかり夜が消え去った早朝。彼女の案内で永遠亭という、永琳さん達が居た場所まで歩いていた。

 顔を合わせたら、なんと謝罪するべきか。そんな思考に耽っていると、女性は若干鼻で笑いながら僕に話しかけてくる。

 

「見えてきたぞ。丁寧にお出迎えまでしてくれてるな。」

「え。」

 

 僕が彼女が指差した方向へ目線をやると、見た事のある屋敷の前で腕を組んでいる医者の姿が見えた。怒っているように見える。

 

「よぉ、永琳。」

「ど、どうも…」

 

 彼女の挨拶に続くように、永琳さんにお辞儀をする。しかし、表情は全く変わる様子は無い。

 

「ありがとうね、妹紅。ウチの患者を確保してくれて。」

「見つけちまったからな。死んだら目覚めが悪い。」

 

 妹紅と呼ばれた女性はどこか永琳さんに対して余所余所しい態度だったが、永琳さんは気に止めることなく、僕の方を睨んでいる。

 

「それじゃあな。今度から患者は監視しておくことだな。」

「えぇ、気を付けるわ。」

「お前も、何でもかんでも自分の考えを盲信すんな。」

「すみません…」

 

 僕の言葉を確認すると、妹紅さんは振り返る。

 

「妹紅さん、ありがとうございました。」

 

 彼女は振り返ることなく、手をヒラヒラと揺らして竹林の中へと消えていった。

 僕はお辞儀をし終え、そしてゆっくりと後ろを振り向く。相変わらず永琳さんの顔は怒っているようだった。

 

「あの、すみませんでした。」

「充分に反省してちょうだい。」

「はい…」

 

 僕は深々と頭を下げる。それは、逃げ出したこともそうだが、心中彼女たちを妄想に囚われた可哀想な人達だと、大変失礼なことを考えていたことに対しての謝罪だった。

 

「はぁ、もういいわよ。」

「すみません。」

「だからもういいって。」

 

 顔を上げると、永琳さんは困り眉をしながらも優しく微笑んでいた。

 

「てゐから話を聞いたわ。」

「あぁ、あの女の子から。」

「フフフ、そうね。女の子から。」

 

 永琳の笑いに疑問符を浮かべるが、永琳は永遠亭へと振り返り、顔だけをこちらに向ける。

 

「さぁ、早く入りなさい。まずはその汚れた体を洗ってね。」

「あ、はい。」

 

 幻想郷という、摩訶不思議な世界に迷い込んでしまった。妖怪や妖精、妹紅さんのような力を扱う世界にて、なんの力もない平凡で特徴のない僕は、果たして生きていけるだろうか。一抹の不安を抱きながらも、永遠亭へ足を動かす。

 

 そうして僕は、この夢のような幻想郷で───

 

 

 ゴミみたいに死ぬことになる。



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普遍の海に沈むエゴ Ⅳ 『苦手』

「すみませんでした。」

 

 永遠亭の居間にて、改めて僕は永琳さんとうどんげさんに頭を下げていた。

 僕の横には縄で宙吊りになったてゐの姿があった。決して彼女の無惨な姿を見たからでは無いが、僕は全力で謝っている。

 

「まぁ、話を聞く限り私の説明も不十分だった所為でもあるし、今回は不問とします。ただ、次は無いわよ。」

「心に刻みます。」

 

 僕の畏まった態度に二人は苦笑いをしている。そんな中、廊下から誰かがこの居間に入ってくる。

 

「よう、永琳。今日も可愛いな。」

 

 左右で黒と灰色のツーカラーに分かれている和服を着た長身の男性が入ってきた。なんだか見た事がある気がするが、幻想郷に知り合いなどいる訳もなく、きっと気の所為だろう。

 そう思っていた矢先。

 

「お、直人くんもちゃんといるね。」

「え?」

 

 その男性の口から知るはずもない僕の名前が発せられた。一体、どういうことなのだろう。

 

「やっぱり貴方…」

「あーあー、後で説明するから。直人くん、俺の名前は『神田零』だ。よろしく。」

「あ、はい。よろしくお願いします。」

 

 零さんは明るい笑顔を向け、僕に握手を求めてくる。もちろん、僕はその手を取る。零さんの手を握っていると、どうしてか安心してしまう。きっと優しい人なのだろうと、直感で思ってしまう。が、人の印象というのは当てにならないことを知っている。

 僕はその手を離す。

 

「へぇ…」

「…?」

 

 何か感心したように僕を見ている。その目はどこか僕の全てを見透かしているような気がしてならない。一筋の汗が頬を伝う。

 

「申し訳ないんだけど、幻想郷に来てしまった外来人は外に出られないんだ。」

「え?」

 

 今、重大な悲報を聞いた気がする。僕の脳が上手く零さんの言葉を飲み込もうとしない。僕はもう一度、彼に聞くことにした。

 

「あの、どういうことですか?」

「なんて言うか、正確に言えば帰れることは帰れるんだけど、時間軸が違うから浦島太郎になっちゃうんだよね、君。」

 

 ウラシマタロウ?浦島太郎になるとは一体どういうことだ?僕がおじいちゃんになるということなのだろうか。思考をいくら巡らさせても、結論を見い出せずにいた。

 

「つまり、帰っても君を知ってる人は全員寿命で死んでるよ。」

「…は?」

 

 全員死んでる?家族も、クラスメイトも、好きな子も、教師も、近所の子どもも、全員?

 何よりも大切にしていた、人との繋がりが全て、一瞬にして、なくなったということ?目の前の優しい笑顔が、まるで悪魔の微笑みのように見えた。

 

「そういうわけだから、君にはこれから幻想郷に住んでもらうよ。」

「ちょっと、零!!」

「…どうした?」

「いくらなんでも、いきなりそんなこと…」

「だが、それが現実だ。彼は不運にもこの幻想郷に紛れ込んだ可哀想な青年だ。」

 

 永琳さんと零さんが何かを話している。しかし、僕の耳には何も入ってこない。零さんの言葉は、全てが真実であると信じさせる力を孕んでいた。だからこそ分かる。僕はまた孤独になってしまったのだ、と。

 

「彼の精神衛生上、一気に全てを伝えるのはあまりにも…」

「あの。」

 

 僕は永琳さんの言葉を遮った。いつもの僕の口調で、一切の淀みのない声色で、遮った。皆一様にして驚いた様子でこちらを見ている。零さんを除いて。

 

「とりあえず、分かりました。それで、僕はどうすればいいんでしょう。」

「うむ、幻想郷の管理者の所で手続きをしようか。」

「分かりました。」

 

 防衛機制だろうか。今、とても穏やかな気持ちだ。いや、これでは語弊を生む。それら事実が悲しいことは変わらないが、それを受け入れた上で、心は穏やかなのだ。

 皆は僕の態度にまたもや驚いている。確かに、僕を客観的に見たら絶望に精神が飲まれた人か気が狂ってしまった人だと思えてしまうだろう。しかし、僕は平常だ。

 

「それじゃあ付いてきてくれ。」

「はい。」

 

 僕は立ち上がり、零さんの後を付いていく。皆の視線が背中に刺さる。しかし、声をかけようとする様子もなく、そのまま僕は永遠亭を去っていった。

 

____________________________________________

 

 永遠亭の外に出ると、相変わらずの立派な竹林が広がっていた。零さんは大きく体を伸ばすと、僕の方へと振り向く。

 

「さて、目的地まで遠いから俺の能力で移動するぞ。」

「分かりました。」

「よーし、それじゃあ俺に掴まってくれ。」

「…?こうですか?」

 僕は零さんの腕を掴むと、零さんは満足そうに頷いた。一体何を行うのだろうか。皆目見当もつかないが、零さんはそんな僕に構わずもう片方の手で指を鳴らした。

 すると、それをきっかけに周りの空間が歪んだ。

 

「うッ!?」

「あ、ごめん。言い忘れてたけど、三半規管強くないと気持ち悪くなるよ。」

 

 時すでに遅し。僕は口に手を押えながら目をつぶる。この景色を見ていると余計に吐き気がしてくる。隣で申し訳なさそうな声が聞こえる。

 

「いや、本当にごめん。」

「い、いえ…大丈夫です。」

「もう着くから。」

 

 その言葉は非常に嬉しいものだった。僕は懸命に強烈な吐き気に耐えながらも、零さんの腕を離さなかった。

 そして、若干の浮遊感の後に地に足が着いた感覚を捉える。

 

「着いたぞ。」

 

 零さんのその言葉を信じ、僕はゆっくりと目を開いた。そこには竹の一本も存在せず、生暖かい風に木の葉や落ち葉が共鳴している中にポツンと一つ、土臭くもどこかノスタルジックな感覚に陥る古民家が静かに聳え立っていた。

 

「ここは…?」

「幻想郷の管理者が住んでいる所だ。『マヨヒガ』って言うんだが、ここは本人とその式たち、そして俺しか場所を知ってる人が居ない。」

「マヨヒガ…」

 

 不思議な場所だった。神社や寺のような特徴的なシンボルがある訳でもないのに、どこか神聖な場所のように思えてしまう。なんというか、精神的に落ち着く、心が休まる場所。

 

「紫ー?連れてきたぞー?」

 

 零さんは玄関の戸を叩きながら、大きな声で家の中に呼び掛ける。そこから暫く待っていると、その叩かれた戸は横に開かれた。

 

「れい様!お待ちしておりました!」

「お、橙か。久しぶり。」

「お久しぶりです!」

 

 てゐよりも若干年下ぐらいのダークブラウンの髪をした少女が出迎えてくれた。頭には猫耳、背中から二股に分かれた猫の尻尾がチラチラと見え隠れしており、この子の妖怪であることを理解する。

 

「あ、貴方が外の世界からいらっしゃった方ですね。『八雲橙』と言います!」

「上嶋直人です。」

 

 子どもらしく元気に挨拶をする。そんな姿に心が癒される。

 

「紫はいるか?」

「はい!どうぞお入りください。」

 

 橙は退いて玄関の道を空けてくれる。僕は零さんに続き、そのマヨヒガの中へと入っていく。

 

「お邪魔します…」

 

 いきなりこの世界の管理者に会うことを、今更自覚してしまい若干ソワソワしてきた。そんな様子を見てか、零さんは僕の肩に手を置く。

 

「大丈夫だ。そんな畏まらなくていい。」

「…ありがとうございます。」

 

 一度深呼吸をしよう。橙と呼ばれた少女に家の中を案内されながらも僕は一度どころではない深呼吸を繰り返す。零さんが苦笑いをしている気もする。

 

「ここです。」

 

 お偉いさんが向こうにいる。マナーに厳しい人とかならどうしよう。畳の縁は踏んではいけないんだったよな。出されたお茶はどう飲めばいいんだっけ。

 昔からこういう場は苦手だった。

 

「紫様、お客様がお見えです。」

「どうぞ。」

 

 凛とした女性の声が響いた。僕は思わず固唾を飲む。

 

「では、お入りください。」

 

 そう言い、橙は戸を開いた。

 幻想郷の管理者ということは、つまりこれから幻想郷に住む僕も管理されるということだ。僕はどうも、管理者及び監視されることに苦手意識があるのだ。前世に酷い管理でもされていたのだろうか。そんな苦手意識に心臓を走らせながら、僕はその戸を跨った。畳の縁を踏まないように。



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普遍の海に沈むエゴ Ⅴ 『嫌悪』

 中にはロングの金髪が似合う、白いドレスに紫色に染まった中華風の前掛けのようなものを垂れ下げた淑女が静かに正座していた。建物にはそぐわない洋風な服装だ。

 

「どうぞ、お座り下さい。」

「あ、はい。」

 

 促され、僕は女性の正面に座る。この人が、幻想郷の管理者なのか。女性であることは察しがついていたが、こんなにも美しい人が管理者なのか。そういえば、永遠亭の人や妹紅さんも美人だったことを考えると、幻想郷は顔が整っている人が多いのだろうか。

 

「まず、私は幻想郷の管理者をしている『八雲紫』という者です。」

「上嶋直人です。」

 

 目線が冷たいように感じる。品定めをしているような、いや、違う。もっと別の、負の感情が混じった瞳に見えた。背筋に氷が走ったと錯覚する。

 

「それでは、貴方の住む場所についてお話させていただきます。」

「お願いします。」

「貴方には『旧地獄』にあります『地霊殿』に住んでもらいます。」

 

 少し思考が止まる。聞き間違えではないのなら、「地獄」という単語が聞こえた気がする。これはあれだろうか、地獄谷みたいな地名のことだろうか。

 

「あの、旧地獄っていうのは…?」

「そのままです。昔、地獄として扱われていた場所に住んでもらいます。」

 

 聞き間違えではなかったようだ。

 

「その、どうして僕が地獄なんかに…?」

「何か不満でも?」

「いや、地獄って鬼が居るところですよね?僕は特に能力があるわけでもありませんし、もし襲われでもしたら…」

「死ぬでしょうね。」

 

 あっさりと、目の前の女性は口にした。特に気にすることの無い項目を軽く触れるみたいに、表情を変えずに。この人は一体何を言っているのだろう。流石に僕はこれを良しとはしなかった。

 

「ちょっと待ってください。何故そのような場所に、全く力のない僕が住むのですか?人が居るところなんですか?」

「いえ、旧地獄に人間は住んでいません。」

「おかしいですよね?僕は人間です。人間が住む場所で暮らすべきです。」

「そうですね。」

「そうですねって…」

 

 埒が明かない。この人は僕の話をまるで聴いていない。僕は巻き込まれた人間で、幻想郷の管理者の問題だ。ならば日を認めた上で対応するのが筋だ。だけれど、目の前の女性は僕を蔑んだように冷たい目で、淡々とそれらを告げるのだ。

 僕はその理不尽に、思わず立ち上がる。

 

「お座り下さい。」

「座っていられません!一体僕が何を…」

「座れ。」

 

 瞬間、僕は浮遊感を感じた。そして、体が地面に着地した感覚と視界。何が起きたのだろう。もちろん僕は座ろうという意思はなかった。

 恐る恐る、僕は自分の足を確認する。そんなものは無かった。太ももの途中から先が見当たらない。畳に赤黒く生暖かい液体が広がり、染み込んでいるのが分かる。

 

「興奮しては話せるものも話せませんわ。」

 

 そんな上品な彼女の口調を聞き、僕の脳はやっと痛みを認識した。

 

「うぁぁああああッ!?」

「五月蝿い。」

 

 僕の口が勝手に閉じる。開こうにも、まるで接着剤でも付けられたかのように開くことが出来なかった。

 僕は思わず紫さんの方へと目線をやる。まるでつまらなさそうに二本の指を立てながら、魔法でも繰り出すように横に振った。するとチョロチョロと音を立てて流れ出ていた僕の血液が止まった。しかし、痛みは未だに止まらない。

 

「私ね、貴方のことが嫌いなの。これでも譲渡してあげているのよ?零の頼みじゃなければ殺していたわ。」

 

 どうして、僕が今まで顔も名前も知らなかった人に嫌われなければならないんだ。それも、足を切断するぐらいまで。

 涙や脂汗で顔がグチョグチョになっていく。

 

「今の貴方はただの人間よ?能力も権力も財力も、何も無いただの人間(雑魚)。大嫌いな貴方が死んだ所で私にはなんのデメリットもないわ。」

 

 目の前の独裁者が何を言っているのかが理解できない。僕はただ、平凡な人間で、平凡に生きて、平凡な夢を持っている、平凡な高校生だ。人に好かれたい、人から注目されたい、そう思っていても行動に移せない。そんな、平凡な…

 僕が、貴女に何をしたと言うんだ。

 

「紫。」

「あら、何かしら。」

「やりすぎだ。」

「…はぁ。」

 

 零さんが紫さんに何かを言っている。すると紫さんはため息を吐き、先程と同じように二本の指を横に振る。すると、僕の口は開かれ、どこからか僕の足が降ってきた。比喩ではなく、文字通り降ってきたのだ。ボトボトと粗末な音を立てて。

 

「ちょっと待ってろよ。今、俺の能力で直人君の足をくっ付けるから。」

 

 そう言い、零さんは僕の足を持って断面図をグチュグチュという生々しい音を出しながら合わせる。酷い激痛に思わず叫ぶが、それはコンマ数秒の出来事で、痛みは嘘のように消え失せていた。

 

「足、足が、ある…」

「これでよし。」

 

 つくづく、僕にはこの世界が向いていないと思う。目の前の人の皮を被った悪魔を、僕は直視できそうに無かった。

 

「改めて、貴方には旧地獄に住んでもらいます。地霊殿の方々にはこちらから説明をしておきます。よろしいですね?」

「う…ふぅ……」

「よろしい、ですね?」

「…は、はい。」

 

 すると、女性は何事も無かったかのように立ち上がる。これで話は終わりだと、そう言っているのだ。僕には有無をも言わせようとしない。そんな気力、もう残っていないというのに。

 

「橙、玄関まで案内してあげなさい。」

「え、あ、はい!そ、それでは、玄関まで案内させていただきますね!」

 

 橙が部屋の戸を開くと、僕は逃げるようにその場から去った。紫さんと同じ空間に居たくない。僕は、彼女が怖かった。

 記憶を辿り、マヨヒガの外に出る。すると、ついに僕は耐えきれずにその場で胃の内容物を嘔吐した。酸性の液体に紛れ、固形物がボトボトとばら撒かれる。

 

「直人さん!大丈夫ですか!?」

 

 異変を察知したのか、橙が慌てるように僕の所へと駆けつけて、背中を擦ってくれる。トラウマを植え付けられてすぐに優しくされてしまうと、余計に吐き気が増してくる。

 

「あらら、直人君吐いちゃったか。橙、そのまま直人君の背中擦っといて。それと、マヨヒガにある外の世界の袋貰うよ。」

「分かりました!」

 

 零さんはまたマヨヒガの中へと戻っていった。そして、変わらず橙は僕の背中を擦ってくれている。もう、既に訳が分からない状態だった。

 少なくとも、胃の中が空っぽになったことは食道の逆流を感じないことから理解出来た。

 

「紫様、普段は優しいのですけど…一体どうされたのでしょうか…」

 

 余計に、彼女の僕への対応が分からない。何故あんなにも嫌われているのか、何故こんなにも酷い目に遭わなくてはならないのか、どうして僕は幻想郷にいるのか、全て分からない。

 これが妹紅さんの言う「現実」なのか。

 

「あ、ありがとう。もう大丈夫だから…」

「本当ですか…?無理はなさらないでくださいね?」

「…橙は、優しいなぁ。」

 

 僕はそんな非現実的な現実に、絶望の涙を零した。

 

____________________________________________

 

 僕の足が取れたりくっ付いたりしてから一晩が経過した。とりあえずは永遠亭に泊まり、朝にここを出ることになっている。

 それにしても、流石医者だ。永琳さんは僕の顔色が悪いのがわかったのか、帰ってきてからすぐに「どうしたの!?」と慌てるような表情を見せていた。代わりに零さんが説明をすると、永琳さんはとても不思議だというように首を傾げた。橙の言うように、普段の紫さんでは考えられないような行動だったのかもしれない。

 今はグッスリ寝ることが出来たため、昨日の顔色が嘘のように元通りになっていた。自分でも気付かなかったが、僕は異様に切り替えが良いようだ。今では旧地獄に行くための準備をなんの躊躇いもない行っている。そう思い込もうとしてるだけなのかもしれないけれど。

 

「これでよし。」

 

 永琳さんのご厚意から永遠亭の備品や衣服、そしてお金を少し頂いた。それをカバンの中に敷きつめていた。

 

「地霊殿、か。」

 

 一体どんな人がそこに住んでいるのか。旧地獄は鬼が多く住んでおり、そんな旧地獄に建っている豪邸であると聞いた。さぞ、恐ろしい主人が住んでいるに違いない。

 思わず、紫さんのことを思い出してしまった。悪寒が走る。

 

「直人君、準備は出来たか?」

「あ、はい。今終えました。」

 

 背後から零さんの声が聞こえたため、振り返って返事をする。怖がっている場合では無い。これからは僕の世界の常識など通用しない世界に住まわなくてはならないのだ。気を引き締めよう。

 

「それじゃあ行くか。」

「はい!」

「お、威勢がいいな。安心しろ、地霊殿の妖怪はそんなに悪い奴らじゃない。」

 

 そう言われて、少し胸の内にある不安が取り除かれた気がした。今、僕が頼りにできるのは目の前の男性と永遠亭の人達しかいないのだから。

 僕はゆっくりと立ち上がる。そして、玄関に向かう。

 

「まぁ、たまに顔を出すから。その都度困ったこととか言ってくれよ。」

「ありがとうございます。そうします。」

 

 零さんが後ろから頼もしいことを言ってくれる。本当に、零さんには感謝してもしきれない。こんな何もわからない状態の小僧に優しく丁寧に支援をしてくれた。しかし、自立はしなくてはならない。いつまでも迷惑はかけていられない。

 玄関まで着き、外へと続く戸を開く。すると、そこには永遠亭の皆が揃っていた。永琳さん、うどんげさん、てゐ。

 

「皆さん…」

「旧地獄でも頑張ってね。怪我とか病気になったら、ここに来てね。ここまでは妹紅が案内してくれるから。」

「ありがとうございます。可能ならたまにお茶でもしましょうね。」

 

 永琳さんは優しく頷く。

 

「うどんげさんやてゐも、いいですか?」

「勿論ですよ!」

「いーよー。直人が生きてたらね。」

「ありがとう。」

 

 洒落にならない気もするが、彼女なりの励ましでもあるのだろう。苦笑いしながらも、その言葉に感謝をした。

 

「それじゃあ、行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

 

 僕は零さんの腕を掴み、目を閉じた。

 僕が住んでいた世界との繋がりはなくなってしまった。ならば、この僕に向いていない世界で新しい繋がりを作らなければならない。

 そう決意し、地霊殿でのファーストコンタクトの仕方をシュミレーションをした。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー
鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅰ 『愛玩』


「着いたぞ。」

 

 吐き気を催しながらも、零さんの声をきっかけに目を開く。そこは広い洞窟の中に鎮座する洋風の豪邸が、視界を埋めていた。僕は道のど真ん中に立っており、高い街灯の磨りガラスの向こうに火が灯っていることから、電気の通っていない時代の日本、明治時代の文化を思わせる光景だった。

 

「ここが、地霊殿…」

「感動したか?今日日見ないだろ、こんな浪漫を感じる建物は。あぁ、でも、観光地とかで見たりはするのか?」

「いえ、あまり旅行とかはしてこなかったので…感動してます。」

 

 とても綺麗な建造物に、思わず目を奪われる。仄暗い世界に存在するそれは、妖しい美しさを魅せる。単純な感想としては、好きな建物だ。

 

「それは嬉しいですね。」

 

 幼いが落ち着いた声が聞こえる。僕はその方向に目を向けると、地霊殿の扉が開かれているのが見えた。その中からは、少し癖のある薄紫のボブが似合う少女が瞳を閉じて現れた。そして、僕の姿を確かめるように片目を開く。

 服は可愛らしいフリルが施され、彼女の周りには赤い紐状の何かと、それに繋がった猫目の瞳がこちらを見つめていた。

 僕は学習をしている。見た目は年齢に関係がないことを。恐らく、この地霊殿の主人なのだろう。

 

「よく分かりましたね。」

「なにが、ですか?」

「私がここの主であることです。」

「え!?」

 

 口にした覚えは無い。しかし、彼女はまるで僕の思考に答えるようなことを言っている。どういうことなのだろうか。

 

「単純ですよ。私は貴方の心を読んでいるのだから。」

「へー。」

「…なんですか、その反応。」

「いやぁ、流石異世界だなぁと思いまして。」

「能天気な人だこと。」

 

 そうだろうか。ただ単にそういった超能力的なものに対して実感がないからだと思うのだが、心を読める彼女がそう言うのだから妙に説得力はある。

 

「…普通は心を読まれることを嫌がる人が殆どですよ。」

「あぁ、そういう。」

「零さん、この方は面白いですね。これで自分のことをなんの特徴もない人だと思っている。」

 

 そう言ってくれるのは素直に嬉しい所だ。

 

「そういう所ですよ。」

「…?」

「さて、紫さんから大体のことは伺ってます。私は貴方の監視を任された『古明地さとり』という者です。」

「上嶋直人です。」

 

 丁寧に頭を下げたため、僕も頭を下げながら自己紹介をする。

 それにしても、納得がいった。紫さんは何故か僕のことを嫌っている。そんな嫌いな僕を監視するのは、心を読めるさとりさんが適任だろう。だから、地霊殿に定住させようとしていたのだろう。

 

「さとり、直人君のこと頼んだよ。」

「はい、任せてください。」

「すみません。よろしくお願いします。」

 

 改めて、僕は頭を下げる。紫さんの時に学習した。力のある人には必要以上に媚びなければ命は危ういことを。皆が零さんや永琳さんのように優しいとは限らないのだ。

 まぁ、要はとりあえず媚びを売っておこうということだ。

 

「読めますよ。」

「あ。」

 

 幸先は悪い。

 

____________________________________________

 

 中に入ると、まず目に飛び込むのは大きなステンドグラス。色鮮やかな光が床に落ち、煌めいている。その下には踊り場があり、正面に階段、そして左右に広がるように二階へと繋がる階段がある。手すりは深みのある色をした木でできており、ここにも西洋チックな造形が施されている。

 

「地霊殿は多くの動物がいますが、何かアレルギーのようなものはありますか?」

「いえ、そういったものは特にありません。」

「なら良かったです。」

 

 動物と言うと、猫とか犬とかだろうか。いや、あえて動物と言う大きな括りで訊く辺り、その両方やそれ以外の多くの種類がいるのだろう。

 

「そうですね。犬猫は勿論、所謂猛獣と呼ばれる動物や外の世界ではレッドリストに載っている動物なんかもいますよ。」

「それって大丈夫ですなんか?」

「猛獣は私の言うことを忠実に聴きますし、天然記念物は外の世界の話ですので法は通用しません。繁殖もしてますし。」

 

 流石心が読めるだけあって、二つの意味で心配していることを少ないプロセスで察してくれる。ただ、この会話形式に慣れてしまうと、普通の人と話す際に不都合が増える気もするため、丁寧に話すことは忘れないでおこう。

 

「あら、それなら私も心の声に答えるのはやめておきますか?」

「お気遣いありがとうございます。でも、さとりさんはいつも通りで大丈夫ですよ。」

「そうですか?それならいいのですが…」

 

 さとりさんが紫さんのように高圧的では無いのは非常にありがたかった。少しは肩の力が抜けそうだ。

 

「私は心が読めるので、彼女が貴方を嫌う理由は分かりますよ。一応フォローとして、なんの理由もなしに嫌っている訳では無いことだけは伝えておきますね。」

「そうなんですね…」

 

 尚更、何故嫌われてしまっているのかが分からない。しかし、今は考えても仕方がない。

 

「そうですよ。あまり気にしなくてもいいと私は思います。まぁ、八つ当たりな部分もありますが…」

「え…?」

「それではあなたのお部屋に案内しますね。」

「あ、はい。よろしくお願いします。」

 

 僕は彼女の後に続くように、この広い豪邸を歩いていく。途中に様々な動物が寛いでいたり、餌を食べていたりして、まるで檻のない動物園に来ているみたいだった。臭いもこの辺りだけ動物園の独特のものに近かった。ライオンをあんなにも近くで見たのは初めてだ。

 動物園のような臭いが薄まると、廊下に部屋のドアが壁に並んでいた。

 

「貴方のお部屋はここになります。」

「入ってもいいですか?」

「どうぞ、遠慮なく。」

 

 僕はその部屋のドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。すると中はまた洋風の調度品が置かれており、机の上には羽根ペンと紙が置かれていた。入口のすぐ近くにはバスルームに繋がる扉があり、良い値段のするホテルのようだった。

 

「ベッドのシーツなんかはご自分で交換してください。シーツの場所は後で紹介しますので。」

「ありがとうございます。」

「それでは、次のご紹介をします。荷物は重いと思うのでここに置いていって貰っても大丈夫です。」

 

 なんだか、少し身構えていたのもあって、こうも丁寧すぎる対応をされると少し落ち着かない。そんなソワソワした感覚を紛らわすように、持っていた荷物をベッドの傍に置く。

 

「私は別に貴方のことが嫌いなわけではありませんからね。」

「そうですか…」

「はい。ちなみに、貴方の部屋の右隣に私の部屋があります。」

「え、あぁ、監視するために。」

「それもありますが、貴方が困った時にすぐ私に相談できるように。」

 

 …本当に、落ち着かないな。頭を少し掻きながら、僕はさとりさんの後ろを付いていった。

 

____________________________________________

 

 食堂、トイレ、図書室、キッチンなど、生活していく上で必要な部屋を紹介してもらった。それぞれとても広く綺麗な外見なのだが、難点としてはその部屋と部屋との距離が少し離れていることだ。大きな建物故のデメリットだ。しかし、それも慣れてしまえば苦ではないだろう。それまでは暫く家の地図を身体に覚えさせる時間だ。

 

「そして最後ですが、その前に確認させて下さい。」

「なんですか?」

 

 こちらに身体を向けて話してくる。心を読めるさとりさんからの確認。どういうことなのか少し疑問に思う。

 僕はその目を見ながらさとりさんの言葉に耳を傾けた。

 

「直人さんは、紫さんから『地霊殿の仕事を手伝うよう』に言われていますか?」

「…いや、言われてないですね。」

「やっぱり。直人さんの思考に全くなかったものですから、そういうことだろうとは思いました。」

 

 今初めて聞かされた。しかし、無力な僕にできる仕事なんかあるのだろうか。まだまだ若い運動部の男子高校生であるため体力には自信があるが、それも妖怪からしてみると大したものでは無いだろう。

 

「そうですね。ですから、頭を使うような作業などをしてもらいます。」

「と言うと?」

「この先に妖怪化したペットたちの仕事場があるのですが、そこの近くで温泉を営んでおります。」

「温泉…!」

 

