転生しても戦争だった  ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~ (ガンスリンガー中年)
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プロローグ:1941年4月、砂漠で世を振り返る
第1話 1941年4月、トブルクにて。狙撃銃を片手に


とりあえず、スタートです。
色気も味気もない、潤いも癒しもないないないづくしのシリーズになりそうですが、どうかよろしくお願いします。




 

 

 

1941年4月10日、リビア北東部、エジプト国境付近、港湾都市兼要塞”トブルク”

 

 

 

「嘘だろ、オイ……」

 

 反射防止コーティングが施された日本光学製の4倍率光学照準器(スコープ)の先に映るのは、デカデカと鉄十字をつけて砂漠を疾走する鋼鉄の獣の群……

 

「なんつー、イカれた風景(アメージング)なんだか」

 

「ハッ! この状況でんな軽口叩けるなんざ、”()()()()”少尉殿もずいぶん余裕があんじゃねーの」

 

 と声をかけてくるのは、俺と同じく砂漠に溶け込むようサンドブラウンに染められた麻製のデザートポンチョを着込んでフィールドスコープを覗き込む相方、”観測手(スポッター)”の小鳥遊(たかなし)伍長。

 一兵卒でまだ若い(いや、俺も人のことは言えないが)のに、”鷹の眼”と称される抜群の視力と観察眼で、僅かな期間で伍長まで登ってきた中々の逸材だ。

 まあ、「小鳥遊なのに鷹の眼とはこれいかに」と言いたくはあるが。

 

「まーたくだらねーこと考えてんだろ?」

 

「んなことねーよ。誰を射貫こうかと考えていたとこだ。それとシモヘイ言うな」

 

 フィンランドの某狙撃系魔王様に畏れ多いでしょーが。

 しかも、一昨年から去年の北欧の森で起きた異変(?)から考えるに、何の因果か同じ時代に生きてるっぽいんだから。

 

 おっと自己紹介が遅れたな。

 俺は”下総(しもうさ) 兵四郎(へいしろう)”。

 名字からすると千葉県南部の出身っぽいけど、実は東北の片田舎にあるそこそこ大きな農家の出身で、名前の通り四男坊だ。

 ついでに言えば、これでも一応は前世と思わしき記憶のある”転生者”って奴だ。

 当然、上に兄が三人もいるので家督など継げる筈もなく、かといってNOMINになれるようなチートスキルや特典も別にもらっていなかった。

 

(というか、神様とやらに会った記憶もねーしな)

 

 そんな訳で、食うために職業軍人になった。

 幸いチート能力が無くても前世知識があったのと、第一次世界大戦の欧州戦線で特に士官の激しい損耗率を経験、いわゆる戦場の洗礼を浴びた「陸海空を問わない日本皇国軍(・・・・・)」が士官学校をはじめとした士官教育全般の裾野を広げたので、こうして少尉の階級章をぶら下げることができたってわけだ。

 俺の所属は日本皇国陸軍で、現在、要塞化したトブルクに進駐する「日本皇国”統合遣中東軍”麾下、陸軍第8混成増強師団」の司令部直轄部隊の一つ、”第1特務大隊”第2狙撃小隊所属の狙撃手(スナイパー)だ。

 

 食うために軍隊に入ったのやよりマシな待遇を求めて士官になったのと同様に、狙撃兵なぞやってるのもそう大した理由はない。

 爺様が農家との兼業猟師だったせいで、子供の頃から猟銃片手に獣を追って山に入るのは俺にとって慣れ親しんだ行動、遊びの延長だった。

 ああ、言っておくがこの日本皇国の銃器の所持や狩猟に関する法令は、”俺たちのよく知る世界”になぞらえるのなら、アメリカ合衆国の「狩猟が盛んな州や全米ライフル協会の勢力圏」並みにゆるいぞ?

 なんせ価値観や金銭感覚が文字通り普通(中産階級)の一般的な中流家庭でも「息子の出征祝いに父親が拳銃を買い与える」なんてことが普通に行われてる国であり、時代だ。

 

 ということで俺にとって猟銃は釣り具やらナガサ(マタギご用達の山刀)と同じジャンルの身近で、慣れ親しんだ道具(ツール)だった。

 蛇足ながら俺が12歳の時、爺様からもらった最初の猟銃(あいぼう)は、当時、第一次世界大戦欧州戦線で大量に皇国軍が鹵獲し、少しでも消耗した国費の補填の為に民間に大量放出したドイツ製軍用小銃”Gew98”だ(あっ、ただし名義は爺様だったぞ? いくら何でも未成年に銃器所持はできませんて)。

 まあ、東北のちょっとした山や里山、雑木林でイノシシやら鹿やら熊やらを撃っていた少年時代を過ごしたら、軍隊に入って与えられた役割は当然のようにスナイパーだったというわけさ。

 まあ、撃つのが野生動物から敵国人になっただけだな。

 

(それにしても……)

 

 始めて握った小銃(ライフル)がドイツ産で、現在の愛銃(あいぼう)が英国リー・エンフィールド系列の”九九式狙撃銃”っていうのはなんとも皮肉を感じる。

 

 ちょいと解説すると、九九式狙撃銃の原型というか()()は、第一次世界大戦で華々しくデビューした”梨園改三式歩兵銃(りえんかいさんしき)”に端を発する。

 名前から察せられると思うが、こいつは同盟国イギリスで1907年に採用された”Short Magazine Lee-Enfield Mk III(SMLE Mk III)”を原型にした歩兵向け軍用小銃だ。

 外見的な原型との識別点は、ハンドガードがやや短いのとSMLE MkIIIより20㎜長い660㎜銃身を採用した為に銃口付近の印象は、銃身が少し突き出たオリジナルの九九式短小銃に近いかもしれない。

 また、SMLEに標準搭載されていたマガジンカットオフ機能はオミットされ、また同時期に登場した新型7.7mm尖頭弾、Mark7/303ブリティッシュ弾が「凄まじいハイプレッシャー・カートリッジ」という噂があった為(結果としてデマ。実はドイツの7.92mm×57弾の方が高威力だった)、肉厚の薬室(チェンバー厚は最大11.4㎜。先に出てきたGew98は10.7mm)に、クロームメッキ処理が施された銃身の組み合わせとなった。

 実は、これがSMLEでは撃つことが非推奨とされた現在絶賛配備促進中のガチの強化弾、”Mark8”をパカパカ撃てる理由となっているのだが。

 

 またSMLEは脱着式の10連発箱型弾倉(マガジン)を採用しているが、動作は固く簡単に抜き差しできるようになってはおらず、銃の上から装弾子(クリップ)を使い装填するのが基本となっている。要するに装弾数は倍だが、基本的な装填方法はライバルのGew98と同じだった。

 だが、日本皇国陸軍はリー・エンフィールド小銃の速射性/連射性を高く評価しており、それを最大限に生かすためにマガジンキャッチなどを改良し、むしろ軽い力でマガジンを着脱できるようになった。

 

 まあ、そんな梨園三式改小銃の中から状態の良い、精度の優れた個体を選び出し、バイポットや光学照準器(スコープ)その台座(マウント)を装着し陸軍工廠の”名人”達の手により再調整を受けたのが、この九九式狙撃銃ってわけだ。

 

 

 

 さて、そろそろ「この阿呆はつらつらと何を言ってるんだ?」と思う御仁もいるだろう。

 はっはっはっ!

 無論、ただの現実逃避に決まってるだろう?

 

 俺は確かに死んだはずだ。

 胴体に銃弾がめり込む感覚は、今でも鮮明に思い出せる。

 

 だが、死んだはずの俺の意識が再び覚醒したときは、俺が知ってる歴史とは”()()()()()()()”にいた。

 正確には、赤ん坊として「前世の記憶を持ったまま、前世とは異なる名前で異なる時代」に生まれ変わっていた。

 

 いや、ホントに勘弁してほしいぜ。

 俺はそこまで歴史に詳しいわけじゃないが、大日本帝国ではなく日本皇国って国名の時点でおかしい。

 そして日本史を紐解けば、もう鎌倉時代の前からズレて(・・・)いる。

 

 ”平治の乱”において父義朝ともども源頼朝は討ち取られ(一説には流れ矢が当たったとも)、紆余曲折の果てに鎌倉幕府を開闢したのは源義経だ。

 北条は栄華を得ることはなく、上総広常や梶原景時は重臣として無事に隠居の時まで生き残り、また義経も血を残し(静御前との間に生まれた男児もかっきり大成している)、”九郎九代”などという言葉もこの世界にはある通り、義経から九代も続く繫栄を築いた。

 

 

 

 他にも、織田信長が明智光秀に裏切れることもなくあっさりと上洛、天下統一し天下人となる。

 彼は尾張幕府を開き、その直系の子孫であり織田幕府中興の祖として知られる”織田信成”により徳川家を代表者として開発が行われた江戸湾に面した地、”東京”へと遷都が行われた。

 これは八十八歳まで生きた、時代や当時の栄養状況を考えれば大往生の信長から受け継いだ夢であり野望だった。

 

 そう、房総半島と三浦半島に囲まれた天然の良港にして日本最大の港湾集積地になるポテンシャルを秘めた江戸湾を「首都にして巨大国際貿易港(・・・・・・・)として機能させる」ことは、織田幕府全体の悲願と言ってよかった。

 

 

 

 もう気づいたと思うが、”この世界の日本”、日本皇国は歴史上「鎖国していない(・・・・・・・)」。

 ましてや、キリスト教を禁教にしていないのだ。

 

 この現実こそが、実は未だに英国と強固な同盟関係を維持し、俺をはじめとした皇国軍が中東くんだりまで出向いてドイツ人やイタリア人と銃口を突きつけ合ってる理由に繋がっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




作者名は、他サイトと統一します。
ご了承お願いします。




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第2話 見上げてごらん、砂漠の空を

続けて2話目です。
まずは、現状説明回。




 

 

 

「おーお、今日も”ハ109”は快調そうで何よりだ」

 

 上空を2機編隊(ロッテ)を組んで西へと飛び去って行く二式()()戦闘機”鍾馗”を見やりながら、俺”下総 兵四郎”はそう独り言ちる。

 

(それにしても、最低でも1年以上はどの分野でも技術加速してんのな……)

 

 俺の知ってる歴史ならば、この時期の”鍾馗”のエンジンは、ハ109より出力の劣る前身の”ハ41”だった筈だ。

 聞いた話だと、武装も”ホ103/12.7mm機関砲を機首と左右主翼に計4門とされているらしいが……

 

(要するに、”二式戦闘機二型丙”ってことだよな?)

 

 俺の知ってる歴史なら、このタイプの”鍾馗”が戦場に現れるのは来年(1942年)の12月頃だったはずだ。

 

(しかも、空気式信管を採用した()弾がもう普通に配備されてやがる……)

 

 ちなみにホ103機関砲の採用は俺の知る史実でも1941年だからツッコまないが、旧型ならともかく空気信管採用の新型マ弾が出てくるのは、早くても同じく42年のはずだ。

 まあ、皇国と帝国の違いはあれど、第二次世界大戦前の日本に「空軍がある」って時点で、何を況やかもしれないが、

 

(こりゃ相当、あちこちに紛れ込んでるんじゃないか?)

 

 転生者(ご同類)って奴がさ。

 

「それにしても色々変わり過ぎだろうに」

 

 陸攻も重爆も、統括して空軍が運用してるとかさ。

 それと、「防空(・・)戦闘機」や「制空(・・)戦闘機」って分け方もだ。

 軽戦や重戦、局地戦闘機とかって言葉は何処に行ったんだ?

 

 

「少尉殿、空ばっか見上げて気がつけば頭ザクロってのは勘弁してくれよ?」

 

 と相方の小鳥遊伍長。

 

「伍長、お前さんはその口の悪さ、つーか余計な軽口さえ叩かなけりゃもうちょい出世できるだろうが? 最低でもこんな新米狙撃手のお守りなんかしなくても済むんじゃねーかと毎度思うんだがな」

 

 すると小鳥遊はケタケタと笑い、

 

「俺っちは軍隊で出世したいとは思ってねーんで。新米のお守り? 平和で大いに結構」

 

 いや、DAKが這い寄る混沌ごっこしてる最中に、よく平和なんて単語が出てくるもんだ。

 こいつの肝っ玉って実はタングステン合金かなんかで出来てるんじゃねーのかな?

 

 

 

 そう、ドイツ人たちが戦車に乗ってトブルクに押し寄せてから今日で一週間。

 今のところ、可もなく不可もなしってところだ。

 ”俺の知ってる歴史”でも要塞化された港湾都市トブルクは、そう簡単に陥落することはなかった。

 1941年4月10日~11月27日までロンメル率いるドイツアフリカ軍団に包囲されたが、この時も耐えて見せた。

 

(まあ、それでも翌1942年の再度攻勢ではあっさり陥落したんだが……)

 

 しかし、その時の状況に比べても今のトブルクはかなりマシな防御態勢を取れている……筈だ。

 

 ”俺の知っている歴史”の通り、調子に乗ってエジプトまで攻め込んできたイタリア人を、中東に居座るイギリス人達は”羅針盤(コンパス)作戦”で正しくカウンターで鼻っ柱を圧し折り、逆襲でリビアの西側まで押し戻した。

 それが、去年(1940年)の12月から今年の2月くらいまでの話だ。

 

 だが、世界大戦の名に偽りなく、戦場は中東だけではない。

 狭い地中海の中でも、いくつもの戦場があった。

 その中でトブルクと連動しているのが「イタリアによるギリシャ侵攻」、いわゆる”ギリシャ・イタリア戦争”だ。

 

 

 

 正直、この時代の空気を吸っていても、ムッソリーニの考えていることは俺には理解できん。

 何せ北アフリカで英軍と角突き合わせているのに、去年の10月の終わりに突然、ギリシャへ侵攻をかけたのだ。

 しかも、北アフリカに送るはずの戦闘車両1000台を投入して。

 

 いや、一応事情はわかるよ?

 これでも前世の教練で、このあたりの時代の戦史授業は受けたし。

 だけど、いくらバルバロッサ作戦(ドイツのソ連領侵攻作戦。東部戦線の始まり)を控えていたヒットラーの「ソ連攻めてる間に柔らかい下っ腹を刺されないようにしたい」なんて要請があったとはいえ、軍部全体の反対を押し切って強行するもんかね?

 

 まあ、あまりにも無謀ってもんだろう。

 実際、中東もバルカン半島もイタリアは単独では敗退している。

 

 中東では戦力不足なのを押し切って前出の”コンパス作戦”で逆劇を食らってトブルクをはじめとするリビア西部の要所をいくつも失い、司令部は東部の主要都市トリポリまで後退する羽目になった。

 また、バルカン半島ではギリシャ軍の山岳ゲリラ戦じみた反撃で、絵に描いたような撤退になったようだ。

 

 そして、どちらもドイツの援軍を受けてようやく反転攻勢に転じられたって具合だ。

 

 いやいや。

 いやいやいや。

 今更ながら、ヒットラーに言いたい。

 泥沼確定の東部戦線(ソ連攻め)控えてるのに、中東とバルカン半島に手を出すとか……そうはならんやろっ!?

 

 そして、ドイツ人(クラウト)が最初に動いたのは、地理的にも近いバルカン半島だった。

 実は、ドイツがギリシャに攻め込んでからまだ二週間もたっていない(ブルガリア経由でドイツによるギリシャ侵攻が行われたのは、1941年4月6日となっている)。

 というか、実質的にはドイツが中東とバルカン半島で二正面攻勢かけてるようなもんだ。

 それでいいのかドイツ軍?

 

 

  

 もっとも英国もあまり独伊を笑える状況にはない。

 イタリアのギリシャ侵攻にに引っ張られる形で、勝っても負けてもドイツ人をギリシャに呼び込む事を呼び込むことを予見したイギリスは、とりあえず”コンパス作戦”でいい感じに駆逐した中東伊軍を放置し、中東英軍の主力である”西部砂漠軍(WDF:Western Desert Force)”を作戦終了直後にバルカン半島に動かしてしまったのだ。

 

 これを間違っていたとは言わない。

 薄氷を踏むような予断を許さぬ状況でも、ギリシャ本国でまだ辛うじて戦線が維持されているのは、WDFがいるからだ。

 彼らが稼いだ時間は決して無駄にならない筈だ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが一方、中東英軍が骨抜きになる瞬間を虎視眈々と狙っていた男がいた。

 ナチス第三帝国、”ドイツアフリカ軍団(DAK:Deutsches Afrika korps)”軍団長、”エドヴィン(・・・・・)・ロンメル”大将だ。

 

 おそらくだが、ロンメルは中東英軍が弱体化していた事を確認した後も、ギリシャに自国軍が侵攻するタイミングを待っていたように思う。

 これはつまり「WDFが引きたくても引けない状況を待っていた」とも言える。

 

 こうでも考えないと、このタイミングは説明できない。

 英国の予想では、ドイツ軍の中東における本格攻勢は、今年の6月以降だと判断されていた。

 その根拠は、「物資輸送量と備蓄の貧弱さ」だったらしい。

 その分析自体は、間違いないだろう。事実、DAK全軍の到着は、5月中旬だと思われていた。

 だが、ロンメルは不十分な準備状況でもあえて東進を強行した。

 これは予想だが、「ドイツのギリシャ侵攻を隠れ蓑に使うことで、自分の意図を誤魔化せる」と考えたんだと思う。

 

 今年の2月に僅か2個師団相当の先発隊とともにロンメルはアフリカの大地に降り立ち、僅か1ヶ月後に残留英軍が駐屯していたエル・アゲイラを攻略してみせた。そう、”ゾネンブルーメ作戦”の発動だ。

 

 この時点で欧州独軍はギリシャ侵攻への兆候を見せており、WDFは引くことが出来なかった。

 

 残存英軍の判断のまずさ(ロンメル率いる軍勢の規模を把握しきずに撤退を選択するなど)や分散していた戦力をロンメルの進軍の速さゆえに集結できなかったことも手伝い、ロンメルは破竹の進軍を続けてリビアに散らばるように展開していた英軍を各個撃破していった。

 

 4月2日にアジェダビアが陥落したことを皮切りに、4月4日にキレナイカ方面司令部が置かれていた要所ベンガジが陥落し英軍リビア方面司令官”()()()()()()・オコーナー”中将が捕虜にされた。

 続いて6日にムスス、7日にリビアでは珍しく緑の多いデルナ、8日にメキリという拠点が立て続けに陥落。

 そして先日の1941年4月10日、ついに英軍がリビアでブン捕った最後の拠点”トブルク”へと攻め寄せたってわけだ。

 まあ、ここまでの流れは”俺の知ってる第二次世界大戦・北アフリカ戦線”と大きな差異はない。 

 

(だが、俺が知っている歴史とは決定的に違う部分がある)

 

 俺の知っている歴史では、この時期トブルク防衛にあたっていたのは、一言で言えば「撤退戦で疲弊した英軍と、オーストラリアやインドなどの英連邦軍」だ。

 率直に言えば「寄せ集めの二線級戦力」という風体だった。

 

(だが、今生では……)

 

 俺の属する完全編成の陸軍第八増強師団をはじめ、1853年(・・・・・)に締結され、以後90年間に渡り内容を改訂されながら更新され続けた”日英同盟”を履行すべき日本皇国軍(・・・・・)が居座っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




”鍾馗”は好きな機体です。



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第3話 日本皇国、その始まりにまつわる話(文末に蛇足追加版)

戦国から明治維新くらいまでの話。
ただし、政府の始まりは史実よりも時期が早く、また維新ではなかった模様です。

※2023/7/23、某大河ドラマ見てたら、なんか入れたくなってしまったので本文末に蛇足追加。いや、まあ誰も読まないと思いますが、読まなくても全く問題ないですw






 

 

 

 ”なぜ、1941年の中東に日本皇国(・・)軍がいるのか?

 大日本帝国ではなく、日本皇国軍だ。

 

 この答えを導き出すには、少々歴史を紐解かなければならない。

 どこまで遡るか大いに悩むところだが、最低でも”織田幕府時代(尾張・江戸時代)”の後半、江戸湾周辺を”東京”とし遷都した17世紀程度からはかいつまんで話すべきだろう。

 おさらいになるが、

 

 ・この世界で日本は「鎖国していない」

 ・この世界の日本は「キリスト教を禁教としていない」

 

 他にも特色をあげると、

 

 ・織田家は代々「新しい物好き」

 ・織田家は代々「西洋かぶれ」の傾向がある

 

 しかし、他にも特筆すべき所がある。それは

 

 ・信長が尾張に幕府を開闢した時より、政教分離の原則(・・・・・・・)が確立されており、それを徹底させている

 

 事だ。

 これは、信長が本願寺勢力(一向一揆など)に苦労させられたとか、自ら領地を持ち税を集め武装した……戦国大名化した宗教団体を敵視していた(例えば、比叡山焼き討ちは比叡山が信長と敵対していた大名と協力関係にあった)ことが原因とされている。

 そして、”政教分離を法度筆頭に明文化”した上で、カトリック/プロテスタント/イングランド国教会の活動を国内で認めた。

 

 どうやらこの根深い対立構造を持つキリスト教さん勢力を入れることにより、キリスト教の中で”三竦み”を成立させ、また新勢力として戦国時代が終わっても巨大勢力であった仏教徒と拮抗させようとした意図が伺える。

 興味深いのは、

 

 ・神道は「朝廷と一体」とされ、特別枠扱いとされた(特権階級という訳ではない)

 

 このような状況から考えると、織田幕府にとり宗教は信心とかではなく、どこまでも政治的対象として認識していたっぽい。

 さて、話を幕府後期に戻すと、特に力を入れたのは外交と貿易、そして内政の近代化だったようだ。

 

 外交に関しての特色は、17世紀まではある程度の公平性を有していたが、三十年戦争が終結し、ヴェストファーレン条約締結後からはやや英国国教会を含むプロテスタント系国家に比重を置くようになっていった。

 

 そして、明確な転機は名誉革命や清教徒革命を経て、英国で議会政治が軌道に乗り始めた頃……つまり遷都を終えた18世紀に入ると、織田幕府は内密に「英仏とそれ以外の貿易相手国」という政治区分を採用するようになっていた。

 特に幕府、とりわけ織田家が政治的に強い興味を示したのが、「立憲君主・政府・議会」という近代的な統治システムだ。

 

 20世紀に入ってから開示した資料によれば、18世紀初頭には織田家は「幕府制度は統治機構として老朽化しつつある」と考えていたようで、信長以来の夢である”巨大国際貿易港を備えた首都”の確立し、それを運営し反映するには、”日の沈まぬ近代帝国(・・・・)”の運営ノウハウが必要だと考えたのだ。

 

 18世紀はまさに欧州にとり激動の時代だったが、英国も完璧などではなく「アメリカ合衆国の独立を許す(植民地経営・管理の失敗)」や国王がギロチンの露と消えた「フランス革命」など多くの成功と失敗、鋼材の事例を貿易情報の中から読み取り、つぶさに検証していった。

 そして、急速な社会変革は多くの流血を呼ぶということ、また国内の混乱は他国に干渉される隙を与えるということを結論付けた。

 そこで18世紀末期の幕府は、半世紀後を目途に自国を下記のような統治機構を持つ近代国家へ再編する計画を立案する。

 すなわち、

 

 ・帝を法に定義される”立憲君主(天皇)”として擁立し、国家の象徴的存在とする(権威と権力の分離)

 

 ・選挙制度の導入とそれに選出された議員による”議会”による国家指針の決定

 

 ・議会により決定した指針をもとに、実際の国家運営は幕府ではなく議員により編成される”政府”により行う

 

 他にも、政党に対する定義や官僚機構の近代化(各省庁の確立と機能・権限の分与)、法と裁判制度の整備などがあるが、大雑把に言って上の三カ条を原理原則とされたのだ。

 

 半世紀以上に渡る啓蒙活動や根回し、下準備の甲斐あって西暦1851年4月1日に”大政奉還”がなされ、同時に

 

 ”日本皇国(・・・・)

 

 の樹立となったのだ。

 同年5月3日に全ての法の規範となる”日本皇国憲法”が発布された。

 また、慶事という理由により新年号”明治”が制定された。

 加えて、今上天皇が「旧時代の象徴である自分は退位し、我が子の即位によって新たな時代が到来した象徴としたい」と願ったことにより、1853年1月1日に生まれたばかりの御子が”明治天皇”として即位した。

 

 

***

 

 

 

 さて、1853年(明治3年)にはもう一つ大きなイベントがあった。

 かねてからイギリスより要請のあった”日英同盟”の締結だった。

 

(俺の知る歴史だと、日英同盟は「英国の対ロシア政策の一環」、ロシアの南下と不凍港の獲得を阻害するための方策だったが……)

 

 だが、当然のようにこの世界では前提も事情も異なる。

 この時代、英国が欲していたのは激化する外国人排斥運動などで勃発が確実視されていた清国との二度目の大規模軍事衝突、それに備えた友好国、あるいは後方支援拠点だった。

 つまり、1856年より始まる”アロー戦争(第二次アヘン戦争)”対策だった。

 

 この時の同盟条約の内容は、「相手国が二つ以上の国家に宣戦布告された場合、中立以上の義務は負わない(=敵側に立って参戦しない)」という片務的で、後の条約改定内容から考えれば、極めて温厚な内容だった。

 

 実際、この同盟はうまく機能し、アロー戦争中、日本皇国は極東英軍の安全な後方補給基地、あるいは保養地として「英国の予想以上の成果」を出した。

 

 さて、1853年のもう一つの大きなイベントとして忘れてならないのは”ペリー来航”であろう。

 だが、これは当然のように俺の知ってる歴史とは全く異なる様相を呈した。

 何せこの時期、日本おあちこちの軍港には、”ユニオンジャックを掲げた最新鋭の軍用蒸気船”が停泊していたのだ。

 それどころか、生まれたばかりの日本海軍にも少し型遅れの軍用蒸気船が練習艦(技術習得船)が、英国より「友好と親善の証」として譲渡され、日章旗を掲げていたのだ。

 

 これでは、「砲艦外交による恫喝で、捕鯨基地を手に入れる」事を目的としたペリーが手を出せる筈もなかった。

 

 また、唐突に「()()()()()()()()()()()()()()()」に対し、日本皇国政府は、控えめに言ってもひどく警戒していた。

 

 まあ、これは英国人の特使が茶飲み話に紛れ込ませた数々の毒、「アメリカ人という野蛮な国民が、原住民に行った数々の卑怯卑劣な蛮行()」や「当時はインディアン(=インド人)と呼ばれていたネイティブアメリカンが、人種的には日本人と同じ黄色人種である」ことを吹聴したことも大きく影響していたことも違いない。

 

 

 

 こうしてペリーは「日本と英国が同盟を締結した(ただし、詳細な内容は隠蔽された)」という驚愕の情報を手土産に事実上、門前払いされたのだった。

 そしてこの歴史では翌年どころか、彼は二度と来日する事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっ、ただこの歴史で面白いところを最後に。

 いや、今生の戦国時代、徳川家康の正妻ってお市の方なんだよなぁ……いや、信長さん、どんだけ家康欲しかったんだよ?

 浅井長政とかガン無視でまっしぐらじゃん。というか、やっぱり転生者だったのかねぇ?

 なんでもこの二人、死ぬまで仲睦まじかったとか。

 ちなみに家康、お市さん好きすぎて側室娶るのを嫌がり(娘三人はイチャイチャするいつまでも新婚気分が抜けない両親に呆れていたらしい)、自分が女の子しか産んでないことを気にしてたお市が心を鬼にして旦那のケツを引っ叩いて側室をとらせたなんてエピソードもある。

 ちなみに徳川家、尾張幕府の頃は名宰相的な立ち位置で、織田家が遷都を決めると江戸改め東京開闢立役者として現代風に言うと”新首都開発計画長官”みたいな地位に代々居て、織田家に忠義を果たしたらしい。

 

 豊臣家?

 初代は有能だったんだけど……織田家が残ったってことで、後は察してくれ。

 ついでに言えば、この世界線では家康とお市の子として生を受けた茶々姫だけど、秀吉の継室(正室が亡くなった後の後添い)になった。

 堂々と年の差30歳以上のカップル誕生である。”秀吉は○リコン説”、ここに爆誕。ちなみに結婚したのは茶々が数えで二桁になる前。

 そして、そうなると……家康は、秀吉の「年下の義父」になるという。なんだこの日本史?

 娘と秀吉の婚礼の話を聞いた時の家康の肖像画が残っている(お市が面白がって描かせたらしい。お市は随分前から知っていたらしい)が、まるでチベスナのような顔をしている。

 そして、老いて益々元気いっぱいな義兄が「ねぇ、今どんな気分? 娘が自分より年上の男に嫁ぐってどんな気分?」と煽り倒したらしい。

 やっぱ、信長って転生者だろ?

 

 まあ、明らかに無駄遣いな聚楽第(8年しか存在しなかった)とか、何かと面倒臭い朝鮮出兵とか歴史から消えたのは良かったのかもな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




近代国家に向けてって感じです。
1941年を基準にすると、どうやら日英同盟は90年近く続いているようですよ?



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第4話 半島というのは、古来より何かと弾薬庫とか発火点とかになりやすい宿命にある

今回は地政学的リスクの高い場所の話です。
また、物事には時節とかタイミングがあり、たとえ戦う相手が同じでも、それが違えば開戦の理由も推移も結果も行く末も変わってしまうって話でもあります。






 

 

 

 俺こと前世記憶持ちの転生者として知りうる歴史において、第二次世界大戦(日中戦争も便宜上、ここに含める)を戦う前に、最低でも三つの大きな戦争を経験している。

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦(+シベリア出兵)だ。

 

 実は、下総兵四郎として生まれたこの世界の日本、日本皇国も大筋においてこの三つの戦争を経験しているのだ。

 だが、その内容は前世と比べて大きく異なる、いやむしろ全くの別物と言っていいかもしれない。

 

 前世での日清戦争の意義やら定義やらは「李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡って日本と清が戦った戦争」だ。

 だが、今生での日清戦争は全く意味が違う。

 まず勃発した時代が違う。

 この世界における日清戦争の開戦日は”1870年7月4日”、つまり前世より四半世紀近く早い(・・)

 そして開戦理由も朝鮮は全く関わっていない。

 そう、この世界における日清戦争は、「英仏による清国弱体化政策の一環」として行われたのだ。

 つまりアロー戦争の結果(北京条約)でも不十分と英仏は考えたが、かと言って清国にこれ以上の戦費はかけたくないという本音もあった。

 そこで追加ダメージ担当として白羽の矢が立ったのが、日本皇国というわけだ。

 ある意味、はた迷惑な話ではあるが欧米列強との政治力学から考えても当時の日本に断るという選択肢はなく、英仏の「無論、無料(タダ)でやれとは言わない」と多くの餌をちらつかされては、受けるしかなかったのだった。

 良くも悪くも、この時代の日本皇国は鎖国しなかったせいである程度は国際情勢を読めていて、また大日本帝国ほどの財政逼迫がないとはいえ、英仏などの列強に比べれば、まだまだ「実力不足の田舎国家」という立ち位置だった。

 

 実際、開戦に至るお膳立て、国際法や戦時法に関するあれこれは英仏が整えてくれた。

 戦争自体は翌1871年11月11日には終戦し、英仏を仲介役(・・・・・・)として”下関条約”が日清の間で締結された。

 英国に南下を警戒されていたロシアと、度重なる高圧的な外交姿勢を崩そうとしないために日本から不信感を抱かれていたアメリカ(また、アメリカ自身も1860~1865年に勃発した南北戦争の余波で外交リソースが無かった)は、この戦争に上手く関与することができなかった。

 またこのような政治状況であれば三国干渉など発生する筈もなく、戦時賠償として賠償金以外にも台湾島、海南島(・・・)、澎湖諸島、遼東半島(・・・・)が日本に割譲された。

 

 そして、この遼東半島が自国領になったことこそが、次の”日露戦争”の原因となったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 日露戦争の直接的な原因は何かと言われれば、言うまでもなく帝政ロシアの長年の悲願である南下、太平洋側での不凍港の確保である。

 そこで前々から目を付けていたのが、朝鮮半島であった。

 ロシア人にとり、半島というのは狩りの獲物にでも見えるのか、”日英同盟締結半世紀記念式典”の最中にその凶報はもたらされた。

 ロシア軍が、遼東半島に越境浸透してきたというのだ。

 

 前世と違い、貿易が盛んで日清戦争で手に入れた新領土(特に台湾島)の黒字化に勤しんでいた日本皇国は、満洲などに手出しはしてなかった。

 というより、そんな政治的余力はなかった。

 また、1897年に誕生した新国家”大韓帝国”にも大きな興味を示してはいなかった。(当時の文献を読んでみると、むしろ朝鮮半島は半植民地化していた清国とセットで欧米列強の管轄だと思っていたフシがある)

 当時の日本皇国の関心の方向は、新領土に英仏と彼らが持つアジアの植民地や経済圏に向いていたのだ。

 

 そのような情勢をロシアは正確に見抜いていたし、「例え朝鮮半島を征服しても、日本は苦言を呈するだけで武力を用いろうとしない」と判断していた。その判断は正しい(例えば、この世界では”日朝修好条規”などの朝鮮勢力との条約は一切締結されていない)のだが、だからこそ”この国境侵犯”は不自然な点が多い。

 1941年の今でも、そうであるが故に「これがロシアの南下や不凍港獲得を嫌う英国の謀略だったのでは?」という説がまことしやかにささやかれている。

 真偽はどうあれ、国境侵犯をされた以上、日本皇国は相応の対処をせざる得なくなり、ロシアに対して「宣戦布告無き奇襲による侵犯は卑怯千万なり」という檄文を送り付けると同時に、「遼東半島の安全を確保するため」という名目で本格的な派兵を決定する。 

 

 また、ロシアの方はロシアの方で、「ロシア軍が越境した」ということ自体が日本皇国の虚言で、遼東半島に本格的な派兵をするための口実だと考えられた。

 勿論、そう思い込むだけの根拠はあった。

 まず、地図で遼東半島の位置を確認してほしいのだが、まさに朝鮮半島付け根の西側に突き出ており、ここに大軍が進駐されるとロシア軍が朝鮮半島に侵出した場合、喉に刺さった棘どころか「日本人に喉元にナイフを突きつけられた」状態になりかねない。

 要するに朝鮮半島侵攻軍とロシア本国軍を容易く分断できる場所に遼東半島はあるのだ。

 

 また、どこの誰が吹き込んだのか知らないが……

 

(まあ、十中八九イギリスだろうけど)

 

 日本皇国が朝鮮半島と中国北東部の満州一帯に領土的野心があると、日清戦争直後からロシアでは囁かれていた。

 こんな情勢の中で、日本が「ロシア軍の越境」を口実に遼東半島の軍備を増強するとなれば、ロシアとしては状況証拠としては十分だ。

 

 「ロシア軍が何の事前通達もなく遼東半島へ越境侵犯」した真偽はともかく、後顧の憂いを断つべくロシアが遼東半島攻略にかかるのは当然の成り行きだった。

 

 

 

 こうして始まった日露戦争であったが、日本皇国から言えば日本海海戦の華々しい勝利があっても「遼東半島の防衛」に終始していた。

 攻め込んできたロシア軍を苦労しながら国境の向こう側に押し戻し、あとは国境線に有刺鉄線の鉄条網を敷き地雷を敷設し、”Magazine Lee-Enfield小銃(梨園式小銃)”や”マドセン軽機関銃(303ブリティッシュ弾仕様)”を抱えた歩兵を塹壕にもぐりこませ、”ヴィッカース重機関銃(毘式重機関銃)”を据え付けた機関銃陣地で火線網を形成、その後ろには野砲や重砲を据え付けた。

 戦車や航空機、毒ガスが無いだけで、どことなく十年後の戦場(・・・・・)を彷彿させる光景であった。

 結局、陸上での戦いは素直と評して良い火力の応酬に終始し、あとは持久戦や耐久戦の様相を呈した。

 

 だが、帝政ロシアからみると全く別の戦場があった。

 戦争中盤にバルチック艦隊が皇国海軍に敗退し、遼東半島付け根に日本人が防衛線の構築したころを見計らって、朝鮮半島へ一気に主戦力を南下させたのだ。

 ロシアの判断はこうだ。

 

 「防衛線構築に成功し、制海権を手に入れた日本は遼東半島に引きこもるはずだ。後は防衛線の付け根に終戦まで圧力を加え続ければよい」

 

 この目論見は成功し、事実として戦争はそのように推移した。

 そして、戦争は意外な結末を迎えた。

 

 南下したロシア軍に対し、英国の呼び掛けて英仏米が連名で進軍停止を要請したのだ。

 流石にロシアも日本以外に三国、それも列強三国と日本と戦いながら事構えるのは遠慮したいところであり、不健康な精神でのダラダラとした交渉の末、北緯38度線付近での停止に合意したのだった。

 実はこの世界でいう”三国干渉”とは、この事例を指す場合が一般的だ。

 

 つまり、ロシアは本来の目的である「太平洋側での不凍港の確保」を、朝鮮半島の北半分とはいえ達成したのだ。

 ここで日露も停戦合意に至り、日露戦争は終戦を迎えた。

 1905年9月5日、アメリカで調印されたポーツマス条約により、公式に終戦となる。

 

 日本側は戦時賠償として、樺太全域とその周辺島々の日本皇国への領土割譲を受けた。

 対してロシアは朝鮮半島北緯38度以北を、将来的に独立国とすることを条件(ただし、時期の記載はない)に帝政ロシア保護領として併合する事に成功した。

 また、日露共に賠償金請求権を放棄する事に合意する。

 

 

 

 一部の強硬派は戦時賠償を取れないことを不満に思い、継戦を声高に主張したが、明治政府は「英国からの借金額」を提示することによりこれを黙らせた。

 先に毘式重機関銃や梨園式小銃、地雷の記述はしたが、当時の最先端ハイテク兵器だったこれらの装備は、「すべて英国からの輸入」で賄われていた。

 そしてこれは譲渡でもなく、レンドリースでもなく、「分割払いのツケ(・・)」で英国より購入したのだ。

 いくら当時の日本皇国が、俺の知る歴史にあった大日本帝国より裕福であったとはいえ、これは決して無視してよい金額ではなかった。

 なおのこと戦時賠償は請求すべしと主張する者もいたが、

 

 「英国はこれ以上の戦禍の拡大は望んでおらず、停戦合意を受けないのであればこれ以上の戦費貸し付けを受けるのは難しい」

 

 と政府は返答した。

 とどのつまり、日英ともこれ以上の戦争の拡大は回避したいというのが本音であり、

 

 「国民の皆さんに勘違いしてもらってはこまるのは、今回の戦争はあくまで”停戦”であり、明確な勝敗がついたというわけではないのだ。また、これ以上の戦争の継続はいたずらに国家経済を疲弊させるだけでだれの利益にもならず、どうしてもというのなら英国を筆頭に友好国・非友好国を問わず関係は悪化し貿易に悪影響が出て、さらなる増税に踏み切らなければならなくなる」

 

 という趣旨の声明を出し、政府は国民世論に訴えた。

 

 これが功を奏し、「今の条件で停戦やむなし。下手に欲をかけば余計に損をする」という空気が醸成され、無事に停戦合意に至ったのだった。

 

 

 

 さて、ここで一つ留意すべきことがある。

 この日露戦争の終結を契機に、日本皇国民の間に「戦争は基本的に不採算事業」という認識が生まれたことであろう。

 「戦争は儲けが出ることが少なく、得より損の方が大きくなりやすい」という価値観が薄くだが広がったことが、この先の歴史に大きく影響を及ぼすことになってゆくのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




日清・日露戦争の振り返りは終わったので、次は第一次世界大戦とかかな?




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第5話 ある説によれば、世界の歪みは第一次世界大戦から始まったという

今回は、”この世界”における第一次世界大戦の模様です。
日本皇国は、大日本帝国より確実に苦労したようですよ?






 

 

 

 

 唐突ではあるが、1914年7月28日に勃発し1918年11月11日に公式に終戦となった”第一次世界大戦”に、日本皇国は最初から”()()()()”している。

 無論、英国側(連合国側)でだ。

 この時期、まだ日英同盟は完全な双務的な物(=片方が宣戦布告されれば、片方は無条件で参戦する)にはなっていなかったが、英国はとある条件を出し、開戦直後より日本を参戦させることを成功させた。

 

 「参戦するなら日露戦争の戦費を含め、これまで大英帝国から日本皇国に行った貸し付けをチャラにしよう」

 

 是非もなかった。

 当時、セルビア人グループによりオーストリア皇太子夫妻暗殺された”サラエボ事件”に端を発したこの戦争は、どの国もそこまで長くなるとは思っていなかった。

 当時の日本も精々1年、長くても2年程度で終わると思っていたようである。

 

 

 

 

 日本皇国が建前として「日英同盟を正しく履行する為」に、実状的には「英国の傭兵として」最初に起こした行動は、当時はドイツに割譲されていた山東半島、特に青島を攻略する。

 この戦い自体は1914年(大正3年)10月31日 - 11月7日)で短期間で終結し、山東半島のドイツ軍は事実上、全面降伏し日本のあちこちに映画「バルトの楽園」のような”緩い空気の捕虜収容所”が生まれることになるのだが……

 

 だが、日本にとってはここからが本番であった。

 英国の要請に従い、第一陣である陸海軍合わせて7万2千人の軍勢を欧州戦線に送り込んだ。

 最終的に最大派兵数29万8千人となる第一次世界大戦だが、ソンムの戦いをはじめとする名だたる戦いのほとんどには参戦したが、かと言って少なくとも攻勢作戦において日本皇国軍が主役となる作戦は、4年を通じて欧州ではなかったとされている。

 反面、このような評価が残っている。

 

 

 「一度、守勢に回った日本人は厄介な相手だった。弱くは無いが、強いかと言われれば首をかしげるが、彼らは陣地や防衛線の構築が上手く、士気や戦意が著しく高いわけは無いが反面、それらが崩れにくく、爆発力や圧倒的な攻撃力はないが、粘り強く戦うことに長けていた」

 

 この評価は温度差はあれど敵味方問わず多くの国の陸軍兵士が異口同音に語っていたようだ。

 そう悪くない評価と言えるが、これは見方を変えると、

 

 ・防御的な作戦は、一足早く現代戦を経験した”日露戦争の戦訓”を生かすことができた(塹壕戦のノウハウや効率的な機関銃の運用、効果的な地雷原の敷設など)

 ・反面、装甲防御や機動力という概念が出てきた攻勢作戦では、戦車などの新世代装備を持っておらず、主戦を張るにはやや心許ない戦力と判断された

 

 ということではないだろうか?

 実際、陸の上での攻勢作戦では目立った活躍はあまりなく、少なくとも”肉弾三勇士”が生まれるような状況にはなっていない。

 

 

 

***

 

 

 

 地味だが堅実な、大勝もないが大負けもない陸戦とは異なり、海上での戦いは華々しく、そして壮絶だった。

 第一次世界大戦で欧州方面に派遣された日本皇国の主力艦は、英国の協力で前倒しに完成した史上初の排水量30,000t越えの扶桑型戦艦”扶桑”、”山城”。そして英国生まれで故郷でデビュー戦を飾ることになった金剛型の”金剛”と”比叡”であった。

 まさに日本皇国が投入できる全てを投入したという陣容だった。

 

 もっともこれは抽出できるぎりぎりの戦力だったらしく、扶桑型2隻の完成を急いだために設計改正型の伊勢型の起工は遅れに遅れ、またその余波は長門型にまで及んだ。

 もっともこれは、第一次世界大戦のフル参戦が決定したために(欧州にピストン輸送せねばならないため)皇国の造船リソースを、大量建造の必要に迫られた輸送船や、それを護衛する巡洋艦や駆逐艦に急遽振り分けなければならなくなったことが大きく影響している。

 特にドイツの潜水艦(Uボート)被害が看過できるレベルじゃなくなったために大いに急がれたようだ。

 

 このような理由があり、第一次世界大戦中に日本に残っていた最新鋭の戦艦は金剛型の3,4番艦の”霧島”、”榛名”の2隻だけで、他には弩級戦艦の河内型という状況だった。

 

 だが、その中で大きな悲劇が日本皇国海軍を襲う。

 舞台は、第一次世界大戦のハイライト・ステージであり、戦艦が戦艦らしく最も激しく砲撃による殴り合いを演じた史上最大規模の海戦、”ジュトランド(ユトランド)沖海戦”だ。

 

 この時、日本の布陣は高速を誇る金剛型2隻は皇国の選抜水雷戦隊を率いて”戦場の火消し役”こと独立遊撃分艦隊として動き、この時代の戦艦の標準的な最高速の扶桑型の2隻は英国戦艦と戦列を組み、水上打撃群の一翼を担っていた。

 

 結果を書いておこう。

 英国戦艦共々、敵主力と会敵した扶桑型2隻は全力の砲戦を行い、”山城”は「主砲の長射程化により、砲弾は水平方向からではなく垂直方向から着弾する」事を自ら示して轟沈する。

 ドイツ戦艦の砲撃に対して、合計65㎜の装甲厚しかない甲板は薄すぎた。

 運悪く副砲の弾薬庫に火が回り爆沈したようだ。

 

 だが、戦艦らしく戦い戦艦らしく沈んだ”山城”はまだ幸せだったかもしれない。

 日本皇国艦隊の旗艦だった”扶桑”は、煙突に砲弾の直撃をくらい中破判定となり、母港リヴァプールに戻る最中に損傷が原因の重度の機関故障を起こし、曳航された状態で入港。

 自航出来ないまま船渠(ドック)にて終戦を迎え、そのまま故郷の日本に戻ることなく解体されることとなった。

 

 金剛型2隻が損傷軽微で帰港し、以後の戦いにも参戦しながら第一次世界大戦を生き抜き、1919年1月1日、日本へ無事帰還したのとは好対照と言えよう。

 

 

 

***

 

 

 

 この4年間で得られた戦訓、教訓、経験は日本皇国にとり値千金だったのだろう。

 陸軍は塹壕を力任せに乗り越えてゆく戦車の開発と、更なる重火力化に勤しむことになる。

 まあ、火力は正義だ。

 それが九〇式野砲を改設計した戦車砲を積む”一式中戦車”や”一式改中戦車”、或いは47㎜48口径長砲を搭載した九七式軽戦車へとつながることになる。

 一式も九七式も、まだ新しい戦車だが、作られたそばからトブルクに配備されているのは何気に心強い。

 

 海軍(うみしき)はやはり最新鋭の扶桑型が2隻とも大西洋の海に消えたのが堪えたようだ。

 伊勢型戦艦は計画見直しの為に建造中止となり、16in砲搭載予定の”長門型”戦艦は大幅に建造計画が見直される事になった。

 また、旧式戦艦のほとんどは「改装しても現代海上砲戦に対応できない」として一部が練習艦などとして残された以外は、大半が標的艦になるか解体処分された。

 事実、第一次世界大戦の膨大な戦費を考えれば、戦後は緊縮財政……自主的に軍縮になるのは既定路線であり、海軍としても「無用な戦力」を維持することは無謀というものだった。

 

 軍としては、もう一つ大きな動きがあった。

 そう、”日本皇国()()”の創立だ。

 「青島の戦い」でも日独双方とも航空機やそれに対抗すべく対空火器が投入されたが、欧州で経験したそれは比べ物にならないほど大規模なものだった。

 そうであるが故に新世代兵器である航空機を「より効率的に運用できる専属の軍」が必要という判断に至ったのだ。

 これは、1918年4月1日に”英国王立空軍(Royal Air Force:RAF)”が設立されたことも大きく影響しているだろう。

 ヴェルサイユ条約発効後の1920年4月1日、日本皇国空軍は発足した。

 

 前世の記憶では、今のトブルクに配備されている”隼”や”鍾馗”は陸軍航空隊が、陸上攻撃機は海軍(基地)航空隊が運用していたが、現在は空軍が一元管理されている。

 海軍が運用する航空機は基本的に「空母や艦艇に搭載できる各種航空機」と海上哨戒が主任務の水上機や飛行艇など。

 陸軍が管轄するのは、弾着観測機や九九式襲撃機のような直掩機などだ。

 特に九九式○○機シリーズは、戦後世界のヘリのような感じで多種類が近距離航空機として陸軍で採用されている。

 

 

 

 

 20年と少し前に終結した第一次世界大戦は、1941年現在に強く影響している。

 また、この20年間の間にも変わったことは多くある。

 例えば、ヴェルサイユ条約体制下の1925年、ジュネーヴ議定書により第一次世界大戦で猛威を振るった毒ガスなどのC兵器(化学兵器)や細菌やウイルスなどのB兵器(生物兵器)の戦場での使用が禁止された(ただし、研究や生産、貯蔵は禁止されていない)。

 

 毒ガスはわかるが、細菌やウイルスなどがそこに含まれるようになったのは、ある意味、第一次世界大戦が「奇妙な終わり方」をしたことが影響しているのだろう。

 1918年より蔓延し、世界で5億人以上が感染し、どんなに少なく見積もっても1億人以上を殺した新型インフルエンザ”スペイン風邪”によって、参戦各国は継戦能力を失ったことで、ようやく終戦に向けた交渉テーブルにつくことができた。

 参考にまで言っておけば、第一次世界大戦の戦死者は戦闘員が900万人以上、非戦闘員が700万人以上とされているが、スペイン風邪が殺した人数はその5倍以上だ。

 これでは、戦争を終わらせたくなるのも頷けるし、こんな無差別大量虐殺を人為的に起こされたらたまったもんじゃない……と、まあこんなとこじゃないだろうか?

 

 

 

 他にも変わらないもの、変わったものもある。

 例えば、アメリカよりロシア革命に対応したシベリア出兵を呼びかけられたが、「第一次世界大戦とパンデミックによる疲弊」を理由に断っている。

 また、日本皇国はドイツより戦時賠償の一環で遼東半島に続き山東半島を手に入れたが、国家生存戦略に関係する()()()()()()()()により1941年現在、皇国は大陸に領土・領地は持っておらず、大陸経営から一切手を引いていた。

 

 第一次世界大戦は、「戦争を終わらせる為の戦争(The war to end war)」と喧伝された。

 だが……

 

「歴史は繋がっている。間違いなく」

 

「少尉殿、なんか言ったか?」

 

「いや、何でもないさ」

 

 そして、俺は今日も引き金を引く。

 1941年現在、人類(おれたち)は、未だ戦いを捨てられないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やはり、不幸姉妹は不幸姉妹だった件。
ただ、ちゃんと戦艦として戦えたのだから、史実よりマシと言えばマシかな?

今回のエピソードでプロローグ的な話は終わりで、次回は設定資料的なものを投稿しようかと思ってます。




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設定覚書 1

文字通り、設定集。
まだ文章化してない情報も含んでおりますので、ネタバレ注意です。


 

 

 

設定覚書(~1941年)

随時更新・編集・修正。まだ文章化されていない内容あり

 

 

 

年号(和暦)

 

明治元年(1851年)

明治時代:1851~1911年

 

大正時代(健康上の理由で生前退位)

大正元年(1911年)

大正時代:1911~1926年)

 

昭和時代

昭和元年(1926年)

昭和時代:1926年~

 

 

 

***

 

 

 

政治状況(概略)

 

 

日本皇国

 ・日本皇国は日清戦争で割譲を受けた遼東半島に続き第一次世界大戦の戦勝国として山東半島を割譲されたが、”()()()()()()()()()()()()”から渤海湾を塞ぐ上顎、下顎に例えられる二つの半島を手放し、1941年時点では公的な領土や領地、権益を大陸に持っていない。また、如何なる意味でも皇国軍は大陸に展開していない。

日本皇国は、民間の進出のみ登録制で許可しており、また万が一軍を派遣するとしても、「在華邦人の生命と財産を守り、安全に帰国させる」以外は無く、また軍を展開する場合は上海共同租界参加国の事前許諾を得ることを宣言している。

 

 ・朝鮮半島(大韓帝国)の北緯38度線以北は、日露戦争の影響でソ連の保護領化している(この地区を将来的に独立国化するとソ連は発言している)。

  また、日本皇国は「大陸情勢には一切不干渉。また当該国の国民の入国は、国際的政治問題の予防措置として原則として禁ずる」の立場を取り続けてる。「大陸や半島に領土的野心があるとあらぬ誤解を他国に与えぬため」というのが公的発表されている理由。

 

 ・第一次世界大戦の消耗を理由に、米国が提唱した「シベリア出兵」には不参加。

 

 ・1938年、日本皇国は史実の「ベノナ計画で判明した事実」の一部に近い内容を、ソ連に対するカウンターインテリジェンスの一環として各国の大使館、領事館より「重大発表」として公開されている。

 主に尾崎某とつながりで明らかになった「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」などが特に大きく発表され、他国の反応に関わらず日本皇国は「発表の内容は全て根拠のある事実であり、国家人種宗教を問わず世界中で共産主義者の新党が始まっているのが現実。信じるか否かは各国の判断に任せるが、皇国政府はいかなる圧力が加わろうと撤回することはない」と宣言。

 

 

 

イギリス

 ・同盟国である英国には公表事前に王室外交の親書に偽装して「ケンブリッジ・ファイブを代表とする人員リストとより詳細な内容」が届けられていた。

 

 ・第二次世界大戦勃発前年の1938年/39年にに英国では「大規模な人事異動」があった。

 

 ・チャーチル(この世界では”ウェリントン・チャーチル”)が首相になるのが遅れた。これは「史実と異なり早期に逮捕されたケンブリッジ・ファイブとの関係を疑われた」からであり、一部週刊誌などでは「彼のポリシーが(対独強硬論など)が”第7回コミンテルン世界大会”で話し合われた行動路線に合致しているため、実はケンブリッジ・ファイブの黒幕はチャーチルではないのか?」と疑われた。

  この為、チャーチルの首相就任は前任のネヴュラ・チェンバレン首相が体調悪化を理由に首相を辞任する1940年9月末まで待たなくてはならなくなった。

 

 ・首相就任後のチャーチルは、対独強硬派ではあるが、その理由に「ソ連寄りの政治家」という風評が常に付きまとうことになる。

 

 ・英国はダンケルクをはじめフランスには進駐していない。これも38年の人事異動の余波であり、またチェンバレンが対独戦を「純粋な国土防衛戦」と定義しており、「いたずらにドイツを刺激し、祖国を危険にさらすべきではない」という判断があったからと言われている。

  なのでダイナモ作戦、サイクル作戦、エアリアル作戦などの一連の「英国軍のフランスからの脱出作戦」は存在していない。

 

 ・英国はドイツがフランスを瞬く間に占領した「機動力を生かした浸透・突破・迂回戦術」をつぶさに観測し研究し解析した。

 

 ・一連の「メルセルケビール海戦」あるいは「カタパルト作戦・レバー作戦」は起きていない。日本皇国が第一次世界大戦後に双務的内容に改訂された日英同盟が問題なく履行(欧州・中東方面への早期派兵)する確認が取れた事やその他の理由(皇国がヴィシー政権まで敵に回すことを反対していた)もあり、英国は無理に軍事的中立を宣言したヴィシーフランスを刺激する必要はないと判断された。

  これは英国軍が、フランスに進駐しておらずダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)が無かった事、この時期まだチャーチルが首相になってなかった事なども影響している。

 

 ・1939年、ダッドレイ・パウンドは第一海軍卿就任直前に脳腫瘍が悪化し急逝。代わりに第一海軍卿 に就任したのは、サー・チェスター・フォーブス海軍大将だった。

 

 

 

 

フランス、アメリカ

 ・日系移民排斥→強制収容所移送は起きていない。なぜなら米国への移民は皇国法で禁止されていた(論拠は事実確認ができた米国が移民開始直後から現在進行形で行っている各地先住民に対する蛮行から、人種的に近似の日系移民の安全が保証できない)からだった。情報ソースは英国。

 

 ・フランス亡命政府(自由フランス)は、英国の意向でロンドンではなくカナダ自治領ケベック州(フランス系住民が多い)に送られた。これは「後方に安全地帯を用意する。ただし近場のアメリカを説得し、”ドイツ人よりフランスを奪還する戦い”に参戦するよう説得してくれ」という要請があったからとされているが、実際は「欧州、アフリカ方面でのフランスの影響力を小さくする」ことが目的だった。

 

 ・シャルマン・ド・ゴールがロンドンにフランス亡命政府(自由フランス)を置かず、ケベック州に置くことを了承したのは「フランスに軍を出さなかったイギリスに不信感を持った」のも理由の一つとしてあげられる。 

 

 ・英国はケベック州において自由フランス政府が「義勇兵を募集し自由フランス軍に組み込む」事を了承していた。繰り返すが、ケベック州はフランス系住民が多いことで知られている。

 

・英国はドゴール支持を明言していたが、日本皇国は自由フランス・ヴィシーフランスに対して中立的な立場を取っていた(ドゴール支持は表明せず、フランスに関しては口出ししていない)

 

・ドイツに降伏した欧州各国のアジア地区に点在する植民地に関して、日本皇国は「日英同盟遵守(第二次世界大戦参戦)に全力を傾注するため余力がなく、不干渉を貫く」という宣言をしていた。

 

 

 

 

 

海軍軍縮条約

 ・1921年のワシントン軍縮条約は「英国が英米日の艦艇保有比率を10:10:10」と日本皇国がひきつけを起こすような主張を展開。対する米国は「米英日の比率を10:10:7」にするよう主張。皇国そっちのけで大荒れに荒れた。

 結局、保有比率は間を取って英米比で”8.5”となった。

 実は皇国、国防予算の都合で英米比率で”7”あたりを着地点として狙っていたのだが、英米はそれを知った上で「最低ライン」を狙ってきた米国はともかく、知った上で”米英と同じ海軍力”をぶち上げた英国はマヂブリテンである。

 インド・太平洋方面に配備できる戦力に限りがある英国にとり、東方の同盟国(ばんにん)の弱体化は看過できる問題ではなかった。

 自国比率85%の艦隊保有は、英国の許容できる最低ラインだった。

 ちなみに排水量制限は、基準で上限40,000tと史実より少し緩かったようだ。

 

 

 ・1930年のロンドン海軍軍縮条約が締結されたが、1935年3月のドイツの再軍備宣言と同時にそれに反応した日英仏が脱退を宣言。事実上、軍縮は消滅し、再び軍拡の時代に入った。つまり、”この世界”において第二次ロンドン海軍軍縮条約もエスカレーター条項も存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本皇国の戦艦事情(~1941年)

 

金剛型巡洋戦艦×4隻

二度の近代化改修により健在。2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。

 

扶桑型戦艦

1隻が戦没、もう1隻は解体

 

伊勢型戦艦

ジェトランド沖海戦の影響で建造中止

 

長門型戦艦

設計が大幅に変更され、防御力(特に垂直方向と喫水線以下)と速力を強化して建造。極端から極端に走る日本人らしく副砲を持たない最初の日本戦艦として完成。近代化改装で電探(レーダー)や高射装置を追加。

現在、2隻とも欧州戦線(地中海含む)に展開中。

 

加賀型戦艦(加賀、土佐)

目減りした日本皇国海軍の穴埋めのために建造された。第一世界大戦でのドイツの鹵獲艦から導入した分散防御構造やシフト配置機関、最新のマリナー型舵、バルバスバウを取り入れた、技術実証艦としての側面も持つ(大和型のテストベッド)重防御戦艦。

全長を抑える(あるいはヴァイタルパート区画を短縮する)という理由で、三連装砲塔(3連装3基9門)を導入した船でもある。建造当初は砲自体は長門と同じ16in45口径長砲だったが、後に50口径長砲へと換装される。

また、設計時期、建造開始がネルソン級より後だった為にヴァイタルパートへも傾斜装甲や構造的軽量化のノウハウなども積極的に設計に盛り込まれた。

新規建造時の基準排水量は。39,980tと条約ギリギリだったらしい。

加賀は大和が就役するまで日本皇国艦隊旗艦を務めた。

 

 

天城型巡洋戦艦(天城、赤城)

海軍軍縮条約の消滅を受け追加建造枠が予算承認され建造された戦艦。基本的に金剛型の設計を拡大近代化、そしてより新しい英国隼鷹戦艦フッドの設計を参照にした実質的には高速戦艦。武装は長門と同じ16in連装4基8門だが、砲身は長門型や土佐型との比較のために試験的に導入された長16in砲(16in50口径長砲)に改められている。

言い方を変えれば、「フッドの主砲を16inに換装し、傾斜装甲のヴァイタルパートや分散防御構造を導入して防御を対16in砲準拠に、そして速力を落とさぬため高出力の高圧缶を採用した巡洋戦艦」という見方もできる。

現在、2隻とも欧州戦線(地中海含む)に展開中。

 

大和型戦艦(大和、武蔵、信濃、甲斐)

海軍軍縮条約消滅後に建造された最初の日本戦艦であり、第二次世界大戦に参加した最後の日本戦艦シリーズ。1941年時点ではまだ全艦建造中。電探搭載を前提に設計された最初の戦艦。

全長286m、基準排水量68,500t。主砲は18in50口径長砲(長46サンチ砲)。

当初は大和、武蔵のみの建造予定だったが、39年の大戦勃発(ドイツのポーランド侵攻)で追加2隻の予算が認められ、4隻が建造されることとなった。

レーダーの搭載を前提に設計された最初の日本戦艦であり、そのために発電能力が極めて高いのが特徴と言える。

機関熱回収式発電用蒸気タービンの搭載はこの船独特の物。

 

 

 

以後は未定とする。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

日本皇国空母事情(~1941年)

 

皇国は基本的に空母の整備には力を入れている国である。

 

 

蒼龍、飛龍

現代的な正規空母の建造、運用ノウハウを習得する為に建造された実験艦、技術実証艦としての側面もある空母。

 

雲龍型空母(4隻+2隻が大戦勃発による追加予算が認められた)

基準排水量:18,900t

搭載機数:最大65機(41年編成)

飛龍の量産型と言える空母。飛竜のノウハウを元に一部設計を改訂し、部分的に簡易化した物。また近代化改修で油圧カタパルトなどが装備された。

全て第二次世界大戦前に就役している。

現在、2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。

 

翔鶴型空母(4隻)

基準排水量:27,500t

搭載機数:最大84機(41年編成)

飛竜型の設計を元に近代化・拡大化した物。非装甲空母としては日本空母で最高傑作と言われる。1935年のドイツ再軍備宣言で建造が決定された。先行の翔鶴と瑞鶴のみが第二次大戦前に就役している。

格納庫/弾薬庫天井部分の装甲化や艦内自動消火装置・強制煙/ガス排出装置の強化、中央エレベーター1基+サイドエレベーター2基(装甲シャッター付)、油圧カタパルト2基、シフト配置機関、マリーナ型舵、下方湾曲煙突(史実の赤城第一煙突に近い海水冷却シャワー付き)、バルバスバウなどの特徴を持つ

現在、翔鶴と瑞鶴の2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。

 

大鳳型装甲空母(4隻+2隻の追加建造が39年の大戦勃発で認められた)

基準排水量:31,600t

搭載機数:最大75機(42年編成。44年編成だと61~65機まで減少する)

1935年のドイツ再軍備宣言の影響と海軍軍縮条約の消滅を受けて緊急予算で建造が決定した空母。英国のイラストリアス級の影響を受け装甲空母として設計された。実質的には史実の改大鳳型空母に準じた内容。

英国のイラストリアス級などの全装甲化甲板、下方湾曲煙突(史実の赤城第一煙突に近い海水冷却シャワー付き。装甲甲板採用によるトップヘビーを防ぎ重心を低くするため)、中央エレベーター1基+サイドエレベーター2基(装甲シャッター付)の特徴を持つとされる。

翔鶴型の設計をベースに装甲化のための改設計がなされたという感じがある。なので、バルバスバウやシフト配置機関、マリーナ型舵、2基の油圧カタパルトなどの特徴は継承している。

1~4番艦は1940年~1941年に就役予定。5、6番艦は43年前半に就役予定。

基準排水量は31,600t級であり、史実の”改大鳳型”に近い。

 

改大鳳型空母(仮称)

基準排水量:36,000t

搭載機数:最大80機程度

大鳳の設計を簡略化し拡大化したとされる空母。44年に就役予定だが、詳細不明。全装甲甲板と、甲板防御力を損なわないため甲板エレベーターを廃し全装甲シャッター付サイドエレベーター×3基、蒸気カタパルトなどの特徴を持つとされる。

 

瑞鳳型軽空母(2隻)

改造空母ではなく最初から輸送船団護衛用の軽空母として設計された空母。

その為、戦前に2隻全てが就役している。

 

隼鷹型軽空母(10隻+2隻が追加建造)

瑞鳳型を簡易拡大化した軽空母。軽空母でありながら最大50機の航空機運用の能力を持っており、準正規空母と言える。当初は6隻のみが建造予定だったが、39年の大戦勃発により船団護衛の需要が高まることが予想されたため、臨時予算で4隻が追加建造された。

バルバスバウと油圧カタパルト1基を備える。

単一型としては日本皇国史上最も量産された空母。

 

 

史実との大きな違いは、日本皇国は戦艦から計画された史実の赤城、加賀のような空母はなく、また隼鷹型航空母のような商船改造型の空母もないこと。

これは皇国政府が「下手に改装するより最初から専門の空母として作った方が、結果として安上がりで手間もかからない」という判断が成されたから。

また軽空母は正規空母のような密閉式格納庫ではなく、工期と予算の圧縮のため、米国空母のような解放式となっているのが特徴。

第二次世界大戦の総計だと正規空母16隻、軽空母14隻という参加数となる。(今後、変動の可能性あり)

 

 

 

***

 

 

 

日本皇国の巡洋艦事情(~1941年)

 

古鷹型、青葉型

古鷹型は史実と異なり最初から20.3サンチ50口径長連装砲(C型連装砲準拠)×3基6門だった。後の近代化改修により青葉と同じく20.3サンチ55口径長連装砲(E1型連装砲準拠)に換装される。

青葉型は建造当初より20.3サンチ50口径長連装砲(D型連装砲準拠)搭載艦として建造された。基本的に古鷹型の拡大改設計巡洋艦。後に55口径長砲/E1型砲塔に改装される。

 

10,000t級重巡洋艦(妙高型、4隻)

海軍軍縮条約時代に完成した最後のシリーズであり、原案通りに20.3サンチ55口径長連装砲(長8in砲。D型連装砲準拠)×4基8門、61サンチ四連装魚雷魚雷発射管×2基で、居住性や発展的余地のある船として完成した。余裕のある設計だった為に比較的スムーズに近代化改修が行われたようだ。

 

高雄型重巡洋艦(4隻)

35年のドイツ再軍備宣言により失効した軍縮条約消滅後に初めて建造された重巡洋艦(一等巡洋艦)シリーズ。発射速度をハイレート(毎分4発→5発)と新型連装砲塔(E1型砲塔準拠)を組み合わせた新型連装砲×5基10門と四連装魚雷発射管×4、射撃統制装置に制御される10サンチ連装高角砲×8基と「条約に縛られずやりたいことを全部やった」巡洋艦。また、建造当時は開発中だった艦載電探の為の電力確保やスペースが用意されていた。

これにこの時代の日本軍艦のトレンドである分散防御、シフト配置機関、バルバスバウなどを採用した結果、基準排水量で14,400tというかなりの大型艦になったが性能は申し分なく、大西洋や地中海方面でその性能を存分に発揮した。

 

最上型重巡洋艦(6隻)

39年の第二次世界大戦勃発の影響で、急遽建造が決まった重巡洋艦(一等巡洋艦)シリーズ。高雄型の簡易量産型という位置付けだが、史実と違い最初から8in砲艦にとして設計され、実質的な設計は改鈴谷型重巡洋艦と考えて良い(ただし、基準排水量は改鈴谷型よりやや大きい)。設計段階から電探搭載を前提とされていた。

ただし重量を抑える為か主砲自体は高雄型と共通だが、従来より高角度が取れ発射速度の早い新型三連装砲塔×3基9門という構成になってている。

 

利根型航空巡洋艦(2隻)

非常に珍しい「水上機による偵察索敵を最優先とし、それを含めて指揮通信統制脳力が高くなるように設計」された非条約型一等巡洋艦。

というのも利根型に求められたのは、「欧州までの輸送船団護衛艦隊旗艦」としての役割であり、単艦での直接戦闘力より艦隊旗艦として「より遠くまで見通せる目と艦隊を動かす大きな頭脳」を優先とされていた。

 

 

 

5,500t級軽巡洋艦

条約型軽巡洋艦の第一陣。1920年代~30年代前半を中心に合計16隻が建造された。ただし、基準排水量で5,500tが最初の天龍型のスペック(実質的に史実の川内型)で、シリーズの最終である川内型は基準で6,600tであり、阿賀野型に近い。

 

阿賀野型軽巡洋艦(8隻)

史実と大きく内容が異なるのが、この阿賀野型で基準排水量8,800t、主砲は三年式15.5サンチ60口径長三連装砲塔×3基9門というものであった。

条約が無効化された後に建造された軽巡洋艦(二等巡洋艦)である。

 

大淀型航空巡洋艦(4隻)

41年時点で就役したばかりの二等巡洋艦で、コンセプトは利根型と同じく護衛艦隊旗艦である。

 

 

 

***

 

 

 

日本皇国の駆逐艦事情(~1941年)

 

基本的に従来通り”水雷戦隊”を形成する「艦隊駆逐艦」

追加・変更:ポスト条約時代に対潜装備を充実させた駆逐艦は、艦隊駆逐艦ではなく、42年4月1日より「対潜駆逐艦」に名称が変更されている。

これはより機能分与を進めるための措置と考えられる。

基本的に”島風型”が準拠

 

強力な空軍力を持つドイツに対抗するために急速に整備されつつある「防空駆逐艦(秋月型など)」

 

同じく急速に整備されつつある潜水艦や航空機による通商破壊作戦に対抗するための戦時量産型の「護衛駆逐艦(松型など)」

 

の三つの系譜に大きく分けられる。

艦隊駆逐艦は41年でも多種類が現役で存在するが、秋月型は最初の秋月からボリューム的には改秋月型と同等であり、松型は内容的には大幅に強化されている……が、実は欧州までの航続距離を考え排水量は基準で1,500t超級、機関出力が上昇したお陰で最高速は30ノットオーバーと一回り以上大きく、また強化されている。また、ソナーに電探、「多連装旋回式前方爆雷投射器(いわゆるヘッジホッグ)」を初期モデルから標準搭載しているのが秋月型と松型の共通項だ。

計画では秋月とその派生型は16隻、松型は60隻が建造予定となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第1章:1940年11月、タラントキャンペーン開始
第6話 自由と放埓とエスプリな生き方に憧れた偵察機乗り


今回から新章開幕、時節は半年ほど前のイタリア近海に戻ります。

主に空と海のステージですねー。





 

 

 

 さて、時節は半年ほど遡る。

 砂漠の次は海というのも少々節操無いが、だがそれが歴史上においても、”重要な意味を持つ戦い”であるのならば、記しておくべきだろう。

 何故なら、その戦いこそが戦艦を海の女王から引きずり下ろし、空母をその座につける……その分岐点となった戦いなのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 1940年11月12日払暁、タラント港沖、上空

 

 

 

 

「こちら、”サクラ01”。敵艦隊、英国空母艦隊による被害甚大。港は混乱収まらず。駄目押し(・・・・)の好機と認む。送レ」

 

 状況は極めて順調。

 艦上機による夜襲という博打というより暴挙に出た、我らが同盟国イギリスの誇るソードフィッシュ雷撃機部隊が見事にその役割を果たしたようだ。

 なんせ軍港のあちこちで船が燃えているのだ。

 丑三つ時に飛び立ち、夜明けとともにタラント港に辿り着いた俺達は、その状況を初めて観測した日本人であり、同時にその模様を記録すべく働く細胞……じゃなかった日本皇国の軍人だった。

 

「戦果確認、しっかり頼むぜ。特に無傷の船と高射砲、飛行場、燃料タンクの位置と状況は念入りにな」

 

 

 やっほー。拙者、”滋野(しげの) 清春(きよはる)”と申す者でござ候。

 お前なんか知らん? ごもっともごもっとも。

 一応、日本皇国空軍の中尉なんぞをやっております。ついでに言えば転生者ってやつね。

 いやー、英国に習って1920年、空軍の発足と同時に開設された皇国統合予科練(皇国陸海空軍投合飛行予科練習生育成)コースを受講。

 まあ、第一次世界大戦で”コウノトリ男爵”と呼ばれた伯父貴へ憧れた結果だな。うん。

 ”この世界”じゃあ誰とは言わないが徳川の阿呆が三回目の飛行で操縦ミスって墜落死(ザマァ)したので、伯父貴は無事に空軍創立時からの看板として出世街道を歩く……かと思われたが、病弱であることが祟り42歳で空軍を退役し、今はフランス人の奥方とのんびり若隠居生活を館山で楽しんでいる。

 

 かくゆうどこかそんなエスプリめいた血に連なってる俺は、予科練でパイロット資格を得た後、教官の勧めもあり短期統合予備士官学校に入学。基礎的な士官教育を受けて准尉として任官。2年の服役後にまんまと少尉として予備役編入……

 

(されたはずなんだけどなぁ……)

 

 退役して南洋庁管轄下の島で、民間飛行機のパイロットをやってたはずなんだけど、定期訓練で呼び出されたらそのまま帰してもらえなくなりましたとさ。

 その代わり、正規任官扱いになり中尉として再服役しました。

 いや、冗談でしょ?

 

 とかその時は思ったけど、残念だけどこれは現実。

 それというのも、人が予備役の定期飛行訓練を受けてる間に物好きにもポーランドに突っ込んだヒットラーってやつが悪いんだ。

 おかげで俺は、配備されたばかりの一〇〇式司令部偵察機に乗り込み、航空隊の先行偵察兼先導機(パス・フィンダー)なんぞやっとります。

 

 いやね、俺の人生設計はこんなはずじゃなかったんだよ?

 せっかくこういう時代に生まれたんだ。俺の人生の師匠であり、憧れでもある前世で見た「自由と放埓を愛する渋い空飛ぶ豚」のような生活を送るつもりだったんだ。

 稼いだ金で、中古でも良いから小さな飛行艇か水上機買って、冒険飛行家の真似事でもしながら、悠々自適な生活とかさ。

 

 だけど現実ってのはいつも残酷で、定期訓練で待ち構えていた懐かしや教官は、俺にこう言いやがりました。

 

『うむ。(ちみ)の平時より日々南洋で鍛えている洋上飛行能力に期待する』

 

 そりゃあね。海の上を飛ぶのは慣れてますよ?

 南洋も地中海も島は多いし、太平洋のど真ん中を飛ぶよりは難易度は低いさ。

 しかし、いきなり原隊復帰したてのにわか仕立ての操縦士に、重要な先導機のパイロットとかやらせるもんかね?

 しかも機種転換訓練で乗るように言われたのは、最新鋭の”一〇〇式司令部偵察機”それも「前世の歴史」ではこの時期にはまだ出てこないはずの600km/h越えの最高速を誇る”キ46-II”相当機をだ。

 

 

 

***

 

 

 

「中尉! 敵、迎撃機が上がってきたようですっ!!」

 

 後部座席に座る偵察員の少尉が慌てた声を出す。

 まあ、そりゃそうか。

 敵国の偵察機が、高射砲のぎり射程外で吞気に旋回しながら効果確認なんてしてたら撃ち落としたくなるのが人情ってもんだろう。

 

「心配すんな。一〇〇式の名前は伊達じゃない」

 

 なんて機体が金色でもないのに、何の根拠もない言葉を放つ俺である。

 そして、落ち着かせるように声を出しながら、思考を可能な限り早く巡らせる。

 

(映画のラストで豚殿はアメリカ野郎と一緒にイタリア空軍を決闘の島から引っぺがしたが……)

 

 追い掛け回されるのではなく後ろをついてきているのは、マルタ島各基地を飛び立った24機の”一式陸攻(一式陸上攻撃機)”と同じく24機の”呑龍(一〇〇式重爆撃機)”。これを護るのは凄腕ぞろいの空軍第15飛行団第11戦隊の一式()()戦闘機”隼”36機。

 かなり防御に力を入れた編成だ。

  無論、彼らの目的は英国の紳士諸兄が操る空母機動部隊が成し遂げた戦果を、更に拡大する(あるいはとどめを刺す)ことが目的だった。

 そのための機体(はら)の中にため込んだ九一式航空魚雷や九九式八〇番五号爆弾(戦艦の41サンチ砲弾を基にした対艦用の半徹甲800kg航空爆弾)だ。

 

「武藤少尉、爆撃隊長機に連絡。”我、コレヨリ明後日ノ方向ニ敵迎撃機ヲ誘導ス。可能ナラ猟犬ヲ所望ス”」

 

 この後、上がってきた敵機の数と飛行座標を告げると、すぐに返事が返ってきた。

 

「”群ヨリ猟犬ヲ8頭送ル”以上です!」

 

「よっしゃっ!!」

 

 俺は思わずガッツポーズを取る。

 さすがうちの司令も隊長も話が分かる。

 俺が敵迎撃機を引っ剝がして誘導する意味をちゃんと理解している。

 

「敵を引き付けたまま”()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ようにゆっくり急いで(トン)ヅラこくぞっ!!」

 

「なんとも矛盾した命令ですね?」

 

 少尉が苦笑するが、

 

「知らないなら教えてやんよ。世の中ってのは、矛盾でできてるんだぜ? 生まれたのに必ず死ぬってのが、まず矛盾だ」

 

「なら、その矛盾は可能な限り先延ばししたいものです」

 

 俺はスロットルレバーを徐々に開きながら、

 

「当然だな。俺は死ぬなら自家用機の中でと決めてるんだ」

 

 サボイアが良いかカーチスが良いか迷うところだが。

 今飛んでるのはイオニア海ではあるが、

 

(幸い、アドリア海は目と鼻の先)

 

 アドリア海にあるホテルで一杯楽しみながら、余生を過ごすのも悪くない。

 

(手柄は魚雷持ちや爆弾持ちに譲るとして、そのためには……)

 

 今日もせいぜい頑張って生き残るとしますかね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まず、一〇〇式司偵+どこぞの空飛ぶ豚に憧れた転生者です。

そして、個の転生者は”徳川”が大嫌いでしょうねー。





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第7話 皇国空軍、来襲!(転生者入り)

いよいよ、というかようやくというか戦闘シーンに突入です。
史実には有り得ない、タラントの追加ダメージターンは、ここから始まります。





 

 

 

「はっはーっ! 色っぽいぞぉっ!!」

 

 いかんいかん。つい興が乗って悪役ムーブをかましてしまった。

 いやだってなぁ。

 

(いくら一〇〇式司偵が美しい機体だからって)

 

 まさかイタリア産の種馬男が乗った戦闘機10機以上に、友軍機がケツを追い回されるなんて図を見ることになるとはなぁ。

 

(まっ、いつまでもヤローがヤローにケツ追いまくられてる図を眺めてるってわけにはいかんか)

 

 別に衆道に理解がないわけじゃないが、別に個人的に好きってわけじゃない。

 

「さて、空中戦を楽しむとするか」

 

 一〇〇式の性能ならカマを掘られる前に逃げ切れるだろうが、せっかくここまでお膳立てを整えて(トレインして)くれたのだ。

 

「ここで食わぬは、無作法というもの」

 

(”隼”乗りの代名詞を、加藤サンのままにさせておくのも癪に障るし)

 

 マルタ島防空戦で俺もそれなりの撃墜スコアを上げちゃいるが、激戦として歴史に刻まれるだろう”バトル・オブ・ブリテン”を戦い抜いた空軍第64戦隊(”加藤隼戦闘隊”として有名)や空軍第50戦隊(三羽烏が有名)なんかに比べると、どうにも俺の印象は地味に気がする。

 

「金井! 突っ込むぞ! 出遅れるなよっ!」

 

『あいよ!』

 

 空電(空中無線)から入ってくる二機編隊(ロッテ)を組む僚機の声に、自然と口の端が上がるのを感じる。

 

「太陽の中から失礼すんよ!!」

 

 最良のポジション……敵戦闘機群の背後上方、太陽を背にして逆落としをかけながら、

 

「一番槍はいただく!」

 

 俺”篠原(しのはら) 博道(ひろみち)”は、機首に装備された2門の”ホ103/12.7㎜機銃を解き放つ!

 

「吹っ飛べマカロニっ!」

 

 音速の倍以上の初速で発射された空気信管を備えた()弾は、イタリア軍のMC.200(サエッタ)の胴体に吸い込まれ炸裂、一撃で致命傷を与えることに成功した。

 それにしても、

 

(同じ空冷エンジン搭載機とはいえ勝負にならんな。速度もだが、運動性が鈍すぎる)

 

 見れば僚機の金井だけでなく、残る6機もかっちりロッテを崩さずマカロニファイターを追い掛け回しているようだ。

 一〇〇式司偵の敵機誘引と誘導があってこその奇襲攻撃とはいえ、一方的すぎる展開だった。

 

(まあ、さもありなんか……)

 

 俺達が乗っている”隼”は、ハ35を積んだいわゆる三型(キ43-III)仕様だ。最低でもそろそろ生産が始まってるだろう”MC.202(ファルゴーレ)”を持ち出してこないと性能差がどうにもならないんじゃないんだろうか?

 ”サエッタ”は同じ空冷星型14気筒エンジンでも出力が300馬力以上低く、それが最高速で50㎞/h以上の開きになって表れている。

 

「パイロットの腕は悪くなさそうなだけに、残念ではあるな」

 

 とはいえ、手加減する義理も必要も無い。

 俺達は可能な限り速やかに”空の掃除”を行わなくてはならないのだ。

 それに掃討する敵は多ければ多いほど良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

「トラトラトラなのであるっ!!」

 

 とりあえず御大将ムーブをかましつつ、九一式航空魚雷を投弾!

 魚雷は無事に作動し、いまだ健在ながらも損傷艦だらけのタラント港で立ち往生し横っ腹を見せるイタリアの最新鋭戦艦”ヴィットリオ・ヴェネト ”に突進していく。

 30ノットで海上を疾走する船に命中させる訓練を積んできた我々が、魚雷さえ正常動作すれば外すことなどないのである!

 

 事実、命中した魚雷は大音声の爆発とともに、喫水線の上まで広がる大穴を穿ったのだ!

 

「これは良い! 実に良い! 最高に良い!」

 

 まんまと偵察機に誘い出されて敵の防空戦闘機は極めて希薄。

 上がったところで、わが軍の戦闘機の敵ではなかった。

 高射砲は健在のようだが、あちこちで煤煙があがってる状況では、強い弾幕が晴れぬようであるな。

 高笑いの一つもしたいところではあるが、残念ながら魚雷を放てば我が一式陸攻にやることはない。

 

「退くぞっ!」

 

 ならば、さっさと安全圏に退避し、次の獲物を狩りとるまでの準備を重ねるべきなのである。

 正直に言えば、撃沈を確認できないのは残念なのであるが、

 

(我々の目的はそこではない)

 

 我々、空軍第15飛行団の陸攻隊と爆撃隊の役目は「英国軍が撃ち漏らした健全な船を須らく損傷艦にする(・・・・・・)こと」、それはすなわちタラント港という狭い生簀に「閉じ込めておく(・・・・・・・)」ことこそが、肝要なのである。

 

 

 

 ”別の世界の史実”によれば、1940年11月11日のから12日に行われた軍港タラント空襲、”ジャッジメント作戦”で損傷を受けたイタリア主力艦(戦艦)は、

 

・ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2番艦 ”リットリオ”

・コンテ・ディ・カブール級戦艦1番艦 ”コンテ・ディ・カブール”

・カイオ・ドゥイリオ級戦艦1番艦 ”カイオ・ドゥイリオ”

 

 の3隻である。

 だが、この時のタラント港にはイタリアの保有する戦艦の中でも6隻が集中しており、無傷の戦艦が以下の通りもう3隻いたのだ。

 

・ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦1番艦 ”ヴィットリオ・ヴェネト”

・コンテ・ディ・カブール級戦艦2番艦 ”ジュリオ・チェザーレ”

・カイオ・ドゥイリオ級戦艦2番艦 ”アンドレア・ドーリア”

 

 マルタ島を拠点とする空軍第15航空団が狙ったのは、「この無傷の3隻」の他ならない。

 この作戦に参戦した英国機動部隊の航空兵力が、「知識として知っていた史実」と大差なかった為、予想はしていたが……先行していた偵察機からの報告で確信となった。

 だが、作戦の迅速性(敵が立ち直る前に追い打ちをかける)や空中集合の問題から、追討作戦に参加できるのは魚雷搭載の陸攻が24機、半徹甲対艦大型爆弾を搭載した重爆が24機の合計48機に過ぎない。

 しかも、全てが将来的に登場するだろう対艦誘導弾と比べるなら命中率が悪い無誘導兵器でしかない。3隻の戦艦を完膚なきまで破壊するのは難しいだろう。

 だからこそ、航空団司令部は「現実的に達成できそうな最大の効果」を示した。

 それは人に例えるなら手傷を負わせ、身動き取れないようにすることが役割だ。

 

 見れば”吞龍”隊も中々の戦果を稼いでいるようではある。

 彼らが胎に抱え込んでいる九九式八〇番五号爆弾は戦艦の41サンチ砲弾を基に対艦用に特化させた貫通力の高い航空爆弾だ。

 船に対する威力ならば、我が運んだ九一式航空魚雷も負けるつもりは無いが、今まさに戦艦の甲板を突き破って内部で爆発する様を見ると、中々どうして様になってるではないか。

 

(ふむ。少なくとも戦艦で無事な物は、すでに無くなっているようだな……)

 

 細かい戦果分析は、この後マルタより飛んでくるだろう偵察機に譲るとして、

 

「なに、刺客はまだまだ居るのである……!!」

 

 だから、今はこの程度で満足してやろう。

 我が名は”木村 銀河(ぎんが)”。我がなと同じ機体に乗るまでは、散らぬと決めた漢なのであるっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は、微妙にマレー沖と真珠湾のオマージュだったり。

実は、転生者の元ネタは、史実の人物と架空の人物の大きく2パターンありますw



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第8話 マッチング(ただしオッサン同士である)

今回は、ちょっと幕間的な話。
メインはタラントに至るまでの前日譚。
ただし……色気は皆無ですw








 

 

 

 第一次世界大戦に参戦した日本皇国軍の評価は総じて、

 

 ・陸上では、攻めに見るべき部分はさほどあるわけではないが守りを得手としており、士気は高くなりにくいが反面下がりにくい。また、粘り強く戦い、崩しにくく崩れにくい。

 

 ・海上では、アドミラル・トーゴ―の神通力は、その弟子たちには受け継がれてはいない。投入した主力艦(戦艦)4隻のうち半分を、ジェトランド沖海戦で事実上失っている。弱くは無いが強いとも言えない。

 

 ・空中に関しては、一部のエースが目立ったが組織として航空機の運用に長けているとは言えない。また国産機の開発に出遅れており、未熟と言ってよい。

 

 とこんなところだろう。

 基本的に、攻勢より守勢寄りの軍隊……同盟国である英国でさえそう評していた。

 だからこそ、英国は断られるのを覚悟でタラント空襲、”ジャッジメント作戦”への協力を日本側に要請したとき、そのあまりにも”攻撃的な返答(・・・・・・)”に酷く驚いたという。

 

 

 

 史実通りに1940年11月11日から12日に行われた英国機動部隊による夜間空襲が敢行された。

 ここまでは良い。

 マルタ島を飛び立った日本皇国空軍の陸攻・重爆隊が主に英国雷撃機(ソードフィッシュ)が討ち漏らした無傷の敵艦を痛めつけたことも既に書いた。

 だが、ここで終わりなわけじゃない。

 ここで終わるわけはない。

 

「神様……」

 

 港の一角に据え付けられたブレダM35/20mm対空機関砲の装填手を任されていた若いイタリア人兵士、マルコ・ボカッティ一等兵は天を仰いだままそうもらしてしまった。

 確かに自分は日曜のたびに教会に通うような信心深さはないけど、ここまでの目に合うほど悪いことはしてないはずだと。

 

(二度も空襲したんだぞ!? もう十分だろっ!?)

 

 そう、彼の視線の先には、空冷エンジンの音を囂々と響かせながら爆弾を抱えて飛ぶ、数十にも及ぶ飛行機の姿があったのだから……

 そして、その翼には残らず”日の丸”が描かれていた。

 

「日本人は守りしかできないんじゃなかったのかよっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は、数か月前……まだ英国首相がネビュラ・チェンバレンだった頃に遡る。

 

 フランスがドイツ人に屈服してほどないその日、英国地中海艦隊作戦部長バートランド・ラムゼー中将はジブラルタル基地からマルタ島を経由してエジプトの港湾都市”アレキサンドリア”へと赴いていた。

 それを出迎えたのは、現在、アレクサンドリアを母港とする地中海艦隊水上打撃部隊”H部隊”の司令官ジャック・サマーヴィル中将だ。

 

 軍港、あるいは要塞と称してよいその街の郊外には、広大な敷地の中に近代的だが厳めしい施設があった。

 

「”日本皇国統合遣中東軍司令本部”か……」

 

 軍の公用車として納品されたモーリステン・シリーズMのドアを開けつつ身分証を衛兵に見せ、二人は施設へと入っていった。

 

 

 

***

 

 

 

 日本皇国統合遣中東軍司令本部は、ドイツが再軍備を宣言した1935年より建設が始まり、1936年の終わりには初期機能を獲得している。

 その目的は、言葉の通り「日本皇国から地中海を含む(・・・・・・)中東へ派兵された陸海空軍全てを統括する司令部」であり、現状でも総兵力20万を超える中東・地中海方面に展開する皇国軍の中枢であり頭脳だった。

 それに相応しいだけの人員や各種設備が必要であり、そうであるがために巨大な施設と見合った敷地が必要とされた。ついでに言えば、本国からの段階的増援予定が組まれてる昨今、更なる機能拡張工事が続いていた。

 組織的には、この司令部の下に各地に設置されている海軍の艦隊司令部や陸軍の師団司令部や空軍基地司令部があるのだ。

 

 そして、日に日に悪くなる戦況で予想はしていたが……フランスが予想よりも早期に陥落。

 そのあおりを食らって日英問わず軍人たちに暇などないこの時期に、ご機嫌伺いや見学目的でわざわざ英国軍全体でも上位に位置する2人が、こんなところに来るはずはない。

 

「メルセルケビールに停泊するヴィシーフランス艦隊を監視だけに留めるのは大いに賛成ですな。味方は信頼関係を築けるのであれば、事あるごとに増やすべきですが、敵は可能な限り増やすべきじゃない。ましてや、」

 

 その福福しいと呼びたくなる柔和な風貌の男はティーカップをおいて、

 

「ましてや、中立を宣言した相手に殴りかかるなど英国紳士にあるまじき行為と言えるでしょうな。そうは思わないかね? ”小沢”君」

 

 すると隣に座っていた対照的に細身でいかにも切れ者という感じの男は頷きながら、

 

「司令の言う通りですな。英国紳士たる者、相手に先に手を出させつつ、優雅に捌いて強烈なカウンターを叩き込む気概が欲しいですな」

 

 司令官執務室の応接セットでラムゼーとサマーヴィルを応対する二人の日本皇国軍人……

 陸軍大将の階級章を付けた福福しい男の名は、”今村 仁(いまむら・ひとし)”。皇国中東陸海空三軍のトップである。

 そしてもう一人、海軍中将の階級章をつけるのは”小沢 又三郎(おざわ またさぶろう)”。中東・地中海方面に配属された皇国艦隊の司令官であった。

 

「ジェネラル・イマムラの耳は相変わらず早いようで何よりですな」

 

 とラムゼーが返せば、

 

「生憎と耄碌してる暇がない物でね。それは君たちとて同じだろう?」

 

「まあ、否定はできませんな」

 

 そうサマーヴィルが苦笑する。

 一通り諧謔を楽しんだところで、今村はこう切り出す。

 

「ところでラムゼー中将、サマーヴィル中将、ジブラルタルで激務に勤しんでいるはずの君たちが、いったい何用でアレキサンドリアまで出向いたのかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、日英の曲者が揃ってしまいましたw


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第9話 オマージュ・オブ・パールハーバー

サブタイ通り、真珠湾攻撃のオマージュ回になっております。




 

 

 

 フランスがドイツに膝を屈してからほどなく、アレクサンドリアにある”日本皇国統合遣中東軍司令本部”へ訪れる二人の英国紳士……もとい。英国軍人の姿があった。

 

 一人は、英国地中海艦隊作戦部長バートランド・ラムゼー。もう一人は、”H部隊”司令官ジャック・サマーヴィルだ。

 二人の中将の来訪に応対したのは、こちらも皇国軍の高官、中東・地中海方面に展開する日本皇国陸海空三軍を統括する今村仁大将。もう一人は戦艦2隻・巡洋戦艦2隻・正規空母2隻を抱える遣中東艦隊司令官である小沢又三郎中将である。

 

「なるほど……”ジャッジメント作戦”、タラント港攻撃を皇国軍(われわれ)に協力しろと?」

 

 今村の言葉に作戦全体の責任者であるラムゼーが頷く。

 

 正直に言えば、ラムゼーは日本皇国軍が協力してくれる可能性は良くて半々だと思っていた。

 守りに定評のある皇国軍、それは海の戦いにも通じると考えられていた。

 実際、防御的海戦である対馬沖(日本海海戦)では大勝し、迎撃戦ではあるが攻勢的側面を持つジェト(ユト)ランド沖海戦では当時最新鋭だった戦艦2隻を失っている。

 いや、実際の戦術や適性よりも日本人自体がそう思っているフシ(・・)がありそうなのが問題だった。

 だが、

 

「小沢君、作戦の概要を聞いてどう思ったかね?」

 

 今村の言葉に小沢は少し考えてから、

 

「端的に申し上げても?」

 

 視線は今村でなくラムゼーとサマーヴィルに向いていた。

 ラムゼーが無言で頷くと、

 

「少々、手緩いのではないでしょうか?」

 

 

 

「手緩い……ですか?」

 

 予想外の言葉にラムゼーが表情に出さぬように驚いていると、今度は小沢が頷いた。

 

「タラント港は目下イタリア海軍が抱える一大軍事拠点。しかも現状において実働可能な戦艦6隻全てが集結している……これは千載一遇の好機なのではないですか?」

 

「アドミラル・オザワ、君はこう言いたいのか? どうせやるのであれば徹底的に、と」

 

 小沢は獰猛な笑みを浮かべる。

 笑顔とは本来攻撃的なものという説を全肯定するような表情であった。

 

「皇国が戦力を出す以上、”日英の投入できる全力”をもって一網打尽にすべきでしょうな」

 

 あまりに攻撃的な内容に啞然とするラムゼーに、友人がやりこめられる珍しい表情に笑いを嚙み殺すサマーヴィル。

 しかし、小沢の言うことは間違っていない。

 現在、イタリアが動かせる戦艦の全てはタラントに終結してるし、それを全て叩けるのであれば地中海の制海権は大きく日英同盟に傾くことになる。

 今村もうんうんと頷きながら、

 

「そうなれば、マルタ島もジブラルタルも、そしてこのアレクサンドリアも当面は随分と安全度が上がるのではないかね? つまり、皇国軍(われわれ)にも理があるということになる」

 

「……皇国は、どの程度のお力添えを?」

 

 あえて持って回った言い方をするラムゼーに今村は、

 

「必要であれば地中海にある全ての皇国艦隊を。具体的に言うなら戦艦4杯と空母2杯、全て投入して構わんよ」

 

 予想以上の回答に絶句するラムゼーと口の端を吊り上げるサマーヴィル。

 そんな二人を見ながら今村は、

 

(あの”博打うち(やまもと)”が如何にも好みそうな作戦だ。まさか嫌とは言わんだろう。参加できないことを悔しがるかもしれんが)

 

 おそらくは今頃、本国でつまらなそうに書類と格闘しているだろう連合艦隊長官を務める友人の顔を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 舞台は、再び1940年11月12日、現地時間で正午を迎えたタラントへ……

 

 

 

「ぎゃあああっ!! なんであいつら、高射砲陣地なんかにわざわざ爆弾落としてくるんだっ!?」

 

「狙うなら船狙えっ! 船っ!」

 

 何やら船乗りに激怒されそうなことを叫びながら逃げ惑う高射砲要員。

 だが、無理もない。

 これまで起こった日英の空襲は、いずれもタラント港に停泊する艦船を狙ったものだ。

 少なくとも自分達は眼中になかった……そうであるが故に”一方的に撃てた”のだ。

 だからこそ、彼らは自分達が「狙われる側」になる事を想定できていなかった。

  

 その唐突な惨状を見ながら、マルコ・ボカッティ一等兵は、20㎜弾が12発入った保弾板を抱えながらガタガタ震えていた。

 

「おらっ! 新入り! さっさと弾込めろっ!!」

 

 対空機関砲の指揮を執っていた親方と呼びたくなる風体の古参軍曹が怒鳴るが、

 

「隊長、逃げましょうっ! 日本人共は鉄砲撃ち(おれたち)を殺しに来てますっ!!」

 

「バカ野郎っ! 俺たちが逃げ出し……」

 

 ”ぱきゃ”

 

 言葉の途中で、軍曹の首から上が破裂する。

 あちこちで爆弾が炸裂しているが、普通はこんなところまで破片は飛んでこない。

 何が当たったかはわからないが、飛び散る脳漿や眼球を認識する前に、ボカッティは意識を手放したのだった。

 

 

 

 彼らは気がつくことはなかったが、皇国軍が高射砲陣地攻撃に使用したのは、通称”三号爆弾”、正確には”二式二五番三号爆弾一型”と呼ばれる一種のクラスター爆弾で、投下すると空中で炸裂、下方へ円錐状に800個の焼夷弾子をばら撒く仕様となっていた。

 今回、急降下爆撃で投下された250kg級ならば、直径300mの円状が散布界となる。

 

 イタリア人軍曹の頭を吹き飛ばしたのは、跳弾した弾子の一発だったようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 この時、タラント港各所に設けられた高射砲陣地を集中的に爆撃していたのは、地中海に配備されていた2隻の日本皇国正規空母、搭載機数最大84機を誇る最新鋭の”翔鶴”と”瑞鶴”から飛び立った急降下爆撃機、”九九式艦上爆撃機”だった。

 

 延べ120機の艦載機による攻撃は、空中集合などの関係から二波に分けられている。

 今回の爆撃はその一波目、第一陣ということになる。

 

 

 確かに彼らの攻撃は、定石(セオリー)から考えると少し奇妙だ。

 港のイタリア戦艦は損傷してこそいるが、まだ完全に破壊された訳ではない。

 少なくとも現在の損傷ならば、まだ修復は可能なはずだ。

 だが、意味は当然ある。

 

「こちら第一次攻撃隊。高射砲陣地に対する”新型爆弾(・・・・)”の効果は極めて良好」

 

 高射砲や高射機関砲は上空から来る航空機を迎撃するもので、射界を確保するために上はがら空きである。しかも砲の周辺には対空用の炸裂弾や装薬などの可燃物や爆発物がごまんとある。

 そこに上空から”小型焼夷弾の雨”が降り注ぐなら、ある意味この結果は当然であった。

 

「小癪な猟師は粗方黙らせた。後続は予定通り、されど油断せずに進軍されたし」

 

 どうやら皇国軍のターンはまだまだ終わらないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、空軍に続いて皇国海軍の攻撃(ターン)です。

そして、どうやらターンは最低あと1回は来る模様。
つまり、特殊能力は2回行動?





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第10話 ミートボールのトマトソース煮込み(比喩)

イタリアでは肉団子のことをポルペッテとかポルペッティとか言うらしいですね?




 

 

 

「こりゃ”隼”共に食い尽くされたかねぇ」

 

 俺、”藤田 治五郎(じごろう)”はそう独り言ちる。

 

(最新鋭のゼロ戦を持ち出してきたのに、これじゃあ甲斐がないったりゃありゃしねぇな)

 

 制式名称を言えば、”零式艦上戦闘機・二二型”。

 と言っても、「前世で俺が知ってるゼロ戦二二型」とは形は似たり寄ったりだが、中身がかなり違う。

 まずエンジンが中島製の”栄”ではなく、機体設計と同じく三菱製”金星”の五〇番台だ。

 離昇出力1,300馬力とまあこの時代のエンジンとしては高出力な方で、これに推力式単排気管を組み合わせている。

 まあ、栄よりややデカいエンジンなので機首に機銃は搭載されなく、また前世のゼロ戦では”売り”の一つだった20㎜機関砲はまだ十分な性能な物の開発が終わって無いとのことなので、左右の主翼に2丁づつ計4丁のホ103/12.7㎜機銃が搭載だ。

 まあ、火力云々はさておき、前世の日本陸海軍みたいに「同じ口径の航空機銃なのに弾丸違う」なんてことにならなくて何よりだ。特に4丁共に弾道特性が同じってのが扱いやすくて良い。

 ついでに言えば、主翼の燃料タンクもセルフシーリング型だから、なんか色々なタイプのゼロ戦の特徴混じってんな。

 

(そういや、下で大暴れしている九九式艦爆や後続の九七式艦攻も五〇番台の金星エンジンで統一してたっけか)

 

 まあ、空母ってのはスペースも搭乗員の数も限られてっから、パーツの共用化や整備員の負担の軽減って理由なら納得も行く。

 まあ、中島はゼロ戦より予定生産数の多い”隼”の栄エンジンや次期主力エンジンの”誉”の開発で今頃はてんてこ舞いだろうからちょうど良いのかもしれん。

 後は無線機とかの性能も良いと思うぞ。当時の資料(前世の頃のゼロ戦な)を読む限り多分だが。英国のそれと同等らしく、少なくとも雑音だらけで使い物にならないってことは無い。

 

 

  

 さて、本来なら”瑞鶴”隊の戦闘機乗りの俺が、タラント上空で何をやってるのかといえば、”エアカバー”だな。

 要するに、集束爆弾で高射砲陣地潰しまくってる九九式や、もうすぐ攻撃態勢に入る九七式の上空支援、上がってくる敵の迎撃機から味方を守る簡単なお仕事だ。

 

(ただし、何故か敵機は上がってこないんだけどな)

 

 タラント港には隣接した航空基地があったはずだが、

 

「いや、ホントにマルタの鷹ならぬ”隼”共に全部食われたのか?」

 

 それならそれでいいんだけどね。

 油断するつもりは無いが、正直拍子抜けだ。

 

(できれば、近場の基地から戦闘機上げるくらいの根性は見せて欲しいところだが……)

 

 いや、それは詮無き事か。

 この時期のイタリア戦闘機は脚(航続距離)が短く、速くもない。

 おそらく主力はマッキのMC.200(サエッタ)か、フィアットのG.50あたりだろうが、いずれにせよ航続距離は1,000㎞に届かない。

 これでは少しでも離れた基地から飛んで来たら、ほとんど滞空できる時間は無いだろう。

 

「それにイタリアは未だ電探(レーダー)を実戦配備できた形跡なし、か」

 

 それはともかく、

 

「来た来た」

 

 事前ブリーフィング通り、九九式艦爆による高射陣地掃討が終わり次第突入する手はずになっていた大型爆弾の運び屋達。

 

「第一波のトリ(・・)を飾るは、爆弾抱えた九七式ってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 1940年において日本皇国軍において、”攻撃機”というのはエンジンの数や搭乗員数、海空の区別なく「航空魚雷を搭載し、対艦攻撃を行う機体」ということになる。

 ちなみに陸攻、”陸上攻撃機”というのは「陸上から発進して対艦攻撃を行う機体」であり、「陸上を攻撃する機体」ではない。

 この言葉の定義が変わるのは、戦後の話になる。

 また、同じ意味で艦上攻撃機は「空母から発艦して魚雷で対艦攻撃を行う機体」となる。

 

 九七式艦上攻撃機もそういった機体の一つだが、かと言って”魚雷しか積めない機体ではない(・・・・)”。

 機体強度の関係で急降下爆撃こそ不可能だが、最大800kgの爆弾を搭載し水平飛行による爆撃、水平爆撃が可能な設計になっている。

 それもそのはずで、九一式航空魚雷の重量は約800kg、それを抱えて海面ぎりぎりを飛行して敵艦に肉薄、魚雷を投弾するのが攻撃機の役割なのだ。

 

 そして今回の九七式の役割は、魚雷での対艦攻撃ではない。

 まだイタリア戦艦は修理不可能な完全破壊には至っていないが、先の攻撃の後にマルタ島の空軍偵察機が持ち帰った航空写真やその他の情報を精査した結果、「敵の主力艦艇は全て損傷し、すぐに出航できる状態にない」事が判明した。

 

 だからこそ、”軍艦以外の優先すべき目標”に殺到したのだ。

 

 

 

「やめろ……やめてくれっ!!」

 

 消火班を率いていたイタリア海軍、フェルッチオ・フェラーニン少尉は悲嘆の声上げてしまう。

 運が悪いことに、彼は目撃してしまったのだ。

 

 ミートボール(ポルペッティ)のトマトソース煮込みのような国籍マークを付けた飛行機から、妙に大きく見える爆弾が投下されるのを。

 それが1発ではなく数機から一斉に投弾され、まるで吸い込まれるように船舶用の”大型重油タンク(・・・・・・・)”に落ちていくのを……

 

 この時、”翔鶴”と”瑞鶴”の第一波攻撃隊に属する九七式が胴体下に懸架していたのは、”九九式八〇番五号爆弾”。

 そう、マルタ島の皇国空軍第15飛行団”吞龍”隊が機内爆弾倉に抱えて飛んできて、無傷のイタリア戦艦に落として大損害を与えたアレ(・・)である。

 そして、タラント港の重油タンクの防御値は、軍事基地の設備だけあり純粋な民生用より上ではあったが装甲化された戦艦の水平甲板よりも低かった……いや、そもそも40cm級の主砲弾の直撃に耐えられる重油タンクなど、この時代のイタリアのどこを探しても無かった。

 

 そして、結果は推して知るべし。

 800kgの爆弾が、隔壁を貫き”重油タンク内部で爆発(・・・・・)”したのだ。

 

 

 

 だが、中から破裂するタンクに絶望の表情を浮かべるのは少々早すぎた。

 繰り返すが、これは2隻の正規空母から行われる攻撃の第一波、一次攻撃隊(・・・・・)なのだ。

 

 そして、一次攻撃隊とほぼ同じ規模の二次攻撃隊は、既に発艦を始めているはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




皇国海軍の攻撃は、割と執拗です。



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第11話 タラント炎上祭り(物理)

タラント港がもえもえです。




 

 

 

 ”翔鶴”と”瑞鶴”の2隻の正規空母から飛び立った日本皇国海軍の第二次タラント攻撃部隊の爆撃は、ある意味において異様であり異質であった。

 まず、第一次攻撃隊の九九式艦爆は、胴体の下に250kg級のクラスター爆弾を吊るし、主に高射砲陣地を潰して回っていたが、第二次攻撃隊の九九式艦爆は、左右の主翼と胴体の下に、やや小ぶりな形状の爆弾を懸架していたのだ。

 

 そして、生き残ったイタリア人は奇妙な光景を見た。

 第一次攻撃隊の九七式艦攻の水平爆撃により多くの重油タンクが破壊されたが、だからといって全ての重油が燃えた訳ではない。

 そもそも重油というのはガソリンなどに比べて揮発性が低く、引火しにくいのだ。

 

 しかし、九九式艦爆はその未燃焼の重油だまりに向けて小型爆弾を投下していった。

 その時、イタリア軍人はようやく気が付いたのだ。

 日本人たちは油に火を点けて周り、文字通りタラントを火の海にしようとしているのだと。

 

 そう、第二次攻撃隊の九九式が投下していたのは、”九八式七番六号爆弾一型改”。

 内部にエレクトロン合金、テルミットとマグネシウム合金で出来たキャニスターを4本内蔵し、それをばらまくことによって水をかけても消えず、非常に高温になる”テルミット火災”を引き起こす厄介な焼夷弾であった。

 

 第一次攻撃隊の九九式の爆弾にも焼夷効果があったが、あれはあくまで「高射砲を壊して燃やし、使えないようにする」というものであり、性質的には普通の散弾型集束爆弾だ。

 

 だが、第二次攻撃隊の九九式のそれは、「火付けを目的」としたものであり、燃焼温度と燃焼時間がまるで違った。

 重油は先も書いた通りガソリンより引火温度が高く(ガソリンは-40度以下でも引火するが、重油の引火点は60度以上)、燃えにくいがいったん燃え出すと熱量が高く消火しずらいうえ、毒性のある亜硫酸ガスを発生させるので厄介だ。

 おまけに比重が名前に反して軽く水に浮く。

 つまり、燃え盛る重油が港に流れ出したら更なる惨事となること請け合いだった。

 

 

 

 そして、流れ出る重油に次々と引火あるいは着火し突然大量発生する”炎の川”にイタリア人が慄いている最中、今度は弾薬貯蔵庫が立て続けに爆発する。

 言うまでもなく、第二次攻撃隊の九七式の爆撃であった。

 

 ご丁寧なことに、手持ち無沙汰に上空を旋回していた戦闘機(ゼロ戦)が、主翼下にに吊るした同種の焼夷弾を弾薬庫に放り込んでいく。

 実はゼロ戦にも非常に小さいが爆弾搭載能力があり、60kgサイズなら左右それぞれの翼下に1発ずつ搭載できたのだ。

 本職の急降下爆撃に比べれば雑もいいとこの爆撃だが、「被害を広げるだけ」なら十分と言えた。

 

 ちなみにゼロ戦が搭載していたのは、”九九式六番三号爆弾”で、第一次攻撃隊の九九式が落としたそれの小型版だった。

 一次攻撃隊の先行偵察機による無線報告から、タラント周辺の迎撃機は払拭されたと考えた空母部隊首脳部が、急遽ゼロ戦にも爆装するように命じたようだ。

 日本人は、暇とか手持無沙汰を嫌うし、勿体ない精神の権化みたいなところもあるのだから、この判断も当然と言えば当然だった。

 

 ただし、基本的な命令は「いのちだいじに」。敵戦闘機を万が一にも発見したら、直ちにに爆弾を投棄しろ。間違っても爆弾付けたまま戦闘するんじゃないと厳命されていた。

 とある艦隊航空参謀によれば、

 

『なあに、どうせ投棄したところで落ちる先はタラント港のどこかだ。構うまい』

 

 とのことだった。

 ただし、未だにイタリア戦闘機が姿を表したところは誰も見ていないが。

 とはいえ万が一がある。一部の九九式艦爆は分派し、既にまともに飛べる機体が残っていなさそうなタラント港隣接航空基地を景気よく爆撃していた。

 よく見れば、腹に抱えているのは第一次攻撃隊の九九式と同じ”二式二五番三号爆弾一型”、要するに焼夷効果のある集束(クラスター)爆弾だ。

 三号爆弾はそもそもは滑走路攻撃用の爆弾であり、本来の使われ方をしてるところから察するに、どうやら最初から飛行場攻撃も予定に入っていたらしい。

 どこぞのゼロ戦乗りには残念な知らせかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 正午を目途に始まったと思われる二波の日本皇国軍機の攻撃は、午後二時半には完全に終わっていた。

 生き残りのイタリア海軍士官、フェルッチオ・フェラーニン少尉は避難した港が一望できる高台からこう呟いた。

 

「英国人にティータイムに誘われたから帰ったんだろうな。日本人ってのは、英国人に尻尾を振るのが大好きな民族らしいからな」

 

 と力なく笑った。

 

「どうせなら、ランチタイムに誘ってくれりゃあいいのに」

 

 と同じく海軍情報部の末席に名を連ねる士官学校同期(ゆうじん)が返せば、

 

「そりゃ無理だろう。英国人の飯は、朝食以外はクソ不味い。いくらド田舎の島国暮らしでも、犬の餌以下は願い下げだろうさ」

 

 そして、ふと気付く。

 

「なあ、昼飯の邪魔しに飛んできたのって、空母機じゃなかったか?」

 

「今更だな。だとしても、俺達にはもう打つ手がない。港を見てみろよ?」

 

 そこにあったのは、スクラップ置場とは海軍の意地にかけて言わないが、当分は動けそうもない……比喩でなく、港から出せそうもない損傷を受けた戦艦の群れ。あるいはその慣れの果て。

 いや、戦艦どころか多くの軍艦が損傷させられており、もはやイタリア海軍は半壊したと言ってよいだろう。

 地中海の覇権を狙う一角を占めていたイタリア海軍も、今は落日の時を迎えていた。

 

 日本人があふれた油に火を点けまくって起きた港の大火災は未だ鎮火する様子を見せず、それどころかまだ修理すれば使えそうな船にまで”炎の川”が伸びて延焼しないか心配しなければならない状況だ。

 正直、いつそうなってもおかしくなく、今のイタリア軍にはそれを止める手立てがない。

 タラント港の多数派(マジョリティ)は、今や熱と炎と煙と亜硫酸ガスであり、どれも人間の存在を拒むものだった。

 

「ひどい有様だな。生き残ったのは、小ささゆえに見逃された小舟ばかりか」

 

 すると友人は乾いた笑いで、

 

「良いじゃないか? 元々、我らがイタリア海軍は戦艦より魚雷艇の方が強い。生き残ってるだけ御の字だ……ん?」

 

 友人が何かを気づいたように、

 

「フェラーニン、首から下げてる双眼鏡まだ使えるか? そうか。なら見てみろ」

 

 と海の方向を指差した。

 

「なんだよ……ヲイヲイ!」

 

 双眼鏡がとらえたのは、暴れまわった日本人の機体と比べるなら、ひどく古臭い印象を受ける複葉機の群れ……むしろ見慣れた機影だった。

 

ライム野郎(イギリス人)ども、今さら何しに来やがったっ!? 壊せるもんなんて、もう何も港に残っちゃいないぞっ!!」

 

 その異変に気付いたのはフェラーニンだけではなかったようだ。

 ごく少数ではあるが、イタリア男の意地を見せんと避難した軍人の中にも、カルカノ小銃を手に取る者もいるが……残念ながら、その行動は徒労に終わる。

 

 

 

 

「あいつら、何をやってんだ?」

 

 英国の誇る雷撃機”ソードフィッシュ”は、損傷した船に近づこうともせず、港湾内の水面に何かを落としているようだが……

 

「ああっ、おそらくだがありゃ機雷だな。航空機から投下するタイプの」

 

「はあっ!?」

 

 その友人はやけに乾いた笑顔と共に、

 

「どうやら英国人は、よほどイタリア艦艇(おれたち)を港の外に出したくないらしいな」

 

 

 

 正解であった。

 航空機による浮遊機雷、ならびに沈底機雷の散布……この殺意に不足のない駄目押しこそが、”ジャッジメント作戦”における日英空母機動部隊による最後の作戦だった。

 

 そう、”空母部隊にとって(・・・・・・・・)”はだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ライム愛好会なら、死体蹴りくらい紳士のたしなみで済ますよね?



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第12話 ジャッジメント作戦と聞いて連想するものは?

日英タヌキミーティング in アレクサンドリア、再び。


 

 

 

 時と場は再び、数ヵ月前のアレキサンドリアに戻る。

 

 

 

「ところでラムゼー中将、タラントへの攻撃は航空機だけで行わねばならないのかね?」

 

 ジブラルタルよりアレキサンドリアにある”日本皇国統合遣中東軍司令本部”へ足を運んだ二人の英国軍高官の片割れ、英国地中海艦隊作戦部長バートランド・ラムゼーに中東に展開する日本皇国陸海空三軍を統括する今村仁大将は問いかける。

 

「と言いますと? 現有の投入できる戦力で、もっとも有効的に打撃を与えられるのが航空機だと愚行致しますが?」

 

 疑問を隠さない表情のラムゼーだが、今村は今度は同期であり友人であり部下でもある遣中東艦隊司令官である小沢又三郎中将に、

 

「小沢君、日本皇国(われわれ)がこの”ジャッジメント作戦”に投入できる航空兵力(・・・・)は如何程かね?」

 

「マルタ島の空軍第15航空兵団と”翔鶴”、”瑞鶴”からなる”二航戦”でしょうな」

 

「攻撃機と爆撃機だけで考えれば、基地航空隊からせいぜい50、機動部隊からは100、多くても110というところか……」

 

 今村は自分の禿げ上がった頭を撫でながら、

 

「足らんな。あと一押しが足らん。英国軍がどれほどの戦果を夜襲であげたとしても、やはりもう一手は欲しい」

 

「足らない? 何がです?」

 

 今村は一瞬、きょとんとした顔をしてから、

 

「そりゃあ君、”イタリア艦隊もろとも、タラント港を完膚なきまで叩き潰す(・・・・・・・・)”火力がだよ」

 

「……は?」

 

 その言葉の意味が解らない顔をするラムゼーに、今村は意外そうな顔で、

 

「英国紳士たる者、”恋と戦争では手段を択ばない”のではないのかね?」

 

「い、いえ、そういうことも無きにしも非ずですが……」

 

 どうも頭が理解を拒むような顔をするラムゼーに対し、妙におとなしかった戦艦を多く抱えるH部隊司令官、ジャック・サマーヴィル中将は対照的に「ようやく面白くなってきた」という表情を浮かべていた。

 

 

 

***

 

 

 

「どうやら私とラムゼー中将の間には、認識の隔たりがあるようだね?」

 

 今村は一口紅茶を含むと、

 

「ラムゼー中将、君から”ジャッジメント作戦”の概要を聞いた時、私が何をイメージしたかわかるかね?」

 

「生憎と」

 

”最後の審判”(last judgment)さ」

 

 事もなげに宗派を問わずキリスト教徒に刺さるワードを放つ今村に、ラムゼーは一瞬、目を見開いた。

 

「この戦いは、間違いなく”天王山(・・・)”になる。この戦いを制したものが、事実上の地中海の制海権を掌握できる。まあ、そういうことだね」

 

「それは、その通りなのでしょうが……」

 

「だからこそ、”黙示録的な風景”を見せつけてやる必要があるのさ」

 

 その瞬間、温和な顔つきの壮年の男から滲み出た気配に、ラムゼーは息をのんだ。おそらくソファーに座っていなければ、気圧され一歩後ろに下がったかもしれない。

 

「キリスト教の総本山がある国だからこそ、”煉獄に包まれる港(・・・・・・・・)”を見れば、その風景が想起される。直接街を焼き払うことだけが、敵国民や政府を屈服させる方法じゃないよ?」

 

「……」

 

「それにタラントが壊滅すれば、小沢君、ムッソリーニはどこまで残存艦隊を下げると思う?」

 

「どんなに近くてもナポリに拠点を移すでしょう。また、海軍の活動自体もひどく低下するでしょうな」

 

 その回答に今村は満足したように、

 

「イタリアがナポリに艦隊を移動させた後は、メッシーナ海峡を手早く機雷封鎖してしまえば良い。そうすれば、連中の活動範囲はティレニア海とアドリア海に制限されるのではないかね? これで当面は地中海は日英(我ら)が浴槽ということになる」

 

 確かに理にはかなったいるが……

 

「それに徹底的にタラントを叩くのは、もう一つ意味がある」

 

「というと?」

 

 そう聞いたのはラムゼーではなくサマーヴィルだった。

 ラムゼーは現在、思考の海に深く沈降中らしい。

 

「メルセルケビールに船ごとひきこもるフランス人に、”日英と敵対すれば、どういう結果を招くか?”という教訓を与えられる」

 

 

 

(こ、この男は……なんてことを考えているんだっ!?)

 

 サマーヴィルは内心、今村の胆力に舌を巻いた。

 

「皇国の立場としては、わざわざ中立を宣言してる勢力と敵対する意味はないと考えるが……中立宣言をしておきながら、敵対行動を獲られれば対処しないわけにはいかん」

 

 そして今村は歴史上、「素直という評価を受けたことがない」という英国人が好みそうなフレーズを考え、

 

「皇国のドクトリンに”無駄弾を撃って良い”というものは無いのですよ。我が国も英国同様、戦争による借金で苦しんだ経験があるのでね」

 

 日露戦争の戦費を日本は英国より借り受け、英国は第一次世界大戦の戦費を米国より借り受けている。

 英国が第一次世界大戦後にドイツにあれほど高額の戦時賠償金を吹っ掛け、厳しく取り立てたのは借金返済に充てる為でもあったのだ。

 そして、日本は第一次世界大戦の全面参戦で英国への借金はチャラになったが、英国はまだ完済しきれていないないのだ。

 

 

 

(内山陸軍大将(ジェネラル・ウチヤマ)は、戦争狂い(ウォーモンガー)という厄介な人種なのか?)

 

 だが、ラムゼーの優れた脳ミソは、直ちにその安直な結論を否定する。

 

(言ってたではないか? 『そうなれば、マルタ島もジブラルタルも、そしてこのアレクサンドリアも当面は随分と安全度が上がる』と)

 

 となれば、導き出される結論は、

 

(”最小の労力で最大の効果”、余計な戦闘は避けるが、戦果が期待できる作戦には惜しげもなく戦力を流し込む……そのリスクを計算したうえで)

 

 表情に妙な笑みが浮かびそうになるのを抑制する。

 今村の意図は、その根本はシンプルだ。

 

(徹底的にイタリア艦隊を潰し、タラントを更地に変える)

 

 その期待できる結果は、作戦以後の戦闘の減少。

 ジャッジメント作戦に参加する兵力が増えれば、基本的に戦死者は数的には増える(・・・・・・)かもしれない。

 ”戦力二乗の(ランチェスター)法則”から言えば、投入できる戦力が多ければ、それだけ味方の生存が増えるはずだが、現実の戦場はそう単純じゃない。

 例えば、英国空母部隊の攻撃は夜襲であり、完全に相手の虚をつく奇襲になるだろうが、次の攻撃はタイミング的に夜明け時……船は損傷を受けても、迎撃機や高射砲がその力を発揮できる時間帯(この時代のイタリアではレーダーはまだ実用化できておらず、目視による戦闘活動に頼っていた。なので、例えば戦闘機は全て昼間戦闘機と考えて良い)となり、その分、被撃墜リスクは高まる。

 

 だが、余程のヘマをやらかさない限り”損耗率は減る(・・・・・)”。単純な分母と分子(パーセンテージ)の話でもあるし、投入できる戦力が増えれば敵に与える損害も比例して増え、相対的に味方の損害は減るだろう。

 敵を倒すということは、それだけ反撃する力を奪うということだ。

 

(”日本人は、ディフェンスが主体の軍隊”か……要するに、)

 

「”アクティブ・ディフェンス(積極的防御)”……ジェネラル・イマムラは、どうやらコストパフォーマンスが高い作戦がお好きなようですな?」

 

 積極的に敵の攻勢戦力を潰し、それが用いられて将来的に受けるかもしれない損害を未然に抹消する”能動的防御”。

 防御活動の一環としての攻勢という訳だ。

 

「当然であろう? 消耗するのは金や物資だけではなく、将兵の命も対価になるのだからな」

 

「ごもっとも」

 

 ラムゼーは今度こそ笑みを抑えずに、

 

「計算に入れるべき犠牲(リスク)は確かに存在するが、そうであるが故に戦場では人命はもっと効率的に消費すべきでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 良い空気を吸ってそうなオッサン達

オッサン分、追加。




 

 

 

「私からも発言よろしいですか? 司令」

 

「かまわんよ」

 

 小沢又三郎中将の発言に今村仁大将は鷹揚に頷く。

 

「何も長間合い(・・・・)の武器は、飛行機だけではありませんが? おまけに夜にも飛行機より安全に使えます。いや、むしろ敵に接近しやすい夜に使うべきでしょうな。何しろ飛行機に比べれば、残念ながら間合いはずっと短い。むしろ夜の闇に紛れてタラントに近づくのです。その時、敵の偵察機が潰れているならなお良いでしょうな」

 

 小沢が何を言いたいのか気付いたのはサマーヴィルだった。

 

「そういうことであれば、”H部隊”も参加した方がよろしいでしょう」

 

 前にも述べたがH部隊は、戦艦を中核(・・・・・)とした水上打撃群だ。

 

「まちたまえ、サマーヴィル中将」

 

 慌てて止めたのはラムゼーで、

 

「君の部隊には同時期に別の任務があるだろう?」

 

 H部隊の”ジャッジメント作戦”における役割は、端的に言えばイタリア海軍への目くらましだ。

 夜間空襲をかける予定の正規空母”イラストリアス”と軽空母”イーグル”を艦隊に組み込んだ戦艦主体の水上打撃群のH部隊は、マルタまでMW3船団を護衛する任務にあたる予定だ。

 そして、アレクサンドリアからマルタ島までの往復のある海域で、空母部隊は数隻の護衛を引き付れて離脱。

 H部隊は何食わぬ顔で予定航路を進み、空母2隻を中心とする別働機動部隊がタラントに仕掛けるというのが現在における作戦の概要だった。

  

「ラムゼー中将、H部隊を大きく迂回させるというのは……」

 

「それで感づかれでもしたら、本末転倒だろうに」

 

「しかし”作戦部長”殿、英国立案・主導の作戦で、戦力的に日本におんぶにだっこでは、流石に座りが悪いだろう?」

 

 サマーヴィルの言うことにも一理あった。

 護衛がつくとはいえ英国側は正規空母1隻に軽空母1隻、日本側は今村の言葉を信じるなら、地中海に展開する日本皇国軍の艦隊主力、即ち4隻の戦艦と2隻の正規空母を出しても良いと言い出したのだ。

 これに加えて、マルタ島の航空隊まで出すという。

 

「それはそうだが……いや、まてよ」

 

 ラムゼーは少し考え、

 

「そういえば、予定通りならスエズ運河ルートで東洋艦隊へ回航される戦艦が1隻来るか……」

 

「ついでに言えば、それとは別口で戦艦が1隻、連動する”ホワイト作戦”に参加するためにジブラルタルより出ますな。都合よく正規空母を引き連れて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1940年11月10日午前7時(現地時間)

地中海、合流地点

 

「トーヴェイ中将、もうすぐ合流予定時刻です」

 

 従兵の入れたモーニングティーを楽しみながら、将旗を掲げた戦艦の提督席に座る英国海軍中将、ジョシュア・トーヴェイは機嫌良さそうに、

 

「リーチ君、彼らは時間に正確な方かね?」

 

「少なからず。アメリカ人よりは正確でしょう」

 

 対して生真面目に返す艦長のジェレミー・リーチ大佐は答える。

 第一次世界大戦の海戦ハイライト、”ジェト(ユト)ランド沖海戦”にまだ新米と言ってよい士官候補生として参加し、その強烈な印象を覚えていた。

 彼らは一方的と言ってよい大勝を齎せたトーゴ―のような奇跡や神業を持っていたわけでは無いが、それでも精強であった。

 戦艦が轟沈しても士気を落とさず戦い続けた姿が、今でも鮮明に残っていた。

 

「アメリカ人と比べるのは、流石にどうかと思うが?」

 

 と苦笑するトーヴェイ。

 この二人が座乗する戦艦の名は、我々が知る歴史より1年前倒しで建造され、今年(1940年1月)に就役したばかりのキング・ジョージⅤ世級戦艦2番艦、”プリンス・オブ・ウェールズ”だ。

 東洋艦隊へ回航される船とは、このプリンス・オブ・ウェールズの事だった。

 そして、プリンス・オブ・ウェールズと戦列を汲むのは、巡洋戦艦”フッド”。”ジャッジメント作戦”と前後して行われるマルタ島英軍への輸送任務”ホワイト作戦”で正規空母”アーク・ロイヤル”共々輸送船団護衛を担当しているはずだったが……

 

「アーク・ロイヤルは無事にポジショニングできそうなようだね?」

 

 作戦の概要はこうだ。

 プリンス・オブ・ウェールズは同じく東洋艦隊へ回航される予定の艦船と艦隊を組みジブラルタルを前もって出航。

 練度上げ目的の海上訓練を行いながら、ホワイト作戦の護衛艦隊を待つ。

 

 そして、マルタ島西方の洋上で、アレキサンドリアから出向した(正規空母イラストリアスの抜けた)戦艦主体のH部隊と合流、護衛任務を引き継がせる。

 何故なら、ホワイト作戦艦隊の中で主力だったフッドとアーク・ロイヤルは、この時点でそれぞれ独自の行動をとるからだ。

 

 

 

 実を言うと、11月12日のティータイム付近でタラント港に航空機雷を落としまくったソードフィッシュ隊は、イラストリアスからではなく別動隊として動いていたアーク・ロイヤルから発艦した航空隊だったのだ。

 

 そして一方、プリンス・オブ・ウェールズとフッドはどうしていたのかと言えば……

 

「時に疑問なのですがね、中将閣下(・・・・)。英国地中海方面艦隊副司令官がなんでわざわざ”臨時編成艦隊”の提督席に座っているんです?」

 

 するとトーヴェイは少し演技がかった顔をしながら、

 

「暇を持て余しているのが、司令部でも私しかいなかったんでね」

 

 要するに地中海のどこかを移動しているはずの日本皇国艦隊と合流するために、この東洋に向かう予定だった船と僚艦の本来の計画ならH部隊に合流するはずだった船は少数のお供を引き連れ動いていた。

 しかも、艦隊も臨時編成なら、指揮官(ていとく)も由緒正しい貴族っぽい外見とは裏腹に英国版傾奇者と来てる。

 

「いっそ清々しいまでの噓をつきますね? お労しいや地中海司令官(カニンガム)殿」

 

 なかなかに良い空気を吸ってそうな艦隊だった。

 

 

 

***

 

 

 

「艦影見ゆ! 戦艦らしき物4! 全て連装砲塔4基! 日章旗を確認しました!」

 

 水上見張り員の言葉に、トーヴェイは私物の双眼鏡を向け、

 

「それに私は把握しておきたかった、いやこの目で見たかったんだよ」

 

 まだ豆粒のような大きさだが、水平線の彼方にはっきりと浮かぶ4杯の黒鉄の城を見ながら、トーヴェイの顔に自然と笑みが浮かんだ。

 

「我らが親愛なる皇国海軍(ゆうじん)の、今の実力というものを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時計を1年早めて、プリンス・オブ・ウェールズ参戦。
相方はレパルスにしようかと思いましたが、ちょっと理由(ワケ)ありで”フッド”に。

マレー沖のオマージュであっても、ここはマレー沖ではないので……運命変更?



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第14話 かつて、多分、きっと港と呼ばれていた場所

そして、二日目の深夜の悪夢が幕開けます。




 

 

 

 皆さんは、二晩続けて悪夢を見たことはあるだろうか?

 まあ、それが夢と分かっていれば……あるいは、目覚めた後ならば気分は最悪だろうが、命にかかわることはそうは無い筈だ。

 

 だが、それがもし夢ではなく現実だとどうなるだろうか?

 その実例が、今タラント港で行われようとしていた。

 

 

 

 

 

 1940年11月12日23:00(現地時間)

 

 未だ重油火災が消えず、燃え盛るタラント港の姿を沖合から見つめる男たちがいた。

 彼らが座乗するのは海を進む黒鉄の城、日英6隻の戦艦が集結し、それを中核とする砲戦部隊だった。

 その陣容は、現状で機動的に地中海で運用できる戦艦の全てと言ってよい。

 

 ・長門型戦艦(長門、陸奥)

  16in45口径長砲連装4基8門を備えた大型戦艦で、ジェトランド沖海戦の戦訓を取り入れ大幅に設計変更がされた日本皇国の誇る高速戦艦だ。

  主砲こそ原設計と変わらないが、特に垂直方向の防御力を強化し、副砲を持たず高角砲と対空機関砲主体の武装となっている。

  何より異なるのはシフト配置化された機関出力で、公称144,000馬力、最高速力は28.9ノットとされた。

  また、砲塔装填関係の出力不足も機関更新で解消され、最良の状態ならば毎分3発の発射速度を維持できるようになった。

  基準排水量40.000t。また近代化改修によって電波探信儀(レーダー)を中心とした電子装備も充実している。

 

 

 ・金剛型巡洋戦艦(金剛、榛名)

  第三次近代化改修を終えて強化された船であり、就役時とは完全に別物の最高速力30ノット級の実質的には高速戦艦である。

  この時代の日本皇国戦艦のトレンドに合わせ、レーダーの装備や副砲を撤去し高射装置と連動した高角砲などを搭載していた。

  基準排水量33,000t。

  

 ここに我々が知る史実より1年以上早く就役したプリンス・オブ・ウェールズとフッドが加わるのだ。

 これが昼間であれば実に威風堂々とした陣容だったろうが、残念ながら今は深夜。煌々と燃え盛るタラントの爆光も、沖合20㎞以遠のここまでは届かず、日英6隻の戦艦はその巨躯を闇夜に溶けこせていた。

 

 やがて速度は落ち、1艦当たり8~10門据え付けられた主砲が、ゆっくりと鎌首を(もた)げた。

 筒先を向けるのは無論、燃え盛るタラント港。

 

 そう、彼ら戦艦(彼女)らは、更なる……そして、今回の作戦(ジャッジメント)の総決算にして最後の破壊を叩き込むために集結したのだった。

 

 

「全門斉射用意……()ぇっ!!!」

 

 古賀恭一提督の号令の元、最初に口火を切ったのは日本皇国戦艦部隊だった。

 これにはれっきとした理由がある。

 

「次弾、同じく三式弾(・・・)装填。仰角上げ2! 撃ぇっ!」

 

 そう、英国海軍が持たず日本海軍が持つ特殊兵装、その一つが”三式弾”だった。

 砲弾内部に焼夷効果のある弾子をこれでもかと数千充填し、空中で炸裂し円錐状に投射する兵器だ。

 先に九九式が装備していた三号爆弾の巨大化砲弾版と考えれば大体正解だ。

 ちなみに重量差は、16inサイズなら3倍ほども大きい。

 

 そして、その凶悪な焼夷榴散弾を日本艦隊は機械的に港全域を炎の傘で覆うように撃ち込んでいた。

 まるで、燃え残ってる可燃物を残らず燃やすため……のように見えるが、それも全くの的外れではない。

 正解は、

 

 

 

「随分と明るくなるものだな」

 

 そうプリンス・オブ・ウェールズの艦橋で、英国側の艦隊を率いる(そして今回の艦隊最上位指揮権を持つ)ジョシュア・トーヴェイ中将は呟く。

 

「なるほど。確かにこれは照明弾を打ち上げるより効果的かもしれませんな」

 

 少しづつ弱まっていたはずの港の火災に、さらなる火種が超音速で放り込まれていたことにより、今まで辛うじて燃えてなかった引火性ガスや可燃物に火がつき、炎は再び勢いを取り戻したようだ。

 

 昼間のようにというと大げさだが、それでも港に居並ぶ壊れかけのイタリア軍艦を照らし出すには十分な光量だった。

 

「ではリーチ君、我々も始めようではないか。パーティーに送れるのは、やや紳士としては無粋な振舞いだ」

 

 プリンス・オブ・ウェールズの艦長、ジェレミー・リーチは頷き、

 

了解しました(サー・イエッサー)。全艦、撃ち方よぉーい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1940年11月12日深夜より13日未明にかけて、二晩連続の悪夢がタラント港を襲った。

 いや、初日の悪夢が子供の遊びに思えるほどの悪魔だったと言っていい。

 

 初日に襲ってきたのは40機にも満たぬソードフィッシュ雷撃機だったが、この夜にタラントに向けられたのは、16門の16in砲、8門の38.1㎝砲、そして18門の14in砲だ。

 そのすべての砲弾の威力は航空爆弾を凌ぐ破壊力がある。

 また、戦艦は1門あたり100発前後の砲弾を有してるという。

 16in砲の砲弾で約1t、時間的にその半分が用いられたとしても長門1隻で400t分もの破壊が投射された計算になる。

 この同類が6隻もいたのだ。

 これらに加え、戦艦部隊が率いていた10隻以上の重巡洋艦による8in砲の砲撃まで加わったのだから、もうどうにもならない。

 

 これらの砲撃は二時間以上に渡って続き……イタリア海軍は成す術がなかった。

 港に砲弾が間断なく降り注ぎ、燃え盛る中に出撃できる船などあるはずもなかった。

 他の港から駆け付けようとした船もあるようだが、それは結局徒労に終わったようだ。

 

 

 

 しかし、悪夢というのは目が覚めれば消えるものだが……決定的に違ったのは、イタリア軍人に突きつけられたのは、残酷で冷酷な物理学に裏付けされた現実だったということだ。

  砲撃によってもたらされた猛威と惨禍は、網膜に強烈にうったえるものであった。

 

 港に残っていたのはイタリア海軍が誇りとしていた美しい軍艦などではなく、徹底的に破壊されたその”なれの果て”……「かつて軍艦と呼ばれていた”スクラップ”」ばかりだった。

 もう修理の意味が無い、奇妙な前衛芸術(オブジェ)のような焼け爛れた鉄屑の山が、浮いていたのではなく海水に浸かっていた(・・・・・・)……

 

 いや、例え修理すれば動かせる船があったとしても、タラント港では物理的にも設備的にも無理だった。

 重油タンクや弾薬庫だけでなく、ドックは乗っていた船ごとぐちゃぐちゃにされ、船荷の積み下ろしするクレーンは炎に炙られ雨のようにぐにゃりと熔け曲がっていた……

 タラントは、停泊していた軍民問わない船だけでなく、港としての機能までも失っていた。

 

 なら、ごくわずかに損傷はしていても生き残った船をけん引して引き出そうにも、港湾の中には英国人がばら撒いた浮遊あるいは沈底機雷が無数にあったのだ。

 無傷で港の外に出すのは、至難の技を超えた何かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 1940年11月15日、修復や機能回復は困難と考えたイタリア政府は、「停泊艦船ごとタラント港の放棄」を決定した……

 まともな海戦を得ぬままに、イタリア海軍は事実上、”壊滅した(・・・・)”のだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こうしてタラントは、”意味”を失いました。



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第15話 我がよき友よ

今回は、視点を変えて遥か彼方の極東の島国より。
この二人が揃うと、日本皇国海軍はかなりつよつよだと思う。





 

 

 

 ”ジャッジメント作戦”……タラント空襲、いや”タラント強襲(・・)”作戦は、「この世界線」でも後世の戦場に大きな影響を残すことになる。

 ただし、その影響の残し方は、我々の史実とやや方向性が異なる。

 

 例えば、史実の日本(大日本帝国)はタラント空襲が発想のマイルストーンとなり、”真珠湾攻撃”の結実したと言われている。

 この世界では作戦においてダブルキャストの片割れを務めた日本(日本皇国)といえば……

 

「なあ、堀……空母で真珠湾を攻撃できないかな?」

 

 とどこぞの連合艦隊長官が聞くと、親友であり相方でもある海軍大臣はため息を突きながら、

 

「攻めてどうする? 占領するのか?」

 

「いや、主力艦隊潰して早期講和とかさ」

 

「アホらしい。それやるとしたら、先制攻撃になるだろ? タラントって前例ができたのに油断してるとも思えんし、第一、アメリカの現状と国民性考えてみろ」

 

「いや、アカに実質的に母屋乗っ取られてるってのは承知してるが……国民性?」

 

 不思議そうな顔をする長官に大臣は、

 

「殴られらたら、殴り返さずにはいられない。これまで自分のやってきた所業も、内部問題も棚に上げ、”先に殴ってきた奴が悪い”。奴さんたち、本質的に単純だ。面白いほど簡単にアカに煽られるだろうな」

 

「つまり?」

 

「いくら太平洋艦隊の母港とはいえ、パールハーバーをタラントと同じ目に合わせたところで折れるもんかよ。逆に米国人(ヤンキー)を無駄に怒らせるだけだ」

 

 と立て板に水に淡々と返し、

 

「”山本(・・)”、現実逃避はそれぐらいにしてくれ。というか、さっさとその書類に目を通して決裁印押してくれんか? 何のために俺自らがわざわざ日吉に来たと思ってる?」

 

 すると書類に埋もれていた……どうやら日本皇国では連合艦隊司令部は洋上の軍艦に置かれているわけでは無く、最初から横浜市・日吉台に設営されていた。

 ただし、地下壕ではなく海軍の規模拡大に比例した度重なる拡張工事で地上五階地下二階を備える巨大軍事施設(ナショナルセンター)として存在していた。

 その一室、連合艦隊司令長官執務室で”山本 五十八(・・・)”大将は、積み重なった書類にうんざりした顔をしながら、盟友である海軍大臣”堀 大吉(だいきち)”を見やった。

 

 

 

 ちょっとここで歴史の薀蓄を。何のかんのと史実でいう「条約派」だの「海軍左派」だのが幅を利かせる日本皇国海軍だが、実は堀は既に退役し、予備役大将となっている。

 無論、史実のような日本海軍の有数のデバフ”大角人事”の影響ではなく、法で定められた「現役軍人の入閣禁止」条項があるからだ。

 これは明治政府発足当時から定められたものであり、海軍大臣とて閣僚の一人であり、そうであるが故に堀も一度、退役(予備役編入)するしかなかったという訳である。

 本当に妙なところで歴史再現をしてるような気もするが、

 

「まあ、わかってるさ。しかし、こりゃまたエラくでかい潜水艦だな? 地球を半周してパナマ運河でも爆撃するのか?」

 

 何やら少年たちが好みそうな空想科学小説じみた発想だなと山本は思ったが、存外に堀は真面目な顔で、

 

「当たらずとも遠からずってとこかな? 成功すれば、地球を半周どころか何周でもできるらしいぞ?」

 

「一応、話は聞いているが……”アレ(・・)”はそれほどの物なのか?」

 

 堀は頷き、

 

「”科学省”……いや、湯浅博士、湯川博士、仁科博士の三博士によれば、『制御できれば皇国の未来を決定する技術』らしいな」

 

 

 

***

 

 

 

 その後も、防諜が行き届いたこの施設、あるいはこの部屋だからこそできる話題が続いたが、それはともかくとしてタラント強襲が日本皇国に与えた軍事的、あるいはドクトリン的影響は、少なくとも「真珠湾を空母で攻撃する」という方向性には向かわなかった。

 

 確かに、米国との関係はお世辞にも良好とは言えない。

 1938年に赤色勢力に対するカウンターインテリジェンスの一環として行われた「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」の各国日本大使館に報道陣を集めて行われた詳細な配布資料付きの発表は、アメリカとの関係に緊張感を齎せた。

 

 まあ、「お前の国の政府機関、国内の民間シンクタンク、民間平和団体、宗教関連団体、出版社などが事実上赤色勢力に乗っ取られている」と世界中で声高に喧伝されれば、そりゃあ面白くないだろう。

 これは言い方を変えれば、

 

 『アメリカはソ連に乗っ取られており信用ならん。お前のやることなすこと、全部、ソ連の息がかかってんだろ?』

 

 と言っているようなものだ。

 狙い通りソ連や各国共産党(コミュニスト)達への手痛いカウンターインテリジェンスになったのは事実だが、同時に「間接侵略・シャープパワーをまんまと食らった図体だけはでかい、”大男総身に知恵が回りかね”を地で行く間抜けな田舎国家」という風評をアメリカに与えた、つまりは国際的信用を失墜させたようなものだ。

 

 まあ、日本人的には「あっさりアカに浸食されたお前らが悪い」ということなのだが、アメリカ人は素直に他国の意見をくみ取り反省するような国民性は持ち合わせていない。アメリカ人は、「自分の間違いを認めないし、認められない」民族なのだ。

 基本的に「間違っているのは全て相手」であり、特にこの時代、有色人種(カラード)相手ならなおさらだ。

 戦前のアメリカ、特に白人層の人種感はKKKを例に出すまでもなく中々に酷い。

 そんな訳で……

 

「流石にドイツ人と戦争やってる最中、いきなりアメリカ人が背中を刺してくるとは思いたくないが……用心だけはしておくに越したことはないか」

 

 山本の言葉に堀は同意の意を示し、

 

「タラントの一件で、アメリカも航空機の優位性を気づくだろう。まあ、あそこは日本以上の大艦巨砲主義の集まりだ。そう簡単に空母偏重にはならんだろうが……他にも懸念すべき材料はいくらでもある。ドゥーエやミッチェルの影響を受けた連中が、英国以上の四発大型爆撃機……いや、新しい用語だと戦略爆撃機か?の開発に邁進してるし、いざ戦争となれば先の大戦でドイツ人が可能性を示した”潜水艦による通商破壊”にも手を抜かんだろうしな」

 

 山本は渋面を作り、

 

「やれやれ。相手の嫌がることをやるのが戦争の本質とは言え、厄介なことこの上ないな。取るに足らない小国ならまだしも、かの国は我が国より遥かに大国だからな」

 

「まあ、いずれにせよ準備は怠らないようにすべきだろうな。戦争その物は間違いなく人類にとって悪だが、火の粉が降りかかる可能性があるのに消火の準備をしないのはただの怠惰だ」

 

 そして、堀が怠惰を嫌うことをよく知る山本はふと考える。

 

「堀、アメリカはいつ頃この戦争に首を突っ込んでくると思う?」

 

 それに対し、堀は同期生たちをして「神様の傑作の一つ堀の頭脳」と言わしめた力を存分に発揮するように、

 

「中立法を蹴破って政治的情勢を整えるまで加味すれば、ドイツがソ連に攻め込んでから早ければ半年、遅くとも1年以内。参戦判断基準はいずれにせよソ連だ。連中、国内の”掃除(・・)”を全くと言ってよいほど行っていない。自浄作用に期待するだけ無駄だ」

 

 我々の歴史を紐解くと、バルバロッサ作戦の発動は1941年6月22日、日米開戦は同年12月8日だ。

 

「一応、”日英側(こちら)”での参戦と考えて良いのか?」

 

 堀は怜悧な目を山本に向け、

 

「貰えるものは貰え。搾り取れるものは搾り取れ。だが、決して心を許すな。同じ敵(ドイツ)と戦うだけで、日米は戦争の目的その物が違う。それをはき違えるなよ?」

 

「敵の敵は、必ずしも味方ではないか?」

 

「手を握った相手が味方とは限らん。右手で握手しながら、左手で短刀を握るのを忘れるな」

 

 はぁ~っと山本は深くため息を突き、

 

「世知辛いねぇ」

 

「今更だろ? 俺たちが生まれる前からもそうだし、死んだ後もきっとそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、この世界線では某ド腐れ亡国人事がなかったようで、大臣になった堀とその親友の博打うちでした。



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第16話 大統領は、混沌たる状況に苦悩し迷う

今回は”ジャッジメント作戦”、タラント強襲作戦が当事国以外に与えた影響をクローズアップしています。






 

 

 

 さて、日本皇国はともかくタラント強襲による他国への影響、例えばアメリカ合衆国はどうなのかと言うと……

 

 

 

「やはり、米国の艦隊主力は空母とすべきだ。相手の哨戒圏外(アウトレンジ)から昼夜を問わず攻撃できる航空機こそ、戦争の主力兵器になりうる」

 

「将来的にはそうかもしれんが、現状において空母に搭載できる艦上機の性能と数では、打撃力不足だ。今回のタラント・ストライクさえも決定的な破壊、イタリアが船ごと港を放棄する決定打になったのは戦艦による夜間砲撃であることは疑う余地がない。何しろ投射重量が違いすぎる」

 

「なら、艦上機ではなく長大な航続力と膨大な爆弾搭載量(ペイロード)を持つ大型陸上機で、一気に目標を叩き潰すべきだ。速度やアウトレンジ性で艦船に対する航空機の優位は揺るがない。なら、戦艦や艦載機を凌ぐ圧倒的な火力を運搬/投射できる能力があれば、全ては事足りる」

 

「「そんな空飛ぶ化物を開発するのに、どれだけの時間と金がかかると思ってるっ!?」」

 

 海軍の空母派と戦艦派、そしてB-17”フライング・フォートレス”という稀代の名機の開発成功により自信をつけた陸軍戦略航空隊(アメリカはこの時期、空軍は無く陸軍が陸上機の運用を行っていた)が角を突き合わせていた。

 1940年のアメリカ有権者(しみん)にとって、戦争はまだ大西洋の向こう側の遠い出来事であり、そういう認識であるが故に軍事費の極度な増加(とそれに伴うである増税)を許容できる空気ではなかった。

 ”鉄砲そろえるより、豊かな生活の為に税金使え”

 正しく民主主義国家の市民階層がとるべき姿であった。

 

 だが、軍人たちは違う。

 戦争前に準備を終えなければ、戦時に間に合わないことぐらい彼らは第一次世界大戦で経験していた。

 だからこそ、こうして弾丸の飛ばない内戦、有限の軍事予算獲得競争を繰り広げていたのだ。

 

 とは言え、彼らは誰が相手だろうとどの国だろうと自分たちが負けるとは思っていない。ただ、「戦争を優位に進める状態」にしておきたいだけだ。

 

 

 

 では、政治家あるいは市民(シビリアン)の反応はどうだったか?

 まず、赤色勢力と繋がっていた面々は、

 

『日本人が言うことなど事実無根、名誉棄損も甚だしい! 日本死すべし慈悲は無用!!』

 

 という論調で、どこぞの大陸赤色国家や半島南北国家のような反日キャンペーンを言い出したが、前にも少し書いた通り良くも悪くも”この世界線”においては米国の日系移民(主に英国の情報工作のせいで)は恐ろしく少数派だ。

 多くのアメリカ人にとり、日本人とは「よく知らない民族」であり、日本がどこにあるのかも知らないアメリカ人も決して少なくない。

 まあ、コミンテルンだかインターナショナルだかわからないが、共産主義に傾倒したアメリカ人(実は知識人階級が多い)は必死に日本のネガティブキャンペーンを行い、日米関係を悪化させてあわよくば開戦させたい雰囲気だったが……

 

 まあ、やはり良くも悪くも民主主義の権化の国のアメリカ。いくらマスゴミが世論誘導をしようと、市民が接触したこともない「よく知らない相手」にそこまで熱量のある感情を向けるのは流石に難しい。

 

 元々がそんな空気のところへ、日本がぶち込んできたのが38年の大使館からの”公式発表(・・・・)”。

 無責任なマスゴミではなく他国とはいえ「政府の公式発表」、それも全世界同時だ。

 鵜吞みにする市民階層は流石に少数派だったが、少なくとも「自国政府を無条件に信じることは無い層」に、疑念を持たせることには成功したようだ。

 また、流石に日本もそこまで計算に入れてなかったようだが、「世の中が悪いのは政府が悪いからだ」という反政府層や、あるいは特に深い理由もなく共産主義を嫌悪する反共主義者層などには、『アメリカが共産主義者に乗っ取られ、自国の市民よりソ連の意向に従う』という発言は、殊の外刺さった(・・・・)ようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 端的に言えば1940年のクリスマス前のアメリカは、何時ものように何時もの如く、白人とその他の種族という人種対立による発砲事件や流血沙汰は恒常的に起きていたが、市民の意識としては戦争への道のりはまだ遠く、そうであるが故にどこかクリスマスキャロルに混じって混沌とした空気が漂っていた。

 

 ”沸騰する前の人種の坩堝ならぬ魔女の巨釜(カルデロン)”とは誰の言葉だったか?

 当時のアメリカの世相をよく表していたと思う。

 

 我々の知る歴史ならば、この頃のアメリカは共産主義者の暗躍もあり、反日一色。

 日系移民の排斥が平然と行われていた。

 

 だが、”この世界線”における日本は、そういう意味では実にやりにくい相手だった。

 ドイツ人と手を組むわけでは無く、それどころかあの性格の悪さに定評のあるイギリス人と改定を続けながら90年近く同盟関係を維持し、国際連盟にも席を持ち続け(特に脱退する理由も無いわけだが)、ドイツがポーランドに進行するといち早く反応、元々同盟国として軍を駐留させていた英国本土と地中海・北アフリカ方面(アレクサンドリアやマルタ島、ジブラルタルなど)に増派を決定。

 そして、イギリス人とつるんでドイツ人やイタリア人と戦っている現在に至る。

 

 実はアメリカは赤色勢力に侵食される前の1920年代に米国陸軍によって作成された”カラーコード戦争計画”のオレンジプランから始まり、現在の”レインボー計画”に至るまで対日戦を想定していた。

 別にこれは責められる話ではない。

 ペリーが領海侵犯疑惑での事実上の門前払いを食らってからこっち、日米は通商関係は結んでも、一度でも軍事的な安全保障条約は結んだことはないのだから。

 唯一それっぽいのは多国間にはなるが海軍軍縮条約がそうだが、それも1935年のドイツの再軍備宣言により、それを受けた英仏日が脱退によりご破算となってしまった(つまり、エスカレーター条項は存在していない)。

 

 当然、日本との戦争計画は立てるべきだが……だが、この時点で脈絡もなく日本と戦争を仕掛けるなんざできるわけもない。

 中立法もだが、戦端を開く理由もなく、また日本に宣戦布告すれば、イギリスと日英同盟との兼ね合いで自動参戦扱いになる。

 

 しかも、日本と敵対するということはドイツやイタリアに味方するということになり、これはアメリカ国内で勢力や影響力を今のところは維持している赤色勢力も看過できる話ではなくなってしまう。

 

 

 

 だからこそ、米国政府は難しい選択を迫られていた。

 いや、繰り返すが当時のアメリカ合衆国では、対外不干渉(モンロー)主義を国是としていて有権者の多くもそれを支持、それが1935年の中立法制定につながるのだ。

 民主主義は「市民という多数派」を無視できない政治構造だ。赤色勢力が世論誘導しようが情報操作しようが、それが民意なら受け入れざるえない。

 大統領はその本質において人気商売であり、そうであるが故に芸能人と同じ類の脆弱性を持ちやすい。

 

 現状で、日本と敵対するのは愚策であり、それはすなわちドイツと手を組むのも論外という結論になる。

 では、中立法を蹴って日英とともに対独戦に参戦……というのも憚られる。

 「アメリカはソ連の操り人形」という論調が出てくると同時に、アメリカでも根深い白人至上主義的価値観の近似性により「ドイツと味方すべき」という論調だって根強く存在するし、別に少数勢力という訳でもない。

 

 これらの相反する事象に明確な方向性を見出すには、翌1941年の6月以降まで待たなくてはならないのだが……

 だが、現状で何もしないわけにはいかない。

 

 なのでこうして、「明確な敵国を名指ししないまま、有事に際しての国家安全保障戦略を練る」以外にできることはなかった。

 

 アメリカは、その巨大さゆえに苦悩していたのだ。

 何でも持っていて何でもできる超大国が、その向かうべき方向性を模索しているのが現在だった。

 

 より良い未来へ向かう道しるべや、道を示す方位磁石はありはしない。

 大国は、その国力とエゴイズムで世界の潮流を生み出すことができるかもしれないが、それでも単独では無理だろう。

 しかも、国内に簡単に払拭できない問題が山積していれば猶更だろう。

 

 

 

***

 

 

 

 繰り返すがアメリカは、大統領の”フランシス・テオドール・ルーズベルト”は迷っていたのだ。

 

(どうしてこうなったんだ……)

 

 今の日米関係は、友好国とは言えないが敵国でもない。ルーズベルト本人としては日本人に対して”特殊な人種感(差別的感情)”を持っているが、結局はそれだけだ。

 だからこそ、忸怩たる思いがあった。

 

 そもそも、露骨な敵対関係にあったら、とっくに修好通商条約は破棄されて然るべきだが、実は未だに日本は米国にとって貿易相手国……貿易黒字を出せるよき商売相手なのだ。

 特にアメリカより遅れること約10年、世界大恐慌からの脱却を目指す日本皇国が景気刺激策としてモータリゼーションを政府主導で行ってから、その重要度は益々増してきている……平たく言えば、貿易輸出額が順調に上昇しているのだ。

 

 すでに戦時体制に入ってるせいか、日本は小麦や大豆などの食料に原油に粗鉄、高付加価値な工業品にしても自動車に重機に建機と実に購買欲旺盛だ。

 

 赤色勢力に汚染されているのが事実だろうと虚言だろうと(ルーズベルトの側近もソ連のスパイと名指しされていた)、一部の側近たちが言うように禁輸措置などしたら何人が自分の頭に45口径の銃口を向ける羽目になるか想像もつかない。

 

「こんなはずではなかったんだ……」

 

 ルーズベルトの苦悩は続く。

 日米にも、確かに”蜜月”と呼べる時期が、第一次世界大戦直後からほんの短い時間あったことを思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「世の中は、こんなはずじゃなかったことばっかりだ」を地で征くアメリカ大統領でしたw

まあ、40年のクリスマスは平和(?)に過ごしたのだから、良しとしてもらわないと。
ただ、今回の作戦で航空機の将来的優位性は示せたものの、圧倒的な破壊を示したのが(タラントにとどめを刺したのが)戦艦だったせいで、アメリカは史実通りの軍拡には舵を切れないようです。
ただし、リアルチート国歌なのは、この世界線でも同じなんですが……




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第17話 葉巻とコニャックと英国製古狸

そりゃまあ、アメリカを出したのだったら”人の形した英国(暗黒)面”ださないと。




 

 

 

 

 日米とタラント強襲後の様子を見てきたが、今回の作戦の主役とも言える英国(イギリス)はと言えば…

 

「よもや、こうも上手くいくとはな……」

 

 ダウニング街10番地ではなく、ロンドンにある超高級ホテル「THE() SAVOY(サボイ)」にてこよなく愛する嗜好品コンビ、キューバ産の葉巻とテセロンのコニャックを楽しみながら、英国首相”サー・ウェリントン・レンブラント・シェフィールド・チャーチル”は、上機嫌に喉を湿らせながら紫煙を吐き出した。

 まさにその表情は、「これぞ至福の時」と言わんばかりだ。

 

 それは上機嫌にもなるだろうし、酒も葉巻も美味い筈だ。

 英国がプロデュースした作戦に、日本人がオプションプランを提示し、その二つが合わさり計画通りの兵力が抽出され、期待以上の戦果を挙げたのだ。

 当初の作戦予定では、一時的にイタリア主力艦隊の半分も行動不能にできれば十分と考えられていた。

 

 だが、そこに日本皇国軍の火力と機動力が加わることにより相乗効果(シナジー)で数倍の戦果をあげ、結果としてイタリアは実働できる戦艦6隻全てを失い、それと共にタラント港を放棄せざるを得なくなった。

 

 そして、実質的にただ一度の戦いで、ほぼ地中海の制海権を掌握できたことが何より大きい。

 イタリアにはナポリなど各地にまだ残存艦隊はいるし、中立を宣言してるとはいえメルセルケビールをはじめ、まんま勢力を残しているヴィシーフランス艦隊の動向も不透明だ。

 流石に、地中海を”英日(・・)の浴槽”と呼ぶのは早いが、ドイツ人が始めたこの戦争……おそらくは、”第二次世界大戦”と呼ばれるだろうこの大戦で、大きなアドヴァンテージを握れたのは間違いない。

 

 

 

 これだけでも実に喜ばしい事だが、他にもチャーチルを上機嫌にさせている事がいくつもあった。

 例えば、ジャッジメント作戦の直前まで……今年(1940年)の7月10日から10月31日起こっていた英国本土防空戦、通称”バトル・オブ・ブリテン”の英国側の防衛成功なんて話題はどうだろうか?

 

 実はここでも、日本人たちは予想をはるかに超える大活躍をしていた。

 インペリアル・エアフォース(皇国空軍)で代表例を挙げるなら、最新鋭の制空戦闘機「Type-1 ”Falcon”(一式制空戦闘機”隼”)」を駆る空軍第64戦隊(”加藤隼戦闘隊”として有名)や空軍第50戦隊(三羽烏が有名)。

 彼らの操る機械仕掛けの猛禽は、まさにドイツ人の操る飛行機を獲物(カモ)にし、エースの誕生ラッシュとなっていた。

 

 更に凄まじいのはマサシゲ・ヤマグチ(山口 正成)提督が率いていた雲龍型正規空母2隻を中核としたタスクフォースだ。

 彼らは今回のミッションが”防空戦闘”と認識するなり、偵察用に僅かな数を残し艦上爆撃機と艦上攻撃機を降ろし、代わりに空母内の予備機だけでなく分解して輸送船で運んできていた艦上戦闘機”ゼロ・ファイター”まで突貫で組立てて積み込み、ドイツ機群に対する”中間迎撃空母群(インターセプター)”として仕立て上げたのだ。

 

 空軍からのレーダー情報と艦隊自前のレーダー情報を駆使して、ドイツ機の届かぬ彼方からゼロ戦の航続距離の長さを活かして飛ばし、片っ端から撃ち落としていったのだ。

 

 空母2隻合計で100機に達するゼロ戦の群れは、どこから飛んでくるかもわからない(何せ基地が洋上を移動しているのだ)事も含め、ゲルマンパイロットの恐怖と怨嗟の的になったに違いない。

 これでは、栄光のドイツ第三帝国空軍(ルフトヴァッフェ)も大きな被害を出したことも納得できるというものだ。

 

 

 

 何よりチャーチルを喜ばせたのは、タラントや英国本土防空戦で活躍した皇国軍部隊が、昨年(39年)の9月1日にドイツがポーランドに侵攻した同時に編成が開始され、地球の反対側から40年前半に英国に到着した”皇国からの増援第一陣”だということだ。

 

 元々、日本皇国は1935年のドイツ再軍備宣言と同時に目に見える形で軍拡(戦争準備)を始め、日英同盟で駐留を要請されていた英国本土、ジブラルタル、マルタ島、アレクサンドリア(この4か所は英国→スエズ運河→日本のシーレーン防衛の意味もあった)への配備兵力を徐々に増やしていたが、戦争を想定した明確な戦力の到着、それが迅速に行われ両方の戦いに間に合った事は、一人の英国人として大いに喜ぶべきことだった。

 

 何しろ、締結から改定を重ねて90年を経た「日英同盟」を、日本人は未だに遵守する意思を見せたのだから。

 これは裏切り裏切られる、寝返り寝返られることが日常茶飯事の……「奇々怪々」と称される欧州政治においては宝石より貴重な事例であり、それに柄にもなく素直に感心してるのが英国だったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 しかし、である。

 全般的に英国にとり戦争が上手く推移している理由は、何も日本皇国の早期参戦ばかりではない。

 バタフライ効果的な、あるいはメタ的な言い方をすれば、アメリカの情景にも出てきた1938年の日本皇国の”各国大使館を通じた世界同時発表”が実は遠因となっていた。

 

 例の”赤色勢力に侵食される世界の現状”の情報の中には英国のそれも当然のように入っており、例えばかの有名な”ケンブリッジ・ファイブ”の名がスパイ活動内容やら何やらの詳細データ付きで五名分きっちり名指しされていた。

 

 また、それを裏付ける資料「”第7回コミンテルン世界大会”」の詳細内容などにも事欠かなかった。

 これのあおりを食らったのがチャーチルで、彼は”この世界”においても生粋の対独強硬論者だったが、彼のこれまでの言動が「コミンテルン大会で決定していた行動指針」に微妙に合致していたため、「ソ連寄りの政治家」、酷いものでは「ケンブリッジ・ファイブの黒幕」という風評がついてしまったのだ。

 チャーチルの名誉のために言えば、黒幕に関しては事実無根である。

 

 

 

 その為、当時のチェンバレン政権が推し進めていた”対独融和策”がより高い支持を得られ、同時にチャーチルが首相になるのが遅れた。

 結局、彼が首相になれたのはバトル・オブ・ブリテンの最中、チェンバレンが体調を崩し政務を続けられなくなった1940年9月に入ってからだ。

 

 だが、結果論になってしまうが……このこと自体は、英国にとり悪いことばかりではなかった。

 まがいなりにも古参同盟国の言葉だ。鵜吞みにするわけではないが少なくとも米国以上に真剣に事態の収拾……平たく言えば”スパイ(モール)狩り”に勤しんだし、”掃除”も随分と大規模に、かつ丁寧にやった。

 

 これら一連の騒動で生じた国内の混乱と「ドイツを刺激すべからず」のチェンバレン政策の相乗効果で、英国軍のフランス駐留が流れたのだ。

 つまり、”ダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)”を中心とする「フランスから脱出するための作戦」は行われておらず、装備や戦力を失うこともなかった。

 それどころか英国の戦禍らしい戦禍は、フランス降伏後の”バトル・オブ・ブリテン”が最初だったのだ。

 

 言い方を変えれば、英国は史実より余力をもって戦争できる状態になっていた。

 その結果としてのバトル・オブ・ブリテンであり、タラントだった。

 

「ここからが本番だな……」

 

 バトル・オブ・ブリテンを契機に、イタリアがドイツ側での参戦を宣言し、また自分の首相就任直前にぬけぬけとエジプトへと侵攻を開始した。

 となれば、

 

(少々、英国人の土地に入り込んだ時の教訓を与えねばな)

 

「”あの作戦”を発動させるとするか……」

 

 チャーチルはグラスに残ったコニャックを飲み干すと、もう一杯注文する。

 明日の仕事に響かせないため、これを〆の一杯にするつもりだ。

 

 英国紳士のたしなみとして、戦争と恋は手段を択ばぬものだ。

 

「今後も、我らが同盟国の活躍に期待するとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ウェリントン・チャーチルが満を持して登場でした。
一言言えるのは……この爺様、絶対善人じゃないだろうなーとw





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設定覚書 2

タラント篇も終了したので、今回は2回目の設定資料集で、航空機本体より41年時点でのコンポーネンツを書き出してみました。




 

 

 

設定覚書2

 

 

 

日本皇国航空機事情(~1941)

 

 

エンジン系列

史実の陸海軍は同じエンジン、あるいは同系列のエンジンでも別の名前を使っていたのだが、この世界線では発動機を示す”ハ〇〇”というのが型番、”栄”や”誉”というのがペットネームという扱い。

 

つまり、「ハ35”栄”」という感じになる。

これに細かいナンバリングが付き、例えば作中に登場した”隼”最新型のエンジンは、ハ35-32でも栄三二型でも正解ということになる。

ただし、ペットネームは基本的に海軍に採用されたエンジンにつけるのが慣例となっている為、空軍(あるいは陸軍)のみに採用されたエンジンには付いていない場合がある。

 

基本的に1941年までに作中に出てくるエンジンは、

 

・ハ35”栄”系(中島)

 採用機:一式制空戦闘機”隼”、月光(この世界では、最初から「ドイツ軍の夜間爆撃に備える」という理由で双発複座の夜間戦闘機として設計)、九九式襲撃機(この世界線では瑞星ではなく栄)、二式襲撃機”屠龍”(二式複座戦闘機ではなく、この世界では対地攻撃機として最初から設計。瑞星ではなく栄仕様)

 

・ハ112”金星”系(三菱)

 採用機:零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機(この世界線は中島製の機体に三菱のエンジン)、一〇〇式司令部偵察機

 

・ハ5系列(中島。ハ41、ハ109はハ5の発展型)

 採用機:二式防空戦闘機”鍾馗”、一〇〇式重爆撃機”吞龍”

 

ハ101”火星”系(三菱)

・一式陸上攻撃機、二式大型飛行艇(海軍機)

 

ハ40”アツタ”(愛知飛行機、川崎重工業)

・彗星、二式艦上偵察機、三式防空戦闘機”飛燕”

 ※英国ロールスロイス社”マーリン”エンジンのライセンス生産品。海軍向けは愛知、空軍向けは川崎が製造を担当。

 

 

 

***

 

 

 

・基本的に、空冷星型14気筒。ただし、史実の日本に比べて冶金技術や電装関係の工業水準が英国準拠なので、信頼性は比較にならぬほど高い。

スパークプラグやケーブルは高品質であり、軍用無線機などは真空管のメタルビーム管化を進めている。

また、史実の大日本帝国と違い「分割陽極型マグネトロン」をはじめとする各種マグネトロンや「八木・宇田アンテナ」、「全電子方式テレビジョン」、「NE式写真電送装置」などの研究も国費を投じて盛んに行われている。

英国との各種技術共同開発も多く、日本が国策として英国の公的機関や民間企業に出資しているケースもある。

 

・また、100オクタン燃料・鉱物油系エンジンオイルが基本(標準)となっているのも大きな違いであり、稼働率もさることながら「カタログ通りの出力を安定的に出せる」事が大きい。

英国と同盟関係を組んで1世紀近くたつ恩恵が、ここにも生きている。

 

・海中磁気探知装置KMX(MAD)、電磁式近接信管などは実用化一歩手前まで来ている。

 

・日本のレーダー/ソナースコープはAスコープではなく、PPIスコープタイプが主流になりつつある。

 

・また水上艦用、潜水艦用、航空魚雷を問わず磁気信管が量産段階にある。

 

・航空機搭載レーダーは一部で実用化。電波高度計・電波誘導装置・電波管制装置は既に実用化済み。

 

・1941年当時の皇国軍航空機の主流は、英国系の反射式光像照準器。また同じく英国発のジャイロ・コンピューティング式照準器は既に試作段階を越えて生産体制に入っている。また、電波測距儀も実用化一歩手前まで来ているようだ。

 

・核関連技術は極秘事項。ただし、暴走より制御の方により力を入れているようだ。

 

・プロペラは米国ハミルトンではなく、英国式ダウティ・ロートル系で年々アップデートされる為、推力変換効率が史実よりも良い。

 

・日本皇国は、特に星型エンジンの振動制御に苦心している。実際エンジン開発の要求性能の中に、栄や金星の時代には既に振動対策として動吸振器(ダイナミックダンパー)機構の導入が義務付けられており、また誉などの18気筒エンジンの開発には要求性能の中に慣性平衡装置(ダイナミックバランサー)の導入が盛り込まれていた。

 

・他にもウエイトの慣性力を用いたフライホイール、クランクシャフトのカウンターウエイトへの振り子型ダンパーの組み込み、慣性主軸エンジンマウントなども研究・開発・採用された。

 

・また、18気筒ではキャブレター方式では全ての気筒に均等に混合気を配することは比較的困難で燃焼のばらつきがトルク変動(=出力の不安定化)を発生させる為、性能安定化の為に燃料供給装置搭載が要求性能に盛り込まれた。

 例えば、誉には設計段階から低圧燃料噴射装置(シングルポイントインジェクション。中島式のシリンダー内への直接噴射ではなく、キャブレターを負圧式からダイヤフラムポンプを使わない低圧燃料噴射式のフロートレス気化器を採用したタイプ)の採用を前提とした。

 また、三菱は最初から燃料直噴タイプの燃料噴射装置を採用することを前提とし、より安定した高性能を狙っていた。

 

・ドイツ空軍航空機の高性能化を踏まえ、技術的に完成していた二段二速式ないし流体(フルカン)継手式の遠心圧縮式過給機(スーパーチャージャー)を標準搭載とすることも盛り込まれた。

 将来的には、全てのレシプロエンジンに排気タービン(ターボチャージャー)の搭載を視野に入れる。

 

・液冷エンジンの系譜は、史実とは全く異なる。何しろロールスロイス系、具体的に言えば”ケストレル”のライセンス生産に始まり、現在は”マーリン”の生産体制へ移行している。

 三菱、中島が各種空冷星型エンジンの開発と製造に手いっぱいだったため、液冷系のライセンス生産は航空機用エンジン製造技術がありまだ余力があった愛知航空機と川崎重工業に託された。(ライセンス権は空軍と海軍で折半)

 愛知生産は工場のある地名に合わせて”アツタ・マーリン”と呼ばれ海軍向けに生産され、川崎生産分は空軍向けで”カワサキ・マーリン”と呼ばれた。

 戦前よりライセンス生産準備はされていたが、基本的にはドイツのポーランド侵攻を契機とした「包括的英国支援計画」の一環として大量生産が決定された。また、日本製マーリン・エンジンを搭載する日本の機体(これも英国支援策の一環)は、41年は出荷準備に入っており搭乗員の訓練を含め42年以降に多く前線に登場する事になる。

 

 

 

***

 

 

 

・41年当時は、陸海空問わずに航空機用機銃は41年4月時点ではホ103/12.7㎜機関銃が基本。20㎜機関砲はまだ少数派で、戦闘機の主力兵器となるのは42年以降となる。また、標準弾丸は12.7×81mm弾(50ヴィッカース弾)となっており、史実と違いホチキス系の13.2㎜弾は実用化されていない。

 

・空気信管型榴弾、いわゆる”マ弾”は12.7㎜サイズのそれ既に実戦配備されている。

 

・次世代航空機武装である20㎜機関砲弾は、エリコンFFL規格の20×101mmRB弾と決定済であり、現在複数開発されている20㎜級の航空機搭載用機関砲は全てこの弾の指定弾丸になっている。

 

・実は20㎜機関砲に関しては、英国から打診が来ている。どうもライセンス生産したイスパノ・スイザ HS.404が不調続きらしい。

 

・20㎜弾用のマ弾は、既に量産一歩手前まで開発が進んでいる。基本構造は空気信管を搭載する事は12.7㎜と同じだが、弾殻が比較的薄く作ることにより内部の充填炸薬比率が増やし、それに伴う貫通力の低下を防ぐべく、重金属製の貫通体を弾芯(ペネトレーション・コア)として採用することで、破壊力と貫通力の両立を目指している。

 日本版Minengeschossというより、構造的には機関砲用の”半徹甲榴弾”という感じだ。例えば、空気信管は目標に命中し弾芯に押される事で発火する仕組みの為、「貫通してから爆発する」設計になっている。

 

 

・空軍はホ103の発展型であるホ5/20㎜機関砲(史実と違い専用弾は開発されず、強度アップのため3kgほど重い)、海軍は九九式改型(史実の九九式二〇粍二号機銃五型準拠)の量産体制に入っている。大きく二系統に分かれているのは対立しているからではなく生産量の確保のためと、片方が何らかの理由で失敗した場合の保険という意味合いもあった。

例えば、ホ103系列はブローニング系ショートリコイル、九九式はエリコン系のAPIブローバックで動作方式が異なるため両方とも失敗する可能性は低いと考えられた。

 

・海軍は30㎜機関砲の研究開発を行っていたが、空軍は30㎜だけでなく対地攻撃/対重装甲/対大型目標用により大口径の37㎜級の開発を行っていた。これらはそれぞれ二式/五式30㎜機関砲、ホ155/30㎜機関砲、ホ203・ホ204/37㎜機関砲などに結実してゆく。

 

 

 

***

 

 

 

整備マニュアルについて

日本は政府の方針として、エンジンごと、機体ごとに必ず以下のような最低3種類のマニュアルを用意するように通達されている。

 

新人向け(ノービス)マニュアル

文字通り、整備のイロハや初歩から通常メンテまで記載。難しい専門用語を極力避け、イラストや図解、写真などを多く使い、教育マニュアルとして使える仕様にすることが条件。

 

一般向け(ノーマル)マニュアル

新人の域を抜けた一般整備員向け通常マニュアル。戦闘時のメンテや補給、故障や損傷による修理など平時、戦時に必要なノウハウを一通り網羅。

 

班長向け(チーフ)マニュアル

整備班長などのベテラン向けマニュアル。上級整備ノウハウやオーバーホールだけでなく、整備チームの編成や効率の良い運用、チームとしての手順や整備法などリーダーとしてのノウハウにかなりのページを割いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




設定は、予告なく改変されたり変更されたりしますw

さて、次回からは新章スタート。時節は再び41年に戻る予定です。




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第2章:1941年5月、神話の島
第18話 転生狙撃手、再び


時節は再び、1941年のトブルクに戻ります。


 

 

 

再び1941年5月1日、トブルク近郊、西部

 

 

 

 

 

”タァァァーーーン”

 

 今日も元気にクソ熱い中東で狙撃銃(あいぼう)片手に、ドイツ人だかイタリア人だかの脳天か胴体に風穴開ける素敵なお仕事に励んでる”下総兵四郎”だ。

 まあ、今回は「とりあえず、偉そうなやつの頭吹き飛ばしてこい」という狙撃兵向きのミッションではなく、あくまで脇役。

 

「少尉殿、ヒットだぜ」

 

 いや、そんな「ゲットだぜ!」風に言われても。

 たまに我が相方、小鳥遊伍長は転生者なんじゃないかと思うんだが?

 

 それはさておき、さっきから射撃大会というより射的大会のような感じで仕事をこなせるのは、なんともありがたい話。

 というのも周囲に戦場音楽(オーケストラ)が鳴り響いているおかげだ。

 

 現在のパートは、ドイツ人の機甲部隊に急襲をかける九九式襲撃機と、はるか後方トブルク要塞から撃ち込まれる15㎝級の榴弾のアンサンブル。

 九九式襲撃機には1機当たり15kg級を16発搭載されているが、こいつの弾頭が曲者で”夕弾(・・)”、つまりモンロー/ノイマン効果を発揮し、数千度のメタルジェットで装甲を焼き穿つ成形炸薬弾だ。

 15㎝砲弾のほうは、焼夷弾子ではなくベアリング球のような重金属球状弾子を空中から地上にばら撒く対非装甲目標特化の三式弾仕様っぽい。

 何となく、砲弾型クレイモアとか言いたくなるな。いや、時代的にはSマインとかか?

 まだどっちも実戦での試験運用段階的な雰囲気で、まだ戦術が確立しきれていない感があるが……

 

(これ、明らかに開発に転生者関わってるだろう……)

 

 なんせ俺が知ってる戦史では、この時期の日本にこんな「現状の技術力で生産できる、機甲部隊の足を止めさせたいシチュエーションにマッチする兵器」なんてあるわきゃない。

 ついでに言えばこの九九式襲撃機、史実よりもそこそこ強化されているようだ。

 

 例えば、エンジンは瑞星ではなく、いくらか出力の余裕のある栄が選ばれている。

 三菱製の機体に中島のエンジンは、九七式艦上攻撃機のちょうど逆だが、別にバーダー交換とか高度な政治取引とかではなく出力と整備性の問題だろう。

 まず出力の大きさってのはわりと武装とかに反映されていて、オリジナルはペイロードが200kgで、250kgを積んだのは特別攻撃の時だけだったなんて話が残ってるけど、この世界だと無理なく合計250kgのペイロードを胴体の下、あるいは主翼下に搭載して出撃できるらしい。

 他にも武装や防御力、航続距離なんかも心持ち強化されてるっぽい。

 

 整備性というのは言うまでもなく、全く異なるエンジンが並んでるより全く同じとは言えなくてもほとんどの部品が共通してて(理想から言うなら、セッティングが違うだけでエンジン自体は共通とか)、整備手順が同じエンジンを多数揃えた方が整備効率が格段に良くなる。

 九九式襲撃機の場合は、いまBf109と頭上で制空権の取り合いしてる”隼”と同じエンジンだ。

 確か、”鍾馗”と”吞龍”も同じハ5系列だ。

 因みに空軍機の三菱系エンジンの有名どころと言えば、一〇〇式司偵の”金星”と一式陸攻の”火星”だが、火星は謹製をベースにでっかくした兄弟エンジンだから、基本構造はかなり似通っていて、それに比例してメンテも随分と似ていると聞いた記憶がある。

 

(というか、三菱ってあんま瑞星作ってない臭いんだよなー)

 

 どちらかと言えば、金星と火星の生産と改良、次世代の18気筒に全力を注いでるっぽい。

 おそらく、軍部の上の方か政府の方針なんだろうが、史実の大日本帝国のような泥縄式のエンジン開発は良しとせず、可能性の模索と技術の発展のための研究開発は盛んだが、量産は「メインストリームとしたエンジン」に絞っている気がする。

 

 

 

***

 

 

 

 それはともかくとして、そんなオーケストラがフルボリュームで響き渡ってる状態で、狙撃銃の銃声なんて聞こえるわけはない。

 というか、完全にドイツ人の射撃音に紛れてる。

 まあ、装甲車両の上で対空射撃してる奴の頭もしくは胴体を撃ち抜いてるのが俺なんだけどな。

 

 状況から察してもらうと助かるが、この戦いにおける陸上の主役は弾着観測班に前線航空統制官だ。

 要するに砲撃と爆撃の効果を確かめる人員と、その護衛だ。

 

 という訳で俺がやってる狙撃は現状だとハラスメントアタックに近い。

 言い方を変えれば、砲撃と空爆のおこぼれにあずかってる状態だ。機動力を発揮できなくなった機甲部隊の銃弾で倒れそうなのを片っ端から撃ってる感じ。

 一応、狙撃兵としても敵の進軍を食い止める阻止攻撃としても、わりと王道で正道ではあるのだが。

 

 とはいえ、横から味方の頭が吹き飛べば、狙撃に気づく連中もさすがに出てくる。

 相手によっては、カウンタースナイピングなんて映画の1シーンみたいなことが起きるかもしれないが、この状況じゃ流石に無理だろう。

 スナイパーの位置を探る最大に道しるべである発砲音がまともに聞こえないし、発砲炎も夜のようにはっきりとは見えない。

 おまけにこちとら、この時代の砂漠用ギリースーツ、デザートポンチョを着こんでいるのだ。

 

 なので、向こう(ドイツ)側としては、弾が飛んでくる方向から逆算して「狙撃手がいると思われる場所にとりあえず火力をぶち込む」という方法しかない。

 狙撃手という”点”を狙えるなら、機銃掃射やら迫撃砲やらで居そうな場所を”面”で制圧するのは確かにそれは正解だ。

 基本、頭を上げなければ狙撃はできないもんだ。

 しかし、

 

(弾幕が届く場所に俺がいればの話だが)

 

 狙撃の基本は、「撃ったら反撃が来る前に移動する」だ。

 砂漠にはジャングルや都市部のような身を隠す障害物はない。どうしても射貫きたい標的がいるならまだしも、とりあえず頭数を減らせばいいのなら砂漠に同化して潜んでいるよりもショット&ランの方が効率がいい。

 砂漠には確かに身を隠せるようなものは乏しいが、ひたすら平坦な土地という訳でもない。

 風などにより砂が動き、穏やかな丘陵もできるし、場所によりけりだが岩やら何やらも皆無って訳じゃない。

 

 そして、下手に俺にかまけていると今度は別の方向から一発の弾丸より遥かに殺傷力が高い物体が飛んできたりするのだから、敵にとっても質が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シモヘイ少尉殿、大戦果なのに浮かない顔でどうした? 今日だけで10人以上、戦場の苦しみから解放したんだろ? 新記録じゃねーの」

 

 と激戦の後だというのにケロッとした顔で皮肉をかます小鳥遊伍長。

 ”(俺の)労働は、貴方(ドイツ人)に(魂の)自由を与える”ってか? 勘弁してくれ。

 

「だから、シモヘイ言うなって」

 

 きっとこいつは血液の代わりに耐熱仕様の潤滑油でも流れてるに違いない。

 

「いや、なんつーか……手ごたえが”無さすぎる”のがちょっと気になってな」

 

「手ごたえがない?」

 

 不思議そうな顔をする小鳥遊に、俺は何となく答えをまとめられぬまま頷き、

 

「ドイツ人ってのは、ああもあっさり撤退するもんか? 英国人とやり合っていた時は、もっとこう……殺気みたいなものなかったか?」

 

 何というか、必殺の覚悟と言おうか……マーマイトを口とケツに同時にねじ込まれるような、ドロッとした殺気がさ。

 いや、普通に拒絶だな。そんなん。

 

「あー、確かにちょっとあっさり引き過ぎる気はするな。なんつーか、一当てして反撃食らったらさっさと逃げるみたいな?」

 

 そうそう。例えるなら「命がけのピンポンダッシュ」だ。

 だが、命がけでピンポンダッシュをやるバカは居ない。

 

(ということは、何らかの意図があるって事か……)

 

 そもそもドイツ人が、大好きな戦車やら機甲部隊やら持ち出して、大したダメージもないまま戦車戦やらずに引くってのはあるえるのか?

 確かに皇国の”一式”や”一式改”はいい戦車だが、別に無敵って訳じゃない。

 

 

(イタリア人の為に余計な消耗をしたくないってのは確かだろうが……)

 

 どうにも腑に落ちないな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、新章の導入部的な話でした。



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第19話 とある装甲指揮官のモノローグ

今回は、珍しくドイツ側装甲指揮官の独り語り的な風合いとなっております。




 

 

 

「やはり、トブルクは簡単には落とせぬか……」

 

 その日、ベンガジに設営されたドイツアフリカ軍団(DAK)の前線司令部に足を運んでいたドイツ軍大将にして、軍団最高司令官”エドヴィン・ロンメル”は静かにほくそ笑む。

 

(だが、それでいい。簡単に陥落してしまっては、戦訓が得られん)

 

 エドヴィン・ロンメルがドイツアフリカ軍団の指揮官を引き受けた理由は、兵器を含めた(感づかれぬように、鹵獲されないように細心の注意を払いながら)最新装備のテストと実戦運用、「ロシア人との戦い」に入る前に貴重な戦訓、装甲指揮官たちに実戦経験を積ませる事だった。

 

本物(・・)のロンメルが何を考えていたのか知らんが、俺は俺の好きなようにやらせてもらう)

 

 ただし、このロンメルは野心的な考えを……という訳ではない。

 今回のDAKの覇権理由、彼の知る歴史通りに起きてしまったイタリア人の暴走と、その尻拭いに心から納得していたわけでは無い。

 だが、彼がこの責務を受けたのは本国にてその裏の意図……史実とは異なる”真の理由”を聞かされたからだ。

 

東方侵攻(バルバロッサ)の事前準備の一環、戦術や装備の確認か)

 

 さて、親愛なる皆様なら既にお気づきだろう。

 彼は、自分のファーストネーム、ドイツ語発音”エドヴィン”のスペルが、「EDWIN」だと理解したときに、

 

『げっ、なんかジーンズ屋みたいな名前だな……』

 

 とコメントした当たり、出自が知れる。

 ただし、エドウィンが展開していたのは日本だけではないので、前世が日本人とは限らないが。

 

 だが、彼の運命が大きく変わったのは、第一次世界大戦中……歩兵部隊指揮官として”ソンムの戦い”に挑んだ時だ。

 

『やはり、陸の王者は鋼鉄の巨獣……戦車か』

 

 そう強く感じ、ヴァイマール時代に独ソ秘密軍事協力(ラパッロ条約)に基づき、ソ連領奥地に設営された秘密訓練場で機甲将校としての訓練を受けた。

 その時、運命との出会いを果たしたのだった。。

 

「ハーラルト・グデーリアン……」

 

 そう、機甲戦術の何たるかを模索していた”機甲戦の父”、グデーリアンと出会ったのだ。

 だが、それだけでは足りない。全く足りない。

 不味いのは、ロンメル自身は歩兵指揮官上がりの機甲将校の卵で、グデーリアンは資質的に自ら戦車に乗り込むタイプの前線装甲将校型。

 要するに、二人そろって前線型であり、後方から戦場全体を俯瞰して見れるタイプではない。

 そこでちょうど同じく秘密訓練施設に視察に来ており、次世代の戦場について思案していた男に声を掛けた。

 その男の名は、

 

「マンシュタインの奴、今頃難儀してるだろうな」

 

 そう、ドイツ史上最高の戦略家とも言われる、”ユーリヒ・マンシュタイン”。

 ”ドイツ陸軍の三銃士”……この三人がそろったことで、歴史は妙な方向に転がり始めることになる。

 史実では、ロンメルとグデーリアンは、軍部の中でも本来は非主流派で、またグデーリアンとマンシュタインは不仲だったらしい。

 だが、この世界線ではそんなことはなく「より良き(マシな)戦争」という目標の為に手を取り合うことができた。

 

 それだけではない。ロンメルが”Gefecht der verbundenen Waffen”、日本語で言う”諸兵科連合”の概念と理論を話してるとき、”エア・ランド・バトル”の話に行きつき、それをレポートにまとめたところもう一人の仲間が加わる事になった”アーダベルト・ケッセルリンク”、将来を嘱望されるドイツ空軍の将校だった。

 実は、ケッセルリンクは空軍が設立される前は陸軍であり、そうであるが故に「陸と空を一体化する新時代の戦場」に興味を引かれたのだろう。

 つまり、ここで三銃士が四銃士になったと考えてもいい。

 

 そして、ロンメルの手元にある手紙は、そのケッセルリンクから届いたものであるらしい。

 私信に偽装されているが、実質的には命令書。その内容は、

 

”前座の芝居は終わりだ。もうすぐ本番の開幕ベルが鳴る。十分に楽しんだろ? そろそろ舞台に戻ってこい”

 

 というものだった。

 

 

 

「時間切れ……いや、妥当なところだな」

 

 若手たちに、「強敵というのは何処にでもいる。戦場では決して油断することなかれ」という教訓も体験させることができた。

 どうにもフランスも含め欧州で簡単に勝ちすぎたせいか、”第一次世界大戦を戦ったことのない世代”は相手を侮る癖が無自覚についているようだった。

 特に30年代中期以降、ナチ党が政権を取り「アーリア人至上主義」が国是になってから軍人になった者に、特にその傾向が顕著だった。

 当然だろう。奇しくも、”戦争に勝利する”という誰にもわかりやすい結果を持って、プロパガンダに過ぎないアーリア人の優越性を証明してしまったのだから。

 

 つまり、「T-34ショック」のお膳立ては整っていた訳だ。

 そこでロンメルは「劣等人種のロシア人に優良種たる自分達より優れた戦車が作れるわけはない」という固定概念を、日本人と戦わせることで事前に潰しておいたのだ。

 

(現実的にはありもしないアーリア人の優越など、実戦では何の役にも立たない……日本人、いや黄色人種全体を「スラブ人以下の劣等種。ユダヤ人よりちょっとだけマシな連中」と歪曲的人種感に浸食された者たちには、いい目覚ましになった事だろうさ)

 

 ロンメルは今生の第一次世界大戦、英国の友軍として参戦した日本軍との交戦経験と、前世での”ジエータイ”という珍妙な名を名乗る面々との交流経験から、彼らをなめてかかる腹積もりはない。

 そして、妙な確信もあった。

 

「それにしても、”仮想ソ連軍”として理想的だったな」

 

 重火力であり、銃防御。堅守に長け、追撃こそ嗜みのようにかけてはくるが、深追いはしてこない。

 攻勢側(こちら)が崩れるような状況であっても、トブルク防衛の本懐を忘れて無謀なベンガジ攻略を仕掛けてくるような真似もしない。

 ただ、少々気になることがあるどすれば……

 

「日本軍というより、ジエータイ的色合いの方が強いような?」

 

 ロンメルは前世の大日本帝国軍に精通しているわけではないが、日本皇国軍の雰囲気がどこか自衛隊に似ているのに引っ掛かりを感じていた。

 

(向こう側にもご同輩(転生者)がいるってことだろうな。それも、軍部と政府の上層に、それなりの数が)

 

 もっとも、それはドイツも人の事は言えないと考え直す。

 

(アーリア人優越論……何とも滑稽なことだ。そんな物、我らが総統閣下(ヒューラー)こそが一番信じていないというのに)

 

 ふと、脳裏によみがえる言葉があった。

 

『ロンメル君、アーリア人が……アーリア人種ゲルマン民族が真に至上であり他種族を優越しているというのなら、我々はそもそもモンゴル人に追われてユーラシア大陸の西の果てになんか押し込められていないさ』

 

 

 

(あれは総統というより学者……だったな)

 

 そう皮肉げに笑う姿は、少なくとも伝承されているちょび髭の男とは似ても似つかなかった。

 

(あれではまるで、総統という役割を演じて……いかんな)

 

 安易な結論を振り払うような仕草でロンメルは首を左右に振り、

 

「いずれにせよ、OKH(Oberkommando des Heeres:ドイツ陸軍総司令部)からのオーダーは完遂したと言っても良いのだろうな」

 

 

 

 繰り返すが、彼らがアフリカまでやって来た理由……「イタリア人の尻拭い」は公的なお題目に過ぎない。

 いや、確かに少なくとも”1941年6月一杯までは”、リビアがイギリス人や日本人の手に落ちるのは避けたいので、全て噓という訳ではない。

 

 装備の実験や戦術の確認、装甲指揮官たちの戦訓や経験積みは、どちらかと言えば副次的なもので、ロンメル自身の望みでもあった。

 だが、OKH、いやその上位組織であるOKW(国防軍最高司令部)が目標とし、ロンメルに望んだのは、

 

「少なくとも、日本人共は当面はトブルクから動くことはないだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まあ、このロンメルさんも実はw

ドイツはドイツで中々愉快なことになっています。
ある意味、日本皇国より愉快なことになってるかも。



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第20話 拝啓、ベルリンの片隅より

今回は、この時代、この街のこの場所にいないはずの爺様たちによる語らいだったり。




 

 

 

 1941年5月某日、ベルリン

 

 総統直轄組織である”ドイツ国防軍最高司令部”の一角、外部へ一切情報が洩れぬように細心の注意で日々”清掃”されているその部屋で、とんでもない面子が非公式/非公開の会議を行っていた。

 

「ロンメルは上手くアフリカより足抜けできるようだ。おそらく、次の便で部下共々帰って来られる。途中で船が沈まなければだが……」

 

 と難しい顔をするのは、ドイツ陸軍総司令官ヴィルヘルム・フォン・フリッチュ上級大将だった。

 

「タラント港が歴史上の軍港になって以降、地中海は半ば英国人と日本人の浴槽。短い距離とはいえ油断はできんか」

 

 そう返すのはドイツ第三帝国国防相、政治面で軍部を支える(ついでに最近、若い嫁さんを娶った)ファフナー・フォン・ブロンベルク。

 

「レーダーやゲーリングが集まれないのも無理ないか。今頃はOKM(海軍総司令部)やOKR(空軍総司令部)で缶詰だろうからな」

 

 と苦笑するのはコンラート・フォン・ノイラート。ドイツ第三帝国の外相である。

 

「というより、よくフリッチュはOKH(陸軍総司令部)から出られたな? 東方遠征の準備で忙しいだろうに?」

 

「”本番”の準備は、粗方終わってるよ。後はあちこちに散らせた人員を招集するだけだ」

 

 おそらく、その一人がロンメルなのだろう。

 

「ロンメルだけではないが、それには時間が必要だろうからな。次のDAK(ドイツアフリカ軍団)の指揮官は誰だ? 期待できそうなのか?」

 

 半分ほど姜美穂本位で聞くノイラートに、

 

「ヴィラーケン・フォン・トーマ。今は中将だが赴任と同時に大将に昇進させれば問題あるまい。まあ、それに……」

 

 フリッチュは表情を緩め、

 

「イタリア人がまた無茶無謀をやらんように見張りつつ、DAKの手綱を握ってくれれば多くは望まんよ。日本人が警戒心を抱き続け、トブルクに縛り付けられればそれでよい」

 

 「なるほどな」と納得するノイラート。

 実はこの会話にはちゃんと裏話がある。

 現在、トブルクを包囲しようとするたびに日本皇国軍が出てきて邪魔され、包囲を完成できない状態ではあるのだが、それはそれで「コンパス作戦でトブルクをとった瞬間、英国人が日本人をトブルクに引き込んだ」時から予想された展開の一つだった。

 いざ守り、拠点防衛に特化したときの日本人の強さというより粘っこい「厄介さ」は、第一次世界大戦の陸戦経験者は、誰もが知っている事だった。

 特に日本人が守る場所に攻め込んだ敵方なら尚更だった。

 だが、そんな状況でも、作戦大成功とは言わないまでも想定の範囲内、むしろ被害が想定より少ないので上々の成果と言えるものだった。

 というのも……

 

 

 

「それにしても、やはり今更ながら驚きだな……総統閣下が英国人に戦争を仕掛けると聞いたときは、首をかけてもお諫めするべきと思ったが」

 

 と当時を思い出しながら、

 

「まさか、今回(トブルク)と同じように”バトル・オブ・ブリテン”その物が”陽動(・・)”であり、牽制(・・)だったとはな」

 

 するとブロンベルクは苦笑しながら、

 

「あの御仁のお考えは、我ら凡俗では中々理解しづらいものだ。儂が『心配しなくとも良い。”アシカ作戦”自体が、英国やソ連がスパイを通じて読むことを前提としたブラフであり、実行される予定のない”見せかけだけの作戦”さ。私とて、英国を焼け野原にできるとも、ましてや本気で上陸作戦を敢行できるとも思っておらんよ』と総統自らの口より聞いた時の私の気分はわかるか?」

 

 残念ながら事実であった。

 この時、総統の思惑は「英国本土の防空能力や反撃能力の確認」と、『自国の航空戦力の把握』であった。

 だからこそ、史実より実は微妙に期間は短く、比例して被害も小さいものだった。

 更に、その内容もそこそこ違っていて、例えば”バトル・オブ・ブリテン”にはBf110は一切参加していない。

 また、Bf109も外観こそE(エミール)型だったが、胴体の下に落下式の増槽(ドロップタンク)を装着し、またよく見れば主脚は「内側に折りたたむトレッドの広い物」だった。

 因みにこの二つのアイデアは、総統閣下が強権発動で絶対的要求性能として盛り込ませたという噂があるらしい。

 

 

 

「それはまた……災難だな」

 

 この手の経験は、特に総統に近いものであればあるほど経験したことがあるシチュエーションだ。

 例えば、”総統大本営(FHQ)”というものがあるのだが……これは史実と違いかの有名な”狼の巣(ヴォルフスシャンツェ)”のような特定の場所を指すのではなく、定期的、非常時には不定期に開かれる総統と国家首脳陣の最高意思決定会議と懇談会(?)を兼ねた”催し”であり、意味合い的には非公開の”国家安全保障会議”に近い。

 さて、開戦前のある年、かの総統はこう問いかけられた。

 

『ユダヤ人はどうするのでしょう? 巷で言われてる通り排斥、そして”最終的解決手段”を用いるのでしょうか?』

 

 と。すると総統は呆れ顔でこう返したという。

 

『君はその最終的解決手段でユダヤ人に向けて発砲される弾丸で、何人の兵士の射撃訓練ができると思う? 強制収容所とやらの建設に使われるべトンと土地と労働力で、どれだけの工場が立てられると思うのかね? そもそも、なぜドイツ人の血税が、ユダヤ人をこの世の苦しみから解放させる為に使われなければならん?』

 

 一呼吸置いた後、

 

『階層を問わず、ドイツ人共通の”市民の敵”というのは、実に都合よく得難いものだ。何しろ、ただそこにいるだけで勝手に憎悪を集め、国民が一致団結する触媒になってくれる。知ってるかね? 内部に不穏分子がいる方が、国家国民はまとまりやすいのだよ。何のために私が親衛隊に命じ、苦労して市民に噂を流布してると思うのかね?』

 

 と苦笑し、

 

『第一、滅してしまえば、それ以上使い道が無くなってしまうではないか』

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ところで……

 この構図に奇妙さに気が付いただろうか?

 そう。史実ならこの三人は、”1941年のベルリン”にはいないはずの面々だった。

 ブロンベルクとフリッチュは、有名な”ブロンベルク罷免事件”で排除されている筈だし、ノイラートはリッペンドロップに追いやられている筈だ。

 だが、彼ら三人は盤石に”ここにいる(・・・・・)”。

 

 この事実こそが、”この世界は我々の史実ではない”ことを物語る。

 また、どうやら親衛隊もその立ち位置は随分と違いそうなのだが……

 

「ところで、儂の記憶が間違っていなければ、”陽動(・・)”はあと最低1か所は行うのだったな?」

 

 フリッチュは小さくうなずくと、

 

「イタリア人がギリシャに攻め込み、ドイツ(われわれ)が何時ものように返り討ちにあった彼らを支援する……この状況を利用する」

 

 地中海に浮かぶ島を指さしたのだった。

 

「上手くいくのか?」

 

 ノイラートの言葉に、

 

「英国人がギリシャに乗りあがった時には、日本人はこの島に上陸してるさ。きっと今頃は、穴ぼこだらけの要塞にしてることだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんというか、総統閣下も……おそらく、ね?





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第21話 ドイツ人は、イタリア人の為には戦わない

ちょっとこの戦争の舞台裏を、ドイツ人視点より……





 

 

 

 政治とは時折、酷く複雑奇怪である。

 1940年10月28日、エジプトに攻め込みながらイタリア人は、突如としてエーゲ海を挟んだ隣国”ギリシャ”へと侵攻した。

 

 無謀とも取れる行動だが、案の定、イタリア人の想像よりずっと精強だったギリシャ軍の返り討ちにあい、ついでに北アフリカでは”コンパス作戦”を発動させた英軍にボコボコにされながら、どっちもドイツ人の介入で押し返すという体たらくを見せていたのだが……

 

 ここで我々の知る歴史では有り得ない状況が起きた。

 英国がギリシャに中東軍の一部を分派して援軍として送り込むのに呼応して、日本皇国も同じく外交ルートを展開しギリシャ政府と軍事協定を結び、遣中東軍の一部を”クレタ島(・・・・)”に分派し、英国の後方支援基地兼万が一にも備えてのギリシャの最終防衛ラインとすべく要塞化することを決定したのだった。

 この背景には、あまり有名ではないがギリシャという国が、実は欧州でも有数の親日国というものがある。

 これは第一次世界大戦直後に勃発した希土戦争(ギリシャトルコ戦争)のとある人道的な出来事に起因するのだが……少なくとも日本人が「再び救いの手を差し伸べる」のは、不思議も疑問もなかった。

 であるならば、島一つくらい無期限に貸し出すくらいなんてことはない。

 

 英国人相手とは態度が違いすぎるって?

 ギリシャ人の目の前で、ドイツ人に連戦連敗してどんどん南へ押し込まれる方が悪い。

 それに、英国人が人道という言葉さえ二枚舌で喋り舌先三寸で転がすのは、欧州で暮らす人間なら誰でも知っている。降伏してすぐにドイツ人相手に武器売却を含めた商売を始めたフランス人のポールジョイント構造の掌と同じく言わば常識の範疇だ。

 因みにドイツ人に侵攻を受けてる最中に、武器を満載した貨物船が商売相手に向け出航したのは割と有名な話だ。

 

 実はギリシャ人も、ついでにトルコ人もフィンランド人も、「純朴な日本人が性格の悪い英国人に騙されてるんじゃないか? じゃなければ、90年も英国人相手に同盟関係なんて続けられない」と内心心配しているが、それは杞憂である。

 日本人はそれなりに、英国人がどういう相手かわかった上でつるんでいるのだ。

 

 重要なのは信じすぎないこと、適度な距離感を保つことだ。

 人同士だろうと国同士だろうとそれは同じことで、全幅の信頼やらべったりな関係など互いに害毒にしかならない。当たり前だが、誰しも我が身が一番かわいいのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、史実を紐解けば、この時にドイツがイタリアを支援したためにロシア侵攻を遅延せざる得なくなり、これが結局、冬季の消耗戦を招いたとされる。

 しかし、少なくとも”この世界線”では、それは事実と少々異なる。

 

 元々、ドイツは頭部へ進軍するとしても、「雪解けの泥濘が完全に固まる5月以降」を予定しており、また「冬に戦う意味」もよく理解していた。

 そもそも、戦略目標も違うのではあるが……

 ちなみに史実では、大きな意味ではイタリアのギリシャ侵攻を助成したためではあるが、正確に言うとその最中にユーゴスラビアがクーデターで連合国側(あるいはソ連側)に寝返ったため、不安定化したユーゴスラビアを平定するためにソ連領侵攻を延期したというのが正解らしい。

 

 実はこの世界線でも、ユーゴスラビアの寝返りはあったのであるが、総統閣下は一言、

 

『捨て置け』

 

 とのことだった。彼に言わせれば、ユーゴスラビアはドイツ(こちら)から攻め込めば抵抗運動(パルチザン)化して脅威になるが、自ら外征軍を編成して国外へ打って出る国力はなく、仮に今回のクーデターが赤色勢力が裏で糸を引いていたものであったとしても、周囲がドイツの友好国あるいは強い影響下にある国に囲まれている以上、現状でソ連を含めては大きな支援は難しいだろうという意見だ。

 

『そもそもユーゴスラビア王国(当時)は、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人の寄り合い所帯だ。こちらから攻め込めば共通の敵ができたことで民族の垣根を超え一致団結するかもしれんが、放置すれば勝手に民族問題に火がつく。こんな不安定な状態なのにおまけに今回の軍事クーデター……1918年に生まれた若い国が背負うには、少々過酷な試練だとは思わないかね?』

 

 そして、

 

『そもそも、我々は既にアフリカとギリシャに派兵しているのだ。東部侵攻を控えた今、余計な消耗は避けるべきだろう』

 

 もっとも本音としては、「なぜドイツがわざわざチトーが頭角を現す機会を作ってやらねばならん?」なのだろうが。

 どうも総統は、チトーをできれば活動家の一人程度にしたかったようだ。

 

 

 

 話を戻すと、ユーゴスラビアが使えなくともバルカン半島東岸、黒海側より……ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアと迂回すれば、ギリシャの侵攻支援も大きな問題はないと判断された。

 むしろ、疑問となるのはここまで考えているドイツが、なぜある程度の消耗を覚悟のうえでギリシャ侵攻に踏み切ったのか?だ。

 

 無論、旨味があったからだ。

 まず、ギリシャが枢軸(ドイツ)側に落ちれば黒海とエーゲ海、その先にある地中海を完全に分断できる。

 タラントがイタリア主力艦隊ごと壊滅したせいで、半ば地中海は日英の浴槽となった。

 ソ連侵攻に向けて黒海を自らの領域としたいドイツにとり、その意味は極めて大きい。

 

 加えて、「ソ連に怪しまれることなく自然に、ギリシャのイタリア軍支援を名目(・・)に、”ルーマニアの配備兵力を極大化”できる」ことも二重の意味で意義があるのだ。

 一つは、ルーマニアも来るべき東方侵攻の一大軍事拠点となること。もう一つは、ドイツの文字通りの生命線である”プロイェシュティ油田”の防衛力を強化できることだ。

 現在、黒海の他の油田を手にできていないドイツが自由に使える油田は、ここしかないのだ。

 ここを攻め落とされては、ドイツは完全に詰んでしまうのだ。

 

 逆に、イタリア軍が攻め込んだことによりギリシャが反枢軸となったことが確定的であり、支援で乗り込んできた英軍によりギリシャが抑えられた目も当てられない。

 陸路でプロイェシュティ油田に攻め込まれるのも冗談ではないし、黒海にまで日英の強力な艦隊が暴れだしたら悪夢以外何物でもない。

 

 本来なら、枢軸寄りの中立だったギリシャに攻め込むなど愚の骨頂ではあるのだが、こうなってしまった以上、ドイツはこの戦争で最大の利益を上げるしかない。

 

 良くも悪くも、この世界線のドイツは誰に入れ知恵や影響か知らないが、生粋の機会主義者の素養があった。

 

 リビアと同じく、いや地理的に近いせいもありそれ以上に「イタリア人を名目に、自分たちの都合で」ドイツ人はギリシャ人や英国人と戦っていたのだ。

 

 

 

 誤解の無いように言っておくが、ドイツはイタリア人が気づかぬように、イタリアという国家には詰め腹を切らせるつもりだ。

 リビアでは日本人をトブルクに繋ぎ留めておく鎖の役目を与えた(その見張りの為のドイツアフリカ軍団だ)ように、「ギリシャの防衛を、その土地を力で奪ったイタリア人に一任」する腹積もりだった。

 早い話が、イギリス軍をエーゲ海に叩き落したら、転身してすぐにルーマニアで再編と休養を行う予定だ。

 

 アフリカに続いてギリシャまで尻拭いを(建前では)させられたのだ。この程度の要求は当然だろう。

 他にもアフリカと今回の戦費は、金銭ではなく目に見える見えないにかかわらず様々な形で返済させる予定だ。

 

 無論、ドイツとてイタリア人がいつまでもギリシャを掌握できるとは思っていない。

 だが、せめてロシア人相手の戦争が落ち着くまでは、何とか持ちこたえて欲しいとは思っている。

 後はどうなっても別に構わないが。

 

 

 

 

 

 だが、ギリシャという国はまだ完全に終わった訳ではない。

 繰り返すが、クレタ島という立派なギリシャの一部には、未だ無傷の日本皇国軍が存在していたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうも、我々の知る歴史とは表面的には似ていても、どうもその根底に流れる物はそこそこ違いそうですよ?





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第22話 遥々来たぜクレタ島

しばらく砂漠を根城にしていたおかしな二人組が、クレタ島までやってきたようですよ?





 

 

 

1941年5月15日、クレタ島

 

 

 

「はーるばる来たぜクレタ島~♪」

 

「少尉殿、なんなんすか? その妙な歌……なのか?」

 

 場所は違うが間違いなくそんな遠くない未来の名曲だぞ?

 具体的には四半世紀くらい未来の。

 

 あっ、悪い悪い。下総兵四郎だ。シモヘイじゃないぞ?

 ちなみに”この世界”で、冬戦争でマンハントしまくった猟師英雄あるいは英雄猟師の名は、”シモン・ヘイへ”というらしい。

 何やら使ってる武器も違っているらしく、狙撃銃はKar98の狙撃仕様で、使った短機関銃はMP39らしい。

 きっと拳銃もワルサーP38あたりに違いない。もしかしたらP08やC96かもしれんが。

 

(ドイツは、随分と”冬戦争”に肩入れしたらしいな……)

 

 可能な限り情報を集めたところ、”冬戦争”時のフィンランド軍の装備は、まるで俺の知る歴史の”継続戦争”並みのゲルマン色だったようだ。

 何でも、ポーランド侵攻前……というか”独ソ不可侵条約”締結前に「新兵器のテスト」名目で技術検証チーム(実質的には軍事顧問団だろうなー)を入れて、スオミ人の前でデモンストレーション、言うならば実演販売をやったらしい。

 そのせいでフィンランドの兵器シェアを独占、装備はモロにドイツ式になったとのことだ。

 フィンランドは最新鋭の兵器をプレミア付ではなく通常価格で買えて幸せ、ドイツは大口契約で外貨を獲得できてホクホクというWin-Winという状態で冬戦争に突入したらしい。

 

 それがどこまで影響したかは知らないが、現状は史実よりもややフィンランド有利っぽい。

 

(今にして思えば、存外に大量の兵器売却はソ連への牽制だったんじゃねーかな?)

 

 それはともかくとして、俺と相方の小鳥遊伍長は、トブルクからクレタ島までの配置転換を行っていたのだった。

 まあ、俺と小鳥遊伍長だけじゃなくて、狙撃小隊丸ごとの配置転換……というより、状況から考えて増援だろうな。

 

 ちなみに狙撃小隊というのは、例えば皇国陸軍の標準的な普通小隊と大分、編成が異なる。

 標準的な小隊だと、普通分隊2~3つに小隊長直轄の増強分隊ないし火力支援分隊が指揮分隊となり統括するという感じだ。

 分隊は大体10~13名で1個分隊となり、小隊は40~50名くらいが普通だ。

 

 だが、狙撃小隊の場合は俺みたいな狙撃手(スナイパー)と小鳥遊伍長みたいな観測手(スポッター)がバディを組んで1個分隊扱いであり、この狙撃分隊6~8個を小隊長直轄の通信指揮分隊が率いるというスタンスだ。

 なので、小隊規模は30名を超えるということはあまりない。

 

 この差は勿論、投入される戦場や戦術の差だ。

 歩兵には歩兵の、狙撃兵には狙撃兵の戦い方がある。

 

「それに遥々というほどでもないでしょーが。せいぜい1時間の空の旅だ」

 

 小鳥遊の言うこともごもっともで、存外にトブルクとクレタ島は近い。

 トブルクから真北に300㎞ほど洋上を進めば、見えてくるのがクレタ島という訳だ。

 

 実際、小隊丸ごと昨日、”二式飛行艇(二式大艇)”でトブルクからクレタ島南部に設置された海軍航空隊基地港に運ばれてきたのだ。

 

 

 

 聞いて驚け。

 まだ製造が始まったばかり……先行量産型みたいなもんだが、二式大艇も水上戦闘機の”強風(二重反転プロペラ仕様)”も、既に配備が始まってる……正確には、作ったそばからアレクサンドリアに運ばれ、こうして前線に回ってきてるのだ。

 

(これも俺が知ってる歴史より、技術も国力も底上げされてるからだろうなー。金があるってのは、無茶が利くってのとほとんど同義だ)

 

 国際情勢やら日英同盟やら他にも色々あるだろうが、世の中の問題の八割は金でカタが付くと相場が決まってる。

 開発費を潤沢に使えるのとギリギリなのでは、開発速度が天地ほども違うもんだ。

 そういうのが積み重なれば、1年以上早く実戦投入も可能になるんだろう。

 でも、それだと名前の”二式”に反してないのかって?

 

 あー、それについては実に日本皇国はアバウトというか混沌としていて、正直、国防族の上から下までさじを投げている。

 何しろ陸海空三軍で、式と付いてもその前に付く数字は、皇紀(紀元)に和暦が混じってるかと思えば、ただの型番や形式(例えば、空軍の”隼”や”鍾馗”はTYPE-1、TYPE-2という意味)、また外国由来(原型がある)の武器は、開発元の名前を漢字化したものや西暦なんかも入る場合まである。

 

 これも例を挙げると、以前の陸軍の標準小銃だった梨園改三式小銃の”梨園”は”リー・エンフィールド”の漢字化略式で、改三式は”Mk IIIモデルを改造した物”という意味だ。

 これを狙撃銃化すると、今度は俺の相棒でもある”九九式狙撃銃”になるというのだから、如何に名前つけがアバウトかわかるだろ?

 まあ、名前がカオス化する程度なら、弾丸やら砲弾やらがカオス化するよりは遥かにマシなんだが。

 

「日本から考えたら、どっちも遥々だろ? 何せユーラシアの反対側だ」

 

「そういうのを屁理屈って言うんですぜ?」

 

 知ってるよ。

 

「ところで少尉殿、俺たちの仕事はクレタに来ても相変わらずドイツ人を撃ち抜くことなんで?」

 

「大筋ではそれで正解だ」

 

 まあ、厳密に言えば少し違うんだが……

 

「多分だが、今度の標的は空から降ってくるんじゃねーかな?」

 

「はっ?」

 

 いや、配置される場所にもよりけりだろうが……多分そうなるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、狂言回しとその相方のクレタ島入りでした。

というか、狙撃小隊丸ごとリースされています。
明らかにきな臭くなってきましたねー。





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第23話 謁見

大物同士の会合となります。



 

 

 

 1941年5月18日、クレタ島

 

 その日、日本皇国遣クレタ島統合司令官に任命された皇国陸軍中将”栗林 忠相”(くりばやし・ただすけ)は緊張の極みにいた。

 彼が来ていたのは、クレタ島第一の都市イラクリオンにある1920年代にできたばかりの近代的な高級ホテル”メガロン”だった。

 

 勿論、栗林が緊張しているのは軍人にあまりなじみのない平時なら観光客にぎわうであろうリゾート港湾都市の高級ホテルに来ているからではない。

 問題なのは、1941年5月現在、この高級リゾートホテルが”ギリシャ王国の臨時王宮(・・・・)”として使われている点だった。

 

 言うならばロイヤルスイートに本物の王族が寝泊まりしている状況なのだ。

 こうなってしまった経緯は、聡明なる紳士淑女諸君なら察していただけるだろう。

 

 そもそもの始まりは1940年10月28日、何をトチ狂ったのかムッソリーニ率いるイタリアが、ギリシャの上に位置するアルバニアから攻め込んできたことに端を発する。

 イタリア人とアルバニア人の混成部隊だけならギリシャ軍が独力で返り討ちにできたのだが、どういう計算が働いたのかドイツ人がイタリア人を加勢する動きを見せた。

 それに対し、リビア逆侵攻作戦、いわゆる”コンパス作戦”でイタリア軍をフルボッコにして一息ついた英国軍は、ギリシャ防衛のために戦力を割くことを決定したのだ。

 確かに英国から見ればギリシャが枢軸側に落ちるのは愉快な状況ではない。

 イタリアの主力艦隊を根拠地であるタラント港ごと滅したというのに、一歩間違えば地中海東部全体がドイツの爆撃圏内なんてことになりかねない。

 イタリアの海軍力は激減したが、ドイツ空軍(ルフトバッフェ)は残念ながら相変わらず健在なのだ。

 

 ちなみにこの世界の”枢軸”とは我々の世界とは少し意味が違っていて、日本が入っていないのは勿論だが「ドイツの支配地域と被支配国、あるいはその強い影響にある国々+イタリアとその領土」という考え方だ。

 単純にドイツとその取り巻き+イタリアという考えても良いが……重要なのは、ドイツとイタリアは、枢軸という軍事同盟の体裁をとっているが、互いに一歩引いたポジションをとっているということだ。

 

 そんな状況下でドイツがギリシャ参戦を仄めかしはじめ英国が動くのであれば、日本も黙っていられるわけはない。

 既に英国よりトブルクという中東戦線の重要拠点を投げられ……もとい。任されていたが、それでも島一つを防衛範囲に加える程度の余力はあった。

 

 言いにくいのだが……日本は当初より、ドイツと英国がギリシャでぶつかった場合、勝ち目は薄いと思っていた。

 英国の謀略なのかソ連の謀略かはわからないが、ユーゴスラビアを反枢軸に持っていくことはできたがバルカン半島東岸ルート、ハンガリー→ルーマニア→ブルガリアの陸伝いで進軍も補給も可能だった。

 特に生命線のプロイェシュティ油田があるルーマニアには数多くの兵力を防衛と称して配備しており、一大集積地となっていたので、そこから一部の兵力を分派させることにさほど苦労はなかったのだ。

 

 対してご当地のギリシャ軍こそ地の利はあったが、英軍にとってはギリシャでの戦いは当初予定しておらず、準備不足は否めなかった。

 加えて、本国は遠くメインとなるのは英国中東軍の分派だが、これに英連邦諸国の派遣軍を加えても十分な戦力とは言えず、また後方拠点となるアレクサンドリアに集積できる物資も限度があった。

 

 

 

 ここまで読んだ皇国政府は、希土戦争(ギリシャ・トルコ戦争)のとある出来事をきっかけに欧州有数の親日国となっていたギリシャにいち早く外交チャンネルを通じて、「ギリシャに渡った英軍の後方支援基地」として、何より……

 

『万が一、ギリシャ本土が亡国の危機に陥った時、文字通りの”最後の砦”とするため』

 

 に、皇国軍の駐屯と要塞化を認めて欲しいと願い出たのだ。

 英国は当然のように後押ししたし、ギリシャに至っては二つ返事だった。

 

 

 

 そして、クレタ島の防衛責任者としてやってきたのが、中将の昇進と同時にクレタ島防衛計画の陣頭指揮を取るように命令された栗林だったのだ。

 さて、勘の良い皆さんなら既にお気づきだろう。

 臨時王宮になっているホテルに呼び出されたということは、即ちばっちり礼装に身を包んだ栗林が謁見するのは、

 

ギリシャ国王”グレゴリウスII世”陛下

 

 その人であった。

 

 

 

***

 

 

 

「国王陛下におかれましては……」

 

 謁見の間に選定された大広間で、首を垂れ常套句を朗々と繋ぐ栗林。

 そして、一通りの様式美が終わった後は、

 

「陛下、数日以内にクレタ島は戦場となりましょう」

 

「そうだな」

 

 栗林の言葉に鷹揚にうなずくグレゴリウス国王。

 状況が分かっていない訳ではない。

 何しろ、ドイツ軍の手に落ちたアテネから今いるイラクリオンに遷都を宣言したのは国王自身なのだ。

 また、国家首脳陣も多くがクレタ島への脱出を成功させていた。

 

「今ならばまだ間に合います。特別機を手配いたします。快適な空の旅とはまいりませんが、どうかお引きください。アレクサンドリアが手狭だというのならば、他の自由で安全な地へ……」

 

 栗林は下っ腹に力を籠め、

 

「皇国へいらして下さるのであれば、心より歓迎いたします。きっと親交ある我が君もお喜びになることでしょう」

 

 噓ではない。

 ギリシャ王室は、立派に皇室外交のリストに名を連ねる家であった。

 

「栗林中将、朕は不思議でならん」

 

「不思議……とは?」

 

「ここは我が国。最南端の島とはいえ我が国ぞ」

 

「御意にございます」

 

 そして心底不思議そうに、

 

「して、我が都を守護せしは、遥か東方よりきたりて武勇の誉れ高き者達、我らギリシャの民の朋友よな」

 

「相違ありません」

 

「しからば」

 

 国王は威厳のある声で告げる。

 

「一体、何を恐れることがあるというのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そして、妙に期待が重かったw




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第24話 例えば、その信頼が重かった

 

 

 

さて、クレタ島防衛最高責任者である栗林忠相中将が、重すぎる期待を受けている間に、少々状況を整理しよう。

前回までの話で、中東英軍の一部がイタリア人と一緒になってドイツ人が攻め込んできたギリシャに援軍に向かったという話はしたと思う。

そして、英軍がギリシャで奮戦している間、日本は外交ルートでまだ健在だったギリシャ王室と政府に連絡を取り、クレタ島を要塞化「英軍の後方支援基地とギリシャ最後の砦」の両面を併せ持つ拠点へと変える内諾を得た。

 だが、もう少し現状を把握するには情報学的肉付けが必要だろう。

 実は、ギリシャの戦いではドイツがユーゴスラビアの政変を「君子危うきに近寄らず」とばかりに意図的に無視して踏み込まず、余計な戦いを避けてバルカン半島東岸ルートを主侵攻ルートとしたために余力があったこと+アルバニアでの陽動やギリシャ軍の誘引が予想以上に成功したこと、英国軍は英国軍で日本がトブルクに続いてクレタ島の防御を担当すると申し出たために、想定以上の戦力を送り込めたこと、そしてギリシャ政府の首脳陣が史実と大差なかったことが重なり、結果として詳細は異なるが大筋では史実と同じ流れとなってしまった。

 

 つまり、クレタ島を除きドイツの”マリータ作戦”は大成功をおさめ、1941年4月30日までに英軍はギリシャ本土より叩き出され、アテネは陥落した。

 奇しくも史実と同じ4月23日にギリシャ国王”グレゴリウスII世”は、アテナからクレタ島のイラクリオンに遷都を宣言する事になった。

 

 

 だが、ここで我々の史実とは異なる事例が頻発するのだ。

 まず、マニアックな話からすればクレタ島に避難したギリシャ国王が滞在していたのは、史実ではクレタ島第二の都市であるハニア市郊外のペリヴォリア村にある自身の別荘に滞在していたが、この世界線では中心都市イラクリオンの一等地にある1920年代に完成したとある高級ホテルを仮初の王宮と定め、他の王族共々堂々と暮らしていたのだ。

 

 この心理的変化の裏付けとなっていたのが、日本皇国軍の存在だった。

 ギリシャが親日国であることは前にも述べたが、このいっそ重いほどの信頼は何も友愛に裏打ちされたものではない。

 今から約半世紀前に圧倒的な大国であったはずの帝政ロシアから自国領を守り抜くどころか海の上では壊滅の憂き目を味合わせ、先の大戦では多くの武官たちが「決して陥落せぬ堅牢鉄壁」を目撃していた。

 更に昨年には怨敵イタリアに対して鉄槌を振るい、見事に最大の軍港を駐」艦隊ごと歴史用語にしてしまったのだ。

 英国主導の作戦ではあるのだが、投入された兵力から考えて「作戦を立案したのはイギリス人で、作戦を実行したのは日本人」だとギリシャ人は考えていた。

 

 また、欧州諸国の多分に漏れず、ギリシャ人もまた日本皇国軍は守備こそを金科玉条とする軍隊と思っていた。

 つまり、日本人が守りに徹すれば、ドイツ人が何をしようとまず落ちることはないと。

 もし、クレタ島に残っていたのが英国系の軍隊であったら、多分、国王は史実と同じく別荘に引きこもっていただろう。

 英国軍の奮戦は勿論、評価も尊敬もするが、中東英軍の司令官であるアーチボルト大将がどういう人物で、どういう戦績で、何を口走っていたか国王は知っているのだから。

 

『我々が命運を託すのは、アーチボルトではない。それが幸いだ』

 

 繰り返すが、その期待が重かった。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、ギリシャ人の思いも実はそう的外れではない。

 まず、この世界線のドイツの真意と本懐が史実のドイツとだいぶ異なっていることを加味しなくてはならない。

 確かにルーマニアのプロイェシュティ油田を第一に考えるのは同じだし、バルバロッサ作戦……ソ連侵攻を控えているのも確かだが、だが彼らは戦略目標を見誤る事は無い。

 

 そして、史実ではいないはずの日本の軍隊がクレタ島を守備してるのも大きい。

 だが、状況に関してもっとも影響しているのは、もしかしたら「ギリシャから撤退した英連邦陸上軍がクレタ島にはいない(・・・・・・・・・)」ことかもしれない。

 

 これはどういうことか?

 順を追って説明しよう。

 

 まず、史実と同じくほぼ重装備を失っていた英連邦諸国陸軍将兵約5万は、クレタ島には立ち寄らず一目散に戦力再編の為に中東英軍司令部のあるアレクサンドリアに撤退していた。

 

 クレタ島に同盟国の精強な軍隊がおり、いわゆる”ケツ持ち”をしているのだから当然の英国式判断と言えた。

 

 そして、史実では……実はクレタ島に残った英軍こそが、クレタ島を陥落させる引き金を引いてしまったのだ。

 まず、前提として当時の英国にはクレタ島どころかギリシャに援軍を送ることさえ懐疑的な勢力が多くいた。それを強行したのがチャーチルだ。

 

 当時、クレタ島の守備責任者に任命されたのは、英軍のフレイバーグ少将という人物だったが、彼は部隊の配置をミスしてしまっていたのだ。

 具体的に言えば、「ドイツ人が空挺作戦を行うのに最適な飛行場(マレメ飛行場)の周辺に、わずかな兵力しか配してなかった」のだ。

 これにも理由はあるのだが、後に彼がこの配置で強烈な批判を受けたのは事実だ。

 

 加えて、強力な空軍力をドイツ軍は有しているのに、5月14日には残存する英空軍機はすべて……マレメ飛行場に駐機していた分も含めてエジプトへ撤退してしまい、おまけに滑走路の破壊措置や地雷埋設などの対応は取られなかった。

 

 また、その上層もドイツが巨大な空挺部隊をクレタ島に差し向けようとしているのを知りながら、「ドイツ人に暗号を解読されていることを感づかれないようにするため」、あえて空挺作戦決行の前日(1941年5月19日)にも、なんら有益な警告をフレイバーグ少将に発しようとはしなかったのだ。

 

 なので口の悪い歴史家の中には、「チャーチルはギリシャを助けようとしたが、クレタ島は見殺しにするつもりだったのでは?」という者もいる。

 

 

 

 だが、安心してほしい。

 この世界線では間違ってもそういう、なんというかスッキリしない戦いにはならないと断言しておこう。

 理由は言うまでもなく日本皇国軍の存在だ。

 

 彼らは、エニグマだの暗号だの関係なく、ドイツ人は近々飛行機に乗ってやってくると見ている。

 

 実はこれは簡単な消去法だ。

 クレタ島の近場で頼りになる枢軸国海軍と言えば、普通はイタリア海軍なのだが……残念ながら、こちらは”タラント強襲(ジャッジメント)作戦”で主力が壊滅というより消滅してしまってる。

 今、彼らが動かせる戦闘艦はせいぜいが駆逐艦や魚雷艇で、今なお凶悪な能力を誇っている日英が地中海に展開している艦隊と対峙する方が無茶無謀というものだろう。

 

 この世界線におけるイタリア海軍のダメージを印象づけるものとしては「マタパン岬沖海戦が発生しなかった」というものがある。

 これは、ギリシャとアレクサンドリアの海上輸送路を、イタリア海軍が通商破壊を行おうとして史実では惹起したものだが……この世界線では、作戦自体が立案されていない。

 それを行えるほど有力な水上艦が、イタリアには残っていなかったからだ。

 

 イタリアができたのは、せいぜいドイツを真似た「潜水艦による通商破壊作戦」だが、潜水艦自体の性能はそう悪い物ではないが、通商破壊を行うには経験(ノウハウ)も練度も戦術も足らなさ過ぎた。

 

 特に相手は、先の大戦でドイツの潜水艦(Uボート)に痛い目に続けた日英、両海洋国家だ。

 駆逐艦に音波探信儀(ソナー)やレーダー、前方投射型多連装対潜機雷(ヘッジホッグ)三連装対潜迫撃砲(スキッド)なんかを駆逐艦に標準搭載するような国を相手取るには、いささか無謀が過ぎたのだ。

 加えて、飛行艇なども哨戒任務に赴いているのが今の地中海だ。

 

 このような状況で大量の兵員や装備を乗せた輸送船でクレタ島に近づくなど、日英同盟に標的艦を献上するようなものだ。

 

 

 

 陸続きではなく海は論外となれば、残るは空しかない。

 そして、史実でもこの世界線でも、ドイツはすでにギリシャでの戦いで空挺作戦を用いているのだ。

 

 そして、栗林中将以下日本皇国軍は、その時の模様をつぶさに英国人将校から聞いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何となく、戦の準備回でした。
結構、色々仕込んでるみたいですよ?




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第25話 ”飛燕”は決して”ぴえん”でないことを証明したい回

マーリンと言っても、魔術師ではない方です。





 

 

 

1941年5月19日、クレタ島上空、蒼空

 

「ふむ。液冷エンジンも中々どうして味わい深いじゃないか」

 

 鼻先で轟々と響くV型12気筒サウンドを聴きながら、コックピットで上機嫌に微笑むのは日本皇国空軍中尉”篠原博道”だった。

 そう、あのタラント強襲作戦に参加し、件の作戦と時折シチリア島から飛んでくるドイツ機やイタリア機相手に撃墜スコアを稼ぎ、瞬く間にエース・パイロット(5機以上撃墜)に駆け上がり、いとも簡単にダブルエース(10機以上撃墜)になった男である。

 

 彼は現在、受領したばかりの新型機の慣熟飛行を兼ねた空中哨戒任務を行っている最中だった。

 

『ほう。これが日本製の戦闘機? なるほど。日本機らしくよく動くが……だが、機体特性はBf109よりのスピードスターというところですか? 中尉』

 

 無線機から聞こえてくるのはいつもの僚機(あいぼう)である金井ではない。

 というより日本語ではなく英語である。

 

「ああ、そうだ”レイシー少尉”。君は良い感性をしているようだな」

 

 対して答える篠原も実は英語で返していたりする。

 通信相手は、英国王立空軍(ロイヤル・エアフォース)(RAF)のエース、ジャック・ヘンリー・レイシー少尉だった。

 予備役上がりのパイロットだが、ギリシャの空でパイロットとして覚醒。見事にエースとなった男だった。

 ちなみにその戦功が認められ、今年少尉になったばかりだという。

 

 まあ、それを言うならば篠原も今年の4月にマルタ島からクレタ島に転属になったと同時に中尉に出世したばかりだが。

 さて、この二人がロッテを組んで飛んでいるのには理由がある。

 

 その最大の理由は、彼らの乗機だ。

 日本製で液冷エンジンと聞いたら、ピンとくる方もいるのではないだろうか?

 

 そう、三式戦闘機”飛燕”だ。

 だがこの”飛燕”、我々が知るキ61-Iと形は似ているが、同時に似ても似つかぬ機体であった。

 よく見れば推力式排気管の位置が違うことがすぐにわかると思う。

 それもそのはずで、この世界線の”飛燕”は、ダイムラーベンツの倒立型液冷V型12気筒”DB601”系ではなく、ロールスロイスの”マーリン”系正立液冷V型12気筒エンジンを主動力にしているのだ。

 

 だが、外観上より遥かに異なるのが、コックピットレイアウトだった。

 文字通りの主役の位置、パイロットの眼前に鎮座する最新のジャイロ・コンピューティング式光像照準器をはじめ、計器類の配置から操縦桿やスロットルの位置や操作まで、スピットファイアに酷似しているのだ。

 

 それもそのはずで、この”飛燕”が開発されるきっかけは、1935年のドイツの再軍備宣言に端を発する「緊急時(戦時)における英国支援計画」の一環としてだった。

 

 「英国支援計画」とは簡単に言えば、日英同盟に従って互いに技術交流を親密にし、燃料(オクタン価)や武器弾薬の共用化を促進、最終的には有事の際には相手国の使用兵器を生産し、供与するところまで含まれる計画だ。

 

 元々はマーリンエンジンのライセンス生産と技術支援から始まったのだが、戦争が現実味を帯びてきた時点で、エンジンだけでなくそれを搭載した日英共に即戦力化できる機体開発に移行した。

 

 英国が特に要請したのは、当初の戦争計画ではおそらくはドーバー海峡をはじめとした「海を挟んでの防衛戦」が多発すると思われたため、いくら数があっても困らないマーリンエンジン搭載の戦闘機と、それとブラックバーン”スクア”の後継となる高性能艦上急降下爆撃機だった。

 

 もうお察しいただけてると思うが、前者が”飛燕”で後者が”彗星”だ。

 実は当時の英国、戦闘爆撃機として設計した”スクア”が戦闘機/爆撃機のどっちつかずの中途半端な性能なうえに後継機の開発が事実上止まっており、そこをテコ入れしたいと考えていたようだ。

 また、当時の英国王立海軍(ロイヤル・ネイビー)は、艦上機のオール・マーリン・エンジン化を狙っていたようだ。

 容積や人員に限りがある空母の運用としては合理的であり、例えば戦闘機/爆撃機/攻撃機/偵察機でセッティングが異なっているエンジンでも、基本構造が同じエンジンなら整備に応用が効くし、部品もかなりの共用性が期待できる。

 実際、日本皇国海軍でも零式艦上戦闘機/九九式艦上爆撃機/九七式艦上攻撃機は”金星”エンジンの50番台で統一されている。

 

 次は”誉”で統一したい意向のようだが大量生産開始が1943年初頭になりそうなので、それまでの中継ぎの機体に関しては割とエンジンは複数種類になるかもしれない。

 

 まあ、急降下爆撃の前に未だ複葉機の艦上戦闘機と艦上攻撃機を何とかしろと小一時間ほど問い詰めたくもなるが、実はこれに関しては史実と似ているが異なる流れがある。

 まず艦上戦闘機だが……日英同盟が妙な具合に働いたのか、”フルマー”のような日本人的な感性から言えば「戦闘機?」と首をかしげたくなる英国(あんこく)面には走らず、素直にスピットファイアの艦上戦闘機型、いわゆる”シーファイア”開発の方向に舵を切っている。

 それも1938年のMk.Iの時代から開発を始めているので、戦時中に間に合わないということもないだろう。

 

 実はここでも「英国支援計画」が生きてくる。

 中島や三菱の艦上機設計部門の担当者や技術陣が英国に飛び、開発に協力しているのだ。

 史実のシーファイアはスピットファイアMk.V型を原型としていたが、この世界線ではひとつ前の量産型Mk.II原型のシーファイアが登場する予定だ。

 また、フルマーが計画されなかった事で、開発元のフェアリー社の開発/製造リソースに余裕ができ、史実より早くソードフィッシュの後継である”バラクーダ”が戦力化される模様だ。

 ちなみにスピットファイアの兄弟機であるシーファイアは言うに及ばず、バラクーダもマーリン・エンジンなので彗星(コメット)が戦力化できれば英海軍の要望は叶うこととなる。

 

 

 

***

 

 

 

 話が海軍機にずれてしまったが、日本皇国の「英国支援計画」と同種のプログラムが英国にもあり「ジャングロ・アダプテッド・プラン(日本語風に言うと日英適応化計画とでもなろうか?)」というものがそれにあたり、そのプランに基づいてロールスロイス社やスーパーマーリン社の技術者が来日し、技術指導を行ったのだ。

 それどころか、マーリン・エンジンのみならずまだ実機が完成したばかりのスピットファイアMk.Iをばらして日本まで持ち込む熱の入れようだった。

 

 また、その受け皿になったのが皇国空軍が契約した川崎と、海軍が契約した愛知だった。

 まず二社となったのは史実のような対立構造とかではなく、予想される生産数から一社では対応不可能と考えられたからだ。

 何しろ、テスト結果が良好ならば英国支援のみならず自国軍でも使おうというのだから、当然の処置であった。

 

 なら、より生産能力の大きい中島や三菱に頼めばという意見もあるかもしれないが、こっちはこっちで日本皇国が航空機用メインストリーム・エンジンと定めている各種空冷星型エンジンの研究/開発/改良/製造や、それを搭載する機体にてんてこ舞いで、とても手が回らない状態だった。

 

 中西もそこに加えては?という意見もあるにはあったが、生産が前倒しされた二式飛行艇や水上戦闘機”強風”の生産前倒しが命令されたこと、また次期海軍主力戦闘機コンペに参加要請が来たこと、また自社で要求される航空機用エンジンの開発や製造する部門がないことから選考から外された。

 

 こんな背景があり開発されたのが識別コード”ハ40”、通称”カワサキ・マーリン”と呼ばれるエンジンであり、見た目はBf109的だが操縦席はスピットファイアという”飛燕”であった。

 ちなみにだが、”ハ40”という名称は1940年完成/量産開始という説と、マーリン40番台と同じタイプの1段2速型遠心圧縮式過給機(スーパーチャージャー)を採用しているからだという二つの説がある。

 

 膨大な英国からの技術支援により史実のDB601を超える強心臓(馬力だけなら史実のハ140に匹敵する)を得たことは、三式戦闘機の開発を早めただけでなく性能すらも押し上げた。

 この世界線の”飛燕”は、100オクタン標準燃料や英国準拠の高品質な点火系/電装系部品を手に入れたことも相まって、高度6,000mで水平最高速力630㎞/h(それも戦闘重量で)を発揮できる文字通りの”皇国最速の戦闘機”であった。

 

 

 

 

 ついでに書いておくと、二機編隊(ロッテ)を組んでいる2機の”飛燕”だが、当然のように翼や胴体に描かれている国籍マークは違っている。

 無論、赤一色の日の丸とトリコロールカラーの三重丸(ラウンデル)だ。

 

 確かに英国陸軍はアレクサンドリアまで撤退した。

 だが、英国空軍は、数十名のパイロットを中心に整備隊を含めたある程度のこの島(クレタ)に残っていたのだ。

 

 義理堅いというような感情ではない気もするが、都合よく「日本人が英国支援のために作った戦闘機、その先行量産型をテストする」という大義名分もあった。

 間違っても「いや、ホントに新型機に乗ってみたかっただけ」という理由でないことを祈る。

 

「そうだ、レイシー少尉。今から急降下(ダイヴ)テストに入りたいんだが、付き合ってもらえるか?」

 

『急降下ですか? しかし、マーリン・エンジンは……』

 

 知る人ぞ知る話だがマーリンのキャブレター(SUキャブレター)はマイナス(ネガティブ)G=エレベーターなどで体が浮き上がるような感覚になるあの状態になると働かなくなり、エンジンが停止してしまうという致命的な欠点があった。

 なのでバトル・オブ・ブリテンなどではBf109はヤバいと思うと、急降下で逃げてしまうという事例が多発した。

 というか、どうもドイツ人戦闘機乗り達は、この欠陥を熟知していた臭い。

 

「安心しろ。”カワサキ・マーリン”には中島製のキャブレターが使われていて、理屈はよくわからないが0GだろうがネガティブGだろうが問題なく動く……らしい」

 

 正確には、中島飛行機お得意の二連気化器に採用された高度弁自動装置(AMC)の功績だったりするのだが、

 

『そんなアバウトな』

 

「大丈夫だ。何でも同じエンジン詰んだ試作機では、ダイヴで850㎞/h以上出したらしい。その状態で機体にも異常なし。川崎も随分と頑丈な機体を作ったもんだな。まあ、いい」

 

 篠原はニヤリと笑い、

 

「とりあえず、ついてこい!」

 

『ラ、ラジャー!』

 

 

 

 急降下に入る篠原を慌てて追いかけるレイシーだったが……後に「この経験こそが、私が撃墜王となる土台となった」と語ることになる。

 ともあれ……空が再び戦いに染まる瞬間は、もう目の前まで来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、史実より強いかどうかはともかく、信頼性は格段に上がった”飛燕”です。

そもそも、飛燕ってモーターカノン搭載しないから、別に中空クランクシャフトとか必要ないんですよねー。



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第26話 ひさしぶりにてっぽうのはなしなど

転生狙撃手(きょうげんまわし)、再び……





 

 

 

 さて、篠原中尉が操る飛燕が急降下で時速850㎞に到達した頃、クレタ島の西部では……

 

 

 

「なあ、小鳥遊伍長……確かにマルタ島は地中海屈指のリゾートだけどさ、作戦始まるまで野宿生活(キャンプ)とか上層部も酷くね? せめて海辺のコテージを用意しろよなー」

 

「どこらへんが”せめて”なのかわからねぇけど、いいじゃないっすか少尉殿。優雅なリゾートキャンプだと思えば」

 

「いや、軍用狙撃銃持ってキャンプとかお前……」

 

 あーども、毎度おなじみ転生者です。もとい。下総兵四郎だ。

 現在、俺と相方(バディ)の小鳥遊伍長は、東西に長く南北に短い平べったい印象のあるクレタ島西部の北側、クレタ島第二の都市である”ハニア”市へと来ていた。

 正確に言えば、その郊外のマレメという場所にある飛行場付近だ。

 

「狩りでもやるみてぇだから、鉄砲持つのもしかたないでしょうが。というか上の連中、俺にまでこんなデカブツ持たせやがって」

 

 と配給された”チ29式半自動狙撃銃”を手にぶつくさ言ってる小鳥遊君である。

 実はこの”チ29式半自動狙撃銃”も中々にユニークな、前世じゃ有り得ない経緯でこの場にある狙撃銃だ。

 

 

 

 元々はこの銃、1930年に日本皇国に輸入され、ライセンス生産契約がなされたチェコスロバキアのチェスカー・ズブロヨフカ社製”ZH-29半自動小銃”という軍用小銃が叩き台になっていた。

 第一次世界大戦で、日露戦争に続き火力の重要さを再認識した日本皇国は、特に陸上兵力の高火力化は至上命題とされた。

 歩兵もその例外ではなく、その目玉とされたのが銃器類の自動化だ。

 

 当時、日本皇国陸軍の小火器は毘式重機関銃(ヴィッカース重機関銃)、ルイス軽機関銃、窓式軽機関銃(マドセン軽機関銃)、梨園式改三型小銃(リー・エンフィールドMk.IIIの国産改良型)であり、その内情はルイス機関銃を除けば日露戦争で投入された物の改良型や発展型であり、第一次大戦においては比較的最先端装備ではあったが、大規模戦闘を経験した各国の重装化は目に見えており、その兆候はすでに大戦末期から出始めていた。

 

 そこで歩兵装備の近代化()急務とされたのだが……だが、ボトルネックとなったのは、上記の銃器全てに用いられ、日英同盟の標準小銃/機関銃弾となっていた”.303ブリティッシュ弾(別名:7.7×56mmR弾)”だった。

 

 この銃弾の金属薬莢(カートリッジ)は”リムド・カートリッジ”と呼ばれる種類のもので、自動火器が登場する前の時代に原設計がある比較的設計の古い薬莢に多いタイプで、文字通り薬莢の底に円環状の”(リム)”が付いているのだ。

 だが、このリムが言ってしまえば瓶底にある構造は、自動火器には本来あまり向いていない構造……設計上、機構が複雑になりがちで、それが故障の原因になりやすいなど設計上、不利な面があった。

 

 そこで皇国政府が目を付けたのは、大量に銃器ごと鹵獲した敵国ドイツが用いていた”7.92x57mmマウザー弾”だった。

 この実包は、近代的な縁なし金属薬莢(リムレス・カートリッジ)の構造を持っており、とても自動火器の設計に向いていた。

 加えて日本皇国を喜ばせたのは、この実包がかなり高性能であり威力も申し分なかった。

 なお喜ばしいのは、実包製造に必要な治具一式は戦時賠償の一環としてドイツより接収していたのだ。

 というより、これが採用の決め手になったんじゃないだろうか?

 

 

 

 英国は、当時あまりに7.7㎜弾の在庫が多かったために、リムド・カートリッジが自動火器の設計に不利になることを知りながらも継続使用を決定していたが、対して日本はさほど……過剰なまでの7.7㎜弾の備蓄はなかったので、新実包の採用は英国ほどハードルが高くはなかった。

 

 更に日本には追い風があった。

 皇国海軍は、第一次世界大戦の戦訓と大活躍した英国王立海兵隊(ロイヤル・マリーンズ)の影響から”海軍陸戦隊”を組織することになり、また海軍の中で海域の治安維持も担当する護衛艦隊司令部も海上保安隊(いわゆるコーストガード)や拠点警備隊を強化する方針を固めたため、新型銃器を採用しても余剰となる備蓄銃器の引取先に困ることはなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 無論、同盟相手の英国の機嫌を損なう訳にもいかないので、事前に「戦時中にドイツ人が使ってた実包を新型弾として使ってよいか?」と確認をとって、オッケーということになったのでその準備に入ったのだった。

 まあ、英国も後に同じマウザー弾を使う”ベサ機関銃(ブルーノVz37重機関銃の英国ライセンス生産モデル)”を車載機関銃として後に採用しているのだが……この決定に、皇国のこの時の判断がどこまで影響したのかは定かではない。

 

 7.92㎜×57マウザー弾が次期主力小銃弾に選定されたのは、第一次世界大戦の戦後のごたごたやら、ソ連の建国やら、遼東半島とドイツから戦時賠償として割譲された山東半島の問題などが一通り解決した1925年のことだ。

 そして、まるでその時を待っていたかのように翌1926年に早速、新型機関銃の売り込みがあった。

 

 そう、マウザー弾を使用するチェコスロバキアの”ブルーノZB26軽機関銃”だ。

 この性能に満足した日本皇国は早速、初期配備分を購入した。

 加えて、翌27年に購入契約の時にその登場が予告されていた改良型であるZB27の売り込みがあり、こちらは性能確認のための短いテストの後、即座にライセンス生産契約が結ばれたようだ。

 ちなみに皇国軍における名称はZB26、27どちらも”チ26式分隊機関銃”となった。

 そう、皇国陸軍はこの比較的軽くて安価な機関銃を今風に言えば”分隊支援火器”、普通歩兵分隊ごとの火力増強火器として導入しようとしたのだ。

 

 

 

 そして、これに続いて売り込みがあったのが、件のZH-29半自動小銃だった。この銃の皇国陸軍の名称は”チ29式半自動歩兵銃”だった。

 実はこの小銃が選定された理由の一つは、チ26式分隊機関銃と箱型弾倉(マガジン)の互換性がある事だ。

 基本的に小銃用は20連発、機関銃用は30連発が標準とされたが、どっちもそれぞれに使用できる。歩兵と機関銃手が弾切れを起こした際に互いに弾倉を使えるのは何気に利便性が高い。

 ついでに書いておくと、歩兵銃の方は20連発のショートマガジン仕様なのは、30連だと長すぎて戦場で多用する伏せ撃ち(ブローン)で、すんげー邪魔なのだ。

 分隊機関銃は銃の上から弾倉を差し込む構造なので、問題ないのだが。

 

 

 

 まあ、この後も汎用機関銃という名目で売り込みのあった”ラインメタル/マウザー・ヴェルケMG34機関銃”の実銃3000丁とライセンス生産権をドイツ再軍備宣言直前の1934年に購入したり(資金調達の為に急ぎだったのか、比較的割安だったらしい)、英国と同じく車載用機銃としてブルーノVz37重機関銃のライセンス生産権を購入したり(チ37式車載機関銃)と色々あったが……

 

 このチ29式半自動歩兵銃はその後、”チ38式半自動歩兵銃”という発展改良型を生み出し、名前の通り1939年に採用されるのだが……実はもう一つバリエーションがあった。

 それが小鳥遊伍長が握る”チ29式半自動狙撃銃”という訳だ。

 

 最新のチ38式に置換されたチ29式の中から程度と精度の良いものを選び出し、再調整を行った上に銃剣取付具を外して代わりにバイポットとスコープを装着、バット・プレートをより精密射撃向きなものに交換して狙撃仕様としたもので、ちょうどアメリカのM14小銃とM21狙撃銃の関係に近い。

 

 

 

 実は元々は狙撃部隊用のそれではなく、小隊付選抜射手(マークスマン)向けに開発された物だ。

 ああ、マークスマンってのは、小隊の中から射撃の腕がいい兵隊を選んで、遠距離精密狙撃を担当する兵隊のことで、歩兵と狙撃兵のちょうど中間って感じか?

 なので、俺たち狙撃小隊は独立した狙撃専門部隊として動くが、選抜射手はあくまで「小隊の遠距離射撃担当」ってとこだ。

 

 本職の狙撃兵にあまり回されてないのは単純に九九式狙撃銃に比べ、特に遠距離での命中精度が落ちるからだ。

 相手に気づかれない距離で一発必中・一撃必殺を狙う狙撃手としては、割と致命的なんだな。これは。

 だが、チ29式半自動狙撃銃にも勝る点はあり、弾倉はチ29式狙撃銃とチ38式歩兵銃は同じなので弾切れ起こしても他の歩兵と弾倉を共用できること、あと半自動小銃ならではの速射性だ。

 

 実は今回のミッションは、俺にも小鳥遊伍長と同じくチ29式が配給された。

 いやー、今回は正確な狙撃より大量の兵(おそらくは降下兵)に対する阻止任務って意味合いが強いから、この判定も頷けなくはないんだが。

 

(精度より数ってのは、狙撃手(スナイパー)としては実際どうなんだ?)

 

 ん? なんで小鳥遊まで狙撃銃持ってるのかだって?

 いや、割と知られてないんだが、狙撃の観測手(スポッター)っていうのは、自らも狙撃手の適正と訓練を受けてないと務まらないんよ。

 だから、小鳥遊に限らずスポッターは基本的にスナイピングできると考えていい。

 

 そして今回の上層部からのオーダーは、射手の数も弾の数もいるものだ。

 なので小鳥遊は、久しぶりに狙撃銃を手にしてるってわけ。

 

 ああ、ちなみに俺と小鳥遊はクレタ島に来てからチ29式の慣熟訓練に勤しんでいたわけだが、小鳥遊の腕前は普通に実戦でやっていけるレベルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「森の中でキャンプか……これで可愛い女の子でも隣りにいりゃあ文句はないんだが」

 

「悪かったすね。むさ苦しい男で」

 

 まあ、俺もむさ苦しさでは人の事は言えんだろうからお互い様だろう。

 という訳で、俺たちが陣取るのは、空挺作戦に適したマレメ飛行場西隣の平地……を見下ろせる小高い丘の上にある雑木林だ。

 

 無論、潜んでいるのは俺たちだけじゃない。

 狙撃小隊の同僚は勿論だが、他の部隊も巧妙に偽装して周囲に潜んでいる。

 

 その時、ふとネットと木の枝で偽装した、ダグインさせてる戦車が目に付いた。

 かすかに見える車体番号から察するに、

 

(西住中尉の一式中戦車か……いや、増加装甲つけてるから、一式改の方だな)

 

 砲塔のキューポラから上半身を乗り出してる姿は、上半身と下半身がアンバランスな鋼鉄のケンタウロスという風情だ。

 

 トブルクの方にも、一式改は配備されつつある……一式改ってのは、今の日本皇国陸軍主力戦車って位置づけの一式中戦車をベースに戦訓を取り入れたマイナーチェンジ版ってことだから、

 

(あーあ、なんか否が応でも激戦の予感がしてくるね。こりゃ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は、史実と逆にわりかしに火力強めな日本皇国陸軍です。




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第27話 発動! メルクール作戦!!

いよいよ、クレタ島攻略作戦がはじまります。



 

 

 

 1941年5月20日、ギリシャ方面から迫りくる大編隊をとらえたのは、クレタ島統合防衛司令部直結に置かれ、長距離哨戒任務に就いていた一〇〇式司令部偵察機だった。

 

 

 

「司令部! こちら”サクラ01”! 敵の大編隊を発見! 信じられない数だ……飛べる機体は全て上空にあげた方が良い!」

 

 サクラ01、滋野清春大尉は背筋に冷たい物を感じた……

 

(この感覚はまるで……)

 

「大尉! 敵機の数が多すぎて、PPI(レーダー)スコープが役に立ちません!」

 

 後部に座るレーダー手も兼ねる偵察員から悲鳴じみた声が上がる。

 そりゃあ、PPIが敵機を示す輝点で埋め尽くされればそうもなるだろう。

 

「敵の規模は極めて巨大! まるでソラを埋め尽くすようだっ!」

 

 決死の覚悟で目視できる距離まで近づき、改めて告げる。

 

「空が7で敵機が3! 繰り返す、空が7で敵が3!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ”メルクール作戦 (Unternehmen Merkur)”

 史実でもあったクレタ島攻略作戦のドイツ側における名称だ。

 

 だが、この世界線におけるそれは、我々の世界とは規模が違いすぎた。

 理由はいくつかあるが……

 

・史実ではドイツ側は、クレタ島の配備兵力は精々7000~8000名程度と誤認していたが、この世界線では正確に日本皇国軍がほぼ正規師団規模で守護している事を知っていた。

 

 というのが大きい。だからこそ、ドイツ軍はイタリア軍やアルバニア人を丸め込み、ギリシャ人を徴用して南部に不眠不休で無数の野戦飛行場を整備させたのだ。

 

 その覚悟は、「勝っても負けてもこの一度の戦いでギリシャでの戦いに決着をつける」という意気込みあふれた物で、故にドイツ空軍とイタリア空軍の一度で出せる限界の数……実に400機以上を投入したのだ。

 

 たった一つの作戦に投入された航空機の数ならバトル・オブ・ブリテンを凌ぐドイツ空軍過去最大の規模と言ってよい。

 

 ドイツ軍は「日本人が対処できない数」をクレタ島に送り込むことにより、一種の飽和攻撃でクレタ島を陥落させようとしたのだった。

 

 

 

「クソッ! 落としても落としても次から次へと! お前らは無限沸き(ポップ)モンスターかなんかかっ!?」

 

 そう呪詛の言葉を吐くのは、ご存知”東洋のリヒトホーフェン”になる手前の篠原中尉だ。

 今回の戦いこそは、同じく日の丸を描いた”飛燕”を駆る金井守靖上飛曹(上等飛行兵曹)を僚機に添え、本気の本気で操縦桿を握る。

 

「逃がすかっ!」

 

 こっちを英軍機と同じ対処で引き離せると踏んだらしいイタリア機、41年の2月に登場したばかりの最新鋭機”MC.202(ファルゴーレ)” は、急降下による離脱を図ろうとした。

 どうも史実より登場が幾ばくかの早いのは、ライセンス生産品のアルファロメオのエンジンではなく、ドイツから持ち込まれたオリジナルのDB601を搭載した先行量産型であるかららしい。

 

 確かにSUキャブのマーリン・エンジン搭載機なら、MC.202も逃げきれる可能性があったかもしれない。

 だが、

 

「甘いんだよっ!!」

 

 中島製のスペシャルなキャブレターを搭載したカワサキ・マーリンに0GやネガティブGによる”息切れ”は存在しない。

 加えて、ダイブスピード850㎞/h保証の頑強な”飛燕”が相手だ。

 

 ”ファルゴーレ”は瞬く間に追いつかれ、史実とは異なる配置、片翼に2丁ずつ配された計4丁のホ103機銃の弾幕を浴び、12.7㎜のマ弾が正常作動したせいもあり空中で爆散して果てた。

 

 だが、この時、篠原は気づいたのだ。

 マルタ島で何度も見た、そして空中戦を繰り広げた馴染みのBf109系の機体以外に、同じ液冷エンジン搭載機のようだが、妙にコックピットが後ろにあるように見える機体に……

 

(あれはまさか……鉄十字書いちゃいるが、)

 

 だからこそ、通信機を全開にして叫ぶ!

 

「俺の声が聞こえる全員に告げる! 敵戦闘機の中に”ドボワチン(・・・・・)”が混じってやがるっ! Bf109より頑丈で操縦性が良い! コックピットが後ろの方にあるのが識別点! 各員、油断するなっ!! フランス野郎の機体、下手すりゃドイツより手ごわいかもしれんぞっ!!」

 

 

 

***

 

 

 

 実は篠原の言葉は、間違いではないが完全無欠の正解という訳ではない。

 実はこの機体、フランスのドボワチーヌ社が当時フランスで最も優れた戦闘機”D520”をベースに、ドイツのハインケル社と共同開発したドイツ空軍向けの輸出専用機だったのだ。

 その名を”HeD520U-1”と言う。

 

 ドイツ第三帝国(ドラッヘン・ライヒ)は、史実のそれとは違い、フランスの持つ高い工業力を遊ばせておく気は毛頭なかった。

 というより、降伏してすぐさまドイツ軍向けの兵器の製造を発注しだしたのだ。

 この時のヴィシー・フランス政府、ペタン政権はそのあまりの変わり身の早さに目を白黒させたという。

 

 何しろ、昨日までの怨敵が、今日になると手のひらを返して「中立は保証するから、その分、沿岸部の租借と兵器製造を頼む」である。

 ペタンも流石に

 

『我々に昨日今日で武器を作らせて良いのか? その武器をもって君たち(ドイツ)を攻撃するかもしれんぞ?』

 

 と警告したが、その時に首相会談に応じた某総督は鼻で笑って、

 

『誤解してもらっては困る。我々はドイツに敵意を持つ勢力を駆逐しに来たのであって、フランスを蹂躙する気も支配する気もない。敵対しなければ良いし、よき貿易相手となってくれればなお良い』

 

 国防力の回復(再軍備)を含めた、国力回復を望むと。

 そして、こう続けた。

 

『だから、我々(ドイツ)はフランスの復興に全力で力を貸そう。そして、問いたい。フランス人は、商売相手に銃口を向けるほど愚かなのかね? そういうのは野蛮な新大陸(アメリカ)人の作法だと思っていたが?』

 

 こうした中で生まれたのが、現在、先行量産型がクレタの空を賑わせている”HeD520U-1”だった。

 ドイツの要求に合うようにエンジンは……流石にDB601は引く手があまた過ぎて安定供給が難しそうだったので、代案としていくらか生産に余裕があったJumo211Fエンジンが早速フランスに持ち込まれた。

 また、プロペラ軸機関砲(モーターカノン)はイスパノ・スイザ社製HS.404から、同じ20㎜機関砲でもドイツ製のMG151に変更され、機銃も7.5mmのMAC1934からドイツ規格の7.92㎜弾仕様のMG17に変更された。

 無線機や照準器などの精密機器も、テレフケンやReviなどのドイツ仕様となり、それらの製造に手間がかかるコンポーネンツがドイツから持ち込まれたことにより、HeD520U-1は、驚くべき速さで開発が進められ、フランス陥落から1年も経たないうちに先行型とはいえ量産体制に移行したのだ。

 

 何とも皮肉な話だが……ドイツ人の手が入った事により、D520は生来の素性の良さも相まって見事なパワーアップを果たしていた。

 オリジナルのイスパノ・スイザ12Y-45からJumo211Fの換装によりエンジンの単体重量は200kgほども上がったが、その分、馬力は400馬力以上向上している。それに伴い、最高速は50㎞/h近く上昇している。

 

 ただ……HeD520U-1の製造ラインの横で、ドイツの勧めもあり軍備再編の為、D520の再生産を勤しむフランス人は、凄く微妙な表情をしているらしい。

 エンジンをイスパノ・スイザ12Y-45からイスパノ・スイザ12Y系列の完成形と言える12Y-51(ドイツの侵攻と同時期に完成したが戦争には間に合わなかったエンジン。ただし、製造ラインは無事だったので直ぐに再生産可能だった)に換装した”D520bis”に進化していたが、目の前で、ドイツ製のコンポーネントで作られてる兄弟機との性能差を考えると……という奴である。

 因みにドイツ系D520は、最低でもあと1回は変身を残しているらしい。

 

 

 

 とはいえ、フランス人は1フランでも多くの金が必要な国難期において、この大規模輸出を見逃すはずがなかった。

 元々フランスは兵器輸出で外貨を稼いでいた国であり、兵器産業が国の主要産業であった以上、輸出先がドイツに変わっただけと考えれば、納得もできるのだった。

 史実で日本人から複雑怪奇と評された「欧州政治の日常」は、今日もこうして醸成されてゆくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先ずは航空優勢、そして制空権を取るための空中戦ステージ。
日本皇国側も、独伊側もそれぞれ新型機を投入してるようですよ?




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第28話 5月20日・晴天、クレタ島上空には殺気が満ちるでしょう

クレタ島上空で、いよいよ戦端が開かれます。


 

 

 

 1941年5月20日、この日の早朝からクレタ島に空襲をかける独伊の枢軸国航空部隊の総数は484機に達していた。

 驚くべきことにそのうちの半数近い231機までが爆撃機やレタ島を占領する為のドイツの最精鋭部隊の一つ、”降下猟兵(空挺部隊)”を乗せた輸送機を守る護衛戦闘機群だった。

 ドイツが”メルクール作戦”にかける意気込み、「このクレタ島にてギリシャでの戦いに決着をつける」という鉄の意思が感じられるような布陣だった。

 

 

 これを迎え撃つ日本皇国空軍戦闘機隊と英国王立空軍の紳士達(ロイヤル・エアフォース)が操る戦闘機の総数は299機。

 これは、現在クレタ島で運用できる戦闘機の上限と言ってよかった。

 いや、本来はこれだけの数の戦闘機の運用は不可能なはずだった(当然、クレタ島に配備されている航空機は戦闘機だけではない)。

 

 だが、それを可能にした……既存の基地を拡張し、新たな野戦飛行場を予備まで含め数多く設営できた原動力となったのは、未だに米国からの輸入額トップを占めるブルドーザーなどの重機類だった。

 クレタ島防衛司令官である栗林忠相中将が何よりも心血注いで……なりふり構わずかき集めたのが、この”武装なき決戦兵器”だったのだ。

 

 

 

 そして、現在その努力は実っていると言えた。

 でなければ、今頃はもう枢軸側の飽和攻撃、数の暴力に押しつぶされ(史実と同じ様に)制空権を奪取されていたことだろう。

 だが、今は文字通り空を覆わんとするばかりの敵味方問わず無数の戦闘用航空機が飛び交い、拮抗状態を生み出していた。

 だが、同時に両軍ともこの状態が長くは続かないことも理解していた。

 

『敵も味方も関係なく、冗談のように簡単にポロポロ落ちる。これが本当に現実の風景なのかと疑いたくなるほど簡単に命が消えてゆく』

 

 とはこの戦いに参加し、生き残ったとあるパイロットの言葉だった。

 それは噓偽りのない言葉であり、クレタ島の空には善悪は無く、ただただ背中合わせの濃厚な死の気配だけがあったのだ。

 そして、その拮抗を崩そうとする者が新たに戦場へと現れる。

 

 

 

***

 

 

 

『騎兵隊、参上!』

 

『大尉、自分達はどちらかと言えば海兵隊なのではっ!? 一応、海軍ですし』

 

『細けぇことはいいんだよっ! もう、誰にも「水上戦闘機(ゲタばき)は二軍」だの戦力外だのと言わせねぇぜっ!!』

 

 不意に通信に飛び込んできたのは、海軍の最新鋭水上戦闘機”強風”部隊が発した物だったようだ。

 彼らは、空軍の戦闘機が敵戦闘機と死闘を繰り広げている間に二重反転プロペラを響かせてドイツ人あるいはイタリア人の輸送機や爆撃機へと切りかかったのだ。

 

 

 

 ”強風”は、「水上機としては(・・・・・・・)高性能」と呼ぶべき機体であり、例えば最高速は時速500㎞/hに届かないなどこの時代の戦闘機に比べると、物足りない部分も多い。

 だが、空力的に洗練された層流翼や、火星エンジンを積んだ大柄で重い機体なのに見かけによらない軽快な運動性を発揮する自動空戦フラップの採用など、製造元の川西の技術と努力と創意工夫が押し込まれていた。

 

 だからこそ、通常の戦闘機との速度勝負に勝てなくともやりようはいくらでもあった。

 左右の主翼に合計4丁搭載されたホ103/12.7㎜機銃は飛燕や鍾馗、同じ海軍なら”ゼロ戦”と同等の火力を”強風”に与えている。

 

 そもそも、”強風”は第一次世界大戦の南太平洋の島々、いわゆる南洋庁の管轄下にある広さやや土壌、あるいは地形の問題から飛行場を設営できない島の防空を担当するために発注・開発された機体だ。

 なので、同じく小島の多い地中海付近は、先行量産型のテストにうってつけと判断され30機ほどがクレタ島にも運び込まれていたのだ。

 

 確かにその数は決して多くは無い。

 だが、最新鋭の戦闘機よりも遅いが、大抵の爆撃機や輸送機よりは速く、川西の機体らしく打たれ強く(タフネス)、武装と運動性は一級品という機体の乱入は、場を搔きまわすのに十分な効果があった。

 

 さしものドイツ空軍(ルフトバッフェ)も、まさか「陸上機より性能の劣る水上機」に味方が撃墜される可能性など考えていなかったろう。

 

 

 

「ひねりこみっ!? あの水上機乗り、上手いぞ! アドリア海のエースになれるかもしれんっ!!」

 

 イタリア戦闘機(ファルゴーレ)に背後に張り付かれたが、上昇し”機体を捻らせ”反転しながらの急降下で見事に敵機を屠って魅せた”強風”に、燃料補給と軽い整備、そして同時並行でのわずかな休憩をはさんで再出撃をしていた滋野清春大尉は、愛機一〇〇式司令部偵察機のコックピットで感嘆の声をあげた。

 

 機体にもパイロットにも無茶なローテーションなのは百も承知だ。

 だが、”司令部の目や耳”は多ければ多いほど良い。それだけ正確に戦況が把握できるからだ。

 

 本来、トルクを打ち消す構造の二重反転プロペラではむしろやりにくい空中機動なのだが、本来は爆撃機用の火星エンジンのパワーに物を言わせ強引に反転させる技量は驚嘆と言えた。

 

「アドリア海? ここはエーゲ海ですが……?」

 

 といつもの偵察員からツッコミが入るが、まあ”空飛ぶ豚”の話を知らなければ、当然そうなる。

 

「やっぱ格好いいなー、水上戦闘機……今から空軍辞めて、海軍に入隊しなおせんかなー」

 

「何を言ってるんです大尉!? 作戦中ですよっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ”飛燕”は、史実と違い登場して間もないのにいっぱしの戦闘機としての性能と貫録を備えていた。

 陳腐な言い方になってしまうが、Bf109の速度性能と降下(ダイヴ)能力、スピットファイアの上昇力と運動性を兼ね備え、十分な火力と防御力を持った……全てはカワサキ・マーリンがあってこそと思わなくもないが、少なからず「レシプロ戦闘機の現状における到達点(マイルストーン)」と言ってよい性能があった。

 

 それを熟練の戦闘機乗り達が操れば尚更だろう、

 だが、それがすなわち戦場の勝利を約束できるほど、現実は甘くはない。

 それは、ここに史実よりも早期におまけに品質よく登場できたキ43-III仕様の”隼”やキ44-II丙仕様の”鍾馗”を加えてもそうだ。

 

 最新鋭機を揃えているのは相手も同じことで、それはBf109F-1(フリッツ)であったり、MC.202(ファルゴーレ)であったり、そして、HeD520U-1であったりだ。

 また、それを操る枢軸パイロット達の技量も決して日本皇国空軍に劣る物とは言えなく、また一部には人間を半分ほど辞めてるような”化け物”も混じっていたようだ。

 

 そもそも、機体の性能差は戦力の一要素に過ぎず、結局は戦況は複雑な要素の絡み合いで刻一刻と変わるものだ。

 数の差は大きな要素だが、だがよほど圧倒的な差がなければ本当にそれだけで戦場は決まるわけでは無い。

 結局は、銃口を突きつけ合う陣営の投入する戦力、その大雑把に言えば”総合力”こそが勝敗のカギになる。

 

 

 だからこそ、クレタ島防衛司令部から全味方部隊に向け発せられたこの警告(アラート)は、当然の結末だったのかもしれない。

 

 

 

『全部隊、傾聴せよ。敵輸送機部隊は空挺部隊の降下シーケンスに入った。防空戦闘は継続。地上部隊は計画通りに迎撃準備に入られたし』

 

 

 

 クレタ島での戦いはどうやら、新たな局面へと突入したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そして、空の戦いは地上へと伝播します。



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第29話 戊式25㎜、40㎜、75㎜

今回の主役は、海外生まれの対空砲達?




 

 

 

 どんなものにも定石というものはあるが、今回のクレタ島防衛作戦において日本皇国空軍は少々その定石から離れる防空戦術を展開しているようだ。

 敵の爆撃機や空挺部隊を乗せた輸送機が大挙して押し寄せるのなら、まずそれらを最優先で叩くのがこの場合の定石だった。

 だが、日本皇国空軍はそうせず、第一優先攻撃目標(1st プライオリティ)を実は敵戦闘機に定めていた。

 

 これは実は、明確な目標がある。

 日本人がよく狙う「被害極小」の理屈か? まず、護衛を始末してから荷馬車を狙う盗賊の理屈か?

 確かにそれもあるだろう。

 だが本当の狙いは、「敵の継続戦闘能力を奪う」事だった。

 戦闘機のパイロット、それも実戦で生き残り続けられる貴重なエースというのはそう簡単には育たない。

 史実の戦士を紐解くと、どこぞの国の”特攻”のようにまるで消耗品のように使われるケースがあるが、本来は極力消耗を避ける……替えが利きにくい人員なのだ。

 特に今のドイツ……”東方への大侵攻(バルバロッサ作戦)”を控えたドイツ軍なら尚更だろう。

 

 

 

 日本皇国は、(転生者達の暗躍もあり)ドイツの東方侵攻作戦発動をほぼ確定事項だと判断しており、実は英国に対してもそうなった場合の両国がとるべき行動を内々に何パターンも話し合っていた。

 であればこそ、「量産が利く戦闘機はともかく、パイロットを大量に失うという意味」をドイツに教訓として与えねばならないと考えていたのだ。

 

 戦闘機の護衛がない爆撃機や輸送機がどうなるかを想像するとわかりやすいかもしれない。

 あるいは、護衛のいない荷馬車が盗賊に襲われれればどうなるかを。

 確かに爆撃機にも自衛用の機銃は搭載しているし、コンバットボックスのようなそれを用いた防御戦術もあるが……あれはアメリカ陸軍戦略爆撃機隊の質と量があればこそできた事とも言える。

 少なくとも、何やら怪しげに史実よりも強化されている臭いとはいえ、戦術空軍の殻からまだ脱し切っていないルフトバッフェでは、正直荷が重すぎる防御戦術だろう。

 

 だからこそ、あえて皇国空軍は「消耗戦」じみた戦い方を選択したのだ。

 早く小さく小回りが利く戦闘機を撃墜するのは難しく、それこそ戦闘機しか効率よくできないと言って差し支えないが、大柄で遅く鈍重な爆撃機なら例えば高射砲などの対空砲撃でも何とか対処可能だと割り切って。

 

 

 

 そして、当然のようにこの攻撃は奇襲効果を産んだ。

 枢軸側の戦闘機隊は、日本の迎撃機はまず間違いなく爆撃機や輸送機を狙うと踏んでいた。それを妨害しながら迎撃するのが今回の作戦のかなめになると。

 だが、真っ先に狙われたのは自分たちなのだ。襲撃者を狩りとる護衛のつもりが、自分達こそが標的だったと真意に気づくまで少しだけ時間がかかった。

 その思考の間……接敵の1分間で20機近くの戦闘機が落とされていた。

 特に悲劇的というか喜劇的なのは、日本軍機の行動に虚を突かれ、回避行動を取った機体が反応しきれてない機体と空中衝突を起こした事だろう。

 

 だが、彼らとてギリシャをはじめ各地で戦い、生き残ってきた猛者ぞろいだ。

 そうと理解できれば立て直しは早く、特にドイツ人パイロットの切り返しは素早かった。

 「戦闘機同士の空中戦こそ戦場の華にして騎士の誉れ!」とばかりに嬉々として反撃してきたのだ。

 随所で起きる激しい空中戦の中、そそくさと積極的に爆撃機や輸送機を狙う蛇の目(ラウンデル)を描いた機体は、実にジョンブルらしい行動だったが。

 

 そして、場が混淆としてきたところで、海軍の”強風”が爆撃機と輸送機に襲い掛かったのだ。

 ”強風”の場合は、最新鋭の戦闘機と真っ正面から張り合うのが厳しいからこそ、このような結果となったが、これはもちろん偶然ではない。

 今のクレタ島は隠蔽されたものも含め無数のレーダーサイトと、さらにレーダーを搭載している一〇〇式司令部偵察機や二式大艇をローテーションを組んで常にクレタ島上空に張り付かせているため、栗林中将率いる司令部がクレタ島の防空戦闘の推移や全体像を把握するのに大いに力になっていた。

 

 加えて言うならば、戦闘機の性能も機数も大きな差がないこの状況において、実は圧倒的に差がつく分野があった。

 それは、「機体被弾損傷時、あるいは撃墜時に脱出したパイロットの帰還率」だ。

 

 まず、愛機が損傷を受けた場合は考えるまでもない。

 基地への帰還距離が短ければ短いほど、損傷機の帰還率は比例して高まるし、パイロットが傷を負った場合の生存率は高まる。

 長ければその逆で期間中の墜落リスクは飛行時間や飛行距離に応じて高まるし、パイロットの生存率も低くなる。実際、帰還中に失血で意識を失い墜落死する戦闘機乗りは多いのだ。

 

 そして撃墜され、上手いこと脱出できてパラシュート降下できた場合だが……日英側は味方の救援を大人しく待っていても問題ないが、枢軸にとっては敵地に落下するのだ。

 その結果は火を見るよりも明らかだった。

 

 

 

***

 

 

 

 以上のような条件から、枢軸側は時間経過とともに空が自分達の優位にならないことを理解し始めていた。

 そして、防衛側の日英も、攻撃側の独伊も制空権の掌握どころか航空優勢がつかめないまま……いや、勝敗がはっきりしない今だからこそ”それ”は強行された。

 

 

 

『全部隊、傾聴せよ。敵輸送機部隊は空挺部隊の降下シーケンスに入った。防空戦闘は継続。地上部隊は計画通りに迎撃準備に入られたし』

 

 

 

 降下目標地点上空に辿り着いた……否。強行突入した輸送機からパラシュートを背負った降下猟兵が降り立ち、また人員を輸送できないゆえに降下猟兵を乗せた軍用グライダーを牽引していた爆撃機の接続紐が切られた。

 

 ヘリコプターによる降下作戦が一般的な現在では信じられないかもしれないが、敵地上空での落下傘降下(パラトループ)や無動力のグライダーでの降下作戦は、この時代ではメジャーであり、ドイツの十八番であった。

 おそらくそれは、他国の降下部隊が陸軍所属なのに対し、ドイツは空軍の部隊だったということも影響しているのかもしれない。

 

 

 

 だが、始まったのは端的に言えば”地獄”だった。

 ありていに言えば、降下行動に入ろうと減速した輸送機や滑空を始めたグライダーの周辺の空が”爆ぜた(・・・)”。

 言うまでもなく、高射砲の一斉射撃であった。

 

 この時、日本がクレタ島の降下ポイントになりそうな地点各所に配し、最も早く対空射撃を開始したのは、”()九九式七糎半野戦高射砲”という史実では聞きなれない高射砲だった。

 この砲は、中々興味深い歴史背景がある。

 史実を参照すると、この砲に最も性質が近いのは、”九九式八糎高射砲”になるだろう。

 これは、中国大陸で鹵獲したドイツ・クルップ社の”8.8cm SK C/30”をリバースエンジニアリング(後にライセンス生産)したものだが、この世界線では当然、ドイツ製兵器を気軽にリバースエンジニアリングするような状況に日本皇国はない。

 

 そして、この世界での開発背景はこうだ。

 ”八八式三(インチ)野戦高射砲”が、同盟国英国の”QF 3インチ 20cwt高射砲”として正式採用されたのが1920年代だが、航空機の著しい進歩を考えると、程なく射程や射高、発射速度や弾速などでも力不足となる兆しが30年代中期には見えていた。

 英国は、急ピッチで後継の”QF 3.7インチ高射砲”の開発を進めていたが、日本はそれを待っていられなかった。

 

 そこで、とある売り込みがあったのだ。

 1935年のドイツ再軍備宣言の影響を受け、日本皇国は間違いなく強力であろうドイツ軍機に対抗できる次世代対空機関砲の選定として、スウェーデンにあるボフォース社の25㎜ならびに40㎜機関砲の視察に来ており、無事にライセンス生産の契約をするか逡巡していたが……この時、時代遅れになりつつある高射砲の選定に頭を悩ませているという話が出た。

 この時にボフォース社は比較的型の新しい”75mm Lvkan m/29”という高射砲がラインナップにあることを告げる。

 しかも商売上手なことに、25㎜と40㎜機関砲のセット契約ならライセンス生産料を値引きすると言い出したのだ。

 

 その言葉が決め手となり日本皇国政府は、”ボフォース 60口径40mm機関砲”、”ボフォースM/32 25mm機関砲”、”ボフォース m/1929 75㎜高射砲”のライセンス生産契約を結ぶ事になったのだ。

 つまり、史実の”四式七糎半高射砲”が5年も早く登場した姿が、戊九九式と考えて良い。

 思わぬ大口契約に、担当者もさぞにっこりだったろう。

 というのも、ボフォースは前出のクルップ社と技術提携や業務提携していたが、例の再軍備宣言の影響でその関係が微妙になっていた時期であり、大口契約は渡りに船だったのだ。

 無論、日本皇国も史実の大日本帝国より早期に、より適切で品質の高い火器を生産することが可能となったので、まさにwin-winの商取引であった。

 

 

 

 この時のボフォース式75㎜高射砲が、いくつかの改良を経て(そして、一部が転用され戦車砲などが並行開発されつつ)、現在は”()九九式七糎半野戦高射砲”となり1939年から大量生産され、こうしてクレタ島に配備されてドイツ機やイタリア機に向けて移動可能な野戦高射砲にしては高レートで猛然と対空砲弾を吐き出している姿は、何とも歴史の皮肉を感じさせる姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




日本皇国では、保式(ホチキス)より戊式(ボフォース)が幅を利かせてるみたいですよ?

40㎜と25㎜は、海軍でも愛用されているみたいです。






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第30話 皇国陸軍(特に戦車乗り)は、空の恐ろしさを忘れない

戦車兵にとって、空から落ちてくるものはたいていが天敵です。
まあ、だからこそ今ある手札で対抗手段を考えようとするのですが。

九七式の解説を大分修正しました(2023/3/1)





 

 

 

 まさに、それは”十字砲火”と呼ぶにふさわしい物だった。

 射程の長い”()九九式七糎半野戦高射砲”に加え、降下兵を乗せた輸送機やグライダーが目標地点に近づくにつれまだまだ現役の”八八式三(インチ)野戦高射砲”の砲火がそこに重なった。

 

 そして、高射砲に比べ射程こそ短いが、比べ物にならないほど高い発射速度(レート)で、弾丸を吐き出す者達が落下傘ごと将兵を細切れにしようとしていた。

 

 

 

 さて、話は変わるが皆さんは史実における戦時中の日本戦車と聞くと、どんな印象を持つだろうか?

 「チハたん可愛すぎ」という方面は置いておくとして、純粋に戦闘兵器として考えた場合、「脆弱」という言葉がストンとくるのではないだろうか?

 大日本帝国の戦車兵として過ごした者の手記には、自軍の戦車を「憂鬱な乗り物」と評してあったという。

 

 だが、この世界における日本皇国戦車にも同じ評価が下されるとは限らない。

 根本的な意味でいえば、現在の皇国陸軍の上層部に”東條”姓の人間がいないことだろう。

 他にも上層部に牟田口姓や辻姓、木村・富永、寺内姓などもいない。

 言ってしまえば、史実で評される「東條とその取り巻きや参謀本部の政治将校」などがほとんどいない。

 理由は様々で、第一次世界大戦での戦死や病死、事故死や変死。戦時/平時を問わない行方不明に失脚、退役、予備役編入、不名誉除隊など処遇のバリエーションも様々だが、とりあえず軍には残っていない。

 

 現在、陸軍大臣は永田銀山という人物であり、陸軍参謀総長は酒井鎬継、教育総監は岡村稔次、ついでに車両開発のトップには原富実雄、というのが現在の皇国陸軍の布陣である。

 もう、なんというか……明らかに、転生者が絡んでることを隠そうともしない人事であった。

 特に第一世界大戦の最中、おそらくはドイツ製の機関銃でハチの巣にされていた東條、おそらくはドイツ製小銃に取り付けられた銃剣でめった刺しにされていた牟田口など”念入り”過ぎである。冨永や木村も「何故か毒ガス攻撃を食らったときに防毒面が壊れていた」りしたのだが。

 

 まあ、海軍も大角(事故死)をはじめ、史実でいう艦隊派や南雲(第一次世界大戦で戦死)、神や黒亀なども軒並み排除・排斥されてるのでどっちもどっちだ。

 

 陸軍に話を戻すと、今の陸軍の主流は第一次世界大戦で登場した戦車を間近に見て新時代の到来を感じた世代であり、そうであるが故に世界の潮流(トレンド)に乗り遅れまいと陸軍の装甲化に奔走した世代であった。

 少なくともどこかの禿眼鏡のように歩兵至上主義で「戦車は歩兵の火力支援ができれば良い」なんて者は、日本皇国陸軍では出世は諦めた方がよい。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、話が出たついでに語ると、現在の日本皇国戦車は大きく分けて四系統がある。

 重量10t以下の”装甲軽戦闘車(装甲軽車。豆戦車と呼ばれる事もある)”

 10t以上20t未満の”軽戦車”

 20t以上40t未満の”中戦車”

 40t以上の”重戦車”

 

 ただし、重戦車は開発中で、戦場に姿を現すのは複数年単位で先の話だろう。

 なので現在、クレタ島に配備されているのは”九八式装甲軽戦闘車”シリーズ、”九七式軽戦車”シリーズ、”一式中戦車”シリーズとなっている。

 九八式は、品質は上昇しているが、中身はそう大きな違いはない。大きな識別点は、全車無線機を標準装備していることと、一〇〇式三十七粍戦車砲はほぼオリジナル通りだが、同軸機銃は英国と同じくブルーノVz.37重機関銃のライセンス生産版車載銃”チ37式車載機関銃”に変更されている。

 また、外からはわからないがエンジンは型番こそ同じ統制型一〇〇式発動機の一つ”日野DB52”だが、電装系をはじめとした部品や冶金技術、燃料の品質向上のおかげで五式軽戦車の試製エンジンと同等の150馬力の出力を得ている。

 なので、どこか可愛げのある見た目以上にパワフルかもしれない。

  

 オリジナルと大きく違うのが九七式軽戦車と一式中戦車だ。、

 まず、九七式軽戦車は史実の”九七式中戦車”、つまり”チハ”の新砲塔型……ではなく、車格的にはほぼ史実の”一式中戦車”に準拠するモデルだが、重量が20tを切るために現在の日本皇国陸軍では軽戦車に区分されている。

 そして主砲なのだが、最初から47㎜長砲身戦車砲で、対装甲戦を意識していたのと主砲同軸と車体正面にチ37式車載機関銃を搭載していた。

 また、砲塔鋳造砲塔で装甲厚はほぼ倍化され砲塔正面で55㎜の厚さがあった。おまけに避弾経始を意識した丸みのあるデザインだ。なんとなくだが、ソミュアS35中戦車を意識したデザインの砲塔かもしれない。

 車体はリベット止めではなく溶接で組み上げられてるあたりも興味深い。

 この為、空虚重量でも17.8tまで増加していたが、品質向上などで史実の九七式ではなく一式と比べても40馬力上乗せした280馬力を安定的に発生する”三菱AC”を主機として採用することにより、機動力はむしろ上昇している。

 

 

 

 そして、一式中戦車……この世界線において”チハ(中型戦車ハ型)”と呼ばれる戦車なのであるが……

 中身はほぼ三式中戦車というか、その強化版だ。

 主砲は九〇式野砲から派生した(より詳細に言うなら九〇式を38口径長→45口径長に長砲身化した機動九〇式改野砲をベースにした)75㎜45口径長戦車砲で、これを正面装甲83㎜厚の避弾経始が考慮された丸みと傾斜のある鋳造砲塔に納める。

 副武装は、車体正面/主砲同軸/砲塔上面にチ37式車載機関銃を備える。

 重量は25.8tに達したが、エンジンに三菱ACに中間冷却器(インタークーラー)遠心圧縮過給機(スーパーチャージャー)を連結した365馬力を発生する改良型”三菱AC-K”の搭載により、機動力の低下を防いでいる。

 

 ちなみに”一式改”というのも存在しているが、これはあくまで戦訓を取り入れたマイナーチェンジモデルで、車体正面機銃を廃して厚さ20㎜の増加装甲を張り付け、分割式のサイドスカートを装着、無線機をより高出力な物に変えたり、あるいは砲塔上面の機銃に盾が付いたりと小改良を施した物である。重量は27.3tまで増加したが、シャーシは計算上31tまでの荷重増加に耐えられる仕様になっていた為に最高速はわずかに落ちたが、実用上の問題はなかったようだ。

 

 

 とまあ、駆け足で紹介したが、彼らの活躍はまだ少し後のこと。

 現状でドイツの空挺部隊、”第7降下猟兵師団”相手に猛威を振るっているのは、これらの戦車を叩き台に製造された”対空戦車”だった。

 

 一式中戦車の車体に砲塔(ターレット)式の戊式(ボフォース)40㎜機関砲を連装搭載した”一式対空戦車”、九七式軽戦車の車体に同じく25㎜機関砲を連装搭載した”九七式対空戦車”、”九八式装甲軽車”の車体に防盾(シールド)式の毘式50(12.7㎜)口径機関銃を4丁搭載した”九八式対空戦車”が、迅速に移動できる強みを活かして対空射撃最適点に移動し、次々と濃密な対空弾幕を張り始めていたのだ。

 

 史実では絶対にありえなかった陸軍車両による激烈な対空射撃……これほど早期に、これほどの数の対空車両を開発・生産していたのは日本皇国陸軍が、どれほど空襲を恐れていたか……陸上兵力がどれほど空からの攻撃に脆弱なのかを知るからこその選択だった。

 

 ドイツにせよソ連にせよアメリカにせよ、日本が戦う可能性があった国は全て例外なく強力な航空兵力を有している。

 それを皇国軍が失念することは無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ドイツ空軍屈指のエリート部隊、第1降下猟兵師団の赫々たる戦果を踏まえ、新たに編成される第2降下猟兵師団に自分の配属が決まったとき、ヨハン・エーベルト兵曹は天にも昇るような気持ちになれた。

 自分は選ばれたエリートなのだと、胸を張ることができた。

 

 そして、初陣を飾ったギリシャでの戦いでは、面白いほど奇襲じみた空挺作戦は”ハマり”、敵軍の退路を断つ成功をおさめた。

 現在の降下猟兵の降下装備は何気に史実より強く、例えば降下後に使う武器を詰め込んだコンテナで別途落とさずとも、MP40短機関銃が優先的に自衛用火器として配備されていた。

 少なくとも、「別途落とされた兵装コンテナにたどり着くまでは、拳銃と手榴弾で何とかする」という事にはならないようになっていた。

 

 だが、それらの努力も火力も、今回ばかりはあまりにも無力だった。

 下から妙な形の戦車から撃ちだされる砲弾はどれも本来なら「航空機を撃ち落とす為の武器」であり、それより遥かに脆くか弱い人間が食らったらひとたまりもない代物ばかりだったからだ。

 それはそうだ。対空戦車は、空挺部隊を降ろすために減速した輸送機や牽引機から切り離された軍用グライダーを狙うために機関砲をばら撒いてるのだから、必然的に降下中の降下猟兵にだって弾は飛んでくる。

 拳銃弾を連射できるだけの短機関銃でとても対抗できるものではなかったのだ。

 

 

 

「ヒッ!?」

 

 思わずエーベルト兵曹は短い悲鳴を上げる。

 近くで降下していた、昨日は酒を酌み交わし、一緒にJu52輸送機から飛び降りた同僚が、何かの爆発に巻き込まれ一瞬で原型の残らない挽肉と化したのだ。

 空中に無数にまき散らされる機関砲と呼ぶのには大きな銃弾、いや砲弾は一定の距離を飛ぶと命中しなくても手榴弾のように爆発する仕組みであるらしい。

 仲間達は、空中で元人間だった肉片に強制変化させられるだけでなく、例え肉体に直撃しなくとも爆発して飛び散る金属片にパラシュートを破られ、ぺしゃんこになるスピードで地面に次々と叩きつけられてゆく。

 エーベルトは不意に自分の股間が生暖かくなるのを感じた……

 

(早く! 早く地面についてくれっ!!)

 

 「人間が死なないように減速させる」パラシュートが、今はひどく恨めしく思える。

 ゆっくりと降下する現状は、ひどく時間の流れが緩慢に感じられ、自分がまるで射的の的になったような気分になってくる。

 

(果たして、どれだけ地面にたどり着けるんだ!?)

 

 だが、エーベルト兵曹は知らない。

 今はまだ、彼らが味わうべき地獄は序盤に過ぎないということを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実はボフォース社の機関砲談話は伏線だったりw
ちなみに戊式75㎜52口径長高射砲、英国式に言えば14ポンド高射砲もそのうちトランスフォームして出てくる予定です。



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第31話 制空権を取れてない状態での降下作戦は、とてもリスキーであるという実例

またまた、転生狙撃手(きょうげんまわし)の登場です。





 

 

 

「小鳥遊伍長、動くぞ!」

 

「はいよ。少尉殿!」

 

 バディを組んでそこまで年月が経ったわけでは無いが、この小鳥遊の察しとノリの良さは、実は何気に気に入っている。

 ああ、下総兵四郎だ。

 今は戦闘中につき、手短に話すぞ?

 

 軍用グライダー、たしか”DFS230”だったか?でマレメ飛行場に強行突入してきた連中は装甲部隊や普通科に任せる。

 的もでかいし、腹の中に詰め込んでいる8名の降下猟兵はパラシュートで降りてくる連中と違って機内で即応装備になってるはずだ。

 高射砲榴弾の直撃を食らって空中爆散した物は論外として、40㎜や25㎜の対空砲をボコスカ機体に食らって着陸というより不時着、あるいは墜落に近い状態もあったグライダーに戦える兵隊がどれだけ残っているかわからないが、とりあえず大物は大物にだ。

 

 そして、俺と小鳥遊、そしてトブルクからの転戦組である狙撃小隊が向かったのは、マレメ飛行場の東側にあるなだらかな地形だ。

 本来、飛行場周辺の森に潜み、突破を狙う敵降下兵を狙撃で足止めする任務だが、状況が変わった。

 

 史実なら英連邦軍のニュージーランド部隊が守っていた場所だったと思うが、今この瞬間、ここを守っているのは残存ギリシャ部隊、つまり王と一緒にギリシャ本土より脱出したギリシャ軍の残党だ。

 無論、戦力再編の為にアレクサンドリアまで引いた英国を中心とする英陸軍であったが、彼らが撤退の途中に立ち寄ったクレタ島に残していった装備と日本軍の予備装備で何とか正面戦力の補充はできているが、それでも正直に言えば荷が重いだろう。

 

 だが、彼らにも有利な点がある。

 一つは史実と異なり、枢軸側が制空権や航空優勢を確保できておらず、また戦闘機の次に輸送機より優先的に爆撃機が優先撃墜目標とされているせいか、俺の知っている歴史では空挺作戦以前にほとんど破壊されていたとされる対空砲が、今は大きな被害を出しておらず、元気に弾を吐き出していることだろう。

 これは、投入された戊式75㎜高射砲が巧妙にカモフラージュされていた上に野戦高射砲で牽引させることで移動能力があったこと、また相当数の対空機関砲が自走砲化(対空車両化)され機動力を活かして臨機応変に射撃位置を変更できたことも大きいだろう。

 つまり、少なくとも現時点でクレタ島全体の防空能力は大きな目減りはしていない。

 

 加えて、こっちは史実通りなのだが……飛行場の東にパラシュート降下した部隊と銃火器を詰め込んだ兵装コンテナの位置が風に流されたのか離れてしまったことが、俺たちにとってはラッキーだった。

 

 小隊長の見立てだと、現有兵力で防空守備は問題ないらしいので……俺達狙撃小隊は上層部の許可を取り、ギリシャ人の援護に向かっているという訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 小隊長は、兵装コンテナと降下兵の位置が離れて落下してゆくのと、そのおおよその場所を確認すると配置転換の許可を取ると同時に狙撃小隊に貸し出されていた装甲トラックに乗り込むように指示。

 そして、俺達は野営地をそのままに海岸道路を走らせ、ぎりぎりのタイミングで狙撃可能ポジションへと着いた。

 

 制空権が敵に取られた状態ならば、こうもスムーズに移動できなかっただろうが、道路にはまだ爆撃痕一つない。

 だからこそ俺たちは間に合ったと言えた。

 

(いや、むしろ航空優勢はこちらに傾きつつあるか?)

 

 まず、おそらく大隊規模の部隊の一つは、どうやらギリシャ軍陣地のほぼ真上に降りてしまったらしく、この時点で恨み骨髄のギリシャ兵に手荒い歓迎を受けたようだった。

 パッと見と射撃音から判断するに、短機関銃くらいは持っていそうなのでこの時期の俺の知ってる歴史の空挺作戦、「コンテナから武器を回収するまでは拳銃と手榴弾とナイフしか武器がない」という状態よりはマシだろうが、それでも早急に補充しなければジリ貧確定だ。

 ギリシャ人がぶっ放してる武器は、小銃だけでなく機関銃に迫撃砲、野砲に榴弾砲なんて高火力な物も混じっているのだ。

 

 そして、ドイツ人たちがギリシャ人相手に手こずってる間に俺たちが陣取ったのはまさに「狙撃銃で兵装コンテナ周辺を狙えるポジション」だった。

 

「小鳥遊! 無理に頭撃ち(ヘッショ)を狙わなくていい。取り敢えず、胴体に当たりさえすればいい!」

 

 精密射撃を持っ統とする狙撃手にとり業腹のセリフではあるが、とにかく戦闘できなくできれば及第点だ。

 

「あいよ! 数撃ちの方針ってか」

 

「その通りだ!」

 

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるじゃ困るが、数が大事なのは間違いない。

 俺と小鳥遊は、コンテナに手を伸ばしたドイツ兵に”チ29式半自動狙撃銃”の引き金を引いた!

 

 

 

***

 

 

 

 ギリシャ軍の火線に追い立てられるようにやって来るドイツ兵に銃口を向け、とにかく引き金を引く。

 一撃必殺とはいかないが、まあ狙撃手基準で言っても、そこそこ命中弾は出してる筈だ。

 

 中には狙撃に気づく敵兵もいるが、短機関銃(彼らの武器)ではこっちは有効射程の外側だろう。

 弾丸自体は届かなくはないが、当てるのはまず無理な距離だ。

 おそらく、この時代の短機関銃の有効射程距離はせいぜい100m程度だ。

 だが俺たち狙撃手は、よほど銃と条件が悪くなければ300m以遠の人間の胴体大の標的に当てるのに苦労はいらない。

 

(まあ、そういう性質の部隊だし、相応の訓練はくぐり抜けて来てるからな)

 

 正直、ボルトアクション式の九九式狙撃銃の方が命中率が高く当てやすいが、セミオート式の銃の発射速度(レート)は早い。

 しかも、今回の作戦は観測手(スポッター)まで狙撃に参加だ。スポッターの役割は、大雑把にだが小隊長と直轄の指揮分隊が担っている。

 つまり、小隊全体で16名の狙撃手がひっきりなしに発砲しているのだ。

 

 無論、敵の……降下猟兵の方が圧倒的な多数だが、未だにギリシャ軍の怨念と怨嗟がこもっていそうな執拗な銃撃やら何やらを浴びてる中で、這う這うの体でコンテナに近づいてくるのだ。

 要するに、行軍の体を為してないので、数の優位を全く生かせない。

 それに「寡兵で大軍の足を止める」ことは、元々狙撃部隊の得意技の一つだ。

 

(問題になるのは、残弾くらいだが……)

 

 20連発弾倉を取り敢えず10個ばかり携行しているが、

 

「まあ、何とかなるか」

 

 もっとも、この「コンテナ周りの鴨撃ち」がクレタ島最後の戦いという訳じゃないだろうから、こっちも補給を考えなけりゃならんだろうけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




またしばらく泥臭い闘いの日々ガガガ……

いや、ホントこのシリーズって潤いとか色気とかとは無縁ですねー。


正直、あまりにも女の子が出てこない(この先もしばらくは……)ので、書いてて不安になってきましたw




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第32話 降下猟兵、受難の日

試練ではなく受難です。
試練は乗り越えられるけど、果たして受難は……?






 

 

 

 マレメ飛行場の東側、海岸道路よりやや南で始まったドイツ降下猟兵大隊とギリシャ軍クレタ島防衛隊(増強大隊規模)+皇国狙撃小隊が激戦を繰り広げていた頃、マレメ飛行場の滑走路上でも激しい戦いの火蓋が切って落とされていた。

 

 ”もし、地獄というものが実在するとしたら、きっとこんな情景なのではないだろうか?”

 

 そう言いたくなるような情景が、滑走路の上には広がっていた……

 

 

 

***

 

 

 

 それは防衛側、日本皇国陸軍クレタ島防衛司令部から発せられた一本の全領域通信より明確化された。。

 

『マレメ飛行場を基地としていた航空隊に告ぐ。該当基地とその周辺は前線戦闘区画となった。帰投不可能である。事前計画Bに従い、所定ポイントに帰投、補給と整備を受けられたし』

 

 内容的には、ドイツ軍が上陸し基地や拠点に侵攻してきた場合、事前に割り振られていた予備野戦飛行場や予備後方拠点を使用されたしという物だ。

 無論、この内容はドイツ人やイタリア人も傍受しているだろうが……

 

 だが、彼らも気づいていない事がある。

 例えば、如何にもドイツが空挺作戦で確保しそうなマレメ飛行場やクレタ島西部にあるその周辺の基地から飛び立った航空隊はあるのだが、それは当然のように迎撃任務を受けた防空戦闘機隊ばかりであり、また出撃と同時に、この時点で「飛び立った基地への帰投を禁止され、元々事前準備されていた予備飛行場への帰投を命令されていた」のだ。

 無論、予備飛行場の場所はパイロットたちは把握済み……どころか、着地や離陸の演習も行っていた。

 つまり、通信があろうとなかろうと、この戦いにおいて最初から”マレメ飛行場は以後、使用されることは無い”のだった。

 

 では、この通信は何の為に行われたのか?

 それは、ドイツ人が”罠にかかった(・・・・・・)”事を伝える符丁だった。

 

 

 

「いよいよ出番か」

 

 皇国陸軍中尉、”西住 虎次郎”はカモフラージュされた一式改中戦車のキューポラから僅かに身を乗り出し、私物の双眼鏡を覗き込みながら呟いた。

 既に、戦車砲……75㎜45口径長砲には、榴弾が装填されている。

 照準は、既に済んでいる。

 だから、後は撃つだけであった。

 

 西住中尉は軍用咽頭式(スロート)マイクを喉に押し付け、

 

「小隊全車、砲撃開始! 弾種”榴弾”、三連! ()ェっ!!」

 

 滑走路を見下ろせる位置にある小高い丘にある雑木林……そこにダグイン状態で潜んでいた西住中尉指揮下の計4両の一式改と一式中戦車の主砲が火を噴いたっ!!

 

 無線機と防御力が強化されたまだ配備数の少ない改型は、どうやら隊長車に優先配備されてるようだ。

 そして、発砲音から考えてあと2個小隊は砲撃に加わっていそうだ。つまり合計12両、中隊単位の砲撃だ。

 

 一式戦車の戦車砲は元々は、75㎜級野砲としては世界水準に達していた1930年に制式化された九〇式野砲、その発展型だ。

 1930年代の装甲車両の急速な発展に脅威を感じた日本皇国陸軍は、九〇式野砲の対装甲能力を強化する方向で改良を行った。

 まず初速を引き上げる為に砲身長を38口径長から45口径長に強化し、新型のマズルブレーキの採用と耐久性を向上させる為の硬化クロームメッキの内部処理、また強装弾の使用を想定し、薬室/駐退機/鎖栓式尾栓などが須らく強化されている。

 

 この通称”九〇式改野砲”をベースに重量増加による牽引難度を補うためにリーフスプリング式サスペンションや大口径のパンクレスタイヤなどを採用し、むしろ牽引難度を下げて踏破性などの機動力を上げたのが”機動九〇式改野砲”であり、現在の皇国陸軍の主力野砲だ。

 

 そして、この機動九〇式改野砲と並行して開発されたのが一式中戦車に搭載される”一式七糎半戦車砲”だった。

 因みにこの一式という名称は年式ではなく、一式戦車同様”TYPE-1”という意味である。何しろ、戦車と砲は同時開発されるという流れであり、試作型が先行型が誕生したのは1939年で本格量産は1940年に入ってから、41年からは小改良型の一式改の生産が始まっていた。

 

 元が元、基本的には主力野砲と同じ砲なので、榴弾の威力は折り紙付きだ。

 そして、ほぼ同時に都合12発放たれた75㎜榴弾は、吸い込まれるように、滑走路に強行着陸だか不時着だか墜落だか微妙な状態のドイツ軍のグライダー群へと飛び込んだ!

 

 まさにグライダーの外へと飛び出て飛行場を制圧しようとしていた降下猟兵は、見事に出鼻をくじかれるついでに吹き飛ばされてしまう。

 当然、軍用とはいえグライダーに戦車砲を防ぐ防御力は無い。

 しかも、加わる砲撃は戦車砲だけではない。

 

 戦車がいるということは随伴歩兵も当然おり、そして今回の歩兵部隊は火力増強中隊編成だったのだ。

 つまり、50口径や7.7㎜の毘式(ヴィッカース重機関銃)や英国の”ML 3インチ迫撃砲”と砲弾が共通の九七式曲射歩兵砲(81㎜迫撃砲)を装備した部隊だ。

 これらが滑走路を狙える位置に隠蔽陣地を築き、火力を全力投射するその瞬間を待っていたのだ。

 さらに後方からは、砲兵隊の前出の機動九〇式改野砲や九六式十五糎榴弾砲の砲撃音まで聞こえてくる。

 

 確かにマレメ飛行場にグライダーで強行突入してきた降下猟兵は、大隊編成であったが滑走路へタッチダウンを決める前に戦闘機や各種高射砲や対空砲の洗礼を浴び、戦闘態勢をとる前に部隊として満身創痍に近い状態だった。

 いや、万全の状態でも空挺部隊は本来、奇襲などによる橋頭堡を構築する装甲装備を持たない”軽装部隊”だ。

 

 それなのに、重火器で武装した数的に劣らない敵兵力に待ち伏せされ、集中砲火を浴びたらたまったものではない。

 それでも訓練を重ねた精鋭らしく、一部の体勢を立て直した小隊や分隊は、管制塔や基地施設へと駆けだしたが……

 

 

 

「神よ……!!」

 

 そのことごとくが、「基地施設から飛んできた無数の弾丸で切り裂かれた」のだった。

 

 

 

***

 

 

 

 からくり自体は難しくはない。

 マレメ飛行場よりの”最後の補給”を行う際、迎撃戦闘機隊はタンクローリーより直接給油され、機体の整備員は作業終了するなり滑走路に横付けした軍用トラックに乗ってドイツ人が乗り込んでくる前に後方へ退避したのだ。

 

 代わりに基地へ潜んでいたのは、数日前から滞在している随伴部隊と同等規模の火力増強中隊だった。

 閉めたカーテンの裏側に機関銃座を設置し、銃口を滑走路へと向けていた。

 

 滑走路の側面とその後方、基地施設からのクロスファイアを喰らった降下猟兵は、降下より30分ほどで白旗を掲げるのだった。

 もっともその時点で最先任は大尉であり、部隊の半分はこの世からの脱出に成功しており、現世に残った者の半分以上が負傷者だった。

 

 最終的に、第二降下猟兵師団第I大隊の生存者は100名を割ることとなったのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




流石にグライダーは戦車砲の盾には使えなかった模様。
それに皇国は、しばらくマレメ飛行場を飛行場として使う気はないので遠慮なくぶち込んできますのでw

というか……マレメ飛行場自体が巨大なブービートラップだったという。




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第33話 クレタ島沖、快晴。時折、スツーカの残骸が降ってくるでしょう

島の上でも盛り上がって参りましたが、周囲の海や空でも当然のように……






 

 

 

 空の戦いは拮抗し、陸での戦いでは皇国軍が数の暴力というより火力の暴力に物を言わせてドイツの降下猟兵部隊を摺り潰しにかかっていた。

 では、海は平和だったのか?

 

 そんなわけはない。

 

全門斉射(サルヴォ―)用意っ!! 砲撃開始(OPEN FIRE)!!」

 

 英国地中海水上打撃群、通称”H部隊”の司令官、ジャック・サマーヴィル提督は実に上機嫌に発砲命令を出した。

 

 ”タラント強襲(ジャッジメント)作戦”で事実上、イタリア主力艦隊をタラント港ごと殲滅したため、”マタパン岬沖海戦”は史実通りには発生しなかった。

 それだけの戦力(まと)がイタリア海軍、とくに地中海側に残っていなかったのだ。

 実際、イタリアは地中海方面の残存兵力をナポリまで後退させていた。 

 そして、アドリア海側にあった艦艇、多くは駆逐艦や魚雷艇だったが……それらをイタリア人のケツを叩きながら護衛艦隊としてかき集め、同じくなりふり構わずかき集めた輸送船団に貼り付けクレタ島に送り込もうとしていた。

 輸送船の中身は、当然、装甲車両や火砲・重火器で武装したドイツ人だ。

 

 ドイツ軍とてバカではない。

 移動速度や展開速度が持ち味でその分だけ軽装備の降下猟兵部隊で、ディフェンスに定評がある日本人が居座る島を攻め落とせるとは最初から考えていない(だが同時に、あそこまでひどい目にあってるとは考えていないようだが……)。

 

 だからこそ、こうして重武装の増援を送り込もうとしているのだが……肝心のその船団の動きは機敏とは言えない。その理由は、軍正規の輸送船なんて物は少数派で、多数派なのは徴用船。つまりは船団での行動などしたことのない、にわか作りの輸送船の集まりだったからだ。

 その為、後続の陸戦部隊の船団移動は困難が予想されたが……距離の短さゆえにそれは補えると考えていた。

 クレタ島はトブルクから300㎞程度しか離れてないが、例えば首都アテネのそばにある軍港ピレウスまでの距離は200㎞ほどしかない。

 この距離の近さこそが、ギリシャ王室がドイツ人に攻め込まれる前にあっさりクレタ島へ脱出できた原因でもあるのだが。

 

 この距離なら迷子になることもないだろう(何せ定期船が走っていたのだ)と思ったが……防衛拠点に近いとなれば哨戒網を張るのも簡単であり、また日英側はドイツ人やイタリア人が持っていない空母まで展開させているのだ。

 

 そして、発見したドイツ人の陸兵を乗せたイタリア国旗を掲げた船団を喜び勇んで殴りかかったのは、イタリア主力艦隊が壊滅したのと、ヴィシー・フランス艦隊が大人しいので暇を持て余していた(とは口が裂けても言わないだろうが)英国地中海艦隊、特にサマーヴィル中将率いる水上砲戦部隊の”H部隊”だ。

 ぶっちゃけてしまうと、こんな楽しい射的大会に参加しない方が英国式紳士(ジョンブル)の沽券にかかわる。

 

 ギリシャでの激戦でその役目をいったんは終えて後方のアレクサンドリアで休養と部隊再編に勤しむ王立陸軍、英国に供給されるはずの新型機が運び込まれると聞いて大人しく帰る気の失せた王立空軍の戦闘機乗り達……

 

 だが、英国の真骨頂と言えばやはり海だった。

 七つの海を制覇したと豪語できたのは今は昔(何せ目の前のドーバー海峡が世界屈指の危険海域)だとしても、それでも貴族のご先祖をたどればほとんど海賊というお国柄は伊達ではなかった。

 

 

 

「それにしても、空を気にしなくて良いというのは実に愉快なもんだ。爆撃だの回避運動だのを気にかけず主砲を撃てるというのは本当に気分が良い」

 

 と言葉通り上機嫌のサマーヴィルであった。

 まあ、彼の上機嫌というのも「クレタ島沖、快晴。時折、Ju87(スツーカ)の残骸が降ってくるでしょう」という状況にある。

 

 無論、王立海軍戦闘機隊が活躍してないわけでは無い。

 だが、ご存じの方もいるかもしれないが、クレタ島を含めたギリシャの戦い、その撤退戦において英国地中海艦隊は大きく被害を出していた。

 当然、対艦戦では無い。

 犯人は、ドイツやイタリアの航空機だ。

 この時期の英国艦隊の防空能力は高いとは言えない。

 対空砲も発射速度などがいまいちで、ポンポン砲は故障が多く、迎撃に向かう艦上戦闘機は……シーハリケーンはまだ少数で、シーファイアはまだ地中海に辿り着いていないと言えば、状況はわかるだろうか?

 そのせいもあり、ギリシャからの撤退を支援する中、イラストリアスとアークロイヤルが損傷してしまっていた。

 本来なら、英国艦隊の頭上は大ピンチの筈だが……

 

 

 

「噂に聞いてはいたが……”ゼロ・ファイター”とはかくも凄まじいものだな」

 

 そう、超々ジュラルミンの銀翼を翻しながら大空を乱舞し、片っ端からドイツ軍やイタリア軍の爆撃機や雷撃機を血祭りにあげていたのは、日本皇国海軍のゼロ戦隊だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 参加できない英国空母任務群の代打を買って出たのが、日本皇国空母機動部隊だった。

 これも、からくりは簡単で航続距離の短いドイツ爆撃機やイタリア爆撃機が到達できない(というか発見するのも難しい)海域で、日本人大好きゼロ戦ガン積み編成の翔鶴型2隻、おまけに日本からの船団護衛で来ていてタイミングの合った隼鷹型軽空母2隻も参戦していた。

 

 要するに敵の哨戒圏外に待機しておいて、レーダーで敵機発見。方角が英艦隊のようなら搭載機の半分を占める航続距離の長いゼロ戦隊を発艦させたという訳だ。

 ちなみにこの時代の日本空母、英国で実用化された油圧カタパルトを翔鶴型で2基、隼鷹型でも1基をちゃっかり装備していて、中々に発艦速度が速い。

 というか油圧カタパルトの開発にも、その後釜である蒸気(スチーム)カタパルトの開発にも、日本は多額の資金援助しているので、こうして美味しいことになっている。

 

 それが結果として、英国海軍の艦隊防空(エアカバー)に大きく貢献しているのだから、これぞWin-Winと呼ぶべきものであろう。

 

 そして、言うまでもなくゼロ戦は強い。

 艦上戦闘機としては、英国の一歩先を征く性能と言ってよいだろう。

 

 少なくともクレタ島攻撃に戦闘機を割いてしまったために不足気味の護衛戦闘機隊を蹴散らし、鈍足の爆撃機や雷撃機を始末するくらいは朝飯前だった。

 英国は朝飯だけは美味いらしいが。

 

「空中戦、たーのしいいー♪」

 

 と”君は空中戦が好きなフレンズなんだね? じゃあ猛禽類かな?”と言われそうな言葉を発しながら操縦桿を傾けるのは、タラントで敵機を食い損ねた”藤田治五郎”だった。

 

 脳汁ドバドバでドヒャドヒャしてるように見える藤田だが、ところがぎっちょん。彼は視野狭窄にならぬよう広範囲の視線を巡らせ、常に敵機と僚機の位置を把握するよう務めていた。

 

 金星エンジンは整備員が良い仕事をしてくれたおかげですこぶる快調、左右の主翼に4丁搭載されたホ103機銃は軽快なリズムを刻みながら12.7㎜の空気信管榴弾を吐き出していた。

 

 燃料も弾丸も有限なのは理解していたが、藤田は少なくても機銃が弾を吐かなくなるまでは、最大限に娯楽(・・)を楽しむつもりだった。

 端的に言えば……電子マネーの代わりに自分の命を代金にした、”VRでは味わえないリアルな空戦”を魂の奥底から楽しんでいた。

 

 ここは、ミッドウェーでは無い。

 だが、この日、藤田は二度の出撃で戦闘機1機を含む合計10機を1日で撃墜していた。

 まあ、10機中8機までがイタリア機だったのは御愛嬌だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




久しぶりのサマーヴィル中将とトブルクで獲物を食いそびれた藤田君が再登場でした。

史実だと、英国はクレタ島周辺の制海権を圧倒的な海軍力で握っていましたが、制空権を取られていたために猛烈な空爆を独伊側から食らって艦艇が損傷、それがクレタ島陥落の一因になりましたが……この世界線では勝手が違いそうです。




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第34話 仄暗き水底より、長槍携えた刺客来りて

メリークリスマス。
とはいえ、作中ではクリスマスは遠く、戦いはまた別のステージに移ります。




 

 

 

 大雑把な言い方でのクレタ島沖ではゼロ戦隊が大立ち回りを演じ、海上では英国艦隊が実に楽し気に様々な大きさ/種類の砲弾と時々魚雷などを放っていた。

 紅海とジブラルタル海峡で蓋をされた地中海に潜水艦を含めたドイツ艦隊の姿はなく、イタリア艦隊は駆逐艦や魚雷艇などの小兵ばかり。

 

 しかし、侮るなかれ。

 イタリア海軍は伝統的に、大型艦より小型艦の方が戦に強いことが往々にある。

 これは陸の上でも同じで、大軍になると何かとグダグダになるが、仲の良いまるでサッカーチームのような小部隊が勇気のある行動で活路を見出す事があるのだ。

 そして、そんなイタリア人の特質を英国人はちゃんと理解していた。

 戦艦が遠距離から輸送船を凶悪な大口径弾で狙撃するのを食い止めようと、イタリアの臨時編成水雷戦隊は果敢に突撃を試みるが、英国とて巡洋艦や駆逐艦で編成された”倍以上の水雷戦隊”が戦艦の周辺に待ち構えていたのだ。

 

 勇気ある突撃と乱戦はむしろ英国人の望むところであり、「その心意気やよし」という心境だっただろう。

 

 だが、イタリア人は忘れていた。

 何も敵は「目に映る範囲だけに居るわけでは無い」ということを。

 徴用船の臨時輸送船団の為、今一つ緩慢な動きで戦場を脱出できない……こうしている間にも英国製の大口径榴弾で沈められるドイツ人の増援を乗せたイタリア船に、水中より忍び寄る影があった。

 

 

 

(こりゃまた、より取り見取りなことで……)

 

 潜望鏡を覗き込みながら、”伊19”の艦長、木梨鷲一少佐はそう独り言ちた。

 確かに司令部からはクレタ島近海で罠を張るように言われていたが、

 

「こうもドンピシャのタイミングで戦場に潜り込めるとはな……」

 

 木梨は、潜水艦というものを「前世から」こよなく愛していた。

 前世の記憶に残るハイテクの塊のような船も好きだが、この”伊十五型潜水艦”という40年より実戦配備が始まったばかりの現在、最新のシリーズもまた良い。最新鋭なのに懐古趣味、アナログで埋め尽くされた空間が中々に心地良い。

 

 どこの変態転生系技術者が設計図を引いたのか知らないが、英国仕込みの冶金技術に物を言わせて潜水艦用高張力鋼を開発、全溶接船体構造とブロック建造を採用。生産性や整備性にも優れている。

 また、単殻構造の船体というのも目新しい。

 小型化された電探と逆探(レーダー)聴音装置(ソナー)の搭載を前提として設計された最初の潜水艦であり、また主機であるディーゼルエンジンは出力こそ同じもののコンパクトかつ信頼性や安定性はオリジナルと比べ物にならず、またシュノーケルにも完全対応していた。

 ただし、電探搭載により”零式小型水上偵察機”運用能力は削除され、ついでに言えば単装砲や機銃さえも積んでいない。これらを省いたことで空いたスペースには魚雷を17本→24本まで増量し、信頼性が高い鉛電池と空気清浄機など生存性に直結するものが増量や新規搭載されていた。

 

 開発されたばかりの”海中自動懸吊装置”を標準搭載し、総合性能で言えば、史実の米国のガトー級やその改良型のバラオ級潜水艦にだって見劣りしないどころか上回っているかもしれない。

 何しろ、部分的に伊二百一型潜水艦の技術まで先取りして取り入れているのだ。

 

 むしろ勝っているのは攻撃力で、魚雷発射管自体はオリジナルとほぼ同じ英国と共通533㎜(21in)サイズだが、圧縮空気ではなくより静粛で気泡の発生しない水圧発射式が採用されている。

 当然、これに組み合わされるのは酸素魚雷だが……これにも一手間以上の改良が加えられていた。

 まず電気部品の高精度化やジャイロなどの信頼性大幅アップは言うに及ばず、艦底爆発を狙える磁気信管を通常の触発信管に加えて併載されているのだ。

 

 つまり、”伊十五型”は浮上航行することは考慮していても、最初から「水上戦闘を考えていない(・・・・・・)」。

 水上機飛ばすくらいならセイルだけ突き出して電探や逆探を作動させた方が速いし、浮上してしょっぱい大砲で砲戦やるくらいなら魚雷の搭載数を増やして持ち前の長射程を活かし海中から撃った方が安全だし、敵機より爆撃を受けそうなら機関銃撃つ暇があるくらいなら急速潜航した方がまだ生存率が高い……このような割り切った設計がなされていたのだ。

 

 

 日本皇国軍は「微妙に強い兵器を保有する」と言われている。

 圧倒的なわけでは無く。「なんとなく強い」、「どことは言い切れないが性能がちょっと良い」などの評価だ。

 だが、この改良型伊号潜水艦シリーズと、磁気信管を搭載した強化型酸素魚雷”零式酸素魚雷”の組み合わせは、貴重な例外かもしれない。

 少なくとも、射程/雷速/信管性能で他国を大きく引き離していたのだから。

 

 インド洋と紅海を超え、アレクサンドリア近郊の名前の付いていない土地にひっそり建造された秘密ドックに配備された伊十五型の性能を、否。日本の最新鋭潜水艦と最新鋭魚雷が腕の良い潜水艦乗りに率いられた時の恐ろしさを、世界の誰もがまだ知らない。

 そう、開発した日本皇国海軍さえもだ。

 

 

「潜望鏡深度まで浮上しても、まったく気が付かれないのはありがたいな」

 

 怨敵であり仇敵であり天敵である駆逐艦や魚雷艇などの爆雷を装備してるはずの小型高機動戦闘艦や爆撃機などは、英国艦隊や戦闘機群にかまけるのが忙しく、水中に潜む刺客に注意を割く余裕はないらしい。

 まあ、これは護衛を担うイタリア海軍が船団護衛任務そのものに慣れていないせいもあるのだが。

 

 彼らは、自らがドイツ海軍の真似をして潜水艦による通商破壊を試みておきながら、自分達がそれを食らうことまで想像は及んでいないようだった。

 いや、それ以前に……10㎞近く彼方から狙われるとは思ってもいないだろうが。

 

 

 

「艦長、魚雷発射管、1番から6番まで注水完了です」

 

 副官の声に頷きながら、木梨はその時が来たことを告げた。

 

「射角、深度設定そのまま! 1番から6番まで全弾発射!」

 

 木梨はにやりと笑い、

 

「次弾装填、急げよ。敵はまだうじゃうじゃいる上に鈍い。どこを撃っても何かにはあたるぞ?」

 

 

 

***

 

 

 

 木梨の予言めいた言葉は、ほんの少し未来に訪れる事実だった。

 電気部品や機械部品などの草の根レベルからの品質向上が乗算され、史実とは比べ物にならない信頼性を発揮した酸素魚雷は、触発信管と磁気信管を作動させながらまっすぐと48ノットの速度で突き進む。

 

 実はこの時、魚雷を放った伊十五型は木梨の伊19だけではない。

 英国艦隊が射線にかぶらぬよう細心の注意を払いながら発射した伊十五型は都合5隻もいたのだ。

 第一射だけで合計30本放たれた酸素魚雷は、他国の魚雷のように航跡を残さずイタリア海軍に存在を悟られぬまま海中を高速で直進した。

 その先にあるのは、英国艦隊の執拗な砲撃で半ば恐慌状態、統制が失われ慌てふためきばらばらの方向に退避しようとして結局、押し合いへし合いになってしまった敵臨時輸送船団だ。

 

 そして、そこに別の世界では”ロング・ランス”と恐れられた酸素魚雷が次々に飛び込んだ。

 戦後、木梨はこう語っている。

 

『あれは雷撃というより、池でくつろぐ鴨の群れに五人がかりで囲んで散弾銃を撃ち込んだのに近かったよ』

 

 と。

 そして、30発の魚雷のうち、この時代の魚雷の命中率を考えれば驚くべきことに、10発以上が信管を作動させて喫水線下で爆発。

 ある船は舷に喫水線下より大穴を空けられ沈み、ある船は船底で起爆され船体を真っ二つにされた……

 蛇足ではあるが、この時の史実と同じく400kgが弾頭に収められていたのは、九七式炸薬ではなく”一〇〇式炸薬という”爆薬だったが……実はその組成は、「RDX42%、TNT40%、粉末アルミニウム18%」で英国で魚雷や機雷、爆雷などの水中爆発物用に研究開発された”トーペックス(HBX爆薬で知られる)”と呼ばれる新型爆薬だった。

 実用化されたのはドイツのポーランド侵攻直前で、日本で量産開始されたのは40年からである。

 

 そして、伊号十五型5隻は、まだこの弾頭を搭載した魚雷を合計80発を残していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




潜水艦ファンの皆様、お待たせしました。

どうやら私自身、潜水艦が割と好きだということを再認識しました。


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第35話 史実改変、そして苦渋の決断

今回は、”メルクール作戦”を発動した側……ドイツ視点になります。

いったい彼らは何を見て、何を感じるのか?




 

 

 

「ば、バカな……こんな短時間で、壊滅したというのか……? 1個連隊の降下猟兵も、海上輸送していた機械化師団も……」

 

 ドイツ第三帝国第二降下猟兵師団を預かるヘルムート=ベルンシュタイン・ラムケ少将は、その報告に心底戦慄した。

 ギリシャでの戦いを見た限り、新設とはいえ第二降下猟兵師団は、第一降下猟兵師団の幹部だった彼の目から見ても精鋭と読んで差し支えない部隊だった。

 度重なる作戦で消耗し本国での再編命令を受けて帰国した第一降下猟兵師団に代わり、クレタ島攻略の先陣を任されたと言っても大きな不安はない……それだけの練度と装備を持った部隊だった。

 

 1941年5月20日午前6時(現地時間)を正式発動時間とされた”メルクール作戦”だったが、現在は5月20日午後6時……作戦発動から12時間たった現在、ギリシャの旧首都アテネに仮説本部を置くドイツ空軍降下猟兵師団司令部に入ってくる報告は、目や耳を疑う者ばかりだった。

 

 先陣の更に先方を務め、まさに味方が降下する橋頭保を確保する役割を与えられた”空挺突撃連隊”だったが……

 驚くべきことに……最初にマレメ飛行場へ降り立った第I大隊は昼まで持ちこたえられずに戦闘力を喪失したようだった。

 第II大隊は降下自体はできたが、猛烈な空襲をくらい森の中で身動き取れなくなっているらしい。

 第III大隊は、敵の防御陣地近辺に落ちてしまったらしく、既に壊滅状態であるらしい。

 通信を入れてきたのは、第II大隊の近くに降下できた第IV大隊だったが、彼らにも既に敵装甲部隊の接近を察知しており、危険な状態であるらしい。

 

 そして、凶報はまだ続く。

 地上よりも絶望的なのは空と海で、戦闘機の未帰還率は30%を超えており、全滅確定。残りも損傷機が多く、明日以降に飛べる機体は半分を大きく割り込むだろう。

 そして、輸送機と爆撃機は更に損耗が酷く、未帰還は50%に達しており文字通りの壊滅状態。無事な残存機は少なく、後方から新たな機体を都合できたとしても、数日は作戦続行は不可能だろう。

 特に致命的だったのは、逃げ足も遅い大型機が燃料と弾薬の補給を受け再出撃してきた日本戦闘機に追撃を食らったり、上空で警戒網を張っていた航続距離の長い日本空母機動部隊の艦上機に奇襲されたりしたことだろう。

 撤退時に最大の被害を出すのは、20世紀の空の上でも変わらなかった。

 この時、彼らを守るべき枢軸側の残存護衛戦闘機は、一部を除き残燃料の関係で先に帰投し、既にかばえる位置には居なかったことが余計に被害を拡大させたようだ。

 

 

 

 本来の作戦であれば、次々に連隊規模の降下猟兵を送り出し波状攻撃でクレタ島を攻めとる腹積もりだが、まさか先遣隊が短時間で壊滅し、橋頭保も確保できず、更に輸送手段である航空機が初手でこれほどの大打撃を受けるとは予想していなかった。

 また、飛行場などを奪取できていれば陸軍から預かった山岳猟兵なども空挺させるつもりだったが、今となってはそれも不可能。

 加えて……

 

「陸軍の装甲師団も半分以上が海の藻屑となったか……」

 

 降下猟兵は空軍部隊で、船で運ばれていたのは陸軍の部隊。彼らは護衛していたイタリア海軍ごと仲良く水漬の屍と化したらしい。

 そして、ラムケは参謀たちを見やると、

 

「上層部に作戦中止を具申する」

 

 それは短くもあまりに重々しい台詞だった。

 

 自分の経歴には大きな傷がつく……多大な犠牲を出した挙句、先発隊を見殺しにした無能な司令官という肩書がついて回ることも覚悟した。

 だが、

 

(部下の命には変えられん……)

 

 だが、予想に反して彼の具申はあっさり認められ、降格などの処分もなかった。

 むしろ、後には「英断だった」とさえ評価された。

 

 

 

***

 

 

 

 事実、彼の正しさは翌21日に早くも証明されたのだ。

 日本皇国が用意したニューカマーは、何も”飛燕”だけではなかった。

 以下のようなエピソードを覚えてらっしゃるだろうか?

 

 ・英国支援計画において、マーリンエンジン搭載の機体がいくつか設計・製造されている。

 ・皇国の空母の半分はゼロ戦を搭載している。

 

 では、残り半分は何を搭載しているのか?

 まず、今回は船を沈める予定は無かったので、九七式艦上攻撃機は載せていない。

 その空いたスペースに搭載していたのが、日本でライセンス生産されたマーリンエンジンを搭載する2種の機体。

 一つは、最新鋭の急降下爆撃機、正確にはその先行量産型である”彗星 一一型”と”試製二式偵察機”だ。

 愛知航空機で開発され、二つに枝分かれした兄弟機だった。

 

 製造メーカーこそ違うが、基本的に”飛燕”と同じエンジン(つまり互換性がある)を積んだこの2種の機体のうち、最初にその実力を発揮したのは”二式偵察機”だった。

 小型化に成功した航空電探を搭載した二式偵察機は、這う這うの体で逃げ出す枢軸の爆撃機を送り狼のごとく後ろから追尾し、帰投する基地を突き止めたのだ。

 

 そして21日早朝、まるでクレタ島強襲の報復でも行うように日本皇国空母機動部隊より発艦した爆撃隊が急襲。

 その部隊には九九式艦上爆撃機と、九七式艦攻に代わり”彗星”が参加していたのだ。

 

 十分なゼロ戦隊に守られた彼らは、午前午後の二波による空襲で、標的となった複数の基地を完全に機能不全に追い込んだ。

 タラントの時ほどの執拗さはなかったが、それでもドイツのクレタ島に対する攻撃意欲を圧し折るには十分な戦果と言えた。

 何しろ、格納庫に収まりきらず滑走路まで使って修理していたところに空襲を受けたのだ。

 レーダーが妨害されていた形跡はあるが、それがなくともこの状況で満足に迎撃機など上げられる筈もなかった。

 むしろ、無事な機体の空中避難すら遅々として進まない中で、襲撃されたのだ。

 

 何より彼らの戦意を蝕んだのは、修理途中の機体のことごとくが修理という行為自体が無意味なスクラップに変貌したという事実だった。

 修理途中の機体が残骸に成り果て、それを撤去するとなれば……それは精神を痛めつけられるだろう。

 

 加えて、無事な……いや、飛べる機体は更にその数を減らした。

 もはやどうあがこうと”メルクール作戦”の続行は不可能になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 メタな発言で恐縮だが……結果から言えば、ラムケはたしかに作戦に失敗したかもしれないが、こと降下猟兵の死者・未帰還者に関してだけで言えば史実よりずっと低く抑えていたのだ。

 何しろ、空挺一個連隊しか(・・・・・・)失っていないのだ。

 

 そして、それを誰よりも理解していたのが、ドイツ軍の頂点に鎮座する”総統閣下”だったという……

 

 

 

 ”メルクール作戦”がドイツ側により正式に中止命令が発せられたのは作戦発動の翌々日、5月22日の事だった。

 だが、5月21日は余りの損害の大きさに作戦行動が全くできなかったので、クレタ島への侵攻作戦が行われたのは初日だけだったという事になる。

 

 つまり、我々の知る史実とはその過程も結果も大きく異なったのが、このクレタ島攻略(メルクール)作戦だった。

 そう、この時点でドイツはその被害の甚大さゆえに作戦の失敗を認めていた。

 

 

 しかし、日本皇国から正式に「クレタ島防衛成功」宣言が出るのは、まるで史実になぞらえるように1941年6月1日のことだ。

 この間、戦闘はなかったのだろうか?

 

 勿論、そんなわけはない。

 海より上陸できた敵兵はいなくても、降下した兵の中には降伏に応じず逃げ延びた兵もいたのだ。

 そして、クレタ島では現代版の落武者狩り……残敵掃討作戦が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クレタ島を巡る戦いもあと残すところ1話。
正直、後始末的な……蛇足や余談に近い話かもしれません。

よろしければ感想などなど頂ければとても励みになります。





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第36話 一つの戦い、その終焉あるいは蛇足

いよいよ長かったクレタ島の戦いもラストエピソードとなりました。

本当に余話という感じですが……意外な人物が登場するかも?






 

 

 

「さて、両手をあげてもらおうか、パイロット殿。頼むから大人しく投降してくれよ? 俺は無駄な殺しを楽しむ趣味はないんだ」

 

 やっほい。下総兵四郎だ。

 現在、1941年5月24日。場所はクレタ島西部、ハニア近辺の森の中。

 こんな所で何をしてるのかって?

 マンハント……もとい。残敵掃討任務の一環だよ。

 掃討と言っても殺すんじゃなくて、基本的に抵抗せずに大人しく投降すりゃ捕虜にする方針だ。

 

 これでも一応日本皇国は文明国だし、陸戦条約も可能な限り遵守する。

 いや、臨時の相棒たるハ28式改短機関銃(ハーネルMP28短機関銃のライセンス生産品の改良型)の銃口をドイツ人に突き付けている時点で、あまり強く文明人主張はできないかも知れないが。

 

(まあ、妙な抵抗する気がなさそうなのは何よりだな)

 

 ゆっくりと両手を上げるのは、恰好からして間違いなくパイロットのドイツ人。徽章から考えておそらくは戦闘機乗りだ。

 

「姓名、階級を名乗れ」

 

 とドイツ語で問いかける。

 言っておくけど、さっきから話しかけるのもドイツ語だぞ?

 皇国軍は同盟国が同盟国だけに英語は必須、日常英会話が出来なけりゃまず士官になれない。

 ドイツ語も上を狙うなら覚えておくべき。敵性国家の言語を覚えるのは、実際に戦争すると非常に役立つ。

 というか、英語を敵性言語として排除した大日本帝国がどれほど阿呆なことをやったのかよくわかるくらい重要だぞ?

 

(それに、ドイツ語は中二の嗜みとも言うしな)

 

 どこかの”萌えヒロイン(ただし、男である)系ポン骨魔王”もそんなこと言ってた気がする。

 

「ヨハン=ヨアヒム・マルセイユ。ルフトバッフェの中尉で戦闘機乗りさ。俺も殺しは好きじゃないし、それ以上に男に殺されるのは御免だ。どうせ死ぬなら美女とベッドの上でと決めている」

 

 いや、確かに随分と伊達男だなーとは思ったよ?

 薄汚れている格好なのに、イケメンってわかるんだから大概だ。

 だけどまさか、

 

「JJマルセイユだと? マジか……”アフリカの星(Stern von Afrika)”がクレタ島で何やってるんだ?」

 

「ほう。”アフリカの星”? 随分、詩的なネーミングだが……俺のこと、知ってるみたいだな?」

 

 そういやこの時期は、まだそう呼ばれてないんだっけか。

 

(確かスーパーエースとして開眼するのも、そして死ぬのも……)

 

 42年のアフリカだっけか。

 

「俺もついこの間までトブルクにいたのさ。あんたの事はそりゃ耳にぐらいはするぜ? ドイツ空軍屈指のエースさんよ」

 

 噓は言ってないぞ?

 前世でちょっと名前が似ている人を知ってるだけで。

 

「なるほどな。たしか、ここに居る理由だったか? 新型を受領しに本国へ戻ったら、ギリシャ戦線に回されたってだけさ。よくある話、大した話じゃない」

 

 言い回しが妙に気障だな。だが、嫌味じゃない。

 

(さすがは、ドイツ空軍史に残るプレイボーイってところかねぇ)

 

「新型機? ああ、Bf109F-4/Trop(フリードリヒ)か。ありゃ良い機体だ。DB601の性能を出し切るために考え抜かれた機体と言ってもいい。あんたが、あれに慣れ切る前に撃墜できたのは幸運かもな」

 

 するとマルセイユは妙に感心したように

 

「詳しいな? 貴殿はパイロットにも頭でっかちの情報局員にも見えんが?」

 

「ただのしがない歩兵だよ。ただ、戦闘機は好きだぜ?」

 

 狙撃兵なのは黙っておこう。あえて正体を教えてやる義理もないし。

 

 マルセイユはなぜか突然笑い出し、

 

「お前のような”ただの歩兵”が居てたまるか。どちらかと言えば、特殊部隊とかそっちの方か」

 

 中々鋭い。当たらずとも遠からずだ。

 勿論、正解を教えてやる義理もないので、

 

「ところで、そろそろ降伏するか決めてくれんかね? 男と長話する趣味はないだろ?」

 

 俺もどうせ話すなら、美少女との方が楽しいし。

 ぶっちゃけ男は小鳥遊伍長で間に合っている。

 それと我が相方(バディ)の小鳥遊と何時ものようにツーマンセルで行動中だが、俺がマルセイユと話している間にしっかりとカバーポジションをとり、周囲を警戒してるあたり、本当にそつがない。

 普段どんだけふざけた言動をしようと、やはり優秀な軍人だと思う。

 

 

 

「……降伏する前に聞きたいが、まさか捕虜収容所のコックは英国人じゃあるまいな? もしそうなら、全力で抵抗させてもらうが」

 

 まあ、確認したくなる、もしくは抵抗したくなる気持ちはわかる。

 

「安心しろ。コックは日本人だ。お前さんたちはあくまで捕虜で、犯罪者じゃない。脱走だのなんだのとバカな考えを起こさない限り、相応に丁重に扱ってやるさ。それなりに美味い飯も出るはずだ」

 

 英国式のウナギ料理とか出さないから安心してほしい。

 むしろ、ウナギだすなら蒲焼にするぞ、俺は。

 

「それなら結構。俺も”バルトの楽園”の話は聞いている。投降するならいけ好かない英国人より日本人の方がかなりマシだ」

 

 ちなみに”バルトの楽園”ってのは、第一次世界大戦の時に皇国本土にあった青島で降伏したドイツ人の捕虜収容所の俗称なんだが……そこに収容されたドイツ人は、地元の人間と親睦を深めながらのんびりと終戦まで過ごせたらしい。

 なんでも収容所ではソーセージ製造やビール仕込みもできた(無論、強制労働ではなく趣味と実益を兼ねた暇つぶしだったらしい)とかなんとか……収容所の話だぞ?

 

「おいおい。そこまで待遇を期待するなって」

 

 俺は少し咳払いして、

 

「ようこそクレタ島へ。マルセイユ中尉、歓迎してやるとは言わないが悪いようにはしない」

 

 俺の言い回しに満足したのか、マルセイユは許可を取ってからホルスターから自衛用の拳銃を取り出し、銃身を握り(つまり銃口を自分の方に向けるようにして)差し出した。

 俺はそれを受け取りながら、

 

「”ワルサーPPK”か……良い拳銃じゃないか」

 

 この世界では未来の話かもしれないが、初期のころのジェームズ・ボンドでおなじみの銃だ。

 

「記念に進呈するよ」

 

「ありがたく頂戴しよう」

 

 ”へいしろうは、まるせいゆのぴーぴーけーをてにいれた!”ってか?

 

「ところで、一つ聞いて良いか?」

 

「なんなりと」

 

「どんな奴に落とされたんだ?」

 

 こいつは、単純な興味だったんだが……

 

「……対空砲。戦車みたいな形の奴だ」

 

 あー、もしかして悪いこと聞いたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 マルセイユは幸運な男だったと言えるだろう。

 不意打ち気味に喰らった40㎜弾に片翼を吹き飛ばされながらも大したケガも負わず付き合いの短くなってしまった愛機より脱出でき、尚且つ割とあっさり日本皇国軍に身柄を確保されたのだから。

 

 少なくても現在進行形で九九式襲撃機に機銃掃射や対人クラスター爆弾の猛攻撃を受けている部隊よりはずっとマシな状況だった。

 

 では、確保できなかった……いや、”されなかった”者たちはどうなったのか?

 参考までに5月25日より、ドイツ人が潜伏していると思われる地域にビラがまかれ、設置されたスピーカーから録音されたアナウンスが流れ続けた。

 内容は、いずれも同じで……

 

   ドイツ人諸君に告ぐ

   君たちはやり過ぎた

   ギリシャの人々の恨みを買いすぎた

   日本皇国軍は、ハーグ陸戦条約を遵守する

   されど、我々の目の届かないところで何が起こっても関知できない

   不幸な邂逅、無用な流血は我々も避けたい

   我々は、歓待するとは言わないが、正当に捕虜を扱う準備がある

   可能な限り速やかな投降を願う

   

   

   

 この放送とビラの散布は6月1日に止まった。

 記録上、クレタ島に降り立った最後のドイツ兵が投降したのが、この日だったとされる。

 

 これ以降、終戦までドイツ国籍の軍人がクレタ島に現れることは無かった。

 

 

 最終的に捕虜として収監されたドイツ軍人は、1000名に届いていなかったとされる。

 

 あるいは、この数字こそが”クレタ島の戦い”を何よりも物語っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回、恒例の設定資料集などを投降して、この章は終わります。

楽しんでいただけたでしょうか?

次の章は戦闘シーンが極端に少なくなる、間違いなく戦争の一側面でしょうが”退屈な話”がメインになるかと思います。

ご感想などをいただければ幸いです。





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設定覚書3 クレタ島の戦いで登場した皇国兵器など

今回は、クレタ島の戦いで登場した日本皇国兵器群をピックアップします。





 

 

 

設定覚書3

 

 

 

クレタ島防衛戦で登場した兵器(日本皇国側)など

 

 

 

 

航空機

 

 

 

三式戦闘機”飛燕”

エンジン:ハ40”アツタ”(川崎製マーリン40番台ライセンス生産品)+中島製AMC付二連キャブレター+推進式単排気管

出力:1,400馬力(離昇)

最高速:630㎞/h(高度6,000m)

武装:ホ103/12.7㎜機銃×4(左右主翼。1丁あたり装弾250発)

航続距離:2,500㎞(増槽装着時。最大)

ペイロード:250kg爆弾ないし増槽を胴体下に懸架可能

最大降下速度:850㎞/h以上

特殊装備:ジャイロコンピューティング式光像照準器、電波高度計、電波誘導装置(ビームライディング方式)、スピットファイア系列と同じコックピット・レイアウト、セルフシーリング・インテグラルタンク、重要区画に防弾鋼板

 

備考

「英国支援計画」の一環として開発された高速戦闘機。開発された時期においては、日本皇国量産機の中では最速を誇った。

また、元は英国に供与する予定の機体の為、制空や防空というカテゴライズはされていない。

1941年時点では先行量産型であり、クレタ島に配備された王立空軍パイロットは事実上、テストパイロットを兼ねていたと言える。

加えて、後年登場した改良型は、二段二速式のスーパーチャージャーを搭載し、まさに”日本皇国版P-51”と呼ぶべき高高度戦闘機としての地位を確立した。

この世界線において、アメリカは政治的事情からP-51が発展型アリソンエンジン+排気タービンという形で進化するので、中々面白いことになっている。

 

 

 

 

艦上爆撃機”彗星(一一型)”

エンジン:ハ40”アツタ”(川崎製マーリン40番台ライセンス生産品)+中島製AMC付二連キャブレター+推進式単排気管

出力:1,400馬力(離昇)

最高速:555㎞/h(高度5,000m)

武装:ホ103/12.7㎜機銃×2(機首)+7.7㎜旋回式機銃×1(後部座席)

航続距離:1,700㎞(正規。爆弾搭載時)

ペイロード:機内爆弾倉に500kg、もしくは機内爆弾倉250kg+左右主翼に合計250kg

乗員:2名

特殊装備:ジャイロコンピューティング式射爆照準器、機内爆弾倉、電波高度計、電波誘導装置(ビームライディング方式)、動力式主翼折り畳み装置、セルフシーリング・インテグラルタンク、重要区画に防弾鋼板

 

備考

41年現在のモデルは先行量産型(初期量産型)という位置づけであり、まだ生産数は少ない。”飛燕”と同じく英国支援計画の一つで開発されているが、性能が高いため”流星”の配備まで日本皇国海軍の主力艦上爆撃機の地位にあった。

(戦争の経緯の関係で)対艦戦闘の機会が少ないとされ、艦上攻撃機の”天山”が開発中止になったのと対照的である。

また、後継の爆撃機と攻撃機を統合した”皇国版AD-1スカイレイダー”と言える”流星”が配備された後も、その使い勝手の良さから二線級部隊では終戦まで運用された。

 

 

 

試製二式偵察機

エンジン:ハ40”アツタ”(川崎製マーリン40番台ライセンス生産品)+中島製AMC付二連キャブレター+推進式単排気管

出力:1,400馬力(離昇)

最高速:580㎞/h(高度5,000m)

武装:旋回式ホ103/12.7㎜機銃×1(後部座席)

航続距離;2,900㎞(増槽搭載時)

乗員:3名

特殊装備:高性能航法装置、機内搭載レーダー装置一式、電波高度計、電波誘導装置(ビームライディング方式)、動力式主翼折り畳み装置、セルフシーリング・インテグラルタンク、重要区画に防弾鋼板、自動消火装置

 

備考

史実とは開発経緯が少し異なり、試作された”十三試艦上爆撃機”から早い段階で枝分かれし、より偵察機として特化された設計となった。

後継の”彩雲”と同じく、操縦士/レーダー・偵察士/航法・通信士の3名編成となっていることが大きな違いであり、また爆弾層なども設計段階から排除されている。

41年現在は、試製の名称が取れてないことから分かるように先行量産一歩手前の最終試作段階であり、今回の作戦参加も実戦データ採取が目的だった。

”二式偵察機”として正式配備されるのは翌42年からで、”彗星”とは違い英国への供与予定は今のところない。

 

 

 

水上戦闘機”強風”

エンジン:ハ101”火星”系一四型(MK4D)

出力:1,530馬力(離昇)

最高速:498㎞/h(高度5,000m)

武装:ホ103/12.7㎜機銃×4(左右主翼。1丁あたり装弾250発)

航続距離:1,600㎞

乗員:1名

特殊装備:フロート、二重反転プロペラ、自動空戦フラップ、層流翼、セルフシーリング・インテグラルタンク、バスタブ装甲コックピット

 

備考

史実よりかなり前倒し、あるいは開発計画通りに開発・配備が行われた水上戦闘機。この時代の通常の戦闘機に比べると最高速は劣るが、大きさの割に軽快な運動性を誇り、同時に防弾性が高くタフネスであり先行量産型が配備されたクレタ島では爆撃機や輸送機の撃墜に大きく貢献した。

おそらく、量産された水上戦闘機では世界最強かもしれないが、同時に水上戦闘機の終焉を飾る時代の仇花かもしれない。

事実、日本皇国ではほぼこのまま改良(二重反転プロペラは最後まで維持された)だけで量産が続けられ、後継機が開発されることは無かった。

最終的には1,800馬力級にまで強化された燃料噴射式の火星エンジンを搭載し、最高速は530㎞/hに達したらしい。

だが、これで培われた技術は並行開発されていた陸上機の”紫電”に引き継がれ、最終的には烈風の開発遅延でゼロ戦の後釜たる海軍次期主力艦上戦闘機”紫電改”を生み出すのだから、その開発意義は大きかったと言える。

しかもそれは烈風を差し置いて、日本海軍最後のレシプロ戦闘機の座を射止めた排気タービン付き戦闘機”陣風(1945)”に繋がっていくのだから侮れない。

 

 

九九式襲撃機

エンジン:ハ35”栄”

出力:1,190馬力(離昇)

最高速:444km/h(高度3,000m)

武装:武装:ホ103/12.7㎜機銃×2(左右主翼。1丁あたり装弾250発)+7.7㎜旋回式機銃×1(後部座席)

航続距離:1,200㎞(正規。爆弾搭載時)

ペイロード:胴体下もしくは左右主翼に合計250kg

乗員:2名

特殊装備:ジャイロコンピューティング式射爆照準器、電波高度計、電波誘導装置、セルフシーリング・タンク、バスタブ装甲コックピット、自動消火装置

 

備考

制空権が確定したクレタ島の空を飛び回り、地味に空から残敵掃討をやっていた皇国空軍の急降下爆撃可能な主力対地攻撃機。ドイツ兵からは”空冷の日本版スツーカ”という呼び名がある。

史実と見た目はほぼ(後期型と)同じだが中身は異なり三菱の機体に中島のエンジンと、リアルゼロ戦と同じ組合せ。エンジンが”栄”になったのは、おそらく”隼”などと部品の共用化を図り、整備効率(運用)向上を狙ったものであると思われる。

オリジナルと比べ馬力は250馬力ほども向上しているがは、速度や航続距離、ペイロードなど少しづつ増えているが、一番パワーリソースを割り振ったのは、防弾装備の拡充などの生存性強化だと思われる。

頑丈で壊れにくく、見るからにタフネスな機体は陸軍にとり頼りになる”空の相方”だったに違いない。

後継として開発された”二式襲撃機 屠龍”が37㎜機関砲やロケット弾搭載能力を持った双発機で、対地攻撃機としての性格もかなり違うため、改良型も含めて割と長く活躍することになる隠れた名機。

 

 

 

零式艦上戦闘機三二(・・)

エンジン:ハ112”金星”55番(戦闘機用に出力特性を変更し、1段2速過給機を戦闘機向けの物に換装した50番台金星)

出力:1,300馬力(高度3,000m)

最高速:565㎞/h(高度5,000m)

武装:ホ103/12.7㎜機関銃×6(左右主翼に3丁ずつ)

航続距離:2,500㎞(増槽搭載時。全速30分含む)

ペイロード:胴体下に250kg(基本的に増槽用)+左右主翼下にそれぞれ60kg

最大降下速度:800㎞/h以上

特殊装備:高出力エンジン搭載に備え各部が構造強化された機体、電波高度計、電波誘導装置、セルフシーリング・タンクやパイロット用防弾板など史実の一式戦闘機Ⅲ型に準ずる防弾装備、ファウラーフラップ付き層流翼、3ピース・バブルタイプキャノピー

 

備考

まず、書いておきたいのは三二型とは十の位が機体、一の位がエンジンのそれぞれ改修数/改装数を示し、三二型は”ゼロ戦として3番目に設計された機体に2番目のエンジンを組み合わせた物”という意味になる。

つまり、タラント強襲(ジャッジメント)作戦で登場したゼロ戦とエンジンは基本的に同じだが、ボディは新型になっている。

というのも、ゼロ戦の最終型(後の三三型)となる機体の開発は進められていたが、エンジンの製造に手間取り、先に機体だけ出来上がったので、とりあえず機体特性実戦で検証すべく、既存のエンジンと組み合わせて製造された、言わば”間に合わせ”の機体。

層流翼やファウラーフラップの採用などの空力周りの洗練で、最高速こそ二二型と同等だったものの、機体の構造強化と防御力と攻撃力の拡充(二二型はホ103/12.7㎜機関銃4丁)で機体が重くなったため、格闘戦を好むパイロット達から「加速が一泊遅い」とか「運動性がどこかもっさりしている」と評判はあまり芳しくなかった。

元々、この30番台のボディは、金星60番台(1,500馬力級)の搭載を前提に設計されていたため、仕方のない部分はあった。

だが反面、一撃離脱、急降下を好むパイロットからは「二二型なら間違いなく振り切られていた独伊新型機のダイヴに簡単についていけた」「短時間の射撃で簡単に撃墜できた。半端ないな火力1.5倍」好評をもって受け入れられ、見事に評価が二つに分かれたようだ。

実は二二型もオリジナルのゼロ戦後期型と同等の740㎞/h以上という降下制限速度だが、この世界線のゼロ戦は明らかに上の水準を狙っているようだ。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

一式中戦車/一式改中戦車

 

主砲:九八式75㎜45口径長戦車砲(機動九〇式改野砲の戦車砲版)

副武装:チ37式7.92㎜車載機関銃×2~3(主砲同軸、砲塔上面、車体正面=一式のみ)

副装備:煙幕弾投射装置、投光器、通信機を標準装備

主機:三菱AC-K型一〇〇式統制型遠心圧縮過給機/中間冷却器付空冷V型12気筒ディーゼルエンジン(365馬力)

懸架装置:独立懸架およびシーソー式連動懸架(ダブルボギーユニットを片面前後2基編成。史実の四式/五式戦車の足回りに近い)

操向装置:遊星歯車搭載クラッチ・ブレーキ式操向装置(改良型原式二重作動)+油圧サーボ補助

変速装置:前進4速後進1速(シンクロメッシュ機構内蔵)

装甲:防盾110㎜、砲塔正面83㎜、車体正面70㎜

構造:砲塔=鋳造、車体=溶接

照準器:一軸(上下動)安定装置付合致式照準器

空虚重量:一式→25.8t、一式改→27.3t

最高速:45㎞/h(一式、舗装地)

乗員:5名(車長、砲手、装填手、無線手、操縦手)

特記事項:履帯はこれまでの日本戦車より幅広の575㎜を採用。また車体前面/砲塔形状は避弾経始を考慮された傾斜や丸みを帯びた物となっている。また、砲塔バスケットが採用されている。砲塔駆動は電気/油圧併用式。

 

一式→式改の変更点:車体正面の機銃を廃止し、20㎜厚の増加装甲を装着。転輪や懸架装置を保護するサイドスカートを追加。砲塔上面の機銃に防弾盾を追加。無線機をより強力な物に交換。

 

備考

「10年後(1940年代初期)に登場が予測される各国戦車を撃破できる性能」というわりかしふわっとした指針において、言い方を変えればあえて設計の縛りを少なくしたところから30年代初期に各種技術の研究が始まり、ドイツの再軍備が宣言された1935年に開発が本格化した。

構成から間違いなく設計初期段階から転生者が絡んでいるのは明白で、スペック的に仮想敵とされていたのは中期くらいまでのM4シャーマンやT-34/76、四号戦車あたりだろう。

実際、遠くから見たシルエットがどことなく似ている。

非常に色々追加してるように見えるが、実は大半が史実の大日本帝国の戦車にも使われていた技術であり、それらを拾い上げて資金を史実より多量に投入し開発を加速させたのが見え見えではある。

まあ大砲の付け根にある防盾が鋳物のザウコップ型なのは流石にやりすぎだとは思うが。

また、このクラスの戦車を1930年代末に開発できたのは既存の技術を結集し、改良し、収斂した一式は日本戦車の技術の粋を集めた戦車とも言えるし、従来型日本戦車の到達点とも言えたが、同時にその限界点でもあった。

実際、後継となる10t重い三式中戦車は、これまでの開発メソッドは使えず、例えば足回りはシーソー式ではなく三菱が開発を続けていたトーションバー方式に改めらている。

エンジンの馬力は表記的には小さいが、実は圧縮比や加給圧を上げる380馬力までの出力は実証されているが、そうするとエンジン本体ばかりでなく駆動系にかかる負荷も大きく、信頼性や耐久性を優先したために大人しめな馬力となったという経緯がある。

実際、戦車というのは史実のドイツの例を出すまでもなく見た目に反して壊れやすい物であり、そうであるが故に信頼性や耐久性が最優先して設計され、また野戦兵器であるが故に扱いやすさや整備性も随分と気を使われている。

特に運転のしやすさは中々特筆できるもので、一部油圧アシストなども入り非常に操縦が楽だという。

 

総合的に見ると突出して圧倒的な部分はないが日本皇国軍を表すような「どこが強いというわけではないが、なんとなく強い」バランス型の戦車であり、後年の主力戦車に繋がる走りと言えるかもしれない。

 

 

 

バリエーション

 

一式対空戦車(一式対空自走砲)

一式戦車の車体に砲塔式の連装戊式40㎜60口径長機関砲と照準装置一式が搭載された対空車両。

砲塔の装甲は「20㎜機関砲の直撃に耐えられる程度」であるが、相手が相手だけに砲塔上面の装甲はむしろ一式より厚い。また高速で飛び交う航空機を標的にするため砲塔の旋回速度や精度にはかなり気を配られている。

早くも41年には先行量産型がクレタ島に配備されており、改良が継続されながら大戦全期間を通じて防空任務を担当することになる。

作中でJJマルセイユのBf109F-4を撃墜(片翼をもぎ取った)したのが、このタイプだったようだ。

 

 

その他、作中には九七式軽戦車をベースに連装の戊式25㎜機関砲を搭載した対空戦車や九八式装甲軽車に毘式50口径機銃4丁を搭載した対空戦車の存在が示唆されている。

また、戊式75㎜野戦高射砲の名の通り、自走式/機動式の対空兵器は数多く存在しているようだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

伊十五型潜水艦

全長:110m

基準排水量:2,480t

主機:(水上)シュノーケル対応4ストロークディーゼルエンジン×2基、12,000馬力

   (水中)1,250馬力電動機×4基、5,000馬力(巡航時は2基のみ駆動)

速力:(水上)23ノット

   (水中)14ノット

最大潜航深度:100m

急速潜航時間:30秒

武装:水圧発射式533㎜魚雷発射管×6(艦前方に集中搭載。搭載魚雷は24発)

探知装置:音波探信儀(ソナー)、電波探信儀(レーダー)、電波逆探知装置(ESM)を標準搭載

特殊装備:海中自動懸吊装置、電波反射低減処理シュノーケル、高性能空気清浄機

構造的特徴:潜水艦用高張力鋼の採用、単殻構造、全溶接船体構造+ブロック建造

 

九五式改II型酸素魚雷

・触発信管+磁気信管

・高精度ジャイロ安定装置

・一〇〇式炸薬=”トーペックス(HBX爆薬)”を充填した弾頭

 

備考

実はこれまで登場した全ての日本皇国軍兵器の中で、一番インチキ(チート)臭い兵器が、この伊十五型+九五式改II型酸素魚雷の組合せ。

大日本帝国が持っていたが、成熟させられないまま終戦を迎えた技術を成熟させ、完成度や信頼性を引き上げ、なりふり構わず構わず英国系の技術を取り込み完成させた、いったい何人の転生者が関わっていたのかわからない潜水艦である。

確かにどこぞのディープブルーなサブマリンのように無酸素機関やホーミング魚雷を搭載しているわけではないが、「既存の潜水艦と無誘導魚雷の戦法を極限まで引き上げる」事にかけている。

この時代の潜水艦は、基本的に「潜水可能な戦闘艦」という代物で、水中航行より浮上航行の方がダントツに多かった。だからこそ、水上戦闘に対応するために艦砲や機銃だった。

だが、帝国海軍最後の潜高である伊二百一型潜水艦の技術を先行導入し、史実では2ストロークが主流だった日本潜水艦の主機に、燃費がよく排圧が高く、シュノーケルと相性の良い4ストロークの潜水艦用高出力ディーゼルエンジンを開発したことにより、伊十五型は「シュノーケル航行を含め潜水航行をメインとする真の意味での潜水艦」にシフトした。

だからこそ、

・浮上して水上機飛ばすよりセイルだけ海面に出してレーダーで捜索した方がまだ効率が良い

・浮上してしょぼい砲で水上砲戦するくらいなら潜水しながら安全に魚雷で沈めた方が良い

・航空機に襲撃されそうになったら、しょぼい対空砲で応戦するくらいならさっさと急速潜航して逃げた方が生存率が高い

という潜水艦の唯一にして最大の強みである「海面下へ潜れること」へ特化し、それに不要な物をすべて切り捨て、潜水艦としての基礎的な能力を既存の技術で最大限にまで伸ばしたのが、伊十五型と言える。

 

その結果、海中速度は従来型の倍近い14ノットを発揮でき、潜高大型とも言えるスペックを手に入れた。

これはコンパクトで信頼性の高い4ストローク・ディーゼルエンジンや安全性の高い新型鉛電池、高品質な部品など皇国の技術力や基礎工業能力が大日本帝国に比べかなり底上げされているからこそ達成できたとも言える。

だが、真に恐るべきはこの伊十五型は、これだけのスペックを持ちながら量産を前提に設計された潜水艦ということだった。

 

大事なことを書いていなかったが……日本皇国海軍の潜水艦は、艦隊決戦の補助戦力ではなく、第一次世界大戦でドイツが示した「通商破壊を目的とした艦艇」として設計されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実の大日本帝国と比べると、いささか強いですが「実用化まで数年の誤差」はあっても、基本は「当時、日英にあった技術」を使ってるって感じです。

大日本帝国に比べて、基礎工業力も基礎技術も開発資金も資源も国力も圧倒的ではないですが、歴代転生者たちの愛と努力と根性の活躍(暗躍?)によりそこそこ上回っているので、品質も生産数もそれなりにあります。

きめ細かい工業規格や徹底的な品質管理、大量生産の原理とかが根付いていそうです。


第2章はこれにて終了。
改めてご愛読ありがとうございました。

次章は戦闘シーン少な目で、”退屈な話”が続くかもしれませんが、応援して下さると嬉しいです。






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第3章:戦争は政治の一側面に過ぎないことを示す、退屈な話
第37話 反省会


このエピソードより新章が始まります。
まずは、ドイツ人の視点より……


 

 

 

1941年6月1日、ベルリン市某所、OberKommando der Wehrmacht:OKW(国防軍最高司令部)、大会議室

 

 

 

 さて、ドイツ側で”メルクール作戦”と名付けられたクレタ島攻略作戦は、勝敗というより「日英側の防衛成功」という表現をもって語られるべき戦いとなって幕を閉じた。

 

 だが、その損耗率の差は歴史て言っても良かった。

 日英+ギリシャと独伊側の損耗比(キルレシオ)は1:15……つまり、皇国兵が一人死ぬ間に十五人のドイツ人かイタリア人が死んでいる計算になる。

 このような酷い数字になった理由は、いくつもある。

 

 ・クレタ島の防空能力が想定以上で、まず降下ポイントに無事辿り着けた機体が予定より少なかったこと。

 ・護衛戦闘機隊や降下作戦を支援する爆撃機も多く落とされ、効率的な航空支援ができなかったこと。

 ・地形的な制約から降下ポイントがある程度絞られたために事前に待ち伏せされ、奇襲作戦ではなく「空挺による強襲作戦」になってしまったこと。

 ・また、降下ポイントに辿り着いた機体や降下猟兵も、想定をはるかに上回る対空砲火により多大な犠牲をだしてしまったこと。

 ・日本が自走式や機動式の対空装備を大量配備していることを事前に掴んでいなかったこと。

 ・また、これらの情報を事前に収集できなかったこと。

 ・その理由が、クレタ島の防空能力、特に戦闘機による防空能力が高く偵察機の作戦成功率が極端に低かったこと。

 ・クレタ島にも、諜報員は潜伏していたが彼らの情報収集能力や情報伝達能力に物理的な限界があったこと。

 

 まとめると、事前の情報収集が不十分なものでしかなく、日本皇国がクレタ島に展開している兵力の把握ができず、結果として強襲作戦になってしまったということが大きい。

 加えて、ドイツ側が想定していたクレタ島の防空能力は明らかに過小だった。

 

 だが、同時に現状以上の航空戦力を投入するのは、物理的に不可能だった。

 ギリシャ南部に設営できる野戦飛行場の大きさ的にも数的にも限界はあった。また、ギリシャにそれらの設営に有効な重機は極めて少ないことも大きかった。占領下のギリシャから労働力を駆り集めることもしたが、その結果の限界が今回の出撃数だった。

 

「夜間空襲は考えなかったのかね?」

 

「検討はされました。そのケーススタディとして、クレタ島への夜間爆撃も敢行しましたが、結果は……」

 

「何故かね?」

 

「日本人の高射砲は、バトル・オブ・ブリテンで英国の本土に配された物と同じくレーダー統制射撃で夜間でも撃てます。加えて、あの”夜の厄介者”が数十機単位でいたことが確認されました」

 

「”夜の厄介者”? !? それはまさか……」

 

 報告する参謀大佐の徽章を付けた情報部の分析担当官を務める高級将校は頷き、

 

「英国人が親しみを込めて”ミスター・ムーンライト”と呼ぶ日本の夜間戦闘機”月光”です」

 

 ”月光”

 史実と異なり、最初から夜間戦闘機として設計された日本皇国空軍が誇る”夜の顔役”だった。

 信頼性の高い”栄”エンジンを両翼に1基ずつ備え、機首の八木式アンテナが示すようにレーダーやESM、電波誘導装置や高性能な無線機や航法装置を備え、ホ103/12.7㎜機関銃を収束させて3丁ずつ機体上面に”斜め銃”として配する恐るべき機体だった。

 「夜間に爆撃機や輸送機などの大物を狩りとる」事に特化した戦闘重量で時速500㎞/h以上を出して闇夜から迫りくる機体は、ドイツ空軍の夜間爆撃機乗りにとって”厄介者”以上の疫病神と言えた。

 

「結論から申し上げますと、護衛戦闘機隊を随伴できない夜間空挺作戦は昼間の強襲より更にハイリスクになると判断されました。夜間の空挺ともなれば目的地に安全に着地できるかも分からず、同士討ちの危険性も極めて高くなりますので」

 

 淡々と続ける言葉に、ドイツ軍の重鎮たちは言葉を挟まなかった。

 彼らとて、参謀将校から語られる状況でのリスクは理解できていたからだ。

 

「続けます」

 

 そして、語られたのは悲惨な降下作戦、先陣を務めた空挺突撃連隊のその後だった。

 マレメ飛行場で待ち伏せされ、半包囲状態から火力で押しつぶされた第I大隊、兵装コンテナと離れた上にギリシャ軍防衛陣地に降りてしまい壊滅した第III大隊。

 実は降下猟兵は、申し訳程度ではあるが対装甲装備、150 mmDo-Gerät38単装ロケット弾発射機、3.7 cmPaK36対戦車砲、Gebirgsflak38山岳高射砲などを装備していたが、

 

「とりあえず降下に成功した第II大隊と第IV大隊でしたが、追撃をかけてきたのは随伴歩兵を引きつれた本格的装甲兵力や日本版スツーカのような対地攻撃機で、これらの装備で太刀打ちは不可能でした。それ以前に、降下時に兵装コンテナは集中的に狙われたようで、使用不可能な状態になっていた装備も多かったようでしたが」

 

 そして史実の英軍と違い、皇国陸軍は陸海空の使える戦力を投入し積極的な追撃をかけたせいで短時間で残る二つの大隊も壊滅したようだった。

 例えばではあるが、遠距離から15㎝級の重砲や加農砲、あるいはそれ以上の艦砲を乱れ撃たれたら、成す術なんかあるわけもない。

 加えて、制空権が完全に日本側なのだ。

 上空からは、”栄”エンジンを搭載し、史実より強化された対地攻撃特化の九九式襲撃機が自在に飛び回るのだ。

 前線砲撃統制官や航空統制官に捕捉された時点で詰みだった。

 

 

 

「やはり、作戦初期で制空権はともかく、航空優勢すら取れない事が痛かったか……」

 

「ああ。おそらくはそれが根本だ。だが、空軍を責めるわけにはいくまい? 彼らは上限ともいえる機体を運用してみせたし、可能な限りエースを投入し、先陣も務めた」

 

「それに追撃できなかったのも、状況から言えば仕方のないことだ」

 

 計画では(史実では)、翌5月21日で増援で山岳猟兵を確保したマレメ飛行場に強行空挺させる予定だった。

 だが、この世界線ではマレメ飛行場に降下した第I大隊は真っ先に壊滅し、輸送機にも甚大なダメージが出ており、更に21日早朝には皇国海軍の艦上機の空襲があり、これがダメ押しになった。

 

 

「我々陸軍としては、遺憾の意を述べたいな。空軍と違い、我らは戦う前に多くの将兵を失ってしまったのだ」

 

 陸軍総司令官ヴィルヘルム・フォン・フリッチュの意見はもっともだが、それに誰もが苦い顔をした。

 特に苦渋の表情を浮かべたのは、ドイツ海軍総長”ユーリヒ・レーダー”元帥だった。

 

「それについては、海軍が何もできずにすまないと思う」

 

「謝罪の必要はない。海軍が地中海に入れないのは周知の事実であり、黒海に面した新領土にある船は政治的な理由(トルコが中立を宣言している)の為、ボスポラス海峡(黒海とマルマラ海を繋ぐ海峡)やダーダネルス海峡(マルマラ海とエーゲ海を繋ぐ海峡)を通れん。いや……」

 

 フリッチュは難しい顔をして、

 

「通れたとしても、水上戦ではあの忌々しいサマーヴィルの艦隊(=H部隊)には勝てん。やはり、ここでも響いてくるのは制空権か」

 

 実はドイツ軍は誰しもイタリア海軍の船団護衛が上手くいくとは考えていなかった。

 『イタリア人と女房に戦争を任せる奴は、使い古したザワークラフトの樽に詰めて流してしまえ』という最近、ドイツではやっているエスニックジョークを真に受けてるのではなく、戦力がタラント強襲で恐ろしく目減りしたうえに、まともな船団護衛(エスコート)任務の経験のないイタリア海軍に任務をこなせない事は織り込み済みだったからだ。

 

 だから、告げはしなかったが彼ら(イタリア)に求められた真の役割は、エスコート任務にかこつけた”囮”(デコイ)だった。

 

「英国艦隊ないし日本艦隊が迎撃に出てくることは織り込み済みでしたが、よもやあのような力技でこちらの航空攻撃を凌ぎきるとは……」

 

 つまり、ドイツ軍の思惑としては迎撃艦隊(イギリス)護衛艦隊(イタリア)にかまけてる間に空爆を仕掛けて損傷させ、撃沈はできなくても下がらせ、その間に装甲兵力を満載した輸送船団を強行突破させる予定だったのだ。

 だが、その思惑は見事に砕かれた。

 

 言うまでもない。

 皇国海軍が投入した地中海に張り付いている2隻の正規空母と臨時参戦した船団護衛をしてきた2隻の空母からあらん限りのゼロ戦を発艦させ、Ju87(スツーカ)をはじめとする爆撃隊を摺り潰したからだ。

 

 付け加えるなら、クレタ島攻略部隊に多くの戦闘機を割いていたため、護衛戦闘機の数が少なかったことも被害を拡大させた要因だった。

 

 

 

 

 

 会議は踊らねどまだ続く。

 どうやらドイツ人達は、今回の戦訓を無駄にする気は無い様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、一部久しぶりの登場となった顔もいましたが、ドイツはやはりただで負けるつもりはありません。

作戦の失敗を次なる糧にすべく、”退屈な会議”は続きます。

新章もよろしくお願いします。


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第38話 会議

今回もドイツ側で会議、そして新たに登場するのは……


 

 

 

 ドイツ人が主催する”メルクール作戦”反省会は、まだ続いていた。

 降下猟兵1個連隊を見殺しにする羽目になり、イタリア人の輸送船ごと1個旅団相当以上の陸上兵力が戦う前にエーゲ海に沈み、地上で破壊された分も含めれば300機に届く被害を出した様々な航空機……

 

 おそらく、開戦以来、中止や失敗判定の最短記録を塗替え、ドイツ軍が1日で出した被害のバッケンレコードを刻んだ”メルクール作戦”の反省は、それこそ嫌というほどあった。

 

 

 

 

「日本人の空母機動部隊の存在を除外していたは、明らかな我々の失態か……」

 

 確かにクレタ島の兵力も手ごわかった。だが……

 現在修理中の英国空母に代わりH部隊のエアカバーに入り、加えてクレタ島から帰投する損傷し速度を出せなくなっていた爆撃機や輸送機の群れに襲い掛かり追加ダメージを与え、あまつさえ翌日には修理中の航空機が並ぶ飛行場に空爆を仕掛けてきた日本皇国の地中海方面艦隊は、ギリシャ南部に展開していた独伊の軍隊にとり、正しく疫病神だった。

 

「それは確かですが、致し方ない部分もあるでしょう。英国人がギリシャ本土から脱出する際、我々は彼らの空母に手ひどいダメージを与えた。そして、日本人は一切助けようとはしなかったのですから」

 

「問題は、日本人の空母機動部隊が我らの哨戒圏の外側から有力な戦力を発艦させられるということだな。実際、我々は艦上機の襲撃があったからこそ、空母部隊がいると確定させてるが、実際には捕捉は未だできていない」

 

「いや、それで正解だよ。捕捉したとしても、航空機の活動圏内にいなければ我々には攻撃手段がない。せめてUボートだけでも入れられれば話は違うかもしれんが……もう残滓と呼んで差支えのないイタリア艦隊に期待はできまい?」

 

 補足すると地中海に大西洋やインド洋を回って潜水艦(Uボート)を入れるのは現実的ではない。

 スエズ運河は潜水艦が浮上せずに通れるような深さは無く、ジブラルタル海峡は英国海軍屈指の拠点で対潜警戒網が張り巡らされている。

 一番狭い海峡部は幅14㎞しかなく、広い部分でも45㎞しかない。

 強行突破しようとしてもここまで狭い海では逃げ場がない。

 

「ヴィシーの艦隊は……ダメだな。あれには別の使い道がある」

 

 そうかぶりを振るレーダー元帥。実はドイツ海軍にも来たるべき東方侵攻に備え重要な役割があるのだが、そうであるが故に今は戦力の消耗を避けたい。

 

「それにしてもラムケ少将は素早く、良い判断だった。早期に中止を具申しなければ、降下猟兵の被害はさらに拡大していただろう」

 

「英断と言っていいさ。もし、後続の山岳猟兵を強行突入させるような者が指揮をとっていたら目も当てられなくなるところだった」

 

 事実、作戦発動と同時に失敗が明らかとなった5月20日の翌日、21日の早朝より日本皇国地中海方面艦隊の二波による空襲で主要航空基地ごと修理中の多くの機体が破壊されたが、飛行場から離れて待機していた(当然、飛行機に乗り込んでいなかった)残存の第二降下猟兵師団には大きな損害は無かった。

 

 また、ドイツ軍上層部が正式に作戦の中止を命じた22日以降も、空母機動部隊こそ補給の為か母港のアレクサンドリアに戻ったようだが、22日より今度はクレタ島に配備された日本皇国空軍の爆撃機隊がギリシャ南部にある独伊の飛行場に爆撃を開始し、無視できない継続的な被害を出し続けていた。

 

 迎撃に向かおうにも、独伊側の戦闘機はクレタ島で大きく損耗しており、あまり効果的な迎撃が行えているとは言えない状況だった。

 

 その状況に業を煮やしたドイツ軍上層部は、航空機も船もないため、遊兵化していた降下猟兵師団をはじめとした陸上兵力を再編という名目でギリシャと地続きのブルガリアを超え、軍民を問わない設備投資で今やドイツ勢力圏で東部最大の軍事的要所となっていたルーマニアまで下げさせている最中だった。

 

「ですが、一連の戦闘で安心材料も手に入れました」

 

 参謀大佐の徽章を付けた情報将校は、

 

「今回の作戦でも日本人は限界を露呈したのです。”守りに強く、攻めに弱い”、その通説を覆してはこなかった」

 

「待て待て。タラントを消滅させ、現在進行形でギリシャに空爆を加えている相手に、君は何を言ってるんだ?」

 

 正気を疑うようなフリッチュだったが、参謀大佐は涼しい顔で、

 

「閣下、考えてみてください。我らは陸上兵力を引いたのですよ? それは日本人だって気づいているでしょう。ギリシャ南部を攻めとる格好の機会だとは思いませんか? 少なくともこれだけ有利な状況なら、英国人は喜んでアテネに乗り込んでくるでしょう。何しろ、制海権は手中にあり、制空権も掌握しつつある。陸上兵力だって正規装甲師団があの島にいることが判明していますし、それを運ぶ船の手配も我々と違い苦労は無い。彼らは自前で用意できるのですから」

 

 そしていったん呼吸を整えると、

 

「今回、ギリシャの飛行場爆撃も防衛行動、クレタ島の防御を固めるための”アクティブ・ディフェンス”の一環です。安全がある程度確保できたと判断すれば、じきに空爆も止まるでしょう。彼らの目的は当面のクレタ島の安全を確保することであり、決して現時点でギリシャを解放することではない。諜報員からの報告でも、部隊の再編や入れ替えはやっているようですが、侵攻に向けての準備は予備行動も含めて兆候は見られませんでした」

 

「”シェレンベルク”君、君はこう言いたいのかね? 日本人はクレタ島に亀のように閉じこもって守りを固めることに心血を注いでいると?」

 

 OKW直轄、というより総統閣下直轄で、陸海空に続く”第四の軍”と呼ばれることもある”国家保安情報部(Nationaler Sicherheitsnachrichtendienst des Reiches:NSR)”の参謀資格を持つ大佐、”ヴァルタザール・シェレンベルク”は如何にも人好きしそうなハンサムな笑みで、

 

「肯定します。日本人は、これまでの対外戦争で勢い任せに敵地を奪うという行為を忌避する傾向があります。彼らの士官教育は、我々同様にクリークシュピール(図上演習)をよく行いますが、彼らが最初に徹底的に叩きこまれるのは補給線の維持だそうです。そして、攻勢に転じるなら敵地を占領し、占領した後にどうやって兵站路を維持し占領し続けられるかを考え、また占領された防衛側はいかに敵の補給路を断ち切るかを考えるそうです」

 

「……聞くからに面倒な相手だな。なるほど、だから今回も攻勢に出ないのか」

 

 シェレンベルクは頷き、

 

「ギリシャ南部を攻めとる戦力はありますが、ギリシャ南部を占領し維持する戦力は今の地中海に展開する日本人にはありません。彼らがそれを行うなら、より大規模により入念に準備するでしょう。そういう意味では、英国人より前兆がつかみやすい」

 

 

 

「日本人はそれでよいとしても、英軍はどう動くかだな……」

 

 実はこの判断が難しい。

 イタリアがギリシャに攻め込んだ時、英国がギリシャを支援する確率は半々だとドイツは考えていた。

 イタリアは、いやムッソリーニはドイツを出し抜いてギリシャを攻めたつもりでいるようだが、実はドイツは「虚栄心が強いドゥーチェがとるであろう行動」の一つとして、事前に予測していたのだ。

 予備命令はイタリアがギリシャに攻め込んだ時から出しており、だからこそあれほど迅速に「イタリアの援軍」という名目でブルガリアルートで軍を派遣できたのだった。

 

 

「そう簡単に次の作戦には移行できないでしょう。ギリシャで被った被害は、累計で見れば”メルクール作戦”で受けた我らの損害を上回ります。戦力の再編に戦線の立て直し、しかもギリシャ寄りの撤退戦では殿を日本人に丸投げしてしまった……英国人は性根がシャトルループしていますが、面子にはこだわります。クレタ島を完璧と言ってよい手腕で守り切り、現在、DAK(ドイツ・アフリカ軍団)の反撃をトブルクで陣取って抑えているのも日本人です。彼らの意向を完全に無視して動くことは無いでしょう」

 

 そして、一呼吸置き、

 

「もし日本人を無視してまで英国人が動くとすれば、それはなりふり構わなくなったときでしょう。英国人は”恋と戦争には手段は選ばない”そうですが、同時に腹の黒さと舌の枚数は他民族の追従を許さない。であれば、今がその時でないと判断するでしょう」

 

「では、どの時が英国が動くと?」

 

 すると答えたのは、

 

「我々が、東部へ攻め込んだときでしょうな」

 

 そうさらっと答えたのは、長身で金色の髪が印象的な美丈夫……第三帝国”国家保安情報部”長官、シェレンベルクの上司である”レーヴェンハルト・ハイドリヒ”であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、シェレンベルクとハイドリヒというクセの強い二人組が登場です。

しかも、RSHAではなくNSRという史実には登場しない組織と共に。
次回はそこいらも
少し掘り下げてみようかと。



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第39話 NSRという組織とレーヴェンハルト・ハイドリヒという男

今回は前回出てきた史実のRSHAに代わる、本質的にはその在り方が異なっているかもしれないNSR(国家保安情報部)と、レーヴェンハルト・ハイドリヒについて少し掘り下げようと思っています。




 

 

 

 

 Nationaler Sicherheitsnachrichtendienst des Reiches、略称”NSR”。

 英語的な表記なら”National Security Intelligence Service of Reich”。

 日本語で言えば、”国家保安情報部”。

 

 これは史実に登場したドイツ国家保安本部(Reichssicherheitshauptamt der SS:RSHA)とは大きく趣が異なる組織だ。

 

 彼らは、”親衛隊(Schutzstaffel;SS)”という公式名称を持っていない。

 彼らは、正規軍のような装甲兵力を(少なくとも表立っては)持っていない。

 彼らは特定の民族や人種を駆除するための”アインザッツグルッペン”も保有していない。

 

 ただし、

 NSRは、国外の諜報活動を統括する諜報機関である。

 NSRは、国内の不穏分子を取り締まる権限のある上位警察権限を持つ。

 NSRは、特定民族ではなく”濡れ仕事”を含む非公開任務を行う一般的な意味での”特殊部隊”を複数保有する。

 

 以上の特性から、史実のゲシュタポなどを取り込んだRSHA+SSとイメージすると、大分事実と異なる印象がある。

 では、何と比較すべきだろうか?

