ウマ娘プリティダービー『神馬』 (K.T.G.Y)
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邂逅

トラック如きじゃウマ娘は死なないし異世界にも行けないと思ったので
こんな手段しかなかった。許して候
いや、死んでないけどさ


 

【ふう……】

 

トレーナー室で、PCとにらめっこしながらチームのウマ娘達の今後の予定を考える。

 

ふと、カレンダーを見る。

気が付けば随分時が流れたような感覚がある。

 

【思えば遠くに来たものだ……】

 

チーム『シリウス』。始めは何もなかった中央トレセン学園の、チームと呼ぶのも疑わしい所から始まった。

 

一心同体を誓い合ったメジロマックイーンは、稀代のステイヤーとして自分を支えてくれた。

ライスシャワーは紆余曲折がありながらも、歓喜の祝福に包まれる道を歩むことが出来た。

ウイニングチケットはそのダービーへの想いを実現し、自分にダービーウマ娘という栄誉をもたらしてくれた。

ナリタブライアンは三冠ウマ娘の名に恥じない、歴史に名を残すウマ娘となった。

サイレンススズカは最速の名を恣にし、その脚を世界に轟かせるべく海を渡った。

スペシャルウィークは日本一のウマ娘を目指して邁進し、やがて総大将として凱旋門賞ウマ娘を打ち破った。

 

ゴールドシップは……まあ置いておくとして。

 

 

これからもチーム『シリウス』は多くのウマ娘に支えられ、幾多の試練、困難に打ち勝ち、歩んでいくことだろう。

しかし……、

 

【この道は、果たして俺が歩みたかった道だったのか……】

 

結果には満足している。

だが体に穴がぽっかりと開いたと言うか、燃え尽き症候群と言うか、どこかやり切ってしまったという想いも混在する。

 

【贅沢な悩みだよな】

 

皆の明るい笑顔が頭の中で浮かぶ。時として泣き顔も見せた顔。それを支えた自分。

全てが全て上手くいったわけじゃない。

 

だがトレーナーとして、指導者として、何かカンフル剤が欲しいのも事実だ。

 

【普通なら入学した大物ウマ娘とかなんだろうけど】

 

そんな都合のいい話はそうない。

 

駄目だ。考えが纏まらない。

 

【気分転換に外を散歩するか】

 

俺はトレーナー室を出て、外の空気を吸いに行った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

トレセン学園近くの公園を一回りし、河川敷に向かう。

犬の散歩をする人、談笑しながら歩く学生、それに交じって、空を見ながら、一人延びをする。

今日も快晴だな。ターフも絶好の良バ場だ。

念のため傘を持ってきたが、

 

【これなら傘なんか持ってこなくても大丈夫……】

 

そう、思っていた。

だが、ふと空を見る方向を変えると、灰色の雲がこっちに向かってやってくるではないか。

 

【一雨来そうだな】

 

しかし、何か様子がおかしい。外は無風だ。しかし雲はこっちに向かって導かれるようにやってくる。

それだけではない。四方八方から灰色の雲が一点に集中するかのように集まってきた。

 

その雲は集まると同時にバチバチと放電した。だが雷が落ちてくる気配もなければ、ゲリラ豪雨のように突如雨が降ってくる感じもない。

 

そしてその雲の塊は、黒い楕円形の渦を空中に浮かび上がらせた。

空気が文字通り渦巻いている。

まるでブラックホールだ。

しかもその塊は、徐々に降下してくるではないか。

 

【な、なんだ……】

 

「おいおい何かおかしいぞ!」

「何が起こるっていうの!?」

「ワン! ワン! ワン!」

 

付近の人間もこの異常事態に気付き始めた。こんなのCGでしかありえないような光景だ。

 

『…………わ……。……おい……』

 

声が聞こえる。だが辺りを見回すが周囲の住民が発したものではない。

 

『……お……おい……な……吸い……!』

 

間違いない。声の主はあの黒い渦の先から聞こえる。

 

【誰かいるのか?】

 

『おいおいおいおい何だってんだい!? 吸い込まれ……うわあああああっ!』

 

声の主の言葉がはっきりしてきた。

そしてその瞬間、その黒い渦から、女性が『降って来た』。

 

「うわああああああああっ!!??」

 

ひゅぅぅぅぅぅぅぅ…………どっしーん!

 

俺はその真下に居た為、その女性の下敷きになってしまった。

 

 

そしてその黒い渦は、いつのまにか『消滅』したかのように無くなっていた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「痛たたたた……一体全体何だってんだい。いきなり空中に黒くて丸っこいものが現れて吸い込まれたと思ったら……と、うわぁ!」

 

声の主は俺の存在に気付き、慌てて立ち上がった。

 

「ああ、こりゃ済まない。下敷きにしてしまったね! 怪我はないかい!?」

 

【だ、大丈夫です……】

女性は腕を掴み、俺をひょいっと起立させた。

 

女性は、ウマ娘だった。

頭の上の特徴的なウマ耳、後ろに動く尻尾。顔に見覚えはないが、ウマ娘なのは間違いない。

 

「なあ、あんた、さっきの現象は何か分かるかい? 急に空が曇って黒い渦が出来たと思ったらそこに吸い込まれて気が付けばここだ」

 

【いえ、覚えがありません】

「だよねえ……」

 

強いて言えば、『映画』のようだった。

しかし監督も俳優もいる気配はなかった。しかもあんな天候を自在に操るような技術は現代社会にはまだない。

 

「あんた、ここがどこだか分かるかい?」

 

【中央トレセン学園近くの河川敷です】

 

「へえ、中央の……。何だろうね。私はワープ? でもしたのかね? まあ関東なら東海道新幹線に乗れば一応帰れるか……」

見たことがないウマ娘は、この辺の事を知らないのだろうか、周囲をキョロキョロと見回している。

「しかし、何だろうか……。この空気が違う感覚は……。建物も近代的だし、周りの人間の服装も垢抜けてる感じというか……」

 

改めて彼女を見る。服装は前世代的というか、何処か田舎臭い印象を受ける。靴も下駄だし。

だがウマ娘として見ると、どこか得体のしれない凄味がある。オーラを感じるというか……。

 

「ああ、自己紹介が遅れたね。私はシンザン。これでも結構有名なウマ娘なんだよ」

 

【シン……ザン……?】

 

「あれ、知らないのかい? うーん、オリンピック、新幹線、シンザンと言えばそれなりに有名な筈なんだけど……。

まあ巨人、大鵬、卵焼きに比べれば知名度は低いほうか……」

 

ウマ娘を預かるトレーナーとして、頭の中の辞書や歴史の教本を引っ張り出しながら考える。

だが、シンザンと名乗られて、該当するウマ娘はただ一人しかいない。

 

【もしかして、戦後初のクラシック三冠ウマ娘のシンザン……?】

 

「おお、知ってたか! そう、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、三つを勝ち抜いたウマ娘とは私の事さ」

 

【そして史上初の五冠を達成したシンザン!?】

 

「は? 何言ってんだい。私はまだ三冠しか獲ってないよ。まあ来年は天皇賞と有馬を獲るつもりでいるけども」

 

何かが整合していない。

自分の知る所のシンザンはクラシック期に三冠、翌年に二冠を達成し、史上初の五冠を達成した筈だ。

ということは、推測するに、彼女はクラシックを勝ち抜いたばかりのシンザンということになる。

 

「…………」

「…………」

「……あの、一つ聞いていいかい? 今……何年だ?」

 

【20XX年です】

 

「はあああああああああああああっ!?」

シンザンが大きな声を上げる。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待て! 待て待て待て待て! するっていうと何かい、私は半世紀近い未来に飛ばされたって事かい!?」

 

【そうなりますね】

 

「いや、嘘だよな、あんた。嘘と言ってくれよ! 私は春天を控えてるんだ! 武田も栗田も中尾も心配する!

いや、それ以前に、冗談にも程があるよな!? そうだと言ってくれよ!」

 

シンザンは狼狽した。

当然だ。今この場で起きたことは、本人にも自分にもにわかには信じがたい現象だったのだから。

 

「…………」

シンザンは頭を抱えながらボソボソブツブツと何か言っている。

まあ自分だっていきなり未来に飛ばされたらこういう反応をするし、信じられないし、狼狽えると思う。

例えばトラックに轢かれて異世界に転生させられたりとか。

 

「……いや、分かる。目を見れば分かる。あんたは嘘を言ってない。本当……みたいだね……」

 

 

「……さて、どうしたもんか……」

シンザンは考え込んでいる。

彼女の心境を察するに余りある大きな問題だ。

しかし目の前で困っているウマ娘がいれば、救いの手を差し伸べるのがトレーナーというものだ。

 

【あの、もし……】

 

そこで俺は語った。自分は中央トレセン学園所属のトレーナーである事。

チームを持ち、何人かのウマ娘を担当している事。

もし良ければ、元の時代に戻れるまで、中央でお世話させてもらえないかと理事長に掛け合ってみるという事。

 

「ふむ……お偉いさんとの交渉か。……どのみち帰る手段も分からないし、選択肢もなさそうだね」

 

【はい】

 

「分かった。あんたに任せるよ。私の生殺与奪、あんたにくれてやろうじゃないか」

 

【聡明で助かります】

 

「……しかし、20XX年の日本か」

シンザンは俺の後ろを着いて来ながら、終始考え込んでいた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「驚愕ッ! そなたがあのシンザン殿だというのか!?」

「……理事長、間違いありません。学園内の資料で拝見しました。この方は間違いなくあのシンザンさんです」

 

トレセン学園に戻った俺は、早速理事長である秋川やよいと秘書の駿川たづなの元を訪ねた。

 

「……。おやおや、随分と小さな理事長さんだ。そして、駿川たづなさん、か。ふうん……」

シンザンさんはまた考え込んでいた。たづなさんを見ているようだが……。

 

俺は事の経緯を詳しく説明した。

……と言っても、普通の人間なら説明されても「???」と頭にクエスチョンを並べるだけなのだが。大真面目に、馬鹿正直に話した。

 

【まあ、信じられないのも無理はないですが】

「むむむ……。しかしはっきりしている事は、我々の目の前にシンザン殿がいる! それは紛れもない事実である!」

「トレーナーさん、あなたを信じます。よく行く当てもないシンザンさんをここに連れてきてくれました」

【有難うございます】

 

【つきましては、シンザンさんを一時的に中央トレセン学園で受け入れる手筈を整えていただきたいのですが】

「了承ッ! シンザン殿はURA史上に残る至宝のウマ娘! 最大限の恩恵をもって接し、身柄を預かるものとする!」

「具体的には、制服とジャージの貸し出し、寮の空き部屋の使用、カフェテリアの利用許可でしょうか」

「うむ! これは私の一存では決められないな。シンボリルドルフ生徒会長にも話を通す必要がある。よし早速行くぞ! 善は急げだ!」

「ああ、待ってください、理事長」

 

「済まない、たづなさん、彼女だけ残してくれないか。話し相手が欲しいんだ」

「む、構わないが。ではトレーナーよ。私に続けえ!」

【あ、ちょっと、待ってください、理事長】

 

 

「……二人きりになっちゃいましたね」

「ああ……」

「どうします? あなたがターフから去った後のURAの歴史でも話しましょうか?」

「……その前に、一つ聞きたい事がある」

「何でしょう?」

「たづなさん、とか言ったね」

「はい」

「あんたはいつ現役復帰するつもりだい?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「……。どういう意味でしょう?」

「しらばっくれなくていい。私の目は誤魔化せないよ」

 

「かつて、あるウマ娘がいた。生涯成績10戦10勝。レコード7回。皐月賞、日本ダービーの二冠。

数々の栄光を手にしながら、急逝した事から、天から来てまた天に還っていった幻のウマ娘と称された少女……」

 

「あんたは、そのウマ娘と瓜二つだ。

なあ、トキノ……」

 

「ふふっ……」

 

駿川たづなは、そっと帽子を取った。

そこには、ウマ娘の耳はなかった。

 

「私は駿川たづなです。それに、私をその名で呼ばないでください」

 

「神様が、人間に生まれ変わる時に、ちょっとだけ前世の記憶を残してくれたんです。

永田オーナーや、岩下トレーナーにはお世話になりました。今ではウマ娘の皆さんを見守る理事長秘書ですよ」

「……そうかい。悔念はないんだね」

「人もウマ娘も、決まっていることは生まれてくることと死ぬことだけ。それ以外はなるようにしかなりませんから……」

「達観してるねえ。経験からくるものだからかな」

「さあ、どうでしょう」

 

バタン!

 

「たづなー! 私一人では新規に作る書類が纏めきれん! 手伝ってくれー!」

「はーい、ただいまー。それではシンザンさん、また後日……」

駿川たづなは手を振って理事長室を出て行った。

 

「なるようにしかならない、か……」

シンザンは今一度考えこんだ。

「しかし、この時代に飛ばされたのは、何か天命がある……そう思ってしまうんだよねえ」




たづなさんの所は一部個人的な設定が入ってます
まあモデルはもう既に広く知られてますし……これでもいいかと
シンザンからすれば偉大な先輩にあたるんですけどね


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勝敗

皆さんも知っていると思います
シンザンをフィーチャーした作品は探せば結構あるのです
でもそれは偉大な名馬へのリスペクトだと思います


 

「理事長、転入という名目でシンザンさんの中央トレセン学園の登録書類、完成しました」

「了解ッ! トドメの判子をドーーーン!」

「しかし寮への根回しは如何なさいましょう? 栗東の方に一応空き部屋があるようですが」

「暗黙ッ! 寮長のフジキセキを呼び出し、そこはかとなく匂わせつつ巧言で理解してもらうというか何というか……」

「……日本ウマ娘協会の重役が来たときくらいテンパってますね」

「壮絶ッ! そっちの方が遥かに気が楽だ! 尻で椅子を磨く連中とは違う! 日本史上最高とも評される伝説のウマ娘なのだぞ!」

 

「しかし本当に大変な事になってしまいましたね……」

「まさしくバックトゥザフューチャーだからな。無礼があってはならないし、その経歴に傷を付けるなど論外だ」

「面倒はあのトレーナーさんに見てもらうとして、本当にシンザンさんは元の時代に戻れるのでしょうか……」

「不明ッ! だが所謂並行世界というやつで歴史が変わったりしないことを祈るのみ!」

 

「そういえば、事の経緯を話した時、シンボリルドルフ会長の目がおかしかったですね」

「狼狽ッ! 突如あのような事を話されては無理はない。だが同じ三冠ウマ娘。思うところもあるのだろう」

「……なんだかひと悶着はありそうな気がしますね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

(頼庇ッ! とりあえずシンザン殿の面倒は君が見てくれ! くれぐれも無礼はないように!)

 

と理事長に言われたものの……。

 

【責任重大だな】

 

名目では、関西から中央の見学ということでしばらくうちのチームで面倒を見る、という事になった。

書類一式は理事長と生徒会長が行うので、自分はチーム『シリウス』のメンバーとして一時的に登録するだけになる。

 

「ふむ。ふむふむ……」

シンザンさんはトレーナー室のソファーに腰掛けながら資料を見ていた。

「いやはやトレーナー、時代は変わるものなんだねえ。天皇賞の勝ち抜け制度が廃止されたり、宝塚記念がGⅠ級になったり、

更にジャパンカップという国際試合が行われたり、日本のレースも発展したものだ」

【まあGⅠ級のレースは増えましたね】

「私の時代は短距離路線は軽視されてたからね。でも短い距離でも夢があるという事はいい事だ」

 

コンコン……。

 

「失礼しますわ」

ドアを開け、一礼。入ってきたのはメジロマックイーンだ。

 

「トレーナーさん、午後の練習について少しお伺いしたい事があるのですが」

【ちょっと待って。もう少しで書類が終わるから】

「緊急の用事なのですか。これは失礼しました。あら、あなたは……」

「初めまして」

 

【理事長に押し付けられる形でしばらく面倒を見る事になった】

 

「理事長に? そんな大層な方ですの?」

「シンザンだ。よろしく」

「初めまして。メジロマックイーンですわ。『シリウス』のリーダーを務めさせていただいております」

マックイーンは丁寧に会釈する。

 

「え、シン……ザン…………」

 

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと! トレーナーさん! どういう事ですの!? シンザンさんって、まさか、あのシンザンさんなのですか!?」

 

【実は、かくかくしかじか……】

 

ブーーーーーーーーー!!!!

 

「す、す、す、すいません! とんだご無礼を! まさかシンザン本人に出会えるなんて夢にも思ってもみませんでしたので!」

「なあに、所詮私なんて昭和の遺物だよ」

「そんな事はありませんわ! 貴方が現れたからこそ、日本のウマ娘とそれを取り巻く環境は進化したのですから!」

「そんなものかねえ……」

「あ、あ、あの、握手、していただけますか?」

「いいよ。はい」

「はうっ! 夢心地ですわ~……」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そして午後の練習時間、俺はチームメイトにシンザンさんを紹介した。

 

【と、いうわけでこちらがシンザンさんだ】

 

「よろしく。しばらく厄介になるよ」

 

しかし皆の反応は薄かった。

「えーと、誰でしたっけ……?」

「ハヤヒデに勉強を教えてもらった時に、出てきたような、出てきてないような……」

「ライス知ってるよ。凄い人だよ」

「歓迎のイモリの姿焼き食うかー?」

「…………」

皆の反応は様々だった。

ただ一人、ナリタブライアンだけが睨み付けるようにシンザンを見ていた。

 

「貴方たち、何も知りませんの!? 戦後初のクラシック三冠ウマ娘! 19連対の日本記録保持者! それがシンザンさんですのよ!」

「……私まだそこまで走ってないんだけどな」

 

「えっ、19連対って事は……」

「19回レースを走って一度も三着以下になった事がないということですわ!」

「えーーーーーーーーーっ!!??」

「すっごーーーーーーーーーーいっ!!!!」

 

「まあオープン戦が大半だったからそんなに凄いとは言えないけどね」

「いやいや、それにしたって凄いよ!」

チケゾーが興奮気味に叫ぶ。

「そんなウマ娘が昔いたなんて! 感動し゛た゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」

「感動するのならちゃんと勉強をなさいませ、チケットさん」

 

言うなれば、生ける伝説が目の前にいるようなものである。知ってる人なら神々しすぎて平伏しているかもしれない。

 

 

「……気に入らないな」

周囲がシンザンを称賛する中、ナリタブライアンが口を開く。

それは、紛れもない『敵意』だった。

「どんなに凄いウマ娘かもしれないが、所詮前世代の実力者だ。近代の発展した世界で凌ぎを削ってきた私たちの方が速いに決まっている」

 

「ブライアン……」

「ブライアンさん……」

 

「シンザン、私と勝……」

 

「待った!」

 

ブライアンの流行り気を大声で制した者がいた。

それは、勝負服に身を包んだ、トレセン学園生徒会長シンボリルドルフであった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「初めまして、シンザン殿、中央トレセン学園で生徒会長を務めております、シンボリルドルフと申します」

「シンザンだ。まあ気楽に構えてくれよ」

「私と勝負していただけませんか? これでも無敗でクラシック三冠を達成し、生涯でGⅠを7勝したウマ娘です」

 

(ルドルフ会長、現役時代の勝負服着てる……)

(本気の証ですわ……)

 

「なに、それなら私も参加させてもらうぞ。私もクラシック三冠ウマ娘だ」

ナリタブライアンが言う。

 

「へえ、面白そうな事やってるじゃない。私も混ぜてよ」

普段なら観客席になっている場所に一人のウマ娘がいた。とん、とん、と降りてきて、ジャンプし、練習場に降り立つ。

「ミスターシービー……」

「私もクラシック三冠ウマ娘なんだ。二人にひけは取らないよ」

 

 

「素晴らしい……この時代にはこんなに三冠ウマ娘がいるんだね……」

シンザンは感激した、という笑顔で三名を見つめた。

「きっと、今は三冠ウマ娘なんて10数人といるんだろうねえ。それだけこの世界も発展したという事か……」

「えっ……」

「それは……」

 

 

新旧の三冠ウマ娘同士による直接対決。

おそらく二度と見られない幻のカード。

それが今まさに行われようとしていた。

 

「こ、これは、トレセン学園始まって以来の最強決定戦となる模擬レースになりますわ」

「誰が勝つんだろ……?」

「うーん、まいったなー。すっげー盛り上がりそうなのに、ゴルシちゃん焼きそば作ってる余裕がねーぞ」

「……ゴールドシップさん、あなたはこの状況で」

 

 

チーム『シリウス』のメンバーは、観客席に移動した。

話を聞きつけ、秋川やよい理事長も駆けつけた。

異様な気配を嗅ぎ付け、人々が集まってくる。

ただならぬ緊張感が、練習場に充満していく。

練習していたウマ娘達も、引き上げ、このレースを見守ることにした。

 

シンザン、シンボリルドルフ、ミスターシービー、ナリタブライアン、この4名による、芝2000m。ゲート使用。

 

しかも三名は勝負服に着替えての本気の勝負である。

 

「よお、誰が勝つか賭けようぜー。負けた奴ロイヤルビタージュース一気飲みなー」

「えええ!? あの超不味くて夜眠れなくなるやつですか!?」

スペシャルウィークが狼狽える。

「じゃ、じゃあ私はルドルフ会長に賭けます」

「ライスは、チームのよしみでブライアンさんに」

「じゃあ私はシービーさん!」

「シンザンさん以外ありえませんわ。で、言い出しっぺのあなたはどうするんですの?」

「鳥山明だな」

「また訳の分からないことを……」

 

 

(おいおい、何やってんだあのウマ娘……)

(ターフの上で座禅なんか組んでるぞ……)

(知らねーよ……)

 

「…………」

 

他の三名がストレッチで体をほぐす中、シンザンは只一人、芝の上で座禅を組んで瞑想していた。

観客も、走る三名も、その姿は奇異に見えた。

 

しかしその姿に唯一理解を示したのが、理事長のやよいと秘書のたづなだった。

「刮目ッ! あれがシンザン殿のルーティンか」

「はい。シンザンさんはああやって、走る前に座り、目を閉じ、岩のように動かなかったそうです」

「普通あんなことをやれば脚が痺れるし関節だって動かなくなる。愚策だ。しかし……」

「ここからでも感じます。シンザンさんから放出される威圧感が……」

 

そしてその威圧感を感じ取った者がいる。他でもない。これから走る三名だ。

 

(まるで果し合いをやる前、嵐の直前の様だ)

(殺気がビリビリ伝わってくる)

(気にするな。気圧されたら負けだ)

 

 

そしていよいよ出走の時がやって来た。

解説はいない。ここにいる全員が解説だ。

ただし係員はいる。ゲートに入ることを促し、各ウマ娘が一人、また一人とゲートに収まっていく。

シンザンは大外、四番だった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

ガコン!