 幻想郷にも温泉というものがあるという事実に興奮が抑えられない。マニアというほど好きな訳では無いが、温泉がなければ寂しいくらいには好きだった。まさか幻想郷にもあるとは思わなかった。

 

「仕事終わりに入ることもできますよ。」

「本当ですか!?」

 

 僕の心を読んでか、さとりさんはそんな誘惑を口から零す。非常に嬉しい話だ。

 

「はい。それで話を戻しますが、温泉の金銭や温度の管理はペットには難しく、私が行っていました。しかし、私には他にも仕事があります。そこで、貴方には温泉の管理を行ってもらいます。」

「なるほど…」

 

 衣食住の提供が付いてくると考えれば、かつてないほど魅力的な仕事だ。断る理由は無い。そもそも断る権利もないのだが。

 

「喜んでやらせていただきます。」

「そう言っていただけて良かったです。それで、ここがその温泉の入口です。」

 

 さとりさんは大きな両開き扉の前で止まると、そう紹介した。この奥に温泉があるのだと思うと、少し心が踊る。

 

「仕事の説明は中にいる私のペットにしてもらって下さい。」

「え、さとりさんは?」

「私は、申し訳ないのですが他に仕事があって…」

「そうですか。いえ、お忙しい中案内していただいてありがとうございます。」

 

 僕は本心から頭を下げて礼をする。幻想郷に来て不安がとてつもなく大きかったが、住む先の主人がこんなにも優しい方であることに、そんな不安も掻き消えた。

 本当に安心したのだ。

「ふふふ、それでは失礼しますね。」

「はい、ありがとうございます。」

 

 物腰が柔らかいというか、話しやすかった。

 さて、ペットは飼い主に似ると言うし、ここに住む他のペットの妖怪達も心配しなくていいだろう。安心して暮らしていける気がしてきた。ライオンやワニなんかには本能的に怖いと感じてしまうが。

 そうして僕は扉を開いた。

 

「失礼します。今日から住み込みで働くことに…」

「アンタが噂の人間か。」

 

 僕の言葉を遮る妖怪。深紅のおさげを二つ垂らし、黒い生地に緑の模様が書かれたワンピースを着た妖怪。先が湾曲を描いて尖った耳に、二股に別れた長い尻尾から、彼女が猫の妖怪であることは明確だった。

 

「あ、はい。上嶋直人です。」

「あたいはこの地霊殿の中でさとり様に最も愛されている猫、そう!あたいこそが『火焔猫燐』だ!!」

 

 全くもって飼い主に似ないペットがその部屋でキメ顔をしていた。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅱ 『温泉』

 火焔猫燐と名乗ったその妖怪は、僕の方へと近付いて来ると手を差し伸べてくる。僕はその勢いに気圧されながらも、その手を握る。

 

「お燐って呼んでね、よろしくー。」

「よ、よろしくお願いします…」

 

 いや、不条理に敵視していないだけ恵まれている。悪い人でもなさそうだし、少し戸惑ってしまっただけだ。

 

「さとり様から何をするかは説明されてる?」

「はい、温泉の管理ですよね。」

「そうそう。あたいも温泉の管理はしたことないから、なんとなくの説明になっちゃうけど、ごめんね?」

 

 確かに、さとりさんが管理をしていたと言っていた。しかし、時間が無いからお燐さんに続きを任せたという流れだろう。分からないことがあれば、改めてさとりさんに聞けばいいことだし、説明されるだけでもありがたい。

 

「いえ、ありがとうございます。」

「おぉ、人間にしては生意気じゃないね。」

 

 お燐さんの中の人間像は一体どうなっているのだろうか。もしくは幻想郷の人間は生意気だとか?少なくとも僕は良い印象を与えられたようだ。

 

「それじゃあ早速やろっか。」

 

 お燐さんは健康的な笑顔を向けながら部屋の奥へと向かおうとする。そういえば、お燐さんの印象が強すぎて目を向けられてなかったが、この部屋は箒や積まれたタオル等が業務的に揃えられていることからスタッフオンリーの部屋であることが分かる。

 部屋の奥には二つの金属で出来た扉がある。

 

「左の扉は外に出る扉で、ここから番台の所へと行けるよ。右の扉はボイラー室ね。こっちから説明しよっか。」

 

 そう言うと彼女はボイラー室への扉を開き、中に入るように促してくる。僕はそれに従い中へはいると、汗が吹き出るほどの熱気が閉じこもった部屋に二つの大きなバルブがあり、上にはメーターもあった。

 

「このバルブで温度調節するんだけど、右は温泉用で基本41度で設定してるから。左はサウナ用で95度の設定ね。放置してると緩んだりするから、毎日確認してね。」

「分かりました。」

「それと、ないとは思うんだけどサウナの方は温度高くしすぎないでほしいな。」

 

 そんなことをしてしまえば息をするだけで肺が燃えてきまいそうだ。しかし、温泉の方は何も言わないことから、それが理由では無いのだろう。

 

「えっと、どうしてでしょうか。」

「このバルブに繋がってる管がね、少し老朽化してるのさ。ほら、天井を見て。」

 

 指差した方向に目線を送ると、サウナへ繋がる管に鉄板が貼られている。応急処置にしても荒っぽいだろう。

 

「温度を上げすぎるとあの鉄板が耐えきれないんだよね。中から私でも耐えられない熱風が吹き出してくるから。」

 

 妖怪が耐えられないのならば、僕はきっと浴びた瞬間溶けてしまうのだろうなと、恐ろしい想像をしてしまった。苦笑いをしつつも身体を震わせる。

 

「燃料は旧地獄の熱だから、薪をくべたりとかはしなくていいからねー。じゃあ、次は番台だね。」

 

 そんな身震いも露知らず、お燐さんはボイラー室から出ていく。僕もそれに続くように熱気の空間を後にした。

 

____________________________________________

 

 ボイラー室の隣にあった扉から外に出ると、そこはやはり青い空は見えず、黒い岩の天井が見えるだけだった。太陽の光は一切ないと言っていいだろう。

 そこから壁沿いに歩いていくと、遠くには街の灯りが見え、何やら喧騒を帯びているように思える。

 

「ここが温泉の入口だよ。」

 

 街の星に目を奪われていると、お燐さんは僕に声をかけてくる。振り返るとそこに赤と青の暖簾がかかった二つの入口があった。お燐さんは青い暖簾の下にいる。

 僕は彼女に付いていくと、中は温泉というより銭湯のような雰囲気があり、残念ながら牛乳が入った冷蔵庫は存在していなかった。

 

「この中に入ってお金の管理とかトラブルの対応とかをしてね。」

 

 お燐さんはドンドンと叩きながら番台の存在を示す。番台に入るための扉を開けながら中に入るように促してきたので、僕はその中に入った。

 

「よし、番台の中にタオルとか石鹸とかあると思うんだけど、それは貸し出し用の備品ね。それぞれ一銭で貸せるから。」

 

 一銭という金額を扱う日が来るとは思わなかった。しかし、明治時代の一銭は今のどれくらいの価値があったのだろう。

 

「そういえばこの温泉ってどれぐらいの金額で利用できるんですか?」

「あ、言い忘れてた。」

 

 お燐さんは「うっかりうっかり」というようにウィンクしながら軽く舌を出した。茶目っ気のある女の子のようだ。いや、事実そうなのだろう。

 

「12歳以下は一銭、それ以上は一銭五厘だね。」

「厘…?」

「あー…えっと、ちょっと待ってね。」

 

 そう言うとお燐さんは何やらワンピースに隠れたポケットをゴソゴソと漁り始めた。

 

「これが…一銭で、これが一厘ね。」

「おぉ、これが昔の高価…」

「やっぱりお金の単位が違うんだね。」

「そうですね、今は円です。」

「円!?はぇー、景気が良くなったもんだね。」

「いやぁ、そういう訳でもないんですけどね…」

 

 話が噛み合っていないように感じるが、少々面倒なのでそのままにしておこう。

 

「さて、営業時間は朝の7時から11時、そして18時から22時までね。足と夜の営業だから。営業時間前に温泉のお湯を張って、営業時間後は温泉の水を抜いて掃除。」

 

 正直、八時間労働であることに驚いた。偶然なのだろうが、定時で仕事を終えることが出来ることに嬉しさを覚える。酷使させると思っていたから。

 

「そうだ。一応覚えていて欲しいんだけど、この温泉は『博麗神社』から頂いたものだから、あまり無駄に使わないでね。」

「博麗神社、ですか?」

「あれ、聞いてない!?」

 

 お燐さんは驚いた表情を向ける。幻想郷に来たばかりで何も分からないのだが、それでも珍しいことなのだろうか。

 

「初めて聞きました。」

「えぇっとね…博麗神社はこの幻想郷で悪いことをしようとする人やこの幻想郷内で起こった異変を解決する巫女がいる神社だよ。」

 

 外の世界で言う警察のようなものだろうか。確かに、この事実は知らなくては困るだろう。紫さんはともかく、何故みんな教えてくれなかったのか。

 

「その博麗神社からの温泉なんですか?」

「うん、温泉の成分は博麗神社のもので、温泉の温度は旧地獄のもの。だからお互いの利益のためにってことで、両方が温泉を運営してるんだよね。」

「へぇ…」

 

 温泉の熱は旧地獄のもの。しかし、おかしい。温泉というものは地下深くに存在しているものが、地熱により生まれるものだと俺は認識している。そうなると、まるでここが地下深くに存在する場所のようだ。

 

「…」

「…どうしたの?」

「お燐さん、質問いいですか?」

「な、なに?」

「あの、ここってもしかして地底なんですか?」

「え、それも知らなかったの?」

 

 どうして誰も言ってくれないのだろう。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅲ 『愛想』

 この地霊殿へ訪れてから、僕は温泉で一週間弱も働いた。さとりさんも心を読んでいる上で信頼を寄せてくれている。それにより、さとりさんのペットにも懐かれるようになった。ライオンやワニなどの猛獣に関してはあちらから関わろうとしてこないのだ。恐らく、僕が本能的に恐れていることが伝わっているのだろう。それが彼らなりの気遣いであるのだと思うと、少し申し訳がない。

 何が言いたいかと言うと、どんなに摩訶不思議で知り合いの一人もいない世界に突然入ってしまったとしても、意外と慣れるものだ。このように、あんなに恐れた妖怪と食卓を囲っているのだから。

 

「直人さんが来てから、大分楽になりました。ありがとうございます。」

「いえいえ、こちらこそ衣食住を用意していただいたので、当たり前ですよ。」

 

 地底であることにショックを受けたものの、さとりさんの所で働くことになって良かったと思っている。皆が皆、さとりさんのように親切な妖怪な訳では無いことは、幻想郷の管理者と話した時に分かっている。そもそも妖怪とは恐怖の対象でもあるから、当たり前と言えばそうなのだが。

 

「ペットたちだけじゃカバーしきれない部分もあったので、非常に助かりますよ。」

「お役に立てて嬉しいです。」

「ふふ、ありがとうございます。」

 

 ギブアンドテイクにもなっていないようにも思えるが、こうして感謝されてはその考えも失礼な気がしてきた。僕は米を口に運び、その感謝を噛み締める。

 

「…あ、別にお燐達が頼りないとかそういうのじゃないのよ?」

「別に大丈夫ですよぉ…」

 

 お燐の心を読んだのか、さとりさんは焼き魚の骨を抜きながら拗ねるお燐さんを宥める。確かに、さとりさんを慕うお燐さん達からすると、真正面で感謝される僕の存在はあまり面白くは無いのかもしれない。

 さとりさんは気まずそうに苦笑いをしながら、僕の方を見てくる。

 

「そういえば直人さん、今日は温泉が定休日です。なので、街の方へと足を運んでみては如何でしょうか。」

「街ですか?確かに、行ってみたいですね…」

 

 温泉を営業している時、脱衣所から鬼の皆さんに話しかけられることは多かった。その時、何故か気に入られてしまったりしたので、今度酒でも呑もうと誘われたりした。もちろん、丁寧にお断りをした。

 行ってみるのも悪くは無いが、慣れたとはいえ土地勘がある訳でもない。スマホの地図機能がない以上、迷ってしまう可能性がある。

 そう思考を巡らせていると、さとりさんは僕に声をかけてくる。

 

「それでは、お燐に案内をさせましょうか。」

「…んにゃ?」

 

 焼き魚の身を解していたお燐さんは、突然名前が上がり素っ頓狂な声を出す。

 

「なんであたいが…」

「ほら、私は忙しくて直人くんに街を案内できないし、ペットの中で一番街を知っているのはお燐でしょう?それに、お燐なら大丈夫かなって。」

 

 さとりさんも大変だな。

 

「ふふん、そういうことならあたいお任せください!」

 

 嬉しそうに胸を張るお燐にさんに、さとりさんは胸を撫で下ろす素振りを見せた。

 

____________________________________________

 

 正午。相も変わらず暗い地底は街の灯りを頼りにするしかない。僕は地霊殿の門に背をもたれ、お燐さんを待っていた。

 この一週間は本当に充実していた。前の世界のことを思い出す回数も減ってきた。ある女の子のことを除いて。

 彼女は今、何をしているだろうか。いや、今はもう僕の知り合いは全て死んでしまっているのか。それなら、彼女は普通に生活して、普通に結婚して、普通に死んでいったのだろう。

 不毛な想像を捗らせながら、僕は手に持った水筒に口を付ける。

 

「おまたせ。」

 

 声のする方向に体を向ける。そこには化粧を直し終えたお燐さんの姿。少し不機嫌そうな気がするが、僕が取り繕う理由もない。とはいえ、案内をしてくれることには感謝をしている。

 

「いえ、案内をして頂ける身としては、わざわざ化粧を直させてしまい、申し訳ないです。」

「う…ま、まぁ、気にしなくていいよ。」

 

 何故かお燐さんはバツが悪そうに目を背ける。どうしたのだろうかと顔を覗かせようとすると、お燐さんはせっせと街の方へと足を進め始めた。

 

「ほら、さっさと行こ。」

「あ、はい。」

 

 足早に向かうお燐さんの後ろを、僕は首を傾げながらも付いていく。

 

____________________________________________

 

 喧騒の中に入ると、その細々とした建物の装飾が美しいものだと知ることが出来た。地霊殿が明治時代の建物だとすると、この街並みは江戸時代に賑わう夜の街のようだった。

 

「ここの住民はほとんどが鬼だから、喧嘩を吹っ掛けられたら終わりだと思ってよ。」

「分かりました。」

 

 慣れてきたとはいえ、彼女の言うように僕は妖怪には敵わない。何か特殊な能力を持っている訳でも無く、とてつもない運動能力がある訳でもない。だから、現地の人に気に入られるように世を渡っていかなくてはならないのだ。

 すると、すれ違う男の鬼に声をかけられる。

 

「よう、お燐ちゃん。見ないうちにあのお燐ちゃんも彼氏とデートをするようになって…」

「違うわい!!」

 

 この一週間、温泉の番台として観察していて思ったが、鬼はどうやら揶揄うようなコミュニケーションのとり方をする方が多いように思える。しかし、強さが飛び抜けているような方はそうでも無い。恐らく、揶揄う人は自分より下を作ろうとする心理が働いているのだろう。

 

「おや、よく見りゃ温泉の番台じゃねぇか。」

「あ、はい。いつもご利用ありがとうございます。」

「相変わらず堅ぇなぁ。もっと気楽に行こうぜ?」

 

 肩をバンバンと叩きながら大笑いする鬼に、僕は愛想笑いをするしか無かった。正直、めちゃくちゃ痛いがここは耐えるしかない。

 

「そんなんじゃ、お前らの主人みたいに()()()()()()()?」

 

 その瞬間、お燐さんの眉間がピクっと動いたのが見えた。これは、非常にまずい。

 

「そ、そうですかね。まぁ、さとりさんのように優しい方にはなってみたいかもですね。」

「優しい?面白いこと言うなぁ…あーでも、そうか。お前はまだあそこに住むようになって一週間程度だったよな。それじゃあ、あの妖怪の残酷さを。」

 

 ドンドンと負のオーラを纏うお燐さんに、僕は身を震わせる。どうしたものか…

 

「アイツ、俺らの嫌な記憶を思い出させようとするんだよ。良い性格してるぜ、ったくよ。」

「へ、へぇ〜、そうなんですね〜…」

 

 相槌を打ったのが間違いだった。彼はそれを肯定的に捉えてしまい、その声はドンドンと大きくなっていく。

 

「そうなんだよ!!全く気味が悪ぃ女だよ。あんな女、さっさと消えてくれねぇかなぁ!!」

「ちょっとアンタねぇ…!!」

「へぇ、そうですか。」

 

 僕はお燐さんの言葉を遮るように、相槌を打った。流石に、僕が感謝してもしきれない恩人に対しての、その随分な言い様に我慢ができなくなった。

 

「人間に恐れられる最凶だと思われた鬼にさえ、さとりさんは恐れられているのですね!!」

「え…?」

「流石だなぁ…妖怪に知識があまり無かった僕でも知っていた鬼さんが、あんなにも恐るなんて。さとりさんは凄いなぁ…」

 

 ただの嫌味だ。なんの解決も出来ていない。しかし、なかなかどうして目の前の恐るべき鬼がちっぽけな存在に見えてしまうのだ。

 

「い、いやぁそういうわけでも…」

「ご自身でも仰っていましたもんね。『あの女は残酷だ』って。妖怪は恐れられてなんぼの存在ですからね。同じ妖怪にも恐れられるだなんて、人間の僕からすれば逆に憧れちゃうなぁ。」

 

 しかし、僕の言い分は本当なのだろう。図星なのだろう。だから彼はさとりさんのネガティブな部分ばかりを見ようとするのだ。自分に都合の良い情報のみを取り入れるのだ。

 彼女には、彼女らしい優しさが存在するのだ。

 

「自分の恩人のカッコイイ話を、僕が恐れていた鬼さんから聴けるなんて、とても嬉しいです。ありがとうございます!!」

「お、おぅ…あー、俺はもう行くわ。それじゃ。」

 

 挙句に感謝されて、彼も怒るに怒れずにいるだろう。まぁ、馬鹿なヤツはそれでも怒るのだが。彼が馬鹿じゃなくて良かった。

 

「ねぇ。」

「ん、なんですか?」

「…いや、なんでもない。行くわよ。」

 

 お燐さんは何やら複雑そうな心境の表情をしながら案内を続けた。僕は肩に付いた汚れを払い、その後ろを付いていく。

 その日は、説明の時以外彼女が口を開くことはなかった。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅳ 『面倒』

章のタイトルを『縦の瞳孔に囁くリビドー』から『鋭い瞳孔に囁くリビドー』へと変更しました。理由は、語感が気に入らなかったためです。

それでは、本編をお楽しみください。


 デートと言うには笑顔が少ない食事処、黙々と中華を口の中に放り込む光景は、外の世界で見たことがあった。唯一違うところは周りの騒がしい怒声のような会話だ。マスクでも付けて黙ってて欲しい。

 

「あの、今日ってなにかお祭りでもあるんですか?」

「え?」

 

 唐突の質問に、お燐さんはあどけなく開いた口にスプーンを運ぶ動作を止め、顔を上げる。

 

「いえ、なんだか騒がしいなと思いまして…」

「あぁー、いつもよ。鬼は喧騒と酒が大好きなの。」

「いつも…?」

 

 この喧騒を毎日繰り返しているのか。静かな空間が好きな僕にとっては恐ろしい情報だった。これから僕が街に訪れる頻度は、きっと少ないだろう。

 

「私も、あまり好きではないわね。友達に会うためだけに街に来てるぐらいだもん。」

「そうなんですか…」

 

 それでもなお、この店を選んだということは、どこもかしこも似たような光景なのだろう。百物語に紛れ込んでいても震え上がれる自信がある。

 巻き込まれないように、背中を丸め込ませながら食べるとしよう。

 

「おぉ、お燐じゃないか!」

 

 そんな対処も虚しく、声をかけられたのだ。

 

「あら勇儀じゃない。」

「いやぁ、久々に見た気がするな。さとりは元気にしてるかい?」

「一昨日会ったばっかりでしょ…」

 

 お燐さんの肩を掴み、嬉しそうに笑う女性の鬼。額に立派な赤い角が生え、星型のデティールが施されている。学校の体操服のようなTシャツに、透けたロングスカートを豪快に靡かせる。その透けた先はブルマのようにも見え、完全に昭和の体育を行う女生徒だ。盃を持っているが。

 しかし、どうやらさとりさんとは仲の良さそうな鬼みたいだ。先程の鬼のような嫌悪感は感じられない、好意的な印象だ。

 

「コイツは?」

「一週間前から温泉の番台をやってる人間よ。」

「初めまして、上嶋直人と言います。さとりさんの下で働かせていただいてます。よろしくお願いします。」

「うへぇー!堅いなぁ。」

 

 わざとらしく驚く彼女はその後、屈託のない笑顔で手を伸べてきた。

 

「私は『星熊勇儀』だ。よろしくね。」

「あ、はい。」

 

 僕はその手に触れた。その瞬間、まるで目の前の女性が巨大な怪物のように思えた。指で潰されてしまうほどの、そんなゴジラのような怪物に。

 僕は直ぐに手を引っこめ、腰を抜かしたように地面に尻もちをついた。

 

「どうした?」

 

 この人が怖い、それだけだった。僕は目をつぶり、大きく深呼吸して立ち上がる。

 

「すみません、ドン臭くて。」

「…なるほど。面白いな、アンタ。」

「え?」

 

 どこをどう見て、僕のことを面白いと思ったのだろう。少なくとも、僕にとって面白くないところだろう。

 

「酒、呑めるか?」

「呑めません。」

「うわ、マジか。いや、それでもいいや。お燐、ちょっとコイツ借りるよ。」

「え!?ちょっと…!!」

 

 『借りる』?僕のことを言っているのだろうか。非常に嬉しい誘いだ。丁寧に断らせていただきたい。

 しかし、僕が口を開く間もなく勇儀さんは僕の腕を掴んで店の外へと連れ出した。

 

「なんなのよ、もう…」

 

 そんな声が、騒がしい店の中から聞こえた気がした。

 

____________________________________________

 

 あの人間が連れ去られた後、あたいはお店に代金を払い帰宅することにした。勇儀の気まぐれには逆らえない。一体あの人間のどこに面白い魅力があったのだろうか。あたいには分からない。

 あたいは街から外れた帰り道を一人で寂しく歩いていた。

 

「…」

 

 さとり様も、最近はあの人間と話していて、あたいとの会話は減ってしまった気がする。どうして、あの人間ばかりが、あんなに持て囃されているのだろう。

 気に食わない。単純に、新人が先住猫のあたいよりも愛されているようで、気に食わなかった。

 

「ねぇ、そこの子猫ちゃん?」

 

 あたいの耳元で聞いたこともない女性が囁いた。あたいは後ろを振り向く。しかし、そこには誰もいない。

 

「誰ッ!?」

「貴女、あの人が気に入らないのでしょう?」

「誰だって訊いてるのよ!」

 

 囁きは止まらない。周囲に目を凝らしても、誰の姿も捕えることが出来ないのだ。

 すると、細く冷たい指があたいの頬を包んだ。体が硬直する。生気の感じられない冷たい闇が背中を這っている感覚。

 

「ねぇ?それなら、あの人、私に頂戴?」

 

 息がしづらい。首を絞められているかのように、酸素が血液に入らない。目が霞んでくる。

 

「あの人がいなかったら、貴女はご主人様に愛されるのよ。」

 

 苦しい。

 

「貴女は愛されない。」

 

 痛い。

 

「それは、誰のせい?」

 

 こんなにツライのは…誰のせい?

 

「…上嶋、直人。」

 

 そう呟くと、背後からの気配は消え失せ、肺も噎せながら正常に酸素を取り入れ始めた。視界は徐々に鮮明になっていく。

 今のは、一体なんだったのだろう。まさか、最近噂になっている『陰惨異変』なのだろうか。

 

「ハァ…ハァ……帰ろう。」

 

 あたいは心臓の痛みを抑えながら、急いで地霊殿へと向かう。

 

____________________________________________

 

 どうして、こうなってしまったのだろう。僕の手にあるグラスに烏龍茶が入っていることだけが救いだ。

 

「いやぁ、本当に面白い男だねぇ!」

「い、いえいえ、そんなことありませんよ。」

 

 僕はなぜゴジラに気に入られてしまったのだろう。豪快に笑いながら背中を叩くことは鬼の中での流行なのだろうか。折れてしまうから今すぐにでも止めてほしい。

 

「あの、僕のどこがそんなに気に入ったのでしょう…?」

「ん?そうだなぁ…」

 

 勇儀さんは考える素振りを見せ、ニヤリと笑った。

 

「アンタ、弱いよな。」

「まぁ、はい。」

 

 なんて失礼なことを言うのだろう。だからこの世界で苦労しているというのに。

 

「弱いヤツって、妖怪のような命を簡単に貪る生物を前にすると心まで弱くなるんだよ。」

「圧倒的で、それこそ非現実的な力ですかね。」

「それこそ?」

「いえ、なんでもないです。」

 

 妹紅さんのあの力が、僕が初めて見た非現実的な力だった。つい最近なのに、仕事が充実している所為か懐かしいと思えた。

 

「ともかく、そんな弱い奴はただ怯えるだけか、媚びへつらうのどちらかだ。」

「まぁ、そうでしょうね。死にたくない限り。」

「だが、直人はどちらでもない。」

 

 人差し指を僕の額に付け、面白そうにそう言った。

 

「なんでか知らないけど、直人は私の手を触れた瞬間に私の強さを知った。アンタの言う、非現実的な力をその身で感じたらしい。その時は確かに怯えていたけど、直ぐに自分を落ち着かせ今まで通りの対応をしていた。」

「別に、何もおかしくはないように思えます。」

「いいや、飽きるほど恐れられた経験のある私が言うんだ。間違いない、アンタのその反応は初めてだ。」

 

 自己肯定感の塊のような存在からそんな評価を頂き、僕はなんて能天気なんだろうと、能天気なことを考えていた。

 確かに、今は彼女に対して恐怖もなければ、なんなら面倒だと感じている程度だった。確かに、そう言われてみれば自分でも不思議だ。

 

「アンタはなんと言うか、誰かを圧倒できる力も人を惹きつける力も何にもない普通の人間だけど、それだけに不思議な存在だ。」

 

 何故僕は貶されたのだろうか。形容しがたい感情に目を向けながらも、僕は烏龍茶で喉を潤した。

 

「そろそろ、さとりさんが心配するかもしれません。お暇させて頂いてもよろしいでしょうか。」

「おっと、そんなに時間が経ったか。金は私が奢る。また来てくれないか、今度ゆっくり話そう。」

「ありがとうございます。機会があれば、是非。」

 

 会いたくは無いが、きっと会うことになるのだろうな。そう思いながら笑顔でその場を去った。

 お燐さんは、もう帰ってしまったのだろうか。早くお燐さんの所に戻らなくては。さもなくば、酒の匂いに飲まれて溺れてしまいそうだ。そう、足をゆらゆらと地霊殿の方へと向かわせた。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅴ 『精神』

 行きよりも長い道のりを耐え、何とか地霊殿まで辿り着いた。僕は額に滲んだ汗を拭い、一息つく。

 結局、街にはお燐さんもいなかったため、無駄に歩いた悲しみが僕の太腿を痛めていた。帰ったらさとりさんのペットに顔を埋める許可をいただこう。そう思い、僕は地霊殿の玄関のノブを掴んだ。

 

「…痛って!」

 

 その時、頭に針が刺さるような鋭い痛みを神経が受けとった。それに伴うように猛烈な目眩が僕を襲う。グラグラと世界が揺れる。以前、学校の行事で酩酊した人の視界が分かるゴーグルを装着したことがあるが、あれよりも酷いように思える。

 

「うぅ…」

 

 僕は無駄な怪我を避けるべく、地面に膝を着ける。この眩暈を耐えるしか、方法は無い。背筋に寒気が走った。

 

「……耐えた。」

 

 僕は再び立ち上がり、深呼吸をする。場酔いをしてしまったのかもしれない。意外と、僕は感受性が高かったのか。そんなことを考えながら、未だに刺さる頭痛に耐えながら地霊殿の中に入る。するとそこは薄暗く、生物の気配を感じられなかった。

 誰でもわかる。これは何かがあったのだと。

 

「あのー、誰かいませんかー?」

 

 虚しく反響するだけで、返してくる言葉は響かなかった。これは、本格的に何かがあったと考えた方がいい。そして、僕の出る幕では無い。外に出よう。

 そう思い、玄関のノブに手を触れる。

 

「…なるほど。」

 

 一切開く気配はない。ホラーゲームの典型的な展開に、僕は思わず納得の言葉を呟いてしまった。いや、本当は軽い現実逃避の、ため息に似た言葉だ。

 僕は直ぐに真正面を向き、自分の部屋へと向かう。

 

「あ、そういえば。」

 

 温泉の記録簿を仕舞い忘れたことを思い出した。こんな時に、面倒だけど仕方がない。

 そうだ、温泉から外に出られるのではないだろうか。僕にしては良い発想をしている。とはいえ、玄関の摩訶不思議な力から、それがあまり期待できないのも事実だが。

 僕は小走りで温泉の方へと向かう。

 

「道中にも、誰一人いないなぁ。」

 

 さとりさんやペットは一切見当たらない。廊下は走ってはいけないと言われているが、もう走ってもいい気がする。そんな遠い距離でもないし、小走りからマラソンをする時ぐらいに足を速めた。

 そして暫く走っていると、廊下の真ん中に何かが落ちている。僕はそれに駆け寄り拾い上げた。

 これは、お燐さんのリボンだ。ヒラヒラと揺れながら僕の手からはみ出している。何故、お燐さんのリボンが落ちているのだろう。いや、単純に考えて先に帰ってきたのだろうが、どうにも嫌な予感が僕の臓物を浮かせる。