 

 一般的な印象ならむしろ現代のアメリカ合衆国に近似値を見出せるかも知れない。

 これは、あくまでイメージであることを断っておくが……

 

 NSRとは、CIAとFBI、そしてSOCOMの機能を併せ持った機関である。

 つまり、情報部の名の通りあらゆる情報の収集と解析/分析、対外諜報、防諜、国内不穏分子に対する弾圧、それに伴う暗殺などを含む破壊工作、そしてそれらを行える人材で結成された巨大情報/諜報機関だ。

 

 

 

 この世界線、確かに”国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)”という政党が、ドイツ(Deutsches Reich)を仕切っているのは史実と変わりない。

 

  Ein Volk, ein Reich, ein Führer (一つの民族、一つの国家、一人の総統)

  Sieg heil(ジーク・ハイル。 勝利万歳)

 

  のお題目(スローガン)もきっちり唱えられている。

 

 

 だが、彼らは総統閣下(フューラー)の権力者としての担保であることは確かだが、「総統閣下のドイツ」を成立させるのに本当に”力”となったのは、今は表舞台に姿を表さなくなった”NSRを創設した者達”であり、そして現在の後ろ盾になっている力そのものが、”現在のNSR”であろう。

 

 単純に言えば「情報を制する者が、全てを制する」のは自明の理であり、また国家には付き物の”暗部”を統べる者は……それがNSRであった。

 つまり、SSとは意義も意味も能力も違う、されど「ドイツを存続させる」という目的は変わらない巨大組織ということになる。

 

 そして、その巨大な建造物にできる昏くて濃い影のような印象の組織の頂点に立つのが、”総統閣下の懐刀”と目される男、このレーヴェンハルト・ハイドリヒであった。

 ただ、その種の組織だというのに、前長官にも幹部にも”ヒムラー”の名は無い。

 かつてはあった。

 だが、”長いナイフの夜”で犠牲となった。

 いや、正確に言えば”長いナイフの夜”は、ヒムラーの死こそが引き金となったと言ってよい。

 

我々(ドイツ)が東方に攻め込めば、英国人(かれら)にとりまたとない隙となる。好機を逃すほど、チャーチルは耄碌していないでしょう」

 

 そう淡々と話すハイドリヒ。

 どうにもその姿は、ステレオタイプの”金色の野獣”とは似ても似つかない。

 印象から言うなら……そう”学者”だ。

 金髪碧眼に加え、長身と史実における”ナチスが定義したアーリア人の容姿”に見事に適合していて顔だちも整っているが、不思議なほどインドアの匂いがするのだ。

 

 それがNSR、”国家保安情報部”長官ハイドリヒの印象だ。

 無論、ドイツ人にとり学者は尊敬されるべき職業であり、ハイドリヒも獰猛さではなく理知を感じさせる雰囲気をまとっている。

 だが、決して侮ってはならない。

 

 この世界線においても、”ユダヤ人問題の最終的解決”を提言したのは、この男なのだ。

 だが……その中身が、「史実通りとは限らない(・・・・)」。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、”少し高いところ”から、あるいは”少し先”の視点で見てみるとしよう。

 確かにこの世界では額面通りなら「600万人のユダヤ人がドイツ勢力圏から消える」事になる。

 

 だが、それは即ち「この世から消える」事と同義ではない(・・・・・・)

 100万人は、書類上は国外追放処分となっている。

 実際、それだけのユダヤ人が「経緯はどうあれ」国外へと移住したのは確かだ。

 

 実は英国や日本皇国は、その棚ぼた的な利益を享受している。

 日英を移住先に選んだ集団は、その多くが英語が通じる英国を新たな住処に選んだが、一部はより遠方にある日本への移住を求めた者たちもいた。

 例えばそれは、”杉浦千景”なる外交官のエピソードも含めるべきであろうが……最も著名なユダヤ人移住者に物理学者”アーダベルト・アインシュタイン”の名があったことは追記しておきたい。

 

 そして、残った500万人だが……

 

 レーヴェンハルト・ハイドリヒは、後世で(主に敵対国家の国民から)こう呼ばれることになる。

 曰く、

 

”人類史上最悪のペテン師(・・・・)

 

 繰り返すが、虐殺者でもなく野獣でもなくペテン師だ。

 これは、とても興味深い逸話だろう。

 

 

 

 近い未来の話はさておくとして、視点を現在の会議に戻したい。

 

「ではハイドリヒ君、君は”バルバロッサ作戦”を中止すべきだと言うのかね?」

 

 とはOKW(国防軍最高司令部)の作戦本部長、つまりはドイツ軍の作戦全てを取り仕切る”アルフォンス・ヨードル”元帥だった。

 

「まさか。すでに作戦を動き出しています。何故、我々が英国人の顔色で、作戦を止めねばならないのです?」

 

「では、どうすると?」

 

 ハイドリヒはニヤリと笑い、視線を”この会議”の参加者で、数少ない軍籍を持たない者を視線に捉えた。

 

「”ノイラート外相”、既に貴殿には予備命令が出ているのでしょう? ”リッペンドロップ”君が忙しそうにしてましたし」

 

 唐突に話を振られたドイツ外相”コンラート・フォン・ノイラート”は、コホンと咳払いしてから、

 

「なぜ、そう思うのかね?」

 

「”あの御方(ヒューラー)”が、政治を無視して動くはずがないからですよ。あの御方は、誰よりも『戦争は政治の一形態に過ぎない』事を理解している。ならば、軍隊より先に政治に根回しするのは必定」

 

 そして、再び視線を傾け、

 

「そうですよね? ブロンベルク国防相閣下」

 

 するとブロンベルクははぁ~っとため息を突き、

 

「ハイドリヒ君、相変わらず君は耳が早く人が悪いな? わざわざ私の口から話させる気かね?」

 

「誉め言葉と受け取っておきます。それに私のような若輩より、あの御方から政治面の国防トップを任される貴方の口からの方が、皆さんも納得しやすいでしょう?」

 

「まあ、確かにな」

 

 ブロンベルクは苦笑しながら、

 

「せっかくハイドリヒ君がお膳立てをしてくれたんだ。皆の興味は、日本人も含めた英国人への対抗策だろう? その答えは総統閣下によれば、ひどく”シンプルなもの”らしい」

 

 周囲を見回し、

 

「我らが東方に攻め込むのが英国人にとって好機というのなら、そうでなくしてしまえば良い」

 

”どうやって?”

 

 一部を除く大半が、そのような顔をするが……

 

「本当に単純なのだよ。だが、我々では及びもつかぬ……いや、この時点では考えてはならん発想だ。結論から早紀に言えば、」

 

 そして、一言一言言葉を選ぶように、

 

「総統閣下は、”英日との停戦(・・・・・・)”をご所望だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




令和4年の投稿はこれにて最後となります。
話自体はまだ当面は続く予定ですが、今年はご愛読ありがとうございました。

来年もどうかよろしくお願い致します。



それでは、よいお年を。



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第40話 前略。キューバ産葉巻の煙が漂う場所にて

皆様、あけましておめでとうございます。

最初に謝っておきます。
新年一発目の投稿だと言うのに、イメージするとひどく絵面が悪いです。
書いてる作者本人が言うのもなんですが、色気も華やかさもめでたさもないです。
ぶっちゃけ元旦には似合わない絵面……

むしろ、不穏で不健康な空気が漂ってます。
それでもよろしければ、お楽しみください。




 

 

 

1941年6月4日、英国、ロンドン、ダウニング街某所

 

 

 

「ドイツから一方的な”停戦通達”ね……」

 

 美味いはずのキューバ産の葉巻、”Romeo y Julieta(ロミオとジュリエット)”の紫煙を苦虫を嚙み潰したような表情で吐き出すのは英国首相”ウェリントン・チャーチル”で、

 

「良いじゃないですか? 受ければ。戦わずに済むのなら、それに越したことはない」

 

 向かい合わせに座っている同じキューバ産ながら”ヘンリー・クレイ”という銘柄の葉巻を対照的に楽しげにくねらせるのは、日本皇国駐英全権委任特使(・・・・・・)……つまり、英連邦に居る全日本人の政治的首魁である”吉田滋”だった。

 

「ヨシダ特使、話はそう単純な話じゃないぞ? 彼らが出してきた条件が、我々にとり”あまりにも都合がよすぎる(・・・・・・・)”。ドイツ人のやり口から考えて、必ず裏があるだろう」

 

「そりゃあ裏ぐらいあるでしょうとも」

 

 吉田はつい先ほど訪れたドイツの大使が人目を気にしながら持ち込んだ、”機密”のスタンプが押された公文書を見やりながら頷いた。

 そこに書かれていた内容は、要約するとこんな内容だった。

 

 

 

”我々ドイツより英日同盟に停戦を申し入れたい。これはあくまで期間を決めない一時停戦の要望であり、即ち終戦でも和平でも不可侵条約の締結でもない。停戦を受け入れるなら、我々は下記の行動をする準備がある。

 

 ・北アフリカよりDAK(ドイツアフリカ軍団)の撤退。ただし、装備は持ち帰れないので人員のみの撤退とする。

 ・ギリシャよりの完全撤退と今後の軍事的不干渉。

 ・シチリア島からの航空機と人員の撤退。

 ・英日の地中海保全の懸念材料となっているメルス・エル・ケビール(メルセルケビール)に停泊している艦隊の処遇についても、停戦に対する合意が得られた場合は考慮する用意がある。

 ・また英領アレキサンドリアに停泊している一部艦艇もその処遇に話し合う準備がある。

 ・加えて現在、処遇が明らかになってない「旧西欧諸国の植民地」に関する案件も話し合う準備がある。

 ・特記事項:特に仏領インドシナと蘭領東インドの取り扱いに関して

 

 

 

***

 

 

 

「制圧下に置いた、いえ占領した国の植民地の扱いに言及しているのが興味深いですな。特に仏領インドシナと蘭領東インドをわざわざ指定しているあたり、彼らも日英(こちら)の状況をよくわかっていると考えるべきでしょう」

 

「ボルネオ島北部は英連邦であり……」

 

「仏領インドシナは、(今や皇国の資源開発地域となっている)海南島の目と鼻の先です」

 

 二人の政治的狸……もとい日英の政治的代表格が、ドイツが何を言わんと欲すかを咀嚼する。

 

「ここから読み解けるのは、”イタリアの切り捨て”でしょうな。『俺たちが東を攻めている間、イタリア人と遊んでてくれ。北アフリカとギリシャ解放の手柄とイタリア本国は対価でくれてやる』というところでしょうか? 手間賃は日英にぶん投げる占領国の植民地とうことで」

 

 ややうんざりした顔をする吉田であった。

 正直、皇国が今以上の領地を欲していないことを知っている吉田としては、あまり想像をしたくない状況だった。

 自国の影響力がある土地が増えるとしても、民族問題という厄介ごとはできれば避けたいというのが本音である。

 

「ヨシダ君、君ね……少々、直線的すぎる表現ではないかね?」

 

「ここは英国人好みの持って回った言い方をすべきシチュエーションではないですよ。首相閣下」

 

 チャーチルはもう一度葉巻を吹かし、

 

「そこまで分かっていて、君は乗るというのかね? 彼らの提案に」

 

「そこまで理解してるから乗るのですよ。閣下」

 

 対して吉田は欧州周辺の地図を広げ、

 

「ドイツの狙いはバルト三国、東ポーランドとクリミア半島をウクライナなどの黒海沿岸地域……北進と東進を同時に行う腹積もりではないでしょうか? いや、限定的に南進も入るか? おそらくは優先目標はウクライナ平原の穀倉地帯とコーカサスの油田でしょうし。北の最終的な目標は、サンクトペテルブルク、今はレニングラードでしたか?の確保でしょう」

 

 と戦況分析を語る参謀のように淡々とした口調で説明した。

 

「可能かね?」

 

「可能でしょうね。無論、日英(我々)が妙なちょっかいをかけなければですが」

 

「ならば、我々は余計に君が言う”妙なちょっかい”をかけねばならぬ思うがね。それが紳士の嗜みというものであろう?」

 

「首相閣下は、”敵の敵は味方”だと思う政治思想(ポリシー)の持ち主でしょうか?」

 

 するとチャーチルは面白そうな顔で、

 

「君は違う政治思想をもっていそうだな?」

 

 吉田は頷き、

 

「敵の敵は敵でしかありません」

 

 断言する吉田にチャーチルは「楽しくなってきた」という表情を隠そうともせずに、

 

「具体的に述べたまえ」

 

「ドイツ人もロシア人も日英(我ら)にとり、数が多いより少ない方が好ましい種族です。彼らが好き好んで勝手に殺し合うというのなら、いいでしょう。気が済むまでやり合ってもらえば良い。結果がどうあれ、我らにとり不利益にはならない」

 

「君はドイツを屈服させるという発想は無いのかね?」

 

「お忘れですか? ドイツが今となっては英国の隣国になってしまったように、ソビエトは建国当時より……いえ、その前より我が国の隣国なのですよ。我が国に好意的でない隣国が消耗するなら、喜ばしいというほかないのではないでしょうか?」

 

「なるほど……なるほどな」

 

 得心いったというチャーチルに、

 

「それと閣下。僭越ながらお聞きしますが……」

 

「なんだね?」

 

「ドイツが本気で英国と敵対する気がないこと、既にお気づきですよね?」

 

 するとチャーチルは人の悪い笑みで、

 

「根拠は?」

 

「北アフリカもギリシャもイタリア人が仕掛けた戦争です。こと軍事行動に関しては、ドイツ主導で英国に直接的に仕掛けた戦いは、”バトル・オブ・ブリテン”だけです。しかも彼らはあまりにもあっさりと敗北を認め、何故か”我々が容易につかめる”ように『アシカ作戦の中止』を宣言している」

 

 チャーチルは今度は美味そうに紫煙を吐き、

 

「アシカ作戦の存在自体が”ブラフだった(・・・・・・)”……だろ?」

 

 

 

 葉巻の煙漂う不健康な密室の空気の中、呆れるほど不健全な精神の会合は更に続けられた。

 そして、この夜の「チャーチル・吉田会談」こそが、この先の戦争の方向性を決める一つの要因となったのだった。

 

 もっともそれが、”表の歴史”で語られるかは定かではないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




皆さんの応援もあり、何とか40話まで来ました。
この先、どこまで投稿ペースを維持できるか分かりませんが(何しろ、そろそろ先行してる投稿先に追いつきそうなので)、お楽しみいただければ嬉しいです。

それでは、改めまして今年もよろしくお願いします。




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第41話 勝って鉄兜の緒を締めつつ、次世代個人携行対装甲兵器について語る話

今回は、皇国軍視点です。
どうもドイツ軍の装備から、何やらこの時点ではありえないない物が発見されたようですよ?






 

 

 

1941年6月某日、クレタ島防衛総司令部

 

 

 

 

 さて、反省会というのはクレタ島攻略に失敗したドイツ側だけが行えばよいというものではない。

 当然、クレタ島防衛に成功した日本皇国側とて、反省すべき小さな失敗は無数にある。

 それを一つ一つ検証し、戦訓として蓄積し、次の戦いに活かす……実は、大日本帝国で最も整っていなかったシステムがこのあたりだ。

 何が成功につながり、何が失敗につながったのかを検証し、解析し、経験として蓄積しなければ次の成功に結びつかないのは、戦争も日常生活も変わらない。

 

「やはり、ドイツの空軍力は侮れんな……今回は、多少なりとも戦闘機の総数で押し切った感があるが、実質的にはこちらのやや優勢、強いて言うなら判定勝ちというところだ」

 

 とはクレタ島防衛の総司令官、”栗林忠相”中将だった。

 

「ええ。予想はしていたこととはいえ、手ごわかったですね。むしろ、対空砲……特に機動式や自走式の対空砲に不慣れなようで不意打ちじみた撃墜も多かったのが幸いしました」

 

 と答えたのは、空軍航空隊だけでなく海軍の水上機部隊も指揮下に持つ”航空統括指揮官”の地位にある皇国空軍少将”鈴木 頼道”であった。

 

「それにしても驚いたのは……ドイツ空挺兵の兵装コンテナにおそらくは試作品と思しき”個人携行型の対装甲火器”があったことですな。降下されてから即座に迎撃できたからよかったようなものの、あれの戦術が確立され効率的に使われていたら、装甲車両もうかうかしていられませんな」

 

 と感心していたのは、栗林の直轄である皇国陸軍の装甲騎兵連隊を預かる”西 竹善”大佐であった。

 

 

 そう、西大佐の言う通り、中身が回収できたいくつかの兵装コンテナの中からは、いくつか”この時代、この戦場にはありえないはずの兵器”がパッケージングされていたのだ。

 

 それが、”ラケーテン・パンツァー・ビュクセ”、通称”パンツァー・シュレック”と呼ばれる「88㎜個人携行型対戦車ロケット砲」だ。

 これは明らかにおかしいのだ。

 というのもドイツのパンツァー・シュレックは、「”1942年11月”より始まるチュニジアの戦い(トーチ作戦)でアメリカ軍から鹵獲したM1バズーカを手本として完成した兵器」なのだ。

 だが、それはこの世界線では未来の時間軸の出来事であり、因果事象が違う以上、その戦いが起きるかもわからないのだ。

 

 まだ防盾が付いておらず、発射にガスマスクと手袋の装着が必須の試作型とはいえ、この時点である訳のない兵器だった。

 個人携行型対装甲擲弾発射機”パンツァー・ファウスト”なら、まだ技術加速などで説明が付くのだが……いや、これも登場は1943年なのだが。

 

 

 

***

 

 

 

 ただし、これにはトンデモないオチ(・・)が付く。

 これから数日後、クレタ島防衛戦後の戦況分析、情報のすり合わせに来た英国王立陸軍の情報将校に、「ドイツ人がもう対戦車ロケットや対戦車擲弾発射機を開発している」と皇国陸軍の情報参謀が告げたところ、非常にジト目で見られて、

 

皇国陸軍(おまえら)が言うか?』

 

 と返されたという。

 どういうことかと真意を聞きただすと、

 

『いや、トブルク防衛戦の時、おまえら試作品の3in対戦車ロケットランチャー使ってたじゃん』

 

『あっ……』

 

 そうなのだ。

 実は物語の冒頭で某転生狙撃手(狂言回し)が無駄話はくっちゃべってたその同じ戦場で、日本人は明らかに転生者が計画段階から関わっていることが丸わかりな史実の試製四式七糎噴進砲とおそらくは”M9”型バズーカのハイブリッドっぽい外観の”試製零式三吋噴進砲”という口径76.2㎜(3in)の対戦車ロケットランチャー、通称”プロト・ロタ砲”を試験的に投入しており……

 

『おそらく、それを見たドイツ人が本国に報告したんだろうさ』

 

 そして最後に、

 

『英国は満足な歩兵用の対装甲兵装が無いこと、その重要さにドイツ人と正面から殴り合うことでようやく気づいて大慌てしてんだ。上層部に掛け合って公文書ださせるから、試作品でも構わんからさっさとまとまった数よこせ』

 

 と締めくくられたという。

 こうして、”未完成な部分が多々ある実験兵器”だったはずの”プロト・ロタ砲”は急遽制式化が決まり、主に英軍向けに大量生産されたらしい。

 無論、日本皇国陸軍にも相当数が配備されたが、皇国陸軍が本命としていたのは実戦でプルーフされた改良を施し、確実視されている戦車の重装甲化に対応すべく大口径化した”二式九糎噴進砲(9㎝ロタ砲)”だった。

 

 後の話になるが実はドイツの歩兵用対装甲装備の強化に影響を受けたのが日本で、「パンツァー・ファウストがもうあるならRPGもいるか……」と言いだし、最終的に”和製RPG未来先取り仕様(つまりRPG-7準拠)”の”試製五式複合噴進砲”の開発につながることになる。

 アメリカとソ連は泣いてよいと思う。

 

 まあ、それでなくとも日本皇国は対装甲装備の開発に熱心な国であり、大きく喧伝しているわけでは無いが……何度か出てきているモンロー・ノイマン効果の成形炸薬弾である航空機用”夕弾”だけでなく、同じく成形炸薬式の個人携行型の火器が複数開発されている。

 例えば、現在の皇国陸軍主力小銃である”チ38式半自動歩兵銃”と同時開発された”一〇〇式小銃擲弾”がそうだ。

 史実に似た名前の兵器があるが別物で、カップ式ではなく銃口に装着するタイプのアドオン(ロケット)型でバレットスルー方式。外見は、ほぼほぼ”ENERGAライフルグレネード”の亜流と考えて良い。

 チ38式は擲弾用照準器を起立させると自動的にガスカットオフ機能が働くようになっており(同種の機能は史実のイタリアのBM59ライフルやユーゴスラビアザスタバM70ライフルが備えている)、セットで開発された事がよくわかる。

 

 他にも現在、先行量産型が前線に回ってきている……”村田式擲弾銃”以来の擲弾銃で、”八九式重擲弾筒(実質的に個人携行可能な小型簡易迫撃砲)”と小銃擲弾の間を埋める物として肩付けで発射できる”試製二式擲弾銃”なる、どう見ても「M79の和風アレンジ」にしか見えない物も配備されているようだ。

 

 

 

「二式擲弾銃の試作品は中々に有効なようだね? 小銃擲弾や八九式との使い分け、住みわけも上手くできてるようで何よりだ」

 

「ロタ砲もですが、二式擲弾銃が分隊ごとに配備されるようになれば、我が国の陸兵はまた一段高い火力を得られることになるでしょうね。中折れ式の単発散弾銃を模したような単純な構造なので故障少なく信頼性が高い、威力も丁度小銃擲弾と重擲の中間で、肩付けで撃てる分、有効射程も命中精度はそれらより上なのも使い勝手が良い。武人の蛮用に耐える良い野戦兵器だと思いますよ?」

 

 と手放しでほめるのは、歩兵部隊の活躍をつぶさに見ていた西大佐だった。 

 

「しかし、こうなってくると戦車にも成形炸薬弾対処の方法を考えると同時に対歩兵装備を拡充するように進言した方が良いかもしれませんな? 正直、ドイツ式のロタ砲の直撃を食らえば、最新鋭の一式改とはいえ無事では済まないでしょうし。我々のロタ砲同様に射程が短く、弾速が遅いのが救いですが、いずれにせよあれを装備した歩兵は、強力な”戦車キラー”になりかねません」

 

 事実、実験の結果、後にパンツァー・シュレックと呼ばれ赤色戦車相手に猛威を振るう事になる個人携行対戦車ロケットランチャーは、一式改の最も分厚い砲塔正面装甲を高温メタル・ジェットで容易く焼き貫いてみせたのだ。

 西大佐にとり、それは戦慄を覚える情景だったという。

 

「我々がクレタ島の防衛に成功したのは事実だが、それには勇戦した日英海軍の活躍もだが、それ以上に実力だけでは説明できない多分の幸運があった事も事実だろうな。実際、我々の下した判断の一つが誤っただけでも、戦線が崩壊はせずとも破綻する恐れがあった……例えば、飛行場の一つを確保され、少数でも後続が空挺作戦を強行したら、最終的に防衛は成功したとしても、今とは比べ物にならない被害が出た可能性があったことを肝に銘じなければならん」

 

 栗田中将の言葉に、鈴木空軍少将や西大佐だけでなく、会議場にいた全員が頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 だが、ドイツ人の脅威を再認識しながらクレタ島を守る彼らに、驚愕のニュースが飛び込んできたのは、それから半月も経たないうちだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




オチが酷かった件についてw

「日本って対戦車装備で苦労すんだよなー」と日本皇国の転生者がロタ砲を試作する→テストモデルがトブルク防衛戦に投入される→ドイツ軍がそれを見ていた→鹵獲できたかは不明だが、「なんか良さげだしドイツでも作ってみっか」となる。ちなみに回収した損害車両から成形炸薬弾であることも一発でバレた。

という「アメリカ関係ないじゃん!」というオチで、この世界線ではパンツァー・シュレックは生まれました。
ええ。”バルバロッサ作戦”前に。
まあ、ドイツにもそこそこ転生者いそうだし。



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第42話 東方侵攻に関するおさらい的な話+とある人物の登場など

まだ三が日のおめでたい空気の中だというのに、やや重めの話いきまーす。
前半は内容的に、後半は登場人物的にやや重いです。




 

 

 

”バルバロッサ作戦”

 それは史実では1941年6月22日に発動された「ドイツによるソ連勢力圏への侵攻作戦」だった。

 

 その目的は、当時ナチス第三帝国で計画されていた「東部総合計画」を実現させるためであった。

 ”東部総合計画”の内容とは、

 

 ・征服民の一部を枢軸国の戦力として強制労働

 ・コーカサスの石油資源の確保

 ・ソ連領の様々な農業資源の確保

 ・スラブ民族の絶滅、奴隷化、ゲルマン化、シベリアへの大量追放など

 

 最終的には、「アーリア人の東方生存圏(レーヴェンスラウム)」の確保、どこぞの作品風に言うなら「アーリア人のための清浄なる世界の確保」ということになるのだろうか?

 つまり、ユダヤ人だけでなくスラブ人も絶滅させて、アーリア人だけの巨大国家を作りたいということだろう。

 

 だが、資源地帯の確保と民族絶滅は、欲張りすぎというか滅茶苦茶だ。

 要するに「その土地に住む”自国民の数より多い住民”を皆殺しや追放して土地だけ奪う」というのは、実は戦争目的としては最初から破綻しているのだ。

 なぜなら、土地を収めるのは人がいるのだ。

 あれだけ広大な土地を「ドイツ人だけで維持管理する」というのは物理的に不可能だ。

 人間というのは社会性動物であり、ある程度以上の密度で存在しなければ収斂しない。つまり、人口密度ではなく人口と密度は、発展の重要なファクターなのである。

 子供でも分かる話だが、土地は誰も住まなければ荒野や原野と大差なく、資源は地下に埋没したままでは無価値だ。

 畑を作り作物を育て、収穫しそれを加工して初めて食品となり人を生存させる。

 小麦は生えたままで放置すればパンになるわけでは無い。

 

 資源、例えば石油を例に出せばまず掘り出す人間がいる。だが、原油のままではほぼ利用価値は無い。

 エンジンを動かすガソリンなり、ディーゼル発電機を動かす軽油なり、ストーブの燃料になる灯油なり、ボイラーを沸かす重油なり、燃料油として使おうとするなら精製が必要で、それを行うには化学プラントがいる。

 無論、プラント動かす技術者も必要だし、プラントは地面から勝手に生えてくるわけではないので、それを構築する部品を作る工場がいる。工場を稼働させるには、最低でも工員やその家族が住む街がいる。

 街を動かすには食料やら生活必需品を売る店がいる。

 そして、完成した部品をプラント建設現場まで運ぶ流通もいるし、プラントの建築する人員も当然必要だ。

 

 これに鉄鉱石から素材に至るまでの流れとかを考えたら、頭が痛くなるような話だ。

 実感はないかもしれないが、人間はインターネットという情報ネットワークが構築されるはるか以前から、物流というネットワークを形成しているのだ。

 軍隊でいうロジスティックスとは兵站その物を指すが、一般的な意味でのロジスティックスとは「原材料調達から生産・販売に至るまでの物流(・・)、もしくはそれを管理する過程」を指す言葉となる。

 

 想像してもらうと助かるが、農地で掘ったジャガイモがポテトサラダに加工されてスーパーの陳列棚に並ぶまで、どれほど人手がかかるかをだ。

 こんなものが無数に絡み合ったのが国家であり、またロジスティックスは容易に国境を超える。

 

 結論から言えば、「レーヴェンスラウムは広い土地にドイツ人だけいても維持できない」のだ。

 正直に言えば、、史実のヒトラーはその認識が、「国家を維持発展させるという難行」に対する考えが甘すぎた。

 民俗学的潔癖症を優先できるほど国家運営は甘くない。

 

 ましてや、自国の人口より多い人間を殺して奪った土地で理想郷を作るなんて、誇大妄想もいいところだろう。

 第一、強制労働……別の言い方をすれば奴隷労働の近似系などさせても、国力の増大にはならない。

 近代政治において、労働者は同時に消費者でもあるのだ。消費者がいて初めて市場(マーケット)は形成され、金が循環する。

 国家の近代化に伴い、多くの国で奴隷制度が廃止されたが、これは人道的な側面だけではない。奴隷は例外的な事例を除き私有財産を認められていないから、消費者になりえないのだ。

 彼らが提供するのは労働力のみとなる。

 近代、特に産業革命やモータリゼーションを経験した国々にとり、奴隷で賄われていた多くの労働分野・部分は機械に置き換えられる事になった。

 つまり、「最低限、労働力として使える状態で多数の農作業用の奴隷を維持」するより「機械化してトラクター1台を購入」する方が経済効率が良い世界が来てしまったのだ。

 途端に奴隷労働というものが経済的に”非効率な物”になってしまったから、それを廃止したという側面だって存在する。

 

 これが奴隷ではなくこれまで普通に生きていた市民で、しかも目的が労働力自体ではなく「過酷な労働環境による衰弱死」が本当の目的であり、強制労働の理由が「ただ殺害するだけでは勿体ないから」では話にならない。

 

 

 

 つまり、ドイツは……史実のナチス第三帝国は「負けるべくして負けた」のだった。

 

 

 

***

 

 

 

 ある意味、アドルフ・ヒトラーという個人の誇大妄想(あるいは当時のドイツ人の種族的理想)を実現させようとしたところに間違いがあった。

 ただ、これは研究者たちによって別の視点も指摘されている。

 曰く、

 

『結局、ドイツ人が君臨し支配できる数までレーヴェンスラウムに住む人口を間引きしたかったのでは?』

 

 と。

 だが、例えば妄想する人間が違っていて、”レーヴェンスラウム”の定義そのものが違っていたらどうなるだろうだろうか?

 

 

「やはり、プロフェッショナルな人間に囲まれるというのは良いな。話が建設的に進む」

 

 そうご満悦な表情をしているのは、誰であろうか?

 ここは、OKW(国防軍最高司令部)の会議室ではない。

 そして、ヴォルフスシャンツェなどの「(比較対象論的に)前線に近い司令部」でもない。

 れっきとしたベルリン市内、ヴィルヘルム街77番地……

 

 ”総統官邸(Reichskanzlei)”

 

 である。

 この館の主はただ一人、ドイツ総統(Führer)……”アウグスト(・・・・・)・ヒトラー”総統閣下(・・・・)である。

 

「さて、ではとりあえず現状確認するとしよう。トート軍需相、進捗はどうだね? 計画に極端に遅れは出てないかい?」

 

 むしろフランクな調子で問いかける総統閣下に、軍需大臣を仰せつかったフェルディナント・トート博士は少し緊張した面持ちで、

 

「問題ありません。ギリシャ、いえクレタ島攻略(メルクール)作戦での損耗は無視できるものではありませんが、”バルバロッサ作戦用の資材”は投入しておりませんので、単純な装備、機材面は問題ありません」

 

 するとヒトラーは少し考えこみ、

 

「そうか。長砲身のIV号戦車とFw190は確か門外不出だったね?」

 

「「Ja, das stimmt(はい、そうであります). Unser Führer(我らが総統閣下)」」

 

 そう答えたのは、陸軍機甲総監の”ハーラルト・グーデリアン”と空軍技術総監”エーベルハルト・ミルヒ”だった。

 そして、二人はセリフが被ったことに顔を見合わせる。

 その表情から察するに、二人そろって『『なんで、よりによってコイツと被った!?』』と心の中で思っていそうだ。

 まあ、彼らを学園系乙女ゲーの登場人物にするなら、熱血型細マッチョ赤毛とクール系銀髪眼鏡という感じだろうから無理もない。

  

 その姿を見ていたヒトラーだったが、少し視線を横にずらし、

 

「”カナリス”君、何をそんなに生暖かそうな物を見た表情をしてるんだい?」

 

 そう話を振られたのは、陸海空軍が持つ情報部を統括する”三軍統合情報部(アプヴェーア)”長官である”ヴォーダン・カナリス”大将であった。

 ちなみに”国家保安情報部(NSR)”をCIA+FBIに例えるなら”アプヴェーア”は、さしずめ米軍のDIA(アメリカ国防情報局)というところだ。

 

 陸軍、海軍、空軍はそれぞれ情報収集や解析の得意分野が違う。

 基本的に敵国の軍事情報をそれぞれの分野でアプローチするのだからそれも当然だろう。

 だが、海軍の情報が海軍の上層部だけ知ってても、国防的にはあまり大きな意味をなさない。

 そこで設立されたのが、三軍からそれぞれ上がってくる軍事情報を収集、解析、分析し「総合的な国防情報として共有できる形」にするのがアプヴェーアの仕事である。

 国内外の活動を含む総合的な情報/諜報機関がNSRだとすると、アプヴェーアは軍事専門のそれであると言える。

 

 第一次世界大戦をドイツ海軍の諜報員として過ごし、アプヴェーアの立ち上げから中核人物となりヒトラーと付き合いが長い部類に入るカナリスは、ヒトラーはギャグは好まぬがユーモアを好む性質であることは心得ており、

 

「いえ、なに。若者たちの功名心と向上心はいつの時代も微笑ましいと思いまして。総統閣下」

 

「君も歳は変わらんだろう? 私も人のことは言えんが、互いに老け込むにはまだ早いぞ」

 

「御意に」

 

「では諸君、我らが安らかな老後を過ごすために、ドイツの繫栄に繋がる報告会を始めようではないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あー、ついに出てきましたドイツの親玉。
ただし、中身は……お察しくださいw

明言してるのは今のところロンメルだけですが、ドイツ側にも転生者はいますねー。
それも相応の数。




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第43話 とある装甲指揮官から語られる日本皇国戦車の実像

今回は、久しぶりにあの猛将が再登場します。




 

 

 

「さて、”バルバロッサ作戦”の本題へと入る前に、本日は北アフリカで日本人と直に戦ってきた”彼”の話を聞いてみたくてね」

 

 ドイツ総統”アウグスト・ヒトラー”は、総統官邸の執務室(大)で行う「私的な(非公開)報告会」にて、アフリカから戻ってきたばかりのとある装甲将校を呼び出していた。

 

ロンメル(・・・・)君、日本軍、特に装甲部隊と戦った率直な感想を聞かせてくれたまえ」

 

 そう、久しぶりの登場の猛将、”エドヴィン・ロンメル”だった。

 ついでに中身は転生者(確定情報)。

 

 少しだけ彼の経歴を振り返ると、第一次世界大戦では歩兵部隊指揮官だったが、”ソンムの戦い”で戦車に魅了され装甲将校に転身。

 今となってはドイツ軍屈指の装甲指揮官の一人であり、北アフリカでもその手腕は遺憾なく発揮された。

 「コンパス作戦」で英国軍に攻め込まれたリビアのイタリア軍に救援に入るなり逆撃作戦である「ゾネンブルーメ作戦」を発動。

 瞬く間にイタリア人がしでかした失地を奪還し、その過程で英国陸軍中東軍の将軍、オコーナー中将を捕虜にするという大金星もあげている。

 だが、彼の快進撃に初めて土をつけたのが、前出の「トブルクに立てこもる日本皇国軍」であった。

 

「強いです。間違いなく」

 

 ロンメルは実直で硬質な口調で切り出した。

 

「日本人を”ド田舎から来た黄色い猿(ウンターメッシュ)”と侮る輩、”劣等人種に我々より優れた戦車が作れるわけはない。竹と紙でできた戦車など燃やし尽くしてやる”と大言壮語を息まいていた人間は、残らず日本人に殺されました。続けても?」

 

 流石にもう少しオブラートに包んだ方がよいかとも思ったが、総統閣下は気にした様子もなく目線で続きを促した。

 

「日本人の戦車は装甲は厚く硬く、威力が高い砲も積んでいました。速度はそこまでではありませんが、非常に小回りが利くのが印象に残っています」

 

 そして一呼吸置いてから、

 

「イタリア人の”中途半端な戦車モドキ(おそらくM11/39中戦車などのことか?)”だけでなく、我々の最新鋭戦車……Ⅲ号戦車もIV号戦車も正面から撃ちあうには厳しい相手です。大変口惜しい事実ですが」

 

 すでに報告書はこの場にいる全員が読んでいたが、改めて実際に戦った当事者の生々しい証言に、思わず沈黙する「報告会」の参加者達……

 だが、その沈黙を破ったのはヒトラーだった。

 

「ロンメル君、君には苦労を掛けてしまったようだね? そして、謝らねばならないことがある。それは日本人の戦車を撃破可能と思われる長砲身75㎜砲搭載のIV号戦車が完成していたのにも関わらず、北アフリカ戦線に回さなかったことだ。最新鋭機Fw190を回さなかったことも謝罪すべきだろうな」

 

 しかし、ロンメルは首を横に振り、

 

Nein. Der Führer(いいえ。総統閣下). 英国人相手には短砲身のIV号戦車でも十分でした。また、戦車だけでなく全ての車両や航空機、内燃機関を使う全ての機材に砂塵対策用(トロピカル)フィルターが装着されていたことに感謝と敬服を捧げます」

 

 ヒトラーは苦笑しながら、

 

「礼には及ばないさ。将兵が戦う地形/気候/風土の情報を徹底的に調査し、最適な装備を算出するのもアプヴェーアの仕事の一つだ。そして、必要な装備を必要なら開発依頼を出し、必要な時までに調達するのが軍需省の仕事。そうだろう? カナリス君、トート君」

 

 話を向けられたヴォーダン・カナリスとフェルディナント・トートは同時に無言で頷いた。

 

「だが、成果はあった。日本人を侮らなかった者達……人種に関係なく強力な兵器を製造し、高い練度、高い戦闘力を誇る者も世界にはいるということを体で経験し学び生存した者達は、きっと良い装甲指揮官になるだろう」

 

 ヒトラーは碧が美しいマイセン焼きのコーヒーカップを手に取り、

 

「その者達は、ロシア人がどんな強力な戦車を持ち出してきたとしても、慌てることも焦ることも驚きで思考が空白化することもないだろう。きっとこう考える。『日本人が作れたのにロシア人に作れない道理はない』と」

 

 そして小さく笑い、

 

「ロンメル君、君には改めて感謝を。君の所に矢継ぎ早に送りこみ、次々に促成栽培させるように日本人と戦わさせ、短期間でドイツに戻させる……タイトなスケジュールの中、次々に人員を入れ替え”戦争を教育”する難行を、君は見事にそれを成し遂げた」

 

「身に余る光栄です。総統閣下」

 

 恭しく頭を下げるロンメルに、

 

「今回の成果を鑑み、君の大将昇進は決定事項だ。だが、他に欲しい物はあるかね?」

 

 とあけすけな様子でヒトラーが聞けば、ロンメルはしばし考え……

 

「V号戦車とVI号戦車の計画統合を。次期戦車の開発リソースを全てV号に回していただければ、その分、開発が早まります。また、前線指揮官として言わせていただければ、計画にあるVI号戦車のような55t超級の重戦車は、”移動できるトーチカ”防御にこそ真価を発揮する物であり、攻撃力と防御力は高くとも速度や燃費の悪さで長距離進軍には向かず、またその重量ゆえにサスペンションに負荷がかかり、長く動かせばそれだけ故障リスクが高まります。我々が欲するのは、故障が少なく使い勝手の良い戦車なのです」

 

 これがあるいは史実のヒトラーならば、例えお気に入りのロンメルの言葉だとしても激怒したかもしれない。

 だが、この世界線のヒトラーはニンマリ笑い、

 

「それは聞き入れられんな」

 

「やはり、駄目ですか……」

 

 落胆するロンメルに、ヒトラーは悪戯が成功した子供のように、

 

「今更、受け入れられんよ。既に君の言うV号とVI号の開発計画統合は現在進行形で行われているのだから」

 

「……は?」

 

「トート君、説明してくれたまえ」

 

「はっ!」

 

 話を振られたトートは胸を張り、

 

「現在、ドイツ陸軍はIV号戦車の後継を公式にV号戦車に決定し、また要求性能から重量的に45~50tとなる公算が大きいため、55t超となるVI号戦車開発計画と統合。またVI号戦車の開発は白紙に戻され、”バルバロッサ作戦”の戦訓をもとに新たに次世代戦車のコンセプト作成から再スタートする予定です」

 

「ということだよ、ロンメル君。安心したかね?」

 

「はっ! 感謝の極みであります!」

 

 綺麗な国防式敬礼を決めるロンメル。

 

「新型戦車が戦場に登場する日が楽しみであります!」

 

「中々使い勝手の良い戦車になると思うよ? 君が言う、使い勝手が良い、攻撃力、防御力、機動力のバランスが取れた戦車になる予定だ。IV号戦車の正常進化というところかな。もっとも私としては気になるのは、IV号戦車の現状もなのだがね」

 

「悪くはない仕上がりだと思います」

 

 そう答えたのは、機甲総監のグデーリアンだった。

 

「車体正面装甲は50㎜のままで厚くはないですが、20㎜程度の増加装甲を後付けで装着できるようにしました。長砲身75㎜砲の搭載に伴い設計された新型砲塔の正面装甲は80㎜に達します。それに限定的ではありますが、避弾経始を考慮した形状となっており、装甲厚以上の防御力が期待できます。また長砲身75㎜砲……75㎜43口径長砲は、現状では十分な威力があると思われます」

 

 

 

 実はこのIV号戦車、兵士達より頑丈で壊れにくくパワーも火力もあり、それ故に”軍馬”と呼ばれ愛されたこの戦車の存在や在り方こそが、何気なく今後のドイツの在り方を担っているのであるが……それは、次回以降に譲るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




割と人当たりの良い、少なくても現状は穏健に見えるヒトラーという概念。

まあ、中身が別物ですのでw

次回は割とガチな戦車の話題だったり。





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第44話 兵たちから軍馬と呼ばれ親しまれた戦車のはなし

今回の主役あるいは主人公は戦車です。





 

 

 

 さて、この世界線のIV号戦車を語る前に、史実におけるIV号戦車はどんな存在(せんしゃ)だったかを記しておきたい。

 

 史実におけるIV号戦車は”ベグライト・ヴァーゲン(略称:B.W)”という名称で開発され、直訳すると”随伴車両”という意味を持っていたそうだ。

 これは「75㎜砲を搭載する20t級の車両で、歩兵に”随伴(・・)”し火力支援を行う」というコンセプトの車両だった。

 他国で言うと、歩兵戦車に近いコンセプトだったようだ。

 そして、対戦闘装甲車両を行うのはより小型軽量な”ツークフューラー・ヴァーゲン(略称:Z.W)”、「37㎜砲搭載で15t級戦車」として開発されたⅢ号戦車の役割とされたのだった。

 

 だが、戦史に詳しい方ならご存知の通り、50㎜砲の搭載が上限だったⅢ号戦車は、敵国戦車の重装甲高火力化の波についていけず、早々に主力戦車の座から脱落し、結局ドイツの戦線を支えたのは75㎜砲を搭載できるIV号戦車であった。

 その後、V/VI号戦車の開発はされたが終戦のその日まで数的主力はIV号のままで、改良発展限界を迎えてもなお戦場を駆け抜けた戦車だった。

 

 

 

 だが、お察しの通りこの世界線においては事情がかなり異なる。

 Ⅲ号戦車が対装甲戦闘車両として開発された部分までは史実と同じだが、IV号戦車は「歩兵随伴戦車」として開発されたわけでは無い。

 Ⅲ号戦車の改設計が不可能な段階に入り、「最も衝突する可能性の高い仮想敵国」であるフランスが恐るべき重戦車を開発していることをつかんだのだった。

 これが、”ルノーB1(シャールB1)”重戦車や”ソミュアS35”騎兵戦車だったりするのだが、性能をやや過剰に見積もっていたせいもあり、予定されているⅢ号戦車の火力では撃破不可能と算出された。

 そこで急遽計画が立ち上がったのが、後継となるフランス戦車を上回る重装甲高火力高機動を備えた「”Ⅲ号戦車”開発計画」だった。

 コンセプトは明瞭で、

 

 ・砲塔/車体正面装甲は最低でも50㎜厚とすること。

 ・敵戦車をアウトレンジから撃破できる75㎜かそれ以上の戦車砲を装備すること

 ・重量30t級の戦車とすること

 ・30t級の車体を機動的に運用できるだけのサスペンション、トランスミッション、エンジンを用意すること

 ・即座に陳腐化せぬように発展的余地・余裕を持たせた車体設計とすること

 

 であった。

 当初は野戦架橋による渡河限界から25t級が限界と参謀本部から打診されたが、「25t級では50㎜装甲と75㎜砲の両立は不可能」と車両開発部は返し、「敵を撃破できず、敵に容易に破壊される戦車がお望みか?」と返した。

 

 これを仲裁したのがヒトラーであり、双方の意見を聞いた後に「敵戦車の撃破不可能な戦車を開発する意味は無し」とし、野戦架橋や渡河方法・機材の改良や改善で対応ということで話がついた。

 

 こうして30t級戦車として開発の始まったIV号戦車だが、さっそく様々な壁にぶつかった。

 

 ・30t級の車体を支える足回りをどうするか? → Ⅲ号戦車のトーションバー+トレーディングアーム方式を強化熟成して採用

 ・発展的余地は具体的にどうする? → 外観は重くなるのであまり大きくできないけど、内部容積をなるべく多くとれるようにレイアウトを工夫しよう。また、将来的に大きく重い砲塔を乗せる場合を考えて、砲塔リングは可能な限り大きめに作っておこう。ついでに砲塔バスケット方式と旋回動力の余力も忘れずに。

 ・30t級の車体を動かすエンジンがないんだけど? → 仕方ない。マイバッハには悪いが、エンジンは既存の航空機用エンジンを転用、陸上用に再セッティングして使おう。空気の綺麗な飛行場や上空と、砂埃舞う地上では環境が違うけど、そこは創意工夫で。(液冷V型12気筒のBMW VIdをベースにトルクと信頼性をあげでピークパワーを抑制する方向で開発された450馬力のエンジンを開発)

 ・30t級の戦車を行軍で公道を走らせると重さで道路がとんでもないことに → 従来より幅広の520㎜履帯(史実のティーガーIの輸送用履帯と同じ幅)を新たに採用し、接地圧を下げよう。

 

 とまあ一つづつ技術的な課題を、なるべく独自開発/専用品開発を少なくし可能な限り既存の技術/機材の転用、あるいはその発展型や改良型を用いるようにしながら完成したのがIV号戦車だった。

 その努力は涙ぐましいほどであった。

 

 ただ、どうにも75㎜級の長砲身戦車砲の開発には難儀したようだ。

 そこで、開発が終わるまで間に合わせとして元々は歩兵砲として設計されていた75㎜榴弾砲を転用・改設計して短砲身75㎜砲として一先ず完成させた。

 実はフランス戦や北アフリカにⅢ号戦車共々投入されたIV号戦車は、この初期生産型だった。

 

 基本的に短砲身型や初期型と呼ばれる、史実で言うA~F(F1)型のタイプはあくまで間に合わせであり、やはり威力不足(特に貫通力)は明白であり、本命は長砲身搭載型であった。

 また、フランスでの戦訓を生かし、砲塔正面装甲の強化は必須と考えられそれを盛り込んだ形である程度の避弾経始が取り入れられた(おそらくソミュアS35あたりを参照したのだろう)正面装甲圧80㎜の新型砲塔と75㎜43口径長の新型長砲身砲を搭載したのが現行型のIV号戦車である。

 蛇足ながら、なんとなくだが新型砲塔の形状は史実のV号戦車”パンター”に近い雰囲気がある。

 

 総合的には、史実で言うF2ないしG型仕様のIV号戦車(の一部能力強化型)と考えてもらえばいい。

 

 

 

***

 

 

 

 史実ではこの43口径長砲、”7.5cm KwK40 L/43”は、”7.5cm PaK40”という対戦車砲がベースとなっており、このPaK40の砲弾薬莢が狭い砲塔内で取りまわすには長すぎる(薬莢長714mm)ので、なるべく装薬(砲弾を飛ばすための火薬)量を減らさないように太く短い薬莢(薬莢長495㎜)を採用し、それに合わせて薬室や水平鎖栓式閉鎖機を交換したのがKwK40ということになっている。

 ややこしいのは、この495㎜薬莢を用いたPaK39(なぜか後発なのに数字が戻ってたりしている)対戦車砲があったりするのだ。

 

 だが、この世界のドイツはそんな面倒なことはしない。

 単純にヒトラーが「戦車砲にも野砲にも最低限の変更で使える薬莢/薬室サイズの長砲身75㎜砲を作れ」と命じただけである。

 なので、この世界線では714㎜薬莢もPaK40は存在せず、PaK39とKwK40は並行開発され、PaK39は1939年に、KwK40はそれぞれ1940年に実用化されている。

 つまり、Ⅲ号突撃砲の主砲もヘッツァーのような駆逐戦車もSd.Kfz.251/22やマルダーのような対戦車自走砲も同じ薬莢であり、砲弾の共用ができるようになっているのだ。

 これは製造/生産/管理/補給のロジスティックスの面において地味だが大きな意味を持つのだ。

 特に史実のドイツ軍の事情を知っていれば、それを感じるのではないだろうか?

 

 そして現在、IV号戦車の改良は現在進行形で続けられている。

 トブルク攻略戦での日本人との本格的な機甲戦の経験を元に、戦車砲を現状のKwK40の設計では限界と言える長砲身化(43口径長→48口径長)を行い初速増大による威力増強に挑む開発中の新型砲”KwK40 L/48”への換装、車体や砲塔の側面にシュルツェンと呼ばれる成形炸薬弾や機銃弾などによる破損から守る増加装甲を追加した……いわゆる史実の”H型(一部J型)”準拠のモデルが開発されているのだった。

 

 トーションバー式の足腰や450馬力を発生するガソリンエンジンは重量増加によく耐え、最高速度は少し低下したが十分実用的な数字に抑えているようだ。

 

 

 

 さて、長々とIV号戦車に関して書いてしまったが、上に書き上げたような戦車が、「現在のドイツ軍主力戦車」であり、「今からロシアに攻め込む戦車」なのだ。

 さて、問おう。

 汝が私のマス……もとい。果たして、この世界線で”T-34ショック”は起きるのか? 起こせるのか?

 

 率直に言えば……ソ連は泣いていいと思う。

 先に言っておくが、今のソ連に史実と同じくトハチェフスキーはもういない。まるで史実をなぞるように拷問の末に粛清された。

 NSRの仕事は完璧だった。

 完璧過ぎた。

 ”大粛清(テロル)”は起きていた。それも、追加分の無実の死者数は誤差の範囲かもしれないが確実に史実を上回る規模で。

 ”ホロドモール”も起きている。

 

 ソビエト連邦建国以来の粛清を含む政策により殺されたり死なせられたりした累計死者数は、ロシア革命の時も含めれば既に5000万人に達してるとする推計もある。

 またしても率直に言えば、この時期のソ連は史実と同等かそれ以上に内部がアレな状態だった。

 

 そして、今からソ連に攻め込もうとしているドイツは、史実のドイツではない。

 今までの発言からして、「T-34に対抗できるIV号戦車を”主力戦車として保有”」し、この時点でBf109ではなく「Fw190が主力として使える」程度には配備が進んでいる。

 実はこの理由の一つが、政治的判断で「Fw190をバトル・オブ・ブリテンに参加させず温存した」という物があるのだが……

 これは、当時のBf109E(エミール)が増槽を標準搭載できるように設計されており、史実よりずっと航続距離が長かった事と、性能不足としてBf110が量産されなかったことも関係している。

 

 

 

 無論、「史実よりズレが生じてる兵器」はこれだけではない。

 

 いや、問題は兵器だけではない。

 

「これで、シチリア、ギリシャ、北アフリカの人員の撤兵が終われば後方戦力も問題なくなるではないか」

 

 アウグスト・ヒトラーはそう満足げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




IV号戦車のファンの皆様(いるかどうかわからないけど)お待たせしました。

史実より幾分強化されたIV号の登場です。
実は作者も好きな戦車の一つだったり。


ご感想とかもらえたら、嬉しいです。





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第45話 停戦計画の舞台裏

なぜ、ヒトラーは日英との停戦を言いだしたのか?
その内側の話です。





 

 

 

「これで、シチリア、ギリシャ、北アフリカの人員の撤兵が終われば後方戦力も問題なくなるではないか」

 

 アウグスト・ヒトラーはそう満足げに微笑んだ。

 彼は、これまで精査した情報で装備面の準備が整っていることを確認した。

 何事にも万全はあっても完璧は無い。予想外も規定外もいつでも起こるものだ。

 だが、現状において東方侵攻……この世界線における(・・・・・・・・・)”バルバロッサ作戦”において、配備においても生産計画に関しても備蓄に関しても特に不足を感じる部分は無かった。

 

 むしろ、問題となるのは人的資源の確保。戦場で最も安易に消耗され、そして一度失われれば補充が難しい要素だ。

 兵器は環境と資源が整えば、基本的に同じ性能の物の量産が利くが、人間はそうはいかない。

 はっきり言えば、ずぶの素人を一人前の兵士に育てるには、手間も暇も金もかかる。

 兵隊の命は戦場では軽くとも、国家にとっては決して安くは無いのだ。

 一人の人間を労働力でも納税者でもなく、生産性のない仕事(せんそう)に従事させ、納税どころか税金を弾丸に変換して敵にぶっ放すのだ。

 これがどういう意味を持つかわからぬ者は、国政に立つべきではないだろう。

 しかもケガなどで戦場に立て無くなれば傷痍軍人手当、戦死したら遺族年金を支払わねばならない。

 それをしなければ、誰も志願して軍人などにはならないだろう。

 比喩でなく命懸けの仕事をしてる割には、軍人の給料は安いのだから。

 

「しかし、総統閣下……英日は、我々が提示した停戦申し入れに乗ってきますでしょうか?」

 

 そう発言したのは、史実では空軍のトップで、一時はヒトラーの後継者とも目されていた”ヒッター・ゲーリング”であった。

 そして、彼のこの世界線での肩書は、なんと”副総統”である。

 ここで注意して欲しいのは、史実の”国家元帥”ではないということだ。

 ヒトラー曰く、

 

『ゲーリング君、君はどちらかと言うと軍人より政治家の方に適性があるようだ。いや、軍人としての能力に疑いを持っているわけでは無いよ? だが、君の溢れる人間的魅力は、まさに人気商売の政治家にうってつけなのだよ。どうか私の仕事を助けてくれないだろうか?』

 

 ナチス政権下で再編されたドイツ空軍(ルフトバッフェ)の生みの親として知られるゲーリングだが、史実でもゲシュタポを率いてたり、あるいはヒムラーやハイドリヒと組んで”長いナイフの夜”の黒幕だったりと、割と陰謀家としての側面をもっていたのも事実であり、またこの世界線でも似たような経緯があるので、そのあたりを考慮しての判断だったのだろう。

 ヒトラーが総統となる前の首相時代に副首相に任命され、それがスライドする形で”副総統”の地位に就いたというわけである。

 

 史実と似ていて違う意味の権力者で、未だに古巣である空軍には太いパイプがあるが、この世界のゲーリングは軍人ではなくあくまで政治家としての立脚点なのである。

 

 

 

***

 

 

 

 では、史実では副首相だったパーペンはどうしたかって?

 当然のように”長いナイフの夜”で、ヒムラーと同じく巻き添えを食って死んだ。

 厳密に言えば、ヒムラーは”長いナイフの夜”の直前に、どこかからか情報が洩れて「突撃隊(SA)に対する綱紀粛正」が行われると知った部下数名と共に事務所に押し掛けてきたレームにより射殺されている(レームは、ヒムラーが首謀者であると信じていた。理由は不明)

 これが実質的に”長いナイフの夜”開始の号砲となった。

 銃声で駆け付けたヒムラーの部下たち(?)によりレームは部下ごとその場で10丁を超える短機関銃の一斉射で細切れにされた。

 

 

 史実でも、”長いナイフの夜”の計画、粛清を知らされていなかったパーペンはゲーリングに抗議に行ったが、その際に親衛隊に帰り道をふさがれて命を狙われるという事実がある。

 そして、この世界線では自分の部下たちが同種の行動を取ったが、ゲーリングは抑制しなかった。ただそれだけだ。

 こうして、パーペンは政敵であったシュライヒャーの後を追った。

 

 

 

「ゲーリング君、彼らは乗るよ。乗らざるえない。そのための餌を準備したし、餌であるとしても彼らは食いつくしか方法がない。それだけの下準備も根回しもしたんだ。そうだろう? ノイラート君」

 

 ドイツ外相コンラート・フォン・ノイラートは苦笑交じりに、

 

「手ごたえはありますな。まあ、バトル・オブ・ブリテンを起こした手前、どうなることかと内心ヒヤヒヤしましたが」

 

 政治的穏健派であるノイラートはそう返すが、

 

「おいおい。彼らは何枚も舌を持ち、腹の中を墨で染める英国人だぞ? バトル・オブ・ブリテンなぞ相手の戦力を図る威力偵察に近い小手調べであることくらい、とっくに見抜いてるさ。何しろ我々が”アシカ作戦”などというでっちあげ(ブラフ)の作戦を実現できる渡洋能力がないことなど、海軍国である彼らが気づいていないはずはないだから」

 

 そうヒトラーは笑い、

 

「当然、北アフリカやギリシアでの戦争も、イタリア人が身の程もわきまえずに手を出し、ドイツがその尻拭いに奔走したことも、おそらくその裏側にある我々の利益も理解しているだろう。つまり、利がなければ我々がわざわざイタリア人を助けることもない見透かされているだろうな」

 

 そして周囲を見回すと、

 

「彼らは独伊の関係が表向きは同盟としているが、本当の意味で同盟として成立してないことなど百も承知だ。なぜなら、彼らは日本との同盟を我々から見れば完全に機能させているからだ。トブルク、マルタ島、クレタ島……決して我々に取られてはならぬ要所に日本軍を置いている。素晴らしいではないか! 我々がイタリア人に対して同じことができるかね?」

 

 周囲に失笑が起きた。当然の反応である。

 

「だが、だからこそ、この手が生きてくる。日本人は英日同盟を履行するためだけに戦っている。そしてユーラシア大陸の反対側から派兵するのだ。その行動による国庫に掛かる負荷は想像できるかね?」

 

 ニヤリと笑い、

 

「日本人は、直接国境問題や利害関係があるわけではない。だが、ロシア人とは不倶戴天の敵対関係にある。そこに将兵の個人的感情はともかく、国家としては大して思うところのないドイツと、共産主義者に牛耳られてますます和睦はありえなくなったロシア人との戦い……果たして日本人はどう思うかな?」

 

 これも正鵠を射ていた。

 元々、日本とロシアは日露戦争以来の因縁がある上、「皇帝と一族を粛正して成立した」ソビエト連邦と立憲君主制の日本皇国(・・)は断じて相容れないのだ。

 

 特に日本人が激怒しているのは、ソ連の超国家的組織を用いた”間接侵略(シャープパワー)”だ。

 これに対するカウンターインテリジェンスが、何度か出てきている「1938年の公的告発」に繋がるのだ。

 

 

 

「日本人が英国人を説得すると?」

 

「そう動くだろうね。だが、一度は戦端を開いた以上、英国人と手打ちをするなら拳の振り下ろし先を見つける必要がある。英国人はそういう人種だからな。自分が損をしたままじゃいられない」

 

「だからこそ、総統閣下はイタリアを生贄に、そして支配国の主にアジアにある植民地を英日に預けようとしている……そういうことですね?」

 

 これは、NSR(国家保安情報部)のレーヴェンハルト・ハイドリヒの言葉だ。

 

「拳の振り下ろし先の提供と、停戦を飲ませるための対価だよ。北アフリカとギリシャでは散々やらかしてくれたんだ。イタリアにはそれぐらいの責を負って貰わねば割に合わんよ。それにいずれにせよ、我ら(ドイツ)に遥か遠方、アジアにある植民地にかまけてる余力などないのだからね」

 

「むしろ、彼らに新領土……いえ、新たな植民地を経営するために国力を割かせようと?」

 

 どうやら楽しくなってきたらしいヒトラーは上機嫌に、

 

「日本人は英日同盟を大した利もないのに履行しようとする生真面目さがある。きっと真面目にどんな形であれ植民地経営してくれるだろうさ。英国人にとり南ボルネオ島に眠るエネルギー資源は、実に魅力的だろうね」

 

 だが、ノイラートは少し考えこみ、

 

「我々の占領下にある本国政府は問題ないでしょう。既に根回しは終わってます。ですが、問題となるのは英国が抱えているオランダとフランスの亡命政府でしょうな」

 

 しかし、ヒトラーは大した問題ではないとでもいうように、

 

「もし、停戦を実現する気があるのなら、こうアドバイスしてやるつもりだ。『亡命政府が不服を言うようなら、自分たちがボルネオ島とインドシナ半島へ行き、自ら統治して自由オランダなり自由フランスなりを新たに立ち上げると良い』とな。我々は亡命政権を正当な政権と認めることは無いが、同時に新たにオランダとフランスの名を冠する国の建国を邪魔するつもりもないと付け加えてだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第46話 史実と異なるドイツの占領地政策(仏蘭篇)

今回は、ドイツのフランスとオランダに対する占領政策を開示します。
少しだけ、この世界線のドイツがどこら辺を着地点にしているのか、見えてくるかもしれません。






 

 

 

「もし、停戦を実現する気があるのなら、こうアドバイスしてやるつもりだ。『亡命政府が不服を言うようなら、自分たちがボルネオ島とインドシナ半島へ行き、自ら統治して自由オランダなり自由フランスなりを新たに立ち上げると良い』とな。我々は亡命政権を正当な政権と認めることは無いが、同時に新たにオランダとフランスの名を冠する国の建国を邪魔するつもりもないと付け加えてだ」

 

 実はこれ、無茶苦茶言ってるようでいてド正論だったりするのだ。

 フランスは臨時首都をヴィシーで立ち上げ、フランシス・ペタン首相(元帥)とピエトロ・ラヴァル副首相による政権を正式に「フランス正統政府」として認めているのだ。

 政府への国権復帰ついでに中立を認め、しかも戦後復興資金まで貸し出している。

 史実と違い、可能な限り早急な武器製造を含む重工業界と農業の復帰と、各種輸出の再開を後押ししているのだ。

 

 更に更に……これはとんでもなく露骨なのだが、今年(1941年)7月14日、つまり”フランス建国記念日(フランス革命記念日)”にパリが「正式にフランスの首都(・・・・・・・)として返り咲く」事が大々的に発表している。

 その瞬間より、現在、「占領軍」としてフランスにいるドイツ軍は「進駐軍」という扱いになる。

 

 対して、ドイツが対価として求めたのは、「フランス軍港/空港の無制限の使用と、貸付金の利子付きの返済」に加えて、「フランス本土の大西洋側/地中海側双方の海岸線全て内陸部100㎞にかけてと、その他のいくつかの拠点の100年の租借」である。

 これは領土割譲ではなく、あくまで租借であった。

 また、海岸線においては戦時特例法を制定し、海岸線の租借権は10年ごとに見直しが入り、平時であると判断された場合は租借期間の短縮を行う準備があることも明言されていた。

 加えて、再建される予定のフランス海軍の軍港の独仏共同使用を頂点に、軍港・商業港・漁港を問わず、商船や漁船などのフランス籍の民間船であれば出入港や施設を含む港湾使用に制限を設けず、また一部を除く外国籍の船(一部=ドイツと敵対関係にある国家・資本の船)であっても、事前申請とドイツの臨検を含む立ち入り検査の受け入れを行うのであれば、同じく出入港や港湾ならびに施設の使用を禁じないことが明記されていた。

 

 

 

 至れり尽くせりと言っていいが……この意義は、実はとてつもなく大きい。

 ドイツ軍は「ドイツの安全圏確保のために租借したフランス沿岸部に進駐」するだけであり、それ以外のフランス本土/領土には軍権は発動しないと明言しているのだ。

 つまり、「フランスを占領しているドイツ軍」から「フランスに存在する租借地に常駐するドイツ軍」にクラスチェンジだ。

 また、フランス(あるいはパリ)復帰の祝儀として、戦時賠償の一切を放棄するとまで宣言してるのだ。

 つまり、フランスは”親独的な(・・・・)中立独立国”として再出発する運びとなる予定だった。

 

 これでは一方的にドイツが損をしているように思えるかもしれないが、実はそうではないのだ。

 このフランスに対する処遇に大変参考になったのは、第一次世界大戦後のアメリカの「経済的な戦後処理」だった。

 

 

 

***

 

 

 

 この世界線においても、第一次世界大戦で敗戦したドイツは膨大な……現在(2022年)換算で200兆円以上の戦時賠償を求められた。

 そのせいでハイパーインフレが起き、民が困窮し、ナチ党躍進のきっかけになったのは大筋において史実と変わらない。

 

 しかし、当時の戦勝国である英仏が、何故ドイツに当時の国家予算数十年分に匹敵する、常識外れの金額の戦時賠償を求めたのだろうか?

 復讐心からか? 経済的報復か?

 そういう気持ちがあったのは否定しないが、本質的にはそこではない。

 

 実は英仏も戦費借入、有体に言えば「戦争をするための借金」があったのだ。

 その借り先は、新興大国アメリカだった。

 特に英仏の戦費借入は膨大であり、「ドイツから戦時賠償を取り立てねば、借金の返済は不可能だった」のだ。

 

 戦時賠償で半永久的にドイツの経済力を削ぎたいと考えていたフランスはともかく、イギリスは嫌々という訳ではないが、好き好んでという訳でもない。国内情勢的に已むに已まれず……おそらくそんな気分ではなかったのだろうか?

 この後、ドイツへの過酷と言ってよい賠償金請求を危険視したアメリカは、

 

 ・ドーズ案 → 支払い年額の(結果的な)削減

 ・ヤング案 → 戦時賠償の総額を減額

 ・フーヴァー=モラトリアム → 支払猶予期間を策定

 

 と立て続けに手を打ったが、英仏に対する戦費貸付の減額には一切応じようとしなかったあたり、マッチポンプとも言える。

 つまり、米国は一度たりとも「英仏への借款を減額するから、ドイツへの賠償額を引き下げろ」という交渉もしなければ、英仏より持ちかけられても拒否したのだ。

 

 それを横目で見ていたのが、ドイツであり若き日のヒトラーだった。

 ヒトラーは自ら、ナチス政権が「フランスへの賠償支払いを拒否」した事例をあげ、”ヒトラー内閣”の面々にプランを提示したのだ。

 

『戦時賠償など請求してみろ。我々がそうだったように憎悪を煽るだけだ。ならば、我々はアメリカ人を真似ようではないか。我々は戦後復興の名目で金を貸し付け、フランス人に貿易を含めた商活動を再開させ、稼がせたうえで返済と利子で儲ける。良いかね? 利子は良識的である必要は無いが、常識的な範疇でなければならない。フランス人に利子こそが戦時賠償の本丸だと気づかれてはならない。さすれば、彼らは半永久的にドイツに金を貢ぐ”金の卵を産むガチョウ”になるだろう。あの御伽噺はかろうじてはならぬ含蓄と教訓を含んでいる。殺してしまってはおしまいなのだ』

 

 それ以外にも、ヒトラーは宣伝相の”ヨアヒム・ゲッペルス”に、

 

『フランスの当時の政治家は、自分たちの復讐心を満たすために我々に数十年もドイツ人が貧困にあえぐ賠償額を課した。彼らは生きたままドイツ人を地獄へ落そうとした。我々は復讐の権利がある。同じ額をフランスに背負わせる権利がある。だが、我々は憎悪を抑え込もう。我々は理知を重んじる文明人なのだ。どこかで憎悪の連鎖は断ち切らねばならない……そのような内容を徹底的に流布したまえ。言葉を変え、表現を変え聴衆が飽きぬように何度も繰り返し、骨の髄まで染み込むようにしたまえ』

 

 という指示を飛ばしたのだ。

 

『”国民を見捨て、自分達だけ安全圏に逃亡した”かつての指導者を含む、”自由フランスを僭称する「背徳者」”たちが、”いかにドイツ人に対して非文化的な行いをしたか”を事細かに事実を列挙して説明した上で、”彼らがフランス人として相応しいのか?”を徹底的に説いたまえ』

 

 と付け加えて。

 

 

 

***

 

 

 

 一方オランダには、

 

『英国に亡命したオランダ王家と政治家が空中分解を起こしたそうだね?』

 

『はっ! ディーデリック・ヤン・デ・ギア首相はフランスの成功を見てオランダへと戻りドイツ体制下で国家を再開したいと考えていましたが、あくまでオランダ解放のための徹底抗戦を謳うヴィレミーナ女王の逆鱗に触れ、亡命政府首相を解任されました』

 

 そう報告する外相ノイラートにヒトラーはしばし考え、

 

『ハイドリヒ君』

 

『はっ』

 

 ヒトラーは、やはりこの場にいたハイドリヒに笑いかけ、

 

君の組織(NSR)の伝手を伝って、機会を見てデ・ギア首相(・・)を再びオランダに舞い戻らせ、いずれ生まれるオランダ共和国(・・・)の共和国”初代首相”に就任させることは可能かい?』

 

『Ja. 十分に可能です』

 

 淡々と答える腹心中の腹心、”国家保安情報部”長官レーヴェンハルト・ハイドリヒに、

 

『重畳重畳。これでオランダを”大管区(ガウ)”より再び独立国へ返り咲かせる道筋が見えた。何しろ他民族の直轄支配は手間がかかり過ぎるからな。オランダが親独的隣国であれば、それでよい。おっと忘れるところであったな』

 

 ヒトラーは思い出したように、

 

『自らを解任し放逐した女王に対する憎悪と憤怒の炎に油を絶やさぬようにしておいてくれたまえ。彼には、”自らが女王と崇めた女が、いかに自分勝手でヒステリックな女”なのかを”オランダの民衆に語りかけて”貰わねばならないのだからね』

 

 

 

 

 ドイツ総統、アウグスト・ヒトラーはこの弱肉強食を隠そうともしない世界で戦争指導者として生き抜くには、自分に軍事的才能が足りないことは心得ていた。

 だが、それを自覚する……自覚できるこの男の”政治的センス”は、決して侮るべきではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フランスは程なくパリが首都として復帰し、新制フランスとして再出発します。
オランダは、日英との停戦合意がなされたら、デ・ギア首相が帰国予定です。

ドイツは占領に金と労力をかけたくないので、「親独政権での各国の再出発」を奨励しているようですよ?(米英方式の改良型)

そして、国外脱出した前政権・旧政権、新たに生まれた亡命政権が「凱旋者や解放者として帰国しにくい環境」を作っているようです。

ここにも転生者の影……?

ご感想、お気に入り登録などお待ちしております。
よろしくお願いいたします。




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第47話 ユダヤ人政策と強制収容所……??

設定覚書を除くと、何かこのシリーズ最長のエピソードになってしまいました。

今回は、不吉と不穏漂うサブタイですが、その中身は……


 

 

 

「さて、英日との停戦は、一先ず向こうの反応を見るとして……」

 

 アウグスト・ヒトラーは小さく笑い、

 

「撤兵に関しては問題ないかい? ルントシュタット君」

 

 ヒトラー総統が話を振ったのは、OKW(国防軍最高司令部)総長”ゲルハルト・フォン・ルントシュタット”元帥であった。

 そう、この世界線におけるカイテルではなく、ルントシュタットであった。

 ちなみにカイテルは、事務能力の高さを買われて総統府付き筆頭秘書官を務めており、書類相手に日々汗水たらしているという。

 

「問題ありません。総統閣下の発案を実現させるべく、着々と進んでおります。詳細は、ヨードル作戦部長より説明させましょう」

 

 と話を振ったのはOKW作戦部長、詰まる所ドイツ軍全体の作戦を統括する”アルフォンス・ヨードル”だった。

 無論、発案者であるヒトラーが現状を知らぬわけがない。無論、名実共にドイツ軍の頂点に君臨するルントシュタットが状況を把握してないはずがない。

 これは、この場にいる物と情報共有するためのやり取りだ。

 それ以上に、なんとなくこのやり取りは、”様式美”という単語が思い浮かぶ。

 

 そして、その意味を誤解することなく受け取ったヨードルは、

 

「北アフリカ方面軍は”人材の入れ替え”を理由に、『現有の装備をイタリア北アフリカ軍に預ける』ことを条件にフランスに後退、地中海の渡航は無事に終わり現在、本国へ向かっております。到着次第、休養と再編を行う予定です。無論、代わりの部隊を送る予定はありません。ギリシャ方面軍は、被害甚大ゆえに戦力の立て直しを理由にブルガリアを抜け、ルーマニアにて再編を行っております。シチリア島の航空隊は、機種転換訓練と称して、航空機は現地に置き、人員のみを本国へ戻させています。イタリアには航空機の所管をイタリア空軍に移管する事により納得させました」

 

 スラスラと立て板の水の例え通りに説明する。

 

「重畳だな。それとトート君、ノイラート君。それとヴェーファー(・・・・・・)君。フィアット、マッキ、レジアーネの受け入れ態勢は万全かい?」

 

「順調であります。総統閣下」

 

 代表して答えたのは、この世界では”飛行機からの転落死”を免れたらしいOKL(Oberkommando der Luftwaffe=ドイツ空軍総司令部)長官にして「ウラル爆撃機計画」の発案者であり、ドイツが本格的な戦略空軍を持つ足がかりを作った”ヴェルナー・ヴェーファー”元帥(・・)だった。

 

「開発拠点、生産拠点共に整備が進んでおります。”例の場所”にて」

 

 するとヒトラーはうっすら笑い、

 

「そんな濁した言い方しなくてもよいよ。”強制収容所(・・・・・)”とはっきり言いたまえ」

 

 すると「強制収容所と呼ばれる施設の事情(真相)を知る者達」、つまりこの場に居ることを許された全員に失笑が浮かんだ。

 

「その……失礼なのは承知で言いますが、”あれらの都市(・・)”をあくまで強制収容所と言い張りますか?」

 

「”強制的にユダヤ人を移住”させて収容し、塀の外に出すことを許さず、働かねば給与が出ないので否応もなく労役するしかない。語義的には間違っていないさ。そうだろ? ハイドリヒ君」

 

 話を振られたハイドリヒは笑いをかみ殺しながら、

 

「ええ、全くです総統閣下。それにあれらの施設は地図には”○○ユダヤ人の強制収容所”として記載されています。工業都市(・・・・)だなんて『一言も書かれていない』。また、一般人が近づくことを許していませんし、中の収容者も外部へ出ることは許していない。例え内情はどうあれ(・・・・・・・)、まさに強制収容所と呼ぶにふさわしいでしょう」

 

 流石は後年、「人類史上最悪のペテン師」と呼ばれるようになるだけあり図太さが違った。

 

「まあ、総統閣下とハイドリヒ卿がそう言うのでしたら。ともかく、その強制収容所内で作業は進んでおります」

 

「結構だ。シャハト君、資金は足りているかね?」

 

 すると経済相、そしてある意味において『ヒトラーと同門』である”ミヒャエル・シャハト”は、

 

「深刻な問題は発生しておりません。閣下。しかし、私としても言いたいことはあるのですぞ?」

 

「なんだね? 言ってみるといい。ここはあくまで私の”私的な会議”だ。好きなように発言したまえ」

 

「ユダヤ人より没収した財産で、あのような……その”強制収容所”とやらを複数建設するのは、少々趣向が過ぎませぬかな? 露悪的というより、まるで”意図的に悪評を広めてる”ようにしか思えませぬ」

 

 だが、ヒトラーはややくすんだ笑みで、

 

「まさにその通りだよ。我々は悪名の元に政権を取ったのだ。覚えているかね? 先の大戦終結後、恥ずかしげもなく流布された”背後の一突き(・・・・・・)”を」

 

 ”背後の一突き”とは?

 別名”匕首伝説”とも呼ばれる、史実でもこの世界線でも、『ドイツ(プロイセン)は、戦場で負けてはいない。社会主義者やユダヤ人の裏切り(=背後からの一突き)により、内部から瓦解させられた』とする、保守派・右派によって盛んに広められた一種のデマゴーグだ。

 

 ただ、史実ではこれを肯定し、むしろ公的に広めたのがたのがかのパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領(当時は元帥)というのが笑えないのだ。

 他にも、第一次世界大戦でドイツ軍の実権を掌握していたエーリヒ・ルーデンドルフ陸軍大将などの有力者も「背後の一突きは事実だった」とコメントしている。

 

 また、レフ・トロツキーやローザ・ルクセンブルク、クルト・アイスナーなどの著名な社会主義者(あるいは共産主義者)が「ユダヤ人」だということも拍車をかけた。

 加えて、ナチスの歴史家アルフレート・ローゼンベルクは、自らの著書で「ドイツユダヤ人のシオニスト(=ユダヤ民族主義者)たちが、イギリスの勝利とバルフォア宣言(=パレスチナにユダヤ人国家の建国)実現のためにドイツの敗戦を策動した」と書き記している。

 

 また、ユダヤ人が裏側から世界征服を企んでると記す『シオン賢者の議定書』のドイツ語版が出回ったのもこの頃だ。

 

 

 

「無論、私はあんな敗戦責任の重さすら満足に受け止められぬ者共が囀る、”敗者の戯言”などに耳を貸すつもりはない。我々はただ敵対者より弱いから負けただけだ。陰謀? 策謀? それがどうした。たとえそれが事実だろうと、それを敵国に仕掛けるのは当たり前だ。我々(ドイツ)だって現在進行形で仕掛けている。トハチェフスキーが何が理由でどのような死に様をしたかは記憶に新しいだろう?」

 

 司会の隅で、ハイドリヒが口の端で小さな笑みを作った。

 これほど爽やかさのない笑顔というのも珍しい。

 

「後ろ暗い陰謀を、凌ぐこともできず跳ね返すことも出来ぬほど脆弱だったから、ドイツは負けたのだ。それだけのことだ」

 

 あの戦争を経験した者は……つまりこの場に居る全員が苦い顔をする。

 だが、ヒトラーは構わずに続ける。

 どうやらこの男、史実の同じ家名を持つ存在と異なり”背後の一突き”を信奉するわけではなく、正反対に唾棄すべきものと考えているようだ。

 

 

 誤解の無いように言うが、この場に居る誰もがヒトラーが第一次世界大戦の戦場にいた事を知っている。

 あの冷たく薄暗い死臭漂う世界に立ちながら、そう言い切れるだけの胆力がこの男にはあった。

 

 彼は伝令兵ではなかった。

 オーストリア生まれではあったが徴兵逃れの為にドイツのミュンヘンに移動したわけでは無く、この世界線では父親の事業の関係でミュンヘンに移り住んだのであり、故に最初から志願兵としてドイツ帝国陸軍(バイエルン軍)に入隊しているのだ。

 

 戦時中、彼はどんな運命のいたずらか末期に戦車乗りとなり、ドイツ最初の戦車”A7V”に座上し、砲手として57㎜砲を撃ちながら、最前線で鉄と硝煙と血の洗礼を受けたのだ。

 一級鉄十字章の受勲者であり、最終階級は伍長ではなく上級軍曹であった。

 戦車に乗ってる間、2ヵ月にも満たない戦車兵生活の中で通算3両の英国マークIV菱型戦車を擱座させており、その戦果が認められての昇進しての退役だった。

 

「だが、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を取るには、あの『ユダヤ人が悪い、共産主義者や社会主義者が諸悪の根源』という空気が必要だった。人は弱い生き物だ。苦境になれば、誰かのせいにせずにはいられない。それは否定できんし、我々を支持する国民の多くが今なお『ユダヤ人とアカの継続懲罰』を願っていることも知っている。そして、政治家はその主義主張を問わず、国民の願いを可能な範囲で叶える義務がある。それが権力者に権力が与えられる理由だ。治めるべき民の合意が無ければ、政治は成立しないものだ」

 

 そして、一度言葉を置き、

 

「しかし、知っての通り私は無駄というものを好まない。主義主張やら価値観やらに合意点を見出そうとせず、ただただわが愛すべきドイツを赤色に染め上げようとする輩を国境線の向こう側やこの世から追放するのは構わん。存分にやってくれ。だがな……」

 

 周囲を見回し、

 

「ドイツという国家に相容れないのではなく、”ただユダヤ人だから”という理由で抹殺するのは実に非合理だ。彼らを殺すために放たれる弾丸で、いったい何人の敵兵を殺せる? 彼らの遺体を焼却処分するガソリンで何台の戦車を動かせる? 殺すというのはそれだけで手間も暇も金もかかる。ならば、労働力として納税者として国力として自ら生きてもらう方がよっぽど手間が省けるし、国が潤う」

 

「だから、このような方策を?」

 

「うむ」

 

 ヒトラーは頷き、

 

「私はドイツの政治家だ。他国の目よりまず自国民を先に考えねばならぬ。国民が赤色勢力とユダヤ人の懲罰を望むんなら、”そう見える(・・・・・)”ように、国民が納得できるような姿勢を取らねばならぬのだよ。そして、人は自らの目に見えなければ、やがて都合よく”自分の世界からいなくなった”と錯覚(・・)する。我々が望むのは、真実にまみれた現実ではなく、国民が『そうであれ』と望む幻惑であり虚像なのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に多くの歴史家は語ることになる。

 アウグスト・ヒトラーこそが、人の弱さを最も知り、それをうまく利用した政治家だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ナチスを題材にして書く以上、避けては通れぬユダヤ人の話題ですが……この世界線、どうにも見かけと中身がだいぶ違いそうです。

アウグスト・ヒトラーに言わせれば、

ユダヤ人の陰謀(背後の一突き)とやらが事実だったとしても、それを阻止できなかった方が悪い」

という考え方ですし。

ご感想などよろしくお願いします。



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第48話 とある独裁者の胸の内

今回は、前話と対になるようなエピソードで、少し独裁者と目される男の内面を探ってゆきます。






 

 

 

 ”ヒトラーのユダヤ人政策”

 

 明らかに不穏と不吉を感じる響きだが、どうにもきな臭く手酷い裏表がありそうではある。

 

 「ユダヤ人を懲罰したい」と考える”背後の一突き”を信じる(信じたい)、敗戦と戦時賠償による貧困にあえぎ、憎悪の振り向け先を探していたドイツ民衆の多数派と、その渇望にも似た感情を誘導することで自分達の支持基盤としたナチ党……

 

 しかし、この世界線におけるドイツ総統”アウグスト・ヒトラー”は、それらは唾棄すべき感情だという本音を持ちながらも、為政者としての自覚はあるのでその国民感情や大衆心理を無視することも無碍にすることもできない。

 

”独裁は、支配者と被支配民の間に合意(・・)がなければ成立しない”

 

 その事をヒトラーはよく心得ていた。

 とどのつまり独裁者とて政治家の一ジャンルに過ぎず、その本質は”人気商売”なのである。

 無論、強権的に民衆を弾圧し、いわゆる恐怖政治を行い強引に独裁政治を敷くこともできるが……はっきり言えば、そのような政治は長続きしないし、国力も上がらない。

 恐怖により隷属させるそれは、国民を奴隷として使役するに等しいからだ。

 また、抑圧と恐怖が国民の許容量を限度を超えればどうなるかも、事例に事欠かない。民衆に見限られた……民衆が我慢の限界を超え、反旗を翻した後の独裁者の末路は悲惨だ。

 選挙という手段で国民に見限られた政治家は議席を終われるだけで済むが、独裁者は高確率で命を落とすのだから。

 

 そのような事例は歴史上、いくつも存在する。

 だからこそ、ヒトラーはナチ党の支持母体であり、そして自分を熱狂と共に独裁者として認知する多数派のドイツ国民を軽く扱えないのだ。

 つまり、「大衆が望むカリスマ」としての自分を体現し続けなければならない。

 

 

 

 しかし(ヒトラー)は生来、とても無駄を嫌う性分(タチ)なのだ。

 思想的に国家を認めぬという者を抹消するのは、構わない。

 心情的にドイツと敵対すると宣言あるいは行動する者を抹消するのは気にも留めない。

 政治的信条から、ドイツを赤色に染めようとするなら、他人の血でなく自分の血で地べたや壁を赤く染めてくれと鉛弾を放出するのも厭う気は無い。

 それらは無駄とは思わない。

 

 無政府主義者も社会主義者も共産主義者も、ドイツという国と相容れないと言うのなら、この世から消えるのは実に結構なことだとさえ思う。

 上記の者たちは後天的かつ能動的に自分の行動指針を、自ら意思決定し敵対を選んだのだから。

 

 だが、”人種・民族・国籍”という先天的かつ受動的な要素で人を選別するなど非合理の極みだとヒトラーは考えている。

 無論、民族性や国民性があることは彼も否定しない。

 それは先祖より社会や周辺環境や家庭環境が堆積し、沈殿してきたもので生成されることを知っているからだ。

 

 同時に彼はドイツ人、ドイツ国民とは何ぞや?

 と自問自答したとき、どれほど絞り込んでも……

 

 ・ドイツ国籍を持ち

 ・ドイツに定住し

 ・ドイツ語での会話と読み書きができ

 ・ドイツ人としての教育を受け

 ・ドイツ人としての社会通念と一般的な常識と価値観を持ち

 ・国民として労働と納税の義務を果たす者達

 

 ということになる。

 そこに人種だの民族だのに重きを置く気にはどうしてもなれない。

 そもそも人種という概念が、ヒトラーにとり酷く曖昧に思えてしまう。

 ナチ党が政権を取って以降、しきりに聞くアーリアン学説に基づく”アーリア人”などという概念だが、奇天烈に思えて仕方がない。

 例えば、アーリア人の身体的特徴とされる”高身長、金髪碧眼、白人”というものは、ただの北方人種の特徴である。

 それを聞くたびにヒトラーは、

 

『君の国の総統は、そのアーリア人としての身体的特徴を持ち合わせていないのだが?』

 

 と言ってやりたくなった。いや、実際に言ったこともある。主に政治的に排除したい相手にだが。

 目は碧眼の白人だが、身長は175㎝と高い方ではなく髪も黒だ。

 ヒトラーに言わせれば、通称”ニュルンベルク人種法”として知られる「帝国市民法」や「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」など民俗学的ヒステリーに思えて仕方がないのだ。

 最も全く評価してないわけではなく、むしろその前に存在した「職業官吏再建法暫定施行令における”アーリア条項”」に定められた”完全ユダヤ人”とやらの定義に比べれば、その枠組みが幾分緩和されている(完全ユダヤ人とされるユダヤ系ドイツ人が減少している)のが救いだった。

 

(国民の義務をわきまえ納税するユダヤ人と、脱税するアーリア人……どちらが国家にとって害悪なのか、子供でもわかりそうな物ではあるのだが)

 

 だが、その子供でも分かる理屈が通らないのが、今のドイツであることも理解していた。

 

(人は弱い)

 

 だからこそ、その身の不幸を、不遇を誰かに押し付けたくて仕方がない。

 だから、自分以外の誰かを諸悪の根源にしたくて仕方がない。

 自分が不幸だと思う人間は、自分以外が幸せそうなのが許せない。

 人間は本来、寛容な生き物ではない。狭量な生き物なのだ。

 寛容は豊かさの副産物であり、生きることに苦労がないからこそ持てる心境だ。

 貧すれば鈍し、鈍すれば窮し、窮すれば濫す。窮すれば通ずという諺もあるが、その時の通ず=道が開けるように浮かんだアイデアは、特に命にかかわる窮地であればあるほど血腥くなる事が多いのは、どの時代のどの国の犯罪史も教えてくれる。

 

 これが個人ではなく国家や民族単位の不遇になると、集団心理まで関わってくる。

 例えば、貧乏人の金持ちに対する妬ましさが凝り固まって起きるのが、そう”革命”だ。

 赤色革命の主役となったヴォリシェヴィキが元々はどういう集団で、彼らが目指したプロレタリアート独裁が何を目指し、誰が敵として定められたのかを紐解けば自ずと答えは見えてくるだろう。

 

 

(全く、面倒なことこの上ないな)

 

 だからこそ、ヒトラーはドイツ国民の希望を叶えるため……そして、無駄を省くために頭を捻った。

 そして、ヒトラーが二つの矛盾する問題を同時に解決するアイデアを書き留めた時、それを実行できる段階まで作戦として仕上げ、実行したのが他の誰でもないNSR、国家保安情報部を率いるレーヴェンハルト・ハイドリヒであった。

 

 

 

 アウグスト・ヒトラーは知っている。

 自分が万能の神などではないということを。

 ヒトラーは、知っている。天才であろうがなかろうが、個人の脳味噌で処理できる限界があるということを。

 

 彼はニーチェの「神は死んだ」という言葉やそれに密接に関係する「反ユダヤ者主義者に対する嫌悪感」は嫌いではないが、同時に彼の”超人”思想は理解の必要がない物と切り捨てていた。

 

 人はそこまで賢しく生きられる生物ではないと知っているが故に。

 

(人は一度死んだぐらいで正しく生きれるほど、知性のある生き物ではない……)

 

 自分も必ず間違いを犯す。

 何故なら、愚かしい人間の一人なのだから。

 

 だからこそ、彼は自分のアイデアを「最終的解決法」プランという形にハイドリヒがまとめてくれたように、周囲に他人がいる重要性を理解していた。

 

 

 

 アウグスト・ヒトラーは確かに独裁者という立ち位置に居る。

 だが、その中身はこの場の誰よりも独裁者らしくはない。

 

(私は”民に望まれた総統”という役回りを演じればいいのだよ……)

 

 だが、それは総統という責任から逃げるのと同義ではない。

 ある意味、ヒトラーの内面は複雑奇怪であり、そうであるが故にオカルティズムなどを信頼に値しないものと認識していた。

 本人に言わせれば、その様なものは己の身だけで食傷気味なのだろう。

 

 どこまでも現実世界で足搔く総統閣下……その歪な在り方が、この後どのような結果を導くのか?

 それは今は誰にも分らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これまでの情報で気づいていた方もいらっしゃると思いますが……

この世界線のヒトラー、党の公約や国民感情を考え「ナチ党の政策としての(少なくても見かけ上は)ユダヤ人の弾圧」は政治的必然として施行してますが、個人としては人種感とか民族感は割とニュートラルだったりします。
というか、あまり人種とか民族に重きを置かず、その「人間としての行動」を重視するという感じです。

究極的に言えば判断基準は、「ドイツにとって益になるか害になるか?」という感じですね。
ただ、その判断は冷徹・怜悧であり、やはり現代のリベラリズムに溢れた政治家とは違います。



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第49話 この世界線におけるヒトラー内閣の人事模様

今回は、そろそろ登場人物も多くなってきたため、それぞれの立ち位置やら役職やら評価やらをまとめてみたくなりまして、そんなエピソードです。


※このエピソードは、時折将軍が増えたりしますw








 

 

 

 アウグスト・ヒトラーは、どれほどの才があったとしても、人間が一人でできる限界を……いや、限界があることを知っている。

 だからこそ、史実のアドルフの方のヒトラーと圧倒的に異なるのが、いわゆる”ヒトラー内閣”の布陣だ。

 これまで、名が出てきた者達の立ち位置や役職だけ列挙して見ても、

 

 

 

ドイツ総統

アウグスト・ヒトラー

 

ドイツ副総督

ヒッター・ゲーリング

 

外相(外務大臣)

コンラート・フォン・ノイラート

 

国防相(国防大臣)

ファフナー・フォン・ブロンベルク

 

軍需相(軍需大臣)

フェルディナント・トート

 

経済相(経済大臣)

ミヒャエル・シャハト

 

宣伝相(宣伝大臣)

ヨアヒム・ゲッペルス

 

国防軍最高司令部(OKW)総長

ゲルハルト・フォン・ルントシュタット元帥

 

三軍統合情報部(アプヴェーア)長官

ヴォーダン・カナリス大将

 

ドイツ陸軍(OKH)総司令官

ヴィルヘルム・フォン・フリッチュ上級大将

 

ドイツ海軍(OKM)総司令官

ユーリヒ・レーダー元帥

 

ドイツ空軍(OKL)総司令官

ヴェルナー・ヴェーファー元帥

 

国家保安情報部(NSR)長官

レーヴェンハルト・ハイドリヒ(上級大将相当。公的には軍人ではないのであくまで階級相当)

 

陸軍機甲総監

ハーラルト・グデーリアン大将

 

空軍省技術総監

エーベルハルト・ミルヒ大将

 

東方侵攻作戦首席参謀

エルンスト・マンシュタイン中将(大将昇進予定)

 

NSR情報参謀将校

ヴァルタザール・シェレンベルク大佐(シュレンベルクは軍の参謀資格を持っている為、軍の階級がある)

 

ドイツ空軍戦闘機隊総監

アーデルハイト・ガーランド少将

 

DAK(元)軍団長

エドヴィン・ロンメル中将(大将昇進予定)

 

バルバロッサ作戦航空統括参謀

アーダベルト・ケッセルリンク大将

 

中央軍集団航空司令官

ローランド・フォン・グライム大将(パパ・グライム)

 

防空戦技統括官

ヨルゲン・カムフーバー中将

 

総統官邸付筆頭秘書官

ヴィンデル・カイテル

 

外交執務官(外務省。外交アドバイザー)

ウルバン・リッベントロップ

 

○○・ヒムラー → ”長いナイフの夜”で死亡

○○・パーペン → ”長いナイフの夜”で死亡

 

 

 

 まさに錚々たる面々だが、ドイツ軍人に詳しい諸兄なら直ぐに気づくのではないだろうか?

 つまり、

 

 ”ヒトラーは、イエスマンを重要な役職に就けない”

 

 のだ。

 顕著なのは、カイテルとリッベントロップの立ち位置だ。

 カイテルは事務能力の高さと忠誠心は認めてるが、それ以上の評価はしない。だから秘書官以上の地位には就けない。

 リッベンドロップは、自分に見限られることへの恐怖心による忠誠と海外へのコネや知識は評価しているが、傲慢と偏見はマイナス査定。外交担当ではあるが、その態度から相手国に不快感を与えやすいため、外交アドバイザーという肩書きはあるが今はほぼ国内で海外への手紙でのやり取りを担当していた。

 おそらく、リッベントロップの絶頂期は1936年にとある英国の大物政治家とヒトラーを引き合わせた事だろう。

 少なくとも彼はこの世界線でノイラートの後釜になることだけは無いはずだ。

 

 逆に、史実で”ブロンベルク罷免事件”で軍を追われたブロンベルクやフリッチュが権力の全盛期を維持しており、非常に信頼されているようだ。

 特にブロンベルクに関しては、中々に興味深いエピソードがある。

 史実のブロンベルクは非常に若い、親子ほども歳が違う嫁と再婚した。またそれに附随する様々な良からぬ噂が流れ、それをハイドリヒ達に利用されたというのがブロンベルク罷免事件のあらましだ。

 

 だが、この世界線では真反対のことが起きた。

 自然発生的に起きた歳の差婚による流言飛語を抑え込んだのが誰であろうヒトラー本人だったのだ。

 彼はブロンベルクを伴いとある高級軍人たちの集いにて、こう一席ぶったのだ。

 

『諸君らは、ブロンベルク君が若い嫁をもらったこと、それが転じて嫁の出自に興味があるようだが……なんの問題があるのかね?』

 

 そして独特の威厳がある空気をまといながら、

 

『人間は年齢には、時間には絶対に勝てん。どれほど抗おうと老いによる衰えは必ずいつか訪れる物だ。この私とて例外ではない

 

 そしてニヤリと笑い、

 

『だが、ブロンベルク君は老いを、衰退を否定し拒否し拒絶した。若い妻を娶るとはそういうことだ。精力絶倫大いに結構。それは精強さを美徳とするゲルマン人にとり、むしろ讃えられることではないのかね? 誇りたまえブロンベルク君。君は枯れゆく自分を享受せず、精神力と体力ねじ伏せたのだ。私は心より君の婚姻を祝福しよう』

 

 一種のテーマのすり替えであり強弁ではあるが……これ以降、ブロンベルクをスキャンダラスに語る者はいなくなったという。

 その後、ブロンベルクのヒトラーに対する忠義がどうなったかを語るまでもないだろう。

 蛇足ではあるがこのヒトラー、別に下ネタが嫌いという訳ではなさそうだ。

 

 

***

 

 

 

 また、史実のヒトラーが苦手としていた「ステレオタイプのプロイセン軍人」然としたルントシュタットは、「ドイツ軍人の完成形」、「戦争の生き字引」と絶賛しており、それが高じてOKW最高責任者に据えた。

 レーダーは「人望篤い冷静沈着な武人」、ヴェーファーは「戦略爆撃の有用性を説き、次世代の航空戦を模索する先駆者」とそれぞれ高い評価をしていた。

 特にヴェーファーが提案した”ウラル爆撃機計画”には、「先見性が良い」と極めて高評価であり、その推進を命令していた。

 これは割と現在のドイツ空軍(ルフトバッフェ)の在り方に影響を残しているのだ。

 例えば、戦略爆撃機に否定的な見解を崩さず、ドイツ空軍は戦術空軍であれば良いとしたウーデッド、イェションネク、ケッセルリンクは空軍省の中枢には入れないでいる。

 ただ、指揮能力は高いケッセルリンクは出世し航空艦隊を一つ任され、「思う存分、君の考える戦術空軍の神髄を披露するがよい」と東方侵攻に参加することになったが、ウーデッド、イェションネクは能力と精神の安定性が疑問視され、ウーデッドは既に退役し、イェションネクはあまり要職とは言えない地位にいるようだ。

 余談ながら、He 177”グライフ”は「急降下能力を持たない、通常のDB601エンジンを4基備えたウラル爆撃機計画の後継機」として開発されている。

 

 

 

 前出の外務大臣ノイラートは、「外交とは信頼関係の構築こそが肝要である。彼の温厚な紳士然とした振舞いは、その様な場面で最大の武器となる」とこれまた高評価。

 

 更にグーデリアンの機甲総監就任は当然としても、ゲーリングを副首相(副総督)に、空軍の技術総監にウーデッドではなく技術に明るいミルヒを据えるあたり、適材適所の妙も見せる。

 加えて、史実と異なりトートに全幅の信頼とそれに応じた大きな権限を与えていることも着目すべきだろう。

 いまだ登場していないが、おそらく”シュペーア”も何処かに居るはずだ。

 

 

 

 付け加えるのなら、ヒトラー主催の「私的会議」では階級より役職が重視される。基本的に階級にこだわらず自分の立ち位置で自由で活発な会議が求められる。

 また、閣僚(大臣)に階級が無いのは、「現役軍人の入閣は禁止されている」からだ。

 ヒトラーは、「ドイツは軍政国家では無い」ことや「ドイツ軍はシビリアンコントロールの元にある」、「ドイツは政治は常に軍隊の上位にある国家」という姿勢を内外にアピールすることに気を配っているようだ。

 

 断言できるが、この世界線のドイツは、単純に技術力や国力の高さだけでは語れない”強さ”がある。

 いや、厳密に言えば「史実より明らかに強化されている技術力や国力(ハードパワー)」を生み出した人的・文化的資源(ソフトパワー)が強いのかもしれない。

 

 その理由の一つは、史実のヒトラーとは正反対の人材を好むことであろう。

 「自分が言い負かせる素人」を好んだとされるアドルフに対し、アウグストは「プロフェッショナルな仕事人」を好むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は史実では既に退役したり(させられたり)死んでいたりする人材が、割とピンピンして要職に就いていたりしますw

この配置から、ヒトラーが側近に何を望んでるかが滲み出てればなーと。


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第50話 ヒトラーにおけるムッソリーニとイタリアという国の価値とは?

今回は、ドイツあるいはヒトラーから見たイタリアという国に対する認識みたいな話です。




 

 

 

 さて、ヒトラー内閣の人事を(全員ではないが)紹介し終えたところで、視点を再び会議に戻そう。

 いくつかの話題が終わり、何やらヒトラー総統とヴェーファー空軍司令官が面白い話題をしているようだ。

 

 

 

「それにしても、よくイタリア、いえムッソリーニがフィアット、マッキ、レジアーネの移転……失礼。開発・製造拠点をドイツに建設することを許しましたね?」

 

 ヴェーファーが聞けば、ヒトラーはどうということは無いという様子で、

 

「問題ないさ。北アフリカとギリシャに勝手に攻め込んだ落とし前をつけてもらっただけだ。そうだろう? ノイラート君」

 

 言葉を向けられたノイラートは苦笑気味に、

 

「私は恫喝外交の手本を見たような気がしましたよ。総統閣下」

 

 さて、これには補足が必要だろう。

 史実では、内心は「イタリアというよりムッソリーニの独断で行われたギリシャ侵攻」にヒトラーは腸が煮えくり返っていたが、その事後処理を話し合う会談では、表面上は労うような言動で会談に来たムッソリーニを迎えたという。

 もっとも、ムッソリーニはそれを「恩着せがましい」と評したようだ。

 

 だが、この世界線では様相が全く違った。

 独裁者らしく、独断でギリシャに攻め込み、あまつさえ惨敗したムッソリーニをヒトラーは「釈明を要求する」とベルリンに呼びつけた。

 だが、ムッソリーニは最初それに応じなかった。

 一度目の会談の先延ばしで、ヒトラーはシチリア島に展開するドイツ空軍部隊に「機種転換のための帰国命令」を出した。

 ドイツ人パイロット達はフランスへ機体ごと渡り、整備員たちも素早く帰国した。

 彼らの部隊は、1941年6月現在もシチリアには戻っていない。

 二度目の先延ばしの時は、駐独イタリア大使を総統官邸に呼びつけ「ドイツアフリカ軍団の派遣中止を検討している」と通達していた。

 

 ヒトラーは当然のように、「ムッソリーニがギリシャにおいてイタリア軍が明確な勝利をするまで自分との会談を避けている」のを知っていた。

 言い方を変えれば、ギリシャでの勝利を土産に、少しでも会談でマウントを取りたいと願ったのだろう。

 だが、そんな物に配慮する気は、ヒトラーには最初から無かった。

 むしろ、会談の先延ばしを口実にシチリアから撤兵させるなどの工作をしていたのだ。

 そんなことをおくびにも出さず、ヒトラーはイタリアの外交的非礼を激しく追及した。

 

 震え上がるイタリア大使を前に、「会談という名目の釈明に来なければどうなるかわかってるよな?」と圧力をかけた。

 その裏で、ルーマニアにギリシャ派兵用の戦力をイタリアに気が付かれぬように少しづつ集結させていたのだから、ヒトラーも強かであった。

 

 

 

***

 

 

 

 1941年1月、ようやくムッソリーニは冬のベルリンへと顔を出した。

 式典などは一切なく、まるで秘密会談のような雰囲気だったという。

 そして、首相官邸の自分の執務室(応接室や貴賓室、来賓室ではない)に案内されたムッソリーニに握手しながら開口一番、

 

『「私にはイタリアがギリシャを押さえたと新聞で知らしてやる」かね? 私を”本物の狂人”呼ばわりした君の娘婿、失礼。外相も良い度胸をしているが、ドゥーチェ(・・・・・)殿も中々愉快な発言をしてくれるな』

 

 といきなり言語的助走付き顔面グーパンをかました。

 ムッソリーニには、さぞかし顔を青ざめさせた事だろう。

 何しろそれはドイツにだんまりでギリシャ侵攻をする前に、自らが外相(同時に娘婿の)に語った言葉だからだ。

 言葉を失うムッソリーニに、

 

『北アフリカで調子に乗りエジプトに攻め込んで英国人の反撃にあいリビアに逆侵攻され、今度は事前に相談もなくギリシャに敗北。またしてもギリシャ人にアルバニアに逆侵攻を許す……ムッソリーニ殿は何度、ドイツ人に火消しをさせれば気が済むのかね?』

 

 不明瞭な言葉しか出てこなくなったムッソリーニに、

 

『同盟とは元来、対等なものだ。だが、現状は対等とはとても言えない。わかっているのかね? 北アフリカもギリシャもドイツには攻め込む理由のない土地だ。加えるなら、ギリシャは本来はドイツに友好的な国家の一つだった。それを台無しにしてくれた君は、一体何を償いとして用意してくれるんだい?』

 

 そう一気に畳みかけたのだった。

 ムッソリーニは反論などできるはずは無かった。

 

『本来は多大な賠償金を請求したいところだが、イタリアの財政は心得ている。だが、私も多くの忠勇なるドイツ兵を、ドイツが何ら国益を得られぬ死地に送らねばならぬ。その意味はわかるね?』

 

 頷くムッソリーニに、

 

『まず手始めに、君の国で新型機を開発している部門を治具を含め丸ごとのいくつかを我が国によこしたまえ。現在、我らはズデーテンなどに新興の工業都市(・・・・)を建設している。そこに誘致しようではないか。ああ、エンジンや武器の開発部門は残してあげよう。それは我らでも、いくらでも(・・・・・)都合がつく。ついでに90㎜53口径長高射砲の技術スタッフもいただこう。あれは随分と優秀な砲だと聞いている。是非とも我が国のアハトアハト(88㎜高射砲のこと)と性能比較をしてみたかったところだ。他にも要求はあるが、長くなるので後で書面にまとめさせる』

 

 そしてスッと目を細め、

 

『理解していると思うが、これでも随分と手加減はしているのだよ? 少なくともイタリアが支払えない物は要求していない。それとユーゴスラヴィアの内乱は放置したまえ。三度目は無いと思っていてくれると助かる。ギリシャとリビア、むしろそれだけでも手に余ってることは理解してるね?』

 

 ヒトラーは史実のイタリア降伏後にドイツが行った「回収」をまだイタリアが健在の内に行おうと言っているのだった。

 ついでに言えば、チトーに躍進の機会を与えるつもりもなかった。

 

『も、もし断ったら……?』

 

 するとヒトラーは笑顔とは本来、威嚇の表情だとする説を肯定する笑みで、

 

『独伊枢軸同盟を見直す時期が来たと考えるだけだ。後は北アフリカでもヴァルカン半島でも、君達だけで(・・・・・)気が済むまで戦争でもなんでも好きにしたまえ』

 

 そして、言い忘れたように、

 

「縁故人事も大概にしたまえ。無能者(チャーノ)を見ているとイタリアという国を捻り潰したくなってくる」

 

 

 

***

 

 

 

 重要なことを書き忘れていた。

 確かにこの世界線では、ナチ党はファシスト党を参考や規範にしている部分がある。

 だが、同時にヒトラーには「ムッソリーニの著書を胸に抱き、本人にサインを求めた」ようなエピソードは存在しない。

 はっきり言えばこの世界線のヒトラー、アウグスト・ヒトラーはムッソリーニという独裁者らしい独裁者に、好意やそれに類する感情を持ったことがない。 

 

 ヒトラーにとりムッソリーニは、「身内も含めて(無能さゆえに)これまでは使い道があったが、これからもそうとは限らない」程度の価値しか持たぬ政治家であり、イタリアは「都合が悪くなればいつでも切り捨てられる国」としか認識していなかった。

 何をどう言い繕おうと、それらは捨て駒に対する認識だったのだ。

 

 そして、”東方侵攻(バルバロッサ)作戦”を控えて、丁度良いタイミングでの敗北が、クレタ島攻略(メルクール)作戦だったという訳だ。

 あの手酷い敗北のおかげ(・・・)で、再編という名目にかこつけて、ギリシャからも北アフリカからも戦力の引き上げができた。

 

 日英と停戦が合意できれば、つまりは対ソ戦に集中できる環境が整えば、イタリアなぞ崩壊しようが消滅しようが大した問題ではない。

 例えばこれは、そういう話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実よりも扱いがアレなイタリアw

この世界線のヒトラーは、無駄にうるさい奴と無能者は嫌いっぽいので無理はない。

基本、ナチ党がファシスト党を規範としているのを認めていますが、彼個人として……みたいな感じです。



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第4章:外交の季節、到来!!
第51話 日英からのゲスト(転生者込み)


※なんか思ったよりも外交話が長引きそうなので、急遽このエピソードより新章と相成りました。
ご了承ください。


重苦しい感じの話が続いたので、今回は軽めのそれを。
とりあえず、ドイツ式(?)外交のスタートです。




 

 

 

 

 さて、件の「ヒトラーの私的報告会」より数日後……

 

 

 

「思えば遠くへ来たものだな……」

 

 ベルリンの目抜き通りにある首相官邸、それもよりによってここはフリードリヒ・ロココ様式の華やかでいかにも高そうな美術品や家具がセンス良く飾られた貴賓室である。

 ちょっと説明すると、総統官邸の外観は20世紀に入ってからドイツの特に公共的な建物で流行りの重厚な”新古典様式”であるが、内装……ヒトラーの私室や執務室などの普段使う部屋や私的な空間、あるいは貴賓室などゲストが使うスペースは、無憂(サンスーシ)宮もかくやの華やかなドイツ式ポストゴシック(フリードリヒ・ロココ)で彩られている。

 おそらくはアウグスト・ヒトラーの趣味だろう。

 

 ちなみにこの世界線には”退廃芸術”なる物は存在しない。

 確かにそれを目論でた(ヒトラーに言わせれば)愚か者もいたが、ヒトラーの

 

『芸術とは本来、猥雑で猥褻で俗物的で退廃的なものだ。結局は娯楽であり道楽なのだからな。そこに高尚も下賤もあるまい?』

 

 鶴の一声でぺしゃんこにされてしまった。

 実を言えばこのアウグスト・ヒトラー、アドルフと違って芸術面にさほど興味や拘りがあるわけでは無い。

 趣味で絵ぐらいは描くが、今となってはどちらかと言えば銀塩カメラ、愛用のコンタックスⅡ/ⅢやライカⅡ/Ⅲで写真を撮る方にはまっているようだ。

 この世界のヒトラー、結構新しい物好きである。

 少なくとも、直接的に反政府活動に結びつくような煽動的な代物でもない限り、ヒトラーは芸術分野にうるさく口出しをするつもりは無い様だ。

 むしろ、どういう意図かは分からないが、彼は占領地での文化財や美術品の収奪や破壊を厳しく禁じていた。

 

 

 

 ともかく、そんな某未来の鑑定番組に出店したら調度品一つでいくらかになるかわからない部屋に英国全権大使とともに招かれていたのは、日本皇国全権大使”来栖 任三郎”だったのだが……

 

(噓だと言ってよバーニ〇!!)

 

 と表情には出さないように心中で絶叫していた。

 うん。なんというか……この脳内絶叫からわかるように、実に分かりやすい転生者だった。

 

(ううっ……吉田先輩の阿保ぅ……これ、完全に貧乏クジじゃんかぁ……)

 

 来栖は皇国外相”野村 時三郎”に呼び出され直々に『君はドイツ語に堪能だったね?』と声をかけられ、

 

『吉田君(吉田滋)から強く推薦されてね。此度、ドイツへの特命全権大使』

 

 という鶴の一声でベルリン行きとなったのだった。

 勿論、彼も前世知識も使って出世した外務省のスーパーエリートの一人、その能力は高いし、現状の国際情勢もハイレベルで理解していた。

 だが、

 

(俺は一歩引いた位置から傍観していたかったんだけどなぁ~)

 

「まさか、自分が当事者になるとは思ってなかった」

 

「何か言いましたか? Mr.クルス」

 

「何でもないですよ。Sir.ウェブスター」

 

 と同じくチャーチルから特命全権大使を命じられた”チェスター・ウェブスター”に内心を悟られぬように和やかに返す来栖であった。

 

(ここまで来たら、覚悟決めるしかないよな……)

 

 事前情報は頭に何度も叩きこんだし、交渉材料も十分と言えるかどうか分からないが用意はしてある。

 相手の要求の大まかなとこはわかっているので、後は詳細はどう日英側に利があるように持っていくかだ。

 

 

 

 

 そして、程なく入室してきたのは大物コンラート・フォン・ノイラート……立派なドイツ外相である。

 彼は温厚な紳士然とした雰囲気で握手を交わし、

 

「やあ、初めまして。遅れてしまったかな? Von.ウェブスター、Herr.クルス。ここに来たということは、我々に良い返事を持って来てくれたと期待するよ」

 

「貴国にとって良い返事と言えるかは分かりませんが、前向きな返事だとは思っていますよ。Von.ノイラート」

 

 総じて和やかな空気の中でドイツ外相と日英全権大使の会談は始まったのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

「ほうほう。それでは、英日側は大筋において合意という事で受け取っても良いと?」

 

「原則として、そうなります」

 

 まずそう返したのはウェブスターの方だった。

 だが、英国人の返事だけでは満足しないと目線で訴えてきたノイラートに、

 

(そりゃまあ、特に外交に関しては舌を多重連装している英国人の言葉だけでは納得できない気持ちもわかるけどさ)

 

 溜息を突きたい気持ちにかられながら来栖は、

 

日英(我々)は、ドイツのソ連領侵攻作戦、秘匿名称”バルバロッサ”でしたっけ?を邪魔するつもりはないということです」

 

 その発言にウェブスターはギョッとした。ドイツがソ連領侵攻を考えている可能性は知らされていた(ドイツ側は停戦について話しただけで、日英に東方侵攻自体は伝えていない)が、その作戦名まではつかんでいなかった。

 スッと視線を鋭くしたノイラートの反応から考えて、どうやら正解だったらしい。

 

「……どこでそれを?」

 

「情報ソースを明かすはずはないでしょう? まあ、わが日本皇国の諜報員も縁側でお茶をすすっているわけでは無いということです」

 

(前世知識だなんて言えるわけないだろうが。いや、それにしてもノイラート外相の反応から考えて、名将自体は俺の知ってる歴史と同じか……内容まで一緒とは限らないか? ここは少し探りを入れてみるべきか?)

 

 いや、それはもはや外交官というよりスパイの仕事のような気もするが……

 

「最終目標はモスクワですか?」

 

「それをこの場で言う必要がありますかな?」

 

 来栖は首を横に振り、

 

「いえ、ありませんな。ただ、モスクワであれスターリングラード(・・・・・・・・・)であれ、あまり欲張ったり包囲戦にこだわったりしない方が良いかと思いましてね。ロシアの冬は厳しく、ウクライナなどは雪解けの時期は酷い泥濘になる。それこそ、戦車がスタックしてしまうほどに」

 

「Herr.クルス……貴殿がどういう意図でその発言をしたかは存じませんが、ご忠告として受け取っておきますよ」

 

「ええ、是非に。我が国にとっても敵国同士が潰し合っていただけるのなら、それに越したことは無い」

 

 いささか挑発的な発言だが、ノイラートは面白そうな顔で、

 

「それでよい。停戦合意がなされようと、我が国(ドイツ)と英日が敵国同士であるという現状に変化はない。それを思い違いしていないのは、いや実に良い」

 

「我々は、未だ緊張状態にありますので」

 

「我々も今は(・・)終戦を望んではいないのだからな。それに、」

 

 ノイラートは意味ありげに笑い、

 

誰にとっても(・・・・・・)その方が都合が良い。我々は未だ終戦するわけにも休戦するわけにもいかない」

 

 

 降伏という言葉が出てこないあたり、実にゲルマン(チュートン)的ではあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖任三郎は、きっと前世ではガ〇タだったのでしょうw
そして、何やら色々やらかして愉快な運命になるような気配がガガ……


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第52話 外交交渉(停戦交渉)のはじまりはじまり~

サブタイ通りに、日英独の外交狸共がジャブを繰り出す話です。





 

 

 

(ふむ……英国から来た外交官(ウェブスター)は、どうやらただ優秀なだけというようだな。秀才かもしれんが、それ以上でもそれ以下でもない。良くも悪くも英国人の範疇ではある)

 

 しかし、ドイツ外相ノイラートは来栖をわずかに見やり、

 

(だが、日本人(クルス)の方は面白い。単純な秀才ではないな……)

 

 少し思考を巡らせ、

 

(どういう訳か、どこがとは言えないが総統閣下やハイドリヒ卿と似た空気を感じる……)

 

 

 

(うわぁ……ノイラートのオッサン、こっち品定めしてる目で見てるよ……)

 

 内心、げんなりする来栖であった。

 ちなみに秀才ではなく転生者なだけなのだが。

 

(というか、ノイラートがピンピンしながら現役続けてるってことは、ヒットラーおじさんの中身は、やはり俺の知ってる独裁者とは別物ってことか)

 

 とこっちはこっちで転生者らしい思考を始める来栖であるが、

 

(リッベントロップあたりの方がよっぽど楽だったんだが、そうも言ってられんか)

 

 何しろ史実のこの時期の外相は、

 

(その持ち前の傲慢さと高慢さで行った先の国との外交関係を悪化させる事で評判だったからな。ヘイトを稼ぐタレントでもあったんじゃないかってぐらいドイツの評判を落とすデバフ持ちで、加えて本人がそれに気づかず、関係悪化した相手国を逆恨みするという)

 

 正直、そんなのが出てきたら「この話はなかったことに」って塩対応もできるが、基本的に歓待の空気を隠そうともしない穏健派のノイラートにそれをやるのは愚策だということも分かっていた。

 

(はてさて、どう話を持っていくのが正解なんだが……)

 

 優秀な先輩や同僚のおかげで、手札(外交カード)は十分にある。

 難しいのは切りどころだ。

 

(褌締めなおせよ来栖任三郎。外交ってのは鉄砲玉が飛ばないだけで戦争には変わりはない。しかもここは敵地(アウェイ)のど真ん中だ。転生者の本領発揮といこうじゃないか!)

 

 ……それ、アカン奴だ。

 

 

 

***

 

 

 

「先ずはこちら(ドイツ)から告げさせてもらおう。知っていると思うが、ドイツは既にシチリアとギリシアから撤兵させている。北アフリカからもロンメル将軍の部隊を引き上げさせているし、交代要員として入れた部隊も停戦合意がなれば、直ぐに撤兵させよう」

 

「……まるで、英日の生贄にイタリアを差し出すというようにも聞こえますが?」

 

 ノイラートの先制パンチに諧謔を混ぜたカウンターを合わせたのは英国外交官のウェブスターだ。

 

(いや、どちらかと言えばサンドバッグだろうな。英国の拳の振り降ろし先になる)

 

 来栖は内心そう思ったが、無論口には出さない。

 

「どうとらえようと結構だが、我々がイタリア人が主役となる”オペラの演目(せんじょう)”から身を引くのは間違いない。脇役で居るのもそろそろ飽きが出てきたのでね」

 

「ドーバー海峡の上では主役のようでしたが?」

 

 隙なくバトル・オブ・ブリテンを引き合いに出すウェブスターに、

 

「ふむ。力試しは個人であれ国であれ、自分の実力を推しはかるのに必要だと思うが?」

 

「我々英国としてはいい迷惑だったのは、ご理解いただけるでしょうか?」

 

 ノイラートはちらりと視線を来栖に向けると涼しい顔で、

 

「そちらとてメリットがなかったわけではあるまい? おかげで日英同盟の発動……本格的な日本皇国の欧州・中東方面への参戦(コミット)を促せたのだから」

 

 

 

「それを日本人である私の前で言いますか?」

 

(ここで俺に話を振るのは性格悪いぞコノヤロー)

 

「貴殿の前だから言うのだよ、Herr.クルス。ここで真意を隠しても不信感を煽るだけだ。君とて我々(ドイツ)を全面的に信用しているわけではあるまい?」

 

「それはそうですよ。特に国際関係の場合は土台となる文化風習も違えばそれに育てられた価値観も違う。信頼というのはある程度の相互理解が必要な以上、日独で早急に成すのは不可能ですよ、閣下」

 

 そして、来栖はちょっとだけ意趣返し(カウンター)を入れることを決めた。

 ジャブとはいえ、殴られっぱなしなのは癪に障る。

 

「例えば、ここに立っていたのがノイラート閣下(Von Neurath)ではなく、リッベントロップ外交官あたりであったら、日英(我々)はドイツに停戦の意思なしと判断したでしょうね」

 

 それは冗談では収まらない外交的音圧を持ってノイラートの耳に届き、

 

「……彼の無作法は、貴国(日本)にまで届いているのかね?」

 

 リッベントロップの行動に非常に思い当たるフシ(・・)があるのか露骨に顔をしかめるノイラートに来栖はにっこり微笑み、

 

「そりゃあもう。訪れた国の対ドイツ感情を悪化させる天才だと」

 

 うんうんと頷くウェブスターがやけに印象的だった。

 

 

 

***

 

 

 

(あの男、早めに切らねばならんか……)

 

 リッベントロップの他国へのコネは惜しいが、かといってドイツの立場を考えるとそう思ってしまうノイラート。

 幸い、リッベントロップはまだ立場が低い。やりようはいくらでもあった。

 

「まあ、我がドイツの人材についてはおいておこう。本題である停戦に向けての詰めの話し合いをしようではないかね?」

 

 ウェブスターと来栖は同時に頷き、

 

「では、僭越ながら私から……ドイツは、その存在の不安定さや所属の曖昧さで地中海における安全保障で大いに懸念材料となっている”メルス・エル・ケビールに停泊するヴィシー(・・・・)・フランス艦隊”に関してどのようにお考えでしょうか?」

 

 そう”メルセルケビール”を正しい発音で切り出したのはウェブスターだ。

 実は彼の発言には、これまでの英国ではありえなかった重大情報が含まれていた。

 

 そう、英国は公式な外交の場において、メルセルケビールに停泊するフランス艦隊(・・・・・・)を、「フランスに残るヴィシー政権に指揮権がある」と発言したのだ。

 つまる、あれらはカナダ(ブリティッシュ・ノース・アメリカ)のケベック州に押し込んだ、ド・ゴール率いる”自由フランス”なる組織(?)の物ではないと。

 そして、この発言の意図に気づかぬノイラートではない。

 だから、彼はこう切り返すのだ。

 

「我々には、メルセルケビールのヴィシー・フランス艦隊を”地中海より退去”させる用意がある」

 

 と……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何故か来栖は転生者特有の地雷を的確に踏み抜く気配がw

なんか第二次世界大戦の筈が、歴史が妙な方向ニ流れてゆきそうな予感が山盛りです。

それにしても、やはり応援してもらえると嬉しいものですねぇ~。
正直に言うと、今回で先行しているサイトに追いついてしまったので(というか次話はまだ執筆中)ので、これまでのような日刊投稿はできなくなるかもしれませんが、これからも宜しくお願いします。



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第53話 鍔迫り合い(ただし刀剣類は物理的に持っていない事とする)

外交の、あるいは政治の妙は「相手を信頼しない」ことではなく、「相手を信頼し過ぎない」事だと思っています。

なので、手探りするように……





 

 

 

「まず、トゥーロンにあるフランス主力艦隊は動かせん。彼らにも国民を守る義務と国防の責務があり、我々もフランス国防軍の再建には賛成であり、協力もしている」

 

 とドイツ外相ノイラートは、現状を切り出した。

 これは事実であり、ドイツはフランスを「おんぶにだっこ」とする気は無い。

 ぶっちゃけてしまえば、「親独国家として一日も早く国家再建」を望んでいるのだ。

 そのために何よりも先に重工業地帯の復興や再軍備に手を貸し、貿易再開の目途を立たせ、あまつさえ首都のパリまで返還準備までしているのだ。

 

「だが、現状のフランスは往時の大艦隊を維持する国力は無い。無論、広大な植民地だ」

 

 まあ、その余力を奪ったのは他でもないドイツなのだが、それはここで言っても無意味だ。

 いずれにせよ、今はフランス本土の戦後復興に金をつぎ込むべきで、植民地に垂れ流すのは頭の良い金の使い方ではないだろう。

 

「正直に言えば、我々ドイツは地中海の制海権を必要としていない。無論、北アフリカの権益もだ。なのでメルセルケビールに艦隊を置いておく必要はないのだよ」

 

「しかし、それでは仏領西アフリカやウバンギ・シャリ、赤道アフリカが空白化しませんか?」

 

 (一応は)敵国のことながら、思わず心配してそうな顔をするウェブスター特命全権大使。

 否。彼が心配しているのは自国のことだ。広大過ぎる植民地の処遇について頭を抱えるのは、何もフランスだけではない。

 

「そもそもそれらを維持するだけの力を今のフランスは持っていない。いや、元々持っていなかったと言うべきか?」

 

 すると小さくうなずいたのは来栖で、

 

「まあ、道理ですな。そもそも植民地というのは、安い労働力と豊富な資源という意味では魅力的ですが、統治コストがかかり過ぎる。これで待遇改善を求めて植民地人が叛乱なり独立運動なりを起こし始めたら、一気に治安維持のためのコストが跳ね上がり、とてもじゃないが採算が取れる物ではなくなる。元々、植民地経営はハイリスクな物なんですよ。それをするくらいなら……」

 

 来栖はウェブスターを見やり、

 

皇国(うち)が樺太、台湾島、海南島やったように公民化政策でさっさと自国民としてしまうか、英国のように連邦化(British Commonwealth of Nations)してしまった方がよっぽどコストがかからない」

 

 英国は史実と同じく1931年のウェストミンスター憲章で連邦(Commonwealth of Nations)の設立を宣言し、ドイツがポーランドに攻め込む4ヶ月前の1939年5月18日、史実より約10年前倒しのロンドン宣言で正式に発足した。

 現在、数字的には英国は56ヵ国で構成された連邦ということになっている。

 

「その通りだ。我が国(ドイツ)も生存権確保のために他国を侵略し、占領するが、その後は速やかな親独政権の発足を大前提とした戦後復興と再独立を画策している。さもなくば、本国への領土併合だ。植民地経営がリスキーなのを知っているからだ。そして、現在のフランスに植民地を維持管理する余力はない」

 

 何とも皮肉なものだが、この考え方は史実のソ連と衛星国の関係を連想させ、同時に”マーシャルプラン”的な色合いも兼ね備えていた。

 実際、ドイツが……いや、アウグスト・ヒトラーが考えていた”大ドイツ生存圏(レーベンスラウム)”とは、本質的にはそういうものである。

 ドイツという盟主の元で巨大経済圏と相互防衛機構を構築しようとしていたのだ。冷戦時代のECとNATOを想像してもらうとわかりやすいかもしれない。

 その根幹となる思想は、おそらく”反共(・・)”……おそらくは、”トルーマン・ドクトリン(Containment)”に近い物を目論んでいるのではないだろうか?

 まあ、目指すのは”パクス・アメリカーナ”ならぬ”パクス・ドイッチェラント”だろうが。

 ただし、この世界線では史実ほどメジャーではないが、ドイツの別名”第三帝国(Drittes Reich)”が示すところの”第一帝國(最初の帝國、始まりの帝國)”が神聖ローマ帝国であり、その規範が”パクス・ロマーナ”なのだからあながち間違いとまでは言い切れないだろう。

 日本人には理解しがたい感覚だが、欧州人へのローマへの憧憬と回帰願望は、かくも根強い物なのだ。

 

 もっともヒトラー当人にしてみれば、ローマやら神聖ローマやらへの郷愁やら哀愁じみた感情より、どちらかと言えば政治利用できるかどうかの方が興味深いのかもしれないのが如何ともしがたい。

 

 

 

「確認しますが、ドイツはアフリカやら”アジアやら(・・・・・)”の権益に興味がないと?」

 

 ウェブスターが切り込めば、

 

「手を伸ばしても届かぬ宝を望むのは、愚か者の所業だと思うのだが?」

 

 ノイラートはそう切り返す。

 この言葉に噓はない。

 ドイツが欲しいのは領土とその上の領空であり、領海というのは戦時には海から陸地に上陸しようと押し寄せてくる敵を抑え込み、平時には国際交易海路にアクセスできればそれでよいと考えていた。

 ”バルバロッサ作戦”ではサンクトペテルブルグもターゲットに入っていたが、それはどちらかと言えばソ連の西側の海の玄関口を閉めるという意味合いが強かった。

 

「てっきり、英国人(われわれ)に出来てドイツ人に出来ぬはずはないと言いだすのかと思ってましたが」

 

「お得意の”日の沈まぬ帝国”かね? 生憎と我らが総統閣下は世界なんて面倒なものを支配したいとも征服したいとも思ってはおらぬよ。ただただ、ドイツ人が安全に豊かに過ごせる場所(レーベンスラウム)があればそれでよい」

 

「欲のないことで」

 

 信頼を欠片もしてないそぶりでウェブスターは返すが、ノイラートは気にした様子もない。

 そして、来栖はと言えば……

 

「ところでノイラート閣下、メルセルケビールの仏艦隊を退去させるとしても何処に? やはり、トゥーロン、あるいはブレストかシェルブールに?」

 

 有名なフランスの軍港を上げる来栖にノイラートは首を横に振り、

 

「可能ならば、”コンスタンツァ(・・・・・・・)”にだな」

 

「はぁっ!? コンスタンツァってルーマニアのですか? 黒海に面した?」

 

 と驚いたフリ(・・)をする来栖であった。

 

(ヲイヲイ、マヂかよ……吉田先輩の読み、ドンピシャじゃん!)

 

 いや、どうやらフリではなく違う意味で驚いていたようだ。

 

「他にコンスタンツァがあるのかね?」

 

 如何にもチュートン人らしい言い回しに来栖は内心で呆れながら、

 

「ありませんけどね。ですが、どうやって黒海に持ち込むので? トルコは今大戦で中立を宣言していますし、モントルー条約を無視するのですか?」

 

 確かに地中海(正確にはエーゲ海)と黒海は繋がっているのだが、非常に狭い海峡それもマルマラ海というトルコの内海を挟んで二つも通り抜けなければならないのだ。

 一つはエーゲ海とマルマラ海を繋ぐ”ダーダネルス海峡”。

 もう一つはマルマラ海と黒海を繋ぐ”ボスポラス海峡”だ。

 

 どっちも狭く浅い海の難所なのだが、問題となるのは物理的な運航の難しさだけでなく”モントルー条約”という海峡の通航制限を定めた条約だった。

 実を言えば、この世界線におけるモントルー条約は我々の世界と多少異なり、詳細は省くが幾分規制が緩い物になっている。

 

 とはいえ、海峡の持ち主であるトルコだけではなく複数の国の思惑が絡み合い、特に軍艦の通航制限はそれなりにあった。

 「普通の方法」では戦艦4隻を抱えるメルセルケビール艦隊なんて通せるわけはないのだが……

 

我々(ドイツ)とて、今更トルコと戦争を望んでいるわけでは無い。無論、トルコに野心があるわけでもなく、軍を常駐させようとも考えていない。ただ、船を通すのを黙認してもらえれば良いのだが……」

 

 ちらりと来栖を見るノイラートに、

 

「……まさか、日本に何とかしろと?」

 

 視線がそれを肯定していた。

 

(確かにトルコは親日国家だけどさぁ……)

 

 かと言ってあそこは商人の国だ。無料(タダ)で何でもできるとは思わないで欲しい。

 

「……まず、お聞きしますが我が国(日本皇国)のメリットはなんです?」

 

 とりあえず、話ぐらいは聞いてみることにした。

 あまりにもバカげたことを言いだすようなら、この場で突っ返す所存ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、先ずはドイツの望みから。
ただ、同盟国でも友好国でもないのに願いを聞いてくれと言われて聞くバカはいない。
なので日本皇国には「国益と理由」を提示しなければならない……そんな感じです。

来栖任三郎に与えられた権限、持たされた手札(外交カード)は相応にありますが、果たして何をどう使ってこの場を切り抜けるのか……?




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第54話 政治交渉は、まず状況を整理し互いの妥協点を探り合うというプロセスが必要になります

来栖の割と「やらかし」回ですw





 

 

 

 さて、ベルリンの総統官邸に招かれた日本皇国特命全権大使、来栖任三郎はドイツ外相コンラート・フォン・ノイラートにとんでもない提案を受けていた。

 

『メルセルケビールの仏艦隊を、何とか黒海に放り込めないかね?(意訳)』

 

 立ちはだかるのはダーダネルス海峡とボスポラス海峡という海の難所に、モントルー条約という人の決めた理……果たして来栖任三郎はどう立ち向かうっ!?

 とその前に……

 

「……まず、お聞きしますが我が国(日本皇国)のメリットはなんです?」

 

 まあ、当然だった。

 同盟国なのは一緒に来ている外交官ウェブスターの母国であるイギリスで、間違っても公式にはまだ停戦に至ってない交戦中の敵国ドイツではない。

 ホント、よほどのメリットが無ければ聞く聞かない以前の問題……というか国際常識を激しく逸脱する発言だった。

 

(しかし、ノイラートはバカとは対極にある人物だ)

 

 頭の出来より性格に難があり、『敵味方問わず全ての民族は偉大なるアーリア人に傅くべき』とか言いだしそうなリッベントロップとは訳が違う……筈だ。

 

「最初のメリットは、君達にとって大いに懸念材料であり、同時に地中海の安定にとって不安材料でもあるメルセルケビールの仏艦隊を永久的に地中海より追放できるところだ。これは言うまでもないね?」

 

 来栖は静かに頷いた。

 「行きはよいよい帰りは恐い」の例えではないが、先に答えを言ってしまうが……実は日本皇国的には、一度だけなら無茶を通す方策がないわけでは無かった。

 だが、それでも一度きりの片道切符、メルセルケビール艦隊を一度黒海に入れたら、もう戻すことはできないだろう。

 「自由な軍艦の往来」などトルコという国が滅びでもしない限り許す筈もない。

 ぬっちゃけ、黒海とエーゲ海の軍艦を含む自由航行権を得るためにトルコを潰そうなんて考えそうなのは、今は粛清大好き某赤い軍事大国くらいしかいないだろう。

 

「さらなるメリットは、我々がメルセルケビール艦隊改めコンスタンツァ艦隊を国会の制海権確保、より直接的に言うならば対ソ戦に使うつもりだ。それはソ連と常時、いや地政学的に言って未来永劫敵対関係にある貴国にとって大きなメリットではないかね?」

 

 

 

(うわぁ~……このオッサン、ついにソ連に攻め込むこと隠さなくなったよ)

 

 少し背筋がゾクリとした来栖だったが、

 

「なるほど……確かにメリットではありますな。敵国同士が全力で潰し合うのですから、まさに申し分ない」

 

 と多少の皮肉をこめてから、

 

「ということは、当面の目標はトビリシ。最終的にはコーカサスの油田確保ですか……」

 

 脳内に地図を浮かべながら腕を組む。

 

「ということはウクライナ攻略、特にクリミア半島を抑えるのは必須。ロストフ・ナ・ドヌーからクラスノダールにかけて重層防衛線を構築。あそこは気候も温暖で、土地柄から関しても防衛線の構築に風土的問題点は少ないだろう。おそらくバクー油田は焦土作戦が行われるだろうが、ロシア人も石油が無ければ困るのは同じ。ギリギリまで粘るはずだ。それとも偽装突出でスターリングラードを狙うようにみせかけるか? 戦力を北部に誘引してトビリシを確保、空挺で奇襲すればあるいは……」

 

 何やら半分トリップしたようにブツブツ言い始める来栖だったが、

 

「来栖卿! それ以上はいけない! 外交官の本分に反するっ!!」

 

 政治的危険領域の発言に慌てて止めるウェブスターは外交官の鏡。

 来栖はハッとなって、

 

「申し訳ありません、閣下。つい興が乗ってしまって」

 

 するとノイラートはニッコリ微笑み、

 

「頭がよいというのも考えもののようだね?」

 

 その表情は好意的な物だった。ただし、裏がないとは言ってない。

 

「ところでクルス卿、君は参謀の経験でもあるのかね? 随分とはっきりと戦場が見えていたようだが」

 

「ハハ……マサカ。ソンナワケナイジャナイデスカ?」

 

(い、言えねぇーーっ! 前世で戦略系ゲームが大好物だったとか)

 

 そして、軍人としてやってく才覚と体力に自信がなかったから、外交官になったとか。

 来栖はコホンと咳ばらいをしてから、

 

我々(日英)のメリットというのは、メルセルケビール艦隊がいなくなることだけですか?」

 

 先ほども記した通り……ドイツから相応の対価の提示があるまで明かすつもりはないが、日本皇国には多くは使えない手だがドイツの見立て通り仏艦隊を黒海に送り込める「奥の手」があった。

 

「当然、それだけではないさ。ここからは正式に停戦交渉が成立し、また最低でもメルセルケビールの仏艦隊が黒海に入れた後の話になるが……」

 

「無論、報酬は別途用意するさ。停戦合意報酬として英国には蘭領ボルネオ/スマトラ島/ジャワの蘭領東インド西部の島を、日本皇国には黒海の謝礼も残る蘭領東インド東部の島々に加え、仏領インドシナを加えそれぞれ割譲しようではないか」

 

 何というか……ゲルマン式ドヤ顔というかキメ顔というか、とにかくそんな表情のノイラートに、

 

 

 

(うわぁ……提示された対価、これもほぼ吉田先輩(吉田滋)の想定通りだよ。ホント、あの人ってナニモンなんだ? 俺の知ってる歴史とかとは流れ全然違うし、単純に転生者とかってだけじゃ説明つかんぞ)

 

 予想から少し外れてるとすれば、インドシナ半島は想定していたが、蘭領東インドの半分が回って来るとは思ってなかったが。

 

(正直、このご時世に国土が増えるなんて傍迷惑なんだが……)

 

 日清・日露・第一次世界大戦と1世紀も経たずに経て続いた戦争で手に入れた国土の開発は、まだまだ終わってないのが日本皇国の偽らざる現状なのだ。

 本音を言えば、”戦争ごとき”に貴重な国費や時間を費やしたくないのである。

 というか、中国本土にあった遼東と山東という二つの半島すらも、本質的には”手が回らない。ハイリスクすぎる。統治に金がかかり過ぎる”という理由で、第一次世界大戦後に売却(・・)しているのだ。

 そんな現状なのに新領土など有難迷惑以外何物でもない。

 来栖は内心そう思うが、想定されていたということは切るべき手札も用意されているということであり、

 

「あー、そのノイラート閣下。申し上げにくいのですが、先にウェブスター大使に『ドイツがアフリカだけでなくアジアの権益にも興味が無い』と肯定している以上、それは言うなれば不良債権の押しつけと捉えられても仕方ないのでは?」

 

 しかし、ノイラートは狸オヤジを隠そうともしない笑みで、

 

「だが、君たちは受けざる得ない。違うかね?」

 

 来栖の代わり今度はウェブスターが、

 

「何故、そのようなお考えに?」

 

「英日共に、何の政治的勝利もなしにドイツの停戦に応じたとなれば、”安易な妥協”国内の反発は必須。これが英日共通の前提だ。古今東西主義主張民族人種を問わず、戦時下の国民は勝利に飢えているものだ」

 

(まあ、間違ってはいないか……)

 

 と来栖は納得すると、

 

「そして、海上交通網や通商路、資源採掘などもあれら東南アジア一帯の権益に深くコミットしている君達にとって、仏領/蘭領の治安悪化は見過ごせないのでは?」

 

「「ぐっ……」」

 

 殴り返せないド正論に言葉を詰まらせる日英外交官にノイラートは畳みかけるように、

 

我々(ドイツ)はロシア人との戦争に注力できて幸せ。英日はイタリア人を殴れるうえにアジアに新領土を手に入れられて幸せ。独英日誰も損をしない我ながら素晴らしい提案だと思うのだがね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんか、来栖がノイラートにロックオンされた予感w

何やらややこしい事になってきそうですが……次回もよろしくお願いいたします。


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第55話 亡命政府の取扱と認識についての共通見解の構築

基本、亡命政府あるいは亡命政権は、「国民を本国に置き去りにした結果生まれたんだよね?」って話です。




 

 

 

我々(ドイツ)はロシア人との戦争に注力できて幸せ。英日はイタリア人を殴れるうえにアジアに新領土を手に入れられて幸せ。独英日誰も損をしない我ながら素晴らしい提案だと思うのだがね?」

 

 割ととんでもないことを言いだすノイラートに、来栖任三郎は内心でちょっと……いや、かなりドン引きしながら、

 

ドイツ(そちら)の言い分は分かったのですが、はいそうですかと簡単に済む話ではないかと思われますが? 例えば、旧宗旨国との兼ね合いとか」

 

宗旨国(仏蘭)に対する根回しは済んでいるが?」

 

(絶対、占領国の国土解放、いや再独立とドイツ主催の大型国際経済圏への優先参加権とかをエサにして引き出したろ?)

 

「いえ、貴国の占領下にある国々ではなく、例えばそう。亡命政権とか……」

 

 するとノイラートは不思議で仕方ないという顔をしながら、

 

「何故、我々が国民の大多数を見捨てて逃亡し、国家運営の責務も国家主権も放棄した者どもに気を遣わねばならんのかね?」

 

 またしても正論であった。そして、それを言い切れるだけの根拠や自信があったのだ。

 

「例えば、だ。今は英国の、いやブリティッシュ・ノース・アメリカのケベック州に逃げ込んでいるド・ゴールなる一介の軍人が今のフランスに戻ってきたところで、君達(英日)が大好きな選挙をやったところで勝てると思うかね? 国民を見捨て、塗炭の苦しみを味合わせるのをわかっていながら自分達だけ安全圏へ逃げ出した者どもを」

 

 ノイラートは、『もっとも我々はフランス人を虐げるような政策(マネ)はしてないがね。むしろ、一日も早い戦後復興を成し遂げるために協力している』と付け加えるのを忘れてはいなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 実は史実と大幅に違うのが、この占領地政策だった。

 フランス人が不当な弾圧と感じれば、自然発生的に抵抗運動(パルチザン)が発生し、市民も心情的にそちらに味方するために必然的に治安コスト、統治コストが跳ね上がる。

 つまり、ヒトラーが嫌う無駄が派生する。

 

 しかしながら、もしフランス国民が「感覚的に敗戦前と大差ない生活」を送れると感じたらどうなるだろうか?

 言い方を変えれば、「明日の食事を心配しないで済む生活をドイツが保障したら」だ。

 つまり、「敗戦はそれとして」と思える生活だ。

 

 その途端、政治的信条的にドイツとは相容れない”少数派”の市民はさておき、どの国でも市民の”多数派”はより安定的な生活を求める。

 そして、その担保となっているドイツを攻撃するというのは、「その平穏な生活を破壊する行為」になってしまうのだ。

 つまり、やることは同じなのに占領への抵抗運動から”テロリスト(・・・・・)”への華麗なる転身だ。

 

 しかもである。

 ここで抜群の才覚を見せたのがゲッペルス宣伝相だ。

 事実、この世界線でもパルチザンやレジスタンスによる破壊活動は少なからず起きた。

 だが、ゲッペルスは「ドイツ人の犠牲者」ではなく、「巻き込まれた(・・・・・・)フランス人の犠牲者」を殊更クローズアップして新聞やラジオで広げたのだ。

 上手いのは、彼の繰り出す報道に”誇張はあっても噓はない”事だった。

 そして、こう訴えるのだ。

 

『彼らは、自由フランスを僭称する諸君らを見捨ててフランスより逃げ出した亡命政権、その首魁であるド・ゴールやド・ゴールと徒党を組む社会主義者や共産主義者の指示で動き、同じフランス人を無法なテロ行為で傷つけている』

 

 ※これは暗に「ド・ゴールが共産主義者」と断言する、多重ネガティブキャンペーンだった。

 

『フランスの治安は、フランス人の手で取り戻さねばならないのだ。だからこそ、我々(ドイツ)はフランスの軍や警察の再建に最大限に力を貸しているのだ』

 

『それは、諸君らの選んだ国主、ペタン首相の国民を守りたいという強い意志と不断の努力の賜物である』

 

 と。

 ドイツ人は、前にも書いたがフランス人に「目に見える形で」戦時賠償を求めたりしない。ただ、戦後復興資金を貸し付け、フランスには利子を含めて返済義務があるだけだ。

 それも法外な利率ではなく、フランスの新聞に掲載されているように、「多国間貸付では標準的な利率」なのだ。

 

 加えて現在ドイツ軍はフランス北部を占領下に治め、フランスの臨時首都はヴィシーにある(ヴィシー・フランス)が、パリをはじめとする占領下にある部分でさえ、「傲慢な占領軍」として振舞うことを固く禁じられている。

 むしろ、「進駐軍としての振舞う」ことを要求され、それをできる人間が厳選されているのだ。

 

 更にダメ押しとして、逃亡に失敗しドイツ軍に捉えられたダラディエ前々首相やレノー前首相の「錯乱しているとしか思えない発言」が肉声として録音され、連日ラジオの公共放送や新聞で晒されていた。

 

「それにほどなく、パリを含む現在占領下にあるフランス北部もフランスに返還される。それは全てペタン首相の功績となる筈だ。それに比べれば、”現状では負債にしかなっていない”インドシナが手からこぼれ落ちるなど、どれほどの事だと言うのだね?」

 

 

 

(うわぁ、絶対ドイツ、”インドシナ半島は無価値、むしろ現状ではマイナス”って方向でフランスを情報誘導してるなー。いや、独立問題とか考えたら不採算事業の切り捨てってのも間違いじゃないけどさ)

 

 そして少し考え、

 

(オランダは主権回復と、再独立……そういえば、デ・ギア首相の解任を契機に、オランダ本土で大規模な女王糾弾キャンペーンやってたっけ。こりゃ、オランダ王室もどうなるかわからんぞ……”オランダ共和国(・・・)”の誕生も視野に入れておくべきか?)

 

「中々、難しいことをおっしゃる。フランスはともかく、オランダは王族な上にまだロンドンにいるのですが?」

 

 ウェブスターの物言いに、ノイラートは表情を変えず、

 

「王女をブリティッシュ・ノース・アメリカに送ったそうじゃないか? 女王もそうしたまえ。デ・ギア首相は帰国予定なのだろう?」

 

 無論、これらの情報は一般には明かされていないが……

 

「ええ。停戦合意成立と同時にその予定です」

 

 女王に解任された親独のレッテルが貼られたオランダ首相をいつまでも英国に置いておく意味はなく、ましてや排除(暗殺)など論外だった

 引き取り手が居るのなら、おまけに外交カードに使えるのならまだまだ利用価値はあるというものだ。

 

「民から支持を失った王族ほど悲惨なものはないよ? 我々(ドイツ)はそれを第一次大戦で体験した」

 

「つまり、ノイラート閣下はデ・ギア首相のオランダ本国復帰と主権回復をエサに東インドを切り取ると?」

 

「何か問題あるかね?」

 

 ウェブスターは降りかかるであろう苦難と利益を天秤にかけ、

 

「無いとは言いませんが、まあ看過できる範疇ではありますか」

 

 結果として「本国の支持を失った亡命政府などどうとでもなる」という結論に至った。

 良くも悪くも、彼はどこまでも英国人なのである。

 

 

 

 

 戦争は政治の一形態に過ぎず、また外交は実弾が飛ばない戦争である。

 そのことを表す一幕であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツの占領地政策が、史実よりえげつない件についてw

特に報道関係のプロパガンダが。



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第56話 ヴァリャーグ=遼寧方式

今回も来栖が割とやらかしたりしますw





 

 

 

「オランダとフランスの現政府(・・・)と亡命政府に関する共通見解(コンセンサス)ができたのは幸いですが……」

 

 日本皇国全権大使来栖任三郎はそう切り出しながら、

 

「結果から先に言えば、メルセルケビールの仏艦隊を、トルコの了承を得てダーダネルス海峡とボスポラス海峡を通し、黒海に入れること自体は可能です」

 

「ほう……本当かね?」

 

 少し半信半疑な様子のドイツ外相だったが来栖ははっきりと頷き、

 

「ただし、これには相応の手間暇と、何より資金がかかります。それでよろしいか?」

 

「構わん。言いたまえ」

 

「それでは……まず、メルセルケビール艦隊をスクラップにします」

 

「なぬっ!?」

 

 

 

「ご安心ください。本当に浮かぶことも進むこともできない屑鉄の塊にするのではなく、”そう見えるように加工する”だけです。ただし、最低でも書類上はかならず『自立航行できるのがやっとの、廃船一歩手前で資源の再利用くらいしかできない船』にしておいてください。また、実際の船でもハリボテを山済みするような偽装でも構わないので、一目で”即時戦闘不可能”と判断できる状態にするのが肝要です」

 

 来栖は少し考えてから

 

「まず最初は”フランス政府が経済的理由で艦隊維持が不可能になり、売却する”というのはどうでしょうか? そして、それを我が国(日本皇国)の商社がスクラップとして購入する」

 

(つまり、前世でウクライナが空母のヴァリャーグを中国に売り渡し、”遼寧”として就役した方式(パターン)と同じだ)

 

 意外と知られていないが中華空母の”遼寧”は、元々は中国が建造した物ではなくウクライナがソ連時代から保有していた未完成の空母”ヴァリャーグ”をスクラップとして売却した物を改装した空母だった。

 無論、ウクライナはヴァリャーグが修理すれば空母として再使用できることを承知の上で中国に売却していた。

 その為、この時のトルコ政府はモントルー条約を盾に軍艦の通行に関して難色を示したが、結局は日和って海峡の通行を認めた。

 

 来栖はその出来事を決して忘れてなかった。

 当然である。彼は前世で中国の軍拡に苦労させられたクチ(・・)だし、仕事柄日本人の多くが知ろうとはしてなかった「ゼレンスキー大統領以前の、歴代ロシアの紐付き大統領が治めていた時代のウクライナ」もよく覚えていたのだ。

 事実を述べるが、ウクライナは欧州有数の反日国家だった時代もあるのだ。

 

「トルコには、事前に根回ししておけば『日本の商社が買い付けたスクラップとして通す分には』問題ないでしょう。ああ、ついでに中立国(・・・)のフランスから色々買い付けた日本の商船も同行させましょう」

 

(これぞ、”護送船団方式”だな)

 

 と来栖は内心で苦笑しながら、

 

「これなら、”危険度が高い海域故に護衛戦隊を付ける”という大義名分が立ちます。黒海へ向かうのがスクラップ船(・・・・・・)と非武装の商船である以上、自衛戦闘はできませんからね。そして、モントルー条約で通航制限がある軍艦を入れなければ良い」

 

 蛇足ながらモントルー条約における軍艦の制限を列記しておくと、

 ・非黒海沿岸国の排水量15,000トンを超える大きさの軍艦の通行が禁止

 ・黒海沿岸国に関しては、排水量が10,000トンを超えているか、8インチ(20.3cm)以上の口径の艦砲を搭載する軍艦を主力艦と定義し、随伴艦は2隻までに限られるが排水量15,000トンを超える主力艦の通航を認める。

 というものだ。

 

「つまり、皇国の重巡洋艦までなら問題なく通過できるという訳です。仮に黒海西岸を進む船団(・・)に無作法に手を出して来るのは国籍不明(ソヴィエト)の潜水艦くらいでしょうから、十分でしょう」

 

 日本皇国の巡洋艦や駆逐艦は、史実と異なり「船団護衛を重視し、対水上艦戦闘より対潜戦闘に重きを置く船」が多いことを追記しておく。

 

(まあ、軍艦をスクラップとして通す以上、多少はトルコに鼻薬をかがせる必要があるだろうけどね)

 

 おそらくそれは時節柄、軍事面……武器(皇国製兵器)の供与と教導部隊の派遣あたりに落ち着くのではないかと来栖は踏んでいた。

 トルコは現状で中立を表明しているため、国防への意識が高まっている。

 そもそも、モントルー条約が制定されたのも30年代に各国の動きがきな臭くなってきたからだ。

 一見するとトルコだけに利益があるように見えるモントルー条約だが、実は各国の思惑が深く重く絡み合ってる条約でもある。

 

「加えて、最終的な買い手(エンドユーザー)と資金源はドイツになるにしても、とりあえずの買い手は行き先のコンスタンツァがあるルーマニアとしとくべきでしょう。海軍力の乏しいルーマニアなら”参考と資材調達の為フランスのスクラップ船を買う”という大義名分が成り立つ」

 

 別に来栖は独断で喋っているわけでは無い。

 実はこのパターンは、吉田滋を中心とする日英外交担当者がロンドンで結成された「対独停戦タスクチーム」が想定していたシナリオの一つだった。

 だからこそ、本来ならより上層でしか決済できないような案件を提示できるのだった。

 

 

 

***

 

 

 

「無論、これらのオペレーションを行うには日英とドイツの停戦合意が大前提。付け加えると加えて、艦隊を整備する人材や実際に運用する人材についても、アイデアがあります」

 

「聞こうではないか」

 

「現在のメルセルケビールにいるスタッフに一時的に退役してもらい、フランス外人部隊ならぬ、”フランス海軍軍人を外人部隊として雇う”というのはいかがでしょうか?」

 

「なに……?」

 

「今のドイツ海軍に人的余力は無いでしょうから、ある所から持ってくるしかない……そうではないですか?」

 

 するとノイラートはおかしそうに笑い出し、

 

「なるほど。確かに妙案だな。少なくとも船だけ黒海に入れて自分達で使おうとしたドイツ人には思いつかぬ発想だ」

 

「できるならばドイツ軍が直接的雇うのではなく、ドイツ海軍にペーパーカンパニーでも構わないので外郭団体の軍事企業を設立し、ワンクッションおいた方がフランス人としても精神的抵抗感が少ないでしょうな」

 

 

 

 どうやら来栖の頭脳と舌は絶好調のようである。

 しかし、それがどういう結果をもたらすのか……それは、来栖自身がわかってなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、黒海にメルセルケビール艦隊を入れる道筋は見えてきたわけですが……来栖君の絶好調は続くかな?w




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第57話 輪廻転生と負の感情

今回は、ちょっとだけファンタジーっぽいです。





 

 

 

「なるほど。Herr.クルス、君から提案は実に魅力的なのだが……一つ確認したいことがある」

 

「なんでしょうか?」

 

 ドイツ外相ノイラートは、少し困惑したように続ける。

 

「なぜ、我々(ドイツ)にそこまで肩入れを? 同盟国でも友好国でもなく、むしろ建前上は現状、敵対国なのだが?」

 

「残念ながらたいして面白い理由はないですよ? 何度か申し上げてる通り敵国同士が潰し合ってくれる。我が盟友、英国には悪いですが、我々にとりソ連は”より敵国(・・・・)”なのです。比喩でもなんでもなく、ソ連なんて国は地上から永遠に消えて欲しいんですよ」

 

「ほう。そのこころは?」

 

 来栖の熱量に興味をそそられたようなノイラートに、

 

「共産主義者に社会主義者……総じて”アカ(・・)”は我々にとって、決して和解することのない不俱戴天の敵なのですよ」

 

(これは、未来を……戦後日本を知る転生者としての矜持であり、譲れない一線だ)

 

 彼らによってどれほど国が内部から食い荒らされたか、国辱を味わされたか、歪曲された歴史を強要されたか……

 多かれ少なかれ、「推定:転生者」にはそのような無念や口惜しさがあるのだと来栖は思っていた。

 

(おそらく、”敗戦国の惨めさ”こそが転生の原動力なんじゃないかな……)

 

 来栖がおそらくは転生者だと思っている者は、そんな鬱屈とした憤怒のような感情を抱えているように思う。

 少なくとも、”前世の敗戦国日本”を肯定した者は転生してないと思う。

 

(きっと俺達は、成仏できなかった魂のなれの果てだ……)

 

 輪廻転生とは本来なら忘却を伴うものだ。

 だが、自分がそうであるあるように転生した自覚のある者は、少なからず前世の記憶を……後悔などの負の感情とともに引き継いでいるように思えてならない。

 

「我々皇国人にとって、天皇陛下を国主として崇め奉る我々にとって、どうして皇帝殺しの赤色勢力と手を結べるというのでしょう?」

 

(俺達が成仏できない魂だとしたら、現世は地獄……いや”修羅道”なのかもしれないな)

 

 だが、それがどうしたというのだ。

 

(やることは前世と大差ないし、闘争が絶えないのも前世と同じ。環境なんて大して変りもないじゃないか)

 

 ”生きるも地獄、死ぬも地獄”とは誰の言葉だったか?

 

(生きるも死ぬも地獄なら、楽しんだモン勝ちだっつーの)

 

 

 

「どうやら方向性は違うようだが、我々(ドイツ)と日本はアカに対する憎悪は似たり寄ったりのようだな?」

 

 ちょっと面白くなさそうなウェブスター英大使はさておき、

 

(なんせ、前世は第二次世界大戦の同盟国だったしな。だからといって今生で安易に手を取り合える相手ではないが)

 

「誤解のないように改めて言っておきたいのですが、現状において日本はドイツと和睦する気も和平を結ぶ気もない。むしろ、そういう話は英独でやってほしいというのが本音です。我々は必要であれば、いつでも銃口を向け合う関係なのですから」

 

(ただし米ソ、テメーらはダメだ)

 

「しかし、ソ連は英国とは関係なく敵国です。歴史的にも、文化的にも、思想的にも決して相容れることはない。それだけの話です」

 

「なるほど。理解はした。ソ連の衰退は、日本の利益にもなる。だからこそ協力すると……総統閣下にもそう伝えよう」

 

「感謝を」

 

「なに、それはこちらもだ。ウェブスター卿もそれでよろしいか?」

 

 ウェブスターは憮然とした様子で、

 

「詳細はこの後詰めるとして……停戦は大筋においてよろしいかと。ただし、仏艦隊の黒海投入は日本皇国に一任。多少のバックアップはしますが、基本的に英国はその件に関しては関知しません」

 

 とはいえ、口でそう言っておきながら、裏でコソコソ暗躍するのが英国というものだ。

 そのあたりのことは、来栖も日本も心配はしていない。

 英国は自国の利益のためには容赦も加減も手抜きもない国なのだ。

 

「では、停戦という合意に至ったところで詳細を詰めておきましょう。ドイツが東や北へ(・・)向かうなら、その間の我々(日英)の行動指針も決めないといけませんでしょうし」

 

「それに関しては同意ですな」

 

 来栖の言葉にウェブスターは頷く。

 

「イタリアを攻めるのだろう? あれでも我が国(ドイツ)の同盟国だ。大義名分は立つ」

 

「そうなりますね。先ずはリビア……北アフリカの平定でしょうか?」

 

「そうなるでしょうね。メルセルケビールの艦隊が無くなる以上、北アフリカの安定化は必須なので」

 

 もっとも来栖もウェブスターも今ここで考え結論を出したわけでは無い。

 ノイラートを観客とした寸劇のようなものだ。

 この程度の腹芸ができなくば、外交官なんてできたもんじゃない。

 

「では、ドイツの方針もある程度は話しておこう。ある程度、予想はついているようだが本国への土産話は必要だろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、日英とドイツの停戦は秘密裏に締結された。

 無論、来栖が念押ししていたようにこれは和平や和睦に繋がる訳ではなく、むしろそのような交渉が行われる気配すらない。

 

 ”そういう時期”ではないことは、両者ともわきまえていたのだ。

 

 理由はそれだけではない。

 そのような交渉を行わないことは、米ソ(・・)にこちらの意図を感づかせない為でもあった。

 停戦合意は、直ちに発表されるわけでは無い。

 

 少なくとも、発表は”バルバロッサ作戦”発動と同時かその後となるだろう。

 まあ、それはともかくとして……

 

 

 

「どうしてこうなったぁーーーーーーっ!?」

 

 ”1941年6月22日”、ベルリン、快晴。

 今日も来栖任三郎は元気であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




某幼女な少佐じゃなくてオッサンの絶叫とか誰得なんだかw

まあ、来栖はベルリンに残留のようですよ?
ええ。勿論公的な身分のままで。




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第5章:発動! バルバロッサ作戦!!
第58話 皆様、つよつよなドイツ軍は好きですか?


今回から、新章に突入です。




 

 

 

 1941年6月22日、それはドイツとソヴィエト連邦という二つの国家にとってあまりにも多忙な日だった。

 

 それはそうだろう。

 北アフリカ、シチリア、ギリシャから引き上げた部隊を再編。それらを機甲予備とした軍団を含む、南方・北方・中央の三方向から総勢300万のドイツ軍が東進……ソ連領へと攻め入ったのだ。

 

 世にいう”バルバロッサ作戦”の発動である。

 

 

 

「これは良い。実に良い。大変結構だ」

 

 そう上機嫌だったのは、”ドイツ中央集団”司令官、”ヘルムート・ホト”上級大将だった。

 史実においてもロンメルやグーデリアンに並び称される「偉大な戦術家」として知られる彼は、その才覚を存分に発揮できるだけの機会を与えられた事に歓喜していた。

 

 先ずは大前提である制空権の確保だ。

 ”バトル・オブ・ブリテン”をスルーし、バルバロッサ作戦がデビュー戦となったFw190A”ヴェルガー”が大暴れしていた。

 デビューを遅らせた分、熟成度は上がり、例えばエンジンは史実と同じBMW801なのだが、その出力は史実のD型と遜色ない1700馬力級の出力を平然と絞り出している上、GM-1亜酸化窒素型強制冷却装置を早くも標準搭載し、短時間なら2000馬力を叩き出す。

 量産性に優れた頑強な機体は相変わらずで、最新鋭のMG-151/20㎜機関砲を左右主翼に4門+機首にMG131/13㎜機銃を2丁装備するという重装備。

 おまけに、戦闘爆撃機(ヤーボ)として使う場合も秀逸で、ペイロードは胴体下500kg+左右主翼下250kgずつの最大1,000kgを懸架可能となっていた。

 

 要するに初期のFw190だというのに、A7~A9並の性能と実力があったのだ。

 ついでに最初から装甲強化も機体構造強化も盛り込んであるので、F型の特製まで兼ね備えている、まさに万能機、もっとも初期のマルチロール・ファイターとも言える。

 ちなみにヤーボとして使う場合の対地攻撃メインウエポンは”空対地ロケット弾(・・・・・)”……もう、明らかに「シュトゥルモヴィークをよく知ってる技術者」が設計に関わっているとしか思えなかった。

 

 ちなみに、この時のソ連の航空機は有名どころの戦闘機だとYak-1もしくは辛うじてYak-7、LaGG-3、MiG-3とかだ。

 元祖シュトゥルモヴィークのIl-2襲撃機なども出現していたが、いずれも敵ではなかった。

 この時代のソ連戦闘機は操縦性と航続距離に難があり、また運動性は正直低かった。

 Il-2は頑強なのと武装やペイロードは良いのだが、いかんせん速度と運動性が悪すぎたのだ。

 加えて、いくらIl-2が航空機の割には重装甲と言ってもドイツ自慢の薄殻榴弾(Minengeschoss)を発射速度の速いMG151、それも4門から雨あられと浴びせられたらどうにもできなかった。

 しかもFw190は1門あたり200発以上、搭載しているのだ。

 

 

 加えて、これにクレタ島の戦いにも出てきた史実より幾分改良/強化されたBf(Me)109Fが、対戦闘機特化機として制空権を掌握すべく戦場の上空を飛び回っているのだ。

 この機体も中々に凶悪で、こちらもGM-1亜酸化窒素型強制冷却装置を取り付けたDB601E型エンジンを搭載し、モーターカノンとしてMG-151/20㎜機関砲を1門、機首にMG131/13㎜機銃を2丁を搭載。

 前に少しだけ触れたが、この世界線のBf109は、設計段階から空軍省(実はさらに上のヒトラー)から直々の命令で、降着脚をトレッドが広くとれる内側格納式に、胴体下にドロップタンクを懸架できるように設計を改められている。

 このF型は、まさにBf109系列の主力戦闘機としてのトリ(・・)を飾るに相応しいバランスの良い軽戦闘機と言えよう。

 

 無論、毎度お馴染みのJu87(スツーカ)も最新鋭のD型(史実のG型相当性能。ただし、37㎜砲は非搭載でMG151である)が元気に飛び回ってタンクバスターをやっていた。

 

 だが、航空兵力もさることながらホトを喜ばせたのは、地上兵力……実は砲兵科だった。

 かの有名なⅢ号突撃砲(41年式は75㎜43口径長砲のF型仕様)はもちろんだが、短砲身75㎜を搭載した装輪装甲車タイプや10.5㎝級を搭載した高威力自走砲などが十分に揃っていたのだ。

 無論、牽引式の機動砲も十分な数が用意され、攻勢の短時間の効力射も、対砲兵用のカウンターバッテリーも思いのままだ。

 

 そして、史実より大規模に揃えた装備がある。

 そう、”地対地ロケット弾(・・・・・)”だ。言ってしまえば、ドイツ版の”カチューシャ・ロケット・システム”だ。

 

 元々、史実のカチューシャ・ロケット(M-8、M-13)の元ネタは、ドイツが30年代に開発した”ネーベルヴェルファー”だ。

 本来はロケット式毒ガス投射器として開発されたそうだが、特徴としては15㎝以上の大型のものが多かった。

 

 この世界線のドイツは、史実よりも注力しているようで史実のネーベルヴェルファーをより通常弾頭寄りに収斂させ、車載式や牽引式の投射器を揃えた。

 これに加えて、より使い勝手が良い88㎜(ソ連で言うM-8級)の多連装型をトラックなどの車両に搭載したモデルを大量生産していたのだ。

 

 また、ロケット弾つながりで言うならクレタ島で鹵獲された個人携行型対戦車ロケットランチャー”パンツァー・シュレック”も歩兵部隊に初期量産型が配備され、猛威を振るっているようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 とにかくこの世界線のドイツは、「一に火力、二に火力、三四が無くて五に火力」とでも言うように火力で押し徹る戦術を金科玉条としているようだ。

 それを可能としているのも史実よりもずっと多い火砲やロケット弾もだが、当然のように戦車も強力だった。

 

 そう、以前にドイツ首脳陣の話題に出てきた「75㎜43口径長砲(7.5cm KwK40 L/43)を搭載したIV号戦車」が前線で主力を張っているのだ。

 史実の独ソ戦に詳しい方には言うまでもないだろうが、この意味はあまりにも大きい。

 何しろ41年型のT-34より火力・防御力・機動力全てで圧倒はしてないがドイツ戦車が上回っているのだ。

 

 つまり、”T-34ショックが発生しない(・・・・・)”のである。

 ちょっと想像してほしいのだが、「T-34やKV-1が出てくるたびに、ドイツ戦車の主砲では破壊できずアハトアハトの高射砲にお出まし願う」という史実の東部戦線にありがちな光景から、「戦車同士の撃ち合いで十分勝機がある。むしろT-34ならアウトレンジで余裕。KV-1とも正面から殴り合える(ただし、小回りの利かない相手に正面から殴り合う必要はない。側面突くの楽すぎ)」という状況に変わっているのだ。

 更にこの戦いには早いレートのローテーションで、北アフリカの日本皇国軍、一式戦車や一式改と戦い生還した歴戦の猛者たちが混じっていたのだ。

 彼らは言う。

 

『直線スピードは日本人の戦車よりあるが、小回りはきかず、砲力と防御力はさほどでもない。正直、短砲身のIV号で日本人の戦車と戦うことに比べれば大分マシ。何よりアウトレンジで撃破できるのが良いな』

 

 である。とりあえず、史実の日本戦車ではありえない評価なのは間違いない。

 大体わかったと思うが、アフリカ帰りの者達は既に「T-34ショックならぬ一式ショック」を経験済みだった。

 そして、繰り返しになるが短いサイクルのローテーションで可能な限り多くの装甲将兵達に「凶悪な火力と防御力を持つ戦車との戦闘」を経験させることに成功していた。

 日本人を劣等人種と蔑み、履帯で踏みつぶせば勝てると甘く考えていた者は、真っ先に死んだ。

 愚か者の末路をその目にして気を引き締めなおした者や、最初からナメてかからなかった者は相応に生き残り、ドイツ本国へ帰艦し、再びその経験を糧に欧州の戦場で今度は優位な状況で存分に戦っているのだ。

 

 これを言うとトブルクに立てこもる日本皇国陸軍の将官に怒られそうだが……日本人は、「強敵との実戦経験を積むには理想的な演習相手」だった。

 彼らは守勢メインでドイツがちょっかいかけない限り滅多に攻勢的作戦は取らず、攻め込んでも撤退時に追撃はしてくるが、決して深追いはしてこない。

 つまり、手ごわいのは間違いないが日本人の追撃圏外まで出れば生存率は跳ね上がるのだ。

 

 

 

 更に多少とはいえ戦車の個体性能に優位があるのに加えて、ソ連は例の大粛清の影響で練度が全体的に低い。

 操縦技能に始まり、部隊としての運用や戦術も拙い。

 はっきり言えば、地獄の北アフリカ戦線を生き延びてきたドイツ戦遮蔽に言わせれば、ソ連軍と対峙するどの戦場も”草刈り場”のようなものだろう。

 

 いや、それはドイツ空軍のパイロット達も同じかもしれない。

 ぶっちゃけ、機体の性能差もパイロットの技量差も地上より空中の方が大きいのだから。

 

 付け加えると、ソ連は史実と同じく41年では未だにレーダーを実用化できてないし、無線機の数も少ない。

 ある意味、電子装備の遅れはお家芸なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 とにもかくにもドイツは、ポーランドの東側を超えてバルト三国をベラルーシをウクライナの赤色勢力を蹂躙し始めた。

 兵力数は史実と大差ないかもしれないが、その火力は明らかに高い。

 それは着実に戦果として数字に計上されてゆく。

 

 そう、バルバロッサ作戦はまだ始まったばかりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実はいくつかのエピソードの伏線回収回だったりしてw

とにかく、何やら史実より苦戦してる印象ですが「実はドイツ軍は強いんです」を書きたかっただけなんです。

サブタイにも入れましたが……皆様、つよつよなドイツ軍はお好きですか?



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第59話 His Story

バルバロッサ作戦が発動したばかりですが、今回は少し本筋を離れて、少しばかり”この世界”の根幹に関わる話です。

なので、ちょいファンタジー要素入ってます。


 

 

 

 さて、せっかくの”ソ連領侵攻(バルバロッサ)作戦”の開始だが、この先を語るうえで今のうちに少し伝えた方が良い話がある。

 

 そう、この”世界線”と”転生者”にまつわる話だ。

 

 

 

 まず、最初に断言する。

 この世界は、”とある神の娯楽(・・)”として作られた世界であり歴史だ。

 

 作り方は簡単。とある世界の”地球”を太陽系ごと素粒子物理学的な意味でコピーして、自分の管理する「何の変哲もない宇宙のどうということのない銀河系」にペーストしただけだ。

 目的はゲーム盤ではなく。映像作品としての”観賞用(・・・)”。

 実はこの違いはかなり大きい。

 

 例えば、ゲーム盤として使用するなら、この神は世界に積極的に干渉する。

 転生者を基準にするなら、まずデータとして他世界から引っ張り込む段階で干渉し、神の存在を認識させ、特典を与えたりもする。

 つまり、自立的に「神の用意した設定どおりに動く駒」として誘導する。

 こう考えたことは無いだろうか?

 ”転生チートとは、神が用意した生き方を決める(かせ)”だと。

 例えば、武力チートや伝説の武器をもって転生したのに、農夫で生涯を終える転生者は何人いるだろうか?

 与えられた力なら、例え借り物であろうと仮初だろうと使ってみたくなるのが人間というものだ。

 

 そして、好みの駒を好みの世界に入れ、好みのストーリーやイベントをこなす為に時には神として啓蒙や啓示を与えてクリアさせる。

 無論、敵役も用意すべきだろう。

 ファンタジー物なら魔王軍、SF物なら宇宙人といった具合に。

 この程度のこと、神……”30次元以上の存在”なら造作もない。

 

 

 

***

 

 

 

 では、”観賞用”とは何が目的なのだろうか?

 神が望むのは、”人間たちが自由意志(かってに)で織りなすドラマ”だ。

 ただ、そうであるからこそ同じ内容のドラマでは飽きる。

 

 この神は、既に我々の世界は観賞(観測)済みだった。

 神には有も無もない。過去も未来もない。森羅万象その者だ。

 彼が興味を持ち、面白味を感じた地球に生まれた受肉型不完全知性体”ホモサピエンス”。

 

 彼らの発現から滅亡までを視聴した神は、別の可能性(ストーリー)を見たくなったのだった。

 ”History(ヒストリー)”とは即ち”His Story”、つまり”()の物語”とはよくぞ言ったものである。

 ただし、「()自身の物語」ではなく、「神が見たい物語」の意味であろうが。

 

 

 だから、気軽にホモサピエンスが誕生し文明を形成する頃の太陽系ごと丸コピーして自分の管理宇宙にあるこれといった知的生命体のいない銀河系にペーストした。

 正確には、彼らの太陽系と宇宙の年齢には誤差が生じているが、それに人間が気づくことは無いだろう。

 

 ただ、神のコピーは素粒子レベルで完璧なので、このままではさしたる世界線の変動は起きないだろう。

 変動幅が小さければ、大筋に文明や国家(エピソード)は吸収され、似たり寄ったりの物語になる可能性が高い。

 

 だが、あまりにも手を加えすぎて別物になっても面白味にかける。

 神の凄いところは、傲慢という価値観が存在しないことだ。

 正しく森羅万象にして全知全能、この宇宙にある理の全てである神に不可能はない。

 だから「できることをやる」だけだ。

 傲慢とは、「それができない者が、できてしまう者に向ける感情」なのだから。

 だから、神はこう考える。

 

『そうだ。バランス調整をしよう』

 

 コピー元になった地球には、時代ごと地域ごとに勝ったホモサピエンスの集団がいた。負けたホモサピエンス集団がいた。

 それに良いも悪いもない。

 だが、結果が変わればまた別の物語が生まれるはずだ。

 だが、手を加えすぎるのも好みではない。

 

 そこで”可変要素(・・・・)”として入れたのが「コピー元の記憶、あるいはよく似た歴史を辿った平行世界(・・・・)の記憶」の”継承者(サクセサー)”。

 それが、”転生者(サクセサー)”の正体だ。

 

 選抜基準となったのは魂と呼べるものを量子化した状態の「無念の量と質」。

 同じ失敗を繰り返す者より、失敗を経験として糧となる者の方が好ましい。

 破滅願望の持ち主は基本的に却下。

 神はなるべく長く視聴を希望していた。

 

 

 だが、何者かがあまりに一方的でも面白味にかける。

 ならば、転生者でバランス調整を行おう。

 最初は少しずつ。

 試行錯誤でさじ加減を覚えて。それはそれで面白味を感じる。

 セーブやリセットなどいくらでもできるが、それを乱発してはゲーム盤と変わらなくなってしまう。

 

 そして、今は面白い”配合”が出来たと満足している。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、そろそろ本題に入ろう。

 ドイツ軍や日本皇国の装備が史実より進歩し、より堅実になっている理由。

 そして、ソヴィエトやおそらくアメリカが、少なくても1941年時点で史実と大差ない理由。

 皆さんは気にならないだろうか?

 

 ドイツの中央集団が用いていたIV号戦車がG型準拠で部分部分が強化されている理由。対してソ連が投入したT-34やKV-1が1939~新しくても史実の1941年6月現在にしか存在しないモデルだった理由。

 

 

 

 これは即ち、単純に”転生者の質と量、そして配置”に起因する。

 

 まず、”勝ち過ぎた”側から……

 現状の転生者密度は1000万人に1人以下。

 アメリカ合衆国の転生者は、ほぼ全員が「公民権運動以後に生まれ、黒人大統領を知る非白人」だ。

 ソヴィエト連邦の転生者は、全員が「スターリニズムも共産主義も否定された後、ペレストロイカ以降に生まれたロシア人」だ。

 彼らが”現在の祖国”でどういう立場にいるか想像してほしい。

 アメリカは、KKKが凋落したとはいえまだ「人種隔離」が平然と合法とされていた時代だ。

 ソヴィエトでは、「民主化=非革命的行為」の時代だ。

 転生者たちの運命は決して明るい物ではない。

 ここで、某幼女が主役の戦記物のセリフをもじるなら、

 

”共産主義者は、転生者などという怪しげな物を信用することは無い”

 

 だ。

 

 

 

***

 

 

 

 対して日独はどうか?

 転生者密度は、1941年現在でおおよそ”100万人に1人”以上。

 つまり、どんなに少なく見積もっても100人以上の転生者が居る計算になる。

 

 英国は?

 戦勝国ではあっても、結果としては……50年代以降の衰退を考えると、「日独ほどの密度ではないが、米ソほど低くはない」という調整が行なわれていた。

 要するに史実と(良くも悪くも)異なるか同じかの差は、転生者の利点を生かせたかそうでないかという部分に帰結する。

 無論、神にとっては「どちらでもよい」。

 生かせたらそういうドラマが起こるし、生かせないならそういうドラマが起きるだけだ。

 悲劇や喜劇などは、所詮は当事者の……人間の価値観に過ぎないのだから。

 

 

 

 このような結果なら、別に米ソに転生者は不要とも言えなくもないが……だが、彼らは全滅した訳でもなければ、上手く時代の荒波の中で血筋を残した者もいる。

 その子孫たちが不確定要素となる場合もあるだろう。

 例えそれがどれほど小さな可能性でも、希望(チャンス)は残るべきなのだ。

  

 そして、転生者という存在を生み出す時も、「前世の記憶を持って生まれた」後も、神は会うことも無ければ存在を示さない。

 彼ら彼女らが「自分の信じる神に感謝を捧げようが、祈ろうが、呪おうが」勝手だが、自分には関係ない。

 結局、祝福も恩恵も恩寵も啓示も神託も、あるいは神罰すら与えないのだから。

 神は干渉せず、ただ転生者とそうでない大多数のホモサピエンスが紡ぎ織りなす物語(ドラマ)を眺めるだけだ。

 

 ”GOD'S IN HIS HEAVEN.ALL'S RIGHT WITH THE WORLD”

 

 とは実にいい得て妙だ。

 神は人の手が届かぬ天上におり、眺める下界は”何があろうと”彼にとっては問題などあるはずないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ドイツ側の兵器が時代の先を進み、ソ連が史実通りの戦車や航空機だった理由は、「何者かのバランス調整」の結果だったという事です。

ただこの神(?)、転生の時に姿は現さない、前世(と言ってよいのか?)の記憶を継承させる以外は特典も与えない、転生後も手を貸さないという、少なくてもこの世界線では「干渉せずに鑑賞に徹する」というスタイルです。



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第60話 総統府付特務大使ってなんだよっ!?

来栖ェ……





 

 

 

 私、古畑……じゃなかった。来栖任三郎。

 今、OKW(国防軍最高司令部)、ドイツ版大本営の食堂にいるの。

 

(って、なんでだよっ!!?)

 

 いや、ホントになんでだよっ!?

 いや、解ってはいるんだ。

 外務省にドイツに売り飛ば(ドナドナ)されたってことも、吉田滋っていう葉巻臭い腐れ外交古狸が何もかも悪いんだってことくらい。

 いや、でもさ……

 

「ふむ。クルス卿……君は、”サンクトペテルブルグ”攻略をどう考えるかね?」

 

 と軽い感じで話しかけてきたのは、なんとドイツ海軍総司令官ユーリヒ・レーダー元帥だ。

 いや、まずなんで俺は普通に元帥(しかもドイツの)にランチに誘われているんだろうか?

 

(”レニングラード”という名を意地でも使わないあたりが、実にドイツ的というか……いや、それよりも)

 

「元帥閣下、お忘れかもしれませんが私は軍人ではなく一介の外交官なんですけど?」

 

 するとレーダーのオッサン、小憎らしい”いい歳のとり方をした人間”特有の茶目っ気のある笑みで、

 

「良いではないか。ただの息抜き、食事のスパイスのようなものだよ」

 

 いや、敵国の街を攻撃するのにどうこうって話は、スパイスにしちゃあ効き過ぎじゃないですかね?

 

「それにこれも君の仕事の一環ではないかね? ”総統府付特務大使(・・・・・・・・)”殿」

 

 うん。

 それが今の俺の役職であり、立ち位置だった。

 おかしいな……俺は確か、”特命全権大使”としてベルリン入りした筈だったのに、いつの間にか”ドイツ総統府付特務大使”なんて滅茶苦茶怪しい役職にジョブチェンジしていた。

 言っておくが、間違っても俺の意思じゃねぇっ!! ついでに未だ納得してねーし。

 ああ、口調が若くなってるのは勘弁してくれ?

 こっちが地だ。

 

(勝手に適当な役職増やすなと俺は声を大にして言いたいっ!!)

 

 いやさ、どうも日独の間で俺の知らぬ間に『高度な政治的駆け引き』があったんだとさ。

 つまり、

 

 

 

外交狸(独):『ねえねえ、そっちが送り込んだ全権大使、スーパーバイザーに欲しいからくんない? 大使館じゃなくて停戦に関する連絡官も兼ねて総統府付ってことにしておくからさー。軍事機密があちこちにあるOKWに入り浸れる権利もおまけにつけちゃおうっ!!』

 

外交狸(日):『来栖君が知った情報、こっちに流してもよいならいいよ~』

 

外交狸(独):『ある程度のスパイ活動おk。あっ、でも送付する公文書は検閲させてもらうよ? 破壊工作はNG粒子で』

 

外交狸(日)『そりゃそうだね。破壊工作すんなら別の伝手やコネ使うよ』

 

日独『『わっはっは』』

 

 

 

 なんて感じのやり取りがあったらしい。おかげでこちとらベルリンに残留決定じゃい!

 タヒね。いや、割とマヂに。

 ちなみにウェブスターは、サムズアップ残してさっさとロンドンに帰りましたとさ。

 何が「Good Luck.」だコンニャロー。

 

「それに老い先短い老人の茶飲み話に付き合うのは、若い者の務めでもあるな」

 

 あれー。これってそういうジャンルでまとめて良い話題?

 ちなみに別に生い先は短くないと思うぞ? 史実では80歳過ぎまで生きてるんだよなー。つまりあと約20年は生きる可能性がある。

 

「レニングラード……失礼。サンクトペテルブルグですか? バルト三国の攻略が終わってないのに時期尚早な気もしますが」

 

 とはいえ、まさか俺の語る与太話がそのまんま作戦に反映されることはアルマイト。

 

「ドイツ側は包囲戦と殲滅戦で別れてる感じで?」

 

「ほうほう。君にはわかるのかね?」

 

「そりゃまあ、都市攻略戦ならそのどちらかでしょうし。常識的に考えて」

 

 まあ、他にもあるけどまっとうな方法で攻城戦やろうとしたら、大体この二つでしょ。

 囲んで兵糧攻めにするか、本丸まで攻め入って陥落させるか。

 

「まず包囲します」

 

「君は、包囲戦を推すのかね?」

 

 ちょっと残念そうな元帥だが、話は最後まで聞いてクレメンス。

 

「この包囲は二つの意味があります。一つは常道で補給路や救援を断つためですが、もう一つは”レニングラード防衛の為に立てこもる敵を外に逃がさない”ためです」

 

「ん?」

 

「知ってますよね? ソ連って国は、有事においては政治委委員やら共産党やら赤軍やらが、”国民、みな兵”をできるんですよ。つまり、物資の徴用も市民の徴兵も思いのままだ。なんせ実際に包囲されれば戦時だ。向こうの大義名分は立つ」

 

 無茶苦茶な話だが、ソ連に言わせればロシア革命を起こして勝利したのはボリシェヴィキだ。

 そしてソ連の国民は、全員が労働者階層(プロレタリアート)だ。

 要するに、ボリシェヴィキ=プロレタリアート=ソ連国民という認識でだいたいあってる。

 これがソ連クォリティーという奴だろう。けっ!

 

「包囲されれば民生品が軍事物資として徴用され、市民が徴兵される。籠城戦ってのは古来より、外より援軍の当てがあるから成立するんですよ。だからそれまでいかに耐え忍ぶかが肝になるんです。だから、なりふり構ってられない……わかりますか? この時点で、ハーグ陸戦条約もジュネーブ条約もクリアしているんですよ」

 

 まあ、救援が来る可能性が0で籠城戦なんて、ジリ貧確定だしな。アカもなりふり構っていられなくなる。 

 

「戦時においてソ連は軍人と民間人の区別がなくなる。国民は全員が便衣兵であり条約で定義するところの”交戦者”です。他ならぬソ連がそう定めている」

 

 俺は腐っているが外交官だ。

 だから、条約やら国際法やらを無視するわけにはいかない。

 

(無視できないなら、とことん利用するしかないないじゃないか)

 

「ソ連やドイツが条約に批准してるしてないは問題じゃない。敵味方関わらずこの戦争に関わる”当事国に弱みを見せない”ために順序を踏むんです。間違っても無抵抗の民間人を虐殺したなんて決して言われてはならない」

 

 今生でも前世でも、左側の連中がよく使う手だ。歴史の捏造と歪曲と曲解は連中の得意技だからな。

 

「レニングラードを殲滅する(・・・・)のはドイツの大義名分が整ってから、徴用され徴兵されレニングラードが名実共に要塞、軍事的拠点と認知されてからで良い。ドイツは民間人が住む哀れな無防備都市を襲うのではなく、ソ連の軍港付き要塞を攻略する……そういうお膳立てこそが、後に大きな意味を持つんですよ」

 

 

 

「待ちたまえ……クルス卿、要するに君は『殲滅の前段階(・・・・・・)としての包囲』を提唱しているのかね?」

 

 だからそう言ってるじゃないですか。

 

「どうせやるなら徹底的にやるべきです。爆撃機で街を根こそぎ吹き飛ばし、重砲で瓦礫の山を築くんです」

 

 冬なんて越せないと思わせるように。吹雪を防げ暖をとれるような場所は何もかも。

 武器弾薬庫だけでなく、食糧庫や水道、発電設備などのインフラも根こそぎ。

 

「必要なら閣下の高海艦隊全てを港に突撃させ、全力で砲弾で殴るんですよ。更に必要なら戦車や歩兵を街に突っ込ませ、銃を持ち降伏しない全ての人間を履帯で踏み潰し、機銃掃射で細切れにするんです」

 

 あそこはそこまでやらないと降伏なんてしないだろう。

 それを俺の前世の歴史が証明している。

 

「殺して殺して殺しつくすんです、閣下。二度と”レーニンの城”だなんてふざけた名前を恥ずかしくて名乗れないように、惨めな敗北で心折れるまでやるんです」

 

 ドイツが占領し、”サンクトペテルブルグを再利用”するなら話はまた違うだろう。

 だが、俺にはその必要性を感じない。

 優先順序は「ソ連がレニングラードを使えなくする」事だ。

 

「そ、そこまでかね?」

 

「そこまでの……街一つを人の住めない廃墟にする覚悟がないなら、レニングラードは攻めちゃいけない。泥沼になるだけです。閣下は汚泥の中でもがき苦しむ自国民が見たいのですか?」

 

 レニングラードは、スターリングラード共々、名前その物に特別な意味がある。

 「スターリンが怖いから」という理由では、史実であそこまで粘れないだろう。

 

(レニングラードはソ連という国家の威信その物だ)

 

 ”建国の父”の名を付けた街はそれだけの意味を持ってしまう。

 冷戦が終結し、ソ連が消滅し、レーニンやスターリンの銅像が引き釣り倒されるのと同時に街の名前が有無を言わさず変更されたのは、そういうことだ。

 

「日本人とは、そこまで苛烈な者なのかね……?」

 

 他人は知らん。

 だが、俺自身はこう思ってる。

 

「戦争っていうのはそういう物じゃないですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖、覚悟ガンギマリ発言でレーダー元帥をビビらせるw

なお、そういうとこで帰国できなくなった模様。

ご感想などもらえたら嬉しいです。





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第61話 オージェとレーヴェ

本日は、独裁者にもある日常(?)の一コマを……





 

 

 

 

 この世界において、神はサイコロを振らない。

 ただ、”転生者(サクセサー)”という「前世の記憶の継承者(・・・)」が紡ぎ織りなす物語を楽しむだけだ。

 森羅万象にして万能にして悠久その物である存在にとり、自分がこうあれと思えばそれだけでそうばってしまう。

 それでは、あまりに面白味にかける。

 だから、サイコロすら振らない。

 

 サイコロを振るのは、常に下界に居る”人間の役目”なのだ。

 

 だから、()は、転生者によって芽吹く”変化の可能性”を愛した。

 ただし、それは”人類愛”とやらとは全く別の物だということを追記しておく。

 

 

 

***

 

 

 

 意外と思われるかもしれないが、この世界線におけるドイツ総統、アウグスト・ヒトラーは休息や余暇、休暇を推奨している。

 また、本人も「上の者が休まねば、下の者も取りずらいだろう」と割と率先してとっているのだ。

 彼は公式コメントでこう表明している。

 

『人類の有史以来、良い仕事の天敵は疲労に他ならない。確かに平時に比べ戦時の今は、国民により高い労働負荷を強いていることは申し訳なく思っている。だが、なればこそ休みは取れる機会を見つけ、とるべきだ。休息とは、怠惰とは違う。コンディションを整える為に行う物だ。最高のパフォーマンスは常に最良のコンディションの中からしか生まれないのだからな』

 

 これが現在のドイツの国家の労働者に対する行動指針だった。

 休息と労働のメリハリをしっかりつけ、労働で蓄積した疲労を休息で解放し、労働では常に最高のパフォーマンスを目指すという。

 

 月月火水木金金では、精神力で補える限界を超えた疲労の蓄積に対処できず、逆に相対的労働力は落ちることをヒトラーは良く知っていた。

 

 

 

 という訳で、総統閣下にも休日は必要である。

 本日のヒトラーは、愛車の真っ赤な”メルセデスベンツ540K スペツァル・ロードスター”をかっ飛ばしてやってきたのは、ベルリン郊外にある国有地に指定されている森だった。

 ちなみに公務ではより大きくラグジュアリーな”770K”、通称”グロッサー・メルセデス”を移動やらパレードやらに使うが、休日に乗るのは大抵はよりモダンでスタイリッシュな540Kスペツァル・ロードスターの方だった。

 

 この世界線のヒトラーが割と新しい物好きなのは、コンタックスやライカの銀塩カメラを私物で持ち撮影を楽しむなんてエピソードも書いたと思うが、車の趣味も重厚な物よりスポーティーでモダンな物を好むようだ。

 実は540Kのロードスター以外にも、同じダイムラーベンツ社の黄色のSSK(某怪盗三代目の愛車として有名)、マイセンブルーのBMW328ロードスターを私物として保有している。

 

 そして、大体助手席にはナビゲーターと護衛を兼ねたNSR(国家保安情報部)長官レーヴェンハルト・ハイドリヒが乗ってるのがお約束だった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、公的にはヒトラーは休日に狩猟を楽しんでいる事になってるのだが……

 

”タンッ! タンッ! タンッ!”

 

 小気味よく3発響く9㎜パラベラム弾(9㎜×19弾)の発砲音。

 ヒトラーの手に握られているのは、史実のナチスの高官が好んでいた金メッキの拳銃では無い。

 クロームメッキ処理と美しいエングレーブ、マホガニー材のグリップがスペシャル感を出しているが、その拳銃は紛れもなく無骨な軍用拳銃、”ワルサーP38”であった。

 実用本位の質実剛健を好むヒトラーらしいチョイスだった。

 これに加えて、ブローニング社のM1910小型自動拳銃をアンクルホルスターに入れているようだ。

 ちなみにM1910は第一次世界大戦のころから護身用として愛用しており、現在の銃で三代目だったりする。

 ちなみに第一次世界大戦の発端になったオーストリア皇太子暗殺に使われたのもM1910であり、何とも歴史の皮肉を感じる。

 

 ところでこの独裁者、割とストロングスタイルとかタフガイ系なのだろうか?

 人体を模った標的の心臓の部分に2発、眉間の位置に1発、それぞれ見事な弾痕ができていた。

 意外に聞こえるかもしれないがこの世界線のヒトラー、大柄でもないし屈強にも見えない、どちらかと言えば”文学青年崩れ”のインドア派っぽく見えるが、実はかなり腕が立つ。

 第一次世界大戦の末期には戦車兵(砲手)として敵戦車と交戦、自らの戦車が擱座したときには白兵戦に討って出て、数名の英兵をMP-18短機関銃とM1910で返り討ちにし生還したりもしている。

 年齢を重ねた今でもスポーツカーを乗りこなし、銃の扱いも淀みがない。

 実際、暗殺者を自ら返り討ちにしたことすらあるらしい。

 

「相変わらず見事な腕前ですな? 総統閣下」

 

 今でもこうして万が一に備え、休日を利用して衰えぬようトレーニングは欠かさない。

 するとヒトラーは、空になった弾倉(マガジン)を交換しながら、ヒトラーは不機嫌さを隠さない表情で、

 

「”レーヴェ(・・・・)”、堅苦しい言い方はよせ。護衛達は我々の声が聞こえぬ位置に待機し、()は今はオフだ」

 

「へいへい。わかったよ”オージェ(・・・・)”。全くわがままな独裁者サマだな」

 

 と途端に軽く口調に切り替えるラインハルト。

 

「ステレオタイプの独裁者とはそういうものだろ? ふむ。ようやく突撃小銃の試作品が仕上がったか……」

 

 スライドストップをリリースし、デコッキング・レバーを押し下げハンマーをセフティー・ポジションまで戻す。

 その動作を確認しながら、オーダーメイドのコードバン製のヒップホルスター(ストロングサイド・ドローのナチュラルレイク)にP38を納め、台の上に置いてある後に”突撃小銃(独語:シュトゥルム・ゲベール=英語:アサルトライフル)”と新しい銃器の分類とされることになる試作軍用自動小銃を手に取る。

 数発セミオートで発射し、反動や弾道特性を確かめ、セレクターをフルオートに切り替え30連マガジンの半分ほどを連射、残りを指切り(バースト)射撃で撃ち尽くした。

 

「なるほど。ようやく実用段階に至ったというところか。後は実戦投入して手直し(バトル・プルーフ)してゆくしかあるまい。確か、これの担当はシュペーア君だったか?」

 

「ああ」

 

「では、明日には了承を出しておこう。ハーネル社には量産に向けた準備を行うように告げねばならない。可能なら来年の頭には前線にある程度の数を回したいものだ」

 

 こうして何気に史実より2年早く突撃小銃が制式化されることが決定した。現在の開発コードは”MKb41(H)”、おそらく正式名称は”StG42”あたりになることだろう。

 

「これでようやく悲願だった歩兵小銃の自動化が、最良の形でなされる」

 

「アフリカに行った連中、日本人の自動小銃に随分泣かされたみたいだからな」

 

 日本人の制式小銃はZH-29半自動小銃のライセンス生産モデルを更に改良した”チ38式半自動歩兵銃”だ。

 フルオート射撃こそできないが、セミオートの高レート射撃と20連発マガジンに物を言わせ、火力で同じ8㎜マウザー弾を使うドイツ人部隊を火力で押しつぶしにかかってきたのだ。

 戦車で太刀打ちできないのは既にドイツ軍内では情報共有できてるが、歩兵が火力で押し切られたせいでトブルクを攻めきれなかったのも大きな問題とされていた。

 

 その反省を生かし、バルバロッサ作戦では火力不足を少しでも補うべくMP38ないしMP40短機関銃を大量投入し補おうとしているのだが……

 

「日本人、日本皇国人か……随分と興味深い戦争観のようだな」

 

「ああ、レーダーの父つぁんが報告してたあれか? まあ、でも……」

 

 ハイドリヒはニヤリと笑い、

 

「俺達とは気が合いそうじゃないか? ”相棒”」

 

 ヒトラーは、小さくうなずき、

 

「うむ。あのクルスという外交官、間違いなく”第二次世界大戦から冷戦期の米ソのヤバ(・・)さ”を知っている。でなければ、あの発言はありえん」

 

「つまり、十中八九、クルス()”転生者”ってことだな。つまり、」

 

「”我が戦争(・・・・)”が終わるまで、日本に帰す理由はないな。価値があり過ぎる」

 

 ヒトラーの言葉にラインハルトは頷き、

 

「オージェ、お前さんの事だから気づいていると思うが……ありゃ、おそらく”前世”では軍人かあるいはそれに類するなんかだぞ? 国まではわからんが、現代軍(・・・)の士官教育を受けた痕跡が、発言から推測できる。どんなポジションに置いておくつもりだ?」

 

「せっかく総統府付特務大使って便利な役職があるのだ。我がドイツ軍のアドバイザーあるいはオブザーバーにでもなってもらおう。上層部(ウチ)にも良い刺激になる筈だ」

 

「そして、こちら側の情報提供がレンタル料金か?」

 

 ヒトラーはかすかに笑い、

 

日本皇国(むこう)にとっても悪い取引ではあるまい? 英国もそうだが、日本も我々と国家を傾かせてまで戦争する気は無いだろうからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、来栖の帰国は戦争にカタがつくまでお預けとなったみたいですよ?

というか、外交(?)アドバイザーにする気満々のヒトラーでした。
来栖はやり過ぎたんだよw




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第62話 大平原でSearch & Destroy

今回は舞台が変り、再び戦場へ……
ついでに新キャラ登場です♪

いや、やっぱヤローなんですけどねw
それも厳つい装甲将校。
読者様がこれほどドキドキしない新キャラ登場の作品ってあんまないような……?

とはいえ、戦場の空気感を楽しんでもらえると嬉しいです。







 

 

 

 さて、ある意味において規定通りというべきか?

 ドイツ南方軍集団は、順調にウクライナを進軍していた。

 

「こりゃたまらんな。居心地良すぎて、戦場から離れられなくなりそうだ」

 

 41年式長砲身型のIV号戦車に座乗する戦車中隊指揮官”マキシミリアン・ビットマン”中尉は、次々とソ連戦車を敵射程外(アウトレンジ)で撃破できる砲力に満足していた。

 史実ならWaffen(ワッフェン)-SS(武装親衛隊)に所属していたこの男だったが、生憎とこの世界線では母体のSSも含めてそのような組織は存在しない。

 その色合いを残すNSR(Nationaler Sicherheitsnachrichtendienst des Reiches:国家保安情報部)は、装甲化された正規師団の持ち合わせは無く、しいて言うならSS-VT的なゲリコマに対応した非正規戦や非対称戦、あるいは各種特殊任務や破壊工作を行う特殊作戦任務群を複数抱えているだけである。

 

 という訳でビットマンが所属しているのは武装親衛隊ではなく、正規のドイツ陸軍機甲師団だ。

 より正確に言うなら、ドイツ南方軍集団麾下、”エーデルハルト・フォン・クライスト”上級大将、通称”パンツァー・クライスト”率いる南方軍集団の第1装甲集団の戦車部隊に配属されていた。

 そのせいかどうか、史実ではこの頃はようやくⅢ号突撃砲の車長になったばかりの筈だが、この世界線では愛車はIV号戦車に変り、ついでに階級は中尉でIV号戦車12両からなる中隊を任されていた。

 

 

 

 南方軍集団自体、”バルバロッサ作戦”の数ヶ月前に司令官に内定していたライヒェナウ元帥が、ヒトラーがドイツ上層部に義務として定めている年次健康診断において心臓の異常が発見され療養の為に退役。そのため急遽、”フェードラ・フォン・ボック元帥”が司令官に決まるというアクシデントはあったが、現状これといった問題なく事前計画通りに進軍していた。

 

 いや、むしろ史実と比べても順調すぎる進軍と言えた。

 なので、今はむしろ後方の補給部隊の進捗も考えて侵攻速度を調整しなければならない状況だ。

 

 最前線にてソ連軍とぶつかるのは精鋭をかき集めたと言っていいドイツ人部隊だが、兵站線の防衛はどうしても補給路のある各友好国や同盟国の部隊に任せてしまう事になる。

 所謂、東欧の親独諸国の軍隊が弱いとは言わないが、あまりにも負担をかけすぎるのも良くないと上層部は判断していた。

 軍事費捻出のために重税を課すなど論外だ。ドイツに対する反発で、パルチザンが雨後の筍のように出てきてしまえば本末転倒である。

 国民を扇動するアカ(・・)はNSRやそれと協力する各国諜報機関や治安機関で何とかなるが、自然発生的な反独感情はどうにもならない。

 意外に聞こえるかもしれないが、この世界線のドイツは占領国のみならず同盟国や友好国にも割ときちんと気配りするのだ。

 基本的に、

 

『ドイツは強いが傲慢や強欲ではない』

 

 という評価を得るような方向性を目指しているようである。

 

「勘弁してくださいよー、中尉殿。終わらない戦争なんてただの悪夢じゃないですかー」

 

 語尾を伸ばす訛りキツい砲手”ハンス・シュターデン”軍曹の言葉に、思わずビットマンは苦笑い。

 

「でも実際に楽しいだろ? 敵の射程外(アウトレンジ)から一方的に撃破するのは」

 

 実際この砲手、つい30分ほど前に起きた同じ中隊規模のT-34とBT-7の混成ソ連戦車部隊との遭遇戦において、見事な砲撃で立て続けに3両を屠ってみせたのだ。

 どうやらシュターデンはシュターデンでも、理屈倒れでは無いようである。むしろ、どちらかと言えば天才肌の感覚派って気がしないでもない。

 

「そりゃあぁ、北アフリカでクソ硬い日本人の戦車相手に短砲身のIV号でやり合うよりは楽しいですけどねー」

 

 何を隠そうビットマンとシュターデン、日本皇国軍相手の通称”北アフリカ装甲ブートキャンプ”の生還組で、この中隊長車の面々はその頃からのチームであった。

 

「でもずっと戦争は御免ですよー。俺っちは退役したら嫁さん見つけて実家のパン屋を継がなくちゃならないんでね」

 

 史実ではありえないのだが、この時のソ連戦車T-34の装甲厚は40年型で16~45㎜、41年型でも16~52㎜とこの世界線の一式よりずっと薄く、避弾経始を考慮された砲塔形状だと言ってもIV号の75㎜43口径長砲”7.5cm KwK40 L/43”相手では徹甲弾を使われると1,500m以遠でも撃破されてしまう(命中させられるのなら2,000mでも撃破される可能性があった)。

 対してT-34の主砲である41年型の”F-34 76.2㎜砲”では300m以下(100mまで接近しないと撃破できないという報告もある)でしかIV号の砲塔正面を貫通できなかった。

 これは史実のIV号と異なり、この世界線の現行型IV号の砲塔正面装甲が80㎜の厚みがあり、しかも初期型の史実のV号戦車”パンター”の砲塔によく似た避弾経始を意識した砲塔を採用しているからに他ならなかった。

 それよりも威力が低いL-11型の短砲身砲を搭載した1940年型T-34ではそもそも勝負にならなかった。

 

 これに加え、この時代のT-34はいくつもの構造的欠陥を抱えていた。

 例えば、エンジン出力は高く直線は速いが、トランスミッションや操向装置の出来が悪く、変速がやりにくくストップ&ゴーも小回りも利かなかった。

 また砲塔が被弾面積を減らすために小さく作りすぎ、おまけに傾斜してるために内部容積が小さく、砲塔には2名しか乗れなかった。

 つまり、車長/装填手/砲手の三役を2名でやるしかなく、また40/41年型は砲塔旋回ハンドルも手を交差させて使うような配置だったせいもあり、砲塔の旋回速度も砲発射速度がかなり遅かった。

 

 これでも強いとされたのは、当時のドイツ軍の戦車と比べて高い火力と高い防御力、速度で優越していたからだ。

 だが、この世界線ではその優位は完全に失われていた。

 火力と防御力ではドイツ戦車が優越し、速度は互角で運動性はずっと高い。

 しかも、ソ連の戦車兵は大粛清の悪影響で経験のある将校が少なく、練度が全体的に低かった。

 更にこの時代のソ連戦車は通信機が隊長車にしか搭載されておらず、全車に無線機が標準搭載され、咽頭式マイクまで実用化していたドイツ戦車とは部隊同士の連携力で圧倒的な開きがあった。

 

 何が言いたいのかと言えば、「史実と真逆(・・・・・)の状況の戦車戦」が、バルバロッサ作戦で起きていたのだ。

 

 これだけのドイツ側にとっては戦力倍加要素があれば、ソ連戦車が一方的に狩りつくされるのは無理もない話であった。

 文字通りの”見敵必殺”が、東欧州のそこらじゅうで発生しているのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、ドイツに有利な状況はそれだけではなかった。

 

「むっ……」

 

 キューポラから身を乗り出し、私物のカールツァイス社の軽量双眼鏡”デルトリンテム・リヒター 8×30”を覗いていたビットマンは、特徴的なシルエットの戦車の接近に気づいた。

 

「おい、高速徹甲弾の準備をしておけ」

 

 虎の子であり、1両当たりまだ5発しか配給されてないタングステンカーバイド弾芯(コア)を持つ高価なHVAPの装填を命じた。

 非球面レンズの向こう側に見えたのは、

 

「チッ! KV-1が出てきやがったぜ」

 

 最も初期の型でも砲塔正面90㎜、現行型では110㎜に厚さを増した傾斜装甲を誇る紛う事なき重戦車。

 砲力はT-34とどっこいで、機動力は劣悪だが移動トーチカと考えれば面倒な相手だった。

 正面から射貫くには、IV号の長砲身砲と高速徹甲弾の組合せでも500m以内に接近しなければ撃破できない代物だったが……

 

「なぬっ!?」

 

 ビットマンがこのまま停車して迎え撃つか、あるいは側面に回り込んで手堅い撃破を狙うか逡巡していた矢先、突進してこようとしていたKV-1がいきなり爆発したのだ!

 

(あの爆発、後ろからの砲撃か……?)

 

 だが、まだ自分は迂回指示は出していない。

 どうやら、次々と”後ろから撃破”される敵戦車群を見ながら、ビットマンは警戒態勢を維持したまま全車に停車、許可があるまで発砲禁止を命じた。

 とにかく、何が起きたのかを確かめなくてはならない。

 

(ん……?)

 

 後方から現れたのは、数両のT-34だったが……

 

(同士討ちか……?)

 

 一瞬、フレンドリーファイアを疑ったが、

 

「はあっ!?」

 

 気づいたのだ。

 横に向けたT-34の砲塔にソ連を示す”赤い星”ではなく、”青と黄色の二重線(・・・・・・・・)”が描かれていたのを!

 

「”ウクライナ解放軍(Befreiungsarmee der Ukraine)”だとぉっ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いやー、出てきましたエースのビットマン(しかもパンツァー・クライスト麾下)。
シュターデンはオリですが、某宇宙戦争の人とは正反対の、庶民で天才肌の感覚派にしてみましたw

そして、”ウクライナ解放軍”……
実はこの存在、「この世界線におけるヒトラーのスラブ人に対する考え方」を反映した、割と意味があったりなかったり。

今まで文字数制限入れてる手前、あまり言いませんでしたが……やっぱり高評価もらえると嬉しいものです。
ご感想、お気に入りとかも勿論モチベーション上がりますので、よろしくお願いします。




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第63話 Fields Of Gold

今回は、”ウクライナ解放軍”やそれを取り巻く状況などを……


 

 

 

 戦闘は既に終結していた。

 重装甲を誇るKV-1とて、全方位の装甲が分厚い訳ではない。

 砲塔にせよ車体にせよ後方は薄い。

 そこを比較的近距離から76.2㎜砲で撃たれたらひとたまりも無いだろう。

 

 撃ち漏らしに関して、敵陣形が崩れたのを見計らってビットマンが即座に砲撃命令。

 無論、砲塔に青と黄色のストライプ入りの戦車は絶対に撃つなと厳命した。

 

 そして、ストライプ入りのT-34戦車のうち1両が前へ進み出てきた。

 砲口をドイツ軍の反対に向け、まだペンキ塗り立てっぽい青と黄色を見せつけるようにして。

 

 キューポラが開き、あまり見覚えのないデザインの、だが明らかな軍服を着こんだ男が上半身を出した。

 そして、ドイツ国防式の敬礼をする。

 

 同じく自車のキューポラから上半身を出していたビットマンは、敬礼を返す。

 緊張の瞬間……互いの距離が届く距離で、T-34とIV号のエンジンが止められた。

 

「We will be getting back(我らは必ず取り戻す)」

 

 ふとビットマンの口から飛び出す英語(・・)

 これにT-34の男は声を重ねる。

 

「Fields of Gold(黄金の麦畑を)」

 

 事前に聞いていた符丁にピタリと一致する返しに、ビットマンはホッと一安心する。

 もし、いきなりどっからどう見てもドイツ人の口からいきなり英語が飛び出せば、答えを知らない限り一致する言葉は帰ってこないだろう。

 

「私はドイツ陸軍南方軍集団、クライスト上級大将麾下第1装甲集団所属、マキシミリアン・ビットマン中尉だ。”Befreiungsarmee der Ukraine(ウクライナ解放軍)”で間違いないかね?」

 

「ええ。ジトムィール・チェフレンコです。少し前まで赤軍少尉でしたが、今は違います」

 

 そう語るまだ若い男にビットマンは内心で驚きながら、

 

「事前に符丁と存在は聞かされていたが……まさかこの広いウクライナで、本当にウクライナ解放軍に遭遇するとは思わなかったよ」

 

「それは確かに」

 

 チェフレンコは苦笑し、

 

「我々はまだ出来たばかりの抵抗運動組織(レジスタンス)ですからね。規模も大きいとは言えませんし、確かに遭遇するのはレアケースでしょうね」

 

 とはいえ、いつ本物の増援が出てくるかわからない状況で、あまり立ち話するのは感心できない。

 

「すまんが、チェフレンコ……えーと」

 

「”少尉”で良いですよ? なんとなく、仇名として定着してますし」

 

 そうクスリと笑う。

 

「では少尉、すまないが本部に連絡を入れておくから一旦、後方……ああ、ドイツ側の後方に下がり、友軍と合流してくれないか? これからの方針と、」

 

 ビットマンはちらりとチェフレンコの戦車を見て、

 

「こう言ってはなんだが、君達の戦車ではいつ味方に誤射されるかわかったもんじゃない。交換部品や整備の問題もあるし、それもひっくるめて話し合ってほしい。君のドイツ語なら問題ないだろう」

 

 言い忘れていたが、この二人はさっきからウクライナ語やロシア語ではなく、ドイツ語で会話していたのだ。

 

「少なくとも、シュターデン軍曹のドイツ語よりは標準語に近い」

 

「酷いですよー。中尉殿」

 

 

 

 ”ウクライナ解放軍”

 戦争が長引けば長引くほど、ドイツの支配地が東ヨーロッパ平原に広がれば広がるほど大きな意味を持つこの集団は、史実とこの世界線の違いを示す試金石の一つと言えた。

 

 なぜならそれは、「この世界線のヒトラーがスラブ人に持つ人種感」を如実に指し示しているのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

「それにしても”ハイドリヒ卿”、NSR(国家保安情報部)の”仕込み(・・・)”は見事ですね?」

 

 NSRってなんだよっ!? 今は亡き(ただし、現状では遠い未来になるあたりがややこしい)HONDAの2ストレーサーか?

 RSHAとかSSとか剣吞な組織は何処へ消えたんだか。

 

「ほほう。何のことですか?」

 

 オッスオッス! オラ、来栖任三郎。

 只今、”金色の獣殿(ハイドリヒ)”にOKWで捕獲されて一緒にお茶しとります。

 いや、なんでさ?

 

「いえ、現在侵攻中の東欧ですよ。具体的に言えば、スラブ人の”反共組織(・・・・)”に対する支援です」

 

 いやー、それを知った時は驚いたのなんの。

 史実ではさ、ヒトラーもハイドリヒも、スラブ人をそりゃもう劣等民族とみなしてたわけさ。

 実は、共産主義に対する反発ってのは実は当時のソ連領、後で言う衛星国でも相応にあってさ、それなりに抵抗運動(レジスタンス)してたんだ。

 だけどヒトラーは、『下等生物の手助けなぞいらん。むしろまとめて轢き潰す』とばかりに一緒くたに攻撃しちまったってわけだ。

 だけど、この世界じゃあ……

 

(裏でコソコソ支援して下地作っておいて、バルバロッサ作戦発動したらガッツリ組織化してんだもんなー)

 

 手元に回ってくる資料に”ウクライナ解放軍”だの”カレリア解放戦線”だのの文字が踊ってた時は、腰を抜かしたぜ。

 そりゃあ、ドイツの諜報機関ってのは、史実でもトゥハチェフスキーを失脚、粛清させるくらいには優秀だったのは知ってるよ?

 だが、この世界じゃあそんなレベルじゃなかった。

 

 ドイツの東方侵攻に呼応して各地で反共レジスタンスやら反共パルチザンやらが叛乱の狼煙を上げて、ソ連は大混乱してるってわけ。

 

「ああ、そのことか」

 

 するとハイドリヒは事もなげに、

 

我々(ドイツ)は随分前から君の言う”仕込み”、浸透工作をやってたからな」

 

「具体的にはいつぐらいから聞いても?」

 

「”ホロドモール”は良い機会だったと言っておこう」

 

 つまり遅くても30年代初頭には介入を開始したってことか……

 

(えっ? それってヒトラーが総統になるどころか、”首相就任前”なんじゃ……)

 

「別に政権を奪取する前に東部で地盤づくりをしてはならないという法はあるまい? 当時のドイツは、ワイマール体制下。別に逃げ出してきたウクライナ人を受け入れることに何の問題がある?」

 

 やばっ! 表情に出てたか……?

 

「我々の手元にはソ連支配下のウクライナより逃亡しドイツに帰化した多くの人間がおり、その血族がまだウクライナに大勢いる……君ならどうするかね?」

 

(うわっ、さすが”金髪の野獣”殿。考えることがエグいわ)

 

 そりゃあ敵対的国家の反政府組織にコソコソ援助するのは定石だけどさ……

 

(前世の日本もやられたもんなぁ……)

 

 国防能力を引き上げようとすると必ず嚙みついてきたり、「日本人が飢え死にしても海外派兵はしてはならぬ」と発言して国民から総スカン食らった男が党首の野党とか、まんまだったしなー。

 「二位じゃダメなんですか?」ダメに決まってるだろう。一位を目指す気概を否定してどうする。

 

「まあ、出来る事なら全部やるってのは正しいとは思いますが……」

 

「それ以前に”ラパッロ条約”があったし。あれは良い隠れ蓑だったよ」

 

 こりゃ聞いてみるしかないかね?

 

「ハイドリヒ卿、お聞きしても?」

 

「構わんよ、必ず答えるとはやくそくできんがね」

 

 それこそ構わんさ。だから踏み込むべきだろう。

 腐っても俺、来栖任三郎は外交官のはしくれだ。

 

「ヒトラー総統は、スラブ人をどうお考えで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最初は”ウクライナ解放軍”的なサブタイだったんですが、STINGの名曲”Fields Of Gold”から拝借しました。

「風に揺れる黄金の麦畑」こそが、今も昔もウクライナの原風景かな、と。





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第64話 ゲルマン人とスラブ人、あるいは……

今回は、珍しく来栖がやらかしませんw
むしろ、真面目に情報収集(おしごと)してる回です。




 

 

 

「ヒトラー総統は、スラブ人をどうお考えで?」

 

 俺、来栖任三郎はレーヴェンハルト・ハイドリヒにそう問うた。

 すると……

 

「”ただの人間(・・・・・)”だよ。面白くない答えで恐縮だがね」

 

「ただの人間……?」

 

 ほう……こりゃあ聞いてみる価値もあるってもんだ。

 予想はしてたが、

 

(アーリア人の代表格みたいなハイドリヒが、スラブ人を人間扱いするか……)

 

「そうだとも。我々ドイツ人と同じ(・・・・・・・)、ただの人間だ。飯を食い、酒を楽しみ、女を抱き、子孫を作る。歴史、文化、言語、それらに裏打ちされた民族的価値観は違うかもしれないが、別に人間の範疇を外れるわけじゃない。スラブ人だからと言って、顔が三つあって腕が六本生えてるわけじゃないだろ?」

 

 いや、それどこの阿修羅観音だよ?

 東洋思想とか詳しそうだな、ヲイ。

 そういやスワスティカとかを崇めていた民族だっけ?

 

「まさかと思うがクルス卿、君はドイツ上層部が愚にもつかない(・・・・・・・)”アーリア人至上主義”にかぶれているとでも思っていたのかね?」

 

 いや、前世ではまんまそうだったんですが?

 

「いえ、ドイツに来てから流石にそれはないなとは思っていましたが……」

 

 するとハイドリヒは吐き捨てるような表情で、

 

「”アーリア人至上主義”なんて非合理な物、総統閣下こそ一番信じてないのだよ。知ってるかね? 主義者達が主張するアーリア人の身体的特徴というのは金髪碧眼、長身の白人だろう? 総統閣下は背も高くも無ければ金髪碧眼でもない。しいて言うなら白人かもしれんが、それを言うならスラブ人もアングロサクソンもそうだ。ついでに言わせてもらえば、アーリア人の身体的特徴とやらは北方人種の特徴であり、北方人種は所詮、コーカソイドの一つに過ぎん」

 

 ええ~っ!? 思ったよりも過激なこと言ってるんですが?

 

「そんなこと大声で言っていいのですか? ここOKWですよ?」

 

「気にする必要はない。私の言った程度のことなど、ここに努めてる人間なら誰でも心得てるさ。そもそも、アーリア人至上主義なんて物を声高に囀る阿呆を総統閣下はそばには置かんさ」

 

 いや、いやいや!

 

「いや、でもナチ党っていうのは確か……」

 

「政権を取る段階で、そういう”大衆受けの良い、ドイツ人にとって都合がよすぎる持論を重ねる連中”を取り込んだのは確かさ。何しろ連中は、当時は”敗戦によるコンプレックスまみれだったドイツ民衆”にとにかく受けが良かった。当時は得票数、大衆人気こそが最も必要だったのさ」

 

 そりゃまあ、ヒンデンブルクとかいた時代は普通に選挙やってたし。

 というかワイマール共和国ってのは、当時もっとも民主的だなんて言われてたしな。いや、前世の話だけどさ。

 

「だが、それは今となっては”そういう時代もあった(・・・)”という以上の意味はもたん。そうでなければ、スロバキアにルーマニア、ハンガリーやブルガリアなどの東欧諸国と手は結べんだろ?」

 

 いや、そりゃそうだけどさ……それじゃあ、あのドイツの社会に沈殿してるアーリアンイズムはなんだって話だよな?

 それに、ユダヤ人の排斥だか迫害だかは普通に、少なくても「市民にはそう見えるように」やってるわけだし。

 

「クルス卿、一つだけ誤解を解いておきたいのだがね……総統閣下が常に警戒しているのはスラブ人その物ではなく、”汎スラブ主義”の方だ。当然だな? 先の大戦の根本的な原因の一つは、”汎ゲルマン主義と汎スラブ主義の対立(・・)”が根底にあるのだから」

 

 あー、まあそう言われればな。

 確かヴィルヘルム二世はそれをスローガンにしてよりによってバルカン半島に攻め込んだんだっけ?

 それと意外なことに汎ゲルマン主義、「ドイツ語が響く所がドイツである」ってのを最初に広めたのはドイツ人じゃない。

 19世紀のオーストリアの皇帝とノルウェーの王様だ。

 

「だが、我らの総統閣下はこう言ってはなんだが、帝政時代の皇帝よりも人として器が大きい。少なくとも汎ゲルマン主義なんて鼻で笑う御仁だ。だが、汎スラブ主義は認めない。なぜだかわかるかね?」

 

 そりゃあそうだろう。何せ、今は魔女の巨釜(カルデロン)の中身みたいになってる……

 

「ユーゴスラビアですか?」

 

 枢軸(ドイツ)側にいたのは2日間だけ。まあ、中々アレな国である。

 史実では枢軸側から連合国側に付いた(かなり語弊があるが)とされているが、少なくとも現状ではドイツだけでなく日英も距離を置いている。

 英国はちょっかいかけたがってるし、実際にイタリアがアルバニアルートで何かしようとしているが、

 

(結局は徒労で終わるだろうな)

 

 だから、ドイツは枢軸を裏切ってもユーゴスラビアに手を出そうとしないのだろう。

 日本も同じだ。何も好き好んで赤い紐がケツについたチトーに協力するいわれはない。

 

「そうだ。彼らは今、事実上の内戦状態にあり、その主軸となっている思想の一つに汎スラブ主義だよ。加えて、あそこで一番気を吐いている勢力はソ連からの支援を受けている。なんとも節操が無いとは思わないかね?」

 

(こりゃドイツもチトーの存在をつかんでるってことか……)

 

「そもそも汎スラブ主義は、欧州の中央にスラブ人至上主義の大帝国を築こうというものだ。とても受け入れられる訳はあるまい?」

 

 いや、それをドイツ人が言いますかい?

 

「お言葉ですがハイドリヒ卿、ドイツもゲルマン人の極楽浄土(・・・・)を築こうとしてるのでは?」

 

 まあ、そら第一次世界大戦の構図だろうけど、ちょっと突っついてみるのも悪くないだろ?

 

「君はやはり誤解しているようだね? ”レーヴェンスラウム”は”ゲルマン人の天国”ではない。”ドイツ人(・・・・)と友好的な種族が安全に生きれる場所”の事だ」

 

 いや、極楽浄土で意味が通じたよ。

 やっぱりチベット密教の影響とかあんのかね?

 

「ゲルマン人とドイツ人は、同じものでは?」

 

 では、少し踏み込んでみようか。

 

「ゲルマン人は北方人種系のただの一民族の名だ。だが……ドイツ人は、別の定義がある」

 

「それは?」

 

 するとハイドリヒはどこか誇らしげに、

 

「ドイツ人としての教育を受け、ドイツ人としての社会通念や共有できる価値観を持ち、労働と納税の義務を怠らないドイツ国籍が認められた国民だよ」

 

 いや、それってさ……こう言ってないか?

 

「つまり、生まれた国や人種や民族は関係ないと?」

 

「全くの無関係とは言わないが、かといってそこまで重要な要素ではない。第一、我らが総統は育ったのはドイツだが、生まれたのはオーストリアなのだが?」

 

(ならば、聞こうじゃないか。いずれにせよ、これは避けては通れぬ道だろうし)

 

「例え、ユダヤ人(・・・・)であってもですか?」

 

 さあ、どう答える?

 

 

 

「それについては、ここで話すべきではないな。いずれ、日を改めよう」

 

 かなり間があった。なるほどね。

 

(どうやら、これも裏やらカラクリがありそうだ)

 

「良いでしょう。今は聞きますまい。ですが機会があれば……」

 

「その機会はいずれ作ろうではないか」

 

「私も”ドイツ国内におけるユダヤ人の情勢”は知っておきたいのですよ」

 

 まあ、ユダヤ人問題に関しちゃ”後輩”にもせっつかれてるしなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、明らかに史実と異なる価値観を持つドイツ上層部でした。

ハイドリヒがこれですからねー。

ご感想とかもらえると嬉しいです。





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第65話 戦いの終わった島にて

今回は、閑話的なほのぼの系友情(?)エピソードになっております。






 

 

 

 さて、唐突に舞台は”クレタ島”に戻る。

 あの激戦から約1か月……捕虜になった(あの激戦で生き残れた)ドイツ将兵は1000名に満たないとはいえ、クレタ島の刑務所に収容するのは多すぎる(それにまさか元々の受刑者を追い出す訳にもいかなかった)るのが困りものだった。

 また、法務士官からも「捕虜は犯罪者のような扱いにするなかれ」というアドバイスもあったし、何より日本皇国軍はクレタ島のドイツ人捕虜を長らく囲っておく気は最初からなかったためにわざわざ捕虜収容所を新規建造するのもどうにも気が引けた。

 予算とて無限ではないのだ。

 

 そこで苦肉の策だが、皇国軍はクレタ島東部南海岸の唯一の都市と言ってよい観光地”イエラペトラ”にあるコテージやホテルを借上げ、その周囲を鉄条網と機銃座や永久陣地、対人地雷で囲った簡易収容所とすることで一応の決着をつけた。

 

 いつでも都合よく(戦時中ゆえに)閑古鳥が鳴いている観光地のホテルが近場にあるわけでもなく、捕虜収容施設の急場での建設は今後の課題とされたが……ぶっちゃけドイツ軍のギリシャ簡易兵舎よりも快適な状況だった。

 

 まあ、第一次世界大戦の”バルトの楽園”の前例もあるということで、「まあ、不自由のない生活をおくれる程度でええじゃろ」という基準でこうなったらしい。

 無論、ギリシャ人の国民感情を考え、現地住民との接触は厳禁で交流なんて論外だった。

 何しろ、捕虜収容所(仮)に続く道の各検問所には完全武装のギリシャ軍が24時間体制で詰めており、周辺住民は何を思ったのか猟銃を新たに買い求める者が後を絶たなかったという。

 何を撃つ気なのかはあえて問わないにしても、収容所の「脱走に対処するための備え」は存外に「ドイツ人捕虜を守るため」の物なのかもしれない。

 何しろ、”万が一にも脱走が成功してしまった”ら、ドイツ人がどんな目に合うかわからないのだから。

 

 無論、日本人はドイツ人に友愛の精神で接していた訳ではない。

 彼らは重要な”取引材料”なのだ。

 

 実際、日英同盟とドイツの停戦合意が結ばれてから”捕虜交換”の現実味が日に日に高くなってきている。

 英国は是非とも”唯一の将官捕虜”である”リッチモンド・オコーナー”中将をぜひ奪還したかった。

 史実ではイタリアの捕虜収容所に入れられていたオコーナー将軍だが、”将官の捕虜”という重要性を鑑み、ロンメルは捕虜にした直後からイタリアにだんまりでドイツ本国に移送、この世界線ではより厳重にベルリン郊外にある国家所有の要人用コテージに収容されていた。

 無論、24時間の監視付きだが、こっちはこっちで苦労はして無い様だ。

 

 ただ、クレタ島あるいは北アフリカ(エジプト)に収容されているドイツ人捕虜もオコーナー将軍も、ある部分で共通項があった。

 それは、共に「捕虜という有閑(・・)は長くは続かない」と伝えられている事だった。

 だからこそ、彼らは無理を通して、危険を冒してまで脱走しようとは思わなかったのだ。

 

 例えばこれは、そんな時期のちょっとした日常の1コマであった。

 

 

 

***

 

 

 

「おーい、”マルセイユ”。お前さんに客だとよ」

 

「おっ? どこの可愛い町娘だ?」

 

 同室の同僚は心底呆れたというよりむしろ可哀そうな物を見る目で、

 

「いんや。フツーにヤローだ」

 

「んげっ……」

 

 少しだけその心底嫌そうな顔をする(対空戦車に)撃墜されたパイロット”ヨハン=ヨアヒム・マルセイユ”に同僚は少しだけ溜飲を下げつつ、

 

「お前さんをふん捕まえた者だと言えばわかるとさ」

 

「げっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお。どうやら元気そう……つーか、少し太ったか? どうせ労働の義務がないからって食っちゃ寝でもしてたんだろ?」

 

「うっせーよ。どれもこれも、収容所(ココ)の飯が美味いのが悪い」

 

「すんげー責任転嫁だな」

 

「ところでシモーサ(・・・・)、何か用か?」

 

 うっす。なんか久しぶりな気がする下総兵四郎だ。

 ヤローを訪ねるなんて本来なら俺のポリシーに反するんだが、

 

「なに、ただ別れの挨拶に来ただけだ」

 

「あん?」

 

 まあ、普通はそういう反応にはなるか?

 

「新聞は読んでるか?」

 

「まあ、そりゃ暇だからな」

 

 要するに暇じゃなけりゃ読まねーと?

 検閲済みとはいえ、新聞を読んでるならまず問題はないだろう。

 

「それなら話は早い。イタリアはともかく日英とドイツの停戦は正式に成立した。なんで、俺たちの部隊は古巣のトブルクに帰るし、お前らも近々ドイツへ戻れるだろうさ」

 

 まあ、ドイツが躍起になって日英との停戦をラジオ、新聞を問わずあらゆるメディアで情報を垂れ流しているからな。

 その仕事の速さと量は、流石はゲッペってところか?

 日英は”公的には”それに比べるとやや消極的な様子で肯定してるって感じだ。

 

(消極的ってより、米ソの反応を見ながら慎重にってところなんだろうが……)

 

 お偉方の考えることなんて、末端の末端たる俺には本当のところはわからない。

 だが、それでも少なからず『米ソを味方とみなしていない』ってのは空気感みたいなものでわかる。

 少なくとも「あくまでも停戦に合意しただけであって、和平や和睦への準備でもなければその予定もない。ただ我々にも消耗を補填し戦線を立て直す時間がいる」と慎重に言葉を選んでるあたり、何を或いは誰に聞かせるための発言かわかるってもんだ。

 

「それって捕虜交換が近いうちにあるってことか?」

 

 俺は頷き、

 

「噂じゃ7月中にどうにかなるみてーだな。良かったじゃないか? コックピットにはまらない肉付きになる前に、本国のヘルシーなダイエット食が食えるぞ?」

 

「誰が体型ゲーリングだって?」

 

 ヲイヲイ。

 

「せめてそこはウーデットにしといてやれ」

 

「ん? ああ、あの落ちぶれた曲芸飛行機乗りがどうかしたのか?」

 

 そういや、今生じゃあんまウーデットは出世してないんだっけ? イェションネクとかもだけど。

 

「まあ、ドイツ産のジャガイモ体型はこの際どうでもいい」

 

 俺はたまたま見つけたドイツ産の白ワインをボトルを取り出し、

 

「おおっ!? シャルツホーフベルガーのシュペートレーゼじゃん! 良く手に入ったな?」

 

 なんんじゃそりゃ? 呪文とか伝説の武器か? 白のモーゼルワインだとか聞いた覚えがあるが。

 

「よくわからんが、反応からして悪くないもんなんだろ? 選別だ。やるよ」

 

「あ? いいのか……?」

 

 いや、どうせ鹵獲した物資の放出品だし。

 というか、別に白ワインってそんなに好みの酒じゃないしなー。

 ぶっちゃけ2本入手したが、1本小鳥遊伍長と空けて「もういいかな」ってなったし。

 

「前祝いだと思ってとっとけ。上の許可は取ってるし、どうせたかがワイン1本で悪さできるほど酔いはしないだろ?」

 

 まあ、ビールが水替わりみたいな国民だしな。

 

「ダンケ! 感謝すんゼ。戦場であってもお前は撃墜しないでおいてやろう」

 

 ボトルにキスしながらそんなことをのたまうマルセイユ。そんなに気に入ったのか?

 

「いや、俺は陸兵だし。空飛ばんし」

 

 というか、こいつ本国戻ってももうアフリカ来ないんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、日英と独の停戦が成立した象徴的なエピソードを入れてみました。
実は、転生者と非転生者の違いはあれど、シモヘイとマルセイユは、なんか相性良いような?


ご感想とかお待ちしております。



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第66話 重なった転生者の足跡に、大西洋憲章は踏み潰される

今回は、割と物騒なサブタイですが、再び政治パートとなります。
そして、大きな歴史の分岐点がありそうな気配が……






 

 

 

 1941年7月4日、この日、アメリカ合衆国では盛大に独立記念日が祝われていたが、生憎と本日の舞台はそこではない。

 

既に何度か登場している英国はロンドン、ダウニング街……

 

「これは一体どういうことですかな?」

 

 英国首相執務室に押しかけていたのは、なんとコープ・ハル国務長官だった。

 これをホームグラウンドで迎え撃つのは、史実より何か肝っ玉がさらに据わってる気がする英国首相”ウェリントン・チャーチル”と、日本皇国全権大使……欧州における日本皇国の政治的外交的親玉である”吉田滋”であった。

 要するに日英政治外交古狸コンビだ。

 

「何の話かね?」

 

 まずとぼけてみせるのはチャーチルであった。

 

「なぜ、我が国(アメリカ)に何の断りもなくドイツとの停戦に応じたと聞いているのですっ!!」

 

 するとチャーチルと吉田は呆れた顔を向け、同時にため息をついた。

 

「まず、根本的なことを言おう。君の国(アメリカ)には”中立法”があり、我が国(イギリス)とは同盟関係も何もなかった筈だが?」

 

 チャーチルはジロリとハルを見て、

 

「なぜ、我が国の外交判断に一々貴国の判断を仰がねばならん?」

 

 ド直球だった。

 

「しかし、我々はこの世界の平和を乱すものを打ち倒す義務があるはずですっ!!」

 

「誰のために? 何のために?」

 

「共産主義者の為に、ソ連を救うためにでしょうな」

 

 そう割り込んだのは吉田だった。

 

「米国は中立法と矛盾する法律、”レンドリース法”を今年の3月に可決させていますし。おそらくですが、その最初の対象国はソ連になるのでは?」

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ここで”中立法”と”レンドリース法”について少しまとめておこう。

 

 中立法の概要は、

 『大統領が戦争状態にある国が存在していること、または内乱状態にある国が存在していることを宣言した場合には、その国に対して武器や軍需物資の輸出を禁じる』

 

 レンドリース法は、

 『その国の防衛が合衆国の防衛にとって重要であると大統領が考えるような国に対して、あらゆる軍需物資を、売却し、譲渡し、交換し、貸与し、賃貸し、あるいは処分する』

 

 中立法が制定されたのは1935年、レンドリース法は41年、どっちも時の大統領はルーズベルトだ。

 強いて史実とこの世界線との違いを上げるなら、史実はフランクリン・ルーズベルトで今生ではフランシス・ルーズベルトであることぐらいだ。

 どっちのルーズベルトも、ものの見事なダブスタクソオヤジっぷりである。

 

 ちなみに中立法は「米国の孤立主義」ととられることもあるが、もう一つの側面がある。

 例えば、当時の中立法反対派でありルーズベルトの政敵であった共和党議員ハミルトン・フィッシュ3世の言葉を借りるなら、

 

『中立法では大統領が勝手に敵国を認定し、大統領の判断だけで貿易を制限したり、禁輸するようなことは大統領の権限を上回る行為であり、戦争を起こす危険がある。これは議会の宣戦布告の権限を形骸化するものだ』

 

 実際、中立法は恣意的に運用され、史実で日本を追い詰めた対日禁輸措置にABCD包囲網やハルノートは、実は中立法が土台になっているのだ。

 

 

 

「なにを根拠に?」

 

 内心の動揺を出さないハルの胆力は大したものだが、

 

「レンドリース法の主導的立場にある”ハリソン・ホプキンス”元商務長官は、最近は随分と頻繫にそれも”非公式な大統領特使”としてソ連側の人間と接触してるようですな? ああ、そうそう。同じくレンドリース法の後援者であるヘネシー・モーゲンソー財務長官は『日本人の家屋は紙と木でできるので焼夷弾で簡単に焼き払える』と発言し、その手下の財務次官補のハドソン・ホワイトはソ連のスパイですな。そう言えばローニン・カーリー大統領補佐官もソ連のスパイでしたな? 他にもまだまだありますよ? 大統領の奥方はスパイではないが共産主義のシンパ。大統領自身も『スターリンは共産主義者ではなく、ただロシアの愛国者であるだけだ』と語ったとかなんとか」

 

 ホワイトとカーリーがソ連のスパイだったことは、史実のベノナ文書にもしっかり記載されている。

 

「現米国政権には300人ものソ連への協力者が入り込んでいるのは事実ですよ。いつからと聞くのも愚問なほど昔から、米国はソ連の傀儡国家なようですのでね」

 

 吉田はフフンと鼻で笑いながら紫煙を吐き出し、

 

「なぜ、そのようなアカに汚染され自浄作用も満足にない国にお伺いを立てなければならぬのか、皆目見当もつきませんな」

 

 

 

「き、貴殿は我が国を愚弄するかっ!?」

 

 ついに感情制御を失った(演技かもしれないが)ハルに吉田は冷ややかな視線を向け、

 

「愚弄してるのはどっちかな? あなたの国の大統領は、確か非公式の場でこう発言してましたな? 『日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから凶悪なのだ』と」

 

 するとチャーチルは愉快そうな顔をして、援護射撃を開始する。

 

「そういえば我が国いる駐英公使と興味深いやり取りをしたようだね? 確か『インド-アジア系、あるいはユーラシア系、さらにいえばヨーロッパ-インド-アジア系人種なるものを作り出し、それによって立派な文明と極東”社会”を生み出していく。ただし日本人は除外し、元の島々に隔離してしだいに衰えさせる』だったかね? どの口がナチスの人種主義(レイシズム)を語る?」

 

 非常に残念だが……史実のルーズベルトも吉田とチャーチルが語ったような発言をしていたらしい。

 

「そ、それは……」

 

「ハル長官、我々は1921年のワシントン会議で、米国主導で”四カ国条約”が提案され、日英同盟を破棄させようとした行為を忘れたとお思いで? あるいは、米国が今でも対日戦争プランが更新され続け、新たな日本孤立化計画を策定中であることを知らないとでも? そういえば、米国陸軍航空隊が”日本を攻撃するための大型爆撃機”を発注したとかなんとか」

 

 もし、これらの陰謀あるいは策謀が成功していたら、この世界線でも”マッカラム覚書”が誕生しただろう。

 

「なっ……!?」

 

「なぜそれを?とは聞かないでくれたまえ。我々とて日々、酒と葉巻を楽しんでるだけではないのでね」

 

 

 

***

 

 

 

「そ、そのような態度をとってよいのですかな? レンドリースには英国に対する多額の援助も含まれているのですよ?」

 

 ちなみに日本皇国はレンドリースの対象に最初から入ってないあたり、米国の真意が見え隠れしていた。

 焦りを可能な限り隠すように努力しながら発言するハルに、チャーチルは実につまらなそうな顔で、

 

「いらんよ。英国はそんな物を頼んだ覚えはない」

 

 代々の”転生者(サクセサー)”が少しずつ変えてきた歴史、積み重ねてきた小さな変化が、英国にこの発言をさせたのだ。

 どこぞの番組ではないが……この時、確かに”歴史は動いた(・・・・・・)”。

 

「レンドリースを餌に英国を踏み台にでもする気かね? 残念だが、我々は米国に縋らねばならんほど困っとらんよ。ドイツとの停戦が成立した以上、無駄な戦費を抑えられるだろうしな」

 

「……ヒトラーを信用するので?」

 

 だが、チャーチルは葉巻を吹かしながら、

 

「いや、まったく。だが、武器やら援助やらと引き換えに貴国の指図されるまま、延々とロシア人を救うためにドイツ人と戦い続けるよりは被害・損失は少ないだろうな」

 

 そして嫌味ったらしい笑みで、

 

「君の大統領が炉辺談話(ラジオ)で吹聴していた『民主主義の兵器廠(プロパガンダ)』がしたければ、直接共産主義国家(ソヴィエト)やら君の大統領が病的なほど愛情を注いでいる中国にでもしたまえ。邪魔はせんよ。協力もせんがね(・・・・・・・)

 

 ちなみにルーズベルトが反日政治家であると同時に、大の中国シンパである事は残念ながら歴史的事実だ。

 一説によれば、彼の母親の実家が中国との交易で膨大な利益を出していたのも理由であるらしい。

 言い方を変えれば、”アメリカの親中派(チャイナハンズ)”の親玉が大統領なのだ。これで日米で戦争が起きない方がどうかしている。

 

「だが、我々には既に貴国(イギリス)への戦費貸付があるっ!!」

 

 ここまでくると恫喝外交じみてくるが、そんなものに動じるようでは英国首相は務まらない。

 

「それは返済するさ。”返済計画通り”にな。約束は守る。それが紳士というものではないのかね?」

 

 無論、英国の多重舌をよく知ってる吉田は「よくもまあいけしゃあしゃあと、どの口で言うか」と目線で告げているが、チャーチルは勿論気づいているが気にしてはいない。

 まあ、チャーチルの発言は『どうせ”参戦しないなら一括で返せ”というつもりなのだろうが、そんなものに応じてやる義理は無い』と暗に言ってるのであるが。

 

「ところでフランス……英連邦カナダのケベック州にも自由フランスを名乗る亡命政府があるが、そこにもそれ(・・)は請求しているのかね?」

 

「ッ!! 本当によろしいので? 今回の発言は、そのまま大統領に伝えますが?」

 

「構わんよ。好きにしたまえ」

 

 そしてニヤリと笑い、

 

「そんなにソ連を助けたければ、米国自らがパトロンではなく”この戦争のプレイヤー”になりたまえ。それが国家としての正しい姿というものだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてこの世界線の”大西洋憲章”は幻に消えた。

 そもそも、「第1回連合国会議」がこの時点でセント・ジェームズ宮殿で開催されていない時点で当然の成り行きだったのかもしれない。

 

 

 この後、帰国したハルはアメリカ人らしく「相手の欠点ばかりをあげつらう報告」をし、それがどこまで影響したのかは不明だが、米国はレンドリース対象国のリストから英国を外した。

 

 そして、世界はより混迷した方向へと動き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、米英が手を取り合う事は、この世界線ではありません。

同じく(少なくとも建前上は)ドイツと敵対しながら、やはり価値観(スタンス)が違いすぎました。

英国の米国に対する考えは、「敵対はしてないが、いつ寝首を掻いてくるかわからない、上昇志向の強い油断ならない国家」って感じでしょうか?

日本皇国は、「赤色勢力に汚染され、自ら除染もできない大国だが信用の欠片もない、強欲拝金主義国家」です。一般市民の感覚では。

なんか、歴代転生者達の努力の跡がw


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第67話 停戦後の各国の反応と帝国ホテル

今回は、日英とドイツの停戦合意後の各国のリアクションと、「その頃一方日本皇国では……」という雰囲気の話です。

※ポーランドについて一部内容を変更しました。








 

 

 

 日英とドイツの停戦、そして米国との会談不調はその後の世界に大きな影響、あるいは爪痕を残した。

 

 例えば、英国に居を構えていた多くの亡命政府が、ドイツとの停戦を受けて「英国はドイツと戦う意思なし」と判断し、交渉決裂の意趣返しに各国亡命政府の受け入れを表明した米国への移動を開始した。

 

 これは無論、本当の目的は意趣返しなどではなく「米国が参戦の口実を得る機会を作るため」の方策の一環なのだが、英国政府はむしろ……

 

『厄介払いが出来て丁度良い』

 

 というスタンスだった。

 実は英国も亡命政府の抱え込み過ぎで内心、その政治的なやり取りの面倒さに辟易していたのだ。

 特に英国の態度に激怒し真っ先に出て行ったのは、オランダ女王とその取り巻きである旧オランダ政府だ。

 実はこの時点ではボルネオ島などの蘭領東インドの扱いは一切どこからも公表されていなかったが、英国政府のドイツとの停戦合意に加え、親独的な態度が鼻に付き女王自らが解任したデ・ギア元首相をよりにもよって英国はオランダにチャーター船で送り返してしまったのだ。

 無論、オランダ王室に事前通達は無く、事後報告もなかった。

 実際、オランダ亡命政府がその事実を知ったのは、オランダから流れてくる「元首相の女王がいかに自分本位なヒステリックな判断で、オランダ国民を見捨てたのかを赤裸々に語るラジオ放送(プロパガンダ)」からであった。

 

 女王と亡命政府は英国政府に詰め寄ったが、英国政府は素知らぬ顔で、

 

『デ・ギア氏を解任し、公的役職のない無職の一民間人にしたのは女王陛下でしょう? ただの一民間人が帰国を希望し、現地(オランダ本国)の暫定だろうがなんだろうがの自治政府が許可した。それだけのことですが、何か?』

 

 これに激怒した蘭女王は亡命政府の家臣団と、カナダに退避していた娘まで引き連れアメリカのニューヨーク州に移動したのだった。

 この一連の騒動もまた、「ヒステリックな女王に堂々と正論をぶつけ解任された正義の人」というイメージ戦略を行っていたデ・ギア(初代オランダ共和国(・・・)首相筆頭候補)の格好の宣伝材料にされ、面白おかしく脚色されラジオの電波に乗って、あるいは新聞記事になり流布されたという。

 

 この尻馬に乗ったのが、西をドイツに東をソ連に取られて消滅したチェコはズデーテン地方を皮切りにボヘミア・モラビアと立て続けにドイツに併合(しかも厚遇)され、スロバキアは独立してドイツと昵懇となって消滅した国家”チェコスロバキア亡命政府”だ。

 いや、「(もはや存在しない)チェコスロバキアの再興を果たす」を目的としているチェコスロバキア亡命政府は、果たして亡命政府と名乗ってよいのだろうか? チェコは歴史用語になりむしろ併合後の方が生活は安定、スロバキアはドイツ傘下ではあるが、自治区ではなくちゃんと独立国として機能しているというのに。

 

 

 

 だが、ここで更に我々が知る史実とは大いに異なる扱いとなった国々がある。

 それを列記していこう。

 

 ・ギリシャ

  王様や王族がクレタ島に遷都して正統政府があるのに、亡命政権なんてあるはずがない。

 

 ・ユーゴスラビア

  そもそもドイツは放置を決めている。そして現在は内戦状態。亡命政府どころの騒ぎじゃない。

  

 ・ベルギー

  王室が「ベルギー元首相は降伏を受け入れず国民を見捨て敵前逃亡した」と発言し正式に解任+国外追放。亡命政府の存在を否定したため公的に亡命政府とは認められていない。降伏文書署名の翌日には王命の元に早速、新たな内閣の組閣準備が行われた。ドイツは国王の王権と王立議会の正当性を認め、最大限の尊重と保護を確約していた。

  

 ・デンマーク

  実はこの世界線では不可侵条約は未締結。戦略的な要所であった為に侵攻はしたが、6時間の戦闘でデンマークが降伏した。その後、ドイツはドイツ軍の駐留と一部基地のための租借の条件だけ出し、即座にコペンハーゲンを含む全土の解放(返還)と政府機能の復旧を行った。また、デンマーク王家の保護も明言している。つまり、逃げる暇もなかったため亡命政府は存在しない。

 

 更に異なるのが、ルクセンブルクとノルウェーだ。

 実はこの2国に関しては、この世界線においてドイツは侵攻していないのだ。

 何故か?

 意味も理由もないからだ。

 フランスの制圧と友好国化ができれば、別にルクセンブルクのような狭い土地を抑えるのに労力を投じる必然性はなく、コストパフォーマンスが悪いと判断された。

 そしてノルウェーなのだが……そもそも史実においてドイツがノルウェーに攻め込んだ理由は、根本的には「英国の本土侵攻」を本気で考えていたからであるが、何度か出てきたようにこの世界線において”アシカ作戦”は本気で実行するための計画ではなく、あくまでブラフに過ぎなかった。

 本当の目的は英国の実力を図ることであり、ヒトラーの真の目的は「英国本土の上陸作戦など不可能」ということを徹底的に周知させることにあったように思える。

 

 そんな状況なのに地続きでもなく、海軍を消耗させるようなハイリスクな作戦をとる必要などなかったのだ。

 

 また、フランスのド・ゴール率いる自由フランスを僭称する勢力は前にもふれたとおりに史実と異なり、ロンドンではなくカナダのケベック州に居を構えているので、フランス系住民の志願兵募集を行っている関係もあり、そこから動く気は無さそうだ。

 ただし、英国の態度には激怒しているのは確かだが。

 

 ・ポーランド

  逆に史実と同じく「ロンドンにとどまっている亡命政府」もある。

  そう、”ポーランド”亡命政府だ。

  ドイツと関わった多くの政府・国家が我々の知る歴史と異なる歩みを始める中、ポーランドはアメリカに向かうことなく、状況を静観していた。

  その動きのなさが、逆に不気味と言えば不気味だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、このような状況の解説を終えると、流石に日本皇国本土の動きが気になるところだ。

 そこで視点を帝都東京、ライト館の別名を持つ帝国ホテルの個室ラウンジに移してみよう。

 

「悪いね、休日なのに呼び出してしまって」

 

「ふん。一国の”Minister of Foreign Affairs”の呼び出しを受けて応じないわけにはいくまい? これも大使の務めさ」

 

 ”Minister of Foreign Affairs”、つまりは外務大臣だ。

 そう、人目を避けるようにこの席を設けたのは日本皇国外務大臣”野村 時三郎”であり、それに応じたのは米国駐日大使”ジョシュア・グルー”であった。

 今回は公務ではなくあくまで非公式な会合、「友人を飲みに誘った」という体裁をとっている。

 

「アメリカ本国は大騒ぎらしいね?」

 

「おかげさまでね。どこかの国の差し金なのか知らないが、米国(うち)の国務長官と英米首脳陣との会合内容が盛大にマスコミにリークされたからな。ご丁寧なことにうちの政権にいるアカに関するコメントまで添えて」

 

 野村は苦笑しながら、

 

日本皇国(わがくに)は前々から注意喚起や警告はしていたはずだが? それに大騒ぎな理由は、それだけではないだろう? なんでも各国の亡命政府を名乗る集団やら王族やらが押しかけてきてるとか」

 

 するとグルーは溜息を突いて、

 

「それもこれも、日本と英国がドイツとの戦争をやめると宣言したせいだろ?」

 

「あくまで停戦合意に達しただけだ。別に和平も和睦も、予備交渉すらしてないが?」

 

「それでもだ。どうして、日本はその判断をしたんだ? 今日は本音を聞きたくて来たというのもある」

 

 野村は少し考え、

 

「ドイツは敵だ。だが、同時にソ連も敵だ。知ってるかね? ソ連は未だに我が国に対する浸透工作・間接侵略を諦めていない。おそらく英国でもそうだろう。ケンブリッジ・ファイブの醜態や失態を彼らは忘れてはいない」

 

 残念ながら事実であった。

 ゾルゲ・尾崎事件のみならず、既に”潰した”が「太平洋問題調査会」や様々な共産系組織や機関を隠れ蓑に暗躍を続けていた。

 

「明らかにしていないがね、皇国でも青年将校によるクーデター計画が存在していたんだよ。無論、表沙汰になる前に関係者のことごとくを”始末”したがね」

 

「なっ!?」

 

 そうなのだ。

 この世界では二・二六事件も五・一五事件も”未然に防がれた”だけであり、計画自体は存在していたのだ。

 ただし、それらの事実は表に出ることは無く闇から闇に葬られ、一時期”訓練中の事故死(武器弾薬の暴発など)”や”行軍訓練中の遭難”などの記事が新聞の片隅を賑わせただけだ。

 一部、開明的な報道機関が装備や人的資源の軍の質の低下を指摘したり、軍の訓練方法に問題があるなどの貴重なご意見を出していたが、自主的に情報誘導してくれるならありがたいと国は放置した模様。

 

「その背後に、少なからず赤色勢力が暗躍していた痕跡があるんだよ」

 

 正確には米国諜報機関の工作員の姿も見え隠れしていたが、賢明な野村はここでそれを言う必要はないと判断していた。

 そもそも、米国の諜報員と共産主義者の諜報員を分けて考える必要はないという事情もある。

 

「本当か……?」

 

 目をむくグルーに野村は小さく頷き、

 

「その状況で、『共産主義者を救うためにドイツとの戦争を継続します』だなんて言えると思うか?」

 

「……つまり、日本はソ連と水面下で暗闘中ということか……」

 

「違うな」

 

 野村は首を横に振り、

 

「日ソは日露の頃よりずっと戦争を継続中、砲弾が大規模に飛び交ってないだけで交戦中なんだよ。彼らと恒久的和平を結んだことは一度もない。日本が皇国である限り、これからもそうだろうさ」

 

 

 

 その言葉は鉛よりも重い響きを持っていた……

 それは厭が上でも今日もどこかで「不審な死を遂げた躯」が転がることを示していた。

 

 転生者達が陰日向に尽力して作り上げた”日本皇国”という国家システムは、史実の大日本帝国で散見されたこれ見よがしな暴力は「無駄ばかりでスマートではない」という理由から好まれない。

 反面、国家や国民の平穏を乱そうとする者……「この世にいるよりいない方が都合が良い存在」に対しては、史実以上に容赦も躊躇もないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツに占領された国々のその後が、明暗の落差がありすぎ問題w

そして、日本は改めて「決してソ連やら共産主義者やらとは手を結べない」と米国に通達した回でした。

ご感想をお待ちしております。





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第68話 渤海海峡通商条約 ~それはかつて確かに存在した筈の日米友好の時間~

今回は、このシリーズ過去最大の文字数になりました。
ずっと入れたかった第一次世界大戦以降~現在までの日米関係、それに大陸や半島情勢の話になります。




 

 

 

 さて、前回の話を掌返しするようで悪いが、実は日米にも蜜月期とは言わないが接近し、互いに友好的に接した時代がなかったわけでは無いのだ。

 例えば、第一次世界大戦直後、ヴェルサイユ条約が締結され、各国で戦後体制や戦後復興が動き始め世界恐慌で終焉を迎える”黄金の20年代”初頭の頃だった。

 ソヴィエト連邦はまだ正式に樹立していないこの時期、日本皇国は困り果てていた。

 最初から日英同盟に基づき第一次世界大戦に連合皇国側としてフル参戦したご褒美に、日露戦争の時に英国からの借款はチャラになったが、それだけでは戦費が足りず米国から借金をしていたのだ。

 いや、それならまだ返す算段は立ったが、戦後賠償の一環として日本に併合された土地の多さに頭を抱えていた。

 おさらいになるが、日清戦争で日本は台湾島・海南島・遼東半島を領土として手に入れた。

 日露戦争では遼東半島を守り切った結果(というより、基本的に日露戦争は遼東半島防衛戦に終始していた)、判定勝ちで樺太島全域を日本領土とした。

 

 正直に言おう。この”新領土”の国土開発が終わる前に第一次世界大戦は始まり、日本は新たな領土を得てしまった。

 史実では青島だけだったが、日本がハッスルしたために青島のある山東半島全域、そして史実通りの南洋諸島だ。

 南洋諸島はまだ良い。人口も当時は少なくこれといった産業もない。正直に言えば、(対米戦を考えなければ)農地開発と観光業で経済を成立させることが可能だ。

 

 しかし、山東半島は大問題だった。

 当時の情勢を説明すると、実は既に自国領だった遼東半島の維持運営すらも、第一次世界大戦で消耗した日本皇国にとっては既に重荷だった。

 何せ外部、国境線の東側ではロシア革命の真っただ中で、いつ飛び火してくるかわからない。内部では日清戦争の結果を受け入れられない中華思想をこじらせた現地人と共産主義にかぶれた現地人が不穏な動きをして久しく、じりじりと治安コストを押し上げていた。

 特に中国を半ば植民地していた北京条約に署名した八ヵ国連合が米国を除き第一次世界大戦の影響で国力を落とし、かつてのほどの軍事力行使を中国大陸でできなくなっていたため、中華思想的運動が高まりを見せており今後も維持コストの上昇が予想されていた。

 

 話はずれているように感じるかもしれないが、史実の大日本帝国の中国大陸進出の理由の一つが、実は食糧事情にあったことをご存じだろうか?

 当時、稲をはじめとする主要作物の品種改良は今ほど進んでおらず、作付面積の割には収穫量は低く、また大規模開墾や広範囲農地に必須な重機や農機、いわゆる農業の機械化はまったく進んでいなかった。

 これらが増え続ける日本の人口を賄うために、自国領の拡大……広大な農地を必要とした理由である。

 

 

 

 だが、この世界線は少なくとも食料自給率に関しては、大幅に状況が異なる。

 はっきり言えば、農業特化型の歴代転生者が色々やらかしたのだ。

 まず、史実では太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)にようやく開発に成功した「寒さに強いコメ」の代表格である”コシヒカリ”が30年近く早い第一次世界大戦の最中である1917年に開発され、戦後の安定期に入ったこともあり瞬く間に全国に普及した。

 また増えた収穫量に呼応するように、なんと史実より30年以上早く動力式設置型自動脱穀機や動力式刈取機(バインダー)、それに国産トラクターや耕運機が1920~30年代に相次いで登場しているのだ。

 

 人によっては、”日本皇国のモータリゼーションは、自動車より先に農業分野において行われた”と主張するほどの急発展ぶりだった。

 それは「自動車に搭載するには馬力はでなくてもコンパクトな発動機」の開発や量産に成功したからであり、それは当時から現在まで続く国策として資金を投じ続けている各種発動機(エンジン)電動機(モーター)の研究成果だった。

 

 そのせいもあり、少なくとも主食である米とやせた土地や寒冷地でも育つイモ類において、日本は食糧不足の危機から1930年代半ばからはよほどの事がない限り解放され、また日英同盟が健在だったために巨大な作付面積を誇る英連邦豪州などから必要なら輸入も不自由なくできたのだ。

 

 ちなみに食糧輸入額に関しては、1941年現在でも米国にもかなりの金額を支払っている。

 さらにブルドーザーなどの重機や自動車、日本では製造していない大型農機も輸入してたりしているので、実は貿易額はかなり大きく、対日貿易に関しては米国は完全に黒字だった。

 

 

 

***

 

 

 

 そんな事情もあるのに、将来的に作付面積あたりの収穫量の拡大、それによる食糧生産量や自給率の改善が見込まれてる中、山東半島併合はハイリスク・ローリターンでしかなかった。

 当時の日本皇国がどれほどその事態を忌避していたかと言うのは、その後に「日本を中国大陸に押し戻そうと政権転覆による方針転換を目論む勢力」が国内に出てくるたびに、主義主張民族人種を一切合切問わずに、手段を択ばずに叩き潰したことからも見て取れる。

 

 さて、そんな中に声をかけてきたのが米国だった。

 米国は日本に、こう声をかけてきたのだ。

 

『遼東半島を売ってくれるなら、第一次世界大戦の戦費貸し付けをチャラに、山東半島も含めるなら更に同額だそう』

 

 と。これに当然、日本は飛びついた。

 英国のネガティブキャンペーンもあり、ファーストコンタクトこそ成功したとはいえない対米関係だったが、第一次世界大戦においては戦費を調達できる程度には関係は改善していた。

 これは、前にも少しだけ触れた国内の急速な近代化による労働力確保の為、明治政府発足後、程なく他国への移民を原則禁じ、また早期に移民していた日本人にも帰国命令が出ており、米国における日系移民が事実上存在しなかったというのも大きい。

 全くの皆無というわけではないが、それでも史実と比べるなら1%以下である。

 つまり、日米問わず”コミュニティと認識できないほどの少数派(マイノリティ)”であり、アメリカ人のほとんどは日本人がごく少数ながら米国にいることを知らないでいた。

 もし、史実のような日系移民の多さゆえの排斥など起きていたら、こうはならなかっただろう。

 

 そんなバックボーンの中、当時の日本皇国政府は「この先、遼東半島と山東半島を日本皇国領土にした場合に試算された出費と歳入(=大赤字)」を国民に大々的にアピールする一大キャンペーンをうったのだ。

 ただし、その試算には未発見、あるいは未発掘の地下資源などは当然のように含まれていない。

 未発見はともかく、未発掘な資源は治安的な物から技術的な限界も含め相応に「採算が合わない」と判断されたもので、手の届かない”絵に描いた餅”以外何物でもないというのが理由だった。

 

 

 

 そして、米国には米国の事情があった。

 米国の第一次世界大戦参戦は終戦の1年前である1917年であり、その分、得られた戦時賠償請求権は小さく、また実益がほとんど無い為(後々、ドイツの恨みを買うリスクを考えれば)請求権放棄は当然の結果だった。

 当初は英仏などに貸した戦費の回収とその利息で満足する予定だったが、そこに駐日米大使から転がり込んできたのが、「皇国政府から受けた借款返済に対する相談」だった。

 元々、中国市場を新たな経済的フロンティア、あるいは未開拓巨大市場(ブルーオーシャン)と考えていた米国財界人は多くいたのだ。

 そんな米国にとり、日本の窮状はまさに本格的に米国が中国大陸に進出し、権益の大幅拡大を狙える千載一遇の好機だった。

 

 そして、案の定、日本は食いついてきたのだ。

 おまけに日本は大陸経営から完全に手を引きたい、金を出すなら日本が持つ北京条約における権益を全て米国に売却、撤退すると言いだしたのだ。

 当時のアメリカ人政府高官は日本人の商売下手と国の貧乏さを内心で笑いながら、結局、第一次世界大戦の戦費貸し付けの3倍の金額を日本に即金で支払ったのだった。

 

 付け加えると、この金額は未だ恐慌を経験しておらず、終戦の解放感から経済が伸び盛り、連日のように株式市場が高値更新していた金満アメリカ合衆国にしてみれば大した金額ではない。

 何しろ、3倍にしても英仏に貸し付けた戦費の元本よりずっと安いのだ。

 この時の取引、渤海と黄海を隔てる二つの半島による渤海海峡に関する取り決めのため……

 

 ”渤海海峡通商条約”

 

 と呼ばれたそれは、間違いなく日米にとってWin-Winの商取引であった。

 日本は米国を更に喜ばせるようにこう宣言を加えた。

 

『朝鮮半島を含め、今後、中国大陸に”例え何が起きようと(・・・・・・・)”日本皇国に軍事的実害がない限り、一切関知しないし関与も干渉もしない』

 

 と。また、大陸産の物資商取引は北京条約加盟国のみと行い、宣言を遵守するため現地勢力(ちゅうごく)との商取引や交易、政治的交流も禁止すると明言し、法で定めた。

 つまり、中国大陸の政治や経済の問題を今後は日本に持ち込むなと言い放ったのだ。

 そりゃもう、明らかに「戦後の中国関係やら南北朝鮮関係にうんざりした経験をもつ転生者」が頑張ったのだろう。

 

 日本皇国からすれば損切の厄介払い以外何物でもないが、米国には「自分の力をよくわきまえた、サムライらしく潔いよい全面撤退」と国力の小ささに対する皮肉と(貧乏さに対する)憐れみ交じりだが、総合的には好意的に解釈された。

 裏事情をある程度分かっていた英国は何も言わなかったし、当時の「自分の国の戦後処理で手一杯」だった英国にできることはなかった。

 日本には潤沢に金を払い、英国には戦費の貸し付けを減額なしで支払えとする政策は、明らかに離間工作ではあったが、だからと言って日英の国民気質から考えて、米国の情報操作にさえ注意すれば大きな問題にならないことも分かっていた。

 

 

 

***

 

 

 

 その後も、米領遼東・米領山東となった後も大きな歴史的変遷はいくつもあった。

 ソ連樹立や世界恐慌、ナチスの再軍備宣言は言うまでもない。

 

 だが、日本の周辺だけ見ても、例えば、日露戦争でロシアが侵攻し占領した朝鮮半島38度線以北は”朝鮮人民共和国”となり、残った38度線以南は大韓帝国から今や隣国となった米国の意向もあり比較的流血少ない(無血ではない)政変により、君主制を廃止し議会制民主主義国家”大韓共和国”として再出発した。

 

 中国大陸ではついに(本当に日本が足抜けし、その後何も介入しなかったため満州事変も満州国もない)どこにも保護を受け入れられなかった愛新覚羅は失意の中で絶えた。

 中国大陸は新たな国家構築を目指した孫中文死後、ソ連を背後に持つ共産党と米国を背後に持つ国民党が袂を分かちつつ鎬を削り、一時期激しい内戦を繰り広げていたが……30年代後半には徐々に小康状態になり、1941年現在は国境線が未だあやふやなままだが、ソ連の支援を容易に受けれる西部を拠点に共産党が起こした”中華人民共和国”、(皮肉なことに)米国の支援を潤沢に受けれる史実の満州から沿岸領域の東部を拠点とする国民党が立ち上げた”中華民主共和国”がそれぞれ国家を名乗っていた。

 ただし、日本皇国はどっちとも国交は当然ない(無論、大韓共和国とも)。

 

 

 

 

 

 

 まあ、これらの事情を考えると、米国が共産主義やら国民党やらに食い荒らされる遠因は日本皇国にもあるような気はするが……

 

「しかし、ノムラ……これは合衆国政府の人間ではなく私人として、いや友人として言わせてもらうが、君の言うことが事実だとしたら、今後の日米関係はかなり不味いことになるぞ?」

 

「というと?」

 

「ルーズベルトは病的なほど中国を耽溺し、日本を毛嫌いしている。また、中国人の一部は日清戦争の恨みを忘れていない」

 

「知ってるさ」

 

「あの大統領なら、今すぐでなくともドイツやソ連の問題が何らかの形で片付けば、いつ日本に逆恨み(・・・)をぶつけるかわからん」

 

「そうかもな。だが、それでも仕方あるまい? 日本皇国はソ連の為に、あるいは米国の為に存在しているわけでは無い。日本は日本人の為に存在しているんだ」

 

「例え、米国と開戦することになってもか?」

 

「移民の末裔たるアメリカ人には、土着性の強い日本人の心情はわからんかもしれんが……」

 

 野村は紫煙をくねらせながら、

 

「結局、日本人が日本人として生きて行ける場所は、世界で日本皇国しかないんだよ。我々(日本人)はそういう風にできているのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こうして日本は米国に遼東半島と第一次世界大戦で手に入った山東半島を米国に売却し、半島を含めて大陸から完全に手を引きました。

冷害に強いコシヒカリって偉大だねw

まあ、転生者達が政治面でも技術面でも農林水産面でも色々頑張った結果と言えるという現在です。

ただし、これらの蜜月とは程遠くても、比較的平穏だった日米関係はルーズベルト大統領就任と同時に終焉を迎えました……





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第69話 1941年7月14日、仏蘭西、巴里

今回は、長い話ではないですが……とても大きな歴史の分岐点になるかもしれないエピソードです。




 

 

 

1941年7月14日、フランス、パリ

 

 7月14日はフランス建国記念日、あるいはフランス革命記念日。1789年のこの日、バスチーユ監獄襲撃が行われたことが発端になった。

 日本では”パリ祭”としても知られるこの日……

 

 1941年の7月14日は同じく歴史的瞬間であり、同時にフランス本土に住む多くのフランス人、特にパリジャンやパリジェンヌたちはまさにこの瞬間を待っていた事だろう。

 

 パリ市のあちこちで昼花火が盛大に爆音を響かせる中、エッフェル塔や凱旋門上空には再生産が開始されたドボワチン”D520”が、赤青白のフランス国旗を示すトリコロール・カラーのスモークを引きながら華麗に駆け抜ける。

 

 街には赤青白の紙吹雪やカラフルなテープ、造花が舞い、”Toutes nos félicitations! Paris Libre !!(祝! パリ解放!!)”の横断幕があちこちになびく。

 街中を走る車は歓喜を抑えきれぬように賑やかにあるいは喧しくクラクションを鳴らし、それに負けじと楽団が思い思いに演奏し、マーチングバンドが街を練り歩く。

 

 何とも喧騒と活気に溢れた光景……久しぶりに見る”華の都”に相応しい風景だった。

 

 そう、今日をもってパリは再びフランス人の手に戻り、フランスの首都として返り咲くのだ!!

 

 

 

***

 

 

 

”待たせてしまってすまなかったな。親愛なるフランスの諸君(シトワイヤン)

 

”フランスにとって特別な日である7月14日、建国の日であり革命の日でもある本日をもってパリは再び諸君らの手に戻る”

 

 ラジオから流れるヒトラーの肉声、想像以上に流暢な発音のフランス語(・・・・・)に、パリで、フランス全土で”フランス万歳!(Vive La France)”と歓喜の声が響いたっ!!

 

”だが、どうか忘れないでほしい。今日、この日があるのはフランス大統領”フィリベール・ペタン”氏と彼を支える新内閣の面々による並々ならぬ努力があった事を。私は彼らのフランスの民を守りたいという想いに心打たれ、彼らならフランスを、民を任せられると感じたのだ”

 

 後年、多くの人間がヒトラーの演説には魔性があると評することになる。人を惑わし魅了する魔性が……

 

”君たちに敗北の痛みを与えた私が言うのは筋違いなのかもしれない。私に憎悪を向ける者も多いだろう。だから、それが戦争だ。割り切れとは言わない”

 

 ヒトラーは、演説の内容により器用に声質を変える。

 戦意高揚の時は、硬質なドイツ語の発音を生かした力強い声を。

 そして、今日のように解放を祝う時は、フランス語の柔らかい発音を生かした国民一人一人に語り掛けるような声で……

 

”だが諸君、胸を張るんだ。例え、降伏という事実は消えなくとも、パリが諸君らの手に戻る今日をもって敗戦国(ヴィシー)という不本意な名はなくなるのだ。なぜなら、”

 

フランス共和国(・・・・・・・)”は、パリが解放される今日この日持って国際社会に正式に復帰するのだから!!”

 

 

 フランス本国全土でひときわ大きくなる”Vive La France(フランス万歳)!!”の大喝采!

 そして、ヒトラーは優しく語り掛ける。

 

我々(ドイツ)は、決して国家社会主義(ナチズム)をフランスに強要はしない。共和制を続けたいのなら、そうすればいい。我々は止めないし、邪魔もしない”

 

”なぜなら、ここは君たちがその手で取り戻した、君たちの国なのだから”

 

 フランス人は理解してしまった。

 かの独裁者は、独裁者という名の異星人でも人の言葉が通じぬ化物でもないという事を。

 理解してしてしまったのだ。残念なことに、アウグスト・ヒトラーという男もまた、自分達と同じ人間の一人に過ぎないという事を。

 

”中立を望むならそれでも構わぬ。それが誰に押し付けられたわけでもない、フランスの民が決めた選択だというのならば”

 

”我々が望むのはささやかな平和と、ドイツとフランスの友情だ。フランス人が望む中立を守れるように、そしてもう二度と我々が戦うことがないように”

 

”願わくば、フランスの平穏が永らく続くように”

 

 

 

***

 

 

 

 『ヒトラーのパリ解放宣言』

 歴史にそう記されることになるその演説は、長くもなく力強くもなかった。

 荘厳な言葉選びもなく、大志や野望が語られる事もなかった。

 ただ、乾いてひび割れた土に、霧雨がそっと染み込むように語られた……ささやかな独仏の和平への願いが込められた、優しい声の演説だった。

 そう、歴史書には書かれている。

 

 まさにフランスでゲッペルス自らが陣頭指揮を執った数々の情報工作の総決算に相応しい、完成度の高い演説(プロパガンダ)だった。

 そして、これはこの世界線におけるドイツの”侵攻→占領→解放(親独再独立)”という流れるようなマッチポンプにおける”理想的モデルケース”とされるようになったのだ。

 

 そう、フランスに続き、次はおそらく立憲君主制から議会共和制へ新たな舵きりを行うオランダ共和国(・・・)か? はたまた、国民の命を守るために国より離れなかった敗戦してもなお誇り高き”英雄王”のいるベルギー王国か。

 いずれにせよ、ドイツの方向性が明確に示された、とある1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それは、自由フランスと名乗る組織、フランス亡命政府に所属する人々にとり、生涯忘れることのない最悪の瞬間だったろう。

 否。史上最悪のプロパガンダだった。

 特にそれを率いる”シャルマン・ド・ゴール”にとっては。

 

 よりによってヒトラーは、”共和制(・・・)フランス”の復活を宣言したのだ。

 降伏前、敗戦前と変わらぬ、”パリを首都とした、フランス人によって治められる共和制の祖国(フランス)”の復権を。

 自分達を抜きにして(・・・・・)

 

「殺してやる……ヒトラーも、ペタンも」

 

 ラジオからヒトラーに続いて流れるかつての上官(ペタン)の演説を聞きながら、ド・ゴールは拳を握りしめる。食い込んだ爪で血が流れるのも構わずに。

 中継されるフランスの国歌、国歌として復活を果たし喜びを抑えきれぬように高らかに歌い上げられる”ラ・マルセイエーズ”の大合唱に、ただただ苛立ちしか感じない。

 だが、この時のド・ゴールは気付いていなかった。

 

「誰と手を組んでも、どんな手を使っても……!!」

 

 その憎悪が何を意味するかを、何より……

 

「私こそが誰よりもフランスの大統領なのだっ!!」

 

 もうフランスに彼が戻る場所など、とうに無いという事に。

 そして、ラジオ放送の中で日英から「(どちらがが正統かはさておき、とりあえず)フランス人の手にパリが戻ったことを祝う」という内容の祝電が届いた事が告げられた。

 それは、ド・ゴールにとり、英国の明確な”裏切り”にしか感じられなかったのだ。

 最初は、自由フランスのみが正統なフランスと宣言していたのに、停戦すると同時にあっさり掌を返した英国人に恨みの炎が激しく燃え盛る。

 そしてその炎が消えぬまま、秘書官に告げたのだった。

 

「ルーズベルト大統領に、電話会談の要請を入れろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本来あるべき流れから、歴史が大きく歪んでゆく様は楽しんでいただけたでしょうか?

ヒトラーは史実と異なり占領を続けることもなく「フランスをあるべき姿に還した」だけでした。

そして、史実ではアメリカという他人の褌で”凱旋”したド・ゴールは果たして……?

ご感想などもらえるととても嬉しいです。
よろしくお願いします。






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第70話 1941年7月21日、ケベック州独立宣言

歴史は歪み、大きなうねりとなってゆきます。
もはや、誰にも行く末はわかりません。






 

 

 

 さて、パリ返還? 復活?

 ともかく、フランスの”二重の意味での(あるいは二度目の)建国記念日”となった1941年7月14日が過ぎ、それから1週間後の7月21日……

 世界を驚愕させ、ある意味において震撼させるイベントが起きたのだ!

 

『我々ケベック州は英連邦からもカナダからも独立し、本来の姿である”ヌーベル・フランス”の精神に立ち戻り、真なるフランス”自由フランス”の建国を宣言する! そして、モントリオールを首都として定め、同時にフランス本土を不当に占拠するドイツの傀儡たるペタンとその一派に対し、我々こそが本来ならパリにいるはずの正統なるフランス政府だと主張し、フランスを売国奴の手より奪還することをここに誓うっ!!』 

 

 そして拳を高く振り上げ、

 

『心あるフランス人よ! 誇りあるフランス人よ! 我がもとへ集えっ!! そして、再びフランス人の手にフランスを取り戻すのだっ!!』

 

 ケベック州が、正確にはケベック州の州都モントリオールに拠点を置く(自称)亡命フランス政府、(自称)自由フランス大統領、シャルマン・ド・ゴールが英連邦カナダより独立を宣言した。

 これが可能だったのは、例えば英国がフランス亡命政府に志願兵(義勇兵)募集の許可をフランス系住人(・・・・・・・)に限り認めたこと、亡命政府は亡命政府なりに組閣し機能していたこと、そして国境線の向こう側にある伝統的にフランス贔屓の米国が”レンドリース”の対象として大規模な支援したことなどが理由だった。

 

 ただし、流石に国境線(ケベックの州境)の閉鎖などはしてないようだが。 

 そして、同時にアメリカ合衆国、ソヴィエト連邦、中華人民共和国、中華民主共和国、大韓共和国が即座に自由フランスの独立承認とその建国の正当性を支持した。

 後は有象無象と言ってよい、アメリカに根を張ろうとしているオランダなどの亡命政府もだ。

 

 

 

 そして、世界の多くの独立国は……

 

「「「「「「「「「「はぁっ!?!?」」」」」」」」」」

 

 だった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、まず最初に混乱と困惑から立ち直ったのは、当然のように親元(・・)である英国である。

 

『確かにケベック州は英連邦に反抗的であり、歴史的、あるいは人口学的民族構成から見ても前々より独立の機運が強いのは知っていた。それを承知でド・ゴール一派を送り込んだのだが……』

 

 1941年当時のカナダの人口は1200万人弱。その1/4ほどがフランス系で、その8割がケベック州に住んでいた。

 カナダは第一言語が英語だが、ケベックだけが第一言語をフランス語にしているあたり、その背景が伺える。

 つまり、300万人のフランス系カナダ人のうち、約240万人がケベック州に在住している計算になる。

 こうなったのも、かつてカナダは支配権を巡り英仏が戦った場所であり、結果として英国が勝利したが、カナダが英連邦の一員となった後もフランス系住人はケベック州に立てこもった形になる。

 

『流石に、ここまで愚かだったとは思わなかった』

 

 歴史上、素直という評価だけは受けたことがない英国人にして珍しく率直な感想を、時の首相”ウェリントン・チャーチル”は公共電波で流した。

 

『当然だが、我々英国、そして英連邦は国王陛下の名に懸けて、ケベック州の独立などという世迷言を認めることはありえない』

 

 ちなみにケベック州の広さは、スペイン・ポルトガル・フランス本土・オーストリア・イタリアを合計した面積に匹敵する広大な土地を誇り、土地面積だけなら確かに国家を名乗れるだろう。

 

『ただし、現在は停戦しているだけで、変わらずドイツとの戦争状態にある。故に茶番に付き合う気もない。ケベック州を不法占拠(・・・・)しているフランス系武装集団(・・・・)が、他州に進出しない、または無垢な英連邦人(・・・・)の流血を起こさない限り、即座に武力による奪還は施行しない』

 

 チャーチルは、かつてロンドンに居ついていた亡命フランス政府、自由フランスを”違法なフランス系武装集団”だと断言したのだ。

 

『しかし、残念ではある。こうなってしまえば、英連邦の一つであるカナダに住まう人々の生命と財産を守るために、英国首相としての責務を果たすために来るべきドイツとの再戦に向けて準備していた精鋭部隊を、カナダに配置せねばならなくなった。全くもって残念だ』

 

 その言葉に全く残念さを感じないのは仕様である。

 

『これでは、ドイツとの戦争計画は最初から練り直しになるな』

 

 そうマイクの前で紫煙を溜息と同時に吐き出したのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 次は当然のようにフランコ政権のスペインと同じように親独中立国として復権を果たしたばかりのフランス共和国、フィリベール・ペタン大統領で、

 

『まずは英国国王、並びに英連邦の人々に心より陳謝を。我が国(フランス)とは一切無関係(・・・・・)な、”反政府武装組織”がしでかした暴挙ではあるが……彼らの首脳部が元々は旧政権時代のフランスの軍籍や国籍を持っていたことは間違いがなく、我々(フランス)の不徳を痛感している』

 

 そして鎮痛の極みという声で、

 

『よってここで宣言する。自由フランスを名乗り、ケベック州で違法占拠を行ったフランス国籍を持つ者に対して永久的なフランス国籍の剝奪をだ!!』

 

 つまり、もはやド・ゴール一派は「フランス人ではない」という既成事実が出来上がった。

 彼らがどうなろうと、フランスは文句を言うことは無いと。

 

『また、我が国の国際社会における信用を失墜させたテロリスト(・・・・・)として国際指名手配し、もしフランス領に入ることがあるのなら、逮捕と裁判を行うと。我々は、()フランス人の現在は無国籍の武装犯罪者集団に断固とした処分を行うと約束しよう!!』

 

 フランスの法律でテロリストは一般的に……まあ、フランス名物ギロチンにはかけられなくとも、この世にいられる確率はあまり高くないだろう。

 

 

 

***

 

 

 

 次に我らが日本皇国だが……

 

『我が国は立場上、二つ存在した(・・)フランス政府を名乗る組織のどちらが正統かを明言しないできたが……』

 

 義務教育や健康保険・厚生年金の制度を整備し、日本医療団を創設、はたまた大規模な国土開発計画に各種国内インフラ整備と外政より内政に定評のある日本皇国の近衛首相は、

 

『我が同盟国に牙をむく勢力に、一切の正当性を認めることはできない。これより日本皇国は、パリを首都(・・・・・)とするフランス政府のみを正統なフランス政府として認識する。フランスが中立国として国際社会に復帰するというのであれば、今後、政治的な折衝や交易の再開なども始まるだろう。だが、いかなる状況であれ交渉であれ、我らがフランスとして認めるのは、フランス唯一無二の正統政権であるパリ政権(・・・・)のみと宣言する』

 

 まあ、当然の反応であった。

 因みに仏領インドシナの割譲は、未だに表には出ていない(蘭領東インドの東側もだが)。

 おそらく、詳細はパリ政権のペタン首相との話し合いになるだろう。

 というより本人は内心で、

 

(何が悲しゅーて、俺っちが反日ヤンキー老害と粛清愛好家の下種野郎から伸びた紐がケツに付いた俺様至上主義の阿呆と(ツラ)を合わせにゃならんのでぇい!)

 

 という感じだろうか?

 良いとこの生まれなのに、中身は江戸っ子の近衛であった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、トリを飾るのは当然のようにドイツである。

 

『わざわざ英国の土地を削り独立とはな。しかし、ド・ゴールは”自由フランス”の建国を宣言する意味はわかっているのか?』

 

『フランスと異なる名を持ち、他国の土地を奪い、国として独立したのだろう? それは最早、別の国だ。ド・ゴールが、いや自由フランスがもしフランスの土地に攻め込んだとしたら、それは祖国奪還などではなく……』

 

 電波を通じて広がる声に失笑を混ぜ、

 

『ただの侵略なのだが?』

 

 そして呆れの声を少し混ぜつつ、

 

『ソ連を出たロシア人、例えばトロツキー一派がアラスカ州やニューメキシコ州に脱出し、そこで亡命政府を立ち上げ独立を宣言し、ネオ・ソビエトを名乗ったら? そして、モスクワ奪還を御旗に掲げるとしたら、米ソはそれを認められるのかね? あるいは、各国亡命政府が米国内で同じように独立を宣言したら? 例えば、ペンシルベニア州に一族が揃うオランダ王室が新オランダ王国建国を宣言したとしたら?』

 

 アウグスト・ヒトラーは語り掛けるように続ける。

 

『それを許容できるなら、好きにすればよい。だが、それが出来ぬのなら……』

 

 ヒトラーは一度言葉を切り、

 

『これほど酷いダブルスタンダードは、歴史上稀だろうな。この上なく悪い意味で、歴史に名を遺す』

 

 

 

 かくてヒトラーの言葉は、的確な予言として後世に伝わってゆくことになるのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい。ド・ゴールがやらかしましたw
カナダのケベック州を英連邦から分捕って。

ただ、その割には英国の反応が……?
まあ、そのあたりはそのうちに。

とはいえ、各国の反応から考えても、これで史実通りの連合国結成は不可能になりました。
ド・ゴール&自由フランスは、中々に良い仕事をしてくれましたし、してくれそうですw



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第71話 喧噪の舞台裏を覗き見てみませんか?

今回は、ヒトラーによるパリ解放やケベック州独立のちょっとした舞台裏や後日譚をまとめたこじんまりした話になります。





 

 

 

 さて、元よりフランス系住人が多かったカナダのケベック州が独立し、”自由フランス(France Libre)”なるアメリカ人に媚びたようなパチモン臭い自称国家に生まれ変わった。

 まあ、支持してるのは米ソと共産と民主の二つの中国、某半島の南部(北部はソ連邦の一員なので)や有象無象としか言いようがない、ドイツに蹂躙されて最終的に米国に逃げ込んだ欧州各国の亡命政府と言ったところだ。

 

 少し立ち戻って、なぜ彼らが「ケベック州のカナダよりの独立、自由フランスの建国」という誰から見ても、あるいはどこからどう見ても強硬策を支持したのかを考えてみよう。

 

 未だに国内の赤色勢力を排除も駆除も除染も済んでいない、むしろ日本人大嫌いをこじらせた大統領が「日本人の言うことなど信じられるかっ!!」と日本皇国の警告や注意喚起の逆張りばかりするアメリカ合衆国にとり、ケベック州の独立は実に都合の良い口実になりえた。

 そもそも、ドイツがソ連に攻め込んだ途端に、

 

『共産主義者を殲滅したい? よろしい。好きにやり給え。邪魔はせんよ』

 

 とでも言いたげに停戦に応じた日英は実に腹立たしい限りであった。

 広大な領土を持つソ連が簡単に負けるとは思っていなかったが、万が一ということもある。

 しかし、米国には”中立法”がある。”レンドリース法”が可決されたとはいえ武器や物資の供給先、つまり「(米国の利益のために)実際に戦ってくれる存在」が必要なのだった。

 いや、自らが戦うのは必ずしも厭うわけではない。

 実際、例えば中華人民共和国(共産党)としょっちゅう小競り合いを繰り広げている中華民主共和国(国民党)に対し直接、米軍を投入しているわけでは無い。

 義勇兵団、有名どころを上げれば退役や予備役のパイロットや地上要員を高給を餌に集めた”フライング・タイガース”などの手段を用いているが、正規軍が投入できないのはどうにも戦力に限度があり過ぎる。

 

 何より、義勇兵団では「ソ連の救難は困難」であろう。

 史実では三国同盟の一角である大日本帝国を追い詰め挑発して戦端を開き”裏口参戦”を果たしたが、この世界線では日本皇国を挑発するメリットは少ない。

 いや、むしろ下手に挑発するといきなりウラジオストクを焼き払いに来そうな部分があった。

 米国もソ連も、日露戦争以来の日本皇国のロシアに対する警戒感と敵愾心を軽く見てはいない。無論、皇帝一族を血祭りにあげた結果、さらにその感情が増幅されていることも。

 

 無論、英国を挑発する意味とてあまりない。

 ケベック州を独立させたところで、英国が対独戦に積極的になるとは米ソも考えていない。

 いや、むしろ逆効果だろうとさえ思っていた。

 しかし、それと天秤にかけて”大義名分”を選んだのだ。

 

 つまり、”ドイツに侵略された祖国(・・)フランスの奪還”だ。

 アメリカは旧ヴィシー政府、現フランス共和国のペタン政権をフランスの正統政府とは認めていない。

 自由フランスの独立を承認した全ての国がそうだ。

 アメリカに言わせれば、「ペタン政権こそ、ドイツの威を借り、パリを不法占拠し続ける奸賊」なのだ。

 パリの主は彼らの息がかかる対独強硬派のド・ゴールでなければならない。それが歴史に必然なのだ。

 この際、フランス本土の住民の心情や国民感情は考えないものとする。

 米ソにとって、それらは「自分たちにとって都合の良いフランス」より優先される物ではないのだから。

 それこそ、後年にド・ゴールがどれほど統治に苦労しようが、後にド・ゴールに反発したフランス人の血が何万リットル流れようが、自分達の国民の血でないのなら、特段に問題にすべきではない。

 

 アメリカは「フランスの祖国奪還を手伝う、正義の味方」である。

 元来、フランス贔屓で”自由の女神”コンプレックスのアメリカ有権者には実に受けがよいではないのだろうか?

 だが、主役はあくまで「正統なフランスの正規軍」でなければならない。

 そうであるがゆえの独立だ。

 

 フランスは、横暴極まるドイツ人から祖国を取り戻す為に戦い、ソビエトは暴虐極まるドイツ人から祖国を守るために戦う。

 それを”レンドリース法”や援軍で全力で支援するアメリカ……なんと美しい構図!!

 

 ああ、そうするためにはソ連とも話し合わねばならんな。

 中国大陸の小競り合いは、ソ連を支援する太平洋ルートを開通するには少々都合が悪い。

 日本は、自由フランスの一件で港を貸すことを渋るだろうが、あの国民性から考えて邪魔もしてこないだろう。

 日本人はどうも中国とは関わりたく無い様だ。

 まったく乳と蜜の出る土地を目の前にし、奇特なことだとも思う。

 だが、中国の悠久の歴史や偉大さを理解できずに、交流を拒むような……所詮、島国に引きこもり2000年は頭脳が遅れた連中なのだと思えば納得もできる。

 

 

 

 つまるところ、フランシス・ルーズベルトは、日本人というものも英国人というものもよくわかっていないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、皆さんは英国の一連の挙動に不思議さを感じなかったろうか?

 

 そもそも、ド・ゴールをロンドンから叩きだすとき、なぜわざわざ「フランス系住人が圧倒的多数派で、カナダで唯一フランス語が公用語になっている」という美味しすぎるケベック州などに放り込んだのだろうか?

 

 しかも、ド・ゴールに対してはフランス系住人に限り、志願兵(義勇兵)募集の許可まで与えている。

 

 まさか、「英国人の故郷を追われたフランス人に対する優しさ」なんて明らかに胡散臭い物を考える人はいないだろう。

 当然だ。この世にない物を論ずる必要はないのだから。

 

 となれば考えられることはただ一つ。

 ケベック州の独立(カナダからの離反)は、”最初から考慮されていたシナリオ”だと。

 

 ド・ゴールをケベックに放り入れ、ある程度の権限を亡命政府に与えた以上のことは手心は加えていない。

 だが、それだけで十分以上に動いてくれたのが現状だ。

 

 では、何の為に?

 英国に何の得があって、自由フランスの成立(英国人は建国とは言わないと思われる)を許したのか?

 

「これで、アメリカ人に戦争を台無しにされないで済む」

 

 ウェリントン・チャーチル首相はお気に入りのホテル、”The() SAVOY(サボイ)”のラウンジで上機嫌でコニャックを傾けた。

 

「アメリカ人が自由フランスを口実にドイツと戦うのなら、我々(英国)は自由フランスを口実に米ソの協力や要請を拒絶できる」

 

「差し詰め、れっきとした英連邦の一角を不法占拠した非合法武装集団(テロリスト)に手を貸す”テロ支援国家(・・・・・・)”と交渉の余地はないという事かな?」

 

 吉田滋がそう返せば、

 

「ヨシダ、例え我々はドイツと戦争状態にあろうとも、中立国(・・・)に手を出そうとする恥知らずの悪漢に手は貸せんよ。たとえそれが、名目上は同じくドイツと戦うとしても」

 

「まあ、我々はこれでも真っ当な国家を自負しているからな」

 

「その通りだ。真っ当な国家としての道を踏み外してまでドイツに勝利したところで、いったい何の意味がある?」

 

「よく言う」

 

 吉田は苦笑しながら、

 

「ベルリンどころかパリにも攻め込む気はないだろ? 最初から(・・・・)

 

 残念ながら、この時チャーチルが何と答えたかは歴史から抹消されている。

 だが、実に英国人らしい答えだったことは、笑みを深めた吉田の表情からうかがうことができた。

 

 

 

 そう……第二次世界大戦は、新たな局面に既に突入していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、米国大統領と英国首相は、同じものを見ていても見え方や視点が違うというエピソードでしたw


ご感想などお待ちしております。





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第72話 来栖、真相に近づくためにハイドリヒの助手席に座る……いや、なんでさ?

今回は、”特別なパリ祭”の後からスタートです。
来栖がやらかさず、一応、真面目に仕事している……筈の回。






 

 

 

「つっかれたぁぁぁ~っ!」

 

 ああ、ども。なんか最近自分の立ち位置がよくわからなくなってきてる、日本皇国駐独(総統府付)特務大使の来栖任三郎だ。

 ついさっき、解放されたばっかのパリからベルリンに帰ってきたとこだじぇい。

 

 えっ? なんでパリに行ってたかって? 

 観光……って言いたいとこだが、生憎と仕事だ。

 

 あー、あのな。パリ解放ってのは最大のトピックスだったが、その祝賀ムードにかこつけて、色々イベントが開催されたって訳なんだよ。

 

 その一つが、日英独の関係者が一堂に集まっての”捕虜交換会”。

 フランス人の軍楽隊が演奏する”サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲”をBGMにして行われたのだが……内心で「ヲイ! 歌詞!!」とツッコんじまったよ。

 いや、曲調は明るいんだけど、中身は復活したフランス国歌”ラ・マルセイエーズ”ほどじゃない(なんせ、貴族を八つ裂きにして畑の肥やしにしちまえって歌だ)が、かなり物騒なんだぞ?

 そんな中で、ドイツ側の捕虜の代表格……というか、大物中の大物は、言うまでもなく”リッチモンド・オコーナー”将軍。

 コンパス作戦の立役者で、ロンメル将軍にしてやられて捕虜になったはずだ。

 

 見た感じ、健康状態に不足はない……というか、心なしか太ってなかったか?

 いや、ドイツ料理は実際、英国のそれより美味いし。

 魚料理は日本人的にはパッとしないが、肉料理は中々に美味い。イェーガー・シュニッツェル(狩人風ドイツ式カツレツ)とか、ケーニヒスベルガー・クロプセ(ケーニヒスベルク風肉団子)と結構いけるぞ?

 あと、やっぱりワインとビールは良いものが多いな。

 

 日英側の捕虜は、北アフリカやクレタ島で捕縛した連中だろう。

 将官クラスはいなかったが、結構有名どころのパイロットとかいたな? マルセイユとか。

 

 因みに場所はコンコルド広場に設けられた特設会場、観客に交換が成った瞬間に拍手喝采のパリジャンにパリジェンヌたち……って何を考えてるのか、完全にイベント、巴里祭に組み込みやがった。

 

 しかし、捕虜交換のトリが選りすぐりの美少女で編成された少女合唱団の”玉ねぎの歌”ってのはどうなんだ?

 いや、あれって”オーストリア人に食わせる玉ねぎはねえよ!”って歌だぞ?

 総統閣下は、オーストリア生まれなんだが……いくらなんでもエスプリが効きすぎじゃないのか?

 

 いや、イベント全てを睥睨していた肝心のヒトラー総統が、怒るどころかなんだか笑いを必死にこらえていたように見えたのは気のせいか?

 同行していたハイドリヒは、なぜかドヤ顔してたが。

 

 

 

 話はずれたが、俺はそのオブザーバーの一人として同行したって訳。

 考えなくてもドイツ在住の駐在官で、しかも総統府付きともなりゃそりゃ便利だろうさ。ドイツ語や英語はともかくとして、日本語ペラペラだし。

 なので、式典の少し前にドイツ使節団の一員として(なんでさ?)パリ入りして、事前のこまごまとした打合せとかしたのさ。

 

 んで、昨日の列車でようやくベルリンに帰って……ん? いや、俺が本来帰るのはベルリンではなく東京なのでは?

 

(それは考えても仕方ないか……)

 

 とはいえ今は戦時中、基本的に政治やら軍事の中枢にいる奴はみな忙しい。

 残念ながら俺もその例外ではなく、本日も午後から予定ありだ。

 まったく。宮仕えはつらいぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで俺は、ハイドリヒ卿の運転するブガッティ(スポーツカー)の助手席に乗っているんだろうか……?」

 

「それは、クルス卿が”ユダヤ人強制収容所”の視察を希望したからだ。あれの管轄はNSR(国家保安情報部)だから、私が案内するのに、なんら不都合はあるまい?」

 

 いや、アンタ。長官自ら案内って……

 

 やっほー。来栖だよー。

 毎度思うが、俺なんか悪い事したか?

 

(いや、そりゃ強制収容所の視察は希望したけどさ……)

 

 パリ解放とか捕虜交換で浮かれていたのもつかの間の話、ドイツは現在、絶賛戦争中だ。

 中央軍集団は白ロシア(ベラルーシ)、南方軍集団はウクライナを攻略している筈なんだが、今回の一件はバルト三国を攻めている北方軍集団に関係していた。

 具体的に言えば、そこに駐在している後輩外交官、”杉浦(すぎうら) 千景(ちかげ)”に絡んでくる話だ。

 

 

 

 史実でもソ連に酷い目に合わされていたバルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアだが、彼らはドイツ軍を共産主義者による圧政からの解放者と捉えた。

 ただし、史実のドイツはスラブ人に対する……まあ、人種感から彼らが望むようには振舞わなかったが、この世界線のドイツはひと味違う。

 北方軍集団は、少なくとも今のところは大変お行儀よく行軍しており、三国市民を守り、圧制者の手先たる赤軍を次々に撃破し、潤沢な物資で民を慰撫する”解放者”(リベレーター)の役回りを見事に演じ切っていた。

 

 少しだけ政治的バックグラウンドを語ると1940年6月のバルト三国に対するソ連の侵攻により、反共主義者として処刑されたり”ソ連の奥地へ”追放された人間は三国合計して史実でどんなに少なく見積もっても12万5千人、この世界線だと現在ドイツが集計しているデータの合計で既に13万人を超えているはずだ。

 因みに他国へのプロパガンダとして「バルト三国は合法的にソ連への編入を望んだ」ことをアピールする為に国民投票だか選挙だかを行ったが、共産党に票を入れなかったという理由で後頭部を撃ち抜かれた人間が続出したという報告が数多くあげられている。

 繰り返すが、これは史実でもこの世界線でも実際に起きてることだ。

 

 そんな情勢であれば、少なくても市民の目があるところでは品行方正なドイツ軍が、解放軍として受け入れられるのも当然だった。

 

(いや、今生のドイツ軍は最初からそれを狙って、”独ソ不可侵条約”を締結し、一度アカにバルト三国盗らせて世紀末ヒャッハーさせて自分たちが再征服しやすい土壌を作ったのかもしれんな……)

 

 そりゃソ連位比べれば、大抵の国は救世主に見えるだろうさ。

 元々は独ソ不可侵条約から始まってるから、まあ十中八九マッチポンプだ。

 

(だが、そうじゃない連中もいた……)

 

 例えば、”東ポーランドからリトアニアに逃げ込んでいた多くのユダヤ人”がそうだ。

 正確には、ソ連の支配地域であり今はドイツが奪取した東ポーランドに住んでいたユダヤ人だ。

 

 彼らはソ連の吹聴する「ドイツのユダヤ人最終的解決法」を信じてポーランドから脱出した。

 そこにドイツが攻め込んできたのだ。

 

 実はドイツ、自国や支配領域外に脱出するユダヤ人には何ら制限を書けていないが、情報が錯綜してユダヤ人たちはパニックに陥ったらしい。

 

 そこで登場したのが、我らが”杉浦千景”だ。

 

 国際連盟(・・・・)高等弁務官の経験もある我が後輩は、国連からの要請という”建前”で、多くのユダヤ民族資本をスポンサーに「バルト三国ユダヤ人避難者救済事務局」を立ち上げ、本人としては複雑な表情をしているだろうが代表に収まった。

 要するに追い詰められ、(主に欧州外へ)逃げ出したいユダヤ系避難民にパスポートを発行し、受け入れを表明している国への出国手続きを取るというものだ。

 

 だが、いくらドイツが邪魔しない(というかむしろこっそり協力している)と言っても、それでも受け入れ先の許容量にも移送手段にも限度がある。

 当然、国外脱出不可能なユダヤ人だって出てくるだろう。

 あるいは、元々バルト三国に住んでいたユダヤ人は国外に出たがらないかもしれない。

 

 そうなれば、どうなるか……?

 今のドイツの政策では、ユダヤ人民族強制収容所送りが大多数になるはずだ。

 

(だから、見ておく必要がある)

 

 杉浦に暗に頼まれたってのもあるが、「杉浦じゃ救えないだろうユダヤ人の末路」を。

 

「クルス卿、いきなり黙り込んでどうした?」

 

「いや、ハイドリヒ卿の愛車がフランス車(ブガッティ)っていうのが意外で」

 

 そういえば、なんでわざわざフランスを代表するスポーツカーに乗ってんだろ?

 正確には、”ブガッティ・タイプ57SC”。史実では40台くらいしか生産されていない希少車にして高級車だ。

 

「この間、一緒にフランスに行っただろう?」

 

 いや、あれを一緒に行ったと言えるのか?

 

「その時、ブガッティが再生産を始めててな。一目見て気に入ったらので記念もかねて土産に買ったのだよ」

 

 げっ……そんな理由で?

 

「それに私がフランス車を乗り回せば、周囲が勝手に政治的推測をしてくれる。これはこれで一種のプロパガンダというものさ」

 

 なんつーか……面倒臭い人とかかわりになっちゃったなぁ。おい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんか、微妙にドイツに身内スタッフ扱いされつつある来栖w

パリ祭で一仕事終えて、そろそろ「ユダヤ人の真相」に近づく来栖ですが……これも取り込み工作の一環だったり。

ご感想などお待ちしております。




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第73話 ”A特別民族収容所”、檻は閉じ込めるためにも守るためにも使われるという事例

これまで断片的に話題に出してきた「ユダヤ人と強制収容所」に関するこの世界線における関係の伏線回収回、あるいは回答回になります。





 

 

 

「こりゃまた、絵に描いたような強制収容所……いや、巨大監獄なことで」

 

 施設への続くのは幹線道路を外れてからは、完全武装の兵士が詰める検問所が複数設置された幅広いが一本道だけ。それ以外の周囲は高圧電流の流れる有刺鉄線に地雷原。

 正面ゲートは戦車砲の直撃でも耐えられそうな鋼鉄製で、壁は人がよじ登れないほど高く聳え、その上に設えられた監視塔には重機関銃が鎮座し、鈍く光る銃口をのぞかせていた。

 明らかに凶悪犯罪者を収監するような、アルカトラズ島もびっくりな巨大刑務所のような外観だが……

 

 

 

 

「俺はかつて、こんな酷い詐欺を見たことがねーよ……」

 

 つい地が出たのは許してほしいな。

 いやだってさ、

 

「トンネル(のような構造の正面ゲート)を抜けると、そこは都市でした……ってか?」

 

 いや、ただの都市じゃないな。

 何本もの巨大煙突が煙を吐き、あちこちで巨大機械の稼働音が聞こえる滅茶苦茶活気あふれてる近代的な雰囲気漂う工業都市じゃんかっ!?

 

「ハイドリヒ卿、これは一体……?」

 

 すると車から降りたハイドリヒはなんか腹立つニヒルな笑みで、

 

「ユダヤ人専用の強制収容所、正式名称”(アントン)民族特別収容所”へようこそ。歓迎するよ、クルス卿」

 

 

 

***

 

 

 

 中央収容所管理庁舎(どっからどう見ても普通のドイツ風市役所だ)の応接室に案内された俺、来栖任三郎はジト目を抑えきれずに……

 

「ハイドリヒ卿、これはどういうことですかな?」

 

「どう、とは?」

 

 こ、コノヤロー! とぼけやがって。

 

「私はユダヤ人の強制収容所に案内してくれと頼んだが、ユダヤ人が働く新興工業都市に案内してくれと頼んだ覚えはありませんが?」

 

 するとハイドリヒは紅茶を一口飲み、

 

「ドイツが領土とした欧州中の地からユダヤ人と認定された民を”強制(・・)的に収容(・・)した場()”だ。故郷を追われた哀れなユダヤ人の行き着く地さ。語義的には間違っていないだろう? しかも、強制的に労働しなければならない。生活費を捻出する為には当然だな。給金を中心とした労働基準はドイツの法を順守するようにはしてあるが」

 

 いや、俺の知ってる収容所はそうじゃなくてさ……

 

「語義ではなく定義的に正しいのかと……」

 

「ユダヤ人が虐げられているとでも思っていたのか? まあ、そういう風に思われるような外部向けのプロパガンダ工作や情報誘導はしているがね。もしかして、そういう末期的情景の方が卿の嗜好かね?」

 

「いや、私の好みどうこうという話ではなくてですね……」

 

「卿は我らが総統閣下が無駄や非合理を嫌うことを知っていると思ったが?」

 

「まあ、知ってますね」

 

 ヲイヲイ。なんか語り始めたぞ……

 

「ユダヤ人を殺すために放たれる弾丸は、共産主義者に向けた方が合理的だ。殺したユダヤ人を焼却する石油は、戦車に入れて赤色勢力を轢き潰す方が理にかなっている。わざわざユダヤ人を収容する施設を建造するくらいなら、同じ量のべトン(コンクリート)を使い工場なり街なりを作った方が国益にかなう」

 

 何やら聖句を紡ぐように言葉を並べるハイドリヒに、

 

「その結果が、この偽装(・・)工業都市だと?」

 

「共産主義に毒されたアメリカのマスコミによれば我らがユダヤ人を殺すのにガス室を使い、そのガスは”ツィクロンB”という薬品を使ってるらしいな? 卿はツィクロンBという薬品がどういうものか知っているかね?」

 

「たしか、シアン化合物系の殺虫剤だったと記憶してますが?」

 

 ちょっと思うんだが、この話って米ソどっちかの転生者が関わってないか?

 この時点で「ドイツがユダヤ人絶滅の為にガス室使ってる」とか「薬品まで特定している」のはかなり不自然だ。

 これじゃあまるで、

 

(”結果在りき”のだもんな……)

 

 それをまあ、ほぼ転生者だろうハイドリヒが気付いてないはずもないだろう。

 

「その話を聞いた時、総統は非常につまらなそうな顔をしてこう言ったよ。『薬は説明書をよく読み、容量・用法を守って正しく使いたまえ。そうしなければ効果は期待できん』とな」

 

「あー、なんと言いますか。実にらしいというか……」

 

 確かにあの総統閣下なら言いそうだわ。

 

「ならば理解できよう? ユダヤ人を殺害する物資と労力と時間、ユダヤ人を労働力として投入する物資と労力と時間……方や浪費で、方や増進。総統がどっちを選ぶかを」

 

 

 

***

 

 

 

 ならば、ここで聞いておくべきだろう。

 

「ならば、なぜ”ユダヤ人を強制収容所送りにする”なんてわざわざ悪評を広げるような真似を? 例えば、この工業都市にある煙突から出る煙は、ユダヤ人の肢体を焼却処分してる煙だとされても否定もしない。いや、むしろNSRが裏で噂を流布してる疑いさえある。ドイツ人は露悪趣味を好むというわけでは無いでしょうに」

 

「それが政治というものだよ。クルス卿」

 

 ほう。ご高説聞こうじゃないか。

 

「日本人の君には理解しがたい考えかもしれないが、ドイツに限らずソ連まで含めた欧州には、遥か太古より脈々と受け継がれてきた”伝統的なユダヤ蔑視”が根付いているのさ。わかるかね? ユダヤ人を差別するという行為は代々常識として蓄積され、沈殿し層をなしすでに社会通念なのだよ」

 

 ……改めて聞くと重く黒々とした背景だな。(おそらく)前世も日本人であろ俺には、確かに理解できん感覚かもしれない。

 実は俺が生きていた前世、相対的未来にもそういう感情の名残はまだまだあったが……

 

「意外に聞こえるかもしれないが、我らが総統閣下はそういう価値観を持っていない。もっと言えばユダヤ人やスラブ人に、民族とか人種とかという意味では関心が無いのだよ。むしろ、重要視しているのは行動だ。例えば、ゲルマン人でもソ連に組みするような真似をすれば当然のように排除する。必要なら何人でも殺すしどんな殺し方も命じるだろう。だが、その総統でさえもユダヤ蔑視を”市民レベルの憎悪の対象”として容認している……何故だかわかるかね?」

 

「それが国をまとめる方策だから……ナチ党の支持基盤を考えれば、そういう結論になりますね」

 

 ハイドリヒは頷き、

 

「そして、我らが占領し親独政権になった国々でも、ドイツを支持する理由に”ユダヤ人に断固とした対応をするから”をあげる住民は、決して少数派ではない。考えて見たまえ。なぜ、ナチ党が出てくるはるか以前より欧州各地にユダヤ人強制居住区、”ゲットー”があると思う? それこそ16世紀、日本人が戦国時代と呼ぶ時代からあるのだぞ?」

 

 それはハイドリヒの言うとおりだ。

 ゲットーを「ユダヤ人コミュニティをユダヤ人以外の住民から隔離し、他のユダヤ人コミュニティからも分離し孤立させる強制居住区」とするなら、今に始まったことでもなければ、欧州では珍しい物じゃない。というかポーランドを除けば欧州の大都市には大概ある。

 というか、ポーランドからリトアニアへ脱出を図るユダヤ人が多かった理由の一つが、ポーランドは欧州では珍しくユダヤ人自治区(シュテットル)はあってもゲットーが存在しなかったことがあげられる。

 

「一つ現実を教えよう。米ソの新聞では、我々(NSR)が街頭で公然とユダヤ人を殺していることになっている。だが、我々はユダヤ人を強引に集めることはあっても極力傷つけぬように配慮はするし、殺しは以ての外だ。労働力にするとわかっているのに、なぜ始末する必要があるということだな」

 

 あっ、なんかオチが見えたかも……

 

「街角でユダヤ人が私刑にあい殺され吊るされる……その多くは”現地の自称(・・)自警団”の手によるものなのだよ」

 

 あー、やっぱりそうか。ユダヤ人に対する迫害ってのは、一つの民族が数年で醸成できるようなもんじゃないよなぁ……

 

「つまり、ナチ党のキャンペーン、ユダヤ人の排除やら撲滅やらを鵜吞みにして、ナチ党の天下になったのなら俺たちも同じ事をやっても構わない……そう住民に判断されたと?」

 

 ハイドリヒは苦々しい表情をした。

 

「だが、理由は言うまでもないが……ナチ党は立場上、党是的にも弾圧暴動(ポグロム)をあまり強くは取り締まれん。ダブルスタンダードは米英はともかく、我らドイツ人が好む物ではないのだ」

 

 あちゃー。こりゃ完全に政治的自縄自縛じゃん。

 いや、まてよ……

 

「だからこその”強制収容所”? 建前は”ユダヤ人の排斥”、真の目的は”ユダヤ人の保護”……? この厳重な警備は、ユダヤ人を収容所に封じ込むためではなく、むしろ外部からの侵入で秘密の漏洩を防ぐため?」

 

 ああ、なるほどね。

 この方法なら反ユダヤに凝り固まった人間も「ナチ党はきちんと仕事してる」と言い張れるし、無駄な流血も見ないで済む。

 

「なるほど……強制収容所自体が、巨大な”演出装置(・・・・)”という訳ですか……」

 

 そうじゃない。そういうことか。

 発想、いや視点が逆なんだ。

 

「檻は一見、危険な物を閉じ込める為に作られたように見えるが、その実は外にいる危険な物から守るために作られたと」

 

 するとハイドリヒは「よくできました」と言いたげに微笑み、

 

「賢しい者は、嫌いじゃないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツという国が行った、「国家ぐるみの巨大詐欺」事件……おそらく戦後はそう評価されるのではないかなーとw

確認もしてないのにガス室がどうこう言ってた米ソのマスゴミは果たして戦後、どう言い逃れするのか?

ご感想などお待ちしております。




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第74話 答え合わせ

得た情報に齟齬が無いようにまんま答え合わせ回です。

そして、来栖が例の悪癖発動ですw





 

 

 

「答え合わせをしましょう。ハイドリヒ卿」

 

 とりあえず、思考をまとめよう。

 ぶっちゃけ情報過多だ。

 

「ナチス・ドイツは内外問わず主に政治的理由から、”ユダヤ人を排斥する”という国民に見える形での実績を欲した。しかし、ドイツ本土や新領土、占領地に新たなゲットーを作ったり既存のそれを整備するのではあまりにも効率が悪い。それに市民の目から隔離するには都市の中にある区画に過ぎないゲットーでは不十分。何しろ閉鎖したところでゲットーが消えてなくなるわけじゃない。また市民に見える位置にある以上、多発すると予想された弾圧暴動(ポグロム)へのリスクは常に付きまとう。それに人員を割くぐらいなら、いっそ人目のない場所に都市機能を持ち住民の効率的な集中管理ができる強制収容所という名目で巨大ゲットーを新規建造した方が、よっぽど無駄がないと判断された」

 

 そりゃ史実みたいに自分の実効支配地域に1000以上のゲットーがあったらやりにくいだろうさ。

 閉鎖するにしてもなんにしても、人でも手間もかかる。

 

「しかし、ユダヤ人は囚人ではない。いや、むしろ労働モチベーションを維持できれば、普通に労働力として期待できる。また、ユダヤ人は様々な職種・労働階層の人間がおり、高度工業都市としての機能を持たせたとしても運用可能……で合ってますか?」

 

 史実はそうじゃなかった。

 確かに収容されたユダヤ人には強制労働が課せられたが、それは労働力・労務・労役というより”最終処分”が決まっているのだから、文字通り「死ぬまで働け」という類の物であり、労働が目的ではなく過労による殺害(衰弱死)狙いのものだったとされる。

 これじゃあ、労働効率もへったくれもあったもんじゃない。

 だが、今生のドイツは……

 

(本気でユダヤ人を労働力として、いや国力として取り込もうとしているってことか……)

 

 

 

 頷くハイドリヒに俺は続ける。

 

「既存のユダヤ・コミュニティーを一度解体することでリセットをかけ、強制的にでも移動させることで収束・収斂し、外界から隔絶されても機能する自立都市型複合巨大コミュニティーとして再構築する……徹底してますね」

 

 一応、現時点でリストアップされている欧州ドイツ勢力圏内・高強度影響圏のユダヤ人認定者の数は、この世界でもおおよそ600万人と推定されている。

 その中で、国外脱出できるのはせいぜい100万人がいいところだろう。移動手段の確保や居住環境を考えればそれ以上は、受け入れ先が確保できないはずだ。

 それに物理限界だけではなく、国民感情もある。

 ドイツと敵対している国に反ユダヤがいない訳じゃない。「ユダヤ人に対する(市民の自発的な物を含む)集団弾圧」を”ポグロム”というが、元はロシア語だってあたりでお察しくださいだ。

 

(残る500万人も老若男女入れてだ。そのうち、労働力として確保できるのは多くてその半分程度だろうが)

 

 それでも決して小さな数字ではない。

 

(こりゃ開戦から始まったプロジェクトではねーな。おそらくは……)

 

「同様の”民族特別収容所”は他にいくつあります?」

 

 まあ、教えてくれるかわからんけど、

 

「ポーランド侵攻と同時期に(ベルタ)が稼働をはじめ、(カエサル)が昨年、今年の後半には(ドーラ)が稼働予定だ。現状だと(エミール)(フリッツ)が施工中、(グスタフ)はまだ基礎工事の段階だ。場所は教えられんがね」

 

 ありゃりゃ。あっさり教えてくれたよ。

 あと”グスタフ”は、思ったより収容予定者が予想より増えたから急遽建造が決まったって感じか?

 

(つまり集合住宅メインの積層団地型の密集式とはいえ居住人口100万規模の都市が10年で五つ。こりゃ確定だな)

 

 応接室に飾られている都市全景の模型を見る限り、壁に囲まれた広大な土地の中で高度成長期に見られたマンモス団地の複合体に住人規模に見合った工場区画や商業区画がくっついてるようなものだ。

 少し窮屈な造りな気がしないでもないが、時代的にはアメニティがどうとか言ってられない。作りやすさが最優先だろう。

 少なくとも標準的なゲットーよりは衛生的で快適な生活はできるはずだ。

 

(それに一応は、収容所なわけだし)

 

 居住環境抜群の快適な都市生活など誰も考えてはいないだろう。

 確かに効率的に建造できそうな都市設計だし、規格化されてりゃ量産もしやすい。

 だが、いくらドイツの人口当たりの重機保有台数がアメリカ並、ドイツのモータリゼーションが土木工事用車両から始まったとしても、開戦から準備では間に合うはずもない。

 つまり、

 

「ということは、計画自体はナチ党政権奪取以前から練られていて、どんなに遅くても再軍備宣言の頃には建造が始まっていたと考えるべきですか……」

 

 

 

***

 

 

 

 おそらく”アウトバーン”建築などに紛れ込ませていたんだろうな。

 当時のアウトバーン建設には、失業率を下げるための雇用創出という狙いもあった。何の事はない、前世の史実で高橋是清が行った”時局匡救事業”と同種の政策だ。

 だが、この強制収容所の性質から考えて、

 

「アウトバーンの関連計画として偽装され、予算も捻出された。こりゃ工事に携わった人間も、”自分たちが何を作り、今はどう使われているのか?”を知らされてないってことか……おそらくだけど、将来的な人口増大に備えた最先端理論の密集居住実験都市とかそういう名目で建造し、後に”トート機関”あたりが壁やら地雷原などの収容所らしい体裁を整えて完成ってとこかな?」

 

 ドイツの古都みたいに何百年単位で住むならともかく、せいぜい四半世紀も届かぬような時間だけユダヤ人を労働力として確保する場所と考えるなら十分と言えば十分だ。

 集めた経緯から考えてドイツ人も永続的にユダヤ人が”強制収容所”に居住するとは考えていないだろう。

 

「なるほどなるほど……ユダヤ人から接収した資産やら財産やらは、これら”民族特別収容所”の建造費に投入された、か……いや、時期的には投じた資金の補填かな? でもこれだけの規模の都市を複数建造するのにそれっぽっちの資本じゃまるで足りないから、採算性の高い工業都市になったと」

 

 まあ、納得はできるか……言い方を変えれば、公営工業都市ってことだし。

 

「改めて確認しますが、収容されてるユダヤ人に給料は出てるんですよね?」

 

「生活費と引き換えに強制的に労働に従事させている。それとここはドイツの法治下だ。ドイツの公共施設なのだから当然だな」

 

 いや、そういう建前はいーんで。

 というか、労働関係もドイツ基準……

 

「経済発展循環させねば腐り壊死する。人間の血液と同じだ。まず収容所の中で循環を作り、収容所の管理部を通じてドイツ経済圏と接合し、循環路に乗せる」

 

 つまり、あくまでワンクッション通して流通経路に乗せることで、巨大経済になっている収容所の実態を誤魔化すと。

 おそらく、書類上は「ユダヤ人を奴隷的強制労働させて得た利益」みたいな名目になってるんじゃないかな?

 普通、そういう労働使役なら効率悪いし大きな金額にはならないけど、都市の実体経済から給与や都市運営の必要経緯を差し引いた”純利益”だけを抽出するなら、誤魔化しができる金額には収まるだろうし。

 というかそう見えるように帳簿上で調整してるはずだ。

 

(これ、戦後もユダヤ系ドイツ人として住み続けるんじゃないか?)

 

 今生ヒトラーの性格から考えて、いつまでもユダヤ人用民族条項なんて面倒臭いものを維持してるとは思えないし、そうなれば壁だって無くなるだろう。

 そうなれば、ユダヤ教会堂(シナゴーグ)だって堂々と街中に建てられるだろう。

 

(今だって、こわーい多民族の迫害やらボグロムやらから結果的に守られてるわけだし。むしろ、安全圏に引きこもりたいまである)

 

 いや、だって間違いなくお外で他の民族に囲まれているゲットーより安心安全だし。経済的にも自己完結性高いし。

 

(まあ、それも無事な戦後が来ればだが……)

 

 

 

***

 

 

 

「頭の回転が速すぎるというのも考えものだな。これではほぼ説明することがなくなってしまった」

 

 と呆れるハイドリヒ閣下だが、

 

「いえいえ。あくまで私が理解したのは表層でしょう。語れない真意や深層に関してはまだまだでしょうし」

 

 なんか他にもからくりはありそうだしなー。

 

「とりあえず、ドイツがユダヤ人強制収容所の真相を明らかにしない理由もわかりましたし、まともに地図に記載していない理由もわかりましたよ」

 

 実際、この収容所は「公的な地図には表記がない」のだ。

 これ自体が隠蔽工作だが、実際にはスパイたちには「存在を明かせない後ろ暗いことをやってる陰惨なユダヤ人の最終処分地」という誤認を助長させる手段なのかもしれない。

 ナチ党のプロパガンダと重ねれば、あるいはおそらくNSR自らが流布したり誘導したり、あるいは他国のスパイが流したり、自然発生的に生まれた”現状では都合の良い噂”を肯定する材料にはなっていそうだし。

 

「しかし困ったな。これは杉浦にどう報告すべきか……」

 

 杉浦(あいつ)の立ち位置は、「バルト三国ユダヤ人避難者救済事務局」のスポンサーから考えても国際連盟の高等弁務官相当だろう。

 待遇はもっと良いかもしれんが、いずれにせよ日英のエージェントではない。

 

(米ソに真相が漏れるのは、少々面白くない)

 

 おそらく、ドイツは戦後とかに情報学的”ざまぁ”をやりたいだろうし……何より日英にとってメリットがない。

 

「どう報告、いや説明するつもりだね?」

 

「”中身は労働キャンプ。明確な虐待の証拠はなく、米ソが喧伝しているようなガス室は確認できなかった”という方向でまとめてみようかと思います」

 

 まあ、落としどころとしてはここいらだろう。

 

(”確かに強制収容は行われているが、即座に命の危機は無い”と暗示するって)

 

 いや、ハイドリヒ。そんな満足そうにうなずくなって。

 俺はアンタらの身内じゃないっての。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、またしても来栖が愉快な発言を。

身内じゃねー発言が、既に手遅れ感が半端ない件についてw
いずれにせよ、ドイツからの帰国は戦後でしょうが。


ご感想などもらえると嬉しいです。




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第75話 来栖、久しぶりに後輩と邂逅す

今回は、前回の後日譚的な、「来栖がどんな報告書を書いたか?」的な話になります。




 

 

 

「つまりな杉浦、今のドイツのユダヤ人に対する処遇は隔離政策以上の物じゃないってことだ。確かに労役はあるが、それも明らかな人道違反という雰囲気でもない。衛生状態は底辺のゲットーよりはマシで、栄養状態は餓死者が出ない程度にはなっている」

 

 と、ドイツ側が用意している「対外リーク用強制収容所資料」を元に作成した日本語の資料を後輩の外交官、”杉浦千景”に手渡す。

 普通、この手の資料は「悪い内情をよく見せようと生活状態を上方修正」して作成されるものだが、ドイツの場合は諸事情により逆で「内情を悪く見せようと生活状態を下方修正した」したものだ。

 当然だ。あんな「ドイツの一般的な都市生活者と似たり寄ったりの生活してます」なんて公表できる訳はない。

 そして、俺が作成した資料は「ドイツが用意している資料を、心持ち更に下方修正」したものだ。

 まあ、さっきも言ったが「ドイツ政府公式資料」は一般常識では上方修正されると思われるだろうから、資料の信憑性を出すためには少し下げた方が良い。

 俺の資料は読む人間が読めば、「死にはしないが、それでも過酷と言える生活環境」であり、欧米人が一般に考えるゲットー=貧民街のイメージから大きく外れない物になっていた。

 言い方を変えれば、「敵対国家が望むドイツ人のユダヤ人に対する扱いよりちょい上」くらいだ。

 

 

 ああ、悪い。

 来栖任三郎だ。

 今は7月後半、俺はリトアニアの首都”ヴィリニュス”ではなく、リトアニア唯一の港湾都市”メーメル”に来ていた。

 この街の名が1941年の時点で”クライペダ”でないのは史実通りで、また住民選挙で39年からクライペダからメーメルに変わった経緯も同じだ。

 

 ドイツ系住人の多いこの街に来た理由は、当然のように「バルト三国ユダヤ人避難者救済事務局」代表にして外交官として後輩の杉浦千景と面会する為だった。

 

「いや、まあ想定していた内容と大きな誤差は無いですが……やはり、米ソの一部マスコミが過剰報道しているようなガス室はなかったということですか?」

 

「俺も本当の意味でドイツの深部や暗部を見た訳じゃないが、少なくとも俺が視察したユダヤ人強制収容所にはないと思うぞ? 何より、ガス室の存在だけでなく使われている薬品まで特定しているのは明らかに怪しいだろ?」

 

「それに関しては。というか何故に殺虫剤?と同僚もしきりに首をかしげてましたが」

 

 まあ、転生者じゃなければそういう結論になるだろうさ。

 実際、前世でも現世でもドイツは第一次世界大戦で毒ガスを使用していて、ツィクロンBより遥かに殺傷力の高い毒ガスなぞごまんとある。

 ちなみにツィクロンBは特にシラミに対して有効で、現在では開発国のドイツに限らず穀物などの燻蒸殺菌なんかに広く使われている。

 言ってしまえば、一般的には農薬の一種だ。

 

(とはいえ、ゴシップ紙に掲載される記事程度の情報を、米ソは本気で信じちゃいないだろうが)

 

 俺の推測では、米ソの”転生者”は政策に直接的影響を与えられるほど高い地位にはいないと思われる。

 何しろ前世と動きが酷似し過ぎているのだ。

 もし、ソ連にスターリンに助言できる地位に転生者がいたら、こうも鮮やかにバルバロッサ作戦は決まらなかっただろうし、米国は日本側の立ち位置や政策が俺の知ってる歴史と異なってるから対日政策が異なっているだけで、米国内だけで見ればニューディール政策といいレンドリース法といい史実と大差ない。

 おそらくは「ドイツ=悪の帝國」って市民に分かりやすいイメージだから情報を放置してるってとこだろうな。

 

 

 

「できれば内部写真など添付してもらえれば、より説得力があったのですが」

 

 実際、添付しているのは収容所の外観写真だけだ。

 

「言いたいことはわかるが、あそこは一応、国家機密の施設だぞ? 内部撮影の許可なんておりんさ。無理を通して命を縮めるのも御免だ」

 

 ということにしておくか。

 実際、内情は明かせんわけだし。

 

「それもそうですか。わかりました。報告書は確かに受け取りましたが……額面通り、ドイツはユダヤ人の国外脱出に妨害しない方針でよろしいので?」

 

 実は会合場所を首都のヴァリニュスではなく港町のメーメルにした理由がこれだ。

 この街には、脱出船待ちのユダヤ人が多く滞在しており、「バルト三国ユダヤ人避難者救済事務局」管轄下の施設も多くある。

 

「それに関しては確約がある。脱出しない、できないユダヤ人に対しても報告書の通りだ。少なくても、底辺のゲットーよりはマシな生活が送れるはずだ」

 

「ドイツは、そこらへんは配慮してくれると信じて良いので?」

 

 信じる信じないの問題じゃないが、

 

「国中のそこかしこに新たなゲットーを作るよりは、最終的な維持管理は楽になるし経費も安くなるってとこだろうな。政策的に、あるいは支持基盤的にユダヤ人に対し隔離政策を取らねばならんが、手間も経費も低く抑えたいってのはドイツも同じだ」

 

「そもそもユダヤ人に対する迫害政策とかやめていただけると、私としては助かるんですけどね」

 

 いや、後輩よ……

 

「そういうのは、俺ではなくナチ党と掛け合ってくれ」

 

「違いありませんね」

 

 なんか力なく笑ってるが、まあ疲れる仕事だろうしな。

 

「ところで先輩はベルリンに戻るので?」

 

「いんや」

 

 悪いが別口の出張が入っているんだよな。どういうわけか。

 

「ラトビア、リガ市に出張だよ」

 

「リガに? またなんで?」

 

「リガ市で開催される”リガ市義勇兵団会議(リガ・ミリティア)”へのオブザーバー参加だと」

 

「は? ”リガ・ミリティア”? なんです、それ?」

 

「あー、バルト三国ってまだ解放されたばっかで国権の完全復帰、再独立までまだ時間がかかるだろ? だから当然、国軍も再編できてないわけなんだが……」

 

 頭の痛い問題だぜよ。

 

「アカに酷い目に合わされた血気盛んな元バルト三国の軍人さんや市民の皆さんが、義勇兵扱いで良いから『サンクトペテルブルグ攻略戦』に参戦させろって騒いでる訳」

 

 気持ちはわかるが、前世のドイツならいざ知らず、今生のドイツに「復讐のために参戦させてくれ」たって通るわけがない。

 そもそも戦争やってる目的が違うのだ。

 

 ドイツの戦争目標は”ドイツ国民の生存権”、つまり”レーヴェンスラウム”の確保のための戦争だ。

 このドイツ国民って定義は、何もゲルマン民族だけを指してるわけじゃない。

 ドイツ国籍を有する全ての国民であり、民族や人種に制限はない。

 

 また、ドイツは単独でそれを為そうとしているわけでは無い。

 実は、フランスだけでなく占領下においた様々な国を可能な限り早く親独国家として再独立するよう行動しているのも、その一環だ。

 

(おそらく、モデルケースにしているのはEUとNATOだろうな)

 

 ドイツ人は帝政ドイツの経験から、「多民族の単一巨大国家」と自分達が望む政治スタイルとあまり相性が良くないことを学んだらしい。

 実際、ドイツは”ドイツ単独での膨張”をこの戦争でもあまり行っていない。簡単に言えば、帝政ドイツの領土復活を望んでいるわけでは無いのだ。

 

 分かりやすい例で言えば、”アルザス・ロートリンゲン(ロレーヌ)”だ。

 独仏の歴史的係争地として知られるここは、現在は独仏の共同管理地として決着、”独仏友好の象徴”という扱いになっている。

 

 要するに面倒臭い領土問題や民族問題を棚上げできる環境を作り、「共通の利益」を提示しようってことなんだろう。

 少なくとも、多数の民族問題や対立って爆弾抱えたまま大国運営するよりはずっとリスクは少ない。

 

(結局、損得勘定ってのは人類の共通理念な訳なんだし)

 

 誰も損はしたくないし、得はしたい。

 それを根幹にドイツは内部構造が脆い単独の”見かけ倒し大国”を目指すのではなく、”ドイツを中心とした強固な連合体”を作ることによりレーヴェンスラウムを確保し守る方向に舵を切っているのだろう。

 この方向性の最大のメリットは、民族対立や民族問題を抑制できれば、ドイツは宗旨国として利害調整だけに頭を悩ませれば良いというところだ。

 そもそもである。西欧州全域に跨る巨大国家の運営統治より、ドイツを群れのボスとして認める国家群の調整役の方が、間違いなく統治リソースが小さくて済む。

 歴史用語にローマ帝国や神聖ローマ帝国の再建を目指すのでもなければ、「ドイツは持て余す巨体を持つのではなく、欧州の頭脳(ゲヒルン)であれば良い」という発想は、合理的である。

 

(これは、そういう戦争なんだよな……)

 

 レーヴェンスラウム構築のための戦争に、民族感情や国民感情は考慮はされても優先される事はない。

 それがドイツ人以外なら尚更だ。

 

 サンクトペテルブルグを攻略するのも、大きな意味では手段であって目的ではない。

 さらに言えば、本質的に言えば「いかなる形であれサンクトペテルブルクを占領下におく」事であって、「ロシア人を(復讐のために)殺す」事が目的ではないのだ。

 結果として大量のロシア人は死ぬかもしれないが、それは結果であって目的ではない。

 

(そのあたりをはき違えると、酷く面倒臭いことになるんだが……)

 

 なんだか、途轍もなく嫌な予感がするんだよなぁ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、杉浦さん初登場の回でした。

そして、また出張の来栖w
いや、下手なドイツ外交官より移動距離が長い日本人オブザーバーという意味不明の存在になりつつある来栖でした。



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第6章:血戦! サンクトペテルブルグ!!
第76話 ジーク・バルト!!


今回から新章突入!
いよいよバルバロッサ作戦最大の戦い、”サンクトペテルブルグ攻略戦”の始まりです。

というのに初っ端から……外交官?w




 

 

 

「戦争をナメるな小童(こわっぱ)どもっ!!」

 

 

 

 気が付いたら、俺はリガ……”リガ市義勇兵団会議(リガ・ミリティア)”で吠えていた。

 ああ、すまん。来栖任三郎だ。

 

 いや、ちょっと状況を説明させてくれ。

 ソ連に占領され、ドイツに解放(再占領)されたバルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアだが、共産党に荒らされた国内の統治機構や政治システムの完全復旧にはまだ至っておらず、国家として再独立を果たすのは早くても来年以降になるだろう。

 

 そんな状況だから、正規軍という意味でエストニア軍、ラトビア軍、リトアニア軍というものは存在してない。

 しかし、治安回復は最優先事項の一つであり、各国暫定統治機構を立ち上げ、治安組織の再編を急がせているのが現状だ。

 

 つまり、バルト三国には今は国軍として戦争に参加できない状態にある。

 だが、それを良しとしなかったのが元国軍将兵を中核とした集団だ。

 

 彼らは「義勇兵扱いでも構わないので参戦させてくれ」と申し出た。

 まあ、バルト三国を解放した以上、次の北方軍集団の目標は誰の目から見ても、サンクトペテルブルク(レニングラード)だ。

 きっと派手な戦いになるだろう。そこに参戦したいって気持ちもわからなくはない。

 

 だが、ドイツ側は既に綿密なサンクトペテルブルグ攻略の準備を行っていた。

 そこに不確定要素を入れたくないというのも当然だ。

 

 正直に言えば、元正規軍人である事を考慮しても、バルト三国の義勇兵団は、繊維は旺盛でも練度も装備もドイツと行軍して前線を任されるレベルに至っていない。

 この比較もどうかと思うが……ドイツが散々煮え湯を飲まされたイタリア軍の方が、戦意以外は上回っていると言えばわかりやすいだろうか?

 装備が貧弱な戦意旺盛な部隊など、これ以上ないほどの不確定要素だろう。

 装備を充実させれば、ドイツ軍の装備を供給すれば何とかなるのかと言われれば、そんな単純な話ではない。

 当然だが、ドイツ軍の装備はドイツのドクトリンに適合するように作られている。故にドクトリンも装備体系も戦術も違うバルト三国の兵士にドイツ式装備を渡したところで、その本来の性能を十全に発揮するのは難しい。

 それにドイツだって装備を余らせているわけでは無いのだ。

 

 だからこそ、ドイツ参謀団は説得を試みる。

 共産主義者に踏み荒らされ、荒廃した君たちの祖国を復興させるのが最優先すべき君たちの使命ではないのかと。

 何も最前線で戦うだけが戦争への貢献ではなく、兵站線・補給路を護るのもまた重要な任務だと。

 

 

 

 間違いなく正論だった。チュートン人らしい正論だった。

 そして、正論だからこそ、感情で動く相手に通じなかったのだ。

 

『同胞たちの無念を晴らしたい』

 

『だから、前線に立ちロシア人、いやソ連人(・・・)の血で、連中の旗をさらに赤黒く染め上げたい』

 

 繰り返すが、心情は理解できる。

 だが、逆に言えばそれだけだ。

 結局、バルト三国の義勇兵団はこの戦争を理解していない。

 今回のドイツ側の代表、空軍もなく陸軍でもないドイツ海軍のユーリヒ・レーダー元帥が困ったような顔をしていた。

 

 それはそうだろう。この気性穏やかな人徳や人格者で知られる老人に、懇願する善意あふれた同盟者に「厳しい現実」を突き付けるのは難しいだろう。

 ああ、そうそう。

 大変喜ばしい事に、今回のサンクトペテルブルグ攻略戦にはドイツ海軍、正確には本国(高海)艦隊がフル参戦する事が決定していた。

 だからこそ、レーダー元帥がこの場にいるのだが。

 

 レーダー元帥とは面識はあるが……あっ、視線が合った。

 

「発言、よろしいか?」

 

 本来、オブザーバーに過ぎない俺がすべき行動ではないかもしれんが、

 

(……そろそろ現実ってのに目を向けてもらわんと話にならんしな)

 

 レーダー元帥は頷いた。なら言わせてもらおう。

 想いだけじゃどうにもならんこともあるってことをな。

 

「戦争をナメるな小童(こわっぱ)どもっ!!」

 

 

 

***

 

 

 

 声のでかさには自信がある。

 しんと静まり返った会場に、

 

「同胞の無念を晴らす? 共産主義者の血で旗を染める? ああ、大いに結構だ。だがな……そんなセンチメンタリズムで勝てるなどと、ソ連も共産主義者も甘くみるなっ!!」

 

 誰も言わないなら、俺が言うしかないじゃないか。

 転生前を入れたら俺も結構な年寄りだ。将来ある若者に現実って苦い薬を飲ませるのは、いつも年長者だと相場が決まっている。

 俺は確かに腐れ転生者だが、ここで黙ってるのは何か違うしな。

 

「ソ連に蹂躙されてまだわからないのか? あいつらは途轍もなくしぶとく、そしてどこにいるのかわからない……共産主義なんて得体の知れない物の為に命をかけ、手段を択ばない。それが連中の強味なんだよ」

 

 不正規戦、非対称戦は連中の十八番だ。なぜなら、

 

「当然だな。あいつらの本質はロシア革命の民兵、便意兵だ。軍服着てようがなかろうが、そこは変わらん。連中の浸透工作にしてやられたのが、諸君らではないのか?」

 

 そういう敵なんだよ。赤軍は。

 

「だったら連中は……間違いなく未だバルト三国の中で息をひそめてる赤軍(アカ)の残党は、何を狙う?」

 

 答えは一つだ。

 

「ドイツの兵站線や補給路に対する破壊工作……それが一番、効果的だ」

 

 俺は説明する。

 サンクトペテルブルグ攻略には膨大な物資が必要であること。

 当然だ。ドイツは好ましいことに悠長な包囲戦などではなく、サンクトペテルブルグを跡地や歴史用語にするような本格的な”殲滅戦”に舵を切ったらしい。

 そして、殲滅戦の肝は火力であり、それは撃ち込んだ砲弾や爆弾に比例する。

 だが、前線部隊が携行できる武器弾薬は限りがある。

 だからこそ、”街を丸ごと消し飛ばす”火力を捻出するには、継続的な補給は不可欠なのだ。

 

「ドイツ人は、そこを……サンクトペテルブルグを攻略できるかどうかの肝を、バルト三国(しょくんら)に任せたいと言っているんだ。これほどの名誉があるのか?」

 

 無論、打算はある。

 基本、軽装備のバルト三国軍では、例え完全状態の正規装備でも本気で守りを固めたソ連軍には太刀打ちできない。

 だが、同じく軽装備の共産ゲリラなら、少なくとも火力の上では優位に立てる。連中は厄介な相手だが、やりようはある。

 

「戦争は前線だけで決まるのか? (NEIN)! 断じて否!! 古来より前線を維持する後方があるからこそ、前線が維持できるのだ!! 兵站線が瓦解した戦争に勝ち目がないのは、過去、あまりに多くの事例が戦訓が証明しているのだっ!!」

 

 前世の太平洋戦争末期の大日本帝国なんざ、その典型だな。

 

「あえて言おう! サンクトペテルブルグ攻略の成否は、諸君らが兵站線を守り切れるかどうかにかかっているとっ!! ドイツが全力をもって戦力を傾注できるかは、諸君らの双肩と奮戦にかかっているとっ!!」

 

 確かに補給路には海上も空もあるが、陸路の重要性は今更言うまでもないだろう。

 

「諸君らが共産主義者を撃つのであれば、それは必ずしも前線ではない! 卑怯千万な手を持ち、重要な戦略物資を狙ってくるアカの手先どもを血祭りにあげることこそ、勝利への道と知れっ!!」

 

 噓は言ってないぞ? というか理詰めのチュートン式を、情緒に訴える和式に言い直してるだけだかんな?

 

「傾聴せよっ! 共産主義者は手強いぞ! 共産主義という理想に殉じるために手段を選ばんっ!!」

 

 まあ、じゃなければ国内であんなに粛清はせんだろうし。

 

「胸を張れ! 我々もまた死地へ赴くのだとっ!! エストニアの旗を掲げよ(Tõstke Eesti lipp)! ラトビアの旗を掲げよ(Pacel Latvijas karogu)! リトアニアの旗を掲げよ(Iškelk Lietuvos vėliavą)! 祖国と民族の矜持を胸に、兵站を補給を戦いが終わるその日まで守り抜くのだっ!!」

 

 ここまで来たら、これは言っておかないと駄目な気が……

 

諸君、喝采せよっ(Alle, lasst uns applaudieren)! ジーク・バルト!!」

 

 

 

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

「ジーク・バルト!」

 

 

 

 唱和される喝采に、頭を抱えるレーダー元帥……

 って、あれ? 俺、もしかしてやり過ぎた?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





来栖、過去最大のやらかし疑惑w
なお、本人は「理詰めのチュートン式がダメなら、情緒に訴える和式でやるしかねーじゃん」と意味不明の供述をしており……

レーダー元帥:「それ、日本の外交官が言っちゃアカン奴やろ(一応、来栖を心配)」

報告を受けたヒトラー&ハイドリヒ:「(にっこり)」

杉浦後輩:「先輩ェ……」

日本皇国外務省:「面倒だからしばらく帰ってこなくていいぞ~♪」


ご感想などお待ちしております。






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第77話 レニングラードへ続く道、ドイツ戦艦部隊が地均しす?

今回はここ最近では珍しく、戦況分析や戦場描写が出てきます。






 

 

 

 さて、少しドイツ北方軍集団の動きを振り返ってみよう。

 バルト三国が解放されている(来栖がリガに居たのはそういう意味)ということは、西ドヴィナ川の戦いは既に終結している。

 しかも、史実以上に圧倒した。

 

 当然である。

 そもそも、この時点で43口径長の長75㎜砲を搭載した史実のG型準拠、正確には1.5倍のエンジンパワーをはじめ随所が強化されたIV号戦車が主力なのだ。

 何しろ北アフリカに投入せず温存していた全ての長砲身型IV号をここぞとばかりに全力投入したのだ。

 

 確かにソ連は防衛戦にKV-1だけでなく、”街道上の怪物(ギガント)”と史実では恐れられたKV-2も配備されていた。

 そして、史実通りにリトアニアのラシェイニャイ市やドゥビサ川で遭遇したが、この世界線では怪物やら巨人とは呼ばれなかったようだ。

 

 単純に”Großer Felsen(=大きな岩)”とは呼ばれたようだが。

 というのも長砲身戦車砲に加え、IV号は各車に10発ずつの対重装甲特効の虎の子、あるいは”銀の弾丸”である”高速徹甲弾”が配備されていたのだ。

 史実よりも少しだけ貫通性能が高かったそれは、500mの距離で30度傾斜した厚さ110㎜の装甲、つまりKV-2の砲塔や車体の正面装甲を貫通できる。

 

 史実では酷い目にあったドイツ軍だが、装甲は厚いし砲は強力だが、車体も砲塔も重く機動力も砲塔旋回速度も遅く、また砲弾が重すぎるために二人係の装填でも発射速度が遅いことを直ぐに看破したドイツ軍戦車部隊は、その機動力を生かして鼻っ面を引っ搔き回しながら前進、高速徹甲弾を大岩を砕く掘削機代わりに次々と”かーべーたん”を血祭りにあげた。

 

 こうして大きな波乱も被害もなくバルト三国を解放。

 残ったのは穴ぼこだらけの大量のロシア産戦車の残骸とロシア人捕虜。

 全体的に順調に物事が上手く運んだのは、史実と異なり軍医余計な仕事を増やすアインザッツグルッペンとかがいなかったせいもあるだろう。

 NSR(国家保安情報部)から治安部隊は派遣されたが、それはごくごく通常(?)の治安部隊や特殊部隊で、別に特殊な性癖や人種感は持ち合わせてはいない紳士諸君であった。

 当然である。ドイツ人はバルト三国において”お行儀のよい正義の解放者”でなければならないのだから。

 

 では、バルト三国で捕らえられたロシア人の捕虜は?

 当然、当事国であるバルト三国に預けられましたとも。欲しいとも言われたし。それにバルト三国で確保した捕虜なんだから、ドイツはその権利があると認めたのだ。

 今は機関銃と有刺鉄線と地雷に囲まれた三国の特設捕虜収容所で、優雅な捕虜生活を満喫して居ることだろう。

 少々、ドイツ本国の同種の建物に比べて機関銃の使用率は高い気もするが……まあ、ロシアでは兵隊が畑から生えてくるらしいので問題はないのだろう。

 元の肥やしに戻るだけだ。

 

 政府が機能を回復すれば、”戦争犯罪に関する法廷”も開かれるらしいので、アフターケアもバッチリだ。

 何人が厳正で公平な裁判を受けられるかは関知しないが。

 ちなみにソ連支配下の約1年間の間に、少なくとも三国合計12万5千人以上が殺されている。

 

 ちなみに”戦争犯罪に対する裁判”に関しては、特に来栖は思うところはないようだ。

 例え、事前に処刑リストが作られていたとしても。

 

 

 

***

 

 

 

 

 さて一方、ドイツの友好国、潜在的同盟国でもある”フィンランド”の様子はと言えば……

 案の定、虎視眈々とチャンスをうかがっていた”冬戦争”で奪われたカレリア地峡へと再進出を果たしていた。

 結果から言えば”カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国”は、あまりに短い国家寿命だった。

 

 実はこれ、ガッツリからくりがある。

 ドイツは冬戦争の直後から”交易品”として「消耗した物資」を他の資材に紛れて引き渡していたのだ。

 要するに分解したBf109EやらⅢ号突撃砲とかだ。

 実際、カレリアに攻め込んでる装備は、ドイツメイドの部品をフィンランドで組み立てた物だ。

 

 要するに史実よりも有利に”継続戦争”を戦ってることになる。

 加えてソ連軍はより巨大な南方より迫るドイツ北方軍集団の対応に追われ、どうしてもカレリアは手薄にならざるえなかったのが痛い。

 なんせソ連の予想よりもはるかに速い進軍だ。

 

 7月の時点で既にスターリン線は破られ、オストロフ、プスコフは陥落している。

 ノヴゴロド陥落も時間の問題だろう。

 それほどまでにドイツの進軍は早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、史実では苦戦したエストニアとソ連の国境線であるナルヴァであるが……

 

「全艦、砲撃用意っ!!」

 

 ドイツ本国(高海)艦隊、そこより抽出された都合八隻(・・)の戦艦を中心とした水上砲戦部隊の全権を任された興奮と喜悦を抑えられぬように”オスカー・チリアクス”は高らかな声と共に命じるっ!!

 

 砲を振り向けるのは”SK C/34”38cm47口径長砲を連装砲4基8門備える”ビスマルク級”のビスマルク、ティルピッツ。

 同”SK C/34”38cm47口径長砲を連装砲3基6門(・・・・)備える”シャルンホルスト級”のシャルンホルスト、グナウゼウ。

 そして、28.3cm54.5口径長連装砲4基8門を搭載する、もはや原型が分からない装甲艦”ドイッチェラント”級、ドイッチュラント、リュッツォウ、アドミラル・グラーフ・シュペー、アドミラル・シェーアの4隻である。

 

 さて、まあ史実と色々と変わっている。

 例えば、ビスマルク級は主砲と門数は変わらないが、基準排水量で45,500t級で史実の常備排水量に匹敵する大きさを誇り、重量増加分は装甲防御/対空兵装/電子装備の強化、機関の大型化や燃料搭載量の増加などに用いられており、全体的にバランスが良い。

 特に期間は史実と同じく高圧缶を用いているが、全体的に余裕のある(十分な余剰出力がある)設計になった+シフト配置旗艦が採用されたのと、文字通りアキレス腱だったタービン関係も大幅に技術が大幅に進歩していたことが大きい。

 実はタービン関連の技術はドイツが非常に国策として力を入れてる分野であり、始まりはワイマール共和国時代の火力/水力発電の分野から始まり、その中に軍事技術の研究も割り込ませていたという経緯があり、これは特に大戦後半に大きな意味を持つようになる。

 それはともかくとして、機関出力は通常で150,000馬力、高圧ブースト状態で180,000馬力と機関出力が上がっている上に、信頼性が大きく向上していた。

 

 そして、シャルンホルスト級は中身は、機関を除けば史実では計画艦で終わってしまった”O級巡洋戦艦”に酷似しており(機関はむしろオリジナルのシャルンホルスト級に近い)、正しくシャルンホルスト級とO級巡洋戦艦のハイブリッドって感じだ。

 この差異は、おそらくは建造時期あるいは設計時期にあったと思われる。

 史実よりも進水時期がやや遅めだったことを考えると、もしかしたら本来のシャルンホルスト級とO級巡洋戦艦を計画統合した可能性がある。

 

 ラストのドイッチェラント級だが……史実ではシャルンホルスト級に搭載された長砲身28㎝砲を三連装2基ではなく連装4基8門と門数も2門増加している。

 このような設計となったのは、まずシャルンホルスト級がビスマルク級と同じ主砲/砲塔が採用される事が決定したこともあるのだが、また1935年のドイツ再軍備宣言ですべてがご破算になった海軍軍縮条約が有効だった時代には、まだビスマルク級もシャルンホルスト級もドイツには存在していなかった為に、装甲艦を大型化し準戦艦にしても4隻を保有する建造枠があった事も大きい。

 

 ちなみに連装4基8門の主砲配置となったのは重巡洋艦の”アドミラル・ヒッパー級”と同じで、特に有視界戦での敵方の誤認を狙った結果だろう。

 また、主砲が強化された分、船体は大型化しており、近代化改装を受けた1941年時点で基準排水量で約28,000tであり、機関出力も強化されオールディーゼルの120,000馬力で、最高速30ノットの使い勝手の良い船となっていた。

 また、史実では3隻の同級建造だったが、この世界線ではドイッチェラントがネームシップとなり、2番艦がリュッツォウと名称変更ではなく別の船となったせいもあり4隻が建造された。

 

 

 

 そして、史実に比べて圧倒的とは言えないものの明らかに強化された陣営に搭載されるのは、合計28門の38サンチ砲と32門の28サンチ砲だ。

 確かに史実と同じくエストニアとの国境にあったソ連の陣地は強固だったが……流石に海から、それも自慢の自軍野砲の遥か射程外から巨砲を一方的に撃ち込まれる事など想定していなかったのだ。

 

 電撃戦(ブリッツクリーク)とは、装甲化された地上兵力と航空機の組み合わせによる当時としては画期的な高機動戦術であり、後年の”エアランド・バトル”という概念の走りとなったものだが、ドイツはこれに更に海を加えることにより、史実ほどではないがやや不足気味だった砲火力(ドイツが急降下爆撃機の開発や運用に熱心だった理由の一つが、重砲などの不足を補うためだった)を一気に増大させることに成功したのだ。

 

 フィンランド湾を縦横無尽に動き回りながら巨大砲弾を放つ戦艦というプラットフォームの効果は絶大であり、おおよよ艦砲射撃の射程内にいるソ連軍は無事では済まなかった。

 

 これがレニングラード、いやサンクトペテルブルグへ続く進軍のあらましであった。

 時に1941年8月……ドイツはいよいよサンクトペテルブルグの外延に辿り着こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実ではついぞ実現しなかったドイツの陸海空一体の”電撃戦”がかけました♪

いや~、史実だと潜水艦以外のドイツ海軍、水上艦艇はホント不遇だったので、思い切り活躍させてあげたいです。

という訳で手こずる予定だったナルヴァを艦砲射撃という力技、膨大な火力を叩きつけることで史実よりも易々と突破したドイツ軍。

しかも戦車戦でも史実のような苦労はなく、普通に長砲身75㎜+高速徹甲弾でかーべーたんの正面装甲も貫けるので、かなり楽なはずです。

ドイツにとり41年最大の戦いとなるこの戦、果たしてどうなるのか?

ご感想などお待ちしております。



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第78話 来栖とゲルマン空母

何やら来栖にまた新たな役職が付くみたいですよ?w






 

 

 

ラトビア、軍港都市”リガ”

 

「う~む。やっぱ異世界だよなぁ。ここって」

 

 いやだってさ、

 

「まさか、ドイツが空母、それも正規の装甲空母を三杯も持ってるってのは……」

 

 現在、リガにはドイツの装甲正規空母グラーフ・ツェッペリン級1番艦(ネームシップ)”グラーフ・ツェッペリン”、2番艦”アドミラル・シュトラッセ”、3番艦”ドクトル・エッケナー”が3隻揃って護衛艦隊や補用艦艇共々舳先を並べていた。

 

 現在、リガは急ピッチで機能回復が行われ、急速に軍港としての機能を取り戻していた。

 というのも、ソ連が元々ここに大した艦艇や船舶を置いてなかったせいもあり、あまり港に”焦土作戦”が行われなかったのだ。

 というか、まさかドイツ艦隊が海から攻めて来るとは思わず、数少ない軍艦は破壊工作する暇もなく大慌てで逃げ出したという感じだ。

 

 とはいえ、リガの元々の港湾設備は確かにラトビア随一だが、かと言ってトート機関が数年がかりで充実させたドイツ最大の軍港キールをはじめ、ヴィルヘルムスハーフェン、ドイツ最大の潜水艦基地があるケーニヒスベルク、商業港としての意味合いが強いがドイツ最大の港であるハンブルクに比べるとやはり設備的にも規模的にも見劣りがしてしまう。

 

 まあ、そこで知己を得たハイドリヒやレーダー元帥に頼り、トート博士に連絡をとってもらい、大規模工事大好き集団トート機関の港湾整備班においで願ったという訳だ。

 何だか初対面からトート博士に非常に呆れた目で見られたが、なんでだろうか?

 俺はただ、リガをこのままにしとくのは勿体無いから現地調査したついでに作成した整備計画持ち込んだだけだぞ?

 

 まあ、でも正規空母3隻係留できるようにもなったし、問題ないよな?

 いや、流石に本格的な整備やら修理やらするなら本国の港じゃないと無理だが、取り敢えず作戦の準備程度はできるし、補給もできるようにしといた。

 

 ああ、悪い。毎度お馴染み来栖任三郎だ。

 どう言う訳は俺は今、単にリガに居るだけではなく官民合同組織リガ港バルト諸国共同整備チームの”事務統括官”という名前的には地味な地位にいる。

 

 ああ、一応、今でも総統府付特務大使のまんまだぞ?

 要するに”兼任”って奴だ。

 

 っていうか、兼任ってなんだよ!?