 

ゲートが開く。そしてそこから完璧なスタートダッシュを決めたウマ娘がいた。シンザンだ。

 

「スタート早っ!」

「出遅れるかもと思ったけど、全然そんな事ないぞ」

「スタートなんて0.01秒の勝負の世界だぞ。完璧じゃないか」

 

見てる観客が見惚れるくらいの速度だった。

そしてそのままあっさり好位置を取り、内ラチに入り、ペースを保つ。

番手はナリタブライアン、三番手はシンボリルドルフ、最後方ミスターシービーといった状況で第1コーナーを回る。

 

「皆が皆、得意な位置に付けましたわね」

「シンザンさん先頭だけど逃げてるって感じじゃないね」

「末脚ならルドルフ会長かシービーさんでしょ」

「いやブライアンさんだって悪くないよ」

チーム『シリウス』のメンバーも緊張した面持ちで戦局を見つめている。

 

 

第2コーナーを回って向こう正面へ。依然順位は変わらない。

第3コーナー。府中をイメージして植えられた大欅を超える。まだ四名は仕掛けない。

第4コーナー。ここで最初にナリタブライアンが仕掛けた。

 

「はあああああああああっ!!」

シンザンを躱し、最後の直線を先頭で駆け抜ける。

 

「いくぞっ!」

更に皇帝シンボリルドルフがシンザンを躱し追走に入る。

シンザンはまだ動かない。

 

「よーし、いくよっ!」

最後に天衣無縫の追い込みウマ娘ミスターシービーがシンザンを躱す。

 

 

「……なんだ結局三人の戦いじゃないか」

「あのウマ娘、結局はただの色物に過ぎなかったってわけだな」

「だがここからは誰が勝つか分からないぞ」

観客もすっかりシンザンを蚊帳の外に追いやろうとしていた。

 

 

「…………」

しかしシンザンは全く動じていなかった。

シンザンはレース開始時から、慎重に三人を『見ていた』。八方目を使って。

 

意識を視界だけでなく体全体から散らすように放出し、後ろ三人の走りを把握し、観察し、どんな走りをするのか見極める。

故に、情報戦ではこの時点で圧倒していた。

人間やウマ娘なら180度が限界だ。だがシンザンは360度を感覚で見通せる。

 

(成程。流石三冠ウマ娘だ。斬れ味鋭い脚を持っている。自信家だし、走りっぷりも度胸も良い)

 

(だが、上半身の使い方がもう一つだ。足腰に頼り過ぎている。初速は良くても、終速に課題があるね。フォームも数センチ単位で直せればもっと良くなるのに、勿体ない)

 

「……データは取れた。じゃあ、行こうか」

 

ギュン!

 

シンザンはシービーが抜き去ったのを見計らってから自身に点火した。

 

「!?」

「な、なんだあの末脚は!?」

「で、でもここから届くのか!?」

観客席にいた全員が戦慄した。恐るべき斬れ味の脚だ。

 

「凄い! どんどん差が詰まっていく!」

「で、でも追いつきませんよ! 間に合いませんよ!」

「いや、シンザンさんなら届きますわ。これが、現役時代『髭も剃れる鉈の斬れ味』と称賛された末脚……!」

『シリウス』のメンバーも息を吞んだ。

 

何よりも走ってる三名が背後から襲い掛かる圧倒的な迫力に総毛立つ。

 

(ウマ娘のそれじゃない。猛牛か大熊だ!)

(まずい! 全力で走っているのに、差が詰まってくる!)

(冗談じゃない。これじゃ逃げ惑う獲物と捕食者じゃないか!)

 

だが観客席の人々が感嘆したのは、シンザンのフォームである。

思い切り走っているのに、フォームが綺麗で、美しいのだ。芸術と言っていい。

 

先頭のナリタブライアンを、シンボリルドルフが捕らえる。そのシンボリルドルフを、ミスターシービーが捕らえる。

そしてその三人を、シンザンが纏めて捕らえる。

 

そして四人は、ほぼ同時にゴール板を通り過ぎた。

 

「接戦だ!」

「どっちだ!?」

「うおー、大接戦ドゴーンだぜ!」

 

ハァ……ハァ……ハァ……。

ハァ……ハァ……ハァ……。

 

三人は汗だくで、立っているのもつらそうな表情で掲示板を見ていた。

 

(菊花賞や有馬でもこんなに疲れたことないぞ……)

ナリタブライアンは流れる汗を必死に袖で拭いながら結果を見つめた。

周囲もそうだ。ルドルフもシービーも呼吸が整ってない。

 

「…………ふう」

ただ一人、シンザンだけが平然としていた。

 

 

そして掲示板にゼッケンが発表される。

 

一着:シンザン

二着:シンボリルドルフ

三着:ミスターシービー

四着:ナリタブライアン

 

以上の結果となった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「完敗です。手も足も出ませんでした」

レース後、シンボリルドルフはシンザンに対し、改めて会釈した。

 

「なに、長い事現役から遠ざかっていたんだろ? 一応こっちは現役だからね」

シンザンは勝ち誇ることなく、シンボリルドルフの走りを讃えた。

「いや、それとは違うんです。何と言いますか……プレッシャーもさることながら、

走りに全く無駄がないと言うか、気が付けば手のひらで踊らされていたと言うか……」

 

「一流には分かってしまうんだね。そう。私の走りは『構築』から始まるんだよ。

砂は集めても指の隙間から零れ落ちる。だが土ならそうはならない」

シンザンは指の間を閉じたり開いたりしながら語る。

 

「土台を作り、木材を組み、壁を塗り、瓦を付ける。家はこうして造られる。

レースも一緒さ。上手いスタートを決めて、勝負所で仕掛けて、後続の追い込みを見ながら脚色を調節して、最後に先頭を守る。これをやれば勝てる」

「おいおい……」

 

「まあ今日は三人の脚色を調べたかったから仕掛けを遅らせたけどね。この速度でこの位置ならこの脚色で最後に捲れると確信していた」

「だから着差が殆どなかったというのか」

「栗田が言ってたんだ。ハナ差勝ちでも勝ちは勝ちだろ、ってね。勝つためにわざわざレコードや大差出す必要なんてないのさ。本来はね」

 

三人は、ぽかん、としていた。あれを全て計算ずくでやっていたというのなら、文字通り次元が違う。

観客席で聞いていた『シリウス』のメンバーも唖然呆然としていた。

 

「ねえ、シンザンさんの話、みんなは理解できた? ライスは、出来なかった……」

「……いやー私いつもハヤヒデに勉強教えてもらってるくらい馬鹿だからわかんないや。あははー」

「私も実は勉強は苦手で。この前も補習だったんですよねーあはは……」

「おい誰かアインシュタイン連れて来いよ。あ、外した奴はロイヤルビタージュースの刑な」

「シンザンさんが指導論を出版して後世に残せば日本の歴史が二歩は進んでいたかもしれませんわね……」

 

 

そしてこの走りは他の観客にもしかと伝わっていた。

「おいおい、とんでもねえ実力者だぞ」

「何者だあのウマ娘……」

「俺、スカウトしてこようかな?」

 

「静粛ッ!」

しかしそんな流れを秋川やよい理事長が制する。

「注目ッ! 此度行われたレースは、緘口令を敷き、一切の概要を外部に漏らすことを固く禁ずる! これは理事長命令である!」

 

 

これにより、三冠ウマ娘同士の最強決定戦は幻となった。

 

だが、その結末は中央トレセン学園における知る人ぞ知る『伝説』となり、口を濁して後世に伝えられることとなる。

 




三冠ウマ娘同士が勝負したら、聞くだけでワクワクすると思いません?
でも当時の人々はシンボリルドルフが現れた時、凄い馬が出てきたと言う一方で
ルドルフよりシンザンの方が上だ、と答えたそうです

でもシンザンを超えろ、と皆が切磋琢磨したからこそ近代競馬は進化し
シンボリルドルフという名馬は生まれたとも私は思うのです


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会食

ウマ、イカ、ポケモン
ウマ、イカ、ポケモンって感じでぇ……
時間が幾らあっても足りない
少しだけだが書き溜めてておいて本当によかった


 

『へえ、そんな事があったのね』

「はい。凄かったんですよ。会長さんにもシービーさんにもブライアンさんにも勝っちゃったんですから」

激闘の夜、スペシャルウィークは海外にいたチームメイトのサイレンススズカと電話をしていた。

 

「シンザンさんほんとーーーに凄かったです。私、尊敬しちゃいます!」

『そう。後で撮っていた動画、見させてもらうわね』

「本当に強いウマ娘って時代は関係ないんですね。同じダービーウマ娘だけど、多分私より上ですよ」

『ふうん。縁があったら、私もその人と走ってみたいわね』

「スズカさんとシンザンさんかあ。これも夢のカードですね」

『私もレース頑張らなくちゃね。例え海の向こうでも、先頭の景色は誰にも譲る気はないから』

「はい! 応援してますから!」

 

 

「はぁーーーーーー。本当にいいレースだったなあ。人を感動させるレースって、ああいうのを言うんだろうなあ」

夜だというのにスペは興奮が冷めやらなかった。

 

日本一のウマ娘を目指したあの頃、日本の総大将と呼ばれ威信をかけてモンジューと戦ったジャパンカップ。

それとも違う、独特のあの空気。真のレースは模擬レースでも関係ないという事を改めて思い知った。

 

「よーし、私も明日からけっぱるべー!」

 

「うるさいぞスペシャルウィーク! 早く寝ろ!」

寮長に怒られるのだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「ああーお腹空いたー」

「ご飯行こーご飯」

 

【もうそんな時間か】

 

ウマ娘たちが午前中の授業を終え、食堂に向かっていくのが見えた。

自分もちょうどお腹が空いたところだ。ウマ娘たちと共にカフェテリアに向かうのも悪くない。

 

「おや、トレーナーじゃないか」

 

背後から声をかけるウマ娘がいた。

 

【シンザンさんじゃないですか】

声の主は上機嫌のシンザンだった。

トレセン学園の制服を着用している。

 

「学園の制服を貸してもらったんだ。どうだい、似合ってるかい?」

【似合ってますよ】

「そりゃ、どうも」

 

「しかし、中央の学園は随分と大きいんだねえ。午前中いっぱい使って見物させてもらったよ」

【これでも増改築を繰り返してますから】

「練習場もさることながら、筋肉を鍛えるための機材が置いた部屋、図書室、プール、様々な設備があった」

【よく迷いませんでしたね】

「予め見取り図を見させてもらったからね」

 

「そして何よりもあの、暖かい空気や冷たい空気が流れてくる機械! エアコン……というのだっけ? あれには驚いた。

いやはやなんとも、文明の利器とは素晴らしいものだね」

【まあシンザンさんの時代には扇風機ぐらいしかありませんでしたからね】

「……あんなものがあれば菊花賞前に夏負けになることもなかっただろうねえ」

【はい?】

「あ、いやいや、こっちの話だ……」

 

【ところでシンザンさん、昼食はどうするんです?】

「あー、そういえば考えてなかったな」

【それでは学園のカフェに行きましょう。中央の食事は美味しいですよ】

「ふむ……、それじゃあご相伴に預かろうか」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

どん!

 

「……」

 

どどん!

 

「…………」

 

どどどーん!!

 

「……………………」

 

カフェでは既に多くのウマ娘達が食事をしていた。

山盛りのご飯に、名物のにんじんハンバーグ、そして食前なのに食後のデザートを頬張る者もいる。

 

【どうしました? シンザンさん】

「あ、あの……と、トレーナー……、みんなとてつもない量を食べてるけど、これは幾ら掛かるんだい?」

【ああ、それなら……】

 

「回答ッ! シンザン殿は理事長権限により特別待遇とさせていただく! VIP待遇というやつである!」

 

【と、理事長が言ってましたので、幾ら食べても無料です】

「む、無料……!? この量が無料……!? いや、確かに私のいた時代とは違って日本も豊かになったんだろうけど、いや……眩暈がしてきた」

 

「おおーいっ! トレーナーさーん! シンザンさーん! こっち来て一緒に食べよー!」

食堂の一卓にいたウイニングチケットが手をぶんぶん振って二人を呼ぶ。

【行きましょう、シンザンさん】

「あ、ああ……」

 

食卓にはチーム『シリウス』のメンバーが一同に会していた。

メジロマックイーン、ゴールドシップ、ライスシャワー、ウイニングチケット、ナリタブライアン、スペシャルウィークといった面子だ。

既にスペはにんじんハンバーグ3皿目をおかわりしている。

「もぐもぐ! がつがつがつ!」

「おいスペ、口元に食べカス付いてんぞ。たまにはゆっくり食べろよ」

「(ゆっくりは)食べません!」

「もうそのネタはマンネリだってーの」

 

「…………」

とりあえずシンザンは、ご飯と味噌汁、魚の塩焼き、沢庵とポトフを持ってきた。

「粗食ですわね」

「食べないと大きくなれないよ、シンザンさん」

「……あんたたちが大食い過ぎるんだよ」

 

「いただきます」

 

「……美味しい。やはり私のいた時代とは比較にならないね」

シンザンは感嘆した。

 

「そういえば、シンザンさんの時代ってどんな感じだったの!?」

チケゾーが問う。

「ん、そうだね……。私のいた時代は、日本がいわゆる高度経済成長期と呼ばれた時代だった」

シンザンは味噌汁を一口啜ると、ゆっくりと語り始めた。

「都会には高層ビルが立ち並び、日本中が好景気と活気に満ち溢れていた。だが貧富の差はまだまだ大きかった。

子供を高校に上げられない家庭もあったし、仕事で親の後を継ぐのも当たり前だし、大学卒業者なんて引く手数多だった」

「シンザンさんは中央トレセン学園に通っていたのですか?」

「いや、私はずっと関西の方にいた。理由は簡単で、金がなかったからだ。

当時、中央トレセン学園に通うには一定の金額が必要だったからね。上等な着物を質に入れたり田畑を売った金で進学させる親もいたが」

 

そしてシンザンは一つ話をした。

随分瘦せ細った後輩がいて、ちゃんと食べてるかと問うたら保存がききそうなものは全部タッパーに入れて実家に送っていると言うのだ。

聞けば生まれて鶏も豚も食べたことがなく、初めて口にした肉は蛙肉だと言う。

その娘をレストランに連れていき、ビフテキを奢ったら泣きながら食べたそうだ。

 

「か、蛙って……」

「あたしでもしねーぞ。精々イモリぐらいだな」

 

「……貧しさは時として人を強くする。絶対この世界で活躍してみせる、そんなハングリー精神でギラギラしていた者は多かった。

運動に長けた人間はプロ野球選手を目指す者が多かった。俗に言う、『グラウンドには銭が埋まっている』というやつだ」

 

他にも、カレーには肉が必ず入ってるからカレーが好きな娘は多かったとか、食べ物は腐りかけが熟成されてて一番美味いと平然と口にする娘とか、

お金が無くなって学校を中退して中等部なのに嫁ぐ娘もいたとか、シンザンは色々な貧乏話をした。

 

 

「辛い境遇のウマ娘は多かったのですね……」

「メジロ家のおまえには縁のない話だけどな」

「茶化さないでくださいまし」

 

「まあそんなわけで、当時中央ウマ娘の方が関西ウマ娘より強かった。だからこそ、中央に追い付け追い越せと皆いきり立っていた。

コダマ先輩もそんな中頭角を現したウマ娘だったね」

「だが、時代は中央トレセン学園一強だ。それだけ日本が豊かになり、思う存分ウマ娘を指導できる環境が整ったという事だろう」

と、ナリタブライアン。

「たまに、考えちゃうよ、ね。ライスたちが食べてる食材って、どこから捻出されてるのか、とか」

「おいライス、その先はアンタッチャブルってやつだぞ」

 

「幸せ者だよ、今の娘たちは……」

「だが、それだけでは、あの実力は説明が付かないな。どんな練習をしたんだ?」

「それは、放課後においおいと解説しながら指導していくさ……」

 

「トレーナー、時代錯誤のカビの生えた指導で良ければ、チームのウマ娘を見たいんだが、いいかな」

【勿論、こちらからお願いします】

「ありがとうよ」

 

 

「ああ、言い忘れたけど、実は中央からスカウトの依頼が来たことがある」

「ええっ!? 本当!?」

チケゾーががたんとテーブルを揺らした。

「……ダービーを勝ってしばらくしてからかな。学費免除、寮完備の条件を付けるから転入してくれってきてね。しかも三顧の礼というやつで」

「それで、どうしたんですの?」

「心が揺らいだのは事実だ。だが武田の奴が「シンザンを連れて行くのなら俺を殺してからにしろ」って喚いてね。

栗田や中尾も私を説得しようと動いた。後輩も行かないで欲しいと泣いてね。最終的には断った」

「もしかしたら、トレセン学園のOBにシンザンさんの名が載る可能性もあったんですね」

「私は悔念してないよ。あんな素晴らしい面子に恵まれたんだ。手放す方が損さ」

 

【実は、シンザンさんがターフを去った後、URAには『シンザンを超えろ』というスローガンが標榜されたと言います】

「へえ……」

 

【ですが、それは、シンザンさんだけでなく、シンザンさんを支えたスタッフも含めてという意味だったそうです】

「成程ねえ」

 

【自分も、そのようなトレーナーでありたいと思っています】

「出来るさ。あんたほど情が厚いトレーナーはそういないよ」

 

 

「さあ! 食後の後はやっぱりスイーツですわね!」

「体重増の原因パクパクですわー!」

「だから茶化さないでくださいまし! これでも節制してるんですのよ!」

 

「なんだいこれ?」

「やる気upスイーツですわ。甘くて美味しく、食べればやる気も充電完了。魔法の甘味ですわ」

「……ヒロポンかな?」

 

「「「「「いただきまーす!」」」」」

 

「んん~、美味しいですわ~」

「美味しいよねー!」

 

「あ、美味しい。甘いけど、サッカリンじゃないんだね」

「サッカリン?」

「私の時代にあった人工甘味料だよ。スプーン一杯でバスタブが甘くなるって言われてるんだが、体に悪いとも言われてるし、なによりくどい」

「そっか、当時は砂糖も貴重だったんですね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「ごちそうさまー」

「ふう、世は満足じゃー」

 

【それじゃ、食事休憩を終わらせたら、みんな練習場に出てもらうよ】

 

「分かりましたわ」

「私は昼寝してていいかー?」

「頑張りまーす!」

「いよいよ私を負かした三冠ウマ娘の実践指導か。高ぶるな」

「げっぷ……。ちょっと、待……」

 

【シンザンさん、練習用にジャージも貸し出しますね】

「ああ、頼むよ」

 

 

(私が何かを人に教える、か……)

 

(教える側になって初めて分かる事もあると言うが、さてさて、どうなるものかな……)




トレセン学園のカフェってもし食券で注文する形だったらみんなあんなに食べられないでしょうね
申告制なだけですっげー体重増えてるウマ娘もいるのではないでしょうか


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蹄鉄

この作品を書くにあたり、シンザン鉄をどう扱うか色々考えました
が、やはりシューズのように扱うのが最良だと考えました


 

晴天に恵まれ絶好の練習日和の放課後。

チーム『シリウス』の面々もまた、練習場に集合していた。

 

注目すべきはやはり『シンザン』である。

 

シンボリルドルフ、ミスターシービー、ナリタブライアンの三冠ウマ娘を抜き去った脚は記憶に新しい。

 

伝説が、刻を超えた瞬間だった。

 

彼女がジャージ姿で現れた時、周囲がザワついたのは間違いない。

 

「いよいよですね。シンザンさんってどんな指導をするんでしょう?」

「想像つかねーなー。悪いけど時代遅れは否めないんじゃねーか?」

「普通に考えればそうなんだけどねー」

 

 

「さて……」

 

【今日の練習内容はシンザンさんに任せます】

 

「そうはいうが、私は正直、人に教えるのは苦手なんだがね……」

 

 

「注目ッ!」

観客席から大きな声が飛んできた。

他でもない、秋川やよい理事長である。傍にはたづな秘書もいる。

 

「おお間に合ったか! 実は皆に見てほしいものがある!」

 

【何でしょう?】

 

「凝視ッ! これである!」

 

理事長は、何とも変わった形のシューズを取り出した。

「京都にある博物館から特別に貸し出してもらったものが先ほど届いたのでな! 持ってきたのだ!」

 

「……何ですのそれ?」

「蹄鉄……でしょうか」

「スリッパだよあの先端は!」

「いやあれはどう見ても鉄下駄だろう」

 

「あー……あれか。私にとってはトラウマものなんだがね……」

 

「これこそが、かの有名な『シンザン鉄』である!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「……『シンザン鉄』?」

 

「左様ッ! シンザン殿が現役の頃、武田トレーナーが特注で作らせた一品である!」

 

「ええ!? あれ履いて走るんですか!?」

 

「いや、そうじゃない。私から説明しよう」

シンザンは皆に解説した。

 

 

シンザンが武田トレーナーの所に在籍してしばらく経ってからの事。

当時、名伯楽で知られた武田の所で指導されたいというウマ娘は多く、一人で60人~70人は預かっていた。

さすがに一人では手が回らない為、栗田がスケジュール管理など、中尾が体調管理などを担当していた。

 

中尾はシンザンの下半身の踏み込みの強さに惚れこみ、武田に「こいつは大物になりますよ」と吹いたが、

武田は「いや駄目だ。あれじゃ使えん」とバッサリ。

 

その理由は走り方にあった。

シンザンは下半身の力が強すぎたため、地面を蹴るのではなく、踏み潰すようにして走る悪癖があったのだ。

人間もウマ娘も、地面は蹴って反動を付けてスピードを出すもの。これではいいタイムは出ない。

 

そこで開発されたのが、通常の蹄鉄の何倍も重量があるこの『シンザン鉄』だった。

 

これを履いて走るには、下半身だけではなく、上半身の筋肉も使い、全身を一体になるようにして走らなければならない。

つまり『シンザン鉄』はフォームの矯正用なのだ。

 

 

「武田は山本五十六の名言『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』という信条の持ち主だった。

だから人間で、陸上経験もないのに、こいつを履いて走って見せた……何度も転びながらね」

 

「いや待て。こんな物を履いて走るなど不可能だ。怪我をしてしまう」

とナリタブライアン。

 

「逆だよ。怪我をしない為にこいつが必要なのさ。試しに走ってみせようか?」

シンザンは借り受けたシンザン鉄を愛おしそうに履き、一呼吸すると、前方目掛けて走って見せた。

 

ダッ! ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!

