【鬼滅×葛葉ライドウ】デビルサマナー 葛葉ライドウ 対 鬼殺隊岩柱 悲鳴嶼行冥 (木下望太郎)
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第一章  悲鳴嶼行冥、悪魔召喚師《デビルサマナー》と相見《あいまみ》える

 じゃりん、じゃりんと音が響く。闇に鎖の音が響く。明かりも無いまま男は歩く。けれど男の足取りは、辺りが真昼であるかのように、欠片の迷いも遅れもなかった。穴のような闇の中で。

 

 もっとも男にとって、闇も真昼も変わりはなかった。暗いかそれとも(ほの)白いか、それだけの違いだった。巨体を包む衣に『南無阿弥陀仏』の六字を散らした屈強の男。悲鳴嶼(ひめじま) 行冥(ぎょうめい)の目は光を映さず。

 

 だがその事実は、彼の足取りを(いささ)かも遅めるには足らず。そしてまた、彼の地位を(おとし)めるにも足りなかった。鬼殺隊――闇に紛れ人を喰う者、人にとっての天敵、厄災とすらいえる『鬼』。それらを狩る者ら『鬼殺隊』――最強の隊士としての。

 

 

 

 

「――舎利弗(しゃりほつ)若有善男子善女人(にゃくうぜんなんしぜんにょにん)聞説阿弥陀仏(もんせつあみだぶつ)――」

 悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)は経を唱える。歩みを止めず経を唱える。その音声(おんじょう)と手の内で鳴らす数珠(じゅず)、その音響が彼の目だった。

 

 ――放る、肺から空間に声、宙に消えかけたそれがわずかに返る。弱い、声のかなりの部分は当たった物に吸収されている、二十と三歩先に(ふすま)、襖紙は破れ幾つも穴が開いている様子、周囲は板壁。

しかし広大に過ぎる、壁も天井も、声の返りがあまりに遠い。一部屋一部屋がまるで大広間、家屋として明らかに不自然。何らかの血鬼術によるものか。

そう思えば、この空間自体にも禍々(まがまが)しい気配が立ち込めている。まるで異世界、地獄絵図の中にでも足を踏み入れたような。『鬼の気配』とは異質なものだが、ここまで異様な空気が濃いと、鬼を気配で選別することは難しいだろう――。

 

 ――踏み締める、足から返る感触は畳、毛羽立(けばだ)苔生(こけむ)してさえいる、ただしさしたる凹凸(おうとつ)は無し、直径三十歩程の空間も、敷居がある他は同じ。

ただ五歩前四歩左の畳の下、床板が腐っている様子で反響が(やわ)い、無論真っ直ぐ歩めば問題はない――。

 

 ――かき鳴らす、手にした数珠と背にした鎖斧。鋭く空間をまさぐるその音が襖の向こう、弱くだが何かを捉えた。柔らかく返るそれは生き物の感触。跳ね返る位置を変えるそれは動くものの感触。

 だがそれは、敵か味方か――? 

 

「ア……アアア……ア」

 それは(うめ)くような声を上げた。(ひど)く弱った人のような。だが、何よりそれは。その(まと)う衣服の、衣擦れの音は。

 がずがずと細かく妙に耳障りなその音は。独自の製法で編み出された防刃布、それを全体に使用した――陸軍服、あるいはそれを基調とする男子学生服にも似た形の――隊士服。

 悲鳴嶼が属する『鬼殺隊』、その戦闘要員の制服だった。その衣擦れがいくつか、動いて聴こえた。

 

「そこの者。無事か」

 経を読むのと同じ大きさの声で言う――大声を出すことはなかった、自ら音を発しその反響を聴く、彼の闘法には隠密性が無いという明確な弱点がある。これ以上、所在の分からない敵に居場所を教える必要はない――、ただし。今は、声を抑えるのにやや苦労を要した。

 

「ア……アアア……ア」

「アア……ア」

 同じような声が複数返る、同じ衣擦れの音も。だがそれらはまともな言葉を返さず。

 

 目の前の襖に手をかけた、悲鳴嶼の手に思わず力がこもり、開け放ったそれが高く音を立てた。

「無事か、と聞いている。無事なら構わない、すぐにここを退避しろ。(ふもと)の町に待機中の(カクシ)に接触、報告を」

 

 一呼吸置き、尋ねる。

「その前に一つ聞く。見なかったか、先日ここへ派遣された隊士だ、名は――」

 

 返答が返ることはなかった。それより先に彼らはこと切れていた。

 

 その死を認識する、一瞬前に聴こえた。彼らの背後から何者かが跳びかかり、胴斬りに刀を一閃する風切り音が。

直後、まとめて真二つにされた彼らが、声も無く畳に崩れ落ちた音。

 

「……!」

 だがしかし、敵はいったいどこにいたのか。声も無く音も無く、悲鳴嶼の耳にも届かぬ、遠くにいたとでもいうのか? 

 

 否。敵は最初からそこにいた。思えばそう、聴こえた隊士服の衣擦れ。いくつか、というだけで聴くのをやめていた。隊士が――この任務、先に派遣されていた隊士、音沙汰のない彼らの生き残りが――複数いる、そう認識しただけで。

 

 思えば。聴こえなかったか、その背後にわずかな異音が。隊士服と似通った形、しかし違う繊維の衣擦れが。

 

 今、その衣擦れを起こす者が。革靴の音を立てて畳を踏み締め、空を斬る音を立てて武器の血を払う。これも形は日輪刀と同じ、定寸(じょうすん)――標準的な長さ――の日本刀。そしてその者の背には、体を覆うようなマントの(なび)く音がした。

 

 悲鳴嶼は背にした手斧と、鎖でつながった鉄球を構える――経の一つも唱えてやりたいが、後だ――。

「一つ聞く。……鬼だな、お前は。土地の人間が、派遣された隊士が次々行方知れずとなるこの古屋敷……そこに巣食う鬼。鬼の選別が困難な空間、隊士の姿に擬態し、鬼を狩る者を狩る……それがお前の手口か」

 

 その者は――畳を踏む軋みの重さと悲鳴嶼からの声の返り、それからして男、背は中背、頭には学帽――答えず、ただ刀を片手に提げる。構えもせず、敵対するか否か決めかねているかのように。

 

 (とげ)の突き出た鉄球のつながる、鎖を振り回し始めながら。悲鳴嶼はさらに問う。

「もう一つ聞く。お前が殺した中にいたか。黒い鶏冠(とさか)のような髪をした少年。……不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)は」

 

 対した男は答えず、身じろぎすらしない。

 

 振るう鎖を速めながらさらに問う。

「あと一つだけ聞いておこう……鬼よ、お前の名は」

 

 そこで初めて、その男は口を開いた。涼やかな声で答えが返る。

「鬼ではない。悪魔召喚師(デビルサマナー)、十四代目葛葉(くずのは)ライドウ……それが自分の名だ」

 

 鬼ではない、と名乗る鬼。しかしその者は確かに、隊士服を着た者を斬った。ならば、聞く耳持つまでも無い。

 

 無言で悲鳴嶼は鉄球を放つ。それは鬼のいた位置、畳に鈍い音を立ててめり込み。しかし当の鬼は跳びすさり、()うにその身をかわしている。

 

 それで良かった。悲鳴嶼の狙いはその先にあった。

 鎖を鳴らす、めり込んだままの鉄球につながる鎖を。鋭いその音で空間をまさぐるように。

 

「! 捉えた――」

 放つ、鎖のもう一端、そこにつながった手斧を。しかしそれは、敵にかわされて後方へそれた。

 が。さらに振るうその鎖が波打つように敵の体を襲い、もぎ取った。体ではなく、その脇に吊られていたもの。拳銃を納めたホルスターを。

 

 人型の敵と対する場合、悲鳴嶼が最も警戒していたのが銃だった。柱級の隊士なら、敵の動きと筒先を見て射線から身をかわす、その程度は朝飯前だったが。盲目の悲鳴嶼にそれはできない。そして銃撃の速度で飛来する一つまみ程の弾丸を、空を切る音を聴いてから回避することは困難。

 幸い、銃の手入れに使われる機械油、そのにおいはよく知っていた――弟子に銃を扱う者がいる――。故に今回、相対した敵がどこかに銃を持っている、それは分かった――弟子の同期の一人ほど超人的な嗅覚はないにせよ、視覚を補うように他の感覚は鋭くなる――。

 

 故に、優先して音で探った、鬼の体から銃の位置を。無論、ホルスターごとその体をもぎ取るのが理想ではあったが。身をひねってかわされ、そこまでは至らなかった。

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 手斧を引き寄せ、めり込んだ鉄球を引っこ抜き。悲鳴嶼は再び鎖を振り回す。何も映さぬ目で、目の前の敵を見据えながら。

 

 



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第二章  葛葉ライドウ、鬼を殺す者と相対《あいたい》す

 

「……!」

 畳に落ちたホルスターと、鉄球を振るう男の位置を目で測るが。男の鎖が動き、手早く銃を跳ね飛ばす。どこか分からぬ闇の中へ。

 

そこで、葛葉ライドウはようやく刀を構えた。

 正直、事を構えたくはなかった。相手の事情は知らないが、訪れたこの異世界の者と。

 

 思う間にも男の鉄球が飛ぶ。風圧にマントが学帽が、(なび)くのを感じつつ身をかわす。

 が。

「【岩の呼吸・壱ノ型――蛇紋岩・双極】」

男はわずかな時間差を置いて、ライドウが身をかわしたそこへ。同じく鎖で一つなぎとなった、手斧の方をも放っていた。

 

 ライドウは刀を横たえた形に構えつつ、その名を呼んだ。

「擬態せよ、『赤口(しゃっこう)葛葉』――【斧】!」

 

 途端(とたん)。防御の形に構えた刀、その刀身から。溢れ出た緑の光が、巨大な形を取った。それはまるで『斧』。巨人が振るうものかとすら見える大斧。それが横様(よこざま)に、光の壁となって手斧を阻んだ。

 

 葛葉一族より授けられし退魔刀『赤口葛葉』、その真髄はある種の秘儀により、それ自体が悪魔と一体化することにある。

 悪魔化したそれは生体マグネタイト――ある種のエネルギー――を使い、自らを擬態させる性質があった。あるいは切り裂く刀、あるいは閃く槍。あるいは打ち砕く大斧に。

 

「何……!」

 真正面から受けられるとは計算していなかったのだろう、男の動きが一瞬止まった。

 

「ぐぅ……!」

 一方、ライドウもまた歯を食いしばる。分厚い光の壁は一撃でひび割れ、崩れた。殺し切れなかった衝撃を受け、踏ん張った足下で革靴が(かび)た畳の上を擦る。

 

 だが。その衝撃を予想していた分、次の行動はわずかにライドウが早かった。男が鎖を振るい上げる前に、懐から――銃と一緒に叩き落とされなかったのは僥倖(ぎょうこう)だ――、管を抜いた。万年筆ほどの太さもない、鈍い銀色の金属の管。

 

 低く息を吐くと同時、力を込めると――筋力ではない、魔力霊力の類。自らの生体マグネタイトを絞り出し、管に込める――ねじ式の(ふた)がひとりでに回り、開いた中から緑の光が溢れた。

 

「召喚――放て、『ミシャグジさま』!」

 人魂のように揺らめきながら、孤を描いて畳の上へ飛んだ光は。(ちり)のように細かな光の粒子を辺りに散らしつつ、一つの形を取った。

それはライドウの背を越えて、ひょろりと長い体の蛇神。ただし蛇頭人身、白蛇の頭と尻尾を(そな)えた(あやか)しの人。

 

「生唾モンの活躍じゃああ!」

 老爺(ろうや)のようにしわがれた声で叫び、ミシャグジさまは首を震わせた。その口から弾ける赤紫の雷電が、闇を照らし板壁を畳を焦がし、そして鉄球の男を打った。

 

「が……!」

 手にした武器の上を体を電撃が走り、男がわずかに体勢を崩す。

 

 ライドウは別の管を抜き、新たな仲魔(なかま)をそこへ放つ。

(たけ)よ――『ゴズキ』!」

 光が形を取ったそれは、ミシャグジさまほどの背丈だったが。幅も厚みも比べものにならない、(いわお)の如き筋肉そのもの。二本の角を頭に突き出させた、牛頭人身のまさに鬼。

 

「応よおお!」

 ゴズキはその太い腕で――女の腰回り程の太さがあろうか――男をつかみ、鎖を握るその腕ごと、ぎりり、と体を締め上げる。

 

 ライドウが指示を飛ばす。

「そのまま遠くへ投げ捨てろ。後は構わない、追う必要は――」

 

 その言葉が終わらぬ間に。何か異様な音が聞こえた。

 それはゴズキの締め上げる男から。こおおおお、と長く、呼吸音のような――それにしては、こおおおお、おおお、と異様に深く強く、長い――。

 

 そして男は唱え出した。

「――執時名號(しゅうじみょうごう)若一日(にゃくいちにち)若二日(にゃくににち)若三日(にゃくさんにち)若四日(にゃくよんにち)若五日(にゃくごにち)若六日(にゃくろくにち)若七日(にゃくしちにち)、一心不乱――」

 男が経を唱えるその一言ごとにその腕が震え、筋肉が張り。やがては手を上げ、ゴズキの腕をゆっくりとほどき。そればかりか、つかみ返し。

 

「何いいい!?」

 悲鳴のようなゴズキの声にも構わず、その腰に腕を回し。自らの腰を落とし、両足を踏ん張ると。

()ぁっ!」

 一息に抱え上げ、その勢いのままに体を、腕を振り。ゴズキの巨体を宙へと投げた。

 

「なああああああぶべっ!?」

 宙を舞ったゴズキの体は程なく畳に落ち、引きずる跡を残しながら滑り。板壁を頭でぶち破ったところで動きを止めた。その指だけがぴくぴくと動く。

 

「何だと!」

 声を上げたのはライドウではない。その傍らに姿を見せた黒猫。ライドウの供、業斗(ゴウト)童子。

「ゴズキの蛮力を真正面から跳ね返すとは……あの男の力、もはや人間のそれではない」

 

 鎖を構え直す男から目を離さず、ライドウは言う。

「では悪魔だと?」

「いや、魔力の類は感じ取れぬ……一帯が異界化しているせいで、悪魔の存在は奴の五感でも感知されているようだがな。あの怪力、あるいは独特の呼吸に関係しているのかもしれんが……それにしても」

 

 鉄球を振り回す男を見据えて言う。

「我らの道を阻むというなら。厄介極まりない相手よ」

 

 ライドウは小さくうなずき、刀を構え直す。その刃が再び緑の燐光を放ち出した。

そのとき。

 

 割って入るように、別の声が二人の間に降ってきた。やや高い、声変わりしたかどうかの少年の声。

「ちょーっと、ちょっと待ったお二人さん!」

 

 二人の上、その空間を薄く照らしながら。白くか細い光の中に浮かぶ少年がいた。

 身につけた服はライドウと同じ学生服。男子としてはやや長い、襟にかからぬ程度で整えられた髪。優秀さをうかがわせるような整った顔立ちだが、眼鏡の下の眼差しはむしろ、人(なつ)こい子供のそれを思わせた。

 

「いや、お一人様と一匹? かな? でもやっぱりお二人さんの方が合ってる?」

 小首を傾げる少年は、その輪郭をおぼろげに揺らす。体も身につけた衣服も。

 

「……」

 ライドウは何も言わず、視線だけで少年を促す。

 少年は手を一つ叩き――その手の輪郭がまた、波紋のように揺らめく――言った。

「そう、それよりだよ! 何やってるんだい、こんなことやってる場合じゃないよ!  ライドウくんともあろう者がとんだ道草を食うじゃないか」

 

 胸に手を当てて少年は言う。

「忘れないで欲しいな、この異世界に来た目的……『僕を探して、倒しに来てもらった』こと」

 

 そう言った。ライドウの友であり、敵であった存在、安倍(あべ) 星命(せいめい)――彼が残した思念の、(アストラル)体は。

 

 



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第三章  友の残り香、遠方より来《きた》る

 

 ――その一刻ほど前。

 

 帝都郊外、人の気配のない草原(くさはら)で。月明かりの下、ライドウは少女と向き合っていた。

 

 少女、凪は手にした小太刀程の短い木刀を、体の前に片手で構え。大きく踏み込むと同時、ライドウへと真っ直ぐに突き出す。

「はっ!」

 

 ライドウは片手に木刀を提げたまま、無言で小さく身をかわす。

 そこへ凪は、矢継ぎ早に木刀を繰り出す。突き、逆袈裟(ぎゃくげさ)の斬り上げ、そこからの斬り返し。その動きの度に、緩く縦に巻いた彼女の黒髪が顔の両側で揺れる。

 

 ライドウは構えることなく、わずかな動きで身をかわし続ける。だがやがて木刀を上げ、凪の突きを片手で横から弾いた。

 かと思うと。凪の木刀を、自らの木刀の中ほどで押さえたまま身を寄せる。そのまま、空いた左手を自らの切先に添わせて、凪の喉を横からかき斬る――その手前でぴたり、と止めた。

 

「……!」

 びくり、と動きを止めた凪から、ゆっくりと身を離す。木刀を下ろした。

「……甘い。突くよりもむしろ、引きを意識するべきだ。さもなくば、こうなる」

 

 木刀を弾かれたままの姿勢で固まっていた凪は、そこで大きく息をついた。木刀を下ろし、深く頭を下げた。

「恐縮する、プロセスです」

 

 表情を変えずライドウは言う。

「だが、良くなってきた。続けよう」

 

 凪は、ぱ、と青い目を見開き、表情を緩めた。額の汗を、濃緑のジャケットの袖で拭おうとして。思い直したように、ズボンから出したハンカチで拭く。

 

 ライドウは片手で木刀を握り、構えてみせる。

「それと片手剣、威力が劣るのは仕方がないが。重心の移動で体重を乗せることができれば違ってくるだろう。正中線を意識して、腰を――」

「そうそう、腰だよ腰! 剣は腰! うどんと同じだね」

 言ったのは凪ではない、離れた場所に座るゴウトでも。

 

 白くか細い光をまとって宙に浮かぶ亡霊の如き姿。

それは友。悪魔とそれを悪用するものの手から、この国を護る『超国家機関・ヤタガラス』の仲間だった少年。

先頃『秘密結社・コドクノマレビト』との戦いで、ライドウ自身がその手にかけた、それは敵。

 (アストラル)体の姿を取って、安倍(あべ) 星命(せいめい)がそこにいた。

 

 口を開けていた、ライドウは。

「…………、っ……!」

 それでも、奥歯を噛み締めて。手にした木刀を振るった――明らかに重心の乱れた、力まかせの剣を。

 

 星命は身をのけ反らせて宙を滑る。

「うわあああ危なっ! ……すまない、ライドウくん。先に言っておくよ」

 表情を消して――いや、どこか申し訳なさげに眉を下げ――星命は言う。

「僕は安倍星命じゃない、彼の霊でも魂でもない。彼は死んで、この世に無い。……彼の残した思念、それが彼の姿でここにいる。そう理解して欲しい」

 

「……」

 身じろぎもせず、ライドウは構えたままでいる。

 

 傍らで凪が息を呑んだ。

「安倍、星命……コドクノマレビトの首領……!」

 弾かれたように跳びすさり、木刀を捨てて。近くに置いた自らの小太刀とライドウの刀を拾う。

「先輩!」

 

 凪から放られた刀をつかもうとして、明らかに動作が遅れ。刀は不様に足下に落ちた。

 

 刀を拾い、剣帯に挿すライドウを見やってから。星命は目を伏せた。

「……すまない、急に。けれど、星命()の記憶を持つ僕からすれば……少し、嬉しいよ」

 表情を消し、強くライドウの目を見て続けた。

「けど、僕も旧交を温めに――星命()の代わりに――来たわけじゃない。頼みたいことと、伝えるべきことがある」

 

 いわく。安倍星命を依代(よりしろ)として寄生していた、異星存在『向こう側に在る者(クラリオン)』――星命の意思にすら干渉していた、コドクノマレビト真の黒幕――。倒したはずの、その欠片が生きていると。

 星命の腹心、倉橋黄幡(おうはん)。一命を取りとめた彼がその肉片を回収し、所持していた――おそらくは再起の時を待つため――が。それは黄幡(おうはん)自身を喰らい殺し、再び(うごめ)き始めた、と。

 

「ただ、黄幡(おうはん)は思慮深い男。暴走の危険性を考慮して、自分以外決して出入り出来ない場所にクラリオンの欠片を封じていた……物理的にも魔術的にもね」

 

 ゴウトが口を挟む。

「ならば、取りあえずは猶予があるということか。ヤタガラスに手配し、組織的対処を――」

 

 星命は首を横に振る。

「それがとんでもないことになってね。いや……ある意味では、放置しても影響はないんだけど。この世界には、ね」

 

「……どういうことだ」

 ライドウに促され、星命は続ける。

黄幡(おうはん)の封印は大したものだった。そのままいけばクラリオン、無限に(かつ)えた孤独の客人(まれびと)も、そもそもかつての力は無く。飢え渇いて果てるはずだった。だが……そうはならなかった」

 

 いわく。極限まで飢えたクラリオンは、不可能なものすら喰おうとしたと。世界をを隔てる次元の壁、存在すら知覚できるはずのないものを。

 無論不可能だった、そのまま果てるはずだった、が。壁の反対側から、同じく呼ばう者がいた、と。

 

「並行世界の帝都付近――向こうは大正一(けた)年代かな、こちらは大正二十年だけど――、そこに巣食う『鬼』の組織。その中に、空間を操る者がいた」

 

 いわく。故意か偶然かはともかく、その者がクラリオンの存在に気づき。鬼の組織の長の(めい)で、クラリオンをそちらの世界へ引き寄せた、と。

 

 長く息をついた後に星命は言う。

「だから、まあね。クラリオンが移動した後の、次元の裂け目はそのうち消える。放っておいても問題はない……こちらの世界にはね」

 

 長く黙っていた後、ゴウトが口を開く。

「……我らもかつて、並行世界を垣間見たことはある。そこにはそこの雷堂(ライドウ)がいた、彼らに連絡だけでも――」

 