 まさか、ドイツに出向した上にラトビアで役職兼任させられるとは思わなかったぜ……

 

(役得と言えば役得なんだけどさぁ……)

 

 港が一望できるオフィスから、前世では生まれる時代が違ってもお目にかかることはできないだろうゲルマン空母、それも三杯なんてのは確かに眼福なんだが。

 というか、グラーフ・ツェッペリン級、これが中々に凄い。

 俺が知ってる歴史では、グラーフ・ツェッペリンは言ってしまえば未完成艦の一種であり、また空母というよりどちらかと言うと”航空機搭載型通商破壊艦”と呼ぶべき代物だった。

 例えば、設計段階で連装式の15サンチ砲を8基16門も搭載する予定だった。当然、この15サンチ砲は防空用の高角砲などではなく軽巡洋艦(計画に終わったM級軽巡洋艦)の主砲だ。

 つまり、史実のグラーフ・ツェッペリンはアウトレンジから敵の輸送船団に殴りかかり、敵の船団護衛艦隊(当時の基準から軽巡洋艦や駆逐艦がメイン)に近づかれたら独力で排除しつつ遁走するというコンセプトだった。

 

 いや、それ空母の使い方じゃないだろ?と思わんでもない。

 実は時代を先取りしたような装甲空母化は、敵空母機動部隊と航空機で殴り合う為ではなく、敵の水上艦と殴り合った時を見据えた防御だった。

 

 史実ではイギリス海軍の巡洋戦艦改造空母「フューリアス」や同じく巡洋戦艦改装空母「赤城」を参考にしたとされるので、まあこういうチグハグな感じになるのもわからんではない。

 だが、知っての通り赤城は姉妹艦の天城と同じく普通に巡洋戦艦として完成している。

 なので参考にできるわけもなく、ついでに言うなら日本皇国がドイツに軍艦の設計図を渡す理由がない。

 

 では何を参考にしたのか?

 建造時期から考えて、おそらくは何らかの形で米国レキシントン級あたりを参考にしたのでは?と思ってる。

 英国のフューリアスもだが、レディレックスも史実と同じく空母に設計変更されている。

 少なくても米独は再軍備宣言の前の時代、特に世界恐慌の前は割と懇ろな時代があったのだ。

 その時に何らかの手段で設計図を入手しても別に不思議とは思わない。

 

 ただ、どうも資料を読み解くと今生のドイツ、再軍備宣言の10年ほど前から空母の予備研究を進めていたきらいがある。

 また、ドイツは航空産業に力を入れていたし、飛行船に変わり空母を新時代の海軍主力にしようという運動もあった。しかもその最大の後援者がヒトラーだという話だ。

 ドイツの空母に飛行船絡みの有名人の名がついてるのは伊達ではなさそうだ。

 それに時代背景的に、空母より戦艦の方が需要視され他国から目がつけられやすいという事も、再軍備を目論んでいたドイツには空母保有の方が都合がよかったのかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

 とにかく、今生のグラーフ・ツェッペリンは俺の前世のそれよりもよほど「しっかり空母している」のだ。

 全長267m、基準排水量33,550tの船体(ボディ)に装甲甲板を備え、二段式格納庫に常用66機(最大75機)の搭載機数を誇る。

 飛行甲板に有効面積の拡大と強度維持のために昇降機開口部(エレベーターホール)を開けておらず、代わりに左右合計3基の装甲シャッター式サイドエレベーターを備える。

 サイドエレベーターに面積を取られたせいもあり、専有面積の大きい15サンチ砲は搭載されておらず、高角砲と対空機銃を満載。

 そして、

 

(全通式飛行甲板に備えられた2基の”蒸気(・・)カタパルト”……)

 

 実は史実でも出力こそ小さかったが、世界初の蒸気カタパルトの実用化に成功しているのだ。

 元々素養はあり、実は帝政ドイツ時代より蒸気を用いた高出力重機、例えばスチームハンマーなどは先進国だったのだ。

 ドイツ人にとり蒸気は扱いなれた機会であり、それを大型化して自慢の高圧缶と結びつけるのは、むしろ自然な物なのかもしれない。

 

 こうして空母後進国だったはずのドイツは、どういう偶然の連鎖か”世界で最も先進的な空母”を保有する状況となった。

 

(戦艦が、前世と極端な差が無い分、余計に空母の違和感が凄いな……)

 

 いや、ナチスが飛行機好きでヒトラーと海軍の関係が良好だとしても、やっぱり半端ない。

 それに気になることがある。

 

(煙突が前世の”赤城”そっくりなんだよな……)

 

 前世のグラーフ・ツェッペリンは赤城を参考に設計されたと言っても外観はさほど似ておらず、一番似ているのが飛行甲板に開けられたエレベーターホールだった。

 だが、この世界でのグラーフ・ツェッペリン()は、そろいもそろって横から出て下方に湾曲し、しかも温度低下用の海水シャワーまで付いているという。

 偶然の一致と呼ぶには似すぎている。

 

(もしかして、前世の赤城を知る”転生者(何者か)”が設計に関わってるのか……?)

 

 むしろ、その説明が一番しっくりくる。

 確かにメリットの大きい構造だが、空母の建造経験のない国が、排煙の生み出す熱乱流や重心低下をそう簡単に思いつけるとは考えにくい。

 

(それに搭載機にしたって……)

 

 そこまで考えた時、不意に執務室のドアがノックされた。

 

「”フォン(・・・)・クルス”統括参謀(・・)殿、レーダー元帥がお見えです」

 

 いや、だから俺は軍人じゃないってっ!!

 ついでのフォンでもグラーフでもねぇよっ!!

 ドイツ人じゃなくて日本人だっつーの!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何やら最後で無駄な抵抗(笑)を心の声でしてますが、どんどん外堀を埋められてゆく来栖w

次回あたり、こうなってしまった理由とか書けるかな?(大体はお察しいただいてると思いますが……)

それにしても、このドイツ空母の陣容と威容は……

ご感想などお待ちしております。




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第79話 日独の高度な政治的取引とリガ港再整備計画

今回は、現在の来栖とリガ港に関したちょっとしたエピソードになります。





 

 

 

 1941年某月某日、ロンドン某所で日本皇国外務省高官と、ドイツ国防省高官の間で”非常に高度な政治的取引”が行われたという。

 なお、国家機密指定のため、個人名は残されていない。

 

独:「なーなー、キミんとこのクルス君、バルト三国の軍人さんの間でめっちゃ人気やねんな。んでな、クルス君の下で働きたいちゅーバルト三国甚がぎょーさんおんのよ。ほいでな、ちょうどええんでリガ港の立て直しに力貸して欲しいんよ」

 

日:「いやー、彼、一応文民、外務省の外交官なんすけど?」

 

独:「官民共同の港戦後復興プロイエクトとしとくから、言い訳たたへん?」

 

日:「レンタル料金はいかほど?(キラン)」

 

独:「ゲットしたロシア人の戦車と航空機や鹵獲兵器一式、完動品の上物もつけんで? あと、赤軍との戦闘を記した戦闘詳報とロシア人の調書、供述書とかのコピーでどや?」

 

日:「おk。好きに持ってってー」

 

 ”非常に高度な政治的取引”なのである!(強弁)

 

 

 

***

 

 

 

「クルス統括官、壮健そうで何よりだ」

 

 とはレーダー元帥だ。

 

「ええ。とりあえずは健康面は問題はありませんよ」

 

 飯は美味いし、酒もうまい。ただし精神面では未だ釈然としないが。

 

「それにしても君は、随分とバルトの人々に慕われているようだな?」

 

 含み笑いはやめれ。

 

「普通に仕事してるだけなんですけどねぇ」

 

 いや、マヂでやってる事は文官よ?

 やってる事は労働環境の整備、給与体制や福利厚生面の見直しとかだ。

 そもそもモチベーション上げないと、できる仕事もできなくなるだろ?

 効率の良い仕事ってのは、労働環境を整えるところから始めんと。

 

「ただ、俺がドイツ人扱いされるのは……まあ、日本人を見たことない連中が大半だからまだ納得できるとしても、なぜか統括参謀とか参謀長とか基地司令官とか港湾総長とか妙に人を軍人扱いするのが多くて」

 

 なんか、まるで仇名のように好き勝手に呼んでくれやがりますです。はい。

 いや軍服も着てないし、階級章とかも持ってないよ?

 まあ、別にその辺にこだわりはないし、正規の役職名を呼ばれなければ返事もしないほど堅物になる気もおきやしない。

 

「一応、君には権限上、”将官”待遇ってことにはしてあるがね」

 

「そりゃ知ってますが」

 

 OKWに出入りしてた時もだが、今はリガが軍港としての機能復旧を最優先とされ、必然的に軍人と関わることが多い。

 特に今は軍の工兵隊の力を借りて作業してるからな。

 例えば、よく話に出てくる”トート機関”は、帝国軍備・戦時生産省の直轄機関で、軍隊ではないが立派な軍属。上の方は現役の軍人がいることも珍しくない。

 そういう時に物を言うのが”将官”という地位で、トート機関は史実の末期ドイツのような強制労働機関ではないが、何というか……ステレオタイプのナチ的な感じではない。

 というかバリバリのガチナチというのは今生のドイツでは実は少数派で、マイルドナチというかソフトナチみたいな感じの方が主流だ。

 少なくとも、過激派ナチは軍でも政府でも上層部では見たこともない。

 というより現在のドイツの国家戦略上、他国と余計な軋轢を起こしそうなのは排除され、穏健派が主流になるのも必然なのだろう。

 

 とはいえ、ナチスドイツであることには変わりはなく、時折、ナチズムというより過剰なチュートンイズムを他民族に求めてしまうことがある。

 そういう時、緩衝材や潤滑剤になるのが、俺の役目ってわけ。

 

 それと誤解されたくないので言っておくが俺の将官待遇ってのは、あくまで港湾整備に必要ってことで権限や役職に附随するもので、正規の階級では無論ない。

 そもそも将官つってもドイツ式だと少将、中将、大将、上級大将の四つあり、当然、与えられる権限の大きさが違う。

 それが定められてない時点で曖昧で大雑把なものであり、また「港を整備する権限に附随」する以上、今の事務統括官って役職から離れれば自動的に消える物だ。

 

「そういえば、君が主催する”有志による多民族相互理解推進懇親会”は評判が良い様だね?」

 

 飲みにケーションは古今東西を問わず万国共通のコミュニケーション手段だと思っております。

 

「敵対よりは序列を無視しない程度の融和を。現在のドイツの国是には反してないと愚考しますが?」

 

 因みにこの場合の序列とは、飲み代の出元のことだ。

 

「別に責めてるわけではないさ。むしろよくやってると思う。君が事務統括を引き受けてくれたおかげで、補給もはかどると評判だしな」

 

 いや、別に好き好んで引き受けた訳ではないんですがねー。

 まあ、このあたりの事を少し説明すると、俺は別に日本皇国外務省をクビになったわけではなく、ドイツ政府へ出向扱いになっている。

 正規、まあ本職は総統府付特務大使なんだが、受け入れ先のドイツの業務要請を受ける余地はある訳だ。

 ただ、新たな業務付与がある場合は無条件でOKというわけではなく、日本の外務省の許可があるわけだ。

 つまり、上に話を通せってこと。

 そして、今回はあっさり許可が出た。むしろ、推奨案件(命令ではない)だった。

 

(どうせなんか政治取引でもしたんだろうが……)

 

 正直、米ソっていう潜在的敵国、それも大国に挟まれてる皇国としては、現状の停戦状態は都合が良い。

 

(上の方は、ユーラシア大陸の反対側にある国家と戦争再開なんてしたくないだろうし)

 

「特に君が考案したバルト三国の言語に対応した量産ステッカー、あれが好評でね」

 

「ああ、あれですか」

 

 何の事はない

 ドイツ語表記の横や下に、リトアニア語、ラトビア語、エストニア語で書いたステッカーを貼っとけって話だ。

 例えば、燃料タンクに”航空機用燃料”と書いてあるとする。

 

 ドイツ語では”Flugzeugtreibstoff”となるが、リトアニア語では”Orlaivių Degalų”、ラトビア語では”Lidmašīnu Degviela”、エストニア語では”Lennukikütus”と全く表記が違う。

 いちいち教育する暇もなく、翻訳エンジンもないこの時代なら、戦時下の軍港に運び込まれる物資の種類なんてたかが知れてるんだから、必要なだけ作って三か国語表記のステッカーを作ってペタンと貼り付けられるようにしてしまえと命じたのだ。

 ぶっちゃけペイントよりこっちの方が手間かからんからステッカーにしただけだ。

 合計四か国語で表記されてる航空燃料が詰まったタンクを魚雷艇に運ぶとしたら、悪意があるか飛行機と魚雷艇の区別がつかない阿呆くらいだ。

 どっちもいらん。

 

 

 

 無論、バルト三国の作業員にスパイが紛れ込んでいたらコンテナの中身とかモロバレになるが、そもそもその手の破壊工作を行う連中は、最低でも自分が標的とする物のドイツ語表記くらいは知ってるので、心配するだけ無駄だ。

 

 むしろ、”Explosiv(爆薬)”と書かれた箱の横で、その意味も分からずタバコを吸われるリスクが減るなら俺はそっちをとるよ。

 

「お役に立てたのなら、何よりですよ」

 

 と当たり障りのない言葉を返すと、

 

「クルス卿、近々大きな戦いがある。補給の準備は念を入れて頼むよ」

 

 ふ~ん。いよいよサンクトペテルブルグに総攻撃をかけるか……

 

「かしこまりました」

 

 燃料武器弾薬だけでなく、食料品や医療品も多めに備蓄しておきますか。

 

(念の為、市中の病院や搬送用の自動車も確保しておいた方が良いかもな……)

 

 あとは、

 

(夜の街の女かな……)

 

 修羅場からの解放感で、現地人相手に婦女暴行を連発されたら目も当てられん。

 慰安所を設ける風習のない米ソの軍隊で婦女暴行が多いのは公然の事実だ。

 

 命の洗濯ってのは、死地からシャバへ戻ってきた者には必須なのだ。

 

(やり手婆に渡りはつけられたし)

 

 ソ連占領下で一掃されたはずの軍港に付き物の歓楽街や夜の女も、ところがどっこいしぶとく生き残ってるもんだ。

 地下に潜伏していたそれらは、政府よりも素早くその機能を復活させていた。

 まさに需要あるところに供給アリだ。

 ただその手の法の手が届きにくい場所はアカや他国工作員の温床になりやすいので、夜の街の面々と顔繫ぎすると同時に、何かとハイドリヒに話を通してNSR(国家保安情報部)の紳士諸兄(エージェント)を手配するよう話を通した。

 最も、話を通す前に既に活動はしていそうな気配があったが。

 

(俺は戦場に出ることは無いが)

 

 業務上のアフターケアぐらいはしてやるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




非常に高度な政治的取引(笑)

日本皇国外務省は、来栖を取引材料に色々と情報買う気満々ですw
ドイツは、皇国が自分達より米ソをよっぽど警戒対象としているのをよーく知ってます。

実は日独の本音は、「停戦状態を可能な限り長く続けたい」と共通していたり。


ご感想などお待ちしております。



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第80話 サンクトペテルブルグ攻略に向けた前哨戦 ~僕らは命に嫌われている~

今回でこのシリーズも80話となりました。
ここまで来れたのも皆様の応援のおかげです。これからもよろしくお願いいたします。

今回からは、サンクトペテルブルグ前に行われたいくつかの戦いを書いてみようと思います。


 

 

 

 さて、史実におけるレニングラード包囲線において、ナルヴァ、キンギセップからイリメニ湖のシムスクまでルーガ川沿い200マイルに渡りに数十万のレニングラード市民を投入して防衛線を構築したという。

 

 だが、この世界線では全くそれがうまく機能しなかったのだ。

 ドイツ海軍戦艦部隊の嵐のような艦砲射撃であまりに早くナルヴァのソ連陣地は陥落、突破された。

 そして、ナルヴァ陥落の報が届くか届かないかのうちにキンギセップに勢いを殺せないままにドイツ軍はなだれ込みあっという間に占領。ここに1922年以来途絶えていた”ヤムブルク”の名が20年ぶりに復活したのだ。

 

 そして、史実よりも早い8月6日、ノヴゴロドが陥落する。

 ルーガも程なく陥落し、ルーガ川防衛線は機能する間もなく寸断され、各個撃破されたのだ。

 特に悲劇だったのは、キンギセップ(ヤムブルク)とルーガで、防衛線補強の為にレニングラードより集められた市民が大量に詰めていて、戦闘の巻き添えとなった。

 ドイツが行った一度だけの降伏勧告で投降できた市民はまだ幸運な方で、政治将校の号令の元、手近にあった武器になりそうなものを手に取り抵抗の意思を見せたおそらくはレニングラードやその周辺からかき集められた市民は非戦闘員や民間人ではなく便衣兵とみなされ、容赦なく砲弾・銃弾が浴びせられた。

 

 このルーガ川防衛ライン近郊の都市戦闘での最終的な民間人(レニングラード市民など)の戦死者(・・・)は30万人を超えるものだった。

 ソ連は「ドイツの組織的な民間人殺し」を激しく糾弾したが、降伏勧告がどの都市でも最低は一度は行われたこと、その様子をオープンリールテープで録音、写真での撮影、さらに場所によってはムービーカメラで撮影され動画として残っていたこと、更には政治将校の煽動や埋設するべき地雷を抱えて戦車に飛び込もうとするレニングラード市民の様子が同じ機材でバッチリ記録されていたために、ドイツが主張する「ハーグ陸戦条約の適応外である便衣兵として対処した」の言い分が通ったのだ。

 つまり、「軍人ではなくとも、非戦闘員ではなかった」と。

 余談ではあるが、この時代のドイツの録音機材は世界最先端であり、例えば世界初のオープンリールデッキは1935年にドイツのAEG社が発表したマグネトフォンだ。

 

 このあたりの機材の選択や使用法、情報戦の手口はゲッベルスの十八番であり、事前準備や根回しも含めて隙が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 陸の戦いの前に、海の戦いも振り返ってみたい。

 史実のレニングラード包囲戦において、実は海の戦いは非常に重要な意味を持っていた。

 エストニアの港”タリン”にいたソ連バルチック艦隊約190隻がナルヴァ陥落に呼応して脱出し50隻余りの犠牲を出しながらコトリン島のクロンシュタットに辿り着き、以後のレニングラード包囲戦にドイツ側に暗い影を落とすのだが……

 

 だが、考えてほしい。

 果たしてこの世界線のドイツが、背後にあるソ連バルト海(バルチック)艦隊の拠点を放置して、エストニアとソ連の国境へ向かうだろうか?

 しかも、ナルヴァ攻略には戦艦部隊を投入しているのに、転生者であるヒトラーやハイドリヒがそんな明白な戦略的失敗を見過ごすだろうか?

 答えるまでもない。

 断じてNEIN!

 

 今まで政治イベントの時系列的に挿入できなかった、記されてなかったドイツ海軍史上最大の戦い……”タリン殲滅戦”を今こそ書いてゆきたい。

 

 

 

***

 

 

 

 これまで、今生ドイツの誇る海軍水上部隊の精鋭の雄姿は、僅かな文章量とはいえ記したつもりだ。

 だが、史実のドイツ海軍の主力は戦艦だろうか? 空母だろうか?

 否。もっとも数が多く、連合軍が恐れたのは”潜水艦(Uボート)”だ。

 

 戦後、ウィンストン・チャーチルは「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と語ったという。それほどの存在だった。

 

 しかし、この世界線におけるこれまでの戦いでは、いっそ”不気味なほど”Uボートはその影を見せていなかった。

 特に猛威を振るった対英戦では、”アシカ作戦”自体がフェイクだったせいもあり「驚くほど被害が少ない」のが現状だった。

 無論、停戦前にUボートの撃沈記録がないわけではない。

 

 日英同盟が「史実のUボートの脅威」に怯え、全力で用意した対潜装備の数々、主に駆逐艦や軽巡洋艦に搭載されるソナーなどの探知手段やヘッジホッグやスキッドのような対潜兵器の開発、また二式大型飛行艇のような”潜水艦キラー”の対潜哨戒機が戦前より準備が進められていた為、「たまたま索敵に引っかかった運の悪い(・・・・)Uボート」が沈められたからだ。

 

 だが、それにしても少なかった。

 撃沈数だけでなく遭遇数、その分母である「潜水艦の被害にあった輸送船」が、少なくても大西洋領域では驚くほど少なかったのだ。

 

 地中海方面では装備の良さでごり押す徹底的な”キャッチ・アンド・キル”で味方商船の被害こそ少ないが、敵潜水艦の撃沈数はそれなりに稼いでいた。

 だが、スエズ運河とジブラルタル海峡で閉鎖された地中海でドイツ潜水艦が入り込む余地はなく、撃沈されたのはほとんどがイタリアの潜水艦だと推測されている。(潜水艦の場合、潜水状態で沈めてしまうとサルベージしないと艦籍の特定ができなく、戦時中にそんな余力はない)

 

 この答えは実にシンプルで、実はこの世界線のドイツは大西洋方面に偵察や哨戒以外、ほとんどUボートを投入していなかったのだ。

 信じ難いかもしれないが……ドイツは、対英戦において本格的な通商破壊作戦を一切行っていない。

 

 

 

 当然、これには理由があった。

 まず史実と違い、日英同盟という安定した軍事同盟があったせいもあり、英国は欧州本土への軍隊動員には慎重であり、結果としてダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)のようなことは起きていない。

 また、英国はどこまで日本皇国の影響を受けているのか分からないが防衛的戦争を続けており、コンパス作戦やギリシャへの派兵などは行ったが、攻勢的な作戦は史実と比べても限定的だ。

 だからこそ、ドイツは「英国の国民感情を過度に刺激しかねない」通商破壊作戦を自重していたのだ。

 ドイツは、英国紳士が第一次世界大戦の惨禍を忘れたとは思ってなかった。そして、敗戦により自分達がどんな目にあったかもだ。

 

 実はこの手の”気遣い”や”配慮”というものは他にもある。

 

 ”バトル・オブ・ブリテン”がこの世界でも起きたことは既に何度も書いたが……驚くべきことに、ロンドンをはじめとする都市部、特に民間人の密集居住地には1発の爆弾も落ちてないのだ。

 当然である。

 ドイツの真の目的は、英国の防空能力の確認だった為、民間人を無差別爆撃して無用な恨みを買うことは本意ではないのだ。

 だから、「爆撃=英国本土のどこかに適当に爆弾を落として離脱する」という、いささか非チュートン的な不真面目さが目立つ状況だった。

 なので実質的な爆撃の被害が少なすぎて、逆に英国政府が公表を迷うというエピソードがあったらしい。

 

 当然、以前のエピソードにも出てきたチャーチルや吉田のようにドイツの真意、「アシカ作戦はみせかけ。日英の反応を見るために意図的に漏洩された観測気球代わりのダミー。ドイツは物理的限界からか英国本土を攻めとるつもりはない」を正確に見透かした人間もそれなりに居た。

 

 他にも「スカパ・フローに対する強行作戦」なども同様の理由で計画さえされていない。

 これらの”まやかしの戦争”が結果として日英との停戦につながっているのだから、本当に歴史も世の中も何が幸いするかわかったものではない。

 

 

 

 しかし、Uボート(かれら)は、姿を見せないだけで、間違いなく存在していたのだ。

 それも史実よりも遥かに強力な存在となり、温存され、その凶悪過ぎる牙を”共産主義者を食い千切る為に”静かに研いでいたのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サブタイトルについた「僕らは命に嫌われている」は、この曲の「BF1やBF5のMAD」を流しながら執筆してたからなんですよね~。

真面目にこの辺りの戦いは血みどろ、史実同様にレニングラードや周辺都市の住人が防衛戦構築に動員されたためと、ドイツ軍の進軍が史実よりも早かったために、あちこちで市民を巻き込む遭遇戦じみた戦いになってます。

そして、史実ではまんまとバルチック艦隊の逃走を許してしまったエストニア、タリン……

ご感想などお待ちしております。



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第81話 ドイツ海軍最強戦力は、この世界線でも例外なく潜水艦であるという揺るぎない現実

Uボートファンの皆様、もしいらっしゃるのでしたらお待たせしました。
今回は、Uボートにスポットがあたるエピソードです。





 

 

 

 さて、皆さんは史実のドイツ潜水艦、Uボート・シリーズにおいて決定版とも言える艦型があった事をご存じだろうか?

 

 飛び道具のような無酸素(ヴァルター)機関を搭載した実験艦的な意味合いの強いXVIIB型やXVIII型のことではない。

 そう、既存の技術を積み上げ、極限まで磨き上げた初の”水中高速型(・・・・・)Uボート”の”XXI型”だ。

 

 実は、日英同盟がこれまで確認できた(浮上降伏で確保できた)最も新しい型のUボートは、史実でもこの時期にはとっくに就役し猛威を振るっていたIX型だった。

 これは第一次世界大戦から脈々と受け継がれてきた従来型Uボート、つまり本当の意味での潜水艦ではなく”潜水可能艦”と呼称すべき、「水中速度より水上航行速度の方が速い」Uボートであった。

 それでも大量生産されていたのは、本来の計画通りに巡航用エンジンを標準搭載し、航続距離が長く広い大西洋での通商破壊作戦や長距離哨戒任務に向いたIXD/2型やIXD/42型だったので十分に脅威だ。

 少なくとも、1941年前半まではこのタイプがドイツの主力潜水艦だった。

 

 

 だが、これは軍機なのだが……史実よりも3年も早く、”XXI型”は存在していたのだ。

 それも、既に30隻以上が同時建造されて。

 

 

 

***

 

 

 

 「水上航行より水中速度の方が速い」水中高速型として建造されたXXI型は、建造された時代から考えれば驚異的な潜水艦だった。

 IX型のUボートに比べ水中航行速度は倍以上であり、魚雷発射管に自動装填装置を備え、十分な航続距離を持っていた。

 加えて開発された時代から考えられない性能を持つ音響雷撃統制(水中火器管制)装置を持ち、潜望鏡を用いず潜水したままの音響測量のみの雷撃でも十分な精度の攻撃が可能だった。

 おまけにブロック建造方式を採用し、量産性すらも高かったのだ。

 

 戦後に建造された世界各国のあらゆる通常動力型潜水艦の雛形となり、大戦を生き残った船は戦後も長く使われ続けたと書けば、その先進性と優秀さは伝わるだろうか?

 

 しかもこの世界線では、”次世代潜水艦”としてナチ党政権奪取時には既に基礎設計が開始されていたので、コンセプトが最初からはっきり明示されていたのと開発に十分な時間をかけられたために、史実のような「性急な設計を要求されたゆえの構造的欠点や初期不良などの悪影響」がほぼ無くなっているいることが大きい。

 例えば、

 

 ・急速潜行時間を短くする為に海水通水口を開けすぎて水中抵抗が大きく速度低下を招いた。

 ・初期の油圧システムが予定の性能を出さない上に構造が複雑高価だが時間的都合で採用せざる得なかった→後日、代用品に変更されている

 ・蓄電池から電動機の配線が拙く、また蓄電池自体にも無理がかかる設計なので過負荷で小さな爆発を起こす危険性があった。

 ・電動機が予定の最高出力を発揮出来ず、上記の開口部の問題と合わさり水中最高速力は17kt台に留まる(計画では5000馬力、実際には4200馬力)

 ・水中機動性は高いが推進器の角度が若干悪く、旋回半径は大きい。

 ・艦の電気配線は量産性が考慮されたものだが、過剰な磁場を生成し磁気探知手段に弱い。

 

 これらの欠陥、欠点、短所は見事に実際に量産が始まる頃には是正されていたのだ。

 海水通水口や推進部の角度、配線、蓄電池などは最適化され、油圧装置や電動機は技術的熟成が行われ予定通りの性能/出力を発揮でき、また信頼性も各段に高くなっていた。

 このような細かい積み重ねにより、この世界線の”XXI型”の水中最高速は、20ノットに到達していたのだ。

 また小さな変化ではあるが、象徴的な話として対空機関砲に計画通り量産が開始されたばかりのMk103/30㎜機関砲を連装で搭載していた。

 言ってしまえば、”パーフェクトXXI”、額面通りの”奇跡の潜水艦”が完成したのだ。

 

 

 そして、これを操る男たち、艦長たちもまた凄まじかった。

 

 〇オリヴァー・クレッチマー

 〇グスタフ・プリーン

 〇ヨハン・シェプケ

 〇ハインリッヒ・リーペ

 〇ヴィルヘルム・リュート

 〇アーダベルト・ブランディ

 〇ウルリッヒ・トップ

 〇アルベルト・ヴォールファールト

 〇クルツ・ドブラッツ

 〇エーベルハルト・ハーデガン

 〇ハイネ=ルドルフ・レーズィンク

 〇ハイドリヒ・レーマン=ヴィレンブロック

 

 綺羅星のごとくUボート乗りのウルトラエース揃い踏みだが、この艦長たち全員に最新鋭の超機密兵器”XXI型”が与えられたのだ。

 この意味を、皆さんは想像できるだろうか?

 

 また40年後半から41年前半にかけて慣熟訓練を行っていたために史実と大きく運命が変わった者も多い。

 例えば、史実ではクレッチマーは41年に捕虜になった。プリーンとシェプケは同じく41年に戦死している。

 だが、この世界線では全員がピンピンしており、最新鋭の装備とそれを使いこなす訓練時間が与えられていたのだ。

 

 船も艦長も極上。武将や軍馬は良くて肝心の”主槍(ぎょらい)”は?

 当然、ドイツはそこも抜かりはなかった。むしろ、全力を傾注している。

 これらの潜水艦に搭載されていたのは、史実でも有名な”G7魚雷”。

 正確には、G7シリーズの中でも現在の主力は、”G7ut”。タイプコードは”Steinbarsch”……そう、高温式ヴァルター・タービンを主機に搭載し、雷速45ノットで射程8,000mを誇る、日本皇国の酸素魚雷に匹敵する凶悪な魚雷をドイツは史実のような試作ではなく、実戦用兵器として完成させていたのだ。

 これは史実の同じ潜水艦用53㎝級酸素魚雷”九五式魚雷一型”の性能「49ノットで射程9,000m」に迫るものであり、史実の世界の標準的同級魚雷、例えば通常の圧縮空気機関型G7魚雷は「34ノットで射程3,400m」、従来型の中では戦時中最高峰とされた米国Mk14魚雷でも「46ノットで4,100m」という物だった。

 

 蛇足ながら、後年には海水噴射機構が搭載された改良型の”Schildbutt”は「50ノットで射程20,000m」という圧倒的な性能を叩きだし、これは遥かに巨大な水上艦用の61㎝級酸素魚雷、史実の”九三式魚雷一型”の「48ノットで射程20,000m」と同等の射程を持ち、速度性能で上回る驚異的な物だった。

 

 

 

 これは、ドイツが大型高出力ヴァルター機関の開発にはまだ技術熟成に時間がかかり、潜水艦用主機として採用するには時期尚早とし、基本的に使い捨ての魚雷主機として水中用ヴァルター機関の開発に傾注したからこそ間に合ったものだった。

 しかもこの魚雷、接触だけでなく磁気信管も標準搭載している。それも史実でプリーンに”木銃”と酷評された動作が不安定な物ではなく、深度維持装置も含め”まるで戦後製品”のような動作確実性と精度を持っているようだ。

 

 実は、磁気信管……正確にはその心臓部である磁気反応装置には史実と異なるからくりがある。

 史実のドイツの磁気反応装置は、内蔵した磁石が磁気変化を感知して上下動し起爆する純然たる機械式だが、今生のドイツのそれはサーチコイルと真空管(メタル管)を組み合わせた電子式だ。

 史実でもドイツはメタル管を含めた軍用真空管をテレフケン社を中心に多数製造しており、電子/電気の分野は国策としてさらに輪をかけて今生ドイツは資本強化している(性能もだが、生産数が1桁違う)為、その結果として誕生したのがこのシステムなのだろう。

 追加で言うと、この軍用真空管は同じく深度維持装置にも電子回路として組み込まれている。

 なので、この世界線では”魚雷クライシス”は発生していない。

 

 難点を上げるとすれば、扱いに慣れがいることと製造コストが高いこと、そしてホーミング機能が付いていないことぐらいだろうか?

 もっとも後年に有線誘導式が開発され、主に米国船舶相手に猛威を振るったりするのだが……

 

 

 

 とにもかくにも、綺羅星艦長と鬼畜魚雷を乗せた合計30隻の最新版水中高速型潜水艦が、ヴィルヘルムスハーフェンやケーニヒスベルクのUボート用隠蔽ドックから、一路ソ連バルト海艦隊ひしめくタリンに向け出航したのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 無論、殆どが小型艦艇ばかりとはいえ190隻のソ連バルチック艦隊を相手取るのに最新鋭とはいえ30隻のUボートで相手取る訳はない。

 ”バルバロッサ作戦”発動のあの日、既に準備は始まっていた。

 ドイツ北方軍集団が越境を開始したとき、既にタリン沖合に待機していた複数の潜水艦群(Uボート)が状況を開始していたのだ。

 

 それらのUボートは、”X型”。

 Uボートの中でも機雷敷設に特化したタイプのUボートだった。

 第一次世界大戦で機雷敷設型潜水艦として活躍したUボートUE型の真っ当な後継艦だった。

 史実よりも数倍も多く建造されたそれらの海中機雷敷設職人(マインクラフター)は、1隻あたり66発搭載した機雷を見事にタリン港の目と鼻の先に敷設してみせたのだ。

 しかも、エストニアにドイツ軍が侵入し、本格的なタリン制圧に地上軍が動いたため慌ててバルチック艦隊が逃げ出すまでの間、二度もソ連の対潜警戒網を潜り抜けての敷設に成功している。

 当時のソ連の対潜哨戒を含めた対潜戦術がお粗末で、レーダーもソナーも持っていないことを加味しても中々の快挙である。

 

 ドイツと言えば磁気反応式機雷だが、この世界線は中々に厄介な機雷を用意していたようだ。

 魚雷でも磁気式信管が史実と比べて高精度で信頼性も高いと書いたが、機雷もそれと同じなだけでなく、標準で水圧感応式起爆装置も備えてる複合信管型だ。

 加えて磁気/水圧式だけでなくロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)を用いた音響起爆式も混ぜられていたのだ。

 

 ちなみに史実でもロッシェル塩をクリスタルイヤホンやクリスタルマイクなどの圧電素子として使う技術をドイツは長けていて、実際、軍需物資として水中聴音機などに用いていた。

 

 さて、都合3回行われた機雷敷設では、少ない時でも20隻のX型が活動していた。

 つまり、合計3,000発近い機雷がタリン港の出入り口に敷設された事になる。

 

 これが如何なる結果を生んだかと言えば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




高性能機雷が既にびっしり敷設済みのタリンの沖合に潜んでる戦力

完成形に至った”パーフェクトXXI型”+温存されていたウルトラエース揃いの綺羅星艦長ズ+安定した性能を発揮するヴァルター・タービン型魚雷×30隻

  VS

約190隻のソ連バルト海(バルチック)艦隊。ただし、ソ連は艦載レーダー・ソナー、前方投射型対潜兵器、対潜哨戒機を保有していないものとする。

うん。絶望しかないなw

ご感想など頂けたら嬉しいです。




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第82話 タリン沖殲滅戦、開始 ~おそらくそれは、ソ連海軍にとり最悪の一日~

いよいよ、人工的な地獄の釜の蓋が開きます……





 

 

 

 一言で言えば、タリン港に居た約190隻のソ連バルト海(バルチック)艦隊は、手遅れ(・・・)だったのだ。

 エストニア各所でソ連地上軍が戦術や指揮のまずさにより寸断され、各個撃破された。

 大粛清の影響は、本当に大きかったのだ。

 

 破竹の進軍を続けるドイツ軍を止める手立ては、既に制空権を取られたエストニアに駐留していたソ連軍には無かった。

 リトアニアやラトビアから撤退してきた、正確に表現するならドイツ軍に追い散らされたソ連軍も合流していたが所詮は敗残兵の集まり。

 指揮官や司令官を欠いていた部隊も多く、装備も失い……正しく烏合の衆だった。

 如何に強権発動を得意とする政治将校(コミッサール)とはいえ、統制できる限界を超えていた。

 戦線を立て直せる見込みもなく、死守するにはタリンは防衛陣地として脆弱過ぎた。

 ならば、今は一旦は後方に下がり、装備を整え部隊を再編し、捲土重来を図るしかないと判断された。

 

 そうと決まればもはや一刻の猶予もなく、最初のJu87D(スツーカ)がタリンの港湾施設に急降下爆撃を敢行したときには、脱出を図る将兵を甲板から零れるほど満載した艦船艇がボイラーに火を入れ、出航の時を待っていた。

 

 

 

 そして、ソ連にとって”最悪の一日”が始まる。

 

 

 

***

 

 

 

 タリン港を出ようとした最初の1隻、輸送船が触雷し、船底に大穴を空けられて浸水。ダメージコントロールを考慮されていないソ連船籍らしく、瞬く間に横腹を見せて沈んだ。

 

 だが、水の摩擦係数は小さく慣性質量の大きな船は急には止まれない。

 我先にと脱出しようとしていたソ連艦船は次々と触雷、浮力を失っていった。

 

 誰かがそれがドイツ軍が仕掛けた機雷だと気づいたが、だからどうしたというのだろうか?

 もう、ドイツ軍は陸地から目と鼻の先に迫っているのだ。

 吞気に掃海している暇はない。

 いや、そもそもソ連には掃海する技術も装備もノウハウも不足していた。

 

 このまま港から出なければ、結局は陸地でドイツ人に殺されるのだ。

 だからこそ、彼らは実にボリシェヴィキズムに溢れた判断を取った。

 

 そう、”強行突破(・・・・)”だ。

 倒れた同志の屍を踏み越えて行くように、船が沈んだのならそこにあった機雷は無いのだから直進できるはず……そう信じて。

 無論、先陣を切るのは階級の低い者が艦長を務める小型艦からだ。

 

 きっとその心情は、きっと政治将校(コミッサール)に後ろから機関銃で撃たれる気分に近い物だったのだろう。

 撃つのが赤色ロシア人かドイツ人かの違いなだけだ。

 

 

 

***

 

 

 

 確かにUボートが敷設した機雷原を抜けることができたソ連軍艦は少なからずいた。

 だが、その姿は正しく満身創痍だった。

 そして、言うまでもなく……

 

「こりゃまるで鴨撃ちだなぁ。おい」

 

 グスタフ・プリーンは、潜望鏡を覗きながら楽しそうに舌なめずりした。

 本来ならXXI型Uボートは、開発された時代から考えられない性能を持つ音響雷撃統制装置を持ち、潜望鏡を用いず潜水したままの音響測量のみの雷撃でも十分な精度の攻撃が可能だが、当然従来のように潜望鏡を用いた方がより高精度の雷撃が可能だ。

 特にソ連はまともな対潜戦術教育が行われていないようで、またまだ艦載レーダーも実用化しておらず、装備も貧弱なためにプリーンは潜望鏡を出したままの攻撃で問題ないと判断していた。

 

(日英の対潜兵装満載したトンデモ駆逐艦相手じゃこうはいかんだろうが……)

 

「よし! あのノタノタしてる大物を狙うぞ! 発射管1番から6番まで装填終わってんなっ!?」

 

 その視線の先には、既に機雷により艦首を破損し浸水をおこし、大幅に機動力が削がれたガングート級戦艦”マラート”が船体を傾かせながら進んでいた

 

「Ja! いつでも発射可能です! 新型魚雷の射程なら、十分に射程圏内ですぜっ!!」

 

 副長の言葉にプリーンは頷き、

 

「よしっ! 1番から6番まで全弾発射! 目標、ガングート級戦艦!」

 

「Jawohl ! Herr Kaleun !!(了解しました! 大尉殿!!)」

 

 発射された魚雷の内、距離がそこまでなかったせいもあり、なんと半分の3発が命中!

 これは無誘導魚雷としては驚異的な命中率だった。

 正確には2発が直撃で接触信管が、1発が艦底爆発で磁気信管を作動させ、喫水線下で爆発したTNT換算で1t近い爆薬は、もはや”マラート”が海上に浮くことを許さぬほどの損害を与えたのだ。

 特に厄介なダメージを引き起こしたのは艦底部で爆発した1発で、それは第一次世界大戦の生き残りである”マラート”の年季が入った竜骨を海中衝撃波で圧壊させ……

 

「命中、多数! ははっ! 真っ二つになって沈んでいきやがる!! くたばれコミュニスト!!」

 

 その姿を満足そうな顔で確認しながらプリーンは、

 

「次弾装填急げよっ! 殴り沈めにゃならん獲物はまだまだいるっ! どこに撃っても何かしらには当たりそうだぜっ!!」

 

「「「「Jawohl !!」」」」

 

 

 

 

 プリーンは運の強い男だった。

 生き残ったからではない。というより、この”タリン殲滅戦”と呼ばれることになる一連の戦いでロシア人の手で沈められたUボートは1隻もない。

 そうでは無く、単艦攻撃でガングート級戦艦”マラート”を沈め、それがはっきりしていたからだ。

 同じくタラン港から脱出を図っていたネームシップの戦艦ガングートは、都合3隻からの同時攻撃で船体全体に7発の命中弾を受けて爆沈(轟沈)、戦果判別困難ということで3隻共同撃沈(スコア)という事になった。

 潜水艦の撃沈スコアは伝統的に隻数ではなくトン数で表すが、ガングート級戦艦の排水量は満載で約26,700t、で三分割すると1隻あたりのスコアアップは軽巡~重巡1隻分くらいになってしまった。

 

 だが、ここで終わりではない。

 XXI型Uボートの6門ある魚雷発射管には自動装填装置が採用されており、10分以内に全ての魚雷発射管に再装填が可能だった。

 これは人力に頼る他国の潜水艦の魚雷発射速度に比べて極めて早い。

 そして、XXI型の魚雷搭載数は史実よりも1発多い24発を搭載しているし、”海の狼”(ウルフパック)達は魚雷を撃ち尽くすまで帰港するつまりはない……つまり、タリン沖で1時間続く”海中ハンティング大会”は、まだ始まったばかりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロシア人は元来、”しぶとい”民族だ。

 気候的過酷さがその性質を生んだのか、窮地なればなるほど粘り強さを発揮するところがある。

 機雷に潜水艦のコンボという奇襲じみた強襲を受けてなお、ソ連バルト海(バルチック)艦隊は、全て水漬く屍になっていた訳ではなかった。

 集中的に狙われた高価値目標(UVU)……2隻のガングート級戦艦をはじめ巡洋艦以上の戦闘艦や5,000t以上の輸送艦などの大型艦船はことごとくが沈められ、190隻いたはずの艦船艇は既に50隻程度までやせ細り、もはや艦隊と呼べるかどうかという状況ではあったが……

 それでも彼らは生きており、クロンシュタットへ辿り着く事をあきらめていなかった。

 

 ロシア人は確かに粘り強い。だが、それは精神面の話であり、決して物理限界を超えるような超常現象的なものではなかった。

 つまり、

 

「噓だろ……」

 

 それに最初に気づいたのは誰だったか。

 

「なんで航続距離(あし)の短いドイツ野郎の飛行機が、海の上(・・・)で襲ってくんだよっ!!?」

 

 絶望の時間は、まだ終わらない。

 

 

 

 潜水艦による半包囲からの殲滅戦じみた攻撃から生き延びた彼らの頭上には、3隻のグラーフ・ツェッペリン級正規装甲空母から発艦した”Ju87M”、史実のJu87CではなくJu87Dシリーズと並行開発され、史実のJu87D-5と同等の性能を持つ、Mはマリーネを意味する海軍仕様のJu87(スツーカ)が編隊を組み迫っていたのだ。

 ロシア人は知る由もなかったが、この航空攻撃は一度ではなく、空中集合の関係から二波に分かれて行われる予定だった。

 

 そして、残存のソ連艦隊には、今まさに行われようとしている第一波さえも防ぐ手立てがほぼ無かった。

 対空装備も少なく、防空訓練も他の訓練同様に足りておらず、甲板には脱出した海にも船にも不慣れな陸式赤色軍人が溢れたこの状況で、満足な迎撃なんてできる筈もなかった。 

 それがなくとも彼らの対空戦技量は褒められたものではない。信じられない話かもしれないが、この時期のソ連海軍機銃手の多くが、「撃墜するには敵機の未来位置を予測して撃つ」事を知らなかったという。

 つまり、彼らの大半は接近する敵爆撃機隊に気付いても「現在のスツーカの位置」に向けて心許ない対空射撃を開始しているのだ。

 そう、赤色海軍人の殆どが急降下爆撃を実際に見るのは初めてであり、ドイツの艦載機に爆撃されることなど想像外の事態、現実に起こることを想定していなかったゆえの悲劇……

 弾幕は薄く、レーダーも連動した射撃統制装置もなく接近に気付くのが遅すぎた。

 

 繰り返すが、絶望の終わりはまだ遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「機雷と潜水艦だけだと、誰が言った?」

なんか、そんな声が聞こえてきそうな展開になりました。

ドイツ空母打撃群の二波による猛攻……史実では有り得ないシチュエーションですが、ここは異世界、異なる歴史を歩んでる世界線です。

何が起きても不思議じゃないです。

ご感想、評価、お気に入り登録などなどお待ちしております。




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第83話 タリン沖海上バーベキューパーティーに至るちょっとした小話

またお前かい。






 

 

 

 さて、これは特にどうということは無い……来栖任三郎が、パリへ向かう少し前くらい話である。

 

 

 

「クルス卿、少し良いか?」

 

 その日、”バルバロッサ作戦における”ドイツ軍の動向を手に入る資料から推察しまとめていると、一応は俺にも総統官邸に用意されている執務室(何故かOKWにもあるんだよなぁ……俺の執務室)に、来客があった。

 なんか、最近はたまに絡みに来る、

 

「ハイドリヒ卿、いかがされた? って、えっ!?」

 

 ハイドリヒ卿はいいんだ。ハイドリヒ卿は。

 ぶっちゃけエンカウトにももう慣れた。いや、NSR(国家保安情報部)の長官とエンカウントに慣れちゃいかん気はするけど。

 だが……

 

「ふぁっ!? ファフナー・フォン・ブロンベルク国防大臣閣下ぁっ!?」

 

 俺はバネ仕掛けの人形のように椅子から飛びあがり、最近覚えたばかりのドイツ国防式(・・・・・・)敬礼をする。

 形は崩れている気もするが、気にしちゃいけない。これは目上の人に対する礼儀・礼節の問題なのだ。

 いや、なんでドイツの国防関係の一番偉い人がこんなところにいるんだ!?

 

(いや、総統官邸だからいても不思議じゃないけどさぁ)

 

「な、なぜ、一国の大臣がわたくしめのような者のところへ……?」

 

 ヲイコラ。ハイドリヒ、お前今吹き出しそうになったろ? 口の端がヒクついてんぞ?

 

「硬くならないでくれたまえ。なに、本日はハイドリヒ君と昼食を共にしてね。その時、君の話題が出て何やら相談があるそうなのだ。そこで前々から君と話してみたいと思っていた私は、丁度よいので同行を願い出たという訳さ」

 

 と、にこやかに返礼するブロンベルク閣下。いや、一国の国防大臣がそんな軽々しい理由で来てほしくはないんだが……

 

「クルス卿、君には伝えていなかったかもしれんが、私とブロンベルク閣下は個人的友誼があってね。まあ、公務を離れれば年の離れた友人というところなんだ」

 

 いや、そんなプライベートな事情を聞かされても困るんだが?

 というか、ハイドリヒってレーダー元帥とも仲良かったような?

 逆にゲーリングとは距離をとってる気がする。

 

「……事情はわかりました。今、お茶の準備を」

 

「それはもう事務方に頼んできた」

 

 流石ハイドリヒ。抜け目がないな。

 

 

 

***

 

 

 

「それでハイドリヒ卿、話とは?」

 

 部屋に備え付けの応接セットに三人分の紅茶と茶菓子が運ばれてきて、ブロンベルク大臣が「私のことは気にしないでくれたまえ」とおっしゃりますんで、俺こと来栖任三郎は遠慮なく切り出した。

 

「レーダー元帥に相談されたのだがね……実は、我々ドイツが持つ航空機用爆弾の中で、対艦攻撃に有用の物はどれか……それの判別がつかなくなってしまったのだ」

 

「はあっ!?」

 

 いや、それ初歩の初歩じゃん。

 ドイツは空母艦上機での対艦攻撃は考えていなかったのか?

 

(いや、航空機による船舶攻撃は普通にやってるよな?)

 

「その表情から何を考えているかはわかる。確かに我々は航空機による艦船攻撃は敢行しているが……日英(きみたち)のタラント港殲滅戦を見てしまうとどうにも今の方法が効率的とは思えなくなってね」

 

 んー、なんか奥歯にものが挟まったような言い方だな……

 

「もしかして、何か対艦攻撃が必要な特別な状況が差し迫ってるので?」

 

 なら、こちらから少し踏み込んでみるか。

 あっ、頷いた。

 

「差し支えない範囲で想定している状況を話していただければ、ある程度は有益なお答えができるかもしれません」

 

 

 

***

 

 

 

(なるほどねぇ……)

 

 想定される状況は、「タリン港を這う這うの体で脱出するバルチック艦隊の残党の追撃」かぁ。

 確かにドイツの対艦爆弾って悪くはないんよ。

 まだ熟成しきれてない感じがするし、少々設計が甘い気もするが、それでもそれなりに半徹甲弾……徹甲榴弾の体裁をなしている。

 戦争初期は、純粋な榴弾である陸地攻撃用の爆弾をそのまま使っていたこともあったぐらいだから、それに比べれば大きく進歩したとも言える。

 だが、それは同時にドイツが想定していた相手……英国は大型船舶に事欠かない国であり、ドイツの対艦攻撃用航空爆弾はそういうのを相手にする方向性に特化して動いてしまっていた。

 具体的に言うなら「装甲化された甲板を貫通し、艦内部で爆発する」タイプだ。

 確かにこのタイプの爆弾と急降下爆撃の組み合わせは非常に有益だ。

 ただし、「一定以上の装甲防御や排水量を持つ船に対しては」にである。

 

(だが、ハエをバズーカで撃つバカはいない)

 

 必ずしもドイツ人の計画通りにいくとは言えないが、少なくともそれに近い状況になった場合、生き残ってるのは小型艦艇ばっかとかになっていそうだ。

 というより、タリン港には200隻近い赤色軍艦が犇めいているはずだが、大型艦の数がそもそも少ない。

 正直、大型艦攻撃に重きを置く500kgや250kg級の対艦半徹甲弾ではあまり効率的とは言えない。

 

「現在、ドイツ軍が保有する航空機用爆弾のリストを見せていただいても?」

 

 最初から俺がそう返すこと想定していたのだろう。

 ハイドリヒは軍機のスタンプが押されたオレンジ色のペーパーバインダーを取り出しながら、

 

「進呈するよ。取扱いに注意してもらえれば、そのまま所有してくれて構わん」

 

 そりゃどーも。軍機のスタンプが押されてるのに太っ腹な事で。

 俺はなるべく手早くページに目を通すと、あるページで指を止める。

 そいつは対艦兵器としては普通、使わないが……

 

「ちょっとお聞きしますが」

 

「なにかね?」

 

「ドイツ軍も”モロトフのパン籠”を保有しているので?」

 

 

 

***

 

 

 

 ”モロトフのパン籠”

 これは冬戦争の時にソ連の爆撃機がフィンランドの爆撃に用いた”RRAB型集束焼夷弾”の俗称だ。

 こいつは弾殻の中に焼夷弾子を仕込み空中で散布するってお決まりの地上施設へのお決まりの兵器、皇国軍も勿論保有しているが……

 

(ドイツも保有していたのは初耳だな)

 

 この珍妙な俗称は、冬戦争でのフィンランド都市部への焼夷弾攻撃を非難されたソ連外相モロトフが「焼夷弾など使っていない。貧しいフィンランド人にパンを恵んでやっただけだ」と発言したことに由来してるらしい。

 ちなみに火炎瓶を”モロトフカクテル”と呼ぶようになったのもこれが由来で、フィンランド人が皮肉を込め「モロトフ氏に(パン籠の返礼に)捧げるカクテル」という意味だという。

 ついでに言っておくとRRAB型集束焼夷弾は1,000kg級のRRAB-1、500kg級のRRAB-2、250kg級のRRAB-3がある。

 

「ああ、あるぞ。冬戦争の時に流した兵器の代金が、一部現物での(バーダー)支払いになってな。その中に不発弾となり鹵獲された”モロトフのパン籠”があった。地上攻撃に有効かもしれないということで、それを参考に我が国(ドイツ)でも開発が行われ、既に量産が始まっている」

 

 なるほどねー。とりあえず、レニングラードに落とす予定ってところか?

 ならば、

 

「ハイドリヒ卿、どうしても航空攻撃で敵艦を沈めたいですか?」

 

 これは確認しておかんと。

 

「? 質問の意図がよくわからないのだが……?」

 

「撃沈の固執するのではなく、”浮いてるだけの修理の意味のないスクラップ”とか”廃艦まったなし”とか”スクラップヤード直行”みたいな状態にするだけでも良いのでしたら、やりようはあります」

 

 するとハイドリヒも大臣も興味を示したようで、

 

「どんな?」

 

 これはブロンベルク大臣だ。

 

「数が用意できるなら、集束焼夷弾を使いましょうか?」

 

「「……はあ?」」

 

 いや、だからソ連艦隊を物理的に大炎上させるんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で唐突に来栖(使徒)、再びw
そして、また黄金のけものフレンズ(=割とフレンドリーな獣殿)ことハイドリヒの策略で、お偉いさんに面通しされるというw

「ハイドリヒ、君は策略や暗躍が得意なフレンズなんだね♪」

一応転生者なんであながちルビも間違いでないかも?

まあ、分かり易い伏線回というより、Ju87M”海軍仕様スツーカ(スツーカ・メーア)”の腹の下に一体何を抱え込んでいたのか?のヒント(?)回でした。

ご感想などお待ちしております。





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第84話 バルト海に出現する、ラグナロク的な光景

来栖のアカに対する殺意が、ナチュラルに高杉な件について。





 

 

 

「まちたまえ。集束焼夷弾の都市のような密集部に対する地上攻撃ではある程度の効果は証明されているが、基本的に鉄の塊である軍艦に関する効果は期待できるのかね? それに海と炎は相性がその……」

 

 そう質問してきたのは、ブロンベルク大臣だったが、

 

「閣下、船上火災ってのは怖いんですよ? 軍艦、民間船問わず延焼してしまうと中々消火できず非常に厄介だ。炎が広がれば海に飛び込むくらいしか手が無いうえ、船はそもそも沈まないように密閉性が高く、特に甲板より下では逃げ場が無くなる事も多い」

 

 実は、今生だと転生者らしい相対的未来知識になってしまうが……実は、対艦ミサイルを食らって弾頭は爆発しなかったのに、残存していたロケット燃料で起きた火災で沈んだり重大な損傷を受けた軍艦(・・)というのは存在する。

 それも複数。

 例えば、フォークランド紛争における英国42型駆逐艦”シェフィールド”に、イラン・イラク戦争における米国オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート”スターク”だ。

 奇しくもどちらも”エグゾセ”という同じフランス製空対艦ミサイルで撃たれ、弾頭は爆発せずとも残っていたロケット燃料により引き起こされた火災で手酷いダメージを受けたのだ。

 

「特にソ連のような粗雑乱造、ダメージコントロールの概念が薄く、被弾時や緊急時の訓練を水兵がまともに受けてない相手は、船上火災にまともに対応できないもんです。そもそも、消火装備や防火装備も十分じゃないでしょうし」

 

 消火器積むぐらいなら同じ重さの砲弾積むだろうし。

 戦後の冷戦期ソ連軍艦も甲板上にミサイルをこれ見よがしにずらりと並べ、一見すると強そうだが敵の攻撃で1発でも誘爆したら連鎖爆発で轟沈しかねない危険性があった。

 それに被ダメージ時の対応力がハード面でもソフト面でも弱く、冷戦期に敵国に沈められた船は無くとも、事故で沈んだ船はある。

 ダメージコントロールの概念がまだ浸透しきってないこの時代なら尚更だろう。

 

「それに例え軍艦でも、意外と可燃物は甲板上にもあるんですよ?」

 

 例えば、木製の脱出艇とか砲塔ではなく防盾式砲の弾薬部分とか。

 温度によっては塗料や構造材もなんかも燃料になって燃え出す。

 

(確率的には低いが、煙突の中に焼夷弾子が飛び込んだら面白いことになるんだが)

 

 それに今回は、

 

「例えば、甲板上に鈴なりに乗せているだろう脱出ソ連兵も良い可燃物になりそうだ」

 

 東京大空襲などの記録もあるが、人間だって温度と熱量次第で簡単に燃えるのだ。生きていようと死んでいようと。

 ところで、ブロンベルク大臣、なんか引いてないか?

 

「実際にやるかどうかはお任せしますが、アイデアとしては提示させていただきますよ。結局、拡散榴弾ですから的が小さく素早い小型艦でも当てること自体は楽でしょうし」

 

 一粒弾(スラッグより)も散弾の方が当てるのは楽程度の意味だけど。

 

「作戦は夏でしょうし、季節外れではあります。しかも航空機を使う以上、夜ですらないでしょうが……」

 

 俺は、ドイツ人に伝わりやすい表現を思いついた。

 

「タリン沖に”魔女たちの火祭り”を、”ワルプルギスの夜”を出現させましょう……!」

 

 ああ、きっとそれは見ごたえのある風景だろう。

 

「神を信じぬ共産主義者に肉体を松明に、魂を魔女たちの供物に捧げましょう! これこそ、アカの末路として相応しいのでは?」

 

 

 

***

 

 

 

「ハイドリヒ君、クルス卿の”NSRスケール”での重要度判定はどうなっておる?」

 

 来栖との話し合いが終わった後、不意にブロンベルクは隣を歩くハイドリヒに話しかけた。

 

「詳細はお伝え出来ませんが、”戦争の趨勢に影響を与える”程度の重要度です」

 

 年下の友人にブロンベルクは満足げに頷き、

 

「実に重畳。クルス卿はドイツ人にはない、できない発想や思考をすることが確認できた」

 

 確かにドイツ人は”ワルプルギスの夜を海上で再現しよう”とは思わないだろう。

 そもそもドイツ人にとり”ワルプルギスの夜”は、ただの春の風物詩であり、伝統的なお祭りだ。

 

 しかし、来栖にとっての”ワルプルギスの夜”はもっとこう……陰惨で、破滅的な”何か”だ。

 まるで、暗黒時代の魔女狩りで、不条理に無残に残奥に殺された者達の怨念を体現するような……

 もっとも来栖のそれは、必ずしも民族的なそれに起因するものではないのだが。どちらかと言えば、”転生者”である彼個人の資質だ。

 

「国防相として、彼には”必要な時、必要な場所への行き、必要な事ができる権限”を与えられる状況を軍法を一部改訂して整えておこう。無論、彼には全ては伝えず。その都度、必要な情報を開示する方式で」

 

「さしずめ軍記物の”軍監”というところでしょうか?」

 

「ああ、それに近い。ただ決定的に違うのは、軍監という独立した地位を常設するのではなく、その役職に応じた必要な時に必要な地位を必要に応じて時限立法的に用意するところだ。加えて日本政府や外務省が受け入れやすい、”文官としての役割を大きく逸脱しない地位”とすることが重要だ。当然、直接軍を率いるような役職は以ての外だな」

 

 するとハイドリヒはにやりと笑い、

 

「日本人は大義名分と建前を重要視しますから。ただし、高級軍人……任務。いえ業務(・・)上必要ならば、時には元帥とも対等に交渉できる待遇と権限は付与しておくこと……ですね? クルス卿の能力と使い道を考えれば」

 

「その通りだ。それにしても、”ワルプルギスの夜”か……」

 

 そして、ブロンベルクはすっと視線を細め、

 

「勝利の為には、クルス卿の助力は必要不可欠……なるほど。前々から君が言っていた事は理解したよ。この上なくね」

 

「ロシア人を薪代わりに火祭りにくべるという発想は、我々にはありませんからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、来栖に提案されたアイデアは、ブラッシュアップされ検証され、そして実行された。

 海軍仕様のスツーカ(スツーカ・マリーネ)、Ju87Mが腹の下に抱え込んでいたのは、全て実戦配備されたばかりの1000kg級ないし500kg級の集束焼夷弾だった。

 急降下爆撃で放たれたこれらの爆弾は、空中で炎の傘を開き、焼夷弾子が標的となった船を包み込んだ。

 無論、全ての焼夷弾子が命中したわけもなく、海に飛び込んだ焼夷弾子は普通に無害化された。

 しかし、少数でも甲板に降り注いだ焼夷弾子は、そのやり方を知らないと消化が困難なテルミット火災を引き起こすこととなった……

 

 

 

「これは、なんとも末期世界的(ラグナロク)な光景だな……」

 

 水上偵察機の無線で報告を受けた時は、耳を疑ったが……実際、ツァイス社の海軍向け高倍率双眼鏡の向こう側に映る光景は、その報告が虚実ではないことを全力で告げていた。

 

「まさか、20世紀の海で”火船の群れ(・・・・・)”を見ることになるとはな……」

 

 ソ連バルト海(バルチック)艦隊にとどめを刺すべく、旗艦アドミラル・ヒッパー級のネームシップ”アドミラル・ヒッパー”の提督席に陣取り、水雷戦隊を率いていたドイツ海軍少将”オズヴァルト・クメッツ”は、内心にかなりの衝撃を覚えていた。

 

 合計8隻建造されているアドミラル・ヒッパー級のうち4隻を投入し、軽巡洋艦と駆逐艦合計40隻の彼の艦隊の前に現れたのは、20隻にも満たない”船体のあちこちから炎を噴出させ、煙をまとった”軍艦……いや、かつて軍艦だった成れの果て(・・・・・)の集団だった。

 

 もはや、それは艦隊とは呼べないだろう。

 沈んでないだけで、廃船置場の方がまだマシな状態な船があるぐらいだ。

 

 砲身は熱で飴細工のようにぐにゃりと曲がる船もあり、あらゆるものが燃えていた。

 無論、今朝まで人間として存在していた筈のモノ(・・)も……

 

 確かにそれは、近代以前の時代に立派に水上戦術として使われていた”火船”と表現するのが適切かもしれない。

 だが、赤壁の戦いやアルマダの海戦との違いは、動力船である事と乗員ごと(・・・・)燃えていることだ。

 

 どうやらロシア人もこちらを見つけたようだ。

 ヨタヨタと這うような速度で、火船らしく体当たりを敢行しようとでもいうのだろう。

 いや、正確にはもうそれぐらいしか出来ることは無いに違いない。

 もはや、あの有様では武装を使うのは絶望的だろうし、進路に陣取る質でも量でも勝る無傷の相手に生き残る事は絶望的……クロンシュタットへたどり着くのは不可能だろう。

 降伏するという思考はないのだろう。そこまで頭が回ってないかもしれないし、また降伏したところで燃え盛る船から救助される可能性がない事に気づいているのかもしれない。

 

 もしかしたらそのクロンシュタットからソ連の救援艦隊は出てる可能性のわずかにあるが、たとえそうであったとしても間に合うことは無い。

 まだ、ここはタリン沖と言ってよい海域なのだ。

 仮に奇跡が起きて間に合ったとしても、できることなど皆無だろうが。

 

 

 

 無論、一人の提督としてドイツ軍人として、クメッツは自爆特攻(そんなもの)に付き合ってやるつもりはない。

 だが、

 

「これは戦闘ではないな……」

 

 自沈できない船への砲雷撃での処分……それが一番適切な気がした。

 その心に去来するのは、敵対者に向ける憎悪ではなかった。

 理屈ではない慈悲と哀れみ……この時、表面化していないクメッツの心の奥底では、

 

 ”彼らを地獄の業火より早く解放してやりたい”

 

 そんな思いがあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この先は、結果だけを記そう。

 タリンに停泊していた190隻余りのソ連バルト海(バルチック)艦隊は、”全滅(・・)”した。

 判定における全滅、残存が半分以上いる軍事用語の全滅ではない。

 語義通りの比喩でもない全滅。

 本当に1隻残らず水底に沈んだ。

 無論、脱出できなかった人員ごと……

 

 軍人以前に船乗りとしてドイツ海軍も、潜水艦達は無理だったが戦闘終了後の水雷戦隊が救助しなかった訳ではない。

 だが、捕虜として確保できたロシア人は200名にも届いていない。それが事実だ。

 そして陸に生きてたどり着けた人数はもっと少ない。

 

 

 

 こうしてバルチック艦隊は、日本人ではなく今度はドイツ人の手により”史上二度目の消滅”を迎えたのだった。

 繰り返すが……避難者・脱出者を含め、この時タリンに停泊していたソ連艦隊の中でクロンシュタットに辿り着けた船は1隻もなく、また1人も居なかった。

 これは要するに、そういう戦いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖のアイデアが更に洗練され使用されたようですねー。


結果、タリンのソ連バルト海(バルチック)艦隊、全滅です。
比喩でもなく、判定でもなく、壊滅でもなく、文字通り語義通りの残存艦艇0の全滅です。

クロンシュタットやサンクトペテルブルグにも多少の船は残っているでしょうが、190隻余りは水底です。

これは後に間違いなく響くでしょうねー。
何しろ、事実上海上兵力が史実ではありえない規模で壊滅したんですから。

ご感想などお待ちしております。



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第85話 ”Unternehmen Walpurgisnacht”

今回はタリン沖の報告と、まあ、いつもの奴(?)です。






 

 

 

 ソ連バルト海(バルチック)艦隊が物理的に消滅した、一般的に”タリン沖殲滅戦”として知られる戦い……

 あまりに一方的過ぎて、”タリン沖海戦”と公式名称と呼ばれることの少ない(つまり、海戦の体裁を成していない)この海の戦いを、ドイツ側は

 

 ”Unternehmen Walpurgisnacht”

 

 和訳すると”ワルプルギスの夜作戦”と名付けていた。

 立案状態では別の作戦名だったようだが、作戦を詰める段階で、一説によればブロンベルク国防大臣とハイドリヒNSR長官の連名で作戦名変更の嘆願が出され、ヒトラー総統が苦笑とともに受理したと言われている。

 ちなみに本当のネタ元である某日本人の話題は公式資料の何処にも記載されていない。

 ドイツの防諜能力は、中々に高いのだ。

 

 実際、その名称は言い得て妙と言えるだろう。

 タリン港から脱出を図るソ連艦隊に対し、ドイツ海軍は空母機動部隊は航空機による集束焼夷弾の投下(急降下爆撃)という当時としては奇策をもって対応し、二波の攻撃で残存していた全ての船に着火、船上火災を引き起こす事に成功していたのだ。

 松明のように燃えながら海上を満身創痍で進む敗残の船は、まさに”ワルプルギスの夜”に相応しい情景であったという。

 

 

 

 

 

 この時のソ連艦隊は、バルト三国からの脱出人員も乗せていたため人的被害は膨れ上がり、その後に行われたタリン港制圧戦も加えると、タリンを巡る一連の戦いで戦死したソ連軍将兵はわかっているだけで5万人を優に超えていた。

 より悲劇的なのは、ドイツ側に殆ど被害が無かったということだ。

 当然のようにロシア人に撃沈された潜水艦や水上艦は無く、また航空機も1機ほどまぐれ当たりで落とされたが、残りの損傷はエンジン不調や着艦時の事故などが原因だ。

 ドイツ人が完全に自分の物として使いこなすには、もう少し経験や練度が必要かもしれない。

 

 その中で何人が焼夷弾攻撃で焼死したかは不明だが、クロンシュタットに生きてたどり着いた船も将兵はおらず、当時のソ連外相モロトフは「あまりに非人道的な行い」と非難したという。

 しかし、ドイツ総統アウグスト・ヒトラーは、各国メディアを集めた会見で、こう公式返答を残した。

 

『笑止。ソ連は、冬戦争においてフィンランドの民間人居住区に焼夷弾攻撃を行った。これは明確なハーグ陸戦条約違反だ。それに対し、我々は逃走を図るソ連の軍艦(・・・・・)に同種の兵器を用いただけだ。どちらが非人道的だと諸君らは思うのかね?』

 

 各国の親ソ左派メディア(特に米国内)は何とかこれを事実歪曲しようとしたが、右派だけでなく中道・中立までもが真っ先にありのままを報道したため、上手くは行かなかったようだ。

 

 

 

 だが、後年においてこのスタイルの対艦攻撃がメジャーになることは無かった。

 というのも、この攻撃はいくつかのソ連艦隊の弱点や急所を突く攻撃であり、また航空攻撃を受ける前に大幅な損傷を艦隊全体が受けていた悪条件が重なったゆえの結果だと判断されたからだ。

 例えば、

 

 ・航空攻撃の前に機雷と潜水艦の攻撃で防御力の高い大型艦を喪失していた。

 ・大型艦の喪失に伴い、指揮権を持つ上位者も失い、効果的な防御陣形などが艦隊行動として取れなくなっていた。

 ・そもそも、ソ連海軍にレーダーなどの有効な防空装備が脆弱で、また防空訓練も不十分だった。

 ・ソ連艦船はダメージコントロール能力に乏しく、また消火装備や防火訓練なども全く足りていなかった。

 

 もっともこれらが理論だてて解説されたのは戦後の事であった。

 実際、米国では「焼夷弾での航空攻撃」を新たな時代の対艦戦術として大きく研究され、”対艦ナパーム弾”という、どちらかと言えば奇形兵器に属するものが開発され、第二次世界大戦末期の対独戦に投入されたが……タリン沖のような期待された効果は出せなかったようだ。

 そもそも、優秀な艦載レーダー、レーダー連動高射装置、近接炸裂信管付砲弾を発射できる高射砲(高角砲)、優秀な艦上戦闘機を持つドイツ海軍の艦艇にまともに近づく事が難しかったという現実もあった。

 

 実際、ナパーム系の兵器が最も効果を発揮したのは、対艦攻撃ではなく地上攻撃においてだったとされる。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、話を現在に戻すが、海路でクロンシュタット、大きな意味でレニングラードへの脱出を目論んだ兵員はバルチック艦隊と共に物理的に消滅した。

 実際、タリン港を巡る戦いでのソ連人捕虜(生存者)の発生は、九割以上が港湾制圧戦、つまり地上で発生した物だった。

 もっともドイツ側の被害が最も大きかったのも、また港湾制圧戦だったのだが……

 

 海上では降伏が不可能な状態だった事も大きい。

 基本的に潜水艦は浮上して救助することは現実的ではなく、航空攻撃では不可能であり、最終局面であった水雷戦隊との戦闘では既に降伏できる状態ではなかったし、仮に降伏したとしても火災が発生している船に接近は不可能だった。

 

 結局、ソ連領まで撤退に成功したのは陸路で北上した戦力だけであり、彼らもまた撤退戦ならば当然だが、ドイツ軍地上部隊の執拗な追撃を受け、甚大な被害を出していた。

 これには諸説あるが、当時のソ連がバルト三国に展開していた50万超の戦力の内、約30万人以上が戦死・行方不明判定になったとされた。

 捕虜は5万人ほどであり、その全てがバルト三国に身柄を預けられ、後に戦争犯罪人として有罪判決を受け処罰を受けた。

 

 結局、国境を越えられたのは10万程度かそれ以下とみなされており、それも無事という訳ではなく、装備を失っている物が大半であり、負傷者も多かった。

 バルト三国からの敗残部隊は、レニングラードまで撤退して防衛部隊として再編されるが、それが今でも防衛軍が急速に拡大したため不足気味のレニングラードの食糧事情や医療用を更に圧迫することになる。

 しかし……

 

「それでもソ連軍全体から見れば、彼らの動員力から考えれば、瑕瑾というほどにも当たらないわずかな犠牲だろう。全く嫌になるな……」

 

 アウグスト・ヒトラーは知っている。

 (ソ連)は2000万人の自国民を粛清し、なお1000万の動員が可能な強国(・・)だという事を。

 彼は、”その歴史”を知っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間がひどく前後してしまい申し訳なく思う。

 時系列は、来栖任三郎がリガへ赴任する前まで戻る。

 

 

 

「ハイドリヒ卿……」

 

 あのなぁ……

 

「なにかな?」

 

「なんで俺の目の前で、マンシュタイン閣下が美味そうにアイスバイン(塩漬けの豚すね肉の香草煮込み。ベルリンの名物料理)を食してらっしゃるんでしょうかね……?」

 

 蟀谷を抑えながら聞いた俺は、流石に悪くないと思うぞ?

 いや、せめて状況を説明させてくれ。

 

 今日、暇があるならとハイドリヒにベルリンでも肉料理に定評があるレストランに夕食に誘われたのだ。

 いざ、レストランに入ると個室に案内され、そこで陣取っていたのが最近、やたらと絡んでくる(暇なのか?)ハイドリヒと、

 

(なーぜかいたんだよ。エルンスト・マンシュタイン中将、いやこの間大将に昇進したんだっけ?)

 

 この人確か”東方侵攻作戦首席参謀”、つまり”バルバロッサ作戦”における各方面の作戦参謀統括みたいな役職してなかったっけ?

 

 そして、またしてもハイドリヒがマイブームらしい”偉い人と合わせてドッキリ”に嵌められた事に気づいた俺は、そのまま部屋を間違えたふりしてUターンしようとしたら、いつの間にか背後にいたハイドリヒのクソ野郎に肩をがっちり掴まれ実にイイ笑顔で、

 

「部屋はここで間違っていないよ。クルス卿」

 

 いや、お前何でそんなに身体能力高いんよ?

 もしかして、暗殺対策か?

 

「ふむ。マンシュタイン卿より、卿と話してみたいと頼まれてな」

 

 なんか軽っ!?

 

「なに、クルス卿と少々世間話でもしたくなってね」

 

 とマンシュタイン閣下は切り出し、

 

「例えばそう、”サンクトペテルブルグ”の話題なんてどうかね?」

 

 いや、それ断じて世間話じゃねぇからっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、バルト三国に展開していた50万あまりの赤軍兵力の内、国境の向こう側まで戻れたのは10万に届いてないようですよ?

まあ、それでもソ連軍全体では人数的には「大した問題じゃない」で済まされそうですが。
なんせ兵隊が畑から取れる国ですしw

ですが、ドイツ人だって執拗です。
彼らの勝ち筋は、屍で築いた山脈しかないのですから。

来栖とハイドリヒは正常運転という事で。
基本、マンシュタインはこの作品ではおもろいオッサンですw

ご感想などお待ちしております。



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第86話 どこかで何かが壊れた男 ~思考は沈降し、地獄の扉をノックする~

今回、来栖はこれまでにないほど思考を沈降化させ、そして……怪文書垂れ流します。
まあ、人生二度目の転生者らしいっちゃらしいですが。






 

 

 

 ああ、来栖任三郎だ。

 なぜか今、ハイドリヒとマンシュタインと三人で夕飯を食ってる……いや、なんでさ?

 

 とりあえず、”世間話”とやらは飯を食い終わり、食後酒を楽しみながらって事になった。

 まあ、正解だ。

 食いながら聞いたら、絶対消化に悪い。むしろ胃が痛くなるまである。

 

 

 

 そして、とりあえずは中々に美味だった肉料理を食い終わり、モーゼルの白ワインを楽しみながら、

 

「で、サンクトペテルブルグがどうしたんです?」

 

 俺はあきらめの境地で話題を切り出す。

 

「作戦自体はもうできているんだがね。しかし、君にはドイツ人(われわれ)には無い視点と思考があると聞いている。ならば、参考までに聞いてみたくなるのが人情というものではないかね?」

 

 ふーん……興味本位ってわけか。

 作戦が既に仕上がってるってのなら、もう大幅な変更はできないだろう。

 なら、こっちも気楽に、あるいは無責任に答えてみてもいいか?

 

「本当に世間話程度で良いのならお答えしますがね。ところで方針は包囲ですか? 制圧ですか?」

 

 これ、一番重要だ。

 何しろ、包囲と制圧では戦略が丸っきり違ってくる。

 包囲は史実のようなダラダラした物では無駄に戦力を消耗し、ドイツがジリ貧になるだけだ。

 やるなら多少の犠牲は覚悟のうえで一気呵成に”包囲殲滅(・・)”、ごり押しの短期決戦を挑むのが、結果としてベターだろう。

 だが、

 

「制圧だ」

 

 マンシュタインは迷いなく答えた。

 

 

 

「結構。なら、私の意見はさほど多くはありませんよ」

 

 とりあえず、まず注意すべきは……

 

「先に言っておきますが、軍事機密に該当する事なら答えなくて結構。聞かされても困りますし、それがもとで拘束も勘弁願いたい……その上でお聞きしますが、レニングラード、いやサンクトペテルブルグ攻略において、”シュリッセリブルク”は攻略前に陥落させる予定はあるので?」

 

 ”シュリッセリブルク”は、サンクトペテルブルグからほぼ真東の35㎞ほどにあるラドガ湖南岸の都市で、サンクトペテルブルグとは陸路とネヴァ川で繋がっている。

 

「……もし、予定があるとすればどうするのかね?」

 

「やめた方が良いでしょうね。脱出不可能な完全な包囲は、むしろ市民と赤軍の連帯を強めさせ、都市住人が軍民問わず丸ごと死兵になりかねない」

 

 包囲、正確には包囲殲滅を狙わないのなら、人っ子一人出られないような完全な包囲はかえって悪手だ。

 そもそも、包囲するドイツ軍より包囲される住民の方が多い時点で、かなり無茶な話なのだ。

 そして、古代からの中世にかけての城と現代の都市では規模も構造も異なり、同じく「籠城戦」では語れない側面がある。

 

 そこを史実のドイツは見誤った。

 まさか、都市全域の包囲の中で900日も耐久するとは思っていなかったのだ。

 

「脱出不能となり立てこもった時のロシア人はしぶといはずですよ? 彼らは耐え忍ぶ事に関しては、環境柄ドイツ人より慣れてる」

 

 冬場は氷点下20度以下がざらで、夏は短い過酷な自然環境に、スターリンの恐怖政治と圧政……こんな中で生きてる連中だ。

 比喩でもなんでもなく、飢餓の中で彼らは「隣人の肉を食べてでも飢えをしのぎ生き延びた」んだ。

 そしてドイツは、レニングラードを包囲し続けるために宝石よりも貴重な戦力と時間を900日も無駄にし、その間に戦争の敗北は決定的なものになったのだ。

 

「完全な包囲は連中に覚悟をキメ(・・)させます。突破できない以上、誰に命じられるまでもなくサンクトペテルブルグを死守しようとするでしょう。だからこそ、赤軍にもレニングラード市民にも”逃げれば助かる見込み”をちらつかせるんです」

 

 立てこもる敵を逃がさないために包囲するのは、前に言ったように当然だ。

 包囲殲滅でなく制圧戦でも統制が取れない方向で好き勝手に逃げられたら、逆に面倒なことになる。

 

 だが、”完璧すぎる包囲”もこの場合は……繰り返すが、サンクトペテルブルグの”制圧(・・)”にはあまり良くない。

 過ぎたるは猶及ばざるが如しというが、まさにレニングラード攻略はそういう趣がある。

 

 俺は脳内で地図を広げる。おそらく、ノヴゴロドは必ずレニングラード攻略前に攻め落としているだろう。

 実際、あそこを落とさねば攻略の足場が無くなる。

 

「北からはカレリア地峡を制圧しながらフィンランド軍が迫り、西のナルヴァ方面や南のノヴゴロド方面からはドイツ軍が……ならば逃げるなら、ラドガ湖方面からしかない」

 

 そして、東のシュリッセリブルクまで陥落すれば、脱出経路が完全になくなる。

 史実のレニングラード包囲戦は、赤軍や市民がそう望んだから成立したんじゃない。他に選択肢が無かったことが大きい。。

 

「だから、そこに逃げ道を用意しておくんです。最初は、政治将校(コミッサール)が死守を命じるでしょう。スターリンからもそういう命令が既に出ているはずです。ですが、ドイツ人やフィンランド人の猛攻を受けている最中、東に逃げ道があるとわかっているのに、その魅惑に勝つのは難しい。最初は東に逃げ道があることを赤軍はひた隠しにするでしょうが、そちらから敵が来ない以上、そしてドイツが”東に押しやる(・・・・・・)”以上、いつまでも隠し通せるものじゃない……」

 

 なら、どうするか?

 人肉を食ってまで生き延びようとするロシア人の強い生存欲求の”方向性を(ベクトル)操作”する。

 つまり、生存欲求の方向性を、立てこもりから脱出へと意識変化させるのだ。

 

「となると、生半可な火力じゃダメだな……レニングラードが防衛拠点として無意味になった、そう”思い込ませる”までの目に見える破壊が必要になってくる」

 

 ただ、方向性はこれで間違ってはいないはずだ。

 そして、破壊の効果を最大限にするために”完全過ぎない包囲”は必要になる。

 散開しているより密集した敵の方が、当然ダメージを与えやすい。

 

「それに遮蔽物となる建物がない方が、都市制圧戦をやるなら優位だ。特に戦車を市街地で使えるようにできた方が良いでしょう」

 

 ついでに物陰に隠れて狙われるリスクが減らせる。

 都市戦の厄介な部分は遮蔽物が多く射線が通りにくく、また隠れ潜む場所に事欠かないことだ。

 

 

 

***

 

 

 

「クルス卿、君は”半包囲状態からの強襲で、ロシア人を都市外に焼きだせ”と言いたいのかね?」

 

 俺が思考をまとめていると、マンシュタインがそう声を挟んでくる。

 

「ええ。間違えてはいけないのは、今回の作戦の目的は、ロシア人を一人でも多く地上から消去することじゃない。そんなことに労力を割く余裕はない。あくまでサンクトペテルブルグを奪取することですよ。そして、入手する街の状態は考慮すべきじゃない。奪取することが最大の意義で、なるべく無傷で手に入れて直ぐに拠点として再利用しようなんて助平根性があるのなら、そもそもサンクトペテルブルグに手を出しちゃいけない」

 

 あそこはそんなに軽い街じゃない。

 ドイツ人のとっては巨大都市で軍事拠点程度かもしれないが、ロシア人……いや、ソ連人にとってはそんな範疇で語れないのだ。

 

「マンシュタイン閣下、”同志レーニンの名前を付けた街”の意味は、物理的に軍事的にでなく精神的に政治的に重いんですよ。ソ連が内包する重圧その物と言っていい。だから、単純に街を陥落させると考えちゃいけない」

 

 もし、ただの都市なら900日も極限状態は続けられない。

 

「魔王となって地獄の軍団を引き連れて蘇ったレーニンを、もう一度殺して地獄の奥底に叩き落とす覚悟がドイツには必要だ。無論、これは比喩で地獄の軍団はソ連軍と市民、魔王レーニンの肉体はレニングラードという街そのものだ」

 

 だから、レーニン本体を倒さねば、地獄の軍団は逃げ出さない。いや、逃げ出せない(・・・・・・)のだ。

 

「クルス卿、つまり守る意味のない瓦礫の集合体となるまでサンクトペテルブルグを粉砕せよと?」

 

 ああ、中の住人ごとな。

 

「ハイドリヒ卿、あの街は時間をかければ墜ちる様な性質の街じゃないですよ? サンクトペテルブルグを歴史用語にするくらいの気概でダメージを与えなければ、満足いく結果にはならないでしょうね」

 

 もっとも、そこまでやっても破壊しつくす事は不可能だろうけど。

 

「……そこまでかね?」

 

「そこまでですよ」

 

 俺はマンシュタインに頷き、

 

「やるなら徹底的にやった方が良い。形あるものはみな壊し、全てを更地にする勢いで。歴史的建造物は”歴史上の建造物(・・・・・・・)”に変えましょう。サンクトペテルブルグの港湾部、オルジョニキーゼ工廠(第189工廠)には2割ほど完成した巨大戦艦がありますが、あそこに集束焼夷弾を落として建造ドックごと巨大溶鉱炉にクラスチェンジさせてもいい。レーニン像を見かけたら周辺の人間ごと吹き飛ばすべきだ。無論、サンクトペテルブルグを破壊する前にクロンシュタットを見せしめのように鉄くずと瓦礫の山にするのも忘れてはいけない。ああ、忘れるところだった焼夷弾を使うのなら、民間人居住区より軍の倉庫や集積所の方が良いでしょう。後は食糧庫にインフラに必要な発電所などだ。それらが燃え盛るのを見れば、必然的に士気は下がります。焼夷弾は、行軍中の軍隊に使っても、意外と効果がなかったりしますから、動かない、逃げられない相手の方が良い。それに民間人相手に焼夷弾投げ込んで、ロシア人と同列に語られるのは政治的に面白くない」

 

 他にも色々あるけどな。「サンクトペテルブルグで粘れる希望(シンボル)となる物」は根こそぎ、徹底的に、原型が残らぬほど破壊すべきだ。

 

「つまり、サンクトペテルブルグ市民の心を折れと?」

 

 ははっ。バカを言わないでくださいよ。

 

「折るのは市民だけじゃ足りない。全く足りない。赤軍も共産党員も、今あの街にいる全ての地位の人間が、”この街はもうだめだ”と諦めるまで叩かないと無意味なんです。たろ僅かでも『粘れるかもしれない』なんて希望を残しちゃいけない。おそらくそこまでやって、ようやく連中は東へ逃げ出すでしょう」

 

 そう、そうなれば自分が生き残るために政治将校や督戦隊を撃ち殺しても生き延びようとするはずだ。

 目の前にはドイツ人の手による確実な死が待っているのだから。

 

「ああ、東への退路を開けておくと言っても追撃戦に手心を加える必要はありませんよ? 撤退を行う相手に追撃をかけるは戦場の慣わしにして礼儀です。追い打ちかけた方が必死で逃げてくれるでしょうし……」

 

 それにね、

 

「我々は、いついかなる時でもアカを”間引き(・・・)”できる好機を逃すべきじゃないのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「あー、やっちゃいましたか……」と言われそうな展開にw
多分、思考を沈降化させたせいで、まさか軽くトランス状態に?
本人、後で我に返って怪文書感あふれる自分の台詞を思い出し悶絶してたりしてw

来栖のアカに対する殺意がナチュラルに高いのは、一応それなりに理由はあるんですが、それは次回あたりにでも。

ご感想などお待ちしております。






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第87話 世間話。ただし、話題は今後の北方戦略とする

前回よりはヤベー奴感は減少し、少しだけ外交官らしい側面が見えるかも?





 

 

 

「クルス卿……君は何というか、すごいな」

 

 おりょ? なんか呆れも入っている気もするが、マンシュタイン閣下に感心されたぞい。

 

「何をどうやったら……いやどんな生き方をしたら、そんな感性が身に付くことなのやら」

 

「ん? 普通に(二度ほど)生きたら、こうなったのですが?」

 

 いや、マヂで。

 

「……それが一番、ありえないと思うのだがね。さて、完全なる包囲を敷かないことの重要性はわかった。他にも何か思うところはあるかね? 特に制限は付けないから、実現可能かどうかはさておき言ってくれたまえ」

 

 ん? それってブレインストーミングか?

 俺が言うのもなんだが、マンシュタイン閣下は未来に生きてるなー。

 

「まず前提なのですが、現在、白ロシア(ベラルーシ)を攻略中の中央軍集団は、今年は無理せずモスクワ攻略は狙わない方針で……地場固めをしつつ反共パルチザンと共にミンスク掌握あたり、上出来で国境線まで赤軍を押し戻してスモレンスクあたりで前線を構築するのが41年度のゴールと考えて良いので?」

 

「!? なぜ、そう思ったのかね……?」

 

 ああ、図星か。

 いや、モスクワ攻略強硬派のグデーリアンが後方で機甲総監やってる以上、堅実なホト上級大将だとそんな感じだろうなと。

 とはいえ、それじゃあ説明にならんだろうし。

 

「これでも一応外交官でもあるんで、各国の情勢を渡された資料から読み解くぐらいのことはしますよ? ボック元帥率いる南方軍集団、ウクライナ方面は種もみまで奪われたホロドモール(ソ連による人工的なウクライナの大飢饉。わかっているだけで数百万人の餓死者を出した)の影響で怨念じみた反共の意志が強く、ウクライナ解放軍との連携も上手くいってると聞いてますし」

 

 それに報告書にはないけど、ドイツはかなり前からウクライナに仕込んでそうなんだよなぁ。

 まあ、よほどヘマを打たない限り今年中にクリミア半島を含めた全域掌握はできるだろう。

 というか、ドイツは長期戦を考えてるみたいだから、ウクライナの大穀倉地帯の入手は必須だ。

 

「北はしばらくサンクトペテルブルグにかかりきり。そして、白ロシア(ベラルーシ)は伝統的に親露で現在も親ソときてる。ここで無茶な進軍を命じるほど、総統閣下は無謀じゃないでしょう?」

 

 とハイドリヒを見やる。

 俺の見立てが間違ってなければ、おそらくヒトラーとこいつは”転生者”だ。

 無論、それを問いただす気は無い。俺だって藪をつついて蛇を出したいわけじゃないのだ。

 

「まあ、卿の推測は間違ってはいない」

 

 だろうなー。

 正直、早期のモスクワ攻略はハイリスク・ローリターンの典型だ。

 ハイリスク・ハイリターンじゃないのかって?

 スターリンを確実に仕留められて、ずっとモスクワを占領できるならハイリターンだけどな。

 つまり、それだけの……あまり現実的ではない類の価値だ。何しろ、共産主義者をウラル山脈の東側にすべて追いやるって言ってるのに等しい。

 ロシア人……というかスターリンは、脱出も遷都もいざとなれば気にしないぞ?

 実際、既に工業施設のモスクワ後方への疎開は既に始まってるわけだし。モスクワが陥落したからと言って戦争が終わると考えるのは甘すぎる。

 それに前世でのスパコン使ったとあるシミュレーションでは、モスクワが陥落したぐらいじゃドイツの勝ちは確定しないらしい。

 

(まあ、転生者が国の最上位にいる以上、ソ連のトップはスターリンのままの方がなにかとやりやすいか……)

 

 あの小男は、勝手にソ連軍を間引きしてくれるからな。

 

「であるならば、何があろうと北方軍から中央に軍勢を引き抜くのは止めるべきでしょう」

 

 これ意外と重要なのだ。

 それこそ、戦争の趨勢を決めるレベルで。

 

 実は史実においても、当初ドイツはレニングラードを制圧/占領する予定だったのだ。

 だが、モスクワ攻略を重要視し過ぎた為に、北方軍集団から戦力を引き抜いてしまう。

 その為、北方軍は制圧するために必要とする戦力を維持できなくなり、止む無く無為な包囲戦に切り替えたという経緯があるのだ。

 

「最低でも、レニングラードを制圧し占領下に置くまでは、戦力の引き抜きはやめた方が良いでしょう。しぶとさに定評のあるロシア人をレニングラードから叩き出すんです。戦力はいくらあっても困ることは無い」

 

 そして、ソ連軍や脱出する市民に追撃をかけつつ、レニングラードをサンクトペテルブルグとして制圧し、掌握する。

 

「街のキャパシティを考えると、シュリッセリブルクに脱出民の全ての収容はできないし、赤軍が防衛線を構築するにも規模が小さすぎる……そのまま東進かな? 防御拠点を構築するとなると、一番近くてもヴォルホフとノヴァヤ・ラドガラインあたりかな?」

 

「あそこは……いや、ラドガ湖南岸はできれば押さえておきたいな」

 

 とはマンシュタイン。

 

「なるほど……コラ半島、いやムルマンスク、アルハンゲリスク方面への進撃路の確保ですか?」

 

 いや、マンシュタイン閣下、なぜそこでギョッとした顔をする?

 ラドガ湖周辺とりたいと言ったら、それぐらいしか思いつかないんだが……

 ああ、そうか。

 

(まだ、”E105号線”は無いんだったな)

 

 前世にはあったノルウェーのバレンツ海海岸から、サンクトペテルブルクとモスクワを経て、ウクライナのハリコフを通り、黒海海岸へ達する南北線3770kmの根幹道路だ。

 だが、道路が作られたって事は、そこに道路が引けるだけの、工事車両を入れられるだけの素養が土地にあるってことだ。

 というか雰囲気的に、ムルマンスク、アルハンゲリスクの重要性……米国がレンドリースを本格化したときの西の受け皿だって理解してるってことだな?

 

(結構。ならもう基礎的な攻略までの戦略はできてるだろうし……)

 

「それなら、ヴォルホフとノヴァヤ・ラドガと言わず、オネガ湖……ペトロザヴォーツク(カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国の首都)までを確保する戦略をフィンランドと絡めてもう視野に入れた方が良いと思いますよ? 何なら、この辺りは土地勘のあるフィンランド軍に維持を任せてもよい」

 

 なんせ前世でも継続戦争の時、ペトロザヴォーツクは”ペトロスコイ(Petroskoi)”と呼ばれフィンランド領だったわけだし。

 

「本気で長期戦をやるのなら、カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国全域をコラ半島もつけてフィンランドにくれてやるくらいの度量はみせるべきかと思いますよ? そうすれば、彼らは勝手に戦ってくれますし」

 

 そうなれば、実はフィンランドだけでなく政治情勢によっては中立ではあるが親独が徐々に強まっているノルウェーの協力も期待できる。

 それに今生のフィンランド、前世より遥かに気合が入ってるんだよなー。

 史実のフィンランドはレニングラード攻略を拒否し、北160㎞ほどで進軍を止めた。

 しかし、今生では……

 

(既にセルトロヴォまで陥落させ、せっせと基地化してんだもんな~)

 

 

 セルトロヴォはサンクトペテルブルグから40㎞ほど北にある町で、冬戦争でロシア人に分捕られた場所だがソ連が北部防衛戦を下げたつい先日取り返し、今は元のフィンランド語での元々の呼び名”シエラッタラ(Sierattala)”に戻ったはずだ。

 

「それはまた大胆な提案だな?」

 

「フィンランドの足腰を強化しておいた方が、ドイツのメリットは大きいのでは?」

 

 

 

 正直言って、俺は別にドイツの勝利を願っているわけでは無いんだ。

 だが、同時に俺はソ連の弱体化を強く望んではいる。

 

 ドイツとはたしかに停戦しているだけの未だ扱い的には敵国だが、ドイツが強国になろうと我が祖国(日本皇国)の直接的な脅威になる可能性は低い。

 なんせユーラシア大陸の反対側、距離の暴虐って奴だ。

 

 だが、ソ連は間違いなく日本皇国の直接的脅威だ。

 はっきり言えば、存在しているだけで直接的にも間接的にも害悪だ。百害あって一利なしとはよくぞ言ったものである。

 

(ドイツに居るこの身としては、日本皇国への直接的貢献は、鮮度の高いドイツの情報を送ることぐらいしかないが……)

 

 だが、もしかしたら間接的に……ドイツが勝つことによって、ソ連の弱体化という貢献はできるかもしれない。

 何より国の西側で戦火が燃え盛っている以上、東側への軍事力展開は難しいだろう。

 

(まあ、それでも共産主義者らしい政治介入やら政治工作やらは続けるだろうが……特に米国で)

 

 だが、ドイツは味方で無くとも、幸いロシア人への戦意に不足は無い。

 当然だ。あの世に送った赤色ロシア人の数だけドイツという国家の生存率は上がっていくのだから。

 

(ならば、やれることはやるべきだな。赤軍だの共産主義者だのなんてのは、少なければ少ないほど皇国は平和なわけだし)

 

 だから、求められれば助言はする。それを使う使わないの判断はドイツ側にまかせるが、

 

(それが例え、外交官として真っ当な生き方でないとしても)

 

 いずれにせよ日独共に脅威を排除できるのだ。停戦している今ならば、互いに損はないはずだ。

 

「話をレニングラード、サンクトペテルブルグ攻略戦に戻しますが……正直に言えば、もう少し火力をテコ入れしたいところですね。本当なら都市戦に対応した戦車が用意できればもっと良かったのですが」

 

「今度、グデーリアンの奴もつれてくるか……ああ。あいつとは古い友人なんだよ」

 

 マンシュタイン閣下、勘弁してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 結局のところ、来栖任三郎という男は、本質的な意味で自分を客観的にあるいは冷徹に見ることは生涯なかった。

 嘆かわしい……というか、実に困った転生者である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく出てきた来栖の胸の内ですねー。

結局、結果論にはなるがドイツが勝ち続けることによってソ連西側の脅威が高まり、東側に展開できる軍事力が減り、更にソ連の弱体化に繋がれば万々歳。
なので、求められれば助言くらいはするし、外務省や皇国政府の許可が出るなら役職も引き受けるって感じです。
ドイツの勝利=ソ連の弱体化、利害の一致でWin-Winの関係というやつですかね。

一応、思考はまだしっかりと祖国(お国)大事で皇国ありきの日本皇国人なんです。
この先はどうなるかは不明ですがw

なお、この場合は日英との戦争再開は考えないものとするw
というか、ロシア人と戦争やってる最中に日英と再戦するメリットはドイツにもないし、今の所、国庫にそこまでヒビが入ってない英国もあまりやりたくはないでしょうしねー。日本は言うに及ばず(笑)
他にも理由はありますが、それはおいおいに。

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第88話 グリフォンが群れで来りて街を炎で包まん……あれ? グリフォンってそういう生き物だっけ?

いよいよ、サンクトペテルブルグ(レニングラード)攻略本戦がスタートするようですよ?






 

 

 

 そして、サンクトペテルブルグ(レニングラード)攻略戦は幕開ける。

 

 道筋の空と海の戦いでは、正直、ソ連に見るべきところはない。

 単純にドイツが圧倒的過ぎたのだ。

 

 F型のBf109(フリッツ)とA型後期の完成度と失速特性が払拭されたFw190Aでは、当時の……まだ米国製戦闘機やエンジンや部品や技術が入ってくる前のソ連機じゃ相手にならない。

 確かにIl-2などのそれなりに重装甲の機体もあったが、薄殻榴弾を仕込んだMG151/20㎜機関砲4丁の前ではどうにもならなかった。

 しかも粛清祭りをやった直後のソ連と、再軍備の前から”民間向け”と称してパイロットの育成に力を注いでたドイツとでは、練度も技量も差があり過ぎた。

 そしてここだけの話、ドイツは1935年の再軍備宣言以降、大々的に二直制、本来は二交代勤務(1機の機体を2人で使う)を意味するが、ここはもっと単純にそれを為すために「必要とされる機体の倍のパイロットを養成する」事を始めており、実は3隻の正規空母を運用してもなおパイロットの数的余裕があったのはドイツだった。

 

 加えて、ドイツ空軍は「空を飛ばない秘密兵器」を導入していたのだ。

 それは”自走式野戦レーダーユニット”だ。

 史実でも現世でもドイツは日英に並ぶレーダー先進国の一つで、名作”ウルツブルグ”シリーズをはじめ優秀なレーダーを既に開発している(既にウルツブルグ-リーゼシリーズの量産が開始されており、強化型のリーゼ・ギガントも来年から配備が始まるという)が、大型高出力のレーダーを開発する反面、アウトバーン建設で培った史実よりはるかに多い重機の投入で、ただでさえ得意だった野戦飛行場の設営能力に追従できる、レーダーから管制ユニット、ディーゼル発電機までの一切合切を大型軍用車両に搭載した「動くレーダーサイト」を完成させていたのだ。

 

 また、これに補完するためか簡便な牽引式の機動型も開発されている。

 いや、それだけではない。どっからどう見ても史実では北アフリカで鹵獲した”それ”をロンメルが愛用し、今生では戦利品としてイタリアを後にするときに持ち帰った”AEC装甲指揮車(ドーチェスター)”を参考にしたとしか思えない「移動航空指揮所」なんてものまでお目見えしてるのだ。

 

 

 

 空の上だけでなくそのバックアップ、電波や電子、通信の面では航空機の性能以上に勝ち目がなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 加えて海である。

 確かにソ連海軍は勇敢だったと言える。

 いや、それとも処刑が怖かっただけだろうか?

 タリンのバルチック艦隊主力が全滅した後、本国で海軍上層部の人間が複数サボタージュの罪で処刑された事は、ソ連海軍の軍人なら誰でも知っていた。

 

「家族まで巻き込まれるくらいならいっそ……」

 

 いっそ健気にも哀れにも思える覚悟でクロンシュタットやサンクトペテルブルグの港を不退転の覚悟で出航した彼らだが、悲劇的なのは「敵艦見ゆ」の報告が出せないまま壊滅してしまったことだ。

 要するに、

 

「なぜ、機雷が仕込んであるのがタリン港だけだと思った? なぜ、近海に狼の群れが潜んでいないと思った?」

 

 である。

 タリン港で二度の機雷敷設を終えたX型が終戦まで大人しくしてるはずもない。

 ましてや、今はソ連バルト海艦隊が枯渇状態、つまりやりたい放題だ。

 ここで大人しくしているようなドイツ人でも、そしてフィンランド人でもない。

 

 フィンランド海軍は小型だが速力の高い高速魚雷艇(冬戦争後にドイツより購入したSボート)を乗り回し、クロンシュタットやサンクトペテルブルグの鼻先を時折停泊してる船舶に旧式魚雷を撃ち込んだり搭載した20㎜ないし37㎜速射砲で穴だらけにするなどまさに北欧海賊(バイキング)のごとく引っ掻き回し、挑発に乗った心許ない数の残存艦艇を外洋に引っ張り出した。

 

 無論、誘導する先に居たのはドイツ自慢のUボートの群れだ。

 ついでに言うならUボートの主力生産は既にXXI型に切り替わり、様々な改良が続けられ発展型やバリエーションまで含めると、何だかんだで終戦までに200隻以上の同族が就役するのだが……

 この時点ではまだまだ現役、他国の潜水艦と比較するなら一部の国を除き未だ優秀な潜水艦であるⅨ型Uボートがまるで最後の花道を飾るべく待ち構えていたのだ。

 特に速度性能こそXXI型に見劣りすれど、巡航用エンジンを別途搭載し、長距離航海や長期航行は乗員や潜水艦もお手の物。

 特に今回のように”待ち伏せ”という潜水艦十八番のシチュエーションなら、そう負けるはずはなかった。

 

 そして、彼らが暴れているうちにX型は悠々と機雷を仕掛けていったのだった。

 ちなみにであるが……ドイツ由来のSボートは木製船体であり、磁気感応式機雷には反応しない強みがあった。

 そのせいもあり、ドイツはこれらの港に仕掛けた機雷は磁気式に限定した。

 

 加えて、フィンランド方向からドイツ製爆撃機がひっきりなしに飛んでくるのだ。

 

 こうして空母や戦艦を投入する前に残り少ないソ連の残存艦艇は更にすり減らされていった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 さて、そんな風に一方的に不利な戦いを強いられているソ連だが、それでも気を吐く戦線があった。

 無論、今やソ連の数少なくなってしまった強み、数を生かせる地上戦だ。

 

 実際、空と海に比べれば、善戦していた。

 無論、それはドイツ軍の進撃を抑えきれるものでは無かったが。

 

 だが、それでも当時のレニングラード防衛最高司令官”クレメンタイン・ヴォロシーロフ”は、毎日毎日確実に土地が削られている中、よく耐えていたと言える。

 だが、それでも日に日に士気は下がる一方であった。

 当然である。

 もう、前哨戦……ドイツ軍の猛攻は始まっていたのだから。

 

 愛すべきレニングラードの空は、ハーケンクロイツやヴァルカンクロイツを付けた”殺戮の天使”が我が物顔で飛び回り、赤い星の戦闘機を鎧袖一触にすると、後続の爆撃機が爆弾の雨を降らせるのだ。

 そう、”市民の目の前”で。

 

 特に目立っていたのはHe177B”グライフ”だ。

 この世界のHe177は、ヴェーファーが空軍総司令官で存命どころかピンピンしてるので、ウーデッドやケッセルリンクが何を囀ろうが、正当な”ウラル爆撃機”の後継機として開発された。

 なので、急降下爆撃に耐えられるようにするなど無茶な機体強度の強化要求もなく、その為ハインケル社一押しの双子エンジン(DB606)のA案ではなく、信頼性の保証されたDB601Nを4基搭載するオーソドックスな(されどしっかり高性能な)B案が長距離爆撃機として採用されたのだ。

 

 実は登場が前倒しになった理由の大部分が、技術的な冒険をしない従来型エンジンと無難な機体設計のおかげであるというのだから、世の中何が幸いするかわかったものじゃない。

 性能は、爆弾3,000kg搭載で3,000㎞以上は飛べるという、時代を考えれば中々の代物だ。

 

 

 

 そんな”グリフォン(グライフ)”の群れに軍需工場は真っ先に狙われ、通常爆弾(?)で内部構造……つまり、無謀な可燃物がむき出しになった後、お決まりの焼夷弾が降り注いだ。

 食糧庫や弾薬庫、浄水施設も同じだった。

 戦闘機が頼りにならないなら高射砲はどうかといえば、そちらは小回りの効く急降下爆撃機(スツーカ)の良い標的であり、おまけに最近のスツーカはロケット弾や対人散弾をごまんと詰め込んだ対人拡散弾なんてものまで投下してくるのだ。

 そして、人的被害を出した後は”モロトフのパン籠”がデリバリーされるまでが流れだった。

 

 ただしちょっとオカシイ。

 テルミットタイプはドイツ海軍でもバルチック艦隊相手に使っていたが、He177の落とす焼夷弾の中には何やら”粘っこい松脂みたいな油”が詰まった焼夷弾が混じってるようだ。

 実は”粘性のある油を火焔攻撃に使う”というアイデアを最初に持ち出したのは、第一次世界大戦で火炎放射器を大量使用したドイツではあるのだが……貴重な天然ゴムを増粘剤として開発されたため、コストがかかりすぎ実用化には至らなかった。

 この世界線でも同じだが、戦後も農業資材や工業(建築)資材としてこっそり”除草用粘性燃料”とかって平和な名前で開発が続けられ、今はこうしてロシア人の武器や食料を逃げ遅れた人間ごと消し炭にしていた。

 まあ、民間人居住区に落としてはいないので、セーフと言えばセーフだ。

 

 

 

***

 

 

 先日は、海からの航空攻撃があり、オルジョニキーゼ工廠(第189工廠)にて建造中だった2隻の巨大戦艦、きっと完成すればソ連の威信を世界に知らしめるだろうそれが、建造ドックごとテルミット型、つまりドイツ海軍機の焼夷弾で燃やされた。無論、他のドックも見逃された訳ではない。

 動かない、それも図体のでかい未完成の船など、既に動く標的を火船の群れに変えた実績があるドイツ海軍急降下爆撃機隊にとってはスリル満点の演習のようなものであった。

 それもこれも、港にあった対空砲陣地を遠距離砲撃で軒並み更地にしたからではあるが。

 

 ソ連はこれまでの経験から「港が艦砲射撃を食らう可能性」をほとんど考慮してなかったのだ。

 つまり、港の対空陣地はその性質から航空攻撃からの防御は考慮していても、1t近い砲弾が超音速で飛んでくる事は想定していなかった。

 

 またドイツ軍の空母の話は聞いていたが、あそこまで出鱈目な破壊力があるとは、誰も考えていなかったのだ。

 海軍仕様の急降下爆撃機だけでなく、戦闘機までソ連戦闘機を簡単に落とせる凶悪な機体を積んでいたことも想定外だった。

 

 

 更に敵戦艦部隊の艦砲射撃により港周辺は廃墟の様相を呈した。

 重油タンクは砕かれ、火を点けられた。

 その炎は未だ消し止められていない。

 

 だからこそ、スターリンの信任厚く、ゆえのあの小男の陰惨さを知るヴォロシーロフは、自ら先陣に立ち港から離れた場所に駐屯地があったからこそ無事だった海軍歩兵(水陸両用部隊。いわゆる海兵隊)を率いて、士気を鼓舞する方法をとるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ”クラスノエ・セロの戦い”

 そう呼ばれる戦いが今、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、機械仕掛けのグリフォンが口から炎を吐くのではなく、腹に抱えた爆弾を落とし、海は酷い有様。

史実ではこの時には無かった筈の野戦レーダー車や移動式指令所、何やらナパームっぽいのまで混ざっている模様。

旧式のⅨ型潜水艦も誘引したフィンランド軍の小型艦艇とのコンビプレイで待ち伏せで暴れ、まだ市街地での地上戦が行われる前だというのにかなりレニングラードはガタガタの模様。

これでまだ前哨戦の段階というね。

ご感想などお待ちしております。



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第89話 実用化された軍用銃としては世界初の構造を持つ”うぽって”とその製造元である勝ち組の”元”国家

今回は久しぶりに鉄砲(うぽって)にスポットライトが当たる話です。

FNC(ふんこ)”とか懐かしいなぁ~。





 

 

 

 史実のレニングラード包囲戦では、いくつもの”伝説”と呼ばれる戦いがあった。

 もっとも、900日もの包囲戦を耐え忍んだこと自体が既に伝説的(ついでに人肉喰らいが横行した包囲中の市内はダークファンタジー)だが、それはさておき……その中の一つに、

 

 ”クラスノエ・セロの戦い”

 

 というものがある。

 セロはロシア語で”行政区”を意味し、基本的に小さな集落に付けられる。

 レニングラードから南西へ僅かな距離にあるこの小さな集落が伝説の戦いの舞台となった。

 

 レニングラード防衛最高責任者はヴォロシーロフ元帥は、自ら赤軍海軍歩兵を率いて先頭に立ち突撃を敢行し勝利をもぎ取ったという。

 その勇猛果敢の戦いっぷり(海軍歩兵は当時のレニングラードに配備されていた中でも最精鋭の歩兵部隊だった)と、その黒い制服からドイツ軍は欧州で猛威を振るったペストになぞらえて”黒死部隊”と恐れたという。

 

 

 

 しかし、ここは異世界だ。

 確かにこの世界線でもペストは猛威を振るったが、生憎と”彼ら”がそう呼ばれることは無いだろう。

 なぜならば……

 

「「「元帥閣下ぁぁぁっ!!?」」」

 

 1941年のとある夏の日……ロシア人にとり宝石のようなと評される恵みの季節に、史実では88歳まで生きたヴォロシーロフは胴体に3発のタングステン弾芯(コア)の特製弾頭を持つ”7.92㎜×94(・・)パトローネ弾”の直撃を受けた。

 その弾丸は彼らの警戒網の外側、700(・・・)mの彼方から前触れなく飛来したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 史実のドイツには、通称”パンツァービュクセ”と呼ばれる対戦車(対装甲)ライフルがあった。

 使用弾は、7.92㎜×94Patr.318(パトローネ)弾。口径こそ小さいが極端なボトルネックの大型金属薬莢により、音速の4倍近い速さで7.92㎜弾を発射できる代物だ。

 だが残念ながら、名前の通り対戦車ライフルとしては使い物にならなかった。

 貫通力も威力も低すぎたのだ。

 

 しかし、わざわざそのような兵器をこの世界線のドイツは作るだろうか?

 初期型のPzB38や発展型のPzB39をだ。

 

 答えから言うならNein(ノー)だ。

 ドイツは「自国の戦車の側面装甲すら貫通できない」武器を前線の対戦車戦闘で投入するつもりはなかった。

 そこで対戦車兵器は、クレタ島でも試作型ないし先行量産型が実戦投入された対戦車ロケットの”パンツァー・シュレーク”や、成形炸薬弾頭型擲弾である”パンツァー・ファウスト”を歩兵用対戦車兵器として採用したのだ。

 

 だが、ドイツ軍の中でこの極端な強装弾に別の使い道を見出した者達がいた。

 ドイツ特殊作戦任務群”ブランデンブルグ”の面々だ。

 不可能を可能とする作戦に従事する彼らは、このパトローネ弾に新たな活路を見出した。

 特製の10倍ロングレンジスコープを銃に装着して行う、相手の警戒範囲の外側から標的を射貫く”超長距離狙撃”にだ。

 

 後年、米軍のマクラミン社謹製の50口径ライフルの登場で有名になった分野だが、これを先取りした形になる。

 しかもブランデンブルグだけでなく、非対称戦や非正規戦を生業とする特殊作戦任務群を抱えるハイドリヒ率いるNSR(国家保安情報部)までも話を聞きつけ計画に乗ってきた。

 彼らもまた超遠距離から標的をしとめる長間合いの狙撃銃を欲していたのだ。

 

 そして、この両者が互いに仕様をすり合わせて開発を発注したのが、旧チェコにあるブルーノ造兵廠(アーモリー)だった。

 

 蛇足ではあるが……史実と違い、現ズデーデンの住人にとってドイツはお得意様、金払いの良い”時の氏神”だった。

 

 なんせバルバロッサ作戦直前にドイツは同じブルーノアーモリーから”MG27/30”の名目で現行型のZB27や輸出仕様のZB30の在庫一掃するほどの大量買い付けがあり、追加発注まで受けたのだ。

 幸い、ブルーノZB26系列の軽機関銃はドイツの標準小銃弾7.92㎜×57をオフィシャルな使用弾としており、弾薬面の補充も問題なかった。

 ちなみにこの決定は、北アフリカ戦線で遭遇した日本皇国軍との戦闘が非常に大きく影響していた。

 彼らは分隊支援火器として大体10人に1丁配備されていたチ式系列の機関銃にそりゃあひどい目に合わされた。

 特に日本皇国陸軍は標準小銃がZH29の発展型である半自動銃なので、これや擲弾筒との組み合わせは凶悪過ぎた。

 そして鹵獲した兵器を改めて検証するまでもなく、元々は自国に保護領として組み込んだチェコ産の銃器ではないか。

 という訳で、早速発注となったわけだ。

 ついでに在庫分のZH29半自動小銃も”Gew29”として残らず買い取ったらしい。

 

 ここで重要なのは史実のMG26(t)やMG146(j)ような「鹵獲した兵器を投入」したのではなく、正規の手続き/適正価格できちんと「購入」していることだ。

 この意味をご理解いただけるだろうか?

 チェコは保護領化された後も、ドイツに大量の武器弾薬のみならず民生品までも安定供給できる優秀な大工業地帯として存在していたのだ。

 無論、輸出なども普通に行なわれ、旧チェコの企業は事実上民営化したブルーノだけでなく他の企業もチェコ時代の物も含めて海外からのライセンス料が滞りなく入るように格別な配慮が行なわれていた。

 また例えばシュコダ社もソ連に技術が流されることもなく、また彼らの製造する自動車”タトラ”シリーズが飛ぶように売れていた。

 ちなみにタトラ愛好家(フリーク)の第一人者、このTシリーズをベンツ同様にこよなく愛していたのが、実はヒトラーであった。

 史実と異なりより廉価な国民車”ビートル”の大量生産が始まっているのに、これは凄いことだ。

 何とも皮肉だが、旧チェコは全土がドイツの保護領になることにより、民族問題は(多少力技であっても)解決され、工業国としては新たなマーケット(それも欧州全域)を手に入れ、ヒトラーがスラブ人を見下さない政策、つまりは近代的なドイツの法と秩序と税制下におかれたことにより、それが浸透するうちに返って工業国として息を吹き返し……むしろ戦争特需の波に乗り工業力を活性化し、チェコスロバキア時代より大きく住民の生活水準や地域内総生産を向上させていた。

 

 史実と異なり、ユダヤ人の(表向きの)扱いはともかく、旧チェコの住民のほとんど(・・・・)は以前より充実した公共サービスやトート機関などによる大規模公共工事やインフラ整備の恩恵を受け、今は「仕事が遅く決断力に欠けた頼りにならない旧チェコ政府よりずっとマシ」な状況を生きていた。

 自分達が作った武器で、ロシア人の血が何トン流れようが知ったことではなかった。

 明日の飯を心配しないで済む生活を守る方が、よっぽど重要だった。

 

 まあ、ヒトラーが心底望んだのは、「労働者も含めた旧チェコの良好な工業力」なのだから、これは当然と言えば当然の結果だった。

 労働モチベーションの重要性は、今生のヒトラーは十分に認識していたのだ。

 

 ”だが、共産主義者。テメーらは駄目だ”

 

 ドイツにおいて(ドイツに限った話ではないが)共産主義活動は違法、完全なご法度。

 赤色勢力に組する者は、処刑か国籍剝奪の上の国外追放(受け皿は開戦前のソ連。NKVDの紳士諸君がお出迎え、労働キャンプが待ってるゾ♪)の選択がとられた。

 

 

 

***

 

 

 

 そんな中で舞い込んだ”新型長距離狙撃銃”の開発にブルーノは新たなビジネスチャンスと意気込み、併合前から研究していた対戦車ライフルをベースにした弾倉と引き金の位置が通常とは前後逆の、全長の割に銃身を長く持てる”世界最初のブルパップ(・・・・・)式軍用銃”を完成させたのだ。

 

 その名を”PzB/B.NSR.41”。

 史実の”PzB M.SS.41(対戦車銃41年式:親衛隊向け)”のそっくりさんだが、コンセプトが全く異なる。

 まず対戦車ライフルを示すPzBがつけられたのは、そのコンセプトを悟られぬ為の欺瞞工作だろう。

 もっともオリジナルと異なるのは、先に述べた倍率10倍の特注ロングレンジ・スコープを標準搭載とし、命中精度を最優先として念入りに設計/製造されていることだ。また、そのコンセプトから10連発弾倉ではなく、伏せ撃ちしやすい短い5連発弾倉が標準となり、バイポットもそれに合わせて短く頑丈な物が装着された。

 対戦車ライフルは普通、威力や貫通力が優先で撃つ相手が人間よりずっと大きい戦車の為、命中精度はそこまで求められてはいない。

 ある意味、真逆のコンセプトだった。

 PzB/B.NSR.41は、射程に関係するため威力はあるに越したことはないが、「相手の警戒網外から人間を仕留める為」に作られた銃だ。

 ちなみにBはブランデンブルグ、NSRは無論、国家保安情報部の事だ。

 ただし、資料にはその用途を隠す為に”PzB41(対戦車小銃41年式)”と書かれている事が多い。

 

 そして、生まれた世界初のブルパップ式軍用銃にして、同時に世界初の超遠距離狙撃を目的とした小銃は初の実戦投入で、ブランデンブルグの過酷な訓練で選ばれた狙撃手4名+観測手2名の二つの狙撃チームにより運用され、最高のデモンストレーションを行うことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は圧倒的じゃなくてもこの先もかなりの勝ち組の予感がする旧チェコw
軍門に下った国は、割とちゃんと面倒見るドイツです。

つまり、シュコダ社とかブルーノ・アーモリーとかは現在、工場の位置とか変わらないのに”ドイツ製”として輸出できるんですね~。

戦後は「ドイツ製=高品質、高性能、その分高価格」が世界的に定着するので、笑いが止まらないだろうな~とw

ご感想などお待ちしております。



***



ありえるかも知れない未来(あくまで可能性の一つ)
195X年、ドイツ連合(仮称)の一ヵ国スロバキアは、旧チェコに

「またチェコスロバキアとしてコンビ組まない?」

と呼びかけた。
盟主ドイツは、

「まあ、旧チェコ領域の人がそうしたいって言うなら、特別に(分離独立&コンビ再結成)許してもええよ?」

と答える。
しかし……

「なんで今更貧乏国家(スロバキア)と組まなあかんのですたい! うちの国の特産品は高級ブランド”ドイツ製”で売っとりますさかい、一昨日来やがれですわ」

と92%の地域住民が反対して否決されたという。
その後、ドイツはスロバキアをなだめるのが大変だったという。
盟主の苦労は、平時にこそ味わう物だったりする。
身内の利害調整に苦労が絶えない日々が続くドイツであったw



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第90話 クラスノエ・セロの戦い、またそれに繋がる数多の戦い。あるいは勇者のごとく戦い、英雄の如く斃れた者達の哀歌

レニングラードへ戦う、多くの戦いを記します。
多分、挽歌ではなく哀歌の意味がわかっていただけるかと……




 

 

 

 

 ”クラスノエ・セロの戦い”

 

 この世界でその名で記録された(この先の激戦と比べるなら)小さな戦いは、史実とは違う評価を戦史研究家から受けることになる。

 曰く、

 

 ”ヴォロシーロフ元帥の迂闊さが招いた悲劇”

 

 である。

 さて、なぜそう呼ばれることになったのか、順を追って説明しよう。

 

 ヴォロシーロフ元帥の手元にレニングラード南西部にある、クラスノエ集落(セロ)にドイツ軍が大規模な重砲陣地を築城としているという情報が入った。

 冗談ではなかった。

 実質的にレニングラード市外延部に隣接していると言って過言ではないこんな場所に重砲陣地を築かれては、都市の中心部まで名だたるドイツ製重砲群、21cm/Mrs18重臼砲や17cm/K18重カノン砲、15cm/sFH18重榴弾の砲弾の雨に晒されてしまう。

 それは断じて避けねばならなかった。

 

 加えて言えば、レニングラードの状況は史実のそれよりも更に悪かった。

 北は”セルトロヴォ(シエラッタラ)”まで抑えられ、カレリア地峡のほぼ全域がフィンランド軍の手に落ちた。

 西はレビャジエに前線陣地を張られ、南は集落のすぐ東ヴィルロジに巨大な集積地が作られるという。

 そういう意味ではロシア皇族の夏の邸宅の一つ”ガッチナ宮殿”で有名なガッチナも陥落しているが、史実と違って宮殿が荒らされ美術品が持ち去られるなんてことは断じてなかった。

 むしろNSR(国家保安情報部)が特別編成警備隊を組織し、厳しく文化財破壊防止の為に見張っていた。

 無論、政治意図はある。

 ここはいずれフィンランドに”ハツイナ(Hatsina)”として返還(・・)されるべき場所で、”象徴”として見栄えをよくしておきたいのは当然だった。

 どこぞの日本皇国人が言っていたが、ドイツは最終的にコラ半島、カレリア地峡とカレリア共和国、イングリアをフィンランドに投げる方向でまとめているようだ。北の大国の誕生である。

 

 それに文化財保は、戦後の国際的イメージアップも当然のように視野に入れている。

 俗っぽい言い方をすれば、国家的な強盗殺人と婦女暴行を繰り返すソ連に対し、ドイツは対比としてお行儀良い軍隊でなければならなかった。

 そのための努力は相当力を入れられており、正しい意味での綱紀粛正とソ連の暴虐の証拠集め(宣伝相の強いリクエスト)と並んで重要なNSRの任務だった。

 だからこそ、NSRはカナリスの軍情報部や一部の任務が被る特殊任務部隊ブランデンブルグと並んで憲兵隊とは持ちつ持たれつの良好な関係を構築していた。

 

 他にも要所で言えばプスコフ、ノヴゴロドは陥落しており、ヴォルホフ方面からの東の補給路はまだ絶たれていないが、補給部隊は常に甚大な被害を出していた。

 それはレニングラード周辺の制空権を完全にドイツに掌握された影響が大きく、それにより四六時中偵察機や爆撃機が飛び交い、ソ連輸送部隊に消耗を敷いていたのだ。むしろ、兵站を消耗させるために補給路を閉ざさなかったとする説すらある。

 ラドガ湖を用いたルートも結局は市内に入れるには一度陸揚げをせねばならずそこを狙われることも多く、またラドガ湖西岸にも航空機散布型の単純な構造(ソ連に鹵獲されても問題ないレベル)の船を沈めるというより損傷させて荷揚げを妨害するような小型浮遊機雷が数多く撒かれ、地味な嫌がらせになっていた。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、最悪なのは海だ。

 レニングラード沖に浮かぶコトリン島、レニングラードを守る最後の軍港にしてクロンシュタット・バルト海要塞を抱える東西14㎞、南北2㎞の島はその小ささゆえに満遍なく焦土と化していた。

 ”ワルプルギスの夜”作戦でバルチック艦隊の主力は辿り着くことなくバルト海に沈み、残った軍艦は挑発に誘引され沈められたか、あるいは港に居るまま破壊された。

 基地航空隊は、ドイツ人の3隻の空母に蹂躙され、島のベトンで固められた砲台はドイツ戦艦の38㎝47口径長砲から放たれる元々は英国の対沿岸装甲砲台(トーチカ)用を名目に開発した「超重量地中貫通型徹甲榴弾(ブンカーバスター)」の直撃に耐えられるようにはできていなかった。

 これは中々に曲者で、米軍の通常の砲弾より長い超重量弾(SHS)を参考にしたとされ、地中やベトンに潜り込んでから遅延信管で起爆する砲弾だった。

 

 

 

 こんな物に撃たれる事は想定しておらず、また砲自体の射程も射角も足りておらず、航空隊が壊滅したことで悠々と飛ぶ弾着観測機の元で行われるアウトレンジからの一方的な艦砲射撃の前に一つ一つ沈黙していった。

 無論、高射砲や対空機関砲の陣地もあったが、そんなものは場所が露呈するなり艦砲射撃や艦上急降下爆撃機の的になっただけだ。

 

 そして、最後はお決まりのHe177Bによるテルミット型焼夷弾と言葉を濁さず言えば”ドイツ式ナパーム”型焼夷弾の絨毯爆撃劇場となった。

 この海の要塞は、焼夷弾がここまで極まる前の時代に建造されたことが仇となったのだった。

 コトリン島は軍港クロンシュタットを抱える海上要塞として定義されており、いかなる意味でも民間人居住区には該当しなかった。

 レニングラードから見えるこの島をここまで派手に物理的大炎上させた理由は、明らかに「抵抗を続ければ、次はお前らがこうなる」という脅しであり警告であり、見せしめであった。

 

 ちょっと想像してほしいのだが……

 艦砲版の”めり込んでから爆発する”ブンカーバスターで天井が崩された、あるいはグズグズになった、良くてもあちこちにヒビが入り、何となく外気と繋がった気がするブンカーやトーチカの上に、間髪入れない見事な連携でテルミットやナパームが降ってくるのだ。

 史実のダイダルウェーブ作戦ほどの物量じゃないかもしれないが、フィンランド方面から飛んでくるドイツ軍のグライフ隊は、どんなに少なくても30機以上でコンバット・ボックス編隊でやってくるのだ。

 無論、護衛戦闘機も引き連れ。

 つまり、空襲の度に最低でも100tの焼夷弾が落とされるのだ。

 それがクロンシュタット要塞を中心にコトリン島全体に約半月続いた……

 ドイツ人の念入りっぷりや凝り性がこんなとこにも現れた。

 ちなみにこの時期、フィンランドにはコトリン島だけでなくレニングラードももちろん爆撃圏内に収めたHe177Bが180機ほども配備されていて、それがローテーションを組んで護衛引き連れ爆撃するので、全く出撃回数(ソーティー)的にも無理がかかってなかった。

 また、消耗される物資も安全が確保された(バルチック艦隊はこの世になく、英国は邪魔する気配がない)バルト海をピストン輸送していたそうだ。

 

 

 

 そして、ドイツはこの後、政治的にとてもやらしい手を打ったのだ。

 コトリン島をフィンランド語読みの”レトゥサーリ(Retusaari)島”に改名し、そのこんがり焼きあがった島の防備と管理、ついで島周辺の掃海作業も合わせて自軍ではなくフィンランドに依頼した。

 無論、フィンランドは拍手喝采だった。政治家の中には過度にドイツと歩調を合わせる動きを危惧する者もいたが、建国以来ソ連に恨み骨髄の民意には逆らえなかった。

 そのような発言が表に出た瞬間、「アカの手先」というレッテルを貼られ、リコール運動が誰の手でもなく国民から自発的に上がるようではどうしようもなかったのだ。

 ただし、島丸ごとローストされた情景に上陸部隊は絶句し、短期での再興はあきらめたようだが。

 

 

 

 

***

 

 

 結局、艦隊のない海の要塞はその実力を発揮できぬまま溶岩モドキとなった。

 最後の砦が無くなった以上、ドイツ艦隊は水上打撃艦隊の戦艦も航空機動部隊の空母も水雷戦隊の巡洋艦までもが()りたい放題だった。

 掃海完了を受けた海域(エリア)まで入り込み、砲弾が空になるまで撃ち尽くす戦艦隊などはまさに圧巻であり、そして海からの攻撃を……特にコトリン島の内側まで入られて艦砲射撃を食らうなど想定していなかったレニングラードは、戦略爆撃以上の大打撃を受けたのだ。

 

 その中で、一つ象徴的なエピソードがある。

 

 史実では、ジェーコフ到着後の話であったはずだが砲兵火力の集中で目覚ましい成果をあげ、36.5サンチ砲一門で戦車35両、砲12門、一個歩兵大隊、弾薬列車一本を撃破したという記録がある。

 だが、この世界線ではおそらくそのようなレコードは出ることは無い。

 なぜなら、何とか戦艦を追い払おうと砲口を向けようとして……そして、返り討ちにあったのだ。

 なにせ巨砲の門数が違う。集中度が違う。

 そして、相手は陸上固定砲台と異なり、自由に洋上を動き回れる。

 

 海からも空からも既にレニングラード市内は攻撃にさらされている。

 これで、陸上からの重砲による集中攻撃なぞされたら、それこそ目も当てられない。

 レニングラードは早々に防衛機能を失い、瓦礫しかない街に突入されたら、圧力に押されるようにもう逃げ出すのがやっとだろう。

 

 同志スターリンから事実上のレニングラード死守命令を受けていたヴォロシーロフは、決定的な崩壊と破綻を一日でも先送りするために、折れかけている士気を鼓舞するため自ら黒服の海軍歩兵を率いて出陣することを決めた。

 

 要するに、ヴォロシーロフもまた相次ぐ敗北で追い詰められていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 しかし、ドイツはまるでヴォロシーロフの行動を”知っていた”ように動いた。

 いや、厳密に言えばつぶさな観察と事前に入り込ませた諜報員の活躍で、その兆候を捉えたのだ。

 もっとも、NSRと国防軍情報部(アプヴェーア)の連名で「戦況分析の結果、レニングラード防衛軍に冒険的行動の可能性あり」といくつかの予想される行動パターンとして通達されていた為に敏感に察知できたという背景もあった。

 

 そこで地上軍は一計を案じた。

 砲兵陣地構築予定のクラスノエ・セロに陣地構築の工兵隊に”偽装”した囮部隊を配備したのだ。

 彼らは、国防軍特殊部隊(ブランデンブルグ)の1セクションで、多くの兵科の部隊に擬態(・・)する訓練を受け、何よりの特徴とするのは「抜群の偽装撤退」の手腕だった。

 つまり、彼らは「敵を打ち倒す」事ではなく「引くことで敵を誘引する」役目を負った”生存特化部隊(・・・・・・)”だった。

 

 

 

 そして、ヴォロシーロフは黒服の赤色歩兵を引き連れてやってきた。

 もちろん、そうなるように情報は流した。抜かりはなかった。

 自ら先頭に立ち、鼓舞しながらヴォロシーロフはやってくる。

 自らの圧倒的な戦闘力があると言い聞かせ、ドイツ軍”工兵隊”を見事蹴散らせてみせたのだ。

 

 ヴォロシーロフは、作戦成功を確信した。

 自ら部隊を率いることで、ドイツ軍を蹂躙したのだ。

 実感できた勝利に多幸感を覚える。

 そして、

 

「「「元帥閣下ぁぁぁっ!!?」」」

 

 高らかに勝利宣言をしようとした、その絶頂の中で命運が尽きた。

 着弾より銃声が後に聞こえる、そういう距離での狙撃だった。

 

 ヴォロシーロフにとって幸運だったのは、ほぼ即死だった事だろう。

 苦しみのたうち回るような、あるいは命乞いするような死に方をしなかった事は、この男のスターリンの側近としての所業を考えれば、随分と慈悲深い死にざまだったと言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ボコボコでしたw
まあ、挽歌は死者を悼むもので、ここまで一方的にやられたら悼むどこじゃないなーと。何というか……哀戦死?
もう、これ以上ないほどに本格的にレニングラードに攻め込む前に、外堀も内堀も全部土ではなく炎で埋められていたという。

つまり、ヴォロシーロフは本当に起死回生を狙ったんですね。
なんせ、ようやく手の届くところに敵が現れたんですから。

彼の指揮能力は、史実と変わりません。
だけど、相手だけが違っていた。

ご感想などお待ちしております。




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第91話 The CLIMAX of Battle for Leningrad to Sankt Petersburg

そして、レニングラードを巡る戦いは最高潮へ……





 

 

 

 

 ヴォロシーロフが絶命して終わり……という戦いではなかった。

 胴体にタングステン弾芯を持つ特製狙撃弾で風穴を空けられたヴォロシーロフの肉体が地面に斃れる前に、次の罠が発動した。

 ブランデンブルグの”工兵の振りをしていた偽装撤退部隊”は、別に何もしてなかった訳ではない。

 

「「「「「なっ!?」」」」」

 

 資材などに偽装された後に米兵より”お転婆(バウンシング)ベティ”と恐れられる事になる対人跳躍地雷Sマイン(ミーネ)(SMi35)が、集落の随所で無線起爆したのだ!

 このような攻撃は確率兵器となるために実際の殺傷数はそれほどではない。

 だが、それで良いのだ。

 これはヴォロシーロフを狙撃され、混乱するソ連海軍歩兵(くろふく)部隊を更なる混乱の坩堝に落とすためのトラップなのだから。

 

 そして、次なる攻撃は間髪おかずに行われたロケット弾攻撃だった。

 巧妙にカモフラージュされた7㎞彼方の簡易陣地より放たれた無数のドイツ式ロケット弾(ネーベルヴェルファー)は、最新鋭の対人弾頭を備えたタイプで信管が地面に接触すると爆発し、発見されたばかりで機密指定の”ミスナイ・シャルディン効果”により水平方向にベアリング玉のような散弾をまき散らす物だった。

 運良く遮蔽物の影に居た者を除き、”横殴りの鋼鉄の雨”は容赦なく赤色兵をなぎ倒した。

 もはや満身創痍……レニングラードに逃げ帰るしかないと思った矢先、退路に随伴歩兵を引きつれたドイツの機甲部隊が現れた。

 そう、彼らはヴォロシーロフが撃たれた瞬間より海軍歩兵の視界外より行動を開始し、Sマインとロケット弾の阿鼻叫喚を隠れ蓑に退路に回り込んでいたのだ。

 ソ連海軍歩兵には確かにほぼこの時代のソ連軍唯一と言ってよい個人携行型対装甲装備である対戦車ライフルが配備されていた。

 だが、その目立つ長竿を構えようとした途端、どこからともなく弾丸が飛んできて命を奪っていくのだ。

 自分達が罠にはめられたことを悟った彼らは、勇敢にも(無謀にも)最後まで抵抗を続けようとして機銃弾や戦車砲の対人榴弾で新鮮なこま切れ肉にされた者を除き降伏するしか道は無かった。

 

 こうしてヴォロシーロフと最精鋭の海軍歩兵は全滅したのだ。

 幸いというべきか? バルチック艦隊と同じ意味ではなく軍事用語での全滅だった。

 とは言え、彼らが生きて祖国の地を踏めたのは戦後であり、その数は著しく減っていたが。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日、レニングラードにもはや日常となった空襲警報が鳴り響いた。

 だが、いつもと違うのは爆弾や焼夷弾が落ちてこなく、代わりに大量のビラが投下された事だった。

 そのビラには、ロシア語でこう書かれていた。

 

 ”君たちの同志ヴォロシーロフはもういない”

 

 それも、運良く遺体が残っていたために、切り取られた生首が台の上に乗せられた写真と共に。

 ついでに親切なことに東側、シュリッセリブルク方向には退路がある事、赤色軍人には容赦しないが武器を捨て逃げ出す市民を背中から撃ちはしない事を書き添えて。

 

 ドイツ人の仕事は早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ドイツがサンクトペテルブルグ(レニングラード)を半包囲していた地上全部隊の前進を命じたのは、それから三日後の事だった。

 なぜ、三日も待ったのか?

 無論、慈悲などではない。更に総攻撃の事前通告はない。

 最大の理由は、掃討した後、予定通りに作られた重砲陣地も含め、あらゆる火力を動員しレニングラードを廃墟立ち並ぶ市街戦ステージに変えるまでの時間が必要だったこと+焼夷弾の集中投下、特に燃料貯蔵施設への爆撃による大規模火災が鎮火するまでの時間が必要だったこと。

 そして、”ヴォロシーロフが死んだという事実が確認され、恐怖が蔓延するまでの時間”が必要だったことだ。

 

 また、三日ではソ連側で新たな総司令官が任命され赴任するのは難しいというのも判断材料だった。

 レニングラードは軽い要所ではなく、スターリンの信任厚い者でしか務まらない。

 そして、砲爆撃の嵐の中でレニングラードに辿り着けるか大いに疑問だ。

 ドイツは悠長な包囲戦などやっていないのだから。

 ドイツの見立てでは、副指令が司令代行を務めるのが精一杯という感じだった。

 

 

 

 ヴォロシーロフが死んだというビラが撒かれ、その後にこれまでにない量と質と密度でで行われた砲爆撃は、いやがうえにもこの先に何が起こるかを想起させる。”突入前の準備攻撃”以外に有り得ない。

 

 そして予想通り始まった西と南からのドイツ軍、それに呼応するように始まった北からのフィンランド軍の進軍……

 

 もう、何が起こるか明白だった。

 ドイツ軍戦車部隊が随伴歩兵を引き連れて市街に入る直前より、密集部や進撃路に行われる進撃ラッパ代わりの短時間のロケット弾と砲撃、急降下爆撃による集中豪雨のような火力の集中投射。

 地ならしとして行われた炎の嵐の中を進む、鋼鉄の怪物の死神の群れ……

 

 邪魔者が存在しない海からは、巨竜の如く38サンチ砲が47口径長の鎌首を(もた)げ、咆哮する度に放たれる現代のドラゴンブレス、約1tの砲弾が街を区画単位で吹き飛ばす。

 

 ヴォロシーロフ終焉の地となったクラスノエ・セロからの重砲の多重奏も見事であり、地上の着弾観測員と上空から弾着観測機による一種の三角測量の要領で的確に破壊と死をばら撒いていた。

 

 上空から爆炎で出来た花を添えるのは、ドイツ語自慢の急降下爆撃機隊だ。

 現在、空軍のJu87Dと海軍のJu87Mは並行開発された兄弟機の関係であり、レニングラード上空という最高の舞台で空と海の夢の兄弟共演だ。

 嬉し気に楽しげにジェリコのラッパを響かせて、ピンポイントで敵の抵抗地点を破壊してゆく。

 

 He177B(グリフォン)の群れは、遊弋するように、或いは東側へ追い込むように都市を半円周上に囲むように集束爆弾を落とし始める。

 

 上空には、それを邪魔する赤い星を付けた敵機はいない。

 全員、一足早く太陽に近づきすぎ羽を焼かれたイカロスと同じ目にあった。

 ただ焼いたのが、太陽光か20㎜の薄殻榴弾かの差だ。

 

 その中を、ドイツ製の戦闘用装甲車両が猛進してゆく。

 75㎜43口径長砲だけでなく、車載型Sマインや7.92㎜機銃などあらゆる火力をばらまきながら。

 

 撃ち殺し、打ち壊し、踏み潰し、射殺し、爆殺し、刺殺し、ドイツ軍は線所となった歴史ある街並みを死と破壊を撒き散らしながら進んでゆく。

 敗北の影に覚えることもなく、ただ淡々と。

 

 

 

***

 

 

 

 それでも職務に忠実な政治将校(コミッサール)は、督戦隊まで動員し逃げ出そうとする兵も市民も機関銃で威嚇、あるいは時折発砲しながら死守を命じた。

 無論、ドイツ人のばら撒いたビラは噓っぱちで、それを信じるものは非革命的な敗北主義者だと喚き散らしながら。

 だが、そう命じた彼らが吹き飛ばされ物言わぬ肉塊に変わる度、一人また一人と東へ向かう人間が増えた。

 つまり、より生存率が高い方に賭けたのだ。

 どういう訳かドイツ人はコミッサールや督戦隊を撃つことに熱心で、武器を捨て逃げ出す市民には寛容だった。

 ソ連がどういう国かを知っていて、尚且つレニングラード市民の半分も避難したら、それを支えられるだけの余力はすぐには無い。

 レニングラードから脱出できた者が全員、生き延びるわけでは無い。そうであるが故の寛容さだった。

 

 そして、○○が東への脱出に成功したという噂があっという間に広がった。

 武器を捨て逃げ出す市民を、ドイツ軍は背中から撃たないという言葉が事実であるという噂と共に。

 

 

 

 やがて、持ってる武器をドイツ人ではなく政治将校や督戦隊に向けて引き金を引き、東へ脱出する人間が出てきた。

 降伏しようとしたら「敗北主義者には死の鉄槌を!」とわめく政治将校にスコップの鉄槌を物理的にくらわす者が出てきた。

 機関銃を背中から射かけてきたきた督戦隊に野砲で応戦する兵士が出てきた。

 市街まで攻め込んできたドイツ人と戦えば確実に殺されるが、政治将校ならあるいはという理にかなった判断だった。

 督戦隊より数が上なら勝てるし、そもそも政治将校の飼い犬で味方殺しの督戦隊は、政治将校同様に一般将兵から恨みを買いすぎていた。

 極限状態で、一気にそれが噴出した形だった。

 

 誰もが生きること、生き延びることに必死になっていた。

 

 言い方を変えよう。

 ドイツ軍とフィンランド軍の火力が生存の危機という人間の根源的局面において、一時的にせよスターリンや共産党への忠誠心やら恐怖やらを上回ったのだ。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 例えばこれは単純な話なのだ。

 ドイツ人に殺されるか、政治将校に殺されるか。

 政治将校を殺して、降伏するか逃げ出すか……

 突き詰めれば、そういう話だった。

 

 戦線があちこちで崩壊し、レニングラードから退却するソ連御赤軍相手にはドイツ軍は容赦ない追撃戦を、深追いになり過ぎない程度には続けた。

 だが、武器を待たぬ、あるいは捨てた民間人を撃つことは極力自重した。

 無論、プロパガンダに必要な行動だからだ。

 

 降伏した人間は、市民ならば丁重に扱った。

 まずは暖かいスープとパンを振舞った。勿論、その様子はバッチリ銀塩写真にもオープンリールテープにもムービーフィルムにも記録した。

 当然、ソ連将校が主張するような毒なぞ入っていない。

 

 いや、捕虜となった軍人さえも史実のように「車両が汚れるから」という理由で徒歩で収容所まで歩かされることはなかった。

 確かに収容所には送られたが、捕虜は捕虜としての待遇を普通に受けられたのだ。

 まあ、本音を言えば、捕虜の移送に手間も時間も人員も割きたくないドイツとしては効率と合理性を重んじ、最初から歩かせるなんて選択肢は無かったのだが。

 

 また、軍服を脱ぎ捨て階級章を外し、市民に紛れ脱出する赤軍兵、あるいは”保護”されようとする赤軍兵をあえてドイツ軍は見て見ぬふりをした。

 彼らの末路は想像に難くないからだ。

 

 案の定、”保護”された赤軍兵は市民に「密告」され、捕虜収容所に送られた。

 そして、民間人に扮して脱出に成功した赤色軍人は、まあ、言葉は濁すがこの世にいられなくなった者や、より待遇の悪い状態で戦場に戻された者が多くいたことは記しておくべきだろう。

 

 ただ、占領した地域で生きた政治将校(コミッサール)を見る機会はあまりなかったという事も付け加えておく。

 降伏した捕虜曰く、政治将校と称して差し出される原型を留めぬ遺体というより残骸はよく見たそうだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツがレニングラード市を完全制圧宣言をし、全域を掌握すると同時に公式名称を”サンクトペテルブルグ”市に戻すと宣言したのは、

 

 ”1941年9月13日”

 

 であった。

 奇しくも史実では、ゲオルギー・ジューコフがレニングラードに赴任した日であった。

 無論、この世界線のジェーコフの姿は、”サンクトペテルブルグ”には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




レニングラードからサンクトペテルブルグに大回帰する話はいかがだったでしょうか?

あっさりし過ぎかもしれませんが、ソ連が蓄積したダメージは、どうやら想像以上だったようです。

この戦いは、戦争の趨勢を決定づける物ではありません。
ですが、同時にこの先の展開に大きな影響を与えることも間違いありません。
赤色勢力の苦闘は続きます。

サンクトペテルブルクではなく”サンクトペテルブル()”なのは、わざとです。
スペルは同じでも、たった1音の違いがバタフライ効果のように、その後の命運を変えることもある……同じ歴史を歩むとは限らない。
そんな意味を込めてみました。

まあ、英語読みだといずれにせよ”セント・ピーターズバーグ”なんですがw

ご感想などぜひお聞かせください。










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第92話 A Day After Days of Sankt Petersburg Turn Back

レニングラードを巡る戦いの後日譚的なエピソードです。




 

 

 

 

 レニングラード(サンクトペテルブルグ)攻略戦が正確にいつから、どの時点から始まったのを論じるのはたとえこの世界線であっても難しいが、実質的に1ヶ月程度で陥落したと考える方が妥当だ。

 ドイツが敗北した史実の900日の攻防の1/30の時間……あまりにも呆気なく感じられるほど、誰もが予想しなかったほどの短時間でドイツの軍門に下ったのだ。

 だが、ソ連が惰弱だと責めるのは筋違いだろう。

 かの新興赤色国家が置かれた状況は、史実よりずっと悪い物だった。

 

 例えば、この1ヵ月で投入された火力は、史実のレニングラード攻略900日分の1/3以上、つまり史実のほぼ1年分の砲爆撃を1ヵ月で使い切った事になる。

 レニングラード攻略用に備蓄した武器弾薬が一時的にほぼ空になったが……そこまで量を貯めこんだのも凄いが、それを叩きこんだドイツ軍の火力も半端ではない。

 時間当たり史実の10倍以上の密度の火力投射を食らったら、それはこういう結果にもなろう。

 

 これは史実では可能性としてあり得なかったドイツ海軍の本国(高海)艦隊の全力投入や、フィンランド軍の侵攻、史実よりよっぽど重厚でHe177のような大型機が惜しみなく投入された戦略爆撃などの複合要因であろう。

 

 前提から言うならば、ソ連バルト海(バルチック)艦隊は語義通りの全滅であり、クロンシュタットもレニングラード攻略前に焦土と化し、また戦前に平和的(?)に戦前に併合したチェコやオーストラリアはドイツの政策もあり、戦前以上に高い工業力を発揮しその工業力で間接的に前線を支えた。

 まあ、ユダヤ人政策は……ここで大っぴらに話すことではない。

 また、被占領国であるフランス、ベルギー、オランダ、ポーランドなどは政治的安定を取り戻しつつあり、まだ全力を発揮してるとは言い難いが、徐々に往年の力を取り戻し親独国家としての再起を遂げつつある。

 加えて、親独的な東欧の同盟各国、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアは意気軒昂ときてる。

 ただしイタリアとは滅茶苦茶距離をとっているようだが。

 本音を言えば、勝手に戦火を広げてこれ以上、迷惑をかけられたくないのだろう。おそらく同盟破棄もそう遠くない将来に思える。

 また、ユーゴスラビアに手を出していないことも地味に大きいかもしれない。

 

 加えて、ホロドモールが起きた南方軍集団担当のウクライナでは解放軍が赤軍に蜂起し、ドイツ軍と連携して各地で連戦連勝。

 中央軍集団の白ロシア(ベラルーシ)方面は、反共パルチザンと連携し、首都ミンスクを電撃戦で陥落させた後は無茶な進軍はしないよう着実な勝利を積み重ねている。

 

 つまり、ドイツは史実よりもずっと高い国内外を含めた潜在的国力を持ち、尚且つ無駄を極力抑えた戦争を戦っていた。

 正しく”転生者の戦争”と言えるだろう。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、一つだけ言わせてもらおう。

 実に皮肉なのだが……レニングラード攻略戦の死者は、後年かなり正確な数が発表されたが軍民合わせても30万人に届いていない。

 これはソ連の公式発表による史実の死者70万人(うち市民の死者は63万人)の半分以下であり、実際には100万人を超えていた(当初は人肉食など隠蔽されていた)という分析もあるくらいだから実際には史実の1/3以下の犠牲で済んだのだ。

 これは、史実での死因の97%が餓死だったことが理由……つまり、短期決戦の結果、確かに街はドイツ/フィンランド軍の手に落ちたが結果論ではあるが多くのロシア人の人命が救われた事になる。

 

 同じく食糧庫や給水施設が破壊され補給路が断たれた史実のレニングラードの食糧備蓄量は、1941年9月12日(この世界ではサンクトペテルブルグ復活宣言の1日前)で、

 

 ・穀類・小麦粉 35日分

 ・えん麦・粉物 30日分

 ・肉類・家畜 33日分

 ・油脂 45日分

 ・砂糖・菓子類 60日分

 

 となっていた。この世界線でも備蓄量は大差はなかったので、これでは餓死など起こりようがなかった。

 確かに食料の配給制限はあったが、むしろ最終的に市民たちは持てるだけの食料をもって脱出したのだ。

 

 また、陥落した季節もよかった。

 極寒の到来まで3ヶ月近い猶予があり、また秋はロシアでも実りの時期だったからだ。

 

 後年、”命の道(ダローガ・ジーズニ)”という言葉が出来たが、これは史実のような凍結したラドガ湖を使った補給路の事では無論ない。

 この世界線においては、ドイツが補給路を叩いても意図的にこれまで陥落させていなかったラドガ湖南岸の要所シュリッセリブルクを通り、これまたドイツが意図的に見逃していたラドガ湖南岸の工業地帯ヴォルホフやノヴァヤ・ラドガ、南にある鉄道の要所チフヴィンを経由したモスクワ方面への脱出行の道程を指して、

 

 ”命の道(生存の道)”

 

 と称した。

 ノヴゴロドが既にドイツ人の要塞と化していた現状では他に道などなかった。

 他にもオネガ湖、ペトロザボーツク方面へぬける手段もあったが、冬の前に北上するのは避けたいと思うのが人情だった。

 

 ヴォルホフまではサンクトペテルブルグから東へ122㎞、チフヴィンまでは約200㎞……徒歩では過酷な脱出行ではあったが、それでも200万人近い市民が脱出に成功したとされるのだから驚かさられる。

 1939年時点でのレニングラードの人口は約320万人とされていたのだから、いくら逃げ出す無抵抗の市民への攻撃が自重されたと言っても、半分以上の市民が脱出できたのだ。

 ただ、一つだけ言わせていただくと、脱出できた市民が全て生存できたわけでは無いし、全員に生存可能な受け皿が用意されていたわけではない。

 ロシアの自然は雄大だが、その分厳しくもあるのだ。

 

 そう考えると死者30万人は多い感じもするが、ほとんどが赤軍、軍属、軍関係者、共産党関係だったことを考えれば納得も行く。

 なお、この30万人の中で”ドイツ人やフィンランド人以外(・・)に殺された人数”がどの程度に上がるのかは、統計がとられていない。

 

 まあ、新たなレニングラード改めサンクトペテルブルグの統治者となったドイツ人やフィンランド人にとり、共産主義者が何人死んだかは興味ある数字だが「誰に殺されたか」はさして意味を持つ物では無かったのだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 スターリンはこの脱出行を、

 

「英雄が成し遂げた偉大な軌跡にして奇跡」

 

 と絶賛した。

 ロシア第二の都市であり、帝政時代の首都であり、工業の中心地であり、何より偉大な建国の父の名を付けた都市が陥落したことを糊塗するには、そう言うしか無かったのだ。

 ヴォロシーロフは勇者のごとく戦い、英雄として死んだ。

 そして彼が命を削って稼いだ時間で、レニングラード市民の多くが脱出できたと。

 そこには、死守命令を出したことなど触れてはいない。

 ヴォロシーロフが唐突に死んだからこそ、ただでさえ連戦連敗で低かった士気が回復不可能に陥ったこともソ連の歴史書には記されていない。

 スターリンの側近だったヴォロシーロフは、あくまで英雄でなければならないのだ。

 

 例え、”命の道”が200万人が脱出できても、まるで「一説には110万人以上の市民が犠牲になった」という説の辻褄を合わせるように翌年の春を迎えられたのが全避難民の2/3程度に過ぎなかったこと、その死因が燃料不足や物資不足で暖が取れなかったゆえの凍死や医薬品不足の病死や満足な怪我の治療が受けられなかった事による壊疽などによる衰弱死だったとしても、「統計上の数字」に過ぎないのだ。

 200万人が脱出したという奇跡の偉業の方が重要なのであり、ドイツ人に殺されたわけでなく「春を迎えることなく冬の寒さの中での自然死」なら悠久のロシアではもう気が遠くなるほど繰り返されてきた”自然現象”に過ぎない。そこにこだわる必要はない。

 第一、100万程度の死など、ロシア革命以来、特にスターリンが権力の頂点に立ってから何度も、それこそ毎年のようにあったことだ。

 今更、騒ぐほどの珍しい話じゃない。

 

 その裏で、相当数の高級軍人や共産党員が責任を取らされる形で粛清されたようだが、それが明らかになるのは遥か未来の話だった。

 他国から見たらどう見てもスターリンの癇癪による八つ当たりだが、ソ連にそれは通じない。

 とりあえず、失敗すれば血が流れるのがこの国の慣わしだ。

 それがさらなる窮状や国家弱体化を招くとしても、書記長(スターリン)は絶対であり、彼は間違うことは無いのだ。

 起きた問題を片付けるのは彼の仕事ではなく、問題を片づけない者を裁くのが彼の仕事であった。

 その問題の本質がスターリン自身によるものだとしてもそれを誰も追及せず、追及されない問題は問題とならないのだ。

 まっことソ連とは素晴らしい国である!!

 

 

 

 とは言え、その素晴らしさを理解しない不逞の輩がいる。

 そう、ドイツ軍だ。

 

 スターリンがレニングラード、いやいやサンクトペテルブルグの事ばかり気にしている間に、白ロシア(ベラルーシ)を攻める中央軍集団は、ミンスクの要塞化を順調に進め、足場固めをしながら堅実に攻め、じわじわとソ連軍を国境の向こう側まで押し戻しつつある。

 上手くやれば今年中にスモレンスク、ブリャンスクに手が届くかもしれない。

 

 加えて、南方軍集団。

 ウクライナ解放軍と連携し、破竹の勢いで勝利を重ねていた。

 開戦から3ヶ月でほぼウクライナ全域を制圧、残るターゲットはクリミア半島、いやセヴァストポリ要塞と要所ロストフ・ナ・ドヌーくらいだった。

 

 そして我らが北方軍集団。

 レニングラードを本格的な戦闘開始から僅か1ヵ月で落としてみせた事でドイツ軍だけでなくフィンランド軍もその意気は天を突くが如し。

 しかも厳しい冬が来るまでにはまだ時間はあるのだ。

 

 フィンランド軍はありったけの戦力を搔き集め、ラドガ湖南岸からだけではなく北岸からも一路ペトロザボーツクを目指し進軍を開始した。

 

 

 

 このような快進撃が可能となったのは、直接的にも間接的にもレニングラード陥落が大きかった。

 史実のレニングラードは900日間もドイツ軍を釘付けにしただけではない。

 包囲下にあって市民が餓死する中、1941年7月~12月だけで戦車500両、装甲車600両、野砲2400門、機関銃1万挺、砲弾300万発、ロケット砲3万発を生産し出荷してみせたのだ。

 ロシア人は、異能生存生命体かなんかだろうか?

 

 とにかく、これがきれいさっぱり無くなったのだ。

 ドイツ軍もフィンランド軍もレニングラードに縛られることは無くなり、またソ連に大量の武器が渡る事もドイツ人に向けられることも無くなった。

 ソ連第二の都市が陥落するというのは、物理的な影響に絞ってもこれほどの意味を持っていた。

 

 これが、今後の戦争に影響を与えないはずはなかった。

 

 そう、誰しもが何となく理解してしまった。

 戦争が、新たな局面に入ったことを……

 

 ドイツ北方軍集団は追撃を終わらせ、レニングラードの勢いそのままに陥落させた担当各地の防衛線を再編/強化すると、本体は北へ目指す準備を始めた。

 

 1941年は、まだ終わってはいない。

 厳冬が来るには、まだ時間があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、レニングラードからサンクトペテルブルグへ至る戦いは、このエピソードで幕を閉じます。

史実の1/30、ソ連の受けた累積ダメージと尋常ならざる火力投射の集中で、1ヶ月程でレニングラードは陥落し、サンクトペテルブルグが復活しました。

戦闘での死者は全体的には少なく(ただし赤軍被害はマシマシ)、ただし脱出してからはと言えば……まあ、戦時下のソ連ですしw

これまでご愛読ありがとうございました。
そして、次回からの新章もよろしくお願いします。



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第7章:1941年秋、リビアの熱砂は更にその温度を増す
第93話 おフランス製双眼鏡と転生狙撃手


今回から新章スタートです。
これからもどうかよろしくお願いします。




 

 

 

 レニングラードの攻防戦は、誰もが考えるよりも早く、それも泥沼にすらならず終わった。

 まあ、ドイツ人もロシア人も泥まみれになるのは来年の春だろう。

 

 だが、さりとてレニングラードがサンクトペテルブルグになったとしても、戦争が終わるわけでは無い。

 それどころか実は趨勢すら決まっていない。

 

 そして日本皇国もドイツと停戦が合意できただけであり、戦うべき戦場はまだまだあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1941年10月初旬、リビア東部、”トブルク”近郊、海辺

 

 

 

「いや、秋と言ってもさぁ~、こう年がら年中暑けりゃ、風情も何もあったもんじゃないよなぁ~」

 

「まあ、砂漠じゃ鈴虫が鳴くともないでしょうしね」

 

 と相方の小鳥遊が返してくる。

 うっす。久しぶり~。

 日本皇国陸軍のしがない狙撃兵、ちょっと海風の心地よさに溶けてる下総兵四郎だ。

 なんかレニングラード、あっ、今はサンクトペテルブルグか?の方でどんちゃん騒ぎがあって、俺の元ネタ(?)のフィン人狙撃兵が大活躍したんだってな?

 この世界じゃカウンタースナイピングもされなかったせいか、冬戦争でお役御免にならなかったらしい。

 というか戦場って”狩場(・・)”がもしかしたら気に入ったのかもしんない。

 確かこっちの世界での名前は、正確には”シモン(・・・)・ヘイへ”だったか?

 

(なんか、ドリル片手に大立ち回りしそうな名前だなぁ……)

 

 まあ、”穴掘り”って二つ名より、どちらかと言えばきょぬーの姉ちゃん寄りの戦闘スキルな気がするが。

 俺の知ってる歴史とどっこいの腕前と生存能力なら、あれを継続戦争でも継続してお相手せにゃならんアカ共に同情するよ。

 しかも、白ロシア(ベラルーシ)方面かなんかで”空飛ぶ魔王様”が覚醒したとか何とかって噂もあるし。

 

「おー、沖合にちっこく見える船の群れ……あれ、例の維持費が捻出できなくてスクラップにして売り飛ばされたって噂のメルセルケビール艦隊かな?」

 

 本日は休養日。

 俺はのんびりとこの間、私物として買ったおフランス製の軍用小型双眼鏡(ルメール・ファビとかって奴かな?)を試すために海鳥でも観察しようと埠頭にやってきた訳だ。

 パリ復権以来、フランスは積極的に輸出してるみたいで、街でもよくフランス製の品々を見かけるようになったし(なので市場で買ってみた)、陸軍(うち)の偕行社でも取り扱うって話もある。

 もしかしたら、酒保(PX)でもそのうちフランスワインとか見るようになるかもしれん。

 なんか暇だったのか小鳥遊もついてきたが。

 

 そして見つけたのは、ちょっと沖合を走ってる”自力航行可能な限界スクラップ”と呼びたくなるような()フランス艦隊の群れ……

 

(と普通は思うんだろうけど)

 

「いや~、出来の良い”カモフラージュ”だなぁ~」

 

「そういうことはわかってても言うんじゃないっつーの」

 

 でもよ、小鳥遊君。言いたくなんない?

 

「いやさ、確かに主砲とかの砲身外してるし、廃材やら何やらで上手く誤魔化してるけど、どう見ても喫水線とかさ」

 

 ちなみに大砲ってのは戦艦の主砲に限らず、必ず摩耗するので予備の砲身とそれなりの重機や設備があれば、割と簡単に交換できるようになっている。

 ぶっちゃけ、あれ呉とか横須賀、佐世保ならなら一週間もあれば戦闘力取り戻せんじゃね?

 

「ロシア人に船の良し悪しとかわかりゃしないんだから良いんでねーですかい?」

 

 まあ、そうかもしんないけどさ。

 

「日本の商社が買い取って、トルコが軍艦建造の技術研究に購入って話だっけ?」

 

 書類上は。

 無論、トルコに戦艦を建造できるほどのドックや国力的余力もない。

 

(まあ、直ぐに”転売”するんだろうけど。例えば、黒海西岸の港のどこかに)

 

 おそらく行き先は、ブルガリアのヴァルナかルーマニアのコンスタンツァあたりだろう。

 

「確か建前的にはそんな話だったはずだったような?」

 

 いや、お前だって建前とか言ってるじゃん。

 

(こりゃクリミア、つーかセヴァストポリ陥落すんのも時間の問題かもな)

 

 いやー、ソ連も中々やってくれる。

 俺の知ってる歴史と同じく”バルバロッサ作戦”、つまり独ソ戦開始劈頭にクリミア半島から飛んできた爆撃機隊がルーマニアのプロイェシュティ油田やコンスタンツァ港を爆撃しようとしたんだ。

 とは言え、レーダー網と戦闘機とその連携に定評のあるドイツ空軍、ほぼ赤色爆撃機隊が飛び立つと同時に察知したようで、残らず返り討ちにしたらしい。

 そして大義名分を得たドイツは、クリミア半島に限らずウクライナ全域に爆撃を開始。

 まあ、ロシア人の爆撃機が届くなら当然、ドイツ人の爆撃機だって届く。

 そして、正面から殴り合うまともな航空戦じゃ、まだアメリカの支援を受けてないソ連に勝ち目はなかった。

 

 聞いた話じゃ、ドイツのパイロットはかなり手ごわいらしいしな。

 んで、航空優勢どころかクリミア半島全域の制空権をほぼほぼ確保したドイツ人は、反共ウクライナ人と組んで、良い感じに分断されたソ連軍を各個撃破してるらしい。

 あんま詳しい情報は入ってこないが、もうドイツ軍は強力なエアカバーを武器に既にハルキウ(ハリコフ)、ルハンシク、ドネツク、マリウポリを掌握し、北部はクルスクやヴォロネジ、南部はノボチェルカッスクやロストフ・ナ・ドヌーを狙い、クリミア半島にはもう軍勢が入り込んでいるって噂もある。

 

(いずれにせよ、セヴァストポリ要塞はともかくクリミアを取らねば話になんねーし。なにせ、)

 

 今年中は狙えないだろうが、

 

(最終的にはコーカサスの油田地帯の確保だろうから……)

 

 おそらく、クリミアが落ちたらソ連はノヴォロシスクまで黒海艦隊を下げるだろう。

 ドイツはクルスクとロストフ・ナ・ドヌーを取って防衛線を押し上げつつ、ノヴォロシスクとクラスノダールを落とせるかどうかだ。

 

(そして、その時に真価を発揮するのは……)

 

 いずれにせよ、沖合を通り過ぎる船たちが再び戦装束を纏うのは早くても来年の話だろう。

 その時までに中央軍がスモレンスクとブリャンスクに、北方軍がコラ半島、できればアルハンゲリスクまで掌握できていたら言うことない。

 いや、そのぐらいのことはせんと長期戦なんざやってられんだろうが。

 

 

(まあ、その前に俺たちも最低一仕事することになるだろうが……)

 

 俺たちは俺たちでクレタ島から帰ってきて以来、時折偵察にやってくるイタ公の頭を撃ち抜く簡単なお仕事に従事しているわけだが、どうやらそろそろ平和(?)な時間も終わりそうだ。

 

 何も日本皇国もドイツと停戦しただけで、イタリア人との戦争をやめただなんて一言も言ってないからな。

 

 

 

 最近、トブルク要塞だけでなく後方のエジプト、アレキサンドリアなんかで主に皇国軍の兵力集積が始まっている。

 今のリビアに展開している(ついでに海路の通商破壊を止める手段のない)イタリア軍に、トブルクを攻めとる余力は無いはずだから……

 

「仕掛けるんだろうなぁ」

 

 

 

 条件は整っている。

 現在進行形で英軍は、イタリア領東アフリカに元気に攻め込んでいる。去年、英領ソマリアやケニアにちょっかい出されたのがよほど気に入らなかったようだ。

 まあ、波乱がなければあと1ヵ月もすればエチオピアの全域を英軍はとりあえず掌握できるだろう。

 これまで日本皇国アフリカ軍団の方針は、イタリアの地中海の海上輸送を阻害しつつ、リビアのイタリア軍が強行突破を図り東アフリカに合流しないように睨みを利かせるってちこだが、

 

(だが、英軍がエチオピアを陥落させる目途が付けば後塵の憂いは無くなるわけだ)

 

 また、日本皇国軍もそれなりにではあるが積極的に動いていた。

 イタリア海軍の残存艦艇がナポリに引き上げ、またドイツ空軍がシチリア島よりいなくなるのを見計らってから、皇国地中海艦隊はマルタ島の空軍爆撃機隊と共同してシチリア島を海軍空母機動部隊部隊が強襲。

 珍しい攻勢型作戦で付近の攻撃圏内にある港や飛行場、弾薬庫に燃料タンクなどあらゆる軍事施設を艦砲射撃を添えて片っ端から弾き飛ばし、潜水艦、航空機、機雷敷設艦などを用いてイタリア人の目の前でメッシーナ海峡に12,000発の機雷を敷設して封鎖してしまった。

 

 こうしてイタリア海運隊はティレニア海を抜けてマルサラ沖を通るしかなくなった。

 史実と異なりフランスのペタン政権は親独中立を宣言しており、イタリア輸送船の仏領チュニジアへの停泊を許可していない。

 この判定にイタリアは当然怒り狂ったが、「日英と戦闘中のイタリアに加担すれば中立は破棄されたと判断され、日英と停戦合意中のドイツにも反逆したと捉えられかねない。そのような危険をなぜ、我々がイタリア人の為にしなければならん?」と実にフランス人らしい返しをしたという。

 

 この回答は、中立を明確にした発言は後に……特に日英に効いてきそうだ。

 それはともかく、元々フランスとイタリアは、地中海の制海権を巡るライバルというより敵対関係だった。

 

(トリポリへの輸送は、マルタ島の哨戒圏内を掠めねばならず先細り。リビア全体のイタリア軍は全部合わせて20万人もいないし、)

 

「今が攻め時と言えば攻め時か……」

 

 それに今度の攻勢は”ガチ”っぽい。

 俺は港で出撃の時を待ってる、図体のでかい新顔を見ながら、改めてそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、なんか久しぶりのシモヘイこと下総兵四郎と相方の小鳥遊君再登場でした。

そして、微妙に伏線回収をしてるというw
直ぐに戦いが始まるわけではありませんが、新章も楽しんでもらえると嬉しいです。


ご感想などお待ちしております。





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第94話 その後のサンクトペテルブルグ ~国際自由交易都港計画と”バルト海条約機構”構想”~

まだ復興が本格化する前のサンクトペテルブルグの様子と、まあ、いつもの外交官の仕事してない自称外交官(笑)と、そして新たな外交官の到着が……






 

 

 

「思えば遠くへ来たもんだ……」

 

 おかしい。故郷離れて6年どころかまだ半年も経ってないはずなんだが……

 

「ク、クルス君、大丈夫かね? 何やら目が虚ろのようだが……」

 

 と気遣って声をかけてきてくれたのは、現場視察に来たトート機関の親玉、フェルディナント・トート博士、いやいや軍需相だった。

 

「アハハハ……すいません。リガから呼び出されたと思ったら、レニングラード……じゃなかった。サンクトペテルブルグの飛ばされるとは流石に思ってなかったもので。なんか気がつくと故郷(ふるさと)から徐々に遠のいてるような感覚が」

 

 ああ、古畑……ではなく来栖任三郎だ。

 今、名前が公式に変わってから半月ぐらいしかたっていないサンクトペテルブルグに来ている……いや、なんでさ?

 

「すまない。まず、今回のサンクトペテルブルグ復興計画の目玉は”バルト海沿岸諸国共同事業・国際自由交易港としての再出発”なのだよ」

 

「ええ。知ってますとも”開かれた国際自由都市・サンクトペテルブルグ”がキャッチフレーズでしたよね?」

 

 そうなのだ。

 阿保みたいに聞こえるかもしれないが、ロシアから分捕った港町サンクトペテルブルグは、ドイツないしフィンランドの所管にならず、ドイツを筆頭にフィンランド、スウェーデン、デンマーク、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国のバルト海に面して権益を持つ国々の国際共同管理地として復興させようという下りとなったのだ。

 

 またこの枠組みの中で、ドイツが旗振り役で通常の軍事同盟とは別に、”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”なんて相互安全保障組織を立ち上げようとしてやがる。

 噂ではヒトラーの発案らしいが……

 

(それ、絶対にNATOのパクリじゃんっ!!)

 

 そして、本部はベルリンではなくバルト海のほぼ真ん中にあるヘルシンキに置こうとか言いだしてるらしい。

 いや、マジでやりすぎじゃね?

 

「だが、その中で今回の計画に参画する官民一体代表団からバルト三国連名で、リガ港復興計画最高統制官だった君に是非プロジェクト・リーダーをを務めて欲しいという推薦……というか嘆願があってだね」

 

 ぐはっ!? その意味不明、根拠不明の信頼が重いっ!!

 というか最高統制官って何!?

 俺、いつからそんな役職に就いてた!?

 

「流石にこちらの一存では決められず、日本皇国欧州方面外務総責任者で、君の上役でもあるヨシダ全権委任特使にロンドンまで使いをやりお伺いを立てたところ、『復興したサンクトペテルブルグの日英共同で使えるバルト外諸国特別優先使用権(=バルト沿岸国家と同等の権利)を用意してくれるなら喜んで』と快諾してくれてね」

 

 吉田先輩っ!?

 

「国内治安代表として、ハイドリヒ君にも相談したが、『クルス卿なら問題ないでしょう』と太鼓判をもらってね」

 

 ハイドリヒ!? あのパッキンクソ野郎っ!!

 

「更には我が配下のトート機関土木担当部や港湾整備部からも君の評判はすこぶる良い。特に労働者の福利厚生や民衆への慰撫、作業の効率化や労働モチベーションの維持に右に出る者はいないとまで言われてるよ?」

 

 トート機関、お前らもか……

 というか、何その出所不明の謎信頼!?

 

「本来、皇国民の君に頼むべきことではないのは重々承知している。無論、君に統括を頼みたいのは軍需・軍事部門ではなく民政分野だ」

 

 そりゃまあ、いきなり軍事部門を投げられても困るけどさ。できないとは言わないけど。

 まあ、そういうことなら……

 

「先ずは住民の生活再建。明日を生きれるかわからずにいる者に労働を強いるのは無理です」

 

「頼まれてくれるかね?」

 

 嗚呼、哀しいかなNOと言えない日本人。

 前世から呪いのように続く社畜の血が騒ぐ。宮仕えになったところでそれは変わらず、「勤め先が変わっただけだ」と心が叫ぶ。

 

「欧州、特に北部なら酒を万能の潤滑剤に使えます。先ずは腹が膨れるまで飯が食える環境を。次はどんな民族、種族、人種にも男と女がいますから、そのあたりを突破口としましょう」

 

 文化圏によっては、この手は使えんが酒で体をあっためる習慣があるここいらなら問題ないだろう。

 まあ、900日包囲するくらいなら、同じ900日をかけて街を再興する方がよっぽど建設的だ。精神的にも。

 

(それに”自由都市サンクトペテルブルグ”って響きも悪くない)

 

 いかんなぁ……ちょっと気に入りだしている。

 

「最初は地味に小さなことからコツコツと。良い仕事ってのは、そういうの積み重ねですから」

 

 大きな仕事をしたいなら、いきなり目立つ派手なことからしようとしないことだ。

 巨砲を撃とうと思ったら、その反動を抑え込める砲台を作らなければ弾は明後日の方向に飛んでゆくだけだ。

 

「最初は生活できる環境を、次に働ける環境を。ついでに共産主義に歪められた”働く意味”を再教育する必要があるかもしれませんね?」

 

「”働く意味”?」

 

 ああ。共産主義者が一度集約して富の公平分配なんて実現不可能なことを言いだして、歪めてしまった現実を思い出して貰わんとな。

 

「労働には必ず対価が発生する。対価は提供する労働の量と質に比例する。そして対価として得た労働賃金によって飯を食い、生活をする。当たり前のことです」

 

 その当り前を全否定したのが、共産主義だ。

 だから俺は共産主義も、共産主義者も好かない。

 彼らは、人の欲望や本質を無視し過ぎる。

 

(だから、あそこまで国も社会も人間性までも歪むんだろうな)

 

 俺は思うが、ロシア革命……いや、ボリシェヴィキ革命の本質的なのは”妬み”なんじゃないだろうかと思ってる。

 金持ちが妬ましい、成功者が妬ましい、自分に持ってない高い知性や教育が妬ましい、自分の持っていない者を持ってる奴がすべて妬ましい。

 その昏い感情が怨嗟となって、あの革命を起こしたような気がしてならない。

 恨みつらみ妬み嫉み……そんなものが憎悪の連鎖となって、あの土地に血の粛清を求めるようになったんじゃないだろうか?

 人間は決して綺麗な生き物じゃない。

 薄汚い側面も、仄暗い感情も誰だってある。

 

(だが、それを国策にして資本家全てを根絶やしにし、国や民族の枠組みをすべて壊し、共産主義のもとに意思を統一し労働者(プロレタリアート)だけの世界を作るって言うのは明らかに生物として狂ってるな……)

 

 そこに多様性は生まれない。多様性とは生物学的柔軟性や弾力性であり、多様性を失った生物は須らく短命で滅びるのが世の摂理だ。

 そういう意味では人間の本質以前に、生物の本質として間違っている。

 進化の方向性を単一方向に定めれば、待っているのは自滅だけだ。

 

「レニングラードは誰の物でもなくなる。そこに住まう全ての人間の物だ。成功する者も失敗する者も、全てを得る金持ちも、すべてを失う人間も、全ていてこそ人間だと私は信じてますよ」

 

 結局、人は生まれながらに公平ではない。転生者の俺が言うんだ。

 前世記憶の有無でさえも格差になる。格差の拡大を国は助長すべきじゃないが、むしろ是正すべきものではあるが同時に否定してもならない。

 

「考えるだけでも大変な作業ですが、やってやれんこともないでしょう。多民族多文化がごった煮になりながら共生する再興都市……うん。悪くないな」

 

 それにしても我ながら、

 

(外交官の仕事してねーよなぁ、俺)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 来栖が欧州のあちこちを飛び回ってる間、日本皇国より新たな外交的刺客(?)が、大使としてドイツに赴任する。

 

「いよいよ来れたぞ……わが心の故郷、ドイツに!!」

 

 大島博……名前のよく似た人物は、「三国同盟の立役者」、「ナチス以上の国家社会主義者」、「大日本帝国を破滅へと導いた立役者の一人」と散々な評判が後世に残る外交官だった。

 

 外務省に努められる頭は持っているが、史実の「ドイツと距離を置きたかった外務省」どころか日英同盟締結/履行中の日本皇国にとっては、毒や害にしかならないような人物な気もするが……

 

「日本皇国も、こちらの要望通り良い道化師(スポークスマン)を送ってくれたものだ」

 

 ドイツ外相コンラート・フォン・ノイラートはそう静かに微笑んだ。

 

「では、こちらも見合うだけの相応の道化師を用意しなければな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、今度はサンクトペテルブルグに(バルト三国の要請もあり)飛ばされた来栖と、そして新たに赴任した大島大使ですね~。

何やら大島にしかできない仕事がある様子。まあ、念願のドイツに来れたことだし、そこまで悪いことにはならないでしょうw

ご感想などお待ちしております。





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第95話 The SAVOYの古狸達 ~彼らが語るは、国共合作のバタフライ効果か、はたまた日独の俗物か~

いや、ちょっと驚きました。
今見たら、お気に入り登録が急に増えて、300人を突破しておりました。
正直、これまであまり人気があるとは言えない、流行が何も入っていない作品為、何が起こったか戸惑っていますが……

感謝御礼の意を込めて、明日、投降予定だった出来立てホヤホヤの95話を投降いたします。

皆様、どうかこれからもよろしくお願いします。







 

 

 

 ロンドン市内にある高級ホテル”The SAVOY”の最上階ラウンジ。

 まぎれもなく変態の付かない正統派紳士淑女たちの社交場であるが、今やその一角は日英の政治的古狸に占領されていた。

 

「サンクトペテルブルグの歴史への復権に」

 

「歴史の中に消えたレーニンの街へ哀悼を」

 

 二人の初老の男(ビッグボス)が、グラスを合わせるのではなく軽く掲げる形で乾杯の意思を示す。

 

「それにしても……サンクトペテルブルグの復興事業、民政部門トップに日本人が据えられるとは思わなかったよ」

 

 そう英国首相ウェリントン・チャーチルが笑えば、

 

「我が後輩ながら、相変わらずよくわからない方向でよくわからないキャリアを積むもんだと感心するよ」

 

 そう苦笑で返すのは、本国へ帰るといきなり外務大臣の椅子に座らされそうで、そうならないよう極力終戦までは英国に残ろうと画策する肩書と権限があってないことこの上ない吉田滋全権委任大使だった。

 むしろ”皇国外交の欧州方面における親玉”と呼んだ方がよっぽどしっくりくる。

 

 ちなみに吉田が帰ってきたら即座に外務大臣の座を譲り、今度は自分が国外に出ようとしている野村時三郎と吉田、来栖任三郎は今の日本皇国の大主流派である”親英派”という同じグループに属していて、直接的な意味での先輩後輩だった。

 ちなみに”親英()派ではない”事に着目して貰いたい。

 

「その代わりにベルリンへ派遣したのがオオシマ大使かね? 何というか随分と珍妙な人事というか……端的に言って俗物を送り込んだものだな?」

 

 流石、諜報活動やら情報収集やらには余念がない英国紳士。既に大島が「ドイツ好き好き大好き症候群」を患っているのを理解していた。

 当然ながら日本皇国外務省の中では親独派は少数派閥もいいとこで、主流派からは異端扱いされてるぐらいだ。

 まあ、最近はドイツとの停戦合意がなった事で、少しは省内での立ち位置は改善されたらしいが……

 その中でも当時の陸軍大臣の息子として生まれ、幼少期から在日ドイツ人の家庭に預けられドイツ語教育とドイツ流の躾を受けたという筋金入りの経歴を持つ大島は、親独派のエースであり、今回のドイツ行きには「最高の栄転」と派閥上げての壮行会が開かれたらしい。

 ある意味、吉田の対極にある人物と言えた。

 

 

 

「ドイツからのリクエストですよ。来栖後輩に通常の大使職務を”こなさせる”のは不可能であり、彼の活動詳細も隠蔽したい……というより、活動自体をあまり着目されたくないんでしょうな。その重要性から考えて。彼の赤色に対する憎悪は感情というより本質的であり、もっと本能的なものでありますのでね」

 

 ソ連と全面戦争を繰り広げる中で、ある種の”異常性”を持つ来栖は戦争遂行に不可欠な存在として認識された……吉田はそう認識していた。

 はっきり言えば……日本皇国外務省としては問題なかった。

 何しろ外務省の中での評価は、「問題児寄りの麒麟児」という扱いで、有能なんだけどクセが強すぎるというか……使い勝手の良いオールラウンダー型ではなく、なんと表現すべきか……その特性は、特定の方向に極端に力を発揮するピーキー型といったところか?

 上手く能力と業務がかみ合えば重要な仕事も任せられる反面、適性がありそうな仕事は外務省の管轄では比較的少なく、”使いどころの難しい奴”という評価も頷ける。

 

 それが今やドイツにレンタルすることで、国益引き出せる立派な外交カードの一枚だ。

 あてがわれる仕事が、大体「それ、外交官の仕事じゃねーべ?」という所に目をつぶれば、特に問題はなかった。

 外交官とは一体……?

 

「そこで来栖の活動をカモフラージュできる人材、正規の大使赴任を要求されたんだよ。それも、日独の友好親善、特にドイツ国民の対日感情改善に使える人材をとね」

 

「なぜ、そこで改善? ああ……”国共合作”かね?」

 

 吉田は静かに頷く。

 プロイセンや帝政の時代から、ドイツは伝統的に穏やかな親中国だ。

 特に日英同盟と開戦してからは、その傾向が強まった。

 そういう意味では、異様なまでに中国を耽溺してるルーズベルト大統領政権下の米国との相性も本来なら悪くないのだろう。

 

 だが、それを裏切る事態がレニングラード陥落に前後して起きてしまったのだ。

 山東半島や遼東半島に拠点を持つ米国をバックに付けた中国国民党と、革命思想に溢れソ連をバックに付けた中国共産党は、互いの実効支配地域の接合部で細かい軍事衝突を繰り返していた。

 基本的に国民党の安定的実効支配地域は、米国が渤海に突き出た二つの半島を持っていることにより、皮肉なことに史実の満洲国+華北5省(山東省、山西省、斉斉哈爾省、河北省、綏遠省)+河南省&安徽省、江蘇省というところだ。

 これら以外の南や西が共産党の実効支配地域、その二つの中国の接合部にある省が大体小競り合いが起きる係争地となっている。

 

 しかし、”バルバロッサ作戦(独ソ戦開始)”直後に「ドイツの帝國的覇権主義に対抗するため、ソ連を支援する」事を名目に国民党と共産党は無期限停戦条約を締結した。

 加えて、米国領の二つの半島と国民党地域を渤海湾を半円周上に巡るように配された”米国満州鉄道網(American Manchuria Train Network:AMTN)”をシベリア鉄道に連結するという、かねてより構想が練られていた一大事業に着手したのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 元々、米ソも中国もカケラほども信用していないヒトラーを始めとした首脳部はともかく、ドイツの一般大衆は「中国の裏切り」に見え、大々的に”米ソを背後につけた二つの中国の裏切り行為”と報じられた。

 

 これを好機到来と考えたのが、ドイツの「一日でも長く日英との再戦時機を引き伸ばしたい派閥」、要するに軍や政治や産業のトップたちだ。

 つまり、対中感情の悪化にすり替えるようにして、これまで敵対状態にあった日本皇国、国民の対日感情を改善したいと考えたのだ。

 幸い、日本とは第一次世界大戦以前の接触はほとんどなく、過剰な戦時賠償も要求してこなかった。

 歴史的に因縁のあり過ぎる英国なら簡単ではないが、日露戦争でロシア人を叩き潰した実績のある日本なら何とかなると考えたのだ。

 

「しかし、皮肉なものだな……オオシマは思想的には日英では珍しい国家社会主義(ナチズム)の信奉者だろ? 肝心のヒトラーやその取り巻きは、アーリア人の優位性だのナチズムの理想だのなぞ鼻で笑う、いっそ吐き気を催すほどの現実主義者(リアリスト)の集まりだと言うのに」

 

「だが、年々確実にソフティケートされてるとはいえ、ドイツ国民が圧倒的にナチ党を支持しているのは事実。そこについ先日まで敵対していた国から来た大使が、熱心なナチ党シンパともなれば使い道はあるだろう?」

 

 史実では、大島大使は当時ドイツ大使だった来栖大使が「親英米過ぎる」という理由で解任され大使となった男だ。

 だが、外交官としての信義には疑問符しかつかない。

 何しろ、ベルリンが燃え上がってる最中に「ドイツ有利」と報告し続けた男だ。

 それを信じる大日本帝国も所詮、その程度の国家だったということだが(スイス大使から入ってきたドイツ崩壊という報告を帝国は黙殺した)。

 

 だが、今生の日本皇国は一味も二味も違う。

 大島外交官がそういう人物だと承知の上でドイツに赴任させたのだ。

 

「大島大使の受け皿はドイツ外務省(ノイラート)ですが、スケジュールの大半はドイツ宣伝省(ゲッベルス)が考える予定だそうで」

 

「ヨシダ、それは大使や外交官ではなく、まるで……」

 

 呆れるチャーチルに吉田は人差し指を立て、

 

「それ以上は”言わぬが花”でしょうな。ちなみにドイツ側の受入団(ホスト)代表は、なんでもリッベントロップ氏が担当するとか」

 

「ああ、あの実家の太さとコネしかない俗物をか……つまり、俗物には俗物をぶつけると?」

 

「真面目さが取り柄だと思っていたドイツ人ですが、存外に諧謔も理解するようですな」

 

 

 

 こうしてロンドンの夜は更けてゆく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誤解のないように言っておくが、これは大島外交官やリッベントロップ外交アドバイザーが不幸になるという話ではない。

 リッベントロップは己の虚栄心、自己顕示欲、承認欲求を大島の発言で満足できるし、大島はリッベントロップが会わせる多くの著名人に感嘆し、また常に施される上げ膳据え膳のドイツ式お客様待遇に大いに満足を得ることになる。

 

 いわゆるWin-Winの関係を彼らは彼らなりに構築することになるのだ。

 管轄がドイツ外務省でも外交的決定権は実は一切なく、ゴーストライターとして筋書きを書いているのが宣伝省だとしても、それは当人たちが知らないことだし、知らなくても然したる問題はないことだった。特に日独政府にとって。

 

 リッベントロップはノイラート外相から「日本との停戦期間が引き延ばせるか否かは君の手腕にかかっている」と激励され、張り切っていた。

 ソ連に勝つためには日本と戦争してる暇や余力がないことは、リッベントロップも理解していた。

 

 大島は、野村外相から直々に「ドイツとの関係改善は、ドイツ通で知られる君にかかっている」と言われ、実に誇らしかった。

 彼らは条約締結どころか予備交渉を始める権限すらないことを除けば、否、そういうしがらみが無いからこそ、良好な関係を築けるのだ。

 

 現在立ってる場所が、この二人の有する権力の絶頂だとしても、それを当人達が知ることは無い。

 知らないということは、時には幸せと同義語なのだ。

 

 これはおそらく、適材適所に徹すれば、どんな者でも使い道はあるという実例なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、久々登場の日英両国の古狸、政治狸の親玉と、外交狸の準親玉でした。

やっぱり歴史は、連鎖性が醍醐味の一つだと思っています。

前書きに書いた通り、どうして急にお気に入り登録が増えたり、PVが増えたりしたのかよくわかっておりませんが、もし楽しいと思って頂けたら嬉しく思います。

それではこれからもよろしくお願いします。
ご感想、お気に入り登録、最低限の文字入力をお願いしてしまいますが評価などいただけたら嬉しく思います。



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第96話 いよいよお出ましの日本皇国内閣総理大臣と公開されるその閣僚。ただし……

ただし、原作(史実)に比べて、色々オカシイw

今回、何やらお気に入り登録や評価が一気に上がって、読んでくださった方の多さに驚くと同時にテンション上がってしまい、過去最大の文字数&過去最長の長さになってしまいました。

一番短いエピソードの倍以上の文字数になってしまいましたが、楽しんでもらえると嬉しいです。








 

 

 

「へい、カーノジョ。乗ってくかい?」

 

「誰が彼女ですか。小官のケツは安くないことですわよ?」

 

 ついでにオーッホッホ笑いでもしてやろうか?

 まあ、とりあえず

 

「この度は遅ればせながら大尉昇進おめでとうございます。”西住大尉”殿」

 

 と一式改戦車で横付けしてきた西住虎次郎大尉に敬礼を返す。

 

「あんまめでたくないが、ありがとうよ」

 

 と苦笑しながら敬礼を返してくる西住さん。

 そりゃそうだろうな。

 今回の野戦昇進って根本的な理由は、日本皇国陸軍に機甲戦指揮できる人材が少ないからって理由らしいし。

 

 

 

 現在、トブルクには「配置転換」って名目でクレタ島で共闘した戦車連隊、西竹善”大佐”率いる戦車部隊が来ており、あれよあれよという間にアレクサンドリアからの増援と合流し”混成増強機甲旅団”に再編されてしまった。

 日本の機甲師団はその性質上、機動防御に重点を置く編成だったが、今回の作戦ではテストケースとして攻勢的編成の戦力を投入しようとでもなったのだろう。

 何しろ、戦車だけでなくハーフトラック型の兵員輸送車、対空戦車に自走砲に自走式ロケット砲と正面装備がすべて自走化・自動車化してるのだ。

 もう、ドイツの影響受けまくりなのが嫌でもわかる。

 

(というか、明らかに回り込んで横や後ろから引っ叩くこと想定してる編成だよな~)

 

 

 そもそもトブルク方面軍司令官、”山下康文”中将は、決して攻勢が苦手な人物ではない。

 俺たちが再び”砂漠の戦場”と呼ぶべき場所に立つのは、そう遠い話じゃないだろう。

 

(問題は何処を狙うかだが……)

 

 トリポリへのダイレクトアタックは流石に無いと思うが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 日本皇国、帝都”東京”、永田町

 

 

「ざっけんじゃねーぞ、ヤンキーにロスケに」

 

 と実質的に二つの国家になっている中国大陸在住人と南北に別れた朝鮮半島在住人を残念ながら文章に起こせない表現で罵るこの男、その名を”近衛(このえ) 公麿(きみまろ)”という。

 きみまろと言っても中高年にファン層を持つ芸人ではなく、職業は「日本皇国で政治畑で一番偉い人」。

 またの役職を”内閣総理大臣”と言う。

 

 さて、この男、史実のよく似た名前の人物と同じ様な功績は上げている。

 尋常小学校と高等小学校を小学校と中学校に再編し、合計9年間の義務教育の実践や国民健康保険・厚生年金制度の創出、日本医療団を創設と福祉面のインフラを大幅に引き上げた。

 護送船団方式を導入・多くのインフラの国有化と、後の時代には崩壊するかもしれないが、現状の日本皇国にはマッチした方策を次々と実現させた生粋のマキャベリスト……日本の政治家には不足しがちな要素を持った人物だった。

 

 だが、何というか”歴史的キャラ崩壊”とでも言おうか?

 その、何というか……生まれは五摂家の一つ、近衛家の出の筈なのだが、東京の麴町で生まれたせいか、所謂”お坊ちゃん”とは程遠い感じで育ってしまった。

 簡単に言えば短気の鉄火肌、若い頃は”神田のキミ”なんて呼ばれてブイブイ言わせていたなんてエピソードもあり、まだ14歳の時の日露戦争の講和に不満をもった民衆を野党が唆した”日比谷焼き討ち事件”では、仲間達を引き連れ、

 

『戦争の後に喧嘩祭りとは洒落てるじゃねえか! 火事と喧嘩は江戸の華っとくらぁ! 両方揃ってりゃ言う事ねぇなあ、おいっ!!』

 

 火付けをしていた暴徒化した集団をフルボッコにし、ついでに警察のご厄介になるというヤンチャをしでかしていた。

 まさか当時の警察も、今にも放火しようとしていた暴徒を地面に叩き付け、踵入れて前歯を顎ごと圧し折っていた人物が、摂家のお坊ちゃんだとは思いもしなかったろう。

 

 何やら昭和の少年漫画のような青春時代を過ごしていた近衛も、第一次世界大戦の頃には落ち着いており……いや、戦乱吹きすさぶ欧州に武官として行ってるあたり、実は落ち着いてないかもしれないが、そこで”現代戦”の過酷さや無慈悲さを経験する。

 帰国後、彼が政治家を目指したのは、

 

『現代戦ってのは、国家の全力をかけた殴り合いだ。前線も後方もありゃしねぇ。そんな中で勝とうと思やぁ、国家の足腰から鍛えるしかねぇだろ』

 

 という考え方からだった。

 その気風(きっぷ)の良いちゃきちゃきの江戸っ子気質(かたぎ)が”最後の元勲”、明治の生き残りたる西園寺翁に気に入られたのか、彼は着実に政治家として力を付けていた。

 

 この世界では5・15事件も2.26事件も未然に防がれているので、犬飼内閣→宇垣内閣という比較的安定した内閣運営と、ドイツの再軍備宣言までは軍縮がトレンドだった時代背景もあり、強兵のつかない(軍備一辺倒にならないだけで、国防に関して転生者をはじめ手を抜くことは無かったが)国土開発による国力増大を目的とした”富国政策”が第一次世界大戦後の20~30年代に日本で育まれた。

 そして30年代の半ば、十分政治家としての力量をつけたと判断された近衛に、一度内閣総理大臣の話を西園寺から向けられた事がある。

 だが、その時の近衛の返答、

 

『爺様、俺っちを高く買ってくれるのは身に余る光栄って奴だ。だがな、俺にはまだ生憎と国の全部、可愛い国民の(タマ)を背負う力はねぇんだよ。悔しいが、俺はまだ国内(うち)国外(そと)も知らねぇこと、知らなきゃいけねぇ事が多すぎるんだわ』

 

 と困ったような顔で辞退したという。

 その時に総理大臣に推されたのが外交畑の出世頭、石屋の倅から立身出世した苦労人”広田(ひろた) 剛毅(ごうき)”外相だった。

 外交だけでなく、義務教育期間を6年から8年へ延長、地方財政調整交付金制度の設立、発送電事業の国営化、母子保護法などを制定した「七大国策・十四項目」を出した広田を、近衛は「時代の寵児」ととても尊敬し慕っていた。

 加えて広田は、天皇陛下と掛け合って”文化勲章”を制定するなど、けっこうとんでもな行動力も持っていたりする。

 

 ちなみに史実における「七大国策・十四項目」はどんな内容かと言えば……

 

 (1)国防の充実

 (2)教育の刷新改善

 (3)中央・地方を通じる税制の整備

 (4)国民生活の安定

   (イ)災害防除対策、(ロ)保護施設の拡大、(ハ)農漁村経済の更生振興及び中小商工業の振興

 (5)産業の統制

   (イ)電力の統制強化、(ロ)液体燃料及び鉄鋼の自給、(ハ)繊維資源の確保、(ニ)貿易の助長及び統制、(ホ)航空及び海運事業の振興、

   (ヘ)邦人の海外発展援助

 (6)対満重要国策の確立、移民政策(二十カ年百万戸送出計画)及び投資の助長等

 (7)行政機構の整備改善

 

 いや史実の広田もひょっとして転生者じゃないのか?と疑いたくなる時代を先取りする、未来を見据えた計画だった。

 そしてこの世界線では、

 

 (1)国防の充実。特に軍需産業力の底上げ。日英同盟の維持と段階的かつ流動的強化。装備、武器弾薬の共用化促進

 (5)産業の統制と強化

   (イ)電力の統制強化 (ロ)液体燃料及び鉄鋼の自給 (ハ)鉱物など必要資源の確保 (ニ)貿易の助長及び統制 (ホ)航空及び海運事業の振興

   (ヘ)邦人の海外発展援助 (ト)英国との経済面での協調強化 (チ)英国とのより活発な相互技術交流

 (6)移民政策を原則禁止として国内労働力を確保、拡張した領土開発、領土資源開発に一層尽力する

 (7)司法・行政・立法機構の整備と改善、更なる効率化

 

 が特に大きく違っていた。

 

 また、近衛が赤色(アカ)勢力を極端に嫌い、また国内の慰撫に尽力したのは転生者としての業、前世記憶だけでなく広田の影響も大きいのだろう。

 広田は、外交官あるいは外務大臣時代の経験から、赤色勢力を過剰ともいえるほど警戒していたのだ。

 この近衛が内務大臣として入閣した広田内閣は、後に国内の共産勢力を壊滅させる大殊勲を上げるのだが……それはまた別の話だ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、広田は「一人の人間があまりに長く権力の頂点に居座るというのは、いささか問題がある。世の中には旬というものがあるのだよ。覚えておきたまえ、旬を過ぎればあらゆるものが腐敗する。それは権力とて同じだ」と惜しまれながら1940年3月末日で総理を辞任した。

 公式な理由は、

 

 ”ドイツとソ連のポーランド侵攻を事前に察知しておきながら、なんら有効な手を打てなかった。そんな自分がこの先訪れるだろう戦乱を、国家を率いて駆け抜けることはできない”

 

 そして後継に指名されたのが、近衛だったのだ。

 

 

 

(広田サンも良いときに総理を辞めたもんだぜ……)

 

 近衛の内閣総理大臣の就任に反対する者はごく少数だった。

 その理由も「若すぎる」という具体性に欠く理由がほとんどだった。

 何故なら、”広田の懐刀”、”いやむしろ切り込み隊長”として政策実現の為に八面六臂の大活躍をし、誰の目から見ても広田の後継者は近衛しかいないと目されたからだ。

 先に挙げた、公約として掲げ短い時間で(社会的変化やダイナミズムを許容する戦時下ゆえに)実現した合計9年間の義務教育の実践や国民健康保険・厚生年金制度の創出、日本医療団を創設は明らかに広田路線の継承、あるいは延長線上にある方式だった。

 護送船団方式の導入・多くのインフラの国有化は戦時故の国力安定化のために有益と判断された。

 

 実は近衛自身は、史実の”年功序列”や”終身雇用”を国力の安定化要素を国策として盛り込むか悩んだが、功罪……デメリットである「(戦時故に機会が増えるだろう)抜擢人事や適材適所人事」といったダイナミズムが失われる事を懸念し、「こういう考え方もある」というケーススタディとして提示するだけで終わらせたようだ。

 まあ、これらを国策として推奨するかは、戦後の状況次第……おそらく、その頃は自分が総理はやっておらず、「吉田サンあたりの案件だろうな」と”転生者(・・・)”らしい漠然とした考えを持っていた。

 全く甘い見通しと言わざるを得ない。

 

 

 

 それはともかく、広田は今も閣僚、近衛自身が内閣書記官長を「役職名が共産主義のようだ」という建前で廃し、新たに立ち上げた総理の補佐、内閣官房長官として残ってくれている。

 他にも

 

 内務大臣:宇垣 和成

 外務大臣:野村 時三郎

 大蔵大臣:高橋 正清

 

 などの実力者を揃えていた為、尋常ならざる安定性が自慢だった。

 また入閣こそしてないが、欧州方面全権委任特使の”吉田滋”も実に頼りになる。

 

 現在、官民一体の戦時限定挙国一致内閣、”大政翼賛会”議会となり、当面選挙は凍結されることになったが、それでも「戦時であれば仕方ない」と皇国臣民に大きな不安は無かった。

 また、軍部とも

 

 海軍大臣:堀 大吉

 陸軍大臣:永田 銀山

 空軍大臣:大西 辰治郎

 

 連合艦隊司令長官:山本 五十八

 軍令部総長:米内 光圀

 

 陸軍参謀総長:酒井 鎬継

 教育総監:岡村 稔次

 機甲総監:原 富実雄

 

 空軍作戦部長;吉良 俊平

 統合航空参謀:千田 正敏

 

 をはじめ、軍部との関係も良好だ。

 何やら転生者達が数十年かけて、人事に力を注いだ形跡が見え隠れしている気がするが……

 ちなみに空軍が史実なら海軍人ばかりだが、これは「41年のこの時」たまたまだ。歴代の空軍三役や上層部は史実では陸海の人材が入り混じっている。

 第一次世界大戦の頃、新世代の兵器体系であり戦時中に急速に発展した”航空機を主力とした軍”、まだ生まれたばかりのロイヤル・エアフォースに倣い創設された”皇国空軍(インペリアル・エアフォース)”だが、今いる面子は建軍の際に「面白そうだし、興味がそそられる。ぜひ参加したい」と挙って自薦し参加した者ばかりで、元が海軍だろうが陸軍だろうが、派閥を超えて共に空と飛行機という新時代に憧れ、黎明期の頃からの試行錯誤を繰り返し同じ釜の飯を食い苦労を分かち合った”仲間”であった。

 建軍から四半世紀が経とうとしている今となっては、出自関係なく「皇国空軍軍人」という意識が圧倒的に強い。何しろ軍歴(キャリア)が海軍人あるいは陸軍人だった頃より空軍人の時間の方が長いのだ。

 そして、逆に言えばこの先は「最初から軍歴は空軍オンリー」の世代が主流となってくる。

 何しろ空軍が創設された頃に生まれた赤ん坊が、今やパイロットとして第一線で戦い、最前線で飛んでるのだ。中には既にエースの称号を得た者さえいる。

 時がたつのは、実に早いものである。

 

 

 

 さて、そんな背景の中、なぜ近衛が不機嫌さを隠していないかと言えば……

 

 それは次回にて語るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく明記することができました日本皇国首相!
もう「きみまろ」って読みだけで口が悪いのがわかるという仕様ですw
ただし、方向性は違いますし、この公麿、割と男の色気過多気味の「ワル系オジサマ」ってイメージですw

いや~、原作(史実)と正反対の方向へかっ飛んだ首相にしてみたくて。

そして、抑え役の常識人枠で、立身出世の代表格、苦労人の代名詞たる広田サンですね~。

そして、閣僚やら軍の上役は史実では色んな意味で退場された(させられた)御仁も多いですが、日本皇国は当面、この面子で難局を切り抜けようとします。


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第97話 近衛首相、仏領インドシナと蘭領東インドについて大いに語る

何かお気に入り登録とか評価とかびっくりするぐらい上がっていて、それでテンション上がって1本書きあがってしまいました。

昨日に続き、応援してくださる皆様に御礼の意味を込めて、本日2話目を投降いたします。

今回、原作(史実)と比べて首相が激しくキャラ崩壊(?)しておりますが、楽しんでもらえると嬉しいです。






 

 

 

 さてさて、詳しく書くことは無かったが、パリ復権からサンクトペテルブルグ復活までの二か月間だけでも、世界は目まぐるしく動いた。

 

 大きな物だけピックアップしても、

 

 ・オランダに凱旋したドルク・ヤン・デ・ギア首相が、パリ復権後に行われた首相信任国民選挙で圧倒的大勝し、合法的に首相になると同時に公約通りに活動再開したオランダ議会へ王家制度廃止を提出し、満場一致で可決された。

 

 当然、女王を始めた(当然、オランダ政府非公認の)亡命政府は選挙の無効を宣言し、アメリカに居を構える亡命政権や米国、ソ連邦各国連名(含む北朝鮮)、大韓共和国、中国国民党&共産党連名で、無効宣言に便乗した。

 

 

 

 そして、仏領インドシナと蘭領東インド東部+ジャワ島領域を日本へ、ボルネオ島全域を英国へ移譲すると決定したことが発表された。

 蘭領東インドの日本の取り分が増えたのは、主に英国の事情だった。

 

 英国は追加で英領東アフリカ、つまりケニアやウガンダ、タンザニアと地続きのベルギー領コンゴを譲り受けたのだ。

 英国はどうやら”マンハッタン計画”を許す気はないらしい。

 米国製原爆のウラニウムがどこから来たのか考えれば当然だった。

 そして、英国がアフリカの戦力全開でイタリア領東アフリカを攻めているのも、これが理由としてあった。

 英国だって転生者はいる。それも社会的上位に……まあ、そんなところだろう。

 

 なので、残念ながらアジアへ抽出できる戦力は目減りしてしまい、結果としてボルネオ島全域と東洋艦隊のいるシンガポールの対岸でマラッカ海峡を抱えるスマトラ島を自らのエリアとした。

 

 ぶっちゃけここまでいきなり領土が増えたら、その保全だけで手一杯。イタリアの植民地軍程度ならともかく、ドイツの本国軍となんてとても戦争はできないだろう。

 無論、それもドイツの狙いだった。

 

 そして、オランダ亡命政権と非公認のフランス亡命政権、米ソに以下同文は、「決して認めない」と金切り声をあげた。

 

 ちなみに上記の決定が世界中に発表されたのが、レニングラード陥落の第一報が世界中に流れた直後だったから、まあ大変。

 米ソとその取り巻き共は恐慌し、故にヒステリックな暴論の連発になったのだ。

 

「ピーチクパーチク五月蠅(うるせ)ぇ連中だなぁ、おい」

 

 そして、それが近衛公麿日本皇国首相の機嫌を急降下させてる理由だった。

 

「広田サン、こりゃ一度ガツンと言ってやらんと駄目かもしんねぇぜ?」

 

 その獰猛さを感じる笑みに不穏なものを感じた官房長官、広田剛毅は苦笑しながら、

 

「近衛()、なんなら変わろうか?」

 

 ”余人がいない時は昔の呼び方、喋り方にしてくれ。じゃないと調子が狂う”という総理の願いを聞き入れてる広田は良い人なのだろう。

 

「いらんさ。広田サンの手を煩わせるほどのモンじゃねぇよ」

 

「普通は立場的に逆だと思うんだけどね」

 

 日本の政治頂点に立とうと変わらない……自分というものを見失っていない後輩に心が温まるような感覚を広田は覚える。

 

「第一、ああいうクソ野郎のボケナスどもの相手は、広田サンみたいな上品な知識人(インテリ)より、俺っちみたいなチンピラの方が向いてらぁな」

 

「ヲイヲイ。それこそ逆だろ? 私は石屋の小倅だぞ?」

 

「生まれなんて関係ねぇよ。こいつぁ育ちの問題さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは日本皇国という国家にとってはあまりに異例だった。

 

「先ずはお集まり頂いた各国特派員の皆さんには心よりの感謝を」

 

 何しろ、日本皇国首相自らが、自分の口で仏領インドシナや蘭領東インドの編入を語るというのだ。

 

「まず最初に言っておくが、私が許可を出すまで発言は却下だ。発言を遮る者は公務執行妨害の罪で逮捕することになるかもしれないな。巣鴨プリズンを体験したいと言うなら止めんが。それとそのような不心得者を来させた報道機関は、今後一切日本皇国の公的機関の報道から締め出されると思えよ?」

 

 一部の、主に左寄りのマスコミがゾクッとなった。

 彼らは近衛がその手の行動をためらわないのをよく知っていたのだ。

 

 彼がまだ広田内閣の内務大臣だった頃、アカが最後のあがきとばかりにマスゴミ(・・)を乗っ取り、ここぞとばかり偏向報道やら曲解報道やら”報道しない自由”を連発した時期があった。

 

 そして近衛は、当時の法務大臣などと共謀して”反社会的勢力”としてマスゴミを片っ端から捕縛、投獄したのだ。

 無論、残存反社会的マスゴミは、”近衛の思想弾圧”として内外の赤色勢力を動員して一大キャンペーンを張り、抵抗した。

 しかし、近衛は……

 

『マスコミってのは、真実を報道するもんだろ? だが、お前らがやってんのは事実を捻じ曲げ、都合の良いように加工した”情報を武器とした政府や社会への攻撃(テロ)”なんだよ。社説で載せるくらいなら大目に見てやるが、真実を曲げることも潰すことも隠すことも俺は許さん。繰り返すが、お前らのやってることは”情報テロ(・・・・)”だ』

 

 そして、公開されたのが、彼らが「理由もなく捕まったわけではない」という証拠。

 つまり、国内外との共産主義や社会主義組織、無政府主義者や反社会的集団との繋がり、資金やネットワークだ。

 そして投獄された面々で一番重い者は「外患誘致罪」、つまり問答無用で死刑だった。

 他にも外患罪系なら「外患援助罪」、「外観誘致未遂罪」、「外観誘致共犯罪」、「外患予備罪」、「外患陰謀罪」など実にバリエーション豊かだ。

 更に国家反逆罪やら何やらも重なった。ちなみにこの世界線での日本皇国刑法は、加重主義の併合罪が基本だ。幾つもの罪を犯した中で最も重い罪で裁かれるのではなく、罪は重なる。

 その為、先進国の中で最も死刑になりやすい国の一つとされていた。

 

 しかも、タイミングが近衛によっては最高で、無罪になりようもない逮捕された者には最悪だった。

 勿論、広田の古巣である外務省を含め関係各省と連携し、タイミングを見計らったのだ。

 そう、裁判開始直前に「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」が大々的に公表されたのだ。

 

 日本皇国臣民は、予想よりずっと深刻だったソ連をはじめとする共産主義者の浸透破壊工作(シャープパワー)、間接侵略に恐怖した。

 

 そして、極端から極端に走る日本人気質。

 全国全領土でで”アカ狩り”の嵐が吹き荒れた。

 蛇足ながら一連のムーブメントの中で逮捕・処刑された者の中に、生粋の共産主義者を標榜していた西園寺一族の者がいた事に国民は大いに驚いた。

 西園寺という名門の出でも感染する共産主義の恐ろしさを肌で感じ、また廃嫡されたとはいえ容赦なく処断した政府に拍手喝采が起きた。

 ついでに英国から内々に西園寺家へ謝罪があったという。

 西園寺の嫡男が赤色感染したのは、1930年のケンブリッジ大学留学時だった事が判明したからだ。

 ケンブリッジ・ファイブの”始末”に成功したとはいえ、英国政府はより一層、レッドハンティングに力を入れることを誓った。

 これは現在まで続いているし、熱意は衰えていない。

 

 他にも大物が実刑こそ証拠不十分(上記の反国家勢力と明確なつながりを発見できなかった)で受けなかったが、失脚したケースも多々あった。

 松岡某……時代が時代なら、あるいは世界線が世界線なら外相にもなれたかもしれない男だが、”口が災いの元”というのが実情だった。

 共産主義者公職追放キャンペーンやってる最中に、”日ソの友好関係”を言いだす方が悪いとしか言えない。

 

 

 この苛烈なカウンター・インテリジェンスを覚えていない者は、この記者会見の場に居なかった。

 

 

 

***

 

 

 

「まず最初に言っておくが、今回の仏領インドシナと蘭領東インドの割譲は、ドイツを仲介者に正式にフランス共和国ならびにオランダ共和国(・・・)からの申し出を受領する形で決まったものだ。現在、国土再建中の両国には、植民地経営に傾注する余力は無いというのが公式な理由だ。だが、統治できなくなったとはいえ、無法地帯になられても困るんだよ。例えば仏領インドシナ。あそこのすぐ横には我が国の領土である海南島があり、マラッカ海峡から続くシーレーンの要所だ。今更、マラッカ、海南、台湾、沖縄の南洋海運通商路、皇国の生命線の一つを説明する必要はないだろ?」

 

 確かにここまでは近衛だってまだ大人しかったのだ。

 

「蘭領東インドの東部も英連邦オーストラリアからの航路上、つまり英国との通商路だ。日英同盟の要とも言えるな」

 

 そう、ここまで。

 

「これは、国と国とが国益や国防や同盟をかけた話し合いだ。つまり、何が言いたいかといやぁな……」

 

 そろそろエンジンが温まってきたようだ。

 

「英国人がダメとなりゃあすぐにアメリカ人に股開く”阿婆擦れ(・・・・)”や、本国から処刑判決が出てる軍人崩れの”テロリスト(・・・・・)”はお呼びじゃねぇってこったな」

 

 全力で()オランダ女王や自由フランスを僭称する組織の首領を、全力で罵ったのだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、いきなりオランダ亡命政権ならびにフランス亡命政権に喧嘩売る日本皇国首相という構図でしたw

一応、以前あった領土割譲の伏線回も兼ねております。
あとは国内のアカ狩りの様子とか。
まあ、あの来栖とか吉田とかがいる国の首相なので、このくらいは、おk?

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第98話 このえじょう

近衛首相、なんか色々はっちゃけます。




 

 

 

 

「英国人がダメとなりゃあすぐにアメリカ人に股開く”阿婆擦れ(アバズレ)”や、本国から処刑判決が出てる軍人崩れの”反政府活動家(テロリスト)”はお呼びじゃねぇってこったな」

 

 ”ざわっ!!”

 

 一瞬にして騒然となる会見場。

 その中で一人の勇気ある特派員、記者が挙手した。

 近衛はその派遣元を確認すると、

 

「なんだ? 言ってみろ」

 

 と記者の母国語で返したのだ。

 つまり、お前の喋ってる言葉くらいわかるというプレッシャーだ。

 

「その、コノエ首相のお言葉をストレートに解釈すると、フランス亡命政府やオランダ王室ならびに亡命政府は認めないと……?」

 

「お前は何を言ってるんだ? そもそも亡命政府ってのは何のことだ?」

 

 近衛は一瞬呆れたように、

 

「”フランスやオランダに住む有権者”から選挙という民主主義に則った手法で信任を受けた正規(・・)のフランス政府と正規(・・)のオランダ政府があるのに、他に政府があんのか? 付け加えるのなら、”オランダ議会”で王室は満場一致で正式に廃止になった。今のオランダは共和国だ。そこを間違えてやるな」

 

「し、しかし、貴国の皇室はオランダ王室とも……」

 

「我が国のやんごとなき御方に、国民を見捨てて真っ先に逃げ出し、命惜しさにアメリカ人にケツを振る卑しい女と交流を持ち続けろと言いたいのか?」

 

 その眼力に勇気は擦り切れたようだった。

 押し黙ったところで近衛は話を続ける。

 

「それと誤解のないように言っておくが、まず仏領インドシナは永続的に我が国の領土とする予定はない。これは決定事項だ」

 

 再び会場がざわつくが、

 

「静まれ。幸い我が国には、”阮朝大南の宗室(ヴェトナムの皇太子)”、”クォン・タム”殿下がいらっしゃる。これまた幸いにまだ家はあるんだ。ならばお家を立て直し、真の意味で正統なる後継者により悲願である祖国独立を成しえて欲しいと願っている。日本は”ヴェトナム王国”が独立国として独り立ちできるまで手を貸すだけだ」

 

 ”クォン”なる王子様、フランス人に支配された王宮から脱出し、越南維新会なる対仏抵抗組織を立ち上げ、それが厳しくなると活動の場を世界に移し、そして日本皇国でも祖国独立運動を起こすなど中々の傑物だった。

 まだ首相になる前の犬養とも交友があり、その伝手もあり近衛も面識を持ったのだ。

 

 ドイツから仏領インドシナ割譲の打診があったとき、真っ先に考えたのは「史実では叶わなかった」クォン皇帝の樹立を目指すつもりだった。

 現在、仏領インドシナは正統なフランス政府に恭順する予定であるが、現在の”便宜上の皇帝(フランスの植民地であるため、一切の国主としての権限を止められている)”とされる”バオ・バブ”帝では、立て直しには少々力不足だ。

 日本皇国外務省も「仏領インドシナを独立国として再出発させるには、行動力があり馬車馬のように民を引っ張るリーダーが必要」と意見を一致させていた。

 そして、独立路線も大賛成だ。

 日本皇国政府として、これ以上の領土の抱え込みは避けたかった。

 大体、ユーラシア大陸の東岸に蓋をするように北は千島に樺太、南は台湾/海南島まで……南北に異様に長い約5,000㎞の領土。これだけで、お腹いっぱいだった。ぶっちゃけ、国土開発でやりたい事山積みだった。

 

「加えて、まだ具体案はできていないが、蘭領東インドも独立させる方向でゆくつもりだ。改めて宣言するが、現状、日本皇国は領土を拡張する予定はない」

 

 

 

 近衛の言葉に、実は噓は無い。

 日本は植民地の持ち過ぎによる国家の経営破綻や、管理できない海外領土に由来する厄介ごと・面倒ごとなど御免なのだ。

 そんな物に割く国家リソースなど、どこにもない。

 正直、海南島でさえ中国本土に近すぎるが、あそこが資源地帯であり海上交通の要所である以上、手放すわけにはいかない。

 

 だが、近衛も気づいてないようだが……友好国というくくり(・・・)も実はかなり凶悪なのだが、それを近衛に限らず日本人が実感するのは戦後の事だろう。

 現状で、最低でも仏蘭の元植民地の独立国が二つ、そして南欧州、あるいは地中海沿岸にも何となく。

 まあ、戦後の事は今は良い。

 

「日本皇国が皇国として約定を結ぶのは、同格である”国”のみ。これは国と国の間での話だ。祖国を見限り、祖国に見限られた者など出る幕は無い」

 

 そして近衛はニヤリと笑い、

 

「どうせそ奴らと繋がっている者もこの場にいるんだ。なら伝えておけ。フランスとオランダから託を預かっている。フランスは銃殺隊を常設し、オランダはそのフランスからギロチンをレンタルし帰国を待っているってな。それが見捨てられた側からの見捨てた裏切り者に対する回答だぜ」

 

 そして再び挙手する者がいた。

 なんとも勇気があるものだ。

 

「コノエ首相は、米ソの意見を……」

 

「知らんな。連中は同盟国でも友好国でも何でもない。先住民をインド人(インディアン)などと関係ない失礼極まりない名で呼び、950万人殺して土地を奪い、”居留地”なんて名前を付けた”強制収容施設(・・・・・・)”に押し込めた野蛮人や、革命ごっこで皇帝を殺し、粛清だなんてくだらん名目で1000万以上の自国民を殺し、さらに征服地を人工的な飢餓地獄(ホロドモール)に落としてもう1000万人飢え死にさせるような野蛮人の言葉なぞ、なぜ聞かねばならん?」

 

「あ、あなたなんてことを……」

 

「聞こえなかったのか? アカに好きなように荒らされて何もできない能無しのアメリカも、非革命的なんて意味不明の理由で民を殺して悦に至ってるような下種なソ連も、まともに話す相手じゃねぇって言ってんだよ」

 

 

 

***

 

 

 

 その後、まあ控えめに言って阿鼻叫喚だった。

 警備していた公安職員に取り押さえられ、本当に巣鴨拘置所に連行された者も出た。

 そして、近衛は最後にこうしめた。

 

「可能な限り”ありのままの言葉”を自国の言葉に変えて伝えてくれや。妙に捻じ曲げたら、次に呼ばれることは無いと思え」

 

 後年、日本皇国内で”許容範囲内(国家をまとめるために必要悪な内部の敵)”なため生きることを許されている左側の人間が怨嗟をこめて言う

 

 ”近衛の大暴言”

 

 これにより日本皇国は、米ソや中国などの取り巻きと友好関係を結ぶ機会が永遠に失われたと。

 ただし、洒落を好む者たちは、好んでこういう言い方をした。

 『近衛(・・)、(何時ものように)喧嘩()等』、略して……

 

 ”近衛上(このえじょう)

 

 と。無論、元ネタは歴史的檄文の”直江状(なおえじょう)”だろう。

 まあ、喧嘩売ってるという意味では同じかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、これを聞いた各国の反応が意外と興味深い。

 英国首相は珍しく声をあげて笑い、

 

「だが、彼は政治家としては素直に物を言いすぎるな。例えそれがゆるぎない事実としても」

 

 『あんにゃろー、またやりやがった……』と言いたげに苦虫を嚙み潰したような顔でグラスを傾ける、日本産古狸な友人に語り掛けたという。

 

 

 

 ドイツの総統は、

 

「正直だな。だが、人間としては好感が持てる」

 

 とゲッベルスを呼び付け、”コノエの挑発”を全欧州に広めるように命じた。無論、一言一句、正しく各国の言語に翻訳するよう付け加えて。

 ついでに現在のソ連支配地域にも、ビラにしてばら撒いたらしい。

 

 

 

 無論、米国大統領は激怒した。

 

「あの若造の首、今すぐ落としてくれるっ!!」

 

 と日本との即時全面戦争の計画を速やかに立てるように命じたが、流石にいま日本と戦うのは得策ではないと軍部と副大統領、国務長官に止められた。

 なお、翌年2月の一般教書演説はとても愉快な内容になった。

 そして、日本皇国首相はそれすら「論理性を著しく欠いた、感情だけで喋る脳ミソまでチャイナパウダー(漢方薬? 阿片?)に侵されてる疑いのある、いかにも女装癖のあるチャイニーズ・アメリカ書記長(・・・)らしい発言」と逆にやり返した。

 ちなみに幼いころのルーズベルトが女装している写真は実在する。まあ、一応女装の理由はあるが。

 怒り過ぎて病状が悪化しなければよいが。今斃れられても、日本としては困りものだろう。

 正直、反日フィルターを持ってる限り読み易い相手だし。

 

 

 

 ソ連の書記長は激怒し、NKVD長官を呼びつけ、即刻日本皇国を内部から崩壊させるように命じた。

 長官は頑張ったが、逆効果だった。

 工作員が片っ端から”粛清”されたようだ。なんでも”特公(・・)”、この世界線には存在しない特別高等警察(特高)ではなく、”特務公安(・・・・)”なる組織が動いたという噂もある。

 程なく長官自身がサボタージュの罪で、スターリンにより粛清された。

 

 

 

 オランダの元女王と元フランス軍人は、書く必要すらないだろう。

 憤死しなかったのが不思議なぐらいだ。

 

 

 

 

 

 

 こうして、世界は混迷の度合いを深めてゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんかあちこちにケンカ売ってる近衛首相でしたw

まあ、(ルーズベルトとスターリン時代の)米ソとつるむなんて冗談じゃないでしょうし、最初からご破算にする気満々だった?

実は一番慌てたのはハルと愉快な赤色の仲間達だったり。
今、日本と全面戦争なんて起こされたら、せっかく作ったレンドリース・ユーラシア東岸ルートがおじゃんですからw
なんせユーラシア西岸がいつ使えなくなるかわからないし。

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第99話 サンクトペテルブルグ、自由で開かれた港への道は決して楽ではないという実例

来栖、今回は割と大人しいです。


 

 

 

「随分とまた煽ったねえ」

 

 会見の帰り、執務室で待っていた広田剛毅官房長官はそう迎えるが、

 

「広田サン、別に俺っちは煽ってませんぜ? ただ、言いたいこと言っただけで」

 

 そして、日本皇国首相近衛公麿はアルカイック・スマイルを浮かべ、

 

「米ソやら亡命政権なんて有象無象に擦り寄られるよりゃあ、ガツンと線引きした方がマシでしょ? どうせロクデナシ共とつるむ予定なんざぁ、金輪際ありゃしねぇんですから」

 

「君にはかなわないな」

 

 と苦笑する広田に、

 

「それに……これでちったあ、欧州や中東の連中が仕事しやすくなるでしょうが?」

 

 内閣総理大臣は、そう今度は素直に笑ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ああ、現在、サンクトペテルブルグで”サンクトペテルブルグ復興並び国際港湾都市建設統括官”といういまいちよくわからん役職に着任してしまったクルス・クルセイドだ。噓。来栖任三郎だ。

 とりあえずサンクトペテルブルグに集った”新市民”の皆さん、”クルス総督(・・)”と呼ぶのは控えてくれないだろうか?

 本気でそういう役職に就けられそうで怖い。

 というか、外交官とは一体……?

 

 

(それにしても、ドイツって確信犯で街壊してるよなぁ~)

 

 通称”デア・グロッセ・シュレーク(=空前の大破壊)”と巷で呼ばれる程の大破壊を行ったレニングラード攻略戦だが、実はあれだけの攻撃でもぶっ壊す場所はきちんと選定されていた。

 

 例えば、規格が合わない為にドイツで使う予定のない軍需工場は、滅茶苦茶に破壊されている。

 いや、むしろ更地になっていた。

 一刻も早くソ連別地方の武器供給を止めるって意味が一番だろうが、今のドイツはソ連から鹵獲した武器で戦わなきゃならないほど困窮も貧窮もしていない。

 なんせ、占領下に置いた国が親独国家として次々と復興、再出発しているのだ。

 当然、最盛期ほどではないが、工業力の復活も順調らしい。

 例えば、Bf109やFw190に混じって楽しそうにソ連機を空から駆逐してた見慣れない戦闘機、”HeD520U-1”というらしいが……なんとこれエンジンやら機銃やら照準器やらはドイツ製のDB601やMG151やRevi12だが、機体(ボディ)自体はフランス製、ドボワチンD520の兄弟機らしいのだ。

 パイロットからも評判は良いらしく、Bf109より素直な操縦性で舵も効きやすく、おまけに頑丈とのこと。

 小耳に挟んだ話だが、もうあちこちで1000機近くが前線配備されているそうな。

 しかも、分隊に1丁単位で日本人にも見慣れたチェコ製のZB26系列の軽機関銃が行き渡ってるし、同じくチェコ製のセミオート・ライフルもちらほら見かける。

 

(まあ、こんだけ装備が充実してたら、規格違いで混乱招くレッド・ウェポンとか使いたくねーだろうし)

 

 という訳で、軍需工場は不良債権として抹消決定となったらしい。

 実際、更地にしてドイツ規格の軍需工場建てた方が国益にかなうだろう。

 

 反対にとても分かりやすいのは、発電所群だ。

 実は当時、ソ連の発電量の八割をレニングラード周辺の発電所に依存していた。

 そして、ドイツ軍が真っ先に爆撃したのは、モスクワなどに電気を送電する変電所や送電施設だった。

 また、発電所の施設にも爆撃が加えられたが、実は壊されたのは火力発電所なら石油や石炭を貯蔵する燃料貯蔵設備であったのだ。

 無論、防空陣地などは徹底的に潰されたが、それらの攻撃をを行ったのは急降下爆撃機(スツーカ)乗りのエースたちだ。

 動く戦車にすら爆弾を命中させる技量を持つ彼らにとって、遥かに大きく動きもしない的をピンポイント爆撃するなど造作もないことだったろう。

 

 レニングラード市民はさぞかし絶望しただろう。

 防空陣地の砲弾が誘爆し、破壊した後に念入りに焼夷弾を落とされた燃料備蓄施設が燃え上がるのだ。

 きっと発電所その物が燃えていると錯覚したに違いない。実際、解読した赤軍の通信にも「○○発電所が破壊され、激しく炎上中」という文面がよく踊っていた。

 

 ところがどっこい。

 発電設備その物、例えば発電用タービン建屋なんかには、ほとんどダメージ入ってないんだな、これが。

 確かに爆発した対空砲弾の流れ弾が当たったり、あるいは漏れ出た油で一部は延焼したが、そもそもソ連製とはいえ発電所の建屋ってのは頑丈に作るのが鉄則だ。

 どうしてそんな面倒な真似をするのかは明白だが、冷静な判断が下る(バレる)前に火力を惜しげもなく投入し一気呵成に都市を制圧しちまったというのが、この戦争だった。

 

 そして、ドイツはレニングラード改めサンクトペテルブルグ占領後、真っ先に発電所の再稼働の準備に入った。

 その辺の手際の良さは、流石トート機関だ。

 

 加えて、例えば港は軍需物資をしこたまため込んでいた倉庫や防御設備、コンテナなどは滅茶苦茶に破壊されていたが、実は桟橋や波止場のような港としての機能の基本的な部分には、驚くほどダメージが入っていない。

 これはそもそも、ドイツ艦隊が攻めてきたときに軍民問わずまともな船が無かった事も大きく影響しているが、まあすぐに使う気満々だったのは確かだろう。

 他に浄水設備なんかも確認してみたが、こちらも市内に配水するのに不可欠なポンプ室などは跡形もなかったりしたが、肝心の濾過槽などが無事というのもザラにあった。

 因みに当然のようにポンプの替えは効く。

 

(つまり、電気と水の生活インフラと、食料を大量輸送させる海運の復旧は目途が立つ)

 

 まず俺が命じたのは炊き出しの準備、そして冬が来る前に居住可能な建物の選定と、そこへの優先的に配電/配水の復帰。

 もし不足しているなら、仮設住宅の設営も視野に入れねばならん。

 食料は当面は配給制になるだろうが、これは仕方が無い。

 市民生活の再建が最優先だ。

 とりあえず、衣食住が確保できれば民心は落ち着きを取り戻すもんだ。

 

(大震災の後もそんな感じだったし……)

 

 それと並行して、市民の武装解除と共産主義を否定する再教育を行う。

 

 実は教育マニュアルの草案は既に鋭意作成中、完成間近だ。

 何のことはない。

 ロシア革命からこっち、ソ連がやらかした”悪行三昧”、暗殺、拷問、粛清、飢餓、政治将校の乱行を簡単に分かりやすく、誰にもわかるような言葉で書いただけだ。

 ちなみに占領下にあったバルト三国の生存市民やついこの間まで赤軍で戦い、督戦隊に背中から機関銃で撃たれたから野砲で撃ち返した兵士の証言なども掲載してある。

 イラストや写真も忘れてはいけない。

 

「熱心ですね?」

 

 そう声をかけてきたのは、ついさっきやってきた、マニュアル作成にソ連の悪行を記したよくまとめられた資料を提供してくれたNSR(国家保安情報部)の若きホープ、ヴィクトール・シェレンベルクだった。

 確か今は警察権や治安に関する限定的な司法権限を持つ”治安監督官”としての赴任で大佐待遇だったはずだ。

 

「まあ、教育は国家の根幹ですから」

 

 ハイドリヒから直々に”お目付け役”という名目でサンクトペテルブルグに派遣されたらしい。

 ご苦労なことだが、

 

(ひょっとして、ハイドリヒの奥さんとの不倫がばれて、左遷人事食らったんじゃないのか?)

 

 と思いもしたが、口にはせんとこ。

 

「それにしても、共産主義を否定させる前に、ソ連を否定させる……ですか?」

 

 と執務机の上に置いた資料を手に取り、シェレンベルクは興味深そうな顔をした。

 

「共産主義ってのはあれで”形のない化け物”のようなものでね、一度人の心や頭に入り込むと、これが中々根が深い」

 

 前世での話だが、冷戦が終わってソ連が崩壊してもなお、左翼だの社会主義だの共産主義だのは、便器にこびりついたクソのように残っていたのだ。

 憎まれっ子世に憚るじゃないが、あの手の感染した連中のしぶとさには、呆れるを通り越して感心するぜ。

 

「だから目に見えるソ連とスターリンを否定させる。ソ連は偉大な国なんかではなく嫉妬やらコンプレックスがグツグツ煮込まれた魔女の巨釜の中身で、赤旗の赤は罪なき民の市民の血でで染められた色で、スターリンは暗殺と粛清と拷問が趣味の矮小な小男に過ぎないと叩きこむんですよ」

 

 そして俺はロシアンティーを一口飲んで喉の渇きをいやした。

 いや、ただの喋り過ぎな気もするが。

 

「結局、本来の共産主義と現在のソ連が掲げる”スターリニズム”とは別物(・・)なんですよ。じゃなければ、レーニンに『スターリンだけは後継者にするな』と遺言残されたりはしませんて。まあ、結局それもアカお得意の”なかったこと”にされましたがね」

 

 無論、日本は事あるごとに、「レーニンが後継者指名を禁止したスターリン」をなかったことにさせないために喧伝している。

 

 ああ、なるほどな。

 自分でも改めて納得した。

 アカは根本的に全部嫌いだが、

 

(スターリニズムってのは、共産主義よりも嫌悪感を感じるな)

 

「だから、スターリニズムを先に駆逐する。駆逐して、物理的にだけでなく心理的にソ連からサンクトペテルブルグを切り離し、ソ連の一都市レニングラード市民から自由で開かれた国際都市サンクトペテルブルグ市民になってもらうんですよ」

 

 つまりさ、

 

恐怖政治(スターリン)の呪縛から解き放ち、真なる自由交易都市(サンクトペテルブルグ)の市民にね」

 

 するとシェレンベルクはため息を突き、

 

「ハイドリヒ閣下が、なぜ”総督”殿を気に入るのかわかった気がしますよ」

 

「いや、その呼び方はちょっと」

 

 おっ、そういえば……

 

「シェレンベルク卿、何か用だったのでは?」

 

 すると、シェレンベルクは持っていた新聞を見せながら、

 

「卿もユニークですが、日本の首相も中々どうして大したもんですな」

 

 受け取った新聞の一面を呼んだ時、一瞬、宇宙が見えた俺は悪くないと思うぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ドイツ軍は無秩序な、赤色の秩序を大破壊したように見えて実はわりかししっかり壊す目標を定めていた模様です。

そしてそして、ドイツ本国で忙しいハイドリヒ卿に代わってシェレンベルク君、初登場です。

この人も結構クセがあるんだよな~。女癖とかw
有能な人材なんですが、史実の女がらみのエピソードとか結構凄いんですよね~。
果たして、本当にお目付け役はどっちなんだか(笑)


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第100話 The TYPE-97 Family

設定資料を除き、100話に到達しました~♪

いや、他の名義での作品を含めて、3桁到達は初めてです。
これも応援してくださる皆様のおかげです。
ありがとうございました!

しかし、100話なのにネタは97式戦車という謎w





 

 

 

 

 視点は再び、1941年の地中海へと戻る。

 ただし、ここは前線要塞のトブルクではなく、英領エジプトの軍港”アレクサンドリア”。

 

 

 

 話をまだレニングラード陥落前の時系列に戻そう。

 

 アフリカ英軍が総力をあげて東部沿岸、より細かく言うと紅海西岸のイタリア領東アフリカを元気いっぱいに攻めてるその頃、アレクサンドリアには、日本皇国海軍の艦隊が、インド洋を超えて押し寄せていた。

 

 目玉となるのは、やはり雲龍型正規空母の3.4番艦、”瑞龍””昇龍”のアフリカへの追加派遣だろう。

 これは39年の開戦と同時に建造が承認され同時建造が開始された同型5.6番艦”海龍”、”水龍”が竣工した事が要因だろう。

 現在、既に慣熟訓練が始まっており、ちゃんとした海軍戦列艦として艦籍名簿に名が記載されるのはもう少し先、おそらく来年だろうが、今回、海軍は”とある作戦”発動の為に急ぐ必要があった。

 

 だが、各国が紅海沿岸、あるいはスエズ運河に潜ませていた諜報員は、その艦隊をこう報告したはずだ。

 

”日本皇国海軍、4隻(・・)の正規空母をアレクサンドリアに向かえり。2隻は雲竜型正規空母、残る2隻はタイプ不明。隼鷹型軽空母の発展型の可能性あり。”

 

 そう誤認されるのも無理はない。

 一団となって進む艦隊の中には、雲龍型と比べても見劣りしない大きさの全通飛行甲板を持つ船が混じっていたのだ。

 ただし、艦上機の運用はできるように設計されてはいるが、その運用能力は船体の大きさから考えれば小さい。

 それは当然だった。

 一見すると空母に見えるこの姉妹艦の”主兵装”は、航空機ではないのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、港に入ったこの”空母とは似て非なる船”を見上げながら、日本皇国遣中東三軍統合司令官”今村 仁”大将は、感慨深げに呟いた。

 

「”あきつ丸”……もう実戦配備されていたのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶景かな絶景かな」

 

 うっす。下総兵四郎だ。

 俺は今、トブルクを一望できる高台に居るんだが……

 

「こりゃ、上も張り切る訳だ」

 

 見渡す限り砂漠を埋め尽くすのは、日本皇国陸軍の軍用車両だ。

 

 やっぱり目立つのは、現行の主力戦車である”一式改中戦車”だ。

 なにせ重装甲で迫力がある。

 そして、標準の一式中戦車と、一線級ではないとはいえイタリアの戦闘車両には十分通じることを示した九七式軽戦車。

 他にも斥候には欠かせない斥候対ご用達の機動力特化(敵を見たらとりあえず逃げ出せ)の九八式装甲軽戦闘車、ボフォース系の対空機関砲を主砲代わりに車体に積んだ一式や九七式、九八式をベースにした対空戦車なども揃ってる。

 まあ、この辺りはクレタ島でも見慣れた面々だが……

 

(中々、珍しいというか本格的に集中運用されてるの初めて見たかも……)

 

 割と見る機会のなかった車両、九七式軽戦車のボディに全周囲射界を持つ砲塔に元は九四式山砲の75㎜28口径長榴弾砲を装備した”九九式砲戦車(史実の二式砲戦車相当)”に、同じく九七式の車体にオープントップのシールド式マウントに105㎜20口径長榴弾砲を搭載した”一式自走砲”と我が国で現在配備されている自走砲が揃い踏みだ。

 

 実は日本の自走砲開発の起源は、ようやく軍用トラックが出だした大正時代まで遡るが、流石に当時の工業力じゃあ性能的に満足できるものが出来ず、挫折を繰り返し、ようやく九七式軽戦車って使い勝手の良いシャーシが手に入り、実用化されたのはつい最近って感じだ。

 

(そう考えると九七式って発展性とか拡張性とか冗長性は良いよな~)

 

 オリジナルの重量は空虚で17.8t、正面装甲40㎜の全溶接構造の車体の上に乗っかるのは正面55㎜厚の避弾経始を意識した丸みのある鋳造砲塔に長砲身の47㎜48口径長砲を組み合わせる、史実の”一式中戦車”に近い戦車だ。

 

(砲塔とか、明らかにフランスのAPX砲塔意識してるよなぁ)

 

 前世では九七式は擬人化され”チハたん”なんて萌え戦車扱いされていたが、この世界じゃあ誰もそう思わないんじゃないだろうか?

 

 そもそも、今生での”チハ”、中戦車ハ型は一式中戦車系列だし、あんなT-34/75やM4やIV号と正面から撃ちあえるゴツそうな代物を、未来の絵師もちっちゃなガネっ娘としては描けないだろう。

 そして今生の日本だと20t以下は軽戦車って区分だが、実際は独ソとか一部を除けば普通に今でも中戦車扱いだ。

 実際、これから戦おうとしてるイタリアの中戦車、M13/40やいるかもわからん最新のM14/41でも数tは九七式より軽かったはずだ。

 

 現在の皇国陸軍では、主力戦車は一式系列だけどファミリー化って意味じゃあ九七式が幅を利かせてる。

 目に見える範囲にはないが、確か九七式ベースの戦車回収車や地雷撤去車もあったはずだ。多分、今回の作戦にも投入されるだろう。

 

(そういえば、ドイツ軍の影響かなんか知らないが、97式の砲塔を廃して代わりに分厚い傾斜装甲の戦闘室設けて、一式と同じ75㎜45口径長砲ぶちこんだ駆逐戦車だか突撃砲だかを作ったって話があったな)

 

 確か皇国版の海兵隊、”海軍陸戦隊”に優先配備されてるって話だ。

 きっと海岸陣地やら障害物をまとめて吹き飛ばす障害物除去装置(ジャガーノート)とかに使うんだろう。

 また、海軍主導で主砲を英国の6ポンド砲(57㎜50口径長砲)に換装した新型砲塔搭載型も製作中なんて噂話もある。

 海式(海軍)が現用で使ってる大発動艇(大発)は、史実の特大発動艇準拠で九七式は完全装備でも余裕で乗っけられるが、一式は微妙だったはずだ。

 噂じゃあ、次世代戦車乗っけられる特大発動艇を作ってるってことだがそう簡単にできることはないだろうから、大発のペイロード(確か25t以内だったと思った)から考えて、しばらく九七式を使いたいのかもしれない。

 

 

 

 

(九七式もむしろ、主力戦車じゃないからこそできる選択肢もあるってことか)

 

 敵戦車を正面から撃破できる一式系はやはり、中戦車に製造リソースが割かれるからな。

 次期主力戦車が出てくれば、一式のシャーシが今度はその役目を背負いそうだが。

 

 ちなみに砲戦車と自走砲の違いっていうのは、全方位が装甲化された全周囲射界を持つターレット式砲塔を持つのが砲戦車で、シールド式砲塔で野砲をそのまま車体に乗っけたような感じなのが自走砲というのが皇国陸軍区分らしい。

 正直、あまり意味のある分け方ではないので、その内”自走砲”に統一されるそうだ。

 まあ、砲戦車って区分自体、「装甲砲塔の中に砲身短くても大口径砲積むんだから対戦車戦できんじゃね? だから準戦車扱いってことで」というノリで決まったらしいが、ベースの九七式軽戦車が40年代の最先端戦車戦では明らかに力不足なのに「対戦車ライフルに耐えられるぎりぎりの装甲と、口径はでかいが砲身短くて貫通力の低い主砲」しか持たない砲戦車が対戦車戦なんかやれば自殺行為もいいとこなので、そりゃあ区分だって無くなるだろう。

 

 実際、前世で何となく聞いたことがある何やら長砲身の方をのっけた対戦車自走砲じみた砲戦車も計画されていたらしいが、「そんなものを作る暇があるなら1両でも多くまともな戦車作ろうぜ!」とどこぞの機甲総監の鶴の一声で立ち消えになったらしい。

 

(まあ、ごもっともな話だよな)

 

 そのおかげで戦車開発リソース全てが一式の後継戦車に向けられることになり、計画より早く登場しそうなのが何よりだ。

 

「もっとも、今回の戦いにはどう転んでも間に合わんけど」

 

 とりあえず、今回の戦いは今ある兵力で何とかしようってことだろう。

 まあ、不足は無いだろうし、防塵防砂(トロピカル)フィルターをはじめ砂漠対策も抜かりなく、何より実績がある装備が大半だ。

 

 

 

「中尉殿、隊長がそろそろ集まれってさ」

 

 いつものように気配を感じさせないまま、いつの間にか背後にいた小鳥遊君である。

 

(なんか、アサシンかなんかのスキル持ってそうだよなぁ。潜伏とかステルスとか)

 

 狙撃手としては羨ましい限りだ。

 

「まーたなんか、下らねーこと考えてるっしょ?」

 

「んなことないって」

 

 まあ、そろそろ俺たちも行かないとな。

 今回の作戦では、俺たち狙撃隊も西大佐率いる独立増強機甲旅団の一員となりハーフトラックで移動ってことになっている。

 

 要するに敵の側面やら後方、あるいは退路に回り込むって役割だ。

 

 それなりに吞気に過ごしていた時間は終わり、戦争は続くよ何処までもってな。

 

 そして、これで3代目となる相棒、”九九式狙撃銃”を手にする。

 今回のモデルは、真新しい試作品らしい8倍の固定倍率スコープが付いてるが、何やら初歩的な反射防止膜(ARコーティング)処理されてるっぽい。

 

(なんか地味にスコープ、というか光学機材の技術進歩が早い気がすんな……)

 

 その内、マルチコートの非球面レンズとかEDレンズとかのスコープが普通にしれっと出てきそうだ。

 あと不活性ガス注入した曇り防止機能付スコープとか。

 

「さて、そろそろ征くとしますか」

 

 俺はカチリと気分を切り替える。

 日常から戦場へ。

 それに慣れてしまった自分が、ほんの少しだけ嫌になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新たな戦いの気配と共に、一式と並ぶ今生の日本皇国陸軍の代表的戦車の一つ、九七式軽戦車にスポットを当ててみました。

この100話より、これまで欧州がメインステージだった戦場が、しばし北アフリカの熱砂地帯(デザート)ステージに移行するようです。

これまでトブルクに籠り、「守勢特化」と思われていそうな皇国陸軍ですが、その実力とは……?

皆様の応援のおかげで、モチベーションを何とか繋ぎながら100話に到達できました。
ありがとうございました。
これからどうかもよろしくお願いします。

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第101話 オオシマ君とリッベン君

砂漠での乾いたというか干からびそうになる連戦の前に、一服の清涼剤(?)を。

箸休め的な、ちょっとほっこりする話(??)です。

まあ、いつも通りオッサンしか出てきませんが……






 

 

 

 日本皇国在ベルリン大使、大島博はそんなには早くない。

 朝8時、瀟洒な装飾がなされたベッドわきに置かれた電話が鳴ることで目を覚ます。

 いわゆるモーニングコールという奴だ。

 

 電話をとると聞こえてくる、

 

『Guten Morgen. Botschafter Oshima. Wie fühlen Sie sich?(おはようございます。大島大使。お加減はいかがですか?)』

 

 心地良いドイツ語に眠気が消え頭が冴えてくるのがわかる。

 「嗚呼、自分は今、ドイツにいるんだな」と改めて喜びを噛みしめながら、朝食と新聞を部屋まで持ってくるように頼む。

 

「今日もよい朝だ」

 

 さて、現在は停戦中であっても交戦国の首都”ベルリン”でも在ベルリン日本大使館は未だにきっちり機能を維持していた。

 戦時下だからこそ、大使館は外交チャンネルとして大きな意味を持つ物だ。

 故に大島は、本来ならば大使邸宅に住む予定だった。

 だが、彼が単身赴任と聞いて、ドイツ外務省は「停戦が継続できるか否かに関わる大事な日本皇国大使の生活に不便があってはならない」と、大使館に徒歩で行ける距離にある、ベルリンどころかドイツ有数の高級ホテル、そのスイートルームを提供すると申し出てきたのだ。

 

 そして、日本皇国外務省は「経費削減に繋がるので是非」と理由はアレ(=大島に金をかけたくないと言いたいのかな?)な感じがするが快く了承し、トントン拍子で大島の快適ホテル暮らしが始まったのだ。

 

 無論、そのホテルがただのホテルじゃないことは、両国外務省上層部は知っていた。

 民間のフリをしているが、そのホテルの裏のオーナーはドイツ政府その物であり、管轄はNSR(国家保安情報部)なのだ。

 つまり、このホテルは「ドイツに滞在する厄介な要人」向けに、四六時中監視するために存在するのであった。

 至る所に盗聴器があり、NSRの職員が交代で聞き耳を立てている、大島がいるのはそんな部屋だった。

 また、先ほどモーニングコールをかけていたフロントマンも、朝食を運んできたボーイも全てNSRの職員だ。

 

 NSR長官のハイドリヒも大島が「ドイツに致命的な破壊工作」を行う能力があるとは思っていない。

 ただ、ドイツ産俗物(リッベントロップ)とつるむことで、妙な化学反応が起こり「何をしでかすかわからない」怖さがあるから、こういうシフトを引いてるのだ。

 何事も用心に越したことは無いのだった。

 

 

 

 このような背景を大島も、もちろんホスト役のリッベントロップも知る由もなく、聞かせる理由もなかった。

 ただ、大島は「ドイツという一流の国家らしい一流のもてなしと配慮」に心より感謝して、

 

(最先端の先進国は、このような些細なことまで違う。我が国もドイツを見習い、一刻も早く先進国の仲間入りを果たさねば……)

 

 とドイツへの感謝と愛国精神に燃えながら、一日の業務を始める。

 本日も大使館での書類仕事は午前中だけで、午後からはドイツ外務省で個人の持つ絶大なコネクションが高く評価され”外交アドバイザー”という要職に就くリッベントロップ氏と博物館島(ムゼウムスインゼル)へ視察しなければならない。

 

 シュプレー川の中州、ウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を占める複数の博物館や美術館の集合体、それらを総じて”ベルリン美術館(Staatliche Museen zu Berlin)”と呼ぶが、その全てを視察するだけで数週間はかかるとされている。

 

 それからが大島にとって大仕事だ。

 まず、終戦後の日独の国交正常化が行われた際に計画されている「平和的文化交流事業」の一つ、「ドイツ美術・文化展」の草案を0から練らねばならないのだ。

 その為に選ばれたのが、ドイツ文化に明るい自分だと大島は自負していた。

 

 大島にとり、「停戦したままドイツと終戦する」のは決定事項なので、是が非でも成し遂げなばならない計画だった。

 そして自分の使命は、「ドイツの素晴らしさ、偉大さを皇国臣民に紹介すること」だと心得ていた。

 

 その為にはまず自分御目で見て肌で実感し、ピックアップしたそれが門外不出でないか確認、そしてドイツ芸術界・文化界の重鎮たちと面識や知己を得て、交友を重ねてそれから交渉開始となるだろう。

 

(きっと数年がかりの大事業となるだろう……)

 

 リッベントロップ氏の手助けがあったとしても簡単にはいかない事を実感するする。

 自分がやり遂げる前に終戦を迎える可能性は低くないが、それでもやり遂げなくてはならない。

 

 後に日独の友好と文化交流に大きく貢献し、大島”親善大使(・・・・)”と呼ばれる男は、こうして改めて覚悟を決めるのだった。

 

 繰り返すが、大島の中では「終戦は決定事項」であり、自分がそこに関われなくとも不満は無い。

 ドイツの偉大さを知る自分だからこそ、「終わることが決定した戦争」よりも、戦後を見据えねばならないと自覚していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ドイツ外務省所属の外交アドバイザー、”ヨハン・フォン・リッベントロップ”はその日、感動に胸を震わせていた。

 

 偉大なる総統閣下(フューラー)直々に呼び出され、重厚な総統の執務室に案内された。

 初めて入るその部屋の厳格な空気に圧倒されながら、身に余る光栄を感じていた。

 特にサンスーシ宮殿の内装に通じる、豪華なフリードリヒ式ロココの厳格さと荘厳さと華やかさを兼ね備えた内装が良い。

 実はこれ、別に総統閣下の趣味という訳ではなく、総統官邸の改築を発注した際、気がついたらこうなってただけだ。

 多分、シュペーア君あたりの趣味ではないかとヒトラーは考えていた。

 

 個人的に言わせてもらえば、もっと質実剛健で実用性の高いシンプルで現代的な内装、本音ではもっと素朴な方が好みなのだが、それは言っても仕方ない。「これも総統という立場の演出の一つだ」とヒトラーは諦めていた。

 彼の趣味を貫くと、要人を招くような部屋ではなくなってしまう事を自覚していたからだ。

 チロル地方によくある山荘のようなインテリアになってしまうからだ。

 

 それはともかく、聞かされたのは日本皇国からの大使を迎える(ホスト)役を命じるというものだった。

 リッベントロップも、以前に特使がやってきて未だ会ったことは無いが、総統府付大使になったということは知っていた。

 正直、なんで一介の東洋人風情、それも敵国の人間が?と思いもしたが、今回の話を聞いて合点がいった。

 

 なんでもその特使、両国外務省同士の話し合いで、サンクトペテルブルグ復興計画に駆り出されることになったらしい。

 となれば管轄は、外務省ではなく軍需省や内務省、あるいは経済省の管轄になるだろう。

 

 そこで停戦もなったことで、新たな段階に向けてドイツ政府が新たな駐独大使を要請し、日本政府がそれを受けたというのだ。

 

(なるほど。その元特使というのは、外交官としての才覚が不足していたのだな……)

 

 まあ、間違いではない。他の才能があり過ぎただけとも言えるが。

 そして、新たに赴任する外交官は幼少期にドイツ人家庭に預けられ、ドイツ式の躾と教育を受け、ドイツ文化にも明るい中々の人物だという。

 ならば引き受けるのも吝かではないが……

 

「リッベントロップ君、君の役目は君の持つコネクションを存分に使い、ドイツの真骨頂や真髄を新たに赴任するオオシマ大使に見せてやることだ。軍事力など私でもできる。パレードに招待すれば、それだけで鉄の軍団を要するドイツの偉大さは伝わるだろう。だが、それではいかん。ドイツは軍事力だけの国か? NEIN! 我々はあらゆる芸術面・文化面においても、他国の追随を許さぬのだ。それを存分に見せつけると良い」

 

 光栄の重ね掛けで、今にも胸が張り裂けそうだった。

 総統閣下は、「自分にもできない」、「君ならできる」と断言したのだ!

 なんとういう栄誉!!

 

 だが、同時に納得もした。

 確かに総統閣下は、車やカメラなどの機械的先端工学については明るく、若い頃は工業デザイナーを目指していたという噂もある。

 反面、古典芸術や古典文化などにはあまり精通してないとも聞く。

 

(というか、国家上層部は全体的にそういう傾向があるな。嘆かわしいことに……)

 

 やはり芸術や文化を愛するには、感性や財力の豊かさと高貴さ、それに裏付けされた教養が必要だという事を改めて実感するリッベントロップだった。

 

 

 

***

 

 

 

 オオシマなる者と対面したとき、リッベントロップとしては珍しい事に好感を覚えた。

 自分を絶対の上位者とする媚び諂うような大島の姿勢は、彼の虚栄心や承認欲求、自己顕示欲を大いに満足させた。

 この東洋人になら、それなりの労力を割いてやってもよいと考えつつ、

 

(世の人間も、この男のように私の偉大さを理解できれば、私の仕事も楽になるのだがな……)

 

 要するに気に入ったのだった。

 後に”政治的ドン・キホーテとその従者”と呼ばれる関係がそこに完成したのだ。

 ただし残念ながら、大島には物語冒頭のサンチョ・パンサほどの常識は期待できないかもしれないが。

 

 

 

 これは、大島もリッベントロップも不幸にはなっていないという何気ない日常を記した一コマだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして、こっちはリッベントロップが退室後の総統執務室の1コマ

 

「なあ、レーヴェ」

 

 言葉を発さず、ただひたすら笑いをかみ殺していた長年の相棒にドイツ総統アウグスト・ヒトラーはジト目を向け、

 

「俺が部屋に招いて直々に言う必要あったのか?」

 

「念には念を入れてってことだよ。オージェ」

 

 

 

 親友の陰謀で俗物と話す羽目になり、ちょびっとだけ不幸な目にあった本日のげんなり転生者(ヒトラー)であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




げんなりヒトラーという新概念w
彼だって精神的疲労を感じるときはあるんです。

例えば、今回の日独外務省を代表する愉快キャラと対峙したときとかね。

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第102話 オオシマ・エフェクトと政治的側面から見たリビアでの戦闘意義

本日はちょっと事情があり、昼休憩アップです。

大島大使の残すことになる”最大の戦果”と、そしてリビアで戦う理由となっています。




 

 

 

 第二次世界大戦と呼ばれるこの戦争の体験者が一線を退き、戦った者達も平和を味わい先に逝った戦友たちの後を追ったそんな時代……一部の歴史研究家や戦史研究者から”オオシマ・エフェクト”なる言葉が出てくるようになった。

 さて、それはどんなものか具体例をもって説明しよう。

 

 

 

 1941年秋、ワシントンD.C

 

「ふむ。どうやら日本人(ニップ)共は、新たなメッセンジャーをドイツに送ったようだな」

 

「Yes. 大統領閣下(プレジデント)。クルス大使に代わり、新大使としてオオシマ大使を送り込みました。オオシマは日本外務省きっての知独家、親独家と知られています。日本はどうやら、ドイツとの和解を本格化させるようです」

 

 と報告するのは、久々のコープ・ハル国務長官。言うまでもなく今、報告している”フランシス・テオドール・ルーズベルト”米国大統領の右腕だった。

 

「小癪な真似を……いっそドイツとまとめて潰すか? 今なら連中の主戦力は、英国本土とアフリカ・地中海方面だろう?」

 

「難しいです、プレジデント。そうなれば英国とも自動的に戦端が開かれます。大西洋と太平洋との両面作戦になる上に、ケベック独立問題との兼ね合いで、イギリス人はカナダへの配備兵力を増強させております。ドイツとの停戦により、それが可能となりました」

 

「つまり、アメリカは二正面どころか下手をすれば三正面作戦になりかねないと?」

 

 ハルは小さくうなずいた。

 

「ままならんものだな。やはり、日英同盟はどんな手段を用いても、叩き潰すべきだった」

 

 ただしルーズベルトは一つ勘違いをしていた。

 米国は「努力が足りなくて日英同盟を潰せなかった」のではない。”最初から不可能(・・・・・・・)”だったのだ。

 日英の国家上層部にいる転生者達は知っていた。米国の現状も実情も、そして未来に訪れるかもしれない可能性まで。

 だからこそ、手を取り合うなどできるはずが無かった。

 右手を開き、左手で拳銃を突き付けてくるレッド・カウボーイにどうやって話をしろと言うのか? そういう事だった。

 

「そういえば、先任のクルスとかいう大使はどうした? 確か総統府付になっていたと聞いたが?」

 

「解任されました」

 

 これも実は誤認である。別に来栖は総統府付特務大使を解任された訳ではない。

 ただ、総統府付詰めの人員リストから名前が消えただけだ。

 何しろ、兼任してる職務が忙しい。

 

「本国に戻ったのか?」

 

 ハルは首を横に振り

 

「いいえ。”レニングラード”の復興を手伝わされているという話です。外交官としての素養はオオシマに劣るようですが、別の才能を見染められたと聞き及んでいます。今は日本外務省ではなく、ドイツの管轄になっているとか。オオシマは英国贔屓の日本外務省の中では異端でしたが、クルスはアウトローであり、外務省の保守派からは疎まれていたようです」

 

 人をだますコツは、”百の噓の中にたった一つの真実を入れる”か、もしくは”百の真実の中にたった一つの噓を入れる”かだ。

 

「難儀な者はどこにでもいるということか……ドイツ本国に居る我々の”協力者(スパイ)”は限られている。ならば、リソースは有効に使わねばな」

 

「オオシマに集中させる……でよろしいですね?」

 

 ルーズベルトは頷き、

 

「戦地に飛ばされた者と首都に居る者、どちらが重要度が高く優先すべきか言うまでもない」

 

 こうして、アメリカやアメリカに悠々と生きるアカの手先は、その目線を大島に集中させる事になる。

 また、ほどなく入手した情報からホスト役が「世界中にコネクションを持つリッベントロップ」というドイツ外務省で”特別扱い(・・・・)”されている大物が付いたと判明し、ドイツが大島を重要視している裏付けとなり、自分達の”見識の正しさ”を補強してゆくことになる。

 

 

 

 もうお分かりだろうか?

 ”オオシマ・エフェクト”とは、「本当の切り札を”大した価値のない者”と誤認させる、欺瞞や攪乱などの情報工作による効果」を示す単語だ。

 そして日独が仕掛けたその謀略が成功を収めたのは、後の歴史が証明していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 1941年10月某日

 

 トブルクの西60㎞ほどの場所に”ガザラ”と呼ばれる小さな集落がある。

 もし、今が平和な時代ならば世界的に注目を浴びることはまずなかっただろう。

 

 だが、今は戦時下。

 この村は、二つの意味で主にトブルクを拠点とする日本皇国陸軍遣中東軍団から注目されていた。

 

 一つは、イタリア北アフリカ軍のトブルクを狙う前線基地があること。

 もう一つは、アラブ人強制収容所があったことだ。

 

 日本はトブルクを要塞化してただこもっていた訳ではない。

 強制収容所を狙っていた現地の抵抗勢力と密に連絡を取り合い、普段は無駄な消耗を避け、”日本軍が攻撃する時に呼応して収容所を襲撃、収容者を奪還する”よう交渉した。

 日本が提供するのは、現行装備ではなく備蓄していた旧式装備や英軍が残していった装備、具体的には梨園改三式歩兵銃やリー・エンフィールド小銃、ルイス機関銃やそのライセンス品などだ。

 代わりに彼らが提供するのは、情報その物。そして、戦後の日本への協力だった。

 

 彼らが心底喜んだのは、日本はイタリア人や他の西洋諸国のようにリビアを支配する気は全く無かったことだ。

 そう、日本人はあくまで「民族自決の精神に乗っ取り、リビア解放とその後のリビア人による統治、独立国の樹立に協力してほしい」と申し出てきたのだ。

 

 その独立までのロードマップも実に具体的だった。

 まあ、間違いなく転生者が計画立案に関わっているだろうが……

 

 民族や部族、文化や歴史を鑑み、

 

”無理にリビアを統一することはせず、キレナイカ、トリポリタニア、フェザーンの三国をそれぞれ独立国とし、その三国による「リビア三国連合」を創出しないか?”

 

 というものだった。

 その提案で、イタリアの享楽的というか……現地の実情調査もロクにしない、不真面目な支配に嫌気がさしていた名だたる抵抗運動組織や部族代表は、目の色を変えた。

 彼らは異口同音ならぬ異心同念でこう思ったという。

 

(((((こいつら、解ってやがる……!!)))))

 

 彼らとてイタリアが真面目に民を慰撫する”良き統治者”であれば、ここまで抵抗することはなかったのだ。

 そして、日本皇国の転生者たちは「リビアを放置すれば、その後がどうなるか?」をよく知っていた。

 

 ”地獄”

 

 それを諦観して待つのは、流石に後味が悪すぎた。

 そして、結論として”リビア人国家”として独立を果たすまでの流れは日本が支援するし、独立後も戦時下であれば最低でも終戦までは面倒見ることは約束したのだ。

 それは確かに”占領地政策”ではあるのだが日本人は本気であり、だからこそリビア人ももう一度だけ「外国人を信じる」ことにした。

 

 そもそも、「リビア人自らの手による国家の建国」を真顔で言いだす外国人など初めてであり、実に新鮮だった。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、それはそれ。

 日本がこれまでリビアの地にやってきた侵略者とは訳が違うのは分かった。

 良き統治者になる資質を持っていそうなのも確認できた。

 だが、まだ足りない。それでは、歴史的に戦乱絶えないこの地では不足なのだ。

 

 この地を手にしようとしたら、まずは力を示さねばならない。

 どうか野蛮と言うなかれ。

 如何に正義や正論を振りかざそうと、それを行使するだけの力が求められる。

 力なき者はすぐに倒され、どれほど優れた統治をしてようと、その瞬間に砕け散るのだ。

 

 弱き者には信を置けない。

 どれほど善良であろうと、それで斃れれば全てが終わる。

 脆弱な存在に、生活を、命を預けられる訳はない。弱き者に命を預けて共倒れなど、誰だって御免だ。

 

 だからこそ、日本皇国軍は力を示さなさなければならない!

 

 

 

 これまで、リビア人の目に日本人は、ただ要塞に立てこもり、攻撃に耐えてるだけのように見えた。

 クレタ島で防衛に成功した、あるいはタラント港を艦隊ごと叩き潰したと聞いても、実感がわかなかった。

 

 リビア人が求めたのは、新たな統治者として相応しい力を魅せる(・・・)こと。

 つまり、自分達の目の前で、自分達にもわかる形で圧倒的な力を示すことをリビア人は望んだのだ。

 無論、侵略者(イタリア)相手にだ。

 

 ”この世で信じるに値するは、ただ剛力のみ”

 

 とは誰の言葉だったか?

 上記二つの理由でその生贄(・・)に選ばれたのが、ガザラのイタリア軍前線基地だった。

 

 なるほど。確かに「戦争とは政治の一手段に過ぎない」のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 後に”ガザラの戦い”と呼ばれる戦闘が、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は大島大使は、すごい戦果をあげていた?w

そして、日本は「政治的目的」の為に、可能ならば1941年度中に速やかにリビアを掌握したいみたいですよ?

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第103話 ガザラの戦い ~反撃の号砲が響くとき、イタリア人は夢から醒める~

いよいよ日本皇国陸軍の反撃開始です。




 

 

 

 10月のその日、イタリア人はあまりに無警戒だった。

 彼らは日本人の海軍や空軍が攻撃的な任務も行う事は、経験として知っていた。

 タラント港は艦隊ごと殲滅され、シチリアの基地は半壊し、メッシーナ海峡は機雷で封鎖された。

 だが、陸軍だけはトブルクでもクレタ島でも守っていただけだ。

 

 歴史を紐解けば、日露戦争の頃から、皇国陸軍は圧倒的に守勢作戦が多かった。

 イタリア自慢の情報部の分析によれば日本人の装備や部隊編成は、その歩んだ歴史から防御に最適化され過ぎて攻勢作成には不向きと結論づけられた。

 例えば、日本の代表的戦車である”TYPE-1”だが、重装甲で高火力だが、機動性が弱く機動防御に特化した作りになっていると分析されている。

 「ブリキ缶」、「憂鬱な乗り物」と評された史実の戦前日本戦車を知っていれば、思わず変な笑いが出そうな評価である。

 

 ”基本、こちらから威力偵察などを出せば返り討ちにされるが、こちらから手を出さねば何もしてこない”

 

 それが北アフリカイタリア軍の北アフリカ日本皇国陸軍への評価だった。

 なので……

 

「ん? 雷か? いや、でも空は晴れてるし……」

 

 世には”青天の霹靂”という言葉がある。

 だが、降ってきたのは雷などではなく、直径約15㎝の人工物だった。

 

「「「ぎゃぁぁぁーーーーっ!!」」」

 

 突然の爆発と閃光! 爆風と炎、そして上空から豪雨のように降り注ぐ、あるいは横殴りに襲い掛かる破片と仕込まれた対人弾子の嵐!!

 その爆発は、一つではなく無数に起き、程なく連なって聞こえるほどの密度となった。

 

 その砲弾を18,000m彼方から放ったのは”機動(・・)八九式改15サンチ加農砲”。

 八九式十五糎加農砲をベースに台座や車輪、懸架装置を変更し細部を改良した、皇国陸軍が牽引可能な機動砲としては現状最大級の火砲だった。

 

 

 

 勿論、撃ってきたのはそれだけではない。

 他にも10㎞離れた砲兵陣地より撃たれる”機動九六式15サンチ榴弾砲”、”機動九一式105㎜榴弾砲”、”機動九〇式改野砲”、”機動九五式野砲”の砲列弾雨(ラインバレル)もそこに加わる。

 

 この5種の野砲による短期集中的な効力射こそが、日本人が初めてこのアフリカの砂漠で全面的な攻勢に転じる”反撃の号砲”となったのだっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 日本皇国陸軍の大小合わせた機動砲(機動戦に対応した牽引式火砲の総称)の一斉砲撃により、後に

 

 ”ガザラの戦い”

 

 と呼ばれる戦闘は幕開けた。

 だが、継続されるのは砲撃だけではない。

 

 お次は60㎞など航空機にとり目と鼻の先と言いたげに、トブルク要塞に隣接した航空基地より飛んでくる30機あまりの”九九式襲撃機”の群。

 今でも優雅に空を舞ってる弾着観測機と同じく陸軍が保有する数少ない航空兵力(直掩機)の彼らが急降下爆撃で投弾するのは、タラントで初めて実戦投入された250kgの”二式二五番三号爆弾一型”。

 空中で炸裂し800個の弾子を直径300mの円状にばら撒く一種のクラスター爆弾で面制圧(・・・)兵器だった。

 おそらく、柔らかい砂地に着弾して不発になるのを嫌がったのだろう。

 この世界線では起きてないが、ダンケルク撤退戦では柔らかい砂浜のせいで衝撃が吸収され不発弾が多く、また爆発しても威力がかなり減じられたらしい。 実際、最初に撃ち込まれた砲弾も、接触だけでなく時限式炸裂信管の物もあり、破片と散弾の集中豪雨をばら撒いていた。

 

 ドイツ式電撃戦(ブリッツェン・クリーク)の影響見え見えな高密度・短時間の集中「砲爆撃同時攻撃」。

 そして、その後に現れるのは……

 

「日本人の戦車が来たぞぉーーーっ!!」

 

「なんで日本人の戦車が攻めてくんだよっ!? あいつら防御専門だろっ!?」

 

 誤解のないように言っておくが、確かに一式中戦車は勿体無い精神の賜物で(兵隊の命を含めた)無駄や消耗を嫌うこの世界線の日本戦車らしく防御力に火力、生存性や壊れにくさや扱いやすさ・整備のしやすさに重点を置いて設計されているが、機動防御が得意な重戦車ではなくバランス重視の中戦車だ。

 攻撃が苦手というのは誤認も良いとこで、実際には戦車としてはオールラウンダーに近い。

 

 また、小兵とはいえ九七式であってもソ連やドイツの戦車相手ならともかく、M13戦車程度が相手ならそうそう撃ち負けることは無い。

 

 

 そして、イタリア人に向けられた多くの主砲は直径75㎜の破壊と殺戮を撒き散らし、存分にその攻撃性と威力を知らしめた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うそやん……」

 

 おう。下総兵四郎だ。

 俺は今、信じられない光景を目撃している。

 

 いやさ、本来の作戦はさ。

 砲兵と急降下爆撃の急襲で慌てふためくイタリア軍を随伴歩兵を率いた戦車隊が押し込んで、陣形やら何やらが崩れて逃げ出す……失礼。撤退や後方への突破を狙うイタリア人を、先んじて回り込んでいた俺たち別動隊が挟撃するってシナリオだったんよ。

 だけど……

 

「ありゃりゃ。イタリア人(マカロニ)共、戦車見た途端に茹で上がり(白旗あげ)やがった」

 

 小鳥遊君、言わんでくれ。

 装甲ハーフトラックに乗って別動隊の一員として行動していた俺達は砲兵の攻撃が始まる前に下車し、気づかれぬように退路となりうる方向からガザラ村に接近、砲弾の音や爆発にまぎれながら狙撃ポジションについたんだが、

 

「完全に無駄足になった……」

 

 大隊規模の戦車が姿を現し、射程に捉えられる位置に停車してから(この時代の戦車は、基本的に走りながら撃てませんので)斉射三連。そして、再び突進し始めたら……

 

(程なく白旗が上がったと……)

 

 まさか降伏した相手を射的の的にするわけにもいかず、俺だけではなく別動隊は1発も撃つことなく戦いを終えてしまった。

 

「捕虜収容所の方の支援にでも行ってみます?」

 

「いや、邪魔になりそうだからやめとこ」

 

 向こうは向こうで陸軍の特殊作戦任務群が行ってるだろうし。

 いや、一応皇国陸軍にもあんのよ? 非正規戦・非対称戦用特殊部隊ってのは。

 

 どさくさに紛れて脱走する兵隊でもいたら、撃ちますか。

 指揮官が白旗掲げてんのに逃げ出すのは明らかな反逆だし。

 イタリア軍だって敵前逃亡は、流石に銃殺だろうし。

 

「なあ、小鳥遊……」

 

「なんです?」

 

「うちの備蓄パスタってどんだけあったっけ?」

 

「いや、知りませんって」

 

 このまま捕虜増え続けられたら、あっという間にパスタ無くなるんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ”ガザラの戦い” 完!!

 

 冗談のように聞こえるかもしれないが、本当にあっという間に終わってしまった。

 周囲を基地化し6000人以上前線基地に陣取っていたはずのイタリア軍だが、戦死者が1000人を超えたあたりで降伏してしまったらしい。

 

 いや、正確には砲兵と空爆、そして突撃してきた戦車の榴弾一斉射やその後の短時間の砲撃銃撃で合計それくらい死傷して、降伏してしまった。

 M13/40戦車や自走砲(セモベンテ)、重砲にドイツ人の置き土産の装備もあった筈だが、それが満足に使われた形跡は無かった。

 いや、斉射三連でかなりの数は目減りさせられていたが、それでも残存車両はあった筈だ。

 しかし、戦車に乗り込み立ち向かってきたイタ公はいなかった。

 

 つまり完全に奇襲攻撃がはまり、あっという間にイタリア人の戦意を挫き、歴史上稀に見るワンサイドゲームになってしまった。

 

 今回投入された日本皇国の戦力は8000名余りだったから数的にも、無論、装備的にも優位だったが、いくらなんでも結果が極端すぎた。

 何しろ最初の砲弾が着弾してから1時間もしないで勝敗が決してしまったのだ。

 

 

 

 慌てたのは、今回前線指揮を任されていた西竹善大佐だ。

 そこで旅団の首脳部を集め、トブルクにいる山下中将と連絡を取り合い、今後の方針を決定することと相成った。

 

 勝つことは想定していたが、まさかここまで消耗なく一方的に勝つとは思っていなかった故の喜劇(・・)だ。

 勝つことで戸惑う指揮官というのも、歴史的には少数派だろう。

 

 ああ、それとリビア人収容所は無事に解放されたぞ?

 というか、特殊部隊が現地抵抗勢力と収容所にカチコミかけた時、既にイタリア人はいなかったらしい。

 おかしい。

 当然、収容所は爆撃からも砲撃からも外されたはずなんだが……

 

 

***

 

 

 

 そして、捕虜のトブルクへの搬送を終えた部隊が戻ってきた頃に方針が決まった。

 

「へっ? このまま湾岸線を通って”アルバイダ”を開放する……?」

 

 なんか小隊長がとんでもないことを言い出したんだが。

 ああ、

 

「残念ながら、これは一種の”アラビアン・ロイヤルオーダー”なんだよ」

 

 苦虫を嚙み潰したような小隊長の顔が、やけに印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、史実より半年以上早く始まった”ガザラの戦い”。
ただし、ドイツ人は既に砂漠の海におらず、攻守も逆転しております。

そのせいもあって、攻撃は完全な奇襲となり戦闘は1日どころか実質的には1時間程度で終了しましたw

本来の計画では、シモヘイが語ってた通り、砲爆撃で防御陣形ぶっ壊し、装甲部隊で押し込んで、後退したところを迂回した別動隊で叩いて包囲殲滅する予定だったんですけどね~。
装甲部隊が出てきた時点で、降伏されました。
日本皇国軍、パスタの備蓄は十分か?w

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第104話 アラビアン・ロイヤルオーダーとロクでもない未来予想(ケース・アイルランド)

実は下総兵四郎(シモヘイ)も地頭自体は悪くないという話。




 

 

 

 

 ”アラビアン・ロイヤルオーダー”

 

 いったい何のことかと思ったが、舞台裏を聞けば妙に納得のいく話だった。

 

 何度か出てきたが、日本皇国軍と協力する現地の抵抗勢力、正確には”サヌーシー教団”というイスラム神秘主義の集団なのだ。

 イスラムで集団と言うとイスラム原理主義とかイスラム過激派とかが真っ先に思いつくかもしれないが、イスラム神秘主義ってのは、スーフィズム……修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一(ファナー)を究極的な目標とする、一種の内面化運動で、ギリシャ哲学とかヒンドゥー教の影響が見られる、イスラム教の中では原理主義とは対極に位置するような集団だ。

 

 もっと簡単に”イスラム世界の革新派(リベラル)集団”と考えてもいい。逆に保守派がイスラム原理主義だろう。

 

 リビア東部の”キレナイカ”地方は元々サヌーシー教団の勢力圏で、イタリアに攻め込まれたその後も抵抗運動を続けていた。

 

 そして、そのサヌーシー教団の頭目(教主)が、”ムスタファ・イドリース・アッバス=サヌーシー”だった。

 

 アッバス=サヌーシーは”サヌーシーの盟主”といった意味らしく、元々イドリースはキレナイカを治めるサヌーシー教団の長、そしてゆくゆくはサヌーシー国家の王となるべく育てられたらしい。

 だが、イタリアの植民地化で全てが狂い、今は教団を率いてイタリアから故郷キレナイカ地方を取り戻す為に抵抗運動を続けているとのことだった。

 

 そのイドリースより日本政府を通して熱望があったのだ。

 どうかサヌーシー教団の中心地である”アルバイダ”、そして”ベンガジ”を取り戻すのに協力してほしいと。

 

 これが「取り戻してくれ」と丸投げなら皇国政府も頭を抱えただろうが、実際に戦力になるかは別にして「祖国奪還に協力しろ」なら大義名分も立つというものだ。

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 この辺の情勢にやけに詳しいって?

 いや、流石に1年以上リビアにいりゃあ、このくらいのことは耳に入るぞ?

 

(なんつーか……)

 

 確かに戦争は、政治の一形態に過ぎないけどさ、

 

「いっそ一周回って清々しいくらい生臭な政治的理由だねぇ」

 

 いや、さすがの俺でも呆れるぞ?

 まあ、政治的欲求で作戦がきまるってのは、古今東西わりとよくあることなんだけどさ。

 

「上はそもそもリビアを掌握したがってたみたいだし、目的と利害が一致してるんだから、アリとかって思ってんじゃないっすか?」

 

 小鳥遊の言う通り、上がリビアを今年中(・・・)に取りたいって思ってるのは、間違いないと思う。

 

 

 

***

 

 

 

 別の世界のこの時代を知ってる転生者なら誰でもわかることだが、ソ連は少なくとも俺の知ってる歴史よりも遥かに追い詰められている。

 史実では落ちなかったレニングラードがいともたやすく1ヵ月で陥落し、ドイツ北方軍団は破軍に覚醒したフィンランド軍と合流、オネガ湖西岸のペトロザボーツクをフィンランドが陥落させ”ペトロスコイ”と改名し要塞化。

 このペトロスコイからドイツ軍が守るノブゴロド、プスコフラインで防衛線を形成し、レニングラードを拠点サンクトペテルブルグとして復興させつつ東進はいったん終えて北方へ舵を切ったらしい。

 

 中央軍集団は堅実な攻めでほぼ冬までにスモレンスクを攻め落として前線基地、あるいは防衛陣地化するだろうし、南方軍集団はウクライナ全域とクリミア半島を勢力下に置くのも難しくないだろう。

 

 うまくすればクルスクやヴォロネジ、あるいはノボチェルカッスクやロストフ・ド・ナヌーも狙えるかもしれない。

 こうなってしまえば、ソ連はより激しくアメリカをせっつくに違いない。

 つまり、自国を攻めるドイツの圧力を減らすための”第二戦線の構築”、それも欧州へのダイレクトアタックを要求してるに違いない。

 

 

 

 信じられないかもしれないが、そのスターリンの要求に従って計画されたのが連合軍が行った”トーチ作戦(モロッコ・アルジェリア上陸作戦)”であり、また”ノルマンディー上陸作戦”なのだ。

 

 なぜ、ソ連の言う事をこうも素直に聞くのか?

 国益など色々な要因があるが、21世紀に入り開示された資料を読む限り、”この時の米国はアカに汚染されつくされていたから”と言うしかない。

 まあ、21世紀に入っても今度はイデオロギーではなくチャイナマネーに汚染され、パンダハガーを大量生産して中国にいいようにやられてるんだから、懲りるということを知らない連中だ。

 はっきり言うが、アメリカ人って政治的には結構アホだよな?

 

(なんせ、”自分の育てた闇に食われる”のはヤンキーの得意技だしなぁ)

 

 朝鮮戦争しかり、ベトナム戦争しかり、アルカイダしかりだ。

 正直、アメリカというのはどうも政治的にいつも危ういし、信用しきれない部分も多い。

 アカ伸び盛りの40年代なら尚更だ。

 

 

 

 だが、今生ではソ連も立場は輪をかけて良くない。

 なんせ、英国が”ドイツ退治”に乗らないからだ。

 日英同盟が健在なだけでなく、ケンブリッジ・ファイブを代表格に国内のレッド・パージが進んでおり、アカの影響はだいぶ減ったってのもあるが……何より、アフリカではウラン脈や貴金属・希少金属鉱脈、アジアでは石油と立て続けに”乳と蜜の流れる新領土”を入手したのだ。

 国土開発と資源化に忙しく、それこそドイツ人と戦争やってる場合じゃないだろう。

 連中がリビアを皇国に丸投げして、アフリカ東岸でイタリア軍フルボッコ作戦に躍起になってるのがその証拠だ。

 きっとコンゴへの打通を行うと同時にアジア・オセアニア資源地帯→マラッカ海峡→インド洋→紅海→スエズ運河→アレクサンドリア→ジブラルタル海峡までの完全な安全回廊を確保するつもりだろう。

 

 おそらく、地中海の安定(聖域化)は日本に丸投げして大丈夫とか思ってんじゃないのか?

 

(そりゃ国益にかなうから上もやるだろうけどさ……)

 

 ”日の沈まぬ帝国”ってのは、考え方が実にえげつないと思う。

 ジブラルタルから英国本土への輸送路も、ドイツと再戦しない限り安全が確保されてるって寸法だ。

 軍事費も抑えられて万々歳ってのが、今の英国じゃないだろうか?

 

(どうやらアメリカに精気吸われて素直に没落や衰退する気はないみてぇだし)

 

 おそらく、史実で戦後アメリカ(あるいは冷戦後に台頭した中国も視野に入れ)が手に入れた力を、そのまま吸引して英連邦の滋養に使おうと思ってるようにさえ見える。

 いずれにせよ、日本としちゃあ同盟国(イギリス)の足腰が強くなるのもマッチョになるのも望むところだから問題ないと言えば無いが。

 

 

 

 さて、米国やそれにくっついてる各国亡命政府(どうせソ連の事だから仕込みくらい入れてるだろうし)は操れるが、日英は上手くコントロールできない。

 というか日本は最近、どこぞの首相のせいでまたしても大規模なアカ狩りムーブメントが起きて、またしても「公務員なら軽くて公職追放+公安のアフターフォロー付」なんてことになったらしい。

 

(本国は相変わらず物騒なこった)

 

 今いる戦地より物騒な気がするのは気のせいか?

 それはともかく、だとすれば……

 

(来年ぐらいにやるだろうなぁ)

 

 いきなり欧州本土は無理だろうから、おそらくはターゲットはアフリカ西岸。

 アメリカは、旧ヴィシー政権、現パリ政権を認めていない。

 つまり、フランスの”中立宣言”も認めていない。

 ただ、今回はドイツと停戦してるだけで味方ではない日本は参戦の口実として使いづらいだろうから、結局、「亡命政府の祖国奪還の為の正義の義勇軍」という形で動くかな?

 

(だから、ヤンキーに北アフリカをしっちゃかめっちゃかにされる前にリビアだけでも確保したいって腹積もりなんだろうが……)

 

 だけど、アフリカ攻めの”足がかり”はどうすんだ?

 英国は手を貸さないと思うが……まさか、

 

(”アイルランド(・・・・・・)”か……?)

 

 アメリカ、いや”(仮称)連合軍”が反英アイルランドに大挙して押しかけ、基地化する?

 

(それやったら、英国は黙ってないぞ……)

 

 ただでさえ混乱を招く中立フランスを叩くのにいい顔をしないだろうし、それで裏庭に大軍なんか持ち込まれたら……

 

(連合軍のジブラルタル海峡やスエズ運河、マラッカ海峡の通過禁止とか平気でやるぞ)

 

 すると日英同盟の船のパナマ運河の通行禁止を対抗措置としてくるだろうし。

 いや、それ以前にアイルランドに展開した兵力で英国に恫喝かけるかもしれん。

 

 あるいは北部アイルランドのアイルランドへの返還要求とか言いだしてもおかしくはない。

 

 そもそも、米国は前世でも今生でも、アイルランド系移民の力は予想以上に強い。

 例えば、その最もたるものが、大統領を生んだ”ケネディ家”だ。

 これ、意外と知られてないが、冷戦時代のIRA(アイルランド解放戦線)は、アメリカでアイルランド系住民から資金調達していたが、時の政府はある程度黙認していたフシがある。

 

(うわぁ……なんか、アイルランド基地化とか本気で起こりそうで嫌だな)

 

 なんせ、ソ連もアイルランドも損をしない。

 英国だけが迷惑を被るやり口でもある。

 英国と米国の間に修復不可能な溝が生まれるだろうが、所詮それだけだ。

 それに今更の話でもある。

 

(俺が考え付くぐらいだし、その可能性を政治家は考えて無いとは思わないけどさ、)

 

 そうなったら戦争の行方、全く読めなくなりそうだ。

 

(いや、モロッコ上陸を狙うならカナリア諸島をスペインからもぎ取るだろうけど……)

 

 俺は、何とかこびりつくような想像、いや妄想を振り払い、目先の戦争に集中しようと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




出て来ましたイドリスとサヌーシー教団。
彼らが出てこないと、この時代のリビアは語れないですからね~。


そして、シモヘイの想像ないし妄想は、現時点では確定未来でも何でもないです。
ただ、可能性としてありえなくはないのが、この世界線の恐ろしさ。

第二次世界大戦と呼ばれるこの時代、もはやどこにスッ飛んでどういう風にどこに着地するのか、転生者達にも見えなくなってきたようですよ?

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第105話 サヌーシー教団の猊下とある外交官の奇妙な冒険(?)の始まり

今回から新キャラ出ます。
割と濃い目かもしれないです。

ただし、相変わらず女の子は一切出てきませんです。
色気が無くて大変申し訳ない。







 

 

 

リビア、北部沿岸、アルバイダ

 

 

 

 く、クルス、じゃなかった下総兵四郎だ。

 今、アルバイダに来ている……来てるんだが、

 

「なんで敵がいねぇんだよぉーーーーーーっ!!!?」

 

 どこにも敵がいやしねぇっ!!

 

 あー、一応状況説明しておくな?

 

 俺達、狙撃小隊は都市戦、市街戦が想定された為に、先遣隊として陸軍特殊作戦任務群と共に本隊に先んじてアルバイダ入りしたんだ。

 

 あっ、そういや初めてここで公に存在が明かされてない特殊部隊の名前を知ったんだけど、”沈丁花(じんちょうげ)”というらしい。

 なんでも花の名前がついた部隊がいくつもあるそうだが(さすがに数は教えてもらえなかった)、意図は「野の花のようにどこにでも(血の)花を咲かせる」存在だそうな。

 

 そのうち、”彼岸花”だの”鈴蘭”だの出てきそうだが、安心してほしいのは孤児の年端も行かぬ少年少女ではなく、普通に俺より年上のオッサンばっかだった。

 

 イカツいオッサンの集団は置いておいて、街に入ったら即戦闘ならまだよかった(良くは無いが)が、同行していたサヌーシー教団の人間が、おそらくは街に潜伏していた連絡員と話し、帰ってくると驚きの事実が告げられた。

 

 なんでも、俺達が街に着く数時間前に、一斉に撤退したらしい。

 まさにプロの手際だった……じゃねぇよっ!!

 

「これで空振り二度目かぁ~」

 

 なんか、特殊部隊のオッサンに「ドンマイ」と肩を叩かれた。

 そういや、収容所を襲撃した”沈丁花”も空振りだったっけか。

 

 おそらくだけど、ガザラ村から真っ先に逃げ出した連中が、伝令となったんじゃないのか?

 

 空は広く、海は青いがストレスだけが溜まってく気がすんゼ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや、流石は勇名高いインペリアル・アーミー! さしもの()も、汝らが姿を見せる前にイタリア人が逃げ出すとは思いもしなかったわっ!!」

 

 かんらかんらと上機嫌に笑うのは、サヌーシー教団の教主、そして暫定リビア・キレナイカ方面首長”ムスタファ・イドリース・アッバス=サヌーシー”その人だった。

 ついでに言えば日本皇国の計画では、樹立予定の新国家”リビア三国連合(トリニティ)”の1ヵ国、”キレナイカ・サヌーシー王国”の国王即位予定者だ。

 

「恐悦至極にございます。イドリース猊下」

 

 そう恭しく頭を下げるのは今回、リビア三国連合設立の為に急遽外務省に招聘されたこのあたりの事情通、また王族への接遇にも慣れている”武者小路 実共(むしゃのこうじ・さねとも)”であった。

 

 史実では、トルコの大使になった後にドイツで日本の全権委任大使として日独防共協定に調印して外交官としてのキャリアを閉め、この頃は”宮内省宗秩寮総裁”になっている筈だ。

 だが、ここはやはり異世界なのだろう。

 当然、不確定の未来はともかく現状で日独との間に防共協定などがあるはずもなく(ただし日英では38年の日本皇国の告発、英国でのケンブリッジ・ファイブの逮捕が重なり39年の同盟条項改訂で防共約定が盛り込まれた)、今生の武者小路はトルコで史実より長い時間を過ごし、大使としてのキャリアを一度は終えた。

 実はこの時代にイタリアに植民地化されたキレナイカから脱出し、トルコに潜伏していた若き日のイドリースと面識を持ったのだ(リビアは伊土戦争前までトルコ帝国の領土だった)

 そして、今回の計画の要であるイドリースと面識を持つ稀有な日本人としてのキャリアを見込まれ、とある”やんごとなき御方”よりお話があった。

 

『実共、朕はそなたの忠君ぶりをよく知っておる。宮内にいることは嬉しく思うぞ。されど今一度、朕の臣民の為に砂漠に赴き、その見識でどうか力になってはくれまいか?』

 

 そうまで言われては嫌とは言えない。

 それに正直に言えば……宮内省は仕事はそれなりに忙しいが平穏であり、自分には少々退屈過ぎた。

 

 それに彼は、将来は大成するかもしれない弟の小説よりも、トーマ・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)の伝記物の方に心躍らせる、公家(くげ)の末裔としては少々冒険心に溢れるきらいがこの男にはあった。

 

(アラビアのロレンスは結局、西欧によるアラブの分割支配の礎になってしまったが……)

 

 ”今度は自分自身が「本物のアラブ人によるアラブ国家の樹立」に動くのも面白い”

 

 心よりそう思ってしまったのだ。

 

「しかし、ベンガジはこう容易くはいきますまい。アルバイダにいた兵力も吸収し、今は軍団規模……6万以上の兵力が終結してると予想されております。偵察機からの報告もそれを裏付けております」

 

 トブルク要塞より飛び立った一〇〇式司令部偵察機の報告では、ベンガジに籠るイタリア軍は防御を固めて徹底抗戦する構えを見せているという。

 

「だが、問題あるまい? 余は皇国軍なら鎧袖一触にしてみせると信じておるぞ。教団(我ら)もまた兵を出そう。日本人だけに血を流させるような無粋はせぬよ」

 

 これは言外に「市街戦は地の利があるサヌーシー教徒がやる。その突破口を空けて欲しい」と言われているのであるが……

 

「そこまで楽観には考えておりませぬが、不可能ではないと申し上げます。そして、イドリース猊下。ベンガジ解放後は、どうかお約束を……」

 

 こちらも言外に「約束違えれば、日本は手を引く」と言っているのであるが、伊達に盟主をやってるわけでは無いイドリースがそれに気づかない訳はない。

 

「わかっておるとも。余は西欧人のような傲慢・強欲ではないぞ? 噓はつかんし舌は二枚もない」

 

 と日本の同盟国を揶揄しながら、

 

「余が求めるのはキレナイカのみぞ。キレナイカがサヌーシー教徒の安息の地であり、我が王国であればそれでよい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イドリースとの謁見後、サヌーシー教団の信徒と一緒に復興の槌の音を響かせる陸軍工兵隊を横目に見ながら、武者小路はアルバイダを後にする。

 歴代転生者の中にはおそらく災害支援や災害復興に長けた自衛隊出身者が相当数いたのだろう。

 あるいは現在もそれなりの数が居るのかもしれない。

 そのせいか異世界の自衛隊の伝統をまるで引き継ぐように、皇国軍はこの手の作業を得意としており、特に工兵隊は群を抜いてると言っていい。

 実はこの世界線でも起きた関東大震災の折りも、まだ当時は数が少なかった重機を駆使して救助活動から災害復興まで大活躍だった。

 

 前に日本皇国のモータリゼーションは農機から始まったと書いたが、あらゆる分野が急速に自動車化してゆくのはこの震災復興を終えた後だ。

 おそらく、ファンタジックな要素を抜いた人外の力、機械仕掛けの神通力を間近に見た皇国臣民の心に火が灯ったのだろう。

 

 そして、武者小路は連絡機に乗り込み、トブルクへと向かった。

 山下将軍に、ベンガジへの全力攻撃を要請するために。

 

 

 

 こうして後の世に、アラビアのロレンスならぬ”アラビアの武者(サムライ)”と呼ばれることになる男が覚醒する。

 武者小路は、決して苛烈な人間ではない。

 

 だが、”アラビアの武者”以外にも”アラビアン・キングメーカー”だの”地中海の王室復興請負人”だのと将来的に呼ばれる男は、やはり只者ではなかった……後世の歴史がそれを嫌って程証明しており、それに比例して軍部と外務省が罵り合いの果ての合同飲み会で親睦を図る機会が増えていくのだった。

 

 リビアは、その武者小路実共の奇妙で数奇な冒険(?)の、まさに最初の一歩だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後年、ある識者は語る。

 

 『外務省の有能な奴は、変人しかいない』

 

 と。

 来栖の乱行にニヤついてるのは本来は監督役である吉田滋であり、今回の一件のために武者小路の外務省への復帰を”やんごとなき御方”に上奏したのは他の誰でもない、外務大臣の野村時三郎だ。

 

 そして、サムズアップして了承印押したのは当然のように近衛公麿首相である。

 結局、こ奴ら黒幕(?)は、転生者かどうかは関係なく確信犯でグルなのかもしれない。

 

 そして世界はまたしても、誰も知らない方向へと向かい始めた。

 

 

 

 

 

 




という訳で、出て来ましたサヌーシー教盟主のイドリース猊下と、ドイツへ行かずトルコでその分長い外交官暮らしをした武者小路外交官。

弟が近い将来有名作家になる人ですw
しかも、”やんごとなき御方”と親しく、王室が権威を取り戻したり、新しく生えてきた日にはもうw
後に外務省は、

「あいつだけはアフリカだの中東だの地中海に行かせちゃ駄目だった……嗚呼、皇室外交の相手国がまた一つ……」

とか未来で言ってそうです。
来栖といい、こんなんばっかな皇国外務省は大丈夫か?
いや~、優秀ではあるんですけどね~。
ただ、時折”無自覚に虎に羽根を付けて海外に飛ばしておいて、後に頭抱える”事があるだけでw

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第106話 Eye of the Desert Tiger with a Japanese Dorchester

名前は何度か出てきましたが、ついに巨魁が登場です。



  

 

 

 ベンガジを攻略する部隊は、当然のように西竹善大佐の独立混成増強機甲旅団だけではない。

 因みに”混成”の二文字が入ったのは、下総達の狙撃小隊を含む第1特務大隊やいくつかの部隊が加えられたからだった。

 

 そして、現トブルクの長である日本皇国陸軍第8混成増強師団、師団長の”山下 泰文(やすふみ)”中将は自ら出陣の準備に入っていた。

 トブルクを任せる副師団長が執務室を出る敬礼で見送る。

 運が悪ければ今生の別れになるかもしれないのだ。

 

 

 

 留守の間は、エジプトに駐屯していた守備隊が交替で入ってきたので問題ないだろう。

 トブルク要塞はアレクサンドリアやエル・アラメインを後方休養地を保有し、大きな作戦でもなければ通常運転の時はローテーションで休ませている。

 そこに常駐する警備隊は、「有事の際の機甲予備」として編成と訓練がなされており、留守を預けるのに不安はない。

 

 そして山下が体を乗り込ませたのは、原型になったAEC軍用トラック(マタドール)も含め日本皇国でライセンス生産をしている”AEC装甲指揮車(ドーチェスター)”だ。

 通称”弩式装甲指揮車”と呼ばれるこの動く師団司令部のオリジナルと違うところを上げるとすれば、エンジンが九八式装甲軽戦闘車と同じ”日野DB52”型空冷直列6気筒ディーゼルエンジンに換装され、出力が原型の1.5倍以上になってるところだろうか?

 最高速は大して変わらないが馬力の余裕分だけエンジンに連結された発電機に余裕があり、通信能力が高いのとエアコンの効きが良いのが自慢だ。

 まあ、このエアコンも乗員用というより、この時代はまだ盛大に発熱する高出力無線機などを故障させないためというのが大きいが。

 

 英国製のそれはロンメルが、リッチモンド・オコーナー将軍ごと砂漠でゲットしてお土産として本国に持ち帰り、現在、リバースエンジニアリングされドイツ版の装甲戦闘指揮車を鋭意製作中であるらしい。

 ちなみにオコーナー将軍は、パリ復権イベントの一環、日英独停戦合意レセプションの一つとして行われた捕虜交換式典において無事に帰国し、現在、軍務復帰の準備に入ってるという。

 史実に比べればはるかに短い捕虜生活、復帰もそう難しくは無いだろう(史実ですらノルマンディー上陸作戦で復帰してるし)。

 

 

 

***

 

 

 

 山下が自ら出陣するのは、”ベンガジ”に投入兵力が問題だからだ。

 トブルク要塞を拠点とする第8混成増強師団と、クレタ島や本国からの増援で編成した西の独立増強機甲旅団の合計兵力は、通常編成師団の2個師団を超える合計60,000人以上の軍団規模だ。

 通常、皇国陸軍では50,000人を超えれば軍団とされるから、指揮権は中将以上となってしまうのだった。

 参考までに書いておけば旅団長は大佐以上、師団長は少将以上、軍団長は中将以上というのが慣例になっている。

 それ以上の兵力、方面軍(○○軍)司令官は大将で、陸海空合わせて現在兵力総数18万を超える皇国遣中東軍総司令官の今村が大将なのは必然だった。

 

 数字の話をすれば、現在山下の手元にある60,000超の兵力は、ほぼ遣中東皇国陸軍が機動的に運用できる兵力の上限に近く、18万という兵力は、ほぼ現在日本皇国軍総兵力の1/6に相当する。

 

 39年より正規軍人募集の間口が一気に拡大されたが、それでも常備兵力は110万人を少し超えるぐらいだ。

 ドイツの再軍備宣言前の35年4月時点で68万5千人、1939年のポーランド侵攻に伴う国家非常事態宣言と同時に組閣された挙国一致内閣が生まれた時点で83万7千人程度の兵力だったのだから、正規兵力(・・・・)だけで30万人近く増やしたのだから、日本皇国政府の本気度がわかるというものだ。

 

 現在、訓練中で戦力になってない志願や兵役義務の訓練兵(一年志願兵制度も含む)と準備が始まっている予備役招集まで行ってようやく250万。

 現在の日本皇国は普通に兵役法があるが、もし戦争が拡大し長引けば、最悪、禁じ手の一つ”徴兵制”を始めなばならない。

 徴兵とは兵役対象者リストに入っていない成人男子の招集、つまり労働力の徴収になるのだから、まさに諸刃の剣だった。

 今のところ、徴兵は議会の承認が無い限りは発動されないが、切羽詰まれば議会も承認せざるえなくなる。

 現在の日本皇国の総人口は、領土の拡大やら栄養面の改善やら医療の発達による新生児の死亡率の低下やら手厚い育児支援などの各種人口増加奨励政策で1億3千万人に届こうかとしている(史実だと本土以外も全て合わせて9200万人弱)、計算上最大動員は600万とされているが、そんな人的資源を戦争につぎ込めば、勝っても負けても国内産業に甚大な影響を及ぼし、勝ったとしても戦後の国家運営に差し障りが出るのは自明の理だ。

 

(そうならないためにも、早目早めの決着を心掛けねばな……)

 

 後に”アフリカの虎”と呼ばれることになる漢は、祖国の未来を思いながら出陣するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 山下が辿り着いたのは、解放されたばかりの”アルバイダ”だった。

 21世紀ともなれば、地球の裏側に居る最前線部隊とも平然とリアルタイム通信が画像付きでできるが、この時代はあるのは出力も指向性も性能も安定性も何もかも足りない無線機だよりだ。

 データ通信もレーザー通信もデジタル通信も衛星通信もない1941年において、トブルクからベンガジまでの距離430㎞を開けて60,000人の指揮を戦況を見極めながらとることは難しい。

 ならばどうするか? もはや物理的に距離を詰めるしかない。その為に英国で開発されたのが、最低限の司令部能力を詰め込んで動けるようにした装甲戦闘指揮車(ドーチェスター)なのだから。

 しかし、ベンガジから約200㎞離れたアルバイダでもまだ遠い。

 ここへ立ち寄ったのは、サヌーシー教団教主イドリースと武者小路特使の仲介で顔合わせすること、そして補給路の確保を確認することだった。

 大軍のアキレス腱になるのはいつの世でも兵站路だ。大軍はその規模故に武器弾薬や食料の消費もまた大きい。

 されど行軍のみで携行できるそれらはたかがしれだ。

 故に補給はより重要になってくる。

 

 加えて、考えたくはないが……ベンガジの戦いで何らかの理由で後退を余儀なくされた場合を考え、防衛拠点として使う場合の”アルバイダ”も合わせて確認する。

 指揮官、司令官は部下の命を預かる以上、常に最悪を考え、最悪の中での最善の行動をイメージするべきなのだ。

 史実の日本軍は、それができていない者が上に多すぎた。

 悲観論も毒だが、上の楽観は敵より簡単に味方を殺すものだ。

 

 

 

***

 

 

 

 実際、前線軍団司令部を置くのなら、アルバイダでも遠すぎる。

 だからこそ、自由に動ける指揮車は価値が高いのだが、

 

「マルジュに設営するしかないか……」

 

 ベンガジまで90km。まだ少し遠い気もするが、他に司令部を置けそうな場所がもう近場にはない。

 敵がやけを起こして死兵化し、玉砕覚悟の突撃をかませる位置に司令部を置くわけにはいかない。

 だが、味方部隊とは「通信が途絶した場合、斥候や伝令が陸路で出せる距離」が適切だ。

 砲兵陣地はベンガジより射程距離に応じて10~18㎞の距離で配するとすれば、

 

「シディ・ハリファ(Sidi Khalifah)からアル・クワイフィヤ(Al-Kwayfiya)あたりにかけて展開するのが適切か……」

 

 そうすると展開する機甲師団は、

 

(ベニナ周辺だな。土地が開けて固く戦車向き、イタリアの重砲が届かないぎりぎりの位置でもある)

 

 ベニナは後年、国際空港が作られる開けた地形だ。機甲部隊を展開するのに都合が良い。

 山下は地図を見ながら、俯瞰図で戦場を脳内投影(イメージ)する。

 山下式の指揮術・司令術はこうだ。

 まず、あらん限りのデータを咀嚼し、作戦の大枠・基本方針を作る。

 次に参謀団と共に細部を詰め、ブラッシュアップしていく。

 ”穴”となる部分を洗い出し、不備を見つけ、実現・実行不能な部分があればそれを現実に即するように落とし込むか、あるいは同等の効果が得られる代案をひねり出す。

 

 攻撃のタイミングは、それぞれの部隊を任せる前線指揮官の手腕に頼ってしまうが、そこは心配していない。

 過信は楽観と同じく禁物だが、信頼をし部下に権限を割り振るのも上に立つ者の裁量だ。

 

 それに山下の仕事はそれだけではない。

 ベンガジ攻略戦は、空軍との共同ミッションだ。

 空軍とのすり合わせも入念に行わねばならない。

 

 史実なら陸軍は巨大な航空隊を持っていたが、現状で攻撃手段として使える航空兵力は九九式襲撃機のみだ。

 制空権の確保や本格的な爆撃は、空軍に任せるしかない。

 

 どこぞの戦死した赤軍都市防衛司令官のように最前線で指揮を執るのが司令官の仕事ではない。最前線の人間が戦いやすい環境と状況を作るのが、司令官の仕事だと山下は心得ていた。

 

「完全機甲化編成の別動隊はタイカ(Tikah)、アン・ナウワキヤ(An Nawwaqiyah)のラインで張らせるか……」

 

 立てこもるイタリア軍を逃がす気は無い。

 無論、長期にわたり包囲するつもりもない。

 

 包囲するなら殲滅を心掛けるべきだ。

 山下は、「イタリア人だから」という理由で甘く見積もったり、過小評価したりはしない。

 そこには慢心も油断もなかった。

 

 ただひたすら、「城塞都市に立てこもる60,000人の敵を手持ちの戦力でいかに屠るか?」を探究する求道者の姿だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マレーの虎ならぬ、後年、あちこちから”砂漠の虎”と呼ばれる事になる、山下将軍がついに出陣です。
喝采を!

ちなみにサブタイは、映画ロッキー3のメインテーマと山下将軍の二つ名をかけて。

戦乱あるところに虎の姿在り、虎の姿あるところに戦乱在り……虎はとても恐ろしい生き物なのです。

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第107話 よく晴れた砂漠の空を、燕は自由に舞う

ベンガジの戦い、開幕です。
先ずは空から……







 

 

 

 さて、日本皇国陸軍が守勢専門部隊だと誤認されがちなのは、主にその戦績、配された戦場の事情ゆえでもあり、また日本皇国はその国政からあまり領土拡大を良しとせず、故に植民地獲得戦争にも出兵させることは少ないという結果故であった。

 

 まあ、これは明治時代に生きた転生者が「彼の知る歴史と同じ拡張政策を続け、大東亜共栄圏構想が成功したとして、黒字経営になるまで必要な投資額と、その後にかかる維持コスト」を興味本位で数年がかりで算出して、その金額に卒倒し、それが後世の転生者達に「安易な拡張政策、破綻と破産と破滅の道標」と詳細なデータと共に戒めとして遺した事や、また「攻撃三倍の法則」が正確かどうかは別にしても、基本的に同等の防御の方が有利な戦況になりやすいのは過去の多くの戦訓が証明している。

 

 実際、「攻撃三倍の法則」を言い出したソ連では、「敵の防衛拠点を攻略する場合、六倍から十倍の兵力集中」を定義している。

 ややこしいのは、これは単純な数の問題ではなく、戦力には様々な増加要素や倍加要素、逆に減衰要素がある。

 

 例えば、人口300万都市のレニングラードを今生のドイツ軍はフィンランド軍まで含めて総兵力50万足らずで陥落してみせたのだ。

 防御絶対有利なら、レニングラード市民がソ連式ドクトリン”動ける者は全員、赤色農兵”というくくりで換算すれば、計算上は1000万規模の軍勢がドイツ側には必要なはずである。

 だが、実際には理論値の1/20程度の戦力しか要らなかった。

 

 何故か?

 ・実際にレニングラード側で防衛戦力として正規兵力換算できるのは、40万人を下回っていたという現実。

 ・また、バルチック艦隊の全滅や度重なる本格攻略前の予備攻撃により補給線が寸断され、戦力維持に必要なインフラにも甚大なダメージが出ていたこと。

 ・周辺拠点が相次いで陥落し、他地区・戦区との連携や支援が事実上、不可能になっていたこと。

 ・制空権、制海権が完全にドイツ側にあったこと。

 ・加えて、レニングラード本戦の前に行われた多くの前哨戦で、回復不可能なダメージを受けてしまったこと(防衛司令官の戦死など)。

 ・史実の1年分の武器弾薬を1ヵ月で消費するほどドイツ側の火力集中・火力投射能力がすさまじく、時間当たりの平均火力投射能力換算でレニングラード防衛側の数倍~10倍以上に達したこと

 

 などがあげられる。

 つまり、人員数ではなく侵攻総合戦力値として、レニングラード防衛側の数倍じゃ利かないくらいの戦力差が攻撃(ドイツ)側にあったからこそ、ああもあっさり陥落したのだ。

 

 そして、その縮小版が今まさにベンガジで再現されようとしていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「空は快晴。アフリカらしく晴れ渡り、されどところにより鋼鉄と炸薬の雨が降るでしょう」

 

 なんか久しぶり。

 現在、トブルク基地に隣接した空軍基地に配属の一〇〇式司偵乗り、徳川家が大っ嫌いな”滋野清春”だ。

 確か、クレタ島以来か?

 

 いや、なんかお前しか偵察機乗りはいないのかって言われそうだが……先に言っておくが、たまたまだぞ?

 

 それに正確に言えば本日の俺の任務は、偵察ではなく純粋な先導機、つまり後ろコンバットボックス組みながら飛んでる一〇〇式重爆”吞龍”の水先ならぬ空先(・・)案内人ってことだ。

 

 そんな訳で、俺の一〇〇式も今日の奴はレアな特別仕様機、機首に捜索電探に逆探、高出力通信機に電波高度計と連動した慣性航法装置を搭載した”パスファインダー・スペシャル”って呼ばれている奴だ。

 なんでパイロットの俺とレーダー/航法士、後部旋回機銃手を兼ねた通信士の三人乗りだ。

 

「機長、電探に感在り。前方11時方向、下方より上昇中、時速450㎞より増速。数およそ20」

 

 淡々と報告するレーダー士君。英国との共同開発で既に隠しハイテクのPPIスコープが実用化されているとはいえ、この時代のレーダーはまだまだ大雑把な電波反射情報しか映し出さない。

 その輝点の電波反射強度の増減と移動の僅かな情報でそこまで読み取るなんて、随分と腕のいい奴をよこしてくれたもんだ。

 

「通信! 護衛戦闘機隊に敵機接近の報、方向と数、送れ!」

 

「了解!」

 

 頼むぜ”隼”に”飛燕”……お前らの活躍次第で身重の連中(ばくげきき)の生存率が変わってくるんだから。

 

 

 

***

 

 

 

「ふん。ようやく連中も新型を出してきたってわけか」

 

 隼になっていた時代なら無理だった、増速して一〇〇式司偵を”後ろから追い抜く”ってのは正直、気分がいい。

 それまで一〇〇式のものだった”日本皇国最速の航空機”の座は、今や”飛燕”のものだ。

 

(最高速630km/hは伊達じゃないってな)

 

 ああ、皇国空軍の”篠原博道”だ。

 今回の作戦のため、クレタ島から少し前に転戦してきた。

 心配するな。あっちは平和なもんだ。時折飛んでくるイタ公の爆撃機や偵察機は、地上要員や整備兵も含めて新人共の良い教材になる。

 隼も良い機体だったが、飛燕も負けちゃいない。まず、加速がよく、最高速までストレスなく伸びてゆくのが実に良い。

 

「飛燕隊各機に告ぐ! 敵の新型は、資料にあったマッキMC.202”ファルゴーレ”のお出ましだ。最高速はこっちの方が速いはずだが、性能はこれまでのイタリア機とは別次元だ! 褌締めてかかれよっ!!」

 

『『『『了解っ!!』』』』

 

 僚機の金井をはじめ、悪くない空気だ。

 

(レーダーってのはやっぱ便利なもんだな……)

 

 有視界に入る前に敵機の接近がわかるんだから。

 やはり、そのうち大半の戦闘機にも積まれるようになるのだろう。

 

(それにしても、飛燕とファルゴーレが戦うなんて、なんという皮肉)

 

 俺の知ってる歴史じゃあ、飛燕は連合軍から”トニー”って識別コードをつけられていた。

 トニーってのはイタリア系アメリカ人に当時は多かった名前で、由来は「飛燕がイタリア戦闘機に似ていたから」らしい。

 そのイタリア戦闘機ってのが、MC.202だったわけだ。

 

(まあ、確かに印象は似てるかもな……)

 

 三枚ペラの水冷エンジン機、おまけにどっちもまだら模様の砂漠迷彩パターンときてる。

 

(一応、注意喚起だけはしておくか)

 

「各機、敵の新型は何の因果か飛燕にシルエットが似てる! 同士討ちするような間抜けな真似するんじゃねぇぞっ!!」

 

 では、空中戦を楽しませてもらおうじゃないか。

 久しぶりの本格的な狩りの時間だ。

 

「金井、遅れるなよ! 突っ込むぞ!」

 

 俺は二機編隊(ロッテ)を組む僚機に声をかける。

 

『あいよっ!』

 

 背中を安心して任せられる相棒がいるというのは幸運なことだな。

 俺は天に居るらしい何者かに感謝しつつ、スロットルを開け操縦桿を前へと倒す!

 プロペラの回転上昇に降下速度を相乗させることで、一気に増速させると同時に、ジャイロ安定式照準器の中の敵機が膨らんでゆく。

 

「そこっ!」

 

 両翼合計4丁のホ103が快調に火を噴き、装填したマ弾が敵機に吸い込まれると連鎖爆発を起こさせ、空中で爆散させる!

 

(新型とはいえ、そこまで頑丈ではないか……)

 

 頭の中で敵機の強度計算を行いながら、無意識で戦術機動を組み上げ、

 

「戦闘機隊各機に告ぐ! 伊新型の強度は従来と大差ない! 遠慮なくブチこめっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アフリカの空を自由に舞う燕、ただし日本皇国製の機械仕掛けである。

という訳で、最初は定石通り制空権の奪い合いから。
イタリアもまだ数がそろってなくエース部隊に先行配備されている最新鋭MC.202”ファルゴーレ”を惜しげもなく迎撃に投入です。
無論、日本も一切手を抜くつもりもなく、飛燕に隼、吞龍に一〇〇式司偵と最新鋭機とエースを投入。

ただでさえ暑い砂漠が、火薬と硝煙で更に熱くなりそうな予感……

果たして、ベンガジの戦いはどんな結末を迎えるのか?

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第108話 屠龍とRP-3。時折、空は快晴なれどタチの悪い爆弾の雨が降るでしょう

色んな種類の鋼鉄と火薬の雨は、主にイタリア人の上に降り注ぎます。

※すいません。ちょっとラストの方、テンポ悪い気がしたので、短くしました。


 

 

 

「ほう。良い動きをするじゃないか……」

 

 日本皇国空軍を代表するエースの一角、篠原博道はスロットルを開け、

 

「最新鋭機に腕利き(エース)! 相手にとって不足無し! いざ尋常に勝負せよっ!!」

 

 ノリノリであった。

 制空戦は、どうやら皇国空軍がとったようだ。

 史実でMC.202(ファルゴーレ)が最初に配備されたのは、北アフリカのエース部隊だったらしいが、どうやらこの世界線も同じような第一次世界大戦のイタリアン・エースの名前を継承した部隊だったらしい。

 

 

 

 篠原率いる飛燕隊も、流石にまったくの無傷という訳にはいかなかったようだが、何とか押し切りベンガジ周辺の制空権を確保。

 イタリア空軍の戦闘機も飛燕隊の迎撃を潜り抜け”吞龍”に接近しようとする猛者もいたが、それを待ち構えていたのが”隼”隊だ。

 速度に勝る飛燕に一番槍を任せ、爆撃機隊に張り付いていた隼は、待ってましたとばかりに飛燕との戦闘で消耗したファルゴーレに襲い掛かり、見事に残機を掃討してみせたのだった。

 速度の優位を生かせぬ、乱戦じみた巴戦において隼に勝てる機体はそうは無いだろう。

 

 

 

 次に待ち構えていたのは高射砲の出迎えのはずだっただったが……

 

「地上からの対空電探の反応なし。事前調査通り、敵高射砲はドイツ人のような電探連動ではありません」

 

 レーダー士官の報告に滋野清春はニヤリと笑い、

 

「イタリア高射砲部隊の諸君、そんなに上ばかり見てていいのかな?」

 

 

 

***

 

 

 

「敵機、急速に接近!」

 

「そんなもの見ればわかるっ!!」

 

 今のところ数門しかまだベンガジに配備されていない最新鋭高射砲”Da 90/53(90㎜53口径長)”を任されたボルッチオ大尉は双眼鏡で近づく日本人の爆撃機隊を睨みながら「まだ遠いか……」などと呟いていたが、

 

「大尉殿! 違います! 超低空から敵機急速接近ですっ!!」

 

「なにっ!?」

 

 だが、部下の指さす方向を見たその表情は更なる驚愕に染まった!

 

 低空を信じられないような高速でカッ飛んでくる双発機……その名を「試製(先行量産型)二式襲撃機”屠龍”」という。

 先の補給で到着した、完成したてホヤホヤの皇国空軍(・・)で最も新しい機体であり、エンジンは史実より強力なハ35”栄”を両翼に搭載し、後方の爆撃手兼航法士が操る高度な慣性航法装置・電波誘導装置・電波高度計を備えることにより従来の機体より遥かに安全に低空飛行が可能となっていた。

 機首には強力なホ203/37㎜機関砲と言いたいところだが、生憎と今アフリカの空に現れたのは先行量産型、史実で言う”甲型”準拠の機体で、機首に搭載されているのは生憎と37㎜砲ではなく20㎜機関砲、後に”ホ5/二式20㎜機関砲”と呼ばれる試製機関砲が2門と、対地操車用にホ103/12.7㎜機銃が2丁、またホ103旋回機銃が後部座席に備え付けられていた。

 本来、襲撃機(=対地攻撃機)は、陸上戦力直掩機で陸軍の管轄なのだが、双発複座の大型機は流石に現状のアフリカ部隊では整備や運用に手が余るということで、空軍の管轄となった。この世界線の日本の陸軍は、ちゃんと自分の身の丈という物を理解しているのだ。

 将来的には陸軍が運用予定(そのための訓練やら何やらは始められている)だが、現状とて任務自体は変わらない。

 特に激しくアピールされていたのは、主翼下に吊るされた無数の先が尖った筒状の細長い物体。

 巨大な機械仕掛けの蟇目矢(ひきめや)にも見えるそれは、盛大な炎と煙を吐きながら、翼より解き放たれる!!

 

 

 

ロケット弾(・・・・・)だとおっ!?」

 

 次の瞬間、高射砲陣地は亜音速で飛び込んできた”RP-3空対地ロケット弾”が炸裂するっ!!

 

 

 

 ”RP-3空対地ロケット弾”は、史実では大戦中に英軍が開発し1942年より大戦後半にかけて使用したが、この世界線では一刻も早く効果的な空対地(暫定的な空対艦)噴進兵器が欲しかった日本皇国軍が資金援助も含めた共同開発を持ち掛け、この度ついにアフリカに先行量産品が回され実戦テストの段階までこぎ着けたのだ。

 

 現在使用されているRP-3は、何気に史実の戦中型RP-3より完成度が高い。

 実は試作型はドイツがポーランドに攻め込む頃には完成していたのだが、熟成を重ねて、例えば初期試作型に採用され重量や空気抵抗の悪化を招いた長い発射レールと防噴炎パネルは不要と判断された。

 また射爆照準器にもロケット弾用の調整機能が追加された照準器が並行開発された。

 

 また、RP-3を起点として、空対地型だけでなくもうすぐ実戦使用されるであろう地対地型が開発され(このあたりの経緯はソ連の空対地ロケット弾のRS-82 / RS-132とカチューシャで知られるM-8/M-13地対地ロケット弾の関係に酷似している)、またこれと並行して上陸作戦用に艦艇搭載型対地ロケット弾の開発が行われていた。

 つまり、RP-3ロケット弾とその派生型は、陸海空軍の全てに採用される運びとなる予定だ。

 史実の大日本帝国における噴進兵器の開発は、列強各国に比べ遅れていたので、これは大きなアドヴァンテージと言えよう。

 

 

 

 蛇足になるが、RP-3の原型となった”Z-バッテリー”地対空ロケット弾多連装発射機も日本皇国軍で量産が開始され、活躍の描写が無いだけで既に試験配備されていたりする。

 しかもこの対空ロケット弾、ジャイロ安定装置と光電式ではなくより動作が確実な電磁式(・・・)近接炸裂信管(VTヒューズ)を内蔵しており、中々に実用性が高く、陸軍では固定式以外に機動式や車載(自走)式、海軍では艦載対空兵器としての開発が行われていた。

 

 RP-3のサイズは史実と同じく直径2インチの25ポンド(11kg)型と直径3インチの47ポンド(21kg)型があり、マルジュに設営された野戦飛行場から飛び立った20機の”屠龍”は、九九式襲撃機の倍の500kgのペイロードを見せつけるように47ポンド型を20発を左右の主翼に懸架していた。

 そして、イタリア人が目立つ上空の爆撃機隊に気を取られている間に、「双発機が高機動低空攻撃ができないと誰が決めた?」と言いたげにNOE(ノップ・オン・ジ・アース)と呼びたくなる墜落ぎりぎりの超低空飛行でイタリア人高射砲陣地に接近し、ほぼ水平発射でロケット弾を叩きこんだのだっ!!

 

 そして、フライパスする際の機銃掃射もきっちりしているあたりも抜け目がない。

 ちなみに弾頭は、通常の高性能炸薬を詰めた通常弾頭や対装甲用の成形炸薬弾頭ではなく、炸裂と同時に無数のベアリング球のような対人散弾をまき散らすタイプだった。

 つまり最初から、高射砲自体を破壊するのではなく、高射砲操作要員の殺傷を狙った殺意の高い攻撃だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 防空戦闘機が排除され、主だった高射砲陣地は甚大なダメージを受けた。

 悠々と上空の現れた吞龍隊は、偵察機で何度となく撮った航空写真で確認した重砲陣地へと投弾を開始する。

 

 いわゆる”絨毯爆撃”だ。

 幸いにしてというのも妙だが、イタリア軍の陣地は街中に住民を盾にするように置かれたわけではなかった。

 ただし、これは人道云々ではない。

 古式ゆかしい伝統的市場(スーク)が広がるベンガジの市街に、重砲をまとめて配置できるような場所が無かったのと、日本人の攻撃に呼応したサヌーシー教徒に襲撃されるのを恐れたのだ。

 

 つまり、ベンガジ郊外に築かれた陣地に爆弾の雨が降り注いだのだ。

 ただし、この爆弾、爆弾自体は標準的な25番(250kg航空爆弾)なのだが、信管部分に少々面白い仕掛けがしてあった。

 爆弾は砂地に落ちた場合、衝撃が分散して接触信管が作動せず不発になる場合がままある。

 北アフリカに展開して1年、それを実戦で学んだ日本皇国軍は、接触信管以外に時限信管を組み込んだ爆弾の開発を依頼した。

 凄まじいGで発射される高射砲弾にも時限信管は組み込めるのだから、大した手間はかからなかった。

 むしろ爆弾の信管ユニットを交換するだけの改造キットが制作され、時限信管を組み込んだ爆弾は”砂漠戦特別仕様(デザートスペシャル)”と呼ばれた。

 地面に着弾した途端、爆発する。砂地に落ちて不発でも、撤去する前に爆発する。

 

 

「なんだ、我々の使う手榴弾(あかいあくま)のような爆弾はっ!?」

 

 そう恐怖したという。

 だが、彼らが日本人の落とした爆弾に感想を言っていられる時間は長くなかった。

 程なく、1発の威力よりも持続的な破壊が恐怖を誘う、日本皇国陸軍自慢の砲兵隊のアンサンブルが、連なる爆発音という戦場音楽を奏で始めたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 




まず、一番良い勝負をしていた戦闘機隊が押し負ける。
迫りくる爆撃機隊を撃ち落とそうと思ったら、低空侵入してきた対地攻撃機にロケット弾の嵐を食らう。
戦闘機も高射砲も排除された空で、爆撃機が重砲陣地に爆弾を落として重砲を壊しにかかる……

これ、まだ陸軍の砲兵隊が1発も撃ってない状況での被害なんですね~。
山下将軍、油断も慢心も躊躇も遠慮もないです。

北アフリカのイタリア軍も苦しい事情はあるんですが……まあ、それを言っても仕方ない。
哀しいけど、これ戦争なのよねw


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第109話 機動砲と狙撃銃、そしてザーフィラちゃん……?

本日は故合って昼休憩投稿。
そして、100話を超え、110話手前でようやく……


 

 

 

 日本皇国陸軍は、守勢専門部隊だとよく誤認されるが、装備面を見る人が見るとそれが全くの誤りだとすぐに気付くはずだ。

 ”機動八九式改15サンチ加農砲”に始まり、今回の作戦に参加した”機動九六式15サンチ榴弾砲”、”機動九一式105㎜榴弾砲”、”機動九〇式改野砲”に”機動九五式野砲”と、日本の野砲には機動(・・)と付く物がやけに多い。

 原型となった大砲も車輪がつき牽引できるはずなのに何が違うのか?

 

 これは単純に、機動と付く大砲は、全て”自動車などによる速い牽引に特化(・・・・・・・)した大砲”であるのだ。

 実は、第二次世界大戦においても大砲を牽引するのは馬だったり、場合によっては人だったりするのは珍しい話ではない。

 その状況で牽引速度はさほど早いとも言えないだろう。

 

 だが、疲れを知らずパワーのある軍用車が幅をきかせ、それらが大砲を牽引するようになってから状況が変わった。

 自動車の速度で牽引した場合、多くの野砲が壊れた(・・・)のだ。

 考えてみれば当然の結果だった。

 そもそも自動車の牽引速度で引くようには車輪部分は作られていないのだ。大砲の強力な反動に耐えられるように台座は作られていても、地面から突き上げられる衝撃や、車軸や車輪にかかる摩擦は全く別の耐久力が必要になる。

 移動速度の上昇と同時に等比級数的に上がるこれらのエネルギーの過負荷に強度限界があっさり超えて壊れたのだ。

 

 かといって大砲の牽引限界速度に合わせて移動速度を落とすのは本末転倒。

 折しも日本でも始まっていたモータリゼーションの影響で、陸軍の自動車化、装甲化は急務とされていた。

 

 そこで編み出されたのが自動車の牽引速度に耐えられる大砲の開発、”機動(・・)砲”の誕生である。

 実際の解決法はシンプルで、設計に手間のかかる大砲の自体は大きな設計変更はせずに、台座(砲台)の方を新規設計。衝撃に強いパンクレス・ゴムタイヤや立派なサスペンション、衝撃を逃がす車軸構造など、自動車の設計応用が大いに導入された。

 

 この効果は実に大きく、移動速度の上昇で素早く砲撃ポジションにつき砲撃できるようになっただけでなく、弾道からこちらの砲撃位置を逆算され飛んでくるカウンター・バッテリー(反撃砲撃)が始まった場合も素早く移動できるようになったのだ。

 砲兵というのは、一度砲弾を撃つと位置が露呈しやすい兵科なのだ。

 

 このような砲兵の機動(・・)力を底上げするような軍隊が、防御一辺倒な訳はない。当然だった。

 もし本当に防御だけなら、むしろ固定砲の方にもっと力を入れたかもしれないし、ましてや機動砲では飽き足らず砲兵と大砲と弾薬を車体に乗せて、移動したらすぐ撃てて、撃ったらすぐに移動できる」ような”自走砲”なんてものまで開発したりはしないだろう。

 現在、まだ(・・)2種類しか出てきていないが、この2種類で止まるとは誰も言ってないのだ。

 

 比較ついでに言うと、ドイツ軍の砲兵は史実と比べ物にならないくらい強い。

 同じ数なら、米ソの砲兵隊とやり合ってもそう簡単に撃ち負けはしないだろう。

 砲兵が弱くて、急降下爆撃に頼った史実のドイツとはまさに隔世の感がある。

 そして、今後は益々強くなる。

 そして日本皇国陸軍は、そんなドイツ軍と”正面から殴り合う”為に、日々努力をしているのだ。

 

 

 そして現在、日本皇国陸軍が潜在的に持つ”獰猛なまでの攻撃力”が、遺憾なくイタリア人に発揮されつつあった。

 

 

 撒き散らされる破壊と殺戮。

 今となっては世界中で見られるありきたりの風景だが、ベンガジを巡る攻略戦は、何もここだけで起きているわけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 おっす。シモヘイ……ではなく下総兵四郎だ。

 現在、俺達狙撃小隊は皇国軍の攻撃のどさくさに紛れて特殊部隊と現地協力者(サヌーシー教徒)のエスコートを受けてベンガジの街に入り込んでいる。

 要するに、イタ公が皇国の攻撃に耐えかねて街中に逃げ込んで住人を盾にしようとしたら真っ先に射殺する役目を任されたってことだ。

 誰だってそりゃあ民間人巻き込んだ血みどろ、泥沼の市街戦なんてやりたくないってことなんだが……

 

「おやぁ?」

 

 何やら手に手に武器を持った住人が街中にわずかに残ったイタリア人を襲撃し始めたんだが?

 あー、見覚えのある武器がチラホラ見えるな~。

 なるほど、なるほど。日本皇国がサヌーシー教団に流した武器が、街中に持ち込まれていたのかぁ~。

 

 ちょっとスコープの先の情景が急展開過ぎて、頭の回転が追い付いてないっす。

 いや、友軍の洒落にならない砲撃が始まったのは、砲弾の飛来音ですぐにわかった。

 連続した爆発。

 イタリアンな砲兵からの反撃がかなりしょぼいところから見ると、さっきの爆撃で相当なダメージを負ったらしい。

 

(本来ならここからは味方の砲撃支援の中、戦車隊が随伴歩兵従えてイタリア陣地を踏み潰しにかかるはずだが……)

 

 

 

 かくゆう俺は、戦車に押し込まれたイタリア人を待ち伏せるためにベンガジの街、イタリア軍が大砲撃ち込んだせいで崩れかけたモスクの天蓋ドームに小鳥遊君と潜んでいます。

 いや、そりゃさ……神聖なモスクを異教徒のしかも侵略者な外国人にぶち壊されたら怒髪天になるのもわかるけどさ。

 

「意図せず市街戦、始まりやがりましたが……中尉殿、どういたします?」

 

 小鳥遊君、こんな時だけ階級呼び+殿付けはズルくね?

 要するにわが軍の猛攻に感化され、怒り心頭のベンガジ市民は自らの闘争を始めたってことなんだろうけど。

 

「祖国解放のために戦う連中を、まさか見殺しにするわけにはいかんだろ?」

 

 便衣兵ってのは本来、テロリストと同じ扱いなんだが、この期に及んで教条的な事を言っても仕方ないだろ?

 俺は九九式狙撃銃を構えながら、

 

「"Zafira" , 'ant tuharib eibadat Al Sunusii , 'alays kadhalika?(”ザーフィラ”ちゃん、戦っているのはサヌーシー教団ってことで良いんだよね?)」

 

 街中に入るなり案内役として紹介されて合流、見事に俺と小鳥遊をここまでエスコートしてくれたサヌーシー教団の少女(多分、お胸がぺったんこだからそう呼んで良い歳だと思う。多分)、ザーフィラちゃんに最後にアラビア語でそう確認する。

 

 あっ、多分、これは偽名だ。

 アラビア語で”勝利”って意味の女の子につける名前で、男性名になると”ザーフィル”になるらしい。

 おそらく、今のベンガジには何人もザーフィラちゃん(さん?)やザーフィル君がいることだろう。

 

 すると如何にもアラビアンな美少女なザーフィラちゃんはお目目をキラキラさせて、

 

「Barak Allah fi almuharib alkarim !(高潔なる戦士にアッラーの祝福を!) Junud Al Sanusii yuqatilun alan !(まさに戦っているのはサヌーシー教徒です!)」

 

 なんか表情とセリフが合ってない気もするが……それはさておき、サヌーシー教団の人間なら問題ない。

 彼らとは協力関係にあり、イタリア人は敵だ。

 ならどっちの味方をするか考えるまでもない。

 俺は真新しいスコープにターゲットを捉えて、

 

Allāhu(アッラーフ) akbar(アクバル)!」

 

 きっとサヌーシー教団には受けの良い掛け声とともに引き金を引く!

 狙い通り、放たれた7.7㎜弾は射撃命令を出そうとしていた尉官の階級章を付けたイタリア人の胴体真ん中に命中する。

 

 スナイピングってのは、一発必中は心がけるが、”ゴルゴダの丘に掲げられた13番目の男”じゃあるまいし、必ずしも眉間を射貫き一撃必殺である必要はない。

 無論、ヘッドショットを狙い、標的を必ずこの世から追放せねばならないミッションもあるが、原則、敵の戦闘力を奪えれば良いのだ。

 なので俺は、基本的に的が小さくよく動く頭より、胴体の中心、上半分を狙うようにしていた。

 一撃で死ななくとも、戦場では即死より出血死の方が圧倒的に多いのだ

 心臓付近に命中すれば、そう簡単に出血は止まらないし、衛生兵の数には限りがあるし、そばにいるとは限らない。

 

「中尉殿、次の標的! 右2時15分方向! 距離約300! 建物の陰に潜んでる!」

 

「おうっ!」

 

 俺は、素早く新たな標的に照準を定める。

 

(いや、別にいいんだけどさ……)

 

 美少女がイタリア人が射殺されるのをうっとりした表情で見て、顔を赤らめながらはぁはぁと小さく息を荒げてるの、なんか怖いんだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アホみたいな重火力の投射の後は……

よーーーーーやく出せた! このシリーズ初の女の子キャラ!
ただし、偽名でなおかつちょっと怖いというアラブ系美少女(ぺったん娘)w

そして、シモヘイが何やら妙なフラグを立てたような……?

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第110話 ある意味において陸海空軍による超大規模電撃戦と、その最後の一押しをした史実ですら時代を先取りしていた船

本日は、一日中忙しい感じなので朝から投稿します。
第100話”TYPE-97 Family”の伏線回収回……かな?




 

 

 

 イタリア軍は端的に言って、絶望の渦中にあった。

 日本人の攻撃は、これまでみた英国人の攻撃よりもさらに凄まじく、次々と死体の山を製造している。

 また、情報は錯そうしているが、後詰めでベンガジ市内に残してきた部隊が原住民の武装勢力に襲撃され、各個撃破されているらしい。

 おまけに史実ではいたはずのドイツ人は、影も形もない。

 

(撤退しかないか……)

 

 ベンガジ防衛司令官、マッガーレ・バスティコ陸軍大将は苦悶の表情を浮かべていた。

 去年、「イタリア空軍近代化の父」と謳われたエイタロ・バルボ空軍元帥が”事故死”してから、彼は何もかも上手くいってないことを肌で感じていたのだ。

 確かに自分も、バルボ元帥亡きあとにイタリア・北アフリカ軍総司令官の座に就いた上官のガリボルディ陸軍元帥もロンメルを嫌っていた。

 だが、「イタリア軍の非協力的態度」を理由に持ち帰れない装備だけ置き土産にして、とっとと本国へ帰る必要はないじゃないかとさえ思っていた。

 実際、ロンメルは

 

 『イタリア人は、ドイツ人と共に戦うつもりはないようだ』

 

 とコメントを残し、数々の”イタリア軍の非協力的な事例”を一つ一つ、事細かに上げていった。

 そして、それはドイツとの同盟を解消させたい(・・・・)背中に付いた赤い紐がモスクワまで伸びるイタリア社会主義者の左翼系労働新聞で大々的に報じられた。

 無論、「イタリア軍の態度に嫌気がさし、ロンメルが部下共々アフリカを去った」こともだ。

 

 だが、実際のところはロンメルは北アフリカでの日本人を仮想ソ連とした”訓練監督官”の役割を終えていたし、帰った本当の理由は”バルバロッサ作戦”の発動が近くなったからだ。

 

 ついでに言えば、「ロンメルがイタリア人を嫌って帰国」という情報をイタリア左派メディアに流したのは、他の誰でもないハイドリヒ率いるNSR(国家保安情報部)のイタリア潜伏エージェントだ。

 

 そして悲しいかな、イタリア人のロンメルに対する非協力的な事例も、またロンメル自身のイタリア人に対する率直な感想、「イタリア人と共に戦うのはうんざりだ。二度と同じ戦場に立ちたくない」に噓は無かった。

 

 真実というのは残酷で、時に酷く強い。

 なのでロンメルがバルバロッサ作戦に控えて帰国したとは今でもイタリア人は誰も思っておらず、ロシア人はその帰国が自国が攻められる前兆だと考えなかった。

 

 結局、イタリア軍もムッソリーニも、ドイツ人やヒトラーの思惑など予想もできなかったのだ。

 正確には、今でもできていない。

 

 だが、バスティコ将軍に降りかかる不幸はそれだけではなかった。

 

「なっ!?」

 

 伝令が持ってきたその報告を読んだ途端、バスティコは硬直し、思考が空白化した……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンガジのイタリア全軍から一斉に白旗が上がったのは、その10分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「ヲイヲイ、一体全体どうなっていやがる……」

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 俺は今、とんでもなく困惑している。

 

「いくら何でも、降伏するの早すぎだろ……」

 

 それにタイミングがおかしすぎる。

 最初から降伏する気なら、爆撃やら重砲やらをぶち込まれる前、遅くともその直後の戦車戦に移行する前のインターバルにすべきだ。

 

 始まってしまえば一番止めにくい戦車戦の段階で白旗あげる意味が分からん。

 だけど、その答えは伝令から言伝を受け取っていた小鳥遊が教えてくれた。

 

「中尉殿、えらいこったわ」

 

「何があった?」

 

「”エル・アゲイラ”が、ついさっき陥落したとさ」

 

「はあっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 エル・アゲイラ

 ベンガジから南南西に向かって300㎞ほど下ったところにあるシドラ湾(資料によってはスルト湾、シルテ湾とも呼ばれる)に面した場所で、天然の良港が自慢の街”ブレガ”にほど近い。

 ここは今はイタリア人の支配下にあり、物資集積所と基地が築かれ、そして1万人近くのリビア人を無理やり押し込めた、劣悪な環境の強制収容所があった。

 これで「リビア解放」のお題目は整った。

 

 

 

 さて、皆さんは不思議に思わなかっただろうか?

 ガザラ、アルバイダ(戦闘自体は無かったが……)、ベンガジと連戦したが、活躍したのは陸軍と空軍だ。

 だが、日本皇国にはもう一つ巨大な軍事組織があったはずだ。

 そう、海軍だ。

 

 そして、時は少しだけ遡る。

 

 

 

***

 

 

 

 日本皇国海軍遣地中海艦隊は、アレキサンドリアを元々は母港としていたが、現在はトブルクを母港とするために工事を行っている強力な艦隊だ。

 その陣容は、

 

 ・長門型戦艦(長門、陸奥)

 ・金剛型巡洋戦艦(金剛、榛名)

 ・翔鶴型正規空母(翔鶴、瑞鶴)

 

 という強力な物だった。

 だが、今や本国からの増援がインド洋と紅海を越えてやってきて合流。更に編成が強化されていた。

 最大のトピックは、

 

 ・雲龍型正規空母(瑞龍、昇龍)

 

 の2隻の正規空母の追加だろう。

 しかし、皆さんは覚えているだろうか?

 スエズ運河に潜んでいた各国諜報員が、

 

”日本皇国海軍、4隻(・・)の正規空母をアレクサンドリアに向かえり。2隻は雲竜型正規空母、残る2隻はタイプ不明。隼鷹型軽空母の発展型の可能性あり”

 

 と報告していた事を。

 ”それ”は確かに存在していた。

 200mに達する全通飛行甲板を持ち、その甲板の上には油圧カタパルトが1基設置され、九九式艦上爆撃機(?)が並ぶ。いや、よく見れば最近は観測機や艦隊内連絡機や軽輸送機として重宝され、急速に配備が進んでいるオートジャイロ”カ号観測機”の姿も見える。

 昇降機は戦隊左右に1基ずつで、今は装甲シャッターで閉じられている。

 確かに見た目は空母そのものだ。着船制動装置・着船指揮装置・着艦誘導灯、そして英国生まれのコンゴ……ミラー着艦支援装置という日本空母に必須の艦上機運用セットは一通り持っていた。

 しかし、その船尾には通常の空母にはありえない大きな装甲シャッターが付いていたのだ。

 

 全長205m、基準排水量16,500t。

 この船の名は、

 

 ”あきつ丸”型強襲揚陸艦

 

 のネームシップ”あきつ丸”と2番艦”やしま丸”であった。

 彼女たちの事を語るには、まずカ号観測機運用能力の追加や防空能力の強化などの近代化改装を終えて同じく地中海へ来ている”神州丸型揚陸艦”の話をしなくてはならないだろう。

 なぜなら彼女達の建造の経緯はあまりにも史実と違い過ぎる。

 何しろ、まず”陸軍管轄の船ではない(・・・・)”のだ。

 むしろ、同じ陸上戦力でも水陸両用戦闘集団”海軍陸戦隊”と深い繋がりがある、いやむしろ海軍陸戦隊を最大限に活用するために生み出された船だった。

 

 この世界線において、日本皇国の海軍陸戦隊の歴史、常設されたタイミングは史実に比べてずっと早い。

 というのも、第一次世界大戦で大活躍した同盟国である英国の”王立海兵隊(Royal Marines)”に影響を受け生まれた部隊だった。

 そう、タイミング的には皇国空軍とほぼ同時期に生まれたと言っていい。

 

 そして、第一次世界大戦が終わり、海軍陸戦隊が海軍の上陸作戦セクション・水陸両用戦闘部隊として本格始動すると、その機動的運用において専用の揚陸艦が必要と結論付けられた。

 コンセプト作りが始められたのは20年代であり、様々な可能性や技術が検証され、コンセプトが固まったのは30年代初頭だった。

 

 この時点で史実の神州丸と大きな違いがあった。

 そのほとんどが、陸軍の船ではなく海軍の陸戦隊向けの船として開発されたことに由来するが……

 

 ・揚陸用の大発動艇(大発。史実の特大発準拠。最大積載量25t)や小発動艇(小発。史実の大発D型準拠。最大積載量13t)以外に、開発中の特式内火艇ほか水陸両用戦闘車両グループの運用が可能な設計とされた。

 

 ・航空機の運用は水上機とされ、戦艦などのようにレールカタパルトで射出され、着水した水上機を艦橋後方に設置されたデリックで回収する方式とされた。

 ・上陸支援火力は、連装152mm50口径長砲2基(背負式。日本皇国軽巡、英国軽巡共通の当時、標準的な主砲:アームストロングMark XXIの国産版)とされた。

 ・基準排水量:9,990tと史実のそれに比べて大型化している。

 

 という内容だった。

 大発や特式内火艇は陸軍と共同開発(陸軍も河川領域や渡河戦闘などでこの手の装備が必要とされた。同時に装甲艇や高速艇も両軍の共同開発となった。転生者の努力が実った実例である)とされ、また発信方式は史実と同じくローラーとスロープを用いたスリップ・ウェイ方式に近い泛水方を採用していた。

 

 そして、ネームシップである1番艦”神州丸”と、2番艦”龍城丸”は揚陸艦の先駆的な存在となったわけだが、逆に神州丸型の成功に気をよくした日本皇国海軍は、将来的に多発するだろう強襲揚陸戦を想定し、神州型の更なる発展を求めた。

 

 その結果、誕生したのが”あきつ丸”型という訳である。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、正規空母と見間違うほどの図体となったこの世界線の”あきつ丸”は、転生者が変に本気出して設計したせいか、何やら史実の戦後揚陸艦”イオー・ジマ級強襲揚陸艦”っぽくなってしまったのだ。

 外見的にも、サイズ的にも、機能的にも、性能的にも(それを言うなら神州丸型はトーマストン級揚陸艦に近いが)。

 注水して自力泛水させるウェルドックを備え、全通飛行甲板を持ち、主力艦上爆撃機の地位はより高性能な”彗星”に譲ってはいるが、九九式襲撃機のデータを参考に”海軍陸戦隊の航空支援”を主眼に改造された”九九式改直掩(・・)艦上爆撃機”とヘリコプターのご先祖であるオートジャイロ、カ号観測機を搭載する。

 ちなみに九九式改は、陸戦隊直掩だけでなく偵察や弾着観測もこなせるよう小改良が施されたユーティリティプレーヤーだ。

 

 ちなみにあきつ丸型だけでなく神州丸型も海軍陸戦隊の増員に合わせて追加建造の予算が下りていて、早ければ来年にも戦力化されるかもしれない。

 また、合わせて排水量が史実より巨大化したのはある意味当然で、搭載する発動艇が大型化し、史実の大発D型や特大になったからだった。

 これを必要数搭載しようとすると、必然的に船自体が大型化してしまう。

 無論、史実と違い爆雷を搭載する予定などない。

 きっと、揚陸艦らしく使われる事だろう。

 

 

 

 そして現在のエル・アゲイラには、日本皇国が現在戦力化させている揚陸艦の全て……あきつ丸型2隻と神州丸型2隻が向かっていたのだった。

 無論、”完全装備/1個連隊規模の海軍陸戦隊(・・・・・)の精鋭”を乗せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お得意の「降伏と書いてオチと読む」をキメてくれるヘタ……イタリア君でしたw

いや、でも今回はちょっと同情的かもですねー。
ベンガジが猛攻喰らってる最中に後方の補給拠点兼退路のエル・アゲイラ落とされるとかマジで心にキそうだなぁ~と。

いや、むしろまだベンガジで防衛戦やろうとした気概は褒めるべきかな?
結果は散々っぽいけどw
サブタイ通り、正面から殴りかかってるうちに、別働隊で迂回して退路を断ち包囲殲滅って、まんまドイツの機甲戦術、電撃戦のメソッドなんですよね~。

次回は、エル・アゲイラかな?

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第111話 嗚呼、皇国海軍陸戦隊 ~エル・アゲイラ陥落の真相~

本日も朝からの投稿になります。

今回も新キャラ登場。
エル・アゲイラ陥落の理由とは……?





 

 

 

 さて、海軍でありながら陸戦のスペシャリスト、文字通りの水陸両用部隊である皇国海軍陸戦隊は中々にユニークな軍事組織だ。

 

 まずは装備面だ。

 ある意味において、あきつ丸型強襲揚陸艦や神州丸型揚陸艦の主力艦載兵器とも言える兵や戦闘車両を揚陸させる大発(史実の特大発準拠。積載量25t)と小発(史実の大発D型準拠。積載量12t)は、この時代の揚陸艇にしては近代的な性能で使い勝手も良い。 

 

 

 

 しかし、何と言ってもユニークなのは水陸両用戦闘車両、”特式内火艇”シリーズだろう。

 まず史実と大きく違うのは、特○式内火艇の○に入る数字は、一式中戦車と同じく年式ではなく型番を入れる命名基準だ。

 つまり、特2式内火艇は、”タイプ2水陸両用戦闘車両”という意味になる。

 なぜこうなったかと言えば、特式内火艇は”水陸両用戦闘車両”という新しいカテゴリーの兵器の為にいくつものタイプが並行設計・制作されたからだ。

 

 特1式内火艇は全ての水陸両用車両の雛形になった原型で、故に様々な装備実験の為に少数が生産され、その後は訓練車両として追加生産されたようだ。

 何気に色々な種類の装備を簡単にできるようにモジュラー構造を持っており、実はかなり先進的な設計だった。

 しかし、実験や訓練ならまだしも、実戦となるとどうしてもこの時代の技術で製造されたものだけに専用設計型に劣ってしまい、また実戦を想定すると強度不足気味だったようだ。

 

 ・特2式内火艇:九八式装甲軽戦闘車のコンポーネントを利用した対装甲戦が可能なモデル。戦闘用の水陸両用車両としてはベーシックな車両で、”九八式改装甲軽戦闘車(41年式九八式装甲軽戦闘車)”と同じく一〇〇式37㎜戦車砲の改良型である”一式37㎜戦車砲”を搭載し、部品の見直や吸排気系の見直しなどで耐久性や信頼性を上げながら10馬力のパワーアップを果たした日野DB52Aエンジンを主機としている。

 

 ・特3式内火艇:九七式軽戦車のコンポーネントを用いた水陸両用車としては最強の存在。武装・エンジン共に九七式と同じ。正直、この時代のイタリアの中戦車となら正面から撃ち合いができる、揚陸部隊の盾にも槍にもなれる戦闘車両だ。

 

 ・特4式内火艇:兵員輸送車型水陸両用車。というか……どう考えても戦後のAAV7(LVTP7)水陸両用車を知ってる転生者が設計に携わったとしか思えない車両。エンジンを九七式と同じ280馬力の物としたために、機動力や防御力が史実より上がっている。武装はヴィッカース50口径機関銃×2。

 

 この水陸両用車集団の任務は、上陸の橋頭保を築く発動艇の更に前方。

 陸に乗り上げたら即戦闘どころか、下手すると海上にいる段階で砲撃を始めなければならない。

 

 まさに揚陸作戦の先鋒で、発動艇の上陸地点の火力を用いた掃除で敵の攻撃を黙らせ、同時に特4式に乗せていた歩兵で上陸地点を確保するのがその役目だ。

 

 そのような正面から上陸を阻止しようとする敵と対峙する任務には向かないが、他にも”スキ車”と呼ばれる水陸両用装甲トラックも生産されている。

 これ以外にも、大発に搭載され揚陸される九七式ベースの陸戦隊スペシャルの車両がある。

 以前、下総兵四郎が以前言っていた一式中戦車と同じ75㎜45口径長砲を、砲塔を廃して設けた傾斜前面装甲を持つ戦闘室に固定砲として搭載した”海兵九七式75㎜突撃砲”がそれであり、他にも英国のQF25ポンド砲(ライセンス生産品)を巨大な旋回砲塔に搭載し九七式の車体と組み合わせた日本製ビショップ自走砲のような火力支援車”海兵九七式88㎜自走砲”なども目新しいだろう。

 年式の前に”海兵”と付くのは、海軍陸戦隊仕様の意味で、英語表記だと”海兵隊仕様(マリーン・スペシャル)”となる。

 

 これにはちゃんとした意味がある。

 例えば、現在鋭意開発中の仮称”海兵九七式改戦車(軽はつかない)”は英国式の6ポンド砲(57㎜50口径長砲)を新型砲塔と共に搭載予定で、海兵九七式自走砲は同じく英国式の25ポンド砲(87.6㎜31口径長榴弾砲)を搭載し英国のビショップ自走砲に車体から上はよく似ている。

 加えて、海軍陸戦隊の標準小銃は梨園改三式歩兵銃だが、これは陸軍がチ29式半自動歩兵銃を1930年より大量配備された為に(狙撃銃のベース分を抜いた)余剰分が回されたという経緯がある。(同時にMk7タイプの7.7㎜実包のストックも陸戦隊に回された)

 ちょうどこの時期、陸戦隊は拡張時期に入っていたため、陸海どっちにとっても都合の良いWin-Winの取引となったようだ。

 実際、可動部分も部品数も多い自動小銃より、海水がお友達の海軍陸戦隊としては信頼性の高さが戦場で保障された確実な動作のボルトアクションの手動連発式小銃の方が都合が良かった。

 実際、陸会共同での各種水陸両用車両や発動艇の開発は、この時期を境に大いに盛り上がるのだ。

 

 これだけなら、「海軍陸戦隊は陸軍のおさがりの小銃を貰った」という話だが、それだけで話は終わらない。

 何しろ、同じ7.7㎜弾を使う軽機関銃として英国の”ブレン機関銃”をライセンス生産して海軍陸戦隊配備しているのだ。

 

 もうお察しいただけたと思うが、海軍陸戦隊は英国系の装備比率が陸軍よりずっと高いのだ。

 無論、海軍は英国を師匠としている……という話とは全くの無関係という訳ではないが、本来の目的は英国との共同作戦を想定している事に他ならない。

 実際、完全編成師団規模の英国王立海兵隊に比べるなら、海軍陸戦隊はまだ規模も2個増強連隊級と小さく歴史も浅い。

 ならば単独作戦より共同作戦になると考えるのは妥当だろう。

 

 

 

 なので、逆に今回のように日本皇国海軍陸戦隊だけで強襲揚陸作戦を行うのは本来は規定外だったのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「噓だろ、ヲイ……」

 

 初めまして、だよな?

 俺の名は”舩坂(ふなさか) 弘之(ひろゆき)”だ。

 海軍陸戦隊の少尉で、小隊長なんぞをやってる。

 ああ、”誰か”に名前は似ている気はするが、気にするな。

 確かに出身は栃木県だが、あっちは陸軍で最終階級は軍曹だ。

 だから別人、いいな?

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

「出迎えもなしとは……イタ公は戦争の礼儀も知らんのか?」

 

 とっくにうちの戦艦隊は見えてるはずだし、なんだったら空母航空隊の空爆や艦砲射撃も始まっている。

 当然、ターゲットは敵集積地”エル・アゲイラ”だ。

 

 エル・アゲイラはイタリア北アフリカ軍の本拠地トリポリと、主力港ベンガジを結ぶ中継地点。

 そして、ベンガジの後方にある重要補給拠点でもある。

 

 こりゃ激戦が期待できると期待してたんだが……

 

 なのに特4式内火艇から降りてみれば、上陸に格好の砂浜には敵影なし。

 それどころか、海岸線に見える範囲に敵兵なし。

 浜辺に隠蔽された機関銃陣地も無ければ、地雷原も有刺鉄線もない。

 ”ここから上陸してください”なんて立て看板が無いのが不思議なぐらいだ。

 

「小隊長殿、どうやらこりゃあ強襲揚陸ではなく”奇襲揚陸(・・・・)”になったみたいですよ?」

 

 と俺の年齢と同じぐらい間、軍隊で飯を食ってそうな小隊付き先任軍曹に、

 

「マジかぁ~」

 

 いくら何でも油断し過ぎだろうイタリアン……

 まさか、こっちが上陸してくるとか思ってなかったのか?

 

「いかがなさいますか?」

 

 そりゃお前、

 

「エル・アゲイラに行くしかあるまい? 集積地、目と鼻の先だし」

 

 それが目的なんだしなぁ。

 陸戦隊仕様の九九式改直掩(・・)艦爆は、原型と同じ250kgのペイロードは変わらないが、機首の7.7㎜機銃2丁がホ103/12.7㎜機銃に変更。防弾性能が少し強化されると同時に二式襲撃機”屠龍”と同じく陸戦隊直掩用に航空爆弾だけでなくRP-3空対地ロケット弾運用能力を付与されていた。だが、それが今回は使われることは無かった。

 むしろ、左右主翼下にロケット弾を吊るした九九式改は、同行している航空前線統制官の指示で先にある伊軍集積地の爆撃にターゲットを切り替えたようだ

 特式内火艇だけじゃなく、大発がもう海兵九七式とか降ろしてるし。

 まさか高みの見物って訳にはいかんじゃろ?

 

「それじゃあまあ小隊長殿、我らもピクニックと洒落こみましょうか」

 

 そう豪快に笑う軍曹だが、

 

(まさか本気でピクニックになりゃしないだろうな……)

 

 果たして俺の愛銃、小銃代わりに使ってるブレン機関銃(ガン)を使う機会が無いってのは、正直勘弁だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい。
イタリア軍、海からの攻撃は想定していても、揚陸作戦までは想定してなかったみたいです。
というか、日本皇国軍にも水陸両用部隊があることを意識してなかったのかも?
まあ、この時点ではまだそれほど目立つ部隊じゃないですから仕方ない。
もしかしなくても、大きな敵前上陸作戦は今回が初めてかもだし(編成されたのが第一次世界大戦後で、本格稼働は30年代)。

そして誰がモデルとは言いませんが……舩坂少尉、登場です。
元ネタが元ネタなだけに、おそらく陸戦での個体戦闘能力は全キャラ最強かも。

ただし、元ネタは一つではないというかある意味、シモヘイよりネタまみれというかw
そのあたりは、おいおいに。



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第112話 ランボー、アラン・ポー、乱放……ブレン・パワードとか山下将軍の憂鬱とか

またしても捕虜が大量発生したみたいですよ?





 

 

 

 唐突だが……

 Mk8はともかくMk7の7.7㎜ブリテン弾は、そこまでハイプレッシャーなカートリッジじゃない。

 何気に日本製の海式ご用達ブレンは、耐腐食性強化ってことで銃身やらチェンバーやらに梨園改三式みたいに硬化クロームメッキ処理してるから強装のMk8弾も普通に撃てるが、英国人との共同戦線を想定して未だ海軍陸戦隊はMk7が標準実包だ(英国は小銃や軽機関銃でのMk8の使用を実質的に禁じている)。

 まあ、これは単純に陸式から回ってきたMk7実包の在庫処分がまだ終わってないって微妙な理由もあるんだが。

 ブレン機関銃自体がドイツ人の機銃ほど発射速度(レート)は速くもなく銃自体がそこそこ重いせいもあり、慣れれば反動を抑えて片手で撃つのも難しくはないんだな、これが。

 

「いや、そんな拳銃みたいに片手で構えてパカパカ撃てるのは小隊長殿ぐらいですって」

 

 そうか?

 ああ、言うまでもなく舩坂弘之だ。

 

「そりゃ鍛え方が足りないんじゃないか?」

 

 筋肉は全てを解決するとは言わんが、戦場で起きる大抵のことは対処できるぞ?

 

「いや、そんなんだから英国人から”ブレン機関銃の怪力男(ブレン・パワード)”なんて妙なあだ名付けられるんですよ」

 

 その仇名考えた奴、絶対転生者だろ?

 いや、俺もだけどさ。

 

(あのOP好きだったなぁ~)

 

「このぐらいの事、ランボーだってできるさ」

 

 映画の中でM60の片手撃ちとかやってたし。そういやM60とブレンの発射速度(レート)って似たりよったりだっけ? どっちも毎秒10発以下だったと思う。体感的にもそんな感じだし。

 ちなみにあの程度のアクションなら、素でできる自信あるぞ?

 いや、爆薬付きの弓矢でヘリコプター落としたことはないが。

 

「? 誰ですって? エドワルド・アラン・ポーやなら知ってますが?」

 

 そりゃ(こっちの世界の)作家だ。

 ちなみに今生の日本を代表する推理小説家は、”江戸川乱放(らんほう)”というらしく、少し発音が違う。

 というか意外と学あるな、軍曹?

 もしかして、金が無くて軍隊に入ったクチか?

 まあ、俺も「海軍幼年学校なら学費が無料(タダ)」ってのに飛びついたクチだから人のこと言えんが。

 あのいつも女侍らせてた人のよさそうな近所のおっちゃん(初めて会ったときはまだギリ兄ちゃんって感じだったが)、大神って姓だからまさかとは思ったが、本当に海軍のお偉いさんだとは思わなかったぜ。

 この世界には、蒸気で動く人型機動兵器なんて無いんだが。

 

「それにしても、歯ごたえがありませんな……」

 

 そういや軍曹も右手にベ式短機(ベ28式短機関銃)、左手に武35式自動拳銃(ブローニング・ハイパワーの国産ライセンス生産品)で銃型(ガンカタ)じみたアクション、キメてたような……こいつはこいつで人のことは言えないと思うぞ?

 そういえばうちのベ式は言うまでもなく、英国のランチェスター短機関銃も元はドイツのMP-28、実はマガジンは共用できるんだそうだ。

 こだわるな英国式。

 

「無いにこしたことぁないんだろうが、なんか釈然としないな」

 

 とまあ、吞気に会話してることから分かるように、戦闘は既に終了していた。

 ぶっちゃけ、俺は2弾倉(マガ)も撃ってないぞ?

 

 なんか、艦砲射撃と空爆が完全に青天の霹靂(きしゅう)だったらしく、慌てふためいているところに俺たちが飛び込んで、あいさつ代わりに弾ばら撒いたらあっという間に白旗があがったってわけだ。

 

 いや、あっさりし過ぎだろ?

 少しは抵抗する気概魅せろや。

 

 関の孫六(ダンビラ)で首跳ね飛ばした程度で戦意喪失すんなや。

 物理的に首が飛ぶくらい、戦場じゃありふれた光景だろうが?

 ピン抜いた棒付き手榴弾(九八式柄付手榴弾のことだろう)、棍棒代わり口の中に叩き込んで蹴り飛ばしたくらいでギャアギャア騒ぐな。

 爆散した味方の脳漿や臓腑ぶちまけられたぐらいでゲロ吐くな。

 ここは戦地だ。そのぐらい慣れとけ。

 こちとら弾倉交換以外左手使わんから、手持ち無沙汰なんだよ。

 

「とりあえず他にやることもないし……降伏した連中、縛り上げるとしますかねぇ」

 

 紐足りなきゃ、手足の関節外せばなんとなんだろ。

 

「その後は、砂浜に並べて一人ずつ後頭部撃ち抜きますか?」

 

「やんねーよ。俺は何処の赤軍(ばんぞく)だ」

 

 確かに手っ取り早いっちゃ早いが、そんなことした日にゃ法務士官に何を言われるかわかったもんじゃない。

 それに一応は文明国の軍隊な訳だしな。

 共産主義国家は文明国にカウントしないのが、日本皇国の嗜みだ。

 

「それに抵抗できない奴を撃ち殺すのは、趣味に合わん」

 

「戦場の荒んだ空気を和ませる、ほんの冗談ですよ」

 

「和んでねーし、笑えねぇっての」

 

 ったく。この軍曹も結構大概だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後方の補給拠点だったエル・アゲイラが日本海軍の活躍により壊滅・占領の一報は、ベンガジのイタリア駐留軍の戦意を挫くのに十分なインパクトがあった。

 なにせ、後方の撤退予定地点が先に陥落してしまったのだ。

 ベンガジから撤退するにしても、エル・アゲイラを封鎖されれば北アフリカ・イタリア軍の本拠地である”トリポリ”まで戻るのは不可能だ。

 また、現地の反抗勢力が一斉蜂起してるらしいベンガジ市街に日本人に背中から撃たれながら戻るのは自殺行為に等しい。

 

 事実、この時には既にサヌーシー教徒に確保された街のあちこちには廃材やスクラップ、イタリア人の死体(中には動けないだけで死に切れてない者もいたが些細な、あるいは時間の問題だった)などを土嚢代わりに積み上げた臨時抵抗拠点(バリケード)を築き、場所によっては機関銃座まで据え付け、イタリア人が戻ってくるのを待ち構えていたのだ。

 

 また、ガザラ同様にエル・アゲイラのリビア人強制収容所も同時に解放されていた。

 この収容所は解放のタイミングが早かったために、史実よりずっと犠牲者は少なかったということは書き記しておきたい。

 

 

 

 ただ、頭を抱えたのが山下将軍だった。

 なんせ、ベンガジもエル・アゲイラも早期降伏してしまったせいで、ガザラの戦いから数えて捕虜が通算6万人を超えてしまったのだ。

 戦死者と、もうどう見ても助からない者を含めて負傷者が把握できてるだけで2万人越え……

 ちなみにベンガジなど制圧した港に停泊していた船舶を軍民問わずに鹵獲。自沈は今は放置(後に撤去)で、逃走を図った者には網を張って待ち構えていた海軍地中海潜水艦部隊や航空隊の手厚い撃沈アフターサービスが付いた。

 

 いや、”コンパス作戦”の時の英国軍よりはマシな状況かも知れないが、それでも多いものは多いのだ。

 しかも、陸上での捕虜の取扱いに関する最終責任者はアレキサンドリアの今村大将だが、優先采配権(つまり最初の捕虜の処遇を決める権利)は捕虜にした陸軍、山下中将にあったのだ。

 無論、小沢又三郎中将麾下の遣地中海艦隊麾下海軍陸戦隊が捕縛した捕虜もいたが、陸地で捕らえた者はその処遇も戦功第一等の陸軍に委任するということになっていた。

 

 正直、今すぐに捕虜全員を船に押し込めてシチリア島に送り付けてやりたいところだが、現状の日伊関係ではそうもいくまい。

 とりあえず……

 

「リビア人を押し込めていた各地の収容所に、一時入居してもらいましょうか? なに、自分たちで作った建物だ。文句は無いでしょう」

 

 ”ふっふっふ”とダークサイド・スマイル浮かべる武者小路特使が背負う変なオーラに気圧されるように、山下将軍はサインしたという。

 そして、せめてもの武士の情けとして必要ならば国際赤十字にも連絡を取り、なるべく早く帰国できるように取り計らってやろうと心に決めた。

 

 本音を言えば、早いとこ厄介払いしたいだけだったような気がするが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、少し趣向を変えて”あり得るかもしれない未来”の話をしよう。

 

 後年、イタリア左翼団体が、このリビアの収容所から生還した老人たちを担ぎ上げて、「人権侵害だ!」とどこぞの半島の南半分のように騒ぎ立てた事例があった。

 しかし、それを聞いた駐イタリア王国(・・)の日本皇国大使は記者会見を開き、呆れた視線で……

 

「いや、元々はあんたら(イタリア)が作った施設でしょ? しかも、そこにリビア人を何年も閉じ込めてたわけだし。人権侵害云々言いだすなら、まずそっちが先じゃないの? それともリビア人にはよくて、イタリア人はダメだと言いたいのかね?」

 

 そして、駐イタリア王国のリビア三国連合大使(彼は日本皇国と皇室外交のあるキレナイカ王国の出身でサヌーシー教徒だった)は……

 

「リビアは、当時強制収容所に関わった全てのイタリア人をリストアップしているし、現在誰がどこで生存しているかも把握している。イタリアがその気ならば、いつでも国際的な司法の場に提訴できるが?」

 

 そして、騒ぎは沈静化した。

 正確には、イタリア政府が王国の威信にかけて、多少の流血を伴いながらもこの国際的恥さらしを沈静化させた(・・・)

 これも蛇足だが、イタリア人捕虜は、イタリア人がリビア人におこなったそれより遥かに丁重に扱われたという論拠は、イタリア人に餓死者どころか重度の栄養失調者もいなかったこと。加えて朝食を除き昼食や夕食には英国式が採用されなかった事が論拠とされた。

 

 

 悲劇は喜劇を呼ぶという、歴史上何度も再上演が行われたありきたりな演目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、あっさり陥落したエル・アゲイラと、退路を防がれたことを知ったベンガジも連鎖的降伏と相成りましたw

ちなみに船坂小隊長、剣術の手ほどきを作中に出てきた某兄ちゃん(今は海軍のお偉いさんらしいおっちゃん)に受けたこともあるらしく、流派的には二天一流、片手で刀扱うのはお手の物らしいです。
どうでも良い設定ですが、母方の旧姓は藤田で、嫁さんは幼馴染で超家庭的。
可愛い系で何となく愛玩犬っぽい嫁さんを溺愛してる愛妻家です。

いったいどこのヒロユキちゃんなんだかw
ちなみに名前が出てこない軍曹も、結構な化物だったりして……


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第113話 狙撃手、捕捉され捕食される

これまで死んだり、殺したりする話ばかりだったので、少しは生産的な話を……
これまでとかなり毛色の違った話かもしれません。
そして、110話を超えてようやく、この言葉が使えます。

”微エロ注意”

です。



 

 

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 さて、う~ん。この状況はどう説明したもんか?

 

 状況は簡単で、俺と小鳥遊君は何やら”特別ゲスト枠”みたいな感じで、サヌーシー教団主催の「ベンガジ奪還記念パーティー」みたいなものに招待されていた。

 いや、王様(予定)のイドリース猊下が高らかに開放を宣言した式典は、お偉いさんたちでもう済ませており、俺たちがお邪魔してるのは飲めや歌えのもっと猥雑な宴の方だ。

 イスラムは基本、コーランで飲酒は禁止されているが、実は歴史的に見ても「実際に飲酒は狭義的にはアウトでも、日常的にはおk」という時代や場所も多い。

 要は解釈の問題らしく、例えばサヌーシー教団のようなイスラム神秘主義(スーフィズム)にとり、「酒は神の偉大さを讃える比喩として重要で、酒への称賛が詠まれている」のだ。

 実際、イスラム圏で酒が禁止が徹底されたのは、史実でも原理主義が蔓延りだす戦後の話で、例えばイランでは革命前は酒は禁止されていなかった。

 付け加えるなら、”アラック”のような中東などで作られる蒸留酒もあるいし、トルコに至っては21世紀に入ってもワインが名産品だ。

 

 ならばこの時代のサヌーシー教団の宴が酒宴となるのも別に不思議じゃない。

 

「中尉殿、イタリア人ぶち殺し100人目達成おめっとさん」

 

 と声をかけてきたのは毎度お馴染み小鳥遊だ。

 陶製のグラスをカチンと合わせる。

 アラックで面白いのは、原酒は無色透明で純度が高い蒸留酒だが、水割りに白濁することだ。

 なんでも水で割ると非水溶成分が析出するらしいが、細かい理屈は抜きにして見た目だけの話だが、清酒が濁酒になるような感じだと思えばいい。

 こっちでは、水割りで白色になったそれを”獅子の乳”とか言うらしい。

 

「もうそんなに()ってたのかよ」

 

 と言っても、何の感慨もわかないが。

 というか、記録とってたのか?