 

「わわ! 凄い! 本当に走ってる!」

「あれは何キロあるんだ?」

 

「一説によると、『シンザン鉄』は片足8kg。つまり両方履くと斤量16kgになります」

とたづな秘書。

 

 

「まあこんな感じかな。じゃあ今度はチケゾー、試しに走ってみな」

「分かった! やるぞー!」

 

 

「うおー! ど、どこんじょうーー!! うぅ、つら、うわああっ!」

ずでーん。バランスを崩して転んでしまった。

「シンザンさん、これ無理だよー!」

「持ち上げようとするから走れないんだ。あくまで走るのを意識しなきゃ。じゃあ次、スペ」

 

「けっぱるべー……うぬぬ……あっわわ……あ、脚が……あうっ!」

ずでーん。こっちも頑張ったが最後には転んでしまった。

 

次はライスシャワー。

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

二人に比べればそこそこ走れてはいる。しかし足取りは重く、スピードも出ていない。

 

その後も、マックイーンやブライアンが試したが、似たような結果だった。

 

ただ一人を除いて。

 

「へっへー、おまえらの走り見て何となくコツが掴めたぜ。どうだ、上手いもんだろ?」

ゴールドシップが果敢に挑んだ結果、シンザンと遜色のない走りを見せてみせた。

 

「……よりにもよってゴールドシップさんに出し抜かれるとは……シンザンさん、わたくし、もう一回挑戦しますわ!」

「私もー!」

「私もです!」

「はいはい、どうぞ。やり過ぎて怪我しないようにね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

「ひぃ……ひぃ……ひぃ……ひぃ……」

「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」

 

【休憩にしよう】

 

トレーナーは皆に汗拭きタオルとスポーツドリンクを差し入れた。

 

「わ、わたし脚がガクガクします……」

「わたしもー。坂路よりキツいこれ……」

「くそっ、何故上手くいかないんだ……!?」

 

一方、シンザンは、軽く一周してくる、と言って『シンザン鉄』を履いたままコースを走り始めた。

既にぐるりと一周しもう第3コーナーあたりだ。

 

「…………」

その光景を、ナリタブライアンは複雑な想いで見つめていた。

 

(昨日といい今日といい、何だ? 私には何が足りないんだ……?)

 

 

「ふう……」

走り終えたシンザンはトレーナーからタオルとドリンクを受け取り、『シンザン鉄』を外すと芝生の上に裸足で座り込む。

 

「はっはっは、こりゃ明日はみんな筋肉痛かな?」

「……シンザンさん、どうしてシンザンさんはあれ履いて普通に走れるんですか?」

「さっき言っただろ? あれを履いて走るには上半身と下半身の筋肉を一体にしなきゃならないって」

「…………」

「あんた達は最新の器材で上半身の筋肉は『鍛えられて』いる。だが、上半身は『使えて』いない」

「何を言ってる。上半身なんて走りの基本だ。わたし達だって常日頃から鍛えているし、使ってる」

「私の言ってる意味で、上半身を使えているウマ娘なんて、そうはいないと思うがね」

「くっ……!」

「腕も、胸も、背中も、腰も、使えるものは全て使う。そして上下が1:1になるように動かす。

こうして初めて、上半身と下半身が一体になっていると言えるんだ」

 

「バランスだってそうさ。人もウマ娘も、前後、左右、上下にバランスが分かれている。

それらを一切の無駄なく駆動させるにはただ前に走っているだけでは身に付かないよ」

「後ろ向きに走れってことですか?」

「そういう意味じゃない。例えばボールの上に乗るピエロがいたとしよう。当然彼はバランス感覚が凄いということになる。

ウマ娘のレースは前に走る競技だ。当然重心は前に向く。しかし一度バランスを失えば崩れてしまうほど脆い」

 

「確かに、レースでも一度体がぶつかるとそのまま崩れてズルズルと後退していくウマ娘がいますわね……」

 

「バランスがいい走りとは、体の中心に重心がしっかり身に付いた走りの事を言うんだ。今でいう、体幹というやつかな」

「そういえば、競技や踊りなどでも、腰が入っている、という表現を聞いたことがありますわ」

「わたしもそれ知ってるぞー。歌舞伎役者なんかは腰が入った舞じゃないとダメだとかいうやつだな」

 

「正中線というやつさ。体の中心を意識した動きをするんだ。具体的に見せてあげよう。ちょっと待ってな」

そう言うと、シンザンは練習場を出て体育館方向に向かった。

待つ事数分、その手にはバスケットボールが握られていた。

 

「それ、何に使うんです?」

「さっきピエロの話をしただろ」

「ま、まさか……」

 

シンザンはバスケットボールを固い地面に置き、ひょいと飛び乗ってみせた。

「ま、まじかよ……」

「こんな事も出来るよ」

今度はボールから片足を離す。しかし崩れる事無く、ボールの上で片足立ちしてみせている。

 

「うわあ……」

「すっごーい!」

「ここまでやって、初めて体を使えている、と言えるんだ。さ、あんたらも挑戦してみな」

「私、いっちばーん!」

「おいチケゾーずるいぞ。私にもやらせろ!」

「……」

 

その光景を、メジロマックイーンは見つめながら、

 

(トレーナーさんと一心同体を誓い合ったあの日を思い出しますわね……)

 

(心と体を一つに。……どの分野でも共通する境地ですわ)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

こうして、シンザンの初日の指導は終わった。

皆上手くいかないことばかりだが、とても楽しそうだった。

 

シンザンの指導には、確かに形骸化された精神論・根性論だけではない経験に裏打ちされた体の動かし方の理論がある。

彼女は確かに天賦の才を持っている。しかし才能だけで勝ち抜けるほどレースの世界は甘くないことも分かっている。

故に、まずはお手本を見せ、相手を鼓舞したのだろう。

 

だが、20XX年現在、シンザンが指導論を書いた著作物という物は存在していない。

 

 

【もうこんな時間か】

 

PCを叩きながら昼間の光景を思い出していた。

皆のいい刺激になってくれればいい、と期待していた。

 

【帰りに練習場でも見ておくか】

ふと、そう思った。

たまにいる。門限ギリギリまで練習に励んでいるウマ娘が。

 

 

そして向かうと、やはりこんな夜更けに走っている影があった。

 

【あれは、ビワハヤヒデとブライアン?】

 

意外だった。確かに二人は姉妹の間柄だったがライバル関係。併走するところなど見たことがない。

 

集中しているようだ。声を掛けるべきか迷った。

しかしこちらの視線に気付くと、脚を止めて近寄ってくる。

 

「トレーナーか」

 

【夜遅くまでお疲れ様】

 

「……そうだな。最近はぬるま湯に漬かり過ぎたのか、自身を痛めつけることも減ってな。いい発奮材料になると思ったんだ」

 

「まあ誘ったのは私だがな」

ビワハヤヒデが近付いてくる。

 

「実は昨日のレース、私も観客席から見ていてね。実に吃驚したものだ。『最強の戦士』と呼ばれたウマ娘の走りがどのようなものか、と」

「姉貴がいたのは偶然だったらしいがな」

 

「それで、今日、ブライアンを誘ったのだよ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

練習が終わった後も、ナリタブライアンは考えていた。

(私には何が足りない……?)

 

確かにシンザンの指導は一朝一夕で結果が出るようなものではない。

しかし昨日のレース、自分は最下位だった。

現役を長く退いていたシンボリルドルフにもミスターシービーにも勝てていないのだ。

これは焦りを募らせるには充分な結果だった。

 

気が付けば練習場に来ていた。

考えても仕方ない、走ろう。そう思った矢先、背後から姉に声を掛けられた。

 

「随分とイライラしているようだな、ブライアン」

「姉貴……」

「昨日のレース、偶然私も観客席から見ていてな。四人が走るところを見せてもらった。実は理事長に内緒で、動画を撮らせてもらったよ」

「……情けない結果を出してしまった」

「そうかもな。シンザン殿のプレッシャーはあそこからでも凄まじかった。だが私がそれ以上に魅了されたのは、彼女の走りかただった」

「…………」

「シンザン殿の走りは、とても美しく、そして艶やかで、とても楽しそうだったよ」

 

「なあ姉貴、私には一体何が足りない?」

「ふむ……」

「私も姉貴も、栄光と挫折を味わった。かつての走りはできないかもしれない。だが今の私には、決定的に欠けている何かがあると思うんだ」

「成程。精神論は学者の間でも幾度となく議論されてきたロジカルだ。これが絶対的に正しい、というものはない。どんな名人でも失敗する時は失敗するものだ」

「じゃあ一体……!」

 

「……ブライアン」

「何だ、姉貴?」

「私と一緒に走ってみないか? 子供の時のように、私の背中を夢中で追いかけていたあの頃のような初心に帰って、な」

 

 

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

 

「本当に懐かしいな。おまえが子供の頃を思い出す」

「そうだな」

「私もあの時は若く小さく、おまえだけには負けられんと意地を張っていたものだ」

「私は姉貴に追い付きたくて強くなった。そしていつか、あの背中をレースの場で追い抜こうと」

 

「お互い……一度はそれを諦めようとしたな」

「運命を呪ったものだ。ウマ娘もアスリートである以上、怪我はつきものだからな」

「事実、あの時の心境を昇華するには時間が掛かった。しかし……そこから這い上がったからこそ今がある」

「怪我は恥ではない、ということか」

 

「あの時、もうかつてのようなレースは出来ないかも……そう思った」

「しかし我々がターフに再び現れた時、人々は温かく出迎えてくれた。『おかえり』と……」

「みんな、私たちの帰りを待っていてくれた。もうかつてのような人々を熱狂させられるような走りは出来ないかもしれないのに」

「あの時は……久々に胸が高鳴った。そして、嬉しかった……」

 

「もう、答えは出たんじゃないか?」

「そうか、そういう……事だったんだ。木を見て森を見ず、というやつか」

「伝わったようで何よりだ」

「やはりこういう時は頭のいい姉貴に助言をこうのが一番だな」

「誰の頭がでかいって!?」

 

 

「トレーナー、私は姉貴と走って思い出したよ」

 

【答えは見つかったかい?】

 

「ああ。私は忘れていた。走る事……それ自体のかけがえのなさを」

 

【かけがえのなさ、か】

 

「そうだ。私も姉貴も、多くのウマ娘も変わらない。何処まで行ってもただのレース馬鹿だ!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「だりゃあああああああああっ!」

「はあああああああっ!!」

「いくぞおおおおっ!」

 

その日は全体練習となり、チーム『シリウス』の面々は一心に練習場を走り続けていた。

 

「ダービーだけじゃない! もっとGⅠを獲れるウマ娘になるんだあああああっ!!」

「私も、日本一のウマ娘の道はまだ遠い! けっぱるべええええっ!!」

「もう一度、咲かせて見せる! 原点に戻って、再び栄光の華を!」

 

 

「気合、入ってるねえ」

 

【シンザンさんのおかげですよ】

 

「……私は何もしてないよ。結局、ウマ娘って生き物はレース無しには生きられないのさ。そのケツを叩くとこうなるだけだよ」

謙遜しているが、場の空気を変えたのは間違いなくシンザンである。

まだ、何もない時代、練習すらままならない貧しさの残る時代、彼女は独自の練習で己を鍛えた。

何もかも恵まれたウマ娘が、彼女に負けるわけにはいかないのだ。

 

その後もメンバーはボールの上に片足で立つ練習を始めた。

始めは転んでばかりだったが、よりにもよってゴールドシップが30秒以上立ってみせた事で全員に気合が入った。

 

「若い娘たちはいいねえ。目の前の事に貪欲に取り組もうとする。この時代なら自分はもうおばあちゃんになってるからね」

 

【あれ、シンザンさん何飲んでるんですか?】

 

「缶ビール。いやあこの時代は凄いねえ。私の時代だとコーラもビンなのに」

 

【お酒じゃないですか!】

 

「はっはっは。固い事言わないでおくれよ。たづなさんからの差し入れさ」

 

そう言って、ケラケラと笑って見せる。

そうだ。偉大な先人とはいえ、今目の前にいる彼女は、

全自動洗濯機に目を輝かせ、ウォシュレットの心地よさに悶絶し、液晶テレビのリモコンの操作も分からない、昭和相応のウマ娘なのだ。

 

 

 




ナリタブライアンはJRA主催の「Millennium Campaign」で公募された
ファン投票で選ばれた「20世紀の名ウマ娘100」の1位の名馬です
そのくらい当時は凄かったのです
この馬を超える馬など現れないだろうとすら言われた程です

つくづく兄弟対決が見たかったですね


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鍛錬

なお一日一万回はやりません


「はっ!」

 

「はっ!」

「はっ!」

「はっ!」

 

「ライス、脚を踏み出す時5cm内側を意識してみな!」

「は、はいぃっ!」

 

「チケゾー、踏み出す長さを指一本分前に!」

「おっけー!」

 

本日、チーム『シリウス』の面々は部室の前で、額に汗しながら正拳突きを行っていた。

呼吸を整え、構え、脚を踏み出し、突く。そんな動作を何回も何回も繰り返す。

 

「ねー、あれシリウスのメンバーでしょ、何やってんの?」

「わたし知ってる! 感謝の正拳突きってやつだよ!」

「何に感謝するのよ。わっけわかんない」

 

その光景は、傍から見れば奇異に思えた。

 

「流石に、周囲の視線を感じますわね……」

「いーじゃねーか。私こういうの結構好きだぜ」

「ゴールドシップさんはまともな練習以外は熱心ですわね」

頬を染めるメジロマックイーンと楽しそうなゴールドシップ。

そして、

 

「はっ!」

もう一人の来客者がいた。

 

彼女の名は、メジロライアン。

マックイーンと同じく名門メジロ家のウマ娘である。

ライアンとマックイーンはほぼ同期。

淑女として礼節を叩きこまれ物腰穏やかなマックイーンに比べ、ライアンは気さくで明るく、後輩から慕われる爽やかなウマ娘だ。

そしてライアンと言えば『筋肉』の拘りが強く、学園のジム室の常連でもある。

 

「ライアン、突き出す腕が外側に寄れているよ。内側に締めるようにしな」

「はいっ!」

そんな彼女が何故チームではない『シリウス』に交じってシンザンの指導の元、正拳突きをしているかというと……、

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

事は数日前に遡る。

 

メジロライアンは今日も汗をびっしょりかいて寮の風呂で一息付いていた。

「ふうっ……」

「ライアン、お疲れ様。肩揉んであげるの」

「ははっ、いいよアイネス、くすぐったいよー」

寮の相部屋であるアイネスフウジンとじゃれつく。

 

しかし言葉とは裏腹に、ライアンの心境は複雑だった。

名門メジロ家をたってトレセン学園に来たが、中々勝ちきれず、殻を破れないもどかしい日々が続く。

 

何より菊花賞での、マックイーンとの直接対決で、実況が何気なく口にした一言……、

「メジロはメジロでもマックイーンの方だ!」

あれがマックイーンとの優劣を決定的なものにしてしまった。

 

私生活でも、レースでも、マックイーンとのコンプレックスに悩み、明るい仮面を被って苦しんでいたのだ。

 

(何が足りないんだろう……?)

 

「ライアン、どうしたの?」

「え、ううん、何でもないよ」

「そうかなー? 何か悩んでそうな顔してたの」

「本当に何でもないって」

 

 

そこに、

 

ガラッ。

 

「へえ、ここが美浦寮の風呂かい。中々いいところじゃないか」

栗東寮にお世話になっている筈のシンザンが前も隠さず堂々と現れたのだ。

 

「…………」

メジロライアンは、息を呑んだ。

「? どうしたの、ライアン?」

「……美しい」

「へ?」

「仁王像のように猛々しく、観音像のように煌びやかだ……」

 

シンザンの鍛え込まれた肉体に、ライアンは一目で惚れこんだ。

「あ、あの! あなたの名前は!?」

「ん、私の名前はシンザンと言う」

 

シンザンは、マックイーンのいるチーム『シリウス』にお世話になっていることや、普段栗東寮に住ませてもらっている事を語った。

 

「あ、あの、その体はどんな練習をして身に着けたんですか!?」

「それは……」

 

二人は意気投合して、風呂の中でのぼせるまで語り合った。

ライアンにとって、シンザンの修練の果てに極めた精神論は大いに参考になった。

 

 

そして此度の正拳突きに付き合う事になったのだ。

 

「いいかい、腕だけで振るな。肩、肘、手、指、全てに一つの流線を伸ばすように腕を使うんだ」

「はいっ!」

 

 

その後、メジロライアンは完全復活を遂げ、宝塚記念でマックイーンとの三度目の勝負で遂に栄光を掴んでみせるのだが、それはまた別のお話……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

【よし、そろそろ休憩にしよう】

 

全員が『型』を解き、全身の力を抜く。

 

「これ意外ときっついねー! 腕だけじゃなく、脚も痛いよ」

とチケット。

「殆どのウマ娘がいかに脚の力だけで走っているかが分かるな。やはり全身の筋肉を使わなければ駄目だ」

とブライアン。

 

「まあ、こんな事するのは私ぐらいなものだけどね。事実、あの時代私の真似をするウマ娘はいなかった」

「オンリーワンの練習法ということでしょうか」

「きっかけは些細な事だったんだけどね……」

 

【シンザンさんのルーツ、ですか】

 

 

「昔話をしよう。私がいた時代。まだトレーナー達がどんな指導法をすればいいか、試行錯誤していた時代だ」

 

当時、人間もウマ娘も指導と言えば精神論・根性論が大半だった。

シンザンは、それも必要だが、それだけでは強くなれないということも理解していた。

クラシック期に差し掛かった時、彼女は新たなる練習法はないかと模索していた。

 

武田文吾トレーナーもまた、ウマ娘を預かる身として勤勉で努力家な男だった。

海外の指導論を取り寄せてもらうと、辞書片手に必死に書き写し続けた。

そして『選手の適性に合った指導を行い、戦略的な走法を実践すべし』という文を試してみた。

レースのスタートを1、ゴールを10とすれば、何処で力を出せば一番強いレースが出来るかを模索し続けた。

当時短距離路線は軽視されていたが、そのウマ娘が適性があるとみなせば躊躇うことなく短距離の指導を行った。

「おまえが日本の短距離路線の解釈を変えろ。その先駆けになるんだ」と。

 

 

そんなある日、シンザンは南海ホークスの野村克也が、「投手の癖を読むことでそれを打撃に生かす」という話を聞き、深い感銘を受けた。

人もウマ娘も個性はそれぞれ、それを予め頭に入れておけばレースに生かすことが出来る筈だ。

 

しかし、結論を言えばシンザンのその考案は不発に終わる。

なにせPCもなければ、動画と言えばテレビという時代だ。各ウマ娘のデータを調べ上げるのはあまりに労力が大きすぎた。

栗田も「無理」と言った。諦めるしかなかった。

 

では、別の視点で何かないか……そう考えていたある日、郵便受けに一通のチラシが入っていた。

 

「何々……本部流空手道場、ただ今入門者募集、ねえ……」

最初こそ逡巡したシンザンだったが、興味本位で行って見る事にする。

 

そして、

「こ、これだ……!」

 

シンザンを変えたもの、それこそが『武道』であった。

 

「……葡萄?」

「違う違う。武道」

 

そしてシンザンは、市内のあらゆる道場を回るようになる。

傍から見てれば、シンザンは練習をサボって何処かに行っているようにしか見えなかった。

 

「色々な道場を回ったよ。空手に始まり、柔道、剣道、合気道、少林寺拳法とかね」

 

武道によって『心・技・体』を鍛え上げる。

それこそがシンザンの悩みに悩みぬいた果ての結論だったのだ。

 

「おい、シンザンは何処行ったんだ!? またサボリか!?」

武田トレーナーが激怒するのも気にしなかった。

シンザンが練習のサボリ魔扱いされる様になったのもこの頃からである。

仕方なく武田はレースの予定を入れることでシンザンを強引にレース場に引っ張り出していたのだが。

 