 星命は首を横に振る。

「並行世界にも色々あるらしくてね。その世界にどうやら、ヤタガラスは存在しない……あるいは僕らが知る、悪魔も。つまり――」

 

 凪がつぶやく。

悪魔召喚師(デビルサマナー)が存在しない世界……その世界にクラリオンが、野放しになるセオリー……そんな……!」

 

 星命は額に手をやり、目をつむる。かぶりを振った。

「……言いたくない、言いたくないんだこんなことは。放っておけばいい、他の世界がどうなろうと、君をまた――」

 

 ライドウが口を開いた。

「どこだ」

 

 目を瞬かせる星命に、続けて言う。

「案内してくれ、その次元の裂け目に。――そのために、来たのだろう」

 

 目を瞬かせ、視線を伏せて星命は言う。

「それは、うん、すぐ案内できる、遠くはないし、封印の場所から大きくはみ出て裂け目は広がってる。問題なく向こうに行ける、そこを通って向こうの世界から来たんだ、僕――クラリオンの欠片から剥がれた、星命の残留思念――は。けど……」

 

 ライドウは無言でマントの下、刀、管、銃を確かめる。

「行くぞ」

 

 目を伏せたまま星命は言う。

「……思わない? 普通さ、罠だって。嘘か、仮にクラリオンが生きてたって、君をおびき寄せようしてるとか――」

 

 視線を動かさずライドウは言う。

「真実だったなら。別の帝都が、世界が滅びかねない……星命()を遠因として。だとすれば――」

 小さく、奥歯を噛む。

「……我慢がならない」

 

 凪が駆け寄る。

「先輩。ご一緒させていただくプロセスを希望し――」

 

 ライドウは手で制する。

「すぐにヤタガラスへ連絡を。その後は追ってくる必要はない、こちらに残っていて欲しい。もしものことがあれば、後を頼ん――」

 

 そこで言葉を止め、表情を変えないまま言った。

「――いや。必ず、帰ってくるセオリーだ」

 

 そして星命に視線を向け、うなずいて。共に駆け出した。

 

 



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第四章  剛斧《ごうふ》鉄球、霊刀と相打《あいう》つ

 

 ――そして今。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 悲鳴嶼は変わらず念仏を唱え、鉄球を振り回す。己が武器に遠心力を乗せつつ、いつでも攻防に使える体勢。

 

 敵は先ほど出現させた、手下の鬼に帰還を命じた。同時、その傍らに立っていたはずの、先程電撃を放っていた痩躯(そうく)と、投げ倒した巨体。その二つから跳ね返っていた音が突然手応えを失う。

 そしてそれらがいた位置から、敵に向かって何かが流れる――音の跳ね返りは柔い、むしろ、ゆるり、と透過するような。実体ではなく水の流れや、揺らめく炎のような何か――。その流れは敵の手にした、筒のような器物に収まった。

 

 そして敵は刀を下ろし――鞘に納めはせず――声を発した。

「待て。敵対するつもりはない、当方は対話を希望する」

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 

 管か何か、小さな物に手下を封じておき、自在に呼び出しては血鬼術を使わせる、それが奴の血鬼術。そう悲鳴嶼は判断した。

 そして、そう判断した以上。対話に応じる必要も意味も無い。血鬼術を使える人間などなく――呼吸術による力はあくまで物理的な力、火や水を放つような神通力ではない――、人間に味方する鬼も――わずか二、三の例外を除いて――ない。

 何より奴は斬った、悲鳴嶼の前で隊士を。

 

 そして悲鳴嶼は、返答を口にした。

「【岩の呼吸・()ノ型――流紋岩・速征】」

 斧と鉄球、鎖につながった翼の如く左右へ広げつつ、前へと挟み討つように放つ。

それはあたかも、たった一人の人間が完全に再現した鶴翼(かくよく)の陣。双方向から回り込み、押し包み、すり潰す――そのための攻撃。

 

「くっ……!」

 相手は素早く飛び退き、挟み討ちの射程から逃れた。

 

 それでいい、と悲鳴嶼は思った。

 孫子の兵法書にもある――悲鳴嶼はかつてそれを、御館様から読んで聞かされた記憶があった――、敵を完全包囲するのは愚策、と。

もしそうすれば敵は死兵と化し、命を顧みず抵抗する――この敵程の手練(てだれ)であれば、回避不能と見れば前へ出るだろう。危険を冒してでも、武器を振るう悲鳴嶼自身を斬りに。

 

 そうならないよう手を緩めておいた、逃げ道をただ一つ空けるように。敵が後ろへ逃げられるように。悲鳴嶼が狙ったそこへ、上手く誘い込めるように。

 

 斧を手元へ引き寄せつつ、鉄球を敵へと大きく振るう。

 だがそれは、大技を放った隙を埋めるための攻撃に過ぎない、速度も力も乗ってはいない――そう、敵は感じただろう。

 

 そこへ。

「【岩の呼吸・()ノ型――天面砕き】」

 鉄球を振るう鎖を踏み締めた、畳にめり込む程の力を以て。

 緩く放物線を描いていた鉄球は突如その半径を縮め、遥かに速度を上げ。鋭く、敵へと()ちた。

 

「ライドウ!」

「ライドウくん!」

 敵から離れた位置にいた、その仲間らしき者――小動物と、宙に浮かんだ炎か風の流れのような、ゆらめく何者か――が声を上げる。

 

 同時、古畳と床板の粉砕された轟音、辺りに舞い散る(かび)くさい粉塵。

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 せめてそれだけ念仏を唱え、鉄球を引き戻そうとして。

 

 気づいた。

床下まで打ち抜いたはずの鉄球が。畳の上ほどの位置に留まっていることを。

 

「おお……おおおぉっ!」

 燃えるような叫びと共に、敵は鉄球を振り落とし。床下から跳び上がった。

 

「何……!」

 血のにおいがする、決して無傷ではない。それでも敵は、振り払うように空間へ刀を振った。

 それと同時に、辺りに何か多数の、いや無数の物が倒れる音。

「これは……剣……?」

 

 いったいどこから現れたというのか、これも敵の血鬼術か。周囲の畳に深々と突き立った無数の直剣。それが敵を護るように(かし)ぎ、まるで天幕(テント)のような形に折り重なり。厚く厚く、防弾壕(トーチカ)にすら似て分厚く重なり。

 そのほとんどを折り取られながらも、剣の群れは砲撃の如き鉄球から護り抜いた。敵を――葛葉ライドウと名乗るその男を。

 

 剣の破片が、これも炎や風の流れのようなものへと姿を変え、かき消える中。ライドウの仲間、小動物の姿をした者がつぶやく。

「かつてその刀に宿した剣神『フツヌシ』……その残した思念と力がライドウを護った、か……」

 

 血を流しながらもライドウは、背筋を伸ばして立ち。刀を納めた。

 そして声を放つ。

「敵対するつもりはない。当方は、対話を希望する」

 

「…………」

 悲鳴嶼は鎖を手放しはしなかった。

 ただ、忘れていた。それを振り回すことも、経を読むことも。

 

 



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第五章  対話す両雄、或る悪意に弄《ろう》される

 

 背筋を伸ばしたままライドウは言う。

「おそらく誤解がある、まずはこちらの立場を説明させて欲しい。……自分は『悪魔』と呼ばれる存在を使役し、人に害なす悪魔を討つ悪魔召喚師(デビルサマナー)。この屋敷に強大な悪魔の存在を感知し、討つために来た」

 

 しばらくの沈黙の後、鉄球の男は口を開いた。

「……その話だけを聞けば、こちらと事情は似通っているが。……私は鬼殺隊士、人を喰らう『鬼』を狩る者。この屋敷で多くの者が行方知れずとなっていると聞き、鬼の存在が疑われたため来たが――」

 

 じゃり、と鎖の音を立て、その手の斧を握り直す。

「――行方知れずになった者の中には。先に派遣された隊士も複数いる……先頃貴様が斬り殺した、揃いの服を着た者らだ」

 同じく鎖の音を立て、鉄球を肩に担いだ。

 男の歯が、ぎり、と音を立てる。

「その者らを殺しておいて。誤解がある、とは何のことだ」

 

 宙を漂う星命が、そこで急に口を挟む。

「はあああぁっ!? 見て分かんないのオジサン、目ぇ悪いんじゃないの!? ったくいい眼鏡作りなよ……僕みたいに」

 くいっ、と眼鏡を押し上げてみせる。

 

 ライドウは言う。

「いや、おそらく彼は目が……」

 

 星命は、かくり、と口を開ける。

「そうなの!? それであんな動きできるの!? すごっ……いや、それはいいんだ」

 再び眼鏡を押し上げ。表情を正して男へと声をかける。

「さっきライドウくんが斬り殺したもの。あれが人間だと……あなたはそう言うのかな」

 

「……どういうことだ」

 

「確かに揃いの服は着てる、あなたの言うとおりにね。けれどその中身は、決してあなたの知る者たちじゃない」

 

 星命は指差す、ライドウが斬り倒したものを。

 それは身に着けた隊士服ごと、体を両断されてはいたが。その体から、こぼれ出るはずの内臓はなかった。体を支えていたはずの骨も。

 今もひくひくとわずかに(うごめ)く、巨大な(ひる)のような――それを無理やり、人の形に押し込めたような――もの。それが隊士服を着たまま、斬られていた。

 

「一目瞭然――とはいかないか、あなたの目では。クラリオン――この屋敷に巣食う悪魔――が、喰らったものを外側だけ真似て再現した悪魔。気づかなかったのかも知れないが、あなたを襲い、喰らおうとした、クラリオンの微小な分身。それがあれだよ」

 ため息をついて星命は続けた。

「かつての力には程遠いとはいえ、奴も妙なことをし出したものだね。……、待てよ」

 

 そこで何かに気づいたように、目を瞬かせた。考え込むように指をあごに当てる。

「むしろそれが奴の、この世界で得た新たな力……? 喰らったものを模すことが?  だとしたら、それで何をしようと――」

 

 星命がつぶやく間にも、鉄球の男は死体へと歩み寄り。鼻をうごめかせ、あるいは手にした鎖をかき鳴らす。おそらくその音の反響で、死体を探っているのだろう。

 

 うつむき、そちらへ数珠をかけた手を合わせた後。ライドウへと向き直った。

「……私は鬼殺隊士、悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)。正直なところ、君の立場に関しては疑念もあるが……どうやら、詳しく話を聞かせてもらう必要があるようだ」

 

 ライドウはうなずき、口を開こうとした。

 

 が。それよりも早く、悲鳴のような声が上がった。屋敷の奥から。

「助けて! 助けて下さいヒメジマさん!」

 

 そこには。息も絶え絶えによろめき歩く少年がいた。ライドウが斬ったものたちと揃いの服を着た者。

「騙されないで下さい! そいつが……そいつが隊士をみんな殺したんです! 僕の仲間を!」

 

「な……」

 

 言葉を失う悲鳴嶼に、それはさらに言葉を重ねた。

「殺された、殺されたんですみんな、そいつの能力でそんな風に溶かされて! あいつも……シナズガワ ゲンヤも!」

 

「なん……だと」

 悲鳴嶼の手が拳に握られ、かけていた数珠が音を立ててひび割れる。

 

 そして、先頃からの声の主は、ライドウと星命へと振り返り。んべぇ、と舌を出してみせた。

 

 (わら)うそれは。隊士服を真似てみせ、星命と同じ顔をした、異様に澄んだ目をしたものは。

 かつて星命の中にいた、もう一人の安倍星命。

 ――クラリオン。

 

 



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第六章(前編)  鬼喰う少年、異界の淑女と出会うプロセス

 

 ――一方、その少し前。

 荒い息を抑えながら、不死川(しなずがわ) 玄弥(げんや)は一人、鋭い歯を噛み締めていた。

 (ふすま)に背をつけ、身を隠しつつ、身につけた隊士服の隅々までまさぐるが。何度数えても、残る実包――散弾銃の弾丸――は、二つ。

 

 舌打ちの後、銃を手にする。それはいわゆる水平二連の、銃身を切り詰めた散弾銃。

 銃把(グリップ)の上部に位置するレバーを横へずらす。二連の銃身が根元から折れ、装填口から空の実包二つが顔を出した。それを捨て、新たな実包を込める。金属の噛み合う音を立て、銃身を元に戻した。

 

 なんてこった、そう考える。そうだ、なんてこった。共に派遣された隊士らは、次々と殺され喰われていった。先に派遣されていた隊士の振りをした、鬼どもに。

 どうにか生き残った者もいたが、彼らもまた倒されていった――翼を持つ獅子、地獄絵図に見る餓鬼(がき)牛頭鬼(ごずき)馬頭鬼(めずき)。毒キノコの笠を被った、髑髏(どくろ)の顔をした死神――、見たこともない鬼の群れに。そう、まるで『悪魔』のような。

 以前に喰った鬼の生命力を残した、『鬼喰い』の玄弥だけが、かろうじて生き残れていた。

 

 『鬼喰い』それは鬼の体を喰い、その能力、筋力、再生力などを一時的に取り込む異能。玄弥はそれを持っていた。

 そして。だからこそ、この場所の鬼を喰おうとは思わなかった。

 ――あれは『喰らうもの』。俺と同じに、俺より遥かに。全てを喰らい尽くそうとするもの。喰おうとすれば、こちらが喰われる――そう理解できた。

 

 そして今。息を整えながら思う。

 どうすべきか、それはただ一つ。生き延びてここを脱出し、鬼殺隊へこのことを伝える――伝令の鎹烏(かすがいがらす)、あれも軒並み喰われていた。玄弥の烏もはぐれたか、喰われたか――。

 

 もう一度大きく息を吸っては吐き、銃把で自らの額を叩き。片手に銃、片手に日輪刀の小太刀を握り締める。

 

 そうだ、日輪刀といえば。これも妙なことがあった。玄弥たちを襲った鬼、隊士を装ったものもそうでないものも。首を斬らずとも死んでいた。並の生物が息絶える程の傷を、体のいずれかに与えれば――本来、鬼殺隊の狩る『鬼』、それを殺す術はただ二つ。日光を浴びせるか、日光の力を帯びた鉄で造られた、日輪刀などの武器。それらで首を斬り落とすか。そのはずだった――。

 

 とにかく。それも含めて鬼殺隊に伝え、柱――鬼殺隊最強格の隊士ら――を含む増援を募る。それしかない。

 

 そう考え、敵の有無をうかがおうと、襖の陰から顔を出したとき。

 玄弥は文字通り、尻に敷かれていた――正確に言えば、顔を出したとたん目の前の空中に、稲妻のような亀裂のようなものが黒く走り。そこから女が(まろ)び出てきた、白いズボンの尻から先に――。

 

 そして。

「きゃ……!」

 そういう小さな悲鳴を残し、玄弥の顔の上に。女の尻が乗っかっていた。

 

「……~~!!?」

 声にならない声を上げ、玄弥は女の下から這い出る。

 目を瞬かせて女を見る、緩く縦に巻かれた黒髪を顔の両側に垂らした女、玄弥より幾つか上か。西洋人形にも似た顔立ちの、青い目の美人。

 

 敵なのか――そもそも何なのか――、武器を向けるか否か。玄弥が目を瞬かせていたその瞬間に。

 

「ステイ!」

 女が抜いた小太刀――玄弥のものではない、女が持っていた自前だ――が、目の前に突きつけられていた。

 

 立ち上がりながら女は言う。

「ステイ……動かないで欲しいセオリーです。質問します、ここは異世界の……いえ、その――」

 額に手を当て、悩むように目をつむった後で続ける。

「ここは! 悪魔に襲われているプレイス、それで間違いないプロセスですか!」

 

 目を瞬かせた後でようやく、つぶやくように答える。

「あ、ああ……鬼は、出てる。それで来たんだ、俺が、鬼殺隊が」

 

 女の目が、ぱち、ぱちと瞬いて。それから、ぱ、と笑みを浮かべた。花が咲くみたいに、顔中で。

 一つ手を叩いて言う。

「鬼殺……デーモン・スレイヤー! つまりそう、この世界のヤタガラスのようなものですね、申し遅れました――」

 

 濃緑のジャケットの間からのぞく、白いシャツに覆われた胸。慎ましやかな膨らみを見せるそれを音を立てて叩き、女は名乗った。

「――私は悪魔召喚師(デビルサマナー)、亡師たる葛葉四天王が一角・葛葉ゲイリンの弟子、凪!」

 

 強く叩き過ぎたか、けほ、と、むせた後。凪と名乗った女は言った。

「とにかく。こちらにライドウ先輩が来ているはずです、ああその、凄く強い味方が。貴方の仲間はいらっしゃいますか」

 

 聞かれて、さすがに玄弥の視線が下がる。

「……いない。全滅だ、多分、俺一人。どうにかここから――」

 

 聞くと同時。凪と名乗った女は、胸の前でシャツを強く握り締めた。頭を下げる。

「……ソーリィ。配慮が足りなかったプロセスです」

 

 玄弥は目を瞬かせた。訳が分からなかった。なぜこんな、突然出てきた何者かも分からない女が――俺よりも、つらい顔をするのか。悲しむのか、涙さえ目の端に浮かべて。 

 

 涙を拭い、手を一つ叩いて。女は言った、笑顔を作って。

「けど! ここからはノープロブレムです、私が貴方を護ります。とにかく、先輩を探して合流を――」

 

 その言葉の合間に。聞こえてきた、引きずるような足音が。

そして闇から姿を見せた。玄弥を襲った、隊士服を着た死霊のようなものの群れが。宙から聞こえてきた、翼を持った獅子の羽ばたきが。

 

「ヤバい――」

 玄弥が銃を構えるより早く。

 

 女はその胸元から、金属の管を抜いていた。

「焼き尽くして――『オルトロス』!」

 

 見る間に管から緑色の光が溢れ、流星のように一筋となって駆ける。畳の上に討ち当たったそれは、光の粉を散らして。やがて獣の姿を取った。

 黄色い体毛、青いたてがみの双頭の獅子。ただしその尾は青く(さそり)のように強靭な殻を持ち、その目は青く輝いている。

 

「オルトロス、【炎の吐息(ファイアブレス)】です!」

「フン……ケモノ使イノ荒イコトダ!」

 片言の人語で悪態をつきながら、双頭の獅子は息を溜めた。一拍の後、二つの口から放たれる。長く尾を引く【炎の吐息(ファイアブレス)】が。

 

 翼を持った獅子がそれに巻かれ、のたうちながら地に落ちる。そこへ双頭の獅子が跳びかかり、その牙で爪で蹂躙(じゅうりん)する。

 さらに獅子は隊士服の敵の群れへと跳び、尾を振るい牙を剥く。たちまちの内に敵陣は蹴散らされた。

 

 しかし。

「オルトロス! 退いて!」

 凪と名乗った女の声もわずかに遅く。双頭の獅子は、敵の刃に裂かれていた――毒キノコの笠を被った、髑髏(どくろ)の顔をした死神。その振るった直剣に。

 

「ガァ……!」

 唸って倒れる獅子の、血まみれの前脚が飛んで玄弥の前に落ちる。

 

 反射的といえる速さで、玄弥はそれを手に取っていた。

 ――違う、これは違う。鬼ではないかも知れないが、あの『喰らうもの』とは違う。なら、喰ってみるまでだ。この状況を打破できる可能性、それが一つでもあるのなら――。

 

 かぶりつく。血のにおい、鼻孔をつん裂くような。筋張った肉、鉄筋のような骨。それでも、噛み締める。咀嚼(そしゃく)し、呑み込む。

 

 ――体が、燃える。

 

「おお……おおおっ!」

 玄弥の全身を炎が包み、それが消えたとき。変わっていた。縦に割ったように玄弥の左半身が、獣に。

黄色の固い体毛、青のたてがみ。鋭い牙、爪。腰の後ろから伸びる、青い甲殻に覆われた尾。そしてその左肩には、肩当て鎧のような格好で、獅子の片方の頭。

 

 巡る、鼓動が。熱い炎のような血が、全身を。妙なことではあったが、獣と化していない右半身にも同じ血の巡りを、力を感じた。

 

「おおお……うおおおおぉっ!」

 未だ手負いの獅子と向き合っている死神へと跳ぶ。少し力を入れただけで玄弥の両脚は、畳を踏み削る程の力を発揮し。弾かれたように弦弥を空中、死神の顔の前へと飛ばした。

 

「そぉらああ!」

 振るう、左手から伸びる爪。続けざまに振るう右手の小太刀も、同じく獣の力がこもる。

 

「ガアア!?」

 不意を突かれた死神が顔を裂かれてのたうつ。だが、致命傷には程遠い。

 

 背後から女、凪の声が飛ぶ。

「貴方の……その能力は」

 

 振り向かないまま玄弥は答える。

「……『鬼喰い』、喰った鬼の力を一時的に得る……そういう体質だ」

 前を向いたまま視線をうつむける。

「……すまねえ、驚かせた。それにあいつ喰って……ごめん」

 

 何か言おうとしたのか、女が息を飲んだのが聞こえた、そのときに。

 死神はまるで、風に吹かれる植物のように。有り得ない角度で身を倒し、手を伸ばし。直剣を玄弥へ振るっていた。

 

「しまっ――」

 視線を下へ向けていた弦弥の反応が遅れる、目の前に刃が迫る――駄目だ、何をやってる間抜けか俺は、この体でも今さらかわせない、耐えられるかどうか――。

 

 が。刃は当たらなかった。

突然後ろから引き倒された。女の細い腕で。女はそのまま自分の体ごと、玄弥をかばうように倒れ込む。

 

「な……」

 玄弥はすぐに身を起こした。追撃に備えるべく無理やりに女を引きずり、大きく敵から距離を取る。

 そのときに気づいた、女の肩口が先程の攻撃で、浅く斬られていることに。

 

 がば、と身を起こすなり女は言う。

「貴方、無事なプロセスですか!」

 

 玄弥は目を瞬かせていた。口を開けて。

 ――何だ、こいつ――そう思った。――傷ついているのは自分の方なのに。それよりも先に俺のことを――

 

 玄弥はつぶやく。

「――、たねぇ」

「え?」

 