 こういう時、勘が良いことをつい呪いそうになる。

 

「あれ、急に立ち止まった?」

 

 後方から聞き覚えのない声がした。振り返ると、そこにはにこやかな表情をした少女の姿。奇しくもさとりさんと同じような姿なのだが、違う点はその髪は緑に染まっており、三つ目の目が閉じているのだ。

 この子は一体誰なのか。

 

「誰ですか?」

「え?」

 

 そう訊くと、少女は僕の目線の延長線、つまり自身の後方に顔を向けた。なんとベタなボケをかますのか。

 

「貴女ですよ、緑髪の。」

「え、私が見えるの?」

「まぁ、視力は良い方なので。」

 

 それとも暗がりの中よく見えるね、という話だろうか。どちらにせよ、僕は目の前の少女の姿をハッキリと確認できている。

 少女は不思議そうな表情を浮かべ、僕の姿を前から横から後ろからと、新生物を発見した子どものような瞳で見てくる。

 

「あの、どうしました?」

「え?あぁ、珍しいなぁと思って。ゴメンネ?」

 

 確かに、地底で僕以外の人間の姿を見た事は無い。それは、そう興味深く観察もしたくはなるか。しかし、この少女は一体誰なのだろう。地霊殿にいるということは、ここに住んでいる妖怪なのだろうか。

 

「えっと、一週間前からここの温泉で働かせていだいてる者で、上嶋直人と言います。よろしくお願いします。」

「『古明地こいし』だよ。よろしくね。」

「え…?」

「お察しの通り、さとりお姉ちゃんの妹だよー。」

 

 妹がいらっしゃったのか。初耳だった。しかし、それならば彼女の容姿には納得がいくものがあった。

 

「すみません。まさか妹さんがいらっしゃるとは知らずに、挨拶もできていませんでしたね。」

「ううん、しょうがないよ。」

 

 お姉さんに似て、寛容な人のようだ。

 さて、折角人を見つけたのならば、訊かなくてはならないものがある。無論、今の地霊殿の薄気味悪い雰囲気についてだ。

 

「恐縮ですが、何故このような状況になってしまったのでしょう?」

「あぁ、実はね…()()()()()()んだよね。」

「お燐さんが?」

 

 僕が居ない間に、彼女に何があったのだろうか。しかし、暴れたと言う割には床や壁に傷はなく、家具やインテリアも美しさを保っていた。

 

「…まだ、目が慣れていないんじゃないかな。」

「え?何がですか?」

「目を凝らしてごらん、ナオ君。」

「ナオ君って…」

 

 いや、とりあえずこいしさんの言う通りに目を凝らしてみよう。僕は目を細め、眉間にも皺を寄せてみる。すると、まるで今生成されたかのように、その惨状が浮かび上がってきた。

 床や壁は引っかき傷だらけで、照明のガラスも割れている。何故、気が付かなかったのだろうか。

 

「これは…」

「安心して欲しいのだけど、さとりお姉ちゃんは他のペットを連れて避難してる。全員無事だよ。」

「それは、良かったです。」

 

 皆が無事であるということに胸を撫で下ろす。そのおかげか、その針を刺すような頭痛が止んだ。これで腹の立つ痛みに苛まれることは無い。

 それにしても、こいしさんは何故避難をしていないのだろうか。

 

「そういえば…あれ?」

 

 話しかけようとすると、目の前にいたはずのこいしさんの姿が消えた。いや、いつの間にか消えていた。辺りを見渡してみるも、やはり気配すら感じられなかった。

 

「…まぁ、いいか。」

 

 僕は温泉へと足をセカセカと動かした。

 

____________________________________________

 

 温泉の入口まで着くと、僕はなんの躊躇もなくその扉を開いた。予備のタオルや洗剤が崩れていたり裂かれていたりしているのを見ると、ここでもお燐さんが暴れ回ったのだと理解ができる。

 巻き込まれないように、早く記録簿を仕舞いに行こう。耳を澄まし、少しの物音も聞き逃さないようにする。

 

「…誰も居なさそうだな。」

 

 僕は普通に歩き始める。二つの扉の前に立ち、左の扉に手をかける。ここが開けば外なのだが、果たして開くのだろうか。淡い期待を抱きながら、そのノブを捻る。

 

「…なるほど。」

 

 めちゃくちゃ普通に開いた。しかし、僕はその扉を閉めた。鍵を閉め、扉の前に重い棚を引っ張って置く。

 僕は見た、巨大な猛獣が二股に分かれた尻尾をうねらせているのを。決して、僕が対峙していいわけが無い獣が。

 

「よし、記録簿は明日仕舞おう。」

 

 そうして僕は踵を返した。しかし、あの妖怪がそれを許す訳もない。爆音と同時に僕の横を、先程置いといた棚の破片が飛び散っていった。

 僕は急いで後ろを振り返る。

 

「た、ただいま。お燐さん。」

 

 返事はボディランゲージで示してくれるようだ。大きな猫パンチを振りかざしてくる。僕は急いで避け、全速力で地霊殿の方へと向かうのだが、それを遮るように、お燐さんは棚を投げて入口を塞いだ。

 つまり、僕は詰んだ。

 

「なん、でよ…」

「え?」

 

 どうにかして生き残る方法を考えていると、目の前の妖怪から似合わない女性の声が聞こえた。いや、聞き覚えがある。これは彼女の声だ。

 僕はその大きな猫を見つめると、ノイズのように姿が不安定だったことが分かる。お燐さんが、顔を隠して苦しんでいる姿が見え隠れしている。

 

「お燐さん!僕です、上嶋直人です!」

「う、えじ、ま…なおと…」

「気を確かにしてください!」

 

 しかし、そんな僕の呼びかけは虚しく、猫は僕に対して肉球を振り上げる。

 咄嗟に逃げようとしても、既に遅い。彼女の爪は僕の太腿を裂いた。そして、血飛沫と一緒に僕の体は二つの扉の前に飛んでいった。

 

「アアアアアッ!!!」

 

 痛い。痛い。喉も裂けてしまう程の無意味な叫び声が部屋の中で響く。僕は無我夢中で後ろの扉に手をかけ、その中に入る。

 しかし、それが僕のミスであることを、痛みの中から絶望した。ここはボイラー室だ。空気が歪むほど熱されたこの空間。出口は、僕の後ろにしかない。

 

「クソ…クソクソォッ!!」

 

 僕は鍵を閉める。足を引きずりながらボイラー室の奥へと向かう。

 逃げ場は無い。僕はここで死んでしまう、そう意識し始める。そうすると、背筋が凍るような、ドス黒い闇が僕の心臓を握り潰そうとしている感覚に襲われる。

 パイプの前で、僕は静かに沈んだ。

 

「死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ…」

 

 心臓が痛みを刻む度に、太腿から血が吹き出る。傷口が焼けるように熱い。部屋の熱気など、比較にもならないほど。それと同時に、指先が冷えてきた気がする。部屋の熱気など、頼りにならないほど。

 気持ち悪くなってきた。しかし、そんな状況でも目線の先にある扉は容赦なく開かれる。あの巨大な生物が現れる。そう思い、僕は目を閉じる。

 

「あたい、貴方のことが嫌い。」

 

 予想だにしない言葉に、僕は目を開く。目の前の猫は、人型だった。

 

「さとり様に、好かれてるから嫌い。」

「お燐さん、意識が戻ったんですね!僕のことを嫌っているかもしれませんが、助けてください!」

「無理よ。私は、私の感情に自我を抑えられてるんだから。」

 

 どういうことなのだろう。目が霞んできた、悠長にしていられない。

 

「お願いです、どうか助けてください。」

「だーかーらー!出来ないのよ。今だって、どうして貴方と話していられるのか、不思議なぐらいだもん。」

「…じゃあ、貴女は一体?」

「あたいの、冷静な部分のあたい。貴方、なんであたいの精神と喋ってるのよ?」

 

 何が何だか分からない。当事者なのに、話に置いてかれている。目の前のお燐さんが、お燐さんの精神?意味がわからない。

 

「兎も角、貴方のことが嫌いなあたいが、今振り上げているのよ。拳を。」

「………じゃあ、僕は死ぬしかないのですか。」

「そんなこと知らないわよ。」

 

 頭が混乱している。目の前のお燐さんは何なのだ。今、拳を振り上げている?目の前の生物は腕を上げようともしていないというのに。

 

「貴方、死にたい?それとも、死にたくない?」

「…死にたくないです。」

「へぇ、そうなんだね。それじゃあ、生きてみなさいよ。」

「でもどうやって…」

「ああもう!うるさい!!『でも』とか『じゃあ』とか『助けてください』とか!自分で考えろ、バーカ!!」

 

 何故罵倒をされなくてはならないのだ。至って正常な反応だろう。少し、目の前の女性に腹が立ち、僕はその女性を睨んだ。

 

「元はと言えば、貴女が僕を勝手に嫌ってるからこうなったんでしょう!?貴女の責任だ!」

「ハァ!?あたいだって、好きで貴方のこと襲ってるわけじゃないのよ!」

「そうですね、嫌いで僕のこと襲ってるんですもんね!!」

「屁理屈だぁ!!だから嫌われるのよ!!バカアホマヌケ!!」

「責任から逃れようと話を逸らそうとしてますよね!?ということは若干自覚はあるんですねー!!」

()()()()!!!」

 

 喧嘩の中でも、一際大きな声でお燐さんはそう叫んだ。それに、僕は気圧されて言葉を詰まらせる。

 

「あたいだって、こんなにみんなに迷惑かけて…責任感じないわけないでしょう?」

 

 お燐さんは怒ったような表情から、歯を食いしばるようにして視線を落とした。

 

「貴方にだって、嫌いだけど、嫌な奴じゃないことは知ってるから…傷付けたいだなんて思ってないわよ…」

 

 いきなり悄らしくなられては、こちらとしてもどう話しかければいいのかが分からない。どちらにせよ、お燐さんはこの状況が本意ではないようだ。

 

「こんな嫉妬なんて、今までにも何回かあった。でも、『あの声』がして、私の中の感情が肥大化していくのを感じた。次第にそれは、貴方を殺したいという感情へと変化していった。」

「…」

「お願い、貴方を殺させないで…」

 

 お燐さんは俯いて、顔を覆うように手で縦に鋭い瞳から溢れる涙を抑える。

 

「貴方を死なせたくはないの…」

 

 絞り出すような声で、そう呟いた。その言葉を聴くと同時に、空間が歪み始める。お燐さんの姿が大きくなっていき、その姿は先程の獣の姿へと変貌を遂げる。

 正しく、その手を振りあげているのだ。

 

「お燐さん…僕は貴女のこと、嫌いじゃないですよ。」

 

 そうして、僕は背後にあるパイプに繋がっているバルブを大きく捻った。すると、それは大きく震え始め、離れていても分かるほどに熱気を帯び始める。

 あまりの揺れに、大きな猫は動揺して辺りを見渡し始める。

 

「お疲れでしょう?少し、寝てて下さい。」

 

 天井のパイプから何かが吹き出る音が聞こえる。次第にその音の数が増えていき、最終的にはパイプに張られていた鉄板が弾かれ、猫の頭目掛けて飛んだ。

 カンッと硬い音が響くと、同時に鋭い熱気が噴射されて彼女の身体を焼き始める。苦しそうな雄叫びを上げながら、彼女はその場に倒れた。

 

「…姿が、元に戻った。」

 

 その獣は収縮して、元のお燐さんの体に戻った。服などは流石に着ていなかったが、そのお陰で身体には火傷の痕が付いていないことを確認する。流石、妖怪だ。

 僕は急いでバルブを最大まで閉め、メーターが0を示したのを確認する。そして振り返る。

 

「僕も、ちょっと眠いや。」

 

 彼女の寝顔を見て、僕も意識を手放した。



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鋭い瞳孔に囁くリビドー VI 『吉夢』

 暗い世界に、僕は浮いているような感覚だ。しかし、それは不安を煽るような空間だった。何も無い、ただ暗闇のみが僕を包んでいた。

 

『……ナオ君』

 

 聞き覚えのある、女性の声が僕を呼んでいる。声の方向が分からない。あちらこちらを見渡していると、いつの間にか大きな岩が目の前に鎮座していた。そして、浮かんでいたはずなのに、いつの間にか立っていた。

 

『……ナオ君』

 

 誰かが、僕の肩を叩いている。僕は振り返る。するとそこには────

 

『ミ タ ナ』

 

 蛆虫にまみれた人型のなにかが、そこにいた。

 

____________________________________________

 

 気が付くと、僕は酷い汗をかきながら上半身を起こしていた。ふかふかなベッドの心地良さが上書きされるほどの不快感。そして、異常なほどの鼓動の速さに、不安感を覚える。

 今の夢は一体なんだったんだ。

 

「あの…大丈夫?」

 

 真横から恐る恐る伺ってくる声が聞こえてくる。その方向に目線をやると、黒髪のロングと黒い羽根が似合う烏の妖怪がいた。胸元には何やらおぞましい輝きを放つ宝石のような物が露呈している。彼女は『霊烏路空』という、お燐さんと同じくさとりさんのペットである。「お空」と呼ばれているし、僕もそう呼んでいる。

 働く場所が違った為あまり話したことは無かったが、こうして彼女の顔が見れたということは僕が生きているという何よりの証拠だ。

 

「えぇ、大丈夫です。少し嫌な夢を見てしまって…」

「そっかー、なら良かった。」

 

 しかし、何故彼女がここにいるのだろう。まさか、俺が起きるまで看ていてくれたのだろうか。と、そんな考えをしていると、彼女の奥にもう一つのベッドに誰かが横たわっていた。

 

「お燐さんは、大丈夫なのですか?」

「心配ないよ。息もしてるし、グッスリ寝てるだけ。」

 

 その言葉に、僕は安堵の息を漏らす。彼女の暴走を止めるためとはいえ、地獄の熱を直で当てるというのは相当のダメージを与えてしまったことだろう。もし、お燐さんが死んでしまったら償っても償いきれない。

 

「それにしても大変だったねー。何故か凶暴化したお燐に襲われたんでしょ?」

「あぁ、まぁ、そうですね。」

「いくら直人君のことが嫌いだからって、そんなことするなんてね。」

 

 ストレートに嫌いである事実を当人の僕に言うとは、お空さんも中々に酷い。僕は苦笑いをしつつも、その発言に訂正を加える。

 

「お燐さんも、僕を襲ってしまったのは本意ではなかったと思います。きっと、それなりの理由があったのでしょう。」

「そっか、そうだよね。確かにお燐はそんなことで暴れるような猫じゃないもん。」

 

 その通り。だからこそ不思議だった。お燐さんは何故暴走してしまったのか、それを知るためには本人に話を聞く他ない。しかし、あの時のお燐さんの精神と話した時の事が白昼夢でもない現実だとするのならば、何か外的な要因があるようにも思える。

 お燐さんの精神が言っていた『あの声』とは、一体なんのことだったのか。この世界の非現実的な力についての知識など微塵もないのだが、お燐さんは何かしらの力により僕への怒りや憎しみのリミッターが壊れてしまい、自我では抑えられない程に暴走してしまった。安直に考えるのだとすると、エスの暴走。

 

「さて、私はさとり様に報告しに行くね!直人君が起きたって。」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いします。」

「ガッテン!」

 

 溌剌とした言動は、どうにも僕の暗いテンションに色をつけてくれる。お空さんはどこかご機嫌な様子で部屋を出ていった。

 

「すごい人だな…」

 

 お空さんは思慮深いタイプではないが、だからこそそれが彼女の美点でもある。そんなこと、本人にはとても言えないが本気でそう思っている。思慮深いと言えば聞こえはいいが、実際は余計なことまで考えてしまう面倒な奴なのだから。

 

「可愛いでしょ?お空って。」

 

 隣のベッドから声がする。

 

「目、覚めてたんですか?」

「うん、何となく。」

「そうですか…」

 

 そして沈黙。なんとも気まずい空気がこの部屋に漂う。それもそうだ。僕はお燐に襲われ、嫌いと言われ、お燐さんはお燐さんでその嫌いな人に撃退されたのだから。しかも、それを怒ることも出来ない。

 僕はあまりの気まずさに、再び毛布とマットに体を挟める。

 

「…ありがとうね。あたいを止めてくれて。」

「いえ、僕は生きることに必死だっただけです。」

「それでも、結果的にはあたいの為でもあった。」

 

 頑固な人だ。しかし、それは彼女なりのケジメなのかもしれない。僕はもう何も言わずに、ただその感謝を受け入れることにした。

 

「足の怪我、大丈夫?」

「そういえば、今は痛みすら感じませんね。」

「なら良かった。」

「…」

 

 僕の心配をしている。それは純粋な心配か、申し訳なさから来る心配か、だなんて考えてしまう僕は本当に嫌な性格をしている。これが、僕が自分を面倒な奴だと評価する理由だ。

 それにしても、どうして痛みを感じないのだろう。別に切り落とされた訳でもなさそうだし、つまりは痛みは感じるはずなのだ。

 

「それで、さ…」

「なんですか?」

「貴方、どうしてあの時私と話せていたの?」

 

 どうやら、あれは現実のことのようだ。お燐さんは寝返りを打って僕の方を見てくる。しかし、残念ながら僕はその答えを持ち合わせていないのだ。

 

「分かりません。」

「…それもそうよね。」

 

 そして、再び寝返りを打つ。

 

「…」

「…」

 

 なんて気まずいのだろう。いや、もう話す必要は無いのかもしれない。無駄に気を遣えばこちらが無駄に神経を消耗させるだけだ。

 長く静かな時間がゆっくりと流れる。時計の秒針の音が、その静寂さを余計に際立たせる。一秒、また一秒。その一定の間隔がとてつもなく長い。

 だからこそなのか、僕の瞼がどんどんと落ちて来るのを自覚する。折角お空さんがさとりさんに方向しに行っているのに、また寝てしまうのは申し訳がない。そんな思考に反して、その生理的な現象を止めることが出来なかった。

 

「あーもう!気まずい!」

「…え?」

 

 彼女には出来たが。

 

「なぁんで、あたいが直人に気を遣わなくちゃならないのよ!!」

 

 なんて勝手なことをこうも堂々と怒れるのだろう。しかも、ベッドの上に立ちながら。僕はため息を吐きながら体を起こす。

 

「いや、知りませんよ。勝手に気を遣っているだけでしょう?」

「はぁ!?なんて生意気なのよ!」

 

 なんで怒られているんでしょう。10対0の割合で僕が正しい。それは客観的に見ても明らかだ。

 

「強いて理由をあげるとしたら、お燐さんが勝手に暴走して僕を傷付け、その傷付けた相手に暴走を止めてもらったからでは無いですかね?」

「あーあ、それ自分で言うんだ!恩着せがましいなぁ!」

「いや、お燐さんが「なんで私が〜」て言うからでしょう?」

「シャーッ!!」

 

 僕のド正論に耐えられなかったのか、そのベッドのスプリングを使ってこちらのベッドへと飛び乗ってきた。そして、毛布越しに僕の体の上に座り、鋭い爪をこれでもかと見せつけてくる。

 

「あたいは妖怪よ?それを理解する事ね!!」

「あーあ、暴力で押し切ろうとするってことは僕の言っていることを認めることになっちゃいますよ。」

「うるさい!」

 

 少し彼女の反応が面白くなってきた。しかし、過度に弄るのも可哀想なのでそろそろ止めてあげよう。

 

「まぁ、落ち着いてくださいよ。今この状況を誰かに見られたら…」

「直人さん、お燐!目を覚まされたのです…ね……」

 

 扉の開く音と共に聴こえる女性の声。僕とお燐さんは視線をそちらへと向ける。赤い顔で目を見開くさとりさんの姿と、その後ろで口をOの字に開くお空さんの姿。

 これは、非常にまずい。

 

「あの、その、お空から報告があって、その、二人の声が聞こえまして…それで二人とも起きたんだなって…あの、失礼しました。」

 

 そして、静かに扉が閉まる音。数秒間の沈黙。お燐さんの顔は徐々に赤らんでいく。

 

「だから言ったのに。」

「うわぁぁあああ!!」

 

 目の前の猫の悲痛な鳴き声は、地霊殿の外にまで響いたらしい。可哀想なお燐さん。

 僕は疲れたため、そして安心したため、もう一度眠りにつこうと瞼を閉じた。次は良い夢が見れそうだ。特段面白い、笑い転げてしまう程の良い夢を。



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ES達の亡霊
ES達の亡霊 Ⅰ 『空気』


 自室。お燐さんが恥ずかしさから布団に閉じこもってしまったので、歩いて戻ってきたのだ。

 ベッドに座り、僕は自分の足を見る。そこに、傷一つなかった。立ち上がっても特に支障はなく、サッカーの練習でよくやった腿上げをわざと大きく行うも、痛みより息切れが先に訪れた。

 僕が舩坂弘のような軍人では無い限り、傷の回復はこんなに早いわけも無い。つまり、今僕が考えられる可能性としては、彼の存在だった。

 

「零さん。」

「正解だ。」

 

 部屋の扉が開かれる音。そちらに目を向けると、優しくも心強い笑みを向ける零さんの姿があった。僕は慌ててお辞儀をすると、彼は軽く手で挨拶をする。

 

「体調は良さそうだな。」

「えぇ、お陰様で。」

 

 彼は部屋の中に入ってくると、近くの椅子に手を付いて「座っていいか?」と訊いてきた。僕が頷くと、零さんはゆっくりとそれに腰かけた。

 

「それで、ここでの生活は慣れたか?」

「そうですね。お燐さんの暴走以外には慣れました。」

「それは良かった。」

 

 自分で言っていて、お燐さんに怒られそうだと苦笑いをする。

 

「しかし、太陽の光に浴びないのも健康に悪い。たまには地上へ行ってみないか?」

「え…?」

 

 地上。それはとてつもなく魅力的な話だった。しかしながら、僕には温泉の番台をしなくてはならないのだ。さもなくば、さとりさんが過労死してしまう。

 

「安心しろ、さとりにはこちらから人材を派遣することで了承を得た。」

「そうなんですね。ちなみにどんな方なんですか?」

「そこら辺の妖怪だ。封印と労働を選ばせたら快く働くことを選んだよ。」

 

 零さんもやはり地位の高い人であることは確かなようだ。しかし、どうして彼は妖怪を脅してまで僕に良くしてくれるのだろうか?僕の嫌な性格が「彼には裏があるのでは?」と疑ってしまう。

 

「さて、それじゃあ外を案内してあげよう。」

「え、今からですか?」

「そうだよ?それとも先約があったか?」

「いえ、ないですけど…」

「それじゃあ大丈夫そうだね。」

 

 零さんは立ち上がり、部屋を出ようとする。僕もそれに従うように立ち上がり、後ろに付いていく。零さんが扉開こうとすると、その前に扉が開かれた。

 

「え?」

「やぁ、君がお燐だね?」

「………」

 

 零さんの背中でよく見えないが、何か驚いているように見える。すると、お燐さんは崩れるように尻もちを着き、彼を見上げる。

 

「あ、あ、えっと、あの…」

「そんなに怖がらないでくれないか?流石の俺も傷ついちゃう。」

「すすすすすすみません!!」

 

 一体どうしてしまったのだろう。彼女は慌しく立ち上がり、零さんに大きく道を空ける。その間にも、口をワナワナと震わせて、目を見開いている。

 

「あの、お燐さん?」

「え、あれ、な、なんで貴方が神田様と一緒にいるのよ!?」

「なんでって、ここ僕の部屋なんだけど。」

「あれ、そうじゃん!?あたい、貴方に会うために来たんだった!!」

 

 このお燐さんの動揺に、僕は零さんの方を見る。彼も彼女の大袈裟な反応に困っている様子だった。零さんは一体何者なのだ。

 

「それで、僕にどのような用が?」

「そ、そうね。えっと、その…」

「一回深呼吸しましょうか。」

「うん…」

 

 お燐さんは胸に手を当てて、ゆっくりと大きく息を吐いてから、また大きく息を吸った。それを数回繰り返し、漸くいつものお燐さんに戻った。

 

「さっきのことも含めて、改めて諸々を謝りに来たのよ。」

「え、あぁ。」

「ごめんなさい。」

「気にしないでください。」

 

 さっきのこと、とはきっと僕に馬乗りした時のことだろう。そして、諸々とは昨日のことを指しているのだ。

 彼女も彼女なりに責任感を抱いているのだろう。お燐さん曰く、声が聞こえた後に暴走してしまったらしい。つまりはその声が原因であると考えた方がいいだろうが、それでもやはり彼女らしく申し訳ないと思っているらしい。

 

「そうだ、ちょうどいいや。お燐も付いてきてくれ。」

「付いていくって…それは一体何処にですか?」

「地上。」

「へ?」

 

 目を点にするという表現がこれほど似合う人は、僕のこの先の人生で見ることは無いだろう。

 

____________________________________________

 

「あのー、神田様?」

「零でいいぞ。」

「零様?あたいは旧地獄の妖怪です、そんな妖怪が地上に出るって…」

「みんなには秘密だぞ?」

 

 事情は分からないが、決してそういうことを言っている訳では無い気がする。

 

「それに、不可侵は地上の妖怪だ。旧地獄の妖怪が地上に出る分には問題ないよ。」

「うぅ、それはそうですけど…」

 

 なんだか、法の穴を突こうとする人に巻き込まれているような気分だ。しかし、実際許されることなのだろう。

 幻想郷のルールに対して知識は微塵もないのだが、話から察するに地上の妖怪は旧地獄への不可侵を約束しているらしい。しかし、それならば旧地獄は地上に対して何か見返りのようなものを行っているはずだ。

 

「そういえば、零さんは地上の人ですけど地底に来て良いんですか?」

「妖怪じゃないからな。」

 

 妖怪が不可侵であるだけで、それ以外の種族は良いようだ。なんとも不思議な条約だ。

 

「さて、もうすぐで地上の入り口だ。」

「うへぇ…もう手遅れだぁ…」

「だから、なんの問題もないって。」

 

 久しく見なかった光が、洞窟の奥から漏れ出ている。本当に太陽の光が奥にあるらしい。何故だか緊張をしてしまう、当たり前だった光を浴びる機会に。

 

「そういえば、どうして零さんは瞬間移動を使わずに歩きでここまで?」

「お燐の心の準備が必要だろ?」

「なるほど。」

 

 しかし、残念ながらその心の準備は間に合わなかったらしい。情けない表情を浮かべながらカクカクな動きで後ろを歩いている。

 

「うおぉ…」

「まぁ、いきなり地上を出るよりはマシかもですね。」

「そうだな。」

 

 ロボットダンスで歩くお燐さんを無視して、僕はあの光の先にある景色を見るために足を動かす。

 徐々にその光は強さを増していき、僕たちの体を包み始める。そして───

 

「空気が美味しい。」

「ようこそ、地上へ。」

 

 木漏れ日に混じる小鳥たちの囁き、そしてハッキリとわかる緑の風の涼しい香り。本当に僕は地上の土を踏んでいるのだ。

 幻想郷に来て一週間半。僕は人生で初めて太陽の光に感謝することが出来た。




来週は少し忙しいためお休みいたします。ご理解の程よろしくお願いいたします。


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ES達の亡霊 Ⅱ 『不遜』

 太陽の光が暖かさを肌で感じることに幸せを感じる日が来るとは思わなかった。僕は心地よく、無意識に身体を上に伸ばしては笑みが零れた。

 僕らしくない、爽やかな空間だった。

 

「満足していただいて何よりだ。」

「いや本当に、セロトニンがドバドバ出てきます。」

「そんなに出てたら頭痛がしてきそうだな。お燐はどうだ?」

 

 お燐さんの方へ視線を向けると、ガタガタと震えて入口にある岩に体を隠している。

 何がそんなに恐ろしいのか。

 

「じ、重罪を犯している気分…」

「気分だけだぞ。軽い罪にもならない。」

 

 しかしお燐さんは兎も角、僕は地上に出てきてしまってもいいのだろうか。

 今更ながらに不安になってきた。セロトニンが出過ぎたのか?