シンザンの道場通いはレースのある日曜以外の全てを費やした。

練習場で走る時以外、日曜も祭日も関係なかった。

 

師範代も手を抜かなかった。

おまえがこの道を究めるつもりなら、大晦日だろうが正月だろうが付き合ってやると言ってくれた。

 

 

そしてシンザンはその荒修行の果てに、一つの境地に辿り着く。

「臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ……か」

 

「は? せい、か、たんでん?」

スペシャルウィークが頭に???を浮かべながら尋ねる。

 

「臍とはへそ、下とはした、そこに丹田と呼ばれる体の気を練る事で病を治すと言われる箇所がある。

そこに気を集中し、鼓動、心持、呼吸を鎮め、膨らませた気を五体、すなわち全身に張り巡らせる。

その状態を意識すると、体の余計な力がフッと抜けて、極めて自然体のままレースに挑めるようになるんだ」

 

「……あの~、それは関西弁か何かですか?」

スペは頭の???に圧し潰されそうな顔で尋ねる。

「うん! 全然分かんない!」

とチケゾー。

「私は分かったぜ。ウマ娘というより、武術の達人って感じだな」

「ゴールドシップさん。知ったかぶりはやめてくださいまし」

 

こうして己を邁進する事だけを考えてきたシンザンは未完成の状態ながら皐月賞、日本ダービーを勝ち見事二冠を達成。

 

「みんなは驚くかもしれないけどね。当時のダービーは出走するウマ娘が多かったんだ。私の時で27頭だったかな?」

「に、27頭!? 今の1.5倍じゃん!」

同じくダービーウマ娘であるチケットが驚く。もし自分が27頭立てで勝負していたら……考えただけで恐ろしい。

「私も、一応ダービー獲ってるけど、うーん……27頭立てか……厳しいかなあ」

スペが唸る。27頭ということは大外だったら内に26頭いるという事になるわけで。

 

二冠を達成し、次はいよいよ菊花賞を勝利しての三冠達成。

しかしその年、夏越しようとしたシンザンは京都の猛暑にやられすっかり夏負けを起こしてしまう。

おかげで菊花賞前の二戦に連続2着と惜敗。

世間の評価を落としてしまった。

 

「負けたんですの?」

「ああ。負けた。体に力が入らなくてね。でも収穫もあった。体に余計な力を入れられない分、臍下丹田に意識を集中する時間を取れた」

 

「トレセン学園も、夏は合宿でレースに出ない娘も多い、よね」

とライス。

「サマーシーズンと言えば地方のレース場が盛り上がる時期だがな。有力なウマ娘が出場するのは、精々札幌記念ぐらいか」

とブライアン。

 

そして迎えた菊花賞。シンザンは2番人気だった。

1番人気は前哨戦をしっかり勝っているウメノチカラ。3番人気は同じく三冠が掛かったカネケヤキである。

「へっ、三冠が二人……? どういう事?」

「勉強不足ですわよチケットさん。秋華賞が設立されたのは1996年。

つまり当時の三冠ルートは、皐月賞→ダービー→菊花賞と、桜花賞→オークス→菊花賞の二つであり、俗に言うトリプルティアラはありませんわ」

「私は2番人気だった。三冠が掛かっていたとはいえ、コダマ、メイズイでも獲れなかったんだからいかにシンザンといえども駄目だろう、というのが大方の考えだった」

 

そしてシンザンはターフである行動に出る。

 

ざわ……ざわ……。

 

「なんだ……? シンザンは何をやってるんだ?」

「知らねーよ。俺に聞くな」

「仏にでも祈ってるのか?」

 

「…………」

シンザンはターフの上で座禅を組み、瞑想を始めた。

この頃からだ。シンザンのルーティンが完成したのは。

 

そしてファンファーレが鳴り響き、観客の拍手と共に、各々がゲートに入っていく。

しかしこの時、極限まで心体と集中力が増していたシンザンは、

 

「全く、緊張してなかったね」

「ええ!? 緊張していないって、本当ですか!?」

「ありえませんわ! 三冠が掛かった大一番、緊張しないウマ娘などいるはずもありません!」

「いやそう言うけどね、本当に緊張してなかったんだ。心臓の高鳴りも、筋肉の強張りも、呼吸の乱れも、何一つなかった。本当に自然体だったよ」

 

レースはシンザンの抜群のスタートダッシュで始まる。そのシンザンを追い抜いて逃げの一手に出たのがカネケヤキ。リードはどんどん広がっていく。

3000mの長丁場とはいえ二冠ウマ娘、このまま楽に逃がしていいものか……追いつけないのではないか……そう思ったのか、1番人気のウメノチカラが追走を始める。

しかしシンザンは動かない。後ろのウマ娘が怪我でもしたのかと勘繰るくらいに。

そして最後の直線、ウメノチカラがカネケヤキを捉え先頭に躍り出たのを見てから、シンザンは動いた。

そこからはまさに圧巻だった。シンザンは凄まじいキレで背後から襲い掛かり、ウメノチカラを計ったかのように追い抜くと、そのまま先頭を守り、ゴールしたのである。

 

「これが菊花賞の一連の出来事だった。世間は、まるであらすじを読んでいる様だった、とか言ってたね」

「うわ~……何ていうか、うわ~……」

「セントライト以来の、戦後初の三冠ウマ娘の誕生というわけか」

とブライアン。

「GⅠで全く緊張しない……そんなウマ娘がいたら無敵ですわ」

とマックイーン。

 

「精神論も極めれば大きな武器になる。……あの時の私は、ひょっとしたら時代の先を行っていたかもしれないね」

 

 

「ねえシンザンさん、空手もやってたって事は、蹴りも出来るの!?」

「ああ出来るよ。試しにやってみせようか」

 

シンザンは立ち上がり、呼吸を整え、ヒュッ! っと空気を切り裂くように蹴りをして見せた。

 

「ライス、蹴り脚が、見えなかったんだけど……」

「視力はいいはずなんだけどなー……」

 

「こうかな、とりゃー!」

「それじゃ駄目だ。軸足が回り過ぎている。正拳突きと一緒で、呼吸を鎮めてから正中線を意識してやらなきゃ」

「それじゃあ、踏み込む時の感じはどうなのシンザンさん!」

「そうだね……」

 

「……ねえ、マックイーン」

「なんですの、ライアン?」

「……いつか、またレースで勝負してね。今度は負けないから」

「ふふっ、望むところですわ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

こうして、チーム『シリウス』の部室前は、一時的にシンザンの道場となった。

 

これは思いのほか反響があった。

「面白そう。わたしもやりたいー」

「私も混ぜてもらえませんか?」

「いいよ。来るもの拒まずだ」

 

「えーと、『型』はこんな感じかな……はっ!」

「それ違わない? こうだよこう!」

「うーん、難しい。シンザンさんに聞こう」

 

 

そしてシンザンの噂を聞きつけ、もう一人有力なウマ娘が現れる。

 

ヤエノムテキである。

 

自身も徒手武道『金剛八重垣流』を教えられ、武道に心得がある彼女は、噂を耳にすると早速現地に行ってみる。

 

「はっ!」

 

(おお……なんと美しい『型』だ……!)

 

シンザンに弟子入りを志願した彼女もまた、虚空に正拳突きを行う事で己の肉体と精神の鍛練を始める。

彼女は特別だった。師事した相手が偉大なウマ娘であることもさることながら、走りにおいても文字通り迷走が続いていたからだ。

 

皐月賞ウマ娘も今や過去の話。かつて死闘を繰り広げていたウマ娘達も徐々に皆の関心から遠ざかっていく……。

そこに憤りを感じていた。

(私を見ろ……! あの時、死力を尽くして戦ったライバルから預かっている物を、返す為に走っている私を見ろ……!)

 

何より彼女を動かしていたのは、かつての『粗暴で屑』という愚かな自身へのコンプレックスによるところが大きかった。

それは学園入学後も蝕むように彼女を縛り続けていた。

 

「はっ!」

「ヤエノ、力が入り過ぎている。拳に空気を乗せる感覚で振りぬくんだ」

「はい! 申し訳ありません!」

 

練習後、ヤエノムテキは思い切ってシンザンに相談する。

 

「私は、かつて本当に愚かなウマ娘でした。何事も力でねじ伏せる。そんな事を当たり前のようにやっていた娘でした」

「……でも、今はそうではないんだろ?」

「そう、ですが……この内の激情が消えたわけでは……」

「ならいいじゃないか。誰もが格好良く生きられるわけじゃないんだ。ごまかしの人生だって何も悪くないさ。

大事なのは心持を前に置く事。過去に置いていたら人は成長しないよ。愚かな自身があったから、成長した今の自分があると思えばいいのさ」

「…………」

 

その言葉に、ヤエノムテキはほんの少しだけ救われた。

 

 

皆が練習を終え、解散した後も、河川敷に移動し、一心不乱に門限まで黙々と正拳突きを続ける。

その姿はウマ娘というより武術を極めんとする武道家に等しかった。

 

(足りない……! まだ足りない……! この程度では、とてもこの先の強敵相手にGⅠは獲れない……!)

 

メンタルの弱さを露呈し、レースに負けることの多かった彼女は、シンザンの精神論に深く心酔した。

荒ぶる激情を抑えきれずただ暴虐に振舞っていたかつての自分を制してくれた祖父の心得と共に。

(臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ……この境地、何としても会得してみせる!)

 

夜空を見上げる。そこにはかつて共に走っていたウマ娘の姿が映っていた。

(……見ていてください、チヨノオーさん、アルダンさん、私は必ず勝ってみせます……!)

 

 

その後彼女は、並居る強豪を蹴散らし、天皇賞秋でレコード勝ちを収め歓喜の祝福に包まれるのだが、それもまた別のお話……。

 

 




武道の心得を別の分野に生かした人といえば
王貞治の師である荒川博氏がいます
真剣で吊るされた紙を斬る練習なんて普通はしませんからね

でもただ練習するだけでは駄目という壁がアスリートの世界にはあるのも確かです


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黒霧

今回のエピソードはウマ娘とは殆ど関係のないものです
でも野球を知っている人なら是非知って欲しいのです
かつて、近鉄とオリックスが合併、1リーグ構想、ストライキ、新球団の楽天より昔に日本球界が危機に陥ったことを


「…………」

その日、中央トレセン学園理事長秋川やよいは、理事長室で腕を組み、目を閉じ、考えていた。

「……理事長?」

「熟考ッ! ……たづなよ。私は今悩んでいる」

「何を、ですか?」

「シンザン殿の事だ」

「はあ、シンザンさんの事で何か?」

「もしかしたら、歴史が変わってしまうかもしれない。と同時に、禁忌に触れる行為かもしれない」

「そんな大げさな……」

 

「かつて日本中のトレセン学園で起きた事件、そしてシンザン殿からすれば、もう少し未来の出来事、それを話すべきか否かを」

「具体的に仰ってくださいよ」

「では、耳を貸せ」

 

「…………」

「…………」

 

「それは、確かに今を生きるウマ娘の皆さんには少々重い話かもしれませんね……」

「予見ッ! シンザン殿は原因不明の出来事で過去から未来へ飛ばされた。そしてやがては、また帰っていくと、私は思う」

「……」

「そして、これを救えるのは、シンザン殿しかいないのだ……!」

 

「では、その不退転の覚悟と理事長の小さな背中、私が受け止めましょう」

「たづな……。済まない……」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

【さて、今日の練習は全体練習でいいかな?】

 

「はーい!」

「分かりました!」

「じゃああたしは観客席からみんなを見守るとすっかなー」

「……ゴールドシップさん、貴方はたまにででいいですから走ってくださいませ」

 

皆の表情も明るい。気合も乗って、いい感じで練習を開始出来そうだ。

 

というのも、シンザンが「上半身と下半身を一体にし、全身を使って走れ」という指導を行ったところ、少しづつではあるがタイムが良くなってきたのだ。

チーム『シリウス』のメンバーだけではない。部室前で正拳突きをしていたウマ娘達もである。

 

「ふふ、こんな指導で効果が出るなんてねえ……私も捨てたもんじゃないって事か」

シンザンの表情も明るい。

 

【では……】

 

「拝聴ッ!」

大きな声がしてトレーナーは後ろを振り向く。そこには理事長のやよいと秘書のたづながいた。

 

【理事長、どうしたんですか?】

 

「む、シンザン殿に任せてあるウマ娘は少ないか。ならば都合が良いか」

確かに今日はいつも部室前に居た大勢のウマ娘の姿はない。いるのは併走の予定を入れていたメジロライアンとヤエノムテキだけだ。

 

「どうしたんですか理事長さん」

「何か話でもあるのですか?」

 

「……シンザン殿」

「なんだい?」

「今日は貴方に折り入って頼みたい事があって来た」

「改まってどうしたんだい? お世話になっている理事長さんの話だ。何でも聞こうじゃないか」

「……教悦」

 

「これから語られるのは、君たちにとって過去の話であり、シンザン殿にとっては数年後の話だ」

「……」

「……」

 

「質問ッ! 君達は、『黒い霧事件』というものを知っているか?」

 

「へ、くろい、きり……?」

「知らなーい!」

「ポケモンのわざ、だったりして……」

「私も聞いたことがありませんわ」

 

「あたしは知ってるぜ」

ゴールドシップが、普段見せないシリアス顔で答える。

 

「でもいいのかよ理事長。こいつは今を生きるウマ娘には重すぎるエピソードだぜ」

「承知ッ! それでもあえて話をしに来た!」

「な、なんなんですの!? ゴールドシップさん! そんなに危ない話ですの!?」

「ああ。マックイーン、おまえの好きな野球の世界の話だ」

「え……?」

 

「断腸ッ! 今から語られるべきは、とても黒く、重く、冷たい話だ……留意していただきたい」

「理事長、その話ならあたしの方が詳しい。話していいか?」

「合意ッ! では、ゴールドシップ、そなたに頼もう!」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「……1969年10月、日本中をあるスキャンダルが駆け巡った。

西鉄ライオンズに所属していた某選手が、暴力団関係者から持ち掛けられた八百長行為に加担し、積極的に敗退行為に及んでいたんだ」

「え、えええええ!? ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! いきなり話が飛びすぎですよ!」

「す、スペちゃん、落ち着いて!」

「八百長行為、というと……」

ブライアンが冷や汗を流しながら尋ねる。

「博打さ。野球賭博ってやつだよ」

「聞いたことがある。暴力団にとって大きな財源になる、いわゆる『シノギ』じゃないか?」

「あーそーだ」

「ああ、そうだ、って……」

 

「当然西鉄のファンは激怒した。金を出して応援していた選手が、金の為にわざと手を抜いていたんだからな」

「まあ、それは、そう……だよね」

ライスが消え入りそうな声で呟く。

「そいつは、まあー永久追放処分ってことになったんだが、プロ野球界は大混乱さ。

しかもそいつは翌年とっ捕まった時、同じチームメイトの名前は出すは他のチームにも山ほどいたと言うわで、もうしっちゃかめっちゃかってやつよ」

「そ、そんな恐ろしい事件が、私の愛する野球の世界で起こっていたなんて……」

「マックイーン、大丈夫? 顔が真っ青だよ」

「……ええ、ライアン。だ、大丈夫ですわ」

 

「結局、この事件のせいで西鉄は経営もズダボロになって撤退、親会社が変わりまくって今はライオンズは西武で埼玉県だからな。

まあホークスが九州に来たのは、野球ファンにとってはいいことだけどな」

「い、いいこと、なのかな……?」

「いいわけありませんわ!」

 

 

「……ですが、その事件と、我々に何の関係があるというのですか?」

ヤエノムテキが尋ねる。

 

そして理事長は重すぎる口を開いた。

「暴力団の賭博行為は、連中にとって貴重な生命線だ。勝敗の左右する世界なら何でも利用する。逆を言えば、勝敗が存在する世界ならあらゆる手段を講じてその手を伸ばしてくる」

 

【勝てば大儲け、負ければ破産ということですね】

 

「その通り。さて、ここでウマ娘のレースだ。君達の走る競技はギャンブルではない。ファンは『応援券』という名目で券を購入し、応援し、その数で人気順が決まる」

「…………」

「うら若きウマ娘とは言え、皆はプロフェッショナルだ。当然皆全力で勝ちに行く。しかし……」

 

「プロ野球界で『黒い霧事件』が起きた後、全国のトレセン学園は考えた。「もしかしたら、連中はウマ娘にも手を伸ばしているのでは?」と……」

「そして、当時の中央トレセン学園の理事長を主体にして、慎重に、隠密に聞き取り調査が行われたそうです」

横のたづなが言う。

 

【ま、まさか……!】

 

「……ああ、いたのだ。八百長に加担していたウマ娘が」

 

「――――!!!!」

その場にいた、全員の顔が蒼白になった。

 

「…………」

シンザンは、顔色は変えなかったが、内心は激しく動揺していた。

 

「その頃は中央が勢力を増し、徐々に地方の学園が力を失いつつある過渡期にあった。行くなら中央、そういう時代になりつつあった。

しかし皆も分かっているが、中央トレセン学園への進学は、それなりのお金が掛かる」

「高利貸から金を借り借金をしていた親、病弱でベッドから起きられない親、土地を売って進学させたかった親、家庭の内情は様々でした」

「奴らはそこに付け込んだ。ウマ娘達が金銭面で苦しんでいるという事情を何処からか手に入れ、敗退行為に及ぶよう誘惑したのだ」

 

【で、でもウマ娘のレースは大勢でやるものですよ! 八百長が毎回通じるとは思えませんが!】

 

「連中は人気順を計ってオッズ形式で行われる。一着になった者、1~2着になった者、3着までに入着した者、それによって配当も変わる」

「当然人気下位のウマ娘が1着になろうものなら、一回のレースでとてつもない倍率になったらしいです」

「どんなに実力があるウマ娘でも、意図的に前を塞がれたり、ペースを乱されたり、挙句プライベートの弱みを握られたりすれば、もはや走る捨て石だ」

 

【何という事だ……】

 

「結局、敗退行為に及んでいた者は秘密裏に退学処分にせざるを得なかった。我々も尽力したのだ。彼女たちを魔の手から切り離すために。

だが、悲劇は起こる。自分のした事に責任を感じ、寮の部屋で首を吊って自殺するウマ娘もいた」

 

【そんな……】

 

「これが、華やかなウマ娘のレースの中で、過去に起きた、とても冷たく、悲しい概要だ……」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

皆は、何も答えられなかった。あまりにショッキングな話だった。悪夢のような話だった。

 

「謝罪ッ! 皆を震撼させて誠に申し訳ない。だがこの悲劇を、願わくば心の中で昇華してもらいたい」

「…………」

 

 

「無論、我々とていつまでも手をこまねいているわけではない。事件後、日本ウマ娘協会と協力して、特殊な監査室を結成した。

彼らは秘密裏に学園を調査し、接触があったと判断した場合即座に動き、事態を収束させるためにあらゆる手段を用いて動く」

「ですが、暴力団関係者の八百長の持ち掛けは、今もなお続いているようです」

 

「何という事ですの……こんな悲しすぎる裏話があったなんて……」

「可哀想だよ。ライス、涙が出てきた……」

「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!! あ゛ん゛ま゛り゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「……まさに、光と闇だな」

「スズカさんがいたら、きっと悲しむだろうな」

「酷い話だよ。レースは真剣勝負だからこそ美しいのに」

「忌まわしき連中の魔の手。私なら断固戦います!」

【自分にも先輩トレーナーは何人もいたけど、そんな話は一度もされた事はなかったよ】

 

 

「……それで、その話と私をどう紐づけるつもりだい?」

シンザンが問う。

 

「シンザン殿……。貴方は数奇な運命によって未来へ飛んできた。やがて帰る運命なのだろう。だが、もし無事に帰った暁には……、

どうか、彼女たちを一人でも多く救ってあげて欲しい。前途有望なウマ娘達を、悲劇の魔の手から」

理事長は深々と頭を下げた。

 

「シンザンさん、お願いします!」

「シンザンさん、私からもお願いしますわ!」

「これじゃ、過去のウマ娘のみんなが可哀想過ぎるよ!」

 

 

「……委細承知した。このシンザン、ウマ娘達を守るため、救われるために死力を尽くすと誓おう」

「多謝ッ! ……無理を押し付けて申し訳ない。現理事長の立場から、心より有難く思う」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

やがて、シンザンが過去に戻った時、彼女は積極的にあの時の誓いを果たすべく動いた。

なにせシンザンがいた関西は不良と暴力団のメッカである。当然そのような動きをする者も多かっただろう。

 

しかしシンザンの行動力は凄まじかった。

なんと彼女は時の総理大臣と会談を申し出て、ウマ娘達の為に税金を投入してほしいと嘆願したのだ。

総理は彼女の強い想いと心意気に打たれ、これを快諾。国会で審議を挟み、めでたく可決。

奨学金制度が導入され、徳政令を使い借金のあるウマ娘の家庭の借金を棒引きにした。

 

更にシンザンは背信行為とも取られることを覚悟で中央の学園の施設の充実を行う。

一方で推薦入学も取り入れられ、家計に苦しむウマ娘も入学のチャンスがあるように夢を持たせた。

 

レース場の改修、最新器材の導入に三冠の時に受け取った報奨金全てを突っ込んだ。

 

更に関係者に極秘に捜査してもらった所、既に八百長を持ちかけられているウマ娘がいる事を知ると、とんでもない行動に出る。

なんと白装束姿で暴力団幹部の集会に赴き、組長に八百長を止めてほしいと話をつけに行ったのである。

 

その時の剣幕は本気そのものだった。ウマ娘達を守る為なら指も斬り落とすし腹だってかっ捌いて見せる覚悟だ。シンザンはそう言った。

そして組長の目の前で額を床に擦り付けたのである。

 

ある幹部は言った。親父が二人いるみたいだった、と……。

 