 同じだ、これじゃあ――そう玄弥は思っていた。

 ――同じだ。母ちゃんが鬼になってしまったあのときと。

 ――同じだ。兄ちゃんが俺をかばって、一人で母ちゃんを殺したあのときと。

 ――何も変わってない。何もできなくて、なのに兄ちゃんに恨み言を、それだけをぶつけてしまった、あのときと。

 ――変わっていない。多くの隊士が死んで自分だけが生き残り、見知らぬ女にまでかばわれた今が。

 

 牙を、奥歯を噛み鳴らし、玄弥は言葉を吐き出した。

「――やる方ねぇ、やる方ねぇよこんなんじゃよぉ……憤懣(ふんまん)やる方ねぇ……!」

 そうだ、憤懣やる方ない。何も変わっていない、弱い自分が。

 

 握る拳に爪が鳴る。再び脚に力を込める。跳んだ。

「おあああぁぁっ!」

 死神の顔が目前に迫る。だがその前には、構えられた鋭い剣。

 

 玄弥は敵へと向けた。己の左肩、獣の方の半身を。

「絞り出せ……【炎の呼吸(ファイアブレス)】!」

 

「グアアア!?」

 玄弥の肩についた、獅子の口から吹き出した炎に全身を巻かれ。敵はその身をねじるようにのた打ち回る。

 

 手負いの獅子が横で言った。

「パクリダ! ソノ技、オレサマノ!」

 

 



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第六章(後編)

 

「戻りなさい、オルトロス!」

 凪の声が飛ぶと同時、獅子の体は緑の光となって散る。吸い込まれるように、凪の手にした管へと還っていった。

 

 その間にも、玄弥は炎のくすぶる死神に爪を浴びせては引き、振るわれる剣を小太刀で受ける。まだ、決着はつけられそうにない。

 

 凪が声を上げる。

「貴方! ええと――」

 

 敵の攻撃から身をかわしながら、玄弥は一瞬悩んだが。こちらの名前を知らず呼べないのだと、遅れて理解した。

 死神へ斬りつけながら言う。

「何だ! 後にしろ後に!」

 

 後ろから凪は言う。

「心苦しいプロセスですが、もう少しそのまま頑張って下さい!」

「あぁ?」

 

 跳び退きながら横目で見ると。凪は、一本の管を手にしていた。

「わずかだけ時間を稼いでいただければ、強力な仲魔を()べるセオリーです」

 

 よく分からない――そもそもなぜ、血鬼術のような召喚術を凪が使えるのかも分からない――が。とにかく、玄弥は断わらなかった。無言のまま戦闘を続ける。

 

 管を持ったまま目をつむり手を合わせる、凪の声が静かに響く。

南無(なむ)ハチマン大菩薩(ぼさつ)、日の本の神明――」

 

 玄弥は爪と小太刀で十字に斬りかかるが、敵の剣に阻まれた。つばぜり合いに持ち込むが力で押され、舌打ちして身を引く。

 

「――天神地祇(てんじんちぎ)鞍馬(くらま)のビシャモンテン、並びに護法魔王尊――」

 

 続けて振るわれる剣を玄弥は跳び、身をひねり、体ごとのけぞってどうにかかわす――鶏冠(とさか)のように逆立った黒髪が、幾筋か切り払われた――。

 

「――願わくは()の武者を(つか)わしめ、あの妖異をば討たせてたばせ給え」

 目を見開き、凪が声を上げた。

「召喚! 貴殿の名は――英雄『ヨシツネ』!」

 

 緑の光が管から飛び出し、軽快な男の声を上げた。

「ハッハー! 浅草六区(ロック)で祭りだぜぇぇぇ!」

 見る間に光は、赤い鎧をまとった若武者の姿を取る。端整な顔の上、頭には烏帽子をかぶった、身軽そうな細身の武士。その手には抜き身の太刀。

 

「え……」

 敵から距離を取りながら、思わず玄弥はそちらを見る。

 幼い頃、ぐずる弟たちをあやしながら。寝床の上で母が語ってくれた、牛若丸――後の源 義経――と弁慶の昔話。それが、ここに? 

 

 凪は死神を真っ直ぐ指差す。

「ヨシツネ! あの敵を倒し、少年を救うセオリーです!」

 

 整った顔をはっきりと歪め、ヨシツネは舌打ちする。

「このオレに命令たぁ、出世したもんだな小娘……まぁいい。あの程度、名刀『薄緑(うすみどり)』の露にしてくれるわ! 行くぜ、【ヨシツネ見参】!」

 

 言う間にヨシツネは高く跳び。闇の中へ高く跳び――そういえばこの屋敷は異常に大きい、一部屋一部屋が大広間か蔵のように。外から見たときはただの屋敷だったが、これも悪魔とやらのせいか――。そのまま闇に姿を消した。

 

「……ん?」

 玄弥がいぶかしんだとき。

 

「しゃあらああぁ!」

 遥か高くの壁を蹴ったか、矢のような速度で。ヨシツネが敵へと飛びかかる。

 

「ググ……!」

 その一撃は、敵も剣を構えて受けたが。

 大きく体勢を崩したそこへ、着地したヨシツネが連続で太刀を振るう。

「おぉらぁ! これで終いじゃあ!」

 さらに、一直線に駆け抜けながら。胴斬りに振るった刃が、敵を両断した。

 死神の上体がぐらり、と揺れ、音を立てて畳に落ちる。

 

「ふ。決まったな……決まり過ぎたぐらいだぜ」

 太刀を一つ降った後、目を閉じて納刀するヨシツネ。

 

 凪の声が飛ぶ。

「ヨシツネ、後ろ!」

「ん?」

 悠々と振り返ったヨシツネの前に。倒れた死神が最期の力で振るう、剣が迫っていた。

「えっ……」

 

 完全に固まったヨシツネには構わず。玄弥は銃の引き金を引いた。横合いから敵の腕、そして頭へ一発ずつ、最後の銃弾を。

 散らばる弾丸の群れは敵の腕を折り、頭を吹き飛ばし。完全に敵の動きを止めた。

 

 凪が玄弥とヨシツネの方へ駆け寄る。

「感謝です、助かったセオリーです! ヨシツネ、怪我は」

 

「えっ、と……」

 目を瞬かせていたヨシツネだったが。突然玄弥に向かい、顔をしかめた。

「今よーてめえよー、『てつはう』が一発ヒュン、って一発ヒュン、って! オレの顔に当たるとこだったろうがよ、あぁー?」

 頬に何度も、ヒュン、と指を走らせる。

 

「…………」

 玄弥は口を開けていた。

なんだか、思っていたのと違う。この義経は。

 

 一発ぐらい当たっていても良かった、そう思いながら凪に向き直る。視線をうつ向けていった。

「こっちこそ、助けられた。……俺は鬼殺隊、不死川(しなずがわ) 玄弥」

 

 ヨシツネが腕組みして背を反らせる。

「ふんっ、特別に名乗ってやろう。遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは源――」

 

 目を合わせずに玄弥は言う。

「お前はいい」

「何ぃぃ!」

「知ってる」

「お……おう。そうか。さすがにオレは名高き――」

 

 何か喋っているヨシツネは無視し、凪に言った。

「悪いが、力を貸して欲しい。図々しいかも知れねえが――」

 

 凪は玄弥の手を握る。

「もちろん、こちらこそお願いしたいセオリーです」

 

 と、そのとき。闇の向こうから、何かが這いずるような音がした。

 見れば。さらに現れた、隊士服を着た屍人、着物姿や洋装の屍人。泥に目と口をつけたような魔物。

 

 玄弥は鼻を鳴らし、獣の力を宿す手を握る。

「ふん、早速お出ましかよ。だが――」

 

 さらに現れた。泥の魔物。地獄図に見る餓鬼。牛頭鬼、馬頭鬼。根を軋ませて歩く、人骨を幹で捻り潰した木。炎の尾を持つ虎。翼をはためかす、西洋甲冑をまとう天使の手には剣が光る。

 人魂のように宙に燃える、南瓜をくり抜いた形の(あやかし)。体温の全てを吸い取るような、穴にも似た光ない瞳の、凶悪な牙の雪達磨(だるま)。雷をまとった獣。牛すら喰らうかと思われる、巨大な体躯の蜘蛛の一団は皆、角のある鬼に似た形相をしている。

 それらが溢れかえる向こうには。見上げるような巨大な骸骨が、足音も重く向かってくる。

 

「………………」

 無言のまま。三人の顔が、一様に引きつる。

 

 



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第七章  最強の隊士、その眼《まなこ》で真実を見据える

 

 ――一方、その少し前。

 

 悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)の握った手はわずかに震えていた。目の前の少年――身につけているのは衣擦れの音から隊士服だ、声に聞き覚えはないが、悲鳴嶼とて全ての隊士を知っているわけではない――の言葉を聞いて。

 

 自らの弟子、不死川(しなずがわ)玄弥が死んだと。目の前の、葛葉ライドウと名乗る男に殺されたと。

「それは……本当か」

 

 少年は――どこか抑えたような低めの声で――叫ぶ。

「当たり前です、早くそいつを殺して下さい! いや……とにかく離れて! 危険です、他の隊士もやられた、仲間のふりをしていつの間にか混じってた、そいつに!」

 

 ひび割れた数珠をかけた手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えた後に。悲鳴嶼は口を開いた。

「落ち着け。……君とて隊士となって年月が経っているのだろう。ここで行方知れずとなった隊士、全てを把握しているわけではないが……不死川が若い他は手練(てだれ)揃い、そう聞いている」

 

 わずか口ごもった様子で少年は答えた。

手練(てだれ)といえるかはともかく……ええ、まあ」

 

 ライドウが口を開く。

「聞いて欲しい。その者こそが敵……自分が討つべき悪魔、そしてあなたの仲間を――」

 

「黙れ」

 無表情に言い放った後、悲鳴嶼は少年に向き直る。

「……さて。落ち着いて答えて欲しい、思い違いがないように。他の隊士は皆殺された、そう言ったな」

 

 素早く少年の返事が返る。

「はい! だから言ってるでしょう、奴に――」

 

「落ち着け。……殺された中には私の弟子もいた、そうも言ったな。黒髪が鶏冠(とさか)のように逆立った少年――間違いないか」

 

「はい、そうです、シナズガワの奴も――」

 

 拳を握り、悲鳴嶼は言う。

「確認する、復唱してくれ。シナズガワ ゲンヤ、品川の(しな)に津軽の津、流れる川に元気の(げん)、弓矢の矢。この名の者で間違いないか」

 

 少年は声を張り上げた。

「はいっ! 品川の(しな)に津軽の津、流れる川に元気の(げん)、弓矢の矢! 『品津川(しなづがわ) 元矢(げんや)』に間違いありません!」

 

「なんと……」

 悲鳴嶼は片手の鎖を取り落とし、よたよたと歩いた。少年の方に。

「なんということだ、可哀想(かわいそう)に……これまでも多くの隊士が死んでいった。そうでなくとも、隊士には様々な者がいた……そうだ、その中に『フジカワ』と呼ばれる少年がいたな」

 

「はあ……存じませんが」

 

 少年には構わず悲鳴嶼は歩く。力なく鎖を引きずりながら。

「だが、少年はそれに酷く腹を立てていた。自分の名字はそんな読み方ではないというのだ。私は物心つく以前からの盲目ゆえ、文字には明るくないが……興味を引かれた。それで、掌に書いて教えてもらったのだ。彼の名字――『不死』なる『川』の文字を」

 

「え……」

 

 少年が目を瞬かすうちに、悲鳴嶼は垂らしていた鎖を振るい。少年の細い体に幾重にも巻きつけ、締め上げた。

 

「な、に……!」

 

 鎖の端、手斧を構えながら悲鳴嶼は言う。

「だが、今や。新人でもない限り『不死川(しなずがわ)』の名字を知らぬ者が鬼殺隊にいるものか。玄弥の兄、フジカワと呼ばれていた少年。『不死川(しなずがわ) 実弥(さねみ)』が、『柱』の一角となった今は。――敵は貴様だ、そして」

 

 ライドウへ顔を向け、数珠をかけた手を掲げる。片手での合掌のように。

「――まだおそらく、だが。君は敵ではない」

 

 ライドウは何も言わなかった。息の一つもつかなかった。ただ、わずかにうなずいたのが、気配で分かった。

 

 悲鳴嶼は敵の少年に向き直り、手にした鎖を絞る。

「さて、貴様には聞くことが多そうだ。どうやら鬼ではない、彼らの言う別の敵のようだが。他に敵はいるのか、何の目的を持ってここにいる。……不死川は、玄弥は生きているのか――」

 

 そう言ったとき。彼方から()ぜるような音が聞こえた。かすかだったが、続けて二度聞こえたそれには覚えがある。

 玄弥の、二連散弾銃。

 

 



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第八章  弟子らと若武者、或いは深層を垣間《かいま》見せる

 

 ――一方その頃。

 じわじわと迫り来る悪魔の群れに玄弥は、凪とヨシツネも、じりじりと歩を後ろへ進めていた。決して背を向けず、しかし血の気を失った顔のまま、無言で。

 

 ぴしゃり、と両頬を叩いてから、ヨシツネが声を張る。

「ええい、殿(しんがり)はこのオレがやる! 小僧、小娘を連れて逃げろ!」

 

「お前……」

 玄弥が口を開けているとヨシツネは言った。

「ふんっ、勘違いするなよ。一番手柄は常にこのオレのもんよ! ……なに、オレは弁慶(武蔵坊)ほど律義者じゃねぇ……適当なとこでずらかってやるさ」

 

 目を瞬かせ、玄弥は考える。

 ――いいのかこれで、いやそうか、これでいいんだ凪の召喚術、あれで獅子を呼び戻したように戻せるのか、それに俺が殺られたら誰が鬼殺隊にこのことを――

 

 だが。あの時のことが頭をよぎる。兄にかばわれ、母が死んだあの時の。

 

 唾を吐き、弾丸の切れた銃を捨てて。刀を構えるヨシツネに並び立つ。獣の爪を軋らせ、敵を見据えて言った。

「ぬかせ。てめえ一人にかっこつけさせて――」

 

 背後で凪の声が上がった。

「同時召喚! 乗せて、オボログルマ!」

 振り返ると。その手の管から飛び出た緑の光、それが畳の上に落ち。黒い車――まさにタクシー、ただし事故にでもあったように車体を歪ませたそれ――の形を取る。

 

 いびつなドアを開けるやいなや助手席に跳び乗り、凪は声を飛ばす。敵の群れに視線を向けて、青ざめた顔のままで。

「何をしているプロセスですか! 早く乗って下さい!」

 

「――たまる、か……え?」

 玄弥は目を瞬かせる。横でヨシツネも同じ顔。

 

 凪は運転席に身を乗り出し――そこには運転手らしき骸骨が座っている――、何度かクラクションを鳴らした。

「は・や・くっ!」

 

「は……はいっ!」

 男二人で揃って返事し、後ろの席へ駆け入る。

 

 凪が声を上げる。

「オボログルマ! 全速力で逃げて!」

 車はその車体を弾ませ、どこからかは分からないが声を上げた。

「うぉまえは白樺派かぁぁぁ!? ドストエフスキーとかキライーとかどっちだぁぁぁぁぁ! ずっどおおぉぉぉぉん!!」

 

 その言葉の意味を玄弥が考え始める前に。車はその場で猛烈に車輪を回転させ、畳表を後ろに散らして。尾を引く排ガスを残し、疾走を始めた。

 

 クッションの固い椅子の上で、尻が跳ねるのを感じながら。玄弥とヨシツネは窓から後ろを見る。悪魔の群れも速度を上げて追ってはきていたが、車は確実に距離を離していっている。

 

 ヨシツネが口笛を吹く。

 玄弥も言った。

「やったぜ、これなら! って――」

 

 視線を前に戻した、その瞬間に気づいた。進路の先、畳の上。(ふすま)が視界一面に、前方をさえぎっていた。

 

「あ、あれ!」

 玄弥は前を指差したが。

 凪もまた、前を指差していた。

「突っ切って! オボログルマ!」

 

 エンジンをうならせ、車がさらに速度を上げる。

「うぉれは黄色い青だぁぁぁぁ! 大(アリ)名古屋は城で持つ、青い信号は止まらねぇぇぇぇぇ!」

 訳の分からない言葉を叫ぶ、車が襖をはね飛ばし。その破片がフロントガラスを砕く。

 

「きゃ!」

 凪が悲鳴を上げて伏せ、玄弥とヨシツネもそれぞれの顔を手でかばう。

 それでもどうにか無事だったらしく、車は走り続けていたが。

 

 ヨシツネが、振るえる指で運転席を指差す。

「そそそそいつどうなってんだ、御者(ぎょしゃ)、首、首ぃぃ!」

 

 見れば。ハンドルを握っていた骸骨、その頭がなくなっていた。襖の破片に弾け飛ばされたのか。

 そして。力をなくした腕の骨が、ぱたり、と倒れ。それに合わせてハンドルが切られた。猛烈に。

 

「きゃあああ!?」

「ぎゃああああああ!!」

「ああああああああ!?」

 悲鳴が交錯する中、渦のような回転の後。車は停まった。敵の方へ頭を向けて。

 そうするうちにも悪魔の群れは、足音も高く距離を縮めている。

 

「く……!」

 かぶりを振り、外傷のないことを確認した後。玄弥はドアに手をかけた。

「ここまでか……俺が足止めする、お前たちは――」

「待て、オレも――」

 

 その間に凪は運転席に移り、散らばる骨を拾い集めて。

そ、と助手席に置いた。頭を下げる。

「ありがとう、運転手の方……無事に帰ったら、きっと修復するセオリーです」

 

 そして、おもむろにハンドルとシフトレバーを握る。アクセルを踏んだ。

「さて。確か……こう!」

 エンジンがかかったままだったオボログルマは急発進した。敵の方に向かったままで。

 

「ずっどぉぉぉぉん! うぉれはうぉまえでうぉまえはうぉれで! オッス、オラ三杯酢!」

 車がご機嫌な声を上げる中、男二人は加速で背もたれに叩きつけられる。

 

「ごっはぁ……!」

 打ち所の悪かったヨシツネが倒れる中、座席にしがみついて玄弥は言う。

「ちょ、ちょっと待ってどこ行くんだあああ!」

 

 凪の表情は変わらない。

「確かブレーキは……こう!」

 急角度で切るハンドル、突然踏まれたブレーキ。それらは車体の向きを半回転する程に変えつつ、車体後部を振って大きく滑らせ。それが、向かってきていた悪魔を十数体、巻き込んで()き肉に変えた。

 

「ぎゃああああああああ!?」

 もはや自分のものか誰のものか分からぬ悲鳴を聞きつつ、玄弥は運転席の背にしがみつく。

「ちょ、おおおい凪さん! 免許、あんた免許とか持ってんのか!?」

 

 緩く巻かれた黒髪を、ふわ、と凪はなで上げる。

「たしなみ程度のプロセスですが。台天目(だいてんもく)までなら免状を」

「そうか凄いな多分茶道だろそれ! そうじゃねえ――」

「敵が来ます――行きます!」

 

 あああああああああああああ、と、玄弥の叫びだけを置き去りにして車は駆ける。またしても謎の制動で、悪魔をまとめて肉塊に変え。それを連続で繰り出しながら。

 

 オボログルマが声を上げる。

「こ……この動きはああああ! 車型怪異に伝わる暗黒のヤング伝説奥義【爆裂五連ドリフト】じゃねえかあああああ! すっげええええええ!」

 

 凪は前を――他の何でもなく前だけを――青い目で見据え、唇を舐める。

「なるほど……分かってきたプロセスです。もはや何びとたりとも、私の前は走らせません! 私が一番、オボログルマを上手く動かせるセオリーです!」

 

 床に転がるヨシツネは、頭を抱えて泣き叫ぶ。

「いやあああああもうダメだ助けて兄上ええええええ! 武蔵坊早く来て、早く来てえええええええええ!?」

 

 片や、加速で窓に頬を押しつけられながら。玄弥は、にこ、と笑っていた。穏やかに。

 ――ありがとう炭治郎、本当にありがとう。こんな俺だけどお前の言葉で、少しだけど素直になれた気がするんだ――。

 ――ありがとうございます悲鳴嶼さん、こんな俺を拾って鍛えてくれて。力になれず申し訳ありません、最期にもう一度お会いしたかったです――。

 ――兄ちゃん、本当にごめん。大好きだ――。

 ――母ちゃん、就也、弘、こと、貞子、寿美。俺も今そっちに行くよ。ただしクソ親父、てめーはダメだ地獄に落ちろ――。

 

 玄弥がまたも、にこ、と笑う中。

 オボログルマがご機嫌な声を上げた。

「ずっどおおぉぉぉぉん! 行くぜ凪ぃぃ! うぉれとうぉまえの合体パワーは! 百万ジゴワットの熱い……何? ほらアレ……なんだっけ……なんかすごくすごい……い……いちごタンメンだああああぁぁぁ! イスタンブール行きてえええええぇぇ!!」

 

 そのまま畳の上を駆ける。どこへ行くかは分からぬまま。

 

 



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第九章  全員、ついに集合す

 

 悲鳴嶼の耳が、その弟子の銃声を遠くに捉えた。ライドウがそう聞かされてしばらく後。

 闇の向こう、広大な畳の地平から。今度はライドウに取って覚えのある音が聞こえ、そして姿が見えた。

 爆走するオボログルマが。

 

 ライドウはわずかに目を見開く。

「! 凪君――」

 ()えるような表情でハンドルを握るのは、元の世界に残っているよう指示したはずの凪だった。

 

「ライドウ先輩!」

 凪も気づいたのか、オボログルマに突然制動がかかる。

 そして。急激にブレーキをかけたせいか、その際にハンドルを切ってしまったのか。オボログルマはその制御を失い、渦の如く回転しながら向かってきた。ライドウたちの方へ。

 

「ちょ……え? えええぇええ!?」

 星命が――(アストラル)体に物理的な危険が及ぶのかは疑問だが――悲鳴を上げる中。

 ライドウは懐から一本の管を抜いた。

「召喚。束縛せよ――『アルラウネ』!」

 

 管から溢れた光が取ったのは宙に浮かぶ、赤裸(あかはだか)の女の姿。まさに赤い、真紅の花びらのようなその肌はしかし、巻きつく(いばら)によっていくばくかが隠されている。

「承知したわ、私の可愛いサマナー」

 