 

「あの、僕は良いんでしょうか?紫さんが許すかどうか…」

「気にしなくていいぞ。彼女は住む場所を地霊殿にしただけだ。外に出るなとは一言も言っていないからな。」

 

 彼がそう言うのだから間違いは無いのだろう。僕は湧き出た不安に蓋をして、お燐さんの方へと歩く。

 

「何やってるんですか、早く出ましょう。」

「待って!心の準備が…」

「いつまで準備してるんですか!ほら!」

 

 僕は彼女の手を引き、太陽の光を浴びせる。すると彼女はまるで吸血鬼のように叫びながらその眩しさに悶える。その姿が少し面白くて笑ってしまう。

 

「何笑ってんのよ!?鬼!悪魔!霊夢!」

「霊夢に言っておくよ。」

「止めてください!?」

 

 霊夢、というのは噂に聞く博麗神社の巫女『博麗霊夢』のことだろうか。会ってみたい気持ちはあるが、可能なのだろうか。

 

「零さん、その霊夢さんってどんな人なんですか?」

「え?あぁ、会ったことないもんな。一言で言えば…竹を割ったような性格だよ。」

「幻想郷の人はそんな人が多いですね。」

「あぁ、言われてみればそうだな。」

 

 妹紅さんにも同じ印象を抱いた気がする。しかし、そんな性格の人がもし敵対視してきたらなんの躊躇もなしに僕を殺してしまうのだろうか。そう思うと末恐ろしいと身を震わせる。

 

「さて、今日は久々に緑と青空を見た直人君の好きな所に行く日だ。どこか行きたい所はあるか?」

「え?えっと…」

 

 幻想郷に来て一週間強はいるのだが、未だに幻想郷に何があるのかが分からない。

 永遠亭、マヨヒガ、博麗神社、そして地霊殿。これら以外にも観光できる場所はあるのだろうか。記憶を辿ってもそれら以外の場所の名前を聞いたことは無い。

 悩んでいる僕を見て零さんは何かを察したのか、指で少し頭を搔いた。

 

「それじゃあ〜、どんな所に行きたい?」

 

 具体的な質問から抽象的な質問へと変えてくれた。確かに、それなら地名や建物の名前を知らなくても答えられる。別に博麗神社に行っても良かったが、しかし神社を観光とはいってもそれらは元の世界で至る所にある。実家から歩いたらすぐに着くぐらい近くに。

 あまり見ることもないような景色、景観を見たい。この幻想郷は明治時代辺りの文明で止まっている。それならば…

 

「日本庭園…とか?」

「あ〜…なるほど…」

 

 何か微妙な反応を示している。これは…厳しいようだ。

 

「いえ、なければ全然他の所でも…」

「いや、ある。あるんだが…」

「…?」

 

 なんだろう、零さんにしては酷く歯切れの悪い様子だ。暫くその珍しい反応を見せた後、彼は軽くため息をついて顔を上げた。

 

「うし、それじゃあ行こうか、日本庭園へ。」

「え、良いんですか?何か躊躇っていましたけど。」

「あぁ、大丈夫だ。」

 

 零さんは優しく笑う。しかし、彼は何を考えていたのだろうか。日本庭園の持ち主が物凄く厳格な方なのだろうか。日本庭園という場所なだけで身が引き締まるような雰囲気なのに、更に背筋を伸ばさないといけないような要素があったら、確かに躊躇いそうだ。

 

「君も、付いてくるだろう?」

 

 零さんはお燐さんの方に目線を向ける。まだビクビクしているのだろうかと僕も目線をそちらに向けてみるとそこにお燐さんの姿はなく、代わりに黒猫が岩の上で日向ぼっこをしていた。

 まさか、あれはお燐さんなのか?

 

「にゃぁ〜…」

「行くみたいだな。」

 

 とてもそう言ったようには見えない。僕は彼女の所へと歩いていき、しゃがみこんで視線の高さを合わせる。

 

「お燐さん、行きましょうよ。置いていきますよ?」

「あったかいにゃぁ〜…」

「…」

 

 僕は彼女を持ち上げ、普通の猫を抱えるようにして零さんの所へと戻る。

 

「よし、全員の準備は良いようだね。それじゃあ掴まって。あぁ、いや、直人君はお燐を抱えているから俺が直人くんを掴んでいよう。」

「あ、はい。」

 

 直人くんは…?僕しかいないのだけれど。

 疑問符を頭上に浮かべるが、そんなことはお構い無しに零さんは瞬間移動をしようと目を瞑ったのを見て、僕も急いで目をつぶる。

 少しでも酔わないようにしなければ日本庭園に僕の吐瀉物が巻かれることになりかねないから。

 

____________________________________________

 

 目を閉じていても吐き気というものは襲ってくる。しかし、前ほどの気持ち悪さは感じない。少し慣れたのだろうか。

 

「目を開けていいぞ。」

 

 そんな零さんの声に従い、僕は瞼を開く。するとそこに広がっているのは、寂しくも美しく空に広がる大きな枯れ木の枝。それを中心に波紋のように円を描く枯山水。『雅』という文字が擬態化したような、そんな気高くも儚さを感じさせる風景に、僕は目を奪われた。

 

「ここは『白玉楼』という場所で、良い庭師が整えているんだよ。」

「そうなんですね…」

 

 零さんの説明で、僕は目と一緒に奪われそうになっていた意識を取り戻した。あまりの美しさに、思考が止まった。

 よく見ると、周りには健康的な葉が生えている木がこの庭園を囲っているのか分かった。しかし、それよりもこの枯れ木が圧倒的な力を放っているのだ。死をイメージさせるような、そんな枯れ木が。

 僕は何故だか寒気を覚える。いや、感動による鳥肌なのか?

 

「ああああ!!!」

 

 すると、横から聞き覚えのない女性の声が聞こえる。その音源に目を向けると、緑色のベストにスカートを揺らす銀に靡くボブカットの女性がなんだか驚いたようにこちらを見て叫んでいた。

 よく考えたら、僕らは不法侵入をしているのでは?と、今更ながらに気がついた。

 

「零さん!来るなら一報頂かないと!」

「あぁ、すまん。」

 

 しかし、零さんの存在が免罪符になってくれているらしい。それにしても、近付いて気が付いたが彼女の腰に二つの日本刀が鞘に収まっている。もし零さんがいなかったらどうなっていたのだろうか。

 

「そちらの方は?」

「あ、初めまして。上嶋直人と言います。」

「初めまして、ここの庭師をしております。『魂魄妖夢』という者です。」

 

 僕がぎこちなくお辞儀をすると、妖夢さんは綺麗な角度で自己紹介をした。すると彼女は僕が抱えるお燐さんに目が行き、顔をパッと咲かせる。

 

「かわいい猫又ちゃんですね!撫でてもいいですか?」

「あー…本人に利かないとなんとも言えないと言いますか…」

「誰が猫又だ!」

 

 お燐さんは僕の腕から降りると、その姿を元の擬人化したような姿へと戻す。その様子に妖夢さんは少し驚いたような表情を見せる。

 

「あたいは火車の妖怪だよ。二度と間違えないでよね。」

「え、あ、はい。すみません…?」

 

 お燐さんは腕を組んで不満げに妖夢さんを睨む。撫でようとする手で固まる妖夢さんに、クスリと笑いそうになる。

 

「直人も!いつまであたいのことを抱えてるのよ、この変態め!」

「置いていった方が良かったですか?」

「寛大なあたいは貴方を許してあげるわ。」

 

 なんと調子の良い猫だろうか。

 

「この人は火焔猫燐さんです。」

「あ、よろしくお願いします…」

 

 彼女は戸惑いながらも先程のような綺麗なお辞儀する。対するお燐さんはフンと鼻を鳴らして彼女を上から目線で見ていた。何故こんなにも不遜な態度がとれてしまうのか、甚だ疑問である。

 

「さて、妖夢。幽々子は今いるかな?折角来たのだから軽く顔を見たいのだが。」

「あぁ、いらっしゃいますよ。どうぞこちらへ。」

 

 ここのご主人だろうか。それならば挨拶はしておかなくてはならない。しかし、いきなり家に上がっては不躾ではないだろうか。零さんがいるとはいえ、少し心配だ。お燐さんもいることで更に。

 

「安心しろ、ここの家主はそんな厳しい奴じゃない。」

 

 零さんはまた僕の思考を読んだかのように声をかけてきた。何故こんなにも思考が手に取るように分かるのだろうか。実際に心が読めると言われても不思議では無い。

 僕は少し深呼吸をして妖夢さんの後に続いた。



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ES達の亡霊 Ⅲ 『冥界』

 心地よい風が縁側から部屋に吹いて、僕らの肌をサラサラと流れていく。畳の縁を何とか踏まないように足元に意識を向けながら、僕は妖夢さんの「どうぞ、お座りください。」という慣れない対応に従い、音を立てないようにゆっくりと座る。

 

「今、幽々子様をお呼びしますので、少々お待ちになられてください。」

「あ、どうも…」

 

 そうして妖夢さんはできるだけ音を立てないように、しかし慣れたように襖を閉じた。

 

「何ガチガチに緊張してんだよ。」

「いえ、こんなにもちゃんとした豪邸に足を踏み入れたのが初めてで…今更緊張してきました。」

「はっはっは!心配すんな、幽々子と会えば気が抜けるぞ。」

「は、はぁ…そうですか…」

 

 まるで、また新しい異世界にでも入ってしまったのだろうかと錯覚してしまうほどの雰囲気に、とてもジっとしていられない。

 僕は緊張のあまり机に目線を固定させてしまう。そんな動かない視界に、緑茶の入った湯呑みが静かに置かれた。ここの使用人だろうか、僕はお礼を言うべく視線を上に向ける。

 

「ありがとうござい…え?」

 

 僕は夢を見ているのだろうか、二つの湯呑みを乗せた木製の盆が中に浮いているように見えるのだ。目を擦れども、その光景に変化は無い。

 他の湯呑みは零さんやお燐さんの所へと持っていかれ、2人はその盆に向かって「ありがとう。」と感謝を伝えていた。つまり、これは僕の幻覚ではないようだ。

 

「え、あ、あの、お盆が浮いているのは一体どういう…?」

「あぁ、直人くんは霊感がないのか。」

「レイカン…?」

 

 僕が疑問符を浮かべていると、零さんは僕の方に触れて少し体重を乗せた。なんだか、妙に涼しい温度がその触れている方からじんわりと全身に伝わってくる。

 すると、徐々に血液の拍が大きくなってくるのを感じる。ドク…ドク…と全身を巡る血を感じていると頭が冴えてくる。

 

「あの、これって…?」

「お盆の方を見てみろ。」

 

 不思議に思いながらも、零さんの指示に従い宙を舞う盆に視線を戻す。

 するとどうだろう。そこには先程のお盆を持った和服に前掛けを着けた女性の姿がお淑やかに手を振っていたのだ。

 

「え!?」

「彼女は…というより、この白玉楼にいる人達はほぼ全員幽霊だよ。」

「幽霊!?」

「そう、ここは『冥界』なんだよ。」

 

 その言葉に、僕は気が遠くなるのを感じる。『冥界』なんて、本当に僕は新しい異世界に入っていたようだ。

 

「え、僕は死んでしまったのですか…?」

「いやいや、生きてるよ!生きたまま冥界に来たってこと。」

 

 僕は頭を抱えた。正直、混乱してまともな思考ができなくなっていることを自覚している。

 

「あれ、待ってください。僕、妖夢さんは見えましたよ。彼女は生きているってことですか?」

「あぁー、彼女は…」

「皆様、幽々子様をお呼びしました。」

 

 と、零さんが何かを言いかけると、襖の向こう側から妖夢さんの声が聞こえてきた。

 

「おう、入ってきていいぞー。」

 

 零さんがその声に応えると、襖はゆっくりと開かれた。そこには正座をして襖を開いた妖夢さんと、桃色のミディアムヘアを風に靡かせた、着物にしては可愛らしいフリルの帯なんかを巻いている女性が脱力した笑顔をこちらに向けていた。

 

「三週間ぶりね、零。」

「おう、そん時は世話になったな。」

 

 零さんが、会ったら気が抜けると言っていた理由が分かった気がする。このゆったりした声色に話し方には、どうにも力んでしまった背筋を曲げてしまう。

 しかし、気になることが一つだけある。零さんが僕に何かをしてからというもの、妖夢さんの周りに白玉のような物体が浮遊しているのが見えるのだ。

 

「あら、貴方達が零が連れてきたお友達ね?」

「え、あ、はい!上嶋直人と言います。」

「火焔猫燐よ。」

「ご丁寧にありがとうね。私はこの白玉楼の主、『西行寺幽々子』よ。よろしくね。」

 

 そういうと、幽々子さんはニッコリと僕らに笑顔を向けた。優しそうな笑顔なのに、冷えた空気が僕の猫背を撫でた気がした。

 

____________________________________________

 

 幽々子さんが机の向こう側、つまり真正面に座り、そして妖夢さんは一歩後ろの部屋の隅に正座している。

 幽々子さんと零さんは茶にも手を付けずに談笑に夢中だ。対してお燐さんは緑茶を飲んでは相当に美味しいのか緩んだ表情を見せていた。

 取り残された僕は談笑に混ざろうと邪魔をしてしまう訳にも、お燐さんの幸せそうな瞬間に話しかけて水を差すわけにもいかず、ただ孤独にお茶を啜っていた。

 しかし、あまりにもこの孤独感に耐え兼ねて、僕は妖夢さんに話しかけた。

 

「すみません、お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんですよ。ご案内させていただきますね。」

「ありがとうございます。」

 

 僕は他の三人にも声をかけて妖夢さんに付いて行った。僕が席を外しても、二人の談笑は明るかった。

 席を外せたことに安心していると、妖夢さんが案内をしながらも話しかけてくる。

 

「すみません。幽々子様、零様のことを大変気に入っておりまして、直人様には目をくれずに…」

「あ、あはは、気にしないでください。それと、様を付けられると少しむず痒いです。」

「お客人を気軽にお呼びするなど恐れ多いですよ。」

「そうですか。」

 

 やはり、誰かに仕える人というのは主人のお客さんとは一枚壁を隔てた接し方をしなくてはならないのだろう。ならば、僕もその決まり事に口を出すわけにもいかない。

 

「それにしても、美しい庭園ですね。妖夢さんが整えているんですか?」

「ありがとうございます!そうなんです、私がここの庭を整えているんですよ。」

「本当に感動しました。特にあの大きな枯れ木には、意識を引き込む力があります。」

 

 素直な感想を彼女に話すと、少し彼女の唇が動いた。

 

「そうですか…そう言っていただけると嬉しいです。」

 

 彼女の表情に少し翳りが生まれた気がした。そして、どこか考えるように視線を下げて虚空を見つめている。

 どうしたのだろうか。そうすると彼女は何も無い所で躓いてしまい、僕は急いで彼女を支えようとする。

 

「危ない!」

 

 彼女の肩に触れた。突如、脳裏に荒々しい映像が流れてきた。満開の桜の下で血塗れになりながら日本刀を持つ妖夢さんの姿、そしてその狂気を感じる程に純粋な瞳。

 まるで意味が分からなかった。

 

「すみません!お客人にご迷惑を…」

「い、いえ。お気になさらず。お怪我はありませんか?」

「はい、おかげさまで怪我はありません。」

 

 あの映像はともかく、彼女に怪我がないようでよかった。僕は彼女から手を離す。

 

「それじゃあ、行きましょうか。」

「あ、はい。」

 

 客と屋敷の使用人という関係性を重視している彼女だ。あまりこの話を長く続けては必要以上に申し訳なさを覚えてしまうだろう。僕も別に恩を売る気でもないので、トイレを案内するように促す。

 

「…あの。」

「はい?」

「ありがとうございました。」

 

 彼女はニッコリと笑う。

 

「どういたしまして。」

 

 しかし、僕の脳からは彼女の血塗れな姿が離れなかった。



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ES達の亡霊 IV 『純粋』

 直人様をお手洗いへ案内し、戻るまで少し離れた所で待っている。その間、私は先程の彼の庭に対する評価を思い出していた。

 庭に聳える大きな枯れ木、『西行妖』はいつも私を嘲笑っているように見えて仕方がないのだ。私の未熟さ故に、幽々子様をお守りすることが出来ない。

 私は一度、亡霊である幽々子様を本当の意味で殺しかけてしまったのだ。あの枯れた桜は何人もの数を屠ってきた妖怪であり、生前の幽々子様があの下で自害したその亡骸で封印がなされた。しかし、その亡骸の正体を知らない亡霊の幽々子様は、あの桜が満開になればその亡骸が復活するのではないかと、私に幻想郷中の春を集めるように指示なされた。

 結局、それは霊夢や魔理沙達に阻止された為事なきを得たが、その後私のみその真実を伝えられ、今後はそのようなことがないよう、幽々子様を制御する役割を零様に任された。

 あの桜が満開になれば、幽々子様は存在を保てなくなる。それを何度も言われた。

 

「…未熟だ。」

 

 半人前とも言える。私は思考をせずにただ幽々子様の命令に従い、そのような恐ろしいことを平然と行っていたのだ。

 私は自身に絶望した。しかし、それを幽々子様に懺悔することも許されない。あの方は、その真実を知らないのだから。

 

「もっと…強くならねば。」

 

 かつて師匠は「真実は斬って知る。」と仰っていた。しかし、私は未だに何度も刀を振れども真実にたどり着いたことは無い。それどころか、あの小さな鬼に言葉の本質を理解できてないとも言われた。

 私は、いつまで弱いままなのだろう。

 

「ねぇ?」

 

 瞬間、凍える程の殺意が私の背中を刺した。声も出せない程に、苦しい。一瞬にして鼓動が速まったのを感じる。

 

「ねぇ、妖夢?」

「だ、れだ…」

 

 絞り出すような声でその殺意に問う。

 侵入を許してしまったのか?しかし、背後から感じるドス黒く生気の感じられない吐息は、人間はもちろん、妖怪でもないように思えた。もっと、潜在的にある恐怖を具現化したような…

 

「何もかも、あなたって中途半端。」

 

 彼女の一言一言が、私の心臓を握り締める。怖い、その感情だけが血液のように巡り、私を支配した。

 

「私は半人前だって言いふらして、それが免罪符代わりにして。」

「ちが…」

 

 耳元に冷たい吐息がかかる。

 

「私は半人前だから、幽々子様を守れなかったのは仕方がない。」

 

 違う。

 

「私は半人前だから、真実が分からなくても仕方がない。」

 

 私はそんなんじゃない。

 

「私が半人前だから…」

 

 師匠の言葉が理解できなくても仕方がない。

 違う。勝手に脳内に文字が流れてくる。そんなんじゃない。私は本当にそうやって自らを律していて…

 

「『真実は斬って知る』んでしょ?」

「…え。」

「なら、斬っちゃえばいいよ。それで分からくても、半人前なんだから仕方がないでしょ?」

 

 私の手が震えている。気が付けば、刀の柄の部分に手をかけていた。これを引き抜けば、もう後戻りができないような気がして、しかし同時にそれも仕方がないとも思えてきたのだ。

 

「まずは、彼を斬ってみたら?」

 

 その瞬間、私の恐怖で何も考えられなかった脳が冴えてきたのが分かった。

 恐怖はもうない。その代わりに高揚感が私の口角を吊り上げた。そんな口角を、冷たい脳の私が必死に手で物理的に下げた。こんなこと、考えてはならない。

 

「もう、居ない…?」

 

 背中の殺意は跡形もなく消え去っていた。

 

____________________________________________

 

 トイレに来たものの、あの場から離れたかっただけで出せるものは無い。なんの意味も持たない時間だけが流れていた。

 

「それよりも、和式かぁ〜…」

 

 予想出来たことだ。寧ろ、こんな和の権化みたいな建物に洋式のトイレがある方が違和感を感じるだろう。ちなみに水は流れず、穴が深くまで続いている和式だ。所謂…いや、それはいいか。

 それにしても暇だ。時間を潰すのにスマホは持ってこいだったが、生憎ここでのスマホはなんの価値もない。

 

「…出るか。」

 

 そう、項垂れるようにしてトイレの扉を開こうと、取手に掴む。すると、また鋭く刺すような頭痛が僕の脳みそを襲う。しかし、流石にこんな所で倒れたくは無いため壁によりかかって何とか耐え抜こうとする。

 

「イテェ…」

 

 視界がぼやける。こんな頭痛が二回目ともなると、流石に自身の体が心配だ。一度、永遠亭で診てもらおう。

 耐えるだけの時間がそろそろ終わりを迎える。頭に響くそれは収まり、僕は長い溜め息を吐いた。痛みは嘘のように無くなっている。

 すると、扉からコンコンコンっとノックする音が響いた。妖夢さんだろうか?

 

「もし?」

 

 いや、妖夢さんではない。聞いたことはあるのだが、しかし、誰の声かは判断がつかない。

 

「あの、どちら様ですか?」

「えー?私のこと忘れちゃったんだ。」

「す、すみません…」

 

 やはり、顔見知りらしい。だが、やはり扉の向こうにいる人が誰だかが分からない。

 

「そんなことより、またここにいるってことは…巻き込まれちゃったんだね。」

「また…?それに巻き込まれたって?」

「大丈夫、私が助けてあげる。」

 

 彼女は一体何を言っているんだろう。頭痛が収まってきた。僕は扉を挟まず面と向かって話し合おうと、目の前のそれを開いた。

 しかし、そこに人の姿はなかった。

 

「…一体何だって言うんだ。」

 

 不可解な出来事に頭をか掻いていると、廊下の少し離れた所に妖夢さんがいるのが見えた。

 やはり待っていてくれたのか。なんだか申し訳ないが、もしかしたら僕に話しかけていた人が誰かを知っているかもしれない。僕は妖夢さんの方へと向かいながら声をかける。

 

「すみません、お待たせしてしまい。」

「…え?あぁ、いえ、大丈夫ですよ。お気になさらず。」

 

 なんだか上の空だ。何かあったのだろうか。この様子だと僕と話していた人を見ていたかは疑問だ。しかし、念の為訊いてみる他ないだろう。

 

「あの、お手洗いで誰かから話しかけられていたんですけど、妖夢さん、誰か見て…」

 

 そこまで話していると、唐突に僕は何かに手を引かれたかのように後ろへ転んでしまった。なんとダサいことだろうか。人の目の前で転ぶなど恥ずかしいことこの上ない。

 僕は顔を赤くしながら目線をあげる。だが、その赤い顔もすぐに真っ青に変わっていった。

 

「大丈夫ですか?直人様。」

 

 僕がさっきまで立っていた空間に、妖夢さんの刀が突き立てられていた。妖夢さんは、まるで純粋な目で僕を見ていた。



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ES達の亡霊 Ⅴ 『空』

 鳥が囀り、心地よい風が肌を撫でる。こんなにも穏やか日なのに、目の前の刀の先端は僕の血の飛沫を見たいと望んでいる。僕が転んでいなかったら、その刀の望む結果になっていただろう。

 

「何も無い所で転ばれるなんて、いや、それとも避けられたのですか?」

 

 淡々とした口調で、さも当たり前の出来事が目の前で起こったかのように彼女は表情一つも変えず僕に話しかけていた。

 彼女は浅く息を吐くと、改めて僕の顔を見て刀を鞘に納めた。しかし、それは持ち帰るためだった。彼女はすぐにもうひとつの短い刀を抜く。

 

「や、やめ…」

 

 僕はまた斬りかかろうとしているのだと判断し、急いで逃げるように立ち上がる。だが、その刀は僕ではなく、妖夢さん自身の左腕に刺さった。自ら刺したのだ。

 

「『白楼刀』、これは迷いを断つ刀です。そう、今までの私への決別。」

 

 左腕から赤く染まっていく。それが木製の床にポタポタと垂れると、妖夢さんはゆっくりと刀を引き抜く。すると、溢れ出す血液の量はこちらの血の気が失せるぐらい溢れ出す。

 

「真実は斬って知る。貴方の真実は、どのようなものなのでしょうか。」

 

 再び、彼女はその刀を振り上げた。今度こそ、僕に向けられたものだと理解する。しかし、先程まで逃げようとすれば逃げられたはずなのに、僕の足は動かない。

 膝が笑っているのだ。

 

「私はいつまでも半人前ではいられない。貴方は私の剣術の血となり肉となる。感謝いたします。」

 

 そうして、妖夢さんはそれを振りかざした。左肩から右の脇腹にかけて骨を断ち切る。僕の中身が飛び出たのが視界に入ってきた。

 そうなのか。僕の腸って、こんな色なんだ。

 

____________________________________________

 

 僕は、誰かに引きずられているような気がする。しかし、どうにも顔を上に向ける程の気力はない。

 

「え、もしかして目が覚めた…?」

 

 その声は、トイレの中で聞いた女の子の声だった。貴女は一体何者なのだ?というか、貴女が僕を引きずっているのか。

 何のために?

 

「そうしろって言われたから。」

 

 なんだそれ。

 

「そんなことより、どうして生きてるの?貴方、色んな中身が出てると言うのに、不思議だねー。」

 

 …やっぱり、あれは夢でもなんでもなく、現実に起きたことなのか。突然僕に斬りかかってくるなんて、よっぽど無礼なことをしてしまったのか。

 

「無礼なだけで斬るなんて、時代が遡りすぎじゃない?それに、せっかく私が腕を引いて一回目の攻撃を躱してあげたのに結局斬られちゃってさ。」

 

 あの時僕が転んだのは、君が手を引いたからなのか。

 

「そうだよ。感謝してね。」

「…ありがとう。」

「なぁんだ、喋れるじゃん。」

 

 僕は漸く喉を震わせる程度には気力が出てきた。

 

「なんで、僕の心の声が君に届くんですか?」

「さぁ?私だって久々に人の心の声を聴いたよ。考えられる可能性としては、貴方が『無意識の世界』へと介入しているからかな。」

 

 何を言っているのだろうか。『無意識の世界』とか、また新しい言葉が出てくる。ウンザリだ。

 

「知らないよ、そんなの。兎に角、貴方はどうしてか無意識の世界に干渉ができるの。お燐が化け物になった時も、貴方は無意識の世界に入ってきた。」

「…とりあえず、ここは貴女の言う無意識の世界なんですね。」

「そうだよ。というか、貴方のその話し方はどうにかならないの?口では丁寧に話して、心の中は砕けた話し方。もっと自分を出したら?」

 

 余計なお世話だ。僕は今までこれでここまで来たんだ。変えるつもりは…

 

「ここまで、それで来て死んじゃったらそんなのどうでもないけどね。」

「…え?死んでませんけど。」

「精神はね。」

 

 彼女は何を言っているんだ。しかし僕は思い出した、自分自身の腸の色や、血に塗られた黄色い脂肪を。

 まさか、僕は本当に死んでしまったのか。ならば、心臓に手を当てる気力はないが、今、目を開いている僕はなんなんだ。

 

「貴方の肉体は死んで、精神だけの存在になったってことだよ。」

「幽霊ってことですか。」

「ちょっと違う。貴方はあくまで貴方の精神。幽霊は魂も含むけど、貴方は今、精神だけ。」

 

 頭がこんがらがってきた。つまり、幽霊とは魂と精神が現世に出てくるものだが、僕は魂もなければ現実の世界にもいない精神だけの存在だということなのか。

 

「うん、そゆこと。」

 

 理解出来た僕を僕は褒めたい。しかし、なんでもありな幻想郷でも僕みたいな存在はどうしようもないのではないか。

 

「そんなことないよ。これを見越していたのかもね、八雲紫は。」

「え…?」

「貴方が地霊殿に住まわせたのは嫌がらせでもなんでもない。私の存在がいるからだ。」

 

 僕は思い出した。この声は、つい先日地霊殿の廊下で聞いた。やっと思い出すことができたのだ。

 

「古明地こいしさん、だったんですね。」

「神田零は最初から私の存在に気が付いていたね。きっと、貴方が日本庭園を見たいと言わなかったら私を見て見ぬふりをしていたんだろうな。」

「どういうことですか?」

 

 こいしさんは歩みを止める。つまり、僕を引きずり終わったということだ。

 

「ナオ君、貴方は偶然でこの幻想郷に来たんじゃない。」

「…?」

「貴方は何故か、無意識の世界に干渉できる。それは今回も、お燐の時にもそうだった。神田零は、そんな貴方を利用するために幻想郷へと攫った。」

 

 こいしさんの一つ一つの言葉は理解出来る。しかし、分からない。いや、分かりたくない。それならば、零さんが今まで僕を気にかけてくれていた理由は…

 

「監視、とかかもね。」

「…」

「見て、神田零は私に貴方をここまで引きずってでも連れていけって言っていたの。」

 

 僕は懸命にこいしさんが見ている方に目線を向ける。そこには、満開に咲いた桜が妖しく霞んでいた景色だった。確かこの場所は、大きな枯れ木があった場所だ。

 

「あの枯れ木はね、妖怪なんだ。封印された妖怪。」

「そ、そうだったんですね。」

「…ごめんね、ナオ君。貴方はこれから、()()()()()()()()()。」

 

 思考が停止した。本当に理解ができなかったのだ。脳が、その言葉を咀嚼しようとしてくれない。

 

「この封印された妖力を、貴方に注ぎ込むつもりなんだ。神田零は、最初から、ずっと、それ計画していたんだと思う。」

「いや、おかしいですよ。ありえない。僕が、妖怪?なんで僕が妖怪にならなくちゃいけないんですか!?」

「そうしなければ、貴方は肉体も魂も精神も、死んでしまうから。貴方に残された選択肢は、妖怪になるか、死ぬかの二択しかないよ。」

 

 内蔵も飛び出て、引きずられて、生ゴミみたいグチャグチャになった僕の体が力無く地面に沈む。僕が一体、何をしたというんだ。

 こんな血腥い世界に巻き込まれて、こんなに傷付いて、挙句には妖怪にならなければ死ねと信頼していた人に言われるなんて…

 

「ごめん。私も、神田零には逆らえないんだ。彼はこの幻想郷における神のような存在だから。断ったら地霊殿のみんながどうなるか分からない。」

「…」

「それに、初めてこんなになってしまった私とまともに話せる人に出会ったから。私はあなたを死なせたくはなかった。」

 

 …

 

「あ、あの…ナオ君?」

「僕には、なんにもない。」

「え?」

 

 僕はそのゴミのような体を起こす。

 

「僕は好きな科目も、好きなサッカー選手も、好きな歌も、好きなラーメンの味も、何も答えられない空っぽな人間だ。正直、自分のこともあまり好きじゃない、むしろ、嫌いと言ってもいいでしょう。」

「えっと…」

「だから、そんな僕が誰かの役に立てるのなら、こんなに嬉しいことはありません。」

 

 僕はこいしさんに向かって最大限の笑顔を向ける。そして、再び枯れ木に目線を戻す。ゆっくりと深呼吸をして、僕は目を見開いた。

 

「とでも言うと思ったかよ、バーーーーーーーーカ!!!」

「え?」

「ブチ殺すぞ神田零!!妖怪にならなきゃ死ねだぁ?ハァ!?頭腐ってんじゃねぇのか!?」

 

 肉体も精神もグチャグチャになった僕は、とりあえず脳から溢れる言葉をできるだけ大きく叫ぶ。何も余計なことは考えず、腹の煮えたぎるような怒りのまま、叫んだ。

 

「あの、大丈夫?」

 

 こいしさんは苦笑いをして僕の顔を覗き込んだ。僕は荒い息を落ち着かせ、ゆっくりと顔をそちらに向ける。

 

「大丈夫ですよ。ご心配なく。」

「あ、はい。」

 