 

「正確には、今日のスコアを入れて108人だな。除夜の鐘と一緒だな」

 

 何がおかしいのかケタケタ笑う小鳥遊に、

 

「煩悩退散ってか? そんなに簡単に払えれば苦労はないさ」

 

 第一、大晦日は1ヵ月以上先だ。

 まあ、それに本家本元のスオミの狙撃王には遠く及ばない数字だろう。

 

「ん? 中尉殿、どうやらその煩悩その()が来たみたいだぜ?」

 

 小鳥遊の視線の先を追ってみると……

 

「宴は楽しんでおられますか? ”勇者様”」

 

 と華やかで艶やか、あるいは煽情的でさえある舞踊用の衣装”ベラ”に身を包んだ小柄で胸の平たいアラビア風美少女が微笑んでいた。

 ああ、要するにベリーダンスの衣装の事だ。

 そしてアラビア圏でのベリーダンスの正式名称は、”ラクス・シャルキー(Raqs Sharqi)”。”東方風の踊り(オリエンタル・ダンス)”って意味になるようだ。

 イスラム化する前のエジプトが発祥らしく、実は滅茶苦茶歴史がある民族舞踏らしい。

 

「え~と……どちら様? というか勇者ってなに?」

 

 するとアラビアンなぺったん娘、「まぁ!」と驚いた表情で、

 

「昼間はあんなに激しく熱く、戦場を共に駆け抜けたというのに、私をお忘れですの?」

 

「へっ?」

 

「……”ザーフィラちゃん”っすよ。シモヘイ中尉」

 

 ヲイコラ。今どさくさに紛れてシモ……ってナヌっ!?

 

「えっ? えっ?」

 

 俺が言葉を失ってると、ザーフィラちゃん?(仮称)はにっこり微笑んで、

 

「今は”ナーディア”とお呼びください。ヘイシロー様。こちらが本当の名前ですの♡」

 

えっ? マジでザーフィラちゃん改めナーディアちゃん……なのか? 

 というか小鳥遊君、よく見抜けたなぁ……だって、めっちゃ雰囲気違うじゃん。

 というか、もはや別人よ?

 

「中尉殿も、まだまだ目の鍛え方足んないっすよ」

 

 いや、お前さんのそれって半分くらい異能(チート)入ってね?

 ナーディアちゃんはクスクス笑い、

 

「よろしければ、多くのイタリア人を銃一つで屠って魅せた”魔弾の勇者(سحر البطل آرتشر رصاصة:Sahar Albatal Artashar Rasasatan)”様に私の舞いを披露したいのですが」

 

 そういえば、サヌーシー教団……というかイスラム神秘主義って舞い踊るのも精神世界への修練だとかだっけ?

 ああ、それに”勇者”ってそういうこと。

 いや、どこぞの人工吸血鬼じゃあるまいし、撃った弾をホーミングさせるチートなんかないんだけど。

 

「あー、中尉殿。俺はちょい席外しますんで」

 

「小鳥遊君?」

 

 いきなりどうした?

 

「俺は”大艦巨砲主義”なんすよ。出っ張り(バルジ)が薄いのはちょっと」

 

 は? なんでいきなり海式の話?

 

「まあ、精々頑張んな。”勝利子(ザーフィラ)ちゃん”」

 

 いや、なんでいきなりザーフィラちゃん呼びにもどしてんのさ?

 

「うふふっ♪ こちらに丁度良いステージがあります。ご案内いたしますね?」

 

 

 

***

 

 

 

「あの~、ここってステージってより個室なのでは……?」

 

 ナーディアちゃんに連れ込まれたのは、何というか……アラビアンなご休憩場所というか、お泊り場所というか。

 

「そして、何故ナーディアちゃんは、ただでさえ隠してるんだか隠してないんだか微妙な薄衣を脱いでるのかな……?」

 

「だって、これからヘイシロー様(ステージ)の上で踊るんですもの♡ それとも、着衣のままの方がお好みですか? 私はどちらでも構いませんが」

 

 いや、特にこだわりはないけどさ。

 

「え~と……未婚女性がこういうのいたすのは戒律的にどうこうっていうのがなかったけ?」

 

 アッラー的にどうなのよ?

 

「強い戦士の血を持つサヌーシーに取り込むのです。一体、何の不都合がありましょう? ご安心ください。こう見えても私、既に成人(ブルーグ)を迎えております」

 

 あー、確かイスラム教の成人(女性)の定義って、第二次性徴……初潮を迎えたかどうかって聞いた覚えが。

 それと言い回しからして、黙認ってより公認……かな? これは。

 まあ、イスラムの預言者ムハンマドは、50代の時に9歳の幼女と結婚したって記述があるらしいし、なので古典的なイスラム解釈だと、女の子の結婚可能年齢は9歳からってのがあったな。

 

(つまり、これってここだと普通の事なのか?)

 

 正直、判断基準がわからない。

 ちなみに日本皇国では、男は満17歳、女は満15歳。ただし、義務教育終了後が条件だ。

 史実だと1947年の民法改正までは数え年でそれぞれ17歳と15歳だから、なんか折衷っぽいな。

 いや、今はそんな話はどうでも良くて……

 

「まだ経験は無いですが、いつでも子作りに励めます♪ 知っていますか? ”ラクス・シャルキー”は本来、子孫繁栄を祈って舞うんですよ♡」

 

 なんか色々理解してしまった。

 そういえば、閉鎖的……と言わないまでも、外部と接触の少ない社会って”血の煮詰まり”……近い血族による遺伝学的行き詰まりを防ぐため、外部の血を積極的に取り込むとか何とか聞いた記憶があるなぁ。

 

「つまり、俺は(入れる血に値すると)お眼鏡にかなったと?」

 

 するとナーディアちゃんは蠱惑的と言いたくなるような笑みを浮かべ、俺の耳を甘噛みしながら……

 

「ヘイシロー様も、小柄で胸のない娘の方がお好みなのですよね?」

 

 バレテーラ。

 そういえば、アラビア語のナーディア(نَادِيَة:Naadiya)の意味って、「湿っている、濡れている、寛大な、気前の良い」だっけ?

 なんか、前二つが現状にひどくマッチしているような……

 

「うふふっ♪ 女はそう言う殿方の視線に敏感なんですよ? それに随分と”お溜まり”の様子だという事も見てればわかります」

 

 すいません。勘弁してください。

 なんか、そっち系のお店に行く気が中々起きなかったもので。

 そして、俺の今にも発砲しそうな銃身をサスサスしながら……いや、今にも暴発しそうなんですが、

 

「ここまで(もた)げているので確かめるまでもないかもしれませんが、私もヘイシロー様のお眼鏡に叶ったのですよね?」

 

 ぶっちゃけ滅茶苦茶タイプです。はい。

 

「可愛い人♡ さあ、ナーディアをご存分にお楽しみください♪」

 

 

 

 

 

 一つだけ言っておく。

 実に見事な舞だったと。黄金の水芸も間近で見れたし。むしろ浴びたし。

 その後、俺は弾倉(せいそう)が空になるまで滅茶苦茶撃ちまくりましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「うまくいったようだな?」

 

「はい。猊下」

 

「それにしても……我が末娘とはいえ、あまり良い物を食べさせてやれなかったせいか、少々小さく薄すぎる肢体(からだ)で伴侶が見つかるかと心配しておったが……」

 

 つまり「肉欲的な意味で女性的な魅力に欠けるのでは?」と言いたいようだが

 

「そのような娘を好む男もいるのですよ。むしろ、こちらは”お嬢様”のお眼鏡に叶うかを憂慮しておりました」

 

「なるほどのう。娘を案内につけた甲斐はあったということか……あとはよしなに頼む」

 

「かいしこまりました。リビアよりイタリア人を叩きだした暁には、まずは大尉に昇進させましょう。そして、”その日”までには十分な実績を」

 

اللّٰهُ أَكْبَرُ(アッラーフ・アクバル)。善きイスラムの勇者と我が娘にアッラーの加護と祝福があらんことを」

 

 

 

 この時は誰も知らない。

 この一夜が、後にリビアの歴史を大きく史実から乖離させる事を。

 一夜の契りが千夜の果てに花開き、実を為すこともある。

 

 正しく、”歴史は夜に創られる”のだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく、ようやく色気のあるシーンが描けました。
大事なことなので二度(前書き入れると3度)言いました。

いや~、長かった。
110話を超えて、初めてR-15タグが仕事した気がします。
正直、これまでと違うノリなので、評価の急落とかお気に入り登録の大量解除とか怖いですが……そろそろシモヘイも第1話から出てるし、良い目(?)を見てもいいんじゃないかな~と。

ただし、それは波乱万丈な人生のフラグが立ったような気もしますが……とりあえず、この戦争が終わるまでは狙撃手として頑張るんではないかなと。

このエピソードも気に入っていただければ嬉しいです。

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第114話 ”事後”のちょっとした話と、ちょっとした二つの街の攻略の話

今回は、キング・クリムゾンされてもおかしくない話かも?




 

 

 

 やっぱさ、確実に命中弾が出そうになるまで(いや、当たった確証はないし)”下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”方式で頑張るナーディアちゃんは、完璧主義者だと思うんだよね。

 

「そして、ナーディアちゃんが気を失ったあと、どこからともなく……というか、一部始終を最初から潜んで覗き見していたらしい妹分(?)たちがわらわらと出てきて、『お姉さまだけずるい!』、『私だってブルーグ迎えてるもん!』『私、お姉さまより背丈もお胸も小さいですよ?』とちみっこいのに次々と搾り取られた……ってそんな夢を見た」

 

「いい加減、現実を見ましょうや? 中尉殿」

 

 小鳥遊君が親指で刺すその先には、ナーディアちゃんを団長に妙に肌艶の良い(対して俺はカサカサな気が……)、少し歩き方がぎこちない平均身長低めの見送り集団がいたりして。

 ちなみにお姉さまと言っていたが、実の妹だけではなく従妹とか親戚の娘が大半だったらしい。

 

「あー、中尉殿。いっそここに残って”サヌーシーの種馬”になるって未来もあるのでは?」

 

「勘弁してください」

 

 いや、これでも一応鉄砲使いの矜持はあるんよ?

 

「ところで小鳥遊君や」

 

「ん? なんだよ?」

 

「上の方、”こうなること”を承知の上で、俺たちを戦勝パーティーに送り込んだと思うか?」

 

 何というか、ナーディアちゃんの準備万端感が半端ではなかったというか……例えば、部屋に立ち込めていたお香とか。

 ちみっこいのの隠れ場所とか。

 

「……ありえるな。リビアの特使って武者小路のオッサンだろ? ありゃとんだ食わせ者って話だそうで」

 

 うわぁ……なんか、政治の暗黒面見た気がする。

 というか、相変わらず謎な情報網を持ってるな。小鳥遊君。

 

「まあ、政治のことは政治家にぶん投げて、俺達はとりあえずトリポリでも落としに行きましょうや。中尉殿、ナーディアちゃんにまた来て欲しいって懇願されてるんでしょ?」

 

「うっ……なぜそれを?」

 

「いや、まあ雰囲気的に?」

 

 なんだその謎スキル。

 

「ちゃっちゃ戦争(おしごと)終わらせて、それから次を考えるってのもいいもんだと思いますよ? マジで」

 

「今日は語るじゃないか?」

 

 俺はそう茶化そうとするが、小鳥遊は妙に真面目な顔で、

 

「戦争商売はいつまでも続かねぇってことですよ。中尉殿」

 

 やれやれ……それもまた事実なんだよなぁ

 

「この先ずっと、鉄砲撃ってばかりじゃいられないってか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、トリポリ手前まではダイジェストで行こうと思う。

 むしろ、キング・クリムゾンしてもおかしくないくらい波乱が無かった。

 

 エル・アゲイラからトリポリまでの海岸沿いの大きなイタリア側の拠点は、近い順にスルト、ミスラタという街だった。

 

 どちらもリビアの行政区分的には、キレナイカではなくトリポリタニアの勢力圏に入る。

 簡単に言えば、キレナイカはサヌーシー教団の本拠地とするならば、トリポリタニアはアラブ商人たちの勢力圏だ。

 人口もリビアで多く、健全な時代なれば北アフリカ有数の交易地であり、天然の良港である交易港と北部には豊かな緑地や農地が広がっていた。

 

 史実であれば、イタリアの征服された後も英国の植民地とされたが、生憎とここに英国人は居ない。

 機を見るに聡いアラブ商人たちは、付き合いのあるサヌーシー教団と接触し、そして武者小路特使と折衝した。

 

 日本皇国が目標とする”リビア三国連合(トリニティ)”……政治信条やその他の違いから無理に統合せずに住み分けるという提案は、商人たちにとり理想的な回答だった。

 

『商人による商人の統治は認められるのか?』

 

 という問いかけに、武者小路は生真面目にこう返した。

 

『まずリビアの地に住まう全員が守る”リビア憲章”というルールを立ち上げる。その最低限の護るべき事項を定めたルールに従い、普通選挙と議会制を取り入れた共和制を取ればよい。必要であれば商人が議員を兼任しても構わない。そもそも近年における共和政は、資本主義と密接に関りがある。本質的には税金の使い道をどう決めるかが現代の政治の肝だ。ならば、利害調整の機能を議会が持つことはなんらおかしくない』

 

 と”身分の貴賎にとらわれず、経済活動の円滑化を担う議会と共和制”をぶち上げた。

 やや経済面での優位に偏った説明ではあったが、これは明らかに現代国家の(共産主義を除く)基本的な政治スタイルに関する啓蒙だった。

 そして、最後はこうしめた。

 

『大事なのは、他人の価値観に無用に口を出さないこと。相手の価値観を侵害しないことだ。商人にとっては金が全てかもしれないが、全ての人間がそうではないのだから』

 

 こうして口八丁手八丁でアラブ商人たちの協力を取り付けた武者小路の活躍もあり、日本皇国軍は瞬く間にスルトとミスラタを陥落させた。

 

 スルトの戦いは、ベンガジの戦いのほぼ再現だったが、伊軍の兵力がベンガジの半分以下しかいなかったうえに、装備も貧弱で士気も低く、空爆からの砲兵一斉射でおおよそのカタはついた。

 特筆すべきトピックスは、アラブ化したベルベル人であるカッザーファ部族が”流れ弾(・・・)”で大きな被害を受けたことぐらいだろうか?

 可哀そうなことに犠牲者の中に来年出産予定の妊婦もいたが、胎児もろとも命を落としてしまった。

 戦争のよくある悲劇であった。

 豆知識だが、その部族出身者は”カッザーフィー(カダフィー)”を出自(二スバ)として名乗る事が多いという。

 

 

 

***

 

 

 

 ミスラタはもっと簡単だった。

 試しに皇国海軍地中海艦隊の爆撃機隊が一斉に街の上空で、イタリア語とアラビア語の両方で書かれた降伏勧告のビラをばら撒いたら、本当に降伏したのだ。

 というか正確には、日本人がアラビア語で書かれたビラをばら撒いた直後に住人が一斉蜂起し、命からがら都市にいたイタリア人が脱出して、港から白旗を振る「降伏するから救助を求む」としたのだ。

 これを笑ってはいけない。いや、むしろ笑えない。

 

 この時の尋問もしてないのにペラペラ早口のイタリア語でしゃべり始めた救助した捕虜(?)の話を聞くと、トリポリ防衛のために戦力が引き抜かれミスラタの兵力は1万人もいなかったそうだ。

 

 正直、いつ何十倍もいる市民に襲われるかビクビクしていた所にビラがまかれ、市民がこれまでの不満を爆発させ襲撃が始まり、命からがら港まで逃げ出したそうだ。

 ちなみにミスラタからトリポリまで陸路で約210㎞ほどしかない。

 

 

 

 あんまりと言えば、あんまりな話だが、これが偽りのない北アフリカ・イタリア軍の真実だった。

 そして、日本の北アフリカの戦力全てが、トリポリへと向かう。

 

 恐るべきはその進撃速度だ。

 リビアの東端であるトブルクからほぼ西端にあるトリポリまで陸路約1,500㎞ちょっと。

 ガザラの戦いから、まだ6週間ほど。

 この僅かな時間で、日本皇国軍はほぼ本州の長さに匹敵する距離を進軍した。進軍してしまったのだ。

 

 いや、これすらも補給や捕虜や戦傷者の移送、戦死者の処理に時間がかかった事を加味しなければならない。

 

 これは何と表現すればよいのだろう?

 日本皇国軍の兵站補給線の延伸能力の高さか、それとも機甲戦力の移動力の高さと故障の少なさか?

 あるいは明らかに別世界の自衛隊の影響を感じる工兵隊の能力の高さか?

 

 九七式をベースにした試製地雷処理車が爆導索だか導爆線だかのこの時代にはないはずの隠れハイテク(?)機材を使って申し訳程度に埋設されていた地雷原を処理していたので、これも大外れではないだろう。

 

 まあ、フェザーンを除くアラブ人を味方に付けられた事はとりあえず要素として大きいだろう。

 

 特にこれといった理由もなく、されど全てが理由になるような状況で、日本皇国軍はトリポリに迫っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




シモヘイ、君にも帰れる場所ができたんだ。
こんなに嬉しいことは無いだろう?

という訳で事後のあれこれとスルト、ミスラタの攻略がほぼ同じ長さになってしまったエピソードでしたw

いや、ドイツ人がいないことと事実上、補給が立たれてること、コンパス作戦以後のイタリアの回復力(ギリシャとも戦争してるし)を考えると、この時期の北アフリカの総戦力って実質15万人くらいしかいないんじゃないかな~と。

そして、次回はいよいよ山場……になるのかな?なトリポリ攻略戦に入る予定です。

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第115話 1941年12月8日、”ザバーニーヤ作戦”、成功(?)をもって終了とす

もしかして、史上まれに見る最悪の降伏(オチ)かもしれない……





 

 

 

 さて、史実では1941年後半に英国軍が行った北アフリカ・リビアで行った反抗作戦の名を”十字軍(クルセイダー)作戦”という。

 端的に言って、英国人はリビア人やイスラム教徒に喧嘩でも売りたかったのだろうか?

 

 リビアのイタリア人を追い出す作戦に、クルセイダーなんて名前をつけるなんて、「英国人が現代の十字軍となってイタリアに代わってリビアをキリスト教のものにする」と宣言するようなものだ。

 これじゃあ”英国国教会 vs ローマ・カソリック”の代理戦争ならぬガチ戦争と言われても仕方がない。

 無論、イスラムにとってはどっちもキリスト教、要するに敵だ。

 少しは歴史的背景を考えてほしい。

 いや、トリポリタニアを英国領にしたのだから、ある意味においてその作戦名は正解かもしれない。無論、皮肉言っている。

 

 

 

 だが、この世界線の日本人はそこまで無神経でも領土的野心の持ち主でもない。

 だから、ガザラ村の戦いから始まるリビアでの大反抗作戦をこう名付けたのだ。

 

 ”地獄の番人(ザバーニーヤ)作戦”

 

 と。

 ”ザバーニーヤ”とは、コーランに登場する天使で、イスラム教の定義する地獄”ジャハナム”の管理者だ。

 ちなみにザバーニーヤもジャハナムも、微妙にガンダ○に繋がっている。

 ザバーニーヤは某劇場版に登場する狙い撃つ/乱れ撃つ系MSの最終進化型の元ネタだし、ジャハナムはVの抵抗勢力の大物とか、それつながり(?)で時系列的に1000年以上先のMSの名前に付けられている。

 

(そういや、あれも”国土回復(レコンキスタ)”って名前入ってたっけ)

 

 まさかこの作戦、立案にガノタ転生者が関わってるんじゃないだろうな?

 

 ああ、今生のウッ○を目指そうとしたが、時代的に無理だと諦めた舩坂弘之だ。

 いや、まあアヤツよりは女運は良いと思うが。

 普通に家庭的で超かわいい幼馴染と結婚してるし。

 

 ただ、俺を未だに”ヒロユキちゃん”と人前で呼ぶのは、年齢的に勘弁してほしいところだが。

 二人きりの時は構わんが。

 

 ところで今、トリポリ沖合に居る”あきつ丸”の甲板から街を眺めているんだが……

 

「なあ、軍曹……どうして街のあちこちから炎と煙が上がってるんだ? 皇国軍(おれたち)、まだ何もしてないよな?」

 

 砲弾・爆弾どころかビラすら撒いてない。

 さっきからのひっきりなしに海軍(うち)の二式艦上偵察機や空軍の一〇〇式司令部偵察機が上空を飛んで状況を探ってるようだが、今のところこれといった答えは出ていない。

 むしろ一切迎撃機が飛んでないのが不気味ですらある。

 なので俺達は船で待機中なんだが……

 

「はは~ん。こりゃ、もしかしたら”見限られた”のかもしれませんなぁ」

 

「見限られた? 誰が? 誰に?」

 

「イタリア人がリビア人にでしょうなぁ。力による支配は、その支配の担保となる力が衰えればたちどころに反旗を翻される……歴史上、さして珍しくもない、何度も繰り返されてきた節理ですな」

 

 やっぱ軍曹って学あるよな?

 

「ってことは、いつでも出撃できる状態は維持すべきだな。軍曹の予想が正しいとすれば、この先どうなるかわからん」

 

「ほほう。そのこころは?」

 

「予定とは全く異なる任務で出る必要があるかもしれないってことさ」

 

 認識を、いや想定を切り替えよう。

 トリポリは現在、内戦状態にあると。

 

(ったく、何の因果だあの街は……)

 

 カダフィーの頃も、カダフィーが死んだ後も、ホントに毎度毎度衝突が絶えんな。

 

「とりあえず、泥沼化して手が付けられなくなる前に力技の武力介入をし、強制的に戦闘を終息させるって展開かな……これは」

 

 結果として、イタリア人を救うためのトリポリ攻略戦になりかねない。

 

(正直、やってられんなぁ……ヲイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 トリポリ攻略戦は、恐ろしくあっさりと決着した。

 トリポリ市街から多勢に無勢で武装した市民から叩きだされたイタリア軍は、郊外にあるイタリア軍基地に立てこもることを選択したようだ。

 迎撃機が飛べないのも道理だった。

 基地に隣接した滑走路まで避難してきたイタリア将兵があふれていたのだ。

 何ならトリポリ港から脱出してもよさそうなものだが、日本人が幾重にも網を張っていることを知ってる彼らはそれを安易に選択できなかったのだ。

 

 いや、それ以前の問題かもしれない。

 そもそも、船や飛行機や戦車を十全に動かせる燃料自体が、既に枯渇気味だったのだ。

 

 

 

 まず海上補給がほぼ壊滅し、輸送船が着くのは奇跡的な状況になっていた。

 何しろ、メッシーナ海峡は機雷封鎖され、今や数少ないイタリア船の安全地帯であるナポリから輸送船団を出せば、必ずシチリア海峡(ボン岬海峡)を通らねばならない。

 ちなみにこの海峡の幅は一番狭いところで145㎞程度しかない。まさに潜水艦に待ち伏せしてくれと言ってるようなものだ。

 これ以外にも日本皇国遣地中海艦隊やマルタ島の陸攻隊、最近では英国に倣って編成された53㎝酸素魚雷を搭載した日本版PTボート、高速魚雷艇(MTB)部隊がいるのだ。

 史実の日本魚雷艇より遥かに早くそして高性能な魚雷艇が配備されたのは、35年のドイツの再軍備宣言により、その頃から「波が静かな地中海の戦闘」が想定され、同じく魚雷艇の必要性を感じた英国と共同開発となったのだ。

 

 これ比べれば、まだ潜水艦を用いた通称”ナポリ急行”は成功率が高いとされていたが、日本の対潜装備を満載した軽巡洋艦や駆逐艦、海防艦で編成された対潜水艦戦隊(ハンターキラー)やマルタからの磁気探知機(KMX)を搭載した長距離対戦飛行艇”二式大艇”の哨戒網を擦り抜けてトリポリにたどり着くのは至難の業だった。

 

 空輸もできなくはないが、一度の輸送量が小さく、またマルタ島の電探を張り巡らされてる中、足の長い日本軍機が電波誘導で飛んでくる、あるいは待ち構える状況で何度も使える手段ではなかった。パイロットも航空機も有限なのだ。

 マルタの空軍部隊だけでも厄介なのに、場合によっては海軍の空母戦闘機隊まで上がってくるのだ。冗談ではなかった。

 

 

 

 チュニジアを中継しての陸路に関しても、かつては同じ陣営だったはずのフランスも、よりによって「中立を理由」に軍需物資の融通も、チュニジアの兵站輸送も許可してくれなかったのだ。

 フランスの言い分は、こうだ。

 

『食料や医薬品、日常品なら人道的見地から見ても正規輸出が可能だが、武器弾薬燃料の輸出はイタリアへの軍需品供給による戦争協力とみなされかねない。ましてや、チュニジアからの陸路補給を許したら完全に中立を破る敵対行為とされ、チュニジアへの直接攻撃の理由が発生するだけでなく、ドイツとの停戦合意にも大きく影響が出る。なぜ、イタリアの為にフランスがそんなリスクを侵さねばならん? それに見合う見返りや対価は用意できるのか?』

 

 当然できるわけはなかった。

 仏領植民地さえ持て余してる現状で、フランスが土地を対価として受け取るわけがない。

 それ以前に対価に差し出す土地が無い。

 リビアも東アフリカも、すでにイタリア人の所有物ではなくなってきているのだ。

 

 金銭や資源も論外。そもそもイタリア本国の消費分すらも現在は不足気味だ。

 そしてイタリア人は知らないことだが、食料品や医薬品の北アフリカ伊軍販売にさえ、フランス政府は日本政府にお伺いを立てていたという事情がある。

 誰だって対岸の火事の火の粉を進んでかぶりたくはない。ましてや国境は対岸でなく地続きなのだ。

 ちなみに日本皇国政府の反応は、

 

『略奪や餓死者続出や流行病の蔓延よりはマシだから、人道的見地から許可』

 

 だったという。

 つまり、北アフリカのイタリア軍は、食料品や医療品などはとりあえず問題は無いが、もはや満足に戦える武器弾薬燃料状態ではなかったのだ。

 

 

 

 そして、それを見逃すトリポリのリビア人ではなかった。

 イタリアに恭順してるフリはしているが、まさに中身は面従腹背。

 そしてきっかけとなったのは、ミスラタまで陥落した後に足りない戦力を補うためイタリア軍は禁じ手ともいえるトリポリ市民から物資の強制徴用、強制徴兵を始めたのだ。

 

 だが、怒り心頭のトリポリ市民ではあったが、日本と繋がっていた商人ネットワークからの情報ですぐに行動は起こさなかった。

 イタリア人からなけなしの旧式武器を渡され、日本軍がいよいよトリポリに迫った時に、彼らは溜まりに溜まった怒りを爆発させた。

 

 その勢いはまさに烈火であり、怒涛だった。

 最初、イタリアは対処できると思っていたのだ。

 何しろ、リビア人にはまともな武器は渡してないはずだった。

 

 とことん、見通しが甘かったと言える。

 商人を敵に回しているということは、通商路に何が紛れさせられているかわからないということだ。

 そして、手に手にどこからか紛れ込んだ日英式(・・・)の武器を持った武装市民は、装備が貧弱なイタリア部隊から圧倒していった。

 

 そして、日本人を迎え撃つ前線陣地でも市街でも、一斉に蜂起が起きたのだった。

 実はトリポリ人には怒り以外にも”焦り”があったようだ。

 最初から日本人と組み、イタリアと戦っていたのはキレナイカのサヌーシー教団だ。

 このままでは、このリビアの大地の主導権はサヌーシー教団が握ってしまう。

 元は商人の街であるトリポリだが、(少なくてもこの時代のこの世界線では)比較的穏健で飲酒にも寛容なハナフィー学派が主流とはいえ、イスラム教の最大派閥のスンニ派のムスリム都市なのだ。

 正直に言えば、イスラム教の中で異端扱いする者が少なくないイスラム神秘主義(スーフィズム)のサヌーシー教団がリビアで圧倒的な発言力を持つのは、彼らにとりあまり面白い状態ではない。

 だからこそ、将来的に樹立予定の”トリポリタニア共和国”をリビアの中で「スンニ派ハナフィー学派の国」とすべく、実績を欲しがったのだ。

 そう、

 

 ”自らの手でトリポリを奪還した”

 

 という手柄をだ。

 その結果、イタリア軍はリビア人に地の利があるトリポリ市街を放棄し、基地に立てこもった。

 

 だからこそ、日本軍機が上空から降伏勧告のビラをばらまいたとき、一斉に白旗が上がったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そしてイタリア・リビア総督兼最高司令官だったイタリアーノ・ガリボルディ元帥の降伏に関する条件(条件が出せる様な立場にないことは、ガリボルディ自身もわかっていたが)は、

 

 ”トリポリに居るイタリア軍の捕虜としての身柄の保護”

 

 だった。

 そう、ガリボルディ元帥は、自分達をリビア人に引き渡され、裁かれることを最も恐れていた。

 

 それを聞いた山下将軍は、実に微妙な表情をしたという。

 そして、さらに増えた捕虜に胃痛が増したのは言うまでもない。

 

「イタリア人は、捕虜の物量戦で私を殺しに来てるのだろうか?」

 

 そうつぶやいた山下将軍の背中は、悲哀に満ちていたという……

 

 

 

 

 

 

 

 ともあれ、こうしてリビアを巡る戦い、”ザバーニーヤ作戦”は日本皇国の勝利という形で幕を閉じた。

 奇しくもトリポリの陥落宣言が出されたその日は、

 

 

 

 ”1941年12月8日”

 

 

 

 だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実では運命の”1941年12月8日”、日本皇国はリビア以外にこれといった戦いもなくこの日を迎え、ただ一日が過ぎました。

太平洋は相変わらず米ソ(ついでにその取り巻き)と仲が悪いだけでこれといった軍事衝突もなく、時折、街の暗がりで身元の分からない死体が転がるくらいです。

クレタ島はいたって平穏、時折、「忘れた頃のやってくる」イタリアの偵察機が来るくらいです。

英国は、東アフリカでハッスルしてるようですよ?

さて、別の世界では太平洋を舞台とした大戦争が始まったこの日、日本皇国は微妙な終わり方でしたが、一つの戦場を”終わらせ”ました。

リビアでのエピソード、残すは章エピローグ的な1話のみ。

この先、果たしてどうなっていくのか……皆様に”歴史の目撃者”になっていただけると嬉しいです。

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第116話 アラビア石油開発機構とペペロンチーノ風ソーミン・チャンプルー

リビアでの戦いのエピローグ、チャプター・エンドです。

どうやら平和な時間は、「今、この瞬間は」戻って生きたようですよ?






 

 

 

 史実の”クルセイダー作戦”で英国が成し遂げられなかったリビアの大反抗作戦で、今生の日本皇国はトリポリまで陥落させた。

 

 ”ザバーニーヤ作戦”

 

 は成功で幕を閉じた。

 しかし、リビアにはイタリア人に服属し共闘した勢力があった。

 そう”フェザーン”だ。

 

 当然、日本皇国軍の捕虜の中にはフェザーン人もいた。

 トリポリ陥落後、日本人はイタリア人の回収と移送、トリポリの復興と治安回復を並行して行いながら、捕縛したフェザーン人をメッセンジャーという名目で解放した。

 

 リビアにおけるフェザーンの現状の立ち位置(立場の悪さ)と、今後の展望、そして”リビア三国連合(トリニティ)”の樹立に向けた要望などが、彼らにわかるようにかみ砕いた表現の書簡を持たせてだ。

 

 そして、彼らを送り出すとき、皇国特使の武者小路実共は、こう付け加えた。

 

「もし闘争の継続を望むなら、首長だけでなくあらん限り戦えるものは老若男女問わず全て連れてきなさい。皇国軍は全力をもって気が済むまでお相手しよう。和平を望むのなら首長と君たちの部族に居るイタリア人を連れて、適切な人数で来なさい。返答がないときは残念ではあるけど、敵対を継続するとみなすよ?」

 

 そう優しく問いかけるような武者小路に、虜囚生活から解放されたばかりのフェザーン人は震えあがったという。

 

 

 

 

***

 

 

 

 かくて数日後にフェザーン人は戻ってきた。

 首長を含む100人ほどの人数で、縛り上げたイタリア人を連れて。

 

 迎える日本人はトリポリ港から内陸に向けて陣を貼っていた。

 

 港には分かりやすい力の象徴として戦艦が停泊し、陸は戦車で埋め尽くし、空には戦闘機が見事な曲芸飛行を決めていた。

 

 そんな陣営でフェザーン人を迎え入れたのだ。

 正しく、あるいはいっそ清々しいまでの砲艦外交(・・・・)であった。

 

「現在、将来に向けた”リビア三国連合”準備委員会(・・・・・)、委員長の武者小路実共です。以後、お見知りおきを」

 

 そうフェザーン首長にアラビア式の友好の挨拶を交わす武者小路に、フェザーン首長はまず”生け捕りにしたイタリア人”を手土産に差し出したと記録が残っている。

 異教徒だし首だけの方が良いかもとも思ったが、帰ってきた同胞から「首を落とすなら、日本人はサムライソードの試し斬りに使うから、生きたまま渡した方が受けが良い」と聞いていたので、その通りにした。

 

 こうして、キレナイカ王国、トリポリタニア共和国に続く最後のリビア三国連合の構成国、”フェザーン首長国”の樹立が決定したのだった。

 

 

 

 そして、多くの転生者は気づいていた。

 本当の日本皇国の苦難は、ここからだということを。

 アラブとは、そういう土地なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際、そこから先は軍隊ではなく外交と政治の仕事だった。

 

 日本皇国は、「まるで最初からリビアに石油があることを分かっている」ように、石油資源の早期開発と経済的自立を提言した。

 とにかく、武者小路が主張したのは、

 

「石油はリビアに住まう全ての人々の共有財産、アッラーからの恩寵であり、イスラム教徒はその恩恵に預かる権利がある。アッラーは決して富の偏在による人心の乱れを喜ばないだろう」

 

 という、あらゆる意味でこれまで接してきた西洋人が決して口にしないようなセリフだった。

 しかもリビアにおける日本皇国の立ち位置は、

 

「今のリビアに油田採掘する技術やパイプライン、石油化学コンビナートを作る技術は無い。だからこそ、日本が”代行”するだけだ。日本は石油の独占を決して望まない。石油の利権や管理権は、石油は国有財産なのだからリビアの公的機関が持つべきなのだ」

 

 と主張する。

 これが言えるのも、この世界線での日本皇国が自国領内の樺太北部の油田・ガス田開発に艱難辛苦を乗り越え成功したからだ。

 特に史実と異なり油脈の規模が大きく(推定で20億バレル以上はほぼ確定)一部が陸地まで伸びていたことで、開発の足がかりになった。

 他にも北海道、秋田、新潟で油田開発が行われ、採掘されている。

 実はここにも永らく続く日英同盟の恩恵があった。

 日本におけるエネルギー政策の一環である油田法の制定や開発ノウハウなどが、武者小路の背景にあったのだ。

 

 そう、今生の日本は規模は小さいが、アメリカ同様に産油国なのだ。

 ただ、産油量が日本皇国の使用量と大体同じとされている。(実際にはそうなるようにコントロールしているのだが。勿体無い精神は重要。限りある資源は大切に、だ)

 つまり産油国であっても石油輸出国ではない。

 

 「捕らぬ狸の皮算用」に聞こえるかもしれないが、自国の石油開発事業に実績のある日本人が言うなら出るだろうということ(つまり、それぐらいの信用を勝ち得ていた)で、「石油が採掘された場合」の話し合いも持たれた。

 

 この時、日本側は前述の通り「リビアの石油はリビア人の財産」であることを前提に、所有権はキレナイカ王国・トリポリタニア共和国、フェザーン首長国の三国連名の公的機関が油田所有権・管理権を持つこと(つまり石油資源の国有化)。

 また、石油開発の利益は、その油田が出た場所の8割が担当国、残り2割が残る2国に回すこと(つまり、キレナイカ王国の油田であげられた利益の内、80%がキレナイカ王国に入り、残り10%ずつがトリポリタニア共和国とフェザーン首長国に分配される)。この比率には弾力性を持たせ、話し合いによる分配比率の変更が可能とすること。

 また必ず有事に備え、純利益の中から一定金額を資本プールとすること。

 日本皇国は、「開発と採掘、精製の代行」を行いそれを経費として受け取り、また優先輸入権を持つこと。

 そして、石油開発事業も会社(石油資本)ごとに行うのではなく、資本御集中投下と相互監視の観点から官民合同プロジェクト”アラビア石油開発機構(アラ石機構)”を立ち上げ、開発・精製までを一貫して迅速に行うことが提案された。

 

 彼らの知る外国人(=欧米諸国)ではありえないほど、譲歩ではなく「リビアに配慮された」内容に目を白黒させながら、これからリビア三国同盟となる三カ国の代表は異口同音にこう告げた。

 

「「「我々は、日本皇国以外とこと石油事業に関しては商売したくない」」」

 

 リビア人には、「自らを律する手枷を自らはめた」ような日本人の態度に感動すると同時に対比となる感情、つまり「根こそぎ何でも奪う西洋人に石油を渡したら、何をされるかわからない」という恐怖心を隠さなかった。

 それほどまでにアラブ世界に強欲さを見せつけた「野蛮な西洋人」に対する不信感は強かったのだ。

 

 困ったのは武者小路だ。

 リビアの石油資源を日本皇国が独占したとなれば、同盟国の英国との関係もぎくしゃくしかねない。

 そういう(例えば米ソが)付け入る隙を作るのは、勘弁願いたいのだ。

 だからこそ、折衷案を持ちかけた。

 

「今は戦時下であり、非常時の暫定措置という形で、日本皇国が一括管理という形で請け負うし、また駐留費用を”原油が出た場合、現物払い”という形で捻出するなら、その間の国防も請け負おう。無論、石油が発掘されるまで支払は待つし、分割でも構わない。万が一出ない場合は、請求は発生しない」

 

 とリビアに満額回答するような前振りをしてから、

 

「ただし、戦後世界……武力ではなく話し合いで大半の物事が解決する時代が来たと判断出来たら、リビア国営企業との合弁会社が条件付でも他国の石油資本の受け入れを考慮してほしい」

 

 そう提案した。

 

 

 

 さて、もうお気づきだと思うが、日本が本当に欲したのはリビアの石油ではない。

 石油は確かにあるに越したことはない。

 だが、本当に欲しいのは「安定した平穏なリビア」だ。

 これがどれほど日本の将来に影響するのか……それは”未来を知る転生者達”の願いでもあった。

 

 こうして、「リビアという平和な国を作る」ための長い長い、決して負けることの許されない”本当の闘い”が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”EXステージ”

 

 武者小路が武力を使わない闘争を始めたのと同じ頃、地中海方面における日本皇国軍最高司令官”今村仁”大将は、別のとある戦いを終わらせていた。

 

「これで取引成立ですな」

 

 彼が握手していたのは、親独中立国として国際社会に復帰したばかりのフランス、その通商代表部の大物だった。

 

「確かにデュラムセモリナ種を使ったパスタ1万tを期日までに用意しましょう」

 

「Merci beaucoup とても助かります」

 

「いえいえ、こちらこそ。これからも良い取引を。それにしても日本人は気遣いが過ぎますな? イタリア人など”英国人の絞り粕(マーマイト)”でも舐めさせておけば十分だというのに」

 

 フランスからの使者は、実に率直なイタリア人(と英国人)に対するコメントを言えば、

 

「これも保身ですよ。イタリア人が食事を拒否して餓死でもされたら、後が面倒だ」

 

「では、今は何を与えているので?」

 

「我が国にも”素麵”という小麦を使った保存のきく乾麵がありましてね。パスタに比べれば柔らかいですが、それを沖縄という南方の島出身者が郷土料理の”ソーミン・チャンプルー”という物をベースにトウガラシやニンニク、コショウを利かせてオリーブオイルで炒めれば、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(Aglio, olio e peperoncino:ペペロンチーノの正式名称)風になると言いまして、これが存外にイタリア人の受けがよくて」

 

 実はペペロンチーノ風ソーミン・チャンプルーは実際にあるレシピだ。

 また、ペペロンチーノは一般に細いパスタを使うので、硬めにゆでた素麵(冷麦でも全然おk)を使って作ると存外に違和感がない。

 なので、イタリアーノな捕虜たちは”Pasta morbida al peperoncino bianco(白くて柔らかい唐辛子のパスタ)”と称して好んで食していた。

 

 フランス人特使は思い切り呆れた顔をする。

 なんで日本人がそこまでイタリア人を丁重に扱うのかさっぱりわからなかったが、

 

「……少し味わってみたくなりましたな。その、珍味を」

 

 興味は別の物に移った。

 美食家(グルメ)を自称する彼としては、異国情緒のあるその料理を味わってみたくなったのだ。

 

「もし、時間があるようでしたら昼食を一緒にいかがですか? よろしければソーミン・チャンプルー・ペペロンチーノ風を運ばせましょう」

 

 こうして、日仏のささやかな親善が行われたのだった。

 この”小さな取引”が後にどのような影響があったのかはわからないが、少なくとも「リビアの(とりあえず現時点の)統治成功」は、フランス人に光明を与えたのは事実だった。

 フランスは、自分たちが売れる土地、”日本人にとって価値のある土地(・・・・・・・)”を持っていることをよく知っていたのだ。

 

 これが後の、”世紀の商戦”につながるとは、この時、日本人は誰も考えてなかったに違いない。

 歴史は今、より愉快な方向へ流れようとしていた。

 

 なお今後、日本皇国にかかるプレッシャーは考えない物とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい。
サブタイに偽りなく、石油とパスタ料理(?)の話でしたw

日本皇国の未来は、別に暗雲立ち込めてるわけでは無いですが、まあ色々な混沌が待ってるでしょうね~。
アラブやそこからでる石油に係るというのは、そういうことですから。

日本皇国は、これから地中海にもアラブにもよりコミットしてゆくことになるでしょう。
そう簡単に足抜けできないゾ♪

ここまでお付き合いありがとうございました。
次のエピソードからの次章となります。
これからもどうかよろしくお願いします。

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第8章:A man is living in Days of Saint Petersburg
第117話 ファシスト・イタリア崩壊の序曲、バルボ元帥撃墜事件の真実


今回から、新章となります。
とりあえず、最初くらいは珍しくシリアヌに……







 

 

 

「なんということだ……」

 

 捕虜にしたイタリアーノ・ガリボルディ元帥を自ら尋問していた山下泰文中将は、その懺悔にも似た自供に戦慄した。

 彼の口から語られたのは、およそ1年前の1940年11月(・・・)の出来事……トリポリの港に停泊していた軽巡の誤射により”事故死”したと思われていたイタリア空軍の父”エイタロ・バルボ”元帥の死の真相だ。

 

「怪しいとは思っていたが……まさか、本当に」

 

 結論から先に言えば、”暗殺(・・)”だった。

 バルボ元帥は死んだのではない。暗殺されたのだ。

 

 これまでの経緯を説明しよう。

 ファシスト四天王の一人とかつては謳われ、一時はムッソリーニの後継者と目されていたバルボ元帥。

 だが、殺される直前にはムッソリーニにとりバルボは、”最も危険な政敵”になっていた。

 

 第一次世界大戦では山岳部隊に入隊し、受勲するほどの活躍を見せた戦士であり、戦後はイタリアに空軍を設立する原動力となった。

 そして、イタリアの空の力をアピールするために、大西洋横断を二度も行ってみせたのだ。

 

 その実績とカリスマ性ゆえに、史実でも今生でもアメリカの有名誌などはムッソリーニを「バルボの国の独裁者」と面白おかしく書き立てるほどイタリア国民の人気も高かったのだ。

 

 ムッソリーニが危機感を持つのは当然だった。

 最初の亀裂は1935年、ドイツの再軍備宣言と前後する”アビシニア危機”だったと言われる。

 

 ただ、史実のバルボ元帥と決定的に違うのは、「民族的政策(=ユダヤ人の迫害)には毅然と反対したが、ドイツを毛嫌いすることはなかった(・・・・)」ということだ。

 ナチ党はともかく、ドイツという”国家としての行動”を見た場合、しきりに首をかしげている姿は見られたというが、少なくともポーランド侵攻に関して英仏側(もっとも、この世界の英国はポーランドどころか欧州に出兵してないが)に立って参戦すべきという意見を出すことはなかったようだ。

 一応、ドイツへの態度の軟化は説明はつく。

 

 この時代のイタリアは航空機(特に戦闘機)用エンジンを初め発動機や兵器のの多くをドイツ製のライセンス品に頼るしかなく、両国の円滑な同盟関係は必須だったといえる。

 この世界線におけるバルボは史実以上にイタリアの空軍だけでなく、それを支える産業の育成と保護に力を入れていて、空軍の父というだけでなくそれを支えるイタリア航空産業、いや兵器産業あるいはイタリア重工業界全体の守護者と言えた。

 彼は経済に明るく、先進的な考え方をし、どうにかして未だに遅れた部分のあるイタリアの工業界をひいては社会を前へと推し進めようとしたのだ。

 だからこそ、彼は軍と軍需産業の連絡会、

 

 ”イタリアの翼共同体(アエタリア・マフィア)

 

 を立ち上げたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 彼は間違いなく有能なプロジェクトリーダーであり、それがまたムッソリーニの癇に障った。

 そして、決定的な亀裂となったのが、

 

 ”イタリアのギリシャ侵攻”

 

 だったとされる。

 ムッソリーニが、「ヒトラーの鼻を明かすためだけ」に立案したこの計画を聞いたバルボは激怒し、

 

「貴様の下らん虚栄心を満足させるための作戦など犬にでも食わせて、その戦力さっさと北アフリカの友軍に送ってやらんか! この馬鹿者っ!!」

 

 と部屋の外にも聞こえる程の大声でムッソリーニを怒鳴りつけたらしい。

 それが直接的な原因となり、バルボは事実上の左遷であり、リビア総督再就任を命じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、バルボはリビアの地に降り立つことは無かった。

 彼の乗ったサヴォイア・マルケッティ SM.79三発輸送機はトリポリに到着する直前、トリポリ港に停泊していた装甲巡洋艦サン・ジョルジョの「敵機と間違えた誤射(フレンドリーファイア)」により撃墜され、バルボは帰らぬ人となった。

 イタリア政府の公式発表は、

 

『実際撃墜した砲手の証言によると、イギリス軍のブリストル・ブレニム爆撃機による攻撃直後にバルボ元帥の乗機が、太陽を背にして低空で進入してきたため敵機であると判断され誤射された』

 

 だったが、当初より疑念がもたれていたのだ。

 そもそも当初発表された”撃墜された時間”は太陽の位置が真上に近く、また輸送機の通常進入方向から考えて「トリポリ港からみて太陽を背にして低空侵入は不可能」とされた。

 その後、イタリアは「撃墜時間は誤りで、輸送機の進入は強風の関係で通常とは異なる方向から行われた」と情報を修正した。

 

 だが、それで疑念が払拭されたわけでは無い。

 例えば、バルボを撃墜したイタリア装甲巡洋艦サン・ジョルジョは、イタリア海軍が第一次世界大戦前に竣工させた古い船であり、近代化改修を受けていたとはいえレーダーも、日英独のようなレーダーに連動する高射装置も近接信管装備の対空砲弾も持っていない。

 しかも、満足な防空訓練を行っておらず、少なくとも対空射撃に関しては「ソ連海軍とどっこい」であった。

 事実、バルボの乗機を除けば、この船が撃墜できた航空機は公式記録によれば後にも先にも存在しない。

 

 そんな船が「ほんの僅かな時間の射撃で飛行機を落とせるか?」ということだ。

 「偶然撃墜できた機体が、たまたまバルボ元帥の乗機だった」……そんな偶然があるわけはない。

 実は前々から山下自身も疑問に思っていたのだが……

 

 

 

「輸送機が勝手に爆発したとは……」

 

 命中こそしなかったが、その日にサン・ジョルジョが飛んできた英国爆撃機に対空砲撃を行ったのは事実だった。

 だが、それとは無関係にバルボの乗機は爆発したというのだ。

 

 考えられるのは、最初から輸送機に爆弾が仕掛けられ、時限式あるいは電波起爆で爆発したのだろうということだ。

 

 ガリボルディの告白はなおも続いた。

 そのあまりの出来事に、当時リビア総督だったグラツィアーニ元帥が本国へ問い合わせたが……

 

『この後に発表される政府公式見解こそ、唯一絶対の真実。詮索無用。諸君らは戦争に邁進せよ』

 

 と回答があった。

 公式的にはグラツィアーニ元帥は、「英国軍の攻勢(=コンパス作戦)で大敗し、その責任をとってリビア総督を辞任し、退役した」ということになっているが、ガリボルディによれば彼は友人でもあったバルボ元帥の死を問いただしたためにリビア総督を解任され、本国に送還、退役に追い込まれたとのことだった。

 

「我々がアフリカに来たドイツ人に非協力的だったのは認めるが、それはドイツ人が気にくわなかったとかではない。バルボ元帥の明らかな暗殺(・・)や、グラツィアーニ元帥の処遇に対する抗議だ」

 

 そして、イタリア人の協力を得られないことを理由にドイツ人は早々と北アフリカから去り、イタリアからの補給は滞った。

 ドイツ人が無事に帰れたのは、フランス領のチュニジアやアルジェリアを経由したからだという。

 

(これは実際、戦争どころではなかったのだろうな……)

 

 山下はイタリアが同盟国(イギリス)に喧嘩を売り続けている敵国である以上、罪悪感を感じることはなかったが……同情的な気分にはなった。

 

「リビア人より不満は出るかもしれないが、イタリア人捕虜は相応に扱おう。現在、国際赤十字を通してイタリア本国に打診してるが、諸君らの帰国が叶うよう尽力するつもりだ」

 

「感謝する」

 

 

 

 深々と頭を下げるガリボルディは、実際の年齢より老けこんで見えた。

 その疲労感や無力感は察せられるが、勝者である自分がこれ以上どうこう言えるものではないと山下は思い直す。

 

 

 

 だが、ガリボルディも山下も気付かない。

 後の歴史から振り返れば、バルボ元帥の暗殺こそが「ファシスト・イタリア崩壊の序曲」だった事に。

 

 バルボが組織した”アエタリア・マフィア”の本質が何で、そして彼らが党首の暗殺が決定打となり「イタリアを見限った」事を。

 そして、バルボが生前より「万が一の事態」を考え、ドイツとコンタクトをとり水面下で同胞たちの受け皿を作っていた事を。

 

 ヒトラーが「北アフリカとギリシャのイタリアの失態」を理由に、航空産業を中心とするイタリア軍需産業のドイツ圏への移転を迫ったのは、決して偶然やその場の思い付きなどではなかったのだ。

 

 バルボは死して、いや己の死を予見しそれを起点とした”策”を張り巡らせていたのだった。

 そして、その策こそが、後の歴史に少なくない影響を与える事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、やっぱり(少なくともこの世界線では)バルボ元帥は暗殺されたようです。

さて、入手したこの情報、証拠・他の証言集めや裏どりをやってからでしょうが……果たして、日本皇国政府はどう使うのか?



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第118話 転生者と”バルト海特別平和勲章”

今回、二人の転生者が出てきます(一人は故人ですが)。





 

 

 

 さて、この1930~40年代という戦乱絶えることのない時代、転生者が最も組織された国は何処だったろうか?

 実は、転生者密度が低いはずのイタリアだった。

 

 その発起人は”エイタロ・バルボ”。

 名前から察せられるかもしれないが、実は元日本人の転生者だ。

 彼はイタリア版軍需産業複合体である”アエタリア・マフィア”を隠れ蓑にし、転生者のネットワークを構築した。

 無論、その理由は今生の祖国であるイタリアを破局や破滅から救うためにだった。

 彼は彼なりに新たな祖国に愛着を持っていたのだ。

 

 しかし、その志半ばで自分が倒れる場合も想定していた。

 彼は歴史に”修正力”のような力があると確信ていたわけでは無かったが、あると仮定して行動していたのだ。

 

 その一環として”不慮の死”を想定し、自分の死後を考えて策を練った。

 バルボは、30年代のドイツの行動をつぶさに見て、ナチ党だけなら表面上は自分の知る歴史と大差ないが、ドイツという国家の枠組みで見るとかなりの差異があることに気が付いたようだ。

 

 だから、彼はユダヤ人迫害に(前世が日本人という良識の範疇で)反対しつつも、安易なナチ党批判は行わず、ドイツとは比較的友好に接した。

 そして、35年の再軍備宣言から39年のポーランド侵攻で、ヒトラーが転生者である疑念を持ち、極秘裏に接触したハイドリヒが転生者であることを確信した。

 

 そこでバルボは自分が死んだ……暗殺された場合を想定し、ドイツのNSR(国家保安情報部)と共謀することを決めた。

 NSRの協力を取り付け、万が一の場合はドイツが”アエタリア・マフィア”の受け皿になるように手配したのだ。

 ドイツにとっても「速やかに無理なくイタリアのテクノロジーを接収でなく吸収(・・)」できる好機であり、言うなればWin-Winの通り引きであった。

 

 

 

 実は何度か出てきた”ユダヤ人強制収容施設(実質的に城壁で囲まれた工業都市)”に、アエル・マッキ、レッジオーネ、フィアットなどの航空機メーカーが先行誘致されたのは偶然でも何でもない。

 ユダヤ人施設が、もっとも外界に目が触れにくいNSR管轄の工業施設だから選ばれただけだ。

 

 だが、史実と変化し続ける時代の要求から、どうもそこにも変化が現れたようだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さて、時間は”ザバーニーヤ作戦”発動直前まで遡る……

 

 

 

 

 

 

「つまり”シュペーア(・・・・・)”君、ユダヤ人収容施設ではどうにも収まらないから、今や復興真っただ中のサンクトペテルブルグに”新たな工場”、それもイタリアからの出向組(・・・・・・・・・・)に誘致したいと?」

 

「ええ。今、ようやく”A施設(アントン)”が本格稼働を始め、”B施設(ベルタ)”が稼働準備に入ったという段階で。”C施設(カエサル)”はようやく最近になって収容を始めたところでして……」

 

 いや、それは知ってるけどさ。

 そもそも”収容施設”は1つあたり100万人規模の収容を想定してたけどさ、アントンだって80万人収容した段階で、ベルタに「10万人規模の技術指導員とその家族(当然、ほとんどユダヤ人)」を送り出すなんて状況だ。

 現在、先行しているアントンで収容者75万人。ベルタでまだ50万人くらい。カエサルに至ってはまだ20万人もいないだろう。

 ”D施設(ドーラ)”は施設が完成しただけで、まだユダヤ人の収容は行っていないって感じだったかな?

 いや、この時点で150万人近く収容できたってのもすごいけどさ。

 

「実は確保できてる労働力に対して発注量が中々に多く、かといって効率を考えれば労働時間を安易に増やす訳も行かず、正直に言えばバックオーダーを抱えているという状態ですね」

 

 実はブラック労働って、短期ならともかく恒常的にやると疲労の蓄積や労働意欲の低下で時間当たりの仕事量って返って減るから。

 体調万全の1時間の労働と疲れ切った状態での1時間の労働、どっちが仕事できるかって話だし。

 

「8時間交代の3シフト24時間操業は?」

 

「既にやっておりますが、それでも現在のオーダーをこなすのがやっとというところで」

 

「そこで白羽の矢が立ったのが、潜在的な工業リソースが高いサンクトペテルブルグって訳か……」

 

 ああ、なんか久しぶりの(本人の意思に関係なく)流離(さすらい)の外交官、来栖任三郎だ。

 いや、そりゃ外交官てのは世界中をさすらうのが仕事だけどさぁ~……

 

(俺のはなんかチガウ……)

 

 それはともかく、今話しているのは”アルフレート・シュペーア”君。

 元建築家で、プロジェクト・リーダーとしての類まれな才覚を買われてドイツ軍需相にヘッドハンティングされた若き秀才、トート博士の秘蔵っ子だ。

 どうにもサンクトペテルブルグ再建というプロジェクトに元建築家の血が騒いだらしく、ありがたいことに自ら志願(売り込み)して馳せ参じてくれた。

 

「しかし、イタリア生まれの兵器をサンクトペテルブルグで作るねぇ……何とも皮肉が利いてるよ」

 

「それに関しては同感です」

 

 くすっと笑うシュペーア君に、

 

「目算は立つのかい?」

 

「上手くすれば、42年後半には最初の機体がロールアウトできるかもしれません。無論、エンジンや照準器、機銃など製造に手間がかかるパーツは余所で作ってもらうことになる事が前提ですが」

 

「それでも十分に早いよ。NSR的には大丈夫かい? シェレンベルク()、イタリア軍需産業はNSRの管轄だろう?」

 

「むしろ大歓迎ですよ? フォン(・・・)・クルス総督(・・)閣下。ご存知の通り、ユダヤ人収容施設はバックオーダーで手一杯なもので」

 

「あー、総督はやめてくれ。公式的には”サンクトペテルブルグ復興・再建委員会全権代表(・・・・)”だ」

 

 そこ。「その役職を略すと総督になる」とか言わない。自分でもわかっちゃいるんだが……いや、それより俺の役職名コロコロ変わり過ぎじゃないか?

 

「それにフォンなんてガラじゃないんだがな……」

 

「仕方ないでしょうが? 褒賞と一緒に一代限りの名誉称号として”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”のお歴々連名で授与されたんですから」

 

 

 

***

 

 

 

 そうなんだよな~。

 何を考えてるのか知らんが、総統閣下(ヒトラー)が自らをとって新たに制定した

 

 ”バルト海特別平和勲章”

 

 ……それ、俺こと来栖任三郎は受けてしまったんだわ。

 いや、そもそも受勲条件が、

 

 ”バルト海に面した国出身の人間でもないにも関わらず、軍事力を使わずに無私の精神でバルト海の平和と安定に貢献した功績を讃える”

 

 って何なのよ?

 すっげー、ピンポイントじゃん。

 というか、そんな変なポジションの奴、俺しかいなくね?

 というかバルト沿岸諸国、ノリ良すぎだろ……特にドイツとバルト三国。

 

 ちなみに貰った勲章ってのがこれまた意味深で、バルト海を模った透かし彫りのプラチナ製の本体に海と空を示すサファイヤとアクアマリン、太陽を示す大粒のペリドットが中央にででんとあしらってある。

 ナチス由来のモチーフは徹底的に排除されていて、「バルト海諸国の総意である!」と言われてるようなデザインだ。

 噂では、ヒトラー自らがデザイン原案を出したというが……本当か嘘か、史実でも”ドイツ勲章(大ドイツ帝国ドイツ勲章)”はヒトラー渾身のデザインだったらしい。

 

 それはともかく意味深すぎるのだ。

 実はプラチナの有名な産地の一つがソ連(ロシア)だ。

 まさか、「ロシア人から奪ったプラチナを使いました♪」とかじゃないだろうな? いや、バルト海デザイン込みでそうソ連にとられてもおかしくないが

 ついでにはめ込まれた宝石言葉はそれぞれ、

 

 ・空の蒼穹を示すサファイヤ:「慈愛」「誠実」「徳望」

 ・海の碧を表すアクアマリン:「沈着」「勇敢」「聡明」

 ・太陽の石と呼ばれるペリドット:「平和」「安心」「和合」

 

 うん。普通に重いな。

 ちなみにペリドットの宝石言葉には、「夫婦の幸福」なんてのもあるが、病で若くして妻に先立たれた俺に対する当てつけではないと信じたい。

 

 そして、勲章にドイツ色が出せなかったのが心残りなのか、それとも「ドイツのゲストが活躍した」と言いたいのか、総統閣下ではなくドイツ政府から公式の”Von(フォン)”の称号を贈られたという訳だ。

 

 まあ、本来は貴族称号なのだが、今回は特例として英国の騎士(栄誉)称号の”Sir”と同じ扱いとされたのだ。

 そりゃあ、ドイツにクルス士族とかあるわきゃないし。

 そうしたら、人生を楽しむことに余念のないシェレンベルクのヤローが面白がって、

 

『クルス卿も晴れて貴族の身分となった事ですし、下々の私にはもっと気安く、配下として接してほしいものですなぁ』

 

 とか言いだしやがった。

 ニヤニヤしてるのを隠しもしねぇし。

 なのでこっちも「ニャロメッ!」ってことでそうしてやったら、当の本人が全然堪えてねぇでやんの。

 というか状況を更に楽しんでやがる。

 

(こいつもハイドリヒの部下だもんなぁ……鋼メンタルなのも当然か)

 

 それにしても、サンクトペテルブルグ再建計画かぁ…

 

(少しは頑張ってみますかねぇ~)

 

 ぶっちゃけ、この仕事面白いし。

 なんつーか、前世で培われた社畜兼公僕の血が妙に騒ぐんだよなぁ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、蛇足だし無粋でもあるが……

 方向性は違うが、まるで”やっちゃいましたか?系鈍感主人公”のような内政的感性で、あるいは有頂天な狸一家よりも阿呆の血が強い来栖は当分気付けないと思うので宣言しておく。一連の各国の動きは、

 

 誰の目からも明らかな、すんげー分かり易い”取り込み工作”

 

 だと。

 ドイツは単独でやると色々問答臭そうなので、どうやらバルト海沿岸諸国を巻き込むことにしたようだ。

 

『フォン・クルス”サンクトペテルブルグ”総督(・・)を、対アカ後方担当共有財産にしようぜ!』

 

 と。

 バルト沿岸諸国の出身でないため、自国への露骨な利益誘導はしない。正しく中立であり、またレンタル元の日本皇国は、「日英のバルト海における沿岸諸国と同等(・・)の権利」しか求めてこない。

 誰も損をしないやり方だった。なお、来栖個人の損得は除外する。その分、給料に転嫁すればよい。それが資本主義というものだと結論付けられた。

 

 

 ……当分、来栖の帰国予定はなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、来栖再びでした。
そして、またしても役職名が変わってる上、総督呼びは変わらないというか……むしろ役職名が無駄に長いから、総督の方が通りがよく定着しそう(むしろ、それを狙った?)

そして、ついに英国の”サー”と同じ名誉称号扱いですが、いきなり生えてきた勲章と一緒に”フォン”が正式につきましたね~。
そして、バルト海沿岸諸国を巻き込むドイツ……ガチですw
ついでにバルボもドイツも策士です。

そして、シェレンベルクに続いて強力な助っ人、シュペーア君の登場です。
この人来ると生産系にバフが複数かかりますw

死者と生者の転生者同士の縁が、何やら再び歴史を変な方向に動かしそうな……?

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第119話 後の世に”サンクトペテルブルグの三羽烏”、あるいは”総督閣下のトリプルS”と呼ばれる漢たち

前回は再登場のシェレンベルク、そして初登場のシュペーア君、そしてもう一人登場します。
無論、女の子ではありません。
来栖の周囲は圧倒的に色気が足りない……








 

 

 

「とりあえず、すぐに生産再開ができそうなのは、ロケット弾と短機関銃か……」

 

 さて、何故かサンクトペテルブルグ総督と誤認されがちな来栖任三郎だ。

 とりあえず、欧州ではフォン・クルスでも通るらしい。

 正確には総督じゃなくて、”サンクトペテルブルグ再建委員会全権代表”な?

 長い? 知ってる。

 だから、総督って通称の方が広がっちまったんだよなぁ~。

 

 それはともかく、レニングラード攻略戦終了後、つまりサンクトペテルブルグとしてのリスタート宣言をした後に、

 

「資本主義とは働いた分だけ金が手に入る仕組み、労働の対価として賃金が支払われることだ。その給金で飯を楽しみ、酒を楽しみ、女を楽しむ。資本主義とはつまり、働いた金で自分の”人生の楽しみ”を買うことがその根幹なんだよ。なあ……共産主義の下にいて楽しいと思ったことはあったか? 最後に腹の底から笑ったのは、いつだったか覚えているか?」

 

 なんて話をした傍ら、元共産主義者でもいち早く地銀の重要性を悟ったサンクトペテルブルグ現地住人(ネイティブ)に対価を支払い、我らが新たな庭となったサンクトペテルブルグの市内に散らばる面白ネタを探ってもらった。

 

 そうしたらまあ、宝の山(・・・)が出てくること出てくること。

 どうやらソ連軍、ドイツの攻撃の合間を縫って製造機械やら治具やらを、地表の工場から強制徴用して住民に掘らせて作らせた半地下ないし地下の保管場所に移動していたのだ。 

 ただ、ドイツ人やスオミ人の攻撃が激しすぎて製造再開する前に街から叩きだされたわけで、結果として残された無事な代物があちこちから発見された。

 予想外なのは発見された数で、史実でドイツ軍に包囲され、攻撃されながら1941年7月~12月だけで、

 

 ・戦車500両

 ・装甲車600両

 ・野砲2400門

 ・機関銃1万挺

 ・砲弾300万発

 ・ロケット砲3万発

 

 なんて物量を生産できた秘密の一端が分かった気がしたぜ。

 

 

 

「あと、牽引式の榴弾砲や重砲、野砲も早期の製造再開が可能っぽいですね? 迫撃砲などの生産も難しくはないでしょう」

 

 とはシュペーア君の弁。

 

「機関銃や小銃は弾の規格が違うからあまり作る意味がないしな」

 

 例えば、俺が改良型の製造を画策しているPPSh-41短機関銃、その使用弾である7.62x25mmトカレフ弾(一時期、日本でも銃犯罪に使われ高い貫通力で話題になった)はほとんどドイツが大量に備蓄している7.63x25mmマウザー弾のコピーで、互換性がある。

 だからこそ、計画を立てているのだが……

 

(小銃弾は別物なんだよなぁ)

 

 ソ連が使っているのは7.62x54mmR()弾。Rの一文字からわかるように皇国ではおなじみの英国系7.7×56mmR弾(.303ブリティッシュ弾)と同じ縁あり(リムド)カートリッジだ。

 これに対応したドイツの小火器はないし、

 

(この時代のソ連製の小銃や機関銃ってどれもパッとしないんだよなぁ)

 

 正直、これなら生産を拳銃弾を使う短機関銃(サブマシンガン)に絞った方が良い。

 史実でさえ鹵獲したPPSh-41を”MP717(r)”と称してドイツ軍は喜んで使ってたくらいだ。

 

 だが、TT-33(トカレフ)、テメーはダメだ。

 安全装置がついてなくて、その分、引き金を重くして安全装置代わりにするとか邪道もいいとこだろう。

 

(鹵獲なんて供給不安定な方法を使うぐらいなら、自前で生産した方がマシだしな)

 

「とりあえず、PPSh-41はそのまま使うんじゃ少々具合が悪い。基本構造は変えずに内部をクロームメッキして強度と耐腐食性を上げ、動作不良を起こさない程度にボルトを重くして耐久性を上げると同時に発射速度を落とそう。リアサイトは射程距離から考えてL字型の2ポイントの簡単な奴で十分だ。ドラムマガジンは製造に手間がかかる上に給弾精度が悪い。1㎜厚の鉄板をプレス加工した箱型弾倉を作るぞ。35連くらいにして二本持てばドラム型1個と同じ装弾数になると言えば文句はでまい。ぶっちゃけそっちの方が軽いし動作が確実だ」

 

 たしかペイペイシャーの改良ってこんな感じだったよな?

 あれ、重さの割には発射レートが早すぎて、おまけに反動抑えるのにあんまり形状も考えられていないからコントロール性が悪く、銃自体の命中精度も良くはないから無駄弾出やすいんだよなぁ。

 発射速度を落とすのは、コントロールのしやすくするのもあるが、銃への摩耗などの負担が小さくなるメリットもある。

 

「ああ、どうせ木製なんだからストックも変えるか……ストレートのショルダーストックとピストルグリップ、フォアグリップも付ければコントロールはしやすくなるし、幾らか命中精度もあがるだろう」

 

 いくら短機関銃の本質が、「近距離でもホースで水を撒くように弾をばらまくこと」だとはいえ、コントロールしやすくて当たるに越したことはない。

 例えば、戦後のヘッケラー&コッホ社の”MP5”短機関銃が世界中の治安機構に採用されるベストセラー・サブマシンガンになった理由は、「短機関銃の割に命中精度が高く、反動を抑えやすくコントロールしやすい」からだ。

 うすぼんやりした前世記憶で使った覚えがあるが、ありゃ良い銃だったと思う。

 

 メモに改良点と照準器やマガジン、ストックのデザインラフ画を描きながらツラツラと喋ってると、何故だかシュペーア君はギョッとして、

 

「総督閣下は、銃器にも詳しいのですか?」

 

「まあ、趣味程度にはね」

 

 一応、前世の仕事道具でもあったし。

 それにしても、ドイツ政府から護身用の官給品としてクロームメッキ処理した銀色(プラチナの勲章に色合わせたのかな?)のワルサーPPKが勲章と一緒に贈られるとは思わなかったな。

 いや、既に私費で買ったワルサーP38持ってるんだけどね。拳銃所持許可/携行許可出てたし。

 

(ドイツの拳銃と言ったら、やっぱりワルサーP38なんだよなぁ)

 

 多分、俺は前世で某怪盗三代目世代だったんだろう。

 他人事のように聞こえてしまうかもしれないが、実はあんまり前世記憶って情報によってかなり”ムラ(・・)”があるんだわ。

 数字のように酷く鮮明な物もあれば、記憶というよりイメージに近いぼやけた物もある。

 

「ほほう。何やら聞いてるだけで使い勝手のよさそうな短機関銃ですな?」

 

 と声をかけてきたのは、軍から連絡将校として出向して来てくれている”クラウザー・フォン・シュタウフェンベルク”少佐だった。

 フォンってついてるように俺と違って本物のプロイセン貴族、伯爵様の家系だ。

 ついでに言えば、シェレンベルクと違うタイプのハンサムだな。

 

 

 

 つまり、俺のサポートとしてNSR(国家保安情報部)からお目付け役兼情報担当のシェレンベルク、軍需省から復興/生産計画担当のシュペーア君、そして軍からはアドバイザーとしてシュタウフェンベルク君が来てくれた訳だ。

 豪華な面々であることは間違いないが……この三人、妙に顔面偏差値高くね?

 理由もなく自信無くしそうになるんだが……

 

「ロケット弾はJu87D(スツーカ)の改造型……Ju87Dのいくつになるんかな? もしかして史実では計画だけあったE型かもしれない。に搭載できるようにするみたいだから良いとして……」

 

 ソ連自慢のRS-82/RS-132はRO-82レール型発射装置ごと有効利用させてもらおう。

 シュペーア君に聞いた話だが、Ju87Dのビッグマイナーチェンジがもう動いてるらしい。

 要するに、スツーカの後継がまだ固まってないから、少しでも陳腐化を遅らせたいようだ。

 内容を聴く限り、史実では43年登場のJu87D-5っぽい。エンジンも出力増強装置使わずに1500馬力発生するJumo211Pが設定されてるみたいだしな。

 おそらく、その仮称Ju97Eにロケット弾発射装置が追加されるのだろう。

 おそらく来年にはお目見えするだろうから、

 

(ロケット弾の製造は少し急がないとな)

 

 無誘導ロケットは命中率が悪い分、数が物をいうからな。

 それに、

 

「地上型のM-8/M-13(カチューシャ)の再生産も急いでくれ。あれは必ず必要になる」

 

 この先の戦争を考えると地対地型も手を抜けない。

 

「そういえば、ユンカース社からシュトゥルモヴィークの調査がしたいと打診が来てましたな。何でもJu-87の後継機の参考にしたいとか何とか」

 

 とはシェレンベルク。

 ああ、そういや無傷のIl-2の現物が手に入ったんだよな。

 それも結構な数。

 

(あー、やっぱ史実通り行き詰まって、いや煮詰まってたかぁ)

 

「了解した。調べたければこっちに技術者や機材と一緒に来いと伝えてほしい。”尾翼が回転する変な機構”を取り付けようとしなければ開発だけでなく生産も協力する準備があると」

 

 Il-2の治具とか普通に手に入ったし。

 

「尾翼が回転? なんの話ですかな?」

 

「そんな噂を聞いたことがあるだけさ」

 

 前世でね。たしかJu187だったかな?

 いやさ、後部座席の回転機銃をリモート式にして、しかも射撃に邪魔な垂直尾翼を射撃時には根元から回転させるとか……もう、発想おかしくね?

 いや、後部機銃ってそこまで重要視するものか? あれって背後から迫る敵機を射撃ポジションに付かせない、基本は追っ払うための装備で撃墜できれば超ラッキーって代物だぞ。

 はっきりいえば、そんなに敵機が怖ければ重装甲にするか空戦能力を上げた方がずっとアイデアとして健全だ。

 Jumo213なんて良いエンジン使うなら尚更だ。

 

(いっそ、Il-2と言わず”ドイツ版Il-10”みたいな機体を期待したいもんだ)

 

 Jumo213はまともな燃料を使えれば潜在的には出力増強装置使わなくても2,000馬力級エンジンだ。4バルブヘッドのJ型が開発前倒しできればより確実だろう。

 そうなれば、こんな機体の開発も夢ではないはずだ。

 この時代の航空機は、エンジンさえまともなら、わりと何とかなる物だ。

 

 

 

***

 

 

 

「それにしても、火砲が手に入るというのは普通にありがたいですな。あれらの装備は戦場では不足しがちですし」

 

 シュタウフェンベルク君、実はそこが悩みどころなんだよ。

 

「例えば迫撃砲、特に82mm迫撃砲の”BM-37”とか射程の小さな奴は問題ないんだよ。多少命中精度が落ちるだけで、ドイツの8cm/sGrW34迫撃砲の砲弾がそのまま使えるし」

 

 実はドイツのsGrW34迫撃砲の口径は81.4㎜。対するBM-37の口径はきっかり82㎜。sGrW34はソ連の迫撃砲弾は使えないが、その逆は多少命中精度が荒いことになることに目をつぶれば普通に使える。

 

「カノン砲や榴弾砲は、独ソ共に15㎝級だが、ドイツは149.1㎜、ソ連は152㎜だ。3㎜の差は想像以上にでかい」

 

 正直、やりようによっては149㎜の砲弾を152㎜で撃てるように互換性を持たせることはできるが、正直、あまりお勧めはできない。

 射程の短い迫撃砲なら無視できる命中精度も、射程10㎞を超えるカノン砲や榴弾砲では、無視できない誤差になりかねない。

 

 ちなみに149.1㎜って口径は割とメジャーで、日本とイタリアの15㎝級の砲は砲弾自体は共通ではないが口径は同じく149.1㎜だ。

 これは偶然とか、あるいは別世界で枢軸だからって理由ではない。

 開発の出発点になった大砲の一つが、第一次大戦で鹵獲した”15cm/sFH02”などのプロイセン重砲だったからだろう。

 

「ふむふむ。ごもっともごもっとも」

 

するとシェレンベルクはしたり顔で、

 

「規格の異なる重砲を回されたところで、確かに正規軍(・・・)は喜ばないでしょうな」

 

 そして、ニヤリと笑い、

 

「ですが、我々には”奪った赤軍装備”の扱いに慣れた、頼りになる同胞がいくらでもいるではないのですかな?」

 

 あ~、そういう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖、実は自分の正式な役職名を正確に言えてない罠w
やっぱ、総督の方が通じやすいという。

という訳で、最後の一人は史実で「ヒトラーを殺し損ねた男」ことシュタウフェンベルク君でした。

彼は軍部からの連絡官(コネクター)ですね。若くて謹厳実直な参謀さんです。
NSRからシェレンベルク、軍需相からシュペーア君と中々に有能で粒ぞろいなうえに、顔面偏差値が高めというw

来栖、頑張って口調を柔らかしようとしてるけど、マジに思考すると簡単に地が出てしまうのはご愛嬌ということで一つ(笑)


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第120話 スピリッツとフォード式大量生産法

一応、来栖が仕事をしてるみたいですよ?
外交官の仕事からどんどん外れていきますがw




 

 

 

「あー、つまりシェレンベルク君は、フィンランド軍にソ連規格の装備を回せと」

 

「目下の近々の供給先はそこでしょうが、南部戦線や中央線戦でも需要は高いでしょう。特にウクライナは現在のストック分の部品でも欲しいはずです。後は閣下の私兵たる”リガ・ミリティア”でも需要があるでしょうな。無論、バルト三国にも」

 

 使えそうなT-34とかの部品でも見繕って、とりあえずウクライナに送ってやるか。

 T-34は、砲弾には強いが、加工精度やら品質やらの問題で、耐久性や信頼性は低いんだよな~。性能のばらつきや不良品率高いし。

 正直に言えば、「つよつよ兵器だが、ただし使い捨てである」なんて感じだ。

 よく、「表面仕上げは荒いが、中身に手は抜いてない」ってコメントも聞くが、そりゃ設計の話で内部の部品の仕上げは正直、ドイツの基準なら確実にはねられる物が多い。基本的には「不良品の多さを、全体の製造数の多さで補うドクトリンに適応した兵器」だろう。

 それはともかく、

 

「私兵言うなし」

 

 言うに事欠いてなんてこと言いやがる!

 

 いや、でもリガ市で結成された”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”の皆さん、付き合い良いから助かってんのも確かなんだよな~。

 しかも彼ら、俺が頼む仕事のせいか自衛隊チックな側面……工兵やら土木作業やら救助作業やらの非戦闘的側面支援の腕前メキメキ上げてきて、つい給料をはずみたくなるんだよ。

 

 実はクリスマスには、一人一瓶ずつウォッカ……は量が量だけにそこまで手に入らないから、かき集めたアルコール度数高めの蒸留酒(スピリッツ)をボーナスとして進呈しようと思ってる。いや~、この時代だと3万本くらいの発注を一気に引き受けてくれる業者とか中々無いのな。

 という訳で、ぶっちゃけもういくつかの業者に発注してる。当然、俺のポケットマネーでだぞ?

 こんなものは経費で落とせんし、第一、(いき)じゃないだろ?

 金なんて生きているうちに使うもんだ。これが正しき資本主義のあり方ってな。

 

 それに心配せんでも前世のメジャーリーガーの平均年俸並の高給取りになってしまった(何故だ?)し、少しは還元しないと何か落ち着かない。

 小市民? ほっとけ。

 まあ、年に1回くらいはな?

 もしかしたら、神を信じぬロシア人にも前世の日本的な意味でクリスマスくらいは定着するかもしれんし。

 

 

 

「”リガ・ミリティア”はあくまで義勇兵団だ。いいな? まあ、それはともかく言いたいことはわかった。最初は供与、お試し期間ってことで良いが、何度も取引するなら薄利多売でも良いから販売って形にはしたいところだな……」

 

 ソ連崩壊の原因が、「武器を無料でばら撒きすぎたため」ってのが一因だしな。

 それに今の俺は、サンクトペテルブルグの住人を食わせる義務がある。税金とるなら当然だ。

 

「となると、”魅力的な商品開発”ってのが必要になってくるな」

 

 さて、どんなもんがあるかねぇ

 

「現在のサンクトペテルブルグで即時生産可能な物を先ずはリストアップ、そして短時間で製造再開可能な物も改めて調べておくとするか」

 

 短機関銃はどこにでも売れそうだし、ロケット弾も空対地・地対地問わずに新しいウエポンシステムだから、売り方を間違えなければ大きな需要を見込める。

 大砲系は売り先を選ぶが、すぐにでも生産再開できそうなのが美味しい。

 

「製造に手間がかかる大物は、まずは種類を絞った方がよさそうだな……」

 

 ドイツやフィンランドが使うなら、ドクトリン的に最優先は機動砲(装甲車両で高速牽引できる大砲の総称)だろう。

 

「とりあえず、”ZiS-3/76.2mm”野砲、”52-K/85mm”高射砲、”M-60/107mm”カノン砲、”M-30/122mm”榴弾砲、”ML-20/152mm”重榴弾砲の5種類でいいか……シュペーア君、これらの砲塔は即時製造、あるいは短期間で製造再開可能かい?」

 

「比較的新しい型の物ばかりですなぁ」

 

 とシュタウフェンベルク君。

 

「ソ連の火砲は、型が古いものはクセが強くて使いにくいのさ。機構的な洗練もいまいちだしね」

 

「はっきりと日数を申し上げることはできませんが、私の記憶している限りではよどの大量生産でない限り、回収できた製造装置や治具でなんとかなるはずです」

 

「結構。試しに製造してみて、増産するなら、新たに必要な装置や設備を手配するとしよう」

 

 ドイツ企業なら、この手の工作機械の製造はお手の物だろう。メートル法万歳だ。

 

「それにしても、それぞれのカテゴリーに一種類ずつですか?」

 

 シェレンベルク、種類が少ないと言いたいのか?

 あー、まあ別に軍事機密って訳じゃないから良いか。

 

「シェレンベルク君、北アフリカでの日本との戦いにおける戦闘詳報は読んだかい?」

 

「そりゃあ、まあ」

 

 あっ、コイツさては流し読みだな?

 対してシュタウフェンベルク君はドイツ人らしく生真面目にうなずいている。

 名前似てるのに、なんか正反対の二人だなぁ~。

 

「日本皇国の戦力に対し、やや過大な評価な気がするが……特に思い出して欲しいのは、”火力の集中”に関する項目だ。重砲の撃ち合いのような場面では、大体日本が優位に戦況を進めてるが、なぜだと思う? ちなみに砲の性能、射程やら発射速度やら砲弾の威力やらは大差ないぞ?」

 

「となれば、数の差ですな」

 

「ああ」

 

 俺は頷きながら、

 

「細かい理由は他にもあるが、一番の差は数の差だ。例えば、日本皇国陸軍の兵員数に対する門数は、英国と並び、ソ連を凌駕し米軍にも並ぶ。理由は何だと思う? 我が国の軍需生産能力は、ドイツとそこまで開きは無いぞ?」

 

「輸送力の差とか……ですか?」

 

「それも否定しないが、根本的な時間当たりの製造門数が日本の方が幾分多いんだよ。日本皇国はいくつも試作を行うが、それを小規模生産して逐次投入し、ロット数で生産を上乗せするドイツ式じゃない。この方法は、確かに現場からのフィードバックを製造にすぐ反映できるが生産効率があまりよくない」

 

 ドイツ兵器ってのは非常に細かいサブナンバーで区分けされていることが多い。

 例えば、先に出てきたJu87は史実では非常に細かく区分けされ、ロットごとの小改良が繰り返されている。

 そのような生産方式であれだけの製造数を作ったドイツも凄いが、

 

「だが、日本はいくつもの試作品の中から実戦を想定したテストを多く行い、時には実戦に試験投入して改良点を洗い出し、とりあえず”これだ!”って現状の完成形が決まったらそれをとにかくそれを規格化して生産する。米国のヘルメス(ヘイムズ)・フォードが完成させた”フォード式大量生産の原理”、その実践だな」

 

 サブタイプ作る工業リソースを量産に転化する……作る種類を絞って、手間をそぎ落とし生産効率を上げ、時間当たりの生産数を上げるのがこの方法の肝だ。

 実はドイツでも国策企業の”AEG”などで先進的な大量生産法が確立されてるが、どうも凝り性というか職人気質な国民性のせいか、改良に改良を重ねてつい製造種類を増やしてしまう悪癖がドイツ人にはあるようだ。

 

「改良を施すなら、段階的に小改良を繰り返すのではなく、一定以上の生産をして改良点がある程度たまったところで一気に製造現場にフィードバックした方が生産効率が良い。日本皇国は国力も労働人口も限られている。なら、それをいかに効率よく製造に反映させるかに、国家の命運がかかっているのさ」

 

 これは、”大日本帝国の失敗と末路”を知る多くの転生者の共通見解だろう。

 例えば、陸軍と海軍で同じ20㎜機関砲なのに使用弾が違うとかアホじゃないかと。

 ただでさえ国力でも工業力でも圧倒的に米国に劣ってるのに、そんなことばかりやったらそりゃ負ける。

 あの戦争は、あらゆる意味で負けるべくして負けたのだ。

 

 

 

「そして現在のサンクトペテルブルグの内包する工業力は、”最盛期のレニングラード”に及ぶべくもない。何しろ根幹の労働人口でさえ、1/3程度だ」

 

 だったら、限られた工業リソースを最大限に活用したいと思うのは当然だろ?

 それに食える仕事があると分かれば外からの流入もあるし、息をひそめている白系ロシア人も安全が確認されれば合流するだろうし、再教育が終われば街の残った住人も生活のために前以上の熱意で働いてくれるだろうから、今後はそれに期待したい。

 

 アカは銃弾で労働管理を行うが、俺達は支払う金で勤怠を管理する。どっちが生産効率が良いか考えなくてもわかる。

 結局、ボーナスなんかも突き詰めてしまえば、「臨時収入による労働モチベーションの上昇」を狙った制度だし。

 要するに、ボーナスは月給とは別に「半期の労働が目に見える形で評価され、それが目に見える賃金という形で現れた」って意味に労働者にとられるから、そりゃテンション上がるだろ?

 経営者の観点からだと別の意味になるが、これは味気ないのでカットだ。

 

「とまあこんな理由で、限られた労働力だからこそ”とりあえず戦場で使える武器”を絞って生産するのさ」

 

(目指せ! 労働者が腹一杯食える街に!ってな)

 

 文字通りの軽工業品、歩兵が持ち歩けるような小火器ならある程度の融通や弾性は持たせられるだろうが、そっちも絞るに越したことはない。

 まずは短機関銃に手榴弾だろう。

 何度でも言うがリム付きのロシアン弾を使う武器や安全装置の付いてない拳銃はいらん。

 50口径以上の機関銃は、特に航空機用機銃はぶっちゃけドイツ製の物の方が明らかに良い。

 

 ああ、航空機用機銃で思い出したけど、

 

「ところで、サンクトペテルブルグにイタリアからのヒコーキ組を誘致し開発計画をテコ入れするってのは、もしかして”メッサーシュミット・スキャンダル”の影響もあるのか?」

 

 その瞬間、シュペーア君とシュタウフェンベルク君は渋い顔をして、シェレンベルクは対照的に面白そうな顔をした。

 反応が両極端なのは、なんでだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




福利厚生と生産計画、うん”総督”のお仕事だねぇ。
少なくとも外交官の仕事ではないw

という訳で、サンクトペテルブルグは、資本主義経済と作る物を絞って品質と生産量を両立させるフォード式生産方式を大々的に導入するみたいですよ?

無論、残存の工業機械や製造装置だけでなく、必要な装置や設備はドンドン導入するつもりみたいです。
何も購入先はドイツだけじゃないし、もしかしたらサンクトペテルブルグでそのうち製造機械自体を作るようになるかもしれません。

さて、次回はドイツを大きく揺るがした”メッサーシュミット・スキャンダル”の話題になるみたいです。
果たして何があったのか?


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第121話 ”メッサーシュミット・スキャンダル”

今回、無事に書きあがりましたので久々に一日二度目の投稿を致します。

来栖絡みのエピソードにしては、珍しくシリアスですが……この世界線のドイツを揺るがした大事件、文字数の多いエピソードですが堪能してもらえると嬉しいです。







 

 

 

「確か、あれってサンクトペテルブルグ攻略してすぐぐらいだっけ?」

 

 というか、国内の混乱防ぐためだと思うが、逮捕するってレニングラードが陥落するのを待っていたよな?

 

 

 

***

 

 

 

”メッサーシュミット・スキャンダル”

 

 まず、これを説明する前に、史実と全く異なる歴史を歩んでる航空機メーカーを書くべきだろう。

 それは、

 

”ハインケル社”

 

 だ。

 史実では社長のハインケルが東部領主(ユンカー)の出身であり、「暴力的な成り上がり」とナチスを毛嫌いしており、そしてナチス自体もユンカーを旧時代の遺物と嫌っていたためにどれほど高性能な機体を作っても冷遇されたという経緯がある。

 

 だが、この世界では全く状況が異なる。

 この世界のアインスト・ハインケルと彼の率いるハインケル社の躍進は、1939年に”人類最初の実用ジェット機”として初飛行した”He178”の成功で確定したと言われる。

 その展覧飛行にいたく感激したヒトラーは、

 

『ハインケル君、君は航空機というものが産声を上げたその瞬間、それに匹敵する功績を上げたのだよ。良いかね? 君は人類出始めて動力飛行を行ったかのライト兄弟に匹敵する偉業を成し遂げたのだよ』

 

 とその場で”一級鉄十字章”を授与するという異例の待遇を行ったのだ。

 後にハインケルはこう語っている。

 

『総統閣下に勲章を賜ったとき、私は彼の目を見た。それはまるで空に憧れる少年のように済んだ瞳だったのをよく覚えている。印象的だったのだ。そしてこの時だよ。総統閣下とナチ党が全くの別物だと確信したのは』

 

 ヒトラーは褒賞されるということは、同時に裏からNSR(国家保安情報部)や国防軍首脳部から庇護を受けるに等しかった。

 そして、ヒトラーはこう続けた。

 

「新たな時代を築く軸流圧縮推進機関(ターボジェット)の開発は君に任せよう。必要なものがあれば、いつでも言いたまえ」

 

 と。

 そして、ハインケルはジェットエンジンとそれを搭載するジェット機の開発を行う傍ら、航空機メーカーとしての本懐を果たすべく次々に傑作機を開発・製造した。

 

 既に作中に出て来た機体としては変則的な双子エンジンではなく、「戦略爆撃機なのに急降下爆撃能力の付与を求められる」という無茶ぶりがなかったため、DB601エンジンを4発積んだバランスのいい大型爆撃機として完成したHe177B”グライフ”がある。

 それ以前にも双発爆撃機のベーシックモデルとなったHe111、そして現在、DB603エンジンを積みまさに生産が始まろうとしてる高性能双発夜間重戦闘機He219”ウーフー”などもその代表格だろう。

 だが、ハインケルを象徴するといえば、やはりこの二つは外せない。

 

 ・He100M”フリガットフォーゲル(軍艦鳥)”

 ・He280”リーゼ・アドラー(大鷲)”

 

 He100Mは、ついぞサンクトペテルブルグの一連の戦いで名を明かさなかった”ドイツ海軍初の本格的な艦上戦闘機(・・・・・)”だ。

 名前からわかる通り試作機のHe100Dをベースに徹底的に艦上戦闘機として再設計された機体であり、史実でも「性能ではBf109に勝っていた。だが、Bf109の採用は最初から決まっていた」高性能をそのまま落とし込むことに成功し、見事にソ連軍機を圧倒してみせた。

 エンジンは当然のようにDB601Nである。

 役立たずのBf110が製造中止になった分、エンジン在庫に余力があった。

 

 He280は、既にこの時点で試作機が飛んでいる”世界初の実用ジェット戦闘機”だ。

 この機体の成功は、偏にハインケル社が並行開発していた二つのジェットエンジン、”ハインケルHeS8”と”ハインケルHeS30”のうち、HeS30を選択した事が大きいだろう。

 HeS8はタイトな設計故に推力と稼働時間を上げられず、結果として設計に余力があるHeS30が採用された経緯がある。

 ジェットエンジンの開発で先行していたハインケル社の強みが生きた形だ。

 またHe280も世界で初めてインジェクション・シートを採用したり、電波感性による地上からの電波誘導によるヒンメルベッドの発展型である半自動迎撃システムの機材を搭載したりとといくつもの先進性を持っていた。

 航続距離は短いが、それはドロップタンクで補う形で、量産型は防空戦闘機として大量生産される予定だ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、この決定に歯ぎしりをしてる男がいた。

 メッサーシュミット者総帥、”ウェルナー・メッサーシュミット”だ。

 

 史実ではナチ党に昵懇(主に献金などの金銭面)になることで、”明らかな失敗作”さえも空軍に納入させることに成功した、「ドイツの全てのジャンルの航空機をメッサーシュミット社の製品で埋め尽くすことと」を目標とした野心家だ。

 

 だが、献金工作はナチ党には成功しても、ヒトラーやその側近、軍の上層部には通用しない。

 それでも諦めなかったのは、ある意味立派なものだが……だが、彼は一線を越えてしまった。

 

 Bf109の後継として提示したMe209だったが、基本的にMe209は最高速度記録機(レコードブレイカー)として制作した機体を戦闘機として仕立て直した代物。

 そして、結局不採用となったBf110の後継として設計したMe210……史実では、Bf110の運用結果が出る前に1000機発注されたといういわくつきの機体をHe219に代わる夜間戦闘機として再設計した。

 

 そして、この世界線でもメッサーシュミットは、この二つをまず採用させようとして……ナチ党の幹部に大量の献金を行った。

 いや、ナチ党だけでなく軍の幹部にも行った。

 他にも余罪はいくつも出てきた。

 設計段階で見え始めたBf309の欠陥を隠蔽した開発資金援助の要請や、明確な失敗作であるMe210の改良型の提案……

 戦略爆撃機として性能不足なMe264の性能粉飾に、競合他社に関する妨害工作も散見された。

 

 

 

 これが、ヒトラーの逆鱗に触れたのだ。

 

『私利私欲の為に、役立たずなことを分かっている機体を売り込むとは何事だっ!! パイロットの命を、つぎ込まれる血税を一体なんと心得るっ!!』

 

 レーヴェンハルト・ハイドリヒにしても、ここまで激怒したアウグスト・ヒトラーは初めて見たという。

 そして、開戦以来のメッサーシュミット社の動きを訝しんでいたヒトラー直々の命令で、三軍統合情報部(アプヴェーア)のカナリス大将共々、NSR(国家安全保障情報部)を動かし39年より密かに内偵を進めていたハイドリヒは、証拠固め自体は済んでいたため、アプヴェーアに限らず提携している公安・警察機構全てを動かし、一斉検挙を行ったのだ。

 

 ”投獄の夜(Nacht der Gefangenschaft)”

 

 と称されたその日だけで、逮捕者はドイツ全体で1000名を超えたという。

 そして、特に主犯格もしくは悪質と判断された陣頭指揮を執っていたウェルナー・メッサーシュミットと贈賄を担当したメッサーシュミット社の経営陣や幹部、実働した職員、そして収賄しメッサーシュミット社の製品を軍に採用させようとロビー活動をした軍人、軍に働きかけを行っていたナチ党幹部にかかった罪状は、

 

 ”重国家反逆罪”

 

 だった。

 その理由の根幹は、

 

『欠陥のある兵器を私欲に従い軍に納品させ、現場で扱う善良な公僕たる兵士を危険にさらし、ひいてはドイツ軍や全体を危機に陥れ、ドイツを戦争に敗北させようとした利敵行為』

 

 であった。

 この罪の恐ろしいところは、裁判は1回のみで公開で行われ、しかも刑が確定すれば抗弁は認められない。

 しかも有罪となれば求刑は原則死刑(銃殺刑)しかないのだ。

 だが、メッサーシュミット社の規模を考えれば、万を超える欠陥機が納品された恐れがあり、それを否定できる者はいなかった。

 そして最終的に、ウェルナー・メッサーシュミット社長をはじめ、100名を超える有罪確定者が、裁判後直ちに刑に処された。

 ヒトラーは、こう演説を残している。

 

『兵も私の大事な国民である。その大事な国民を戦場で比喩ではなく命がけの戦いを命じるのが、我であり国家だ。であるならば、予算、技術、時間などの物理的制約が許す限り、最良の装備を用意するのが国家の義務であるのだ。そのために国民は血税を収め、福祉ではなく戦費に使う事を許容と納得をするのだ。偏にそれは、ドイツという国家の為、民族の為の思いだと我は信じている!』

 

『だが、彼らはそれを怠った。兵の命より、国民の命より自らの私利私欲を優先したのだ。劣悪な装備で兵が死に、国が滅んでも自分の財布が厚くなればそれで良いと言ったのだっ!!』

 

『愛する国民よ! これを国家、民族、国民に対する裏切りとせずいったい何を裏切りとする!! このような俗物が国家の舵取りを行うなど断じてまかりならんっ!! そして、彼らがこれまで犯してきた背信は亡国への導きであり、まさに万死に値する! 我はドイツを背負う者として決して許しはせん! 今、持つべきは慈悲と寛容の心ではなく、断罪の覚悟なのだっ!!』

 

 

 

***

 

 

 

 会場で、あるいはラジオ放送でこれを聴いていたドイツ国民は万雷の拍手喝采で応えた。

 そして、改めて自分たちの”主君”は彼しかいないと思い直す。

 なぜなら、ヒトラーこそ”チュートン的正義の体現者”であり、”あらゆる不誠実を許さない断行者”なのだから。

 

 ヒトラー自身は、自身の信じる正義に従った行動に過ぎないと思っているだろう。

 そして、それが”自分という()の正義”に端を発するものだということを自覚していた。

 

 だからこそ、国民に理解を求める為に行ったのが、この演説だった。

 結局は、政治である。

 

 しかし、ドイツ国民はそうとらなかったろう。

 おそらく、こう思ったのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 ”総統閣下こそが、我らが正義”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、罪人を捌いてめでたしめでたしとはならなかったのだ。

 ヒトラーの怒りはその程度で収まるのではなかった。

 先に言っておくが、これは贈収賄に関係してなかったメッサーシュミット社員、特に技術者に関する温情などではない。

 何が言いたいのかと言うと、

 

 ”メッサーシュミット社は安易な倒産すら許されなかった”

 

 のだ。ヒトラーは語る。

 

『彼らの犯した罪は、罪人が死に会社が倒産した程度で償えるようなものではない』

 

 まずドイツ政府が行ったのは、贈収賄で使われた有罪者保有株式や自社保有株のメッサーシュミット社株の没収と、一般株式市場や投資家が持つメッサーシュミット社株の有償(・・)強制徴収だった。

 つまり、市場にあるメッサーシュミット株を「期日までに政府機関に提出せよ。額面金額(ドイツは無額面株を禁止している)で買い取る。期日を過ぎれば、メッサーシュミット社株は、理由の如何を問わず無効となる」と宣言したのだ。

 同時に社債は、連鎖倒産を防ぐためにドイツ連銀が肩代わりする事になった。また、メッサーシュミット社と提携関係にあり、贈収賄に関わっていなかった企業にはセフティーネット的な救済措置が取られた。

 随分と念入りに準備されていたようだが……シャハト経済相は泣いて良いかもしれない。

 

 この決定は特に投資家を喜ばせた。

 メッサーシュミット社が倒産、一気に株式は紙くずに変わると思いきや、額面金額とはいえ回収できるのだ。

 特に”投獄の夜”以降、メッサーシュミット社の株価は急落し、額面割れを起こしていたのでありがたかった。

 

 

 

 周囲のへの経済的損失や混乱を最小限に抑制するよう配慮されながらメッサーシュミット社自体に下った沙汰は、株の接収からわかるように

 

 ・メッサーシュミット社の国有化。国防軍最高司令部(OKW)、ドイツ空軍(OKL)総司令部の所管

 ・また、軍部の許可なく職員の自由退職は許されない

 

 とされた。

 更に、

 

「メッサーシュミット社においては、生産済みの製品のメンテナンスを含むアフターフォローを義務とする。また、第二世代ジェット戦闘機候補”Me262”とそれに関連する事象を除く、全ての新規受注・開発・生産・販売を禁ずる」

 

 であった。

 これを平たく言えば、

 

”お前たちはMe262だけ作ってろ。後のお前らの飛行機は役に立たん。今まで作った物の面倒だけはきちんと見ろ”

 

 殺しはしないが、太らせるつもりもない……だが、その判定にすがるしか生き延びる道はない。

 実に皮肉であった。

 ウェルナー・メッサーシュミットが生きている時に計画した「ハインケル社を追い落とすために設計・開発を命じた先進的で野心的なジェット戦闘機」が自分たちの命綱になるとは……

 

 半ば国に身柄を拘束されたメッサーシュミット社の技術陣は、今度こそ失敗の許されない開発……そこにかけるしかなかった。

 持てる技術を総結集、開発リソースを一点集中した結果(理由はそれだけでなく戦闘爆撃機化などの横やりが入らず開発の軸ががぶれなかったこと、BMW003とJumo004の計画統合なども大きいが)、Me262の開発が早まり、やがて地に落ちたメッサーシュミットの名を再びジェットの轟音と共に再び天空に響かせることになるが……

 

 それはまだ、誰も知らない未来の話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いかがだったでしょうか?

いや~、名前を出せなかった(ペットネームが未定だった)He100Dベースのドイツ艦上戦闘機、ようやく出せました。

正直、ドイツの敗戦の原因の一つは「メッサーシュミットを優遇し過ぎた(そして、ハインケルを冷遇し過ぎた)」せいもあると思うんですよ。

そして、この世界線のヒトラーは「自分はともかくドイツという国家、国民に対する不誠実」は決して許さないタイプだと思ったので生まれたエピソードになります。

この大事件で、ドイツの歴史は更に変わって行きます。
それを楽しんで頂けると幸いです。



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第122話 DB系(特に605)のエンジンの話 ~メッサーシュミットの顛末を添えて~

今回はちょこっと”メッサーシュミット・スキャンダル”の顛末とサンクトペテルブルグの関わり、メインはちょいマニアックなエンジンの話となります。






 

 

 

 ”メッサーシュミット・スキャンダル”という下手すればドイツという国自体の存亡に関わりかねない世紀の大不祥事により、メッサーシュミット社は国有企業化されジェット戦闘機の開発以外は全て禁止となった。

 

 だが、問題となったのは主力商品であるレシプロ機の技術者達だ。

 製造部門はまだ生産済み機体のメンテナンスやオーバーホールの交換部品の製造を義務付けられた為にMe262開発チームと共に取り込まれたが、開発部門は完全に手持ち無沙汰になってしまったのだ。

 そして、現在のメッサーシュミット社社員は、半公務員(実質的な保護観察中扱い)のため勝手に退職や転職もできない状態だった。

 

 無論、ドイツ政府もそこを考えてなかったわけでは無く、フォッケウルフ、ハインケル、ユンカースなどの大手航空メーカーに振り分けられたが……

 

「まさか、花形の戦闘機開発部門がほとんど丸ごとサンクトペテルブルグに回されてくるとはねぇ~」

 

 と思わず呆れる俺、来栖任三郎である。

 

「いえ、これには深い事情がありまして……」

 

 シュペーア君の話をまとめると、こうなる。

 

 ・フォッケウルフ社は既存の主力商品Fw190の改良と可能性を突き詰めてる最中であり、他にもクルツ・タンク博士が新たな戦闘機の開発計画を立ち上げているので、今更戦闘機部門の開発者の増加は、混乱を招きかねない。

 

 ・ハインケル社は、He280ジェット戦闘機の製造段階への移行やHe219夜間戦闘機やHe177戦略爆撃機の製造と後継機の開発、ドイツ空軍から要請のあった「簡易小型ジェット戦闘機」のコンセプト決定や試作機の開発と既に開発リソース満杯状態で、新規のレシプロ戦闘機開発から事実上、撤退している。

 

 ・ユンカース社はそもそも戦闘機を製造していないので、レシプロ爆撃機の人員は喜んで受け入れるが、戦闘機はちょっと……

 

 この三社だけではなく、どこも現在抱えている案件で手一杯だったようだ。

 いや~、カツカツだな。ドイツ航空産業。

 数少ない例外は、ハインケルの撤退で空席になった次期艦上レシプロ戦闘機の開発に乗り出したブローム・ウント・フォス社(飛行艇やビックリドッキリメカ的飛行機の制作で有名)が受け入れを表明したが、やはり全員は無理とのことらしい。

 

(おそらく”Bv155”あたりの開発に投入するんだろうけど……)

 

 あの戦闘機、空母に離着艦できるか以前に、本当に空飛べるのか?

 それにしても、

 

「なんの因果かなんだかんだで日本人が統括することになった元レニングラードなサンクトペテルブルグに、イタリア選抜のヒコーキ屋とメッサーシュミットの残滓が合流するとか、一体何の冗談なんだか……」

 

 いや、マジでなんなん?

 このカオスな状況。

 いやこの状況、俺に一体どうしろと……

 

「いや~、やりごたえのありそうな仕事で何よりですな」

 

 シェレンベルクェ……

 

「随分、さっきから楽しそうじゃないか?」

 

「何せ、証拠集めに苦労させられたクチですんでね」

 

 さよけ。ところで、今度は俺が苦労させられそうなんだが?

 

「いっとくが、俺は航空機は専門外なんだがね……」

 

 前世込みで俺は空軍には入ったことないし。

 というか、なんとなく陸式寄りだった感覚がある。

 

「いえ、航空機産業のマネージメントは軍上層や空軍省からも人を回してもらうよう手配しましたので。総督閣下は、顎でそれらの者達を使っていただければ」

 

「顎では使わんよ。精々、苦労を分かち合うとするさ」

 

 そういうのは性に合わん。

 

「フォン・クルス総督……」

 

 い、いや、あのさ……シュタウフェンベルク君、そんなに熱視線で俺を見ないでくんないかな?

 君、マジに美形だから色々シャレにならんのよ。

 変な扉が開いたらどうしようか。

 

 

 

***

 

 

 

「改めて確認したいけど、開発・製造予定なのは、フィアット社の”G.55”、マッキ社の”MC.205”、レッジーナ社の”Re.2005”で間違いないな?」

 

 イタリアの仇花、悲運の名機。DB605のイタリア・ライセンス生産エンジン(フィアットRA.1050RC.58”ティフォーネ”)を搭載する、史実で言う所謂”セリア5トリオ”だ。

 

「ええ。ですが、イタリア本国仕様と異なるドイツ仕様になる予定です」

 

「ん? シュペーア君、詳しく説明してくれないか?」

 

「エンジンが違います。実は……」

 

 

 

 シュペーア君の説明をまとめると、こんな感じだった。

 イタリアにライセンス生産許可をだしたDB605は、史実のDB605にDB603の過給機を組み合わせ、高高度性能を改善したDB605AS(M)とほぼ同じもの。

 基本的にDB601をボアアップして最高回転数を引き上げ、ついでにDB603の過給機を付けたパワーアップ&高度性能改善版だが、

 

「ドイツ正規仕様版は中空クランクシャフトを廃止し、心材の詰まったコンペショナルな高強度クランクシャフトに変更。また流体継手を用いた一段無段変速式の遠心圧縮過給機(スーパーチャージャー)を二段二速式の空冷中間冷却器(インタークーラー)付遠心圧縮過給機に変更しています。その為、強度上昇により内部の圧縮比と加給圧を引き上げることが可能となり出力が上昇、更には高々度性能の改善につながりました。具体的なスペックは……出力は87オクタン燃料(この時代のドイツの標準燃料)で離陸時(海面高度)で1,785馬力を発生します」

 

 げっ、史実末期のDB605のMW50水/エタノール出力増強装置の使用時並じゃん。

 

(というか、史実のDB603並みの出力かよ……)

 

 コンパクトなDB605、それも初期型でその馬力って……この世界線のDB603って素で2,000馬力級なんじゃないか?

 いや、それ以前に87オクタンでそれって……

 

「いやそれって、100オクタン級のハイオク燃料使って、水/エタノール式の出力増強装置でも使えば、軽く2,000馬力級になるんじゃないか?」

 

 するとシュペーア君はキランと目を輝かせて、

 

「ほほう。その出力増強装置とは? 詳しく」

 

 えっ? この時代ならもうドイツに原型あるだろう?

 

「コンセプトから言えば、出力増強装置とは言うが、実態は冷却装置だ。水とエタノールの混合液で過給機を冷却して、過給気(過給機で圧縮された空気)の温度を下げることで結果的に出力を増強させるっていうな」

 

 もうちょっと詳しく話すと、過給機で空気を圧縮して取り込むと温度が上がる(空気の圧縮加熱)。

 温度が上がると体積が増え、体積当たりの酸素密度が低くなる。

 なので、圧縮され温度が上がった高圧空気を冷やすことで酸素密度を上げてエンジンに過給気を送り込んだ方が効率が良いって感じだ。

 その冷やすパーツがインタークーラーであり、水/エタノール噴射装置なんだが……

 

(ああっ、そういうことか……)

 

DB系に史実のマーリン後期型と同じ中間冷却器付の過給機の開発と装着が成功したってことは……

 

「もしかして、中間冷却器の開発に成功したから、水/エタノール噴射装置はまだそこまで必要性が無いから開発してないとか? ”MW50”って開発コードは聞いたことない?」

 

「ええ。亜酸化窒素を用いた”GM1”という装置ならありますが……」

 

 ああ、あれか……レースなんかでは”ナイトラス・オキサイド・システム(NOS)”で知られてる奴だ。

 実はあれも、エンジン内に亜酸化窒素を噴射してノッキング抑えつつシリンダー内の酸素量を増やすシステムなんだよな。

 

「GM1の多用は禁物だぞぉ? ニトロ・ブーストはエンジン内部に亜酸化窒素を噴射するタイプだから、エンジンへの負荷がバカにできない。きっちり調整し用法/容量を守らないとすぐにエンジンがオシャカになる」

 

 車でもそうだが、ニトロはセッティングや使用法を間違えるとエンジンぶっ壊すからな。

 

「……何が専門外ですか? 滅法詳しいじゃないですか」

 

 なんか、シュペーア君にまで呆れられてしまったが、

 

「エンジン関連の技術は好きなんだよ。ああ、そうそう。インタークーラーあるなら、水/エタノール噴射装置で冷やすのは過給機本体よりインタークーラーの方が良いぞ? 噴射液で冷やすってのは熱膨張/熱収縮を繰り返すって意味だから劣化しやすい。頻繫に交換する事になる部品なら、小さくて軽くて安いにこした事は無い」

 

 実際、エンジンはともかく飛行機の方はデータしかわからないからなぁ。

 多分だが、実際に飛ばしたり整備した事はほとんどないと思う。

 

「いっそ、”フォン・クルス式冷却システム”としてパテントでもとってはいかがです?」

 

「それだっ!」

 

 ”それだっ!”じゃないよシュペーア君。

 それとシェレンベルク、相変わらず人生楽しそうだな?

 

「DB605がサンクトペテルブルグに納品されたら、是非試作してみましょう。ダイムラーベンツの技術者も巻き込んで」

 

 そこで目をキラキラさせるあたり、シュペーア君も軍需省に染まってると言うか……

 

「いっそ、二段二速過給機にしたのも構造の簡略化も兼ねてるだろうから……構造を単純化した二段無段変速式の過給機でも提案してみるか? 流体部分に空冷のオイルクーラー取り付ければ、熱許容量も大きくなるだろうし」

 

 過給圧とかに無茶しなければ、まあいけるだろう。

 それもだが、フルカン継手だけでなくトルクコンバーターとかも作ってみたいもんだね。

 トルコン作れれば、オートマとか作りやすくなるんだよなぁ。

 

 

 

***

 

 

 

「ところで、なんで二系統のDB605が開発されたんだ?」

 

 まるで、輸出仕様のDB605ってデチューン版、いわゆる”モンキーモデル”のような感じがするよな?

 

「これにも事情がありまして」

 

 

 

 ちょっとエンジン開発史じみた話になってしまうが……

 そもそも、DB605の前モデルであるDB601が、面倒くさい中空クランクシャフトなんて物を採用した理由は、こんな感じになる。

 

 ・当時のエンジンは”目指せ1,000馬力”という出力の時代で今の基準なら非力であり、それでスピードを出そうとしたら空気抵抗の少ない薄い主翼の採用が最適解とされた。

 ・薄い主翼では、主翼内燃料タンクや機銃を搭載できる容積が確保できなかった。

 ・また、当時のドイツが入手できた大口径機銃(機関砲)MGFF20㎜機銃は初速の低さゆえに弾道特製が悪く(いわゆるションベン弾道)、命中率を少しでも上げるためには、照準器と同軸にするのが理想とされた。

 ・加えて、エンジンと機銃という重量物を機体中央に集中搭載することで、重心の安定に寄与する効果が期待できた。

 

 という訳で、プロペラ軸に機関砲を通すために採用されたのが、中空クランクシャフトだった。

 だが、

 

「出力1,500馬力時代が見えてきて、航空力学の進歩で機銃を搭載できる厚みのある主翼も問題なく採用できるようになりました。しかも高初速で弾道特性の良いMG-151/20㎜機銃も開発できた。そこで、当初からDB601の後継エンジンは、中空クランクシャフトを廃して強度上昇による圧縮比の増大による高出力化、またより高出力と高高度性能の獲得を狙える二段二速過給機を搭載すると早々と決まったんですが……」

 

 どうも俺は勘違いをしていたらしいな。

 

「ですが、他国からの要請……これは主にイタリアからですが、変わらず同軸機銃を使いたいから中空クランクシャフトの継続使用を求められたんですよ。しかし、開発は通常のクランクシャフトで始まっていました。そこで考えられたのが、DB601のクランクケースやクランクシャフトと、DB605のエンジンヘッドやシリンダーブロックを組み合わせる手法でした。幸いDB601と605は同じサイズになるよう設計されていたので、作業自体は困難ではなかったのですが……ただ、これでは強度の問題で圧縮比は上げられませんし、二段二速過給機も装着できない仕様になりましたが。それでも過給機自体を大型化したりの努力はしたんですがね」

 

 とまあ、中々に酷いオチだ。

 つまり、イタリアにライセンス生産許可を出したのは、DB605のデチューン版(モンキーモデル)ではなく、DB601とDB605の”ハイブリッド”。本来なら別のエンジンだ。

 実際、出力に20%以上、350馬力以上の開きがあれば当然だろう。

 高々度性能のだって全くの別物だろうし。

 

(実質的に、イタリアに設計図渡した奴はDB601のボアアップ・排気量拡大版だもんな~)

 

 いや、史実のDB605自体がそんなエンジンなんだけどさ。

 むしろ、俺の主観で言わせてもらえば今生のDB605の方が、”DBとマーリンの良いとこどりハイブリッド”に見える。

 

「あー、もしかしてDB603には中空クランクシャフト版なかったりする?」

 

 DB603は、DB601の設計をベースにエンジン自体を大型化した高出力エンジンだが、

 

「ええ。あのエンジンは輸出予定がありませんので」

 

 なるほどー。

 

「代わりにJumo213系列のエンジンが、中空クランクシャフトを継続するみたいですよ?」

 

 攻めるなぁ、ユンカース。

 

「フォン・クルス閣下は、本当に多彩ですね」

 

 いや、シュタウフェンベルク君。実はこれ前世知識に頼った一種のカニングだから……とは流石に言えんし。

 

「まあ、たまたまさ。そんなことより、さっさとイタリア人やメッサーシュミット残存の受け入れ準備でもつめようか?」

 

 

 

 さて、お仕事お仕事と。、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




航空機用エンジンに興味のない皆様には、あまり楽しい話ではなかったかもしれませんが、いかがだったでしょうか?

という訳で、DB605にはドイツ本国版と仕様の異なる中空クランクシャフトの(史実のDB605に近い)イタリア・ライセンス生産版があるって感じです。

いやこれ搭載する機体が同じでも、絶対別物になるだろ?w

メッサーシュミットの戦闘機開発部門は、”サンクトペテルブルグ生産予定のイタリア系ドイツ戦闘機”のサポートに入るようですよ?
いや、もうこれなんだかわからねぇなw

とりあえず、DB605搭載のBf109はこの世界線では登場せず、その分、まとまった数の”セリア5トリオ”が穴埋めする流れになるみたいです。


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第123話 ”ヒトラーユーゲント” ~助っ人は可愛い少女……と見間違うような少年達?~

今回、サブタイ通り新キャラ登場です。




 

 

 

時節は、日本皇国軍がリビアでベンガジを陥落させたところまで進む。

 

 

 

 

 

(航空機の開発や製造は、イタリア系戦闘機3機種に、スツーカの後継の合計4種か……)

 

 エンジンやらなにやらのコンポーネンツ開発からなら無茶ぶりもよいとこだが、まあパーツ持ち込みなら何とかなるかもしれない。

 しかも、設計自体はできてるというなら尚更だ。

 

 一番、問題となりそうなエンジンも”メッサーシュミット・スキャンダル”の煽りでダブついた受注分、特にDB605(無論、通常クランクの本国仕様)を回してもらえることになった。

 このあたりの抜け目の無さが流石、シュペーア君。

 DB603は爆撃機や双発夜間戦闘機などで引く手あまたなので、当面は回ってこないだろう。

 

(ユンカースのスタッフから、Jumo213を持ち込むと通達はあったが……)

 

 飛行機はとりあえずこれで良いとして、

 

「う~む」

 

 俺は回収され、使用可能状態、もしくは軽度な修理で使えそうな製造機材のリストを見ながら、

 

「これ、なんか戦車の新規製造ができそうだな?」

 

 数の多いT-34用になるべく絞ってはいるが……実は保守用戦車部品の製造再開は、できる部分から既に始めてはいるんだ。

 というのも、やはりウクライナ解放軍とか、ソ連式装備を使うフィンランド軍、そしていわゆる”継続戦争”が始まるまで潜伏していた”カレリア解放戦線”からの発注が多いから。

 ソ連戦車はやはり粗雑乱造で、故障しやすい。

 その為、部品の需要は常にあり、需要があるなら供給せねばならない。

 

 ああ、基本カレリア解放戦線ってのは、元々”冬戦争”でカレリアが取られるまであの地域に住んでいた本来のカレリア人、フィン人に白系ロシア人が合流した集団で、どんな手品を使ったか知らないが、”バルバロッサ作戦”までカレリア各地に息をひそめ潜伏していて、発動と同時に隠していた(主にドイツ製の)武器を手に一斉蜂起し、ソ連の装備を奪いながらフィンランド軍やドイツ軍と合流し、大暴れしている。

 おそらくだが、ウクライナと同じくNSRあたりが何か仕込んでいたのだろう。

 

 お陰様で戦車だけでなく製造再開したそばから”ZiS-3/76.2mm”野砲(この世界線ではF22野砲の攻撃はUSVではなくZiS-3)も”52-K/85mm”高射砲も”M-60/107mm”カノン砲も”M-30/122mm”榴弾砲も”ML-20/152mm”重榴弾砲も砲弾や保守部品ごと搬出されてる感じだ。

 

 ああ、あと少し前に話したPPSh1941短機関銃の改良型、なんかアイデア出した1週間後にマガジンもこみで試作品が出来てた。

 いや、設計変更点は最小限で済むように指示は出したけど……シュペーア君、マジ優秀。仕事はえーわ。

 

 そんでソ連製の武器の扱いに慣れた”リガ・ミリティア”の皆さんに一通りテストしてもらったら、好反応だったんでシュペーア君とシュタウフェンベルク君に頼んで、軍需相と軍部に量産してフィンランド軍に供与して良いか問い合わせたら、

 

「了承。すぐに作り始めてくれ。出来たら即座にフィンランド軍に流してほしい。できればドイツ軍にも回してくれ」

 

 と3時間後に、何故かハイドリヒとトート博士連名で電信が返ってきた。なんでよ?

 まあ、上がどうなってるのか知らんが、作れと言われれば作るのが、哀しいかな日本人の(サガ)だ。

 

 作ってはやるから、精々アカ共をハチの巣にしてくれ。

 ああ、そうそう。ドイツの北方軍集団とフィンランド軍は、そして合流したカレリア解放戦線の紳士諸兄は、ペトロスコイ(ペトロザボーツクのフィンランド名)を陥落し前線基地化してから、セガジャを陥落させ、現在は空軍基地のあるケミを攻略中。

 どうやら、このままコラ半島まで北上する様だ。

 何やら鉄道も整備してるようだし、本気でコラ半島……”ムルマンスク”を分捕りにかかるらしい。

 

(これは時間との勝負だろうな……)

 

 どうも外交ルートの情報によれば、12月中に最初の”レンドリース物資を載せた輸送船団”がアメリカ、大西洋方面から出航するらしい。

 あの自己顕示欲の強い腐れ大統領(ルーズベルト)のことだ。

 12/25にムルマンスクに着くように出航するか、12/25にムルマンスクに向けて出航させるかだろう。

 

 現在のところ、後者になるようだ。

 理由は簡単。

 人為的な原因でなく天候などにより船便が遅れることはよくある。

 それに物資は、大西洋側だけでなく太平洋側からも行うだろうし、12/25に全てのレンドリース船団が申し合わせたように目的地に着くのは不可能に近い。

 レンドリースを政治パフォーマンスに使うなら、25日の朝にアメリカ人が見送る中、汽笛を鳴らして楽団に見送られながら華々しく出航した方が演出効果が高いだろう。

 

 それにアメリカ人はムルマンスクに関しては、「万が一ムルマンスクが陥落していても、アルハンゲリスクを目指せばよい」と彼ららしい柔軟かつ、楽観的思考で考えているのかもしれない。

 だが、

 

(船団が無事にたどり着ける確証は何処にもない……)

 

 アメリカ人は自分達は撃たれない、無事にたどり着けると信じているようだが……

 

(そう上手くいくかな?)

 

 何も船を沈める手段は潜水艦や魚雷だけじゃないんだぜ?

 

「戦車を製造するのですか?」

 

「まあ、できそうだなと思っただけだよ。シュペーア君」

 

 具体的な事は考えてないし。

 すると、

 

総督(・・)閣下、助っ人連れて来ましたよ」

 

 と入室してくるのは、ノックする礼儀はあるが、返事を待つ礼儀は無かったシェレンベルクだ。まあ、今更か。

 

「助っ人?」

 

「ええ。最近、業務も増えて来たし、雑用係でも人手があった方が良いでしょう? 入れ」

 

 と入ってきたのは、半ズボンの似合う見目麗しい年端も行かぬ少年達……ぶっちゃけショタ枠だ。

 

「もしかしなくても、”ヒトラーユーゲント”?」

 

 

 

 別名”ドイツ勤労青少年団”。

 要は軍事色強めのドイツ版ボーイスカウト亜種だ。言っておくがボーイスカウトの始まりって、英国のパウエル男爵中将が南アフリカにおける従軍経験に着想を得て記した「少年向けの偵察・斥候術(=Scouting for Boys)」から端を発しているんだぜ?

 元をただせば軍事教練、英語のScoutはまんま”斥候(偵察要員)”って意味だ。

 建前的には、「軍隊式野外訓練を参考にした野外学習で心身を鍛える」ってことだが……パウエルがボーイスカウトの着想に至った体験の一つに、第二次ボーア戦争の南アフリカ・マフェキングで起きた戦いで、”マフェキング見習い兵士団”という組織化された少年兵が、伝令などの任務・軍務を行っていたのを見た。

 この時にベーデン=パウエルはよく訓練された少年たちの有用性について認識したらしい。ちなみにこの少年兵部隊の紀章が”コンパスと槍を象った記章”であり、後にスカウト運動の国際的シンボルとなるフルール・ド・リスのモチーフとされている。

 

 とはいえ、現実的な事を言えば、ユーゲントたちの勤め先は軍務などではなく、今となっては「兵役などで大人が引き抜かれ、不足気味になった労働力の穴埋め」として使われているという世知辛い部分があるが。

 実際、ユーゲントが最も多く派遣されてる分野は、消防・郵便・ラジオとかだ。

 

「おや? 驚きはしないようで」

 

 いや、普通にサンクトペテルブルグにもラジオとかで来てるし。

 

「職場体験とか?」

 

 危険の少ない職場だから別に良いけど。

 

「いえいえ。雑務担当ですが、ちゃんと正規雇用ですよ? せめて仕事中くらいは、お忙しい総督閣下のお手伝いをさせようかと」

 

 そりゃ何かと忙しいし助かるけどさ。

 

「ご安心下さい。事務一般からなんなら護衛まで、一通りの訓練は詰ませているので。ほれ、お前ら自己紹介しろ」

 

「”アインザッツ”と申します」

 

「”ツヴェルク”です」

 

「”ドラッヘン”です~」

 

 と国防式の敬礼を綺麗に決める、小綺麗な三人の少年。

 うわっ、全員、声変わりしてねーじゃん。

 とはいえ、結構個性的だ。

 アインザッツは一番の長身(でもちっちゃい)”しゃん”とした綺麗系を前面に押し出す感じ。

 ツヴェルクは、ドイツ語で”小人”を表す言葉にふさわしく一番ちっこくて、女の子と見間違うような可愛い系。

 ドラッヘンは、たれ目がそうさせるのか整っているけど、温厚そうなおっとり系美少年だ。 

 それにしても、

 

(アイン、ツヴァイ、ドライね……)

 

 完全に偽名だな。こりゃ。

 

「シェレンベルク君、ユーゲントの中でもNSR(国家保安情報部)が特別な訓練を施した”紐付き”って認識で良い?」

 

「そりゃあ、私が連れて来たんですし」

 

 こいつ、悪びれもしないし、隠す気もないな。

 まあ、人手が欲しかったのは事実だし、良しとしておこう。

 NSR管轄なら、無能では無いだろうしな。

 

「途中から聞こえたんですが……サンクトペテルブルグで戦車を製造するので?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





という訳で、アインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君、アイン、ツヴァイ、ドライの偽名少年(ショタ)トリオ、登場回でした。

今はNSRの紐付きの綺麗ないし可愛い少年たちですが、意外とクセ強かったりしてw

それはともかく、来栖がま~た性懲りもなく妙なことを考え付いた模様。
根本的に「頭の良い阿呆」なんですよ、フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督(笑)は。


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第124話 実に興味深い技術実証車両(?)と来栖の男の子に関する取り扱いについて

本日、昼間投降になります。
ところで……いつの間にかひっそり追加されてたBLタグがアップを始めたみたいですよ?


なので、そういう要素がお嫌いな紳士淑女な皆様は、閲覧にご注意ください。







 

 

 

「今、手持ちの機材でも何とかならんわけではないかと思っただけなんだが……」

 

「T-34を再生産するので?」

 

 それはないな。

 

「現行のT-34は砲塔が小さすぎるんだよ。それにまつわる不具合が多い」

 

 例えば、

 

 ・砲弾を砲塔に必要量搭載できず床下に収めた為、砲塔バスケットを採用できなかった。

 ・砲塔に二人しか入れず車長/砲手/装填手の役割を二人でこなすしかなかった。

 ・スペースの関係で、砲塔操作ハンドルの位置が悪く、腕を交差して動かすような配置だった

 ・主砲の俯角がほとんどつけられず、近距離戦に対応できなかった

 

 砲塔以外にも、クリスティー式サスペンションを採用している為、車内の容積がコイルスプリングで圧迫され、また容積あたりの出力がガソリンエンジンより低いディーゼルエンジンを、しかも縦置きで配置するという相乗効果で同じサイズのIV号戦車に比べてかなり狭いってのも問題点だろう。

 ぶっちゃけ、でっかいドイツ人やフィン人には狭すぎる。

 更には全体的に作りが甘くて、操向装置がシンプルな乾式クラッチ・ブレーキ式操行装置で曲がりにくい。4段変速機は動作が重くて動かすだけで疲労するレベル。ディーゼルエンジンがフレームに直付けされてるため振動が車体にモロに伝わり運転してるだけで疲れるし、酔う。

 つまり、曲がらず、変速するのも運転するのも疲れ、居住性は最悪……という強いかもしんないが、乗員には優しくないのが、この時代の初期型T-34だ。

 42年型を通してT-34/85まで行くと、大分改善されるのだが……

 

(それでもラジエーターやエアフィルターの虚弱さは最後まで改善されなかったっけか。あと自動消火装置やマフラーの不搭載も)

 

「実はKV-1系列の方が、発展性自体はあるんだよなぁ」

 

 なんせ内部の容積が大きく、レイアウトの自由度が高い。また、(この世界線の)ドイツでは主流になってるトーションバー方式のサスペンションの為に実は足回りの性能はT-34より潜在的には上だったりする。

 ソ連では「鈍重すぎる」と嫌われたようだが、あれは単純に10t以上軽いT-34と構造的に大差ない操向・変速機を使うのが悪いと思うぞ?

 加えるなら、KV-1の軽量化のメソッドって実はあるんだよ。

 史実でもKV-1Sなんて軽量型も製造されてるし。

 というか、KV-1ってのは”無駄に(・・・)重装甲”な戦車なんだよ。

 

 どういう意味かっつーと、”重装甲にしなくても良い部分まで分厚い鉄板を使っている”んだ。

 戦車ってのは、全部を分厚い装甲で囲む必要は無い。

 戦術により多少の差は出るが、被弾率の高い場所ってのは既に判明している。

 それにKV-1はSMKやT-100って時代遅れの多砲塔戦車を設計元にしてるのだが、デザインにその名残がある。つまり洗練しきれてないのだ。

 

「そういえば、T-34と異なる……というか、T-34に試験的なサスペンションが搭載されているような作りかけの試験車両が発見されたようですが……」

 

 なにっ!?

 

「シュペーア君、資料はあるかい? できれば、写真付きの」

 

「ありますよ」

 

 とシュペーア君が執務机の引き出しを開けて差し出した資料を早速……”アインザッツ”君だっけ?が受け取り運んでくれる。

 俺は、礼と共に頭を撫でる。

 同性だとこういう接触が気楽なのが良い。前世は戦後生まれ日本人としては、異性との気軽な触れ合いがセクハラと呼ばれたロクでもない時代を知ってるだけに、どうしても未だ抵抗がある。

 

(もし、妻との間に子供、男の子がいたらこんな感じだったんだろうか……)

 

 妻と結婚したのは、俺が外務省に入省した20歳をいくばくか過ぎた頃で、妻はまだ15歳だった。

 前世風に言うならば”奥様は女子高生”の年頃だ。

 

(だが、妻は二十を迎えずにあの世へ旅立ってしまった……)

 

 流行り病……インフルエンザをこじらせてであっさりと。

 この時代、まだまだインフルエンザは死に至る病だ。

 スペイン風邪では、今生ではわかっているだけで1億人以上が死んだらしい。第一次世界大戦を止めたのは、実質的にはスペイン風邪だ。

 その死者故に各国は戦争を継続できなくなった。

 そして、予防接種が制度化した戦後でも、死者7000人を超えた年が二度もあり、それ以外でも死者2000人を超える年は珍しくない。

 

「ふぇ……」

 

 なんだか可愛らしい声が聞こえたが……

 

「ああ。すまん。撫で過ぎか」

 

 いくら見た目が綺麗といっても、物思いに更けながら撫でるもんじゃないな。

 

「い、いえ……も、もっと撫でてほし、もいいです」

 

 撫でて干し芋? なんのこっちゃわからないが。

 まあ、嫌な顔をされてない……というか、ちょっと顔赤くないか? というか、何かふにゃけてないか?

 

「あー、総督閣下。実はその子達ってNSRが保護した孤児って出自でね。実は父親を知らなくて、母親に捨てられたって経緯が……だから、父性に対する憧れみたいなもんがありましてね」

 

 というかニヤニヤしながら話す台詞じゃないだろうが。

 

「そういう大事なことは先に言え」

 

 マジかぁ……まあ、ドイツ人でも色々あるんだろうな。重苦しい系のとか。

 

「まさかNSRは孤児を育てて人材供給源にしてるのか?」

 

「よくご存じで」

 

「ヲイ」

 

 NSR長官(ハイドリヒ)ェ……お前は一体、何処のチャウセスクだ? 

 というか、あの後先考えない子作り阿呆(チャウセスク)はこの世界線でもいるのか? ルーマニアがアカ化しなければ何とでもなるとは思うが……

 まさか”彼岸花”とか”鈴蘭”みたいな事させてんじゃないだろな……

 

「心配しなくても外道なことはさせてませんよ? 就業訓練行ってヒトラーユーゲントに研修代わりに出向させてるくらいですし」

 

「これも福利厚生、社会的セフティーネットと考えるべきか? 全く人間というのは、いつの世でも(・・・・・・)業が深い」

 

 この本来の名前を失くしてしまっただろう少年たちには、少しは優しくしてやるとしますか。

 まあ、それはそれとして……

 

「とりあえず、拝見と……」

 

 シュペーア君の資料を見ると、

 

「マジかぁ……」

 

 いや、確かにレニングラードは戦車開発の中心地だったけどさ……

 

(この試作車、おそらく”T-43”の原型の一つだ……それもかなり初期の)

 

 

 

***

 

 

 

 T-43ってのは特に車体の素性は良かったが、ソ連が「火力不足」って理由で没にした戦車だ。

 基本はT-34の延長線上にあるんだが、足回りが方式が全くの別物で、車体自体の大きさはT-34と変わらないのに内部容積は大きく改善されている。

 そして、T-43の最大の特徴がクリスティー式から変更された、

 

(この”トーションビーム式サスペンション”は、ほぼ間違いないな)

 

 史実では実車が完成したのは名前の通り43年のチェリャビンスクだが、さっきも言ったが陥落するまではレニングラードが戦車開発の中心地だったわけだから、初期のサスペンションの技術実証車がここにあってもおかしくはないが……

 

「シュペーア君、このシャーシは製造、いや量産可能だと思うか?」

 

「車体その物はT-34の発展型というより、まんまT-34のシャーシを改造して作られているので、条件が揃えば可能だと思いますが……」

 

「なら、その条件を揃えよう。そして設計をより洗練させ、量産向きにしよう」

 

 脳味噌が活性化する兆候があった……閃いたというか、降りてきたというか……自我を落とさない程度の軽い酩酊(トランス)感がやって来る。

 設計をミスらなければ、トーションビーム方式は内部容積が大きくとれ、構造も単純で製造単価が安い量産向きのサスペンションだ。

 

「誰か、メモの準備を」

 

「あっ、はい! ボク、職業訓練で速記を覚えました!」

 

 ツヴェルク君か……

 

「良いだろう。君がメインでアインザッツ君とドラッヘン君は並行でメモを。三人がかりでやれば、取りこぼす情報は少なくなる。机は……」

 

 予備の机とかなかったな。仕方ない。

 

(補佐と言うなら、この子たちの机も用意させるか)

 

 とりあえず、一番ちっこいツヴェルク君ならさして重くは無いだろう。

 俺は、膝をパンパン叩き、

 

「来なさい」

 

「よ、よろしいんですか……?」

 

「早く」

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

 俺は近づいてきたツヴェルク君のわきの下に手を入れ、子供を抱き上げるように……というか子供(ユーゲント)だったわ。とにかく、膝に座らせた。

 

「すぐに速記の準備を。アイデアってのは、霧や霞のようにあっという間に消えてしまうもんだ」

 

「わ、わかりました!」

 

 俺は、腕を組もうとしたけど、流石に頭の上で組むのは邪魔になるか。

 

(それにしても、ちっこいな……それに軽い。ちゃんと食べてるのか?)

 

 まさか、NSRは食費ケチってないだろうな?

 俺は、ツヴェルク君を抱きかかえるようにして腕を組む。女の子なら問題かもしれんが、男なら問題無いだろう。

 

「ひゃん!」

 

「ん? どうした? 速記しにくいか?」

 

「い、いえ、でも、もっとギュってしてぇ……♡」

 

「?」

 

 まあ、筆記に問題ないならそれで良い。

 意識を集中させる……そうすることで、イメージを明確化させる。

 

(イメージするのは、前世の”T-34/85”……)

 

 あれはどんな戦車だった?

 どんなコンポーネンツを使ってた?

 

 強くイメージしろ、もっと強く!

 前世の記憶に手をより深く伸ばせ!

 

(俺ならできるはずだ。そうだろ? 来栖任三郎)

 

 

 

***

 

 

 

 だから来栖は知らない。

 

「はへぇ……」

 

 この時、膝に乗せられたツヴェルクと呼ばれた少年が、どんな顔をしていたかを。

 そして、残る2人の少年が嫉妬の視線でツヴェルクを見ていた事を……

 

 来栖は知ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、おそらくは将来的にT-43へ繋がったと思しき試作車両の発見の報と同時に、来栖、なんか色々な意味で”かかって”きたようです。

冷静になれればいいんですがw

唐突ですが、ちょいヒトラーユーゲント・トリオの設定について……


 基本的にヒトラーユーゲントのアインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君の三人の元ネタ(モチーフ)は、”ひなたのつき”という年齢制限がある(笑)ショタゲーのキャラです。マジ、リスペクトw
 正確には褐色ちゃん(ダークエルフ)のツキヨを除く三人ですね。
 無論、拙作では種族は人間(ドイツ人)でありエルフ耳ではありませんので、あくまでイメージ的な感じでお願いします。



アインザッツ
イメージ元:”ひなたのつき” イバラ
三人のリーダー格で、一番の長身(でもちっこい)。顔をは可愛いより綺麗系。生真面目で沈着冷静(クール)なリーダーになろうと頑張って、それが時折、ツンケンしてるように見えるが……実は不意打ちスキンシップに弱く、デレやすい。
意外と墜ち易さは三人の中では一番かもしれないという逸材。外面を取り繕うのは美味い方で、その為来客時の側付や、外出時で外部の人間と会うときは同行するケースが多めなる予定。
基本、苦手なことはなく何でも、あるいは大抵のことは小器用にこなす万能型。

ツヴェルク
イメージ元:”ひなたのつき” ヒナタ
三人の中で一番ちみっこく、”小枝(・・)”がついてなけりゃマジ幼女枠って感じなストレートな可愛い系。ショタ神の寵愛を一身に受けたような子。
わかりやすい甘えん坊で、人懐っこくスキンシップ大好き。ぺたぺたちゃん。
パラメーターにはムラがあるタイプだが、速記が得意など意外と得意分野はハイスペックだったりするが、言動からそうは見えないとこが玉に瑕。
ひたすら可愛がられるタイプで、本人もそれを望んでる需要と供給が一致。色々ゆるい。

ドラッヘン
イメージ元:”ひなたのつき” コノミ
おっとりふわふわ系の美少年。綺麗より可愛い寄り。のんびりしてるように見えるが、仕事は気づかぬ間にきっちり終わらせるタイプ。
だがその実、かなりのちゃっかり者で、己の欲望には忠実でもある。残る二人に言わせると、「ゆるふわな見た目や言動に騙されてはいけない。存外に抜け目なく、油断も隙もないタイプ」であるらしい。
最近は、来栖のペット枠(愛猫枠)を狙ってる疑惑がある。

三人共通の特徴
・過去の経緯から、人種や民族を問わず女性という種その物が好きではない(ソフト表現)
・NSR(国家保安情報部)から、職業に役立つ訓練をはじめ、様々な教育や訓練を受けている。実はとても”色々と”優秀であるらしい。
・特殊な手術、あるいは処理を受けてる可能性があり、見た目通りの年齢でない可能性がある。
・実は、わりと危険な(あるいは狂気的な)内面があるかもしれない(来栖とのバランスの関係w)

こんな三人ですが、どうかよろしくお願い致します。


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第125話 仮称サンクトペテルブルグ戦車の開発に来栖は少しだけ本気を出し、少年はお膝の上でなんか出す

BLタグが、お仕事開始のようですよ?

「朝っぱらなんて物書いてやがるっ!?」というツッコミは無しの方向で、どうか一つお願いします。

そして、設定覚書を除けば、過去最大の文字数(しかも来栖がトリップしてるので一部怪文書w)……どうしてこうなった?
長いエピソードですが、楽しんでいただけると嬉しいです。








 

 

 

 暗闇から、影を束ねて手を創り、届けと光に手を伸ばす……握った光は曖昧な物から、やがて戦車の形を成す。

 イメージするなら、そんな感じだ。

 

「主砲は”52-K/85mm”高射砲を改設計して転用。各種徹甲弾の開発も並行して行う。シュペーア君、砲塔を鋳造できる施設や機材は?」

 

 無ければ、ドイツ式に電気溶接で作るしかなくなるが……

 

「ご心配なく。いきなり1,000台作るとか言いださなければ、問題ない程度に揃えられます」

 

 ふむ。ならば、

 

「開発が成功したならば、1,000両を製造できる設備がいるな」

 

「……そんなに?」

 

 いや、多分、ロシア人相手にするなら、最低10,000両生産くらいは覚悟した方が良いぞ?

 

「ひゃう♡」

 

 なんかツヴェルク君から、妙に色っぽい声が聞こえたような気がするが……速記はできているようなので問題は無いだろう。

 おっ、ノックと同時にシュタウフェンベルク君が入室してきた。

 なんか珍しくシェレンベルクが気を利かせて呼びにいかせたらしいな。ついでにドア開けて事情説明してるっぽいし。

 敬礼するシュタウフェンベルク君に俺は目礼を返す。

 膝に座るツヴェルク君を凝視している気がするが……許せ。今は非常時だ。

 

「大雑把なデザインは後で書いてみるが……砲塔は避弾経始を重視、跳弾による自己破損(ショット・トラップ)防止を考慮した丸みのあるソ連式に近い鋳造砲塔と思ってくれ。砲塔正面装甲は最低100㎜、できれば105㎜は欲しい。車体正面は85~90㎜。125~8㎜ザウコップ防楯を採用。過剰な重量超過は、側面や後面、車体底面の装甲厚で調整する。照準器と無線機、ベンチレーターはIV号の機材を転用、再調整し、必要なら改良する。砲塔は車長・砲手・装填手と即応砲弾を乗せて十分なスペースがあること。砲塔バスケットを採用。車体側には操縦手と無線手。無線手は車体前面の機銃手も兼ねるが、防御力を上昇させる為に車体前面機銃は廃止しても構わない。砲塔上ハッチは最低二つ。重く作り過ぎるな。ポーランドで戦前に設計された戦車用のペリスコープがあったはずだ。それの手配を。あと鋳造素材はニッケルを多めにして最良の配分を見つけよう。ソ連の素材をそのまま使うと砲弾の命中の衝撃で装甲の内側が剝離して散弾のように飛び散る”ホプキンソン効果”を頻発させるぞ?」

 

 実際、HESH(粘着榴弾)なんてホプキンソン効果を意図的に引き起こす砲弾が開発されたくらいだし……作ってみるか?

 構造自体は簡単だし。特に屑鉄を熔かして固めたような、この時代のソ連戦車には有効なはずだ。

 ソ連の場合、国家非常時とはいえ、スクラップにされた旧式戦車や自動車等の機械類をいったん溶鉱炉で熔かして鋳物の素材として再利用しているから、エコではあってもとても品質なんて語れたもんじゃないんだ。これが。

 

「くれぐれも均質に製造するようにな? 強度ムラは危険だ」

 

(いっそ、砲塔を2ピース構造にして砲塔の後ろを弾薬庫に利用し、ブローアウトパネル処理しても良いな。いや、まだ技術が足りないか?)

 

 まだ、通常の作り方の方が良いかもしれんな。まずはそこからだ。

 

「砲塔上面に14.5㎜弾の直撃に耐えられる防盾付きの機関銃を。車体前面に機銃を付けないのなら尚更必要だ。対空用という名目だが、実際には地上掃射に使われる場合が多い」

 

 何しろサンクトペテルブルグで最新鋭の14.5x114㎜弾、それを使う専用銃の”シモノフPTRS1941”対戦車ライフルと”デグチャレフPTRD1941”対戦車ライフルが製造設備ごと発見されている。

 そんなに製造の難しい武器じゃないので、この先ソ連軍に多用されるだろう。サンクトペテルブルグでも再生産が始まってるぐらいだし。

 実際、貴重な対装甲装備……でもあるけど、俺としては超長距離狙撃銃とか対物ライフルとして使っていきたいもんだ。

 

(そっちの方向で改良を進めるか……)

 

「それでしたら一つ提案が」

 

 とシュペーア君。

 

「言ってみたまえ。シェレンベルク君もシュタウフェンベルク君も意見があったら忌憚なく言ってくれ。特に制限は付けない」

 

 これはブレインストーミングの一種だ。実現可能かどうかより、まずアイデアを出すことが大事だ。

 そして、実現不可能な部分を削り、収斂させていくことに意味がある。

 

「そういう使い方でしたら、回収したソ連の12.7㎜機関砲、”DShK1938”と言うらしいですが、それを使ってはいかがでしょう? ドイツ陸軍正規部隊以外の配備で、戦車搭載に限定するなら空軍の13㎜弾と混ざる危険性も低いでしょう。銃本体も弾も製造設備がサンクトペテルブルグで揃います」

 

「採用だ」

 

 確か、DShK1938って戦後に車載銃になったんだよな。しかもビンゴで砲塔の上の。

 

「車体は発見された試作車両、T-34改修のトーションビーム式サスペンション式をベースとし、必要なら設計変更を行う。重要なのは、電気溶接で車体を作ることだ。幸い、サンクトペテルブルグの電力事情は急速に回復している」

 

 なんせ、一時はソ連全体の電力の八割近くをレニングラードの発電設備で賄っていたんだ。復旧さえしてしまえば、電力不足に悩むことは無い。

 何しろソ連全体に送っていた電気を、サンクトペテルブルグに集中できるんだ。

 この余剰発電量の大きさこそ、サンクトペテルブルグ復興の鍵だと俺は見ている。

 

(電気はこの先、ますます重要度を増してくる……)

 

 発電設備の近代化やアップデートも考えないとならんな。

 

「ただし、転輪は強度が落ちない程度に肉抜きを行う。鍛造で作れば、強度は出しやすいはずだ。ドイツなら得意分野だろ?」

 

 実際、そういう転輪をドイツは既に使ってるしな。後年、ソ連も”スターフィッシュホイール”って肉抜きした軽量転輪を採用しているし。

 

「バネ下荷重を小さくできればサスペンションの負荷が小さくなるし、また中空にした方が排熱効果が高い。ただ、むき出しにしとくとソ連の狙撃兵に狙われるぞ? 連中、14.5㎜の対装甲ライフルで転輪を撃って破損させる戦法を多用してくるはずだ。3分割したシュルツェン(履帯の外側に展開するスカートアーマー)を採用だな。あれは対装甲ライフルだけでなくソ連が成形炸薬を使ってきた場合も効果がある。あと、近接防御用のSマインは視覚的にシュルツェンで隠れる位置に搭載だな。発射する前に壊されては叶わん。いっそ砲塔側面にも増加装甲を装着できるようににして、その内側に発煙弾を隠すか……」

 

 これだけ外見が変われば、ソ連戦車と誤認されることも無いだろう。

 

「問題はエンジンと操向・変速機(トランスミッション)か……」

 

 どっちもソ連製のそれは使えたもんじゃない。

 

「ん? トランスミッションはともかく、エンジンは高出力のディーゼルで良品だと聞いていますが?」

 

 シュタウフェンベルク君、それは瞬間最大風速的な話なんだよ。

 

「それには語弊がある。ソ連のエンジンは出力と引き換えに、耐久性と信頼性が著しく低い。稼働率の低さと稼働時間の短さを数で補うのがソ連式ドクトリンだ。例えば、ソ連のエンジンはアルミブロックでできているのは有名な話だが、それは軽量化と熱伝導の高さによる放熱効果を狙った物だと思う。だが、肝心のアルミ合金の硬化技術、熱処理やら何やらの技術がソ連には欠けてるんだよ。だから、アルミ合金の弱点がモロに出やすい」

 

 例えば、日本はアルミニウムに亜鉛、マグネシウムなどを添加した合金に更に熱処理を加えた7000番台アルミ、いわゆる”超々ジュラルミン(A7075)”を普通に製造できるが、これに関しては存在も製法も一切公表していない最重要国家機密の一つだ。

 特許は、全然別の名前、用途の欺瞞工作を行いながら取っている。

 史実ではアメリカのアルコア社がほぼ同じ75S合金を発表しているが、これがどうにも無傷で手に入れたいゼロ戦を解析した結果臭いんだよな。

 アルミってのはその添加物によって大きく性質が変わるが、どうもソ連のそこいらの冶金技術、合金技術は何というか……荒い。

 加えて加工精度も悪いから、戦場での蛮用だと”当たり”のエンジンでも数ヵ月でスクラップヤード送りになるんだ。

 

「設計は良いんだが、製造段階の素材の品質も加工精度もダメだ。個体ごとの馬力をはじめバラつきが激しい。ここはそこらへんも見直そう。素材をエンジンに最適化させて、加工精度を上げ、高負荷がかかる部分、例えばピストン部分に鋳鉄製のスリーブをかませるだけでも耐久性も信頼性もかなりマシになるはずだ」

 

 アルミ合金の製造には、電気精錬を使う以上、膨大な電力が必要だがサンクトペテルブルグにはそれがある。

 

(いや、いっそ高強度の鋳鉄製のエンジンブロックを作るべきか?)

 

「あと、すぐ水漏れ起こす弱すぎるラジエーターの冷却周りや、役に立たないエアフィルターの吸気系にマフラーもついていない排気系もゴミだ。エンジン寿命が短い理由はこれもある。それと車体に振動の大きなディーゼルエンジンを車体に直付けするとか何を考えてるんだ? 過剰な振動は金属疲労を加速させ、車内のボルト結合部分を緩め、人も摩耗させるぞ? それに自動消火装置やエンジンや燃料タンクを仕切る防火壁も必要だ。ああ、これは連中(アカ)はディーゼルエンジンは燃えにくいと思ってるらしいが、それは思い違いだ。軽油は引火しないが着火はする」

 

 そもそも燃えなけりゃ燃料にならんだろ?

 

「つまり、火炎瓶とかには強いが、燃料タンクを徹甲榴弾あたりで撃ち抜かれて内部で爆発してみろ。一発で火がつくぞ?」

 

 しかも、一度火がつくとまともな防火・消火システムが無いので消し止める手段がなくあっという間に火が回り、砲弾の位置も悪かったのですぐに誘爆した。

 第二次世界大戦ではなく朝鮮戦争での話だが、撃破されたT-34/85のうち、乗員の死因の実に75パーセントが砲弾誘爆を含んだ車輌火災だ。

 結論から言えば、T-34の火への強さは限定的で、一度燃えれば途端に松明になる戦車だ。

 

「あと、電装系が致命的に弱い。絶縁処理や防水処理がなってなくて、すぐに漏電するし、そもそも発電能力が低い。だから、砲塔を回すモーターに十分な電力がいかず、手回しの砲塔旋回ハンドルに頼ることになるんだ。いや、そもそもモーターにダイナモ、バッテリーの品質が悪すぎるんだな。容量も小さすぎる」

 

 これじゃあ敵に殺される前に乗員が疲労で死ぬぞ?

 この辺りは絶対手直ししよう。幸いモーターにバッテリー、ダイナモはドイツが強い分野だ。

 というか、ディーゼル電気機関車や潜水艦なんかのディーゼル・エレクトリック機関が盛んな国は大体、この分野が強い。

 あっと、忘れちゃならんな。

 

「振動に関しては、エンジンは車体に直付けせずにサブフレームを介し、なおかラバーブッシュなどの防振部品を使う。ユニバーサル・ジョイントや”ツェッパ・ジョイント”も可能なら駆動系、動力伝達系に組み込もう」

 

「ツェッパ・ジョイント?」

 

「1930年代中期にハンガリーの技術者ツェッパが考案した”可変角等速ジョイント”だ。特許の出願が出てなかったら、大至急手を打ってくれ」

 

 アレの有無はは、オートマやFF車の作りやすさが違ってくる。

 

「かしこまりました」

 

 他には……

 

(いっそ、燃料直噴のV2ディーゼルを予燃焼室付に改設計するか……燃費は落ちるが、明らかに騒音と振動は減るし、何より燃焼安定性とコールドスタートの始動性が段違いだ。そうしよう。寒冷地の戦いを想定するならあった方が良い)

 

 なら、やはり発電系の強化はますます必須だ。

 余熱プラグ割と電力を食う。しかもエンジン始動に使うから、バッテリーの蓄電分しか使えないからな。

 

「エンジンはそれでどうにかするとして……」

 

 とにかく、ドイツの素材工学と加工精度の高さに期待だな。

 

「あとはトランスミッションをどうするかだな……」

 

 本気でこの時代のソ連製は使えんし。戦時中のソ連製ミッションは、どっちにしろあまり良品ではない。

 

「いっそ、これもIV号のを移植するか?」

 

 だが計算上、35t級の戦車になりそうだが……荷重許容量は大丈夫か?

 

「それなら、もっと良い物がありますよ?」

 

「シュペーア君、心当たりが?」

 

 するとシュペーア君はにんまり笑い、

 

「ほら、V号戦車とVI号戦車の計画が統合されてV号戦車のトランスミッションがVI号のメリットブラウン式に決定されたじゃないですか? それで、お蔵入りになったV号本来のトランスミッションがあった筈です。あれ、IV号の拡大強化発展型みたいなものですが……閣下の中では、その戦車の重量はどのくらいになる予定で?」

 

 確か、操向装置はクラッチ・アンド・ブレーキだけど史実の九七式中戦車と同じ遊星歯車使ったタイプで、変速機は6速のシンクロメッシュ機構付きだっけ?

 

「ざっと空虚35t前後ってとこかな?」

 

 史実のT-34/85が戦闘重量で32tぐらいだったから、それよりは5t程度重くなるだろう。

 シュペーア君は満足げに、

 

「なら大丈夫です。そのミッション、荷重積量40tの実機試験にはパスしてますので。軸入力も650馬力までは問題なくクリアしてます」

 

 ふ~ん……ん?

 

「ちょっと待て。V号戦車の重量って確か計画では45t級の700馬力だったんじゃ……」

 

「け、計算上は大丈夫……なはずです」

 

「それ、ダメなやつだからなっ!?」

 

 だから史実では”切れやすいアキレス腱”とか呼ばれるんだぞっ!?

 あっ、でも……

 

「シュペーア君、そのお蔵入りトランスミッション、もしかして平歯車を多用してないか?」

 

「……そこまではデータにありませんが、平歯車だと何か問題が?」

 

「設計変更できるなら高負荷部分だけでもヘリカル・ギアとスラスト軸受、できればテーパーローラー・ベアリングを用いたタイプの軸受を制作するよう伝えてくれるか?」

 

 確か、V号戦車のミッションが壊れやすかった理由って、乱暴な変速で過剰なトルクがかかって単純だが強度が足りない平歯車が破損する事が大きな原因だったって聞いたことがある。

 ヘリカル・ギアとテーパーローラー・ベアリングのスラスト軸受ならトルク分散効果でかなりの入力許容量になるはずだ。

 

「了解しました。閣下がおっしゃるのであれば、ゴリ押す価値があるのでしょう」

 

「いや、ゴリ押しちゃ駄目だからな?」

 

 

  

***

 

 

 

「まあ、まずはこんなところか……」

 

 細かい技術考察はさておき、概要というかアウトラインはこんなもんだろ。

 本気での詰めは技術者に任せるしかない。

 

(ディーゼル屋のユンカースも来るんだっけな……)

 

 Ju87のユンカース社は系列で航空機用ディーゼルも作ってるからな。何かの参考にはなるだろう。

 

(なら、フランスからも呼ぼう)

 

 確か、T-34のV2ディーゼルは、元々はイスパノ・スイザの航空機用エンジンだったはずだ。フランス戦闘機はあの系列のエンジン使ってるし、詳しい奴を募集しよう。

 

 ふと気づくと膝の上に居たツヴェルク君が涙目になってて、

 

パパ(・・)ぁ……ごめんなさい……出ちゃった……」

 

 何事?と思えば、半ズボンの前の部分が濡れて変色していた。

 

「おおっ!? すまん。俺がガッツリホールドしてたせいでトイレにいけなかったんだな?」

 

 う~む。いかんいかん。仕事に夢中になって子供にお漏らしさせてしまうとは。

 するとツヴェルク君、首をふるふると横に降って、

 

「パパの腕、とってもたくましくて気持ちよかった♡」

 

「ん? そうか? それはともかく、着替えてきなさい。これで一旦、仕事はおしまいだ」

 

「えへへっ♪ せっかくだから、パパにお着換え……痛いっ!?」

 

「はーい。そろそろ膝から降りようか? お仕事は終わりだし、総督閣下は忙しいんだから。というか、少し調子に乗り過ぎだよね?」

 

「いきなりパパ呼びとか、ちょっと抜け駆けが過ぎるよね? それにお膝の上で出すとか、なんて羨ま……はしたない」

 

「痛い痛いって! 耳がエルフみたいに伸びちゃうってばぁ!」

 

 なんか両耳をアインザッツ君とドラッヘン君に引っ張られて退室していくツヴェルク君……なんなん?

 それとシェレンベルク、なに腹抱えて笑ってんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




きっと、来栖が想像した体液とは、色と粘度と匂いが違うはずです(挨拶)

お膝が良すぎて出しちゃったショタっ子は、まあ良いとして……
来栖が使ってるのは、”別世界の記憶や記録にアクセスする”ような異能の力なんて大層な物ではなく、単に集中して前世の記憶を思い出しているだけというw

その来栖本人が仄めかしていましたが、基本的には新戦車は”ドイツアレンジのT-34/85”というより史実の”T-44”に近い史実版”ドイツ版T-43/85”みたいな感じの戦車になりそうです。

具体的には「T-43の車体にT-44の砲塔を乗っけてシュルツェンやザウコップ防楯なんかのドイツ風味を加味」したイメージです。
ただ、中身は大幅に違い、外見より中身がドイツ要素強いかもしれません。

この世界線のV号”パンター”もIV号と計画統合したせいで、明らかに強化されそうですが、その脇を固める戦車、あるいはIV号の後釜ワークホースとして使うにも「最強ではないが、使い勝手が良い戦車」になりそうです。

量産が軌道に乗れば、余剰のIV号とかはソ連と前線が接してないフランスなどの親独中立の友好国に回せそうですしw

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第126話 ”Kampfpanzer Sankt Petersburg-34/42”

新戦車の名称が明らかになるようですよ?




 

 

 

「ほう……英国アフリカ軍は、ついにイタリア領東アフリカを平らげたか」

 

 只今、1941年11月初旬。

 英国はイタリア領東アフリカ、前世の地図でいうエリトリア、エチオピア、ソマリアを完全制覇したらしい。

 

(史実と比べて半年遅れでハイネ(・・・)・セラシエ1世がアジスアベバ入りしたか……)

 

 おそらくベルギー領コンゴが転がり込んできたから、英国の事だ。後に残る無理や無茶はせず、より慎重に念入りに執拗に地固めをしたのだろうと思う。

 リビアを日本に丸投げしてまでのアフリカの英連邦軍のほぼ全てを投入して(しかも、ドイツとの戦いでも日本の介入があったためトブルクやクレタ島で消耗してない状態。また英国自体がドイツと停戦中)、なおかつ史実より時間をかけたのはそういう事だろう。

 

 英国人は恋愛と戦争では手段を択ばないし、手を抜かないと言うしな。

 

(これでエジプト・スーダンからケニヤ、ウガンダ、タンザニアのコンゴへ続くルートを邪魔できる者はいない)

 

 しかも、ローデシアから南アフリカへのルートはきっちり押さえている。

 これでインドネシアの西半分まで新領土として統治し始めてるんだから、この時代の英国ってホント巨大だ。

 

「これでまた時代が動くか……」

 

 伝え聞く限り、日本のリビア攻略は「いっそ気味悪いほど順調」らしいし、

 

(”クリスマス前に戦争は終わる”か……)

 

 そう宣言して終わった戦争は、歴史上ないと言うが別に日本皇国は時間的宣言はしてないから問題は無いだろう。

 まあ、日本人として言わせてもらうが、年内中には終わってほしいな。

 大掃除を終わらせて、スッキリした気分で正月は迎えたい。

 

パパ(・・)、お茶を入れたよぉ」

 

 と書類に目を通してると紅茶を入れてきてくれたのは、ほんわかおっとり系のドラッヘン君だ。

 ちょっとした”事故”の時、ふにゃふにゃになってたツヴェルク君が俺を”パパ”と呼んだ時だが……残るアインザッツ君とドラッヘン君からもパパと呼びたいと要望が出たのだ。

 まあ、この子達の場合、NSRに拾われた事情が事情だ。父親に対する憧れも理解はできんが、理解を示さんわけにはいかない。

 妻に早く先立たれたので、俺には子供はいないし、故に子供との距離感はわからんが、まあ懐かれたり甘えられたりするのは悪い気分じゃない。

 という訳で、パパ呼びも来客前じゃなければ良いぞ?ということになった。

 同時に気楽な話し方も解禁だ。

 というか、かしこまられるより気安い方が、俺がやりやすい。

 

 シュペーア君には「甘すぎる」と呆れられ、シェレンベルクには「やはり閣下には、少女より少年の方が効果的でしたな」とニヤニヤされた。

 少々、発言が気になったので問いただしてみると、

 

『僭越ながら総督閣下の身辺を調査させて頂きましたが……若くして奥方様を亡くされたとのこと。では、ご成婚された頃のような若い婦女子は何かと気を遣うだろうと思いましてね?』

 

 どうやら、シェレンベルクなりの気遣いだったらしい。

 なんか方向性が微妙にズレてる気もするが、まあシェレンベルクだし。

 

 ヒトラーユーゲントの構成員は成人とみなされる前の10~18歳が一般。この世界では、少年部門と少女部門に分かれてるだけで、制度的にはヒトラーユーゲントで一元管理されている。

 妻が13歳の時に俺達は見合いで出会い、14歳で正式な許嫁となり、15歳で結婚し、そして……二十歳前に死別した。

 正直、ドンピシャの年頃の女の子を側近に付けられても気苦労抱えそうなのは事実だ。

 そこ、「お前にそんな繊細な回路付いてるのか?」とか言わない。

 

 

 

 ちなみに俺の身の回り世話役のそば付き、言うならば従兵(ボーイ)役は三人で日替わりの持ち回りになったらしい。

 無論、三人分の小さめの執務机は部屋に用意させたし、残る二人も事務補助兼秘書役で働いてもらってる。

 いや~、この三人、歳の割には……ああ、すまん。実は年齢知らないんだわ。NSRから渡された資料にも載ってなかった。というか、今のコードネームっぽい名前とできる技能(スキル)しか記載されてなかった。

 なら、言い方を変えよう。明らかにローティーンな見た目に反して、めっちゃ優秀なんだわ。

 さすがNSRの肝いりで鍛えられただけのことはあると感心するよ。

 

「パパぁ、膝に座ってもいい?」

 

 ただし、わりと甘えん坊である。

 

「お前たち、それ好きだな? 男の膝なんてただ硬いだけだろうに」

 

 物好きな事だ。

 

「だめぇ?」

 

「別に構わんぞ。俺も少し脳を休めようと思ってたところだ」

 

「わーい♡」

 

 膝を叩くとぴょんと乗ってくるドラッヘン君。

 ガタっとアインザッツ君とツヴェルク君が机から立ち上がろうとするが、

 

「……みんなだってやってるよね? 特にツヴェルク」

 

 あっ、静かに座りなおした。それにしても……

 

「軽いな。ちゃんと食べてるか?」

 

 ちょっと心配になるちっこさと軽さだぞ?

 

「んー。食べてるよ? ただ、太りたくないだけで」

 

「なんか、女の子みたいなこと言ってるなぁ」

 

 こっちは妻じゃなくて、前世記憶だが。妻は体質だったのか、太りたくても太れなかったみたいだし。よく「もっとふくよかになりたい」とハイライトが仕事を放棄した目で、ペタペタ平たい胸を触ってたっけ。

 俺が、「大丈夫だ。そう言う需要もある。俺がそうだ」と慰めるまでお約束だった。

 

「……一緒にしないでほしいかなぁ」

 

 ああ、忘れていた。

 ドラッヘン君に限らず、三人そろって女の子っぽいって言うと機嫌が下降するんだよな。

 

(父親を知らない上に、母親に捨てられたとか言ってたし……)

 

 おそらくそれの影響だろう。ちょっとどころでなく女性不信なのだろう。

 将来的に困ることになるかもしれんが、

 

(それは俺が考えることじゃないんだろうな……)

 

 結局、どこまで行っても、あるいはどれだけ慕われても……この子たちとは仕事上の付き合いだ。

 その内、確実に別離が来るだろう。

 

(もしかしたら、久しくなかった”寂しさ”って感情を思い出すかもしれんな)

 

 俺は色々と複雑な気分を感じながら、膝に座るドラッヘン君の頭を撫でる。

 

「ふにゃあ~♪」

 

 ……なんか息子ってより、ネコでも飼ってる気分になってきた。

 頭の中でネコ耳と尻尾を付けたドラッヘン君が縁側で微睡(まどろ)んでるイメージが浮かんだ。

 いかんいかん。これは腐女子や貴腐人の発想だ。

 

 

 

***

 

 

 

「ほ~う。可愛がってもらってるようで何よりだな」

 

 と入ってきたのは、最近じゃあノックすらしなくなったシェレンベルクだった。

 まあ、さっきも言ったが気安いのは別にいいんだけどね。

 

「シェレンベルク様、いらっしゃいませ♪」

 

 様付けはしても、俺の膝から降りようとはしないドラッヘン君。マイペースで何よりだ。

 まあ、シェレンベルクだけじゃなくシュペーア君もシュタウフェンベルク君も客人って感じじゃないわな。

 シュペーア君に至っては、軍需省のサンクトペテルブルグ事務局に自分の執務室もあるけど、あっちは半ば資料庫と接客スペースにしていて、効率を考えてるのかサンクトペテルブルグ中央庁舎にいる時は、ほぼ俺の執務室に持ち込んだ机で仕事してるし。

 

 ああ、シェレンベルクはNSRサンクトペテルブルグ支局、シュタウフェンベルク君はドイツ軍のサンクトペテルブルグ司令部(この二つは庁舎とは別の建屋。近いけど)にそれぞれ自分の執務室があるから、用事があるときに俺の執務室に来るって感じだ。

 

 とはいえほぼ毎日顔合わせはしてるし、合同ミーティングはここでやることも多いから、あんま別のところに居を構えてる印象が薄い。

 

「どうした? 何か”新戦車開発準備委員会”に問題でも出たか?」

 

 実は本日はシュペーア君は出張で、軍の建屋で合同会議を行っている。

 少し前置きが長くなるが……俺が提案したサンクトペテルブルグ産の新戦車、仮称でも何でも名前がないと不便なので

 

 ”Kampfpanzer Sankt Petersburg-34/42”

 

 略称”KSP-34/42”となった。日本語に直すと”42年式サンクトペテルブルグ戦車34t型”にでもなるかな?

 34は計画重量でもあるが、(主にソ連に)”T-34ベースの戦車(=T-34と大差ない戦車)”であるということを印象付けること、42は”許可が降りれば1942年中に製造を開始したい”という意味だ。

 実はこの計画、シュペーア君とシュタウフェンベルク君に軍需省と陸軍に打診して貰い、シェレンベルクにはNSRを通じて総統閣下(ヒトラー)の耳にも入るように手配したのだが……

 

(思ったより大規模になりそうなんだよな……)

 

 というのも、ドイツ軍や産業界からの参加も見込んでいたのだが、どうも総統閣下が思った以上に乗り気らしく、予算拡大が鶴の一声で決まったらしい。

 そして、ディーゼル作ってるユンカースのエンジン部門と俺が希望したフランスのイスパノ・スイザの航空機エンジン部門のスタッフだけでなく、イタリアからの出向組、フィアット社から来ているメンバーに”AN1航空機用ディーゼルエンジン”の開発スタッフがいたらしく、戦闘機開発でこちらに来るついでに戦車用エンジン開発チームに合流してくれる運びとなった。

 

 実は、T-34のV2エンジンは元々イスパノ・スイザのV12エンジンとフィアットの航空機向けディーゼルの技術的悪魔合体らしいのだ。

 なら、その根源を知る技術者の参加はありがたい。 

 あのエンジン、今は冷却系や電気系を中心にまだまだ甘い部分もあるし精度は酷いが、改設計繰り返して洗練してゆき最終的にはT-90シリーズのエンジンとして21世紀まで出力を倍加させた子孫が生き延びたという基礎設計自体は大変優れている。

 

「戦車がらみの問題と言えば、問題ですかねぇ」

 

 そして、差し出された電信。その封を解いてみると……

 

「げっ……」

 

 ”視察に行く”

 

 ただ、そう書いてあった

 問題なのは、その差出人。

 

「グデーリアン機甲総監サマが来るのかぁ~。それもロンメル大将(・・)連れ立って」

 

 俺は思わず天を仰ぎたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いつの間にかイタリア領東アフリカが英国人の手により陥落していた件についてw

そして、どうやらサンクトペテルブルグの新戦車”KSP-34/42”の開発計画は、ドイツ本国にも小さくない影響を与えるようです。
少なくとも、機甲総監が興味を持って動く程度には。

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第127話 グデーリアン機甲総監と戦車談義という贅沢なシチュエーション

今回は、割と難産でした。




 

 

 

「ふむ。何やら面白い戦車を作ると聞いてな。つい見に来てしまったのだよ」

 

 と開口一番、ドイツ国防陸軍機甲総監ハーラルト・グデーリアン上級(・・)大将。

 

(なんつーか、ガキ大将がそのまま大人になったような人だなぁ)

 

 それが俺のグデーリアンに対する第一印象だった。

 

「実はフォン・クルス総督、実は貴殿には前々から会ってみたいと思っていたのだよ」

 

 というか軍上層部も”総督”呼び定着かい。

 

「私とですか?」

 

 またなんで?

 

「マンシュタインの奴が、お前さんのことを滅茶苦茶褒めてたんだよ。”独創的(ユニーク)な脳味噌の持ち主”だってな」

 

 あー、そういやマンシュタインに会った時、「グデーリアンと引き合わせたい」とか言ってたような……?

 

「……それ、本当に褒め言葉なんですか?」

 

 誉め言葉としちゃあ、微妙じゃね?

 

「最大限の誉め言葉さ。アイツは士官学校の頃から秀才……いや、天才でな。喋ってると相手の思考が大体読めちまうんだそうだ」

 

 そしてビシッと俺を指差し、

 

「だがな、総督……お前さんのことは読み切れなかったそうだ。なんでも予言じみた精度で”バルバロッサ作戦”の全貌を言い当てたんだって?」

 

 いや、そんな大したもんじゃないっす。

 いや、アインザッツ君、そんなキラキラした目で見ないでくれ。

 本気で大したことじゃないから。

 

「事前情報の獲得と最新の国際情勢、国際的な政治的力学を事前に持っていれば、誰でもできることですよ」

 

「噓だな」

 

 だ、断言されてしまった。

 

「当時、総督が得られた情報は把握している。それで、マンシュタインが語ってたような内容に辿り着けるなら……正直、異能(・・)だぞ?」

 

 異能者なんてとんでもねぇ。あたしゃ(おそらくこの世界なら)どこにでもいる、ただの転生者でがんすっと。

 

「真面目にその評価は過分すぎますよ」

 

 だが、グデーリアンは応接セット(今回はゲストルーム使ってる)の机に、見覚えのあるタイトルの書類束を置いた。

 

 

「仮称”KSP-34/42”……この戦車のメインコンセプト、ほぼ一人で完成させたの、総督なんだって?」

 

「基本的なアイデアを出しただけですよ」

 

 もしかして、俺、疑われている?

 

「それでも、だ。総督の経歴の中に戦車に係るような場面は無かったと思うが?」

 

「趣味……と言ったら信じてもらえますかね? 私は、いや俺は日本人でね。アカは無条件で敵だ。なら、なら共産主義者の兵器を研究し、どうすればそれを駆逐できるのか、自然と考えるんですよ」

 

 すると……

 

「ハァッーハッハッハッ! そうか! 趣味か! なるほど、ならば納得しよう。俺も戦車が好きだ! 趣味でもある!」

 

 あれ、この反応ってもしかして……

 

「気が合うな? 総督」

 

 これ、もしかして同好の士を見つけた喜びってやつか?

 

 

 

***

 

 

 

「KSP-34/42、ソ連のT-34が叩き台とはいえ、よく練られた良い戦車になると思うぞ?」

 

「そりゃ、ありがとうございます」

 

 なんかこのぐらい適当な返しで良いような気がしてきた。

 

「まず先に言いたいのは、新戦車開発・生産の全権は総督にくれてやる。こいつは陸軍大臣からの正式なお墨付きだ。そして、必要な資材なり部品になり人員なりがいたら、陸軍省の俺当てに送れ。手紙でも電話でも電信でも構わん。最優先で用意してやろう」

 

 やっぱ、気楽な態度の方がお望みのようだな。なんか機嫌がさらによくなってるし。

 

「ありがたい話ですが……見返りは?」

 

「お前さんが”これだ”って試作車両ができたら、その時点で陸軍省にも1台、いや2~3台送れ。量産や実戦を前提としたテストしてやる。なんなら、機甲部門が抱えてる全ての戦車との性能比較もしてやろう」

 

 あー、そういう。

 

(これってもしかしなくても、自分が乗りたいだけなんじゃ……)

 

 でも、テストを代行してくれるってのは実際にありがたい申し出だ。

 

「良いでしょう。その話、乗った」

 

「話が早くて助かるぜ。細かいところは俺の部下と、シュタウフェンベルク達に調整させりゃあいいさ」

 

 雑やな~。いや、これもグデーリアンの持ち味か。

 

「では、そういうことで」

 

 とガッチリ握手。

 なるほど、厚いグリップだ。少なくても、人を騙して喜ぶようなタイプじゃなさそうだな。

 

「ところで総督、あれだけの戦車のコンセプトデザインやったんだ。次が無いってわけじゃないんだろ?」

 

「そりゃまあ、無いと言えば嘘になりますね」

 

 とはいえ、まだ固まり切れてはないんだよな~。

 

「重量はKSP-34より10t重い45t前後、シャーシはKVをベーシックにして必要ならストレッチする溶接車体に鋳造砲塔の組み合わせ。エンジンは横置き、それを収められる全幅のある車体、サスペンションはKV系列の発展型で、大型転輪とトーションバーの組み合わせ。主砲は……イタリア人の”Da90/53”の高射砲開発チーム、来てましたよね?」

 

「ああ。たしかまだベルリンに居るはずだ。聞き覚えがある。サンクトペテルブルグに行けるよう手配しよう。その代わり、高射砲の改良と対戦車砲の開発も同時に頼む」

 

 ふむ、となると……

 

「心得ましたよ。高射砲はヒンメルベッド、レーダー制御野戦高射システムにFlak同様に連動できるように、戦車砲は高機動牽引可能な機動砲にするって路線では?」

 

「悪くないな。それでいこう」

 

「なら、そのチームを呼び寄せ、高射砲を戦車砲に設計変更でもしてみますか。イタリアの90㎜高射砲はあれで結構素性の良い大砲なんでね」

 

 実は88㎜FlaK36や37(史実のVI号戦車ティーガーの主砲の原型)よりわずかだけど初速が早くて、実はイタリア製の徹甲榴弾を用いても少しだけ貫通力に勝るんだ。更には同じ弾種を用いた後年に出てくる同じく高射砲転用の米国製90㎜戦車砲M3(M26パーシングの主砲)と同等かそれ以上にだ。

 

(これに比べるとソ連の85㎜は、1ランク落ちるんだよな)

 

 例えば、500m先の垂直装甲板を想定すると、同じ弾種なら3㎝以上貫通力に差が出る。

 たかが3㎝、されど3㎝。真面目に史実のイタリア人が終戦までに実用化できなかったHVAP弾(APCR弾)なんかの高速徹甲弾を開発すれば、差はさらに広がると思う。

 いや、それ以前にまともな性能のAPCBC(仮帽付被帽付徹甲弾)タイプの通常徹甲弾や鉄鋼榴弾の開発が先だろうな

 まあ、それを言うなら85㎜砲弾の方が先か。

 ただ、85㎜の方は試作はもうできてるし、実験と実射でプルーフして欠陥を洗い出し、それを修正して量産体制の確立だな。

 APDS(装弾筒付徹甲弾)も作りたいが、あれはサボットの分離タイミングが難しいんだ。実用化するには相応に時間がかかる。

 無論、開発は続けるが……すぐにどうこうできる代物じゃない。

 

 

 

「何というか良さげだな? 45t級ということは、V号戦車と同格か……」

 

「結果的に重量はどっこいになりそうですがね。V号をサラブレッドに例えると、脳内戦車(?)は荒っぽい使用にも耐えられる、操縦や整備がやりやすいワークホース的にしたい。多分、登場時期はV号の後継が出てくる頃だろうし」

 

 イメージ的には、”M26パーシング”戦車に近い感じかな?

 IS系列は、ちょっとバランスがなぁ~。

 

 操向・変速機はV号の奴(史実のVI号戦車の物)を流用してもいけるだろうし、V号からの乗り換え組がいるなら操縦系は同じに越したことはない。

 ただ、新規開発するなら使い方が簡単な奴がいい。

 

(やっぱり、高出力対応トルクコンバーターを開発してみるかねぇ。ついでにオルタネーターとかも)

 

 トルクコンバーターは流体継手の技術があれば作れるし、実際、ドイツでは軍用ではないが民生用で開発されていたはずだ。60年代に開発されたオルタネーターも実はダイナモより構造が簡単なんだよな。

 もし、これが作れるなら、M46/48”パットン”系のミッション……というか、パワーパックを作りたいもんだ。

 あれは変速段数は二段と少ないけど、その分、M26の三段の奴より耐久性・信頼性が高い。

 確か仕様は、4要素一段・多相型トルク・コンヴァーター付きの遊星歯車式パワーシフト型で、前進2段/後進1段。操向は三重差動の固定半径・再生式操向装置が装備で、操作方向はニュートラルの位置で超信地旋回、前進および後進位置で緩旋回ができたはずだ。

 

「そういえば、凍結されていたVI号戦車の開発、一旦開発を白紙に戻して再開するぞ? V号の生産の目途がついたのと、主砲のアテがついたんでな」

 

「試作中の新アハトアハト、88㎜71口径長砲ですか?」

 

「耳が早いな?」

 

 まあ、他にないだろうしな。流石に128㎜55口径長は重すぎる。

 重すぎると言えば、史実のティーガーⅡだ。

 

(70tオーバーはちょっと……)

 

「機動力や耐久性、故障率を考えるなら55t級、可能な限り60t以下に抑えた方が良いですよ? 火力や防御力が高くても重くて動けない戦車は移動トーチカくらいしか使い道がない」

 

 つまり、戦車としての運用は難しい。

 

「そいつに関しては俺も同意見だな。総督、悪いがお前さんも協力してくれないか?」

 

「全面協力っていうのは無理ですよ? これでも忙しい身で」

 

「ああ。必要な時にアイデアを出してくれりゃあそれでいい」

 

 ふ~ん。では早速、

 

「なら、とりあえずエンジンとミッションはアイデアがありますかね? エンジンと冷却系、トランスミッションを組み合わせたパワーパックなんてどうです?」

 

 確か、史実の未完の”E計画”の戦車ではパワーパックの概念が盛り込まれているし、M26パーシングでは実用型が搭載されている。

 

「良いな……小切手はコッチに回せ。パテントはそっちで管理しろ。くれぐれも米ソに感づかれるなよ? 目標は60t/800馬力級だ」

 

「りょーかい」

 

 おおっ、なんか開発できることになったみたいだな? 言ってみるもんだな。

 

「おい、ロンメル。置物じゃないんだから少しは喋れよ」

 

 とグデーリアン。いや、実は最初からずっとグデーリアンの横に座ってたんだけどね。ロンメル大将。

 ただ一言も喋らねーでやんの。

 というか……

 

(なんか、値踏みっていうか品定めされてる感じかな?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、一応、次のプランも考えている来栖と、それに食指がうぞうぞ動くグデーリアンという構図w

来栖は、当然のようにこの先、独ソ戦における戦車の恐竜的進化を知ってますからね。

確かにドイツが強化されるというのはリスクと言えばリスクですが、「停戦がなっているドイツ」が強化されるリスクより、「ソ連の弱体化」のメリットが大きいって本音が見え隠れしてますね~。
基本、独ソ戦は日英同盟、特に日本とドイツの利害は一致しているという。


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第128話 来栖はロンメルが転生者である確信を得て、皇国外務省高官は今日も頭痛薬や胃薬と友情を育む

中間管理職は大変だなぁ~というお話です。




 

 

 

「小官から貴殿に頼みたいのは一つだ」

 

 グーデリアン装甲総監と共にサンクトペテルブルグにやってきた、どうやらムルマンスク攻略の駄目押しらしい戦力を率いているロンメル大将は、喋り始めたと思ったらそんなことを口走った。

 

「測距儀をジャイロで二軸安定化し、一軸式の砲安定装置(ガンスタビライザー)を搭載した主砲と照準軸線が一致したときに同調撃発(発砲)できる装置……作れるかね? 71口径のアハトアハトには、それが必要だ」

 

 ……マジか?

 

(”オートスレイブ式撃発装置”かい……)

 

 ロンメルが何を言っているかと言うと、中身の詰まった未開封のティッシュ箱と物干竿の関係だ。

 まず片手で持った場合、どっちが安定させやすいかと言えば、まずティッシュ箱だろう。

 これは重さの違いもあるが、長さの違いも大きい。長いものほど角速度の影響を受けやすく、慣性質量が大きくなる。

 例えば、箸と物干竿、同じ棒状の物でも水平から垂直に振り上げた時、先端の移動量(移動距離)が全く違うことに気づくだろう。

 戦車砲は長ければ長いほど、僅かな揺れが砲口部に影響が出る。

 具体例を上げれば88㎜71口径長砲が車体の振動などで上に10度動いた場合、砲口は約35㎝も上へ跳ね上がる。

 この状態でほぼ水平にいる標的に当てるのは不可能だろう。

 そこで、まず上下動(一軸)を抑えるガンスタビライザーが必要になる。

 

 そして、次に重要なのは照準器をジャイロなどで上下動・左右動の二軸を安定させる事だ。

 実際の照準器と88㎜71口径長砲のサイズ差、重量差はティッシュ箱と物干竿以上だ。

 ならば、まず照準器を安定化し、ガンスタビライザーを用いても微細に上下動を繰り返す主砲の軸線が一致したときに発砲するようなシステムを組めば、理論上は命中するはずだ。

 これ、実は電子回路ではなく電気(・・)回路でできるのだ。

 特にドイツの戦車砲は電気着火式だから同調させやすい。

 自動的(・・・)に照準器に追従(・・)して発砲するから、”オートスレイブ”方式と通称されるが、

 

(弾道コンピューターやレーザー測距儀を使わないのなら、最良の命中精度を出せるやり方だが……)

 

 これ、確実に戦後の発想だぞ?

 

「……できなくはないですね。ですがそれであれば、大きなステレオ式よりコンパクトな像合致式の測距儀の砲が作りやすいですが?」

 

 ステレオ式は”カニ眼鏡”の別名がある通り、左右二つに分かれて砲塔の外に出るタイプの測距儀(兼照準器)だから図体が大きく、安定化がやりにくい。

 なので、安定化させるならレンジファインダー・カメラと同じくピントを合わせる要領で距離を算出する、ワンボックス一体型の像合致式の方が良い。

 

「それで構わないさ。おそらく最適解だ」

 

 ああ。こりゃアタリ(・・・)だ。

 ほぼ間違いなくロンメル将軍は転生者だ。何せ”完成形を知っている”んだ。

 じゃないと、このセリフは出てこない。

 

「お受けしましょう」

 

 いずれにせよ、あれば便利なのは違いない。

 というか、日本本国ではもう開発が進んでいると思う。

 日本の場合は、アイデア力というより技術の限界と政治力学(主に日英同盟との兼ね合い)の限界が影響してくる。

 

 俺が知ってる限りだと、”(仮称)三式中戦車”は、英国のチャーチル戦車なんかと同じメリットブラウン式操向・変速機装置(前進5段・後進2段)。

 サスペンションは、先端と後端の大型転輪だけがトーションバーで、接地する履帯の真ん中(中間転輪)はホルストマン式サスペンションを入れた二輪一体のボギーを前後に2基ならべ、それをダンパーとリンケージで連結・連動させる”発展型シーソー式”のハイブリッドだ。

 一見、複雑そうに見えるが実はトーションバー以外の部分は外装式になる為、車内容積が多くとれ、また破損した場合は交換が簡単というメリットがある。

 従来の技術の寄せ集めと言うより集大成と言ってほしいところだが、まだ技術的に未成熟なトーションバーを全面的に採用する気が起きないというのは、まあ理解できなくもない。

 どことなく英国面の香ばしい臭いがするが、史実のセンチュリオン戦車もメリットブラウン式+ホルストマン・サスペンションなので設計をミスらなければ50t程度までは対応できるはずだ。

 

 エンジンだけはオリジナリティがあり、予備燃焼室付きの三菱AL空冷V型12気筒4スト・ディーゼルエンジンは、450馬力以上を発生する……らしい。

 

(主砲は、早く17ポンド実用化しないとそのうち追いつけなくなりそうだ)

 

 おそらく、現在の皇国で開発されてる戦車砲は、ボフォース社の高射砲”75mm Lvkan m/29”のライセンス版、”戊九九式七糎半野戦高射砲”の戦車砲改修型だろう。

 性能はざっと75㎜52口径長、撃ち出す弾の重さで大砲を表す英国風に言えば”14ポンド砲”とでもなるだろう。

 威力は、APCBCタイプの徹甲榴弾”一式徹甲榴弾”で、1,000mで100㎜の圧延均質装甲板を貫通可能ってとこじゃないだろうか?

 これでも史実のそれよりだいぶマシっぽいのは、持ってる科学技術の差だろう。

 

(まあ、極端なオーパーツ作るわけでもあるまいし、問題は無いだろう)

 

 無論、報告書は皇国に送るぞ?

 どこまで検閲されてるかは知らんが、これでも定期報告は毎月本国に送ってるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの馬鹿、また判断の付かんもの送ってきよって……」

 

 後日、日本皇国外務省書簡管理部部長は最高機密指定でサンクトペテルブルグより届いた書類に頭を抱えていた。

 

 ドイツ(一応、来栖の身元引受はドイツのままだ)の”検閲済み”の印鑑が押され、ほぼほぼ情報が消されていない書類の中身は、サンクトペテルブルグ市の復興進捗状況と兵器開発計画がびっしりと書かれていた。

 

 ちなみにほぼ情報が消されていないのは、来栖レンタルの条件の一つ「そういう取り決め」だからだ。

 後年、歴史家からは『これ、検閲印じゃなくて確認印だろ? ドイツ政府は内容に間違いないですって証明する為の』なんて呼ばれる事になる。

 

 中身はなんの事はない。叩き台になっているのは、バルト海沿岸関係各国へ提出する月次報告であり、それに外交官という視点と見解と見識を加えた物なのだが……

 

「サンクトペテルブルグでのソ連戦車をベーシックにした新戦車開発計画に、ドイツ陸軍省の全面協力を取り付ける事に成功? そういうのは陸軍省にでも直接送ってくれ。頼むから」

 

 ただし、その内容は明らかに外交官の仕事内容では無かったが。

 そもそも、来栖は外交官の仕事をしてないのだから当然と言えば、当然だが。

 外交官の仕事をしていない海外にいる外務省職員とはなんなのか?と哲学的な問いになりそうだが、彼らの親玉である野村時三郎外相に言わせれば、

 

『確かに外交官の仕事はしておらんが、これ以上ないほど外交にはなっとる。なら、外務省の所管で問題あるまい?』

 

 と問題ないという態度だ。

 そして英国から帰ってきやしない(というか戦時中は帰ってこないだろう)古狸、吉田滋に言わせれば、

 

他国(よそ)に喧嘩を売ることに才能を傾ける、どこかの首相に比べればあの程度のヤンチャなど可愛いものだろう』

 

 と意に介す様子もない。というかむしろこの状況を好機ととらえ、如何に日本皇国に利益誘導するか日々考えているようである。

 外交官としては、正しい姿勢ではあるのだが。

 そして、話題に出たどこぞの首相はと言えば、

 

『あんなカンシャク玉みたいな奴、外務省からおっぽり出したところで引き取り手なんざ国内にいやしねぇよ。いっそ、ドイツに引き取らせるか? 十中八九、余計にタガ外れんぞ?』

 

 さしもの来栖も、歩く鉄火場みたいな近衛首相にだけは”カンシャク玉”とか言われたくないだろうが……

 ともかく、これが日本皇国国内、特に外務省における認識だった。

 

 ・外交としてはドイツに限らずバルト海沿岸諸国にありえないほど絶大な外交的成果を挙げている。なお、繰り返すが外交官の仕事ではない方面で。

 ・「バルカンの火薬庫」ならぬ「バルトの武器弾薬庫」の主に成長した火中の栗(クルス)を皇国の関係各省庁は誰も拾いたがらない(拾ったら最後、どこからどんな恨み買うか分かったもんじゃないともいう)

 ・かといって日本追放したら、その1時間後にはドイツとその一派が喜び勇んでサンクトペテルブルグ総督にしかねない(実質、既にそうなってる事からは目線逸らし)

 ・その勢いのまま”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ”大公ならびに”サンクトペテルブルグ公国”でも生まれた日には、ますます外交がややこしいことになること請け合い。

 

 という訳で、「日本の外交官」という立場、主に心理的リミッターとして来栖任三郎という男は、未だに日本皇国外務省の人員名簿に名前が記載されているのであった。

 無論、様々な思惑から来栖の退職や帰国を促す声が外務省内外からもあるにはあるが、それが大きな声にならないのは上記のような理由があった。

 ”制御不能の来栖任三郎”なんて誰も相手にしたくは無いだろう。

 

 もっとも、そのリミッターがどこまで効いているかは、それこそ「神のみぞ知る」なのだが。

 何しろ、今の来栖は、「とるあえず与えられた仕事と役割は全力投球する」という古き良き時代の日本人の性質が出てしまっているのだから。

 まあ、これはドイツ側からの「外交官以外の外交に大きく関係する仕事やって欲しいんだけど?」という要請を、対価に目が眩んであっさり了承した外務省、ならびに日本政府にも責任が無いわけじゃない。

 むしろ、大ありなんだが……ただ、(タチ)の悪いことに、外交面だけで考えれば、大幅なプラスになっているのも確かなのだ。

 日英同盟とドイツとの戦争再開の可能性は極端に低くなり、日英はバルト海経済に関わる筋道が付けられ、ついでに日本人でも英国人は一滴も血を流さず、ついこの間まで敵対関係にあったドイツ人が日々不俱戴天の仇である共産化ロシア人を攻め滅ぼしているのだ。

 これを外交的勝利と言わず、何を一体外交的勝利と言えばよいのだろう?

 

 その兵器を作る一助になっているのが日本人の外務省職員というのは、実に皮肉ではある。

 それにしても、

 

「来栖……本国で開発中の戦車と正面から殴り合える戦車を大量生産して、お前は何がしたいんだ……?」

 

 外務省の苦悩と胃痛は続く。

 されど、来栖は別段、胃痛も頭痛もない。

 世の中とは、実に不公平な物であるという実例がここにあった。

 

 いや、来栖は来栖で相応に苦悩はしてないが苦労はしているのでバランスは取れているのだろうか?

 こればかりは、神ならぬ人の身ではわからない物なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ロンメル殿よりとんでもない注文が入りましたw
3,000mからパカパカ当ててくるランゲ・アハトアハトとか割とシャレになってないという。

そして、割ときっちり月次報告という形で報告書を出していた来栖だったり。
ただし、その都度、外務省本国の職員(来栖の提出書類を読める地位にある高官)は頭痛薬や胃薬との親愛度(依存度とも言う)を上げてしまうんですね~w

とはいえ、国家上層部は黙認。
はてさて、今回コメントを残した面子は、どこまでが本音でどこまでが虚実なんだか……


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第129話 ロンメル殿とのシンパシー&イタリア戦闘機三種盛り(計画)

いや~、一日休んでしまいました。
ちょっと仕事が立て込んでしまいまして。

今回は転生者同士のちょっとした友情と、あと来栖が専門ではないという飛行機の話など。




 

 

 

「これは……良い出来だなぁ」

 

 思わず感嘆してしまう。

 

「わかるかね?」

 

「ああ。”IV号H型(・・)”、その先行量産型か……」

 

 さて、話をまとめたグデーリアンはもうベルリンに「早速、とっかかるぜ」と帰ってしまった。

 だが、俺とロンメルには仕事が残っている。

 

 今回、ロンメルがサンクトペテルブルグに来たのは、ムルマンスク攻略の増援……駄目押しをするための部隊を指揮するためだ。

 その総数は1個軍団、約6万の兵力だ。

 それをコラ半島の先端に押し出すには一度に送るわけにはいかず、サンクトペテルブルグを中継点にし、鉄道でピストン輸送するって寸法だ。

 戦車とは見た目に反して繊細で壊れやすい部分があり、サンクトペテルブルグからムルマンスクまで自走させようものなら、ムルマンスクに辿り着くころには、故障やら履帯切れやらで確実に半分は脱落するだろう。

 だから、戦車をはじめ履帯を装備した重い戦闘車両は、実際に履帯で走り回らねばならない戦地までトランスポーターで運ぶのが最適解なのだ。

 

 ついでにここで補給とメンテナンスしてゆくというので、せっかくなので視察しに来たという訳だ。

 ちなみに本日の付き添いは、アインザッツ君。

 綺麗系の顔と切れ長の瞳、ヒトラーユーゲントの制服と相まって、凛とした雰囲気なのが軍人だらけのこの雰囲気に合っている。

 ツヴェルク君やドラッヘン君だとこうはいかない。

 ツヴェルク君は人懐っこさのせいかどこでも甘えてくるし、俺もついかまってしまい「親子でお出かけ」っぽくなってしまうし、ドラッヘン君はほんわかした空気が柔らかすぎて、緊張感を中和しかねない。

 流石にこれから戦地へ向かう軍人さんの前でそれはまずい。

 要は適材適所だ。

 しかし、出がけに「「ぐぬぬっ」」と何か言いたげなお留守番の二人に、「フフン♪」とドヤ顔するのはやめたげて。

 

 資料を読む限り、確か根本的な部分は主砲を75㎜43口径長から新型の48口径長に変更(砲弾自体は同じ)し初速を上げて貫通力アップ、重量増加に対応するために給排気系を見直し各部を煮詰める事で25馬力のパワーアップを果たした新型エンジン(サイズは同じ)。

 

(そして、何より特徴的なシュルツェンの装着か……)

 

「何を意図してるかわかるか?」

 

 ロンメル曰く「丁寧な言い回しは不要」との事なので、そうさせてもらおう。

 

「いっそ清々しいまでの”都市戦対応型”だな?」

 

 思わず”ドイツ版ガザ・スペシャル”とか呼びたくなる。

 

「シュルツェンの裏側にS-マインが左右連装2基で計8発、砲塔横の増加装甲内側に前方へ角度を付けた4発+発煙弾6発。砲塔正面/車体正面にも増加装甲。ステーを介して中空装甲風に取り付けか。流石にソ連にはまだ成形炸薬弾や粘着榴弾はないと思うが……油断しないのは、良いことだ。砲塔上面に防盾付きMG34機関銃1丁追加。砲爆撃で瓦礫の山になった街中で暴れまわる気満々じゃんか」

 

 するとロンメルは珍しくもフッと小さく笑い、

 

「例のKSP-34/42のプランを見る限り、お前の好みにも合うだろう?」

 

「俺の好みって訳じゃないぞ? ただ、嫌いではないが」

 

 好みは好みだが、どちらかと言えば、必然だ。

 独ソ戦はとにかく乱戦になりやすいイメージだ。

 

「戦場でお前が作る戦車を見る日を楽しみにしている」

 

「少なくとも、チェコ製の戦車(・・・・・・・)よりは使い出のあるものを作ってやるさ」

 

 史実のロンメルが好む好まざるに関わらずチェコ製の”38(t)戦車”を第7装甲師団に数的主力にしていたのは有名な話だ。

 

「なるほど。今度は38(t)ではなく、正真正銘”38tの戦車(・・・・・・)”を指揮することになるわけか。それは愉快だ」

 

 俺とロンメルはガッチリ握手する。

 それにしても、良い返しだ。それに互いに「転生者であること」を相互認識できた確証が持てた。

 

「幸運を」

 

「ダンケ。我々にはそれが大量に必要だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンメルは配下と共に一路ムルマンスクを目指して旅立ち、サンクトペテルブルグはいよいよ冬を迎える。

 とはいえ、俺がやることは変わらない。

 

「42年早々に”MC.205”の製造開始できるようだな? 喜ばしい事に」

 

「メッサーシュミット組がリファインで良い仕事をしたようですね? 空力特性がBf109に似ていたのが幸いしたようです」

 

 史実のMC.205は、急旋回で制御不能に陥る性質と無線機の不具合に泣かされたというが、

 

「主翼を大型化しつつも軽量化した自動スラット付きの新型主翼に換装。胴体後方をストレッチして尾翼を大型化し空力特性を改善。キャノピーをより視界の良い物に変更。エンジン、無線機、照準器、機銃は当然のようにドイツ製。原型機が完成していたからこそですが、よくもまあこれだけの短時間で完成形を作れたものです」

 

 いや、絶対どっちの陣営か知らんが転生者いるだろ?

 メッサーシュミットとの技術融合が的確過ぎる。

 

「武装は左右主翼にMG151/20㎜機関砲×2、機首にプロペラ同調のMG131/13㎜機銃×2。当面はこれでいけるだろう。シュペーア君、最高速は?」

 

「戦闘重量(燃料・機銃弾を搭載した実戦での重さ)、高度6,600mで640㎞/hを超えます。急降下速度は850㎞/h超を記録。その段階でも機体に不具合発生はありません。最高到達高度は12,000mを記録。ただし、その場合は与圧服と酸素マスクが必要です」

 

「十分だ」

 

 少なくともBf109Gの代打は十分以上に務まる。

 

「与圧コックピット、与圧機能付きGスーツの開発を急いでくれ。そのうち、嫌でも必要になる」

 

 ジェット時代はもう目の前だが、それ以前にレシプロ機の発展も著しい。

 MC.205の初期バージョンで計画機だったMC.207並みの性能だ。おそらくG.55は最低でも史実ではG.56級になるだろう。

 

「御意」

 

「Re.2005は艦上戦闘機としての路線に決定したんだっけ? He100Mの後継として」

 

 史実の”Bv155”は元々はメッサーシュミットが開発していた艦上戦闘機”Me155”を、ブローム・ウント・フォス社が計画を引き継いだ形になったのが史実だった。

 だが、今生では確かに一度、ブローム・ウント・フォス社に開発をチームごと引き継がれたが、やはり開発まで時間がかかり過ぎると判断され、軍需省や海軍省の連名でコンパクトで調査の結果、艦上機への改修が可能と判断されたRe.2005の艦上戦闘機化計画に合流。

 また、ブローム・ウント・フォスと加えて実績のあるハインケル社のHe100Mの開発チームが合流。

 こうして、ジェット艦上戦闘機が生まれるまでの間の艦上戦闘機が開発されることになったのだ。

 

「Ja. 公式に”Re.2005M”のコードが配されました」

 

「そして、本命のG.55だな」

 

 こっちは高高度戦闘機Bf109K枠になるはずだ。

 いや、もっと汎用機寄りの「高高度戦闘もできる重戦闘機」かな?

 MG151を最低4門積むし、なんと史実では雷撃(航空魚雷攻撃)をできるように改造した機体まであったというからな。

 今生では、相手が相手だけに流石にロケット弾とかになるだろうが……

 

(Bf109Kというより、ドイツ版のP-51Dみたいな機体の方向性が最適解かな?)

 

 実際、伝え聞いたところによると、Fw190シリーズは史実と同じヤーボ、戦闘攻撃機(ヤークトボマー)の方向性に発展させるようだが、その方向性は少し史実と違いそうだ。

 何でもジェットエンジン開発は、BMW003とJumo004が統合……というか、Jumo004にBMW003の開発チームが吸収される形で開発が一本化され、先行しているハインケル社との2系統の開発ツリーになるようだ。

 ジェットエンジンから事実上、撤退したBMWだが、以後は培った高温タービン技術を生かしてガソリンエンジン用の排気タービン型過給機(ターボチャージャー)を開発の主眼に置くらしい。

 そして、傾注しているのが主力商材のBMW801空冷星形14気筒エンジンへの排気タービンの装着だ。

 史実では高い高高度性能を発揮したが、コスト高で採用が見送られた経緯がある。

 

(だが、今生のドイツなら問題なく可能だろう)

 

 占領地政策が史実と全く違い(自国領土に取り込んだ地域以外は親独国家への早期再独立)、アフリカやギリシャ、ユーゴスラビアなど「イタリアやバルカン半島がらみの金のかかる戦争」からいち早く足抜けし、山場であるバルチック艦隊の撃滅とレニングラード陥落を泥沼化する前に火力を集中投入して(つつが)なく成し遂げた。

 おまけに我が祖国と英国の日英同盟とは事実上の無期限停戦状態で、リビアやイタリア領東アフリカを見る限り双方の戦争に干渉する気はないようだ。

 

(ドイツはソ連との戦争に全力投入したく、当面は日英との再戦予定はない。というより、スケジュールに入れてないなこりゃ)

 

 考えてみれば、お互いの生存圏があんまり重ならないから、少なくとも領土権/領海権を巡って積極的に戦争する理由ないんだよな。

 ドイツが欲する”レーヴェンスラウム”、西ユーラシア大陸に日英は領土的興味はなく、英国が権益を持つ(そして、日本が持ってしまいそうな)アフリカから中東、中近東、アジアにかけてはドイツは興味がない。

 

 つまり、結果として領土的理由でドイツと必然的な戦争になるのはソ連だけってことになる。

 

(実は、アメリカも領土的な理由で戦争はできないんだよなぁ~)

 

 そんな訳で、ドイツは無駄に戦線を広げず、イタリアを半ば切り捨てた(=日英の生贄に差し出した)おかげで史実と比べるのがバカバカしいほど余力がある。

 

(それに、どうも戦前からカレリアやポーランド、ウクライナにも仕込んでたみたいだし)

 

 加えて、第一次世界大戦以後もどこかに相当規模の資産隠しをしてた形跡がある。

 じゃないと、35年の再軍備宣言以降の膨大な軍事費の説明が難しい。

 

 

 

 一応、出所の一部ではあるが予想はつく。

 転生者がいることが前提だが……ダミーやらペーパーカンパニーやらトンネルやらの手段で米国株を中心に各国で第一次世界大戦中から戦後に戦勝国企業の株や国債などを中心に投資し、世界恐慌直前に動産/不動産を段階的に売り抜け、また銀行資産を回収し、例えば、有事に強い金などに替えておく。

 そして、世界恐慌で暴落した動産、不動産を買い込み、30年代前半の景気回復期に同じく段階的に換金する。

 例えば、米国は議会承認があれば「敵対国が持つ米ドルや米国債を紙くずにできる権限がある」としているが、手元になければどうということもないし、米ドルに関しては「ドイツ勢力圏以外で使うなら」問題は無い。

 それにこの手はあまり使えないんだ。

 

 「敵対したら米ドルや米国債が紙くずになる」前例を作れば、その資産的価値より保有リスクが高まり、買い手が以後つかなくなる。

 安全資産かと思ったら、敵対したら即座にハイリスクなど、怖くてなかなか手が出せなくなること請け合いだ。

 そうなれば、困るのは米国自身である。

 

(そういえば、今生だとTa152HってFw190Dとは無関係に開発されそうだな)

 

 史実なら空冷型のFw190の高度性能不足(史実のBMW801は高度7,000m以上だと性能が急速に低下した)を補う為に高度性能に優れるJumo213を搭載する”長っ鼻ドーラ”ことFw190Dが生み出されるのだが……

 

 今生では先に書いた通り、ドイツは資金力に余裕があるためBMWに排気タービン型過給機(ターボチャージャー)の開発を急がせてる。

 もし、まとまった数が前線に現れれば、

 

(まさに、使い勝手も役回りも”ドイツ版P-47”だろう)

 

 そうなれば、高高度性能は改善される見通しが大きい。

 だが、空冷型Fw190が高高度に最適化された機体かと言えば、そういう訳でもない。

 高高度には高高度に適したエンジンと”形”とがある。

 おそらく高高度ではG.55は空冷Fw190に勝り、Ta152HはG.55に勝るはずだ。

 

(まあ、今はそれは良い)

 

 どちらかと言えば、それはドイツの空軍省や軍需省の考えることだ。

 今は……

 

「ユンカース社もなんか色々ワイワイ、メッサーシュミットの連中と上手くやってるみたいだし」

 

 なんか、中空クランクのJumo213の特性を生かして、Mk103/30㎜機関砲をモーターカノンとして搭載するって話だ。

 主翼にもMG151を2門積む予定らしいし、かなりの重武装/重装甲機になりそうだな。後部座席の旋回機銃はMG131Z(ツヴァイリンク=連装型)を搭載するみたいだし。

 

「各部門とも予定通りか、あるいは予定以上の進捗だな? 重畳だ。これはボーナス弾んでやらんと」

 

 それが正しき資本主義というものだ。

 年末まで、あと1ヶ月ほど。少し査定を見直すか?

 

「それはそれは。来年も生産には期待できそうですな?」

 

 とシュペーア君。

 

「ああ。そうしないとな」

 

 日本皇国にとり、戦争の正念場はいつなのかは正直、わからない。

 俺が知ってる第二次世界大戦……太平洋戦争と何もかもが違い過ぎる。ならば、勝利条件も敗北条件も全く違うだろう。

 そもそも、そんな物があるのかも不明だ。

 

(だが、ドイツは……)

 

 1942年、独ソ戦は間違いなく激化する。

 

 まあ、その前に……

 

「もう冬も目の前だっていうのに、元気だよなぁ……”マンネルハイム”元帥」

 

 それも、ちょい北上すれば北極圏って場所の割とガチの厳冬だぞ?

 

 あの人、日露戦争にロシア側で参戦したって人なんだが……

 日露戦争ってとりあえず俺も生まれちゃいるが、物心ついたかどうか怪しい時期だ。

 俺が本物(史実)の来栖外交官より少し若いから、30歳は上だっつーのに極寒の中でも平気で前線視察で飛び回るし。

 

「何分、元気なご老体ですから」

 

 もう齢70を超えてるってのにホント、凄いバイタリティーの爺様だよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ロンメルは配下と共に北方へと旅立ち、一路ムルマンスクへ。
そして、どうやらサンクトペテルブルグのイタリアーノな戦闘機の開発計画と順序が決まったようです。

最初はMC.205、その後継がG.55でそれぞれBf109GとKの代替、Re.2005は海軍機としてHe100Mの後継になる模様。
多分、後に名前は少し変わるはずです。

それで少し近況報告。
3月一杯で退職予定で、業務の後任への引継ぎや残務処理などでちょっとばかり忙しくなってしまいました。
次回より新章予定なのもあって、少し執筆ペースが落ちそうです。

すみませんが、これからもよろしくお願いします。




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第9章:”銀狐作戦(Unternehmen Silberfuchs)”、またの名を”第二次冬戦争”
第130話 ”銀狐作戦” ~史実におけるそれは、あまりにも頭無残な結果に終わった~


今回から新章突入になります。

まずは、史実における独ソ戦初期の「ドイツ側の大きな失敗(やらかし)」から……






 

 

 

 さて、唐突に物語を始めよう。

 史実におけるドイツ軍とフィンランド軍が行った下記の作戦、

 

・銀狐作戦 (Unternehmen Silberfuchs)

・白金狐作戦(Unternehmen Platinfuchs)

・北極狐作戦(Unternehmen Polarfuchs)

 

 これら三つのの作戦は、たった一つの街を攻略するために立案され……そして、全て見事に失敗した。

 その攻め落としたかった街の名は、

 

 ”ムルマンスク”

 

 コラ半島にあるソ連の港湾都市であり、軍港であり、拠点であった。

 失敗の原因は実にお粗末な物であった。

 その根本的な間違いは、ムルマンスクが「アメリカからのレンドリース品を満載した船便がダイレクトにつく、ソ連では貴重な海流の関係で冬でも凍らない”不凍港(・・・)”」だというのに、”主戦域と認識できなかった”事に他ならない。

 それを示すいくつかのデータを示してみよう。

 

 

 

 正確に言えば、”白金狐作戦”と”北極狐作戦”は独立した作戦ではあるが、”銀狐作戦”という作戦の一つとして立案された作戦だ。

 ”銀狐作戦”の骨子は、

 (1)ペツァモ地区のニッケル鉱山の安全の確保

 (2)サッラ地区の回復

 (3)ムルマンスク鉄道の遮断

 を経ての”ムルマンスク攻略”というものであった。

 

 先ずは最悪の失敗だった”白金狐作戦”から見てみよう。

 前段階であるトナカイ作戦で防衛成功し、安全を確保したフィンランド領のニッケル鉱山の街”ペツァモ(現代の地図だとロシア領ペチェンガ)”から陸路を使ってムルマンスクを攻略するのが作戦の骨子だった。

 ペツァモはムルマンスクから西北西に140㎞ほどの所にある街だが……この作戦において、ドイツは致命的な”やらかし(・・・・)”をしていたのだ。

 このコラ半島やムルマンスクを巡る戦いには珍しく師団以上の規模を投入したこの作戦は、実は初手から躓いていた。

 

 結論から先に言えば、これだけの大軍を投入しながらも、”進撃路が確保できないなかった”のだ。

 OKW(ドイツ国防軍最高司令部)の作戦用地図製作担当者は、ソ連製の地図を見てペツァモからムルマンスクまでの道が整備されていると思い込んでいたが、実はそれは地図の読み違えで道路なんて物はそこに存在していなく、ドイツ人の地図屋が道路だと思い込んでいたのは「ソ連製地図の電話線とラップ人が使う車両が通れないような小径(こみち)」だった。

 信じがたいことだが……この地図担当者、現地の地形を確認しないでロシア語の地図を勘違いしたままドイツ語に直しただけで仕事を終わらせたようだ。

 現地確認をしなくても、せめて航空写真と自分が作成した地図を一度でも照らし合わせればわかったことだが、それすらしなかった。

 無論、地形を熟知していた現地の作戦司令官ディートル大将は、「現地の地形条件で大軍の進撃は不可能」と本国に打診し、「ケミヤルヴィ→サッラ→カンダラクシャの攻略を行うべき」と進言した。

 しかし、史実のOKWは現地を知るディートルより本部の誤った地図を信じたのだ。

 では、実際のペツァモからムルマンスクの地形はどうなのかと言えば……「敵の抵抗がなくても、1時間に1kmしか進めないレベル」だったという。

 別の言い方をすれば、”防衛側(ソヴィエト)に圧倒的に有利な地形”なのだ。

 

 もし、仮に神の奇跡が起きて打通できムルマンスクに辿り着いたとしても、ディートルの部隊は壊滅を免れなかったろう。

 なにせ補給線が恐ろしく細いのだ。

 補給はナルビクから沿岸航路のみで、これはイギリス海軍とソ連海軍の脅威にさらされており、同じくペツァモ港は、入り口がリョーバチ半島のソ連軍重砲の射程圏内で使えなかった。

 そのためキルケネスから車両運送になったが……道路は田舎のあぜ道だ。

 

 そして、当然のようにソ連は「敵の抵抗がなくても、1時間に1kmしか進めないレベル」の地形に精強な防衛部隊を置いていた。

 結果は推して知るべし。

 ドイツは甚大な被害を出して摺り潰され、作戦は大失敗だ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、続く”北極狐作戦”。

 この作戦では、ムルマンスクの文字通りの補給線(生命線)であるムルマンスク鉄道(キーロフ鉄道)のターミナルポイントであるカンダラクシャとルウキを攻略するというものだったが……白金狐作戦に比べれば、まだ作戦の健全性が保たれているように思えるが、これも失敗する。

 根本原因は単純な”戦力不足(・・・・)”。

 ソ連の防衛戦力を過小評価していたというのもあるが、この時の北方軍集団はレニングラード包囲戦を主戦域として考え、そこに主力を集中させていたのに加え、早期のモスクワ攻略を目指す中央軍集団に戦力を抽出させられ、やせ細っていたのだ。

 加えて、白金狐作戦の成功、つまりペツァモからムルマンスクへの打通成功が前提となっているのもまずかった。

 つまり、”確定し、約束された失敗”だったのだ。

 

 

 

 かくて”銀狐作戦”は(1)ペツァモ地区のニッケル鉱山の安全の確保と(2)サッラ地区の回復は達成できたが、(3)ムルマンスク鉄道の遮断はカンダラクシャの攻略失敗で、ムルマンスク攻略はならなかった。

 他にも「フィンランド軍の協力が消極的だった」を理由にあげる人間もいるが、それはそうだろう。

 フィンランド人に言わせれば、

 

『レニングラード包囲したままムルマンスク攻めるとかマ?(戦力どうすんだよ……)』

『ペツァモからムルマンスク攻めるとか正気?(道、ねーんだけど……)』

『冬季戦装備は?(まさか、こいつら冬に戦争しない気なんじゃ……)』

 

 考えてみても欲しい。

 彼らは真冬にロシア人と戦い、純白の雪原をロシア人の血で赤く染め上げた”冬戦争”を戦い抜いた猛者なのだ。

 冬は彼らの戦機であり、雪はカモフラージュであり、寒さは味方だ。

 ドイツ人に、

 

『冬までに攻略できなければ作戦中断するんで』

 

 などと言われて協力などできるはずはない。

 しかも、戦力不足で現実には存在しない進撃路を進むなんて無茶ぶりに付き合う義理などあるわけはない。

 

 このようにお粗末なのが、史実の銀狐作戦だった。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、ここは異なる世界線だ。

 当然、ここまで頭無残な結果は転生者(ヒトラー)が許す筈もない。

 

 実際、この世界線でも”銀狐作戦”という名前は一緒で中身は別物の作戦が立案されているが、まず発動条件が違った。

 

 ”作戦発動は、「サンクトペテルブルグ攻略完了まで凍結」”

 

 であった。

 加えて、他の前提条件が違い過ぎる。

 ノルウェーは史実と違ってデンマークと同じく侵略せずに貿易相手国として極めて友好的な関係を築いており、また英国とは停戦が成立していた。

 加えてヒトラーは、ある厳命を加えていた。

 レニングラード陥落後にしか作戦を発動させないことを前提としていたため、

 

冬季戦(・・・)も含めた、全季節での戦闘を想定せよ。スオミ人が如何にしてロシア人を打ち破ったか、徹底的に究明・探究せよ」

 

 とOKWに通達したのだ。

 無論、現地の偵察を密にせよとも。航空機偵察だけでなく、斥候の陸上部隊を出し、入念に下調べをさせたのだ。

 ロシア人の地図などに頼らず、自分達で「オフセット印刷のフルカラー地図と地形図」を作成するレベルまでの地形の把握を命じ、10年間の気象情報も調べさせた。

 当然、現地の状況を把握できればペツァモからムルマンスクを攻めようとするはずもない。

 

 またそれらの調査で、見えてくるものもあったのだ。

 何度か書いたが、ムルマンスク港は北極圏の間近でありながらソ連には珍しい冬でも凍らぬ不凍港であり、これは暖流である”北大西洋海流”が流れ込んでる影響だ。

 実際、地図的には南にあるが海流が入り込まないアルハンゲリスク港は、普通に年に数ヶ月は凍結する。

 

 つまり、ムルマンスクは「緯度の割には寒くない(・・・・)」。

 厳冬期の1月でも平均気温は-9〜-10℃程度だ。この数字は、実はずっと南にある北海道の旭川市とどっこいであるのだ。(北緯で言うならムルマンスクは北緯約69度。旭川は約北緯43.5度)

 つまり、フィンランド人のアドヴァイスを素直に聞いて、まともな冬季装備を用意したドイツ軍なら、”冬場でも十分に戦える(・・・・・・)”環境だったのだ。

 

 だからこそ、今生のヒトラーはレニングラードがサンクトペテルブルグと名前が変わった瞬間に、作戦発動を命じた。

 

 

 

 そう、これこそがムルマンスク攻略戦……いや世に言う、

 

 ”第二次冬戦争”

 

 の幕開けであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




当時の銀狐作戦の資料を読むたびに思うんですよ。

ヒトラーであれ誰であれ、航空写真を一度でも見たらペツァモからムルマンスクを攻略しようだなんて思わないって。

だけど、その一手間をしなかった為に甚大な被害を出したのが、ドイツ軍です。
はっきり言えば、大日本帝国陸軍の失敗を笑えません。

更に資料を読み解くと、どうやらドイツは「ムルマンスクの価値と攻略の意味」やその重大性を理解していたか疑わしかったようです。
何しろ、「レンドリースの受け入れができる不凍港」を主戦域と認識してなかったようですから。

だけど、この世界線は違います。
念入りに執拗にムルマンスクを狙うみたいです。
それこそ、厳冬上等で。

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第131話 レニングラードとムルマンスク、それを繋ぐキーロフ鉄道について

今回は、史実では非常に大きな影響があった鉄道についてのエピソードです。




 

 

 

 1941年秋、フィンランド領内、ニッケル鉱山の街”ペツァモ”

 

 そろそろ短い秋が終わり、冬の足音が聞こえてきそうなこの街において、奇妙な風景が広がっていた。

 山岳師団が冬季戦装備を整え、今にも東進しようとしているようだった。

 

 だが、この世界線では「前世を知る転生者(ヒトラー)」が、ペツァモからの進軍などという暴挙は許すわけない筈だが……

 

「それにしても、我が祖国(ライヒ)も随分と贅沢な国になったと思わんか?」

 

 だが、その疑問はこの増強山岳師団を預かる師団長、エアハルト・ディートル大将の台詞で氷解するだろう。

 いや、もうすぐここは氷の季節ではあるが……

 

「増強師団丸々1つを”陽動(・・)”に用いるとはな」

 

 彼らのペツァモ山岳師団の”今生における(・・・・・・)銀狐作戦”で与えられる作戦は至極シンプルな物であった。

 

(つまり俺たちは、作戦終了までペツァモからムルマンスクを無謀な攻略するそぶりを見せつけつつ)

 

「アカのムルマンスク防衛隊を誘引し続ければ良い。ムルマンスクを攻め落とせと言われる訳ではないんだから、まあ、気楽な仕事だな」

 

 OKW(うえ)から、無理や消耗しない程度の偽装進軍なら許可するという命令が出ていたが、……とどのつまり彼らはデコイだった。

 だが、ディートルに不満はない。

 少なくとも、「ペツァモからムルマンスクを陥落させよ」なんて無茶な命令が来ないだけでもありがたいと考えていた。

 だが、そうであるが故に手を抜くつもりはない。

 ソ連軍が「ドイツがペツァモからムルマンスクを本気で狙ってる」と思わない限り、満足な誘引はできないだろうから。

 

「気楽な仕事だからこそ、見破られないためにも本気で攻めるぞ」

 

 師団付き参謀たちは一斉に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ドイツ国防軍北方軍集団ヴィクトール・フォン・レープ元帥は、実に上機嫌だった。

 

 当然であろう。

 レープ元帥自ら率いる、ケミより”ムルマンスク(キーロフ)鉄道”で北上したドイツ北方軍集団の現在機動的に運用できる地上戦力の全てと言っていい8万の軍勢と、フィンランドのケミヤルヴィに集結し、サッラ→カイラリ→ニャモゼロの東進ルートを打通したフィンランドの”冬戦争の英雄”ヤンマーニ・シーラスヴオ中将率いる2万のフィンランド地上軍がカンダラクシャの郊外で合流した。

 その戦いは苛烈の一言であり、包囲など考えずに文字通りこのキーロフ鉄道の拠点であるカンダラクシャを守るため、赤軍が容赦ない民間人徴用でかき集めた3万の軍勢を比喩でなく蹂躙し、ことごとくを摺り潰したのだ。

 赤軍は練度が低く、装備も悪く、指揮官の質も粛清の影響かあまり優秀とは言えなく、だからこそ多少の無茶は承知の上で一気呵成の力押し決着(ケリ)を付けたのだ。

 ある種の博打じみた(ただし、事前調査で十分に勝機があると判断できた)強襲作戦だったが、包囲するという先入観にとらわれていたソ連指揮官は結果として虚を突かれる形となったのだ。

 

 そして、政治将校が撤退を許さなかった為に参加した赤軍の6割が戦死するという惨事となった。

 死兵化しても、所詮、7割がここに来るまで銃を握ったことのない素人ではできることはなかった。

 加えて、爆弾を持たせて肉壁ならぬ肉地雷や肉弾対戦車ミサイルとして使おうにも、その括り付ける爆弾すら事欠く始末だった。

 

 

 どうしてこうなったのか?

 それを読み解くにはキーロフ鉄道とレニングラード陥落の因果を話さねばならないだろう。

 

 

 

***

 

 

 

 「ムルマンスク 鉄道」と検索すると”ムルマンスク軌道”という港から物資を内陸に運ぶ為の軽便鉄道が出てくるが、本題はそれではない。

 第一次世界大戦中の1914~17年の間に「ムルマンスク~サンクトペテルブルグ」間に建設開通した鉄道”ムルマンスク鉄道”が今回の主題だ。

 

 日本人には馴染みの薄いこの鉄道は、1935年に前年に暗殺されたボリシェヴィキ指導者キーロフの栄誉をたたえるために”キーロフ鉄道”に改名された。

 前述の通りサンクトペテルブルクとムルマンスクの間の約1,450kmを結ぶ鉄道で、広軌の本格鉄道であり、ロシア語で”赤い矢”を意味するソ連初の特急列車”クラスナヤ・ストレラ”を運行させることもできた。

 史実では戦後の1959年にオクチャブリスカヤ鉄道に統合され、現在でもその路線は稼働中(・・・)である。

 

 特筆すべきはその路線であり、マップなどを閲覧しながら見てくれると嬉しいのであるが……

 サンクトペテルブルグからいったん東北東に進みオネガ湖西岸を沿うように北上。旧カレリア共和国首都ペトロザボーツク(現ペトロスコイ)を抜け、オネガ湖北端の街であり白海・バルト海運河の要所であるメドヴェジエゴルスク(現カルフマキ)を通り、キーロフ鉄道のモスクワ方面の分岐点(それは同時にムルマンスクとアルハンゲリスクを結ぶ路線の連結点を意味する)があるベロモルスク(現ソロッカ)、ケミ(現ヴィエナ・ケミ)→ロウヒと白海沿岸を北上し、ムルマンスクから南へ227㎞の地点にあるカンダラクシャを抜けて、ムルマンスクに至る。

 

 

 

 さて、もうオチは見えたと思う。

 史実でレニングラードを攻略・陥落できなかった原因の一つはこの鉄道を遮断できずに補給線が維持されてしまったこと、そしてレニングラードが陥落しなかったからこそ、ドイツはレニングラード包囲に戦力を取られ、またソ連は餓死者を出しながら生産を続けた軍需品を外部に運び出すことができ、それが文字通りドイツ人を殺す武器となったのだ。

 

 つまり、キーロフ鉄道もレニングラードもドイツ人の攻撃を耐え抜いたからこそ、双方が相互作用で生き延びたのだ。

 そして、鉄道もレニングラードも生き延びている以上、ムルマンスク攻略に割ける戦力はあまりに少なかった。

 

 別の視点で言おう。

 モスクワを狙う中央軍集団に戦力を引き抜かれ、慢性的な戦力不足に陥っていたという理由もあるだろうが……

 

 レニングラードは包囲に終始、いたずらに人員や物資を消耗し、結果としてムルマンスク攻略どころかその前段階であるキーロフ鉄道、その輸送路の遮断すらできていないのだ。

 はっきり言えば、「レニングラード、キーロフ鉄道、ムルマンスク、そのすべての攻勢が中途半端(・・・・)過ぎた為に、全ての作戦が失敗した」のだ。

 

 戦力の少なさを加味しても、せめてどれかに集中すれば、あそこまで無残な結果とならなかっただろう。

 例えば、レニングラード攻略が不可能と判断されたならば、キーロフ鉄道の遮断を含めた補給路の破壊に努めれば、結果は多少なりとも変わっただろう。

 上手くやれば、レニングラードを立ち枯れさせる事も可能だったかもしれない。

 

 だが、そうはならなかった。

 何故ならその根本的な原因は、結局、米国からのレンドリースの補給物資が本格化するまで、レニングラード以北の戦域をドイツ人は「主戦域と考えていなかった」からだ。

 

 ムルマンスクとアルハンゲリスクが攻めきれなかった意味の重さ、特に不凍港であるムルマンスク港が機能し続けた重さを知ったときは、全てが遅すぎた。何しろ、米国から流れた装備が最前線にまとまった数で配備され、ドイツ人をミンチに変えるために猛威をふるいだした後のことだ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、安心して欲しい。

 この世界線では状況が違う。

 

 北方軍集団は中央軍集団に戦力を引き抜かれて骨抜きに等なっておらず、むしろ戦力投入を惜しまず、持てる全力をもってレニングラードを真っ先にサンクトペテルブルグに”還元”した。

 

 そう、フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督が統治するこの街で、もはや赤軍装備が生産されることも持ち込まれることもない。

 そして、ここを起点としてラドガ湖、オネガ湖に装備を整えたドイツ人とフィン人は攻め込み、カレリア共和国、正式名称”カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国”を歴史用語に変えた。

 カレリア共和国の首都ペトロザボーツクは、フィンランド語表記の”ペトロスコイ”へと、北岸の街で鉄道と運河の要所であったメドヴェジエゴルスクは”カルフマキ”となった。

 

 だが、それでもそれらは決して楽な戦いではなかった。

 次回は、その足跡を少しだけ追ってみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今まで何度か出てきた「サンクトペテルブルグとムルマンスクを結ぶ鉄道」にまつわるこの世界線のアウトラインを書いてみました。

史実ではドイツ人が大失敗を連発し、そして、その重大さを理解しなかった北方戦域……この破綻は、とても後に響きます。
何しろ、ドイツを追い詰めた米国レンドリース品の1/4以上は、このムルマンスクやアルハンゲリスクを通って流入したんですから。

そして、レニングラードを陥落させサンクトペテルブルグを成立させ、徐々に北へと攻めあがるドイツ・フィンランドの連合軍は、果たしてどう運命を変えるのか……?

冬戦争で辛酸をなめたフィン人の逆襲が、今始まります!


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第132話 この世界において、”継続戦争”という呼び名が使われるか微妙なところ

お久しぶりです。
諸事情により休載していましたが、ようやく投稿できるようになりました。
お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。





 

 

 

「時は来た。そして、機は熟した(Aika on koittanut. Ja Aika oli kypsä.)」

 

 それが、レニングラード陥落の一報を受けた時の”カールハインツ・エッケルト・フォン・マンネルハイム”フィンランド軍元帥の言葉だったという。

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今生ではドイツの同盟国であるフィンランドが特に北方戦線、カレリア地峡やカレリア共和国(カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国)の攻略に甚大な役割を果たした。

 しかしそれは、一朝一夕で相互信頼関係を築いたものではなかった。

 当然であろう。

 フィンランドは、レニングラード攻略の側面支援としてカレリア地峡に侵攻して瞬く間に平らげ、その勢いのままラドガ湖の北岸にあるラフデンポヒヤ、ソルタヴァラ、ピトカランタをドイツ軍もかくやという電撃戦を展開し、立て続けに陥落させるという大殊勲をあげた。

 

 実際、ここは……というか、カレリア共和国領土全体が元々は冬戦争の前まではフィンランドの領土だった為、地の利もあったし潜伏していた”カレリア解放戦線”の目覚ましい活躍もあったが……

 疑問となるのは、兵員数はともかく、なぜ「フィンランドがこれほどの大規模攻勢が行えるほどの戦力を有していたか?」だろう。

 

 だからこそ、紐解かねばならないだろう。

 本来の歴史ではありえない、ドイツとフィンランドの強い結びつきの根幹を。

 

 ドイツとフィンランドの関係が深まったのは、”冬戦争”……ではなく水面下の接触は、1935年のドイツの再軍備宣言からあったという。

 だが、最も着目されるのは1938年の日本皇国政府によるカウンターインテリジェンス、「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」の公表以後の動きであった。

 同盟国である英国では重く受け止められ、事実上、敵対とまではいかない物のあまり良好な関係とは言えない米国では政府により「無かったことにされた」そのレポートは、実はドイツ政府も真摯に受け止めていたのだ。

 

 顕著なのはアウグスト・ヒトラーの反応だろう。

 彼は極東から全世界に発信され、在ドイツ日本大使館から公文書として届けられたレポートを読み終えると、ただ静かに

 

『なるほどな。委細承知した』

 

 と頷いただけであったという。

 だが、その静かなモーションとは裏腹に、ドイツの動きは素早かった。

 「日本皇国レポート」をダシに、ソ連へ真意を問い質した。

 当然である。

 特に第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」においては、反ファシスト戦線に関する結束の呼びかけと……

 

 ”共産主義化の攻撃目標を主として日本、ドイツ、ポーランドに選定し、この国々の打倒にはイギリス、フランス、アメリカの資本主義国とも提携して個々を撃破する戦略を用いること、第三に日本を中心とする共産主義化のために中華民国を重用すること”

 

 が記されていたのだ。

 これが大々的に紙面を飾り、ラジオで連日放送された。

 「元々、ソ連はそういう国で、ロシア人はそういう民族」と考えていたヒトラーやその側近はむしろ当然そうだろうなと達観していたが、ドイツ国民の怒りは凄まじく、これはこの時期まだ残っていた「第一次世界大戦の敗北は、ユダヤ人と”社会主義者”に背中から刺されたせい」という社会通念となり、「二重の意味でのドイツ人に対する裏切り行為」に仄暗い嫌悪感を社会主義者や共産主義者、そしてその首魁たるソ連に募らせていったのだ。

 こう言ってはなんだが……ヨアヒム・ゲッペルス宣伝相は良い仕事をしたものである。

 

 だからこそ、国防政策の一環として提出された

 

 ”親独友好国に関する武器供与に関する取決め”

 

 は、国民に大きな賛同と共に受け入れられた。

 これは、ソ連が「フィンランドは元々はロシアであり、ソ連に併合されるべきである」と主張しており、この法案の対象国がフィンランド、加えてポーランドである事は解りきっていたからだ。

 ならば裏切りの報復にフィンランド(+ポーランド)への武器供与は、「手ごろな報復」と認知されるのは当然だった。

 また、ドイツ国内でNSR(国家保安情報部)主導で行われた国内共産主義者の徹底的な検挙には国民から拍手喝采が贈られた。

 

 元々、ヒトラー政権樹立後はドイツ国内で共産主義・社会主義活動は違法とされていたのだ。

 そして彼らは地下組織化していったが……”最終的に極東反共レポート”という形にまとめられた政府公式見解(日本皇国からの赤色勢力に関する報告にドイツ政府の独自見解を加え、ほぼ内容を全面的に肯定する物だった)に煽られた民意が後ろ盾となり、「史実より徹底した弾圧」が社会的に容認されたのだ。

 特筆すべきは、これら一連の反共行動(弾圧活動)の枠組みからユダヤ人は、巧妙に外されていた(・・・・・・)事だろう。

 これは言うまでもなく、後に大きく影響した。

 

 そう、ユダヤ人は表向きはどうあれ「労働力として必要」と判断されたのに対し、赤色勢力は「あらゆる意味において、国家に不要」と判断されたという事だった。

 もっとも国家というものは1割ほどの反動勢力、「身内の敵」がいた方がまとまりやすいためにそのあたりは考慮されたが、逆に言えば最低限の”必要悪”とされたもの以外は悉くが刈り取られたのだ。

 

 彼ら(アカ)が収容されたのは強制収容所……ただし、ユダヤ人のような名目上の名を冠した施設では無く、”本物”の強制収容所であった。

 

 

 

***

 

 

 

 これに大慌てをしたのがソ連である。

 ドイツ国内のコミンテルン組織は裏表問わず壊滅させられ、おまけにフィンランドには格安で武器の売却がされるというのだ。

 そして、この時点でドイツと戦端を開くのは不可能であった。

 大粛清の影響で、準備の何もかもが足りていなかった。

 

”このままでは、フィンランド侵攻もポーランド侵攻も甚大な被害が出る”

 

 そう判断したソ連は、弁明と釈明に奔走することとなった。

 そのお膳立てまでに約1年の時間がかかり、そして実現したのが有名な”モロトフ=リッベントロップ協定”だった。

 

 

 

 だが、賢明な読者諸兄は既にお気づきではないだろうか?

 この世界線において、ドイツの外相は”ノイラート(・・・・・)”だ。

 だが、条約締結の為にモスクワに全権委任大使の肩書を受け向かったのは、リッベントロップなのだ。

 モロトフは腐っても外相であり、本来はバランスが悪いのであるが、そこは「モスクワに呼びつける」という体裁で政治バランスをとった。

 

 さて、ドイツが本気でソ連と何らかの交渉を行うなら、こんな真似はしない。

 少なくとも、「ソ連の弁明をベルリンで聞く」形にしたはずだ。

 

 そう、既に独ソ戦を戦争計画に組み込んでいた、むしろそれが本命だったヒトラーにとり、”モロトフ=リッベントロップ協定”……つまり、”独ソ不可侵条約”あるいはポーランド侵攻戦後に行われた”独ソ境界友好条約”は、所詮時間稼ぎ目的の画餅に過ぎなかったという事だ。

 

 

 

***

 

 例えば、である。

 Bf109の主力エンジンであるDB601の量産が強化されたのは、まあ当然と言えよう。

 だが、独ソ不可侵条約が締結された39年度中だけでも合計300基を超えるDB601エンジンに「まるでポンプ駆動用のガソリン式発電機のようなパッケージ」がなされ、ストックホルムで一度スウェーデン船籍の輸送船に乗せ換えられてバルト海を北上した。

 一見すると、ドイツとスウェーデン、スウェーデンとフィンランドの商取引が僅かに増えただけのように見えただろう。

 

 他にも、トタン屋根やアルミパネル、何故か内部に螺旋が刻まれたパイプなどが、様々なルートを通じてフィンランドへと持ち込まれていた。

 

 例えば、”冬戦争”。

 フィンランドの英雄、シモン・ヘイへが握っていた狙撃銃が、帝政ロシア時代のそれでなく、ドイツのマウザー社製の物だったのは、象徴的な事象と言えよう。

 

 そして、”冬戦争”の結果は、大きく見れば”我々の世界の史実”と大きな変化は無いように見えた。

 実際、カレリアはロシア人に一度は奪われたのだ。

 

 だが、その後のフォローが違い過ぎた。

 ”冬戦争”後も、ドイツからの支援は”継続(・・)”され、少なくとも装備面からみればフィンランド軍は戦後の方が充実するようになった。

 そして、独ソ戦の戦端が開かれた今は、益々ドイツからの支援は手厚い物になっていた。

 

 これで、”奪われた祖国(カレリア)”を奪還しない方がどうかしていた。

 サンクトペテルブルグ攻略が祖国奪還の手助けになるのなら、喜んでドイツ人に手を貸そうと。

 

 そして、約束は守られた。

 空美しく水豊かなカレリアの地は、今やスオミ人の手に戻りつつある。

 

 ならば、フィンランドに”戦争(・・)継続(・・)”しない理由など無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前書きにも書きましたが諸事情があり、ちょっと戦争物が書ける心理状態に無かったので休載していましたが、ようやく続きを書くことができたので投稿しました。

正直、まだ本調子ではないので以前のような更新速度は無理なのですが、おいおいに、あるいは少しずつでも執筆、投降出来たらと思っています。

改めてお待たせいたしました。
これからもよろしくお願いします。



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第133話 地質学用語”フェノ・スカンジア”を地政学に落とし込むためのスオミ式解決法

連載再開しても、そう簡単に続きは書けないと思ってましたが、何やら書き出してみると「案ずるより産むが易し」な感じで仕上がったので、勢いのあるうちにアップしてみます。




 

 

 

 ドイツ人は、1938年からフィンランドへの兵器供与を本格化させた。

 ドイツ人は、39年の独ソ不可侵条約締結後も軍事支援を水面下で”継続(・・)”したし、独ソ戦開幕(バルバロッサ作戦開始)後は更に大規模に行うようになった。

 スオミ人は、我々が知る史実とは比べ物にならない潤沢な装備を手にしていた。

 

 ならば、史実のように独ソ戦に関して「中立を宣言」する必要はない。

 ドイツ人は、約束を守ったのだ。

 ならば、”戦争を継続(・・)”するのに何の躊躇いが必要だろうか?

 

「否、否、否!! 断じて否であるっ!!

 

 ”カールハインツ・エッケルト・フォン・マンネルハイム”元帥はそう断じて、全力出撃を命じた。

 だからこそ、ドイツが北方軍集団の総力をあげて当時はレニングラードと呼ばれていた街を攻略するのに呼応し、フィンランド軍はカレリア地峡を南下したのだ。

 

 カレリア地峡の最も近い赤軍拠点ヴィボルグ(フィンランド語のヴィープリ)を瞬く間に制圧し、その勢いを殺さぬまま数々の拠点を落とし、サンクトペテルブルグ眼前のセルトロヴォ(シエラッタラ)まで攻め寄せたのだ。

 

 ここを拠点とし、ドイツ陸海空軍の”レニングラード総攻撃”を側面から火力支援し続けたのだが……

 実は、この一連の”カレリア地峡奪還戦”におけるフィンランド軍の大勝利は、サンクトペテルブルグ攻略に関する貢献度は、相当に高いのだ。

 

 まず、最初にフィンランド軍快進撃の理由を書いておきたい。

 独ソ戦開戦前、カレリア地峡に配されていた赤軍の数は5万程度だったと言われるが、フィンランド軍がカレリア地峡に攻め入る頃には3万以下まで減り、また練度が高く装備の良い部隊ほど引き抜かれた為に事実上戦力は半減以下であり、しかもどことなく間引きされたような分散配置になっていた。

 

 無論、この引き抜かれた部隊の行先は、南東部戦線……”バルト三国防衛戦やレニングラード防衛戦”で、それらの兵力はサンクトペテルブルグ攻略を巡る戦いで完膚無きにまで摺り潰された。

 

 その状況で、各個撃破しながら進軍するフィンランド軍に追い立てられた赤軍カレリア地峡防衛隊は、最終的に”まだ陥落していなかったレニングラード”に辿り着く。

 そして、ドイツ軍と相対するレニングラード守備軍は、少しでも戦力不足を補うために彼らを迎え入れるしかない。

 だが、考えてほしい。

 

 ・相次ぐ敗退で士気は瓦解寸前

 ・高級将校や政治将校ほど損耗が激しかったので、統制力不足

 ・相次ぐ撤退戦で装備のほとんどを失っていた

 ・そもそもが指揮系統が違う

 

 そんな「蹂躙され尽くした残存兵」が、果たして戦力としてどこまで成立するのだろうか?

 そしており悪く、彼らがレニングラードでどうにか使えるように再編受けてる最中に、 ”クラスノエ・セロの戦い”が起きてしまった。

 つまり、レニングラード防衛の最高責任者であるヴォロシーロフ元帥の戦死である。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、代理の司令官が着任する前にドイツ人は、半包囲から市街地攻略を開始した。

 真っ先にすり減らされていた士気が瓦解したのは、バルト三国の戦いから、あるいはノヴゴロド、プスコフ、ルーガ、そしてカレリア地峡全域から敗退してきた部隊だ。

 

 以前、サンクトペテルブルグの市街戦において、政治将校に粛清された(背中から自軍に撃たれた)遺体ではなく、粛清された政治将校の遺体が多数発見されたと書いたことがあると思う。

 

 ソ連式の政治将校の戦場における役目の一つは、士気の低い部隊に督戦を行う……つまり、背中から機銃掃射し、死兵として敵に突撃させることだ。

 畑から兵隊が取れるかの国らしい仕事ではある。

 結局は、「背中から撃たれて死ぬ恐怖」が「敵に殺される恐怖」より強いから成立する、二者択一に見える単独回答だ。

 だがそれは、この各戦線からの敗残兵には通用しなかった。

 

 当然である。

 彼らはすでに、政治将校が見たこともない戦場で、「背中から機銃で撃たれるより確実な死」を目撃し、体験し、経験として蓄積し辛うじて生き残ったのだ。

 そして、辿り着いた結果が、「ドイツ人やスオミ人より政治将校の方が簡単に殺せる」だ。

 更にドイツ人は、ビラまでばらまき

 

 ”司令官は死んだ。レニングラードから逃げるなら邪魔しない”

 

 と宣言した。

 ならば、より生存率が高い方を選ぶのは必然だったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 レニングラードからサンクトペテルブルグに都市の名前が”還った”後、最も早く東進を開始したのは、ドイツ軍ではなくフィンランド軍だった。

 

 一応、言っておくがドイツ人のばら撒いたビラには脱出は邪魔しないが、「追撃をしないとは一言も言っていない」のだ。

 その意味、

 

 ”さっさとサンクトペテルブルグから出ていかないと、追撃で踏み潰すぞ”

 

 を理解できぬものまで面倒を見る気は無かった。

 サンクトペテルブルグで補給などを行ったフィンランド軍は、ドイツ空軍のエアカバーを受けつつ立て続けにラドガ湖南岸のヴォルホフ、シャシストロイなどを遅れていた脱出勢力を文字通り轢き潰しながら陥落させ、ラドガ湖の縁をなぞるように東岸のロデイノイェ・ポリェを攻略し、時折、前進してきたドイツ軍と共闘しつつ北上、オロネツ、プリャジャを落として、ついにオネガ湖西岸最大の都市”ペトロザヴォーツク”を攻略し、フィンランド領”ペトロスコイ”として復権を果たしたのだ。

 

 現在、フィンランド軍はオネガ湖戦線と呼称し、ラドガ湖北岸の要所メドヴェジエゴルスク(現カルフマギ)の攻略を終わらせて拠点化に成功、戦力を南下させオネガ湖東岸のプトシュを突破し、ヴィテグラの攻略に手を伸ばしていた。

 

 実は、ラドガ湖、そしてオネガ湖を支配地域とするのは大きな意味がある。

 なぜなら、バルト海とヴォルガ川を結ぶ”ヴォルガ・バルト水路(マリインスク運河)”はオネガ湖を通り、1933年に完成した白海とバルト海を結ぶ大運河”白海・バルト海運河(スターリン運河)”はオネガ湖とラドガ湖を経由せねばならない。

 

 言い方を変えよう。

 ラドガ湖とオネガ湖とその間の地域を占領下に置くということは、”コラ半島まで含んだ(・・・・・・・・・)スカンジナビア半島とカレリア”……地質学用語でいう、

 

 ”フェノ・スカンジア”

 

 を丸々ロシアから切り取れる事になるのだ。

 もうお気づきだろう。

 

 この北方軍集団領域で、フィンランド軍の担う役割は余りにも大きい。

 サンクトペテルブルグ攻略の役割も大きく、またラドガ湖とオネガ湖を含むカレリアの攻略に至っては主力となった。

 これが結果的に、

 

 ”欧州北部方面最大の分断作戦”

 

 となったのだ。

 前にも話題に出したが、カレリア奪還(カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国侵攻作戦)はフィンランドの悲願だ。

 当然である。”冬戦争”の前まではここはスオミ人の土地だったのだ。

 

 だからこそ、熱意も執念も違った。

 それを誰よりも深く理解していたドイツは、可能な限り全力で支援したのだ。

 

 フィンランド軍の装備を見るとよい。

 

 地上を進む装甲戦闘車両の主力は、この時期(ピロシキ砲塔)のT-34をアウトレンジで撃破可能な史実のF型相当、STUK40型75㎜43口径長搭載の”Ⅲ号突撃砲”であり、フィンランド空軍機の識別マークである”青と白のラウンデル”を描いて蒼空を駆けるのは、史実のF型仕様のBf109だ。

 

 史実ではこの時期に考えられない贅沢な装備(史実における同時期のドイツ軍一線級装備に匹敵)であり、それは同時に「アメリカからの支援が届く前のソ連」の兵器群を叩くには、十分な性能と数を有していた。

 

 そして、ここまで支援したからこそ、ドイツはフィンランドに「中立」なんて中途半端な態度は許さなかったし、フィンランドもまたカレリア全域掌握と、コラ半島攻略に戦力の出し惜しみをするつもりはなかった。

 

 戦争は、全てが繋がっているのだ。

 もし、サンクトペテルブルグの攻略が失敗すれば、フィンランドはカレリア攻略をこうも容易く行えなかっただろうし、もしフィンランドのカレリア攻略に手間取れば、コラ半島……ムルマンスク攻略は、史実と大差ない失敗に終わったかもしれない。

 

 だが、この世界線では……

 結果は、この先の歴史が証明するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




休載してる間、モチベーションが下がりきって、まず書く気力がわかなかったのですが、不思議なもので書き出してみると、そこそこ書きたいシーンが浮かんでくる謎……

それはともかく、史実では無しえなかった【ムルマンスク攻略】の布石、あるいは前提となるフィンランド軍の動きをまとめました。

コラ半島を攻め落とす大前提は、まず補給路、そしてモスクワとの連携を断つこと。

それに向けてドイツとフィンランドは、相互補完しながら動いていくみたいですよ?



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第134話 冬の宮殿とかサンクトペテルブルグ名誉第一市民とかいうパワーワードの羅列は、ある種の暴力じゃなかろうか?

勢いが消えないうちに投稿っと。
今回、久しぶりに外交官(笑)が登場したりします。





 

 

 

 さて、来栖任三郎だ。

 なんか久しぶりな気がするのは、なんでだろうな?

 

 一応、所属は日本皇国外務省で、ドイツへ特命全権大使としてやって来た筈なんだが……紆余曲折があり過ぎるくらいあって、今じゃあ何故か”サンクトペテルブルグ復興・再建委員会全権代表”なんて不可解な役職を務めている。

 おかしいな? 俺、本業は外交官だった筈なんだが……解セヌ。

 

 ついでに言えば、”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”なる転生前の歴史ではありえない組織から、”バルト海特別平和勲章”なんてこれまた有り得ない勲章が授与され、ついでにドイツから貴族(名誉)称号のフォンが与えられた。

 いや、改めて振り返っていると、ホントどうしてこうなった?

 だが、取り敢えずは言っておきたい……

 

 ”俺はサンクトペテルブルグ総督(・・)じゃねえしっ!!”

 

 いや、マジに総督じゃないからな? 総督と呼ばれちゃいるが、それは正式名称が長すぎるってんで、略称として黙認してるだけだからな?

 サンクトペテルブルグ復興・再建委員会全権代表なんてクソ長い役職を一々人に呼ばせるほど、俺は傲慢にはできていない。 

 長いつながりで言うと、”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ”でもないぞ?

 というか、ドイツ語のその広報誌を見た時、誰の事かと思ったわ。

 

「”フォン・クルス総督”、どうやら情報共有すべきことができたようだ」

 

 入室するなり早速かまして(・・・・)くれやがるのは、NSR(国家保安情報部)からの出向組のヴァルタザール・シェレンベルクだ。

 なんつーか、すっごい腐れ縁になりそうな気がする奴なんだが、

 

「悪いニュースって訳ではないみたいだな?」

 

 悪いニュースなら、逆にこの人生を愉悦で満たそうとしてる様なコイツは楽しそうな顔をするからな。

 そういうところ、コイツの上司とそっくりだ。

 

「フィンランド軍が、”ヴィテグラ”を陥落させた。戦闘詳報は、後でシュタウフェンベルク辺りが持ってくるだろうが、先ずは第一報だ」

 

 さすが、軍情報部(アプヴェーア)ともよく連携してるNSR、情報の速さと精度は天下一品かもしれない。

 それにしても……

 

「なるほどな……」

 

 こいつは中々に由々しき事態だ。

 

 ”ヴィテグラ”

 オネガ湖南岸にある街で水上交通網の要所。

 この街を占拠するというのは、ただの拠点を陥落させたという意味にとどまらない。

 バルト海とヴォルガ川を結ぶ”ヴォルガ・バルト水路(マリインスク運河)”と、白海とバルト海を結ぶ大運河”白海・バルト海運河(スターリン運河)”を事実上、掌握したって意味だ。

 

 少しだけ解説すると、この時代のソ連は道路網や鉄道網の整備がまだまだ貧弱であり、相対的に水運の価値が高かった。

 特にオネガ湖とラドガ湖を連結する白海・バルト海運河はスターリン肝いりの大規模国土開発計画で、その重要度は極めて高い。

 ”スターリン運河”なんて名前を付けるのも、納得いくほどだ。

 

 

 

 実は、俺の知る歴史でドイツがレニングラードやムルマンスク、アルハンゲリスクなどの要所が落とせなかった理由の一つが、カレリアを中心に張り巡らされたソ連の水運輸送網を掌握できず、ソ連の膨大な物資の輸送を遮断できなかったからというのもあるのだ。

 

 逆に言えば戦略面からみれば、カレリアとラドガ湖、オネガ湖をフィンランド(とドイツ)に掌握されるのは、余りにもソ連にとり痛手だ。

 何しろサンクトペテルブルグが陥落した現状、スカンジナビア半島、何よりムルマンスクのあるコラ半島への陸路でのアクセスを完全に切られてしまうのだから。

 できれば地図を見て確認してほしいが、サンクトペテルブルグ→ラドガ湖東岸→オネガ湖西岸を敵国に掌握された以上、例えばモスクワからコラ半島やムルマンスクに陸路で増援を送るには北上し、ヤロスラブリ→ボロクダ→ヴィテグラを通り、最終的にオネガ湖北岸の要所メドヴェジエゴルスク(現カルフマギ)を経由して通る事実上の一本道だ。(実は、サンクトペテルブルグからのルートでもカルフマギは経由する)

 

 そして、それをソ連も熟知しているからこそ、史実ではヴィテグラは陥落させなかったのだが、

 

(確かに朗報だし、ムルマンスク攻略の難易度は下がるが……)

 

 ソ連の最も脅威となる輸送力は陸路と河川の水路だ。

 これにアメリカからの海路、レンドリースが加わると手が付けられなくなる。

 それを防ぐための、ムルマンスク攻略、そしておそらくは来年になるアルハンゲリスク攻略なのだが……

 

(だが、コラ半島が完全に孤立化する見通しとなると、ソ連も一か八かの賭けに出るかもしれんな)

 

 確かに、今のソ連は余力はないだろう。

 だがもし、ムルマンスクを見捨てる気が無いのなら、無理をしてでも反転攻勢をかけてくる可能性は否定できない。

 

「どうやら、戦争は”見えない”局面に入ってきたな……」

 

 まあ、不利なのは現状こちらではなくソ連というのが救いだが。

 

(だが、戦争ってのは最後に勝ってなきゃ意味が無い)

 

「シュペーア君」

 

 俺はたいていが同じ部屋で仕事している軍需省からの出向組であるアルフレート・シュペーア君に、

 

「シュタウフェンベルク君が来たら、今後の方針……アウトラインでも決めておこうか?」

 

 そして、俺の膝の上で体を摺り寄せながら書類を整理していたドラッヘン君の頭を一撫でし、

 

「アインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君、会議室の用意を。そして、今からいう資料と地図、それもなるべく大きく新しく詳細な物を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シェレンベルクの予想通り、軍参謀本部からの出向であるクラウザー・フォン・シュタウフェンベルクがあまり時間をおかずぬに俺の執務室にやって来た。

 最近、色々と区画整理やら破壊された建造物の修理などの目途が立った(優秀過ぎだぞトート機関)事もあり、軍は旧ロシア海軍省をそのまま接収してるそうだ。旧参謀本部を使わなかったのは、こっちの方が破壊度合いが低く、機能回復しやすかったかららしい。

 まあ、修復したら参謀本部の方へ移るかもしれない。

 

 ちなみに俺が新たな庁舎として今使っているのは、これまでの旧レニングラード市庁舎……ではなく、つい先日一部施設が使える程度まで補修の終わった”冬宮殿”

 

 いや、バカなのっ!? 本当にバッカジャネーノ!!

 

 革命前までロシア皇帝の冬の居城じゃん!!

 つか、独ソ戦(ちょっと)前までエルミタージュ美術館じゃん!

 なんで文化施設を政治施設に返り咲かせんだよ!?

 そりゃあ、被害は比較的軽微だったのかもしんないけどさ。

 無論、俺は猛然と抗議したが、

 

『それが、政治というものです。フォン・クルス総督』

 

 シェレンベルクはいけしゃあしゃあと言いやがった。

 要約すると、

 

 ・冬宮殿が美術館から政治中枢に返り咲くこと自体、レニングラードからサンクトペテルブルグに還元した象徴として、世界規模で民衆に印象付けられる

 ・そして、「現在のサンクトペテルブルグの最高統治者は誰か?」ということも同時に印象付けられてお得(ヲイ!)

 

 ということらしい。

 要するにこの上なくプロパガンダだ。

 当然、俺は「冬宮殿に居座る最高統治者が日本人とかおかしいやろっ!? ってか北部戦線、日本関係ないやろがいっ!!」と反論するが、

 

『日本人かどうかは問題ではありませんな。昨日の”バルト海条約機構(BVO)”の定例会議で、フォン・クルス、貴方への”サンクトペテルブルグ名誉第一市民”の称号が”バルト海特別平和勲章”に続いて授与される事が内定しております。無論、これは名誉称号ではありますがね』

 

 いや、それ初耳なんだがっ!?

 というか、”サンクトペテルブルグ名誉第一市民”ってなに?

 古代ローマの”第一人者(プリンケプス)”のパクりか? いや、確かにプリンケプスって名詞は、ゲルマンも微妙に関係あるけどさぁ。

 ん? もしかして、ローマか? ローマ繋がりなのか? 国家/民族的に。

 

『また現状、サンクトペテルブルグはドイツ並びにBVOの国際共同統治下にあり、国家ではないので日本皇国が禁じている二重国籍にも抵触いたしません』

 

 いや、それは”名目上は”って言葉が頭につくよね?

 確かに、書類上は「バルト海沿岸諸国の共同管理権を、一括してドイツに委任する」って形になってるけど、実質的にドイツの統治下やん。

 

『おま……それは詭弁と言うもんじゃないのか?』

 

 あるいは多国間政治詐欺。

 

『現状、目立った反論は無いようですよ?』

 

 いや、ここにあるじゃんよ!

 

『ちなみに俺の苦労や心労は?』

 

『当然、考えない物とします』

 

 その時のシェレンベルクは、実に清々しい笑顔だったと追記しておく……Sie ist ohne Ehre(チキショーめ)!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サブタイは、来栖の心情ですw

最後のキメ台詞(?)は、「und betrogen worden(おっぱいプルンプル~ン)!」とどっちにしようか最後まで悩みましたw

来栖の内心的にはおっぱい(意訳:騙された!)の方が近いんですが、音感的に合ってるのでチキショーめの方にしました。
ドイツをネタにするなら、一度は「総統閣下シリーズ」ネタをやらねば(使命感

そして、来栖……前半は真面目だったんだけどねぇ。
久しぶりの登場なのに、再登場で益々こう……外堀を埋められている不思議。

ご感想、お気に入り登録、評価などして頂けたら嬉しいです。



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第135話 リガ・ミリティアは思ったよりもトンデモな組織に成長したようですよ?

来栖、取り敢えずムルマンスク方面を確認するって感じですが……一応、真面目には仕事してるんですよ?
ただ、どう考えても外交官の仕事じゃねーなってだけで。






 

 

 

「取り敢えず、現状を把握しようか?」

 

 大変、不本意ながらサンクトペテルブルグ”冬宮殿”の一室、会議室として利用してるおそらくは応接室の一つで、俺は側近扱いの三人、NSRのシェレンベルクに軍需省のシュペーア君、軍参謀本部のシュタウフェンベルク君と円卓を囲む。

 

 従兵の少年たちに用意させた資料のうち、「サンクトペテルブルグからラドガ湖、オネガ湖の周辺の地図」を卓上に広げ、

 

「先ず、スカンジナビア半島・コラ半島方面だ……」

 

 ”ペツァモ”に拠点を置く山岳師団が、陽動をかねた圧力をかけてる間に、集結したケミよりキーロフ鉄道を使い効率的に北上するドイツ軍北進軍団と、サッラ→カイラリ→ニャモゼロの東進ルートを打通したフィンランド軍が、キーロフ鉄道の要所”カンダラクシャ”の南で合流に成功する。

 

 ドイツのヴィクトール・フォン・レープ元帥率いる北方軍団は、8万。

 ヤンマーニ・シーラスヴオ中将率いるフィンランド軍は2万。

 総兵力10万……史実のムルマンスク攻略の数倍の規模に、この時点で達していた。

 これはあくまで地上兵力だけで、これに空軍のエアカバーが加わった結果、赤軍のカンダラクシャ守備隊は、ドイツ・フィンランド連合軍の強引なまでの強襲作戦により物理的に瓦解した。

 鎧袖一触と言うのは、まさにこのような戦いを言うのだろう。

 

 包囲戦を想定していた守備側のソ連軍に対し、独芬の攻撃は半ば虚をつく奇襲となったのだ。

 政治将校が撤退を許可しなかったせいもあり、民間人の強制徴用で3万まで膨らませた守備隊は、確認できてるだけで6割以上が戦死する結果となったようだ。

 

(実際は、もっと多いかもしれんな……)

 

 現在、独芬は制圧したカンダラクシャを拠点として整備し、ムルマンスク攻略の為の再編を行っている。

 カンダラクシャとムルマンスクの距離は277㎞、目と鼻の先とは言わないが、遠いとは言えない距離だ。

 おそらくカンダラクシャより先のキーロフ鉄道はかなり壊されているだろうが、まともな工兵隊がいれば修理は可能だろう。

 いや、例え修理できなくとも道路自体はある。

 あれで、ドイツとフィンランドの工兵隊はしっかり重機も備えて優秀だ。

 それにソ連はおそらく

 

(カンダラクシャの防衛に失敗した以上、あまり妨害工作や遅延工作する余力はないんじゃないか?)

 

 主に物理的な限界で。

 

 

 

「コラ半島方面の作戦で、サンクトペテルブルグとしてできる事はさほど多くはない。計画通りの兵器生産と食料生産、サンクトペテルブルグ担当領域の鉄道や水路の治安維持と保全。これに関しては、対象は正規軍ではなくゲリコマだからな……一応、”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”の得意分野ではあるんだが、NSRにも面倒をかける」

 

 何やら、俺の私兵という扱いになっている(あるいは認識されている)”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”なんだが、ありがたいことに応募人員が未だに多く、今は規模が正規1個師団に相当している。

 ただ、ドイツの正規軍と編成は大分毛色が違っていて、部門は大雑把に五つ

 

 ・装備実験部隊

 ・土木・工兵部隊

 ・資材・食糧管理部隊

 ・衛生・医療部隊

 ・警備部隊

 

 になる。

 装備実験部門は、一番新しい部門で主に「サンクトペテルブルグで製造される、ソ連由来の兵器」を実験する部隊だな。

 人員は、主にバルト三国と投降した元赤軍の素行と思想に問題ない選抜軍人だ。

 サンクトペテルブルグの製造設備から考えれば、少なくとも数年は旧ソ連軍装備を原型とした兵器になっちまう。

 なので実際にそれが戦場で使い物になるか? あるいはソ連のそれに比べてどうなのか?を判断する部隊だ。

 要するに、実際に使ってた連中に確かめてもらうのが一番だって発想だ。

 

 土木・工兵部門はまんまそれ。

 重機の扱いになれた連中の集まりで、優秀な連中には土木工事の変態技能集団トート機関に研修にいってもらっている。

 井戸掘りから浄水場や焼却場の設営、橋や線路の修理・修繕まで何でもござれ。

 ある意味、一番自衛隊臭がする部隊だし、とにかく戦地復興の需要が大きく、一番大規模だ。

 

 資材・食糧部門は、食料を中心とした非軍事物資、民需物資(生活物資)の在庫管理を主にやってもらってる。

 とにかく、戦地の正常化ってのは物資を大喰するから、その管理も大変だ。

 あと炊き出しや、統制されてる物資の配給なんかもこの部門にやってもらってる。

 

 衛生・医療部門は、言うまでもなくお医者さんと衛生管理者の部隊だ。

 野戦病院は軍の施設だし、サンクトペテルブルグにも軍病院はあるが、当然のように優先権があるのは軍人だ。

 だが、戦地ってのは衣食住だけでなく医療、そして公衆衛生面……特に死体処理が壊滅してることが大半だ。

 病院の復興や再建だけじゃ時間がかかるから、野戦病院もどきの医療テント村を設営、それを怠れば平時でなんてこてはない状態でも人は死ぬ。

 衛生面の悪化、特に放置された腐乱死体なんざ、すぐに伝染病の温床になっちまう。

 医療体制が半壊してるところに伝染病が蔓延すればどうなるかは、想像がつくだろ?

 

 あと、警備部門。

 まあ、ほらバルト三国を陥落させた時って、赤色スパイやら破壊工作員やらが随分と暴れ回っただろ?

 だからな、有志を集めて”不正規戦・非対称戦”の専門部隊を立ち上げたって訳。

 幸いと言うべきか、ここは一番前世の俺の経験が生きた。

 まあ、何というか……前世では、民間軍事企業やら対テロ特殊部隊と、それなりに面識はあったからな。

 俺自身は別に凄腕スィーパーって訳じゃないが、それなりにノウハウはあった。

 

 実は、リガ・ミリティアの警備部門とシェレンベルク(いや、正確にはハイドリヒのか?)のNSRとの対テロ技術・情報交流が始まっていて、もうすぐNSRにも前世のGSG9じみた非対称戦対応の特殊部隊が生まれそうだ。

 

「いえいえ。持ちつ持たれつじゃないですか」

 

 そう笑うシェレンベルク。

 実際、サンクトペテルブルグ管理下の外に出れば、俺にもリガ・ミリティアにもどうにもできない。

 それこそ、鉄道の防備はNSRやシュタウフェンベルク君の軍の管轄だ。

 

「後はローテーションで戻ってくる将兵の疲労を抜くアメニティ、十分な食料と娯楽の確保だな」

 

 疲弊した兵と言うのは、古今問わず弱体化する。

 肉体面だけでなく、精神面の士気の低下は、恐ろしく勝敗や作戦の成否に影響するのだ。

 だが、それを回復する手段もやはり太古から問題とされているだけあり確立されており、基本的には”飲む、食う、打つ、抱く”だ。

 美味い酒を飲み、たらふく食事をし、博打を打ち、女を抱く……伝統的な命の洗濯だ。

 

 幸い、サンクトペテルブルグの「後方拠点としてのその手の機能」は、優先的に行っている。

 

「輸送作戦自体は流石に担当できないが……前線に必要な物を作り、あるいはさらに後方から物資を集積し軍の輸送部隊に渡す。後は静養に戻ってきた将兵に前戦に戻るまでに十分な静養をさせる……まあ、こんなところか?」

 

 傷病軍人の世話は、軍病院の管轄だし、実際埋葬まで含めてそうだろう。

 まあ、軍の施設がキャパオーバーしたらこっちにもお鉢が回ってくるだろうが、今のところパンクするほど死傷者が出てないのが幸いだ。

 

「あの、僭越ながらフォン・クルス総督、軍はそれ以上もそれ以外も後方、それも都市に求めません。むしろ、そこまで手厚いフォローを受けれる方が珍しく」

 

 なんか戸惑うシュタウフェンベルク君だが、

 

「? サンクトペテルブルグは元々帝都の巨大要塞都市だぞ? 物資の製造拠点にして集積拠点であり中継拠点、そして前線から戻ってくる将兵の休養施設……紛いなりにも大都市型後方拠点がこれぐらいできんでどうするよ」

 

 いや、そもそもそういう目的があったから、優先順序つけて機能回復させていったんだ。

 限りあるリソースと時間は、可能な限り有効に使わねば、勝てる戦も勝てんぞ?

 

 前世の枢軸国は、それで負けたってのもあるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




しばらくぶりに名前が出てきた”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”ですが……うん。確かに名実共に来栖の私兵集団である気はしますが、それだけではない別の何かになってる気が。

まあ、少なからず戦災復興と後方支援は得意そうです。
その性質だけで、来栖のこれまでやってきた、あるいはやらされてきたの足跡がわかるというw

正規軍の尻拭いや事後処理(バックアップ)をできる組織を0から立ち上げた男が、戦時中に帰国できる訳は無いんだよなー。


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第136話 バルバロッサ作戦の人事から、今後の展開を予想してみる……要するに、いつもの”アレ”である

来栖の脳汁が滲み出るw






 

 

 

「さて、問題はカレリア……特にオネガ湖の南岸から東岸の守りだな」

 

 ”ヴィテグラ”を陥落させたスオミ人は今頃、カンテレでも弾きながらサッキヤルヴェン・ポルカ( Säkkijärven polkka)でも歌ってるかもしれんが……

 

「その前にシェレンベルク、シュペーア君、シュタウフェンベルク君、今から聞くことは確認であり、答えられないようなら答えなくてもいい」

 

 俺はそう前置きしてから、

 

「大雑把に言って、中央軍集団は白ロシア(ベラルーシ)のミンスクに本部を置き、現在はトート機関を投入してスモレンスクを巨大要塞化工事中。来年度、というよりは当面はモスクワ攻略の予定はなく防衛に専念しつつ戦線維持。南方軍集団はウクライナ・ロシア本国の国境線を維持しつつ、42年度は黒海の制海権確保と、東岸の要所……ロストフ・ ナ・ドヌーとクラスノダールをなるべくに制圧、ノヴォロシースク、ソチも占領下におきコーカサスの石油地帯獲得を視野に入れる……でいいかな?」

 

 順当にいけば中央で押さえて、南部を削るって路線だろうな。

 

「なぜ、それを……?」

 

 いやシュタウフェンベルク君、なぜって……そりゃあ、

 

「トート機関の動きと外交情報やら何やらをあわせれば、それぐらい想像つくって」

 

 

 

***

 

 

 

 例えばフランスのメルセルケビール艦隊をスクラップ扱いで黒海に入れようとしてたりしてるんだから、そりゃあね。

 一応、これでも日本皇国の外交官よ?

 いや、外交官の仕事してないけど、外交チャンネルくらいあるし、吉田先輩からだって情報くらいは入ってくるさ。

 

「あと、人事も参考になる。中央軍集団のスモレンスク方面軍司令官にゴッドハルト・ハインリツィ中将が就任、南方軍集団の参謀長に新たにウェルザー・モーデル大将が就任したんだって?」

 

 前世の記憶が正しいなら、「守備の名手」のハインリツィ(確か史実ではロンメル同様に自殺に追い込まれたんだよなぁ……)に、かの有名な「ヒトラーの火消し役」モーデルだ。

 これから読み解けるのは、中央で防備を固め、南方で慎重に侵攻作戦を行うということだな。

 

 

 

 せっかくの機会、ちょっと現在のバルバロッサ作戦、各方面軍の人事を軽くまとめてみようか?

 

・中央軍集団

 総司令官:ヘルムート・ホト上級大将(近々、元帥に昇進。ミンスクの中央軍集団司令部)

 方面軍参謀長:フランク・ハルダー大将(史実では38年のヒトラー暗殺計画の一員)

 スモレンスク要塞司令官:ゴッドハルト・ハインリツィ中将(守備の名手) →New

 

・南方軍集団

 総司令官:フェードラ・フォン・ボック元帥

 方面軍参謀長:ウェルザー・モーデル大将(ヒトラーの火消し役) →New

 装甲司令官:エーデルハルト・フォン・クライスト上級大将(パンツァー・クライスト)

 ※あとマキシミリアン・ビットマン中尉(戦車戦のウルトラエース)もこの部隊

 

・北方軍集団

 総司令官:ヴィクトール・フォン・レープ元帥

 増強装甲指揮官:エドヴィン・ロンメル大将(ムルマンスク攻略増援)

 山岳師団長:エアハルト・ディートル大将(ムルマンスク攻略支援)

 ※フィンランド軍:ヤンマーニ・シーラスヴオ中将

 

 ついでに

 ・バルバロッサ作戦参謀長:エルンスト・マンシュタイン大将

 ・バルバロッサ作戦統括部長:アルフレッド・ヨードル大将

 ・バルバロッサ作戦情統括官:ランハルト・ゲーレン少将

 

 とりあえず、こんな感じか?

 勿論、他にも有能な綺羅星軍人はいるが、まあそいつはおいおいに。

 

「総統閣下の言葉を借りるなら、必要なのはドイツ民族の安寧な生存圏”レーヴェンスラウム”の確立だろ? 別にモスクワを陥落させたり、ロシア人を皆殺しにする事が戦争目的じゃない。逆に黒海の制海権や石油資源の確保はレーヴェンスラウム形成に直結する」

 

 絶滅戦争なんてやるんじゃなければ、別に今の時点でスターリンの首を取ったり、モスクワを攻め落とす意味はない。

 むしろ、敵の首魁がスターリン(サイコパス)のクソ野郎なら行動は読みやすいし、敵の首脳陣はモスクワにまとまってくれていた方が何かと都合がいい。

 

「だから、今は”モスクワをいつでも攻略できる”ような姿勢を見せて、プレッシャーを与えておくだけで十分なんだよ。スモレンスクを攻勢拠点のように見せつけていれば、ソ連は必然的にモスクワ防衛の為に大兵力を貼り付けとかざるおえない」

 

 レーヴェンスラウム確立に関してだけ言えば、スターリンやモスクワの優先度は低いのだ。

 むしろ、生存圏確立のため、ソ連の他の領土を削るとるためモスクワに大兵力を粘着させる必要がある。

 

「そもそも、レーヴェンスラウムの確立が目的なら、極端な短期戦は逆にドイツにとり都合が悪いのさ。”バルバロッサ作戦”の意義は、ロシア人の支配地を削り取るだけじゃない。新領土開発って側面も同時に進めねばならんのよ」

 

 何せ、新たに得た占領地をレーヴェンスラウムとして”意味のある土地=ドイツの利益になる土地”にしなければ、この戦争その物が無意味になりかねない。当然、その下準備には時間がかかるし、戦争しながらなら猶更だ。

 戦争ってのは、そもそもが本質的においては不採算の赤字国家事業だ。

 消耗ばかりで生産性がない。

 だから、「今は不採算でも将来的な黒字を見越して巨額の軍事費を投資」するのが正しい。

 ドイツにとっての黒字は当然、レーヴェンスラウムの確立。

 最終的には、

 

(おそらく、西欧州のマルク経済圏の設立……)

 

 何のことはない。ユーロではなくマルクが幅を利かせる、そしてドイツの意向に従順な巨大経済圏を作りたいってところだろう。

 おそらく、マルクの国際基軸通貨(ハードカレンシー)化も視野に入れているだろう。

 

「シェレンベルク、どうせNSRも国防軍情報部も”ドイツは戦争早期終結のため、隙あらばモスクワを狙っている”と思わせるような情報を、赤軍に握らせてるんだろ?」

 

 答えは無かった、そのアルカイック・スマイルが回答を物語っていた。

 ロシア人が思うほど、ドイツはモスクワやスターリンを重要視してないし、執着もしてはいないのだ。

 だが、それを悟られてはならない。ドイツ人は、モスクワ攻略にイキッているように思わせねばならない。

 

「偽装モスクワ攻略の作戦名は、”タイフーン作戦(Unternehmen Taifun)”あたりか?」

 

「……よくご存じで」

 

「当てずっぽうに言っただけだ。特に根拠はない」

 

 前世の歴史で同じ作戦名でモスクワを攻め、失敗し、致命的な敗北を喫した。

 今生のドイツは、同じ轍は踏むまい。

 

(おそらく、ハイドリヒは転生者だろう。もしかすると、ヒトラーも)

 

 あの感じ、多分間違ってはいないと思う。

 

(なら、北方戦線の重要性を理解してるはずなんだが)

 

 北方……ムルマンスクとアルハンゲリスクの攻略成否は、レーヴェンスラウムにモロに影響が出るのだ。

 

(確かめてみるか……)

 

「北方軍集団は、ムルマンスク攻略が成功したら、アルハンゲリスク攻略は既定路線として……それをどうサポートするか、だな」

 

 俺は地図と睨めっこしながら呟くとシェレンベルクは、

 

「いやにアルハンゲリスク攻略を断言しますね?」

 

「北方軍集団担当地区で、アメリカのレンドリース船団を受け入れられるのは、ムルマンスクとアルハンゲリスクしかないからな。他の港じゃ規模が小さいか、内陸までの水路や陸路が貧弱かで持て余すぞ。相手の嫌がることをやるのが戦争だろ? なら、当然狙うだろう。まあ、アルハンゲリスクは不凍港じゃないから……42年の春季攻勢、どんなに遅くても夏季攻勢か?」

 

 俺はジッとシェレンベルクを見て、

 

「なあ、シェレンベルク……総統閣下は北方軍集団、いや北方戦線をどの程度、重要視しているんだ?」

 

 

 

***

 

 

 

「……どういう意味で?」

 

 そうシェレンベルクは怪訝な表情で返してくる。

 まあ、確かにこれじゃあ要領は得ないだろう。

 

「いや、ムルマンスク攻略に本腰を入れてるのはわかる。今後に控えたアルハンゲリスクの攻略、それの下準備となるであろう戦いに投入できる戦力を出し渋る可能性はあるかってことだな。具体的に言うなら二線級の戦線/戦域として扱うかどうかだ」

 

 アルハンゲリスク攻略は、おそらくドイツが主戦力になるだろうが……もし、北方戦線を主戦域として考えていない、史実のように寡兵で落とせ、カレリアをフィンランド軍だけで守れってんなら、正直、取れる戦略の選択肢はかなり狭くなる。

 実際、海流の関係で不凍港のムルマンスクと比較するなら、年によっては1年の半分が氷に閉ざされるアルハンゲリスクの戦略的価値はやや低い。

 

「それには心配及びません。具体的な事は省かせていただきますがね、総統閣下も最高司令部(OKW)も作戦総参謀長のマンシュタイン閣下も、北方戦線を軽んじる様な真似は決していたしません」

 

 シェレンベルクはそう断言すると、

 

「ドイツに、何よりモスクワに最も近い(・・・・・・・・・)”アメリカのレンドリース品受け入れ港”を放置する意味を、上層部はきちんと認識していますよ。総督、ある意味においてはそのために、バルバロッサ作戦に必要な全戦力を抽出するために、我々はアフリカからもイタリアからも手を引き、貴方の生まれ故郷と英国と停戦したんです。北方戦線も”充足させるべき戦場”に間違いありません」

 

「結構」

 

 そこまで断言するなら信じてみようじゃないか。

 これで史実のように、中央やらアフリカやらに戦力の引き抜きにでもあったら目も当てられないが、どうやら今生ではドイツは先にあげた”戦争の意味と意義”を認識し続けてるようだ。

 

「だとすれば、アルハンゲリスク攻略の前に是非とも攻め落としておきたい場所があるな。できれば、可能な限り早急に」

 

「どこでしょうか?」

 

「わかっているだろうに」

 

 俺は地図の上にあるヴィテグラに一度指を置いてから、

 

「スオミ人が陥落させたヴィテグラより南方322km……」

 

 下へ真っ直ぐ降ろす。

 モスクワからオネガ湖方面とアルハンゲリスク方面へ向かう分岐点にして街道の要所、オネガ湖に繋がる”ヴォルガ・バルト水路(マリインスク運河)”の要所でもある、

 

「クベンスコエ湖畔の街、”ヴォログダ”さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖、エンジンがかかり始めましたw
ちょっとトランス状態に入りかけてる気もしますが……容赦も遠慮も躊躇もなく皇国への帰国フラグを圧し折ってゆくスタイルです。

きっと、来栖の趣味は地雷原でタップダンスを踊ることに違いない(確信

とりあえず、バルバロッサ作戦の現状の目立った(ほとんど作中に登場した)人事です。
とりあえず、ロシア人が嫌がりそうな配置(笑)にしてみましたが、どうでしょうか?


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第137話 経○秘孔って経穴、要するにツボの事だよね? 人にもあるのなら国にあっても別におかしくはないという話

突いたり押したり刺激したらダメなツボってのは、急所だという話です。
いよいよ、脳内物質を燃料にエンジンが温まってきたかな?






 

 

 

「クベンスコエ湖畔の街、”ヴォログダ”。それをアルハンゲリスク攻略前に落としておきたいとこだな」

 

 来栖だ。

 突然だが、戦争ってのは相手が嫌がることをやり切った方が勝つのが鉄板だと思っている。

 

 ”ヴォログダ”は、陥落成功の報告を受けたオネガ湖南岸の街ヴィテグラより南方322km、首都モスクワの北500㎞にある街だ。

 だが、この街が重要なのは二重の意味での交通の要衝ってことだ。

 

 一つは水路。

 ヴォログダはクベンスコエ湖の南岸にある街で、クベンスコエ湖は”ヴォルガ・バルト水路(マリインスク運河)”の要所だ。

 簡単に言えば、マリインスク運河(この時代は、こっちの呼び方が主流)の始点とされるシェクスナ川とヴァルガ川の合流点であるチェレポヴェツや同じく運河の要所であるベロガ湖と水路で繋がっているのだ。

 ちなみにシェクスナ川とヴァルガ川の合流点は、200の村を水没して作られたこの時代、世界最大の人工湖”ルイビンスク人造湖”がある。

 だが、このルイビンスク人造湖、35年に着工され、つい先日に湛水(たんすい)(人造湖への水入れ)が始まったばかりだ。

 故にまだ十全な状態ではない。無論、上記にあげた湖は河川(水路)で繋がり、オネガ湖へと流れつく。

 

 だが、ことアルハンゲリスク攻略に関しては、ヴォログダの立地の方が重要だ。

 ヴォログダはロシアの街道、陸上交通の要所でモスクワ→ヤロスラブリと北上した街道が、ヴォロクダで北西と北東に分岐し、北西の街道はオネガ湖東岸を通り、最終的にムルマンスクへ繋がる。

 しかし、この道はヴィテグラをスオミ人が押さえた以上、ロシア人は使えない。

 問題は北東の街道で、そのまま北上するとベレズニクという町の周辺で北ドヴィナ川に沿うように進み、最終的にアルハンゲリスクに辿り着くのだ。

 実はこれだけではなくムルマンスク、アルハンゲリスクに繋がる街道に比べれば細いが、ほぼ真西に前述のチェレポヴェツ、つまりはルイビンスク人造湖へと伸びる道があり、それだけでこのヴォロクダの重要度がわかるだろう。

 

 

 

 だが、俺の前世の第二次世界大戦には、不自然なほどこの街の名が出てこない。

 ヴィテグラはこの時代、寒村と呼んでもおかしくない人口しかなかったが、比較的規模の大きいヴォログダも、どうやら史実では攻略対象から外されていたようだ。

 しかし、これもまた妙な話なのだ。

 ヴォログダはムルマンスク・アルハンゲリスク双方に物資や兵員を送る要所であり、またムルマンスクやアルハンゲリスクに荷下ろしされたレンドリース品の集積地にもなり得る。

 

 その答えは、元の世界の戦史を読めばわかる。

 前世のドイツは、中央軍集団によるモスクワ陥落を容認し、他の方面から消耗した人員を引き抜くことはしても、他の方面軍と共同戦線を張るような事は、あまりさせてない。

 元々、北方戦線は二線級扱いで、レニングラード、ムルマンスク、アルハンゲリスクその全てを陥落させられなかった為に、戦力としてアテ(・・)にされてなかったともとれる。

 だが、これらに関しては元々目標を攻略するには最初から戦力、兵力も火力も少な過ぎた。また、事前調査も満足にされていない(ムルマンスクなどが好例)など、準備段階から何もかも甘い見積もりだった指導部の責任だ。

 そして、敗北重ねて評価の下がった北方軍集団から、中央やアフリカに増援として引き抜かれ、益々やせ細る悪循環だ。

 

 故に北方軍集団がラドガ湖やオネガ湖方面から南下し、モスクワを狙うということは考えられなかったのだろう。

 加えて、ドイツ人はスラブ人だけでなく、本質的にはスオミ人も信じていなかった。

 フィンランドに問題が無かったとは言わない。

 だが、相互信頼関係を築く努力を両者がしていれば、少なくとも拗らせたあげく同士討ちじみた”ラップランド戦争”は避けられたはずだ。

 

 

 

***

 

 

 

 しかし、今生は前世と状況が異なる。

 少なくとも、ドイツはフィンランドを同盟国として扱っている。

 その結果、カンダラクシャが陥落し、ラドガ湖・オネガ湖の陸路/水路での輸送網が寸断された。

 そしてムルマンスク攻略に王手がかかっているのだが……

 

「正直言えば、ムルマンスクの攻略自体はさほど心配していないんだ。既に焼きあがりを待つアップルパイだ。問題となるのは、時間だけだろうしな」

 

「時間……ですか?」

 

 シュタウフェンベルク君、頭の回転の早い君らしくないな?

 

「アメリカのレンドリース品を満載した船団が辿り着く前に、ムルマンスクの都市部に殴り込み、港湾施設を破壊ないし使用不可能にできるかどうかだよ。まあ、港は機雷封鎖でどうにでもなるだろうし、レーダー元帥のことだ、もうそのあたりはやってるだろう」

 

 史実のアメリカのレンドリース、英国に流した分までソ連に来るとなると、空恐ろしい事になること請け合いだ。

 

「あと、ドイツの主力艦隊、動ける状態にあるのはもうノルウェーの……ムルマンスクから適度な距離を考えるとポルザンゲル・フィヨルドあたりで待機してるんじゃないか? あそこの気候ならまだ海は凍ってないし」

 

 ポルサンゲン・フィヨルドはノルウェーで4番目に長く大きなフィヨルドで、あのあたりは沖を流れるメキシコ湾流の影響で冬はそれほど厳しくなく、-15℃を下回ることは滅多にない……ぶっちゃけ北海道より冬は暖かいくらいだ。

 フィヨルドに籠ればバレンツ海の強風も防げるし、隠蔽にもなる。

 短期に身を潜めるなら、120㎞超の長さと適度な幅のあるあのフィヨルドは最適だろう。

 前世の歴史と違って、ドイツはノルウェーに侵攻せずに友好的な関係を築いている以上、そのあたりは融通が聞くだろう。

 それに場所は違うが、ノルウェーのフィヨルドに軍艦を隠すのはドイツの十八番だ。

 

「北上する10万の陸軍に、フィンランド方面からの空爆、天候によりけりだが北からは軍艦が押し寄せる。ムルマンスクはソ連北方艦隊の司令部があるが、所属してる軍艦は精々駆逐艦だ」

 

 ソ連の保有するまともに使える軍艦の多くは、既にタリン沖で漁礁に変わり果てている。

 正直、潜水艦だけでも何とかなりそうだが、戦艦の主砲による絨毯艦砲射撃は、物理的なダメージよりも心理的なダメージが大きい場合がある。

 

(既に凍り始めているアルハンゲリスクへの退避はないと思うが……)

 

 そうなったらなったで、”座ったアヒル(Sitting Duck)”なんだが。

 それは、レンドリース船団も同じだ。ムルマンスクに入港できなければ、アルハンゲリスクに行くのが普通だが、まだアメリカから出航した情報は無い。ならば、辿り着くころにはアルハンゲリスクは完全に凍結してるだろうし、この時期のアメリカの輸送船に満足な砕氷機能は無い。

 ロシア人は持ってるかもしれないが、ノコノコ出てくればこっち(ドイツ)の標的だろう。

 砕氷船が氷割ってる最中なんて極めてどん臭く、こっちも”座ったアヒル”みたいなもんだ。

 

「だが、アルハンゲリスク方面への陸路がガラ空きというのが、どうにも気に入らない」

 

 水源地が遠い北ドヴィナ川ならともかく、陸路は不可能でない以上は遮断しておきたい。

 

「やはり、元栓から締めないと水漏れは止まらないからな。シュタウフェンベルク君、まさかオプション・プランくらいはあるんだろ?」

 

 いや、まさかあるよな?

 ヴォログダを押さえれば、モスクワからムルマンスクやアルハンゲリスクに攻めあがる水路も陸路も遮断できるし、万が一、レンドリースが陸揚げされても最低でも陸路では遮断できるんだぞ。

 水路もオネガ湖は押さえてるからマリインスク運河は使えず、アルハンゲリスクに荷卸ししたら前述の北ドヴィナ川を遡る水運は使えるだろうが、陸揚げできるポイントが、モスクワから大分離れる。

 おそらく上流で一番近い大都市はキーロフだ。

 

 

「おまけに工事を終えたばかりのルイビンスク人造湖まで抑えられるんだぞ?」

 

 まだ本格稼働してないとはいえ、あれを押さえる意義は大きい。

 なんたって、上手くすればソ連って国を日干しにできるかもしれん。

 

「えっと、それは……」

 

 もしかして、無い……のか?

 

「総督閣下、そこまで考えが及んでいるのなら、いっそ草案を作ってみてはいかがですか?」

 

「シェレンベルク、俺は本職の軍人じゃないんだ。現状のドイツ軍の状態やフィンランド軍の状態は手元にある資料しかわからん。穴だらけの計画になるのは目に見えてる」

 

「本計画ではなく、アイデアノートや企画案程度で良いんですよ。それができればシュタウフェンベルクの上官、サンクトペテルブルグ駐留部隊司令官、リスト元帥あたりから提出してもらえれば良いんです」

 

 そして、シェレンベルクはシュタウフェンベルク君をちらりと見て、

 

「面倒な根回しは、小官とシュタウフェンベルクがやっておきますので、例え穴だらけの計画だろうと見るべき物があれば、参謀本部(マンシュタイン)作戦部(ヨードル)辺りが勝手に穴埋めしてくれます」

 

 ムムム……

 

「越権行為、横紙破りだと思うんだが?」

 

「それこそ今更です」

 

 シェレンベルクはそう苦笑すると、

 

「フォン・クルス総督、貴方の持ってる権威も権力も発言力も、貴方が思っているより余程大きいのですよ?」

 

 げっ……薄々おかしい、そうじゃないかと思っていたんだが、

 

「……とりあえず、草案を作るのは吝かじゃない。ドイツが赤色勢力に蹂躙されるのは、日本としても都合が悪いしな」

 

 むしろ、ドイツが蹂躙した方が何かと都合がいいまである。

 ソ連の弱体化は、日本としても望むところだ。

 

「とりあえず、今回の会議でまずアイデア出しだけでもやってみるか」

 

 

 俺は頭を切り替え、思考を沈降させる準備に入る。

 

「先ずはカレリア、ラドガ湖、オネガ湖に展開するフィンランド軍の底上げをするプランでも考えてみようと思うが、どうだろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖は別におかしなことを言ってません(断言
ただ、サンクトペテルブルグ総督が言うことでも、考える事でもないというだけでw


そして、それを無駄遣いせずに有効利用しようとするシェレンベルクは時代に先駆けたエコ思想を持っていそう。
ちなみにこの根回しを兼ねた報告は、シュタウフェンベルク君の上司だけでなく、当然シェレンベルクの上司とその無二の親友まで届きます。

やったね来栖!
故郷(帰郷)との距離がまた伸びそうだw

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第138話 アメリカ良い国強い国! だから、レンドリースをクリスマス(政治)・イベントにしても問題ないよね? だってプレゼントするんだし♪

アメリカは何処まで行ってもアメリカだということ。




 

 

 

 アメリカよ、あめりかよ

 建国の理想はとうに失われ

 ”大きな森の小さな家”は、森林が伐採され、小さな家は摩天楼へ成り果てた

 

 子供たちの笑い声は、今は目をぎらつかせた大人の怒号に置換された

 

 資本主義の氾濫は、貧富の格差を更に拡大させ

 貧困層が恨みを込めた目で富裕層を睨むとき

 それは格好の共産主義者の付け入る隙となった

 

 そもそも、土壌はあったのだ

 誤解してはならない

 アメリカの建国とは、「英国からの独立」と同義であり

 王家・王族の否定だったのだ

 つまり、アメリカの独立もフランス革命もその本質は

 ロシア革命と同じ”左派運動”なのだ

 

 誤解してはならない

 ロックの唱えたアメリカ独立の理念は、

 

 「全ての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」

 

 どこかで聞いたことはないだろうか?

 共産主義には自由も神もないが、平等だけはある

 

 1928年第一次世界大戦の終結から10年で世界恐慌を迎え、街に失業者が溢れた。

 建国の理念は形骸化し、貧富の格差の拡大により平等は失われ、自由はあっても治安の悪化で生命も幸福も神でさえ保障できなくなった

 

 そこに放り込まれた貧富の差を是正し”真の公平と平等”を謳う共産主義は、実に甘美な毒だった事だろう

 神が成し遂げないなら、神を否定し、人間の手で成し遂げるというのもアメリカンの気質には合っていた

 

 そもそも、彼らは「神に選ばれ、祝福された王族」を否定しているのだ

 だから、”赤色の大感染と蔓延(レッド・パンデミック)”が広がったのだ

 そして、マスゴミを皮切りに次々に浸透され、ついには国家の根幹まで汚染され赤く染まった

 

 冷戦時代の、あるいは冷戦終結後の、あるいは現在のアメリカしか知らない親愛なる諸兄には実感わかないだろうが……

 つまるところ、これが我々の世界でもこの世界線でも”1930~1950年のアメリカ”なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時節は、ムルマンスク侵攻作戦が本格化する少し前……

 

ワシントンDC、ホワイトハウス、大統領執務室

 

 

 

「つまり、”12月25日(クリスマス)の朝までにレンドリースをソヴィエトに届ける”のは不可能ということだな?」

 

 ”フランシス・テオドール・ルーズベルト”が不機嫌な様子で確認すると、

 

「イエス、プレジデント。不確定要素が多すぎますし、それを行おうとすると余りにもタイムスケジュールがタイト、かつシビアになってしまいます」

 

 ルーズベルトは本来、「メリークリスマス、愛すべき国民の皆様に素晴らしいクリスマスプレゼントを報告できます」とやりたかったのだ。

 だが、その目論見は頓挫してしまった。

 

 本来ならば、余裕のあるスケジュールで、レンドリースは送り出せる筈だったのだ。

 しかし、

 

「タフトにヴァンデンバーグ、共和党のクソ野郎どもめっ!!」

 

 ルーズベルトが言ってるのは共和党の旧保守派の首魁、”ロジャー・タフト”に孤立(モンロー)主義の急先鋒”アンドリュー・ヴァーデンバーグ”のことである。

 

 さて、ここで皆様に告げなければならないことがある。

 史実の1940年のアメリカ大統領選挙戦は、史実と大幅に異なる。

 民主党から寝返り、共和党の大統領として出馬しながら選挙戦の途中で民主党大統領候補のルーズベルトに迎合した”ウィルキー”が出馬しなかった、いや、できなかったのだ。

 理由は単純で共和党が寝返り者の「ウィルキーを受け入れなかった」のだ。

 

 そもそもこの時代の共和党は、我々の歴史でもこの世界線でもモンロー主義イチオシなのだ。

 だが、史実のウィルキーはニューディール政策を批判するばかりでなく、政権のヨーロッパでの戦争に対する中立政策や、軍事的な備えを欠いていることを非難し、ドイツに対する強硬姿勢及び”イギリスに対する(・・・・・・・・)広範な支援”、徴兵制を主張した。

 というより史実のルーズベルトは、この時は孤立主義を推していた。

 だから、ウィルキーは民主党から共和党に鞍替えし、共和党から大統領選に出馬。しかし、ルーズベルトが(主にチャイナロビーの活動で)参戦上等の強硬路線に変更した為に迎合したという経緯がある。

 まあ、ウィルキーが共和党の大統領候補に選ばれた経緯に関しては、実はかなり不透明な部分が見え隠れしている(寝返り者より他の共和党候補者の方が人気があった)のだが……

 

 それはともかく、この世界線では政治的状況から「アメリカによるイギリス支援は”ありえない(・・・・・)”」。

 そして、共和党は保守であり、如何に赤色汚染が進んでいるとはいえ、積極的に共産主義者(ソヴィエト)を応援する気にもならない。

 そもそもアメリカにおける保守とは、

 

 「外がどんなに荒れようが、自国が豊かであればそれでよい。戦争なんて(自国の権益が侵されない限り)勝手にやらせておけばよい。アメリカ第一主義、万歳」

 

 なのだ。

 だからこそ、今生では……この世界線では、ウィルキーは共和党に受け入れられることはなく、40年の大統領選挙戦は順当にヴァーデンバーグが共和党より出馬した。

 そして、何度か話が出た通り40年の大統領選挙戦でルーズベルトは孤立主義の遵守から転じ、1941年3月に悪名高い”レンドリース法”を成立させた。

 レンドリース法の経緯や詳細は、”重なった転生者の足跡に、大西洋憲章は踏み潰される”に詳しい。

 だが、もう一度レンドリース法の理念を記しておこう。

 

 『その国の防衛が合衆国の防衛にとって重要であると大統領が考えるような国に対して、あらゆる軍需物資を、売却し、譲渡し、交換し、貸与し、賃貸し、あるいは処分する』

 

 共和党にしてみれば、あるいは孤立主義者にとっては、「ふざけんな!」であろう。

 だから、レンドリース法の成立後も徹底的に抵抗したのだ。

 つまり、大規模な「ルーズベルトとレンドリース法に対するネガティブキャンペーン」を展開したのだ。

 

 以前に出てきた、ルーズベルト大統領がプロパガンダラジオ番組”炉辺談話”で吹聴していた『民主主義の兵器廠』という発言に対し、

 

 ・レンドリース法の対象国は民主主義国家ではなく、対極にある”ソヴィエト社会主義(・・・・)共和国連邦”である。

 

 とやり返したことを皮切りに更にドイツにコネクションがある(とされている)ルーズベルトの政敵の一人、”ハルバートン・フィッシュ三世”共和党下院議員は、

 

『ドイツの報告で、ウクライナで1920年代から30年代にソ連共産党の主導で行われた”人工的な大飢饉(ホロドモール)”の実態が明らかになった。どんなに少なく見積もってもウクライナで400万人以上が餓死し、またソ連邦全体での死者は1000万人以上の餓死者を出し、反抗したために強制収容所で殺された人間を含めれば1500万人以上が独裁者スターリンの命令で”殺処分(・・・)”された可能性がある。ドイツは、必要であればホロドモールを生き延びたウクライナ人の生き証人やロシア語で書かれた内部資料も提供する準備がある』

 

 そして、

 

『愛すべきアメリカ合衆国民よ。君たちは虐殺者の片棒を担いだ民衆として歴史に名を残したいのかね?』

 

 とラジオで呼びかけた。

 無論、赤色の支配下にあった米国マスコミや、共産主義のシンパである大統領夫人まで前面に出て「全て捏造の噓っぱち」とカウンターキャンペーンを張ったが、意外なところから援軍が来たのだ。

 それは独芬の大使館だけでなく日英の駐米大使館から

 

『フィッシュ三世議員の発言は、事実である。アメリカのマスコミは共産主義者に牛耳られており、事実を握り潰し”報道しない自由”を敢行。また、箝口令をひいている。また、ルーズベルト大統領夫人は共産主義のシンパであり、ソヴィエトの優秀なスポークスウーマンである。また、米国政府内に300人以上の共産主義者がいることが判明している』

 

 と資料付きで相次いで発表。

 これは一つの事例に過ぎない。

 他にも、ルーズベルト大統領とチャイナロビーとの黒い繋がり、ルーズベルト大統領の母親の実家が、中国とのアヘンを含む貿易で莫大な利益を挙げており、それが大統領選の資金源になった等々……

 

 これだけのスキャンダルが出て、なお大統領を罷免されないのだから、アメリカが如何に赤色に染まっていたかよくわかる。

 当時のソ連、そしてスターリンにとってアメリカは、

 

 ”共産主義最大の守護者”

 

 であったのだ。

 はっきり言えば、この時代のアメリカは、

 

 ”国家は共産主義に汚染されソ連の傀儡と化し、大統領は中国人の言いなりだった”

 

 質の悪い冗談にしか聞こえないだろうが、これはこの世界線だけでなく、妄想でもフィクションでもなく我々の歴史にも似たような資料がしっかりと残っている”史実(・・)”なのである。

 

 

 だが、この世界線、この世界の歴史において救いがあるとすれば、いかに政府やマスコミ、教育界や宗教界が事実を隠蔽しようとこびりついた不信感は中々拭えることは無いという事だろう。

 特にアメリカは、多民族国家だ。

 歴史的経緯から日系人はコミュニティを作れるほど米国に居ないが、英国系、ドイツ系、フィンランド系、そしてウクライナ系の移民のコミュニティは存在していたのだ。

 そして、ウクライナ系の住民には、実際にホロドモールから逃げ延び、アメリカに渡った”ウクライナ系一世”も居るのだ。

 彼らが草の根的に声を上げはじめたことにより、少しづつ影響が出てきたのだ。

 

 それが、史実よりもレンドリース品の出荷が遅れた理由でもあった。

 

「プレジデント、政治的な効果を最大限に狙うなら、12月25日にレンドリース船団をアメリカの東西の港から出航させるべきです。盛大なセレモニーを行い、記念すべきイベントとして。それでしたら、十分に時間はあります」

 

「……それまでムルマンスクは持つのかね?」

 

「持ちます」

 

 そう力強く答えたのは、”ハリソン・ホプキンス”。

 1940年まで商務長官を務め、レンドリース法成立に尽力し、計画の主導的立場に今なお居座る男であった。

 

 言うまでもなく、”赤い紐付き”であった。

 だからこそ、ホプキンスはソ連からの情報、

 

 ”ムルマンスク防衛は盤石なり。西部からの攻撃は全て撃退に成功している”

 

 を一切疑うことはなかった。

 フィンランドの”ペツァモ”方面からの陽動部隊(・・・・)ではなく、ドイツ人とスオミ人が手を組んだ本命が陸から、海から、空から現れるまで、もうしばしの時間が必要だった。

 

 

 

***

 

 

 

(それにしても、不愉快な現実だな……)

 

 ルーズベルトは、執務室で一人になったときそう独り言ちる。

 

「よりによって日英共にレンドリース船団の自国領海の通行禁止に、自国管轄下の港湾使用禁止だと……?」

 

 冷静を装っているが、ルーズベルトの腸はグツグツと煮えかえっていた。

 ドイツとの停戦が成立した以上、明らかにドイツの利敵行為になるレンドリース船団の受け入れを拒否するのは当然だが、それはアメリカの都合ではない(・・・・・・・・・・・)

 ルーズベルトには、それが明確にアメリカの、いや自分への裏切りに思えてならなかった。

 

「いつか目の物見せてくれる……!! ドイツの次は、お前らだっ!!」

 

 彼はそう決意を露にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、一部のマスコミにより

 

 ”ルーズベルトの新たな戦争計画”

 

 と銘打たれ、

 

『ドイツをソ連と共に駆逐した後、日英を叩き潰すべく戦争計画を練っている』

 

 という内容のセンセーショナルな素っ破抜き(スクープ)記事が発表された。

 だが、日英の反応は『知ってた。レインボー計画とか更新され続けてるし』と酷く冷淡だったという。

 

 例えば、日本の近衛首相は、

 

「あの共産主義者の奥方とよろしくやり過ぎて、キン○マの中身まで赤く染まった”アメリカ社会主義人民合衆国”の書記長(・・・)が、如何にも言いそうな事じゃねーか。あんなバカでも大統領になれんだから、アメリカってのはスゲーもんだ」

 

 と呆れ、英国のチャーチル首相曰く、

 

「あの下賤な男が品性を学ぶことは生涯できないのは当然としても、いい加減せめて取り繕うという物を学んだ方が良いな。アレでは大統領と言うより、飲んだくれてる下町のチンピラだ。白い宮殿より、大衆酒場で酒瓶抱えて寝転んでる方が似合うと思うがね」

 

 そしてドイツのヒトラー総統は……

 

「我が国を非難する以前に、かの国がコミュニストとチャイニーズ・マフィアに支配された赤色国家だという事がまたしても証明されただけだ。ドイツとアメリカ、どっちが世界にとり害悪だと思うかね?」

 

 とそれぞれコメントを残したのだった。

 共産主義者に実効支配を受けているアメリカの主要メディア(マスゴミ)は、相変わらず報道しない自由を発動したようだが、カナダなどの国境線の向こう側から面白おかしい内容と共に飛んでくる、ラジオの電波までは止めることができなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アメリカは、大体どの時代でもクソだからなぁ(挨拶

という訳で、今回は来栖サイドではなく「レンドリースを送り出す側」を書いてみました。
日英の態度は、

「レンドリース自体は邪魔しねぇよ。ただしうちの領海通るんじゃねぇぞ? あと港も使わせてやんね」

というスタンス。
ブラッフではなく、それを破ったら即座に拿捕です。
停船命令に従わなかった場合は、普通に撃沈命令が出ます。

ラストは、実は微妙に各国の立ち位置の違いが出てたりw

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第139話 花の魔術師によって幸運を引き寄せた燕がいるなら、そうならなかった野生馬もいる

技術系転生者が暴走するのは、もはやお約束を超えた様式美とかの範疇だと思う。




 

 

 

 さて、唐突だが時には気分を変えようと思う。

 たまには、飛行機の話などどうだろうか?

 

 舞台は日本皇国、”日本皇国空軍統合技術研究所”

 開発能力の向上と効率化を図るため、「未曾有の国難に対処するため、企業の垣根・官民の垣根を超えて航空機を開発しよう」という皇国空軍首脳部の呼びかけの下、設立された日本皇国における航空機開発のナショナルセンターだ。

 

 この手の施設(ハコモノ)、日本人が作ると計画倒れになったり頓挫することも多いが、どうやら転生者込みで計画をブン回した結果、一応の成功は出た。

 少なくとも、空軍の技術者集団”空技廠”、民間の三菱、中島、川西、川崎、愛知の大企業とも呼べる重工系企業の航空機開発部門から挙って技師やら研究者やら変人が集まって日々、切磋琢磨している姿は頼もしいと同時に色々と目に厳しい。

 さて、爽やかさとか清々しさとかとは無縁の空気の中……

 

「ムムム……」

 

 腕を組んで、1台の航空機用液冷V型12気筒エンジンを眺めてる男がいた。

 彼の名は、”土井 武士(どい・たけし)”、川崎重工の航空機開発部門で戦闘機開発を担当するチーフエンジニアであった。

 

 彼の目の前にあるのは開発コード”ハ140”と呼ばれる試作エンジンだ。

 

 性能諸元や特徴は、

 

 ・エチレングリコール混合液対応液冷式V型12気筒48バルブSOHC

 ・機械式燃料噴射装置(形式的にはKジェトロニックに近いマルチポイント・インジェクション)

 ・二段二速式スーパーチャージャー+水冷式アルミ合金製インタークーラー

 ・バルブ回り:ナトリウム冷却バルブ

 ・推力式排気管

 ・ドライサンプ式潤滑システム(ナフテン系鉱油)

 ・鍛造ピストン

 ・水-エタノール噴射式強制冷却出力増強装置

 ・出力:100オクタン燃料で離陸時出力1500馬力、高度2,000mで1780馬力(最良出力高度)、出力増強装置使用時高度5,000mで2000馬力

 ※なお出力はベンチテストの結果

 

「確かに優秀なエンジン、いや元のマーリン60番台が優秀だからなのではあるんだが……」

 

(しかし、これだけのエンジンを生かし切ろうとすると、どうしても今の飛燕じゃ物足りない……エンジンに合わせて機体を設計すべきだな)

 

「できれば、層流翼を使いたい。自動空戦フラップも欲しい。メレディス効果のあるNACA型の胴体下インテーク、ジャイロ安定式照準器にバブルタイプキャノピー、後方警戒用の簡易電探が欲しい。超々ジュラルミンの全面採用は当然、プロペラはロートル系の電気安定4翅、電波高度計と簡易式慣性航法装置と電波誘導装置、ロケット弾も搭載できるようにすべきだな。セルフシーリング式のインテグラルタンク、無線機は最新の軽量型、電気関係も万全に。ドーサルフィン付の垂直尾翼もいる。武装は、発射速度向上型ホ103改/50口径機銃×6がベストだ」

 

 と土井は何かにとりつかれたメモに書き、

 

「Gスーツは空技廠が試作してた筈。射出座席は英国マーチンベイカーが開発中……これは戦時中に間に合うか微妙だな」

 

 彼の独り言は続き……

 

「プロペラと照準器とキャノピーは英国由来の技術だ。タイフーンのキャノピーがそうだったな。メレディス効果は英国の論文。A7075は住金、層流翼と自動空戦フラップは川西、電気・電子部品は日本電気と富士通信機……」

 

 と開発・製造を担当できるメーカーや機関を絞り込み、

 

「残りは俺が、いや俺達(・・)が作るか……!! ついでにスーパーチャージャー用インテークも矩形ではなくラム圧をかけやすい楕円形状にしよう」

 

 ちなみに土井が口走った内容の大半は、史実においてさえこの段階で実用化、実用段階、開発中の物であり、実験室段階というものはない。

 一部を除けば、この世界線だと遅くとも1943年中には量産体制(・・・・)に入れるものばかりだったりする。

 もっと言えば史実のP-51Dや紫電改などの実機に搭載され大戦後半から末期、終戦直後までの間に戦場に現れた技術だった。

 

 

 さて、そろそろ土井が抱えている仕事を説明しよう。

 簡単に言えば……

 

 ”英国サンが言うには、グリフォン・エンジンの実用化までまだ時間かかるみたいだから、マーリン・エンジンをアップデートする事に決まりましたってさ。日本(ウチ)もその波に乗らなきゃだから、新型カワサキ・マーリンに見合う飛燕のアップデート、よろっ♪ あっ、英国サンにも輸出予定だから、その辺も考慮してね~”

 

 

 

「こりゃ”五式戦”の開発依頼は当分来ないな……」

 

 ため息とともに少し哀愁が漂う背中で、土井は製図盤と向き合うのだった。

 

「あー、駄目だ駄目だ。高高度性能の追加要求があった場合の発展的余地を考えて、与圧コックピット……気密構造にできるようにせんと。いっそグラマンみたいに防弾装置も兼ねたバスタブ型コックピットにするか? いや、その方が耐久限界が上がるかもな。そうしよう。だとすると、酸素マスクとかも……そうだ、燃料タンクに不活性ガスで一定の圧力を加えれば、Gによる燃料移動に起因する運動性の悪化はある程度緩和できるかもしれない」

 

 訂正。なんか楽しそうだった。

 蛇足ながら、この時の土井の苦労は報われる事になる。

 (仮称)三式戦闘機改Ⅲ型”飛燕改”は、高高度戦闘機として43年以降の世界各地の空を飛ぶことになるのだから。

 

「翼の武装部分もちょっと余裕持たせておこう。空軍から20㎜機関砲(デカブツ)積めとか言われるかもしれんし」

 

 

 

***

 

 

 

 後日、書きあがった設計図の第一稿を、各企業や空軍の”特定のメンバー”に見せた。

 そして、その中の一人が気付く。気づいてしまう。

 

「土井さん……これ、どっからどう見ても”P-51(むったん)”じゃん! それも最後期のH型!!」

 

「しょうがないじゃん! マーリン系戦闘機の最適解、これなんだからさ!! グリフォンならスパイトフルやシーファングだけど」

 

「いや、絶対、土井さんの趣味ですよね!? 前から”日の丸ムスタング(国産のP-51)”作ってみてぇなぁ~っとか言ってたし!」

 

 土井武士は、”転生者”である。

 ついでに言えば元々はプロのスケールモデラー、それも内部までこだわったりラジコン機飛ばしたりする飛行機系モデラーだった前世を持つ。

 無論、好きなのは”第二次世界大戦に活躍したウォー・バード”達。

 特に人類で最初に音速を超えた漢、チェック・イェーガーも愛したP-51”ムスタング”が大好きで、付け加えるならメジャーなD型より、究極のムスタングを目指し開発されたが、戦争に間に合わずレシプロ戦闘機時代の仇花となったH型を好んでいた。

 土井は転生してきた後、この世界線では本物の第二次世界大戦戦闘機(ウォー・バード)をいじれると知り、猛勉強の末に晴れて航空機エンジニアになったクチだ。

 まあ、それを言うならこの場に居る全員が似たり寄ったりの経歴なのだが。

 

「悪いか!? 敵国のまだ開発されてない戦闘機だからええやろ!! 大体、飛燕自体が元々ムスタングに似てるからええんや! 胴体(はら)下のラジエター配置とかさぁ」

 

 まあ、嘘は言ってない。

 少なくともラジエターの位置や開口部はBf109とは全くの別物だ。どちらかと言えば、史実の飛燕で言えば作中にも何度か出てきたイタリア戦闘機”MC.202 ファルゴーレ”の方がインテーク周りだけでなく全体の印象も似ている。

 戦時中にアメリカ軍が飛燕に付けた識別コードが”トニー”なのだが、これはイタリア系アメリカ人男性に多い名前だからというのもこの辺りに起因している(飛燕の実戦配備よりファルゴーレの方が史実では早い)。

 

 ちなみにこの世界線の飛燕は、ちょっとイタリアンよりブリティッシュテイストが強めなのだが……

 だが、子羊に誉あれ!

 幸運にもこの世界線のP-51は、少なくともD型以降は我々の知る機体(モノ)とは似ても似つかない物になりそうだ。

 

 それはともかく……技術系転生者が暴走するのは、お約束を超えた様式美だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、政治的理由(「英国支援計画」の一環)で最初からマーリン・エンジンの搭載が前提とされていたこと、転生者をはじめ様々な理由で日本皇国が英国と比べて遜色のない技術水準と基礎工業力、科学力があった為、三式戦闘機”飛燕”は、”液漏れ(おもらし)戦闘機 ぴえん”にならずに済んだ。

 だが、「マーリンによって救われた機体」があるとするならば、「マーリンがなかったことでポテンシャルを発揮できなかった機体」もある。

 

 

 

 舞台はアメリカ本土、陸軍航空隊の某集積地に移る。

 

「ロッキードP-38E”ライトニング”、ベルP-39D”エアラコブラ”、カーチスP-40E”ウォーホーク”……どれも工場から出て来たばかりのピカピカの新品じゃねぇか。ジョンソン、これ本当に全部ロシア人(イワン)どもにくれてやっちまうのか? 米国陸軍航空隊(USAAC)にだってまだ満足に配備されてない新型機じゃねーの?」

 

 航空機の詰め込み作業を行っていたアラバマ訛りの強い同僚のケニー・カーンズ整備曹長に、ジョンソン・ダッドリー整備曹長は、

 

排気タービン(ターボチャージャー)外してるからいいんだろ? なんでも我らが合衆国大統領は、”自由主義の兵器工廠になる”らしいからな」

 

 お返しとばかり、ミシシッピ訛りで返した。

 

「送り先は共産主義者(コミュニスト)だぞ?」

 

「大統領の頭の中じゃ、クソッタレのコミュニストも自由主義戦士だろうさ」

 

「あー、奥方がコミュニストなんだっけ?」

 

「そして、本人は中国人の出資(チャイナマネー)で大統領になったんだよ」

 

「ジョンソン、お前さんってかなりルーズベルト嫌いだよな?」

 

「俺は爺様の代から共和党支持者だ。曾爺様は南軍の将校だしな」

 

 ちなみにミシシッピは保守王国、共和党が非常に強い州である。

 相棒の機嫌が急降下(スツーカ)してることに気づいたカーンズは、話題を変える事にした。

 

「そういえば、ノースアメリカンがレンドリース専用の戦闘機作るって噂知ってるか? なんでも、上の方がウォーホークのライセンス生産するよう伝えたら、『アリソン・エンジン使って、もっといい戦闘機作ってやる』って啖呵きったらしいぜ?」

 

「さあ。いずれにせよ、北部の連中の考えることは、よくわからん」

 

 カーンズは、話題の変更に失敗したことを悟った。

 

 

 だが、ここで重要なのは「ノースアメリカンの新型機の相棒は、少なくともこの世界線ではずっとアリソン(・・・・・・・)」ということなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




土井さん、趣味に走りまくる(笑)
でも、あながち間違ってもいないという。

いや、マーリン・エンジンのマーリンは”コチョウヘンボウ”の英語名だってのは知ってますよ?(いわゆるロールスロイスの”鳥”シリーズ)
ただまあ、日本だとマーリンと言えば某”花の魔術師”かなーとw

そして、この世界線ではP-51はアリソン(V-1710系列)一本槍でやってく模様。
きっと史実より早くターボムスタングに進化するよ。やったね!w

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第140話 クルスのパーフェクトせいさん計画 ~DP28から(似非)RP-46を作ってみよう~

サブタイの元ネタは、勿論某⑨さんの持ち歌ですw
最近暑いので、氷の妖精とか遊びに来ないもんかな~。
そして、過去最大の文字数。




 

 

 

「まず、実用化できそうな装備強化案でも考えてみるか……シュペーア君、確か前にイタリアにライセンス生産許可出した劣化版……いや、デチューン版のDB605の話しあったよな? あれってドイツで試作型作られたんだよな?」

 

 ああ、何故か”冬宮殿”を文字通りの根城にしている来栖だ。

 疑問は多々あるが、一先ずブン投げておくとして……とりあえず、フィンランド軍に供給できる装備をピックアップしておくことにした。

 ドイツが警戒すべきは兵力不足と装備不足、大きく言えば物資不足。

 前世の歴史では、需要と供給が全く釣り合っていなかった。

 

「ええ。ダイムラーベンツ社に開発データも治具もあるはずですが」

 

 まあ、それはそうだろうな。問題は……

 

「あのエンジンは大雑把に言えばDB601の中空クランクシャフトにシリンダーブロック、ボアアップしたシリンダーヘッドを組み合わせた物って認識で良かったんだよな? あと、過給機は同じ構造で大型化しただけだと思ったが」

 

 ドイツ仕様のDB605は中空ではない(コンベショナル)クランクシャフトを用いたり、一段無段変速から二段二速過給機にしたりとエンジンとしての性質がかなり違うんだが、イタリア版のDB605(向こうでの呼び名はフィアットRA.1050RC.58”ティフォーネ”だ)は言ってしまえばDB601と605のハイブリッドだ。

 前世の知識に照らし合わせると、概要も性能もDB605AS(M)と大体一緒だ。

 だから、確認すべきは、

 

「あれ、ドイツ仕様のDB605より安く、それなりの数を作れそうか? 在庫で抱えてるDB601のクランクケースとかシリンダーブロックを流用するってこと前提で。あと、どのぐらいDB605の生産に影響がでるかだな」

 

 例のメッサーシュミット・スキャンダルのせいもあり、ダイムラーベンツのDB601は保守部品としての使用分を差し引いても、それなりのストックはありそうなんだが。

 今後、ドイツの主力戦闘機用液冷エンジンが本国仕様のDB605が主力になるなら、尚更。

 

「調査は必要ですが……仮により本仕様のDB605より安く手っ取り早く作れるとしたら、どうします?」

 

 まあ、怪訝な顔はするよなぁ。

 現在、サンクトペテルブルグで開発してるイタリア発祥の機体3種は、ドイツ本国仕様のDB605の搭載を前提にしている。

 要するに乗っけられる機体が無いんだが、

 

「後でサンクトペテルブルグに来ているメッサーシュミット社の戦闘機開発チームにも聞いてほしいんだが……メッサーシュミット・スキャンダルの前にDB605搭載を前提としたBf109を開発してた筈だ。なんとなくどこかで資料を読んだ気がするんだが、量産一歩手前の試作機はもう完成して、DB601のチューンアップを搭載して、試験飛行を終えて、エンジンの実機納品待ちだったと思う」

 

 噓ぴょんだ。

 まあ、ぶっちゃけ史実のメッサーシュミット社がこの時期にDB605仕様のBf109、いわゆる”Bf109G”型の開発やら生産やらをやってたから、スキャンダルの有無にかかわらず開発ぐらいはやってただろうって予測だ。

 

「現状、メッサーシュミット社のBf109の生産工場は、国家管理になっててF型までの保守部品を生産してるはずだが、最盛期の生産数を考えればまだ生産力には余力があるだろう」

 

「つまり、接収したドイツ本国の工場を使うと?」

 

「余剰生産力があるなら、使うに越したことはないだろ?」

 

 性能的ランドマークとすべきは、俺の知ってる歴史の”Bf109G-6”あたりだろう。

 Me262以外の新型機の開発は禁じられているが、既存機、それも試作機まであるBf109のバリエーション・モデルなら「現行機の改良」の範疇だ。

 採決を下した総統閣下の機嫌を損ねることもないだろう。

 

「現状、ソヴィエトの戦闘機は性能劣悪だし、サンクトペテルブルグが陥落した以上、航空機の開発や生産に回す余力(リソース)はあまりないだろう」

 

 日本にいた頃から外交資料と睨めっこしながらソ連の”国家としてのアウトライン”を注視してきたが、俺の知っている歴史と大きな差がなかった。

 確認できる範囲では、史実と誤差の範囲……例えば、日本皇国のように「明確な転生者の足跡」は見受けられなかった。

 

 そうであるならば、俺の知ってる史実より明らかに状況が悪いソ連が優先するのは、ドクトリン的には戦車をはじめとする陸戦兵器になるはずだ。

 なぜなら、

 

「ゆえにアメリカ人の送るレンドリース品、その多くが航空機になるはずだ」

 

 英国がレンドリース先に入ってないのなら、尚更だ。

 史実では、英国は性能不足でヤンキーエアクラフトを受け取り拒否するケースが多々あったが、ソ連は「英国人が使い物にならない」と判断した航空機さえ喜んで受領し、むしろ「高性能」と評した。

 まあ、その高性能な理由の一つが「まともに動く」というハードルの低さがご愛嬌だが。

 

「シェレンベルク、NSRと三軍統合情報部(アプヴェーア)でレンドリース品の詳細は調査してると思うが、それをより慎重に。特にその内容によってソ連のドクトリンが決定される場合がある」

 

「Ja」

 

「話をアメリカ人の航空機に戻すが、正直、今の戦闘機なら頑丈なだけで性能はさほど高くない。もし、俺があげたDB605対応のBf109が実用化できれば、当面は対応にさほど苦労することはないだろう。問題は爆撃機や輸送機なんかの大型機だが、逆に図体が大きく必要人員が多く燃料をバカ食いする大型機は持ち込める数が限られるし、そもそもロシア人がその扱いに慣れていない」

 

 ソ連空軍は、その本質において戦術空軍だ。

 おそらく、この世界線でも同じらしい。

 ドイツ国防空軍(ルフトバッフェ)もかつては(或いは史実では)人のことは言えなかったが、今生では徐々に戦術空軍から脱皮して戦略空軍の方向性に歩み出してる(例えば、ウラル爆撃機の最大の理解者は何を隠そうヒトラーらしい)ようだが、ソ連にはそういう兆候はない。

 何しろまともな性能の機体は、相変わらず双発の軽爆撃機までだ。

 

「だから、”ヴォログダ”を攻めるとなれば、”ロシア人が操るアメリカ製の航空機”に対応できればいい。ドイツ空軍の戦闘機なら、性能差とパイロットの技量差でそれができる。今の戦争、特に内陸部の戦争は”空陸一体機動戦(エアランド・バトル)”が基本だ。制空権を獲り、頭を押さえて空爆と短時間の集中的効力射で崩して装甲兵力で翻弄し、機動歩兵で占領する……いわゆる”ブリッツェン・クリーク(電撃戦)”だ。そういうのはむしろ、ドイツの方が造詣が深いだろ?」

 

 いや、シュタウフェンベルク君、なんでそこで首を傾げるのさ?

 そもそも機甲戦って概念その物が、グデーリアン将軍あたりが確立した戦法でしょーが。

 

「都市攻略戦の基本は、攻城戦と同じだ。事前の偵察を密にして、司令部/弾薬庫/食糧庫/燃料タンク/浄水施設なんかの急所を割り出し、頭を押さえて急所を刺して、火力で防御を崩して機動力で押し潰し、歩兵で押さえる。別に難しい話はしてないさ」

 

 相手がいる以上、事項段階では簡単じゃないかもしれないが、

 

「逆算してそれに必要な装備を揃えればいい。サンクトペテルブルグでもやれたんだ。ヴォログダでも上手くやれるさ」

 

 詳細な情報が集まるまで、この程度の認識で良いだろう。

 

「戦闘機の話はこれくらいで良いとして……シュペーア君、確かユンカース社からJu87DのE型への改修キット、空対地ロケット周りの開発と生産の発注来てたよな? 後で進捗状況聞かせてくれ」

 

「ヤー、フォン・クルス総督」

 

「Ju187はどう考えても間に合わんから、そっちを急がせよう。後は輸送トラックと牽引車(トラクター)か。いや、性能を気にしなければ何とかなるか?」

 

 フィンランド軍が使うことが前提なら、むしろソ連製(サンクトペテルブルグでも製造設備のある)ZIS-シリーズのトラックやSTZ-5砲兵トラクター、SHTZ-NATI汎用トラクターを集中生産した方が良いか。

 

(そういや、何故かGAZ-MMトラックの製造設備もあったな)

 

 史実では、サンクトペテルブルグにあったか?

 いや、それを言うならT-43の初期プロトタイプもか。今更だな。

 

「GAZ-MM、Zis-5は汎用トラックとして重点生産。Zis-6は、地対地ロケット搭載型の開発を急がせてくれ」

 

 この世界では”スターリンのオルガン”ならぬ”ヒトラーのオルガン”とでも呼ばれるのかねぇ。

 

「トラクターはSTZ-5を優先。機動砲は牽引してなんぼだし」

 

 あと、装備面では……

 

「そういえば、シモノフとデグレチャフの14.5㎜対装甲ライフルあったな? あれ、生産再開を本格化させると同時に超遠距離狙撃銃(・・・・・・・)として転用できるか、検証を頼む。具体的には、10倍程度の光学照準器くっつけて、1㎞先の人間の胴体に当てられるようになるかだな」

 

 14.5㎜なら、ヘッドショットやハートショット狙わなくても、どこに当たっても相手は死ぬし。

 

「そして、不本意ながら……TT-33(トカレフ)拳銃の再生産を行う。ただし、コック&ロックの安全装置付けて、ハンマーを大型化しトリガーを軽くした改良型を、だ。これはドイツの軍規に照らし合わせ、安全装置のない銃は正規装備にできないから必要な措置だ。設計図は既に引き終わったから、後で銃器開発チームに回す」

 

 いやさ、やっぱ”リガ・ミリティア”の装備テスト部門からも、仮称”SPMP-41短機関銃”(前に話したPPSh-1941の改良型な? あれから更に排莢口の位置を真上から右にしたとか小変更したぞ)と同じ7.62㎜×25トカレフ弾を使う拳銃がやっぱ欲しいって要望が出ててな。

 一応、ドイツの7.63x25mmマウザー弾と互換の拳銃弾だから、モーゼルC96系列の拳銃で撃てなくはないが、あんなデカくて重くてクソ高い拳銃、兵士に広く行き渡らせるわけにもゆかないし、TT-33以外に適当な拳銃が無かったんだよ。

 なんか、安全装置(セフティ)付のトカレフって書くと、なんか反社ご用達拳銃(ブラックスター)っぽくて気乗りしないが、制に腹は変えられない。

 

「それとシュペーア君、製造・設計を問わず”DP28軽機関銃”に慣れたエンジニアをピックアップしてもらえるか?」

 

「それは構いませんが……何をするので?」

 

「DP28は、ストック分は組み立てられるだけ組み立てて、30リムド・ロシアン弾ごとまだ当面はロシアの弾薬に頼らなければならないウクライナやベラルーシの現地勢力に供給する予定だ。だが、サンクトペテルブルグが兵器工廠として求められてる手前、せっかく素体になりそうな軽機関銃があるんだ7.92㎜小銃弾用、いやMG34のベルトリンクやできればサドルマガジンなんかのオプションも使えるように仕上げたい……要するに”サンクトペテルブルグ産の汎用機関銃”を作れるようにしておきたいのさ」

 

 狙ってるのは、MG34の実包やオプションを使えるようにした、俺の知ってる歴史の”RP-46軽機関銃”だ。

 現在、ソ連軍の主力軽機関銃のDP28は、本体の上にパンケーキみたいな円盤型弾倉(マガジン)を乗っける、イメージ的には1stガン○ムのザ○マシンガンのマガジンを連想してほしいんだが、実は結構その弾倉部分自体が構造が複雑で繊細、重く嵩張りそれらの複合要因で給弾不良や故障などの比較的不具合が出やすい。

 また、重量物の弾倉を銃の上にちょこんと乗っける構造なので、トップヘビーでいまいちバランスが悪く、また接続部が強度的なウィークポイントになりやすい。

 銃自体は非常にシンプルな設計でソ連兵器らしく堅牢なんだがな。あと二脚の強度不足とかリコイルスプリングの位置が悪いとかはあるが、それは割と簡単に是正できる。

 

「DP28って排莢が下面なんだよ。構造的にMG34のサドルマガジンは取り付けられると思う。それにドイツのマウザー小銃弾はリムレスだからな。給弾も排莢もリムド・カートリッジの30ロシアンよりシンプルな構造にできるし、その設計変更でリコイル・スプリングの問題も是正できる」

 

 まあ、RP-46の構造は大体頭の中に入ってるし。

 というか、史実でもDP28にDShK38重機関銃を参考に開発されたベルトリンク給弾機構組み込んで”RP-46”って生まれたんだわ。

 

「後は二脚の構造強化、いやいっそフレーム取り付けよう。銃身はキャリングハンドル付きでそれを使って簡単に交換できるように……いや、互換にしてZB軽機の銃身システム一式をそのまま使えるようにしよう。もう確立したシステムの方が良い。そこは交渉だな。後はガスレギュレーターで二段階切り替えにして発射速度は毎分600発/900発にしておけば良いか? 伝統的ライフルみたいなストックはストレート・リアストックとピストルグリップだな。MG34用の三脚取り付け具もいるな」

 

 そうすりゃ汎用機関銃としての名目も立つだろう。

 

「フォン・クルス総督、我が国(ドイツ)では既にMG34があり、来年には二種類の機関銃が制式化予定なのですが……」

 

 シュペーア君、鋭いな。

 だが、

 

「知ってるよ、まずMG34は製造に手間がかかり過ぎる。性能は良いんだが、コスパがあまり良くない、来年登場なのはMG42とFG42だろ? まずMG42なんだが、あれは発射速度(レート)が早すぎる。下手すりゃ秒間20発だ。時間当たり可能な限り多くの弾丸を叩きこんで殺傷力を上げるってコンセプトは理解するが、あれを戦力として使いこなすのはかなり難しい。これから前線にごまんと出てくるホヤホヤの新兵じゃ、無駄弾まき散らすだけになりかねん。FG42は空挺用の軽量機関銃が元々のコンセプトだから”解釈が違う”な」

 

 実際、発射速度を二段階切り替えにしようとしてるのも、普段は毎分600発(MG42の大体半分の発射速度)にし、瞬間最大火力が必要な場合にMG34並みの発射速度を出せるって感じで良いと思う。

 あと、高発射レートっていうのは同時に高ガス圧モードってことだから、銃が泥詰まりなどで汚れていてもメンテなしで強引に撃たねばならないときなんかに便利だ。

 ガスレギュレーター自体は構造簡単だし、まあ組み込めるだろう。。

 

(圧倒的な火力でなぎ倒すのも機関銃の役目なら、しつこいバースト射撃で相手の進軍を阻止し続けるのも機関銃の役目だ)

 

 思うに、ドイツは攻撃に趣を置きすぎていて、それが極端な形で兵器や装備に表れやすい。

 

(確かに攻めねば戦争には、勝てないかも知んねーけど……)

 

 攻めしか考えない軍隊も国も、守りが必要となったときに途端に脆いもんだ。

 前世の日本とドイツがまさにそうだ。

 

(残念ながら、攻めだけで終わる戦争ってのはないんだよな)

 

 攻めなきゃ勝てんかもしれないが、攻めだけで勝てるほど戦争は甘くない。

 それは歴史が証明している。

 それは何度も。

 

「それになシュペーア君、間違いなく需要は拡大の一歩だ。現行のMG34の大幅な増産は、製造の手間を考えれば難しく、後継のMG42はまず最優先でドイツ正規軍に流さねばならん……」

 

 というより、正規軍も戦線拡大で兵員だけでなく兵器の欠乏は戦争のあるあるだぞ?

 リアルチート国家のアメリカだって、予想外に拡大した需要の供給が追い付かないは、よくやらかすからな?

 

「フォン・クルス、貴方は……」

 

「赤色勢力と戦ってるのは、何もドイツ人だけじゃないだろ? ならば、そこを穴埋めしてゆくのがサンクトペテルブルグが求められる役割だと俺は思っている」

 

 というか、ソ連系の武器ってそもそも感じじゃん。

 国家、武装組織を問わずに友好的なところにのべつ幕無くばら撒くっていうかさ。

 

「結局、畑から生えてくるソ連兵を駆逐する装備なんて、いくらあっても足りるなんてことは無いのさ」

 

 連中は、ホントに強かでしぶといからな。

 

(とりあえず、装備面で今できる追加案はこんなところか?)

 

 戦車とかは、もう開発スタートさせてるしなぁ。

 

「問題は、兵員の確保とかだな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖、いよいよサンクトペテルブルグを復興段階から、「反共巨大兵器工廠」へとシフトさせるか?

余剰パーツと生産力の余力使って史実のBf109G作ろうとしたり、トカレフ改良して再生産しようとしたり、或いはDP28からRP-46開発しようとしたりしてるのって、その時代に生きていたかは別にして来栖自身が「敗戦国」の生まれだからでしょうね~。
前世から持ち込まれたのは、何も知識だけではないって感じで。

何をやるにせよ、とりあえず人員確保は必要かな?

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第141話 ”Natürliches Rotes Raubtier” とりあえず、それがドイツ側からのニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグの印象らしい

今回は、非常に珍しい人からの視点となります。




 

 

 

「だから、”ヴォログダ”を攻めるとなれば、”ロシア人が操るアメリカ製の航空機”に対応できればいい。ドイツ空軍の戦闘機なら、性能差とパイロットの技量差でそれができる。今の戦争、特に内陸部の戦争は”空陸一体機動戦(エアランド・バトル)”が基本だ。制空権を獲り、頭を押さえて空爆と短時間の集中的効力射で崩して装甲兵力で翻弄し、機動歩兵で占領する……いわゆる”ブリッツェン・クリーク(電撃戦)”だ。そういうのはむしろ、ドイツの方が造詣が深いだろ?」

 

「戦闘機の話はこれくらいで良いとして……シュペーア君、確かユンカース社からJu87DのE型への改修キット、空対地ロケット周りの開発と生産の発注来てたよな? 後で進捗状況聞かせてくれ」

 

「Ju187はどう考えても間に合わんから、そっちを急がせよう。後は輸送トラックと牽引車(トラクター)か。いや、性能を気にしなければ何とかなるか?」

 

「GAZ-MM、Zis-5は汎用トラックとして重点生産。Zis-6は、地対地ロケット搭載型の開発を急がせてくれ」

 

「そして、不本意ながら……TT-33(トカレフ)拳銃の再生産を行う。ただし、コック&ロックの安全装置付けて、ハンマーを大型化しトリガーを軽くした改良型を、だ。これはドイツの軍規に照らし合わせ、安全装置のない銃は正規装備にできないから必要な措置だ。設計図は既に引き終わったから、後で銃器開発チームに回す。とりあえず、装備面で今できる追加案はこんなところか?」

 

 

 

***

 

 

 

(なるほど。これが正真正銘の”トランス”……聞きしに勝る”恐ろしさ”だな)

 

 ああ、ヴァルタザール・シェレンベルクだ。

 NSR(国家保安情報部)所属で、今はニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督の側近を務めている。

 ハイドリヒ長官は言っていた。

 

『シェレンベルク、フォン・クルスの能力に疑念や疑問を持つことはあるだろう。時には恐怖を覚えるかもしれない。だが、疑うな。フォン・クルスは表面的には変人に見える。だが、本質的にはあれは”異能(・・)”の類だ。敵に回せばこの上なく脅威だが、敵対しない限り、ドイツに利益をもたらす。こちらが何も言わなくても、勝手に共産主義者を駆逐しだす』

 

 確かにその通りだ。何せ、

 

「赤色勢力と戦ってるのは、何もドイツ人だけじゃないだろ? ならば、そこを穴埋めしてゆくのがサンクトペテルブルグが求められる役割だと俺は思っている」

 

「結局、畑から生えてくるソ連兵を駆逐する装備なんて、いくらあっても足りるなんてことは無いのさ」

 

(曰く”生まれながらの赤色勢力の天敵(Natürliches Rotes Raubtier)”……それが、フォン・クルスという存在であり、総統閣下の評価)

 

「フォン・クルス総督、また銃器デザインをされたので? 相変わらず多彩ですな」

 

 すると何故かバツが悪そうに、

 

「ただの改良だ。デザインってほどじゃない。それに一応、参考になるものはあったし」

 

 私の主観で言わせてもらえば、フォン・クルス総督は、「アカを殺すあらゆる手段と方法を知識として持っており、それに全知全能をかける」習性がある。

 おそらくそれは、人が呼吸するレベルの本能に刻まれた”ナニカ”のような気がする。

 

(やはり総督に立案してもらうしかないな……)

 

 ”ヴォログダ”攻略……確かに誰も考えていないと言えば、噓だろう。

 少なくとも、北方戦線の参謀なら誰しも一度は考えるはずだ。

 だが、

 

(普通は、優先度が他に比べて低いと考え、作戦立案までは思考が伸びない……)

 

 正直に言えば、私もおそらくはシュタウフェンベルクもその重要性を完全には理解していなかった。

 ごく自然に、ムルマンスクの次はアルハンゲリスク攻略を目指す。

 そう考えるはずだ。

 

(ラドガ湖とオネガ湖、カレリアを掌握してる以上、ロシア人はアルハンゲリスクに戦力を送れないと考える)

 

 NSR職員としては珍しく参謀資格を持つ私が言うのもアレだが、正規の参謀教育を受けた者ほどそう考えるだろう。

 実は、ムルマンスク、アルハンゲリスクの重要性と危険性は、アメリカの生産能力とレンドリースの恐ろしさと共にバルバロッサ作戦首脳部には総統閣下直々に伝えられていた。

 アメリカの生産力とソ連の動員力が結び付けば、我がドイツにとり致命傷になり兼ねない。

 

(だから、北方戦線が二線級扱いなど誰もしない)

 

 そして、だからこそこの二つの港町を攻略する事を最優先に考えてしまう。

 だが、

 

(確かに”ヴォログダ”を陥落すれば、アルハンゲリスクへの陸路も水路も補給路を断て、確かにかなり攻略も楽になるだろう)

 

 残る大きな補給路は、総督の言う通りキーロフからの北ドヴィナ川を用いた水運だけになる。

 付け加えるなら、

 

(ルイビンスク人造湖まで抑えられる、か……)

 

 十中八九、そこまで地理を俯瞰して作戦を立てた参謀は居ないだろ。

 人造湖が本格稼働していればその価値に気づく参謀も居ただろうが、多くの参謀は人造湖の工事が終わっていた事もまだ知るまい。

 そして、水が溜まり本格的に機能するのは数年先だ。

 

(つまり、総督は数年先の支配領域と戦域まで予想しているということか……確かにこれは”異能”だ)

 

 常人は、そこまで未来や歴史を見ることはできない。

 それに、

 

「あとは戦力か……カレリア周辺に展開しているフィンランド軍って12万人位だっけ?」

 

「Ja」

 

「フィンランド軍の総兵力は約28万。かなり無理して出してもらってるが、戦域が広いから仕方がない。仮にムルマンスクを制圧してもコラ半島を掌握する主役はフィンランド軍になるから、そこから引き抜くのは不可能。加えて、北方軍集団も、米国やソ連の奪還作戦を警戒して半分近く残す必要はあるだろうし、アルハンゲリスクはドイツ軍が主力、フィンランド軍は補給路維持のバックアップとして割り切るとして……」

 

 フォン・クルスは少し考えてから、

 

「カレリアに展開できるフィンランド軍の増援ははあと多くても精々2~3万。ヴォログダ攻略は、フィンランド軍を主力として考えて、展開できるのは6~8万ってところか」

 

 我らドイツ人には、悪癖がある。

 スオミ人には、どちらかと言えば親愛の情をもってはいるが、どうしても「弱小国」と見てしまうのだ。

 だから、元々がフィンランド領で地の利があり、また”カレリア解放軍”として戦力を潜伏させていたラドガ湖、オネガ湖、カレリアは彼らの戦力を主力として捉えたが、他の地域ではどうしても「主力はドイツ人、他は予備戦力」という前提になってしまう。

 つまり、他民族をどこか正面戦力として見れないのだ。

 

 これはまあ、我が民族(ドイツ人)は、そういうもんだと思うしかない。

 他ならぬ、私がそうだからだ。

 

(しかし、フォン・クルス総督には”それ”がない……)

 

 文字通り共産主義者を魔女の巨釜(カルデロン)に叩き落とすためには、どんなことでもするし、どんな手段でも使う。

 であるならば、ここはNSRらしい仕事をしようじゃないか。

 

「フォン・クルス総督、実は私に予備兵力のアテがあります」

 

「ん? どれぐらいだ?」

 

「上手くすれば、旅団規模の歩兵戦力を来年には用意できるでしょう」

 

 そう、こういう時に役に立ってもらわないと、NSRで”保護”し身柄を預かった意味が無い。

 

(期待してやろう。”カミンスキー”、”ヴォスコボイニク”)

 

 喜べ。

 

総督閣下(・・・・)は、無駄がお嫌いと見える)

 

 ならば、お前たちの命も簡単に摺り潰されることはないだろう。

 

「ところで、フォン・クルス総督」

 

「ん?」

 

「兵にはどのような資質をお求めで?」

 

 するとフォン・クルスは迷いなく。

 

「しぶとい兵。粘り強い兵」

 

「そのこころは?」

 

「戦争なんてのは古今東西、よほど圧倒的な実力差か相手が余程の、それこそ戦史に名を残すようなヘマ(・・)でもやらん限り、大抵が持久戦やら消耗戦の様相を呈してくる。結局、最後まで粘って凌いだ奴が勝つのさ」

 

 きっとフォン・クルス総督ならば、我々(ドイツ人)よりよほどお前たち(スラブ人)を上手く使ってくれるだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、他者(ドイツ人)から見たニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグの評価でした。

そして、またしてもオプションを色々付けようとするシェレンベルクw
来栖は、メイ○ルかい!?

ただ、違いがあるとすればラスボス少女はほっておくとリアルラックの高さ故に勝手にオプションが増えていき、フォン・クルスは勝手をやってると周囲が色々とオプションを張り付けてくるという所。

なんのかんの言って、シェレンベルク君も(彼だけじゃないけど)結構、来栖に毒されてるよね?w

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第142話 レンドリース品搬入の三つのルート、そしてクルス・シリーズ(?)誕生秘話

アメリカのヤバさと、来栖のヤベー奴認定がお偉いさんの話題なようですよ?




 

 

 

 さて、サンクトペテルブルグ、ムルマンスクなど北方戦線が大いに賑わってる昨今、少しだけ視点を他に移してみようと思う。

 

 というのも、1941年12月25日、東部時間午前8時にアメリカの各所を出航する予定の”レンドリース船団”を確認しておきたいからだ。

 この世界線において、ソ連側のレンドリース受け取り口とされている場所は大きく分けて3つある。

 

 一つは言うまでもなく”バレンツ海ルート”。

 まさにこの章に何度も出てきたムルマンスク、アルハンゲリスクへ向かう海路であり、モスクワに最も近い荷卸し港であり、同時にドイツにもっとも致命的なダメージを与えかねないルートである。

 出発点は、ニューヨーク港などがメインになる。

 ただ、日英共にドイツとの停戦を盾に、レンドリース船団の自国港への寄港、並びに領海の航行禁止を宣言している為、ニューヨークを出航し、アイルランド西部の港、”ゴールウェイ”を寄港地として利用し、バレンツ海方面に進み、スカンジナビア半島沖を回り込むようにして件の港に到着する予定だ。

 史実では最も早く稼働したレンドリース海路で、ソ連への援助物資の1/4がここから運び込まれた。

 

 

 

 次は、”渤海ルート(史実の太平洋ルート)”。

 これは、西海岸を出発した船団がハワイを経由し、フィリピンに寄港、その後に東シナ海→黄海と北上し、渤海、具体的には遼東半島の旅順港、大連港に陸揚げする。

 前に触れたと思うが、この世界線においては第一次世界大戦直後のいわゆる「日米蜜月期」において締結した ”渤海海峡通商条約”により、遼東半島と山東半島は米国に売却されているのだ。(”第68話 渤海海峡通商条約”を参照)

 その後、中国は国民党と共産党に分かれて争ったが、それもじきに小康状態となり、国民党の支配領域は史実の満洲国+華北5省(山東省、山西省、斉斉哈爾省、河北省、綏遠省)+河南省&安徽省、江蘇省(ただし、遼東半島と山東半島は除く)というところで、現在、蔣政権は”中華民主共和国”を名乗っているが、あまり公的に認められてはいない。

 というのも、国民党は未だ共産党(彼らも”中華人民共和国”を名乗っている)と小規模衝突を繰り返しており、国境線が不明瞭な部分があり、国際的な認識は「未だに内戦中」である。

 加えてだが、バックボーンといっていいアメリカが国際連盟未加入で、ソ連が国際連盟を追放された為、どちらも国際連盟に「国として登録」おらず、故に未だ国民党、共産党と呼ばれることが大半だ。(つまり、自称中華民主共和国、自称中華人民共和国)

 

 ただ、トピックスとして考えられるのは、この”渤海ルート”が一番輸送量が多くなると考えられている事だ。(史実でもレンドリース品の半分が太平洋を通った)

 というのも、30年代にチャイナロビーとルーズベルトの大規模公共事業(ニューディール)政策により、米国領の二つの半島と国民党地域を渤海湾を半円周上に巡るように配された”米国満州鉄道網(American Manchuria Train Network:AMTN)”が敷設されたのだ。

 これは、一通り敷設が終わったアメリカ本土の鉄道事業者の雇用を確保するという目的もあった。 

 そして、奉天から東清鉄道の哈爾浜(ハルビン)まで延伸させ、東清鉄道と接続させる事で「史実の南満州鉄道の大規模拡大版」という様相を呈していた。

 ついでに言えば東清鉄道はアメリカが既に全て買収しAMTNに組み込んでおり、これにより一気に複線化されると同時に近代化工事が行われ、ウラジオストックを始発とし哈爾浜、満州里を通りシベリア鉄道のポグラニーチナヤ駅(現在の綏芬河駅)に乗り入れさせることにより、シベリア鉄道との接続に成功したのだ。

 

 つまり、この路線は旅順からモスクワまで伸びているのだ。

 ドイツにとって悪夢なのは、AMTNもシベリア鉄道も同じ”5フィート軌間”の軌道(線路)を採用しているということだ。

 このレール間幅5フィートのレール、別名”ロシア軌間”と呼ばれ、ロシアとその周辺で主に使われていた規格だが、実は19世紀後半まで南部を中心にアメリカでも使われていた規格でノウハウは十分にあり、故にAMTNもロシアの鉄道網に合わせてこの”5フィート軌間”で線路も車両も用意された。

 鉄道網の規格統一が、一部の例外を除きほぼ全国規模でなされている日本に住んでいるとピンとこないかもしれないが、

 

 ”旅順でレンドリース品を満載した信頼性の高いアメリカ製蒸気機関車が、モスクワまで直接物資を運べる”

 

 というのは、恐ろしく意味が強いのだ。

 これは、物量的な意味でモスクワが不落であることにほぼ等しい。

 実はこの状況も、ドイツがモスクワの早期攻略を諦めた理由の一つでもある。(アメリカの支援が届く前にモスクワを攻略する事は不可能と判断されてもいた)

 しかも質が悪いことに、”バルバロッサ作戦(独ソ戦開始)”直後に米ソの呼びかけで「ドイツの帝國的覇権主義に対抗するため、ソ連を支援する」事を名目に国民党と共産党は無期限停戦条約を締結してしまい、二つの中国に起因した遅延もおきそうもない。(”第95話 The SAVOYの古狸達”参照)

 もし、ムルマンスク・アルハンゲリスクが陥落すれば、ここがメインルートになるだろう。

 唯一救いがあるとすれば、最も太く最も安全なレンドリース品搬入路かもしれないが、同時に最も距離のある搬入路でもあるということだろうか?

 また、日本が拿捕・臨検する可能性があるので、今のところは史実同様に兵器・弾薬などは積めないことになっているらしいが、ムルマンスク・アルハンゲリスクが陥落すれば、その限りではないだろう。

 

 あと付け加えるとすれば……少し未来の話を含むが、国民党支配領域を輸送列車が走るのと、輸送列車の運航自体は旅順からポグラニーチナヤ駅まではアメリカ人が全て取り仕切るので国民党より見返りを要求されており、それが後に禍根となる(ドイツと戦っていない国にレンドリース品を流していた)事と、武器を含めたレンドリース品の一部が戦後に中国共産党へと流れて新たに火種となりそうではある。

 

 他にも悪名高き”フライング・タイガース”がレンドリースに含まれており、近い将来(おそらくはバレンツ海ルート崩壊後)に”アメリカ戦闘機の指導教官・教導隊”として中国へ降り立ち、安全な後方でロシア人に指導しそうな気配はある。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、最後は”ペルシャ湾ルート”だ。

 これはおそらく最も細いルートであると思われる。史実でも本格的に稼働したのは1943年からだとされるが、それでもレンドリース品の1/4はこのルートで運び込まれている。

 イランを経由し、テヘランで分岐、黒海東岸、ないしカスピ海東西岸から物資を搬入するルートだが、まず受け皿となるイランの港湾施設、陸路のインフラ整備が弱い。

 加えてそこまで行く海路の問題もある。何度か書いたが、この世界線では日英はレンドリース船団の自国の港の使用と領海の航行を禁じている。

 つまり、マラッカ海峡やジブラルタル海峡を使用できないのだ。

 では、どういう航路をたどるのかと言えば、アメリカ東海岸を出航し、ブラジルのサンパウロ港に寄港。その後、ケープタウン沖でアフリカ大陸を回り込み北上、アラビア海を抜けてペルシャ湾に入るというルートだ。

 一応、アメリカはイランの港湾インフラの整備に力を貸してるし、また史実で起きた「イラン進駐」は事前に回避できた(英独の停戦と、ソ連の史実以上の敗北により余力が失われた事が理由)のではあるが、根本的な輸送船の細さの解決には至っていない。

 だが、ムルマンスク・アルハンゲリスクが陥落すれば、おそらく史実よりも本格化は早くなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまあ、レンドリースの現状をまとめるとこうなる」

 

「ダンケ、”レーヴェ”。我々の想定を超える事態は起きてないようで安心した」

 

”タタタタタタッ! タタタタタタッ!”

 

 指切り(バースト)射撃で小気味よい音を立てながら短機関銃がマウザー弾だかトカレフ弾だかの空薬莢を吐き出す。

 

「それ、もしかしてサンクトペテルブルグで作られたアレか?」

 

「ああ。”SPMP-41”という仮称らしい。サンクト・ペテルブルグ・マシン・ピストル41年式ってところだろう。随分、撃ちやすくなってるな」

 

 レーヴェンハルト・ハイドリヒにアウグスト・ヒトラーはそう答える。

 そう、ここは以前にも登場した郊外、射撃場ではなく公的には狩場と言うことになっていた。

 ヒトラーは公的には狩猟が趣味とされているし、実際にもやるが本質的に好きなのは実弾射撃自体だ。

 

「ライフルタイプの湾曲ストックではなく、独立させたストレート・ショルダーストックとピストルグリップ、そして前方のフォアグリップの三点支持にし、ボルトを重くするなどでフルオートの発射速度を毎分900発前後の原型から600発程度に落とすことでコントロール性を上げている。ついでに排莢方向を上でなく右側にしているのも悪くない。これなら、”新兵にも使い易い”だろうな」

 

「そういう狙いだろうな。はっきりしてるのは、この作り方……改良の方向性(メソッド)は、”戦後の銃”、特に突撃小銃の存在を知ってる者の設計思想だ」

 

「それを上手く”この世界の、この時代”に落とし込むことにクルスは長けているようだな?」

 

「まったくだ。KSP-42戦車の時もそうだが、クルスは”前世知識の現実へのフィードバックとフィッティング”に長けている。何ができて、何ができないかの取捨選択に優れているとも言える」

 

 そして、ヒトラーはハイドリヒに、

 

「他にも何か言いたそうだな?」

 

「シェレンベルクからだ。クルスがアルハンゲリスク攻略前に”ヴォログダ”を攻略すべきとし、作戦案を出すよう仕向けた。プランが完成したら、クルスの名は伏せ、サンクトペテルブルグ参謀団からの提出という形で処理する」

 

「……良いな。ドイツの参謀本部は優秀だが、少々頭が固く融通が利かない部分がある。”完全なる異物”であるクルスの考えは、良い刺激になるだろう」

 

 ハイドリヒは満足げに頷き、

 

「それに関連してなんだが……ブロニスコフ・カミンスキーとコンスタンティヌス・ヴォスコボイニクをクルスと合わせたい」

 

 ヒトラーの頭の回転は早い。だからこそ、彼の言わんとすることを察した。

 

「この世界での”カミンスキー旅団”をサンクトペテルブルグで、クルスの指導下で発足させる、か? 確かにクルスなら制御できるかもしれん。悪くない」

 

 ヒトラーは少し考えてから、

 

「悪くはない。悪くはないが、少し足りんな」

 

「足りない?」

 

「指導教官が足りん。クルスは有能だが、最前線で殴り合うタイプではない。それを教えられる人間が必要だ」

 

 ヒトラーは”別の歴史”の「カミンスキー旅団の顛末」を忘れてはいなかった。

 無論、この世界には存在していない”突撃隊”や”親衛隊”の存在もだ。

 

「誰を送る? 我らとて現状、人材が有り余っているわけではないぞ? 特に実戦を経験した有能な将校は」

 

(NSR)の身内に一人、心当たりがある。チンピラレベルの弱兵や民兵を、いっぱしの精鋭に育てる名人だ。そろそろ、”スモレンスクで受けた戦傷”も癒えて職務復帰が可能だろう」

 

 ハイドリヒふとヒトラーの言う人物の目星がついた。

 

「”ハウサー(・・・・)”か……?」

 

 ヒトラーは、静かに頷いた。

 

 

 

***

 

 

 

「ところで”オージェ”、クルスがTT-33(トカレフ)拳銃の改良にも手を付けるらしいぞ? ついでにDP28をベースにマウザー弾仕様のRP-46を作りたいみてーだが、それは流石にすぐにって訳にはいかんだろうな」

 

「それは楽しみだな。試作品が出来たら、是非とも撃ってみたいものだ」

 

「シェレンベルクに伝えておこう。ん? 考え込んで、どうした?」

 

 ヒトラーは手に持つ短機関銃を見ながら、

 

「いや、SPMP-41というのは少々長いし座りが悪いと思ってな……ふむ。総統権限を使うか」

 

「いきなりどうした?」

 

「いや、これよりサンクトペテルブルグで製造される、そしてクルスが関わった兵器や装備には、クルスの”K”を略称として入れよう。例えば、このサブマシンガンならK()MP-41だ」

 

 ハイドリヒは怪訝な顔で、

 

「分かりやすくて良いとは思うが、理由を聞いて良いか?」

 

 ヒトラーはニヤリと笑うと、

 

「”クルス・ブランド”を立ち上げた方が都合が良いと思ってな。ガンデザイナーとして大々的に持ち上げられるクルスを、米ソがどうプロファイリングするかは何パターンか考えられるが、どの捉え方をしても”クルスの本質(・・)”からは遠のく……そう思わないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※仮称SPMP-41短機関銃(小規模試験生産品)→KMP-41短機関銃(制式)

 サンクト・ペテルブルグ・マシン・ピストル41年式の略。ただし、これは制式名称ではなく仮称扱いだった。

 基本的にはPPSh-1941のままだが、ライフルタイプのストックからレシーバーの後端にストレートタイプのリアストック、トリガーの位置に独立したピストルグリップ、レシーバー先端にフォアグリップを装着。肩、左右の手の三点支持でガッツリ保持できるように設計されている。

 また、ボルトを重量のあるものに変更し、フルオート時の発射速度を原型の毎分900発→600発程度に下降させた。

 また、排莢位置を真上ではなく、右側に変更。

 弾倉は当初35連発のボックス型を用意していたが、プレス加工の未熟さと素材の関係から強度不足が判明、長すぎて伏せ撃ちがやりにくく変形しやすく装弾不良の原因になることから、強化リブ入りのやや短い30連発ボックスマガジンを標準とする事になった。

 また、サブマシンガンの射程距離を考慮し、リアサイトを無駄に長射程にできるタンジェントサイトではなく、100m/300m切り替え式の単純なL字型サイトになっている。(UZIのそれに近い)

 

 基本的なコンセプトは、「壊れにくく反動を押さえやすく当てやすい、実用本位で質実剛健な新兵に優しい短機関銃」であるらしい。

 30マカロフ弾、30マウザー弾両方を問題なく射撃でき、9㎜パラベラム弾より強力な実包を使う割にはコントロールしやすいと評判になる。

 アサルトライフルが登場するまでの代役としての役割は、十分果たせたという。

 主にフィンランド軍やウクライナ解放軍、また非対称戦部隊など親ドイツの非ドイツ正規軍に優先的に配備されていたようで、一部のドイツ将兵たちは非常に羨ましがったという話が残っている。

 

 追記

 ガンデザイナーとしても非凡な才をみせたとされるニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグの「最初の作品」として知られる。

 主にサンクトペテルブルグで生産された一連の兵器体系”クルス・シリーズ”の第一号であり、後に”KMP-41”に制式名称が改められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツ、色々と小技で米ソを引っ搔き回すつもりのようですw

そりゃあ、いきなりサンクトペテルブルグ総督の個人の頭文字を入れた鉄砲とか出回ったら「何事?」となりますよね?
しかも、調べればヒトラーの直筆サイン入りの命令書が出てくるという。

しかも理由が、サンクトペテルブルグ復興の成果とかバルト海の平和云々ではなく「ガンデザイナーとしての功績を認め」でしょ?

日本皇国の外交官(一応、まだ退官はしてないので現役)、ドイツから貴族称号、バルト海沿岸諸国から連名で勲章貰って、サンクトペテルブルグ復興の陣頭指揮とってる総督でガンデザイナー……
米ソの分析官は、「オプション、多すぎィッ!? いや、コイツマジになんなん? なんか役職とか属性とか大渋滞してね?」となりそうですw

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第143話 極夜行(軍) ~ムルマンスク攻略戦、開始~

この章の本題、「ムルマンスク攻略」……いよいよ、本格化します。
先ずは、仕込みと下拵えから。





 

 

 

 この世界線における”銀狐作戦(Unternehmen Silberfuchs)”というのは、極めて堅実な作戦の積み重ねから成立していた。

 

 仕込みは、”バルバロッサ作戦”発動時から行なわれていたのだ。

 ドイツ軍の瞬く間のバルト三国解放と北上、ソ連のバルト海艦隊を殲滅ではなく文字通りに全滅させた。

 それに呼応するようにフィンランド軍はカレリア地峡を掌握し、ドイツ軍本体は包囲戦に固執することなく陸海空の機動的に運用できる全ての兵力を用いて、一気呵成にサンクトペテルブルグを攻め落とした。

 

 その後、ドイツ軍はノブゴロドを要塞化を進めると同時に、キリシ、チフヴィンを立て続けに制圧し防衛線を形成した。

 チフヴィンの制圧は我々の知る歴史でも1941年11月8日にドイツ軍が制圧したが、同年の12月9日には赤軍に奪還を許してしまうという体たらくを見せたが、この世界線では心配なさそうだ。

 なぜなら、レニングラード陥落→サンクトペテルブルグ制圧に成功したため、そこに戦力が縛り付けられることはなかったからだ。

 

 

 

 他にもドイツとフィンランドの作戦勝ちという側面もあった。

 サンクトペテルブルグを掌握後、フィンランド軍は躊躇うことなくラドガ湖、そして悲願だったカレリアに向かう。

 つまり、ラドガ湖南岸を通りオネガ湖西岸のペトロザボーツクへと進軍した。

 

 さて、問題なのはサンクトペテルブルグから脱出したロシア人の動きだ。

 前にも書いたが、あえて脱出口をサンクトペテルブルグ東側、シュリッセリブルクなどはサンクトペテルブルグ戦の時は陥落させずに逃走路として空けられていたのだが、脱出民を追い立てるようにフィンランド軍がやってきたのだ。

 

 逃げる脱出民と追うフィンランド軍という構図になったが、ノヴァヤ・ ラドガあたりで脱出民は気づいたのだ。

 南、ヴォルホフやフヴァロフスコエ方面へ逃げればフィンランド軍は追ってこない事を。

 そして、フィンランド軍が、自分達を皆殺しにする為に追撃している訳ではなく、ペトロザボーツクへ進軍するのに邪魔な障害物(自分達)を排除しているに過ぎないことを。

 

 業腹ではあったが、命には変えられない。

 スオミ人の意図を察したロシア人は南へと向かった。

 そして、ヴォルホフから南へ向かえばキリシという集落があり、フヴァロフスコエの先にはチフヴィンという小さな町があった。

 

 そんな場所へ何十万、あるいは下手をすれば100万に達しようかという避難民、着の身着のままサンクトペテルブルグから逃げてきた国内戦争難民が押し寄せてきたのだ。

 無論、大混乱になった。

 更に最悪だったのは、レニングラード陥落の衝撃の大きさと深刻さから国内には箝口令を敷いていた事だ。

 つまり、キリシとチフヴィンに避難民が押し寄せてきた時、サンクトペテルブルグがもうロシア人の物ではないことを知っていたのは、共産党や軍の上層部だけだった。

 

 その混乱の最中にドイツ軍(かれら)はやって来た。

 フィンランド軍を露払いにするように、重厚な無限軌道の音を響かせて。

 今度こそ、「本物の追撃」であり、制圧であった。

 

 ドイツ人は逃げる者は追わなかった。だが、抵抗する者には容赦無かった。

 そして、1941年11月8日、キリシだけではなくその先のブドゴシまで制圧・防御陣地化を完了しており、ノブゴロド→ブドゴシ→チフヴィンのラドガ湖南を守る防衛ラインが機能していた。

 

 そして、混乱が収まらないうちにペトロザボーツクが陥落しフィンランド領ペトロスコイとして復帰、ドイツ人のカバーを受けながら北岸のメドヴェジエゴルスクを攻略しカルフマギへと戻した。

 

 事実上、この時点でラドガ湖とオネガ湖はドイツ・フィンランド連合軍の実効支配地域となり、事実上、ヴォルガ・バルト水路と白海・バルト海運河はソ連は使用不可能になった。

 そしてつい先日、オネガ湖南岸のヴィテグラまでも陥落したのは皆さんの知っての通りだ。

 

 と、ここまでが下拵え。

 

 

 

***

 

 

 

 スカンジナビア半島、ムルマンスクから南227㎞にあるカンダラクシャに集結した約10万のドイツ人とスオミ人は、11月の後半にアルハンゲリスクの海が凍り始めるのを「わざわざ確認してから」進軍を開始した。

 理由はシンプルだった。

 ムルマンスクへ向かう陸路は既に潰した。

 ロシア人の空輸能力は無視して良いレベルだし、仮に飛んできたとしても移動式のレーダーシステムまで持つドイツ軍の鴨になる。

 

 しかし、唯一警戒しなければならなかったのが、辛うじてモスクワとの補給路が生きているアルハンゲリスクからの海路による補給だ。

 そして、ムルマンスクからの海路での脱出も面倒な事になりかねない。

 だから、アルハンゲリスクから来るのも或いはアルハンゲリスクへ行くのも著しく制限がかかるタイミングを図っていたのだ。

 

 ムルマンスクは沖を通るメキシコ暖流の影響で不凍港であり、アルハンゲリスクはそうでない。

 その性質差を最大限に生かそうとしたのだった。

 

 

 

 そして、独芬の連合地上軍がカンダラクシャを出発した後、ムルマンスクへの本格攻略に参加するのは史実と異なり、陸からだけだとは限らなかったのだ。

 

 ムルマンスクは、コラ湾(別名:ムルマンスク・フィヨルド)に開拓された港湾都市で、バレンツ海より50㎞ほど奥まった場所にある。

 そして、このコラ湾自体の長さ(奥行)は約57㎞、最大幅は7㎞、水深は200~300mといったところだろう。

 

 そこで、ソ連は湾口部(河口部)に機雷を敷設したのだ。

 意外と思われるかもしれないが、ソ連の機雷敷設技術は帝政ロシアからの流れがあり割と高い。

 帝政ロシア海軍は機雷敷設に非常に力を入れていて、実は世界初の外洋航行可能な機雷敷設艦は19世紀末に建造された帝政ロシアの”アムール級敷設艦”であり、同級の敷設した機雷で史実の日露戦争では「初瀬」と「八島」が沈んでいる。

 まあ、この世界線ではそもそも日露戦争開戦時に遼東半島を保持していたのは日本皇国側なのでこのような歴史は無いが、ロシアがその後も機雷敷設に熱心であることは変わりなく、ソ連海軍もそれ引き継いだ……はずだった。

 引き継いだはずなのだが、その技術は正直に言えば停滞していた。いや、むしろ後退していたのかもしれない。

 理由は言うまでも”大粛清(テロル)”の影響だ。

 トハチェフスキーの拷問の末の処刑は有名だが、真っ先に赤軍内の粛清にされたのは、労農赤軍の流れをくむ陸軍より海軍だった。

 海軍というのは、基本的に軍艦と言う”ハイテク兵器”を扱うために基本的に技術者集団(テクノクラート)であり、特に高級将校は貴族出身者も多く士官教育という高等教育を受けていたために同時に知識人階層(インテリゲンチャ)とみなされた。

 粛清するには十分な理由である。

 

 基本的にロシア革命、そしてスターリンの粛清はその本質において「下層階級者(貧困層)の上層階級(富裕層)に対する恨み、つらみ、妬み、嫉み」から始まった事を忘れてはならない。豊かな人間は、富の公平分配なんて考えないのだ。

 だから、ソ連海軍は一気に衰退した。船はあってもそれを動かせない(動かない)、動いたとしても満足に操れない事例が頻発したのだ。

 

 そして、そのような背景があり、技術やノウハウの世代間継承が断たれ、残された資料を元に機雷の製造から始めなければならないのが今のソ連海軍であり、だからこそ第一次世界大戦で使われていたそれと技術的に大差ない機雷が、そうであるが故に当時と同じ方法で敷設されていた。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、この世界線のドイツは、総統閣下がそもそも転生者だ。

 日独が連合軍の機雷に痛い目に合わされたことは忘れていない。

 なので、レーダー元帥が”長い休暇”を取らなくて済むように海軍との関係は良好性を保ち、また史実のドイツ海軍があまり得意としていなかった技術、その筆頭は空母建造と運用、対潜装備や戦術、そして掃海作業までテコ入れしていた。

 無論、掃海技術というのは、国防の中でも秘匿性が高く、他国から簡単に教えてもらえるようなものでもなかった為に手探りで行うしかなかったが、それでもドイツの掃海技術は一歩一歩着実に向上していた。

 

 故に、ソ連が敷設した「第一次世界大戦で使われた(かつて知ったる)機雷」の処理はさして難しいものでは無く、当然のようにドイツは掃海艇部隊を出撃させて機雷原の排除にかかる。

 それも、河口部にある小規模拠点の”ポリャールヌイ”からだけでなく、ムルマンスクから25㎞ほど北にあるコラ湾のソ連艦隊小拠点”セヴェロモルスク(この世界線では、41年に既にこの名で呼ばれていた)”から「ギリギリ確認できる位置」で。後述する理由から煌々とサーチライトを灯してだ。

 

 

 

 だが、それを大人しくやらせるほどソ連は甘くはない。

 バルト海艦隊全滅によるやせ細ったソ連海軍、黄金より貴重な駆逐艦や戦闘艇、型は古い(革命前に建造された)虎の子の軽巡洋艦まで出てきた。

 だが、それは誤った判断だったと思い知るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、唐突ではあるが、皆さんは”極夜(きょくや)”という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 字面が何となく中二チックだし、夜を極めるなんてエロゲにでも出てきそうな感じだが、立派な日本語である。

 南極や北極やそれに近い地点で、「夏の間、太陽が1日中水平線の下に沈まない自然現象」である”白夜”は有名だと思うが、極夜はその反対。

 冬の間、「太陽が水平線の上に昇ってこない現象」、言ってしまえば一日中が夜って感じになる。

 ただ、厳密に言えば完全に暗夜になるのではなく、いわゆる日理の時間帯に水平線を沿うように太陽が動くので、夕方と言うか黄昏時のような暗さになる。

 イメージとしては、太陽が水平線に沈んでしまってもしばらくは明るさが残り、すぐに真っ暗にはならないがあの明度だ。

 そして、ムルマンスクにおける極夜は、12月の初めから翌年1月の中旬くらいまで1ヵ月以上、この極夜が続く。

 

 ドイツは、意図的にこの極夜に入るのを待ち掃海を開始したのだ。

 わざわざなぜ極夜を選んだのか?

 それは、ムルマンスクにいるロシア軍よりも「黄昏時に使える装備を持っていた」からに他ない。

 

 実はこの掃海艇部隊、その本質においては「ソ連北方艦隊をおびき出す」ための”撒き餌”を兼ねていた。

 

 サーチライトで海面を照らし作業するドイツの掃海艇部隊を蹴散らすべく現れたソ連艦隊が、突如として無数の水柱に囲まれる。

 水柱が晴れた時には、炎をあげている船、中には消し飛んで轟沈した船すらあった。

 

 

 

 一体、ソ連艦隊は「何に、何処から」撃たれたのだろうか?

 

 勘の鋭い親愛なる読者諸兄は、既にお気づきではないだろうか?