「…………」

「…………」

「……顔を上げてくだせえ、シンザン殿」

「…………」

「実は、わしもあんたのファンの一人でしてねえ。あんたが菊花賞を勝った時は、久々に胸が震えたもんでさあ」

「…………」

「わしらは所詮日陰者よ。お天道様の下では生きられねえ。だがあんたは、日の光を浴びて育つ側にも関わらず、誇りも命も投げ打ってでも守りてえものを守ると言いやがる」

「…………」

「その心意気、五臓六腑に響きましたぜ。いいだろう。構成員全てに伝える。今後一切、ウマ娘の世界には手を出すな、と」

「……。有難うよ、組長」

 

「その代わり条件がある」

「……!?」

まさかシンザンにケジメを付けさせるのか、幹部たちは息を呑んだ。

 

「後悔をする生き方だけはしないでくれ。あんたはわしらの憧れであり、夢なんだ。だから、やるからにはわしらに夢の続きを見せてほしい……」

「……ふっ、分かったよ。ならば獲って見せようじゃないか。天皇賞と有馬を」

シンザンの大口に幹部たちはザワついた。三冠どころか五冠を目指すと宣言したのだ。

もし獲り損なったらどんな報復があるか分からないというのに、である。

 

「失敗したら、いつでも命取りに来な。なあに、私の心臓はでかいんだ。誰が撃っても当たるさ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「うっ……ぐすっ……ひっく……」

 

話を付けに行った後、シンザンは八百長に加担していたウマ娘の元へ向かった。

 

彼女とて、罪悪感はあった。自責の念もあった。

しかしシンザンは全てを飲み込んだうえで、不問にする、黙秘する、と答えた。

 

「シンザンさん……有難う……ございます……」

「ふっ、気にすることはない。自分の夢と目標に向かって精進するんだね」

 

(私には力はあるかもしれない。だが私はその力で、私以外のウマ娘も救わなければならない事を知った)

 

(これだけでも、未来に飛ばされた甲斐があったというものさ……)

 

 

その時、歴史の1ページは変わったのである……。

 

 

 




読んでいる側なら大体想像が付くと思いますが、私は本作でシンザンは徹底してヒーローとして書いています
弱き者に手を差し伸べ、強きを求める者を鼓舞する
これはアプリのウマ娘のトレーナーにはない視点です


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挑戦

立つ鳥跡を濁さず、と言いますが、
何かを伝え、残した者が無責任に場を投げ出す事は許しがたい行為です

『シリウス』のメンバーは果たして去り行くシンザンを許してくれるでしょうか


「はっ……はっ……はっ……はっ……」

「ふっ……ふっ……ふっ……ふっ……」

 

理事長から齎されたあまりに凄惨で陰鬱な事件。

そんな空気を吹き飛ばすかの勢いで、チーム『シリウス』の面々は併走に励んでいた。

 

相手は勿論シンザンである。

 

「勝負どころ、いくぞおおおおおっ!!」

「すぅ……っ……!」

 

最後の直線、ウイニングチケットとシンザンが一気に突っ込んでくる。

激しい追い比べ。軍配は1/2バ身でシンザンに上がった。

 

「あーくっそー! また負けたー!」

「ふう……」

 

【でもチケゾー、凄いぞ! タイム更新だ!】

 

「え、ほんと!? やったー!」

 

「シンザンさん! もう一回もう一回!」

「おいおい……」

「シンザンさん、次は私とお願いします」

「いやわたしと!」

「私もお願いしたい」

 

「ちょ、ちょっと待っておくれよ。もう7周も走らされてるんだ。少しは休ませてくれないと」

 

 

「みんな、調子いいみたいですわね」

トレーナーの隣にいたメジロマックイーンがストップウォッチを見つめながら言う。

 

【みんな、どんどんタイムが良くなっている】

 

シンザンの併走と指導はまだ一か月と経過していない。

なのにこれ程の効果があるとはトレーナーも思っていなかった。

 

「スポーツの世界には、一流が一流を育てる、という格言がありますわ。

競い合うライバルに限らず、一流だった者が指導者になり、一流を育て、その者がまた一流を育てる……そんな好循環があると」

 

【でも、下手にいじってしまうと、いい所まで失ってしまう危険性だってある】

「そう……シンザンさんの指導は斬新だからこそ皆さん興味を惹かれる。それが皆さんの力を引き出しているのでしょう」

 

【つくづく、シンザンさんが引退後指導者の道を歩まなかったのが惜しいな】

「そうですわね」

 

皆楽しそうで明るい。トレーナーはそう思った。

練習にしろ本番にしろ、大抵のウマ娘は結果を求めるあまり、力んで本来の力が出せないというケースは多い。

しかし今の皆にはそれがない。体だけではなく、メンタルも鍛えられている証拠だ。

 

 

「おうおまえら、張り切ってんなー。スポーツドリンク作ったから飲めよ」

「わあ有難うございます。一つもら……」

「待った!」

「……? どうした、マックイーン?」

「ゴールドシップさん」

「なんだよ」

「貴方が試飲していただけませんこと?」

「……え、あ、いやー、ゴルシちゃん、今喉乾いてないからなー、べ、べつになー……」

「やっぱり何か仕込んでますわね! 貴方ときたら……!」

 

「ふふ……」

その様子を、シンザンは微笑ましそうに見つめていた。

【シンザンさん】

「ん、何だい?」

【……シンザンさんは、引退後の事って、何か考えてるんですか?】

「随分気が早い話だね。私はまだ、ただの三冠ウマ娘で、後世に残るような立派なもんじゃないよ」

【でも……】

「聞こえてたよ。指導者に、って話だろ。確かにそれもいいかもしれないが、私には別にやりたい事がある。今は……話せないけどね。

それに、私の指導は特殊すぎる。他人に伝達するのは容易じゃない」

【そう、ですか……】

「これはね、遊びなんだよ。みんなと戯れて遊ぶ、ただの遊び。飽きられたら終わる。それでいいんだよ」

シンザンは空を見上げながら言った。

強さを伝達する、これ程難しい事はない事を彼女は知っていた。今は偉大なウマ娘を参考にしてブームが起きているだけ、やがては形骸化して終わる運命だ、と。

 

(時代は変わる。私を超えるウマ娘など幾らでも出てくる、そう思っていたが……)

 

あの時、新旧三冠ウマ娘対決に勝利した時、シンザンはどこか物足りなさを感じていた。

相手が弱かったわけではない。自分が引退して数十年先に現れた稀代のウマ娘の実力は素晴らしいものだった。

しかし彼女たちが、溢れんばかりの才能を持ちながら己を研鑽するための努力をもう一声怠っていたのも事実だった。

 

上半身を使えていない。自分はそう指摘した。

 

(私は勝つだけではなく、後を生きるウマ娘達の目標であり、模範であらねばならないのかもしれないね……)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

その夜、シンザンは夢を見た。

 

夢の中で、男たちが声を上げている。

 

『……ザン! シンザン!』

 

(……武田!?)

 

『おまえいつまでそこにいるつもりだ! 早く戻ってこい!』

 

 

『シンザン、次のレースの予定が決まったぞ。遺憾ながら春の天皇賞は回避する。目標は秋だ』

 

(……栗田か?)

 

 

『シンザン。たまには体を労われよ。武術もいいが、ウマ娘の本懐は走りなんだからな。痛い所があったら、ちゃんと報告するんだぞ』

 

(……中尾だね)

 

 

ガバッ!

 

シンザンは目を覚ました。

 

「…………」

自分を支えてくれたトレーナー達が自分に呼びかけていた。

1964年。日本中が自分の走りの成果に歓声を上げてくれたあの時代。

ウメノチカラはしょっちゅう自分に突っかかってきた。自分がおまえのライバルになる、と。

まだ洗濯機も珍しい、昭和の激動の時代の最中、どんな因果か、自分は未来に飛ばされた。

そこで出会った新たなるウマ娘。自分が引退した先、ただ夢に向かって走り続けている彼女達に自分を重ねた。

 

しかしそれでも、いつか終わりは来ると感じていた。

そう、自分の居場所はここではないのだ。

 

「……潮時かもしれないね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

その日、チーム『シリウス』のトレーナーは朝からPCの前に居た。

シンザンのおかげで、チームが活気に包まれた。これを機に、チーム全体の底上げを図りたい。

そして彼女たちに、更なる栄光を齎せてあげたい。

そうやる気に満ちていた。

 

ガチャ。

 

そこにシンザンが現れる。

「やあトレーナー。朝から早いね」

 

【シンザンさんこそ】

 

「私は学園所属とはいえ、ろくに勉強はしてこなかったからねえ。普通の授業を教われるだけ今の娘は羨ましいよ」

 

【トレセン学園は文武両道ですから】

 

「そうだね。温故知新はいいことだ。で、私から提案なんだが……」

 

【なんでしょう?】

 

「ちょっと散歩しに行かないか? 付き合ってほしい」

 

 

「今日もいい天気だね……」

【そうですね】

「この垢抜けた景色も少し慣れてきてね。もう昭和じゃないんだなあって感じさせられるよ」

【シンザンさんのいた頃とは、随分時間が経過しましたね】

「私のいた頃、日本はまだまだ貧しかった。その頃……今のお爺ちゃんお婆ちゃんが遮二無二働いたから今の時代がある。

……老害とは言わないでやってくれ。みんな必死だったからね」

 

シンザンは話しながらも何処か遠くを見ていた。

 

【なんだか、様子がおかしいな……】

 

「なああんた、チームのみんなから聞いたよ。あんたは皆をずっと支えてきてくれたと」

【トレーナーですから】

「ウマ娘とはいえ、まだまだ年端も行かない若輩者だ。不安で圧し潰されそうになる時もある。それを支えるというのは口で言うより遥かに難しい」

【それは、分かっています】

「ウマ娘達も、あんたも、未だ発展途上だ。皆が為、己が為、邁進していくようにね」

 

「……そして、私は結局この時代の者ではなく、帰る宿命にあるんだ」

【え……】

 

その時だった。

あれほどいい天気だと思っていた空に、異変が起きたのは。

 

日が曇り空で隠れる。その雲は四方八方から現れる。気圧もおかしい。周囲の人たちも、この天候の変化の異常に気付く。

 

【こ、これは……!】

「ははっ、そんな予感がしたんだが、ズバリだ。帰る時が来たようだね」

 

そう、この気候の変化は、シンザンが空から落ちてきたあの時と瓜二つだ。

黒い雲は渦を巻き、その中央に空洞を作り出す。そしてそこから風が吹く。

 

「……トレーナー」

【な、なんですか!?】

「チームのみんな、理事長達、部室前に来てくれた連中によろしくと言っておいてくれ。そして、有難う、と……」

【シンザンさん……】

 

シンザンの体が、ふわりと浮かぶ。

 

「いずれ私がおばあちゃんの年になったら、またみんなに会いに行くよ。その時まで、しばしのお別れだ」

【シンザンさん!】

 

「じゃあねトレーナー、楽しかったよ」

 

シンザンの体は、その渦の中心に吸い込まれるように消えていった。

 

そして異変は、まるでなかったかのように消え、再び、空は快晴へと変化した。

 

【シンザンさん……】

こうして、シンザンはまるで風を操る天狗のように去っていった。

願わくば、元の時代に戻れることを祈りたい。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

【…………】

トレーナーは学園へと戻って来た。本当に風のように現れ、風のように去ってしまった。

まさに一瞬の出来事であり、まるで最初からいなかったかのような感覚すら覚える。

 

【そうだ、理事長に報告を】

 

トレーナーは理事長室へと向かおうとする。

するとそこにナイスタイミング、たづな秘書が通りかかった。

 

【たづなさん!】

「あら、どうしたんですかトレーナーさん。何か緊急の用事でも?」

【実は……】

 

 

「……そうですか。シンザンさんは行ってしまったのですね」

【はい……】

「分かりました。理事長には私から報告しておきます。手続きもこちらでしておきますから、トレーナーさんはチームの皆さんに報告をお願いします」

【すみません】

「いえいえ、私の仕事ですから」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「…………」

シンザンは見慣れた垢抜けない見慣れた場所へと帰って来ていた。

このモノクロの風景、木造のボロ屋、間違いない。ここは関西の自分が所属していたトレセン学園だ。

「帰って来たんだね。未来から過去へ」

シンザンはその足でトレーナー室へと赴いた。

 

「シンザン! おまえ今までどこほっつき歩いていたんだ!?」

武田トレーナーは、シンザンを見るやいなや、開口一番、シンザンをどやした。

傍には栗田トレーナーと中尾トレーナーの姿もある。

「世間は『シンザン、突然の失踪』とかで結構騒いでいたんだぞ!」

「春天に自信がなくて、アサホコから逃げた、なんて書く記者もいたな」

「ははは……いやいや心配かけて済まない。信じちゃくれないだろうが、ここではない、遠い未来に行っていたのさ」

「何を馬鹿なことを……!」

「中尾、私がいなくなってからどれだけ時間が過ぎた?」

「一か月弱、といったところだな。おかげで春天終わってしまったぞ」

「そうか……私がいた時間とほぼ一緒だね」

 

「シンザン……」

「ん、なんだい栗田?」

「おまえさん……本当に未来に行っていたのか?」

「……どうしてそう思う?」

「おまえの着ている物、制服、だと思うが、何というか、ここらへんじゃ見ない垢抜けた作りだと思ってな。それに、おまえは冗談は言うが嘘は絶対言わないからな」

「……その件については黙秘させて貰うよ。これ以上余計な混乱はさせたくないからね」

「そうか……」

 

「武田、栗田、中尾。私は今年、必ず秋天と有馬を獲る。そのつもりでいるから、皆も準備しておいてくれ」

「あ、ああ……勿論そのつもりだ。まあ、オープン戦と重賞には走らせるつもりだが……」

 

(……そして、五冠を獲った暁には……いや、よそう。今は目の前のレースに集中しよう)

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「……そうですか、シンザンさんは行ってしまったのですね」

放課後、チームの皆に突然の別れを離したところ、皆は大いに消沈した。

「シンザンさんからは、まだまだ教えてもらいたいことが山ほどあったのにね」

「一度でいいから、シンザンさんより先にゴールしたかったよ!」

「まさに、風のように現れ、嵐のように去ってしまったな」

 

短期間ではあった。しかしその走りは鮮烈にして強烈であった。

未来の三冠ウマ娘を撫で切りにし、武道を軸とした鍛錬と精神論をもって、人々に教えを請うたその様はまさに生きた教材であり、伝説の姿であった。

勤勉でもあった。慢心はせず、未来のレースの動画を拝見し、後に設立された数々のGⅠを調べるなど探求心も旺盛だった。

 

いずれまた会いに来る。そう行ってはくれたが……。

 

「これで部室前で正拳突きする事もなくなったのかな」

スペが言う。

「うーん、教える側がいなくなったんだから……」

「必然的にそうなるか……」

 

「いーえ、私は続けますわ!」

メジロマックイーンが声を張り上げる。

「マックイーンさん……」

「温故知新、初心忘れるべからず、あの方の指導はとても素晴らしいものでした。その灯を決して絶やしてはいけないと私は思います。

例え行うのが私最後の一人になろうとも、私は続ける所存ですわ!」

 

「そうだね! やろうよみんな! だって楽しいじゃん!」

チケゾーが拳を高々と上にあげながら叫ぶ。

「うん、そうだね。ライス、あれをやってから何だか自信が付いてきた感じがするし」

「私もやりたいです! グラスちゃん、エルちゃん、ツヨシちゃん、ライバルともっともっと差を付けたいし」

「うーし決まりだな。じゃあ今度はあたしが師範代役やってやんよ」

「貴方は必要ありませんわ!」

 

【ははは……】

 

「報告ッ! 報告ーッ! 報告ーッ!」

そこへどたばたと慌てふためいた秋川理事長が現れた。

 

【理事長、どうしたんですか?】

 

「たづなに聞いてきたのだ! シンザン殿が数刻前に旅立ったと。そして私は学園の図書室にある資料室に飛んだ!

我々が介入したことで、歴史が変わってしまったかもしれない、と!」

 

【た、確かにそれは危惧すべき案件ですね!】

 

「こ、これを見てくれ!」

理事長の手には、古い新聞が握られていた。

年号は1965年12月のスポーツ新聞のようだが……。

 

【シンザン、有馬記念優勝。前人未到の五冠達成……!】

 

「わあ、すっごーい!」

「シンザンさん、本当に五冠達成しちゃったんだ」

「当時存在するGⅠはこれでほぼ優勝したことになるな」

 

「だがそれだけではない。注目すべきは次ページなのだ!」

言われるなり、トレーナーは次のページを捲ってみる。

 

【…………ん。……! こ、これは……!】

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

それは、有馬記念を優勝し、インタビューを受けた時の事だった。

『これで惜しまれますが引退ですか。寂しくなりますね……』

クラシック三冠にはもう出られない。そして当時の天皇賞は勝ち抜け制度があったので二度と出られない。そして有馬は制した。

つまりシンザンにはもはや走れるレースがなかったのである。

武田トレーナーも「シンザンの名を惜しむ」と引退をせざるを得ない状況を嘆いた。

 

だがシンザンは、

「……そのつもりだったんだけどね、実はもう一つだけ走りたいレースがあるんだ」

『ええっ! そ、それは一体……?』

「凱旋門賞」

『…………。え、ええーーーーーっ!!??』

 

 




シンザンを凱旋門賞に走らせるというのは本作を書くにあたっての一つのテーマでした

だってワクワクするじゃないですか!
それでこそ「最強の戦士」の生き様として相応しいですから

そしてその戦士と相まみえるウマ娘とは……
そう、今なおフランス史上最強と言われるあの伝説の名馬です


よし、このペースでいけば、年内に終わらせられるな。多分……


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渡仏

個人的にはもう少しシンザンと『シリウス』の絡みを書いてもよかったかな、とは思います

でも師走だからね。しょうがないね。年末進行真っただ中だからね

スマヌ……スマヌ……


「どういうつもりだ! シンザン!」

インタビューを終え、控室に戻ったシンザンは頭に怒気が昇った武田トレーナーにどやされた。

「あんな事を宣言するなんて聞いてないぞ!」

「すまないね武田。これは私の我が儘だ。嫌ならトレーナーを辞めたっていい」

「馬鹿言え! ここまで来たら、おまえと心中するしかないだろう!」

「……武田は本当に甲斐性のあるトレーナーだね。それでこそ、だ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

シンザンのまさかの爆弾発言に、そこにいたインタビュアーも、テレビカメラも、テレビを見ていた日本中の視聴者も驚愕した。

『どういう事ですか! 国内にはもう敵はいないから海外に挑戦するということですか!?』

「いや、そういう意味ではないんだ」

『では何故!?』

「私はね……思うんだ。いつか、日本のウマ娘達が世界を舞台にして走る事が当たり前になる時代が来るのではないか、とね……。

私はその先駆けになりたい。そして後を行くウマ娘達に道を作ってやりたいんだ」

 

シンザンが未来に飛んだ時、確かにウマ娘達を育てる為の技術と環境は充実していた。

しかし惜しむらくは、その羽を世界に飛ばすことなく現役を終えるウマ娘が多かった事だ。

事実、日本のウマ娘の実力が欧州より遅れていることは確かだった。

 

 

「私、凱旋門賞でエルちゃんを破ったモンジューさんが日本にやってくるって聞いた時、凄くドキドキしました」

「そうだね。資料を見ても、20世紀最後の最強の欧州ウマ娘などと言われている」

「そのウマ娘と戦って、もし勝てたら、日本一のウマ娘に近付ける……最初はそう思っていたんです」

「そうかい……」

「でもそれだけじゃなかったんです。私が背負うのは日本代表という旗だった。国の為に、みんなの為に負けられない……そんな想いがありました」

「オリンピックの日本代表と同じ心境だったんだね」

「その時です。ダービーで勝った時よりも、もっと、もーっと凄い力が出たのは! みんなの想いが私に勇気と力をくれたんです!」

 

スペシャルウィークのプロとしての人生は決して順風満帆ではなかった。

確かにGⅠで勝つなどそれなりの成績は残した。

しかし黄金世代ともいわれるライバル達に惜敗し、自信を失った。

迷い、悩み、苦しみ、立ち止まり、精彩を欠くレースをし、友人に罵倒された事もあった。

その中で迎えた大一番。日本総大将の名を背にし、最高のレースで最高の結果を残せた。

 

「私はシンザンさんみたいに強くはありませんけど、夢に向かって頑張り続けたから今の私があるんだと思います!」

「いい事だ。己を邁進する事は言われる程簡単ではないからね」

 

(……。ジャパンカップ、か……)

 

1981年、日本で設立された初めての本格的な国際GⅠレース。海外のウマ娘を招いての芝2400m。

だが、最初の頃は日本勢は負け続けた。連戦連敗、苦汁をなめ続けた。海外に追い付け追い越せは日本の一つのテーマとなった。

その目標に向かって強くあらんとした日本勢。その努力が遂に実を結んだのは第四回に優勝したカツラギエースだった。

翌年には無敗三冠ウマ娘シンボリルドルフが優勝している。

 

(こういうウマ娘が私の時代から輩出されなければ駄目だ。その為には私自身がその手本とならなければ……)

完全アウェイの舞台で、後を生きるウマ娘の追いかける背中になる。

 

それがシンザンが未来に飛び、過去に戻って来た時に決めた『夢』だったのである。

 

 

『……しかし、いかにシンザンさんといえど、果たして欧州のウマ娘に勝てるでしょうか?』

「いや、今のままでは勝てない。だから修行するよ。来年いっぱい使って。山に籠って、ね」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

かくして、年が明け、元旦にお参りに行ったシンザンは願掛けをした後、まだ雪が降りしきる中、山籠もりを始めた。

 

毎日のように山を昇り降りし、『型』を極めんと正拳突きや臍下丹田に気を鎮め五体を結ぶ事を憑りつかれたかのように繰り返した。

空気の薄い山頂で何度も肉体を虐め抜き、刀のように鋭い体を作らんと鍛錬に鍛錬を重ねた。

 

やがて、冬が過ぎ、雪解けが始まると、シンザンは滝に打たれ荒行を開始した。

冷たい水が全身に打ち付けるのを耐えながら、遥か遠い海外を見据えた。

 

時として熊や猪と戦い、勝利し、その肉を喰らった。

 

こうして瞬く間に月日が流れ、シンザンが山を下りた時。

 

 

怪物が、誕生した。

 

「シンザン……」

「待たせたね。さあ、仏に行こうか……」

 

こうして日本代表の名を背にし、多くの人々の期待を胸に、シンザンは遥か遠いヨーロッパ・フランスへ旅立った。

 

 

しかし、ここで問題が生じる。

当時の日本という国があまりにマイナー過ぎて凱旋門賞の出走資格がなかったのである。

「あれ……?」

 

慌てて陣営が権利を勝ち取ろうと走り回った結果、シンザンは前哨戦とされている『GⅡドーヴィル大賞』に出走することが決まる。

 

なおフランスのウマ娘協会が付きつけた条件は、優勝ただ一つ。二着では駄目という厳しい条件だった。

ここで負ければ全てが終わる。日本陣営は早くも背水の陣でこのレースに挑む事になった。

 

 

欧州のウマ娘達に交じって、敵地での前哨戦。信じるものは己の力ただ一つ。

 

黒髪のシンザンは、欧州の中では特に目立った。

 

「……おいおい、あいつは何をやってるんだ?」

「知らねーよ。座って寝てるんじゃないか?」

「あれが日本式だってのか?」

 

シンザンは出走のファンファーレが鳴る前、座禅を組み、目を閉じ、瞑想を始めた。

例え海外に来ても、シンザンはルーティンを崩さなかった。

 

そしてこの時、シンザンは特別な衣装を仕立て上げられており、それを身に纏っていた。

尻ほどの丈、黒字に紅葉、鶴、月、猪鹿蝶と花札の模様をあしらい、背中には日の丸が描かれた特注品。今でいう「勝負服」である。

現在では一流のウマ娘がGⅠ等で装着する勝負服であるが、その元祖こそがシンザンだったのだ。

 

「なんだ、あの田舎者は何をやってるんだ?」

「面白い、ちょっと脅かしてやろうか」

 

しかしここはフランス。完全アウェイである。心無いウマ娘がシンザンの動揺を誘おうと、背後に回り込み、蹴りをいれようとした。

 

ガンッ!