 明らかに引いているこいしさんを置き去りに、僕の怒りはこの短い生涯で一番のものだった。普通に生活していた僕が、何故こんな目に遭わなくてはならないのか。元凶の神田零をこの上なく惨い方法で痛めつけなければ気が済まない。

 

「どうも、咲くことを許されない妖怪さん。僕に全てを委ねてみませんか?貴方が何を思っているのかは分かりませんが、僕は貴方が見ることの出来ない世界を見せることができますよ。」

 

 言い表せない程の怒りは僕の口角を吊り上げる。皮肉にも、この瞬間は僕が僕であることを実感することが出来ている。この怒りは、確実に僕のものだ。何も無いはずだった、僕だけのもの。

 

「そんな貴重な感情を、貴方は体験することができるんだ。祝福し、そして感謝しろ。」

 

 そういうと、目の前の桜は花を散らしていく。そして同時に、僕の中へと何か膨大な憎悪が入ってくるのを感じる。泥みたいに穢れ、溢れ出す血液よりも赤黒く鼻につくこの怨みは、もはや僕にとっては心地良いほど気持ちが悪い。

 

「そうか、西行妖と言うんですね、貴方は。」

 

 僕の何も無い中身が満たされていく。『(から)』だった僕は、漸く上嶋直人になったんだ。

 

「…こいしさん。」

「ど、どうしたの?」

「ありがとうございます。安心してください、貴女には何の怨みもありません。」

 

 怨みの対象は一人だけだ。

 

「さぁ、行きましょうか。」

「うん…」

「まずは、妖夢さんを助けてあげましょうか。仲間は多い方がいい。」

 

 そうして、僕は無意識の世界から目を覚ます。



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ES達の亡霊 VI 『妖怪』

 気が付けば、本当の意味で枯れ果てた西行妖の前で立っていた。枯れた木を、自身が存在するためだけに虚しく封印し続ける幽々子さんが哀れだ。どうでもいいけど。

 僕は自分の腹を見る。デロリとはみ出ている腸が地面に垂れていた。僕はそれを手で拾い上げ、自分の腹の中に仕舞う。すると、僕の腹はそれを待っていたかのようにゆっくりと閉じていった。血に濡れた腹だけがそこにある。

 

「さて、ここは現実かな。」

 

 顔を上げると妖夢さんが少し驚いた様子で僕を見つめていた。

 

「貴方、どうして生きているんですか?突然姿が無くなったかと思えば、私が斬った跡も無くなって立っているだなんて。」

「人間を辞めただけです。」

「そうですか、それが貴方の真実…」

「ハハッ!そんなわけないでしょう?」

 

 思わず笑ってしまった。いつまでそんな馬鹿みたいなことを言っているのだろう。僕は先程とは打って変わって、落ち着いて彼女に近付く。

 

「また、斬られて下さるのですか?」

「いいえ、貴女とお話がしたいだけですよ。」

「言葉を交わさずとも、斬れば…」

「お前の方じゃない。」

 

 僕は妖力を使って、彼女に離れた位置から触れる。僕が話したいのは、エスでは無い。自我の方だ。

 僕は自身の頭痛を確認する。これが、無意識の世界に入った時の感覚だ。

 

「どうも、妖夢さん。」

「…直人様。」

 

 目の前には視線を下に落とした妖夢さんの姿があった。僕の隣にはこいしさんもいる。

 

「様を付けるの止めましょうよ。対等の立場じゃないと、話せるものも話せません。」

「いや、ですが…」

「そんなこと言ってられる状況ですか?」

「…分かりました。でも、貴方もさん付けで呼ばなくていいです。」

 

 一応、冷静ではあるようだ。これならば、お燐さんの時のような口喧嘩に発展することもないだろう。

 

「まずは、ごめんなさい。貴方を斬りつけてしまった。」

「大丈夫ですよ。恐らく、誰かに囁かれたんですよね。」

「…はい。」

 

 やはり、お燐さんの時と同じく外的な原因があるようだ。誰かからの囁き声。これにより、自分の中にある見たくない無意識が表面に出てしまうのだろう。

 

「無意識の妖夢は『真実は斬って知る』と言ってましたが、これは誰かからの言葉か何かですか?」

「はい、師匠からの言葉です。しかし、これを私はどのように解釈をすれば良いのかが、未だに分からないんです。」

「そのままの意味で捉えてましたね。」

 

 僕がそう言うと、妖夢は申し訳なさそうな顔をする。やはり、どうも僕を殺したことに対して負い目を感じているらしい。

 

「私は、自分は半人前だと自戒の意を込めて認識しているのですが、どうやら本当の私は師匠の言葉が分からない、剣術の成長があまり芳しくないことへの理由付けをしていたようです。自分の無能さから目を逸らすために。」

 

 自分の精神を守るため、つまり防衛機制が働いて現実から目を背けていたということだ。自分は半人前だと、まるで今の自分を把握しているかのように他人に見せてバランスを取っていたのだ。

 

「私は半人前だから仕方がないと、無意識に思っていたのかもしれません。」

「…質問、よろしいですか?」

「なんでしょう…?」

「それって、いけないことなんですか?」

「え?」

 

 妖夢さんは間の抜けた声で僕の言葉に反応した。

 

「僕個人の考え方で申し訳ないのですが、半人前なら仕方がないって、当たり前じゃないんですかね?だって、剣術の成長の話をするということは自分でもまだまだだと思っているんですよね。つまりは半人前だっていう事実は変わらないわけです。」

「い、いや、そうですけど…だからと言って師匠の言葉が理解できない理由にしてはならないでしょう?結果、貴方を殺してしまった訳ですし…」

「なるほど…」

 

 何となく分かってきた。僕の死に対して申し訳なく思っていることは確かだが、問題はそこでは無いのだろう。

 僕はニッコリと笑う。

 

「つまりは、こんなにも悩んでしまうくらいお師匠様の言葉を解りたいと、そう思っているんですね。」

「も、もちろんです!師匠は私にとってこの世で一番に尊敬のできるお方で、人格者で…」

「それほど貴女にとって大切な人だから、解りたいんですね。」

「…!」

 

 その師匠とやらは恵まれている。こんなにも慕ってくれる弟子がいるだなんて。心の底から嫉妬する。

 

「そんな大切な人の言葉を理解できない自分を許せない。その様に僕には見えました。」

「そう、なのかもしれませんね…」

「半人前だから仕方ない、それは今だけの話です。これから理解していけばいい。思い詰めずに、ラフに考える時間も必要ですよ。運動でも、クールダウンの時間は必要でしょう?」

 

 妖夢さんが余程思い詰めている、若しくはひねくれてない限り、これで納得してくれるはず。と、信じたい。

 僕は別にカウンセラーでもなければ、相談しやすい妖夢さんの友人でもない。だから、僕のこの言葉が妖夢さんに響くだなんて思っていない。しかし、聞き手に回ってゆったりと話を聴いてあげられるほど悠長な時間はない。

 失敗したら、味方に回すのを諦めたらいい話だ。

 

「直人は、どうして私の話を聴いてくれたのですか?自分を斬った、恨んでも仕方がない相手の話を。」

 

 無意識の世界において、僕の心の声が伝わるのはこいしさんだけでは無いのか?まるで、僕が先程考えていたことを知っていたかと疑ってしまうほどタイミングが良い。

 こいしさんの方を見る。すると、特に慌てる様子もなく首を横に振った。恐らく、そんなことは無いよ、という事なのだろう。

 

「僕は、僕のために妖夢の話を聴いています。今後の為にね。だから、そう肩に力を入れないでください。貴女も自分のために僕を利用してください。」

 

 ここで下手に嘘を言うよりも、真実を多く含まない事実を伝えた方が良い。

 

「…分かりました、ありがとうございます。少し気が楽になりました。」

 

 そう言って、妖夢は微笑んだ。無論、それは作り笑顔かもしれないが、少し気を張っていた僕の糸が緩んだ気がした。肩の力を抜いた方が良いのは僕だったようだ。

 

「それなら良かったです。」

「最初から直人みたいに冷静に自分を判断出来たらいいんですけどね。」

「いや、僕が冷静に判断したのは妖夢さんから見た他人だからですよ。自分を判断することは誰であっても難しい。」

 

 だから、僕は空っぽになってしまったのだから。僕なんかが自分を冷静に判断出来ているわけが無い。

 

「きっと、言いづらい事だったと思います。そんなツラい事を話してくれて、ありがとうございます。」

「いえ、こちらこそありがとうございます。」

 

 さて、彼女の心理的な側面の話はこれでおしまいだ。後は、現実に浮き出た妖夢の無意識だ。

 

「そろそろ戻ります。」

「その、気持ちはいくらか楽になったんですけどやはりまだ表に出ている私に主導権を握られていて…」

「分かってますよ。少し、痛くしちゃいますけど、許してくださいね。」

 

 そうして、僕は目を覚まそうと頭の痛みを手放した。空間が少し歪む感覚。

 気付けば、僕の目の前には刀を握った妖夢の姿。しかし、先程とは少し違い、苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

「何を、したのですか?」

「妖夢と話しただけですよ。」

「何を訳の分からないことを…」

 

 僕は近付く。すると、彼女は刀を構え直した。

 

「動くな!!」

 

 大きな声だ。そんなに叫んでしまえば、貴女の主人にも聞こえてしまうだろうに。逆に言えば、それほど正気では無いのだろう。

 

「このッ!舐めるな!!」

 

 妖夢はその刀を振るう。斬撃が僕の腹を裂くものの、この程度の傷ならばすぐに治る。西行妖の妖力がこんなにも強大ならば、仲間集めは楽そうだ。

 僕は自分の血が飛び散った顔を一切変えずに、一歩一歩と足を踏みしめる。そして、手を伸ばせば届くほどの距離まで来た。

 

「なんなんですか…貴方は…」

「僕は君の味方だよ、妖夢。」

 

 僕は彼女の鳩尾に打撃を食らわせた。地面から生えた木の根、いや、西行妖の妖力を具現化させた力で。妖夢は、その衝撃に耐えきれずに沈む。

 

「幽々子さん、彼女を休ませたいのでお布団をお借りしてもよろしいでしょうか。」

「え…」

 

 幽々子さんは屋敷の縁側に驚いた表情をしながら少し後退っていた。妖夢さんがあんなにも大きな声を出したのだ。それはすぐにでも駆けつけてくるだろうと思っていたら本当に来ていた。

 彼女は首を縦に振ると、僕は妖夢を背負って屋敷の方へと向かった。

 

「あ、お燐さん。」

 

 よく見るとお燐さんもいた。彼女は驚いていたのは勿論だが、同時に酷く悲しそうだった。

 

「直人…何があったの?」

「お燐さんと同じ妖怪になっただけですよ。」

 

 そんなことよりも、僕はこれからどのようにして神田零を討ち取ろうかを考えていた。これだけの妖力じゃ、奴には勝てないのだから。



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ES達の亡霊 Ⅶ 『楽園』

 腕に包帯を巻き、布団ですやすやと寝息をたてている妖夢さんの横で、僕とお燐さんは畳の上で静かに座っていた。恐らくこいしさんもいるはずだ。幽々子さんは神田零に呼ばれて席を外している。

 あれからずっと沈黙が続いている。横目でお燐さんを見ると視線はずっと下の方にあった。

 

「ねぇ、直人。」

「どうしました。」

 

 恐る恐る声をかけてきたお燐さんに、僕はいつもの声色で返事をした。言おうとする内容は既に分かっている。

 

「貴方はさっき、妖怪になったって言っていたでしょ?それ、本当なの?」

「本当ですよ。」

「…そうなんだ。」

 

 僕が妖怪になった。それはお燐さんにとってどのような感情を湧かせるのだろうか。少なくとも、表情からはポジティブな雰囲気を感じることは出来ない。

 また、沈黙が訪れる。この白玉楼に足を踏み入れた時の静寂と違い、妙に肩の重みが不愉快だ。

 

「深く訊いてこないんですね。」

「…訊く勇気がないだけよ。」

「別に、貴女にとって重要なことでもないのですよ?」

 

 そう言うと、お燐さんは何かを言おうとしてその口を閉ざした。何を言おうとしたのだろう。

 分かるわけもないその『何か』を考えていると、妖夢さんの瞼がゆっくりと薄目に開いた。

 

「目が覚めましたか?」

「あれ…直人?」

 

 呼び捨てだ。つまり、無意識の世界で交わした会話は覚えているということ。これなら、僕に対して信用をしてくれるのではないだろうか。神田零を討つ為の仲間にすることができるかもしれない。

 妖夢は体を起こし、自分の手の平を眺めては閉じたり開いたりする。

 

「ご迷惑をおかけしてしまいました。」

「いえ、お気になさらず。」

「そんな、私、直人を殺してしまいました。」

「その話はもう済んだことでしょう?」

 

 妖夢はその言葉に言葉を詰まらせた。そうは言っても、責任を感じてしまうものなのだからしょうがないのだろう。

 僕は人差し指で眉を掻き、一拍置いて口を開いた。

 

「それなら、今度何か奢ってください。それでチャラです。」

「いや、でも…」

「なぁんだ、何かを奢るほどでもないのですね。」

「…分かりました。」

 

 少しズルいかもしれないが、これぐらいが彼女にとっては丁度良い苦痛だろう。自責の念に駆られて、当の本人には優しくされて、彼女の精神は形容しがたいストレスを抱えているはずだ。それから逃れるために目の前の僕に対して特別な感情を抱くはずだ。

 無論、それは恋愛的な意味では無く、いや、別にそれでもいいが、贖罪や信用などの僕にとって有益な感情に変化するだろう。上手くいけば、宗教のように盲信するかもしれない。

 これは彼女の控えめで負い目を感じやすい性格から予想できることだ。彼女の精神は必ず防衛機制を働かせる。人は、すぐに変わることなどできないのだから。

 

「…」

「あの、お燐さん?」

「何よ。」

「なんで、僕のことをそんなに睨んでいるんですか?」

「睨んでないし。」

 

 ふと横に目を向けると鋭い瞳孔が僕の横顔に刺さっていた。明らかに不機嫌だ。僕は何かしてしまったのだろうか。

 僕が苦笑いをしていると、部屋の襖から「失礼します。」という声が掛かる。僕が返事をすると、それは開かれた。居たのはここの女中さんだった。

 

「神田様がお帰りになられる為、上嶋様と火焔猫様をお呼びになられております。」

「あぁ、そうですか。すぐに向かいます。」

 

 そう伝えると、女中さんは襖を閉じて去っていった。神田零に従うのは癪に障るどころの騒ぎでは無いが、今はまだ刃を向ける時では無い。それに、僕が妖怪になっているのだから何か恨み辛みを孕んだ存在であることは分かっているだろう。その上で僕を呼んでいるのだ。それならば、その便利なタクシーは利用する他ないだろう。いや、人力車と言った方が良いか。

 

「それでは、お暇させていただきますね。」

「本日は誠に申し訳ございません。」

「だから、いいですって。」

 

 僕が立ち上がると、お燐さんは足が痺れてしまったのか不自然なほど慎重に立ち上がる。

 

「それじゃあ妖夢、今度奢ってくださいね。」

「はい、必ず。」

 

 そうして僕はその部屋を出た。その際、お燐さんがまたも僕のことを睨みながら、その痺れた足を庇いながら進んでいた。

 

____________________________________________

 

 玄関まで着くと幽々子さんと神田零が待っていた。幽々子さんは申し訳なさそうに口をすぼめており、対する神田零は脳みその血管が切れてしまう程にウザったい優しい笑みを浮かべていた。

 

「ごめんなさいね、折角来てくれたのにこんな酷いことを…」

「いえ、妖夢は何かに囁かれた後にあの様になってしまったようです。つまり、何者かの意図が絡んでいると考えた方がいいです。」

「そう…」

 

 幽々子さんは少し考えるような素振りを見せたが、すぐに僕に向かってぎこちない笑顔を向ける。

 

「またいらしてね。その時は謝罪と妖夢を助けてくれたお礼を込めて歓迎するわ。」

「ありがとうございます。また来ますね。」

 

 軽くどうでもいい会話を交わすと、神田零は偉そうに「それじゃあ行こうか。」と玄関を出た。僕は仮面のような笑顔でそれに付いていく。

 神田零の肩に掴まり、お燐さんも腕に掴まった。そうして、奴は僕らに一声掛けた後に瞬間移動をする。その際、僕は目をつぶらずにその歪んでいく空間を眺めていた。神田零らしい気持ちの悪い空間だ。確かにこれは目を閉じていた方が目が汚れない。

 暫くすると、景色は漸く見慣れた景色へと変形していき、最後には地霊殿の玄関の景色に完成した。

 

「よし、着いたぞ。」

「ありがとうございます。」

 

 そんなこと思ってもないが。

 

「それじゃあ、俺は永遠亭に帰るからな。」

「はい、分かりました。それではさようなら。」

 

 そして、奴は姿を霞のように消した。僕はそれを確認すると、深いため息を吐いた。あんな奴と同じ空間にいるなど、全くもって不愉快だ。

 

「ねぇ、直人。」

「どうしました。」

 

 白玉楼の時とは違い、不貞腐れているかのような声色で話しかけてきた。今度は言おうとする内容が分からない。

 

「あたいのこと、呼び捨てで呼んで。」

「…なんでですか?」

「うるさい。それと、敬語で話さないで。」

「いや、ですからなんで───」

「敬語。」

 

 なんてベタな展開だ。どうせ先に知り合った自分より、知り合った初日に呼び捨てで呼び合う妖夢に負けた気がする、みたいな理由でそんなことを言っているのだろう。まぁ、嫌われているわけでは無さそうだから、別にいいんだけど。

 僕ってこんなにひねくれた人間だったっけ。いや、本当はこんなちっぽけな考え方をする人間だったのだろう。妖怪になって自分の人間性を知るなんて、面白い皮肉だ。

 

「わかったよ、お燐。」

「よろしい。」

 

 お燐は満足そうに笑った。そんなに眩しい笑顔は、下水道を通るヘドロのように汚らわしい僕に向けていいものでもない。僕は耐えきれず目を逸らした。

 

「さぁ、今日はもう帰ろう?」

 

 僕の前を歩き始めたお燐の後ろ姿を見て、僕は自分の情けなさに寒気がした。地霊殿って暖かったはずなんだけどな。なんだか、泣きたくなってきた。

 誰にも理解できないだろう、僕の腹の中など。お燐さんがあの笑顔をこんな僕に向ける程なのだ。もちろん、それは僕が自分のことを話したがらないから。だから、誰も僕を理解できないのだ。さとりさんのような能力がない限り。

 今の僕に出会ったら、さとりさんはどんな顔をするんだろう。楽しみで吐きそうだ。

 

 今日僕は、ゴミのように死んだのだ。そして、これからも僕は死に続けるのだ。この幻想郷という恐ろしい楽園で。



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苦い血液を啜る離脱症状
苦い血液を啜る離脱症状 Ⅰ 『取引』


 妖怪になって数日が経過した。人間の頃を知っていた地霊殿のペット達や鬼の方々は僕の変わり様を見て驚いていた。特に、さとりさんは僕の心を読めるが故に、酷く悲しんでくれていた。よくもまぁ、他人の不幸を嘆くことが出来るものだ。若しくは、人を哀れむことで自分の慈悲深さを虚飾しているとも考えられるが、それならば態度を変えずに接してくれていることの説明はつかないだろう。さとりさんの本質を知ることが出来、同時に本当に妖怪なのかと疑ってしまう。普通は僕の事を嫌うと思うのだが、よく分からない方だ。

 そんな、良くも悪くも変わらない日々を送っていたが、今日の朝は部屋のドアをノックする音で目が覚めた。トサカのような頭でドアを開くと、さとりさんが気まずそうに立っていた。

 

「どうしました?」

「あの、神田様がいらしてて…直人さんに用があると仰っています。」

 

 こんな朝っぱらからなんのようなんだ。反吐が出る程気分が悪いが、さとりさんを困らせるわけにもいかない。僕の心を読んでいるさとりさんに意味の無い笑顔を向ける。

 

「分かりました、すぐ行きますね。」

「はい…お願いします。」

 

 僕は扉を閉めて、近くにあった空のゴミ箱を蹴飛ばした。

 

____________________________________________

 

 地霊殿の綺麗なソファに座ったクソったれは僕の姿を見るなり、手を振ってきた。僕はそれを無視して「おはようございます。」と挨拶をする。

 

「やぁ、あれからどうだろう。何か変わったことはないかな?」

「特に気になるようなことはありません。」

 

 コイツが僕の心配をするのは、僕を何かに利用するためだ。利用するものが不具合を生じさせていたら困るから、奴は今まで心配した素振りを見せていただけなのだ。

 

「それで、用というのは?」

「そうだね、ここで話せないからマヨヒガへと案内したいのだが…」

 

 そう言うと、神田零はさとりさんの方を見た。幻想郷において神のような存在だとこいしさんは言っていた。そんなものに目を向けられては、さとりさんにとっての選択肢は一つしか無いのだ。

 

「私は大丈夫ですよ。」

「それなら良かった。直人くんも、いいかな?」

「いいですよ。」

 

 今は少しでも奴に関する情報を集めたい。いつかくる、奴との決戦の時のために。

 そう考えていると、さとりさんは少し落ち着いた様子で神田零に声をかけた。

 

「あの、その代わり一つよろしいですか?」

「どうした?」

「お燐も直人くんと一緒に連れて行ってくれませんか。」

「お燐を…?別に構わないが。」

 

 もしかすると、さとりさんなりの考えなのかもしれない。確かに、お燐が近くにいれば何をしでかすか分からない僕一人が行くよりも安心できるだろう。というように納得していると、さとりさんは苦笑いをしていた。

 違ったのだろうか。

 

「わかってるくせして。」

 

 僕の心臓が跳ねた。誰に言った言葉だ?

 違う、何を言ってる。誰の声だ。いや、知ってる。この声を僕は知ってる。落ち着こう。

 この声は、八雲紫だ。神田零と同じ僕を陥れた奴だ。神田零の背後から赤と白の陰陽太極図模様が描かれた球体が現れた。そこから声が聴こえる。

 

「さとりがお燐を寄越すのは、上嶋直人の監視役としてでしょう?」

「えっと…」

 

 その言葉に、さとりさんは嫌なものを見るような顔をする。彼女も、八雲紫を好ましくは思っていないらしい。

 いや、それよりも───

 

「あの、地上の妖怪は地底に不干渉なんですよね…これはどういうことでしょうか。」

 

 僕はその浮かんだ球体を指さす。その声の先にいる八雲紫は地上の妖怪だ。それが、地霊殿の中で話しかけてくるのだから疑問に思うのも無理はないだろう。

 

「あぁ、異変が起きた際には妥協策としてこういう遠隔通話をしているんだ。」

「へぇ。」

 

 なんとも、違和感のある言い訳だ。しかしハッキリとおかしいと言える部分が霞んでいる辺り、八雲紫や神田零らしい狡猾さが垣間見える。

 

「つまり、今はその異変とやらが幻想郷内で発生したと?」

「そうだ。いや、正確に言えば発生している。現在進行形で起きているんだ。」

 

 それに関しては心当たりがある。僕は顎に手を置いて神田零に目を向ける。

 

「囁き声、ですか?」

「あぁ、お燐や妖夢が暴走した原因だ。実はこれよりも以前からこのような報告は受けていた。」

「『陰惨異変』…」

 

 さとりさんがそれを呟くと、神田零はいつになく真剣そうな表情で頷いた。

 

「直人くんを借りたいのも、実はそれが関係しているんだ。」

「僕が…?」

 

 僕とその陰惨異変とやらがどう関係するのだ。その疑問符に気が付いた神田零は憎たらしく微笑む。

 

「詳しいことはマヨヒガで話したいんだ。」

「…分かりました。」

「ありがとう。それじゃあ、すまないがお燐を呼んできてもらっても良いかな?」

 

 さとりさんに顔を向けて指示をする。彼女は無理やり笑顔を作って了承した。なんだか、それが無性に腹立たしい。僕は立ち上がってさとりさんを止める。

 

「僕が行きますよ。」

 

 そう言って、その場を後にした。しかし、今思えば僕が行かなければあの空間からさとりさんを解放してあげることが出来たという事実に若干後悔した。

 

____________________________________________

 

 イヤイヤ期の子どものように我儘を言うお燐を引きずり、皆のもとへと戻ってきた。お燐曰く、神田零の前で無礼を働いたら殺される!とのことだ。恐らくそれは無いとは思うが、逆に言えばそれだけこの幻想郷において奴は権力を握っているということだ。

 

「来たね。それじゃあ、行こうか。」

 

 神田零はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かう。僕はそれについて行く。お燐は僕に引きずられる。さとりさんはその光景を見て苦笑いをしながら手を振って送り出してくれる。こいしさんは…相変わらず見えないがきっと一緒に来ているだろう。

 玄関を出て、すぐに神田零は止まる。

 

「さて、それじゃあ三人とも俺に捕まって。」

「え、三人?」

 

 お燐はその数字に疑問符を浮かべるが、構わず僕は神田零の肩に掴まる。彼女は首を傾げながらも神田零の腕に掴まる。

 神田零はそれを確認すると、一声掛けた後に空間が歪んだ。暫時、吐き気に耐えつつもその眼を閉ざすことはしなかった。

 

「着いたよ。」

 

 いつか見たマヨヒガは、相変わらずに儚さを帯びていた。お燐は初めて見たようで、まるで観光地のようにこの空間を見渡していた。

 

「お燐、さっさと行こう。」

「え?あ、うん。」

 

 この家にあの女がいる。そう考えるだけで寒気がする。用事を済ませたら早く帰りたい。

 僕は戸を三回ノックすると、暫く時間を置いた後に橙の声ともにそれは開かれた。

 

「あ、皆様お待ちしておりました!どうぞこちらへ。」

 

 屈託のない笑顔に、若干申し訳なく感じる。別に、僕が彼女に対してなにかした訳でもないのに。

 橙の後に続いて僕らはマヨヒガの中に入っていく。そして、廊下の先に見える部屋。あそこで僕は脚を切り落とされたのだ。完全に治ったはずの脚が痛い。

 

「失礼します。今、上島様が到着されました。」

「通して。」

 

 冷たい女性の声。神田零と話す時の声色とは明らかに違った嫌悪を含んだ声だ。

 橙は襖を開く。

 

「おう紫、呼んできたぞ。」

「ありがとうね、零。」

「…」

 

 何を言ってくるのか。きっと不条理なものに違いない。僕は少し深めの呼吸をする。

 

「座って。」

 

 彼女の言葉に従い、僕とお燐は彼女の正面に座る。隣からスマホのバイブレーションのような振動を感じるが、無視して本題に入るとしよう。

 

「それで、用というのは?」

「そうね、それじゃあ一つ。貴方、異変の解決をしてくれないかしら。」

「…なぜ?」

 

 異変とは、陰惨異変のことだろう。確かに、僕は二件もの陰惨異変の片鱗を味わったが、僕が解決する理由が見当たらない。

 いや、彼女らがもし陰惨異変を解決する為のコマを増やす理由で僕を妖怪にする計画を立てていたとしたらどうだろう。確かに、計画を立てていた事は分かったが、何故計画を立てたかは分からなかった。もしかすると、これのために全く関係のない僕が妖怪にさせられたのだとしたら…?

 

「何故とは面白い質問ね。また貴方の脚を切断してあげてもいいのよ?」

「…そうですか。」

 

 何となく納得がいった。というより、そう考えた方が自然な気がする。そして、怒りが込み上げてきた。目の前の胡散臭いクズに衝動的な怒りをぶつけたくなった。

 

「あれ、やらないんですか?」

「…何?」

「脚、切ればいいんじゃないですか。それで次は殺してやろうかって脅すんでしょう?」

「…だから嫌いなのよ。」

 

 唾を吐き捨てるように呟いた。八雲紫は僕の方に顔を向き直して睨む。

 

「お望み通り、切ってあげましょうか?その次は殺してあげましょうか?いや、それとも地霊殿の妖怪共にお礼をしてあげましょうか。」

 

 他の選択肢を見せてくるということは、僕の事を殺せない可能性が濃厚になった。それにしても、次は他の人を狙って脅すとは、やっていることはヤクザと変わらないな。

 

「お燐にそれを言うなら兎も角、たかが数週間一緒にいただけの男にそれを言うのは、安直ですよ。勝手にすればいいじゃないですか。出来ればの話ですが。」

 

 八雲紫は手出しができないのを知っている。地上の妖怪は地底の妖怪に不可侵だ。本気で周りの人を狙って脅すのならば、既に僕やお燐の四肢はもがれているはずだ。しかし、僕や彼女は傷一つなく、お燐はオドオドとした表情で冷や汗を流している。確信を持って言える、奴は手出しできないのだ。

 八雲紫は深いため息をつき、神田零の方に目を向ける。

 

「今回は君の負けだよ、紫。直人くんは全て分かった上で言っているんだ。彼を軽く見ていたのが敗因だ。」

 

 今の奴の発言は、まるで僕の思考を読んでいるかのような確信した言い草だ。

 いや、今までもそのような発言はしばしばあった。さとりさんのように心を読めるのだろうか。だとすると、奴は僕が仲間を集めて討とうとしていることがバレているのか。その上で僕をマヨヒガへ呼んでいるとするのならば、大層な肝を座らせている。

 

「分かったならば取引よ。貴方がもし異変解決を手伝ってくれるのならば、貴方の出す条件を飲みましょう。幻想郷のバランスが崩れない、もしくは長期的では無い限りならなんでもいいわ。」

「条件…か。」

 

 そこまでして僕に手伝って欲しいらしい。わざわざ嫌いな僕に頼むのは些か疑問ではある。僕はなにか特別なのだろうか。考えられるとしたら、無意識の世界。

 しかし、それならばこいしさんがいる。神田零はこいしさんの存在を認知できることを考えると、わざわざ幻想郷外の人間を連れてきては妖怪にさせるなんて回りくどいことをする必要も無い。

 それならば、何故…?