 砲弾の種類はドイツ製の28㎝砲弾……そう、闇に溶けるように沖合に並んだ2隻の”ポケット戦艦(・・・・・・)”だったのだ。

 サンクトペテルブルグへの艦砲射撃にも加わった”ドイッチュラント級装甲艦”だ。

 

 つまり、掃海艇部隊を餌にのこのこ出てきた(出てくるしかなかった)なけなしのソ連北方艦隊に対し、「レーダー統制射撃」を開始したのだ。

 しかも、「敵艦見ゆ!」の報告をしたのも、現在進行形で弾着観測をしてるのも、同じく「レーダーを搭載した掃海艇部隊」だった。

 無論、せめて一太刀と突撃を敢行しようとするソ連艦艇もいたが、当然のように掃海艇部隊には護衛役がいた。 

 それも、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦1隻を旗艦とする軽巡と駆逐艦の総勢12隻の水雷戦隊が。

 言うまでもなく、彼らもまた”全ての船”にレーダーを標準搭載していたのだった。

 

 

***

 

 

 

 事実上、この時点で後に”コラ湾海戦”と呼ばれる事になる小さな戦いの勝負は決した。

 もうご理解いただけただろう。

 ドイツがこの極夜の時期にわざわざ、後世に”第二次冬戦争”と呼称されることになる一連の冬の戦いを選んだ理由は、ムルマンスクが不凍港で緯度から考えれば温暖なだけでなく、日の昇らず闇が続く”極夜”も理由だった。

 

 つまり、肉眼で見えなくとも電磁波の目(レーダー)で索敵と照準できるドイツが、”一方的に有利”だからこそ、この時を選んだのだ。

 

 

 

 だが、ソ連北方艦隊の殲滅は、来栖の予想通りノルウェーのとある港を租借した”ドイツ海軍バレンツ海分派艦隊”の任務の一つに過ぎなかった。

 ソ連艦隊が戦力を喪失した後、”セヴェロモルスク”より少し奥まった所まで入り込み、邪魔者のいなくなった海中で作業する潜水艦群があった。

 タリン沖の戦いである陰の立役者、ドイツの機雷敷設特化Uボート”X型”だ。

 

 理由は勿論、ドイツ製の水上艦用、潜水艦用双方の機雷の敷設だ。

 ソ連海軍が湾口からドイツ海軍を入れたくなかったように、またドイツ海軍もまたソ連海軍にバレンツ海へと出てきてほしくなかったのだ。

 水上だけでなく、水中からも。具体的には、ソ連の北方艦隊残存艦艇全てををムルマンスクに封じ込めておきたかったのだ。

 

 また、同時にコラ湾にある前述の小さなソ連海軍拠点、ムルマンスクへ向かう船の見張り施設程度の規模しかなかった河口部の”ポリャールヌイ”と、細長いコラ湾の中ほどにある”セヴェロモルスク”は、ソ連北方艦隊消滅直後より始まった暗闇から降り注ぐ艦砲射撃……無数の巨砲の砲弾(・・・・・)で、自分達が何に撃たれたのかわからぬまま更地へと還った。

 

 

 

 そして、ムルマンスクを巡る戦いは、新たな局面(ステージ)へと突入する……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




”銀狐作戦”は、勝つ気があったのか怪しいほど杜撰だった我々の世界の歴史の反省を踏まえ、手間暇と人と金をかけて入念にガッツリ準備されています。
つまり……

「攻め寄せるのが陸軍だけと、誰が言った?」



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第144話 月光に水面がほのかに輝くその夜に、”彼女たち”はそっと現れる。巨砲を携えて

ムルマンスク攻略戦、”海の真打”登場です。




 

 

 

 さて、陸の話も海の話もした。

 ならば、空の話もしないと片手落ちになるだろう。

 

 そもそも、見方によっては陸海より遥かに早いタイミング……バルバロッサ作戦の発動直後、つまりまだ”白夜”の時期に断続的にフィンランド領内から飛び立ち、空爆を行っていた。

 

 そう、執拗に”昼間(・・)爆撃”を繰り返していた。

 十分な数の史実ならF-4以降相当のBf109とFw190Aを護衛に付け、Ju87D急降下爆撃とJu88A双発爆撃機が主力だった。

 ソ連としても顔なじみの機体ばかり。

 大型の4発機は、今までムルマンスク上空では確認されていない。

 

 無論、気の抜けた爆撃ではない。

 そして、上がってくる迎撃機は片っ端から叩き落とした。

 

 この時期、ムルマンスクだけでなくソ連全体にヤンキーファイターは届いておらず、生産時期(まだ、本格的な量産が始まってるとは言えなかった)と資材・輸送の制約からYak-1、MiG-3などの最新鋭機の数は少なく、おまけに製造精度と整備員の技量の低さ、部品の供給不足から稼働率は低かった。

 むしろ、複葉機のI-15やI-153、時代遅れのオープンコクピットのI-16がまだまだ主力という有様だったのだ。

 

 そして、ドイツ人の爆撃は武器・弾薬庫や食糧庫、兵舎、司令部、飛行場、高射砲陣地、港湾施設、発電設備、燃料貯蔵施設と軍民問わず重要施設、インフラの破壊を徹底した。

 時には軍港だけでなく修理中の船にモロトフのパン籠よろしくクラスタータイプの焼夷弾をばら撒き、港に最新鋭ではない(・・・・)タイプの浮遊機雷を落としたりもした。

 

 実にエコ、あるいはコストパフォーマンスの高い航空作戦だった。

 機体の性能差以上に労農赤軍のパイロットは腕が悪く、地上でも空でも標的に過ぎない。

 あるスオミ人のエースなどは、「これじゃあ空中戦じゃなくて射的大会だ」とぼやいたという。

 

 ソ連にはレーダー防空システムは無く、おそらくこの先も当面はない。

 我々の世界史でも実はレーダー先進国は英独であり、米国は英国の協力がなければまともな性能のレーダーも、近接信管(VTヒューズ)もおそらくは戦時中に開発できなかったであろう。

 

 そして今生、この世界線においては「英国はソ連から来ようがアメリカから来ようが、”赤い客人”」を受け入れる気は毛頭なかった。

 英国内に居るであろうまだ姿を見せぬ”転生者(うらかた)”達は、戦後の英国の凋落の一因が米ソである事を忘れてはいないのだ。

 彼らは、米国や赤色の踏み台になる気はサラサラ無かった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、ムルマンスクのロシア人が軍民問わずに待ち望んでいた”極夜”の季節がやって来た。

 経験(・・)から、ロシア人は自分達の航空機が極夜において作戦能力を失うように、ドイツ人の飛行機もまた夜間作戦能力がないと信じ切っていた。

 当然だった。彼らは”バルバロッサ作戦”の開始以降、一度も夜間爆撃を経験していない。

 これでようやく度重なる攻撃でもはやムルマンスクにまともな対処法が残されていない、あの恐ろしいドイツ軍の空爆に怯えなくて済むと。

 それは、ドイツ海軍航空隊(・・・・・)に対しては、全く正しい。

 彼らの航空機は、夜間爆撃できるようには今のところは出来ていない。

 だから、今回の作戦には空母機動部隊を連れてこれなかったのだ。

 

 ムルマンスクのロシア人は、考える。

 どんなに苦しい状況であっても陸戦なら、極夜の闇と厳しいムルマンスクの冬が自分達の味方だと信じていたのだ。

 実際に、ロシア人は無謀にも西の鉱山街”ペツァモ”からムルマンスクへ侵攻をかけようとするドイツ人を何度も追い払っていた。

 それが彼らの自信であり、心の拠り所だった。

 

 そこにわずかながらの油断と慢心があったのは間違いはない。

 南から攻めあがってくる部隊も、重厚に幾重にも張り巡らせた防衛線で対処できると考えていたのだ。

 

 だからこそ気づかない。

 爆撃からの復旧や防御線設営の労働者として強制徴用した”周辺住民”の中に、ロシア語が堪能でもロシア人ではない者が混ざっていたことに。

 そして、自分達の中にも内通者がいたことに。

 彼らは、爆弾が降り注ぐ中も連絡を取っていたのだ。

 

 厳しいロシアの冬を生活の場にしていた自分たちにとりムルマンスクなど取るに足らない環境だが、ドイツ人にとってはこの環境が過酷な物であると信じていたムルマンスクの赤色軍人は気づかない。

 少なくとも、スオミ人とスオミ人から冬の戦争とは何たるかを学んだ”北方軍集団の(・・・・・・)ドイツ人”にとり、沖のメキシコ暖流の影響で港が凍らない程度に冬でも暖かく、また日本の豪雪地帯より遥かに雪が薄いムルマンスクなど大して厳しい環境では無いということを。

 

 要するに……彼らは、ムルマンスクに慣れ過ぎていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 資料によれば極夜特有の薄暗さに包まれたムルマンスクに、最初の火の手が上がったのは現地時間で1941年12月8日午前10時の事だったという。

 極夜のこの時期、日の出と日の入りまでの時間は正午の30分程度しかない。

 しかも、完全に水平線から顔を出す事はない。水平線の”(へり)”を水平に動き、すぐ沈む。

 そして、午前10時の太陽は水平線の下にあり、ぼんやりとした仄暗さの世界を作り出していた。

 黄昏時のような情景、黄昏時の別名は”逢魔が時”。

 言い得て妙だ。

 確かにムルマンスクには、ドイツ産の”機械仕掛けの海魔(レヴァイアサン)”が迫っていたのだから。

 

 

 

 奇しくもこのタイミングは、我々の知る歴史ならば”真珠湾攻撃”が始まった日時とおおよその符合が一致する。

 ただし、ヒトラーはそれを別に狙ったわけでは無いのは記しておきたい。

 市内各所で唐突に上がった火の手は内通者や潜入工作員が仕掛けた、テルミット爆薬をふんだんに使った時限発火装置や有線、無線発火装置だ。

 

 さて、皆さんは第二次世界大戦の夜間爆撃において取られた代表的な戦術、爆撃先導機(パスフィンダー)とマーカーをご存じだろうか。

 パスフィンダーとは文字通り爆撃機隊を先導して飛ぶ夜間航空機で、高速高機動を生かして爆撃の目標となる場所に発火体(マーカー)を落とし、それを基準に後続の爆撃隊が爆弾を落とすのだ。

 その模様は、”ドレスデン大空襲”などで検索すると分かりやすくて出てくるかもしれない。

 

 このムルマンスクの反赤色な人々が果たした役割こそが、まさに「マーカーを灯す」だったのだ。

 だが、史実のドレスデンとの違いは、パスフィンダーが行う役割を人力でこなしただけではない。

 とりあえず、最初に降り注いだ物が違った。

 最初に飛んできた物が航空機から投下されたのは爆弾ではなく、”投射された砲弾(・・)”だったのだ。

 正確には、ドイツ自慢のドイツ海軍最大の巨砲であるSKC/34型38cm47口径長連装砲から放たれた、重量800kgの砲弾だった。

 

 そう、”彼女ら”はもう来ていたのだ。

 直線距離で約25㎞離れた”セヴェロモルスク”の沖に、38㎝砲をその身に宿らせる”ティルピッツ”と”シャルンホルスト”が……

 

 そう、このドイツ海軍最大の巨砲を携えた2隻こそ、前話の最後にて”ポリャールヌイ”と”セヴェロモルスク”に暗闇の彼方から巨弾を飛ばし、地図上の表記に変えてしまった真犯人だった。

 

 それにしても……月光に水面がほのかに輝く極夜、やはりティルピッツにはフィヨルドが、シャルンホルストには雲形の迷彩が映える寒い海がとてもよく似合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




1941年12月8日なのは、まあ、お約束ですw

今生のドイツ軍、こうなんか色々仕事して下準備してる感じが出てればな~と。
この世界線のヒトラーも後年の米ソの研究者には、「軍に色々口出したり横槍入れたりした独裁者」と史実と似た感じに評されますが、「必要と思ったら会議を開き、遠慮なく口を出す」と日英の研究者は結構、ニュアンスが違います。
ドイツの研究者は「天才以外の表現が無い」と全肯定しそうですがw
少なくとも当時の閣僚たちは、ポーランドの山荘とかに行かずベルリンに大体居てくれるので助かってるんだろうな~と。


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第145話 ロンメルさんって自ら戦車に乗って最前線で陣頭指揮とっててもおかしくないイメージがある

陸軍だってビックリドッキリメカくらいありますよ?
だってドイツ軍だし。




 

 

 

 ”銀狐作戦(Unternehmen Silberfuchs)”の総決算の12月8日攻勢において、最初の大打撃を与えたのは、巨砲と読んで差し支えないビスマルク級戦艦2番艦”ティルピッツ”とシャルンホルスト級巡洋戦艦1番艦”シャルンホルスト”が参加できた理由は、至ってシンプルだった。

 

 前々話において、X型Uボートが”セヴェロモルスク”より更にムルマンスク寄りのコラ湾の奥、具体的に言うなら湾曲と岬で川幅の狭くなったミシュコフ辺りに機雷を敷設して「通せんぼ」した理由も、ついでに小規模拠点だったセヴェロモルスクを生存者的な意味で元の開拓村レベルに砲撃で戻したのも、この為だった。

 

 ソ連に夜間に飛べるまともな航空機は無く、またまだ実用的なレーダーもない。

 おまけにミシュコフより先へは進めない。

 仮に機雷原を突破できても、ドイツ艦隊が手薬煉引いて待ち構えているのだ。

 

 そんな中、極夜の夜陰に紛れてコラ湾に侵入してくる戦艦を確認できるロシア人は居なかった。

 居たとしても、連絡の取りようも対処のしようもなかったろう。

 

 さて、戦艦なんて大物(デカブツ)がコラ湾(別名:ムルマンスク・フィヨルド)に入って来て大丈夫なのかと言われれば、このフィヨルド、湾と呼ばれるだけあり最大幅は7㎞もあり、しかもその最大幅部分がちょうどセヴェロモルスク沖なのだ。

 おまけに水深は潜水艦も自由に動き回れる200-300m。

 

 これだけの水域なら、戦艦とて立ち往生することはない。

 無論、時間通りに街から上がった火柱に向けて主砲を撃つにも苦労は無かった。

 

 お忘れかもしれないが、この世界線においてシャルンホルスト級はビスマルク級と同じSKC/34型38cm47口径長連装砲を主砲としていた。

 違うのは砲塔数(門数)でビスマルク級連装4基8門、シャルンホルスト級は連装3基6門である。

 まあ、次の小規模近代化改修で現在、本国で改修中の姉妹艦同様に新型の48.5口径長砲に変更し、更なる射程延伸を図る予定でもあるが……

 現時点でも、最大射程は36㎞を超える。

 つまり、ムルマンスクから25㎞程度しか離れていないセヴェロモルスク沖からはムルマンスクのほぼ全域が射程範囲だった。

 これに加えて、ドイッチュラント級装甲艦2隻も砲撃に加わる。

 実はこの世界線のドイッチュラント級装甲艦、シャルンホルスト級がビスマルク級と同じ主砲を搭載することが決まったために、オリジナルのSKC/28型 28cm52口径長砲ではなく、先んじて行われた近代化改修にて史実のシャルンホルスト級が搭載するSKC/34型28cm54.5口径長に主砲をアップデートしており、砲弾は38㎝の800kgに対し300kgと軽いが最大射程は約40㎞と勝っていたのだ。

 

 近場のノルウェーの拠点にいったん戻り、簡易メンテと補給を終えて戻ってきたドイッチュラント級装甲艦に隙も敵も無かった。

 

 

 

***

 

 

 

 14門の38㎝砲と12門の28㎝から放たれる断続的な砲弾の雨が降り注ぐ12月8日の朝、ムルマンスクに訪れる破壊はそれだけではなかった。

 来たのは今度は、あるいは今度も空からだった。

 

 そう、機体の大きさ故に容積の余力があり、夜間爆撃に必要な電探や各種航法装置を搭載したドイツご自慢の4発機の群れがフィンランド領内より飛んできたのだ。

 サンクトペテルブルグ攻略にも活躍し、史実と違い余計な横やりが無かった為に4発機として大成したHe177Aと、今後、対潜哨戒任務の需要から対潜哨戒機への改装が予定されている為、爆撃機として最後の花道を飾るであろうFw200Cで編成される合計100機の怪鳥は、爆撃用のマーカーに事欠かないムルマンスクを猛爆したのだ。

 

 

 

 そして、最後は10万のドイツ・フィンランド連合陸軍の出番である。

 当然のように朝8時に火柱が上がる前には攻勢準備が行なわれていた。

 

 装甲兵力に守られた弾着観測部隊が前進し、集光率の高い双眼鏡と無線機を武器に戦う中、陸軍の重砲隊が火ぶたを切った。

 注目すべきは、この弾着観測部隊、陸軍の重砲だけでなく海軍の艦砲射撃の弾着観測・確認・修正指示も同時にやってのけたのだ。

 

 ドイツ軍が、軍の枠組みを超えた諸兵科連合(コンバインドアームズ)を開始し、近代軍から現代軍へと的確に歩んでる証拠でもあった。

 蛇足ながら、弾着の識別は簡単だった。とにかく着弾の威力と大きさが違うのだ。

 陸軍が引っ張ってきた重砲は、大きくても15㎝級で、戦艦基準なら副砲、軽巡の主砲だ。逆にドイッチェランド級の28㎝砲級の大砲など、陸軍には列車砲や要塞砲(固定砲)くらいしかない。

 無論、どちらもムルマンスク近辺には持ち込めていない。

 本来ならクルップK5(レオポルド)列車砲くらい持ち込みたかったが、サンクトペテルブルグからムルマンスクに伸びるキーロフ鉄道のインフラでは使用不能と判断され、断念していた。

 

 代わりにというのもなんだが、面白い試作兵器が戦場に姿を現していた。

 史実では、”カール自走臼砲”と呼ばれる車両(?)だ。

 だが、史実と違うのは臼砲自体が原型の60㎝8.45口径砲ではなく、最初から改良型の”041”と同じ54㎝11.5口径砲が採用されていたことだろう。

 これはとても単純な話で、試作砲は確かに史実通り60㎝で作られたのだが、やはり4㎞程度しかない射程が問題視され、試作砲の発射を視察していたヒトラーの「砲弾はもう少し小さくても構わんから、射程はせめて重砲と呼べる程度にせよ」という鶴の一声で、このような事になった。

 

 全備重量125tを超えるこの陸式巨砲は、ムルマンスク直前のキリジンストロイまで分解されて鉄道で運び込まれ、現地で再組立(しかも極夜の中で!)という苦労の元にこの場にあったが、その甲斐あってか砲弾の威力はすさまじく、1発の威力ならティルピッツやシャルンホルストの38㎝砲弾を凌いでいた。

 もっとも、発射速度は及ぶべくもなく、余裕を持って2~3分間隔で釣る瓶打ちしてくる艦砲射撃には総合的な破壊力は及ばない。

 まあ、カール自体は1発の重さに趣を置いたハードパンチャーなので、これで正しいのかもしれない。

 

 

 

 他に注目すべきは、中々に優秀で気合の入った砲撃を繰り返すフィンランド陸軍砲兵隊だろうか?

 ムルマンスクに限らずコラ半島を奪取できれば、丸々フィンランドに編入されるのだから、そりゃあ気合も入るってもんだろう。

 ちなみに彼らが用いてる重砲は、元々の装備や冬戦争の鹵獲品もあるが、決して少なくない門数が、復興進むサンクトペテルブルグで組み立てられたものだということは、実に歴史の皮肉を感じる。

 

 

 

***

 

 

 

 艦砲射撃、空爆、重砲とある種、世紀末的(ラグナロク)な光景が訪れたムルマンスクであった。

 12月8日正午、一旦砲撃中止命令が出て、都市制圧部隊がいよいよ入るが……

 

「……見事に何も残ってないな」

 

 IV号戦車のキューポラから乗り出して双眼鏡を構えるエドヴィン・ロンメルの率直な感想だった。

 リビアの砂漠にいた頃は、英国軍から奪ったAEC装甲指揮車(ドーチェスター)に乗り指揮していたが、やはり戦車も良い物だとしみじみ思う。

 今回は飛び入りの増援装甲指揮官という風体で極北の地へ馳せ参じたので尚更そう思う。

 そして、街というより瓦礫の山と形容したい風景ながらも、

 

(まだいる。確実に生き残っている)

 

 史実によれば、1939年時点のムルマンスクの人口は12万人。

 また、終戦直後に街に残っていたのは、港湾施設と3軒の建物だけだったらしい。

 

 そしてこの世界線でも、今や戦車戦が堪能できそうな更地になりかけているが……

 

「この暗さだ。各員、気を緩めるな。味方以外、動く物は全部撃て。特に武器を持っていると思しき者、怪しい動きをする者には躊躇うな」

 

 薄暗い極夜のこの季節、市街戦は一日中が夜戦と同じ遭遇戦になると考えた方が良い。

 統制が取れた戦いが望むべくもないなら、疑わしきは撃てが鉄則。死んでからでは何もかも手遅れだ。

 もはや人間が生活を営むには適切ではない場所に成り下がってるムルマンスクだが、同時にロンメルは人間が存外にしぶとく生き汚いことを知っていた。

 だからこそ、市街戦は血腥い物になると覚悟を決める。そのためのIV号”スペシャル”だ。

 用途は、対装甲戦のような華々しいものはほとんどなく、おそらくは古式ゆかしい近接火力支援、歩兵直協ばかりになるだろう。

 

(だが、それがどうした)

 

 要するに、この街を制圧できれば良いのだ。

 結果が全てで、戦う相手は問題じゃない。

 

「良かろう」

 

 元々、このIV号には対戦車用の徹甲弾や徹甲榴弾は10発程度しか積まれていない。残りの砲弾ラックは榴弾や榴散弾ばかりだ。

 そして、対人兵装なら主砲同軸機銃、車体正面銃、キューポラの防盾付機銃、Sマインなどが搭載されている。

 ならば、それを存分に叩きつけてやればよい。

 

 そもそもが、ムルマンスクにロンメルが好む戦車(獲物)がほとんど残っていないことは、砲弾の搭載比率から物語る通り最初から分かっていた事だった。

 独ソ戦開戦直後にムルマンスクに配備されていた元々多くはない戦車は、”レニングラード防衛戦”にムルマンスク(キーロフ)鉄道を通じて引っ張り出されてしまった。

 そして、レニングラードがサンクトペテルブルグに変わった今、その戦車は戻って来るはずもない。

 ではアルハンゲリスク辺りから凍結する前に海路で搬入は?……それも期待できなかった。

 

 戦車を必要とされる戦場は、”首都モスクワ周辺(・・・・・・・・)”だけでもごまんとあった。

 そして、ソ連は僻地であるムルマンスクに戦車を送れるほどの余力はなかった。

 

 

 

 一応、少しだけフォローしておこう

 スターリンは決してムルマンスクを見捨てたわけでは無い。

 ただ、他にも優先して守らなければならない領土があっただけだ。

 首都のモスクワと、自らの名を付けたスターリングラードはその優先度リストトップだ。

 ドイツがそんな場所を狙いもしてないのは、スターリンの知らない事だった。

 

 それにムルマンスクにはじきにアメリカからの援助物資(レンドリース)品が届く。

 スターリンは、その援助物資を用いて戦って良いと、格別の配慮を与えた。

 本人は、「まさに寛容と慈悲」と自画自賛していた。

 

 だが、惜しむらくは12月8日現在、その物資はムルマンスクに届いていない。

 厳密には、アメリカをまだ出航すらしていない。

 戦場に届いていない兵器に戦況を変える力があるわけもなく、そうこうしてる間にカールの54㎝砲弾でロシア人の防御陣地(トーチカ)が丸ごと吹き飛ばされ、いよいよ市街地への進撃路が開かれた。

 

「では、そろそろ連中に戦争を教育してやろう」

 

 ロンメルはニヤリと笑い、

 

装甲部隊、前進せよ(Panzer Vor)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ロンメルさんに只々、

装甲部隊、前進せよ(Panzer Vor)!!」

と言わせたいだけの人生だったw
いや、上級大将サマが自ら戦車に乗って最前線出てきちゃダメでしょう(笑)
そこはまあ、フィクションということで。
世の中には、戦車でドンパチやるのが乙女の嗜みって世界線もあることですし。



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第146話 米ソにおける間接的な転生者の影響とその顛末、ならびに最強狙撃手伝説は未だ終わらず

市街戦はあっさりと。



 

 

 

 一般にソ連の歴史書には「酷い戦い」と評されるムルマンスク攻略戦だが、後年の歴史家によれば最大の失敗は、

 

 ・米ソとも、ドイツが本格的な冬季攻勢を、”極夜”なんて慣れてるわけない劣悪な環境でやるとは思っていなかった

 

 と思い込んでいたことらしい。

 現代に生きる我々には妙な言葉に聞こえるかもしれないが、それを裏付ける証拠はいくつもある。

 奇妙な事に、米ソの最高意思決定者のアドヴァイザー的なポジションにいた人物は異口同音に

 

『ドイツは、冬季戦に関する研究もしていなければノウハウもない。また日の昇らぬ極夜に関する訓練も行っていないはず。なので、11月中旬あたりまでムルマンスクを防衛できれば、”銀狐作戦”は極夜が始まる12月には中止され今年度のドイツ軍による攻勢は無くなる。そうすれば、最も早くから稼働可能で最もモスクワに近いレンドリース受け入れ港がその真価を発揮する』

 

 と言い放っていたのだ。

 だからこそ、ルーズベルト大統領は国内の調整に手間取っていたレンドリースを、準備が十全にでき政治効果が期待できる1941年の12月25日(クリスマス)出航に合わせたし、それで十分に状況に間に合うと考えた。

 

 そしてソ連では、前話で「スターリンはムルマンスクを見捨てたわけではない」と記した際にも他にも優先して守るべき云々と書いたが、その判断に「ドイツ人に冬季戦の知識や極夜で戦うノウハウはなく、冬の間はムルマンスクに攻めてこれず、冬に戦えるフィンランド軍だけなら兵力差で押し返せる」という助言が判断材料としてあったようだ。

 つまり、この冬で陥落しないのなら無理に援軍を送る必要はなく、冬の間に届く米軍の援助物資で防衛できるだろうという読みだ。

 

 ただ、ソ連に関しては、その助言に信憑性持たせる証拠がいくつもあった。

 一つは、スモレンスクだ。

 ドイツ人は開戦から瞬く間にベラルーシを制圧し、スモレンスクを制圧したが、モスクワには何度が攻め寄せるが、いずれも撃退、防衛に成功していた。

 そして、秋に入る頃にスモレンスクからミンスクまでの防衛線を強化し、またベラルーシ内の共産党員狩りに精力を注ぐなどの行動から冬季攻勢は無いと判断されていた。(なお、極秘裏に”カティンの森”の調査をはじめていたが、ソ連は未だにそれを知らない)

 

 加えて、ムルマンスクの西にあるフィンランドのペツァモという街を拠点に何度か侵攻をかけてきているが、何れも返り討ちにしており、空爆の被害だけは日に日に増えているが、空爆だけで占領された街は歴史上存在しておらず、また極夜になれば空爆は不可能と判断されていた。

 

 つまり、この時点でソ連で「ドイツ人の真意」に気づいている者は一人もいなかったし、正直、今でも怪しい。

 そして、この情報と判断が、コミンテルンを通じて、アメリカ政府中枢に届いていたのだ。

 その受け取り手の1人が、”ハリソン・ホプキンス”。

 レンドリースの責任者で、大統領の懐刀だ。ただし、懐刀の刃は、赤錆(・・)が浮かび腐れ果てているが。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、皆さんは不思議に思わないだろうか?

 これらの助言はまるで、まるで「前世の歴史を知る転生者(・・・)」が行ったように聞こえるだろう。

 

 だが、エピソード【His Story】で示した通り、普通に考えればアメリカでは政府要人になれる立場にはあがれず、ソ連では粛清対象になるような立ち位置にしか転生者はいないはずだ。

 

 だが、ここで神ですら思ってなかったエピソードの変遷が起きる。

 とある黒人系転生者が、これから起こるであろうことをメモに書き写した。

 だが、その男は当時はよくあった「黒人のくせに生意気」という理由のリンチで殺され、いつものように大した処理もされないまま”未解決事件”として幕を閉じた。

 別におかしなことではない。

 当時(公民権運動前)のアメリカ南部諸州では、殺人事件とは「白人が被害者だった場合にのみ適応される」が当たり前だった。

 リアルに”奇妙な果実”というブルースがあるが、これに歌われる”奇妙な果実”とはリンチで殺され吊るされた黒人のことで、このブルースがリリースされたのは、1939年……つまり、現時点を起点とするなら2年前だ。

 

 だが、ここで奇妙な果実となった黒人転生者に奇妙な糸がつながる。

 これは史実の話なのだが、この”奇妙な果実”の原詩と言っていい”苦い果実”は、ユダヤ人教師のエイベル・ミーアポルという男が、「ルイス・アレン」の名義で「共産党系団体(・・・・・・)の機関紙」に発表されたのが始まりだ。

 ミーアポルはアメリカ共産党党員であり、筋金入りの共産主義者であり、死刑になったローゼンバーグ夫妻(ソ連のスパイで超有名)の遺児を養子として引き取るなどという真っ赤な男だ。

 加えて言うなら、前述の「ルイス・アレン」名義で当時の超メジャー歌手”フランク・シナトラ”のヒット曲まで手がけているのだから、如何に当時の共産主義者がアメリカのあらゆる所に入り込んでたのかがよくわかる。

 まあ、今のアメリカも大差ないかもしれないが。

 

 リアルから再びこの世界線に話を戻すと、”この世界線のミーアポルあるいはアレン”に、リンチで殺された黒人青年の遺品が転がり込んで来るのは、必然だったのかもしれない。

 若き日のミーアポルが故人は何を思っていたのかと遺品のメモを開けば、そこに書いてあったのは未来の日付と、荒唐無稽とも思える内容だった。

 1920年代、世界恐慌が起きるほんの数日前の出来事だ.

 

 そのメモはミーアポルにとってまるで「予言書」のようなものであり、彼はそのメモの存在を秘匿したままアメリカ共産党へ入党し、政府への浸透工作をかけるコミンテルンの主義者たちと友誼を結んだ。

 

 

 

 一方、ソ連の方はもう少しシンプルで、粛清した相手の持ち物を物色していたとある共産党員が、同じような内容のメモを見つけたのだ。

 無論、彼はそのメモを参考に、「預言者のように」危険を擦り抜け、共産党の幹部として出世し、ついにスターリンに助言できる立場まで上り詰めた。

 そして、この軍部を指導する立場にあった共産党幹部がまとめたムルマンスクのレポートが、ミーアポルとつながりのある政府内のスパイへと流れ、「先見の明がある」とされていたミーアポルに確認し、「その内容に誤りがない」と確認すると、上司へ……”ハリソン・ホプキンス”へ「本国から分析レポート」として提出された。

 

 

 

 中々に愉快な喜劇だろうと思う。

 そして、この「転生者の遺物が作成させたレポート」により、ドイツが冬も戦う覚悟を決めた事に気づかず、結果としてムルマンスクの陥落を招いたのだから、より愉快な気分になってくるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムルマンスク都市部制圧戦を戦い抜いたロンメルは、存外に上機嫌だった。

 というのも、全く期待していなかった戦車戦が、思いの外経験できたからだ。

 それも、T-28中戦車にT-35重戦車と言うT-34やKV-1以前の30年代の古株レア戦車を相手に。

 T-28は故障中でレニングラードに送られなかった物を何とか修理したもので、ロンメル自身が座乗する車両が仕留めたT-35は図体が大きく重すぎて運び出せなかった物だったらしい。

 要するに移動トーチカ、あるいはKV-2重戦車(街道の怪物)のように使おうとしたのかもしれないが、ドイツ自慢の長砲身75㎜砲から放たれる高速徹甲弾相手では、如何せん防御が薄すぎた。

 

 既に市街戦に入って1日が経ったが、掌握は大分済んでいた。

 戦車をトーチカにすれば、より新しいドイツ製の戦車で射貫かれる、陣地を作って立てこもっても重砲で吹き飛ばされる。

 瓦礫を簡易要塞に使おうと思ったら信じられない巨大砲弾で区画ごと吹き飛ばされる……

 

 こんな戦いを、それも極夜の闇の中で続けていたら、如何にロシア人でも摩耗する。

 ドイツ人ならともかく、スオミ人はこういう戦いに慣れている。

 連中が雪中ゲリラ戦に強いのは知ってたじゃないか!と。

 

 実際、2万人のフィンランド軍がその真価を発揮したのは、市街地攻略戦だった。

 彼らは、極夜を自らのカモフラージュとし、実に効率よくロシア人を仕留めていった。

 

 そして、同時に奇妙な現象も起きていたのだ。

 投降、降伏するロシア人が加速度的に増えているのだ。

 彼らは、一様に

 

『上官も、政治将校もみんな殺された。眉間や心臓を一発でえぐられて。きっとまた”白い死神”が出たに違いないんだっ!!』

 

 と恐慌状態に陥ったという。

 

(”シモン(・・・)・ヘイヘ”か……)

 

 ロンメルは、その心霊現象じみた現象に心当たりがあった。

 銀狐作戦のフィンランド軍側のメンバーにユーティライネン少佐(・・)の名があったからもしやと思えば案の定だった。

 

(今生では負傷してないようで何よりだ)

 

 ヘイヘは未だ無傷のまま、今日もムルマンスクのどこかで赤い誰かを射貫いている事だろう。

 

(そういえば、今生ではドイツ製の小銃を使っているという話だったな)

 

 史実のヘイヘは鹵獲されたソ連製のモシン・ナガンを愛銃としていたが、この世界線では冬戦争の頃にはフィンランド軍が導入していた(ドイツから無償供与されていた)”Kar98b”を使い、今はその英雄的活躍が讃えられ、ドイツ政府から勲章と共に12丁まとめて贈られた”Kar98k”を、フィンランドのご当地企業サコー社がヘイヘ用にカスタム&チューンアップしたものを現在は使っていた。

 

 史実でも今生でも反射を嫌ってスコープを使わないのは、相変わらず。

 ただ、この世界線のヘイヘは、軍に入隊する前より第一次世界大戦の敗北で放出されたドイツ製の小銃Gew98を猟銃(愛銃)として使っており、マウザー系の小銃は非常に扱いなれた物だったようだ。

 もしかしたら、それが負傷のおう/おわないを分けたのかもしれない。

 

 そして、史実のヘイヘは継続戦争への参戦を希望したが、負傷が原因の度重なる手術により叶わなかった。

 しかし、この世界のヘイヘは未だ無傷……その神を信じぬ共産主義者相手に増え続けるだろうスコアがどこまで伸びるかは、まさに「神のみぞ知る(God Only Knows)」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヘイヘが被弾せず、無傷=望み通り(史実でも望んでた通り)継続戦争ではなく、戦争に継続参戦。
つまり、止まることのない赤軍被害w

まあ、「米ソにも確かに転生者は居た(・・)」事を示すエピソードを挟んでみました。
基本、転生前はどうであれアメリカの転生者は公民権運動前では、まともに扱われない人種ばかりなので基本的に社会的な上層には行けず、前世記憶と知識を国家の為でなく「如何に自分の人生を金銭的豊かにするか?」に使うことが大半です。
そして、裕福な有色人種が、裕福でない白人からどう思わられるかと思えば……

ソ連は転生者が前世知識があるってことは、ソ連崩壊以降の価値観も持ってるってことで……

という訳で遺品登場(?)と相成りました。


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第147話 終わったかと思ってたら終わってないとか、終わりは新たな始まりに過ぎないとか、多分そういう感じの話

ムルマンスクの制圧と掌握はほぼほぼ完了でも、それは別に”銀狐作戦”全体の終了を意味するわけではなくて。




 

 

 

 資料によれば、”バルバロッサ作戦”、つまり独ソ戦開始前のムルマンスクの人口は、軍民合わせて15万人まで膨れていたらしい。

 

 だが、”レニングラード防衛”の為に3万程の軍勢が装備と共にムルマンスク(キーロフ)鉄道を使い南下したが、レニングラードが陥落し同時に鉄道がドイツに掌握されたせいもあり、送り出した兵力は再びムルマンスクに戻って来る事が無かった。

 そして、この極北の半島に立てこもるロシア人への凶報は続く。

 ムルマンスク防衛隊司令部はカンダラクシャ攻防戦で少なくない被害を出し結局、火力に押される形で敗走したのだ。(ムルマンスクへの空爆によるダメージや物資不足が地味に響いていた)

 また、ペツァモより時折、東進してくるドイツ人もいるため、ムルマンスクにも一定の防衛兵力を残す必要があったのも、戦力不足の一因となっていた。つまり、ディートル大将率いる山岳師団は、その陽動と言う役割を十全に果たしていた。

 

 無論、カンダラクシャ防衛戦にはアルハンゲリスク方面からも戦力を抽出されたが、白海の沿岸部と言うのは行軍に向いておらず(西進できるまともな道がない)、なけなしの戦力を貴重な船に乗せて送り出し、ムルマンスクで降ろしてカンダラクシャに向かうという有様だった。

 おまけにアルハンゲリスクに配備された兵力は元々がそう多くない。

 

 そこでムルマンスク司令官と政治将校は、周辺住民を強制徴用し、街の防御陣地を構築するための労働力として用いた。

 だが、コラ半島は人口密度が低い……というより、まともな人口がいる場所は、ムルマンスク(キーロフ)鉄道沿線にしかなく、残りは開拓村のような集落ばかりだ。

 そして、その鉄道を伝って制圧しながらドイツ軍は北上してくるのだ。

 最早、なりふりは構っていられなかった。

 そして結果的にチェックが甘くなり、まんまと工作員に入り込まれ、12月8日の朝に街のいたるところで火柱が上がったのはご存知の通りだ。

 

 

 

 結局、どこか恣意的、あるいは泥縄的な兵力運用は、「ムルマンスク陥落(・・)」という結果を生む。

 そして現在は押さえるべき都市主要部の制圧は終わり、隠れ潜んでいる残敵掃討の段階に移っていた。

 つまり、人がいそうな所に機関銃を構えながら手榴弾を投げ込んだり、燃えないか燃えても問題なさそうな場所に火炎放射器の口を突っ込んだりする作業だ。

 

 現在、確認できているロシア人捕虜は、軍民合計で5万人弱という所。

 無論、残りは全員が戦死した訳ではなく、おそらくはまだ市内に潜伏しているか、街から逃げ出したのだろうと思われている。

 今、独芬連合軍が必死にやってるのは前者、ムルマンスク市内に潜伏して反撃の機会を伺い息を潜めてる輩だ。

 極夜に紛れた赤色ゲリコマ相手の泥沼の戦いなんて冗談ではなかった。

 

 だが同時に、街から逃げ出した者は今のところどうしようもなかった。

 敵が待ち構えているのはわかりきっているので、まさかペツァモ方面へは逃げていないだろう。

 いや、もし西へ向かったロシア人がいるとすれば、ずっと陽動と側面支援をやってくれていた山岳師団が対応する手筈になっていた。

 それ以外の方向なら捜索や追撃に出す人的余裕はないし、極夜の中で追跡する手段もない。

 何れムルマンスクに戻って来て破壊活動くらいするかもしれないが、今は打つ手がないのが現実だ。

 

 それよりも、ムルマンスクの周辺まで含めた掃討と掌握、治安回復と復興が先だが、いずれも本格化するのは極夜のシーズンが終わってからだろう。

 また、最終的な調査は同じく極夜が明けてからになるだろうが、ムルマンスクでの戦いのソ連側の死者は今のところ2万には届いていないようだ。

 独芬側の戦死者は1000名を少し超える程度になるらしい。

 

 

 

 結果的には大勝であろう。

 しかし、フィンランド軍はともかく、如何に緯度からから考えればムルマンスクが暖かい(何せ北極圏が目と鼻の先なのに港が凍らない。北海道より冬場の気温が高い)とはいえ、慣れない極北の地と時折オーロラ輝く日の昇らぬ極夜の世界は、体力以上に精神力をドイツ人から削り取った。

 

 ムルマンスクの完全制圧完了宣言まで、圧倒的な戦力差でありながら戦闘開始から二週間もかかった理由はそれかもしれない。

 市街戦と呼べる規模の戦闘は、ムルマンスクに到達して一両日くらいだったが、散発的な戦闘はそこそこ続いたのだ。

 

 だが、戦闘が終わったとしても、まだやることはごまんとあった。

 ムルマンスクを含めコラ半島の管轄が、最終的にフィンランドに割譲される以上、ムルマンスクの捕虜は本来ならフィンランドで面倒見るべきではあったが、交通の便の関係上、一度鉄道でサンクトペテルブルグまで搬送し、フィンランド側の受け入れ体制が整うまでしばらく留め置く事になった。

 

 それを聞いたニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督は、

 

『まあ、そうなるとは思っていたよ。予想より捕虜が少なかったのは助かったが』

 

 と苦笑したという。

 また預かった捕虜の何割かが捕虜ではなく”亡命”並びに「サンクトペテルブルグに移住」扱いになったのはご愛嬌。

 どうやら、飯と給料と福利厚生など、時代背景から考えればホワイトな条件を出して懐柔したらしい。

 いつの時代でも、都会生活に憧れる若者はいるものだ。まあ、若者だけだとは限らないが。

 ただし、事前に覆面面接官との雑談に紛れさせて思想チェックを行い、合格者だけに声かけてるあたり意外と抜け目がない。

 

 

 

***

 

 

 

 一通り捕虜を送り出したムルマンスク駐留部隊は、早速、計画通りにムルマンスクの復旧を行う事にした。

 そして現在、対外的な意味での「勝利宣言」はドイツ軍からもフィンランド軍からも出ていない。

 公的な理由は「(コラ半島全体の)制圧と掌握が終わっていない」から。

 

 だが、米ソのスパイやら内通者やらが掴んだ情報が抜けていた。

 本来、この報告はこうなされるべきなのだ。

 

 『我ら、未だに”コラ半島全域(・・・・・・)”の掌握は終わっておらず。ムルマンスクより逃走した残敵の掃討に、しばし時間が必要也』

 

 だが、”銀狐作戦”自体にはムルマンスク攻略に加えて、コラ半島全体の掌握も作戦の副次的目標に含まれているから、北方軍集団からの報告も間違いではない。

 きっと()る気に満ち溢れているフィンランド軍が白夜の(日の落ちない)ひと夏をかけて、コラ半島全体掌握も()りきってくれる事だろう。

 あくまで第一優先目標にして最大の攻略目標がムルマンスクであっただけだ。

 

 つまり、米ソが『ムルマンスクで未だに市街戦が行われており、赤軍は抵抗を続けており、陥落はしていない』と判断してもそれこそドイツは知った事ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして、1941年12月25日午前9時(アメリカ合衆国東部時間)……大統領の演説と楽団の演奏、そして星条旗と”赤地に鎌と槌が描かれた旗”を振る市民に見送られ最初のレンドリース物資を満載した船団が、盛大に汽笛を鳴らしながらニューヨーク港を出航した。

 

 史実と違い英国は入港と領海航行を拒否してる為、アイルランドのゴールウェイに一度集結し、ノルウェー沖を通りバレンツ海へ向かう算段だった。

 

 ちなみにではあるが、現在米国は不凍港レイキャビックを持つアイスランドにも現在米国がレンドリースの寄港地として、港と街のインフラ整備全額負担を条件に軍の駐留を認めさせる交渉中である。

 またしても、アイルランドに続く英国ブチギレ案件である。

 

 無論、この世界線の英国は、アイスランドに軍など駐留させていない。

 そして、アメリカはドイツと英国の位置関係からすると、英国を盾にするような形でアイルランドとアイスランドに自軍の拠点を作ろうとしているのだ。これは、いずれ共産主義者(ソヴィエト)と手を組みドイツを叩き潰す気しかない配置(シフト)であることは明白だった。

 ついでに、英国本土を巻き込む気も隠そうともしていない。

 

 参考までに書いておくと、”英国本土上空(・・・・・・)を飛べるならば”、ダブリン⇔ベルリン間の距離は約1330㎞。

 B-29でなくともB-24でさえ往復できる。

 

 無論、英国はドイツとの停戦が破棄されない限り、米国陸軍爆撃機隊の領空の飛行を許すつもりはない。

 史実の英国は、米ソにあまりに都合よく動き過ぎているフシ(・・)がある。

 正直、国家への共産主義者の浸透度で言えば、史実の英国は米国を決して笑えない。彼らは英国の衰退を横目に見ながら、共産主義の躍進をサポートし続けたのだ。

 

 はっきり言えば、史実の第二次世界大戦はコミンテルンの策略で米英が動き、共産主義者が書いた筋書き通り日独が潰されたという側面がある。

 イタリア? ムッソリーニは元々は社会主義者であることを忘れてはならないし、ムッソリーニをリンチで殺して口封じをし、王国だった筈のイタリアの王室を他国に干渉される前に潰したのが誰だったのか忘れてはならない。

 

 そして、この世界線の英国は……いや、英国に生きる転生者達は、二の(てつ)を素直に踏むような性格はしていなかった。

 それを言うならドイツ人も同じだ。

 

 レンドリース船団の主力であるリバティ船の速力はさほど速いものでは無く、巡航速度は10ノット程度であり、一日に進める距離は最良の条件でも精々400㎞。

 ニューヨーク→ムルマンスク間の直線距離はおおよそ6,500㎞。しかし、アイルランドのゴールウェイ港を経由し、ノルウェー沖を回り込む航路なら、ニューヨーク港からゴールウェイまで約5,000㎞+スカンジナビア半島を迂回して回り込むなら+約4,000㎞の合計9,000㎞。

 補給やら船員の休息やら何やらで、どんなに早くても1ヵ月以上はかかる。

 

 つまり、1月の最終週後半か2月の初旬だ。

 だが、これはアメリカ人にとり悪いことばかりではない。

 この頃には極夜のシーズンは終わり、短い時間だが日が昇り昼間という時間ができる。

 その間にムルマンスクに入港してしまえば良い。

 

 そして、1ヵ月の時間があるのはドイツ人も同じことであり……

 

「1ヵ月もあるんだ。盛大な歓迎の準備をしてやらんとな……」

 

 増援であるロンメルを連れて北方軍集団司令部へと戻ったレープ元帥からムルマンスク駐留ドイツ軍団の指揮権を引き継いだ”ニコラス・フォン・ファルケンホルスト”上級大将は、そう静かに微笑んだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ムルマンスクは陥落しました。
そして、おそらくはムルマンスクが陥落した後に、米国レンドリース船団は出ています。
いや、だって態々「ムルマンスク陥落」を教える必要もなければ、”銀狐作戦”自体は、まだコラ半島の掌握が終わってないので継続中ですし(スットボケー

まあ、”お客さん”は歓待の準備してお待ちしないとw



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第148話 閑話とか日常回とか拠点イベントとか英国王とかそんな感じの話

ムルマンスクを巡る戦いは「一回休み」。
「一方、その頃あの人は……」的な閑話です。
ギャグ多め。頭空っぽにしてお楽しみくださいませ。





 

 

 

 さて、唐突だが閑話休題といこう。

 何せ、ニューヨーク港を出航したレンドリース船団がムルマンスクに来るまで1ヵ月以上あるのだ。

 

 では、ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグの様子か?

 いや、いつもそれでは芸がない。

 それに彼の”芸風”も大体周囲に認知される昨今、今更、彼がおかしな発言をしたところで誰も驚かないだろう。

 なので、今回はちょっと書き方を変えてみよう。

 

 

 

 それは冬のとある晴れた日の昼下がり、荷馬車ではなくKSP-34/42開発チーム:エンジン担当部門が、

 

主任(ボス)、やっぱT-34のオールアルミのディーゼルエンジン、使い物なりゃしませんぜ。肝心のアルミの品質が悪すぎる」

 

 と聞けば、クルス総督は、

 

「よし。シリンダーヘッドとラジエターやオイルクーラーの冷却系だけ鋳造のアルミ合金にしよう。アルミは比熱は悪いが熱伝導が良い。シリンダーブロック、クランクケースは鋳鉄に置き換えよう。重くなるが強度と信頼性には変えられない。アルミ製のそれらは熔解させて再利用な? ああ、ただ純アルミに近ければ近いほど溶けやすいけど、再精錬する際には珪素(シリコン)を添加しろよ? 具体的に言うなら4000番台アルミのペレット作って鋳造しろってこったな。4000番台のアルミ合金ってのは、通常のアルミに加えて熱膨張率が低くて、耐摩耗性が高い。シリンダーヘッドには向いてるのさ。だが、強度はアルミにしちゃああるって程度だから鋳鉄スリーブはかませるようにしとけよ? 4000番台の良いアルミができれば、ピストンはアルミの鋳造でも行けるはずだ。ダメなら鍛造に変えて強度を上げるか。バルブにコンロッドやクランクシャフトは、流石に鍛造鋼じゃないときついか? クロモリ合金とか手に入れば楽なんだが、皇国じゃあるまいし流石に無理か……炭素鋼で鍛造材は手を打とう。S45Cクラスだったら手に入るだろう」

 

 などと返すのが当たり前の環境だ。

 蛇足ながら、日本皇国の冶金技術や合金技術は、来栖が転生者だということを差し引いてもちょっと飛び抜けている。

 史実のA7075アルミ合金(超々ジュラルミン)やアルマイト処理だけでなく、大規模なアルミ・ダイキャスト製法、本来ならこの時代にはないダクタイル鋳鉄にミーハナイト製法を確立。精密プレス加工技術や粉末冶金の技術もある。

 この時代ではまだ珍しいクロームモリブデン鋼の量産に成功し、数々のステンレス鋼も生まれている。

 どのくらい凄いかと言えば、史実の大日本帝国では満足に作れなかった史実ドイツのDB601/603/605あるいはBMW801エンジンやMG131・151機関砲、Jumo004軸流圧縮式ターボジェット、ビスマルク級の高圧缶をなんの問題もなく設計図やら仕様書やら各種資料が揃っていれば、いつでも問題なく完全(フル)コピー生産できると言ったら、その凄さが伝わるだろうか?

 無論、マーリンエンジンを普通にライセンス生産しているこの世界線で日本にDBエンジンは必要ないし、そもそもこの世界線のドイツは技術水準が1段階くらい上がってそうだから今生のDBはちょっと怪しい気もするが。

 

「ボス……鋳鉄でエンジンの大部分を作れって事と、シリンダーヘッドと冷却回り、ピストンをアルミで作れってのはわかったんですが、合金のレシピに関してはちんぷんかんぷんですぜ? ああ、バルブとコンロッド、クランクシャフトは鍛造の鋼でしたかい?」

 

 まあ、その割には日本皇国製兵器には華やかさ(チート臭)が無い、他国の同じジャンルの兵器に比べて性能的に飛び抜けた物がないとお思いかもしれない。

 確かにカタログスペック的には、飛び抜けた物がない。

 まあ、兵器とは基礎工業力がなければ満足な物は作れないが、かと言って高い基礎技術があれば作れるってものでもないという前提はともかく……

 戦後の日本製品の特色を、この転生者だらけの日本皇国兵器群は持っていると言うと、分かりやすいだろうか?

  ・日本皇国兵器は、壊れにくい

  ・日本皇国兵器は、品質が良く、同じ条件なら個体差(バラツキ)を感じさせず同じ性能が発揮できる

 意外に聞こえるかもしれないが、当時の大日本帝国兵器群は「テストでは上手く行くが、実際の戦場ではその性能が発揮できない」ということが当たり前だった。

 だが、日本皇国兵器のスペックは原則として「性能保証の数字(・・・・・・・)」だ。

 例えば、高度6,000mで2,200馬力を発揮するエンジンがあるとすれば、勿論整備は必要だが、ロットのどのエンジンを抜き打ちでテストしても試験飛行場上空だろうが、戦場の空での武人の蛮用だろうが、安定して同じ「高度6,000mで2,200馬力」を発揮できる。

 日本皇国において「自動車が個人所有の耐久消費財なら、兵器は国家保有の耐久消費財」……この考え方は、意外と凄いというか、ヤベー奴は来栖だけじゃないってのがよくわかる。

 

「あー、冶金技術や合金に詳しい技術研究職(テクノクラート)に聞いてこい。そいつも分からないってんなら、一緒に連れて俺のところへまた来い。0から説明してやる。アルミは、精錬した3%程度のエネルギーでリサイクルできる優等生だ。使いであるぞ」

 

 ちなみに来栖が口走った素材やら製造法は、現在のサンクトペテルブルグでも何とかなる物ばかりだ。

 また別の日は、同じくディーゼルエンジンの燃焼系担当に、

 

「ボス、予備燃焼室を設けるメリットってなんです? 構造が複雑になるだけで、故障率上がると思うんですが?」

 

「ディーゼルってのは、構造的に全部燃料噴射で、ある程度高圧でなきゃならんだろ? だが、予備燃焼室を設けることで、直接冷えた燃料をシリンダーに注ぐよりずっと噴射圧力が低くて済む。つまり、燃料噴射装置の設計が楽になるし、エンジン全体のトータル故障率ではむしろ低くできる可能性がある。あとグロープラグで予熱するからサンクトペテルブルグみたいな寒冷地での始動性が大きく上がる。あと始動だけでなく回転も安定するし、結果として騒音や振動も少なくなるからマウントやサブフレームの設計が楽になる。煤煙がクリーンだからマフラーの設計が楽になるって感じか? デメリットは構造が少し複雑になる、コストが少し嵩む。あと熱効率は下がるから燃費は少し下がるって感じか?」

 

 なんか、明らかに当時のソ連には根づいていない知識を喋っていた。

 戦車がらみだと他にも、

 

「ボス、砲塔上に乗っけるのは対空銃も兼ねた”DShK1938”の50口径機銃でいいとおもうんですが、車内銃はどうしますかい?」

 

「MG34はドイツが使いたいだろうからな……そうだ。7.92㎜マウザー弾使う機銃で、ブルーノの”Vz.37重機関銃”ってのがあった筈だ。アレの車載銃タイプのライセンス生産版がイギリスに”ベサ機関銃”とかって名前で採用されてたはず。まとまった数を供給できるかシュペーア君に確認しとくよ」

 

 後日、かつての国営軍事工廠、今は無事に民営化してドイツ企業としてシュコダ社と並び飛ぶ鳥を落とす勢いのブルーノ社から「おk」の返事が来たらしい。

 単なる売買契約ではなく、拡大の一途をたどる需要の供給元を探していたブルーノ社との思惑と噛み合い、誘致成功。近い将来、ブルーノ社のサンクトペテルブルグ工場が立ち上がる事だろう。

 そして、これが呼び水となり兵器産業だけでなく多くの重工業系企業が豊富な電気と水、立地条件と優遇税制を求めてサンクトペテルブルグに工場を設営する事になるのだが、それは未来の話だ。

 

 

 

 とまあ、来栖は呆れるぐらい今日もニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグだった。

 これじゃあとある王族から、「いっそニコラエヴィチ以来のサンクトペテルブルグ大公にしてはどうかね?」という提案(?)があったというのも無理はない。

 ところでアメリカ(アバズレ)女と縁が無くて”ウィンザー公爵”になり損ねたそこの英国王、中々釣り合う縁がないのは分かるが(よりによってヤベー女揃いの)”地雷女製造工場(ミットフォード)家”から20世紀生まれの嫁さん娶った、史実とは別の意味で問題児の国王陛下……ニコライ1世の曾孫でアレクサンドル3世の外孫はアンタの国に亡命してなかったっけ?

 流石に大公に返り咲かせるならそっちが先と思うのだが?

 

 という訳で、インタビュー with 王子様(ロシア系)。

 

『フォン・クルスの代わりに私がサンクトペテルブルグ大公に? нет(ニエット)! 断じてнет(ノーだ)!! 君は私に死ねと申すか? 私がなれば、フォン・クルス以上のパフォーマンスを求められるに決まっているではないかっ!? あんな人類というカテゴリーに辛うじて踏み止まってるようなニーチェの示す哲人以上の何かと一緒にしないでくれたまえ。私は悠々自適の優雅な隠遁生活を楽しみたいだけなのだよ』

 

 ……ちょっとだけ、クルス総督は泣いていいかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

 ところで、最近台詞が無い側付三(美)少年(ショタ)から代表して、切れ長のお目目が素敵なアインザッツ君から苦言があるそうで。

 出番が少ない文句かな?

 

「戦車開発チームの礼儀知らず共ときたら、イタリア人もフランス人もロシア人も、パパのことをボス、ボスって気安く呼びすぎだっ! 呼ぶならせめてフォン・クルスって」

 

 いや、君らも”パパ”呼びって十分気安いじゃん。

 

「僕たちはパパにとって”特別な存在”だからいいんだ」

 

「「そーだそーだ!」」

 

 ドヤ顔するアインザッツ君に、乗っかるツヴェルク君とドラッヘン君であった。

 男の(娘)の嫉妬は……まあ、言うまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、そろそろ本日のメインディッシュと参ろう。

 そう、諸事情と時代と主にチョビ髭と金髪の要求があったとはいえ、来栖任三郎がまーーーーーーーーーーーーーーったくやってなかった外交官の仕事を一身に引き受けることになった天下御免の俗物、駐独大使の”大島 博”の物語を始めようではないかっ!!

 

 その日の予定は、盟友であり親友のドイツ外務省の誇る外交アドバイザー、リッベントロップと所縁(ゆかり)のある文化事業財団の招きにより、”オクトーバーフェスト”の視察にミュンヘンまで足を伸ばしていた。

 

 えっ? オクトーバーフェストは10月だろうって?

 大島大使の場合、大体が文化事業や文化交流、平和な時代が来た後、如何にドイツと言う「素晴らしい文明圏」を日本皇国に紹介し、売り込むかが重要なので、時期はいつでも問題ない。

 ちなみにクリスマスの時期は、ケルンあたりにいるだろうことは想像に難くない。

 おそらく大聖堂のミサとクリスマス・マーケットを堪能している事だろう。

 

 彼は戦時下でありながら、豊かさや華やかさを失わないドイツの偉大さに猛烈に感動するのだった。

 

 ちなみに彼の活動と交流は、政府の官報や広報だけでなく、NSRやアプヴェーアの息がかかった「どっからどう見ても無害な、プロパガンダ臭がしない大衆紙」にも大々的に報じられ、「日独友好と親善の架け橋」として生暖かく受け止められていた。

 

 更には昨今、日英の外務省全面協力の元、「大島レポート」が書籍化される事が決定した。

 無論、「ドイツの素晴らしい文化の紹介」が内容だ。

 

 

 

 つまり、大島は「来栖が(やりたくても)できなかった」(親善)大使の役割を見事に、あるいは十全に果たしていたのだ。

 まさに外務省トップエリートの面目躍如である。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 そして、そんな(親善的な意味で)”進撃の大島(巨人)”に苦々しい思いをしていたのが、米ソの政府首脳陣であった。

 大島というスポークスマンが、実に楽しげに記す「ドイツ文化の旅」は、調査によると”敵国”としか思っていなかったドイツの別の側面が紹介されることにより、着実に日英両国の国民感情を軟化させ、市民感情を改善させていた。

 

 政治的な意図(プロパガンダ)がなく、ただただ「ドイツは素晴らしい!」を純粋無垢に連呼するような紙面は、逆に噓臭さをなくしていた。

 何しろ、大のオッサンがドイツ文化に触れて子供のように大はしゃぎしてるのだ!

 

 そして、ひじょーに嫌な事に大島の著書、イギリスで売られてる(ドイツとの緊張緩和(デタント)の時節が合致したのか、ちょっとしたベストセラーになりつつある)英語版が、ついにアメリカ国内の親独勢力(主にドイツ系移民やシンパ)によりアメリカ国内で発売されることになったのだっ!!

 

 これが過剰なヒトラー賛美やナチズム賛美なら発禁にもできよう。

 1939年発刊の反戦小説”ジョニーは戦場へ行った”をいきなり発禁にする国は伊達ではない。

 表現の自由とやらはどこへ行った?

 

 だが、大島のそれはそんなのとは無縁の「楽し気なドイツ旅行記」であり、過去ではなく「今のドイツ」の文化紹介本なのだ。

 これじゃあいくら表現の自由が建前に過ぎないアメリカでも、発禁に持ち込むのも難しい。

 ドイツ系移民だって多いのだ。

 その報告を受けたルーズベルト大統領はこう叫んだという。

 

「こんな悪質なプロパガンダがあってたまるかっ!!」

 

 有権者が、敵国の人間を「文化的な同じ文明人」と認識するのは、戦争においてマイナスでしかない。

 しかもその引き金を引いたのは、劣等民族である日本人ときてるっ!!

 この時から、ルーズベルト大統領の脳裏、「ひき肉にしてやりたい日本人リスト」の上位に大島の名前がランクインしたという。

 

 ん?

 もし、この世界線でもルーズベルトが病死(憤死)したとしたら、もしかすると大島大使はそれに大分貢献してるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本邦初公開ネタ(笑):英国王、ヤンキー女に合わなかったおかげで無事にお兄ちゃんが王様やってるっぽい。
ただし、”エドワード”を名乗ってるかは謎。あと中身は絶対変人枠だと思う。
なんせ、嫁さんがミットフォード家の六姉妹の誰かw
ちなみに原作(?)だと……

長女→ベストセラー作家な享楽主義者(でも姉妹の中じゃ安牌)
次女→同性愛者。なので王妃枠枠から削除(女性と同棲して引きこもり)
三女→ファシスト(ガチ)
四女→ファシスト(ガチ。ワルキューレw)
五女→共産主義者(ガチ)
六女→お金と商売大好き(長女と同じく一応、安牌)

無難なのは長女で、お相手として面白そうなのは六女w
ただし、六女が嫁さんだと、○リコン王の誹りは避けられない(この世界線では女王にならずに済みそうな姪っ子と10歳も違わない)
一番上と一番下が安全枠で、その間が全部ヤベー女とかw
英国本国だとかなり有名(一応、アメリカでもかな?)
ただし、なんとなく扱いが「汚ねー若草の○姉妹」っぽくて草

来栖は平常運転。
ところで久しぶりに大島君は今日も元気です。


次回から、再び舞台はムルマンスク。
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第149話 セント・バレンタインデーの喜劇

ムルマンスク篇のラストスパート、開始。




 

 

 

 さて、1ヵ月という時間は存外に長い。

 つまりは、色々と準備ができる。

 例えば、駐留部隊を艦砲射撃で蹴散らしたコラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)河口部の”ポリャールヌイ”と中域湾曲部の”セヴェロモルスク”に極北の戦いに一日の長があるフィンランド軍が上陸し、掃討作戦(残党狩り)を行いながら簡易拠点としての機能を回復したり、ドイツ掃海艇部隊により、ムルマンスク港湾部とセヴェロモルスクとムルマンスクの間に仕掛けられた機雷をソ連が仕掛けていた機雷ごと訓練も兼ねて掃海させたりもした。

 いずれにせよ、ムルマンスクを「フィンランドの港」として使うのなら必要な処置だったと言えよう。

 施設は半壊(というより、ほぼ全壊か?)してたし、機雷原を敷くなら、改めて”その目的に応じて”敷設しなおすべきである。

 

 また、同じく港にはフィンランドの工業的な意味での工作船や作業船、ドイツとフィンランドの工兵隊が入り機能回復・復旧を急いでいた。

 そもそも、ムルマンスクは普通に港町としての価値が高い。

 大工業地帯のサンクトペテルブルグから距離があるにしては鉄道によりアクセスは良く、フィンランドのバレンツ海方面へのアクセスゲートとしては理想的だった。

 

 また工兵隊が頑張っていたのは、市街地とて同じだった。

 この当時のムルマンスクは、港町として考えればさほど大きい訳ではなく、赤軍の駐留があればこそ大きく見えるだけだった。

 実は、ムルマンスクが巨大軍港として飛躍するのは戦後の話だ。

 なので、度重なる爆撃と陸海からの重量級の砲撃、トドメの市街戦で街のほとんどの施設は壊れてしまったが、逆に前線基地的を設営するのには大きな手間はかからなかった。

 強いて言うなら、昼でも仄暗い極夜の中で、サーチライトを灯しながら作業するのが大変だっただけだ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、都市部の復旧に尽力していた一人のドイツ人将官を紹介しよう。

 彼の名は、”ハンセン・ファギ”上級大将だ。レープ元帥よりムルマンスク駐留ドイツ軍団の指揮権を引き継いだファルケンホルスト上級大将の麾下で、軍団の中で最大規模の師団(増強歩兵師団)を率いる師団長であり、軍団全体の副団長でもある。

 ただ既に御年60歳を超え、”銀狐作戦”を最後に完全退役(引退)することになっている。

 というか既に”おじいちゃん”と呼ばれる年齢なのだが、文字通り老骨に鞭打って踏ん張っていた。

 

 彼の事を一言で表すなら、”ドイツ軍の苦労人ポジ”だ。

 何せ第一次世界大戦に参戦し二度も負傷し、戦後の苦難の中でそれでもドイツ国防軍の軍人として歩み続けてようやく1935年に歩兵大将として退役、予備役に編入される。

 彼としても歳が歳だし、二度と服役することはないと思っていた。

 だが、開戦から少し経った1940年4月、唐突に軍への復帰を命じられたのだ。

 将官が不足したとき、人格者として知られたこの男の復帰を望む声が、人事部の重鎮(第一次世界大戦の彼の配下)から上がったようだ。

 

 さて、史実のファギ上級大将は苦労人な上に、どちらかと言えば不遇だ。

 大将で予備役編入され、上級大将として復帰はわかるとしても、いきなりフランスで第36軍団の指揮の引継ぎを言われ、”バルバロッサ作戦”発動と同時に今度はフィンランドで”銀狐作戦”の主力をやれと言われる。

 あの、参謀本部が現地確認もしてない、それどころか航空写真で地理を確認することもせずに、ロシア人の地図だけで練ったグダグダな銀狐作戦である。

 上司から無茶ぶりされたりもして、結局は戦史が示す通りに作戦は大失敗。

 ファギ上級大将は、42年に引退し、二度と軍務に復帰する事は無かった。

 

 しかし、今生では大分状況はマシだった。

 この世界線のファギ上級大将もフランスで第36軍団の指揮の引継ぎは受けたが、”バルバロッサ作戦”において都市内部制圧段階の後詰め部隊として第36軍団はサンクトペテルブルグ入りした。

 そして、そこでそこそこ消耗していた軍団は一度解散となり、増強師団として再編された。

 

 一番の変更点は歩兵師団を基礎としながらも、工兵連隊の編入を受けたことだ。

 彼らは、バルト三国やサンクトペテルブルグ復興任務でトート機関や、”リガ・ミリティア”と呼ばれる土木作業を得意とする民兵組織(?)と共に訓練と実績を積んだエリート部隊だった。

 

 歴戦と言っていいファギ上級大将は、直ぐにその意図に気が付いた。

 自分の手元にある完全編成の1個歩兵師団は、この工兵連隊を最終目的地であるムルマンスクまで無事に送り届ける為に用意された護衛戦力であり、またムルマンスク到着時は工兵連隊のサポートとして編成されたのだと。

 

 実際、当時の総兵力10万まで膨れ上がっていたムルマンスク攻略連合軍の司令官レープ元帥や今の直属の上司、先任のファルケンホルスト上級大将からも無茶な命令は受けていない。

 

 実際、銀狐作戦全体で戦闘と呼べる戦闘は数度しかなく、故に損耗も低く、こうしてムルマンスクの機能復旧、その先にある復興の下地作りに邁進出来てる訳だ。

 

 ファギ上級大将は、工兵連隊の中でも施設中隊が仮の司令部を組み上げるのを満足げに見ながら、その手腕に感心していた。

 そして、命令書通りに”港に入港した船から見えない”位置に、幾つもの港に砲口を向ける隠蔽砲兵陣地(・・・・・・・・・・・・・・)の設営を命じるのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 ”冬戦争の英雄”とフィンランド本国で呼ばれる”ヤンマーニ・シーラスヴオ”中将は上機嫌とは言えないが、悪くない気分ではあった。

 ただ、少し複雑だった。

 

(まさか、軍楽隊を連れて来てくれというのは、こういう理由だったとは……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)河口部

 

1942年2月14日、午前8時(現地時間)

 

 

 この時期のムルマンスクは、1月前半に”極夜”は終わっているものの日の出は午前10時であり、対して日の入りは午後4時と日照時間は短い。

 つまり、周囲は夜とは言わないが「アメリカ人の基準」だとかなり暗い。

 しかし、正午前にフィヨルドの奥にあるムルマンスクへ辿り着くには、薄暗いこの時間に進むしかなかった。

 やはり慣れない航路、慣れない気候、そして慣れない極夜のせいで予定は遅れているのだ。

 スケジュールでは1月にはムルマンスクへ着くはずだったのに、既に2週間以上の遅れが出ていた。

 「ムルマンスクに着くまで一度もドイツ人の襲撃が無かった(・・・・・・・)」のに、この有様である。

 できるならこれ以上の遅延は避けたかったし、それに船団全体の入港には元々時間がかかる。

 船団長は、この極北の頼りない太陽が沈み切る前に、何とか全ての船を港に停泊させたかった。

 

 アイルランドのゴールウェイ港を出航したレンドリース品輸送船団、識別コード”PQ1船団”は、史実の同名の輸送船団と割と差異があった。

 一番大きな理由は、”英国の協力が一切得られなかった”こと。

 だから、最初のソ連支援船団は英国オンリーの”ダーヴィッシュ船団”ではなく、レンドリース品を満載してアメリカのニューヨーク港を出航した”PQ1”になった。

 また史実のPQ1と違い、出航時期が史実より半年近く遅れた為にアルハンゲリスク港が完全に凍結してしまい、行き先が不凍港のムルマンスクしかなくなってしまったのも大きな違いといえた。

 史実では、上記のダーヴィッシュ船団の行き先がムルマンスクだったので、ここは奇妙に符号が一致していた。

 その為、護衛艦隊の陣容も少し違っていて、

 

 ・旗艦:ニューオーリンズ級重巡洋艦

  ブルックリン級軽巡洋艦×1、マハン級駆逐艦×4、ポーター級駆逐艦×2、ファラガット級駆逐艦×2、YMS-1級掃海艇×4

 

 護衛艦隊が全てアメリカ海軍の船であり、航洋性を重視したのか、対潜トロール船がいない代わりに駆逐艦を対潜戦力として増強しており、また軽巡を1隻追加している。更に時期がずれたせいで、就役(戦力化)したばかりのYMS-1級掃海艇が同行してるのも何気に興味深い。

 

 一応、ドイツの潜水艦を警戒して駆逐艦には爆雷投下軌条が搭載されていたが、肝心のソナーが未だ実装されていない。

 いや、正確には米国ではまだ開発が終わっていない。

 

 全てのソナーの母体と言える”ASDIC(アズディック)”は英国の発明であり、第二次世界大戦中にアメリカへ技術供与がされている。

 そして、この世界では”それ”がない。

 開発開始時期が1910年代なので、概要ぐらいは当時のスパイに盗み出されているだろうが、現物が持ち出された形跡は今のところ見当たらない。

 故にヤンキーメイドのソナーが登場するまでは、もうしばし時間は必要だろう。

 ちなみに磁気探知機(MAD)の原型は、史実でも航空機搭載型に関しては日本の秘匿名称KMXこと”三式一号探知機”が最初だ。

 無論、米国海軍は磁気探知機も艦載型も航空機型も実用化できていない。(日英はしている)

 

 そして、YMS-1と同じく時期が後ろにずれたためリバティー船が実働化しており、守るべき商船(輸送船)の数は18隻に増えており、艦隊随伴の給油船と油槽船がそれぞれ1隻ずつ随伴していた。

 駆逐艦の数が多い理由もこれが理由の一つでもある。

 

 

「艦長、コラ湾、”ポリャールヌイ”と思しき場所より発光信号を確認。光量から考えて軍用サーチライト。国際モールス信号です」

 

 PQ1船団の先導役(ピケット)を務めるブルックリン級軽巡洋艦の艦長は、

 

「メッセージを解読次第、報告しろ」

 

「サー、イエッサー!」

 

 そして、

 

「発:ムルマンスク防衛部隊 宛:アメリカ船団 現在、通信設備崩壊 司令官戦死 符丁消失 故に司令部からの通信不可 現在、臨時司令官が陣頭指揮を取っている」

 

 実は、噓は言っていない。

 発光信号を送っているのは、”現在のムルマンスク”を防衛している勢力の片割れだし、(ソ連の)通信施設が半壊しているのは確かだし、(ソ連の)ムルマンスク防衛司令官が戦死しているのは遺体見分も行い確認済みだ。

 通信符丁は、通信関連の持ち出せる一切合財と共に既に後方に送られ手元にはない。

 きっと今頃は、NSRや軍情報部に巣くう暗号解読班の奇人変人共の格好の研究対象となっている事だろう。

 臨時司令官がいるのは事実で、ただ国籍を言ってないだけだ。

 

「サーチライトにて海面を照らし船団を誘導す 掃海作業済みだがドイツ製の機雷が残ってる可能性あり 十分に注意されたし 湾曲部の”セヴェロモルスク”からは別の部隊がサーチライトにて海面を照らしエスコートする 以上です!」

 

「”友人に感謝を”とこちらも発光信号で送れ。今の通信内容を船団旗艦に送れ」

 

「ハッ!」

 

 

 

 

 かくて、”史上稀に見る渾身の喜劇(・・)”が幕開ける。

 後世に世界恐慌直後に起きたマフィアの抗争をもじって付けられた”セント・バレンタインデーの喜劇”と伝わるそれが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、間違いなくバレンタインデー・イベント的な甘さが全くないムルマンスク篇のラストが始まりました。

とはいえ、まだ4話ほどあるのでロングスパート気味ですがw
ゆっくりと入ってくるアメリカ人の歓迎準備は、果たして十分か?

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第150話 Yankee Doodle

せっかくの週末、久しぶりに1日2話目の投稿です。
そして、ついに150話に到達。
しかし、よりによって記念すべき150話の内容がこれとはw

実は”Yankee Doodle”の本来の意味は……さあ、アメリカ人、歓迎するぞ。
心からなw











 

 

 

 後年の話ではあるが、この”PQ1船団”の乗組員(クルー)を『間抜けな(イデオット)ピエロ』と呼ぶ風習があったという。

 例えば、

 

 ・なぜ、無線で確認しなかったのか?

 ・なぜ、そこにいるのが本当にロシア人なのか確認しなかったのか?

 

 などだ。

 だが、それは後からならいくらでも言える類の、少々公平さを欠く意見というものだろう。

 そもそも、敵の勢力圏を横切る輸送船団が逆探防止に無線封鎖をして航行するのは当たり前、よほどの緊急事態でも無い限り、無線を使うことはありえない。

 さらに言えば、この時は米ソ双方も「ムルマンスクが陥落している」という事実を認識していなかった。

 ソ連は、確かにムルマンスクと音信不通になっている事自体は把握していた。

 だが、それが陥落を示す決定的な証拠になるとは、他の誰よりもスターリン自身が考えていなかった。

 元々、電話線がとっくに切られていたのは知っていたし、通信設備が破壊されれば無線もできなくなるのは当たり前だ。

 また、当時のソ連の発電機や通信機自体の信頼度がお察しくださいなのを忘れてはならない。それにムルマンスクのような僻地なら、故障したとしても修理に必要な交換部品も事欠くことだろう。

 要するに彼らにとり通信途絶は、割と日常茶飯事なのだ。

 

 また、ソ連の安心材料となる情報が二つも入ってきた。

 確かに極夜のど真ん中に激しい戦闘があったという裏付けの取れない情報もあるが、いずれにせよ下記の二つはムルマンスクの防衛が成功したことを裏付ける客観的な情報だった。

 一つは、レニングラード(・・・・・・・)に搬送されたロシア人捕虜が少なかったこと。実際に搬送された捕虜数が”正しく認識”されたかは別にして、その数から逆算すればムルマンスクにはまだ十分な兵力が残っていることを示していた。

 もう一つは、ドイツの北方軍集団の最高司令官であるレープ元帥と、援軍で行っていたロンメル上級大将が有力な装甲兵力共々にムルマンスクより”撤退”してきたことだ。

 列車に積まれて”カバーもかけず”おめおめと引き下がるドイツ戦車の群れは遠目からも確認できたし、また極夜が終わった後、ほんの短い昼間を使って偵察機を使って確認してみたところ、直ぐに迎撃機が上がってきて”追い払われて”しまった為に遠目でしか確認できていないが、ムルマンスク方面に火の手が上がってる様子はなく、また攻撃されてる様子もなかった。

 以上の二つの報告から導き出される結論は、

 

 ・ドイツ軍は冬季攻略を諦めて主力を撤退させ、フィンランド軍を主力とした包囲に切り替えた模様。春季に再び攻勢をかけられる可能性があるが、米国からの支援があれば十分に対応可能(・・・・・・・)と思われる。

 

 それが、ソ連がアメリカに告げた内容だった。

 

 

 

***

 

 

 

 PQ1船団に油断があったとされるが、それは無理もないことだった。

 何しろ、彼らはここまで”無傷”で辿り着けたのだから。

 ただし、前話でも書いたが史実のダーヴィッシュ船団と違い、

 

 ・ドイツ軍とただの一度も接触も攻撃もされないまま、コラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)まで辿り着いた

 

 のだ。

 航空機はまだわかる。

 彼らが事実上のドイツの勢力圏、ドイツの友好国であるノルウェー沖を進んでいた時は、極夜の時期が終わったと言えど昼間と呼べる時間は2時間ほどしかなく、ソ連からの報告にもあった通り”夜間哨戒能力の無い(・・)ドイツ機”が飛行してくる可能性は極めて低い事は最初から分かっていた。

 

 警戒するのは潜水艦や水上艦だが、結局、ムルマンスク到着まで一度も潜水艦からの雷撃を受けた事は無かった。

 また、水上艦からも当然のように攻撃はない。そもそも、ドイツの軍艦との接触自体が無かった。

 おそらくはノルウェー船籍と思われる漁船とのニアミスはあったし、通報はされていると考えた方が良いが……

 

「まあ、護衛艦隊(われわれ)の陣容を見て、襲撃は不可能と判断したんだろう」

 

 ドイツの保有艦隊が、日英米等に比べ少ないのは周知の事実であり、その大半がバルト海周辺にいると判断されていた。

 これは優秀なソ連のコミンテルン・ネットワークから齎せられた「ドイツ海軍の3隻の空母とその機動部隊の所在は判明している」との報告も裏付けとなっていた。

 そもそも航空機の離発艦ができない極夜の時期に、空母機動部隊をバレンツ海に派遣するのは危険極まりないので信憑性が高い。

 次いで、ビスマルク級戦艦とシャルンホルスト級巡洋戦艦それぞれ1隻ずつが(近代化改修で)ドック入りしているという情報が入り、”彼女ら”が動けないうちは姉妹艦もドイツ近海から動けないだろうと「常識的な判断」がなされていた。

 ドイツでも、いやドイツだからこそ、まさか「自国の領海を空き家にしないだろう」と。

 

 結局、米ソはドイツが「何を主力艦として考えてるか?」を自分達の主観(=水上艦こそ海の主戦力。潜水艦を集中投入したドイツは結局、第一次世界大戦では制海権を掌握できなかった)から理解しているとは言い難かったし、ドイツの潜水艦(Uボート)は自分達の海軍と同じく第一次世界大戦と同じく通商破壊作戦に投入する”補助戦力”だし、ドイツ海軍は通商破壊作戦以外は自国の領海を守る近海海軍だと判断していた。

 今回のPQ1船団に軽巡1隻と8隻もの駆逐艦がつけられたのも、駆逐艦全てに爆雷投下軌条が増設されている理由もこれだった。

 

 実は、この考え自体は的を射ていた。

 ドイツは未だに領海防衛主体の”戦術海軍”ではある。

 英米のように他国に遠征できる”戦略海軍”では断じてない。というより本来なら日本皇国海軍もそうだったのだが、第一次世界大戦で欧州まで戦争をしに行かなければならなくなったため、戦略海軍に発展するしかなかった。

 だが、第一次世界大戦の主戦場となったドイツは戦略海軍を態々編成する必要はない。というよりもそうしたくても輸送船は足りてないし、揚陸艦に至っては建造計画すら今のところはない。

 ただ、”守るべき海”が少々増えてしまった事に頭抱えているだけだった。

 

 とはいえ、アメリカ人は未だに1941年12月25日(クリスマス)の朝にニューヨーク港を出航する前、既にムルマンスクがドイツ人にとって「守るべき海」に組み込まれている事を知らなかった。

 ただ、それだけの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポリャールヌイとムルマンスクの中間域、”セヴェロモルスク”からもサーチライトと「この先 ムルマンスク手前に河の大きな曲がりあり 注意されたし」の発光信号が放たれ、米国船団は再び礼を返す。

 

 そして、話の通り現れた曲がりに着くころにはもう日が昇っていたが、それでもサーチライトで見えづらい部分は照らされていた。

 当然だった。

 ドイツ人にとってもスオミ人にとっても、ここまで来て海難事故を起こされ、その後始末をするなんて冗談ではなかった。

 

 そして、いよいよムルマンスクが見えてきた。

 正午は僅かに回っていたが、それでも何とか今日中には全ての船が入港できるだろう。

 

「ほう」

 

 だが、輸送船団長を務める”ヴァスカーク代将”が感心したのは、港から聞こえてきた小綺麗な白服を身にまとった軍楽隊が奏でる、おそらくは歓迎の音楽だ。

 掲げられた大きな星条旗が北風に揺れる中、流れるのは……

 

「”Yankee Doodle(ヤンキードゥードゥル)”か。田舎者のイワンにしちゃあ、悪くない選曲じゃないか?」

 

 するとブリッジの全員が、肯定するように笑う。

 日本では”アルプス一万尺”で知られる曲の原曲で、リアルの1978年にはコネチカット州の州歌にも採用された、アメリカを代表する有名な行進曲(マーチ)だ。

 

 だが、皆さんは「ヤンキードゥードゥル」とその歌詞の本来の意味をご存知だろうか?

 ヤンキーとは本来、アメリカ人という意味ではなく、イギリス人から独立前のアメリカ住民を指している言葉で、ニュアンス的には「植民地人(Yankee)」という意味になる。

 即ち「Yankee Doodle」とは「間抜けな植民地人」という意味だ。

 その歌詞の内容は、

 

 ”間抜けな植民地人が小馬に乗ってやって来て、イタ公(マカロニ)気取りで女の尻を追い掛け回してる”

 

 という感じなのだ。

 そして、そんな滑稽な様を見て周りが「それいけヤンキー!」と囃し立てているというシチュエーションを歌っている。

 

 

 

 つまり……”フィンランド陸軍所属”ヤンマーニ・シーラスヴオ”中将麾下の軍楽隊”が、ここ1ヵ月の猛特訓で増やしたレパートリーの一つは、今のPQ1船団の状況を端的に表し、実は同時に揶揄(からか)っていたのだ。

 そして、その演奏に感謝するように輸送船は汽笛を鳴らす。

 ”Yankee Doodle”を楽しむ間抜けなアメリカ人(ヤンキードゥードゥル)は、結局そのことに最後まで気付かなかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




”Yankee Doodle”の本来の意味は、”間抜けな植民地人”w

きっと、フィンランド軍の軍楽隊は実に良い笑顔で演奏していたことでしょう。

でも、本当の歓迎はこれからですw


さて、前書きにも書きましたが、設定資料を抜かすとこれで150話目。
ようやくターニングポイント……と言いたいとこですが、実はまだ戦争の半分も来てないんだよな~とw
なんせまだ1942年に入ったばっか。一応、史実に習い1945年に完結予定ですが、いや~それまで史実元ネタのパロディが続く続く。
本当なら300話未満で終わらせる予定だったんですが、どう考えても無理っぽいですw

正直、いつ完結するか、それ以前にモチベーションがどこまで続く解らない、先の見えないシリーズですが、これからも応援よろしくお願いします。




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第151話 そして、今日も世界のどこかで酷いオチがつく

ドイツ人は、本当に趣向を凝らして歓待の準備を1ヵ月以上かけて行い、ヤンキーを心よりお待ちしていたようですよ?




 

 

 

 港との何度かのやり取りの後、誘導に従い先ず先導役の軽巡が入港し、牧羊犬に従う羊が如く後から入ってきて埠頭へ横づけるする輸送船を見守る。

 続けて給油船、油槽船が入り、いよいよ旗艦のニューオーリンズ級重巡が入港する。

 しんがりは駆逐艦に護らせているが、今の所は問題なさそうだ。まさかソ連の港(・・・・)の中まで入ってきて雷撃する、蛮勇というより無謀なUボートはいないだろうが。

 荷下ろしの必要のない軍艦は、埠頭や桟橋に停泊することはない。洋上、というか湾内給油する為に連れて来た給油船だし、駆逐艦や掃海艇はともかく、航続距離も持ち味である巡洋艦2隻は、寄港地のゴールウェイまでは燃料は余裕がある。

 砲弾は使わずに済んだし、燃料はアイルランドで給油したので、まだ余裕がある。

 

 また、軍艦の合わせて軍楽隊の演奏はアメリカ海軍歌”Anchors Aweigh(錨を上げて)”に変わる。

 護衛艦隊(規模は水雷戦隊だが)司令官のバークス少将は、口の端を僅かに上げた。

 

「ふん。悪くない演奏じゃないか」

 

 そう言いながら艦載艇(ランチ)に乗り込むべくタラップを降りるのだった。

 船団長もだが、護衛艦隊司令官の自分が受け入れ(ホスト)側である「ソ連(・・)の代表団」に会わないわけにはいかなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「初めましてバークス提督、ヴァスカーク船団長。私は……そうですな。本来の発音(・・・・・)はしにくいでしょうから、お国言葉(アメリカ)式の発音で、”ハンソン(・・・・)フォージ(・・・・)”とお呼びください。僭越ながら、現在のムルマンスク(・・・・・・・・・)の代表のようなことをさせていただいています。本国(・・)から辞令が届いていないので、今は公的な身分は曖昧なのですが」

 

 そう、仕立ての良いスーツとコート姿の男は右手を差し出し、

 

「心より歓迎を。ようこそ、アメリカのお客人」

 

 その瞬間、軍楽隊が奏で始めたのは、アメリカ人なら誰もが知る国歌”星条旗よ永遠なれ(The Star-Spangled Banner)”。

 既に北国の短い日は落ち、街中がライトアップされてるようなムルマンスクの街で国歌が流れる中、北極からの風で星条旗が揺れる姿は実に勇壮であり、美しかった。

 

 だが、アメリカ人は気づくべきだったのだ。

 この街には、一枚も”赤い旗”が掲げられていない(・・・・・・・・)……星条旗以外の国を示す旗がない事に。

 

 

 

「提督、船団長、難しい話は明日からにいたしませんか? 既に夜の帳は降り、荷下ろしをするのには危険です。それに……」

 

 老人は、視線を港の一角に向ける。

 そこには幾つものテーブルが用意され、その上にはソ連名物の”ストリチナヤ”のウォッカの瓶とジョッキが所狭しと並んでいた。

 また、ジョッキに注がれる予定の”ジグリョフスコエ”のビールはタンクごと持ち込まれ、注ぎたてを飲めるように持ち構えていた。

 また、冷える夜の暖を取ることを兼ねて、あちこちに並べられている炭火のオープングリルには、分厚い牛肉が旨そうな音を立てて炙られている。

 これはまさに臨戦態勢というものであろう。

 

「せっかくの歓待の用意が台無しになってしまいます」

 

 二人のアメリカ人はごくりと喉を鳴らした。

 

「ああ、そうそう軍艦の方は無理ですが、波止場に着いてる船にはウォッカとビール、あとツマミなども差し入れてよろしいですかな? さすれば、船乗り達からも文句は出ますまい。彼らは軍属であっても軍人ではない。厳しい訓練で己を律する訓練は受けてはいないのでしょう?」

 

 つまり、遠回しに「不平不満が出ないよう、船乗りたちにも酒を振舞う」と言っていた。

 敵国(・・)勢力下という高ストレス環境での長期航海ともなれば、どんな些細な事で士気(モラル)が崩壊するか解らない。

 相応の訓練を受けた海軍軍人ならともかく、民間人の船乗りには酷な環境だったのだ。

 ならばストレス解放の機会が必要だ。

 

「ご配慮に感謝を。Mr.フォージ」

 

 この老人は”わかってるな”と船団長が感心と感謝をすれば、今度は提督が、

 

「貴方はロシア人なのに(・・・)とても英語が堪能なのですな」

 

 とロシア人と認識し、

 

「だからこそ今回のお役目が回ってきたようなものです。これでもそれなりに教育は受けているのですよ?」

 

 ファギ(・・・)は肯定も否定もしなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「なるほど……司令官以下、ムルマンスク司令部は全滅。ドイツ人は寒さと極夜の慣れない夜戦に根負けして退却したが、司令官不在ではまずいとフォージ卿が……」

 

 少しアルコールの回った頭で提督が聞けば、

 

「ええ。1935年(・・・・・)に一度退役したのですが、そのような事情から再び予定になかった服役をする羽目になりましてね。予備役に編入されていたのが運のつきという事です。とはいえ、今は退役ではなく引退の手続きをしておりますがね。歳が歳です。もう60歳を超え、お国に奉公するには歳を取り過ぎました」

 

 魔が差すという言葉がある。

 合衆国軍人は、決して任務中に飲酒はしない……という”建前”だが、既に全ての輸送船は入港し、護衛艦隊も待機に入っている。

 臨戦状態はいつまでも維持できるものでは無い、訓練された軍人とて息抜きは必要と自分を納得させる。

 それにゲストとしてホストの用意した歓迎を受けないというのも問題だとさえ思っていた。

 

「いえいえ、まだまだお若いですよ!」

 

 と陽気に返す船団長。

 確かに”彼ら”には油断があったのかもしれない。

 慣れない航路で薄暗い海を進んできたのだ。

 疲労も、体力も精神力も限界だったのだろう。

 

 そんな彼らに、”ファギ退役(・・)元帥”が用意した最大の武器は、ストリチナヤのウォッカだった。

 ストリチナヤのウォッカには、誰もがイメージする”火炎瓶の代用品になるくらいアルコール度数の強い酒”であるウォッカ以外にも、オレンジやシトラスなどの柑橘系のフレーバーを入れて口当たり柔らかく甘い香りのウォッカも存在する。

 だが、甘い香りで口当たりが良くてもウォッカはウォッカ、アルコール度数は40%ほどもある。

 これをビールと一緒に、時にはファギ退役元帥自らが作った「なみなみとビールが注がれたジョッキにショットグラスごとウォッカを落とす」という”なんちゃってボイラーメーカー”みたいなものをバーベキューを肴にグビグビやれば、いかなアメリカ人でも酔いつぶれるというものだ。

 ちなみにファギが飲んでいたのは、「濃度を1/5にまで水で薄めたウォッカ」だ。

 瓶の中身が完全に水だと、無臭で怪しまれる恐れがあった。

 

 そして、上陸組が酔いつぶれたのを見計らい、

 

「身柄を拘束しろ。くれぐれも丁重にな。米艦隊には提督が今晩はこちらで夜を明かすことを発光信号で伝えておきたまえ」

 

 

 時間は、現地時間で午前1時を回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ないが、既にムルマンスクはソ連の物ではなく、我がドイツとフィンランドの共同管理地。領海、ならびに領土侵犯したのは貴殿らの方になる。なので、身柄は拘束させてもらうし、船は貨物ごと証拠として拿捕させてもらう」

 

 ファギ退役元帥のこのセリフに対し、見知らぬ天井を見ながら目を覚ましたバークス少将とヴァスカーク代将が何と返したかは、残念ながら記録に残ってはいない。

 いや、正確には記録されたかもしれないが、公表はされていない。

 きっとアメリカ人らしい罵詈雑言を記録係が聞き取れなかったのだろう。

 決して放送できない”下品な言葉”が機銃掃射のように飛び出したわけではない……と思いたい。

 一部、まだ聞ける部分を抜粋すると、

 

「ファ○ク! 国籍と階級を偽るのは、ハーグ陸戦条約違反だっ!!」

 

「何を勘違いしているのか知らないが、私が既に退役した身であるのはドイツ政府も認めている事実で、ムルマンスクの代表者というのも事実だ。駐留軍の司令官は別にいるよ。ああ、ついでにお忘れのようだが、我々はロシア人と申し出てはいないし、ソ連の国旗も港に掲げていない。掲げたのは星条旗だけ(・・)であり、私は”現在のムルマンスクの代表者”としか自己紹介していない」

 

 ”そう勝手に思い込んだのは貴殿らだろ?”と続けると、

 

「こ、このっ!」

 

 とりあえず”ピー”音が続いたとだけ書いておこう。

 冷静さを失ったアメリカ人に、ファギは怒りより先に憐れみを感じたという。

 そして、アメリカ人が落ち着いた(叫び疲れた)ところで、

 

「さて、では貴殿の部下に下船するように伝えてもらえるかね? ドイツは文明国だ。無益な殺生、無駄な殺しは好まない。貴殿も、貴殿の部下も共産主義者に義理立てして命を落としたい訳ではないだろう?」

 

 そして、ファギは現状を説明する。

 既に埠頭に停泊した輸送船は押さえられていることを。

 昨夜、酒を差し入れ船乗りたちがアルコールで命の洗濯をしている間に、給仕に扮していたNSR(国家保安情報部)自慢の非対称戦部隊がブリッジを制圧していたのだ。無論、MP40短機関銃など装備一式はビールタンクやケータリングコンテナに隠して。

 ちなみに未だ酔いつぶれて寝ている者、二日酔いで抵抗力を失った者は丁重に船室に閉じ込めている。

 下手に騒がれて、その拍子で射殺するのは本意ではないのだ。

 

 お忘れかもしれないが、この世界線のNSRは史実のSSと違い独自の装甲兵力は保有してないが、都市戦、不正規戦、非対称戦などに適したSOCOMやGSG9ばりの特殊作戦任務群を幾つも保有していた。

 今回活躍したのも、そういった面々だ。

 

「……部下の命は保証するんだろうな?」

 

「当然だな。米国とは未だ宣戦布告を交わしていないし、戦争状態にはないと考えている。そのような状態であるにも関わらず、貴殿らは我々(ドイツ)の領海・領土に、敵対的国家(ソヴィエト)へ渡す兵器を満載し入ってきた。これは立派な侵犯行為に利敵行為だ。だからこそ、我々は貴殿らを拿捕し、身柄を拘束したのだよ」

 

「……そういう”筋書き(シナリオ)”かよ」

 

 吐き捨てるように言うバークスにファギは相変わらず好々爺然とした(人の良さそうな)笑みで、

 

「安心したまえ。貴殿らは、”捕虜ではない(・・・・・・)”。事情聴取は行うし調書を取り、国際連盟(※ドイツは脱退していないし、追放もされていない。そして史実通りアメリカは加盟されておらず、ソ連は追放された)と国際司法裁判所には今回の顛末を含めて報告、提訴はさせてもらうがね」

 

「つまり恥さらしとして母国(アメリカ)へ帰れと?」

 

「アメリカ人は喜劇(コメディ)を好むのだろう? ならば偶には貴殿も主役になってみたまえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今日の標語:『酒は飲んでも飲まれるな』

という訳で、大蛇や鬼と同じ方法で捕縛(退治)されてしまった鬼畜米軍(ヤンキー)でしたw

本日のメインウエポンはウォッカと共産ビール、サブウエポンは牛肉。
どっちもムルマンスクの現地調達だけでなく、サンクトペテルブルグで購入したようですよ?

酒にまつわる退治物おとぎ話がまた一つ生まれたようです。
失礼、おとぎ話じゃなくコメディでしたか?w

しかし、事態はこれで終わらない。
話は何やら変な方向へ……

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第152話 ”急転直下” ~ドイツ自慢の急降下爆撃の事ではない。何故なら落とされたのは、どんな物理的爆弾よりもエゲつない威力の政治的爆弾だったのだから~

すみません。
間隔の短い投稿が良いのか悪いのか分かりませんが、熱量(モチベ)が残ってるうちに一気に畳みかけます(本日二度目の投稿です)

中身は、割とガチの「クソな世界」。
皆様……ゲロ袋の準備は、よろしいか?






 

 

 

 さて、その後に関しては大きく語るような出来事は、もう無いのかもしれない。

 すでに師団長も輸送船のブリッジも押さえられていたし、一部の護衛艦が乗員が反抗し(ゴネ)て下船しようとしなかったが、それも隠蔽していた陸上の砲台から重砲の大口径砲弾がつるべ打ちされアメリカ軍艦の周囲に水柱を連続的に立て、更に視界の中に川下から上がってくる巨大なドイツ製の軍艦が現れた時、彼らのささやかな抵抗は終わりを告げた。

 

 かなりスムーズな行動だが、この「QP1船団の拿捕」も可能なら達成すべき”銀狐作戦”の副目的の一つなればこそと準備されていたゆえの手際の良さだった。

 ここで、少し心温まる(?)エピソードを入れておこう。それは、ドイツが如何に入念に準備していたかを物語るエピソードでもある。

 リバティー船をはじめとした輸送船に差し入れたアルコール飲料の濃度と久しぶりに味わう酒の美味さにアメリカ人らしく羽目を外し過ぎた船員が何人も急性アル中で倒れたのだが……船までケイタリングをしてきた給仕(実はNSRの特殊部隊員。英語も完璧)が外部に懐中電灯で発光信号を送ると、直ぐに医療班(衛生兵?)が駆けつけ「船外に搬送(・・・・・)」し、港の病院で治療するという事態が頻発した。

 まったく準備の良いことである。

 そして、仲間が病院で預かってもらえる事に安堵した船乗り達は、「これで安心」と飲み会を再開した。

 だが、彼らを責めてはならない。

 彼らが”敵国の領海”を通り抜けてきたのは噓偽りない事実であり、船乗りにとり港とは「安息の地」であるのだから。

 いつ撃沈されるか解らない航海なのだ。

 命あるうちに、魚の餌になる前に飲める機会があるのなら、飲むべきだ。

 それが、相手の感謝の気持ちを示した無料(タダ)酒なら尚更だろう。

 それこそが、正しきアメリカの船乗りがあるべき姿なのだ。

 

 道理で、輸送船の制圧があっさり終わった訳である。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ムルマンスクで収容(収監?)されたアメリカの海軍軍人と船団乗組員は、用意されていた軍用列車……では無く、ドイツ軍に接収された高速寝台列車”クラースナヤ・ストレラー”号の特別便でレニングラードから生まれ変わったサンクトペテルブルグに先ずは搬送された。

 

 とはいえ、いまだ復興中のサンクトペテルブルグで各種事務手続きをさせるわけにもいかず、今度はサンクトペテルブルグから船でハンブルグに抑留され沙汰を待つことになったらしい。

 確かに米国と交戦状態にないので捕虜ではないのだが、無許可で自国領海・自国領土に踏み入り、しかも交戦中の敵国(ソ連)に渡す武器を満載していたのだ。「ドイツ人の手ですでに陥落されているとは知らなかった」では当然済むわけがない。

 

 ドイツの法に照らし合わせれば、本来ならとんでもない重罪人の集団だが……とはいえ、迂闊に犯罪者として捌くわけには行かないのが、国際関係の難しいところだ。そもそも、この「国際的な犯罪行為(・・・・)」を命じたのは米国政府であり、合衆国大統領なのだ。

 ドイツはまず国際連盟の緊急会合の招集依頼を行い、同時にオランダ(・・・・)のハーグにある国際司法裁判所に提訴した。

 

 無論、ドイツは「私、困ってるんです」的な困惑(被害者)ムーブは忘れない。

 

 前にも述べた通り、この世界線ではドイツは別に国際連盟は脱退していない。

 三国同盟を組んでるわけでもなし、脱退する理由が無かった。

 

 そして、史実通りソ連は”冬戦争”の責で国際連盟を追放され、同じく史実通りアメリカは国際連盟に加盟していないという背景がここに来て、エゲつない効果を発揮し始めたのだった……

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ドイツが国際会議の場でぶちまけた、英国メディアが名付けた「セント・バレンタインデーの喜劇」は、各国の嘲笑をアメリカは盛大に浴びることになった。

 この時ばかりは、アメリカは加盟してなくて正解だったと言えるかもしれない。あるいは、ソ連は追放されてて正解だと。

 実は、この時にドイツから国連会議に提出された案件はまだあった。

 もっと言うと”ムルマンスクの一件”は、アメリカに「オブザーバーでも良いので国際連盟の全体会議に参加させてください」と言わせる為の”呼び水(・・・)”に過ぎなかった。

 ドイツの本題は、実は”残りの二つ(・・・・・)案件”だ。

 

 

 

 一つは、ウクライナで起きた「数百万人の餓死者を出した”人工の大飢饉”」、いわゆる”ホロドモール”に関する中間報告だ。

 「あくまで中間報告できるのはウクライナの惨状のみで、おそらくは他のソヴィエト共産党支配地域でも発生している」と前置きしてから行われた報告……「種籾まで奪われた」とする生存者の肉声がオープンリール・デッキから流され、写真、映像、またウクライナで処分しきれなかった当時の資料などが公開された。

 そして、中間報告書の内容は”我々の知る史実と同じ事がこの世界線でもスターリンの命令で行なわれていた”事を示すものだった。

 

 

 

 二つ目は、”カティンの森(・・・・・・)”で起きた出来事、発覚したばかりのセンセーショナルな報告だった。

 我々の世界でも1940年の春ごろに起きた、「赤軍による虐殺劇」である。

 内容は簡単に言えば、

 

 ”ポーランド侵攻時、ソ連軍の支配下に置かれた東ポーランドに居住していた22,000人~25,000人のポーランド人が、赤軍の手によりスモレンスクの郊外にあるカティンの森まだ連行され……そして、まとめて銃殺された”

 

 ”「ポーランド人捕虜を銃殺刑に処すべき」と提案したのはベリヤであり、ソ連首脳陣の内諾を得て組織的に国家事業として行われた”

 

 というものだった。

 ドイツは以上の件を”ムルマンスクの件に合わせて”国際連盟全体会議で告発すると共に、証拠固めが終わり次第、国際司法裁判所に提訴すると宣言した。

 加えて、ドイツは「必ずその責任をソ連はドイツに押し付けてくる」と断じ、早急に国連加盟国の多国籍調査団の現地(現場)入りを提案した。

 

 こと「カティンの森の虐殺」は、ドイツが行ったとソ連は主張するだろうが、遺体はどう見ても死後1年以上経過した腐乱どころか白骨化したものも多く、なるべく多くの法医学者による国際司法解剖で「バルバロッサ作戦の発動(=ドイツによるスモレンスク占領)以前に殺害された遺体」だという事を証明したいと訴えた。

 

 全体会議の場でそれは承認(特に日英芬が乗り気だった)され、同時に加盟国有志連名によるまずは証拠が出そろった「ホロドモールに関する人道上の罪」で”ソ連への非難決議”がその場で採択された。

 この会議にソ連はオブザーバー参加すら認められておらず、事実上の「欠席裁判」だ。

 無論、非難決議が出たからと言って、既に国際連盟を追放した相手に何が出来るという訳ではない。

 だが、この意義はかなり大きい。

 アメリカ人は国際的に恥をかく&メンツを潰される程度で済んだが、ソ連に関しては国際的に「大量虐殺の主犯国家」認定されたのだ。

 

 

 

 また、発言権のないオブザーバー参加していたアメリカ国務省から来た特派員(アメリカ人抑留者の扱いに関する話し合いと予想された為、国務省から選出された)は、自国に流れ弾が飛んでこぬよう終始無言を貫いていた。

 だが、惜しむらくはアメリカに飛んでいくのは”流れ弾”などではなかったということだ。

 

 これ以上、説明の必要もないほど、アメリカは「大量虐殺犯(ソヴィエト)支援者(パトロン)」だったのだ。

 つまり、「悪の赤い帝国」を支援するアメリカも、やはり「虐殺を容認する悪(・・・・・・・・)」なのだと認識された瞬間だった。

 アメリカは、それを理解することも自覚することもないだろう。史実と同様に。

 中立法の影響なのかはわからないが、結局、アメリカ人が一番欠けていたのは、”当事者意識”だったのではないだろうか?

 おそらくそれは、後に大きなツケ(・・)となって降りかかる。

 

 

 

***

 

 

 

 ドイツは同時に「未だ英国のロンドンに拠点を置く」”ポーランド亡命政府”に対話を呼びかける。

 これに関しては、少しだけ状況の補足説明が必要だろう。

 

 1939年のポーランド侵攻が大きな問題にならなかったのは、ドイツの大義名分「第一次世界大戦で奪われたダンツィヒを含むポーランド回廊、及び東部領土の奪還」だったからだ。

 欧州史を少しかじった者なら誰でも知ってる事だが、欧州での国境紛争や地域紛争がやたら多いのは、「○○戦争で失った○○は本来は我が国の領土。故に奪還する権利がある」という大義名分がずっとまかり通ってきたからだ。

 つまり、ドイツの言い分を否定するのは、自分達が抱える領土問題を破棄するに等しく、それは少なくとも現状では不可能なことだった。

 何しろ、「実力行使による国境線変更が可能」なのが戦争という状況なのだ。

 

 「亡命政府があるから、まだ降伏していない。故にまだその土地はドイツの物ではない」というのは簡単だ。

 だが、当時の感覚から言えば、「その国の首都にある政権が原則として主権を持つ」のが当然だった。何しろ、この時代の戦争の勝利条件は、「敵国の首都を占領して降伏文章を書かせたら確定」なのだ。

 戦争にもルールはあった。

 それを平然と破ったのが米ソだ。

 具体例を言えば、フランスがそうだ。

 慣例に従えば正統性があるのは史実でもこの世界線でもフランス本土に居を置く「ペタン政権」であるが、それを無視してド・ゴールを正統政府とした。

 つまり、「フランスにある政権よりも、国外の自由フランス軍の方が正当なフランスだ」とかなり滅茶苦茶を言ってるのだ。

 

 それをこの世界線のヒトラーは知っていたから、フランスはさっさとパリをペタン政権に返還してフランスの国家主権を手早くを回復させ、オランダも同じ様な手続きを行った。

 この世界線においてドイツがやたらと手早く占領地した国家の主権を回復させているのは、「今は主にアメリカに逃げ出している各国亡命政権に正当性を与えない(・・・・・・・・)」為だった。

 この世界線においても、ドイツがずっと占領しているのならともかく、フランスならパリ、オランダならアムステルダムに存在する「主権を持つ政権」が正当だと思うのが普通だ。

 親独かどうかは問題にすべきではない。

 

 

 

***

 

 

 

 そういう意味では、ポーランドが置かれた状況は少々特殊だった。

 まず、39年のポーランド侵攻でドイツが制圧した「西ポーランド」は、西プロイセン、ポーゼン州、シュレージエン(シレジア)だ。

 これらは第一次世界大戦の敗北でポーランドに収奪された土地(他にもメーメルラントがあるが、これはリトアニアであるので問題が別。無論、メーメルラントは何事もなくドイツに領土返還されている)であり、ドイツにとっては「他国に不当に奪われた領土」であり奪還するのは当然の権利だった。

 

 問題なのは、ソ連の支配領域「東ポーランド」だ。

 具体的に言うなら、旧ポーランド共和国のカーゾン線(・・・・・)の東側だ。

 ビャウィストクあたりまではドイツへの”併合領域”に決まったが、

 今の地図で言うと北から順にリトアニア南部のビルニュス(Vilnius)、ベラルーシ西部のピンスク(Pinskas。ブレストの東にある都市)、ウクライナ西部のリヴィウ(Lviv)を結ぶラインが東ポーランドと考えて良い。

 

 現在、この東ポーランドはドイツの暫定統治下にあるが、正直に言えばドイツは「ポーランド人による臨時政権」を立ち上げたいと考えていた。

 ソ連と戦争してる以上、中央軍集団や南方軍集団への補給路を維持するために駐留軍を置くのは仕方ないにしても、ただでさえ戦費がかかる現状、自国へ編入する西ポーランドはともかく、独立国とする予定の東ポーランドに治安コストを極力かけたくないのがドイツの本音だった。

 

 そして、同時に治安コスト以外にもポーランド人への統治権移譲を1日でも早く済ませ、再独立してほしいドイツ側の思惑もあった。

 西ポーランドでドイツ併合を認めず、「民族自決によるポーランド人国家」を目指す民族独立派の受け皿になってほしいのだ。

 幸い39年のポーランド分割占領においてソ連側の支配領域の方が面積は広いし、パリ同様に折を見て首都のワルシャワと東部の大都市ビャウィストク、ルブリンは新ポーランド政府が立つならご祝儀代わりに一緒に返還して構わないとさえ考えていたのだ。

 そこ、不用品の押し付けとか言わない。”カエサルの物はカエサルに”と言うではないか。

 

 しかし、問題なのはその「再独立ポーランド」を支えられそうな人材が、よりによってポーランドの亡命政権くらいしかいなかったのだ。

 ドイツ政府は泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間を遡る。

 例えば、1941年の年の瀬も迫った12月31日(大みそか)とか。

 

 さて、この世界でもポーランド亡命政府の首魁は、”シコルスキー”首相であった。

 生粋の民主主義者で自由主義者というのは今生でも変わらない。

 だが、不思議な事にシコルスキーは、他の「ドイツ被害者の会」の亡命政権や亡命政府が「ドイツと手打ちにした」イギリスでは祖国の奪還を望めないとアメリカに河岸(かし)を移す中、どういう思惑かロンドンに亡命政府ごとロンドンに留まっていたのだ。

 

 これはどういうわけだろうか……何かアイデアはないかと、NSR長官のハイドリヒはアメリカ人がムルマンスクに就く前にサンクトペテルブルグに根を張る日本産のサトリ妖怪亜種、ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督に意見を聞きに来たのだ。

 この金髪、思いの外にフットワークが軽かった。

 

「いやさぁ……そんな気軽にNSR長官が、サンクトペテルブルグくんだりまで来んなよ」

 

 ムルマンスクのロシア人捕虜受け入れ準備作業を、仕事納めとばかりに昨日終えたばかりの来栖任三郎は、そうへきへきした様子で苦言申し立てるのであった。

 そう、レーヴェンハルト・ハイドリヒは”劇薬(・・)の使いどころ”を見誤らなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ま た お 前 か い !?

なんか、来栖にはドイツ演目のオチ担当が申し付けられた模様。
コヤツが何を助言したのかは次回に回すとして……

「セント・バレンタインデーの喜劇」は、”銀狐作戦”においては重要パートでしたが、「戦争が手段の一つに過ぎない」政治では、それすらも所詮は、「アメリカ人が懇願して会議へのオブザーバー参加」を促す為の”呼び水”に過ぎなかった模様。

なぜ、こうなったのか?
それは、次回にて。
そして、米ソは……本来なら戦後世界を牛耳るはずだった二大大国の未来(行末)は……?

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第153話 これ本人の死後、絶対に陰謀論とか黒幕説とか出てくるパターンじゃね?

サンクトペテルブルグ総督は、何やら(転生者的な意味での)自重や遠慮を放り投げるみたいですよ?(一応、今までは本人はしていた模様)
ただし、相手も転生者だと確信できた場合に限る。




 

 

 

「まとめると、だ……”なぜ、シコルスキー”代表がまだアメリカに行かずロンドンに留まっているか?”と、”シコルスキー代表率いるポーランド亡命政府に東ポーランドの統治を押し付けるには、どういう手が効果的か?”で良いか?」

 

 なんか、割と久しぶりに会う気がするハイドリヒの野郎が公用機(何とBf109F-4のド派手なNSRオリジナルペイントでだ。コイツ、何気に戦闘機の操縦が上手いらしい)でサンクトペテルブルグに乗りつけてきたかと思えば、なんか妙なことを聞いてきやがった。

 どうでも良いが、NSR保有の機体が”痛戦闘機”一歩手前の気がするのだが、それは良いのか?

 確かに目立つ方が誤射で落とされにくいし、別に戦地を飛ぶわけじゃないから航空迷彩の必要はないんだが……どう見ても、”ベネトン時代のシューマッハ”カラーなんだけど?

 具体的には、”ベネトンB192”っぽい。こいつはシューマッハが初めてF1で勝利を飾った記念すべきマシンなんだが、

 

(ハイドリヒ、もしかして存外にミーハーなのか?)

 

 ブガッティとか乗り回してるし、メルセデスベンツのスポーツモデルも所有してるらしい。

 こいつの前世、もしかして”皇帝”様の全盛期か? 前もドイツ人だったかは知らんが。

 いや、それはいい。いいんだが……

 

「道理で、人払いを要求してきたわけだよ」

 

 もう遠慮とかいらん気がしてきたな。

 戦闘機で文字通り飛んできたと思ったら、人払いを要求。

 そして2人になった途端、面倒臭いことこの上ない案件をペラペラ喋り出したのだ。

 

「いや、プロファイリングくらいNSRや軍情報部(アプヴェーア)でもやってんだろ?」

 

 なんで態々俺に聞きに来るかね~。

 

「なに。クルスなら我々ドイツ人よりスラブ人の心理に詳しいと思ってな。ついでに元外交官の知見もアテにしたい」

 

 外交官スキルは”ついで”かい。それと、

 

「今は職務を停止しているだけで、身分的には未だに日本皇国の外交官だぞ?」

 

「……お前は一体何を言ってるんだ?」

 

 いや、お前こそ何を言ってるんだよ。

 

「手下がこっちに居るんだから、そっち伝いでも良いだろうに。もしかして、NSR長官ってのは暇なのか?」

 

 こういう時のシェレンベルクでねーの?

 

「まあ、そんなところだ」

 

 噓つけ。まあ、良いけどな。

 

「無論、無料(タダ)でとは言わんさ」

 

 ハイドリヒは、何やらスーツケース……じゃないな。おそらくはガンケースと思わしき小型のジュラルミン・ケースを開き、

 

「ステンレス・スチールのワルサーP38? ローズウッド・グリップの」

 

「こういうの好きだろ?」

 

 いや、確かに好きだが……ん? ちょい違和感。

 

「……分解しても?」

 

 ハイドリヒから特に拒否もなかったので、俺はマガジンをぬいてチェンバーに弾丸が入ってないのを確認してから、手早くスライドとフレーム、バレル(ロッキング)ブロックの結合を解く。

 すると、

 

(カバーと一体化したスライド? 脱落防止用のスチール・インサート? ローディング・インディケーターの廃止? フレームがアルミ合金じゃないって事と銃身の短縮がされてない事以外は……)

 

「ハイドリヒ……これ、ステンレス・スチール仕様でポリッシュ仕上げ&木グリの”ワルサーP4(・・)”じゃん」

 

(いや、照準器(サイト)はノバック型の固定3ドット……ここだけ妙に近代的だな、オイ)

 

 まあ、単純に言えばワルサーP4ってのは、戦時中のワルサーP38や軽合金使った戦後再生産モデルのP1の露呈していた弱点や欠点、例えば構造的脆弱性でスライドとかが吹っ飛びやすいとかを是正した改良モデルだ。

 ちなみにこのワルサーP38からP4までの外見は殆ど変わらず、後継のP5は内部システムは継承しながら見た目は大分違っている。

 

「正式には”ワルサーP38Ⅱ(ツヴァイ)”、機能をいくつか省いて生産省力化による生産性向上を狙った物だ。ワルサー社以外でもライセンス生産するから、作りは簡単で頑丈な方が良いという事になってな」

 

 あっ、追求流しやがった。

 

「そりゃあ、合理的な事で」

 

 俺はばらしたパーツを再結合し、マガジンを挿入せずにスライドを引っ張り戻してみる。

 硬質な金属の音、スライドとフレームの”合わさり”もスムーズだ。

 

(まあ、良いか)

 

「最初の案件だが……これは簡単だ。シコルスキー代表がロンドンに残ってる理由は、アメリカをカケラほども信用してないんだよ」

 

 筋金入りの民主主義者かつ自由主義者。それがシコルスキーの本質だ。

 そして、急進的革命主義者が大嫌いときてる。

 俺の知ってる歴史上の人物としてだけじゃない。今生の皇国外務省が直に調査して確認してるから信頼は出来る。

 前世の”害務省”と違って、皇国の外務省は「アカを敵と認識」でき、共産主義者の浸透工作(シャープパワー)をきっちり警戒してる程度には有能だ。

 関係各所とつるんで定期的に”掃除”はしてるし、海外要人のプロファイリングは当然で、情報を更新しつつ動向を伺っている。

 

(だからこそ、日本が公表したアメリカの情報……ソ連のシャープパワーで内部を食い荒らされたアメリカを、シコルスキーは……)

 

 ”民主主義国家としてみなせなくなった”

 

 ってとこだろうな。

 

「今だからこそ言えるが、ポーランドってのは30年代中期から末期にかけて日英の重点的外交工作点だったのさ。独ソが狙ってるのは目に見えてたしな」

 

 その一環として、一般に公表されたよりはるかに濃度も密度も高い共産主義者達の謀略情報も渡しており、例えばポーランド内の浸透工作や隣国ウクライナで起こされた人工大飢餓地獄(ホロドモール)のデータも手渡している。シコルスキーも確実に目にしているはずだ。

 

「だからこそ、有事の際にロンドンへ亡命政府を樹立するよう最悪に備えた次善策(サブプラン)を示したのもこっちってわけ。電光石火で独ソから東西挟撃されても、まんまとポーランド政府がロンドンまで脱出できたのは偶然じゃないってことさ」

 

 実は、史実とはここが違う。

 史実では、ポーランド亡命政府は陥落前のフランスに一度落ち着き、フランスが陥落したからこそイギリスへ渡ったという経緯がある。

 だが、今生ではフランスはただの「脱出経路」に過ぎなく、最初からポーランド亡命政府の樹立はロンドンで行う事が事前計画で決まっていた。

 

「そこまで分かっていても欧州本土にイギリスは軍を出さなかったのか?」

 

「当時の英国の方針は、”欧州本土の諍いには極力干渉しないが、有事には備える”ってのがメインスタンスだったから」

 

 物理的に手を出さないからって、政治的に何もしないって道理はないわな。

 戦争が政治の一形態である以上は。

 

「そして、おそらくロンドンに開かれたポーランド亡命政府に、対米ソに関する追加工作が行われたんだろうな」

 

 と言っても、米ソの(グダグダな)真相と裏側の最新版追加情報を詳細な外交資料付きで突きつけただけだろう。

 俺も本国にいる時に、おそらくはこの作戦に使われるだろう資料の編纂を手伝ったが、まあ、アメリカ国内の赤い汚泥が出ること出ること。

 誰が言ったか、「血便のつまった肥溜めを除いてる気分」とは言い得て妙だ。

 

 前世ならこの時期、イギリスではかの有名な”ケンブリッジ・ファイブ”華やかかりし頃だが、今生では日英共に”共産主義者狩り(レッド・パージ)”が大流行ときてる。

 

「さて、後はシコルスキー代表 with ポーランド亡命政府をどうやって東ポーランド統治に引っ張りこむかなんだが……いきなり暫定自治機構なんかの役割を投げるのは悪手だ。ドイツは侵略した側で、ポーランドはされた側。その隔たりは大きい」

 

「それは流石に理解している」

 

 まあ、そりゃそうだろう。

 少なくとも今生のドイツ首脳陣は、総統閣下を筆頭に無能という言葉とは無縁っぽい。

 

「しかし、今から信頼関係を築くのも、存外にホネでな。他にもやるべき仕事がごまんとある」

 

 まあそれ以前にドイツが素直にポーランドに頭下げられるような民族性を持っていたら、そもそもポーランド侵攻なんざやらんだろうし。

 

(必要なのは、”きっかけ”だ……)

 

 ドイツ人とポーランド人が、相互理解できるような”きっかけ”……ん? 丁度いい”事件”があるじゃないか!

 

「おい、ハイドリヒ……NSRは、スモレンスクのカティンの森(・・・・・・)の調査、もう始めてるのか?」

 

「!? その手があったかっ!」

 

 

 

 やっぱりハイドリヒは頭の回転が速い。

 すぐに俺の言わんとする事に気が付いた。

 

相対的に未来(・・・・・・)の話になっちまうが、”カティンの森の虐殺”を白日の下に曝け出したのは、スモレンスクを占領したドイツ人だ。そして、シコルスキーがソ連と袂を分かった(結果、飛行機事故を装って暗殺された可能性がある)きっかけも、ソ連の持ち掛けた『カティンの森の虐殺は、ドイツの仕業』を受け入れなかったせいだしな」

 

 確か、史実だとドイツが晒したのは1943年の出来事だったはずだ。

 

(だが、こういうスキャンダルは、ドイツが負け始めてから「苦し紛れ」に行うより、圧倒的優位な時に使った方がよりセンセーショナルで、インパクトが強くなる)

 

 普通、圧倒的に優位な状況で「事実捏造をしてる」とは思われにくい。単純に「噓をつく理由がない」からだ。

 

(そして、これは捏造ではなく100%混じりっ気なしの”ソ連のやらかし”だ)

 

 だから、強い。いろんな意味で。

 

 面倒なので、俺が転生者であることゆえの発言は、余人がいないところじゃもう隠してやらん。

 ロンメルだけじゃなく、ハイドリヒもほぼほぼ転生者であることに間違いない。

 

「それを前倒しして突破口(・・・)に使おう。俺の記憶が正しければ、当時の流れはこうだ。ドイツ人がカティンの森の虐殺を暴き、ソ連はポーランド亡命政府にドイツが行ったようにするから同調しろと圧力をかけた。シコルスキーはそれを拒否し、逆にポーランド亡命政府は赤十字国際委員会による真相究明のための調査を要請。今度はソ連がそれを拒否し、この2勢力の外交関係は破綻した」

 

 口の端が自然に吊り上がって来るのが、自分でもわかるな。

 悪巧みってのは、どうしてこうも楽しいんだ?

 

「幸いドイツは、国際連盟を抜けてないし、東ポーランドに正当な政権が立ち上がってる訳じゃない。あるのは暫定統治機構だけだ。今ならポーランド亡命政府と交渉できる」

 

「どのような”口実(・・)”がベストだ?」

 

「ドイツからポーランド政府へ、”共産主義者により異国で大量虐殺(・・・・・・・)されたポーランド人の遺体見分と合同調査”を、”ドイツ側から申し出る”んだよ。無論、真相究明と究明後の追悼式までセットで面倒見ることを想定しておけ」

 

 そして、こいつはドイツ人が忘れそうだから付け加えておくか。

 

「ただし、”合同調査団”のメンバーは、ドイツとポーランドだけじゃなくて必ず”多国籍(・・・)”にしろよ? 特に日英は絶対に入れとけ。ポーランド人のドイツに対する信頼度はマイナスだが、日本は世界で最初に共産主義者の悪行と危険性を面と向かって糾弾した国家だし、英国は腐っても亡命政府の受入国(ホスト)だ。戦前からの外交工作もあるし、ちったあ信頼するだろう」

 

 これが外交努力が実を結んだって奴だな。

 ん? なんか違う? 気のせいだ。

 

「そして、最終目的が現ポーランド亡命政府への東ポーランドの統治権移譲って事は、常に頭に留め置いた方が良い。シコルスキーの望みは”民族の自立と民主主義政権の確立”だ。一国の統治を任せるんだ。それを認める度量くらい、ドイツにはあるだろ?」

 

「無論だ。民主主義とは選挙による民意の反映がその根幹だ。やりようはいくらでもある」

 

 まあ、そういうのは専門家に任せるとしよう。

 政略だのなんだのは専門外だ。

 

「できれば、その草案を纏めて意見書として提出して欲しいとこだな」

 

「いいさ。P38II(この銃)にはそれだけの価値がある」

 

 多分、こいつは試作品か特注品。量産型は、シルバーフィニッシュではなく現行のP38と同じガンブルー表面処理のマットブラックだろうな。

 

「ああ、それと代表調査団編成するなら、一人絶対に入れておいた方が良い人物がいるが……」

 

「聞かせてもらおうか?」

 

 やっぱり食いついてきたか。

 

「そいつの名前は、”杉浦 千景(チカゲ・スギウラ)”。いっそ身震いするほどの、魂の奥底まで”人道主義者(・・・・・)”だ。俺の後輩外交官なんだが……」

 

 俺は言葉を慎重に選ぶ。

 

「何の打算もなく、ただ救いたいって願いだけで保身も自分の利益もかなぐり捨てて、国の方針に逆らってまで何千人も救う。それを『当たり前のことをしただけだ』って心から言ってのける人間ってのは、どんだけ人間離れしたメンタル持ってんだろうな?」

 

 少なくても俺には言えんし、そもそもそんな行動はできん。

 

「スギウラ? その名前、まさか……」

 

「勘違いするなよ? 同一人物(・・・・)じゃない。それは間違いないが……俺みたいな自分が一番かわいい利己主義者とは根本的に違う」

 

 だから、俺にはきっと杉浦の事は死ぬまで理解できない事だろう。

 だが、だからこそわかってしまうことがある。

 

「杉浦後輩なら、どんな惨劇も決して隠したりしないし、目も背けん。あいつは現実を直視し、その心のままに行動し、虐殺なんて理不尽を決して許すことはないさ」

 

 「2万5千人のポーランド人が殺された」って事実を、まず「どうやって政治利用できるか?」なんて考える、俺みたいなみたいな外道じゃないからな。

 おっと。忘れるところだったぜい。

 

「ソ連の支配下で、”罪なきポーランド人”が100万人以上、シベリアや中央アジアに強制連行されたって話があったはずだ。亡命政府がポーランドに戻って根を張る覚悟を決めたら、ドイツとポーランドが合同で発起人となり、国際合同調査委員会でも立ち上げて、追跡調査でもやってみるとよい。まあ、その前に連れ去りの事実が本当にあったかどうか、下調べはしておくべきだろうが」

 

「ほう。そのココロは?」

 

 いや、ココロもへったくれも、

 

「ハイドリヒ、人間関係を長続きさせるコツを知ってるか?」

 

「利害の一致。損得勘定は人間の感情の中でも強い」

 

 残念。そいつは二番目だ。そんなことをどこぞの魔王が言ってたな。

 

「共通の話題(てき)を持ち続かせることだ。狂犬に無理に首輪を嵌めようとするな。やるなら番犬として飼いならせ。ドイツが主人として相応しい姿を見せろ」

 

(ああ、俺はやっぱり……)

 

 どうしようもないクソ野郎だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




黒幕説どころか、カティンの森の一件では本当(ガチ)に黒幕でござった件。

しかも、そのアイデア料はスペシャルメイドとはいえ、拳銃1丁分の価値でしかないというw
多分ですが、「相手がハイドリヒ(=まあ、転生者で間違いないだろう)相手に自重も遠慮もいらん」とか言ってる時点で、外交官復帰の可能性が消失した気が……

というか、今後の所業を考えると、むしろ皇国外務省が受け取り拒否する可能性も?


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第154話 結末、顛末、オチ、〆、そして阿鼻叫喚

過去最大の文字数w
まあ、この第9章の〆のエピソードなのでご容赦を。

はてさて、”銀狐作戦”から転石疾走する事態は、どこに落着するのか?




 

 

 

 そろそろ、ムルマンスクから端を発する”喜劇”(コメディ)を終わらせようと思う。

 

 国連加盟国有志と国際赤十字まで加わった選抜多国籍複数機関合同調査隊第1陣が編成され、1942年の春を目途にスモレンスク近郊の虐殺現場、”カティンの森”を調査することが決定した。

 

 トピックスとして大きいのは、そこにポーランド亡命政府の面々も参加することとなった事だろう。

 また、ポーランド亡命政府に関してドイツ側から、「ポーランド侵攻の際、”カティンの森”以外にも確認された、東ポーランドソ連支配地域で繰り返された”蛮行”」の調査報告と資料が、ドイツの強い要請で参加が望まれたポーランド(亡命政権)国連特使に手渡された。

 また「現在のところはマンパワー不足で完全な調査はできていない」と前置きしながら、同様の資料を各国に配布する。

 

 

 

 実は、このプレゼンの仕方こそ、ドイツ”名”宣伝相ゲッベルスのアイデアだった。

 まずは、「ムルマンスクでの米ソの大失態を国際的に喧伝する」事により、”場の空気”を作った。

 そして、「領海侵犯、領土侵犯、武器・弾薬の不法所持(敵国への武器供与)」の嫌疑で会議で晒すし国際司法裁判所には提訴するが、同時に「身柄を拘束した(捕虜にしたとは言ってない)アメリカ人の身柄引き渡し」に関して、いつでも示談に応じる用意があることを宣言し、ついでに「ドイツは人道主義」である事をアピール。

 

 更には、”人工的な飢餓地獄(ホロドモール)”の中間報告を行い、日本皇国が常に率先して発言し続けてるする「アカの脅威」に関する内容を流用し、証拠と共に肉付けを行う。彼らの脅威度認識の引き上げ工作と同時に「ソ連は悪逆非道」、「自らの理想やら目的のためには、人の命など無価値とする冷酷外道の集団」という国際共通認識を作り上げる。

 ソ連の欠席裁判なのだから、スムーズで仕方がなかった。

 また、アメリカが寄越した国際連盟特使、エドワルド・ステティニアスはオブザーバー参加であり、原則として発言権が与えられていなかった。

 アメリカは国際連盟加盟国ではなく、ただ「ムルマンスクの一件」の当事国だから、参加が許されただけだった。

 余計な発言をすれば、即座に退席を促される立場で、彼には共産主義大統領(ルーズベルト)へのメッセンジャー以上の役割は求められていないのだ。

 

 そして、トドメに調査を始めたばかりの、そして遺体が出始めたばかりの”カティンの森の虐殺”のセンセーショナルなネタ披露だ。

 これはインパクト抜群だった。

 その効果を引き上げるために、態々ポーランド亡命政府を呼びつけたのだ。そして、インパクトとソ連への悪印象の共鳴増幅効果を引き出すために「関連事項」として、「ソ連がポーランドで組織的に行った悪行三昧」を資料まで整えて公開する。

 

 

 

***

 

 

 

(ほ~ら、これでポーランド亡命政府は、逃げ場が無くなった)

 

 ドイツの国際連盟代表”アルフォンソ・ザイス=インクヴァルト”はそうアルカイックスマイルを浮かべる。

 何しろ、ドイツは東ポーランド……旧ソ連支配領域の全域調査を許可すると言っているのだ。

 それも”公平性を示す”為に、多国籍調査団まで迎え入れるとしてるのだ。

 世界の目の中でそれを断るのなら、ポーランド亡命政府は「国民を見捨てた」と見なされる。

 つまり、自らの正当性を全て失う事になるのだ。

 亡命政府を名乗る以上、それは決して選べない選択だ。

 今回の国連での加盟国代表相手に一席ぶったインクヴァルトは、改めて今回の任務を直々に命じてきたドイツ外相ノイラートの言葉を思い出す。

 

『”カティンの森”の出来事をダシにして、ソ連とアメリカ、そして”ポーランド亡命政府”を追い込む……ですか?』

 

『そうだ。まず、今回の国際連盟全体会議の場において、”セント・バレンタインデーの喜劇”などというものは所詮、アメリカから会議への出席を言いださせる口実、いや”呼び水”にすぎん。本質的に優先すべきはソ連への否定的加盟国世論の熟成と、ソ連を支援するアメリカへの国際的嫌悪の醸成、そして、ポーランド亡命政府の帰国へ向けたアプローチだ』

 

『ソ連は直接的に、アメリカは”虐殺者のパトロン”として追い込むのは理解できますが、ポーランド亡命政府は……?』

 

『”カティンの森”の事実を突きつけ、さらにソ連が東ポーランドで行った”凄惨な支配”を突きつける。まず、その段階で亡命政府は”自分達が見捨てたせい”で、共産主義者のせいで”祖国が虐殺の大地”になったという現実を認識するだろう』

 

『それは、そうでしょうな……』

 

『だが、それでは足らん。ソ連の暴虐だけでなく、比較資料として”ドイツがこの2年でどれだけ上手く西ポーランドを併合し上手く統治したか?”を懇切丁寧に資料(データ)で語れ』

 

『その意図は?』

 

『我々の統治により”平穏と豊かさを取り戻した西と、ソ連の暴虐に沈んだ東……彼らは”天国と地獄”が本当に存在するのか、自らの目で確かめなければならなくなる』

 

『なるほど……現実で起きてる”東西の格差”を知らせるのですね?』

 

『そうだ。西ポーランドは、ドイツ統治下の方が”より豊かになれる”事を知ってしまった。大半の住民が”東の惨状”を知ってしまった以上、ドイツの統治下から離れようとは思わないだろう。戦時下なら猶更だ』

 

『だが、その現状を亡命政府が知った以上は……』

 

『そうだ。”カティンの森”でさえ呼び水(トピック)に過ぎない。本当の目的は、ポーランド亡命政府の本国帰還を促すことだ。彼らが残された本国の東側半分の惨状を見せつけ、”民族自決”の精神を刺激し、「ポーランド人自らの手での国家再建を決断」させる』

 

『ノイラート閣下、今回の会議でそこまではできませんよ?』

 

『わかってるさ、インクヴァルト君。君は、最初の大義名分を与えてくれれば良い。東ポーランドが親独の民主主義ポーランドとして再出発し、ドイツのマルク経済圏に入るまでの青写真はすでにある。無論、ドイツに併合される地区の民族主義者の受け皿にもなってもらうし、戦後は折を見てワルシャワ以東を返還しても良い。無論、盛大な平和友好式典・調印式付きでね』

 

『もう一言……失言かもしれませんがよろしいですか?』

 

『言ってみたまえ』

 

『閣下は、悪魔(オニ)ですか?』

 

『HA-HA-HA!! この計画の原案を考え出したのは、残念ながら私ではないよ?』

 

 

 

(きっと、これを考え付いた奴は、外交を知り尽くした私以上のロクデナシだろう。そうに決まってる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶえっくしょいっ!!」

 

「パパぁ、風邪?」

 

 俺は膝の上で寛ぐツヴェルク君の頭を撫でながら、というか頭を撫でると頬をスリスリしてくるから妙に仕草が仔猫っぽいんだよな。

 

「いや、そんな感じではないが」

 

 アレルギーか?

 

「結局、フォン・クルス総督が3日程で纏めた計画というのは結局、何だったんですか? ハイドリヒ長官が大喜びでノイラート外相と会食したようですが……どこまでが、総督閣下のご指示で?」

 

 おや、シェレンベルクにしては珍しく察しが悪いな。

 

「指示なんてしてないさ。アイデアを出しただけだ。そして、本質的には至ってシンプルなプランさ。今までの”やらかし”を暴露してソ連を”共産主義の名の下に何人でも殺す真性の悪党(・・・・・)”として欠席裁判で印象付ける。ヤンキーはムルマンスクの当事者として呼び出すが、発言はさせない。だが、呼び出された理由から”悪党の太鼓持ち(・・・・・・・)”って印象を連盟加盟国に植え付ける。この先もソ連を援助するなら、ヤンキーは『ソ連の虐殺を肯定した同じ穴の狢』って国際世論を作り出すのさ」

 

 まあ、ネイティブアメリカンをインド人(インディアン)なんて呼んで絶滅一歩手前まで追い込んだんだから、やってる事はソ連と何ら変わらん。

 この世界は米国在住の日系人があまりに少ないから”まだ”やってないが、ルーズベルトは自国の人間を「日本人だから」って理由だけで強制収容所に放り込み、本気で日本人を根絶やしにしようとしたんだぜ?

 ヒトラーやナチ、スターリンや共産党とどう違うよ?ってなもんよ。

 

「そして、ついでに『ポーランドに戻らなけりゃ亡命政府とか名乗れなくなるんだが?』って状況を作って、帰国しやすい大義名分と国際的衆人環視って安心材料を与えるための場を整えりゃ良いってアイデア出したくらいだな」

 

 まあ、俺の”アレ”は所詮は原案や草案、実際に使えるようにするには相当、手直しが必要なはずだ。

 それに、

 

(ドイツが既に幾つもの”自称亡命政権・政府”の梯子を外してるからできる外交的パワープレイなんだよなぁ)

 

 オランダにせよ、フランスにせよ、実績がものを言うってな。

 

「いずれにせよ、久しぶりに外交官らしい仕事をした気がする」

 

「……外交官の仕事?」

 

 えっ? 敵国を政治的に嵌め殺しするのって、立派に外交の本懐にして真髄じゃん?

 

「シェレンベルク、味方の作り方の一つに”共通の敵を生み出す”ってのがあるのさ。何も懐柔する手間も、価値観やら何やらを同じにする必要も必ずしもないのさ。必要なのは結束ではなく結託(・・)、正当な理由より大衆が納得する口実だ。『生かしとくとあいつが一番ヤベーし、何されるか分からんから、とりあえず殴ろうぜ?』ってのでも人は手を結ぶことができる」

 

 そして、俺の知ってる歴史じゃあ現実に戦後世界で共産主義は猛威を振るい、アメリカでさえそれは止められなかった。

 いやむしろ、アメリカって国家全体が重度の赤色感染症を起こした。

 ベトナム戦争の体たらくがその証拠。アメリカって国は、アカに感染して薬漬けになったんだからな。

 フラワームーブメントにヒッピー文化、ウッドストックにサマー・オブ・ラブ……あの時代の反戦運動の異常な盛り上がりと、既存の価値観と「古き良き時代」の否定。

 俺は「自然発生的な」という言葉ほど胡散臭い物はないと思う。

 客観的に見て「おかしなもの」が流行るときは、時代を疑ってかかるべきだ。

 その時代、誰がどうやって一番利益を得ているのか?

 誰が裏で糸を引いてるのか?

 アメリカで反戦運動と麻薬が広がり、誰が一番喜ぶのか?

 まあ、そういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、最後に今後の展開なども少し書いておこう。

 身柄を拘束されたアメリカ海軍軍人と、船団乗組員たちは現在、ハンブルグに留め置かれ市内のいくつかのホテルに分散して抑留されているが、行動制限や監視はつくが申請すれば市内に限り観光もできる程度の緩い扱いになっていた。

 繰り返すが、彼らは戦時捕虜という扱いではない。

 ドイツ的には、「アメリカとは現状、宣戦布告はしていないはずだが? そして、宣戦布告もしてない国に何やってやがんの?」と主張したいわけだ。

 スタンス的にはあくまで「犯罪者」、ただし「ムルマンスクがソ連の港だと思い込んでた」、「アメリカ政府の命令で動いていた」という事情、また国際法的慣習も考慮され、情状酌量で現在のような扱いになっている。

 要するに「ドイツは国際法を遵守する、人道的な善良(ホワイト)な国家」の国際アピールの宣伝材料になってるわけだ。 

 実際、直接は無理だが国際赤十字を通して家族との手紙のやり取りもできる。

 現在、ジュネーブを通して独米二国間交渉中だが、彼らがアメリカに帰国できる日はいつになるだろうか?

 

 

 

 また、上記の理由で拿捕された軍艦や輸送船、積み荷は”戦利品”ではなく、”(犯罪)押収品(・・・)”扱いとなった。

 なので、ドイツ政府が競売しても良いだろうという判断となった。

 ただし、アメリカ製の重巡と軽巡、駆逐艦2隻、給油艦、油槽船は技術調査の為という名目でドイツ海軍が、残る駆逐艦は同じ理由でフィンランド海軍が接収となった。

 また、掃海艇とリバティー船などの輸送船は、ドイツとフィンランドで仲良く折半となった。

 非公開競売にかけられたのは、主に船の積み荷で、大物は米国製の戦闘機や戦車、ハーフトラックなどがあった。

 無論、ドイツやフィンランドが欲しい装備は例のように例のごとく抜かれており、残りは「技術研究のサンプル品を有償提供」という形だったようだ。

 無論、日英は事前に談合して出品リストからそれぞれ欲しい物を選択し摺合せ、提示価格を調整した。

 後に歴史家からは、「出品が史上最も挑戦的で、オークション自体は史上最も退屈」と皮肉られた内容だった。

 

 アメリカはドイツを、「史上最悪の詐欺行為にして、略奪行為」と激おこだが、ドイツのノイラート外相は涼しい顔で、

 

「よりによって、セント・バレンタインデーに史上最大の間抜けをやらかしたのはどこの誰かね? いくらアメリカ人がコメディで頭が緩んでるとはいえ、これは些か冗談が過ぎるのではないかね?」

 

 と公式発言でやり返した。

 

 

 

***

 

 

 

 とにもかくにも、”銀狐作戦”の最優先攻略目標であるムルマンスク攻略は成功し、また戦史や資料によっては特にムルマンスク陥落までを、あるいはPQ1船団拿捕までを”第二次冬戦争”と呼ぶ場合もある。

 

 いずれにせよ、勝者と敗者は明白であった。

 レンドリース船団のバレンツ海ルートで使える港はこの時点でアルハンゲリスクしか無くなり、そこは暖冬の年でも1年の1/3以上、感覚的には半分は氷に閉ざされている港だった。

 しかし、渤海(太平洋)ルートは最大の搬入海路であり続けるだろうし、もしかしたら史実よりもペルシャ湾ルートが活性化するタイミングが前倒しになるかもしれない。

 

 こうして史実よりもよほど早く、正確にそして大々的にソ連の、共産主義者の悪行三昧が世界に広まった。

 果たして米国が史実通りにソ連へ(英国の分まで含めた)レンドリース支援を行えるか未知数であった。

 

 いや、ルーズベルトが大統領のうちは、そして国の中枢が赤色汚染されている以上、彼ら(アメリカ)はソ連を支援し続けるのではないだろうか?

 事実、共産主義の手駒に成り下がっているアメリカの大手マスメディアは、今回の国連での会議の内容に関して”報道しない自由を発動(なかったことに)”した。

 これは国や時代を問わず、共産主義者や社会主義者、いわゆる”左派”全体に言えることだが、彼らはまずマスメディアにシンパを作りマスゴミ(・・)化させて、大衆を騙し扇動する。

 そして、自分たちに反する政府や組織の不祥事は傘下のマスゴミを総動員して糾弾するが、自分達の「都合の悪い現実」はなかったことにするか、自分達以外の誰かがやったと捏造する。

 呆れたダブスタ、捏造や責任転嫁に一切の責任は感じない。現実は自分たちにいつも都合よく、都合の悪い現実は「存在しない」事にする。

 日本の野党や、日本海側の大陸や半島国家を見ていれば実例はいくつも転がってる。

 

 分かりやすく言えば、日本人が戦争で殺すのは悪で、自分達が革命やら粛清やら”スズメ狩り”やらで自国民を殺すのは正しいのだそうだ。

 戦死者よりも内輪もめで殺した数の方が比べ物にならないほど多くても、問題にならないらしい。

 アカとはそういう物だ。

 結局、アメリカも本質的には同じなのだ。

 赤く染まるには、相応の理由がある。

 

 とはいえ、いくら国内のマスゴミを支配下に置き、大統領が脳ミソ赤化なサイコパス(劣化スターリン)だとしても、アメリカ国内も決して簡単に事は行えなくなりつつあった。

 確かにニューディール政策のような孤立主義が好まれたり、実は太平洋戦争中でも大半のアメリカ人が日本が世界のどこにあるのか知らなかったりと、存外に国外事情に無関心で、故に国際世論を気にしない傾向がある(例えば現在でも、ウクライナ戦争より中絶問題の方が扱いが大きく支持率に直結する)アメリカだが、イギリス系は言うに及ばずドイツ系移民やナチ党あるいはファシズムシンパ、ポーランド系移民にウクライナ系移民、反共主義者の独立系メディアは存在するし、彼らにも(治外法権の)各国大使館のプレスリリースは降りてくる。

 ついでに言えば、フランス系とて別に全員がド・ゴールを支持してるとは限らない。

 

 更に国境を超えて飛んでくる、カナダからの比較的高出力で放送されるラジオ電波は規制のしようがない。

 妨害電波でも入れようものなら、今度は自国のラジオ放送が壊滅的ダメージを受けかねない。

 そして、その機会を見逃す日英独とは、米国政府も思っていない。

 

 

 まあ、アメリカという多民族国家の自己矛盾や内部矛盾は、割といつものことだ。

 何はともあれ、1942年という年もまた世界に争いの火種は潤沢であり、イベントだのキャンペーンだのに溢れた賑やかな1年になりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、国際連盟加盟国はホロドモールに関してはソ連に対する非難決議を採択し、だから何をするという訳ではないんですよ。
だけど、今回のドイツの目的は、「ソ連=虐殺癖のあるサイコパス国家」という共通認識を加盟国が持ってくれれば良いって感じです。

少なくても、共産主義者の本性に気づけば警戒くらいはするでしょうし、ドイツとしてはリアルに起きた戦後の「世界を覆った赤化の大津波」を可能な限り防ぎたいですからね。

そして、既に手遅れなレッド・アメリカには「お前、虐殺者のパトロンだからな?」と現実を突き付けます。
まあ、リアルのアメリカもこの頃は、特に赤化が酷いですから、「都合の悪い現実は黙殺」という「いつもの展開」となりましたが……色々影響は出るだろうな~と。
リアルでは、アメリカではルーズベルト大統領を批判するのはタブーという風潮があるそうですが、この世界では別の意味で”禁忌の大統領”になりそうw

そして、ドイツとポーランドの関係改善はこれからでしょうねぇ。
いずれにせよ、東ポーランドの安定化は必須なわけでして。
ドイツの求めるレーヴェンスラウムは、史実のような巨大統一安全圏というより、「ドイツ本国がある程度の大きさを持つ複数国家の連邦」が一番近いでしょうかね?
まあ、多民族が住む巨大国家の面倒臭さは戦後の人間(てんせいしゃ)ならよく知ってるでしょうしね。

という訳で、この話をもって第9章は終了となります。
お付き合いいただきありがとうございました。

今回は寒い真冬のムルマンスクが舞台だったから、次は暑いアフリカを舞台にしようかな~と。

これからもどうかよろしくお願いします。









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第10章:皇国は暑い砂漠を熱く戦い、そして合衆国は策に自ら溺れる
第155話 ヘカテーたん


このエピソードから新章に入ります。
真冬のムルマンスクから赤道直下へ、そして久しぶりの面々も。
新章もよろしくお願いします。

それにしても、初っ端からサブタイw





 

 

 

 さて、場所と視点を変えようと思う。

 流石は”世界大戦”と呼ばれるだけのことはある。世界随所で戦いがあり、とても1つの視点で追いきれる物ではない。

 

 時期は、1942年の2月中旬。まあ、どこぞのヤンキーがまとめて捕縛されたちょっと後ぐらいだ。

 場所は、”リビア三国連合(トリニティ)”、フェザーン首長国。(厳密には今は建国準備期間で特別行政区扱い)。

 

 転生日本人達はフェザーンのオアシス地帯以外には人類の生存にあまり適さず、またここの地下に「少なくとも現状の人類の技術で掘り出せる位置」に石油資源がない事を知っていた。

 

 だが、オアシスがあるという事は水資源自体はある。

 日本人達はリビア人参画を大前提とし、日本皇国が官民一体組織”アラビア石油開発機構(アラ石機構)”を通して、技術・資本支援を行うという形を取っている。

 具体的には去年の12月8日のトリポリ陥落からさして日をおかずにアラ石機構の日本人達はリビア入りし、まるで「最初から油田のある場所を知っていたような」嗅覚で油田を探り当て、既に試掘に入っていた。

 

 また、その過程で後に”ヌビア砂岩帯水層”と呼ばれる事になる地下水脈を発見し、有効利用の方法を検討していた。

 水資源は石油資源と並んでリビアの発展と近代化には欠かせない要素であると認識していたのだ。

 そして、ここまで大規模ではないが、フェザーンにも既存のオアシスとは繋がっていない未発見だった地下水脈があり、それの発見と同時に日本皇国は懸案事項だった”石油資源のないフェザーン”の活性化に着手した。

 

 

 

 その方法とは……”日本皇国の兵器実験場”だ。

 政府と軍は、ひたすら長射程化する兵器の実験場や試験場、その訓練を行う為の訓練場や射爆場をずっと求めていたのだ。

 特に”戦略級兵器の地下実験”ができる場所を。

 

 そして、そういう建前なら「定期的に使用料・賃貸料として金を落とせる」のだ。

 石油資源の利益配当だけでフェザーン首長国を食わせるわけにはいかないと皇国政府は考えていた。

 それでは、巨大な油田を持つキレナイカ王国、トリポリタニア共和国に経済的におんぶにだっこの不健全な経済状態になってしまう。

 不健全な経済状態はやがて歪みとなり軋轢となり、対応を誤れば戦乱を呼ぶ。

 

 そのようなリスクを回避する為に早急に手を打つことにしたのだ。

 金を落とすだけでなく、ある程度の物資を現地調達する事で、土地使用料だけでなく商業としての連携を持たせようとしていた。

 

 

 

***

 

 

 

 場所は、フェザーンのオアシス都市”ムルズク”より南南西へざっと100㎞。

 何もない砂漠だが、そうであるが故に工兵隊により道路が作られ、計画に大量輸送が可能な線路敷設が盛り込まれた。

 

 ムルズクと繋がってない地下水脈があり、井戸の確保にも成功した。

 そして、実験場などの軍施設設営の準備段階として工兵隊が現地入りして前線基地(キャンプ)を設営しており、無論、彼らを護衛するための部隊も装備実験部隊を兼ねて駐留していたのだった……

 

 

 

「噓だろ、お前……」

 

 ああ、なんか久しぶりだな?下総兵四郎だ。皇国陸軍で狙撃手なんてものをやっている。

 階級は、よくわからない理由の野戦任官、いや戦地昇進か?で大尉になってしまいました。某赤い彗星の初登場時と同じ階級だったか?

 相方の小鳥遊君も昇進して軍曹だぜ?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 俺の目の前には、ありえない物がある……

 

「なんでこんなところにヘカテーたん(・・・・・・)が……?」

 

 いや、まんまでないことは分かってる。

 使用弾は、アメリカンな50口径ではなく日英共通の標準50口径弾、12.7㎜×81だ。

 ストックは強度維持のためかどう見ても取り外しや伸縮はできない構造になっていた。

 バットプレートやチークパッドも微調整までできる感じじゃない。

 だが、でっかいマズルブレーキとこの全体の感じは紛れもなく、

 

”PGM ヘカートII”、それも初期型の木グリ仕様の……)

 

 某有名デスゲー系MMOラノベシリーズの中で、鉄砲篇ヒロインが愛用してたでっかい銃って言うと、イメージしやすいか?

 少なくとも、1940年代に出てきちゃいけない代物が目の前にある。

 というか、登場を半世紀ほど間違えてないか?

 

「ん? 下総大尉、確かにこの銃の開発コードは、ギリシャ神話の女神の名を取った”ヘカーティア”らしいが、知っていたのか?」

 

「いや、特に詳しく知っていた訳ではなく、噂程度には」

 

 噓です、隊長殿。元ネタ知ってただけですとは言えない俺である。

 

「元々は”試製十三粍(=12.7㎜)手動銃”って対物/対装甲ライフルとして開発されていた物なんだがな、個人携行型の対戦車ロケット砲や軽量擲弾筒の開発に目途が立ったのと、小銃擲弾にモンロー/ノイマン効果の対装甲成形炸薬弾型が開発され、射程は短いが軽装甲ならそっちの方が有効ってのがはっきりしてな。そこで、これまでとは文字通り桁が違う超長距離狙撃銃に転用しようって話になったらしくてな」

 

 確かに遮蔽物が全くない砂漠だと、超遠距離射撃ってめっちゃ有利なんだけどさ。

 ちなみに現在の皇国陸軍の主力小銃、”チ38式自動歩兵銃”は、小銃擲弾の発射に力を入れてる小銃で、標準搭載の擲弾照準器を起立させると連動してガスカットオフが働いたり(この手の機能は史実のイタリアのBM59小銃やユーゴスラビアのツァスタバM70小銃で実装されている)、また小銃擲弾自体もバレット・トラップ式で空砲じゃなく実包で発射出来たり、種類も豊富だ。

 まあ、これは銃の性能が上がったため、手榴弾の投擲距離だと対応しきれないシチュエーションが増えたって意味なんだが。

 史実ほどでないにしても、やはり日本人は白人に比べて小柄(1940年時点で皇国の成人男性の平均身長165㎝。史実の1965年の数字とほぼ同じ。ドイツは同時期175㎝以上)だから、重い手榴弾を遠投するのは得手って訳じゃない。

 それに皇国陸軍は、どの時代の出身かはわからないが、火力不足に悩んだと思われる歴代転生者の執念と言うか怨念じみた努力で、歩兵装備を中心にかなり火力馬鹿の傾向がある。

 火力増強で装備が重くなっても車で前線まで兵隊運べば問題ないって思想から、陸軍の装甲化と自動車化が一気に進んだのだから、如何ともはやだ。

 特に第一次世界大戦以降は、かなり顕著だ。

 

(このヘカートモドキも、その流れで『50口径弾を使う長射程・高威力の狙撃銃だと? よし!』ってノリで開発許可出たんだろうなぁ)

 

 陸軍技研とかの開発チームって、結構マッドだって聞くし。

 

「一応、現在の仮称は”試製二式長距離狙撃銃”。理論上、1,000m以上先の相手を射殺できるようには作ってあるらしいが」

 

 なんか、めっちゃ気軽にオーパーツが製造されたと聞かされた気がする。

 

「試製ってことは、実際に()れるかどうか試してこいってことですね?」

 

 少佐は頷き、

 

「大尉、君には優秀な小鳥遊軍曹(スポッター)がいるし、丁度おあつらえ向きのミッションもある」

 

「……どういう意味です?」

 

 すると少佐は書面を出し、

 

「チャド方面からリビアへ越境しようとしている部隊を遊牧民(トゥアレグ)が遭遇した。彼らは気づかれる前に距離を取ったから詳細までは不明だが、証言から考えると武装した原住民ではなく正規部隊の可能性が高い」

 

 それはそうだろうな。手渡された資料を読めば、むしろ納得しかない。

 原住民が使う徒歩以外の砂漠の移動手段はラクダがメインだ。

 間違っても戦場じゃ最早クソの役にも立たない、豆戦車や装輪装甲車で移動はしないだろう。

 

「この証言として記されてる”小さな戦車”や”大砲の付いた自動車”は、フランス製なのでは?」

 

「大尉もそう思うか?」

 

 まあ、チャド方面から進軍してくる連中なんて、野盗かフランス人くらいだろう。どっちも大差ないが。

 

「という事は、今回の役回りは斥候哨戒狙撃(スカウト・スナイプ)でよろしいので?」

 

 まあ、要はロングレンジパトロール(砂漠だと必然的に長距離哨戒になるんよ)に出て、敵を発見したら気づかれぬように狙撃ポジションについて、味方に敵の存在を報告しつつ狙撃命令が出るまで潜伏って感じかな?

 

「うむ。今回は斥候哨戒(スカウト)の方がメインとなる。しかし、発砲許可が出たら自分の判断で撃って構わん」

 

「具体的なプランをお聞きしても?」

 

「2マンセルに砂漠行動に慣れた現地協力者のガイドを一人つける。これはフェザーン側と交渉済みだ。むしろ、向こうから売り込んできた」

 

 あー、さもありなん。

 ほら、トリポリ攻略戦の時、フェザーンのベルベル人ってイタリアに付いたじゃん?

 それがキレナイカ人やトリポリタニア人には面白くないらしくてな。

 キレナイカ王国人は、事あるごとに「日本人と共に戦って、我々は祖国をイタリア人から取り戻した」ってマウント取りに行こうとするし、トリポリタニア共和国人は「我々は日本人の攻勢に呼応して自らの手でトリポリを奪還した」と反撃するのが、リビア三国会議で行われるお約束だ。

 そう言う場合、やっぱりフェザーン首長国人の立場と発言権はどうしたって弱くなる。

 なんせ、「最後までイタリア人に味方し、日本人と敵対した」、そして唯一「日本人と共闘したのではなく降伏したリビアw」という評価は付きまとう。

 その状況を、リビア三国連合が本格スタートする前に払拭したいと考えるのは普通だろう。

 無論、日本人はそこに他意も思うところもない。だが、これは基本的に「身内(リビア)の問題」なので迂闊に口出しもできないって部分がある。

 

(名誉挽回の機会をフランス人に求める、か……)

 

 戦争が政治の一形態である以上、どんな段階でも政治と戦争は不可分って事だな。

 

「そこで各方面に散ってもらい広域哨戒。言い逃れできない所まで越境させたところで、包囲殲滅といこう。無論、生き残りには証言してもらう」

 

 あー、つまり現在、この仮設前線にいる1個旅団相当の戦力を投入すると。

 

 少し補足してるとリビアの南部にあるチャドは、行政区分的には”フランス領赤道アフリカ”って区分になる。

 21世紀の地図だと、チャド、中央アフリカ共和国(この時代はウバンギ・シャリ)、ウガンダ共和国(西ウガンダ。この時代は中部コンゴ )、ガボンから構成される。

 基本、フランスはあまりこの地域の統治に情熱を注いでるとは言えず、植民地軍も分散配置しており、確か純粋なフランス人正規軍はチャドには3,000人くらいしかいなかったはずだ。

 残りの兵力は、現地のチャド人を徴用して水増ししていると思った。

 

「新兵器の実験台としては、少々物足りない相手ですね?」

 

「まったくだな」

 

 そう俺と隊長は笑い合うが、

 

「問題は、チャドの越境軍が”どの命令系統”で動いているかですか」

 

 史実なら、仏領赤道アフリカは最初にド・ゴールに尻尾を降った植民地軍だったはずだ。

 

「それを先ずは確かめねばならんだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




試製二式長距離狙撃銃を設計・製造したのって絶対に転生者関わってるだろうな~とw
某シノンさんの愛銃モドキを、1942年段階で入手する下総兵四郎です。
そりゃ確かに性能はオリジナルには及ばないとは思うのですが、砂漠みたいに遮蔽物のない所ではめっちゃ有効そうです。

そして、リビアに越境してくる中々に命知らずの面々が……



新章もどうかよろしくお願いします。




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第156話 Sometime, The Love is Heavy like Metal.

久しぶりに本シリーズで非常に希少な女性キャラの再登場です。




 

 

 

「えっと……もしかしなくても、君が”砂漠の協力者(ナビゲーター)”……?」

 

「はい♡ 旦那様♪」

 

 小鳥遊と合流(というか、隊長室の前で待機していた)隊長に聞いた現地協力者が待っているという場所に行ったら、何故か待っていたのはコードネーム”ザーフィラ”ちゃんこと、本名”ナーディア”ちゃんでした……いや、なんでさ?

 

「サヌーシー教団は、リビア全体に根を張ってるんですの。勿論、地域によって勢力の強弱はありますが」

 

 何でも商人の都であるトリポリタニアでは勢力がさほど大きくないそうだ。

 あそこは街の成り立ちや商人の街という性質から正統派、つまり穏健派のスンナ派が一番多く、またサヌーシー教団の原点とも言える同じイスラム神秘主義(スーフィズム)系のイドリース教団も一定の力を持っているようだ。

 無論、圧倒的な影響力があるのは地元と言ってよいキレナイカ王国だが、

 

「フェザーンではムルズクやウバリを中心に、それなりに勢力があるんですよ? トゥアレグの方々には、割とサヌーシー教団の自由な気風が肌に合うようで」

 

 そう相変わらずぺったんな胸を張る。

 やっぱいいよなぁ、平たい胸……ほとんど膨らみないのにちょっと柔らかくて。思わず先っぽをこねくり回したく……おっといかんいかん。現実逃避するついでに色ボケしてる場合じゃないな。

 すると俺の視線に気づいたのかナーディアちゃんは、近づいてそっと耳元で、

 

「あの時、旦那様に純潔(処女)を捧げた妹たちも来ています。お暇ができたら、姉妹一同たっぷり可愛がってくださいね?」

 

 小鳥遊君、そこで「やっぱ激重だったか……くわばらくわばら」と呟くのやめれ。

 それは俺に効く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、砂漠行脚と言えば、定番はラクダである。

 ちなみに俺も小鳥遊も普通にラクダに乗れるようになった……というか、乗れるようにならされてしまった。

 いや、実際に砂漠特化の四足歩行獣だから便利なのよ。

 

 砂漠ってのはおっかない場所で、徒歩で進もうにも慣れてないと足を取られて中々前へ進めない。

 人間ってのは、地面を踏んだ(地面を蹴った)反動で前へ進むんだ。単純な作用反作用の法則だな。

 だが、砂漠の砂はキメが細かく衝撃を分散しちまい思った以上に前へ進めない。

 砂浜は歩きにくいって経験は誰もがしたことあると思うが、印象的にはあれより砂粒が細かい気がする。

 

 ついでに摩擦係数も小さいから、車とかも簡単にスタック(タイヤが砂に沈んでスリップ)しちまう。

 ただ、砂漠ってのは荒涼とした砂地だけじゃない。

 実は岩場や山、ガレ場やザレ場みたいになってる場所、つまりは地面がある程度固くて自動車でも走れる場所ってのは、ある程度は存在している。

 例えば、ニジェールの国境に近い街”ティウミ=アイノア”からリビアのオアシス都市”カトルーン”へ抜ける場所がまさにそうだった。

 

 フランス人は基本的にラクダを移動手段として使わない。

 文明人として、あるいは先進国としての意地でもあるのか、アフリカでも車両を使う。

 だが、ラクダはダメでも馬は良いってんだから、ますます意味が分からん。

 

 だが、日本人である俺は特に拘りがあるわけじゃないので”砂漠の船(ラクダ)”にも乗るし、防暑服の上にアラブの民族衣装カンドゥーラを羽織り、頭は布を輪っかで止めるクフィーヤで覆っていたりもする。

 

 いや、皇国軍の防暑服ってのは基本南方戦線、インドシナ半島や台湾、南太平洋の委任統治領なんかの熱帯雨林気候で着るように作られているから、強烈な日差しとそれ以上にきつく感じる砂漠の照り返し、そして凄まじい乾燥の北アフリカの砂漠を延々と行動するのには向いてない。

 そこで登場するのがアラブの民族衣装って訳だ。

 何千年も砂漠で生きてきた民の知恵が詰まった衣装はやっぱスゲー。

 

 史実のドイツ軍将校が、クッソ暑いはずの北アフリカ戦線で冬季戦用のロングコート着てる写真とか見たことあるか?

 あれ、実はなるべく肌を覆い隠した方が、日光の直撃を浴びない分涼しく感じるんだそうだ。

 そして、カンドゥーラやクフィーヤはさらにその上をいく。

 白だから太陽光を反射しやすいし、風通しも見た目以上に良い。

 確かに砂漠で白は目立つかもしれんが、原住民が全員同じような格好でラクダに乗って移動してるんだ、逆に紛れられる。

 ”郷に入っては郷に従え”とは昔の人も中々に上手いことを言うもんだ。砂漠の民の叡智は侮るべきじゃないのだ。

 

 ついでに今回の俺の相棒、”ヘカテーたん(パチ)”改め”試製二式長距離狙撃銃”も白い布を巻いて荷物に見せかけている。

 もちろん、小鳥遊君のフィールドスコープや無線機もだ。直射日光を避けるってのもあるけど、もう一つは砂漠の砂対策だ。

 繰り返すが、北アフリカの砂漠の砂は細かく、風に乗って直ぐに機械の中に入り込み、故障や不具合の原因になる。

 壊れた野戦無線機を修理しようと分解したら、中から掌一杯分の砂が出てきたなんて話もあるぐらいで、エンジン用に態々砂塵対策(トロピカル)フィルターなんて作られてる理由もこれだったりする。

 

 無論、アラブの民族衣装はこの砂対策の機能もどこの国の野戦服よりあるのだ。

 ちなみにこの砂漠特化装備の衣服の下に階級章まで付けた防暑服着てる理由は、ジュネーブ条約やハーグ陸戦条約対策だったりする。

 端折ってしまうが、あれの規定は「軍人は、どこの国のどの階級の軍人かわかる格好(=軍服や階級章)で戦場に出ろ。じゃないと便衣兵とみなす」なんだが、正規の軍服の上に何を羽織るかまでは定義されていない。

 ほら、正規の軍服の上に私物のコート羽織ってる軍人さんとかいるだろ? あれと同じ扱いって事だ。

 ぶっちゃけ正規の軍服だけで世界中で戦うってのは難しいから、その辺は割と黙認されていたりする。

 

 蛇足だが、俺達砂漠に展開する部隊には、ちょっとした特権がある。

 それは、本国の”山本光学(後の「SWANS」ブランド)”って眼鏡屋に特注した、サングラスやデザートゴーグルが支給されんのよ。

 なんだったら私物としても追加購入できる。

 まあ、砂漠だと日光や照り返しや砂塵で、目へのダメージがバカにならんし。

 

(ナーディアちゃんにも買ってやるかね~)

 

 一緒に行動するなら、あった方が良いだろ?

 

 

 

***

 

 

 

 さて、そんなおしゃべりしている間に、俺と小鳥遊軍曹、ナーディアちゃんはラクダ三頭にまたがって基地から東南東に進んでいたんだが……

 

「あー、いきなり居やがったよ」

 

 そうぼやくな小鳥遊。

 仕事が楽できて良いじゃないか?

 エンカウトしたのはオアシス都市”カトルーン”の目と鼻の先。正直、あまり時間的猶予は無い気がする。

 

(やっぱり、広域陸上警戒システムとか欲しいよなぁ……)

 

 砂漠だとあまり地雷は役に立たない。一見すると硬い地面に埋めれば効果あるように見えるが、ちょっと砂嵐が起こればあっと言う間に地雷原丸ごと砂の下なんて事はよくあるんだ。下手をすれば地雷が砂に流されてたなんてこともある。

 ただ、航空機の搭載レーダーで地上の車両なんかを探索するのは、対象からの電波反射が地面からの電波反射(グラウンドクラッター)なんかに紛れてしまい、ルックダウン可能なパルスドップラー・レーダーとかが実用化されるまでは技術的に難しい。

 遠い未来(いや、今生だと近未来か?)には、ミリ波レーダーなんかも有効だろうが、そんな今は手元にない未来の便利グッズはさておき、俺達は岩場に身を隠して観察を始める。

 以上のような理由で地上の監視手段はかなり長い間、目視ないし赤外線なども含めた光学的探知手段だった。

 だが、こうまであからさまな移動だとハイテク装備は必要ないわな。

 というか、砂塵を巻き上げて走っちゃ駄目でしょーが。「見つけてください」と言ってるようなもんだぞ?

 小鳥遊は早速、無線機で隊長に連絡入れるが、

 

(ん……?)

 

 おろ? おフランスの装輪装甲車”パナール”のキューポラから上半身出してるのって……

 

(あのチョビ(ヒトラー)髭野郎、もしかして……)

 

「小鳥遊軍曹、できれば即時発砲許可を取ってくれ」

 

「どういうことで?」

 

「上手くすれば、足止めできるかもしれん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ぺったん娘:「きちゃった♪(妹たちと一緒に)」

シモヘイ:「まあ、良いか。胸平たいし(色ボケ)」

小鳥遊君:「ヘヴィメタルェ……」

まあ、こんな感じのエピソードでしたw
シモヘイの場合、フォン・クルスと違って難しい政治の話とかあんまり考えずに済むのが楽。
ただし、執着している(されている)のが王様の末娘というのが何とも……w

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第157話 何も戦争に限った話じゃないが、蓋を開けてみれば「……ねーわ」と思う事例は割とある

今回は、(自称)フレンチの誰が、どうしてわざわざリビアまで越境してやってきたのか?という舞台裏ないし答え合わせです。




 

 

 

 さて、現代ミリタリーがお好きな紳士淑女諸君は、おそらく”ルクレール”というフレンチ戦車を知っていると事と思う。

 フランス戦車にしては珍しく、あるいは始めて”個人名”が冠された戦車なのだが……だが、この元ネタになった”フィリップ・ルクレール”という第二次世界大戦当時のフランス陸軍軍人については、存外に日本で知ってる人は少ない。

 

『えっ? 第二次大戦のフランス陸軍って、あっと言う間にドイツに負けたじゃんw』

 

 その通りだ。

 なのでルクレールも当然、自由フランス軍の軍人ということになる。

 

『自由フランス軍? ああ、あの米軍様の後ろをいつもちょろちょろついて行って、大して戦いもしないのに美味しいとこだけ持っていこうとする惰弱共ねw』

 

 それも否定できる材料が無い。

 20世紀以降、フランスはよほど小さな地域紛争(植民地戦争)でもない限り、戦争では米軍がいなければ勝てないように出来ている。それが世界の法則なのだ。

 だからルクレールは、「自由フランス軍第2機甲師団を率いてノルマンディー上陸作戦に参加し、パリ入城を果たした英雄」ということにドゴールイズムに汚染されたフランスではなっている。

 だが例えば、ノルマンディー上陸作戦では勝手に動かれては困るとジョージ・パットン中将率いるアメリカ陸軍第3軍の命令下におかれ、しかも、自由フランス軍が参加したという”実績”が欲しいのに全滅したらシャレにならんと、お守に米軍第14軍団がつけられていた。

 1個師団に複数師団からなる米国式1個軍団が(フランス人は頑として認めていないが)、実質的に”護衛としてつけられて”いたのだ。

 プロパガンダの為とはいえ、やり過ぎである。

 彼らの活躍(?)は、作戦の一部である”ファレーズ包囲戦(ポケット)”などに名前が出てくるし、資料によっては重要な役割を果たしたとされているが……あえてこう言おう。「まあ、機甲予備(・・・・)は確かに重要だ」と。

 

 ちなみに”パリ解放”の時も、まず「レジスタンスが、パリ市内で一斉蜂起し」、その後に”アメリカ第4歩兵師団と共に”パリ入城を果たしている。

 また、ルクレール麾下のフランス第2師団は一応は正規編成の1万4千人強規模だったが、そのうち約4000人が「フランス人以外」だったらしい。

 流石は、「外人部隊こそが国内最強部隊」の国だ。

 特に他意は無いが、ルクレール自身は終戦から2年後、1947年に”飛行機事故”で戦争とは無関係に死んでいる。

 

 さて、この”フランス救国のスーパーヒーロー”の輝かしい戦績の中に、

 ・1941年、ルクレールが大佐の時にチャドから出撃してイタリア領リビア南部のオアシス都市クーフラ占領。その功績で大佐から少将に昇進。

 ・続いて1942年12月、3000人のチャド軍を率いてリビアの他地域に侵攻

 ・1943年1月、ついにトリポリを占領して、エジプトから来た英軍と合流

 ・英軍モントゴメリー元帥の指揮下の第8軍に編入され、チュニジア侵攻作戦に参加。なお相手はヴィシーフランス軍。

 と言うものがある。

 

 つまり、ルクレールの出世街道、成り上がり物語はリビアから始まったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 では転じてこの世界線、自由フランス軍大佐”フィリベール・ルクレール”は何をしているかと言えば……威力偵察の名目で、3000名のチャド軍(内フランス人は300人ほど。つまり隊長、指揮官級は全員フランス人)を率いてリビア南部を領土侵犯していた。

 これにはいくつか裏事情がある。

 

 最初のリビア領侵入計画は、イタリア人がリビアの支配者だった頃に遡る。

 だが、トブルク要塞に閉じこもっていれば良いものを、何を思ったか日本人達が西進し、一気呵成にトリポリまで陥落させてしまったのだ。

 これじゃあ1941年12月中旬に計画していた「リビアの手ごろなオアシス都市を占領して、本格侵攻の橋頭保を確保しよう作戦」が台無しになり、中止に追い込まれるのも無理はない。

 

 だが、1942年2月……自由フランス軍人としての責務を果たすため、新たな「手頃な(・・・)侵攻計画」を考えていたルクレールの元へ、驚愕の情報が飛び込んできた。

 そう、”セント・バレンタインデーの喜劇”だ。

 

 だが、問題はそれで終わらなかった。

 その後、ウクライナのホロドモールや、”カティンの森”でのポーランド人虐殺が、国際連盟大会議の場で暴露(告発)され、ホロドモールに関してはそのまま国際司法裁判所に提訴、カティンの森も事実確認と証拠固めが終わり次第、同じく提訴されることになった。

 

 アメリカはいつもの報道管制を行ったが、その効果は十全とはいかず国内は大混乱、ソ連は証拠隠滅を図ろうとしているのか、スモレンスクというより”事件現場”にまだ真冬なのに猛攻をかけてるようだ。

 

 だが、それをドイツ人が読んでない訳がない。

 既に中央軍集団は総力を上げて防衛線を張っており、なりふり構わないロシア人の猛攻を上手く凌いでいるらしい。

 というか、何でもロケット弾を鈴なりに主翼の下に吊り下げられる新型Ju87(スツーカ)を受領するなり慣らし運転を兼ねて転戦してきた”空飛ぶ魔王様(ルーデル)”とか、Bf109F-4を楽しげに乗り回す、史実より少し早いデビューを果たした新人時代の”黒い悪魔(ハルトマン)”、「アフリカの星」にはなり損ねたが無事に帰国できた”伊達男(マルセイユ)”とか、早めの機種転換でFw190使い(DではなくA型だが)として開眼した”大エース(バルクホルン)”が制空権を守りぬくため大暴れしていた。 

 その空の下をV号戦車(パンター)は流石に未登場だが、43口径長や新型48口径長の長砲身75㎜砲搭載のIV号戦車に乗った戦車のエース達が、車体をダグインさせて待ち構え、後方からはひっきりなしに砲弾やロケット弾が惜しげもなく振ってくるのだ。

 

 その中を歩兵を肉壁として貼り付けたタンク・デサント状態で突撃するのは、如何に兵隊が畑から取れるソ連軍でも無理があり過ぎだった。

 それに対戦車地雷や対人地雷(Sマイン系列)に加え、既に対戦車ロケット砲の”パンツァー・シュレック”や対装甲擲弾”パンツァー・ファウスト”、加えて戦車と同じ長砲身75㎜を搭載した駆逐戦車なり対戦車自走砲なり突撃砲なりも最優先で配備されているのだ。

 おまけに歩兵科や砲兵科に配備されている対戦車砲まで含めて長砲身75㎜砲は、全て495㎜薬莢を使う砲弾に統一されている。

 この意味は大きく、砲弾が統一されたためにより大量生産が楽になり、また史実より併合した地域(チェコやオーストリア、西ポーランドなど)の工業力も効率よく投入出来ているために、備蓄も補給も十分であり、ドイツは基本的に「弾切れを起こさない」のだ。

 

 

 

 攻めてくるのがわかっているのなら、”防御絶対優位”を活かして戦うのは必然であり、「防御は3倍の攻勢まで耐えられる」という一般即からソ連は人員的には3倍以上の数を投入し、いわゆる”数頼りの蹂躙作戦(スチームローラー)”を敢行するが、制空権や装備差などドイツ側にも戦力倍加要素はいくらでもあり、故に総合戦力3倍などとてもじゃないがソ連側には無く(そもそも、水増しした兵員をデサント兵に使うとか……)、むしろ火力では防衛側のドイツの方が上回っていた。

 この時点で、レニングラードというソ連最大の生産拠点が潰され、最前線までレンドリース品がまだ届いていなかったのもとても痛かったのだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 蛇足ながら、これは都市伝説のようなものだが……

 

『あー、ハイドリヒ。国連でカティンの森ぶちまけるんなら、スモレンスクの正面だけじゃなくドニエプル川を中心にカティンからグニョズドヴォあたりの防衛線の構築は、トート機関フル動員するくらいの覚悟でガッツリやっとけよ? 連中、特にスターリンの阿呆はメンツ潰されるのが大嫌いだ。十中八九、国際調査団入る前に証拠隠滅図ろうとすっぞ』

 

 とアドバイスする謎の東洋人が居たとかいなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、米ソともに言い訳できない醜態を晒してる現状、カナダのケベック州に居を構える(英国式に言えば”不法占拠している”)”自由フランス政府”の代表シャルマン・ド・ゴールは、

 

「米ソが虐殺騒ぎで共に動きが悪い。米国内は混乱が広がり、ソ連は証拠隠滅の為に躍起になっている。米ソが動けない今こそ、我らフランスこそが断固たる意思を見せ、我らが健在であり、反ドイツの結束が小動(こゆるぎ)もしていないことを示さねばならん!!」

 

 と高らかに宣言した。

 まさにゴーマズムならぬド・ゴール主義(ゴーリズム)の正しき発露だ。

 彼らにとって正しいフランスは自分達であり、ペタン首相率いる今のパリ政権はドイツ人の傀儡である”間違ったフランス”だ。

 ド・ゴール主義の中は中華思想と同質、つまり世界の中心は自分たちなのだ。

 紅い血の流れるフランス人である以上、パリ政権の邪知暴虐は許すまじ! まさに天上天下唯我独尊、フランスに勝る者は無し!!の面目躍如だった。

 

 だが、そう宣言したところで直ぐに動かせる戦力は無いし、攻める場所も……と思われたのだが、閣僚の1人が「リビアの南の隣国チャドに”ルクレール”という大佐がいる」事を思い出したのだ。

 チャドを含む”仏領赤道アフリカ”は、自由フランス陣営につくことを「この世界」でも表明していた。

 

 あえて、この閣僚の名前は出さない。歴史に名を残せぬ者の名前を記す意味がないからだ。

 だが、”転生者(サクセサー)”だということは告げておこう。

 戦後のフランス、”解放されたパリ”に生まれ、ド・ゴールの黄金期に多感な少年時代を過ごし、青年期の終わりに”栄光の30年”は終わりを告げ、社会の中堅を担う頃に冷戦が終わり、病床で余命僅かな時にロシアがウクライナに侵攻した……そんな模範的な生涯を生きたフランス人の前世を持っていた。

 彼は正しく”無自覚のゴーリズムの継承者”であり、平凡な中産階級労働者として生涯を終えたことに不満こそ無かったが、物足りなさがあった。

 だからこそ、今のポジションはとても魅力的だった。

 彼の中では、「ド・ゴールの凱旋」は既定路線であり、イギリスと日本が妙なことになってるが、ケベック州を”仮初の本国”とできたことはむしろ前世より状況が良いとさえ考えていた。

 そもそも、英国人と日本人が戦争から抜けたところで、ドイツが米国とソ連という超大国(・・・)を相手にして勝てるわけないのだから、大筋において第二次世界大戦の落着点は変わらない。

 最初からドイツに勝ち目はないと、この閣僚転生者は考える。

 

 だからこそ、「自分の知る歴史になぞらえて」、ド・ゴールが示した「自由フランス軍のパワープレゼンス」に関して、最適解(ルクレール)を提案したのだ。

 彼の生きた世界の史実では(・・・・)、ルクレール大佐はイタリア人の支配するリビアからオアシス都市を切り取り、それが英雄への第一歩となった。

 今、リビアを支配しているのは日本人らしいが、彼の認識の中では日本陸軍は米国陸軍に一捻りされる程度の強さで、イタリア軍と大差ないと考えていた。フランス軍は日本との戦闘経験が”前世でも今生でも絶無(・・)”だったのが、その判断に繋がっていた。

 インドシナ半島などアジア領域の戦闘は、綺麗に忘れ去られていたのだ。

 

 また、”彼の知る歴史”では、少なくとも第二次世界大戦において日本は敵国だった。

 その前世の認識(・・・・・)こそが、”現実”との乖離を生んでることに、閣僚転生者は気づかずにいた。

 つまり、無自覚のまま「骨の髄までこの世界線の自由フランス人(・・・・・・・)」に染まってしまっていた。

 では、彼は何の思い違いをしていたのか?

 

 ・ド・ゴールはパリ政権を認め、自分達を反乱軍呼ばわりする日本皇国(・・)を、「敵国」にカテゴライズしそれを公言していた。

 

 ・だが、ドイツと日本は同盟関係でも無ければ、自由フランスと敵対もしていない。(そもそもフランスの正統政府でもない相手に、日本皇国が何らかのアプローチをかけることはない)

 

 ・大日本帝国と日本皇国が全く別の国である以上、帝国陸軍と皇国陸軍が同じである訳がない。

 

 つまり、彼の前世と近視的に見れば”酷似する状況”が、閣僚転生者の現実認識を歪ませた。だが、それを指摘できる人間は、世界のどこにも存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 今のリビアは日本人が守ってる?

 いやいや、現地調査員に確認させてみれば、チャド・リビアの国境線に見張り所や検問所のような場所はないと言うではないか。

 どうやら、日本人は沿岸部は取れた様だが、南部内陸奥深くの国境砂漠地帯(=”アオゾウ地帯”)は掌握できて無い様だ。

 日本人は砂漠に慣れてないか、あるいは砂漠に興味なく欲してないかだな。

 よろしい。

 ならば、まだイタリア人が籠ってる可能性もあるわけだな?

 結構。大変に結構。

 ならば、リビア南部の「手頃なオアシス都市」まで現状把握の威力偵察に出たまえ。

 なに、可能ならばついでに(・・・・・)占領してしまっても構わないのだよ?

 大佐、とりあえず十分な戦力を連れてゆきたまえ。

 

 

 かくして、”どこか別の世界(・・・・)の歴史的成功事例”に準えられ、一人の「英雄になりえたかもしれないフランス男」の命運は決定されたのだった。

 この判断が、後々どう響くかは今はまだわからない。

 だがこの時点で言えるのは、どうやら今生では、残念な事に彼の名を冠した戦車がお目見えすることはなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この時点でリビアに向かってるって事は、今生で”ルクレール”戦車は見れそうもないですねー。
その代わり、”ペタン”戦車とかは現れそうですがw

さて、今回は「転生者の負の側面」を描いてみましたが、いかがだったでしょうか?
ちなみに彼(閣僚転生者)は罷免されることは、あり得ません。
何せ、戦闘の勝敗は彼の責任ではなく、チャドの兵力がある事を思い出し、どうやら守りが薄いらしいリビア南部侵攻を提言してきた。
日本人とイタリア人がドンパチ始めたからお蔵入りになってたプランを、状況が安定した今に思い出すなんて素晴らしいでしょ?
イタリア人をボコボコにした(ド・ゴール的解釈)なら、東洋人風情(・・・・・)に相手に勝てて当然でしょうしw
フランス人なら誰でも思う事を、誰も責めはしないのです。
むしろ、「アイデアは良かった」わけですし。
これからも、”彼”は貢献してくれるかもしれません。色々と。


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第158話 とある大佐の華々しい(?)最後と、フライング・ミキサー(仮称)

今回は、色々と弾けます(物理)


 

 

 

”ドウッ!!”

 

”べしゃっ!!”

 

「大佐ぁっ!?」

 

 1942年初旬のその日、リビアの荒れ地にて50口径弾の直撃を浴びたフィリベール・ルクレール大佐の肉体は上下に分割(もう少し飛び散ったパーツは多いかもしれない)され、二度と元に戻ることは無かった。断末魔の悲鳴さえなかった。

 痛みすら知覚する前に魂と呼べるものが、肉体から強制解放されたのだから無理もない。

 共産主義者に喧嘩売る言い方をすれば、無事に”天へ召された”のだ。

 史実では47年まで持つ寿命が5年縮み、死因が航空機事故ではなく銃撃による戦死だったが、歴史から見れば誤差の範囲だろう。

 かくて、ルクレールが救国の英雄になるチャンスは永久に失われた。

 

 

 

***

 

 

 

「たーまやー」

 

 いや、小鳥遊君や。それなんか違わね? というか榴弾当てた訳じゃねーから、別に爆散→ひき肉変化してないからな?

 ああ、下総兵四郎だ。

 どうやら、推定ルクレールが上下2分割されたようだ……なんかこう書くと字面がえっらいシュールだな。

 それにしても、

 

(思ったよりは威力があるな……)

 

 戦闘機や対空機関砲として使う場合、皇国軍でメジャーなのは空気信管を備えた”マ弾”って榴弾なんだが、試製二式長距離狙撃銃で使う銃弾は撃つ相手が違うんだから当然違う。

 そんなもん人間相手に榴弾とか使ったらハーグ陸戦条約とかジュネーブ条約的にアウトだ。

 という訳で、対人用の12.7㎜×81(50口径)弾も当然ある。

 付け加えると対人用弾頭は、最近になってこれも303.ブリティッシュ弾のMk7やMk8を参考に開発された新型弾に更新されてきてる。

 単純に言えば、弾頭をMk8のようなボートテイル状にして空力的に洗練(整流効果)させ射程を延伸、弾頭の中身をMk7のそれを参考にした二層構造……先に鋼鉄製の貫通体弾芯(ペネトレーター)、後ろに従来通りの鉛を挿入して貫通力を上げると同時に重心調整による弾道安定を狙っている。

 Mk7の場合は先端に入れるのはアルミとかなので、あっちは貫通力よりも重心調整とタンブリング効果に主眼を置いているが。

 むしろ、構造的には前世のSS109(NATO標準5.56㎜弾。米軍ではM855)の方が構造が近いか? 先端にエアスペースがあれば旧ソ連の5.45㎜×39だが。

 まあ、難しく考えなくても「射程が長く、弾道が安定しているのでそれなりに当てやすい半徹甲弾」的な理解で良いと思う。

 

「ちょっと遠いかと思ったが、結構、当たるもんだな。思ったより銃も弾丸も精度がいい」

 

 フランス植民地軍(それともチャド軍か?)までの距離は、大体1,300m。

 一応、二式長距離狙撃銃の理論上の有効射程は1,000mってことらしいが、光学照準器(スコープ)やら何やらを煮詰めていけば、射手は選ぶがワンマイル・シュート(1マイル=約1,600mの狙撃)くらいまではできるポテンシャルはあるんじゃないかな?

 まあ、前世じゃあ同じ50口径の狙撃銃で3㎞以上なんて冗談みたいな距離の狙撃を成功させた世界記録保持者(レコード・ホルダー)もいるし、それに比べれば1/3程度の代物。それどころか南北戦争の時代の古い銃や第一次世界大戦の銃で同じような距離の狙撃に成功してる古強者も実在したくらいだから、俺も所詮はその程度ってところだ。

 だからナーディアちゃん、そんなキラキラした目で見られても正直、反応に困るんだが。

 

「大尉殿、次はどうします?」

 

「まだ連中、どっから撃たれたか気づいてないな……」

 

 まあ、そりゃ普通は1㎞以遠から撃たれた経験なんて無いだろうからな。

 本来の狙撃なら、ターゲットを仕留めた以上、相手にこっちの射点がバレてないなら気づかれないうちに移動するべきなんだが……

 弾倉はオリジナルのヘカートと同じ7連発。チェンバーに1発入れるコンバット・ロードにしてたから、1マガ丸々残っている。

 

(まあ、今回は阻止攻撃としての狙撃だしな)

 

「ここにとどまり、適当にフランス人将校を目減りさせるか」

 

 正直、次の射点に移るまでの時間が惜しい。

 それに今回、日陰に繋いであるラクダに乗ってきたお陰で、徒歩に比べれば重装備が運べている。

 そして、伏せてる岩場も中々にバリケートとして優秀だ。

 

(そういえば、英国にはボーイズ対戦車ライフルとかあったな)

 

 あれも改良すればロングレンジ・スナイパーライフルとして使えそうだ。

 いや、それ以前にこの二式長距離狙撃銃をボーイズの13.9㎜x99(55口径ボーイズ弾)仕様にした方が手っ取り早そうだな。

 俺の記憶が正しければ、前世ではボーイズライフル自体も中華民国で試験的に狙撃銃として使われたって記録があった筈だし。

 

(帰ったら書面にして提出してみるかね~)

 

 なんか、後で「作ってやったから、言いだしっぺのお前が試せ」とか言われそうな気がするが。

 そんなことを思いながら、俺は再び引き金を引く。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、2弾倉分も撃った頃だろうか?

 ようやく射点を割り出したらしい植民地軍だかチャド軍だかがわらわらとやって来る。

 確か史実だとルクレールが率いてたのは、現地(チャド)人込みの3000人ほどの軍勢だったか?

 まあ、今もそのくらいいそうなんだが……

 

(正直、そこまで脅威には思えないんだよな~)

 

 と引き上げ準備……に見せかけた移動。

 パナール装甲車の25㎜機関砲と撃ちあうのは、流石に分が悪い。

 そして、俺たちの”足止め”という役割は、半分くらいは果たした。

 

 背後の上空から聞こえてくる爆音……そーら、”空飛ぶ悪魔”のお出ましだぜ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お~お。こりゃまた派手だねぇ」

 

 低空を飛んできたのは、二式複座襲撃機”屠龍”。

 そう、リビアの一連の戦いで試作型が登場したあの機体だ。

 今回、実験前線基地に持ち込まれていたのは、”より量産型に近い”形の先行型だった。

 つまり、

 

「ホ203って思ったより威力がエゲつないな……」

 

 目的としては量産型の武装テストベッドとして6機が基地に持ち込まれ、その内4機が飛んできてるんだが……

 まず、お約束の翼下に鈴なりに搭載したRP-3空対地ロケット弾の攻撃から”屠龍”の攻撃は始まった。

 弾頭は歩兵と軽装甲車両ばっかだと分かっていたからか、弾頭は地面に着弾した途端に水平方向に封入した3600個の鉄球(いや鉛玉か?)を爆散させて撒き散らす対人クラスター型。ご丁寧に焼夷効果があるバラ玉も混じってるな。

 そして、一旦は上昇して急降下爆撃(屠龍は元々は多目的双発戦闘機として開発されたから急降下爆撃ができる)で、250kg級と思しき対人キャニスター弾(悪い。正式名称は知らないんだ。まだ試験運用中だと思った)を投下する。

 ああ、これは具体的にどういう物かって言うと、重さ45gの鋼鉄のダーツ(フレシェット)をしこたま仕込んだ爆弾型コンテナを投下、中身を空中で散布するって代物なんだが……暇なら、”レイジードック”とMk44クラスター・アダプターで調べてみてくれ。

 

 そして、クライマックスは機首に搭載された”ホ203/37㎜機関砲”だ。

 毎分120発の発射速度を誇る軽戦車の主砲に匹敵する口径のこの機関砲、そこから発射される徹甲榴弾は面白いようにフランス製の車両を破壊してゆく。

 だが、弾丸での攻撃はそこで終わりという訳ではなく副武装の”下向きの斜め銃”として搭載された4丁のホ103/12.7㎜機銃が、上空追加(フライパス)するついでにミシンで縫うように地上掃射をしていくのだ。

 

 フランス人も率いられたチャド人も冗談では無いだろう。

 ロケット弾や爆弾での攻撃は、基本的に1回きりだ。

 だが、”屠龍”は自動装填の37㎜砲をぶっ放しながら迫ってきたと思ったら、上空を飛び抜く間際に50口径弾の集中豪雨を振らせて行くのだ。

 そして飛び去り→反転→再突撃を弾が尽きるまで繰り返す。

 ホ103は最近マイナーチェンジを受けて発射速度が毎分800発→900発に向上したって聞いてるから……4丁合計で毎秒60発レートで俺の長距離狙撃銃と同等の威力(おそらく目的からしてマ弾じゃなくて半徹甲弾だろうし)の弾丸が降ってくるなんて想像もしたくないもんだ。

 

 確か屠龍1機で37㎜砲弾を30発、12.7㎜弾を1丁あたり300発は搭載してるからトリガーを引きっぱなしにしても、前者で15秒、後者で20秒の射撃が可能な筈だ。

 しかも、テストパイロットってのは例外なく腕が良いから、小刻みに効率よく、何度も2機編隊(ロッテ)が入れ替わり立ち代わり、敵の地上兵力を削っていってやがる。

 なんか、その様子はイワシの大群を包囲して貪り食うシャチの群れを連想させた。

 フランス人はどうやらまともな対空兵器も、あるいは歩兵の対空射撃訓練もしてないようで空中の連中はやりたい放題だ。

 

「さて、降伏するまであと何分だ?」

 

 降伏した方が幸福になれるぞ~。きっと、多分。とか内心で呟きつつ、俺と小鳥遊君、そしてナーディアちゃんは新たな狙撃ポジションに着くと、とりあえず作業的に㎞レンジの長距離狙撃を再開するのだった。

 いや、下手に近づいたら確実に鋼鉄の嵐(あるいはミキサー)に巻き込まれるし。

 

 ヤンキー相手に使ったら、”フライング・ミキサー”とか呼ばれるのかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、(主にシモヘイのせいで)ルクレール大佐は、戦車の名前になり損ねたようですよ?

軽装甲車両と軽装3000人(うちフランス人300人。対空装備なし)
    VS
完全装備の”屠龍”4機+50口径の長射程狙撃銃

Ready Fight !!
うん。酷い戦いだなw
ただし、国境を無断で跨いだツケは、この程度で支払いきれるものではなく……



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第159話 火星エンジン搭載したR4D-8モドキが”零式輸送機”だって? これだから技術系転生者ってのは頭オカCって(ry

親愛なる紳士淑女の読者の皆様、本日二度目の投稿をして宜しいでしょうか?

さあ皆様、「むせる(ボト○ズ的な意味で)」準備はよろしいか?





 

 

 

 親愛なる皆様は”零式輸送機”という機体に聞き覚えあるだろうか?

 我々の知る歴史では、米国ダグラス社の傑作旅客機”DC-3”のライセンス生産機、その大日本帝国海軍版だ。ちなみに陸軍版もある。

 米国も同じくDC-3の軍用機型をC-47”スカイトレイン”として採用してるので、敵味方に軍用仕様が作られたDC-3が如何に優れた機体だったか分かるというものだ。

 

 確かに、この世界も”零式輸送機”は確かにある。

 あるんだが……史実のそれとは似ても似つかない。

 いや、双発輸送機なのは同じだし、なんと陸海空全ての軍でわずかな仕様変更で完全武装の兵員33名を運べる人員輸送型とペイロード3,300kgの貨物輸送型が採用されている割ととんでもない機体だ。

 まず、史実と大幅に違うのは1点。”零式輸送機”は、「DC-3のライセンス生産機ではない(・・・・)」ことだ。

 実際、全体のイメージはともかく、よく見れば形がかなり違う。

 そもそも、某国策企業な民間航空会社が30年代中期にDC-3を旅客機として購入したのが始まり。

 この世界線でも、それを原型に輸送機を作ろうという計画自体はあった。だが……それを試乗した”日本皇国空軍統合技術研究所”のエンジニアが、

 

『なんか軍用機としては物足りなくね? パワーが足りんのよ。パワーが。それにライセンス料勿体ないし、インチをセンチに直すのも面倒臭い。ならいっそ、大馬力の火星エンジン使ったオリジナル輸送機作ろうぜ~♪ ついでに素材は当然、A7075(超々ジュラルミン)な。波板構造も大胆にいこうぜ!』

 

 と「(開発)ガンガンいこうぜ!」的なトンチキなことを言いだしたのがきっかけだった。

 無論、こんな阿呆を言いだすのは、技術系転生者(サクセサー)しかいない。

 土井武士だけが、唯一の転生系変態航空技術者ってわけでは無いのだ。というか、むしろ航空産業、いや兵器産業のそこかしこに居る。

 

 まず、当時はまだ1,600馬力級だった初期型(10番台)の火星エンジンありきで設計し、大きなエンジンナセルのついでに主輪は完全引き込み式で設計、胴体はDC-3より心持ちワイドボディにして1mほどストレッチしたついでに尾輪も半引き込み式に。

 主翼はDC-3と比べると前後幅は広がり、その分翼長(スパン)がやや短くなっていた。前縁の後退角はDC-3に比べて緩く、翼端が角型になり直線翼により近くなっている、結論から言えば全く別のデザインだ。

 主翼内部はセルフシーリング構造のインテグラル・タンクになっている。

 最高速は450㎞/h、巡航速度は空力的洗練もあって400㎞/hと速く(どちらも最大ペイロード状態)、最大(フル)ペイロードでも4,000㎞の飛行が可能だった。

 

 さて、勘の良い皆様ならばこの転生設計者が何を参考(元ネタ)に”零式輸送機”を設計したかもうお分かりだろう。

 その形状は、まさに史実では1949年に登場したDC-3S、通称”スーパーDC-3”。

 米軍の試作機YC-129もしくはYC-47F、米海軍のR4D-8(後にC-117Dに名称変更)の原型になった機体だ。

 いや、どちらかと言えば、むしろ完成形のR4D-8の方が造形も性能も役割も近い。

 無論、和製P-51H(むったん)の時同様に、設計者は他の(転生系)技術者から総ツッコミを受けたが、

 

『まだ飛んでもいないどころか計画すら無い機体なんだから問題ないじゃろ? こういうのはやったもん勝ちなんじゃい!』

 

 と切り返したという。

 

 

 

***

 

 

 

 とまあ、ここまでが前振り。

 実際、”零式輸送機(今生では陸海空共通名称)”には様々なバリエーションが作られ、例えば長距離飛行特化で与圧キャビンの司令部間移動型や空挺型などがある。

 その中で最も”特異な存在”とされるのが、”試製零式改対地掃射機”……いわゆるリアル米軍名物の”フライング・ガンシップ”だ。

 

 当然、参考にされたのは史実のC-47を改造したガンシップ、米軍の”AC-47”だろう。

 ただ、この機体はAC-47より僅かに大きく、そしてかなりパワフルな機体だったため、機体側面より突き出た武装は、より凶悪であった。

 主砲(・・)は、戊式25㎜機関砲×1門、連装毘式12.7㎜機銃×2、そして四連装毘式7.7㎜機銃×1だ。

 

 要するにボフォース社の25㎜対空機関砲のライセンス生産品とヴィッカース社の50口径と30口径の機銃を機体の左横にズラリと並べている事になる。

 25㎜は屠龍の37㎜より口径は小さいが薬莢サイズは大きく、その分初速が速くて貫通力も高い。徹甲弾を使えば、現存する世界中の全ての戦車の上面装甲を貫通できるだろう。

 そして、二種類のヴィッカース社由来の機銃だが……これは完全に対人用(50口径は対軽装甲用でもあるが)だ。

 わざわざ軽いホ103ではなく、重い水冷式のヴィッカース社の機銃が選ばれたのには理由がある。即ち”射撃持続時間の長さ”だ。

 水冷式は確かに重いが、水を循環させて銃身を冷やしながら発砲するので加熱に強く、一般的な空冷式の物に比べてずっと銃身交換をしないままでの射撃時間が長い。

 一般に航空機搭載機銃は空冷式なのは装弾数に限りがあり、撃ち尽くせば戦闘中に弾の補充などできないからだ。例えば装弾数が200発なら取りあえずは200発を撃ち尽くすまで銃身が持てばよい。そして、弾を撃ち尽くしたら基地に帰投するまでは弾丸の補充が出来ず、帰投の間に熱くなった銃身もすっかり冷える。

 だが、零式改対地掃射機は任務が根本的に違う。

 制空権が取れた空で使うことが大前提だが、攻撃対象の上空を左旋回しながら長時間滞空して地上への機銃掃射を行い、敵を摺り潰す……殲滅する事が目的だった。

 ついでに言えば、輸送機の積載量や内部容積を活かして予備の弾倉・弾帯をしこたま積んでいるので、再装填も普通に”飛びながら”できる。

 もし、屠龍が敵歩兵にとり”空の悪魔”なら、零式改は差し詰め”空の魔王軍四天王(あるいは幹部)”とかだろう。

 魔王はまた別に居るので却下。具体的にはドイツ空軍に確実に一人いる。

 

 それ以外にも、火星エンジンを燃料噴射装置と強制冷却ファンを備えた1,850馬力級の最新の20番台に換装していたり、余剰馬力が増えたことでエンジン部分の自動消火装置の導入などの防弾性能向上などが図られている。(これらは既存の零式輸送機シリーズ全般で順次アップグレード導入予定。アップグレード済みの機体は”零式改”と名称変更予定)

 

 そして、その試作機から撒き散らされる一過性ではなく持続性のある破壊と殺戮に、

 

「陸軍、いや空軍の阿呆共なんてモンを飛ばしてきやがる……」

 

 とシモヘイは呆れたという。

 

 

 

***

 

 

 

(あれ、絶対に”AC-130H”とか知ってる奴が設計してるよなぁ~)

 

「いや、なんつーか”今週のびっくりどっきりメカ”感が半端ないな」

 

「大尉殿、何言ってやがるんです?」

 

「いや、ただの戯言だ」

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 あ~あ、可哀想に植民地軍だかチャド軍だか、士気が完全に崩壊してんじゃん。

 まあ、手の出せない空から一方的に弾幕射撃を食らえば、ああもなるか。

 

 それに屠龍は爆撃を1回した後は37㎜砲ぶっぱしてしながら突っ込んできて50口径ばら撒きながらフライパスするだけ(いや、それでもクるが)だが、零式改は延々見える位置(そして、こちらの攻撃が届かない位置)から撃ってくるからな……ぶっちゃけ、実際の威力もさることながら心を折りに来るよな。

 まあ、ほら同じ鉄砲でも、重力に逆らないながら撃ちあげるのと重力を味方につけながら撃ちおろすのとでは、全然射程も威力も違うんだよ。

 狙撃では基本的に標的より高い位置から狙うのは、狙撃に邪魔な障害物を避けるってのもあるがそういう理由もある。

 上へ向かって撃つってのは本来、かなり効率が悪いんだ。

 

 

 

 それはともかく3000人くらいいた敵軍も、今や立ってられてるのは半分以下。

 優先攻撃目標だった車両で無事なのは皆無……というか、ほとんどが修理不可能のスクラップヤード送りだろう。

 屠龍が”フライング・ミキサー”なら、零式改は”空飛ぶ挽肉製造機(フライング・ミンチメーカー)”だわ。

 なお主な素材は人肉とする。

 

 とはいえ、こんな地獄で黙示録的な中でも情景でも逃げ出そうとする剛の者はいるわけで……

 

「敵前逃亡は銃殺刑と相場が決まってるんだ。知らないのか?」

 

 と射程外に逃げられないうちに、試製二式長距離狙撃銃(ヘカテーたん(パチ))でとどめを刺す。

 まあ、本来はフランス人将校がやるべき処断なのだろうが、できる奴がもう残っていなさそうなので俺が代行する。

 あるいは、空の連中の撃ち漏らしを仕留める、穴埋め作業に似た何かだ。

 

(それにしてもラクダに予備弾倉多めに積んでおいて正解だった)

 

 もしかしたら、複数回連続狙撃した時のライフリング摩耗率とか今回のミッションだけで取れるかもしれない。

 銃身だけではなく薬室も内部にはしっかり硬化クロームメッキ処理がされてるが、物には限度がある。

 

 そういや小鳥遊君もいつの間にか、ラクダに積んできたクレタ島以来愛用しているチ38式自動狙撃銃(マークスマン)を片手に射程に入った連中を片っ端からパンパン()っている。

 俺としては、手に馴染んだボルトアクションの九九式狙撃銃の方がじっくり狙う感覚があって好み(実際、よく当たるし)なんだが、小鳥遊君は連射が利くどうやらオートライフルの方がお好みらしい。

 まあ、今は逃げ出してる敵兵を射貫いてるだけだから観測手(スポッター)とかいらんしな。むしろまだ他の狙撃小隊が来てないから、狙撃手の手が欲しいとこだから、その空気が読めるあたりも含めて小鳥遊軍曹は優秀だなっと。

 

 何やらナーディアちゃんも撃ちたそうな顔をしてるが、駄目だからな?

 今回は解放軍とかでなくてガイドで来てるんだから、君が撃ったら便衣兵になってしまうでしょーが。

 流石にかばいきれる限度がある。

 とはいえ、こっちに突撃するでもなく、降伏の意を示して武器を投げ出して伏せるわけでもなく、ただただ恐怖に駆られて背中を見せて逃げ出す敵兵を撃つのは楽だわ。

 一応、言っておくが降伏した相手を撃つのはハーグ陸戦条約違反だが、逃走する敵兵を撃つのは別に軍規違反とかじゃないぞ?

 じゃないと、撤退する相手に追撃戦とかできないだろ?

 とはいえ、

 

(そろそろ残弾が心もとなくなってきたな……)

 

 合計10個持ってきていた50口径弾が7発詰まった弾倉も、残すところあと2つ。

 こりゃ俺も予備で持ってきた九九式狙撃銃を使わんとアカンかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フライング・ミキサーのお次はガンシップ……日本皇国製の”空飛ぶ挽肉製造機(フライング・ミンチメーカー)”のお出ましでした。

砂漠で飲む珈琲は、苦いw

”屠龍”で切り刻んで、”試製零式改”で摺り潰す二段構え。
哀れ国境を侵犯してきた自由フランスを僭称する武装反政府組織(あるいは武装犯罪組織)は、皇国製新型対地攻撃機の効果測定用実験材料に指定されたみたいです。

皇国の捕縛部隊(救助部隊)が早く来てくれるといいね~。

本日は流石に打ち止め。
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第160話 やらかした事を冷静に考えれば、そりゃあペタンお爺ちゃんだって激おこになるわさ

小さな(かなり一方的な)戦いは終わり、そして……今回の事態は、妙な方向へ転がり出すw






 

 

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 結局、植民地軍? チャド軍?の残存勢力を捕縛すべく増援が来たのは、50口径弾を使い切って、予備の九九式狙撃銃の最初の1弾倉(マガ)を使い切る前だった。

 一応、九九式でも砂漠みたいに遮蔽物のない開けた場所なら、1㎞以内なら当たることは当たるからな。

 

 まあ、その増援ってのも何処から飛んできたのか4機の零式輸送機(空挺仕様)に分乗した空挺部隊だったんだがな。

 100名ちょっとの部隊で3,000名の敵地上部隊を押さえるなんて普通に考えれば無茶無謀もいいとこだが、4機の襲撃機(とりゅう)の波状攻撃と対地掃射機(れいしきかい)の持続的な弾幕射撃を食らって随分と大胆に間引き(・・・)された敵軍に既に抵抗の意志は消し飛んだようで、残存兵はあっさりと降伏に応じた。

 いや、半狂乱だった奴とか結構いたので、そういう意味では苦労してたが。

 

 なお、生存者の中で最も階級が高かったのは大尉だったらしい。

 一応は同じ階級の軍人としては、詰め腹を切らされるだろう自由フランス大尉には同情してしまう。

 だが、パリ政権の正統フランス軍でもないのに「自由フランス(・・・・)軍人」を名乗ってしまった以上、こっちもフォローのしようがない。

 第一、「自由フランス」は国家などではなく、ドイツとフランスとイギリスが公認の”反政府組織(・・・・・)”だ。日本皇国の立ち位置も、基本は同盟国である(ケベック州が不法占拠されている)イギリスと同じ。

 本来なら、テロリストとして捕縛した全員を即時現場処刑しても構わなかったらしい(つまり、降伏を一切認めずに、国境侵犯したテロリストとして射殺処分しても問題なかったらしい)のだが……これ以上面倒ごとを引き受けたくない(火中の栗を拾いたくない)皇国政府の意向もあり、栗林遣リビア軍総司令官とおそらくは武者小路外交官とリビア三国連合の担当部署と話し合いの結果、生存者はフランス政府へ引き渡しとなったようだ。

 とはいえ、最終的な死者は7割以上に達したために引き渡せる数は、そう多くは無いだろうけど。

 

 そんなこんなで自由フランス軍大尉殿は部下共々「フランス軍を詐称し、国境侵犯(テロ行為)を働いた容疑」でアルジェリアのフランス軍に引き渡され、フランス本国で裁判にかけられる……予定だ。

 基本的に国軍の詐称は立派なテロ行為、つまりハーグ陸戦条約やジュネーブ条約の対象外。普通は、まあ末路は決まっている。

 処刑を免れる方法としてはフランス政府との司法取引だが……いずれにせよ軍人としてのキャリアはおしまいだろう。

 

 とりあえず、ここいらは上層の判断になるだろう。

 そして、俺が隊長(少佐)に聞かされたのは、

 

「自由フランス軍を僭称する武装(テロ)組織に不法占拠されたチャドに対する治安活動、並びに警察行動……ですか?」

 

「ああ」

 

 少佐は頷きながら、

 

「”警察の装備では対処できない相手故に治安出動で皇国軍が出る”ことになる。上はそういう方向で調整してるようだ」

 

 まあ、攻められっぱなしじゃ面子が立たんか。

 それに、

 

「とりあえず、”アオゾウ地帯”を押さえる大義名分にはなる……ですか?」

 

 ”アオゾウ地帯”ってのは、前世だとリビア・チャドの国境地帯、そのチャド側にある係争地で、そこを巡ってリビア・チャド戦争がカダフィ政権時代に起きている。

 その係争の理由は、アオゾウ地帯に『有力なウラン鉱脈』があるかららしい。

 隊長は小さく頷き、

 

「そうだ。また大義名分としては、今回の反政府組織による悪質な国境侵犯に対する対抗処置。それに加え、キレナイカ王国サヌーシー陛下より、直々に()フランス人の武装犯罪者に弾圧と迫害を受けている”現地のサヌーシー教徒の保護”を求められた……という物が用意される」

 

 あー、確か某大佐がリビア・チャド戦争起こした時の大義名分が、「アオゾウ地帯に住んでいた住民はサヌーシー教団に臣従しており、その後オスマン帝国に臣従し、その権限はリビアが引き継いだ」だったな。

 いや、「お前がクーデター起こしてサヌーシー教団を国王ごと潰しておいて何言ってんだ? コイツ」ってのが俺の知ってる歴史だが、

 

(これ、筋書き(シナリオ)描いたの誰だ?)

 

 間違いなく黒幕、あるいは裏で糸引いてるの転生者だぞ?

 

「今すぐどうこうという訳ではないが、心に止めておけ」

 

「ハッ!」

 

 一応、ちゃんと敬礼を返す俺氏だったが……この時は、考えもしなかったんだよ。

 事態(現実)が俺や隊長の予想の斜め上を飛び越えてゆくことなんて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あのテロリスト共がふざけおってっ!! 仮にも元祖国の立場を何と心得るっ!!」

 

 フランスは、パリ政権は、ペタン首相は揃って大激怒していた。

 まさに”怒髪天を衝く”である。

 

 当然だろう。

 日本皇国の取りようによっては、

 ・日英同盟とドイツの休戦協定がご破算

 ・休戦が失効した途端、リビアの日本軍がアルジェリアに攻め込む

 可能性があったのだ。

 日本人が聞けばコーヒーを吹き出しかねない発想だが、戦乱絶えない欧州の人間には当たり前の考え方だ。

 必要なのは口実であり大義名分である事を、彼らはよく理解していた。

 しかも尋問(あくまで彼らの解釈で言う尋問ですよ?)の結果、生き残り指揮官は、

 

『日本人がイタリア人に代わってリビアを取ったので、簡単に占領できると思った』

 

 とクソ無礼(ナメ)た証言をしたが、どうにもこうにもその裏には……自由フランスを僭称するド・ゴール一派には「日英と独の離間工作に、フランス領赤道アフリカ軍を使った」という意図があったようにしか思えなかった。

 無論、捨て駒としてだ。

 

 悲劇的な喜劇なのは、ド・ゴールの行動を黙認した米ソ(米国は当然、この動きを掴んでいたが制止せず、またコミンテルンを通じてソ連にも筒抜けだった)はいざ知らず、ド・ゴール一派にそこまで深い意図は無かった事だろう。

 前述の通り、自由フランスの目的は「効果的なパワープレゼンス」、言ってしまえば「将来の祖国奪還に向けた布石となる、”売名行為”」、誰もがよく知る「戦後ド・ゴール主義フランスが大好きな冒険的(笑)行動」であるのだが……

 だがしかし、この世界線ではそんな判断は誰もしてくれない。

 失敗して事実上、全滅したからよかったようなものの、万が一にもリビアの小さなオアシス都市一つでも占領していたら、日本から何を要求されるか分かったものではなかった。

 歴代転生者達の尽力により、日本皇国は戦後日本のように左翼に腐り墜とされた甘さだけの国でもなければ、戦前の大日本帝国のような傲岸不遜で道理の通らぬ国家でもない。

 鎖国を拒否したために国際社会で生き抜く強かさを身につけた”海洋性重商主義国家”……そうであるが故に何をしてくるか分からない怖さがあった。

 日本人は、どちらかと言えば謙虚で過剰や無茶な要求はしてこない。

 しかし、一度敵と認識されればそこで終わる。

 日本人は感謝も忘れないが、恨みも忘れない。

 日本には「水に流す」という言葉があるが、それは(話が進まなくなるので)「なかったことにする(=そうみなす)」だけであり、本当に忘却する訳でもない。

 そして、水に流さないと決めた時は厄介なのだ。

 日本人は一度敵と認識すれば、その認識が翻る事は無い。

 帝政ロシアからソ連に変わろうと、ロシアの認識はずっと”敵性国家”のままだ。おそらく、この先もそうだろう。

 日本人は一度切り捨ると判断すれば、”例え何があろうと”二度と関わろうとしない。

 一切の手を引いた朝鮮半島や中華大陸を見ればわかる。

 それどころか、今は該当地域への邦人渡航は政府の許可がなければ一切認められず(観光なぞ以ての外。ビジネス渡航も基本は今は不可)、また該当地域の住人の来訪も滞在も全て原則拒否と徹底している。

 

 そんな扱いとなれば、今のフランスなら死活問題に発展しかねない。

 端的に言えば、ペタン政権の深読みの方が解釈としては筋が通ってしまったのだ。

 

 

 

 事態を重く見たフランス政府は、かねてより議論が続けられていたある懸案事項を実行することに決定した。

 赤道アフリカはフランス植民地の中でも、(今のところ)唯一自由フランスに尻尾を振った”裏切り者”であり、フランス政府にとり今回の一件は、まさに「飼い犬に手を嚙まれた」のだ。

 

 ならば、捨て置くことなど到底出来ぬ。

 徹底的な躾が必要だった。

 しかし、今のフランスは戦後復興まっただ中で、しかもアルジェリアとチュニジアを防衛しなければならない。

 当然、赤道アフリカに戦力を割く余裕は無かった。

 

 では、どうするか?

 フランス政府の最終的判断は、再び世界を仰天させるっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あ~あ、ペタンお爺ちゃん激おこだよw

さて、という訳で事態は妙な方向へ動き出しました。
今回の越境してきた武装組織(・・・・)に対してまでは、一応は「軍事作戦」だったんですが、じゃあこの先は……?



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第161話 急転直下Ⅱ ~サイキョームテキに見える近衛首相の天敵は、実は国籍問わずに無茶ぶりしてくる爺様達説~

私は(暑さに)我慢弱くこらえ性のない性分なのだ!
なので、本日二度目の投稿逝きます。

意訳:暑さで作者もノーパソもへばって挙動が怪しくなってきたので、動いてる(動けてる)うちに投稿します(ガチ

割とマジで暑さで逝きそう……






 

 

 

 1942年3月某日、日本皇国、帝都”東京”

 

 舞台は、唐突に日本の永田町へと移る……

 

「マ・ヂ・かぁ~……!」

 

 この日、日本皇国首相”近衛公麿”は、苦虫をダース単位で嚙み潰したような顔で自分の執務机に突っ伏していた。

 それは、英国に居る吉田滋特使(クソダヌキ)からあった打診……相方の官房長官である”広田剛毅”、外務大臣”野村時三郎”も合わせて渋い顔をしていた。

 

「これ、完全に国際的な無茶ぶりじゃねぇか……」

 

 吉田から届いた暗号電文、それを意訳すればこう記してあった。

 

”仏領赤道アフリカを日英に『切り売り(・・・・)』する”とかさぁ。ペタンの爺様、いったい何考えてんだよ……」

 

 

 

 確かに頭が追い付かないかもしれない。

 まず、状況整理ついでに仏領赤道アフリカについてもおさらいをしておこう。

 仏領赤道アフリカは現代の地図に置換するといくつかのアフリカ中央部の国の集合体で内訳はチャド、ウバンギ・シャリ(現在の中央アフリカ共和国)、中部コンゴ(西ウガンダ。現在のウガンダ共和国 )、ガボンだ。

 そして、フランスは日英限定で1地域あたり「金1tで売却する」と打診してきたのだ。

 2023年7月現在、金は高騰しており1g単価=約9,500円で、1tは95億円となる。

 庶民感覚では高額に思えるかもしれないが……航空自衛隊が導入しているF-35A戦闘機1機分より安いと考えたらどうだろうか?

 国1つが、最新鋭とはいえ戦闘機1機より安く売却するとフランスは言ってきたのだ。

 

 無論、治安コストがかかるだろうが……それでも純粋な土地売却として考えると、格安であった。

 まあ、無料とは言わないあたりがフランス人らしいと言うか、国家財政厳しい状況を物語っているというか……

 加えて、ここに(英国向けに)赤道アフリカだけでなく仏領西アフリカの仏領カメルーン、仏領ダホメ(現在のベナン)、仏領トーゴも売却対象に入っているあたり、実に「分かってる」というか……この際、管理不能地域を売却してしまおうという意図が見え隠れしていた。

 いや、もしかしたら「どうせ反抗してきて管理できないんだから、(住民ごと)売れるうちに売っておこう」の方かもしれないが。

 

 これに即座に賛成したのは、当然のように英国だった。

 地図で確認して欲しいのだが……

 既にアフリカ中部西岸に英領カメルーンがあり、同じく西岸ナイジェリア、ガーナは英国領だ。

 そして、最近になりベルギー領コンゴを入手した。

 つまり、今回売りに出された植民地を購入すれば、「アフリカの東西が完全に英領で繋がる(・・・・・・)のである。

 それどころか、南もボツワナは英領、南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国とナミビア)は英連邦の一ヵ国。

 むしろ、北アフリカの中央から西部と、西岸のスペイン領ギニア(現在の赤道ギニア)、ポルトガル領西アフリカ(現在のアンゴラ)を除けば、アフリカは全て英国の財産となるのだ。

 

 ならば、ここで何をためらう必要があるというのだろうか?

 そもそも、仏領赤道アフリカの地に巣食っているのは、「自由フランス軍」なる反政府武装組織、国でもないので遠慮する必要など皆無。

 当然、日本皇国に手を出したチャドを除き全買いだ。

 流石ブリカスと言おうか、欧州人の悪い癖が出たというか……

 しかし、「まとめ買いするから割引しろ」とフランスに値引き交渉を仕掛けるあたり、こちらも実にブリテン(カス)だった。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、当然のように乗り気では無いのが日本皇国だった。

 彼らにしてみれば、アオゾウ地帯(=ウラン鉱脈地帯)が手に入れば良いのであって、チャド全域を支配など冗談ではなかった。むしろ、冗談でもやめてほしかった。ましてや、今後延々とチャドの面倒見続けるなど悪夢以外の何物でもない。

 そこで一計を案じたのが英国だ。

 

『チャドに関しては英国が半分の金500kgを出資する。そして、分担金に従いンジャメナ⇔アベシェライン以南は英国が面倒を見る。それでどうだ? 北半分は、後で独立させるなりなんなり日本の好きにすればよい』

 

 ちなみにチャド南部は水源地帯があり、現状でも農業は行われている。この世界線ではまだ未発見だが、油田もある。

 流石ブリ(ry

 

 そして、ここまで同盟国(のおそらくは転生者)が乗り気だと、皇国政府としても無碍には断れない。

 (タチ)が悪い事に、英国は日本が内心でアオゾウ地帯を押さえ、具体的には現在のリビア・チャド国境線を最低でも200~300㎞ほど押し下げ、ウラン鉱脈を押収したい(リビア三国連合に取り込みたい)と皇国が考えていることまで読んでいた。

 いや、もしかしたら更にその先……性質上、ウラン鉱脈や精錬施設、関連施設は皇国の国家管理になるだろうが、キレナイカ王国やトリポリタニア共和国と異なり石油資源のないフェザーン首長国の基軸産業(原子力産業)として育成させようと考えてることまで見越しているのかもしれない。

 つまり、近衛首相が苦虫を嚙み潰したような顔で署名捺印するまで予想済みという事だった。

 

 そして、近衛は一派共々の皇国議会の承認を得るための根回しに奔走することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 宥め賺し、あるいは脅し壊しした近衛の努力は功を奏した。

 その決定に反対した議員の幾人かが議席を失ったり、あるいは色々な意味で議員を続けられなくなったりもしたが、それは大した問題とはされなかった。

 3月中には議決が行われ、新年度の始まる1942年4月1日……

 

「我々は、フランス政府からの提案のあった、”チャド北部”の購入を正式に決定した事を宣言する。無論、これはエイプリルフールのネタなどではない。”自由フランス軍”を僭称する武装反政府組織の領土侵犯に関する対抗処置とリビア人によるリビア人の為の独立国家、”リビア三国連合(トリニティ)”に対する道義的責任、新国家樹立支援国として責任を果たすべき処置であるっ!!」

 

 そう新年度の皇国議会開会早々、近衛首相はやんごとなき御方の前でそう宣言した。

 議決自体は3月の臨時国会で決定したので、まあ本当に儀礼的なことでもあるし、あるいは4月1日より正式にチャド北部への侵攻がスタートするという意味でもあった。

 

「ただし、これは戦争ではなく購入した土地に巣食う武装反政府組織に対する治安活動であり、警察行動の一環である。つまり、本来は警察が行うべき活動ではあるが、武装反政府組織が警察装備では対処不可能と判断されたため、”領域警備法(・・・・・)”の概念に基づき皇国軍が代行として治安出動するという解釈である」

 

 そして一端言葉を切ってから議会を見まわし、

 

「そうであるが故に、今回の戦闘で発生するのは捕虜ではなく”逮捕者”である。また捕縛した人員に関しては、此度制定した時限立法”日仏犯罪者引渡協定基本法”に基づき、原則フランス政府に引き渡すこととする」

 

 要するにチャドで暴れてる自由フランス軍(含むチャド軍)は、フランス政府の正規軍ではないので武装反政府(犯罪)組織であり、犯罪者としては扱ってやるが、軍人として見做してやらんという宣言でもあった。

 

 もっとも、侵攻準備は1ヵ月以上前から始まっており、件の装備実験の為の前線基地は急ピッチで拡張され、むしろ大規模集積地としての役割を担わされる羽目になった。

 本物の戦闘用の前線基地はチャドとの国境線に沿うようにいくつも設営され、続々と戦力が運び込まれていた。

 

 

 

***

 

 

 

 無論、この動きに対してド・ゴールと自由フランス政府、米ソや各国の米国在住亡命政府の面々や取り巻き国家は一斉に非難声明を出したが、カウンターで国際連盟全体会議において、改めて「仏領赤道アフリカの主権はフランス政府にあり、この領地の売却は国家間契約書が交わされた正規の取引である」という共同声明が、満場一致の元に出されたのだ。

 

 この時代の常識は植民地の権利は宗主国にあるのが当然で、そこには売買の自由も含まれる。

 また、世界的に見たら正統フランスは明らかにパリに居を構えてるペタン政権であり、自由フランスを亡命政府と言い張ってるのは米ソと取り巻きだけだった。

 

 米ソ自身どこまで自覚しているかは分からないが、実はここまで反発されるには、それなりにきっちりとした理由があったのだ。

 米ソのやり方は「自分に都合のいい”自称(・・)”亡命政権を受け入れ、祖国奪還の美辞麗句の元に、いつでも他国を侵略できる(その口実になる)」と宣言してるようなものなのだ。

 史実ならいざ知らず、(レーヴェンスラウム建立の為)オーストラリアやチェコ、ダンツィヒのある西ポーランドの旧ドイツ領など、どうしても併合しなければならない土地以外、侵略してもさっさとあるいは積極的に再独立を促すドイツのやり方を見れば、「亡命政府とは一体……?」となるのも当然だった。

 

 そして、最近になりソ連の暴虐が米ソ&取り巻きを除く世界の共通認識となった事も地味に影響を与えていた。

 また、「世界で唯一、ソ連を大々的に支援するアメリカ」をソ連の一味とする見識も主流になってきたのだ。

 何気に日本皇国の地道なソ連とアメリカのズブズブな関係暴露(ネガティブキャンペーン)も少しづつ効果を上げてきている。

 日英独仏だけでなく、そこはかとなく世界中でアカ狩り(レッドパージ)の機運が高まって来ているのは紛れもない事実だった。

 

 共産主義国家は、神を殺した後に革命のスローガンと共に国の内外を問わずに人間を殺す……世界はようやく、そんな当り前の事実を現実として(・・・・・)認識し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




総理になった原因→最後の元勲こと西園寺翁の無茶ぶり
から始まってますので。

しかも、無茶ぶりしてくる相手が同盟国のチャーチルとか関係再構築中のペタンとか、もう笑うしかないかなとw

そして、(好き勝手煽れる喧嘩相手的な意味で)安牌なのがルーズベルトとかスターリンとかド・ゴールとか嫌すぎる罠。

ヒトラー……は正直、よくわからん(by 近衛)

とにかく、仏領赤道アフリカ(+一部仏領西アフリカ)は日英に格安で売却という運びとなりました。
英国的には美味しいだろうな~と。管理大変そうだけどw


ただ、描写はないけどヒトラーはニッコリだろうと。
なんせ、英国が益々「戦争なんてやったらっれか! それより新領土を一刻も早く経営軌道に乗せるんじゃい!!」状態だし、日本は日本で(有力なウラン鉱脈は得られたけど)チャド北部を押し付けられてゲンナリしてるしで、当面は「ドイツとの戦争再開は物理的に不可能」ですから。


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第162話 エンジニアなら一度は言ってみたいセリフ & シモヘイは、一度ロレンス中佐に謝った方が良いかもしれない話

海の日の 朝っぱらから エロ注意

エロと言っても微エロですw
シモヘイがヤバめなのは、今更ですが……


 

 

 

 さてさて、富士の裾野の御殿場には、日本皇国陸軍の巨大な演習場があるのは有名だが、そこに隣接する形で各種新装備開発局・研究所があるのは存外に知られていない。

 

 そして本日のオープニングは、その中の一角にある”狙撃銃開発チーム”の扉がノックされる所から始まる。

 

「主任! お喜びください! ”二式長距離狙撃銃(ヘカーティア)”の実戦テストを行っていた狙撃チームより、『13.9㎜×99(55ボーイズ)弾仕様の開発要望』が届きました!」

 

「なんと!」

 

 眼鏡で白衣の開発チーム主任は、感動と興奮にわなわなし、

 

「こんなこともあろうかと!……こんなこともあろうかと!! ついにエンジニアとして一度は言ってみたい台詞を言える時が来たっ!!」

 

 そして、開発チーム全員を見渡し、

 

「諸君! 喝采をっ!! 我々が先んじて開発していた”真・ヘカテーたん”がついに日の目を見る時が来たのだっ!!」

 

「「「「「おめでとうございます! 主任!!」」」」」

 

 彼らの視線の先には、試製二式長距離狙撃銃により太い銃身とゴツいマズルブレーキ、ショックレジスト機能付のアジャスタブル・ショルダーパッドに無反射コーティングのスコープを装着した、補助グリップと二脚が厳つい……全体的にマッシブな方面に強化された55口径ボーイズ弾仕様の”試製二式改特殊(・・・)長距離狙撃銃”が鎮座していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「まさか、もう55口径ボーイズ弾仕様の二式長距離狙撃銃、ああ、”試製二式改特殊長距離狙撃銃”ってのが制式名称なのか? ともかくもう来るとは思わなかったぜよ」

 

 何でも開発部に意見書を送った俺が「言い出しっぺの法則」でテスト担当者に抜擢されたらしい。

 いや、それでいいのか皇国陸軍。

 

「予め作ってたんじゃないっすか? 『こんなこともあろうかと!』とか言いながら」

 

 いや、それどこのウリバ○ケだよ?

 たまに思うんだが、小鳥遊君ってホントは転生者じゃないのかい?

 いや、でもそれっぽい雰囲気はしないし。マヂに謎だぜよ。

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 先日の休暇は、ナーディアちゃんと妹分たちの夢の狂宴、ぺったん娘とちみっ娘によるゴールデン・ナイアガラショーを楽しんだ。

 というか、なんか小さなより妹分が増えてた気がするんだが……

 何かねだられたので、色々した気もするがナーディアちゃん曰く問題ないらしい。

 少々イジり過ぎたせいかお漏らし癖がついたり、しーしーやおっきいのするたびに軽くイクようになったちみっこいのが続出したが、

 

 『いずれ全て旦那様の物になるのですから、(社会生活不適合になったところで)全く問題ありません♡ むしろ、もっと可愛がってあげてくださいませ。旦那様の事以外、何も考えられなくなるぐらいに』

 

 ちょっと微笑に凄みがあった。

 まあ、俺のプライベートなぞどうでもいい。

 そういえば、身内ネタで恐縮だが、先日(4/1)の辞令で隊長が少佐から中佐に昇進した。

 と言っても本人曰く、

 

『給料と退役後の恩給が増えただけだ。戦死したら遺族年金だろうがな。やることは大して変わらん』

 

 至ってクール。

 実際、一応俺達は「機甲化増強狙撃大隊」って形で再編され、狙撃大隊直轄の車両が回ってきたり、それに伴い大隊付の専門系の整備2個小隊が来たりといった感じだ。

 ほら、俺達狙撃科は少々編成が特殊で、例えば狙撃手と観測手の2マンセルで1個分隊扱いになるだろ? なので、狙撃大隊と言っても人数的には精々歩兵1個中隊くらいだ。

 そもそも狙撃ってのは、大人数で行うような戦術じゃないしな。

 

 あと、管轄的には司令部直轄……というか、一応は”特殊作戦任務群”に該当するらしい。

 いや、そのことを隊長に聞いたらめっちゃ呆れ顔をされて、

 

『この間の阻止ミッション、50口径の7連発弾倉10個を空にして、お前と小鳥遊で合計100人以上射殺したよな? 1ミッションで楽々増強小隊を壊滅させるような狙撃手がいるような部隊が、一般扱いなわけないだろう?』

 

 ド正論で返されてしまった。

 いや、薄々そうなんじゃないかな~とは思ってたんだよ。

 海軍や海軍陸戦隊だけじゃなくて皇国陸軍も英国の影響をかなり受けている。

 リビアでイタリア軍とドンパチしてる時、”沈丁花”なる特殊部隊とエンカウントしたのを覚えているだろうか?

 

 あの手の特殊部隊ってのは前世でも今生でも英国が元祖で、1940年に編成された”ブリティッシュ・コマンドス”が「始まりの部隊」とされている。

 その系譜で最も有名なのが”Special Air Service”、”英国特殊空挺部隊”だ。”SAS”の略称は聞いたこと無いだろうか?

 SASは、米国の特殊部隊”デルタフォース”が参考にした部隊だ。

 

 今生だとこのノウハウを英国は米国に渡す気はないだろうが……日本とどういう取引があったのかは知らないが皇国軍にもノウハウが伝わり、いくつもの”特殊部隊(コマンドー)”が生まれているらしい。

 

 ただ、そんなグリーンのベレー帽が似合いそうな連中だけが特殊部隊という訳ではなく、俺達みたいな狙撃特化の部隊も任務の性質上”そちら側”に該当するんだそうな。

 その割には、割と色々ヌルめな部隊の気もするが……

 

 とりあえず、俺達がやることはリビアだろうがチャドだろうが変わらない。

 スポッターの小鳥遊君と分隊(バディ)を組んで、コッソリ隠れてアウトレンジから生肉標的に風穴空けてやれば良いだけの簡単なお仕事だ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、機甲化とか自動車化とかになったが、相変わらず俺と小鳥遊君、そして継続してナビゲーター兼通訳兼交渉役(・・・)のナーディアちゃんは砂漠の船(ラクダ)で移動、南下していた。

 いや、積載重量や移動速度は自動車に劣るけど、こと砂漠の移動に関しては慣れてしまえば(そして、個人携行装備に毛が生えた程度の重量なら)車両よりラクダの方が圧倒的に便利で優位なんだってばさ。

 何より砂に埋もれないのが良い。

 

 ちなみにナーディアちゃんが同行してるのは砂漠に慣れたナビゲーターというのもあるけど、まず通訳という意味も大きい。

 いや、俺も小鳥遊君も北アフリカに来てからそこそこ長いから、標準アラビア語やアラビア語リビア方言とかならある程度いけるが、チャドはアラビア語チャド方言やフランス語に加え、120以上の先住民族の言葉があるらしい。

 驚いた事にナーディアちゃんは、チャド方言やフランス語だけでなくチャドで喋られる大抵の言語に対応可能らしい。

 

 実は、これは”交渉役”にも通じることなのだが、某大佐がアオゾウ地帯侵攻の口実にしたように、かつてチャド北部は元々サヌーシー教団の勢力圏だったのは事実だ。

 そして、それは現在も根強く残っていた。

 いや、サヌーシー教団総本山ともいえるアルバイダやベンガジを含むキレナイカ王国樹立に従い、最近では復権しつつあるようだ。

 

 日本人にはピンとこないかもしれないが、砂漠の民の宗教的ネットワークは決して侮ってはならない。

 厳しい環境だからこそ、必然的に強くなるものは確かに存在する。

 逆説的に言えば、皇国軍がリビア・イタリア軍を圧倒できたのは、サヌーシー教団を味方に付けられたからというのも要素として大きいのだ。

 

 さて、小難しい話はさておくとして、サヌーシー教徒と思われるキャラバンやトゥアレグと出会う度(ナーディアちゃん曰くサヌーシー教徒同士はわかるらしい)に情報取集を図るナーディアちゃん。

 

「なんかみんな協力的だね?」

 

「サヌーシー教団の復権が、嬉しいんですよ♪ 西洋人の都合でここら辺一帯はおかしな具合に国境が決められてしまいましたが、本来ならばチャド北部全体がサヌーシー教団の勢力下と言って良いくらいなんです」

 

 そういえば、トリポリタニア共和国領域より南部のフェザーン首長国領域の方がサヌーシー教団の影響が強いって言ってたっけ。

 そこと地続きのチャド北部なら当然か。

 

 第一次世界大戦後、イタリア人やフランス人が来るまでリビアもチャドもオスマン帝国の勢力圏だった。

 その頃も1908年の青年トルコ人革命(軍事クーデター)以降はサヌーシー教団は弾圧対象だった。

 だが、その激動と弾圧の歴史を教団は乗り越えた。

 そうであるが故の強い団結だ。

 

「じゃあ、本来の”あるべき姿”を取り戻さないとな。”偉大なるアッラーの名に懸けて(Bism Allah Aleazim)全ての不義に鉄槌を(Adrib Kula Zulm)(بسم الله العظيم اضرب كل ظلم)”」

 

「はいっ!! フランス人を全てフレンチフライにしてやりましょう♡」

 

 いやさ小鳥遊君、後ろで「べーよ……大尉殿、すっかりアラブ系神兵やん……どーすんだよ、これ……」とか呟かない。

 ちょっとネタに走っただけじゃん?

 撃つのはオートローディングのショットガンじゃなくて、より大口径の狙撃銃だけどさ。

 

 というか偉大なる先駆者、”アラビアのロレンス”だってこのくらいやったろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ蛇足な補足を。

 まず最初に、当事者の名誉のため一つだけ。

 史実の”アラビアのロレンス”ことトーマス・エドワード・ロレンスは、生涯独身だった。

 間違っても「王族の末娘と戦時中に婚前旅行を楽しみ、ましてや王女の取り巻き(妹分=つまり、サヌーシー教団の上層部の娘達)のロリだかペドだかに囲まれる」なんて状態には至ってない。

 

 そして、ロレンスは「(アラブで)敵につかまり激しい拷問の末、未知なる快感の扉を開いた」事を自伝(・・)に記している。ついでに退役してから、わざわざ人を雇って鞭で打たせるという困った性癖(ドM)を覚醒していた(記録に残っているガチの実話)。

 この男が英雄に数えられるのに、「変態」「露出狂」などと今なお評価される一因だった。コイツ(ロレンス)、無敵か?

 

 そしてここからが重要なのだが……薄々お気づきの方もいらっしゃるだろうが、放尿癖つくまで開発するとか下総兵四郎はむしろ”逆”の資質だ。

 ただし、スパンキングのようなハード路線ではなく……じゃあソフト路線か?と聞かれれば、方向性とか解釈が違うとしか言いようがない。

 詳細は語らないが物理的なそれよりも、こう何というか……悪意の欠片もなく(むしろ、情愛と善意しかなく)倫理観や道徳心や羞恥心や自我を快感でグズグズに蕩けさせ、溶け出たそれを快楽と悦楽で侵食して塗り潰して塗り固める感じ、だろうか?

 何か色々と刻み込まれ、後戻りできなくなった娘もいるようだが。

 

 最後に口が裂けても……

 

”بسم الله العظيم اضرب كل ظلم(偉大なるアッラーの名に懸けて、全ての不義に鉄槌を)”

 

 なんてアラビア語(・・・・・)で口走らないだろう。

 これは最早、ネタとかそういう話では無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん。
来栖とは別の方向性でヤバーくなっていってる気がするシモヘイでした。

この男の幼女志向(ロリペド)は今更(笑)ですが、こうイスラム神秘主義(スーフィズム)的な部分がね?

とりあえず、日本皇国軍事技術部門の転生者含有率はかなり高めな気がするw



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第163話 いや、それ言ったらダメな奴だから。日本に帰れなくなる奴だからな?

せっかくの休日、本日二度目の投稿です。
三日連続の一日二話投稿……そろそろ残弾が(汗

ところで、シモヘイは「勘違い系主人公」だった?





 

 

 

 القرآن في اليد اليمنى(Al Quran Fi Alyad Alyumnaa)(右手にはコーランを)

 

 بندقية في اليد اليسرى(Bunduqiat Fi Alyad Alyusraa)(左手には銃を)

 

 الشجاعة للرجال(Alshujaeat Lilrijal)(男には勇気を)

 

 حب المرأة(Hubu Almar'a)(女には愛を)

 

 سلام لكبار السن(Salam Likibar Alsini)(老人に安らぎを)

 

 المستقبل للأطفال(Almustaqbal Lil'atfal)(子供には未来を)

 

 باقات الشهداء(Baqat Alshuhada')(殉教者には花束を)

 

 ورصاص الرصاص على البلطجية(Warasas Alrasas Ealaa Albaltajia)(そして悪漢共には鉛の弾丸を)

 

 أخيرًا سننضم إلى خط الحاج(Akhyran Sanandamu 'iilaa Khati Alhaji)(かくて我ら巡礼の列に加わらん)

 

 

 

 砂漠では日常茶飯、ラクダに乗ってのロングレンジパトロール中に、増強歩兵中隊規模の武装勢力を発見した下総兵四郎だ。

 唐突だが、俺が55ボーイズ弾(13.9㎜×99弾)仕様の二式長距離狙撃銃を要求書として提出したのには、理由がある。

 本来、この弾を使うボーイズライフルは、正式には”ボーイズ対戦車(・・・)ライフル”であり、初期型は初速が低く貫通力が物足りなかったが、弾丸の軽量化により銃口初速の増大に成功。

 そして、最終的には初速945m/sを発揮するタングステン弾芯を持つHVAPタイプの高速徹甲弾が開発された。

 こいつの威力は絶大で500ヤード(457.2m)で30度傾斜の厚さ23㎜の装甲版を貫通できた。

 

(そして、フランスの装輪装甲車の装甲は厚い部分でも20㎜程度……だから、こういう真似もできる!)

 

偉大なるアッラーの名に懸けて(Bism Allah Aleazim)全ての不義に鉄槌を(Adrib Kula Zulm)! アッラーフ・アクバル(Allahu Akbar)!!」

 

”ボグッ!!”

 

 相対距離約800m、パナール型の装輪装甲車の装甲の一番薄い部分は1㎝以下。

 しかも、貫通力が最大限に出せる垂直部分だったり、高台から狙うと入射角の関係でちょうど”見かけ上の垂直”になる傾斜部分が多い。

 つまり、対戦車とまではいかないが、対装甲ならぬ対装甲車(・・・)ライフルとして、まともな戦車が配備されていないフランスの植民地軍相手なら十分使い物になるのだ。

 

「気分は”メロウリンク”だな」

 

「なんすか、それ?」

 

「ふと頭に思い浮かんだ単語だ。それより小鳥遊軍曹、俺はこのまま装甲車両片付けるから、近づいてくる敵兵の掃討を頼む。ナーディアちゃんも”自衛行動”を」

 

「アイ・サー! 大尉殿!」

 

نعم. عزيزي الزوج(はい。愛しの旦那様)

 

 一応、説明な?

 今回は軍事作戦ではなく、「武装反政府組織に不法占拠された土地での治安出動、警察行動の一環(・・・・・・・)」という建前だ。

 そして、ナーディアちゃんは”リビア三国連合から出向してきた公的な(・・・)現地協力者”という立ち位置だ。

 つまり、軍人でもないけど純粋な民間人ではなく”特殊公務員”という扱いで、であるからこそ「公的現地協力者に護身用の武装もなくテロリストの潜伏地域に同行させるのはどうよ?」という話になった。

 そこで、”正式にリビア公務員に対し、日本皇国の責任において装備を供与”という体裁が整えられ、晴れてナーディアちゃんも武装と武器使用の許可が「自衛行動の為」という建前で許可されたってわけ。

 政治って面倒臭いだろ?

 それにしても、便利だな警察行動。

 

 という訳でありまして、ナーディアちゃんの手にも九九式狙撃銃が握られているのですよ。

 なんか、俺の愛銃を欲しがったので謹んで進呈いたしました。

 代わりに俺には新しい九九式狙撃銃が、隊長の苦笑いと共にやってきましたがね。

 

 いやさ、ナーディアちゃんって”ザーフィラ”のコードネームでイタリア人相手の抵抗運動に身を投じてたせいか、銃の扱いが妙に様になっているんよ。

 どうやら自動式は使ったことなくてもボルトアクションは使い慣れてるらしく、子供の頃から狩りでも使ってたとか何とか。

 蛇足ながら、ナーディアちゃんにはサイドアームとして”ベレッタM1934”自動拳銃をホルスターごとあげました。

 いや、マカロニ野郎から分捕った戦利品、実は持て余しててね。勿論、程度の良い物……というか、数丁分解(バラ)して程度の良い部品選んで組みなおしたぞ?

 PPK(マルセイユをふん捕まえた時の戦利品な?)でも良かったんだけど、北アフリカだと壊れた時の余剰パーツがね。

 ほら、俺の場合はガチのサイドアームは武35式自動拳銃(国産ブローニングHP)だし、PPKは撃つことのないだろう……強いて言うなら御守みたいなモンだから良いんだけどさ。

 実際に発砲する可能性を考えると、ちょっとな?

 かと言って武35式は、ちっちゃくて小柄で華奢で軽くて胸が平たいナーディアちゃんには、大きく重すぎる。

 

 という訳でM1934。これなら手元に保守部品あるし。

 ん? ナーディアちゃんに”ノワ○ル”の夕○霧香コスさせたかっただけだろ?って……それを言ったら戦争だろうがっ!!

 いや、確かに肌の色とか除けば、ちょっと雰囲気似てるかもしれないけど……肌や髪の色は、どちらかと言えばビターグラ○セだが。

 小柄でショートカットってところはナーディアちゃんと共通項。

 

 ただ、目つきだけはどっちとも違ってて……表現しづらいが、じっとりしてるというかねっとりしているというか、良く言えば潤んでるし悪く言えば湿度が高そう。まあ、体付きと反比例するように色気はあるのは確か。

 目繋がりで付け加えると、普通の意味で目が良い。

 狙撃手としての素養は、潜在的にはかなりありそうだ。

 

 

 

 まあ、無駄話はこれぐらいにして……

 標的が人間より遥かに図体がデカくてちょこまか動かない装甲車相手なら、特にスポッターは必要ない。

 そんな理由で、俺が鋼鉄の獣を仕留めてる間に、二人には側衛手(フランカー)の役割を担ってもらおうと思う。

 

 それにしても、狙撃任務でスナイパー、スポッター、フランカーの3マンセルとかかなり時代を先取りしてる感覚だ。

 何を言ってるかわからないなら、「スナイパー フランカー」で調べてみるといい。

 今の狙撃のトレンドが見れるぞ?

 

 さて、鉄獣が1匹、鉄獣が2匹と仕留めているが、純然たる狙撃任務ならとっくに移動してなきゃ不味いはず。

 なんせ、ちょっとした岩山から見える”自由フランス(軍という名称は旧仏領赤道アフリカでは使わない方針になったらしい)”部隊は250名ほど。

 彼我の距離は1㎞に満たず、間にある障害物は大したバリアにもならない岩だけ。狙撃点が割れたら途端に不利になるはずだが……

 

(だから、普通の狙撃じゃないんだよなぁ~)

 

 第一射をする前に、小鳥遊君が連絡を入れている。

 ほ~ら、空から爆音が聞こえてきた。

 

 

 

***

 

 

 

 という訳で、本日の来客は俺や小鳥遊君にはお馴染みの”九九式襲撃機”の4機編隊だ。

 アオゾウ地帯に設営された野戦飛行場から飛んできたみたいだ。

 毎度お世話になりまーす。

 

 落としていったのは、前に屠龍も使った250kg級の対人キャニスター弾。

 鋼鉄製のダーツを無数に散布するあれだ。

 

 そして、適当に主翼の50口径機銃で地上掃射して敵歩兵を散らし、なんか動けそうな装甲車や散らされた(逃げ出す)歩兵を的に俺達は狙撃を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、捕縛部隊がやってきた。

 見た感じ、負傷兵を入れて生き残りは半分か少し下くらいだ。

 あれだけ撃たれたのに人間ってのは存外にしぶとい。

 

 まあ、最終的に何人が生きた状態でフランス本国まで移送されるかはわからない。

 それにしても、55口径ボーイズ弾で人間撃つもんじゃないな。別に条約違反って訳じゃないが明らかにオーバーキルだ。

 試製二式改特殊長距離狙撃銃の(弾倉)装弾数は、原型の二式長距離狙撃銃(いつの間にか試製が外れていた)より2発少ない5発。

 これを大体四つ消費した。

 

 ちなみに捕縛されたのは「武装犯罪者」扱いなので、()フランス人だろうとチャド人だろうと、生きてさえいれば公平にアルジェリアのフランス軍に引き渡される。

 その後は、きっと楽しい裁判が待っているのだろう。

 

 東京裁判やマニラ裁判、ニュルンベルク裁判の例を出すまでもなく、戦争裁判にまともな司法判断を期待すんなよ。

 まあ、それ以前に何人が裁判所に辿り着けるかだが、そんなもんは知った事じゃない。

 

「ご苦労だったな」

 

 本日の戦果を書面にして隊長(中佐)に報告すると、労いの言葉が返ってくる。

 皇国陸軍はアットホームな職場ですっと。

 

「天気はいつもどおり快晴。砂嵐に会うともなく、良いハンティング日和でした」

 

「では、規定通り明日は完全休養に当てろ」

 

 皇国陸軍は、任務ローテーションがきっちり守られるホワイトな職場です。

 ラクダに揺られてロマンチックな砂漠の旅、貴方もどうですか?

 今ならサービスで装備一式が付いてきます。リクル○ト。

 

「果たしていつまでも続くんですかねぇ~」

 

「自由フランスを僭称する武装犯罪者全員を逮捕するか、全員殺せば嫌でも終わる」

 

「あながち不可能で無いのがなんとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「お父様に伝えないと……!」

 

 私は耳も記憶力もいい。ちょっとした自慢だ。

 だから、旦那様がきっと無意識で呟いた祈りの言祝(ことほ)ぎを、聖句を聞き逃さなかった。

 一言一句も全て覚えている。

 

 だから、私にはわかってしまう。

 敬虔なサヌーシー教徒でも、あんな言葉は出てこない。

 あれはきっと旦那様が受けた啓示なんだ。

 旦那様はきっと、日本に生まれただけで、

 

「إنه تجسيد لمحارب مقدس قاتل من خلال الجهاد(ジハードを戦い抜いたイスラム聖戦士の生まれ変わりなのだから)!!」

 

 例え記憶を失っていても、魂が祈りを紡いだに違いないのだから!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




”口は禍の元”という好例w
まあ、シモヘイ本人にとっては、別に禍いって感じもしませんが。


勿論、シモヘイは、前世記憶など失っておりませんし、その前世も間違ってもジハードなイスラム戦士とかではありません。

というか……その場のノリで、それっぽいこと呟いてるだけですw

うん。でも、それをガチンコのサヌーシー教団の末姫の前でやっちゃ駄目だよねぇ~。
そりゃあ、祈りだの聖句だのと勘違いされても仕方ないし、そもそも勘違いで済むのか?って話ですw


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第164話 文化の違いってのは、一つの事象に対する認識の違いって意味でもある。つまり、同じ出来事を見ても同じ認識とは限らない

戦いは盛り下がり、政治は盛り上がってまいりました?




 

 

 

 さて、とても残念なお知らせがある。

 とてもとても残念なお知らせがある。

 

 リビア南部から南進し、アオゾウ地帯を通りチャド北部(北半分)を制圧する戦争、いや皇国軍の治安出動による武装反政府組織(テロリズム)に対する警察行動。

 1942年4月1日に日本皇国の近衛首相が公式に「治安出動の宣言」を行った時には、万全とは言わないが、できる全ての準備を終わらせていたこの戦い……実質的な戦闘は、”僅か1週間”で終わってしまった。

 いや、勿論担当地区の治安回復にはもっと時間がかかるだろうが、仏領赤道アフリカ・チャド北部に配備されていた自由フランス軍を僭称する組織の兵力が全て枯渇してしまったのだ。

 

 噓ではない。

 元々、ドイツに侵攻される前のフランスは赤道アフリカの経営にさほど熱心というわけではなかった。

 当然であった。

 チャドだけ見ても当時はこれといった産業は無く、油田もウラン鉱脈も発見されていなかった。

 まだ水源地があり緑広がる南部から中部にかけてはフランス人が持ち込んだ落花生や綿花、湿地帯にはわずかながらコメが栽培されていたが、北部はリビアとの国境付近(アオゾウ地帯)はほぼ砂漠と岩山、荒地であり、それから少し下がってもサバンナやステップなどの乾燥地帯が広がるだけであり、この時代は産業としてではなく自給自足的な放牧が行われているだけだ。

 

 つまり、時代的に純粋な農業地帯であり、わずかながらでも産業として成立するのはこの時代では南部だけであった。

 そんな「金にならない土地」に大軍を投じる様な真似をする国はいない。

 チャド全体に配備された純然たるフランス軍人は3000名程度で、水増し軍事力として現地のチャド人を雇い”フランス・チャド植民地軍”を編成していたくらいだ。

 そういう扱いなので車両は少なく、軽戦車すらも希少で、主な戦闘車は贅沢なもので装輪装甲車、普通は非装甲の野戦車や兵員輸送トラックがせいぜいだった。

 無論、航空機などは皆無であり、戦闘用に至ってはほぼ絶無。仮にあったとしても満足に飛べる状態ではなかった。

 そんな彼らにチャド人にまともに軍事教練を施し、精強な実戦部隊を作る意志も力もなく、最低限の治安活動ができれば良いという有様だった。

 まさに、「典型的な戦争を想定しない、とりあえず治安維持ができれば合格な植民地軍」の姿で、なんで戦後にああもあっさり植民地が独立したのか感覚でわかる。

 宗旨国に反感を持つ住民にソ連や共産主義者が接触し、ちょっと革命思想を囁いて武器を渡して煽れば、なるほど戦う覚悟が”最初から出来ていない”植民地軍などたちどころに瓦解するだろう。

 

 

 

 今回の事例は、「1週間しか持たなかった」のではなく、「1週間もよく持った」と称賛されるべきものなのかもしれない。

 相手は民兵組織でも鉄砲を持っただけの農夫でもなく、破壊と殺戮を生業とする国家公認のプロフェッショナルな軍事組織、”日本皇国正規軍”なのだから。

 

 大規模な戦闘行為と言えるような戦いはロクに無く、小規模な軍事衝突が頻発したがそれも皇国軍が一方的に殴りつけただけで、一番時間がかかったのは戦闘自体ではなく戦闘後の負傷した捕虜改め犯人の治療と搬送、その次は広い上に道路整備が脆弱なチャドを制圧すべき行軍時間(移動時間)だったという悲哀に満ちた現実を語ってはいけない。

 また、1週間の時間の理由が相手の強さというより、数が少ないためのエンカウント率の低さ(=発見の難しさ)や、補給線整備(ロジスティクス)の都合だったとか真相を言ってはいけない。

 それを含めて戦争なのだから。

 とにかく、皇国軍がリビア・チャドの国境を越えてから最後の戦闘が(=最後の自由フランス部隊の降伏が)1週間後だったという事実が重要なのだ。

 良いね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一応、オフィシャルには”チャド北部平定戦(戦闘はあったが、戦争ではない為)”という当たり障りのない名前だが、左だか右だかが名付けた、

 

 ”一週間戦争”

 

 の方が世間的に有名になってしまった。

 また、米ソを中心とした反日メディアがしきりに「野蛮な日本人が罪なきフランス人と原住民を力任せに殴り殺した”One Week War”」と喧伝したためにこの名前が国際的にも広まってしまったのだ。

 

『おのれアカ許すまじ! 勝手に戦争にしやがって! 治安活動の警察行動だつってるだろうが!』

 

 とは近衛首相の弁。彼的には米ソはどっちもアカだ。

 ただし、国際的評価(国連加盟国)は……

 

『やっぱリビアのマカロニどもを魔女の巨釜(カルデロン)に放り込んで丸茹でにしたのは、ブラッフでもフェイクでも無かったか……インペリアルおっかねぇ~』

 

 であった。

 特に評価されたのは、日本皇国の容赦のなさだ。

 こんな記録が残っている。

 捕虜引き渡しの際、アルジェリア・フランス軍の代表者に、

 

「これで犯人の引き渡しは終了した。遺体は引き取るか?」

 

 と聞く日本人にフランス人は「Non」と返した。すると、

 

「わかった。公衆衛生、防疫上の観点から遺体は全て焼却(火葬)処分とする。専用の施設も作ったから安心してほしい。何なら、施設を見学してゆくかね?」

 

「Non!」

 

 これは時代背景や宗教上の理由も関係するのだが、「死後の復活」を信じるキリスト教やイスラム教では、この時代では土葬が基本だ。(実は、今もそう。先進国でも火葬率は低く、だからゾンビ映画が生まれる)

 アフリカの風土病にはエボラ出血熱のような恐ろしい物もあるので、日本としては疫病の蔓延で取り返しがつかなくなる前に何とかすると言ったつもりだった。実際、この時の皇国軍担当官も「防疫のため公衆衛生に配慮してます」とアピールしたつもりだった。

 だが、多くの国は……

 

『日本人に逆らった者の末路は復活の機会さえも一切許されず、(防疫を理由に)灰になるまで炎で焼かれ、この世から完全抹消させられるか……おっかないねぇ。本当に』

 

 というニュアンスで捉えたらしい。

 実は、この「日本人に殺されたら遺体を炎にくべて滅却され、復活の可能性さえも完全消滅させられる」という話は、多少の尾ひれがつきながら世界中に拡散されるが……それが思わぬ効果を生むのは、また後の話である。

 

 

 

***

 

 

 

 ちなみに”仏領赤道アフリカ”売却関連の闘争(?)で米ソと偽仏が集中的に叩いたのは日本皇国だけであり、より買取分が多いはずの英国は華麗にスルーされた。

 白人国家だからか?

 欧州の国家だからか?

 断じて否!

 答えは”英国だから”だ!!

 結局、英国を叩いたところでインパクトに欠け、「いつものことじゃん」と国際世論からスルーされるのは目に見えていた。

 ”日の沈まぬ帝国”を作った、老舗覇権主義海洋国家(パクス・ブリタニカ)はやはり桁や格が違った。

 ちなみに日本を集中的に叩く理由は突き詰めてしまえば、

 

 ・アメリカ

  反日人種差別主義者(ルーズベルト)大統領が日本人を毛嫌いしているから。あと、最近はアメリカを差し置いて世界的に何となく「正義の代行者」っぽい扱いされているのが、酷く気に入らない。

  

 ・ソ連

  天敵だから。国内の共産主義者を事実上、壊滅させただけでなく、余計な(本当の)事を言いふらして世界同時革命と理想世界の実現を邪魔するから。そのせいで英国上層部に深く食い込ませていたコミンテルンの手先(ケンブリッジ・ファイブ)が潰された。恨み骨髄。

  

 ・自由フランス

  東洋人の分際で、自分達を正統なフランスと認めないばかりか、テロリスト呼ばわりしたから(閣僚転生者的には、前世では第二次世界大戦では敵国だったから)

 

 どれも中々に酷い。

 片や国際連盟未加盟のアメリカ、片や国際連盟を追放されたソ連、あとは国際的には亡命政府とは認められていない自称正統フランスの偽フランスだ。

 しかも、自由フランスは自らも英連邦カナダのケベック州を不法占拠している(・・・・)身だ。(自由フランスが英国に強く出れない理由もここにある。下手に刺激すると英国カナダ駐留軍が突っ込んできそうだからだ)

 当然、日本……というか、近衛首相は首相官邸に各国の特派員を集め、公式にこう返答した。

 

「おい、()フランス。人の取引どうこう口出す前に、まずさっさと”土地代も払わず無断使用してるケベック州”から出てけ。話はそれからだ」

 

 まず各国特派員の笑いをとり、つかみはOK。

 

「そんな不様だから、お前らは亡命政府扱いされず、テロ組織認定されんだよ。お陰で皇国軍は治安出動扱いで警察行動せにゃならなくなった。我が国(コッチ)の迷惑をちったあ考えろよ。ああ、それとも考える脳ミソもついになくなったか? ヤンキーの食事ってのは脂肪分とコレストロールと糖分の塊で体に悪そうだからな」

 

 と煽り倒した。ちなみに”偽フランス”は流行語となり、後に多くの国が「ケベック・フランスと呼ぶより分かりやすくて良い」という理由で非公式に使うようになったらしい。ド・ゴールはまたしても血圧にダメージを受けた。

 近衛首相、相変わらずいい空気吸ってるようで何よりある。

 

 

 

 総じてしまえば、米ソ偽仏の日本に対するネガティブキャンペーンは、成功したとは言い難かった。

 むしろ、「お~、効いてる効いてるw」と国際的な嘲笑を浴びただけだった。

 実際、ソ連の悪事(虐殺・暴虐)の暴露で、ソ連支援に反対する国内世論の混乱収拾に忙しいアメリカ。証拠隠滅の為にスモレンスクに攻め入ったが、上手くいってるように見えず、毎日自分の出血で自身を赤く染めてるように見えるソ連。そもそも赤道アフリカに満足な兵力が無い自由フランスに現状を打開できる物理力(展開できる戦力)が無いのは誰の目にも明白だった。

 

 だが、出せる戦力が無いからといって、打つ手がないとは限らない。

 

 だからこそ、アメリカ合衆国大統領”フランシス・テオドール・ルーズベルト”は決断する。

 国務長官”コープ・ハル(・・)”より提言のあった日本皇国に対する宣告文章(脅迫状)……その禁じ手(タブー)を使う事を。

 

 ……また返り討ちに合わなければ良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そして、事態は変な方向へ流れ出すっと。

仏領赤道アフリカの戦いは、あっさりと終わってしまいました。
まあ、史実でもこの世界線でも元々の配備兵力が少なすぎた上に、いきなりルクレール大佐が物理的に潰されましたからね~。

ですが、それはそれとして戦争が政治の一形態である以上、やはりこう……うぞうぞと動き出す輩もおりましてw

とりあえず……公衆衛生とか防疫考えると、火葬一択なんだよなっと。

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第165話 ……ハルノート? これが? いやいや、本場のアメリカン・ジョークって奴じゃないのか?

作中に出てくる近衛首相は転生者です。

そして、この世界線には確かに前世持ちにしかできない戦い方というのがありまして……


さて皆様、愉悦(ざまぁ)の準備はよろしいか?






 

 

 

 1942年5月1日

 

 アメリカより届き、野村時三郎外相より直接手渡された公文書を呼んだ瞬間、日本皇国首相”近衛公麿”は実に愉快痛快な反応を示した。

 そう、

 

「ぶわっふっはっははは!! こいつぁ傑作だ!!」

 

 腹の底から大爆笑したのだ。

 そして、それを相方の広田剛毅官房長官に「読んでみろ」とばかりに渡し、

 

「”バカめ!”と言ってくれらぁな。これじゃあ”最後通牒(ハルノート)”の体裁成して無ェじゃねぇか? おい」

 

 クックックッとまだ残る笑いをかみ殺しながら、

 

「こんだけ笑わせてくれた、久しぶりに愉快な気分させてくれたんだ。きっちり返礼しねぇとイキじゃねぇよなぁ? 野村サン、国際連盟特使に連絡、臨時総会を開けるように根回し始めておいてくれ。広田サン、閣僚の緊急招集を。集まるまでの間に、返答の草案作っておくわ。都合のいい事に、今急ぎの案件ねぇからな」

 

 どうやらこのクソ(度胸)首相、新しい喧嘩の種を見つけて、心の底から楽しくなってきたらしい。

 この時、広田と野村の心は一致した。

 

((あ~あ、めっちゃ喜んでるよ。ウチの首相、喧嘩売って(楽しませて)どうすんだよUSA))

 

 そして、心中で嘆息したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 1942年6月5日(日本標準時)、スイス、ジュネーブ

 

 別の世界線では、太平洋戦争のターニングポイントとなった”ミッドウェー海戦”が勃発したこの日……アメリカ特使のオブザーバー参加が求められた国連臨時総会の場、ここ国際連盟大会議場はざわついた空気に包まれていた。

 

 理由は簡単だった。

 ”日本皇国”が招集要請(呼び出し)をかけたのだ。

 間違いなく、何かの”大騒ぎ”の前兆であった。

 別段、日本は品行方正でも問題児でもないが、何かと「国際的な騒動になりやすい」という印象を持たれていた。

 つまり、加盟国は正しい認識を日本皇国に持っていたのだ。

 

 そして、議長の国連臨時総会開会宣言の後、日本国連大使は恭しく一礼し、5月1日にアメリカより届いた書簡(通牒)を読み上げた。

 国務長官”コープ・ハル”名義で出された通牒(ノート)の内容は以下の通りだ。

 

 ・一つ。日本皇国は直ちに、無条件で仏領赤道アフリカの一つチャド、仏領インドシナより撤退しなければならない

 

 ・一つ。日本皇国は、ペタン政権を僭称するフランス本土を不法占拠する勢力へのフランス人捕虜引き渡しを直ちに停止しなければならない

 

 ・一つ。日本皇国は、ケベックに居を構える自由フランス政府を、「唯一のフランス正統政府」と認めなければならない

 

 ・一つ。日本皇国は、米国のソ連支援に対する一切の妨害をしてはならない

 

 ・以上の条件を守れぬ場合は、合衆国政府は日本皇国に対する全面禁輸処置を行う

 

 

 

”どっ!”

 

 国連大会議場に起きたのは失笑だった。

 当り前である。

 とてもじゃないが、文明国が公的には敵対していない(戦争状態にない)相手国に送る内容ではなかった。

 アメリカからやって来た特使は、前回会議のトラウマでも発動したのか小さくなっていた。

 議長の「静粛に」の言葉の後に、日本大使はコホンと咳払いをして、

 

「日本皇国といたしましては、先んじて返答内容をこの国連総会の場で公表し、加盟国皆様のご理解を頂いた上で改めて書簡で米国政府に返答しようと考える所存であります」

 

 ・以下の条件と要求を合衆国政府として了承するのなら、合衆国政府の要求を飲む準備がある

 

 なんと、条件や要求はあるが、「飲む準備がある」の一言に加盟各国大使は驚いた。

 だが、下記の内容を聞くと妙に納得してしまう。

 

 ・一つ。合衆国政府は、1893年に合衆国軍が指導したクーデターにより”ハワイ王国”を滅亡させた事例を国家的犯罪行為と認め、謝罪すると同時にハワイの王国としての(・・・・・・)再独立を直ちに承認すること

 

 ・一つ。再独立に関する全面的支援を”国際共同査察団”の監視下(・・・)で行うこと

 

 ・一つ。これまでの不法占拠・違法支配に応じた賠償金をハワイ新王朝に支払うこと

 

 ・一つ。ハワイ諸島より合衆国全軍の即時無条件撤退を行い、並びに軍施設の破棄と新王朝への移譲を行うこと

 

 ・一つ。ハワイへの合衆国軍の駐留をいかなる理由があれど永久的に禁止すると宣言すること

 

 ・一つ。ハワイ王朝をクーデターに対する道義的責任として、基地使用の未払い土地賃料を上乗せした慰謝料を支払うこと

 

 ・一つ。上記のクーデターに僅かでも携わった人間が生存している場合、ハワイ新王朝の司法当局に無条件で身柄を引き渡すこと

 

 

 

 これに関しては、「日本皇国らしい随分とジェントル(やさしい)な要求だ」と苦笑交じりに賞賛された。

 何しろ、アメリカはチャドだけでなくインドシナまで撤退要求地域に含め、あまつさえ自由フランスやソ連に関しても政治的要求しているのに、日本はハワイだけにとどめているのだから。

 簡単にまとめれば、「米軍は『悪いことしました。ごめんなさい』して迷惑料支払ってさっさとハワイから出てけ。そして二度とくんな。ハワイはアメリカ人のモンじゃねぇ。ハワイ王国、ハワイ人のもんだ」と言ってるのだ。

 無論、加盟各国の国連大使はアメリカがそれを飲まない、いや”飲めない(・・・・)”ことは百も承知だ。

 何せハワイを失うということは、日付変更線の向こう側の太平洋権益を全て失い兼ねない。事実上、太平洋の東西が寸断されるのだから。

 

 でも考えてもみてほしい。

 チャドに関しては、先に手を出してきた(越境してきた)のは自由フランスで、しかも正統なフランス政府より公式に北部チャドは”購入”したのだ

 一方、アメリカはどうだ?

 実はリアルで面白い話がある。

 1993年にアメリカ合衆国議会によって発表された謝罪決議により、先の米軍主導クーデターによるハワイの乗っ取りは”違法行為”と自ら認めているのだ。

 

 

 

「また、合衆国政府が日本皇国に対する禁輸措置に踏み切った場合、日本皇国政府は以下のような対抗措置を行う」

 

 ・合衆国製品の全ての輸入禁止措置

 

 ・レンドリース如何に関わらず軍民問わない合衆国船舶・航空機の領海・領空への一切侵入禁止

 

 ・公務以外での合衆国国籍人の入国禁止

 

 ・日本在住合衆国籍人の国外退去処分

 

 ・在日合衆国資産の無制限凍結

 

 ・日本からの合衆国への無期限輸出全面禁止

 

 ・日本の公的機関・民間企業から支払われているパテント料やライセンス料を米国からの損失補填の為に無期限停止

 

 

 これに関しては、逆に「日本皇国の報復にしては、むしろ(ヌル)めかな?」という印象を持たれたようだ。

 普段、他国からどう思われているかよくわかる話である。

 また、日本皇国の「国家、政府が保有する外貨準備高の米ドルや米国債」は綺麗に省かれているのがミソ(・・)だ。

 この時代の米ドルは金本位制、つまり文字通りの”金券”なので無理に手放す必要はない。

 いや、正確には別にそこまでしなくともどうとでもなる話なのだから。

 もっとも、今回の件とは別にこっそりと英国や第三国やペーパーカンパニーやダミーカンパニーを通して保有米ドルを金本位制が崩壊する前に金に全額変換する動きをしていたり、米国債を少額ずつ売却していたりするのだが。

 公権すら金で買える資本主義、万歳! 日本人が(史実と違い)ほぼ移民していないからって、油断するのは甘すぎる。札束をパンツにねじ込めば、裏切る奴なんてアメリカにはごまんといる。移民が全員、合衆国に忠誠を誓うとでも思っているのか? 極端な貧富の格差の貧側が、あるいは被差別民の有色人種が本気で国を愛するとでも?

 だから、共産主義者にああも簡単に腸を食い荒らされるのだ。

 自分が育てた闇に食われるのは、時代を問わず米国の十八番でありお家芸だ。

 

 

 

***

 

 

 

 何かの決議ではなく報告会という体裁だった為、日本が主催した割には平穏(なお、これを報告書にまとめて持ち帰らねばならない米国特使の心情は除く)な空気のまま臨時総会は閉会された。

 なお加盟各国の大使はとっくに気づいていた。

 

『ああ、なるほど。日本はヤンキーのバカっぷりを国際的に晒してコケ(・・)にしたかった、国家としての面子を正面から叩き潰したかったのか』

 

 つまり最初から「まともな外交文書」として扱う気が全くないと納得した。

 別に今回の総会で直ちに戦争の趨勢に大きな影響が出る事は無いだろう。

 そういう類の会議では無かったのだから。

 だが、参加者の多くが何となくだが、感じていたのだ。

 

 ”なんか……空気が変わったな”

 

 と……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その頃……

 リビア三国連合、キレナイカ王国、仮設王宮

 

 

 

「なるほど……下総大尉がそのような言葉を」

 

()によれば、あれはどれだけ敬虔なサヌーシー教徒でも出てこない聖句だそうだ。儂もそう思う。あの言葉は、戦い散った生粋のイスラーム戦士のそれだ」

 

「俄かには信じられませんが……末姫様が言うのなら間違いないでしょうな」

 

「うむ。我が娘ながら、アヤツの人を見抜く目は確かだ。武者小路、”例の件”を進めておいてくれ」

 

「はい。イドリース陛下の御心のままに。戦時中は無理ですが、戦後になれば必ず」

 

 

 

 別に国際連盟が世界の中心と言うわけでは無い。

 こうして世界中の何処かで、今日も歴史はひっそりと作られる。

 

 少なくとも、キレナイカ王国に限らない”リビア三国連合(トリニティ)”全体の軍を含めた国家近代化の流れはつけられたようだった。

 それは即ち、米ソが大好物な「不安定化工作」が容易でない国がまた一つ産声をあげたに等しい。

 

 日本皇国の転生者達は、戦後の祖国を台無しにした米ソの手口を決して忘れない。

 反政府組織に金と武器を渡し、訓練を施し国を潰したのは米ソどちらもやってることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、世間(・・)に晒すのではなく、インターネットのないこの時代なので国際連盟臨時総会を使い大々的に「世界に(・・・)晒す」が正解でした。

ちょっとしたイメージなんですが、ハルノートってその真相が分かるようになったのって戦後も戦後、それこ本格的にソ連が関わっていた裏側までわかるようになったのは冷戦終結後なんですよ。

では、「戦後の国際連合(・・)における常任理事国の阿呆っぷりを間近で見てきた日本人が、日本が加盟しアメリカが未加盟の情報戦として考えれば圧倒的に有利な状況である国際連盟(・・)の場」をどう利用するか?

近衛は基本、「いつまでも人の国を敵国条項から外さねぇ国際連合よりゃマシってぐらいだな」くらいで国際連盟も別段信用していません。正確に言えば、”限界をよく知っている”んですよ。
戦争一つ満足に止められない国際機関かもしれないけど、だからこそ出来る工作もあるって感じです。



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第166話 アメリカの光と影 ~全てが赤化していたら話はもっと単純だったのに~

今回は、国連臨時総会後のアメリカです。
如何にソ連の浸透傀儡化工作(シャープパワー)が凄いと言っても、流石に全てのアメリカ人を赤化するのは無理だったようですよ?





 

 

 

「ぐぬぬ……」

 

 その日、フランシス・ルーズベルトは盛大に歯軋りをしていた。

 当然だった。何しろ通称”チャド・ハルノート”の計略が大失敗したのだ。

 いや、それどころか再び偉大なるアメリカ合衆国が世界の笑いものになったのだ。許せる訳はない。

 『意図的に日本皇国が絶対に飲めない内容』を入れることは、ルーズベルトは承認していた。

 ちなみにチャド・ハルノートの草案を練ったのは、実はハルではなくハドソン・ホワイト財務次官補なのだが、この男、前にも話題に出たように我々の世界でもこの世界線でも押しも押されもせぬ立派なコミンテルンの一員である。

 

 日本が飲まないことが前提だった。飲まないことを前提に、「何なら飲める?」と政治的駆け引きを行い、ともすれば日英の離間工作をかけるつもりだった。(意図的に英国には何も要求しなかったのは、そういう理由もあった)

 

 だが、日本はハルノートを逆手にとり、「等価交換だ。俺も飲むから対価としてお前も飲め」と”米国が決して飲めない要求”を突き付けて来たのだ。

 これは完全に計算外だった。

 これの(タチ)が悪いところは、アメリカがチャド北部とインドシナからの撤退要求をしているのに対し、日本はハワイ1か所しか要求しておらず、”大衆の目から(・・・・・・)は、日本が譲歩してるように見える”ことだ。

 

 冗談ではなかった。

 こちらは、フランス人の土地をダシにして、日本に政治的ダメージを与えることが目的だったのに、日本は”米国の核心的利益(・・・・・)を手放せ”と言ってきたのだ。そこに譲歩をする気など欠片もないことが見え隠れしていた。

 しかも、ハワイを占領した際の「お世辞にも合法とは言えない手段」を引き合いに出してだ。

 ついでに言えば日本は「ハワイ王国を崩壊させて併合に至らせた米国の手口」を詳細に書面にまとめ、各国の国連特使に配布したらしい。というより、アメリカの特使にも配られた。

 ご丁寧な事に「国際法に照らし合わせて明らかに違法性が高いと思われる部分」の注釈まで付けて。

 分かりやすく、入念に準備された事がよく分かる資料だった。

 とても腹立たしいことに。

 

 

 

***

 

 

 

 前にも少し触れたが、史実と異なり日本は「国内の労働力確保」を名目に明治政府の時代は移民を著しく制限していた。

 実際、海外に出たごく少数の移民に”帰還命令”も発布されたし、それに従わない場合は、「(政府の命令に応じない以上は)以後、子々孫々に至るまで日本人とみなさない。永久的に国籍を剝奪する」と厳しい沙汰まで出た。

 

 そのような情勢があったために、当然、史実とは真反対にアメリカにもハワイ王国(当時)にも日系人社会は存在しない。

 現代の感覚だと意外に思うかもしれないが、史実の日系移民はアメリカ政府やハワイ王国からの「労働力確保目的の移民要請」から始まったのだ。

 当時、基盤も経済力も脆弱な明治政府は国民を満足に食わせることが出来ず、この要請に飛びついた。そして、これが悲劇の始まりだ。

 大雑把に言えば官約移民(政府斡旋移民)、ハワイを例に出せば1886年の”日布移民条約”から始まり(ただし、その前に日本人労働者無断連れ出し事件があった)、1907年の”日米紳士協約”が締結されたが米国が紳士なわけもなく、早くも1913年には協約違反の”排日土地法”が施行され、1924年には協約自体が失効。

 そして、同日”排日移民法(ジョンソン=リード法)”が施行され、これが太平洋戦争中の日系人の強制収容所送りに繋がる。

 

 ちなみに日本人が強制収容所送りになるのは42年からだが、その前年の41年には「中国人排斥法」が撤廃される。

 やったのは当然、中国にケツの穴まで貢いでるルーズベルトだ。

 どうやらこの男、アメリカを中華文明圏にしたかったらしい。

 アメリカの”パンダハガー”は伝統的なものであり、冷戦後に始まったわけでは無い。

 

 

 

 こんな”別の世界の歴史”を知っており、今生でも変わらぬアメリカ人の世界が変われど変わることのない腐れ外道っぷりを確認した日本皇国の転生者が、棄民政策になるのをわかってて移民を了承するわけなかった。

 一応、言っておくが日本人排斥が起きたのは、何もアメリカだけじゃないことを追記しておく。

 故にハワイ王国崩壊とアメリカへの武力(強制)併合に、今生では深く関わる筈はなかったのだが……だが、別に移民を拒否しただけであり、ハワイの王族が来た時は普通に歓待したし、あくまで来賓(ゲスト)として振舞うなら無碍にはしない。

 ただ、アメリカだのハワイだのにくれてやる労働力は無いというだけなのだ。

 そもそも日本はハワイのアメリカへの武力併合に関しては、

 

『国家指導部がアメリカに傾注し、アメリカ人の政治顧問を権力中枢に入れるなどが呼び水となった。アメリカのハワイ併合の野心が以前よりあったのは明白だが、その原因を作ったのもハワイの王族だ。故に我らはこの事例を対岸の火事とせず、”他山之石”ととらえなければならぬ。努々忘れることなかれ。所詮、この世は弱肉強食よ』

 

 とは、今は引退している最後の元勲、現役時の言葉だ。なるほど、近衛を気に入るはずである。

 そして、そのようなドライな態度だからこそ、アメリカ政府は見誤った。

 

 ”日本はハワイに興味も縁もない。故に王国崩壊も併合にもリアクションを起こさない”

 

 だがそれは、「ヤンキーの手口のサンプルケースとして観察しない」という意味ではないのだ。

 むしろアメリカ人の暴虐を、ハワイに強いコネやネットワークのある英国の全面協力の元、気づかれぬようにつぶさに観察し、記録していたのだ。

 ちなみに英国は、日本と米国が離間する事なら喜んで何でも手を貸す風潮がある。

 

 

 

 アメリカの諜報機関、情報機関は入念に「いずれ対決するだろう(レインボープラン)対象国」として、日本を研究してきたはずだった。

 だから、こんな「返し手(カウンター)」を用意してるなど、誰も想定していなかった。

 そして、政府中枢や国家上層に共産主義者は腐るほどいるが、転生者は(今のところ)いないアメリカ人は気付く事は無い。

 近衛が他にも候補地があるのに、あえてハワイを狙い撃った本当の理由、

 

 ”意趣返し”

 

 おそらくは、史実でアメリカが最も成功した謀略の一つ”真珠湾攻撃”に対するカウンターだということを。

 アメリカがやたらと”正義”にこだわる理由は、自分達がやってきた”後ろ暗い出来事”……原住民(インディアン)の大量虐殺に始まり、多くの大統領暗殺の舞台裏に至るまでを無意識に理解してしてるからこそだろう。

 自分が心の底から正義ならば、わざわざ正義を主張する必要はない。

 自分が正義でないと自覚してるから一々正義を振りかざし、他人も自分も(・・・)納得できるように喧伝する必要があるのだ。

 だから、アメリカ人は自己の正義を否定されることを極端に嫌う。

 自己のアイデンティティを否定されると同義だからだ。

 

 近衛は、その性質をよく知っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 あえて言おう。

 平和に暮らしていたアメリカ原住民(ネイティブアメリカン)インド人(インディアン)と蔑み、父と子と聖霊の御名において、ハンティング感覚であるいは遊び半分で絶滅の瀬戸際まで追い込んだのが、アメリカ人のいう”建国”の始まりだ。

 1776年、英国より独立宣言、それから1世紀も経たない1861年に南北戦争をはじめ、自国民同士で殺し合いもした。

 まあ、この内戦で死んだ人間は最大でも90万人程度だから、後にアメリカ人が「正義」を口実に殺した人数から考えれば物の数ではない。

 むしろ僅か4年で終わったのが残念だ。

 こうして建国の理想は一世紀も持たずに失われ、現実になりきることなく地上から果てた。

 多民族国家故に他国から持ち込まれた汚泥は沈殿し、腐敗し、共産主義者の格好の温床となった。

 

 さて、皆さんは”自由の女神”はご存知だろう。

 アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから寄贈され、リバティ島に建立された巨大像だ。

 アメリカのフランス贔屓はここから始まってるとされている。”自由でフランス”な悪漢共を支援する理由の原点はこれなのかもしれない。

 その台座にはこう刻まれている。

 

   疲れ果て、

   貧しさにあえぎ、

   自由の息吹を求める群衆を、

   私に与えたまえ。

   人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。

 

   戻る祖国なく、

   動乱に弄ばれた人々を、

   私のもとに送りたまえ。

 

   私は希望の灯を掲げて照らそう、

   自由の国はここなのだと。

 

 

 

 アメリカ人は、決して”ソレ”を認めない。

 だから、代わりに親愛なる紳士淑女に問おう……

 ロシア革命を起こした”ボリシェヴィキ”とは本来、帝政ロシアでどういう階層のどういう人間で、どういう扱いを受けていた?

 メイフラワー号に乗り込み、新天地(アメリカ)を目指した”ピルグリム・ファーザーズ”はどんな人々で、なぜアメリカを目指した?

 その時代に英国で起きた”清教徒(ピューリタン)革命”では、誰が誰を殺した?

 

 結局、米ソは似た者同士なのだ。

 むしろ、合わせ鏡と言ってもよい。そりゃあ、親和性が高く浸透工作がやりやすい訳である。

 そう考えると、もしかしたら冷戦時代というものは超大国となった米ソの根底には、近親憎悪に似た感情があったのかもしれない。

 だから、事態に対する打開策も似てくる。

 

「やはり、日本人(ニップス)はこの世から絶滅させねばならん……我らが正義を根底から否定する、あやつらは我が国(アメリカ)にとって危険すぎる」

 

 だが、それが簡単にできることじゃないことも理解はしていた。

 大変面白くない現実だが。

 

 合衆国軍のトップである”ジョンポール・マーシャル”参謀長によれば、

 

『どれほど挑発したとしても、アメリカ人から殴り掛からない限り日本人からは手を出してきませんよ? 彼らにとり、アメリカ合衆国は軍という国家リソース投入する優先度は低い。アフリカで手一杯の最中に、アメリカ合衆国に手を出すことに日本人は価値を見出していないのです』

 

『全面禁輸ですか? 実質的にダメージはないと思いますが。合衆国にとり日本は貿易黒字相手国ですから』

 

 どうやら、合衆国軍内部まで、赤化の波は及んでいないらしい。

 マーシャルの補佐官を務める(マッカーサーから解放されホッとしている)”ドナルド・アイゼンハワー”も同じ意見のようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、ルーズベルトにとってもこれは無視できない話であった。

 実際、彼は赤と親しい取り巻き(そっきん)に乗せられ、対日禁輸措置の執行書にサインしたのだ。

 だが、それに待ったをかけたのは、共和党・民主党を越えた超党派の議員……選挙区に日英への輸出企業を抱える議員達だった。

 いや、それだけじゃない。

 彼らを先導して大統領に詰め寄っているのは保守派、いや孤立主義の首魁と目される共和党の”アンドリュー・ヴァーデンバーグ”と”ロジャー・タフト”、”トーマス・SL・デューイ”だった。

 他にも、熱烈な反共主義者の”ハルバートン・フィッシャー三世”や反ルーズベルトの”ヨーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア”、”ブルーノーツ・バートン”などが揃っていた。

 それを抑えようと民主党(共和党に受け入れ拒否された)の”ランデル・ウィルキー”や、共和党でありながらルーズベルトのシンパで共和党保守派から裏切り者呼ばわりされている”ラルフ・ランドン”が動いているが、結局押し切られた。

 

「プレジデント、貴方がその執行書にサインをするなら、我々は今後、貴方の(・・・)レンドリースに一切協力できなくなります。有権者の職を奪う大統領に力を貸すことはできませんので」

 

 アメリカにおいて、政治とは金であり得票数が全てだ。

 その辺の感覚は、日本よりよっぽどシビアであった。

 この時期、日本皇国は戦争景気さえも味方につけて、大規模な第二次高度経済成長期(モータリゼーション)を起こしていた。

 流石に狭い日本の道路には大き過ぎるアメ車はさほどでもないが、建機や重機の輸出は好調なのだ。

 日本本国でそれらの建設機械を作ってないわけでは無いが、やはり「大きい方が良い物」は未だにアメリカ製が人気がある。

 

 他にもアメリカが得意なトランスなどの発電所関係の物品や、粗鉄などの原材料は堅調が続いている。

 その取引額は、我々の知る歴史の戦前の比では無い。

 加えて、それにケベックの件で恨みを買ったイギリスが様々な形で煽り乗っかりかすめ取って行くのは明白だった。

 つまり、この議員達は、

 

『金の卵を産むガチョウを、意味もなく取り上げ縊り殺そうと言うのか?』

 

 と聞いているのだ。

 

「貴様ら……私には、”大統領行政特権”があるのだぞ?」

 

「使いたいならどうぞお好きに。その場合、どれだけの議員が貴方の敵に回るか楽しみにしていてください。次の選挙までにはまだ間がありますよ? 貴方は国王でも皇帝でも独裁者でもない(・・・・・・・)。最近、アメリカ以外に居る独裁者を主と仰ぐ”赤い側近”たちのせいか、どうもそれをお忘れのようですが」

 

 それにルーズベルトが何と答えたのかは、残念ながら記録に残っていない。

 だが、逆らう者達を罷免しようと画策したが、対象者が多く難しいと判断せざるえなかった。

 

「プレジデント、そろそろ共産主義者に貢ぐのを辞め、貴方を大統領にした有権者の為に税金を使ったら如何ですか?」

 

「貴様ら……自分が何を言ってるかわかってるのか?」

 

「貴方こそ、自分がどの国の大統領かお忘れで? アメリカの大統領ならば、まずアメリカ人の事を優先して考えて貰わねば困りますな」

 

 

 

***

 

 

 

 こうなれば、ルーズベルトは日本皇国に対する通牒、”チャド・ハルノート”を撤回するしかなかった。

 頭ではそれが一番ダメージが少ないことは分かっていた。

 だが、本人が劣等人種と定める日本人に対する”明確な敗北”……それが許容できなかった。

 彼の自尊心は著しく傷つけられ、憎悪と怨嗟が益々蓄積していくのだった……

 憎しみと怨みを瞳に宿したまま、ルーズベルトは報告書を手に取る。

 

 ”マンハッタン計画(Manhattan Project)

 

 表紙にはそう書かれていた。

 ”新エネルギーの兵器転用”を趣旨にした報告書だが、それを見てもルーズベルトの暗鬱とした気分は晴れなかった。

 なぜなら、この世界線では英国やカナダの協力は、当然のように得られていない。

 コンゴからウランが入ってくる予定もない。

 また、屈服させたドイツから奪うことも難しいだろう。

 最初の一歩(1st ステップ)、米国初の原子炉”シカゴ・パイル1号”の火入れの予定すら立っていない。

 結果、その報告書には、

 

 ”実用化目途は、1950年前後”

 

 そう結論付けられていた。

 

「日本人を絶滅させるまで、まだそれだけの時間がかかるのか……」

 

 ルーズベルトは”それ”を信じ込んでいる。

 核を手にするのは、神の恩寵を受けたアメリカ(ゴッドブレス・アメリカ)だけだと信じている。

 

 だが、現実は常に非情だ。

 彼は結局、そう先の長くない生涯において、”転生者”の存在を感知することはなかった。

 つまり……アメリカが”どれほど恨まれているのか?”を知ることはついぞ無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっぱり、如何にアカに浸透工作されても、何度もルーズベルトを大統領にするようなアメリカってのは全く信用ができない国家なんですよね~。
国民の意志の反映だとすれば尚更に。

今でもアメリカでは、「ルーズベルトは最も尊敬すべき大統領」の一人であり、「批判するのはタブー」なんだそうな。
どうにも、今のアメリカの人種問題の暴動とか見てると、どうにも薄っぺらで滑稽に見えて、冷ややかな目で見てしまう自分がいますw

この時代のアメリカを知ってるなら、「今更、何言ってんだコイツ?」感が半端じゃないって言うかね……「一世紀遅ぇよ」鼻で笑いたくなります。


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第11章:仄暗き森の奥より響く怨嗟の声は、更なる屍を望む
第167話 MC.205AとBf109G(DB601NGV仕様)、そしてエースパイロット達


唐突ですが、今回から新章突入です。
再び戦場は欧州へ。


そして、ホント久しぶりのキャラが再登場です。





 

 

 

1942年5月某日、サンクトペテルブルグ

 

 

 

「こいつぁ悪くないな」

 

 俺はサンクトペテルブルグ郊外、航空機工場地帯に設けられた合同試験飛行場に来ていた。

 

 ああ、来栖だ。

 俺の目の前には、去年から開発を進めていた二種類の機体が鎮座していた。

 正確には、戦闘機が2種類と急降下爆撃が1種類だ。

 

 一つは、原型機の完成度が高かったためイタリア由来の”セリエ5トリオ”の中で最も完成が早かった”MC.205A”。

 もう一つはメッサーシュミットの余剰がありそうなレシプロ機部門に当て込んで製作してもらった、史実と大分仕様が異なる”Bf109G()”。

 ああ、ほら前に「DB605の中空クランクシャフト国外仕様と、メッサーシュミット社がスキャンダル発覚前に設計していただろうDB605仕様のBf109試作機を組み合わせたら? 主にドイツ空軍正規仕様ってより同盟国や友好国、協力国向けに」みたいな話をしたの覚えているか?

 

 アレの先行量産型がもう完成したのだ。そうしたら、正式に”Bf109G(グスタフ)”の名称がつけられていた。

 別におかしな魔法とかを使ったわけじゃないぞ?

 実は、これにはいくつかの幸運が関わっている。

 

 一つ目は、”メッサーシュミット・スキャンダル”の後、国家管理(空軍省管轄)になっていたメッサーシュミット社のBf109系工場が、既存機やその保守部品生産の為に稼働状態にあった事

 

 二つ目は、旧メッサーシュミット社がMe262ジェット戦闘機以外の全ての機体の開発・研究をストップさせられていた上に、潰しの効かないレシプロ戦闘機開発部門の人員に余裕があった事。そして、彼らの多くが”セリア5”の戦闘機開発のサポートとしてサンクトペテルブルグに結集していた事

 

 三つ目は、Bf109以外の航空機生産が事実上、保守部品も含めて止まったために、レシプロ機生産部門の他工場がBf109機体・保守部品生産工場に移行する計画が既に実働していた事

 

 四つ目は、DB605仕様の次期Bf109の試作機、その実機が既に完成していた事。そして、それに携わった旧メッサーシュミット社のスタッフの大部分が前述の理由でサンクトペテルブルグに集結していた事。また、残りのスタッフの大半が直ぐに招へいに応じられる状況だった事

 

 五つ目は、既存のBf109の為にダイムラーベンツ社がDB601の生産ラインを一定数今でも確保していた事。そして、輸出仕様のDB605を既存のBf109のパワーアップキット『DB601NGV』として転用しようと計画していた事

 

 などだ。

 前にシュペーア君に聞いたが、実は既存のエンジンブロックとか中空クランクシャフトとかのストックや製造設備が使える分、国外仕様DB605はガチの国内仕様DB605より結構安く仕上がるらしい。

 ただ、シュペーア君から話を聞いたのか、「水-メタノール噴射式出力増強装置」の概要を聞きにダイムラーベンツ本社からエンジニアが来た時は参った。

 いや、シュペーア君に言われて概略図をまとめておいて良かったよ。

 そして、概略図を渡して「本職では無いから」と断ってから、中間冷却器(インタークーラー)の現物を用いながら説明した。

 

 

 ドイツ軍で主流の”GM1緊急出力増強装置”は、所謂”ナイトラス・オキサイド・システム(NOS)”、一般には”ニトロ・ブースト”で知られる亜酸化窒素をエンジン内部や過給機に噴射して、一時的に温度を下げてノッキングを抑えて馬力を引き上げるというものだ。

 んで、俺が提唱した(事になってる)水-メタノール噴射式出力増強装置ってのは、大雑把に言えば過給機とエンジンの間にある中間冷却器(インタークーラー)に水とメタノールの混合液を噴射して過給された圧縮空気を普通より強く冷やしてしまおうって代物だ。

 細かい理屈は除くが、一般にスーパーチャージャーなんかで過給された空気(過給気)は温度が高い。

 んで、空気ってのは温度が高いほど体積が増えて酸素密度が低くなる。

 より多くエンジンに酸素を取り込んで高燃焼で出力を上げる為の過給機なのにこれじゃあ本末転倒。

 そこで熱い過給気の温度を下げるために過給機とエンジンの間に付けられるのが中間冷却器なんだが、この中間冷却器(中間冷却器自体はラジエターやオイルクーラー同様に空冷式)を水とメタノールの混合液の噴射で強制冷却して更に過給気の温度を下げて、より多くの酸素をエンジンに送り込もうって感じだな。

 エンジンや過給機に冷却液吹きかける訳じゃないから、強制冷却で劣化するのはそれらより部品代(単価)が安いインタークーラーってのもメリットなのかもしれない。

 

 ただ概要を説明した後、本当に「フォン・クルス式冷却装置」とか名付けられそうだったので慌てて、「MW50、”Methanol Wasser 50”とかにしてくれ」って頼んだ。

 ちなみに”Methanol Wasser 50”の意味はドイツ語の「メタノール 水 50%ずつ」って事で混合液の比率だ。

 ついでに言っておくと海外仕様DB605のドイツ国内版(ややこしいなぁ~。しかも性能的には史実のDB605ASMだし)に付けられた”DB601NGV”のNGVはドイツ語の”Neu Gestaltet Verbessert”の略で、『(DB601の)再設計改良型』って意味になる。

 ニュアンス的には全く正しいんだわ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、このDB601NGVには、GM1に加えてNW50までもが標準搭載される事が決定した。したんだが……

 

「何故かMW50冷却装置付きのインタークーラーの製作をサンクトペテルブルグで請負う事になっちまったんだよなぁ」

 

 まあ、これはつい『インタークーラー作るなら、熱膨張が低いアルミ・シリコン合金系(いわゆる4000番台)が良いんじゃね?』と口走った俺が悪いのかもしれない。

 この時期のドイツで航空機用アルミ合金っていやぁほぼほぼ2000番台のアルミ(A2024、いわゆる超ジュラルミン)で、強度はあるけど溶接に向いてないし、アルミである以上熱伝導率は高いが耐熱性や熱膨張率が特に良いってわけではないのでインタークーラーにそこまで向いてる素材じゃない。

 

 うちの場合、ほらT-34のV2ディーゼルエンジンの再設計とかでシリンダーヘッドやピストン、不要なアルミを精錬し直し4000系アルミを量産体制に乗っけてる最中だからな。

 実はドイツ勢力圏4000番台アルミの製造数が一番多いのはサンクトペテルブルグってオチだ。というか、他の所ではあまり作っていないようだ。

 鋳造だったら鋳型さえできれば何とかなるし、元々オールアルミでエンジン作ってた街らしく、ダイカストマシンがあったのがありがたかった。

 というか、やはり「包囲されても兵器製造する気満々」な感じで工作機械が地下壕などに避難されていたので、随分と無傷の製造機械が発見されたのは正直、助かった。

 

 アルミダイカスト製法でインタークーラーが作れるとなれば、噴射装置自体は難しい物じゃない(むしろGM1の方が高度なシステム)のと、ダイムラーベンツ本社からも技術者が新しいドイツ製ダイカストマシン持ち込みで応援に来てくれた事もあり、比較的短時間で生産ペースに乗せられた。

 

 ただ、この話にもちょっとだけ続きがある。

 俺とダイムラーベンツのDB601再設計モデルを色々いじってるって話を聞きつけたのか、Jumo213Aを持ち込んで試作機でテストしていたユンカース社のレシプロエンジン開発チームが自分達も参加させろってやってきたのだ。

 「思ったよりも暇なのか?」と思わなくもなかったが、特に断る理由もなかったので了承。

 

 と思ったら、何か思ったよりMW50装備のインタークーラーの評判がよくDB605AやJumo213A用にも生産する羽目になってしまった。

 いや、何でさ?

 まあ、機材も原材料も人も金も出すって言うから、別に良いけどさ。

 ん? これって一種の歴史再現なのか?

 

 

 

 まあ、ドイツの事情も分かる。

 ドイツ空軍と航空産業は、航空機のジェット化に向けて邁進している。

 だから、もう陳腐化が確定しているレシプロ機、特に戦闘機に本音を言えば人員を出したくないのだろう。

 できれば、Fw190などの既存の機体で乗り切りたいのだろう。

 実際、史実では「コスト高」で見送られたBMW801への排気タービン(ターボチャージャー)搭載実験が既に終わり、シュペーア君によれば量産準備が整いつつあるらしい。

 

 だが、もし仮にヒトラーが転生者なら、それがリスキーなことぐらいわかるはずだ。

 ジェットが戦場の第一線級戦力として大空を駆け巡るのは、あと数年は掛かる。

 ドイツも努力はしている。

 だが、それでも足りないのだ。

 ジェットが華々しくデビューするまで、ドイツは制空権を掌握し続けなければならない。

 それがわかっているからこそ、俺のような者まで話が回ってきて、それなりに権限が与えられているのだろう。

 

 だから、サンクトペテルブルグの潜在的な工業力を使って本来はイタリアで生産される戦闘機をここで作ろうとしている。

 おそらく、各種プロジェクトと並行して行っているサンクトペテルブルグの復興作業、工業力の完全復活がなされれば、おそらくイタリアの生産数を軽く凌駕できる生産数を叩き出せるだろう。

 それだけの潜在力がサンクトペテルブルグにはある。

 

 それにありがたいことに労働力も少しづつ戻ってきている。

 強制的に狩り集めたのではなく、多くが旧ソ連支配地域で食い詰めてしまった人々だ。

 無論、思想チェックなどをパスしてるし、街の随所で一般警察だけでなくNSRやアプヴェーアの紳士たちが人知れず目を光らせている事だろう。

 

 

 

***

 

 

 

 そんな中で……俺自身が、何が本業なのかよくわからなくなってる忙しくも充実した、ある意味においては愛しき日々が続いていた。

 本当に色々なことが、航空機関連だけでも色々あった。

 

 例えば、DB601NGV関連でも、まだ話せるエピソードはある。

 NGVはこれまでのDB601より大型のスーパーチャージャーを搭載(史実のDB603級の過給機)を標準搭載しているが、そいつは1段無段変速って建前だが、実際は1段2速を流体(フルカン)継手で繋いでるってだけだ。

 スーパーチャージャーのキャパシティーや推力増強装置との兼ね合いを考えると、二速は少々勿体無い。

 なので、低高度・中高度・高高度の1段3速式にしたらどうだ?と提案したら、今度は流体継手のキャパシティー的に厳しいと言われた。

 そこで俺は、「流体継手じゃなくてトルクコンバーター使おうぜ? あっちの方が入力と出力の回転差に強いしトルクキャパシティーもある」って提案したんだ。当然、「戦車のオートマチックトランスミッション用に現在、研究開発中だ」と加えて。

 ついでに「車のトランスミッションにも応用が利く」事を付け加えた。

 案の定、ダイムラーベンツは食いついてきてめでたく共同開発する事になった。

 あっ、ついでに推力式単排気管も推しておいたぞ? ターボチャージャーじゃなければ使えるし。

 

 パテント管理とか面倒そうだが、その辺りは申し訳ないがシュペーア君に丸投げするしかないな。

 

 エンジンだけじゃないぞ?

 知ってる人もいるかもしれないが、MC205って胴体の下にラジエターが搭載されてるんだよ。

 なので、史実のP-51Dみたいに「メレディス効果が期待できるカウリング付けて、ラジエターだけじゃなくインタークーラーやオイルクーラーもまとめたら? 冷却楽になるよ」みたいなことも言ってみた。

 そうしたら、同じラジエター配置のG55やRe2005の開発チームもやってきて、「メレディス効果とはなんぞ?」という講習会が始まってしまった。

 流石に俺一人で完璧な説明は無理なので、シュペーア君だけじゃなくシュタウフェンベルク君やシェレンベルクにも頼んでコネ使ってもろて、物理学者やら航空力学の研究者なんかを緊急招集して開催したよ。

 あれは準備が大変だった。そして博士たち、忙しいのに正直すまんかった。

 でも、ちょっと喜んでいたように見えたのは、何でだろうな?

 

 

 

 Bf109Gに関しては、実は俺から旧メッサーシュミット開発陣に依頼したことがあるんよ。

 いやさ、Bf109系列の機体って、最初から主翼に武器搭載するような空力設計してないから、主翼に機銃を積んで武装強化しようとすると、容積無いからガンポッド形式に必然的になるんだ。 

 だけど、これが鬼門で薄い翼に無理やり取り付けるガンポッドは滅茶苦茶空気抵抗が大きく、かなり飛行性能を落としてしまう。

 実は、この世界線のBf109系列の場合、悪化が更に顕著になる。

 総統閣下直々の命令で主脚を内側引き込みにしたから、その関連の油圧装置なんかが翼内部に入っている(なので、史実のBf109比べると少しだけ翼に厚みがある)し、また胴体から主脚装置一式が取り除かれた事で単に胴体下にドロップタンクを搭載しやすくなっただけでなく、機内搭載燃料(それも重心近くの中心軸)が増えて、ドロップタンクをつけない状況なら史実より大体3割増しの航続距離を持つに至った副次効果もあった。

 だが反面、F型同様の薄い翼にガンポッドを搭載するとしたら”主脚位置の外側(・・)”になり、より戦闘機としての運動性などに悪影響が出ることが判明したのだ。

 いや、それどころか慣性モーメントの増大で翼の強度自体が不足になる、つまり空中戦の最中に翼が折れる心配まで出てきた。

 事実、翼自体を変更して翼に20㎜機関砲を内蔵できるようにしたE型はF型などに比べると最高速、運動性、加速力などがかなり劣っている。

 実際、E型が失敗作の烙印を押されたから早々に(史実より早く)F型が量産されるに至ったのだ。

 

 だが、プロペラ軸機関砲(モーターカノン)のMG151/20㎜機関砲を除くと、機首に搭載しているのは7.92㎜機関銃(E型まで)や13㎜機関銃(F型)だ。

 これじゃあ、重装甲のソ連やアメリカの機体相手だと少々心許ない。

 なので、機首のプロペラ同調機銃を20㎜のMG151に変更できないか打診してみた。

 すると、「理論上は可能。だが、試作機の機首部分を作り直す必要がある」と返答があった。

 俺は迷うことなくそうしてくれと返答。20㎜3丁なら、まあ火力的になんとななるだろうし、機首部分に集中搭載できる分、史実のMe262みたいに相乗破壊効果が期待できる。

 幸いだったのは、試作機が二段の過給機を搭載するDB605を想定していた為(つまり、試作機は史実のBf109K()準拠ってことになる)、大型化しているとはいえ1段過給機のDB601NGVを搭載する場合、カウリングを設計変更すれば13㎜→20㎜に変更可能だと判明したことだ。いや、航空機用のスーパーチャージャーって本当にデカいからさ。

 結果的にBf109G-6型どころか、「R-6並みの強武装で性能はG-14」みたいな機体が出来上がってしまったのだ。

 しかも、先も述べた理由で、サンクトペテルブルグが協力することが前提だが、旧メッサーシュミットのレシプロ機部門の総力を結集できるため、三交代制の24時間操業を行えば短時間でかなり大量生産が効きそうだった。

 

 

 

***

 

 

 

 となれば……同じ時期に同等の性能と思わしき戦闘機、イタリア由来の戦闘機と旧来主力戦闘機の最終発展型ともなれば、性能評価したくなるのも人情というもの。

 いや、それはわかるし、俺だって興味あるが……

 

(なぜ、サンクトペテルブルグでやる必要がある?)

 

 しかも、空軍技術総監のミルヒ大将とか戦闘機隊総監のガーランド中将とか空軍上層部が非公開(お忍び)で来てるんだが?

 あと、ハイドリヒ。

 いや、お前が総統閣下の名代なのは知ってるが……実は本当に案外暇なのか?

 

 まあいいや。

 あんまり、本日”最高の主賓”を待たせる訳にはいかない。

 敬礼をする”四人のパイロット”……防衛戦にひと段落着いた”スモレンスク”から戻ってきた、ドイツ空軍の誇るエースたちに声をかける。

 

「名だたるドイツ国防空軍(ルフトヴァッフェ)のウルトラエースにこうして会えて光栄だよ。”ヨハン=ヨアヒム・マルセイユ”大尉、”グスタフ(・・・・)・ラル”中尉、”フリードリヒ(・・・・・・)・ハルトマン”少尉、”エドバーグ(・・・・・)・ロスマン”上級兵(・・・)曹長。参加に応じてくれたことに感謝を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フォン・クルス総督、そしてドイツ軍の名だたるエースパイロットが一気に四人登場です。

そして、無事にクレタ島から本国に戻っていた(そして、スモレンスク防衛戦に参加していたらしい)マルセイユ大尉も再登場。

そう、この章は前に書きたいなーと言っていたソ連による虐殺現場”カティンの森”を巡る戦いになる予定です。

実は来栖、41年の大晦日、ハイドリヒの来訪受けてから彼なりに色々動いていたみたいですよ?

新章もどうかよろしくお願いします。
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第168話 性能評価、そしてやっぱり始まりはコイツかい

 

 

 

「凄い……F-4と同じBf109とは思えないぐらい、パワフルだ……」

 

 サンクトペテルブルグ上空6,000m、フリードリヒ・ハルトマンは驚嘆の表情も隠さずそう呟いていた。

 緊急性の高さゆえにまだパイロット養成課程の全ては終えていなかった自分も、前倒しに”スモレンスク防空戦”へと動員された。

 それ自体に不満は無かった。

 

 スモレンスク防衛のために、ドイツ空軍戦闘機隊総監のアーデルハイト・ガーランド中将の肝いりで、さほど緊急性のない戦場にいて引き抜けそうなエースから「空中戦ができると判断された新人パイロット」まで片っ端からかき集められた玉石混交の戦闘機群集団、

 

 ”第1統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen 1 略称:KLK1)”

 

 ここに抜擢され、配属された事に後悔は無い。むしろ同期の誰よりも先に戦場の空を駆けれる事が誇らしかった。

 自分の恩師であり、教官職から現役戦闘機パイロットに復帰したロスマン上級兵曹長(きょうかん)と同じ部隊と言うのも頼もしかったし、ラルと言う年上の友人もできた。

 何より、

 

『”坊や”。そっちのエンジンの調子はどうだい?』

 

「上々です。マルセイユ大尉」

 

 尊敬すべき先輩、”地獄のような戦場”と評される、英国人や日本人と正面から殺し合った北アフリカ戦線からの生還者……ヨハン=ヨアヒム・マルセイユの2番機、”2機分隊(ロッテ)”の相方となる事ができた。

 これはとても名誉だと思ったのだ。少なくとも”最初(・・)”は。

 

『DB601の再設計エンジンと聞いていたが、こりゃ完全に別物だな。圧倒的にパワフルになってやがる。それにあの気難しいBf109とは思えんくらい扱いやすくなってるしな』

 

 それに関しては、ハルトマンも全くの同意だった。

 例えば、F型だとダイブで700㎞/hを超えると途端に昇降舵(エレベータ)の操作が重くなる(水平尾翼が小さすぎることも原因)、ラダー・トリムがなく飛行中全速度域においてラダーを踏み続けなければならない、左右非対称作動の失速防止前縁自動スラットに癖があり不意自転が起きる場合があるetcetc……

 Fw190が頑丈さと扱いやすさからよく軍馬に例えられるが、Bf109はサラブレッドに例えられるのは高性能な反面、その扱い辛さの裏返しでもあった。

 これでも、ヒトラー直々の命令で(車間トレッドの取れる)内側引き込み式の主脚の採用、主脚の設計変更で空いた胴体の機内搭載燃料量は増えて下部に落下式増槽も搭載できるようにし航続距離を延伸する事を必須とされた為(そうしなければ採用は取り消すとまで言われた)、我々の知る歴史で記されるBf109の二大弱点、

  ・トレッドが短い+脆弱な主脚構造の為に着陸時に破損事故が多発

  ・航続距離が極端に短いため、使えるシチュエーションが限られる

 が大分是正されていたが、それでも「ドイツ空軍で有数の操縦の難しい機体」であったことは事実だ。

 

 まあ、これは元々機体自体が、エンジンと比較してもかなり小さいことが根本原因である部分もあるのだが……

 だが、二段過給機付きのDB605を前提としていた試作機(この世界線におけるBf109G原型機)は、増えた過給機を収納する為に機体を50㎝ほど延長しスペースを確保、またより重くなるエンジンに対処するために水平・垂直共に尾翼を大型化し、昇降舵の油圧アクチュエーターを強化することでバランスを整えようとしていた。

 また主翼に関してなのだが、フォン・クルス総督が胴体に武装を集中させること、MG151/20㎜機関砲をプロペラ軸機関砲(モーターカノン)と機首に搭載する事を要請したため、設計の自由度が上がり自動スラットの改良もできた。

 これらの改良でも、実は強力過ぎる今生のDB605では不十分だったのだが、メッサーシュミット・スキャンダルなどの紆余曲折の果てに我々の知るDB605AS(M)に近い仕様のDB601NGVが採用されたことにより、結果として欠点が是正されバランスが取れてしまったのだ。

 これは来栖すらも読んでなかった本当の偶然だった。

 来栖にしてみれば、「メッサーシュミットがDB605搭載予定のBf109を試作してるのは当然だと思ったし、前世の自分が知るDB605後期型そっくりの国外向けDB605と601のハイブリッドエンジンがあった。それを組み合わせるついでに、頑強な米ソの機体に対抗できるよう武装強化しちまえ」程度の話だったのだ。

 皮肉にもこの「ドイツ正規軍以外向けに生産予定の間に合わせの機体」こそが、「必要な時に必要な数を用意できる名機」としての資格を得たのだった。地味に視界の良い”エルラ・ハウベ”型キャノピーの採用も嬉しかった。

 この時代の空中戦は、視界の良し悪しが割と生死を分けたりするのである。

 だが、

 

『マルセイユ大尉、お先に失礼しますよ』

 

 と横を飛び抜ける”MC.205A”。

 あえて米ソの情報を混乱させる為にイタリアと同じ型番を使うが、中身が独伊で全く別物のラルとロスマンが駆る最新鋭戦闘機2機は、マルセイユとハルトマンの横に並ぶとスゥーと加速してあっさり置いて行ってしまった。

 このMC.205A、取り敢えず胴体下のラジエターカバーを史実のP-51Dを模したようなメレディス・インテーク・カウリングに交換し、少しラジエターの配管をいじりMW50付きのインタークーラーを装着した物だった。(オイルクーラー自体は円筒型でエンジンの左右に取付けられ専用インテークを装着していた)

 だがその効果は大きく、推力式単排気管の採用と相まって、MW50未使用時の戦闘重量での最高速度が640㎞/h→670㎞/hへと向上している。

 また、設計の新しさを示すように、あるいは翼長と全高が一回り大きいことから分かるように、明らかにBf109系列より高い運動性を誇ってるようだった。

 当然、強力な二段二速過給機付きの強力なDB605エンジンとそれを操るラルとロスマンの技量の高さもあってこそなのだが……

 

『ハルトマン、MW50に火を入れるぞ』

 

 いや、その仮にも冷却システムに対してこの言い回しはどうかと思うが……ただ、後にこの表現は一般化してしまうのだが。

 

「ちょ、マルセイユ大尉っ!?」

 

『良いじゃねぇの。こいつの”本気の加速”ってのを見てみたくなったぜ』

 

「マジでっ!?」

 

『遅れんじゃねぇぞ、坊や! 連中のケツに食らいついてやんぜっ!?』

 

 この愛すべき先輩は「子供かっ!?」と思いながら、ハルトマンは思いを馳せる。

 自分が、どうしてサンクトペテルブルグの空を舞っているのかを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 話は、今から数ヵ月前……1942年1月初旬まで遡る。

 

 

 

「そういやシェレンベルク、ヤンキーのPQ1船団ふん捕まえたら、それをダシにして”カティンの森”の件、国連臨時総会で告発する段取りになったんだよな? その後に国際共同調査入れるって感じで」

 

 うっす。

 フォン・クルス総督こと来栖任三郎だ。

 日本式に言えば松の内も明けた今日この頃、去年の大晦日にやって来たハイドリヒの事を思い出しながら、ふと進捗状況が気になったので手下のシェレンベルクに聞いてみた。

 お前の手下じゃないのかって?

 冗談でしょ。こんな曲者、俺みたいな前世知識だけが取り柄の凡人が使いこなせるかっての。

 

「そう聞いておりますが……それが何か?」

 

「一応確認しておくが、”スモレンスク”は当然にしても、ドニエプル川を中心にカティンからグニョズドヴォあたりの防衛線の構築ってやってるよな?」

 

「確認しないと何とも言えませんが……おそらくは」

 

「そうか。可能ならトート機関を動員して念入りに防御線補強しておいた方がいいぞ?」

 

「え~と……急にまたどうしたんです?」

 

 シェレンベルク、疲れてるのか?

 ちょっと思考が鈍くなってないか?

 

「急も何も、国連総会なんかで告発してみろ。イワン共、なりふり構わず採算も犠牲も厭わずカティンの森に攻め込んでくんぞ?」

 

「はぁっ!?」

 

 いや、驚くようなことか?

 

「共産主義者、特にスターリンとその手下どもなんて中身はロシアン・マフィアと一緒だぞ? 要するに面子を潰されるのを何よりも嫌う。当然、多国籍調査団入る前に、証拠隠滅くらい図ろうとすんだろうさ」

 

「直ぐにハイドリヒ長官に連絡をっ!!」

 

 いや、まさかハイドリヒだってそんぐらい読んでるだろ?

 アイツ、ほぼほぼ転生者だし。

 史実でソ連がポーランドに捏造と偽証言強要して国交断絶まで行ったことくらい覚えてるだろうからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、なんか楽しそうなエースたちと、以前、ダイジェストで書いた”スモレンスク防衛戦”の伏線回収でした。
正確には、その導入部っすね。

ハルトマン、マルセイユの僚機ポジw
なんだろう。スモレンスクで(史実より早く)初陣飾った新人時代のハルトマンだけど、既に苦労人っぽい気配が……
果たして、この世界線ではどんな風に”人類最強のウルトラ・エース”に至るのか?

史実のハルトマン、「米軍に投降したのに、ソ連に売り渡される」は本当胸クソ。

そして、鉄板の「始まりはいつも来栖」w
まあ、今回もやらかし確定だろうな~と。


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第169話 来栖、その魂の在処 ~彼の憎悪は何処から来て何処へ向かうのか? クルスとは一体何者なのか?~

夏休み記念と言う事で、本日二度目の投稿です。
今回はこのシリーズの核心の一つ、今まで暈してきた「来栖の前世」について少しだけ記します。

ある意味においてオカルトですし、賛否両論かもしれませんが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

あと、登場シーンは多いのに機会がなかった人が、珍しくモノローグってますw










 

 

 

「詳しく話を聞かせてもらおうか?」

 

「10日も空けずに来るとは……ねぇ、暇なの? やっぱ」

 

 サンクトペテルブルグのなんちゃって総督、来栖任三郎だ。

 今、”冬の宮殿”の執務室で、NSR長官をお迎えしてるの……ってアホか。

 こいつまたベネトン・シューマッハカラーのBf109で来たし。アポなしだわ、また人払いさせるわで、羨ましいくらいやりたい放題だよな。ホント。

 

「シェレンベルクから話を聞いてな。スモレンスク周辺の防衛強化に急を要するとか」

 

 ああ、それね。

 

「いや、お前だってロシア人(イワン)のタチの悪さくらいわかってんだろ? 国連で虐殺晒して、多国籍調査団入れるなんて話になったら、なりふり構わず”カティンの森”ごと証拠隠滅図るだろうなって話だよ」

 

 連中、それくらいなこと平気でやんだろーが。

 ってか、前世のソ連時代、どんだけ虐殺隠したと思ってんだよ。”カティンの森”なんて氷山の一角だぞ?

 「物的証拠が無ければ、そんな事実は存在しない」なんて平気な顔で言う厚顔無恥その物の連中だろう?

 面の皮の厚さ、KV-2の正面装甲以上のクソ共じゃん。

 

「正直、そこまで考えてなかった」

 

「……ハイドリヒ、腐れ外道(アカ)共への認識、少し甘すぎやしないか? 大丈夫か?」

 

 バカは死ななきゃ治らないと言うが、アカは死んでも治りゃしねぇよ。

 

「フルシチョフの阿呆がスターリンを否定するとかほざいてから、連中は何年共産主義を続けた? 何度、革命やら何やらの美辞麗句を掲げて戦乱起こし、何人殺した? 共産主義に感染した連中の狂信っぷりをナメてんじゃねーよ」

 

 生きてた年代はわからんが、ハイドリヒも転生者。多分、この言い方で通じるだろう。

 

(クソッ、なんかイライラしてきた……)

 

「いいか、良く聞けよハイドリヒ。宗教テロってのは”殉教”なんだ。神への祈りとか捧げもの、神へ近づく為の手段なのさ。信仰なり信条、だから止められないし無くならない。共産主義もそれと本質的には同じなんだよ。あれは理論だけは”完璧な理想(・・・・・)”だ。つまり共産主義ってのは主義者にとり聖書やコーランと一緒なのさ。だから、理想とか革命とかあやふやで曖昧なものに命をかけ、殉じようと(・・・・・)する」

 

 だから、わかれよ。

 

「俺の祖国やお前たちが相手にしてるのは、自分の死が革命の一歩に繋がると本気で考えてる”狂信者”どもだ。アイツらの目標は、未だに”世界同時共産主義革命”なんてイカれたもんなんだぞ?」

 

 だからさ、

 

「いい加減、覚悟を決めろよハイドリヒ。共産主義者(れんちゅう)はどうやったって救えんし、救う価値も意味も無い。俺たちが出来るのは敵として立ちはだかり、殺して殺して殺しつくして……」

 

 アカ共が言う、

 

за холодной ночью(冷たい夜の先にある), Утро грядущей революции(やがて来る革命の朝)なんて物がこの地上の何処にも存在し無いってことを、魂の奥底まで刻んでやることだ。何度黄泉返(よみが)えろうと忘れないぐらいにな」

 

 えっ……なぜ、おれはこのことばをえらんだ……?

 えっ……この状況は、この情景は……

 ははっ

 ハハハハハハハハハハ!!

 

(ああ、そうか……そういうことかよ)

 

 わかってしまった。不意に理解してしまった。

 そういうことかよ……

 

(俺は、今生が初めての転生じゃないのか……)

 

 歴史は巡る。何度でも……

 そうか。

 俺は、ただの日本人じゃない。いや、持っていたのは日本人としての前世だけじゃない。

 

(魂のリフレイン(ルフラン)……魂は輪廻転生を繰り返す、か)

 

 何度転生しても消える事なき、憤怒の炎……

 赤色勢力に対する、無限沸きする憎悪……

 

(俺には、赤いナポレオン(トハチェフスキー)として生きた、短く凄惨な人生()確かにあったのか……)

 

 思った以上に、クソな世界だぜ。

 

 

 

***

 

 

 

 何かがおかしいと俺の中にある理解不能の”何か”が告げる。

 だが、それがどうしたと言うのだ?

 結局、

 

「だからこそ、お前の力が必要なんだ。クルス」

 

 俺にもオージェにも、お前のような深淵から吹き上がるような憎悪は持てないから。

 いや、俺が知る限りお前以外の誰もが持ちえないんだよ。

 

 ああ、レーヴェンハルト・ハイドリヒだ。

 NSRの長官をやっている。”金髪の野獣”でもなんでも好きなように呼んでくれ。

 転生者などというオカルトじみた存在だ。

 

「そうか…そうだったのか。まあ、いい。いずれにせよ、お前は”俺の知っているハイドリヒ(・・・・・・・・・・・・)”じゃないんだからな」

 

「? まあ、そうだな。純粋な”歴史上の人物であるハイドリヒ”かと聞かれれば、NEIN(違う)としか言いようがない」

 

 何しろ”前世記憶”なんて不純物が、魂と呼べるものに混じっているのだから。

 

「それで、俺が必要ってのは?」

 

「スモレンスク、いや”カティンの森”防衛のアイデアを聞きたい」

 

「直球だな?」

 

 笑われてしまったが、こっちもなりふり構ってる状況ではなさそうだ。

 

「まず絶対なのはスモレンスクは当然にしても、ドニエプル川を中心にカティンからグニョズドヴォあたりの防衛線をトート機関を投入しても可能な限り強化すべきだ。構築するのは縦深防御陣地。ソ連にはまだ満足にレンドリース品を受け取ってない。ということは、兵員を輸送する車両に事欠いてる状態だ。つまり……」

 

 クルスはニヤリと笑い、

 

「喜べハイドリヒ。敵の主力、突っ込んでくるのは、ほぼほぼ”戦車とその戦車跨乗(デサント)兵”で確定だ」

 

 ああ、そうかこの時期はソ連は戦車ばかり作るのに固執し(いや、それだけ我が軍(ドイツ)が破壊したという事なんだが)、他の車両はおざなりだったはずだ。

 それを補ったのが、アメリカのレンドリース品の一部、兵員輸送用のトラック、ハーフトラック、牽引車両(トラクター)だ。

 

「なら基本を踏まえれば問題はない。対戦車地雷原に対戦車障害物、ノモンハン式ワイヤートラップに対戦車壕……ああ、()の中には戦車が落ちたら折れる程度の白木とかで作った先を尖らせた杭を並べとけよ? 戦車は無事でも振り落とされたデサント兵がいい感じに串刺しになるし、後で壕を埋め戻すから土葬の手間が省ける。あと、適度に対戦車地雷や対人地雷を一緒に撒いておくのも意外と効果的だ。人間てのは存外に1か所に1つしか罠が無いと思い込むもんだ。その心理的な穴を突く」

 

「なるほどな」

 

 というか異常なほどに効果的だな……

 

「戦車が堀に落ちて身動き取れず、なげだされた戦友が杭に刺さり無様な亡骸を晒す。その中で進軍しようと、あるいは後退しようとしても意識の外にあった地雷を踏んで味方が飛び散る……士気が一気に砕けるぞ? 面倒な地雷処理も、さっきも言ったが堀を埋め戻せば事が済む」

 

 クルスは、なんの感情の揺らぎも見せずに言い切った。

 

「お約束の有刺鉄線と塹壕……有刺鉄線網の間には、対人地雷だけでなく一見するとそうとは見えないように……例えば、有刺鉄線の支柱の影とかにSマインを無線でも有線でも遠隔起爆できるように仕掛けておけよ? ある程度の数が有刺鉄線で絡め取れたらまとめて始末してやればいい。あと、自然の岩とかこっちの射線からの障壁(バリア)になるような場所の裏にも仕掛けると良いな。タイミングを間違えなければいい感じに駆除できるぞ? それと電力に余裕があるなら、幾重にも張った有刺鉄線のいくつかには赤軍の突入が始まったら電流を流しておくと良い。感電死レベルなら上出来だが、そうでなくても構わん。面白い事になるぞ?」

 

 ……クルスは、ゲリラ屋の経験でもあるのか?

 

「塹壕には機関銃座、対戦車兵器を持たせた歩兵、隠蔽壕には対戦車砲。いや対空機銃も用意しておこう。知ってるか? 対空機銃の水平射撃ってのは、歩兵……特に非装甲の歩兵にはこの上ない脅威になる。戦車はハルダウンでも戦車壕にダックインさせてもいい。この時期のT-34相手なら、ドイツ製の43口径長砲以上の長75㎜砲であれば、高価なHVAPを使わなくてもAPCBCで1,500m以上でも破壊できるし、傾斜で80㎜もある”今生の新型IV号”の砲塔正面は短砲身のT-34相手なら500mでも射貫けない。そもそもT-34の命中精度は高くない。こっちの妨害措置で動きが止まったところで、よく狙って砲弾を撃ち込めばいい」

 

 この男には、どうやら来るべき戦場が見えてるようだな……それも、かなり明確にだ。

 

「”対人散布地雷(クレイモア)”でもありゃなお良いんだが……まだ時間ある。ウチで試しに作らせて見るか? ハイドリヒ、パンツアー・シュレークやパンツアー・ファウストみたいな対戦車装備はある程度、数は揃うか? あればあるだけ用意した方がいい」

 

「ああ、努力しよう」

 

 戦車と歩兵が入り乱れる混戦、いや乱戦か?

 

「ところで、”突撃小銃”の生産や配備はどうなってる?」

 

 今更、クルスが”シュトゥルム・ゲベール”計画を知っていたところで驚きはしないが、

 

「初期生産自体は始まってるが、まだそこまでまとまった数は用意できんな。銃、弾共に戦術的に意味のある数が揃えられるのは、早くても春以降だ」

 

「分かった。そっちはそっちで急いでくれ。”StG”シリーズは、戦況を左右するだけの潜在能力がある。何ならサンクトペテルブルグでも簡易型で構わんなら生産する」

 

 それは頼もしいな。

 クルスが生産に手を出すとなると、終戦前に全ての小銃兵に行き渡らせる事も可能かもしれない。

 

「ドイツは第一次世界大戦の頃から機銃が歩兵戦の中心で、小銃はその補佐(サポート)って感じで動いていたが、今回の戦いは勝手が違う。MP-38/40の短機関銃を使う兵を可能な限り多く、可能な限り対戦車装備を持たせて塹壕に潜ませてくれ。まだ個人携行型の対戦車兵器の射程は短く短機関銃の射程と大差ない。戦車が登場した時代ではなく戦車が陸戦の花形となったこの時代、塹壕戦や白兵戦は比較的近距離の投射重量の勝負になるぞ? あと、スコップや斧は手近に置いとくようによく周知しろよ? 塹壕じゃいつの時代でも、使う武器が変わろうと近接戦での鈍器は鉄板だ」

 

「小銃兵はどうするんだ?」

 

「やや後方に配置し、狙撃による阻止任務に徹してもらう。別に本職の狙撃兵と同じ事をしてもらう必要はない。4~5名で1ユニットを組んで射程内にいる敵兵を片っ端から撃ってくれればいい。おそらくだが、デサント兵の場合は引っ掛かって邪魔になる小銃より、取り回しがよく射程は短いが制圧力のある短機関銃使いが比率的に多くなるはずだ。Kar98kならアウトレンジから狙える」

 

 そしてクルスはこう続付けた。

 まるで”そんな戦場”をよく知るように。

 

「守備において機動力を持つ相手と戦うなら、機動戦に付き合うべきじゃない。ソ連はドクトリン的に迂回より正面突破を好む。一点集中した時の突進力は半端じゃないぞ? そういう相手と戦うときは、如何に勢いを殺すかが肝だ。浅い防御線なら、勢いを殺しきれずに突破されるぞ? 相手の機動力を削ぐには、段階的に削ぎ落す重層防御……”縦の深さ”が鍵になる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




来栖の前世は「一つではありません(・・・・・)」。
彼は所謂”多重転生者”であり、何回も輪廻転生を繰り返しているようです。(主観的にはそうなります)

ただし、ベーシックとなっているのはあくまで「今生の記憶」であり、前世記憶は断片的な主観記憶、記録のような客観記憶などが入り混じった”汚ねェモザイク”状態で、それが今生の性格や思想に影響を与える事はあっても、今生の人格を乗っ取ることはありません。

まあ、その辺のフォローは後に少し出てきます。
ただ言ってしまえば、「トハチェフスキーとして生きた断片」がポンッとポップして、曖昧だった前世記憶の一部がクリアになっただけで、来栖は来栖なんですよ。しかも、そのトハチェフスキーの記憶も、おそらくは我々が知る史実とは微妙に異なっている”別の世界線”の可能性があります。
でも結局、「いつもやりすぎる」某迷宮のエルフっ娘みたいな行動パターンとか変わらんあたりw

ちなみに”多重転生者”は一種の転生バグなのでかなり希少。滅多におらず普通は記憶がリセットされて、(主観的に)”初転生”の転生者が殆どです。
来栖はバグキャラ?w

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***



蛇足的オマケ(ネタ明しとも言う)
実は、「中身が別人のハイドリヒ」と「トハチェフスキーとして生きた前世がある今は別の男」というのは、来栖任三郎ってキャラを作ったかなり初期段階から構想はあったんですよ。
そうすると、来栖の湧き上がるような赤色勢力に対する憎悪と怨嗟、ソ連の思考や戦術への造詣の深さにも説明が付きますし、何より……

”因果と因縁”

って好きな題材なんですよ。
このシリーズ自体が、史実のオマージュであると同時に、「前世の出来事」を因果や因縁として使ってますし。

賛否両論あるかもしれませんが、楽しんでもらえていたら嬉しいです。

















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第170話 スモレンスク防衛戦計画(原案)のブレインストーミングをしよう! 議題:ロシア語の”танковый десант”と一般的なタンクデサントの違いについて

来栖、段々とタガが外れてきてるような……?




 

 

 

「ハイドリヒ、俺が上げたアイデアでも確かに効果はあるし、現状の防衛よりは楽できるだろうが……それでも、足りん。全く足りん」

 

 時期的には、まだレンドリース品は前線まで行き渡っていないだろうが……それでも、赤色勢力の動員力はナメる訳にはいかない。

 本気で動員すれば、100万の一次動員も可能だ。

 ソ連の恐ろしいところは、「普通の国なら体制が崩壊するような無茶も無謀をしても、それをむしろ国民に対する結束だの団結だのにすり替えられる」事だと思う。

 

 例えば、有名なのはタンクデサントだ。

 とりあえず先に言っておくが、一般的な戦車跨乗(タンクデサント)というのは、「移動時にバス代わりに歩兵が戦車に乗る」ことであり、間違っても戦車にへばりついたまま一緒に敵陣へ突撃することではない。

 

 だが、ロシア語で戦車跨乗を意味する”танковый(タンコーヴィー) десант(ヂサーント)”は恐ロシアなことに、「砲弾銃弾が飛び交う戦場に、歩兵を張り付かせたまま戦車で突撃」って意味が入ってしまう

 おかげでソ連軍の跨乗(デサント)兵の戦場に出てからの平均生存時間は2週間を割っているというデータがある。

 そりゃそうだ。装甲板代わりの肉壁として戦車にへばりつき、敵味方の銃弾やら砲弾やらが飛び交う戦場を突撃すればそうもなる。

 他の国の軍隊ならクーデターが起こる話だ。

 だが、ソ連では起きない。命じる側だって自分が粛清対象になりたくないだろうし、誰だって督戦隊に背中から撃たれたくはない。

 NKVDや督戦隊は、”極め付きの共産党狂信者”の集まりだ。

 連中は、「臆病風に吹かれ、革命に反するサボタージュ」を「敵前逃亡」という一般的な軍規に落とし込んで、現場判断で銃殺刑に処する権限が与えられている……そういうことだ。

 連中は「それが自分の仕事」だと疑問を持たない。そう思想教育(せんのう)されてるからだ。

 

 

 

(StGベースのカラシニコフモドキ作るなら、ドラグノフ半自動狙撃銃でも作りたくなってきたな)

 

 ブルーノ社のZH-29半自動小銃ベースでイケないだろうか?

 ツァスタバM76みたいな7.92㎜×57弾(8㎜マウザー弾)仕様の半自動狙撃銃もあったことだし。

 まあ、それは今後の課題だ。

 

「おそらく、ドイツ中央軍集団でスモレンスクに展開できる戦力は50万あたりが上限だろ?」

 

 単純な動員力の問題じゃない。

 ソ連みたいに武器も食料も暖を取る方法もなく、とりあえず人だけ集めて「武器は2人に銃1丁だ。武器が欲しければ戦場に転がってる敵味方の死体のそばあるから拾って使え」だの、「食料は敵が持ってるから奪い取って喰え」、「怪我? 死んでないなら動けるはずだ」なんて言えるわけはない。

 ドイツは現代軍だ。武器は定数装備させたいし、戦場で栄養失調なんて以ての外。士気が下がれば、単純な戦闘力だけでなく特に継戦能力が著しく低下する。

 戦傷者は野戦病院で治療してやりたいし、寒い夜には温かいスープで歩哨を労ってやりたい。

 攻めた時は100万越えの戦力でも、「常駐させられる戦力」はずっと少なくなるのは戦場の常だ。

 そんなことを考えれば、スモレンスクの規模から逆算して常に張り付かせられる戦力は、都市の規模と物資の備蓄可能量や輸送量から考えて50万が良いとこだ。

 

(現在、スモレンスクに常駐してる守備兵力は良いところ30万ってところか)

 

 ただ、助かるのは”ドイツ軍しか居ない”というところだ。

 確認したが、民間人の退避は既に終わっている。(基本、残っているのは赤色ゲリコマだ)

 希望者はベラルーシで保護しているが、基本的には住民には退避……つまり、持てるだけの家財を持たせて街の外に逃がして(追い出して)いる。

 何のことはない。またしても、ソ連で国内戦争難民が発生したという訳だ。

 戦争をやる以上、要塞として使うスモレンスクに民間人を居住させる訳にはいかない。

 しかし、「ソ連人でいたい」と言うのなら、それもドイツ人は止めはしない。

 繰り返すが、ドイツ軍は現代軍だ。

 前世の”親衛隊治安特別任務部隊(アインザッツ・グルッペン)”のような住民虐殺なんてご法度もご法度。無論、NSRにそんな「民間人を皆殺し」にするようなセクションは存在しない。

 もしどこぞの「ナチズムに傾注し過ぎて、過激な行動をした部隊長や部隊」が住民虐殺(そんなこと)をすれば、「ドイツ軍の評判や世間体に泥を塗った」と即座に憲兵隊に逮捕され、軍法会議直行だ。

 

 今生では逆に、抵抗の意志ないスモレンスクの住民たちに懇切丁寧に”法務士官”がロシア語で状況を説明し、家に帰り家財を持ち出す許可まで与え、「街から送り出す様子」をしっかりムービーカメラとオープンリールデッキで録画・録音しているのだ。

 これぞプロパガンダという奴であろう。

 

 

 

「俺やお前で考えられるのはこのあたりが限界だ。他の者の意見も聞きたい。お前の手下のシェレンベルク、シュペーア君、シュタウフェンベルク君の参加を認めろ。じゃなければ話はここまでだ。追加案は、後日出す。三人に確認しながらでないと、話が進められんし、アインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君も側小姓(手伝い)としていた方が助かる」

 

「……分かった。良いだろう」

 

 話の分かる奴で助かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 場所を俺の応接室から会議室に使ってるリビングルームに変え、

 

「詳細は話せないが、早ければ2月の下旬、遅くとも4月の上旬にソ連が最大100万人規模でスモレンスク、グニェズドヴォ、カティンに攻め寄せる……簡単に言えばスモレンスクからドニエプル川にかけて大攻勢がある公算が高い。基本的な防御策の検討は行ったが、正直、スモレンスクに配備できるだろう戦力で対応するには心許ない。なので、今回はあえて思考的な制限を外し、取れるべきオプションプランの策定を行いたい」

 

 所謂、ブレインストーミングの手法だな。

 

「とはいえ急に言われても困るだろうから、基本的なプランイングは俺がだす。ハイドリヒ長官にはスーパーバイザーの役割を、シェレンベルク、シュペーア君、シュタウフェンベルク君には質問の回答役を、アインザッツ君達にはアシスタントをやって欲しい。なお、これはあくまで可能性の確認であり、すぐさま作戦に反映されるわけでは無いので気軽に忌憚のない発言を望むよ」

 

 そう俺は切り出した。

 

 

 

***

 

 

 

「つまりシュペーア君、Fw190は無理でも、Bf109の増産なら三交代制の24時間操業で生産可能という事で良いかね?」

 

「ええ。戦闘機開発チームはサンクトペテルブルグに釣り上げましたが、各製造グループは現地に残ってます。現在、通常操業で旧メッサーシュミット社の各種航空機保守部品を作っていますが、以前、一時的にBf109の製造ラインに他のメッサーシュミット機の工場から転属させ、短期間ですが24時間操業を行った事があります。バトル・オブ・ブリテンの頃です。その時のマニュアルも人員名簿も管理してる筈なので、現行のBf109F-4ならば緊急拡大量産が可能なはずです」

 

 それは助かるな。

 即ち、現在、(製造中止命令などで)ラインが動いてない旧メッサーシュミット社の人的資源をBf109F-4の生産に集中投入できるって意味だ。

 

「休眠中の製造ラインでBf109の量産に転用できそうな物があったら、ピックアップしておいてくれ。場合によっては凍結解除するようにかけあえる」

 

「Ja」

 

 実は史実のBf109F-4に比べても、この世界線のBf109F-4は微妙に俺の知ってる前世のそれより強力だ。武装がプロプラ軸機関砲(モーターカノン)のMG151/20㎜機関砲1門に加え、機首のプロペラ同調機銃が7.92㎜機銃ではなく13㎜弾を使うMG131×2に変更されている。

 この時期の(米軍機を持たない)ソ連空軍機相手なら十分だろう。

 

「それとJu87(スツーカ)のD型からE型への改修キットの生産を可能な限り量産ベースに乗せたい。空軍省を通して命令書を出させるつもりだが、サンクトペテルブルグ担当の地対空ロケット弾発射装置一式は、ドイツ本国への列車搬入だけでなく、サンクトペテルブルグのユンカース・チームでもある程度の改修を担当してもらう予定だ。むしろ連中はJu187の武装システムチェックとしてJu87Dの改造機にRS-82やRS-132の発射実験をやってるんだ。ノウハウはあるさ」

 

 史実には登場しないサブタイプ、E型のJu87だが……何のことはない。

 D型にエンジンを前倒しでJumo211Jから強力なJumo211Pに変更し、大きなペイロードを生かせるように主翼の機銃をMG151/20㎜に、左右翼下に4000番台の耐熱アルミ製ロケット弾懸架/発射用のショートレール・ランチャー、ロケット弾用の照準機能が付いた新型照準器の搭載があげられる。

 簡単に言えば、史実のJu87D-5に、Il-2のロケット弾発射機能を組み合わせた物と考えて良い。

 それを俺は、開発元の「E型改修キット」というパッケージとして納品する事を提案し、賛同を受けている。

 ユンカース社にしてみればJu187開発の副産物であり、また元々Ju187までのつなぎとして史実のD-5準拠の機体を空軍省に提案すべく試作していたので都合がよかったのだろう。

 

 エンジンや照準器の製造は無理だが、レールランチャーやロケット弾本体などのロケット弾関連システムは、むしろサンクトペテルブルグでないと無理なので、ドイツ本国とサンクトペテルブルグの二本柱の生産体制が必要なのだが、ここはいっそ二か所で最終組み立てができるようにしてしまおうという腹だ。

 

「”PTAB”の方は?」

 

「既に原型だけでなく集束爆弾用、ロケット弾用のそれがもう量産可能一歩手前な段階に入ってますよ」

 

 ”PTAB”っていうのはロシア人が図面引いて試作していた段階の小型成形炸薬弾だ。

 1.5kgタイプと2.5kgタイプがあり、48発入りの空中散布装置(ディスペンサー)から目標の上空をフライパスする際に空中散布するように作られる”予定”だった兵器(現代だとトーネードIDSなんかが使ってたMW-1やJP233ディスペンサーがそれに近い)だが、それをドイツ人が街と一緒に開発を引き継いだ。悪いがモンロー/ノイマン効果の兵器を作らせたら、現状ではロシア人よりドイツ人の方が圧倒的に上手い。

 開発が一気に進んだだけでなく、PTABが小型なのを活かして”モロトフのパン籠”のような爆弾型のキャニスターに充填して集束爆弾として急降下爆撃や水平爆撃に使うタイプ、地対地型のM-132/空対地型のRS-132のロケット弾の弾頭部分に複数仕込むタイプが開発され試験運用されていた。

 

「実に重畳だよシュペーア君。よくやってくれている。次の給与査定を楽しみにしててくれ」

 

「ありがとうございます」

 

 こちらこそだ。いつも無理ではないが無茶な計画のマネージメント、本気で感謝を。

 さて、お次は……

 

「待ってくれ、フォン・クルス総督。航空機の増産は目途が立つとして、パイロットはどうする?」

 

 とはハイドリヒだ。

 ……そうだな。

 

「ハイドリヒ長官、空軍戦闘機隊総監はアーデルハイト・ガーランド少将のままか?」

 

「ああ」

 

 最近、ドイツの人事には目を通して無かったからなぁ。

 

「じゃあ少し時期は早いが作ってみようか」

 

「何を……まて。ガーランドってまさか!?」

 

 ガーランド将軍は、本当にパイロット達から人望あったみたいだからな。

 

「スモレンスク防空任務の為の臨時編成統合戦闘航空団”Jagdverband44”、”JV44”をガーランド総監の肝いりで編成しよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、少し余談をいいだろうか?

 先の「スモレンスク制圧時の市民脱出の一部始終」を撮影した映像だが、他にも中々に”感動的なシーン”が映っている。

 それは、「降伏した赤軍とは別に逃げ遅れた、あるいは自分の意思でスモレンスクに残った・否応なく残らざるえなかった」市民を集めたシーンであるが……

 

『我々は諸君らがスモレンスクに残りたい、残る理由がある事は知っている。だが、残念なことにスモレンスクは最前線の要塞となる。そこに民間人を居住させておくわけには行かない。護衛と監視はつけさせて貰うが、家財を取りに戻る時間は与える。早急に脱出してくれたまえ』

 

 そして、ある老婆が叫ぶ。

 

『ナチの人殺し共めっ!! お前たちが来なければこんなことにはならなかったんだっ!!』

 

 すると法務士官は頷き、

 

『その通りだな。だが、我々がこの街に来て制圧した以上、民間人としてこの街に残るのであれば、ソ連共産党より”ドイツ軍の協力者”と見做され、粛清対象になる可能性が高い』

 

『そ、そんなことはっ!!』

 

『何故、何を根拠にそう言い切れる? 我々はこれまでの戦いで多くの現場で粛清(それ)を見ている。実際に我々が街を制圧する前に、”ドイツ人に内通した”という無実の罪で粛清された市民も多くいた。実際、我々は特に内通者を必要としていない作戦でだ』

 

 黙った老婆……心当たりが無い訳ではないのだろう。

 老婆と言うことは、ロシア革命前の古き良き時代と、ロシア革命以降の血の粛清を知っているということだ。

 

『諸君らにとって最良なのは、我々に保護を申し出てベラルーシの抑留施設で一時保護を受けることだ。我々は軍服を着ずに反抗する”便衣兵”とならない限り、民間人を殺傷することはない。次善策は、”ドイツ軍に追い出された哀れなスモレンスク市民”としてソ連政府や赤軍に保護を求める事だ。普通は、国家や軍には国民を守る義務が発生する』

 

 しかし、法務士官は一端言葉を切り、

 

『だが、残念ながらソ連がその義務を履行するかどうかまでは我々ドイツは保証できない。義務を放棄し、赤軍が守るべき市民に対し銃を向けた現場もまた多く目撃しているからだ。判断は諸君らに委ねる』

 

 

 

 この模様も宣伝相ゲッベルス直々の指示で一部始終が撮影・録音されていた。

 先の実際にスモレンスクから脱出するシーンも含め、記録映像としてだけでなく後に編集されプロパガンダ用の短編映画として世界中で公開されるようになるが……それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ゲッベルスはこの世界線でも中々に有能なようですよ?

という訳で、来栖とハイドリヒの世界を跨いだ(?)なんちゃって因縁コンビだけでなく、フォン・クルス総督首脳陣全員でスモレンスク防衛戦のプランを作成する事になりましたw

そして、軽く伏線回収。
この時点で既存のBf109F-4の三交代24時間体制の緊急増産と休眠レシプロ機製造施設の復旧があったから、後のBf109Gの早期量産が可能となってたんですね~。

そして、来栖ェ……サンクトペテルブルグ内の事ならまだしも、いくらハイドリヒが転生者だと確信してるからって、それをお前からJV44(ソレ)を言い出したら……立ち位置、ヤバくね?


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第171話 ”Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen” という概念

まーた、サンクトペテルブルグ総督が変な事言いだしてるよw






 

 

 

 ”Jagdverband 44”、通称”JV44”はドイツにとり非常に因縁深い名前だった。

 

(まあ、「正気か?」って顔されるのもうなずけなくもない)

 

 そもそも生まれたきっかけは、史実では1945年1月にゲーリングによってガーランドが空軍の戦闘機隊総監の座を追われた事に端を発する。

 元々、ゲーリングとガーランドの確執はあった。

 ゲーリングはドイツ空軍トップクラスのエースパイロットで若干30歳で将官となったガーランドは面白い存在では無かったし、別にガーランドも人格者という訳でもない。

 決定的だったのは世界初の実用ジェット戦闘機”Me262”の運用方針を巡ってとされるが、それ以前の積み重ねもありガーランドは解任されてしまう。

 大戦末期に何やってんだかと思わなくもないが、ここでゲーリングにとり予想外の事が起きてしまう

 ゲーリングが予想していたよりガーランドの人望は特にパイロットからのそれがずっとあり、シュタインホフ大佐やリュッツォー中佐などの飛行団長(飛行部隊長)に弾劾されてしまったのだ。

 実戦部隊の離反で求心力を失う事を恐れたゲーリングは、新設の最新鋭ジェット戦闘機隊”第44戦闘団(Jagdverband 44、JV44)”の司令官をガーランドに任じ、人選の自由裁量権を与えた。

 そして、ガーランドが生き残っていたエースたちに声をかけ、生まれたのがリアルでは伝説となる「空の英雄豪傑の集まり」、「空飛ぶドイツ版梁山泊」などと呼ばれることもある”JV44”だ。

 

 無論、今生ではゲーリングは既に軍から離れ副総統の地位にあり(つまり、軍への影響力は既に排除されている)、広報活動……というか見た目の良さから、ドイツの看板(ゆる)キャラクター道を邁進しているようだ。

 そして、今生のガーランド自身も若さと鼻っ柱の強さからお偉方から「クソガキ」と思われてるフシ(・・)があるが、反面「だが、戦闘機乗りというものはそうでないといかん」と好意的に取られてる部分もあり空軍総司令官のヴェーファー元帥や航空技術総監のミルヒ大将などの重鎮との相性も悪くない。

 

(まあ、ガーランド少将も苦労人と言うか、割を食ってると言うか……)

 

 この世界線では”ロッテ戦法の生みの親”ことメルダースが事故死せずにピンピンしてる。まあ、大佐に昇進後、やっぱり後方に下げられて「教官を養成する教官職」やってたりするんだが……それでも、何やら「ドイツ版トップガン」じみたことやってるみたいだが。

 当然だ。メルダースの死亡フラグ、ウーデッドが装備実験部隊で今日も試作機乗り回し、きっと脳ミソぴょんぴょんしてるんだから。

 にも関らず、大佐だったガーランドが少将に昇進させられ、新たな役職である戦闘機隊総監が押し付けられているという。

 

「フォン・クルス総督、どんな名目で、どういう階層あるいは対象から招集する?」

 

 ハイドリヒがそう聞いてくるのも無理はない。

 史実と全く時期も状況も理由も違うのだ。

 

「基本的には、休暇配置でそれを消化しかけてるパイロット、戦闘がひと段落付き激戦地ではなくなってる場所に配置されているパイロット、後は実戦経験を積んでもらうために『戦闘行動が可能と判断される新人パイロット』も含めてガーランド総監には抽出してもらう」

 

「……新人を激戦になる、航空消耗戦になり兼ねない場所に放り込むのか?」

 

 ヲイヲイ。しっかりしてくれよ?

 

「甘ったれんなハイドリヒ長官。相手が相手だ。この先、ドイツの戦いには血を血で洗う激戦しかない。わかってるだろ?」

 

 相手は動員力チートのソ連と、生産力チートのアメリカだぞ?

 それをまとめて相手しようってんだ。行きつく先は修羅道しかねぇだろうが。

 

「だから早めに地獄を経験してもらうのさ。それにその為の”二直制(・・・)”だろ?」

 

 要するに普段から軍隊のパイロット養成機関だけでなく、助成金を餌に民間の飛行会社や操縦士学校からパイロットやパイロットの卵達に短期軍用機操縦訓練コースを受講させ、受講後は即応予備役として登録し、数字的には「保有航空機の2倍の数のパイロット」を確保しておく。

 そして、戦時となれば招集するって感じだ。

 特に戦闘機乗りとしての素養を示した者には、軍から直接リクルートされることもままあるらしい。

 

「心配なら、現地でも訓練や指導ができるような教官職経験のある実戦パイロット、例えば”ロスマン曹長(・・・・・・)”のようなを入れておけば良い。本末転倒かもしれんが、非常時なら仕方ないだろ? ”野戦飛行学校”の開設だ」

 

「正確には、”エドバーグ(・・・・・)・ロスマン”上級兵(・・・)曹長だ。今のドイツ空軍には陸海軍同様に上級下士官制度がある。主に下士官上がりの飛行教官が持ってるな。明文化されてないが、空軍の上級兵曹長はエースばかりだ」

 

「すまない。その辺は疎いんだ」

 

 まあ、俺は今生じゃ軍人って訳でもないしな。

 

「ところで、臨時編成と言うのは分かるが、”統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen:KLK)”というのはなんだ?」

 

「簡単に言えば、”空の諸兵科連合”だよ。電撃戦ってのは、急降下爆撃と重砲の短時間の効力射の下、戦車が機動力をもって蹂躙するってことだろ? だが、今回は機動力のある数的優勢を誇る敵相手の阻止戦だ。勝手がかなり違う」

 

 俺はアインザッツ君達が用意してくれた移動式の黒板に概要を書き込んでゆく。

 あー、ホワイトボードとか欲しいな……作るかな? あれ、要するにホーローだし。

 アクリル板はもうある(実はアクリル樹脂は30年代のドイツの発明だ)し、戦況表示板ってもうあるか?

 航空機のキャノピーには使われてるって聞いたが、無ければ作ってみるか。

 

「阻止戦で重要なのは戦場上空の制空権確保と、その下で行う”近接航空支援”。そして、航空偵察と航空機からの弾着観測と効果確認も仕事としては大きい」

 

 難しいことを抜きにして戦術レベルならこの四つが出来れば形になる。

 そして、これらのミッションを統括できる司令部の存在だ。

 

 普通の爆撃機隊が入ってないって?

 Ju188やDo217とかの役割は、むしろ航続距離を活かして敵の補給拠点や集積地、航空基地などを叩く事だ。

 大きな意味では阻止任務だけど、任務の性質がかなり異なる。

 命令系統は別の航空隊にして、統括はそれこそ中央軍集団司令部に投げた方がいい。

 

「イメージ的には、”電撃戦の防衛バージョン”さ。空陸の機動防御と言い換えてもいい。なので、空軍の弾着観測機と陸軍の砲兵の連携、空軍の近接航空支援と陸軍の前線航空統制官との連携がカギになってくるんだが……」

 

 史実を知ってる紳士淑女なら驚いていいところだけど、これ諸兵科連合と三軍合同って戦術思想、実は皇国軍では士官以上は徹底的に叩きこまれるんだよ。

 まず、一般兵科でも前線航空統制官や前線砲撃統制官のカリキュラムはある。

 そして本職の統制官ともなれば、陸軍砲撃統制官は重砲隊だけでなく艦砲射撃の統制ができて当たり前、陸軍航空統制官は陸軍の保有する自前の直掩機が少ないんだから空軍や海軍の攻撃隊の統制ができて初めて一人前。

 それ以上に難しいのは、的確な戦力を的確な場所に的確なタイミングで振り分ける後方司令部の首脳部とオペレーターズだ。

 話に聞くとコンピューターのない時代だけあってほぼ実戦のデータを用いた図上演習に明け暮れ、皇国軍が特に高価な装備を使ってる訳でも、あるいは給与が特に良いわけでも無いのに一人当たりの予算が他国に比べて大きいのは、実物を使った実戦演習と効果測定が多いからだと言われている。

 

「シュタウフェンベルク君、参謀として率直な意見を聞きたいが、可能かい?」

 

「不可能とは言いません」

 

 なるほど。

 

「実働部隊の編成と配置が終わったら、何度か合同演習をやる必要があるってことか」

 

 まあ、ドイツはそこらへんはケチらないだろう。ムダ金は嫌うが必要な予算は渋らない気概はある。

 

「となると、前線航空基地はスモレンスク要塞の中とビテプスクとモギリョフの辺りに増設が妥当か?」

 

 どっちもスモレンスクから150㎞前後。ジェット時代なら近すぎるが、この時代の米ソの機体はそこまで速くもないし航続距離も長くない。

 

「双発爆撃機隊は、ミンスクの司令部直轄基地から飛び立てれば十分か。スモレンスクまで直線で300㎞くらいだし」

 

 実は、前線航空基地をスモレンスクを含めて3か所に分散させるのは意味がある。

 互いに制空権確保(エアカバー)を行えるってのは勿論だが、ロシア人だってバカじゃない。

 スモレンスクという要防衛箇所があるからスモレンスク内部に即応の航空戦力を置く意味があるのであって、攻撃する側のソ連は「砲弾が飛んでくるような近場」に航空基地を置く必要はない。

 おそらくだが、防空しやすく設備が整ったモスクワ周辺から飛ばしてくるはずだ。

 モスクワ⇔スモレンスク間の距離は約370㎞。ソ連機の航続距離が短いと言っても、爆撃任務で往復できる距離だ。

 そして、ミンスク→スモレンスク→モスクワはほぼ一直線に並んでる。

 つまり、ミンスクからモスクワまでは約670km。

 そして、(Ju187とは逆に)開発が順調に進みJu88から順次置き換わりつつあるJu188双発爆撃機の航続距離は1,950㎞でペイロードは3t、期待の新鋭双発爆撃機Do217は航続距離2,300㎞でペイロード2t。

 つまり、

 

「ある程度、敵の攻撃を(しの)いだらミンスクからモスクワ周辺の敵基地並びにモスクワ本体にカウンター爆撃を仕掛ける」

 

「そ、それは、流石に無茶では……?」

 

 シュタウフェンベルク君、甘いぞ?

 

「だから、ある程度凌いだらと言ったろ? 要は航空消耗戦に引き摺り込んで疲弊させたと判断できてからだ」

 

 実際に航空消耗戦、それも一方的なそれになる可能性はかなり高い。

 俺ではなく、”この世界のトハチェフスキー”が記した『縦深戦術理論』は、確認したところやはり殆ど同じ内容で『赤軍野外教令草案』として存在していた。

 作者を殺しておいて、奪った著作を表紙とタイトルだけ変えて使うとは、まさに盗人猛々しいが……

 

(だが、だからこそ欠点が丸わかりなんだよ)

 

 現在、1942年編成のソ連陸空軍では、『縦深戦術理論』で概論を示した「陸空一体戦術(エアランド・バトル)」は達成しえない。

 なぜなら、装備も練度もそれを行うには貧弱過ぎる。

 実際、『縦深戦術理論』を計画通り実行できるようになったのは、装備と実戦経験による練度が釣り合った1944年……つまり、”バグラチオン作戦”だ。

 

(だが、生兵法は大怪我の基)

 

 繰り返すが、レンドリース品が前線まで届いておらず、未だに赤軍大粛清の影響が残る今の赤軍では、まともなエアランド・バトルは実現不可能だ。

 そこに付け入る隙は、いくらでもある。

 そもそも、今のソ連どころかアメリカにもまともなレーダーはない。

 史実のアメリカがまともな性能のレーダーを作れるようになったのは、電子技術先進国のイギリスの協力があればこそだった。

 実際、近接炸裂信管(VTフェーズ)もイギリスの協力がなければ完成させるのは難しかったようだ。

 

(だが、ドイツには英国とタイマン張れるレーダー技術がある)

 

「爆撃機の護衛戦闘機隊は……ああ、だからこそのスモレンスクであり、ビテプスクとモギリョフか」

 

 流石ハイドリヒ、話が早い。

 

「そうだ。爆撃機より航続距離の短い戦闘機隊は”スモレンスクから飛ばす”。その間のスモレンスク周辺のエアカバーはビテプスクとモギリョフの航空隊で行う」

 

 現在、最も航続距離の長いドイツ戦闘機はFw190Aだが、ドロップタンク装備での航続距離は1,500㎞ほどだ。

 空中戦の燃料消費を考えれば、ミンスク⇔モスクワ間の護衛は難しいが、距離が半分のスモレンスク⇔モスクワ間ならかなり余裕を持てるはずだ。

 

「これは何もモスクワを瓦礫の山に変える作戦ではないのさ。モスクワ周辺の敵航空基地を見つけ、摺り潰すのが第一目標。モスクワを直接爆撃するのは可能と判断できればってぐらいでいい。それにモスクワ本体を爆撃するのは物理的な破壊が目的じゃないのさ」

 

 そう、それは……

 

「”牽制(・・)”だよ。むしろ、敵への心理的効果を狙った爆撃だ」

 

 知ってるか?

 あの小男(スターリン)は、実は臆病な小心者なんだぜ?

 

(だから他人どころか、自分ですら信用しきれない)

 

 そんな奴が、自分のお膝元に爆弾落されれば、どうなると思う?

 

「クックックッ……モスクワを直接爆撃。それこそクレムリン宮殿をぶっ壊されたら、果たして何人が粛清されるだろうな?」

 

 いや、皆さんや……なぜ、そこでドン引きする?

 

 

 

***

 

 

 

(それと、他に使えそうな戦力は、と……)

 

「ん? シュタウフェンベルク君、中央軍集団に列車砲……例えば、ベラルーシに”クルップK5(レオポルド)”は配備されているかい? あるいは配備できそうな物はあるかい?」

 

「調べてみないとわかりませんが……あると思います」

 

「後で確認してくれ。列車砲は発射速度が遅いが、数さえそろえば絶大な効果がある。レオポルドの射程は通常弾で最大62.4㎞……ここなら、予想戦闘地域をカバーできるか?」

 

 アインザッツ君達が持ってきてもらい、広げたスモレンスクからミンスクあたりまでを記した大地図の一点を俺は指さす。

 

「ミンスクからスモレンスクからの鉄道復旧は終わっていたな? 列車砲を引っぱり出せるならベラルーシ/ロシアの国境、クラスナヤ・ゴルカとジュツキの中間点に線路から分岐させ、ここに列車砲用の回転操車場(ターレット)を用意させよう」

 

「いや、まて……そんな時間は」

 

「資材さえ揃えられるなら、いけるさ」

 

 そう、足りないのは設営に必要な労働力。

 

「”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”なら、トート機関や軍の工兵隊にもそうそう引けはとらんよ。むしろ線路の設営や引き込み線の確保、重機の扱いなら上かもしれん」

 

 なんせ、日頃からそんな作業ばっかりやってるし。というかサンクトペテルブルグとその周辺の道路網と鉄道網を直したの誰だと思ってるんだ?

 通常給与に加えて、特別ボーナス……1月につき一人頭ウォッカ1ケースあたりか?を参加者には用意してやらんとな。

 何故か現金より酒の方が喜ばれるんだよな~。

 まあ酒造所は、福利厚生の関係で真っ先に復興させたから問題ないけどさ。

 

「フォン・クルス総督、本気か……?」

 

「サンクトペテルブルグの外に出すことにって意味でか?」

 

 ハイドリヒは頷いた。

 

「本気も本気だ。今回に限っては、四の五の言わずに使える物は全部投入せんと勝てるものも勝てん」

 

 前にも話したかもしれないが、”リガ・ミリティア”の真骨頂は工兵隊・設営部隊だ。

 土木工事に施設の設営はお手の物だ。

 伊達に前世の自衛隊を参考にしてるわけじゃないぞ?

 

「だが、最低限の自衛戦闘はできるが、正直、正面戦闘力は高くない。ベラルーシの国境にほど近いとはいえ、護衛と”掃除”は頼むぞ?」

 

 ”掃除”、要するに共産ゲリコマの排除だ。

 

「それはNSRが責任を持つが……」

 

 なら問題はない。実際、NSRの抱える非対称戦部隊はかなりの実力があるらしいし、随分とベラルーシでも活躍してるらしい。流石はGSG9を生み育てた国ってとこか?

 

「安心しろ。スモレンスク防衛戦が始まるまでには工事は終わらせるし、戦闘が本格化する前にはサンクトペテルブルグに戻すさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フォン・クルス、ちょっとトランスってる?
これ、アカン奴じゃんw

まあ、百歩どころか万歩譲って新しい概念やらプランニングまではともかく、ついに”実働工兵部隊(リガ・ミリティア)”出すとか言いだしましたよ。クルス(コイツ)
まあ、スモレンスク防衛戦は確かにかなり大規模な戦いになるし、使える物はネコでも親でも使うべき状況ではあるんですが……
この章、どうやら来栖はクルスになるべくいつも以上に転がってく感じ……か?


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追記
ちょっと日本皇国の過去篇(?)っぽい外伝を書いてみました。
https://syosetu.org/novel/321614/
ただし、ほぼほぼギャグなのでご了承くださいw


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第172話 一度一線を越えてしまえば、最早後戻りは叶わじ

こう、何というか……ルビコン川的な?

外伝、始めました。(https://syosetu.org/novel/321614/)
まだ2話しか投降してませんが、一応は日本皇国過去篇……のハズです。多分。
そちらもよろしければお願いします。









 

 

 

「”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”なら、トート機関や軍の工兵隊にもそうそう引けはとらんよ。むしろ線路の設営や引き込み線の確保、重機の扱いなら上かもしれん」

 

「フォン・クルス総督、本気か……?」

 

 気がつくと、無意識で俺はそんな確認をしていた。

 ああ、レーヴェンハルト・ハイドリヒだ。

 

 確かに認識としてはサンクトペテルブルグは「バルト海沿岸諸国の承認を受けた”ドイツの保護領”」という扱いだ。

 ”リガ・ミリティア”は実質的にはクルスの私兵だが、公式的にはサンクトペテルブルグに付随する”ドイツ皇国軍の外郭団体”、未来の言葉で言えばPMCになる。

 フランスの外人部隊を世界が認めてる以上、その扱いや立ち位置に問題はないが……

 

(クルス、お前は今、何を言ったか本当にわかっているのか?)

 

 都市に付随する準軍事組織として認識されている治安組織(武装が許されている以上、建前はそうなる)を、「国外(・・)、それも戦地(・・)に派兵する」と言ったんだぞ?

 その意味がわからぬ男ではないはずだ。

 

 サンクトペテルブルグでの現在のクルスの立ち位置は、まだ言い訳が苦しいが立つ。

 クルスが現地入りしたのは戦闘終了後だし、「レンタルしたドイツ側の意向と依頼で今の立ち位置についた。別に来栖本人が望んだわけでは無い」とも言える。

 だが、自分の手持ちの戦力を、「自身の意思(・・・・・)で国外に出すと決めた」以上、どんな国内外の法に照らし合わせてもあらゆる意味で言い訳、いや言い逃れがきかなくなる。

 つまり、

 

”任三郎・来栖という日本皇国外務省職員(・・・・・)で起こせる行動ではなくなる”

 

 ということだ。

 どこの世界に、「派遣先の国で得た私兵を、派遣国の戦争の為に国外に出すことを職員に許す外務省」があるというのか?

 言っておくが、日ソは反目関係にある、敵対関係にあることは国連加盟国ならどこでも知ってることだ。

 だが、それと同時に日ソは未だに”戦争状態にはない(・・)”のもまた事実だ。

 

(おそらく、来栖の行動は”日ソ開戦の引き金になる行動”として日本皇国で問題視される)

 

 そして、行動から考えて、取り繕うことは不可能だ。

 そもそも、クルスは言い逃れするような性格ではない。

 

(これを報告すれば、クルスの正当性を担保する為に外務省と内務省、軍部は一気に動くだろう……)

 

 無論、報告しなければ計画案として成立しなくなる。

 それどころか、原案から正規の計画書に起こす段階で、リガ・ミリティアを工兵準拠で作戦投入する以上、その責任者であるフォン・クルス総督の名前を最低でも「協力者」として記載しなければ、リガ・ミリティアは作戦参加は認められない。

 せめてできるとすれば、

 

(クルスが出した原案を元に、”NSRが情報提出しOKHの作戦部が共同で作戦案を仕上げたという体裁にするしかないか)

 

 実は流れ的には嘘は言っていない。NSRが原案を提出し、まずOKHの作戦部がブラッシュアップして実働可能かを最終的に判断し、実働可能ならば細部を詰める作業を進める。そして、次の段階で陸海空の参謀部や作戦部の必要な人員を集め、専門部署の目線で煮詰め実際の準備に入るのだ。

 そればらば、来栖は「手持ちの工兵隊をドイツ軍に貸しただけ」という形になる。

 だが、いずれにせよ他国の外務省職員としては問答無用でアウトな行為だった。

 

(確かにそれは……この結果は俺が内心で望んでいたことだ)

 

 だが、ほんの少しだけチクリと心が痛んだ。

 俺の心に良心など残っていたとは思わなかったが、

 

(これが呵責というものか……)

 

 ”ナチスドイツのハイドリヒ”として生きる事を選択し、己が地獄に行くその日まで我が友(ヒトラー)を支えると誓ったあの日に捨てたはずの感情が、まだあったとは驚きだ。

 

 

 

***

 

 

 

 ふむ、来栖だ。

 とりあえずアメリカ人のレンドリース船団の到着次第だが、国連総会時期次第だが早ければ2月の後半、遅くとも4月までにはスモレンスクを巡る大規模な攻防戦が発生するだろう。

 普通の国なら考えられないだろうが、国家の面子やら体面を守るためには、敵国民も自国民もどれほど死んでもかまわない。

 それがソ連という国であり、共産圏というものだ。

 例えば、アメリカ合衆国。ルーズベルトが”いつもの調子”で日本に戦争を吹っ掛け、仮に100万人程度のアメリカ人が死んだとしよう。

 そうなれば、まず体制の維持はできなくなる。

 なぜなら兵には家族がおり、家族は有権者だからだ。

 民主主義国家は、結局は支持率と得票数だ。それがなければ、アメリカの政治は成立しない。

 100万人の死者は米軍の壊滅を意味するだけでなく、「戦争を始めた大統領」への責任追及へと繋がり、弾劾と罷免に待ったなしだ。

 無論、「ソ連にとって最も都合が良い大統領」であるルーズベルトの失脚を、マスゴミを始め多くの赤化汚染階層が庇おうとするだろうが、100万人の死者はどう取り繕おうとキャパオーバーであり、最良の結果でも「1944年の大統領選」では勝てないだろう。

 

 だが、ソ連は政治総体として性質が全く異なるのだ。

 現実に、戦争で1000万人の死者を出し、粛清やら何やらで連邦全体で2000万人の死者を出したが、体制が揺らぐことはなかった。

 「選挙が無く、国民に共産主義という洗脳を行い、体制に逆らえば粛清対象になる」という国は、そういう意味では強いのだ。

 

(なら、例え少しづつでも機会があるごとに着実に削っていくしかないな……)

 

 極論すれば、「敵となる者を皆殺しにすれば戦争は終わる」だ。それを勝利と呼べるかは疑問の余地があるが、そこまで極論ではなくとも「国体を維持できる限界ではなく、政治的な意味でなく物理的な意味で国家を維持できる限界まで=戦争を継続できなくなるまで間引きすれば戦争は終わる」を目指すしかない。

 ソ連人というカテゴリーを歴史用語にするよりは、これなら随分とハードルを下げられる。

 

(それに考えようによっては、これはソ連に大打撃を与えられる好機だ……)

 

 考えなくとも政治的に横っ面を張り倒されたソ連は、遮二無二蹂躙戦を仕掛けて来るだろう。

 ジェーコフあたりが反対するかもしれんが、本質的には止められない。

 スターリンの怒りを買わないこと……ソ連で将軍として生き残るというのは、そういうことだ。

 

(それにスターリンがジェーコフをモスクワ防衛から切り離すのは考えづらい……)

 

 あの男は本質的には、臆病者の小心者だ。自分の命が何よりも誰よりも可愛く惜しいために、相対的に他人の命を塵芥の価値に押し下げる。

 

(人類悪その物みたいな奴だからな……あるいは、人類に課せられた特級呪物)

 

 そして、今は米国からのレンドリース品が前線には届いていない。

 

(その状態で赤軍がスモレンスクに押し寄せてくる……間違いなく好機だ)

 

 では、その好機にサンクトペテルブルグは時間制限がある中で、他に何ができる?