 

ドサッ……。

 

「……!?」

蹴りを入れて、逆に反動で尻もちをついたのは、蹴りを入れた方だった。

(な、何だ!? まるで岩を蹴っ飛ばしたみたいだったぞ!)

 

その光景を、観客席から見ていたフランスの記者が一人いた。

(……あの日本から来たというウマ娘、ひょっとすると、ひょっとするぞ)

 

 

そしてファンファーレが鳴り響き、シンザンはゆっくりと体を起こす。

他のウマ娘達がゲートに入っていく。シンザンは9番だった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

ガコン!

 

そしてシンザンは抜群に上手いスタートダッシュであっさり先団の好位置を確保し、じっくりと前を見る。

2500mの長丁場。スタミナが要求されるレースだが、シンザンに緊張の二文字はなかった。

 

「おー、あの黒髪のウマ娘、やるなー」

「いやー、所詮最初だけだろ。フランスの芝には付いて行けないって」

「…………」

フランス特有の、長い芝と柔らかい土。タイムの出ない洋芝。必然的にミドルペースまたはスローペースになる。

 

そんな中、先団に取り付いたシンザンにまたしてもラフプレイが襲い掛かる。

そのウマ娘は、シンザンの横に並ぶと、タックルを仕掛けてきた。

「食らえっ!」

 

ガンッ!

 

「……!?」

しかし態勢を崩したのは、やはり仕掛けた方だった。シンザンは平然と走っている。

(な、何だこいつ……私は石像にでもぶつかったのか?)

 

レースは大方の予想通り早期に仕掛けるウマ娘がいないままダラダラと走る退屈なレース展開。

しかしその中、第3コーナーで早めに仕掛けに行ったウマ娘が一頭いた。

 

シンザンである。

 

『おーっと、ここでシンザン、早くも仕掛けた。日本から来た黒髪のシンザン、あっさりと前を抜いて先頭に躍り出た』

 

尚早だ。観客は思った。

しかし迎えた最後の直線。ウマ娘達が一斉に仕掛けるその中、シンザンはペースを乱さない。

 

この時、観客は頭に「???」を浮かべた。

おかしい。差が全く縮まっていない。

残り200mを切っても100mになってもシンザンとの差が動いていない。

 

「おい、どういう事だ!?」

「みんな全力で走ってる筈だ! どうして……!?」

 

走っているウマ娘も焦っていた。全力で走っているのに、シンザンとの距離が全く縮まっていない。

つまり、シンザンは欧州のウマ娘の全力と対等ということになる。

「何でだ!? 何で追い付けないんだ!?」

「GⅡとはいえ、このレースは凱旋門賞に殴り込みをかけようってウマ娘が集っている場だぞ!」

「あれが、東洋のサムライの走り……!」

 

『シンザン今一着でゴールイン! 文句なし! 凱旋門賞へと駒を進める貴重なレースをものにしました!』

 

ワアアアアアアアアアアッ!!

 

誰であろうと、勝者が全て。

シンザンには、観客席から惜しみない歓声と拍手が送られた。

 

 

結局そのまま2着と3バ身差で優勝。

しかも勝ち方は余裕たっぷりだった。

まさに横綱相撲。西洋風に言わせれば、玉座からの貫禄の勝利である。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

レース後、シンザンの走りの一部始終を見ていた記者は早速インタビューを試みた。

『初めての異国でのレースですが、どんな感想ですか?』

「やはり土の塩梅が違ってたね。ただ、みんな最後の直線に入ってからヨーイドンだと感じていたから先に先頭に立たせてもらって、後は流れでそのままってところかな」

『これで凱旋門賞へ駒を進める事が出来ましたが』

「私は物見遊山でわざわざフランスまで来たわけじゃないよ。やるからには勝つつもりで走る」

『ライバルはいますか?』

「うーん……詳しい事は分からないけど、シーバードってウマ娘が強いらしいから、彼女で」

『最後に、祖国の人々に一言お願いします』

「皆が期待に応えてほしいと願っている。その力を胸と背骨に付けて頑張るよ」

 

インタビューは武田トレーナーにも向けられた。武田曰く、本当にいつものシンザンだった、安心して見れた、と。

 

抜群のスタートダッシュで好位置を掴み、勝負所で抜け出し、各ウマ娘の脚色を見ながら、先頭を守ってそのままゴール。

まるで五冠を獲った時と同じような走りであった。

 

こうしてシンザンは通算16勝目。自身の連続連対記録を20に伸ばす。

 

フランス誌の『東洋の小さな国から来たサムライが、欧州のウマ娘達を近寄らせることなく斬り捨てた』という記事は大きな話題を呼んだ。

日本でもシンザンの勝利は伝えられ、日本中が彼女の戦果に沸いた。

 

 

ひょっとしたらこのまま凱旋門賞も……と、日本のファンは期待した。

だが一方で、フランスでは全然そんな事はなかった。

 

何故なら、その年には、あのシーバードが出走することが決まっていたのだから。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

シーバード。

今なお、フランス史上最強と言われる伝説のウマ娘。

通算成績8戦7勝2着1回。シンザンと同じく、連対率100%を記録している。

 

だが彼女が最強と言われる所以は、レースにおいてただの一度も本気を出したことがないということだった。

唯一の黒星も、「負ける経験がしてみたかった」と言い放つ程である。

 

一度彼女が直線を走れば外目だろうが何処だろうが内のウマ娘達を遥か遠くに置き去りにし、最後はソラを使ってゴール。

遠征した英ダービーでは「他の一流ウマ娘が一生懸命走っている人間の子供に見えた」「本気で走ったら10バ身は付いていた」という大楽勝劇。

初シニア級相手で、当時最強と言われたフリーライド相手のサンクルー大賞を箸にもかけない勝ちっぷりで優勝。

 

そしてシーバードの名が伝説となったのが、第44回の凱旋門賞だった。

フランスクラシック三大レースを無敗で制したリライアンス、ワシントンDC国際を勝利したダイアトム、

愛ダービーとキングジョージVI世&クイーンエリザベスSを連勝し波に乗っているメドウコート、

アメリカからは最優秀クラシック級ウマ娘に選ばれたトムロルフが遠征し、

今なおソ連時代から数えて歴代最強と言われるアニリン、という錚々たる顔ぶれであった。

 

しかしこの「二度と見られない豪華メンバー」と評されたレースにおいて、シーバードは文字通り『無双』する。

最後の直線を向いたところでシーバードとリライアンスが並び、更に後方からは各国の強豪ウマ娘が……、という状況で、

シーバードは一人だけワープでもしたかのように後続を引き離し、挙句後ろのウマ娘を弄ぶように斜行してそのままゴール。

観客席の人たちは全員あっけに取られ「この世のものとは思えなかった」と評する人までいた。

シーバードが伝説になった瞬間である。

 

彼女のトレーナーは言った。

「シーバードに勝てるウマ娘がいるとしたら、引退したイタリアのリボーぐらいなものだ」と凱旋門賞二連覇を成し遂げたウマ娘を引き合いに出した。

 

1965年にはイギリスで一度しか走ってないにも関わらず英の年度代表ウマ娘に選ばれている。

 

 

こうして生きる伝説になったシーバードだが、「ここまで来たら凱旋門賞を二連覇してほしい」という仏ウマ娘協会の思惑と、

「もう一度シーバードのレースを見てみたい」というファンの願望から、現役を続けることになった。

 

 

しかし、人々の希望とは裏腹に、シーバードの心は乾いていた。

 

凱旋門賞を間近に控え、フランスのマスメディアが連日シーバードの近くを群がり続ける。

それを無視するように、練習場を走るシーバード。

 

(……退屈だな)

 

もはや彼女には「どれだけ手を抜けば負けることが出来るのか」「誰なら私の心を満たしてくれるのか」という空虚な思いしかなかった。

モチベーションの低下、と言えば聞こえは悪いが、それでも勝ててしまうのがシーバードなのである。

 

彼女は直近のメディアに対してこう答えた。

「次の凱旋門賞すら、私にとっては消化試合だ」と。

 

天才であればある程、それが崩れた時は脆い筈。なのに願っても想っても一向に崩すような相手は現れなかった。

このまま終わるのか……。終わってしまうのか……。

 

シーバードは天を見上げながら思った。

空は青く、雲は白い。この世界の果てに、自分を負かす程の実力者がいないかとありえない妄想を張り巡らせながら。

 

 

(……天よ。何故私に走りの才を与えた……)

 

 

そして、1966年の秋、第45回凱旋門賞当日を迎える……。

 

 

 




あくまでifですが、シーバードとフランケルが戦ったらどっちが強いでしょう

近代の結晶と説明不要の伝説、時代が変われば馬も変わる筈です

それでも私はシーバードが勝つと思います。まあフランケルに凱旋門賞経験はありませんが
ロンシャンの芝で最後に斜行かましてゴールするような馬の前ではフランケルといえど勝てないと思います

作中でも述べましたが、シーバードに勝てるとしたらリボーぐらいじゃないでしょうか


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血戦

シンザンが五冠を獲った年は、シーバードが凱旋門で伝説を作った年でした

もしこの名馬がウマ娘となって共に走ったら……
ifストーリーではありますが、対決相手としてはこれ程のカードはないと思ってます

伝説に挑むために地獄を渡ったシンザンがどういう走りをするのか……
それが少しでも伝わったら幸いです


パリ、ロンシャンレース場は熱気に包まれていた。

 

もう一度シーバードのレースが見られる、そんなファンがレコード記録に成程詰めかけたのだ。

去年はおよそ5万人だが、今年は間違いなくそれ以上である。

 

この時、シーバードはフランス大統領から直々に仕立てられた勝負服に身を包んでいた。

その輝きは他のウマ娘とは一線を画していた。

 

 

しかし他のウマ娘はシーバードを負かす気満々である。

特にシーバードがいなければ凱旋門賞最有力候補と言われた仏代表ボンモーは強い敵意をぶつけていた。

(あいつには絶対負けない……!)

 

各国の代表ウマ娘達も、打倒シーバードを掲げこの日の為に虎視眈々と牙を研いできた。

(シーバードは半年以上レースから遠ざかっている。モチベーションも低い。そこを突けば、勝てる!)

トレーナー達は一様にそう言いながら指導してきた。

 

 

「…………」

しかし当の本人は何処吹く風とばかりに空を見上げ雲が泳ぐ様を見つめていた。

(仮に勝っても、何も得られないレース、か……)

周囲からの視線を肌で感じながらも彼女の未来は虚ろの先にあった。

 

勿論一番人気は断トツでシーバード。二番人気はボンモー。

そして三番人気は……、

 

「おい、あの黒髪の奴は何をやってるんだ?」

「知らないのか? あのサムライ、ドーヴィルの時もああやってたんだぜ」

「レース前に座ってたら脚が動かなくなるだろう。馬鹿なのか?」

 

そう、シンザンである。

既にシンザンは瞑想状態にあり、芝の上で目を閉じ、空気を感じていた。

 

するとそこに、一羽の鳥がやってきて、シンザンの肩に乗った。

二羽目もシンザンの肩に乗る。

三羽目もシンザンの前に来て、クルッポーと鳴いている。皆リラックスしている様子だった。

「ふふふ……困った来客だね。ほら、こっちにおいで」

シンザンは鳥を手招きすると、ひょいっと掴み、体を撫でてやった。飛び立つ気配はない。

「……餌でもあればよかったんだけどね。持ってなくてすまないね」

 

 

その光景がいかに異様なものであるか、気付いていたのはごく少数であった。

 

「まさにお天道様の手のひらだなあ」

武田はそう言った。

「信じましょう。大一番で一度も負けたことのないシンザンの力を」

「あいつなら必ずやってくれますって」

栗田や中尾も勝利を期待し見守る。

 

その姿を一目見ていたシーバードだが、

(レース前に鳥と戯れるとは……。レースというものがどういうものか、知らない様だな……)と視線を逸らした。

 

 

そして、遂にファンファーレの時が訪れる。

拍手と歓声がロンシャンを包んだ。

 

「さて、行こうか……」

シンザンがゆっくりと身を起こす。鳥たちがバサバサと飛び立っていった。

 

『お待たせしました皆さん、歴史と伝統、そして世界最高の王者の決定戦とも言えるこの凱旋門賞が今年もやってきました』

『一番人気は勿論フランスの、いや、ヨーロッパの、いやいや、世界の至宝シーバード。今日はどういったレースを見せてくれるのか』

『このウマ娘に土を付ける者は現れるのか、遠い異国の地から舞い降りたサムライ、シンザンも注目です』

 

この時、シーバードはやや外枠の11番。ボンモーは中枠7番。シンザンは隣の8番だった。

そして凱旋門賞と言えば、意図的に出場したペースメーカーがいるレースである。

勝つつもりはない。どれだけレースを引っ掻き回せるか。

例えプライドを捨ててでもその任務を完遂しなければならないことを、名もなきウマ娘は知っていた。

 

世界最高峰の大一番。今年はどんなドラマが待ち受けているのか。

枠入りは順調そのものだった。

だがこの張り詰めた緊張感を楽しめるウマ娘が果たしてどれほどいるのか……。

 

『さあ態勢完了!』

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

ガコン!

 

『スタートしました! 全員揃った綺麗なスタートだ。さあ、まずは誰が行くのか……』

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

この時、ペースメーカー役を命じられていたウマ娘は先頭でレースを引っ張るつもりでいた。

しかし彼女を追い抜いて先頭に立ったウマ娘がいた。

 

『なんとシーバードです! シーバードがレースを引っ張ります!』

 

観客は動揺した。長らくレースから遠ざかっていたからか、掛かってしまったのか……。

(馬鹿め! 自滅しやがった!)

(これで最後の直線まで脚を溜められる!)

後ろのウマ娘達は内心ほくそ笑んだ。

 

しかしシーバードは余裕だった。

(少し、遊んでやるか……)

 

凱旋門賞は外コースを走り、ホームストレッチは存在しない。

スタート後、数百メートル走ると中山以上の高低差の坂を駆けあがり、下り坂の後はコーナーから名物のフォルスストレートに入る。

最後の直線はおよそ500m程度。極めて脚に負担が掛かる厳しいコースだ。

 

そんな中、シーバードは坂を駆け上がりながら後続を引き離す。

番手までおよそ5バ身の大逃げだ。

 

掛かっているとはいえ、相手はシーバードである。楽に逃がしていいものか……。

後続のウマ娘達は迷う所だろう。

 

やむなくペースメーカー役が追走し、尻を突く形となる。

これでペースを乱してくれれば儲けもの。だがこれだけで充分だろうか……。

 

(おい、お前が行けよ)

(なんで私なんだ。おまえが行けって)

 

(……ふん、何を考えてるのか丸分かりだな。普段から社会的無責任さを謳歌している連中は、何をやるにせよ結局他人任せ。

他人が作ったレールに乗り、自分の成果だと勘違いする……。愚かな……そんなウマ娘が、私に適うと思っているのか……!?)

シーバードは苛立った。あれ程自分を負かす気で乗り込んできたくせにもう自分の力で勝つという目標意識を失っていることに。

これだけハンデをくれてやっているのに足元を小人のように叩く事しか出来ない連中ばかり。一流とは程遠い。

 

『さあシーバードが早くも坂を駆け下り、コーナーに入ります』

『後続は慎重ですね。やはり直線まで我慢しているのか』

 

そもそもロンシャンは逃げる事が非常に難しいレース場である。

フォルスストレートは内ラチ沿いに走る事が難しいし、最後の直線も長い。

いかにシーバードといえど、この距離はセイフティリードではない筈。観客席の人々は不安がった。

「おいおい、大丈夫なのかシーバードは」

「大丈夫だろ。だってシーバードなんだぜ」

 

 

一方、誰の興味にも触れられないシンザンは、いつもの通り、抜群のスタートダッシュから先団の好位置をキープしていた。

 

「シンザン、落ち着いてますね」

「こんな走り難いレース場なんて日本にはねえよ。ハンデもいいとこだ。くそったれ」

「ハンデ? 上等じゃないですか。ここから勝ったら格好いいですからね」

観客席で武田、栗田、中尾が見守る。

この5万人超の観客席、誰もがシーバードの勝利を願っている。応援は自分達三人だけ。後はわざわざ日本から出向いてくれたテレビだけだ。

 

(そんな事ないよ……。みんな祈ってくれている筈さ……私の勝利をね)

 

国民が総出で信じてくれている。シンザンの勝利を。

それはシンザンにも間違いなく届いていた……。

 

 

『さあ、ロンシャン名物のフォルスストレートをシーバードが駆け抜けます。先頭は依然シーバード』

『来た来た! ここで後続が上がってきました!』

 

最後の直線前、後続が一斉に仕掛ける。シーバードとの距離はぐんぐん縮んでいく。

 

「…………」

その中、シンザンは静かに体を外に持ち出した。

 

「捕らえたぞ! シーバード!」

遂に背中に手が届きそうなほどの距離までボンモーがやってくる。他のウマ娘も既に射程距離内だ、そう確信していた。

 

……筈だった。

 

「貴様ら勘違いしてないか? 私はあくまで、直線で勝負するウマ娘なんだぞ」

「何ぃ!?」

「引き立て役ご苦労。では、さらばだ」

 

そしてシーバードは、強く、脚を踏み込んだ。

 

瞬間、ロンシャンの空気は息を吸い込まれるように削られた。

シーバードは、「ウマ娘と人間の子供の差」とまで称された脚で、まるでワープしたかのように後続を一瞬にして置き去りにした。

 

ワアアアアアアアアアアッ!!

 

観客席から大歓声が上がる。

「これだよこれ! これが見たかったんだ!」

「やっぱりシーバードだよ!」

 

『シーバード、満を持して後続を引き離す! まるで脚にニトログリセリンが仕込まれているようだ!』

『フランスの至宝の人知を超える末脚! これが世界一の走りなのか!? 後ろとの距離は開く一方だ!』

 

「そんな……そん……」

ボンモーは青ざめた。シーバードの走りは嫌というほどビデオで見てきた。猛練習もしたし、対策も立てた。

しかし、実際にレース場で走る彼女とのいかんともしがたい実力の差を身をもって今思い知らされる。

(こんなにも差があるのか……あれはウマ娘なんかじゃない。化物だ……!)

 

 

一方、シーバードは冷めきった表情で走っていた。

またしても本気を出すことなく終わってしまった。またしても価値のないレースになってしまった。

(終わったな……。さて、後は適当に流すか……)

 

ぞわっ。

 

「……!?」

脚の力を緩めようとした瞬間、背後からとてつもないオーラを感じ取った。

(なんだ今のプレッシャーは!? 誰だ!?)