 アルラウネが両手を、空を抱こうとするように広げると。その身と目元に巻きつく荊が、空を打つ音を立てて伸びた。

 それはたちまちにオボログルマへ巻きつき、その車体が隠れるほど巻き尽くし。皿に別方向へ伸びる荊が壁へ畳へ、根を張るように突き刺さる。

 

 結果、暴走したオボログルマは。いくらかの荊を引きちぎりはしたものの、蜘蛛の巣に捕らえられたような格好で。荊の網を軋ませて、その動きを停止させた。

 

 音を立てて荊が解かれる中、運転席から凪が降りる。

 後席からはヨシツネと、鶏冠(とさか)のような髪をした見知らぬ少年が、ドアを跳ね飛ばすような勢いで転がり出た。まるで一瞬たりとも車内にいたくないとでもいうように。

 

 ライドウは声をかける。

「無事か。――しかし、君には別のことを頼んだはずだが」

 

 凪は深く、腰まで頭を下げた。

「ソーリィ、です……でも、ヤタガラスへの伝令は仲魔に行なわせました。私は――」

 頭を下げたまま言う。

「先輩の、力になりたかったのです。……以前の、コドクノマレビトとの戦い。私は何も――」

 

 ライドウは首を横に振る。

「そのような言い方はよすんだ、それぞれに役割というものがある。今回は君を残したからこそ、もしものことがあっても、と――いや、それより。彼は」

 

 鶏冠髪の少年へとライドウが目をやると。

悲鳴嶼が彼の方へ駆け寄っていた。

「玄弥! 無事か」

 

 玄弥と呼ばれた少年は立ち尽くし、長くそのままでいた後。泣きそうな目をしてほほ笑んだ。

「……悲鳴嶼さん。会いたかった、会いたかったです、本当に」

 そして、膝から畳に崩れ落ちる。

 

「大丈夫か、何があった。他の隊士は、いや――、この方たちは」

 ヨシツネと凪へ、見回すように顔を向ける。

 

 ヨシツネが横から急に、玄弥と肩を組んだ。

「おう、オレと玄弥はなあ。共に死線をくぐり抜けたマブダチよ!」

 

 玄弥は目を瞬かせていたが、小さくうなずく。

「命の、恩人です。二人とも」

 

 凪がライドウに言う。

「彼は不死川玄弥さん。私と仲魔たちの、命の恩人です」

 

 ライドウはうなずいた。

「どうやら危険もあったようだが。君がいたからこそ、護れた命もあったようだ」

 ほほ笑んで――それが伝わったかは自信がないが――言った。

「よくやった、プロセスだ」

 

 目の端に涙をたたえながら。花が咲くように凪は笑った。

「ありがとう、ございます!」

 

 ライドウは悲鳴嶼と玄弥に歩み寄り、深く頭を下げた。

「後輩を助けていただいたとのことで。感謝の言葉もありません」

 

 悲鳴嶼は合掌する。

「こちらこそ、弟子を救っていただいたとのこと。痛み入る、そして――」

 わずかに微笑んだ。

「――疑って済まない。君たちは、味方だ」

 

 ライドウは無言でうなずく。

 

 悲鳴嶼は玄弥に向き直った。

「そのことはともかく。他の隊士はどうなった」

 

 玄弥は目を伏せる。

「……皆、殺られました。この屋敷に巣食う妙な鬼、いや悪魔に――」

 

 そこまで言ったとき。

 聞こえた、闇の向こうから。視界を埋め尽くすような、畳の地平いっぱいを迫り来る、悪魔の群れの足音が。

 

 玄弥の顔が引きつる。

「しまった、そうだ奴らが……!」

 凪とヨシツネも同じ表情で固まる中。

 

 ライドウは言う。腰の鞘に左手を添えて。

「彼の誤解も解けた、この世界の者と争う必要はなくなった。これで――」

 

 悲鳴嶼は言う。手にした斧を握り直し、鎖が音を立てる。

「玄弥は無事、他の隊士も生死は確認できた。これで――」

 

 二人の猛者(もさ)は同じ言葉をつぶやいた。

 

 ――これで。ようやく、本気が出せる。

 

 



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第十章  二人の猛者、大いに乱れ舞う

 

 畳を踏む音も高く、悪魔の群れが迫りくる中。

 頬を引きつらせて星命がつぶやく。

「ど、どうするんだい、あれ」

 

 特に返答はせず――答えは決まっている、とでもいうように――、ライドウは凪に声をかける。

「下がっていてくれ」

 

 鎖で縛り上げたもう一人の星命を示して、悲鳴嶼はライドウに言う。

「頼みがある。先程のつるのようなもので、この者を束縛しておいてくれないか。鎖を使いたい」

 

 ライドウがうなずくと、傍らでアルラウネが手を伸ばす。音もなく荊が伸び、鎖の部分をよけてもう一人の星命、クラリオンに巻きついた。

 

 悲鳴嶼は鎖をほどき、構え直す。そして、じっ、と、敵の群れに耳を向けた。

 

 ライドウの視線の気配に気づいたのか、悲鳴嶼は言った。

「いや、何。鬼というものは複数でいることが少ない、それが奴らの習性のようだ。故、今回のことは新鮮でな。悪魔というものはこれ程に群れを作るのか?」

 

「複数でいることはよくありますが。これほどの数を見たことは、二、三の例しか」

 

 悲鳴嶼はライドウに顔を向け、薄くほほ笑んだ。

「その割には冷静でいるようだ」

 ライドウも、同じ顔で悲鳴嶼を見る。

「あなたこそ」

 

 だが、と悲鳴嶼は首をかしげる。

「妙だ。このようなものが群れでいるのなら、何故悪魔とやらが鬼殺隊の耳目(じもく)に入らなかったのか……」

 

 信じてもらえないかもしれないが、と前置きしてライドウは言う。

「自分たちは別の世界から来ました。……あなたたちの言う『鬼』ではなく、『悪魔』のいる別の帝都。……こちらの『鬼』に呼ばれた『悪魔』を追って、自分たちはこの世界を訪れた」

 

 悲鳴嶼は目を瞬かせる。

「……どういうことだ」

 

 そのとき、玄弥が駆け寄ってくる。

「悲鳴嶼さん、俺も――」

「下がっていろ」

「ですが……」

 悲鳴嶼は玄弥に背を向ける。

「下がっていろ。私の言いたいことが分かるか」

 悪魔の群れに顔を向けたまま続ける。

「背後の護りを任せる。――頼むぞ」

 

「……はい!」

 強く返事をし、凪たちの方へ駆けていった。

 

 ライドウは口元でほほ笑む。

「仲が良いようだ」

 悲鳴嶼は小さくかぶりを振る。

「お恥ずかしい。……玄弥はよくやっているが、私の方が。人に信を置くことが苦手なのだろう……弱いことだ」

 

 気持ちを入れ替えるようにまたかぶりを振り、悲鳴嶼は言った。

「さて。私の方から先に一手、出させてもらってよろしいか」

 

 ライドウが視線を向けると、察したように続けて言った。

「悪魔とやら、それにこの数。不慣れ故、先に試させて欲しい」

 

 ライドウはうなずく。

「頼みました」

 

 悲鳴嶼の鉄球が宙に持ち上げられたかと思うと、鎖が孤を描き、空を裂いて回転を始める。空を裂くその音がいよいよ重くかつ速くなったそのとき。

 声もなく悲鳴嶼はそれを横殴りに放ち。

 

 同じく声もなく、雪玉を岩に投げつけた如く。鉄球の当たる範囲にいた悪魔が、粉微塵(こなみじん)に砕かれて消えた。

 その手前、鎖の届く範囲にいた悪魔は。引き裂かれるような断末魔をそれぞれに残し、鎖にその身を引きちぎられて宙を舞い。それからようやく、霧のようになって消えた。

 

 そうしてさらに反対側から繰り出す、鎖斧の一撃が。その光景を再現してみせた。

 

 ライドウの傍ら、ゴウトが声を上げる。

「なんと……!」

 

 斧を手元に引き寄せ、血を振るい払った後、悲鳴嶼は言う。

「ふむ……悪魔とやら、首を落とさなくても死ぬようだな。ならば、やり易い」

 

 そのとき、宙を舞う南瓜をくり抜いた形の(あやかし)――ジャックランタン――と、光ない瞳の、凶悪な牙の雪達磨(だるま)――ジャックフロスト――の群れが。悲鳴嶼を目がけ、炎と氷雪をそれぞれに放つ。

 

「【岩の呼吸 参ノ型――岩軀(がんく)(はだえ)】」

 表情一つ変えず、悲鳴嶼は鉄球を振り回す。繰り出す手の位置を変えつつ、周りの空間ごと自らを覆うかのように、半球状の軌跡を描いて繰り出すその鉄球は。周囲の空気すら巻き込み、気流を生み、渦となし。

 放たれていた全ての炎と氷雪を、その内にかき消した。

 

 それどころか。空気の渦はそれら悪魔の体すら、ずるずると引き寄せ。悲鳴嶼自身も鉄球を振り回したまま、悪魔へとにじり寄り。

 結果、数瞬後に悪魔の群れは、南瓜の破片と散らばった雪塊と化した。

 

 わずかに頬を引きつらせ、ライドウは言う。

「……本当に。敵でなくて良かった、あなたが」

 

 悲鳴嶼はやがて手を緩め、鉄球を手元に引き寄せる。

 

 そのとき、地面が――辺り一面の畳が――揺れた。

「む……!?」

 つぶやく悲鳴嶼が顔を向けた先には。

 

 草をかき分け歩くかのように、悪魔の群れを巨大な足で押し退け。まさに巨人のような骸骨――ガシャドクロ――が、畳を揺らしてこちらへと向かってきた。

 

「ここは自分が」

 言ってライドウは前へ出る。管を握った手は独特の印――両手の指を、互いの掌の内に差し込むように組んだ形。そこから両の中指のみを立てて合わせる――を結んでいた。

 

 幸い、周辺の悪魔は悲鳴嶼がほぼ薙ぎ倒している。ガシャドクロが向かってくるには間があった。

「ノウボウ・タリツ・ボリツ・ハラボリツ・シャキンメイ・シャキンメイ・タラサンダン・オエンビ・ソワカ。(なんじ)荒野鬼神大将、夜叉(ヤクシャ)の王にして明王の総帥(そうすい)、阿修羅・八部鬼神・四天王をも仏法に帰依せしめた者よ――」

 

 その間にも、響く足音は大きくなる。はっきりと膝が揺れるほどに。

 それでも、ライドウの詠唱が響きを変えることはない。

 

「――汝に我が心乱すことあたわず、我が心臓裂くことを得ず。誠実・自制・施与・忍耐、その徳目を以て我に従え。神をも乱す汝が怪力、世の安寧の為今こそ振るえ。召喚――大元帥(たいげん)明王『アタバク』!」

 

 その管から放たれた光は激しくうねり、やがて一つの姿を形造った。

 隆々たる肉体に青い皮膚を備えた鬼神。その威容は四面八臂(はっぴ)――八本の腕、四つの顔。ただし正面と、横を向いた三面の他。残り一面は奇妙なことに、(まげ)の飾りのように小さく、束ねられた青い髪の上に乗っている――。

 それぞれが別の生き物のように動く逞しい腕のうち六本には、三又の(げき)――槍のような武器――、剣、金剛杵――短双剣のような法具――を二種、宝輪、羂索(けんじゃく)――投げ縄――をそれぞれ握り。残る二本の腕は仏法への帰依を示すように合掌していた。

 

 ガシャドクロはまさに目前へと迫り、腕を撃ち下ろすべく振り上げていたが。

 自らの背丈を大きく越えるアタバクに、ライドウは声をかける。

「往け、あの敵を調伏(ちょうぶく)せよ」

 

「承知(つかまつ)った! いざ、この場所を荒野となし、かの敵の死地となさん! ――【外敵粉砕】!」

 (いか)つい四面の目を鋭く見開き、アタバクが全ての武器を振るう。それが巻き起こす風が、いや、それ以上の圧を伴う衝撃波が。畳を切り裂き床板を砕きながら、巨大な骸骨へと向かい。

 まさに寸前、アタバクへと打ち当たろうとしていたガシャドクロの爪に、手に腕にひびが走る。それは見る間に、アタバクを打ち抜こうとするその間に、端から端から砕けていく。手、腕にとどまらず肩、胸。そして頭蓋(ずがい)が、真っ二つに。

 

「オ オ オ オ ォ……」

 それすらも風にさらわれたかのような、空虚な断末魔を残し。ガシャドクロの全身は、破砕されて弾け散った。

 

 悲鳴嶼が(うめ)くような声を上げた。

「『明王』……だと! 君が()ぶものの中には、神仏までもいるというのか……?」

 

 ライドウは静かに言う。

「それが例えば、あなたが知るものと同じ名だとして。同じものであるという証はどこにもない。自分はただ、悪魔を……仲魔を()ぶだけです。――それより、来ます」

 

 未だ半数ほどが残る悪魔の群れ、その先頭に。自動車のような姿が並んでいた。

「ズッ……ドォォオォン……」

「ウォレ……ノ、趣味ハ……読書ダァァァ……」

「イチゴタンメンハ……畑ノ肉ダァァ……イヤイヤ、マジデ……」

 先程、凪が扱ったものと同種。オボログルマが六台、横並びでそこにいた。

 

 それらが、カッ、とライトを点灯させると同時。

 爆音と共に、横並びのまま二人へと向かってくる。

 

 悲鳴嶼は即座に構え直す。

「左の三台は仕留める。右を頼めるか」

「承知」

 

 ライドウの返答が終わるより早く、悲鳴嶼は前へ出ていた。唸りを上げて回転させた、鉄球を横殴りに放つ。オボログルマの突進を真正面から打ち返すように。

 

 果たして、真正面から鉄球に捉えられた一台が。重い響きを残しつつ、高々と宙を舞った。やがてそれは遠く、後続の悪魔の群れに飛び込み、爆音を上げて燃え上がる。

 その一台の脇、鉄球の端に引っかけられたもう一台は。亀のように逆さに返されたまま畳を滑り、後続の群れを曳き潰した。

 左側一台残ったそれも、間髪入れず。天から降るような鎖斧の一撃に、その車体を貫かれ。半ば切断されながら、床板へと縫い止められていた。

 

「おおおおっ! 【外敵粉砕】!」

 アタバクが再び振るう多腕の武器、そこから巻き起こる衝撃波に。

 右のうち二台のオボログルマが、走りながらその車体を軋ませ。ボンネット、ガラス、天井、ドア、タイヤ。次々と弾け飛び、車体すら砕け。中にいた骸骨がハンドルを握っているものだけが残り。それもすぐに砕け、風の中に流されていった。

 

 右側残り一台を前に、ライドウは刀を構える。

「魔を(はら)え、赤口葛葉――【磁霊虚空斬】」

 オボログルマと交錯する一瞬。緑の燐光を幾筋も、数え切れぬ程の軌跡として残し。ライドウは刀を振るった。

 その一瞬後。ライドウのいた場所を通り過ぎたオボログルマは、その中央から二つに分かれ。四つ、八つそしてさらに裂かれ。爆音を残し、炎を上げてその場に散った。

 

 舞い散る火の粉を、マントを振るい上げて払い。葛葉ライドウはつぶやいた。

「残りの、仕上げといこう」

 

 傍らで明王が手を合わせ、悲鳴嶼が鉄球を再び振るい出す。

 

 



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第十一章  二人の星命、向き合い語る

 

 ライドウと悲鳴嶼の戦いを、離れた所で遠目に見ながら。

「ひゃー、ヤっバいなぁアレ……」

 (アストラル)体の安倍星命(あべせいめい)は、誰に言うともなくつぶやいた。

 凪や玄弥は離れた場所で後方を警戒している。

 

「何がヤバいってさ。あれだけできる人間が二人もいるってことだよ、世界中探して一人いるかどうかってのがさ。いや……案外出会うもんなのかな、なにせ。世界が二つ――それ以上なのかな――あるぐらいだからね」

 今度は明らかに、彼の目を見て言った。もう一人の安倍星命、拘束されたクラリオンを。

 

「……」

 表情を変えないクラリオンに星命が言う。

「いや、別に僕の感想を言ってるワケじゃないんだよ。今言ったのは『君から見ての感想』、その予想だ」

 

「……!」

 わずか、表情に険を見せたクラリオンに。

 静かに――かすか、ほほ笑みさえ浮かべて――星命が言う。

「分かるよ、僕らは一つだったわけだし――まあ星命の残留思念でしかない僕は? 君がカレーで星命がご飯なら、お皿にくっついたご飯粒みたいなもんですけど? ――いや、それはいいんだ」

 

 表情を消して続ける。

「君がわざわざ出てきて、あのヒメジマって人を騙そうとした理由。普通そんなことしないよね、だって君はかつて帝都一つを、あるいは地球すら喰らおうとした存在。ライドウくんだっていくつもの条件が重なって、やっと倒すことのできた存在。ライドウくんだってあの人だって、まとめてぺろっと食べちゃえばいいじゃない」

 

 いら立ったように歯噛みをし、クラリオンは星命をにらむ。

 

 視線を気にした風もなく、星命はその目を真っ直ぐに見る。

「――できなかったんだね、そんなこと。できるものならそうしたいけれど、できなかった。『今の君は、あの二人を同時には相手にできないほど弱っている』……それを君の行動が物語っている」

 

 眼鏡を押し上げ、続けて言う。

「鉄球の彼がライドウくんほどの実力者である、そう見て取った君は身の危険を感じた。だが幸い二人は異世界の者、互いに知らないことも多い。上手くすれば同士討ちさせられる……そう考えた君は二人の様子をうかがい、機を見てヒメジマの部下のふりをした。しかも、死んだ人間や悪魔を模した、今出してるような出来そこないの分身じゃなく……比較的正確に人間を模すことのできる、君本体が。――つまり」

 

 叩きつけるように続けた。

「『君本体をさらす危険を(おか)してでも、二人を同士討ちさせる必要があった』――すなわち。『あの二人に組まれれば、今の君では太刀打ちできない』……そして今は、その二人が組んでいる」

 

 表情は変わらぬまま。ぴくり、とクラリオンの肩が震える。

 

 肩をすくめて星命は言う。

「まあ、僕が君から離れてライドウくんを探しに行った時点で、君が弱っているのは分かっていたけど。それからさほど回復もしていないようだし、『喰らったものを模す力』もたいして成功はしていない、そのようだね」

 

 つぶやくようにクラリオンが言う。星命と同じ声、だがわずかに低めたようなその声で。

「……ならば、どうだというんだい」

 

「え?」

 

 貫くような目で――ある種の鉱石ででもあるかのような、不自然に透き通った目で――星命を見る。

「降伏でもしろというのか。許してくれるとでもいうのか。孤独の客人(まれびと)たるこの僕を」

 

 ふ、と息を吐き出し、クラリオンは言う。

「お優しいね。欺瞞(ぎまん)傲慢(ごうまん)増上慢(ぞうじょうまん)。いったい何の権利があって僕を止め、()つまた何の権能があって僕を許す?」

 

 舐めるような視線を星命の目――あるいはそのさらに奥の何か――に向け、クラリオンは続ける。

「君は言うのか、『卵を呑むのをやめろ』と蛇に。あるいは命ずるのか、『鹿や兎を狩るな』と獅子に。……星々を呑むべく生まれ落ちたこの僕に『星を呑むのをやめろ』と。()つまた、『許す』と? 『許す』? 何をだ!」

 

 (あざけ)るような、叫ぶような表情。

「かつて生きた安倍星命よ、お前は願った! 『弱肉強食、不平等、小を殺して大を生かすという、この間違った世界の変革を』と。そのための絶対的な力として我を、クラリオンを受け入れた」

 天を向く。

「だがどうだ、その我をして『弱肉強食』、その(ことわり)からは逃れられぬ!  逃れるとすればただ一つ、『全てを喰らい尽くして我としたとき』」

 

 (わら)った。束縛されたまま、全身を揺すって。

「それだけは星命には伝えなかった、奴の望みが奴の望む形で叶えられるときなぞ、未来永劫来ぬことを! 我らもまた『蠱毒(こどく)の連鎖』その只中に永劫いることを!」

 

 そうして、荒い呼吸の後、長い息を一つ吐いて。

「……その伝えなかったことだけがせめてもの、星命への手向け……クラリオンたる、この我からの」

 

 うつむいて、長くそのままでいて。やがて小さくかぶりを振った。

「……故に。『許す』などという欺瞞はよせ。自分たちだけが『蠱毒(こどく)の連鎖』の外にいるかのような、誤った傲慢は。互いに互いを喰らい合い、その同じ口で『許す』などと」

 

「……そう」

 静かにそう言って、(アストラル)体の安倍星命(あべせいめい)は目を伏せて。

 

 しばらくそうしていた後、不意に畳の上に手を伸ばした。

「よっ、と、ほっ……あれ?」

 が。何度手を伸ばしても、(アストラル)体のその手は。畳ごとすり抜けて何にも触れられない。

 

 星命は宙に浮いたまま頭を抱える。

「ああっ! その辺の木切れとか拾って引っぱたいてやりたいのに! やりたいのに! できない!」

 

「………………」

 クラリオンが目を瞬かせる中。

 

 身を起こした星命がその目の前に指を差す。

「ええい、もういい! 口で言ってやるからな口で! 君の言いたいことも、色々分かるけどさ。……もし彼が――安倍星命が――もし生きてたなら」

 顔を隠すように額に手を当てて言う。

「……まあ君の干渉がなくなって、逆にこんなおつむ空っぽになるかもだけど……それでも。君に言われなくたってきっと同じことに気づいて、同じことに絶望して、きっと――」

 

 上を向いて続けた。小さく笑って。

「――それでも生きていくよ。ライドウくんのような、友と一緒にね」

 

 かーっ、と、大きく息を吐き、腕を伸ばしてから言った。

「ま、僕は安倍星命自身じゃないんですけどね……君が安倍星命自身じゃないように。それでも、これだけは言っておくよ」

 

 真顔でクラリオンに向き直る。

 深く、頭を下げた。

「ありがとう。星命()の望みにつき合ってくれて。騙していたことは別にして、だ」

 顔を上げ、また深く頭を下げた。

「そしてごめん。君のやっていることは止める、つまりは君を殺す。けれど――」

 