 

「野砲や重砲の類は砲弾の規格が違うから返って補給の負担になる。サブマシンガンもドイツ軍ではもはや30モーゼル(トカレフ弾と互換)はメジャーじゃないから、これも却下だな……」

 

 この辺の装備は、むしろソ連式装備を集中運用できる部隊に流した方が良い。

 例えば、フィンランド軍やウクライナ解放軍だ。

 

「とすると、残りはカチューシャロケット弾発射機か……」

 

 BM-8(82㎜地対地ロケット弾)とBM-13(132㎜地対地ロケット弾)の発射機。これなら移動プラットフォームのZis-6トラックごと量産が利く。

 実は、ドイツ軍の同種の兵器、ネーベルヴェルファーは牽引式の物がほとんどで、それをマウルティア(ハーフトラック)などに車載化した”パンツァーヴェルファー”は数が少ない。

 スモレンスクのように街一つを要塞として使うために道路整備が進んだ環境だと、おそらく「悪路走破性は低いが素早く移動して攻撃と発射後の移動が可能」な自走式ロケットランチャーの価値は大きいだろう。

 とにかく、再装填に時間はかかるし命中精度は低いが、一度の投射重量が大きいから最大瞬間火力は重砲の比じゃない。

 

 要するに適材適所だ。

 持続性のある正確な射撃が欲しいのなら重砲だし、短時間で圧倒的な面制圧が欲しいのならロケット弾だ。

 要するに鈴なりにデサント兵乗っけた戦車群の頭上にばら撒くならロケット弾の方が向いていたりする。

 

「対装甲用の成形炸薬型と対人用の鉛玉をまき散らす二種類を突進してくる戦車の群れにばら撒けば、効果絶大だぞ?」

 

 もっと時間があれば、色々できたが……まあ、今は精々こんなところだ。

 街の復興が進み、新しい工場が立ち並び、本格稼働を始め、労働人口が増えたら、もっと出来ることは増えるだろうが今はこれが精一杯。

 

「フォン・クルス総督、今回の会議の内容を元にまとめたスモレンスク防衛戦原案の策定を」

 

「心得た。シェレンベルク、シュペーア君、シュタウフェンベルク君、私が訪ねた内容を確認して、なるべく早く文書で提出してくれ。アインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君、君たちはメモした内容を箇条書きにして提出を」

 

 全員、中々に勇ましくも凛々しい敬礼で了解を返してくれた。

 ところでハイドリヒ、なぜそんな微妙な顔をしている?

 

「フォン・クルス、お前は本当に軍人の、いや将軍の経験はないのか……?」

 

「無いってばよ」

 

 少なくとも今生では。

 どうもトハチェフスキーとして生きた経験はある臭いが、それは何というか……「人が見た夢の断片」みたいな主観記憶の映像と、記録に近い客観記憶の”汚ェモザイク”みたいなもんだ。

 それでも、俺の物だとわかるのは、生々しい憎悪と怨嗟がそこに乗っかってるからだ。

 それは確かに俺の、俺だけの”宝物”だ。

 何しろモチベーションにもバイタリティーにもなる。

 何のことはない。

 今生で生理的嫌悪を感じていた共産主義に対する感情の中で、どうも消化不良になってるモヤモヤというかドロドロしたものがあると思っていたが、その正体がわかっただけですっきりだ。

 

 俺、来栖任三郎って人間は、いくつあろうが、思い出せようが思い出せまいが、「前世を含めて俺」だと思ってる。

 前世の記憶に振り回されて今生を見失うなら愚の骨頂だが、そいつを制御して「経験や記憶、記録」として引っ張り出せるのなら、今を生き抜く強力な武器になる。

 結局は、ただそれだけのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハイドリヒが予想外に好人物にw

まあでも、アイデア出すだけならともかく、「自分の手駒の部隊を、ドイツ軍サポートの為に戦地に出す」って物理的な、あるいは実働的な行動はアウトでしょう。

これは、一歩間違えれば日本とソ連が交戦状態になりかねない行為ですし、いくらソ連と敵対状態で、皇国国内では工作員や活動家と暗闘を繰り広げてると言っても、開戦してるわけではありませんから。

流石に皇国外務省も御咎めなしにすることはできないでしょうし、今すぐでは無いでしょうが、いずれ沙汰は下ると思います。

ただ……来栖本人は、あんま気にしなさそうというかw
いや、外交官って仕事に愛着はあるんでしょうが、赤色勢力の打倒と殲滅はそれに優先される感じ?


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第173話 20㎜弾談義とフォン・クルス被害者の会新規会員?(随時、新規会員募集中)

新キャラ(新たな被害者 or 犠牲者)登場の予感……





 

 

 

 ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督がスモレンスク防衛計画原案を完成させたのは、それから1週間後の事であった。

 それを今か今かと待っていたNSR(国家保安情報部)の担当官が受け取り、”軍機”のスタンプが押された書類を如何にも頑丈そうなジュラルミンケースに詰めて空軍からNSRに払い下げられたらしいJu88(高速連絡機仕様。やっぱ塗装が派手)で飛んで行った。

 「いや、普通にJu52の定期便使えよ」とフォン・クルス総督は思ったらしい。

 

 まあ、この男に自分の作った案件の価値を問うのは無駄なことである。

 

 

 

***

 

 

 

「なあ、シェレンベルク……NSR保有の機体は派手にしなきゃならん決まりでもあるのか?」

 

 なんかさっきのJu88、ベネトンB194のシューマッハカラーだったんだが?

 

「ありますよ? どう見たって軍用機に見えないカラーリングでしょ? 誤認されないように、あるいは誤認を理由に撃墜されないようにとの配慮です」

 

 ああ、”ケース・バルボ”ね。納得。

 

「……カラーパターン選んでるの、ハイドリヒ長官だろ?」

 

「良くお分かりで」

 

 こういうのお茶目で流していいのか?

 いや、それはともかく……

 

「シュペーア君、MG151/20㎜の、そうだな弾頭開発部門とかにコネはあるかい?」

 

「探せば誰かは居ると思いますが……どうしたんです?」

 

「ドイツ自慢の”薄殻榴弾(Minengeschoss)”な、あれ今は良いけどそのうち通用しなくなるんだわ。少し延命しようかと思ってな」

 

「……詳しく聞いても?」

 

 まあ、そう難しい話じゃないんだが……

 

「薄殻榴弾ってのは、軽量高速弾だろ? 初速は早いが弾殻が薄くて中身がほぼ炸薬だから軽い。だから空気抵抗とかで距離による失速率高いし、弾殻も特に硬い訳でもないから貫通力も低い。おまけに信管は触発だろ? 多分、もうサンプルあると思うんだが……シュタウフェンベルク君に確認してみ? Il-2みたいな頑丈な機体の装甲部分だと、表面で爆発して装甲板がちょっと凹んだだけで、内部までダメージが届いていないってケースあるはずだから」

 

 あの弾殻って薄いだけで硬い訳じゃないんだよ。いや、あの薄さで通常の榴弾並みの弾殻強度を維持してるのは素直に凄いけど、軽さゆえに急速に失速する特性や精度の良い触発信管のせいで、硬かったり張力が高い装甲板相手だと表面爆発する事が多いんだ。

 

 その逆が、ホ103の”マ弾”だ。

 あれ、空気信管の採用で信管小さくして増やした内部容積の炸薬詰め込んでるけど、弾殻は普通の厚みがあり、重さは流石に重金属弾芯仕込んだ徹甲弾よりは軽いけど通常弾と比べて大差ない。

 しかも、空気信管自体が当初から”僅かな遅延機能”を有するように設計されていて、つまり「命中して貫通後に爆発」するように設定されている。

 だから、「相手が20㎜弾食らった」って誤認するようなダメージが出るわけだ。

 

「手はあるのですか?」

 

「弾速は落ちるが、重金属弾芯を貫通体として仕込むこと。そして、信管に遅延機能を入れて『貫通後に起爆』するようにセッティングする事。これで貫通力も上がるし、急激な弾速低下はある程度是正できるし、弾芯(コア)をきちんと設計すれば重心安定で有効射程距離はむしろ伸びるかもしれない。炸薬量は少なくなっても内部爆発が期待できれば相殺できる。元々薄殻弾殻で弾芯入れても通常の榴弾程度の炸薬量は確保できるんじゃないか?」

 

 そして、そろそろ配備が始まるだろう日本皇国の20㎜弾は更に徹底している。

 基本的なデータとしてドイツのMG151/20の弾は20㎜×82、日本皇国の三軍共通20㎜弾はエリコンFFL規格の20㎜×101(参考までに言えば戦後アメリカM61バルカン砲の弾丸が20㎜×102とほぼ同じ)で薬莢の長さに約2㎝の開きがある。

 にも関らず薄殻榴弾をMG151/20㎜から撃った場合の初速は785m/sと、日本の20㎜機関砲750m/sよりも速い(皇国軍の20㎜機関砲は標準弾で750m/s、発射速度750発/分が基準となっている)。そして薬莢だけでなく銃身長は日本の機関砲の方が長い。

 薬莢の材質も確かに違うが、最大の違いは”弾頭重量”だ。

 

 日本の20㎜弾の基本構成は、遅延機能付きの空気信管と重心安定化による弾道安定化と貫通力上昇を目的とした重金属弾芯を貫通体として封入。空力特性の改善による射程延伸を狙った尻が窄まるボートテイル型の弾殻を採用。内部の炸薬は高性能炸薬だけでなく、微量の焼夷炸薬も混入されているらしい。

 ただ、その形状だと内部容積が減るので全長を伸ばして容積を稼ぎ、他国の銃弾に比べ細長くなった弾丸にジャイロ効果増強でより高い直進安定性を持たせる為にライフリングの回転率(ツイスト)は強めになっている。

 そして、このような強力な銃弾を発射するため、銃身などには硬化クロームメッキ処理が施されていた。

 

 ちなみにこの上記の日本皇国の20㎜弾、”標準弾”扱いだ。

 銃弾一つにここまで気合い入れて作ってるってこと、いわゆる徹甲榴弾を標準弾としている……これはもう、明らかに対ドイツを想定していない。

 明確に「重装甲/重防御を誇る米ソ機(・・・)相手には、このぐらいしないと通用しない」と考えているフシがある。

 前世では日本の機銃は威力不足で泣くことが多々あった。なんかその怨念が開発モチベーションになった臭いな。

 

 一応、国家機密だか軍機だかに抵触する情報(俺には特例的に教えられた。おそらく外交情報戦の”切り札”に使えって事だろう)なのでまんまは話せないが、ヒントを出すくらいは良いだろう。

 

「要するに表面で爆発するんじゃなくて、貫通してから内部で爆発するような20㎜弾を作れば良いだけなんだけどさ」

 

「しかし、炸薬量を減らすのは惜しいですね……」

 

「何なら”空気信管”でも使ってみるか?」

 

「なんです、それ?」

 

「日本皇国の航空機用銃弾に使われてる信管さ。機械的な部品を使わず断熱圧縮を使って起爆させるタイプで、調整で遅延起爆も可能だ」

 

「なにその魔法の信管?」

 

「興味あるなら外務省を通じてスウェーデンの駐在武官、”小野寺”って大佐に接触してみ? MG151/20㎜と薄殻榴弾の現物と製造法を取引材料にすれば、空気信管……いや、やるならホ103機銃とマ弾の現物と製造法の等価交換を狙ってみようか?」

 

 あっ、なんか久しぶりに外交官っぽいことしてるな、俺。

 でも一応、皇国の利益にはなるぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やあ! 会いたかったぞ、諸君!

 誰だテメェ? 

 よくぞ聞いてくれたね!

 ボクこそが、日本皇国陸軍大佐にスウェーデン駐在武官の”小野寺(おのでら) (まこと)”さっ!!

 あっ、織○信奈の”信”じゃなくて”学校の日々”の方の”誠”で「まこと」な。

 なんでよりによってそれを例に出したって?

 いいだろう? わかりやすくて。

 

 ところで諸君、スウェーデンと言ったら何を連想する?

 真っ当な軍人ならボフォース社一択だろう。

 だが、真っ当な軍人ではないボクとしては、

 

 ”バルサミコ酢 やっぱ要らへんで”

 

 を推すね。特にオリジナルより”ずん○もん”の奴が良い。今生ではもう聞けないのが実に惜しい。

 もう分かると思うけど転生者で元アニヲタ(だってこの時代、まだ好みのアニメないし)で前世継続で現役ミリオタの転生者さっ!!

 その経歴を活かして、身分的には一応、諜報員なんだけど職務的には「スウェーデンのボフォース社製品を中心とした欧州系兵器の分析官兼バイヤー」なんて事になってる。

 俺、属性大渋滞してね? いや、良い仕事なんだけどね? 色んな国の兵器見れて楽しいし。

 ついでに言えば、オリジナル(?)より10歳くらい若いんだよね~。お陰で20世紀生まれです。謎なことにさ。

 お陰様で、影佐さん(実はこの人も微妙に若い。ギリ19世紀生まれ)は中野学校の先輩で仲良しです。

 というか、あの人今どこで何やってんだろ?

 

(さて、そろそろ現実逃避は止めるとしよう。なんか微妙にオペ○オー入ってたし)

 

 

 

「という訳で、我々はMG151/20と20㎜”薄殻榴弾(Minengeschoss)”の現物と製造法、仕様書を用意しております」

 

 いや、なんで脈絡もなくこの世界線の”シェレンベルク”少将が大使館にいるんだろう?

 SSやRSHAではなく、NSRなんて今は亡き2ストバイクみたいな組織に所属しているらしいが、

 

(いや、俺が君とつるむようになるの、もっと後でね?)

 

 具体的には来年くらい。しかも停戦に向けた内容だったはずだし。

 

「わかりました。こちらからもご要望のあったホ103機銃とマ弾の現物と製造法、仕様書をお渡ししましょう」

 

 事前にある程度交渉は済んでいたらしく、取引自体はスムーズだった。

 というか、段取りはすでに終わっていて、

 

「良い取引ができて、幸いです」

 

 差し出した手をシェレンベルクは強いグリップで握り返してきて、

 

「こちらこそ。では、大使館に運び込んでよろしいので?」

 

「ええ。構いません。一般の運送業者に偽装しているのでしょう? こちらの”物品”も用意してあります。こちらも内容物を確認しますので、そちらも確認が終わればそのままお持ち帰り下さり結構です。何か不備がありましたら何時でもご連絡を」

 

「ありがとうございます。時にオノデラ大佐」

 

「なんでしょう?」

 

「フォン・クルス総督をご存知ですか?」

 

「ええ、まあ話題に事欠かないというか……とにかく有名な人物ですから、知らないと言えば噓になりますな」

 

 大使館詰めで友人になった外交官に言わせると、”日本皇国外務省始まって以来の最強最悪の問題児にして目下、外務省最大の頭痛の種”、”超弩級外交的特大爆弾”なのだそうな。

 ナニソレコワイ……

 なんでも、外交特使でドイツへ行ったら、紆余曲折もあったらしいがあれよあれよと言う間に分捕ったサンクトペテルブルグの復興委員長ポジに納まり、今やバルト沿岸諸国が連名で認めた(むしろ推挙した)サンクトペテルブルグの総督であらせられるらしい。

 いやホント、マヂで何やったし? 俺の身分と階級だとそこまで詳細な情報入ってこないんだよね~。

 そして余談ながら……紆余曲折の部分にあたる”数々のやらかし”だけで、外務省のお偉いさんが何人もストレス性の病気で病院送りになったらしい。

 

(なので、他にも”(外務省職員にとって)人の姿をした災厄”、”(国際政治的な)ヒューマノイド・タイフーン”なんて二つ名も……)

 

 いやいや、特に二つ目はヴァ○シュ・ザ・スタンピ○ドかいっ!!

 絶対、そのあだ名付けたの転生者だろ?

 流石に月に穴開けないだろうし。穴を開けられるとしたら精々、外務省職員の胃壁くらいだ。

 まあ、それでも十分に惨事だけど。

 

「いや、大した話ではないんだが……交渉窓口にオノデラ大佐を指名したのは、そのフォン・クルス総督でね」

 

 ふわっ!!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小野寺さんが硬派な人間だと、いつから思ってた……?w

当初の想定以上に愉快なキャラになってしまった、小野寺誠駐在武官、華麗に登場♪

一応、諜報員でもあるんですが、前世と今生の軍事系知識を活かし、あれよあれよと出世して、スウェーデンにいる理由は諜報員というより「スウェーデンのボフォース社の製品を中心とした欧州系兵器の分析官兼バイヤー」という何気に凄いポジションにいるという。

中野学校の先輩の影佐少将とは今生では仲良し(何度も飯をおごってもらったもらった)らしい。
ちなみに誠でも下半身はビーストでもユルくもなく孕ませ癖(?)もないw
というか仕事が楽しすぎて婚期逃しそうになってる独身男。
好みはずんだ○ん……ではなくエルフ系な細身で金髪の美少女(狙い目ですよドイツさんw)

シェレンベルクと今回、前倒し運命的な出会いを果たす。
因果に引っ張られた?

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第174話 ちょっこっと日本皇国の法律の概念をかじりつつ、ハルトマンがアップを始める話

今回は、皇国の法と防諜についての簡単な話と、ルフトバッフェがアップを始める話で。




 

 

 

「これで筋道はできたな……」

 

 ”公式な駐独大使”の大島さんには悪いけど、ちょっと事情が事情なので秘密外交させてもらった……というか、やったのは俺じゃなくてNSR/軍情報部/独外務省と、吉田欧州・アフリカ方面外交統括本部長(という役職になったらしい。本人曰く、「やることは変わらん。いっつもチャーチルと飲んどるよ」とのこと)一派と皇国軍部……らしい。

 実際、どんな実務があったのか、俺には報告書回って来ぃへんのよ。

 

 まあ、だけどこれで日英独で技術交流が出来たらよいな~とか思う。

 今の日本皇国(我が国)は防諜にも気を使ってて、怪しい連中なら市民団体だろうが平和団体だろうが慈善団体だろうが宗教団体の皮をかぶっていようと例外も容赦なく踏み込んで捕縛。少しでも抵抗するなら現場処刑も辞さないって感じだ。

 

 おそらくその舵取りをしてるのは転生者。

 左派の反政府勢力がどういうところに潜り込んで、コソコソ活動してるのか知ってる人間じゃないとできない。また、僅かでも抵抗の意志を見せた時の容赦のなさは、実際に前世で酷い目に合わされたクチだろう。

 

 ”先進国の中で、最も日本皇国が死刑になりやすい国”という評判がある。

 なお、先進国の中に米ソとその取り巻きは含めない物とする。

 表に出ない処刑まで含める自信は無いが、表立った数なら確かにその通りだろう。

 日本皇国の現在の刑法は”併合罪”の原則(複数の罪を犯した場合、最も重い罪のみが問われる)ではなく、”併科主義”の原則(犯した罪の累計合算)が適応される。

 例えば、前世だと1人殺して2人に怪我を負わせた場合、語弊はあるが罪に問われるのは一番重い1人の殺人だけだ。だけど今生では1人の殺しと2人の傷害が合算されての求刑になる。また皇国には無期懲役の概念が無く、何万年だろうとキッチリ判決が出る。

 他にも色々あるが、これだけでも死刑判決が出やすいのがわかるだろう。

 また「慣例として」、どんな特赦や恩赦があっても塀の外へ出られないような刑期がついた場合は、死刑の判決が下る事が大半だ。

 また、累犯の概念も同じ系譜の罪で三度捕まれば、「更生の見込みなし」として死刑になるケースが多い。

 これは、日本国民だけでなく「日本皇国法治圏内に住む(国籍を問わず)全ての人間に適応」という原則になっている。

 無論、司法取引や犯人引き渡し条約の兼ね合いもあるから、あくまで原則だ。

 

 

 

 ぶっちゃけ基本的に日本皇国は、前世より輪をかけて「犯罪者の更生」に重きを置いていない。

 むしろ、社会不適合者をさっさと”処分”して、予算と時間を別のことに使いたいって意志すら感じる。

 その政府の方針を、皇国臣民も支持しているのが現実だ。

 要するに「犯罪者なんて害にしかならない危険人物の為に自分達の税金を使って欲しくない」っていうのが本音だろう。

 身も蓋もない話だが、戦時下の国家らしいと言えばらしい感覚だ。

 

 俺、来栖任三郎は特にそこに思うことはない。

 まあ、効率重視だなと思うだけだ。

 杉浦みたいな人権派ならともかく、俺は「国とは効率が全てではないが、効率よく運営するべきものだ」とは考えてる。

 多分、今の社会システムを構築した転生者も、おそらく似たようなことを考えていたんだと思う。

 「無駄金ばかりを使う(使わさされる)戦後日本」を見て育った世代なら当然の発想だった。

 人権は確かに大事だが、「人権だけが大事で、他は全てそれ以下のものでしかない」なんてのは現実的じゃない。

 マイナス要因しかない、”社会に不要な存在”ってのは確かに存在するんだ。

 

 思考の脱線だな。

 次は何を技術交換させるか?

 英国は、あっちの事情があるだろうし……

 

(日本に限定すれば、PPIスコープと軸流噴進機関技術あたりが無難か?)

 

 驚いたことにレーダー先進国の筈のドイツは、未だにAスコープ(オシロスコープの親戚)やBスコープから脱却していない。

 三角貿易じゃないが、ドイツから得た技術を日英の同盟間技術交流で開示するのは、別にルール違反でもなんでもなく、ドイツもそれは承知で技術を出すだろう。

 

(そして、日本皇国もジェットの基礎技術を貯めなばならん)

 

 現役のハインケル社のHeSシリーズやユンカース社のJumoシリーズは難しいだろうが、テストベッドの段階で開発が中止されたBMWの003なら可能かもしれないな。

 

「さて、今日も次の戦の準備でもするか」

 

 いずれにせよ、俺のやる事は変わらんわけだし。

 

(”ZH-29ベースの半自動狙撃銃(ドラグノフモドキ)”の共同開発計画はズブロヨフカ社と済ませた。ロケット弾は地対地(BM)空対地(RS)システム。プラットフォーム共々増産は順調。14.5㎜狙撃銃は扱いに慣れるまで時間がかかるな)

 

 半自動式も14.5㎜も残念ながら、今回の戦いには間に合わない。

 

「後は、”ツヴァイヘンダー”指向性対人地雷が間に合えば良いが……」

 

 こっちは構造は単純だし、地雷製造チームに概念図は渡したが……試作品でも、スモレンスク防衛戦が本格化前に間に合えば御の字だろう。

 ああ、”ツヴァイヘンダー”の由来? ほら、元ネタ(オリジナル)の”クレイモア”もドイツとイギリスの違いだけで、どっちも両手剣だろ?

 

「後は、迫撃砲でも追加発注しておくか?」

 

 BM-37/82㎜迫撃砲は、一応ドイツ標準の81.4㎜迫撃弾を発射できるが、

 

「これは要相談か?」

 

 逆にドイツ軍の標準迫撃砲8cmsGrW34からはBM-37用の迫撃弾は発射できない。BM-37の方が僅かに口径がデカいからなんだが……

 

「いや、発想を逆転させよう。サンクトペテルブルグで製造される新規迫撃弾を81.4㎜のドイツ規格にしちまえばいいのか」

 

 どうせ砲弾のパーツは殆ど簡易鋳造だ。砲弾の一番太い部分だけ、僅かに細めの新規金型を用意すればいい。迫撃砲は元々、精密砲撃に使うような武器じゃない。0.6㎜細い砲弾を使うくらいじゃ、命中精度に実用上問題の出るほど(明後日の方向に砲弾が飛んでいくような)誤差は出ない。

 この方が迫撃砲自体を再設計するより楽だし、サンクトペテルブルグの施設でドイツ規格の迫撃弾を作れるようになる方が意義が大きい。

 

 まあ、PM-38/120㎜重迫撃砲とRM-38、RM-41/50㎜軽迫撃砲は送っておくか。

 これに該当する迫撃砲はドイツ軍には無かった筈だし。

 なんにしても、時間があまりないのは確か。

 

「StG-42の試作品、早く来ないもんかな……」

 

 世界情勢から考えて、アメリカの参戦は当面は無い。

 だが、レンドリース品が前線まで回ってくるようになると、戦争の難易度が跳ね上がる。

 そうなる前に、なるべく”間引き”しておきたい。

 

 一応、プランは考えているんだ。

 サンクトペテルブルグにもプレス加工技術はあるし、給金に色を付けてその技術を上げてもらってる。

 参考にするのはプレス加工レシーバーを持つAK-47の改良型”AKM”。これなら頭の中に設計図がある。

 ただし、レシーバーはオリジナルのAKMの1.5倍厚の金属板を使うRPK規格で作ろうと思う。

 ドイツの7.92㎜×33K弾は、オリジナルのAKMの7.62㎜×39に比べればロープレッシャーだが、まだまだプレス加工のノウハウ蓄積が十分じゃない。

 安全マージンは取っておくべきだ。

 当然、弾倉(と銃剣)はStG-42と共通にするから、その辺の改設計は上手くやらんとな。

 セレクターと照準器一式は、StG-42と同じ使い勝手にするのも重要だ。

 

(準備を怠るなよ……来栖)

 

 

 戦いはまだまだ続くのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来栖があれやこれやとフォン・クルス総督として思考を巡らせていた頃、ドイツのホッケンハイムにある空軍訓練学校では……

 

「ハルトマン候補生、いるか?」

 

「ロスマン教官!」

 

 休憩中、木陰で第一次世界大戦中のエースの一人、インメルマンの空中機動戦術の解説本を読んでいたフリードリヒ・ハルトマン少尉候補生は立上り、飛行教官であるエドバーグ・ロスマン上級兵曹長に敬礼をする。

 ハルトマンはあくまでまだ軍飛行士官学校の生徒であり、正規任官されるまでは”軍人の卵”に過ぎない。

 

「楽にして良い」

 

「Ja」

 

 敬礼を解くと、

 

「ハルトマン、私は実戦パイロットに復帰する事になったよ」

 

「……えっ? 教官が、教官を辞めるのですか?」

 

「ガーランド戦闘機隊総監から大号令がかかってね。私にも白羽の矢が立ったってわけさ。出来れば、もう少し若者が若鳥となって飛び立つのを見送りたかったが」

 

「教官……」

 

「ところでハルトマン、その招集号令の中には『実戦可能と判断される新人パイロット候補』の他薦も含まれる……私の今の教え子の中で、それに該当するのは君だけだ」

 

「教官、それって……」

 

「当然、お前はまだ正規任官してるわけでは無い。拒否する事もできる……どうする?」

 

 

 

 ハルトマンがなんと答えたか語る必要もないだろう。

 それは一人の”史上最強のファイターパイロット”が誕生する物語、その始まり(プロローグ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




でも、来栖はフォン・クルスであり、究極的にはいつも「どうやって効率的に赤色勢力を殲滅するかに?」行き着く模様。
レーダー関連技術は英国とタイマン張れるドイツですが、唯一の泣き所が表示装置。
昭和の方の宇宙戦艦ヤ○トなんかに出てくる敵が移動する輝点で表示されるレーダースコープであり、日英では一般化しているPPIをドイツに導入出来たら、間接的にはかなり強化できるのでは?とか来栖は考えています。

史実のパロディw
史実ではハルトマンの初陣でのロッテの僚機(バディ)がロスマンですが、この世界線では実戦の空を飛ぶ前に、教官と生徒という間柄で登場。
ハルトマンの参戦は史実より前倒しになりましたが、何やら出鱈目に強くなりそうな予感……?

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第175話 ハルトマン「えっ? ドイツ空軍戦闘機乗りドリームチーム? (将来も含んだ)撃墜王クラブ?」

無駄に豪華な面々が揃いますw




 

 

 

「”第1統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen 1 略称:KLK1)”ですか?」

 

「ああ、とある大規模戦闘の為にガーランド閣下の肝いりで新設される、現状においては臨時編成の新機軸混成航空戦闘団……って話だ」

 

 どうやら流石に”JV44”は、「この時期では意味わからん名前」とされるのがオチという事で採用されず、結局、新設の臨時編成航空団はまんま来栖が概要を説明する時に使った”統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen)”の方がそのまま原案から採用され、正式名称として正規の計画書に記載された。

 それを聞いた来栖が、一瞬、宇宙猫のような顔になったのはナイショだ。

 

 さて、ハルトマンとロスマンは訓練基地のあるホッケンハイムから軍のバスで南東へ進みダイムラーベンツのお膝元大都市シュトゥットガルトを抜けて、更に70㎞、世界で最も高い尖塔を有する教会”ウルム大聖堂”があるのどかな地方都市、”ウルム”へやって来た。

 ウルムは割とこのシリーズの登場人物にゆかりのある街で、史実のロンメルやシュタウフェンベルクの生まれ故郷がこことされている。

 ちなみにアインシュタイン博士もウルムの出身らしい。

 

 正確に言えば、バスが向かったのは観光地でもある市街ではなく、その郊外にある元々あった空軍基地を徹底的に拡張した巨大訓練場だった。

 ”第1統合航空戦闘団”の編成は、どうやらここで行われるようだ。

 

「詳細はさておき、集められる人員は選りすぐり、錚々たるメンツが集められたようだ。何しろ戦闘機部隊の全体指揮官は、”ロッテ戦術”の生みの親、”ヴィルヘルム・メルダース”大佐だ」

 

 メルダースも大佐に昇進し41年9月より後方で「教官を養成する教官職」を務めていたが、この度、本人の強い希望もあり見事に戦闘機パイロットとして復帰した。

 史実だと史上初の100機撃墜を果たし、全軍初の柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章を受章した「国民的英雄の戦死」を恐れた空軍上層部が戦闘機隊総監に命じたが、正直、机に縛り付けるそれに比べれば優しい配慮だったと言えよう。

 ちなみにメルダースの死亡フラグことウーデッドは自殺どころか、装備実験部隊で今日も元気に、そして楽しげに試作機を乗り回している事だろう。

 人には適材適所というものがある。

 

 

 

「そ、それは流石に凄く豪華ですね……」

 

「戦闘機隊は大きく三つの基地に分かれて配備されるらしいが、一つはメルダース大佐直轄。残りは配置転換でごたついてたリュッツオウ中佐とヴィルケ少佐が受け持つらしい。他にもFw190乗りで最初のエースになったノヴォトニー中尉や後方で機種転換訓練を終えたばかりのバルクホルン大尉も引き抜かれたらしいぞ? 他に俺が知ってる限りだとアフリカ戦線から戻ってきて義務静養期間を終えて訓練に戻っていたマルセイユ大尉、戦傷して療養していたが快癒しリハビリの為の訓練に入っていたラル中尉、他にも若手って意味じゃ一段落した南方戦線から後方に戻っていた期待の新人クルピンスキー中尉、あと戦闘機乗りじゃないが”ハンニバル(・・・・・)・ルーデル”大尉ってドイツ黄金十字章を取ったとんでもない急降下爆撃機(スツーカ)乗りも来てるらしい」

 

「無駄に豪華すぎじゃないですかっ!?」

 

 ちなみにこの世界線のルーデル、史実通りにクレタ島攻略ではお留守番をしていた(させられていた)が……彼の所属部隊は、日本海空軍の凄まじい反撃を食らって返り討ちにされ、彼に留守番を言い渡した反りの合わない部隊長は戦死、部隊は壊滅していた。

 この世界のルーデルは、凄腕なだけでなく幸運な男でもあった。

 1941年12月7日に史実と同じくドイツ黄金十字章を受章すると、空軍省の粋な計らいで特別ボーナスとしてクリスマス休暇を与えられたのだ。

 そして、久しぶりに故郷の(再びドイツとなった)シレジア州コンラーツヴァルダウへと帰省し、待ち構えていた両親に促され、年下の幼馴染と史実より少し早く結婚。

 1941年12月24日(クリスマス・イブ)に式を挙げるという中々にロマンチックなシチュエーションでだ。

 流石、近い将来の魔王様はなんか格が違う。

 ついでにベッドの上の急降下爆撃(ダイブ)も命中率が高かった。

 おそらく、今年の秋には第一子誕生が見れる事だろう。

 

 その後、新婚と言うこともあり近場の空軍基地で急降下爆撃機隊の教官職と言う一種の休暇配置についていたが、ガーランド少将直々に声がかかった時に迷いは無かった。

 何と言っても自分に回ってくるJu87は最新鋭のD型で、しかも準備が整い次第ロケット弾発射装置を追加したE型へ改修されるというのだ。

 更に後部座席には、何かと世話になったガーデルマンもまでが座るという。

 ルーデルは、『ふはははっ! これがこの世の春というものかっ!!』と笑いが止まらなかった。そんなんだから魔王とか呼ばれるんだぞ?

 

 

 

 いや、視点をそろそろハルトマンとロスマンに戻そう。

 

「どうしたハルトマン? そんな大声を出して? 戦闘機乗りの心得は、頭は常時冷静沈着、目は全方位に動かし、心は熱くだぞ?」

 

「教官、大声も出したくなりますって! それ、なんてスーパーエース・クラブなんですかっ!?」

 

「いや、なんか戦闘機隊総監殿が気合入れてあちこちに声かけまくったらこうなってしまったらしくてな」

 

「明らかにやり過ぎな気が……」

 

「まあ、戦闘機乗りが暇を持て余すよりは健全だろう」

 

 

 

***

 

 

 

「久しい……と言うほどでもないか? ロスマン」

 

「そうですね。”教官”の顔をこうも早く再び見れるとは思っていませんでした」

 

「えっ? えっ?」

 

 基地の受付窓口に到着を告げると、直ぐに戦闘機隊総隊長へ向かうように促される。

 ノックして入ると、執務机で待っていたのは当然のようにメルダース大佐だった。

 ロスマンに習い敬礼するハルトマンは、意外な言葉の応酬に目をキョロキョロさせるが、

 

「メルダース大佐は、『教官を養成する教官職』をしておられたんだよ。お前を受け持つ少し前に短気教練をして頂いた。自分の未熟さを知り、鍛えなおす良い機会になったよ」

 

「まあ、そうかしこまるな。お前は教え子の中では手のかからない方だったよ」

 

 そしてメルダースはハルトマンへ向き

 

「君がハルトマンかね? ロスマンからの推薦状は読んだよ。少々ヤンチャではあるが、伸びしろは大きいと。随分、期待されてるじゃないか?」

 

「ハッ! そう言って頂き光栄でありますっ!!」

 

 するとメルダースは意外そうな顔で、

 

「なんだ。ロスマン、全然ヤンチャじゃないじゃないか? マルセイユやクルピンスキーに比べたら、むしろ優等生だぞ?」

 

「……お言葉ですが、大佐。噂を聞く限り、その二人と比べたら、大半のパイロットは優等生になるかと思います」

 

「違いない」

 

 するとメルダースは微笑みながら引き出しから真新しい少尉の階級章を取出し、

 

「フリードリヒ・ハルトマン少尉(・・)。本来なら君はまだ訓練を継続する身分ではあるが、残念なことにここに来て空軍戦力が逼迫する事態となったようだ。詳細は未だに知らされてはいないが、経験上から言わせてもらえれば、そう遠くなく我々は戦地へ赴くことになるだろう」

 

 そしてハルトマンを傍に来るように促し、階級章を授与する。

 

「略式ではあるが、君を少尉に任官する。君がどれほどの才能を秘めていようとまだ半人前なのは承知の上だ。だが、状況が君を半人前として扱うことを許さない。今日からは士官として、何より一人の戦闘機乗り(パイロット)として、存分に励んでくれたまえ」

 

 少し声を上ずらせながら再び国防式敬礼をするハルトマン。まだスレてない、初々しさが滲み出ていた。

 

「謹んでお受けいたしますっ!!」

 

「うむ。祖国は君の奮闘に期待する」

 

 

 

***

 

 

 

「ふふっ。階級ではついに抜かれてしまったな? 感慨深くもあるが、少し寂しくもある」

 

「い、いえまだまだ教官には教えて頂きたい事がありっ!」

 

 とまあ、ここまでなら綺麗に追われたのだが……

 

”バンッ”

 

 何やら隊長室の扉が蹴破られるような勢いで開かれ、

 

「大佐ぁ、俺っちの二番機(ケツ持ち)に付くって”新人(坊や)”が着任したと聞いたんだが?」

 

 何やら見るからに”伊達男”という風貌の長身の男が執務室にドカドカと入ってくる。

 

「”マルセイユ”、せめてノックぐらいしろといつも言ってるだろうが?」

 

「へへっ。大佐、お堅いことは言いっこなしだぜ」

 

 そして、無遠慮にハルトマンの顔を見て、

 

「悪くないじゃないか? なかなか可愛い”坊や”じゃねぇの♪」

 

 一瞬で二度も坊やと呼ばれたハルトマンは、どう反応してよいか分からずフリーズしてしまったようだ。

 

 この出会いこそが、「ハルトマンの相方」としてクルピンスキー共々必ず名が挙がるヨハン=ヨアヒム・マルセイユとフリードリヒ・ハルトマンの初邂逅であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ウーデッドが自殺してないからメルダースが飛行機事故で死んでない世界線。
ちなウーデッドを空軍に引き込み、出来もしない生産管理職を押し付けたのはゲーリング。ウーデッドは飛行機を飛ばすこと以外は、基本的に無能。
このツインデブ、どこまでドイツ空軍に祟るんだか。

なので、この世界の総統閣下は、35年の再軍備宣言以降の空軍再建には尽力したゲーリングは、その功績をもって副総統という「ドイツの象徴(ユル)キャラ」に、ウーデッドを装備実験部隊のテストパイロットとして押し込んでます。
特にウーデッドの場合、一番の見せ場は軍事パレードやら式典やらでのアクロバット飛行だったりw

それはそれとして、第1統合航空戦闘団は、ハチャメチャに”濃い”メンツが揃ってるようですよ?
赤軍パイロットは逝ってよし泣いてよしw

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第176話 日常 ~例え戦乱の時代あっても、青春と呼べる時間は確かに存在していた~

アオハルを語るには、ちょい平均年齢高めですがw





 

 

 

「いいかハルトマン、まだ飛び始めたばかりのヒヨッ子(ルーキー)のお前に、多くは期待しねえよ。まずは俺が切り込むから、お前は引き離せれないように俺のケツに食らい付き、連携をズタズタにされて慌てふためく敵機の中から落とせそうな奴を選んで落とせ。視界を広くとり、周りをよく見て一番弱そうなだなと思う奴を見抜き、狙い、確実に落とす。それが生き残る最初のコツって奴だ。俺達は中世の騎士じゃねぇ。わざわざ強い奴に挑む必要はない」

 

「Ja!」

 

 実はこれ、まだ覚醒前のハルトマンにとり、”最強へ至る最適解”だった。

 マルセイユは全体的に優れたパイロットだが、特に下記の点が突出していた。

  ・敵編隊の急所を突くセンス:敵編隊のどこを崩せば一番混乱するのか、マルセイユは本能的に嗅ぎ分けていた。

  ・卓越した射撃センス:彼は本能的に”射撃タイミングの最適解”を見抜いていた。命中弾は高確率でエンジンとコックピット周辺に集中する。

  

 そして、ハルトマンは抜群の「目の良さ、嗅覚の良さ」を天性の物として持っていた。広い空間認識能力と、その空間の中から「最も落としやすい敵を瞬時に識別するセンス」が飛び抜けていたのだ。

 更に技巧派として知られるロスマンより基礎から徹底的に仕込まれたまだ粗削りで未熟だが、将来を期待させるセンスと技術があった。

 

 つまり、「マルセイユが切り付け、ハルトマンがその傷口を広げる」戦い方だ。

  

「それができるようになったら、どんなポジションからでも撃てるようになれ。左右の旋回から、ロールの中から、背面飛行をしているとき…いつでもだ。そしてそれを命中させ墜とせるようになれば、”坊や”はあっという間にエースの仲間入りだ」

 

「あのマルセイユ大尉、さすがに”坊や”というのは」

 

「お前が一人前になったら、名前ぐらい呼んでやるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 なんてマルセイユの訓練は、真面目な時もあるのだが……

 

『おらおらおらっ! ”クルピンスキー”、ちんたら飛んでんじゃねぇよっ!! さっさと空をあけやがれっ!!』

 

『げっ! マルセイユ!テメェこそ出鱈目に飛びやがって邪魔だっつーのっ!!』

 

 平然と訓練中のパイロットに喧嘩を売って、単純な空中機動訓練が、唐突な模擬戦にカリキュラム変更される事もしばしば。

 確かに腕は磨けるのだが、Gとは別の意味で顔色がしばしば悪くなるハルトマンであった。

 

『そうだ。それでいい。Bf109にとり、一撃離脱やダイブ&ズームの縦軸運動は絶対に損のない運動だ。何せBf109こそが、この世で最も一撃離脱に特化した戦闘機なんだぜ? それを生かすためにも視界を狭めるな、常に周囲を警戒しろ。それが戦闘機乗りの命綱だ』

 

 いや、指導自体は的確なのだが。

 

 

 

***

 

 

 

 まあ、色々な意味で激しくも厳しい日々ではあったが、それだけハルトマンにとり充実した日々でもあった。

 ただ、

 

「やあ”カワイ子ちゃん”、何を読んでるんだい?」

 

 木陰でBf109F-4のマニュアルを読んでいると、”ヴィクトール(・・・・・・)・クルピンスキー”中尉が声をかけてきたり、

 

「えっと、マニュアルです。クルピンスキー中尉。新鋭機なので、頭に性能を叩き込んでおこうかと」

 

 蛇足ながら今生のハルトマン、史実よりもちょっと中性的というか……微妙に某ストパンの黒い悪魔要素が入っていて、ベビーフェイスと相まって、カワイ子ちゃん呼びもあんまり違和感はない。

 勿論、本人そんな呼び方されても嬉しくないだろうし、間違っても部屋をゴミの山にはしない。

 それに、

 

「ふ~ん。”雛鳥ちゃん”は真面目だねぇ。そういえばBf109F型のペットネームを知ってるかい?」

 

 結構、真面目で正義感が強いのだ。

 

(どうもこの人は、変な色気があり過ぎるんだよなぁ……男色家ってわけじゃないんだけど。まあ、それはマルセイユ大尉も同じか)

 

 少し戸惑いながらハルトマンは、

 

「”フリッツ”ですよね?」

 

「ノンノン。それ以外にも”フリードリヒ”っていうのもあるのさ。雛鳥ちゃんのファーストネームと同じだね?」

 

「は、はあ」

 

「それでさ、せっかくだからフリードリヒの空中特性を確認するために、マニュアルじゃなくて大空で……」

 

”がしっ”

 

「おうコラ、クルピンスキー。また性懲りもなく俺の相方にコナ(・・)かけるたぁいい度胸してるじゃねぇか?」

 

「ちっ! 邪魔者が来やがったか」

 

 男同士が男を取り合ってるが、これは別に”ほもぉ”な類のそれではない。

 自分の背中に見どころのある若手を付けることは「優秀な新人を育てた」というステータスになり、軍の評価が上がり給与に反映されると同時に、「背中を優秀なパイロットに預けられる」事になり生存率に直結する。むしろ、給与よりこっちの方が重要、というか切実だった。

 

 そして、ハルトマンは上位尉官のパイロットから人気がとてもあった。

 新任少尉だから声がかけやすいというのもあるが、破天荒の代名詞のようなマルセイユの背中に張り付ける技量を新人ながらに持ち、おまけに性格は素直でベビーフェイス。言うならば「理想の後輩」だったのだ。

 

 まあ、それ以前として……険悪だとか仄暗い感情があるわけではないが、マルセイユとクルピンスキーは同族嫌悪というか、どこか反りが合わないところがあり、ハルトマンが絡むと何故か顕在化しやすいのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これはまた別の日の事である。

 本日の飛行訓練を終え、シャワーで汗を流した後、マルセイユはハルトマンにこう声をかけた。

 

「”坊や”、今から暇か? 暇だよな?」

 

「まあ、夕食ぐらいしかすることは無いですが」

 

「ならいい。夜の街に繰り出すぞ?」

 

「は?」

 

「なーに、外出許可なら取ってある。ちゃーんと二人分な」

 

「はい?」

 

 なにやら状況の吞み込めてないハルトマンにマルセイユはニヤリと笑い、

 

「なに、”坊や”をそろそろ卒業させてやろうと思ってな。なに、金なら気にするな。ここは頼りになるセンパイが出してやろう♪」

 

 なんて上機嫌でのたまっていると、

 

”がしっ”

 

 強めのグリップで肩を掴まれ、

 

「期待の新人を、どこに連れて行こうというのかね? マルセイユ大尉」

 

「げっ……バルクホルン」

 

「バルクホルン大尉!」

 

 敬礼するハルトマンに”ゲパルト(・・・・)・バルクホルン”は目礼で返し、

 

「それでマルセイユ中尉、質問に答えてもらおうか?」

 

「いや~、ちょっどベッドの上の空中戦の作法でも教えてやろうかと……」

 

 するとバルクホルンは深々とため息を突き、

 

「まだ恋も知らないような若者の性癖を歪ませてどうする」

 

「ちょっと待て! 俺はどんな特殊性癖だと思われてるんだっ!?」

 

 さて、参考までに史実のマルセイユの同僚たちのコメント、その一部を抜粋してみよう。

 

  ・マルセイユはとてもハンサムだ。そしてとても才能あるパイロットだったが、ただし信頼はできなかった。彼はいたるところにガールフレンドがいて、彼女たちと遊んだ結果彼にはパイロットに必要な休息の時間がなくなってしまい、飛行を許可するには疲れすぎている状態だった。

 

  ・腕の太さほどもある軍規違反履歴書を持っていた。マルセイユは軍規違反の常習者となるか、偉大な戦闘機パイロットになるか、二つに一つしかあり得なかった。

  

 これ氷山の一角である。

 他にも、こんな逸話がある。とある高官に「ナチスへ入党するのか?」と聞かれたマルセイユは、

 

 『入党に値するかどうかは魅力的な女性がいれば考えます』

 

 と返したという。そして、それを聞いていた史実の総統閣下(ヒトラー)をフリーズさせた。実話である。

 なんせガーランドもそれを聞いていたのだから。

 

 

 

 ちなみにこの世界線でのヒトラーとは、同じシチュエーションで中々興味深い(ゆかいな)やり取りをしている。

 それは総統府主催のクレタ島()還組を労う式典(イベント)において……

 

『入党に値するかどうかは魅力的な女性がいれば考えます』

 

 すると今生の総統閣下はニヤリと笑い、

 

『ならば君は入党すべきではない。君に政治は不要。どこまでも広がる蒼空と、地上で花束を抱えて君の帰りを待つ少女たちがいれば十分だろう』

 

 とやり返す。

 

『あの、総統閣下……なぜに少女に限定を?』

 

『ふむ。マルセイユ君、君にはよく晴れた空と痴情で待つ少女がよく似合う』

 

『それ絶対、遠回しにロリコンって言ってますよねっ!? それとなんか字が違うっ!?』

 

 ちなみに”マルセイユ=ロリコン説”が一時期(ジョークとして)流行ったのも、それを真に受け「自分にも脈あり」と思った主にローティーンの少女たちから大量のラブレターが届くようになったのも紛れもない事実だ。

 一説によれば、彼の女癖の悪さを聞きつけた総統閣下がぶっとい釘を刺したとかなんとか。

 ともかく、

 

「お前の場合は癖の問題じゃなくて、数の問題だ。”あの手の店”をハシゴするのはお前ぐらいなもんだぞ? それを新人にヤらせるのは時期尚早だ。若くて体力はあるかもしれないが、消耗戦に耐えるには経験が足りない」

 

「おまっ、俺をなんだと……」

 

 ちなみに史実でも今生でも、1940年にバルクホルンはマルセイユの僚機を務めた経験がある。

 つまり、良く知っていた。

 

「???」

 

 最後まで意味が解ってなさそうなハルトマンを「たまには一緒に食事でもどうかね?」と誘うバルクホルン。

 機種の違いから今まであまり訓練で合うことのなかったスーパーエースの誘いを断るハルトマンでは無い。

 

 結局、マルセイユはクルピンスキーに声をかけて、”夜間訓練”に出向いたらしい。

 そこでも撃墜数(スコア)を競ったらしいが……

 

 実は仲が良いんじゃないだろうか? コイツら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、その後、バルクホルンから同じくFw190乗りのエース、”ヴァルカン(・・・・・)・ノヴォトニー”中尉を紹介され目を白黒させるハルトマンがいたとかいなかったとか。

 

 なんにせよ、今生のハルトマンは史実に負けず劣らず、愛されキャラのようで何よりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




大人気のハルトマン君w

まあ若さゆえのスレてない可愛げと呼べる(鼻っ柱の強いのがデフォの戦闘機乗りらしからぬ)素直さや、ちょっと幼さの残る原作(?)より中性的な容姿、加えてロスマン教官に基礎から徹底的に鍛えられた粗削りだが伸びしろの大きさを感じる年齢に似合わぬ技量の高さ……まあ、嫌われる要素が無い。

楽屋ネタですが、バルクホルンがD型の登場を待たず(というかこのシリーズではD型は開発されない予定ですが)A型の現在でフォッケウルフ乗りになった理由は、「Bf109乗りのままだと、ハルトマンと相性良すぎてほぼ固定ロッテになってしまう」からというのがありましてw
ハルトマンには色々な人と組んで、色々な戦い方を学んで欲しいな~と。

史実では……な分、せめてこの作品の中だけでもハッピーエンドになってほしいものです(米ソ絶許)

そして……マルセイユェ(今生の総統閣下も大概だけどw)

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第177話 ガーランド「来ちゃった♪」 メルダース「お前が来たらいかんやろっ!?」

ちょっといつもより遅め投稿。
お茶目なオッサンって結構好きです。




 

 

 

 ドイツ南部、ウルム近郊に開設された”第1統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen 1:KLK1)”の編成/訓練飛行場において、その日事件は起きた。

 

「(貴様の部下になりに)私が来たっ!」

 

「何やってやがるガーランドぉぉぉーーーッ!?」

 

 戦闘機隊総隊長執務室にヴィルヘルム・メルダース大佐の怒号が木霊する。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、経緯を説明しよう。

 2週間程前、空軍省戦闘機隊総監”アーデルハイト・ガーランド”少将(・・)より、ウルム空軍基地群(実はいくつかの基地の集合体)への視察に関する通達が届いた。

 だが、やって来たのは、アーデルハイト・ガーランド中佐(・・)だった。以上。

 

「だからさメルダースよぉ、お前だけ実戦部隊復帰とか、よくよく考えたら狡いじゃん? 俺、デスクワークとか向いてないし」

 

 なんてふざけた事を言い出すガーランドに、年齢的には一つ下だが空軍飛行士官学校同期(再軍備宣言初年度の35年組)のメルダースは、

 

「ズルいって……お前がデスクワークがさほど得意じゃないってのは知ってるが、俺を戦闘機隊隊長に任命したのお前だろ?」

 

「そりゃそうなんだが、そもそも俺が戦闘機隊総監になったのって、メルダース、お前が『私を前線から下げるのなら毎日とは言わないが、せめて週に五日は戦闘機に乗れるようにしろ』と駄々こねたからだよな?」

 

「うっ……お前、去年の事をいつまでも」

 

「まだ半年程度しか経ってないんだから、思い出にするには生々しいわ」

 

 さて、この二人の関係を史実なども交えておこう。

 そもそも最初に戦闘機隊総監の話が来ていたのは、ロッテ戦法の生みの親で史上初の100機撃墜を果たし、ドイツ全軍初の柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章を受章したメルダースだった。しかし、ガーランドの言う通りにメルダースは、後方勤務はともかく戦闘機に乗れなくなるのは拒否。

 そこでドイツ版トップガンのようなカリキュラムを行う『教官を養成する教官』に就任した。

 無論、今でもインゴルシュタット(フランケンシュタインの舞台になった街として有名)郊外にその教官養成施設はある。

 

 そこでお鉢が回ってきたのが、史実より早く全軍で2人目のダイヤモンド剣柏葉付き騎士鉄十字章授与者となったガーランドだった。

 本人曰く「とばっちり」である。

 

 ただ、史実と違って興味深いのは、我々の歴史だとおデブのウーデッドが自殺→その葬儀に駆け付けようとしていたメルダースの乗機が墜落し事故死→そしてガーランドに戦闘機隊総監のお鉢が回ってくるという感じだ。

 正直、無能さゆえに大ダメージを与えただけでなく死んでもなおドイツ空軍を祟る史実ウーデッドの疫病神っぷりが半端ではない。

 しかし、メルダースの死亡フラグであるウーデッドはこの世界でピンピンして、今日も装備実験部隊で鹵獲したソ連機でも楽しげに飛ばしていることだろう。

 ついでに同じく疫病神体質のモルヒネ野郎(ゲーリング)は、軍への影響力を失って久しい。

 ドイツは(日本もだが)苦手としていた適材適所人事を割とやっているようだ。

 

 まあ、ドイツ軍にとって一番の疫病神は他の誰でもない総統閣下(ヒトラー)なのだが、それが中身的な意味で是正されているのだから、こうなるのも当然かもしれない。

 

「それで俺はこう言ってやったのさ。統合航空戦闘団の骨子は理解できたし、その設立には全力を尽くす。だから俺を戦闘機パイロットに戻してくれってな。将官が前線にいけないなら、降格処分で構わないと」

 

「……よく上が許可したな?」

 

「そりゃあ渋ったさ。だが、人事の大物が力添えをしてくれたんだ。”五体満足なら飛ぶべきだ。パイロットの華は、空にこそ咲く。レッドバロンもそうだった”ってさ」

 

「それってまさか……」

 

 ガーランドは頷き、

 

「”ファルクラム・フォン・リヒトホーフェン”大将だよ。命は助かったけど、怪我がもとで飛べなくなった従兄弟が戦後とても寂しそうだったって」

 

 この世界線でも”レッドバロン”こと第一次世界大戦のウルトラエース、”マルムート・フォン・リヒトホーフェン”は存在し、そして大戦末期に英国製の7.7㎜弾を受けたが、運よく一命はとりとめたものの杖を突く生活となり空へ戻ることはなかった。

 本人は、「あの時、英国人の射撃がもう少し上手かったら、俺は空で死ぬことができた」と後年語ったという。

 おそらく、その従兄弟の姿をファルクラム・フォン・リヒトホーフェンはガーランドを重ねたのだろう。

 

「それにしても二階級降格って」

 

「だって1階級なら大佐、お前の下に付けないかもしれないじゃん? 俺は嫌だぜ。戦闘機隊総隊長とか面倒そうなのは、もう懲り懲りだ」

 

「ガーランド、お前と言う奴は……で、後任は誰を推挙したんだ? じゃなければ流石にやめられないだろ?」

 

「ヴィックだよ。折よくちょうど退院したんだ」

 

 ”ヘルマン・ヴィック”大佐。メルダースとガーランドの後輩にあたり、1940年当時は二人と撃墜王の座を争っていた。

 しかし、”バトル・オブ・ブリテン”のスピットファイアとの戦闘で負傷し、命は助かったが長期入院を余儀なくされた。

 史実と異なりパラシュートで海に降りるのではなく基地に何とか帰投できたが、銃撃を受けたダメージで主脚の片方が降りずに胴体着陸を敢行するが、運悪く重傷を負った。また自身も7.7㎜弾を受けていたのだ。

 

「退院? もう飛べるのか?」

 

 だが、ガーランドは首を横に振り、

 

「多分、パイロット復帰は難しい。できるとしても当分先だし、強烈なGのかかる戦闘機はおそらく無理だろうな。だが、軍病院のリハビリルームの窓から空を眺めてるよりはマシだろ?」

 

 メルダースは小さくため息を突く。

 まあ、生きてるだけで儲けものではあるのだが、飛べなくなるとそうとも言えなくなるのがパイロットの哀しいサガだ。

 だが、同時に戦場に出るパイロットである以上、誰しもがそうなる可能性と背中合わせなのもまた現実だ。

 

「ところでガーランド、お前F型は”軽武装”だって嫌ってただろう? Fw190にでも乗るのか?」

 

 いわゆる”F型論争”の話である。

 E型までのBf109は左右主翼に20㎜機関砲×2、機首に7.92㎜機銃×2と史実の零戦21型とほぼ同じであり、時代背景的には重武装機であった。

 対してF型は(この世界線では)プロペラ軸機関砲(モーターカノン)に20㎜機関砲×1に機首に13㎜機銃×2と幾分軽武装になり、機体設計も一新された効果も相まって、運動性がかなり上がっているのだ。

 だが、ここでパイロットたちの意見は真っ二つに割れる。

 E型までの”火力重視派”と、F型の”運動性重視派”に分かれたのだ。

 まあ、これも本物の重戦闘機であるFw190の登場によって収束したのだが。

 そして、メルダースの記憶では、ガーランドは武双重視派だったはずだ。

 

「いや、F型に乗るよ。俺は思い違いをしていたみたいだし」

 

「? どういうことだ?」

 

「20㎜機関砲だよ。E型とF型、同じ20㎜たって別物じゃねーか」

 

 そう。これにはからくりがある。

 E型の20㎜機関砲はMGFFというタイプで初速は650m/sほどで発射速度は540発/分であり、大してE型以降に大量生産が可能となったF型のモーターカノンMG151は、同じ20㎜でも薬莢から違い(MG151の方が長い)銃弾に互換性はない。その為、性能も1世代の開きがあり初速785m/s、発射速度は800発/分だ。

 

「MG151は砲口初速や弾道特性・威力全てでMGFFに勝る。相対的な破壊力で言えば、1門のMG151とMGFF2門分の相対破壊力は、ほぼ同等だろう。しかも装弾数、MGFFはどう頑張っても1門あたり60発が限度なのに、MG151は200発装填できるらしいじゃねぇか? これじゃあ勝負にならん」

 

 ガーランドは小さくかぶりを振って、

 

「それと俺が聞いてたのは、F型の機首銃は7.92㎜だったが、それが13㎜に変更されてた。多分、F型の総合的火力はE型に引けを取らん。これで速度も運動性も航続距離もF型の方が上とくればな。付け加えるなら、俺は翼に機銃が付いていた方が”有効弾幕”が広く張れると考えていたが、照準器と同じ機体軸線に集束させた方が命中率が高く範囲が狭くとも命中弾が多い濃密な弾幕が張れるという意見がある事も分かった」

 

「流石、元戦闘機総監殿。そこに気づいたか?」

 

 ガーランドの持論を否定する気はないが、戦闘機隊総監を務めたことでガーランドの思考的視野が広がった事に素直に喜ぶメルダース。

 物理的な視野や視界だけでなく、思考的な視野の広さ……思考の柔軟性というもの上へあがれば上がるほど必要になってくるとメルダースは考える。

 航空機の発展は日進月歩。古き考えに凝り固まっていればすぐさま置いて行かれると、肌で感じていた。

 

「茶化すなよ。だが、意外なのはバルクホルンだ。アイツ、たしか運動性重視派だったろ? それがまたなんだってFw190なんてガチの重戦闘機に乗ってんだ? アイツの立場なら、機種転換も断れたろ?」

 

「ああ、それな」

 

 確かにこの世界線でのFw190は、最初からフルスロットル状態の重戦闘機だ。

 武装は最初から左右主翼にMG151/20㎜機関砲×4、機首にMG131/13㎜機銃×2、つまり史実なら43年登場の”A-5/U9”仕様で、エンジンも最初から離陸1800馬力の後期型”BMW801TU”準拠だ。

 他にも史実よりいくつか洗練されてる部分があり、現行のA型でさえ戦闘重量で最高速650㎞/hを発揮し、増槽搭載で航続距離は1,500㎞に達する。

 

「頑丈で素直な操縦性、扱いやすさが気に入ったんだそうだ」

 

「扱いやすさぁ? バルクホルンってそういうの気にするタマだったか?」

 

 訝し気なガーランドに、

 

「あいつがって言うより、新人がって感じじゃないか? 鍛える気満々だし」

 

「ほほう」

 

「それに、Fw190にはどう足搔いても翼の薄いBf109じゃ不可能な芸当ができる」

 

「なんだそれは?」

 

 メルダースは小さく笑い、

 

「Fw190には翼の下には、Ju87Eと同様にロケット弾を搭載できるようになる。つまり戦闘爆撃機(ヤーボ)としても使えるんだよ。バルクホルンは、そこに戦闘機の未来を見たそうだ」

 

 ちなみにその空対地ロケット弾システム全般は、サンクトペテルブルグで目下フルピッチで製造されていた。

 

「いわゆる”多目的戦闘機”という奴か……”帯に短し襷に長し”にならなければいいんだが」

 

「その懸念も理解できるがな。しかし、航空機による阻止攻撃……ガーランド、ここに来たってことは”近接航空支援”の概念は聞いてるだろう?」

 

「無論だ。確かに想定されている”スモレンスクに押し寄せる予想される敵数”を考えれば、Ju87だけではとても手が足りぬか」

 

「そういうことだ。しかし、これで面倒になった」

 

「何がだ?」

 

 メルダースはジト目で親友を見て、

 

「お前が来たことで、人事と編成のやり直しだ」

 

「手伝うぞ?」

 

「当然だ。お前は1個飛行隊率いてもらうだけでなく、戦闘機隊全体の副長確定だからな」

 

「うへぇ」

 

 面倒臭そうなガーランドを一睨みするメルダース。

 

「しかし、これで第1統合航空戦闘団の戦闘機隊は大佐である俺が総隊長だからいいとして、お前とリュッツオウで中佐が二人。少佐はヴィルケか……基地の関係で戦闘機隊は三つに分ける必要がある。バランス的にもう一人くらい少佐が欲しいな」

 

「アテならあるぞ? というかもう呼んでる。じきに着任するはずだ。まあ、戦闘機隊総監としての最後の仕事になったが」

 

 流石、第1統合航空戦闘団の人事を一手に引き受けただけあり、状況を……いや、メルダースが何を欲しがるか察していたようだ。

 というか、ガーランド自身が加わることを前提としているあたり、ややマッチポンプ臭いが。

 

「誰だ?」

 

「シュタインホフだ。アイツなら問題ないだろ?」

 

「上々だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、”第1統合航空戦闘団”さらにパイロット強化w
いや、来てはいけない人が来てたりしますが、しかもわざわざ降格までして。




ちょっとだけお知らせ。
最近、やや夏バテ気味なのと、投降するたびに総合評価が下がるって状況が重なりちょいモチベーションが落ちてます。
あと数話分の下書きやプロットはできてるんですが、その先はややもするると執筆ペースが不安定になるかもしれません。
すみませんがご了承ください。



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第178話 魔・王・襲・来!! in サンクトペテルブルグ

空の魔王様、いよいよ本格的に登場♪





 

 

 

「なんで魔王様がサンクトペテルブルグ上空を飛んでるんだろうな……」

 

 1942年初頭、サンクトペテルブルグはJu87Dを操る”ハンニバル・ルーデル”大尉と後席の”エルドリッヒ・ガーデルマン”中尉の来訪を受けていた。

 

 

 

***

 

 

 

「こうしてルーデル閣下(・・)にお会いできて光栄ですよ」

 

 俺は、来客……ルーデル大尉とガーデルマン中尉を”冬の宮殿”の応接室に迎え入れていた。

 

 まあ、予定は聞いてたんだよ。Ju87Dに空対地ロケット弾能力を付与したJU87E型への改修機を受け取りに来るって話は。

 少なくともこの時代、飛行機を輸送するのに「実際に目的地まで飛ばして、不具合のチェックと慣らし運転を行う」っていうのは距離によっては珍しい話じゃない。

 むしろ地形に特色があり、地続きであり、割と緊急着陸ができる場所が豊富な欧州ならば割と一般的でさえある。

 だが、それは普通は”航空輸送専門のパイロット”が行うのであって、

 

(最前線で、Ju87E(コイツ)を実戦で使うパイロットが来るって話じゃないんだよなぁ……)

 

 そのあたりは、流石は魔王様(ルーデル)というところか。

 

「すまん、領主(・・)殿。私は”閣下”と呼ばれる階級には至っておらぬのだが」

 

「それは失礼。ルーデル大尉」

 

 そっか、大尉ってことはまだ”空の魔王”へ完全覚醒する前か。

 しかし、ガーデルマンが既に相方になってるあたりは……いや、これは誤差として受け流すべきか?

 いやそれより、

 

「ところで”領主殿”とは一体……?」

 

「違うのか? ここへ来る途中、市民たちがもうすぐ”サンクトペテルブルグ大公領”になるとか、じきに”イングリア公国”が復活するなどと話しているのを耳に挟んだのだが」

 

(シェレンベルクぅーーーっ!!?)

 

 そういう悪質な噂は取り締まれ、いや、せめて正しい情報に是正しろよ。

 

「ここはあくまでバルト沿岸諸国の承認を受けた、ドイツ保護領”自由貿易都市サンクトペテルブルグ”となる予定ですよ。現在戦時下の為に、私が総督のような立場となっていますが、いずれ市民により選挙で選ばれた市長が立つことになるでしょうな」

 

「うむ。そうか」

 

 それにしても……

 

(すっごいガト○っぽいな)

 

 転生者特有の感覚かもしれないが、言い回しといい声の雰囲気といい、何やらひどくア○ベル=ガ○ーを連想させる。

 

「ところで、大尉がなぜ自らサンクトペテルブルグまで乗機を受け取りに? しかも、相方のガーデルマン中尉まで連れて」

 

 さっきも言ったが、基本的に機体輸送用のパイロットに任せればよいだけの話だ。

 確かに今は、ベルリンまで出てくれば直通の旅客機やら輸送機の定期便はあるけどさ。

 他にも鉄道や輸送船もある(現在、港も鉄道網も復興中で完全状態とは言えない)が、それでは時間がかかり過ぎる。

 大量輸送にはめっちゃ向いてるんだが。

 

「う、うむ……」

 

 何やらちょっとばつが悪そうに、

 

「私の乗機、それも最新鋭機が回ってくるという聞いて居ても立っても居られなくなってだな」

 

 およ?

 結構、可愛いところあるでないの。

 

(あー、そういやルーデルって出撃停止食らう事、多々あったんだよな。特に合わない上官の時とか)

 

 なんかやりにくそうだし、少し砕けた感じにしますか。

 

「ルーデル大尉、はやる気持ちは理解しよう。だが、安心するといい」

 

「何をだ?」

 

「立場上、詳細は言えんが……君が次に向かう戦場は、潰すべき”赤い標的”に困ることはない。存分に潰したまえ」

 

 そりゃあもう、いやって程出てくるのは保障するさ。

 潰しても後から後から。それこそ、「いい加減にしろっ!!」って叫びたくなるくらい。

 

「それは素晴らしいっ! 最高ではないかっ!!」

 

 おおっ、なんかルーデルの体からブワッと闘気(オーラ)があふれだしたような……?

 

「飛行場に案内しよう。ああ、何なら新装備の空対地ロケット弾の試し打ちでもしてみるかね? 射爆場もある」

 

「おおっ! 総督閣下は、話が分かるなっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おおっ! まるでドイツ国防空軍(ルフトバッフェ)の魂が具現化したようではないかっ!!』

 

『ちょっ! 大尉、落ち着いてください! 子供じゃないんですからっ!』

 

 

 

「すげ……」

 

 やっぱ生ルーデルが操るスツーカは、迫力が違った。

 というか、扱うの初めての筈の新装備、完璧に使いこなしてるよ。

 

 具体的にNOEみたいな超低空から高速で突っ込んできて両翼の下に吊るしたロケット弾全弾発射、同時に主翼のMG151/20㎜で牽制射撃しながら反転急上昇(いや、ホントによく失速しないよ)、敵の対空砲の範囲外まで上昇したら捻りこみで反転急降下(重いJu87Eでよくあんな運動できるもんだ……)、20㎜ぶっ放しながら成形炸薬弾(PTAB)を詰め込んだ集束爆弾を急降下で投下してみせた。

 

 実は地味に怖いのはガーデルマンだ。後部備え付けたMG81Z連装7.92㎜旋回機銃で、最初の急上昇と急降下爆撃後の反転急上昇の計2回、涼しい顔で地上掃射を、それもかなり正確に撃ち込んでいた。

 ルーデルの機動は明らかにJu87Eの耐G限界に挑戦するような飛行だ。その中で顔色一つ変えずに外科術的な(サージカル)正確さの射撃をキメるって……

 

(魔王の相棒は伊達じゃないってか?)

 

 ガーデルマン、俺の知ってる歴史でも、後部機銃でソ連のエースパイロット機撃墜したりしてるんだよなぁ。

 あの”フライング・ドクター”も、ホント只者じゃねーや。

 流石、前世でも数々の逸話を残すだけのことはあるよ。

 それよりも、

 

「やっぱ、○トーじゃん」

 

 

 

***

 

 

 

「実に見事な機体だった!」

 

「そりゃ良かった」

 

 興奮さめやらぬガトーに、

 

「出来は……ってまあ、聞くまでもないか。満足できたようで何より」

 

「うむ。総督殿、この機体はそのまま持ち帰ってよろしいか?」

 

「整備とデータ取りが終わったらご自由に。ついでに増槽もつけておこう」

 

 意外なことに、Ju87Eは増槽を装着すると経済巡航で1,500㎞ほども飛べる。

 つまり、サンクトペテルブルグからベルリンまで楽に飛行できるのだ。

 

「トラブルが無ければベルリンまでは飛べるはずだが、ダンツィヒの空軍基地で念の為着陸、補給と整備と休息を取り、翌日、ウルム基地に戻るといい。連絡は入れておこう」

 

 サンクトペテルブルグからダンツィヒまでが1,000㎞弱、ダンツィヒからウルムまでが約900㎞。

 まあ、二日がかりの途中休憩挟んで給油1回なら、戦闘するわけでもなし無茶なフライトプランではないだろう。

 

「ぬぅ……できるだけ早く戻りたいのだが」

 

「整備と休息はとれるなら時間をかけるべきだ。それに戦争は当分終わらないし、ソ連も当分消える事はない。焦ることはないさ」

 

「総督殿に感謝を」

 

「いいさ」

 

 

 

***

 

 

 

 俺は南へ飛び去るルーデルたちを俺は見送りながら、つい思ってしまう。

 

「想像以上に濃い御仁だったな……」

 

 まあ、でもこれで……

 

「Ju187”カノンフォーゲル(・・・・・・・・)”の開発に益々気合が入るってもんだな」

 

 飛行機に積むには本来ならデカすぎる”Mk103/30㎜機関砲”をプロペラ軸(モーターカノン)搭載したドイツ版シュトゥルモヴィーク”をルーデルとガーデルマンがどう扱ってくれるか、今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ハンニバル・ルーデル、エルドリッヒ・ガーデルマン、華麗に参戦の回でした。
実はルーデルだけじゃなくてガーデルマンも結構、とんでもねぇ人だったり。
42年の時点で、魔王様とその主治医が固定メンバーだったり、いきなりロケット弾→地上掃射(牽制)→急上昇+外科的精度の後部機銃射撃→捻りこみから急降下爆撃+地上掃射→急上昇の離脱+ガーデルマンの追加射撃という滅茶苦茶な対地攻撃コンボ決めてみたり、何故かルーデルの声が大○明夫先生の声で脳内再生されたりというエピソードでしたw





お礼
ご心配と高評価での応援、本当にありがとうございます。
実は割とフィジカルにもメンタルにもきてたんで、とても嬉しかったです。
一応、今の時点で(肉付けとか必要ですが)180話まで完成していて、181話を執筆中という感じですが、なるべく途切れないように続けられたらと思っています。



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第179話 代償、あるいは因果応報

そりゃそうだよなという話です。





 

 

 

日本皇国、帝都東京、千代田区、霞が関

 

 

 

 その日、外務大臣執務室は重苦しい空気に包まれていた……

 

「野村さん、もう来栖の庇いだては不可能です」

 

 同期の古株、外務省人事部長の手に握られているのはドイツ国内で発行された新聞、その電信版を印刷したものだった。

 そこにはこう記してある。

 

”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ、配下であるリガ・ミリティアをミンスク・スモレンスク間の鉄道拡充のための工事へ向かわせる”

 

 内容を要約すれば、ドイツ政府よりの依頼でサンクトペテルブルグの線路・道路復旧で名をはせた三国義勇兵団をベラルーシとロシアの国境にある街、クラスナヤ・ゴルカ近辺に開設予定の大規模操車場の工事に向かわせたというものだった。

 

 問題なのは、クラスナヤ・ゴルカはベラルーシではなくロシアの街(・・・・・)だということだ。

 ベラルーシならば、ドイツに征服され政府機能は暫定政権が行ってる状況だから、やりようはあった。

 だが、来栖が向かわせたのは少なくとも独ソ戦が始まるまでは、「ソ連御中枢であるロシアの街」なのである。

 

 もうスモレンスクまで攻略してるのだから、ドイツの街なのでは?と思うかもしれない。

 だが、ベラルーシは正式に”ドイツに降伏”し、必要な手続きも終わっている。

 だが、ソ連=ロシアは、降伏もしていなければモスクワも陥落していない。

 つまり、ソ連は未だにドイツと交戦中、つまり”健在”なのだ。

 

 そして、日本皇国とソヴィエト連邦は、日本皇国国内で工作員と公安機関が日々暗闘を繰り広げ、身元不明の死体がたまに発見される事実上の敵対関係ではあるが……”戦争状態にはない(・・)”。

 

「いくらドイツ政府の依頼とはいえ、”ソ連の主張する領土”に工兵隊と認識されても言い逃れできない組織を出してしまった。実態はどうあれ、責任者は来栖なのです」

 

 野村は小さくうなずき、続けたまえと促す。

 無論、人事部長は知る由もない。

 ”ドイツ政府の依頼”という方が建前であり、方便。むしろ来栖の立場を慮って出したものであり、来栖こそが作戦の原案作成を行った”首謀者”だ。

 実態はどうあれどころか、”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”は、国家でも民族でもなく(主に面倒見の良さと民に寄り添う姿勢に惚れて)来栖個人に忠誠を誓う、来栖を”クルスの旦那”と慕う名実共に完全な私兵集団だ。

 ただ規模が、3万を超えて5万に迫ろうとしているから、建前上、”ドイツ政府(もしくは軍)の外郭団体”という大義名分が必要なだけだ。

 ぶっちゃけ、中身は準軍事組織だ。

 大体、リガ・ミリティアの構成員とその家族が「理想の指導者は?」と聞かれれば、ヒトラーやバルト三国の首相より先に「クルスの旦那だろ?」と十中八九言うだろうあたりが、もうどうしようもない。

 彼らは口々に語る。

 

『あの人は俺達に仕事をくれた、飯をくれた、声を潜めて怯えないで済む今をくれた、明日が来ることが当たり前の今日をくれたんだよ。それどころか、自分の給料が高すぎるってんで時には褒美だって酒までおごってくれる。そんな指導者他に居るか? それになあ、旦那は人が良すぎるんだよ。俺達が支えないと、悪い奴にすぐ潰されそうな気がするのさ。俺たちはさ、はっきり言って学の無ぇバカばっかだ。だけど旦那は俺達を絶対にバカにしねぇんだ。大事な民だって言ってくれるんだよ。だったらさ、役に立ちたいって思うぐらい当然だろ?』

 

 そして、こう続けるのだ。

 

『それにさ、今更、クルスの旦那の下以外で働こうなんて気は起きねぇんだよな』

 

 

 

***

 

 

 

 はっきり言おう。日本皇国外務省人事部長の苦言、いや上申は何一つ間違っていないと。

 いや、ホントこんな忠誠心が天元突破してるような連中を、”私兵”として持つ男を外務省にどうしろと?

 

 究極的に言えば、本来の組織立ち上げ理由から考えれば、どんなに長く見積もってもレニングラード陥落の時点で解散してもおかしくない”リガ・ミリティア”が、むしろやれることと規模を拡大させながら今も存続しているのは、究極的に言えば「クルスの旦那の下以外では働きたくない」という理由なのだ。

 

 客観的に言えば、来栖は別に善人でも聖人君主でもない。

 彼にしてみれば、「労働力兼納税者」を大切にするのは当たり前だった。国民とはすなわち国力その物なのだから。

 だが、考えてもみてほしい。

 バルト三国は、大国の都合で1年間のソ連の圧政下にあった。1年間、粛清に怯えながら暮らしてきたのだ。

 そして1年間という短い時間も良くなかった。

 圧政前の時代を国民全員が覚えていたし、そしてその1年の間に万という国民が、サボタージュだの反革命的だのとよくわからない理由と理屈で、まともな裁判もせずに粛清と言う名目で殺されたのだ。

 これがまだ、本国ロシアのように「圧政が当たり前の世代が大人になっていたら」また違うかもしれない。

 だが、1年じゃそれも不可能だ。

 

 ドイツ人は確かに『圧政からの解放者(・・・・・・・・)』だ。ロシア人を叩きだしてくれた事は感謝もしてるし、恩義も感じてる。

 だが、”クルスの旦那”は根本的に違う。

 

『クルスの旦那は殺してこいとも、死んでこいとも言わねぇんだ。旦那が言うのは、いつだって「立てるか、作るか、直すか」さ。今回だってそうさ。武器を持たされるのは、”赤いクソッタレ”共が何をして来るかわからねぇからなぁ。だから、自分と仲間を守る手段は必要だってな。旦那はよく言うのさ。無駄に殺すのはアカ共みたいな性根の腐った阿呆がやること。だが、テメェの命を守る引き金を引くなら躊躇はすんなってな』

 

 これが今回、”派兵”されるリガ・ミリティアの”志願者”たちの本音だ。

 そう、命令ではなく”志願”だ。

 志願で、15,000名もの男たちが、安全性が確保されているとは言い切れない場所に、「命を失う覚悟もせず」に行こうとしてるのだ。

 それはリスクをわからないわけでもないし、ましてや毎月1人に1ケース支給されるボーナスのウォッカに目が眩んだわけでもない。

 彼らはただ、「クルスの旦那に頼まれたら嫌とは言えねぇよなぁ」くらいで十分なのだ。覚悟なんて最初からいらない。

 何しろ、

 

 「まぁ、俺っちが死んでも、残ったかかぁと子供はクルスの旦那が何とかしてくれんだろう」

 「ばーか。クルスの旦那がそう簡単に死なせてくれるかよ。ドンパチが本格化する前にサンクトペテルブルグに戻すって言ってるし、旦那が何も手を打ってない訳ねぇだろーが」

 

 万事がこの調子だ。

 そして、来栖を慕うのは、何もリガ・ミリティアの面々だけじゃない。

 無論、腹心たる”ドイツ生まれの三羽烏”や、いつも侍らせる小姓三人衆だけでもない。

 想像してほしい。

 レニングラードになる前の、薄汚いボリシェヴィキが何もかもを破壊し燃やす前の”古き良き時代のサンクトペテルブルグ”を知る老人たちだってまだ大勢いるのだ。

 レニングラード時代は、市民はどんな生活をしていた?

 そして、レニングラードが再びサンクトペテルブルグとなった今、誰が生活再建の陣頭指揮を摂っている?

 少なくとも来栖は、サボタージュや非革命思想を理由に処刑はしないし、市民に我慢を強いることも、無茶や無理を押し付けることもしない。

 

 

 

 今、「食うのに困らないサンクトペテルブルグ」という評判を聞きつけた、多くの食い詰めた「共産主義に馴染めないソ連邦人(・・・・)」が、家族を連れてサンクトペテルブルグを目指しているという。

 また、「背中から撃ってくる自国の軍隊」に嫌気がさした国家の命令で軍服を着させられた人間たちも、「軍人ではなく市民に戻りたい」と集っているという。

 制圧直後は100万人以下まで減ったとされるサンクトペテルブルグの人口は最新の統計では150万人に近づきつつあるらしい。

 レニングラード時代の最盛期の人口は約300万人……計算上、あと2年もすればそこまで回復するとされるし、もしかしたら実際はもっと早いかもしれない。

 当然である。誰が好き好んで密告と粛清に怯えながら暮らしたいと思うだろうか?

 

 忌憚なく言えば、来栖任三郎という男は、とっくに外務省の手に負えなくなっていた。

 これまで退官させられなかった理由は、停戦が成立したドイツやバルト沿岸諸国の不評を買いたくなかったのと、”外務省職員”という首輪を失った来栖がどう動くか全く予想できなかったからだ。

 

 

 

 だが、今回ばかりはもうダメだ。

 来栖が外務省職員というのが足枷……いや、ソ連との「開戦の口実」になり兼ねない。

 外務省が責任を負える範疇ではないというだけでなく、外務省が自ら開戦理由を作ってはならないのは当然だった。

 いや、ソ連も開戦、日本皇国に宣戦布告できるような状態ではないが、よしんばそうだとしてもソ連に外交的弱みを握られるなど冗談ではなかった。

 それこそ、何を要求されるか分かったものでは無い。

 

「理由を明記した上で1942年3月31日付で外務省を懲戒免職とすべきです。彼が外務省職員としてあるまじき行動をしたのは事実です。また、状況と情勢を鑑み、理由を明文化したうえで懲罰的国籍剝奪も行うべきです。外務省の命令下で行われたことに関連するなら懲戒免職で済ませる事もできたでしょうが、今回ばかりは来栖が”日本人であること”自体が問題になりかねない」

 

 この人事部長、別に来栖に何か悪意があるわけでは無い。

 だが、彼が知りえる全ての情報の中から、最悪の可能性を考え、最良の解決策を提示しているだけだ。

 

「来栖君を”トカゲの尻尾斬り”するという訳かね?」

 

 咎めるのではなく、確認するように野村時三郎外相は聞く。

 職員を懲戒免職するのなら、外相の内諾がいる。

 そして、野村もわかっていたのだ。

 この部長も好きでこの”憎まれ役”を買ってるわけでは無い。

 おそらく……いや、間違いなくこれは外務省上層部の総意なのだろう。

 

「その通りです。皇国全体に被害が出るよりはずっとマシだと愚考いたします」

 

 この男、つまり来栖が今の状態になるきっかけとなった人事を行った責任を、この男なりに取ろうとしているのだろう。

 

「ドイツやバルト諸国の関係悪化もありえるが?」

 

「覚悟の上です。米ソと現時点で揉めるほど、我が国には余力はないと考えます」

 

「ふむ。良いだろう。その方向で動くとしよう」

 

 

 

***

 

 

 

 一礼して出てゆく人事部長……野村は、窓の外を見ながら思う。

 

「やれやれ。これでは、人喰い虎に翼をつけて野に放ったようなものだな」

 

 食い殺す相手が特定できる事だけが、救いと言えば救いだ。

 

(だが……これで、日本皇国で来栖の手綱を握れる者は、誰も居なくなる)

 

 外務省だけでなく日本皇国臣民という”(かせ)”すら外された来栖が、果たしてどう動くか……

 

「吉田さん、これが貴方の望んだ結果ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は、外務省サイドの話でした。

この人事部長も言ってしまえば野村時三郎外務大臣に直訴しなくてはならないという、どちらかと言えば、「他にやる人間もいないだろうから、貧乏くじなのをわかってて引いた」タイプです。

実際、この人事部長が知れる情報は「ドイツが公的に発信している情報」だけで、来栖が報告書で送ってくる「ガチのやらかし」は、あまりにも内容が危険すぎて、機密指定レベルが跳ね上がり、外務省(というより日本皇国全体)の中でも最上層の一部の人間しか内容を把握してません。

まあ、とっくに外務省が責任をとれる範疇を超えた活動をしていた訳ですw
ですが、今回は表に出せる情報すらも、「庇いだて出来ない」と外務省は判断したようですよ?

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第180話 古狸は祝杯をかかげ、サンクトペテルブルグの男は「当然だよ」と笑う

 

 

 

ロンドン、ホテル”The SAVOY”、ラウンジ

 

 

 

「チャーチル、今日は奢る。存分に飲め」

 

 先に”Old Parr(オールドパー)”を楽しんでいた盟友と言ってよい日本皇国欧州方面統括本部長”吉田滋”に、

 

「ヨシダ、随分機嫌がよさそうじゃないか?」

 

 いつもは12年物だが、今日は18年物を開けていた。

 

「ああ。若者……というほど若くはないが、有望な者の旅立ちが決まった」

 

「ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグか?」

 

 席に着き、今日は吉田に合わせることにしたのかシャンパンではなくスコッチウイスキー、”ジョニーウォーカー ブラックラベル”をオーダーするチャーチル。

 

「知っていたか? まあ、それも当然だな」

 

「懲戒免職に国籍剝奪……理由も理屈もわかるが、皇国外務省(お前の実家)も中々無体なことをする」

 

 ぐびりと喉を湿らすチャーチルに、

 

「あれでいいんだ。アヤツは日本皇国に”斬り捨て”られねばならん。そうしなければ、未練が残る。頭の片隅にでも日本皇国の思いがあれば、飛ぶのに躊躇う。それでは意味がない。アヤツはあれで結構、義理堅い」

 

 吉田は、来栖任三郎という人間をよく知っていた。

 外務省職員という肩書や、日本皇国臣民という枠組みは、今の来栖にとって手枷足枷にしかなっていない。

 そして、日本皇国政府も外務省もまた、来栖を持て余してしまうということも、吉田は理解していた。

 

(皇国は、”ソ連並びに共産主義者に対する構造的な絶対敵対者”だ。だが、そうであるが故に簡単に全面戦争にはならない)

 

 吉田は政治力学に精通してるからこそわかってしまう。

 どのような状況下であっても説明不要の”絶対的な敵”というのは、とにかく便利なのだ。

 特に国内の綱紀粛正を図るには。

 多くの読者諸兄はご存知かと思うが、国内をまとめるにはある程度の”内的な緊張感を生み出す要素”、言うならば”パブリック・エネミー”がいた方が都合がいいのだ。

 そして、天皇家と直結した国家神道を政治の骨子とする日本皇国にとり『皇帝を殺して、神を否定した共産主義者』とは、理屈抜きに”相容れない敵”とするのに申し分ない。

 そして、国内の左派系反動勢力は、”ソ連という母体がある限り”どれほど狩ろうと無限POPするモンスターのように必ず湧いて出る。

 それは放置すれば厄介この上ないが対処し続ける(適度に間引きし続ける)限り、統治という側面においてはとても都合の良い存在なのだ。

 一例ではあるが……ソ連が崩壊し冷戦構造が終結、「突然、共通の敵を失った旧西側陣営」が、その後どうなったか思い出してみると分かりやすい。

 対立構造とて立派な秩序だ。敵味方がハッキリと陣営分けで来ていたあの時代は、その後の「誰が敵で、誰が味方なのかわからない混沌とした時代」よりも秩序だってたといえる。

 

(だから来栖の根源的願望は、日本皇国ではかなうことはない)

 

 正直に言えば、全面戦争する確立ならソ連より米国の方がまだ高いと吉田は考えていた。

 ソ連とはイデオロギー的衝突だろうが、今みたいな国内の赤化汚染やルーズベルトのような精神的汚物が大統領でなくとも、米国とはいずれ国益や権益、利益などの言葉が並ぶ「経済的衝突の果ての軍事衝突」するだろうと予想はつく。

 

「だから無体だと言っている。フォン・クルスを自由にするということは、それだけ多く死ぬと言うことだ。誰とは言わんがな」

 

 すると吉田はクスリと笑い、

 

「良いではないか? どうせ後始末をするのは我々ではない。それにな、赤い連中などこの世から一人でも多く消えた方が良いとは思わないかね? この世に貧富の格差がある限り、どうせ革命ごっこに身を投じる輩は、完全に消えることはないのだから」

 

「違いない。人間は平等と公平を実現できるとする夢想家は、遥か太古からいた。所詮、共産主義とはその末端にすぎん」

 

「我々はただ見てればよいのさ」

 

「お手並み拝見か?」

 

 吉田は頷き、

 

「「フォン・クルスに」」

 

 日英の腹黒古狸二匹は、乾杯するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、当然こうなるわな」

 

 1941年2月中旬、ムルマンスクで大捕獲劇があった頃、俺、来栖任三郎に懲戒免職の通知と国籍剝奪の通達が届いた。

 当然の結末と言ったところだろう。

 というか……

 

「なあ、ハイドリヒ……なんでお前が伝書鳩の代役やってんだよ?」

 

 そして、その通達を持ってきたのはNSR長官だった。いや、なんでだよ?

 なんで伝書鳩かって? ベネトン・シューマッハカラーのBf109で飛んでくるからだよ。

 

「なに、スケジュールを伝えるついでに少しはお前の今後の立場って奴をレクチャーしてやろうかと思ってな」

 

「はぁ?」

 

 何を言ってんだコイツ。

 

「まず、4月1日よりお前は正式な役職として”サンクトペテルブルグ総督”に就任する。そして、国籍もドイツに変わる。当然だな。サンクトペテルブルグはドイツの保護領だ」

 

 そうなるだろうな。

 ロマ人(ジプシー)にでもクラスチェンジするんじゃなければ、まさか無国籍のまま過ごすわけにはいかんし。

 そもそもサンクトペテルブルグは、扱い的には「バルト海沿岸諸国の承認を受けたドイツの”特別保護領”」扱いだ。

 ゆくゆくは国際自由貿易都市にしたいところだが、対ソ連用兵器を大量生産しなきゃならん現状ではそうも言っていられない。

 ドイツ人が総督やってた方が、当然”座り”が良い。

 

「細かい外交的な摺合せ、国籍移管やら何やらの手続きはこっちでやっておく。悪いようにはせんから、心配するな」

 

「正直、助かる」

 

「ちなみにドイツ人としての名前は”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ”で決定だ」

 

「それがイマイチ納得いかないんだよなぁ……フォン・クルスまでは諦めたが、なぜ”デア・サンクトペテルブルグ”を付ける必要がある?」

 

「まあ聞け。それが今後のスケジュールを聞いていればわかる」

 

 ……嫌な予感しかしないんだが?

 

「4月1日午前10時より、お前への国籍授与式兼サンクトペテルブルグ総督就任式が予定されている」

 

「うげ……それって総統閣下が主催するって感じの?」

 

「当り前だろう。他に誰が主催できる?」

 

 いや、そりゃそうだけどさ……

 

「いっそエイプリルフールのジョークとかには……」

 

「なるわけ無いだろ?」

 

 デスヨネー。

 

「その後、総統閣下との懇談が非公開で行われる」

 

 うわっ……そりゃいつかはご対面するとは思っていたが。

 

「そしてその後、午後7時よりバルト海沿岸諸国よりの賓客を招いた晩餐会が開かれる」

 

「ちょっと待ていっ!! さすがにそれは聞いていないんだがっ!?」

 

「それはそうだろう。初めて伝えるんだから」

 

 コヤツ、しれっと言いおった!

 

「しょうがないだろ? バルト海沿岸諸国各国からの強いリクエストだ。流石に無碍にはできん。お歴々もお前を値踏みしたいし、顔を繋いでおきたいってところだ」

 

「マジかぁー。俺なんかと顔繋いでどうすんだよ? ”バルト海特別平和勲章”の時、各国のお偉いさんには会ったんだからそれで良いじゃん」

 

 一応、顔と名前ぐらいは一致させているけどさ。

 

「今回来るのはあんな下っ端じゃないさ。本物の”国家の重鎮”って奴だ」

 

「噓だろ……」

 

「とりあえず、お前の公式な”総督としての初公務”がこれとなる。気張れよ?」

 

「お前、他人事だと思ってからに」

 

「実際に他人事だしな」

 

 コンニャロー!

 

「ああ、それと非公式ではあるし正式な階級が与えられる訳じゃないが、ドイツ軍におけるお前の立場は”元帥”待遇になるからな? 場合によっちゃあ国防会議への参加が要請されると思うから覚悟しておけよ?」

 

 やらかしたこと考えれば、まあ納得だ。

 というか、サンクトペテルブルグのマネージメントとプロデュースを除けば、俺にできるのは軍事面や軍政面だけだろうし。

 

「あー、それに関してはやることやってるからな。いや、でも元帥待遇は流石に盛り過ぎだろ?」

 

「階級でしか語れないこともあるし、認めない者もいる。世の中はそんなもんだ。特に軍人ならばな」

 

「世知辛いねぇ~」

 

「この事は国家上層部しか知らんし、会議参加メンバーは総統主催の非公開とか非公式になる。ゲーリングとかは入れないから安心しろ」

 

「それは助かるな。マジで」

 

 モルヒネ野郎とお話とか、流石に嫌すぎる。

 

「とりあえずはこんなもんか? 3月31日の昼までには、ベルリン入りしとけよ?」

 

「はいよ」

 

 マジで気が進まんけど。

 

「ところで、4月1日なら高確率でスモレンスクで派手にドンパチやってるはずだが良いのか?」

 

「お前が前線指揮するわけでも、総統閣下が一々”狼の巣”で指示を出すわけでもなし、構わんだろ」

 

 そういえば、今生で”Wolfsschanze(ヴォルフスシャンツェ)”って無いみたいだしな。

 ま、総統閣下は原則として首都に居るってのは、好ましいことだ。

 

「そういう予定だって事は理解してくれ」

 

「Ja. 服装はタキシードとかでいいのか?」

 

「礼服はこっちで用意しよう。前日の昼までにベルリンに入ってくれというのは、それも入ってる」

 

 何やら聞くからに面倒な一日になりそうだねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、直属の上司と本人のエピソードでした。

外交狸のラスボスである吉田はどこまで読んでいたかは不明ですが来栖、フォン・クルス本人としては、

「遅かれ早かれ、当然こうなるわな」

という感じですね。
本人もよく言っていましたが、「外交官のお仕事」はしてませんからね。
逆に言えば、これで来栖を縛る枷は、無くなりました。
日本皇国臣民や外務省職員というのは、実はある種の「精神的拘束具であると同時に外付けの良心回路」としても機能していたのですが……

それにしても、ドイツもバルト海沿岸諸国も動きが早いことw


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第181話 自動車とワインとコーヒーと

このシリーズ屈指の人気キャラ(オッサン)(?)×2が登場です。

何というか……酷ェw






 

 

 

「いと哀れなり……」

 

 本国より届いた、面識はないが外務省の同僚の”顛末と処分”が書かれた電文を読んだ大島駐独大使はそう呟いた

 

「外交官と言う器に収まらなかった事が、その身の不幸か……」

 

 僅かに憐れみ、そして大島は執筆を再開する。

 リッベントロップ卿に引き合わされ知己を得たドイツ自動車工業協会より頼まれたそれは、

 

 ”素晴らしきドイツのラグジュアリー・オートモービルの世界”

 

 というタイトルが記されていた。

 要するに大島なりドイツ愛を込めた、”ドイツの自動車は世界一ィィィィーーーーッ!”な本だ。

 ただ、これがドイツ車だけの本ならいざ知らず、これが各国の自動車とに比較があったりしてそれが後々物議を呼ぶことになる事を大島はまだ知らない。

 

 

 

 そして、今日も晩酌代わりに最近お気に入りの銘柄のモーゼルワイン(白のアウスレーゼ)を楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来栖任三郎の懲戒免職や国籍剝奪の件は、さほどモスクワでは話題にならなかった。

 なぜなら、”カティンの森”が国際連盟臨時総会で暴露されたばかりの時期だったからだ。

 たかが、「サンクトペテルブルグの復興を丸投げされていた日本人が、労働力として使っていたバルト三国人の人足を不法占拠されたソ連領土に派遣した咎で解雇された」くらいでどうということはなかった。

 いや、正確に言えば”セント・バレンタインデーの喜劇”やらホロドモールの証拠や証言付きの告発やら”カティンの森”の国際合同調査団の派遣やらで外交リソースも共産党もNKVDもコミンテルンもいっぱいいっぱいで、”そんな些細な事”にかまってる余裕はなかった。

 

 しかし、それよりいくらか余裕があったのはアメリカ合衆国だ。

 無論、国内の共産主義者(コミンテルン)ネットワークは、浸食したマスゴミやスパイ網を駆使して、市民に事実を隠蔽すべくハチの巣をつつくような大騒ぎになっていたが……

 一応は反日親ソ中国Loveであっても、自身は別に共産主義者ではないルーズベルトにも来栖に関する報告書は届いていた。

 

「つまり、サンクトペテルブルグの復興担当だった日本人(ニップ)が、バルト三国で集めた労働者を国外に派遣した。それが外交官と言う立場に著しく反していると判断され、外務省を解雇され日本人ではなくなったと。それでハル君、それが我々の外交にどんな影響があるのかね?」

 

 ルーズベルトに問われた国務長官のハルは、

 

「特にありませんプレジデント。しいて言うなら、この件で日本皇国を叩こうとしても、”外務省はクビにしたし、すでに日本人じゃない者に関しては関知できぬ”と知らぬ存ぜぬを通されるだけということでしょう」

 

「なぜ、プレジデントである私が、たかだか国から見放された日本人を気にせねばならん?」

 

「一応、お耳に入れておこうかと。少なくとも今回の件、日本皇国の政府も外務省も重く見たということでしょう。外務省の解雇ならまだしも、彼らが国籍剝奪に至るのはレアケースだと断言できます」

 

「たかが子飼いの線路引きを他国に送り込んだことがかね? 随分と臆病な判断をしたものだ。どうやら日本の外交官は、不安定化工作などはできんとみえるな」

 

 そうバカにしきった目をするルーズベルトに、

 

「肯定です。今回の件を問題とするなら、その様な活動は許可されないでしょう。原則として、彼らは額面通りの外交作業以外の活動は著しく制限されているようです。彼らが諜報的分野で許されているのは原則として、受動的な情報収集の範疇とプレスリリースまででしょう」

 

「まあ、プレスリリースは注意しないとならんな。実質的にそれこそがユナイテッドステーツに対する不安定化工作として機能している」

 

 ここで今のアメリカ合衆国の”構造的かつ致命的欠陥”が浮き彫りになっていた。

 なぜなら、真相を羅列しただけの大使館よりのプレスリリースが、「なぜ不安定化工作になってしまうのか?(・・・・・・・・・)」を本質的に考えない。

 それだけ麻痺してるとも考えられるし、そういう風に赤色勢力に誘導されているともとれる。

 しかし、そこに疑問を挟まないあたり、彼らの赤化汚染度は深刻と言えた。

 

「ふむ。相分かった。では、ドイツ駐留の日本人外交官監視リストからクルスの名前を外したまえ。これで要注意のドイツ贔屓、オオシマに傾注できるというものだ」

 

「そういえば、オオシマに関しては新たな情報が入っています」

 

「……どんなだ?」

 

「オオシマにはドイツ外務省の大物アドバイザー、リッベントロップがメインホストとしてついていますが、その裏で動いてる者が判明しました」

 

「それは興味深いな」

 

 さっさと先を話せと促すルーズベルトに、

 

「NSRも一部関わっていますが、それは保安面です」

 

「うむ」

 

「オオシマ大使の活動を全面的にプロデュースならびにバックアップしているのは、”ドイツ宣伝省”です。予算などは宣伝省がサポートし、宣伝相ゲッベルスが陣頭指揮を摂っている可能性があります」

 

「!? バカ者っ! そっちを先に報告せんかっ!! 外務省ではなく宣伝省がバックにつくと言うことは、即ちドイツがオオシマを”ドイツの対外的宣伝工作(プロパガンダ)”に利用していると言う事ではないかっ!!」

 

「はっ」

 

「ええいっ! おのれオオシマ……あの男の厄介さは知っているだろう? 政治的な意図など全く入れず、ただただドイツへの愛着を文章に起こし、それは理性ではなく感情面、情緒面で訴えてくるのだっ! ハル、あの男が発表したドイツワインに関する冊子が我が国のドイツ系住民を中心に配布されたのを知っているか?」

 

「”香しきドイツワインの故郷を訪ねて”でしたな?」

 

「その冊子はなんと結ばれているか知ってるか? こうだ。『戦争というのは不幸なことだ。だが、真の不幸は戦争を理由にこの素晴らしく芳醇なワインを味わえない事だろう。41年はブドウの当たり年だという。フランスに続きドイツもワインの輸出を再開した。それを手にすることができる幸運な人々は、是非飲み頃になる瞬間を楽しみにしていてほしい』だ」

 

「……名調子ですな」

 

「ふざけるなっ!! あの男は、”ドイツもフランスも戦争中でも問題なく市民生活が続いてる。ワインを輸出できる(・・・・・・・・・)ほど豊穣な日常が続いている”と暴露しやがったのだよっ!! 無論、その輸出可能量など微々たるものだろう。それを”幸運な人々”という言葉で誤魔化し、それでも輸出可能なほど日常が続いてるとな」

 

「つまり、印象操作……”戦争の矮小化”ですか?」

 

 実はこれかなりアメリカには手痛いやり口なのだ。

 これだけの大戦争をやっておきながら、〆の一文だけで「ドイツはノーダメージ」、「名物のワインが輸出できるくらいフランス本土は安定している」というアピールしてしまっていた。

 

 腹立たしいことにこれは事実だった。

 

 第一次世界大戦を契機に一度衰退したドイツワインは、1933年にナチスが政権を獲得してから外貨獲得手段として大々的に農地改革や農業の近代化に手を入れ、利ザヤの大きいワイン生産を奨励し、日英との停戦合意から程なく輸出を再開し、その輸出量は最大を記録した1914年の19万ヘクリットルに迫ろうかという勢いだ。

 フランスは、あまりにも早く降伏し、また早急に政府機能が回復しパリ返還を象徴とする再独立を果たしたためにブドウ園やワインシャトーにほとんどダメージを受けておらず、また1935年に制定された品質保証のAOC法がドイツ占領下でも機能していたせいもあり、『戦後復興と国際社会への復帰の象徴』としてフランスワインは、大々的に輸出再開を世界中でプレゼンテーションしていた。

 

 そう、「アメリカが全力で後押し(レンドリース)しているソ連を相手取り戦争しながら」だ。

 無論、政府の人間はまだレンドリース品が前線に行き渡っていないことを知っている。

 だが、クリスマスにあれだけ派手な出港イベントをやったのだ。それもわざわざ米ソ親善を前面に押し出して。

 つまり、アメリカ国民の認識では、「ロシア人はもう米国製装備で戦っている」という認識なのだ。

 

 そして、同時にアメリカはこの”オオシマ・ワインレポート”が世界中で、「ドイツのワインカタログと一緒に」配布されているのだ。

 蛇足ながらこの時代はカルフォルニアワインを含むいわゆる”新世界のワイン”が認知される前で、本場である欧州産ワインのような大御所に比べればアメリカのワインなど「ローカルでチビチビと消費される田舎ワイン」という程度の認識だった。

 アメリカ人ですら、自国でワインを生産していることを知らなかった時代なのだ。

 まあこれは、悪名高い”禁酒法”によりアメリカの酒造産業が一度大きく衰退した影響も大きいが。

 

「ハル長官、クルスに張り付けていた人員を全てオオシマに回せ。むしろ増強しろ」

 

 完全に座った目で言うルーズベルトに、

 

「よろしいので?」

 

「オオシマはコノエに匹敵するほど危険なのが分からんのかっ!? コノエはハードコアな政治屋としての発言で対処できるが、オオシマはソフティケートされたやり口で、市民感情をダイレクトアタックして来る。分かるか? 以前の観光地レポートと今回のワインレポート、それを何も考えずに読んだ市民は『平和になれば、ドイツ旅行でワインを楽しむのも悪くない』などと考えてもおかしくないのだ! 今は戦時中で、ドイツは敵国だぞっ!? 悪質にも程があるわっ!!」

 

 大前提ではあるのだが……独米もまた、交戦状態にはない(・・)

 一般的なアメリカ人にとり、戦っているのは独ソだけであり、例えソ連を米国が全面支援してようと戦争とは”遠い世界の他人事”であり、自分たちに直接的関係があるようなものではない。

 当然のように当事者意識など、直接被害を受けてないのであるはずがない。

 その被害とて「税金が高くなるかも」とか、まだまだその類だ。

 いくらアメリカ国内に深く広く根を張る共産主義者でも、「アメリカとドイツは交戦すべし」という所まで持っていく(世論操作する)のは、時間も手間も金もかかるのだ。

 無論、赤い同志は日々アメリカを参戦させるべく世論操作に汗水たらし、”セント・バレンタインデーの喜劇”も何とか開戦理由にしようとしたが、それを呼び水にしたホロドモールや”カティンの森の虐殺”で、今はその独米開戦計画その物が暗礁に乗り上げかけていた。

 

 確かに、国連臨時総会の話題は表向きは封殺したし、出来たはずだ。

 だが、カナダからのラジオ放送は北部なら多くの場所で受信できるし、コミンテルンが手をまわしきれてないローカルラジオ局やタブロイド紙などいくらでもある。

 情報の完全封鎖とは、存外に難しいのだ。

 特にアメリカのような多民族国家では。

 

 そこに追い打ちをかけた形になったのが、大島のワインレポートという訳だ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、ルーズベルトは知らない。

 その大島大使が、戦争そっちのけで「アメリカ人の(特に富裕層が欲しがりそうな)ステータスシンボルになる高級ドイツ車」のレポートを執筆中だということを……

 

 そう、とてもいやらしい事にドイツは、いやドイツの勢力下にある全ての国の自動車産業は、新車種の発表こそ自粛してる物の、未だに民生車を生産してるばかりか、それらを(戦費調達もかねて)輸出さえしているのだ。

 

 ドイツの、いや”ドイツを中心とした西欧連合”の総合生産力は、アメリカ人の想像よりも遥かに高い場所にあった。

 そして、大統領には不都合な現実がある。

 軍用車も民生車も並行生産しているオペルは、ドイツの企業ではあるが「今でもGMの100%子会社」であり、フォードは今でも”リンカーン・ゼファー”や”リンカーン・コンチネンタル”などの高級車を中心に対独輸出で堅調な売れ行きを示していた。

 無論、大都市にしかないとはいえフォードの代理店も普通に機能しているし、ドイツも特に対米輸出入は民生品に関しては、特にこれといって”制限していない”のだ。

 クライスラーとて指をくわえて見ているつもりはなく、”インペリアル”、”ロイヤル”、”ウィンザー”などのどこぞの王族に喧嘩売っているようなラインナップを輸出する気満々だ。

 

 

 ハッキリ言えば、米国もまた軍需物資を除けば、対独輸出をあまり規制できていない。抜け道が多々あるからだ。

 輸入に関してはある程度は規制しているが、輸出に関しては一部品目を規制しようとしたら「日本皇国への輸出を全面禁止にしようとした」時と同じ、それ以上の反発が起きた。

 一番激しかったのは自動車業界ではなく、実は米国企業が裏庭と認識している南米大陸に巨大権益を持つコーヒー産業だった。

 知ってる方も多いと思うが、ドイツ勢力圏は、同時にコーヒーの一大消費地でもある。

 そこに巨大な商機が横たわっているのに、見逃すのはアメリカン・ビジネスマンとしては失格だ。

 そこで合衆国政府(の中にいる獅子身中の虫(コミンテルン))は、せめてもの抵抗として高い税率の”対独輸出関税(懲罰的輸出関税ともアメリカ国内で叩かれている)”という切り札を切るのだが……

 

 さて、では早速上記の抜け道に関する実例をあげよう。

 この世界線において、史実と異なりドイツはノルウェーとデンマークを(意図的に)攻めていないし、スウェーデンは史実よりややドイツと親密だが以上の三カ国全てが”(親独)中立国(・・・)”なのだ。まさかアメリカも中立国相手に懲罰的輸出関税をかけるわけにはいかなかった。

 付け加えるのなら、ノルウェーもデンマークもスウェーデンも、元々国民一人当たりのコーヒー消費が多いことで知られていた。

 つまり、アメリカのコーヒー業者は「元々輸出していた国の需要が増え、それに応じただけだ」と強弁できる。

 だから、三カ国向けに輸出し、そこからドイツは買い付ければ良いだけだった。

 

 更に永世中立国であるスイスのネスレ社が南米産のコーヒー豆の大量買い付けを堂々と発表した。

 彼らには切り札があったのだ。

 そう、1938年4月1日スイスで世界で初めて販売された”インスタントコーヒー”だ。

 買い付けたのはスイス企業であり、加工して輸出し何が悪いということだ。その結果として、ドイツ軍にインスタントコーヒーが大流行したとして、いったい誰が責められるというのか?

 

 

 結局、エンドユーザーの問題ではない。輸出元と輸入元の商取引の問題なのだ。

 これは一例に過ぎないが……まさに”資本主義、万歳!!”である。

 

 アメリカがいかに赤色に汚染されていようと、儲けられるので(ビジネスチャンスが)あれば、そこに手を伸ばす人間は必ずいるのもまたアメリカという国家なのだった。

 

 史実において、”真珠湾攻撃”で全てが変わったとアメリカ人は免罪符のように飽きもせず繰り返す。

 全ての常軌を逸した強硬策は、真珠湾で全て正当化されると本気で思っている。

 だが、その免罪符が発行されることのないこの世界線において、ドイツは明確に外交的勝利を重ねているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まーた、大島くんがプレジデントを(無自覚に)イジメてるよw

前回:「ドイツ良いとこ一度はおいで♪(観光ガイドブック)」

今回:「ドイツワイン、サイコー!(産地別ワイン紹介)」

次回(?):「ドイツ車カッケー!!」

・ドイツは、ソ連と戦争してます。
・でも、ドイツ(とフランス)は、ワイン輸出を再開します(ワイン売るほど作れる豊かさアピール)

アメリカン:「政府の方針でソ連に武器流してるけど、別にドイツと戦争してないんだよなぁ~(平和になったら、ドイツ旅行行ってワインかっ食らうかなぁ)」

※アメリカ人は基本的に対外感情に疎いので、「ソ連に武器を流しているアメリカがどれほど恨まれているのか?(=アメリカ人の流した武器でドイツ人が死ぬ)」とか想像はできません。
特に根拠なく、「アメリカは正義なので恨まれる覚えはない」とか心の底で思ってます。

そして、未だに”真珠湾攻撃が全て悪い”と聖句のように繰り返す(正義を標榜する)アメリカンですが、謀略まみれの真珠湾攻撃が有り得ないこの世界では、どうにも決定打にねぇw


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第182話 大砲鳥にはやっぱり30㎜より37㎜ がよく似合う。そして編み出される”ガーランドの機織り”というつよつよ戦術

基本的にスモレンスク防衛戦までの閑話的なエピソードです。





 

 

 

「どうですか? フォン・クルス総督」

 

「正直、驚いた。なるほど、アメリカはこんな物を作っていたのか……」

 

 さて、1942年2月後半。

 ムルマンスクで拿捕された米国レンドリース船団(PQ1船団)に積まれていたいた荷物の一部が、技術資料としてサンクトペテルブルグの関係各所に届いていた。

 まあ、ムルマンスクでゲットされた人員も物品も、鉄道輸送するなら一度はサンクトペテルブルグを通るので、「重複する嵩張る余剰装備」は置いてっただけなのかもしれない。

 

 だが、そのお目通しに俺、フォン・クルスこと来栖任三郎が呼ばれたのは良いんだが……

 

(明らかに登場が少しばかり早い装備があるな……)

 

 例えば、ベルP-39”エアラコブラ”だ。

 俺の前世ではこの時期、レンドリースに回されたP-39は、初期型のP-39C相当の”エアラコブラI”だったはずだ。

 しかし、目の前ある機体は、どう見ても後期型のP-39Qだ。

 識別点は武装とエンジンが違う。

 エンジンは同じアリソンV1710系統だから、性能は実測してみないとわからないが、武装はかなりハッキリと後期型エアコブラだと主張していた。

 初期型はM4/37㎜機関砲×1(プロペラ軸)、M2/12.7㎜機銃×2(機首)、M1919/7.62㎜機銃×4(主翼)で、後期型は主翼の機銃が12.7㎜×2に変更されている。

 目の前にある機体がまさにそうだ。そして、M4/37㎜機関砲に装着されてる30連発の給弾装置も”M6エンドレスベルト弾倉”と呼ばれる「機関砲とは別に個別名称が与えられた」後期生産型の特徴的装備だ。

 

 加えて、短砲身の75㎜砲で湿式弾薬庫を搭載していない極めて初期のモデルとはいえ”M4シャーマン中戦車”がここにあるのは、明らかにおかしい。

 俺の知っている歴史なら、最も初期のシャーマンでも生産開始は1941年の10月だったはずだ。

 レンドリース船団の初出発が史実より遅い1941年12月25日だったから、スケジュール的に不可能かと言えば、そうでもないと答えるしかない。

 

 ここで考えられるパターンは二つ。

 アメリカでも微妙に技術加速しているか、あるいは……

 

(アメリカ軍でも配備していない最新鋭の兵器を、最優先にソ連に流しているか……)

 

 或いは、その両方か?

 いずれにせよ、面倒臭さが上がったのは事実だ。

 ただ、”M1ガーランド自動小銃”が無いのは、救いかもしれない。

 旧式のスプリングフィールドM1903小銃は荷物に入っていたというのに。

 

(となれば、第3の可能性もあるか……)

 

 軍部は「全軍に行き渡っていない最新装備」をソ連に譲渡するのを必ずしも賛成していない。

 そして、目の前にあるのはバトルプルーフの済んでいない、それこそ生産されたばかりの最新鋭兵器……

 

(米軍は、赤軍を使って新兵器の戦場での実戦テストや効果確認を行おうとしている?)

 

 むしろそれなら納得しかないな。

 ルーズベルトのクソ野郎やヤンキー赤色政治家の意図はともかく、米軍としては「自国の兵士を使わず戦場で新兵器の効果測定」ができるなら、メリットは大きい。

 俺がそんな風に思考を沈降させていると、

 

「フォン・クルス総督」

 

「ん? ああっ、ユンカース社の」

 

 サンクトペテルブルグに拠点を構えるユンカース社の”Ju187開発チーム”の技術主任だった。

 

「相談なんですが、このアメリカ戦闘機に搭載されている37㎜機関砲ってサンクトペテルブルグで量産可能になりますでしょうか?」

 

 妙なことを聞くな?

 

「出来る出来ないで言えば、出来るが……Ju187にはMk103/30㎜機関砲の搭載が決まっていたのではないのか?」

 

「いえ、そうなんですが。どうもMk103の需要があり過ぎて供給に不安があるのと、反動が大きすぎて銃身を通す中空クランクシャフトと軸受に負荷がかかり過ぎる可能性が出てきまして」

 

 なるほど。

 実は、M4に比べてMk103の方が口径は7㎜小さいが薬莢長は逆に4㎝ほども長くその分強力であり、また発射速度もM4の3倍近くある。

 サイズ的にはさほど変わらない(Mk103:2,335㎜、M4:2,273㎜)が、重量はMk103の方が1.5倍ほども重い。

 重い方が反動を押さえやすいという側面もあるが、例えば秒ごとの反動係数を考えれば、この程度の重量増で相殺できるような物ではないだろう。

 

 供給に関してってのも、Mk103は地対空機関砲、艦対空機関砲としても現状で引く手あまたってのもある。

 例えば、IV号戦車にMk103を連装砲塔にして搭載した”クーゲルブリッツ”なんて対空戦車も量産体制に入ってる。また航空機って分野でもHs129なんて双発対地攻撃機にも採用されている。

 

「ところで7㎜も口径のデカい弾を撃つ銃身、中空クランクシャフトを通るのか?」

 

「ご安心ください。銃身自体はMk103ほど肉厚ではありませんし、実際に試してみましたが、クランクシャフト周りの小変更くらいで十分に通せます」

 

 なるほど。そういうことなら、

 

「良いだろう。シュペーア君を通して、軍需省に申請を出しておこう。許可が出るなら、生産計画を練ろう」

 

 まあ、設計段階でインチスケールをセンチスケールに直すのをしくじらなければ、どうにかなるだろう。

 というか、アメリカ人がセンチスケールをインチスケールに直すときにしくじり過ぎな気がする。

 MG151とかMG42とかさ。

 

 付け加えるとアメリカ人の武器はどれもこれも絶対的な性能より量産性を優先した設計となるから、シンプルな構造の物が多い。

 何気にサンクトペテルブルグの製造スタイルには合致しているのだ。

 

(そういう意味じゃあM2ブローニングも良い機銃なんだよな)

 

 正直、完成度が高いから、DShK38の代わりに生産しても良いぐらいだ。

 弾の供給とかで混乱するだろうからやらんけど。あと、後でパテント問題とかでもめるのもやだし。

 そういう意味では、最初(はな)から『パテント? ナニソレ美味しいの?』状態のソ連兵器は楽だ。

 構造はアメリカ設計のそれよりシンプルなんだけど……何というか、時折、設計の粗さゆえの変な欠陥があったりするから注意が必要なんだけどな。

 具体的に言うなら、安全装置が付いてないトカレフ拳銃とか。

 

 他にも色々見てみますか。

 面白いアイデアに繋がるかもしれんし。

 とりあえず、

 

「”カノンフォーゲル”って名前なら、37㎜砲の方がしっくりくるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ウルムの訓練基地では……

 

 

 

「メルダース、ちょっと飛行小隊(シュヴァルム)の戦術機動についてアイデアがあるんだが、聞いてくれるか?」

 

 そう戦闘機総隊長であるメルダースの元へ来たのは、空軍士官学校の同期で友人、ちょっと前まで上官で、今は依願降格して部下に収まった副隊長のガーランドだった。

 

「かまわんよ。聞こうか?」

 

「いや、お前が編み出したロッテ戦術のその先にって話なんだが、」

 

 ドイツ空軍の基本戦術は、メルダースが考案した2機1組の飛行分隊(ロッテ)戦法だが、このロッテをペアで揃えた4機を1個飛行小隊(シュヴァルム)とするのが、編成の最小単位となっていた。

 

「基本的に今回の任務、Bf109は防空が主任務だろ? なんで、それに有益な空中機動は無いもんかと考えてな」

 

 ガーランドの意見をまとめると、

  ・ロッテが機織り(・・・)の糸のように互いにクロスするよう”三次元的なS字旋回”を繰り返す

  ・この運動は、互いのロッテが相互支援できるポジション取りをする為の運動である

  ・結果として、敵機に後方を取られてももう一つのがその敵機の後ろに付くことができる

 

「理屈も運動も単純だが、その分、新人にも理解させやすいだろ?」

 

 偶然かはたまた必然か、この防空機動戦術は米軍のサッチ少佐が考案した”Thach Weave(サッチ・ウィーブ)”に酷似していた。

 戦時中の日本でも、いつまでも敵機が代わる代わる後ろから食らい付いてくるため”エンドレス戦法”などと呼ばれ警戒された戦術だ。

 強いてサッチ・ウィーブとの違いを上げるなら、より縦軸的な運動を重視しているところだろうか?

 いずれにせよ、一撃離脱戦法と相性の良い戦術機動だった。

 

「……変わったな、ガーランド。前のお前なら、”新人にも再現しやすい空中機動”など考えなかっただろう?」

 

 メルダースの言葉にガーランドはフンと鼻を鳴らして、

 

「誰かさんのお陰で戦闘機隊総監なんてやらされたからな。パイロットが有限だって事を理解しちまったのさ。加えて、どいつもこいつもハルトマンみたいな天才じゃねぇってこともな」

 

「その通りだ。パイロットは、戦闘機乗りは一人前になるまで普通は酷く時間がかかる」

 

「だが、今回の戦いは間違いなく消耗戦になる。多くの新人共が経験をつめるだろうが、生き残らなきゃ意味がない」

 

「ああ、その通りだ。ガーランド、この戦術は”ガーランドの機織り(Galland-Webart)”と名づけよう」

 

「ヲイヲイ。いきなりだな?」

 

 するとメルダースはスッと椅子から立ち上がり、

 

「さっそく暇そうな連中を集めて、実証するぞ。我々に残された時間はあまりない」

 

「はいよ。やれることは全部やっておくか」

 

 ”一人でも多く生き残らせるために”

 

 二人のベテラン戦闘機乗りは、言葉に出さずともそう互いに決意するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっぱり”カノンフォーゲル”を名乗るなら、37㎜砲は外せないかなぁと(挨拶

Do335の例とかあるから、Mk103をモーターカノンとして搭載できない事も無いのでしょうけど、対地攻撃ってことを考えると、こっちの方が使い勝手が良いかな~と思いまして。
あと、大口径の方がルーデルが喜ぶかとw
まあ、Mk103はHs129が搭載しますしね。

そして、この世界線ではガーランドが考案したことになるドイツ空軍版サッチ・ウィーブ”ガーランドの機織り(Galland-Webart)”ですが、実はメルダースの生存が大きなきっかけになっていたりします。
まだ、考案されたばかりの荒削りな戦術で、時間の関係からマスターできるパイロットは限られてますが、これが洗練され戦闘機乗りに浸透すれば、戦争後半は防空戦の機会が多くなるドイツ空軍の強化につながるのではないかな~と考えています。
特に発展型カムフーバーラインとかと組み合わせると……

あと、何となくメルダースとガーランドの組み合わせって、強者感が半端ない気がする(KONAMI

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第183話 要塞都市 ”Smolensk wie ein Stachelschwein”

いよいよ、現地入りです。






 

 

 

 記録によれば、第1統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen 1 :KLK1)がウルム基地群からスモレンスク、ビテプスク、モギリョフ方面へと飛び立ったのは、1942年2月末日と記されている。

 

 ”セント・バレンタインデーの喜劇”を呼び水に開催された国連臨時総会と前後するタイミングでの移動であった。

 許容できるぎりぎりまでの練度上げを行った苦心の後が見受けられた。

 

 KLK1は、本来はFw190A×150機、Bf109F×180機、Ju87D/E×180機、途中から急遽追加となったHs129B×90機、偵察機/輸送機/弾着観測機などを含め合計600機という大所帯となっていた。

 因みにHs129だが、ほぼMk103/30mm機関砲を搭載した史実のHs129B-2だが、エンジンがフランス製のノーム・ローンではなく、国産のBMW132最終生産型で、キャブレターから燃料噴射装置への変更や過給機のレトロフィットが行われたこのエンジンの出力は、オリジナルのほぼ倍加と言ってよい1,200馬力を発生させる。

 増強された出力は、速度やペイロードだけでなく難点だった防弾性能の強化やサンクトペテルブルグ製の汎用空対地ロケット弾システムの搭載にリソース割り振られ、史実以上に扱いやすい”タンクバスター”になっているようだ。

 

 まさしくスモレンスク防衛戦の航空主力と言ってよい陣容だった。

 そして、段階的に行われた部隊の配置転換により、スモレンスクを防衛していた部隊はベラルーシまで下がり、休養と部隊の再編を受ける予定になっている。

 

 無論、航空兵力はこれだけではなく中央軍集団の総司令部が置かれているミンスクには、合計80機のJu188、Do217双発爆撃機が出撃の時を待っていた。 また、万が一にもソ連が夜間爆撃を敢行する場合を想定し、実戦配備が始まったばかりの最新鋭夜間戦闘機He219”ウーフー”36機もいつでも前線任務に就けるよう予備兵力としてベラルーシ入りしていた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 さて、この予備機まで含めれば800機を超えるこの大航空部隊の指揮を執るのは、兵士より”パパ・グライム”という愛称で親しまれるローランド・フォン・グライム大将で、その上役で中央軍集団総司令官が最近、元帥に昇進したヘルムート・ホトだというのだから、こちらはこちらで豪華な布陣だった。

 

 スモレンスクに直接配備されている常駐兵力は、水の確保や武器弾薬食糧の備蓄の問題から、やはり工兵隊などの後方部隊を含めても総兵力33万人と言ったところだろう。

 だが、ここにビテプスク、モギリョフの空軍基地群配備兵力と、来栖が派遣した”リガ・ミリティア”により設営された、クラスナヤ・ゴルカ付近の”クルップK5(レオポルド)”が10門並ぶ列車砲陣地への配備兵力を含めると、大体合計50万弱程度の軍勢になる。

 

 元々、”バルバロッサ作戦”の初動で文字通り電撃的にスモレンスクを陥落させて以来、ソ連から削り取った街でありモスクワに最も近い街であるスモレンスクは「赤軍の攻撃を正面から受け止める、敵陣に突き出た最前線の砦」としての機能を持たせるべく防衛力強化に尽力してきた。

 

 

 

 そもそも、スモレンスク奪取から、史実と異なり勝敗の天秤はドイツ側に傾いていた。

 理由は様々であるが、戦術面と戦略面双方に史実と異なる部分があった。

 

 一つは、他のロシア人との戦闘でも言える事だが”T-34ショックの不発(・・)”だ。

 ”バルバロッサ作戦”発動以前、北アフリカ戦線(リビア)での日本皇国陸軍の重装甲/大火力を誇る一式中戦車などとの戦闘で、多くのドイツ装甲将校は「自国軍より優勢な装甲戦力との戦闘」を経験した。

 当時のドイツ軍の主力戦車は短砲身75㎜砲の初期型IV号戦車や高初速であっても50㎜砲であるⅢ号戦車であり、苦戦は必須だった。

 

 しかし、その環境で生き残り帰国した戦車乗りに与えられたのは、T-34戦車をあらゆる状況で「アウトレンジ(・・・・・・)で撃破」できる長砲身砲搭載の後期型IV号戦車だ。

 そして、初期型のT-34はエンジンパワーがある分スピードこそ一式中戦車に勝るが、多分に直線番長的な気質があり、変速/操向装置に難があり小回りが効かず、(バルバロッサ作戦発動時では)火力・防御力で一式中戦車に劣り、照準器の精度の問題で命中精度が悪く、また無線機がほとんど搭載されてないせいもあり、装甲集団戦が稚拙で全く連携が取れていなかった。

 北アフリカで戦火の洗礼を浴びたドイツの装甲将校の言葉を借りれば、

 

『ただ直線が速いだけで、あまりにあっさり撃破できるので拍子抜けしたくらいだ。連中の主砲はそこそこ威力はあるが、狙いが下手糞すぎて余程近づかれなければ、まず当たらないし発射速度も早くはない。要は距離をつめられ過ぎないように慎重に距離をとって射撃するなら、射的大会のような物だったと思う』

 

 前にも述べたが、この世界線におけるT-34をアウトレンジで撃破可能な75㎜長砲身砲を備えているのは、主力戦車ポジションのIV号戦車だけではない。

 Ⅲ号突撃砲もヘッツァーのような駆逐戦車もSd.Kfz.251/22やマルダーのような対戦車自走砲も、牽引式対戦車野砲のPak39も薬莢も共通の75㎜長砲身砲を標準としている。

 史実のように「T-34が出てくるたびに、88㎜高射砲を引っ張り出す」ような状況にはなってないのだ。

 つまり、戦車部隊、砲兵部隊、歩兵部隊でもT-34を撃破できるという意味であり、これはそのままドイツ軍の進軍の速さや消耗の小ささに直結した。

 

 事実、スモレンスク攻略は防衛側のソ連に時間的猶予を与えず、史実よりも爆破する橋も少なく、地雷原も薄くなり、兵力の集中も住民に対する対処もままならなかった。

 まさにあっと言う間にベラルーシを制圧し、スモレンスクに辿り着いたという感じだった。

 

 

 

 そして、無視できないのは……

 史実での「早期のモスクワ攻略」を主張したグデーリアンと、「赤軍野戦軍の殲滅を優先」を主張したホトの対立により、いずれも中途半端になってしまい、それが後に戦争に大きく暗い影を落とす……という事がこの世界線ではなかったことだ。

 最初から、中央軍集団司令官をホトに一本化した上に、モスクワ攻略を目標に加えていなかったせいもあり、スモレンスクの攻略と同時に周辺の残敵掃討と撤退する敵への追撃戦を効率的に仕掛ける事ができ、より大きな出血を強いることができた。

 

 また、スモレンスク占領後の統治、いや戦後処理もかなり大きく後に影響を与えた。

 流石に捕虜にした軍人は流石に後方へ搬送した(戦時捕虜の取り扱いの関係もあるため)が、前に少し触れたかも知れないが、後々面倒しか生まない民間人虐殺など行わず、持てるだけの財産やら家財やらを持たせてさっさと退去させた(放逐した)のだ。

 

 だが、同時に”退去期限”を過ぎてもスモレンスク周辺でロシア人を見かけた場合は、年齢性別を問わず破壊工作目的の「便衣兵(テロリスト)として対処する」という宣言も忘れなかった。

 ソ連にとり、大量の国内戦争難民がまたしても発生したわけである。

 

 住民を労働力として強制徴用することはできなくなったが、その分、無人となった街で工兵隊を中心としたスモレンスクの”要塞化(・・・)”工事はむしろ効率的に進んだ。

 

 住民を追放する事により、ソ連に戦力的余地を与えてしまったと思う向きもあるかもしれない。

 実際、戦争難民化したロシア人の多くは消耗した兵員の穴埋めのために、家族の保護を条件に徴兵されることになる(家族の保護=人質という図式にもなるが)が、ドイツ人に対する復讐心で気炎を上げる物もいるにはいたが、実はそれは少数派だ。

 彼らの大半が「普段威張り腐っている赤軍が、苦も無くドイツ兵に一蹴されている」姿を目の当たりにしているのだ。

 果たして、そんな者の為に、致死率の高い相手と戦おうと思うだろうか?

 要するに、人質に取られてる家族と(背中から督戦隊に撃たれる事も含め)自分が死なない程度の士気しか持たないのが普通だ。

 

 

 

***

 

 

 

 元々、堅牢な要塞化都市(魔)改造が行なわれていたスモレンスクではあるが、42年に入るなりグニョスドヴォ→カティンをぬけるドニエプル川沿いの西へ延びる大幅な野戦防衛線拡充の命令が出た。

 そのための物資や機材、それを扱う人員(トート機関も含む)の増強が行われ、その甲斐あって2月後半には随分と形になってきていた。

 

 具体的には、アレクシノ→サナトリ・ボルク→カティン→アルヒポフカ→エルマキ→グニョスドヴォという”カティンの森”をぐるりと囲む分厚い野戦築城だ。

 

 そして、国連臨時総会の模様を記した号外が発布されると同時に、スモレンスク防衛隊はいつの間にか来ていたNSRと軍情報部の人間が憲兵隊などと一緒に”カティンの森”で何をしていたのか、そして、自分達が何を目的に防衛線を補強した目的を察し、何を守るために誰と戦うのかを理解した。

 そして、赤軍が攻めよせてくるだろう”D-DAY(その日)”に向けて、一層、準備と訓練に尽力するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 その日、初めて眺める(この時期にしては珍しく)良く晴れたスモレンスク上空からの情景を、マルセイユはこう評している。

 

「スゲーな。街一つが丸々要塞になってやがる! 見てみろよハルトマン。地面の塹壕や対戦車壕が折れ線グラフみたいだぜ?」

 

 マルセイユとハルトマンの眼下に広がるのは、スモレンスクからドニエプル川方向に西へと延びる一帯をぐるりと囲む目的別の壕や堀、障害物、有刺鉄線で作られた幾重もの防衛線。

 見えないだけで周辺には地雷原も厚く併設されているだろう。

 

 空から見えるだけで無数のレーダーアンテナや重砲や高射砲などがあちこちに設置されてるのが見える。

 その平時には有り得ない姿に変貌したスモレンスクという街はどこかハリネズミ、いや……

 

『要塞都市、”Smolensk wie ein Stachelschwein(ヤマアラシのようなスモレンスク)”』

 

 より攻撃的なヤマアラシをハルトマンに連想させる。

 

「ハハッ! 中々上手いことを言うじゃねぇか!」

 

 陽気に笑うマルセイユ。

 だが、その瞳には隠し切れない闘志が渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歴史に名と傷痕を残す第二次大戦屈指の規模の戦いは、もう目前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実と今生を比較しながらスモレンスクのアウトラインと、配備される航空兵力についてのエピソードです。

現在の「ある程度の長期戦を想定している」ドイツに積極的に(あるいは無理に)モスクワを攻略する意志はなく、そうであるがゆえにソ連軍の攻撃を受け止める”前線の砦”と元々定義され、ロシア産の民間人を放逐し、占領した都市ではなく純粋な要塞としてドイツは再構築してきたのですが、国連臨時総会の件で更に防御力に磨きをかけているようですよ?

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第184話 Der Abwehrkampf um Smolensk Beginnt ! !

いよいよスモレンスクを巡る戦いの火蓋が切って落とされます。





 

 

 

 後年の資料によると、スモレンスク……正確に言えば”カティンの森”を巡る最初の戦いの火蓋が切って落とされたのは、現地時間の1942年3月21日午前8時のことであったという。

 

 この時期のスモレンスクはようやく最低気温が氷点下を下回る日が少なくなり、最高気温も10℃を超えない……春先の雰囲気を醸し出していた。

 そして、その春の空気の中、いくつもの無粋な人工音が大地を空を震わせていた。

 

 

 

『ハッハァーーーッ!! こいつぁいい。どこを向いても敵だらけだぜっ!! ハルトマン! ケツにしっかり食らい付いてこいっ! クルピンスキー! 背中預けんぞっ!!』

 

了解(Ja)!」

 

『あいよ。次は俺が切り込むから、フォローまかせんぞっ!!』

 

『わーってるってっ!!』

 

 その日の空は過密状態と言っても良かった。

 そして、その中で闘気をみなぎらせていたのが4機のBf109Fだった。

 そう、お馴染みのマルセイユ大尉とハルトマン少尉のロッテ、クルピンスキー中尉と実戦は経験してるがハルトマンと同じくまだ若い少尉のカールハインツ・シュミット少尉のロッテだった。

 

 この4人、驚くべきことにドイツ版のサッチ・ウィーブ、”ガーランドの機織り(Galland-Webart)”の空中機動を1ヵ月にも満たない時間でほぼ完全に理解しマスターしていたのだ。

 しかも、ドイツ戦闘機……というかBf109が得意な縦軸運動にアレンジを入れて。

 

『落ちろ蚊トンボっ!!』

 

「照準器のセンターに捉えてトリガーを引く!」

 

『ははっ、さっさと地獄に落ちちゃいなよ♪』

 

『くっ、空が狭いな。滅殺……!』

 

 何やらハルトマンと初登場のシュミットの少尉コンビがが微妙に紫色の人造人間乗りっぽかったり、殺意の波動に目覚めたっぽい感じだが、この四人だけで初日の戦闘だけで27機のソ連機、それも戦闘機ばかりを落としていた。

 ハルトマン、シュミットはこの初日だけでエース(一般に5機撃墜)となったのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、Fw190A隊もまた赫々たる戦果を上げていた。

 防空任務特化のBf109と違い、彼らは航空阻止攻撃という任務があった。

 

 このスモレンスク防衛戦に投入されるBf109F-4やJu87D/Eについては以前語ったことがあると思う。

 しかし、Fw190A、正式な型番は”Fw190A-3”についてはあまり語った事はないと思う。

 なので簡単にアウトラインだけ説明しておこう。

 そもそも、Fw190はこの世界線においては、「最初から戦闘爆撃機(ヤークトボマー)(現代航空用語だと戦闘攻撃機の方がニュアンスが近い。通称ヤーボ)とするべくタンク博士に設計依頼が出された機体」だ。

 つまり、設計段階からA型シリーズだけでなく史実のF型としての運用も考慮された、生粋の”汎用戦闘機”、その先駆けと呼べる機体だった。

 そして、現在配備されているA-3は、視界の良い”ガーラント・ハウベ”型キャノピーを外観的特徴とし、十分な防弾性と頑強さを持つ「史実のA-8とF-8双方の特徴を兼ね備えた機体」だった。

 例えば、主翼と胴体下に合計最大1tの爆装が可能であり、その状態でも機内燃料のみで850㎞の飛行が可能だった。

 エンジンは、主力増強装置を使わない状態でも最適高度で1,850馬力を発生させる”BMW801E”の強心臓であり、外部装備がない状態の戦闘重量(機内燃料・弾薬満載)で最高速640㎞/hを叩き出す、時代的には「軍馬の頑丈さと競走馬の速さ」を持つ優秀なヤーボだった。

 

 そんな機体を操るバルクホルンとノヴォトニーのロッテは、かなりの制度を持つ電波高度計に注意を払いながら、低空を高速で飛ぶ。

 目指すは上空のJu86P高高度偵察機から音声で位置情報が伝えられる敵砲兵陣地だ。

 Fw190はJu87のような精密な射爆照準器もなければ、航法手や後方機銃手を兼ねた無線手もいない。

 だから、まさに味方に向けて突進する赤軍戦車ではなく……

 

「見えた! ロケット弾、投射!」

 

 既に発射体制に入ろうと止まり密集していた本家”カチューシャ”ロケットの車列の群れに翼下のロケット弾を放つ!

 1個飛行小隊(シュヴァルム)、4機のFw190から放たれた数十発の対軽装甲用の成形炸薬弾頭と対人榴散弾弾頭を詰め込んだサンクトペテルブルグ製の132㎜あるいは82mmのロケット弾が飛び込み、装甲に守られていない人員や車両に次々と損害を与えた。

 中には同じ起源の元祖ソ連製BM-8/BM-13ロケット弾が誘爆を起こし、阿鼻叫喚を生み出していた。

 

 フライパスするとき、しっかりと機銃掃射はしたがそれ以上に執拗な空対地攻撃はしない。

 彼らの目的は、「カチューシャロケットの発射を阻害する」事であり、別に殲滅や全滅は求めていない。

 それは別の担当が行うことだ.

 

 

 

「こちら”ラケーテンドーラ・ドライ(ロケット弾装備D3)”中隊。指定目標の敵地上ロケット部隊の攻撃に成功せり。確認されたし」

 

『了解。ラケーテンドーラ・ドライ、損失機はあるか? 空対空戦闘は継続可能か?』

 

 敵のカチューシャに一当てした自分の配下のFw190中隊15機に、空中集合した機体や機数を確認する限り損失機や損傷機は見られない。

 また、しつこい地上掃射を敢行しているなら、今の空中集合には間に合っていないだろう。

 

「問題ない。ロケット弾は全機発射済みだが、機銃弾には余力がある」

 

 そう地上管制官に返すと、

 

『了解。レーダー観測班が新たな敵影を確認。反応と移動速度から考えて双発爆撃機と襲撃機の混成部隊40機前後と判断。迎撃可能か?』

 

 MG151/20㎜機関砲×4にMG131/13㎜機銃×2、ドイツの単発戦闘機の中で現在、最強火力を誇るFw190にとって格好の相手だった。

 

「可能だ。座標を口頭で、可能なら地上より電波管制誘導を頼む」

 

『了解。バルクホルン大尉、幸運を』

 

「Danke」

 

 半自動式初歩的なオートパイロットや電波高度計に連動した電波誘導装置が程なく基地からの連続(CW)波を捉えた。

 言ってしまえば、ビーム・ライディング方式の指令誘導だ。

 この時代の技術水準では、まだ大雑把な方向と高度に誘導することしかできないが、それでも口頭で座標と高度だけ伝えられてその空まで飛んで敵を有視界で探すよりはよっぽど効率が良い。

 

 さて、お察しいただけたと思うが、この「地上管制による誘導と迎撃」は、その原理はまさにカムフーバーが提唱した”ヒンメル・ベッド”なのだ。

 史実では、夜間迎撃用のシステムだ。

 だが、この世界線における「大規模レーダー連動防空管制網(カムフーバー・ライン)」の提唱者、ドイツにおけるレーダーシステムの第一人者でもある”ヨルゲン(・・・・)・カムフーバー”中将は、自らの提案した防空システムに昼夜の区別を付けるつもりはなかった。

 

 昼夜で飛ばす戦闘機が違うだけで、24時間体制で防空を担うシステムを彼は欲していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「驚いたな。まさか、ここまで優勢に戦えるとは思わなかった」

 

 ”空陸統合スモレンスク防衛司令部”。

 スモレンスクのほぼ中心部に設置された、大規模司令部でスモレンスク防衛司令官”ゴッドハルト・ハインリツィ”大将だった。

 史実ではこの時期、上級大将だったはずだが史実に比べてこれまで戦闘が少なかったから妥当なところだろう。

 というか、1月に大将に昇進したばかりだ。

 もっとも、今回のスモレンスク防衛戦に成功すれば、程なく上級大将に昇進だろうが。

 オリジナルはドイツ屈指の「防衛戦の名手」として知られているが、その資質は今生にもどうやら受け継がれているようだ。

 

(それにしても、隔世の感があるな……)

 

 彼の目には、最新技術の実験場という意味もかねて作られた”最も新しい司令部”が、どうにも未来的に見えて仕方なかった。

 オシロスコープの親戚のようなディスプレイが並んだレーダー制御卓と通信手のコンソールが無数に並び、その情報を元に並べられた”戦況表示板”……大型の透明アクリルボードの中央の印刷された”蛇の目の同心円(ラウンデル)”がスモレンスクとその周辺を距離と方向を表し、そこに様々な情報が水性マーカーで書かれては消されてゆく。

 

(確か戦況表示板はサンクトペテルブルグで考案され、急遽作成されたと聞いているが……)

 

 とにかく、周辺情報が一目で確認できるのは便利だった。

 情報の元になっているのは無論、地上レーダーだけではない。

 上空には、世界的にもあまり例を見ない航空機用(・・・・)ディーゼルエンジンを搭載した”Ju86P”高高度偵察機が、通常の戦闘機が中々到達できぬ高度10,000mOVERを滞空しているのだ。

 

 実は、このJu86Pは敵にとり実に厄介な特性を有していた。

 従来の光学観測型だけでなく、レーダーを搭載した初歩的な”早期警戒機(AEW)型”も存在するのだ。

 レーダーと言うのは一般的に高所に置けば置くほど探知距離が増える。理屈的には高いところの方が遠くを見れるような物だ。

 

 Ju86は元々は爆撃機として開発された機体で、レーダーやオペレーターを搭載するするのに十分な容積が確保でき、また旅客機のように機内の有人スペースを与圧化できるのも大きなメリットだった。

 無論、航空管制できるほどの余剰人員も機材も積めないし、データリンクなどの概念もない現在、「レーダーで捕捉した目標情報を地上に無線連絡するだけ」の機能しかないが、「空飛ぶレーダーサイト」と言うだけでも十分な価値があった。

 ついでに言えば、Ju86PのAEW型は、夜間哨戒にも対応しており、後年はHe219とのコンビの夜間防空に猛威を振るう事となる。

 加えて言えば、敵地に入らず「味方の制空圏内で高高度から敵を見張る」というコンセプトの為、撃墜される可能性が低いことも大きなメリットと言えた。

 

 地上や空中にまで置かれたあらゆる”目”から入った情報が指令所に集約され、それが戦況表示板に書き込まれ、それを元に航空参謀が次々に指示を出す。

 無線手が航空隊に連絡を入れ、必要であればビーム・ライディング方式の電波誘導で敵へと向かわせる。

 ”昼夜を問わないヒンメルベッド”の現状における到達点がここにあった。

 そして、防空戦はスモレンスク司令部だけで行っているのではない。

 無線通信で、あるいは有線電話で繋がったビテプスク、モギリョフの残る二つの基地と緊密に、あるいは有機的に連携できるよう配慮されていた。

 そう、航空管制能力だけ見れば同等の防空司令部が、ビテプスクとモギリョフにも設営されているのだ。

 

 だが、スモレンスク防衛司令部で行うのは航空管制だけではない。

 歩兵科、砲兵科、装甲科のそれぞれの参謀が陸戦用の戦況表示板に書き込まれる情報に注視し、矢継ぎ早に指示を出し始める。

 

 防空戦は所詮、防衛戦の幕開けを告げる開演のベルに過ぎない。

 血腥く泥臭い戦いが、まさに始まろうとしていたのだった。

 

(それにしても……)

 

 ハインリツィは視界の先にある一定の温度に保たれるようになった部屋に置かれたZuse(ツーゼ) Z4”と書かれているリレー/電子スイッチ(ダイオード)回路の塊を見ながら、

 

「技術本部の持ち込んだ”アレ”、一体何に使ってるんだ?」

 

 と首を捻るのだった。

 これはまだ、コンピューターという用語が一般化する遥か以前……まだ何ができるか分からない時代の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




始まりはやはり足の速い航空機同士の華々しい空中戦!
言ってしまえば、お約束です。

何やらドイツは早速、圧倒してるような……?
次回はその秘密(カラクリ)を探っていこうかなと。



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第185話 強さの秘密 ~独ソ戦闘機比較と昼夜兼用の発展型ヒンメルベッド、そしてツーゼ博士とフォン・ノイマン(皇国の国家機密を添えて)~

今回は、戦闘から一歩離れて、この世界線の独ソがなぜここまで戦力差が生まれたのか?を検証してみたいと。
ちょっと情報過多気味のの盛り沢山かもですw


※一時的に投降ミスで、次話186話の内容が重複していました。謹んでお詫び致します。




 

 

 

 まず、大前提の話をしよう。あるいはおさらいになってしまうが……

 ドイツの第二次世界大戦の目的は、独ソ戦前から終始変わらず”ドイツ人の生存圏(レーヴェンスラウム)”の確立だ。

 史実に標榜されていたそれと大きく異なるのは、”アーリア人ではなくドイツ人(・・・・)”だということ。

 これは広義な意味でのドイツ人、つまりドイツ国民(・・・・・)とも解釈できる。というより段階的にそうなるように印象操作やニュアンス調整はドイツ政府は行っている。

 

 では、そのレーヴェンスラウム確立の為に「モスクワの早期攻略」は必要か?

 答えは、”NEIN(いいえ)”。

 占領して土地を確保したところで、内部を構築し名実共に生存圏としてきちんと機能させるようになるには、とても時間がかかる。

 そして、レーヴェンスラウムは「ドイツ人によるドイツ人国家」だけでは構築できない。

 国を存在させるのは資金が必要であり、そのためには(通商関係が結べる)友好的な外国が必要で、それは”広域なマルク経済圏”としてまとまるべきなのだ。

 むしろ、ヒトラーにとり、上記の理由から逆にモスクワが早期に陥落しては不都合となる。

 バルト三国や東ポーランド、ウクライナなどドイツが「ソ連に酷い目に合わされた国」を積極的に組み入れてるのは伊達や酔狂ではない。

 後にレーヴェンスラウム=マルク経済圏を成立させる為の触媒、つまりは「分かりやすい共通の敵」として、ソ連は必要だった。

 

 

 

 では、その前提からスモレンスクの現状を考えてみよう。

 スモレンスクは現在、”モスクワに最も近いドイツの拠点”と言える。

 元々、そういう赤軍が積極的に奪還を狙うだろう立地条件、地政学的背景がある以上、元々”前線の砦”として機能させるべく防御を固めてきた。

 ロシア製の民間人を全て追い出したのも、それが理由だ。

 

 そして、”セントバレンタインデーの喜劇”を呼び水にした”カティンの森の虐殺”を国連臨時総会でぶちまけることで、ソ連がいきり立ち攻め込んでくる事は予想できたので、更なる防衛強化に務めるのは必然だった。

 

 それが、

 

 Festung ”Smolensk dir Stachelschwein”

 

 ”ヤマアラシ要塞スモレンスク”と後年呼ばれることになる、今のスモレンスクである。

 

 

 

***

 

 

 

『何故か、ドイツ機はいつも太陽を中から降って来るんだ。誰が一体情報を流してるのだと、スパイ狩りで部隊の中が険悪な雰囲気に包まれた』

 

 これは、史実の独ソ戦中期のシュトゥルモヴィーク・パイロットの手記だとされている。

 大祖国戦争(独ソ戦)初期~中期にかけては、ソ連ではほとんどの軍人がレーダーを知らず、前線のパイロットには認知されていなかった。

 レーダーに限らず、無線機などの電波装備全般が酷く開発も生産も装備も遅れていたのだ。

 

 例えば、戦争当初はソ連戦車やソ連軍用機に無線機が積まれていたのは隊長級だけであり、全車/全機に標準搭載だったドイツとは対照的だった。

 また、肝心の無線機もソ連産のそれは真空管の加工精度が悪く雑音だらけで、顰蹙を買っていた。

 

 一方、航空機に目を移してみよう。

 1942年3月下旬のこの時期、ソ連で大規模に生産されている戦闘機は、史実準拠で以下の三つに集約される。

 

MiG-3

エンジン:ミクーリンAM-35A(1350馬力)

最高速:640km/h

航続距離:820km

武装:12.7㎜機銃×1、7.62㎜機銃×2

空虚重量:2700kg

 

Yak-1

エンジン:クリーモフM-105PA(1050馬力)

最高速:569km/h

航続距離:650㎞

武装:20㎜機関砲×1、7.62㎜機銃×2

空虚重量:2445kg

 

LaGG-3

エンジン:クリーモフM-105PF(1180馬力)

最高速:560㎞/h

航続距離:650㎞

武装:20㎜機関砲×1、12.7㎜機銃×1

空虚重量:2620kg

 

 ついでに生産数の関係でよく激突するIl-2についてのデータも挙げておこう

 

Il-2M

エンジン:ミクーリンAM-38F(1700馬力)

最高速:411km/h

航続距離:685㎞

武装:20㎜機関砲×2、7.62㎜機銃×2、12.7㎜旋回機銃×1

空虚重量:4425kg

ペイロード:600kg(最大)

 

 対して、今生で生産されるドイツの主力戦闘機は、

 

Bf109F-4

エンジン:ダイムラーベンツDB601E(1450馬力)

最高速:635㎞/h(戦闘重量)

航続距離:1100㎞(増槽装備時)

武装:20㎜機関砲×1、13㎜機銃×2

空虚重量:2125kg

 

Fw190A-3

エンジン:BMW801E(1850馬力)

最高速:640㎞/h(戦闘重量)

航続距離:1500㎞(増槽装備時)

武装:20㎜機関砲×4、13㎜×2

空虚重量:3200kg

ペイロード:1000kg(最大)

 

 参考までに急降下爆撃機も。

 

Ju87E

エンジン:ユンカースJumo211P(1480馬力)

最高速:410㎞/h(外部装備未装着時)

航続距離:1500㎞(増槽装備時)

武装:20㎜機関砲×2、連装7.92㎜旋回機銃×1

空虚重量:2810kg

ペイロード:1800kg(最大)

 

 

 

 Fw190は戦闘爆撃機(ヤーボ)という性質から、むしろIl-2と比べるべくかもしれないが、問題なのはソ連戦闘機3種とほぼ同じ機格のBf109Fとの重量差だ。

 例えば、一番馬力のあるMiG-3でも、出力で100馬力劣り重量で500kg以上重い。

 この理由は、今生のドイツ機が全金属製で、超ジュラルミンと言う高強度アルミ合金素材を惜しげもなく使っているのに対し、ソ連戦闘機は胴体や主翼を木製のモノコックあるいはセミモノコックフレームで作成している影響が露骨に出ている。

 ソ連が航空機などに使う木製合板は”デルタ合板”と呼ばれる白樺素材のそれだが、耐火性は高いが強度を維持しようとするととにかく重くなる欠点があった。

 車のようにパワーウエイト・レシオを出せば、おおよその性能差は察せられると思うが、Bf109F-4が2125kgで1450馬力の1,46kg/psなのに対し、MiG-3は2kg/ps、Yak-1で2.33kg/ps、LaGG-3で2.22kg/ps。

 Fw190A-3で1.72kg/ps、Il-2Mで2.6kg/psだ。

 これは「1馬力でどのぐらいの重量を支えるか?」という数値なので、値が小さいほど高速で運動性も高いのが一般論だ。

 

 だが、その割にはMiG-3の方がBf109Fより優速な気がするが、これは計測状態の違いだ。

 この時期の米ソの最高速の出し方は、弾薬を搭載せず燃料を飛べるギリギリまで減らした”速度計測用(レコード)コンディション”で測るものであり、逆にドイツは史実や今生の日本と同じく、空気抵抗の大きなドロップタンクや爆弾などの外部装備は付けないが、機内燃料と搭載機銃の弾薬を満タンにした戦闘重量(コンバットコンディション)で計測するのが当たり前となっている。

 

 日独に限らず英もだが、特に戦闘機は「実際にパイロットが戦闘機で空中戦を開始する時、どのくらいの速度が出るか?」の実測値を重視していた。

 ソ連と同じレコードコンディションで計測するなら、Bf109もFw190も最高速+30㎞/hは手堅いだろう。

 

 他にも、カタログデータには現れないソ連機の弱点は多々あった。

 中でもお国柄と呼べそうなものもいくつもある。

 例えば、ガラスの透明度が低く、キャノピーや照準器の視界がドイツ機に比べてかなり”濁って”いたというのはどうだろう?

 更に品質(特に加工精度)のばらつきが酷く、カタログスペックが出ないのは良い方で、かなりのパーセンテージの不良品が発生した。

 実は、不良品3個のエンジンをバラして1個のまともなエンジンを組み上げるなんてザラにあったのだ。

 また、整備不良も割と頻発し、配備された機体と実際に飛べる稼働機に大きな差があったなんて話もよく聞く。

 

 結局、高確率の不良品の発生を生産数で補ってみせたのが史実のソ連であり、現在進行形でそうしようとしているのが今生のソ連だった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、戦闘機という端末ハードウェアだけでもこれだけの技術差・性能差があるのに、加えて冒頭のレーダーの有無という圧倒的な技術差がある。

 ドイツは、地上固定式のレーダーだけでなく、Ju86Pの機載レーダーや移動式の野戦レーダー(スモレンスク市内に隠蔽配置)まで用いて濃密なレーダー警戒網を形成。

 それだけにとどまらず、昼夜兼用の”発展型ヒンメルベッド”システムを導入。

 情報伝達こそ通信機を通じた口頭でのやり取りだが、味方機の誘導に関してはビーム・ライディング方式のコマンドガイダンスの半自動指令誘導まで実現していた。

 驚くべきは、地上の大規模なGCI設備だけでなく、戦闘機のような小型機にも電波高度計、半自動オートパイロット、誘導電波受信システム、トランスポンダ、敵味方識別装置(IFF)など最低限必要な装置を初歩的な物ながらコンパクトにパッケージングして搭載している点である。

 真空管やリレー、歯車だけでそれを実現してるのだから、何ともドイツ的と言おうか……

 

 以前、Fw190については書いたが、純粋戦闘機であるBf109にも当然、バッチリ搭載されているシステムだ。

 そして驚くべくは、これらの装置を搭載していながら、史実のオリジナルの機体と”空虚重量が変わらない(・・・・・)”事だ。

 つまり、カタログスペック的に大差がなくとも、見えない部分でしっかり史実より進歩しているのだ。

 そう、電子装備の差は、もはや無線機搭載数の格差どころではない、圧倒的と言ってよい開きが独ソにあった。

 

 

 

 因みにこの発展型ヒンメルベッドシステムと同等の半自動防空迎撃システムを構築できるのは、今のところ日英くらいしかいない。

 アメリカは?と問われるかもしれないが……

 少しだけ、本当に少しだけ機密……非公開情報を解除しよう。

 

 実はこの世界線において、日本皇国はレーダーなどの電波技術・電気技術・電子技術は国家の最高機密であり基幹技術であると定めており、国家機密や軍規でガチガチに固め、最先端技術はほぼほぼ英国とのみ技術共有・共同開発している。

 

 具体的な例をあげよう。

 例えば、1927年に史実と同じくレーダーの根幹技術となるマイクロ波を発生させる「分割陽極型マグネトロン(いわゆる真空マグネトロン)」が改春されたが、これは即座に(転生者が裏で糸を引いて)軍事機密(軍機)となり、特許として出願され受理されたのはその概要のみだった。

 つまり、真空マグネトロンの性質詳細や製造法を知っているのは日英だけで、共同開発で世界水準を飛び抜けた性能のレーダーを次々と(国防機密故の非公開で)開発できている理由でもあった。

 また、レーダー高性能化の”ダミー情報”として八木式アンテナ(ダイポールアンテナ)を大々的に国策として宣伝しており、今やテレビ受信用アンテナとして民生品としても普及しつつあった。

 

 

 

 無論、これだけではない。

 国家最高機密ではあるが……実は日本皇国、好き者の転生者(なんでも、ギターフリークでエレキギターとトランジスタアンプを作りたかったとか。国に資金援助を求めてきたときにゲット。機密指定解除後に国が資金を含めた全面支援を約束)の手により、既に”半導体ダイオード”と”トランジスタ”の開発・実験室レベルでの評価試験が30年代に終わり、天文学的な予算を投じて量産体制の準備段階に入っている。

 つまり、日本皇国は国際競争力のない真空管の時代から、やむにやまれぬ事情(荒っぽい軍用で使うには信頼性、耐久性、製造コスト、脆弱性が常に付きまとう)でソリッドステートの時代に一足先に入ろうとしていた。

 これは後年、とてもとても大きな意味を持つことになる……

 

 

 

***

 

 

 

 余談に聞こえてしまうかもしれないが、前話のラストに登場した、発展型ヒンメルベッド・システムに試験的に取り付けられたZuse(ツーゼ) Z4”という機材、今生のドイツ政府が(ヒトラーの厳命で)膨大な資金提供を発明家の”ツーゼ博士(・・)”に行い早期実用化にこぎ着けた”電気式(・・・)演算処理装置(コンピューター)(電子式ではないことに注意)”も決して無視してはならない。

 

 まだ、生まれたばかりのアナログコンピューターで、何が可能なのかよくわかってない状態ではある。

 だが、ドイツの未来はここにあるのだ。

 ドイツ政府がパトロンとなりツーゼ博士は、今、土木技師ではなく電子工学の博士となっている。

 そして、居場所は明かせないが彼と共同研究をしている男の名も記しておきたい。

 

 その男の名は、”フォン・ノイマン”

 そう、史実でも今生でも英国に居るチューリング博士と同じく、コンピューターという概念の生みの親であり、史実ではアメリカに亡命し”ノイマン型コンピューター”の概念を生み出した男だ。

 

 彼は家族ともども手厚く保護され(同時に存在を秘匿され)、”ドイツに在住(・・・・・・)”している。

 

 世界は、明らかに誰も知らない方向へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、ソ連機は史実通りでドイツ機は心持ち強化、ただ使っている装備や技術は、「この時代に既に存在してる物やその発展型」であり、この時点ではドイツの技術はまだ史実と比べて(見かけ上は)5年も進んでいないというw

例えば、ジェット戦闘機(まずはHe280)の実戦投入とかは43年になりそうですしね~。

むしろ、なんかヤベー事になりそうなのは日本皇国の方かもw
なーんか、この国って”隠しハイテク”多そうなんですよね~。
例えば、皇国は、別に真空管製造が苦手って訳じゃないんですが、国際水準を大きく上回る物を作れるわけでもなし、ならいっそ得意な半導体製造でも……みたいな感じですかね?
本格的なブレイクスルーは、当然、まだ時間はかかるでしょうが……

そして、最後に……ドイツに好待遇で家族ともども残留決定のノイマンw
アメリカm9(^Д^)プギャー

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第186話 地面を這いずっていようが空を飛んでいようが、赤軍戦車である事に変わりなしっ!!

ルーデルの旦那がノリノリですw




 

 

 

「砲弾もろとも、悉く爆ぜ飛ぶが良いっ!!」

 

 ルーデルの裂帛の気合い元に放たれた2発の500kg集束爆弾は、空中で成形炸薬式の子弾(PTAB)をバラ撒いた!

 投弾(送り)先は、移動を終えて砲撃準備に入ろうとしていた赤軍重砲隊。

 

 さて、今回のミッションを簡単に説明しよう。

 事の始まりは、ドイツの制空圏内を高高度で遊弋していたJu86P偵察機の光学観測型からの通報だった。

 Ju86Pは、偵察機にジャンル分けされているが、敵地上空に高高度から侵入するU-2のような写真偵察型だけでなく、先にも登場した大型機載レーダーを搭載した早期警戒(AEW)型、そして、各種高性能大型光学望遠鏡やステレオ式測距儀、高出力無線機、あまり探知距離は長くないが赤外線関知装置などを搭載したのが光学観測型だ。

 

 この時代、E-8”ジョイントスター”のような空対地レーダーはまだ実用段階にはなく、電波的探知手段ではなく光学的探知手段が主流だった。

 つまり直線的な意味で、「高いところからの方が良く見える」を実践してるのだ。

 

 実際、装甲車両が走ると発生する土埃、あるいは各種大砲の発砲炎や発砲煙は良く見える。

 そして、発見したのは移動を終えて停車しようとした赤軍重砲連隊の姿だった。

 これは偶然ではない。

 実は、野戦砲兵陣地の構えられる場所と言うのは、砲の射程や大きさ重さ規模である程度限られている。

 例えば、狭いところや起伏の激しい土地に陣地の展開は不可能だし、砲の重さや反動で沈み込むような軟弱な地盤も展開に適さない。

 スモレンスクのドイツ軍は入念に候補になりそうな場所を調べ上げ、スモレンスク防衛用地雷原とはまた別に、行軍阻止用の地雷原を通り道になりそうな場所や砲兵陣地構築可能な場所に埋設していた。

 そして、このJu86P光学観測型は、そのような場所を重点的に旋回しながら見張っていたのだ。

 

 

 

 無線にてスモレンスク防衛司令部に伝えられた情報を元に飛び立ったのが、ルーデル大尉指揮する12機のスツーカ中隊であった。

 腕利きが集められた……というのもあるが、実はこの世界線のJu87D/E、史実にはない特徴がある。

 後部機銃手の後部座席が史実のように固定式ではなく、アメリカの艦上爆撃機のように回転式になっているのだ。

 というのも、便宜上は機銃手になっているが、もはや別の機体と言ってよいD型は以降のスツーカは、後部座席に通信手と航法手の役割を持たせ、事実上の副操縦士(コ・パイロット)としての役割を持たせたのだ。

 つまり、前方、パイロットとの間に専用のコンソールが設けられているのだ。普段は前方の計器類に注意を払い、戦闘時には椅子を回転させて旋回機銃を構えながら後方を警戒するという忙しい役職になっていた。

 また、Ju87D/Eも戦闘機同様、専属のコ・パイロットがいるからむしろより高精度に例のビーム・ライディング方式半自動指令誘導が可能になっているのだ。

 

 今回の作戦もガーデルマンが電波高度計に注意をしながら低空を突進、ロケット弾投射、牽制の機銃掃射をしながら上昇、急降下爆撃という鉄板ルーチンだった。

 芸が細かいのは、最初に投射したロケット弾に詰め込まれたいたのは、爆発と同時に鉛玉をまき散らす対人/対非装甲目標用の榴散弾弾頭と、テルミットを仕込んだ焼夷榴弾弾頭との二種類で行われたのだ。

 明らかに牽引式重砲の非装甲部分や操作人員を狙い、あわよくば砲弾の誘爆を狙う攻撃であると同時に、対空射撃を妨害する気満々なのが手に取るように分かる。

 そしてばら撒かれる500kg弾1個に200発近く仕込まれた成形炸薬子弾の集中豪雨……さて、鉛玉交じりの爆風で兵士を吹き飛ばされ、消火困難なテルミット火災で火を点けられ、トドメに数千度のメタルジェットが軽装甲を焼き穿つ攻撃を食らった連隊規模の赤色砲兵隊が何門発射できただろうか?

 

 答えは神のみぞ知る。もっとも、神を信じぬ共産主義者に言っても無駄だろう。

 では答えは?

 諸元入力を済ませ砲撃を開始した、ドイツ軍の重砲のみが知っていた。

 

「フハハハハハッ! 見よガーデルマン! 砲も人も松明のように燃えておるわっ!!」

 

「いや、大尉。そんなんだから”空飛ぶ魔王”とか呼ばれるんですよ?」

 

 

***

 

 

 

 そして、新たな赤色兵力を狩るべく、補給のため基地に帰投しようとするルーデルの前に新たな”標的(・・)”が現れる。

 敵は戦闘機ではなく、Il-2M襲撃機7機。ソ連はロッテ戦法は使わないはずなので、密集を好む彼らの性質から考えて、数の中途半端さからどうやら味方機からはぐれた(Fw190あたりに追い散らされたか?)部隊のようだ。

 

 翼の下に装備は無く、行き掛けの駄賃ならぬ帰り掛けの駄賃、固定脚の旧態依然とした急降下爆撃機なら自分達も鴨撃ちできるとでも思ったのだろう。

 数的劣勢なのに仕掛けてくるとは、随分とルーデル達をナメた物だ。

 いや、あるいは本業の対地攻撃に失敗し、少しでも失点を取り戻したいと功を焦ってるだけかもしれないが。

 だが、それは悪判断だった。彼らが”足つきの旧式機”と判断したJu87Eは、過給機の変更などでJumo211系列最終型のJumo211Pを搭載し、その出力は1480馬力に達し、空虚重量は2810kg。つまり、Il-2Mに比べて200馬力以上ローパワーだが、1500kg以上軽いのだ。

 結果、外部に何も装備していない状態のJu87Eの最高速は410㎞/hに達していた。

 Il-2Mの最高速は411㎞/hとされているので、差はない(むしろ計測方法の違いからJu87Eの方が優速まである)

 

 だが、それを理解していないソ連パイロットは、何とも無謀なことに真っ直ぐルーデルへと突っ込んできたのだ!

 

「その心意気やよしっ!」

 

「あー、またこの魔王様は……ロシア人もそんなにルーデル喜ばしてどうすんだよ?」

 

 なんか、ガーデルマンの口調が荒れていた。キャラ崩壊か?

 

 一つだけ残念なお知らせをしよう。

 Il-2系列は”空飛ぶ戦車”と呼ばれる防御用の重装甲をコックピット周りなどに備えていた。

 また、ソ連機は白樺製(ラムダ)合板を使ってるせいか防御力に注力していて、燃料タンクをセルフシーリング構造にすると同時に、排気ガスの一部を冷却して不活性ガスとして燃料タンクに注力し防爆タンクとするという防御構造を持っていた。

 

 だが、地上攻撃が主任務のJu87DないしEの左右主翼に仕込まれたMG151/20㎜機関砲には、一般的な空対空弾である軽く貫通力の低い薄殻榴弾ではなく、「装甲車両を射貫くための」純粋な”徹甲弾(・・・)(APCBC)”が装填されていたのだ。

 Il-2Mの防弾装甲は、最も分厚い部分で12㎜。確かに航空機として考えれば重装甲だが、ドイツ製の20㎜徹甲弾は300mで厚さ25㎜の装甲板を貫通できる性能があった。(41年型T-34の上面装甲厚は16㎜、42年型T-34は20㎜)

 戦車の上面装甲を撃ち抜こうとしてるのだから、当然であろう。

 まあ、ルーデルにとっては、地面を這いずっていようが空を飛んでいようが”「赤軍の戦車」であることには変わりはない(・・・・・・)”。

 

(なら、破壊するまでの事っ!)

 

 付け加えるならルーデルに限らずドイツのスツーカ乗りは、「戦闘機パイロット訓練から、事情がありスツーカ乗りに転向した者」も多い。

 そう、チベスナのように諦観した表情のガーデルマンからの編隊内通信により、迎撃の命令が伝わったJu87隊12機は、綺麗に六つの2機編隊(ロッテ)を組んでいた。

 

「己の未熟さも悟れぬまま、散るがよいっ!!」

 

 この日、ルーデルは2機の「空対空戦闘での撃墜」を記録する。

 地上での撃破も含め、華々しい”戯曲・大空の魔王伝説”の一幕であった。

 

 またこの日の戦訓から、全て戦闘機のMG151/20㎜機銃に薄殻榴弾と徹甲弾が1:1の割合で装填されるようになったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いとは時にじゃんけんのような物だ。

 兵器にも相性というものがあり、同種の物同士をぶつける、それしか対抗手段がないのならいざ知らず、戦車に戦車をぶつけることが最適解とは限らない。

 ドイツ軍もそれはよく心得ており、赤軍カチューシャ潰しにロケット弾を鈴なりに搭載したFw190を使い、重砲へのファーストストライクにJu87を用いた。

 効果測定をしていた弾着観測機からの無線で、ドイツの重砲隊が行ったのは身動き取れずに半死半生、あるいは満身創痍となった赤軍重砲隊やロケット弾部隊にとどめを刺しただけだ。

 そう、繰り返すが相性というものは確かに存在するのだ。

 

 

 

 その日、赤軍大尉アンドレアノフ・オリョーコフには、人生最大の不幸が訪れていた。

 なぜなら……

 

「なんで……」

 

 隣を走っていた部下のT-34戦車がガクンと唐突に力尽きたように止まったのだから。

 

「何で飛行機に大砲が乗っかってるんだよっ!?」

 

”バグッ!!”

 

 だが、オリョーコフ大尉に今以上の不幸が訪れることはない。

 なぜなら飛来したHs129のMk103/30㎜機関砲から放たれた徹甲弾が彼のT-34(せんしゃ)の上面装甲を貫通し、車内で跳ね回り乗員全てをひき肉に変えたのだから。

 彼が苦しむことは、二度となくなった。

 正確には、苦しむことすらできなくなったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳でルーデル閣下、大暴れの回でした。

そら戦車の上面装甲射抜ける徹甲弾で撃てば、そらそうなるよと。
それにしても、”空飛ぶ戦車”と呼ばれるIl-2、マジで装甲厚半端ねぇなぁw
ガチでコックピット周り撃ち抜こうとすると、ガチで戦車用の弾丸が必要という。
まあ、今回は徹甲弾しこたま装填してた魔王様の勝ちと言うことで。


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第187話 ”第一次スモレンスク防衛戦”と歴史に記される事になる戦いの実像と”チェコの針鼠”

血みどろの陸戦の始まりです。




 

 

 

これは、後に”第一次スモレンスク防衛戦”と呼ばれる戦い、その陸上戦での記録である。

 

 

 

 それは正しく阿鼻叫喚だった。

 濃密な爆撃、砲撃と続き仲間達が次々と倒れる中で、ようやく何とか敵の防御線を示す有刺鉄線網や障害物が見える位置に来たと思った時だ。

 戦車に必死にしがみついていた赤軍タンクデサント兵が見たのは、ドイツ軍のロケット弾に混ざって飛んでくる……

 

「味方のカチューシャが俺達を撃ってくるべさっ!?」

 

「くっ!?  督戦が始まったとでも言うのかっ!?」

 

 魔女の巨釜が、いよいよ火力を強めてきた。

 

 

 

***

 

 

 

 本物のドイツ製地対地ロケット弾とサンクトペテルブルグで生産されたカチューシャロケット……あるものは、上空で成形炸薬弾をばら撒き、あるものは地表や戦車にぶつかった途端に水平方向に鉄球や鉛玉を爆散させた。

 

 戦車の上面装甲を穿ち、デサント兵を細切れにするロケット弾攻撃は、凄まじい密度の攻撃とは引き換えにその持続時間は極めて短いし、装填時間も長くかかる。

 そして、砲撃は長射程のカノン砲ではなく一般的な榴弾砲の先ほどまでと比べれば緩慢に感じる砲撃は、むしろソ連兵をホッとさせた。

 これならまだ理解もできるし、曲射砲撃は滅多に当たらないことも知っていたからだ。

 

 しかし、その砲撃に気を取られて足元が疎かになっていた。

 そう、地面が唐突に爆発したのだ。

 何のことはない。ドイツ人が仕掛けた地雷原に入っただけだ。

 

 気がつけば、ドイツ人の砲撃は地雷原に飛び込んだ自分達ではなく後続部隊へと移っていた。

 

 しかし、ここで前進を止めるなら赤軍などやっていない。

 地雷を踏んで擱座した戦車があると言うことは、その擱座した戦車の後ろにある進路には地雷がないということだ。

 「地雷の数より戦車の数の方が多ければ突破できる」と言わんばかりの突進だった。

 

 また、擱座した戦車から動けるデサント兵は飛び降り、有刺鉄線が張り巡らされた敵陣へ向かおうとするが……

 

”ドンっ!”

 

「ひでぶっ!?」

 

 仕掛けてあるのが対戦車地雷だけだと、何時から勘違いしていた?

 当然、凝り性のドイツ人が敷いた地雷原なんだから対人地雷だって仕掛けてある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チキチキ地雷原チキンレースのお次は、対戦車バリケードだ。

 さて、皆様は”チェコの針鼠”というものをご存じだろうか?

 簡単に言えば、鉄骨を繋ぎ合わせて作った”鋼鉄のテトラポッド”みたいな対戦車障害物だ。

 これを地雷原の先にズラリと並べてあるのだが……悪質なのは、そのすぐ先に対戦車壕があるというところだ。

 そして、対戦車壕の乗り越えた先にもズラリと”チェコの針鼠”が並んでいるのだ。

 和風に言うならお城を囲う空堀の両岸を、テトラポッドサイズのマキビシが壁を作るように並んでるとイメージすれば良いだろうか?

 

 これで何が起こるかというと、バリケードを無理に乗り越えようとすれば、ほぼ垂直に前から落ちる事になる。

 もし、主砲が前を向いていれば、ほぼ曲がるか折れる。

 ついでにでんぐり返るように高確率でひっくり返る。

 仮に無事に空堀に着地したとしても、今度は堀から進もうとしてもそこにも”チェコの針鼠”が待ち構えているのだ。

 つまり、今度は高確率で後ろ向きにひっくり返る。

 仮にひっくり返らないとしてもそこでドイツ人が何もしないとでも?

 

 ”チェコの針鼠”の壁の向こうには幾重もの有刺鉄線網があり、その先は普通の意味でのドイツ兵が身を潜めてる塹壕があり、そこには機銃座や迫撃砲を据えた野戦陣地があり、その後ろには(空堀を掘った時に出た)盛り土で人工的に作られた稜線がある。

 そこ有るのは、ダグインした戦車、対戦車自走砲、駆逐戦車、突撃砲、そして永久陣地(トーチカ)に仕込まれた対戦車野戦機動砲の砲列……

 言うまでなく直射砲ばかりで、砲弾共通の43口径長ないし48口径長の75㎜長砲身砲ばかりだ。

 つまり、ドイツの対戦車特効砲撃部隊は、僅かに盛り上がった丘の上から”撃ちおろせる”のだ。

 

 敵戦車は、空堀とバリケードの二重苦を乗り越えようと身を反らして無様に装甲の薄い腹を晒している。

 そして、自分はわずかな高低差とはいえ撃ちおろせるポジションにいる。

 こんな好条件で砲撃しない砲手はいるだろうか?

 もしいるなら軍人には向いてないだろう。

 

 

 

 さて、ついでに言うなら空堀の底には、要塞化の為に壊した民家などから出た廃材を用いた、先を尖らせた杭が無数に突き立てられていた。

 無論、空堀に落下してきた戦車には何の意味もない。

 しかし、戦車にへばりついていたデサント兵は果たして、落下の衝撃に耐えられるか?

 

 そして、落下の衝撃に抗えなかったデサント兵が放り出された先には尖った杭……見事、現代版の串刺し公の出現だ。

 加えて、ここにも密度はさほどではないが対人地雷と対戦車地雷が埋設されていたのだ。

 

 ひっくり返った戦車など、亀よりも元の姿勢には戻りにくい。

 実は、このような野戦築城にも機械化の波は押し寄せていて、既にスモレンスクを後にし軍の工兵隊にバトンタッチしたが重機の扱いに慣れたトート機関が大暴れした結果がこれであった。

 確かに戦車が落っこちてひっくり返って出れなくなるような壕はいかに人海戦術を駆使しても人力だけでは時間的に不可能だったろう。

 

 しかし、流石はソ連軍であるならば落ちた戦車で空堀を埋めてしまえば良いと突進を繰り返した。

 壕に落ちたくないと”チェコの針鼠”の前で停車した戦車はドイツ軍に高初速の75㎜徹甲弾を撃ち込まれるか、あるいは後ろからソ連製76.2㎜徹甲弾を撃ち込まれた後に押し込まれて落ちるかのいずれかだった。

 

 一見すると蛮族その物の戦い方だが、実は合理的でもあるのだ。

 無論、「兵隊が畑から生えてくる」ソ連式のロジック……つまり現在、”死の強行突破(デス・スタンピート)”を強要されている中央アジア出身者や非ロシア系ソ連人、あるいは辛うじて生き残っていたコサックなどは、T-34戦車同様に”消耗品”と見做せばであるが。

 

 ソ連は、いや共産主義は民族による区分や区別はしないという”建前”だ。

 だが、それが所詮は建前でしかない事は歴史が証明している。

 例えば、コサックに対しては公式な政策として”コサック根絶”を行っており、一説には50万人以上のコサックが処刑もしくは国外追放になったらしい。

 

 

 

 現在、激怒しているスターリンから直接命令を受ける立場にある赤軍司令官例えば、シモチェンコ、エリョーマンコ将軍は気が気じゃなかったろう。

 彼ら、あるいは政治将校、もしくは共産党指導部は彼らを捨石、あるいは「T-34を動かす部品」として戦車と同じく消耗品と見なすしかなかった。

 スターリンの怒りはそれほど深く厳命されていたのだ。

 

 彼らは何が何でもスモレンスク、いや”カティンの森”を一刻も早く制圧せねばならなかった。

 例え、どれほど犠牲を払っても。

 自分達が粛清されないために。

 この作戦のソ連側の責任者達もまた命懸けの戦いを強いられていたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 乗員ごと戦車で対戦車壕を埋める強硬策は、多大な犠牲を払いながら一応の成功を見た。

 犠牲の数を考えれば、ドイツ基準ではとても成功とは言えないが、とりあえず空堀の一部は埋まったのだ。

 

 ソ連的に言えば、「ロシア人(にんげん)の人的損失は軽微」なので、無論作戦は続行だった。

 実際、渡れた戦車よりデサント兵の生き残りの方が多数ではあった。

 

 強行突破しようとする戦車はたちどころに75㎜徹甲弾の洗礼を浴び、爆発炎上する車体が数多く出た。

 だが、ソ連の論理であれば「ドイツが備蓄している砲弾より渡れた戦車の数が多ければ勝てる」戦いだ。

 

 そしてデサント兵、いや乗車を失いただの歩兵に立ち戻った彼らに後退は許されなかった。

 督戦隊(みかた)に撃たれるからだ。

 味方とはなんぞ?という哲学になりそうだが、彼らにとりそれが当たり前だった。

 

 そして、赤軍歩兵を阻んだのは有刺鉄線網とあちこちに埋められたやはり地雷だった。

 

 地雷の数(有刺鉄線もだが)が多過ぎるように思えるが、これにはからくりがある。

 いつもの通りサンクトペテルブルグか?

 それもある。

 だが、特にこの時代の地雷と言うのは、火薬を使った武器の中でも単純な部類に入る。

 特に火薬と飛び散る鉄球と鉛玉、踏んだだけで作動する発火装置を缶詰の缶に入れただけで作れる対人地雷なら猶更だ。

 

 つまり、”どこででも、誰にでも作れる”のだ。

 だから、ドイツは国外に発注し、普通に輸入することで数を揃えたのだ。

 

 ちなみに地雷輸出元は、現金や金塊よりドイツ製の自動車やら兵器の物々交換の方が喜んだというのだから、まあ輸出国はお察しくださいだ。

 ちなみに日本皇国は遠すぎて無理。

 だが、その同盟国は……まあ、買い取ってくれるのだから、余剰在庫を嬉々として売りつけたようだ。

 赤軍がダメージを蓄積させることは、紳士たちの理にも利にもかなっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




罠だらけの敵陣地に数に任せて強行突破かけりゃ、まあそりゃそうなるわなという。

スターリンからの「一刻も早く奪還せよ」との厳命とくれば、そりゃあ無茶でも無謀でもやるしかないですからね~。
なんせ赤色将軍たちも自分の命がかかってるし。主に粛清的な意味において。
実際、力業である程度の突破は出来ているので、「このままゴリ押しでいけんじゃね?」とソ連側に思わせるのがミソ。

集団突進は、収束をバラして力を分散させながら段階的に突破力を削り取っていくのがコツですからね~。


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第188話 戦闘の途中ですが、フォン・クルスにヤベー連中が面会希望だそうですよ?

ちょっとスモレンスク防衛戦も中休み。

箸休め兼伏線回収回にして、新たな伏線回です。








 

 

 

 さて、スモレンスクでの戦闘はヒートアップしてる最中ではあるが、いったん視点を同時期のサンクトペテルブルグ、冬宮殿へと戻してみよう。

 4月1日を迎える1週間ほど前、来栖はハイドリヒとシェレンベルクにエスコートされた数名のロシア人(?)と面会していた。

 

 

 

 

「吾輩はバベル(・・・)・ベルモント=アヴァロフである」

 

 うんうん。にんざぶろー知ってるよ。

 元”西ロシア義勇軍”司令官で、ドイツにおけるコサックを含む白系(反共)ロシア人のまとめ役で、今は政治家に転身して本家ナチ党のお墨付き政治団体”ロシア国家社会主義党”の頭首だっけ?

 ”ロシア国家社会主義党”の結党理念は、「悠久のロシアの大地より不浄な共産主義を駆逐し、偉大な国家社会主義(ナチズム)を染み込ませる」だっけ?

 つか、さっさと大島大使のとこへ行け。ナチズム語りたいのならあっちの管轄だ。

 

「我が名はフィリップ(・・・・・)・クラスノフ。ドイツ白系ロシア人軍団の司令官を務めている」

 

 うん。政治面がアヴァロフだとしたら、クラスノフの管轄は「ロシア革命やその後の弾圧で祖国から追放されたり逃げ出したりしてきた反共ロシア人」の軍事面のトップだ。

 亡命白系ロシア人コミュニティーで募った”正統ロシア義勇軍”の司令官だ。

 ただし、保有兵力はせいぜい1個師団だったか?

 

「アンドレアノフ・ウラソフです。”ロシア解放軍”の司令官にこの度、任命されました」

 

 このメガネの男は知っている。”レニングラード”で捕虜になったレアな赤軍司令官だからだ。

 どうやら史実通り(恐らくNSRあたりの言葉通りの説得で)寝返って、赤軍捕虜で結成される”ロシア解放軍”の頭目に収まったらしい。

 

「ヒョードル・トルーヒンです」

 

 こいつも見覚えがある。

 確かバルト三国での作戦での捕虜だったか?

 

「サヴェリイ・ブニャチェンコです」

 

 確かウクライナ出身でホロドモールの経験者。農業集団化政策を批判し、そのために共産党から除名された過去がある。

 本来ならコイツが捕虜になるのは42年の12月だが、史実より早くクリミアが陥落してるのでその影響だろう。

 史実通りなら、自ら投降して”ロシア解放軍”に志願したはずだ。もしかしたらスカウトされたのかもしれないが。

 

「コ、コンスタンティヌス・ヴォスコボイニク」

 

「ブ、ブロニスコフ・カミンスキーです」

 

 何気にブリャンスクがあっさり陥落してたから、別にいても不思議じゃないんだが……

 なんか目上のお偉いさん会うのに慣れてない雰囲気の二人、史実の”ロシア国民解放軍”……いや、”カミンスキー旅団”と言った方が通りが良いか?

 元をただせば、ブリャンスクで共産パルチザンが強盗殺人を繰り返すから、その対抗策として現地住民で組織された自警団を起源とする部隊の頭目と副頭目だ。

 正確に言えば、ヴォスコボイニクがリーダーでカミンスキーが補佐。ヴォスコボイニクが生きていた頃がロシア国民解放軍で、彼が共産パルチザンに殺された後はカミンスキーが指揮権を引き継ぎ、名を冠したカミンスキー旅団となった。

 

(しかし、史実ならこの時期、ヴォスコボイニクは既に殺害されてる筈なんだが……)

 

 だが、生きてサンクトペテルブルグに来てるってことは、まだ今生では組織化されてないのか?

 

 いや、それはともかく……

 

(どうしてこうなった……!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「フォン・クルス総督、前に合わせたい人間がいるって話したじゃないですか?」

 

 それは冬の寒さが緩んできた、とある3月初旬の朝。

 シェレンベルクがそんなことを執務室で切り出してきた。

 

「そういえば、そんなことを言ってたな?」

 

「先にネタばらしをしてしまうと、NSR(ウチ)がブリャンスクで確保した現地の反共自警団の指導者コンビだったんですよ」

 

「ふ~ん」

 

 そんなんと引き合わせて何をさせたいんだ?

 面倒見ろって事か?

 

「そうなる筈だったんですが……」

 

 何やら言いだしにくそうだな?

 

「うちの長官に許可を取ろうとしたら、正式にサンクトペテルブルグ総督になるならもっと上役と面通しした方が良いって話になりましてね」

 

「はぁ?」

 

 いや、なんでそういう方向に話が流れるんだ?

 

「上役ってロシア人のか?」

 

「まあほら、ドイツ……というかNSRって仕事柄、反共(白系)のロシア人と嫌でも付き合いが多くなると言いますか」

 

 そういやそうなんだよな。

 史実でも、ドイツにはロシア革命で国を追われた、あるいは自ら出てきた反共産主義のロシア人、いわゆる”白系”ロシア人のかなり大きなコミュニティーがあった。

 だが、史実のナチスは、スラブ人差別などが邪魔をして、彼らを上手く扱えなかった部分がある。

 

(しかし、今生では大分様子が違うな……)

 

 少し調べてみたが、ナチズムその物が何度か話題にしているように段階的に史実より「マイルド・ナチ」になっている事。

 あと、確実に転生者が裏で手を回したのだろうが……

 

(ロシア系の帰化住民が多過ぎるんだよな……)

 

 具体的に言うと、俺の知ってる「バイカル湖で死んだ白軍とその家族」の倍くらいドイツとその周辺に増えている。

 しかも、そのかなりの割合が旧富裕層(ブルジョワ)、プロレタリアートやボリシェヴィキの絶対敵だ。

 まあ、帝政ロシアの高級将校は貴族階層が大半だったから、これは不自然ではないが……

 

(おそらく、増えた数百万の白系ロシア人は、自分の命を”買った”んだろうな)

 

 持ち出した財産で身の保証を得た。

 そして、その資金が(おそらくは国ぐるみの)地下銀行を通して、国策として1928年の世界恐慌までのアメリカンバブルに投機され荒稼ぎ、世界恐慌直前で回収してナチスの資金源の一端になったって筋書きだろう。

 間違いなく当時の転生者は第一次世界大戦の敗戦を予見して資金隠しをし、アメリカへの投機に用いただろうが、それにしたって額が大きすぎる。

 何しろ、現在のナチスドイツ(あえてこういう言い方するぞ?)は、史実と比べて資本力が大きすぎるのだ。

 軽く数倍……ドイツが各地で略奪行為をせず(軍規で許さず)、品行方正の軍隊のままでいられ、尚且つ長期戦を念頭に独ソ戦が開始でき、また一度占領・降伏した国にマルク借款で復興資金の貸し付けができたり、あるいは成長企業に投資できたりする経済力……と言ったらイメージできるだろうか?

 

 投機ってのは成功するならぶっこんだ金額によって利益は変わるから、おそらくは他にも色々やってることだろう。

 

「それで長官が言うには、フォン・クルス”サンクトペテルブルグ”総督に面会を望む方々が、どうにも私の手にはあまりましてね」

 

「つまり?」

 

 予想はつくけど……

 

「ハイドリヒ長官が自らコーディネートとエスコートを行うと」

 

 

 はぁ。やっぱりそういうオチかい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(ハイドリヒが絡むとロクなことにならない定期)

 

 まあ、今回は本当に顔見せだったのが救いだ。。

 本格的に何かを交渉するのなら、俺が正式にサンクトペテルブルグ総督になった後と言うところだろう。

 

 そして、ハイドリヒと二人きり……つまり、転生者同士の話し合いができる状況になったところで、

 

「感触はどうだった?」

 

 開口一番、ハイドリヒはそう切り出してきた。

 

「……近い将来、サンクトペテルブルグ総督権限で自由に動かせ、”荒事に対応可能”な純粋戦力(・・・・)を、”ドイツ正規軍とは別口(・・)”で確保しておけって事で良いのか?」

 

 リガ・ミリティアは繰り返すが戦闘用部隊ではない。

 

「察しが良くて助かる。建前的には合衆国の”州兵”のような物だ」

 

 コノヤロー。人の気も知らんと、いけしゃあしゃあと

 

「ロシア革命で逃げ出してきた”白系ロシア人”の軍隊と、捕虜の受け皿になる”寝返り赤系”の軍隊……あれは水と油だ、両方を面倒見るのはは不可能だ」

 

 反目とは言わないまでも、あからさまに距離をとっていたからな~。

 

「二者択一なら、どちらを選ぶ?」

 

赤系(・・)

 

 俺は迷わず返した。

 

「またどうして?」

 

 興味深そうに聞き返すハイドリヒ。

 わかってるくせに性格悪いぞ?

 

「白系ロシア人はそもそも目的が、”祖国(ロシア)への凱旋”だ。連中が求めてるのは共産主義の駆逐までは良いが、その後はロマノフ王朝の血を引く誰か……”ロシア帝位請求者”でちょうど都合がいいのがいただろ? あれを皇帝に据えての帝政ロシア復活が最終目標だ。違うか?」

 

 すると、ハイドリヒは笑みを深め、

 

「アヴァロフは国家社会主義者だぞ?」

 

 何言ってやがる。

 

「別にナチズムと帝政は必ずしも矛盾するもんじゃないだろ? そのための”ロシア(・・・)国家社会主義”なんだろうしさ」

 

 オリジナルの国家社会主義でもなく、わざわざロシアの3文字を入れるんだ。

 民族であるスラブ(・・・)ではなくロシア(・・・)だ。

 

「白系にとってロシアとはなんだ?」

 

 皇国人に”日本皇国とは?”と聞くような物だ。

 ハイドリヒはため息をついて、

 

「遊び心がないな」

 

「いらんよ。そんなん」

 

 ともかくさ、

 

「白系ロシア人は、そもそも元皇国人でドイツ国籍になる俺が、サンクトペテルブルグ総督に就任する事自体、心の底では嫌悪してるんじゃないか? ここは帝政ロシアの帝都で、俺は帝政ロシアの滅亡のきっかけを作った日露戦争でロシアをボコボコにした日本人だ」

 

 連中の目線からもそれを感じられた。

 

「白系ロシア人にとり、俺が冬宮殿に居座ってることだって、本来は不敬だと思うはずだぞ?」

 

「そんなもんか?」

 

「そんなもんだ。対して、寝返り組には後がない。ソ連に戻ったところで、家族もろとも粛清される未来しかない。共産主義の洗脳をどう解くかって問題はあるが……」

 

 するとハイドリヒは苦笑して、

 

「流石に人選は軍とNSR(ウチ)が責任もってやるさ。そっち総督閣下の手を煩わせるような者を送り込まんよ。獅子身中の虫になりそうだと思ったら送り返してくれて構わん。責任もって”後処理”はする」

 

 そういえば、「コミッサール指令(=政治将校、政治委員に対する即時殺処分命令)」とかこの世界では特に出てないんだよな。

 逆に、「政治将校が軍司令官を説得して投降した功績を考慮し、捕虜として厚遇する」なんて情報まで流布している。

 

 しかもタチが悪いのは、それが事実だって事だ。

 一般の将兵は、生きていればごく普通の意味での捕虜収容所に送られるが、「降伏に貢献を認められた政治将校」は、NSRや軍情報部が管轄するホテルやら保養所やらで悠々自適な”軟禁生活”だ。

 しかも、情報提供などの「積極的な協力姿勢」があれば、亡命受理や新たにドイツ国籍と新しい名前の用意など様々なオプションプランまで付いてくる。

 ちなみにその優遇措置の中には、ウォッカ飲み放題プランとかもあるらしい。

 

(寝返らせる頭からってのは、鉄板だしな)

 

 ならば俺も少々要求しようか。

 

「ところでハイドリヒ、もし俺にロシア人を押し付けるなら借りたい人材がいるんだが?」

 

 正規の軍事教練もアテにならないのがソ連と言う国だしな。

 

「誰だ? 都合できるなら、するぞ」

 

 できるさ。なぜなら、

 

「一人はジレンコフって政治将校……政治委員かもしれないが、もう確保してあるんだろ?」

 

 身分が露見し捕縛されたのは史実では42年の5月だが、今生でのドイツの方針なら、率先して捕虜になってるだろう。

 

「確かに捕縛しているが……良いのか? 政治委員だぞ?」

 

 ……なんか、目線で「明らかにお前と相性が悪い」と言われてる気がするが、

 

「安心しろ。腹いせに嬲り殺しにするとか、兵たちのストレス委発散の道具にするとかじゃないから」

 

 精々、厚遇してやるよ。利用価値があるうちは。

 そして、

 

「”パウロ(・・・)・ハウサー”中将。NSRにいるんだろ?」

 

「あの頑固オヤジをか? またなんで?」

 

 意外そうな顔をするハイドリヒに、

 

「チンピラの集団を精鋭に仕立て上げるには適任者だろ?」

 

 まあ、それと………

 

「サンクトペテルブルグに送る30代中盤から40代以上の中堅から上級指揮官な、なるべく隠れキリシタン……ロシア正教徒を選んでくれ」

 

 その年代なら、「革命前」を覚えているはずだ。

 

「もしかして、そいつは……」

 

「いつか相談しようと思っていたんだがな、そういうことなら早めた方が良いな」

 

 総統閣下に謁見の機会があるなら、ハイドリヒに先ぶれを頼むか……

 

「前々から考えていたが、信仰を……”正教会”を正式に復活させようと思っているのさ」

 

 このサンクトペテルブルグでな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フォン・クルス、いよいよ固有戦力の保有を要請されるw

史実より上手くドイツに溶け込んでる白系ロシア人より、寝返りアカ組の方が、そりゃあ来栖と相性良いでしょうなぁ~。
後がなく追い詰められてる人間の方が、使いでもあるでしょうし。何しろ、必死さが違う。
まあ、いくらなんでも史実の米ソほどは来栖は外道を極めてないので、いくらかマシな結末に……なるといいなぁ。

そして、来栖がやってみたかったこと……”正教の復活”。
この男、宗教が”諸刃の剣”だという事は理解しているのですが、まあ、共産主義に対する強力な精神的対抗策になりますからリスクよりメリット優先です。

ですが……この男、「サンクトペテルブルグという象徴的な地で正教会(キリスト教)を復活・復興させた」者が世間的に、あるいは世界的にどう見らるかまるっきり理解してませんw
むしろ、

「まずは、四大聖堂の復活からかな~」くらいしか考えてませんな。

この外交センスのなさよ……そんなんだから、外交官をクビに(笑)


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第189話 やがて日は沈み、また日は昇り、ようやく最初の戦いは終わる ~陸戦パート。要塞砲とかツヴァイヘンダーとかインスタントカメラとか~

陸戦だ
陸戦だ
待ちに持った泥臭く血腥い大陸戦だ!
(某最後の大隊少佐風)







 

 

 

 地獄の戦場はまだ続いていた。

 有刺鉄線に絡め取られた歩兵にクラスチェンジした赤軍タンクデサント兵は、MG34ないし先行量産型が回ってきてるMG42汎用機関銃が、最近、ドイツ軍でもよく見かけるようになったZB26/30分隊支援機関銃が、あるいはまだまだ現役のマウザーKar98k小銃を抱えた4人1組+スポッター役1名による臨時編成のマークスマン分隊(狙撃兵の専門訓練を受けていないため4人が1つのターゲットを撃つ「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式)、そして本職のZf41光学照準器(スコープ)付のKar98k狙撃仕様、あるいはここ最近でZB26軽機関銃と共に戦場で見かけるようになった同じくスコープ付きのZH29半自動小銃を使う本職のスナイパーが次々に仕留めてゆく。

 ZH29はまだ配備数が少ないので、どうやら狙撃兵に優先的に回されているようだ。

 まあ、来年にはワルサー社が”狙撃用半自動小銃”を生産予定なので、そうなれば分隊付狙撃手(マークスマン)にも回ってくるだろう。

 

 彼らの共通項は、長射程の8㎜マウザー小銃弾(7.92㎜×57弾)を用いてるということ。

 動く敵より、まずは仕留めやすい”罠にかかった獲物”を撃つのは定石だった。

 加えて、時折、機銃の発砲音と呼ぶには野太い音が混じる。

 

 そう、地対地掃射するたびに赤軍歩兵を小隊単位ひとまとめでなぎ倒しているFlakvierling38/20㎜機関砲4門を備えたIV号対空戦車”ヴィルベルヴィント”だ。

 対空戦車としては同じくIV号戦車の車体にMk103/30㎜機関砲2門を据えた”クーゲルブリッツ”に主役の座を渡しつつあるが、対地掃射……歩兵相手の20㎜機関砲の水平射撃は、文字通り射線にある者全ての人間を比喩でなく細切れに変える恐るべき効果を示していた。

 

 他にもドイツ製、あるいはサンクトペテルブルグ製の迫撃砲の少し気の抜けた発砲音が途切れることなく続き、赤色歩兵たちを次々に吹き飛ばしていた。 

 そして、悪質なのは一部の有刺鉄線には電気が流れていた事だ。

 全てではないのが逆にミソだ。

 これまで普通にワイヤーカッターで有刺鉄線を切っていたのに、いきなり絶縁処理されてないカッターなら感電するし、仮に絶縁したカッターで切ったとしても電気が流れてないと思い通った途端に感電なんてケースが頻発した。

 この電気柵の目的は、実は敵兵を感電死させることではない。

 どの鉄条網に電気が流れているか分からない疑心暗鬼を起こさせ、進撃の脚を鈍らせる事が目的だった。

 

 

 

 無論、この間にも文字通り味方の屍を踏み越えて対戦車壕を突破できた運も実力もあるレアなT-34戦車には、関門突破の褒美とばかりに次々と75㎜徹甲弾が放たれていた。

 

 そして、同じく運も実力もある赤軍歩兵がドイツ兵が潜むだろう塹壕に近づこうとした瞬間、MP38/40短機関銃の一斉射撃が始まる。

 

 ソ連のタンクデサント兵と言えば、PPSh-41などの短機関銃がお約束だが、ドイツだって短機関銃の配備数や密度は負けてはいなかったのだ。

 時折、ドイツ名物”ジャガイモ潰し棒(ポテトマッシャー)”と呼ばれる柄付き手榴弾が乱れ飛ぶ中、壮絶な撃ち合いが続いた。

 

 だが、塹壕に体のほとんどを潜らせ、他の機関銃や迫撃砲、小銃狙撃の支援を受けれる、必要なら”無線機”で後方の火力支援をオーダーできるドイツ軍防衛部隊に対し、地雷や有刺鉄線網などの障害物はあっても遮蔽物のない場所で匍匐前進しながら進むしかないソ連兵は、驚くべき速さで死傷者を増やしていった。

 

 

 

***

 

 

 

 世の中には、運が良い者というのは必ずいる。

 例えば、どんな激戦地でも必ず地形の関係で射線が通らない場所は存在するのだ。

 そう、重機でも排除できなかった大きな岩の影など。

 

 そして、気がつけばそこは赤軍兵士の溜まり場のようになっていた。

 少なくとも、ここにいればしばらくは機銃弾は飛んでこない……そう安心した矢先、

 

”BOM!!”

 

 何かが爆発……手榴弾か?と思う間もなく、700個の鉄球に刻まれ、多くの兵士が絶命した。

 有線スイッチでタイミングを図られ起爆した”それ”の名は、

 

 ”ツヴァイヘンダー指向性対人地雷”

 

 サンクトペテルブルグで開発され、試供品として持ち込まれた新型地雷、要するに”クレイモア地雷”の時空を超えたパクリだ。

 ちなみにツヴァイヘンダーもクレイモアも、作られた場所や時代が違うだけでどちらも”両手剣”である。

 そして、それは戦場で随所で見られた光景だった。

 獲物が逃げ込みそうな場所に罠を仕掛けるのは、確かに戦場の基本だった。

 

 

 

 さて、思いもよらなかった物も含め活躍する兵器がある一方、せっかくスモレンスクに搬入されたのに、あまり活躍の場がなかった武器もある。

 対戦車ロケットランチャー”パンツァー・シュレック”、対装甲擲弾”パンツァー・ファウスト”などの対戦車装備だ。

 何しろ歩兵が潜む塹壕までたどり着けたT-34戦車がいなかったのだから仕方のないことだが。

 パンツァー・シュレックの射程は100~200m、パンツアー・ファウストはサイズにより最大射程が異なるが、大体同等からそれ以下くらいだ。

 短機関銃の射程とどっこいであり、そうであるが故に短機関銃がメインウエポンの塹壕兵に50㎜軽迫撃砲など共に火力支援として携行させていたが、まあ射程の短さゆえに今回は出番がなかったという訳だ。

 ただ、赤軍兵に関して使用されたケースがあり、対装甲用の成形炸薬型だけでなく対人榴弾(榴散弾)仕様の開発要求が出たことは特筆しておく。

 

 また、この時点では残念なことに列車砲(クルップK5)の出番もなかった。

 正直に言えば、スツーカの空爆と、往年のフランス陸軍の砲兵隊と正面から撃ちあって捻じ伏せられるレベルに達していたドイツ重砲隊で十分に対処可能だったというのが主な理由だ。

 

 勿論、15㎝級以下の牽引式の機動砲も活躍したが、特筆すべきはより大型で一応、牽引はできるが重量的に機動的運用が難しい(史実では撤退時などに破棄されることが多かった)”21cmMrs18”重臼砲や17㎝K18重カノン砲が非常に意気軒昂にドカスカと撃っていた事だろう。

 加えて、史実にはドイツで生産されるはずのない大型”固定”砲がお目見えしていた。

 そう、旧チェコのシュコダ社で開発されていた”210mmBr17”重カノン要塞砲、”305㎜Br18”重榴弾要塞砲だ。

 

 前に書いたかもしれないが、この世界線においては、ドイツは併合したチェコの資産の一切合切をソ連にくれてやる気は無く、その話題もなかった為にシュコダ社は自動車のタトラ社やチェスカー・ズブロヨフカ社(ZH29小銃の開発元)、元々は国営兵器工廠だったが今は民営化しているブルーノ社と同じく完全ドイツ企業だ。

 故にBrは固定砲を示すコードとなり、要塞砲という名称でドイツ軍に納品され、こうして要塞化したスモレンスクに多く配備されているという訳だ。

 固定砲と言っても戦艦の旋回砲塔と同じく旋回式砲座で全周囲砲撃が可能である。

 ついでに言えば、これら巨砲にはどこかで見覚えのある”電気式演算機”が試験的に弾道計算機として取り付けられていたようである。

 

 従来のドイツ軍水準なら常軌を逸した数の長射程砲がスモレンスクに配備されていた上に、少なくともスモレンスクからカティンまで射程に入れられる制空権を完全確保した空軍戦闘機隊が守る空の下、露払いのFw190や本命のJU87が片っ端から重砲隊を損傷を与えて身動き取れなくした後に、次々と長射程重砲隊が潰して回ったためにこういう結果となった。

 

 もっとも、”今”出番が無いからといって完全に出番が無い訳ではない。

 スモレンスク防衛戦はまだ始まったばかりだ。

 ”虎の子”や”切り札”というのは、使いどころや切り時があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、一昼夜に及んだ初日の戦闘で、押せ押せのガンガン行こうぜを実行した赤軍の第一次スモレンスク攻略戦は、後年の資料によればソ連側の投入兵力(この初日だけで投入された兵力。のべ投入兵力や総動員兵力でないことに注意)は61万人前後とされている。

 本来はもっと数に任せた攻めがしたかったろうが、スターリン直々に急ぐよう厳命されたために、とりあえずに直ぐにかき集められるだけの兵力を集めて投入された感じが否めない。

 東西南北から一斉に攻め寄せたような圧迫感はあったが、どうにも統制あるいは連携が取り切れていない雰囲気があった。

 そして、それが結果として赤軍の被害を拡大させた一因となったようだ。

 

 兵力61万うち、戦死者・行方不明者は約19万8千人程度。負傷者も重軽症合計15万人前後出たとされる。

 ただし、戦時中のソ連側の発表は5万人弱と非常に少ない。

 別に噓はついていない。「ロシア人の死者数」は、まさにその数なのだろう。

 赤軍は「消耗品」を(少なくても戦時中は)戦死者に含めないことにしたようだった。

 

 そして、この日の戦闘でドイツ側の戦死者・行方不明者は1万人に届くか届かないかだった。

 独ソの地上兵力キルレシオ、おおよそ1;20……いくら動員力に差があり、(連邦として考えるなら)人口はソ連の方が大きいと言っても、許容量や限度を超えそうな数字であった。

 

 航空兵力でもキルレシオに差が付いたようだ。

 この初日の戦闘だけでソ連はのべ380機を投入したと言われ、そのうち約220機が撃墜され、30機が帰還途中で墜落したか修理不能の大破判定となっていた。

 ドイツ機の被撃墜は7機、修理不能の大破判定は5機。パイロットの死者・負傷者は合計5名であった。

 

 つまり、ドイツ陸軍兵士が一人斃れる間に赤軍兵は2個分隊が消え、ドイツ機が1機落ちる間に20機以上のソ連機が落ちてる計算になる。

 流石にこれは看過できる損害ではなかった。

 

 これだけの大差がついた要因はいくつも考えられる。

  ・史実と異なりスモレンスクが完全な要塞として機能するようにセッティングされていたこと

  ・ドイツ軍が無茶な冬季攻勢でのモスクワ攻略などで消耗していなかったこと

  ・その時間と物資と労力をスモレンスクの防衛力強化に振り分けられたこと

  ・ソ連側が不十分な戦力(地上兵力はスモレンスク配備兵力の倍に届いておらず、航空兵力はむしろ劣勢だった)で、また連携も稚拙だったこと

  ・無線機の保有数、レーダーの有無など電波・電子装備の量と質にあまりにも大きな格差が存在していたこと

  ・結果として一瞬たりともソ連空軍は制空権の確保や航空優越が取れなかったこと

  ・史実と異なり、この時点でドイツ側がT-34戦車をアウトレンジで撃破できる戦車・対戦車車両・野砲などが十分な数を準備できたこと

  ・史実と異なり、この時点でドイツ側がソ連重砲隊と正面から撃ちあえるだけの火力や門数の重砲・ロケット弾を準備できたこと

  ・戦闘機などのハードウエアの性能差、パイロットなどのソフトウェアの技量差など厳然とした格差があったこと

  ・空対地・地対地ロケット、ツヴァイヘンダー指向性地雷など赤軍が想定していなかった兵器が存在していたこと

  

 他にもあるだろうが、結論から言えば、

 

  ”赤軍は、スモレンスクを攻め落とすには、何もかもが足りなかった”

 

 のだろう。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日、ソ連軍は攻めてこなかった。

 おそらく、あまりの損害の多さ……想定以上のダメージに、部隊の再編に相応の時間がかかっているようだった。

 虎の子であるJu86高高度機の最終型Ju86R超高高度偵察型を投入し、U-2ばりのソ連機迎撃不可能な高高度からの威力偵察でその状況を報告した。

 元々、ドイツはシーメンス・カロルス・テレフンケン方式という写真電送を持っており、その様子は手早く関係各所に伝播された。

 もう一つ、恐ろしい現実を書いておこう。実はドイツ、つい最近、アメリカに先んじる形である先端技術の開発に成功している。

 それは、”インスタント・カメラ”だ。

 これは大々的に既に発表されており、国内特許も獲得済み、国際特許も出願中だ。

 つまり史実のポラロイド社を出し抜いてみせたのだ。

 ここで重要なのは、Ju86R偵察型は、撮った写真を機上で現像でき、それを基地へ電送できるということだ。

 今でこそ写真どころか動画も簡単にネットにアップできるが、1942年と言う時代を考えれば、これがどれほど重要な意味を持つかわかると思う。

 

 ちなみに史実でも今生でも、この画像電送の分野は日本は最先端を突っ走っており、他国より解像度の高い写真を送れるNE式写真電送機と言う独自のシステムを開発し、史実では1936年ベルリンオリンピックのベルリン⇔東京間に敷設された短波通信回線により電送された写真が新聞紙面を飾ったという記録が残っている。

 それまでは写真を物理的に空輸していたことを考えると、やはり隔世の感がある。

 

 

 

 ソ連側はそれで良いとして、守り手のドイツ軍はというと……

 

「こりゃ結構メンタルに来るな……」

 

 塹壕エリアまで入ってきた敵兵の遺体を皮切りに、対人地雷に気を付けながら有刺鉄線網に引っかかった死体、その他、あちこちに散乱している死体を次々に対戦車壕、巨大な空堀へと放り込んでいた。

 

 トハチェフスキーの示した”攻撃三倍の法則”ではないが、確かに”ヤマアラシ要塞スモレンスク”は想定通りの防御力を発揮し、見事に撃退してみせた。

 しかし、攻城戦防衛側の常である死体の処理が待っていたのだ。

 防衛線の外側のそれは、自然の理に任せても今は構わないし、処理するにしても赤軍が完全に撤退してからになるだろう。

 だが、ドイツ兵が密集する防衛線の内側はそうも言ってられない。

 3月のスモレンスクはまだ寒いとはいえ、腐乱しない訳ではないのだ。それを放置して疫病でも発生したら目も当てられない。

 特に大きな戦いにはならなかったとはいえ、兵士たちが密集する塹壕の死体回収と消毒は念入りに行われた。

 第一次世界大戦の戦訓が生かされた一幕であった。

 

 

 

 1万に届かぬ味方の亡骸はシュラウドに包み丁重に扱うとして……

 また内側に残った敵兵遺体の最終的解決手段として、少なくとも階級章や認識票など身元が分かるものが(あればだが)回収し、残りは戦車の残骸と一緒に堀に投げ込み、焼却処分してしまおうという判断が下された。

 遺体を焼却するのは防疫に効果的だと、北アフリカで日本人がフランス人に根拠と前例を示したばかりなので、それに習おうとという訳だ。

 無論、そんなことをすれば対戦車壕が浅くなる、つまり越えられやすくなってしまう筈だが、”燃やすタイミング”を調整することで、防御の一助にしようという試みが検討されていた。

 

 

 

 無論、仕事はそれだけでなく地雷の敷設のし直し、有刺鉄線網の張り直しなども作業に入ってくる。

 

 因みに作業する面々には地雷敷設詳細図が配布されているが、それでも不注意に踏んでしまう者はいる。

 ただ、この作戦で用いられる対人地雷は踏んだ脚の膝から下を消し飛ばす程度の威力しかなく、出血死以外の致死率は低い。

 ついでに言えば、対戦車地雷は人が踏んだ程度の圧力では起爆せず、車両が踏んだとしても履帯を切ることが最大の目的の地雷なので、そうそう乗員ごと吹き飛びはしない。

 別に人道的配慮ではない。

 利便性、そしてコストや炸薬削減の問題だ。

 

 火薬だって安くはないのだ。それに一人を跡形もなく吹き飛ばす対人地雷や戦車を中身事再起不能にする地雷など、オーバーキルだしそれだけの威力を出すとなれば大きく重くなるし、製造コストだって嵩む。

 それに再敷設するのにも一人、もしくは1両で運べる数も減ってくる。

 塵も積もれば山となる、だ。

 

 人間は出血多量でも死ぬし、履帯が切れて動けない戦車など”座ったアヒル”。処理のしようはいくらでもある。

 降伏して乗員が出てくるならそれでよし、最後まで抵抗の意志を見せるのなら射程外から対戦車砲を撃ち込めば済む話だ。

 

 結局のところ、戦争も経済学を無視することはできず、ルールの順守は必要だが「より安く殺せる(・・・・・)」、敵に厳しく財布に優しい戦争をやった方が偉いのだ。

 何とも世知辛い世の中である。

 戦場の生き死にも、最終的には金勘定になる。

 それもまた戦争の一側面だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




戦闘の勝敗は大事、戦闘後の味方陣地の機能回復も大事、でも戦後の遺体処理、これも大事。古事記にそう書いてある。

短い時間でその地を去る短期決戦ならともかく、当分は踏み止まり持久戦やろうとするなら衛生面の管理はマヂ重要です。

とりあえず、新兵器も新装備もちらほらと出てきたりしたのに、諦めずに一昼夜断続的に攻めた赤軍の紳士諸兄に喝采を!
まあ、結果はこの通りだけど……この状況で、死者数20万以下(ロシア人に至っては5万人以下)は快挙?
このロシア人も、ほとんど地方出身者だろうけどw

しかし、これで……この程度の犠牲で諦めてくれるほど、スターリンの怒りは浅くなく……
まあ、1000万規模を粛清やら何やらで平然とこの世からサヨナラバイバイさせるメンタルの持ち主にとって、この数字は誤差の範囲なのでしょう。

ご感想、お気に入り登録、評価などどうかよろしくお願いいたします。


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第190話 Chainted Big WAR ~戦争において、戦場は有機的に連鎖する~

スモレンスク防衛線の途中ですが、今回で一応、第11章のラスト・エピソードとなります。
というのもまたしても状況が……




 

 

 

「まだもう1回くらいは大攻勢があるだろうな」

 

 偵察機からの情報、その他の関係各所からの情報を総合して、スモレンスク防衛司令官”ゴッドハルト・ハインリツィ”大将は呟いた。

 おそらく、猶予は1週間。

 先の戦いでスモレンスクが受けた損害は軽微なれど、反省点もまた多し……というのが、ハインリツィの率直な感想だった。

 

 物理的にすぐ是正できる点と、早急に改善が要求される点、そして今後は折を見て改善や刷新をしていかなければならない点を専門職の参謀たち話し合い、洗い出し、改善点とその為のベースプランを作成してゆく。

 

 幸い、上層部は「逆襲した後にモスクワを攻め取ってこい」などという無茶ぶりはしてこない。

 究極的には、「政府が良いと言うまで”ソ連の虐殺現場(カティンの森)”を含むスモレンスク一帯を確保」できていれば良いということになる。

 

 また、備蓄に関しても補給に関しても問題は無い。

 共産パルチザンのゲリコマ部隊が補給路を寸断しようと頑張っているようだが、今のところNSR(国家保安情報部)お抱えの非正規戦・非対称戦特殊部隊俗称”スペツァル・グルッペン(まんま特殊部隊だ……)”の紳士たちにより程よく”間引き”されてるようだ。

 

 ちなみに大将閣下の知らない事(特殊作戦任務群はNSRのトップシークレットだ)だが、最もゲリコマ狩りで活躍しているのは”スコルツェニー”中佐なる人物が率いる”特殊任務増強大隊”であるらしい。

 曰く、「増強大隊なのに装甲連隊並みの予算がかかるが、旅団でも師団でも成しえない任務をやってのける、不可能を可能とする命知らずの特攻野郎共……」であるらしい。

 何やらどこかで聞いたようなフレーズだが、きっと気のせいだ。

 

 さて、ハインリツィが防衛計画の修正と見直しを参謀たち(スタッフ)と会議室でやってる最中、血相を変えた伝令が飛び込んできて情報参謀に何やら囁いた。

 

「どうした? スターリンでも憤死したか?」

 

 まあ、そうなってもおかしくない負け方をしたのではあるが。

 実際、何人かサボタージュの罪で粛清する準備を進めているらしい。

 多分、次にスモレンスク攻略に失敗したら、粛清候補リストから何人か名前が消えそうだ。

 

 ハインリツィの問いかけに情報参謀は首を横に振り、

 

「NEIN. そうだとすればモスクワに突貫したくなるほどの朗報ですが、世の中はそこまで我々(ドイツ)に都合よくできてません」

 

「だとすれば?」

 

 情報参謀は一呼吸おき、

 

「南方軍集団とウクライナ国防軍(・・・)がクルスクを陥落させました」

 

 ハインリツィはニヤリと笑い、

 

「流石はボック元帥。機を逃さないナイス・アシスト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは、改めて”この世界線におけるこの時代のウクライナ”であることを強調しておきたい。

 

 ”禍福は糾える縄の如し”

 

 という諺がある。

 そして、ウクライナほどそれを体現している国は他にないだろう。

 ”禍”とは人災、人間の皮をかぶった疫病神兼貧乏神のスターリンが引き起こした”ホロドモール”。

 最も少ない数字でも300万人-700万人、最も多い数字1000万とも2000万とも言われるスターリンの共産党指導部が引き起こした人工の大惨禍だ。

 

 数字に開きがあるのは「32~33年の僅か1年間の大飢饉だけの餓死者をホロドモールの犠牲者とするか?」、あるいはその前後にウクライナの地で行われた(起きた)「飢饉、収容所送り、拷問、粛清での死者を含めるか?」の違いだ。

 

 史実において「ナチスがホロコーストで600万人のユダヤ人を殺した」というのは「冷静に考えて物理的に不可能」と疑問を呈する者も多いが、ホロドモールは違う。

 確実に300万人以上が「32~33年の1年間で餓死させられた(・・・・・)」事は多くの学者が共通見解としている。

 彼らは、スターリンとその側近の都合だけで、種籾まで奪われて餓死したのだ。

 参考までに言っておくと、史実の第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本人の死者数は一般に310万人とされている。

 

 一番無責任なのは、ソ連は「その死者数の統計を取っていない」ことだと思う。

 つまり、彼らは「自分達が何人殺したのか知ろうともせずにのうのうと生きている」のだ。

 

 では、この世界線において”福”とは何か?

 史実と異なりドイツが秘密裏にウクライナ人の脱走者の”受け皿”になっていたこと。

 言い訳じみてしまうが、当時はソ連との各種条約やら何やらの関係で、表立っては庇護できなかった部分もある。

 だが、表ではナチズムを唱えながらも、ドイツは100万人規模のウクライナ人を「ドイツ人として」匿い、そして、ウクライナに潜入工作を行った。

 

 国内にウクライナ人がいるといるということは彼らのコミュニティーがあり、そうであるが故に「ウクライナ人に成りすます」のは難しくなかった。

 そして、ウクライナに潜入したドイツ工作員は、ソ連がひた隠しにしていた「ホロドモールの真実」をウクライナの住民に口伝で伝えると同時に、「今は雌伏の時、いずれ機会は訪れるので面従腹背を」とウクライナ人の反抗組織の下地作りを行っていた。

 

 何とも皮肉なのは、ドイツ人が組織作りに利用したのは、ウクライナの共産党やコミンテルンの政治ネットワークや赤軍その物の組織だ。

 実際やったことはシンプルで、「共産主義が個人の欲をいくら否定しようが、人間は欲を捨てきれるものでは無い」ということをよく理解していたので、そこを突いたのだ。

 何のことをはない。コミンテルンがアメリカをはじめ、各国で行った浸透工作の一部の方法を用いただけだ。

 欲を抑圧されているだけあって、ターゲットを間違わなければ効果は覿面であった。

 

 そう、これが後の”ウクライナ解放軍(Befreiungsarmee der Ukraine)”の速やかな結成の原動力となったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 第二の”福”は、意外にもソ連が齎せた。

 そう、農業国だったウクライナを自国の兵器工廠にすべく、共産圏ならではの無茶苦茶な重工業化を推し進めたのだ。

 更なる幸運は、そのような状況で有らばこそ、ドイツ人工作員が”上に媚び諂い、成果と数字を差し出す理想的な共産人”として頭角を現す機会に恵まれたのだ。

 

 これが後にドイツの侵攻に呼応して蜂起した”ウクライナ解放軍”が、瞬く間に工業地帯を含めた国家の主要部を占拠・制圧できた理由だった。

 ドイツ人が国境を超える前から、”彼ら”は「まず攻め落とすべきは何処か? まず殺すべきは誰か?」を完全に把握していたのだ。

 

 また、幸運なことに当時のウクライナではNKVDの活動が、さほど活発でないことも功を奏した。

 これには理由があり、ホロドモールでの大量死ですっかり牙を抜かれたのか、スターリンも国家上層部もウクライナを「従順な羊の群れ」としてしか見てなかった。

 毎年、羊毛を刈り取りたいのに、羊を一々殺すバカはいない……まあ、そういう事だった。

 そして、いざドイツ侵攻に呼応した叛乱? クーデター?では、ドイツ軍に接収される前に行おうとしていた焦土作戦、インフラや製造設備の破壊を試みた赤軍や政治委員は、待ち伏せていた、あるいは焦土作戦部隊に紛れていた”ウクライナ解放軍”のメンバーに逆に一網打尽に殲滅され、またドイツ軍を迎撃するため(と焦土作戦を行うため)手薄になった赤軍基地を急襲し、次々と陥落させたのだ。

 

 ドイツ人の強さが語られる場合が多い”バルバロッサ作戦”のウクライナ方面作戦だが、ウクライナ配備の赤軍が弱体化したのには、こうしたきちんとした理由があったのだ。

 一説によれば、この時点で”ウクライナ解放軍”の構成人員は50万人を超えており、1個軍として機能する規模があったとされている。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、第三の”福”は、意外なことに”日本皇国”の存在であった。

 これにはいくつか意味がある。

 まずは、1938年の俗に言う”ソ連の悪行公開処刑”において、実はホロドモールについても触れられていたのだ。

 ただ、当時の皇国には「国際連盟に提訴できるほどの証拠集め」ができなかったのであるが、「他国政府がホロドモールについて初めて公式に触れた」という意義は大きい。

 実際、エピソード”このえじょう”においても、ネイティブアメリカンの虐殺とセットで言及している。

 

 日本皇国はソ連の生まれる前から帝政ロシアと敵対関係にあり、加えて、「皇帝を皇族もろとも処刑した」という事実が判明した時点で、国家アイデンティの問題となり、更なる敵対関係に拍車がかかった。

 戦争状態に無いだけで、日本皇国は「公然とソ連を敵国と呼び、国内で共産主義運動を非合法化した」というスタンスを崩していない。

 これは、反ソ連・反共の国家群には敵味方問わず不動の評価であった。

 そして、日本皇国のソ連に対する告発とスタンスがあればこそ、今回の国連臨時総会での「ドイツの示したデータや証言を完備したホロドモールの被害報告」が生きてくるのだ。

 

 そして、もう一つは……間接的なのか直接的なのか判断は微妙だが、もうすぐ元になってしまう日本人の存在も大きい。

 言うまでもなく、”サンクトペテルブルグ総督”こと来栖任三郎、改めニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグだ。

 確かにウクライナは重工業化されていたが、かといって旧赤軍装備が即座に全てが揃うわけでは無い。

 また、ほぼ無傷で工業地帯が奪取できたとはいえ、それが直ぐに十全に動かせる訳でもない。

 実際、T-34一つとっても保守部品の供給や砲弾の補給などに問題を抱えていた。

 特に野砲や重砲などに懸念があったのだ。

 そんな時に早々とサンクトペテルブルグの工業基盤の復興作業に入ったのが来栖だった。

 

 彼が真っ先にやった作業は、完成品、半完成品、あるいは部品状態だったT-34やKV-1などの「欠陥だらけのソ連戦車」をサンクトペテルブルグからフィンランドとウクライナ、バルト三国(無論、ドイツ本国にもサンプルとして一定数送られたが)に送り出すことだった。

 まあ、これは単純に”サンクトペテルブルグ製の新戦車(後のKSP-34/42)”の製造ラインを確保するための処置だったが、他の(継続生産する気のなかったソ連航空機の部品など)と一緒に送り出したそれらの物資は実に喜ばれた。

 いや、現物どころか一部の不足していた部品製造装置も譲渡され、搬入されたのだ。(来栖曰く:「T-34にしか使えんような製造装置とかいらんし」)

 更に喜ばしいのは、ソ連戦車や航空機の継続生産は行わなくとも、火砲の類や一部の小火器は継続生産、あるいは改良が加えられた上で生産再開が行われた事だ。

 

 ウクライナだけに回されるわけではないが、ウクライナにも回ってくるこれらの物資は、”ウクライナ解放軍”からウクライナ新政府の樹立と同時に”ウクライナ解放軍”から格上げされた正規軍たる”ウクライナ国防軍”の発足に大きく貢献したのだ。

 

 

 

 さて、まだ国際社会の場に再デビューを果していないとはいえ、新生ウクライナとウクライナ国防軍の事を長々と話してきたのには、理由がある。

 何しろ、ウクライナ国防軍が発足していなければ、今回の”クルスク”奪取は成立しなかったかもしれないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、スモレンスクの防衛は一旦は成功しましたが、盤面は次へ進むようです。
戦場は、今度は南のクルスクへ……時期が前倒しですが、第二次世界大戦でクルスクと言えば?

ただ、戦車戦として第二次世界大戦最大規模になるかと言えば……まあ違うでしょうね~w
史実と状況が違いすぎますし。



第11章までお読みいただき、ありがとうございました。
これからもどうかよろしくお願いします。






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第12章 東部戦線と呼ばれる数多の戦場は、みんなどこかで繋がっている
第191話 早めあっさりめの”ツィタデレ作戦(Unternehmen Zitadelle)”


このエピソードから新章スタートです。






 

 

 

「ふむ。割とあっさり終わったものだな……」

 

 新生ウクライナ共和国の首都”キーウ(キエフ)”に設置されたドイツ南方軍集団司令部でフェードラ・フォン・ボック元帥は、前倒しされたクルスク攻略作戦、コードネーム”ツィタデレ作戦(Unternehmen Zitadelle)”のあまりに呆気ない幕切れに思わずそうつぶやいてしまう。

 無論、通称”クルスク戦車戦”で知られるこの戦い、史実に比べて1年以上前倒しになってるだけでなく、前提や状況が大幅に異なるではあるが。

 

 

 

 前提の一つなのだが、ウクライナの大都市ハルキウ(ハリコフ)北方70㎞にある”ベルゴロド”は1941年、史実と同じく手早くドイツ軍に占領されていた。

 南方軍集団の状況は、ウクライナ解放軍の活躍とアシストもあり、ウクライナ本土制圧をあっさりめに終わらせたドイツ南方軍集団は、ロシア軍が立て籠もるセヴァストポリ要塞を除くクリミア半島全域を制圧、占領下に置いていた。

 

 そして、セヴァストポリ要塞は現在、孤立化させるだけで「機が熟すまで無理に攻めなくともよい」という不可解な命令が出ていた。

 まあ、それでもドイツ軍が黒海で何にも活動していないかと言われればそんな事はない。

 

 セヴァストポリ要塞の対岸にある、友好国ルーマニアの港町”コンスタンツァ”に分解された魚雷艇(Sボート)や、建造や配備の前倒しにも程がある排水量234tの沿岸用潜水艦の傑作、小型Uボート”XXIII型”が「陸路で搬送(・・・・・)」され、そこを母港にセヴァストポリに向かう黒海艦隊に護衛された輸送船団相手に、ドイツのお家芸である”通商破壊作戦”を正しく行っていた。

 

 無論、海洋兵力だけでなく、この時期としてはやや旧式となっていたが、ルーマニア/ブルガリア空軍に供与された物も含むHe111やJu88爆撃機が通商破壊作戦や、機雷敷設に大きく貢献していた。

 陸路は完全に閉鎖され、海路はドイツの通商破壊部隊のせいで中々上手く行かず(というより、そもそもソ連の船団護衛戦術や技量が稚拙だというのも大きいが)、言ってしまえば兵糧攻めとなっていたのだ。

 

 心もとないどうにか残存燃料をやりくりしながら、爆撃機がルーマニアのプロイェシュティ油田やコンスタンツァ港を爆撃しようとしたが……防空を担当していたのは(形的には軍港や油田を借り受けている)ドイツ空軍の精鋭戦闘機部隊。しかも移動式を含めたレーダー管制付きだ。

 当然のように失敗した。そりゃもう見事に。

 

 セヴァストポリは堅牢な要塞かもしれないが、結局、備え付けた大砲の射程距離外に居るドイツ軍には一切攻撃できないのだ。

 そして、セヴァストポリといえばもう一つ付け加えねばならない情報がある。セヴァストポリは独ソ戦当時、黒海艦隊の本拠地であったのだが、ドイツ軍の急速過ぎる侵攻に伴い、当初黒海艦隊は旗艦である戦艦”パリジスカヤ・コンムナ(旧名:セヴァストポリ)”をはじめ対地砲撃支援に従事していたが、1941年夏に発生した”タリン沖殲滅戦”によりバルト海艦隊が文字通り”消滅”したのだ。

 

 これ以上のソ連艦艇の消滅、海軍力の消失を恐れたソ連海軍並びに共産党は、ただちにセヴァストポリからの黒海艦隊の撤退を命じた。

 

 ノヴォロシスクは前線から近すぎるという理由で、駆逐艦などの輸送船団護衛部隊はソチに、戦艦を含む艦隊主力はグルジア共和国の軍港”パトゥミ”まで撤退を余儀なくされたのだった。

 

 ちなみにソ連水雷戦隊によるコンスタンツァ港攻撃も試みられた事があったが、こちらも全くうまくいかず、逆に貴重な駆逐艦を沈められ、返り討ちにあったようだ。

 Uボートばかりに目が行きがちだが、”S-38b型”と呼ばれる簡易レーダー搭載型のSボートもソ連海軍相手には存外に凶悪な存在であり、この頃の黒海で最も多くの駆逐艦以下のソ連軍艦や輸送船を沈めたのはUボートでも航空機でもなくSボートだったとされる。

 

 特に特徴的だったのは、セヴァストポリ要塞に近づく輸送船団の航路上にこれ見よがしに航空機が浮遊機雷をばらまき、航路を変更しようとしている間に最高速39ノットを誇るSボートが殴り掛かり、更に襲撃でまごついた所を沿岸型Uボートでトドメを刺すという光景が何度も見られた事だ。

 

 

 

***

 

 

 

 以上が大雑把な現状のウクライナ情勢であるが、重要なのは「スターリングラード攻略」、「セヴァストポリ要塞攻略」などの無茶ぶりをされてないドイツ南方軍集団に幾ばくかの戦力的余裕がある事と、そして、ウクライナ臨時政府の立ち上げと同時に、ウクライナ解放軍が発展的解消をされ、”ウクライナ国防軍”というより指揮系統が明瞭な強固な軍事組織として再編された事だ。

 

 どのくらい強固かと言えば、ロシアとの国境の街”フルヒフ”の防衛を任せ、部隊再編の為に一度ハリコフへ戻ったドイツ機甲軍に代わり、ベルゴロド防衛を任せられるくらいにだ。

 

 本来の計画では、クルスク攻略はその先のヴォロネジ攻略と合わせて42年の中盤から後半に行う予定だった。

 そう、1942年~43年にかけての大規模攻勢作戦、

 

 ”Unternehmen Blau(ブラウ作戦)”

 

 の一環としてだ。

 このブラウ作戦、史実と状況が異なり、南方軍集団の攻略目標は、ヴォロネジ、ロストフ・ナ・ドヌー、クラスノダールの三つの内陸大都市と軍港ノヴォロシスクの攻略であり、スターリングラードはそもそも攻略対象に入っておらず、実はコーカサスの油田地帯も”可能なら狙う努力目標”程度の認識だった。

 

 だが、ここで誰も予想していなかった事態が起きる。

 そう、国連臨時総会での”ソ連への断罪と告発”である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1942年3月初旬、ソ連が連邦各地は言うに及ばず、一部の前線からも兵力を全てでなくとも部分的に引き抜いている事が判明した。

 スターリンはどうやら、”カティンの森”の証拠隠滅の為にスモレンスクを含めた周辺を焦土化しようとしているようであった。

 

 特にドイツが注視したのは、クルスク・ヴォロネジ方面、ロストフ・ナ・ドヌー方面の配備兵力だった。

 額面上は、そこから引き抜かれた部隊はなかったが……

 

 だが実際、Ju86P/Rを始めとした多くの偵察機や斥候部隊の活躍により、ロストフ・ナ・ドヌーからヴォロネジ方面へ移動する部隊が発見され、同時にクルスクから一部部隊がヴォロネジに下がり部隊交換が行われたことも判明した。

 

 そして、行軍速度(スターリンが早期集結を催促したために彼らはかなり急いでいた)から、「選りすぐりの精鋭部隊」であると予想がつけられたのだ。

 実は、部隊の練度と言うのは行軍速度やその時の陣形で結構推測できるのだ。

 そして、これら三か所は「配備数に変化はなくとも、練度や装備が劣る二線級部隊が埋め合わせに使われている」と予想が付いた。

 

 確かにソ連は、分母となる人口も強権発動が連発できる動員力も、ドイツのそれを遥かに上回る。

 だが、それは数……量の問題であり、質的には劣化するのが常だ。

 徴兵に志願兵と同じ練度や士気を期待してはならないのは、軍隊の鉄則だ。

 

 しかもソ連は、まだこの時期、赤軍大粛清の影響から抜け出せていない。

 新兵を教育するベテラン、士官や下士官が圧倒的に不足していた。

 

 その報告を聞いたヒトラーは、自らの名義で臨時国防会議の招集を決定した。

 そして、集まった面々……特にバルバロッサ作戦全体の作戦統合参謀総長であり、ブラウ作戦も継続して作戦統括参謀長を務めることになったマンシュタイン上級大将(・・・・)に、

 

「マンシュタイン君、単刀直入に聞こう。ブラウ作戦で予定されていた、クルスク攻略に絞り、作戦の発動は可能かね?」

 

「Ja. クルスクに絞るなら可能であります。総統閣下」

 

 するとヒトラーは満足げに頷き、

 

「では、準備をしたまえ。スモレンスクが結果として敵戦力の誘引を行ったように、今度はクルスク攻略その物が陽動になる。我々が優位な立場で戦争をできる機会はそうあるものじゃない。その機会は存分に生かすべきだと思うのだが?」

 

「ハッ!」

 

「急ぎたまえ。幸運の女神に後ろ髪は無い。残された時間はあまりないぞ?」

 

「かしこまりました!!」

 

 そして、ヒトラーは少し考え、

 

「諸君、最優先はクルスク攻略のプランニングだが、それが終わり次第、ヴォロネジ攻略の前倒しもサブプランに入れておきたまえ」

 

「ヴォロネジも……ですか?」

 

 怪訝な顔をするマンシュタインに、

 

「ソ連がもしスモレンスクで大敗北を決するとしたら、その南方の集積地でもあるヴォロネジの状況……特に敗走してきたスモレンスク攻略部隊が帰還し、ごった返しているところを急襲したら、実に愉快なことになるとは思わんかね?」

 

 息を吞む周囲にヒトラーは微かに微笑み、

 

「詳細は”本業”の君たちに任せよう。諸君、存分に戦争を楽しみたまえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、初っ端から陥落済から始まるクルスクw

この世界線のヒトラー、なんでも自分で決めるタイプではなく、「方針は決めるし、好機を逃すつもりはない」けど”餅は餅屋”という事もしっかりとわきまえてるタイプです。

ヒトラー:「私は独裁者ではあるが、政治のプロであり軍事のプロではない」

と認識してるって感じです。

新章もどうかよろしくお願いします。


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第192話 釣り出し ~”タタールのくびき”という呪詛~

クルスクのあっさり過ぎる陥落、その謎解きの始まりです。




 

 

 

 ソ連式装備を持つ当時、ウクライナ解放軍から昇格したばかりのウクライナ国防軍とは、どの程度の強さがあったのか、練度はどうだったのか?に関しては、第二次世界大戦が過去の出来事になった時代でも議論の余地がある。

 ちなみに、ドイツ式装備にしなかったのは扱い慣れている点と、ウクライナ自体にソ連の兵器産業を中心とした重工業が移植されていたこととそれがほぼ無傷で手に入った事、また独自の発展を遂げてゆくことになるが、同種あるいは同系統の装備を生産するサンクトペテルブルグという都市一つ丸ごと巨大軍事工廠の様な街があり、生産や供給に対する不安が少なかった事があげられる。

 

 当時の記述を総合すると、「標準的なソ連機甲部隊と同等」というのが妥当かと思われる。

 実際、ウクライナ国防軍が本領を発揮するのは、まだしばし時間が必要だった。

 だが、ドイツ軍が「戦力として考える」なら不安の残る練度ではあるが、”ある作戦”においては、「限定的な運用」をする限り十分とされた。

 それは、

 

 ”クルスク攻略(フェイク)”

 

 だ。

 何の事はない。

 ベルゴロドに駐留しているウクライナ国防軍から抽出した、装備・練度ともに最高の部隊をクルスクまで進出させて、「ピンポンダッシュさせる」だけだ。

 具体的には、クルスク上空の制空権を確保してから空爆、それと同時に戦車を前衛にして牽引式長距離砲でクルスクを釣瓶打ちするという物だった。

 実際のクルスクへ与えるダメージよりも心理的効果に趣を置いた作戦であり、同時に”観測気球”として使おうという物だった。

 

 そして、制空権を確保しソ連側が偵察機を飛ばせない状況にしておいて、本命であるドイツの機甲師団をウクライナ・ロシアの国境の街”フルヒフ”より出撃させる。

 無論、ウクライナ軍精鋭が出払ったベルゴロドには、ドイツの増援が入るし、フルヒフのウクライナ軍は動かさない。

 

 ソ連のクルスク駐留軍が誘引されればそれでよし、誘引されなくとも半包囲しつつ圧迫を加える。

 完全包囲ではなく半包囲とするのは、クルスクからのソ連軍の脱出を妨げない(・・・・)ようにする事と、クルスク急襲の知らせを受け、救援に来る部隊があれば、

 それらの進軍路を固定することで迎撃しやすくするという狙いもあった。

 理想的なのは、敵の増援が”カティンの森”攻撃の追加兵力として準備されていた部隊の誘引だが、こればかりはドイツ側からはどうしようもない。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、結果から言えば……釣れてしまった。クルスクのソ連軍が。

 確かに、挑発じみたことはした。

 例えば、ウクライナ国防軍が前進する先ぶれとしてクルスクに飛来したBf109E-4(F型の急速な配備があったためにウクライナ国防軍に余剰機が譲渡された)や、それらに護衛された同じく旧式化していたHe111やJu88の翼や胴体にでかでかと”青と黄色のストライプ”が入り、爆撃ついでにビラも散布する。

 そのビラには、「血を連想させる赤い文字」でこう記されていた。

 

 

 

”Пережив жестокость советского Голодомора, Украина вернулась!!(残虐非道なるソ連によるホロドモールを耐え抜き、ウクライナはここに復活せり!!)”

 

”Время прошло, пора перерезать горло коммунисту клыками мести!!(屈辱の時は過ぎ去り、今こそ復讐の牙を持ち共産主義者の喉笛を食い千切らん!!)”

 

”Проклятый Сталин, убийца 20 миллионов невинных людей! И будьте готовы!!(2000万人もの無辜の民を虐殺したスターリンよ、呪われよ! そして、覚悟するがよい!!)”

 

”Мирный день никогда не придет к вам снова!!(お前に安寧の日々がおとずれる事は二度とないのだからな!!)”

 

”Готовы ли вы молиться Богу, дрожа в углу туалета?(便所の隅で、ガタガタ震えながら神様にお祈りする準備はできているか?)”

 

 

 

 この言葉と便所の隅で震えるスターリンの写実的なイラスト、裏面には詳細な「ロシア革命以降、自国民を含めた(・・・・・・・)粛清や飢餓での虐殺の詳細」がびっしりとロシア語で書かれていた。

 そして、オマケで……

 

 ※なお、ドイツ軍に投降した場合は、将官、政治将校に関しては厚遇いたします。降伏歓迎。

 

 と小さく記してあったりする。

 

 そして、戦車部隊、特に重砲隊の壁役であるKV-1重戦車には旗竿が取り付けられ、”青と黄色の二色旗”が東ヨーロッパ平原の風に力強く靡いていた……

 

 確かに完璧な挑発である。

 皆さんは、”タタールのくびき”という言葉をご存知だろうか?

 これは、一般的には「モンゴル(タタール)人が長きにわたりルーシ(スラブ)人を支配した」という歴史の一幕なのだが、実は帝政ロシアやソ連はこの時代の概念を政治的規範、あるいは根本的な価値観としている。

 

 先の恐ロシアなことを言ってしまえば、

 ・とりあえず、生きてれば権力者にとり都合が悪いという理由で自国民も他国民も何千万人も殺し、一向に気にしない。むしろ「必要な虐殺」ならば当然だと考える。

 ・ルール破りの常習犯

 

 というロシア-ソ連の代表的行動だが、実は彼らにはこの行為について”悪気はない”のだ。

 まず、ルールについて西欧との根本的な考え方を話そう。

 西欧、あるいは欧米人にとり、ルールは一度取り決めてしまえば、それは遵守するものであり、それが前提だ。

 無論、ルールの穴や不備を突くことは嗜みとして行うが、例えば、二国間であれば力の強弱ではなく、少なくとも建前は「ルールを遵守する」ことが前提となる。

 しかし、ロシア人にとり、ルールとは「強者が決めるもの」なのだ。

 つまり、ルールは強者の都合で決められ、強者が都合が悪くなれば、いつでも変更したり破棄したりできる物なのだ。

 弱者は黙ってそれに従うことも含めてルールなのである。

 

 ”強き者には犬のように従順に、弱者には一切の容赦なく”

 

 という性質は、実は「タタールのくびき」の頃のルーシ人、つまりはモンゴル人の支配を受けていたロシア人の姿その物なのだ。

 だから、彼らは帝政ロシア→ソ連→ロシアと国家体制は変わっても、その姿勢……モンゴル人に植え付けられたトラウマは消えず武力や軍事力に、つまりは「強者である」ことに心血を注ぐのだ。

 二度と、隷属させられないために、自分達が常に「ルールを決める側」でいたいために。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、そのような価値観の中で、

 

”ロシアより弱いウクライナ”

 

 が逆らい、語義通りに反旗を翻すのは決して許せることではないのだ。

 それはロシア人のルール、秩序に対する反抗だ。

 弱いウクライナは、何千万人餓死させられようと、強いロシアに首を垂れ続けなければならない。

 それが、スターリンにとって、あるいはロシア人にとっての”当然(・・)”であった。

 

 だからこそ、「弱いウクライナにロシア人の街であるクルスクに攻め込まれる」という時点で、我慢できることではなかったのだ。

 ウクライナ国防軍にとっては”戦争”だが、ロシア人にとっては”叛徒鎮圧”なのだから。

 

 

 

 あまりにも簡単に釣り出せたことに、フルヒフに装甲部隊司令部を前進させていたクライスト上級大将はかなり驚いたが、そこでためらうような男でもなかった。

 出陣させたドイツ側機甲師団にただちに迂回しノコノコ出てきたソ連機甲部隊の背後に回り込み退路を断ちつつウクライナ機甲部隊と挟撃せよと命じたのだった。

 結果は、あまりにも無惨……

 

「これじゃあ、戦車戦と言うより射的大会だぜ……」

 

 南方軍集団のエース戦車乗り、今や1個戦車大隊を率いる”マキシミリアン・ビットマン”大尉はそう呟いたという。

 彼と彼の大隊に配備されていたのは、43口径長ではなく48口径長の75㎜砲を搭載した、最新鋭にして最終型のIV号戦車だったが、性能差でT-34を踏み潰す以前の問題だった。

 真横から殴り込む形となった彼の戦車大隊は、損失1両の間に28両のソ連戦車を駆逐してみせたのだ。

 その襲撃の前にスツーカにより成形炸薬型の対装甲空対地ロケット弾やクラスター爆弾で隊列をズタズタにされていたとはいえ、あまりにも一方的な結果だった。

 

 戦いのおおよそのパターンはこうだ。

 ウクライナ軍は、装甲の厚いKV-1/2重戦車で機動防御壁を作り、ソ連軍の突進を抑え込みつつT-34を迂回戦術を繰り返させながら、牽制しつつ包囲されるのを防ぎつつ後方から重砲を叩き込みながら耐久するという作戦だ。

 ちなみにこれだけの連携ができた理由は、練度もあるが、地味にドイツから供与された無線機を全車が標準搭載しており、音声による相互連絡が可能だったというのが大きい。

 それでも、重砲の水平射撃という珍しい経験をウクライナ軍はする羽目にはなったが。

 

 

 その間にスツーカ隊が爆撃し、隊列を乱して突進力を消失させて足を止めさせている間に、回り込んだドイツ軍の戦車隊・対戦車部隊が側面ないし後方から攻撃を仕掛け、退路を防ぎながらウクライナ軍と挟撃。

 包囲殲滅を敢行するという物だった。

 

 さて、酷い現実を突きつけよう。

 この時、ウクライナに展開していたドイツ航空団の名称は”JG52”。

 そう。あの、”JG52”だ。

 ハルトマン、クルピンスキー、バルクホルン、ラルなどのネームドはKLK1(第1統合航空戦闘団)に出向してしまってるが、それでもエースが腐るほどいる最精鋭部隊の一つにして撃墜王クラブの趣のある”JG52”である。

 しかも、こやつらに回されていた機体は、スモレンスクのKLK1のそれと比べても遜色はない。要するに最新鋭機ばかりだ。

 こんな連中が、ウクライナ空軍と入れ替わるようにクルスク上空やその周辺に飛来し、片っ端から赤軍機を落として回って制空権を確保、前線の戦車からクルスク周辺の基地や軍事施設を爆撃して回ったのだ。

 ソ連にしてみれば、「ふざけんな! いい加減にしろ!」とさぞかし発狂したくなった事だろう。

 蛇足ながら、陸軍同様に空軍もクルスク最精鋭が引き抜かれていたいたのは言うまでもない。

 

 

 そしてソ連軍は、当然のように全滅(・・)した。

 580両近い戦車や車両を失い、約5万人の兵員を失った。

 生存者は、降伏するしかなかった。

 ちなみにウクライナ軍よりドイツ軍に投降を希望する者が多数派だったらしい。

 

 

 

 こうして、クルスク防衛の要にして主力は地上から姿を消した。

 あまりにも(頭)無残な結末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とても蛇足なエピソードを。

 以下はしばし後……42年後半から43年初頭の逸話だと思われる。

 後年の歴史家によれば、この先、裏面にソ連の受けた被害報告などが追記されながら何度もばら撒かれる事になるこの”プロパガンダのビラ”、もっとも心理的効果があったのは、歴史家によればスターリン自身だったと言われている。

 スターリンは激怒し、

 

「ただちにウクライナ人を全て殲滅、粛清せよっ! 根絶やしにするのだっ!! 慈悲をかけてはならんっ!!」

 

 と叫んだという。「お前がいつ、どこで、誰に慈悲をかけた?」と思わずツッコミたくなるが……

 

 軍部は、スターリンにビラを見せればどういう反応を示すか手に取るようにわかったので、当初は存在をスターリンに伝えてなかった。良い判断だったと言える。

 しかし、その存在を知らせた者がいる。NKVD(内務人民委員部)だ。

 軍部がビラを隠匿していたと判断したスターリンは、「首謀者が誰かわからず、戦時中につき軍部全体を粛清対象にするわけにはいかぬ」という珍しく理にかなった判断をするが、代わりに政治将校と将軍の相互監視体制を強化するよう厳命し、前線の将軍、政治将校は能力よりも”共産党への忠誠度(狂信度)”で選ぶように命じた。

 

 権限拡大を果たしたNKVDは喜んだが、この決断が後に……いや、やめておこう。

 結果は、やがて歴史が証明してくれるだろう。

 

 さて、最後にこれは記載しておかねばならない。

 ”カティンの森の虐殺”をスターリンに提案したのは当時のNKVD長官であるという事だ。

 あれを立案したのは、共産党でも赤軍でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ウクライナ人にとり、ウクライナは自分達の民族の国だけど、ロシア人はそう考えてはいないという感じですね。

実は、現在にも通じる……ロシア人のトラウマが、”タタールのくびき”だったりするんですよね~。

釣り出された防衛部隊は全滅し、クルスクの防御力はガタ落ちに……次回、決着です。

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第193話 クルスク陥落、その真相ないしオチ ~今生のドイツ軍はアフターケアもバッチリみたいですよ?~

もう何度目か分からない酷いオチw






 

 

 

 クルスクは、あっという間に陥落した。

 まず、当時のクルスクに配備されていた戦車をはじめとする車両は、全部合わせても1500両程度であり、航空機は180機程だったという。

 そして、先にソ連名称”クルスク迎撃戦”で、車両の4割、配備航空機の航空機の半数以上を失った。

 

 この時点で、クルスクの防御力はガタ落ちであったが、更に制空権を完全に奪われ航空基地や陸軍の砲兵陣地は悉く破壊され、都市がドイツ・ウクライナ連合軍に半包囲(あえてヴォロネジ方面の街道は閉鎖されていなかった)された状態で、またしても”特殊なビラ”が散布された。

 その内容は、こうだ。

 

 

 

 まずは、ホロドモールを筆頭に、ソ連が引き起こした”ウクライナ国内でのやらかし”を延々と詳細に書き連ね、

 

”Через 48 часа мы начнем тотальную атаку через Курск.(我々は48時間後にクルスク全域に総攻撃を開始する。)”

 

”Украинская армия находится на переднем крае войны за господство в городах.(都市制圧戦の先陣を務めるのは、ウクライナ軍だ。)”

 

”Учитывая бедственное положение и настроения украинского народа, Германия, как союзник, не может прекратить свои действия.(ウクライナ人の境遇と心情を考慮すれば、同盟国たるドイツはその行動を制止することはできない。)”

 

”Но в отличие от Сталина и НКВД мы не хотим лишнего кровопролития.(しかし、我々はスターリンやNKVDと違い、無用の流血は望まない。)”

 

”Путь отступления на Воронеж открыт.(ヴォロネジ方面への撤退路は解放してある。)”

 

”Ожидайте немедленной эвакуации, сдачи или принятия мудрого решения.(直ちに退避を開始するか、あるいは降伏するか、賢明な判断を期待する。)”

 

”Если вы решите эвакуироваться, уверяю вас, гражданских лиц и военнослужащих, мы не будем вас преследовать.(退避を選択するのであれば、市民にも部隊にも我々は追撃を仕掛けないことを約束する。)”

 

”Это ультиматум.(これは最後通牒である。)”

 

 

 

 ぶっちゃけ中身は脅迫状に近い。

 要約すれば、「復讐心に燃えたウクライナ人がクルスクに殴り込もうとしてるから、皆殺しになる前に逃げ出すか降伏するかしろ」という事だ。

 

 流石は、先にビラに続いて宣伝省と軍情報部とNSRのプロパガンダ部門、”アジテートの専門家”が考えた文章であると言えた。

 

 そして、実に感動的な場面が訪れた。

 4時間後に市民のヴォロネジ方面への避難が始まり、そのしんがりを守るようにクルスク防衛隊が後に続いた。

 そして、ドイツ・ウクライナ連合軍は約束を守った。

 言い方を変えれば、ドイツがキッチリと追撃したがるウクライナ軍を抑制しきった。

 

 人道的な意味でも紳士的な意味でもない。

 スターリンの名言(迷言?)の中に、

 

『感謝とは犬畜生だけが患う病気である』

 

 なんてものがある以上、ドイツ人はロシア人に感謝など期待しないし、そもそも感謝という感情が無い事を前提としていた。

 感謝の言葉をロシア人から聞いた時、一様に驚いた顔をするまでがお約束。あるいは、その理由を聞いてロシア人が少し凹むまでがお約束だ。

 一部の赤軍の人間にとり、自分達が「スターリンの精神的コピー体」のように思われるのは、甚だ不本意であるらしい。

 

 ただ、ドイツ人が考えたのは、「これが有効なら何度でも使える有効な手段」と確証したからだ。

 ここに史実との誤差が盛大に出てきた。

 

 ドイツ軍人にとり、「スラブ人だから」というのは殺害理由にならない。

 じゃないと東欧への政策に矛盾を起こす。

 「共産主義国家の国民だから」というのも、それだけでは殺害理由にならない。

 ドイツ軍人は、ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約を新兵や士官候補生の頃から叩きこまれる。

 そして、自分達が「文明国の軍人」である意味と矜持を教育されるのだ。

 

 そして、最後にクルスクから出てきたのは数十名、100名には満たない仕立ての良い軍服や服を着た一団だった。

 彼らは、ドイツ軍(・・・・)に降伏する旨を伝えた。

 同行していた法務士官が前へ出てきて、ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約に準拠する捕虜の取り扱いをすることを宣言する。

 

 ハーグ陸戦条約は帝政ロシアは調印していたがソ連は継続を拒否、ジュネーブ条約に関しては最初から調印していなかった。

 ドイツは両方に調印しており、ドイツのみが守るのは不公平に思えるかもしれないが……実はこれ、”アリバイ作り”の一環だ。

 だからこそ、宣伝省の職員が同行しているのだ。

 つまり、

 

  ・ドイツは、それが遵守できる状況であるなら、ハーグ陸戦条約もジュネーブ条約も守る「理知的で開明的な文明国の軍隊」

  

 というアピールである。

 これはつまり、「ドイツが非文明的な行動を行った場合」は、「そうせざるえない状況にあった」ことを主張する為のアリバイ作りである。

 ドイツの主敵は、ハーグ陸戦条約にもジュネーブ条約にも批准していないソ連だ。

 実に都合が良かった。

 ソ連は(史実と同様に)、戦争犯罪が発覚しても「我が国は、ハーグ陸戦条約にもジュネーブ条約にも調印した覚えはない。条約違反とは筋違いだ」と主張するだろうが、それを聞いた国際世論はどう思うだろうか?

 赤色に汚染されていないメディアは、果してどう報じるか?

 

『じゃあ、同じ事をされても文句は言えないよなぁ?』

 

 という空気にならないだろうか?

 具体的に言えば、ドイツがソ連のある街で住民虐殺を行ったとしよう。ソ連は、当然のように

 

『ドイツの戦争犯罪』

 

 を声高に、そして赤色感染させたマスゴミをフル動員して主張するだろう。

 リアルがまさにそうだ。

 だが、この世界線では……

 

『住民は赤軍パルチザンを名乗る便衣兵(テロリスト)とそのシンパ、協力者だった』

 

 こうドイツが主張すれば疑われずに通る、少なくてもそんな状況を目指していた。

 だからこそ、「追撃しない約束」の順守も捕虜の条約に基づいた丁重な扱いも重要なのだ。

 

 (赤軍にとっての)地獄を再現したようなスモレンスクと、この無血開城に近いクルスクのギャップこそが、この戦争、”この世界における独ソ戦の特異性(・・・)”であり、同時にドイツ軍の強みでもあった。

 

 さて、蛇足ながら、その後、軍情報部や捕虜の抑留に関しても担当するNSRのエージェントと、捕虜となったソ連の将校達との会話を抜粋してみよう。

 

「抑留されるなら、暖かい地方が良いか? 寒い地方が良いか?」

 

「選べるのか?」

 

 ドイツ人が肯定すると、満場一致で暖かい地方となった。

 

「ドイツ南部、フランスとの国境ほど近くにホテルないし保養所がある。そこに案内しよう」

 

 その後、様々なオプショナルプランの説明があった。

 部屋の割り振りは身分や立場によって。監視もつくし、行動制限はあるが、軟禁の範疇に収まるような待遇。

 ドイツ軍に協力的なら部屋のみならず生活水準のアップグレードが可能。

 貢献度によっては、ウォッカ飲み放題プランなどのサービス追加が可能。

 亡命するなら、ドイツ国籍を用意できる等々……

 そして最後に、

 

「ソ連との間に捕虜交換、引き渡しなどの条約はないが、希望するなら国際赤十字を通して帰国についての話はできる。だが、帰国した際に粛清対象となる可能性は忘れないように」

 

 と。脅しではなく事実を告げた。

 少なくとも、希望があればドイツ人は捕虜に対する義務として国際赤十字に話を通すこと自体はするつもりだったようだ。

 ただし、参考までに言えば……帰国を希望した捕虜は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん、「報復に萌えるウクライナ軍けしかけるぞ」って脅したけど、無駄な流血が無かったのでWin-Winだな(棒

という訳で、史実とは正反対に静かに終わってしまったクルスク戦でしたw

いや、ソ連後で奪還目的に”バグラチオン作戦”とかやるのか?
おそらく、クルスクもスモレンスク同様に要塞化されると思うんだが……
ドイツは史実より国力が比較にならないくらいある上に、さっさと降伏した国を最速率させてるし、無理なモスクワ・スターリングラード攻めをしてないので、余力あるんですよね。


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第194話 史実よりちょっとだけ前倒しになりそうなヴォロネジ戦

早くなるには、それ相応の理由があるのですよ。






 

 

 

 スモレンスク防衛成功と、クルスクの攻略成功は、独ソ双方に大きな影響を与えた。

 まずはドイツ側だが……

 はっきり言えば、困惑していた。

 負けるとは思っていなかったが、ここまで一方的に勝利するとは思っていなかったのだ。

 故に、

 

「いずれにせよ”ヴォロネジ攻略”を本来のスケジュールより早めるしかあるまい。好機を逃すべきではない」

 

 

 

 この世界線におけるドイツは、一見すると冒険的な軍事行動に見えても、その実はイレギュラーも考慮した万全の準備と、それに裏打ちされた十分な勝算があって初めて作戦を決行する。

 ドイツは、その対外イメージと異なり、「堅実な戦争」を好む傾向があった。

 

 そうであるが故の決断がベルリン、OKW(ドイツ国防軍最高司令部)で行なわれていた。

 緊急会議の招集を命じたヒトラー自身、招集した面々に開口一番……

 

「ヴォロネジ攻略の計画前倒し、そのサブプランを吟味するように命じた私が言うのもなんだが……こうも早く再び諸君らの貌を見ることになるとは流石に思ってなかったよ」

 

 周りが失笑すると同時に、

 

「カナリス君、端的に言ってヴォロネジの現状はどうなっている?」

 

「クルスクより退避した住民と守備隊により、端的に言って混沌とした状況になっておりますな。政治将校や政治委員、共産党員は事態を収拾するのに大分苦労しているようですな」

 

 と三軍統合情報部(アプヴェーア)のヴォーダン・カナリスが答えると、

 

「大いに結構だ。精々、彼らには熱心に仕事をしてもらうとしよう。スモレンスク攻略に引き抜かれていたヴォロネジの部隊はどうなったかね?」

 

「彼らの帰還の目途は立っていませんな。どうやら各地から招聘した部隊はそのままに、後方より更に集めた部隊と合流させ再編する腹積もりのようです」

 

 カナリスは詳細を述べ始めた。

 アプヴェーアやNSRが各地に潜り込ませている諜報員や内通者によると、敗残のソ連軍は各地に”留め置かれ”ているらしい。

 具体的には、スモレンスク攻略組の残存は、モスクワやその周辺の軍事拠点に、クルスクからの脱出組はヴォロネジに、その他の国内戦争難民も保護の名目で収容施設に閉じ込められ、外部との接触が禁じられているらしい。

 理由は、当然のように”情報統制”だ。

 ソ連において、共産党の機関紙やラジオ放送(プロパガンダ)以外に民間人が知れる公共情報などないが、人の口に戸を立てられないのは世の常だ。

 如何にソ連敗北の情報に関する箝口令を敷こうとも、必ずどこからか漏れる。

 口伝えとはそういう物だし、だからこそソ連らしく”物理的な情報遮断”に踏み切ったという訳だ。

 クルスク脱出に成功した軍は、そのままヴォロネジ守備に併合され、住民はそのままヴォロネジから移動せぬように厳命を受けた。

 言い方を変えよう。

 ヴォロネジは、言葉にこそしていないが、士気の折れかけたクルスクの守備隊とクルスクの住民を”そのまま受け入れる”事を強要された。

 つまり、ヴォロネジは静かに都市が持つ人口キャパシティーを超えつつあった……

 

 付け加えるとソ連の国内戦争難民は、「家族の生活を保障する」という交換条件で徴兵適齢期やそれからやや上や下へ外れても、鉄砲が担げて撃てそうな男を片っ端から徴兵していた。

 難民収容施設は労働キャンプとしての機能も持っており、残された家族にもきっちり労働させる準備は整っていたのだった。

 老若男女問わず国家への貢献をさせるとは、なんとも素晴らしき共産主義の理想がそこにあった。

 

 無論、ドイツはその状況を把握したうえで、「市民の退去」を認めているのだ。

 

 

 

「後方からの増援は、いつものごとく中央アジアからの人的搾取かね?」

 

「いいえ。それも有りますが、東方……シベリア、ハバロフスク、沿海州などの極東地区からも限定的とはいえ引き抜いているようですな」

 

 そうカナリスが回答すると、

 

「なるほど。フォン・クルスの一件もある。ソ連は、極東の防備を薄くしても日本人は攻めてこないと判断したか」

 

 元々、日本皇国が今更大陸などに旨味を見出さない……北アフリカや東南アジアでいっぱいいっぱいなのは、ヒトラーは百も承知していた。

 ただ、この場合はソ連がどう認識しているかが問題だった。

 

「近々、連中はモンゴルや共産中国、北部朝鮮からも”義勇兵団”を募るかもしれんな……」

 

 ヒトラーはそう呟くと、

 

「では、我々がなすべきは米国の兵器や東洋系共産主義者が戦場に行き渡る前に、ヴォロネジを陥落させるべきだとは思わないかね?」

 

 

 

***

 

 

 

 会議は、頃合いはいつかに移り……

 

「ベストなタイミングは、ソ連の”スモレンスクの第二次攻略”と同時であろうな」

 

 とヒトラー。

 

「そうなると四月の初旬以降ですかな?」

 

 とはマンシュタイン。

 

「フォン・クルスの任命式より前という事はあるまい。そこまで余力があるのであれば、引かずに攻撃を継続している。ソ連にとって、一刻も早く奪取すべき土地である事に間違いはない」

 

 ヒトラーの言葉にこの場の全員が頷き、

 

「任命式の段取りその物は、ゲーリング副総統とノイラート外相、ゲッベルス宣伝相が上手く運んでくれてるので問題は無いが……」

 

 史実と違い、軍務から完全に切り離されているとはいえ、ゲーリングに不満は無かった。

 基本、派手好きで承認欲求がかなり強め(モンスター)のゲーリングは、王侯貴族も含む各国重鎮の出迎え(ホスト)を「総統の代理人として」行うことに非常に自尊心が満たされていた。

 この役目、リッベントロップがやりたかったようだが、外相と宣伝相を率いるのは流石に立場上無理だった。

 言うまでもないだろうが、ノイラートとゲッベルスの本当の役目はゲーリングのお目付け役だ。

 あのお調子者(ゲーリング)が、リップサービス以上の口約束などしないようにという配慮だった。

 リッベントロップ程度であれば、「お前にそんな権限も立場もねーじゃん」と表ではニコニコしながら内心で舌を突き出される程度で済むが、仮にもドイツの副総統ともなればそうもいかない。

 実態が国民人気が取り柄の主に国内プロパガンダ用のゆるキャラ立ち位置であっても、副総統という立場である以上、対外的にはそうは捉えてくれないのだ。

 むしろ、ゲーリングの実態を知った上で確信犯的に相手は交渉を仕掛けてくる狸共が少なからず今回の来客に混じっているのだ。

 気前のいい軍事支援など口約束された日には、軍需相のトート博士と経済相のシャハトの酒量と胃薬量が増えること請け合いだ。

 

「まあ、クルスクの防護準備もままならぬうちにヴォロネジに攻勢をかけるのも無謀の極みだ。かと言って、ウクライナ軍に全て任せるのも心許ない」

 

 実際、住民も守備隊も退去し、将軍や政治将校が捕虜になった後も、コソコソと街に潜み破壊活動を勤しもうとする不逞の輩はいるものだ。

 主にNKVDにより組織される共産(赤軍)パルチザン、NSRの特殊部隊の標的である。

 マンシュタインは頷き、

 

「心得ておりますとも。幸い、ウクライナはベラルーシほど治安維持に苦労はしていません。帰国帰農政策も現在のところは順調です」

 

 史実と異なり、ホロドモール前後に国を出たウクライナ人をドイツは、ソ連にだんまりで相当数を保護していた事は前にも書いたと思う。

 ドイツにいる間、彼らをただ遊ばせてるのではなく、国費にて最新鋭の農業技術やノウハウを教育することをドイツは行っていた。

 つまりは、将来的にレーヴェンスラウム全体の胃袋を支える穀倉地帯の創出が、ようやく始められたという事だった。

 

 ロシア人が殺し過ぎたために肥沃なはずなのに荒れ地となっていたウクライナの土地を再開墾するのは苦労もあるが、生産的で戦争よりよっぽど有意義な活動だとヒトラーは考えていた。

 まあ、そもそも亡命ウクライナ人の国内での処遇から帰国・帰農までヒトラー肝いりの計画なのだが。

 ウクライナ解放軍やら臨時政府やらと表裏一体の計画だ。

 

 ウクライナは史実では、当初はドイツは「ソ連からの解放者」として歓迎されたが、彼らの独特な人種感とも相まって、「その幻想を自らぶち壊した」のもドイツだった。それが、誰にとっても得のない”ウクライナ蜂起軍”を生み出す結果につながった。

 結局、史実のドイツは解放者になり切れなかったのだ。

 

 だが、今生ではその反省を生かし、ドイツ……というよりヒトラーは、徹頭徹尾「品行方正な解放者」として振る舞うことを南方軍集団に要求していた。

 無論、”ナチズムの忠実あるいは厳格過ぎる”軍人の中には、「そこまで厚遇する必要があるのか?」と具申する者もいなくはなかったが、ナチズムなど所詮は”民心を纏める道具”程度にしか思っていなかったヒトラーは、彼らを「現実的なメリット」で論破するのに躊躇いはなかったし、何なら軍務から外れてもらうのにも躊躇いはなかった。

 

 まあ、そういった面々が後にヒトラー暗殺計画を立案するのだが……まあ、結果はお察しくださいだ。

 ナチズムさえ日々、徐々にソフティケートされてる昨今、彼らの居場所はあまりにも少なかった。

 まあ、未来の話はこれぐらいにして……

 

「いずれにせよ”ヴォロネジ攻略”を本来のスケジュールより早めるしかあるまい。好機を逃すべきではない」

 

 と冒頭の言葉に戻る。

 

「諸君、準備を始めたまえ。私は諸君らの努力にこそ期待する」

 

 

 こうして、史実より少しだけ早い”ヴォロネジの戦い”が決定されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっとだけこの世界線におけるドイツとウクライナの関係などを補足してみました。

ヒトラーは、別に人道主義者って訳ではありません。
ただ、非効率なことが大嫌いなんですよ。
無駄に殺すくらいなら、無駄に死なすくらいなら国富の一助にすべきと考えるタイプです。

ソ連がインスタントとはいえ都市部を重工業化してくれたなら、粛清し(餓死させ)過ぎて持て余している肥沃な農地をさらに再使用できるようにして、レーヴェンスラウム全体を担う穀倉地帯も担ってもらおうという訳ですな。


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第195話 ”ミントブルーの聖十字”卿は、白ロシアの現状を憂う

来栖がフォン・クルスになる日がいよいよ迫ってきたようですよ?




 

 

 

 1942年3月31日、俺はなんか久しぶりにベルリンに来た気がしていた。

 おかしいな?

 まだ、ドイツに来てから1年も経ってないはずなんだが?

 ああ、来栖任三郎だ。今、ベルリンの総統府のすぐそばにある超が付く高級ホテルのスィートルームにいる。

 ただし、もうすぐ”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ”になるらしい。

 それは良い。

 いや、良くはないが諦めた。

 人間、諦めが肝心だ。

「なんでスペルが”Ninseblau von Cruz(・・・・) dir Sankt Petersburg”なんだよ? ”Kurus”とかじゃないんかい!?」

 

「どう考えても、Cruzの方が欧州人にはなじみがあるスペルだしな。発音は同じ”クルス”だし」

 

 いけしゃあしゃあと言うハイドリヒに、

 

「違うよな? ”Cruz”ってのは、ポルトガル語で”十字架”だ。”聖ペテロの街の十字架”とかって宗教的な意味を持たせようとしてるよな?」

 

「ちなみにニンゼブラウってのは聞きなれない響きだから、市民の間では”Minzeblau Cruz(ミンツェブラウ・クルス)(ミントブルーの十字架)”って愛称が既に広がってるぜ? あるいは”Sankt Minzeblau Cruz(ミントブルーの聖十字)”とか。どうやらサンクトペテルブルグとひっかけたらしいが、良いセンスだ」

 

「おまっ……人の苗字と名前を勝手に融合しよってからに」

 

 よりによって”ミントブルーの十字架”ってなんだよ?

 新しい宗教モニュメントかなんかか?

 

 ついでに言えば、ミントブルーを色(チョコミントアイスの水色)として認識しているのは戦後の日本人くらいで、海外だと”ミントグリーン”だ。

 ただし”ミントブルー(デルフィニウム・ミントブルー)”という鮮やかな青の花はあるから、多分そっちの色の十字架とかだろう。

 まあ、デルフィニウム自体が欧州だとメジャーな花だから理解できなくもないが……

 

「……まさかNSRが裏で糸を引いてるんじゃないだろうな?」

 

「まさか。そこまで暇じゃないさ。良いじゃないか? ミンツァブラウ大公、悪くない響きだ」

 

 いや、なんか前世のチョコミントアイスを思い出すんだが? ”歯磨き粉風味”でお馴染みの。

 

「それよりも礼服に袖は通したのか?」

 

「まあな」

 

 仕立ての良い漆黒のショートフロックコート、ただしトラディショナルな金ボタンのダブルブレスト(二列ボタン)の前合わせで、開襟で襟の部分が妙にデカく、服と反転して白色だ。

 

「なあ、(今生には存在しない)アルゲマイネSSの将官用礼服だか準礼服だかにこんなデザインなかったか?」

 

「知らない記憶だな。SSなんて単語は聞いたことがない」

 

 噓つけ。知らなきゃこのデザインにはならんぞ?

 

「本来の物に比べればショート丈とはいえ、フロックコートは立派な正装だ。何か問題が?」

 

 いや、まあ今生にSSもいなけりゃ、このデザインの軍服は存在しない。

 軍は、普通にドイツ国防軍だし、NSRの何というか……戦後のドイツ軍(ドイツ連邦軍)って感じだ。

 基本カラーもアッシュグレーで、普通にシングル・スーツタイプだし。

 問題が無いと言えば無いんだが……

 

「……ドイツは、いや総統閣下は俺に何をさせたいんだよ?」

 

「特に何も」

 

「はぁ?」

 

「お前に公式に権力と権限を与える。共産主義者を地上から間引きするアイデアを出し、好きなようにサンクトペテルブルグという街が持つ工業力を使えばよい」

 

 ハイドリヒの野郎はニヤリと笑い、

 

「つまり、今までと同じだという事だ。まあ、ドイツ人になる以上は、今まで以上にアテ(・・)にするかもしれんが……今日まで日本外務省の職員のお前だ。今更、宮仕えは嫌だとは言わんだろ?」

 

「そりゃ言う訳ないけどな……」

 

 はあ、まあそういうことならって感じだな。

 

「細かい事を言うなら、サンクトペテルブルグ総督としての職務と責務、バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)に加え、亡命ロシア人による軍団統括権限も与えることになるが……」

 

「言っておくが、それ全然細かくないからな? 特に最後は、完全に新しい業務じゃねぇか」

 

 あー、あの赤軍崩れの連中を面倒見ろってのは、本決まりだったのか。

 

「やはり、ドイツ軍の一部として使うには、少々問題があってな。敵として戦っていた相手との軋轢の解消は、簡単ではないんだ」

 

「まあ、そりゃそうだろう。万事が万事、フォン・パンヴィッツ中将とシュクロやクラスノフ、クバン(クバーニ)・コサック騎兵旅団のようにはいかんか」

 

 ヘルマン・フォン・パンヴィッツ騎兵中将は、ドイツ軍の中でロシアから迫害されて逃げ出してきたり、ウクライナなんかで息を潜め死んだように暮らしていたコサックたちをまとめ上げ、戦力化することを提言した人物で、コサック騎兵旅団の司令官。

 シュクロやクラスノフはコサック側の司令官だ。

 彼らは今、その機動力を生かして地元と言ってよいウクライナやベラルーシで共産パルチザン狩りに勤しんでるはずだった。

 特にベラルーシ。

 あそこは粛清で相当殺されてるはずなんだが、伝統的に親ロシアだ。

 正直、あの感覚は理解の範疇外だ。

 

 日本人の多くが知らない事実だが、1930年代のスターリンの起こした”大粛清”で当時のベラルーシ共産党全メンバーの実に40%が粛清対象となった。

 その状況で、ドイツ占領下で潜伏したベラルーシ共産党の構成員は、ドイツ軍に対する鉄道網の破壊を含めた大規模なサボタージュを計画・実行していた。

 例えば、前世だとベラルーシだとよく1943年3月に起きたとされる”ハティニ村の虐殺”の話題が出たが……あれもきっかけは、ドイツの指揮官(ベルリン五輪の金メダリスト。国民的英雄だった)が共産パルチザンに殺害されたからだ。

 虐殺現場とされるハティニ村が標的にされたのは、その襲撃の前日に共産パルチザンに宿を提供したことが一因となっている。

 ちなみに前世のベラルーシ、戦前の人口は920万人でその1/4強にあたる220万人が戦争の犠牲になったとされるが……果して「本当にドイツ人に殺された」のは何人だろうか?

 

 少し面白い、あるいは興味深い話をしよう。

 この世界では相対的未来の話なので、実際に似たような事例が起こるか謎だし、あくまで前世の記憶と思って聞いて欲しいんだが……

 「ナチスドイツの虐殺」の代表として他も同じような事例が無数にあるのにハティニ村が選ばれたのは、「カティンの森とロシア語の発音が似てるから」という説がある。

 カティンはロシア語発音だと”カティニ”であり、ハティニ村と確かに似ている。

 ちなみにハティニ村の虐殺についての「ハティニ村の生存者」という男の”証言を基にした小説(・・)”が発表されたのが1971年で、著者は勲章をいくつも貰った筋金入りの元共産パルチザン(なんと15歳で共産パルチザンになったらしい)のベラルーシ人だ。また、その小説を元にした”ソ連(・・)映画”が封切られたのは、1985年。監督は”スターリングラード生まれ”のロシア人だ。

 つまり、この時代は冷戦の真っただ中だ。

 ロシア人が「カティンの森がソ連によって行われた戦争犯罪」だと認めスターリンやベリヤの署名入りの命令書を公開したのは、ソ連崩壊後の90年代に入ってからだ。

 上記の小説やら映画やらは、ソ連が「カティンの森の虐殺は、ナチスがやった」とほざいていた時代の作品である。

 つまり、「ハティニ村を殺ったのがナチスなら、カティニの森もナチスに違いない」と思わせる為の印象操作の疑いがあるのだ。

 実際、2008年に公開された歴史家監修の”ハティニ村の事例”検証映画では、その可能性を指摘している。

 

 他にもある。

 ハティニ村を襲撃したのは、実際にはドイツ人ではなくウクライナ人が主力の部隊だったのだが、その事実は上と同じくソ連崩壊後の90年代まで公表されなかった。

 要するに、冷戦時代はずっと「ソ連により事実は捻じ曲げられていた」訳だ。

 

 虐殺が起きたって事実その物を否定する気はない。

 だが、真相なんて物のは永久に出てこないだろう。ましてや前世のことなど調べようがない。

 歴史は勝者によって作られるし、死人に口なしは確かに正しい。

 多分、それが答えなのだろう。

 

 だが、第二次世界大戦のロシアとベラルーシの関係は、どうにも仄暗いものが多過ぎる。ぶっちゃけ、かなりソ連のプロパガンダ臭がする。

 何も第二次世界大戦に限った話では無くて、俺の記憶では21世紀に入っても大差なかったが。

 「欧州(ロシア含まず)最後の独裁者」なんて呼ばれる男を国主として容認してる風土は、もうこの頃にはあったって事だろう。

 

 

 

 

「だからといって、元日本人になる俺にロシア人捕虜、いや寝返り組を投げるか? 普通」

 

「お前なら、他のドイツ人より上手く扱えるだろ? 特殊な人種感のないお前なら」

 

 また微妙に否定しづらい事を……

 

「以上の理由から、お前には”元帥待遇”が与えられる。無論、軍の正規階級ではないがな」

 

「当たり前だ。正規軍人なんて流石にやってられんわ」

 

「ただし、”サンクトペテルブルグ総督の宝杖”は授与されるからな?」

 

「マヂか……」

 

 それ”元帥杖”とどう違うんだ?

 

「それと、まさか ”バルト海特別平和勲章”は忘れてないだろうな?」

 

「……ちゃんと持ってきてるよ」

 

「ならばよし。式典には必ずつけてこいよ?」

 

「あいよ」

 

 なんつーか、気が重いってのはこういう気分を言うんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに作者は現場を見た訳ではないですが、ベラルーシに関してはこんな話伝わってきてます。

ベラルーシには、スターリンの犠牲者の慰霊碑がいくつもある。
だが、政府はそれを撤去しようと動いているし、実際に反対する住民デモを鎮圧して撤去した事例も多い。
理由は、スターリンの復権がなされ、国をあげて「偉大な強権国家」への回帰が国是とされたから。

これ、21世紀に入ってからのエピソードで勿論、今の「欧州最長の長期政権」の大統領が就任してからの話です。
ベラルーシに観光旅行へ行った人たちの、「ベラルーシは素晴らしい国」だの「言われてるほどひどくない」という意見も聞かれますし、別に良い思い出にケチをつける気はありませんが、まあ闇やら暗部やらが垣間見える場所にどこの国も外国人観光客は入れませんわな。

その素晴らしい国らしいベラルーシが、今、何をしているかと言えば……って奴です。

この195話を描き始めたのがちょうど8/15で、思い出してつい描きたくなったんですよねー。


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第196話 シンプライズされた任命式だったけど、中身は意外と重かった件について

式典その物は淡々と描写。
短い上にちょっと味気ないかな?






 

 

 

 ああ、来栖任三郎……改め1942年4月1日より正式にドイツ国籍のニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ(Ninseblau von Cruz dir Sankt Petersburg)だ。

 というか今更だがこの名前、長いな。

 言っておくが、”ミントブルーの聖十字(Sankt Minzeblau Cruz)”とかじゃないぞ?

 

 さて、あんまり記したくはないが……

 俺の任命式は、てっきりヴィルヘルム通りの総統府で行われるかと思いきや、

 

(なんで、よりによって”ハリストス復活大聖堂”でやるかなぁ……)

 

 宣伝省の広報チームを入れて、流石に演出過多だろうが。

 あー、ちょっと意味わからんよな?

 

 ”ハリストス復活大聖堂”ってのは、ベルリンにある”正教会(・・・)の聖堂”だ。

 なので、掲げられているのは八端十字架。

 

 さて、ベルリンには他に”ベルリン大聖堂”というより大きな聖堂があるが、なぜ大聖堂と呼ぶにはこじんまりとしたこっちで任命式をやるのか?と言えば……

 

 実は、”ハリストス復活大聖堂”って名前の聖堂がもう一つ、それもより大きな建物がある。

 それも、サンクトペテルブルグにだ。

 そう、サンクトペテルブルグで俺が宗教的モニュメントとしての復権、正教会のサンクトペテルブルグでの復活のシンボルにしようと目論んでる四つの聖堂の一つ”血の上の救世主教会”の正式名称が”ハリストス復活大聖堂”だ。

 

 そして、ベルリンとサンクトペテルブルグの二つの”ハリストス復活大聖堂”には、キッチリと繋がりがある。

 ロシア革命での粛清から逃れ、ドイツに亡命してきたロシア正教会の聖職者たちを匿ったのが、このベルリンの”ハリストス復活大聖堂”だった。

 

 一応、書いておくがレニングラードだった時代、どの聖堂も暴徒=ボリシェヴィキ達に略奪と破壊の限りがなされ酷い有様だった。

 そして、あまつさえ「神への冒涜」この上ないことを共産主義者はやっていたのだ。

 俺が復活を目指す四つの聖堂の実例を挙げていこうか?

 

 ・聖イサアク大聖堂

  博物館にされていた。

 

 ・カザン大聖堂

  よりによって「無神論博物館」にされていた。悪趣味が過ぎる。

 

 ・至聖三者大聖堂(トロツキー大聖堂)

  倉庫に使われていた。

 

 ・ハリストス復活大聖堂(血の上の救世主教会)

  野菜倉庫になっていた。「ジャガイモの上の教会」と嘲笑の対象だった。

  

 

 俺はレニングラード攻略の意見を求められた時に、歴史的建造物を(市民の抵抗心を圧し折る為に)纏めて吹き飛ばしてしまえと提言したが、ドイツはレーニン像は鉄屑(いや、青銅屑? 銅屑?)に変えたが、俺の使ってる冬宮殿や四大聖堂などには手出ししなかった。(立てこもった連中には一切容赦しなかったが)

 

 そして、その意味を実際に俺はサンクトペテルブルグに入って悟った。

 これは共産主義がしでかした、「信仰の破壊」にかこつけた歴史的建造物に対する器物損壊と強盗の現場であり動かぬ証拠。

 そして、後に宗教的建造物として復権させ、共産主義者に対するアンチテーゼ、そして何より「ロシアの地で信仰の復活」をアピールするシンボルにするつもりなのだと。

 

 まっ、そう考えるとヒトラーやハイドリヒの思惑もわかってくる。

 サンクトペテルブルグ総督への正式な任命にかこつけた、正教会系聖職者達との顔合わせだ。

 そりゃあ入れ物だけ作っても、中身が空っぽなら意味はない。

 

(まあ、後にサンクトペテルブルグ四大聖堂の復活事業の開始を宣言するときに、必要な手順と考えればよいか)

 

 

 

***

 

 

 

 式典その物は、宗教的な色合いは無く、何やら高位の聖職者っぽいのは参列していたが……それだけだった。

 しかし、総統閣下から直々に賜ったのは、”サンクトペテルブルグ総督を示す宝杖”ってのは、マジに勘弁して欲しかった。

 

 銀の短杖に”バルト海特別平和勲章”と同じ種類の宝石、

 

 ・空の蒼穹を示すサファイヤ:宝石言葉は「慈愛」「誠実」「徳望」

 ・海の碧を表すアクアマリン:宝石言葉は「沈着」「勇敢」「聡明」

 ・太陽の石と呼ばれるペリドット:宝石言葉は「平和」「安心」「和合」

 

 が散りばめられ、天辺(それとも先端か?)にはラピスラズリが全面にあしらわれたマルタ十字(・・・・・)が……って、これ元ネタ、間違いなくまんま”プール・ル・メリット勲章”だよな?

 いや、そりゃあ”ミントブルー”って花は、鮮やかな青系だが……

 

(まさかほんとに”ミントブルーの十字架”を新たな家紋にしろって意味じゃないよな?)

 

 ちなみにラピスラズリの宝石言葉は「成功の保証」「真実」「健康」「幸運」だ。

 皮肉か? 皮肉だよな?

 

 厳かな楽団の演奏のもと、授与された短状を掲げて、それが写真にとられ式典は凡そ終了。

 スピーチしろとか言われなくて一安心だ。

 だが、正教会の聖堂で、”旗を高く掲げよ”の演奏ってのはどうなんだ?

 

 演奏されたのは、厳粛な感じの歌なしの管弦楽団アレンジバージョンだったが、今生ではわりと歌詞が違うとはいえ、結局は「共産主義者をこの世から駆逐しろ」って歌だぞ?

 

 教会的には……神の敵だし、おkかもしれんが聞かされたこっちは何だか微妙な気分になってくる。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、”式典”としては、あるいは公的行事としては終了。

 戦時下ゆえにあまりにも華々しくやるのもって考えもあるのか、何というか思ったよりシンプル&コンパクトなイベントで助かった。

 

「だが、サンクトペテルブルグでの正教会復活の式典は、派手にやれよ?」

 

 とは、設えられたベンツ770Kの後部座席に共に座るハイドリヒだ。

 

「まあ、その辺は考えるさ。”俺の為の式典”でないのなら幾らでもな」

 

「お前らしい言い回しだな? その反応なら、式典自体を可能な限り簡素に圧縮した甲斐もある」

 

「……もしかして、気を遣ってくれたのか?」

 

 するとハイドリヒは微かに微笑み、

 

「宣伝省としてはもっと派手にやりたかったらしいが、総統閣下の『戦時中であることを考慮したまえ』の鶴の一声でこうなった」

 

 ああ、なるほど。

 そういうことなら……

 

「最低限、それに関しては礼を言わんと」

 

 車の行き先は同じベルリンの総統官邸……つまり、総統閣下との会談が俺を待っているという訳だ。

 その後に、今度は夜会でポツダムの”サンスーシ宮殿”まで行かないとならないし、

 

「やれやれ。長い一日になりそうだ……」

 

 気がつくと、俺は素直過ぎる言葉をつぶやいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん、わざわざ「ベルリンにある、正教会を借りて式典」をやるわ、「その教会はサンクトペテルブルグでフォン・クルスが復活を狙ってるものと繋がってる」わで、式典その物はシンプルでも、意味を考えると中身は結構重いというw

共産主義者も宗教的建造物に好き放題やり過ぎだけど、ドイツは方向性が違うだけでこっちも大概w

ちょっとお知らせ。
本日、いつもより投稿時間が遅かった理由でもあるんですが……遂に書き溜め分のストックが切れました。

最近、ちょっと私用が多くて、あんまり執筆時間がとれなかったのが原因です。
これまでのように連日投降が厳しくなると思いますが、どうかよろしくお願いします。






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第197話 ご対面 ~総統閣下が意外とおもろいオッサンだったとしたら、割とリアクションに困る件について~

この世界線のヒトラーは、割と剛柔使い分けるタイプだと思う。
あと、割としょーもないハイドリヒの秘密が一つ明かされるw




 

 

 

「余人を交えず、こうして歓談できる日を楽しみにしていたぞ。フォン・クルス卿」

 

 と会議室……ではなく、個人の執務室、そこにしつらえられた応接セットで俺を出迎えた総統閣下である。

 

「……ちょっとフレンドリー過ぎやしませんか? 総統閣下」

 

 プッと噴き出すハイドリヒ。

 いや、こっちは笑い事じゃないんだが?

 

「生来、私は堅苦しいのは苦手な性分だ。格式や様式を気にしない相手には、相応に接したい。君もそのクチ(・・)ではないのかね? フォン・クルス卿」

 

「降参です」

 

 俺は両手を掲げて、

 

「確かに私も堅苦しいのは苦手です。それにここにはおそらく”同郷”の人間しかいない。部屋の外の事は一旦忘れ、気安く行くのは賛成です」

 

 そう、部屋には俺とハイドリヒ、そして総統閣下……アウグスト・ヒトラーしかいない。

 ちなみに紅茶を淹れつつ、茶菓子……ザッハトルテを切り分けているのはハイドリヒだ。

 絵面的に似合わんことこの上ない。

 

「国家保安情報部長官自ら淹れていただいた紅茶を楽しめるとは、贅沢の極み」

 

 ちなみにティーセット一式は、”これぞマイセン!”といわんばかりのブルーオニオンで統一されていた。

 なんとなくだが、ヒトラーはあまり華美な物、装飾過多な物は、「自分が使う分」には好まない気がする。

 あと、多分面倒臭がりだ。

 直感だが……茶器の選び方にこだわりが無く、「定番押さえときゃどうにかなる」とか考えてる気がする。

 

「違うぞ、フォン・クルス。一番の贅沢は、このザッハトルテが我が妻の手製だという事だ。ちなみに妻は今年で18歳だ」

 

 げっ……俺も人のことは言えんが、「奥様は女子高生」かい。

 ああ、なんか年齢差から考えると、後妻っぽいな。

 

「それは有難く。その年齢ならば、部下にNTRされることもありますまい」

 

 前世の話だが、シェレンベルクがハイドリヒの妻と浮気して、ハイドリヒに毒殺されかかったのは割と有名な話だ。

 ちなみに妻が浮気した理由は、ハイドリヒ自体の女癖が悪かったから。

 ちなみに史実のシェレンベルクも、占領下のパリでココ・シャネルと愛人関係にあったというのだから、あっちも大概だ。

 

「ふむ。まあ、そうだろうな。元妻とシェレンベルクとの関係は破綻したようだが」

 

「そ、それは重畳」

 

 な、なるほど。毒殺未遂じゃなくて普通に離婚ね。

 でも、コイツって女癖悪い感じはしないんだよな~。性格の不一致ってやつか?

 すると、ヒトラーは微かに微笑み、

 

「女性関係ではなく、仕事に熱中し過ぎたせいだ。当時は今とは比べ物にならぬほど多忙でな。元日本人の君ならわかるだろう?」

 

 前世込みで理解はできる。

 

「”レーヴェ”には正直、すまなかったと思ってる」

 

「ふん。”オージェ”に謝ってもらうようなことじゃないさ。ところで、場の温めはこれで十分か?」

 

「ああ。これで少し空気が柔らかくなった。感謝する」

 

 えっ? ハイドリヒ、前説だったのか?

 いや、確かにコイツの別に興味ないプライベートなんか聞いたせいで、すっかり空気は弛緩したが。

 それに、あだ名で呼び合う関係ねぇ~。

 

「フォン・クルスがお前に感謝したいそうだ」

 

 ヲイヲイ。ここで振るか?

 

「あー……まずは式典を簡略化していただいたことに感謝を」

 

「気にするな。戦時中につきこちらも緊縮財政の折りだ。互いにWin-Winという理解で良いだろう」

 

 何というか……言い回しが凄く転生者だ。

 

「それと、皇国から追放された私にドイツ国籍を与えてくれたことにも」

 

「それこそ気にするな。それは”ドイツの事情と都合”でもある」

 

 あー、やっぱり?

 外交的に色々裏工作、いや裏取引か?をしたんだろうなって想像はついていたが。

 

「では、それについては感謝を取り下げるとして……」

 

「貴殿も言うな? ここは”Sie ist ohne Ehre(チキショーメ)”とでも叫ぶべきか?」

 

 ………どうやら総統閣下にも遠慮はいらんらしい。

 というか、ハイドリヒもニヤついてるし。

 いや、なんで普通に”総統閣下の空耳”シリーズ知ってんだよ?

 実は、前世は日本人だったってオチじゃないだろうな?

 

(そのうち、”und betrogen worden(おっぱいぷるんぷるーん)!”とか普通に言いそうな怖さがあるな)

 

 ある意味、個人的には親しみやすいが……それでいいのか? ドイツ国民よ。

 

「ところで……一つ聞きたかったのですが、なんで”総督の短杖”に”プール・ル・メリット(ブラウラー・マックス)”がくっついてるんです? これ、明らかにあの勲章と同じデザインですよね?」

 

「何を言ってる? 同じデザインどころか保管されていたブラウラー・マックスのパーツをそのまま流用したものだぞ?」

 

「ヲイコラ」

 

 仮にもプロイセンで最も名誉ある勲章の一つとされていた物を。

 いや、でも廃物利用と考えれば悪くないのか?

 皇帝の退位で廃止された勲章なわけだし。

 

「まあ聞け。その宝杖は、”バルト海特別平和勲章”をモチーフに私がデザインしたのだが……」

 

「総統閣下自らがデザインしたんかいっ!?」

 

 おまっ、実はこの短杖ってとんでもない価値があるんじゃ……

 いや、そういえば俺が知ってる歴史のヒトラーも勲章とかデザインしてたな。

 

「うむ。職務の気分転換にな」

 

 片手間でやってたんかーいっ!

 なんか、一気にありがたみが薄れた気分だった。

 ハイドリヒ、抑えているつもりだろうが、しっかり笑い声聞こえてるからな?

 

「だが、いざデザインしてみるとどうも何か物足りなくてな……具体的にはドイツ成分が足りない気がした」

 

 ドイツ成分ってなんだ? ゲルマン魂とかの亜種か?

 

「そこで、NSRがブラウラー・マックスの現物、そして部品を保管してたことを思い出してな。試しにつけてみたら、こうしっくり来たわけだ」

 

 いや、ノリ軽いなっ!?

 

「一応、マルタ十字の八角には、騎士の八徳の意味もあるしな」

 

 マルタ十字の示す八徳ってのは、”マルタ修道騎士の八つの美徳”のことで、たしか……

 

 ・忠誠心

 ・敬虔さ

 ・率直さ

 ・勇敢さ

 ・名誉

 ・死を恐れないこと

 ・弱者の庇護

 ・教会への敬意

 

 だったか?

 

「総統閣下、私には八徳の一つも無いんですが?」

 

「……なるほど。君は自身をそう見ているのかね?」

 

 ん? 今の間はなんだ?

 

「加えて言うなら、サンクトペテルブルグで”正教会を復活”させる以上、八端十字を使わせる訳にはゆくまい? フォン・クルス、君は正教会の意向で総督になるのでは無いのだからな」

 

 ああ、つまり……

 

「近くなりすぎるな、と?」

 

「政教分離の精神は、近代政治の大原則だ。知らぬ訳ではあるまい?」

 

 ようやく真面目な話ってことかねぇ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、顔合わせ自体は式典でしてるのですが、面と向かって話し合うのはお初の来栖改めフォン・クルス総督と、総統閣下でした。

今回は、軽い会話からスタート。
一応、フォン・クルスの人柄や”間違いなく転生者”、「共産主義絶対殲滅マン」であることは聞いていたので、こんな出だしになりました。

そして、ハイドリヒの再婚した奥様が若すぎる件についてw
ザッハトルテに限らずお菓子作り全般が得意みたいですよ?

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第198話 Gott ist in seinem Himmel, mit der Welt ist alles in Ordnung. ~されど、赤色の暴虐は止まず~

ちょっとだけ、総統閣下がフォン・クルスに踏み込みます。






 

 

 

Gott ist in seinem Himmel(天に召します我らが主よ), mit der Welt ist alles in Ordnung(世は事において他になし)(God's in his heaven,all's right with the world.)……ですか?」

 

「”ピッパが通る”の一節だな。ブラウニングかね?」

 

 日本では”春の朝”として有名だが、

 

「”赤毛のアン”ですよ」

 

 俺はそう返し、

 

「神は天に在るだけで、人の世は回る。信仰は認めるが、宗教は政治に口出すべきではないと。まあ、当然の事ですね。神の理と人の理が一致するわけはない。天上と地上では法則から違うでしょうから」

 

 少なくても、人の理で転生なんて御業(みわざ)は出来んし。

 

「個人的な見解ですが、宗教家と革命家と軍人は、政治をすべきではないですね。宗教家は地上では物理的に不可能な神の摂理を振りかざし、革命家は理想を重んじるばかりに現実を見失い、軍人は何でも力で解決できるという”甘え(・・)”が出る」

 

 そして、どいつもこいつも結末は万能感に支配されて己を見失い、腐敗する。

 どこぞの歴史家が語った『権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する』は正しい。

 王侯貴族が絶対権力で無くなった中世以降、宗教家と革命家と軍人という家柄に捉われない新たなパワーエリート層は、特に絶対権力を得やすい。

 そんな実例は、歴史では幾らでも転がっている。

 

 中世のキリスト教、例えば十字軍の実態はどうだった?

 日本史における戦国時代の石山本願寺や比叡山延暦寺は?

 神仏の名の下に、連中は何をしていた?

 

 今のソ連はどうなってる?

 ポルポトは何をやった?

 無辜な民の流血を嫌った革命家は、果して何人いる?

 

 軍人は世界中の軍事政権の末路を考えればわかる。

 何なら、「東条英機内閣時代の大日本帝国の失策」でも調べてみればよい。

 むしろ変な笑いが出てくること請け合いだ。

 

「餅は餅屋、ドイツの表現なら”Schuster, bleib bei deinem Leisten.(靴屋は靴型にこだわる)”でしたか? 何事もその道の専門家に任せるのが一番だ」

 

「その見解は一致してるようで何よりだ」

 

 総統閣下は満足げに頷くと、

 

「ではフォン・クルス。”正教会の旧ロシア帝都(サンクトペテルブルグ)での信仰復活”というあまりにもシンボリックな事象に、何を求めるか問おう」

 

 それに関しては簡単だ。

 

「私が求めるのは二つ。ソ連国内の離間・分断工作と、白系ロシア人の民心統一」

 

 現在、ソ連と呼ばれる地域だって「信仰を捨てきれぬ人々」は必ず潜んでいる。

 前世で、ソ連崩壊後のロシア正教復権の素早さを考えると、相当数の隠れ信者が息を潜め隠棲してると考えて良いだろう。

 

「赤い大地に住む”隠れ正教徒”の受け皿を標榜することで、信仰心というハーケンを打ち込み、少なからずソ連という血塗れの岩壁を砕くのが目的の一つ。もう一つは、現在ドイツ勢力圏にいる白系ロシア人の……殺害された皇帝に代わる”精神的支柱”を再建立する事です」

 

 先も挙げた「ソ連崩壊後のロシア正教の復権」に関するエピソードだ。

 共産主義という”無神論信仰(・・・・・)”を喪失したロシア人の心の拠り所として21世紀に入りロシア正教は勢力の拡大、信仰の獲得を成し遂げている。

 実はその兆候は戦時下の1943年に既にソ連であり、どれ程聖職者を殺しても信仰の瓦解や撲滅ができなかったため、ドイツの侵攻に対してソ連人民の士気を鼓舞する必要もあり、スターリンは渋々教会活動の一定の復興を認め、空位となっていた総主教の選出も認めた。

 

(だが、そんな美味しい役回りをスターリン風情に譲ってやる必要はない)

 

「スターリンは劣勢になれば、士気の鼓舞の為にロシア正教の一部活動再開を言いだすでしょう。だから先手を打ち、”旧帝都”で信仰の復活をアピールし、二番煎じの手を打ちにくくさせることも狙いです」

 

「実に重畳」

 

 ヒトラーはそう頷き、

 

「すると君は、正教に改宗する気はないと?」

 

「今のところ、改宗する気も帰依する気もないですよ。どちらかと言えば私の立ち位置は”イスカリオテのユダ”に近い」

 

「そのこころは?」

 

「銀貨30枚で信仰を商取引する現実主義者。あるいは裏切り者」

 

 どっちも俺には合う気がする。

 

「我は信徒に非ず、使徒に非ず、地上代行者に非ず、されど信仰の復活と信仰の自由を庇護する者なり。共産主義者にダメージを与えんがために……言うなれば、そんなところです」

 

 ほら。神にも信仰にも真摯じゃないだろ?

 ある種の背徳であり、背信者でもあるな。

 およ? なんか総統閣下が形容しがたい表情をしてるんだが……

 

「ふむ……君は、信仰の復活宣言、その演説において思いのたけを聴衆にありのまま伝えるのか?」

 

「ま、まあ、演説が必要ならそうしますね」

 

 いや、何が言いたいんだ?

 

「必要だな。そうであるならば余計に」

 

 ん? どういう意味だ。

 

「総統閣下、純粋性は人間の美徳かもしれませんが、行き過ぎたそれは毒でしかないと私は考えるんですよ」

 

 何事も、”過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。

 原理主義ほど厄介なものは無かりけりってな。

 

「確かに宗教は為政者にとって便利な道具ではあるが、適切な親密度と適度な距離感が肝要という事に関しては同意だな」

 

 まあ、意思疎通はできてるよな?

 

「であるならば、相応に振舞うのみです」

 

「なるほど。サンクトペテルブルグ四大聖堂復元についての意図は理解した。予算も承認しよう。どうせ戦時中に終わる作業ではない。10年、あるいは20年単位の分割払いと考えればそこまで大きな予算は必要ないだろう。それに人手にも心当たりがある」

 

 前世の知識だと、例えば前述の”ハリストス復活大聖堂(血の上の救世主教会)”はあまりにも荒らされていて、復元まで27年の歳月がかかったという。

 まさに四半世紀がかりの大事業だ。

 あっ、言い忘れていたがハリストスは元はギリシャ語の”Χριστός(フリストス)”、つまり”キリスト”の事だ。

 正教会(東方正教会)ってのは、ギリシャ正教から始まってる(だから、正教会全体を”ギリシャ正教”って呼ぶ事もある)から、そのギリシャ語綴りと読みがロシア正教なんかのスラブ系正教会に伝わって訛りキリル文字の”Христос(ハリストス)”になったって経緯がある。

 

「人手とは?」

 

「本日式典を行ったベルリンの”ハリストス復活大聖堂”は、ロシア革命当時に脱出に成功したロシア正教の聖職者たちの避難先だ。その際、復元に役立つだろう多くの資料を持ち出しているし、きっと役に立つだろう」

 

 あー、なるほど。

 これも俺の知ってる歴史との大きな差異だ。

 史実のドイツなら、とてもじゃないがロシア正教徒の居場所なんてなかっただろう。

 むしろ弾圧されていたはずだ。

 実際、その時の信徒や聖職者は欧州のみならず、最終的にアメリカやカナダにも亡命している。

 

 だが、今生のドイツは、史実よりも遥かに大々的に白系ロシア人を受け入れているし、ナチズムもソフティケートされてるせいで共産主義者や社会主義者に対する弾圧は過激だが、スラブ人や正教も含めたキリスト教徒全般に対する弾圧は今じゃあすっかり鳴りを潜めている。

 

 どうも、総統閣下自身が「彼らもドイツ人(われわれ)同じく(・・・)共産主義者の被害者」というスタンスをとり、「同情すべき人々」と評した事が大きい。

 更に活躍したのがゲッベルス宣伝省で、ロシア正教の聖職者たちに起こった悲劇……修道士は何かを聞き出すための拷問ではなく、「共産主義者が聖職者達が苦しむ様を見て楽しむ」為の”遊びの拷問”で殺され、修道女は輪姦されながら殴られ、あるいはナイフで刻まれ比喩でなく嬲り殺しにされた。

 その事実を赤裸々にまとめたものを本でラジオで映画で、あらゆるメディアを用いて大々的に発表したのだ。

 

 これは現在も「共産主義者に対抗する啓蒙活動」として続いており、今やその運動はドイツ勢力圏やドイツ友好国全域で行われている。

 予想だが、日英にも近々それらの記録が、公式に開示されるだろう。

 

 こんな胸糞悪いこと現実にあったのか? フィクションでないのか?と思うかもしれないが……では、史実にあった実例をあげよう。

 日本正教会の京都主教を務めていた”ペルミの神品致命者聖アンドロニク(ウラジーミル・ニコリスキイ)”は、自ら掘らされた墓穴に生き埋めにされた上で銃殺されたという公的な記録が残っている。

 ちなみに執行したのは、”チェーカー”だ。

 そして、この拷問大好き弾圧組織・虐殺機関は、チェーカー→GPU→NKVD→KGBと続いてゆく。

 無論、組織が改変される度に犠牲者はソ連の拡大に比例して増大していった。

 この手の行動を好むのは、何もエジョフやベリヤだけではないのだ。

 

 

 

 また、レーニンがトロツキーとモロトフに宛てた「教会財産没収、聖職者銃殺指令」という二通の書簡が、ソ連崩壊後に発見されている。

 ちなみに”ロシア革命の20年代、ロシアのみに限って”という条件で絞ってみても、判明しているだけでも聖職者だけで20万人、宗教を理由に50万人が殺害されている。

 

 そんな状態であるため、ドイツには欧州有数の白系ロシア人の巨大コミュニティーが存在しており、虐殺から逃れた聖職者たちも自然と集結していた。

 

「フォン・クルス、今回の任命式を”ハリストス復活大聖堂”で行うのは、ただの政治パフォーマンスではないのだよ?」

 

「……つまり、参列していた聖職者達は私を品定めしていたと?」

 

 別に不快なわけじゃないが。

 

「自分達の未来を託すのだ。彼らにもそのくらいの権利はある」

 

「ごもっとも」

 

 それは納得するが、

 

(となれば……)

 

「総統閣下、”正教の復活”を宣言した後なんですが……」

 

 これだけ材料が揃っているのなら、

 

「教会の破壊と略奪、聖職者虐殺(・・・・・)の咎で、スターリンとソ連国家首脳部全てを国際司法裁判所に告発しませんか?」

 

 そして、重要なのは……

 

「当事者、”復活した正教会(・・・・・・・)”から」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




残念ながら、ロシア革命当時~30年代に起きたボリシェヴィキによる聖職者の虐殺は、厳然と資料が残っている事実なんですよね~。

量産型エジョフや量産型ベリヤが腐るほどいたのが、当時のチェーカーです。
そして、その伝統が脈々と受け継がれて現在に至ると。
現在のウクライナの惨状を見ると、いやホントに何も変わってねぇと呆れるばかり。

そして、少しだけ腹を割って話したことで、何やら確信を得られたのか、何やらまた愉快なことを、今度は総統閣下に言いだすフォン・クルスw

コヤツ、アカの嫌がることを的確に実行して行きます。
いや~、宗派が違うとはいえ、同じ十字教徒はどう思うでしょうね?w

そして、ヒトラーは確信する。

ヒトラー:「あっ、コイツ絶対、信仰復活宣言でやらかすな」

だから、あえてそれを推す方向にw

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第199話 メタトロンではなくパラメトロンについての話題。ついでにちょっと未来予想図など

話題変更w




 

 

 

「時に総統閣下、日本皇国との積極的な技術交流はお望みですか?」

 

 正教会関連の話題が終わったと考えた(なんせ、”正教会によるソ連の悪行告発”に関しては明確な返事はなかったし)俺、旧来栖ことフォン・クルスは、話題を切り替える。

 円滑なコミュニケーションの秘訣の一つは、「相手を飽きさせない事」だと思ってる。

 

「できることなら、そうしたいものだな」

 

「既に20㎜機関砲弾、その信管などで初歩的な交流は行いましたが、もう一歩進めるのはどうでしょう?」

 

「ほう……興味深いな? 何か手ごろな取引材料でもあるのかね?」

 

 いや、この間ちょっと思いついたんだけど……

 

「貴国の軸流圧縮式ターボジェット・エンジン”BMW003”は開発中止になったのですよね? そして、試作されたエンジンは死蔵状態にあると」

 

 実は、史実でもBMW003は、大戦末期に日本に向けて輸出されている。

 結局、現物は日本に届くことはなかったが。

 

「シュペーア君と円滑な意思疎通ができてるようで何よりだ」

 

「そこで、我が国が開発に成功した演算素子と技術交換しませんか? 対価としてはBMW003の本体と治具、関係資料一式とあと参考用にBMW801エンジンを1基付けてもらえると釣り合うと思いますが?」

 

「随分と興味深いが、皇国側の対価となる演算素子とは?」

 

「”パラメトロン”、フェライトコアのヒステリシス特性によるパラメータ励振現象の分周作用を利用した素子ですよ」

 

 俺の知る前世記憶では1950年代の発明だが、この世界では30年前倒しの1920年代後半には既に基礎理論があり、開発が行なわれていた。

 

 俺がつかんでる限り、ドイツは未だに真空管全盛だ。

 史実に比べて、品質も生産量も桁違いだし、種類もST管のみならずGT管、ミニチュア管、メタル管と用途に応じた各種が生産されているが、所詮は真空管だ。

 かと言って、トランジスタに手を付けてる感じはない。

 おそらく、その手の技術に明るい転生技術者がいないか、いたとしても余力がないのかもしれない。

 

「真空管に比べ、どんなメリットがある?」

 

「まず、真空管に比べてコストが断然安く安定していて、リレーより高速動作が可能。フェライトコアなので物理的強度がある。つまり……」

 

 現在、ドイツの主流演算機である、

 

「”Zuse(ツーゼ)”シリーズに相性抜群の素子なんですよ。ツーゼ博士が真空管をご自身が設計した演算機に使わないのは、真空管の安定性と信頼性に疑念があると聞いていますが? そのために真空管ではなくリレーをメインで使っていたと聞き及んでいますが」

 

 実は、ドイツ……というより、驚くべきことにドイツ政府に家族ともども手厚く保護されてるフォン・ノイマンは地味にパラメトロンと縁がある。

 史実の彼は、パラメトロンと基礎構造が同じで、リアクタンスではなく静電容量を可変するタイプの素子を考えつき、特許出願までしている。

 

「不安であれば、ツーゼ博士と共同研究者のフォン・ノイマン博士に聞いてみると良いでしょう」

 

 実は、パラメトロンにも弱点があり、

  ・トランジスタに比べ消費電力が大きい

  ・そのくせトランジスタに比べて演算速度が遅い

  ・動作周波数を上げる過熱による動作不良が起こる(つまり高速化しにくい)

  ・小型化すると動作しなくなるため、集積回路(ICなど)に発展しにくい

 

 まあ、これがまんまトランジスタに敗北した(淘汰された)理由なのだが、言い方を変えれば大半が「トランジスタありき」の話であり、トランジスタの開発や集積回路の概念がドイツにない以上、今のところは大きな問題にはならないはずだ。

 

「……それだけの物を日本政府が差し出すと?」

 

「交渉次第では、可能なはずです」

 

 パラメトロンも機密指定の技術ではあるが……軍機指定ではない。

 小耳に挟んだ話だが、日本皇国は既にトランジスタ開発に舵を切ってるし、既に実験室レベルでは開発できてるらしい。

 つまり、上記の「トランジスタありき」の状態がもう目の前に来ている。

 遠心圧縮式ジェットエンジンのように「現状では優れた技術だが、先に繋がらない技術」なのだ。

 パラメトロンの技術や理論が再び脚光を浴びるのは、おそらく半世紀以上未来。量子演算機の実用化の話題が出てくる時代だ。

 

「良いだろう。検討しよう……そう言えば、技術交流に関連するが、日本皇国より一人、駐在武官が”領事(・・)待遇”でサンクトペテルブルグに常駐することになる。とは言っても、実質的にはヨシダ欧州統括への連絡官と考えて貰ってよい。聞いているかね?」

 

 うわ。大島大使を通さないで良いって言われたよ。

 まあ、”親善大使”殿は、あちこち接待されにドイツ中を飛び回ってるからなぁ。

 あの人はあの人で、役割ってもんがある。

 

「聞き及んでますとも。正規の外交官でなく軍部の人間をよこすあたり、今の私が皇国外務省からどう思われてるか窺えますねぇ」

 

 まあ、ただしこのぐらいの皮肉は言わせて貰おう。

 

「サンクトペテルブルグに着任してから、君の報告は軍事面が大多数だったからな。外務省云々よりもそれが原因ではないのかね?」

 

 へー。

 検閲された時の写し、総統閣下も読んでいたのか。

 

「ここは、わざわざ拙い報告書を総統閣下に読んでいただいたことを光栄に思うべきですかな?」

 

「これも職務。要らぬ気づかいだ」

 

 あらら。ドライに返されてしまった。

 

「こちらでも打診はするが、新たに配属される領事武官にもジェットエンジンとパラメトロンの技術交換については話しておきたまえ。その方がスムーズに話が進むだろう」

 

「了解しました。何事も効率的に、ですね」

 

 

 

***

 

 

 

 その後、いくつかの会話の後に、

 

「ふむ。そろそろ夜会の準備をせねば間に合わぬな? そろそろ退室したまえ。長々と引き留めてすまなかった」

 

「いえ。こうしてお話させていただいたこと、光栄でした。総統閣下」

 

「ふむ。私もだ。有意義で、実のある時間だった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、それはヒトラーが最初の談話を来栖、フォン・クルスが夜会の準備のために退出した後の事だった。

 

「”レーヴェ”、フォン・クルスは本物(・・)だな」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

()のような、”歴史上の人物であるヒトラー”の物真似をしてる贋作、”ヒトラーの尻尾”ではないという事だ」

 

「別にお前を偽物だとは思わないが?」

 

「ふん。レーヴェ、フォン・クルスは”天性の扇動者(アジテーター)”だ。それも無自覚の」

 

「……解任したいのか?」

 

「まさか。彼はドイツにとり、劇物であっても毒物ではない。それが重要だ」

 

 ふとハイドリヒの脳裏に”混ぜるな危険”の文字が浮かんだという。

 

「そうであるが故に、フォン・クルスには”サンクトペテルブルグ市特別行政区”の総督程度(・・・・)で満足してもらうようでは些か困るな」

 

 友人が何を言わんとしてるか想像がついたハイドリヒは、

 

「どの程度だ?」

 

「フィンランドとの兼ね合いもある以上、多少は調整せねばならんが……ノブゴロドは流石に戦時中は正規軍が常駐しないと危ない。なので当面はガッチナ→ルーガ→プスコフ→キンガセップ→ソスノヴイ・ボールのラインを考えている。これだけの広さを自由にできるのなら、新たな工業地帯の構築も可能だろう」

 

「なるほどなるほど……凡そサンクトペテルブルグから南西に広がるエストニアとの国境に沿って、エストニア-ラトビアの国境あたりまでって感じだな? 差し詰め、”サンクトペテルブルグ大管区(ガウ)”というところか?」

 

「その認識で間違ってはいない。エストニアとラトビアには国境線を調整・再設定して貰わねばならぬが、僅かばかりとはいえ領土が増えるのだ。文句はあるまい」

 

「まあ、取り立てて文句は出ないだろうが……フォン・クルスを”大管区指導者(ガウライター)”に指名するのか?」

 

「いや。それだと誤った認識をバルト海周辺諸国に与えかねないし、大義名分がない。故に現在は”サンクトペテルブルグ市とその周辺”という現在の行政区分を”サンクトペテルブルグ市を中心とした(・・・・・)その周辺の特別行政区”と改めるに留める。フォン・クルスは総督の地位に置いたまま、彼の管轄区域を増やす方針だ」

 

「……絶対に文句タラタラになるぞ?」

 

「そのあたりは上手くやってくれ。期待してるぞ、レーヴェ」

 

「あいよ。お前さんの無茶ぶりはいつものことだ」

 

「……すまん」

 

「いいさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、宗教の話題が終わったと思ったらいきなり技術取引に入るこの男w

まあ実際、フォン・クルスはこの戦争中は手を緩める気は無いみたいですよ?
おかげで”ツーゼ”シリーズのコンピューターは、真空管に移行しないまま史実と異なる方向で飛躍的にパワーアップする可能性が出てきました。

ついでに、フォン・クルスの”領地”……失礼。管理区域を広げる気満々の総統閣下というw


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第200話 スオミ産の色んな意味で大御所登場!

遂に200話目です!
今まで応援ありがとうございました!

その記念という訳ではないですが、満を持して遂に大物……というか色々”濃い人”が出てきますw





 

 

 

(わし)がフィンランド国防軍最高司令官! カールハインツ・エミール・マンネルハイム元帥であるっ!!」

 

「アンタは江田○平八かいっ!?」

 

 いや、ちょっと待ってくれ。

 せめて言い訳させてくれ。

 ああ、来栖、じゃなかったフォン・クルスだ。

 ややこしいな。

 

 いや、俺は普通に夜会に出席したんだよ?

 でかいベンツの後部座席に揺られて、ベルリンの西南西、ポツダムにある”サンスーシ宮殿”入り。

 日本だと”無憂宮”として知られてるここは、この世界のドイツでは迎賓館としての機能を持たされている。

 

 つまり、各国の王侯貴族やお偉いさんがドイツ訪問した際のホテル兼ダンスホール&パーティー会場だ。

 今回、呼ばれたのはバルト海沿岸諸国の代表で、公的には特別行政区扱いの”サンクトペテルブルグ市総督”の就任だ。

 関係各国と呼べるのはそれくらいで、日英はそこに含まれていない。

 

 というか、たかが一地方行政区の総督就任に国外から要人が招かれる事が、本来なら異常事態だ。

 例えば、どこかの県知事が就任したからって、各国から要人はこないだろ?

 

 まあ、俺自身も少々派手に色々やった自覚はあるから、この処遇は納得してるが……

 

(しかし、イカツい軍服姿のマッチョ老人が、開口一番、日本語で(・・・・)名乗りをあげるのは流石に反則だろうがっ!?)

 

 ちなみに衆人環視、それも各国お歴々がいるパーティーホールだぞ? ここ。

 俺の日本語の返しに、え~とマンネルハイム元帥(?)はニヤリと笑い、

 

「なるほど。やはり”同郷者”であったか。重畳重畳」

 

 ハメられたっ!?

 あー、くそ。この爺様、どう考えても転生者(サクセサー)だわ。

 

「若いのぅ。悔しさが顔に出とるぞ?」

 

「お戯れを。元帥閣下」

 

「閣下はいらん。同格の元帥であろう?」

 

 このクソジジイ!

 

「そうは言われましても、私は率いる規模や役職から”元帥待遇”なだけであり、閣下(・・)の様な正規軍人ではありませぬ」

 

「固いのぅ。元帥は元来、名誉称号じゃ。お前が腰に差しておるのが新たに元帥杖であることは、この場の誰もが承知しているというのに」

 

「何と言われても、人には譲れない一線というのがあるのですよ」

 

「レ○アースかね?」

 

「それは”ゆずれない○い”!」

 

 ハッ!? しまった。つい……

 どうもこの爺様と話してるとペースが崩される。

 

「クックックッ。存外にノリが良いことで結構結構」

 

「……閣下、流石に私をからかいに来たのではないですよね? だとしたら、少しは場所を弁えて……」

 

「なに。ただの顔見せよ。サンクトペテルブルグの行く前に、お前さんの為人(ひととなり)でも確認しておこうと思ってな?」

 

「来るのですか? サンクトペテルブルグに」

 

 むしろ、あんまり来てほしくないんだが?

 

「欲しいのだろう? ”オネガ湖南南東の分岐(・・)”が」

 

 チッ……まだ正式に作戦立案はしてないはずなんだが。

 

(こりゃ読まれてるって考えた方がいいな)

 

「……それをここで持ってきますか? 正確には私がというより、ドイツの都合ですが……委細承知しました。来るときは一声かけて下されば、用意と準備はしておきましょう」

 

 つまり、この爺様は俺の考えている”ボログダ攻略”を読んだ、あるいは勘づいた上で「現在、カレリアに展開しているフィンランド軍が協力してやってもよい」と言ってるのだ。

 

「プランにスオミを”正式”に組み込んで良いので?」

 

 誰が聞いていても良いように返すと、

 

「構わんよ。儂の権限が許す限り協力しよう。ただし、”対価”は用意して欲しいな」

 

「……なるほど。サンクトペテルブルグには”品定め”目的で?」

 

 つまり、サンクトペテルブルグで生産している、あるいは生産予定の「ソ連系譜の友好国向け装備」を自分の目でみたいってことか?

 

「どう解釈してもらって構わんよ」

 

 こりゃ、俺の一存だけって訳にはいかんだろう。

 

「ベルリンとの確認をとってからになりますが、それでよろしいでしょうか?」

 

「結構」

 

 だが、せめて一太刀くらいは返してくれよう。

 

「それで、お眼鏡には叶いましたか?」

 

(わし)はカラフルな人間を好む。退屈な人間は、悪人にも劣ると思ってるのだよ」

 

「は、はあ?」

 

 この爺様、いきなり何を言ってるんだ?

 

「お前さんは、様々な側面(いろ)を持っている。しばらく退屈せんのは良いことだ」

 

 食えない爺様だ事で。

 吉田先輩と同じ匂いがしやがる。

 海千山千の古狸、腹の底が読めんタイプか……

 

 

 

 

 

 

 

「ところでフォン・クルス」

 

「なんです?」

 

「実は、礼服ではなく以前、日本を訪れた際に作らせた紋付羽織袴でパーティーに出ようとしたら部下に止められてしまったのだが……」

 

「当り前でしょうが!」

 

 この爺様、マジでキャラ特濃過ぎやしないか!?

 

「しかし、皇国では未だに正装だろう? 大和魂を体現した素晴らしい和服だと思うのだが?」

 

 いや、ノイエ・ジ○ルじゃねぇんだから。

 

「大和魂って、あんたスオミ人でしょうが……」

 

「ふん。くだらぬな」

 

 なんか元帥は(大胸筋的な意味で)分厚い胸を張り、

 

「世界をいくつ跨ごうと、”コメ食いてー”精神は失われんわい!」

 

 あんたの大和魂の源泉はそこかいっ!?

 いや、日本人的には間違ってないような……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、何やらお歴々と顔合わせをして、何やら何人かの娘さんを熱心に紹介されたが、正直、勘弁してほしい。

 こちとら本来、社交界なんてのとは程遠い世界に生きてた人間だ。

 ぶっちゃけ、良家のご令嬢とか絶対に空気が合わんぞ?

 

 (つつが)なくと表現するには少々濃い面々もいたが、大きなトラブルもなく夜会は終了した。

 

 一応、元外交官なんでレセプションやらパーティーに出席したときの為にマナーやらダンスやらの教練を受けたが、半ば錆びついていたり埃かぶってたそれらのスキルが役立つ日が来るとは思わなかったぜ。

 兎にも角にも、これで明日にはサンクトペテルブルグに帰れるかと思うとホッとする。

 

「サンクトペテルブルグに帰れる(・・・)、か」

 

 公的には俺はもう日本人の来栖任三郎ではない。

 ドイツ人でサンクトペテルブルグ在住の”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ”だ。

 

「サンクトペテルブルグが今の俺の故郷か……」

 

 日本皇国に対する望郷の念が0と言ったらウソになる。

 やはり、日本人として生きてきた時間に愛着はある。

 だが、

 

(これはこれで悪くない)

 

 外交官のまま、あるいは日本人のままだったら決して許されない行動をとる事が可能となった。

 

「合法的に赤色勢力を地上から殲滅できる立場というのは、実に悪くない」

 

 ”神の地上代行者”を気取る気は無い。

 救世主になるなんざ真っ平御免だ。

 

「だが、信仰は復活させてやる。信仰の自由も許す。だから、力を貸せ……」

 

 誰にでもなく呟いて、俺は眠りに落ちる。

 今日はひどく疲れた……

 よく眠れそう……だ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




改めて今まで応援ありがとうございました。
皆様の応援のおかげで200話までやってこられました。

とはいえ、まだ作中だと42年前半、むしろ戦争が激化するのはこれからという感じです。
おそらく完結までには500話近く必要かも?
もしかしたら、長すぎてウンザリしてしまうかもしれませんが、これからもご愛読頂けたら嬉しいです。

さて、いよいよ登場したマンネルハイム元帥。
マンネルハイム、マンネルヘイムと日本語表記がありますが、マンネルハイム元帥元帥でこの作品は統一させていただきます。
そして、コッテコテの”転生者(サクセサー)”w

いや、史実でもこの大御所濃いのに……
まあ、そうであるが故に明らかにフィンランド軍の動き変わりますね~。
カレリア地峡にカレリア地方、ラドガ湖、オネガ湖周辺を分捕り返してウハウハなスオミは、果してどこまで行くのか?



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第201話 ”集う英傑”というより、どちらかと言えば”増える被害者”と表現したくなる状況

変人ではあるが、豪傑でもある転生者(サクセサー)であるマンネルハイム元帥のお次は……






 

 

 

 さて、時は1942年3月中旬まで戻り、場所はスカンジナビアの雄、スウェーデンのストックホルムに視点を移す……

 

 

 

「おいっ! 小野寺、お前何をやらかしたっ!?」

 

「へっ? 影佐先輩?」

 

 大使館にある私室で午後の紅茶(商品名じゃなくて、言葉通りの意味で)を楽しみながらさほど重要度の高くない書類をチェックしてたら、”中野学校”時代にお世話になった仲良しの先輩が飛び込んで来ました……って何事?

 

 ああ、おっひさー。

 スウェーデン大使館付駐在武官、小野寺誠だze♪

 前世では諜報員養成機関”陸軍中野学校”は1938年の設立だけど、今生ではなんと設立から半世紀以上経つ皇国陸軍の中でも老舗のセクションだ。

 前世の中野学校はよく知らないけど、多分、名前が同じだけで中身は別物だと思う。

 日清戦争で諜報活動の重要性を認識した日本皇国が、諜報機関の本場、英国のアドバイスを元に極秘裏に開校したのが”中野学校”というわけらしい。

 

 ちなみに今生では冠に”陸軍”とは付かない。

 陸海空を問わず受け入れてるし、駐在武官となる軍人は少なからずスパイ活動をするので、軍種に限らず”中野学校”で特定のカリキュラムを履修、試験に合格する事が駐在武官資格を得る条件となっている。

 

 俺も3年間みっちり教育を受けて、その時の先輩が影佐貞昭大佐だ。

 いや、本来なら影佐先輩、少将くらいに出世してないとおかしいんだけど、何でも現場(鉄火場?)が好きすぎて、将官になると本局詰めでデスクワーク・オンリーになるからって理由で、佐官にとどまってるお人なんよ。

 

 んで、その何年かぶりに顔を合わせる先輩が部屋に飛び込んできたんだけど……いや、なんでよ?

 事態が全く吞み込めてないんだけど、

 

「小野寺、この辞令を見ろ……」

 

 影佐先輩が突き出した陸軍省の透かしが入った事例には……

 

「”小野寺誠大佐、サンクトペテルブルグ行政府への出向を命じる”?……ふあっ!?」

 

 

 

***

 

 

 

 えーと……少し落ち着いてきた。

 状況をまとめると影佐先輩、前の赴任地から”在スウェーデン大使館付武官”に着任する為に一旦、準備のために本国に戻ったらしいんだ。

 そこで、何故か”機密指定”になっていた俺の辞令を預り、届けるように言われたらしい……

 ちなみに辞令は封がされており、影佐先輩は概要しか知らないらしい。

 

「ま、まさかの”サンクトペテルブルグ流し”……」

 

 いや、マヂになんでさ?

 

「来栖()特使の”やらかし”は、俺も色々と聞いてるがな……」

 

 先輩、その憐れみを含んだ視線は俺に効く。

 だけど、辞令の中身を読んだけど、なんかちょっと内容がおかしいぞ……?

 

「影佐先輩、ちょっと相談に乗ってもらっていいですか?」

 

「俺が聞いて良い内容ならな」

 

 いや、多分それを前提にわざわざ先輩に届けさせたんだと思う。

 

「問題ないと思います。えっとですね、俺の身分は駐在武官なんですが、扱いはどういう訳か”サンクトペテルブルグ駐在領事”待遇なんです」

 

「なに?」

 

 もうこの時点でおかしいよな?

 一介の駐在武官に領事の権限を与えるってのも。

 領事の仕事って外交じゃなくて、駐在国での自国民の生命や権益の保護と通商の策定や起案なんだよ。

 つまり、

 

(半分は軍の領分じゃないんだよなぁ……)

 

「加えて、直属の上司が大島駐ドイツ大使ではなく、吉田滋欧州統括なんですよ? これってどういう解釈をすればよいんでしょうね?」

 

 すると影佐先輩は考えて、

 

「小野寺、お前の資質を考慮し吉田統括が直属となると、おそらく……いや、十中八九”兵器取引”だ」

 

「サンクトペテルブルグのですか? でも、あそこってソ連系の兵器生産拠点じゃありませんでしたっけ?」

 

 実は、ソ連系の兵器って堂々と”買う”事ができるんだよ。

 例えば、お隣フィンランドが冬戦争で鹵獲したソ連兵器は、戦費獲得を理由にプレミアム価格で他国に販売している。

 実際、皇国も研究用や比較用にいくらか購入していたはずだ。

 

「今更、皇国軍が興味を示すとは思えませんが……」

 

「これは憶測だが、おそらくはベースとなっているのはソ連兵器だろうが、サンクトペテルブルグではソ連軍のそれとは異なる体系の兵器を製造しようとしている、あるいは既に製造しているのかもしれんな」

 

 ああ、なるほど。

 冬戦争で大量のソ連兵器を鹵獲したフィンランドや、ついこの間までソ連だったバルト三国やウクライナなど今のドイツのお仲間には、ソ連系兵器のユーザーが多い。

 だが、知っての通り、ソ連製の兵器ってのは生産性、生産量ありきで品質が粗く、性能や使い勝手がイマイチな物が多い。

 例えば、安全装置が付いていないトカレフTT-33みたいに生産省力化の為に「ソレ外しちゃアカンやろっ!?」ってのまでやりすぎ簡略化がされてることが珍しくないのだ。

 そこを是正するために工業都市として復権しつつあるサンクトペテルブルグが動く事は十分にありえる。

 

「それに皇国軍は興味を持っていると……?」

 

 先輩は頷き、

 

「ドイツとソ連の技術体系が融合して生まれる兵器なら、軍上層が興味を持ってもおかしくはない」

 

 皇国軍部は基本的に”Need to Know”。つまり、「必要なら知らせる」スタイルだ。

 だから俺にも、おそらく先輩にも「サンクトペテルブルグで何が作られているか?」の詳細情報は入っていない。

 

(だけど、上層部は知っている……?)

 

「先輩の憶測が正しいのなら、多分、政治情勢の変化でドイツとの兵器取引、特にサンクトペテルブルグ製のそれが対象となる可能性がありますね?」

 

「小野寺、お前の境遇には同情する」

 

「いや、いきなりですね」

 

 すると先輩は苦笑して、

 

「苦労するのが目に見えているからな。それも理不尽な類の」

 

「縁起でもない事、言わないでくださいよ……」

 

 いや、でも”あの悪名高い来栖さん(ヒューマノイドタイフーン)”の地元だしなぁ……

 

「だが、同時に得難い機会でもある。しっかり見定めてこい」

 

「はいっ!」

 

 いずれにしろ、辞令が出た以上は断れない案件だしなぁ~。

 せめて、前向きに行くとしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っていたぞ」

 

 1942年4月1日朝、復興と同時にレニングラード時代より更なる発展を遂げつつある(らしい)サンクトペテルブルグ港で俺を出迎えてくれたのは、

 

「やっぱり貴方でしたか。”シェレンベルク”少将」

 

 なんか、納得してしまった。

 腑に落ちてしまった。

 

「やっぱりとは?」

 

「全ては貴方の差し金ですか?」

 

 するとシェレンベルク少将はニヤッと笑い、

 

「”俺の”だけじゃないさ」

 

 きっと、ストックホルムで会ったあの日、既にシナリオは出来ていたのかもしれない。

 あるいは、シェレンベルク少将はあの日、俺の品定めにわざわざ俺を訪ねたのかもしれない。

 それはさておき、

 

「マコト・オノデラ大佐、只今、サンクトペテルブルグに到着致しました」

 

 俺が皇国陸式の敬礼をするとシェレンベルク少将は少し崩れた返礼で、

 

「歓迎するよ、オノデラ大佐。生憎と総督閣下は総督任命式の為にベルリンに出向中でね。予定では明日の午後に戻り、明後日の朝には顔合わせできる予定だ」

 

 ああ、当日に着任してくれればよいって理由かこれか。

 いや、辞令では本日よりサンクトペテルブルグ総督府付駐在武官となるんだけど、ドイツ側からは前日入りではなく当日到着予定のストックホルム⇔サンクトペテルブルグ定期貨客船で来てくれれば良いと通達があった。

 

 ”立つ鳥跡を濁さず”的な資料整理や、新たなスウェーデン大使館付駐在武官となる先輩に業務引き継ぎする時間はたっぷりとれたので、正直助かった。

 

 そう、驚くべきことにレニングラード攻略戦があってからまだ1年も経ってないのに、サンクトペテルブルグ港はその機能を取り戻しつつあり、完全復旧ではないのでまだ数は少ないとはいえ、バルト海沿岸の国々との間に、既に交易船の定期便が往来していた。

 

 例えば、ストックホルムとサンクトペテルブルグは700㎞も離れてない(大体、東京から広島くらい)なので、週に3本の定期便が出ていた。

 この時代の貨客船の平均速度は20㎞/h(10~12ノット。波の静かなバルト海だから、この速度が出せるらしい)程度だから、36時間くらいかけて到着するって計算になる。

 

 飛行機ならもっと早いんだけど、今は戦時下につき「敵爆撃機と誤認される恐れがある」ので、他国の民間機を受け入れる国際空港のようなターミナルは今のところ予定は立ってないらしい。

 今のところサンクトペテルブルグに空から乗りつけられるのは、ドイツの公用機だけだって話だ。

 

「今日のところは君の住居を案内しよう。荷物は既に届いてる」

 

「えっ? 少将自らですか?」

 

「……暇なんだよ。部下が優秀過ぎて。総督がいないと、それはそれで」

 

 そう波止場に止めてあるワインレッドの車、おそらくベンツ540Kのロードスターをシェレンベルク少将は見やった。

 どうやらマヂらしい。

 どうでもいいが、プレイボーイで鳴らしたシェレンベルク少将らしい車のチョイスだなと思う。

 

 それにしても……脳内でさっきから”ドナドナ”がみっくみくなvoiceで脳内耐久再生されてるんだが、どうにかならんのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、小野寺君は無事に幻想……もとい。サンクトペテルブルグ(じんがいまきょう)入りにw

そして、影佐パイセンが予想以上に後輩思いの面倒見の良い人にw
彼、別に転生者ではないんですが、やっぱり学生時代(中野学校)の経験が大きいのかな?

影佐:「小野寺? ああ、有能で優秀ではあるんだろうが……とにかく癖が強くて、手のかかる後輩だったよ。俺も世話を焼かされた」

 と苦笑交じりにどこか楽しげに語る感じです。


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第202話 ”冬宮殿=魔王城”疑惑について ~領事武官とか、ミリメシの話とかも添えて~

お待たせしました
誰も待ってないかも(ダウナー系自虐

ちょっと本日は忙しく、いつもより投稿時間がずれました。

その分、久しぶりの文章量マシマシのフォン・クルスとオノデラ大佐の初絡みとなっておりますw










 

 

 

 1942年4月3日、魔王城(ガチ)……もとい。サンクトペテルブルグ行政府”冬宮殿”に登庁三日目、俺こと小野寺誠は遂に来栖任三郎改めニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督と体面と相成りました。

 

 4月1日の任官式を終えた総督は、どうやら昨日の午後にNSR(ドイツの諜報機関)のチャーター機で帰ってきた模様。

 何というか……色々凄いな。

 

「ふむ。こうして会うのは初めてだな?」

 

 場所はフォン・クルスの執務室。

 部屋には側近三人衆(シェレンベルク少将が教えてくれた)、サンクトペテルブルグ駐留軍首席参謀シュタウフェンベルク少将、軍需相特務生産統括官シュペーア氏がそろい踏みだ。

 そして……

 

(やっぱり美少年侍らしてるぅっ!? しかも三人!)

 

 外務省からの報告では、来栖特使は衆道? お稚児さん趣味?に走った疑いがあるとあったけど、マヂだったかぁ……

 いや、人の趣味とか性癖とかプライベートの範疇だし、日本人気質の俺としては別にいいんだけどね?

 ある意味、貴族趣味の典型ともいえるし。

 

 

「歓迎しよう。小野寺誠領事武官(・・・・)

 

「”領事”武官……ですか?」

 

 聞いたことない役職なんですが、それは?

 

「言葉の通りだ。サンクトペテルブルグにはまだ領事館はなく、今は戦時中で当面は治安リスクが高いために各国領事館の設立は難しい。なので通常の領事の赴任は許可できない」

 

 あー、つまり”サンクトペテルブルグは、まだ準戦地(・・・)”ってことね。

 

「なので、各国のエージェント駐留は原則として許可された武官に限る。軍人なら死ぬことも給料の内だからな」

 

 言い方ァッ!!

 

「安心しろ。サンクトペテルブルグで死んだら、理由の如何は問わず戦死扱いにしてやる」

 

 そうじゃなくてさぁ……いや、遺族年金とか考えると、その方が助かるけど。

 

「しかし、連絡官ではなく何故に領事待遇に?」

 

 そこが疑問なんだよなぁ。

 

「領事の仕事は大きく分けて二つ。一つは、有事の際の在留邦人の保護と帰国の円滑化だが、上記の理由で現状、書類の上では邦人はいないことになっている。だからこの任務は考えなくていい」

 

 目の前にいるんですが?は無粋が過ぎるか?

 元日本人なら、俺の目の前にもいるが。

 

「もう一つは、”通商”業務のサポートだ。サンクトペテルブルグは、現在、復興を遂げつつある工業基盤(インフラ)で既に重工業生産、特に軍需品の製造を始めている。小野寺大佐、君には特にその分野で期待したい」

 

 やっぱそうなるよな? 俺の経歴から考えても。

 直属の上司が、吉田欧州統括ってのもそういう意味だろうし。

 大島”親善”大使じゃ、シリアスな機密の塊の軍装備の裁定なんて、危なっかしくて任せられない。

 

「はっ!」

 

 俺が敬礼すると、

 

「そして、早速で悪いが吉田先輩……いや、ヨシダ欧州統括に連絡を入れてほしい」

 

「どのような?」

 

 小野寺が着任しました的な?

 

「15~20年ほど前、確か世界恐慌の少し前だったと思うが、中科研(皇国中央科学研究所)と帝大の理化学研が共同開発したフェライトコア論理素子で、”パラメトロン”というのがあったのは知っているか?」

 

「ええ」

 

 あの史実より四半世紀くらい早く開発されたアレね。

 何でもトランジスタの開発目途が付いたからって理由で、研究が打ち切られた筈だけど。

 

「ドイツ側から後に正規外交ルートからの打診があると思うが、事前に可能かどうかを前もって確認しておきたい。ドイツ側は開発中断の判断が下った”BMW003軸流圧縮式ターボジェット・エンジン”とパラメトロンの技術交換を望んでいる。交渉次第では、同じBMWの801星型エンジンも複数入手可能だ」

 

「はっ?」

 

 いや、そんな話、聞いてないんだが……

 確かにBMW003は前世でも日本に正規輸出されたことあるよ? 結局、届かなかったけど。

 

「まあ、事前交渉とか予備交渉のようなものだな?」

 

 ちょっと待て。

 来栖さん、じゃなくてフォン・クルスはどんだけドイツ中央に”近い”んだ……?

 

「小野寺大佐、私から託を確実に皇国空軍の統合技研に届くように吉田欧州統括に念押しを頼む。内容は、”日本で『アター(・・・)』が作れるようになる”だ。十中八九、この意味がわかる者がいる」

 

 へっ?

 

「”アター”ってあのアターですか?」

 

 おフランス製のジェットエンジン(戦後開発)の?

 40年代後半の”ウーラガン”から始まって、70年代のミラージュF1あたりまで採用された?

 

(ああ、そう言えばアターって、鹵獲されたBMW003を元に設計されたんだっけ?)

 

 すると、フォン・クルス総督は一瞬、大きく目を見開いてから頷き、

 

「そのアターで間違いない」

 

「フォン・クルス総督、質問よろしいでしょうか?」

 

 と俺じゃなくシュペーア氏。

 

「いいぞ?」

 

「”アター”とは?」

 

 なんて答えるんだ?

 まさか、未来のエンジンとか言えないだろうし。

 

「日本で研究中の次世代軸流圧縮式ターボジェット・エンジンの開発計画の一つと、その成果物の通称さ」

 

 サラッと噓をついたっ!?

 

「ところで……」

 

 フォン・クルス総督は俺を見てニチャアと笑い、

 

オノデラ(・・・・)大佐、君も”こちら側”だったのか?」

 

 背筋にゾゾっと冷たい汗が流れ落ちた。

 それはまさに、世界半分くれるとか言っちゃう”魔王の笑み”!

 

 やっぱサンクトペテルブルグは魔境で、冬宮殿は魔王城じゃんっ!!

 

 

 

***

 

 

 

 さて、小野寺君には着任早々申し訳ないが、早速、吉田先輩に打診してもらうように頼んだ。

 今は退室して、自分の執務室に籠ってる筈だ。

 BMW003の資料もツヴェルク君に届けさせたし。

 

(まさか、小野寺大佐も転生者だったとはな……)

 

 青天の霹靂もいいとこだぜ。

 ハイドリヒ、ヒトラー総督、マンネルハイム元帥……ここんとこ立て続けに転生者に会いすぎじゃないだろうか?

 エンカウント率がバグってるような気がして仕方ない。

 

「フォン・クルス総督、オノデラ大佐の印象はどうでした?」

 

「まあ、悪くはないと言っておこう。それにしても、シェレンベルクは随分と買ってるみたいじゃないか?」

 

 こいつにしては珍しく。

 シェレンベルクはその社交的な雰囲気に対し、人物評価は諜報畑の人間らしくかなりシビアだ。

 

「能力はそこまで高くないというか、どちらかと言えば”未知数”ですが……」

 

 そりゃまあ、転生者だしな。

 

「感情の起伏の上下動は激しいように見えますが、実際のところ、根幹部分は極めて安定してるように見受けられますね。なんというか、動いてるのは表層だけで重心はぶれてないと言いますか」

 

 なるほど。アレをそう評するか。

 まあ、本質的には間違っていない。

 

「あとこれは厳密には人物評ではないのですが、個人的に好感が持てるというか……ウマが合う、波長が合う。不思議とそう感じました」

 

 これ、もしかしたら因果とか因縁とかいう奴じゃないのか?

 

「お前さんの直感なら信じて良いだろう」

 

「恐縮ですな」

 

 ともかく、これで日本と交渉しやすくなったのはありがたい。

 

「シュペーア君、外務省でも軍需省ルートでも構わないから、”日本皇国軍装品全般(・・・・・)の輸出総合カタログ”を取り寄せておいてくれ。国内需要の急増で兵器輸出に熱心な国ではないが……まさか海外向けのカタログぐらい用意してあるだろう」

 

「オノデラ大佐は持ち歩いてませんか?」

 

「彼のスウェーデンでの役回りは、バイヤーであってセールスマンじゃなかったからな。知識はあっても、カタログ自体は持ってない可能性が高い」

 

 それに欲しいのは最新版、それもできれば「ドイツに輸出できるもの」を纏めた編纂版だ。

 

「Ja. 速やかに用意します」

 

「頼むよ」

 

「何か興味のある装備でも?」

 

 とはシュタウフェンベルク君。

 生粋の軍人だけあって、興味を示したらしい。

 

「日独のドクトリン違いが見えて来て面白いぞ? それに……」

 

 これは自慢して良い部分だと思うが、

 

「同じ缶詰でも、日本の戦闘糧食(レーション)は美味いぞ? あれはドイツも参考にすべき部分がある」

 

 この時代の史実とは比べ物にならないミリメシの美味さ、それこそ戦後自衛隊に比肩しうる出来だ。

 というか、真空パックやレトルトパウチが何故か試験的に導入されている(いや、国際特許とるまで国内の民間向けにも出回ってないんだっけ?)……これ、もしかしたら転生者の軍事面における最大の貢献かもしれん。

 

 いや、美味い飯は戦闘薬(ヒロポン)なんぞより遥かに士気向上に役立つ。

 飯は娯楽なんだよ。特に日本人にとっては。

 いや、むしろドイツ人が食に対する欲求が低いんじゃなくて薄くて、時折心配になる。

 1920年代から流行ってきてる”カルテスエッセン(冷たい食事)”なんて、日本人に言わせればただの手抜きだぞ?

 

 まあ、あれも国策とか政策とか色々絡みがあるんだが……

 

「兵士は体が資本だからな」

 

 人類なら、どうせ食うなら美味いモン食いたいと思うのが人情だと思うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 どうでも良い閑話休題

 

 あくまで後年の話(具体的に何時(いつ)とは明記しない)だが……

 ロシアもどちらかと言えば、特にソ連時代「豪華な食事はブルジョワジーの証」と粗食文化なのだが、サンクトペテルブルグ製造のコンバット・レーションだけは異様に人気を博した。

 フォン・クルス総督が監修(オノデラ大佐という説もある)したとされるそれらのシリーズは、皮肉にも前述のカルテスエッセンを参考に火を使わない事を前提にした缶詰の食品群だった。

 ちなみに1950年代後半になるまでドイツや周辺国では真空パックやレトルトパウチは製造されていない。その代わり薄殻榴弾の技術的応用で軽量な薄殻缶詰缶が開発された。

 しかし、その味は良好であり、食べ比べたドイツ将兵が「戦闘糧食だけはベルリンはサンクトペテルブルグに完敗した……」と絶望するほどだったという。

 おかげで、サンクトペテルブルグやその周辺に展開するドイツ軍からサンクトペテルブルグ・レーションの供給を求められたり、前線にサンクトペテルブルグからの増援が来た場合、友軍からレーションの交換をねだられて大変だったり(おかげで遠征では多くの糧食を余剰で持たせる羽目に……)、あるいは敵軍の「人気鹵獲品ランキング」では銃器類をはじめとする武器弾薬を抑え堂々の1位となったりした。

 しかも、銃器類とは異なり、証拠隠滅も兼ねてその場で食って消費してしまえるので、史実であった「戦利品としてワルサーP38を持ち歩いてる奴は戦友の仇」として”処分”されるケースも少なかったとされる。

 まあ、これが結果として各国の戦闘糧食の改善に繋がっていくのだから、世の中、何が幸いするかわからない。

 

 

 

 結論

  ・食い物を狙ってくる飢えた兵隊はおっかない

  ・無駄に味にこだわる日本皇国人に飯関連を任せるのはリスキー

  ・大体、フォン・クルスが悪い

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いや~、正直今はストックがないので、書き上がったそばから即投降なので、スケジュールは詰まってると中々執筆時間ガガガ……

そして、口から音声として放出してない物の、フォン・クルスを魔王呼びするオノデラ君も大概やなとw

そして、”アター”と聞いて反応し、一発で転生者バレする芸風だったり。
ある意味においては、ドイツ系三羽烏よりさらに濃いミリオタ転生者の参戦で、サンクトペテルブルグの金胎は深まり、冬宮殿の魔王城化は益々促進される……?

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第203話 とりあえず日本人が二人そろうとメシの話で盛り上がれるという風潮 ~小野寺君は意外と環境適応力あるみたいですよ?~

という訳で、ミリメシについて盛り上がる日本人と元日本人w





 

 

 

 うっす! オラ、小野寺!

 現在、サンクトペテルブルグの冬宮殿(魔王城)で執務中だ。

 まあ、現実逃避はこのぐらいにしておこう。

 

「ふむ。よくまとまっている」

 

 吉田欧州統括に提出するチェックを終えた来栖、じゃなかったフォン・クルス総督は、

 

「現在、軍装品全般の総合輸出品カタログを用意してもらってる」

 

「軍装品全般ですか? 兵器ではなくて?」

 

 てっきり、ドイツ軍強化の方向性だと思ったんだけど。

 

「興味が無いと言えばウソになるが、先年まで敵国だった相手に最新鋭兵器の現物は輸出できないだろ? とりあえず、ミリメシ辺りから輸入交渉しようかと思ってる」

 

「ああ、なるほど。皇国以外どこの国のコンバット・レーションも、アレな出来ですからね。遠征してない以上、米国もまだCレーションを開発してないでしょうし」

 

 我が愛すべき祖国、日本皇国の戦闘糧食(レーション)だけはマジに世界水準を大きく凌駕し、最先端を一人で突っ走ってると思う。

 史実でも、1937年に”九七式炊事自動車”ってフィールドキッチンカーが登場しているが、今生でも同種の装備が出てきているけど、性能的には戦後の野外炊具1号を73式トラックに合体させた航空自衛隊の炊事車に匹敵する。

 実際名前も、”九七式炊事車”ってちょっと名前も自衛隊よりになってるし。

 ついでに、牽引式の”九七式野戦炊事具(こっちはまんま野外炊具1号)”も制式化されている。

 

 いや、どこの転生者が頑張ったのか知らないが、皇国陸軍の食に傾ける情熱は凄い。

 一説には、「クソ麻薬(ヒロポン)なんてもんに金をかけるぐらいなら、飯に金かけろやっ!!」と怒鳴りこんだ高官がいたとかいないとか。

 蛇足だけど、ヒロポン……要するに覚醒剤、ケミカル系麻薬の”メタンフェタミン”の危険性、毒性や副作用に依存性は既に世界中で知れ渡っている。

 ……というか、実は史実同様にメタンフェタミンの合成や結晶化に成功させたのは19世紀末の日本人薬学者で、学会に発表する前に動物実験で副作用やら何やらが色々と確認されていたらしい。つまり、デメリットを加えての発表だった。

 うん。ここにも転生者の影が見え隠れしてるな。

 無論、軍で全く使われないという事はない。

 正直、状況に応じてこの手の薬物を使わざるえないシチュエーションも確かに軍には存在する。

 だけど、危険性を誰も認識してなかった前世のように”駄菓子屋で買ったラムネ菓子の様な気軽さ”でヒロポン錠剤を兵隊がかじるという事はなく、非常に慎重に処方されていると言い訳したい。

 

 話がずれた。

 温めを必要とする食事も、既に真空パック(ハンバーグ)やレトルトパウチ(カレー)が既に実用化されていて、しかも試験的に導入が始まっているのが皇国軍だ。

 加えて、「火を使わず缶詰の蓋を開けただけで食べられる」史実の米国Cレーション準拠の物も缶詰の種類が豊富で、主菜と副菜が1缶ずつで1食分となるのはCレーションと同じだが、その組み合わせは実に多彩だったりする。

 野戦用缶詰に限っても肉だけでも牛肉のしぐれ煮に豚の角煮、鶏の焼き鳥風、ビーフシチューにポークジンジャーにチキンカレー。魚は魚で大人気のサバの味噌煮に始まり、クジラの大和煮、カツオの生姜煮、イワシの甘露煮、サンマの蒲焼風なんて種類がある。

 しかも、これらはベーシックメニューでさらにバリエーションがあるというのだから……率直に言って、アホじゃないだろうか?

 誰が呼んだか「缶詰ガチャ」、「レーションガチャ」なんて呼び方まであるくらいだ。

 いや、「何が出てくるかわからない」という意味の”ガチャ”という呼び名を広めたのは、確実に転生者だろうけども。

 

 ついでに言えば、フリーズドライ食品も既に試験導入されている。

 聞いた話だと、野戦食の大本命たる即席麵やカップ麵ももうすぐ登場するって話だったし。

 

「サンクトペテルブルグでレーション作るんですか?」

 

「できればな。古今東西を問わず、戦地において食事は娯楽だ。美味い物を食わせた方が士気向上させやすい」

 

 ごもっとも。

 

「真空パックとかレトルト食品とかは試験的に導入されてるだけなので、無理でしょうが缶詰と粉末の奴とかくらいなら大丈夫だと思いますよ? あれ、遠隔地に船で大量に運べるようにって作られた物だし」

 

 フリーズドライじゃなくてスプレードライ方式だけど、インスタントコーヒーとか粉末スープとかもうあるしな。

 ちょっと楽しみになってきたな。サンクトペテルブルグのレーション。

 

「そういえば、日本のキッチンカーは輸入できるのか?」

 

「輸入するなら、炊事ユニットだけをお勧めしますよ。日本車の部品も手に入りにくいでしょうし、そもそも故障した場合、修理できるのか?って問題もありますし」

 

「なるほど。流石は専門家。詳しいな?」

 

「どうも」

 

 ところで……

 

「あの、今日は”側近三羽烏”はいないんですか? あと美少年トリオも」

 

 そう、実は俺とフォン・クルス総督は総督執務室で二人きりだ。

 いやさ、今は敵国じゃないと言っても、他国の人間と二人だけなんて、いささか不用心じゃないのかね?

 

「ああ。彼らには少々、色々と動いてもらってる」

 

「お聞きしても?」

 

 軍事機密ならご遠慮しますが。

 

「言える範囲で言えば、スモレンスクとクルスクに送る追加装備の確認だな」

 

 ん? となると……

 

「ソ連がまた性懲りもなく”カティンの森”を攻めてくるので? クルスクはまあ……ヴォロネジですか?」

 

「そういう兆候があるってことだな。ヴォロネジの詳細は俺も知らんよ」

 

 線引きはしっかりつけてくれるようで助かる。

 

「オノデラ大佐、”こっち側”の人間として聞きたいのだが、”レイジードッグ”と”ドラゴントゥース”はもうあるのか?」

 

 ”レイジードッグ”はダーツ型の対人子弾をばら撒くキャニスターや爆弾、”ドラゴントゥース”は同じく空中散布型の小型対人地雷だ。

 無論、どっちもベトナム戦争やアフガニスタン侵攻で使われた”戦後の兵器”だ。

 

「レイジードッグと似たようなのは試作兵器であったと思いますが、”PFM-1”は多分、まだの筈です」

 

 ちなみにPFM-1はドラゴントゥースのそっくりさんで、基本的にソ連製かアメリカ製かの違いと考えていい。

 

「日本からの輸出の可能性は?」

 

「まだ試験投入の段階ですから、当面は……」

 

 いや、まあ最先端兵器の輸出なんて、相手がドイツじゃなくてもホイホイと出せるもんじゃないけど?

 技術交換は、ある種の等価交換的な取引ではあるけど、兵器の輸出入となれば話は変わってくる。

 戦況に影響を与える程の兵器輸出は、明確な戦争幇助になっちまうし。

 俺に言わせると、レンドリースなんて意味不明な理屈で堂々と戦争幇助してるヤンキーが頭オカCのだ。

 普通に考えて、宣戦布告なしにドイツに戦争吹っ掛けてるようなおんだぞ?

 

「仕方ない。自前で開発する方向で考えるか……」

 

「作れるんですか……?」

 

 するとフォン・クルス提督は少し考えてから、

 

「今の技術でも再現できなくはないだろ? 幸い、設計図……なんて精密な物じゃないが、概念図や構造図くらいなら頭の中に入ってる」

 

 と自分の頭をツンツンとつつく。

 噓でしょ?

 

「小官はミリオタの自覚はありますが、兵器のアーキテクトまで脳内メモリーしていませんが?」

 

「いや、普通だろ? 例えば、陸軍が使っていた試製ロタ砲はまんま”M9A1”だろ? そういう風に頭の中に図面持ってる”ご同類”は結構いると思うぞ?」

 

 あっ、ちなみに現在、皇国陸軍は制式配備され始めた”零式三吋噴進砲”に変わる次世代対戦車ロケットランチャーとして”試製九糎噴進砲(三式90㎜ロケットランチャー)”ってのを試験開始してるけど、こっちはまんま自衛隊というか警察予備隊でもお馴染みの”M20改4型スーパーバズーカ”だ。

 そうなると、フォン・クルス総督の言う事もあながち間違いじゃない……のか?

 

「ところで、ここで対戦車兵器の話題を出すってことは、もしかして”RPG-7”の開発とか狙ってます?」

 

 いや、あれって構造的にはパンツァー・ファウストとパンツアー・シュレックの混合物みたいなもんだし。

 特に難しい電子部品とか使ってるわけでもなし。

 

「勘の良い漢は嫌いじゃないぞ?」

 

 いや、だから魔王スマイルはやめれー!

 なんかこう、心臓がキュッとなる。

 

「まあ、RPGに限らず簡単に使える対装甲装備は、ドイツ式以外にもある程度、生産できるようにしておきたい」

 

「……”赤軍大反攻(バグラチオン)作戦”」

 

 総督は無言でうなずき、

 

「米軍のレンドリースが本格化すれば、どこかの時点で連中は必ず企てるだろう? ドイツが無茶な攻めをしようがすまいが関係なく」

 

「まあ、あれは現代版のリアル敵対的地球外起源種や巨大昆虫のスタンピードみたいなもんですからね」

 

「だから、”人型戦術戦闘機”や”生体荷電粒子砲”は作れなくとも、阻止攻撃に使える装備は整えておきたいのさ。例えば、航空機による空中散布やロケット弾による投射が可能な対戦車地雷とか、作れそうな範囲でな」

 

「”阻止攻撃(・・・・)”……ですか?」

 

 するとフォン・クルス総督はニヤリと笑い、

 

「今生の総統閣下は、”マルク経済圏(レーヴェンスラウム)”に不必要な土地を耕すほど、お優しくはないのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小野寺君が順応力高そうに見える本当の理由

「同じ日本皇国出身者というのもあるが、それ以上に相手も転生者だと確信してるので、”同じ前世記憶を持つ”という強いシンパシーを感じている」

という割と安直な物w
いわゆる”転生者あるある”のパターンですね~。
まあ、だからといって同じ価値観を持つわけでは無し、むしろ同じ世界線出身者とは限らないんですが。
まあ、それでも会話の端々で「同じような世界から来た事が確認できる単語」が出てるのが割と影響してます。

しかし、フォン・クルスも小野寺君も気づいているのか分かりませんが、話題自体は割ときわどかったりw

この調子だと小野寺君が”サンクトペテルブルグのジョーカー”になる未来もあるのか?

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第204話 ”第二次スモレンスク防衛戦”、開始 ~独ソ重砲戦力比較。数は勝ってるんだよなぁ、数は~

さて、来栖も無事にフォン・クルスとしてサンクトペテルブルグ総帥……間違えた。総督として正式に着任し、小野寺誠大佐(独身)も魔王城(冬宮殿)に勤務しだしたしで、そろそろ学生さんも夏休みの宿題に頭を抱える時期だし、こっちも宿題を片づけましょうとw








 

 

 

 来栖が正式にサンクトペテルブルグ総帥になってから2週間ほど経った1942年4月15日、”ソ連(彼ら)”は再びやってきた。

 このスモレンスク、いや”カティンの森”へと。

 

 今回の侵攻作戦に、ソ連は……いや、スターリンは決戦兵器の投入を許可していた。

 それこそが、忌々しいスモレンスクのドイツ重砲部隊に対抗するために用意された機動(牽引)式履帯重砲(・・・・)群である、

 

 

 ・B-4/203mm榴弾砲

  最大射程:18,000m

 

 ・Br-2M/152mmカノン砲

  最大射程:24,740m

 

 ・Br-5/280mm臼砲

  最大射程:10,950m

 

 いずれも牽引式重砲としては規格外の大きさ・重さであり、その為、一般的な野砲のように装輪式ではなく、戦車の様な幅広い履帯を履かせ、接地圧を分散させていた。

 特注品に近い扱いの列車砲を除けば、あるいは大量生産された中ではソ連最大の威力を誇る砲列部隊(ラインバレル)、まさに赤軍の面目躍如という風体だった。

 史実ではソ連の勝利へ貢献したとされる、スターリンお気に入りの”鋼鉄の巨獣”達……これが、スモレンスク周辺に1000門近く集結していたのだ。

 この巨砲を操作するのに必要な人員は、その巨体故に最低15人とされており、この砲列を操作するだけで、丸々ドイツ式編成の1個正規師団の人数が最低でも必要だった。

 

 更に先のスモレンスク攻略戦(ドイツ側から見れば”第一次スモレンスク防衛戦”)で、自軍をはるかに優越するドイツ空軍の航空兵力に痛い目を見たソ連軍首脳部が用意した策は、正にソ連らしい”レッド・パワープレイ”と呼ぶに相応しい物だった。

 

 とにかく、重砲を牽引するトラクターであれ非装甲のトラックであれ野戦車であれ、動ける車両全てにありったけの機関銃や機関砲を取付け、「数で押し切る対空砲群」で対処する……1000門の重砲を15000丁の機銃とそれを操る3個師団分の人数で守ろうというのだ。

 「撃墜できなくとも、爆撃されねばよい」、爆撃は弾幕の密度で妨害する。それがレーダーを持たぬソ連が出した結論だった。

 

 更にソ連中からかき集めた800機の戦闘機のみ(・・)を代わる代わる飛ばし、重砲部隊上空の制空権だけは何としても死守する……そういう方針だったのだ。

 これに加えて、標準的な装輪式重砲がその倍以上が集結していた。

 代表的な物は、

 

 ・ML-20/152mm榴弾砲

  最大射程:17,230m

 

 ・M-10/152mm榴弾砲

  最大射程:12,400m

 

 ・A-19/122mmカノン砲

  最大射程:20,400m

  

 つまり、履帯式の大型重砲と標準的な重砲を合計3000門以上そろえている事になる。

 ソ連は、最初から精密砲撃なぞ最初から考えていなかった。

 とにかく、投射重量で防衛線を穿ち戦車隊を突入、ドイツ人が守るスモレンスクと、なにより”カティンの森”を蹂躙すべしと考えていたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 対して、ドイツ軍のスモレンスクに配備している重砲は、

 

 ・305㎜/Br18重榴弾要塞砲(固定砲)

  最大射程: 16,580m

 

 ・210mm/Br17重カノン要塞砲(固定砲)

  最大射程:29,360m

 

 ・21cm/Mrs18重臼砲

  最大射程:16,725m

 

 ・17㎝/K18重カノン砲

  最大射程:29,600m

  

 ・15cm/K18カノン砲

  最大射程:24,500m

  

 ・15cm/sFH18榴弾砲

  最大射程:15,675m

  

 ・15cm/K39榴弾砲

  最大射程:24,700m

  

 ・10.5cmsK18/40カノン砲

  最大射程:21,150m

  

 射程や1門当たりの威力で劣ることはなく、むしろ精度では勝っていたのだが……如何せん、問題は数、門数だった。

 スモレンスクとその周辺の防衛ライン内に配備されたこれらの重砲は、合計しても1500門には届かず、門数だけならソ連の半分以下だった。

 

 これは、動員兵力の差全体の差でもあった。

 ドイツ人のスモレンスクの配備兵力は30万人を少し超える程度なのに対し、ソ連側の動員兵力は遂に100万人に達するに至ったのだ。

 つまり、”3倍以上の数”となる。

 ソ連は数の論理、あるいは数の暴力で”防御絶対有利”の状況を覆そうとしていた。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、まだ偵察兵となって日が浅いアントン・ツルゲーネフは、奇妙な光景を目撃する。

 

「アントノフ中尉、ナチ野郎は何をやってるのでしょうか?」

 

 ツルゲーネフが覗き込む双眼鏡のレンズの向こう側では、ドイツ人が堀(対戦車壕)に落とした戦車の残骸や同志の遺体に水のようなものを、まるで消防団が使うような太いホースの放水銃(?)で撒いていたのだ。

 

「ああ、ありゃおそらく揮発油だな。ここからだと、ガソリンなのか軽油なのか灯油なのかはわからんが……」

 

「えっ? なんでガソリンなんか……」

 

「死体処理を兼ねた、俺達の戦車隊が突入するのを阻害する気だろうさ。連中の堀は、味方の残骸や死体で埋まり、防御効果が半減してしまっている。それを少しでも補いたいんだろう」

 

「そ、そんな! 同志の亡骸になんてことを……ナチ野郎めっ!!」

 

 義憤に燃える、あまり偵察員に向いてなさそうな若者を、壮年の中尉は残念な人間を見る目になり、

 

(昨今は人材がいないのか、こんなのばかりだな……)

 

 アントノフとて熱意は認める。

 だが、それだけだ。

 肝心の能力が伴ってない、それどころか適性を無視して放り込まれる人材が多すぎた。

 

 つい先日失った前の部下も、「見つかったと思い込み、ドイツ軍のパトロール員に発砲」という隠密をもって良しとする偵察員にあるまじき失態で死んだのだ。

 偵察員の仕事は、「敵との華々しい撃ち合い」などでなく、「生きて戻って正確な情報を友軍に伝える」事だということが理解できてなかったらしい。

 

「落ち着け。ドイツ人がやってる事は、所詮シロウトの浅知恵だ」

 

「えっ?」

 

「燃料ってのは、一般にすぐに揮発しちまうんだ。撒いてるのが何であれ、同志たちの戦車隊が突入する頃には、ほとんど燃料としては意味をなさなくなる。つまり、燃えなくなるってことだ」

 

「なるほど! 流石、中尉殿です!」

 

 アントノフはため息を突きたくなったが、何とかこらえる。

 どうにもこの若者は憎めないところがあり、出来れば生き残って欲しいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、アントノフは知らない。

 世の中には、吸湿性はあってもほとんど気化(揮発)しない”ゲル化したガソリン”というものがあるのだと言うことを。

 そしてこの日、スモレンスクは快晴であった。

 

 もう少し、官給品であるソ連製の双眼鏡の解像度が高ければ気づけたかもしれないが、「照準器のレンズに気泡が入る」ことが珍しくないソ連には、やや無理な要求かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で第二次スモレンスク防衛戦(ドイツ視点)の開始です。

今回は重砲だけで3000門超、総兵力で100万越えを用意したソ連軍。
対するドイツのスモレンスク防衛戦力は30万人を少し超えるくらいで、重砲と呼べるものは1500門以下。

某Sリン:「勝ったな。ガハハハッ。風呂入ってくるわ」

いや、それはフラグなのでは……?