シーバードはギリギリ背後が見えるくらい視線を送った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「素晴らしい……」

刹那1秒。シンザンはシーバードの走りに感動した。

シンザンはシーバードの走りを知らない。ただとてつもないウマ娘という事しか知らない。

だがその走りは、とても力強く、激しく、一流のウマ娘が走るのが馬鹿らしくなる程の圧倒的なものだった。

 

(やはり日本を飛び出してよかった……。世界にはこんなにも凄いウマ娘がいるとは……)

 

凱旋門賞。遥か遠い異国の大地で行われる最強を決める一戦。そこに今、自分がいる。自分が、走っている。

そして、日本にはいない凄いウマ娘がいる。

彼女と同じ舞台で走る事が出来る自分が、確かに今ここにいる。

 

そこにあるのは、『感謝』であった。

 

道は自分で作るしかなく、続く保証は何処にもない。そんなすぐに崩れそうな道の先に、これ程の相手がいたのだから。

 

(有難うよ神様。生涯最後になるかもしれないレースに、こんな相手を用意してくれた事を……)

 

「さあ行くよ!」

シンザンもまた、脚に力を込めた。武田が『鉈の切れ味』と褒めてくれた脚を伸ばして。

 

『いや、違う! シーバードに迫るウマ娘が一人いる! シンザンだ! 黒髪のシンザンだ! 日本から来たサムライ、シンザンだ!』

実況も度肝を抜かれた。

何と力強く、そして美しい走りであろうか。そのウマ娘が、物凄い勢いでシーバードに迫っている。

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 

「な、なんだあいつは!?」

「シーバードより速い……? そ、そんな馬鹿な!?」

観客席の民衆もあっけに取られている。シーバードの走りを見に来た筈なのに、シーバードが勝つところを見に来た筈なのに、目が逸らせない。引き寄せられる。

 

「いけー! シンザンー!」

「頑張れー! シンザンー!」

たった数名の応援する声が木霊する。武田達だ。

きっとテレビを通して日本中の人間もシンザンを応援している事だろう。

「どうだフランスめ! これがシンザンだ! シーバードを倒せる世界で唯一のウマ娘だ!」

武田が拳を握りながら叫ぶ。

 

そしてその差が、詰まる。詰まる。詰まる。

 

「……!?」

遂に、シーバードとシンザンが並んだ。

世界一のウマ娘の喉笛まで辿り着いた瞬間だった。

 

「……さあ楽しもう世界チャンピオン。この直線は、私とあんたの二人だけのものだ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「くっ……!」

全く予想だにしない出来事にシーバードは動揺する。頭は混乱している。喉はカラカラだ。ただ走る脚の感触だけが脳内に響いている。

(なんだこのウマ娘は……!)

 

「負けるなーシーバード! おまえはフランスの至宝なんだ!」

「世界一のウマ娘なんだ。負けるんじゃねー!」

 

しかし最早そんな観客席の声もシーバードには届いていなかった。

 

(……手が震えている。涙が出そうなのが分かる。これは、感動……なのか……!?)

 

天に祈り、渇望した、自分が本気を出せるような相手。それが、確かに今、自分のすぐ傍にいる。

 

だが……、

 

どくん……どくん……。

 

心臓が蠢いている。

(何だこれは……これは、まさか恐怖……! 怖い……? 私は負けるのが、怖い……!?)

 

あれ程乾いていた砂漠のような心に、水が残り、豊かな草原のように変わっていく。

それは、自分があれ程追い求めてやまなかった『強者』の登場だった。

 

しかし、その感動を味わう余裕がない。噛み締める余裕がない。喜ぶ余裕がない。

なんと矮小なことだろうか。なんと見苦しい姿であろうか。

 

会話を交わさずとも分かる。

彼女は、地獄を超えてきた。勝ちたい。優勝したい。その願いを叶えるために、彼女は地獄を超え、海を渡った。

 

ならば自分がすべき事はただ一つ。王者という立場から、玉座を賭けて死闘を行うことだ。

なのに……。なのに……。

 

(まだだ……! まだ何も始まってはいない! まだ何も……終わってはいない!)

「うああああああっ!!」

 

シーバードの全身に魂が焔となって燃え上がる。それは生まれて初めての体験。己が本気を出したことの証明だった。

 

事実、二人と三番手以下の着差は離れる一方だった。

5バ身差……8バ身差……とうとう10バ身以上まで広がる程に。

 

しかしどれほど本気の走りをしても、追い比べでシーバードは、シンザンを引き離せていない。

 

ここにきてシーバードの経験不足が仇となった。

ただの一度も本気を出したことのない走り。それは彼女にとって未知の体験であり、同時に付け焼刃であったのだ。

 

(苦しい……本気とは、こんなにも苦しいものだったのか……!)

 

走りでは誰にも負けないという自負があった。しかしそのメンタルは、何と薄っぺらく、幼子のようである事か。

 

『なんという事でしょう。私達は今、シーバードと互角に渡り合えるウマ娘を目の当たりにしているのです!』

『もはやウマ娘の走りではありません! まるでロケットエンジンが二つあるようです!』

実況が愕然とする。世界の至宝が無名のサムライと寸分差もない勝負を繰り広げているのだから。

 

「おいおいおい、まさか、シーバードが負けるのか……?」

「そんな筈は……いや、でも、これ……」

観客も顔面蒼白になりながらも必死に声援を送り続ける。あれほど恋焦がれたシーバードの走りなのに、最早意中はシンザンの方だ。

 

 

そして遂に、シンザンがシーバードを躱し、先頭に躍り出る。

観客が悲鳴を上げる。間違いない。あの異国から来たサムライは、シーバードより上なのだと。

 

 

(……嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 負けるのは……嫌だ!!)

 

ぶちん。

その瞬間、シーバードの中で何かがキレた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「ああああああああっ! ああああああああっっ!!」

シーバードの走りのギアが更に上がった。まるで脚が爆ぜるようなとてつもない勢いだった。

 

「な、何だありゃ!?」

見てる側も騒然とする勢いだった。しかし、その走りは暴走に近い。

 

そしてシンザンを再度躱し、先頭に躍り出る。

 

そう、それは俗に言う 『領域』((ゾーン))であった。

ウマ娘のレースに限らず、アスリートの世界では極限まで心身が集中すると凄まじい力を発揮する者がいると言われている。

 

曰く、ボールが止まって見えた。

曰く、蹴ったボールの軌道が蹴る前から分かった。

曰く、次に相手が動く様が未来視したかのように理解出来た。

 

常人には理解できない境地であり、筆説も困難だが、本当にそんな現象が起きるとされている。

 

だが、代償として莫大な体力と精神力を消費し、甚大な消耗から選手寿命を削るという諸刃の剣でもある。

同時にその領域を堪能したが為に、その域でなければ満足できない体になってしまい、迷走し、遂には元のプレイまで忘れてしまうという説もある。

 

『領域』((ゾーン))は文字通り『神の域』であり、人が触れるには恐れ多い境地。悪い表現を使うならば 『覚醒剤』((ドラッグ))なのだ。

 

 

「…………」

しかしシンザンは冷静だった。あの狂気のような走り……。傍から見れば分かる。

(そうか……。あんたは入ったんだね。『神の域』に……)

 

シーバードの極限状態が伝わってくる。もう二度と走れなくなってもいい。だからありったけを振り絞る。その覚悟を感じ取る。

 

だがシンザンはそれが嬉しかった。それほどまでに力を出さなければ勝てない相手だと認めてくれた事に。

 

すう……。

 

シンザンはわずか一息ではあるが、静かに呼吸を整えた。

臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ。幾度となく繰り返してきた境地。鍛錬に鍛錬を重ねた果てに彼女が生み出した世界。

 

そう、シンザンもまた、 『領域』((ゾーン))を操れるようになっていたのだ。

まあ彼女の場合、『自ら領域に入る』のではなく、『領域が向こうからやってくる』という境地ではあったのだが。

 

しかしシンザンはそれを良しとしなかった。

(私は人だ。神ではない。最後は神の力など借りない……。最後は私の、私だけの全霊を持って……勝つ!)

 

「いざ、勝負!」

そして今一度足を力強く踏み込む。シンザンもまた、ギアを更に上げた。

 

そして瞬時にシーバードに並びかける。お互いの命を削っての追い比べだ。

 

 

この時、遠い日本からモニターで実況していた男は叫んでいた。レースがないというのに観客席は大入り満員。場のボルテージは最高潮だった。

「何という! 何という! ドラマチックなレースをするのでしょうシンザン! 何という走りをするのでしょうシーバード!

まさに命を燃やし! 体熱き血駆け巡り! (しょうじょ)燃え上がる! 世界史に残る名勝負となりました!」

 

ワアアアアアアアアアアアアアッ!!!!

 

「勝ってくれー! シンザンー!」

 

「負けるなー! シーバード!」

 

フランスの地と日本の地がこの時一つになった。互いの代表選手の勝利を祈って、喉が枯れるまで叫び続ける。

 

「「はああああああああああああっっっっ!!!!」」

 

 

そして二人は、音も光も置き去りにする勢いで、ゴール板を駆け抜けた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ワアアアアアアアアアアアッ!!

ワアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!

 

「どっちだ!? どっちが勝ったんだ!?」

「同着じゃないのか!?」

「いや、シーバードだろ」

「シンザンじゃないのか」

 

二人は、全く同じ速度で、ゴール板を通った。この時点では誰にも勝者がどちらかなのか分からなかった。

 

『接戦です! シーバードとシンザン、二人同時にゴール板をもつれるように駆け抜けました!』

『写真判定になるでしょうが、これは時間が掛かりそうです』

 

「はあっ……! はあっ……! はあっ……! はあっ……!」

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

お互い何とか呼吸を整えようと必死になっている。

だが消耗が激しいのは明らかにシーバードの方だった。

 

「ぐっ……ぅ……っ!」

立っていられず、内ラチに寄りかかり、がっくりと膝を付く。体を起こそうとするも、全く起き上がれない。

 

「大丈夫か!? シーバード!」

たまらずトレーナーが駆け寄る。

「はあっ……! はあっ……! み、みず……っ!」

「水か!? ああ、ここにある。飲むんだ」

「んっ……うぐっ……ぶはっ! げほっ! げほっ!」

「しっかりしろ! 落ち着いてゆっくり飲むんだ!」

「はあっ……! はあっ……!」

 

(ま、負けだ……私の完敗だ……!)

 

この時、シーバードは自分が負けたと本気で思っていた。

最後の最後、とてつもない力が出せた記憶はある。だがそれ以降の意識はない。

横を向く余裕はなかった。たまたま力尽きる前に、運良くゴール板を過ぎていただけだ。途中で倒れていてもおかしくはなかった。

 

「情けない走りを……してしまった……」

誰にも負ける気はなかったし、負ける要素もなかった筈だった。

そんな中巡り合えた最愛とも言える最高の相手。それを噛み締める余裕は微塵もなかった。

(だが悔いはない……。こんな相手と戦えたんだ。今はその喜びを、味わうとしよう……)

 

「有難う。シンザン……」

 

 

一方でシンザンである。

肩で息をしており、見るからに満身創痍といった状態で、ふらふらと観客席の武田達の元へやってきた。

「シンザン……」

「武田、栗田、中尾……。謝まない。負けてしまったよ……」

「え……」

「シーバードの方が5cm先にゴール板に届いていた。奴さんの勝ちだ」

5cmとか何で分かるんだよ、と思うかもしれないが、それが分かるのがシンザンというウマ娘だった。

「…………。そうか……」

「さて、いつまでも敗者がレース場に居てはいけないね。控室に戻ろう」

「分かった……。シンザン」

「んん?」

「……お疲れ様」

「ああ……」

 

 

ちなみに完全に戦意喪失し、両者から数秒後にゴール板に辿り着いたボンモー達は、

「やってられるか! あんなのウマ娘じゃない! 神か悪魔だ!」

と悪態をつきながら地団太を踏んでいた。

 

 

そして長い長い判定結果を観客が固唾を飲んで見守る中、遂に判定は出た。

 

一着:シーバード

二着:シンザン

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!

 

大きな歓声が上がった。

判定が出した差は僅か数cm。その小さすぎて大きすぎる差が、両者の明暗を分けた。

 

『勝ったのはシーバード! 遂に凱旋門賞二連覇という快挙を成し遂げました!』

『シンザンが100%の力を出したのに対し、シーバードは120%の力を出した。それがこの僅かな差を生んだのでしょう』

『ですが素晴らしいレースでした。世界の至宝はこの年、間違いなく二人いたのです』

『昨年がシーバードが伝説になった凱旋門賞ならば、今年は二大巨頭が伝説の座を賭けて戦った凱旋門賞だったわけですね』

 

一方、日本のファンはブーイングの嵐だった。

「何でや! シンザンの方が一着やろ!」

「フランスのボケナス供め、シーバードを勝たせるために依怙贔屓しよったな!」

「アカン抗議の丸刈りしてまう!」

「ワシ全裸になるわ!」

 

 

結果が出た後、シーバードはフランスの報道陣に囲まれた。

『おめでとうございますシーバードさん。今のお気持ちをお願いします』

『去年が二度と見られない顔ぶれだったのに対し、今年は二度と見られないレースでしたね』

 

「…………」

だがシーバードからすればこの結果は到底許容できるものではなかった。

(勝った……? 私が……? あのレースで……? あの内容で……?)

フランス陣営が自分を勝たせるために肩入れした、シーバードはそう思った。

 

「……違う」

『え……』

「違うんだ! 私は勝ってない! 私にこれ以上惨めな思いをさせるな! 今日勝ったのは……シンザンだ!」

 

 

時を同じくして、シンザンは日本の報道陣のインタビューに答えていた。

『残念な結果に終わってしまいましたね』

「故郷に錦を飾る事ができなかったね。応援してくれた人々には申し訳ないと思っている」

『何をおっしゃいます。あなたを罵倒する日本人なんてこの世にいませんよ』

「結果は結果だよ。真摯に受け止めるしかないさ」

『有馬が終わった後の発言からおよそ一年が経ちました。その頃とお気持ちは変わっていませんか』

「ああ。そうだね。確かに優勝する事は出来なかった。だが道を作る事は出来た。日本のウマ娘達が勇気を出して海外に挑戦するという細くても崩れない確かな道をね」

『その想いは、現実になりましたか』

「ああ。きっと伝わってくれる筈さ。そしていつの日か、凱旋門賞を獲る日本のウマ娘が現れるかもしれない。その時が来るのを楽しみにしているよ」

 

 

「シンザン!」

そこへ報道陣を掻き分けるようにして逃げてきたシーバードがやってきた。

「おや、シーバードじゃないか。優勝おめでとう」

「シンザン……」

 

「まず初めに、貴方をレースを理解していないウマ娘だと思っていた非礼を、心から詫びさせていただきたい」

「ふむ……」

「私は、ずっと乾いていた。生涯本気で走ることなく終わってしまう悲しさを抱え、自分を負かす程のウマ娘を待ち望んでいた」

「そうかい……」

「走っている時は実感はなかった。だが、今だからこそ思う。最後の直線は、とても楽しく、有意義なものだった……」

「そうか。私は期待に応えられたんだね」

 

「有難うシンザン。貴方は私にとって、最高の『親友』だ!」

そうして、シェイクハンドを求める。

「はは、世界一に求められたら応じないわけにはいかないね」

そう言って、シンザンはその手を握り返す。

 

二人の固い握手は写真に撮られ、翌日の新聞の一面記事になった。

 

「私はこれで引退してしまう」

「そうだね。私も引退だ」

「だが、いつの日か、互いの線が一つに巡り合う事を祈る」

「それなら日本においで。観光するところはいっぱいあるから」

「じゃあシンザンもまたフランスに来てくれ! 観光名所と、とびっきりのフランス料理でもてなそう!」

「うん。約束だ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

シンザンがフランスを旅立つ当日、シーバードは見送りに来た。

土産屋の品を買い占める勢いで大量に持たせて。

 

また会おう。二人は誓った。

 

飛び立つ飛行機を、シーバードはいつまでも見つめていた……。

 

日本に凱旋した時、シンザンには盛大な拍手が送られた。

だが本人は「負けてるからそこまでしなくていい」と驕ることはなかった。

 

 

生涯成績21戦16勝二着5回。21戦連対の日本記録を仏で更新。

1966年には日本で一度も走ったことがないにも関わらず年度代表ウマ娘になる。

三年連続年度代表は日本記録であり、今もなお破られてはいない。

 

66年の年度代表候補だったコレヒデはシンザンの受賞に悔しさを滲ませたが、

「悔しいけどシンザンさん相手じゃしょうがないですね」と報道陣に答えた。

 

1967年にはウマ娘として史上初の国民栄誉賞を授与されている。

まさに文字通り栄誉ともいえる賞なのだが本人は、

「ふーん、まあくれるんならもらっとく」とサバサバしていた。

 

1984年には設立された顕彰ウマ娘のうち、10名の中の一人に選出されている。

 

シンザンとシーバードが競い合った第45回凱旋門賞は伝説となり、ビデオ化されて世界中の人々の目に入る事になった。

 

2000年に行われた、URA主催の「Millennium Campaign」で公募され、

ファン投票で選ばれた「20世紀の名ウマ娘100」では、第7位に選ばれている。

本人は、

「1位に決まってるだろ。……なんてね、私が過去の遺物にならなきゃこの世界は発展しないよ。上が育つ事はいいことさ」と答えている。

 

その代わり、20世紀最強ウマ娘を関係者が挙げるという雑誌Numberの企画で、シンザンはシンボリルドルフに三票差をつけて一位に選ばれている。

 

後に武田トレーナーは、

「ハイセイコーがスターなら、シンザンはヒーロー」と評し、

 

評論家で有名な大川慶次郎氏は、

「私はね、シンザンが好きではなかった。嫌いだった。レースを練習代わりに使うなんてね、ファンを馬鹿にしてますよ。

でも彼女が凱旋門で走った時には「行け! 行け!」って応援してましてね。今思えば愛憎入り混じった感情だったんでしょうね」と答えている。

 

月刊トゥインクル初代編集長の石中友一は、

「人によって最高の意味は違う。しかし私はシンザンこそ日本史上最高のウマ娘だと思っています」と語っている。

 

 

 

 




個人的にはシングレの『領域』描写は苦手です
ていうか、シングレ自体が苦手です

だってあれ、キャラのガワだけ借りた別人だらけじゃないですか
ウマ娘ファンを馬鹿にしてますよ。パロディとしてなら理解できますが

作画担当の「リボンの武者とはねバド読んでから吹っ切れて刃牙とヘルシング読みながら連載開始しました」発言なんて、あれ程公式が細心の注意をはらいながらシナリオ書いているのにおまえときたら……と思ってしまいました
(なお、私は公式原理主義者というわけではありません)

まあウマ娘の二次創作しているおまえがいうな、と言われたらそれまでなんですけど

だからこそシンザンはその域に入らせる事はしませんでした
何故ならシンザンはヒーローであり、結果に飢えて我を忘れる事はせず、名声の為ではなく信念の為に走る、等身大のウマ娘にしたかったからです


さてさて、シンザンの物語は後一話で終わりにさせられそうです
もう少しだけお付き合いいただけたら幸いです


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後日

負ける事は悪い事ではない。悪いのは戦わない事だ。
戦士はそう告げ、ターフを去りました。

その背中は、後を生きるウマ娘の追いかけ、追い越す道標になれたのか……。

明日は今より頑張ろう。明日は今より強くなろう。
挫けそうになったら、隣人の笑顔を見よう。きっと自分も笑えるはずだから。

そして感謝しよう。今の自分が生きていられるのは、道を指し示してくれた人と、
歩む道を応援してくれた人と、
信じられる己があるから……。

夢は遠くにあるけれど、諦めなければ届くはずだ……。


1970年代、日本競バ界に旋風を巻き起こしたスターウマ娘、ハイセイコーはこう語っている。

「……シンザンさんは、私の憧れでした」

大井から競争バとしてのキャリアをスタートさせ、圧倒的な実力で6連勝し、中央入りしたハイセイコーは、そのスター性を遺憾なく発揮。

彼女がパドックに登場し、レース場に現れ、他のウマ娘を追い抜くだけで大歓声が上がり、1着になろうものなら拍手喝采。

勿論一番人気は取って当たり前、レース場はレコード記録になるほど人が詰めかけ、レースも勝って当然と言うほどの人気と実力も持っていた。

新聞、雑誌の取材は引っ張りだこ。ニュースのウマ娘特集はいつも彼女。トレセン学園には一般人が入り込んでパニックを起こすなど連日の大騒ぎであった。

ウマ娘で史上初の写真集を作られたのも彼女である。

 

地方時代を含め破竹の10連勝を飾り、皐月賞も優勝。

メディアは「シンザンの再来だ」「五冠は射程圏内」「海外でも通用する」と絶賛。

だが、生来の用心深さとプレッシャーから日本ダービーを3着と敗北するとその後もGⅠ級で惜敗を繰り返す。

人々の声援が耳から放れず魘されながら床に付く事もあれば、呼吸障害を起こし緊急搬送される事もあった。

 

晩年も圧倒的人気は続いたが、そこにはかつて「怪物」と評された面影は鳴りを潜め、何処か哀愁が漂う気配すらあった。

 

しかしその両極端な現役生活を振り返る時、彼女は必ずこう付け加えている。

「私は結局皐月賞しか勝てなかったが、シンザンさんは私以上のプレッシャーがあったのに五冠を獲って見せた……」

彼女の走りのフォームはシンザンの走りを観察し続け、模倣したものであり、

それどころか生活スタイルや歩き方すら真似するほどの私淑ぶり。

シンザンの存在があったからこそ、彼女は活躍できたのである。

「私なんて足元にも及びません。尊敬の念すら礼を失していますよ」

華やかな世界で喝采を浴びる一方で、憧れの存在は遥か彼方にいたのである。

 

 

シンザンと同期であり、自らライバルと宣言していたウメノチカラはこう語っている。

「シンザンは成績を鼻にかけた事は一度もなかった。人間的に素晴らしく、優しいウマ娘だったんだ」

 