 顔を上げ、真っ直ぐにその目を見る。

「――君を許すよ。君の存在は許可できない、全てを喰らい尽くしてしまう。けれど、なんていうか。君が存在したことまで、呪いたくない。……いや、変なこと言ってるとは思う、君の言ったこととも矛盾するのは分かるんだけど……でも、僕はそう言いたいんだ。……ちょっとでも伝わると、嬉しい」

 

 表情をなくしたクラリオンが、ぽつりとつぶやく。

「…………それも、ライドウが言った『絆という力』とやら、そういうことか」

 

 今さら隠れるように両頬を押さえ、視線をそらす星命。

「そ、そーなのかな? よく分かんないけど――」

 

 顔をうつむけ、クラリオンはつぶやく。

「なるほど。…………ならば、許そう。我も」

 

「え」

 星命がそうつぶやき、笑顔になりかけた。

 

 その瞬間、へし折るような音がした。小枝のようなものではない、まるで立ち木か人間の骨でもへし折るような重い音が。クラリオンの足下から。

 

「へ……?」

 見れば。クラリオンの足、それはすでに星命を模すことをやめていた。膝から下はすでに人間の輪郭を失い、幾重にも分かれた触手と化していた。暗い色をした巨大な蛭のような、あるいは千年を経た巨木の根のような。

 それは畳を食い破り床板をへし折り、重い音を立てて柱をも千切り捨てながら。雲が湧き立つように波が押し寄せるように、その根を当たり一面へと広げた。

 

「なっ……!」

 星命が叫ぶ間にも触手は膨れ、クラリオンの体を――星命の姿を模しているのは上半身だけとなっていた――押し上げる。幾筋もの触手がアルラウネの荊に取りつき、たちまちのうちに引き千切る。

 

 星命を見下ろし、クラリオンは語る。

「許そう、我も。お前たちの矛盾もその傲慢も――全てを喰らった後で、いくらでもな」

 

 ずぅ、とぬらついた音を立て。星命を模した顔の片目から、その顔の半分ほどもある、澄んだ目玉がこぼれ落ち。触手でその身を縫い止めるように、首を傾げたその顔に張りついた。

 

 



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第十二章  星を喰らうもの、その全貌を露(あら)わにする

 

 悪魔の群れを斬り伏せるライドウは、不意にその目を見開いた。刀を振るう手を止め、跳び退いて敵から距離を取る。

 震えていた、足元の畳が。彼方の壁が、天井が――いや。空間そのものが。

 

 同様に身を引き後方へ顔を向けていた、悲鳴嶼(ひめじま)と同じ方に目をやる。

 小高い丘陵のような、あるいは寄せ来る波のような影が(うごめ)いて見えた。ちょうど、クラリオンを捕縛していた辺りから。

 

「! まさか――」

 つぶやく間にその影は、古木の太さを持った(ひる)の如き触手の群れは。溶岩流のように吹き上がり、床板を柱をへし折り畳を跳ね飛ばし、押し寄せる雪崩(なだれ)のように。一面へと広がった。

 

「! 玄弥!」

「凪君、ゴウト! 星命!」

 悲鳴嶼共々そう叫んだものの、凪たちのいる方向は盛り上がる触手の陰になり、様子はうかがえない。そしてライドウたち自身の方にも触手が押し寄せる。

 

「くっ……!」

 つぶやきと共に跳び退き、しばらく駆けて距離を取る。

 

 傍らで悲鳴嶼が言った。

「どうやら、ひとまずは収まったようだが……」

 

 確かに、触手はある程度までその身を伸ばした後、蠢く他は動きを止めていた。

 だが、凪たちは? 

 

 思ううちに、聞き覚えのある少年の声が響いた。

「悲鳴嶼さん! 無事ですか!」

 玄弥。声の方向に目を向ければ、触手の範囲を大きく迂回して駆けてくる玄弥と凪、ゴウトとヨシツネの姿が見えた。近くには星命とアルラウネも浮かんでいる。

 

 合流の後、ヨシツネが親指で自らを指す。

「ふんっ、またオレの活躍が増えちまったなぁ! 【八艘(はっそう)跳び】でこいつらを救い出す一幕、絵巻物にでもしてもらいてぇぜ!」

 

 凪が頭を下げる。

「感謝します、ヨシツネ。お陰で、オボログルマも管に戻せたプロセスです」

 玄弥は視線をさ迷わせた後、ぎこちなく口を開く。

「あぁ、その……助かった、お前の、お陰で」

 

 ヨシツネは笑い、音を立てて玄弥の肩を叩いた。

「おう、気にすんなよ兄弟!」

 玄弥はやはりぎこちなくだが、ヨシツネの目を見て笑った。

 

 星命が慌てたようにライドウの元に飛びくる。

「それより、それより、だよ。奴が――」

 

 その言葉をさえぎるように、声が響いた。丘のように盛り上がる、触手の中心から。

「そうして弱者同士が馴れ合う……自らが『蠱毒(こどく)の連鎖』の中にいるとも知らずに。そんなものがお前たちの言う『絆』なのか」

 

 そこには。星命がいた、もう一人の星命――ただしその下半身は人の形を模すことをやめ、触手の群れに融けている。その腰があった辺りには、一抱えもあるような巨大な目が見開かれていた。クラリオンたる星命の顔に()き出された大きな目玉、それと同じく不自然に済んだ瞳――。

 

「……」

 ライドウは何も言わず。ただ、刀を構えた。

 傍らで悲鳴嶼が鎖を握り、凪や仲魔たちも各々身構える。

 

 宙に浮かぶ星命がクラリオンを真っ直ぐ指差す。

「そんな力を隠していたのには驚いたけど。事実はさっき言ったとおりさ、『君はこの二人にかなわない』『だからこそ、二人が手を組まないよう引き離そうとした』。これ以上悪あがきはしないことだね」

 

 クラリオンはゆっくりとかぶりを振った。

「その指摘。半分は正しく、半分は間違っている。――確かに、その二人を倒すだけの力はなかった、それ故に同士討ちを目論(もくろ)んだ。だが……悪あがきなどはしていない。していたのは――時間稼ぎ。そして、練習だ」

 

 再びクラリオンの触手が蠢き、伸びる――ただし、ライドウたちに向かってではなく。

 ライドウたちと戦った悪魔の群れ、その残りに向かって。

 

「何……!?」

 ゴウトが声を上げる間にも、触手は悪魔たちへ巻きつき、背骨をへし折り、溶かして吸収する。一方悪魔の群れは声も上げず、進んで触手に向かい、喰われていく。

 

 星命が声を上げる。

「あの悪魔らはクラリオンの一部、か……かつての争乱のうちに喰らった悪魔、それを模してクラリオンが造った。だが、それを吸収してどうしようと――」

 そこまで言って不審げに眉根を寄せた。

「――いや、奴は言った、『時間稼ぎ』『練習』と。『練習』のための、時間稼ぎ……? だとしたら、いったい何の……」

 

 クラリオンは――星命の体の、腕を天へ向けて広げ――言う。

「こちらの世界へ渡った後、我が得た力――喰らったことのあるものを模す力。だが、本当に模倣(もほう)したかったのはこんな者らではない。模したかったのはただ二つ――」

 

 そのとき。ごぼ、と音を立て。クラリオン――それが模した安倍星命――のそばに、触手が塊となって盛り上がる。

 人間一人ほどの大きさになったそれは、やがてある姿を取った。

「星命……我ガ、君ヨ……君ノ、命ズルママニ……」

 

 それはライドウにも見覚えのある姿。切れ長の目をした、いかにも切れ者といった風貌の青年。長身を洋装に包んだその男は。

「倉橋、黄幡(おうはん)……」

 

 秘密結社コドクノマレビト、その首領としての星命の腹心。その後クラリオンの肉片を回収するも、喰われて果てたと語られた男。

 それを今、クラリオンが模倣しているのか。

 

 触手が模した黄幡(おうはん)は歪んだ声を上げる。

「星命……命令ヲ。俺ニ……何ヲ望ム」

 

「お前の全てを」

 クラリオンの、それが模した星命の声を聞いた、黄幡(おうはん)を模したものは。

 ただ静かにうなずき、ひれ伏し。触手の群れに――星命の体があったなら、足の辺りに――そっ、と、口づけた。

 

 同時、その姿が融けるように、触手の群れに沈む。

 そして。べきべきと、へし折るような音を立てて。クラリオンが――その全体を構成する触手が――姿を変えていった。

 

 全体として変わったわけではない、無数の触手が構成する波打つ丘陵。だが、その触手の先端は。

 今や触手ではなかった。それは蛇、あるいは龍。白い外骨格を禍々(まがまが)しく剥き出した無数の蛇頭。その眼差しには黒い炎が宿る。

 

 ゴウトが声を洩らす。

「『蛇頭黄幡(おうはん)神』……かつて倉橋黄幡(おうはん)が変化した悪魔か……!」

 

それら蛇頭のうちいくつかがライドウたちに向かって殺到する。

 ライドウは刀を、悲鳴嶼は鉄球を振るい、蛇頭の全てを斬り伏せ打ち砕いたが。

 鉄球に砕かれたものだけが、その頭蓋(ずがい)脳漿(のうしょう)を、時を巻き戻したかのように再生し。再びその太い鎌首をもたげた。

 

「何だと……!」

 悲鳴嶼が(うめ)く中、ゴウトが言う。

「奴は蠱毒(こどく)の連鎖、その呪詛を象徴する存在……故に殺意を向けた攻撃は利かず、奴の力を増すのみ。だが――」

 ライドウに目をやり、続ける。

「葛葉一族に授けられし退魔刀、そしてライドウ自身の祓魔(ふつま)の力。それがあれば、奴に致命傷を与えられるはず」

 ライドウは刀を構え直す。その刃が緑の燐光を帯びる。

 

 だが。クラリオンはいささかも表情を変えない。

 そして星命を模した体のそばに、また音を立てて触手が盛り上がる。

 幾人かの、人のような姿を取ったそれは。あるいは角を、あるいは牙を鋭い爪を備えていた。

「アアア……」

「無惨、様ァァ……」

「死ニタク、ナイ……ドウカ、オ慈悲ヲヲヲ……」

 

 悲鳴嶼が眉をひそめる。

「これは、鬼……? 何体かの鬼をも喰らった、ということか……」

 

 クラリオンが声を上げる。

「そう、鬼。こちらの世界の。実に興味深い存在だ、己の生存しか頭になく――少なくとも我が喰らった個体はそうだ――、それを象徴したかのように異常な生命力を持つ……日光とそれを帯びた武器以外に対しては」

 

 どぷり、と音を立て、鬼の体を触手の海に呑み込む。

「そう、我が模そうとしたのは人でも悪魔の群れでもない……それらはただの練習に過ぎない。真に模そうとしたのは。『蛇頭黄幡(おうはん)神』、そして『鬼』」

 

 言う間に。ライドウが斬り落としたはずの蛇頭、それらが蠢き、落とされた首の切り口を合わせ。再びつながった。

「何……!」

 歯を噛み締めるライドウをよそに、それらは傷跡もなく鎌首をもたげ、牙を剥いてみせる。

 

 クラリオンが声を上げた。

祓魔(ふつま)の力あれど日光なくば我を倒せず。日光あれど祓魔(ふつま)の力なくば我を倒せぬ」

 星命を模した体で両手を広げ、天へと向ける。抱くように、喰らうように。

「そう、この力を以て。全てを還そう、蠱毒(こどく)の連鎖を終わらせるため――」

 

 不自然に透き通った目がライドウらに向けられる、いや。あるいはその先、この世全てに向けられる。

「今こそ還そう。全てを、一つに」

 

 



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第十三章  その闇、全てを喰らうか

 

 クラリオンのその言葉を聞いても、ライドウは構えを崩さず。悲鳴嶼(ひめじま)もまた、鎖を振り回す手を止めはしなかった。

 

 悲鳴嶼が口を開く。

「奴が事実を述べているとして。ならば、手はあるのだろう。――葛葉(くずのは)

 

 ライドウもうなずく。

「ええ、悲鳴嶼さん。――まずは、手前の一体を」

 

 悲鳴嶼が無言で鎖斧を飛ばす。目の前の蛇頭、その首を左から裂き。

 同時、飛び込んだライドウの刀が。斧とすれ違うように右から斬った。

 果たして、つんざくような悲鳴を上げた蛇頭は。その身を黒い灰のように変え、宙へと散っていった。

 

 宙に浮かぶ星命がつぶやく。

「ライドウくんの刀が祓魔(ふつま)の力を持つように、悲鳴嶼って人の武器は日光の力を帯びているのか……確かにそれらを同時に振るえば、両方の力を浴びせられる、しかし――」

 

 その先を受けるようにクラリオンが声を上げる。

「しかし。いつまで続けられるかな」

 その声が終わらぬ間にも、別の蛇頭がライドウを襲う。

 

 古木のような太さを持つそれを、ライドウは胴斬りに裂く。悲鳴嶼がそこへ時機を合わせ、鉄球を振るい打った。

 蛇頭はたちまちに灰の塊となって砕けた、が。

 

 別の蛇頭が鎌首をもたげ、悲鳴嶼へとその牙を剥いた。

「くっ……!」

 鎖斧を引き戻しつつその喉へと打ち込むが、ライドウに合わせて二度も攻撃を放った直後、体勢が崩れ武器に力を乗せ切れていない。

 結果、裂いた端から再生していく敵の体に。半ば飲み込まれるような形で、斧が食い込んでしまっていた。

「しまった……!」

 

 敵が甲高い奇声と共にその身をうねらせ、悲鳴嶼を引きずり倒そうとする。

 悲鳴嶼は両手で鎖を握り、何歩か足を継いでこらえたが。大きく体勢を崩し、武器を振るえる状態ではない。

 そこへ。囲むように三方から、新たな蛇頭が殺到した。

 

「くぅ……!」

 ライドウが手近な一体に跳びかかり、刀を振るう。両断されたそれは端から再びつながり始めるも、とりあえずは動きを止めた。

 だが、あと二体の蛇頭が悲鳴嶼へと向かっている。

 

 畳の上を滑る蛇の、裂けんばかりに開かれた大口が目前へと迫る。細長い炎のようにひらめく舌が悲鳴嶼の鼻先に触れた。

 そのとき。蛇頭の上に、青い巨体が跳んでいた。

「南無三! 【怪力乱神】!」

 ライドウの仲魔、アタバク。大元帥明王(たいげんみょうおう)とも呼ばれるそれが、多腕に携えた武器を打ち振るい。蛇頭の口を地に縫い止めるように貫いた。

 

「……!」

 悲鳴嶼が驚いたように目を向けると、アタバクは破顔した。八本腕の一つが悲鳴嶼の背を――衣に散らした南無阿弥陀仏の文字を――はたく。

「六字の名号を背負うとなれば、仏門の者であろう……捨ておけぬわ」

 刺された蛇頭は身動き取れぬまでも、打ち上げられた魚のように未だ身を震わせている。さらには残る一体の蛇頭が、上空から落ちるように向かってきていた。

 

 だが、もつれるような声が同じく上空から降る。

「悲鳴嶼さん!」

「しゃあっ、【八艘(はっそう)跳び】!」

 玄弥を抱えたヨシツネが、辺りにうねる別の触手を次から次へと踏み台にして跳び来る。

 悲鳴嶼へ向かう蛇頭をその背後、さらに上から追い抜きざまに。ヨシツネの太刀、玄弥の小太刀がその喉を裂く。

 致命打とはなり得なかったが、蛇頭は悲鳴をあげて大きくのたうつ。

 その間に悲鳴嶼らは身を引き、武器を回収しつつ敵の群れから距離を取った。

 

 ライドウ、玄弥や凪らもそちらへと合流した。

 ゴウトが口を開く。

「巨大な敵とはいえ、本来なら幾らでも戦いようはある……ライドウと仲魔に、悲鳴嶼の力までも加われば。だが――」

 

 星命が後を受ける。

「ああ、祓魔(ふつま)の力と日光の力で同時に攻撃しなければ倒せない、なのに。その敵は無数に押し寄せる。二人が一箇所を攻撃している間に、無数に! なんてことだ……!」

 

 凪が真っ直ぐにライドウを見上げる。

「いえ、一箇所しか攻撃できないわけではないはずです。退魔刀と鬼殺隊の武器、それが必要なセオリーなら――」

 玄弥もうなずく。

「俺と、凪さんでもできる」

 

「だが……危険だ。君たちにそれをさせるわけには――」

 口ごもるライドウに凪が詰め寄ろうとする、そのとき。

 

 悲鳴嶼が口を開いた。

「二つ、確認したい。まず一つ、奴の首はどこにある」

 

 ライドウが視線を向けると、察したように続けて言った。

「我らが鬼を殺すときには、日輪刀――日光の力を帯びた武器――でその首を落とす。日光を浴びせる他は、それが唯一の鬼を殺す手段。奴が鬼を模しているのなら、その点も同じはず」

 

 星命が何度かうなずく。

「なるほど、つまり弱点、もしくは本体を叩く、か」

 

 悲鳴嶼は星命の方に顔を向けた後、ライドウに尋ねる。

「そういえば。聞いていなかったが、この者は」

「……詳しくは、長くなりますが。自分の友、安倍星命……彼を依代(よりしろ)としてあの悪魔、クラリオンが自分たちの世界に現れました。……自分は、それを――」

 学帽を目深に被り直し、ライドウは顔をうつむける。

 

 その肩を叩くように――(アストラル)体の身では触れられもしないが――、星命が手を伸ばす。

 悲鳴嶼に顔を向けた。

「そうして、僕らの世界の帝都は救われた。だが、生き残っていたクラリオンの肉片が再び動き出し。それを感知したらしい、こちらの世界の鬼たちが――偶然か、思惑あってのことか――、クラリオンをこちらの世界に()び寄せた。そのとき奴から剥がれ落ち、ライドウくんにそのことを伝えた、安倍星命の残留思念。それが僕……言っとくけど、彼の霊とかじゃない。同じ記憶と姿を持つ、彼の残した思念に過ぎない」

 

 悲鳴嶼は星命に顔を向ける。

「全て理解できたわけではないが……君は奴から剥がれ落ちた、そう言ったな。ならば、本体がどこか分かるのではないか」

 

 考え込むように星命はあごに手を当てる。

「奴から離れて多少の時間が経っている、変化がなかったとは言い切れないけど。元々、クラリオンの残った肉片はわずかなものだった。拳ほどの大きさかあるかどうか。そしてあなたを騙そうとして、接触してきたときの様子……安部星命を模したあれは他の人間や悪魔を模したものと違い、流暢に喋って明確に思考していた。あれが本体と見ていいだろう。つまり――」

 

 指差す。クラリオンの中心部、星命の上半身を模したもの。その顔に半ば垂れ下がるように剥き出された、巨大な一つの目玉を。

「安倍星命を模した体、特にあの拳ほどもある目。あれが本体である可能性が高い……もちろん、そこから変化させてある可能性も捨て切れないけど」

 

 悲鳴嶼はうなずく。

「なるほど。ではもう一つ、君たちはあのクラリオンと、それが模している蛇頭黄幡(おうはん)神、あれらと戦ったことがあるようだが。そのときは、どのように倒した」

 

 ライドウが口を開こうとしたとき。彼方から声が降った。

「さて。ご歓談のところ済まないが、そろそろいいかな。消え果てるがいい……蠱毒(こどく)の連鎖の只中から」

 

 高く高く、見上げるほどに鎌首をもたげた幾本もの蛇頭が。天から崩れ落ちるかのように、ライドウたちの方へその身を叩きつけた。

 

「!」

 それぞれに跳び退き、無事であることは視線を走らせて確認したが。

 畳を床を砕き、大河のようにうねる蛇の身が、今やライドウたちを散り散りに分断していた。

 

 ライドウの傍らでゴウトが声を上げる。

「しまった……! これでは同時攻撃もままならぬ!」

 

 悲鳴嶼もライドウの方へ向かおうとするが、新たな蛇頭に行く手をさえぎられる。

 さらにはその向こう、凪と玄弥の方へも別の蛇頭が牙を剥いた。

「く……っ!」

 悲鳴嶼はとっさに鎖を振るい、そちらに向かった蛇を打ち払う。

 

「今です!」

 動きを止めた蛇頭に凪と玄弥が跳びかかり、刃を突き立てるが。二人の腕と、小太刀の刃渡りでは仕留め切れなかったか、蛇はその身を震わせて退いていくのみだった。

 

 思う間に、ライドウへも二体の蛇が左右から襲いくる。

 咬み合わされる牙から身をかわし、斬り伏せつつ跳びすさる。当然、敵の動きをわずかに止めたのみで、しかも悲鳴嶼からさらに遠ざけられている。

 

 近くに浮かぶ星命が頭をかきむしる。

「これじゃ、らちがあかない……!」

 

 その声を聞きながらライドウは考えていた。先程悲鳴嶼が言った、二つ目の問い――以前に戦ったとき、どうやって倒したのか。蛇頭黄幡(おうはん)神、そしてクラリオンを――。

 そう、その問いに対する答えが、この状況を打破する鍵になるのではないか。

 

 ――かつて、最終的にクラリオンを倒した方法だが――、これを再現することは不可能。

 串蛇(くしなだ)――有事に備え、その身に莫大な生体マグネタイトの力を蓄えさせられた存在、『供倶璃(くくり)(ひめ)』。ライドウが護るべき存在――が、自らを犠牲として。顕現(けんげん)させた神の力、そして仲魔たちの力を束ね、ようやく倒すことができたのだった。

 

「……っ」

 護るべきだった、護り切ることのできなかった串蛇(くしなだ)を思い、ライドウは歯を噛み締め。再び、学帽を目深にかぶった。

 

 ――そしてクラリオンと戦う直前、蛇頭黄幡(おうはん)神を倒したときは。

 仲魔であるスサノオ――ヤマタノオロチ退治で知られる、強大な破壊神――の力を借り、ライドウの持つ祓魔(ふつま)の力へと変換し。それを以て、一帯を覆う蛇頭の群れを殲滅した。

 