 

「どうするの?」

「そうですね…今決めるのは少し難しいので、後ほどいくつか条件を持ってきます。とりあえず、取引という形でしたらその依頼を受けましょう。」

 

 八雲紫は不服そうに頷き、扇子で口元を隠した。しかし神田零は、相変わらず気持ち悪いほど優しい笑顔を向けていた。



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苦い血液を啜る離脱症状 Ⅱ 『不安』

 八雲紫は扇子を閉じると、目を閉じながらその口を開く。

 

「まず、不安要素を潰したい。」

「不安要素?」

 

 俺を見て、まるで「そんなことも分からないの?」とでも言うようにフッと笑う。思わず眉を顰めると、奴は得意気な顔をして続けた。

 

「陰惨異変というは誰かが何者かに囁かれ、暴走してしまう。それは分かるわね?」

「えぇ。」

「そして、その暴走した者は一様にして何か悩みを抱えていたり、若しくは不平不満を抱いているの。」

 

 確かに、お燐や妖夢は悩んでいた。お燐は僕との関わり方、妖夢は師匠の言葉が理解できないということ。しかし、悩みというものは誰でも持っているものだ。バーナム効果と言うやつだろうか、途端にあの得意気な顔が滑稽に思えてきた。

 

「紫。」

「何かしら、零。」

「もう直人君を馬鹿にするのはやめたらどうだ?」

「…分かったわよ。」

 

 なるほど、非常に不愉快だ。

 

「けど、それらを狙った異変であることも事実ではある。データとして、悩みが強いほど暴走の強さを増すことが分かっているわ。」

「…?妖夢はお燐よりも悩んでいた様子でしたけど、お燐の方が凶暴でしたよ?」

 

 そういうと、いきなり隣から横腹にパンチを食らった。ビックリしてそちらに目を向けると顔を赤くして睨んでくるお燐がいた。

 

「妖夢は、まだ囁かれて時間が経っていなかったようね。恐らく、すぐに貴方が暴走を停めたんじゃない?」

「…確かに、ついさっきまで普通の対応だったのに、急に刀を降ってきましたから。」

「お燐も、囁かれた直後は暴走をしていなかったのではないかしら?」

「そ、そうですね…」

 

 つまり、時間が経てば経つほど凶暴になる。そして、悩みが強ければ強いほど暴走する力は増す。それらが相乗効果として現れた場合、計り知れないほどの被害が出てしまう。

 

「だから、不安要素を潰す。」

「そう。貴方達にはこれからその不安要素を孕んでいる所に行ってもらうわ。」

 

 非常に厄介だが、確かに無意識の世界に行ける僕が選ばれるのもわかる。いや、正確にはこの場にいるはずのこいしさんも選ばれているのだろう。

 

「それは何処ですか?」

「場所は『紅魔館』よ。」

「紅魔館?」

「吸血鬼の住む館のことよ。」

 

 和服の妖怪や幽霊ばかり見てきたが、西洋の妖怪もこの幻想郷にいるのか。

 それにしても吸血鬼か。人間ではなくなったため、血を吸われる心配もないだろう。

 

「あそこには吸血鬼の姉妹が住んでいるのだけれど、妹が少し特殊でね。」

「特殊?」

「彼女の能力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』というものなの。」

 

 なんともインパクトの強い能力だ。思わず身震いをしてしまいそうだ。

 

「彼女は姉によって地下に幽閉され、暴走しないよう定期的に玩具を与えられ何とか制御をしているわ。しかし、陰惨異変というものがある以上、それで良しとすることはできないわ。」

「そこで、僕らが何かしら不安要素を取り除く。」

「そういうことよ。」

 

 妖怪になったとはいえ、僕らがそれを担うにしては重すぎる内容だ。僕は元々相談役が上手いわけでもないし、聡明な人間だったわけでもない。

 僕が悩んでしまいそうだ。しかし、これも神田零を討つ為の準備だ。やらないわけにもいかない。

 

「分かりました。ただ、念の為お燐に攻撃が及ばないように対策していただけますか?不可侵条約が通じる相手とも限らないので。」

「ふぅん、まぁ、分かったわ。」

 

 隣からキラキラとした視線を浴びせられている気がする。まったく、感情が激しい猫だ。

 

「さて、他に聞きたいことは?」

「紅魔館に住む人達の名前を教えていただいても?」

 

 大事なことだ。これから紅魔館に行くとしても館の主人の名前すら知らないのは無礼にも程がある。

 八雲紫は特に変わらない口調で話す。

 

「紅魔館の住民は───」

 

____________________________________________

 

 夏にもかかわらず涼しさを感じる湖付近、僕は神田零から借りた大きなボストンバッグを持って歩いていた。八雲紫曰く、どうにか泊めてくれるよう紅魔館の主人に頼んだらしい。

 さとりさんからは休暇をいただき、代わりに神田零が脅した妖怪を働かせることになった。しかし、嬉しいことに僕の働きが良いらしく、早く帰ってくれるとありがたいという旨の言葉を頂いた。僕も早く帰りたい気持ちはあるため、さっさと終わらせることを目標にする。

 

「ねぇまだー?」

「もう少し。」

「ぜんぜんじゃん…人型やめるから運んでってよ。」

「自分で歩け。」

 

 適当にお燐の駄々を無視していると、遠くの方に霧に覆われた大きな館が薄らと見えてきた。名に相応しく紅いレンガで構築された西洋風の館だ。

 

「見えたよ。」

「ホント!?もうクタクタよ…」

 

 そういうと、まだ着いてもいないのに猫の姿に変わるお燐。注意するのも面倒なため、仕方なしにその状態のお燐をボストンバッグの上に乗せて運ぶ。

 徐々にその館は大きくなっていき、最終的には見上げるほどに高く、視界に入らないほどに広く聳えていた。

 

「地霊殿くらいの大きさかな…」

 

 そんな感想を述べていると、真正面の方向から声がかかる。

 

「あれ、もしかして八雲紫様から遣われた方ですか?」

 

 非常に不愉快な文章ではあるものの、その声の主には悪気は無いため歯を食いしばって反応する。

 

「そうです。」

「あぁ、お待ちしておりました!ようこそ紅魔館へ、私は門番をしております『紅美鈴』と言います。」

「上嶋直人です。それと、この猫は火焔猫燐ですね。」

 

 そういえば、誰かと会う時は毎回お燐が猫になっている気がする。その所為で僕がお燐の紹介をしなくてはならないのが、何となく腹立たしい。

 

「えっと、ししょ…じゃなかった。神田零様はご一緒ではないのですか?」

「いえ?」

「そうですか…」

 

 言いかけたことから考えると、美鈴さんの師匠なのだろう。あんな奴の弟子と思うと少し離れたい気持ちが湧く。僕がその師匠を討とうとしているのだから。

 

「あの、中に入ってもよろしいですか?」

「あ、そうですよね!どうぞどうぞ…よろしければ荷物を持ちますよ。」

「では、よろしくお願いします。」

 

 一度ボストンバッグを地面に下ろし、それの上に乗っているお燐を抱えて美鈴さんに持ってもらう。

 あんなに怯えていたとは思えないほどグッスリと眠っているお燐にため息をつきながらも、案内する美鈴さんの後ろに付いていく。庭は噴水があったり美しい花が咲いていたりと、これまた感動するほどの景色だった。

 ふと視線を上げると、4階の窓から翼の生えた人影が見えた。暗くてよく見えないが、その人は僕らを見ているような気がする。不意に悪寒が走り、目線を逸らした。

 

「さて、紅魔館に入る前に一つご忠告があります。」

「なんでしょう?」

「紅魔館のご主人様は、例え八雲紫様の遣いの方であろうと機嫌を損ねてしまえば許されることは無いでしょう。どうかご無礼のないよう、よろしくお願いします。」

 

 先程の悪寒も相まって、その忠告を真摯に受け止める。不安があるとするならば、この猫だ。

 

「…わかりました。」

 

 僕が頷くと、美鈴さんはニッコリと笑う。

 

「それでは改めて、ようこそ紅魔館へ。」

 

 そうして、玄関の扉が開かれた。



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苦い血液を啜る離脱症状 Ⅲ 『瞳』

 扉の向こうには二手に分かれた二階への階段が見え、シャンデリアがキラキラとぶら下がっていた。そしてこの館のメイドが二列に道を開き、僕らにお辞儀をしている。

 そして真正面には僕と同年代のような若さの銀髪で左右にそれぞれ三つ編みを揺らすメイドがおり、僕たちの姿を確認すると胸に手を当て瀟洒にお辞儀をする。

 

「ようこそいらっしゃいました。私、この紅魔館のメイド長を務めております『十六夜咲夜』と申します。」

「あ、上嶋直人です。」

 

 つい反射的に名乗ってしまったが、そんなことは既に知っているだろう。

 それにしても、美鈴さんと話していた限りではあまり気を張らずにいても大丈夫だと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。息の詰まるような堅苦しさに、思わず顔を引き攣らせてしまう。

 

「お嬢様がお待ちになられていますので、ご案内させていただきます。」

「よろしくお願いします…」

 

 僕は急いでボストンバッグに転がるお燐を叩き起こす。お燐は不愉快そうに目を覚ますと僕と若干の焦りと周りの雰囲気から状況に困惑する。

 

「ふぁ〜…何この息苦しさ。」

「ここの館の主人は無礼があったら許さないくらい怒るらしいから、もう少し頑張ってくれ。」

「…まぁ、あたいも死にたくは無いもの。」

 

 僕たちのやり取りに苦笑いをする美鈴さんは咲夜さんに何かしらの指示を受け、僕らのボストンバッグを他の妖精のような羽が生えたメイドに預け、僕らにお辞儀をした後にどこかへと向かっていった。

 

「行こうか。」

「うん。」

 

 慣れない肩の重さに頭を悩ませながらも、僕らは咲夜さんの後に続き階段の一段一段を登る。

 

____________________________________________

 

 大きな館なだけあって、長い時間歩いている気がする。まだ部屋に着かないのかと、お燐ではないが少しダルく感じてきた。

 そう、僕が脹ら脛に痛みを覚えた頃に、漸く咲夜さんの足は止まった。

 

「こちらのお部屋にお嬢様はいらっしゃいます。」

 

 彼女は僕らに言うと、扉に体を向き直して三度ノックした後に「お客様がお見えになられました。」と、中にいるのであろう人物に声をかける。

 

「入りなさい。」

 

 中からは少し幼いような、しかし芯のあるような大人らしい声色が聴こえる。

 咲夜さんは扉を開けては「失礼します。」と一々丁寧にお辞儀をして中に入る。それに続く様に僕らも弱々しいオーラをまといながら中に入る。

「よく来たわね、歓迎するわ。私は紅魔館の主である『レミリア・スカーレット』よ。確か、上嶋直人と火焔猫燐、だったわね?」

「は、はい。上嶋直人です…」

「火焔猫燐です…」

 

 紅茶を静かに置いた館の主人は、僕らが想像していた何倍も若く、見た目だけで言えば十歳にも満たない年齢に思われる。青白く、軽いウェーブのかかったミディアムヘアに、ナイトキャップをかぶる少女。この子が、この館の主人だというのには少し脳の処理が追いつきそうにもない。

 しかし、紅魔館の庭で目が合ったあの人影は、恐らくこの人だ。彼女の深紅の瞳を見ていると寒気が背筋を伝うのが何よりの証明だ。

 

「それにしても災難ね。あの胡散臭い妖怪に遣われてきたんでしょう?」

「そうですね。」

「私達は何も問題がないというのに、あの妖怪はまるで分からない奴ね。こうやって()()()()()()を寄越して来るのだから。」

 

 今、初耳な情報が出てきた気がする。『カウンセラー』だと?

 あの妖怪、もしかして僕をカウンセラーとして紅魔館の人達に説明しているのか。つい最近までただの高校生だった僕が誰かをカウンセリングできるとでも思っているのか。

 

「まぁ、一応管理者の言うことには従ってあげるわ。『フラン』にも貴方が来ることは言ってあるの。いつでも始めていいわよ。」

 

 彼女の言う『フラン』とは、八雲紫が懸念する不安要素だ。館の主人であるレミリアさんの五歳下の妹である吸血鬼『フランドール・スカーレット』さんだ。

 危険な能力と幼い精神性から、レミリアさんからは脅威と見なされて紅魔館の地下に幽閉されたという。

 

「その前にお伺いしたいのですが、よろしいですか?」

「何かしら?」

「レミリアさんはフランドールさんに、なにか不満や不安を感じていらっしゃる様に見られたことはありますか?」

「そうね…特にないわ。」

 

 あまり深く考えずにそう答えているように思える。本当にそう思っているのか、見たくない現実から目を背けた結果か、どちらにせよ今は何も分からない。

 

「分かりました。それでは、すみませんがフランドールさんの所へと案内していただいてもよろしいでしょうか。」

「良いわよ。咲夜、案内してあげて。」

「かしこまりました。」

 

 咲夜さんがそういうと部屋の扉を開けてくれる。僕らは咲夜さんの後ろに付いていき、部屋の外へと出る。

 

「あ、そうそう。」

 

 背後からレミリアが僕らに声をかける。僕らは振り返りレミリアさんの方に体を向ける。

 

「貴方達、そう畏まらくて良いわよ。貴方たちは客人なのだから、多少の無礼は見逃すわ。こういう場は不慣れな様だしね。」

 

 レミリアさんはそう言うと幼い顔からは想像できないほど妖艶に笑う。まるで、僕の心を見透かしているかのような、そんな笑みを。

 そして、扉は閉められた。

 

____________________________________________

 

 また暫く歩き続け、気付けば石造りの薄暗い螺旋階段を降っていた。この暗闇の先に、フランドールさんがいる。

 咲夜さんと後ろに続く僕らの足音のみが空間に響く。蝋燭の頼りない火のみが視界を確保する。

 

「なんか、薄気味悪いなぁ…」

 

 思っても言うなよ。

 

「こちらになります。」

 

 階段を降り切ると、目の前には僕の十何倍も大きな扉が構えていた。そのふざけた大きさに思わず固唾を飲む。こんなにも重々しい門の奥に幽閉されたフランドールさんは、一体どれほど恐ろしい吸血鬼なのか。

 

「妹様、カウンセラーの方々がお見えになられています。」

 

 咲夜さんの声に応えはなく、ただひたすらに無音が鳴る。すると、彼女は特に表情を変えることも無く僕らの方に体を向ける。

 

「それでは、今から扉を開きますので少々お待ちくださいませ。」

「え、あ、はい。」

 

 暗くて見えなかったが壁にレバーが設置されており、咲夜さんはそれをゆっくり下ろす。すると、非常に不快な錆びた金属の擦れる音が響く。

 思わず耳を塞ぐも、ゆっくりと開かれた扉の向こうは、まるで異世界のゲートのように景色が一変した。

 部屋の中はシャンデリアで明るく照らされており、西洋風の大きなカーペットが敷かれ、その上にこども部屋のように玩具が散らかっていた。部屋の真ん中にはキングサイズのベッドがあり、その上にあどけない少女がちょこんと座っていた。

 

「それでは、終わり次第扉をノックしてお呼びください。」

 

 咲夜さんがそういうと、自動で扉は閉まった。取り残された僕とお燐は目の前の少女に歩み寄る。

 姉と同じようにナイトキャップを被った十歳にも満たないような少女だ。違う点を上げれば、赤い半袖に赤いスカート、キラキラと美しい黄金色の髪をサイドテールで留めている。そして何より、深紅の瞳が、深淵にも続くような引き込まれてしまう気がしてならない。

 

「貴方達が、お姉様の言っていた人ね。私『フランドール・スカーレット』っていうの、よろしくね。」

 

 レミリアさんと対照的に子どもらしいその笑顔が、より一層僕の心臓を握りしめているのだ。



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苦い血液を啜る離脱症状 IV 『偽物』

 その鋭く冷たいナイフのような瞳に、僕は無表情で歩み寄る。どうやら、あちらは警戒をしているようでは無いらしい。フラットな状態で僕を見つめているのだ。

 彼女が座るベッドの横に立つ。

 

「僕の名前は上嶋直人です。こちらは付き添いの火焔猫燐です。」

「ふーん?」

 

 品定めをするように僕の顔やら体を色々な角度で眺める。

 

「それで、私は異常者なの?」

「え?」

「…?カウンセラーなんでしょ?」

 

 純粋な気持ちで聴いてきている、自分が異常者か否か。しかし、僕は彼女にレッテルを貼るためにここへ訪れた訳では無いのだ。あくまで、不安要素を潰すため。

 

「僕は、フランドールさんを異常者だと判断する為に来ている訳では無いんです。」

「じゃあ、何しに来たの?」

「フランドールさんが抱える不安を少しでも取り除く為に、話しをしに来たんです。」

 

 そうすると、フランドールさんはつまらなそうに目線を逸らした。まるで、自分を異常者だと判断してほしいと思っているように見えた。しかし、解せない。

 それにしても、カウンセラーとは何かを診断する人では無い。まずその認識がある時点で信頼関係は築けそうにもない。

 

「フランドールさんは…」

「皆は私の事をフランって呼んでる。あと、敬語も上っ面で気持ち悪い。」

「…」

 

 この子の方が僕よりもカウンセラーに向いている気がする。そこまで分かっているのならば、キャラクターを作って接する方が不信感を抱かせてしまうだろう。

 

「難しい質問をしてしまうが、フランは今の現状に対して何か不安や悩みのようなものはあったりするのか?」

「そうね…強いて言うなら目の前にいるカウンセラー達を壊さないように咲夜から言われてしまっていることかしら。」

 

 フランはニッコリと笑う。後ろにいるお燐から「ヒッ…」という小さな悲鳴が聞こえてきた。

 しかし、何故か話せば話すほど彼女に対する恐怖心が徐々に薄れていくのを感じる。一体何故だ?さっきと今の違いはなんだ?

 

「ねぇ、ここに座って。」

 

 フランはベッドを指さす。僕は素直に彼女の領域であるベッドに腰掛ける。

 すると彼女は僕の頬に手を当てて無邪気に笑う。手からはとても重苦しい妖力を感じる。彼女の持つ能力に納得がいくほどの大きな妖力を。

 

「生き物が破裂するとどうなるんだろうって、思ったことある?カエルに爆竹を咥えさせて火を付けたことは?トンボの羽根や頭をちぎったことは?」

 

 耳元で囁く。子どもが好奇心で動く無垢な行為を、淡々と投げかけられる。しかし、どうもおかしい。

 

「なぁ、フランはそれに対してどう思う?」

「とても楽しいわ!」

「そっか。」

 

 まるで厨二病の子どもと話しているようだ。いや、事実そうなのかもしれない。それについてはまだ、分からない。

 フランが抱くその感情は種族による、つまり吸血鬼という生物が抱く正常な感情なのかもしれないということ。あくまで、彼女が閉じ込められているのはその危険な能力が要因といてあるのかもしれないということ。

 

「…貴方と話しててもつまらない。」

「どうして?」

「だって、反応が薄いんだもん。」

 

 つまり、期待する反応が欲しいということだ。

 

「君が望む反応って?」

「恐れる顔も良いし、逆に共感してくれるのも良いわ。でも、直人はずっと無表情。後ろの燐ちゃんはかわいい反応してくれるよね!」

「あ、あたい!?」

 

 確かに面白い反応をしている。

 

「良かったじゃん、気に入られて。」

「良くないわよ!」

 

 お燐は身を震わせて、少し退く。それにまた、フランは愉快そうに笑う。

 

「フフフ、貴方達の会話は少し面白いわ。でも、貴方単体はつまらない。」

「それは残念だ。」

「ほらまた。本当に、ツマラナイ。」

 

 その瞬間、この空間が絶対零度に陥った。張り詰めた冷たい空気が緊張感を走らせる。彼女の妖力が溢れるように放たれているのだ。

 

「貴方を壊してはいけないらしいけど、死ななければ大丈夫よね?」

「…」

「あ、やっと怖がったね。」

 

 身体がトキシックに侵されていくように、全身の感覚が痺れていくのを感じる。

 彼女は手の平を上に向け、ゆっくりと握っていく。恐らく、これからフランは僕の体の一部を…

 

「こいしさん、連れてってください。」

「え?」

 

 僕の腕に圧迫感を感じた。しかし、それが起きるよりも前に僕はフランを『無意識の世界』へと連れていった。

 酷い頭痛に思わず目を瞑ってしまうが、目を開くとお燐の姿はなく、その代わりにこいしさんがその場所に立っていた。

 

「やっと呼んでくれたね。」

「すみません、お待たせしました。」

 

 こいしはニッコリと優しく笑う。僕は安堵の息を漏らすと、フランの方向に目を向ける。すると、先程まで狂気じみた妖力を放っていた少女は、体育座りをして拗ねた表情をしたただの子どもに変わっていた。

 

「つまらない、つまらない、本当につまらない。」

「何がそんなにつまらないんだ?」

「久々に人と話せたのに、こんなにつまらない反応をする人だなんて。」

 

 本心からそう思っていたようだ。

 今目の前にいるフランは、無意識の世界のフランだ。要するにフランの欲求や抑圧を具現化したような存在だ。お燐や妖夢はこれが現実世界の自我と入れ替わってしまった結果が凶暴化なのだ。

 しかし、どうも落ち着いている。

 

「ねぇ、私っておかしいんでしょ?どうして怖がったり気持ち悪がったりしないの?」

「…フランは僕におかしいと思われたいのか?」

「え?」

 

 ずっと疑問だった。僕と会話するにあたって最初の質問が「私は異常者?」というものだった。いや、それは別におかしなことでは無い。他の人と自分は違うと思われたいと考える所謂厨二病の人は少なくない。寧ろ多くの人の通過点と言えるだろう。

 しかし、フランの口からはまるで異常者だと思われることに何かメリットがあるように聴こえるのだ。

 

「…分からない。」

「そっか、分からないならしょうがないね。」

 

 肯定も否定もしない、彼女自身も自分の感情を理解出来ていない。

 僕はこいしさんの方に向き直る。するとこいしさんは不思議そうにこちらを見る。

 

「どう思います?」

「どう、かぁ〜。」

 

 こいしさんは少し考えた後、首を傾げた。

 

「僕はフランの行動は動機があると思います。自分自身でも気付けないようなね。」

「うん、そうかも。」

「なんだか、破壊衝動が原因では無い可能性を孕んでいる気がします。」

 

 しかし、それが何かを掴むことは出来ない。霞みがかってその実態を見ることさえ出来ないのだ。

 僕は少し息を吐いて、フランの方に向き直る。

 

「フラン自身も、どうしたいのかが分からない。そういうことかな?」

「うん…」

 

 弱々しく頷く彼女に、僕は作り笑顔を向ける。彼女にそれが偽物だと見破られても、元気付けようとしてくれているという印象を抱かせることは出来る。

 

「それなら、僕と話して君が望むことを探していこう。本当はどうしたいか、どうなりたいか、一緒に考えよう。」

「…ありがとう。」

 

 これで、現実世界に戻っても僕を傷つけようとはしなくなるだろう。話をする姿勢を見せてくれることを期待しよう。

 僕はこいしさんに目を配り、無言で頷く。するとあっちも理解したようで、僕を無意識の世界から引き離した。

 頭痛は、一切消え失せた。

 

「…なんか、なんだろう。」

「どうしたのかな、フラン。」

 

 現実世界に戻ったのだろう。フランは先程の鋭い瞳孔を刺しては来ているものの、殺意自体は露と消えていた。

 

「えっと、まぁ、話しくらいはしてあげるわ。」

「そっか。ありがとう、フラン。」

「うん…」

 

 僕の腕は健全だ。期待通り、フランは落ち着いてくれた。後ろの猫が疑問符で頭の中を埋め尽くされているようだが、構わずフランに話しかける。

 

「でも、今日はここまで。フランも少し困惑していると思うから、落ち着く時間が必要だ。」

「そうね、ありがとう。」

「それじゃあ、また明日。」

 

 僕はフランにまた会う約束をしてから立ち上がり、門の方に向かう。三回のノックが響くと、それは不愉快な音を鳴らしながら開かれた。

 

「お疲れ様です、上嶋様、火焔猫様。」

「ありがとうございます。今日は一先ずこれで終え、また明日フランさんにお伺いしようと思います。」

「かしこまりました。お嬢様にはそのように伝えます。」

 

 堅苦しく接してくる咲夜さんを見て、逆に肩に重くのしかかった空気を払えた。らしくもないことをすると、やはり体が強ばるようだ。

 門が徐々に閉まる。その隙間からはフランのなんとも言えない表情が漏れていた。



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苦い血液を啜る離脱症状 Ⅴ 『愛情』

 毎晩、僕とお燐はフランの所へ通っては彼女のお話に耳を傾ける。それが五日間続いて、気がついたことが数点ある。

 まず一つは、フランは何か異常な精神性を持った子ではないということ。別に専門家でもない只の元高校生の素人目線の考えだが、知能的に遅れがあるようにも見えず、また物の考え方は平凡代表の僕と大差ない視点の持ち主だった。

 二つ目は、時折見せる異常者のような発言は演技っぽいこと。無論、自分の観察眼を信じたらの話であって、本当に心からそのような発言をしているかもしれないが、どうもそう思えない。

 三つ目は、レミリアさんの姿はここ三百年以上見ていないということ。レミリアさんからの言葉は全て咲夜さんを通して聴いているのだという。

 他にも色々あるのだが、とりあえずこれらが大きな発見と言えるだろう。

 今日も、僕はフランのベッドに腰掛けている。お燐は椅子に座って寝ているのが腹立つが。

 

「直人はさ。」

 

 脳内でまとめているとフランがベッドに寝転がりながら声をかけてきた。僕はそれに反応すると、彼女は欠伸をしながら続ける。

 

「私に対して普通に接するよね。」

「そうだね。」

「なんで?」

 

 なんて難しい質問をしてくるのだろう。仕事だからと素直に答えるわけにもいかない。かと言って、彼女が望む答えをするのも少し違う気がする。

 

「それは、なんでだろうね。」

「え?」

 

 咄嗟に出た言葉がこれだ。何とかそれっぽく続けるしかない。

 

「特に考えていないよ。僕はシンプルにフランとの会話を楽しんでいるだけだから。」

 

 嘘は言っていない。

 

「…えっと、私と話をして楽しいの?」

「もちろんだ。フランはフランという個人たらしめる魅力があるんだ。僕はそれを会話というコミュニケーションから楽しんでいるだけだよ。これはフランも同じだと思っていたけど?」

「うん、そうだね。」

 

 何とかそれっぽくなった。全くカウンセラーというもののセオリーを知らない僕からすれば彼女との会話はいつだってドキドキで飽きない。

 

「でも、それならなんで…」

「………?」

 

 黙ってしまった。それに続く言葉を待っていたが、どうやら心の中に仕舞ったようだ。しかし、是非ともその言葉を聴きたい。そこに、フランの無意識すら気付かなかった何かがあるように思えたから。

 

「こいしさん、お願いします。」

 

 すると頭痛が僕に襲いかかるが、慣れたものだ、目を閉じずに痛がる素振りも見せずに唐突に現れたこいしさんに軽い挨拶をする。

 

「なんかナオくん慣れてきてない?」

「痛いことには変わりませんけどね。」

 

 何故が不服そうなこいしさんに苦笑いをして、僕はフランの方に体を向けた。

 無意識のフランは現実と同じようにベッドに寝転がっている。

 

「直人は私に魅力があるって言った…でも、じゃあなんで…」

 

 そのフランも、何か考え込んでいる様子だった。

 

「直人、お姉様はなんで私を閉じ込めたのかな。」

「俺には分からないな。」

 

 本当のことだった。ここに来た当初は危険な能力と幼い精神性から幽閉されていると聞かされていたが、拍子抜けするほど彼女は普通の女の子だった。たとえ能力が危険だとはいえ、現に僕は一切の傷を負っておらず、つまり彼女は能力を制御出来ていることを意味していた。

 ならば、何故レミリアさんがフランを幽閉し続けているのか。それは分からない。全ては予想の域を越えないものになるだけだ。

 

「私は異常者だって思っていたから、だからお姉様は私を閉じ込めたんだって、そう思い込もうとしたのに。閉じ込められても手のかかる妹なら、私を見ざるを得ないと思っていたのに、いくら時間が進んでも会えるのは咲夜だけ。」

 

 つまり、彼女は誰にも見向きをされないから異常者と判断されたかった?そうすれば、必ずレミリアさんが見てくれると、そう信じて。

 なんて哀れな存在なのか。目の前の少女は、未だ憂鬱に寝転がったまま。

 

「私はお母様もお父様も見たことがない。でも、お姉様だけは数回だけ見たことがある。私の、家族だって。」

 

 彼女は笑っている。笑っているのに、どこか寂しそうにしていた。

 

「君は、ここから出ようと思ったら出られるんじゃないか?門なんて、君の能力で一捻り出来たはずだ。でも、それをしなかった。」

「…だって、お姉様がここに居るように言っていたのだもの。」

 

 何となく見えてきた気がする。彼女は、本当に只の女の子なのだ。彼女は愛情を知らないということを除けば。

 これについて、レミリアさんはどう思っているのだろうか。いや、知らないと考えた方がいいだろう。危険だと思っていた妹は、本当は純粋な子どもだったのだと。

 

「わかった。話してくれてありがとう。」

「うん…」

 

 僕はこいしさんに目配せをすると、こいしさんは何かを呟く。そして、頭痛は嘘のように消え去った。

 現実に戻った合図だ。

 

「…なんだか、直人と一緒にいると心が少し落ち着くのよね。」

「嬉しい限りだな。」

「だから、お燐も貴方に懐いているのね。」

「お燐が?」

 

 僕はそれに目を向ける。鼻ちょうちんを膨らませるそいつに懐かれているとは到底思えない。気の置けない仲にはなれている気がするのは確かだが。

 