デビュー時は武田トレーナーが「わざわざ負ける事はないな」とぶつけることを回避する程の実力者。

当時の最優秀ジュニアウマ娘も獲っており、当然翌年のクラシック戦線でも大本命とされていた。

しかしクラシック戦線では悉くシンザンの後塵を拝し、三冠を目の前でかっさらわれ、

シニア級の天皇賞秋と有馬記念でぶつかるも敗北。結局最後の最後までシンザンには勝つ事は出来なかった。

 

だがそんな宿敵に対し、ウメノチカラはこう評している。

「あいつは皆が練習を終えた後、コンダラを使って練習場を綺麗にならすんだ。洗濯だって自分の物は全て自分でやっていたんですよ。

当時は洗濯機が珍しくて、洗濯板でゴシゴシやるんですよ。面倒くさくてみんなトレーナーにやらせるんですけどね。でもシンザンはそうしなかった。

私もすぐに真似し始めたんだが疲れていた時はどうしてもサボる事があってね。でもシンザンは一度もそういう事がなかったんです」

 

シンザンに勝ちたい、それこそがウメノチカラのモチベーションであり、どんな猛練習にも決して音を上げなかった。

同じウマ娘であるウメノチカラにとっても、シンザンはライバルという言葉だけで括れるものではなく、尊敬できる相手であり、目標でもあった。

 

「当時はね、みんなこう言うんですよ。『負けることが分かっていたからシンザンとは走りたくなかった』って」

多くのウマ娘が畏怖する程の大きな存在。

その姿はまさに最強の戦士であった。

 

「どの世界でも言えるけど、一流の選手なんてみんな我が強くて我が儘なものですよ。でもシンザンだけは違った。

自他共に厳しい奴だけど、温和で温厚で、人格も一流でしたね」

圧倒的な実力者でありながら、それでいて人間性すら称賛される程の存在だったのだ。

 

 

後に武田トレーナーの元から独立し、改めてトレーナーとしての人生を始める栗田勝と中尾謙太郎はこう語っている。

「シンザンがいなければ今の自分はありませんでした。彼女のおかげで自分は自信が付いたんです」

「あいつを超えるウマ娘を育成する。それが人生の目標になりました」

誰よりも強く、気高く、人々に讃えられる存在となったウマ娘と同じ時を過ごせたのは彼らにとって幸運だった。

学ぶところも多かった。彼女の修練は真似できないが、『心・技・体』を生かす指導は二人にとってテーマとなった。

 

「一緒の時を過ごせたってのは凄く良かったです。哲学的な感性も持ち合わせていて、とても参考になりましたね」

「本当に頭のいい奴でした。体調管理もしっかりしていて、後輩の面倒見もよかったですからね」

年上の身でありながら、一人の戦士に敬意を持って接していたのは確かだった。

 

「あいつが世に現れてから、数十年が経ち、確かに三冠ウマ娘は現れました。でもあいつを超えるウマ娘はまだ現れてないと思います」

 

「だから、そうですね、仕方ないとはいえ、あいつがレース場でもっともっと走る姿を見たかった……そういう想いはありますね」

 

時代が変わればトレーナーの数も増える。

人員不足も少しづつ解消されつつある。

 

多くのウマ娘が夢に向かって研鑽し、邁進し、栄光を勝ち取ろうとする時代。

そこには間違いなく彼ら二人がこれまでに培い、築き上げてきた努力もあっただろう。

 

 

しかし、シンザンを超えたウマ娘は、果たして現れただろうか。

 

 

――シンザン。日本史上、もっとも賢哲にして、もっともこの世界を発展させたウマ娘である。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「シーバードがきたぁ!?」

 

フランスの激闘を終え、正式に引退を表明したシンザン。

その僅か三か月後、シーバードが羽田に現れたと聞き、急いで新幹線に乗り東京を目指す。

 

「シンザン! 幾ら待っても来ないから私の方から来たぞ!」

「シーバード、あんた……」

「さあ日本を案内してくれ! スシ、テンプラ、ニンジャ、サムライ、ゲイシャ、どれも楽しみだ!」

「おまえはアメリカ人か……」

 

こうしてシーバードはシンザンを連れまわしながら半年ほど日本に滞在。

北は北海道から南は沖縄まで、四季折々の日本を存分に堪能した。

その表情は終始晴れやかで、かつての強敵に飢え、乾ききっていた虚しさはどこにもなかった。

シンザンが彼女を生かしたのだ。

 

雑誌の取材も受け、日本のトレセン学園も見学した。

 

「なあシーバード、私はいつか日本にも国際GⅠを作りたいと考えてるんだ」

「それはいい考えだ。これからはウマ娘が国を飛び出し、世界に挑戦するのが当たり前になる時代だ」

「そうだねえ……もしその時が来たら、日本のレースをこう名付けよう。『ジャパンカップ』と……」

 

そしてシーバードがフランスへ帰ると言った時、

「シンザン、おまえパスポートはまだ持ってるよな?」

「ああ。フランスに行く際に作ったからね」

「じゃあ今度は私がフランスを案内する番だな! さあ一緒にフランスへ行こう!」

「おいおい……」

 

 

今度はフランス旅行する羽目になったシンザン。

空港では盛大な歓迎をされた。

「何だこれは……」

「知らないのか? フランスではもはやシンザンの名を知らない国民はいない程有名なんだぞ。サムライと言ったらシンザンだ」

 

事実、シンザンの活躍によってヨーロッパではメイドインジャパンが一大ムーブメントを巻き起こしていた。

日本産の製品や映画などが輸入され、特にサムライが刀を交える作品は次々にヒットした。

 

そしてシーバードはここでもシンザンを連れまわした。ヴェルサイユ宮殿や凱旋門、ルーヴル美術館にエッフェル塔、

オペラ・ガルニエにサクレ・クール寺院、モンサンミッシェルにコルマール旧市街……、

「フランスは広いねえ……」

「明日は何処に行こうかシンザン。カルカッソンヌかな、ロワール渓谷の古城もいいな。もう全部回りたいな!」

「元気だねえおまえさん……」

「当たり前だ。シンザンは私にとって、両親以上の大事な友だからな!」

 

関係者からも、シーバードは本当に明るくなった、と言われた。

かつてのシーバードは、クールで、不愛想で、仏頂面で、他人を寄せ付けない面があったが、今はまるではしゃぐ子供のように元気である、と。

「シーンザーン、フランスに永住しないかー? 私はおまえにずっと傍にいてほしいんだー」

「そんなプロポーズみたいな事言うもんじゃないよ。あんたならすぐいい人が見つかるさ」

「いーやーだー。私は実は男は苦手なんだー。生涯独身でいるつもりなんだー」

「やれやれ……」

 

かくしてシンザンはシーバードに袖を掴まれながら半年ほど滞在し、日本へと帰った。

「本当ならもう少しヨーロッパを見てもよかったんだけどね……。私にはやらなければならない事があるんだ」

 

 

その後、二人がどうなったか……。

 

シンザンは実業家の道を志す。

高度経済成長期とはいえ、シンザンはまだまだ日本は貧しい国であることを知っていた。

「学びたくても学べない人間がいる。走りたくても走れないウマ娘がいる。そういう子供の為に、日本を潤したいと思うんだ」

かつて未来に飛んでいた経験と先見性もあってか、シンザンの事業は悉く成功。巨万の富を築く番付常連者となる。

しかし彼女はそれを金庫にいつまでも閉まっておく事はしなかった。

「学問こそ銭の源。そこで投資した金はいずれ何倍にもなって帰ってくるんだ」

故に学校を始め、子供達への投資は惜しまなかった。

倒産しそうな会社がいれば、躊躇いもなく小切手を書き、会社を救った。

公害が問題化すれば、金をつぎ込み、クリーン化に一役買った。

「株を売って欲しい? 事業提携? ……大方うちの会社を乗っ取りたいんだろ。でもそっちが誠意を見せてくれるんならいいよ。持っていきな」

会社を統合する際には大量のリストラが起きるが、シンザンは人事を上手く熟すことで一人の脱落者も出さずに事を成してみせた。

悪意がある人間は許さないが、人情と優しさがある経営者だったのだ。

 

そしてシンザンにとって最も有名だと言われたのが、整形外科に特化した、私営の病院である。

アスリートにとって怪我は付き物。怪我さえなければ……そんな選手は数多い。

シンザンはそんな選手を一人でも救うため、海外から輸入した最新鋭の器材を使い、診断や手術を行う場所を設けた。

治療費は保険込みでなんと90%オフ。医者の給料は他の3倍。破格である。まったく金にならない事業だった。

しかしこの病院で診てもらう事で復活した選手も多く、知り合った者も数多い。

「あそこがなければ、俺は5年で終わってましたよ」

「現役を長く続けられたのは、あの病院のおかげですね」

 

 

シーバードはフランスを飛び出し、作家となる。

アジア、南北アメリカ、オーストラリア、アフリカを周り、世界にウマ娘のレースを広める親善大使を兼任しながら多くの作品を手掛ける。

「私の心はシンザンによって潤った。そして世界には素晴らしい魅力がある。それを発信していきたいんだ」

伝記、エッセイ、小説、映画の脚本、数多くの作品を手掛け、それら全てがベストセラーとなり、世界中に翻訳された。

彼女もまた、シンザンと同じく頭のいいウマ娘であり、才能と先見性があったのだ。

やがて、ハリウッドの映画監督に、

「なあシーバード、それだけの作品が描けてウマ娘の運動能力もあるのなら、女優に挑戦してみないか?」と誘われる。

本人は二つ返事で受諾。

事実、彼女にはスター性があった。

するとたちまちのうちに出る作品出る作品大ヒット。

アカデミー賞、エミー賞、出演女優賞などを受賞。

フランスの英雄シーバードは、世界の英雄シーバードとなった。

しかし一通り稼ぎ終えると彼女はあっさりと女優を引退。元の作家に戻る。

「結局、芸能の世界は金と女とドラッグの世界だからね。長い間いるところじゃないと分かったんだ」とハッキリ物申した。

 

ただ残念だったのは、シンザンもシーバードも溢れる才能を持ちながら、指導論を書かなかったことだ。

二人が天才過ぎたのもあるが、指導者の道だけは頑なに断り続けた。

「強いて言えば……他人とは違ったことをやった方がいいかな」

「レースは頭のスポーツだよ。より考えた方が勝つよ」

そして生涯独身を貫いたと言う……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

二人は長らく親交があり、どちらも仕事の傍らで祖国のウマ娘協会の役員も兼任し、たまに学園に顔を出していた。

お互いレジェンドである。それで才能を見出され、大成したウマ娘も多い。

 

シンザンでいうと、

 

「無理無理無理! 無理です! わたしなんか駄目ウマ娘なんですから! 放っておいてくださ~い!」

昭和の暴走逃亡者。カブラヤオー。

 

彼女の才能だけは抜きんでていた。デビュー前だというのに、併走でジュニア級重賞ウマ娘を追い抜ける程の素質はあったが、

ノミの心臓と評される程ハートが弱く、模擬レース、種目別競技大会では悉く惨敗。とても大成するとは思われていなかった。

「負けたくなーい。でも怒られたくもなーい。だから走りたくな~い~!」

しかしシンザンは彼女の素質を見出し優しく声を掛けた。

彼女の「ゲートに入るのが怖いんです。どうすればいいでしょう……」という質問に対し、

 

「おまえさんは気が弱いんじゃない。優しいだけなんだ。それは決して悪い事じゃないさ。怖いって事は色々頭を使っていることだからむしろいい事じゃないかい?」

「他人を追い抜くのが悪い事と思ってるなら逃げてしまえばいい。それも大逃げだ。お客さんがスカッとするような走りをするんだ。みんな喜ぶよ」

 

この助言で狂気の逃げウマ娘というスタイルを確立させると、理解のあるトレーナーの元でカブラヤオーはその才能を爆発させる。

デビュー2戦目から破竹の9連勝。クラシック期には皐月賞、日本ダービーを制し二冠、1975年には年度代表ウマ娘となり、歴史に名を残す選手となる。

「あの助言がなかったら、わたしはとっくのとうに学園を逃げるように去ってたでしょうね。シンザンさんには感謝してます」

 

 

シンザンの助言はそれだけではなかった。

 

1979年に最優秀ジュニア級ウマ娘に輝いたラフオンテースは、「所詮プロの世界といってもこんなものか」と驕るようになってしまう。

練習をサボりがちになり、寮を抜け出しては大人と混じって徹麻をしたりパチンコに行くなど遊び呆けるようになる。

レースに勝てなくなり始めてもいずれ勝てると考えを改めようとしなかった。

そんなある日、シンザンが学園に来た時、「私とレースをしないか」と持ち掛けられる。

レジェンドといっても既にロートル、負ける筈がない。そう思ってたラフオンテースだったが、なんとそのレースで彼女は負けてしまう。

そしてレース後、

 

「なあおまえさん、それだけの才能がありながら、腐らせるってのはあまりに寂しいと思わないか?」

「……っ! はい! 申し訳ありませんでした!」

 

心を入れ替えたラフオンテースは必死に練習に取り組むようになる。クラシック期は一度も勝てず、実に15連敗を喫するが、彼女の心は決して折れなかった。

そしてシニア期に復活。4連勝を上げその年のシニア級最優秀ティアラ賞を獲得するのである。

 

だが、学園を卒業して数年後、遺書も残さず突然の自殺。早すぎる死に多くの関係者が疑問を持ちながらも涙した。

シンザンもまた動揺を隠せない一人であり、

「なあラフオンテース……おまえ何をやってるんだ……まだまだやる事山程あったろうに……」

その後、シンザンは命日のたびに墓を訪れ、献花する事を続けたという。

 

 

そしてシンザンが期待を寄せていたウマ娘がもう一人いた。

彼女は入学直後、骨膜炎を発症し、走る事もままならないまま学園を去る気でいた。

「まあ昔からしょっちゅう怪我してたし、仕方ないよね……」

だがシンザンはその娘にかつての自分を見たという。

「おまえさんほど走りの才能があるウマ娘はいない。もう一度考え直しなさい」と強く説得。

「でも、私は……」

「おまえさんに私の冠名をあげよう」

「えっ……」

 

「今日からおまえさんは『ミホシンザン』と名乗りな!」

「ええええええっ!?」

 

こうしてミホシンザンと名付けられたウマ娘はデビューは遅れたものの3連勝し、無敗のまま皐月賞に挑戦。ここを見事勝利する。

だがこの時ミホシンザンは超が付く程の絶不調状態で、その反動からか直後に骨折を発症し、ダービーを断念する。

(やっぱり虚弱体質の私にこの冠は重すぎるよ……)

しかし治療明けの菊花賞を優勝。クラシック二冠を達成。有馬記念に挑戦するもシンボリルドルフに手も足も出ず2着。

クラシック級最優秀ウマ娘に輝くも、課題の残る一年であった。

シニア級では初戦でドが付く程の苦手な不良バ場で惨敗し、また骨折。

秋には何とか復帰するもGⅠ級で悉く敗北。結局この年は勝ち星無しで終わってしまう。

誰もが「ミホシンザンは終わった。シンザンの目は節穴だった」と評した。

だが自分の冠名を付けてくれた大恩人の顔に泥を塗るわけにはいかない。例えプレッシャーで潰れそうでもここで終わるわけにはいかなかった。

「も、もう一年お願いします! 泣きの一回です!」

ミホシンザンは意地と執念で現役を続行。2連勝し、天皇賞春に挑戦する。

しかしこの時、先のレースで何もかも使い果たしたミホシンザンはまたしても超が付く程の絶不調であり、とても3200mの長丁場を走れる状態ではなかった。

「…………」

 

(臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ……)

 

ミホシンザンはシンザンが唯一指導したウマ娘だった。故に武道の心得もあり、シンザンの辿り着いた境地も知っていた。

レースが行われる前日も、レースが始まる前も、レースが始まった後も、呼吸を丹田に送り続け、気を練る。

すると徐々に体が軽くなり、脚に力が入るようになってきた。

 

(……いける!)

 

最後の直線、ミホシンザンが先頭に躍り出る。背後からニシノライデンが凄まじい速さで追ってくる。両者がほぼ同じタイミングでゴール。接戦だった。

写真判定の結果、ミホシンザンが僅かの差でゴール板に辿り着いており、軍配はミホシンザンに上がった。

「……か、勝った……。3つ目のGⅠ……。やったよ……シンザンさん……。……う、うぅうっ! ぐえっ! げほっ! げぼげぼっ!」

このレースで完全燃焼したミホシンザンは、ばたんとぶっ倒れて担架で運ばれその足で病院送り。引退を表明する。

 

「怪我や病気や低迷だらけで順調じゃなかったけど、最後に大きな夢が叶ってよかったです」

入院先のベッドの上で、記者への質問にそう答えた彼女は、とても晴れやかだった。

名付け親のようにはなれなかった。当代きってのウマ娘でもなかった。しかし瞳のその先は、いつだって前を向いていた。

 

ミホシンザン。日本史上、最も偉大な名を付けられ、最もその名に挑戦し続けたウマ娘である。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「…………」

チーム『シリウス』のトレーナーは、やよい理事長から手渡された過去の新聞を見た後、皆と共に資料室へ向かった。

 

確かに歴史は変わった。とても小さく、とても偉大な功績が、1ページだけ変わったのだ。

そして過去の新聞をコピーし、ビデオも借り受け、チームのメンバーに見せた。

 

「本当に素晴らしい方ですわね……」

「自分が小さく見える。力も、そして器もな」

「か゛ん゛と゛う゛し゛た゛よ゛お゛お゛お゛お゛っ゛!!」

「私も、いつかスズカさんみたいに、世界の挑戦を受けるんじゃなくて、自分の脚で世界に挑戦するウマ娘になりたいな……」

 

「それで、シンザンさんはその後どうなったの?」

【理事長によると……】

 

「感謝ッ! 今やシンザン殿の会社は我がトレセン学園におけるもっとも大口のスポンサーである! 学園が運営できているのも、シンザン殿の出資の賜物だな!」

 

【……って、ことらしい】

 

「まあ、流石ですわ」

「メジロ家も学園にお金ばら撒いてるんだろ? ゴルシちゃん詳しいんだ」

「下品な言い方はおやめください。正当な投資ですわ」

 

「そういえば、シンザンさん今は何をしてるのでしょう?」

 

【幾つかの会社の社長は降りて会長職になってるけど、まだまだ元気でやってるらしいよ】

 

「それじゃあ、電話してみましょうよ。きっと喜んで来てくれますよ」

【そうかなあ】

 

しかしトレーナー自身も彼女に会いたいと思っていたのは事実である。

早速、たづなさんに聞き、電話番号を手に入れると……、

 

「……はいもしもし」

 

【シンザンさん!】

 

「……その声は……おお、あの時のトレーナーか。懐かしいねえ。おまえさん方からすればつい最近の事なのに、こっちは随分時が流れてしまったよ」

久しぶりに聞くシンザンの声はしゃがれていた。

確かに随分時が流れてしまったのだろう。自分も母親が急にお婆さんになってしまったら驚くだろうな、そうトレーナーは思った。

 

【シンザンさん、久しぶりにトレセン学園に来ませんか?】

 

「ほほう、いいねえ。丁度時間が空いていたところだ。いいだろう、明日そっちに行くよ。今は関西なんでね」

【関西国際空港でですか?】

「はっはっは。そうだね。いやいや、あんな海のど真ん中に空港が出来るなんてねえ、過去の私じゃ思いもしなかっただろうねえ」

 

 

そして翌日の午後。シンザンは中央トレセン学園にやってきた。

決して盛大な歓迎をされたわけではない。だが理事長に会い、たづなさんに会い、そして『シリウス』のメンバーと会うと、皺が増えた顔に笑みを綻ばせた。

彼女ももはや晩年。杖を持っており、見るからに老婆となりながらも、その威厳は周囲を圧倒させた。

事実、腰が全く曲がっていない。彼女は、まだまだ元気で現役だよ、と冗談めいた事を口走った。

 

「シンザンさん!」

「シンザンさーん!」

「シンザンさん……」

 

「おやおや、みんな元気だねえ。知ってるよ。おまえさん方からすれば昨日の出来事なんだからね。私ばっかり年を取ってしまってすまないね」

「シンザンさん、また正拳突き教えてくださいよ!」

「おお、あれかい。……そうか。おまえさん方にとっては教えたばかりの事だから、か……。まだ廃れてなかったんだね」

 

「勿論やりますよね? シンザンさん」

「それじゃあリクエストにお答えしようかね。なあに、『型』は体に沁みついている。忘れようにも忘れられないさ」

 

 

「はっ!」

 

「はっ!」

「はっ!」

「はっ!」

 

皆と共に正拳突きをやるシンザンはどこか楽し気だった。

 

 

今なお日本史上最高の選手とされるウマ娘。

 

彼女は選手としては勿論、OBとしてもこの世界に尽力し続け、その姿は誰もが敬意を表した。

 

その生き様、その存在感、その踏みしめた芝は、現在も日本に強く根付いている……。

 

 

~終~

 




ふう、なんとか年内に終える事が出来ました。
決して多くはありませんが、私の拙いSSを応援してくれた方々には心から感謝を。

シンザンは、私が一番好きな馬です。
私のウマ娘のSSの多くにはシンザンの名が躍る程です。
その馬のSSを書くというのは、かねてから考えていました。それが叶って良かったです。プレッシャーはありましたが。
戦後初の三冠馬、連続連対日本記録保持、史上初の五冠、種牡馬成績、最長寿記録、誰が乗っても勝てるとまで言わしめた名馬、シンザンのエピソードを挙げればきりがありません。
もしそのレジェンドが現代に介入したらどうなっていただろう、とあれこれ考察と案を出しながら書いていました。それなりの体裁は保てたのかな?

良かったら自分の他のウマ娘のSSも見てくれたら嬉しいです。
それでは次回作でお会い出来たら幸いです。皆さま、よいお年を。


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