「【天命滅門(てんめいめつもん)】……」

 その技の名をつぶやいた、ライドウの声を聞き。ゴウトが顔を上げた。

「清浄なる光を一帯に放ち、全てを破り魔を打ち祓う最大の奥義……確かに以前はそれで倒した、しかし――」

 

 しかし。その先はライドウも分かっていた。

 まず、祓魔(ふつま)の力を持つ光とはいえ、日光というわけではない。この技だけで今の敵を倒すことは不可能。

 そして、この奥義は大規模過ぎる、辺り一帯を巻き込む。故に、悲鳴嶼との――彼が巻き込まれない位置からの――同時攻撃は不可能。

 

 ライドウは言う。

「……方法としては。【天命滅門】で蛇頭の群れへまとめて打撃を与え、その隙を突いて本体へと向かう。そして敵が再生する前に、自分と悲鳴嶼さんによる同時攻撃で討つ……それしかない」

 

 ゴウトが声を上げた。

「無茶を! あのような大技を放った後だぞ、いかに(うぬ)でも間髪入れず攻撃に移るなど不可能だ!」

 

 横から星命が言う。

「じゃあその、凪ちゃんに頑張ってもらうとか……難しいか、じゃあヨシツネ、ヨシツネにあの跳躍力で運んでもらって凪ちゃんが斬る、とか……」

 

 (うめ)くようにゴウトは言う。

「現状ではそれが最善か……だが、凪の力でどこまでやれるかは何とも言えぬ。さらには【天命滅門】ほどの奥義、二度撃つことはまず不可能……機を外したなら、次は無い」

 

 星命は頭を抱えて天を仰ぐ。

「ああっ、どうしたら――」

 が。不意にその動きを止め、じっと上を見た。

 そこを――本来なら天井があるであろう、先の見えない闇を――指差す。

「これだよ! その技で天井を破るんだ、異界化された空間ごと! そうすれば日光が降り注いで、祓魔(ふつま)の力と同時に――」

 

 ゴウトは目を見開いたが、すぐ首を横に振った。

「名案ではあるが。こちらの世界に来た時点の、空の様子からして未だ深夜のはず……夜明けまで耐え切れるなら、それで倒すことも出来ようが……」

 

 だが。ライドウもまた、目を見開いていた。

「日光……祓魔(ふつま)の力と同時に――そうか」

 

 星命、そしてゴウトの目を見て言う。

「手はある。祓魔(ふつま)、すなわち降魔(ごうま)の力を持つ者。『日の神仏(かみ)』を――()ぶ」

 

 



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第十四章  その力、全てを穿(うが)つか

 

 聞いたゴウトが声を荒げた。

「『日の神仏(かみ)』だと!? 血迷ったか、仲魔でもない神を()ぶことなど出来るわけがない! そもそも太陽神といえば、ほとんどの宗教において主神かそれに準ずる存在。いくら(うぬ)でもそれほどの力、使いこなせるとは思えぬ……!」

 

 ライドウは静かに首を横に振る。

「いや。手はある、それにわずかな時間でいい。あの仲魔、彼に『真の姿』を取り戻させることが出来れば――」

 

 ゴウトが目を見開く。

「! そうか、マレビト事変以降に仲魔にした『あの者』か!」

 

 そう話すうちに。三体の蛇頭がその舌を見せ、ライドウへと上から襲いかかる。

 

 が。その三体をまとめて括るように、鎖鉄球が巻きついた。

「葛葉。無事か」

 悲鳴嶼がその剛腕で鎖を引き、身をよじらせる三体を強引に引き止めていた。

 そこへアタバクが多腕の武器を振るう。

「【外敵粉砕】!」

 その巻き起こす衝撃波が鱗を、肉を弾き飛ばし。無理矢理に蛇頭を切断した。

 

「もらったァ!」

 音を立てて地に落ちたそれにすかさず玄弥が取りつき、滅多やたらと小太刀を突き立てる。

「剣は……腰で振るプロセス!」

 凪もそこへ縦横に小太刀を振るう。そうして、どうにか一体の蛇頭を灰へと滅した。

 

 横でヨシツネが声を上げた。

「ちいっ! こっちも早く頼むぜ!」

 アルラウネが荊を伸ばして動きを封じ、塞がろうとする傷口にヨシツネが斬りつけ続け。どうにかその再生を防いでいた。

 その一体に玄弥と凪が向かい、刃を突き立てる。

 

 再生しかけたもう一体に、悲鳴嶼は大きく孤を描いて鎖斧を打ち込み。

 追いかけるように跳び込んだライドウの刀が、続けて蛇頭を切断。その体を灰へと変えた。

 

 マントを振るい、漂う灰を払いのけて。ライドウは言った。

「助かりました。感謝します、後輩と仲魔を守っていただいて」

 

 表情を変えず悲鳴嶼は言う。

「なに、慣れている。それより何やら、先程の話。手はある、と聞こえたが」

 

 ライドウはうなずいた。

「『日の神仏(かみ)』。魔を祓う力と日光、それを併せ持つ仲魔を()びます。ただ……そのために力を溜める、時間が必要。それにその者の真の力、今までに()び覚ましたことはありません。どれほどの間、力を使えるか……」

 

 悲鳴嶼はうなずいた。

「心得た。ならばその間、我々で君を護ろう」

 

 ゴウトが口を開く。

「だが。力を集中させねばならん、今召喚している仲魔は管に戻す必要があるが……それでも、耐え切れるか」

 

 表情を変えず悲鳴嶼はうなずき。そして、鎖斧を無造作に放った。それがライドウへ近づいていた、一体の蛇頭を切断する。

「他に手はないのだろう。ならば、やってみせる」

 

 ライドウはうなずく。

「頼みました」

 

 アタバクとアルラウネがその身を緑の光に変え、管に戻る。

 ライドウは合掌した手に――ただし指先だけを互いに組み合わせた形――一本の管を手挟(たばさ)み、真言(しんごん)を唱える。

「オン・アスラ・ガラ・ラヤン・ソワカ。(なんじ)(たけ)く勇ましき者、天に(あら)ず神に(あら)ずといわれども、正しき義掲げ続ける者――」

 

「どっしゃああ!」

 ヨシツネが両脇に玄弥と凪を抱え――歯を食いしばり脂汗を垂らしながら――、悲鳴嶼に斬り落とされていた蛇頭へと必死に跳ぶ。

 着地と同時、二人は小太刀を振り上げたが。

 

 悲鳴嶼の声が飛ぶ。

「いかん、深追いし過ぎだ!」

 

 その言葉のとおり。それを餌とし、狙っていたかのように。複数の蛇頭が三人を囲み、鎌首をもたげていた。

 

 ライドウはなおも詠唱する。

「――神々の帝に弓引く者よ、それらの王よ。その義決して揺らがせず、正しき義貫く者よ――」

 

 悲鳴嶼が蛇頭に向け鎖を放つ。が、それが蛇頭をまとめて薙ぎ倒す前に。

 一体の蛇頭がすでに、玄弥と凪へ向けて、牙を剥いていた。

 

 詠唱は続いている。

「――されど知れ、汝らの義揺るがずとも。世の全て常に揺らぐもの、諸行、常に移ろうもの。汝らもまたその内にて揺らぐ、汝らが望まずとも――」

 

「きゃああ!?」

「ぐ……!」

 凪が目をつむり、玄弥が抱きかかえるようにかばおうとした、瞬間。

 

「おらああああ!」

 跳びかかるヨシツネが二人を突き倒し、間一髪で牙から逃がした。

 

「すまねえ、助かっ――」

 玄弥はそこで口を止めた。

 ヨシツネの背が赤く染まっていた。その肉が鎧ごと――骨すらのぞくほどに――こそぎ取られていた。

 

 玄弥の表情が固まる。

「――た、って……おま、お前――」

 凪が震えながら、両手で口を覆う。悲鳴を塞ぎ止めようとするかのように。

 

 口の端から血を流し、ヨシツネはほほ笑み。

 その間にも蛇頭は再び牙を剥き出し。

 悲鳴嶼が鎖を振るい上げるが、間に合うかどうか。

 

 ライドウは声を上げた。

「――さらば聴け、この(ことわり)を! 諸行無常・諸法無我。その義を知りて混沌より()で、我の前に力を示せ! 召喚――『アスラ王』!」

 

 轟くような音がした。揺れた、畳が、床が。否――大地が。

 ライドウが()んだものはそこにいた。

 丘陵のごときクラリオンの背丈すら越えて。先の見えぬ闇に覆われた天井、それに頭を()くかと見える、巨大な人影が。

 

「な、に……!」

 クラリオンが――それが模した星命の上半身が、全ての蛇頭が――動きを止め、天を、その悪魔を見上げる。

 

 三面六臂(ろっぴ)――三つの顔に六本の腕――を(そな)えたその仲魔は。燃えるような肌を簡素な衣に包み、黄金の兜をその三面にかぶり。六本のうち一組の手で合掌していた。

 

「ぬぅん!」

 アスラ王は地を揺るがして片膝をつき、合掌したまま四本の腕を振るう。それが凪たちに迫る蛇頭を軽々と薙ぎ倒し、勢い余ってちぎり飛ばす。

宙へと舞った蛇頭の先端は、重い音を立てて落下し。畳を突き破って、それでも(うごめ)き続けていた。

 

アスラ王は重く響く声を上げた。

「修羅道の主たる我が力を求めるとは……ライドウよ、此度(こたび)は余程の修羅場と見える」

 

 ライドウは声を上げる。

「そのとおりだ。だが、今必要なのは――」

 

 その続きを言うより先に、クラリオンが声を上げた。

「なるほど……確かに強大な悪魔だ、だが。今の我を滅することなど出来ぬ……何者にも!」

 

 無数の蛇頭がアスラ王の、脚に腹に胸に巻きつき。一斉に牙をその身に立てる。

 

 だが、意に介した様子もなく。アスラ王はその六本の腕を大きく開き、伸ばし。そして身をかがめ、合掌するように合わせた。蛇頭を、その首を、そしてクラリオン本体を。打ち潰すように、その巨大な掌で。

「合掌……【万物(ほふ)り】!」

 

 声も無く。クラリオンはその手の内で潰され、湿った音を響かせ。辺りに紫色の体液を散らす。

 

 阿修羅の王はなおも容赦せず、その手を開き。

「おぉぉああああああああああっっ!!」

 六本腕での掌打を無数に、潰れ果てた肉塊へと浴びせかける。それが当たるその度に床が柱が、建物が大地が揺らぎ。クラリオンの体が潰れ、体液をまき散らす。

 

 玄弥が口を開く。

「すっ……げ……」

 苦しげな息の下からヨシツネが言う。

「やったぜ、こいつぁ……!」

 

 だが。

飛び散っていた体液が泥のように潰れた肉片が、時を戻したように寄り集り。再び、クラリオンの姿を取る。

 紫の血を流すそれが星命の上半身を模した姿で笑った。

「ふっ……ふ、ははははは! 何だそれは、何だそれは! 祓魔(ふつま)の力も日光も帯びぬ、ただの力ではないか! 確かに圧倒的な力ではあるが……そんなもので我を殺せると思ったか!」

 

 無数の蛇頭が再びアスラ王に取りつく。

 

 クラリオンはその、異様に澄んだ目でアスラ王を見上げる。

「さあ、その力。我がものとしてくれる、全てを喰らって!」

 

 




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第十五章  その光、闇を祓(はら)うか

 

「まだだ」

 ライドウは表情を変えず、アスラ王を見上げる。

「阿修羅の王よ。お前のもう一つの姿、『日の神仏(かみ)』の力。それを今、ここに」

 

 アスラ王は再び合掌し、うなずく。

「心得た。されど、(それ)は我に取っても遥か遠き光明、あまりに古き姿……我が意思だけでは顕現(けんげん)させることあたわぬ」

 

 ライドウはうなずく。

「分かっている。自分が()び覚ます、お前の中の神仏(かみ)を――」

 目を閉じ、(いん)を組む――両手を組み、親指と中指のみを真っ直ぐに伸ばした形。人差指は曲げて中指の背に沿わせ、残る二組の指は自然に伸ばす――。

「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン……至善にして光明と称えられし者よ、かつてその座を追われし非天よ。我が光明真言に応え、その光輝を今一度(ひとたび)(あらわ)したまえ――」

 

 アスラ王もまた目を閉じ、地響きを立ててその場に座した。あたかも金銅造りの大仏像のように。

 

 クラリオンがその目をライドウに向ける。

「ふん、何をする気か知らぬが……見過ごすとでも思ったか」

 無数の蛇頭が首を持ち上げ、舌を赤くひらめかせ。そしてライドウへと殺到した。

 

 しかし。

「【岩の呼吸・()ノ型――流紋岩・速征】」

 悲鳴嶼(ひめじま)が鉄球と斧を同時に放ち、大きく円を描くように振るい。蛇頭の群れを打ち払った。

 鎖を手元に引き戻し、小さく振り回しながら言う。

「貴様こそ思ったのか。我々が見過ごすとでも」

 

 ライドウは詠唱を続ける。

「――阿修羅の王にも幾尊かあれど、(なんじ)の真名はいずれぞや。日と月を呑みし不死身の『ラーフ』か、(いな)。業焔より()で、慈雨を簒奪(さんだつ)せし者『ヴリトラ』か、否。ならば法と裁きの神、水の王『ヴァルナ』か、否――」

 

 クラリオンは表情を変えない。

「思いはしないさ。ただ、どちらにせよ許しはしない……我が(にえ)となる他の、あらゆる行為などな」

 

 不意にクラリオンが、その全体が、震えながら身を縮めた。まるでその中心に力を集めるかのように。

 そしてその体全てが、妖しく紫の燐光を帯び。光はクラリオンの中心、星命を模した体の下、巨大な瞳へと集っていく。

 

 ゴウトが声を上げた。

「あの力は……まさか!」

 

 身を震わせながら、クラリオンは声を上げた。

「おお……おおおおっ! 受けよ我が絶対なる裁き――【神罰光】!!」

 巨大な瞳から放たれた光、あまりに強く輝き、白に近い色をした紫の光は。(くう)を震わせて飛び、撃ち抜いた。座したアスラ王の巨体を。

 

 凪が片手で口元を覆い、(うめ)くように言う。

「そん、な……!」

 

 アスラ王もまた、三面の口をそれぞれに開け、どこか(うつ)ろな(うめ)きを上げた。

「ぉ、おおおぉ、ぉ……」

 その体のうち、片側二本の剛腕と背中が、ごそりと削ぎ取られ。断面は今も黒く(くすぶ)っていた。

 三面の目が虚ろに見開かれ、体が力を失い、ゆっくりと倒れていく。その巨体は今やライドウの上に、のしかかるように崩れ落ちようとしていた。

 

 だが。それでも、ライドウは詠唱を続けていた。変わらず目を閉じたまま、いや。目を見開き、アスラ王を見据えながら。

「――(いな)。否、否、否、否。汝の名そのいずれにも(あら)ず、更には汝何処(いずこ)にも在らず。何時(いつ)にも何処(いずこ)にも在らぬ者、しかして常に(あまね)く在る者よ――」

 

「ぐぅ……!」

 アスラ王が歯を食いしばり、残った腕の片側二本で身を支える。

 歯を剥いたまま、わずかに笑んでみせる。

「ふん……貴様が我を信ずる時に、我だけが伏すわけにはいかぬわ」

 残る一組の手で、再び強く合掌する。

「貴様が我を信ずるように。我もまた帰依(きえ)しよう、貴様に」

 

 ライドウもまた、うなずく。

 

 クラリオンは、星命を模したその体は今、引きつけを起こしたかのように震えていた。その全体もまた同様に。その身の力を光として放った反動のように。

 頬を引きつらせ、噛み締める歯の下から(うな)る。

「おのれ……それでもまだ屈さぬか! それが絆の力とでもいうのか! ならば今一度、我が裁きを下すのみ……!!」

 

 再び、震える。握り締めた、星命を模した体の拳が。巨大な瞳を持つ、触手の集合体が。

そして蛇頭の一つ一つが天を仰ぎ、遠吠えのような叫びを上げる。

 (うごめ)く巨体が再び、紫の燐光を帯びて輝き出し。

 震える、大気が。

 

 宙に浮かんだ星命が悲鳴のような声を上げる。

「やばい、やばいよ! あんなのが来たら、今度こそ――」

 

 悲鳴嶼は無言で鎖を握り、クラリオンの中心部へ向けて駆け出した。

 

 ゴウトが声を上げる。

「無茶だ! いかにお主とて、あれほどの力を前にしては……!」

 

 振り返らずに悲鳴嶼は答える。

「他に手はあるまい。わずかでも時間を稼ぐ」

 

 玄弥は震える手を握り締め、その背を見ていた。まなじりの裂ける程に目を見開いて。

 傍らに倒れたヨシツネが荒い息の下から言う。

「駄目だ、無理だ……行くなよ、兄弟」

 咳き込みながら血を吐いた後、続けた。

「いや、逃げろ……! 兄弟、お前は逃げてくれ……! オレはいい、小娘とライドウを引きずって――」

 

「――それだ」

 不意に、さらに目を見開き、(ほう)けたような顔で玄弥はつぶやいた。

 ヨシツネの元にかがみ込んだ。その目を真っ直ぐに見る。

「なあ、ヨシツネ。出会ったばっかりだけどよ……俺とお前は生死を共にした兄弟、そうだよな」

 

 苦しげに顔を歪ませたままヨシツネはほほ笑む。

「あたぼうよ! 血を分けた者でこそねぇが、オレたちは最高の兄弟――」

 

 真顔のまま玄弥が、ずい、と身を寄せる。

「いや。血は分けてくれ、今」

 玄弥の左肩、未だ残っている獅子の頭部――鬼喰いにより現れたオルトロスの頭――が。牙の並ぶ大口を開けた。

 

「――え」

 ヨシツネが顔を引きつらせている間に、魔獣の口から長い舌が伸び。血を滴らせ続けている、ヨシツネの背をなめ回した。

 

「いぃっだあああぁぁザラッとするううぅぅ!?」

 ヨシツネが悲鳴を上げていた、そのとき。

 

 紫に染まる巨体を震わせ、クラリオンが叫んだ。

「さらばだライドウ、そして異世界の強者ヒメジマよ……! 受けよ、【神罰光】!!」

 

 放たれる。見開かれた巨大な目から、紫色を帯びた熾烈(しれつ)な光条が。

 放たれる、武器を構えながらも未だ鎖を届かせられない距離にいた悲鳴嶼目がけ。

 放たれる、未だ詠唱を続けているライドウを飲み込むように。

 放たれる、凪やヨシツネらも巻き込むように。

 

 だが。その男は跳んでいた、雄叫びを上げながら。

「ぅおおおおおおっっ! 【八艘(はっそう)跳び】ぃ!!」

 その男、玄弥の左半身は黄色い獣毛と青いたてがみ、甲殻に覆われた尾を得た、魔獣の体のまま。右半身は赤い武者鎧に身を包んだ姿に変わっていた。

 

 【鬼喰い】によって『ヨシツネ』の跳躍力、そして『オルトロス』の剛力を得て。光に呑まれるより早く悲鳴嶼に追いつくと同時、右手に抱えて跳び。ライドウとゴウトの元に戻り、左手に抱えて跳び。凪のジャケットの奥襟(おくえり)を自分の歯でくわえ、無理やり抱え上げて跳び。ヨシツネは魔獣の体の尾で巻きつけて連れてきていた。

 

「オレの扱いーー!?」

 ヨシツネの声が響く中、クラリオンの放った光が通り過ぎ、消えた後。玄弥は着地し、全員を畳の上に降ろす。

 

 クラリオンが息を切らしたようにその身を荒く上下させ、巨大な目を瞬かせた。

「何……だと……! あのような、あのような者に我が力が……!」

 

 その間にもライドウの詠唱は続いている。

「――汝が御手より取りこぼせし、その大いなる名を我が()ぼう。大神呪(しんしゅ)たるその名を。大明呪(みょうしゅ)たるその名を。無上なるその名を、並ぶもの無きその名を。汝こそは『(あまね)く照らす者』、我が求めし偉大なる日の神仏(かみ)――」

 

 先程の【神罰光】に巻き込まれたアスラ王は、その身をくすぶり焦がしていたが。地につかんばかりにその身を(かし)がせながらも、残った二本の腕で合掌していた。

 

 ライドウが声を張り上げる。その手は何かを包むように空間を空けて合掌した形、そして左手の人差指を伸ばし、右手で握り込むような(いん)に組み替えられた。

「――ノウマク・サマンダボダナン・アビラウンケン……オン・バザラ・ダド・バン!  アスラ王よ、(あらわ)したまえその真なる姿! ――『ヴィローシャナ』!」

 

 アスラ王が顔を上げ、声を空間に響かせた。

「お……お、お……う――」

 が。その声が次第に空虚な響きを帯び。アスラ王の巨体は、辺りを揺らして地に伏した。

 

「な……」

 ライドウが(うめ)きを洩らす横で、ゴウトが声を上げた。

「しまった……! あの巨体、【神罰光】から身をかわす(すべ)は無い……アスラ王の方が、力尽きてしまうとは……!」

 

 凪が声を震わせる。

「そんな……でしたら、いったいどうすれば……!」

 ライドウはうつむき、歯を噛み締める。

 

 不意に悲鳴嶼が声を上げた。

「待て。あの者は」

 

 その顔が向けられた先。いつの間にか、倒れ伏したアスラ王の前に。宙に浮かんだ安倍星命がいた。

 その片手をアスラ王の顔に添わせ、声を上げる。語りかけるように優しく。

乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)。我、八卦陰陽(はっけおんみょう)(ことわり)を知る者にて、我が(めい)律令の如く急々に果たされるべし。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前――」

 

 その片手が人差指と中指を伸ばし、十文字を描くように九度空を切る。最後、それらを全て斬り払うように、斜め上から大きく指を払う。

「――道満(どうまん)九字を十字が斬って、今(ことわり)は乱された。相剋(そうこく)(ことわり)を順逆に、我が(しょう)の気を死にゆく者に。(もく)より()の生ずる如く、(なんじ)我が(しょう)の気を以て、再び……生じよ!」

 

 アスラ王に添わせた手から暖かな光が溢れ、地に伏した巨体に染み込んでゆく。

 アスラ王の背が、息を吹き返したように動いた。白く、太陽に似た輝きを放ちながら。

 