「懐いている訳では無いよ。」

「でも、私が直人のことを奪ったら、きっと怒るわよ。」

「あー…どうだろうな。」

「心当たりあるじゃん。」

 

 そう言って可愛らしく笑った。妖夢との呼び捨てに面白くないと思っていたことは知っているから、フランの言葉には真実を帯びている。

 しかし、それを懐いていると表現していいのかは些か疑問だ。

 

「っと、そろそろ時間だな。今日はこれで終わるとするか。」

「そっか…うん、ありがとう。」

「こちらこそ。」

 

 僕は立ち上がり、船を漕いでいるお燐の頭を小突いた。するとお燐は驚き、椅子から落下するほど体を跳ねさせた。尻もちを着いたお燐は僕のことを恨めしそうに睨む。

 これのどこが懐いているというのだろうか。



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苦い血液を啜る離脱症状 VI 『愛憎』

 次の日、僕はフランの部屋に訪れる前にレミリアさんの部屋に訪問したい事を昼ご飯を作ってくれた咲夜さんに申し出た。彼女は「承知しました。」と一言添えてその場を去る。

 食堂には僕とお燐と妖精メイドが数名、このだだっ広い空間に漂う寂しい空気にも慣れた。

 

「ねぇ、レミリアさんになんの話をするっていうの?」

「報告だよ。フランのことを考えたんだけど、やっぱり彼女は異常者でも何でもなかった。愛情の求め方を知らないから、積極的に接してあげてほしいことを伝える。」

「そうなんだ。私には話しただけで彼女の抱えるものがどのようなものかとか分からなかったけどね。」

 

 無論、僕だって本当にこの分析が正解かなんて分かる訳では無い。いや、人の心を正解か不正解かで考えている時点で間違っていると言えるだろう。

 しかし、無意識の世界というチート技で彼女の心を考察したのだから、凡そは当たっていると信じたい。正直面倒だから間違っていてほしくない。

 

「それにしても、ここに来てどれぐらい経ったっけ。早くさとり様にナデナデされたい。」

「そういえばお燐ってペットだっだもんね。」

「当たり前でしょうが。この命ある限り、あたいはさとり様にこの身を捧げるわ。」

 

 人型の所為で歪んだ愛ように見えるが、一応猫という生物が元の妖怪だからそれは正しい形とも言えるだろう。しかし、やはり少し引いてしまう。口には出さないが、歪んだ性癖の持ち主と思えてしまう。

 食事中に考えることでは無いなと、体をクネクネさせるお燐を視界から外して食べ続けた。

 

「なんで目を逸らした?」

「いや、なんでも。」

 

 何がなんでも目は合わせない。あんなの、見てはいけません。

 

____________________________________________

 

 食後、僕らは咲夜さんに案内されてレミリアさんの部屋までやってきた。咲夜さんのノックに対してレミリアさんが入室を許可する。

 何故だか、妙に体が力んでしまう。緊張に肩をこらせてしまう。

 

「フランとは順調に話せているのかしら?」

「はい、とても。」

 

 椅子に腰かけ紅茶を飲むレミリアさんは、またも妖しく美しく僕らに微笑む。

 

「それで、どう言った用事なの?」

 

 僕はゆっくりと呼吸をして、不思議と早まる鼓動を抑えようと懸命になる。

 見た目は子どもなのに、まるで何か間違えた発言をすればこの先の人生が絶望に染まってしまうかのように、心臓の居心地が悪かった。

 

「フランと話しをしたり、その様子を見て、彼女の考え方やものの捉え方、そしてその精神性に関して僕なりに分析してみました。」

「ふぅん、どうだった?」

 

 しかし、フランの為にもこれは言わなければならない。フランを仲間にするために、という考えの下で動いていたが、何故だか彼女を放ってはいけない。僕の中にある妖力が弱まる気がする。つまり、西行妖がそうしろというのだ。

 西行妖がそれを強いる理由が分からないが、西行妖に裏切られても困るので、こうしてレミリアの顔色を窺わずに言うことを決意しているのだ。

 

「彼女は先天性若しくは後天性の異常な精神を持っている訳ではなく、どこにでもいる少女と言ってもいい価値観の持ち主でした。」

「…それで?」

「彼女は単純に愛情の求め方が分からないのだと思います。破壊衝動が動機だとするのならば、少しずつ送られてくる玩具などではなく、あの幽閉された部屋を破壊して外に出ればもっと破壊ができる。しかし、それを行わない。僕は彼女に何故かと訊くと、貴女にあの部屋にいるように言われたからだと言うのです。」

 

 もはや、これは全て貴女の所為ですと言っているようなものだった。しかし、僕は口を閉ざさない。

 

「彼女は、異常者だと思われることで貴女の気を引こうとしていた。逆に言えば、それが異常な行動であると彼女は分かっているということです。フランの破壊を止めさせたいのならば、積極的に接してあげる必要があります。咲夜さんを通してではなく、貴女自らが。」

 

 そう言い切る。暫く、沈黙が辺りを占領した。見えなくてもわかる。後ろのお燐はギョッとしたような目をしているだろうし、咲夜さんは僕を睨んでいるだろう。

 しかし、視界の中心にいるレミリアさんの心は、まるで分からなかった。紅茶を飲み干したようだ。

 

「よく、私の妹を見ているわね。流石、あの八雲紫が送ってきたカウンセラーね。」

「え、まぁ…ありがとうございます。」

 

 八雲紫という不純物の所為で感謝しづらい。

 

「きっと、大体は貴方の言う通りなのでしょうね。」

「では、フランと積極的に関わってあげてください。」

「…何故?」

 

 レミリアさんは、本当に疑問そうに首を傾げてきた。僕もそれに戸惑ってしまい、少し焦ってしまう。説明が悪かったのだろうか。

 

「ですから、フランは異常者ではないので、もう幽閉する必要はないんですよ。」

()()()()()()()()()()()()。」

「え…?」

 

 知っている?どういうことだ。レミリアは最初からフランが何か異常性を持った吸血鬼ではないことを分かっていた?

 

「何か勘違いしているようね。私は貴方に最初会った時に言ったはずよ、『私達は何も問題ない』とね。」

 

 言葉を失った。本当に最初から彼女は分かっていたのだ。その上でフランを幽閉していた。理解が難しい。

 

「では何故、フランを幽閉していたのですか?」

「そうね…まぁ、私の妹のことをそこまで理解してくれたのだから、ご褒美に教えましょう。」

 

 レミリアさんは咲夜さんにもう二つ椅子と紅茶を用意するように言った。すると咲夜さんは僕の後ろにいる咲夜さんは、どこから出したのか紅茶をテーブルの上に置き、椅子を引いて僕らの方を見た。

 僕はお燐に目を向ける。お燐も驚愕したような表情をしていた。僕は目で訴えかけ、そして咲夜さんが引いてくれた椅子に座る。お燐も、続いて隣に座った。

 

「とは言っても、とてもシンプルなものよ。複雑な事情があるわけではないわ。」

 

 レミリアさんは追加された紅茶の香りを楽しんでいた。

 

「あの子はとても優秀よ。力も、能力も、頭脳も、吸血鬼という種族史上の逸材と言っても良い。」

 

 レミリアさんは紅茶を口に含む。アールグレイの落ち着いた香りが、余計に目の前の吸血鬼を恐ろしい存在に感じさせる。

 

「…邪魔なのよ。」

「邪魔?」

「親も、私よりも彼女を愛したわ。私がこの吸血鬼という世界を生きるには、不利益な状況に陥ることは避けたかった。だから親は殺し、フランは幽閉した。彼女を親と一緒に殺さなかった理由は分かるでしょう?あの子は私より優秀なのよ。」

 

 さも当たり前かのように話す。その時のレミリアさんの瞳は、まるで常闇のように深く、底なしの恐怖が身を震わせる。

 

「妹の心を理解したのだから、私の言うことも分かるでしょう?」

 

 レミリアさんはテーブルに肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せた。そして、気持ち悪いほど美しく笑う。頭がクラクラしてきた。その瞳に吸い込まれる感覚か僕の脳を破壊する。

 狂気的な、凶器的な、猟奇的な、好意的な視線で僕は合理的な思考ができなくなっていく。

 彼女という存在だけしか見えなくなって───

 

「直人!」

「え?」

 

 横から肩を掴まれる。お燐が何やら焦った様子で僕の顔を見つめていた。僕は何をしていたのだろう。

 

「…貴方も愛されているわね。」

 

 レミリアさんの凍えるような声色が、神経に直接伝わる。浅い溜息を吐き、彼女は立った。

 

「さて、もう終わりにしましょうか。フランに異常はなかった。ならばあなたの役目はもうないでしょう?咲夜、客人が帰られるわ、お見送りをして。」

「承知しました。」

「ちょっと待ってください!」

「喧しい。」

 

 僕のすぐ横で何かが高速で飛んできた。後ろの壁が破壊される音が、鼓膜どころか僕の身体を大きく揺らす。

 レミリアさんは今までに感じたことの無い冷ややかな目線を僕の心臓に突き刺した。

 

「勘違いするなよ?お前は私と対等な立場だと思うな。私に指図できる存在では無い。そもそも、こちらはいつカウンセリングを頼んだ?下らない茶番に付き合ってやったんだ。黙って消えろ。お前のような若造に私たちの何がわかるというのだ。」

 

 八雲紫からも西行妖からも感じたことの無い憎悪、そして殺気。気を抜いたらそれだけで死んでしまいそうなほど心臓が苦しい。しかし、西行妖は僕をそれでも許してくれない。未だ、僕にフランを救わねばならないと語りかけてくるのだ。

 それに、僕自身もそれに賛成してしまっているのだ。理由は、本当は分かっていた。フランは、かつての僕のようだからだ。

 

「貴女は、親に愛されたフランを恨んでいるんじゃないですか!?人に愛されなかったから、親に愛されなかったから、自分に愛されなかったから!!」

「黙れ!!!」

 

 レミリアさんは恐らく僕を殺そうとするだろう。つまり、僕の予想は正しかったということだ。

 

「こいしさん!!」

 

 そして、酷い頭痛と共にレミリアさんから発せられていた視線のナイフは引き抜かれた。

 気が付くと目の前には、フランさんと同様に体育座りをして小さく震えている少女が一人、すすり泣いていた。



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苦い血液を啜る離脱症状 Ⅶ 『溺愛』

 直人がレミリアに自身の考えを伝えた、フランは普通の少女であるという考えを。するとレミリアはそれを知っていると言っていた、その上で幽閉していると。

 彼女はフランが自身より優秀だから、自分の地位の確立の為に行ったと話したが、直人は彼女に確信めいてそれを否定した。

 あんなにも誰かの為に必死になった彼を、あたいは見たことがなかった。彼にとって、フランはどんな存在なのだろう。目の前の悪魔は貴方を殺そうと、あんなにも憎悪にまみれた妖力を放っているというのに。

 

「こいしさん!!」

 

 直人は避けようとするわけでも、反撃しようとするわけでも無く、さとり様の妹であるこいし様の名前を叫んだ。全く訳が分からなかったが、次の瞬間には直人もレミリアもその場に倒れてしまった。

 先程のドロドロとした黒い妖力が嘘のように消え失せていた。

 

「お嬢様!!」

 

 しかし、すぐに沈黙は破られた。後ろにいたメイド長が主の安否を確認しようと混乱気味の叫び声を上げる。私は反射的にそちらに目を向ける。

 そのメイドはヒステリックな表情をして、どこから出したのか、数本のナイフを寝転がった直人に向かって投げた。このままでは、彼の脳天にそれが刺さってしまう。

 

「ダメッ!!」

 

 あたいは、何も考えずにナイフの射線をあたいの身体で遮った。

 

____________________________________________

 

 無意識の世界。目の前には体育座りをしてすすり泣く少女が1人、そして僕の横にはいつものようにこいしさんが得意げな顔をしていた。

 

「今回、私大活躍だね!」

「そうですね、ありがとうございます。」

 

 目の前の少女に顔を向け、ゆっくりと近付く。僕の存在には気がついているとは思うが、反応はない。僕は彼女と同じ目線になれるよう、しゃがんで彼女のつむじに話しかける。

 

「レミリアさん、貴女はフランをあの部屋に閉じ込めた理由は、先程僕が言った事で合っていますか?」

 

 反応はなかった。

 

「フランはとても優秀だった。貴女のご両親は貴女よりもフランに多く愛情を注いだ。偏りが出てしまった。それが意識的にか無意識的にか、いずれにしろ貴女にとっては面白くなかった。」

 

 やはり反応はなかった。

 

「貴女はご両親を殺したとおっしゃっていた。しかし、妙です。なぜ、フランは殺さないのでしょう。聴くところによると、フランを閉じ込めていたのはここ数年なんかでは無い。大雑把に言って500年程らしい。部屋を壊して出ることもできるフランが貴女の言葉に従順なら、いくら自分より優秀とは言え彼女を殺すことの出来る機会はあったはず。」

 

 どうしても反応はなかった。

 

「…これから僕が言うのは僕の勝手な想像です。証拠なんてものはありません。ただ、貴女達を見て考えたシナリオに過ぎない。」

 

 僕は深いため息を吐く。同じように、彼女も震えるため息を吐いた気がする。

 

「貴女は、本当はフランを憎みつつも愛しているのでは無いでしょうか。自分の妹を殺すことが出来ないが、この館を支配する主は居ない。ならばフランを幽閉してしまえば殺さなくとも貴女がここの主になれる。」

 

 彼女のすすり泣く声が、静かな部屋に流れる。

 

「しかし、妹も殺せない貴女がご両親を殺すことができるでしょうか。果たして、有り得るでしょうか?」

 

 彼女のすすり泣く声が、消えた。彼女は理解したようだ、僕の言葉が。いや、心当たりがあると言った方がいいだろう。

 

「ご両親を殺したのは、()()()()()()()()()()()?」

 

 初めて、沈黙が生まれた。そこからどうしようもなくそれは続いた気がした。そして漸く、彼女はその顔を上げた。

 彼女の顔は返り血を浴びた様に、所々赤く染っていた。

 

「…フランはご両親を知らない様子でした。見たこともないとすら言っていました。しかし貴女はフランはご両親に愛されていたと言う。どちらも本当だと考えると、フランはご両親を忘れているのかもしれない。そして、貴女はあえてその状態のまま彼女の中で時を止めている。殺してしまった事実を、ご自身に擦り付けて。」

「…そんな美しいものじゃないわ。」

 

 レミリアさんは僕の目を見て否定した。しかし、それは内容を否定するものではなく、飽くまで表現の問題のようだ。つまり、それは僕の垂れ流したシナリオが当たってしまっていたということだ。

 

「私はただ、誰かに愛されたかっただけ。でも、もう私を愛する人はいない。それはあの子の能力からなる事故によって。何故、私だけがこんな目に遭わなくちゃならないの?恨みからよ、あの子を閉じ込めたのは。でも、あの子が可愛いのも事実よ。私はあの子を中途半端に生かしてしまった、どうしようもなくダメな姉よ。」

「そう思うのならば、貴女はフランを愛してあげてください。どうしようもなくダメな姉なら、どうしようもないなりに愛してあげてください。貴女は、ご両親にどんなことを言われたかったんですか?」

「私は…」

 

 レミリアさんは少し考え、震える声で話し始めた。

 

「私は、お母様に可愛いって言って欲しかった。お父様によくやったって褒めて欲しかった。二人から『愛してる』って言って欲しかった…」

 

 彼女はまた大粒の涙を流して、まるで子どものように泣き叫んだ。いや、もしかするとこれが本来の姿なのかもしれない。なんの装いもない、まっさらな状態の彼女。

 

「…やってくれるわね、カウンセラー。フランのみならず、この私までも貴方に分析されるとはね。」

 

 赤い眼を腫らしながら小気味よい笑顔を僕に向ける。何とかなった、のだろうか。

 全部確信的な証拠のない僕の想像でしか無かったのに、どうやら事実だったのだ。なんだか、僕にとって都合がいいとすら思える。

 

「いいわ、貴方のことを信頼してこれからは積極的にあの子へ接することにするわ。」

「ありがとうございます。そうしていただけると幸いです。フランのためにも。」

 

 もう大丈夫だろう。僕はこいしさんの方を見て、小さく頷く。こいしさんはそれを受け取って、何かを唱える。そして、いつものように頭痛が薄れていく。

 現実世界。僕はゆっくりと起き上がる。後ろを振り返ると地べたに寝転がるお燐の姿があった。



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苦い血液を啜る離脱症状 Ⅷ 『暗示』

「お燐…?」

 

 目が覚めたらお燐が地面に寝そべっていた。視界の奥には複数のナイフを持って息を荒くしている咲夜さんがいた。

 

「咲夜…これは一体どう言う状況かしら?」

 

 背後からはレミリアさんの真っ直ぐな声。それに咲夜さんは動揺して手に持ったナイフを落とし、金属の冷たい音が軽く響く。

 

「お燐、聞こえるか?」

 

 しかし、僕は至って冷静に彼女の体を揺らす。彼女には傷1つ付いていないことを僕は知っているから。

 彼女はゆっくりと目を覚ます。

 

「あれ…直人?」

「なんでこんなところで寝てんだよ。」

「えっと…」

 

 どうやら彼女自身も理解出来ていないようだった。ならば、他の人物に説明をしてもらおう。

 

「八雲紫、説明してくれ。」

「お前が私に命令をするな。」

 

 頭上からその声が聞こえる。目線をあげると、スキマから体を出して扇子を煽いでいる八雲紫の姿があった。

 腐っても、管理者らしい。約束は守られている様だった。

 

「じゃあ俺から説明してあげようか。」

 

 スキマからもう一人の声も聞こえてくる。この吐き気を催す程に優しい声は一人しかいない、神田零だ。

 

「神田零…」

「久しぶりだね、レミリア。弟子は今も元気かな?」

「お前は世間話をしに来たのか?悪いがお前の退屈な話を聴くつもりは無い。」

 

 どうやらあまり良い関係性ではないようだ。弟子というのは恐らく門番をしていた美鈴さんのことだろう。

 

「そうカッカすんなって。俺がここにいるのにも理由があるんだよ。」

「言ってみろ、つまらない理由ならば二度とその口を開けないようにしてやる。」

「君も冗談とか言えたんだね。」

「チッ…」

 

 レミリアは荒々しく椅子に座り足を組んだ。それを見ると神田零は微笑みながら話し始めた。

 

「まず、俺らはそこにいる直人君がこの仕事を引き受ける条件として『お燐の護衛』というものがあったんだ。それで直人くんは君たちのカウンセリングを行ったんだ。」

「それで?」

「彼は能力で精神世界の君と対談したんだ。君自身にその記憶はないだろうけどね。しかし、その間直人くんと対象のレミリアは一時的に気絶をしなくてはならない。」

 

 ここら辺でやっと理解できた。恐らくレミリアも分かってきたのだろう、少し苦い表情を見せている。

 

「突然気を失った自分の主人を目の当たりにした咲夜は、直人君に向かってナイフを投げた。それをお燐が身を呈して守ろうとしたため、俺らが干渉してきたってことさ。あくまで『お燐を守るために』ね。」

 

 その説明に、当の本人は混乱している様子だった。面白いぐらいに何も理解出来てなさそうだった。

 僕は少し笑ってお燐体を支える。

 

「守ろうとしてくれて、ありがとうね。」

「え、う、うん…別にお礼を言われるほどじゃ…」

 

 その様子を見て微笑ましそうな気持ちの悪い顔をしながら、神田零はスキマから体を出して足を床に着かせた。

 

「結果的に直人君を守る形にはなったね。」

 

 そして僕の肩に手を置く。そして耳元で僕にしか聞こえない声で囁く。

 

「それを狙ったんだろ?お燐の君に対する気持ちを利用して。」

 

 やはり、コイツは心が読めると考えても良さそうだ。ならば心の中で答えるとしよう。当たり前だ、能力を使っている時の僕は無防備なんだから。

 妖夢に対抗意識を燃やす程度には僕に対して好意的な感情があるのだ。利用する以外にどうしろというのだ。

 

「さて、俺らは役目が終わったし、帰らせてもらうよ。きっともうお燐が攻撃されるようなことは無いだろ?」

「癪だが、保証しよう。だから早くその下品な顔を引っ込めろ。」

「よーし、ありがとうレミリア。それじゃ!」

 

 そうして、奴は瞬間移動をして姿を歪むせて霞のように消えてなくなった。

 そして残されたのは四名の沈黙。例えるならば、度重なる災害を乗り越えた後の疲弊が体を帯びている感覚。それではこの沈黙もご理解頂けるだろう。

 

「…咲夜。」

「はい。」

「二人をそれぞれ客室へ。」

「承知しました。」

 

 咲夜さんは部屋の扉を開き、僕らに外へ出るよう促す。僕らはそれに従い部屋を出ようとすると、背後からレミリアが声をかける。

 

「上嶋直人。」

「はい?」

「…感謝するわ。」

 

 その言葉には少々驚いてしまった。失礼ながら人に感謝する人物だとは思っていなかったからだ。いや、少なくとも心からの感謝というものは存在しないと思っていた。

 

「それなら幸いです。」

 

 いつものような張り付いた笑顔を向けて、僕はその部屋を出た。

 

____________________________________________

 

 咲夜の後ろ姿を眺めながら歩く。正直、彼女やお燐からすれば訳の分からない状況だろう。神田零の説明だけでは不十分なものがある。突然敵対して、突然気を失って、突然感謝されているのだから。

 案の定、猫の質問攻めに僕は嫌気がさしている。

 

「なにが起こったのよ、説明して!あれだけじゃ分からないわ!」

「面倒くさい。」

 

 しかし、言葉の雨は止みそうになかった。まぁ、利用した分の業が返ってきたと考えて無視するしかないだろう。丁度、お燐の部屋にも着いたようだ。

 

「ほら、着いたぞ。部屋でグッスリ寝たらどうだ?」

「その前に応えなさいよ!」

「咲夜さん、この猫は無視していいので行きましょう。」

 

 すると咲夜さんは歩き始め、僕もそれに付いていく。後ろから喧しい程大きな怒声を浴びるが、暫くすればそれもなくなった。

 とても静かだ。先程のお燐同様に、僕の前を歩いているメイドも同じことを考えていることは誰にでもわかる。しかし、僕は話さない。僕の手の内を明かす訳にはいかない。

 とても静かだ。

 

「着きました。」

「ありがとうございます。」

「それでは私はこれで失礼致します。」

「あぁ、はい。」

 

 扉を開けて閉める。その閉めようとする扉との隙間から見えた彼女の表情は疑問、そして敵意だった。

 

「…なんでだ?」

 

 敵意を向けられる理由が、僕には分からなかった。

 

____________________________________________

 

 翌日、僕はレミリアさんと一緒に地下へと降りて大きな扉を開いた。するとそこには僕の姿を見て顔を明るくし、目線をずらして姉の存在に驚いた表情をしたフランの姿があった。

 

「お姉様…?」

「久しぶりね、フラン。」

 

 フランは暫く表情を変えず、しかし一歩退く。そんなフランに対しレミリアさんはどうすればいいのかが分からなさそうな微妙な表情をする。

 

「その、なんと言えば良いのかが分からないのだけれど…」

「…お姉様、こっちに来て。お話しましょ?」

 

 フランのその言葉に、レミリアさんは目を丸にした。しかし、直ぐに優しい表情へと変わる。

 

「えぇ、そうしましょう。」

 

 彼女は幸せそうに返事をした。それにフランは微笑んだ。僕はそんな彼女の微笑みを見て、過去の自分との違う結末に安堵した。

 それと同時に憎んでしまうのは妖怪という存在に変わり果ててしまったせいだろうか。僕はそんな心の黒さに自己嫌悪に襲われてしまい、その場から離れた。

 どうやら僕には偽善という自己暗示ができないなったらしい。人間らしい感情に素直になってしまった。つまり、これが僕の本質的な感情だったということだ。

 なんて、醜い人間なんだろう。



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ハルシネーションの星屑
ハルシネーションの星屑 Ⅰ 『巫女』


 吸血鬼姉妹の専属カウンセラーという荷が重い役割を終え、僕は愛しのベッドに寝転がっていた。太陽が当たらないというデメリットはあるものの、いつしかこの薄暗い世界に安心していた。僕の体はここをホームだと認識したようだ。

 あの後、レミリアさんは改めて僕らに対して礼をし、今度のパーティーに招待すると言ってくれた。神田零が嫌いな者同士、親交を深めていけるのならば地を這ってでも参加したいところだ。パーティーが行われる数週間前には手紙を送っていただけるらしいが、少なくとも一ヶ月程後に開催されるとの事だ。そこでは噂の『博麗霊夢』さんも参加するらしいから、そこで顔を合わせておきたい。この幻想郷で神のような存在らしい神田零と敵対するということは、博麗霊夢さんとも敵対することになるはずだ。ならば、相手を知る必要がある。

 とりあえず、向こう一ヶ月くらいはゆったりと過ごしてもいいだろう。ここ最近は忙しかった。今日は温泉の番台も休みだし、夢の中だけで一日を───

 

「直人ーーー!!」

 

 そんな貴重な休日に喧しい猫の鳴き声。

 

「なに…?」

「地上に行きましょ!!」

「日向ぼっこしたいだけだろ?一人で行ってくれ。」

「一人だと怖いじゃない。」

 

 なんと身勝手な。

 最近、地上に出ることにハマったらしい。それだけなら別に構わないのだが、どうして僕を連れ出そうとする。妖力は兎も角、戦闘面ではきっと僕よりも強い妖怪なはずなのに、何がそんなに怖いのか。

 

「兎に角、僕は寝るのに忙しい。君みたいに外に出かけることが休みになる妖怪が全てだと思うな。」

「何それ。とりあえず行くよー。」

 

 そう言って、彼女は最愛の毛布を剥ぎ取り僕の手を取って引き摺る。自重が僕の顔を削り取ろうとするため、仕方なしに立ち上がる。

 

「分かったから、引っ張るな!!」

 

 その満足そうな顔を引き剥がしてやりたい。

 

____________________________________________

 

 眩しさに目を細める。すっかり外の空気に慣れたお燐は行く当てもなく歩く。それの後ろにノソノソと付いていくだけの退屈な僕は、少し猫背になって網膜を地面に逃がす。

 ちょくちょく話しかけてくるが、それも適当に返すだけ。本当ならば、僕はふかふかの毛布にくるまってノンレムの世界へと潜っていたというのに。

 

「それにしても、紅魔館のパーティーに誘われたの本当に嬉しいのよね〜。美味しいものいっぱい食べれるもんね。」

「そうだな。」

 

 呑気なヤツめ。僕はそんなことより如何に仲間に丸め込めるかを勝負しに行くというのに。

 …知ったこっちゃないか。

 

「ねー、さっきから適当じゃない?」

「そうだな。」

「やっぱり。悪かったね、無理矢理連れてきちゃって。」

「分かってんなら帰っていいな。」

「それはダメ。」

 

 心の底から出る溜め息を大きく吐く。また顔を削られては困るので、仕方なく後ろに付いて行く。

 いつか痛い目を見せてやる。などと考えていると、前を歩くお燐の足が止まる。

 

「どうした?」

「神社だ…」

 

 お燐の目線の先に目を向ける。気の遠くなるほど続く階段の天辺に朱色の鳥居が小さく見えていた。それを見るや否や、お燐は顔を明るくして階段の登り始めて。この大腿筋を鍛えるために造ったであろう階段を登らなくてはならないのか。

 恐らく百段は余裕で超えているだろう。何故、休みの日にまでこんな目に遭わなくてはならないのだ。僕は泣く泣く、その苔むした一段目を踏むことにした。

 

____________________________________________

 

「着いたー!!」

 

 取り憑かれたかのように登るお燐に着いてきて数分、息を切らしながらもやっと鳥居の前まで辿り着いた。もう二度と登りたくない。

 膝に手を着いて額に滲む汗を拭う。

 

「な、なぁ…なんでここに登ったんだ?」

「いやぁ、会いたい人がいるからさ。直人が来る前に起きた地霊殿での異変の時に会った人なんだけど。」

 

 地霊殿でも異変が起こったことがあるのか。全く知らなかったが、それよりも異変時に会うということと神社で会える人ということを考えると、恐らく博麗霊夢だ。パーティーで会うことになるだろうと思っていたが、より早く会えることになるとはな。

 何も準備をしていなかった焦りなど露知らず、猫はズカズカと鳥居を潜る。個別の行動になればより怪しい。仕方なく僕は彼女を追った。

 

「静かだね…」

「そうだな。」

 

 とはいえ人の気配がない。木の葉が擦れるサラサラとした音が、静寂をより一層際立たせる。

 

「とりあえずお賽銭入れよっか。」

 

 そういうと、お燐は目の前の賽銭箱に向かって銭をアンダースローで入れる。木製の乾いた音が響いた。お燐はそのままの鈴を鳴らそうと、上から垂れている太い縄を握る。

 その時だった。

 

「…?なんかドタドタ音が聞こえる。」

「何も聞こえないぞ?」

「いや、本当に。ちょっとこっち来て。」

「あぁ…?」

 

 そして僕がお燐よりも前に来ると、確かに遠くの方でドタドタと何かが走るような音が聞こえる。音は次第に大きくなっていくことから、こっちに向かってきているということだ。

 どうやら、神社に人が居たよう───

 

「カネェェェェエエ!!!」

 

 賽銭箱の奥の戸が突然、蹴破られた。その白の靴下を履いた足は僕の顔面に一直線に突撃してくる。僕は理解する間も無く後方へと吹っ飛んでいき、鳥居の下まで体を転がす。

 全身が痛い。気が付いたら青い空に朱色に塗られた木材が視界にあったのだ。身体をゆっくりと起こすと、賽銭箱に頭を突っ込んで奇声を上げている巫女が居た。

 

「…お燐、まさか会いたかった人ってその変質者じゃないよな?」

「…この変質者よ。」

「誰が変質者よ!!」

 

 その賽銭箱に食われている人だ。

 

「あら、お燐じゃない。どうしたの?」

「散歩してたら神社に着いたから寄ってみたんだ。」

「ふーん。で、そこの男は?」

 

 まるで動じない、と言うより恥がない。せめて僕の顔面を蹴ったことに対して謝ってほしい。

 

「上嶋直人です。地霊殿でお世話になっている外来人です。」

「あぁ、紫から聞いてるわ。確か、性格も見た目も悪い死んだ魚の目をしたクズっていう話だったけど。」

 

 八雲紫は神田零よりも前に殺すことが確定した。

 

「話で聞くよりも、なんか普通ね。なんの特徴もないわね。」

「それなら何よりです。」

「目が死んでいるのは納得出来たけど。」

 

 悔しい。

 

「まぁ、いいわ。とりあえず上がりなさい。折角来たのだからお茶でも出すわよ。」

「ありがとう霊夢!」

「すみません、ではお言葉に甘えて…」

「待った。」

 

 僕の目前に手の平を広げる。何やら、お燐は良くて僕は駄目らしい。しかし、何故?