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第205話 リアル浪漫兵器と飛行機とか飛行場に撃つ奴

いよいよ、前回のスモレンスク防衛戦では出番のなかったリアル・ロマン兵器の東部戦線デビューです♪






 

 

 

 さて、ロシア人たちは先のサンクトペテルブルグの戦いできちんと学習していた。

 一点集中砲撃で火線を集中させ、その部分だけを火力で突き崩し、一気呵成にデサント兵を乗せた戦車部隊を突っ込ませる……これこそが、数と火力に勝るソ連の必勝パターンだと。

 

 確かにスモレンスクからカティン、ドニエプル川にかけての防衛線は分厚く守りも硬いが、ドイツ人の気質なのか几帳面なまでに均質な厚さになっていることが判明したのだ。

 

 実は先の攻略戦で得た貴重な戦訓だった。

 3月の終わりのあの日、ソ連は防御の穴を探ろうと精々スモレンスク防衛兵力の倍程度の戦力で「全方位から」攻め込んでしまったのだ。

 そして、失敗の理由も

 

 ・スモレンスクを攻略するには戦力が少なすぎた

 ・また、優勢な数を活かして一点集中させて防御を食い破るべきだった

 

 という結論に至った。

 的外れという訳ではない。

 ”ソ連の想定通り(・・・・・・・)”なら、むしろ最適解とさえ言えた。

 確かにスモレンスクの防衛網で、一点で100万の兵力を受け止めることは難しいだろう。

 いや、世界中のどんな要塞でも難しいかもしれない。

 その前提が正しければ、だが……

 

 

 

***

 

 

 

 ソ連が2回目となるスモレンスク攻略に用意した単体火力最強は、間違いなく”Br-5/280mm臼砲”だ。

 だが、この巨大履帯式機動砲は、射程は11㎞と短く、スモレンスクにかなり近づかないと発砲する意味が無い。

 ソ連軍にとり幸いなことに、ドイツ軍はスモレンスクに籠るだけで、討って出るようなまねはしない。

 ソ連はそれを兵力の少なさゆえの「余剰兵力の無さ」と分析しており、それは”ある意味において正しい”のだ。

 確かにスモレンスクに配備されてる兵力だけでは、100万のソ連軍にカウンター・アタックを仕掛けるのは確かに難しいだろう。

 戦力を小出しにすれば数の暴力で瞬く間に摺り潰され、かといって大軍を出せば防御不能になる。

 ソ連は、数と火力の差こそが勝利の鍵と信じて疑わなかった。

 

 だからこそ、Br-5臼砲の射程と引き換えにした大口径砲の火力活かし切る方法を考えたのだ。

 まず、各個撃破されないようにBr-5だけで砲兵陣地を組ませない。

 その周辺に射程距離が近い”M-10/152mm榴弾砲”を砲兵隊を小分けにした隣接砲兵陣地に配置し、的を絞らせないようにする。

 そして、その他の最低でも射程17㎞以上の砲を持つ赤色重砲隊は、後方から「射程内にあるBr-5を叩けそうなドイツの重砲を片っ端から対砲兵砲撃戦(カウンターバッテリー)で沈めてゆく」方針だった。

 

 具体的に言えば、標的はドイツの”21cm/Mrs18重臼砲(射程:約16.7㎞)”、”15cm/sFH18榴弾砲(射程:約15.7㎞)だ。

 これらの砲は、Br-5やM-10をアウトレンジでき、尚且つ他のソ連重砲より射程が短いため、優先的に潰すよう命令が出ていた。

 正確には直撃で潰せなくとも、砲撃できない状態にできれば良いとされていた。

 

 

 

 ソ連が事前に得た情報だと、ドイツの自軍をアウトレンジできる長射程砲の数は少なく、固定砲に至っては十数門しかない(スモレンスクに潜伏させているスパイからもそう報告があった)という事だったので、長射程砲の命中率と発射速度から考えて、ある程度の犠牲を我慢すれば、撃ち合いに勝利できると踏んでいたのだ。

 

 警戒すべきは、トラックに搭載でき、重砲より軽快に移動できる何故かドイツ軍も持っていたカチューシャロケットだが、ドイツ式地対地ロケット弾の”ネーベルヴェルファー”を含めて射程は10㎞未満だと判明しているので、その対抗手段として重砲隊の直接護衛戦車隊だけでなく突入戦車隊を前方に展開することにより、射程に入られる事を防ぐという寸法だ。

 

 無論、前衛位置にいる戦車隊もドイツの重砲の脅威にさらされるが、ソ連重砲隊の射程にある砲は、数の差で押し切り沈黙させられるとソ連は結論していた。

 3倍に届こうかという兵力と倍以上の門数は、それだけの事ができるという自信をソ連に与えていたのだった。

 

 いや、正確にはそう思い込むしかなかった。

 履帯式大型重砲、言うなればソ連自慢でスターリンお気に入りの”超重砲”の生産数は、実は合計して現状1000門ほどしかない……

 これは史実の製造数だが、

 

 ・B-4/203mm榴弾砲:製造数900門程度

 ・Br-2M/152mmカノン砲:40門弱

 ・Br-5/280mm臼砲:47門

 

 無論、史実よりも増産されてる可能性はあるが、それもそこまで大きな誤差では無いだろう。

 つまり、ソ連は”使える全ての超重砲”を全てこの戦いに投入したのだ。

 許可を出したスターリンの覚悟と憤怒がわかるという物だ。

 だからこそ、何としてでもスモレンスクを攻め落とさなければならなかった。

 

 

 

 

 

 だが、現実はソ連の思い通りに進まなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ぐわぁぁぁぁーーーっ!!」

 

”ズヴォォォォォム!!”

 

「ひぎぃ!!」

 

「ぐはぁっ!?」

 

 特大の着弾音が響くたびに広がる阿鼻叫喚の地獄絵図……

 結論から先に言おう。

 

 ”Br-5重砲隊(同志諸君)は、スモレンスクに近づき過ぎた(・・・・・・)

 

 のだ。

 確かにスモレンスクからの重砲は、数に勝るソ連の連合重砲隊に抑え込まれ、Br-5やその取り巻きの重砲隊に、効果的な阻止砲撃は加えられていない。

 だが、スモレンスク以外(・・)ならどうだろう?

 そう、皆さんは覚えているだろうか?

 来栖が外務省と日本人をクビになる最後のきっかけ、バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)を何処に送って何を作らせたのか?

 

 ベラルーシとの国境付近のクラスナヤ・ゴルカよりやや東側、そこに引き込み線が敷設され、その先にいくつもの”頑丈な巨大回転ターレット”を持つ操車場が建設された。

 

 そして、そこに並んでいたのだ。

 先の戦いでは出番のなかった列車砲、”クルップK5(レオポルド)”が合計10門以上も……

 そう、先の防衛戦では出番のなかった列車砲が、遂にその火力を十全に発揮する時が来たのだっ!!

 

 

 

***

 

 

 

 確かに重砲隊を守る防空火網はJu97やHs129のような対地攻撃機の接近を容易に許さないし、また重砲隊上空の制空権を維持するためにソ連の戦闘機隊同志諸君が踏ん張っていたのだ。

 

 実に感動的献身であった。

 だが、無意味で無力であった。

 60㎞以遠という砲撃の常識を覆す彼方より飛来する巨弾をどうにかする事など、彼らにできるはずはなかった。

 一般に列車砲の発射速度は遅く、レオポルドもその例にもれず最良な状態で3分に1発、持続射撃しようと思ったら5分に1発程度だ。

 

 だが、前例のない”二桁以上の列車砲の斉射”となれば、話が変わってくる。

 計算上、毎分1~2門のレオポルドが発砲していることになる。

 撃たれるソ連の方としては釣瓶撃ちを食らってるようなものだ。

 

 更にこのクルップK5には、史実と異なるとある仕掛けがしてあった。

 スモレンスクの大口径要塞砲にも標準搭載されていた

 そう”Zuse(ツーゼ)”式電気弾道計算機だ。

 

 そして、ソ連は「重砲隊上空の制空権」は維持していても、「スモレンスク上空の制空権」を奪えたわけではなかったのだ。

 つまり、濃密な防空網を持つ”ヤマアラシ要塞都市スモレンスク”の上空を悠々と弾着観測機が遊弋していたのだ。

 

 ある意味、一番の悲劇は砲弾その物かもしれない。

 ドイツ人は、弾道計算機や弾着観測機を用いても、超長距離砲撃の命中精度には限界がある事を知っていた。

 そこで。28㎝砲弾をピンポイント兵器では無く、”確率兵器(・・・・)”に変更した。

 装甲やベトンに守られた重防御のハードターゲット相手には悪手だが、国を問わず装甲がないに等しい重砲相手には有効な砲弾が生産・導入・使用されていたのだ。

 その砲弾は、”拡散榴弾”。

 いや、日本人ならばこう表現した方が伝わるだろう。

 

 ”28サンチ三式弾(・・・)

 

 アイデアの出元が直ぐに確定しそうである。

 

『そういや、ヘンダーソン基地を対空用の三式弾で砲撃して効果があったなんて話があったな……』

 

 このドイツ製の拡散榴弾は、対空用ではなく対地用として当初から設計された代物で、時限信管により空中で炸裂し、直径100m円錐状に1500個以上の徹甲弾子と焼夷弾子をばら撒くように調整されていた。

 また、接触信管で着弾と同時に水平方向へ同種の弾子と弾殻を破片としてばら撒くタイプも試験的に導入されている。

 

 ちなみに焼夷弾子の燃焼温度と時間は、”摂氏3000度で放出されてから5秒”。

 砲弾や装薬を誘爆させるには、十分な時間だった。

 

 

 

***

 

 

 

 防衛網突破の要であるBr-5/280㎜重砲隊が壊滅したのは、クルップK5の最初の発砲から2時間もかからなかった。

 1点集中砲撃/突破の為に過度に密集していたこと、そして、超重量級の大砲であるが故に迅速な配置転換ができなかったことが大きな要因だった。

 

 端的に言えば、ソ連が頼みにしていた数と火力が仇となったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クルップK5を10門とか並べて釣瓶撃ちしちゃ駄目(反則)だろーな回。
毎分1発のペースで60㎞以上彼方から飛んでくる戦艦級の砲弾とか嫌すぎるw

いや、赤軍スモレンスク(カティンの森)攻略部隊の皆様、すっかりヤマアラシ要塞都市スモレンスクの配備兵力ばかりにご執心で、「ドイツ中央軍集団がスモレンスク防衛に割ける戦力」については考慮してなかった模様。

まあ、偽情報つかまされて意図的に思考から外された、それとも不確定要素としてあえて計算に入れなかった、あるいは複合要因なのか……
まさか、某”あかいあくま(色繋がり)”じゃあるまいし、”うっかり”なんてことはないとは思いますがw

なんか、第二次のスモレンスク防衛戦は妙な方向へ転がってゆきそうな……?

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第206話 ”エアバトル・オブ・スモレンスク(二回目)” ~ドイツ中央軍集団は、そろそろ本気を出すみたいですよ?~

航空戦ステージ、開始!







 

 

 

 スモレンスクに最も近かった前線臼砲/榴弾砲部隊が早期壊滅……

 しかも、クルップK5の巨弾は、残る赤色重砲隊にも降り注ぎ始めたのだ。

 これに、スモレンスクに配備されているドイツの重砲も加わるのだから溜まった物じゃない。

 

 Br-5やM-10が壊滅したといっても、数の優位は未だに揺らいではいない……筈だった。

 現状でも火力で押し切れる筈だった。

 

 だが、ソ連の計算外はまだ続く。

 

 

 

『オラオラオラァ! 往生せいやっ!』

 

「マルセイユ大尉、突っ込み過ぎですっ!」

 

『うるせぇハルトマン! 喋ってる暇があったらちゃっちゃと敵を落とせっ!』

 

『一理あるな。ここは格好にして絶好の”狩場”だ♪』

 

「ああっ、クルピンスキー中尉まで」

 

『ハルトマン、諦めろ。あの二人が言葉で止まるようなら誰も苦労しない。俺はとっくに諦めている』

 

「シュミット少尉まで……」

 

 何を考えているのか、ドイツ人は重砲隊を守る赤色戦闘機隊を摺り潰しにかかったのだ。

 それもスモレンスク基地だけでなく、レーダー管制を受けたビテプスク・モギリョフに展開するKLK1(第1統合航空戦闘団)の戦闘機隊を総動員してだ。

 つまり、空の上ではソ連の”数の優位”は徐々に、だが確実に失われつつあったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そこで、ソ連のスモレンスク攻略軍首脳部は考える。

 ドイツ人の士気を挫く、最も効果的な作戦は何かと。

 今、ソ連軍に最も深刻なダメージを与えているのは、「アウトレンジから一方的に砲撃してくる巨大砲弾」だと判断された。

 種類は簡単に特定できた。

 これだけの長射程で砲撃できるのは、列車砲しかないと。

 場所の特定も容易かった。

 列車砲を展開できる場所は限られている。

 クラスナヤ・ゴルカ付近にドイツは大規模な操車場を設営していた。

 スモレンスクを射程に納めるにはそこしかない、いやむしろ最初から操車場ではなく、スモレンスクを援護するための列車砲陣地として設営されたのではないかと判断された。

 

 そこで指導部は急遽、攻略支援の為にスモレンスク爆撃の為に準備していた襲撃機、爆撃機隊をクラスナヤ・ゴルカへ向かわせる事を決定した。

 戦闘機隊の護衛が(砲兵防空のため)圧倒的に不足していたが、

 

「ドイツにも余力はありますまい。我ら800機の戦闘機隊と正面から殴り合っていますので」

 

 ただし、状況は明らかにソ連空軍が劣勢であることを彼らは知らない。

 スモレンスク防衛こそが主任務な戦闘機隊は、まさに空の狩人の集合体であり、数だけそろえたソ連戦闘機隊にはやや荷が重すぎる相手だった。

 

「そうですな。むしろ、戦闘機同士が乱戦を繰り広げているスモレンスク近辺より安全かもしれませんな」

 

「ええ。基地に残っているのは、基地防空の直掩機くらいでしょうし」

 

 こうして、200機の襲撃機と爆撃機が、残っていた18機の戦闘機に守られてモスクワ南部のボドリスク近郊の基地群から飛び立った

 

 

 

 だが、彼らは失念していた。

 いや、思考的視野狭窄にかかっていたと言い換えても良い。

 確かにスモレンスクを含む三か所に配備された”KLK1の戦闘機隊”は、飽和状態だったかもしれない。

 だが、果して”ベラルーシもしくはドイツ中央軍集団に本来(・・)、配備されていた”航空隊は何処へいったのだろう?

 煙のようにかき消えたのか?

 あるいは再編の為にドイツへ帰国したのか?

 そんな訳はない。

 

 ソ連のスモレンスク再侵攻まで約3週間。

 部隊の再編と、一部のパイロットは機種転換も終えた一団……ドイツ空軍”第2航空艦隊”が再び前線へと戻ってきていたのだ。

 史実ではこの第2航空艦隊、地中海方面へ展開していた大部隊だが、今生のドイツがアフリカより全面撤退し、実質的にイタリアを切り捨てた現状において、この精鋭大規模航空部隊は現在、中央軍集団の管轄となっていた。

 しかも、十分な補充がある状態で。

 

 忘れてはならない。

 ベラルーシの空で、あるいはロシア西部の空でソ連空軍を叩きのめしたのは、第2航空艦隊(かれら)なのだ。

 付け加えると、ドイツは野戦飛行場の設営が上手く、またこの世界の未だに数的主力戦闘機のBf109は初期型から、野戦飛行場での運用を考慮しトレッドの広い”内開き”の頑丈な主脚を持っている為に、事故は少ない。

 さらに言えば、車載型の野戦レーダーシステムなんてものまで既に戦場にお目見えしていたのだ。

 

 第2航空艦隊の内、クラスナヤ・ゴルカを防空圏に入れられるドイツ側の戦闘機は、優に400機を超えていた……

 さて、護衛機が極小の爆撃機隊が、数的にも質的にも技量的にも性能的にも優位なレーダー管制を受けた戦闘機隊にタコ殴りにされればどうなるか……敢えて書かなくても結果は想像がつくだろう。

 第一波で飛び立った240機のBf109とFw190の混成軍だけで十分すぎた。

 

 ソ連側の逃げおおせた帰還機は1桁前半で、損傷がない機体は皆無だった。

 そして、警戒していたソ連爆撃隊を文字通り殲滅したことで、余剰戦力となった”第二波要撃戦闘機隊”は、当初のサブプラン通りそのまま基地を飛び立ちスモレンスク上空への航空支援へと向かった。

 

 それが全てを物語る。摺り潰されたのは、ソ連空軍の方だった。

 そして、ベラルーシ東部のドイツ空軍の基地からスモレンスク上空へ届くのは、何も戦闘機だけではない。

 第2航空艦隊所属のJu87(スツーカ)隊もまた、十分な整備を受け爆装し、エンジンを轟々と響かせながら出撃の時を待っていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 結果から言えば、「スモレンスクを攻略する」には、ソ連軍の力はまたしても足りなかったのだ。

 先のスモレンスク防衛戦では、実はドイツ側も「持てる兵力を全て使った全力戦」ではなかった。

 つまり、基本的には「スモレンスクの配備兵力だけで事足りた(・・・・)」のだ。

 ドイツ人は戦争資源、いや資源リソースが有限なのを知っている。故に無駄、あるいは過剰な戦力投入を好まない。

 それが結果として、幻惑効果としてソ連に作用し、判断を誤らせた。

 スモレンスク攻略軍司令官が想定すべきは、「スモレンスクの配備兵力」ではなく、「スモレンスク防衛線に投入可能な、ドイツ中央軍集団の総兵力」だったのだ。

 しかし、これも結果を知ったからこそ言える、所詮は後知恵だ。

 

 そして、現在進行形でこの惨状……「自分達が用意した手段を全て先手を打たれて封じられる」を経験した赤軍首脳部は何一つ諦めていなかった。

 

 まさに見上げた敢闘精神の発露だった。

 何とか粛清を免れようとするその根性が、いじらしかった。

 

 そう、彼らは作戦当初の目的に立ち返り……撤退を許さず、残存するあらん限り全ての火力を投入してデサント兵を満載した戦車隊の”カティンの森”突入を命じたのだ。

 

 

 

 こうして、”第二次大戦有数の惨劇(ソ連談)”が幕開ける……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は、ソ連が想定していた”数の優位”っていうのは、空中では最初から破綻していたんですね。

それにドイツは、単純な数の論理だけでなく、機体の性能差、パイロットの技量差、レーダーの有無などの索敵や管制の技術差と戦力倍加要素が多すぎるんですよ。

まあ、この戦いでの「ソ連のパイロットの消耗」が後に響かないと良いですがw


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第207話 ”炎の川”とアニミズム ~その情景は、ある意味においてとても神話的だったという~

火祭りの始まりだZe♪






 

 

 

 さて、唐突ではあるが……

 皆さんは、”ナパーム弾”と言ったら何を思い出すだろうか?

 鬼畜米軍、東京大空襲、ベトナム戦争、火傷の少女などだろうか?

 

 しかし、”ゲル化したガソリン”という定義なら、実は第一次世界大戦の頃に「天然ゴムを増粘剤に使ったゲル化ガソリン」が火炎放射器用にドイツで開発されている。

 ただ、これは原材料となる天然ゴムが高価だったために実戦配備には至らなかったようだ。

 

 しかし、時は流れて20年後……ヒトラーは直々にテルミットに加え、油脂焼夷弾の開発を極秘裏に命じた。

 またその際、ナフサ(一般的にはキャンプストーブなどに使う”ホワイトガソリン”で知られている)に添加剤を加えて、使用直前にゲル化させて使用することまで命じた。

 どうもヒトラーは油脂焼夷弾が長期保存に向かないことを理解していたようだ。

 これは都市伝説のようなものだが……その際、ヒトラーは添加剤の候補としてパルミチン酸アルミニウム塩、乳化剤としてナフテン酸アルミニウム塩を指定したという説がある。

 しかも、ナフテン酸とパルミチン酸の頭文字をとって秘匿名称”ナパーム”とすることもだ。

 

 そして現在、ドイツでは上記の”混合物の粉末(ナパームパウダー)”を使用(焼夷弾や火炎放射器に充填する)直前に、ナフサに混合する方式になっている。

 この頃のナパーム燃料(ジェル)(M1 Thickener準拠)は、吸湿しやすく吸湿するとゲル化が失われ使用できなくなる欠点を持っていた。

 つまり、”作ってすぐ使う”が基本だ。

 この湿気に対する弱さと”兵器としてすぐに使える状態での維持管理の難しさ”がドイツ海軍には嫌われ(彼らには船上火災の恐怖が常に頭にあるよう教育されている。なので作戦直前に可燃物を混ぜ合わせるなど冗談ではなかった)、現在の所は化学的に安定したテルミット系のみになっているが、空軍と陸軍にはその利便性が評価され採用に至っていた。

 

 では、そろそろ伏線を回収するとしよう。

 数話前にソ連偵察員が目撃した、「死体や残骸で埋まった対戦車壕に散布された液体」は、このドイツ製のナパームジェルだ。

 そして、ナパームジェルは吸湿するだけで気化はしにくい。

 おまけに親油性が高く人体(死体)付着するとしっかり”馴染み”、火がつけば水での消火はできない。

 

 さて、何故こんな長々と説明したかと言えば……

 

 

 

 

 

「「「「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!!?」」」」

 

 それは、スタンピード状態となったソ連戦車が”チェコの針鼠”を乗り越え、浅くなった対戦車壕を乗り越えようとした瞬間に起きた。

 無線、有線式を問わず遠隔式発火装置が一斉に作動し、空堀に”炎の川”が生まれたのだ。

 

 先の悲鳴は、戦車に振り落とされたデサント兵が生きながら業火に焼かれる絶叫だ。

 無論、戦車とて無事では済まない。

 ナパームジェルの燃焼温度は、摂氏900~1300度に達するのだ。

 まごまごしていたら、瞬く間に蒸し焼きになる。

 そして、思い出してほしい。

 ソ連戦車の足元には、”砲弾や燃料が抜かれていない(・・・・・・・)状態の友軍戦車の残骸”やドイツ軍が埋設した不発の地雷がゴロゴロあるのだ。

 無論、戦車だって中身は可燃物の塊。自慢のディーゼルエンジンの燃料である軽油は、引火しにくいので火炎瓶などには強いが、それだけだ。

 燃えなければ燃料にならないので当然である。

 例えば朝鮮戦争では、T-34-85の乗員の死因の実に75%が車輌火災だったらしい。

 そして、1942年のスモレンスクでそのデータの正しさが、現在進行形で実証されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 とは言っても、後年のデータから察するに、この”炎の川”で死んだソ連軍は、どちらかと言えば少数派だ。

 当たり前である。最前列が”川底”を走ってる最中に着火されたのだから。

 では、多くの戦死者はどうして生まれたのか?

 

 一つは、ソ連戦車軍団が”停止”してしまった事だ。

 炎は、人間の本能的恐怖を惹起させる。

 これはもうどうしようもない。

 ましてや、生きたまま焼かれていく人間の絶叫が聞こえてしまう状況では……

 

 そして、ここでソ連特有(?)の問題が出た。

 彼ら最前線でいわゆる”鉄砲玉”をやらされていたのは、多くがソヴィエト連邦を形成する中央アジア諸国やロシアでも地方の寒村のような場所、あるいは国内難民化した戦争難民からかき集められていた混成部隊だ。

 デサント兵は言うに及ばず、戦車兵とて指揮官クラス以外は、ロシア本国共産党高官に言わせれば”戦車を動かす消耗品”如き扱いを受ける人々だった。

 彼らの多くは、「戦車を動かすのがやっと」という練度で、兵としての覚悟が骨の髄まで叩きこまれた訳ではないのだ。

 そして彼らには、中央の椅子でふんぞり返る人間には理解できない感覚を有していた。

 

 そう、唐突に現れた”炎の川”に何やら魔術めいた物を、あるいは神秘的な何かを感じてしまったのだ。

 実は、そうなってしまったのには事前の上官(ロシア人)の説明もあった。

 つまり、

 

『連中はガソリンを堀にぶちまけて諸君らを焼き殺そうと待ち構えているが、この晴れた天気を見よ! この調子ではすぐに揮発し、使い物にならなくなる』

 

 だ。

 だが、ドイツ人はそれをいとも容易く覆してみせた。

 それに「目の前に”炎の川”が現れる」なんて、何とも神話的な光景に思えないだろうか?

 そう、それもどことなくロシア、いやソ連から駆逐された”某一神教の聖典”的な……

 

 

 

 ソ連共産党の影響力は確かに絶大だ。

 だが、例え彼らがNKVDを使いどれ程粛清しようとも、民間信仰を殺しきるには全くもって力不足であった。

 

 ”アニミズム”

 

 人間が、原始時代より受け継ぐ根源的情動に根ざしたそれは、いかに共産主義者であろうともそう簡単に駆逐できるものではなかった。

 それ以前に、彼らはドイツ人の重砲による砲撃と、新たに埋設された地雷で多くの仲間を失ってきたのだ。

 ストレス的にもはや限界だった。

 進軍を止めた最前列だけではない。

 後続も燃え盛る……いつまでも消えないように見える”炎の川”に呆然としていた。

 

 そこにすかさず入ったのはドイツ人による攻撃……ではなかった。

 突撃を、”炎の川”に飛び込めと催促する督戦隊だった。

 友軍のはずなのに「炎の川で焼け死んで来い」と催促するロシア人……もはや前線にいる非ロシア人兵の我慢の、忍耐の限界だった。

 

 そして大渋滞の最前列に居た戦車の1両が、僅かな隙間を見つけて”炎の川”の川岸を沿うように走り反転、督戦隊に向けて全力で走り出したのだ。

 そう、”主砲を発砲して”。

 無論、そのT-34戦車はあっという間に練度と装甲に勝る督戦隊の㎸-1重戦車の集中砲撃でハチの巣になり、乗組員は全員が即死だった。

 

 督戦隊は「逆らえばこうなる」という良い見せしめになったと考えた。

 これで残る連中も大人しく突撃するだろうと。

 

 だが、そうはならなかったのだ。

 練度と共産主義への忠誠の低さ、目の前の異常な状況が、「有り得ない行動」を是とした。

 つまり……前線の戦車隊の殆どが、”督戦隊に突撃(・・・・・・)”を開始したのだ。

 単なる士気の崩壊による逃亡などではない。

 

 ”魂まで焼かれそうな炎の川に飛び込むくらいなら、生意気なロシア人を殺して死んだ方が天国へ行けそう”

 

 という、ドイツ人もロシア人も想定してなかった判断と衝動に突き動かされた結果だった。

 

 

 

 ”第二次スモレンスク防衛戦”は、更なる混迷へと突き進んでゆくのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




目の前で仲間が生きたまま焼かれる”炎の川”があるのに、そこに飛び込めって……まあ、そらそうなるわな回、再び。

ちなみにナパームパウダー(ナフテン酸とパルミチン酸の混合粉末)20kgと980kgのナフサと混合すると1tのナパームジェルができます。
ドイツ軍は今回の作業で1t以上ののナパームパウダーを使いました。
そして、人間は死体になっても脂は普通に残っており、ナパームジェルは親油性がとても高いです。

まあ、防疫を防衛を兼ねたチュートン式合理的焼却処理方法?

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第208話 火に油を注ぐ(状況)、炎にナパームを落とす(物理)

さて、いよいよ盛り上がり……ではなく物理的も含んで色々燃え上って参りました。
久しぶりに長いの投稿です。










 

 

 

「いよいよ出撃であるか? ガーデルマン!」

 

「のようですね。どうやら、うざったい(・・・・・)敵戦闘機隊の排除も終わったようですし」

 

「重畳! どうやら、敵の砲撃も随分と大人しくなってきたようであるな」

 

 なんか今にも某幼女理事長やロシア代表な生徒会長みたいに”文字が浮き出る扇子(無論、この世界線にそんなオーパーツは存在しない。しないったらしない)”を取り出しそうなルーデルに、

 

「いや、大尉殿。お願いですから、重砲が降り注ぐど真ん中を突っ切って出撃しようとしないでくださいよ」

 

 史実である。

 オリジナルのルーデルは、「敵に包囲され砲弾が降り注ぐ飛行場」から出撃して、敵を撃破した記録が残っている。

 

「ふう。どうやら敵は、我が軍列車砲(レオポルド)の威力と射程に恐れをなして、一部は配置転換を行っているようだな」

 

「そりゃあ本来は散発的にしか撃てないはずの列車砲を、ああもドカスカ撃ち込まれたら恐慌状態にもなりますって」

 

 そして、ルーデル達”スツーカ隊”に下った命令も、一風変わったものだった。

 

「それにしても、”味方撃ち(・・・・)をしている敵砲兵部隊に油脂焼夷(ナパーム)弾を落としてこい”とはどういう了見だと思う? ガーデルマン。共産主義者が同志撃ち(・・・・)を始めたのであれば、勝手にやらせておけば良いではないか」

 

「あー、それですか」

 

 ガーデルマンは少し考え、

 

「ハインリツィ司令は、少しでも同士討ちを長引かせたいんだと思いますよ? どちらかが一方的だと直ぐに終わってしまいますし」

 

「なるほどな。納得だ!」

 

 そうルーデルは、ガトーヴォイスでニカッと笑った。

 

 

 

***

 

 

 

「ハンニバル・ルーデル、推して参るっ!!」

 

「大尉、一々口上あげなくても良いですから」

 

 まあ、とりあえずアカを爆撃できれば文句はないルーデル。

 ガーデルマンのツッコミと共に、鈴なりにJu87Eに懸架されていた数発のナパーム弾が解き放たれ、自由落下を始める。

 なんの皮肉か、その爆弾の形状は史実でドイツ空爆に使われた米軍のM19タイプ、ナパームジェルを充填した36発の焼夷弾を収納したクラスター焼夷弾に性能も外見も酷似していた。

 これは、「くれぐれも敵の防空火線の中に突っ込むな。特にルーデル、良いな?」と念を押された結果こうなったもので、命中精度をさほど気にしなくて良い(そもそも戦略爆撃機用装備だし)ので、急降下爆撃ではなく緩降下の対空砲火射程外(アウトレンジ)からの投弾で十分に事足りた。

 つまり少々、ルーデル的には物足りない爆撃行であった。

 

 そもそも、牽引式の大砲は射撃して即座に移動というのが困難な兵器だ。だからこそ、自走砲という兵器が生まれたのだ。

 故に同志撃ちしてる最中に、半ば奇襲めいた面制圧兵器の集中投下など喰らったらひとたまりもない。

 

「ガーデルマン、地上掃射とかはいらんのか?」

 

「いらんでしょう。というか、どこを掃射するんです? 地上は火炎地獄ですよ?」

 

 1.5tのクラスター焼夷弾を搭載した12機の腕利きが操るスツーカが、砲兵陣地とその取り巻きに一斉投弾したのだ。

 しかも集束爆弾なんて面制圧目的の確率兵器なのに、腕っこきが落としたものだから無駄に有効命中弾が多い。

 下に居た赤色重砲隊も護衛の防空隊もそりゃあ見事に生体松明になっていた。

 

「うーむ」

 

 ガーデルマンを怒らせるとロクなことにならないのは経験上、熟知していたので、ルーデルは大人しく機首を基地方向へと向ける。

 この世で空を飛ぶ方の魔王様(ルーデル)をコントロールできるのは、この”フライング・ドクター”だけなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ソ連側で言えば”第二次スモレンスク攻略戦”は、一部とは言えない最前線の兵たちの造反により瓦解しつつあった。

 無論、その様子はばっちりと地上から上空から、銀塩カメラとムービーカメラで撮影されていた。

 ドイツの光学技術は、世界一ィィィィッ!!なのである。

 

 ドイツ軍は、まず督戦隊やその指揮下で秩序を保って”味方撃ち”を行っている部隊を可能な限り識別して優先的に叩いた。

 それが、このスモレンスクの”外側”で展開されてる混淆状態に拍車をかけているのだ。

 

 スモレンスク近辺上空には”赤い星”を付けた航空機は既になく、スモレンスク航空戦の幕は既に閉じていた事を示していた。

 そして今、スモレンスクに張り巡らされた最後の罠が閉じようとしていた……

 

「戦車だ……ドイツ人の戦車が来るぞっ! 大地を埋め尽くす凄い数だっ!!」

 

「ひえぇぇぇっ!?」

 

 

 

 どうやら赤い星の軍人たちはスモレンスクに執心するばかり存在を忘れていたようだが、ドイツ中央軍集団にはベラルーシに展開したソ連軍を叩きのめした”機甲戦の達人”がいたのだ。

 ”パンツアー・クライスト”の異名を持つ、ロンメルやグデーリアンに並ぶ機甲戦の名指揮官、”エーデルハルト・フォン・クライスト”上級大将だ。

 

 その彼が、これほどの戦いで大人しくしている訳もなく……1個増強機甲擲弾兵軍団(機甲擲弾兵軍団=火力増強機甲軍団)、選び抜いた精鋭10万超を引き連れ、集結地であるベラルーシのリオスからルドニャを経由し、迂回戦術を取りつつソ連重砲隊後方に回り込んでいたのだ。

 そして、現在は半包囲陣形でソ連を後方から圧迫していた。

 

 そして、彼らには十分な航空支援があり、火力支援は口径は大きくないが牽引式の機動砲やより進化した自走砲があり、何よりT-34を正面からアウトレンジで撃破できる長砲身型のIV号戦車があった。

 

 また、全ての戦車は無線機で連携でき、それを統括する英国のAEC装甲指揮車(ドーチェスター)(ロンメルのアフリカ土産)を参考に開発された装甲戦闘指揮車が存在し、クライスト自身が采配を振るえるのも大きかった。

 

 半包囲にしているのはわざとであり、”モスクワ方面へ”なら逃げ帰れる(・・・・・)ように配慮していた。

 残存赤軍の死兵化を嫌う、クライストらしい堅実な攻勢だった。

 そして、逆にモスクワ方面以外に逃げようとしても、一縷の隙もない布陣でそう簡単に突破できない。

 おまけに増援でドイツ式完全編成の4個旅団ほどの機甲予備が随伴しているのだ。

 無論、モスクワ方面へ撤退し出したら容赦なく追撃戦を行う。

 

 

 さて、ここで問題だ。

 果して、同士討ち(ルーデル曰く”同志撃ち”)を始めたソ連軍……特に督戦隊に砲口を向けた兵士が、果してモスクワに戻れるだろうか?

 それとも、ドイツ人と勝ち目のない殺し合いを演じるだろうか?

 

 

 

 つまり……

 もはや、統制が失われた赤軍には、どう足搔いても勝ち目はなかったのだ。

 

戦車隊、前へ(パンツアー・フォー)

 

 クライストのこの命令が、この戦いの終焉を示す号令となったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 その後のグダグダになってしまった戦いを描いても、むしろ興醒めという物。

 なので、結果だけを記しておこうと思う。

 

 約102万のソ連スモレンスク攻略軍のうち、”人種を問わない(・・・・・・・)戦死者・行方不明者”は、凡そ49万8千人とされた。

 先の戦いの倍以上だ。

 そして、特筆すべきは負傷者の少なさと降伏者の多さだった。

 

 これの最大の理由は、多くの負傷者が奇襲効果を生んだパンツアー・クライスト・ファイナル・アタックに慌てたソ連軍に捨て置かれ、そのまま死亡したからだということだ。

 実際、死因の多くは失血死と感染症だった。

 彼らの多くはスモレンスクの防衛網の内側で倒れていた訳ではない。

 ドイツが戦地の全体検分に入ったのは、スモレンスク防衛戦の後始末を一通り終えた戦闘終了宣言から翌々日以降だ。

 

 また、撤退時に最優先で後方へ搬送されたのは、あえて濁した言い方をすれば”都市部のロシア人”だった。無論、階級の高い方から順にだ。

 悲劇なのは自分達を置いて撤退する戦車や戦闘車両に慌てて飛び乗ろうとして引き潰された歩兵(デサント兵含む)もかなりの数が出たという事だった。

 また、捨て置かれたロシア人の負傷者(負傷者に限らず置いて行かれたロシア人全般)は、中央アジア系赤軍兵士の”制裁”により始末されるケースが多発した。そして、捨て置かれたロシア人もただで殺されてなるものかと反撃したようだ。

 ただし、結果は多勢に無勢とだけ記しておく。

 以上の結果、負傷者が非常に少ないのだ。

 私刑による制裁の犠牲者は、ドイツは慈悲深くも(面倒臭いので)全部ひっくるめて”戦死”とみなした。

 

 だが、通説ではドイツ人が殺したのは、多くてもその2/3程度(半分という説もある)とされている。

 残る1/3、16万人以上は同士討ちで死んだというのだ。

 

 そして、上記の条件が重なり同時に18万人強が投降した。言うまでもなく大半が非ロシア系だった。

 

 

 

 その捕虜の多さにハインリツィ・スモレンスク指令は眩暈を感じ、とりあえず中央軍集団総司令官のホト元帥に丸投げ……もとい。判断を任せた。

 いずれにせよ、約20万人の捕虜を収容する施設も、供給する食料もスモレンスクにはないのだ。

 

 投げられたホトもほとほと困り果てたが、何度も世話になったトート機関ならびにリガ・ミリティアがやってきて(ヒトラー総統とフォン・クルス総督が号令を発していた)、仮設の捕虜収容所をベラルーシに設営すると同時に、捕虜が飢えない程度の食料を供給する約束をしたのだ。

 明確な理由説明もあった。

 後に(夏ごろに)派遣される予定の、多国籍”カティンの森”調査団に、彼らが「何処から、どうやって連れてこられたのか?」を証言させて欲しいとの事だった。

 

 またしても面倒ごとにして厄介ごとをねじ込まれたホトは卒倒したくなったが、そうしたところで事態が改善する訳ではないので粛々と作業してゆく覚悟を決めた。

 

 また、この時に大量の鹵獲兵器が発生した。

 特にドイツ人が喜んだのは、履帯式大型重砲の”B-4/203mm榴弾砲”をかなりまとまった数を入手できた事だ。

 どうやら大きく重すぎて撤退させるのを諦め、鹵獲される前に破壊しようにもクライスト軍団が攻めてきたので、そんな暇も無かったようだ。

 

 ただし他の大型重砲は、投入された数の少なさも相まって殆どがドイツ人の砲撃、ないし爆撃で破壊されてしまっていた。

 ちなみにレアな”Br-2M/152mmカノン砲”を燃やした1人がルーデルで、あの時の前話のナパームの落とし先だった。

 

 

 

 この時、鹵獲されたT-34戦車の大半は、ウクライナ国防軍の手に渡ったとされる。

 ベラルーシは、治安の問題や潜在的ではなく表面化している程に根強い親ソ勢力の為に、未だ国軍ではなく警察権を持つ治安部隊、”警察予備隊”までしか持たせられないでいた。

 ソ連がベラルーシで行った、証拠もある”粛清と悪行三昧の日々”を公開しても、未だに共産パルチザンに手を貸す者が後を絶たないのだからたまったものではなかった。

 

 ユーゴスラヴィアとチトー、イタリアとムソリーニを放置すると決定した今生のドイツにとり、今や数少ない”目に見える火種”が政情不安定の東ポーランドとベラルーシだった。

 

 東ポーランド(旧ソ連支配地域)は亡命し英国にとどまっていた旧ポーランド政府と和解できれば(そのための”カティンの森”の保護だったわけだし)、いずれ安定化するだろうと考えられていた。

 

 ただ、親ソ(親ロ)派が未だ根強く、共産パルチザンへの支援者が多く、また鉄道などに組織的サボタージュが計画されている証拠が次々と見つかるベラルーシは、統治コストの嵩む頭痛の種であった。

 

 故にヒトラーは、再びノイラート外相と相談し、ベラルーシの惨状を”ベラルーシ問題”として提訴する事を決めた。

 つまり、国際的な合意を取り付けた上で、”大掃除”をすることを決めたのだった。

 

 これは同時に”ハティニ村の惨劇”が回避された瞬間でもあった。

 流血が回避された事と同義ではない事だけは断っておく。

 テロ幇助は、紛れもなくテロ行為の一環なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後日譚(ちょっとした閑話休題)

 

 第二次スモレンスク防衛戦の後始末が片付いたころ、サンクトペテルブルグにも鹵獲された”B-4/203mm榴弾砲”が持ち込まれ、ドイツ国防軍の正規参謀でもあるシュタウフェンベルク・ルートで、

 

「はぁ? この榴弾砲、サンクトペテルブルグで量産できないかって?」

 

 申し訳なさそうな顔をするシュタウフェンベルク。

 

「その軍上層部が威力と射程に惚れこみまして……」

 

「シュタウフェンベルク君、上層部にこういい返してやれ。『こんな使い勝手の悪いクソデカ重い牽引砲を作るくらいなら、クルップK5(レオポルド)の小型版みたいな203㎜榴弾砲搭載の自走砲作れ。そっちのほうがよっぽど使える』ってな」

 

 そして後日、今度は陸軍総司令官フリッチュ元帥と軍需省トート博士より連名で正式にサンクトペテルブルグへ”203㎜自走砲”の開発依頼が届き、クルスは頭を抱えることになる。

 結局、クルスは大型砲開発に実績のある旧チェコのシュコダ社と共同開発する羽目になるのだが……自ら進んで仕事を進んで増やすスタイルは、日本人辞めてもファミリーネームのイニシャルがKからCに変わっても健在のようである。

 

 凡そ2年後くらいに完成したのが、見た目が殆ど史実の米国製”M110A2(脳内データがあったっぽい。陸自でも使ってたし)”だったのは笑うしかないが。

 だが、性能に大いに満足したドイツ軍は早速、量産を依頼するのだった。

 電気式弾道アナログコンピューター搭載で、半自動化された給弾車(同時開発)とセットで運用って……そりゃそうなる。

 ついでに言えば、ほぼ並行してKV-1ベースの改造シャーシに全周囲旋回装甲砲塔にソ連規格の152㎜榴弾砲を装備した近代的な自走砲や余剰のT-34に対空機関砲乗せた対空自走砲を開発していたのだから、フォン・クルス……アホ確定である。

 

 

 サンクトペテルブルグの名物兵器が、また一つ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フライングドクターは、空飛ぶ魔王様の安全装置説w
実は史実もそれっぽかった?
というか、ルーデル片足失ってんのに気絶させないで飛ばし続けさせたガーデルマンも、半端ないよなぁ~。

そして、ようやく出てきたパンツアー・クライスト軍団。
そりゃあ、攻めてくるのわかってれば罠くらい張りますよね?

きっと追撃戦では、ルーデル閣下は固定目標用のナパームではなく、同じクラスター爆弾でも成形炸薬タイプやロケット弾を楽しそうに落としたり撃ったりしていた事でしょうw

そして、余計な事言って仕事の流れ弾が飛んでくる、いつものサンクトペテルブルグ総督w

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第209話 クレムリン炎上

伏線回収回です。



 

 

 

 純粋に”第二次スモレンスク防衛戦”という括りだけを見れば、パンツアー・クライストの半包囲からの追撃戦(ソ連から見れば撤退戦)で幕を閉じた。

 この戦いにおけるドイツ人相手での戦死者の半分は、この撤退戦で出たとされている。

 だが、第二次スモレンスク防衛戦に”付随する戦い(・・・・・・)”は、まだ終わっていなかったのだ。

 

 

 

 その日、ミンスク近郊のドイツ空軍基地……ドイツ中央軍集団司令部直轄の双発爆撃機隊80機は、興奮した空気に包まれていた。

 そして、爆撃機隊指揮官よりより待ちに待った言葉が紡がれる。

 

「”クレムリン急行作戦(Unternehmen Kreml-Express)”を発令するっ!!」

 

 ”わっ!!”

 

 爆撃機乗り達の歓声が湧き上がるっ!

 彼らはみな、”敵国首都への一番槍”を授かる名誉に飢えていた。

 

 実は、ドイツの爆撃機乗り達には不満があった。

 実は史実同様、1941年の独ソ戦開戦直後、ソ連は自国で開発できた唯一の戦略爆撃機である”Pe-8”8機を用いた『ベルリン爆撃』を敢行したのだ。

 史実では出撃した半分の4機のPe-8がベルリン上空に辿り着いたが、今生では0。

 試作型が稼働し始めていたヒンメルベッド・レーダーシステムと既に配備されていたレーダー管制を受けたBf109Eの防空網を抜けられるものではなく、ドイツの領空に入った瞬間に四方八方から飛びかかってきた24機のBf109に殲滅されたというオチがつく。

 以降、ベルリン空爆は無謀と捉えられ、行われていないが……同じ爆撃機乗りとして感じる物はあるわけだ。

 

 当初は、”航空機を疲弊させたモスクワ周辺の空軍基地”も攻撃予定地に入っていたが、敵の(特に戦闘機の)損耗から考えて、戦術爆撃(それら)はむしろ本職、今回の戦闘ではあまり出番がなかったKLK1のJu87(スツーカ)隊に任せるべきで、自分達は戦略(モスクワ)爆撃に全力を傾注すべきという声が出て、上層部もそれを了承した。

 

 

 

 そして、ミンスク基地群に配備されていたのは、最新鋭のJu188BとDo217Eであった。

 この二機種の共通項は、双発の高速爆撃機であること、BMW801空冷星型14気筒エンジンを主機としている事だ。

 

 本来なら、(この世界線では)4発爆撃機として完成したHe177も参加させるべきかも知れないが、今回のミッションはモスクワを消し炭にする”モスクワ急行”ではなく、”クレムリン急行”であることに注意してもらいたい。

 素早く飛び込み、急所を一突き……迅速さと正確さを貴ぶ作戦。

 

 つまり、少なくても建前上は”物理効果より政治的意義”を優先した作戦だったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 作戦決行日は第二次スモレンスク防衛戦の戦闘終結の翌日早朝。

 現地時間午前4時30分、まだ日の出を迎えぬ頃に爆撃機隊は基地を飛び立つ。

 やがて日の出を迎える頃にスモレンスクとその周辺基地から飛び立った航続距離の長いFw190護衛戦闘機隊と合流。

 一路、モスクワを目指した。

 

 モスクワに空襲警報が鳴り響いたのは、夜明けからさほど時間の立っていない午前6時半頃だったと記録されている。

 

 そして、悠々と飛びながらモスクワの市街地に差し掛かると、爆弾以外に搭載していた投下物、”ビラ”を爆撃機・戦闘機問わずに一斉にばら撒いた。

 

 その内容はこうだ。

 

”мы не боги(我らは神に非ず)”

 

”Однако именно я обрушу молот суда от имени Бога.(されど神に代わりて裁きの鉄槌を下す者なり)”

 

”Настало время очистить пламенем очищения собор, которым правили и осквернили неверующие в Бога коммунисты! !(神を信じぬ共産主義者に支配され汚染された聖堂を、今こそ浄化の炎で焼き清める!!)”

 

”Не волнуйтесь, москвичи.(モスクワ市民よ、心配することなかれ)”

 

”Свет веры еще не погас(信仰の灯は未だ消えることはなく)”

 

”Когда-нибудь оно возродится на вечной русской земле!(いつの日にか悠久なるロシアの大地にも蘇るであろう!)”

 

 地獄の鬼だってもう少し遠慮するような助走付き顔面グーパン・右ストレートな内容だった。

 なんか、微妙にフォン・クルス成分やサンクトペテルブルグ成分が混入してる気がするが……

 そして、ドイツ空軍は有言実行を果たしたのだ!

 

 

 

 Ju188が搭載していたのは、ビスマルク級やグナイゼナウ級の38㎝主砲の徹甲榴弾を改造した(本来は大型艦や重防御陣地攻撃用の)”大質量貫通炸裂弾(ブンカーバスター)”3発であり、Do217がペイロード限界まで搭載していたのは、”テルミット型のクラスター焼夷弾”だった。

 

 わざわざテルミット型を選んだ理由は二つで、最新鋭で軍事機密の油脂焼夷(ナパーム)弾を、ソ連の中心部に使いたくなかった事。

 そして、もう一つは”モロトフのパン籠”に対する「意趣返し」と皮肉だ。

 

 本来ならフィンランド軍がやるべき事(あるいは、”やりたい事”)ではあるのだろうが……

 冬戦争当時、ソ連はヘルシンキの民間人居住地を知りながら焼夷弾爆撃を行った。

 言うまでもなく明確なジュネーブ条約違反だ。それに対するソ連外相モロトフは、

 

  「爆撃ではなく、飢えたフィンランド人民にパンを投下しているだけだ」

 

 と平然と言い放ったという。

 そりゃあ、国際連盟から追放される訳だ。

 因果応報、ソ連はまさにその報いを受けようとしていた……

 

 

 そう、これらの危険物は”クレムリン宮殿の敷地に、全て投下(・・・・)”されたのだ。

 市街地に落とさなかった分、ある意味、善良と言えた。

 つまり、100発以上のブンカーバスターが、敷地内のあらゆる建物に着弾して天井を突き破り、内部で爆散。

 そして、敷地内のあらゆる場所……というより敷地内全域で消火困難な(水をかけても消えない)テルミット火災が発生。

 無論、ブンカーバスターが空けた大穴から飛び込んで、内部から人ごと建物を焼いた焼夷弾子も多くある。

 狭い範囲への焼夷弾投下の集中による膨大な熱量で、火災旋風まで巻き起こり次々と逃げ遅れた職員ごと建物を飲み込んでいった……

 

 

 

***

 

 

 

 モスクワ市という意味では、被害は軽微……というより皆無だった。

 当然だ。

 ドイツ軍が、80機もの爆撃機が狙ったのはクレムリンだけで、その周辺に一般市民など住んでる訳もなく、また南側はモスクワ川だ。

 無論、ドイツは「延焼の危険性がほとんど無い」事を理解した上での爆撃だった。

 

 物理的に炎上し、双頭の鷲ではなく赤い星が新たな主の証として掲げられたスパスカヤ、トロイツカヤ、ニコリスカヤ、ホロヴィツカヤ、ヴォドヴズヴォドナヤの五つの塔が燃え崩れる有様を見て、市民は呆然となった。

 

 だが、一部であるが「ざまぁ!」とほくそ笑み、人目に付かぬようにこっそりと祝杯を上げる人間も少なからずいたのも事実だ。

 隠れ住んでいた聖職者やロシア正教徒が多かったのは実に皮肉だ。

 

 

 

 レーダー統制を受けていない高射砲はそうそう当たるものではなく、また赤軍大粛清の影響が未だに残っているせいで兵の練度は低く、また「モスクワが爆撃されるはずはない」という思い込みや慢心もあった。

 実際、これまでモスクワは爆撃被害をほとんど受けていない。

 ドイツ機は時折飛んできてたが、彼らは自軍の戦闘機が飛んできたり高射砲が発射されたりするといつも慌てて逃げ出す腰抜け揃いで、その臆病さにモスクワ市民はいつも笑っていた。

 

 だが、今日のモスクワはどうだ!

 ソ連(こちら)の高射砲は当たらず、迎撃に上がった戦闘機は片っ端から撃ち落とされてるではないかっ!!

 そのいつもとは逆転した情景に、モスクワ市民は益々絶望した。

 

 これは率直に言って”スモレンスク攻略での二度目の大敗北”を公表していなかったソ連政府が悪い。

 いや、確かに被害集計がまだまとまり切れてないことは理解している。

 しかし、市民には「スモレンスク上空で一線級はおろか二線級の戦闘機とパイロットもまるっと摺り潰され、モスクワ防空任務についているのは、それ以下のパイロットと機体ばかり」なんて事情は解らないのだ。

 例えば、この時のモスクワ防空を担っていたパイロットは、Fw190のウルトラエース、バルクホルン大尉からこう評された。

 

『地上にいるのと飛んでるのとで、どっちが戦力として評価できるか解らないレベルだったな。あれなら、戦闘機から機関銃をおろして地上から対空射撃を行った方がよっぽど戦力になったかもしれないし、市民も死なずに済んだろう』

 

 民間人という意味なら、殺したのはドイツ人の爆撃ではなく、撃墜され落下したソ連戦闘機だったと明記しておく。

 これらの犠牲者も、ドイツ人の爆撃による犠牲者に入れてしまう辺りが、実に共産主義者らしい振る舞いだ。

 

 そして、それらの模様は戦闘機も対空砲も届かぬ超高高度(とはいえ、高度11,000m程度)から、Ju86R偵察型がそれらをつぶさに記録していた。

 写真で、そしてムービーカメラで動画として。

 これが後に編集され記録映画、あるいはノンフィクション映画……

 

 ”クレムリン炎上”

 

 として一部の国を除き世界中で上映されることになるのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 防空隊が飛びあがり、墜とされ、空を守る者が居なくなったモスクワ周辺の航空基地……

 半ば残骸だらけ、スクラップ置場の様相を呈していたそれら軍事施設をJu87が嬉しそうに、あるいは上機嫌に(特にルーデルとかルーデルとかルーデルが)反復爆撃していた事を特記しておく。

 

「ガーデルマン、そろそろ出撃したいんだが……」

 

「流石に1日に四度のモスクワ往復爆撃はやりすぎです大尉!! 帰りは日没後になる上に、もう航続距離内にスツーカでぶっ壊せる物はないですよっ! それと機体と整備員をもう少し労わってやってください! 大尉と違って普通の人間なのですからっ!!」

 

「う、うむ。ガーデルマンがそう言うならば」

 

 夜明けのコーヒー代わりに牛乳飲んで出撃し、帰ってきたら早めの昼飯搔っ込んで出撃し、帰ってきたら午後のティータイムに牛乳飲んで出撃したルーデルは、再び夕暮れをバックに出撃しようとしてガーデルマンに怒られていた。

 要するに、いつもの風景である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンをはじめ、モスクワ在住の誰もが、モスクワには「距離の暴虐と冬将軍」というナポレオンすら弾き返した無敵の鉄壁があると心のどこかで思い込んでいた。

 実際、史実と異なりドイツ軍はモスクワ周辺に攻め寄せることはなく、スモレンスクで慣れない冬の寒さにガタガタ震えていると思い込んでいた。

 

 だが、現実には違うのだ。

 モスクワ攻めを強行しなかったのは、冬将軍が怖かったのではなくドイツの戦略上の都合(ドクトリン)だ。

 そして、ロシア人が考えた距離の暴虐というのは、数字に起こせばそんな物がないことがわかる。

 ベラルーシの首都ミンスクからモスクワまでの距離は700㎞に届かず、スモレンスク-モスクワ間に至ってはその半分強の370㎞弱程度の距離でしかない。

 航空機が出てくる前の時代ならいざ知らず、作中にも出てきた通りミンスク-モスクワ間程度なら双発爆撃機であればフルペイロードでも往復余裕で、スモレンスクからなら航続距離の短いスツーカでも難無く往復できる。

 

 ロシア人がイメージするより、前線はずっと近いのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、そろそろ紳士淑女諸君が、おそらく最も気になっているだろう案件を話そう。

 とても残念なことに、暗殺が怖いので匿名希望の”粛清大好きSリンさん”氏と、同じ理由で匿名希望”少女と幼女とフラワーゲーム”氏の死亡は確認されていない。

 確認されてないどころか、空襲警報と同時に地下通路を通ってモスクワ川の対岸にあるセーフハウス、そこの頑丈な地下防空壕に逃げ込んでいた。

 必要なら、ここからさらに秘密の地下鉄に乗って誰にも見られることなくモスクワから脱出できる手筈になっていたようだ。

 

 そして、それもドイツの想定内だ。

 いや、むしろ「思考が読みやすい=与しやすい相手」に、今死なれてはとてもドイツが困るのだ。

 まず、彼より上手く”ソ連人(赤い同志)”を血祭りにあげられる存在はいない。放置すれば、勝手に自国民を間引きしてくれるのだ。

 ドイツ軍より多くのロシア人をこの世から人民解放できるのは、実際にこの男ぐらいだろう。

 後釜に彼より優秀で温厚でソ連の未来を真剣に考え、現実論者で理知的で、国境の妥協を考慮しドイツとの停戦を考える様な男が次の指導者になれば、それこそ目も当てられない。

 そんな男、ロシアにいないって?

 確かにフルシチョフ程度ならどうとでもなる。

 だが、半世紀以上先にいたのだ。冷戦を終結させ、あれよあれよという間にソヴィエト連邦を解体してみせた書記長が。

 

 故に、現状はドイツの想定通りと言えば、想定通りだったのだが……

 

”バタン!”

 

 空襲が終わり、焼け崩れ落ちたクレムリンを見て卒倒したのだった。

 クレムリン炎上と書記長の前後不覚……この未曾有の混乱にソ連の政務全体が、翌日にかけてほぼ麻痺状態に陥ったのは記しておくべき事柄だろう。

 

 だが、その間に別の場所で別の事態が進行していたのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




物理的に、そしておそらくは後に政治的にも大炎上してしまったクレムリンでしたw

いや、もうどうにもなりませんねw
最新鋭双発高速爆撃機80機(エンジン不調で戻った機体はあるかもしれませんが)を投入したクレムリン宮殿とその敷地にある全ての建物に対する一点集中爆撃……ドローンなんてチャチなテロリズムめいた攻撃ではなく、ガチンコの”政治的戦略爆撃”ですw

まあきっと、これでも心折れず、むしろ逆ギレして戦ってくれるでしょう。
Sリン氏ですしw

ただ、本人も前後不覚に陥ってるので、大好きな粛清は果たしてするのかどうか……まあ、するんだろうなぁ。


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第210話 ヴォロネジ攻略戦 ~対照的な戦場~

今回からもう一つの戦い、第二次スモレンスク防衛戦に呼応して行われた今度はドイツが攻め手に回る戦い、”ヴォロネジ攻略戦”の開始です。





 

 

 

 さて、第二次スモレンスク防衛戦に並行する形で行われたドイツの”ヴォロネジ”攻略戦については、実は思ったよりも盛り上がりは少ない。

 ある意味において、とても退屈かもしれない。

 

 まず、ヴォロネジの状況を説明しよう。

 最精鋭部隊が”第一次スモレンスク攻略戦”引き抜かれたまま、彼らは未だに戻ってきてはいない。安否は不明だ。

 その穴埋めだろうか? 後方から雑多な……寄せ集めとしか思えない部隊が増援としてやって来る。中にはロシア語が通じているのか怪しい部隊も混じっていた。

 ヴォロネジの司令官と政治将校は顔を見合わせ、「これは指揮権のすり合わせが大変だぞ」と溜息を突いた。そして、ウォッカを痛飲した。

 クルスクがドイツ人に攻め落とされ、彼らに叩きだされた……というより純粋に追い出された(実際、脱出に猶予が設けられ、家財を持ち出す時間が与えられていた)クルスクの住民とそれを護衛するという名目でクルスク防衛隊がやって来た。

 ヴォロネジ市長と共産党員は、住居や備蓄食料の再配分に頭を抱えた。そして、ウォッカを痛飲した。

 

 それからしばらく、モスクワから直々に”第二次スモレンスク攻略戦”に向けて戦力抽出が求められた。

 最初は、首脳部がごっそりいなくなったとはいえ、中堅どころが残っていたためにある程度は指揮系統が維持されていた”旧クルスク防衛隊”を差し向けようとした。

 だが、モスクワからは「首脳部がこぞって降伏した部隊を作戦に組み込むのは危険」と拒否。

 ヴォロネジ司令官と政治将校は、「「馬鹿げてる」」とは思ったが口には出さず、再編を終えたばかりの「雑多な後方からの増援部隊」を差し出すことにした。

 これ以上、ヴォロネジの正規保有戦力を減らされるよりはマシだった。

 モスクワはそれを了承する。

 彼らが欲しがっていたのは、兵隊というより鉄砲玉だったからだ。

 

 その日、司令と政治将校は、市長と共産党員も呼びつけて一緒にウォッカを痛飲した。「「自分達が何のために頑張って再編したかわからない」」と。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、それからまたしばらく。

 今度は”北から(モスクワ方面)”から、かなり装備の良い部隊がやって来た。

 歴戦の風合いを感じさせる使い込まれた装備は、傷だらけでもキチンと整備されている様子が見て取れて、また行軍の様子も上手くまとまっていた。

 規模は増強連隊規模と小さいが、精鋭である事に疑いはなかった。

 また、西(陥落したクルスク方面)からじゃないのがまた良かった。

 

 ドイツ人に奪われたはスモレンスク、ブリャンスク、オリョールの”モスクワから300㎞以遠の西側ライン”だけで、ヴォロネジからモスクワへ通る街道は未だに健在だったはずだ。

 そして、彼らはヴォロネジの北部で止まり、綺麗に整列し、その中の最先任らしい将校が前へ出てくると拡声器で

 

「小官は”トゥーラ”方面軍、第63戦車連隊、”ウラジミール・スホーイ”大佐である! ヴォロネジ防衛司令と取次願いたい! 現在各地でドイツ軍の無線傍受も疑われ無線封鎖にあるるため、援軍を兼ねて機密性の高い情報伝達の為に我々が来た!」

 

 訛りのほとんど無いスマートなロシア語……

 モスクワっ子かまではわからないが、都市生活者には間違いなさそうだった。

 

 そして、階級章や認識票の確認が行われ、スホーイ大佐の身分が間違いないとされると早速、司令部に通された。

 敬礼する大佐にヴォロネジ防衛司令官

 

「スホーイ大佐、私がヴォロネジ方面軍司令のニコラス・ヴァトゥーチン中将だ」

 

 そう恰幅の良い男は答えた。

 

「お目にかかれて光栄です。同志中将閣下」

 

「早速で悪いが、スホーイ大佐。機密性の高い情報と君がわざわざ”トゥーラ”から駆け付けた理由を聞かせてくれるか?」

 

 政治将校も同意と頷く。

 実は、ヴァトゥーチンは少し不信に思っていたのだ。

 トゥーラは遠い。直線距離で北北西300㎞ほども彼方にある街であり、確かに大規模な陸軍拠点はあるが……

 トゥーラからヴォロネジへ来るには、一度、東のノボモスコフスクを経由して街道を南下する必要がある。

 (史実と異なり)トゥーラやノボモスコフスクが陥落したという情報は入ってないが、いささか援軍、それも明らかな精鋭を送り込むには不自然に感じたのだ。

 

「この情報をどこまで伝えるかは、中将閣下の采配にお任せ致します……”第二次スモレンスク攻略戦”は失敗致しました」

 

「なっ!?」

 

 一瞬、声を失うヴァトゥーチンに畳みかけるように、

 

「友軍の被害は甚大。最終被害報告はまだまとまっていませんが……死者・行方不明者・降伏者は攻略軍102万のうち少なくとも半数に達すると概算されています。作戦参加航空機の被害は損傷機まで含めれば8割に達し、連絡機すらもまともに飛ばせない状況です」

 

「ぜ、全滅ではないか……」

 

 絶句する政治将校にスホーイは頷き、

 

「そうなった以上、確実にやってきます。ドイツ軍がここに」

 

 

 

***

 

 

 

 ヴァトゥーチンと政治将校が復帰するタイミングを見計らい、スホーイは話を続けた。

 

「二度目のスモレンスク攻略失敗と被害は、未だに伏せられています。ですが、クルスクの前例がある以上、この機会にヴォロネジが狙われるのは明白です。そこで上層部は余剰戦力を抽出し、ヴォロネジの増援に差し向けることを決定いたしました」

 

「それが君達だと? 余剰というより精鋭に見えたが……」

 

 するとスホーイは自嘲気味に笑い、

 

「いえ、我々の本質はウクライナとベラルーシでの敗残部隊を再編成して生まれた、まだ若い部隊です。個々の技量が比較的まともな者が集められましたが、部隊としての練度はそこまで高いものでは無い……所詮は、寄せ集めの部隊なのですよ。無論、小官も含め」

 

「……すまぬな」

 

 ヴァトゥーチンもまた、初期の”バルバロッサ作戦”の地獄を生き延びた1人。

 スホーイの心情はわかるつもりだった。

 

「お気になさらずに」

 

 だが、まさにスホーイが詳細を続けようと口を開いた瞬間、

 

「伝令! ど、ドイツとウクライナの混成大軍団が攻めて参りましたっ!! 数は、確認できているだけで1個軍団以上!!」

 

 最悪の凶報がヴォロネジ司令室に響いた……

 

「スホーイ大佐、着任したばかりで申し訳ないが」

 

「これもお役目です。存分にお使いください」

 

「わかった」

 

 ヴァトゥーチンは大きくうなずき、

 

「君の連隊は独立遊撃連隊として扱う。戦場の火消し役を期待する」

 

 スホーイは改めて敬礼し、

 

「拝命いたしました! 同志中将閣下!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、劇場は開いた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今度は守りの戦いではなく、攻めの戦いとなるヴォロネジ攻略戦。

ただし、ヴォロネジの保有戦力はやせ細り、増援として間に合ったのは1個装甲連隊のみ……いや、もうこの時点で詰んでね?w



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第211話 何もかもが足りなかった戦場

ヴォロネジ、既に戦う前に……





 

 

 

「具申してもよろしいでしょうか?」

 

 非常事態である故にヴォロネジ防衛司令部に招き入れられたスホーイがそう発言すると、

 

「許可する」

 

 ヴァトゥーチンが頷く。

 

「経験上、ドイツの戦車は総合性能で我が軍のT-34を上回るうえに、必ず一方的に攻撃可能なアウトレンジから攻撃してきます。非常に撃破しにくい戦車である以上、先ずは我が方も弱点を知り尽くしているウクライナ軍のT-34を狙いましょう。多少は改造されているでしょうが、時間的余裕のなさから考えると、本質的にはさほど性能は変わらないはずです」

 

 ヴァトゥーチンは、別の世界線でもヴォロネジ防衛線で司令官として活躍し、特に打撃部隊の運用に長け、戦車軍団を戦線の機動グループとして運用する迅速な敵防御の突破、そして反転追撃という戦術を得意としていた。

 また、逆襲・包囲・撃滅、縦深梯隊防御の理論と実践にも大きく貢献したとされている。

 紛れもなく名将……だからこそ、その妥当性に疑いを持たなかった。

 

「そして、ウクライナ軍のフォローに回らなければならないドイツ軍の側面を突く……かね?」

 

 スホーイは頷いた。

 

 

 

 状況は、ヴォロネジにとって大変よろしくなかった。

 一応、対戦車壕や永久陣地、地雷原は一通り作ってあったが、それを嘲笑うかのように重砲による長距離砲撃と腹が立つほど正確な爆撃で、こちらの防衛網を物理的な火力で摺り潰していく。

 

 二度のスモレンスク攻略で戦力を抽出させられたヴォロネジ航空隊に空爆を抑える力は残っておらず、それどころか敵が初手で行った航空基地攻撃で放たれたクラスター成形炸薬弾で滑走路がグズグズにされ、隠蔽するにも限界のある地上の弾薬庫や燃料タンクが貫通効果のあるらしい爆弾であっと言う間に破壊されてしまった。

 また、漏れ出た燃料に火をつけて被害を拡大させる気なのか、タンクや弾薬庫、そして格納庫にもクラスター焼夷弾が撒かれ、盛大に燃え盛っていた。

 何も隠蔽壕の中に厳重にしまってある航空機を直接壊す必要はない。

 まるでドイツ人が、「必要な時に飛べなくしてしまえば戦争には勝てる」と言ってるように聞こえた。

 

 また同じく戦力をスモレンスクに持ち出され、やせ細った砲兵隊に効果的なカウンターバッテリーを行う打撃力はなかった。

 そしておそらく、反撃効力射を撃った途端、制空権を奪われた為に悠々と上空を飛んでいるドイツの弾着観測機に位置を掴まれ、たちどころに再反撃でこちらの砲兵隊は壊滅する。

 いや、それ以前に恐るべきスツーカが飛んでくるか?

 

 

 

***

 

 

 

 クルスク防衛隊を取り込んだ以上、兵員は十分とは言えないまでも、数その物は揃っていた。

 ドイツ軍にやや怯えてる様子もあるが、許容範囲だ。

 しかし、肝心の装備も砲弾も不足気味だった。

 当然ではあるが……クルスクからの重装備の持ち出しは不許可だった。彼らが持ち出せたのは市民を守り脱出する最低限の装備という名目で、自衛用の小銃(ボルトアクションの手動連発式のみ)と拳銃、ナイフだけで、同じ個人携行装備でも殺傷力の高い短機関銃や手榴弾は持ち出し対象から外され、予備弾倉の持ち出しも許可されなかったのだ。

 

 クルスク守備隊は、捕虜にならなかっただけで降伏自体はしているので当然だった。

 装備の発注はしているのだが、どこもかしこもスモレンスクの無茶な攻勢で装備が不足気味なようで、中々充足されない日々が続いていた。

 実際、後方から来て再編した途端にスモレンスクへ送り出さねばならなかった部隊も、ヴォロネジと同等かそれ以上に装備は不足気味だったのだ。

 更に後方の生産拠点、サラトフやスターリングラードからの道が閉ざされていない以上、生産はされているがソ連軍全体での装備不足が表面化している可能性が高かった。

 

 ヴァトゥーチンは火力を効率よく運用し、上手く集中させることに長けていたが、その源泉となる火力が最初から必要最低限を割り込み、反撃や迎撃できる火力が無かった故に現在進行形で捻り潰されているのだから、もうどうしようもなかったのだ。

 

 

 

(最優先の生産品供給先は、モスクワ防衛とスモレンスク攻略か……)

 

 スホーイ大佐の言葉を信じるなら、全ての辻褄があってしまう。

 現状、ドイツはロシア領内に無理な攻略は仕掛けていない。

 前にも書いたが、1941年での侵攻では、中央軍集団と南方軍集団はスモレンスク-ブリャンスク-オリョールの凡そ”モスクワより300㎞以遠ライン”で進軍を停止しており、しっかりと防衛拠点を築き、補給路を整備していた。

 史実と異なり、カルーガ、トゥーラ、ノボモスコフスクなど”モスクワに近すぎる拠点”には、不用意に手を伸ばしていない。

 当面の目標にモスクワ攻略は入っていないのだから当然であった。

 

 北方軍集団は少し状況が違うが、コラ半島、カレリア地峡、旧カレリア共和国、ラドガ湖、オネガ湖一帯がフィンランド管轄になったのも大きいが、それ以上にレニングラード陥落がソ連に何よりも暗い影を落としていた。

 現在、北方軍集団のモスクワに最も近い拠点はノブゴロドということになっているが、それもいつまでもそうであるのかはわからない。

 

 そして、逆に祖国(ソ連)は、無理な戦いを続けている……嫌な想像を、ヴァトゥーチンは振り払った。

 だが、その”燃え盛る”イメージは、いつまでも彼の心に残り続けたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 だからこそ、ヴァトゥーチンは討って出る決意をしたのだ。

 守っていても、直ぐに装備は枯渇し、ジリ貧確定だ。

 モスクワと連絡を取ろうにも、どういう訳か通信も他の連絡手段も応答がない。

 モスクワが陥落したという訳ではなさそうだが……何やら、スモレンスクの敗北とは別の混乱要素がある気配がしていた。

 

 装備も足りなく、上の指示も仰げない。

 ならばできる手を打つしかない。

 航空機はどうにもならないが、重砲はおそらくそれを守ってるだろう戦車隊を突破できれば、沈黙させる事ができる。

 最低でもこちらの戦車隊が攻め込めば、ドイツ重砲隊は配置転換しなければならないだろう。

 

(そのまま蹂躙できれば言う事はないが……)

 

 そう上手くはいかないだろうが、ドイツ軍のヴォロネジ攻略をあきらめさせるだけのダメージを与えられれば良いのだ。

 

「であれば、やってやれんこともないだろう」

 

 いずれにせよ、”積極的な機動戦”以外に状況を打破できるような手段はなかったのだ。

 やはり、ヴァトゥーチンは名将の器があった。

 最悪な状況の中で最善の手を打とうとしていた。

 

「スホーイ大佐、短時間の効力射からの迂回戦術、機動突破戦でどうかね?」

 

 ヴァトゥーチンは、この出会ったばかりの大佐を副官か参謀に欲しいと思い、

 

「申し分ないかと」

 

 『まるでグデーリアン閣下(・・)のようだな』とスホーイは思ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しまった! やられたっ! こちらの動きが読まれていたかっ!?」

 

 最初に”戦場の異変”に気付いたのは、状況を食い入るように見ていたスホーイだった。

 

「スホーイ大佐、どうしたっ!?」

 

「ドイツ軍は、ウクライナ軍を”デコイ”に使い、逆にこちらの機動戦力を誘引、突破力を徐々に削りつつ進撃方向をコントロールしてます! ウクライナ軍もそれを承知で動いてますっ!!」

 

「ど、どう言う事かねっ!?」

 

 慌てる政治将校に、

 

「見てください。ウクライナ軍、機動力に劣りますが重装甲のKV-1を前面に押し立てて、後退しつつ我が軍を誘導しています……敵重砲隊から引き離し、ドイツ軍の火線の待つ方向へ、的確に。あれは、重戦車の分厚い装甲だからできる”機動防御”と呼ぶべき戦術ですっ!! そうなってしまえば……」

 

 簡単に言えば機甲戦版の”釣り野伏せ”、そのアレンジだ。

 所々に増加装甲まで貼り付けた重戦車を盾にウクライナ軍は後退、逆に迂回したドイツ軍戦車部隊に半包囲されていた。

 ドイツの重砲隊は、その半包囲陣形の先にあったのだ。

 

 おまけにウクライナ軍は、機動力が落ちるのを承知でKV-1に増加装甲を貼り付けていた。いわゆる”KV-1E仕様”だ。

 

「読まれたというより、最初からオプションプランとして想定されていたのでしょう……我々が打って出た場合の作戦を。そして、ドイツ軍は我々と異なり、全ての戦車に無線機を搭載している。おそらく、ウクライナ軍の戦車も同種の改造をされてるのでしょうね。じゃないと、この有機的連動は説明できない……羨ましいことです」

 

 間違いなく、ウクライナ軍は通常の攻勢陣形だった。

 だが、ソ連がウクライナ軍に集中攻勢をかけると判断したときにT-34は下がり、入れ替わるように最前面にKV-1が出てきて文字通り”動く盾(タンク)役”として機能。

 後退してるように見せかけて、実はそれ自体が誘引だった……遮二無二突撃していたソ連戦車隊はそれに気づけなかった。

 よく訓練された動きで、ドイツとの連携も上手い。

 

 そして、スホーイはヴァトゥーチンを真っ直ぐに見て、

 

「同志中将閣下、申し訳ありません。この戦い、残念ながら我々の負けが確定したようです」

 

 虎の子の戦車隊が壊滅させられようとしてる今、もう打つ手はそう残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ドイツ南方軍集団航空隊が陸戦で接敵する前に既に航空基地を徹底的に叩いており、せっかくの防御網も火力の集中でズタズタ……

装備の数も、兵の練度も、何もかもがヴォロネジには足りない中、唯一活路があった積極策ですが……まあ、それも読まれていたというより、対抗策がサブプランで用意されてればそりゃあねえ?


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第212話 そして静かに戦い終わりて ~ある将軍の回想~

答え合わせ回です。
加えて、チャプター・エンドです。



 

 

 

「どう、なさいますか? 同志中将閣下」

 

「”どう”、とは?」

 

 スホーイは真っ直ぐにヴァトゥーチンを見て、

 

「最後まで戦えというのならば、我が使命として連隊ごと遊撃隊として出撃し、見事と玉砕してみましょう。ただし、」

 

 スホーイは一旦言葉を切り、

 

「残念ながら状況は好転しないでしょう。ドイツ人がウクライナ軍を前面に押し立てる、そしてウクライナ人が囮になるのを承知で戦っている……導き出される答えは多くありません。ウクライナ人は”ヴォロネジ攻略”の優先突入権を約束されていると推察されます」

 

「ど、どう言う事かね? 同志大佐」

 

 そう悪い人間ではなさそうな酒焼けした顔に丸みを帯びた体という組み合わせの中年政治将校に、

 

「ウクライナ軍が都市で蹂躙戦をしたがっている……という事でしょうね。チェキストあるいはNKVDがかつてウクライナで行ったことを、彼らは報復としてヴォロネジでそうするという事でしょう。そして、ドイツ人もそれを認めている」

 

「クルスクでは、そのような事はなかった。事前に降伏勧告のビラがまかれ、防衛隊上層の降伏を条件に市民と兵は、家財や食料を持ち出す猶予が与えられ、脱出を許された。追撃もなかったそうだ」

 

 そう呟くように告げるヴァトゥーチンに、

 

「なら、余計でしょう。クルスクで何もさせて貰えなかったウクライナ軍に不満が鬱積してる……我が軍に置き換えてみればわかるでしょう? 男は殺し、女は犯し、価値のある物は略奪し戦利品とする。古代からの戦場の慣わしです」

 

「同志大佐!」

 

 政治将校は咎めるような声を出すが、

 

「事実を今更覆い隠したところで仕方ないでしょう? NKVDが、あるいは我々赤軍がウクライナでやったことを彼らはやろうとしている。無論、我々を皆殺しにした後に。クルスクにあった降伏勧告がヴォロネジにないのは、そういうことです」

 

「……降伏すれば、市民の脱出は可能と思うかね?」

 

「ドイツ人相手に交渉するならば……ですが。彼らは現在、我が国を告発した関係でお行儀良くしなければならない理由があるようですから」

 

「ウクライナでは無理と?」

 

「彼らのプロパガンダによれば、我々は種籾まで収奪し数百万人を飢え死にさせたそうですから……」

 

 ヴァトゥーチンは苦い顔をする。

 それが事実だと知っている顔だった。

 

「え、援軍は!? 大佐、援軍は来ないのかねっ!?」

 

 狼狽する政治将校を、スホーイはむしろ憐れみを込めた目で、

 

「ドイツ人の侵攻が予想されるヴォロネジへの増援、戦力抽出を命じられたのは我々……トゥーラの部隊だけじゃない筈です。ですが、辿り着いたのは比較的遠くにいた我々だけだ。それが答えになりませんか?」

 

「そ、そんな……」

 

 よろめく政治将校に、

 

「仮に他に増援があったとしても、もう間に合いません。既に戦端は開かれ、我々は明確に劣勢です」

 

「大佐、我々がなすべきは軍人として最後まで戦うか、軍人として最後の責務を果たすべく降伏し市民の命を守るか……二つに一つ、かね?」

 

 スホーイは無言で頷いた。

 

「”ドイツ軍に”降伏しよう。勝敗は既に決した。我々に増援は無く、航空機も底をついている以上、頭上に爆撃機が飛んできても対抗手段はない。地上と空から住人ごと街を焼かれるのは、何としても避けねばならない」

 

 この決断は、後に”ヴァトゥーチンの大英断”として語り草となる。

 多くの市民を救った英雄の美談として……主にドイツ勢力圏でだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ヴォロネジの陥落が早かった理由の一つは、クレムリン炎上の衝撃(余波)でスターリンが政務不能になっていたことが大きいとされる。

 モスクワの総軍司令部にも共産党にも無線であれ何であれ、一時的に一切連絡が取れなくなっていた。

 それはそうだ。

 上層部だって、クレムリンは逃げ遅れた職員や党員、重要書類ごと消し炭になるわ、書記長はぶっ倒れるわで混乱していたのだから。

 

 だから、ヴォロネジは自分達で判断するしかなかった。

 そして、ヴォロネジには赤旗が降ろされ白旗が掲げられた。

 

 幸い、まずやってきたのはドイツのいかにも経験豊富そうな年配の法務士官だった。

 彼らは捕虜の取り扱いは、ジュネーブ条約、ハーグ陸戦条約に基づいて行うことを明言した。

 同時に、捕虜とするのは尉官以上の高級将校や政治将校に限られ、車両や野戦砲などの重火器備類の持ち出しは許可できないが、最低限の個人携行武器(拳銃、手動連発式の小銃など。殺傷力の高い短機関銃や手榴弾は省かれていた。ただし、予備弾倉は持ち出し不許可)や食糧などの持ち出しは許可された。

 また、共産党員は民間人扱いとし、市民と一緒に退去処分(ソフト表現)で済ませる事も確約した。

 無論、尉官以下の兵士や市民には3時間の猶予が与えられ、個人携行できる家財や食料の持ち出しも許可された。

 無論、公文書や機密書類を含む書類の持ち出しは許可されず、無理にあるいは隠れて持ち出そうとしたり、あるいは処分しようとすれば「降伏しても叛意あり=偽装降伏」として即時射殺処分とすることを明示するのも忘れていない。

 

 

 

 要するにクルスクと同じ扱いだった。

 また、退去期限を過ぎて街に残っていた者は、便衣兵(テロリスト)とみなして裁判不要の処分することも明言する。

 これは、軍の統制下にないNKVD職員でも同じ処遇であると。

 法務士官は、クルスク占領で起きたいくつかの事例を示して説明していった。

 

「また、気を付けていただきたいのは退去行動中に我々に銃を向けてくる不埒者がいれば、我々は周囲に市民がいても処分しなければなりませんし、またウクライナ軍に対して同様の行動があった場合、我々は一切抑制できないのであしからず」

 

 つまり、降伏したのにまだ歯向かう跳ねっ返りは、問答無用にテロリストとして処分するし、ウクライナ人に手を出したらドイツはその後の行動は止めんよ……と宣言したわけだ。

 

 その話し合いが進んでる中で、珍事が起きた。

 発起人は、クルスクに続いてヴォロネジでも負けた下士官組合(・・)(?)だ。

 彼らは、自分達が再び”解放”されると知った途端、

 

「「「捕虜になれないのなら、せめて亡命させてくれ。ドイツと三度目の戦いになれば、今度こそ死んでしまう」」」

 

 と言い出したのだ。

 こんな事を言えば、普通は銃殺刑だが一時的に完全武装解除されている(装備は、街を出る段階で返却予定だった)ので、その心配がない。その心配が無いからこそ、起きた現象だった。

 法務士官は、尋ねる。

 

「……ウクライナに亡命したいのか?」

 

 すると亡命希望者は一斉に首を横に振り、

 

「そんな訳はない。ドイツに亡命させてほしい」

 

 彼らの心は既に折れ、ドイツ軍と再戦すること自体を拒否していた。

 まさか、それを見捨てることもできないので、

 

「分かった。亡命希望者は、郊外に設けた”ドイツ軍陣地”で待つように。クルスクで一時的に身柄を預かることになると思うが……調整ができ次第、ドイツ国内のロシア人コミュニティーがある地区へ受け入れが可能か打診し、許可があれば移住させる」

 

 無論、打診先は”サンクトペテルブルグ市”の他にない。

 他にもアテは無くもないが、一般市民ならいざ知らず、軍人であらばあそこが一番”安全”だ。

 実はこの法務士官、正規の軍服を着てるし、階級章も本物。法務士官資格は持っているが、実は所属はドイツ国防軍ではなくNSR(国家保安情報部)で、軍に出向している形になっていた。

 つまり、見た目はシュタウフェンベルクのお仲間だが、中身はシェレンベルクのご同業だ。(シェレンベルクも実際に、正規の軍参謀資格をもっている)

 

 なので、NSRルートで話を持ち掛ければ、何とかなるだろうと踏んでいた。

 最近、サンクトペテルブルグでは亡命ロシア人の正規部隊を編成するという話だし、下士官は増えて困ることが無いのは軍の常識だ。

 亡命ロシア人(捕虜になった者も含む)の夢の都会(旧帝都)暮らしが確約され、フォン・クルスの仕事がまた増えることが確定した瞬間だった。

 つまり、いつもの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、皆さんは不思議に思わなかっただろうか?

 ヴァトゥーチン達は二度目のスモレンスク攻略戦の大敗を知らなかった。

 情報封鎖されていたのか、単に混乱だったのかは定かではないが。

 

 しかし、スホーイ大佐の連隊はやって来た。それもヴォロネジから北北西に直線距離で300㎞も離れたトゥーラから。

 そして、彼らがヴォロネジに辿り着いたのは、スターリンが卒倒中だ。

 

 思い出して欲しい。

 爆撃でクレムリンが炎上したのは、第二次スモレンスク防衛戦が集結した翌日。

 スターリンが卒倒して”いられた”のは、その翌日までだ。

 

 不可能とは言わない。だが、少々到着が早すぎはしないだろうか?

 しかも、”ドイツ人とウクライナ人が攻め込んでくる直前(・・)”に到着とは……

 

 では、そろそろ種明かしをしよう。

 そこは、クルスクに設置されたドイツ軍の尋問室だった。

 余人が入れない、完全防音のそこは尋問と呼ぶにはやや穏やかな空気が漂っており……

 

「”内部工作任務”、ご苦労だったな。おかげで無駄な血が流れずに済んだ。感謝する」

 

「いえ。当然のことをしたまえでです」

 

 そして、本来はNSR所属という法務士官は、

 

「流石、ウクライナ解放軍以来の歴戦の強者、見事なもんだよ。ストーイ(・・・・)ゼレンスキー(・・・・・・)大佐」

 

「お褒めにあずかり、光栄至極」

 

 スホーイ大佐改め、ウクライナ国防軍特殊作戦任務部隊所属、”役者”や”道化師”などの二つ名を持つストーイ・ゼレンスキー大佐はにこりと微笑むのだった。

 誤解の無いように言っておくが、ゼレンスキーという姓はウクライナにおいて、さほど珍しい苗字ではない。

 故に彼の子孫、具体的に孫か曾孫の世代がウクライナの指導者になるかは、不確定の未来だ。

 何より……ウクライナは明らかに史実の命運からは逸脱してるのだから。

 

 もうお分かりだろう。彼らは……ソ連の装甲連隊に扮した”ウクライナ国防軍特殊任務部隊”は、トゥーラなどから来ていない。

 実はドイツ軍が要塞化している都市のひとつ”オリョール”から、ノボモスコフスク→ヴォロネジと繋がる街道へはギリギリ装甲車両が通れる、ロシア人すらも忘れていた”抜け道”があるのだ。彼らは、そこを通ってきたという訳だ。

 無論、街道へ抜けた後もいくつかのソ連の検問所があったが、スモレンスクでの大敗で多くの”本来いたはずの本職の警備部隊”がいなくなった結果、臨時の、それも明らかに数が少ない見張り員に偽造されたヴォロネジへ向かう命令書を見抜くことはできず、何処からどう見ても「ソ連の正規部隊」にしか見えない事から、誰も疑いを持たなかったのだ。

 本職でもなく、ましてや他所(よそ)から連れてこられて、いきなり検問所に立てと言われた赤軍兵を責めるのは、筋違いという物だ。

 

「しかし、ヴァトゥーチン中将がこちらの策に乗ってくれてよかったですよ」

 

「もし、乗らなかったらどうしていたかね?」

 

「計画通り、司令部を制圧しただけですよ。抵抗されれば鎮圧もやむなしだったでしょう」

 

 

 

 こうしてヴォロネジを巡る戦いは静かに幕を閉じた。

 余計な血が流れることはなく、スモレンスクとはあまりにも対照的な幕切れだった……

 

 攻略戦であるヴォロネジの方が独ソ共に被害が少なく、防衛戦であるスモレンスクの方がより多くの流血(主にソ連側の)があったのは、何か皮肉を感じる。

 そして、その立役者であるウクライナ軍特殊部隊の活躍は、決して表の戦史に残ることは無いだろう。

 ただ、トゥーラから駆けつけ、敗北し表舞台から消えた名もない連隊として記録されるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

***

 

 

 

 そう遠くない未来、サンクトペテルブルグを拠点とする部隊で再び名将と呼ばれる事となったヴァトゥーチンは、時折、思い出してこう呟いているらしい。

 

「あの若者は、今でも無事だろうか? できれば部下に欲しかったものだ。閣下(・・)、私は彼のおかげで命を繋ぐことができたのですよ」

 

 ウォッカと共に語る、懐かしい思い出話として。

 

 

 

 

 

 

 

 




皆様の仕込み通り

ストーイ・ゼレンスキー大佐の子孫が必ずしもコメディアンになったり大統領になる訳ではありませんので、あしからずw

そもそも、この世界線のウクライナって大統領制にならないだろうなーと。
普通に共和国で首相な気がする。



そして、このエピソードでこの章は終わりになります。
また、ちょっと理由があり本日、夜くらいに新章の最初のエピソードを投稿しようと考えています。

よろしくお願いいたします。



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第13章:戦争は所詮、政治の一形態に過ぎない事を語る章
第213話 ペタン首相もやっぱりフランス人だったというお話


このエピソードから新章です。

あと、あとがきにちょっとしたご報告を記します。






 

 

 

 さて、舞台は唐突に1942年4月中旬のフランスの首都、パリへと移る。

 もはや戦争の影響をパリ市内で見かける事は無かった。

 例えば、史実では普通にいた横暴なふるまいのドイツ軍人が闊歩するような姿はいない。

 パリにいるドイツ軍人は、常にいるのは大使館付駐在武官くらいだ。

 最もドイツとの”兵器を含んだ重工業品”の取引は堅調なので、パートタイムではたまに集団を見かける。

 後は、北部の海岸線から100㎞が「西方への防衛」を理由にドイツへ租借されてるから、そこの駐留部隊の軍人が、たまに静養を兼ねて来るぐらいだろうか?

 後は故郷への土産を買うのに相応に金を落としていってくれるのでありがたい。

 土産……に入るかわからないが、実はドイツ人に好調な売れ行きを示してるのが、不思議なことに自動車だ。

 

 ペタン首相をはじめ、フランス人はドイツと言えば”国民車(フォルクスワーゲン)”なんて格安大衆車を生み出し、「一家に一台の自動車を」なんてバカげた、あるいは今の緊縮財政(復興資金をドイツから借りてる現状。支払いは主に軍用品の現物支払い)のフランスにとっては、夢のような政策をガチで実現させた自動車王国のはずだ。

 

 だが、フランス人には及びもつかない話だが……国民に車が行き渡り、アウトバーンの建設と軍官民問わない大規模な国土開発計画で、モータリゼーションが起きたゆえの悩みがあったのだ。

 つまり、一昔前は「車は持ってるだけでステータスシンボル」であったのに、誰も彼も自動車を持ってしまった為に個性が出しにくくなってしまったというのだ。

 何とも贅沢な悩みである。

 更に低価格帯自動車は、国策国民車”フォルクスワーゲン・タイプI”以外にも、オペルP4やタトラT97など小型車・大衆車市場は活況のようだ。

 しかし、そうなってしまえば個性を出したくなるのが人情という物。

 そこで、そこそこ懐に余裕がある(年齢の割には階級が高いとか、実家が太いとか)若手将校が目を付けたのが、”最も身近で手頃な外国車”の一つであるフランス車という訳だった。

 

 特に人気なのはシトロエンの”トラクシオン・アバン”だ。

 なんでも、前輪駆動とモノコック構造という先進性とネオ・クラシカルでエスプリを感じる外観がミスマッチで良いのだとか。

 更には、セダンだけでなくハッチバックにクーペにカブリオレとバリエーション豊富なのも、フランスらしくカラーバリエーションが多いのも大いにウケた。

 フランス人的にはよくわからない感覚だったが、「とりあえず外貨稼げればなんでも良いか」とフランスでの販売のみならず、ドイツへの輸出も開始、販売と修理、部品供給を行う代理店ネットワークも整備した。

 それが更に評判を呼び、トラックやバンなどの商用車の発注も鰻登りらしい。

 

 

 

 これはドイツも致し方無い事情もあり……どうしても旧チェコなどを含めたドイツの自動車メーカーは民生車と並行して軍用車を作らねばならず、どうやっても生産リソースが取られてしまう。

 だが、戦争景気のお陰で市場の購買意欲は高く、また富国政策を行うにはトラックなどの自動車物流を滞らせる訳にはいかない。

 スウェーデンのボルボなど対価さえ払えば輸入が可能だが、彼らにも自国需要を考えれば輸出限界はある。

 そこで”民生車両業界の救世主”として白羽の矢が立ったのが、シトロエンなどのフランス自動車産業という訳だった。

 

 史実ではドイツ軍が徴用を行ったが、今生ではそうではなくドイツとフランスの経済関係者話し合いで、拡大の一途を続ける民生車両分野での協力と相成ったようだ。

 むしろ、ドイツがさっさとペタン政権(旧ヴィシー政府)にパリを含んだ全土を返還したのも、可能な限り産業基盤を破壊しないように配慮して戦争したのも、そして占領統治時代もいつでも工業力を復元できるようにしたのも、全ては「戦争で欠乏する民生分野」を補填するため、フランスの工業力がどうしても必要だったという部分があるのだ。

 戦争は金食い虫であり、軍隊は消費するだけで基本的に金は生まない。占領するのは軍であるが、占領地を復興させ自国経済に取り込むのは、本質的に軍ではない。

 だが、民間は金を生む、経済を回すために市場というのは存在しているのだ。

 一部の戦略物資は仕方ないとはいえ、ドイツだって本来は統制経済などやりたくもない。

 ぶっちゃけ、戦争に金がかかるなら、その浪費の分、経済を回さねばならないのだ。

 略奪という方針を捨て去った今生のドイツは、”税金で戦争する”のが基本なのだから。

 そして、民族資本だけではどうにもならないから、占領した国々をさっさと親独国として再独立させ、戦後復興を起爆剤とした経済活性化に繋げ、ドイツに限らずドイツ経済圏(マルク経済圏)全体の利潤で戦費を捻出しようとしている。

 加えて戦時国債も発行しているが、ドイツの勝ちっぷりのせいか、売れ行きも好調だった。

 ”愛国債”の別名で国民が買うだけでなく、わりと外国人投資家も購入しているようだ。

 

 

 

 そしてこの状況を、欧州の群雄割拠で生き残り、”日の沈まぬ帝国”の一角だったフランスが見逃すはずがなかった。

 兵器を含んだ軍需品で復興資金の返済を細々と行いつつ、民生品で儲けることに躊躇など無かった。

 昨日の敵が今日の友、今日の友が明日の敵なのが欧州だ。

 史実で日本人から「欧州政治は奇々怪々」と評された土地で生き抜いた強かさをナメてはいけない。

 

 

 

***

 

 

 

 またフランスは、元々農業国であり、代表的農業輸出品であるワインの輸出も再開され、ドイツは食料の物納も返済として認めているためにこっちも堅調。

 再軍備も別に止める者もおらず、かといって戦争からは足抜けした(と思ってる)フランス。

 パリジャンは中々良い空気を吸ってるように思われるが……だが、そうは問屋は卸さない。

 

 フランス、ペタン政権だって頭痛の種はいくつもあるのだ。

 自由フランス?

 いや、あれは国際連盟でのテロリスト認定である程度は解決している。

 

 植民地問題?

 まあ、これもインドシナ半島とか中央アフリカは解決できたし、他もおいおいやっていこうと思ってる。

 幸い、ドイツと停戦してからもはやあまり戦争に熱心ではなくなった英国が、わりと不良債権化した土地を買ってくれそうな気配を出している。

 だが、

 

「委任統治領をどうするか……」

 

 ペタンは悩まし気に呟いた。

 今回の議題は、独立要求の強いフランス委任統治領のシリアとレバノンだ。

 

 本音を言えば、損切りをしたかった。

 まあ、以前の政権ならばならばそれなりに支配に野心はあっただろうが、ペタンにとっては、

 

「今となってはただの負債だな。アルジェリアやチュニジアと違って、我が国(フランス)の国防にコミットしている訳でもないし」

 

 強欲なれど、必要無くなれば切り捨てる。

 傲慢なれど、それが欧州の流儀といえば流儀だ。

 そして、ペタンもやっぱりフランス人である以上、フランス人気質なわけで。

 

「……こうなっては仕方がありません。損切りしましょう」

 

 閣僚の1人、経済大臣がそう発言した。

 

「損切りは賛成だが、どうやって行う? 実際、統治コストがじわじわと上昇しているのは、おそらく米ソの工作員が民族自立派を煽ってるからだぞ?」

 

 明確な証拠(尻尾)はまだつかめてないが、シリアとレバノンで彼らが暗躍している状況証拠はいくつも見つかっていた。

 

「無論、ただ手を引くのではありません。それではただの支配力喪失による撤退でしかありません」

 

 いや、実際にドイツに敗れたことによりそういう状況になっている、そしてかの地から手を引きたいから、こういう議題になってるのでは?と疑問を顔に出すペタン首相と他の閣僚たち。

 だが、経済大臣は胸を張り、

 

「……日本皇国(ジャポン)にシリアとレバノンの委任統治権を売り付けるのです」

 

「「「「「はっ!?」」」」」

 

 一瞬、その意味が解らないというような顔をする閣僚達。

 ペタンは一同を代表し、

 

「まちたまえ。何故、日本が買うと思うのだ? 彼らは火中の栗を拾うこと(ハイリスク)を好む民族ではないだろう?」

 

「いえ、今回は話を出せば、必ず乗ってきます」

 

「なぜかね?」

 

 すると経済大臣はドヤ顔で、

 

英国人の跳ねっ返り(ド腐れライミ―)が、”アラブ連盟”なんて物を提唱してしまったからですよ」

 

 史実における”アラブ連盟”とは、英国人の政治家アンソニー・イーデンが、枢軸側に当時は殆どが西欧の植民地や半植民地、委任統治領だったアラブ諸国が枢軸側に流れないよう「アラブ人の連帯」を提唱したものだった。

 これは、ヴィシー・フランスが実質的に中東への影響力を喪失したからこそできた政治的奇術であり、実際にフランスの委任統治領だったレバノンは戦時中の1943年以英国の了承のもと、独立を果たしている。

 要するに、英国人お得意の”多枚舌外交の典型(いつものやつ)”だ。

 しかし、今生では……

 

「しかし、あれはドイツとの停戦がなった後に取り下げられたのでは?」

 

 と外務大臣。

 

「ですが、その発想と思考はばら撒かれました。吐いたツバは吞み込めません」

 

 経済大臣はそう切り返し、

 

「アラブ連盟は、”アラブの恒久的安定”を望む日本人にとって、とても都合が悪いんです」

 

「まちたまえ! 日本人がアラブの恒久的な平和を望む? 何を言っているのかね?」

 

 すると経済大臣は極めて真面目な顔で、

 

「でなければ、リビア三国連合(トリニティ)での動きは説明がつきません。彼らの目的は、リビアの支配ではなく、”リビアの安定化”その物なのです。加えて石油資源に関しても、日本人は収奪することを目的としておらず、あくまで”原住民による健全に運用されるべき資源”として定義し、富国政策の一環とするように指導していおります。そのための”アラビア石油開発機構”です。貧富の格差は国にとって危険な火種となることを、日本人は理解しているのですよ」

 

 経済大臣は一度言葉を区切り、

 

「プライムミニスター・コノエはそれをおそらく誰よりも良く知っております。彼の”占領地政策”は一貫しておりますので」

 

 

 

***

 

 

 

「むっ、確かに納得できないわけでは無いな」

 

 この外務大臣の発言で、話の流れは決定された。

 

「委任統治権の代金は、現物で……石油で支払ってもらいましょう。心配しなくとも日本人はシリアやレバノンの独立に尽力してくれますし、新たに生まれる独立国”シリア共和国”や”レバノン共和国”と手を取り合って油田を共同開発し、健全に採掘してくれるでしょう」

 

「例えば、リビアのように……かね?」

 

 経済大臣は大きくうなずき、

 

「そして我々が得た石油、その余剰分はドイツへの復興資金返済に当てればよい。これが誰も損をしないやり方だと思われます」

 

 外務大臣はムムムっと腕を組み、

 

「シリアとレバノンは念願の独立を得て、日本人はアラブの更なる安定化を、そして我々(フランス)は損切りをして、石油を得るか……悪くない」

 

 閣僚からは不満の声は上がらなかった。

 

「良いだろう。外務大臣、ドイツとの水面下交渉を頼めるかね? これは国際的な協調を必要とする大掛かりな取引となる」

 

「かしこまりました。ペタン閣下」

 

 

 

 こうしてまた、日本に悪意のない政治的爆弾(やっかいごと)がユーラシアの反対側から大陸間(?)弾道飛行でかっ飛んできて、再び日本皇国の永田町に着弾するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この中に一人確実に転生者が居る!?(挨拶

まあ、誰かは明らかなような気もw
という訳で、中東のフランス委任統治領×2は、いつものように日本皇国にぶん投げられる事になったようですよ?
英国は基本、自分達と同じ穴の狢なので、中東の民族自立とかには向きませんし、ドイツは興味はないし、自由フランスを匿ってる以上、アメリカは敵国で、ソ連はアカなのでw
という訳で、民族自決を前提とした安定的な国家独立なんて面倒案件受けるの日本皇国だけなんですよね~。
しかも、仏の経済大臣、「中東の恒久的安定が、なぜ日本の国益につながるか?」をしっかり把握してる模様。
それをダシにしてくるあたり、なんだかとてもエスプリでしょ?w



さて、まえがきでも触れたご報告なのですが……
実は明日、2023年9月4日より拘束時間が長く深夜までかかるお仕事を始めます。
何と初日は研修が入るので、午前中出勤で深夜2時くらいまで勤務という(泣
あっ、これ初日は死ぬな……と思った次第です。
という訳で、明日投稿できるかわからないので、本日二度目の投稿と相成りました。特に新章開始は章の追加とかいりますし。

また、現在のところ219話くらいまではプロットができておりますが、それ以降は疲労によっては更新がひどく遅れたり、あるいはご感想の返信とかが遅れるあるいはできなくなるかもしれませんので、ご了承ください。

先の長いこのシリーズですが、これからも付き合ってくだされば幸いです。
どうかよろしくお願いいたします。








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214話 日本皇国の1942年度戦争計画 ~まあ、フランスからの提案にもメリットはあんだよ。面倒だけど~

久しぶりにこんな時間にアップ。
はは、初日の出勤、今帰って来ましたよ(泣
という訳で、疲れすぎて眠れないので夜襲ならぬ夜間投降。
読んでくれる人がいるといいな~。




 

 

 

   ”目には青葉 山ほととぎす 初鰹”

 

 

 

 サンクトペテルブルグでは、二度のスモレンスク防衛戦を無傷で終えた若きエース達が最新鋭機のテストフライトを楽しんでる頃……

 来栖任三郎の追放から1ヶ月おど経った永田町では、日本皇国挙国一致内閣の閣僚会議が行なわれていた。

 

「やはり、今年度の最大の戦時目標は、後半の”ギリシャ奪還”作戦か……」

 

 軍機とスタンプの押された書類束を指でトントンと叩きながら、海軍大臣の堀大吉に確認する。

 

「いつまでも”グレゴリウスII世”陛下をクレタ島でお待たせする訳には参りませんので」

 

 現在、イタリア人の支配が及んでない純粋なギリシャ領土というのはグレゴリウスⅡ世がいるクレタ島をはじめとするエーゲ海の島々だけだ。

 まあ、これもタラント港でイタリア海軍を壊滅させた日英同盟地中海艦隊の活躍と未だに繰り返されるイタリアへの通商破壊作戦などの成果だった。

 クレタ島防衛戦から1年余り……精強なドイツ軍の姿は、既にアフリカにも地中海にもなく、地中海は半ば日英同盟の浴槽となっていた。

 

 現在、英国陸軍・空軍の主力は新領土であるアフリカ中央部から西岸にかけて展開しており、海軍も紅海やジブラルタル海峡を抜けてその作戦支援に集中しているため、日本以外にギリシャ方面で大規模軍事作戦を行える組織はなかった。

 

「まあ、いつまでもギリシャ本土で”ELAS(ギリシャ人民解放軍=ギリシャの共産パルチザン)”や”KKE(ギリシャ共産党)”にデカい顔させておくわけにはいかんわな」

 

 現在、ギリシャ本土に駐留するイタリア軍に最も烈しく抵抗運動を展開しているのが、ギリシャ共産党指導下のギリシャ人民解放軍だ。

 名前からして日本人は拒絶反応が出そうだが……

 

「まだ王様が亡命せずにクレタ島で踏ん張ってるから民心は離れずに済んでるが……あんまり連中に活躍されると、民衆からは”王様不要論”が出かねん。実際、KKEはそう誘導しているフシ(・・)がある。そうなれば、例え王様が戻っても内戦一直線だ」

 

 そうして1946年に勃発したのが、日本人があまり知らない血みどろの内戦、史実の”ギリシャ内戦”だ。

 無論、転生者(サクセサー)である近衛首相はそれをよく知っていた。

 

「そいつぁ、本気で日本皇国(我が国)としちゃあ、面白くない。だからこそ、ギリシャ産……かどうかも怪しい共産主義者(クソヤロー)共が調子づかない内に一気呵成に、圧倒的な火力でギリシャに居座るイタリア人(マカロニ)共を茹で上げる必要がある。堀サン、できるかい?」

 

「お任せください。大和級1番艦”大和”は既に就役し、連合艦隊旗艦として既に実戦配備についています。2番艦”武蔵”も今年の夏までには。3番艦”信濃”は6月中に海上公試に入る予定で、年末には4番艦”甲斐”も竣工できる予定です。また、空母も装甲空母の大鳳型が既に就役しはじめています」

 

「つまり?」

 

「近衛首相、本国に残る加賀型戦艦2隻、翔鶴型空母2隻、さらに”あきつ丸”型揚陸艦の2隻を地中海方面へ新たに増援として送ることが可能となります」

 

 つまり、日本が地中海方面に展開する戦力は、

 

 ・戦艦:加賀型戦艦×2、長門型戦艦×2、金剛型巡洋戦艦×2

 ・空母:翔鶴型正規空母×4、雲龍型正規空母×2

 ・揚陸艦;あきつ丸型強襲揚陸艦×4

 

 戦艦6隻、正規空母6隻、強襲揚陸艦4隻、これに護衛や補用の艦艇まで付くのだから、総勢100隻を超える大艦隊が、地中海に集結するというのだ。

 無論、アレキサンドリアだけでは足りないので、軍港としての機能を拡張したトブルクなども母港として使われる。

 今生の日本皇国は、これだけの艦隊を遠隔地で無理せず展開できるだけの国力とロジスティクスを持つに至っていたのだった。

 

「加えて、海軍航空隊には零式戦闘機の最終型である”零式三三型”が、海軍陸戦隊には”海兵九七式改戦車”がそれぞれ配備、実戦運用が始まっております。少なくとも、初手よりイタリア軍に勝ちを譲ることは無いでしょうな」

 

 むしろ、オーバーキルのような気がしないでもない。

 例えば、零戦三三型は武装が違うがスペック的にはほぼ”五式戦闘機”であり、海兵九七式改は九七式軽戦車を魔改造して英国由来の6ポンド砲(57㎜50口径長砲)を搭載した代物であり、仮にP40重戦車が出てきても返り討ちにできるスペックを持っていた。

 

「海軍サンの艦砲射撃と航空隊、陸戦隊で何とかなると?」

 

首都(アテネ)くらいは、陸式の皆さんがいらっしゃる前に橋頭保として確保してごらんにいれます」

 

 理知的な堀には珍しい獰猛な笑みに、近衛は上機嫌になり

 

「いいねいいね♪ 上陸地点はグリファダ海岸(ビーチ)に決定かい?」

 

 グリファダ海岸とは首都アテネから16㎞ほど南にある海岸で、大規模な揚陸部隊の上陸ポイントとして使える海岸としては、最もアテネに近い……というか、戦艦の主砲どころか15㎝級の陸用の重砲でもアテネ市内を射程に入れられる近さだった。

 正確に言えば、グリファダ海岸からアステラス海岸、ボーラ海岸に至る数キロの海岸線が、砂浜であり揚陸ポイントだ。

 

 ちなみにここよりアテネに近い海岸は、カラマキ海岸という広い海岸があるのだが、ここはアテネ市に隣接しているというか、アテネの海岸だ。

 市内中心部のパルテノン神殿まで直線距離で7㎞程度しかないと書くとイメージしやすいだろうか?

 

「そうなりますね。無論、事前にあらゆる手段を使って”日本皇国軍がグリファダビーチに上陸する”事を喧伝します。必要ならアテネ市内に、ギリシャ全土にビラをまき、ラジオで中継します」

 

 これは欺瞞工作などではない。

 皇国海軍は、奇襲上陸など考えておらず、強襲上陸一択だ。

 

「イタリア軍には可能な限りグリファダ海岸近隣に集まってもらいます。我々が一気に殲滅するために」

 

 これは傲慢や冒険的な作戦を望む故ではない。

 かなり正確に、ギリシャにおけるイタリア軍の総配備兵力をつかんでいたゆえの判断だった。

 ギリシャに全土に散らばられるより、まとめて始末したいが故の工作だった。

 

 その彼好みの強気な発言に近衛はニンマリ笑い、

 

「良いだろう。了承しよう。日本皇国は皇室外交の関係もあり、親交のあるギリシャ王室を全面的に支援する。皇国軍の活躍、”威”こそがギリシャ王権の担保と覚悟せよっ!!」

 

「はっ! 肝に銘じますっ!!」

 

 きれいな敬礼をする堀に満足しながら、近衛は今度は外務大臣の野村時三郎を見て、

 

 

 

***

 

 

 

「次の議題だが……野村サン、フレンチトースト共は北チャドの一件で味しめて、”アフリカ周辺の面倒事・厄介事は日本に投げておきゃ何とかなるんじゃね”とか思ってねぇよな?」

 

「あながち、否定は出来ませんなあ」

 

 と苦笑する野村外相である。

 

「まあ、でも確かに中東だの中近東だのアフリカだのの安定化は、皇国の望みではあるわな。そういう意味じゃ、好機と言えなくもねえ」

 

 相変わらずのべらんめぇ調の近衛は、

 

「野村サン、送るとしたら誰よ?」

 

「石射、”石射猪之助(いしい・いのすけ)”しかいないでしょうな。あやつは鉄火場に慣れていますので」

 

「石射サンかぁ。確かに適任だわな。軍人に平然と嚙みつくクソ度胸に鉄火場に鍛えられたど根性、そして根っからの平和主義者……いいね。良い選択だ」

 

 そう野村の判断を肯定しつつ、

 

「だが、皆も知っての通りどうにもシリアもレバノンもキナ臭ェ。ヤンキーとロスケの腐った腸の臭いがプンプンしやがる。ドイツは、おそらく今年の夏にでもアルハンゲリスクを潰してレンドリースの北海ルートを完全遮断するだろう。太平洋ルートは今のところ、皇国は米国と一戦やる気はねぇから、女装趣味の阿呆がちょっかいかけてこねぇ限り今以上のことはしねぇ。だがな……」

 

 近衛は腕を組み、

 

「北海ルートが潰される以上、おそらくスポットが当たるのはペルシャ湾ルートだ。今の所、活性化してる感じはねぇが、あそこには”イラン縦貫鉄道”がある。まあ、時間の問題だろうな」

 

 ”イラン縦貫鉄道”とは、ペルシャ湾から首都のテヘランを経由し、カスピ海へ抜ける鉄道だ。

 まさにレンドリース品の搬送にうってつけ、いやむしろそれ用に作られた鉄道の用だった。

 だが、史実においては1941年当時のイラン皇帝”レザー・シャー・パフラヴィー”はイランの中立を宣言すると同時に枢軸(ドイツ)寄りの態度を示した。

 そこでドイツと敵対し、尚且つイランに石油利権を持つイギリスと、レンドリース品ルートを確保したいソ連が軍を送り制圧。

 いわゆる”イラン進駐”である。

 この時、レザー・シャーは油田開発で知己のあったアメリカに救援ないし仲裁を求めたが、アメリカ大統領ルーズベルトは、史実だろうと今生だろうとアカと中国が大好きなクソ外道だ。つまり、あっさり見捨てた。というかソ連に味方し、レザー・シャーの国外追放を促した。

 そして、レザー・シャーの後釜はお決まりの操り人形だ。

 まあ、その後もイラン革命に至るまでの道筋は、まさに傲慢と偏見に満ちた鬼畜っぷりだが、それは各々確認してほしい。

 

 だが、今生では少し様子が違うようだ。

 

「ソ連が進駐し、助けを求められたアメリカが仲裁し、ソ連が撤退した。皇帝(シャー)は仲裁と皇位の保障の見返りに、イラン縦貫鉄道のレンドリース品の搬送使用を認めた。まあ、絵に描いたようなマッチポンプだな」

 

 そう、今生では英国はこの一件(ソ連のイラン進駐)に深く関与していない。

 彼らは、「英国がイランに持つ石油権益に手出ししない限り、一連の行動を黙認する」としたのだ。

 流石ブリカスである。

 まあ、こうなった経緯は英国がバトル・オブ・ブリテンにおいてロンドンを”誤爆”されてなかっただけでなく、独ソ戦開始時に既にドイツとの停戦交渉に入っていた(実際にクレタ島での戦い以降は自然休戦に近い状況になっていた)ことが大きい。

 

「なあ、永田サン」

 

 近衛は陸軍大臣の永田銀山に、

 

「アフリカには、もう”三式戦車”は送ってあるのかい?」

 

「次の便で先行量産型を送る予定でしたが……」

 

「急いだほうがいいぜ? シリアやレバノンで”オイタ”してる連中は、十中八九イランから流れてきてる。ってことはだ、」

 

 近衛はスッと目を細めて、

 

「もしかしたら、”三式戦車”の初陣の相手は、T-34やM4シャーマンになるかもしれん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、恥ずかしながら帰宅したので投稿です。
そして、今から寝ます。ぶっちゃけ疲れてるのに眠れない変なテンションですw
いや~、しんどい。

そして、日本皇国もわりとしっかり戦争計画練っていたり。
フランスからの大陸間弾道提案は、面倒ではあるけどそれなりにメリットがあるので受ける模様。
まあ、近衛首相だしねw
ただ、当然このまま素直に受ける様な真似をするわけもなく……と伏線を入れてみたりして。


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第215話 どうやら、いよいよ”あの戦車”のお出ましみたいですよ? ~濃いお方の再登場とMc205Bを添えて~

既に忘れられているかもしれませんが、そろそろ伏線を回収しようかと思いまして。




 

 

 

 サンクトペテルブルグでは、占領された直後から、「ドイツに友好的なソ連系装備を持つ国家に供与する」ことをコンセプトとした戦車の開発が行なわれていた。

 具体的に言えば、最優先供与予定先はフィンランド、次点でウクライナだ。

 フィンランドは冬戦争から急速に親密化した「同じソ連を不俱戴天の仇とする」ドイツの最友好国で、現在進行形で互いに相互支援・全面協力しながらロシアへと攻め込んでいる。

 ”銀狐作戦”、ムルマンスクやコラ半島の制圧はフィンランド軍の協力が不可欠であるし、カレリア地峡やカレリア地方(旧ソ連邦カレリア共和国)、、ラドガ湖やオネガ湖の奪還と占領は、彼らの尽力がなければ成功しなかったろう。

 そして、今年のドイツ北方軍集団最大の作戦、夏頃に決行予定の”アルハンゲリスク攻略戦”も、フィンランド軍のバックアップがなければ、成功は覚束ないとされていた。

 故に、その戦車……

 

 ”Kampfpanzer Sankt Petersburg-34/42(サンクトペテルブルグ戦車34t/42年式)”

 

 は開発され、量産前の最終テストに漕ぎつけていた。

 

 

 

***

 

 

 

「うむっ! 見事なものであるっ!!」

 

 相変わらず濃いな。この爺様……

 ああ、失礼。元来栖の現フォン・クルスだ。

 一応、サンクトペテルブルグで総督などをやっている。

 

「ふむ……確かに良さそうな戦車だな」

 

 ところでなんで貴方がここに居るんですか?

 グデーリアン上級大将閣下?

 

 

 

 状況を説明するな?

 つい先日、ハルトマン達に新型のMC.205AとBf109Gのお披露目やったじゃん?

 実は、あの後ひと悶着あったのさ。

 いや、旧メッサーシュミットのレシプロ戦闘機開発チームと合流して意気投合したマッキ社出向組(なんか転生技術者が混じってた……)が、MG151/20㎜機関砲×3のBf109Gの高火力にいたく感動して、エンジン的にプロペラ軸機関砲(モーターカノン)は無理でも機首機銃を13㎜から20㎜に変更したいって言いだしたのよ。

 実際、MG151って電気着火式でプロペラ同調はBf109Gみて分かるように技術的には完成してる訳よ。

 つまり、スペースがあればできるって訳。

 そして、MC205ってのは、元々胴体がBf109シリーズより太くて内容積に余裕があり、イタリアにいた頃に火力増強プランとして機首機銃を12.7㎜×4にした、空力特性の改善とかを兼ねて70㎝延長したストレッチ・ボディも存在したってわけ。

 つまり、試作自体はしていたので、図面と睨めっこしてる内にBf109G同様に機首機銃にMG151/20㎜を搭載できることが判明したんだ。

 実際、搭載機銃を高威力化するのは頑丈な米ソの機体を相手にするには重要だし、また弾道特性が同じ機銃で揃えることは、照準などにも大きなメリットがある。

 そこで、シュペーア君を通してトート博士はミルヒ局長に聞いてみたら、可能なら直ぐにやるべしとGoサインが出たので、現在は表記をドイツ式に改めた”Mc205B”として追加開発が勧められている。

 と言っても元々試作まで終わってたプランを参照にした小変更なので、そこまでスケジュールに影響でないのが幸いだ。

 

 

 

***

 

 

 

 とまあ、戦闘機日和(びより)も終わったし、今度は形になった試作戦車”KSP-34/42”のテストプレイでもしようや……と、あくまで内々にサンクトペテルブルグ郊外の野戦試験場でやろうとしたら、どこで聞きつけたのかグデーリアン機甲総監殿がなぜかマンネルハイム元帥連れ立ってやって来た。

 

 いや、あんたら……これ、ドイツ陸軍やフィンランド軍に提出するためのデータ取りの為のテストなんですけどね?

 書面化されたデータを見ながらどうこう言うのがあんたらの仕事であって、データ取りの段階で来てどうするんですか?

 

 というか、乗りつけてきたのが派手な塗装で定評あるNSRのチャーター機だったから、ハイドリヒの野郎も一枚嚙んでるに違いない。

 

「今日はテストなので、別に派手な演出はないし、見てて楽しいものじゃないですが?」

 

 むしろ退屈まである。

 

「こらこら。総督元帥閣下は何を言っておる? 儂らとて素人ではないのだ」

 

 マンネルハイム元帥、俺はそんなややこしい役職ではないのですが?

 

「これでも戦車の目利きには自信がある」

 

 そりゃそうでしょうよ。機甲戦の生みの親。

 

 

 

 自慢になってしまうが、確かにKSP-34/42は時代を考えれば良い戦車だと思う。

 主砲は、ほぼほぼ52-K/85mm高射砲の設計を小変更して、余計な部品を外して転用した物。

 ソ連式で後に登場するだろうD-5TやZIS-S-53との外観上の大きな相違点は、マズルブレーキがついてることだ。

 あと高性能なベンチレーター(排煙機)とセットで、乗員にも戦車にも優しい設計になっている。

 

 そういえば、ソ連製のD-5TやZIS-S-53って原型の52-Kに比べると威力が劣っていたって資料があった気がするけど、何を設計でしくじったんだろうな?

 砲自体には1軸ガンスタビライザー、照準器はステレオ式ではなく合致式(現行のIV号後期型と同じTZF5f/1)だが2軸ジャイロ安定化をしてある。

 流石に弾道計算機は積んでないが、合致式照準器の実質的な有効射程距離考えたら、まあいらんだろ。

 

 売りは何より創意工夫を重ねたエンジンだな。

 基礎設計は変えずに加工精度を上昇させ鋳鉄クランクケース+アルミシリンダーヘッド+鋳鉄スリーブ+鍛造アルミピストンという素材の組み合わせに変更。

 燃料直噴ではなく予備燃焼室付にし、特に寒冷地での始動性と燃焼安定性を大きく引き上げている。

 ちなみにこいつを採用すると多少燃費は悪くなるが、ディーゼル特有の振動を抑制したり、排ガスがクリーンになったりとメリットが大きい。

 また、欠点だった冷却性もアルミ製の大型空冷ラジエター、バッテリーなどの見直しから始まった電装系の大幅な強化と防水・耐水処理、キャタライザー付の排気装置など多くいじったが……実は、水冷V型12気筒SOHCディーゼルって基本構成は全く変わっていない。

 実際、見ためも原型より綺麗ってくらいなんだが……試作したエンジンが、いきなりベンチテストで原型から出力3割増し以上の680馬力を計測したのは笑った。

 いや、要するに基礎設計は優れていたし、元々ポテンシャルはあったんだけど、ソ連の加工精度と素材工学の限界、何より粗雑乱造の気風からその素性の良さを出し切ってなかっただけだ。

 実際、このサンクトペテルブルグ産V2エンジン、通称”SPDV12(サンクトペテルブルグ・ディーゼル・V型12気筒の略)”も機械的熟成は全然済んでいない。

 なので量産型は安全マージンを考え出力を650馬力へ落とすデチューン仕様とした。-30馬力は、余力を作る事でエンジンへの負荷を減らし、結果として耐久性を上げるやり方だ。例えば、史実のパンター戦車のエンジンでも似たようなエピソードがある。

 限界まで回せば人間も機械も長持ちしない。短距離走には短距離走の長距離走には長距離走の鍛え方(セッティング)がある。これはそう言う話だ。

 これを防振ラバーマウントを介してサブフレームに装着、車体にはめ込む構造に改めた。

 振動のデカいディーゼルをシャーシに直付けとか駄目だからな?

 振動ってのは思いのほか人を消耗させるんだ。

 

 これと組み合わせられる操向装置・変速機(トランスミッション)は、元々はV号戦車用に開発されたIV号戦車の発展型を小改良(ファイナルを平歯車ではなくヘリカルギアに変更したり)したものを採用。

 この世界線ではV号戦車とVI号戦車計画は統合され、V号戦車は重量負荷と操作性の観点から史実のVI号戦車のメリットブラウン型が導入となったらしい。

 そして無論、全車ドイツ製のテレフケン製汎用車載無線機を標準装備だ。

 溶接車体に鋳造砲塔、トーションビーム式サスペンション。砲塔バスケットの採用もした。

 履帯は照準器や無線機と同じくIV号の520㎜幅を採用(実は、オリジナルのT-34って500㎜幅と550㎜幅があるんだよなぁ)。

 装甲は比較的厚く、傾斜した砲塔正面で105㎜、ザウコップ式の防楯で120㎜・砲塔側面75㎜、車体前面88㎜とドイツらしい数字でまとめてみた。

 

 副武装は砲塔上面に対空射撃も一応は考慮しているが殆ど対地掃射で使われるだろうサンクトペテルブルグ製DShK1938/12.7㎜機関銃(シールド付)×1に、主砲同軸にVz37/7.92㎜車載機銃。

 車体前面の機銃は、元々射界が広くない上に装甲版に穴開ける為に防御力落ちそうなので廃止した。

 後は発煙筒投射器を左右に三連1基ずつ。要は74式戦車のアレだ。これは元日本人のこだわりという物。

  

 んで、後に登場するだろう本家(ソ連)のT-34/85と誤認されない自信があるのは、主砲にマズルブレーキって目立つ物がくっついてるのと、砲塔の上に重機関銃が鎮座していること、加えて車体横にソ連の対装甲ライフルから転輪やサスペンションを守るシュルツェン(スカートアーマー)を装着していること。

 まあ、同じ丸みを帯びた鋳造砲塔と言っても、そもそも形状がかなり違うし、全体の印象はかなり異なりもはやT-34/85とは別戦車だ。

 

 他にこだわりと言ったら乗り心地の良さ(=乗員の疲労度軽減)、整備のしやすさ(改良ついでにパワーパックまで言ってないが、トランスミッションを一体型のカセット構造にしたり、可能な限りメンテフリーの部品使ったり)、生産のしやすさ(できる限りユニット構造にしたり)、使い勝手の良さ(人間工学に配慮した内部レイアウトやスイッチ/レバー/シート形状)とかも拘った。

 

 要するに無駄にこらず、操作も構造も可能な限りシンプルに、だが必要なものは盛り込んで、だ。

 動かすだけで乗員を無駄に疲れさす兵器など害悪だ。むしろ、可能な限り作る側や整備する側の手間暇を抑え、乗員を疲労させないことが戦力アップに繋がる。

 シンプルな構造は壊れにくくするし、壊れても簡単に直せるようになる。

 また、可能な限り既存の部品を使うようにしたのは、調達しやすくするためだ。

 修理がやりやすくても肝心の部品がなければ話にならない。

 

 本気で稼働率を上げようとすれば、「使いたいときにすぐ使える兵器」を作ろうとするなら、このぐらいまでやらないと話にならない。

 俺が作るべきだと考えてるのは、”圧倒的な超兵器”なんかじゃない。

 それはそれで浪漫があるが、浪漫で戦争は勝てない。

 兵器生産者としての正解は、”誰でも簡単に扱える兵器”だ。

 だから、前世のシャーマンとティーガーのマニュアルを思い出し、「可愛い女の子のイラストが入った馬鹿でもわかる多言語マニュアル」を暇を見つけて俺自身が作成した。

 いや、なんとなくイラストの女の子が、前世の某”GuP”っぽくなったのは見逃してくれ。

 大洗って実は、超タレント集団だよな?

 

 

 

***

 

 

 

「フォン・クルス総督、乗ってみても……いや、動かしてみても構わないか?」

 

「どうぞ。お好きなように。説明はテスターから受けてください」

 

 自ら動かしたいとか、俺並みに物好きだなグデーリアン総監。

 いや、俺も自分が酔狂者だって自覚はあるぞ?

 ただ、作るまでは熱意があるが、いざ量産が始まろうとすれば人任せにするタイプなんだよ、俺は。

 

「これが我がフィンランド軍に配備されると思うと、年甲斐もなく胸が熱くなるな」

 

 いや、爺様、確かにそうなんだけどさ。

 

「ドイツ・フィンランドの協定で約束された初期生産分200両はお渡しします。テストで重大な問題が発見されなければ、先ずは先行量産型の50両を一括でお渡ししますので精々、派手に使ってやってください」

 

「良いだろう。誓って”ボログダ”を奪取してみせようではないか」

 

 なんか爺様がやけに自信満々なんだが、これってフラグじゃないよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




深夜というより早朝になってしまったアップです。
いや~、帰宅してからもやることとかありまして。泣ける。

それはともかく、いよいよ”Kampfpanzer Sankt Petersburg-34/42”のお目見えです。
そして、どこで嗅ぎつけたのかグデーリアン閣下とマンネルハイム元帥が視察に来ているというw

というか、どんだけ楽しみにしてたんだか……子供かな?w


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第216話 誰かさんはとてもサンクトペテルブルグの空気が肌に馴染んだようですよ?

また、帰り道を見失いそうな真宵(迷い)人が一人w






 

 

 

 ああ、最近は政務よりも軍務がおかしなことになってる元来栖のフォン・クルスだ。

 果たして、このネタはあと何回使えるか?

 

 戦闘機のお披露目とちょっとした悶着

 戦車の量産前最終テストに乱入してきたドイツの戦車道最高師範(機甲総監)と”魁! スオミ軍!!”の塾長じゃなかった総長。

 いや、あの後大変だったんだぜ?

 

 なんか、自分でも運転したり主砲撃ったりしてたグデーリアンがT-34とは比べ物にならないKSP-34/42の使い勝手の良さに感激したのか、「スオミ軍ばっかずっこい! ドイツ軍にも回せ!」とか言いだすし。

 流石に、

 

「「アンタの国、今年の年末か来年の頭にこれ以上の戦車(V号戦車 パンター)出すじゃんっ!!」」

 

 なぜかこの件に関しては気が合ってしまったマンネルハイム爺様と反論し、生産に余裕が出来たら”V号戦車との性能比較用に”という名目で、50両ほどドイツ軍にも送ることになってしまった。

 というより、KSP-34/42を欲しがったのは、グデーリアンの趣味の様な気がして仕方がない今日この頃だ。

 いや、あの後にもなんか成り行きで、

 

「203㎜自走砲、なぜかウチで作ることになったんだよな~」

 

 いや、調査した結果、203㎜榴弾砲自体はサンクトペテルブルグでも作れそうなんだけどさ。

 

「総督閣下って結構、考えなしというか……アホですよね?」

 

 オノデラ大佐、いや小野寺君。正論で顔面パンチはやめるんだ。

 

「小野寺君、君、馴染みすぎじゃね?」

 

 さて、日本皇国在サンクトペテルブルグ駐在武官領事というややこしい役職のオノデラ大佐こと、小野寺誠君。

 赴任してから1ヶ月と少しが経った今では、環境にも慣れたのか、割と遠慮なく誰もいない時間帯を見計らっては”転生者同士のお話”をしに来るようになっていた。

 まあ、どうせNSRは隠しマイクとかで常時録音してるんだろうけど、ハイドリヒや総統閣下に聞かれる分には別に構わん。

 また、非転生者が聞いても会話の意味わからんだろうし。

 

「いや、馴染むも何も、総督の面白おかしい愉快な日常を見てるとつい、良い空気吸ってんなぁ~と」

 

「ヲイコラ。人をイロモノ芸人みたいに言うなし」

 

 あっ、なんか軽くゼスチャーで流された。

 

「ところで自走砲の製作を引き受けたのは良いですが、どんな感じにするんです?」

 

「基本は、戦後米国の”M110A2”にするさ。アレなら割と詳細な概略が頭の中にある。しかも、今回は空輸できるようにしろとかってオーダーもないし、無理に軽く作る必要もねーから、KV-1の車体(シャーシ)の前後をひっくり返して小改良して使おうと思う。まあ、203㎜なんて大物乗っけて撃つって言うんなら、台座は常識の範疇内で重さがあった方が安定する」

 

「なるほどなるほど。オープントップ・マウントの非旋回砲塔。フロントエンジン仕様の自走砲ですね?」

 

 コイツ、こういう時は話が速いんだよな。

 

「まあな。流石に203㎜45口径長砲なんて大物を旋回式にして車両に搭載すんのは容積的に無理だ。あとT-34のシャーシ使った砲弾補給・装填車でも作るかね?」

 

 実は、KSP-34/42ってのは、既存のT-34やKV-1をベーシックに開発された戦車じゃないんだよ。

 占領直後の”宝探しゲーム”で発見された未完成の試作車両(おそらく史実のT-43戦車の原型の一つ)だ。

 つまり、コンポーネントはその発展型を使っちゃいるが上記二種の戦車直系の車両ではない。

 一時期は、T-34やKV-1を生き残ってた製造ラインを錆びつかせないためにパーツ単位で製造し、ウクライナなんかに送っていたが、ウクライナでも自前の製造設備が本格再稼働し始めたから、今となっては需要はそんなに多くない。

 

 フィンランド軍の鹵獲戦車の需要もそこまであるわけじゃないし、フィンランドだけでなくバルト三国もウクライナも最終的にはKSP-34/42に主力戦車は統一される予定だ。

 

(まあ、最終的には3000両近く生産する羽目になりそうだが……)

 

 既存のコンポーネントを大幅に使ってるから、まあ、生産自体は可能だ。

 だが、遠からずT-34やKV-1の製造ラインは遊ばせる事になる。

 戦後はともかく、戦時中はちょっとな。

 というわけで、前々から活用方法を考えていたわけだ。

 

「T-34やKV-1はエンジンはイマイチだし、トランスミッションは最低以下のクソだが、逆を言えばそこら辺を何とかすれば使い道はある」

 

 ハンマーで殴らないと変速できないトランスミッションってなんだよ?

 まあ、KSP-34/42のコンポーネントがシャーシを改良すれば移植可能って調査結果も出てるしな。

 

「辛辣ですね~。でも、そういうことならKV系フロントエンジン・シャーシを使ってアレ作りませんか?」

 

「アレ?」

 

「全周囲装甲旋回砲塔に152㎜榴弾砲を搭載した近代的自走砲って奴です♪ ぶっちゃけ2S3、あるいはSO152”アカーツィヤ(アカシア)”のことですよ。サンクトペテルブルグでもML-20/152mm榴弾砲作ってるんですからいけるんじゃないですか? 203㎜用のT-34改給弾車作るなら、152㎜用もその応用で作れそうだし」

 

 ヲイヲイ。

 

「それ60年代だか70年代に実戦配備された自走砲じゃなかったか?」

 

「開発自体は50年代から行われていますので、飛び抜けて先進的って訳じゃないですよ。それに、それを言うならM110だって戦後の自走砲じゃないですか? 同じ50年代開発スタートの」

 

 そりゃそうだが、

 

「お前、いいのか? 確かに使い勝手の良さそうなウエポンシステムだが、ドイツ軍への幇助だぜ?」

 

「何をおっしゃるウサギさんチーム」

 

「誰がウサギだ」

 

「私こと小野寺誠大佐は、サンクトペテルブルグの非ドイツ国向けの兵器開発に助言してるだけですし、その情報を日本に送るのも立派な仕事です」

 

 こ、コイツはいけしゃあしゃあと。

 

「俺みたいに日本に帰れなくなっても知らんぞ?」

 

「そうなったらなったで、こっちで嫁さんでも見つけて婿入りして永住権でも取りますよ」

 

 お前なぁ~。これ、NSR……というか、ハイドリヒとかに聞かれたら、確実に後々面倒臭いことになるぞ?

 経験者の俺が言うんだから間違いねぇ。

 

「T-34改シャーシ作るなら、一緒に自走砲繋がりで対空自走砲とか作りましょうよ♪ 確か史実のドイツがそんな感じの作ってたし、120㎜クラスの自走重迫撃砲とかもいいな~。旋回装甲砲塔式で」

 

 いや、全部作れそうだけどさ。割と中身は堅実だし、必要とされるシチュエーションも分かりやすい。

 

「T-34系列のシャーシなら、先ずは”SU-122突撃砲”じゃないのか? 一応、M-30/122mm榴弾砲なら作ってるし」

 

「あっ、それ良いですね! 総督、ソ連への嫌がらせも兼ねて、”ちょっと戦後の入ったソ連系兵器の完成形”みたいな装備一式作ってみません?」

 

「別に構わんが、航空機はイタリア系がメインだぞ?」

 

「それは同じ水冷戦闘機ってことでお茶を濁す方向で」

 

 まあ、ならば

 

「小野寺君、協力してもらうぜ?」

 

「小官にできる叛意(範囲)でしたら」

 

 コイツ、今妙な事言わなかったか? まあ、良いけど。

 とりあえずは、”二式四〇粍擲弾銃”あたりの輸入かな?

 あれ、どう見ても”M79擲弾銃”だし。

 

(1944年あたりが楽しみなことだ)

 

 きっと色々出来上がってる事だろうさ。

 

「まあ、その前に終わらすべき”宿題”はあるがな……」

 

 リミットは7月17日……それまで精々準備するさ。

 

 

 

***

 

 

 

 そんなことを考えると、シュペーア君がノックと共に入室してくる。あっ、アインザッツ君も一緒だったか?

 こらこら、「あっ、コイツまた来てる」みたいな顔しない。

 小野寺君、結構、君たちの事気に入ってるみたいだし。理由は知らんが。

 

「あっ、シュペーア殿、ちょうどいいところに! 確かドイツって”X-4”って有線誘導式の空対空誘導弾作ってましたよね?」

 

 いや、シュペーア君、そんな目で俺を見るなって。

 

「俺は何も話してないぞ?」

 

 むしろ”ルールシュタールX-4”の存在なんて、今の今まで忘れてたわい。

 

「あれ、互いに烈しく動き回る空中戦では、敵機をずっと誘導照準器に入れてられない(インサイトできない)し、誘導ワイヤー切れたりろくなことになりませんから、陸上用の対戦車誘導弾に改設計しません? 成形炸薬弾頭乗っけて」

 

 あーそういえば、そんなペーパープランもあったなぁ。”X-7”だっけ?

 

「”ゴリアテ”とかよりも、同じ有線誘導式でもよっぽど実用的ですよ? なんだったら、サンクトペテルブルグで試作しますよ。総督閣下が」

 

 ヲイコラ。

 

「……フォン・クルス総督?」

 

 いや、「コイツ、早く何とかしろよ」的な目で見られても……

 

「まあ、出来る出来ないで言えば……できるぞ?」

 

 機材さえそろえばな。

 同じ”MCLOS(マクロス:Manual Command to Line Of Sight=手動指令照準線一致誘導方式)”の有線誘導対戦車ミサイル、64式対戦車誘導弾(通称”MAT”)とかAT-3”サガー”(9M14”マリュートカ”。超時空要塞でない事に注意)のデータなら頭の中あるし。

 というか、何なら使ったことあるし。前世で。

 

 

 

 こうして俺とサンクトペテルブルグは、ドイツが極秘裏に開発を進めていた”ルールシュタールX-4”、通称”ペケヨン”から分派した”対戦車誘導弾X-7(ペケナナ)”開発チームを受け入れる事が決まった。

 

 何も考えてないように見えて、小野寺君、やっぱ食わせ者だわ。

 実際、この話の流れもしっかり俺やシュペーア君の反応見ながら”探り”を入れてやってるし、史実のドイツが”X-7”を試作したのを知ってる上で、あえて「完成度を高めつつ時計の針を加速させ、試作ではなく量産にこぎつける」つもりなのだろう。

 

(おそらく警戒してるのは、ソ連大反攻……)

 

 戦争の流れ自体が変わってるから時期は明確には言えないが、レンドリース品を一定以上貯めこめば、史実の”バグラチオン作戦”みたいな事をやりかねん。

 正直、数の暴力ってのは厄介だ。

 

(RPG-7のパチモンも作ってるし)

 

 いっそ、”第四次中東戦争のゴラン高原”の再現でも狙ってみるか?

 

「となると、歩兵分隊乗っけられるBMP(随伴歩兵戦闘車)とかも欲しくなるな……装輪式でも構わんから」

 

 低圧砲は開発がメンドイからそこはMG151/20㎜機銃あたりでお茶を濁して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、オノデラ大佐(小野寺君)が、実に良い空気を吸ってる話でしたw
一応、コヤツは領事権限(限定的ながら通商・外交権限)をもつ駐在武官=軍人なので、この先、ドイツから兵器を調達するようなことがあったり、ドイツが輸出可能な兵器をはじめとする軍装を日本から調達する場合、小野寺君が窓口になるので来栖任三郎ほど本来の役職やお仕事からは外れていないのですが……

コヤツの(主に米ソにとって)割と最悪な部分は、素でしかも悪気なくフォン・クルス総督煽るんですよね~w

小野寺君のアカ嫌い度は、日本皇国人の標準から大きく外れているわけでは無く、無論、フォン・クルスのようにマグマの温度と瘴気を放ちそうな憎悪があるわけじゃあありませんが、結果として間接的に赤い紳士淑女諸君をひどい目に合わせてしまうという。

まあ、元をただせば、サンクトペテルブルグなんて絶好な遊び場に小野寺君を放り込んだ皇国上層部が悪いw

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第217話 盛大な上映会 ~ベルリン国立歌劇場にて~

フハハハハハ!
深夜2時半に帰宅(泣)して、その勢いのままプロットから仕上げたぜ~♪

という訳で、疲労と深夜→明け方の可笑しなテンションのまま仕上げたので、内容も相応ですw





 

 

 

 気絶から目覚めたら、”ヴォロネジ”が陥落していた。

 これが、ソ連書記長のスターリンの身の上に起きた事だった。

 

 まず考えたのは、何とか持ち出せた大事な”粛清リスト”から、誰に責任を取らせようかと吟味する事だった。

 そして、選び終えた後に愕然とした。

 ベリヤやNKVDに調査させたところ、クレムリン詰めの粛清対象者の殆どが”行方不明”になっていたのだ。

 この場合の行方不明は、単純な「どこへ行ったかわからない」ではない。

 80機の爆撃機が落とした徹甲榴弾とクラスター焼夷弾は、文字通りクレムリン宮殿を消し炭に変えていた。

 逃げ遅れた”中の人間ごと(・・・・・・)”だ。

 

 短時間の集中爆撃による火力の集中と焼夷弾の密度が高かったこと、また徹甲榴弾が貫通した内部は可燃物の塊であり、また元々貧弱にして脆弱だった消火設備(そもそも、この時代のソ連にまともな消防法は存在しない)が最初の徹甲榴弾爆撃で配水パイプや発電設備が破壊されほぼ機能不全に陥り、その直後に開始されたクラスター焼夷弾爆撃に全く対応できていなかったのだ。

 

 無論、クレムリン付の消防隊は居るにはいたが、”炎の竜巻”……火災旋風まで起きた現状では、奮闘していた消防隊も成す術もなく次々と火勢に飲み込まれていった。

 更にバックドラフトやフラッシュオーバーという現象も頻発した。

 これでは、モスクワ市内各所から駆け付けた消防隊がいくら散水しようと、文字通りに”焼け石に水”だ。

 また、彼らは総じてこれほどの火災を経験したことはなく、付け加えれば”水をかけても消えない”テルミット火災であるに全く気づいていなかった。

 彼らが悪いのではない。

 そもそも、焼夷弾によるテルミット火災だとわかり、適切な消火活動を指示できるのは軍人くらいだ。

 彼らは軍人ではなかったのだ。また、軍人も手が空いていなかった。

 

 そして、それらの火災現場の有様ははクレムリン上空に留まり、高高度から一部始終を望遠カメラで撮影していたJu86の銀塩カメラや望遠カメラにもバッチリ捉えられていた。

 

 更にクレムリンというのはロシア語の”城塞”という意味であり、また歴史的に何度も増改築されていた為に、煙や炎に包まれる中、素直に中の人間が外へ逃げれるような構造にはなってなかったのだ。

 

 つまり、勤務者の大量焼死は必然だった。

 行方不明というのはつまり、損壊が酷くて人間の遺体かどうかも確認できず、仮に確認できたとしても大部分の焼死体が個人特定不可能という事を物語っていた。

 

 結局、スターリンは生き残りの(主にクレムリン外に居た)共産党員や官僚や役人を搔き集め、何とか政務の再開を試みたものの……

 しかし、職員と一緒に多くの重要書類が焼失したことで、政府機能の完全復旧は当面は目途が立たないことが判明した。

 要するに極端な中央主権国家の弱点が見事に露呈したのだった。

 

 この致命的な政府管理機能の麻痺こそが、まさにソ連という国家にとり致命的な遅延となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 42年の5月に入っても、ソ連は能動的な一手を打てないでいた。

 彼らができたのは、モスクワ周辺にかき集められるだけの兵力を集め、また周辺のヤロスラブリ、サラトフ、スターリングラードといった重要都市の防護を固めることだけだった。

 そして皮肉を言えば、上記の都市はドイツの42年の攻略対象には入っていなかったのだ。

 

 

 

 さて、政府機能が部分的に機能復元した当初、スターリンは世界中に向けて、

 

モスクワの損害(・・・・・・・)は、極めて軽微である!!』

 

 と発表した。

 ソ連にしては珍しく噓はいっていない。

 きっと、スターリンも動揺あるいは動転して正気ではなかったのだろう。

 実際、爆撃の被害はクレムリンに集中していたわけだし。

 

 その「それでも平気と強がる共産魂」に感動したドイツは、返答としてコメントの代わりに”ベルリン国立歌劇場”に各国大使と報道特派員を招待(無論、大島大使も参加)し、

 

   ドキュメンタリー映画 ”クレムリン炎上”

 

 の上映会を華々しく開催した。

 そして、その記録映画のラストには、鎮火した……つまり”燃える物が何もなくなった(・・・・・・・)クレムリン跡地(・・・・・・・)”がアップで映されエンディングロールが流れるという編集だった。

 

 鑑賞を終えた各国大使やプレスからは拍手は起きなかった。

 ただただ、言葉を失っていただけだ。

 プレゼンは大成功。またしてもゲッベルス率いる宣伝省が連戦勝利記録を重ねた。

 

 そして、この映像は希望する各国政府に無償配給する旨が最後に付け加えられた。完璧な演出だった。

 

 

 

***

 

 

 

 ドイツの情報戦がこれで終わるわけもなく。

 写真はでかでかと政府広報や新聞、雑誌などの一面を飾っただけでなく、”クレムリン炎上写真展”がニュルンベルクのゲルマン国立博物館やミュンヘンのドイツ国立博物館に常設される事が決定され、やはりそのプレオープンに各国大使や在ドイツ報道関係者に招待状が届けられた。

 無論、写真の焼き増しも希望する政府にのみ受け付けた。

 

 ソ連は”冬戦争”において国際的な非難を浴びたが、今回において浴びたのは国際的嘲笑であった。

 つまり、またしてもソ連は国際的に恥をさらしたのだ。

 スターリンにとって、それは我慢できることではなかった。

 だが、同時に臥薪嘗胆以外にスターリンもソ連もできることはなかった。

 少なくとも自国の兵器とアメリカのレンドリース品で全ての準備が整うまで、”大反攻”の時までの我慢だった。

 それまでソ連が土地をどれほど削られるかを、スターリンは考えてなかった。

 もしかしたら、考えたくなかっただけかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いと哀れなりスターリンw

ちなみにこの世界のゲッベルスさん、めっちゃ良い空気吸ってそうです。

これでも戦争を継続してしまうのがソ連クオリティ。
なんでも、ボリシェヴィキに敗北は無いらしいので。

まあ、スターリンなら勝つまでやってくれるんではないでしょうか?(ソ連が勝つとは言ってない)

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第218話 ”ミントブルーの花十字” ~オイル塗れの策略を添えて~

本日は、台風で物理的に仕事が無くなった(野外の仕事です)ので、久しぶりの休日……という訳で、溜まっていた雑事を片付け、少し早めに投稿です。

今回、始めて挿絵表示に挑戦しましたが、果たして上手く表示できるか……




 

 

 

 5月のある晴れた日、ふと俺ことフォン・クルスは思いついた。

 

 

 

「シェレンベルク、確かロイヤル・ダッチ……じゃなかった”リパブリカ・ダッチ・シェル”がボルネオ島とかスマトラ島に持ってた油田って未採掘の油田は全て英国権益だけど、試掘も含めた採掘済みの油脈や油田って、特別措置としてオランダ権益のまんまだよな?」

 

 たまたま今日は執務室に顔を出していたシェレンベルクに俺は問いかける。

 ほら、オランダって、議決して王族廃止しちまったろ?

 んでもって、今は共和制に移行してて、例の国策石油企業もそれに合わせて社名変更したって訳さ。

 

 それで話は、石油権益なんだけどな。

 蘭領東インドを日英に割譲したが、全てを差し出せば国は干上がってしまう。

 なので、「未開発の石油権益は譲るが、既得石油権益はオランダに残してほしい」という嘆願をドイツを通じて英国は受けた。

 つまり、オランダの既得石油権益は英国管轄のボルネオ島やスマトラ島などの西側に集中していたのだ。

 

 オランダの不安定化を望まない英国は、それを快諾していた。

 実際、英国は世界中に石油権益を持っており、今更、世界の果てにある採掘済み油田に目くじらを立てる必要は無かった。

 むしろ、オランダとの関係悪化でドイツとの停戦が揺らいだ方が大損だった。

 

「ええ。その通りですが……それが何か?」

 

 そうか。契約は変わってないか……

 

「オノデラ大佐、リビアでの油田開発は予定通りで、原油の出荷は43年から可能か?」

 

「ええ。特に聞く限り遅延は出てないようですが……総督、まさか……」

 

 おっ、頭の回転が早くて助かるな。

 

「日英独蘭仏の五カ国協議を行って……リビアの石油とインドネシアの石油、現物等価(バーダー)交換しないか?」

 

 いやさ、石油って輸送コストがバカにならんのよ。

 タンカーはデカいし、今は戦時下だから護衛船団を付けなきゃならんしで、どっちも動かすだけで大いに金食い虫だ。

 だったら、同じ石油、原油となれば近場から運んだ方が断然お得だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 英国は日英同盟、ドイツはオランダの宗旨国みたいなもんですからわかりますが、どうしてフランスが出てくるんです!?」

 

 えっ? そりゃあ単純じゃん。

 

「原油の陸揚げを”トゥーロン”や”フォス=シュル=メール”から行うからに決まってるだろ?」

 

 トゥーロンは大西洋に面した北岸をドイツに租借したフランス(一応、軍港のブレストはフランス軍管轄だが)が持つ今や拡張につぐ拡張でフランス最大の軍港で、フォス=シュル=メールは欧州有数の歴史ある港であるマルセイユから50㎞ほど離れたところにある港街だ。

 共通項は、どっちもフランス南岸、地中海に面しているという事。そして、どちらも石油備蓄基地と化学コンビナートを港に隣接して持ってる事だ。

 軍港であるトゥーロンは簡単にイメージ出来ると思うが、フォス=シュル=メールはかつては塩田で栄えていたが、今はフランスの国策でコンビナートを抱える工業都市になっていた。

 

「おそらく、港とタンクとコンビナートを使わせてやるから使用料として石油の分け前寄越せと言ってくるだろうが……わざわざジブラルタル海峡抜けて大西洋回り込んでオランダ経由でドイツに届けるのと、フランス石油会社(国策企業)にドイツまでパイプライン引かせて、”日英の浴槽”と化した地中海だけで完結させるのとでは、どっちがリスクが低く、コストがかからないと思う?」

 

「うっ……」

 

 言葉に詰まったな?

 

「それにこれは日本皇国にもメリットあるんだよ。石油の運送コストを大幅に引き下げられる上に、直接の取引相手はオランダで、荷降ろしするのはフランスだ。どっちも親独ではあっても中立国だ。国際法規的に戦争幇助には当たらない。そして、書類上はオランダがフランスを通してドイツに石油販売するって形にすれば、普通の国際商取引の成立だ。日本は運送コスト下げられて幸せ、英国はジブラルタルや大西洋やドーバー海峡に余計な緊張持ち込まれなくて幸せ、フランスは港湾設備の料金で石油の分け前が得られて幸せ、オランダは自国に石油販売代金が入って幸せ。五カ国全得、誰も損しない素敵なやり方だと思うがね?」

 

 まあ、Win-Winは商売の原則にして極意だし。

 

「シェレンベルク、オノデラ大佐、このクソッタレな世界をそれなりに楽しく生きようと思ったら、相応の作法が必要だとは思わないか?」

 

「……総督は、本当に外交官クビになってよかったと思いますよ。総督の適正は外交官ではなく、それを使う側です。断じて使われる側ではない」

 

 えっ? 小野寺君よぉ、俺は今でも一応は宮仕えの身なんだが?

 

「フォン・クルス総督、それを提案する貴方の取り分(メリット)は?」

 

 個人のメリットなんてもんは特にないが、

 

「この話がまとまれば、ドイツは無理にコーカサス・カスピ海の油田に殴りこむ必要は無くなる。戦争に余力ができるぞ? しかも、米ソが手を出しにくい石油資源と安全な搬入ルートが手に入る。いいことづくめだろ?」

 

「それは間違いありませんが……」

 

「シェレンベルク、勘違いすんなよ? 俺も今はドイツ人(・・・・)だ。ならば責任ある立場(そうとく)として、国益を優先させるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後日、なぜかヒトラー総統直筆の命令書を携えてハイドリヒがまたサンクトペテルブルグに自家用機(?)でやって来た。

 なんでも手続きは全てやるから、正式に”多国間石油バーダー計画”を計画書としてまとめて欲しいらしい。

 まあ、それは言い出しっぺは俺だし、エネルギー政策は国家の命運かかる重要事だから構わんけど……

 

「それで褒賞が管理担当区域の拡大ってのは、実際どうなんだ? 仕事増えるし、もしかして罰ゲームなんじゃ……」

 

 サンクトペテルブルグからエストニアとの国境まで、具体的には南に延びるガッチナ→ルーガ→プスコフ→キンガセップ→ソスノヴイ・ボールのラインに囲まれた地域だ。

 

「”サンクトペテルブルグ特別行政区(・・・・・)”ってのはなんだ? ドイツ名物の管区(ガウ)じゃないのか?」

 

「フォン・クルス、お前さんは大管区指導者(ガウライター)にでもなりたいのか?」

 

 いや、まさか。

 

「サンクトペテルブルグを含むガウなら、別のガウライターが任命されるのかと思っただけだ」

 

「それじゃあ、ドイツ(こっち)の都合が悪いんだよ。サンクトペテルブルグには、亡命ロシア人の受け皿になって欲しいし」

 

 まあ、そのあたりが本音か。

 

「なんだ? 俺に元共産主義者の面倒を見ろと?」

 

「良いじゃないか? 元なんだし。土地と一緒に労働力も手に入ると思えば。これで都市拡張やりたい放題だぞ?」

 

「そりゃそうだがな」

 

 まあ、間違いなくやれることは増えるが……

 

「ここだけの話、今は戦時中だし現状では難しいが、総統閣下はノブゴロドやイリメニ湖辺りまでお前の管理区域に加えたいみたいだぞ?」

 

「うぇ……マヂか?」

 

「大マジだ。往時には300万人都市だったサンクトペテルブルグだが、元々の残ってた住人に移住者も含めて今は200万人規模ぐらいだろ? もし、土地が増えたらどのくらい養えそうだ?」

 

「都市生活者や工業従事者や港湾労働者だけでなく、農業従事者や畜産業も増えることを想定するなら……ざっと最低でも800万、上手くやれば1200万は固いかな?」

 

 実は、サンクトペテルブルグの周辺は水資源が豊富で、肥沃な土地も結構ある。

 寒いことは寒いが小麦や大麦、ライ麦、ジャガイモやサトウダイコン&テーブルビートとかなら普通に収穫できるし、ホウレンソウやブロッコリーも行けるだろう。

 畜産も海岸部を中心に手つかずの草地が広がってるから、牧草地として整備すればいけると思う。

 海辺の牧草地は潮風の影響で内陸部に比べてミネラル分が多くなるって結果もあるしな。

 

「それは頼もしいな。確実にフィンランドの人口を超えるぞ?」

 

 冬戦争直前で、フィンランドの人口は370万人くらいだったか?

 今は、急速にそこの住民ごと領土を増やしてるから、特にカレリア地峡やカレリア共和国には潜伏していた人間も多いし、国際的な監視の目があったから大規模な住民強制移住は起きてない(その分、ロシア人の新規入植者はあったが)。

 それに冬戦争から1年ちょっとで独ソ戦、大幅なテコ入れはできてなかった。

 これにコラ半島の住民まで組み込むと……

 

(ざっと400万人以上。だが、500万人には届かないくらいか)

 

 その人口で、よく30万人も兵力抽出するよ。

 

 

 

***

 

 

 

 ところでさっきから気になっていたんだが……

 

「ハイドリヒ、お前が取り出してるこの”エンブレム

【挿絵表示】

”ってなんだ?」

 

 机に広げられたのは小さな旗。

 ハイドリヒの掌の上には、同じデザインのプラチナの台座にラピスラズリがはめこまれた勲章が輝いていた。

 なんか十字にも花にも見えるんだが?

 

「今回の”特別褒賞”だそうだ」

 

「はぁ? これが?」

 

 ハイドリヒは頷き、

 

「”ミントブルーの花十字”、総統自らデザインした新しいサンクトペテルブルグの紋章で、同時にフォン・クルス家の紋章だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、フランスに続きフォン・クルスも石油がらみで悪巧みw

というか、これ総督のお仕事じゃなくて、エネルギー政策って国家戦略云々の話では……?と思わなくもないですが、まあ、そこはクルスだし。
この世界線のドイツがらみの理不尽は、大体「まあ、クルスだし」で片が付きますw

そして、そのご褒美で総統閣下自らデザインしたのが、”ミントブルーの花十字”って訳です。


【挿絵表示】


基本、”フルール・ド・リス”のバリエーションの一つを”デルフィニウム・ミントブルー”に見立て、そこにギリシャ十字(正教会で最も古い十字架)を組み合わせたデザインです。
一応、花を上から見たようにも十字架にも見えるようにデザインしてみました。

あまり時間は無かったので、微妙にズレている部分は見なかったことにしてくださいw
ついでにデザインセンスも(泣

さてさて、「一国の国家元首から直々に紋章を送られる=新たに家を興した」と認められる……きっと本人は、その意味わかってないだろうなー。
そして、サンクトペテルブルグを中心としたその周辺に同じ紋章が掲げられる意味も……それに気づけないあたりが、この男の外交センスの無さというかw

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第219話 サンクトペテルブルグ総督からのキラーパスを、日本皇国首相はどう処理するか?

今更の話ですが……この世界線の日本皇国は、国名こそ史実の大日本帝国こ比べて控えめですが、それは虚勢を必要としない自信の裏返しともとれます。

そして、”(すめらぎ)の国”を名乗る以上、「天の皇」の代わりて民を率いる代行者は、切れ者でないと務まらない……例えばこれは、そんな類のエピソードです。






 

 

 

 1942年5月末、東京永田町、首相官邸

 

「ハハッ! こいつぁ、いいや!!」

 

 ドイツ政府が発起人となった”多国間石油バーダー取引草案”を見ながら、日本皇国挙国一致内閣首相である近衛公麿は愉快そうに笑った。

 

「関わる5ヵ国がどこも損をしないように、いや多かれ少なかれ得が出るようにキッチリ調整されたやがる。ん? 原案製作者は……ん? ”Ninseblau von Cruz dir Sankt Petersburg”? ああっ、来栖の奴か……ククッ、一国のエネルギー政策のプランニング任されるとは、随分と出世したじゃねぇか♪」

 

 そして、笑みを深めて……

 

「だが、アイツの発案だってんなら頷けるな。それに結構しっかりドイツ人してるようで何よりだ」

 

「それは、どう言う意味だ?」

 

 とは先輩であり、頼れる相方でもある前総理、現内閣官房長官の広田剛毅だ。

 

「広田サン、こいつぁどこの国も得はするが、結果的に一番得するのはドイツなんだよ。日本は原油運送コストを削減できてお得、英国はジブラルタル・大西洋にドイツ人のタンカーが通るなんて余計な緊張を招かないからお得。なんせ昨今、ヤンキーがアイルランドで怪しい動きしてるからなぁ。ただでさえアフリカの権益拡大で忙しいのに、面倒事は避けたいだろ?」

 

「それは納得できるが……」

 

「オランダは我が国と同じく運送費を削減した上でドイツに原油を売りつける……じゃあねぇな。現物支払いで復興資金返済ができるからお得。しかも、ドイツから差額分の石油がパイプラインを通して定期的に入ってくる。フランスも似たり寄ったりだが、港とパイプラインの使用料で復興資金返済に当てられる上に石油のおこぼれにもあずかれる。パイプラインの設営も返済が終われば十分にペイできる。継続的な国家収入源の、しかも安牌だ」

 

 そして近衛は一度言葉を区切り、

 

「だがな、ドイツの”得”は、それらとは次元が違うのさ。アメリカがバックに付いたソ連とドンパチやってる最中(さなか)に、”誰もが手出ししにくい安全なルート”で、”高品質が保証された石油”が入ってくんだぜ? ドイツが対価として支払うのは金だけだ。これがどれほど異常な事なのかわかるかい? ドイツはこれまで石油資源をソ連の目の前にあるルーマニアのプロイェシュティ油田に頼りきりだったんだ。それがどれだけリスキーだったか、わかるだろう? 頼りになる油田が本国の樺太油田しかなかった時代を日本だって経験してんだ」

 

 そして近衛は楽しそうに、

 

「しかもその金すらも、考えようによってはお釣りがくるのさ。ドイツは、これでわざわざ大枚(はた)いてコーカサスの油田に無理に攻め込む必要がなくなる。その戦費が丸々浮くんだよ」

 

 すると広田は腕を組み、

 

「ドイツの国家戦略やドクトリンが本質的に変わると?」

 

「ああ。変わるな、間違いなく」

 

 近衛は頷き、

 

「ドイツの狙いは、あくまで”ドイツの恒久的安全圏(レーヴェンスラウム)”の確立だろ? モスクワもスターリングラードもいらねぇが、コーカサスは石油資源の為に必要不可欠だった。だがその前提が崩れたとなると……」

 

 近衛は地図を取り出し、

 

「ドイツの南方軍集団は、クルスクとヴォロネジを落としちまった以上、次に狙うのは”カメンスク=シャフチンスキー”と”シャフティ”だ。おそらくヴォロネジ・クルスクに防衛用の駐留軍残して工兵隊入れて要塞化工事はもう始めてる筈だ。それとは別の部隊がもう動いてる筈だぜ? ”クレムリン炎上”の余波はまだ続いてる。南方での目立った動きはスターリングラードへの兵力集中だ。ロシア人は、シャフチンスキーとシャフティには、さほど防衛線力を回してる様子はない」

 

 そして、近衛は思考をまとめつつ……

 

「だとすれば、ドイツが次に狙うのは黒海の聖域化……”ロストフ・ナ・ドヌー”と”クラスノダール”だろうな。おそらく、”ノヴォロシスク”はその後……”セヴァストポリ要塞”を無力化した後だろうな。順当に行けば」

 

「理由は?」

 

「”例の艦隊(・・・・)”を動かした方が、セヴァストポリ要塞とノヴォロシスクは落としやすいんだ。あと、余裕があれば”サラトフ”は、その前に落とすかもしれん。あそこには開戦までドイツ人コミュニティーがあり、80万人が住んでいたが……そいつが、開戦と同時に強制移住されてるんだ。ドイツ人には因縁のある土地さ。そして連中には”同胞を返せ”って大義名分もある」

 

 そして、ニヤリと笑い、

 

「おそらくは東部南方戦線は一旦は確実にここで止まる。石油が手に入る以上、これ以上攻め込む理由がなくなるからな。さらに攻め込むかは、その後の国家戦略(ドクトリン)次第だろうが」

 

 広田は息を突き、

 

「それでこの話、受けるのか?」

 

「受けるさ。断る理由がない。広田サン、野村サンと一緒に意見をまとめて皇国の方針を英国に伝えよう。実働は来年からの話だが、準備は進めておいた方がいい」

 

「もう一度、確認するが……良いんだな? 確実に米ソと関係は悪化の一途になるぞ?」

 

 何せこの決定は、確実に独ソ戦に大きく影響を与える。それもドイツ有利の方向にだ。

 

「今更だろ? それに米ソの嫌がることは、大抵は我が国にとって慶事だ。それとフランスから打診されていた”シリアとレバノンの独立”もこの話に絡めようぜ。石油の供給元が増えればドイツも喜ぶだろうさ。フランスも港で扱う量も増え余った石油もバーダー分に上乗せしてドイツに転売できて幸せ。英国も自国の石油がドイツに使われるわけでもなく面倒事から切り離されて幸せって寸法だ。というか、英国は皇国がシリアとレバノンに駐留することを歓迎しているフシがある。吉田サン経由の書簡からもそれが伺える。”委細承知”だそうだ」

 

「やはり、英国も中東のきな臭さを無視できなくなってきたか……」

 

「まあ、当然だな。石油利権を持つイランに堂々と米ソが手を出してきたんだ。それもレンドリース品搬送目的でな。そして、そのお隣は親英のイラク王国に英国委任統治パレスチナだ。アイルランドで米国が怪しい動きをしていて、英国人自身は新たに得た中央アフリカの資源有効化に忙しい。気が気じゃないだろうさ」

 

 

 

***

 

 

 

 少しだけ解説が必要だろう。

 実は、この世界線では1941年の”イラク・クーデター”は、首謀者であるアラブ主義者のイラク軍首脳部”ゴールデンスクエア”の逮捕と処刑ではなく”処理”により未遂に終わり、結果としてアングロ=イラク戦争(紛争)は起きていない。

 

 理由は細かく見ていけばキリがないが、大きく言えば史実ほど英国の北アフリカから中東にかけての英国駐留軍が疲弊してなかったというのが大きい。

 思い出してほしいのだが、リビアではトブルクで日本皇国軍がケツ持ちしてドイツ・イタリア軍を返り討ち、英国軍は無事にエジプトへ戻れている。

 ギリシャでは本土ではドイツ・イタリア軍に敗れたが、クレタ島で再び日本がケツ持ちし、返り討ちだ。

 タラントではイタリア海軍を全滅させたし、喜ばしい事にドイツ軍は(今にして思えばバルバロッサ作戦の為に)その後にアフリカからもギリシャからも手を引き、停戦まで成立した。

 また、当時はまだ仏領赤道アフリカが売却される前だったので、一時的に大きな余力があった。

 そんな状況だったので、ケンブリッジ・ファイブが排除された英国諜報部のスパイがクーデター計画を発見し、”SAS”の紳士たちが秘密の会合場所に押しかけ首謀者と関係者を捕縛することくらい、容易だった。

 

 処刑じゃなかったのは、アラブ主義者の彼らを”見せしめ”にすると、”殉教者”になってしまう恐れがあったから。

 なのでカバーストーリーは、「クーデター計画が発覚し、極秘裏に国外逃亡した」事になっている。

 ただし、国外に居るのは間違いなく、どこかの砂漠の砂の下に埋まっているだけだ。

 無論、生命活動はとっくに停止しているが。まあ、諜報界ではよくある話である。

 

 

 

「そういう意味においても、皇国軍が隣国のシリアとレバノンに駐留するのは、彼らにとっても地域安定のために都合が良いってことさ。だが、同じくシリアとレバノンに”必要以上に歓迎(・・・・・・・)”されてるのが厄介なんだが」

 

 本来、他国の軍に進駐されるのは占領と同義で、普通は歓迎されない。それどころか反発と抵抗運動案件だ。

 だが、シリア人もレバノン人もバカじゃない。むしろ商業の民で、損得勘定に頭が回る。

 また、商人にとって情報は値千金の宝だ。

 彼らは、同じイスラム圏であるリビアで日本がどんな統治をしているのかつぶさに観察していたのだ。

 おまけに今回のお題目は、”両国の委任統治権を譲られた日本が独立支援”だ。

 そして、そうであるが故に両国は、

 

『共産主義者に先導された過激派民兵組織が国内で騒乱を起こすと、独立もままならない』

 

 という名目で、”シリアとレバノンから”軍の駐留要請が来たのだ。

 日本人は「額面(お題目)通りの仕事をする」事が知れてしまった故の判断といえた。

 要するに、体の良い”用心棒”である。

 

 現在が、第二次世界大戦と呼ばれる戦乱期であることは確かで、根が商人である彼らは金で武力を雇うことに抵抗はなく、むしろ当然と考えていた。

 おまけに料金は現物、民族の手に戻ってくる油田から湧き出る石油の現物払いで良いというのだから、至れり尽くせりだ。

 皇国軍は傭兵じゃない?

 だがそれは、日本人の理屈だ。

 払い先が民間軍事会社か他国政府かの違いで、金で武力がやってくるのだから同じ事というのが、彼らの理屈だ。

 

 無論、独立まで出来れば手切れ……なんて事は考えていない。

 同じ石油の現物払いで、近代的な港や化学コンビナートの整備、国家や軍の近代化などを”リビアという前例(・・)”を作ったために要求してくることは目に見えていた。

 無論、近衛にもそこまで読めていたわけで、

 

「まあ、全ては中東の安全と安定につながるし、手を抜かなければ富は産むんだ。ここは腹をくくるしかないだろ?」

 

 なんのかんの言いつつ、近衛もまた骨の髄まで日本人であったのだ。

 どこかの総督と同類である。

  

「広田サン、来月の中頃に”カティンの森”の視察と調査が始まんだろ? それをカモフラージュにして、各国とこの件について会合できるようにセッティング頼めるか?」

「いいでしょう。そっちの方は野村外相とやっておこう」

「助かる。広田サン、直感だが今年と来年で、戦争の盤面は大きく変わるぜ? その結果が、明確な形になるのが44年あたりだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、近衛首相、クルスの悪だくみに乗るついでに、シリアとレバノンを押し付けてきたフランスを更に巻き込む模様w

まあ、金と石油はいくらあっても困らないし。
特に戦時下なら尚更。

石油がマネーゲームの商材に成り果てた世界に住む現代人には馴染みが薄い感覚かもしれませんが、石油は本来、立派な……王道中の王道の”戦略物資”であり、あらゆる武器以上に効果のある武器という側面があるのです。
文字通り、「国ごと殺してでも奪い取る」価値があるような。

冷戦を含む戦乱の時代は、まさにそういう空気が支配的でした。
そしてこの物語の舞台は、そんな時代の真っ只中ですw

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第220話 スギウラ多国籍調査団 ~雉も鳴かずば撃たれまい~

いよいよ、あのサンクトペテルブルグの魔王すら一目置く後輩、”筋金入りの人道主義者”が活動を開始します。




 

 

 

 1942年6月初旬、”カティンの森事件”のプレ調査という名目で、”第二次スモレンスク防衛戦”で捕虜になった「非ロシア人赤軍捕虜」の尋問を、国連主催の”カティンの森国際合同調査団”で執り行うこととなった。

 

 メンバーは、日英独三国より推薦のあった人権派外交官”杉浦千景”を団長に、ホスト役のドイツはもちろん、日英、同じソ連の被害者であるという立場からフィンランドとバルト三国、ウクライナ。ベラルーシは参加を見合わせていた。

 そして、ドイツ監督下で暫定政権が置かれた東ポーランドと英国に亡命中だった旧ポーランド政府の合同調査チーム……つまりは当事国、ある意味において”主賓”であった。

 

「何という事を……」

 

 彼らが中央アジア、史実では後にいわゆる”○○スタン”と付くソ連邦の構成国、その国々の代表者から得た話はとんでもない内容だった。

 彼らはそもそも何処に攻め込むのか説明を受けてなかった。

 ただ、狩り集められ簡単な軍事教練と武器の扱いだけ教えられ、スモレンスクまで連行されたというのだ。

 

 しかも、その理由が酷い。

 

   『徴兵に応じれば、残された者の「安全」は保障する』

 

 先ずは、”生活を保障する”ではない事に留意して欲しい。

 これはつまり、

 

   『徴兵に応じるなら身内は”粛清はしない”でおいてやる。だが、拒否したり裏切ればわかっているよな?』

   

 という意味だ。

 日本人には馴染みが薄いが、これらの地域ではソ連軍の侵攻に対して主にテュルク系民族を中心に大きな抵抗運動が起きてるのだ。

 無論、ソ連はいつものように血生臭い弾圧でそれに対抗した。

 故に、ロシア人の頭には「(連邦を形成してるのだから)粛清しないことが当たり前」という発想はなく、粛清と弾圧を行うことが当り前で「粛清しないことは、対価が必要なこと」なのだ。

 つまり、彼らは家族を、あるいは集落を守るための”人身御供(・・・・)”なのだ。

 無論、”粛清しない”という約束が守られる保証は、どこにもない。

 だが、彼らはそれを受け入れてしまっているあたり、ここにも”タタールの呪い”痕跡が見て取れる。

 

 更に彼らは、「自分達を赤十字の捕虜リストに記載しないで欲しい」と懇願しだした事に驚いた。

 理由を聞くと、

 

「団長殿、ソ連は捕虜になった時点で”敵に寝返った”とみなします。赤十字の捕虜リストは、そのまま”粛清リスト”に転用されます。ソ連が捕虜交換に応じることはありません。仮に応じたとしても自分達が捕虜交換などで戻れば処刑されます。また捕虜リストに名前が記載されソ連に渡った時点で、家族や一族、あるいは集落が粛清されます」

 

 残念ながら、これはこの世界線(フィクション)での虚構ではない。

 史実(リアル)でも実際に起きていたことだ。

 赤十字が良かれと思って作成した捕虜リストを片手にソ連に捕虜交換に応じるように説得したが、それが実ることはなく、むしろ手に入れた捕虜リストを粛清リストに転用したという事例は、実際に記録として残っている。

 

 杉浦は、すぐに赤十字の高官と会談を設け、事実確認……その現実を把握しているか問いただした。

 赤十字側は言葉を濁した。事実確認ができてる訳では無いし、確証があるわけでもないが、全く何も知らないという訳でもなさそうだった。

 そう判断した杉浦は、丁重に

 

「捕虜たちの身柄やその肉親や一族、集落の安全を考慮し、少なくとも私が団長を務める一連の案件に関して一切、捕虜リストの作成に協力できない。また捕虜たちが祖国にいた頃の扱いを鑑み、ソ連との捕虜交換交渉は不可能と判断する……彼らは、ソ連より赤十字が保護対象する”人間”として扱われていない(・・・・・・・)のだ」

 

 という旨を告げた。

 また、赤十字の中に工作員や共産主義シンパが潜り込んでいる可能性、そして彼らが抗議や同じく左派メディアを動員して世論を操作する可能性を鑑み、急遽、ジュネーブの国際連盟記者会見場で、”緊急報告”を行ったのだ。

 まさにスピードとの戦いだった。

 その内容は、

 

「ソ連が赤十字が善意で作成した捕虜リストを粛清リストとして悪用している」

 

 という報告から始まり、彼らが何故、如何にしてスモレンスクに連れてこられたか30年代の中央アジア諸国の惨状まで遡り暴露したのだ。

 無論、文章化した証言資料もセットで配布した。

 捕虜やその周辺の安全のために、

 

「人道的な見地から、少なくともスモレンスクで発生した非ロシア人ソ連軍捕虜に関する情報公開は控えさせて頂く」

 

 と発言したのだ。更に、

 

「ソ連の戦争犯罪はこれにとどまらない。ソ連の住民虐殺や拷問などの被害を受けたという国々は、今回とは別件で、より大規模で包括的な国際調査を行うソ連の戦争犯罪に対する多国籍調査委員会を立ち上げるべきです」

 

 と訴えた。

 実に上手いのは、彼の発言に赤十字への非難や活動の否定は一切含まれていない事だ。

 実際、杉浦に赤十字の活動を否定する気持ちはなく、ただ諦観(・・)のみがあった。

 

 『彼らは彼らの仕事をしているだけ』

 

 ソ連相手に彼らの理念が通じる道理はなく、現実を認識しつつ割り切るべきは自分だと言い聞かせた。

 

 何というか……善意だけでここまでやってしまうあたり、流石に来栖任三郎の後輩外交官というべきかもしれない。

 史実同様に、もしかしたら皇国外務省に長居できない(定年までいられない)タイプなのかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

 無論、反発は起きた。

 米ソの反応は言うまでもないだろう。

 

『『スギウラは噓つきの詐欺師だっ!! 直ちに調査団長から解任しろっ!!』』

 

 そして、それに呼応したのが赤色汚染が進行した世界中に掃いて捨てるほどいる左派マスゴミだ。

 こいつらは現代においても、悪性腫瘍のごとくいつの間にか湧いて勝手に増殖するから困ったものである。

 

『スギウラの発言は調査団の権限を逸脱しており、赤十字を蔑ろにしているっ!!』

 

 という判で押したような論調だった。

 彼らは、都合よく”スギウラ中央アジア報告(レポート)”の内容を隠蔽した。

 

 だが、いつもの世論操作での勝利を確信した赤いマスゴミ国際連合(コミンテルン)は、手痛い反撃を受けることになる。

 特にソ連と敵対している、ソ連の被害を受けた国々が官報で、あるいは公共ラジオ放送でスギウラ中央アジア捕虜発言やその詳細レポートを公表するに至ったのだ。

 つまり、杉浦の発言が「各国政府の事実として公式に認められた」という事だった。

 そして、「報道しない自由を行使し、事実を歪曲した」複数のマスゴミは、背後関係を徹底的に洗われ、余罪追及の上で防諜系の罪状で引っ張られ投獄、中には余罪が追及され外患誘致やら外患誘致幇助、国家反逆準備罪など諸々の複合罪で処刑に至ったケースもあった。特に日本皇国とかで。

 見せしめとかではなく、”いつものこと”だ。

 ”雉も鳴かずば撃たれまいとはよく言ったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 無論、各国が動いたのは急に正義に目覚めたという話ではない。

 もっと生臭く、生々しい話だ。

 

 まず、前提を話そう。

 杉浦はいきなり国連で記者会見をしたわけではない。

 カティンの森調査団の各国代表に理由を説明し、各国に発言の内諾を得られるように働きかけた。

 そして、代表団の構成はソ連の敵対者か被害者ばかりだ。

 彼らは、「少しでも怨敵にダメージを与えられるなら」と喜んで協力に応じた。

 つまり、根回しは済んでいたのだ。

 

 そして、それを受けた各国代表なのだが……

 実は、当然のように”中央アジアの惨状”は、濃淡はあれ現状は把握していたのだ。

 各国の情報部や首脳部も遊んでいる訳ではない。

 だが、「欠片ほども付き合い(=利害関係)のない国」の出来事であり、所詮は他人事だった。

 おまけにどんな理由があれ共産圏、敵対者であるソ連邦に組み込まれているのだ。

 近衛首相じゃないが、「アカ共が勝手に間引きしてるんだ。内政干渉の面倒抱えてまで口を出す必要もない」というスタンスだった。

 国際政治の非情な一面である。

 

 しかし、そこに一石を投じたのが杉浦だった。

 彼は、

 

   ”本物”

 

 だった。

 見ず知らずの、聞いたこともないような民族の為に損得勘定抜きにして動ける希少な”生粋の人道主義者”だった。

 だからこそ、関係各国政府は共謀して、国連で緊急会見が開けるように手配したのだ。

 無論、人道的見地からでもましてや杉浦に感銘を受けたわけでもない。”スギウラ発言”を盛大に、そして徹底的に政治利用する為に。

 彼らの職業は、”政治家”なのである。

 人道より国益を優先するのが当然だ。自国の利益より人道を優先する政治家など、国家と国民にとり害悪でしかない。

 

 無論、胴元である杉浦もそれは承知の上だ。

 杉浦千景という男は、フォン・クルスがただの来栖だった頃に言及したように、確かに人道主義者だ。

 だが同時にリアル日本では絶滅危惧種(あるいは昭和に絶滅した)”外交狸”の一匹であることもまた、疑いようのない事実であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく50話以上前の伏線を回収できましたw

杉浦千景という外交官、その発現する方向性が違うだけで、容赦のなさはフォン・クルスと同様です。

だからこそ、クルスは彼を認め、同時に決して相容れない(・・・・・)事も理解しています。
クルスの今にも瘴気を発しそうな前世仕込みの憎悪は、そりゃあ人道主義から最もかけ離れたものでしょうし。

「共産主義者すら人間として救おうとする」杉浦千景とは、ある意味、対極です。
ただ、あんまり杉浦外交官も外務省に定年までいるタイプじゃないだろうな~。
何となくだけど。


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第221話 カティンの森の一次調査報告と、「鮮烈で濃厚な」デビュー戦!

また燃やされてるしw





 

 

 

 杉浦千景の”中央アジアレポート”の余波(騒ぎ)が納まりきらないうちに、”カティンの森国際合同調査団”は現地入りをした。

 空港のあるスモレンスクは、街一つが民間人居住が禁じられた要塞(軍事拠点)とされていた為に殺風景な物だったが、滞在に関して特に不都合もなかった。

 

 調査団がまず案内されたのは、試掘され冷凍保管されていた”証拠品の遺体”とその遺品、そして検死報告書だった。

 調査団には当然、司法解剖の専門家なども居たので、彼らの手による調査が念入りに行われた。

 

 その後に向かったのが”虐殺の現場”……”カティンの森”だ。

 現場はドイツ軍の警備部隊の手で厳重に守られて現場保存されており、調査団の環視の中で、ドイツ軍工兵隊の手により遺体の発掘作業が続けられた。

 

 発掘できた遺体は、20,000体を超えた。

 内訳は、遺留品からポーランド軍将校、国境警備隊隊員、警官、一般官吏、聖職者などが主だった。

 回収できた遺体が多すぎ、本格的な検死と証拠固めはかなりの時間がかかると予想されたが、それでも”動かぬ証拠”としてソ連を告発するために、黙々と作業が続けられた。

 

 

 二度に渡るスモレンスク防衛戦での戦死者・行方不明者はその30倍ほどにも達したが、明確な捕虜虐待などのジュネーブ条約・ハーグ陸戦条約違反や戦争犯罪の証拠があるわけでもなし、ドイツがそのあたりを非常に気を使ってることは誰しもが知っていた。

 また、スモレンスクの戦いは、その大義名分が”防衛戦”なのだ。

 常識的に考えて、(証拠隠滅のために)攻め込んできた上に返り討ちにあったソ連が悪いというだけであった。

 ドイツが最初にスモレンスクに侵攻し、現在も占領していることは、特に問題とされなかった。

 何しろ、そうであるからこそ”カティンの森”でのソ連の戦争犯罪が暴かれたのだ。

 調査団の誰もが、自分の仕事を否定するほど無能ではない。

 

 ”非ロシア人ソ連軍(中央アジア出身者)のレポート”は、所詮ジャブに過ぎない。

 ソ連に対する猛毒は、今まさにワインのように仕込みが始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ドイツがアルハンゲリスクの攻略を狙う事は、実は米ソともに予想はしていた。

 それが夏頃であろうことも。

 ムルマンスクから戻ったドイツ北方軍集団がその準備に入ってる事もつかんでいた。

 だが……

 

「フハハハハハッ!! 攻めよ攻めよっ! 烈火の如く!! 吶喊せよっ!!」

 

 戦力に乏しいはずのフィンランド軍が、北方の夏の時期特有の長い昼間を利用して一気に”ボログダ”に侵攻してくるとは誰が想像していただろうかっ!

 そう、彼らの7万の軍団(ボログダ攻略に抽出できる最大兵力。ほぼフィンランド軍の1/4の戦力)は、夜明け前に出陣し、オネガ湖南岸から約200㎞を1日で南下するという暴挙とも言える強行軍をやってのけたのだっ!

 

 

 

 それが成功したのは理由の一つは、この日、(おそらく牽制の)ドイツ空軍によるモスクワ公官庁地区への爆撃……それもHe177戦略爆撃機まで参加した大規模な爆撃が行われ、モスクワ周辺のソ連空軍が対応に忙殺されたことだ。

 戦時中の米軍ではあるまいし、市民居住区を焼夷弾爆撃するようなジュネーブ条約違反の爆撃はしなかったので市民への被害は少なかったが、再建中だったソ連行政機関は再び大きなダメージを受けた。

 今回の爆撃の主な標的はクレムリンの目と鼻の先にあるスターラヤ広場、正確にはソビエト連邦共産党中央委員会ビルとその周辺の政府関連施設に対する集中絨毯爆撃だ。

 とにかくありったけの通常爆弾、徹甲榴弾、テルミット型クラスター焼夷弾をばら撒いて帰ってくるという至極単純だが、ドイツ爆撃機乗りの誉の様なミッションだった。

 また多くの戦訓を取り入れたHe177隊が、初めて”コンバットボックス”編隊を組んだミッションであることも追記しておく。

 

 そして、ドイツの読み通り、スターリンもベリヤもまたしても防空壕に逃げ込んで無事だった。

 モスクワから逃げ出してないので、政治的にはギリセーフである。

 ただ、度重なる爆撃で遷都が頭をよぎったのは確かだった。

 

 

 

***

 

 

 

 その間隙を突くようにボログダに侵攻したのがマンネルハイム元帥直参のフィンランド軍だったという訳である。

 しかし、7万という兵力は少ないように見えるが、ソ連のボログダ守備隊は10万に届いておらず、また精鋭部隊とは言えなかった。

 というのも、モスクワの方針でモスクワ防衛の主壁と定義づけられていたのはより南の大都市”ヤロスラブリ”であり、戦力はそちらに集中されていたのだ。

 ボログダはその前線基地という位置づけだった。

 別に軽視されていたわけではない。

 この年の冬は比較的厳しく、アルハンゲリスクは5月末まで凍結しておりアメリカのレンドリース船団は未だに入ってきていない。

 この状態で、アルハンゲリスクの重要性を感覚的に理解しろというのも難しいのだ。

 それほどまでに、スモレンスク防衛戦から始まるソ連の被ったダメージは物理的以外にも大きいのだった。

 ましてや、ロシア人が普段はあまり意識したことのないボログダに意識を割けというのも酷なのかもしれない。

 むしろ、精鋭と呼べないまでもそれなりに装備の整った10万の守備隊を付けていただけでも配慮していたとさえ言えるだろう。

 

 だが、今回は何とも相手が悪すぎた。

 数こそ7万と劣るが、本家ドイツの機甲師団に見劣りしない”完全装備の機甲師団3個編成”の軍団、それもフィンランド軍の最精鋭だ。

 制空権は白地に青の十字架が描かれた(この世界では鈎十字ではない)フィンランド空軍のBf109EないしFが乱舞してることから分かるように既にソ連になく、ひっきりなしに上空から同じ国籍マークを付けたスツーカがサイレンを流しながら急降下してくる。

 ヤロスラブリの航空隊はモスクワ直上防空戦に駆り出されており、増援は望めなかった。

 

 サンクトペテルブルグ製のソ連式重砲とカチューシャロケットの猛烈なフィンランド軍砲兵隊の砲火を味わう中、ボログダ守備隊が真に驚愕したのは、別の出来事だった。

 

 

 

 防衛隊司令官は、制空権を取られて砲撃戦でもスツーカでソ連側の野砲が1門、また1門と次々と潰されるのを見て、増援も今から要請しても早々の到着は(ソ連の現状から考えて)難しく、籠城戦は不利と考えて機動戦を仕掛ける事を決意した。

 距離を詰め敵味方が混淆する戦いとなれば、敵の砲兵も航空隊も支援しづらく、数に勝ってるであろうソ連に勝機はあるはずだった。

 

 何しろ、相手は強力なドイツ軍ではない(・・・・)のだ。

 ソ連から盗んだ装備とドイツの型落ち品でとりあえず武装したようなフィンランド軍だ。

 誰しもが、「圧倒的な火力で目にもの見せてやるっ!!」と意気込んでいた。

 だが……

 

「なんなんだよ……あの戦車は……」

 

 現実は、ボログダ守備隊の思うようにはならなかったのだ。

 呆然と次々と重装甲のKV-1を、あるいは虎の子である”街道の怪童”KV-2を容易くアウトレンジで撃破してゆく”見慣れぬ敵戦車”……T-34では相手にもならなかった。

 

「なんであんな”化物みたいな戦車”を、スオミの田舎者が持ってるんだよっ!?」

 

 

 

 そう、この戦いには先行量産型の”KSP-34/42”が(フォン・クルスの発言通り)50両ほど参戦していたのだ。

 それも最前列を務める”パンツァーカイル”の鏃に配されていた。

 

 この戦車戦による純粋なKSP-34/42の撃破数は、KV-1/2を含む79両とされる。

 損傷は3両、擱座は1、被撃破は0……余りにも鮮烈なデビュー戦だった。

 

 

***

 

 

 

 公式な記録によるとボログダ陥落は、1942年6月14日だとされる。

 ボログダ守備隊司令官は割と優秀であり、勝てない戦いと踏んで、全軍のヤロスラブリまでの撤退を命じた。

 やはり損害の出やすい撤退戦、容赦ないフィンランド軍の追撃を受け、戦力を擦り減らしながらも辛くも司令官は撤退を成功させた。

 あの状況で守備隊の4割をヤロスラブリまで辿り着かせたのだから、名将の一人と言ってよいだろう。

 

 だが、時期が悪かった。

 司令官に下ったのは、非情の命令だった。

 スターリンは、ベリヤに「モスクワが危機的状況(爆撃)の最中に、戦闘を放棄した罪(サボタージュ)」でこの司令官の粛清を命じたのだ。

 いつもの考えなしの腹いせのでの処刑だった。

 いや、誰かに責任をかぶせないと精神的に持たなかったのかもしれない。

 そして、この防衛隊司令の最後の言葉は、

 

「なるほど。道理で我が軍が負け続ける訳だ」

 

 蛇足ながら、ジェーコフがその事実を知ったのは、粛清が行われてからだったという。

 

 

 

 そして、同日……ドイツ北方軍集団は、一路、アルハンゲリスクへ向けて北上を開始したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、瞬く間に終わってしまったマンネルハイム元帥のボログダ攻略戦でしたw

まあ、”カティンの森”攻略戦で大幅に戦力を消耗していた上に、牽制として行われた……というより、規模と破壊範囲からガチ攻めとしか思えないモスクワ空襲の対応で忙殺され、おまけにソ連の政府機能は未だに完全復旧の目途は立たずの状態で、完全に奇襲となる攻撃を受けたのだから、まあ、仕方ないという事でw

地図を見ると分かると思いますが、ボログダが陥落した意味ってすごく大きいんですよね~。
アルハンゲリスク攻略の成否にとても重要な意味を持ちます。

そして、じわじわと杉浦千景の「善意の毒」が米ソ両国に染み込んでいくという……

果たして、再び政府中枢を焼かれたソ連は、対処できるのか?

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第222話 不健全な精神での話し合いと、(立場的に)不穏当な発言 ~蒼き聖なる花十字の御旗のもとに~

クルス、割と久しぶりに派手にやらかす……?





 

 

 

 杉浦千景が”カティンの森”の惨状に「全ての闇を白日の下に曝す」新たな決意を固め、マンネルハイム元帥が上機嫌でボログダを蹂躙している頃……ちょっと待て、この二つは同列に語ってよい物だろうか?

 

 とにかく、その裏側で不健全極まる精神の担当者による日英独仏蘭の五カ国協議が行なわれていた。

 場所は、フランスの古式ゆかしい港街”マルセイユ”。

 風光明媚で観光地でおあるここの高級コテージを借り切って行われた会談は、何というか……政治的獣臭に満ちていた。

 

 ちなみにこの非公開の秘密会合、マルセイユで行なわれているのに秘匿名称は”サンクトペテルブルグ会議”とされていた。

 まあ、発起人がアレなので……ちなみに6月のこの日、実際にサンクトペテルブルグでフォン・クルス総督と旧ロシア正教をはじめとする聖職者たちとの会談が公式に行われていたので、実際に欺瞞工作にもなっている。

 

「なるほど。確かに我が国(フランス)にとってもメリットのある話ですな」

 

「産油規模は今はそこまで大きくありませんが、フランスとフランス経由での石油の供給開始がリビアだけと比べた場合、半年は早くできます。ドイツへのパイプラインの完成時期によっては、その方が日英独仏にとっては都合が良いでしょう」

 

 そう説明するのは、今回の”多国間石油バーダー交換計画”にシリア産原油を組み込むことを提唱した日本代表だった。

 

「ドイツにしても、石油生産をプロイェシュティ油田に頼りきりというリスクを早めに回避できますし、我らが同盟国英国は、ジブラルタル海峡や大西洋に無駄な緊張や火種を抱えずに済みますしね」

 

「我が国としては願ったりかなったりだな。出来れば、過去の因縁を一時的に棚上げして、協賛してくれると大変に助かる」

 

 そういうドイツ代表に、英国代表はフンと鼻を鳴らし、

 

「何を今更。過去の因縁など1ペニーにもならん。そこに価値を求めるなら、そもそもドイツとの停戦交渉になど応じてはおらんよ」

 

「ほう? それは意外な。貴国は伝統と格式を重んじられるのでは?」

 

 そう混ぜっ返すフランス代表。

 多くの紳士淑女の皆さんが知っての通り、今生の適度なところで手打ちにしたヒトラー政権下の独英関係より、英仏関係の方がよっぽど因縁深い。

 ホント、ドーバー海峡を挟んだ両国の関係は、どこからどう紐解くべきかわかったもんじゃない。

 

「国王御陛下の首を物理的に飛ばしたお国には理解できんかもしれんが、真なる革新は伝統と格式という土壌の中からしか芽吹かんのだよ」

 

 とやり返す英国代表。

 流石は歴史上、「素直という評価だけは受けたことが無い」ことを自慢するブリカス全開である。

 

「まあ、我が国は利益が出る以上、文句はない」

 

 とは高みの見物を決め込むことにしたオランダ代表。

 彼がここに来たのは、「ところで我が国の利益はいくらになるのかね?」という交渉をしに来ただけであって、別に再び英仏の間で百年戦争が始まろうと自国に害が及ばなければ知った事ではないと割り切っている。

 まさに交渉役の鏡であった。実にどこぞのやらかしの結果、外交官と日本人をクビになって、ドイツ人になった総督に見習って欲しいものである。

 

 一応、書いておけばオランダはチューリップと風車と平和な国なんかじゃない。

 オレンジ公ウィリアム(ウィレム1世)とか三十年戦争とか蘭領東インドとかちょっと調べると、”欧州における(欧州水準の)普通の国(・・・・)”だということがよく分かる。

 酒場に用心棒(バウンサー)が普通にいる国をナメてはいけないという事だ。

 

「とりあえず、じゃれ合う前に話をまとめてしまいましょうか?」

 

 ここで、一介の役人が「欧州情勢(政治)は複雑怪奇」と嘆かず平然と会議を回そうとするあたり、この世界線の日本人は随分と国際政治に慣れた、あるいはスレたもんだ。

 まあ、英国人といい加減1世紀近くも同盟関係を続ければ、こうなるのも無理もないかもしれない。

 

 

 

 こうして歴史に名を残さぬ官使達により、今後の関係各国の命運は決まる。

 方針やらプランやらを示すのはもっと上の、あるいは派手で目立つ役職の者達だが、本当に締結するのはその方針や計画を執行する実務官僚達だ。

 歴史とは意外とつまらない事実の積み重ねで出来ているものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて一方、その派手で目立つ役職に居る男と言えば……

 

 

 

「聖イサク大聖堂、カザン大聖堂、至聖三者(トロイツキー)大聖堂、そしてハリストス復活大聖堂……サンクトペテルブルグの誇る四大聖堂の復活宣言により、再びこの地に! 再び信仰の光は蘇るのですっ!!」

 

 聖職者、それも長老たちに一席ブッぱしていた。

 あくまで”この地”、つまりサンクトペテルブルグを中心とした自分の管理地の事であり、ロシアとか言わないあたり、実にフォン・クルスらしいと言えばらしい。

 ぶっちゃけ、この男はソ連を僭称する連中の物理的にも赤く染まった大地など欲しくはないのだ。

 

「神は不滅なりっ! 然らば、その信仰の光もまた不滅っ!! 故に人が滅びぬ限り、如何に共産主義者(ボリシェヴィキ)に踏みにじられようと、何度でも蘇るのですよっ!!」

 

 そして一度呼吸を整え、

 

「であればこそ、ロシア正教を名乗ってはダメなのです。ロシアは既に滅びた国で有らばこそ。されど国は滅びようと信仰は滅びず。こうして皆様の胸の内にあるのです。故に、新しき信仰が……ロシア正教ではなく、この地に根付く新しき正教会が必要なのですっ!!」

 

 長老たちは知っていた。

 いや、実感していた。

 ロシア革命の一因が、ラスプーチンの例を出すまでもなくロシア正教の腐敗にあったことを。

 

「大聖堂は復活します。だが、それは断じて在りし日の栄華を取り戻す為ではない! 我々が求めるのは過去ではないのです! 今を! 未来を! この地に住まう人々に心の安寧と魂の救済を齎すために! 健やかに生き、安らかに逝く為の祈りの場を示すべきなのです!!」

 

 その後もクルスの熱弁は続き、最後は……

 

「「「「Под знаменем синего священного цветочного креста!(蒼き聖なる花十字の御旗のもとに!) Благослови все ваши молитвы! !(全ての祈りに祝福をっ!!)」」」」

 

 四大聖堂を任された”四長老”たちの誓いにより締めくくられたのだった。

 ロシア革命で疲れ切り、ついこの間まで実年齢以上に老いたように見えたその顔には、今は瑞々しいまでの、いや、生々しいまでの精気に満ちていた。

 失ってしまった理想を取り戻すのは、決して簡単なことではない。

 だが、長老たちは老いた心に信仰の炎が再び灯り、魂が熱を帯びるのを確かに感じていたという。

 

 

 

***

 

 

 

「シェレンベルク、あんな感じで良かったか?」

 

 

「いや~、名演説名演説♪ 録音しておいて正解でした。煽動演説(アジテート)の良い見本になりますよ」

 

「言い方ァッ!」

 

 この男は……いや、あれはあくまで相手と場の空気に合わせたものだからな?

 

「これでも元外交官、これくらいの芸当はできる」

 

「いや、どう考えても、元外交官がやっちゃいけないスキルを発動したような……」

 

「ん? そりゃどういう意味だ?」

 

 詳しく聞かせてもらおうじゃないか。

 

「……なんか、ものすごーくヤベェ新興宗教が生まれた気が。具体的には、西洋版嵩山少林寺(ガチ)みたいな武闘派の寺院が四つ生まれたというか」

 

 石山とか比叡山を出さないあたりが、ポイント高いな……じゃなくて。

 オイコラ。小野寺君よ、

 

「不吉な予言はやめるんだ。フラグになったらどうする?」

 

「いえ……フラグというより、もはや埋葬後の心臓マッサージくらい手遅れ感が半端ないというか」

 

 いや、噓だよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




石油関連は、やはり色んな意味でドロドロしているなぁーと。

それはさておきこの男(クルス)、長老格相手に何をやってるんだか……
うん、外交官の腹芸って、多分こういうんじゃないよね?w



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第223話 総統閣下は、思考を沈降させ現状を再確認する。意外とこういう所は転生者っぽい総統であった

タイトルのまんまですが、そういえば「この世界のヒトラー目線で見た戦争」ってあんまり書いて無かったなぁ~と。




 

 

 

 その日、ドイツ総統アウグスト・ヒトラーは思考を”沈降”させていた。

 より深く”ヒトラーではなかった(・・・・・)前世記憶”と現在の意識をリンクさせる為に。

 日英同盟との停戦が成って以来、状況は余りにも目まぐるしく推移していた。

 だからこそ、現状を明確化し、今後の国家方針(ドクトリン)を改めて見直そうと考えた。

 

「コーカサス油田への侵攻が不必要になったのは、素直にありがたい物だ」

 

 今生のドイツにも人造石油(液化石炭の合成燃料)の精製技術もプラントもある。

 具体的には、ベルギウス法やフィッシャー・トロプシュ法を用いて、石炭から理論値年間650万tの合成燃料が精製可能だ。

 だが、人造石油には固有の問題があった。

 

 一つは、燃料として精製するまでにコストがかかり過ぎること。

 例えば、今生におけるドイツの標準航空機燃料は史実のC3燃料(96オクタン)準拠なのだが、実は史実と意味が少し違っている。

 C3燃料は平たく言えば、”オクタン価96のガソリン”、現代日本で言えば”ハイオク”に該当する意味しかなく、これが石油由来なのか石炭由来なのかは問題とはならない。

 ちなみにB4燃料も”オクタン価87のガソリン”で、”レギュラー”扱いだ。こちらは、主に車両に使われているようだ。

 

 そして問題なのはC3もB4も、石炭由来の合成品は石油由来のそれに比べて燃料として精製(製造)するのに倍以上のコストがかかるという事だ。

 更に精製量の問題もある。

 650万tと言うと多いように聞こえるかもしれないが、この世界線におけるドイツは、民生用……自動車燃料としても普通に販売されている。

 

 史実のドイツとの大きな違いは、戦争景気により民需が非常に活発であるという事だ。

 そして、史実では事実上、失敗したモータリゼーションも、この世界線ではアウトバーンと”国民車計画”を象徴とし、戦時下でありながら目下急速に拡大している。

 トート機関の活躍もあるが、逆に戦時下ゆえの大胆な施行が可能だった。

 

 そもそもヒトラーは、略奪・収奪などのその場限りの短絡的な方法で軍事費を戦争を遂行しようとは考えていない。

 

 国力の富裕化、土地と人口を拡大し、その経済を活性化させ税収を底上げする恒久的な方法、正しく”富国強兵”の方針を遥か以前より固めていた。

 その為に占領した国々をさっさと親独政権になることを条件に再独立させ、国際社会に復帰するように後押しまでしたのだ。

 

 それは即ち、ドイツという国家にとっても利のある「友好的な貿易相手国」の確保の他ならない。

 太古より、通商や交易というのは大きな利益を生む。

 史実のヒトラーと今生のヒトラーの圧倒的な認識の差の一つは、この世界線のヒトラーは「民族資本と略奪行為で戦争できる」なんて甘い考えは持っていない事だ。

 

 経済的に劣勢な側が勝利した国家間戦争は、基本的に稀だ。

 戦争とは須らく、国家というシステムの衝突であり、それは同時に資本の衝突でもあるのだ。

 富国強兵という発想は、ある側面においてとても理にかなっているのだ。

 軍隊というのは金をかければ必ずしも強くなるものでは無いが、同時に金をかけなければ決して強くはならない物だ。

 そして、軍隊というのは得てして不採算赤字部門確定で、投資先には全く向かない。

 当然だ。国防……戦争というのは本来、生産性はない。

 だから、軍隊は公共事業としてやるしかない。

 

 収益が無く、際限なく金と命を要求するのが軍隊や戦争の性質だ。

 だが、国家はそこにヒト・モノ・カネを投入するしかない。

 無論、滅ばない為にだ。

 そして、金を得て物を作る為には、市場を活況化するしかない。

 ドイツという単独国家で賄えないなら、貿易を行い利ザヤで設けるしかない。

 つまり、戦争を遂行するためには他国からの貿易黒字という資金流入も必要なのだ。

 貿易収支というのはいつの時代にも勘定が難しいものだが、それでも行うしかない。

 

 だからこそのさっきもあげた占領国の再独立であり、友好的なノルウェーやデンマークには侵攻しなかった。

 また、オーストリア、チェコ、西ポーランドの併合は、巷で言われるようなゲルマンだのアーリア人だの民族だのと言う話ではない。

 もっと実利的な……この先に必要と思われる工業力と労働力人口の確保のために行っただけだ。

 

 だからこそ、史実では有り得ないくらいに併合国の国民を”甘やかして”いる。

 違う表現をすれば、善政を敷いていた。

 元がどこの国民であれ、どこの民族であれ、「今は同じドイツ人」という意識を持つように徹底的な宣伝情報戦(プロパガンダ)を行うようにゲッベルス宣伝相に率いる宣伝省に厳命している。

 

 そして、国内に残るユダヤ人を「迫害しているフリ(・・)をして、保護して労働力として確保」しているのもそれが理由だ。

 ヒトラーにとり、数百万の有益な労働人口を含む民族を他国にばらまくなど下策も良いとこだ。

 だが、ドイツに限っただけの話ではなく、欧州全域に残るユダヤ人への偏見や差別、第一次世界大戦の敗戦(”背後の一突き”)でより先鋭化したドイツ語圏の反ユダヤ主義、そしてユダヤ人自身が持つ被差別思想……これらを内包した上で、彼らを労働力として養うこととした妥協の産物が、

 

  ”強制収容所を僭称する隔離型工業都市(・・・・・・・)

 

 の設営という苦肉の策だ。

 ヒトラー自身も、これが「まやかしの隔離政策」だという自覚はある。

 だが、人工的にユダヤ・コロニーをシェルター化する以上の方法がなかった。

 正確には、「誰にも目立った不利益を出さず、国益を出す」には、これ以上の方法が無かったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 話の風呂敷を広げ過ぎたが……

 史実と比べ物にならないほどの工業力と労働人口を抱え、また友好的な貿易相手国を持ち、フィンランドという頼りになる(ソ連に対して利害が一致する)同盟国まで得た。

 「ソ連からの解放者」という看板(たてまえ)を自ら進んでかなぐり捨てるような真似をせず、バルト三国やウクライナとの関係も良好。

 当然、元々反共同盟関係にあるルーマニア、ブルガリア、ハンガリーとの関係は良好な状態を続けている。

 というか、常に細心の注意を払っている。

 何しろ共産主義者が、常に切り崩しを試みているような状態だ。

 

 更に日英同盟との関係も停戦から良好化の流れに乗れている。

 利害が一致すれば、日英は”時の氏神”となることをヒトラーはよく理解していた。

 

 実は、バトル・オブ・ブリテンを始め、英国にあっさり味の一当てをしたのは、実は「実力を測る」という側面が、少なくともヒトラーには強かった。

 はっきり言って、”弱い相手”なら手を組む必要がないからだ。

 英国が弱ければ、史実同様(・・)に、アカに浸食された挙句に米ソの飼い犬に成り下がる未来しかない。

 しかし、英国もまた史実と異なる在り方(スタンス)であることを確認でき、ヒトラーは内心で安堵した。

 彼らもまた「米ソの踏み台にされ、”ドイツへの噛ませ犬”として使い潰された」ことで発生した”戦後の大衰退”を拒否してる事を確認できたからだ。

 ちなみに日本に関してはあまり心配はしていなかったようだ。

 明らかに前世の大日本帝国ではないし、何よりユーラシア大陸の反対側、そこまで状況に大きな影響が出るとは考えていなかった。

 ただし、それは大きな誤算だったと今は反省している。

 ぶっちゃけ、戦争に影響が出まくっていた。

 それこそ、洒落にならないくらいに。

 

 

 

 その一端が、今回の話だ。

 ドイツは確かにコーカサス油田を求めていた。

 慎重に細心の注意を払って計画を練っていた。

 

 カスピ海まで侵攻するのはリスクが大変大きく、維持するのは更にリスクが大きく、また仮に万難を排除できたとしても、輸送コストが膨大になることはわかりきっていた。

 だが、それでも進出する価値はある………ペイできると判断された。

 

 その理由は、史実のドイツよりも更に”切実(・・)”だ。

 上記に挙げたように、今生のドイツは、史実とは比較できないほどの”巨大産業複合体”だ。

 そして、そのような国家において、”たかだか650万t程度(・・)”の石油では、軍隊を維持するのが関の山であり、軍隊を維持するための”国家の維持”には到底、足りないのだ。

 プロイェシュティ油田の産油量を足しても、正直、今は足りていてもこの先の消費の拡大を考えれば心もとない。

 

 加えてエネルギーコストの問題もある。

 純粋な国防上の理由で、「緊急事態に備えて代替燃料を確保・備蓄する」目的、採算度外視で行われるそれならともかく、民間に「他国石油の2倍以上の値段の自国合成石油を使え」などとても言えたものじゃない。

 その時点で、国際競争力はガタ落ち、明らかに経済に悪影響が出る。

 

 だからこそのコーカサス油田占領計画だったのだが……

 

「ある側面から見る限り、”戦争は変わった”」

 

 史実のユーロに代わる”大マルク経済圏”と事実上同義の”レーヴェンスラウム”の創出という目的は変わらない。

 共産主義者と戦うのも止めはしない。

 

 だが、安定的な……それも必要にして十分な量を金銭で(常識的な値段で)確保できるとなれば、戦争計画の変更も待ったなしだ。

 

「地中海からの安定的石油供給が行われるまで、いかにプロイェシュティ油田を守るかも重要だな」

 

 彼は、心持ち上機嫌に”ドイツ連合黒海艦隊報告書”と銘打たれた軍機のスタンプが押された資料を読み始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先ずは残念なお知らせを……この回で、ストックが完全につきました(泣

現在、224話は執筆中なのですが、筆が乗れば明日の同じような時間に投稿できますが、そうでなければ遅れると思います。

また、225話以降はあまり休みのない仕事に就いてしまったので、これまでよりかなり更新速度が遅くなることをご容赦ください。

おそらく500話近くなるこの物語、先の長い話ですが細く長く続けていきたいと考えていますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。

今後ともどうかよろしくお願いします。




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第224話 ”ドイツ北海艦隊”という火力的概念と、ターニングポイントになるかもしれない”とある組織”の立ち上げ

今回は少し、米国というより米軍(・・)の話が出てきます。
そして、何時ものようにアカが真っ赤に燃えます。
スターリンとルーズベルトの顔色も怒りで赤くなるかな?





 

 

 

 さて、アルハンゲリスク攻略戦と言っても、その港町対する戦闘は一度で終わったわけでは無い。

 6月中旬に行われた地上戦ステージは、むしろ攻略最終段階であったと言える。

 

 1942年の冬は史実同様に例年に比べ長く厳しく、万全の装備を整えスモレンスクに籠っていたドイツ軍でさえ辛さを感じるほどであった。

 ちなみにロシア人に言わせれば、「珍しくはあるが、一生のうちに何度か経験する冬将軍」とのこと。

 革命以後、短縮の一途をたどるロシア人の平均寿命を考えると、さほど珍しくはないのかもしれない。

 

 当然のようにアルハンゲリスク港は凍結し、この年は5月末まで船の入港ができなくなっていた。

 アメリカのバレンツ海ルートのレンドリース船団は、中継地であるアイルランドで雪解けならぬ氷解けを待っていたのだ。

 

 だが、アルハンゲリスク……白海の氷溶け(・・)を持っていたのは、何もアメリカ人だけではない。

 考えてみて欲しいのだが、暖流の影響で不凍港となっているムルマンスクが陥落したのは、もう相対的には半年前の話だ。

 そして、アメリカ人船団を騙せるくらいに港の体裁を整えたのは、4か月前……つまり、”バレンタインデーの喜劇”である。

 

 管轄はフィンランドだが、別に港を使っているのはスオミ人の艦船だけではない。

 ゲルマン人もまた、有力な艦隊をムルマンスクを母港にしていたのだ。

 

 ”ドイツ北海艦隊”

 

 史実ではフィヨルドに身を潜めて不遇な最期を遂げたが、その鬱憤を晴らすように今生では緯度の高い海で大暴れしている”ティルピッツ”を旗艦(リーダー)とする”彼女”らはそう呼ばれていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 そして、冬から春にかけても、不凍港というムルマンスクの特性を生かして、ドイツは手を抜かなかった。

 つまり、グラーフ・ツェッペリン級空母2隻を護衛艦隊を付けて増援として送り込んだのだ。

 

 ちなみにであるが……

 財政が史実ほど逼迫してないので、ライオン級戦艦(史実では未成艦)4隻同時建造に着手している英国、大和級4隻全ての戦力化を44年までに達成できそうな日本、日英独に対抗するためだろうか? 

 アイオワ級高速戦艦6隻に加え、伝統的アメリカ戦艦(中速・重装甲・高火力)の完成形と言えるモンタナ級戦艦4隻+シャルンホルスト級の対抗馬として計画されたらしいアラスカ級大型巡洋艦(実質的に巡洋戦艦)2隻の合計12隻を新規戦艦建造計画に加えている少々頭のネジが緩んだ建造計画をしているアメリカに比べればこじんまりしているが、ドイツも本国で新たに改ビスマルク級(H型ではなく戦訓を踏まえて防御力強化や小改良したビスマルク級)2隻、”フォン・モルトケ”と”フォン・クラウゼヴィッツ”、グラーフ・ツェッペリン級空母の”アーツト・ヘンライン(ヘンライン博士。半硬式飛行船の生みの親)”の追加建造が進んでいた。

 どうやら今生でのドイツは金があるだけでなく、総統閣下と海軍との関係も極めて良好なようだ。

 

 ついでに言うと、アメリカ海軍は太平洋戦争も真珠湾攻撃も経験していないので、史実同様に日本以上に大艦巨砲主義者が多く、また、レンドリースに反対・反発している(レンドリースでソ連に無償提供される物資は本来、米軍に供給されるべき物という至極当然の意見の)軍部の一派を宥めるためにも必要な処置だった。

 また、陸軍には新型爆撃機(当時、米国に空軍は無かった)や戦車の開発予算の増額などの対応を講じた。

 しかし、米陸軍にも行き渡っていないM3、M4という新型戦車のソ連への供給を議会が決めたため、結局は反発した陸軍は「使用弾丸の違い・全将兵に行き渡っていない」ことを理由に米陸軍は、最新の”M1ガーランド小銃”を始めとする陸軍工廠製を始めとする個人携行火器の供出を拒否する一幕もあった。

 また、戦艦建造に予算が回ったためと、海軍から特に強い要求もなかったために、エセックス級量産型(・・・)正規空母の建造計画は、大幅に縮小され予算が付けられたのは4隻だけだった。

 その4隻も現状の保有空母(レンジャー、ワスプ、ヨークタウン級空母3隻)と合わせれば、ドイツ海軍を圧倒できる……という建前で、「日英にとりあえず対抗できる(=そう簡単に攻めてはこないだろう)」という本音が見え隠れしていた。

 

 

 

 実際、アメリカ海軍において空母は、欧州での戦いの結果から「ロングレンジの航空機を運用できる対地攻撃兵器」としては、非常に有益だが、対艦攻撃兵器としては戦艦に未だ一歩譲るという評価だった。

 

 タラントではトリを飾り、圧倒的な破壊力を見せつけたのは戦艦だったのだ。

 そして、タリン沖で最も猛威を振るったのは潜水艦だった。

 

 つまり、未だにアメリカ人にとって海洋の女王は戦艦であり、恐れるべきはドイツ人の潜水艦だった。

 

 その結果、史実と似て非なる立ち位置を得たのが護衛空母のボーグ級で、史実では船団護衛に加えて英国向けのレンドリース用艦船として生産されたが、今生ではソ連海軍の運用能力の低さと海軍の根強い反発で、純粋な船団護衛用空母(対潜空母)として建造される事が決まったために建造計画数が史実の半分以下の16隻にとどまり、全て米軍の船団護衛で運用されることとなった。

 また、サンガモン級護衛空母は建造計画すらなく、アメリカが大戦に本格参戦しない限りカサブランカ級も存在しなくなるかもしれない。

 

 同じ理由でインディペンデンス級軽空母は生まれることはなく、そのまま船団護衛を主任務とするクリーブランド級軽巡洋艦として建造が継続された。

 

 巡洋艦や駆逐艦をしっかり整備しているあたり、ドイツ人の操る潜水艦への恐怖が垣間見えるようだ。

 

 

 

 そして、悲しい現実を言うなら、米陸海軍は要求した装備から分かるようにルーズベルト書記長と赤い取り巻きとは裏腹に、「日英だけでなく独とも本気で戦争するつもりは無い(・・)」ようだ。

 戦艦を整備するのは何も大艦巨砲主義だからというわけでは無い。

 渡洋侵攻作戦に輸送船に補給艦、揚陸艦にその護衛艦群だ。

 ロングレンジの対地攻撃ができる空母ならともかく、戦艦は揚陸作戦では火力支援役、即ち主役ではない。

 渡洋侵攻作戦は、「如何に侵攻地に兵力を揚げ、占領・維持するか?」が肝要なのだが、戦艦や船団護衛用の艦艇とは対照的に、そこを意図的に(・・・・)整備していないのだ。

 はっきり言えば、陸軍も共謀していた。

 彼らとて別に好んでドイツ人と戦いたいわけでもなく、ましてや日英となど冗談ではなかった。

 

 そして、彼らはいつの間にか立ち上げていたのだ。

 今生では、陸海軍が同じく共謀し、史実よりいくぶん早く、そして極秘裏に……ベノナ機関(・・・・・)を。

 如何にお気楽で共産主義者の浸透工作受けても気付かないアメリカとはいえ、日英独の発言を笑い飛ばす人間だけではないのだ。

 大統領がアレだと国民も軍部も苦労する。

 これはいつの世でも変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、話を再び5月末から6月初旬のアルハンゲリスク沖に戻そう。

 空母2隻を臨時に新たな仲間に加えた北海艦隊は、凍結が解除されるなりいきなりアルハンゲリスク港に襲い掛かったのだ。

 氷解を察知する速さと距離の差もあり、レンドリース船団よりムルマンスクを母港とするドイツ北海艦隊の方がいくぶん早かった。

 もう、一切の遠慮も容赦もない猛攻だった。

 比喩ではない。真面目に戦艦の主砲弾薬庫、空母の航空機用爆弾庫が空になるまでの攻撃は続いたのだ

 ただ、奇妙なのは市街地ではなく、”港や関連した軍事施設だけに”火力を集中させていた点だ。

 つまり、”アルハンゲリスクの港としての機能”を殺すことだけに集中していたのだ。

 理由はただ一つ。

 「アルハンゲリスクを占領するまでの間、レンドリース品を荷揚げできないようにすればよい」。ただそれだけだった。

 そして、港と残存兵力と評してよいソ連バレンツ海艦隊をまとめて叩き潰した後、ドイツ人(とフィンランド人)は水上艦、潜水艦、冬が終わって飛べるようになった航空機とあらゆる手段を使って徹底的にアルハンゲリスク港とその周辺に機雷をばらまき、濃密な機雷原を形成した。

 語義通りのアルハンゲリスク港の機雷封鎖であった。

 

 ソ連の掃海艦船は既に修復不能のスクラップになっていたし、レンドリース船団の努力に期待というところだ。

 そもそも戦時中にドイツ・フィンランド共にアルハンゲリスクを港として積極的に使う気はなかったので、時間稼ぎの機雷封鎖にも容赦は無かったのだ。

 燃料タンクに弾薬庫に倉庫、ドックにガントリークレーン……形あるものは須らく攻撃対象になった。

 港に関しては、軍民の区別などしなかったのだ。

 桟橋などには、新開発の対ベトン用の試作貫通破砕砲弾(砲弾型ブンカーバスター)や拡散焼夷(さんしき)砲弾まで使用された。

 また、艦隊の襲撃と同時に、ドイツ・フィンランドの連合爆撃機隊も襲い掛かった。

 

 比喩でなく港の全てが灰燼に帰したのだ。

 港だけで言うのであれば、タラント港やサンクトペテルブルグより濃厚で濃密な火力集中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 つまるところ、ヤンキー船団が到着する前に、アルハンゲリスクは港としての機能を完全に喪失していたのだった。

 そして、今度はバレンタインデーのような喜劇ではなく、”喜劇の様な(アメリカ人にとっての)悲劇”が開演されるのであった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




2時過ぎに帰宅して、慌てて未完成の話を完成させる概念w

それはともかく、始まりましたアルハンゲリスク攻略戦。
しかし、今回はまさにその前哨戦なんですが、同時にアルハンゲリスク港の命運を決定づけたエピソードです。

実は、この「どうという訳ではない一方的な海戦(?)」が勃発したのは、ちょうど第二次スモレンスク防衛戦とボロクダ陥落の間、クレムリン炎上でソ連の政府機能がマヒしている時なんですね~。
無論、白海の凍結なくなる時期とも重なったため、まさにドイツはこのタイミング、「ソ連が機能不全を起こし、米国レンドリース船団の到着前」を狙ったという事になります。

運要素が無いとは言いませんが、全ての作戦が連動しているのもまた事実。
総統閣下が史実のように無益な口出しをしない、むしろ転生者視点でテコ入れしまくってるドイツ軍は、手強いですよ~。

さて、マジに文章が尽きてしまったのですが、幸い週末は少し休めそうなので、その間に続きを描けたらと思っています。

今後とも、どうか応援よろしくお願いします。





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第225話 白海にて我、立ち往生す

アルハンゲリスクの戦いが、何やら妙な方向に……





 

 

 

 この世界線は、我々の知る歴史とは異なる事象が起きることが珍しくない。

 

 

 そして、アルハンゲリスクを巡る戦いでもこの世界線ならでは(?)の”珍事”が発生する。

 そう、アルハンゲリスク港を徹底的に破壊したドイツ北海艦隊と、アメリカのレンドリース船団と護衛艦隊が、白海の入り口であるカニン半島沖でニアミスしたのだ。

 この不測の事態に、ドイツ的に言えば大艦隊の指揮官に抜擢されて鼻高々で上機嫌なチリアクス提督は、

 

「これから米国船団に国際チャンネルで呼びかける。録画と録音の準備を」

 

 部下にそう命じ、彼は水平線の彼方に僅かに見える敵艦隊に呼び掛ける。

 アルハンゲリスクだけでなく白海は既に戦闘海域、戦場であるという事を。

 即ち、いかなる安全も保障できないと。

 

「我々としては、諸君らの良識ある賢明な判断を期待する」

 

 これは、歴史書(戦史)には”最大限の善意(・・・・・・)をもって行われた警告であり、ドイツ海軍の良識の発露”であると記されている。

 当然だ。

 チリアクス提督は、何一つ噓は言っていない。

 むしろ、真実だけを告げていた。

 

 しかし、アメリカ船団からの返答は無かった。

 彼らにしてみれば挑発以外の何物でもなく、されど明らかに船団護衛艦隊より有力なドイツ北海艦隊と正面から殴り合うのは冗談では無かった。

 だから、無視することにしたのだ。

 幸い、ドイツ海軍に船団を攻撃、積極的通商破壊を行う気がないようで、そのまま離脱する進路を取ったことに、船団長は安堵したという。

 

 この時のレンドリース船団は、ドイツ北海艦隊の弾薬庫がアルハンゲリスクに有らん限り放った為、ほとんど空になっていることを知る由もなかったし、故にチリアクスが「主砲どころか副砲の15㎝砲弾までほとんど使い果たし、戦艦が高角砲と機銃のみで戦う羽目になる」事を嫌って離脱したなんて理解できるはずもなかった。

 

 

 

 そして、米国レンドリース船団は正しく地獄を見ることになる。

 彼らだって掃海艦を随伴させ、駆逐艦や外洋トロール船に掃海具を乗せ、それなりに対策はしていた。

 しかし、ドイツ人特有の凝り性が機雷原にも発揮されていたのだ。

 つまり、アルハンゲリスク港周辺に敷設された10万単位のドイツ製機雷を除去するには、余りにも力不足であり、経験不足であった。

 

 触雷により最初の輸送船が沈んだ時、引き返していれば彼らの命運は、もしかしたら変わったのかもしれない。

 しかし、この船団の最高責任者は、敢闘精神に不足を感じない男であった。

 それは褒められるべきヤンキースピリットであったが……だが、今回においては裏目に出てしまったのだ。

 多大な犠牲を払いながらもアルハンゲリスク港を航空偵察できる距離に入った時、愕然とした。

 この船団に関しては、護衛空母が間に合ってなかったことも災いした。

 航続距離の短い水上偵察機からの悲鳴じみた報告……

 

 ”アルハンゲリスク港が在りません(・・・・・)! 何もかもが燃えて、あるのは瓦礫ばかりの『港の残骸』だけですっ!!”

 

 全てが徒労に終わった瞬間だった。

 例え船団がアルハンゲリスクに辿り着けても、荷揚げできなければ何ら意味はないのだから。

 そして、ニアミスしたドイツ艦隊が何を成し遂げたのか理解してしまう。

 

 予感はあった。

 当然だ。

 彼らの艦隊は、”白海からの帰路(・・)”だったのだ。

 しかし、そこまで徹底的な破壊をドイツ人が行えるとは、誰も考えていなかった。

 多くのアメリカ海軍軍人の認識は、ドイツは「潜水艦一流、水上艦三流の二流近海艦隊」だ。

 第一次世界大戦の印象もあるだろうし、ソ連海軍相手にはタリン沖で勝ったが、アメリカ人の認識だとソ連も同じく「田舎者の三流陸式海軍」だ。

 革命以降まともな艦隊演習や訓練をした様子もなく、また大粛清とやらで育成の難しい専門職の集合体である海軍の軍人も随分と血祭りにあげられたと聞いていた。

 ならば二流海軍とはいえ、紛いなりにもまともな海軍なら勝って当然と考えていたし、猛威を振るったのは潜水艦と聞いて、妙に納得もした。

 事実、ドイツ海軍は米海軍がライバルと考える日英同盟の艦隊に比べて悲しくなるほど規模が小さい。

 「己の巨大さ故の傲慢」、何やら旧約聖書にそんなエピソードがあった気がするが……結局、米軍は自分が”ゴリアテ”であることに、そうであるがゆえに潜水艦以外のドイツ海軍を過小評価していることに気づいていなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、彼らの悲劇は終わったわけではないのであった。

 確かにドイツ軍による”直接攻撃”は無かった。

 公式に独米で開戦してないのだから当然である。

 

 だが、相手はドイツ人である。

 彼らの気質を考えれば、このままレンドリース船団を逃がす訳はなかった。

 

 確かに直接攻撃はしていない……だが、彼らの防空圏内や対潜圏内の外側では、北海艦隊から連絡を受けた米海軍が一流と認めるドイツ潜水艦により機雷敷設が継続(・・)されていたのだ。無論、意気消沈するレンドリース船団の退路上(・・・)にだ。

 結局、米国人はタリンやアルハンゲリスクに誰が「水中から」機雷を敷設したのか理解していなかったのだ。

 満足なレーダーやソナーを持たない米国人にそれを察知する事は出来なかった。

 

 

 

 行くも地獄、引くも地獄……これはそういう状況だったのだ。

 白海は狭い海である。

 そして、アメリカ人はアルハンゲリスクに近づきすぎていた。

 つまり、彼らに成す術は既に無くなっていた。

 

 救難に来れるソ連の艦船はアルハンゲリスク港と運命を共にしており、一足早くドイツ軍の手により白海の底に沈んでおり、また降伏して救援を求めようにもニアミスしたドイツ艦隊は遥か彼方……既に母港のムルマンスクに着いているのかもしれない。

 

 いや、仮に降伏できた(・・・)としても船団がいるのは機雷原のど真ん中だ。

 ドイツ人やフィンランド人が、リスクを背負ってまで救援に来ることは望めない。

 当然である。

 そもそも、アメリカ人は最初から、「積み荷がロシア人がドイツ人やフィンランド人を殺すための武器」であることを華々しい式典まで行い公言していたのだから。

 

『お前たちを殺すための武器を満載してるが、とりあえず助けろ』

 

 などと言えるはずもなかった。

 

 はっきり言おう。

 米国レンドリース船団は白海で孤立した。

 そして、出来る手段は、艦船を放棄し機雷が反応しないような小型の脱出艇で陸地を目指すことだけだった。

 紆余曲折があり、ほんのわずかな生き残りが再びアメリカの大地を踏めたのは、戦後になってからの事であった。

 

 そして、彼らの死因の主たるものは戦闘ではなく”遭難”であった事を明記しておく。

 結局、彼らはムルマンスクを目指したレンドリース船団ほど運は無かったのだ。

 

 だが、少なくともこのアメリカ人にとっての悲劇は、後に思わぬ事態へと発展する。

 簡単に言えば……悲劇パートから喜劇パートへ転じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ちょっと短めですがアップです。
どうやら、事態は「アルハンゲリスク港の丸焼け」だけにとどまらず、そこを目指したばかりに白海で孤立する羽目になったレンドリース船団という構図になったようです。

まあ、自業自得ですがw

さて、相手はルーズベルト率いるアメリカン。
状況はこのままあっさり終わるわけもなく……変な方向へ流れ始めます。


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第226話 悲劇→喜劇と転じて解任劇? 転がる超大国はの行き着く先は……

今日はお休みだったので、気合い入れて書いてみました。
いやだって、いわゆる”愉悦”パートだしw





 

 

 

 さて、アルハンゲリスクを巡る本格的な攻防戦の前に惹起した、

 

 ”米国レンドリース船団の機雷原での孤立”

 

 という珍事は、そのあまり前例のない状況に輪をかけて、前例のない事態が発生した。

 まず、とても時期が悪かったのは間違いない。

 6月の初旬は、まだソ連はクレムリン炎上のダメージからの物理的復旧も政治的復旧もままならず、その混乱の最中にヴォロネジも陥落し、ついでにスギウラ・レポート第一弾(中央アジア系ソ連人の強制徴兵について)が国連で暴露され、混乱も収拾できない状況で難しい対応を迫られていた。

 

 加えて、各国のマスゴミ型コミンテルン同志にスギウラ・レポートを情報学的に握りつぶすように指示を出したら、今度は各国政府の広報や国営メディアに同じく情報学的返り討ちに合った。

 それだけならまだ良いが、どうやらスギウラ・レポート自体がリトマス試験紙、つまり赤化度合いの確認装置として機能したらしく、騒ぎ立てるメディアを公安や警察、諜報関係が背後関係を洗い、逮捕者が続出したのだ。

 

 また、浸透破壊工作が表面化したことにより、国連加盟国を中心とした多くの国で共産主義、社会主義、左派のシンパ組織が逮捕者を続出させた挙句に軽くて解散命令、場合によってはテロ組織として殲滅処分を受ける羽目になった。

 

 この時点で、インターナショナル・コミンテルン、世界共産主義同盟というソ連の張り巡らせた世界同時革命という熱病を発症する思想的感染者集団のネットワークは、その連携をズタズタにされつつあった。

 無論、赤色感染マスメディアは、お得意の「表現の自由・報道の自由・思想の自由」を御旗に弾圧だとヒステリックな叫びをあげたが、”カティンの森”の真相を告げる一時報告書の公開に伴い、彼らの”出自(バックボーン)”が各国政府より明かされた結果、目論見だった大衆の煽動……上手くすれば、混乱に乗じての革命運動への転換と現政府・政権の打倒という流れは作れず、結果として「反政府活動」という更なる重罪カテゴリーで逮捕者を出す結果となった。

 

 参考までに言っておけば一部の国家を除き、叛乱罪は大抵の国で極刑に指定されている罪だ。

 まさに、”コメディー”だった。

 だが、これはギャグでは済まされないのだ。

 例えば、史実ではムッソリーニをリンチで殺して吊るすという如何にもアカがやりそうな”始末”をした民衆を赤色イタリアンが煽動して、どさくさに紛れてイタリア王室を潰している。

 共和制へ平和的移行したように書かれている事も多いが、真相は調べてみると中々に興味深い。

 身から出た錆という部分もあるが、イタリア左派勢力の行った王家に対するネガティブキャンペーンの悪辣さは、「やはりアカだな」と納得できること請け合いだ。

 更にギリシャではより血生臭い方向へ動いた。

 前にも話に出した「ギリシャ内戦」だ。

 

 彼らは隙を見せれば直ぐに国家転覆をはかり、実際にいくつも成功させているのだ。

 戦後、特に20世紀に起きた革命だのクーデターだのの事象の裏側にはソ連が居るのは常識であり、ソ連がいなければ大抵はアメリカが居る。

 結局、戦後という時代、冷戦という時代は米ソのパワーゲームに過ぎない。

 

 そして、そんな「くだらない」世界を拒否したのが、各国の転生者であり、その歴代の彼ら彼女らの影響を受けた各国が動いた結果が、このムーブメントに繋がっているのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、そうであるならば、転生者の影響が少ない国家であればこそ、史実を沿うような動きになりやすい。

 その代表格が、そう”アメリカ合衆国”だ。

 

 相変わらず赤色感染メディアは暴れ回り、それを発足したばかりの”ベノナ機関”が秘密裏に追いかけるという不毛な行動が続いていた。

 いや、流石に不毛と称するのは気の毒か?

 ベノナ機関は立ち上がったばかりで、今できることと言えば情報収集とその裏付け、証拠固めが精々だろう。

 彼らに何かを実働させるほどの力はない。

 だが、彼らもそう悠長に構えている訳にはいかなかった。

 

 彼らを含めた合衆国軍が忠誠せねばならぬ相手、アメリカ合衆国(れんぽう)大統領(しょきちょー)が、いつものようにいつものごとく愉快な発言をし出したのだ。

 

「今回、我らが輸送船団はドイツ人の操る潜水艦が放った”魚雷(・・)”にて沈められたのだっ! こうなってしまえば、今こそ合衆国はドイツとの直接的な戦いを行う為の準備をせねばならないっ!!」

 

 と議会で言いだしたのである。

 これに激怒した(フリをした)のがドイツだ。

 外相のノイラート自らが、各国の報道官を集めて大々的な発表を行ったのだ。

 

「まず、ドイツはソ連と戦争をしている。であればこそ、敵国の主要港を襲撃するのも”機雷封鎖”するのも当然であり、軍事的常識の範疇であると言える。そもそも援助物資が着くとわかっている敵国の港を攻撃しない、封鎖しない理由があるのかね?」

 

 (偽りの)怒りを滲ませながらと淡々と語り、

 

「アメリカ自身が語る通り、レンドリース船団には軍需物資が、我々ドイツ人とソ連と戦う仲間達を殺す武器が満載されていた。無論、我々もそれを理解していた。理解した上で、諸君、見るがよい」

 

 報道陣に公開されたのは、”最大限の善意を発露”させるチリアクス提督の映像と音声だった。

 事前に念入りに準備されていたことがよく分かる、臨時とは思えないプチ上映会。

 ゲッベルス率いる宣伝省は、相変わらず良い仕事をしていた。

 

「我々が積み荷が何であるのを知りながら、それでも誠意をもって警告したのだ! ここから先は戦地であり、危険な海だとっ!! だが、それを無視したのはアメリカ人なのだよっ!! 魚雷攻撃? フン。馬鹿馬鹿しい。そのような手間を講じるくらいなら、我らの北海艦隊が接触した時点で、既に殲滅を開始している」

 

 無論、北海艦隊はそれができる状況ではなかった。

 だが、弾薬庫がほとんど空になっていたなど、別に言う必要のある情報ではない。

 

「良いかね? 我々は別に現時点でアメリカと全面衝突するつもりがないことを明言しておく。むしろ、それを望んでいるのはアメリカなのだよ。当然だな? 合衆国大統領は、今やソ連の飼い犬(・・・)だ。自国や国民の利益を蔑ろにしてまで、ソ連を救援したいと参戦に対する工作を行うのは必然ですらある」

 

 厳格な表情を崩そうとしないノイラート外相……

 しかし、内心は某動画サイト並みにニッコニコだった。

 しかし、彼は”罠にかかった獲物を前に舌なめずりするのは三流の猟師”だということをよく理解していた。

 やはり、一国の外相まで上り詰めただけの器がある男である。

 

「この映像が残ってる理由も説明しよう。我が国が誇る情報部のプロファイリングにより、米国が”機雷接触で沈んだ自国の船を、ドイツ人が魚雷を沈めた”と主張して冤罪をかぶせてくる可能性は予測されていた。だからこそ、我々はチリアクス提督の”良心に従った判断”を咎めることはない」

 

 実は少しだけ虚実がある。

 あの”最大限の善意ある警告”は、間違ってもチリアクス提督の「個人の良識による判断」などではない。

 最初から、「レンドリース船団と接触した場合の第一優先(・・・・)オプションプラン」として命じられていたのだ。

 要するに”国際政治的なアリバイ作り(・・・・・・)”だ。

 

 プロファイリングを行ったのは当然のようにハイドリヒ率いるNSRで、筋書きを描いたのはカナリス率いる三軍統合情報部(アプヴェーア)

 どうやら史実と異なり、相変わらずこの二人の関係も組織間の関係も良好なようである。

 

「今回の件の非は、明らかに警告を無視したアメリカにあると断言できる。繰り返すがアルハンゲリスクは既に戦地だ。参戦する覚悟がなっていない者が立ち入れるような場所ではないのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 このドイツ外相の”告発”は、あっという間に世界を駆け巡った。

 アメリカ本土では共産主義シンパや赤色大統領とその取り巻きが必死に沈静化を図ろうとしたが、ラジオ電波は容易に国境を超える。

 また、アメリカでさえも赤化していないマスメディアというのは希少だが存在していた。

 

 そして、付け加えるなら……実は、この時代のアメリカ人というのは保守思想が強い。

 「ソ連に味方してドイツと戦争する」なんてシチュエーションを内心では望んでいないというのが、国民の大半の本音だった。

 むしろ、そんな中で(対ソ支援オンリーの)レンドリース法を成立させたこと自体が、史実に劣らぬコミンテルンの浸透工作の恐ろしさなのだが……

 

 

 だが、ここでドイツに意外な援護射撃が飛んでくる。

 それもアメリカ国内からだ。

 

「常識的な軍人として判断すれば、ドイツの主張におかしな点はなく、至極当然とも言える」

 

 他の誰でもない”アメリカ合衆国海軍長官”、ノックスからだった。

 つまり、”身内”からだった。

 これも当然であった。実際、いざ戦争となればドイツ人と戦うのは政治家ではなく軍人だ。

 冗談では無かった。

 更にノックスはこう付け加えた。

 

「船団護衛の部隊は確かに米海軍所属ではあるが、レンドリース船団自体は直接海軍の統制下にある訳ではない。あれらはあくまで政治的理由で組織され、運用されているものだ」

 

 

 

 この「身内の裏切り」に対する発言、いわゆる「ノックスの責任逃れ」に激怒したのはルーズベルト大統領であり、大統領権限で解任してしまう。

 それに賛同したのはいつもの赤化取り巻きだけでなく、民間上がり(・・・・・)の”アメリカ合衆国陸軍長官”、対独強硬派で知られるスティムソンだ。

 この男、史実では1200万人の陸軍兵と航空兵の動員と訓練、国家工業生産の30パーセントの物資の購買と戦場への輸送、日系人の強制収容の推進、原子爆弾の製造と使用の決断を行っている。

 つまり、ルーズベルトの同類であり、死ぬのは軍人だけだと理解して行うタイプのクソ野郎(・・・・)だ。

 

 後任は、キング海軍作戦部長がそのまま繰り上げで海軍長官に就任することとなった。

 

 

 

***

 

 

 

 ノックスは自分が解任されることを理解した上での行動だった。

 これで、「この時点での参戦」が回避できるなら安い物だとさえ考えていた。

 そして、彼の去り際の言葉を記しておこう。

 

『民衆から選ばれたというのに、まるで我が国の大統領は、どこかの赤い国の書記長のようではないかね?』

 

 その後、一線を離れたノックスは史実の”病死(心臓発作)”を乗り越え、1950年代後半まで生きる事になる。

 まあ、アメリカ関係では要人が心臓関係で死ぬ事例が多すぎるような気もするが……

 

 それはともかく、悲劇から喜劇に転じた物語は、やがて超大国の”迷走(・・)”へと繋がって行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい。”Yankee Doodle”全開なアメリカ合衆国でしたw

でも実際、こいつら史実の第二次世界大戦で「ソ連に頼まれたから」って理由でノルマンディーとかやらかす連中だしなー。

まあ、せめてこの世界線では転がるところまで転がって、落ちるところまで落ちてもらおうかとw

もっとも、このままいくと少なくとも45年までは「本土には」ダメージが入ることもなく、本土でぬくぬくしていた人間にとり、「所詮、戦争は他人事」な日々が待っているという。

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第227話 1942年7月4日

本日は国民祝日(敬老の日)の筈だけど、午後から普通に出勤で深夜2時過ぎまでの通常シフトだZE☆

まあ、日曜は休みだったので何とか1本書き上がりましたので、投稿っと。
とりあえずアメリカン・ラプソディーは書いてて愉悦してしまう罠w






 

 

 

 さて、唐突だが皆さんは「ルーズベルトと15ドルのホース」の逸話をご存知だろうか?

 

 レンドリースが回収の見込みがないことを問題視されていたことに対し、ルーズベルトはメディアを通じて国民にこう訴えた。

 

『となりの家が火事で燃えているとする。火事を消すために隣人にホースを貸すようなものである。そして、火事が消し止められたときに「ところでお隣さん、このホースは15ドルしました。15ドル払ってください」とは言わないだろう。私は15ドル払ってもらうのではなく、火事がすんだ後にホースを返してもらえばよいと思う』

 

 この説明でレンドリース法を納得したアメリカ国民は、心底阿呆じゃないかと思うのだが……

 それはさておき、

 

 バレンツ海における二度に渡るレンドリース船団の(米国の自業自得ともいえる)失敗と、ノックス海軍長官の解任で釈明を求められたルーズベルトは、少し内容を変更しながら15ドルのホースを例えにだし、窮地を乗り切ろうとした。

 だが、タイミングが悪かった。

 政敵は容赦なく、

 

「あなたのポケットマネーで買ったホースをイワンにくれてやるのは貴方の勝手ですが、投入されるのは国費であり、もとをただせば国民の税金であることを忘れないで頂きたい。貴方が私的理由でソ連という国家に渡していいものではない」

 

 とやり返し、同時にレンドリース法の見直しと、レンドリース船団の即時凍結を訴えた。

 しかし、ルーズベルトは太平洋(渤海)ルートの健全性と、現在、急ピッチで進みつつあるペルシャ湾ルートを引き合いに出し、安全性をアピールする。

 しかし、共和党議員は待ってましたとばかりに、

 

「その太平洋ルートは、どこかの大統領の人種差別的(レイシズム)発言により日本皇国との関係が悪化の一途を辿り、もはやいつまでも安全とは言ってられないのでは?」

 

 正しく身から出た錆であった。

 

「ペルシャ湾ルートも英国人の支配領域のすぐ横を通るのをお忘れなく」

 

 彼らはルーズベルトの政敵である以上、その周辺の情報もよく調べ上げていた。

 もっとも情報の出元(ソース)は言わぬが花だろうが。

 

 

 

 とはいえ、それでも太平洋ルートは公海を通る限りは日本皇国は目立った妨害をしてこないし、ペルシャ湾ルートも史実前倒しで機能しつつあることも事実だった。

 しかし、ルーズベルトがガチギレしそうになったのは、

 

「ところで太平洋ルートがシャットダウンされたら、ソ連の為に対日戦(オレンジ)計画を発動させる気ですかな? アメリカ合衆国書記長(・・・)殿」

 

 ルーズベルトは、この共和党議員を名誉棄損で訴えた。

 民主党は伝統的に弁護士上がりの人間が多く、勝率の高い法廷闘争だった。

 また、司法関係は(史実同様に)アカに強く浸食されている分野であった事も、功を奏した。

 

 ルーズベルトは、この小さな勝利に大変満足を感じていたが、同時に「孤立したレンドリース船団そっちのけで法廷闘争をおっぱじめる大統領」が民衆からどう見られるかは理解していなかった。

 

 それは取り巻きとて同じである。

 彼らは”大衆とは操作するもの”だと定義していたからである。

 つまり、自分達の意のままに操れると。史実でそうだったように。

 彼らのやり口でロシア革命は成功したのだ。

 そして、エリート志向の強いインテリで理想主義者であればこそ、共産主義に重度感染するのは世界中で共通の傾向である。

 高度教育を受けた高収入のパワーエリート層(エグゼクティブ)の彼らは、学のない民衆を無意識で見下すものだ。

 特に米国は、「収入こそが社会的ステータス」という概念があり、稼ぐ金額・持ってる金額が社会的順列という風潮がある。これは過去の話ではなく現在のアメリカ合衆国を見ても、「金持ちは偉い」とされる感覚は現役のようだ。

 これは単純な拝金主義にとどまらない。

 アメリカにおいて社会的成功とは収入額を意味するのだ。つまり、金とはサクセス度のパラメータである。

 それは個人にとどまらず企業単位、国家単位でもそうだ。

 「正しい者が成功する」のではなく、「成功した者が正しい」のがアメリカ社会であり、それが彼らが考える”資本主義(・・・・)”だ。

 それ故に彼らの強欲さと傲慢さは単純な悪意ではなく、何も持たない故郷で食い詰めた移民が作り上げた国だからこそ生まれた、より構造的で根源的な思想なのだ。

 彼らが何故、”祖国から逃げ出す羽目に陥ったのか?”を考えれば、感覚的に理解しやすいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、アメリカ人が”白い御殿”で、意味があるような無いような喧々諤々をやってる間にボログダが陥落し、白海のレンドリース船団の救出が決まらないまま政治闘争から法廷闘争へシフトしている間に、アルハンゲリスクにドイツ軍は迫り……そして、見せ場のないままに陥落していた。

 

 いや、待ってくれ。

 石を投げないでくれ。

 

 本当に語るべき戦いが無かったのだ。

 何しろ、前哨戦……ドイツ北海艦隊の攻撃で、港湾機能は半壊どころかほぼほぼ全壊していたのだ。

 そして、ラドガ湖とオネガ湖、ボログダが抑えられた以上、アルハンゲリスクの生命線は内陸へ続く”北ドヴィナ川”しかない。

 ちなみにアルハンゲリスクはこの北ドヴィナ川の北岸にあり、南岸と繋がる橋を落とせば、防衛は可能だと考えていたし、実際に防衛側の赤軍は橋を爆破して落とした。

 つまり、北ドヴィナ川の物流が維持でき、また川を要害とすれば耐えきれると考えたのだ。

 

 基本、アルハンゲリスクから内陸へ繋がる大きな陸路は無く、陸路で移動しようとすれば、一度、南岸に出るしかないのだが……言い方を変えれば、彼らは自ら陸路での連絡を切り落とした。

 まあ、ボログダが陥落した以上、間違った判断とは言い切れないのだが……今度は、言い方では無く視点を変えれば、ドイツから見るとアルハンゲリスクの命運は北ドヴィナ川一本に絞られたのだ。

 

 つまり、状況は単純化された。

 さて、史実の戦時中、アメリカ軍は海だけではなく水上交通を遮断するために河川にも機雷を落とした。

 そして、史実のアメリカ人がやったことを今生のドイツ人がやらない道理はない。

 

 まあ、河川の機雷封鎖を提案したのはどこぞの”花十字公”という噂もあるが、別に彼でなくても考えつく手段ではある。

 また、要所への機雷敷設(いくつもの河川機雷原の形成)と同時に南岸に砲兵陣地やダグインさせた戦車陣地を築き、アルハンゲリスクに近づく船舶を片っ端から砲撃で沈めるように指示もした。

 装甲兵たちは呟いたという。

 

『まさか、戦車で川船撃つことになるとは思わなかったぜ』

 

 と。

 更に分解して持ち込まれていた小型の魚雷艇(Sボート)を運び込み、河川哨戒艇として用いた。

 まさに”ブラウンウォーター・ネイビー”の走りである。

 蛇足だが、魚雷艇を分解して陸路で目的地に運び込むという方法は、既にドイツ本国からルーマニア沿岸、即ち黒海へ搬入するという作業で実績を作っており、今回はその経験が大きくものを言った。

 

『経験というのは、いつどこで役に立つかわからないものだな……』

 

 これは、”ドヴィナ川哨戒警備隊”という名目でSボート部隊12隻の指揮を任された、とある大佐の言葉である。

 無論、空軍も攻略に手を抜くつもりもなく、規模の差はあるが、ドイツ陸海空軍の夢の共演となった。

 

 

 

***

 

 

 

 こうして、アルハンゲリスクの残された生命線である北ドヴィナ川は航空機からの投下などによる河川用浅深度機雷の敷設、沿岸からの砲撃、魚雷の代わりに機関砲や機関銃、あるいは機雷を搭載した魚雷艇改めレーダー完備の河川哨戒艇により封鎖された。

 真綿で首を絞められるように、じわじわと喉元を締め上げられたのだ。

 もっとも、前回より規模も破壊範囲も拡大した二度目のモスクワ空襲でソ連の混乱は続いており、ドイツ軍が手を出さなくともどこまで補給がなされたかは疑問符がつくが。

 だが、かと言ってそこで怠惰にならないのが、今生のドイツだ。

 

 後はルーチンワークであった。

 アルハンゲリスクの対岸に設置されたドイツが誇る重砲部隊の乱れ撃ちと、連日の爆撃で抵抗力を奪い、そして最後は……河川揚陸舟艇でドイツ軍は川を渡った。

 魚雷艇が持ち込めるのなら、他の川船を持ち込めない道理はないという訳だ。

 

『アルハンゲリスク落とすのに橋掛けは要らぬ。兵が川を渡れれば良い』

 

 とはアルハンゲリスク攻略部隊司令官の言葉だったという。

 無論、残されたなけなしの火器でソ連軍は防戦を試みるが、揚陸ポイントに対岸から山ほど掃除代わりの事前効力射を撃ち込まれては、満足な反撃などできるはずもなかった。そもそも頭を揚げられないのだ。

 おまけにドイツ軍は必要ならば遠慮なく大はHe177、小はJu87やHs129まで飛ばして来るのだ。

 高性能無線機装備の前線航空統制官や前線砲撃統制官は、実に良い仕事をしていた。

 更には暇を持て余した(?)魚雷艇が、サンクトペテルブルグ謹製の120㎜級迫撃砲を載せて簡易砲艦(モニター)として火力支援してくる始末。

 

 大げさではなく時計の短針ではなく長針が進むたびに増えてゆく被害に耐えかね、赤軍アルハンゲリスク防衛隊が国旗(赤旗)を下げて白旗を掲げたのは……

 

 ”1942年7月4日”

 

 の事だったという。

 ドイツは、今回の作戦に関しては即座にその事実を世界に公表した。

 つまり、アメリカは、あるいはルーズベルトは祝うべき1942年の合衆国独立記念日(インディペンデンスデイ)に、「アルハンゲリスク陥落」の第一報を聞くことになった。

 それは即ち、少なくてもバレンツ海ルートでのレンドリース計画の完全な”破綻(・・)失敗(・・)”を意味していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一応、誤解のないように言っておくが……

 ドイツも狙ってこの日にアルハンゲリスクを降伏させた訳じゃない。

 相手のいる戦争で、ヒトラーも「この日に落とせ」なんて無茶は言わないはずだ。

 そして、普通は物事はそうタイミング良くは行かない。

 

 だが、そうなってしまったのだから仕方ない。

 事実は小説より奇なりという奴だ。

 

 しかし、これがアメリカに対する”最大限の挑発”だと、ルーズベルトが(・・・・・・・)思い込んでも、また無理もない話ではあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、アメリカが内部でわちゃわちゃやってる間に、事態は……戦争は容赦なく進んでゆくという。

港を艦隊の強襲と機雷封鎖で死に体とされ、北ドヴィナ川も河川機雷、要所の砲撃陣地、魚雷艇転用のパトロール艇という三重苦で封鎖。

逆にボログダ陥落から半月以上、ドイツ軍の念入りで執拗な攻撃に耐えたアルハンゲリスクをむしろ褒めるべきか?
ちなみに何時ものように市民は持てるだけの荷物を持ち出す自由が許されて解放され、無事に国内戦争難民へ。
夏だから凍死することもないだろうという配慮がなされています。
捕虜になった高級将校たちは、相変わらず今度は暖かい地方での厚遇が待ってます。
懐柔工作とか言ってはいけないw

さてさて、レンドリース・ルートの一つ、それもモスクワに最も近いルートが破綻した米ソはどう出るのか……?


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第228話 正調”コノエ節”と汚ねぇ罵り声 ~ペルシャ湾ルートも楽では無いようですよ?~

今回は、日米トップの共演(?)となっております。





 

 

 

 インディペンデンスデイに届いた”アルハンゲリスク陥落”の報は、これ以上ないほどアメリカの祝福の空気を台無し(・・・)にした。

 何しろ、序盤の序盤で「ソ連救援に最も有効で、モスクワに最も近いレンドリース品搬入ルート」が潰され、計画が頓挫したのだ。

 

 無論、太平洋・渤海ルートは健在だが、結局のところそのルートは最終的にはシベリア鉄道の運送力頼りであり、太平洋とユーラシア大陸を跨いで地球の反対側まで物資を届けねばならない長く面倒なルートだった。

 また対日関係が悪化すれば、直ちに使えなくなるかもしれない危険性を孕んでいた。

 ルーズベルトが大統領である以上、日本皇国との関係改善は望めないのは自明の理であった。

 何しろ、ルーズベルトの発言は、日本皇国に知れ渡り、コミンテルンに浸食され尽くされているのに何ら有効な手を打ててないアメリカの内情は筒抜け……というより、アメリカ人より詳しく知っていたのだ。

 

 そして、米ソのマッチポンプでイランを言いなりにした事で得た、史実より前倒しで整備されつつある期待の新人”ペルシャ湾ルート”だったが……

 

ふざけるなっ(ダムファッ○)!!」

 

 今日も大統領執務室では、放送禁止用語交じりのルーズベルトの怒声が響き渡る。

 7月の初旬、正確には日本時間の7月7日に、

 

『今日は7月7日、七夕だ。偶には風流な報告でもするとするかねぇ』

 

 というオープニングから始まった各国メディアを集めた近衛首相の発言は、アメリカ……レンドリースを我がことのように考えるアメリカ在住の赤い人々には、明確に不愉快な物だった。

 

 つまり、正統フランス政府(米国式にはパリ・フランスだのオールド・フランスだのペタン・フランスだのとイマイチ安定しない珍妙な呼ばれ方をしている。フェイク・フランスという呼び方をド・ゴールは広めようとしたが、「そうなるとフランス本土に居なく、パリが首都でもないフランスの方がフェイクじゃね?」という至極真っ当な意見により失敗している)から、セーヴル条約以降フランスの委任統治領だったシリアとレバノンの委任統治権を日本皇国に財政難を理由に売却し、日本皇国は対象二国の独立国化を支援するというのだ。

 

『俺も日本皇国の海外の評価、”よくわからん連中”だの、俺を筆頭に”変人窟”だのって言われているのは理解しているが、たまには中東の平和と安定に貢献って奴をしても悪くねぇんじゃねえかと思ってな』

 

 その対価は、リビアでの躍進が伝えられている”アラビア石油開発機構(アラ石機構)”と現地政府で共同開発・運営される油田から産出される石油の日本側分配分から、将来的に現物で支払われる事も同時に発表された。

 ちなみにインドネシアとリビア・シリアの石油バーダー交換の話は、今回は見送られたようだ。

 別に防諜上の理由ではなく、実際にまだ石油の生産が始まってないのに発表するのは時期尚早とされただけだ。

 

 忘れないように言っておくと、今生の日本は樺太油田を持つ産油国で、国内の石油消費程度は自前で賄えるため、石油供給に不安がない事と、ただでさえ戦争税(消費税)10%が39年より導入されているのに、更なる増税がないことに皇国国民は安堵し、また「平和と安定」という耳触りの良い言葉を好意的に捉えていた。

 

 日本皇国本土が直接的な攻撃にさらされてないとはいえ、昨今の話題が戦争関連ばかりで皇国民は少々食傷気味だったのだ。

 今回の話題は、それに対する一服の政治的清涼剤として機能したようだ。

 真相やら舞台の裏側を知らないというのは、実に幸せなことである。

 そして、近衛の名調子はまだ続く。

 

『って訳で、晴れて独立国になって国として安定するまで、皇国の軍隊が用心棒代わりに張り付くって事になっちまったって訳だ。まあ、既に国連を通してるし、関係各国にも話は通してるが、よろしく頼んますってこったな』

 

 起きたのは失笑。

 その意味は、

 

 ”ああ、また日本皇国が巻き込まれて、尻拭いさせられてるよ”

 

 だった。

 左派だのソ連だの共産主義だのコミンテルンだのと枕詞の付かない中道のマスコミにとって、もはやこれは恒例行事になっていたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 日本皇国首相、近衛公麿には就任以来いくつも興味深い発言があるが、その中で一つ有名な物を列記しよう。

 それは、同盟国である英国がドイツとの開戦準備に入ったとき、大規模な軍事力の派兵、つまり双務同盟である”日英同盟の完全なる履行”を宣言したときの事だ。

 とある外国人記者に、「なぜ、日本皇国は直接的に自分たちの権益に関係ない戦争に全力で挑むのか?」と質問されたことがあった。

 

 悪意があったわけでは無い。

 ただ、純粋に疑問だったのだろう。

 この記者の祖国がある欧州では、裏切り裏切られるのが日常茶飯事、同盟の完全な履行なぞ成された試しが無いに等しい。

 だからこそ、大きな国益があるわけでもないのに全面参戦を表明する日本皇国が不思議でならなかった。

 いや、正確には懐疑的だった。

 だが、近衛はこう返答している。

 

『そりゃお前、一度締結した以上、それが破棄されるまでは同盟は同盟。契った以上、契約は契約、約束は約束だろ? 守れる以上、約束を守れるのが人の道ってもんだ。ましてやこいつは国同士の話、やんごとなき御方が治めるこの国に、天下の正道以外を歩ませるのは、政治家の名折れってもんじゃないのかい?』

 

 欧州では決して聞かれないだろう発言に、この記者はひどく感銘を受けたという。

 無論、各国の記者も日本が”巻き込まれ体質の間抜けなお人好し”だのとは考えていない。

 そんな連中が一世紀近く、”あの(・・)英国”とつるめる訳もなく、また厄介事や面倒事に巻き込まれながらも、その度にちゃっかりと国益を出してる抜け目の無さも持っていた。

 

 ”(西洋的な価値観の)善良でもないし善人という訳でもないが、決して悪人でもない。ただし変人である”

 

 というのが国家像ではないだろうか?

 まあ、変人という評価は国家や民族ごとの価値観の相違も大きく関係しているだろうが。

 ただ、日本を巻き込む勢力に、新たにフランスがダイナミックエントリーしたのは、紛れもない事実だろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 だが、この近衛の発言は、米国が断じて笑い飛ばせるような類の物では無かったのだ。

 

「あの小賢しく薄汚い腐れニップスどもめっ!!」

 

 何しろ、シリアの隣国はイランという国だ。

 ペルシャ湾ルートというのは、確かに未成熟という部分もあるのだが……元々史実よりも難易度が上昇してるハードモードの搬入ルートなのだ。

 日本皇国がレンドリース船団の自国の港を使用禁止していたり、領海を通行禁止にしていることは以前も話したと思う。

 それは、同盟国である英国も同じ処置をしており……つまりはレンドリース船団は、太平洋からインド洋への出入り口であるマラッカ海峡や、大西洋からペルシャ湾へショートカットできる地中海の東西の玄関口、ジブラルタル海峡やスエズ運河を通行できないのだ。

 無論、民間船ではなく軍艦は普通にアウトだ。

 単純な話、許可を出してない軍艦が勝手に領海に入ったり、港に侵入したりしたら即ち超ド級の敵対行動であり、時節的に即時撃沈命令が出る案件だ。

 という事は米国レンドリース船団は、わざわざアフリカ大陸(喜望峰沖)を回り込んでペルシャ湾へ向かう必要があるという事だ。

 より正確に言うのなら、東海岸より南下して実質的に保護領であるドミニカで補給を行い、そのまま南米大陸東岸を進み、比較的政情が安定しているウルグアイで最後の補給を行いアフリカ大陸南端を回り込むという面倒な物であった。

 地中海を使えた史実と比べればあまりにも長いが、それが現状における最も安全かつ最短コースであり、実質的に唯一のルートだった。

 ただし、アフリカ大陸東岸はほぼ全てが英国の統治下にあり、立ち寄れる港は無く、唯一使えそうなマダガスカルはフランス領であり、そこを制圧すれば政治的面倒を引き起こすことが確定的であった。

 いや、それを無視して占領できなくもないだろうが、各国との対外関係を今以上に悪化させた状態で、マダガスカルの占領維持を行うのは得策ではないと判断された。

 

 これだけでも十分に厄介かつ面倒なのに加えて、イランには「石油権益の保護」という口実で英国軍が駐留して色々と監視の目がありただでさえやりにくいというのに、ここで日本にまでまで居座られるというのだ。

 まさに由々しき事態だった。

 

 だからこそ、ルーズベルトは”革命的な一手”を模索する。

 それが結果として更なる混迷を招いても知った事ではなかった。

 

 世界は、”米ソ(・・)にとって”都合が良い物でないとならないのだ。

 他のことなど、全ては些事に過ぎない……それが、ルーズベルトの本音であった。

 

「そうだ。全ての現況は、日本人を欧州やアフリカに招き寄せた英国人(ライミ―)ではないか! ならば、あの捻くれ者共に落とし前をつけさせるのが筋という物であろうっ!!」

 

 ルーズベルトは天啓を得たように閃く。

 ただし、それはレンドリース船団の苦労を減少させるようなアイデアではなく、どちらかと言うと……”奇策”に該当するような物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん。史実の倍以上の航行距離が必要なレンドリース船団・ペルシャ湾ルートでしたw

まあでも、バレンツ海ルートが潰えた以上、まさか常に日本皇国の圧迫下にある……つまり、日本皇国の機嫌を損ねれば、いつ遮断されてもおかしくない太平洋ルートに頼り切るのは、米ソにとって得策ではありません。

まあ、ペルシャ湾ルートもイランを鉄道で縦断してソ連の内海であるカスピ海まで陸路で搬入しないとなりませんが、それでもシベリアとモスクワ間をシベリア鉄道で横断しなければならない太平洋ルートよりはマシか?

ただし、今生ではどっちも航路がバカ長い……距離の暴虐が立ちふさがる罠w

別に日本皇国は、ペルシャ湾ルート、シリアの隣国のイランにちょっかいかける気は(少なくとも表立っては)無いんですが、ルーズベルトはそうは思わなかった模様。

そして、どうも発想が斜め上だか下に行ったようで……

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第229話 金持ちらしい外連味のあるやり方(英国王夫妻の二つ名入り)

ルーズベルトの革命的で革新的な勝利への一手がここにw





 

 

 

「はあっ!? ヤンキーが”北アイルランド(・・・・・・・)”を買い取る(・・・・)だぁ!? しかも、対価は英国への貸付全額だとぉ!?」

 

 1942年7月10日、日本皇国首都東京の永田町、その首相官邸において近衛公麿の素っ頓狂な声が響き渡った。

 

「ああ」

 

 徐に頷く官房長官の広田剛毅に、

 

「バカなのっ!? いや、バカなんだろうな……んで、英国は受けるってか?」

 

 広田は再び頷き、

 

「是非もなしだ」

 

 近衛はため息を突き、

 

「だろうなぁ。あの”鉄拳国王(・・・・)(King of Iron Fist)”……ともかくとして、”銭ゲバ王妃(Money Greedy Queen)”がこんな千載一遇の好機を逃す訳ねぇよなぁ」

 

「見た目は、愛らしいのだがな」

 

「見た目だけ(・・)はな。中身は……まあ、言わぬが花って奴か」

 

(見た目は、どこぞの木組みの街の貧乏バニー娘っぽいが、中身は美神〇子と大差ない気配がすんだよなぁ~)

 

 

 何やら英国王室に関して、聞き捨てならないというか……史実では有り得ない風評、あるいは”二つ名”が出てきたような気もするが……

 それはさておき、状況を説明しよう。

 と言っても、話自体は極めてシンプルだ。

 

 要するに第一次世界大戦後のほんの一時期、20年代初頭から大恐慌前までほんの数年間あったとされる日米の蜜月期に行われた遼東半島&山東半島売却の話と基本的には同じである。 

 つまり、英国への貸し付けをチャラにする代わりに北アイルランドをよこせという内容だった。

 

 実際はもう少し細かい。

 当初、米国は日英同盟の切り崩しも兼ねて、英国のみ(・・・・)にマラッカ海峡、ジブラルタル海峡、スエズ運河の使用権込みで北アイルランドの売却を提案した。

 だが、英国はその要求に対して一笑に付し、『エイプリルフールは来年まで待て』とにべもなく突っぱねた。

 無論、米国とて最初から要求が飲まれるとは思っていない。

 絶対に相手が飲めない要求を突き付け、難癖付けるのが米国流交渉術だが、今回は訳が違った。

 

 実は、誰もが考えている以上にルーズベルト政権は切羽詰まっていたのだ。

 当然であろう。

 もっとも有益かつ最短のレンドリース船団航行ルートであるバレンツ海ルートが丸っと潰されたのだ。

 そうなれば、残るのは太平洋横断とユーラシア大陸横断セットの太平洋・渤海・シベ鉄ルートと、未成熟な上にアフリカ大陸を回り込まねばならない常に日英の監視に晒されるペルシャ湾・イラン縦断・カスピ海ルートしかない。

 どっちも日英の勢力圏を通り抜けるリスクがある上に距離がアホみたいに遠く、おまけにそれが可能な輸送船も限られてくる。

 特にペルシャ湾ルートは、南米からペルシャ湾まで無寄港で航行しなければならないのだから、船も船員も護衛艦艇も吟味が必要だ。

 

 となれば、必然的にレンドリース計画自体の見直しが必要になってくる。

 それどころか、主に共和党の政敵からは連日連夜「計画見直しのために一時、計画の中断を」という要求が上がってきているのだ。

 無論、ルーズベルトと赤いの含む取り巻き一派は、それを飲めばなし崩し的にレンドリース計画の凍結→廃止となる流れが読めていた。

 

 そして、なお悪いことに米国民の中でさえも「レンドリース計画見直し論」の声が上がり始めていたのだ。

 アメリカメディアの最大多数派であるコミンテルン汚染マスゴミや、その他の赤色汚染勢力の皆様が必死にレンドリース計画のポジティブ・キャンペーンをルーズベルトの政敵に対するネガティブ・キャンペーンと並行して行っていたが、その効果は日に日に鈍くなってきているようだった。

 要するに移り気な大衆から飽きられてきつつあった。

 

 そもそも、元来アメリカの大衆は、ソ連に対するレンドリースにさほど関心があるわけではなかった。

 「悪いドイツと戦うソ連を支援する正義のアメリカ」程度の認識しかないのが実情だったのだ。

 別にバカにしているわけでは無い。

 米国とは本来、自国大事の保守層が主流であり、海外に関しての関心は薄いのだ。

 これは現代でも変わらず、ウクライナ戦争より遥かに国内の中絶論争の方が関心が高いお国柄であり、また、他国からどう思われているかなども総じて関心低めだ。

 つまり、下手に完成度の高い自己完結型社会という訳である。だからこそ、共産主義者に付きこまれたのであるが……

 

 

 

 しかし、ここ最近は大分、風向きが変わってきてしまった。

 別段、米国民の国際意識が高くなった訳ではない。

 ただ、ソ連の悪行が次々と暴かれる中、政府やマスゴミが如何に否定しようと、電波(ラジオ)に乗って情報は国境の向こう側からも飛んでくるし、アメリカのメディアの大半は赤化しているとはいえ、少数ながらそうでない勢力も存在する。

 なので、アメリカ市民の中からも、

 

 『ソ連の悪行が本当かどうかはわからないけど、本当だとしたら、虐殺の片棒担ぎは嫌だなぁ』

 

 という声が出てきてるのも確かなのだ。

 もう、このムーブメント自体が、ルーズベルトと赤色汚染一派にとって由々しき事態なのだ。

 事実、ルーズベルトの当初は圧倒的だった支持率は、日に日に少しづつだが落ちてきているのだ。

 じわじわとした支持率低下は、政治家にとり遅効性の猛毒の様な物だ。

 

「このままいけば、次の選挙(1944年の選挙)の勝利も覚束ない……」

 

 まさに焦燥であった。

 現状の戦況から考えて、44年までに「ソ連が自力でドイツに勝利する」可能性は極めて低い。

 良くて硬直……その時、ルーズベルトが選挙で惨敗したらどうなるか?

 考えるまでもない。アメリカ大統領に限った話ではないが、現政権を倒して政権に付いたという事は、前政権の”誤った”政策の否定を期待されるという事だ。

 つまり、レンドリースの終焉である。

 実際、その陰りは42年の現在でも既に表面化しつつあるのだ。

 例えば、この世界線においてもルーズベルトは、

 

「アメリカは”自由主義(ソ連に配慮してか民主主義という言葉ではない)の兵器廠”とならねばならん」

 

 という趣旨の発言をしたが、今や……

 

「貴方は当初、レンドリースの為に”自由主義の武器庫”がどうとか言っておりましたが、アメリカが虐殺者揃いの共産主義者の武器庫となった気分は如何です? そういえば、そのフレーズを考えたのは、ソ連と昵懇なホプキンス氏だとか」

 

 と共和党議員に議会で公然と煽れる始末だ。

 ちなみにルーズベルトは、この議員を”虚偽の発言”を理由に議会侮辱罪で告発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあこんな状態なので、だからこそ政治的な会心の一手、逆転を狙えるインパクトのある政策が必要だった。

 だからこそ、今回の英国人の持ち物である二つの海峡と運河の使用権はブラッフ、ディベート材料に過ぎない。

 飲ませるべき本命は、最初からアイルランドの売却に他ならない。

 要するに最初に飲めない条件を出しておいて、米国側が要求を引き下げたように思わせるアレだ。

 

 だが、英国人はそんなものはお見通しだが……だが、今回はあえて乗ったようだ。

 もはやドイツとの戦争を継続する気がない為、アメリカの軍需物資支援などはいらないが、だが拡大した英連邦の再構築の為に金はいくらあっても困ることはない。

 というより米国への返済が無くなるだけでも随分と財政健全化の足しになるのだ。

 

 無論、米国だってこの展開は読んでいた。

 米国にとって都合が良いのは、「現在の財政から北アイルランド購入金」を予算編成しなくても良いことだ。

 アメリカ国民にとって「過去の出来事」となっている英国への貸し付けの無効化など、世論を大きく動かす材料にはならない。

 そもそも、第一次世界大戦後の好景気や大恐慌などの時代の荒波を超えた現在のアメリカ人にとり、英国への貸し付けなど「大した金額ではない(実際、史実の対英レンドリース総額より安い)」のだ。

 また、国内メジャー勢力であるアイルランド系移民(古参の移民でビッグナンバー。実は合衆国大統領はアイルランド系が多い)の悲願を果たすのだから、次の選挙に対しても盤石な姿勢で望める。

 

 つまり、アメリカが北アイルランドを買い取り、それをアイルランド政府に”移譲”する。

 無論、善意だとかではないし、政治的パフォーマンスオンリーでもない。

 米国は、その移譲した北アイルランドに基地を置き、尚且つそれは永久(無期限)租借地となる

 アメリカ、いやルーズベルトはアイルランド系住民の絶対の信頼という後ろ盾、友好国と欧州への橋頭堡を手に入れられ万々歳という訳だ。

 おまけに、ソ連との話では無いから、共和党議員も反対しづらいのが実に好都合だ。

 まさにルーズベルトが、「革新的で完璧な計画」と自画自賛するの仕方がないのだろう。

 

 

 

 だが、それは同時にある疑惑を他国に持たせる事になる。

 

「広田サン、バレンツ海ルートが潰れたのにアイルランドの基地能力を強化するってことは……」

 

 近衛は深く思慮し、

 

「ヤンキーはどうやら、ドイツと直接対決する準備に入ったと考えていいんじゃねぇか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと間が空きましたが、投稿再びです。

いや、最近仕事が終わるのが深夜2時半、帰宅が3時台なのがデフォなので執筆時間が(泣

泣き言はともかく、ルーさん、借金のカタに北アイルランド取り上げて、アイルランドに献上した体裁で、恒久的に米軍基地化する模様。

大統領多数派のビッグナンバー、アイルランド系移民を完全な味方に付けられ、友好国と前線基地をゲットして、アメリカ大勝利の予感w

いやー、金もちってすごいなー(棒
でも、やっぱり国際情勢は見えてないというか……

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第230話 アメリカとアイルランド、その繋がりについて R氏「ボクが一人で原案作った大戦略だよ? 本当だよ?」

爽やかな秋晴れ日曜の午後に不適切かつ不健全な内容ですw
しかも5000字越えで、シリーズ有数の長さを誇るエピソードという。







 

 

 

 さて、米軍が北アイルランド………ではなく、アイルランド島北部から西部にかけて基地を設営するメリットとはなんだろうか?

 端的に言えば、欧州への物理的アクセスゲート、橋頭堡の確保だ。

 欧州で大規模な軍事行動を起こそうとすれば必ず大規模な集積地が必要になってくる。

 また、立地条件から考えても実は北西アフリカへのアクセスも非常に良いのだ。

 

 アメリカ本土東岸主要港からでは、具体的にモロッコのカサブランカまで5000㎞以上6000㎞弱というところ。アイルランドからなら大西洋の安全圏(ドイツの哨戒圏外)を迂回したとしても2500㎞程度。

 効率が違いすぎるのだ。

 

 なおも美味しいのは、立地を見ると一目瞭然なのだが……英国本土、即ちイングランド島がまんま”アイルランド島の盾になる(・・・・)位置”のあるのだ。

 (アメリカ的には忌々しい事だが)イギリスはドイツとの戦争を再開する気は露ほどもない。

 棚ぼた式に転がり込んできた旧蘭領東インドやアフリカ全域の植民地化に忙しいのだ。

 ぶっちゃけ戦争なんてやっている暇はない。連邦の再構築、新領土の黒字化は早急に果たさねばならない。

 フランスと違い現役の”日の沈まぬ帝国”は、その運営に必要な労力も運転資金も半端ではない。

 だからこそ、地域ごとの独立採算が可能な連邦制(真の意味での”commonwealth”)を目指しているのが今の英国である。

 そして、「英国の衰退する未来」を回避するために今日も全力で暗躍する転生腹黒紳士淑女たちがいるのだ。

 

 そんな訳で、戦争から距離を置きたがっている英国の領空をドイツ機が飛ぶことはない。

 英国はアメリカ機の領空侵犯も許していないがドイツ機も同じだ。

 そして、英国以上に戦争を再開させたくないことが見え見えなドイツ機は、ルール・ブリタニアを遵守する。

 そして、総じてドイツ機の航続距離は短い。

 勿論、現在租借しているフランス北岸、ブレスト近郊からの基地からなら狙えなくはないが……アイルランド島の北部から北西部にかけて米軍施設が集中すると仮定すると、かなり厳しい物になる。特に戦闘機の護衛を付けるとなると、英国南岸の領空を迂回しての爆撃は実質的は不可能といってよい。

 

 無論、アメリカも同じ条件ではある(つまり戦闘機の護衛を付けるのは難しい)が、如何せん航続距離の長い4発の大型爆撃機の生産数が違う。

 例えば、史実のB-17は13,000機近く、B-24に至っては18,000機以上が生産されているのだ。

 とても4発機の生産数ではない。史実のゼロ戦の生産数が10,000機を少し超える程度、同じ単発機で単一種軍用機としては最多生産数を誇るIl-2が36,000機ちょっとだったことを考えると、これがいかに異常な数字かが分かると思う。

 

 加えて、どうも米軍が怪しい動きをしているらしく、史実ほどのB-17や24を生産せずにむしろ”アイルランド島から英国領空を迂回し、直接(・・)ドイツ本土を叩ける戦略爆撃機”の開発を急がせているという。

 また、艦隊戦用ではなく爆撃機の護衛と対地攻撃に特化した艦上機の開発に走っているらしい。

 つまり、アイルランド島から戦略爆撃機を飛ばし、それを空母機動部隊で援護する……艦上戦闘機で護衛し、艦上爆撃機で対地攻撃を行いレーダーサイトや高射砲陣地を潰すという算段だろう。

 アメリカが本気で物量戦を仕掛けるなら不可能ではないかもしれないが……とはいえ、国内世論はまだそれができるほど覚悟ガンギマリでないことは書いておかねばならないだろう。

 

 加えて、ドイツお得意の潜水艦による海域封鎖が非常にやりにくいという側面もある。

 おそらく、北アイルランドが無事にアイルランドに併合されたとすれば、おそらく米海軍北大西洋艦隊の母港はベルファストになると想定される。

 他にもロンドンデリーという候補地があるが、条件的にも規模的にはそこが一番適切だ。

 しかし、アイルランドの首都であり最大の港であるダブリンやベルファスト港が面しているアイリッシュ海は、ブリテン島とアイルランド島に挟まれた内海であり、ビートルズの生まれ故郷であるリヴァプールをはじめブリストルなど英国屈指の港がいくつもあるのだ。

 例えば、アイリッシュ海の南北の海峡、セントジョージ海峡とノース海峡を機雷で封鎖しようものなら、英国船舶に確実に被害が出る。

 そうなれば、英国経済にも深刻なダメージが出かねない。

 今更、英国人の怒りを買うのはドイツの本意とするところではなく、現在、ドイツ自慢の外洋型潜水艦の任務は主にバルト海、北海、ノルウェー海、バレンツ海、白海の海洋哨戒(パトロール)が主任務であり、念には念を入れてあらぬ誤解を招かぬように英仏海峡にすら潜水艦を張り付かせていない徹底っぷりだ。

 無論、対米戦が本当に成立したら、流石に大西洋まで長距離哨戒を兼ねた通商破壊作戦はやるだろうが、きっとそれまでは目立った動きは無いだろう。

 

 史実であればインド洋で暴れた”モンスーン戦隊”などもあったし、まあマダガスカル島を本気で基地化する気があるなら今生でも”モンスーン戦隊”は生まれたかも知れないが……

 今生のドイツはインド洋は日英の領域と認識しており、あえて(利権があるわけでもないのに)その場所で冒険的作戦を行う理由がなかった。

 そもそも、米国だけではなくドイツ軍艦のジブラルタル海峡やスエズ運河の航行を英国は認めていない(申請は受け付けるが許可は出さない)方針を固めているのだ。

 これでアフリカ東岸に浮かぶ島へ軍隊を送れという方が土台無理な話なのだ。

 むしろ、ペルシャ湾ルートが本格化するなら米軍が占拠する公算が大きく、その前に(商品価値があるうちに)日本か英国に売り払えって話が、真剣にパリで協議されているくらいだ。

 忘れてはならないのはドイツが、ヒトラーが望むのは”ドイツ人の生存圏(レーヴェンスラウム)”の確立であり、それ以外の優先度は低い。

 ならば、レーヴェンスラウムに特に必要ないと判断された物は優先度が低いのが道理、つまり切り捨てられる。

 存外、ヒトラーは詰将棋とか得意かもしれない。

 チェスもそうかもしれないが、この手のゲームの名人は総じて駒の捨て方が上手いらしい。

 

 

 

***

 

 

 

 つまり、米国は自分たちも英国を横切って攻撃することはできないが、その分、英国という極めて(政治的に)堅牢な楯を前線基地の前に設置することに成功しているのだ。

 更に加えて言うなら、ルーズベルト個人的にも英国、いやいけ好かない英国首相に意趣返しと英国に対する軽い嫌がらせができているのが愉悦だった。

 ベルファストの強力な米国艦隊を置き、また大規模な航空基地や陸軍の駐屯地を作る。

 そして、アイルランドは晴れて堂々と米国の友好国扱いとなるのだ。

 無論、アイルランドがドイツ人と戦うと表明すれば、即座に気前よくレンドリース品を進呈する。

 

 北アイルランドの奪還はアイルランドが英国から独立した時からの悲願であり、またアメリカには英国の圧政に耐えかねて独立の遥か前に北米に移民し、米国人口のビッグナンバーとなった。

 そして、アイルランド本土より早く独立戦争で活躍し、比喩でなく独立の原動力となった。

 彼らの勢力の強さは、”アイルランド系アメリカ人”と入力しネット検索すればすぐわかる。

 きっと驚くような名前の羅列を見ることになるだろう。

 例えば、早くも4代目合衆国大統領がアイルランド系移民の直系の息子だ。

 彼の生まれは独立戦争より以前で、初代大統領のワシントンの友人だったと記録に残っている。

 戦後で有名どころだと、かのケネディ家がもろにアイルランド系筆頭だし、それ以外にもレーガン、クリントン、最近だとバイデンがアイルランド系だ。

 つまり60年代から半世紀程度でジョン、ロバートのケネディ兄弟を含めれば5人の白人アイルランド系大統領がおり、意外なことに黒人初の大統領となったオバマも、母方がアイルランド系であり、広義な意味では6人の大統領がアイルランド系で生まれた事になる。

 

 また、21世紀においては、アメリカの総人口の約12%がアイルランド系移民の末裔とされている。

 このようにとても繋がりが深いアメリカとアイルランド。

 繰り返すが、初代の移民も含めアイルランド系アメリカ人にとり祖国の独立は悲願であり、その第一歩となったのは1922年の英愛条約によって決定された”アイルランド自由国”だが、実はこの時は自治領扱いだった。

 そして、相対的には僅か5年前の1937年の新憲法の発布によりようやく独立国として承認された経緯がある。

 アメリカの独立が、公式には1776年7月4日とされているから、それから150年以上の月日が流れた事になる。 

 そして史実では現在の”アイルランド共和国”に制定されたのは、戦後も戦後の冷戦時代が既に始まっていた1949年の事だ。

 

 しかし、今生ではそれが随分と前倒しされそうだ。

 もう交渉は始まっており、史実では有り得ない北アイルランドのアイルランドへの割譲(正確にはアメリカが購入してアイルランドに譲渡)が公式に行われるのは1943年3月17日、つまりアイルランドの国定記念日である”セント・パトリック・デー”だ。

 この日、独立に続く悲願だった北アイルランドがアイルランド人の手に戻ってくる。

 そして、北アイルランドの合流により、正式に”アイルランド共和国”として発足する手筈になっていた。

 あまりにもあざとく、露骨すぎる。

 

 ルーズベルトは喜色満面だった。

 最近では珍しい政治的大勝利であるので、当然だった。

 まず、米国は欧州への介入できるアクセスポイントを手に入れられた。

 また、北アイルランドに関しては、基地の使用は無制限であり、永年に土地代が発生しない……そういう契約だった。

 100年単位の長い目で見れば、実に黒字だった。

 また、国内のアイルランド系に対する絶対の支持を稼ぎ出せるのは確定だった。

 最重要なのは本土のアイルランド人ではなく、投票権のある”アメリカ国内のアイルランド系アメリカン”にとり、自分が長年の案件を解決したスーパーヒーローになることだった。

 これで次の選挙(44年の選挙)も安泰だろう。

 何しろ、絶対の支持を取り付けたアイルランド系は揺るぎないメジャーナンバーなのだから。

 

 

 更にレンドリースに関しても朗報なのだ。

 確かに中立法を盾にしてる以上、アイルランドと軍事同盟を結ぶのは反対意見が多いだろう。

 だが、念願の「民主主義の友好国」だ。

 彼らが対独戦への参戦を表明すれば、港ごと潰れたバレンツ海ルートの物資を回せる事になる。

 つまり、無理にレンドリース計画を縮小させる必要は無くなる。

 むしろ大腕を振って「自由主義の兵器工廠」を名乗れる筈だ。

 

 無論、長年、独立を巡って実質的に敵対関係にあった英国が、大量の米国製軍需品がアイルランドに流れ込むのに良い顔をしないだろう。

 それがいつ報復で自分たちに向けられるかわからないからだ。

 

 だが、そんなことは合衆国大統領である自分には関係ないと、ルーズベルトは考えていた。

 そもそも、戦争から勝手に足抜けした英国が、自分達で撒いた種だ。

 アメリカだってイギリスから独立したのだから、今更、英国人がガタガタ言うのがおかしい。

 仮に武力衝突が起きたとしても、それはイギリスとアイルランドが解決すべき問題であり、自分達の範疇ではないと。

 

「武器に善悪は無い。武器は持ち込んだ人間に善悪は無く、使った人間に善悪が求められる」

 

 さすがは市民が武装する権利を持つ国の大統領だ。貫禄が違う。

 

 

 

 

 アメリカがソ連支援の為にドイツと直接対決を行うには、準備がまだまだ必要だ。

 政治的にも、物理的にも。

 だが、やがて来るだろう”飛躍の日”に向けて準備を怠ってはならぬ。

 ルーズベルトは、自覚する。

 やはり、自分こそがアメリカのリーダーであると。

 

「”約束の日”は近い……!!」

 

 

 

 アメリカ合衆国大統領渾身の大戦略が、今こそ幕開けるっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ?

 (後々の対英戦にも転用できること請け合いな)武器弾薬の無償供与をちらつかせて、アイルランドに対独戦参戦を要請ってまるで傭兵扱い?

 いえいえ、合衆国はそんな無体なことはしませんよ?

 ただ、世の中には”義勇兵(・・・)”という便利な制度もありまして。我が国もよく使ってる方便です。

 まあ、合衆国が本格的な参戦準備が整う前にモスクワが陥落するのは少々都合が悪いですので、時間稼ぎにお付き合い頂ければと。

 

 

 

 こら、そこ。

 「どうせ筋書き描いたのは、何時ものように真っ赤っかでインテリゲンチャな取り巻きゴーストライターだろ」とか事実を言ってはいけません。

 脚本家や監督のお仕事の一つは、役者に気持ち良く演じてもらう事だから。

 本人が「自分の考えた最高にCooLな大戦略」だと思い込んでいるのだから、邪魔しちゃいけません。

 それが合衆国市民の義務なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、前話の内容の更に深層、真意判明回でした。

アイルランドを永久軍事拠点化するだけでなく、浮きそうになったレンドリース品の新たな供給先を見つけ、尚且つ友軍を増やし、アメリカの本格的な参戦準備が整うまでの時間稼ぎに使え”そう”だし、加えて英国への”軽い”嫌がらせまでできるお得なアルティメットスーパー大戦略です。
いや~、アイルランド系有権者の支持も盤石だし、これで44年の選挙も安泰ですw

なお、英国の反応は考えない物とする。
戦争を放り出した”裏切り者”の事など、考慮する必要はありません。
それを考えるくらいなら、同じく根性悪の英国から独立を勝ち取った同根のアイルランドの事を合衆国は考えるべきなのですよ。

それにほら、「武器を渡した相手が、後々禍根になったり世界の害悪になる」のは、米ソのお家芸でしょ?

ベトナムにアフガンに中東にアフリカにアジア……
「自分の育てた闇に腸を貪られる」
のは彼らの十八番(おはこ)ですw

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第231話 ”特濃”という単語は、果たして王族に対する表現として適切なのかどうかを議論する余地があるのかもしれない

お待たせ致しました。(誰も待っていないかもしれないけど)
遂に、あの国の元首がお目見えです……(愉悦








 

 

 

 その日、英国産の政治的古狸ことウェリントン・チャーチルは、彼にしては珍しく憂鬱な気分でとある部屋へ向かっていた。

 ちなみに場所はロンドン”シティ・オブ・ウェストミンスター”の一角にある、もっとも有名な建造物。

 

 公的には”バッキンガム宮殿”と呼ばれる場所だ。

 本日、宮殿に掲げられている旗は、”王室旗”。つまり、英国王夫妻が在宅である事を示している。

 

(まあ、だから呼び出されたのだがね)

 

 蛇足ながら、不在の場合は英国旗であるユニオンジャックが掲げられているのが慣例だ。

 ちなみに国王夫妻は、基本的に特別な事でもない限りツーマンセルで行動する。

 何か特別な理由がある訳ではなく、お互いが好きすぎてあまり離れたがらないだけだ。

 まあ、確かに離れないから護衛は楽だし、夫婦仲が円満過ぎて(・・・)既に第一王子どころか、第二王子、第三王子、第一王女、第二王女まで生まれているのだから、王家は将来的にも安泰というのが実に一国民としてはありがたいが……

 

陛下(・・)が結婚したのは36年、しかし第一王子のご生誕が翌37年というのも……)

 

 いや、あの二人にも相応のストーリーがあるのは理解しているが。

 ついでに言うと計算上、ほぼ王妃は妊娠しっぱなしである模様。夫婦そろってタフだ。

 

濃すぎる(・・・・)のだよ、あの二人は。老骨には、過ぎたる濃度だ。お陰で精神的に胃もたれを起こしそうになる」

 

 小さくため息をつくという珍しい姿の英国首相……

 哀愁漂う背中に気合を入れ直し、国王夫妻の公務の場であると同時にプライベート空間である国王執務室のドアをノックして開けると、

 

「にょほほほっほほほ~~~~♪ 長年の懸案事項だった治安コストがバカかかる上に利益出さねー赤字確定&含み損の権化、ドクサレ金食い虫共とその巣穴、ようやく縁切り出来ましたわ~~~♡♡♡」

 

 敬愛すべき英国王の膝の上で、幼女が悪役令嬢のごとく高笑いしていた

 全裸(まっぱ)で。

 ごめん。厳密には真っ裸でも素っ裸ではねーや。

 なんか一応ロリボンテっぽいの着てはいる。特注だろうか? 特注だろうなー。貴族趣味と言えば貴族趣味ではあるが。

 ついでに言えば、隠さなきゃいけないところ全露出だが。

 いや、そりゃここは余人が入らない、執務室という名のプライベート空間とはいえ少々はしたない(でいいのか?)

 あと、単純に幼女と呼ぶには……具体的に乳デカすぎ、腹ボテ過ぎだ。

 乳は身長の八割以上あるんでねーの?ってくらいの余裕のメーター越え、腹は明らかに”第六子”が詰まっていて、しかも安定期に入っている……というか、臨月間近って感じだ。

 ”コレ”がおそらくは……

 

 チャーチルは、無言でポケットから液体の頭痛薬と胃薬の小瓶を取り出し、飲み下すのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、どっちから紹介すべきだろうか……?

 

「偉大なるリチャードⅣ世(・・・・・・・)陛下におかれましては」

 

 あっ、ほんの少しだけ濃度が薄い……ではなく先ずは礼儀としてチャーチルが(内心はともかくとして)恭しく頭を下げた、何やら筋肉と男性ホルモンの擬人化というか……大胸筋の隆起が隠し切れてないが、英国王らしい紋章入りのポロシャツとネイビーブレザー(いわゆる”紺ブレ”。国王お気に入りの仕事着らしい)という装いをサイバーでパンクな服装に変えれば、世紀末な救世主伝説に登場しそうな、それもネームドのラスボス級風格がある男からゆこう。

 まず、外観からして史実のエドワードⅧ世とは別人28号だ。

 エドワードⅧ世は、身長は170㎝と現代の日本人男性の平均身長くらいしかなく、またその……遠慮なく言えば、かなりひょろりとした細身だ。

 まあ、白人男性としては短身痩躯と表現してもそう間違ってはいない。

 対して”リチャードⅣ世”と呼ばれたこの英国王、まず身長からしてエドワードⅧ世より15㎝以上、いや20㎝近く高く、体重は軽く100kgを超えていた。

 太っているわけでは無い。体脂肪率はおそらく10%以下。つまり、国を問わずプロフェッショナルな護衛がしっかりどこにでもついてくる現代王族には不必要な体格と筋肉量を誇っている事になる。

 

「いつも言っているがチャーチル宰相(Vizier Churchill)、そういう堅苦しいのは俺は好まん。省いてよい」

 

「こちらもいつも言っておりますが、私は宰相(Vizier)ではなく英国首相(Prime Minister)です」

 

「プライム・ミニスターってなんか長くて好きじゃないんだよ。意味は似たり寄ったりだから良いじゃないか。細かい奴だ」

 

「細かくないですからね。それ」

 

 これはチャーチルが正しい。

 ”Vizier”は近年だとオスマントルコ帝国での”宰相”という意味で、元はペルシャ語の”ヴェズィール”だ。

 ただし、その由来は更に古く、古代エジプトの”ファラオに仕えた最高官吏”が元々の出所であるらしい。

 ここからわかるのは、古典趣味というか古風を好むというか、素直で英語で表現すればよいものをわざわざラテン語的な言い回しにする暇人の類だろうか?

 

 とはいえ、この全身に張り付いたはちきれんばかりに主張する筋肉は”見世物”用のそれではない事は確か。

 まず現英国王、”リチャード四世”の来歴を、史実のエドワードⅧ世との対比を交えて語って行こう。

 

 先代の英国王、初代ウィンザー朝初代君主の長子として生まれたのは、今生も史実も変わらない。

 ただし、史実のエドワードⅧ世が、即位する前の名が正式には”エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド”だったのに対し、この今生の国王は、”リチャード・アルバート・エドワード・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド”という感じだ。

 

 まあ、これじゃあ意味が分からないので史実のエドワードⅧ世を例にして名前の解説をしてゆこう。

 まず、本人の名前と呼べるのは、”エドワード”だけだ。”アルバート”は曾祖母のヴィクトリア女王(驚くべきことに彼が生まれた時にまだ存命だった。激動の19世紀に生きて在位63年を誇り、英国の黄金期を築いたガチの女傑)から付けられ、”クリスチャン”は曾祖父の曾祖父のデンマーク国王クリスチャンⅨ世にちなんでいる。

 ”ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド”は洗礼名で、それぞれイングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの守護聖人をつなぎ合わせたものだ。

 具体的には、

 

  ・ジョージ:聖ゲオルギオスのこと。ドラゴン退治の逸話で有名。

  ・アンドルー(アンドリュー):聖アンデレ。イエスの使徒の一人。

  ・パトリック:聖パトリキウス。アイルランドの国民祝日”セント・パトリックス・デイ”は、この人のお祭り。

  ・デイヴィッド:聖デイヴィッド。実は唯一の英国(地元)出身の守護聖人。

 

 という感じだ。

 つまり、今生の今上国王は”リチャード”という名前で、アルバートはエドワードⅧ世と同じ理由。クリスチャンから”エドワード”に変わったのは、その由来が曾祖父ではなく、祖父の英国王”エドワードⅦ世”になったから。

 ややこしいが、エドワードⅦ世の王妃の父親が、前述のデンマーク王クリスチャンⅨ世だ。

 まあ、洗礼名は本人が決められるものでもないし、宗教関係には深入りしたくないようなので、クソ長いこと以外には特に文句はない。

 国王本人に言わせれば、

 

 『他の三人はともかく、セント・ジョージ由来というのは、実に良い。ドラゴンスレイヤー、悪くないじゃないか』

 

 名前に関するエピソードだと史実のエドワードⅧ世は終生、親しい人物から”デイヴィッド”と呼ばれたらしいが、今生のリチャードⅣ世はそれを許しておらず、例えば本人の名前である”リチャード”以外の呼び方は、返事をしないくらいに認めていない。

 

 『本来の俺の物で、即位して残ったのはこのリチャードって名前くらいだ』

 

 

 

***

 

 

 

 さて、史実のエドワードⅧ世は、英国王(あるいは次期国王)とは思えない、耳を疑う逸話がいくつもある。

 まず、幼少期から振り返ってみよう。

 実は、乳母に虐待され、それが発覚してその乳母が王宮から叩きだされるという信じ難いエピソードがある。

 いえ、次期国王に虐待って……

 ちなみにその時に負った心理的外傷が原因で、長く神経性胃炎と双極性障害を患っていた。

 また、大人になってからも、何か自分に気に入らないことがあると、すぐに大声で泣き叫ぶなど年齢不相応に幼い面が多く見られたという人物評もこの幼少期の虐待が原因しているらしい。

 

 対して、この”リチャード”のエピソードは、ある意味、史実より壮絶だ。

 幼少期から痛みに対する耐性が高かったのか、叩いてもつねっても鳴き声どころか唸り声一つ出さないリチャードが面白くなかったのか、こともあろうに弟に手を出そうとしたのだ。

 それにガチギレしたリチャードは、即座に自分の着ていた幼児服を絞って簡易的な紐を作り、弟に迫る乳母の背中に飛びつき後ろから首に紐をかけぶら下がったのだ。

 子供、いや幼児の力だけで女とはいえ大人を絞め殺すのは難しい。それがまるでわかっているかのような行動だった。

 しかも、ぶら下がったまま体を左右に揺らし、遠心力まで使って乳母を引きずり倒すことに成功している。

 その乳母が倒れる音を聞きつけ駆け付けた衛士達が見たのは、乳母の背中に馬乗りになりなおも首を絞め続ける幼い王子の姿だったという。

 そして、その衛士達にまだ満足に喋れるはずの年齢ではないはずなのに、実に流暢なキングス・イングリッシュでこう告げたという。

 

「この女、余と我が弟に無礼を働いたのでな。余、自らが処しているところだ」

 

 まあ、この乳母、一命はとりとめたようだが虐待しようとした幼子に返り討ちにされた上に殺されかけた事(実際、酸素欠乏症になっていたらしい)で半狂乱となり、逃げるように王城から飛び出し、以後行方不明になったようだ。

 まあ、程なくよく似た女の身元不明死体がスラムの路地裏で見つかったという噂もあるが……

 

 

 

 

 

 

 

 要するにリチャード国王は、生まれながらにエドワード国王と違うということが分かったと思う。

 名前だけでなく、その在り方までも。

 だが、それを語るには1エピソードでは短すぎる。

 以後は、王妃との馴れ初めも含めて、次に回したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実は、今まで登場した国主の中で、最もキャラが濃いのがこの”リチャードⅣ世”だったりw

今回はまず触り程度で、彼の濃い半生は次回にて。
まあ、史実のエドワードⅧ世と比較しながらでもw

そして、未だ名前が出てこない王妃……当然、史実とも名前が一部かぶりますが別物です。
言えるのは、20世紀生まれ……というか、第一次世界大戦後の生まれってことですかね?
んで結婚したのは……現代日本風に言うなら、”王妃様は女子高生”?
いや、学校には通ってないでしょうが。

まあ、この二人の馴れ初めも、中々に名状し難い(カオティック)というかw


追記
リチャード王のミドルネームに”エドワード”が入ってるのは、史実に対するオマージュとヒストリカル・ジョークだったり。


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第232話 ”King of Iron Fist”の肖像(幼少期~士官学校)

今日は休みが取れたので投稿。
そして、明日は早朝出勤です(泣


それはともかく、英国王の物語などを一席……





 

 

 

 さて、再び今上英国王”リチャードⅣ世”を描く機会に恵まれたことを、神に感謝を。

 実際、この男、絶対に彼らの信じる神とは別神(べつじん)の「神と分類できる」何かの恩恵や恩寵を受けていそうだが……

 

 さて、史実のエドワードⅧ世は若い頃に英国王立海軍兵学校で士官教育を受けたのだが、その時に壮絶な”イジメ”を受けている。

 エドワードが必要以上に頻繁に鉄拳制裁を受けていることを訝しがり、校長が上級生達を説いただしたところ、イジメは真実でありリンチした理由というのも、

 

  ”自分が将来艦長になったとき部下に「自分はかつてキングを蹴ったことがある」と自慢したかったから”

 

 という実にくだらない物だった。

 そして、リチャードⅣ世、今生で同じ経験をしたのだが……

 因縁つけてきた上級生を、全て”返り討ち”にした。より正確に言えば、二度と英国海軍軍人を目指すなんて寝言が言えない体にした。

 

 拳や蹴りで顎や肋骨を砕き、内臓を破裂させた。あるいは投げ技で頭から落として動けなくなったところを踏みつけて手足を圧し折り、あるいは二度と陰茎を使い物にできなくした。

 まさに死人が出なかったのが不思議なくらいの凄惨な現場だったという。

 問題にはなった。なったが……誰が、「王子が上級生達に集団リンチに合いそうになり、自衛のために集団に私刑(リンチ)し返り討ちにした」と聞いて責められようか?

 

 まあ、これには種も仕掛けもある。

 まず、リチャード自身がとても体格が良かったこと、何より彼の趣味が”古典的英国式ボクシング”だった事だ。

 注意して欲しいのは、リチャードが「護身術」と称して学んだのは、安全を配慮させ厳格なルールの元に拳だけで殴り合う”現代ボクシング”ではなく、クインズベリー公爵ルールの制定以前の”それ”。

 それどころか、ロンドン・プライズリング・ルールズ以前の、一応”近代ボクシング”に分類されているが、ほとんどパンクラチオンやバーリトゥードじみた総合格闘技時代、試合で死人がバンバン出ていた18世紀の”ブロートン・コード(明文化された最古のボクシング・ルール)”の頃のそれだ。

 

 現代でこそボクシングはアメリカが本場のように思われているが、少なくとも近代ボクシングの発祥は英国なのだ。

 故にリチャードⅣ世が生まれた19世紀末(誕生日はエドワードⅧ世と同じ1894年6月23日)や少年期の20世紀初頭には、まだまだ古典的複合格闘スタイル・ボクシングの担い手は残っていた。

 リチャード王子は、物心ついてすぐに自己トレーニングをはじめ、また、この”古い時代の野蛮な拳闘士(オールド・グラップラー)”達の末裔を招き、講師として雇ったのだ。

 

 

 

 また、それだけに飽き足らず、ボルネオやインドが英連邦なのを最大限に活用し、インドネシアからインドシナ半島にかけての伝統武術の”シラット”や、同じくインドの伝統武術”カラリパヤット”の達人を高額の報酬で呼び寄せたりもした。

 

 だが、ここで奇妙な話がある。

 例えば、シラット。当時、インドネシアは英領ボルネオを除き蘭領東インドで、反乱を恐れたオランダはシラットを全面的に禁じた為にその継承は秘密裏に行なわれていた。

 また、カラリパヤットではあるが、厳密にはヒンドゥー教の間で修行・修練の一環として行われ、瞑想なども含まれる”ワダッカン(北派)”と、実戦的な無手格闘術として進化してきた”テッカン(南派)”に分かれる。

 このあたり、なんとなく北斗と南斗の拳法を彷彿させるが……王子がマハラジャを通して指名したのは、当然のように後者の”テッカン”の達人であった。

 だが、上記から分かるようにシラットもカラリパヤットも、とてもメジャーな格闘術とはいえず、西洋では当時はまだほとんど知名度はなく、ましてや王族が知っているなど有り得ない事だった。

 だが、リチャード王子はあまりにも的確に人材を集めていた。

 

 そして、その武闘家達のトレーニングで、王子は驚くほどの速さ……スポンジが水を吸収するように技術を吸収していった。

 もし、現代人の貴方がその様子を見たのであれば、

 

『まるでシステマ(ロシアの軍隊格闘術)やクラヴ・マガ(イスラエルの軍隊格闘術)なんかのマーシャルアーツの経験があるみたいな動きだな……』

 

 と思ったことだろう。無論、どちらもまだこの時代にはない。

 実際、王子が最も高い適性を見せたのはシラットだった。

 また興味深いことに王子が重視したのは。

 

 ”1対多数の格闘術”

 

 だ。リチャード曰く、

 

『余を襲おうとする輩が、単独で来るものか』

 

 事実ではあるが、王子の発想ではない。

 奇妙な点はほかにもある。

 

 例えば、彼が王家の嗜みとして行う狩猟で携行するハンティング・ナイフはグルカナイフ(ククリナイフ)だ。

 厳密に言えば、この”くの字型に湾曲した大型ナイフ”の名ははククリであり、「19世紀に発生したセポイの乱において、グルカ朝(現在のネパール)の兵士が、ククリを携え激しい白兵戦を行ったことに注目したイギリスが、彼らを傭兵として雇った」という故事来歴から英語圏ではグルカナイフとして知られるようになった。

 以上の経緯から、セポイの乱の当事国である英国においては知る人ぞ知るナイフではあるが、少なくとも王子が腰に下げる様な短剣ではない。

 それどころか、この王子、サブナイフとしてシラットの伝統的ナイフであるカランビットをフォールディング・ナイフとして特注して携行しているらしい。

 

 いや、この狩猟自体もちょっと疑問符が付くのだ。

 確かに英国王国貴族の嗜みであり、史実のエドワードⅧ世もたしなんでいた。

 ただ、普通はジェームス・パーディやホーランド&ホーランドなどの王家ご用達のガンスミスによる豪華なエングレーブなどが入ったオーダーメイドのショットガンやライフルを使うのが常だ。

 しかし、リチャード王子が好んだのは、一般兵にも支給されていたリー・エンフィールド・ライフル(Magazine Lee-Enfield)であり、彼用にカスタムしてある部分があるとすれば、スコープとバイポットを装着し、細部を調整したくらいだ。

 いや、体格に合わせてストック末尾の肩当部分(チークパッド)を調整できるようにしてあるので、どことなく”L42A1狙撃銃”の直接のご先祖様というような風情がある。

 ただ、特に”やたらと固い”とされていた弾倉(マガジン)の脱着に関しては徹底的に手が入れられ、スムーズに弾倉交換が出来る様になっていた。

 因みにリー・エンフィールド小銃は繫盛な弾倉の脱着を意図して作られていたわけでは無く、装填はマウザー小銃のようにボルトを開いて装弾子(クリップ)によって装填するようにデザインされていたが、王子によれば「スコープを付ける関係上、銃の上部からの装弾では都合が悪い」という事だった。

 ただ、この「リー・エンフィールドでマガジンチェンジを素早く行える改造」は英陸軍では重要視されなかったが、同盟国の日本皇国では”梨園改三式歩兵銃”に取り入れられ、結果として速射性を向上させたという逸話がある。

 加えて、彼は拳銃による”小害獣狩り(バーミント・ハンティング)”も好んだという。

 

 リチャードⅣ世の愛銃は、「ボーア戦争モデル」としても知られる”ウェブリー・リボルバーMkIV”だが、わざわざ特注でローズウッド&ラバーのパックマイヤータイプのグリップを作らせたり、また後年に登場したものと遜色のないスピードロッダーを作成したりと、相当に気に入ってたようだ。

 

 ただ、ちょっと絵面を想像してみて欲しい。

 同年代の子供に比べて確かに体格ははっきりと勝っているが、10歳そこそこの少年が軍用狙撃銃モドキを背負って腰に大型軍用リボルバーとグルカナイフを下げ、ポケットに折り畳み式のカランビットをしこんでハンティングと称して出かけるのだ。

 

 これはもう、ハンティングの前に”マン(MAN)”という単語が付きそうな、服装が伝統的な英国貴族風のハリスツイードのハンティングジャケットじゃなく野戦服であれば、そのまま戦場に行けそうな装備である。

 護身術と称して習う格闘術も、狩猟と称して行う射撃訓練も、何というか……”戦闘訓練(・・・・)”と総称して良いのではないだろうか?

 

 

 

***

 

 

 

 無論、これらの行動は英国王族としても破天荒もいいとこ、むしろ異端ですらあった。

 だが、時代が良かったのだろう。

 当時は覇権主義華やかかりし時代、大英帝国の黄金期の残り火がまだまだ燻っていた頃だ。

 つまりは何かと武力が物を言う時代だ。

 そういう時代背景の中であれば、国情的に”尚武の気風”が許容されるのも頷けなくはない。

 また、彼は座学やらダンスやらの”王族の嗜み”教育をおざなりにしていた訳ではなく、きっちり受けきった上でフィールドワーク・オウトドアの”教練”に時間を割いていたことも評価される一因であろう。

 現代的に言うなら、”知的マッチョ”という感じかもしれない。

 

 

 冒頭のエピソードに戻るが……リチャードはこう語っている。

 

 

『殺すつもりなら、手足を折った後に海に放り込んでやった。ただ、あのような下衆(ゲス)が英国王立海軍の士官を名乗るなど国辱以外何物でもないからな。故に余が自らその道を閉ざしただけのことだ』

 

 実際、このように騒動でも問題にはならなかった。

 むしろ、非好意的な週刊誌などからプリンス・オブ・ウェールズをもじって”蛮族の皇太子(プリンス・オブ・バーバリアン)”などと呼ばれるリチャードならさもありなんと納得したほどだ。

 

 また、その現場を目撃した数名がトラウマとなったが、敵砲弾が飛び込んでくればさっきまで下品な冗談を言い合っていた同僚が肉片になるのが、海軍軍人という物だ。

 それで職務に耐えられないというのなら、そもそもが王立海軍軍人としての適性が無かった、それが早めに判明して本人の為にもなったと放校処分となったくらいだ。

 

 だが、全く問題がなかったかと言えば、そういうわけでもなく、上級生、下級生、同級生を問わずリチャードを”触れてはならない者(アンタッチャブル)”と呼ばれ必要以上に畏怖するように……顔色を窺うようになった。

 

 これでは授業にも訓練にもならないと溜息を突いたリチャードは、

 

『我が海軍は、私掠船の気風を時代の中に置き忘れてきたようだな。英国貴族など、もとをただせば海賊ばかりだというのに、実に嘆かわしい』

 

 というコメントと共に、当時はウーリッジにあった王立陸軍士官学校へと河岸(かし)を変えた。

 そして、よほど陸軍と相性が良かったのか、やがてサンドハーストにあった王立陸軍大学へと進み、第一次世界大戦へと挑むことになるのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん。この作中の如何なる登場人物(キャラクター)より長いパーソナルヒストリー持ちというw

近衛首相も若い頃は”下町の喧嘩師”みたいな感じだったし、ヒトラーも第一次世界大戦で従軍し勲章授与の経験があり、また戦間期も面白いエピソードがあるのですが……リチャードⅣ世の場合は、その質と濃度が違うと言いますか。

”英国面を所々に散りばめた異端の王子”

というのが、作中の頃のイメージでしょうか?
なんか予想以上に英国面、いや英国側のエピソードが長くなりそうです。
だって、イロモノ×2だしw


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第233話 ”The Grenadiers of Richard”が歌われるまでの経緯(王子様の第一次世界大戦)

たまに出てくる”先の大戦”ネタの一環かも。




 

 

 

”戦争だ。戦争だ。我らが待ちに待った大戦争だ”

 

”やがてこの大戦は、周囲に波及し「世界大戦」と称されることになるだろう”

 

”諸君、栄光曇る事なき大英帝国の紳士として、我らはこの戦乱の時代に一体何をすべきか?”

 

”決まっているではないか……”

 

”戦争を大いに愉悦する(たのしむ)のだっ!!”

 

 

 

 以上、大戦勃発により王立陸軍大学入学を終戦まで無期限延期した陸軍士官学校出の新進気鋭のエリート将校ではなく、栄えある英国第一王子として第一次世界大戦勃発、英国参戦に関して発布した演説の一部である。

 

 英国国民の反応は、「まあ、あの蛮族の王子様だしな」とシニカルに上機嫌だった。

 まあ実際、彼の人物像はこの頃には英国国民に広く知れ渡っていたのだ。

 無論、海軍士官学校での「リンチ返り討ち事件」などで勇名を馳せたわけだが、それ以外にも色々と逸話の多い王子様だった。

 例えば、こんな発言がある。

 

「余はリチャードという名を非常に気に入っている。なぜなら父と祖父以外に英国王として尊敬するのは”リチャードI世”と”リチャードⅢ世”だからだ」

 

 ちなみにリチャードI世は、生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart)の二つ名で知られ、その生涯のほとんどを戦場と冒険に費やしたという人物だ。

 た・だ・し、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月……つまり、王様としての責務をほとんど果たしていない。

 しかも、自分の剣をエクスカリバーと呼んでいた。無論、エクスカリバーとは、あの”アーサー王伝説”のエクスカリバーである。

 何というか……かなり”アレ”な、”早く生まれ過ぎてしまった厨二説”がまことしやかにささやかれている。

 

 そして、リチャードⅢ世は、「英国史上、最後に戦死した王様」だ。

 甥殺しや不安定な統治など、王としての能力に疑問符はつくが……彼がヨーク朝の最後の王であり、その人物評は敵であったチューダー朝(新王朝)によって残されたものであり、こっちはこっちで疑問符が付く。

 ただ、リチャードⅣ世曰く、

 

「王として戦場に立ち、味方の裏切りにあったとはいえ、その生涯を戦場で終える。それに一人の王族として、漢として憧れをもって、何が悪いというのだ?」

 

 英国民の反応と言えば、

 

『うん、知ってた。そういや、こういう王子様だよな』

 

 と納得顔だった。

 更にこの王子様、第一次世界大戦、正確にはその発端となった”オーストリア皇太子暗殺事件(サラエボ事件)”により、”護身術”を極めたこの王子様、「先見の明がある」と国民からの評価を爆上げしていた。

 英国紳士曰く、

 

『うん。英国(ウチ)の皇太子殿下はあの程度じゃ死なん。むしろ返り討ちにするわ』

 

 故に史実のエドワードⅧ世が「王位継承権第1位にあるプリンス・オブ・ウェールズが捕虜となるような事態が起こればイギリスにとって莫大な危害が及ぶ」と第一次世界大戦への参戦を時の陸軍大臣キッチナー卿から拒否されているが、この世界線では……

 

『我らが蛮族殿下を参戦させないとは、机に縛り付けられ憤死しろと陸軍大臣は申すのかっ!? あの筋肉は飾りの為に身に着けたのではないのだぞっ!!』

 

 と国民の声に押され、割りとあっさりと参戦が許された。

 正確には陸軍が国民の「王子様参戦させなきゃ(キッチナーが発起人になった大規模な)徴兵拒否するぞ」との圧に屈し、この世界線のキッチナー卿は胃痛で倒れた。陸軍大臣は悪くないと思う。

 

 

 それはともかく、歴史の皮肉なのだが……リチャードは、”英国擲弾兵近衛連隊(グレナディアガーズ)”の一員、それも隊長格として第一次世界大戦に参戦して大暴れしているのだ。

 まず、武器が凄い。

 隊長格なのに、彼の戦時中の愛銃は、12kg以上ある”ルイス軽機関銃”だ。

 機関銃手でもないのに、彼はランボーよろしく手持ちでパカパカ撃ってたらしい。

 無論、片手に拳銃、片手にグルカナイフの塹壕戦でも大活躍、投げ込まれた手榴弾は蹴り返すわ、スコップや斧で”真・塹壕無双”を()り始めるわ、挙句に素手で”戦場のじんたいのふしぎ展(首が曲がらない方向に曲がっていたり)”始めるわ好き放題やっていたようだ。

 

 実は、ここに面白い話があり……実は大戦末期、戦車兵に転身したばかりのヒトラーは、戦場でどうもリチャードとニアミスしてるっぽいのだ。

 何しろ、彼はカールツァイス製の双眼鏡でばっちりと、

 

 ”菱型戦車(雄型)の車上に陣取り、ドイツ兵から奪ったと思わしきMG08/15(シュパンダウ)機関銃をエモノに、体に弾帯を巻き付けながら銃型(ガンカタ)モドキの乱射式戦場アクションを繰り広げる、愉悦に満ちた表情の金髪の大男”

 

 を遠目で目撃している。

 そのあまりに異常な姿に、ヒトラーは何も見なかったことにし、リチャードが陣取っている戦車との交戦を避けた。

 これは明確に将来の英国王が将来のドイツ総統に勝利した構図であると同時に、リチャードの勇猛さと戦闘力、ヒトラーの観察眼の正しさと危機管理能力の高さを裏付けるエピソードでもある。

 

『世の中には、戦うだけで生死にかかわらず、こっちが一方的に馬鹿を見る相手というのが確かに存在するのだな……』

 

 と後にしみじみと語ったという。

 何やら戦場で磨かれたせいか異能生存体(某キュービィー氏)じみてきていたリチャードと、銃の扱いはそれなりに上手いが、生命体としてのサヴァイヴァビリティが人間の範疇を逸脱していないヒトラーとでは、確かにどっちが生き残るかは火を見るよりも明らかだ。

 

「何が”現代に蘇った獅子心王(ライオンハート)だ。”アレ”はまさに血に飢えたライオンその物ではないか」

 

 存外、史実と異なり英国に「力試しの一当てだけして後は(イタリアの尻拭いを除き)消極策→停戦」という流れは、この時の体験が影響しているのかもしれない。

 人に歴史あり、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、このリチャード王子の奮戦と活躍は大いに英国民を鼓舞し、また五体満足で戻ってきたこと(流石に無傷ではなかったが、後遺症の残らぬ軽傷ばかり。いや、どこの本多〇勝だよ)の国民は歓喜の声をあげた。

 最も、反王室的なブリティッシュからは”血塗れの千人隊長(ブラッディ・センチュリオン)”などと揶揄された。

 これは最終的に王子が連隊規模の部隊を任されるようになっていた事に由来するという説もあるが、有力なのは「単独で千人の敵兵を殺した」という戦場逸話を揶揄しているとされる。

 これは都市伝説、いや戦場伝説の様なものだが、一説には「ドイツ全歩兵戦死者の1%がリチャード(ライオン)王子に食い殺された」という逸話もあるようだ。

 もっともリチャード本人にしても国民にしても、これは一種の勲章だろう。

 何しろ本人、本来は反王室勢力が付けた別称であるはずの”プリンス・オブ・バーバリアン”を、どうやら本人の本来の王位継承権第一位の称号である”プリンス・オブ・ウェールズ”より気に入ってる疑いがある。

 

 勲章つながりの逸話であれば、更に英国民が熱狂したのは、”英国軍人の最高の栄誉”とされ、受勲のもっとも難しい勲章の一つとされる”ヴィクトリア十字章”を選考者の満場一致で王子が受勲したことだ。

 まあ、この男を除けば誰が受勲するんだという話でもある。

 それはともかく、さしものリチャードも、

 

「軍人としての評価された事が、”ガーター勲章”の受勲よりも嬉しく誇らしい」

 

 と珍しく素直なコメントを出したようだ。

 こうして”大武辺(ふへん)者”としての評価を、ワールドワイドに不動のものにした。

 英国民の昂ぶりはとどまることを知らず、リチャードがグレナディアガーズの一人として参戦したことも相まって、国民歌(軍歌)の有名どころでである”The British Grenadiers”を元に、

 

 ”The Grenadiers of Richard”

 

 なる替え歌を流行らせたほどだ。

 その歌詞の一部を抜粋すれば……

 

”騎士王のリチャードI世も戦場で果てたリチャードⅢ世も、我らがプリンス・オブ・バーバリアンには遠く及びはしない”

”彼らがどれほどの英雄であったとしても、火薬の力を知り、戦場の支配者たる現代のリチャードにはかないやしない”

”2人が束になってかかってきても、勝つのは我らがリチャード王子なのだから”

 

 みたいな感じである。

 一説には作詞を買って出て、市民に広めたのは、日々兄の活躍をラジオや新聞で聞き読みしていた正統派王子様たる弟殿下、デューク・オブ・ヨークであるという根も葉もない噂がある。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、ここで別の問題が起こった。

 

「ウチの息子が女っ気が無さ過ぎて(ターフ)生える。このままでは王位継承に問題が出る件について」

 

 芝や草を生やしている場合ではない、新たな人生の難関が脳筋王子に差し迫っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




リチャード殿下、実に生き生きと戦場を駆け抜けてらしたというw

しかし、この世界線の英国紳士淑女諸君、リチャード王子が話題に出てくると実にノリノリでイケイケである。

”The Grenadiers of Richard”

「グレナディアーズ(グレナディアガーズ)のリチャード」ではなく、「リチャードのグレナディアガーズ」になってるあたり、わかり味があるというw
また、英国民にとり、

”リチャード=英国の輝かしい未来”

の象徴なのかもしれない。

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第234話 キング・ジョージV世陛下の憂鬱(史実とは違う方向性のお悩み)

という訳で、英国王室視点の(作中では割と情報量の少ない)戦間期の始まり~。




 

 

 

 さて、リチャード王子(後のリチャードⅣ世)を語る前に、史実のジョージV世の長男、エドワードⅧ世の人物評をおさらいしておこう。

 

 ・プレイボーイで女好き

 ・洒落者

 ・多趣味(刺繍やキツネ狩り、乗馬、バグパイプの演奏、ゴルフ、ガーデニング)

 ・ナチスと昵懇

 ・神経性胃炎と双極性障害

 ・お召列車を病的に嫌悪

 

 ……今更だが、何から何までリチャードⅣ世と正反対っぽい。

 二人の共通項と言えば、

 

 ”英国王室で初めて飛行機の操縦桿を握った”

 ”パイロットライセンスの習得”

 ”空軍の設立に尽力”

 

 くらいか? いっそ見事なまでに空関係ばかりだ。

 ちなみにリチャードは馬なら乗馬より競馬だし、乗るなら馬よりも自動車。ちなみに列車も好んでいる。

 刺繡やガーデニングなど生まれてこの方やったこともない(樹木は鍛錬で使う物)し、バグパイプはおろか楽器全般に興味なし。

 スポーツならゴルフよりラグビーの方がまだ好みだ。

 

 史実では実の父親であるジョージV世との関係は険悪であり、ジョージV世はエドワードⅧ世をこう評している。

 

 「自分が死ねば、1年以内にエドワードは破滅するだろう」

 「長男には結婚も跡継ぎをもうけることも望まないし、バーティー(ジョージ6世)とリリベット(エリザベス2世)と王冠の間に何の邪魔も入らないことを祈っている」

 

 いや、預言者かよ。

 まあ、エドワードⅧ世の破滅(?)は父親から見てもあからさまだったのかもしれない。

 だが、今生のキング・ジョージV世、フルネームが”ジョージ・ファーディナンド・ホーネスト・アルバート”な今上英国国王は全く別のベクトルで長男について頭を抱えていた。

 

王家(ウチ)第一王子(ちょうなん)に浮いた話が一つもないのは、一体全体どういうことなのだ……?」

 

 質実剛健なのは大いに結構だ。

 武辺者という在り方も嫌いではない。

 やや武力と筋力に偏ってはいるが、頭も悪くない。

 体格は立派過ぎる(・・・)が、顔だちも精悍系で愛想や愛嬌は無いが、整っていると思う。

 父親の贔屓目が入っているのは認めるが、かといっていくら何でも女っ気が無さすぎだった。

 無論、(史実のように)女で身を持ち崩すのは論外だが、過ぎたるは猶及ばざるが如しだ。

 

 そこでキングジョージは、この時の心境から言えばパパ・ジョージは凱旋式典から帰ってきた息子を私室に招き、

 

「息子よ。我はお前に惚れたはれたの話が一つもない事を危惧しておる。男色の()が無い事は百も承知しているが、せめて父にも内緒で心に秘めた相手とかはおらんのか? この際、ある程度の妥協はするつもりぞ」

 

 ド直球だった。

 

「いや、単純に心動かされる女性に巡り合ったことが無いだけだ。特にこちらからの注文や要望はないのだがな」

 

 ……掛け値なしに大問題だった。

 この王子(むすこ)、女にさして興味も関心もないと言い切ったのだ。

 

「しかし息子よ。このまま行くと王位継承にも問題が出るぞ? 議会も教会も、既婚者の王の即位を望む」

 

「まあ、そのあたりの事情は察しているが」

 

「それにアルフレッド(弟)は、”兄上が結婚しないうちに、私が妻を娶るなど烏滸がましいにも程がある”と息まいててな……」

 

 弟のアルフレッド・ホーネスト・アーサー・ジョージは現在、父親よりデューク・オブ・ヨーク(ヨーク公)を引き継いでいるが、

 

「それは大問題だな」

 

 このレスポンスの良さが「弟に娘が生まれないと困る」という転生者目線のそれなのか、単純に弟を思っての発言なのかは歴史の謎である。

 まあ、確かに王家出自の公爵がいつまでも独身というのも体裁が悪い。

 

「だが、親父殿。()には全くアテがないのだが? わかっていると思うが、俺に社交性を期待するな」

 

 どうもリチャードが”俺”という一人称を使うのは、身近な相手だけらしい。

 

「わかっておるわ。誰も人食いライオンに愛嬌など求めん」

 

「わかっているなら良い。先も言ったが俺に特に条件はない。強いて言うなら、俺が感心を持てるかどうかだ」

 

 実は割と難しい条件なのだが、

 

「委細承知だ。儂からの条件は、次期王妃としての条件を持つことだ。そこまで厳格ではない。最低限、英国貴族の子女であれば、煩い輩も面と向かっては文句を言わん」

 

 

 

 こうして、英国史に残る事になる、

 

 ”世紀の嫁とりプロジェクト”

 

 がスタートするのであった。

 

「アル(弟、ヨーク公の愛称)の婚姻は俺が説得するとして……婚姻云々の話は、せめて陸軍大学卒業、いや軍役が満了するまで保留にしておいてくれ」

 

 ただし、リチャードは少し日和った。一応、陸軍大学卒業生は一定期間の服役義務があるのだ。

 戦場では無双できたとしても、どうにも恋愛面では及び腰なところがあるようだ。

 

「まあ、そのぐらいの猶予はくれてやろう」

 

 しかしまさか、この時のジョージV世も彼の結婚が、リチャードの事情というより主に相手の年齢的な事情で、20年近く先延ばしになるとは思っていなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終戦の翌年、1919年にリチャードは改めて終戦まで保留していた陸軍大学に入学し、輝かしい……というか、かなり”人外(アレ)”な実戦経験も踏まえていくつかのカリキュラムがオミットされたために通常より短い期間で繰り上げ卒業し、その後、規定通りに2年の兵役を務めあげつつ空軍育成にも尽力するというマルチパーパスっぷりを発揮しつつ、1924年、無事に”王族(プリンス・オブ・ウェールズ)としての公務”に復帰を果たすことになる。

 

 そのタイミングに合わせて、英国中の貴族に

 

 ”リチャード王子が嫁選びを始めた”

 

 旨を記す親書が届いたのだった。

 ただし、期限などは定められておらず、仮に立候補したとしても先着順でも何でもない事が示されていた。

 年頃の娘を持った貴族たちが色めき立ったが、困ったことに肝心の王子の女性の好みが全く聞こえてこない。

 

 一応、童貞でないことは確認が取れている。

 そもそも王室には専門の教育係がいるし、「戦争中に王子と夜遊びに出かけた」同僚達の話も伝わってきている。

 だが、誰に聞いても

 

 『さあ? 特に好みとかないんじゃないかな?』

 

 という、決して誤魔化しでも、箝口令が敷かれてるわけでもない素の返事が返って来るだけだ。

 本人に聞いても、

 

「余が感心や興味を持てるかどうかだ」

 

 

 と答えるだけだ。

 貴族子女としての教育が無駄なわけでは無いが、かといって決定的な有効打にもならないという状況で、”王子篭絡戦”は先行き不透明だった。

 いざチャンスと飛びついてみれば、脳筋王子は実は”難攻不落の要塞王子”だったという訳だ。

 

 だが、いつの世にも例外という物はある。

 

 

 

***

 

 

 

 翌1925年、英国、ノーサンバーランド

 

「ふっふっふっ……にょほほほっほほほ~♪ ついに好機が訪れたわぁ~♡」

 

 そう父親の書斎に「まあ、うちみたいな下級貴族には無関係か」と無造作に置かれていた手紙を”拝借”した書状を読み高笑いをあげているのは、この地を治める下級貴族、ミットフォード男爵(第2代リーズデイル男爵)の六女、史実では”デボラ”という名だったが……

 

「この、”ドロシー・ミットフォード”にも立身出世、栄達の時がっ!!」

 

 

 ”ドロシー・ミットフォード”、御年5歳(1925年当時)。

 さて、”中身”を含めた合算の年齢は、果たして何歳だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドロシーちゃん、子供の頃からキャラが濃かった説w
ついでに笑い方も変わってないという。

さて、ジョージV世陛下のお悩みですが……果たして、史実よりもマシなのか?

そして、ヨーク公アル君、(BLではなくファン的な意味で)お兄ちゃん好きすぎの疑いが。
いや、リアクションとレスポンスから考えてリチャードも似たようなもんかw

次回は、ドロシー・サイドかな?

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第235話 輝け! 元祖ドロシーちゃん伝説!(先天性の持病さえも武器にする強かさ)

いよいよ満を持して、未来の王妃様の登場です。




 

 

 

 さて、史実におけるミットフォード男爵(第2代リーズデイル男爵)こと”デイヴィッド・フリーマン=ミットフォード”は、率直に申し上げてかなりダメ人間、駄目貴族だったらしい。

 

 家督を受け継ぐ前から一攫千金を夢見てカナダに金鉱目当てに土地を買って失敗。その後も父から家督と共に受け継いだバッツフォードの荘園を維持できず、1919年に売却。代わってオックスフォードシャーのコッツウォールズのアストル荘園を購入。

 そこで大人しく、あるいは手堅く荘園経営をしてれば良いものを、よせばいいのに凝りもせず金鉱発掘や沈没船の金塊引き上げといった夢想的計画にしばしば投資し、資産を目減りさせた。

 まあ、夢見がちな人物だったのは確かだろう。

 

 そして、一部の界隈では有名な”ミットフォード六姉妹”の父親でもある。

 ただし、娘たちの教育の熱心という訳ではなく、結果として地雷女製造工場になってしまったという経緯がある。

 おまけに癇癪持ちで、ナチのシンパだったという英国貴族としては割とアウトな存在だ。

 

 

 

 では、対して今生のミットフォード男爵家はどうなのか?

 結論から言えば、”史実よりはマシ”だ。

 その証拠が、まだ先祖伝来のノーサンバーランドに居を構えていられること、また不器用で凡庸ながらも荘園経営を何とか成立させており、またどういう訳かファンタジックな投機には手を出さず、比較的堅実だが面白味は無い。

 妻との仲は良好で、史実同様に一男六女にも恵まれた。

 さして裕福ではないが、まあ、史実よりは繰り返すがずっとマシだろう。

 

 そして昨今、長女の社交界デビューの経験から残る姉妹たちの社交界デビューの事を考えて都会のロンドンに居を構えるべきかと考えていた矢先……

 

「父様! わたし、お妃さまになるのっ!!」

 

 執務室に飛び込んできた六女に目を丸くするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、それから数年……時は30年代前半。

 ロンドンに居(別邸)を構えた今生のミットフォード男爵は頭を抱えていた。

 

「どうしてこうなった……」

 

 長女は、社交界にデビューしたは良い者の、ブライト・ヤング・シングス(20~30年代に英国で起きたパーティと酒、ドラッグに明け暮れる享楽的で派手な生活を送っていた上流階級の若者達のムーブメント)になった果てに、なぜかその経験をもとに作家デビューしてしまった。

 結婚はしたが、夫は同性愛者だった。わかりきった上での偽装結婚だろうか?

 

 次女も既に社交界デビューを済ませ結婚したが、物理学者でもある旦那との関係が……

 

 三女と四女(ついでに長男も)は、何やら”国家社会主義(ナチズム)”というつい最近、台頭してきた新たな政治概念? 新興宗教?にのめりこんでいるようだった。

 政治的にはノンポリの彼には理解しがたい物だった。

 幸い、史実と違って牧歌的で自分と同じく政治に距離を置いてる妻が、ナチズムに傾倒することがなかったのが救いだった。

 

 五女は今のところ目立った問題行動は起こしてないが……何というか、”不穏”だった。

 特にナチズムに傾倒した三女と四女の関係が、目に見えて悪化していた。

 

 そして期待の六女、我らが”ドロシー”嬢だ。

 まず、間違いなく聡明であった。ただし、同時に変人でもあった。

 齢一桁、普通の女の子なら人形遊びに興じそうな年頃に、ドロシーがねだってきたのは大人でも難解な経済学書や政治書などの専門書だった。

 当時、書物は決して安いものではない(特にドロシーが欲したような専門書は)が、それでも父親として頑張って買い与えたのだが……

 ドロシーはそれらを難なく読み解くと、

 

「ふ~ん……古典主義経済学とケンブリッジ学派(新古典主義経済学)が幅を利かせてる今なら、やりようはいくらでもありそうね。シカゴ学派も第一世代が生まれたばかりだし、ケインズに連絡とってみようかしら?」

 

 とつぶやいたという。

 彼女はそれを実行し、当時はケンブリッジ大学の研究員で経済学紙の編集だった今生のケインズ、”ジョセフ・レイナード・ケインズ”に、彼の著作である『確率論』や『貨幣改革論』の考察を書いた書簡を送ったのだ。

 貴族子女から送られた鋭い論説に興味を持ったケインズは、ドロシーを訪ねて来るのだが……それが十にも満たぬ女の子だと知って酷く驚いた。

 そして、彼女の天才性を強調して、研究者としてデビューさせるべきと父であるミットフォード男爵に説いたが、一人の父親として娘の幸せを願っていた男爵は、

 

「世間の注目に晒され、娘の人生が台無しにされるのは我慢ならない」

 

 と断ったという。

 まあ、後の彼女の人生を考えれば、世間の注目という意味では笑い話かもしれないが、この時はこれはこれで正解なのだろう。

 ちなみにケインズとの書簡を通じたやり取り(当然、中身は熱いラブレターではなく、物理的に厚みのある経済学意見書交換)は、終生に渡って続いたらしい。

 そして、年齢が二桁に達する頃には、父親に荘園経営の改善点を洗い出し、経営の補佐を行うようになっていた。

 だが、この時期、ドロシーに先天的な病が発覚する。

 

”未成熟性幼成体症候群”

 

 ”ネオテニー・シンドローム”とも呼ばれるこの病気は、死に直結するようなものではないが……第二次性徴が不完全な状態で成体になるという極めて症例の少ない、故に治療法が見つかってない病だった。

 純粋に子供の体(幼体)のまま固定されるのではない。胸は大きくなるし、生理も起きて子宮も子供が産めるようにはなるが、体格や骨格(フレーム)は子供のまま……つまり、”歪な状態で成長が止まる”のだ。

 現代日本ならもしかしたら”合法ロリきょぬー製造病”としてもてはやされるかもしれないが、20世紀前半の英国貴族にとってはハンディキャップ以外の何物でも無かった。

 つまり、「見るからに病気の娘を娶るなど外聞が悪い」という訳だ。

 当然、ミットフォード男爵も可愛い六女の将来を儚んだ。きっと娘の「お妃さまになる」という夢は叶うことはないだろうと。

 だが、ドロシーはまだ膨らんでいない胸を張り、

 

「大丈夫よ父様! この病、人によっては”刺さる”わ! 王子様の(性的な)趣味嗜好にもよりけりだけど、使い方によってはこの上ないステータスになるものっ!!」

 

 

 

***

 

 

 

 そして、このドロシー嬢、30年代に入っても未だ未婚のリチャード王子の気を引くため、またしても破天荒な手段を用いる。

 最近、王子があまり婚活をしていない原因……政務である”ウェストミンスター憲章”の実現に向けて動いている事を正確に見抜いていた。

 これは”英王国という宗主国と植民地(自治領)”という枠組みを発展的解消し、独立採算制の高い”英連邦(Commonwealth of Nations)”への再構築を狙った動きである。

 

 意外にも、王家で主導的な役割を果たしていたのが、プリンス・オブ・ウェールズであるリチャード王子だった。

 というよりコモンウェルスの”正確な姿を知る”のが、リチャードしかいなかったため、必然的にそうなったと考えるべきか?

 だからこそ、ドロシーは、

 

 ”旧来の植民地支配体制による英国の経済的急所と弱点、来るべきコモンウェルスに関する課題の考察”

 

 というレポートを書き上げ、ケインズのコネも使って王子に直接届くように手配したのだ。

 そして、その内容を送りつけた後に聞いたミットフォード男爵は、顔を蒼くした。

 

 何しろ、末娘の書いたレポートは、一歩間違えば王室や英国批判にもなりかねないのだ。

 三女と四女の最近の言動も問題だが、本当に王子の目に留まったとしたら、問題のレベルが違う。

 

 そして、なんと”王子より直筆(・・)の返信”があったのだ。

 その内容は、以下の通りだ。

 

 ”直接、ドロシー・ミットフォードと話がしたい。バッキンガム宮殿へ参内可能な都合の良い日時を知らせよ。手配する”

 

「どうしてこうなった……」

 

 その内容を反芻しながら、ミットフォード男爵は同じセリフを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一見、おバカ系イロモノキャラと思いきや……みたいな感じでw

いや、でもどちらかと言えばドロシーよりも、史実より善人で実直で常識的なミットフォード男爵の苦労人気質と心労が跳ね上がってるような……?

それはともかく意外や意外、ドロシーは割としっかり足場を固めて行動するタイプみたいですよ?

「自分の何が武器になるか考え抜き、研鑽する」という割と策士的な要素が強かったり。

次回はようやく邂逅かな?

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第236話 ”Ob-La-Di, Ob-La-Da”

英国王の結婚までの物語と、この章のエンド・エピソードになります。




 

 

 

「ああ、”お前も”か……」

 

「予想しなかった訳ではありませんが、貴方様もでしたか」

 

 それが邂逅した2人、リチャードとドロシーの最初の会話だった。

 1934年の初め、バッキンガム宮殿の事である。

 

 

 

 

***

 

 

 

 王子は人払いを済ませ、文字通り二人きりになった時、こう切り出した。

 

「同郷者……かどうかは分からない。時代も同じ歴史かもわからぬが、”転生者(サクセサー)”ということで良いのだな?」

 

「ええ。少なくとも”わたくし”も、『第二次世界大戦で米ソに食い潰され、踏み台にされた挙句に転落した英国』を知る者ですわ♪」

 

「遠慮がないな? だが、それも良いだろう」

 

 そして、ドロシーは切り出す。

 

「ねえ、王子様。唐突ですけど結婚しませんか?」

 

 リチャードは驚いたように、

 

「本当に唐突だな?」

 

「でも、”私と貴方”が結婚すれば、もしかしたら暗鬱とした未来を変えられるかもしれません」

 

「ふむ……」

 

 リチャードは少し考えてから、

 

「本音は?」

 

「ノルウェーあたりに難癖付けられる前に、さっさと北海油田を開発したいですわ♡」

 

「パーフェクトだ。”ドロシー・ミットフォード”」

 

「お褒めにあずかり恐悦至極♪」

 

 リチャードは豪快に笑うと、

 

「ふん。まるで”Ob-La-Di, Ob-La-Da(オブラディオブラダ)”だな」

 

 リチャードが相対的未来に発表されるかもしれない往年の名曲の名を出すと、

 

「あら? 私、”市場の歌姫(マリー)”で満足する気はございませんわよ?」

 

「奇遇だな? 俺も”髪結いの亭主(デイズモンド)”に収まる気はないさ」

 

 二人は微笑みあい、熱く口づけを交わすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 電撃的な婚約に世間が驚いたのは、それからすぐ後の事だった。

 だが、問題とされたのは史実の様な相手の出自ではなく、ドロシーの年齢。

 この世界線のこの時代の英国で婚姻できるのは16歳からで、王家が自ら法を破るわけにはいかなかった。

 現在、ドロシーは14歳……なので、彼女が16歳になってから、正式に結婚する事になった。

 

 ちなみにミットフォード男爵は、自分が王家に連なるものになると知った途端、座っていた椅子ごとひっくり返って腰を強打、ついでにぎっくり腰を患ったらしい。ちゃんと静養して欲しい者である。史実よりも善人な上に、苦労人臭が半端じゃないし。

 

 まあ、それからも色々とあったのだが……それをいくつか語っておこう。

 例えば、男爵家という低い家柄や「若すぎる、いやむしろ幼な過ぎる」と文句をつける(娘を売り込んだのに選ばれなかった)名門貴族も皆無ではなかった。

 まあ、さほどおかしな反対意見ではない。

 家柄もさることながら、1920年生まれのドロシーと1894年生まれのリチャード、歳の差は実に四半世紀以上だ。

 いくら某”アリス”シリーズの作者の生まれ故郷であっても、少々大きな年齢差だ。

 

 実際、それをネタに王子を貶めようとする動きも、主に赤い勢力からあったようだが……意外なところから援護射撃が飛んでくる。

 そう、ドロシーと懇意にしていた(というか、共同研究もしている)ケインズとケインズ学派を名乗る経済学者グループだ。

 彼らは、ミットフォード男爵との約束で口止めされていた”ドロシー・ミットフォードの天才性”をここぞとばかりに口外しまくり、

 

『天才経済学者になるべくして生まれたドロシー・ミットフォードを”王族如き(・・・・)”に寝取られるのは悔しいが、ドロシー嬢がそれを望むのなら是非もなし』

 

 と声明を出したのだ。

 無論、ケインズ学派一門の連名で。つまり、援護射撃は弾幕射撃で効力射だった。

 実は、あの幼い容姿の未来のお后が天才少女だったという話に、英国メディアは飛びつき国民は沸きに沸いた。

 トドメとばかりに今生のケインズは結婚の年である1936年に発表した”雇用・利子および貨幣の一般理論”において、共同研究者一覧に堂々とドロシー・ミットフォードの名を記したのだ。

 意図せずにお后第一候補とは別の意味で”時の人”となった娘……自分もまさかの形で、特に”天才少女の教育方法”についてインタビューを受ける羽目になったミットフォード男爵は、生まれて初めて胃薬という物を購入した。

 何しろ、彼がやったことは娘が望む本を買い与え、それに見合うような家庭教師を雇入れ、ついでに荘園経営や領地経営の片棒を担がせたくらいだ。

 実は構築した経済理論を、荘園経営という形で実践運用し、実際に効果測定できたのはドロシーにとりこの上ない教育になっていたのだが、当然のように男爵にそんな認識は当然のようにない。

 胃腸の強さが密かな自慢だったようだが……ご愁傷様である。

 ただ、一つだけ彼にとって幸運だった事がある。

 ドロシーが話題をさらい過ぎた為に兄と姉、どちらかと言えば不祥事(スキャンダル)が、多くのマスコミから「些事」とみなされた事だろう。

 無論、左側で王室に批判的なマスゴミ(・・・・)はそこをせっついたが、多くの国民の反応は……

 

『長女が元ヤンの作家? 次女がレズ? 三女と四女+兄がナチ? 五女がアカ? だから何? それってドロシーちゃんより情報価値高いの? 話題性あるの? 所詮、兄も五人の姉も、ドロシーちゃんに比べれば凡俗だろ? それよりドロシーちゃんの情報をMore Update! ハリーハリーハリー!!』

 

 という塩対応ならぬ塩反応だった。

 どうもこの世界線では”王妃となる「あの蛮族王子」のハートを射止めた天才少女のドロシーちゃんと、他の(どちらかと言えば悪い意味で個性的な)ミットフォード五姉妹+兄”という扱いになったらしい。

 蛇足だが五女、三女と四女への反発もあって共産主義に傾倒したのは良い者の、38年以降の英国でも始まったレッドパージ(ケンブリッジ・ファイブの処断とか)の流れで、英国に居場所が無くなり、アカの天国たるアメリカへ移住(逃亡)したのが、この世界線での真相臭い。

 

 

 

***

 

 

 

 その後の王族についても語っておこう。

 弟のヨーク公アルフレッドは、兄の説得もあり1923年に結婚し、26年に無事に娘を得た。

 長女……女王となる運命から解放された長女は、”リズベット(・・・・・)・アレクサンドラ・エリザベス(・・・・・)”と名付けられ、勝ち気でおしゃまな女の子として成長する。

 

 無論、ちょうど10歳になった頃にリズベットもまた伯父の結婚式へと招待され、公務の一環で参列するのだが……

 

「き、筋肉……」

 

 それが忙しさにより、7年ほどぶりに見た伯父リチャードへの感想だった。

 ついでに今の自分と背丈が変わらない、下手すれば僅かに低いが胸だけは大きな幼い顔立ちの王妃を二度見した後に、ドン引きしながら伯父の顔を見たという。

 

 

 また、懸案事項だった長男が身を固めることに安心したのか、父であるキングジョージV世は、ドロシーの誕生日を待って盛大に行われた1936年6月1日の”ジェーン・ブライト”の結婚式を見届けた後に眠るように息を引き取った。

 1936年8月の事だった。

 史実より、ほんの少しだけ長生きしたようだ。

 もしかしたら、半年の寿命延長は気力の差だったのかもしれない。

 その死に顔は、実に満足げな笑みを浮かべていたという。

 この偉大なる老王は、遺言にこう書き残している。

 

 ”I was able to see my eldest son get married and also see my granddaughter.(長男の結婚も拝めたし、孫娘の顔も見れた)”

 

 ”I saw what I was supposed to see, and I think I got what I was supposed to get.(見るべきものは見たし、得るべきものは得たと思う)”

 

 ”It wasn't a life full of fun, but looking back, it wasn't a bad life.(楽しい事ばかりでは無かったが、振り返ればそう悪くもない人生だった)”

 

 そして、偉大なる王の崩御を乗り越え、国民の万感の祝福の基に”リチャードⅣ世”は即位する。

 それは確かに、一つの時代の終焉であると同時に”英国の新たな時代”の幕開けを意味していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 とここで終われば奇麗なのだが、そうは問屋が卸さないのがこの世界線だ。

 回想を終え、シーンは再び、チャーチル登城の1942年まで戻る。

 

 

 

「でも、いざ蓋を開けてみれば、初夜でいきなり”ヌカロク”キメてくるようなド助平な王様だったんですもの。私、初めてだったのに」

 

 ちなみに誕生日から逆算すると、その時に長男は”仕込まれた”と推察される。

 

「そりゃああんまり可愛い反応をするドロシーが悪い。それにあの時は、最後の方はお前も気持ちよくてぐちゃぐちゃになってたろ? 盛大に”黄金の噴水ショー”してたし」

 

「そ、そういうのは覚えていなくて良いんですっ! それにお金にしか興味がなかった私がこんなにエロエロになった原因は、全部、旦那様なんですからね?」

 

「はいはい。わかってるよ。俺の可愛いドロシー」

 

「……ばか♡」

 

 唐突にイチャつきだす英国国王夫妻に、今度は胃痛でなく胸やけを感じたチャーチルはまたしてもポケットから薬の小瓶を取り出すのだった。

 

 

 

「ところでチャーチル卿、北アイルランド開放を謳う諸勢力に紛れ込ませた”草”たちは元気か?」

 

「特に何か問題があったという報告は受けてませんな」

 

「結構」

 

 リチャード王が頷くと、

 

「陛下、その質問の意図は?」

 

「今すぐに動くことはない。北部返還を妨害するなど愚の骨頂だからな」

 

 リチャードはスッと目を細め、

 

「”彼ら”に動いてもらうのは、”北部アイルランドが米国によって基地化される”……その意味を、アイルランド人が正しく理解する事になる、ちょっとした未来の話さ」

 

 アメリカ人は知らない。

 自分達が気づかぬまま火種を、いや正しく英国製の”着火剤”を丸吞みしてしまった事など。

 英国が伊達や酔狂で長年、アイルランドを支配していたわけでは無いと思い知るのは、ドイツ人との諍いが一段の結末を見せた後……そう遠くない将来の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サブタイは、まんまビートルズの不朽の名曲より。
車とかのCMによく使われているので、タイトルを知らなくても、検索してよつべとかで「ああ、この曲か」となるかも?

面白いのは、幸せな結婚の曲なのに、歌詞をよく見ると最後は旦那のデイズモンドが仕事を辞めて、女房のマリーの稼ぎで食ってる……みたいな解釈もできるところです。
まあ、それはそれで幸せな夫婦生活でしょうが、リチャードのⅣ世の趣味ではない模様w

という訳で、出会いと結婚、そして、偉大なる王の最後と一つの時代の終焉と新たな時代の始まりを1話に詰め込んでみました。

まあ、最後のオチはご愛嬌、中々綺麗に終わらないのが、この世界線の仕様となりますw

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第14章:1942年、世界で一番(物理的に)熱い夏
第237話 復活宣言、そして……枢機卿?


拝啓

最近、寒暖の差が激しくなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
この話から新章スタートとなりますが、前話までと作中の温度差も激しくなっております。
読んだ後、お風邪などひかぬようお気を付けください。

つまり……久しぶりの”やらかし”です。





 

 

 

 

 

 

”Я заявляю! Вера будет гордо возрождена на этой земле! !(ここに宣言する! 誇り高くこの地に信仰は蘇ると!!)”

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりにサンクトペテルブルグ市の話題に戻ろう。

 ”その式典”は、1942年7月17日……最後のロシア皇帝ニコライ二世の命日、24年前に彼とその家族が殺害された日だった。

 場所は、サンクトペテルブルグ市の四大聖堂の中から、”血の上の救世主教会”、正式名称”ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)”が選ばれた。

 名前が何よりも今回の式典に相応しいという判断からだった。

 

 ボリシェヴィキによって略奪と破壊が行われた挙句、閉鎖の後に野菜倉庫として使われ「ジャガイモの上の教会」と貶められた大聖堂は、フォン・クルス総督の命により工兵部隊として磨きがかかったリガ・ミリティアまで投入されとりあえず即席ではあるが式典で正面広場が使えるようにまでは修復が進められた。

 

 その日、サンクトペテルブルグ市は一種異様な空気に包まれていたという。

 大小を問わない教会と言わず、公的機関全てに”ブルーミントの花十字”の旗

【挿絵表示】

が掲げられ、またハリストス復活大聖堂の正面壁面には、最大限に引き延ばされた在りし日の”ニコライ二世と家族の肖像”写真が掲げられていた。

 

 式典は、ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督の「肖像に捧げる厳かな祈り」から始まった……

 

「偉大なるロシア帝と、その穢れ無き家族の魂に安寧と救済を(Мир и облегчение душам великого Российского Императора и его чистой семьи)……」

 

 そして、彼は振り返り、サンクトペテルブルグ四大聖堂の主教(司教)を任された四長老に見守られる中、演台に立つ。

 

 

”В этот день, в это время, в этом месте я клянусь покойному императору.(我はこの日、この時、この場所にて今は亡き皇帝に誓おう)”

 

”Я заявляю! Вера будет гордо возрождена на этой земле! !(ここに宣言する! 誇り高くこの地に信仰は蘇ると!!)”

 

”Я как Иуда Искариот!(我はイスカリオテのユダに同じ!)

Не для верующих!(信徒に非ず!)

Не апостол!(使徒に非ず!)

Ничего, кроме святого!(聖者に非ず!)”

 

”Но я клянусь!(されど誓おう!)

Свобода религии обещана стране, где развевается флаг моего «Креста с голубым мятным цветком»!!(我が「ブルーミントの花十字」の旗が翻る地において、信仰の自由は約束されると!!)”

 

”Люди Петербурга!(サンクトペテルブルグの民よ!)

Молись, как хочешь!(好きに祈るがよい!)

Кому бы вы ни молились, на этой земле больше нет никого, кто осудит ваши молитвы! !(その祈りを咎める者は、もはやこの地には誰もいないのだ!!)”

 

”Люди!(民よ!)

Наслаждайтесь свободой религии! !(信仰の自由を謳歌せよ!!)

Это мое единственное желание! !(それが我が唯一の我が望みなり!!)

Давайте защитим его от моего имени! !(それを我が名において守護しようではないか!!)”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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”Под знаменем синего священного цветочного креста!(蒼き聖なる花十字の御旗のもとに!) Благослови все ваши молитвы! !(全ての祈りに祝福をっ!!)”

 

Слава Богу!(神に誉れあれ!)

Слава нашему генерал-губернатору! !(我らが総督閣下に栄光を!!)

Молот суда для всех коммунистов! !(全ての共産主義者に裁きの鉄槌を!!)

 

 

 

 割れんばかりの民衆の歓喜の声がサンクトペテルブルグで響く中、(おそらくは)世界中に中継ないし報道されるだろう内容に……

 

「毎度毎度のことだけど、あの人、本物の阿呆でしょ……」

 

 俺こと小野寺誠は盛大に溜息を突くのだった。

 ドモドモ~、なんかお久なオノデラ大佐っス。

 いや~、今日も我らがフォン・クルス閣下は元気一杯、盛大に”やらかして”ますなぁ~。

 信じられるか? 今回のイベント、会場選びから演出まで来栖さんが自分で1から考えたんだぜ?

 

「狂信者大量生産してどうするんですかってもんです。そこんとこどう思いますか? ”ハイドリヒ長官”」

 

 俺は視察と称してこっそりとサンクトペテルブルグ入りしていたNSR長官、”黄金の野獣”殿に問いかける。

 ところでこの人、いつの間に俺の隣に陣取ってたんだろ?

 もしかして、”NINJA”だったりする?

 そういや、前世で何故かナチだかネオナチだかの構成員が、変なニンジュツ使う作品があったような?

 

「実に良い。大変に良い。大いに結構だ」

 

 棒読みじゃないのが救いだろうか?

 

「わかってると思いますが……クルス総督、思いっきり”亡き皇帝陛下に誓って”、”自分がロシア帝に代わって(・・・・)正教徒を守護する”って言いきっちゃいましたよ? ドイツ的には、それ”肯定です”なんですか?」

 

 間違いなく演説の草案、読んでる……というより相談されてるよな?

 

(あの人の外交センスの無さというかハチャメチャで奇天烈っぷりは認識してたつもりだけど、まさかここまで斜め上だとは……)

 

 いやさ、普通に考えて”今は亡きロシア皇帝に祈りを捧げる”って演出からもう色々とオカシイんだよ。

 死者に敬意を払うつもりなのは良いさ。日本人としても共感できる。

 前世も今生も、ロマノフ王朝の最後には、同情すらする。

 だけどさ、

 

(やり方が致命的に間違ってないかい?)

 

 まず、”アンタいつからロシア人になったんだよ?”というツッコミは当然としても、今回の演説って常識的に考えて”ロマノフ王朝の継承者(・・・)”がすべきものなんだよ。

 そいつはサンクトペテルブルグの担い手なんてちゃちい話じゃない。

 ロシア帝が守護してた旧ロシア正教の全てを守護するって言ってるに等しいんだ。

 いや、むしろなぜ正教会長老は止めなかった?

 

 それに来栖さん、”信仰の自由”は認めても、ロシア正教の復活は言ってなかったろ?

 だって帝政ロシアって国はもうない訳だし。

 だけど、サンクトペテルブルグって”特別自治区”で、正教の主教を四人全員招いての信仰復活宣言って……

 

(こりゃもうソッコーで外堀埋められるぞ? おそらく内堀も並行作業で埋設だ)

 

「もしかして、どこの国とは言いませんが、正教会ってもう動いてます?」

 

「ギリシャ国王は、何処に居て、誰の庇護下にある? フォン・クルスは元々はどこの国籍だ?」

 

 あー、すまん来栖さん。

 多分、何をやってももう手遅れだわ。

 

「”一国一正教”の原則……ロシア正教が帝政ロシア滅亡と同時に消滅判定受けてる以上、障害は表面的には皆無。そういうことですか?」

 

 するとハイドリヒ長官、

 

「他にも特例として”枢機卿(・・・)”就任が依願されるだろうな。こちらは四聖堂の主教が連名で行う手筈になっているが」

 

 いや、”枢機卿”ってアンタ……カトリックの地位じゃん。

 ああ、豆知識だけど枢機卿(カーディナル)の正式な名称って、「聖なるローマ教会の枢機卿」でローマ法王(カトリック教皇)の最高位の補佐役のことなんだぜ?

 原則としては、司教の叙階を受けた聖職者の中から教皇が自由に任命し、任期はない……だったかな?

 

「別に正教が枢機卿を設けてはならないという法はないだろ? 第一、”守護聖人”などと言ったら、クルスは絶対に拒否するぞ?」

 

 いや、それでいーんかい。

 つまりは何か、来栖さん守護聖人とか絶対嫌がるから妥協して特別に枢機卿位階を新設するってか。

 

「クックックッ。これからは、フォン・クルス”枢機卿猊下(・・)”と呼ばねばならなくなるかもな」

 

 いや、笑っとる場合ちゃうやろがい。

 

「演説の草案、読みましたよね? こうなること理解してましたよね?」

 

「では逆に聞くが、オノデラ大佐……君はフォン・クルスを止めるかね? あるいは、”止められる”かね?」

 

 うっ……

 

「止めないし、止められもしませんね」

 

 そして、ハイドリヒ閣下は満足げに頷き、

 

「そういう事だよ。フォン・クルスは自由にさせるのが、”一番良い(・・・・)”」

 

 イイ笑顔で言いきりやがりましたよ。

 

「これで終わりじゃないですよね?」

 

「これは始まりに過ぎない。バルト海沿岸諸国の王侯貴族は既に動き出してるよ」

 

 きっとそれ、裏から扇動しまくってるのドイツってオチですよね?

 

「身内にしてやられるとは……お労しや来栖さん」

 

「オノデラ大佐」

 

「なんでしょう?」

 

「君も嗤っているようだが?」

 

 すまない。俺もやはり愉悦要員のクソヤローだったわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後日、正式にギリシャ正教からの”サンクトペテルブルグ正教”の発足承認と、その旨を記した書簡を持参した四大聖堂を預かる主教(四長老)からの”枢機卿”就任の懇願をクルスは受けた。

 

「どうしてこうなった……」

 

 いや、猊下(・・)よ。

 それすんげー今更の上に、完全に自業自得だってばよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【悲報】オノデラ大佐、実は愉悦組の一人だった【知ってた】

とまあ、久しぶりのフォン・クルス閣下(いや、猊下か?)の”やらかし”ですw

元日本人で現在進行形のドイツ国籍が、亡き皇帝に信仰の自由にかこつけて、正教の復活を誓っちゃダメでしょう。

そら、あーた……正教を中心とする宗教勢力や、王侯貴族動き出すってもんです。
まあ、ハイドリヒのリアクションから考えるに、ドイツはフォン・クルスの行動を黙認するどころか意図的に野放しにし、確信犯的に裏から扇動してるようですが……

まあ、また愉快な方向に歴史が流転しなければ良いのですが……お労しや同志Sリンw
マジでクルス、ソ連の疫病神になってきたなぁ~。

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第238話 三式戦車、その概要とコンセプト

今回は久しぶりに兵器回(?)です。
これから2年くらいは日本皇国陸軍の主力戦車になるだろう”三式戦車”の掘り下げ回ですね。
キャラとか一切出てこない仕様の回なので、機械関係に興味のない皆様はご注意ください。







 

 

 

 さて、長らく紙面が紅茶色(英国面)に染まったり、スパイシーでホットな感じのサンクトペテルブルグに流れたが……

 久しぶりに機械油臭い話をしようと思う。

 

 そう、先行量産型が実戦テストも兼ねてシリアやレバノンに投入されようとしている”三式(中)戦車”だ。

 特に技術畑が歴代の転生者だらけの今生日本、日本皇国で開発された戦車は、中々にユニークな特性を持っていた。

 

 まず、主砲はスウェーデン・ボフォース社の”luftvärnskanon m/29 75㎜高射砲”のライセンス生産品、”()九九式七糎半野戦高射砲”を戦車砲に改設計した”二式75㎜53口径長戦車砲”だ。

 どうやら戦争に本格参戦するようになってから、日本皇国でもアラビア数字やローマ数字を用いた”簡易表記”されるケースが増えているらしい。

 ちなみに英国式の表記にすると”75㎜14ポンド砲”という事になり一式戦車などの九〇式野砲由来の75㎜45口径長戦車砲が同じ表記だと”75㎜11ポンド砲”、三式の後継の四式ないし五式戦車(仮称)が英国由来の76.2㎜58.4口径長砲、いわゆる”17ポンド砲”を採用する予定なので、このポンドが砲弾(弾頭)重量をさしている事を考えると、日本皇国の戦車はバージョンアップする度に砲口径は大差ないのに3ポンドずつ増えているのが、興味深い。

 

 性能は、皇国軍が標準的な徹甲榴弾と位置付けている”APCBC-HE”を用いた場合、「1,000mで傾斜30度の100㎜の標準的な装甲板を貫通できる」くらいだ。

 まあ、史実の四式七糎半高射砲や試製七糎半戦車砲(長)に比べてかなり高い貫通力を示しているが、これは大日本帝国よりも潤沢にタングステン・クロム鋼やニッケル・クロム鋼などの高硬度高比重金属を潤沢に使える環境(特甲、特乙などと同じ金属が標準徹甲弾でも使える)と、砲弾や主砲自体の加工精度や強度に強く影響が出る工業力が、史実の日本に比べて日本皇国が高水準であることも理由としてあげられる。

 

 そもそも、原型からして薬莢長だけなら米軍のパーシングなどに採用された90㎜戦車砲と同等の約600㎜なので、火薬がまともならこのくらいの威力は出せるという事だろう。

 ちなみに純粋徹甲弾であるタングステン弾芯(コア)の高速徹甲弾(APCR)を用いた場合の貫通力は、その約4割増しとされた。

 別の言い方をすれば、当時の同格の75㎜戦車砲の世界水準を上回っているが、かといって圧倒的というほどでもない。

 原型からして優秀な砲であることは間違いないのだが。

 だが、それより高威力の17ポンド砲のライセンス生産が早く見積もっても43年まで待たないとならないと判明した皇国戦車開発チームは、別の方向性でサヴァイヴァビリティを底上げする事にした。

 

 

 

 参考にしたのは、史実のM4A3E2突撃戦車、通称”シャーマン・ジャンボ”。つまりは、重装甲化だ。

 三式戦車は溶接構造の車体に鋳造砲塔を組み合わせるというこの時代のオーソドックスな構成だが、装甲板自体を強度が同等の浸炭軽量装甲板(ニセコ鋼板)を採用したりそこまで厚くする必要のない部分の装甲を性能に影響が出ない範囲で薄くするなどの軽量化の努力の甲斐あり、砲塔正面127㎜、砲塔側面105㎜、車体前面120㎜、ザウコップ・スタイルの防盾部分に至っては155㎜という装甲厚があるのに、どうにかこうにか空虚重量35t以内(つまり、戦闘重量や全備重量は40t近くいくという意味でもあるのだが)にギリギリ収まるように設計できた。

 無論、車体正面も砲塔も避弾経始を考慮された丸みを帯びたデザインで、ショット・トラップ対策もしっかり行われている。

 とはいえ、35t級というのは従来の日本皇国戦車よりもずっと重い数字であり、鈍重であれば価値も意味も薄れるのでそこそこの火力と重防御に機動力を不足させないため、エンジンや駆動伝達系、足回りなどがかなり念入りに、あるいは執念深く設計されている。

 

 まずはエンジンから見ていこう。

 名称こそ”統制型一〇〇式発動機”シリーズ、その最大排気量モデルである”三菱AL”型と同じであるが、これまた中身は随分とパワーアップしている。

 概要から言えば、”空冷式V型12気筒SOHC渦流室式ディーゼルエンジン”で、排気量は37.7l、出力は安定して550馬力を発生する。

 同時期のソ連のT-34戦車などに採用された”V-2-34”に比べると、排気量1.2lほど小さく、冷却に不利な空冷式を採用しているにも関わらず、出力で50馬力ほど勝ってる計算になる。

 それだけ熱効率が良いという事だが……これも何もチートや魔法の様な特別なことではなく、単純な技術的な努力の積み重ねだ。

 例えば、耐熱性・耐久性の高い鋳鉄製のシリンダーケースとスリーブに、4000番系耐熱アルミ合金のシリンダーヘッドや鍛造ピストンを組み合わせ、予備燃焼室方式より燃焼効率が良い過流室式を採用。

 ディーゼルエンジンには必須の燃料噴射装置の制御に、電子制御式一歩手前の”パラメトロン式電気演算制御燃料噴射装置”を耐久性が高く故障時にはユニットごと交換できるユニットボックス式演算装置として採用。

 また、冷却効率で劣るのをわかっていながら水冷式(液冷式)ではなく、シロッコファンを用いた(強制)空冷式にしたのも理由がある。

 まず、水冷式は長い冷却水ラインをエンジンに巡らせねばならず、また戦場の蛮用を考えると、パイプに亀裂が入って冷却水が漏れ出したり、冷却水ポンプが故障しただけでオーバーヒートを起こす危険性がある水冷式はリスキーだと考えられたからだ。

 つまり、電動のシロッコファンで冷却する方がまだ故障率や破損リスクが少なく、修理や交換も簡単だと考えられた。

 熱処理能力の低さは、エンジンブロック自体の耐熱性をあげること、熱伝導率が高い(放熱しやすい)アルミ合金を上記のように熱が貯まりやすいシリンダーヘッドに採用すること、また潤滑油の一部を冷却に用いる(そういう意味では、初歩的な油冷エンジンとも言える)こと、放熱フィンを念入りに設けることなどで対処可能だと考えられ、事実、そうなった。

 また、空冷式のメリットは(本来は)絶対性能こそ水冷式や液冷式に譲るが、それらの方式に比べて日本人が大好きな小型軽量コンパクトにエンジンが設計できるというメリットもある。つまり、エンジンも軽量化に一役買ってるのだ。

 

 そして、比較的安定して高出力を出せるエンジンの出力を動力輪に伝える変速機・操向システムは英国由来のメリット・ブラウン式変速装置が新たに採用されている。

 つまりは、三式戦車もまた「この時代では珍しく”超信地旋回”ができる戦車」の一角だという事だ。

 

 

***

 

 

 

 そして、足回りなのだが……車体の前後の動力輪を含む二対四基の大型転輪は負荷が大きいので頑丈なダブル・トーションバーで支持(史実のV号戦車と似た構造)されているが、上部のガイドローラーはともかく下面の小型支持転輪は、前後二対のホルストマン方式のサスペンション付タンデムローラー・ボギーユニットを、更にオイルダンパーを介して連結し、ある程度の自由運動を可能とした”発展型(・・・)シーソー式連動懸架”が採用された。

 多少構造が複雑になってしまうが、サスペンションを全て車外に取り付けられ、車内容積を多くとれるし、相応に地面に対する追従性が高く、サスペンション・ストロークもそれなりにとれるというメリットがあった。

 また、もう一つのメリットは車体の乗員座乗スペースに邪魔なトーションバーが横断しないために底面にいざという時の脱出ハッチが設置できるのも大きかったようだ。

 実際、この足回りの設計はかなり秀逸だったらしく、計算上は荷重があと10t、45t級になっても耐えられる事が調査で判明している。

 なので、後継の17ポンド砲搭載戦車にもダンパーなどを大容量化した、基本構造が同じの小改良型が採用されている。

 

 ただ、サスペンションが外付けで剝き出しのままだとソ連が大好きな対戦車ライフルの格好の的になり兼ねないので、きっちりとスカートアーマー(ドイツで言う”シュルツェン”)を外側に装着している。

 また履帯は、580㎜幅のダブルピン・ダブルブロック構造の耐久性の高い割と贅沢な物を使っているようだ。

 

 

 

 駆け足ではあったが、主要コンポーネントの解説はこのくらいにして、今度は少し”地味に戦闘力を底上げする装備”を見てゆきたい。

 照準器は最新のステレオ式ではなく、合致式のオーソドックスでコンパクトなタイプだが、照準器自体を二軸ジャイロ安定化させ、主砲自体にも1軸(上下動)ガンスタビライザーを搭載、振れ幅を小さくしてある。

 そして、より強く安定した照準器の射撃軸線に砲身が合致した際に撃発する”オートスレイブ式撃発装置”を標準搭載していた。

 実はオートスレイブ・システム、電子回路ではなく電気回路でも普通にシステムが構築できる。

 何しろ、射撃軸線が一致した時に発砲するだけだから、様々なパラメータが必要な弾道計算機や射撃統制装置の様な高度で複雑な演算装置は必要としないのだ。

 なので、照準器自体は単純な構造でそこまで高精度な物でない(IV号戦車後期型のTZF5f/1と同水準)にも関わらず、命中精度・命中率は明らかに他国の戦車に比べて高くなっているようだ。

 ついでにいえば、この戦車、もう一つ照準装置が付いている。

 主砲の砲身を挟んで同軸機銃の反対側に付いている装備だが、それは”スポッティング・ライフル”、もしくは”レンジガン”と呼ばれる。

 具体的には一部の転生者から”ヘカテーたん”の愛称で呼ばれる”試製二式長距離狙撃銃”のコンポーネントを利用して作られた50口径の殺傷目的ではなく、「戦車砲の照準目的の銃器」だ。

 原理は単純で、主に戦車砲の徹甲弾の弾道をトレースするように調整された曳光弾(トレーサー)を主砲発砲に先駆けて発射し、曳光弾は派手に発光しながら(燃えながら)飛ぶのでその軌跡をみれば弾道の目安になるし、また、理論上は曳光弾が命中した付近に主砲弾も命中することになる。

 原始的な方法に聞こえるかもしれないが、乱戦で咄嗟に素早く照準しなければならない場合などでは、かなり実戦的な装備だったらしく、史実でもレーザー・レンジフィンダーが登場するまでは繫盛に使われていた。

 ただし、欠点もあり、事前にこちらの砲撃を察知されてしまうので、待ち伏せや奇襲には使い勝手が悪いこと、そして、曳光弾が燃え尽きてしまう以遠の距離では照準装置として意味をなさない事だ。

 例えば、史実の英国の戦後戦車で使われていたレンジガンは大体2,300m付近で燃え尽きてしまうらしい。

 だが、三式の戦車砲の性能や有効射程、想定される交戦距離を考えれば、有益な装備と言えるだろう。

 

 

 

 また、砲塔バスケットは標準設定されているが、着目したいのは砲塔旋回装置にこの時代では最先端のパワフルな”電気油圧式”が採用されている事だろう。

 重装甲にし大型の砲を搭載すれば、当然、砲塔は重くなる。

 そうなれば、必然的に旋回させるのに大きな力が必要になってくるのだが……実はこの時代、重装甲化が優先されるあまり、割と砲塔旋回速度は後回しにされている部分がある。だが、考えてみて欲しいのだが、「どんな強力な大砲も、敵に向けられなければ無意味」なのだ。

 実際、三式戦車の砲塔旋回速度は、同格の他国の戦車に比べて遥かに早い。

 この優位性は、他国がこぞって電気油圧式砲旋回装置を採用する戦後しばらくまで続く事になる。

 

 また、ドイツに倣って無線機も中々に良いものを積んでいる。

 流石にトランジスタタイプではないが、真空管の中でも頑丈なメタル管を採用し、マウントやケースを工夫し無線機自体を防塵・防振としタフネスさと高い信頼性を維持できるようにしていた。

 

 また、上記の装備を有効的に使うには、相応に高い電力、発電量が必要だが……

 バッテリー自体は、一般的な鉛蓄電池だが、搭載量が多く、何よりもディーゼルエンジンに接続される発電装置がこの時代では標準的なダイナモではなく、”オルタネーター”が採用されているのが目新しい。

 三式戦車は、発電能力も蓄電能力も、他国の戦車に比べてかなり高い。

 その潤沢な電力量の為に夜間哨戒能力で役立つサーチライトも標準搭載できるようになった。

 

 副武装は、主砲同軸に英国でも標準化しつつある8㎜マウザー小銃弾を使う”ベサ機関銃”、砲塔上には50口径のヴィッカース機関銃がシールド付き旋回式で対空機銃も兼ねて搭載されているが、実際には地上掃射で使われるケースの方が多かったようだ。

 

 車体正面装甲に大きな穴をあけることでの防御力低下を嫌い、車体正面機銃は未搭載となった。

 そして、発煙筒投射器は三連装で砲塔後部左右に搭載……これは何やら、設計思想というより設計者の思想を感じる。

 

 設計思想の話が出たついでに、地味に効果ありそうなのは戦車自体の構造もそうだ。

 例えば、先にあげた燃料噴射装置の制御システムや無線機、照準器など可能な限りユニット構造が採用されていて「故障したら、その場の修理ではなくユニットごと交換して継戦能力を維持」という発想で設計され、例えば、メリットブラウン式の変速・操向装置は、特にエンジンから軸出力を減速させるために一番負荷がかかる変速機部分をカセット構造にしており、相応の機材があれば野戦整備でも簡単に交換できるようになっている。

 この時代の戦車は、トランスミッション系が文字通りの”アキレス腱”になることも多い為、地味にこの意味は大きい。

 少なくとも「ミッションが逝かれて戦場で放置される戦車」は、大幅に少なくなるはずだ。

 また、メンテナンスフリーのパーツも可能な限り使われていて、整備の手間を大きく減少しているようだ。

 

 また、史実のバトルプルーフされたM4シャーマン後期型と同等かそれ以上に人間工学に基づいて操縦系・操作系は配されており、感覚的に分かりやすく、またあちこちに油圧アシストが入ったりもするので、実際にかなり扱いやすい戦車に仕上がっているらしい。

 当然、萌えイラストで彩られた「馬鹿でもわかる操縦マニュアル・整備マニュアル」も同梱されている。

 ちなみにこのマニュアル、日本語版と英語版があり、描かれてる女の子が違うキャラらしい……やはり、どれほど世界線が変わろうと日本人は日本人ということだろうか?