 振り返り、星命が叫ぶ。アスラ王の身に宿る輝きの中、溶け込むようにその身を揺らめかせながら。

「ライドウくん、今だ!」

 

 ライドウは目を見開き、星命へ向けて口を開きかけたが。

 歯を食いしばり、再び印を結び。叫んだ。

「ノウマク・サマンダボダナン・アビラウンケン……オン・バザラ・ダド・バン! 今こそ(あらわ)したまえその真なる姿! 大日如来――『ヴィローシャナ』!」

 

 



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第十六章  光、全てを包む

 

「……!」

 悲鳴嶼(ひめじま) 行冥(ぎょうめい)は思わず、鎖を持つ手を顔の前にかざした。目を覆うように。

 視力を持たないその目にも、突如現れたそれは感じられた。白く、暖かく、何者にも分け隔てなく惜しみなく降り注ぐ光。暴くような刺すような光条ではない、ただそこに在って(あまね)く照らす、日の光。

 それが――まるで小さな太陽がそこにあるかのように――一点から辺りに降り注がれていた。

 

 阿修羅(アスラ)王と呼ばれた存在、それが在った場所には今や、その巨体は無く。ただ、そこから上。宙に浮かんで、その者は在った。

 

 悲鳴嶼は先程ライドウが呼んだ、その者の名をつぶやいた。

「大日、如来……毘盧遮那(ビルシャナ)仏……だと……」

 

 悲鳴嶼の目には分からない、それが果たして、自らが信仰する存在なのか――阿弥陀経を(もっぱ)らとする悲鳴嶼の宗派では、密教の尊格である『明王』や『大日如来』を直接の信仰対象とするわけではないが。知識としては知っていたし、軽んずるわけでもない――。

 

 鎖を持つ手を垂らし、半ば口さえ開けてその者を仰いだまま。傍らの玄弥に問うた。

「教えてくれ。あれは……仏なのか」

 

 玄弥が目を見開いたのが気配で分かった。

「いや、分かりませんよ俺だって……仏なんて見たことも……」

 

 そのとおりだ、と悲鳴嶼は思った。盲目の悲鳴嶼同様、誰も仏など見たことはない。

 

 ただ、目の前のそれは像にかたどられる如来の姿とはわずかに違っていた。少なくとも悲鳴嶼の耳に入る音、そこから結ばれた姿形は。

 阿修羅王の巨体とは程遠い、人並の背丈。それが脚を組んで座した姿で――仏像によく見られる結跏趺坐(けっかふざ)、いわゆる座禅の姿、ではなかった。そこから脚を崩し、宙に緩く放り出したような、いかにも苦の無い姿勢で――、宙に浮かんでいる。

 髪もまた、よく知られる螺髪(らほつ)――渦を巻いて小さく幾つもまとまった髪――ではなく。豊かな髪を背の後ろになびかせる、その音が聞こえた。

 その頭や首元、腕からは軽く金属の擦れ合う音がした。欲望から離れたとされる如来としては異例なことに、宝冠、瓔珞(ようらく)――首飾り――といった装飾品を身につけている。もっともこれは仏像にも見られ、如来の中の如来たる大日如来には王者の如き装飾がなされることが多いと聞いている。

 

 その者、ヴィローシャナは声を上げた。重くはなく、だがよく響く、彼方(かなた)まで通る声。

蠱毒(こどく)の連鎖を(めっ)せんとする者よ、孤独の客人(まれびと)を称する者よ。――知るがよい。(なんじ)蠱毒(こどく)の只中に在らず。そして(なんじ)、孤独ならず」

 

 無数の蛇頭から、巨大な目玉から、星命を模した体から。くすぶるような音を立て――煙が上がっていることが気配で分かる――(もだ)えながらもクラリオンが言う。

「な……に、を……」

 

 手を、座禅を組むときのように重ねた印――禅定(ぜんじょう)印――に結び、ヴィローシャナは声を上げる。

(いん)無くば()無し、因縁(いんねん)有りてこそ生起(しょうき)有り。(およ)そこの世に、孤独単独にて生ぜるもの無し。汝もまた、その(えにし)に連なる者。この世の連なりに迎え入れられし、『連鎖の客人(まれびと)』」

 

 『縁起(えんぎ)説』『諸法無我』――原因がある故に結果がある。それが連なり続けて形成されている「現象」こそがこの世であり人であり、心である。他の要因から切り離されて単独で存在するものは存在しない――、仏教における基本的な教えの一つ。

 その言分(いいぶん)を聞く限りには、ヴィローシャナと呼ばれた者、あるいは仏であるのかもしれない。

 

 しかし。未だクラリオンはその顔を歪ませ、体から煙を上げるのみで。消えゆく気配はない。

 この煙は鬼が日光を浴びた際のそれに近い、だが。それでもまだ生きているということは。

 足りないのではないか? この光が日光と同じだとしても、ライドウが言う祓魔(ふつま)の力が。あるいは、完全に日光と同じとはいかないのか。

 

 鎖を握り直しながら、ライドウの方を向く。説明を求めようとしたとき。

 

 ヴィローシャナが再び口を開く。

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)、世の(ことごと)くに仏性有り。――汝の中に仏有り、()つまた、汝の中に地獄有り。世の連鎖を(えにし)と見るや、はたまた蠱毒(こどく)と汝が見るや」

 突然、語気を強める。

「されど! 汝、まさに全ての連鎖を、(えにし)を喰らわんとする。全てを喰らうことなく在ることのできる道を探すこともなく、かつての世界だけでなくこの異世界においてさえ! ――故に汝が(ごう)此処(ここ)にて滅する」

 

 ヴィローシャナの手が組み変えられる、それが気配で分かった。左手の人差指を伸ばし、右手でそれを握り込む。その中で右手の人差指が曲げられ、左手の人差指の先端を押さえる形の印。寺にいたとき聞いたことがある、金剛界曼荼羅(まんだら)において大日如来が結ぶ、智拳印(ちけんいん)

降魔調伏(ごうまちょうぶく)除闇遍明(じょあんへんみょう)。我が【後光の導き】にて三毒、執着、一切罪業。因果の果てまで――解きほぐされよ」

 

 満ちた、光が。

 照りつけるのではなく、最初からそこにあったかのように。まるで(かめ)の中に水が満ちているように、余すところなく偏りもなくまさに(あまね)く、満ちていた。白い、わずかに暖かな光。奪うこともなく与えることもなく、人の体温ほどの温もりを持って、ただそこにある光。

 

 ゴウトが言う。

「アスラ……ヒンドゥー教やその前身、バラモン教における悪神だが。その原型はゾロアスター教の至高神、アフラ・マズダとされる。善神にして光明神たるそれが貶められた姿がアスラ。また一方で、アスラは強大な力を持ってもいる。その一尊が『ヴィローシャナ』……『(あまね)く照らす者』。バラモン教や原始仏教の説話にも記述がみられるその者は、密教における最高尊格『大日如来(マハー・ヴィローシャナ)』と同一存在とする説がある」

 

 後を受けるようにライドウが言った。

「故に……自分の力でその姿を取り戻させた。大日如来に限りなく近い、光明神の姿を」

 ライドウは崩れ落ちるように膝をついた。両手も畳につき、荒い呼吸を繰り返す。阿修羅王に真の姿を取り戻させるため、力を使い果たしたのか。

 

 そして、クラリオンは。

「あ……ああ、あ……」

 虚ろな声を上げ、顔を上げていた。見上げているのだろう、全ての蛇頭が、巨大な目玉が、星命を模した体が。日の出を仰ぎ見るように、ヴィローシャナを。

 その体からは、しゅうしゅうと、何かが吹き出るような音を上げ。ゆるやかに長く、空気の流れが――煙が――、立ち昇っていた。許されたように、天へ、天へ。

 

 しかし。

「あああ……あ、あ、あああああぁっ!」

 星命を模した体が、憤るように腕を振るい拳を握った。歯軋りの音が響く。

「おのれ……おのれ、知った風なことを! 何が縁だ、何が罪だ!」

 

 払うように天へ向けた腕から体液が滴り、音を上げて煙に変わる。

「何が神だ何が仏だ! 今さら出てきて何のつもりだ! 蠱毒(こどく)の連鎖の外から我を、見下ろしてやろうとでもいうのか!」

 

 瓔珞(ようらく)の鳴る音がして、ヴィローシャナが首を横に振ったのが分かった。

「否。我もまた、連鎖の中に在り。汝が連鎖と呼び、我が縁と呼び、ライドウが絆と呼ぶものの中に。それ故に、再びこの姿を取ることが(かな)った」

 

 星命を模した手が、ばりばりと何かを()きむしる。自らの髪を、顔を、剥き出された大きな目さえも。

「うるさい……うるさい! 何が縁だ、何が絆だ! そんなものでこの我を縛るな! 我はクラリオン、『向こう側に在る者』――」

 

 クラリオンが顔を上げるのが気配で分かった。おそらくは()き傷から、体液を流し続ける顔を。

「――我は縛られぬ、何ものにも! この『蠱毒(こどく)の連鎖』さえからも……抜け出す! 全てを! 喰らい尽くして!!」

 

 とたん。()ぜた、クラリオンの全てが。ばつん、と内から弾けたように。

 

「何……!?」

 言ったのは悲鳴嶼だけではなく、ライドウたちやヴィローシャナでさえも、口々に同じ意味の言葉をつぶやいていた。

 

 内から()ぜたクラリオンの体は、無数の蛇頭と巨大な目玉は。噴水のように体液を吹き上げ、まき散らした。上へ――光を放つヴィローシャナがいる、その方向へ。

 

「しまった……!」

 悲鳴嶼がつぶやくうちにも聞こえた。

 おそらく霧状に、分厚く雲のようになった体液と、塵となり同様に漂う肉片――上空にそれが層をなしているはず、音の返りが鈍い――が、しゅうしゅうと煙に変わる音。

 そしてさらに聞こえた。雲の下、ヴィローシャナの光から(さえぎ)られ、陰となった場所に。畳の上に水たまりとなった、自らの体液を跳ね飛ばしながら駆ける足音が。

 足音の間隔、体格からしてそれは、安倍星命を模した肉体。クラリオン本体が、星命の下半身を再び模して、ライドウたち目がけて駆けていた。

 

 そして、おそらく。地上付近にもかなりの霧が立ち込めているはず、ライドウたちにはまだクラリオンの姿は見えていない。聴覚でその動向を把握できた、悲鳴嶼と違って。

 

「いかん、来るぞ! 奴本体が!」

 警告を放った後、悲鳴嶼は駆け出した。

 

 クラリオンが駆けながら叫ぶ。

「遅い、無駄だ! 受けよ我が【神罰――」

 

 その目の辺り――星命の思念が、クラリオンの本体と予測したそこ――に何か、強烈な光が膨れ上がり出したのが、悲鳴嶼の視覚でも感じ取れた。

 

 ――足音の位置、遠い、鎖を振るってもわずかに届かない。そしてクラリオンは足を止めた、向こうの射程距離内に達したということか――。

 

 畳を踏み締め、悲鳴嶼は叫んだ。

「南無、阿弥陀仏!」

 放った。鉄球を力の限り。ただそれは届かない、分かっている。

 それでもいい。敵の攻撃より早く、そして狙いどおりに飛んでくれれば。それでいい。

 

 果たして。クラリオンがその力を放つ前に、鉄球は着弾した。クラリオンの手前、めり込む音を立てて畳へ。へし折る音を立ててその下、床板へ。それを支える柱と、床板の下を縦横に走る木材へ。

 その亀裂は周囲へと走り、砕いた。クラリオンの足下をも含む、床を。

 

「なぁ……!?」

 クラリオンが体勢を崩し、目の光がかき消える。

 

 悲鳴嶼には分かっていた。踏み込みの震動、その反響から、床を支える柱の位置が。床板を支える木材の位置が。クラリオンの足下、その床板が(やわ)いことが。

 

 悲鳴嶼は鎖を引き戻しつつ駆けた。クラリオンへ向かって。

 つぶやく。

「異界の敵よ、貴様にも幾許(いくばく)言分(いいぶん)があろうが。人を喰らう(あやかし)を、我らは決して許しはしない。(ほふ)り去るのみ――鬼であろうが、悪魔であろうが」

 跳んだ。鎖を手にした両腕を掲げ、力の限り振るい落とす。

「【岩の呼吸・()ノ型――瓦輪刑部(がりんぎょうぶ)】!」

 空を裂いて()ちた鉄球と鎖斧が、クラリオンを声も上げさせず()し潰した。

 

 着地し、鉄球の下で肉塊と化した――未だ(うごめ)いている――クラリオンを見据えたまま。後方へ声をかけた。

「今だ、葛葉(くずのは)! (とど)めを!」

 

「あ、あ……」

 だが。つぶやくようなライドウの返答は、消え入る程に弱く。畳の上に、刀を取り落とす音が響いた。

 

「な……」

 思わず悲鳴嶼は顔を向ける。

 ヴィローシャナを目覚めさせた消耗がそこまでも大きかったのか。だが、今祓魔(ふつま)の力による攻撃を加えなければ、クラリオンは確実に再生する。

 

 顔を上げ、見えない目で上空をにらむ。血肉による雲は今だ漂っているらしく、光は(さえぎ)られている――どころか。わずかに雲を透かして届いていた光が、弱まり、弱まり。

 今、灯火が吹き消されたように。消えた。

 確か、ライドウは言っていた。どれほどの間、ヴィローシャナの力を使えるか分からない、と。

 

「く……っ!」

 悲鳴嶼が歯を(きし)らせた、そのとき。

 

 何者かが刀を拾い上げる気配がした。

それは、膝をついたライドウではなく。

「先輩、ここは私が! ――玄弥さん!」

「分かった!」

 凪、そして玄弥の声。

 

 足音を残し、何かが跳んだ。おそらく、凪を抱えた玄弥が。

 空を切ってゆくそれが、やがて光を帯びるのが分かった――おそらく凪の手にした退魔刀が――。

 

 凪の声が聞こえる。

「これは先輩の分、そしてこの世界の方たちの分。つまり……皆の分!」

 光が強まり、やがて一つの形を取る。

「魔を(はら)って、赤口(しゃっこう)葛葉――【磁霊金剛壊(じれいこんごうかい)】!!」

 

 一つの塊となった光――小さく歪だが、どうやら斧のような形をしていた――が。クラリオンを、天を見上げるように剥き出されたであろうその目を。叩き斬った。

 

 



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第十七章  その僧、仏と出会うが

 

 ぼろり、ぼろりと崩れ落ちた。力無く、何の声も無く、命の無いただの物のように。凪に刀を振り下ろされたクラリオンは。

 燃え落ちた炭のように、崩れ。やがて灰の塊のように、こぼれ。そして(ちり)となり(ちり)となり、流れ落ちて。そこに何の音も聞こえなくなった、悲鳴嶼(ひめじま)の耳には。

 異界の悪魔、クラリオンは消え果てた。初めから何も無かったかのように。

 

 顔を上げれば、雲のように浮かび立ち込めていたその血肉も同様だった。いまやそこに音の往来を妨げるものはなく、全てが消えていた。

 気づけば辺りも変わっていた。大広間のように蔵のように、果てしなく広く先も分からぬ程天井の高かったそこは。クラリオンが滅び、術の解けた今。ごく短く音の返る、八畳程の一室だった。周囲には(ふすま)を隔て、同様の部屋がいくつか続いているようだ。

 

 凪を抱えていた玄弥がその手を離し、ぺたり、と畳に尻をつけた。

「やっ、た……よな」

 

 震える手で刀を握り締めたまま、肩を大きく上下させて。荒い呼吸のまま凪が言う。

「やり、ました」

 

 横たわっていたヨシツネが、血に濡れた体をどうにか起こす。

「ああ、やった。見事だったぜ……兄弟、それに凪」

 

 刀を手放し、凪が二人に抱きつく。首根っこを抱えるようにして。

「やりました、やりました! 皆の、二人のお陰で!」

 玄弥も言う。

「ああ……! お前のお陰だ、兄弟」

 ヨシツネがその背をはたく。

「当然よ! まあお前らもよくやったがな!」

 

 三人の目にはきっと、涙が光っているだろう。悲鳴嶼の目には見えず、何の音も聞こえたわけではないが、そう思った。

 

 そのとき、ライドウの声が聞こえた。けして大きくはなく、しかし叫びを押し殺したような、涙を無理矢理押し込めたような。そんな声が。

「星命……!」

 

 畳の上、わずかに浮かんで。人の大きさをした風の揺らぎのようなものが横たわっていた。安倍星命の思念と名乗る者。

 そしてその揺らぎは、こうしている間にも薄れ、弱まり続けている。

 

 畳に両手をつき、歯を噛み締め。絞り出すようにライドウが言った。

「済まない……自分は、守れなかった……また」

 

 ゴウトが言う。

「自らを構成する(アストラル)体、その全てをアスラ王再生のために注ぎ込んだか……」

 小さな頭を深く下げた。

「その決断が、行動がなければ我々は生きてはおれなかった。感謝する……よくぞ、やってくれた」

 

 星命の声が返る。今にも消え入りそうな、か細い声が。

「ほんと、よくやったよ……安倍星命でも何でもない、ただの思念の欠片が。カレーでもご飯でもない、お皿にくっついたご飯粒みたいな僕が……」

 

 ライドウの手が、伸ばされていたその指が。畳の上で、かきむしるような音を立てる。

「守れなかった……君を、また……!」

 

 風が揺らいだ。悲鳴嶼の目には見えなかったが、きっと。笑ったのだろう、安倍星命は。

「何度も、言わせないでよ……僕は安倍星命じゃない。あのとき力を与えようと与えまいと、クラリオンが滅ぼうと滅ぶまいと、どうせそのうち消えていた……そんな、ただの残留思念……ただの命無きモノだよ」

 

 そこでまた、きっと。笑った。

「でも、嬉しいな……君がそうしていてくれて。楽しかった、会えてよかった……クラリオンにも、言いたいこと言えたし……」

 

 ゆっくりとライドウへ伸ばされた、その揺らぎが。ライドウの手へと届き、しかしその先へすり抜けた。

「ああ、残念、だよ……君の、手を――」

 

 揺らいで、揺らいで。それは薄れて、消えていった。初めから何も無かったかのように。

 

「星命。星命……っ!」

 

 誰もが長く黙っていた後。語りかけるようにゴウトが言う。

「……よくやった、本当によくやったのだ、あ奴は……」

 

 不意に、よく通る声が聞こえた。

(しか)り」

 ヴィローシャナ。大日如来と呼ばれた者が、気づけばライドウらのそばにいた。今はその身に光を宿してこそいないが。

「彼はそもそも命無きもの、魂無きもの……されど彼は、立派に生きた」

 祈るように、(とむら)うように合掌する。

一切皆空(いっさいかいくう)空即是色(くうそくぜしき)色即是空(しきそくぜくう)……(くう)より出でて因果の糸に紡がれしもの、因果解きほぐれてまた空へと還る……それは何も彼のみではなく、我等もいずれは同じもの。悲しむことなかれ、ただ深く(しゃ)すがよい。我も、彼に救われた……感謝する」

 

 悲鳴嶼もまた合掌した。南無阿弥陀仏の名号を唱えた。それは安倍星命への感謝と、先に死した隊士らと犠牲となった人々への弔いだった――目の前の、如来と称する者への読経ではなく。

 

 ゴウトが言う。

「さて……ライドウよ、思うところはあろうが。原因たるクラリオンが滅んだ今、次元の裂け目もそう長くはもつまい……取り急ぎ、戻らねばならん。我らの世界へ」

 

「……ああ」

 ライドウは立ち上がる。学帽を目深に被り直したのか、髪の擦れる音がした。

 

 その前に、立ち塞がるように。合掌したまま、悲鳴嶼は進み出た。

「この度の助勢、深く感謝する。君たちへも、彼にも。そして、急ぎのところ申し訳ないが。一つだけ問いたい」

 ライドウではなくヴィローシャナへと向き直る。合掌を解いて。

「先の説法、真に有り難きもの……仏門の者として感じ入りました。そこで、一つ(うかが)いたい。御仏たるあなたに問いたい――」

 

 自らの顔から表情が消えるのを感じながら、言った。

「――今まで、何をしていたのだ」

 

 玄弥が喉に詰まったような声を上げた。

「……え」

 

 悲鳴嶼はなおも言う。

「阿修羅の王に身をやつしておられた、それは分かるが。真、あなたが御仏なら、聞こえなかったか。我らの声が。祈りが。願いが。嘆きが、叫びが――」

 奥歯を噛み締める。震える程に。胸に溜まった吐息ごと、解き放つように言う。

「聞こえなかったのか。救いを求める声が。力無き者の祈りが。平和を求める願いが。鬼に家族を友を愛する者を喰われた者の嘆きが! 喰われゆく者の、叫びが……聞こえなかったとでも言うのか!」

 

 言いがかりに近いとは、頭のどこかで分かっていた。けれど、言わずにはおれなかった。

 悲鳴嶼は日夜、念仏を唱えていた。鬼に殺された者らの冥福を祈り、鬼の討滅への加護を願って。

 あるいは悲鳴嶼のように表立ってではなくとも、特定の神仏にではなくとも。多くの隊士が同じことを祈り、同じことを願っただろう。そして助けを求めなかった者がいただろうか、鬼に喰われゆく者の中に。誰かに、それはあるいは、何がしかの神仏に、助けを求めなかった者が。

 

 それでも、神仏は何もしない。

 

 目に見えぬ幸運を神仏の助けと、感謝することは幾度かあれど。

 正しく優しく、強大な力を持つはずの神仏は、その正義も力も振るわない。

 

 ヴィローシャナを前にしたクラリオンの言葉、それが今の悲鳴嶼には分かる――何が神だ、何が仏だ。今さら出てきて何のつもりだ――。

 

 握り締めた、数珠が砕けた。

「聞いているのか……我らの声を。聞いているのか! 私の話を!」

 やり場のない力が拳に溢れ。それを、足下に叩きつける。古畳は半ば千切れるようにして(えぐ)れ。藺草(いぐさ)(わら)のくずが宙を舞った。

 

 玄弥がつぶやく。

「悲鳴嶼、さん……」

 