 

「あの…?」

「賽銭の音、一回しか聞こえてこなかったわよ?」

 

 鋭い視線で僕を見る。なんだか、予想とは大きく外れた性格の巫女だ。僕は苦笑いをして財布から出した銭を賽銭箱に投げた。

 一日に二回も、笑顔に対して苛立ちを覚えたのは初めての経験だった。



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ハルシネーションの星屑 Ⅱ 『粗茶』

 畳の香りが仄かに感じるほど風通しの良い。それは縁側の戸が開いているからだが、どうもその割には心地よい気持ちにはなれない。

 目の前の巫女が上機嫌に鼻歌をしながら茶を入れているのが苛つく。

 

「はい、粗茶。」

 

 その出し方は何かが間違ってる。

 

「それにしても、アンタの所の温泉で幾らかは儲かるようになったわよ。地霊殿万歳。」

「そっかー、なら良かった。あたいも死体集め以外にやること増えたから暇しなくて済むよ。」

 

 世間話を始める傍ら、関係の無い僕は入れられたお茶で口の中を潤す。

 …味がない。いや、霞のように風味だけがあるが四捨五入したら白湯だ。何番煎じをしたらこんなに風味が削がれるのだろうか。金に固執しているのは金に困っているからか?

 

「直人さんは幻想郷の暮らしには慣れた?」

「え、まぁ、慣れましたね。」

「良かったわ。紫が貴方のことを何でか知らないけど嫌っていたから、不当な扱いを受けてるんじゃないかって思ってね。」

 

 それはされている。

 

「…微妙な表情ね。悪態はつかれている訳だ。」

「そうですね。僕が一体何をしたと言うんでしょうか。」

「あの妖怪はそういう所があるからね〜。私も腹の底で何を思ってるのか、未だに分からないわ。」

 

 そういう次元では無い程の嫌われ具合ではある気がする。なにせ、僕の両足を切断したのだから。何を考えているのか分からないとかじゃなく、シンプルに狂ってる。

 

「でも、そういう意味では零に感謝するべきかもね。」

「え?」

 

 あの男に何を感謝すればいいと言うのだ。そんな疑問が相手に伝わったのか、霊夢さんは頬杖を着いて笑う。

 

「地上の妖怪が地下の妖怪たちに対して不干渉なのは知っているわよね?」

「はい。」

「紫は自分が危険視していたり目の敵にしている奴を監視しようとするの。つまり、自分の手の届く所に置こうとする。でも、貴方は地霊殿に住むこととなった。それは確実に零の差し金があったはずよ。」

 

 そういう事か。確かに、自分の計画に重要な人間が殺されてしまっては意味が無い。ならば地霊殿に置けば殺されないし、こいしさんもいるため無意識の世界に干渉させることができる。一石二鳥だったわけだ。

 霊夢さんは善意と捉えているようだけど、僕には分かる。アイツの思考はドロドロに穢れた、人を駒としか考えていないドブの様なシナプスなのだと。

 

「そうなんですね、それは零さんに感謝しなくてはなりませんね。」

 

 あんな奴に感謝など、反吐が出る。

 

「…そうね。」

「どうしました?」

 

 少し妙な反応を見せる。形容しがたい違和感。思わず、霊夢さんに対して訊いてしまった。霊夢さんは何か思考を巡らせた後、僕の目を見た。

 

「直人さんって何で零のこと嫌ってるの?」

「…え?」

 

 一瞬、何を言っているのかが分からなかった。しかし、確実にその質問に僕の心臓は跳ねる。

 神田零のように思考が読める?いや、ならばわざわざ訊いてこないはずだ。誰かから伝わった?いや、誰にも話していないはずだ。神田零が話した?分からない、何故彼女は知っている?

 

「えぇっとー…どうしてそう思われたのですか?」

「うーん、勘かしら。」

「勘…?」

 

 全くもって理解できない。表情に出てしまったのか?いや、慌ててはいけない。汗すらも流してはならない。落ち着かなければ、僕の始まってすらいない神田零殺害の計画は終わってしまう。

 

「流石にそれは無いですよ。」

「ふぅん、()()()ねぇ…」

 

 何だこの、全てを見透かされているような気持ちの悪さは。幻想郷を守ろうとするその器を、魅せられているのだろうか。

 深呼吸も怪しまれる。汗も吹き出してはならない。鼓動も速まってはならない。何も考えはならない。静かに、否定のみをするのだ。

 

「えぇ、僕は彼に助けられた身ですから。」

 

 言葉に淀みはなかった。震えもなかった。冷静な声色で、それを言えたはずた。

 

「そう…」

「はい。」

「まぁ、どうでもいいのだけれどね。貴方がアイツのことを嫌っていようが、嫌ってなかろうが。殺そうが、殺されようが。」

 

 それは、どういうことだ。幻想郷の異変の解決を管理者である奴らに任された人間であるはずだ。少なからずそちら側の人間なのではないのか。

 分からない。八雲紫の腹の底では何を考えているのか分からないなどと言っていたが、それはコイツにも言えることだ。

 

「それは、流石に言い過ぎではないでしょうか?」

「幻想郷なんて、元々そんな世界よ。アイツらは楽園なんて謳っているけど、弱肉強食は存在するしヒエラルキーで世界が回っているのだから。小規模なだけで、外の世界と何ら変わりないわよ。いつか下剋上を夢見る妖怪や人間なんか現れるんじゃないかしら?」

 

 管理者に近い存在の人が言っていい内容なのだろうか。甚だ疑問だが、それはそれとしてこの巫女も上手くいけばこちらに味方してくれるかもしれない。

 だが、今では無い。まだ、僕は彼女のロジックを理解していない。どういう考えや価値観のもとで行動しているのか。それを知らなければならない。

 

「それに、管理者は何人も存在している。紫や零だけじゃない。私も人数とかどんな妖怪かとかは分からないけれど、一人減った程度じゃこの世界の結界は壊れないわ。」

「結界?」

「あぁ、知らない?博麗大結界っていう、この幻想郷を外の世界から隔離するための結界が幻想郷の一番端に張られているのよ。」

 

 知らなかった。しかし、隔離しているということは、元々は幻想郷とは僕が居た世界の一部だったってことと捉えることが出来る。

 仮に、それが壊れたらどうなるのだろうか。

 

「お茶、ぬるくなる前に飲んだら?」

「え?あぁ…」

「まだ15回目なんだから。」

「…?」

 

 何がだ?

 

「そういえば、そろそろかしら。」

「どうしました?」

「いや、知り合いがそろそろ来る時間なのよ。」

「知り合い、ですか。」

 

 するとまるでタイミングを見計らったように戸を叩く音が聞こえる。霊夢さんは溜め息をつきながら向かう。

 

「おーい!霊夢ー!いるかー!?」

「ドンドンドンドンうるさいわね!壊れたらどうしてくれんのよ。」

「そん時はそん時だ。」

 

 ドタドタと騒がしいその声の主がこちらへと向かってくる音が聞こえる。なんだか、どうしてかこれからもっと疲れることになる気がしてきた。

 どうか、この予想か外れてくれることを。

 

「おーと!先客がいたんだな、わりぃわりぃ。」

「あぁ、どうも。」

 

 元気ハツラツな金髪の魔女みたいな黒い帽子を被った女の子が荒々しく戸を開いた。眩しい笑顔を見ていると生気を吸われる感覚に陥る。

 

「お!お茶が既に煎れられてるんだなぁ〜。」

 

 そういうと、その金髪魔女は僕が飲んでいたお茶を手に取り、止める間もなく飲み干した。まるでビールのように飲み干した彼女はとても満足そうな表情で口を拭った。

 

「ぬるい上に薄い!!霊夢〜、これ何番煎じだよ〜。」

「15よ。」

 

 そりゃ薄いわけだ。

 …待て?この巫女そういえばさっき「まだ15回目なんだから」って言っていた気がする。『()()』だと?これ以上薄くするつもりなのか?

 追いつかない情報量に、僕の脳が疲弊しそうになる。しかし、魔女はそんなことを知らずに元気をウィルスのように撒き散らしていた。マスクでもつけてやったら良いが、生憎ここは時代遅れの世界なのだ。

 外の世界でも売り切れているだろうしな。



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ハルシネーションの星屑 Ⅲ 『魔女』

 騒がしくなった僕の休日は、もう元には戻れないのだろう。ならば、仕事として今日を考えて生きよう。とりあえず、僕が飲んでいたお茶を飲み干しやがった目の前の魔女に挨拶でもしよう。

 

「初めまして、上嶋直人と言います。」

「おう、よろしくな!私は『霧雨魔理沙』だ。」

 

 差し出された手を握る。すると魔理沙さんは満足そうに笑う。

 

「それで、直人は霊夢の恋人か何かか?」

「ぶへぇ!?」

 

 突然の彼女の発言に、霊夢さんは思わず口に含んでいたお茶を霧吹きのように噴射した。汚いので反射的に離れる。お燐は逃げ遅れたため、お茶の風味を纏ってしまった。あまりの衝撃に思考が止まっている。

 

「違いますよ。今、びちょ濡れになった猫の付き添いです。」

「ふぅん?つまんねぇな。」

「アンタ、突拍子もないことを言わないでくれる?お燐が可哀想でしょ!?」

「それはお前の所為だろ。」

 

 思考停止していたお燐が、やっと瞬きをした。そして漸く自分の状況を理解し始める。その身をプルプルと震わせ始める。

 

「うぁ…」

「温泉入る?」

「入る…」

「案内するわ、付いてきなさい。」

 

 霊夢さんはその場に立ち上がり、萎びたお燐を連れていく。魔理沙さんと一緒に部屋に残された僕はなんとも言えない気まずさに、空の湯呑みを覗いている。

 そんな僕に彼女は関係なく話しかけてくる。

 

「お燐の付き添いってことは、地霊殿の妖怪か?」

「え?まぁ、そうですね。」

「へぇ、お前みたいなヤツいたかなぁ?」

「地霊殿に訪問されたことが?」

「まぁ、異変解決にね。」

 

 異変解決は博麗霊夢のみが行うわけではないのか?別に彼女が虚言癖で嘘を振り撒いているとも考えてもいいが、後で事実確認をしておこう。少なくとも今は、本当のことであると踏んで、話を聞いていく必要がある。

 

「実は僕、外の世界から来た元人間の妖怪なんです。」

「なんだそりゃ。随分と波乱な人生だな。」

 

 全くだ。

 

「それで、その地霊殿で起きた異変というものがどういった内容の異変なのかを知らなくてですね。もしよろしければ教えていただけませんか?」

「お、いいぜ。まずは、あれはこの神社で霊夢と炬燵の中で26番煎じのお茶を飲んでいる時のことだった。」

 

 既に恐ろしい情報が聞こえたが、聞かなかったことにしよう。

 

「いつもと変わらない、普通の日常に雪だるまを乗せて優雅に過ごしていただけだ。それが突然、外から爆音と共に地面が揺れたんだ!」

 

 妙に詩的に話そうとするな、この魔女。

 

「急いで外を見たよ。するとそこには、真っ白な柱が立っていた。実を言うとそれは間欠泉だった。」

 

 スッと言えよ。本当に何だこの魔女。

 

「良かったじゃないですか。あ、地霊殿の温泉ですか?」

「そうそう、実際それで今の霊夢は商売繁盛。前よりは良い生活が送れているよ。」

「あれでか…」

「あれで、だ。」

 

 幻想郷のために生きているのに、下手をしたら幻想郷の中でも上位に君臨するほどに貧しいのではないだろうか。

 

「しかし、それだけなら良かったんだが、間欠泉と同時にあるものも湧き出たんだよ。」

「あるもの?」

 

 僕がリアクションをすると、魔理沙さんは右の口角を二ィっと吊り上げる。

 

「地霊だよ。」

「…地霊?」

「おぉーい!地霊殿に住んでんだろ?知ってろよそんぐらい。」

「え、すみません。」

 

 一々大きな反応を見せる。苦手なタイプな気がするが、まだ分からない。ただ、万が一苦手なタイプだったらこの人を仲間に引きずり込もうとするのはやめておこう。面倒だ。

 

「地霊っていうのは、地底に住む怨霊とかそこら辺のなんかだよ。」

 

 コイツもあやふやじゃねぇか。

 

「ところで、お燐ってどんな妖術を使うと思う?」

「さぁ?」

「霊を操るんだよ。」

 

 そういうとニヤニヤと薄ら笑みを浮かべる。非常に不愉快な笑い方だが、言いたいことは理解出来た。

 

「お燐が間欠泉と一緒に地上へ霊を送っていたってことですか。」

「ご名答!」

 

 嬉しくもない正解だ。

 

「まぁ、なんでそんなことしたかって言うと、お空がスーパーパワーを手に入れて調子に乗ってたから、地上に知らせるためにやったんだとよ。」

「お空が?」

 

 あの脳みそのシワがなさそうなお空に、お燐がわざわざ地上に助けを求めるほどの力があったのか。これは、帰ったら仲良くしておこう。利用のしがいがあるかもしれない。

 

「それで私と霊夢が異変解決に行ってきたわけさ。」

「へぇ、そうだったんですね。知りませんでした。」

 

 割とどうでもいい話だったが、お空にそんな力があると知ることができたのは良い収穫だ。

 

「それにしても…お前って戦えんの?」

「いえ、全く。」

「にしては妖力が豊富だな。」

 

 流石、異変解決をするだけあって妖力なんて容易に感じ取れるのか。僕は人差し指で頭を少し掻き、苦笑いをする。

 

「あるだけですよ。」

「あ、本当に沢山あるのか。適当に話してただけなのに。」

「…」

 

 早く帰りたい。



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ハルシネーションの星屑 Ⅳ 『魔法』

 魔女のくせに妖力を感じ取ることが出来ないのか。なんとも残念だ。残念なだけに、その魔女にしてやられたことに腹が立つ。

 かと言って、僕の企みが漏れ出た訳では無い。霊夢さんほど勘が冴える人ではないらしい。

 

「魔女というのは妖力を感じることができないのですか?」

「あぁ、いや、魔女と名乗っているからには魔力を感じ取ることは出来るぜ?ただ、私は普通の人間だからな。霊夢みたいな才能は無いよ。」

「才能ですか。」

 

 生まれ持った性質、つまり修行ではどうにもならない先天的な能力なのだろう。巫女をやるだけはあるようだ。しかし、逆に言えば、彼女は才能もないのに異変解決に貢献しているということになる。

 よく見れば、指先はケアをしているようだが荒れており、魔法使い特有の箒に乗るという行為をするのか前腕にはある程度の筋肉がついている。しかし、筋肉がつくということは魔力でどうにかならないところをそれでカバーしているのだろうか。

 魔法についてはてんでダメだ。知識がなさすぎる。しかし、努力を惜しまない性格の人だということは予想できる。

 

「魔法って、どんなものがあるんですか?」

「お?興味あるのか。いいぜ、この霧雨魔理沙先生が直々に教えてやるよ!」

 

 知っていて損は無い。

 

____________________________________________

 

 ただの場繋ぎの会話だったはずだ。だが、目の前の男は真剣に私の話を聞いている。それが、少し嬉しかった。まるで、私の積み重ねてきた知識や研究を認められているような気がして。

 本物の魔法使いになんか敵わないなんて、そんなことはわかっている。ただ、私は泥臭く這いずってでもアイツらを越える。霊夢を越える。

 その理由はただ一つ───

 

「魔理沙さん?」

「ん?あぁ、つまり魔法というのは要素と要素の組み合わせだ。それが無限大の可能性を秘めているのだ!!」

 

 結局、魔法の基礎を全て話しちまった。別に隠すようなことでもないが、場繋ぎにしては喋りすぎた。

 しかし、男は満足そうな顔をしている。きっと、元々外の人間らしいから物珍しさに魔法について訊いたのだろうが、それにしても専門的な話を延々と聞かされることほど退屈なものは無いはずだ。外の世界ではなにかの学者かなにかだったのだろうか。

 

 

「魔理沙、随分と楽しそうね。」

「あ、おかえり。長風呂だったなぁ。」

 

 部屋の外にはホカホカになった霊夢とお燐の姿。というか、霊夢も温泉に入っていたのか。

 

「何の話?」

「魔法の話だよ。コイツ勉強熱心だなぁ、ずっと前のめりに聴いてるよ。」

「へぇ、あんなつまらない話を…」

「なんだと!?」

 

 やっぱり、興味のない人からすればつまらない話なんだ。それが普通なのだろう。いや、つまりこの男はそれほどに魔法に興味があるのだとも言えるだろう。

 良い、話し相手が出来そうだ。

 

「どうだった、直人。魔理沙の話はめちゃくちゃつまらなかったでしょ。」

「僕は面白かったですよ。奥が深いですね。ただ使うのではなく、もっとちゃんとしたロジックや理論が求められる分野なんだなって。」 

 

 私の話を、何の先入観もなくありのままを聴いてくれていたのだ。私の性格上、力任せの魔法だと思われることが多い。事実、私は弾幕はパワーだという考えのもとに戦う。しかし、それらは魔法の基礎やそれを応用するための論理的思考や導き出した研究結果を組み込んだ上での攻撃なのだ。

 それを、魔法の話をする度に話の中に組み込んでいるが、理解しようとしてくれたのは魔法使い以外でこの男が初めてだ。

 面白い妖怪だ。

 

「今度、魔法の使い方を教えてやるよ。」

「本当ですか、お願いしたいです!」

「へぇ、物好きね。」

 

 それに関しては同意する。本当に変な奴だ。だが、それでも私はかつてないほどに嬉しい気持ちが心を満たされていく。

 

____________________________________________

 

 きっと、承認欲求は満たされただろう。なんて分かりやすい人なんだろう。それは見方を変えれば美徳と言えるが、扱いやすい例の一つと言えるだろう。

 だが、魔法について知るというのは僕にとっても得がある。神田零が扱う能力が一体どのようなものなのか分からない今は、どの攻撃手段が来てもいいように知識を蓄えていくしかない。

 

「明日とかどうだ?なんなら私が地霊殿に向かうけど。」

「お願いしてもよろしいですか?」

 

 申し訳なさそうな顔をして魔理沙さんを見る。すると彼女はとても気持ちの良さそうな笑顔を向けて頷いた。

 

「構わないぜ。じゃ、明日の朝に向かうことにするわ。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

「おう!」

 

 そうして僕は彼女の手を改めて握る。固く握ってきたため、こちらも固く握り返す。

 

「ところで、そろそろ帰らないといけない時間になってきました。」

「あーもうそんな時間かぁ。あたい風呂に入っただけだ。」

 

 僕が立ち上がると、お燐も続くように立ち上がった。縁側からは夕日が差し込んでくる。

 

「そう、気をつけて帰ってね。」

「また明日なー。」

 

 二人は机の前に座り込んだまま手を振り見送ろうとする。帰る時に何か盗まれたりするかもしれない、とか考えないのだろうか。

 僕は彼女らに手を振り返し、神社を出ていく。賽銭箱の横を通り、鳥居を潜る。そして思い出した。この絶望を。

 

「階段なっが。」

 

 降りることを忘れていた。




 読んでいただき誠にありがとうございます。作者の薬売りと申します。
 お知らせなのですが、これから作者が忙しくなってしまうため来週から投稿を一時休載させていただきます。詳しい予定は決まっておりませんが、次の投稿は12月下旬になると思いますので、楽しみにしていただいている方は申し訳ございません。


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ハルシネーションの星屑 Ⅴ 『学問』

 昨日、僕は魔理沙さんに魔法を教えてもらう約束をしていた。朝に来るらしい。6時に起床し、歯を磨き、顔を洗い、朝ごはんを食べる。さとりさんは僕の心を読んで魔法を学ぶことを察して、特別に今日を休みにしてくれた。僕は彼女が来るのを自分の部屋でコーヒーでも飲みながら待っていたのだが…

 

「12時か…」

 

 時計の針は天井を指していた。魔理沙さんにとっての朝とは、一体いつなのだろう。コーヒーなど三杯目を飲み干してしまった。僕の一日の目安は三杯なのだが、久々にそれを超えるカフェインを摂取することになるかもしれない。

 そんな苛立ちを解放しようと、気分転換に外を出歩こうと自分の部屋を出ると、さとりさんが目の前にいた。

 

「え?」

「あ、直人さん。魔理沙さんがお見えになられましたよ。」

 

 そう、彼女が手で促した方を見ると、その金髪はニコニコと笑いながらこちらに片手に箒を持ち大手を振って歩いてくる。

 

「おう、昨日ぶりだな。それにしても12時まで部屋に籠ってるなんてなぁ。なんだ、寝坊か?」

 

 何だコイツ。

 

「こんにちは。あの、予定では朝に来られるはずではありませんでしたか?」

「え?あぁ、そうだっけ?じゃあお互い寝坊だな。」

 

 何故同類だと思われているのだろう。作り笑顔がイラつきによる痙攣で崩れそうになる。

 しかしこの金髪はそんな僕の気持ちなどを考える能力がある訳もなく、さっさと厳顔の方へと向かおうとする。

 

「よっしゃ、それじゃ早速外で魔法を教えてやるぜー!」

 

 手に持っていた箒をスケートボードのように乗るという魔女の風上にも置けなさそうな乗り方で玄関へと飛んでいった。

 静けさが空間に残る中、さとりさんが僕の背に手をそっと添える。

 

「お気の毒です。」

 

 僕は悔しいよ、さとりさん…

 

____________________________________________

 

 遠くの街では明るくガヤガヤと騒がしそうなのが聞こえてくる。一方僕は心の中がどんよりと沈んでいるにも関わらず、対峙する金髪魔女は僕の作り笑顔に一切の疑念を持たなかった。

 やっぱりこの人から教わろうとしなければよかった。

 

「それじゃあ、昨日教えたことは覚えているか?魔法の基本的な考えだ。」

 

 急に講師らしく振る舞い始めた。今にも無いメガネをクイッと中人差し指で調節しそうだが、さておき、昨日の話からは魔法の理屈とやらを何となく理解は出来ていた。

 魔力やらマナやらと呼ばれる魔法エネルギーを使い、複数の要素の魔法を発生させる。これが大雑把な魔法の説明だ。そこから要素と要素を掛け合わせることで無限な可能性を引き出すのが魔法の面白いところ、だそうだ。

 

「そう、人間が体を動かせるのは生命エネルギーがあるから。それと同じように魔法エネルギーを使って魔法を繰り出すということ。では、生命エネルギーを作るには何をするべきかなワトソン君。」

「直人です。食事や睡眠を摂ることです。」

「素晴らしいね、エマ・ワトソン君。」

「直人です。」

 

 どこか得意げに笑う魔理沙さんに、苦笑いを零してしまう。どうやら承認欲求が満たされすぎて酔ってしまったらしい。付き合わされる身にもなれよ。

 

「同じように、魔法エネルギーを作るのにもそれらが必要だ。適切な食事に適切な睡眠、それらは魔法エネルギーを作るのに必要なことなんだよ。」

「でも、適切な食事と適切な睡眠を摂っている僕は魔法エネルギーを生成した自覚がないんですけど、本当に生成されてます?」

「君は生命エネルギーを生成したことを自覚できるというのかね、ハーマイオニー君。」

「マグルです。」

「穢れた血め!」

「なんだコイツ。」

 

 我慢はできなかった。

 

「さて、確かに魔法エネルギーは自覚できない。限界と思ったらそれが枯渇した時だよ。実は今も直人の中に魔力は宿っている。けど、それを使えるかどうかはまた別なんだよ。使い方を知らないって感じ。」

「なるほど。」

「ちなみに、今まで使ってこなかったから莫大な魔力が直人の中に…ッ!!なんてこともないぜ。筋肉と同じで使わないと育たないんだよ、魔法を使う筋肉的ななにかが。」

 

 先読みされた気分で少し癪だ。しかし、聴けば聴くほど生物学辺りの雰囲気が漂う話だ。例として用いているのがそれだからというのもあるが、逆に言えばそれが例として適任と言える程に似た分野だと言える。

 

「だから、まず初心者には魔法の使い方を体で覚えてもらう必要がある。」

「分かりました。」

「それじゃあ、最初は炎の魔法でもやってみるか。まずは目を閉じてくれ。」

 

 言われた通りに瞳を閉じる。すると魔理沙さんの声がすぐ右に移った。

 

「それじゃあイメージをしてくれ、自分の体全体から熱気のようなオーラが滲み出てくるのを。」

 

 自分の最大限のイメージ力を駆使して自己催眠をかけるように体で念じる。何となく、体の周りにウヨウヨと熱気のような空気のような何かが漂っている気がする。

 

「うーん…まぁ、良しとするか。それじゃあ、人差し指を真正面に向けろ。そんでもって、今のオーラを全部指先に集めろ。」

 

 言葉に従順に、何も無い空間に指を差して全オーラを指先に向ける。しかし、全部を集めてしまったら指先が火傷するほどに熱気が集まってしまうのではないだろうか?

 

「…お、センスいいな。そんじゃ、私がトリガーとしてお前に魔力を送るぞ。」

 

 魔理沙さんは僕の肩と前腕をガッシリと掴むと、小さな声で呟いた。

 

「肩から魔力を送るから、送った魔力を集めたオーラの方に放出させるんだ、いいな?」

「わ、分かりました。」

 

 その声色は先程とは比べ物にならないほど真剣で、何故だか緊張してしまう。

 

「カウントダウンをするぞ。3…2…1…撃て!」

 

 肩になにか衝撃が伝わる。その衝撃をイメージしたように腕を通るように走り抜け、熱気が集まった指先にたどり着く。すると、それは放出された。

 

「うお…すごいな。」

 

 僕は衝撃のあまり目を見開いてしまった。僕の指先からは銃のように発砲された炎の塊が地面を潜っていったのをこの目で見てしまった。

 銃痕から広がるように炎が広がり、そこの地面が少し膨れると小さな爆発を起こしてボーリング球程の円形に地面が抉れた。

 

「初めて魔法を使ったにしては上等だ。」

「そうなんですか?」

「最初から魔法を放出できるとは思わなかったぜ。何度か練習して感覚を掴むもんだからな。」

「そうですか…」

 

 中々実感が湧かないか、僕はどうやら魔法を使うことができたらしい。自分の手のひらを広げて見てみると、人差し指の先が黒い煤で覆われていた。火傷は…してる。気付いてしまうと痛みが急に襲ってくる。

 それを魔理沙さんが覗くように見て、納得したように頷く。

 

「…なるほどなぁ。お前、イメージなのに妙にリアルにイメージしただろ。例えば、全身の熱気を指先に集めたんだから焼けるような熱さに変わっているんだろうな、とか。なんなら熱さすらも感じたんじゃないか? 」

「えぇ、正に。」

「うへー、その変態的なイメージ力はパチュリーと同じ感じの魔法使いになりそうだぜ。」

「パチュリー?」

「あ、知らない?紅魔館に住んでる魔法使い。」

 

 耳にした記憶は無い。忘れているだけかもしれないが。首を傾げていると、魔理沙は理解したように話を続ける。

 

「まぁ、今度の紅魔館のパーティに招待されてるんだとしたら、その時に挨拶でもしときな。アインシュタインと相対性理論について議論している気分になれるぜ。」

 

 つまり、さらに専門的な話を聞けるということか。

 

「私には到底真似出来ない、スゲー魔法を使ったりする。」

「…へぇ。」

 

 何となく、羨ましそうに言葉にしているように聴こえる。しかし、僕には関係の無いことだ。

 

「まぁ、そんな専門的な話をされても、魔法初心者の僕は困っちゃいますよ。魔理沙さんのおかげで一発で魔法を使えちゃいましたし、今後も宜しくお願いします。」

「…!お、おう、任せろ!なんてったって普通の人間から魔法使いになった私だ、お前に魔法を教えるのには適任だぜ〜?」

 

 誇らしく胸を叩く魔理沙さんに、僕は慣れた作り笑いを向ける。一瞬見せた心の隙間、これを利用すればこの魔女も仲間にできるだろうか?そんな思考で脳は満たされていた。

 




 あけましておめでとうごさいます。薬売りです。
 前回、12月下旬に投稿すると言いましたが、予定よりも遅れて投稿することになってしまいました。申し訳ございません。ただでさえ途中で投稿しなくなった話をリメイクした作品なのですから、投稿が途絶えてしまうとまたやらかしてしまいそうで怖かったです。
 それよりも、この作品を楽しみにされている方には深くお詫び申し上げます。遅れて投稿したこともそうなんですが、久々の執筆の所為か思うように書き進められなかったり、1月2月も忙しく、投稿が出来ても二三週間に1話のペース、もしくはさらに遅れてしまう可能性があります。申し訳ございません。
 それでも読んでいただけるのであれば、これからもこの作品をよろしくお願いいたします。


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