 ヴィローシャナは長く黙っていたが。やがて、頭を下げた。

「……済まぬ。分からぬ、我はこちらの世の者ではあらぬ故に」

 

 叩きつけたままの拳が、ゆっくりとほぐれる。震える程に力のこもっていた腕からも、肩からも頬からも。

 長く、長く息をついた。

 

 分かっていた、そんなことは。

 それでも、言わずにはおれなかった。それだけだ。

 

 ヴィローシャナは言う。

「そも、こちらの世に神仏のおわしますやら、あるいはおわしまさぬやら……判らぬ、我には。なれど、これだけは述べよう――『如来』とは(すなわ)ち、『真実より、かくの如く来たれる者』。……それは本来、救う者に(あら)ず。かくの如くあるべしと導く、先達に過ぎぬ」

 

 その言葉は、悲鳴嶼にも覚えがあった。原始仏教――歴史上の釈迦その人が説いた教え、それに最も近いと考えられる、(いにしえ)の説法の記録――の一節に。

 明治期以降に日本でも研究が始められたその関連書物を、御館様に頼んで取り寄せていただいたことがある。

 

 ヴィローシャナは再び合掌する。

「せめて、我も祈ろう。そなたと、そなたの仲間と、そなたらが弔う者らと。そしてまた、そなたらが守る者ら、そなたらが殺す者らと――こちらの世、全ての者のために」

 

 悲鳴嶼もまた立ち上がり、合掌する。(こうべ)を垂れた。

「感謝、いたします」

 

 そしてライドウらに向き直る。

「……済まなかった。引きとめてしまった、急ぐがいい」

 

 ライドウは深く頭を下げた。

「いえ。……それよりも、申し訳ありません……我々の世界の悪魔によって、こちらの世界にまで、犠牲を」

 

 悲鳴嶼は首を横に振った。

「君たちのせいではあるまい。全てはあの、クラリオンという者……そして、それを()んだというこちらの世の鬼。それが元凶」

 

 そこで、息をついて。微笑んだ。微笑むことができた。

 合掌する。

「……ともかく。君たちと、出会えて良かった。感謝する」

 それは彼ら自身にか。あるいは彼らと引き合わせた、この世の神仏にか――それは分からなかった、けれど。

確かに、感謝した。

 

 ライドウもまた、合掌する。微笑むのが気配で分かった。

「こちらこそ。深く、感謝いたします」

 

 悲鳴嶼は言う。

「できるなら丁重に礼もしたい、御館様に申し出てできる限りの謝礼を……だが、急ぐのだったな。積もる言葉はあるが……もう、引きとめはすまい」

 

 うなずき、駆け出そうとするライドウに。

 凪が声をかけた。

「待って下さい! 最後に一つだけ――」

 思い詰めたように、息を呑んで続ける。

「私たちから、お礼をすべきセオリーです。それができます、私たちなら――」

 

 



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第十八章  鬼舞辻無惨、慄(おのの)き喚(わめ)く

 

 叩き壊した、目の前の琵琶を。鬼舞辻(きぶつじ) 無惨(むざん)はその拳で。

 無限を思わせて広がる畳の上、闇の中。たった一人()いつくばって、震えながら。自らの肩を抱いても止まらぬ震えに、骨すら(きし)むのを感じながら。

 

 そう、一人。琵琶の持ち主は(すで)に亡い。目の前で死んだ、つい今しがた。無惨が殺した訳ではなく、日の神仏(カミ)によって。

 その血鬼術を以て異界の鬼、クラリオンを観ていた鳴女(なきめ)は――その場にいるかのように観ていた鳴女(なきめ)は。日の神仏(カミ)の光を浴びて死んだ。消え果てた、煙となって。許されたように、笑みさえ浮かべて。

 

 

 

 

 鬼の首魁(しゅかい)にして根源たる無惨は。かつて琵琶の持ち主たる鬼、鳴女(なきめ)に命じ、鬼殺隊士らの位置を探らせていた――鳴女はその血鬼術を以て空間を操り、また、離れた空間の様子を察知できた――。

 その折、鳴女が異様な気配を察知した。いわく、この世ならぬ場所からこの世に出ようとする何かがいると。

 無惨は興味半分戯れ半分に、その存在をこの世へ引き上げさせた。そして現れたのが、クラリオン。しなびかけた、拳程の目玉の化け物。

 その脆弱な様に不快の念を(もよお)した無惨だったが、それでも戯れに自らの血を与え、それが現れた場所――廃墟となっていた屋敷――に放置した。

 

 それが、気がつけば。クラリオンは無惨の血を喰らい返したかのように、鬼とはならず――だが血鬼術らしき能力、喰らったものを模す力を身につけ――、調査のために向かわせた数体の鬼をも喰らい。付近の人間をも喰らい。我が物顔でのさばっていた。調査・討伐に訪れた、複数の鬼殺隊士すら喰らって。

 そして、無惨がいよいよ不快の念を(つの)らせつつ、鳴女の力で監視させていたとき。

 現れた、クラリオンの前に。鬼殺隊最強の隊士と、異界より来た悪魔召喚師(デビルサマナー)が。

 

 

 

 

 今、無惨は身を折り曲げ、額を畳に擦りつけながら。叫んでいた、頭を抱え、掻きむしって。

「ああァァあ……ああああァァァッッ!」

 

 無惨は己の血を分け与えた者の思考を読み取ることができる、その者が近くにいればいる程鮮明に。

 先程まで、無惨は。目の前にいた鳴女の思考を読み取っていた。その観ているもの、感覚さえ鮮明に感じるほど自らの意識を同調させて。監視対象であるクラリオン、そして現れた異界の者らの動向を、正確に観察するために。

 

 そして、つい今しがた。悪魔召喚師(デビルサマナー)は日の神仏(カミ)()んだ。

 その者が現れた時から、辺りに放たれる光を感知した鬼の細胞は焦げ、白く煙を放ち出し。鳴女は悲鳴と共に身をよじらせた。無惨自身の体も薄く煙を上げ始めたが、それでも観察を続けた――危険はあったが、日光を操る者を放置することもまた危険だった――。

 そして程なく、日の神仏(カミ)が声を上げる――『降魔調伏(ごうまちょうぶく)除闇遍明(じょあんへんみょう)。我が【後光の導き】にて三毒、執着、一切罪業。因果の果てまで――解きほぐされよ』――。

 同時に、そして瞬時に。辺りに満ちた光が、無惨と鳴女を包んだ。

それは(いだ)くように優しく、(くる)むように深く。責めることなく(あば)くことなく、ただそこに在って。(あまね)く照らした、全てを。

 

 全身から雲のように白く煙を上げ、鳴女はその身を溶かし焦がし、消え果てながら。つぶやくように、だが確かに言った。

「おお……あり、がたや、ありがたや……申し訳、ございません――」

 無惨に対して、ではなかった。消えゆく瞬間、鳴女の顔は無惨に向けられてはいなかった。その目は天へと向いていた。昇る日を仰ぎ見るように。

 そして。感覚を深く同調させていた無惨には分かった。消え果てるまさにそのとき、鳴女は。感謝していた、自らを滅ぼす仏に。謝っていた、人であった頃と鬼となってから、自らが殺した者たちに。

 全身が煙となって散りゆく中、最後まで残っていた鳴女の唇が動くのが見えた。

 なむあみだぶつ、と。

 

「あああ……うわぁぁあああああああァァァ!!」

 叫んだ、無惨は。自らの頭を抱え、爪がめり込む程に抱えて。まるで自らの脳髄を、()き出してしまいたいといった風に。

 深く同調していた無惨にも伝わっていた、日の光に焼かれる感覚が。許すようなその暖かさが。自らの――鳴女の意識の――内に欠片ほど残っていた罪悪感、良心、それが導かれるように、まるで錠を外されたように鎖の(いまし)めを解かれたように、広がっていくのが。

 滅せられることを受け入れ、光に自らを(ゆだ)ねる、その気持ちが。

 

「がアアァァ、あああああああああ!!」

 白く煙を上げ続ける体をきつく抱き締め、無惨は何度も畳に頭を打ちつけた。やがて畳はえぐれ、(わら)くずとなって飛び散り、それでも頭を打ちつけた。

ぼぎり、と音を立てて首の骨が折れ、だらりと頭がぶら下がる――たちまちのうちに周囲の肉から幾本もの筋が飛び出し、頭を支え首に同化し、再生する――。また、頭を打ちつける。

 

 辺りから鬼たちが駆け寄る。

「無惨様!」

「ご無事ですか!」

「無惨様、どうなされ――」

 

 無惨は身を()いつくばらせたまま、腹立ち(まぎ)れに腕を振るう。一瞬にして伸びたそれが、数体の鬼の頭を果物のように潰した。

 他の鬼から悲鳴の上がる中、血の出る程に頭を顔をかきむしって無惨が言う。

「遅い! 何をしていた、何をしている!! 私を守れ、この私を早く守れぇぇぇ!!」

 

 肩を抱いて震えながら無惨は思う――不愉快不快不愉快不快不愉快不快極まりなしあああああああ嫌だごめんなさいいや違う、何を何に詫びている違う、詫びる必要など何処(どこ)にも無し詫びるならば神仏が私にだ私だけこの私だけ何故このような目にこのような境遇にあの弱い体に生まれてきたああああ不愉快不快あああああああ誰か、誰か守ってくれ守って下さいこの弱い私を、なみあみだぶつなむあみ――

 

 そこまで思考した瞬間。殴った、己の顔を。

 穴の開いたように陥没した顔、外れかけてぶら下がる下(あご)のまま、この意味を持った絶叫を上げた。

 

 ――今すぐ私を守れ、全ての鬼よ。今すぐに、今すぐにだ! 

 

 



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最終章  異界の友ら、別れて歩む

 

 ――一方、その少し後。

 未だ夜の明けぬ中、細い月の浮かぶ下。膝まで届く草むらを掻き分け、玄弥は歩いていた。

 前を行く悲鳴嶼に言葉はない。あの古屋敷を出て以来、ずっと。

 それで玄弥も、その大きな背を黙って追った。

 

 不意に悲鳴嶼が立ち止まる。月を見上げるように、顔を上げてつぶやいた。

「何なのだろうな」

 

 玄弥も立ち止まり、息をつく。

「ほんと何だったんですかね、あの人ら……」

 ライドウたちはもういない。古屋敷の中、空間そのものに亀裂が走ったかのような、宙に浮かぶ黒い裂け目、元いた世界への入口だというそこに彼らは先程飛び込んだ。そして、それを待っていたかのように裂け目は閉じ、薄れて消えた。

 消えた。彼ら自身さえもが、幻だったかのように。

 

 それでも。彼らのことを、ライドウの繰り出す召喚術を、凪の真剣な眼差しを。背をはたいてくるヨシツネの手を思い出すと。確かに胸が熱を持つ。

 

「いや……」

 背を向けたまま悲鳴嶼はうつむく。低く言葉を続けた。

「――何なのだ、というのは。私自身のことだ」

 

「え……」

 玄弥が目を瞬かせるうちに、悲鳴嶼は言った。

「柱となって長くあれど、守り切れず取りこぼした命の何と多いことか。先程は異界の御仏に、知った風な口を叩いてしまったが……」

 大きくかぶりを振ってつぶやく。

「あれは私のことだ。助けを求める者らを救えていないのは、守ることができなかったのは。神仏ではなく、この私だ。……私が責めたかったのは、この私だ」

 

 うつむく悲鳴嶼に、玄弥は声をかけた。意識して、大きな声で。笑うように。

「そんなこと、ありませんよ。現にこうやって、俺を助けて――」

 

「そして現に救えなかった、お前以外の隊士は」

 小さくかぶりを振り、悲鳴嶼は続けて言った。

「それどころかお前も救えなかっただろう、彼らの助けがなければ。お前がこの任務に就いて行方知れずとなったと聞き、自ら志願しておきながら」

 

 玄弥の口が小さく開く。それから知らず、頬が緩む。――なんだ、何だかんだ言って。俺を助けに――

 

「違うのだ」

 刺すようにそう言って、悲鳴嶼は続ける。

「お前のためではない。私はただ……見続けてきた。多くの人々が、そして仲間が、死してゆくのを。それに(いささ)か、心の何処(どこ)かで……疲れていた。怯えていた。いや、怯えているのだ、今も」

 

 長く、息をついた。

「この任務に就いたのは。ただ、私のためだ。自分がよく知る者の死を、見たくなかったからだ、私が。お前のためではない……。きっと、もしもお前が死したとしても。涙の一つも流さないだろう、私は――」

 うつむき、合掌して言った。

「なんとみすぼらしい心根の男だ……生まれてきたこと自体が誤りだったのだ」

 

 玄弥は口を開けていた。何も言わずそうしていた。悲鳴嶼の広い背中が、遠くに追い続けてなおも大きく見えたその背が。今はただ、小さく見えた。

 

「でも」

 とにかく、口はそう動いた。何か言わなければ駄目だ、何かを。たとえそれが的外れだったとしても。

 何度もこの人に助けられてきたが。今、この人を助けられるのは。俺しかいないのだから。

「でも。……もし悲鳴嶼さんが生まれてなかったら。俺はとっくに死んでますよ」

 

 悲鳴嶼はうつむいたままだった。

 

 それでも、続けて言う。

「俺だけじゃない、あの人たちだって、ライドウって人と凪さんだって。生きちゃいませんよ。……逆に言や、あの人たちがいなかったら、俺たちだって死んでただろうし、その――」

 

 言葉がまとまらず、宙をこね回すように指を動かし、それから言う。

「――とにかく。生きてて下さいよ」

 

 悲鳴嶼の背に動きはなかった。ぴくりとも。

 

 玄弥の口はそこで止まり、それからまた指を動かし。視線を月に向けて言った、無理に大きな声で。

「ていうか、別に泣かないでいいすよ、俺が死んでも」

 ――知ってますよ、誰か隊士が死ぬ度に無言で大泣きして、それから経を読んでるの――。

 大きく伸びをしてみせ、続ける。

「俺が死んだときぐらい、読経は休みにして下さいよ……いや本当に、適当にしててくれたらいいですよ。それで、いいんで」

 

 悲鳴嶼は何も言わなかった。みじろぎもしなかった。

 ただ、うつむいたまま。合掌した。

 

 玄弥はまた声を張る。

「っつうか、俺が死ぬの前提みたいなの気分悪いんすけど。死にませんよ、俺だって――」

 片手を胸に当てる。その下、内ポケットに収めた、彼らからの『お礼』に触れる。

「――死ねませんよ。あの人たちから、こんないいもんもらっといて」

 

 悲鳴嶼が顔を上げ振り向いた、そのとき。

 (からす)の鳴き(わめ)く声が聞こえた。

 数秒後、黒い羽根を散らして現れた鎹烏(かすがいがらす)――近くの町に待機していた(カクシ)が伝令に放ったものか――が、こう(わめ)いた。

 

「――総員ニ告グ、総員ニ告グ! 鬼ガ移動ヲ始メタ、一点ヘ向ケ! 繰リ返ス、全テノ鬼ガ一点ヘ向ケ移動ヲ始メタ! 予想サレル場所ハ――」

 

 

 

 

 突然だった、発見されていた鬼の全てが、あらゆる行動を放棄して移動していた。何が起こったのか、まるで何かに呼ばれたかのように。そしてその方向、角度を統計し分析したところ、それらが向かう先は。ただ一点を指し示した。

 おそらくは、鬼の首魁(しゅかい)の居場所を。

 

 

 

 

 そうして、時をそう隔てず。動員可能な全ての隊士が踏み込んでいた。無限に広がるかとも思える屋敷のような、鬼の根城へ。

 

 ――幾度もの戦闘の後、玄弥は跳ね飛ばすように(ふすま)を開け。その奥へと跳び込んだ。悲鳴嶼と、幾人かの仲間と共に。

 

 広間のようなその先では。『上弦』の紋を瞳に刻んだ鬼ら――首魁、鬼舞辻(きぶつじ) 無惨(むざん)の腹心ら――がいた。

 

 氷の息を吐く鬼が、扇子を片手に鷹揚(おうよう)に笑う。

「やあやあ、これは大勢お越しで」

 

 刺青(いれずみ)のような紋を顔に入れた鬼が拳を握る。

「なるほど、いずれも素晴らしい闘気……面白い」

 

 六つの目を持つ鬼が、ゆっくりと刀を抜く。

「なれば早速……こちらも抜かねば不作法というもの……」

 

 玄弥の横で水柱と霞柱、他数人の隊士が刀を構える中。

 風柱、不死川(しなずがわ) 実弥(さねみ)――玄弥の兄――は一人、歯を噛み鳴らした。

「チッ……何で俺がテメェなんぞをよォ……守んなきゃいけねェ。こんな所で」

 

 ――不死川玄弥に秘策あり。日光を発し、鬼の首魁を滅する策が。故に総員、彼を守れ――その旨は決戦直前、岩柱・悲鳴嶼行冥より全ての柱と、主立った隊士に伝えられた。

 

 玄弥は何も言わず、自らの胸を片手で触る。服越しにその下、内ポケットに収められた数本の金属管を。それは凪が言い出し、ライドウと共に残してくれたもの。

 今、玄弥はその一本を取り出す。

「頼むぜ兄弟……それに仏さん……!」

 牙の伸びる口で噛み折り、噛み砕き、無理矢理飲み込む。そこから溢れた緑の光が玄弥を覆い。

 その光が消えた後、そこにはいた。『ヨシツネ』と同じ紅い武者鎧に身を包み、『アタバク』と同じ(たくま)しい八本の腕――それぞれに武器や法具を(たずさ)えている――を(そな)えた玄弥が。

 

 悪魔召喚師(デビルサマナー)の資質を持たない玄弥たちには本来、召喚管は使いこなせない。

だが。ライドウ達は封じておいてくれた、空の管の中に。彼らが召喚する仲魔、その血肉の一部を剥ぎ取って――実体化に必要な力をあらかじめ共に封じて――。【鬼喰い】の玄弥のために。

それが、彼らからもらった礼だった。

 

 玄弥に向けた目を大きく見開き――【鬼喰い】の力については悲鳴嶼から聞かされていたはずだが――言葉を詰まらせたように口を開けた後。ややあってから実弥は言う。

「……兄弟、だァ……? 誰に言ってんだそりゃァ」

 

 玄弥は目を伏せたが。

 舌打ちと共に実弥は言う。目を合わせずに。

「まァいい……どうせもうちょいで全部終わる。それまでテメェを守りゃ済む話だ、悲鳴嶼さんがそう言うんならそうなんだろ」

 つぶやくように続けた。

「守ってやる。生きてろよ……兄弟」

 

 玄弥は目を瞬かせ。それから、強くうなずいた。

 再び胸に手をやる――その内に収めた管の一つ。『ヴィローシャナ』の血肉を収めた管。それを無惨の前で喰らい、日光を発すれば――その瞬間が、鬼殺隊の勝利。

 

 炭治郎が横で、すん、と鼻を動かす。

「匂う……恐怖と動揺の匂い。震えている……このすぐ先で、鬼舞辻無惨が」

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 悲鳴嶼が鎖を振るい、声を上げる。

()くぞ、臆すな……我らが悲願は目前に在り! 全ての嘆きも理不尽な死も、ここで全て終わらせる!」

 

「はい!」

 腹の底から玄弥は叫び。

そして、敵へ向かって足を踏み出す。

 

 

 

 

 ――その頃。

 元いた世界、モダンなビルヂングの立ち並ぶ一角の、日陰になった空き地で。ライドウと凪は互いに木刀を向けていた。

 

「はあっ!」

 凪が踏み込み、小太刀型の木刀を突き出す。

 ライドウは無言で身をかわすが、そこへさらに突きが飛び来る。

 

 対して、ライドウは横から跳ね飛ばすように木刀を振るい上げたが。

 凪は途中で木刀を引き、それをかわし。そこから再度の突きを繰り出す。

 が、ライドウもまた手を返し、木刀を振り下ろしていた。凪の肩口へ、わずかに早く。

 互いに、ぴたりと木刀を止め。身を引いて礼をした。

 

 ライドウが言う。

「腕を上げたようだ」

 凪が弾かれたように顔を上げ、目を見開き。何か言おうとしたとき。

 

 黒猫、ゴウトが壁を乗り越えて空き地に下り立つ。

「二人とも、先日の件が片付いたばかりで悪いが。――任務だ」

「了解した」

 傍らに置いていた刀を取るライドウを見ながら、ゴウトは言う。

「……顔色がすぐれぬようだな。やはり先日の、星命のことが――」

 

 ライドウは小さくかぶりを振る。

「今更何も言うつもりはない……自分が、力不足だった」

 そして深く、学帽を被り直した。

 

 凪が声を上げる。

「そんなことはありません! ライドウ先輩は力を尽くして下さいました! それに玄弥さんたちだって、仲魔たちだって。……力不足なのは、私自身のセオリーです」

 

 ライドウは黙って、目を瞬かせた後。つぶやくように言う。

「いや。……誰もが死力を尽くした、我々も、星命も、異界の彼らも。誰が欠けていても勝てなかった」

 顔を上げた。空を見るように。

「……星命と、そして彼らと。出会えて……良かった」

 

 ゴウトがうなずく。

「そうだな……。しかし、あ奴らはあ奴らで討とうとしている者がいるようだが。無事であれば良いがな」

 ライドウは首を横に振る。

「心配はない。倒すだろう、彼らの敵を――彼らなら、必ず」

 

 うなずいた後、凪が言う。

「ええ。それと、できるなら……また、あの方たちと会えれば嬉しいのですけれど」

 ライドウはうなずく。

「ああ……彼らの言った、謝礼も受けていないことだからな」

 ゴウトが目を瞬かせた。

「珍しいな……(うぬ)がそのような、俗なことを口にするとは」

 唇の端をわずかに持ち上げ、ライドウは言う。

「また会えたなら。所望する、謝礼に――蜜たっぷりの大学芋と。星命の好きだった、ライスカレーを」

 

 ゴウトが息をつき、凪が口に手を当てて微笑む。

 ライドウは挿した刀の位置を確かめ、マントを振るい上げた。

()こう。彼らにまた、会う日が来るのなら――その時のために」

 そして、新たな任務、新たな敵に向かい。今、足を踏み出す。

 

 

(了)

 

 



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