 

 

 

***

 

 

 

 長々と書いてきたが、結局のところ……

 

 ・高い装甲防御

 ・圧倒的ではないが、そこそこ高い火力

 ・必要にして十分な機動力

 

 とまあ、前モデルである”一式戦車”の正常進化版といえる特徴を持っていた。

 言ってしまえば、”機動防御”戦にきわめて使い勝手の良い”高機動移動トーチカ”というコンセプトだろうか?

 日本皇国らしいといえば、らしいコンセプトだが……

 

 しかし、隠しコンセプトと呼べるものがある。

 それは、”防御力の高さと、機動力で敵の利点や長所を潰す”という物だ。

 

 例えば、防御力が高ければ、”敵の相対的有効射程=三式戦車の装甲を貫通できる距離”は短くなる。

 つまり、敵は接近するしかなく、その間に高い砲塔旋回速度と照準精度で先んじて敵を撃破できる、つまり結果として”アウトレンジで敵を撃破できる”のだ。

 無論、㎸-1のように防御力が高い、同じような戦車もあるが……設計思想の違いもあるが、三式の方が機動力、もっと言えば出力やトランスミッションなどの差から、より運動性が高く小回りが利く、つまり簡単に側面などに回り込めるのだ。

 

 と、ここまで書けば薄々感づいた方もいると思うが、一式戦車は「ドイツ戦車」を明確な仮想敵としていたが、三式ははっきりとそうだと明言されているわけでは無いが……

 

 ”ここ数年で登場すると思われる米ソ戦車(・・・・)

 

 に十分対抗できる性能を目的として開発されたようだ。

 

 

 

 そして、この戦車が中東や地中海方面に配備されようとしていた。

 つまり、その真価が問われるのは、そう遠い話ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




米ソ戦車兵:「いや、化け物ってほどじゃねーけど、こんな嫌がらせみたいな戦車、相手したくねー」

防御固いうえに、ダッグインしてる間はパカパカ当ててきて味方を削っていき、いざこっちの砲でも貫通できる距離に入ろうとしたらダグインから抜け出で、妙にちょちょちょろ動き回るという厭らしさw

砲力がそこそこと言っても、実際には75㎜時代の44年までのM4シャーマンやT-34/76、IV号戦車の後期型の砲力は凌いでいる訳ですし。
装甲厚は42年型のKV-1と同等で、しかも機動力では勝り、例えば計算上は高速徹甲弾を使えば1000mで㎸-1は三式の砲塔正面を貫通できないけど、三式はギリギリ貫通できるって感じになります。


嫌な戦車だことw

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追記
すいません。次話投降とか感想への返信とか、少し遅れます。




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第239話 中東や中近東に深入りする以上、決して避けては通れぬ案件

本日も、また苦労する外交官がまた一人……


 

 

 

 さて、石射猪之助という外交官を紹介しよう。

 日本皇国には珍しく、”良識的な”平和主義者だ。

 この場合の良識的とは、「とりあえずアカを殲滅すれば世の中丸く収まるし、世界は回る」と考える元外交官で、今は閣下とか最近は猊下と呼ばれてるのとか、あるいは人権原理主義とも言いたくなる筋金入りの”戦争犯罪撲滅過激派”の調査団長とかだ。

 ああ、あと可笑しなくらいに英国に馴染んでいるというか……英国面を耽溺している外交古狸とかもいたな。

 

 まあ、石射はそのような”曲者”とは別枠の、どちらかと言えば外相の野村時三郎や某サヌーシーな国王に気に入られ片腕になりつつある(えっ?)武者小路などの正統派(???)の系譜に属する外交官だ。

 まあ、軍の高官に平然と嚙みついたり、平和主義者なのに鉄火場慣れしているなど、”普通の外交官か?”と問われると、素直に頷けない部分も確かにある。

 

 そんな石射が外交特使兼政務アドバイザーとして派遣されたのは、フランスから顔面に投げつけられたシリアだった。

 まあ、石射としては文句はない。

 中東の植民地(旧仏委任統治領)が平和裏に独立国としてスタートを切る……そのサポートを行うのであれば、外交官冥利に尽きる話でもあるし、個人的な趣味や趣向にも合致した。

 しかし、シリア新政府の立ち上げにあたって、ある問題が浮上したのだ。

 

「”クルド人問題”か……」

 

 中東、中近東に深くかかわろうとするなら決して避けては通れぬ問題だった。

 この地域の主要人口は、アラブ人、トルコ人、ペルシャ人であり、クルド人はその次に人口が多いとされるので、決して少数民族という訳ではないのだが……問題なのは、前者三種の人種・民族から共通して”異端・異分子・異民族”扱いされているという事だろう。

 

 まず重要なのは、現在、「クルド人の国家」という物が存在していない事を挙げておきたい。

 もうそれだけで、クルド人の立場の弱さという物が推測できる。

 問題なのは現在どころか、歴史上クルド人(クルディスタン)の国家という物が存在しないことだ。

 言い方を変えれば、「国を持たない民族の最大手」という言い方もできる。

 こうなってくると、なぜ”異端・異分子・異民族”扱いされているか見えてくると思う。

 

 アラブ人は中近東からアフリカにかけて非常に多く、トルコ人もオスマン帝国が滅びても現在進行形でトルコという国家がある以上、問題はない。

 ペルシャ人国家の代表格は、ホットスポットになりつつあるイランだ。

 そして、これらの国家に跨る地域にクルド人は国家を持たず、独自のコミュニティを形成し、存在している。

 

 先に言っておくが、彼らは「好きで国家を持たない」訳ではない。

 上記の地域は、遥か太古から群雄割拠の地であり、また石油が出てからという物、あるいはオスマン帝国が衰退してからという物、欧米からの浸食が激しい地域でもある。

 しかしである。

 アラブ人やトルコ人やペルシャ人にしてみれば、自分たちの文化に馴染まず、また「自ら国を持とうとしない」”怠惰なクルド人”は、自分達の国家に寄生されているように感じてるのは、残念ながら事実である。

 誤解と偏見、あるいは三民族を狭量と切って捨てるのは簡単だ。だが、現実はそう簡単ではないのだ。

 

 クルド人が本当に少数民族ならば、こうもややこしい話にはならなかったのだが……

 日本に置き換えて見よう。

 文化風習が違い、独自のコミュニティを優先し日本文化に積極的に馴染もうとせず、それでいて全人口の1割に達する”異民族”が国内に居住していたとしたら……まあ、そう言う事である。

 感情は、個人であれ国民全体であれ、理屈だけで語るべきものでは無い。

 実際、トルコ人作家”イスマイル・ベシクチ”は、

 

『クルディスタンとは国でもなければ植民地でもなく、この地上から消え去ることを要求されている「民族」である』

 

 とまで記している。

 日本にとってクルド人という言葉が聞かれるようになったのは割と近年であり、それはフセイン政権時代のイラクが「クルド人に対して毒ガス攻撃を行った」といういわゆる”ハラブジャ事件”を境にしてだと思う。

 しかし、当時はイラン・イラク戦争においてスンニ派諸国、欧米諸国などの多くがイラク側を支持していたことから、ほぼ黙殺される状況になったという経緯があるのだが……この時、特にクルド人が居住してる諸国の反応は、徹底的な”無反応(・・・)”だった。

 この意味を考えると、この問題がいかに根深いか見えてくる。

 

 

 

***

 

 

 

 とはいえ、対処療法的な解決策は既に用意されていた。

 シリアの独立と共に、

 

”東シリアクルド人自治区の併設”

 

 を提案しているのだ。

 その理由は、

 

「トルコにイラク、きな臭くなってきているイラン王国との”緩衝地帯(バッファーゾーン)”の設営か……」

 

 シリア北東部は角のように突き出しており、そこはイラン、イラク、トルコと国境を接してる緊張感のある地域だ。

 そこに”クルド人自治区”を作ろうというのである。

 無論、それは同時にその三国から迫害されたクルド人の”駆け込み寺”になりうるという側面もある。

 日本皇国としては、「クルド人の隔離政策」は後に軋轢を生むのが目に見えているので望まないが、かと言って「民族分離」は安定化に必須と考えていた。

 だが、独立を強く望むシリア人(シリア系アラブ人)にクルド人自治区の必要性を正論で解いても芳しい反応が返ってこないのもまた事実。

 だからこそ、「シリアにも利のある提案」を行わねばならなかったのだ。

 それが例え”方便”であってもだ。

 

 現代の日本人には理解しづらいかもしれないが、シリアやレバノンは、本来は「典型的なアラブ商人の国家」だ。

 自分たちに利益の出る交渉なら、とりあえず乗ってくる。

 

 こうして、石射猪之助の長い戦いは始まったのだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってな感じで石射サン、苦労してるんだろうなぁ」

 

 シリア北東部”ハサカ”

 古来よりクルド人居住者の多い地域である。

 そこに置かれた皇国陸軍遣シリア駐留軍、北部方面軍司令部で、”宮崎繫太郎”皇国陸軍少将はそう同情する。

 よく似た名前の人物は、史実のインパール作戦で苦労する羽目になったが、今生では天国と地獄ほどの環境差が在れど、何となく苦労人気質が滲んでいた。”同(職業)病相憐れむ”だろうか?

 

 

 

 基本的にシリアに派遣された皇国陸軍と空軍は主に大きく二つの任務群に分かれている。

 一つは、純粋な”治安任務群”。

 まあ、治安維持や治安回復を目的とした部隊であり、比較的(皇国軍的にはだが)軽装で機動力、展開性に長けた部隊で、作戦一つに対する最大行動単位が精々連隊規模だが、その分部隊数が多く、専門分野の部隊も多い。

 憲兵隊や法務士官が重要なポジションを持つが、同時に救助活動や炊き出しなど「自衛隊的側面」が求められているし、それを目的に編成された部隊だった。その為、ダマスカスとアレッポに大きな拠点を築いていた。

 こちらの司令官は”根本博士(ひろし)”少将が任されていた。

 

 もう一つは、”国境警備任務群”。

 要するに独立国になろうとしてる真っ最中のシリアやレバノンに手を出してこようとする不心得者を叩きのめすための部隊……という名目、あるいは建前の部隊だ。

 まあ、本当の任務はクルド人自治区の”武力的後ろ盾”になることと、そして、越境してくる”不心得者”に対して「三式戦車を中心とした数々の新兵器」の実戦テストを行う事が目的としていた。

 

 もっとも、越境と言ったところでこの時代、この地域での国境線など実に曖昧なのだが。

 ちなみに不心得な越境者に関しては、トルコとイラクに関してはさほど心配していない。

 日本との関係を悪化させてまで得られる利益が何もないからだ。

 

 無論、クルド人を含むシリア在住の住人からちょっかいをかければその限りではないだろうが、その防止を含めた”武力的後ろ盾”でもあるのだ。

 つまり、某ゲーム風に言うなら”八方睨み”で皇国軍は周囲に睨みを利かせているという訳だ。

 

 

 

***

 

 

 

 とはいえ実際、本気で越境を試みる武装勢力など滅多に居ない筈だが……8月が目前に迫った本日は、貴重な例外になったようだ。

 

 

「”西住少佐”、どうやらお出ましみたいですよ?」

 

 無事に野戦任官で少佐に出世したついでに、戦車戦のエキスパートとして上官の西大佐から推薦。三式戦車のテスト要員としてシリアに派遣され、1個戦車大隊の指揮を任されることになった西住虎次郎は、部下の秋山中尉からそう報告を受ける。

 だが、双眼鏡の先にいるのは……

 

「”クルド解放戦線(・・・・・・・)の旗を掲げたアメリカ戦車(・・・・・・)”ってのは、一体何の冗談だ?」

 

 まあ、戦車にデカデカと掲げられた旗は、少なくともシリア・トルコ・レバノン・イラク在住のクルド人には一切非公認の組織、というか米ソがイランでマッチポンプするようになってから唐突に生えてきた、とってつけたような名前から分かるように、まあ主に米ソの意向で生まれた共産系武装民兵組織というところだろう。

 ちなみに上記にあげた各国のクルド人、特に自治区が与えられようとしているシリアのクルド人(クルド自治区暫定統治機構)からは、「あれは偽クルド人の武装犯罪組織であり、クルディスタンとは一切無関係」と公式に発表されている。

 まあ、米ソによるクルド人のイメージ低下を狙ったネガティブキャンペーンも兼ねているのだろう。

 中東が不安定な方が、彼らにとって都合が良いのだから。

 故に、「テロ組織として対応」する方針が皇国・シリア・レバノン・クルドの間で固まっていた。

 

 

 

 どうでもいいが……「米国戦車によくわからない民兵組織の旗がくっついてる」事に疑問を感じる西住は、きっと転生者でないのだろう。

 転生者なら、「まあ、いつもの事か」と流す案件であるのだから。

 まあ、それはともかく……ここに、世にも奇妙な(あるいは珍妙な)戦車戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、三式戦車からの流れで、さらりと真っ先に配備された土地の状況などw

クルド人って、本気で深堀すると、割と日本人では理解しがたいというか、一筋縄ではゆかない歴史の重み(ソフトな表現)を感じる状況が多々出てくるし、そもそもクルド人の定義からして難しくなってしまうので、このシリーズではあまり深入りはしません。

まあ、とりあえずはシリア北東部……この時代では、国境線がまだ曖昧な地域にクルド人自治区が出来上がり、そこに日本皇国の実戦テスト部隊が入ってるのだなという認識でいただければと。
苦労人気質の陸将付きでw


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第240話 この上ないデビュー戦のリザルトなのに、何故か気分はほろ苦い

メイクデビュー(三式戦車)です。





 

 

 

 実験戦車大隊副隊長である逸見大尉(当時の階級)によれば、

 

『西住隊長が、あれほどやる気と()る気を見せなかったのも珍しい』

 

 と後に語っている。

 まあ、確かに状況的にはそうだろう。

 

 まず、相手が旋回砲塔に75㎜級かそれ以上の大口径砲を積むことがトレンドになってる現状において、75㎜砲は搭載しているが固定装備で、明らかに時代遅れの趣がある”M3中戦車”と、これまた豆戦車と呼びたくなる”M2軽戦車”だ。

 どちらも史実ではレンドリース初期において、大量に供給された戦車ではある。

 

 おまけに、その戦車にはソ連のタンクデサントもかくやとばかりに、鈴なりにいかにも「民兵です」と言いたげな、統一感のない武装兵が跨乗しているのだ。

 定員オーバーの過積載も良いとこだ。中には咥えタバコをふかしている者さえいた。

 あれじゃあ、戦車が本来の機動をすれば、確実に全員が振り落とされる。

 つまり、「その程度の速度しか出していない」のだ。

 

 

 

***

 

 

 

 うん。

 これは解説の必要があるな。

 まず、彼らが旧式戦車に乗ってる理由と、ハーフトラックなどの兵員装甲輸送車を使ってない理由からだ。

 ソ連へのレンドリース品には、当然のように(米軍にもまだ十分に行き渡っていない最新鋭の)”M4シャーマン中戦車”や”M3ハーフトラック”なども混じっていた。

 前者は少数(当然のように米陸軍が「共産主義者より先に自軍に回せ」と当然の要求をした為)だが、後者はそれなりの数があった。

 だが、それらを民兵組織に渡すなど言語道断だった。

 ”ドイツ人相手に戦える戦車”は1両でも多く欲しいし、ソ連は戦車の生産能力こそ高いが、他の装甲車両や非装甲の戦闘車両の生産力が低いので、兵員輸送や牽引に使える車両は宝石よりも貴重だった。

 なので、(余剰分があるので)予備兵力として持ち込みはしたが、「ドイツ人との戦闘には力不足」と判断されたM3中戦車やM2軽戦車が”とある作戦”のために”地元勢同志(・・)の勢力”に供与されることになったのだ。

 

 さて、その作戦だが……

 背景としては、シリアに配備されている日本皇国陸軍の配備兵力が精々1個軍団、10万人に届くかどうかという”小規模”であり、しかも8割がたが治安部隊であり、国境線に張り付かせている有力な装甲兵力は1個師団程度と米ソが看破したことに始まる。 

 そして、イランにもクルド人はおり、またソ連のイランに対する工作の一環として、一部を民族自立にかこつけた”共産化教育”に成功していた。

 然る後、ソ連はこう唆したのだ。

 

『シリア北東部にはクルド人自治区が制定される。諸君らもクルド人である以上、そこに居住する権利がある』

 

 最初、ソ連はお得意の浸透工作を行うつもりだった。

 だが、彼らは太古の昔からこの地に住まうクルディスタン・ネットワークを甘く見ていた。

 その情報は、直ぐにシリアのクルディスタン・コミュニティに伝わり、シリアに潜入した”アカいクルド人”は、「人知れず姿を消して」いったのだ。

 実は、このあたりの事情は、日本皇国も事後承諾的に知った事実であるのだが……ただ、「クルド人同士の問題」とされれば、深入りする気も起きなかった。

 

 

 

 この様に強固な民族ネットワークに切っ先を潰されたソ連は、強硬策に転じる事になる。

 それほどまでに、イラン側へ深く食い込んだ”シリア北東部の長い角”に圧迫感を感じていたのだ。

 まあ、当然と言えば当然だ。

 何しろ、もっとも有益なバレンツ海ルートはあっさり潰され、太平洋ルートは陸路が遠い。文字通りペルシャ湾ルートは、ソ連の生命線だった。

 そこが絶えずに圧力を感じるのは、極めて遺憾なのだ。

 そこで、赤化に成功した原住民を武装させ、”実力行使でシリア北東部を乗っ取る”というソ連らしい結論に帰結したが……肝心の武装がなかった。

 これも当然だろう。

 余剰な武装などがあれば、中東の異民族にばら撒く前に対独戦に投入している。

 そこで目を付けたのが、「ドイツ人相手には使えない、アメリカからの貢ぎ物(・・・)」だ。

 要するに、ソ連は共産化に成功したクルド人を鉄砲玉に使うことを提案し、アメリカはそれを容認した。

 このような「米露の中東人に対する認識(除くイスラエル)」は、戦後も……いや、21世紀に入ってさえも本質的には変わってないように思える。

 

 

 

 だが、彼らは肝心のところで手を抜いてしまった。

 イランにやって来たアメリカ軍人は、アメリカン・ウエポンの「使い方」を教える為の指導教官(技術指導員)であり、実際に戦場で指揮をするタイプではなかったのだ。

 アメリカの「兵器の使い方を教えればロシア人は戦える」という判断からだった。

 実際、彼らは「イランにて教導」を行うのであり、欧州の奥地へ派遣予定は無い。

 

 そして、肝心の計画発案者であるソ連だが……軍事顧問団などイランに派遣してなかったのだ。

 いや、むしろ教官職はソ連本国で大幅に需要があった。まあ、あれだけ負けがこめば、兵士の促成栽培は必須であり、教官などいくら居ても需要に供給が追いつかない。

 なので、イランに着任していた武官が教官を代行したのだが……まあ、「戦車以外の車両のない彼らの戦術」といえば、お察しくださいだ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、”クルド解放戦線”の同志諸兄にも擁護すべき点はある。

 まず彼らは、現状の”明確な国境線”を示されていない。

 いや、そもそもクルド人が住む地域を”クルディスタン”と呼ぶ風潮があるように、そもそもが国を持たない彼らの国境感は希薄だ。

 つまり、彼らは

 

 ”現在進行形で国境を侵犯している”

 

 という意識はない。

 あくまで今は会敵するまでの”行軍中”であり、既に敵地という認識が無いからからこそ、ここまでリラックスしていられた。

 そして、彼らは「戦車の動かし方を習っただけの、軍人としては素人」であり、サンドブラウンの迷彩塗装や地形に溶け込むように巧妙にカモフラージュが為され、車体をダグインさせた戦車を射程距離外で見つける方法なんて知るはずもなかった。

 そして、乾いた大地に潜む三式戦車の群れとの彼我の距離が2,500mとなった時……

 

「大隊全車に告ぐ。距離2000にて、隊長車の発砲を合図に各自発砲を開始。弾種、”標準徹甲榴弾(APCBC-HE)”。他の弾を使うなよ? 勿体無い」

 

 そして、西住は一呼吸置くと、

 

「相手は国境を侵犯した民兵組織、警告の必要はない。一切の躊躇なく殲滅せよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は言うまでもないだろう。

 M3中戦車の装甲厚は最大でも51㎜(2インチ)程度。しかも大きな車体正面は避弾経始など考慮されていないほぼ絶壁だ。

 M2軽戦車に至っては、最大でも装甲厚1インチ。これで2,000mの距離から放たれた日本皇国陸軍愛用のAPCBC-HEを止めるのは無理な話だった。

 

 そして、クルド解放戦線戦車群には、数的な優位も働かなかった。

 確かに数こそ100両近くと西住戦車大隊の倍近くいたが、その7割がM2軽戦車だ。

 そして、待ち伏せ&奇襲という圧倒的に有意なシチュエーション……西住は、戦車を1両もダグインを解かせる事なく殲滅してみせたのだ。

 むしろ、敵の乗員と戦車に相乗りしていた者達の大半は、どこから撃たれたのかわからないままこの世から解放されたに違いない。

 三式戦車の最大射程は3,000mとされていたが、これは照準器の測距限界であり、基本的には固定目標に榴弾など撃ち込む際に用いいられる”最大射程”だ。

 しかし、この距離では虎の子の”高速徹甲弾”を用いても、あまり有効打を与えられない可能性があるという事、また照準が酷く難しい事から、対戦車戦の場合、最大以遠2500m以内での砲戦が推奨され、また、数多の実戦からのフィードバックの結果、対戦車戦の標準交戦距離は1,300m程度になると想定されていた。

 そのような条件で、現行から43年後半までに登場すると予想される他国(米ソ)戦車に勝利できるよう設計されたのが三式戦車であるが……

 2,000mでの発砲は、「十分に敵をを引き付けて、狙いすまして撃った」砲撃であり、また最短の交戦距離は奇しくも平均交戦距離とされていた1,300m前後であった。

 この時に撃たれたM2軽戦車は、徹甲榴弾にも関わらず車体が縦に貫通されていたらしい。

 つまり、クルド解放戦線を僭称する戦車隊は、敵をまともに見ることなく壊滅したという事になる。

 

 

 

 西住は、追撃の許可を出さなかった。

 それは彼らの仕事ではなかったし、何よりも戦車ごと大半のデサント兵が吹っ飛んでしまった為、深追いする程の価値のある標的が残っていなかったのだ。

 

 そして、クルド人暫定自治機構との盟約に従い連絡を入れる。

 おそらく、程なくシリアのクルド人回収部隊がやって来るだろう。

 運よく逃走にした敵を追うのも彼らの仕事だった。

 何しろ、「クルド人を(かた)る偽物には一切容赦しない」と宣言しているのだ。きっと熱心に仕事をしてくれるだろう。

 

 それがどのような結果になろうと、生存者のその後は西住達の管轄ではなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 西住の胸中に去来するのは、圧倒的な勝利に対して、断じて高揚感などでは無かった。

 虚無感とは、死んでいった者達に対する礼儀を欠くので言わないが……ただただ、この土地の風土に似た荒涼とした、酷く乾いた何かだった。

 

 ”三式戦車のメイクデビュー”として考えれば、パーフェクトゲームは上々どころかこの上ないリザルトではあったが、西住の心情的にはどこかほろ苦さをを感じていた。

 戦場にセンチメンタリズムは禁物だし、プロフェッショナルな軍人はリアリストでなければならない。

 そのような事は頭でわかっていても、

 

「やはり、”射的”や挽肉製造は好みじゃないな……」

 

 部下の命を預かる以上、最大限の安全マージンを図るのは隊長の義務だが、それでも戦闘を……血が沸騰するような戦闘を望んでしまうのは、熊本の武家長男として生まれた者のサガなのかもしれない。

 

 そんな上官を、何となく従兵っぽい秋山はキラキラとした目で見てたし、副官の逸見は小さく同意の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ほろ苦さの原因

西住タイチョー:「だって撃った相手があれじゃあな。これ、性能評価になるのか?」

まあ、当然こうなるよな~的な戦闘結果。
しかし、彼もプロの軍人である以上、拗らせることもなく直ぐに折り合いをつけて次の戦闘に備えるでしょう。
まあ、ここまで一方的だと次の戦闘がこの地(シリア北東部)であるのか不明ですがw


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第241話 ローカル組織へ武器を供与するアメリカ的な割とありがちな意図

今回は、いつもよりも早めに投降。
アメリカの思惑にしては、割と健全な部類です。




 

 

 

 シリア北東部での小さな戦闘……運よくイランまで戻ってこれた生存者から受けた報告、並びにクルド解放戦線最大にして唯一の戦車隊、その初陣の戦闘開始から消滅までを後方の安全圏から見ていた米ソの諜報員により、戦闘詳報がまとめられた。

 

 自国製の戦車が大敗したというのに、アメリカ陸軍の反応は意外なことに極めて冷静だった。

 というのも、この結果は「ある程度は予想できていた」かららしい。

 

 ルーズベルトなどの赤色汚染著しい政治部や、軍部でもルメーのような狂信的なグループはともかく、米軍自体としては割と偏見や思い込みに偏らず分析を重んじる軍隊だ。

 まず、彼らは……

 

 ・M3中戦車やM2軽戦車が現在の戦車トレンドの中では時代遅れである事を自覚していた

 

 のだ。加えて、

 

 ・操るのは扱いになれた米陸軍正規戦車兵ではなく、即席養成の練度底辺の民兵

 

 つまり、「戦車をとりあえず動かせて大砲を撃てる、だけど当たるとは言っていない」程度の練度だ。

 そして、アメリカ軍は、北アフリカにおいて短砲身75㎜砲を搭載したドイツの初期型IV号戦車相手に、日本の”TYPE-I”が競り勝っている事を掴んでいた。

 であるならば、新型とされる”TYPE-Ⅲ”がソ連のT-34が苦戦する長砲身75㎜搭載の後期型(現行型)IV号戦車と”同等の性能(・・・・・)”を持っていてもおかしな話ではない。

 そして、機械的な性能が劣る戦車を操る練度が大きく劣る民兵が操るのであれば、この結果は必然だと結論付けられる。

 

 

 

 大統領という役職名の米国書記長とその一派ならいざ知らず、米陸軍は何もソ連からの「怪しげな民兵組織への米国戦車供与」提案を二つ返事で了承したわけでは無い。

 ソ連が”クルド解放戦線”を鉄砲玉として扱ったように、アメリカは彼らを捨て駒……「使い捨ての新型日本戦車評価装置」として用いたのだ。

 そして、

 

 ”日本の新型戦車であるTYPE-3は、IV号戦車後期型に匹敵するか、わずかに上回る性能があると予想される”

 

 という十分な実戦評価試験結果が得られ、そのレポートは最後にこう締めくくられている。

 

 ”……以上のような理由から考え、TYPE-3は同等の練度の戦車兵が操るなら、IV号戦車後期型をあらゆる面で凌駕すべく製造された我が軍のM4中戦車で十分に対抗可能(・・・・・・・)だと結論付けられる”

 

 

 

***

 

 

 

 ……いや、ちょっと待って欲しい。

 このレポートの違和感に感じた貴方は鋭い。

 まず、史実のIV号戦車ならいざ知らず、今生の、特に長砲身75㎜砲を搭載した現行型(最終型)IV号戦車相手に、米軍の現時点でのシャーマンが凌駕してるとは言い切れない。

 先に断っておくが、この世界線において、初期型シャーマンが”M4A3E8(イージーエイト)仕様という訳ではない。

 史実通り、この時点で量産されているのは無印M4か頑張ってもM4A1仕様で、強いて言うなら時期的にM4A2の製造が始まった頃だろうか?

 つまり、M3/75mm37.5口径長砲時代のシャーマンだ。

 

 ハッキリ言えば、今生のIV号戦車と比べて火力で明確に劣り、機動力や機動力でやや劣るのがシャーマンの実情だった。

 勝てるのは、扱いやすさや機械的信頼性、雑な扱いや蛮用にも耐える頑強(タフ)さとかだろうか?

 

 そして彼らの”誤認”は、本来、IV号現行型と並列して語られるべきは、前モデルの”一式改戦車”だという事を理解していない点に在った。

 一式改ならIV号後期型と比較した場合、例えば「主砲の火力は大体同等、速度ではIV号に軍配が上がり、防御力では一式改がやや勝る」という議論もできる。

 だが、三式戦車は確かに一式戦車の正常進化版といえる開発系譜にあるが、戦車としての素養がだいぶ異なるのだ。

 分かりやすく史実の米国戦車と比較してみると、

 

 ・主砲の火力は、前述の1944年登場のM4A3E8などに搭載されるM1/76mm戦車砲(76.2㎜52口径長砲)に僅かに勝る

 

 ・装甲厚(防御力)は、数値上M4の後継であるM26パーシング重戦車以上

 

 ・速力は、M4やM26と同等以上(少なくとも、加速性能や小回り=運動性は上)

 

 という分かりやすいデータを並べただけでもこうなる。

 そりゃ確かにやろうと思えば対抗はできるだろうが……三式戦車は、

 

 ・史実のティーガーIに比べて火力で劣るが、防御力で同等以上であり、機動力はM4を上回る

 

 という存在であり、かなり”やりにくい相手”ではなかろうか? ぶっちゃけ「パーシング持って来い」と言いたくなる。

 元々当たりにくいし、当たったとしても弾かれる。されど敵はパカパカ当ててきてこちらを的確に貫いてくる……という状況に、少なくともM4ならなるのだ。

 

 

 

 まあ、こんな分析になってしまったのも、「(日米が)直接対決をしてないから」に他ならないが。

 先ほど言ったことと矛盾するかもしれないが、分析は重んじるし、偏った見方は避けようとしてはいるが、かと言って米軍にも全く先入観がないわけではない。

 例えば、史実の「零戦」。「日本人にアメリカより優れた戦闘機が作れるわけはない」という日本蔑視の先入観。

 例えば、ベトナム戦争。「ベトナムなんて三流小国との戦争はすぐ終わる」という大国ゆえの楽観主義に裏打ちされた見通しの甘さ。

 

 これは先入観というより、”傲り”の類だろう。聖書の教える”七つの大罪”には傲慢と強欲が入っている筈だが、どうもアメリカ人には違う言葉に脳内変換されるらしい。

 だからいつも同じような失敗をするのだが……

 それはともかくとして、今回もご多分に漏れず「白人優越主義的な黄色人種に対する過小評価」が無自覚に発動していた訳だ。

 もっとも幸いなのは、その過小評価の喜劇が引き起こす惨劇は、この大戦ではあまり起こる確率が高くないという事だろうか?

 

 しょっちゅうアメリカを煽ってる近衛首相だが、実際には舌戦にとどめている訳だし、政治的にはバチバチとやり合っているが、直接的な武力衝突は日米お互いに積極的に避ける方向で動いている。

 戦争も政治の一形態というのなら、確かに両国は交戦中ではあるのだが、少なくとも本格的な日米開戦は双方ともに望んでいないようだ。

 無論、ルーズベルトとその取り巻き赤色一派は除く。

 アメリカ的に言うなら議会の非赤色汚染議員と軍部だ。

 

 史実のように日本の国際的孤立化に成功しているのならともかく、現状で日本に手を出せば東海岸と西海岸での日英に挟まれた二正面作戦だ。

 おまけにカナダの駐留英軍(ケベック・フランス独立宣言後、地味にじわじわと増強されている)も、そうなればおとなしくしているとは思えない。

 まさに冗談ではなかった。

 

 そして、日本皇国は言うまでもない。

 端的に言えば、「対米戦など面倒臭いだけでメリットがない」のだ。

 少なくとも”現状では”。

 そのうち、アメリカが日本の権益に手を伸ばしてくるならともかく、なんかなし崩しに増えてくる独立支援依頼に、正直言えば政治リソースも外交リソースも食われまくっている。

 前世知識持ちの近衛にしてみれば、友好国が増えるのは結構なことだが、ここ最近は度が過ぎているような気がしてならないらしい。

 というか、フランスやフランスとかフランスが案件投げ過ぎなのだ。あと地味にオランダも。

 

 今年の後半にはギリシャ奪還の作戦も控えているし、正直、特に欲しい米国権益があるわけでもないのに戦争をやってる暇も金も人手もありはしないのが日本皇国の現状だ。

 

 

 

 だからこそ、今回のような”小競り合い”を通じて、相手の”具合”を探るのが実にアメリカらしい。

 さらに言えば、唆したのはソ連だし、いずれにしろ死ぬのは親族にアメリカの有権者がいないこと確定のクルド人というのがまた素晴らしい。

 何しろ、何人死んだところで政治に影響しないのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、今回の顛末だが……

 

 当然のように日本皇国並びにシリア共和国暫定政府、クルド自治区暫定統治機構は連名で、猛然と抗議した。

 無論、”イラン王国”、パーレビ王朝に。

 彼らがイラン方面から来たことは確かだし、近辺でアメリカ製の武器の在処など他にありはしないのだ。

 

 しかし、イラン国王は「知らぬ存ぜぬ」でその抗議を突っぱねた。

 パーレビ王朝は、「米ソが好き勝手にクルド人を使って武装組織を国内で作り、駒として使っている」なんて事実を、断じて認める訳にはいかなかったのだ。

 しかし、ここでしゃしゃり出てきたのが、”親日国”を堂々と看板に掲げるトルコだ。

 同じクルド人を大量に抱える国家であり、シリアと国境を接するトルコにとり、他人事ではないのもまた事実なのだが……無論、ここで日本に恩を売っておきたいという部分もある。

 政治的事情からシリア(とレバノン)の独立に力を貸すのは理解しているが、やはり「隣国シリアばかりに肩入れ」されるのは大変面白くない。

 更に最新鋭の戦車などが配備されるのは、更に面白くない。

 

 しかも、昨今は希土戦争などの関係からライバル視しているギリシャの為に日本皇国は大規模な軍事作戦を行うという。

 加えて、新参者のリビア、あのよくわからない思想のサヌーシー教団が、王の娘を使って皇国軍人の取り込みにかかっているという情報まで入ってきていた。

 ならば、ここいらで一つ存在感のアピールを……とトルコが思ったところで、いったい誰が責められようか?

 最近、トルコの目立った行動は、メルセルケビールにいた”スクラップ船団”を黒海に通したくらいだ。

 それだけ国内が安定しているという意味でもあるのだが……それだけでは満足できないのも、また人間という生き物だ。

 こう、何というか……じわじわと温度が上がってくる感じに、石射特使は頭を抱えた。

 

 

 

 ついでに言えば、米ソは赤化クルド人組織を使ってシリア北東部を削り取るという方針は、とりあえず保留にしたようだ。

 正直、今回の戦力(物資)も割とぎりぎりの抽出だったのだ。これ以上、「ソ連に渡すべきレンドリース品」を目減りさせてしまえば、本末転倒だろう。実際、ソ連の対独戦の戦況はそこまで悪化していた。

 こちらから手を出さない限り(太平洋ルートでの事例から考えて)日本皇国からは手を出して来ない……状況変化が無い限り、積極的な補給路の遮断は行わないと割り切り、圧迫に耐えることにしたようだ。

 だったら最初から手を出すなよと言いたくなるが……

 

 だが、一度立ち上げた組織というのは、電子データじゃあるまいし物理的に証拠隠滅(しゅくせい)でもしない限り、簡単に消えたりはしない。

 例えば、大したソ連の支援もないのにイタリアの”赤い旅団”は20年も活動していたのだ。

 そして、米ソは”クルド解放戦線”のデリートの手間を惜しんだ。

 いや、方針が変わった以上、利用価値が無くなったので放置したと言うべきか?

 だが、これが結果としてイランの未来に大きな禍根を残すことになるとは、この時、米ソは思いもしなかっただろう。

 まあ、要するに……今生も変わらぬ「いつもの米ソ」であった。

 

 

 

 だが同時に、いかに半ば米ソ、そして石油利権を握る英国に三方から睨まれている状況だったとはいえ、「放置された国内不穏分子」に有効な手立てを打てなかったパーレビ王朝の怠惰ゆえの自業自得という見方もできる。

 必要な時が来れば、米ソついでに()に好き勝手使われそうな「後腐れのない君主全否定組織」を残しておいてどうすると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そして、オチも割と「いつものアメリカン」w

まあ、この大戦では直接日米激突する可能性は互いにやる気がないので低いし、実際に正面からがっぷり四つで戦わないのであれば、特に致命的な誤認でもないというw

まあ、シャーマンでも史実では普通にパンターとかには対抗できたし、特に問題ないでしょう(スットボケー

でもね、リアルでも「後始末」くらいはキチンと付けるべきだと思うんですよ。
米ソあるいは米露ってのは、やることやってもどうも自分のケツを拭くのが苦手なようで……

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第242話 ドイツ”黒海”艦隊

そして、戦いは新たな局面へ……

遂に(もしかしたら存在忘れられているかもしれない)、”あの艦隊”の登場です。




 

 

 

 さて、フォン・クルス主催&プロデュースの”祭典”の余波が徐々に収まり、シリア北東部に再び静けさが戻った頃……

 

「ふう……ようやく一仕事終わったか」

 

 

 ブルガリアの軍港都市”ヴァルナ”、そこにいつの間にか新設されていた”ドイツ黒海艦隊(・・・・)司令部”にて、まだ40代の若いドイツ海軍中将が、安堵の息を着いた。

 

 その名は、”ヨハン=ゲオルク・フォン・フリーデブルク”、史実での最後のドイツ国防海軍司令官によく似た名前だ。。

 彼のこれまでの任務は祖国から遠く離れたこの港町にて新たな方面艦隊、本国艦隊である高海(=バルト海)艦隊、ムルマンスクを拠点とするバレンツ海艦隊に続く第三の艦隊司令部を立ち上げることと、そこに配置される”スクラップとして搬入”される偽装廃艦を、戦闘艦として仕立て直すことだ。

 また、同乗しここまでの航海を担ったフランスからの教導員(つまり、メルセルケビール艦隊のフランス海軍人)の受け入れ、また教官として期間付き任期職員となる彼らの面倒を見ることなどだ。

 

 確かに、苦労も多かったが実にやりがいのある仕事だった。

 そしてなお、フリーデブルクを満足させたのは、修繕を終えて再戦力化され、ドイツ屈指の有力な水上打撃任務部隊となったドイツ黒海艦隊が、継続して彼の指揮下に入る事である。

 本当に苦労が報われた。

 今夜は良好な関係を築けたフランス海軍のヴァルナ居残り組、少し年上の”ジャン=ジャック・ブーサン”少将を代表とする仏海軍軍事顧問団とドイツワインとフランスワイン、そしてご当地のブルガリアワインの飲み比べと洒落こみたいところだった。

 

 

 

***

 

 

 

 とはいえ、スクラップに偽装させていた崖の筈の元メルセルケビール艦隊の再戦力化に思いの外時間がかかってしまったのは、いくつか理由があった。

 ブルガリアとは、ポーランド侵攻……つまりは、第二次世界大戦開戦時から良好な同盟関係にあったが、先ずはヴァルナの軍港としてのインフラ整備から始めなくてはならなかった。

 要するに港湾設備の近代化やドックの大規模改修などだ。

 

 しかし、例によって例のごとくトート機関の土木工事無双を用いても主に予算と人手と技術の問題で拡張限界はあり、元メルセルケビール艦隊の受け入れに何とか間に合ったという体裁だったのだ。

 というのも、この艦隊の受け入れをルーマニアのコンスタンツァにするか、ヴァルナにするかドイツ海軍は大いに迷った。

 正直、軍としての設備はコンスタンツァの方が一日の長があったのだが、ここはバルバロッサ作戦発動以前のソ連から「領土割譲要求」を突きつけられていたように、ソ連、特にクリミア半島から近すぎた。

 実際、開戦初頭にソ連はコンスタンツァに爆撃を敢行している。

 なので、メルセルケビール艦隊の再戦力化までに「腰を据えて」取り掛かるには、いっそ港の改修や拡張、近代化の手前を含めても「いっそ、ソ連の攻撃圏外であるヴァルナで行った方が早い」とされたのは、去年の話だ。

 

 

 だが、いざ受け入れてみれば、今度は問題が続出した。

 偽装の解除はさほどの手間ではなかったし、主機や主砲などの主要装備に問題はなかった、あったとしても大きなものでは無かったが……まず保守部品や砲弾などをフランスから購入して運び込むことに、かなりの労力が必要だった。また、フランスから追加の艦船技師を呼び寄せる事態も発生した。

 ついでに言えば、フランス艦艇がこの時点でレーダー未実装だったのも、地味に痛かった。

 そこで、どうしてもドイツでは早期生産できないダンケルク級の33㎝主砲の砲身や砲弾、あるいは主機部品などはフランスから購入し、高角砲(あるいは駆逐艦の主砲)の換装は手間がかかるので無理としても、対空機銃などは可能な限り供給が楽なドイツ式に変更し、またレーダーを搭載するなどの近代化改修が思ったよりも手間暇が必要だったために、結局現在までかかってしまったのだ。

 無論、並行して座乗する乗員の教育も、元の持ち主であるフランス人の手を借りて行なわれている。

 

 だが、その甲斐もあってフリーデブルクの前に居並ぶ艦隊の陣容は、中々に壮観であった。

 

 最も目立つのは、近代的な2基の四連装砲塔(・・・・・)が精悍なダンケルク級戦艦”ダンケルク”と”ストラスブール”だ。

 同じくメルセルケビールから運ばれたプロヴァンス級戦艦の”プロヴァンス”と”ブルターニュ”、水上機母艦の”コマンダン・テスト”などは、残念なことに未だ再戦力化作業は終了していない。

 主にヴァルナの能力的・リソース的な限界から、再戦力化の優先順序が付けられた結果だった。

 また、プロヴァンス級の2隻は第一次世界大戦以前に建造された艦齢30歳前後の古株であり、レーダー搭載やそれに伴う発電量の強化や電力路の取り回しに少々手間取ったという経緯もある。

 とはいえ、既に近代化改修工事自体は終了しており、各種テストと乗員の慣熟訓練を終えれば予定通りなら程なく”彼女ら”も元気に黒海を航行しているだろう。

 

 

 

 そして、軍楽隊の演奏のもと、”ダンケルク”と”ストラスブール”の2隻の戦艦を中心とし、デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦2隻、モガドール級大型駆逐艦2隻にル・ファンタスク級大型駆逐艦2隻を従えたドイツ黒海艦隊の8隻が、初陣を飾るために出港して()く……

 史実の「戦艦としてあまりに惨めな最期」を遂げた鬱憤を晴らすように勢い良く白波を立てて、黒海に航跡を刻み付けて征く。

 

 その進路は北東方向、航海予定距離は500㎞ほど……行き先の名は”セヴァストポリ要塞”という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 1942年8月初頭、ドイツ南方軍集団総司令官ヘルムート・ホトは、ある報告を待っていた。

 

「司令官閣下、海上哨戒部隊より入電。”我、味方、有力艦隊ヲ確認ス”です」

 

 それ意図的にシンプライズされた電文だった。

 

「ふう、ようやく来たか……」

 

 高級軍人として一般的な知識はあれど、海軍にさほど明るいとは言えないホトは、少し安堵の溜息を突き、

 

「どうやら、”デカブツ”をここまで苦労して引き込んだ事も、無駄にならず済んだようだな」

 

 そして、彼は再度気を引き締め、

 

「”特殊砲戦部隊(・・・・・・)”に通達。偽装を解除しつつ、砲戦準備に入るよう伝えよ」

 

 

 

***

 

 

 

 セヴァストポリ要塞要塞より北東約40㎞、シンフェロポリ近郊

 

 それは、とても異様な光景であると同時に、どこか神秘的な光景でもあった。

 周囲の草原に溶け込むように巧妙に配された偽装ネットが除去された後に姿を現したのは、おそらく人類が建造した最大の巨砲の一角である2門の”80㎝列車砲”、”グスタフ”と”ドーラ”であった。

 

 この操作するだけで1門あたり約1400名の人員が必要とされる史上空前の巨砲は、何とも涙ぐましい努力の積み重ねで、遥か遠くのドイツから、このクリミア半島まで搬入されたのだ。

 

 ”むしろ、目的地に運び込み、発砲するまでが最難関”

 

 とはいったい誰が言った言葉だろうか?

 まさに運用に必要な人員は最終的には旅団規模、総重量1,350tという「駆逐艦なみの重量を持つ大砲」にしか許されない評価だろう。

 何しろ、移動するだけで大規模な架線工事が必要になる列車砲だ。

 だが、これは直ぐに発砲される訳ではない。

 

 いや、確かに列車砲は装填に最も時間がかかる種類の大砲で、80㎝列車砲では1発撃つのに最良の状態でも30分以上かかるが……だが、そういう意味ではない。

 端的に言えば”グスタフ”と”ドーラ”は、「セヴァストポリ要塞攻略の総仕上げ(・・・・)」で投入される手筈になっていた。

 

 

 

 そう、いよいよ始まるのだ。

 諸事情で先延ばしになっていたクリミア半島攻略の総決算、”セヴァストポリ要塞攻城戦”が、万全の準備の下に決行されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フランス人の教導を受けたドイツ人が、元メルセルケビールの艦隊を黒海で動かす……

実はこれ、この世界線の象徴ワードである”混沌”の具現化なんですよね~。
正確には”史実よりなお深き混迷と混沌の世界大戦”ってところでしょうか?

クルス、近衛、ヒトラー。リチャードⅣ世のような”世界史に残るトリックスター”も書いていて面白いですが、「そうではない普通の軍人」の運命が変わる様も中々にw

あと、史実では不遇でしかなかったフランス戦艦に、華々しい活躍と栄光を!


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第243話 攻城戦の作法としては、割と古典的なメソッド

いよいよ、本格的な”セヴァストポリ要塞攻城戦”が始まります。
ただし、その中身は……





 

 

 

 さて、クリミア半島に残存する唯一のソ連勢力、いや正確には「準備が整うまで、”意図的に包囲による無効化のみにとどめられていた”」程度の優先順序であったセヴァストポリ要塞に対し、遂に攻撃命令が出た。

 

 実は、セヴァストポリ要塞には構造的欠陥、”急所”が存在していた。

 本来の歴史には、それは急所とは呼べないものだった。

 

 なぜならそれは、”海側の防御が弱い”というものだからだ。

 ロシアがソ連となり、セヴァストポリ要塞を掌握した時代には、

 

 ”セヴァストポリ要塞を攻略できるような有力な艦隊は、黒海に存在しなかった”

 

 というのが大きい。

 つまり、セヴァストポリ要塞とは本質的に艦隊駐留拠点を護る要塞であり、「陸からの攻略による軍港の陥落を防ぐ」為の軍港と一体化した要塞だった。

 

 その姿勢を増長させたのが、皮肉にもトルコが1936年に制定した”モントルー条約”だ。

 そう、メルセルケビール艦隊がスクラップに偽装する羽目になった元凶、「非黒海沿岸諸国の排水量15,000t以上の軍艦のボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡の通航を禁じる」という奴だ。

 つまり、ソ連以外に”本来なら”セヴァストポリ要塞にダメージを与えられるような凶悪な軍艦を持つ国は存在せず、そうであるが故にソ連は「セヴァストポリ要塞の海側の防御力は、巡洋艦級の攻撃に耐えられれば良い」という考えに至った。

 

 だから要塞砲は、「巡洋艦を火力で圧倒できる30㎝級で十分」だし、”本来ならば”ここにソ連黒海艦隊も並んでいる筈だった。

 だが、現状は”本来とは状況が異なる(・・・)”。

 

 

 

 ルーマニアの軍港コンスタンツァを母港とするドイツが分解して陸路で運び込んだ(!?)沿岸型潜水艦(Uボート)魚雷艇(Sボート)に黒海艦隊や輸送船は通商破壊作戦で食い荒らされ、更にソ連バルト海艦隊の壊滅を受けて、ソ連西部の海軍力全滅を恐れたソ連は黒海艦隊は、グルジア共和国の軍港”パトゥミ”までの撤退を余儀なくされた。

 

 ここで港は、海上兵力という意味では丸裸になったのだ。

 さて、冗談のような話だが……黒海艦隊の旗艦は、現状唯一生き残っているガングート級戦艦”セヴァストポリ”だ。

 そう、セヴァストポリ要塞を母港とする黒海艦隊の旗艦が”セヴァストポリ”というわかりやすい構造だったのに、その”セヴァストポリ”がセヴァストポリ要塞を見捨てて撤退したのだ。

 要塞は移動できないが、船は移動できるという差が出た。

 まあ、冗談はさておき、この時一度、セヴァストポリ要塞に立てこもる赤軍の士気は崩壊しかけたが、政治将校の咄嗟の機転でウォッカをばら撒いた事で事なきを得たらしい。

 

 まあ、ドイツにとり赤軍の士気など無関係ではないが、特段気にするような話でもなかった。

 何しろ、最初から「自分たちにとって最も都合の良いタイミングで攻める」と決めていたからだ。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ウォッカ・ドーピング(本当にウォッカだけか?)で士気は持ち直したとはいえ、セヴァストポリ要塞の危機はまったく去っていなかった。

 要塞砲の射程外に遠巻きに包囲され、陸路による補給路は遥か以前に完全封鎖。空路はどちらの手にクリミア半島の制空権があるか考えれば、言うまでもないだろう。

 そして、海路もUボートとSボートと航空機がタッグを組んで海上封鎖している以上、どうにもならなかった。

 既に切り詰めていた備蓄食料も底をつき始め、最悪の結末がいつ訪れるかわからない……

 

 そんな状況で、”それ”は起きた。

 

「おおっ、神様……何故、貴方はここまで我らに試練をもたらすのか」

 

 禁じられた神への祈りをささげるやせ細ったセヴァストポリ要塞防衛司令官……

 だが、要塞砲の射程外……

 

 ”海上から響く(・・・・・・)砲声”

 

 に関する対処は何も思いつかなかった。

 セヴァストポリ要塞の誰もが、”黒海にセヴァストポリ要塞を撃滅できる火力を有する敵艦隊”が現れる事など、想定していなかったのだから。

 正確には、クレムリン炎上から始まる首脳部の混乱により、ソ連上層部の誰しもが、”スクラップとして搬入された船団”のことなど、頭から抜け落ちていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 実は、セヴァストポリ要塞の要塞砲は、その本質において、ガングート級戦艦の主砲である30.5㎝52口径長砲と同じ(むしろ前級のインペラートル・パーヴェル1世級戦艦の連装砲に近い)、基本構造が第一次世界大戦前の古い大砲と考えて良い。

 対して”ダンケルク”と”ストラスブール”の主砲は、31年型の33㎝52口径長砲。口径も大きいうえに設計も新しく、射程も威力も発射速度もセヴァストポリの要塞砲を凌駕していた。

 加えて、門数が違い過ぎた。

 ソ連時代は伝説のように語られる30.5㎝連装砲だが、実際には1基2門しか存在しない。

 また史実と同じように損傷し航行不能となっていた巡洋艦チェルウォナ・ウクライナから取り外した130㎜砲を転用して新たに6ヶ所の重砲陣地を構築するという涙ぐましい防衛努力をしていたが、結局、その射程内にドイツ軍が入ってくる事はなかった。

 

 史実ではセヴァストポリ要塞攻略戦で活躍した威力はあるが射程の短い”カール自走臼砲”が、この場面に登場しないのはそういう理由だった。

 対して、ドイツ黒海艦隊が有するのは、四連装(・・・)主砲が、2隻合計で4基16門。

 しかも位置が割れている固定砲台のセヴァストポリのそれに対し、元フランス戦艦は海上を自由に動き、好きなポジションから自在に、ハイレートで砲撃してくるのだ。

 数として8倍の門数、1門あたりの威力も射程も発射速度も上回る”海上機動砲台”に一方的に撃たれる……セヴァストポリ要塞の本格的な攻略は、こうして始まった。

 

 

 

 本当に一方的な、「アウトレンジからの一方的な嬲り殺し」であった。

 赤軍の一切の抵抗を許さず、一方的に撃ち込んでゆくのだ。

 ちなみにこの元フランス戦艦の主砲最大射程は、40㎞を超える……長砲身による高初速を生かし、威力はともかく射程距離だけなら史実の大和型46サンチ砲に匹敵するのだ。

 弾種は榴弾がメインだが、一部の重防御目標には、遠慮なく徹甲榴弾が用いられた。

 何も出来ないまま、何もかもが壊されてゆく絶望感……

 航空偵察や弾道解析から位置が割れていたセヴァストポリ要塞自慢の30.5㎝連装砲は、真っ先に「戦後、誰がどう足搔いても修復できないほど」破壊された。

 

 無論、最優先攻撃目標である連装要塞砲を原型留めぬほど破壊した後、他の重砲陣地や弾着観測機の邪魔をする防空陣地も同じ宿命を辿った。

 まさに”雉も鳴かずば撃たれまい”という状況である。

 所々に防御戦の粗が目立つ……例えば、不用意に発砲して陣地の存在を露呈させるなどしているが、これは何も赤軍の技量の低さだけの問題ではない。

 実は、思ったほど「セヴァストポリ要塞に立て籠もるソ連将兵」は実戦経験を積んでいない。

 要塞自体にはバルバロッサ作戦初期に散発的な攻撃こそあったが、本格的な死闘ではなく、基本的には「要塞砲射程外での包囲」であったからだ。

 ただ、以前語った通りにクリミア半島はセヴァストポリ要塞を除いて瞬く間に陥落し、また空路も海路も封鎖された(制空権も制海権も奪われた)為に「本格的に戦う前から窮地に落ちた」のが、セヴァストポリ要塞の現状だ。

 正しく兵糧攻めの憂き目にあってると考えて良い。

 

 

 

***

 

 

 

 そんな状況であったのに、セヴァストポリ要塞を巡る事態は秒針が進むごとに悪化の一途を辿っていた。

 2隻の戦艦が、判明している高射砲陣地を含むあらゆる砲台へと榴弾を浴びせ、砲身を冷ますために一旦砲撃を休止した後……

 赤色航空兵力や防空設備が摺り潰された事を良いことに、ドイツ空軍は艦砲射撃で穴だらけになった要塞全域へ、あらゆる種類の爆撃機をふんだんに投入した

 

 ”ナパーム弾による絨毯爆撃”

 

 を敢行したのだ。

 理由は単純だった。相手の心を折る恐怖爆撃ですらなく、あらゆるものを差別なく燃焼させ戦闘行動を取れなくさせることが目的だった。

 何が燃えてるかなど問題ではなかった。

 当然だ。セヴァストポリ要塞に民間人などいないのだから。

 厳密に言うなら、He177などの大型機がナパーム焼夷弾による絨毯爆撃を行い、燃え広がっていない部分を見つけては双発爆撃機の精密爆撃やスツーカの急降下爆撃で効率的に火付けを行うという作戦だった。

 

 そして、敷地全体に十分に火が回り、セヴァストポリ要塞が良い感じにローストされた頃合いを見計らって……直径80㎝、重量7tを超えるコンクリート(ベトン)防壁貫通用の巨大砲弾が飛んできた。

 

 これも単純だった。

 ”グスタフ”と”ドーラ”は仕上げにして”真打(・・)”。

 未だ原型が残っている、あるいは防御が行なわれていそうな場所を射貫き、強制的に外気と連結させて燃焼による酸素を奪わせるのが目的だった。

 

 

 

 ナパーム火災の中でも艦砲射撃は継続され、最終的にドイツ黒海艦隊は戦艦2隻合計で1000発以上の砲弾をセヴァストポリ要塞に撃ち込んだ計算になった。

 ちなみに榴弾の爆風程度では、簡単にナパーム火災は鎮火されない。

 むしろ、熱で脆くなった基地の構造物や生きたまま松明に成り果てたかつでの同僚が細切れになりながら飛び散り、被害を拡大させた。

 そして、ナパーム弾投下は断続的に一昼夜続けられ、延べで500tほどが要塞に満遍なく散布されたようだ。

 

 そして、グスタフとドーラは、それぞれ20発ほど撃った後に、沈黙を守っていた。

 壊れて射撃不能になったのではない。

 火災が酷くなり過ぎて、航空機による上空からの効果確認も不可能になってしまったからだ。

 まあ、80㎝砲弾は、無駄撃ちできるほど安くはない。

 それに弾薬庫や燃料タンクの誘爆、巨大火災現場で突如として起きた複数火山の噴火の様な光景に、更なる追撃が必要か思案していたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そう、もうお気づきだろう。

 一見すると力技、火力によるパワープレイにしか見えない攻城戦だが、実は巧妙に計算されつくした作戦だった。

 まず、艦砲射撃をジャガーノートとして使い、厄介な要塞砲やドイツ軍に対抗できる火力をアウトレンジから沈黙させる。

 航空兵力も海洋兵力も喪失し、敵が要塞持ち前の火力と防御力頼みだとわかっていたからこそ、取られた選択だった。

 然る後、要塞全域に”火付け”を行う。

 抵抗できない艦砲射撃にさらされた……こうなれば、よほど訓練を受けた兵でもパニックを起こす。

 具体的には、深く考えずに地下へと続く退避壕や防空壕の扉を開けようとする。

 あらゆる可燃物を燃やし火災旋風すら起きる周囲のナパーム大規模火災による熱量、そして、空気より比重の重い有毒ガスや可燃性ガスがそちこちで充満するなか、そんなことをすればどうなるか?

 

 だが、それでも要塞全体を無力化できないことは、ドイツ軍はよく知っていた。

 例えば、地下30mにあるベトンで守り固められた弾薬庫には、いくら地表を炙っても火勢は届かない。

 だからこそ、「80㎝砲弾で防御を穿ち、燃え盛る外気と強制連結」することににしたのだ。

 そのための砲弾型ブンカーバスター、”80㎝対ベトン弾”なのである。

 

 

 ドイツは最初から降伏を促す気も、セヴァストポリ要塞を自分達で使う気も最初からなかったのだ。

 港はまた作り直せばよいとさえ考えていた。

 純粋に”セヴァストポリ要塞を使用不能”にできればそれで良かった。

 まさに、合理主義ここに極まれりだ。

 

 いや、もしかしたら逆に古典的な側面もあるのかもしれない。

 使っている武器が違うだけで”兵糧攻め”や”火攻め”は、人類が城を生み出した時代から続く、ポピュラーな城攻めの作法だからだ。

 いずれにせよ、ひどく”チュートン的な攻城戦”であるのは、間違いないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ドイツの占領部隊がセヴァストポリ要塞に突入したのは、完全な鎮火が確認された攻撃終了から三日後の事だった。

 公式(戦史)的にはこの日、1942年8月15日がセヴァストポリ要塞の陥落日とされた。

 

 だが、降伏できたのはごくわずかな人間だけだった。

 激しい抵抗を受けたわけでもない。

 生存者は、少数だが確かに存在した。

 

 だが、生存者の多くは精神の均衡を崩し、あるいは重度の火傷や酸素欠乏症で”降伏を言いだせる状態に無かった”のだった。

 

 

 これが偽る事なきセヴァストポリ要塞攻略の顛末であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




文字数は平均を大きく超えるけど……セヴァストポリ要塞、1話で陥落してしてしまいましたw

いや、まあ支援や救援のアテのない籠城戦ってまず成功しないのは、歴史が証明してるし。
それに彼我の火力差がひどすぎた。
それこそ、”防御絶対有利”が鼻で笑われるレベルで。

でも、ソ連は強い子元気な子!
この程度では、折れないめげない諦めない!

そうして傷口を広げてゆくんだろうな~w


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第244話 「どうやら死に場所が決まったようだな?」

不穏なサブタイですが、ちょっと作風を少し変えて、偶には国境やしがらみを超えた友情物語などを。
ただし、(年齢的には)オッサン同士であるw

どうやら、黒海はまだ続きのエクストラ・イベントがあるみたいですよ?







 

 

 

 さて、ソ連の赤農海軍とて優秀な人材が居ないわけではない。

 また、コミンテルンネットワークは、破壊活動ができるほどではないが、諜報活動ができる程度には根を張っていた。

 

 故に今やソ連西部に残存する最後の海上兵力となったソ連海軍”黒海艦隊”司令部は、ヴァルナを母港とするメルセルケビールから回航されたと思わしき全ての艦船が1942年8月の再戦力化していないことを把握していたし、また、目的不明で出撃した2隻の戦艦を含む6隻が現状、再戦力化できた全ての船ではないかと判断できた。

 

 故に、未だに完全な回復に至っていない赤軍上層部に「艦隊出撃」の許可を求めたのだ。

 その理由は、

 

”未だ戦力化に至っていないドイツ黒海艦隊の未成熟艦を「ヴァルナ港ごと封滅する」ため”

 

 にである。

 本来なら許可が下りるはずのない作戦だった。

 だが、「陸()空からセヴァストポリ要塞が猛攻を受けている」という無線連絡(何故か電波妨害は受けていないので通信が届いた)が入った事で状況が変わった。

 

 その悲鳴のような通信内容から、既に陸海空が封鎖され、誤魔化しようのない孤立状態にあったセヴァストポリ要塞が陥落するのは時間の問題とされた。

 古来より、「外部から援護や支援のない籠城戦」は必ず失敗すると相場が決まっていた。

 だからこそ、ソ連海軍は”起死回生の一手”を選んだのだ。

 

 投入できる”スクラップ再生戦闘艦”は、全て出払っている。

 今なら、まだ戦力化に至っていない船ごと港を撃滅できるという黒海艦隊司令部の提案に賭けたのだ。

 ”日和見的な現存艦隊主義(フリート・イン・ビーイング)(まか)り通る普段の赤色海軍なら有り得ない投機的……というより冒険的作戦。

 だが、それに賭けねばならぬほど黒海に限らず、ソ連海軍全体の情勢は悪化していた。

 タリン沖で史上空前の大敗北を喫したことに始まり、バレンツ海ではなんら戦争に貢献できず、何も出来ないまま、させてもらえないままに壊滅した。

 残っている黒海艦隊も、今やジリ貧。

 ドイツ人の猛攻に耐えきれず、上層部の判断とはいえ母港であるセヴァストポリを叩きだされた。旗艦がガングート級戦艦”セヴァストポリ”だというのに、耐えられない程の屈辱だった。

 名前を変更する計画もあったらしいが、「この屈辱を忘れない」という意味をこめ、また再びセヴァストポリを母港にするという誓いと共に、今の名前に拘った。

 

 

 だからこその”ヴァルナ強襲作戦”。

 ヴァルナにいるのが、本当に元メルセルケビールの仏艦隊だとするのなら、その戦力が十全に修復された後では、どう足搔いてもソ連の黒海艦隊では勝ち目が無くなる。

 港に閉じこもっているだけでは、バルト海艦隊がそうであったように港ごと焼き滅ぼされる事だろう。

 だからこそ、

 

()られる前に殺る……!!」

 

 今となっては少数派になってしまった赤色海軍の中で猛将の資質を持つ漢、”ゴーリキー・プーシキン”黒海艦隊提督は、この一戦に駆ける。

 艦隊として復活してしまえば、正面から殴り合っても勝ち目はない。

 だからこそ、「敵が正面から殴り合えない状態にある」今だからこそ、仕掛けるのだ。

 

 この上ない、”意趣返し(カウンター)”が放てると期待して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、グルジアのパトゥミに避難し、仮初の母港としていたソ連黒海艦隊が「突如、出撃した」と判明したのは、出港してすぐの事だった。

 皮肉なことに、これを最初に発見し、通報したのはトルコの黒海哨戒部隊だ。

 

 しかも、その時に発見したのは「(名目上、日本の商社を通して)スクラップ船団を地中海から黒海に通した」対価として、日本皇国から教官(軍事顧問団)込みで供与された駆逐艦だった。

 

 少し補足すると、「監査でスクラップであることは確認したが、”真相”がバレればソ連の恨みを買う」と当然の発言に対し、その対応として提示したのが、この”教育プラン付駆逐艦提供”だ。

 

 実際、本国のダウングレード版とはいえレーダー/ソナーを標準搭載し、長10サンチ65口径長両用砲を連装で2基、61サンチ四連装魚雷発射管×1(再装填装置付)、標準爆雷投下装置に加えてヘッジホッグ前方対潜機雷投射器などで武装した史実より500t以上排水量の大きな”松型”戦時量産型駆逐艦だ。

 

 これが中々のキワモノで皇国海軍の開戦以降の標準駆逐艦となっている”島風型”対潜駆逐艦や”秋月型”防空駆逐艦と同じく高圧缶ボイラー(蒸気タービン)と2段減速歯車装置をシフト配置で搭載し、ブロック工法・全電気溶接で量産性の高いこの船は中々に実戦での使い勝手が良い。

 まさにワークホースであり、トルコに教官付きで供給された4隻は、確かにやろうと思えばソ連黒海艦隊に対抗できなくも無かった。

 

 戦艦”セヴァストポリ”相手には魚雷くらいしか対抗手段がないが、一番警戒しなくてはならない潜水艦に対する手数は多く、またソ連黒海艦隊の数的主力である小型艦艇には水上レーダー連動の1門あたり(史実と違い額面通り)毎分20発近い発射速度を誇る半自動装填式の長10サンチ砲は、十分に凶悪だろう。

 また、両用砲という名目だが本質的には高角砲寄りの性質であるこの砲は、対空レーダーと連動させた時は近接信管との組合せで更に凶悪さを増すようだ。

 自己緊縮式・砲身内と薬室内をクロームメッキ処理するという近年の皇国軍火砲のトレンドを押さえた長10サンチ砲は、中々に評判が良い様だ。

 

 とはいえ、今回はその火力や性能を十全に発揮する局面ではなく、むしろレーダーや無線機が武器となった。

 

「”ソ連黒海艦隊、出撃セリ”か……」

 

 その日本人教官の呟きは、そのまま暗号電文ではなく無指向性の国際チャンネルを用いた”平文(・・)”で打電され、それは当然のようにドイツにも傍受される事になる。

 無論、ドイツ黒海艦隊司令官ヨハン=ゲオルク・フォン・フリーデブルク中将は、感謝の言葉こそ返信しなかった(公式的には、トルコの海上哨戒任務部隊が本国に普通に報告を打電しただけだ)が、その意図を読み間違える事はなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「”ヨハン坊や”、どうやら俺たちの死に場所が決まったようだな?」

 

 そう冗談でも口ずさむように陽気にヴァルナのドイツ海軍黒海艦隊司令部に入ってきたのは……フランスからのゲスト、フランス海軍駐ヴァルナ軍事顧問団代表ジャン=ジャック・ブーサン少将だった。元フランス・メルセルケビール艦隊の副提督だ。

 彼は自らがヴァルナ居残り組フランス人のリーダーで、教官の頭であるのだから、ドイツ黒海艦隊の現状を誰よりも把握していた。

 

 第一次世界大戦前に建造され、その大戦を生き残った元フランス海軍の古株、”プロヴァンス”と”ブルターニュ”、加えて水上機母艦の”コマンダン・テスト”は、まだ乗員の慣熟訓練は始まったばかりだ。

 そして、ロシア人がヴァルナへ向かっているだろう今、それに対処できるだけの力は、まだドイツ人の船乗りには備わってないということも。

 

 

 

「ジャン=ジャック、あんたらは技術指導教官だ。死ぬのは給料に含まれていない」

 

 共に愛称やファーストネームで呼び合うまでに”同じ海軍軍人”として意気投合したジャン=ジャックに、ドイツ黒海艦隊司令官ヨハン=ゲオルク・フォン・フリーデブルク”中将はそう返すが、

 

「今はドイツの物でも、あの船共は故郷(フランス)生まれだ。半人前どころか頭に卵の殻を乗っけたひよっこ共のヘマで沈められるのも御免だし、戦わずに沈められるのはもっと御免だ」

 

 フリーデブルクは、彼のフランス式の言い回しを誤解することはなかった。

 だから、こう短く返すのだ。

 

「……良いのか?」

 

「”誓って戦果を稼ぐ”だ。提督殿(・・・)

 

 教本に載せたくなるほどのフランス海軍式敬礼を決めるブーサンに、フリーデブルクはドイツ国防海軍式敬礼で返礼し、

 

「良いだろう。ドイツ黒海艦隊司令官権限において、これより非常事態宣言”Case:5963”を発動させる! これより、宣言解除までの間、独仏軍事協定の盟約に従い、フランス海軍少将ジャン=ジャック・ブーサンならびにその麾下にあるフランス海軍軍事顧問団を、ドイツ国防海軍軍人としての階級と権限を認める!!」

 

 万が一に備え、総統閣下自ら「特例的事態に関する例外的処置」として与えられた特別権限として、ブーサンに「戦闘部隊を実戦指揮する権限」を与えるフリーデブルク。

 紛れもなく英断であった。

 

「死ぬなよ、ジャン=ジャック。お前に味合わせたいモーゼル・ワインはまだあるんだ」

 

「あいよ。俺っちもお前に飲ませたいボルドー・ワインはあるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして黒海で行われた数少ない海戦、その中でも最大規模の戦いと言われる”ヴァルナ沖海戦”が幕開けるっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、独仏の「戦場の友情」でした。
平均年齢高めだけどw

このシリーズに耽美などを期待してはいけません。

でも、割と「元メルセルケビールの副提督が、金の為でなくかつての敵国の臨時外人部隊(?)となって、馴染みの古い戦艦と共に赤軍を迎え撃つ! しかも、生え抜きの船乗りは少数、残りはひよっこ共ばかりなり」とか燃えるシチュエーションではないかな~と。

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第245話 「黒海の覇権、この一戦にあり! 各員、一層奮闘せよ!!」

遅咲きのフランス海軍魂、ここに花開く?

そして、またト・ル・コか(ついでに日本も)







 

 

 

「話が分かる上に、あらん限りの戦力までつけてくれる。まったく可愛らしい”坊や”だぜ」

 

 ドイツ黒海艦隊”特務迎撃任務群”と呼称された臨時編成の艦隊、その旗艦に命じられた戦艦”プロヴァンス”の提督席にて、ジャン=ジャック・ブーサン”臨時”ドイツ海軍少将は上機嫌に制帽を斜めに被りなおした。

 

「大将、フリーデブルク司令官のこと気に入ってるようですなぁ」

 

 とメルセルケビール時代からの老齢の副官がそう返せば、

 

「まあな。ドイツ人にしちゃあ気取ってねぇし、第一仲間思いで素直だ。できれば、あんな弟が欲しかったぜ」

 

 まあ、確かにそういう評価もわからなくはない。

 モントルー条約の話を再び出すが、条約には「非黒海沿岸諸国の排水量15,000t以上の軍艦のボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡の通航を禁じる」とあるが、逆に言えばそれ以下の排水量の軍艦なら通れるのだ。

 だからこそ、メルセルケビールの元フランス艦隊以外にも搬入はされ……二隻の戦艦は、ヴァルナに残っていた出撃可能な戦力の全て、つまりはケーニヒスベルク級軽巡洋艦1隻に率いられたドイツのZシリーズ駆逐艦6隻の水雷戦隊が護衛につけられていたのだ。

 ちなみに”彼女ら”がどこから来たのかと言えば……元々はフランスの軍港ブレストに分派されていた”ドイツ本国艦隊(ホッホゼア・フロッテ)”らしい。。

 どうやら英国、アイルランドの意趣返しとばかりにドイツ本国艦隊のジブラルタル海峡通行を何食わぬ顔で”黙認”したようだ。

 

 援護はこれだけではない。

 ヴァルナ基地からは配備されていた比較的航続距離の長いBV138やDo24飛行艇を飛ばし、洋上索敵に精を出していたのだ。

 敵を先に見つけることが如何に優位かわかっていた上の行動だった。

 

「なあ、知ってるか? あの坊や、まだ50にも届いてねぇガキなんだぜ? そんなガキが重責抱えて踏ん張ってんだ。ここで一つ、国籍は違えど”海軍軍人御生き様”ってのを示すのが、先達の心意気ってもんだ」

 

「私に言わせりゃあ、司令官殿も大将もどっちも大差ねぇガキですがね?」

 

「馬鹿を言うなよピエール。俺っちはアイツより7つも年上だぜ?」

 

 そう笑ったあと、

 

「それに我ながらガラじゃねぇが……感謝って奴もしているのさ。本来なら俺も軍艦(フネ)も、メルセルケビールで朽ち果てるのが順当だった。だが、坊やは俺に”海軍軍人の花道”ってのを用意してくれたのさ。筒先を向ける相手が、マカロニからウォッカの酒樽に変わっちまったが、なーにそれは大した問題じゃねぇのさ。どっちも気に食わんのは同じだ。気兼ねなく撃てる」

 

「まっ、それに関しては同意ですな」

 

「これに感謝しなけりゃ、他の何に感謝すりゃいいんだ?」

 

「違いありませんなぁ。海軍軍人として戦い、船乗りとして死ぬ。実に”有意義な人生”って奴でさぁ」

 

 そう潮っ気があり過ぎる笑みを浮かべる副官。

 そう言えばこいつは年端もゆかぬ頃から兵隊で海軍に入り、一兵卒からの叩き上げでここまで来た男だったと改めて思い出し、

 

「もっとも俺は死ぬ気は無いがな。死んだら坊やに”フランス男は噓つきばかりだ”なんて誤った認識を植えつけちまう」

 

 副官は豪快な笑い声をあげた。

 

 

 

***

 

 

 

「索敵中の飛行艇XXIより入電! ”我、敵艦隊補足セリ!”」

 

 その報告にプロヴァンスの艦橋に緊張が走るが、その詳細な報告を聞いたブーサンは、海図を一眺めすると、

 

「なんだ。まだだいぶ距離があるじゃねぇか」

 

 まあ、それも当然でグルジアのパトゥミからヴァルナまでの距離は直線で1,100㎞以上。東京からの距離に例えるのなら、屋久島や網走よりも遠いのだ。

 現在、敵艦隊の位置は、ヴァルナから見たらまだ600㎞以上彼方、迎撃に出た”ブーサン艦隊”からでも300㎞近くあった。

 空母機動部隊同士の戦闘なら、とっくに互いの攻撃隊を出してる間合いだが、彼我共にほぼほぼ純粋な水上砲雷撃戦部隊なのでまだ間合いはあった。

 

「”コマンダン・テスト”に発信。嫌がらせを兼ねて水上機張り付けておけ。間違っても見失うなよ?」

 

 そして程なく、

 

「”コマンダン・テスト”より返信。”委細承知。既に「ロワール130(フランスの大型艦載水上機)」は発艦済み”です!」

 

「おおっ、流石に”分かってる”じゃねぇの」

 

 ”コマンダン・テスト”の艦長は海軍士官学校の後輩、これも一種の阿吽の呼吸だろうか?

 

(ならば、やるべきことは一つだな……)

 

 もしかしたら戦艦同士の砲撃戦は今次の大戦では、これが最後かもしれない。

 ブーサンは、なんとなくそんな気がした。

 現状から考えて、強力な戦艦部隊を持つ日英との再戦の可能性は低く、米国とはありえるかもしれないが、何というか……ヤンキーが、戦艦で勇猛に撃ち合う姿が上手く想像できない。

 

「他にも最新の戦艦はごまんとあるのに、何とも皮肉なこった。ピエール、俺っちの艦隊も敵さんも、主力の戦艦は先の大戦前に生まれた古株だってんだからな」

 

 そして、先の大戦を生き延びた老嬢同士が、今全力でぶつかろうとしているのだ。

 

「ある意味、似合いなのでは? 何せ俺らがやろうとしてんのは、”ひこーき”なんてけったいなモンが陸と言わず海と言わず戦場を飛び回る前の、古い時代の海戦ですからなぁ」

 

「ちげぇねぇな」

 

 ブーサンはそう笑うと、

 

「ならば、”古き良き時代の戦争”の作法ってのを、イワン共に教えてやろうじゃねーの」

 

 頭の中で彼我の速度、進路、海図を多角的にイメージし、

 

「さて、じゃあ”頭を押さえる”ぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 昼戦艦橋から直接敵艦を見えるようになるまであとわずかとなったとき、ブーサンは徐にマイクを取った。

 この戦法を取るなら、絶対にやらねばならないお約束、いや、是非とも言ってみたいオーダーであった。

 いや、むしろ全ての提督は一度は言ってみたい台詞なのかもしれない。

 

「L’hégémonie de la mer Noire dépend de cette bataille navale ! Tout le monde, travaillons encore plus dur !!(黒海の覇権この一戦にあり! 各員、一層奮闘せよっ!!)」

 

 

 ここは対馬沖でも日本海でもない。多少無理はあるがヴァルナ沖であり、黒海だ。

 彼らは日本人ではなくフランス人とドイツ人の混合ではあるが……相手だけは、40年前と変わらずロシア人だった。

 どうやら歴史はまた繰り返されるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何故かセヴァストポリ要塞攻城戦よりも盛り上がってまいりました”ヴァルナ沖海戦”w

でも、ここで”頭を押さえる”艦隊機動ってことは……まあ、”あれ”をやる気でしょうね~。
相手は帝政ロシア艦隊ではなくソ連黒海艦隊でも、相手は同じロシア人だし。

果たして、”新しい海のトラウマ”は生まれるのか?



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第246話 Félicitations à la flotte française pour sa première bataille et sa première victoire !!

いよいよ独ソ二つの黒海艦隊が、正面からぶつかります!




 

 

 

 動けないと思っていた敵艦隊が出てきたのも驚いたが、

 

「ば、バカな……なぜ、ドイツ人(クラウト)が、”丁字(東郷)戦術”をやってるんだっ!?」

 

 ロシア海軍の後継者であるソ連海軍のトラウマ、それがこの”東郷戦術”、つまり敵が進路を横切るように塞ぎ集中砲火を浴びせてゆく”丁字戦術”だった。

 つまり、”丁”字の縦棒がソ連艦隊、横棒がドイツ艦隊という事になる。

 そして、同時にこれはガングート級戦艦”セヴァストポリ”にとり、致命的な火力差に繋がってしまう。

 

 丁字戦術は相手の進路を押さえるが横っ腹を晒すために被弾面積自体は大きくなる。(敵はその逆)

 だが、ここで戦艦、いや複数の砲塔を持つ軍艦ならではの火力特性が出てくる。

 基本的に、この時代の軍艦は艦橋を挟んで前後にバランス良く、そして背負式に旋回砲塔を配置するのが一般的だ。

 それは違う言い方をすれば、前方に向けられる砲は、艦橋の前にある前方砲塔だけになる。

 戦艦”長門”を例に出せば、連装砲塔4基中、進路上正面に筒先を向けられるのは半分の2基4門だけだ。

 だが、敵艦に対して横を向いていれば、砲塔を旋回させ前後全て4基8門の砲を向けられる。つまり、戦艦全ての火力を十全に投射できるようになる。

 

 無論、例外はあり先に登場したフランス戦艦のダンケルク級や本国配備のその後継であるリシュリュー級、ガスコーニュ級などは四連装砲塔を背負い式に艦橋前面に集中配置することにより、全ての火力を前方へ集中投射できるようになっている(反面、後方への主砲撃は不可能)

 

 そして、この丁字戦術を敵にとられると、輪をかけて不利になるのが、ガングート級戦艦だった。

 ガングート級戦艦は設計思想が古く、主砲を雛壇配置の背負い式(いわゆる「ミシガン配置」)ではなく、それ以前の時代の水平に……艦橋前に1基、第一煙突と艦橋、第一煙突と第二煙突の間に1基ずつ、更に煙突後方(後部甲板)に1基ならべる前時代的な代物だった。

 

 具体的に言うなら、”セヴァストポリ”は30.5㎝52口径長砲を三連装4基12門備えるが、そのうち前方に向けられるのはその1/4、1基3門だけだ。

 対して、フランス戦艦は2隻という数の優位、射程はどっこいだ(ガングート級:28,710m、プロヴァンス級:26,600m)が34㎝45口径長砲という一回り大きな砲弾という大口径の優位に加え、2隻合計で連装10基20門という7倍の圧倒的な門数の優位があった。

 

 無論、ソ連艦隊も頭を押さえつけられないような機動をしたはずだった。

 だが、索敵能力の差から、ほぼ最大射程の段階、つまりは「敵艦見ユ」の段階で、こちらの進路を横切り塞ぐように敵艦隊は居たのだ!

 しかも、振り切ろうとしても似たような速力なので、そう上手くは行かない。

 ソ連黒海艦隊は、完全に機先を制されたのだった。

 

 

***

 

 

 

「はっはっはっ! 地中海の海賊とはいかなかったが、黒海の海賊のお出ましだぜいっ!」

 

 ジャン=ジャック・ブーサン、実にノリノリであった。

 まあ、ここまで完璧に東郷戦術がハマればテンション爆上げになるのも無理はない。

 もっとも、こうも上手く「頭を押さえつけられた」のは、索敵能力の差に他ならないが。

 ブーサン艦隊が、常に水上機や基地からの飛行艇で敵艦隊の動きをモニタリングできたのに対して、プーシキン艦隊には水上機が0だった。

 史実通りにカタパルトごと水上機も「使い物にならない」と撤去されていたようだ。

 

「全門、斉射用意! ウォッカしか飲んだことのねぇロシアンスキー共に、塩水を鱈腹飲ませてやれっ!!」

 

 そして、一呼吸置き、

 

「砲撃開始! 派手にぶちかませっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、華々しいと呼ぶには、いささか一方的な戦いであった。

 プロヴァンス級の2隻は、目移りせずにひたすら”セヴァストポリ”に砲火を集中させた為に……

 

「む、無念なのである……」

 

 最後まで、「動けるはずのない艦隊が出てきた」動揺と、主に水上機やレーダーによる索敵能力・照準・弾着確認(照準修正)の大きな差から、初手で頭を取られ、そのまま”頭を取られ続けられる不利”を覆せないまま、30分足らずで”セヴァストポリ”は戦艦らしく砲撃戦の果てにブーサンの宣言通りに派手に轟沈した。

 これはプーシキンの指揮能力よりも、むしろソ連海軍全体に言える乗員の練度不足の方が理由として大きいような気がする。

 ブーサン一味(フランス古参組)はともかく、残りの乗員は慣熟訓練中の2隻の戦艦と、操艦練度に大きな差がなかったことからもそれが伺える。

 加えてソ連海軍はダメージコントロールの概念が薄い。装甲防御に気を使っていても、例えば、浸水や火災に対する防備が弱いのだ。無論、それらの訓練に対する訓練の優先度は低い。

 ロシア人らしい話だが、彼らはあまり「被弾したときのダメージ」を考慮していないのだ。それに気を使うくらいなら装甲を分厚くする……そういう考え方なのだろう。

 だが、装甲をいくら厚くしようが、防御構造を採用しようが、船は浮いている以上、一定の浸水があれば沈むし、弾薬庫に火が回れば爆沈する。

 本来は「船の防御力」とは密接に関係しても、また別の概念だ。

 また、母港を失い仮初の港で過ごしていたせいか、訓練時間もさることながら整備状態も良いものではなかった。

 

 その状況が分かっていながら「やれることをやるために」出撃したプーシキンには敬意を表するべきだろう。

 また物理限界、プロヴァンス級戦艦とガングート級戦艦にそこまで大きな速度差がなかったことも振り切り切れなかった要因だ。

 練度も速力も大差なく、投射重量のみに圧倒的な差が付けば、この結果はある意味において必然だろう。

 しかし、戦艦らしく戦艦相手に正面から戦い、水底へと還った”セヴァストポリ”は、同名の要塞よりよっぽど幸せな末路だったのかもしれない。

 

 その間……赤色水雷戦隊も奮戦しようとしたが、2隻の戦艦の護衛(水上機母艦は、当然のように的攻撃範囲外に後退させている)についていた軽巡洋艦が率いる元ドイツ本国艦隊の水雷戦隊は、残念ながら欧州海軍の平均以上の技量を持っていたのだ。

 おまけに技量だけでなく性能も少しばかりドイツ艦の方が素の性能がよかった。

 

 旗艦が沈んだ以上、もはや勝機無しと撤退を始める巡洋艦以下の残存ソ連艦艇だったが……

 

「追撃戦、始めっ!!」

 

 素直に逃がしてくれるほど、ブーサンは甘くはなかった。

 何より、元フランス戦艦の大殊勲に充てられたドイツ水雷戦隊が、奮戦しない訳無かった。

 

 加えて、最悪のタイミングでドイツの増援が退路を塞ぐように、あるいは速力を生かして包囲するようにルーマニアのコンスタンツァを母港とする快足を誇る魚雷艇(Sボート)部隊が増援として駆け付けたのだ。

 Sボートの中でも、例えば主力となっている”S-26型”は、35ノットで700海里(約1,300㎞)の後続性能を誇り、今回の作戦海域は十分に行動半径内だった。

 実際、ソ連黒海艦隊追撃戦で最も戦果を挙げたのは、このSボート部隊だ。

 手負いの敵をまるで狼の群れのように1隻、また1隻と沈めていった。

 無論、ソ連残存艦艇は煙幕を張るなど必死の抵抗をしたが、レーダーを魚雷艇にまで装備しているドイツ艦艇に、果たしてどこまで効果があったのか……

 また、こちらも効果的だったとは言い難いが、”コマンダン・テスト”の水上機も追撃戦には、飛行できる全機が参加していたようだ。

 他にもすでに帰路についていた徹甲弾だけは余力があったセヴァストポリ要塞砲撃部隊(ドイツ黒海艦隊第1任務部隊)も参戦したがったが、残念なことに流石に間に合わなかった。

 

 

 

 こうして、旗艦”セヴァストポリ”をはじめ、なけなしのソ連黒海艦隊の半数以上(合計排水量換算なら7割以上)が海の藻屑となった”ヴァルナ沖海戦”は幕を閉じた。 

 この戦いの意義はあまりに大きい。

 これは即ち、黒海の制海権は誰のものになったのか、あまりにも明確に示す戦いであったのだから。

 もはや、ソ連黒海艦隊は潜水艦を除けば黒海で積極的な行動はとれず、黒海でドイツ艦船を抑止できるものは誰も居なくなったのだ。

 そう、黒海の覇権は、ついに長らく握っていたロシア人の手から零れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「約束は果たしたぜ。司令官(・・・)閣下」

 

「ああ。無事な帰還、嬉しく思う」

 

 誓ってドヤ顔のブーサンに、心からの安堵の笑みを浮かべる。

 船は最大の損傷を受けた船でも中破判定、戦艦2隻は共に小破判定だ。

 

 沈没艦は無く、流石に死人0とはいかなかったが、それでも艦隊全体で損害軽微と言えた。

 船の事よりも、フリーデブルクは国籍の違う友人が、無事に帰ってきたことがただ喜ばしかった。

 かつて敵同士だった独仏の上官と部下、そして年齢と国籍を越えた友情がそこにはあるような気がした。

 

「ところで閣下、ちょいとした頼みがあるんだが……」

 

 するとフリーデブルクは機先を制するように、

 

「その前に私からも頼みがあるのだが……ブーサン少将、君さえよければ教官との兼任で、これからも”ドイツ黒海艦隊”の”第二部隊提督(・・)”を引き受けてはもらえないか?」

 

「おや? そいつぁ一体どういう風の吹き回しだ?」

 

 それこそ、半ば受け入れるはずがないと思いつつ、せめて打診だけでもしようとした……やはり、自分は海の上でドンパチやる方が性に合ってると改めて思ったブーサンから願い出ようとした内容が、まさか打診する前に満額回答で帰って来たのだ。

 

「ドイツ海軍は現在、拡張計画の真っただ中で人材が決定的に足りてない」

 

 噓ではない。少し触れたかもしれないが、ついこの間、ドイツはビスマルク級戦艦2隻とグラーフ・ツェッペリン級空母1隻の追加建造を承認したばかりだ。おそらく、これは米国の本格参戦を見込んでの事だろう。

 米国との戦争になれば、海洋戦は必須だ。

 

「そして、君が鍛えている……海の漢達には、高確率で現在、増強中の艦隊に必要とされるだろう。教官職を勤めながら提督を兼務というのは心苦しいが、可能ならば臨時ではなく正式に引き受けてもらいたい」

 

「ははっ、そこまで頼られちゃあ仕方ねぇなあ」

 

 それにブーサンは満面の笑みで了承したという。

 

「まっ、本国(フランス)に戻ってもまた戦艦に乗れるとは限らねぇし」

 

 現在、フランスが保有し、戦力化に成功している戦艦は4隻のみ。

 リシュリュー級戦艦の”リシュリュー”、”ジャン・パール”、”クレマンソー”、”ガスコーニュ(この世界線では純粋なリシュリュー級4番艦として建造が開始され、フランス国際社会復帰後に竣工。フランス復活のシンボルとされている)”のみ。

 その艦長席なり提督席は、全て埋まっていた。

 

 それに、フランスでは”外人部隊”は伝統であり、様式美ですらある。

 雇用関係が逆なような気もするが、まあ些細な問題だろう。

 少なくとも、”黒海艦隊の二つの大きな凱旋”の前では。

 

 

 

***

 

 

 

 後日、ブーサンの下に大量の電報が母国フランスより届いた。

 その内容は総じて、

 

 ”Félicitations à la flotte française pour sa première bataille et sa première victoire !!(フランス艦隊の初陣と初勝利、おめでとう!!)”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





実は、この海戦って最初からソ連艦隊の”圧倒的不利”だったんですよ。
戦艦の数だけでなく、出航してすぐにトルコに捕捉され、その通信を傍受したドイツは(出来る範囲で)準備万端でした。

また、索敵能力にも大きな開きがありました。
基地飛行艇に艦載水上機、そしてレーダー。
なので、敵艦を目視できる外側からドイツ艦隊は常にソ連艦隊の頭をとれる位置にポジショニングできたって訳です。

そして最悪のタイミング、撤退時にSボート部隊の増援とか、絶対にドイツは狙ってましたよね~w

東郷提督も船のスペック差がなくても、サーチング能力にこれだけ差があったらもっと楽だったろうなーとw

ちなみに、セヴァストポリ要塞攻城戦とこのヴァルナ沖海戦を合わせて”黒海戦役”と呼ぶ資料もあるみたいですよ?
次回からまた少し舞台は変わります。


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第247話 総督閣下にして枢機卿猊下、思わず冷や汗を流す(割とガチ)

ある意味において、フォン・クルス卿これまでで最大のピンチかもw
地味に伏線も回収します。





 

 

 

 さて、黒海での物理的にも熱い戦いが終わり、しばし時は流れ……

 まだまだ、残暑の心地よい暑さが残る8月後半、サンクトペテルブルグにてまたしても”珍事”が起きる。

 

「ト、トハチェフスキー閣下っ!?」

 

(なんで一発で俺の前世を見抜いたぁーーーーっ!!?)

 

 

 

***

 

 

 

「し、失礼しました。以前の敬愛する上官に、あまりにも雰囲気が似ていたもので……」

 

「い、いや良い。少し驚いただけだ」

 

(俺の正体が即バレしたわけじゃ無かったんかーいっ! いや~、くわばらくわばら)

 

 ああ、何やら久しぶりな気がするフォン・クルスだ。少し冷や汗をかいたぞ。

 いやさ、8月のある日、執務室で”黒海戦役(=セヴァストポリ要塞攻城戦+それに付随し発生したヴァルナ沖海戦)”の戦闘詳報確認していたら、また暇なのかいつものように金ケモ野郎(ハイドリヒ)がやって来た訳さ。

 ホント、いつも通り面倒事を手土産にして。

 以下、回想な?

 

 

 

『セヴァストポリ要塞とソ連の黒海艦隊の壊滅は、既に知ってるな?』

 

『ちょうどその戦闘詳報の写し(コピー)を読んでたところだ』

 

『なら、話が早い。実は、まだモスクワが混乱し、ソ連の黒海沿岸の防御力が落ちたこの機に一気に南方の制圧、ぶっちゃてしまえば来年に予定されていた”Unternehmen Blau(青の作戦)”を前倒しにやってしまおうという事になってな』

 

 いや、なんかノリ軽いな?

 

『まあ、当然だな。攻略目標は?』

 

『ロストフ・ナ・ドヌー、クラスノダール、ノヴォロシスクが最低ライン。無理がかからぬのなら、ソチやサラトフも視野に入れる』

 

『狙いは、ソ連の黒海沿岸部の遮断と切り取り、カスピ海方面のレンドリースや石油搬入ルートへの圧迫か? 妥当ではあるかな』

 

 まあ、攻め落としやすいのは圧倒的にソチなんだが……

 

『可能ならサラトフは取っておいたほうがいいな……スターリングラードを直接的に落とさずとも圧迫できるし、何よりドイツ人にとり因縁のある土地だろ?』

 

 サラトフは、ヴォルガ川の要所であり、スターリングラードとモスクワを結ぶ中継地であり、帝政ロシアにおけるドイツ系コミュニティの中心地だった。

 ”ヴォルガ・ドイツ人”と呼ばれたサラトフに住んでいた彼らは、最盛期には80万人を超え、またロシア革命後も”ヴォルガ・ドイツ人自治ソヴィエト社会主義共和国”としてコミュニティを残していた。

 だが、去年……1941年、バルバロッサ作戦発動と同時にサラトフにいた全てのドイツ人は、「人民の敵」の烙印を押され”サラトフに戻らない”という書類に強制署名させられた上に、カザフスタンやシベリアに強制移住させられている。

 いわゆる「ヴォルガ・ドイツ人追放宣言」、スターリンのいつものヒステリーだ。

 いや、それとも即座に皆殺しにしなかった分、スターリンにしちゃあ穏健な判断と言うべきか?

 

『出来ればそうしたいところだな。大義名分も立てやすい』

 

『まあ、そいつは戦況を見てってことで良いだろう。んで、わざわざサンクトペテルブルグまで来た理由ってのは?』

 

 ぶっちゃけ、ここまでの話って決定事項だよな?

 わざわざ俺に話す必要はないはずだが……

 

『大規模作戦をやるには、少しばかり兵力が心許ない』

 

 まあ、そりゃそうだろう。相手は畑から兵隊生えてくる国家だし。必要なら東から収穫して出荷するだろう。

 

『そこでだ、こちらも少々計画を前倒しして、フォン・クルス、貴殿にはノブゴロド防衛の一翼を担ってもらいたい』

 

 はぁ!?

 

『お、お前、正気か? ノブゴロドっていやあイリメニ湖抱えた対ソ戦戦略の要所じゃねぇか! 今は戦時下だぞ!?』

 

 その話、前にもチラッと聞いたが、その時は”将来的~”とか”戦後~”とか枕詞がついてたよな?

 

『だが、お前の手元には、そこそこ戦力が集結してるではないか? しかも予定よりもずっと早く』

 

『”バルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)”は、実戦部隊じゃねーぞ』

 

 あれは今や完全に工兵隊や後方支援部隊、ぶっちゃけ自衛隊化が進んでいる。

 正直、自衛以上の戦闘行動はかなり難しい。というか、投入したくない。

 

『そっちじゃない。わかってるだろ?』

 

 そりゃわかっちゃいるけどさ~。

 

『”サンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)”だろ?』

 

 

 

 ”サンクトペテルブルグ・ミリシャ”

 ミリシャ(ミリシア)ってのは本来、市民軍とか義勇軍とか民兵組織とか「正規軍以外の軍事組織」の総称だ。

 ただの武装組織やテロリストと違うのは、「政府から”公的に認められた”軍事組織」であり、便衣兵やテロリスト、非合法武装組織ではなく国籍や身分を証明する物を身につけている限り一応は準軍隊扱い、つまりはハーグ陸戦条約やジュネーブ条約の対象になる。

 

 まあ、設立経緯を簡単に説明すれば……

 前に”念の為にサンクトペテルブルグの固有戦力の保有”を打診された時、アヴァロフやクラスノフ率いるドイツに根を張った白系(反共)ロシア人じゃなくて、ウラソフやトルーヒン率いる赤軍捕虜の寝返り組(捕虜→亡命者も含め)をサンクトペテルブルグの戦力(正確には、その候補)として受け入れた。。

 ただその時、問題となったとのは”ロシア解放軍”という、とりあえず受け皿とするために組織された部隊の名称だ。

 当然ながら、俺が預かる部隊はあくまでサンクトペテルブルグの防衛を主体とする部隊、ロシアの解放など冗談じゃないし、市民に在らぬ誤解を与えかねない。

 そこで俺は組織の再編と一緒に名称を変更したってわけ。

 どっちにしろ、ウラソフの部隊だけじゃなくてじゃなくて、史実の”カミンスキー旅団”、現状だと”ロシア国民解放軍”の面々も一緒くたに面倒見なければならなかった為、いずれにしろ統合・一元化した組織再編は必要だったしな。

 

 そして、この元赤軍や自警団の玉石混交を、NSRから借り受けた頑固オヤジことハウサー教官に「まともに軍として使えるようになるまで」徹底的に鍛えてもらい、事務・組織統括面ではゲオルク・ジレンコフって元政治将校に担当してもらった。

 いや、彼思ったよりも有能で、待遇をそれなりに良くすれば喜んで尻尾を振って(寝返って)くるのが実にわかりやすくて良い。

 こうして形ばかりは整ったが、

 

『確かに1個SS機甲擲弾兵軍団程度の編成はできるようにはなったが、練度はまだまだだし、こと防衛戦やるなら専門家がいるぞ?』

 

 いや、防衛戦ってのは要するに粘り強さ、つまり士気と兵站補給に支えられた継戦能力の維持ってのが最重要で、他にも防御陣地の構築とか攻勢とは別のノウハウがいるんだ。

 

 

『なら丁度良い人材がいてな……』

 

 

 

***

 

 

 

 以上、回想終了だ。

 その流れでハイドリヒが連れてきたのが、ヴォロネジ攻略戦で捕虜にしたっていう”ニコラス・ヴァトゥーチン中将”とその(少数ではあるが)幕僚。

 前世では、ソ連有数の防衛線のエキスパートであり、疑いようのない名将の一人だな。

 彼の良いところは、古典的な要塞や防御陣地に頼った戦いだけでなく、戦車を使った機動防御、暫定的攻勢を組み込んだアクティブ・ディフェンスにも適性が高いところだろう。

 味方に付いてくれるなら、確かに頼もしいが……

 

「貴殿は何やら私を見てトハチェフスキー将軍と誤認したようだが……面識があったのかね?」

 

「はい、若かりし頃に。敬愛すべき上官でした」

 

 

 

 ほむほむ……詳しく自己紹介を兼ねた彼の身の上話を聞いてみると、

 

(コイツ元アカなのに真っ黒やんっ!!) 

 

 政治的(家系的)にはトロツキー派、そして軍人としてはトハチェフスキーの系譜って……よく”大粛清”を生き延びられたな? マヂに。

 もしかして能力なのか? あるいは処世術?

 どちらにせよ、かなりすごいぞ。

 

「ヴァトゥーチン中将、君が私の構想、”サンクトペテルブルグの守り手”となる部隊に賛同してくれると言うなら、私としては是非とも歓迎したいのだが?」

 

 するとヴァトゥーチン、何やら良い笑顔で、

 

「良いでしょう。既に帰る故郷を失った身であればこそ、委細承知の上で閣下にお仕えしましょう。そして、防衛戦だというのなら、むしろ守る戦いが我が本懐だと考えます」

 

 

 

***

 

 

 

「……この人たらし」

 

 小野寺君、いきなりの罵倒はひどくね!?

 

「まあ、パパだし」

 

「パパだからねぇ」

 

「ぱーぱ♪」

 

 

 嗚呼、今日も膝の上に乗ってくる三少年に癒される日々だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いきなり前世の一つ(それも強烈なのを)を言い当てられるわ、南方戦線(黒海戦役)が上手く行き過ぎた(・・・・・・・・)せいで、ブラウ作戦が早まり「風が吹けば桶屋が儲かる」的な前倒しでノブゴロドぶん投げられるわ、割とクルスが散々な目に合う回でしたw

いや、まあ自業自得と言えなくもないんだけどね。

あっ、後皆さま、ヴォロネジでスホーイ(ゼレンスキー大佐)に嵌められた赤軍中将さん、覚えてらっしゃいますか?
覚えていてくれると嬉しいなぁ~が再登場です。
史実ではあっさり暗殺されておりますが、今生では中々に愉快で数奇な人生を歩むようですよ?
意外と頼りになる人材です。

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第248話 ”ブルーミント・クルセイダース” ~それは枢機卿猊下に脳を焼かれた者達の集い(別の意味でフォン・クルス被害者の会)~

本日はお休み、プチモラトリアム。
というわけで、久しぶりに1日2話アップ逝って(内容的に誤字に非ず)みます。


いわゆる、スーパー・クルス・タイム?







 

 

 

 唐突だが……

 9月に入ったその日、新たに”サンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)”中将として赴任したヴァトゥーチンは、同僚との顔合わせで内心ドン引きしていた。

 

「ああ、お話は枢機卿猊下(・・・・・)よりお伺いしております。歓迎しますよ、ヴァトゥーチン中将。小官は”サンクトペテルブルグ・ミリシャ”を預からせて頂いている司令官、アンドレアノフ・ウラソフと申します。階級は組織工学の都合上、私が大将でミリシャの最先任となりますが、ここは赤軍ほど階級にうるさくはなく、己の与えられた任務を達成することが最優先とされます。全ては、枢機卿猊下の御心のままに」

 

 なんかもう、語尾がおかしかった。

 

「ヴァトゥーチン中将、私は”光”を見たのですよ。そう、このサンクトペテルブルグに神の栄光が戻るその瞬間を! その時、私は悟ったのです。私が求めてやまなかった”母なる悠久のロシア”はここにあったのだと。重要なのは”何処で”ではない。消える事なき心の光、信仰がどこにあるかなのです。思い返せばサンクトペテルブルグはかつての帝都、古き良き正しきロシアの心臓であった土地。なるほど、であるならば正しき指導者(ツァー)が戻れば、街が正しき姿を取り戻すのもまた道理という物。共に守りましょう。正しき指導者に導かれる、信仰と正統なるロシアを。”蒼き聖なる花十字”の御旗のもとに」

 

 めっちゃ早口だった。

 なんか、上官の軍服が僧服とか法衣に見えてきて、慌てて目をこするヴァトゥーチンであった。

 

 また別の高官、歩兵大隊を指揮するカミンスキー少佐という若者は、

 

「えっ? 枢機卿猊下ですか? そうですねぇ……簡単に言えば”サンクトペテルブルグの守護聖人”にして”神罰の地上代行者”ですかね? 有体ですが。個人的には、熾天使(セラフィム)様辺りがバックについてると思いますが? あのお方は実に蒼き聖花(ブルーミント)と浄化の炎がよく似合う。正教に帰依した暁には、洗礼名でСерафим(セラフィム)を名乗って欲しいなぁ。口癖が復活だった”サロフのセラフィム”より、よっぽど復活もセラフィムもあの方の方が似合うと思うんだが……中将閣下、”ミンツァブラウ・セラフィム・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ枢機卿猊下”って響きが良いとは思いませんか?」

 

 と真顔で、またしても早口で言い切った。

 自分はもしかしたら、サンクトペテルブルグではなく何か別の、得体の知れない宗教国家にでも来てしまったのでは?と少し自分で自分を疑うヴァトゥーチンであった。

 真面目な人間が苦労するのは、どうやらこの世界の必定らしい。

 

 

 

***

 

 

 

「総督閣下が同時に枢機卿であることも知っておりますが……いったい何をやらかしたので?」

 

「……聞くな」

 

 い、言えねぇ。

 ”例の演説”の後、大量の正教徒(サンクトペテルブルグ市外からも含め)、「神と蒼き聖なる花十字のために」を合言葉にサンクトペテルブルグ・ミリシャに志願兵として押しかけたとか、あの録画映像が捕虜収容所に流されたせいで大量の共産主義者だった兵士が正教に帰依して志願兵としてサンクトペテルブルグに乗り込んできたとか……

 

 あ、あのなぁ~。

 現状のサンクトペテルブルグとその周辺だけで、30万規模の軍隊とか維持するの無理だからな?

 どう頑張っても軍隊として雇えるのは、リガ・ミリティアを抜けば10万くらいが精々だ。

 なのでとりあえず入隊審査だけ設けてふるいをかけ、残りは入隊希望リストに名前を留めるか、あるいは治安担当の部門に回ってもらった。

 

(まあ、本当に欲しいのは労働力、都市労働者だけでなく農業、漁業従事者なんだけど……)

 

 だって都市の完全復興はまだまだ先の話だしさぁ。

 正直、何もかもが足りんのよ。

 信仰の自由を求めて、随分と人が集まってきたのは嬉しいが。

 そこでこの間、四長老(四大聖堂教主な?)と結託して一席表明したんだが、

 

『戦場に立つのみが戦いに非ず。銃後の民の生活もまた戦場を支える戦いなり。信仰とは何か? 悪しき神の敵を撃つことか? 違うのだ。信仰とは、祈りとは、日々の糧を得られたことに感謝するのもまた信仰なり。特別なことをしなくてもよい。働き、子を育て、日々の人としての営みをを大事にせよ。その中で、無辜の民を守りたいと願う者が銃をとればそれでよい。信仰とは、銃をとることと同義ではないのだ』

 

 とまあ、こんな感じでな。

 まあ、これで怒涛の志願兵ラッシュは落ち着いたんだが、人の顔見てクルス皇帝猊下(ツァーリ・クルス)と呼ぶのはやめれ。

 流石に不敬が過ぎる。

 あの世とやらに”また”逝った時、ニコライ二世陛下に釈明するのは御免だぞい。

 というか、見る人があの”復活イベント”の映像を見れば

 

 ”演説を終えて、再び「家族の肖像」に一礼する俺に、ロマノフ一家が写真が飛び出てきてニコライ陛下が『後を頼む』と俺の頭に自分の王冠を被せた”

 

 ビジョンが見えるって都市伝説があるんだが……オカルトか?

 いや、俺自身が転生者である以上、オカルトの全否定はできないんだが、いくら何でもできすぎだろ?

 ちなみに俺自身は何も見てないし、気配とかも特に感じてないぞ。

 自慢じゃないが、俺には霊感なんてもんは欠片ほどもない。

 

 とりあえず、俺に皇帝なんてのは荷が重い。

 というか、正教徒でもないのに”枢機卿”なんて、未だに「それでいいんかい?」と言いたくなる。

 いや、そりゃあ四長老とつるんで宗教的イベントとか画策するし、今年の年末は街を挙げてのクリスマスイベント(四大聖堂のとりあえず復旧できた部分を使ったミサとか、四大聖堂のライトアップとかクリスマスツリーの飾り付けとかさ)で戦争の憂さを晴らすような事を計画しているが……

 

 いやさ、戦時中だからって娯楽が少なすぎるんだよ。

 戦時中だから民間人へのストレスも大きい。

 そして何より、元とはいえ日本人としちゃあ季節ごとのイベントは大事にしたい。

 それが市民のガス抜きになれば、一石二鳥だろ?

 

 

 

 だがこの間取材に来た英国国営メディアよ……それらすべてを加味した上で、サンクトペテルブルグ・ミリシャを

 

 ”枢機卿に率いられ現代に蘇った『蒼き聖なる花十字軍(ブルーミント・クルセイダース)』”

 

 とか紹介するのは、流石に悪ノリが過ぎてねぇかな!?

 真面目なキリスト教徒に怒られても知らんぞ。

 

 それにクルセイダースってなんだよ?

 聖地(モスクワ)奪還の為に遠征しなけりゃならんのかい。

 冗談じゃない。

 俺は、手の内に居る民の生活と安全を守るので精いっぱいだ。

 おまけに世知辛い事情で、ノブゴロド防衛まで視野に入れなくてはならくなったてのに。

 

(陸上兵力はどうにかなるとしても、航空兵力をどうするかね~)

 

 まあ、パイロットも数は少ないがいなくはない。

 それに実は、ドイツ国防空軍(ルフトバッフェ)も人員カツカツだろうし、アテにできないことも見越して教官だけレンタルして自前で養成自体は始めてるんだよ。ありがたいことにバルト三国を中心に現役を引退したパイロット達が志願してもくれている。

 

 だけど、問題なのは航空機。

 ”自前で作ってるじゃん!”と言われそうだが、これが甘いんだな~。

 例えば、生産体制に入ったMc205戦闘機やもうじき生産が開始できる予定のJu187爆撃機は、まずドイツ正規軍に最前線にて必要とされる。

 その必要数を確保するための生産計画が、軍需省主導で出来上がってるし、横紙破りでそれを自前に当てようとすれば、間違いなくロクなことにならない。

 要するに非ドイツ正規軍向けの生産が主体の戦車、”KSP-34/42”のようにはいかないってことだ。

 かと言って、ドイツ本国も航空機生産いっぱいいっぱいだろうし……

 実に頭の痛い問題だった。

 

 

 

***

 

 

 

 と頭を抱えていたら、解決策がフランスから飛び込んできた。

 

 なんとフランスが自国用の最新鋭戦闘機”VG33”をベースに、エンジンをドイツ製の”DB601NGV”に換装し、機銃をMG151/20㎜モーターカノンと主翼機銃をMG131/13㎜機銃×4に変更し細部を調整、全金属製にした、”VG39”を売り込みに来たんだよ。

 

 いや~、驚いた。

 上のことからも分かるように、史実のVG39とは別物なんだよ。

 VG33との関係は、D520と史実には無かったHeD520U-1に近い。

 ただ、決定的に違うのは、VG39はフランスが最初から「ドイツやその友好国や同盟国への輸出」を当て込んで製造した機体ってことだ。

 その為、全金属のボディ(史実では一部木材を使用)にオリジナルより強力なエンジンを搭載、トレンドの層流翼、メレディス効果を期待できるラジエター・インテークを押さえ、翼下にドロップタンクの搭載と、申し訳程度ではあるがロケット弾懸架装置を備えていた。

 最高速は戦闘重量で650km/hを超え、航続距離は増槽を左右主翼に搭載した場合1,500㎞とFw190に匹敵する。

 

 火力以外は特にドイツ機に劣るところはない、中々に高性能な戦闘機だ。

 本国仕様のVG33より高性能な輸出用機を作らなければならないこと自体、今のフランスの現状と悲哀を物語っている気がする。

 

 ともあれ、これはまさに渡りに船であると同時にフランスの戦後復興支援にもつながるので、予算の無理はないまずは200機と相応の数の予備部品を発注。

 操縦教官と整備指導員派遣のサービスプランも入れた。

 

(まあ、これで当面何とかなるか……?)

 

 幸いサンクトペテルブルグその守りでもあるノブゴロドは、鉄道網と道路網がしっかり整備され、サンクトペテルブルグにはかなり大規模な軍民兼用の空港が、ノブゴロドにも輸送機をはじめとする大型機の発着に問題ない程度の飛行場が整備されている。

 おそらく全ての戦域の中で最も配置転換が簡単な戦線がサンクトペテルブルグ⇔ノブゴロド間だ。

 

 なので。とりあえず現在の1個軍団規模、10万弱の兵力を火力増強1個機甲師団を基準に1単位として、純粋戦力として1個を前線配置、1個を機甲予備、1個を休養を兼ねた後方(サンクトペテルブルグ配置)でローテーションさせよう。

 本来なら、工兵・補給部隊も必要だが、そこはリガ・ミリティアが十全の力を発揮できるポジションだ。

 

(そして、有事の際には2個師団をノブゴロドに張り付け、1個を機甲予備として待機させ、損耗した者を部隊単位で入れ替え、後方のサンクトペテルブルグで再編する……)

 

 そして、200機の戦闘機と他に補用としてかき集められる100機ほどの航空機を効率的に運用しようとすれば、パイロットを除く整備から基地運営まで地上要員でも1万人程度は必要になるだろう。

 

(これはよほど効率的に防衛戦せんとな……)

 

「少し頑張って、地上兵力15万人体制を構築した方が良いかねぇ~」

 

 幸い前述の通り志願者は居る……というか、リストから溢れている。

 

(有事には1個軍団規模を常にノブゴロドに春付けられるようになれば、大抵の場合は何とかなるか……)

 

 100万規模とか来られたらどうにもならんけど、事前にある程度準備できる状況なら、30万人程度までの敵なら完全編成1個軍団程度あればどうとでもなる。上手くすれば50万までなら耐えられるかもしれない。

 

「シュペーア君、現在の人口、特に労働人口の観点から、サンクトペテルブルグに期待されている工業オーダーから逆算して、リガ・ミリティアを除いた15万の常備軍は可能かい?」

 

 軍人の適齢期ってことは、労働力としても花盛りってこったからな。

 

「現在の閣下のサンクトペテルブルグ市を含むサンクトペテルブルグ特別行政区全体で確認されている総人口は約315万人。決して推奨できる数字ではなくとも、無茶無謀な数字ではないでしょう。無論、ドイツ本国やバルト三国からの様々な支援が前提ですが」

 

 驚いたな。5月のデータ(4月中旬の統計)では200万人を少し超えるぐらいだったんだが。

 ああっ、当時はまだサンクトペテルブルグ()だけだったな。

 

(あの後に色々と取り込んで特別行政区に俺の管理地域が拡大したわけだし)

 

 まあ、それについては問題ないだろう。

 ノブゴロドやサンクトペテルブルグが陥落して困るのは、彼らだって一緒だし。

 

 きっと、こっちで15万人規模の戦力抽出ができると分かれば、ハイドリヒの野郎、嬉々としてノブゴロド駐留部隊全てを南方戦線に叩き込むだろうな。

 この間の言い回しならまず間違いなく。

 

「仕方ない。生産力を維持しつつ、その方向で固めよう」

 

 

 

***

 

 

 

 だが、俺の心配は完全に杞憂に終わった。

 何でもシュペーア君によれば、その時の人口統計は”例の(信仰)復活宣言”前のデータだったらしく、9月下旬に取った(ノブゴロド地区まで加えた)統計では400万人を余裕で超えていたそうな……サンクトペテルブルグ市だけでも、ほぼほぼ全盛期の人口を取り戻したらしい。

 そして、サンクトペテルブルグへの移住待ちリスト(インフラの関係で即時移住は不可能なため希望者がリスト化されていたらしい)を加えると、1年以内に人口600万人越えは確実のようだ

 無論、市内に限らずサンクトペテルブルグ特別行政区全体の生活インフラ整備が大前提だが。

 

「良かったじゃないか? これで常備兵力30万人余裕だな?」

 

 うっせーやい。

 

「まだまだ足りんよ。ドイツや他国の支援がなければ、普通は人口600万人の国家で30万の常備軍は維持できん。それにリガ・ミリティアや航空軍含めての30万だからな?」

 

 正面陸上兵力30万じゃねーぞ。

 フィンランド?

 いや、あれかなり例外だし。

 

「まあ、それは今後の努力目標ということで。とはいえ、前にも言っていたが最低でも800万人、最大で1200万人程度までは養えるんだろ?」

 

「……最大1500万人に上方修正だ」

 

「ほう?」

 

「ノブゴロド周辺の肥沃な土地と、イリメニ湖を農業用水などに使える前提で、尚且つ都市復興や周辺開発が現在のペースで可能であり、サンクトペテルブルグを”ユーラシア北西部の玄関口”、国際貿易港と工業都市としての開発を両立できるなら、そのくらいまでなら食わせられる目算は立つ」

 

 流石にここで噓はつけない。

 結局は俺も宮仕え、公僕だからな。

 

「それは重畳」

 

 そんな嬉しそうな顔をするない。何だか無性に顔面に右ストレート叩きこみたくなってくる。

 いや、めっちゃ避けられそうな気がするけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




公式名称”サンクトペテルブルグ市民軍(サンクトペテルブルグ・ミリシャ)

元捕虜や亡命赤軍軍人を主体に、サンクトペテルブルグ特別行政区の住人による志願兵を主体に編成されたドイツ政府も公認している準軍事組織。
別名”ブルーミント・クルセイダース”……

フォン・クルス総督(枢機卿)、明らかに可笑しなことになってます。
というか……ツッコミどころ過積載すぎィーーーッ!www

そもそも、総督は四長老(四大聖堂教主)と結託してイベント企画とかしません。
総督にここまで軍権は丸投げされません。
現実の東京都の半分以下の居住人口で、リガ・ミリティア含めると自衛隊の半分以上の占領を抽出できるってどういうこと?
etcetc……

そして、何となく復活宣言以降色々とヤベー感じが……

ドイツは自業自得だけど、ソ連は泣いていいかもしんないw
いやだって、かつての赤軍の精鋭が教化され教化され狂化され(ソ連にとって)凶化されてるし……

赤軍の紳士諸君、まさかまかり間違って将来ここに攻め込むなんて事になったら、洒落にならんことになるんじゃ……



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第249話 バルト海、暗躍する”円卓会議”

今回の話で終章となります。
何というか……フォン・クルス総督にして枢機卿をある視点から見ると、みたいな?






 

 

 

 北東シリアの戦いは、スッキリしない形で小康状態となった。

 セヴァストポリ要塞攻城戦とヴァルナ沖海戦、この二つを称して”黒海戦役”にてドイツが勝利し、黒海の覇権(制海権)はドイツとその同盟国の沿岸諸国の物となった。

 サンクトペテルブルグでは信仰の自由が復活、つまりは旧ロシア正教より新生したサンクトペテルブルグ正教が産声をあげ、更に総督閣下(あるいは枢機卿猊下)の”領地”には、新たにノブゴロドが組み込まれるようだ。

 

 これだけのイベントが1942年の夏にあったというのに未だこの大戦の終わりは見えてこず、どの参戦各国(プレイヤー)達は、未だに戦争(ゲーム)を投了してはいなかった。

 

 もっとも第二次世界大戦、世界規模の戦乱期とはいえ、いつもいつまでも戦闘ばかりやっている訳ではない。

 本日は、そんな一幕を追ってみよう。

 

 

 

***

 

 

 

スウェーデン某所、”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”非公開会議、通称”円卓会議”

 

 そこはバルト海沿岸諸国、その中でも王侯貴族に連なるもの、社会的身分の高い者で構成される、されどメンバー非公開の会議だった。

 この参加者達は、それぞれの母国でいずれも高い地位に就く者達だが、決して誰なのかを詮索してはならない。貴方が市民としての生活を営みたいのであれば。

 

「フォン・クルス卿も良い仕事をしてくれた。信仰の自由を取り戻す代わりに、旧ロシア正教の残滓からの信頼を勝ち取り、正教徒ではないのに”枢機卿”の地位を勝ち得た……実に我々にとって都合がよい(・・・・・)

 

「ええ。元々、彼の共産主義……革命勢力に対する憎悪に疑いようはありませんでしたが、”こちら側”に来てくれたことにより、益々高く分厚く赤い津波(革命勢力)に対する”崩れない防波堤”になってくれそうです」

 

「西欧では国家としてはドイツが、個人としてはフォン・クルス枢機卿が赤色勢力に対する”絶対不寛容”を持ちますな。そのあたりの認識は、バチカンとも共有しております」

 

「未だ王権を残す、伝統と格式に彩られた我らが国家群には革命勢力はいわば即効性の猛毒。断固として流入を阻止しなければならない」

 

 ここに集まる面々の母国がドイツに友好的な理由、陰日向に支援している理由は、何もナチズムに傾倒・あるいは共感してるからではない。

 むしろ、ヒトラーが国家社会主義を「国をまとめる都合の良い道具」として認識している事を見抜き、そうであるからこそ信用している集団であった。

 この場に集まった面々とヒトラーのナチズムに対する価値観は近い。

 

 ”世俗的であり、俗物的過ぎる政治思想”

 

 という認識なのだ。

 正直、現実に国家を動かすにはデメリットが大きすぎた。

 だからこそ、ヒトラーは国民に悟られぬよう”段階的にナチズムを弱毒化(・・・)”していることなど、とっくに気づいていた。

 理由さえもわかる。”現実に国家運営の道具として必要とされる政治”への移行、言うならば「ナチズムの現実への摺り合わせ」だ。

 言い方を変えれば、ヒトラーはナチズムという看板を変えずに最終的に本来のそれとは”似て非なる別物”に仕立てようとしていることも。

 そして、それはここに集まる”彼ら”にとって、実に歓迎すべきものだった。

 理想家や夢想家とは手を結べない。

 なぜなら、彼らは妥協ができない。折り合いをつけるということができない。

 だから、共産主義も社会主義も”彼ら”は受け入れない。

 理想を優先するあまり、「自分たちにとって都合の悪い現実」を捻じ曲げようとするからだ。その対価は、国の内外に問わず流血で贖われる。

 

「それに関してはドイツに渡ったミットフォードの三女と四女が実に良い仕事をしておりますな。あれは悪目立ちし、過激派の良い集塵機(・・・)として機能している」

 

 言い得て妙だ。集められた塵芥の行く末は、解りきっているので誰も話題に出さない。

 すると一人はくっくっくと苦笑し、

 

「総統閣下は面倒くさそうにしておりますがね。まあ、あの姉妹は今やドイツのスポークスマンとして花開いたオオシマ特使に続く俗物、同じくリッベントロップ特別補佐官に面倒見させているのは妥当、むしろ適任でしょう」

 

「ふむ、話をフォン・クルス卿に戻したいがよろしいかね?」

 

「ご随意に」

 

「ならば、より完璧を期すために、彼には”もう一段階”上がってもらおうと思う。せっかく、ノブゴロドも彼の”管理区域(りょうち)”に入ったことだし」

 

「ノブゴロド……公領(・・)としてその名を刻むのは、実に500年ぶりですか」

 

「信仰の自由、正教の復活に合わせてノブゴロド公国の復活ですか? ですが、何か弱い。それにフォン・クルス卿は国籍的にはドイツ人だ。ドイツに既に皇帝がいない以上、法的な論拠において公国の復活は難しいでしょう」

 

「だからこそ、”名誉称号(・・・・)”という便利な物がある。王家が継続しているバルト沿岸諸国が連名で名誉称号で”大公”を授けるなら、ヒトラー総統も嫌とは言うまい。”黄金卿”、そのあたりはどう思うかね?」

 

 話を振られた妙に既視感のある人物は、

 

「むしろ総統閣下は賛成してくださるでしょう。現在、”サンクトペテルブルグ特別行政区”が公式ですが、ドイツ保護領としての”サンクトペテルブルグ大公領”の樹立は我が国の利益にも叶います」

 

 無論、発言者はむしろこの”黄金卿”こそが仕掛人、これだけの面子を揃え共産主義への切り札になりうる漢を一定の地位に押し上げるべく画策している黒幕だということを理解した上で発言していた。

 まるでそれは確認作業、いや様式美のようだ。

 期待に外れぬ回答を得た発言者は、満足げに頷いた。

 

「そして、行く行くはドイツ保護国でありながら、バルト海沿岸諸国の一角(われらがどうほう)にして反共の雄、”サンクトペテルブルグ大公国(・・・)”への格上げかね?」

 

 黄金卿は何と答えたのか記録には残っていない。

 だが、その返答は満足ゆく物だったらしい。

 

「では計画通りに次の”表の総会”で提案しよう。”ノブゴロドを任され、防共の一翼を担う存在となり、暴力的な共産主義から敬虔な信徒へと改心させた配下を持つ者が、総督という地位ではあまりに不足。なので、せめて名誉だけは送りたい”という名目でな」

 

「それでよろしいでしょう」

 

「ところでドイツは、相変わらずフォン・クルス卿の世襲には否定的なのかね?」

 

「ええ」

 

 黄金卿は迷いなく頷き、

 

「”復活宣言”でもはっきりしました。フォン・クルス卿の本質は”断罪の剣”。その身は鋼でできており、心には憤怒の炎を宿している。いわば共産主義者をまとめて斬首し燃やし尽くすために地上に落とされた”炎の魔剣”(レーヴァテイン)なのですよ。ですが同時に、彼もまた人間。妻や子ができれば、守りに走り確実に切っ先が鈍ります。それでは本末転倒でしょう?」

 

「惜しいな。是非とも残したい血筋ではあるのだが……同時に哀れでもある。共産主義者が滅ぶか、その身が亡ぶまで戦い続けねばならんとは」

 

「それがフォン・クルス枢機卿の望みで有らばこそ。ドイツは枢機卿が望むままに生き、望むままに死ぬことを望んでおります」

 

「だが、断じて非業の最後は認められん。身辺警護に抜かりはないな?」

 

「むしろ、卿は誘蛾灯のように不信心者を引き寄せます。ええ、それはもう分かりやすく。そして、フォン・クルス卿がその脅威に気づく前に狩り取るのが”我々(NSR)”の仕事だと心得ておりますよ」

 

 それは明らかに”濡れ仕事”を盛大に行っている発言だったが、

 

「結構。フォン・クルス卿はこの世界の秩序のために必要なのだ。世界同時共産主義革命などという終末世界を防ぐためには」

 

「心得ておりますとも。その在り方は”レーヴェンスラウム”とも矛盾しない」

 

「当然、我々バルト海沿岸”王国連合”とも」

 

「彼の元母国のエンペラーには、我々から親書を出し、手を回しておこう。かの国は皇室外交を殊の外重要視する」

 

「かの国は、通常外交や交易額などとは別次元で皇室外交ができる国こそを”一等国”とみなしますからなぁ。故に”あの英国”とあそこまで長く律儀に同盟関係を続けられる。フランスではなくイギリスと手を結んだ決定的な理由がそれです。米ソは未だ、そのあたりを理解できないようですが」

 

「領土の大きさや資本力が国の偉大さだと思っているのだからな。近世には権力と権威を分離し、時の権力は様変わりすれど、権威は絶対不変とした民族性を、彼らが理解できるとは思えません」

 

「然り。”神聖ニシテ侵スヘカラス”……自らを法的定義に納める事を望んだ今上陛下以前は、まさに憲法にそう記されていた”現人神(アラヒトガミ)として神格化されたエンペラー”など、皇帝を血祭りにしたボリシェヴィキに理解できるはずもありません」

 

「だが、とても不思議な御方でもある。”幽玄”とでもいうのか? 何というか、この世とあの世の狭間にいるような……」

 

「……それ以上の発言は自重した方がよいだろう」

 

「……そうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっくしょん!」

 

「猊下、風邪でもひいたんですか?」

 

「小野寺君、せめて閣下にしてくれ。いや、なんか急に鼻がムズっと」

 

「……今度は、何をやらかしたんです?」

 

「俺が何かをやらかしたこと前提に話すのやめね?」

 

「いや、なんつーか前科が多すぎて」

 

「前科言うなし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




バルト海沿岸諸国(特に王侯貴族が居る国)のお偉いさんがうじゃうじゃとw

既に登場している(誰なのかバレバレな)”黄金卿”はともかく、この”円卓会議”の面々は身分が明らかになることも、作中でネームドキャラとして出てくることはありません。

もしかしたらちゃっかり既出キャラも混じってるかもしれませんが、”別人として扱い”ます。

もっと俗っぽい言い方をすれば、

”円卓会議=フォン・クルス多国籍支援委員会(ファンクラブ)

で良いカモw
次回からは、また戦乱の空気が……


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第15章:ギリシャ奪還作戦 ”Operation EOS”
第250話 1942年度日本皇国海軍陸戦隊、装備と編成の概要(ロケラン、グレラン、分隊とか)


今回から新章です。
いわゆる、「ギリシャ奪還戦」の準備回かな?
リビア以来、なんかお久しぶりの二人も再登場ですw





 

 

 

1942年9月某日、エーゲ海、クレタ島

日本皇国海軍陸戦隊駐屯地

 

 

 

「こりゃあ、見事にパクったもんだな」

 

(いや、こういうのも再現というんかねぇ~)

 

 俺は今回の作戦で海軍陸戦隊に制式採用され実戦配備された新装備、”二式九糎対戦車噴進砲(簡易表記だと二式ロタ砲)”と”二式四十粍擲弾銃(二式グレラン)”を見やる。

 前者はまんまかつて自衛隊でも使われていた”M20A1スーパー・バズーカ(自衛隊名称:89mmロケット発射筒M20改4型)”、前後で分割できるアルミニウム合金製の本体までまんま再現。

 後者は、”M79グレネードランチャー”だな。正直、前世のM79の二式グレラン並べられても見分けが付かない自信があるぞ。

 

 ついでに訓練場には、同じく”一式七糎半無反動砲”と”二式十糎半無反動砲”が並べられていた。

 こっちは、前世米軍の”M20/75mm無反動砲”、”M40/106mm無反動砲”だな。

 どうやら異常な速度で進化する戦車の装甲に直ぐに対抗できなくなると踏んだのか”M18/57mm無反動砲”は開発されなかったようだ。

 戦車殴るなら、確かに中途半端に軽い57㎜無反動砲より90㎜ロケランの方が効果的だわな。対装甲用には、どうせHEAT(成形炸薬)弾しか使わんし。

 その分、来年あたりには個人携行できる”M67/90mm無反動砲”とか出てきそうだが……

 

「何というか……すっごく朝鮮というか、ベトナムというか」

 

 ぶっちゃけ前世の大戦末期からベトナム戦争初期の兵器の見本市って感じだ。

 

(疑いようもなく、転生技術者が悪ノリだろうなぁ……)

 

 まあ、意図は分かる。

 最近、急速に機甲化、自動車化が進んでいる陸軍さんとは違い、俺たち海兵や陸軍の中でも空挺は、あんまり大きく重い装備は持てない。

 俺達は上陸用舟艇て砂浜に乗り上げたら直ぐドンパチして橋頭堡確保せにゃならんし、空挺はパラシュートで空から飛び降りたら即ドンパチだ。

 バズーカは射程は短いが、軽くてその割には大口径で高威力。

 擲弾銃は例えば、八十九式なんかの擲弾筒と違い1発の威力は落ちても肩付けでしっかりホールドして照準できるから命中精度が高く射程も長い。

 無反動砲も通常の同口径の野砲なんかに比べると射程も初速も無いが、反動極小で何よりとにかく軽い。

 105㎜無反動砲は軽車両でも運用できるし、75㎜に至っては頑張れば人力で運べなくもないし、ちゃんとした砲架ではなく機関銃の三脚とかに据え付けても発砲できる。

 海軍陸戦隊としちゃあ、間違いなく火力増強に直結するありがたい装備なんだが……

 

(すんげー、微妙な気分だ)

 

「小隊長殿、朝鮮やベトナムがどうかしましたか?」

 

「いや、そういえばどっちもギリシャと同じ半島国家だなと思ってな」

 

「まあ、そうですな」

 

 

 

***

 

 

 

 ああ、そういや言うの忘れていたな。

 なんか久しぶりだが……日本皇国海軍陸戦隊中尉、”舩坂弘之”だ。

 階級は上がったが、率いる部隊の規模は変わらず小隊長だ。

 まあ、補充兵はあれど陸戦隊自体が別に拡大して師団編成できるようになったわけでもないので当然か。

 いや、少しは以前より増強されているかねぇ。正式には、俺が率いる小隊は、”火力増強小隊”。

 普通、通常編成の3個分隊くらいで小隊を組むんだが、俺の小隊は通常編成の3個分隊に火力支援分隊が1個くっついてるって感じだ。

 まあ、師団は無理でも海軍陸戦隊自体が旅団規模にはなっているから、微増ってところか?

 

 武器の話が出たついでに、興味があるなら海軍陸戦隊の最新の編成の話でもしておくか?

 戦闘単位で最少となる通常分隊編成は、14名が陸戦隊の基本だ。

 大雑把だが、こんな感じかな?

 

 ・分隊長:説明の必要はないかもしれんが、経験豊富な古参の下士官が務める事が多いな。

 ・通信兵:通信機背負った分隊長付きの兵隊。自衛用に”海兵(・・)28式短機関銃”を装備。

 ・分隊機関銃手:ライセンス生産版のブレン軽機関銃手とその弾倉/予備銃身運搬・装填係のツーマンセル

 ・分隊擲弾銃手:前出の二式擲弾銃の使い手と擲弾の運搬係のツーマンセル。擲弾銃手は40㎜擲弾を6発、運搬係は12発を携行。コイツらは自衛用で海兵28式短機関銃を持っている。

 ・分隊狙撃手;いわゆるマークスマンとスポッター。マークスマンは光学照準器(スコープ)付きの梨園改三式歩兵銃、スポッターは高倍率双眼鏡と自衛用の海兵28式短機関銃の組み合わせだ。

 

 残る6名枠がいわゆる一般兵で、梨園改三式歩兵銃と手榴弾で武装している。

 言うまでもなく全員、武35式軍用自動拳銃(ブローニングHPのライセンス生産番)は携行してるぞ?

 

 んで火力支援分隊ってのは読んで字のごとく、さっきのバズーカやら軽迫撃砲やら無反動砲やらを運用する火力特化の支援分隊って感じだ。

 ちょっと面白い……かどうかはわからんが、基本的な歩兵装備が”チ38式半自動歩兵銃”の陸軍サンと違って、海軍陸戦隊は短機関銃のヘビーユーザーだ。

 さっきからちらちら出てきてる”海兵28式短機関銃”ってのは、従来の28式短機関銃の木製ストックを独立したピストルグリップと折り畳み式のアルミ合金製ストレートストックに変更したものだ。照準器もより簡易的なL字サイトになっている。

 イメージ的には、史実では戦後に出てくるスターリング短機関銃の原型みたいな感じだ。

 こいつはいいぞ~。オリジナルより軽いうえにストック折りたたんでおけばコンパクトで携行しやすい。

 陸戦隊が短機関銃のヘビーユーザーになった原因の一つは、俺達は狭い上陸用舟艇や特4式内火艇(水陸両用兵員輸送車。LVTP7のご先祖様みたいなもんだ)、あるいは”スキ車”って水陸両用装甲トラックに乗らなくてはならんから、小銃より軽くて短い、射程はないけど取り敢えず弾幕張ったり面制圧できる短機関銃は重宝するってのがある。これまんま海兵28式の開発経緯でもあるんだな。

 

 もう一つは、英国の海軍や海兵隊が使用する”ランチェスター短機関銃”ってのが、海兵28式短機と同じくドイツ・ハーネル社のMP28短機関銃を原型とする短機関銃で、おかげでマガジンは共用できるんだわ。

 

 海兵隊、海軍陸戦隊ってのは揚陸戦の尖兵だ。揚陸戦の規模によっちゃあ日英共同戦線は普通にあり得るから、その配慮って奴だな。

 実際、歩兵装備から戦車に至るまで、海軍陸戦隊は英国軍と繋がる装備が陸軍よりも多いんだよ。

 

 

 

 話を戻すと、その複数分隊を統括するのが小隊長である俺だが、俺には小隊長付先任下士官ってのが就く。言ってしまえば、小隊の参謀役、それがいつも話してる軍曹だ。

 ちなみに分隊であれ小隊であれ、隊長ってのはある程度の装備の自由裁量権がある。

 隊長ってのは本当なら直接戦闘ではなく、部隊を指揮するのが仕事だから普通は短機関銃程度の自衛用の軽武装、拳銃しか持たないってのも珍しくない。

 だけど俺の場合、自分から鉄火場に飛び込んで最前線指揮ってのが当り前だから、軽い銃ってのはどうにも頼りなくていかん。

 どうせ筋力も体力も余ってんだから、ブレン軽機を愛銃にしてるって訳だ。

 実は二式擲弾銃も手榴弾の代わりに携行装備に加えようと思ってる。

 世界一有名なサイボーグ映画の2作目とか、”黒いサンゴ礁”とか好きなんだよ。

 どうでも良いが、俺は後ろ腰に背向かいで2丁指している。張の旦那いいよな~。あれは出来る男のダンディズムを感じる。

 

 

 

「なあ軍曹、今度こそ厳しい戦い、いや”まともな戦い”になると思うか?」

 

 リビアでは何というか……不完全燃焼だったからな。

 

「どうでしょうねぇ。場所が変わったとはいえ、相手は同じイタ公だ。むしろ、イタ公とバチバチやってる共産パルチザンの方が、骨があるかもしれませんぜ?」

 

「……軍曹は、ELAS(ギリシャ人民解放軍)やKKE(ギリシャ共産党)と戦闘になると?」

 

「俺達はギリシャの王様に味方する軍隊で、共産主義者がイタ公と一緒に王様も駆逐するって息巻いてんなら、戦うのは必定。それが戦争ってもんでしょう?」

 

「まあ、それもそうだな」

 

 軍曹のこういうリアリストな部分は酷く好感が持てる。

 

「精々、歯ごたえがある相手が居ることを期待しよう」

 

 舐めプをする気は無いが、退屈なのも正直、勘弁だな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ギリシャ奪還作戦……日本皇国主体の作戦であるため、作戦名は日本語で”暁の女神作戦(英語表記:Operation EOS)”とされた。

 ギリシャ神話に因んだ名前にしよう、それもできれば女神の名にしようという路線は早くに決まったが、”アテナ”は露骨すぎるし、”勝利の女神(=ニケ)”の名を冠するのもやはり露骨だという意見……何とも日本人らしい意見が続出した。

 その時、ある軍の高官が、

 

「ふむ……イタリアの支配という”闇の時代”を抜けて、本国解放という”暁の時”を迎える……確か”イオス”という暁の女神が居なかったか?」

 

 それは良いと賛成の声多数。一部、「あれ? そんな名前のカメラなかったっけ?」と呟いたのは転生者で間違いないだろう。

 その作戦計画をクレタ島のイラクリオンに遷都を宣言し、日本皇国軍に守られながら今も踏ん張るギリシャ国王”グレゴリウスⅡ世”に奏上したところ満面の笑みでそれを了承したという。

 

 

 

 王の了承を得た段階で、ついに下準備を重ねていた所に最終調整へと入った。

 当初、戦艦6隻と空母6隻、そしてあきつ丸型強襲揚陸艦4隻を中核とする日本皇国海軍が、現状で機動的に運用できる戦力のほとんどを投入するという大規模な物だったが、ギリシャで展開しているイタリア軍の規模と、ギリシャ地元共産パルチザンとの戦闘での疲弊具合から、揚陸部隊はともかく海上兵力が些か過剰と見積もられた。

 

 実際、揚陸作戦を妨害できるようなイタリア海上兵力は残ってないのだ。

 タラント港強襲作戦で、大半がスクラップになったが残存イタリア艦艇はナポリまで引いてしまって久しい。

 メッシーナ海峡は膨大な機雷で封鎖され、もし皇国艦隊をエーゲ海で迎え撃とうとするなら、シチリア島を大きく回って出撃するしかない。

 しかし、そうなれば確実にマルタ島の哨戒網に引っかかるし、そうなればアレクサンドリアからマルタに分派されている英国機動部隊が「ボーナスステージ!」とばかりに嬉々として殴りかかるだろう。

 いや、それはおそらく日本の陸攻隊も同じだ。

 護衛機のいない艦隊など、両者にとって良いカモでしかないのだから。

 

 そして、比較的被害が少ないと思われる潜水艦も、船首(バウ)艦底(ハル)にアクティブ・パッシブソナーを備え、対潜兵装ガン積みの”島風型”対潜(・・)駆逐艦やKMX(MAD)搭載の二式大艇に追い回され、日々、同族を減らしていた。

 

 逆にイタリアのバルカン半島に対する海路は、地中海・エーゲ海・イオニア海は言うまでもなく東岸のお膝元、アドリア海にまで日本潜水艦は進出し、通商破壊作戦で好き放題やっているので、駐ギリシャイタリア軍は補給も満足に受け入れられていないようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 こんな状況下では、投入戦力はオーバーキルも良いところで非効率。

 しかし、ただ投入戦力削減では芸がない。

 そこで考えられたのは”欺瞞工作(・・・・)”。

 

 大戦劈頭から地中海で奮闘してきた長門や陸奥、翔鶴に瑞鶴がオーバーホールの時期を迎えたこともあり、本国への回航をスケジュールに組み込み、新たに皇国本土から分派されてきた加賀型戦艦×2、翔鶴型空母の3・4番艦、あきつ丸型強襲揚陸艦の追加2隻は、増援ではなく「あくまで交代要員(・・・・)」として表向きは扱うという事になった。

 

 まあ、”誤認してくれれば(引っ掛かってくれれば)儲けもの”程度の欺瞞工作だったが……

 

 楽団に”軍艦”行進曲で送り出され、本国に戻る日本艦隊の記事を見たイタリア軍は涙を流したという。

 何しろタラント港で、リビアで、クレタ島で、地中海全域で散々痛めつけられたのだ。

 長門を頂点とする艦隊は、まさに恐怖と怨嗟の対象だった。

 

 そして……

 日本本土からやって来る2隻の戦艦は長門より強力であり、2隻の空母は地中海を去る空母の”妹たち”で、より凶悪スペックな艦上機を搭載している事には目を向けなかったようだ。

 というか、目を反らしたのかもしれない。

 

 他にも、「英国生まれの金剛デース!」なノリで英国で建造された”長女”の流れをくむ金剛型2隻は、アレクサンドリアやジブラルタルでもフルメンテでもオーバーホールでも可能だったので本国に戻る必要がなく地中海に残っていること、また強襲揚陸艦が倍加していることなどは、都合よく忘れ去られていた。

 

 言い方を変えよう。

 後詰めの陸軍やクレタ島からの空軍機の支援はともかく、日本皇国は海上兵力に関してはギリシャ王国奪還を戦艦×4、正規空母×4、揚陸艦×4で可能だと判断していたのだ。

 

 ”いや、それでも十分にオーバーキルじゃね?”

 

 とか言ってはいけない。

 加賀や土佐だって、実戦経験や戦訓を積みたいのだ。

 この世界線における零式艦上戦闘機の最終進化型であり、完成形でもある”零戦三三(・・)型”だって艦上戦闘機としての活躍の場を欲してるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今生では海軍陸戦隊所属になってる「戦後の職業が分かる人外枠」の舩坂弘之中尉(出世してた)再登場ですね~。
あと無駄にハイスペックな謎キャラの”軍曹”w
この人の場合、ガチの階級なのか、それともあだ名なのかすらも謎という。

という訳で、いよいよ本格始動の「ギリシャ奪還作戦」。
おそらく1942年で日本皇国最大の規模の作戦になりそうです。

その為に準備段階から気合入ってますよ~。
エーゲ海の大洋で”日干し”になりかかってるギリシャのイタリア軍、コイツら相手にすんのかぁ~(愉悦

新章もどうかよろしくお願いします。



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第251話 この世界線で艦娘化すると名家のお嬢様と下町のアイドル娘になりそうな戦艦&駆逐艦2種の話

地中海のニュービーと既に実績出してるけど、あまり描写がなかった駆逐艦2種の解説回かな?

艦娘化するとないすばでぃなきょぬーお嬢と、元気娘と知性派のろりコンビ(笑)になりそうw








 

 

 

 今回は、ちょっと皇国海軍の軍艦(メカメカしい)話に付き合って欲しい。

 実は、この世界線におけるポスト・ユトランド時代の日本皇国戦艦は、史実と大差ない……とは言わないが、大体設計自体は史実と似たり寄ったりの英国戦艦と対比すると分かりやすいかもしれない。。

 

 

 

 加賀型戦艦(加賀、土佐)

 「排水量制限を設けず三連装砲塔、前甲板に2基、後甲板1基とまともな主砲配置にし、機関強化で30ノット近く出るようにした”史実の英国が作りたかったネルソン級”」というイメージ。

 この世界線では、実際にネルソン級(史実より小変更くらい。ただし、史実よりワシントン軍縮条約の排水量制限が緩かったために主砲配置は変わらないが、船体が延長しその分、強力な主機が搭載でき28ノット級の高速戦艦となり副次的効果として史実のそれより運動性が改善されている)を参照に20年代中期に設計、20年代末期に就役している。

 

 ・ネルソン級を参照した技術:傾斜装甲の概念を取り入れたヴァイタルパート、高強度D鋼の採用、重要区画は徹底的に守る反面、損傷しても致命傷にならないような部位には最小限の装甲処理とする”構造的軽量化”

 ・加賀のその他の特徴:非ヴァイタルパート部位の分散防御構造、シフト配置機関、最新のマリナー型舵、バルバスバウなど

 砲自体は長門型のそれと共通だが、三連砲塔の設計はネルソン級を参考にしている事が良くわかるほど共通点が多い。また、上記から分かるように将来型戦艦(後の大和型)に盛り込む新機軸の技術実証艦という側面もあった。

 例えば、主砲の従来の連装から三連装への変更はヴァイタルパート部分の短縮を試みた結果だという。

 建造当初のスペックは、

 

  全長:265m

  基準排水量:39,980t

  主砲:16in45口径長砲・三連装3基9門

  副砲:なし

  高角砲:十年式12㎝45口径長砲・連装8基16門

  機関出力:110,000㎰

  最高速力:28ノット

  

 また、開戦に前後して大規模な近代化改修を受けており以下のような仕様変更となった。

 ・主砲の16in砲を45口径長から天城型と同じ50口径長の長16in砲に換装(射程40㎞)。

 ・高角砲を射撃統制装置付きの九八式長10㎝高角砲に変更

 ・対空・対水上レーダーの搭載

 ・光学照準器・レーダー連動型パラメトロン弾道計算機の搭載

 ・機関を新型の高圧缶型蒸気タービン(150,000ps)に変更

 ・対空機関砲の変更(戊式40㎜機関砲:四連装12基、連装16基など)

 ・船内消火設備の増強

 ・一部、装甲部位の強化

 

 基準排水量は43,000t近くまで上がったが、機関強化の恩恵もあり、最高速力は逆に31ノットに上昇していた。

 大和型戦艦の”大和”が就役するまで”加賀”が皇国海軍艦隊総旗艦を務めていたが、”大和”就役に伴いお役御免となり、この度晴れて激戦地の地中海へ派遣される事になった。

 アイルランド問題(北部アイルランドの売却と米軍の基地化)により、ドイツとの停戦が成ったが英国近海の緊張は継続(むしろ増大か?)しているため、英国本国から離れられない天城型巡洋戦艦2隻の乗組員からは羨ましがられているらしい。

 

 ちなみにその天城型は、イメ-ジ的には”16in砲に換装し、それに相応しい防御にした史実の最後の英戦艦『ヴァンガード』”という感じだ。

 但し、高角砲や対空機関砲の副武装の種類数、機関は近代化改修後の加賀型と同じ、というか長砲身の主砲や高圧缶など、むしろ天城級を参照した近代化改修プランを受けたのが加賀型戦艦だったと言うべきか?

 実際、天城型は海軍軍縮条約失効後の1935年以降に設計された、大和型が登場するまでは皇国海軍最新の戦艦だった。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、同時に無視してはならない存在が、駆逐艦だろう。

 実は開戦後、本格的な大量生産に踏み切られた駆逐艦は、日本皇国海軍では大きく分けて三種類しか存在しない。

 基本的には、

 

 ・松型戦時量産汎用駆逐艦

 ・島風型対潜駆逐艦

 ・秋月型防空駆逐艦

 

 戦時中、他の駆逐艦型が出てきたとしても、上記三種いずれかのバリエーションでしかない。

 実はこの三種、技術的バックボーンには共通項がある。

 

 ・高圧缶をシフト配置する事によりコンパクト高出力と被弾による機関ダメージの分散を両立させている

 ・ブロック工法、電気溶接を大々的に取り入れることにより、量産性を引き上げている

 ・レーダーやソナーなどの対空・対水上・対水中探知機材の標準搭載を前提とされた設計

 ・省力化の一環としてパラメトロン型火器管制装置が導入されている(ダメコン要員などが減らせないため)

 ・自動消火装置の導入や中空装甲の概念など、間接的防御力・生存性の強化(紙装甲なのは変わらないが)

 ・居住性は、英国駆逐艦準拠(史実より大分マシ)で改善されており、長期航海に対応している

 ・ディープV型船底構造を採用、排水量の割には高い波浪耐性・航洋性を持つ

 

 などだ。

 実は、大和型戦艦や大鳳型装甲空母と並び、皇国海軍の中でも最も新しい設計の船なので、このような新機軸が積極的に導入されていた。

 松型は以前少し触れたので、今回は島風型を上げてゆきたい。

 

 

 

 島風型対潜(・・)駆逐艦

 全長:135m

 基準排水量:3,050t

 機関出力:75,000ps

 最高速力:40ノット

 武装

 ・九八式長10㎝高角砲 連装4基8門(レーダー統制高射装置×2)

 ・零式61㎝五連装酸素魚雷 2基

 ・戊式40㎜対空機関砲 連装4基

 ・戊式25㎜対空機関砲 単装8基

 ・24連装前方対潜爆雷投射器”ヘッジホッグ” 4基

 ・3連装対潜迫撃砲”スキッド” 4基

 ・九四式”単装型”対潜爆雷投射機 2基(実質的に史実の三式爆雷投射機。両舷装備)

 特記装備

 対空・対水上レーダー

 艦首(バウ)底部(ハル)にアクティブ・パッシブソナーを搭載

 戦闘指揮所(CICルーム)の設置とそこからの統制戦闘指示

 建造数:計画艦まで含めて50隻以上

 

 スペック的にはなんとなく面影はあるが、中身は別物。

 そもそも開発コンセプトが異なっていて史実が「仮想敵である米国艦の高速化に対応し、高い速力で優位な雷撃ポジショニングを行う」だったのに対し、今生の島風型は

 

 ”速力を生かして、敵潜水艦が雷撃ポジションを取る前に速やかに攻撃ポイントに到達し、ありったけの対潜火器で沈める”

 

 をコンセプトとした”潜水艦絶コロ艦”となっている。

 武装からしても、史実では主兵装だった魚雷が2/3まで減らされ、500t近く増大した排水量は対潜装備と対空装備にリソースが割かれている。

 ちなみに長10㎝高射砲は、半自動装填式で1門あたり毎分20発以上の安定した発射速度を誇り、また連装2基4門が1組でレーダー統制のパラメトロン型高射装置(火器管制装置)に連結される、初期の”半自動対空迎撃システム”を構築している。

 島風型はこれを2セット前甲板と後甲板に背負式で装備しており、同時に敵機2機に対応可能となっていた。

 余談ながら松型は1セット、驚くべきは秋月型で魚雷装備を廃することを代償に、これを3セット搭載し、駆逐艦の枠組みを越えた防空能力を持っているようだ。

 対潜特化のようだが、雷装・砲撃兵器を加味すると割とバランス型だったりする。

 以前なら”艦隊型駆逐艦”と呼ばれていたが、1942年4月1日付けで艦種名称の改定が行われ、

 

 ”機能分与を明確化する”

 

 を理由に、対潜装備が最も充実している島風型は”対潜駆逐艦”という新たなカテゴライズがなされた(混乱を避けるため、従来の雷装重視型の駆逐艦は、艦隊型駆逐艦という名称に留め置かれた)

 特筆すべきは、史実との真逆のその生産数で、随分と姉妹の多い駆逐艦シリーズとなった。

 

 次に紹介するのは、当然のように”秋月型防空駆逐艦”だ。

 

 

 

 秋月型防空(・・)駆逐艦

 全長:140m

 基準排水量:3,300t

 機関出力:75,000ps

 最高速力:37ノット

 武装

 ・九八式長10㎝高角砲 連装6基12門(レーダー統制高射装置×3)

 ・戊式40㎜対空機関砲 4連装4基、連装4基

 ・戊式25㎜対空機関砲 単装8基

 ・24連装前方対潜爆雷投射器”ヘッジホッグ” 2基

 ・3連装対潜迫撃砲”スキッド” 2基

 ・九四式”単装型”対潜爆雷投射機 2基(実質的に史実の三式爆雷投射機。両舷装備)

 特記装備

 対空・対水上レーダー

 艦首(バウ)底部(ハル)にアクティブ・パッシブソナーを搭載

 戦闘指揮所(CICルーム)の設置とそこからの統制戦闘指示

 

 主機は島風型と共有してるので、史実の計画艦”改秋月型”のそれだが、雷装を全廃してその代わり背負式で連装6基12門の長10㎝高角砲を搭載し、それを3基のレーダー統制高射装置に繋げる、つまりパラメトロン型の火器管制装置の半自動迎撃システム3基を搭載し、同時に3機の敵機まで対応可能という、防空駆逐艦というカテゴライズに名前負けしないスペックを誇る。

 あるいは「雷装を失くし、島風型の対空能力を倍加(連装砲1.5倍+対空機銃の大幅強化)させ対潜装備を半減させた駆逐艦」と考えて良い。

 雷装が無い為、対艦戦闘は高射砲を両用砲として使うほかないが、装甲の厚い重巡洋艦以上の船なら効果は薄くとも軽巡洋艦以下、特に同種の駆逐艦以下の船には長砲身高初速による直射照準での命中率と貫通力の高さ、対空砲である故の砲塔旋回速度の速さ=目標に対する追従性の良さ、高い発射速度による時間当たりの破壊力の大きさは凶悪過ぎる脅威だった。

 言ってしまえば、

 

 『高射砲で徹甲弾撃ち出せば重戦車の正面装甲貫けるんだから、紙装甲の軍艦相手でもいけんだろ』

 『戦艦をKOできるパンチ力はないけど、ジャブの連打で同じ位の相手なら瞬殺する』

 

 という感じだ。

 特に地中海で顕著だったのは、イタリア海軍名物のMAS魚雷艇との戦闘で、いくら魚雷艇が小さいとは言っても航空機よりは大きいし遅く、なおかつ相手は水面上を二次元運動しかしない。

 速度は43ノットでる魚雷艇の方が優速だが、攻撃範囲に入ってしまえば高射砲の射程と発射速度で速度差を埋める事ができ、命中さえしてしまえば榴弾一発で相手は木っ端微塵だ。

 航空燃料不足が響いてるのかもしれないが、エーゲ海やアドリア海、イオニア海近辺では実際に航空機より魚雷艇のような小型船舶と相対することが多かったようだ。

 

 

 

 

 本国では総旗艦を務めていたが地中海では新顔の加賀型戦艦と、既に地中海でマカロニ(イタリア)潜水艦や魚雷艇を沈めまくっている信頼のスタープレイヤーである島風型駆逐艦と秋月型防空駆逐艦……何もかも対照的だが、共に皇国海軍を代表する戦力であり、同時にイタリア軍にとっての”最悪であり災厄”であった。

 

 そして今、その膨大な火力がギリシャ王国に巣食うイタリア軍に向けられようとしていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、攻略準備回。というか登場人物(?)の解説回。

本国で旗艦やってたために長期の国外派遣ができなかった加賀と土佐も、大和型の就役が始まった為にお役御免で晴れて実戦の場、憧れの地中海へメイクデビューです♪

でも撃つ相手、ナポリにでも出張しない限りイタリア海軍にほとんど残っていないんだよな~。

まあ、陸上(おか)撃ちメインになるでしょうが、頑張ってもらいましょう。



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第252話 A-88とユーゴスラヴィア・クライシス ~総統閣下はマカロニ野郎に大変お怒りのようですよ?~

口は禍の元
因果応報

多分、そんな感じのエピソードです。









 

 

 

 さて、日本皇国軍によるギリシャ奪還作戦、”暁の女神作戦(オペレーション・イオス)”は、実にシンプルな物だった。

 基本となるのは”強襲揚陸作戦”で、上陸地点は首都アテネの南に隣接するグリファダ海岸(ビーチ)

 初手で首都を制圧してしまおうということだ。達成できるなら、その意義の大きさは説明するまでもないだろう。

 いきなり重防御であろう首都の目の前で敵前上陸はリスクが高すぎるという意見もあったが……度重なる航空偵察の結果、どういう訳かイタリア軍は強固な防御陣地を絶好の揚陸ポイントであるグリファダ海岸周辺に敷いている気配はなかった。

 

 皇国軍の結論としては、主力はアテネ市内周辺に配されており、「直ぐに迎撃できる」グリファダ海岸はあえて軽防御にしておき、陸地に誘引してから包囲殲滅する腹積もりだろうと。

 実に海洋国家らしい考え方だった。

 

「だから、上陸に際して事前の敵軍事施設への攻撃は徹底すべきなのです」

 

 そう解説するのは、今回の”暁の女神作戦”の参謀長を任された”井上成海(しげみ)”だった。

 

「それに関しては賛成だな」

 

 と返すのは、本当に久しぶりの登場の日本皇国海軍地中海方面艦隊総司令官”小沢又三郎”大将。

 今回の作戦における最高司令官でもある。

 ”オペレーション・イオス”において作戦の主力は、地中海艦隊と陸戦隊。

 アテネが臨海都市である以上、必然的にそうなる。

 

「空軍と協力して、周辺の事前砲爆撃を徹底することが肝要だ。そして常時、陸戦隊を支援砲撃/エアカバーできるような状態を維持しておくこと」

 

 そう答えるのは、50隻を数える作戦参加艦隊総提督の”山口多聞丸”である。

 名前がまんま楠木正成の幼名だった。

 

 今回の作戦、無論、クレタ島に展開する空軍は全面参加だし、内陸部への本格進攻は後詰めの陸軍が担当する。

 しかし、攻略する場所が場所である以上、先陣を切るのは海軍であり、上陸の最先鋒は海軍陸戦隊だ。

 

 ギリシャに展開するイタリア軍は、さほど大きな規模ではなくなっている。

 タラント港強襲作戦による艦隊の大ダメージ、ナポリへの残存艦隊の退避、メッシーナ海峡の機雷封鎖、イオニア海、アドリア海などでの航空機や潜水艦、魚雷艇などの小型船舶による通商破壊作戦と、駆逐艦を中核とした船団護衛部隊による輸送船を狙う潜水艦やMAS魚雷艇を狩るハンターキラー作戦……これら一連の作戦の積み重ねにより、イタリアの海上交通網は壊滅していた。

 

 そして、イタリアとギリシャの位置関係を地図で見てほしい。

 ギリシャのすぐ上にはイタリアの侵攻により傀儡となったアルバニアがあるが、そのすぐ上にはユーゴスラヴィアがあるのだ。

 そう、イタリアから陸路でギリシャに援軍を送るには、このユーゴスラヴィアを通るしかない。

 あのドイツが関わることを忌避し、「向こうから手を出してこないのならば不干渉。むしろ無視」と決めたユーゴスラヴィアを、だ。

 

 

 そして、イタリアは(いつものように)最悪の一手を打った。よせばいいのに”バルカン半島の平定”を掲げ、アルバニアとギリシャへの陸路の確保を目的に、ユーゴスラヴィアに軍事干渉をし始めたのだ。

 そして、ドイツが心底嫌がっていた”ユーゴスラヴィア産人型血戦(・・)兵器”、名前の通りチートな”チトー”をついに覚醒させてしまったのだ。

 

 

***

 

 

 

 言葉や表情に出すことなく、怒り狂ったのは他の誰でもないヒトラーだった。

 彼は信頼できる重鎮全てを呼び出し、とある条項の発令を宣言した。

 その発令書には、

 

 ”非常事態発令:A-88(アントン・アハトアハト)”

 

 と記してあった。

 内容はシンプルに語れば、イタリア側に一切通告することなく”イタリアの切り捨て・見限り”。

 今後、一切の干渉をすることもなく、現在の外交条項の凍結と破棄、外交チャンネルは名目上開いてはいるが、一切の新規交渉や条約締結を禁止するという物だった。

 ヒトラーは、即日でドイツと友好関係・同盟関係全ての国に、「どうしてそういう結論に至ったのか?」というイタリアの失策を書き連ね、自らの署名を入れて”イタリアに対する絶縁宣誓書”を送り付けた。

 リビア、ギリシャに続いてイタリアの独断専行は三度目。”仏の顔も三度まで”とは言うが、仏とは程遠いヒトラーなので「3ストライク、アウト!」というところだろう。

 まあ、釘は刺したはずなのに、案の定やりやがったと。

 

 

 

 ヒトラーが徹底していたのは、日英同盟やチトーをはじめとするユーゴスラヴィア関係各位にも同様の親書を送ったのだ。

 省かれたのは、この戦争に無関係な国家、どう利用するかわからない敵対中の米ソとその取り巻き、内部にどれほど赤色シンパが残っているかわからないベラルーシくらいだった。

 

 そして皮肉なことに、当事者であり本来なら敵対してもおかしくない、実質的にプチ内戦状態のユーゴスラヴィアの各勢力からも、これまでの言動から「ドイツは比較的約束を律儀に守る国(欧州基準)」だと思われており、ドイツがちょっかいかけてこないことを前提に、ユーゴスラヴィアを通り抜けようとするイタリアの補給部隊を嬉々として襲撃し始めたのだ。

 無論、本格的な戦争というより軍需物資の確保(略奪)目的で。

 これにキレたのがイタリアで、少しの軍事干渉で済ますつもりが、何を考えてるのか本格的な軍事侵攻をユーゴスラヴィアに始めてしまったのだ。

 あの、史実でも散々手を焼いた”バルカンの火薬庫に住む狂犬(ユーゴスラヴィア)”に。

 

 いわゆる”ユーゴスラヴィア・クライシス”の始まりである。

 

 だが、いつまでも改善しない状況にムッソリーニの娘婿、外交官としての能力がかつての来栖任三郎以上に疑問視される(つまり壊滅的な外交センス)のチャーノが政治交渉を試みるが、「ドイツに見放されたイタリア」など誰も相手にするはずもなく、では今度はドイツに支援を求めるも、同じく外相であるノイラートにはベルリンで面会することはできたが……

 

『総統閣下から伝言を預かってるよ。「モスクワをイタリア独力(・・)で陥落させたまえ。全ての話はそれからだ」だそうだ。チャーノ外相、総統閣下は君が総統閣下を称した数々の無礼な発言を全てご存知だ』

 

 そして形相を一変させ、

 

『吐いた唾は吞めぬぞ、無能なクソガキ。儂が言いたいのはそれだけだ』

 

 史実と異なりこの世界線のヒトラー、大分人望が厚いようである。

 

 他の外交チャンネル(リッベントロップとか)も当たったが、「只今、独ソ戦の最中につき多忙」という定型文のような返しばかりで、面会拒否され、失意のうちに帰国した。

 再度、めげずに再交渉しようと思ったら今度は、ドイツ自体に入国拒否された。

 チャーノはこの時になって、初めて自分の発言で誰をどれほど怒らせたか悟ることができた……が、全ては後の祭りだった。

 

 

 

 では、今度は他の国に……と頼ったが、チャーノは都合よく忘れていたが、国連から脱退した(実際には締め出された)イタリアをまともに相手してくれる国は、少なくともドイツに影響力がありそうな欧州には無かったのだ。

 敵対している日英や犬猿の仲であるフランスに頼れるわけもなく、また驚いたことにチャーノは米ソにすがる危険性を認識できる程度の知能は残していたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 この扱いにキレたムッソリーニが、

 

『イタリアが陥落すれば、ドイツも、お前が大事にしているレーヴェンスラウムも無事ではすまんぞ!!』

 

 という趣旨の直筆の書簡を大使館ルート(奇跡的に駐伊ドイツ大使館はその機能を維持していた)で送れば、

 

 ”貴国を陥落せしめる相手国とは既に停戦合意が成立して久しく、心配無用”

 

 と無慈悲な返答が電信(・・)で帰ってきた。

 ちなみに発信者はヒトラーではなく、ノイラートであった。

 

 更にブチギレたムッソリーニは、”ドイツに貸し出している”戦闘機などの技術者集団(いわゆるサンクトペテルブルグ組)の帰国命令を出したが、いっそ清々しいほどに無視された。

 当然だった。

 あの契約は、貸付ではなく”譲渡”だし、そもそも事の発端は”バルボ元帥暗殺事件”なのだ。バルボが率いてた”イタリアの翼共同体(アエタリア・マフィア)”の面々はイタリアに残ることに身の危険を感じ、家族もろともの移住で戻るはずもなかった。

 実際、日々食事の需要が高まり、物流の回復が鰻登りのサンクトペテルブルグで妻や子供がイタリア料理の大衆食堂(トラットリア)を出す例などもあり、生活基盤は既に出来上がっていた。

 

 つまり、ムッソリーニには自棄酒を煽る以外にできることなど無かったのだ。

 

 

 

 そう、海路をほぼ完全に塞がれ(非武装の民間船舶すら臨検受けるし)、空路の輸送は論外(海の上を飛べばレーダー哨戒網にキャッチされ、警告なしに即時撃墜)、陸路もユーゴスラヴィア・クライシスで半閉塞状態。

 そして、その燃料も武器弾薬も乏しく、食料すらも地元で徴発しなければならない状況で共産パルチザンと暗闘を繰り広げ消耗している……これが駐ギリシャ伊軍の実態だった。

 

 

 

 だが、更に無慈悲な現実を言おう。

 そんな状況を、日本皇国海軍は正確に把握していた。

 無論、ドイツ側からのそれは”大島特使からの信用における情報”だ。

 史実を揶揄しての皮肉ではない。

 ドイツは日本に握らせたい(さほど機密度や専門性の高くない)情報がある場合は、大島大使を通すのが慣例だった。

 情報はやるから精査はご自由にという奴だ。

 別にドイツからだけの情報だけで判断したわけでは無いが、過剰戦力と判断された長門級や2隻の空母を、作戦準備を「単純な船の入れ替え」に見せる欺瞞工作を兼ねてオーバーホールに本国へと戻した。

 大島大使、実は外交官時代の来栖任三郎より、よほど良い外交官の仕事をしている。

 

 そして、オオシマ・コネクションの情報が、いつも通り正しいと判明しても……日本皇国は、戦争に一切手を抜くつもりは無かったのだ。

 適正化された戦力で、一切の容赦も妥協もなくイタリア軍を叩く腹積もりだった。

 

 つまり、イタリア人は皇国軍の不手際(舐めプ)を期待できない……どうやら、ギリシャのイタリア人は人造の地獄体験ツアーが確定したようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、地中海、エーゲ海、アドリア海、イオニア海の海路と空路は皇国軍により強制閉鎖、バルカン半島の陸路は危険がいっぱいなイタリア軍でした。

よせばいいのに、ユーゴスラヴィアにちょっかいかけて、チートなチトー君を覚醒させたりするからw

という訳で、ついにドイツに完全に切り捨てられたイタリアでした。
そりゃあドイツ、というか転生者のヒトラーはチトーを警戒してましたからね。

覚醒するとひたすらに面倒臭い……だから、今生のドイツはユーゴスラヴィアに手を出さなかったんですが、史実とスペックが大差なく転生者でもないムッソリーニがその意図に気づくはずもなく……

ついでに暴言にお怒りなのは、ヒトラーだけではなかった模様w
もはや遠慮なくなったドイツは、ムッソリーニ&チャーノの義理の親子を入国禁止にしたみたいですよ?
そして、「ソ連との戦時下、多忙につき」という理由でヒトラーからイタリアへのリアクションは、今後は面会どころか書簡ですらありません。
ヒトラー、やると決めたら徹底するタイプみたいですよ?


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第253話 二つの三三型、ギリシャ上空にて

個人携行武器、軍艦に続いて今回は艦上機です。





 

 

 

 1942年9月17日、払暁

 

 

 確認されていたアテネ周辺に点在していたあらゆるイタリア軍施設は、炎に包まれた。

 大げさでも比喩でもない。

 夜明けとともに水平線の彼方から現れた、日本空軍の北アフリカ・地中海領域では馴染みになっている高速双発爆撃機”吞龍”と4隻の正規空母から飛び立った艦上爆撃機”彗星改”による大編隊の一斉爆撃を受けたのだ。

 

 先制攻撃であり、結果的に完全な奇襲攻撃となった。

 何しろ空襲警報のサイレンが鳴り響いたのは、最初の爆弾が投下され起爆した後だったのだから。

 

 地中海方面には、既に史実とは”完全に別物(・・)”である四発大型爆撃機である”深山”も配備されていたが、市街地に対する絨毯爆撃をするわけでもなく、基本的に軍事拠点に対するピンポイント爆撃がメインの任務で、しかもクレタ島とアテネは300㎞ほどしか離れておらず、それならば再出撃まで面倒と手間のかかる四発機よりも、艦上爆撃機と使い勝手の良い双発爆撃機で早いサイクルの爆撃ルーチンを繰り返した方が効果的と判断された結果だった。

 実際、それは使われる兵器にも表れていた。

 

 ある程度の防御が行われてるような施設には、500kgの半徹甲炸裂弾(徹甲榴弾との違いは、内部の炸薬量の比率が徹甲榴弾より高く、その分軽く装甲に対する貫通力は劣るが爆発力に勝る)が急降下爆撃で投下され、それは主に”彗星改”により行なわれていた。

 また、航空機の天敵である高射砲陣地などの面制圧には翼下に吊るされた鉄球をばら撒く対人/対軽装甲弾頭や成形炸薬弾頭の対装甲タイプのRP-3空対地ロケット弾が使用された。

 500kg爆弾を胴体()に、左右主翼下にはロケット弾を鈴なりに懸架し急降下爆撃ができる”彗星改”、正式名称”彗星三三型”は、中々にパワフルな機体らしい。

 

 対して一〇〇式重爆撃機”吞龍”の任務は、重砲陣地や飛行場など、あまり防御力は高くは無いが広い被害半径を要求されるような標的に対する比較的高高度からの制圧爆撃だった。

 投下されるのは、集束型の成形炸薬爆弾や”三号爆弾一型”焼夷弾など、500kgないし1tのいわゆるクラスター爆弾での攻撃だ。

 基本的に”浅く広い範囲の攻撃”が方針のようで、例えば、まだ開設されてから5年も経ってないグリファダ海岸のすぐ西にあるアテネの空の玄関口”エリニコン国際空港”は、(どうせ地上侵攻で押さえる予定なので)「作戦中、イタリア軍の航空機運用が出来無くなればよい」という方針の元、コンクリートをグズグズにする成形炸薬式のクラスター爆弾が全ての滑走路に散布されただけで済まされている。

 まあ、これは飛行場を前線航空基地として使う意図があり、不発弾処理や重機による滑走路の再整備などの後処理を考えての攻撃だろうが。

 

 通常爆弾があまり使われていないのは、ファースト・ストライクで攻撃するべき標的が最初からかなり絞られていたため、それに応じた特化型の武装が選択されたと考えて良い。

 限りあるペイロード、ご利用は効率的にという奴だ。

 

 

 

 イタリア軍はまだ満足なレーダーを持っていないとはいえ、爆撃が始まれば(まだ攻撃されていない基地からは)普通にスクランブルがかかり、迎撃機が大慌てで飛んでくる。

 

 燃料事情が厳しいせいか保守部品が入ってこないのか、あるいは両方かその数は寂しい物だったが、それに同情することなどなく、むしろ喜んで飛びかかっていくのが、”零式戦闘機三三型”。

 この世界線における零戦の有終の美を飾る最終型、零戦の最終進化形だ。

 

 

 

***

 

 

 

 零式艦上戦闘機三三型と彗星三三型(彗星改)、これはどちらもある共通項がある。

 ”金星60番台”、こちらも金星エンジンの最終モデルを主機として採用していることだ。

 これは、艦上攻撃機が今回の作戦に投入されていないことを含めて偶然ではない。

 

 基本にあるのは、”艦上機エンジン共用化計画”だ。

 基本的にこれは、可能な限り戦闘機や爆撃機のエンジンを共用化し、整備員の育成の手間や負担を減らし、どうしても空母という自立航行型航空基地の為に、スペースが容易に拡張できず港に居ない限り補給手段が限られる中、可能な限り保守部品の共用化を図るとともに収納スペースの効率化を図ろうという物だった。

 

 まず、今生における金星60番台のスペックシートを記しておこう。

 

 共通スペック

 ・空冷星形14気筒エンジン

 ・排気量:32.34l

 ・過給機;空冷中間冷却器(インタークーラー)付1段無段変速遠心圧縮過給機(スーパーチャージャー)(二速だがDB601と同じくフルカン継手で無段変速化した物)

 ・出力増強装置:中間冷却器用水-エタノール噴射装置(空冷インタークーラーに冷却液を噴霧し一時的に液冷化して冷却機能を高めるタイプ)

 ・燃料噴射装置:ポート噴射式多点定時燃料噴射(マルチポイント・インジェクション)

 ・制御統制装置:カセット式パラメトロン型燃料噴射統制装置(脱着可能な燃料噴射装置の制御ユニット。初歩的な電子制御燃料噴射装置)

 ・排気装置:推進式単排気管(ロケット式排気管)

 ・出力:(離陸、標準セッティング)1,580馬力

 ・水-エタノール噴射時:1,750馬力(高度2,000m、使用時間30分)

 

 最大の特徴は、キャブレターに代わり1気筒ごとに燃料噴射が行われるマルチポイント・インジェクションを採用し、その自動制御をファミコンのカセットのご先祖様のような脱着可能なパラメトロン使用の統制ユニットで行っていること(サイズ的には重箱サイズだが)

 言うなれば、初歩的な”電子制御燃料噴射装置(厳密には電気制御と呼ぶべきだが、ここは一般的な語句を使う)”を形成している。

 そして、これが肝なのだが……戦闘機や爆撃機などの、用途に応じて変える燃料噴射のセッティング変更(=出力特性の変更)を、このカセット式制御ユニットの交換で対応しているのだ。

 つまり、金星62番、64番というような末尾1桁の数字は、まんま制御ユニットの番数だったりする。

 つまり、60番エンジンに2番制御ユニットを組み合わせれば、”金星62型”の出来上がりという訳だ。

 おそらく、この設計思想から考えて、開発には深く転生者が関わっていると推察できる。

 何しろ、この発想は電子制御燃料噴射装置全盛時代のECUチューン(制御プログラムの書き換えによるセッティング変更)と根本的な発想が同じだからだ。

 史実を見る限り、噴射装置の機械的な調節でセッティング変更は行うことがあっても、燃料噴射装置の制御部分でセッティング変更を行うという発想は存在していない。

 

 また、それ以外の特徴として、おそらくはDB601の過給機を参考にして開発した思われる流体継手を採用した高度(気圧)に応じて1段と2段の間を無段階に過給圧調整できるスーパーチャージャーで、オリジナルより出力は大きな差はないが対応可能高度が幅広くなっているようだ。

 また、オリジナルには非搭載のアルム合金製のインタークーラーが採用されており、また独立ユニット化されいわゆる”ポン付け”できる水-エタノール噴射装置は、エンジン本体ではなくこのインタークーラーに噴霧し、一時的により効率的に過給気を冷やす液冷インタークーラーに疑似的に強制変更する装置で、エンジンに関する負荷は小さい。(その分、使用後はインタークーラーの交換が必要になるが)

 驚くべきことに作動させてしまえば、水-エタノール噴射量はサーモスタット連動で自動調整されるという。

 

 実は、後に登場する初期型の”誉”エンジンより燃料噴射装置や過給機など一部の技術は尖っている(・・・・・)傾向があり、30年代に登場した熟成の進んだ信頼性の高い頑丈なエンジン本体を最新技術でレトロフィットしたというのが、この60番台の金星エンジンの本質ではないだろうか?

 

 まあ、他にも日本皇国の工業水準の高さ故に加工精度が段違いだったり、スパークプラグや配電線などの電装品が英国準拠で史実とは比べ物にならぬ程品質向上しており、また不純物の少ない高エネルギー含有のハイオク燃料や、高品質な鉱物油系エンジンオイルが使えるなど、複合要因で信頼性の高いエンジンとなっている。

 実は、数字的には最高出力は大きく史実と向上しているわけではないが、この数字は”最低保証馬力”、つまり整備不良でもない限り規定内の環境であれば”これだけの出力を保証する”という数字なので、実戦における馬力差、特に高度ごとの馬力差はカタログデータ以上かもしれない。

 いずれにせよ、金星というエンジンの終幕を飾るに相応しい性能と耐久性、信頼性のバランスがとれた完成度の高いエンジンであった。

 これに組み合わされるプロペラが史実のハミルトン社の物より確実に高効率な英ダウティ・ロートル社のライセンス生産品である定速(可変ピッチ)プロペラと組み合わせるというのが、言わば皇国海軍の現在のスタンダードであった。

 

 

 

***

 

 

 

 極端な高性能ではないが、信頼性が高くどの高度でも安定した性能と出力を発生する強心臓(エンジン)の存在は、ゼロ戦に更なる進化を促した。

 

零式艦上戦闘機三三(・・)

エンジン:ハ112Ⅱ”金星62型”

出力:1,580馬力(通常離陸時)、1,750馬力(水-エタノール噴射装置使用時、高度2,000m)

最高速:595㎞/h(高度6,000m、戦闘重量)、620㎞/h(同高度同条件、水-エタノール噴射装置使用時)

武装:ホ103/12.7㎜機関銃×6(左右主翼に3丁ずつ)

航続距離:2,250㎞(増槽搭載時。全速30分含む)

ペイロード:胴体下に250kg(基本的に増槽用)+左右主翼下にそれぞれ60kg(RP-3ロケット弾搭載可能)

最大降下速度:850㎞/h

特殊装備:高出力エンジン搭載に備え各部が構造強化された機体、電波高度計、電波誘導装置、セルフシーリング・タンクやパイロット用防弾板など史実の一式戦闘機Ⅲ型に準ずる防弾装備、ファウラーフラップ付き層流翼、3ピース・バブルタイプキャノピー

 

 基本的に登場した三二型のエンジンを金星50番台から60番台に換装した物……というより、そもそも30シリーズのボディは金星60番台のエンジンを搭載するために製造されたボディであり、60番台のエンジン生産が間に合わなかったので50番台と組み合わせた三二型が急遽製造されたという経緯があり、この三三型こそが本来の、皇国海軍に望まれた”ラスト・ゼロ”であった。

 そして、主観的で申し訳ないのだが……三二型の時にも思ったが、60番台のエンジンの搭載に伴い、各部が細かい小変更を受けているせいか、全体の印象が、どうも余計に史実のいわゆる”金星零戦”っぽくない。

 空力処理などを見てると、どちらかと言えば史実では同じエンジンを搭載した”五式戦闘機”に近いシルエットのようだ。言い方を変えれば、”史実の五式戦を艦上戦闘機に仕立て直したような機体”と書くと妙にしっくりくるかもしれない。

 

 

 

 そして、彗星三三型、いわゆる”彗星改”だ。

 

彗星三三(・・)

エンジン:ハ112Ⅱ”金星64型”

出力:1,580馬力(通常離陸時)、1,750馬力(水-エタノール噴射装置使用時、高度2,000m)

最高速:575㎞/h(高度6,000m、爆弾500kg機内搭載時、水-エタノール噴射装置使用)

武装:ホ103/12.7㎜機関銃×2(主翼)+7.7㎜旋回機銃×1(後部座席)

航続距離:1,550㎞(正規。爆弾500kg機内搭載)

ペイロード:胴体内爆弾倉に最大500kg+左右主翼に合計250kg

最大降下速度:850㎞/h

乗員:2名

特殊装備:ジャイロコンピューティング式射爆照準器、機内爆弾倉、電波高度計、電波誘導装置(ビームライディング方式)、動力式主翼折り畳み装置、セルフシーリング・インテグラルタンク、重要区画に防弾鋼板

 

 実は、この機体「逼迫した戦況」から生まれた史実の三三型より開発経緯がややこしい。

 そもそも彗星の開発の発端は、”英国支援計画”の一環として生まれた「マーリンエンジン搭載の艦上急降下爆撃機」であった。

 しかし、当時主力艦上爆撃機だった九九式艦上爆撃機の早期陳腐化は避けられないとして、次期艦上爆撃機計画と、同時に先にあげた”艦上機エンジン共用化計画”が組み合わさった生まれたのが、この”彗星改”という訳だ。

 なので、開発は液冷エンジンの彗星ほとんど並行して行われ、そうであるが故にエンジン以外のコンポーネントはほぼ共用となっている。また、エンジン変更に伴う設計変更(史実の飛燕→五式戦と同じ)なので、それに伴う小改良が行われているようだ。。

 ちなみにではあるが……マーリンエンジン搭載の彗星はこの時点で英海軍の艦上爆撃機不足を理由に”コメット爆撃機”という名称で全て英国に売却されてしまっている。まあ、元々の開発理由を考えれば、ある意味、当然かもしれないが。

 

 

 

 ちなみに試製がとれ制式化された”二式艦上偵察機”は、その性質から生産数も空母搭載数も少ないので設計の小変更は行われたが、エンジン換装計画はなく(一説には速度性能の低下が嫌われたとされる)、また主戦場の欧州戦域においては敵対勢力(建前上はイタリアのみとなっている)の海上兵力は著しく減退しており、航空機による対艦戦闘より対地攻撃の機会の方が圧倒的に多くなるとされた為と彗星のペイロードで十分とされた為に、次期艦上攻撃機(史実の”天山”)の発注はキャンセルされた。

 

 上記の判断は、その先の艦上機が”誉”エンジン搭載の汎用戦闘機(実質的な戦闘攻撃機)、爆撃機と攻撃機を統合した汎用攻撃機、そして高性能偵察機の三種とすることが内定していた為の判断だったとされる。

 

 

 

***

 

 

 

 史実では戦況の逼迫からやむなく開発された金星零戦と彗星三三型だが、この世界では旧来の戦闘機の開発ツリー最終進化機として、あるいは勇名を馳せた先達の後継として史実より一足以上早く、1942年のギリシャ上空でその性能を遺憾なく発揮する事になった。

 それは、史実の大日本帝国と今生の日本皇国のあらゆる差を凝縮したような、ある種の象徴なのかもしれない。

 

 誤解の無いように言っておくが、日本皇国に戦場を一変させるレベルの”超兵器(チート)”は、少なくとも1942年には存在しない。

 ただただ、地味で地道な技術の積み重ねだけだ。例え、未来の技術を知る転生技術者であっても、無から有を生み出せないように真空管から一足飛びにICやLSIは開発できない。

 それらを作るには、国全体の技術力や工業力の底上げが必要だからだ。

 転生技術者が先導したとはいえ、結局は弛まない技術の積み重ねが革新を産むのは、史実も今生も変わらないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まずは先制攻撃。
イタリアがレーダーを実用化してないせいで、奇襲効果が発生しました。

そして、金星60番台のエンジンを搭載した二種類機体、戦場にメイクデビューです。

片やこの世界線における零戦の進化ツリー最終形にあたるなんだか五式戦っぽい金星零戦、片や史実と違って苦肉の策ではなく並行開発されていた空冷エンジンの彗星ですね~。
史実では共に大戦末期、追い詰められた状況で生産された機体ですが、今生ではかなり前倒しで登場です。

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第254話 状況開始!!の筈なんだけどなぁ……

いよいよ本格的(?)に戦闘が始まります。
本国から来たエース候補に、そして……




 

 

 

「なんなんだよぉ!? コイツらっ!!」

 

 駐ギリシャ・イタリア軍の戦闘機パイロット、マリオ・ヴィスコンテーニ少尉は愛機MC.202のコックピットで半泣きになっていた。

 

「ふ、振り切れねぇ!!」

 

 敵は、ミートボールのトマト煮みたいなマークを付けた敵の戦闘機は、性能があまりに隔絶していた。

 運動性、上昇速度と急降下速度、旋回性能、加速度、火力のいずれのパラメータもMC.202を上回っていたのだ。

 カタログスペック上は、MC202の方が僅かに上回っているはずだが……だが、これは計測方法の違いによるものだった。

 日本皇国の機体は、陸海空問わずに戦闘重量、増槽などの機外オプションは付けないが、機銃弾や燃料を機内に満載した「実戦を想定した”戦闘重量”」で計測する。

 対してイタリアは大多数の国がそうであるように、機銃弾を搭載せずに燃料も少なめの「テストコンディション」で速度を計測するのだ。

 どっちが良い悪いではないが、実戦の空では零戦三三型の方が優速だったのだ。

 

 だから、振り切れない。

 どんな機動をしようと、どんな高度だろうと。

 しかも……

 

「なんかパッとしない飛び方をする奴だな」

 

 そう零戦三三型のコックピットで呟くのは、翔鶴型空母3番艦に乗り、愛機と共に本国から地中海に着任したばかりの海軍中尉、”笹井純一”だった。

 

(初陣だってのに、こんなんで良いのかねー)

 

 そう呟きながら二機編隊(ロッテ)を組む僚機の位置を確認しつつ引き金を引き、左右主翼合計6丁のホ103で一連射。

 吐き出された12.7㎜のマ弾は吸い込まれるようにヴィスコンテーニ少尉操るMC.202に命中し、いともあっさりと空中で爆散させた。

 

 このマ弾、実は新型であり炸薬をより高性能な物に空気信管を僅かな遅延式とした「機体内部、特に燃料タンクに当たればタンク内部で爆発するように調整」された代物だった。

 セルフシーリングタンクなどの防爆タンク採用機ががちらほらと敵味方問わず出てきたが故の対抗処置である。

 無論、1発当たりの爆発力は手榴弾どころか焚火に投げ込んだ100円ライター程度だが、何十発も当たれば話は別だ。

 塵も積もれば山となり、見事に敵機の空中爆発を引き起こしたという顛末だった。。

 初の実戦参加、人生初撃墜だというのに笹井に興奮した様子も喜んだ様子もない。

 

「こんなもんか……」

 

 と機首を旋回させて、新たな獲物を探す笹井。

 

(前世のエース、笹井醇一(・・)が戦死した日の後に初の実戦参加とは……)

 

「これも因果か?」

 

『中尉、どうかいたしましたか?』

 

 僚機のベテランから入った通信に、

 

「なんでもないよ、上飛曹(上等飛行兵曹の略)。ただ、敵が少ないなと思ってね」

 

『それも敵さんの事情ですから仕方ありませんなぁ。獲物の奪い合いになっております。その中で1機食えて初陣飾れただけでも、中尉はツキがあると思いますが?』

 

「そういうもんか? まあいい。横取りは趣味じゃない。上飛曹、我々は燃料が持つ限り滞空、上空警戒といこう」

 

『了解。ところで中尉、敵機が爆散するまで撃ち込む必要はありません。墜ちれば良いのですから。当たり出してから2秒も引き金を引けば十分です』

 

『そういうものなのか?』

 

『そういう物です。搭載できる弾には限りがあるのですから、節約できるならするに越したことはありません』

 

 

 

 何とも戦闘中だというのに暢気な会話をしてる物だが、それも無理もない。

 アテネ上空は、いつの間にか日の丸を描いた機体だけになっていたのだから。

 あまりにあっさりした制空権の確保……現在ギリシャに配備されているイタリアン軍機の数、燃料不足と部品供給不良により”共食い整備”が始まっている現状を考えれば、笹井がエースと呼ばれる日は存外遠いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 初手の空爆と制空権の確保。

 未帰還機の数は、想定していたよりはるかに少なかった。

 これは事実上、空襲が奇襲となった事、アテネ上空に発進できたイタリア迎撃機の数が想定よりずっと少なかったこと、更には高射砲や対空機関砲の”稼働・発砲できた門数”が少なかったことが要因として挙げられる。

 武器弾薬、燃料、保守部品の不足は予想以上に深刻なようだ。

 

 

 

 空襲に成功した皇国軍は、戦艦4隻をアテネ沖合南25kmに配置し、上陸地点のグリファダ海岸に揚陸準備の一斉艦砲射撃を開始した。

 事前砲撃、揚陸に障害となる海岸部の敵隠蔽陣地や揚陸地点に砲撃可能な敵砲兵陣地予想地点を艦砲射撃で潰して回る”地ならし”のための砲撃を開始する。

 二式艦上偵察機などの空襲と同時に行われた直前偵察で、かなり広範囲に探ったのにどういう訳か敵陣地は発見できなかったが、短時間の航空偵察では発見できないほど巧妙に隠蔽されている可能性もあったために、グリファダ海岸を射程に収められ、地形的に砲兵陣地が構築できそうな”臭い場所”に取り敢えず砲撃を叩きこむ。

 別に全てを破壊しなくても良いのだ。

 陸戦隊が揚陸し、橋頭堡を確保するまでの間、頭を上げられないようにする……砲撃の妨害さえできれば良い。

 敵味方が混淆し合うような間合いになれば、彼我共に味方を巻き込むような支援砲撃はできないのだから。

 

 

 

 そして艦砲射撃の弾幕の下、煙幕を張りつつ先陣を切るのは、あきつ丸型強襲揚陸艦から真っ先に飛び出た皇国海軍陸戦隊自慢の水陸両用戦闘車両、特式内火艇シリーズだ。

 九八式装甲軽戦闘車準拠の性能を持ちある程度の対装甲戦闘能力を持つ特2式内火艇、九七式軽戦車と同じコンポーネントで、一部を除くイタリア戦車との対戦車戦が可能な特3式内火艇、そして陸を走れる揚陸艇こと特4式内火艇……

 最もハイリスク故に装甲を持つ彼ら水陸両用戦闘車両群に続き、水陸両用の装甲トラックであるスキ車が後に続く。

 

 煙幕に銃弾を防ぐ力はないが、それでも敵の照準を妨げる。

 特に海岸線からの直射照準には有効なのだが……これまたどういう訳か、機銃弾の1発も飛んでこない。

 誰にも妨害されないまま第1陣の揚陸が粛々と行われる中、

 

「なんでまたしても永久陣地の一つも無ェんじゃあぁーーーーーーっ!!?」

 

 砂浜に降り立った舩坂弘之は、見事に”フラグ”の回収に成功したのだった。

 リビアに続く、二度目の空振りである。

 イタリア軍は緒戦にて日本艦隊に艦砲に無駄弾を撃たせ、船坂を絶叫させるという戦果を挙げたのだった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そして弘之ちゃん、張り切っていたのに再度の空振りw

いやぁ、強襲揚陸の筈がまたしても奇襲上陸なんて神に愛されている事で(スットボケー

まあ、なぜこうなってしまったかはいずれ後の話にて。
先に言っておきます……強襲→奇襲どころでなくこの章、こうなんかホント色々な物がコロコロ変わります。
ついてきてくださると嬉しいなぁ~。


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第255話 強襲→奇襲へ強制変更された理由と真相 ~見解の相違とか、解釈違いとかそういう感じの~

せっかくの週末、日付的には本日二度目のサービス(?)投稿です。

まあ、前話の対になる話というか、その舞台裏というか……

「どうしてこうなったっ!?」

の解答編みたいな感じでw








 

 

 

 ああ、舩坂弘之だ。

 グリファダ海岸の海岸線、砂浜に地雷原が敷設されてないのはまあわかる。

 やわらかい砂地に地雷を埋設したところで踏んでも沈むだけで不発の可能性が高いし、また波打ち際に埋設すれば波を被り浸水して地雷その物がぶっ壊れる可能性がある。

 

 だが……

 

「なんもねぇ……永久陣地も機関銃座も、それどころか張り巡らされた有刺鉄線さえも……」

 

 なんか昨日まで海水浴客が来てましたって雰囲気の平和なビーチなんだが?

 というか肩透かし食らうの、リビアに続いて二度目なんだがっ!?

 

「小隊長、目が死んでおりますよ?」

 

 軍曹、そりゃ死ぬさ。

 気合入れて、特4式に乗り込んだのにこれじゃあ拍子抜けもいいとこだ。

 言っておくが、艦砲射撃で根こそぎ吹き飛ばされたとかじゃないぞ?

 それだったら、残骸だの死体だの肉片だのが転がってるはずだ。

 だが、そんなものは何もない。

 目に入る人工物といやぁ、ひしゃげた看板とかだ。

 軍の匂いがするモンがなにもねえ。

 

「取り敢えず、海岸線の道路を確保しちまいましょうや。敵が一番進撃しやすいのはそこだ」

 

「そうだな……」

 

 まあ、今は細かいことを考えるのは止そう。

 後から後から大発だの小発だのと揚陸艇がやってきて、戦車やら兵員やらを降ろすんだし。

 

「今は自分に与えられた仕事を全うするか」

 

「それが一番かと。精神衛生的にも」

 

 あーあ、こうなってくるとエリニコン国際空港とか制圧しにいくチームとかマジに羨ましいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、ではこちらも別のフラグ……いや、ネタ晴らしをしてしまおう。

 実は、こんな強襲→奇襲に結果になってしまったのは、まっとう(?)な理由がある。

 端的に言えば、”日伊軍部の見解の相違(・・・・・)、あるいは解釈違い(・・・・)”についてだ。

 

 皇国海軍に言わせれば、グリファダ海岸は”絶好の揚陸地点”だった。

 奪還最優先目標であるギリシャ首都アテネのすぐ南にあるに隣接している海岸で、拠点としているクレタ島から北へ300㎞ほどしか離れておらず、空軍の航空支援も十全に受けられる。

 加えて砂浜には旅団規模を運搬できる十分な広さがあり、エーゲ海の内湾(サロニカ湾)なので揚陸艇の天敵である波も穏やか。

 まさに”理想的な上陸ポイント”であり、だからこそイタリア軍は厳重な守りを固めてると考えていた。

 

 だが、イタリア軍の見解は違った。

 

 ”慎重な日本人が、イタリア軍(じぶんたち)でもしないような『こんなハイリスクな場所』へ上陸する投機的、冒険的行動をするわけはない”

 

 という認識、あるいは思い込みによる先入観があった。

 まあ、リビアといいいギリシャといい、イタリア軍の作戦は投機的というか、ギャンブル的というか、補給とか考えなしの行き当たりばったりな感じはするが……

 とにかく如何に地元共産パルチザンに戦力を割かれているとはいえ、首都アテネとその周辺には遣ギリシャ兵力の40%にあたる10万人近い規模の軍勢が展開しているのだ。

 そんな虎口に飛び込むのは愚か者の判断…… だからこそ、リスクを回避する意味も含めてもっとクレタ島に近いエキナ島や対岸のペロポネソス半島のいずこかへ上陸すると考えていた。

 確かに皇国陸軍(・・)は守りに固く、攻めさせるだけ攻めさせて相手が疲弊したところでカウンターで仕留める印象はあるが……どうやら、イタリア軍はそれが軍種を問わず、皇国軍全体(・・)にそれが適応されると考えたらしい。つまり、海洋国家における海軍の性質を、今一つ理解してなかったようだ。

 

 無理もないと言えば、無理もない。

 イタリア人にとり、タラントの敗北は「英国人が相手」だったせいであり、リビア敗北の戦況詳報など回ってきていない(・・・)

 つまり、ギリシャに展開しているイタリア軍の日本皇国軍に対する印象は、開戦前……第一次世界大戦終結時のそれと、大差なかったのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 無論、皇国海軍もアテネの配備兵力を知らなかったわけでは無い。

 いや、むしろ詳細を知った上で、最初から”根こそぎ叩き潰す”予定だったのだ。

 例えば、イタリア軍にまともな海上兵力が残っていたらハイリスクと考えたかもしれない。

 あるいは有力な航空兵力、重装備の機甲師団が居てもそうだ。

 

 だが、様々な方面の情報収集から、日本皇国はギリシャのイタリア軍が”枯渇状態”なのを知っていたのだ。

 ある作戦参謀系転生者によれば、

 

『うわぁ……仕掛けておいてなんだが、食料を現地調達できるだけ飢島(ガトー)(ガダルカナル島)よりはマシってレベルじゃん』

 

 以前も触れたが、陸海空の補給路は既に滅茶苦茶である。

 今回は特に海に話を絞って詳細を見てみよう。

 イタリア海軍は既にタラント港強襲により壊滅状態で残存の水上艦はメッシーナ海峡を機雷封鎖され、マルタ島の日英空海兵力にも睨まれ、そのために事実上はナポリに封じ込められた。

 好き放題、地中海とそれにつながる海で暴れる潜水艦をはじめ、日英海軍の通商破壊作戦で大きく同族を減らした民間船舶は、ムッソリーニが何を言おうが死地と化したギリシャ・アルバニア近海へは航行拒否状態。

 だって護衛艦隊出してくれないし。出したところで結果は一緒とか言ってはいけない。

 

 では水中艦、つまり潜水艦はどうかと言えば……前述の通り、まだ数が揃っていたころは、ドイツ人由来の”群狼作戦(複数の潜水艦で輸送船を狙う通商破壊作戦の戦術)”で日本の地中海海上交通網を狙うも、

 

『島風ちゃんは、とっても速い上に潜水艦に強いんだぞぉ~♪』

 

 と艦娘化したら言いだしそうな勢いで返り討ち。むしろ、輸送船を餌におびき出された潜水艦を狩るハンターキラー作戦を行う始末。

 もはやこれまでと寂しくなった潜水艦を今度はギリシャやアルバニアへの輸送任務に使おうとするも……

 

『だから、島風は速くて強いんだってば♪』

 

 とギリシャ周辺海域で網(対潜哨戒網)を張られ、持ち構えられていた。

 これには駆逐艦などの水上艦だけでなく、クレタ島を根城にするKMX(対潜磁気探知機)搭載の二式大艇や、そのバックアップとしていつの間にか実戦テストもかねて地中海に配備されてきた水上機母艦(作戦支援艦)の”秋津洲”なんて特殊艦まで動員され、ギリシャ近海の大捕り物に発展。

 ちなみにこの時代の潜水艦、国を問わず一部の例外を除き大半が”潜水可能艦”というべきスペックだったのを付記しておく。

 当然、イタリア潜水艦は一部の例外には入っていない。

 

 かくて、イタリア海軍潜水艦部隊は水上艦同様に壊滅したのだ。

 唯一、輸送を海上輸送を成功させたのは魚雷を全て外して荷物を満載し、輸送モーターボートに成り果てた魚雷艇だったという。

 まさにイタリア版”鼠輸送”である。あるいは”アドリア海急行”か? まあこれでも成功率は決して高くなかったが。

 運悪く哨戒行動中の日本皇国海軍艦、特に速度性能に大差ない島風型に見つかったり、高性能レーダーと高射砲(速射砲)と機関砲ガン積みで暴風雨のような弾幕張ってくる秋月型とエンカウントしたらまず助からない。

 航空機とエンカウントしても結果は同じ……まあ、確率論的というか運頼みの要素が強い、何というか密輸めいた状況だった。

 

 前に触れたように陸路はチトー覚醒により”山賊街道”と化し、元々イタリアは空輸能力は高くない(というかロジスティクス全体が弱い)が、制海権取られてそこに常時対空レーダーを備えた皇国海軍の艦艇が居る状況で空輸作戦をやろうものなら、増槽を付ければ航続距離2,000㎞以上がデフォの皇国海空軍戦闘機のカモにしかならない。

 そもそも、イタリア戦闘機の航続距離とイタリアの航空燃料事情を考えたら満足な護衛機をつけるのも難しいのが現状だ。

 

 無論、こんな状況は長続きするはずもなく、ましてやそんな細い補給線、微々たる補給量では合計25万人とされる駐ギリシャのイタリア軍を賄える訳はない。

 

 ・武器・弾薬・燃料は節約しても常に不足気味。全力出撃などあと1回出来れば良い方。

 ・食料? 現地から徴発(略奪)してますが、何か?

 

 

 

***

 

 

 

 以上のような悲惨というべきギリシャのイタリア軍の状況を、日本皇国は概ね把握していたのだ。

 海はどこぞの名作アニメ映画ではないが、”アドリア海の空賊”以上に荒らしまわったが、ギリシャ国民感情を逆なでしないために、これまではいつでも可能だった都市部も含むギリシャ本土への爆撃を自重してきた。

 まあ、これはイタリア軍の防空意識を高めないための仕込みでもあったのだが……だが、ついに時はきた。

 海式らしく言えば、”潮時”だ。

 

 あらゆるものが不足したギリシャのイタリア軍は25万の正規軍ではなく、ソフトな言い方をしても「25万人いる軽装部隊」だ。

 戦車や飛行機がいくらあっても燃料が無ければ動かないことを、日本人は(特に大日本帝国の末路を知る転生者)はよく知っていた。

 皮肉なことに日本皇国の「陸海空の大規模兵糧攻め」の効果でギリシャのイタリア軍は弱体化し、装備貧弱(ソ連があの状態なので、こちらも最近は補給がほとんどない)共産パルチザンにも押され気味で、あちこちに派遣軍の六割を分散配置しなければまともに治安維持すら出来なかった。

 つまり日々、非対称の消耗戦を強いられ、地味に戦力を目減りさせていたのだ。

 

 故にアテネ近郊に10万の兵力がいようと殲滅できると皇国海軍は判断したのだ。

 間違いなく果断だった。

 だが、まさかここまで日伊の見解の相違、あるいは解釈の不一致があるとは、軍首脳部どころか日本皇国国家上層部込みで流石に誰も考えていなかったようだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




戦争あるある話:”見解の相違でとんでもねー結果になる”
具体例:マジノ線

フランス:要塞のマジノ線で対独防御完璧!
ドイツ:迂回すればいいんじゃね?

結果:フランス陥落w

ちなみにこの世界線のジークフリート線、めっちゃフェイクっぽいんだよなぁw
それはともかく、そもそも日伊の考え方が大幅に違っていたのが今回の顛末の全て。

イタリア:「首都には10万も兵隊いるんやし、上陸するならもっと別の安全な場所にするやろ。ついでに共産パルチザンとかの相手もしてくれへんかなぁ」

日本:「あっ、首都のすぐ横に絶好の揚陸ポイントはっけーん! 当然、防御固めてるやろうけど、物資不足の10万の軽装歩兵なら何とかなるやろ」

とまあこんな感じでw


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第256話 殺伐として血腥く、そしてどこか牧歌的な情景

地上でも戦いの火蓋は切って落とされた。
切って落とされたんだけど……





 

 

 

「噓だろ、ヲイ……」

 

 グリファダ海岸沿いの街道、待つこと1時間半。

 既に橋頭堡は築き終わり、大発による戦車隊第1陣の上陸も終わり、戦車数両は街道を塞ぐべく俺達の陣取る街道わきの簡易陣地の近く、街道を望める小高い丘に車体をハルダウン(車体を稜線の下に隠すようなポジショニング)させながら居座っていた。

 

 砂浜から少し奥まった所に入った場所に、臨時前線司令部が現在、急ピッチで構築中だ。

 ちなみに、ついさっき何事が起きたのかと現地の明らかに民間人と思わしき老人が様子見に来たが、どうやら近い村の村長だったようだ。

 すると、前衛部隊司令官の陸戦隊大佐が応対。

 ギリシャ国王の紋章の入った勅書の写しを見せながら、

 

『自分達はクレタ島で抵抗を続けるギリシャ国王グレゴリウスⅡ世陛下の要請を受け、日希の親善と友好の盟約に従い、王の代行としてこの地を正当な統治者の手に戻すべく馳せ参じた』

 

 と綺麗なギリシャ語で説明したら、大隊長によればその老人はその場で大号泣して泣き崩れ、司令官ををめっちゃ困惑させたらしい。

 落ち着かせるために、紅茶と茶菓子を提供したら、今度は「イタリア人がどんな酷い奴ら」かを熱弁し始めたとのこと。

 そして、「村へ戻ったら周辺の村々に早馬を出してこの慶事(・・)を知らせる」と息まいていたらしい。

 大佐は「戦場は危ないので近づかないように。鉄砲持って押しかけるのなんて以ての外」とちゃんと釘差しはしたらしいが……

 

 それが功を奏したのか、確かにやってくるのは民兵や便衣兵ではなく、イタリアの識別章を付けた正規軍人ばかりなんだが、

 

(緊張感ねぇ~~~っ!!)

 

 何というか三々五々というか……とにかく、まともに統制取れてないような部隊が、バラバラに大慌てで街道を南下してくるって感じだ。

 ぶっちゃけシューティング系のヌルゲーやってる気分だ。

 先ずは酷いのは戦場。

 いや、確かにイタリアの区分じゃ中戦車かもしれんが、

 

(15tにも満たない、装甲厚が最大4㎝のリベット止め()戦車が、道路を直線で全力疾走したらアカンやろ!)

 

 お前のことだよ”M13/40”。

 皇国陸軍の区分じゃお前は軽戦車だ。ついでに最高速だってそう速い物じゃない。

 

 そして、我が軍の戦車は今年から配備が始まった”海兵九七式改”。

 九七式軽戦車をベースにしているが、主砲を砲塔ごと総取り替えし、主砲は英国由来の6ポンド砲(57㎜50口径長砲)。

 この世界線では、43口径長ではなく最初から50口径長で設計され、榴弾も用意されたんだが……こいつを少数生産だからできる、正面装甲厚75㎜のニセコ装甲板を傾斜させた全溶接砲塔に搭載している。

 この砲、性能的には一般的な徹甲榴弾(APCBC-HE)でも、2,000mの距離でM13の砲塔正面装甲貫けるからな? まあ、命中精度を上げたいのか1,500m程度まで接近させてから発砲してるみたいだけど。

 お陰でせっかく用意したロケランとかの対戦車兵器の出番なしだ。射程に入る前に、片っ端から戦車に喰われちまう。

 

 そして、結果は散々たる有様。

 街道上にはイタリア戦車の残骸が散らばり大渋滞。いや、あれも進軍を止めるバリケードにはなるのか? 

 あの程度の重量物なら、重機使えば直ぐに排除はできるが。

 どうやらギリシャには、陸戦隊の脅威になりうる最新のP40重戦車やセモベンテM41Mda90/53対戦車自走砲とかは配備されていないらしい。

 補給線が無茶苦茶だから、無理もないけどさ。

 

 後に続いていた非装甲っぽい兵員輸送トラックから、わらわらと歩兵たちが大慌てで飛び出してくる。

 タンクデサントさせない分、ソ連よりマシだが……

 

「一目散に逃げようとすんじゃねぇっ!!」

 

 俺たちが本来相対すんのは、こういう機動歩兵なんだが……どういう訳か、トラックから降りた途端に撤退しようとすんだよ。

 そして、その背中に短機関銃や拳銃以外の遠間合いの武器で一連射。バタバタと倒れる敵兵。

 まあ、無防備な背中晒してたら当然、こうなるわな。

 知らんのか? 撤退戦ってのは、一番被害が出るんだぜ?

 

 という訳で(どういう訳だ?)、残存イタリア軍はお決まりの地面に伏せて武器を放り出し、両手を頭に、先任は白旗を掲げる。

 いや、降伏早すぎんだろ。

 せめてちったぁ抵抗の意思示せ。心臓を捧げよ。

 この降伏兵の確保までがルーチンワーク。

 武器弾薬を節約できるのはありがたいが、これを何度も繰り返すと嫌気が出る。

 

 

 

 また、トラックに乗ったままアテネにUターンしようとする不心得者には、戦車砲の洗礼や更に後方に配された”海兵九七式88㎜自走砲”に搭載される同じく英国由来のQF25ポンド砲の曲射砲撃の見送りサービスが漏れなく付いてくる。

 

 仮にそれを逃げ切ったとしても、上空でロイタリングしている零戦三三型や彗星改が手薬煉引いて待ち構えてるんだけどな。

 一通りの制空任務や爆撃任務を終えた艦上機は、ローテーションを組んでエアカバーに勤しんでいるようだ。

 暇を持て余していないのは、大変に結構なこった。

 

 ついでに言えば、時折、見当違いの場所に砲弾が降っているようだが、沖合から轟音が響くとたちどころに静寂と沈黙が訪れる。

 司令部付きの前線砲撃統制官も中々に良い仕事をする。

 

「なあ軍曹、こういうのも牧歌的な風景というのかね?」

 

「こんな死臭漂う殺伐とした牧歌的風景なんざ御免ですがねぇ」

 

 いやでもさ、なんか仄々としてね?

 緊張感に欠けるとも言うが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 夜明けから始まった揚陸作戦、昼過ぎには大分やってくる敵兵たちも少なくなってきた。というか、ついに0になった。

 待てども待てどもやって来ない敵軍。

 おかしいな。アテネ周辺には、敵兵10万は居ると聞いていたんだが。某有名童謡じゃあるまいし、待ち惚けとか冗談じゃない。確かに広義な意味で野良仕事(野外活動)だが、こちとら業種は軍人で、仕事内容は戦争だ。

 鉄砲を撃つだけの簡単なお仕事、アットホームな雰囲気な職場で、世界中へ行けます、あるいは世界中で逝けますってか?

 まあとにかく、相手が来ないならこっちから行くしかない。

 異常に気付いて航空偵察はもう行われてるだろうが、詳細は近距離から肉眼で確認しないと分からない事も多い。

 

「中隊長、威力偵察も兼ねてアテネ市外に浸透しようかと思うのですが? 幸い、うちの小隊は非対称戦・不正規戦・市街戦の訓練を受けていますので」

 

 噓ではない。

 海軍陸戦隊は規模が大きくないのでまだ独立した部隊になってるわけではないが……小隊単位で選抜され、自衛隊風に言うならレンジャー訓練、対ゲリコマ用の訓練を受けさせられる。

 おそらく将来的には、史実の”ネイビーシールズ”みたいな海軍特殊部隊を編成する腹積もりなのかもしれない。

 幸いというか俺の小隊はその選抜組で、都市での非対称戦でも普通に対応はできる。

 

「良いだろう。車両も出せるように大隊長に掛け合おう」

 

 と上官殿。

 話が早くていつも助かってます。

 だから、そんな「ああ、コイツ言い出したら聞かん奴だったわ」的な諦観の目で見るのはやめてつかぁさい。

 俺の心にそれは効く。

 えっ? そんな繊細じゃないだろうって?

 正解。よくわかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、俺達はギリシャ首都アテネで地獄を見ることになる。

 いや、俺たちにとってのではなく、イタ公にとってのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この章、1話あたりの文字数やや少なめで、話数が多い感じです。

場面転換が多いのもそうですが、何というか……戦況? 状況? 他の言い方あるかもしれませんが、作戦目的は変わらないんですが、色々と二転三転する感じです。

まあ、日本人がやってる戦争だからって、全てがスケジュール通りに動くわけもなく……


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第257話 もしかしたら、”史上最低の作戦”かも?

二日連続で一日2話投稿です。
いや、明日は朝から忙しいので、前倒しみたいな物です。

まあそれに……この世界線の”ギリシャの実情=わりとガチに地獄絵図”を早めに明らかにしたかったので。






 

 

 

 贅沢なことに、アテナ市街を偵察する俺の小隊にあてがわれたのは海兵仕様の日本版ハーフトラック、”一式半装軌装甲兵車”だ。

 これに基本分隊単位で分乗し、これを守るのは従来型の海兵九七式戦車に、分厚い傾斜装甲の戦闘室に一式中戦車と同じ75㎜45口径長砲を半固定搭載した海兵九七式突撃砲がそれぞれ2両づつ。

 ぶっちゃけ装甲護衛が手厚すぎますな。

 

 

 

***

 

 

 

「あー、こりゃ道理でイタ公が海岸に来れなくなるわけだわ」

 

 郊外の小高い丘からアテネ市街の様子を一望し、妙に納得してしまう俺、舩坂弘之であった。

 

 ”アテネに着いたら内戦が始まっていた”

 

 ラノベのタイトルっぽいが、端的に言えばそういうことだ。

 アテネ市内は魔女の巨釜(カルデロン)状態、マカロニ共が盛大に茹であがっていた。

 

(何となく読めて来たな……)

 

 先に言っておくが、文化事業ならともかく、軍だけではなく日本皇国は道義として決して共産主義者と手を結んで戦争はしない。

 ”やんごとなき”御方を全否定する勢力と手を結べるはずもない。

 共産主義者ってのは、今の日本皇国では結党の自由すら許されていないのだ。

 むしろ、共産主義者というだけで公安の監視対象になる。

 「頭の中で何を考えるのも自由だが、現実世界で行動を起こしたらわかってるよな?」という扱いだ。

 

 ましてや共産パルチザンなどテロリスト扱いの便衣兵とかと協力関係を結ぶなど以ての外だ。

 もし、それを言いだす皇国軍人が居たとしたら不名誉除隊まっしぐらだろう。

 それが如何に状況的に有効的な手だとしても、取ってはいけない”禁じ手”という奴だな。

 

「どうやら、イタ公相手にドンパチやってるのは、ELAS(ギリシャ人民解放軍)っぽいですなぁ」

 

「それしかないだろうな」

 

 一応、共産パルチザンの最大手、ギリシャ共産党(KKE)の軍事部門って位置づけだし。

 

「オチは見えたな。大方、我が軍の攻撃に乗じた”漁夫の利”を狙ったんだろうさ」

 

 アテネ近郊の軍事施設が、日の丸付けた爆撃機に大規模襲撃されれば、何が起きてるか馬鹿でも分かる。

 大方、それを好機とみてアテナに潜んでいたELASのゲリコマが一斉蜂起したんだろう。

 名目は、

 

『日本人が王様を連れて戻る前に、首都を制圧してしまえ! そうすれば共産主義政権が先に樹立、建国宣言できる!』

 

 あたりかな?

 

「小隊長、どうするので?」

 

「どうするもこうするも……」

 

 双眼鏡の先では、ゲリコマにリンチにあったらしいイタリア兵が、”奇妙な果実”となって吊るされていた。

 いつか見た光景……って奴かな?

 前世の1945年のベルリンとかで。

 

「すぐに連絡入れて詳細を説明。判断を仰ぐしかねぇんだが……」

 

 こりゃ一介の小隊長でどうにかできるって問題じゃねーって。

 

「だが、こんな無法を……地獄を、上が放っておくってことはせんだろう」

 

 まあ、そのあたりは信用できるんだよ。

 わが祖国ってのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 大変不幸なことに……誰にとっての不幸かは明言しないが、舩坂の予想は的中していた。

 だが、間違っていたのはその規模だ。

 蜂起はアテネだけでなく、ギリシャ全域で起きていた事だろう。いわゆる”一斉蜂起”だ。

 そう、ギリシャは事実上、日本皇国が恐れた”内戦(・・)”状態となっていたのだ。

 

 しかし、日本皇国が直ちに把握できるのはアテネ周辺のみ。

 であるならば、”暁の女神作戦”海軍側総司令官の小沢又三郎は迷うことはなかった。

 

「直ちに海軍陸戦隊は陸軍・空軍の受け入れの為の港と空港の確保を最優先としつつ、それ以外の動かせる可能な限りの部隊をアテナ市内へと移動! 作戦目的を”治安出動(・・・・)”へと切り替える!!」

 

 既に状況は混沌としており、海軍と空軍だけでどうにかなる段階をとっくに過ぎていた。

 小沢は聡い。

 故に「ギリシャに展開するイタリア軍を実力をもって排除する」という単純明快な作戦目的が、「ギリシャ王国の治安回復」というよりシビアで達成難易度の高い状況へとシフトしたことに気づいていた。

 

 だからこそ、ピレウス港(アテネの主要港。欧州屈指の港)と、大型機に離発着が可能なエリニコン国際空港の確保と機能回復が最優先とされた。

 陸軍を運ぶ輸送船と空軍の運用する輸送機の受け入れを早急に効率的に行わなければならない。

 橋頭堡の確保というような作戦、あるいはアテナ市のようなピンポイントの制圧だけなら海軍陸戦隊でも抑えられるかもしれない。

 だが、ギリシャ全域に混乱と戦乱が拡大しているとなれば、それを収束できるのは巨大な陸上制圧力であり、それを支える補給線の構築は必須だった。

 

「海軍陸戦隊に通達! 治安出動における重要事項は、市民の安全の確保! よいか! 王国民の命を無駄に散らせてはならぬぞっ!!」

 

 この手の状況は、時間をかければかけるほど被害が広がり状況が加速度的に悪化することを小沢は知っていた。

 曖昧な優先順序も、中途半端な介入も悪化要因になることも。史実の”イラン革命”とかその好例だろう。

 だから、手が届く範囲にある鎮火できそうな火種は踏み潰せるうちに潰すべく迅速さを、明確さを重視した命令を飛ばす。

 

「間違えるな! 深追いは無用! 敵対勢力のこの場の殲滅よりもアテネ市内の治安回復を優先せよ!!」

 

 ……なおこの姿は、ばっちり海軍映像記録班に撮影されていたりする。

 

 

 

***

 

 

 

「ほいじゃあ軍曹、”地獄巡り(・・・・)”と洒落こもうか」

 

 上からのお墨付きは出た。

 後続も続々とアテナに集結している。

 ならば、躊躇する必要はない。

 

「差し詰め、気分はファウスト博士ですなあ」

 

「誰がメフィストフェレスだよ」

 

 相変わらず学があるのは結構だが、人を悪魔呼ばわりするのはやめれ。

 それにしても……

 

(強襲上陸のはずが、奇襲上陸になり、イタリア軍の駆逐によるアテナ制圧の筈が……)

 

「イタ公叩きだす筈が、最後は”治安出動”かよ」

 

 これ、下手しなくても降伏したイタ公も保護対象だぞ?

 日本皇国がハーグ陸戦条約とジュネーブ条約に調印してる以上は。

 

「こんなにコロコロ色々と作戦が変わるんじゃあ、後年の歴史家から”史上最低の作戦”とかってウチの上層部、叩かれるんじゃねぇか? 見通しが甘いとか」

 

「ありえますな。十分に」

 

 

 

 いや、叩かれるのはむしろイタ公かな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 一方、「アテネが血生臭い混沌化」の一報を受けた帝都東京、永田町では……

 

 

 

「42年でもう”ギリシャ内戦”かよ……いくら何でも前倒しすぎんだろ。はしゃぎ過ぎだバカ(アカ)どもめ」

 

 と日本皇国首相の近衛公麿はため息をつくと、

 

「広田サン(官房長官)、時間が空き次第、野村サン(野村外相)に俺のところに来るように伝えてくれ」

 

「どのような用件で?」

 

「トルコとの緊急交渉だ」

 

 近衛はそう端的に答えると、

 

「ギリシャがこうなっちまった以上、この先、どんな形であれ確実に”アルバニア”も絡んでくるだろうさ。クレタ島で保護してる”ゾグー国王”の後ろ盾は、トルコだろう? アルバニアの出方がわからん以上、打てる手は打っておくに限る」

 

 

 

 世界は再び、より面倒な混迷の方向へ舵を切り出していた。

 いや、むしろクラウチングスタートを切っていた……か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、補給が断たれ日本皇国の猛攻を受けた在ギリシャのイタリア軍は、挙句にご当地共産ゲリコマの一大襲撃を受けるという、まさに踏んだり蹴ったりの状況になりましたw

この先、”オペレーション・イオス”はとんでもなく面倒臭い方向へ流れて行きそうな……?
果たして、日本皇国はコロコロ変わる状況に対象できるのか?

どうでも良いけど、小沢又三郎司令が輝いてるなぁ~w

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第258話 外交消耗戦と幣原さん、国王陛下+黄金甲冑=英雄王?

時間が空いたので、思ったより早く投稿。
今回は、ちょっと閑話休題的な話です。
戦い前の政治的舞台背景……かな?






 

 

 

 さて、閑話休題。

 時は”オペレーション・イオス”の発動前まで遡る……

 

 

 

 ポーランド侵攻から3年、日本本格参戦から2年の月日が流れたこの時期、日本皇国外務省内ではまことしやかに

 

 ”外交消耗戦”

 

 と現状を呼び恐れていた。

 まあ、当然である。

 開戦以来、一体いくつの元植民地の独立支援を行っているのかという話だ。

 ・仏領インドシナのベトナム(王国に復帰予定)

 ・蘭領東インドの東半分(コーヒー農園などのODAにより経済基盤・住人の生活基盤の再編と自治、ゆくゆくは独立国化へ)

 ・リビア三国同盟の建国支援(外交官の武者小路がキレナイカ王国国王の政策アドバイザー扱い。”宰相”という陰口も……)

 ・シリアとレバノンの建国支援(おいたわしや石射特使)

 

 そして、派遣国にのめりこんで本国に帰ってこない面々……

 ・吉田欧州統括(外相の野村と並ぶ外務省二枚看板。チャーチルの(・・・・・・)右腕)

 ・大島特使(親善特使と囁かれるドイツのスポークスマン)

 

 こともあろうか外交官という枠組みを外れた、あるいは道を外しかけてる者……

 ・フォン・クルス(元来栖任三郎。現サンクトペテルブルグ総督、サンクトペテルブルグ正教枢機卿、他にもオプションが付く予定)

 ・杉浦多国籍戦争犯罪調査団長(実質的に外務省職員ではなくなっている。今やバックは国連)

 

 外交というのは他の仕事と同じように地味で地道な作業の積み重ね。大使(特使)というのは対象国に派遣されるトップであり、それを大使館で領事館で本国で支える無数の外交官が必要になる。

 これに加えドイツに占領され再独立を果たした国への外交チャンネルの再構築、トルコなどの元々の友好国への対応、米ソとその取り巻きなど実質的な敵性国家への対応、そして今や唯一残ったと言って良い明確な”敵国”枠であるイタリアと、そのイタリアにクレタ島を除く国土の大半を占領された友好国のギリシャへの対応……

 

 

 

 当初、人格者でもある栗林忠相大将が(クレタ島に遷都=王家が疎開して直ぐにクレタ島防衛線があった為に)在ギリシャ武官としても兼任し、特使業務の一部を代行していたが……やはり相手は王族、またギリシャ奪還作戦に準備段階から業務リソースを裂かねばならず、本国へ”政治アドバイザーもできる専属の特使”の早急な派遣を要請してきた。

 

 当然、外務省はそれに応じるしかない。

 平時なら前任のギリシャ大使でも良いが、戦時ともなればそうもいかない。

 だが、問題はとにかくやたらと面倒ごとが付きやすい王族だ。しかもギリシャ本土奪還なんて厄介ごともオプションでくっつくのである。

 前任者では、能力も経験も資質も不足しており、戦争に対応できる人材ではなかった。(だからこそ、栗林が兼任していたのだが)

 だからこそ、人選に気を遣わねばならないのだが……上記のような理由で、既に外務省の外交リソースは限界点に近づいていた。

 本国詰めならまだしも、海外に出ずっぱりで王族に対する対応をわきまえてる人材など……それが居たのだ。但し、現役職員ではなかったが。

 

 

***

 

 

 昭和の御世の日本皇国では爵位など名誉称号程度に形骸化して久しい(貴族院も既に廃止されていた)が、家督として男爵の地位を持ち、第一次世界大戦後の20年代には外務大臣を経験し、同時に10年ほど前の時の内閣で総理大臣代行まで務めた傑物。

 今は高齢を理由に事実上、政界を引退していたが……

 

 その男の名は、”幣原(しではら) 喜十郎(きじゅろう)

 

 史実では、外務大臣時代の国際協調重視の「幣原外交」で知られた人物で、終戦直後の困難な時期の内閣総理大臣でもある。

 1942年9月で満70歳、老人と呼んでもおかしくない年齢だが、もはやなりふり構わず「立ってるものは親でも使え」方針の皇国外務省は、現役復帰の懇願をしたのだ。

 その熱心さ……というより、必死さに最初は「老体に出る幕はない」と断っていた幣原は、ついに心動かされることになる。

 もしかしたら、しつこさに折れただけでもしれないが。

 今生では愛妻家と知られる幣原は、老いてなお美しさと品の良さを失わない1周り年下の妻にそのことを相談すると……

 

「あら♪ 人生の最後にエーゲ海に長期旅行なんて素敵じゃありませんか」

 

 それが最後の一押しとなり、特使としてのギリシャ派遣を受け入れた。

 子は立派に成人し、自分は既に引退した身。憂いも引き継ぐべき仕事もないことも幸いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 とまあ、ここで終われば奇麗なのだが、毎度のことながらこの世界線、そうは問屋が降ろさらない。

 とある転生者、それも”かなり高位の人物”がこんな事を言いだしたのだ。あえて名も身分も出さないが……

 

「”偉大なる王の凱旋”を飾るのはどうすべきか……」

 

 散々、頭を悩ませた挙句、

 

「ギリシャと言えば、”黄道十二宮の黄金闘衣(ゴールド・クロス)”か?」

 

 いや、ホントどうしてそうなった?

 そしてこの御仁、無駄に金も地位もコネも行動力も揃っていた。

 いや、まさか本当にゴールド・クロスをリアルで作ったわけでは無いが、素材にこの時代の最先端軽量素材の一つである超々ジュラルミンを選択し、その極薄板材をパレードアーマー……実際に着用して動ける超軽量フルプレート・メイルを制作。

 そして表面は、金沢の金箔師たちの尽力で黄金に輝く事になった。無駄に新古のハイテクと職人芸の見事な融合だった。

 

 なんかどことなくデザインが、どこぞの”英雄王”っぽかったのはお約束。乖離剣エアを同時作成しなかったのは、最後の良心だと信じたい。

 使用用途(=プロパガンダ用の舞台装置)から考えれば、この選択肢もあながち間違ってないかもしれないが……これを献上品と持たされた幣原は、実に微妙な表情だったという。

 

 

 

***

 

 

 

『民の前に立つ王として戦場へ赴き、都へ凱旋を飾るならば、他のいかなる装飾や衣装よりも鎧こそが相応しいと考え、贈らせて頂きます』

 

 送り主(つまり、ギリシャ国王に物を贈れる身分という事になる)からの親書の読み上げと共に開帳された精緻な造りの”黄金に輝く甲冑”に、意外なことにギリシャ国王”グレゴリウスⅡ世”は目を輝かせて、

 

「おおっ! これぞ”英雄の為の戦装束”!! まさに我に相応しい!!」

 

 と大いに喜んだらしい。

 ついでにこの黄金甲冑に合わせるべく国章をあしらったマントが直ちに発注された。

 本人曰く、

 

「朕は、”国を背負う覚悟”を見せねばならぬのだ。この黄金甲冑に恥じぬだけの」

 

 とのことだ。

 いい話っぽいが、純粋に国籍・人種・民族・時代に関係なく漢なら死ぬまで健在的に、あるいは潜在的に持つ”中二スピリッツ”が著しく刺激されただけかもしれない。

 

 

 

 

 政治的準備は整った。

 だが、何やら現場は中々に大変なことになっているようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん。某転生者(身分高)は実にイイ空気吸ってそうだ。
そして、黄金甲冑着込んで気分↑↑のグレゴリウスⅡ世陛下もw

まあ、漢ならあの”原初の王”のコスすれば気分上がるか~。
もちろん、”バビロンの門”とかは亜オプションで付きませんw

そして、引退していたはずなのに急遽引っ張り出された外交の大御所、幣原お爺ちゃん……復帰最初の重大ミッションが、ギリシャ(クレタ島)赴任と一緒に黄金甲冑の献上とか何の罰ゲーム?


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第259話 共産パルチザンへの対応、その一例(ただし、模範解答に非ず)

日本皇国、赤色ゲリコマと本格的に激突?





 

 

 

「こ、降伏する! 助けてくれ! パルチザンに殺されるっ!!」

 

「はいはい。わかったから武器をここにおいて、さっさと後方の救護所に行け。この道をまっすぐいけば1㎞くらい先にあっから」

 

 と縋りつくような右手に小銃、左手に白いハンカチをもったイタリア兵に俺は告げる。

 

「わ、わかった! Grazie!! 日本の友人よ!」

 

 誰が友人だよ。誰が。

 それと嬉しそうに小銃を投げ捨てて、ハンカチを右手に走り出すんじゃないっての。

 あと拳銃と手榴弾放り出すのがやけに手馴れてる感じなのは、なんでだ?

 

「偽装降伏とかないんかーい」

 

 俺、舩坂弘之のボヤキが戦場に虚しく消える。

 現在、夕暮れまでには少しばかり時間がある。

 端的に言って、アテネ市内は混乱の坩堝だった。

 あちこちに火の手が上がり、散発的に聞こえる銃撃戦の音。

 両方とも武器弾薬が不足気味のせいか、皇国軍以外に過剰な火力の投入や爆発音は起きて無い様だ。

 まあ、そんな重火器が投入されたら、真っ先に潰されるだろうが。

 

 

 

「おい、日本人! どうしてイタリア人を逃がしたっ!?」

 

 そして、程なくお出ましなのはジモティーらしい武装民兵の皆さん。

 

「ELAS(ギリシャ人民解放軍)か?」

 

 とりあえず身分を確認しておく。

 

「そうだ! 我々は栄えあるギリシャ共産党(KKE)の軍事部門、ギリシャを導く革命闘士”ギリシャ人民解放軍”だ!!」

 

 はい、言質とったー。

 ねえ、知ってる?

 ギリシャ王国(・・)において、共産党は非合法なんだぜ?

 そして、そこの軍事部門と明言した以上、非合法軍事組織(テロリスト)の者ですって自己紹介したに等しいんだぜ?

 

「逃がしたんじゃなくて、降伏に応じて武装解除したから捕虜にしたんよ」

 

 俺は口語的というか、庶民的なギリシャ語で返す。

 あんまり勉強する時間無かったから、古語に近いポライトな言い回しとかよー解らんし。

 

「では、今すぐイタリア人を引き渡せ!!」

 

「できるわきゃねーだろ? ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約を知らんのか? 正規兵が降伏したら、捕虜として扱い保護義務が発生するんだ」

 

 どうせ知ってるわきゃないだろうから、説明しておく。

 いや、こういうのって後々響いてくんだぜ? 説明責任がどーのこーのって。

 

「日本人はイタリア人の味方をするのかっ!?」

 

「だから、そういう問題じゃないっつーの。俺達は、”ギリシャ国王陛下(・・・・)”の要請で、イタリア人から”ギリシャ王国(・・)”本土を奪還しに来たのは間違いない。間違いないが、これはそういう次元の問題じゃねぇんだよ」

 

 なんか面倒臭くなってきたな……だから、少し煽るとしようか。

 アカってのは総じて煽り耐性ないし。

 

「ましてや、捕虜が嬲り殺しにされるのわかりきってるのに、赤色テロリスト(・・・・・・・)風情に渡せるか。馬鹿が」

 

「貴様っ! 我らが偉大なる革命思想を愚弄するかっ!!」

 

 銃口を俺に向けようとするリーダー格。

 阿呆め。かかったな?

 

”タァーン!”

 

 ほれ。出番を今か今かと待っていた分隊狙撃手(マークスマン)の晴れ舞台。

 共産主義者の胸に空く穴と飛び散る鮮血、斃れ逝く体に啞然とする共産パルチザン諸君。

 

 いや、そこで啞然とすんなよ。

 こっちはブレン機関銃肩から下げた状態で、引き金に指もかけずに誘ってんのに。

 そういう隙だらけだと……

 

(遠慮なく狩らせてもらうぜ!)

 

 俺はスライディングするように体を倒れこませながら、ブレン機関銃を一連射。

 来てたのは10名足らずだったので、まずはそれで決着(ケリ)がついた。

 

 不意に戻る静寂だが、

 

「軍曹、よい絵は撮れたか?」

 

「ばっちりですよ」

 

 別に俺の小隊に限った話じゃないが、市内で”治安活動”に勤しむ部隊には、「証拠集めとアリバイ作りを兼ねた撮影班」を同行させている。

 まあ、十中八九、アカ共はシンパばかりのクソマスゴミを使って世界的に「日本人は市民を虐殺してる」ってネガキャンを世界規模でやるだろうから、その対抗策ってとこだな。まあ、アカの常套手段、いつもの手口、前世に例えるなら「上海南駅の赤ん坊」対策ってとこだな。

 どうやら我が国の上層部には、相応の数の転生者が混ざりこんでいるらしく、市街戦、ELASとの交戦が避けられないと判断されたから発布された”証拠集めの指示”はかなり徹底されている。

 まあ、それは良いんだが……

 

「軍曹、少し周辺の”掃除(スイープ)”がしたい。少し機関銃(ブレン)と小隊を任せていいか?」

 

 部隊を投げるなんざ無責任に聞こえるかもしれないが、

 

「今の時点で、あんま小隊を披露させたくないんだよ。おそらくこの戦いは、ちょっとは長引く」

 

 俺は死体になった共産パルチザンから、71連ドラムマガジン付きのPPSh-41(バラライカ)短機関銃を取り上げる。

 どうやらソ連本国がボロ負けする前、バルバロッサ作戦発動前に作られギリシャに流れた初期型らしく、割と作りが良い。

 片手に1丁ずつ持ってみると、どうやら重さ的にほとんど弾は使ってないらしいな。

 

「了解しました。ご存分に」

 

 出来る部下はありがたいね。

 

「ああ、あと予備の擲弾銃と弾帯をよこせ」

 

 と背中に擲弾銃を回し、弾帯を襷がけにする。

 

「小隊は治安活動を維持。逃げてくるイタ公は、武装解除と降伏を。ゲリコマは、銃口向けてくるなら躊躇も遠慮もなく”始末”しろ」

 

「Let's Pray (さあ、祈れ)」

 

 

 

***

 

 

 

 まさに弾丸の様な勢いで飛び出して行く背中を”軍曹”は見送った。

 

副隊長(・・・)、小隊長は何をしに……?」

 

 すると軍曹は、

 

「ああ、お前新入りだったな」

 

「ええ。この小隊での実戦参加は、今回が初めてです」

 

 すると軍曹はどう伝えるべきか少し考え、

 

「小隊長は、軽い武器より重い武器を好む。きっと筋力も体力も余ってるんだろうな。だから英国人から”ブレン機関銃の怪力男(ブレン・パワード)”だなんて呼ばれるんだが……」

 

 ニヤリと笑い、

 

「だが、あの人のおっかなさは”そこじゃない(・・・・・・)”。機関銃の火力に任せた戦い方よりも」

 

 銃声が響く。フルオートではなくセミオートでの連射音。

 

「”軽い武器での近接戦”の方が、よっぽどおっかないのさ」

 

 そしてどこか複雑な表情で、

 

「そして本来は、部隊率いるよりもワンマン・アーミーの方がずっと強い(・・・・・)んだよ。あの人はな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、捕虜になるため逃げてくるヘタリ……イタリア兵を保護しながら、共産パルチザンを倒して街の治安を回復するという面倒この上ないミッションに突入する日本皇国軍。

まあ、ギリシャのELASってアカお得意の王室ネガキャンとかは上手いけど、直接戦闘力はそこまで高くないというか、そこまで悪質でないのがまだ救いか?

それと、なんかソ連からの支援も滞ってる雰囲気が……
そして次回、いよいよ舩坂弘之の本領発揮?


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第260話 ”Red Fraction” ~舩坂弘之、リミッター解除~

今回のサブタイは、”ブラックラグーン”のOPより。
というか、このエピソードその物が同作戦闘シーンのオマージュになっております。なので、これまでとちょっと雰囲気が違うかもです。
というか、実際に”Red Fraction”をループ再生しながら書いてましたw
聴きながら読むと、雰囲気倍増かも?







 

 

 

 鼓動がビートを刻み、血流がリズムを作る、脳内にイントロが流れ出す。

 ああ、ノってきたな……

 

(こいつは”Red Fraction”か)

 

 直訳すると”赤い部分”。前世で見たアニメ版の”黒い珊瑚礁”のOPだ。

 ギリシャの”共産主義者(あかいぶぶん)”を、鮮血で真っ赤に染め上げろってか?

 良いだろう。上等だ。選曲もこの状況にマッチしてる。

 何より俺好みだ。

 

 俺は駆け出す。

 PPSh-41(バラライカ)のセレクターは、セミオート。

 人間殺すには2発が基本、フルオートはまとまってるときに使えばいい。もっとも2発で確実に死ぬとは言えないのが玉に瑕。

 弾の数だけ人は殺せる。弾が無くても殺せるがな。

 だから、バラライカを基本、拳銃と同じ扱いで使う。

 ”二丁拳銃(トゥーハンド)”、俺は左右の銃で別々の人間(マト)に当てられるほど器用にはできていない。

 だから、2丁で同じマトを狙い、引き金を引く。

 スピードは、筒先を向ける速度と照準の手早さで補う。

 要するに可能な限り、早く銃口を向け狙い撃つというルーチンの回転数を上げていくだけだ。

 

 ”バキッ!”

 

 人間は、一定以上の間合いに入られると銃を持っていても撃つより鈍器として殴ろうとする。

 人間が道具を初めて持った古代の名残り、本能なのかもしれない。

 だから、小銃で殴り掛かってきた相手を上半身を反らして避け、すれ違いざまに膝を横から斜め下に踏み抜き砕く。

 知ってるか? 人間の構造上、膝は前からでも横からでも、土踏まずを軽く押し当てるようにしてから、斜め下に向けて踏み抜くと簡単に折れるんだぜ?

 

”タンッ!”

 

 倒れこむ相手の後頭部に銃口を押し当てるようにして引き金を引く。

 距離にかかわらずヘッドショットは良い。致死率も即死性も高い。まあ、その分的が小さいんだが、狙えるなら確実に仕留めていこう。

 

 こらこら。年端も行かぬ少女、それとも幼女か?の服をびりびりに破ってどうするつもりだ?

 まあ、こういうのはアカに限った話じゃないけどな。

 だが、戦場に慰安所を置く風習のない米ソは、婦女暴行の事例が多いとか聞いたことあるな。

 生への執着は結構だが、性交渉は合意の上でな?

 

 というわけで弾丸を叩きこむ。とりあえず大人しく死んどけ。

 ほら、市民の保護も任務の内だし。

 だからそこのお前、正規軍人を民兵が殺そうとすんじゃないよ。条約違反だぜ?

 だから撃つ。

 おっ、イタ公。助けた俺に銃口を向けたな? それは降伏の意思なしって事で良いんだな?

 だから撃つ。

 

 

 

 ああっ、面倒な戦場だ。

 まるで俺達は、ごみ溜めの中でうごめくドブネズミのよう。

 だが、それでいい。それがいい。

 こうして死臭漂う硝煙臭い戦場を這いずり回り、ドブネズミ同士で殺し合う方が俺の性分に合っている。

 こういう場だからこそ、俺は俺でいられる。生きてる実感を堪能できる。

 だから撃つ。

 

 ああっ、丁度敵がかたまってるじゃないか。

 右手のバラライカのセレクターをフルオートにして一連射。

 まだ立ってるのが居たので左手のバラライカで追加のもう一連射。

 あっ、丁度弾切れだ。

 

 おおっ、民兵の後続が来たか。

 元気なことで結構結構。

 ご褒美に40㎜擲弾をくれてやろう。

 炸裂する対人榴弾に、綺麗に吹っ飛ぶ民兵が何だか様式美。

 中折れ式の擲弾銃をガンスピンさせるようにして排莢と再装填。

 ああ、ほらヒロインの方のトゥーハンドが、魚雷艇の上で武装モーターボート相手にやってたあれだ。

 流石に八艘飛びはやらんが、パルクールもどきの動きで牽制する。それとも張のアニキのようなステップの方が良かったか?

 

 撃つ。

 まずは殺す。

 撃つ。

 とりあえず殺す。

 撃つ。

 とにかく殺す。

 BANG! BANG! BANG!

 

 転ばす。踏みつける。頭蓋を割る。次に生まれ変わるなら戦場でメットくらい被っておけ。民兵には無理か? 俺は被らんけど。

 銃弾を1発。倒れただけで死んでないので延髄に踵を落とす。アフターケアは大事だな。

 まあ、いずれにしろ死ぬなら問題ないか。

 

 単調だが、飽きのこないリズムだ。人間が奏でる音楽は、そうでなくてはいけない。

 ヲイヲイ、死人は死んでなきゃダメだろう? それが秩序ってもんだ。

 殺し殺されまた殺して、そうして命は循環するんだ。

 世界大戦ってのはそういう素晴らしい時代だろ?

 

 ほれほれ、さっさと逃げるか抵抗しないと、ブギーマンが食っちまうぞ?

 ハリー、ハリー、ハリー!

 嗚呼、実に愉快な気分だ。

 

 

 革命勢力ってんなら、ふらっと街角からドラッグブーストをキメたアンドロメイドとか出てこないもんかね?

 アレも確かメイドになる前は革命ゴッコで遊んでたクチだろ?

 どうせ殺し合うのなら、美人で腕が立つ奴の方が楽しそうだ。

 ははっ、これも性癖ってやつかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ただいま。軍曹」

 

「お楽しみのようでなによりですな」

 

 最終的に俺、舩坂弘之は片手に1丁ずつ、腰の後ろ、背中合わせに仕込んでいた武35式軍用自動拳銃(ブローニング・ハイパワー)を握っていた。

 スライドがオープンホールドではないので、ぎりぎり弾は持ったらしい。

 思ったよりマトは少なかったが、確かに、

 

「久しぶりに愉快な気分にはなったな。ああ、少なくとも機関銃の弾が届く範囲での掃討(スイープ)は終わった。割と市民が残っている。これより、小隊で救助作業を行うが……」

 

 確かに楽しいことは楽しいんだが、いつもこんなワンマンアーミーみたいなことはできんしな。

 仮にも職業軍人で、小隊指揮官なわけだし。

 ところで、

 

「軍曹、なんで一部の隊員は固まってるんだ?」

 

「小隊長の”舞い”を初めて見た奴は、大半はこうなりますなあ。自然な反応です」

 

 舞いって……んな大袈裟な。

 

「た、隊長は、ど、どうして弾に当たらないんですか……?」

 

 恐る恐るといった感じで聞いてくる、最近入ったばかりの部下に、

 

「銃口の位置と向き、引き金絞るタイミングを見切れば、先読みでかわせるぞ?」

 

 発射された弾丸を見るのは俺も無理だが、事前動作なら見れるし。

 要するに銃口の先に居なけりゃ弾は当たらないってこったな。

 明治の剣客漫画で、主人公も似たようなことやってたろ?

 

「……若いの、間違ってもマネするなよ? 小隊長だから簡単にできるだけだ」

 

「大丈夫です。絶対にマネしませんから」

 

 いや、軍曹だってやろうと思えばできるだろ?

 時折、銃型(ガンカタ)みたいな動きするし。

 

「住民はかなり怯えてる。救助の際は、細心の注意を払え」

 

「……それって子供みたいな無邪気な満面の笑みを浮かべながら、凄いスピードで淡々と殺す小隊長に怯えてるだけなんじゃ……」

 

 さあ? なんのことだかさっぱり全く見当がつかんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




多分、船坂のリミッター解除のワンマンアーミー状態なら、ドラッグブースト状態の某チスネロス女史とかリチャードⅣ世とかとタイマンはれますw

ブラックラグーンのあの紙面から血と硝煙の匂いが漂うような、イイ感じにイカレた戦闘の雰囲気が出てればいいんですが……


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第261話 ”エマージェンシー・スペシャルシフト”、そして……

ギリシャの戦乱は、どうやらまだまだ続くようですよ?





 

 

 

 さて、なんのかんのあったが、ギリシャ王国首都アテネ市の制圧と平定は、都合3日ほどで終わった。

 まあ、火力に物を言わせ駆逐しつくしたとも言えるが。

 幸いなことイタリア軍もギリシャ人民解放軍(ELAS)も比較的軽装備だったために街自体へのダメージという意味では、戦いの規模から考えれば軽微だった。

 

 だが、市民はそうはいかない。

 いくら街やインフラの被害が軽微だったとはいえ、焼け出された住人はいるし、損害を受けたインフラはある。

 イタリア軍とELASの戦闘に巻き込まれ、死傷した住人だって少なくない。

 イタリア軍に占領され、またELASに襲撃され心に深い傷を負った住民のメンタルケアも必要だった。

 

 故に地中海艦隊に護られながら確保したアテネ港に入ってきた輸送船に最初に乗っていた陸軍部隊は、工兵隊と衛生隊(医療チーム)、並びに炊き出し要員にもなる護衛の歩兵連隊だった。

 

 工兵隊は、都市生活インフラの復旧と最優先の飲料水の確保と配給、そして焼きだされた住民の為のテント村、そして資材が搬入され次第の仮設住宅の設営。

 衛生隊は当然のように負傷した住民の治療と無料診療、遺体の処理を含めた衛生面からの防疫を担当した。

 また、この時代では珍しいことに住民に対するメンタルケア相談所も併設された。これは皇国軍が世界的にも稀な(時代背景を考えれば更に稀な)メンタルケアの専門部署があったことに起因する、転生者達の暗躍っぷりが良く分かる事例だった。

 はっきり言えば、それを併設する理由になるだけの無視できない数の暴行、婦女暴行件数が報告されていた。

 

 きっとその様子を読者諸兄が見れば、『災害出動した自衛隊のようだ』と発言するだろう。

 実際、自然災害が多い日本の風土にかこつけて、特に近代以降の歴代”転生重鎮”たちが、軍事組織を「軍としての体裁と戦力を保つ」ようにしながら、「自然災害という人間が打ち勝つにはあまりに巨大な相手」に対処する能力を持つように注力を重ねたからだ。

 古今東西を問わず、人間にとって最大の脅威は自然だ。東日本大震災を防止できる科学力なんぞ21世紀でも持ち合わせてはいない。できるのは、「起きてしまった災害」に対する事後処理をどう行うかだろう。

 であるからこそ、関東大震災をはじめとするこれまでの多くの災害で皇国軍は災害出動した実績とノウハウがあった。

 また、住民からの純粋な感謝は、彼らの軍人としての矜持や自尊心を大いに満足させた。

 そして、それら数々の経験から(特に関東大震災が契機となり、)

 

 ”緊急事態における災害復興特別編成(エマージェンシー・スペシャルシフト)

 

 という概念が生まれた。

 世界的に例を見ない「災害出動の為の特別編成」だ。

 そして、今回はそれがアテネに適応されたのだ。

 戦争は人災だが、戦災も災害は災害という名目である。

 

 つまり、皇国軍首脳部は、イタリア軍とELASによる内戦の勃発という異例の事態を鑑み、ギリシャ王国全土の奪還より、まず首都アテネの街と人のケアを優先したのだ。

 これが後に大きな意味を持つことになる……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 案の定というのもアレだが、やはり武力では皇国軍と相対できないと考えたギリシャ共産党(KKE)は、搦め手……

 

 ”あの優しかった日本人はもういない”

 

 と銘打って、「日本皇国軍の市民虐殺」を大々的にアピールしたネガティブキャンペーンを打って出た。

 無論、この場合の市民とはELASやKKEの構成員の事である。

 自分のやった行為を棚に上げるのは、国籍や民族を問わず左翼全般の十八番だ。

 彼らは常に「悪いのは俺じゃない。俺以外の誰かだ」と声高に主張する。まあ、アカとはそういう習性なのだろう。

 

 実は、この世界線における日本皇国とギリシャとの友誼は割と深い。

 あまり詳細を描くと長くなり過ぎるし、本筋から外れるので比較的近年の一例に留めるが……

 

 例えば、史実通り1919年から1922年まで続いた”希土戦争”。

 ギリシャを旧オスマントルコに攻め込むように煽ったのはイギリスだが、イギリスが放り投げたその戦争の尻拭いに走ったのが日本皇国だった。

 つまり、いつものことだ。

 史実でも日本は”ローザンヌ条約”などに名を連ねたが、この世界線では介入レベルが違っていた。

 

 トルコは何度か出てきたようにこの世界線でも起きてしまった”エルトゥールル号事件”以来の親日国だが、第一次世界大戦では陣営の関係から敵対しても、「トルコ軍は降伏するなら日本軍に」となり、その希望に応えるべく日本軍はトルコの降伏将兵を「捕虜ではなく友好国のゲスト」として丁重に扱った。

 いわゆる西ユーラシア版の「バルトの楽園」だ。

 戦後、元トルコ捕虜たちは日本将兵の思い出と共に帰国した。微妙に捕虜になる前より太った将兵も多かったとか。

 また戦後、日本に食い倒れ(グルメ)ツアーにくるトルコ人の姿をちらほら見かけるようになったとか。

 そのような経緯もあり、希土戦争の停戦仲介役として白羽の矢が立った(英国より戦後処理を丸投げされた)のが、日本皇国だったという訳だ。

 

 

 

 

 さて、肝心のギリシャのトピックだ。

 第一次世界大戦後に起きた”希土戦争”にまつわる日本とギリシャの関係を話すのであれば、”イズミル攻防戦”を無視しては何も語れないだろう。

 この戦争において、トルコの都市イズミルはギリシャ軍が占領した。

 だが、やがてイズミルはトルコに包囲されてしまう。そこには軍人だけでなくギリシャ系の民間人も多くいたのだ。

 そこで動いたのが”東慶丸(とうけいまる)”という日本の商船(・・)だ。

 彼らは積荷を投棄し、トルコ側による難民への手出しを牽制したりしながら約800人のアルメニア人やギリシャ人らを救出しギリシャへと渡ったという、日本人のほとんどが知らず、ギリシャ人の多くが知る”史実(・・)”だ。

 

 また史実でも1923年に行われた”領土返還と住民の交換”は、日本皇国が双方の仲介に入りとてもスムーズに行われたとだけ書いておく。

 トルコ、ギリシャ両国ともにある程度の妥協点を探りだした日本皇国は、この戦争が”後腐れ”にならぬよう、両国にそれぞれ”二国間(・・・)通商修好条約”を持ち掛けた。

 まあ、このおかげで日本ではギリシャ産のオリーブオイルやグレープシードオイル、ギリシャワイン、トルコ産のヘーゼルナッツ加工品が手軽に手に入るようになったが。

 

 これ以上、エーゲ海で面倒事が起こらないようにする(事態の収拾を押し付けた英国への圧力と抗議を兼ねた)苦肉の策だった。

 軍事同盟でも安全保障条約でもないあたり、日本皇国も一線を引いてるが、逆に言えばこれが皇国ができる妥協点だった。

 無論、これは再び何らかの理由でギリシャとトルコの関係が悪化すれば、皇国が板挟みになる危険性を孕んでいたが……まあ、それは「事情を書き残しておけば、その時の政権が何とかするだろう」という魂胆が見え見えだった。

 そう、日本人の得意技「問題の先送り」である。

 

 そして運悪く、時を越えて政権の継承者としてそれを解決する羽目になったのが、現在の近衛政権 feat 挙国一致内閣という訳である。

 別にギリシャとトルコの関係が悪化したわけでは無いが、ギリシャを含むバルカン半島情勢がひたすら面倒だった。

 そんな中で始まった、国際コミンテルンネットワークも巻き込んだネガティブキャンペーン……しかし、それを待ったようにギリシャの全てのラジオ周波数で、

 

 

 

『民よ! 朕は東方の偉大なる盟友を連れ、再びこの地に帰ってきたっ!!』

 

 ギリシャ国王グレゴリウスⅡ世の凱旋宣言が、フルボリュームで響き渡ったのだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




転生者達が健軍から干渉しまくったせいで、皇国軍は「真っ当な軍隊でありながら、自衛隊的活動もできる軍事組織」になったようですよ?

いや、海外で治安回復と並行して災害(戦災)救助活動とかやるとこの時代、対外的、あるいは国際的な評価はどうなるでしょうね~w
自衛隊と違って武器の使用制限とか”自称「市民」によるイカレた横槍”とか入らないので、戦地指定でもバンバンとインフラ復旧とか生活再建支援とかできますし。
えっ? だって”この時代”に国を取り戻してくれた挙句、戦後の「とりあえずのアフターフォロー」もパッケージプランでやってくれるんですよ?
それも善意とか悪意とか無関係に、「ギリシャが乱れっぱなしだと、バルカン半島やエーゲ海周辺も乱れて困る」という理由だけで。
その他意の無さは、「戦後日本を都合よく作り直した」米国とは比べちゃいけないレベルですw
果たして、ギリシャ王国臣民にはどう映るんですかね~。

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第262話 偉大なりし黄金王の帰還と凱旋

某英雄王のパチモンっぽい甲冑が、物理的以外の意味で輝くとき。




 

 

 

 その宣言は、奪還しとりあえず会見が開ける程度には応急修復が済んだシンタグマ広場(王宮前広場)にて、従軍取材が許された非赤色系各国メディアの前にて、その宣言は行われた。

 

「民よ! 朕は東方の偉大なる盟友を連れ、再びこの地に帰ってきたっ!!」

 

 その雄姿は、”まるで神話の1シーンを再現するような……まるで太古の英雄のようだった”とある記者の手記に書き残されている。

 クレタ島より付き従う正装の兵たちを背後に、エーゲ海の陽光に輝く曇りなき黄金の甲冑を身にまとい、国紋をあしらったマントを羽織る……その意味を勘違いあるいは曲解するバカ(アカ)は、招待された記者にはいなかった。

 

 ”黄金王の凱旋宣言”

 

 そう呼ばれたラジオ演説から翌日、”光り輝く黄金甲冑姿で勇ましく凱旋を飾る王様”のカラー写真(・・・・・)を一面に掲載した号外が、ギリシャ全域に配布された。

 言葉よりも雄弁に、”誰がギリシャの君主なのか?”を示すショットだった。

 無論、その号外には「住民の為に仮設住宅の設営を行ったり、治療行為や炊き出しを行う皇国軍」の姿が写真と詳細な解説で併載され、また「アテネ市外で起きた真実」、つまりは「何故、自称(・・)市民が皇国軍に射殺されたのか?」も同時にだ。

 

 カウンターインテリジェンスとして、実に上手いやり方だった。

 ギリシャ共産党(KKE)やその軍事部門であるギリシャ人民解放軍(ELAS)を感情的に糾弾するだけでなく、「彼らがギリシャ王国(・・)における重篤な違法行為」を行ったから処罰されたことを淡々と、かつ明朗に、分かりやすい表現でラジオと新聞、雑誌などのこの時代のメディミックスを用いて繰り返し報じられたのだ。

 

 

 

 これはKKEやELASにとり、たまったものではなかった。

 イタリア軍の侵攻からこっち、ようやく抵抗運動(パルチザン)として名が売れ国民に認知されてきたのに、いきなりテロリストの犯罪者呼ばわりされ、急速に民衆の支持を失ってしまったのだ。逆に中途半端な知名度が仇となった結果である。

 こうまで日本皇国が仕掛けた情報戦が”ハマった”のは、無論理由がある。

 大きな理由は、史実と異なる下記の2点。

 

 ・王国は完全に陥落しておらず、クレタ島のイラクリオンに遷都したとしても、そこで国王グレゴリウスⅡ世は亡命せずに踏ん張っていた。

 ・イタリアのギリシャ侵攻により首都アテネが陥落したのは1941年の春であり、まだ1年半しか立っていなかった

 

 つまり、「逃げ出さず、クレタ島で耐える国王」と「首都陥落からまだ日が浅い」という二つの要因から、共産パルチザンが確固たる民衆支持を築く暇がなく、逆に王の帰還を望むギリシャ国民が大半だったという状況だったのだ。

 

 また、本土奪還作戦に参加した外国勢力が、日本皇国のみ(・・)というのが、実に都合が良かった。

 同盟国である英国は、実は20世紀だけでも二度、ギリシャ国民の期待と信頼を裏切ってるのだ。

 一つは、希土戦争ではギリシャを煽ったのに戦争を途中で放り出した。

 もう一つは先のイタリアによる侵攻で、援軍にきたドイツ人にボロ負けして慌ててギリシャから逃げ出した。

 まあ、要するに「損切り」に遠慮がない”いつものイギリス”だ。

 

 だが、その時に救ってくれたのは両方とも日本皇国だったのだ。

 希土戦争では、困難な戦後処理を担当し、ギリシャトルコに禍根を残さない軟着陸をさせた。(通商条約も締結できた。実際、この時代の日本で消費されるオリーブオイルとグレープシードオイルは、ほとんどギリシャ産だった)

 王がクレタ島で頑張れたのは、堅守の名将”ジェネラル・クリバヤシ”率いる皇国軍の奮戦があったことは、ギリシャ人なら誰もが知っていた。(正確には、英国人の置き土産である地下情報網が一斉にばら撒いた)

 

 そして、日本皇国がギリシャ王国の本土奪還を明言し、ドクトリンとして掲げていたことをクレタ島からのラジオ放送で、ギリシャ国民は知っていたのだ。

 そして、ギリシャ人は「イギリス人には無理でも、日本人なら絶対にやる」と確信していた。

 王の期待が重いのであれば、その臣民の期待が軽い訳はなかった。

 そして、実際にやり遂げてみせた。二度あることは三度あったのだ。

 もう少し言ってしまうと、ギリシャ本土奪還作戦”オペレーション・イオス”の発動は、ギリシャ国民が考えていたよりずっと早かったこともかなり大きい(多くの国民は数年先だと思っていたらしい)

 

 

 

***

 

 

 

 かくて約束は果たされ、王は凱旋しアテネに平和でなくとも平穏と称してよい日々が戻った。

 また、情報戦は継続され、「アテネの市街戦で皇国軍により射殺された”自称市民(・・・・)”」の身元が、罪状入りでリスト化され一斉公開された。

 見事なまでに共産党や共産パルチザンの関係者ばかりであった(というか、そういうのしか公開していないが)

 また、マスコミに王が必ず公の場に現れる時、必ず黄金甲冑であることを記者に問われた時は、

 

『これは盟友から戦装束として贈られた物。言うなれば朕の覚悟を問われた装束よ。であるならば、ギリシャ全土に平和が戻るその日まで、纏い続けることで盟友に覚悟を示すまで』

 

 その相変わらずの重量感(・・・)のあるコメントはギリシャ全土、いやアドミラル・オザワの「海軍陸戦隊に通達! 治安出動における重要事項は、市民の安全の確保! よいか! 王国民の命を無駄に散らせてはならぬぞっ!!」の発言と共に世界中へプロパガンダとして流された。

 ちなみにその事実を知った小沢又三郎は、しばらく引きこもりたくなったらしい。実際には職務優先で出来なかったが……ああ、哀しき日本人のサガよ。

 更に王の口撃(・・)は続く。

 

君主殺し(・・・・)の共産主義を王国である以上、認めることはできぬのが道理。されど共産主義がいかに度し難いと言えども、一度染みついた思想を捨てよとは言わぬ。故に思想を捨てられぬのなら、何処へ立ち去ろうと止めはせぬ。罪にも問わぬ。朕は寛容をみせよう』

 

 寛容と言いつつ、「共産主義者は国外追放処分な」という宣言だった。裁判なしで問答無用に処刑しない分、寛容と言える類の宣言だ。

 非共産の国民には「王の寛容」と映ったかもしれないが、「ギリシャの共産化」を狙ってるKKEやELASにとり、それは完全に挑発であった。

 そして、アカお得意の「人民の海に隠れる」という手段を封じられた共産主義者は、次第にギリシャで追い詰められて行くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ギリシャ内戦は激化する……と思われたが、事態はまたしても妙な方向へと動き出す。

 王の発言に感化された国王派、右派国民の過激分子が猟銃や農機具で、共産党員や共産民兵を襲撃して、当局に(死体も含め)突き出してくるという事例が多発したのだ。

 何とも血の気の多い話ではあるが……それだけならまだしも、武装が整っているELASに返り討ちに合い、村ごと凄惨な目に合うという事例も出てきた。

 

 日本皇国としては冗談ではなかった。

 普通の住民が武装してテロリスト襲撃するなんて、日本皇国では論外、襲った方も本来なら無罪放免とはいかないが……現場は生憎とギリシャだ。

 グレゴリウスⅡ世も、「国王の為に」と言われれば強くは出れまい。

 無論、日本政府もギリシャ政府も「情報提供(タレコミ)だけで十分です。危険ですので、決して自分で手を出そうとしないでください」と呼びかけているのだが……

 だが、日増しに「左右のギリシャ国民同士の武力抗争」は激化の一途を辿り、不気味なほど5万人以上の死者を出した”史実のギリシャ内戦”の様相に近づきつつあった。

 

 

 

「こうなりゃ、本腰入れて一気呵成にやるしかねえか……褌締めなおさんとな」

 

 治安回復の目標を達成するためには、他に手はなさそうだった。

 ギリシャにおける皇国軍の戦いは、新たな局面に入る……日本皇国首相、近衛公麿はそう気を引き締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、黄金の甲冑は、完全にプロパガンダの小道具、演出機材って訳なんですね~w

この使われ方は、贈った四国の地名とか短距離レースとかにつながる某宮サマもニッコリでしょう。
いえいえ、誰とは申しませんがw

そして、近衛しゅしょーがどうやら気合を入れ直したみたいですよ?


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第263話  龍虎は相打たず、共闘せん。なお、相対するのは赤色の走狗とする。

サブタイは一応、動物(?)縛り。
久しぶりに、陸のヤベー奴が砂漠から再参戦です。





 

 

 

「まさか、ギリシャまで来て”ゲリコマ狩り”をやる羽目になるとは思わなかったぜよ」

 

 と俺は最近お気に入りの狙撃銃、制式化された”二式長距離狙撃銃”、通称”ヘカテーたん”を構える。

 いや、ボーイズ対戦車ライフルと同じ弾使う試製二式改特殊長距離狙撃銃(真・ヘカテーたん)”も良い超長距離銃なんだが、砂漠みたいな何にも障害物がないところならともかく、ギリシャみたいに人工物とか森林やらオリーブ畑があちこちあるような場所だと、ぶっちゃけ2㎞スーパーロングレンジ・スナイピングとかやる機会がねーんだわ。

 それに装甲車両対策も(イタリア軍が次々と降伏したため)必要ないから余計に無用になり兼ねない。 

 というか、共産ゲリコマがイタリア軍の車両奪っても、目立つうえに見つかり次第、優先的に潰されるから俺にまで始末命令が回ってこないんだよ。

 

 なら、九九式狙撃銃でも良さそうなもんだが、相手がゲリコマだと「狙撃してはカウンターが来る前に移動する」真っ当な狙撃戦術よりも、多少重くて機動力が落ちても”完全なアウトレンジ”、銃声が聞こえてもどこから撃たれたかわからないで右往左往してる間に次弾叩きこめる、ついでに頭は言うに及ばず胴体に当たれば確実に殺せる”うぽって”の方が都合良いって結論づけられた。

 

(なんせ連中、根がテロリストなだけあって平気で人質とったりするしなぁ~)

 

 例えば、村の住民とかを人質にして肉壁作った場合とか、人質の安全を確保しながら犯人ブッコロせる長距離狙撃ってのが最善手になりやすいんだ。

 ちょうど今みたいに。

 

 ELASだったか?

 共産ゲリコマの部隊が、ギリシャのとある村に立てこもり、住人を人質にしている……最近、よく聞くシチュエーションだ。

 そこの隊長だかリーダーだかの”先制排除”が俺に与えられたミッションだったんだが、

 

「俺にそんな物を見せんじゃねーよ。胸糞悪い」

 

 ”ドウッ!”

 

 よくある話だが、ちょうど”ナーディア”くらいの年頃の少女を納屋に連れ込んでナニをしようとしたので、その連れ込む途中、俺にとって丁度いい位置に来たから引き金引いて50口径弾で頭を吹き飛ばす。

 頭にした理由は、位置関係的に胴体に当てると、女の子に二次被害が出そうだったから。

 正義のミカタを気取るつもりはないが、民間人の被害は少ない方がいいだろう?

 二式長距離狙撃銃は精度の良いライフルで、これに12倍なんて固定倍率の窒素ガス封入・無反射コーティングレンズのスコープ付けてるんだ。

 1㎞そこそこの距離なら、頭を射貫くなんざ余裕だぜ? これでもそのくらいの腕前はある。

 

「命中です。次目標、右奥30m」

 

 あんがとよ、小鳥遊君。

 

 

 

 ああ、なんだか久しぶりだな?

 皇国陸軍大尉、下総兵四郎だ。

 もうわかってもらえてると思うが……今、リビアからギリシャに遠征しに来ている。

 正確に言えば、原隊を離れて50口径(あるいはそれ以上の)狙撃銃を使う”オーバーキロメーター・スナイパー”達で特別編成されたゲリコマ対策の”ロングレンジ・スナイピング・クラブ(長距離狙撃特殊部隊)”の一員として、バディの小鳥遊君共々ギリシャ入りしたってわけ。

 

 ナーディアは居ないのかって?

 ここはイスラム圏じゃないし、あいつは何人かの妹(実際には血は繋がってないらしいが)共々身重でね。

 現在は、キレナイカの王宮でお留守番だ。

 

 いやさ、言っておくが……ナーディアがキレナイカ王国のイドリース国王陛下の末娘だって知ったのは、妊娠が発覚してから。というかボテ腹を撫でまわしてる時に聞いたんだからな?

 気持ち良さそうに放尿するナーディア(俺の周りの娘たちは全員、お漏らし癖を付けたが)になんで今まで黙ってたん?と聞くと、

 

『だって、”既成事実”で繋ぎとめたかったんですもの♡』

 

 だってさ。

 いや、ちっこくても平べったくても女は女。おっかないね~。

 ちなみに同じく孕ませた妹たちも、聞けばそれなりの家の次女以下だとか。

 心配だったのはナーディアはともかく、いくら初潮(ブルーグ)を迎えてると言っても、赤ん坊産むにはちょっと若すぎる(・・・・)娘がいた事なんだけど、

 

『ブルーグを迎えたという事は、子を持つ準備を終えたということですよ? それに”サヌーシーの秘伝と秘術”がありますから心配無用です♪』

 

 魔術的なものではなく、何でもサヌーシー教団秘伝の安産に関するノウハウがあるらしく、「女の秘密です♡」と詳細は教えてもらえなかったが、幼い子でも普通の成人女性並みの安全度で出産ができるらしい。

 いや、この時代のお産って命がけじゃなかったっけ?

 流産率も新生児死亡率も高かったような……

 

『サヌーシーの女は、ヤワにはできていません。長い月日、砂漠の渇きと為政者の弾圧に耐えてきた私達を信じてくださいね?』

 

 と押し切られてしまった。

 

 

 

***

 

 

 

 まあ、そんなこんなで今は戦時下で除隊できないせいもあり、今は婚約という形で戦争が終わり次第、除隊&結婚という流れになるらしい。

 他人事のようだって?

 いや、実際に俺はこの一件のスケジュールとかに関わってないんだわ。

 なぜならイイ笑顔で訪ねてきた武者小路特使(なんか、イドリース国王の宰相っぽい人)から、

 

「貴君の家族への説明、結婚にまつわる様々な事柄は外務省に任せておきたまえ。安心したまえ。悪いようにしない」

 

 だとさ。どうでもよいけど、ちょっと胡散臭いんだよな、あの人。

 回想はこれくらいにして1弾倉(マガ)7発を撃ち終えた頃に、

 

王子様(・・・)、どうやら店じまいの時間みたいですぜ?」

 

「いや、俺に王位継承権とかないからな」

 

 ナーディアに何人、兄が居ると思ってんの?

 いや、農家の四男防が一国の姫様の入り婿になるってだけで、大事なのは理解してるけどさ。

 まあ、孕ませた以上は責任はとるぞ?

 

 それはともかく、海軍陸戦(かいへい)隊の村への突入と鎮圧が始まったらしい。

 いや、始まったと思ったらもう終わってた。流石、対ゲリコマ掃討訓練受けた最精鋭部隊、実に仕事が早い。

 

(というか、なんか動きが人外っぽいのが居たような? ああ、なんだ舩坂サンか……)

 

 なら納得だ。

 俺達、”ロングレンジ・スナイパー”は、専門のキロメーター越え対応の長距離狙撃手が居ない海軍陸戦隊の支援をすることが多い。

 というか、むしろその為に編成された臭い。

 

 まあ、今回は作戦規模も小さく、治安活動を行わなければならない場所は数多あるため俺と小鳥遊君だけの参加になったが。

 既に制圧隊が入った以上、俺達の仕事はフォローとバックアップ。

 交戦距離が近くなるため、狙撃の主役も小回りの利く分隊付狙撃手(マークスマン)に切り替わる。

 俺や小鳥遊君の出番があるとしたら、「通常狙撃では対処できないイレギュラーな事態」になった場合だ。

 

「んじゃあ、作戦終了を見届けたら撤収しようか」

 

 スナイパーってのは基本、仕事を終えたら姿見せずに消えるもんだしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こりゃ凄い……有り得ない距離からパカパカと、よくも動いている人間相手にああも簡単に連続で当てられるものだ」

 

 珍しく他人に感心する軍曹に、

 

「あれが噂の”北アフリカの和製シモン・ヘイヘ”、シモヘイこと下総兵四郎大尉の狙撃術ってことだろうな」

 

 ああ、舩坂弘之だ。

 ELASが住民人質にとって立てこもったって村に、隙を突いて突入戦仕掛けるべく周辺に潜んでたんだが……

 

(あれが北アフリカで、狙撃だけ(・・・・)で200人以上射殺したって男の腕前か……噂に違わず凄まじいな)

 

 その隙を作るのが割と力業、遠距離からの不意打ち奇襲狙撃なんだが……

 1㎞越えの狙撃ってのは、かなり神経使う繊細な作業の筈なんだが、最初の銃声が”命中の後に響いた”ことを皮切りに、次々に体を強制的に50口径に引きちぎられた民兵が崩れ落ちていく。

 というか、銃声が聞こえる前に更にもう一人、肉片に変わったんだが?

 

(50口径クラスの長距離狙撃って連射でやるもんじゃねーだろ……)

 

 あれじゃあ、共産パルチザンも、どこから撃たれたか簡単には判別できんだろうな。

 まさに一方的な戦いだ。一発必中、一撃必殺を地で行ってやがる。

 

「ミスなし7人連続射殺かよ」

 

 そりゃ50口径の威力考えたら、胴体の何処に当たっても死ぬだろうが。

 確か前世のパナマ辺りの話だと思ったが、米軍の50口径の狙撃で4人射殺したら標的がばらばらになって、三つの箱に遺体を押し込めたとかなんとか。

 

(おまけにアフリカじゃあ装甲車両も二桁仕留めてるって話だしな)

 

 いわゆる、人外枠ってやつか? 俺も人のことは言えんが。

 

「軍曹、いくぞ。放っておいたら全部シモヘイに食われる。せめて給料分の仕事はしようや」

 

 いや、ホント狙撃だけで全滅させそうな勢いなんだが?

 

「了解です」

 

 今回の敵、そこそこの規模だったが……

 

(上層部がシモヘイと相方のスポッターだけで十分と判断するのも当然か……)

 

 確かにあれ以上の支援狙撃は不要だ。

 仕事がはかどるのは結構だが、気がついたら標的が居なかったというのも少し困る。

 

「状況開始だ」

 

 先制の長距離狙撃で敵の陣形は崩れるどころか大混乱。

 ぶっちゃけ難易度はだだ下がりだ。

 

(いっちょ暴れるとしますか)

 

 流石にいつまでもゲリコマの鹵獲品(バラライカ)使う訳にもいかんので、片手に1丁ずつの海兵28式短機関銃。

 民間人との距離が近いから、貫通力の高いブレン機関銃だとテロ屋をブチ貫いた弾で二次被害を出しかねない。

 

(「いのちをだいじに」だな。俺達じゃなくて民間人の)

 

 ゲリコマ対策の極意の一つを教えよう。腐らず根気よく、機会があることにチマチマ確実に”削ぎ落して”征くことだ。

 さて、お仕事開始だな。

 

「Let's Pray」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で久しぶりにシモヘイが、パパ(ガチ)になって再登場です♪
いや~、ナーディアちゃんと婚約してリビアに骨を埋める覚悟をしたようで結構結構。まあ、王族の末姫孕ませてヤリ逃げなんて絶対に不可能だけどねw

そして、舩坂サンと夢の競演。いや、どちらかと言えば凶宴か? ELASにとって。

舩坂:「げっ、狙撃スキル人外かよ」
シモヘイ:「げっ、モーションが人外枠」

みたいな?
シモヘイのシモは下ネタのシモという訳で、雰囲気がちょっとアレになるため本編では入れられなかった深淵(エロネタ)を、あとがきを読んでくださる皆様だけに開示。

・シモヘイは「尿道開発」スキルを手に入れた!
・ナーディアちゃんをはじめ、取り巻きのちみっ娘たちは、しーしーする度に軽イキするようになるまで調○済みらしいぞ?
・もちろん、おっきいのも
・”ご主人様”の前で粗相するのは恥ずかしいけど、その羞恥こそが気持ちよくなるように躾けられたようだ。だから見せながらするのが嗜み。
・なので、王宮のシモヘイの私室という名のちみっ娘たちの溜まり場には、細い水路が刻まれ、常に水が流れているらしい。つまり部屋全体が……

うん。書いといてなんだけど……(性壁)が深いw

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第264話 混迷(?)の戦場と増える捕虜、近衛しゅしょーは頭痛が痛い

サブタイはふざけてるけど、中身は割とシャレになっていないという……前話との温度差がw








 

 

 

 ”オペレーション・イオス”発動から約半月……既に戦いの趨勢は決していた。

 エリニコン国際空港を含む「まともな飛行場」の修復は終わり、もはやギリシャ・イタリア軍の航空勢力は壊滅していた。

 

 いや、正確にはアテネ占領後、続々とイタリア軍のパイロットは飛べるならば”愛機ごと投降”してきたのだ。

 復旧した飛行場が投降機による大渋滞を起こしたという珍事(実はギリシャで日本皇国空軍の行動を最も阻害したイタリアの軍事行動がこれだった)を乗り越え、今やそこには北アフリカやクレタ島で味方からは勇名と信頼を、敵からは恐怖と畏怖を得た対地攻撃機群、

 

 ・九九式襲撃機

 ・二式襲撃機”屠龍”

 ・零式改対地掃射機

 

 が居並んでいた。

 すでに古兵、信頼と実績の古強者という雰囲気の九九式襲撃機、そして待望の37㎜機関砲を機首に装備して設計通りの火力を発揮できるようになった”屠龍”、そして押しも押されもせぬフライング・ガンシップとして量産が開始された零式改掃射機……

 敵影が消えた空だからこそ、彼らは縦横無尽に飛び回り、存分にその火力を発揮していた。

 

 無論、ELASが奪ったイタリア軍用機もあるのだろうが……多くの方がご存知の通り飛行機とは軍民を問わず滑走路、パイロット、整備員、燃料、保守部品が揃っていなければ、満足に飛べるものではないのだ。

 つまりELASが満足に扱えるような代物ではなかった。

 

 略奪したものには高射砲や対空機関砲もあったが、こちらはそもそもイタリア軍が保有していた元々の弾数が少ない。

 少ないからこそ、皇国海軍や空軍の空襲を容易に許したのだ。

 よしんば弾があったとしても、対空砲撃を当てるには、専門的なノウハウが必要という事を忘れてはならない。

 目視照準だけで空飛ぶ的に当てるというのは、かなり難しいのだ。

 

 KKE、ギリシャ共産党のプロパガンダ作戦は、少なくともギリシャ国内では完全に失敗した。

 追い詰められつつあったELASが起こした先の人質事件などの蛮行が次々と明るみに出て、皮肉な言い方をすれば彼らこそが「人民(王国民)の敵(パブリック・エネミー)」になってしまったのだ。

 そもそも、ギリシャ王国では共産党はイタリアが侵攻する前から非合法で、イタリア軍相手に抵抗運動するから住民から”容認”されていただけだ。

 これが史実のように王が逃げ出したギリシャで終戦までファシスト勢力と戦い続けたら確固とした支持基盤も作れただろうが、国王は亡命せずに最後に残ったクレタ島に遷都してまで踏ん張り、僅か1年半で帰還(凱旋)したのだ。

 更によくなかったのは、ELASが「まだ国王の民である」というギリシャ王国臣民というアイデンティティが強い状態で、市民に手を出してしまったことだ。元は国外の家系でギリシャ国内の支持基盤が弱いと言っても、王様は王様なのだ。

 そして、これが「ギリシャ国民の安全を確保する」という皇国軍による討伐の大義名分、治安出動のお題目になってしまったのだ。

 

 大人しくイタリア軍の落武者狩りと情報戦ばかりやっていればもう少し違った結果になっていただろうが、全ては後の祭り。

 つまり、KKEもELASも機が熟す前に焦り、安易に暴力主義的な革命に手を伸ばしてしまったのだ。

 

 

 

 また、皇国軍にこの時代ではまだ珍しい非対称戦のエキスパート部隊がそれなりに存在していたことも、運がなかった。

 つまり、ゲリコマ戦術特有の、本来なら正規軍が対応に苦しむ人質や騙し討ちなどの”卑怯な戦術”にも対応されてしまっていた。

 また、ELASが日本皇国とギリシャ王国の連名で「ELASによるテロ活動とその被害の一覧(戦争犯罪としてではないことに留意)」が国連総会に提出され、安全保障理事会により「テロリスト集団として国際社会に認知」された事が地味に大きい。

 つまり、彼らは完全にハーグ陸戦条約やジュネーブ条約の対象から外されていたのだ。

 無論、そこには支持母体のKKEも「テロ支援組織」として記載される。

 

 それに抗議すべきソ連は既に国連から追放されて席はなく、また本国がそれどころでなかった。

 鹵獲されたELASのソ連製武器が、ほぼバルバロッサ作戦以前に製造されたものであることからもそれがわかる。

 

 これらの事象は、「日本皇国軍にほぼ無制限の戦術的フリーハンド」を与えたに等しい。

 極端に言えば、ELASの構成員にハーグ陸戦条約違反のホローポイント弾(ダムダム弾)を使おうと拷問にかけようと、問題にならないということだ。

 そして皇国軍のエグい所は、国際法の慣例に従うという名目の元、「捕縛できた(死体にならなかった)テロリスト」は全てギリシャ王国政府に引き渡すというあたりだ。

 無論、引き渡されたあと、どういう処遇になるのか知った上で。

 万国共通で、テロリストにかける慈悲はない。

 

 

 

***

 

 

 

 ただ、ギリシャにおける戦乱が後半に入った頃に新たな問題が発生した。

 いや、目を反らしていた事実に何らかの形で決着をつけなければならない時が来たと言うべきか?

 

 そう、結果として大量発生した”イタリア人捕虜”だ。

 本来ならギリシャ王国が預かるのが筋という物だが、いかんせん数が多すぎた。

 その数は最終的に負傷者込みで15万人以上まで膨れ上がった。”オペレーション・イオス”発動時、ギリシャに進駐していた部隊が25万人弱であった事を考えれば驚異的な数字だった。

 

 これを国土奪還中のギリシャに投げるのは、いくら何でも負担が大きすぎた。

 加えて、別の意味でリスクがあった。

 ギリシャ人にしてみれば、「勝手な理由で攻め込んできて、都合が悪くなれば命大事に降伏してきた」連中だ。

 そして、親兄弟や友人の仇であるという認識があった。

 「俺の親を殺したこいつが、なぜのうのうと生きているんだ」……まあ、そういう言い分である。

 また、それを煽って暴動を起こそうとするKKEの残党もいるわけで。

 

 理屈でそれを説明しても、怒りや憎しみ、感情というのは理屈で割り切れるものではない。

 端的に言えば、今のギリシャ王国で「イタリア軍が正規軍人だと理解していても」、ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約が守られる可能性は極めて低かった。

 そしてギリシャ王国は、ハーグ陸戦条約もジュネーブ条約も批准国だ。捕虜虐待、虐殺が起きれば当然のようにペナルティが発生する。

 

 

 

 

***

 

 

 

 そんな状況に皇国軍部も幣原特使も頭を抱えていた。

 特に国際協調派の幣原の苦悩は大きい。

 せっかく全土を奪還しても、ギリシャ王国が国際的非難を浴びて将来的に孤立するようになってしまえば、目も当てられない。

 それを嬉々としてやるのが、国籍・民族を問わず赤化マスゴミという物だ。

 これまでの戦績から考えて、イタリア軍の捕虜が大量発生する可能性は考えてなかったわけでは無い。

 敵の補給が立たれた状態で攻め込むのだから、十分に考慮すべき事案だった。

 

 だが、余りにも降伏するテンポが早すぎたのだ。

 本来の計画は、首都アテネを制圧して王の凱旋を宣言し、足場を固めて少しづつ奪還範囲を広げ、その並行作業で捕虜収容所を構築してゆく予定だった。

 だが、知っての通りその目論見は最初から崩れた。

 揚陸したと同時にアテネで発生した、ELASによる武装蜂起だ。

 これで直ちに港と空港を確保し空陸の受け入れ準備を急がせながら、並行して都市の治安回復を行わねばならなくなった。

 早すぎる”ギリシャ内戦”など冗談ではなかった。

 三日ほどでアテネの制圧と鎮圧は終了、治安回復と都市機能(インフラ)の復旧は開始できたが……その間に、アテネ周辺に展開していたイタリア軍人が大量に「降伏を条件に保護(・・)を求めて」きたのだ。

 

 そう、日本皇国軍の空爆をきっかけに始まったギリシャ全土での蜂起は、案の定、ヒャッハー!的な意味で世紀末的な色彩を帯びており、ELASの戦闘員だけでなくELASに扇動された市民によるリンチが多発していたのだ。

 もう、この時点でいい訳のきかないハーグ陸戦条約やジュネーブ条約違反である。

 

 ぶっちゃけ、これ以上ギリシャが責を負うような状況を許すわけにはいかなかった。

 皇国軍は大慌てでプレハブ仕立てのイタリア人向け捕虜収容所(セーフポイント)を空いた土地に設営したが、そこもすぐに満員御礼になるわ、その情報を掴んだELASが(人気取りのために)攻撃を仕掛けようとするわでてんやわんやの大騒ぎだ。

 

『もう”テロとの戦争”とか未来に逝きすぎだっつーの! アカが関わるといつもこうだ。段取りも何もかも滅茶苦茶になっちまうっ!!』

 

 とは近衛公麿首相の名言(迷言?)だ。

 どうやら大変にご立腹のようである。

 

 

 

 とはいえ、ギリシャの戦争に終わりが見えてきたが、大量の捕虜は残る……

 さて、どうすべきか?

 国際赤十字を通して捕虜のイタリアへの返還は可能だろう。

 だが、イタリアがごねれば、それだけ時間がかかる。

 だが、地中海に残る明確な”日英同盟の敵国”はイタリアだけであり、故に彼らは自分達がいつ攻略対象になるかと警戒している。

 故に捕虜の受け取りを拒否することで、”日本皇国への遅滞戦術(・・・・)”として使われる懸念があったのだ。

 

 いや、正確にはその兆候……というか、その”疑念”は既に出ていた。

 先のリビア国土回復作戦”地獄の番人作戦(オペレーション・ザバーニーヤ)”で発生したイタリア軍捕虜の帰還事業が終わっておらず、むしろ最近は滞りがちなのだ。

 それを問いただすとイタリア政府からの返答は、

 

 『日英による通商路の封鎖のせいで、国民の生活物資が欠乏しており、捕虜となった将兵を受け入れる余裕がない』

 

 という日英を非難してはいるが、同時に恥も外聞もない代物だった。というか、一種の棄民政策ではないだろうか?

 無論、捕虜を管轄する皇国政府は捕虜自身と赤十字にもイタリアからの書簡の写しを開示し、「日本皇国としては一日も早い捕虜の帰国を望むが、肝心のイタリアから受け取り拒否された」旨を説明した。

 赤十字は啞然とし、捕虜たちは実に憤慨した。「我々は誰の命令で、何のためにリビアまで赴いたと思っていやがるっ!!」と。

 

 

 

 まあ、生活物資の窮乏が本当かどうかかはさておき、これは「同盟や条約など国際的な約束事を遵守する」ことを看板にしている日本皇国にとり、地味に”効く”攻撃になる。

 国民性も気質も含めて可能な限り律儀に条約を守ろうとするから、捕虜を粗雑に扱えないのだ。

 

 そして、何らかの不手際があれば、”捕虜虐待”として嬉々として国際コミンテルンネットワークのマスゴミが”自主的に”騒ぎ始めるだろう。

 日本皇国にとり、それはあまり愉快な気分ではない。

 国内の”ゴミ掃除”はほとんど終わった(つまり、意図的に”反乱分子の受け皿”として残されている部分もある)が、国外はそうも行かない。

 

 あれ? 史実90年代の”湾岸戦争”で、たしかこんな情景があったような……?

 

 

 

***

 

 

 

 本当に面倒だった。

 だが、意外なところから手は差し伸べられることになる。

 

「幣原さん、お久しぶりです」

 

 ギリシャと何かと因縁深い”トルコからの客人”、その名は”東郷(とうごう) 重徳(しげのり)”といった。

 日本皇国外務省駐トルコ大使だ。

 そして何故か幣原は、その後輩の顔を見るなり「ギリシャ王への献上品として黄金甲冑を預けられた時」と同じようなチベットスナギツネを思わせる趣深い表情をするのだった。

 具体的には、「また別の面倒事か……」という思考が表情に出ていたとも言う。

 

(東郷君自体は、別に悪い訳は無いんだがねぇ……)

 

 果たして、その胸の内とは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




イタリアェw

そして、新たなゲームプレイヤーが参戦の予感……

先に言っておきます。
あと数話でギリシャ篇は終わりますが、かなりしっちゃかめっちゃかというかgdgdです。
ホント変な方向へ物語は流れて行きますよ?

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第265話 悲哀のトルコ行進曲 ~とある国父の苦悩と憂鬱~

本日も週末名物(?)、一日二度目の投稿。
まあ、描き上がったので前倒し投降なんですがw

久しぶりに長くて重いのをいきまーす。
まあ、中身は色々シャレになってないんですが……





 

 

 

 現状は、トルコにとって非常に不満があるものだった。

 端的に言えば、第二次世界大戦と呼ばれるようになったこの戦乱において、周辺国が急速に日本皇国との関係を強化、あるいは深化させて行く現状が、大変に面白くなかった。

 トルコは日本皇国を単純な友好国とみなしていない。

 特異な価値観と、それに裏打ちされた民族や文化に対する(欧米人に比べれば遥かにマシな)公平性や客観性がある。

 条約を交わせば、こちらが反故にしない限りは律儀に守り、逆に反故にすれば即座に条約を破棄する潔さがある。

 玉虫色と呼ばれることもあるが、その実、主張はよく見れば首尾一貫している。

 わかりにくくもあるが、譲れない一線は逆に分かりやすい。

 

 政治的奇貨にして奇跡、そして切り札になり得る存在……

 どうやら、周辺国もそれに気づきつつあるようなのだ。

 

 どこの世界に、「独立国にすることを前提に、他国の元植民地を受け持つ」国があるのか?

 他国の戦後復興と国家再建まで「支配しないことを前提に」戦争計画に組み込む国など、一体いくつあるだろう?

 

 最初に気に食わなかったのはリビアだ。

 王族の娘を使い、日本人の婿取りをさせることで、アラブ世界、あるいはイスラム圏では重視される”血のつながり”を作った。

 最初は無警戒(ノーマーク)だった。

 皇族の血をひかぬ、平民の子であったからだ。

 だが、ある時期から、その日本人婿を”ジハード聖戦士の生まれ変わり”と喧伝し始めたのだ。

 トルコは、その婿を深く調べなかったことを深く後悔した。

 

 なぜならその男、”ヘイシロー・シモサ(アラビア語発音)”は、「銃一つを武器に個人で最も多くの侵略者(イタリア人)を屠った男」であり、誰も疑いようのない”ムジャーヒディーン(イスラム戦士)”の資質を備えた”بطل(batal)”、即ち”英雄”だった。

 これはトルコにとって大変よろしくない。

 アラブ世界において”英雄(batal)”とは場合により王族よりも深い尊敬を受けるのだ。

 例えば、異民族でありながら受け入れられた”砂漠のロレンス”がその好例だろう。

 

 そして、ヘイシロー・シモサはロレンスよりもさらに”本物(分かりやすい)の英雄”であった。

 彼の唱えたとされる聖句、”アッラーに捧げる戦士の誓い”は、今やリビア軍の出陣の際、士気高揚の宣誓に使われているという

 

 ”بسم الله العظيم أعط مطرقة لكل ظلم.(偉大なるアッラーの名に懸けて、全ての不義に鉄槌を)”

 

 لله أكبر(Allāhu akbar)という祈りで締めくくられる老人への労りから始まり、アッラーへの誓いで締めくくられるこの聖句は、なるほどよく戦士が守るべき者、守るためにすべきことを凝縮していた。

 

 そして、それを最初に唱えた男が娘婿として王族の末席に座るという。

 しかも、既に娘は孕み、婚約の儀は行われたが婚姻の儀はまだ行われていない。

 なぜか?

 戦争が終わってないからだ。

 戦士は戦場にて輝く者だ。

 だから、戦争が終わるまで夫とはならず、戦い抜いた果ての終戦と共に、その凱旋と共に晴れて夫となるという……

 

「ふざけるなっ……!!」

 

 あまりにも出来過ぎだろう。

 例え、ヘイシロー・シモサが戦死しても、物語は終わらない。

 末姫は、既に英雄の子を孕んでいるのだ。いや、末姫だけではなく、その取り巻きも子を宿した者が何人もいるという。

 サヌーシー教団は、明らかに”英雄の血を絶やさない為”の安全策をとった。

 生まれた子の一人でも成人できれば、それが”英雄の担い手”となる。

 砂漠の民の生死感はシビアだ。死が身近にあるから必然的にそうなる。

 

 そして、死んでも英雄は英雄だ。

 死してなお尊敬を集め、時にはそれが信仰として昇華される場合もある。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、それが何故そんなにもトルコにとり都合がよろしくないのか?

 トルコは、これまで「地中海随一の親日国」という看板を掲げてきた。

 実際、地中海沿岸諸国の中で最も日本皇国と外交関係が長いのはオスマン帝国時代も含めたトルコだ。

 日本は普通にそれを内諾していたし、それによる国益の享受もあった。

 ”あの英国”と対等に付き合える同盟国、オスマン帝国が破れた第一次世界大戦の勝利者側、日清・日露戦争で連戦連勝の日本皇国の友好国というのは、それだけで日本人が想像もできないほど、特に周辺国に対してステータスとアドヴァンテージを齎すのだ。

 

 しかし、その安泰だったはずのポジションが最近になって急速に揺らいできた。

 先ずは前述の通りリビア。

 石油を餌に日本皇国を誑し込もうとしたが、それは少々甘かったようだ。

 日本は樺太油田を持つ産油国でもあり、自国の消費分くらいは自給自足で賄える。

 それどころか、”リビアの石油はリビア人の民族資産”である事を念頭に、官民一体の”アラブ石油開発機構”を設立し、「国家樹立とその後の支援に対する手間賃として、石油の一部を配当として受け取る」という形にしてしまったのだ。

 これは欧米人により搾取されることに慣れていたリビアのアラブ人にとって青天の霹靂であると同時に、完全にアテが外れた事になる。

 だが、彼らは諦めなかった。

 前述の通りリビアの一角を占めるキレナイカ王国が前述の通り日本人の”英雄”を、末姫を使って婿として取り込むことに成功。

 また、末姫でなくなんらかの形でつながりのあるサヌーシー教団の娘たちを同時に嫁がせ、脇を固めるさせると同時に孕ませ、高確率で”英雄の後継者”を産ませるように配慮する。

 さっきも言ったが、一人でも無事成人でき、なおかつそれが男児であれば、英雄の一門は安泰であろう。

 そしておそらく、凱旋できれば戦場でつけてきた”箔”を生かして、軍の要職につけるに違いない。

 裏切る可能性のない有能な軍人というのは、王族にとって喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 

 しかも、この一連の流れをコーディネートしたのは、日本外交官でありながら外交だけでなく政務アドバイザーもしているという、その為最近は”キレナイカ王国の宰相”とも呼ばれるあの男(・・・)であるというのだ。

 気がつけば、ここまで御膳立てができていた。

 

 

 

 認めなければならない。

 リビアは今や、”地中海随一の日本皇国の友好国”というトルコの地位を脅かす存在になったと。

 それだけではない。

 リビアの成功を見て、かつての領土、今や隣国であるシリアやレバノンもその地位を間違いなく狙っている。

 フランスに委任統治領として大人しく支配されていると思いきや、独立の機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

 だから、ドイツとの敗戦でフランスが没落したとみるや、ああも早く行動を起こせたのだろう。

 フランスが、日本にシリアとレバノンを「独立支援」名目に投げ渡したのは、偶然であるわけはない。

 そして、彼らは「リビアのフォローされた小さなミス」を参考に、石油を呼び込む餌ではなく、日本人が納得しやすい「共同開発」を持ち掛け、独立支援の対価を”油田開発で得た石油で支払う”という彼らにとり実に都合の良い方法で決着させたのだ。

 

 独立支援と共同開発という名目がある以上、日本にはシリアとレバノンに対する保護義務が生じる。

 そして彼らは新兵器実験部隊を含む10万の皇国軍兵力を”治安出動”名目で常駐させることに成功したのだ。

 トルコがやりたくても「治安が安定し過ぎている(皇国にそう見做されている)が故に」できない方法だった。

 

 

 

(そして、何より腹立たしいのは……)

 

 因縁深いギリシャの台頭。

 英国人だけなら、おそらくあの本土を追われた国王は、最終的にエジプトあたりに亡命と称して逃げ延びた事だろう。

 だが、

 

「フランス人のみならず、イギリス人も本当に余計なことばかりしてくれるっ……!!」

 

 クレタ島のケツ持ちを、よりによって日本に丸投げしたのだ。

 そして、クレタ島の防衛責任者は堅守の名将”ジェネラル・クリバヤシ”と彼の率いる精鋭。

 タラント沖で海軍が壊滅したイタリア人や、ジブラルタルやスエズをイギリス人に塞がれ、船を持ち込めなかったドイツ人がどうにかできる相手ではなかった。

 案の定、大惨敗を喫して、クレタ島は”ギリシャという国家としての機能”を残し、今や皇国軍の大軍勢で本土奪還を急速に進めている。

 日本人の手を借りて凱旋したあのいけ好かない国王は、さぞかしご満悦だろう。

 共産主義者が多少は暴れているようだが、ソ連があの様ではまともに支援も受けられないだろう。

 

(鎮圧されるのも時間の問題。どう長引いても今年中には終わる)

 

 多分、日本人の事だからまったく気にしてないだろうが……今回の作戦、ギリシャ国王の王権の担保に、日本皇国が付いたと国際的に喧伝したに等しいのだ。

 言い方を変えよう。元々、歴史的背景から国内の支持基盤が強いとは言えなかったギリシャ王室に、誰にでも明確な力を持つ、”ギリシャに友好的な強国の支持基盤”が付いたのだ。

 誰に目にも、「国王が盟友(・・)たる日本皇国の軍を連れて来た」ようにしか見えない……なんというわかりやすい権勢!!

 更に腹立たしいことに、彼らには諸事情(・・・)によりトルコが放棄せざるえなかった強い外交チャンネル”皇室外交”を維持している。

 軍事作戦としては日英同盟に基づいてだろうが、大義名分には必ず「友好関係にある王室の救難・救援」が入るはずだ。

 

(それにあの黄金甲冑はなんだ!? わざとらしすぎるだろうっ!!)

 

 ”やんごとなき御方”本人ではなく、その親族から贈られたという名目の戦装束……しかも、それを運んできたのは特使として派遣される爵位持ちの外交官だというのだ。

 

(しかも、よりによってあの”バロン・シデハラ”とは……これは何の因果だ?)

 

 いくら何でも、過剰演出だった。

 

(全土を”日本皇国軍と共に(・・)国土回復(レコンキスタ)”したと必ず出しゃばってくるだろうな……)

 

 実際、その兆候はもうあるのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 今のトルコには外交的泣き所(ウィークポイント)がある。

 国際的に「ソ連に近い」と思われているのだ。

 オスマン帝国が歴史用語になった後のトルコは、レーニンがロシア革命を起こした時に、「帝国主義政府との戦いと共闘することを約束」した見返りに支援を受け取って(・・・・・)おり、また1931年にはモスクワ条約に署名、その後に国境線を確定するためにカルス条約にも続いて署名した。

 

 無論、トルコを共産主義化するつもりなど毛頭ない。

 トルコは、ソ連を利用しているだけのつもりだが……時期が悪かった。

 皇室外交の消失とレーニンへの”お為ごかし(・・・・・)”が重なったのだ。

 お陰で友好国なのは変わらないが、少なからず”距離感”が遠くなってしまったのは事実だ。

 日本皇国の現在の印象は、

 

 ”トルコは日本の友好国だが、同時にソ連の友好国でもある”

 

 だ。無論、トルコとてその評価を知らないわけでは無い。

 そして、38年の”日本皇国の共産主義者に対する告発と断罪”で、更に微妙な空気になってしまった。

 加えて近年、次々と明るみになるソ連の戦争犯罪だ。

 友好関係は維持しているし、友好国の看板に文句は付けられていないが……という感じだ。

 

 

 

 他にもウィークポイントがある。

 世にいう”アルメニア人大虐殺”だ。

 第一次大戦中の1915~1916年にかけて、”死の行進”による強制移住、さらに武装解除させた上で組織的に”駆除”しているのだ。

 詳細は、「アルメニア人虐殺」で検索すればすぐ出てくるのだが……

 他にもアッシリア人やポントス人(ギリシャ系民族)にも似たようなことをやっている。

 無論、トルコにも言い分があるが……だが、最低でも60万人以上、最大で150万人以上を殺害したのは確かだ。

 そして以前、”東慶丸(とうけいまる)”の話題を出したが……あの時、ちらりと書いたがイズミルから脱出した民にはギリシャ人以外にアルメニア人もいたのだ。

 そして、彼らから「トルコ人によるアルメニア人の組織的な虐殺」を聞いた日本皇国政府は、にわかには信じがたいと思いながら戦後、英国の協力(・・・・・)を得て密かに調査を開始した。

 そして、虐殺は事実であったと結論付けた。

 しかもタイミングが悪い事に、その調査の最終報告書が出来上がる時には、首謀者と目される三頭政治の”三人のパシャ”はいずれ暗殺(アルメニア人による報復テロ)や戦死で「国外で死んでいた」のだ。

 そして、彼らを追放に追いやった”勝者たるパシャ(・・・)”に、その言及が及んだ。

 日本皇国は、その醜聞を国際的にばらまき、煽りながら非難するような真似はしなかった。

 それは虐殺の首謀者である”三頭政治のパシャ”を放逐したのが現在のトルコ盟主たる”初代大統領のパシャ(・・・)”であったり、またボリシェヴィキ革命勢力と繋がりがあったアルメニア人の共産系秘密結社”アルメニア革命連盟”が前出通り報復テロで放逐された側のパシャを暗殺していたことも考慮された。

 何より同盟国が”セポイの乱”をはじめ、世界有数の”やらかし案件”を抱える腹黒国家(イギリス)だ。トルコだけをやり玉にあげるというのも何か違うという思いもあった。

 なので大事にはしなかったが……

 

『第一次大戦では敵対したが、親愛なるトルコが”ロシア人がチェルケス人に行ったような行為”をしたことが、皇国としては大変遺憾だ。陛下もとても哀しんでおられる』

 

 そして、その時の特使(密使)こそが外務大臣になる直前の外交官、幣原喜十郎だった。

 

 

 

***

 

 

 

 つまり、皇室外交が消滅したのは「トルコが諸所の事情でオスマン帝国ではなくなり、君主が消滅したから」というのが表向きの理由ではあるが、それだけが理由ではなかったという訳だ。

 日本皇国という国家の性質上、基本的には内政不干渉の原則は貫くし、戦後に立ち上がった国際連盟においてその話題を率先して出すことは無かった。だが、”それだけ(・・・・)”だ。

 自分達が”現代のヴェネツィア呼ばわりされてもおかしくない悪辣な海洋性重商主義国家”という自覚がある日本皇国は、友好的な貿易相手国であるトルコとの関係を自ら悪化させる事は無かったが、例えば日本人自身は”虐殺”という表現は使わなくとも、他国が虐殺という表現を用いても特に止めはしなかった。

 

 ”民族や国家それぞれの主観という物がある”

 

 と発言するだけだった。

 無論、通商関係が破棄されたわけでもなく今でも友好国ではあるが……この世界的な群雄割拠の時代、冷えてきた関係を温めるべくトルコは手を打った。

 スクラップに偽装した元フランス艦を黒海に入れたのは、その一環だ。

 実際、今のソ連にトルコに制裁を加える余力が残っていないことを確認した上での行動だった。

 お陰で対価として日本製の駆逐艦と乗員教育サービスは手に入ったが、逆に言えばそれで清算されてしまった。

 軍の常駐の話は、一切なかった。

 そして、新入り共が事あるごとに「トルコとソ連の近さ(・・)や、数々の虐殺を起こした野蛮な国家」と日本に吹聴しているのも掴んでいる。

 本気で腹立たしい話である。

 事実無根でないところが、余計にだ。

 

(だが、今回の件は好機でもある……)

 

 改善を要するほど関係は悪化して無いとはいえ、

 

「私だ。悪いが”東郷特使”に来るように伝えてくれ」

 

 トルコ共和国初代大統領、”ムハンマド・ケアル・アタテュリュク”、あるいは”ムハンマド・ケアル・パシャ(・・・)”は苦悩に満ちた小さくため息を突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で新規本格参入プレイヤー、この世界線におけるトルコの微妙な立ち位置を描いてみました。
ついでに幣原さんのフラグを回収。

別に皇国も品行方正では無い(そもそも首相がアレだし)ですし、パートナーたる同盟国も色々やらかしているので、面と向かって責めはしませんが遺憾ではある……みたいな雰囲気が出ていればと。

史実の大日本帝国は、中東や地中海に関わることはほぼなかったのですが、今生の日本皇国は、好む好まざるに関わらずに地中海に深くコミットしてるので、まあ、色々と考えねばならないことは多いようで。

少なくとも軍部が無理やり状況を単純化した史実に比べ、国力も軍事力も巨大化したけどそれに比例して軍部も政府も外務省もよっぽど苦労してるみたいですねぇ~w


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第266話 トルコからの使者とクレタ島の”もう一人の王” ~その申し出、ありがたくもあり、ありがたくもなし~

今回は、トルコからの申し出とギリシャ王とは違う、「クレタ島に避難していたもう一人の王族」をピックアップです。






 

 

 

「つまり幣原さん、トルコはイタリア人捕虜15万を一時的に預かる準備があると言ってます。そして、アルバニア問題が発生した場合、クレタ島に避難してらっしゃるゾグー国王陛下の”公式に”後ろ盾になっても良いと」

 

 

 

 さて、とりあえず解説が必要だろう。

 実はつい先日まで、クレタ島には二人の国王がいた。

 一人は言うまでもなくギリシャ王国国王グレゴリウスⅡ世陛下だ。

 今はもう家族共々、アテネに移り住んでいる。

 ちなみに国会議事堂に使われていた王宮は、再び王宮に仕立て直されることになった。かなり明確な”史実との分岐点(・・・・・・・)”だ。

 逆に新たに王国議事堂が建設されることになり、つい先日までイタリアの占領下におかれ、議会は解散されたままなのでそこで始まる王立議会をもってギリシャ王国の再生を宣言することになるようだ。

 

 さてもう一人の王が、アルバニア王”アフマド・ゾグー”だ。

 史実ではゾグーI世と書かれる事があるが、この世界線ではアルバニア王国(・・)初代(・・)国王であり、未だ世襲できるか不安定という意味を込めて単純にゾグー国王と呼ばれることが多い。

 

 そう、イタリアのアルバニア侵攻でギリシャに亡命し、グレゴリウスⅡ世と共にクレタ島に渡り、今でも政治的厄介さからマルタ島に残ってる国王だ。

 何が厄介かと言えば、まずこの国王、トルコとのつながりが強い。

 ゾグー国王の家柄は、オスマン帝国時代のマティ総督を世襲で務めた家系、つまり元はトルコの豪族だ。

 内政的には旧態依然の氏族社会が残り、南北で社会構造まで違っていたアルバニアを、”アルバニア人というアイデンティティの確立とアルバニアというナショナリズムで国家としての自意識を形成”した。

 20年代に一度首相になるも、一度蜂起で国を追われ、今度はゾグーを追い出した勢力がソ連と接近することを警戒したユーゴスラヴィアの支援で軍を編成して武力闘争で政権奪還、アルバニアのトップに返り咲くと同時に世界恐慌の真っただ中の1928年にアルバニア初代国王に即位する。

 

 それから10年ほどの1939年にイタリアの侵攻を受けて国を叩きだされるのだから、中々に波乱に満ちた人生を送っているが、実は侵攻前にイタリアのファシスト政権に積極的に接触を図っていたのはゾグー自身なので、ある種、彼自身が侵攻を受けた元凶ともいえる。

 なんとなくだが……人を見る目はなさそうだ。

 

 元々、国民からは微妙な評価の国王なのに、史実では逃げ込み先のギリシャまで陥落し、最終的にエジプトに亡命することになる。

 そして、二度の亡命という醜態でアルバニア人の支持を失い、戦後、勝者たる連合軍に王として返り咲けるよう工作を行うもすべて失敗、失意の中で生涯を終え、アルバニアはその後、共産圏の国家となる。

 

 

 

***

 

 

 

 しかし、これもバタフライエフェクトというのだろうか?

 クレタ島に史実同様にギリシャ国王同様に押し込まれたとはいえ、クレタ島防衛戦の成功によりギリシャの完全な陥落はこの世界線では起こりえず、少なくとも史実よりはアルバニア国王としての復権の道筋が残っているようだった。

 

 だが、ここで大きな問題がある。

 ゾグー王は、「日本皇国の覚えがめでたくない国王」だったのだ。具体的に言えば「皇室外交リストに記載されていない(・・・・・・・・)国王」だった。

 彼が国王になった時機を見て欲しいのだが……1928年と言えば、この世界線でも昭和3年、つまり年若い昭和天皇が即位したばかりの時期だ。

 また、即位してすぐの王、出来てすぐの王朝に皇室外交を呼びかけるほど日本皇国、特に外務省と宮内()も軽率ではない。

 

 ギリシャ王国を例に出すとわかりやすいが……確かに1924年から35年までの王不在のギリシャ第二共和制の時代を挟むが、王国としては日本皇国建国前の1832年から存在しているのだ。

 付け加えるなら1924年の共和化運動で追放された国王が当時即位したばかりのグレゴリウスⅡ世だったが、35年に返り咲くまでの間も、亡命先に英国を選んだのが功を奏して皇室外交は継続されていたのだ。

 それが結果として、ギリシャ王国の本土奪還に繋がっている。

 そして、某チャーノじゃあるまいし、引退していたとはいえ海千山千の古い時代の外交狸の生き残りである幣原がその背景に気がつかない訳はなかった。

 

「久しぶりだね東郷君」

 

 現在、駐トルコ大使であるはずなのに突然姿を現した後輩、東郷重徳に幣原は柔和な笑みで、

 

「久しぶりの再会だというのに、少々俗っぽいというか穏やかではないね」

 

 幣原はスッと目から笑みを消し、

 

「トルコの狙いは、アルバニア国王を介しての皇室外交への復権かい?」

 

 しかし、現役の外交官である東郷は肩をすぼめて、

 

「俗っぽいのは仕方ありませんよ。我々が携わっているのは現世政治だ。まあ、トルコの狙いは”それも含まれる”という感じです」

 

 幣原はふぅと小さくため息を突き、

 

「”パシャ(・・・)”殿は、アルバニアを傀儡にでもしたいのかね?」

 

 あえて他意(おそらくは警戒心)を含めて古い呼び方をする幣原に

 

「後ろ盾に立候補したというだけですよ。それに今はパシャではなく”トルコの国父(アタテュリュク)”です」

 

 

 

(そういえば、最後にあったのは20年も前……”アルメニア人に対する報告書”を持参した時だったか)

 

 前に少し触れたとおり”トルコによる第一次世界大戦中のアルメニア人虐殺に関するレポート”を特使としてトルコに持参したのが幣原だった。

 

 

「随分と仰々しくなったものだね。まあ、トルコの申し出と要求は察したよ。確かに助かる話ではある。だが、この案件を決定する権限は、私にはないよ?」

 

「知っております。本国には、既に起案書を回しておりますよ。了承された場合を考え、現場責任者である”バロン・シデハラ”に話を通しておこうと思いましてトルコから赴きました」

 

「君のそういう抜け目の無いところは嫌いじゃないよ。外交官には必要な資質だ」

 

 

 

 東郷重徳……史実において東郷という外交官は、外務大臣まで勤め上げ、日米開戦に反対した人物であり、対米協調派だった。

 ただ、この世界線では東郷は外務省内で”米国シンパ”と見做され、また鍔迫り合いのような派閥闘争にも嫌気がさしたために早々に省内の出世レースから外れ海外勤務で外交官としてのキャリアを終えようとしていた。

 実はドイツ大使を務めていた時代もあり、大きな意味で来栖や大島の先輩ドイツ大使でもある。

 そう言う相手だからこそ、外務省で返り咲くなどの野心を持って接触してきたわけではないことは幣原も理解していたが……

 

「まあ、君の案が通るなら協力はしよう」

 

「例えば?」

 

「グレゴリウスⅡ世陛下には、”アルバニア王国(・・)が対共産主義国家(ユーゴスラヴィア)防波堤(・・・)”に使える旨を報告しよう。前後からトルコとその影響国(・・・)にギリシャは挟まれてしまうことになるが、当面は皇国軍が駐留することで、緩和剤にはなるだろう。それにギリシャにもトルコにも我が国は二国間条約を結んでいる。こういう時の為の二国間条約だろう?」

 

 堂々と”皇国がバランサーになれば問題ない”と言い切る幣原に、真の老獪さというものを感じた東郷は、

 

「……幣原さん、やっぱり現役復帰して正解ですよ。その能力、引退して眠らせてしまうのは国家の損失です」

 

「もう老いて朽ちるのを待つばかりのこの身に、何を期待しているのかい?」

 

 そう笑う幣原だったが、やはりその笑みは狸っぽいと東郷は思った。

 

 

 

***

 

 

 

 アルバニアに展開していたイタリア軍から、秘密裏に”降伏嘆願(・・・・)”が届いたのは、それからしばらく……ギリシャ国王グレゴリウスⅡ世により”ギリシャ全土の国土回復終了(レコンキスタ)宣言”が出された直後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、トルコも存外にしっかりと外交する模様。
特にトルコ人の特使ではなく、「日本の外交官を通すことで、日本本国に通達してから動くという体裁」をとるあたりが。

そして、「(ギリシャでの)戦争に参加するつもりはないが、捕虜の一時預かりやアルバニアに対するケツ持ちはしよう」という低リスクで出血の少ない方法で事態に関与し、存在をアピールする……みたいな老獪な狡猾さを描けていたらな~とw
トルコって伝統的に外交的……というか政治的駆け引き上手いんですよねぇ~。

老獪な狡猾さなら、幣原さんも人のことを言えない気も……まあ、彼もまた”古狸の一匹”ですから。
伊達や酔狂で外務大臣に上り詰めた訳じゃないってことでしょう。


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第267話 「これはひどい」と狙撃手は呟くが、実は平常運転と言えば平常運転な事態

まあ、割と「いつものアカ」な状況だったり……




 

 

 

 1942年10月28日、その日はギリシャ王国の歴史の1ページに”栄光の日”と記載されるべき吉日だった。

 

『ようやく朕が黄金の甲冑を脱ぎ、公の場に出れる日が来たことを心より嬉しく思う』

 

 その言葉から始まった”ギリシャ王国全域の国土回復(レコンキスタ)完了(・・)宣言”に、ギリシャ国民は大いに沸いた。

 パレードする皇国海軍陸戦隊や陸軍の戦車の重厚な勇ましさに歓声を上げ、上空で曲芸飛行を披露する戦闘機隊に感嘆の声を上げ、目に映る位置に来た皇国戦艦の巨大さ、そして撃たれる号砲(祝砲)の大きさに驚愕の声をあげた。

 

 そして、日本とギリシャ王国の国旗が街のあちこちに交差するように掲げられるのを見て、自分達こそが勝利者だという実感を嚙みしめるのだった。

 

 

***

 

 

 

 そして、そんな慶事……祝福の空気の中、ギリシャで戦い、随分と仲間を減らしたイタリア将兵は誰に見送られることなくひっそりとギリシャから隣国トルコへと送り出された。

 彼らもまた、すぐに本国へ戻れるとは思っていなかったし、「ギリシャで民兵に怯えるよりは、トルコでの捕虜生活の方がいくらかマシ」と割り切っていた。いや、諦めていたと言い方を変えた方が良いかもしれない。

 第一次世界大戦直前にイタリアがトルコに吹っ掛けた”伊土戦争”という衝突があった(実はリビアが生まれるきっかけになった戦争でもある)し、別にイタリア人もそれを忘れた訳ではないが、その最中に当時はオスマン帝国の領土だったセルビア・モンテネグロ(ツルナゴーラ)、ブルガリア、ギリシャが起こした”第一次バルカン戦争”→第一次世界大戦という流れがあり、伊土戦争自体が停戦という終わり方をしたのでそこまで恨まれていないだろうという見解と、日本が交渉の中心にいる手前、トルコも無体なことをしないだろうという目算もあった。

 イタリア軍、捕虜になった方が冷静に考えているような気もする。

 事実、その目論見は見事に的中しているのだからタチが悪い。

 

 

 

 そして、その数日後、イタリア人の密使が命からがら国境を越えて北のアルバニアからやって来た。

 

「まあ、こうなることは予想していたんだけどねぇ」

 

 使者の手紙の内容に幣原は、小さく溜息をもらす。

 日本本国からの許可はもう得ていた。

 

 そして、現状のアルバニアの情報収集も終わっている。

 アルバニアに駐留するイタリア軍は既に完全編成の1個師団程度、3万人に満たないまでに瘦せ細っているという。

 ただ、幸いというべきかアルバニアで抵抗運動を繰り広げている共産パルチザンの勢力はさほど大きいものでは無く、また小勢力同士が結束したのはまだ今年の初めの事であり、集合体となったパルチザンの組織名も未だ決められてない様子だった。

 一応、ようやくリーダーシップを取れる”ホッジャ”なる人物が出てきたらしいが、パルチザン全体の掌握には至ってないらしい。

 

 これは、前述のようにアルバニアが統一国家になったの近年の事であり、まだ民族としての統一意識が低かった事が影響していた。

 また、イタリア人によるアルバニア人師団も編成されていたが、全体的に士気が低いのも同様の理由だろう。

 

「これじゃあ戦争しに行くというより、まるでイタリア人を救助しに行くようなものだねえ」

 

 そう苦笑する幣原であったが、

 

(これじゃあ、いずれ来る”チトー君”との会談の方がよっぽど面倒かもね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1942年11月1日、実はギリシャ国王のレコンキスタ完了宣言の10日以上前に主だった戦闘を終わらせていた皇国軍は、十分な休息と補充を終えた部隊からギリシャとアルバニアの国境を越えた。

 

 大義名分は「イタリア軍の駆逐とアルバニアの国家主権の回復」。

 実際、それに噓はなかった。

 先遣隊は陸海空で10万ほど。

 まあ、十分な戦力だった。戦力だったのだが……

 

 

 

「こ・れ・は・ひ・ど・い」

 

 あー、ヘイシロー・シモサだ。

 違う違う。下総兵四郎だ。

 

 思わず一字区切りの平仮名でコメントしてしまうほど、アルバニアはしっちゃかめっちゃかだった。

 なんせ、街のあちこちに死体が転がったまま放置され、イタリア軍は首都ティラナに寄り集まって「自衛のための戦闘」に徹してる真っ最中だった。

 日の丸を掲げた軍隊を見た途端、武器を投げ捨て白旗掲げて走ってくるんだから、その状況のひどさがわかると思う。

 誰だ? 今、「いつものイタリア軍じゃん」とか言ったの。

 いや、真面目にリビアやギリシャと比べ物にならないくらい酷いんだって。兵は怯え切ってるし。

 

 

 

***

 

 

 

 状況は把握できた。

 あのさ、ギリシャの王様が以前、「共産主義を捨てられないのなら、国から出てけ」って言ったの覚えてるか?

 そして、皇国軍とやり合っても勝てないとふんだELASの一部が、実際に越境してアルバニア入りしたらしいんだ。

 

 最初は、共闘してイタリア軍を駆逐してアルバニアを共産主義国家にしようとしたらしいんだが……案の定と言いますか、アカお決まりの内ゲバが始まったらしい。

 ソ連から政治指導員が軍隊引き連れて入り込んでいたならまだしも、ドイツとの戦争が始まった途端に居たはず”ソ連からの援助者”は何時の間にかいなくなってたらしい。

 多分だけど、「アルバニアにかまけている暇はない」とかって本国から帰還命令が出たんだろうさ。

 

 また、アルバニア側で絶対的なイニシアチブをとれる人間がいなかった事も災いした。

 いや、正確に言うならば最近、「イニシアチブを取れる人間(=ホッジャ)が、何者かにより”暗殺(・・)”されていた」ようだ。

 それを好機として捉えたELAS残党がアルバニア共産パルチザンの指導権を握ろうとして、アルバニア人の決定的な反感を招いたらしい。

 どうやら、アルバニア人はホッジャを暗殺したのもELASと考えたらしいが……正直、それに関しては確証が持てない。

 前世記憶頼みになっちまうが、ホッジャってのはスターリニズムの信奉者で、共産主義原理主義者だ。教条的過ぎて、身内からも煙たがられてたし、またお決まりの粛清で随分と恨みを買っていたようだ。

 つまり、殺される理由は事欠かない。

 

(イギリスやドイツのエージェントの仕業って可能性すらあるしなぁ)

 

 重要なのは、ELASがアルバニア入りしてからホッジャが死んでるってことと、そして内ゲバを押さえつけられる人間はいなくなったって事だ。

 オスマントルコの色合いを強く残すイスラム教が主流アルバニアと、トルコから独立したキリスト教国家(ほら、国旗にも十字架入ってるし)のギリシャ……元々、仲は良くないけど、宗教を捨て民族の隔たりを無くしたという”建前”の共産主義だけど、人の染みついた本質ってのはそう簡単に変わるもんじゃない。

 

 ホッジャが生きてた頃に始まった弱い内ゲバ……最初は、「どちらがよりイタリア人に過激な行動を取れるか?」で争ったらしい。

 要するにハーグ陸戦条約もジュネーブ条約もへったくれもない殺し方をされ始めたイタリア人は、残り少ない物資を持ち寄って首都に集結。自分と仲間と自身の身を守るための戦闘に徹することにしたようだ。

 そして、共産パルチザンは地方からイタリア人を駆逐した=勝利宣言したまでは良かったけど、今度は途端に起きたホッジャの死をきっかけにアルバニア人の共産パルチザンとギリシャ人の共産パルチザンが今度は血みどろ抗争(間違ってもこれを戦争とは言わん)を始めたってわけ。

 

(こりゃ完全に治安出動だわ……)

 

 本当に面倒くさいことになったもんだ。

 

(ん? たしかコソボってすぐそばだったような……)

 

 一瞬、頭に浮かんだのは前世の”コソボ紛争”。

 まさか、これが土地柄のせいとか言わないよな……?

 

「あー、早くキレナイカに帰りてぇ」

 

「おやぁ? もうナーディアちゃんが恋しくなりましたか?」

 

 そういえば、もう2ヵ月くらい顔を見てないか……

 

「……そうかもな」

 

 小鳥遊君、(ひと)恋しいっていうのは、こういう気分を言うのかねぇ?

 羞恥と快楽で理性が蕩けた顔と香ばしい黄金水の匂いが妙に懐かしいなぁ。

 

「ありゃま。これは思った以上に重症か?」

 

 ほっとけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、侵攻していたはずのイタリア軍が、いつの間にかご当地アルバニア共産パルチザンと、出稼ぎ(?)のギリシャ共産パルチザンの内ゲバに巻き込まれていたというオチw

これもよくあると言えばある構図ではあるんですけど。
まあ共産主義者だけではないんですが、彼らもまた”粛清”と称しての内ゲバは十八番と呼べるほど得意技ですからね~w
スターリン時代に限らずソ連は全般的にその典型だし。



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第268話 チトーとユーゴスラヴィア+アルバニアの顛末、そしてヒトラー虐という概念?

今回は、史実と異なる歴史を歩んだ臭いチトー君と既に王国ではなくなってるユーゴスラヴィア、そして王様が復帰しそうなアルバニア……何より、この世界線ではヒトラーが珍しく荒ぶる(?)感じでw









 

 

 

 ギリシャ本土奪還を目的とした”オペレーション・イオス”は、作戦目的は達成した物のある種、奇妙な終わり方を迎えた。

 ギリシャ本土奪還の追加作戦(オプショナルプラン)として発生した追加戦役(クエスト)、”アルバニア奪還作戦”とその顛末について語っておこうと思う。

 

 

 

 アルバニアでの戦闘は、アルバニア人とギリシャ人双方の共産パルチザンが互いに疲弊していたこと、ソ連やユーゴスラヴィアなどからの支援がなかったこと、また皇国軍がお決まりの焼け出された住民の為に被災者テント村→仮設住宅の設営というコンボ、食事の配給、無料診療所の設置などの現地住民の慰撫に務めたため、元々低かった民心は急速に離れ、いともたやすく各個撃破され瓦解していった。

 両者の残党はユーゴスラヴィアへ向かったようだが、その後の消息は不明だ。

 

 そして、戦闘終結してほどなく、トルコ軍のエスコートを受けゾグー国王が軍楽隊と共に凱旋、”アルバニア王国(・・)”の復活を宣言した。

 トルコ軍はそのまま治安回復・国土復興部隊としてアルバニア王国に残留することになり……それは即ちアルバニア王国が”実質的にトルコの保護国としての再出発”を意味していたが、第一次世界大戦前までオスマン帝国の一角であり、イスラム教を初め未だにオスマン帝国時代の色合いを強く残すアルバニア人は、国王の復権共々さほど抵抗なく受け入れた。まあ、「かつて知ったるなんとやら」ということだ。

 明らかにトルコの行動は、”ギリシャ王の凱旋”を参考にしたものだった。

 また、トルコ軍はトルコ軍でかつての領土であり、(クルド人問題などで)民兵の扱いに慣れているので、相応の自信を見せていた。

 

 アルバニアで”保護”したイタリア人捕虜は、武装解除の後にアルバニア駐留トルコ軍に引き渡された、ギリシャでのイタリア人捕虜同様に一時的にトルコ本国預かりとなった。

 その返礼として、”ハイリスクである事を理由にして”日本皇国は三式戦車の配備により余剰となるであろう一式中戦車並びに九七式軽戦車がトルコ・アルバニア駐留軍へ優先販売される方針が決定した。無論、訓練付きで。

 そう、トルコは周辺国に先駆けいち早く北アフリカで勇名を馳せた日本戦車を入手できることに大いに自尊心を満足させたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 その後も、日本皇国としては例外的な行動が続く。

 共産主義国家であるはずのユーゴスラヴィアに「いや、厳密に言えば共産主義じゃなく社会主義国家だし」という口実で親書を送り、その返答と共に幣原特使が、全権特命大使としてわざわざ護衛付きの特別機でベオグラードに飛んだのだ。

 

「老人の茶飲み話に付き合って貰って感謝するよ」

 

 そう切り出す幣原に、

 

「ふん。日本人がわざわざベオグラードまで来るなど、何の用だと興味を持っただけだ」

 

 そう答えるのは、ユーゴスラヴィア人民解放軍司令官”イソップ・ブロンズ・チトー(・・・)だった。

 最初に幣原が切り出したのは、皇国軍に殲滅されかけているギリシャ人とアルバニア人の共産ゲリコマがユーゴスラヴィアに向かい、おそらくは国境を越えた経緯の説明。

 そして、ユーゴスラヴィアが”彼ら”にどういう処遇をしても、一連の件の代表責任者である日本皇国の名に懸けて、日本皇国だけでなくギリシャ王国もアルバニア王国も関知も干渉もしないことを確約した。

 また、今後、少なくとも戦時中は互いに不可侵・不干渉であることに合意した。

 

 意外なことに会談自体は終始温和な空気の中で行われ、さらに「この戦争が終わったら」互いに特使を送り合い、国交だけは結ばないかと意見書が取りまとめられ、交わされる運びとなった。

 そして近い将来、”ユーゴスラヴィア社会主義(・・・・)共和国”は、「共産主義・社会主義の赤色国家の中で唯一、日本皇国と正規の常設外交ルートを持つ国家」と特別視されてゆくことになる。

 

 まあ、日本皇国的には「国外逃亡を図った国内アカの受け皿が出来た」という喜ばしい話ではあるのだが。

 ちなみに日本皇国法では、犯罪者が国防逃亡(非合法な手段での国外脱出)した事が確認されると同時に慣例的に「国籍剝奪」処理が施行され、”国民の保護義務”が消失することを明記しておく。

 つまり、生かすも殺すも辿り着いた国の匙加減に任せるという訳だ。

 例えば、1920年代に日本人共産主義者の多くがソ連を目指し、そこで大粛清の巻き添えを食ったが……それに対して、皇国は「すでに日本人ではない」事を理由に公式に抗議することは無かった。

 ただ、義務として「元日本人が粛清された」という事実だけが官報に記載されただけだ。

 また、例え帰国したとしても国籍は復活せず「無国籍者」という扱いになる。

 

 以前は国籍剝奪の前に国際指名手配手続きなども行っていたが、史実同様に1923年に設立されたインターポール(ICPO:国際刑事警察機構)だが、本部がウィーンにあった為、現在は活動が無期限凍結されているために現在のような処遇になったようだ。

 ただし、日英を筆頭に二国間の犯人引き渡し条約は生きており、こちらは粛々と行わているようだ。

 「日本国籍を剝奪したのに皇国政府が犯人引き渡しを請求できるのか?」という当然の疑問はあるだろうが、その場合は「国内で犯罪を犯した無国籍者」という扱いになるそうな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そしてこの状況に頭を抱えたのが、他の誰でもないドイツ総統アウグスト・ヒトラーだった。

 

「よりによって、日本皇国がチトーの覇権を確立・確定させるとはなっ!!」

 

 なんせ日本皇国の特使、それも貴族が「チトーのみ」と交渉して、共産主義者の巣窟から「五体満足で帰ってきた」のだ。

 つまり、日本皇国はチトーをユーゴスラヴィアの代表と認め、ユーゴスラヴィアは日本ととりあえず敵対はしないと約束し、日本もそれに応じた。

 これはユーゴスラヴィアの最大の外交的勝利であり、同時にその最大の功労者がチトーだ。

 

「日本は全く自分の地位をわかってないっ!」

 

 日本が単純に「これ以上、バルカン半島での面倒は御免だ」という理由でユーゴスラヴィアに釘を刺しに行ったというのは理解できる。

 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアはドイツの同盟国であり、最低でもソ連と戦争中は無駄な動きはしないよう飴と鞭を使い分け、しっかり手綱は握っている。

 そして、ギリシャとアルバニアが陥落した以上、”火薬庫”と評されるバルカン半島も残る火薬要素はユーゴスラヴィアくらいだ。

 だから日本人が先手を打ったのは理解するが……

 

「だが、日本人は”ユーゴスラヴィアにとって日本がどれほど恐ろしい(・・・・)”かを全く理解しておらんっ!!」

 

 地球上で、あれほど「共産主義に対する敵愾心」を露わにしている国家はいない。

 実際に戦争をやってるドイツよりも、その不寛容の度合いは深いくらいだ。

 ユーゴスラヴィアにしてみれば、「アルバニアの次は自分達か!?」と警戒するのは当然なのだ。

 

「あ奴らは、世界の反対側から大艦隊で押しかけてギリシャ、アルバニアと立て続けに共産党とその戦闘員を根絶やしにした意味を理解していない……そして、ユーゴスラヴィアが”そんな国から不可侵の確約”をもぎ取った意味も……そして、”わざわざ日本側から出向いて不可侵を確約した”ことも……」

 

 日本は律儀に約束を守る事で有名だ。生き馬の目を抜く裏切り裏切る事が当たり前の欧州においてすら、それを曲げない崩さない。

 1世紀近く続き、現在進行形で履行され続けている日英同盟がそれを照明している。

 

(日本との条約は、他国と意味が違うのだ……それをチトーは理解してない訳はない)

 

 珍しくその夜、ヒトラーはモーゼルワインを3本ラッパ飲みにするという暴挙(痛飲)に出たらしい。

 盟友のハイドリヒは、苦笑しながら酔いつぶれたヒトラーを介抱したようだ。

 ハイドリヒには別の見解があり、既に意識を飛ばしたヒトラーに、

 

「レーヴェ、ユーゴスラヴィアは残るぞ……これからもずっと……あのお節介焼きの心配性の理解の範疇外にある国を共産国のくせにバックにつけやがったんだ……共産国の中で、あれだけが別格の別枠になる……日本人の事だ。チトーが生きてるうちに、民族問題とかあとのかこんをどうにかすりゅ……zzz」

 

 そして、その発言は(ドイツにとって)悪い意味で的中する。

 戦後、共産圏と称される国家の中で、唯一日本皇国との交易を成功させたのは、ユーゴスラヴィアだけだったのだ。

 そして見返りは、”日本産共産主義者の引受先(駆け込み寺、追放先)”になること……持ちつ持たれつの関係だった。

 共産主義(厳密には社会主義)なのに富裕国側という矛盾した存在、爆誕の予感である。

 

「でも、良かったじゃないか。これで少なくとも日英独にとり、ユーゴスラヴィアの弱毒化に成功したんだぞ?」

 

 と呟いたという。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ここでもう一つの皆様の疑問を解消しておこう。

 史実では、この時期、”ユーゴスラヴィア王国(・・)”だったはずだ。

 だが、この話では不思議と王室の名は出てこない。

 史実では、ユーゴスラヴィア政府がドイツ(枢軸側)につこうとしたが「国王自らがクーデターを起こし」政権を転覆したが、今度はドイツに攻め込まれるという波乱の展開となった。

 

 しかし、この世界では少々事情が異なる。

 前述の通り、ドイツはユーゴスラヴィアには一切、手出ししていない。

 契機は1934年に史実と同じく当時のユーゴスラヴィア国王がフランスで暗殺されたことに端を発する。

 そして、まるで”暗殺を待っていた”かのように赤色勢力の一斉蜂起がユーゴスラヴィア全土で起きたのだ。明らかに事前に入念に準備されていた動きだった。

 まだ即位していなかった王子”ペーターⅡ世(この時、まだ11歳)”は、英国へと一族郎党もろともに亡命した。

 この時期、ニコライⅡ世が凄惨な死を遂げてから10年程度だ。ボリシェヴィキ革命の残虐性を知っていたユーゴスラヴィア王族に選択肢はなかったと言ってよい。

 またユーゴスラヴィア王国自体が第一次世界大戦直後に誕生した”若い王国”であり、皇室外交どころか通常の外交も行っていなかった日本皇国が積極的に打って出るということはなかった。

 無論、「内政不干渉の原則を覆すだけの大義名分」が無かったからだ。

 

 

 

 ただし、当時の王族やそれに連なる者が「全員が安全に英国へ亡命できた」裏側には、何らかの取り決め、あるいは裏協定があったと今でも疑う声がある。

 陰謀説はともかく、この時点までの”ユーゴスラヴィア革命”は「史実以上にソ連の工作が成功した」レアケースであった。

 だが、その後はあまり褒められたものではない。

 共産主義は民族に貴賎は無いという建前(共産主義というフォーマットの上での平等)としていたが、燻っていた民族対立が一気に表面化したのだ。

 元々、王の暗殺の要因もセルビア人、クロアチア人、スロベニア人の寄り合い所帯ゆえの民族間の摩擦と軋轢があるのも事実だ。むしろ、民族対立をソ連に付け込まれたという見方もある。

 そして、それがどうにもならない本格的な内戦に発展する前に何とか諸問題を類まれなリーダーシップとカリスマ性を発揮しまとめたのが、イソップ・ブロンズ・チトーという訳である。

 ただ、政治的化物であるチトーでも、ユーゴスラヴィアは当初、一枚岩とは言えなかった。

 だが、その不安定な状態のユーゴスラヴィアならどうにかなる思ったか突っ込んだのがイタリアだ。

 そして、国土を侵犯する外敵に(一番まともに状況に対処できそうな)指導者チトーの元にユーゴスラヴィアは一応のまとまりをみせた。

 仮称”ユーゴスラヴィア社会主義共和国”の基礎が出来上がったのだ。

 そりゃあヒトラーが激怒するはずである。

 そして、今度は共産主義者を否定するはずの日本皇国が、「共産主義国家ではなく社会主義国家だし」という建前で(バルカン半島の安定化のため)穏健な対応をした。日本皇国が”事実上”、国家として承認する(公式ではなくとも、特使を派遣したというのはそういう意味にとられる)事でにっくきチトーの支配権が確立してしまったのだ。

 ヒトラーが痛飲するわけである。

 

 

 

 ヒトラーとて、王族が亡命したユーゴスラヴィアを実効支配しているのがチトーで、日本皇国がユーゴスラヴィア王家よりバルカン半島の安定化を優先した判断だというのは理解している。

 理解しているが……それでも、やるせない物はあるのだ。

 

(きっと英国はペーターⅡ世に公爵位を与え、領地を持たないカラジョルジェヴィッチ公爵とすることで茶を濁すに違いない)

 

 ユーゴスラヴィアの王位継承法では「ユーゴスラビアの領土内で誕生した者にしか王位継承権を認めない」という物がある。

 おそらくはそれを利用するつもりだろう……

 

(英国は、東欧に深入りするつもりはないだろうからな……対処に苦労するのは我が国(ドイツ)だ。所詮は他人事だろう)

 

 ヒトラーの優秀な脳味噌は、アルコール漬けの夢心地にあってもなお、解答を求め続けていた。

 

(その証拠にチトーは王政廃止を宣言した時も何も言わなかったではないか……おのれ、ブリカス……)

 

 そしてようやく、脳は睡眠の深遠へ落ちて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り返ってみれば、”オペレーション・イオス”は、なんとも収まりの悪い終わり方だったのかもしれない。

 強襲揚陸が奇襲揚陸に変わったことに始まり、”ギリシャ内戦”が前倒しとなり非対称戦が発生。

 イタリア軍を降伏させながら保護する羽目になり、ギリシャ本土奪還は成功したが、トルコに借りを作ることになり、それがアルバニアにまで波及した。

 最終的にユーゴスラヴィアの雄、チトーとの会談と相成った。

 作戦目的は達成できたので作戦自体は成功と称しても問題ないが、素直にそう言い切るのも何か引っかかる感じだ。

 別に日本人が関わる作戦だからって予定通り行くわけでは無いのだが、今回はイレギュラーが多すぎた。

 その分、多くの教訓と戦訓が得られた事も、また事実ではあるが……

 

 

 

 とはいえ、これら一連の戦争は戦後処理まで含めても1942年の11月末から12月の初めにかけ一応の決着を見せ、ギリシャでは盛大にクリスマスが祝えるようになった事は幸いだろう。

 日本人的に言うなら、平穏な年末年始だ。

 とりあえず、戦争は1943年に持ち越されるようである。

 

 そう、”日英同盟史上、最大の作戦”に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ヒトラーが珍しく飲んだくれる話でした。えっ? 違う?

まあ、日本政府としては「民族対立を解決しきれない不安定な王族支配よりは、現実主義者の社会主義者の方がマシだろう。実はソ連と”適度な距離感”保つし」という方向性で(おそらく)英国と話し合ったうえで手を打っただけなんだろうけど、これで暗殺されない限りはチトーの長期政権がほぼほぼ確定してしまったというw

イタリアが下地を作り日本が仕上げてしまったチトー政権……まあ、そりゃあ荒ぶるヒトラーおじさんにもなるかw

ちなみにソ連の安易な傀儡にならなかったせいか、史実の冷戦時代、日本はユーゴスラヴィアに割と好意的だったようです。

そして、アルバニアが王国として復活するっぽいけど……ケツ持ち立候補のトルコには頑張ってほしいものだなーとw
実際、日本皇国としてはアルバニアに常駐の軍を置かなくてよいのは助かるし、
まあ国境接するのが監視付の傀儡国王とチート野郎なら、滅多なことにはならんだろうというのが皇国の見解かなーと。

でも誰とは言わないけど、連合のロビー活動に失敗した史実と違って、アルバニアの王様に復権できてよかったじゃんとw



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第269話 ”地中海安全保障会議(のプレ会議)”と”日本皇国遣地中海方面軍統合司令部”、そして(皇国に縁のある)地中海沿岸諸国の思惑

今回は、閑話的な話です。
戦争の事後処理、その舞台裏って感じかな~と。
まあ、一種のギャグだと思っていただければ’えっ?






 

 

 

 先に書いておけば、今回のエピソードは全くの余談、エクストラシナリオなのかもしれない。

 あるいは蛇足。

 下記に記すは、”オペレーション・イオス”の戦後処理を巡り行われた、当事国と日本皇国とゆかりのある地中海各国による”とある代表者会議”での一幕である……

 

「これはこれは、戦争の最後にしゃしゃり出てきて、どさくさに紛れてアルバニアを傀儡にして、オスマン帝国時代の領土をかすめ取ったトルコ代表ではないですか。日本に恩の押し売りとはまったく大したものですな。ところで、アルメニア人やアッシリア人の”操縦”はもうよろしいので?」

 

 ”バチッ!”

 

「そういう貴方は、自分の国の国土奪還だというのに日本軍に全て丸投げし、挙句に国内に日本が敵視する共産主義武装組織を大量発生させ、その尻拭いまでさせたギリシャ代表」

 

 ”バチッバチッ!!”

 

「はぁ~、これだからバルカン半島方面は野蛮で仕方ない。実に嘆かわしい。もう少し穏便に話し合えないのかね?」

 

「「色仕掛けで取り入って、コネ作った奴は黙ってろっ!!」」

 

 ”バチッバチッバチッ!!”

 

「何とも品のない言い合いをしているな」

 

「同じアラブ諸国として恥ずかしくなりますな」

 

「「「日本の手を借りているのに、未だに完全な独立国になり切れてない奴は、およびじゃないっ!!」」」

 

 ”バチッバチッバチッバチッバチッ!!!”

 

 

 

「幣原さん、出会い頭にこれって……なんとかしないとヤバいんじゃあ」

 

「う、うむ、そうだな。東郷君。流石に出会い頭にこれとは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギリシャとアルバニアの国土奪還はなされ、地中海の状況は新たな段階に入った。

 つまり既に日英同盟の明確な敵対勢力と言えるのは、既に地中海ではイタリアしか無くなっていた。

 

 日本皇国は、一度地中海配備兵力を整理するために、皇国と馴染み深い地中海やそこに連なる海の沿岸諸国、特に皇国と関係や馴染みの深い国家の代表を集めた会議、

 

 ”地中海安全保障会議”

 

 の開催を各国大使を通じて提案した。正確には今回はその前段階、お試しの事前(プレ)会議だったのだが……

 議題は、当然「イタリア本土攻略に関する意見交換会」だ。

 まあ、”地中海安全保障会議”は、本質的には安定を取り戻した(不安要素を強制削除した)地中海とその沿岸諸国の”戦後体制の構築と安定”こそがその本懐なので、議題としては間違ってはいないだろう。

 

 

 

 ところでギリシャのペロポネソス半島には”パトラ”という港町がある。

 歴史に詳しい方なら、”レパントの海戦”が行われた場所だと言えば、ピンとくるのではないだろうか?

 

 ギリシャ王国はイタリア攻略戦を見越して、会議の席上でこの地を拠点として皇国軍に「戦時中は無償で租借する」と言い出したのだ。

 もう明らかに、安全保障目当てで皇国軍を常駐させようという魂胆が見え見えだった。

 そして、他のギリシャの都市と同じくイタリアの支配下にあったパトラは、基地として使うにはインフラの整備が必須であり、それも勘定に入っているようだ。

 

 そこに待ったをかけたのがトルコだった。

 曰く、パトラは「イタリアに近すぎる」というのだ。

 実際、史実でも今生でもイタリア軍のギリシャ侵攻の際、イタリア本土より空爆が行なわれていた。というのもギリシャのパトラからイタリアの空軍基地があったクロトネまで400㎞ちょっとしかない。

 ギリシャにもしまともな空軍力があれば、カウンター爆撃を入れられた程度の距離しかないのだ。

 そして、ギリシャの狙いを正確に見抜いていたトルコは、

 

「日本皇国空軍の標準的な戦闘機・爆撃機の航続距離は2,000㎞を超える。それを生かして、アウトレンジ攻撃を行うなら最低でもカラマタ、いやむしろクレタ島からでも攻撃可能だ」

 

 するとリビアの代表はその意見に乗り、

 

「ですな。イタリア本土攻撃ならマルタ島がありますし、それで面積的拡張限界があるというのなら、日本皇国軍機の性能を考えれば、我が国のアルバイダ(アルベイダ)からでも事足りる」

 

 まず、誰もが知る日英の拠点であるマルタ島を出してから、次に既に日本皇国軍の基地があるアルベイダを出すあたり、実に意図を感じる。

 

「あえてギリシャにこだわる必要はないのでは?」

 

 そしてしっかり「抜け駆けしようすんじゃねーよ」と釘を刺した。

 

「いや、まちたまえ。長距離飛行をするパイロットの負担や機体の摩耗を考えれば、ある程度は近いに越したことはないであろう? パトラは近すぎるとしても、我が国には航空基地に手頃な立地が多くある。先ほどのトルコ代表が言っていたカラマタはその一つだ」

 

 流石にイタリアの爆撃圏内にあるパトラ推しは諦めたようだが、ギリシャも自国推し自体を諦めるつもりはないようだ。

 実際、イタリア人に踏み荒らされた街の回復を自力でやろうとすれば、膨大な予算と時間がかかる。

 ギリシャにとっては戦後復興の死活問題だ。

 

 ちなみに空軍基地の誘致に終始している理由は、皇国海軍地中海艦隊は強力で強大だが、その分、母港にできるだけの設備が整った港が限られているのだ。

 また、揚陸戦からの侵攻となれば、陸軍も船で運ばねばならぬ為に必然的に陸軍の集積地も港の近くになる。

 既に日本皇国により拠点化が進められていたクレタ島は港湾設備が整備されていて補給拠点としての機能は十分に備えていたが、他の港は母港として考えると能力が少々心許ない。

 いずれにせよ10年後ならともかく、今のギリシャの手に余るのだ。

 拡張するにしても、とても来年に予定されているイタリア本土侵攻には間に合わないだろう。

 この点、真っ先に日本皇国軍の手が入り、港や飛行場、集積地などが急ピッチで整備されているリビアの独り勝ちではあるのだが、

 

「リビア代表、あまり何でも自国で担当しようとするのは、いかがなものかね?」

 

 と今度はトルコが釘を刺しに来た。

 イタリアとの戦争ともなれば、トルコは少々位置が悪い。逆に言えば地理的に近いからこそ、ギリシャやリビアは侵攻を受けたのだ。

 つまりトルコにはアピールできる部分がないのだ。

 だったら、後ろ盾になっているアルバニアをアピールできれば良いのだが……元々ギリシャより貧しく、ギリシャより先にイタリア人の侵攻を受け、そしてイタリア人に加えてギリシャ人と現地人の共産パルチザン同士の内ゲバで更に国土が荒廃したアルバニアを推すことは、かえって日本皇国の反感を招く事をトルコは分かっていた。

 

「ふむ。私はただ、高性能兵器を揃えた精鋭揃いの日本皇国軍であれば、既存の施設だけでイタリア攻略は可能だと思っただけだよ」

 

 リビア代表は日本を持ちあげる発言をするが、これ以上リビア以外への誘致を抑制したいという意思が透けて見えていた。

 アルバニアは国土復興以前に治安回復に全力を投入してる段階なので、会議参加はトルコに全権委任という形になっている。

 そして、シリアとレバノンは傍観……まるで”オブザーバー参加”のような態度を崩していなかった。

 

 当然である。

 両国は、直接的にイタリア人との戦争に関わるつもりはなかった。

 自分達が真価を発揮するのは日本と共同開発している石油事業と、特に何かするわけでは無いイランのレンドリース品搬入ルートの監視だとわきまえた上での態度だった。

 実際、イタリア攻略にこの二国ができることはほとんどなかったわけだし。

 とはいえ、

 

 ”地中海における日本の友好国の序列決め”

 

 と目される会議なら、参加しないわけにはいかなかったのも事実だ。

 それに今後の周辺国情勢、地中海全体の安全保障に関わる……つまり、自国の安全保障に関わるなら、尚更に。

 

 

 

***

 

 

 

 どんな形であれ、利益誘導は国益に直結するのだ。

 遊びではない、自国の未来の一端がかかっている。

 ヤンデレ女同士の男の取り合いとは訳が違う。これは国家の生存戦略の問題だ。

 将来、食わせられる国民の数に直結しかねないのが、この会議だった。

 序列にしたってそうだ。おそらくは日本が兵器をはじめ物資を供与する順番に確実に影響してくる。

 

 例えば、三国同盟(トリニティ)体制のリビアは確実に「北アフリカ随一の大国」の地位を狙ってるし、ギリシャはバルカン半島で同じ様な地位を狙っているのは間違いない。

 トルコは昔日の栄光の復権だろう。シリアやレバノンにだって狙いはある。

 独立する、独立を維持するというのは、金や石油以上に「攻められないだけの武力」が必要であることを改めて実感していたのだから。

 

 そして、シリアとレバノンはそれにアドヴァンテージを持っているのだ。

 日本皇国軍が常駐してる上に、兵器は石油で買える。

 オイルマネーではなくオイルで直接、しかも採掘した石油の中で、日本の配当分を料金の分だけ一時的に増やすだけで全く手間をかけずに!

 どうせ日本人、”アラブ石油開発機構”の手を借りねば、大部分が埋蔵……いや、”死蔵”のままになる石油だ。

 シリアやレバノンにしてみれば、「無料で兵器が手に入る」感覚に近い。

 それを使わない手はないだろう。

 

 故にイタリアとの戦争に直結するリビアやギリシャの「イタリア被害者の会」と同じ土俵には上がらない。

 石油は持たぬが、未だに老舗大国の残り香が鼻につくトルコとも正面からやり合わない。

 シリアとレバノンは表裏一体、一枚のコインの裏表、言うなれば「フランス被害者の会」で、上記の三国とは系譜が違う。

 だから自ずと方針も違ってくる。

 そして今は、弁舌的焦土戦じみてきた三国のやり取りを聞き逃さなようにするのが肝要だった。

 生存戦略は一つだけの道筋ではないし、相対しなくてはならない国によっても変わってくる。

 

 

 

***

 

 

 

 別テーブルに居たこの会議、繰り返すが正確には”地中海安全保障(本)会議”ではなく、

 

 ”地中海安全保障会議”の発足に向けた事前会議(・・・・)

 

 である。

 

「これはこれは……想定以上の”酷さ”だねぇ」

 

 年功序列のため議長役を務めることになったギリシャ特使の幣原がそう呟いた。

 

「いや、まあ、皇国と関り深い、あるいは深くなってしまった地中海関係各国の立ち位置や力関係を改めて把握するための会議でしたから、その目的には合致していますが」

 

 とはリビア特使の武者小路で、

 

「まあ、想定以上の仲の悪さか……元は同じオスマン帝国だというのに」

 

 と鼻を鳴らすのがシリア・レバノン双方を担当する石射で、

 

「もしかしたら、いえ、もしかしなくても”元が同じ国”であればこそ、譲れない部分もまたあるのでしょう」

 

 そして、トルコ担当の東郷だ。

 戦争が所詮は政治の一形態である以上、このような裏方的な調整作業は必須であり、正しく外交官の仕事であった。

 だが、だからといって望んでやりたい仕事でもない。

 

 救いがあるとすれば、ギリシャやリビアは、直接的な意味でイタリアから侵略を受けた国ではあるが、感情的な側面から「イタリアへの報復」を叫ぶ訳ではなく、「今後の国益」が論点になってる点だ。

 鬱屈した感情を拗らせているなら宥めるところから始めなければならないが、今回の雰囲気であれば利益調整とやるべきことの道筋がつけられる。

 これは朗報と言ってよいだろう。

 

 実際、イタリアとの戦争が終われば、そう長く日本は大軍を……陸海空合計75万人まで膨れ上がった兵力を地中海周辺に貼り付けておくことはできない。

 拡大し続ける戦域は、それだけの戦力投入を日本皇国に要求しているのだ。

 ちなみに75万という数字は、史実の関東軍の最大動員時に匹敵するかそれ以上だ。

 戦争の拡大により、志願枠の拡張は広げられて久しく、既に予備役の動員も始まっているが……それでも42年4月に兵力180万人を越えたばかりだ。

 つまり、皇国の総兵力の半分近くが地中海とその周辺に展開していることになる。

 おかげでかつては英領エジプトのアレキサンドリアにあった”日本皇国統合遣中東軍司令本部”とされていた部署も、今やリビアのトブルクに新たに開設された

 

 ”日本皇国遣地中海方面軍統合司令部”

 

 となり、トップである今村仁陸軍大将は、43年4月1日付で”元帥”に昇格する事が内定している。

 まあ、麾下の兵力を考えれば当然ではあるが……何というか、心情を考えると実にご愁傷様である。

 

 この状態をいつまでも続けられる訳もなく、最低でも半分の撤兵は、そう遠い未来の話ではないのだ。

 だが、北アフリカ、中東、バルカン半島は、史実であれば戦後も世界有数の紛争地帯、産油国が密集していればこそ争いの絶えない地であった。

 また、米ソもしくは米露が積極的に介入し、不安定化工作を行う地でもある。

 冗談ではなかった。

 日本皇国の望みは、米ソとは真逆の「地中海友好国の安定した統治と、それに基づく地中海の秩序と平穏」だ。それが一番、国益に叶っている。

 今は樺太油田を持つ産油国の一角だが、それが永遠に続くなどと誰も楽観視していない。

 だからこそ、打てる布石は打っておく。

 その為のイタリア攻略にかこつけた”地中海安全保障機構(・・)”構想なのだ。

 とはいえ、

 

「前途多難だな」

 

「ええ」

 

 

 

 日本皇国は、決して万能な国家でもリアルチート国家でもない。

 ”オペレーション・イオス”が本来の目的は達成した物の、どうにも締まらない……二転三転、戦争目的がぶれたせいで座りの悪い形で集結したことからもそれが伺える。

 普通に生き残る為に藻掻きながら最善手を探る、転生者がいようがいまいが試行錯誤を繰り返すだけの”普通の先進国”だ。

 

 だが、それでも努力は続けるしかない。

 生き残るためには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




唐突ですが、もし各国を某○タリア風に擬人化(+皇国意外を女体化)し、皇国主人公のハーレム物にしたら……

・日本皇国
主人公。割とお坊ちゃん気質だが、世間知らずは今は昔の話で、悪友(イギリス)に振り回されたおかげで世間(世界)の荒波を知りましたw
そこまで金持ちじゃないが家柄は古く、旧家の名家って感じ。

・トルコお嬢様(トルコ嬢と略してはいけないw)
地中海地域のかつての大富豪で大地主。ただし、現在は敵対的M&A(第一次世界大戦)の被害にあい、土地や財産の大部分を失い没落。
日本君とは一番古くから付き合いがある幼馴染だが、お家騒動のせいで最近はちょっと疎遠になっていた。
そして、その間に湧いて出た日本君に色目を使うぽっと出が全般的に気に入らない。特にギリシャ。

・ギリシャお嬢
もともとはトルコ財閥の傘下にあったが、近年、独立。マカロニ強盗団に襲われたり、お家の一部が赤化病になったり大変な目にあったが、そこを日本君に助けてもらって、最近はやや依存気味。そして、感情が重めw
トルコが嫌い。

・リビア三姉妹
ここもまた旧トルコ財閥だが、マカロニ強盗団に毟り取られて配下にされていたが、日本君によりマカロニ強盗団は叩きだされ、それで愛情パラメータMAX。
トルコ曰く、「下品な成金」。特に長女のサヌーシー・キレナイカがトルコ財閥時代から反抗的だわ、日本君に色仕掛けするわで嫌い。

・シリア・レバノン姉妹
一時的にワイン屋に身柄を預けられたが、ワイン屋がそれどころじゃなくなった為に日本君の支援の下でお家再興に走る。
ちなみに潜在的にはかなりの埋蔵金持ちで抜け目がない。地中海ダービーのダークホースになるんじゃないかと警戒されている。

・アルバニアお嬢
マカロニ強盗団に襲われるは、赤化病で重篤になるはで割と散々な目にあった。最近、トルコ財閥に出戻りしたという噂が……

簡単ですが、こんな感じでしょうか?
うん。結構な修羅場だ。

さて、長かったギリシャ篇も終わりが近づいてきたようで……



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第270話 エーゲ海、波穏やかで空は快晴。そして、肉を焼く。

長かったギリシャ篇、そのラストエピソードです。






 

 

 

 さて、炊き出しの時間だ。

 ギリシャ首都、いや王都(・・)アテネでは急ピッチで都市生活インフラの復旧が行われているが、まあ市民の生活再建にはしばらくの時間がかかるだろう。

 

 ああ、舩坂弘之だ。

 ギリシャでのイタリア軍・共産パルチザンに対する掃討作戦には、国王自らが終息宣言を出していた。

 完了と言いださないあたりは、まだ現実的だ。

 おそらく本当に根絶やしにできていたとしても、この先もソ連があろうがなかろうがこの手の連中はいつでもどこでも湧いて出る。

 

(結局は、現状に対する不満のはけ口として、”共産主義思想”ってのは都合が良いってだけなんだよな)

 

 『俺が不幸なのは世の中が悪い』、『神様にいくら祈っても幸せになれない』……ロシア革命にあった根本は、そんなもんだ。

 そこに出てきたのが共産主義。

 『生まれに貴賎は無い』、『民族にも貴賎はない』、『人は平等公平でなければならない』

 実に「自分達が権力者に虐げられてる」と思ってる階層には耳心地良かったろう。

 

 そして、『富の公平分配』。

 共産主義を作った連中の性根が知れる。

 これって権力者が一番富を集めやすい方法なんだぜ?

 人間の欲望を加味してなかったのが共産主義の失敗の原因と言われるが、俺には最初から『権力者が必要なだけ分捕った残りを公平分配する』ように最初から設計されたように思えてならない。

 富の集中は権力の集中を呼ぶ。

 

(そして、どんな王侯貴族よりも権力集中が激しい、中央集権国家の出来上がりだ)

 

 一党独裁の共産党が、ソ連でどういう立ち位置なのか考えればわかる。

 そして、富の公平分配とか人の平等性とかちゃんちゃら可笑しい。

 

 そもそも人は生まれながらに平等じゃねーんだわ。

 いや、むしろ種としてそういう風に最初から出来ているのさ。

 家柄とか生まれだけの話じゃない。

 先天的に持っている能力も、後天的に伸びる能力も個体差があり過ぎる。例えば、”転生者”ってのも突き詰めてしまえば所詮は個体差に過ぎない。

 努力とか訓練でどうにもならない部分もあるし、人間には向き不向きもある。

 明確な能力と適性の差があるのに、どこのパラメータを見て平等にできるんだって話さ。

 個の能力が不均一だからこそ、人は優劣や序列をつけたがる。

 そうしないと、「自分がどの位置にいるのか、どこに立っているのか」がわからなくなるからだ。

 それってかなり怖いモンなんだぜ?

 

(そこを無理やり是正しようとするから、社会そのものが歪んじまうんだろうなぁ~)

 

 まあ、難しい話は今は良い。

 俺は黙って肉を焼く。

 

 周辺の国はイスラム圏が多く、買い付けたくても豚肉は宗教上の理由で手に入らない。牛、特に食肉用なんてのは、この辺じゃ少数だ。

 現在のギリシャでは、国民に食わせられるほどの牛や豚は飼育されていない。

 必然的に羊肉、ただし仔羊(ラム)肉は量が限られるので、必然的にマトンになる。

 

 ジンギスカンを食ったことのある人間ならわかるだろうが、コイツぁ独特の”臭み(獣肉臭)”がある。

 ギリシャ料理ってのは、香辛料をあまり使わずシンプルな味付けで、塩コショウとオリーブオイル、少しのハーブで喰っちまうが、正直、日本人としては勘弁だ。

 

 だから、クレタ島にいた頃の糧食班の頑張りで、それも調理法の一応の解決を見た。

 ギリシャでも簡単に手に入るヨーグルトに、これまたギリシャでも市場で手に入るローズマリー、タイム、コリアンダーなんかのハーブを適量混ぜ込んだ「下拵え液」の中に羊肉を1時間ほど漬け込んでから、ギリシャ人向けには塩コショウを塗し、オリーブオイルと地産の(農民から買い取った)おろしショウガ、おろし玉ねぎ、おろしニンニクを混ぜて作ったシンプルなバーベキューソースを絡めて焼く。仕上げにギリシャ産の赤ワインを一振りしてフランベ。

 そして、これを軍曹が焼いたピタ(ギリシャのピザ生地みたいなパン)と野菜とザジキ(ギリシャ風ヨーグルトソース)と一緒に包めば、ご当地ファーストフード風の”なんちゃってギロピタ”の出来上がりだ。

 後は魚介と野菜のスープだな。

 

 このメニューは安く手早く大量に作れるから、こういう炊き出しに向いていた。

 地元の経済も少しは潤うだろうし。

 

 

 

***

 

 

 

 街角から銃声が聞こえてくることも滅多になくなり、アテネ市民には生活と呼べるものが戻ってきた。

 だから、治安を担当する部隊もこうして持ち回りで炊き出しが回ってくる。

 

 配給所には、日本皇国とギリシャ王国の国旗と「皇国海軍陸戦隊配給所」の看板。

 余程の阿呆じゃない限り無茶な事はせんだろうが……まあ、一定数の阿呆が居るのもまた事実だ。

 共産主義の理念に従い襲撃ってのは流石に無かったが、転売目的も含めて食料を強奪しようとした阿呆や、一人で大量にせしめようとする阿呆ならいた。

 まあ、そういう場合は遠慮なく実力行使、”生きていれば”ギリシャ当局に引き渡す。武装してるなら手加減はいらん。

 今のギリシャ王国は、未だに戒厳令も特別時限立法も解除してないんだ。

 つまり、皇国以上に簡単に死刑になる。

 言っておくが、戦時下だからってのも加味せにゃならんが、「武装した犯人は即時射殺」が原則の”悪・即・斬!”じみた現代国家としてはマジにぎりぎりの法体系ラインの皇国以上って相当だからな?

 要するに日々、”行動を起こしちまった危険分子”の処刑が行われているって感じだ。

 罪状認否や裁判でテロリスト認定されてるなら、皇国としても特に言う事は無いからな。

 

 

 

 今回の戦い、”オペレーション・イオス”のギリシャ国内の最終的な死者・行方不明者は最終的には5万人を超えることは確実視されている。

 これはほぼ、史実のギリシャ内戦における軍人の戦死者に等しい。

 皇国軍の被害は500人にも満たないが、一連の巻き込まれた民間人の死者は1万人を下回ることはないだろう。

 救いと言っていいかわからないが……残る死者の大半は、民間人に該当されないKKEの党員やELASの民兵、そしてイタリア軍人だ。

 

 正直に言えば、反省点は上から下まで多いだろうな。

 皇国軍の被害が少なかったのは、ドイツとの戦争のせいで、ELASがまともな支援を受けられなかったからだ。

 実際、俺が前に使ったPPSh-41(バラライカ)を含め、鹵獲されたソ連製武器の大半が刻印から”バルバロッサ作戦”以前に製造され、ギリシャに持ち込まれた物と判明した。

 もしかしたら、元々ギリシャで武装蜂起を起こし、共産国化するつもりだったのかもしれない。

 

 ソ連の思惑はともかく、それでも”ギリシャ王国の国土回復”って作戦目的は達成したが、作戦全体を見れば腰砕けというか……なんか、最後はgdgdになった感が否めない。

 俺自身は大半が共産パルチザンが相手だったが存分に非対称戦ができたし、不満も不完全燃焼感もないが……作戦としては、完璧とは程遠いだろう。

 最後は、トルコの介入で、アルバニア王国の解放が成った後は、後詰め含めてケツ持ちを丸投げする形になったし。

 

(まあ、チトーと不可侵の約束結べたのはファインプレーだとは思うが)

 

 アレとユーゴスラヴィアで”継続戦争”なんてゾッとしない。泥沼化する未来しか見えん。

 

「小隊長、もうすぐピタが焼きあがりますぜ」

 

「ああ、こっちももうすぐだ」

 

 最後に隠し味でフェタチーズを散らす。

 本日の俺たちの賄いも同じく”なんちゃってギロピタ”だが、肉の味付けが違う。強いて言うなら”下町系ガッツリ和風”だ。

 マトンは下拵えのヨーグルトに付け込んだ後、酒とみりんと醬油とおろしニンニクの特製ダレに漬け込んだ肉をごま油を引いて玉ねぎのみじん切りと七味唐辛子と絡めて焼くガツンとパンチの効いた味だ。正直、ピタより米の飯に合いそうだ。

 まあ、ギリシャ人の舌には合わんと思う。当然、付け合わせの汁物は味噌汁だ。

 

 

 

 一先ず戦いは過ぎて、砲声は去り。街には平穏と喧騒が徐々に戻ってきた。

 季節は秋。空は快晴、エーゲ海を吹き抜ける風が心地良い。

 問題は山積みかもしれないが、とりあえず今はギリシャ人がクリスマスを祝えるようになったことを喜ぶとしよう。

 

 もっとも、俺たちの戦争は、当分は終わらないだろうが。

 少なくともイタリアが陥落するその時まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いや~、自分で言うのもなんだけどクッソ長かったぁ~っ!!
たった一つの地域の戦場を描いた最長篇じゃないでしょうか?
ぶっちゃけ、ギリシャ篇だけで文庫本1冊くらいのボリュームがありますw

まっ、たまには綺麗な感じにエンディングをまとめてみようかな~と。

ちなみに作中に出てきた羊肉(マトン)の調理法って、以前大手肉屋の北海道フェアの値引き品マトンをゲットした時に試した調理法で、臭みは完全には消えないけど結構美味しく食べられたレシピです。

いや~、私の住んでる地域だと普段はパックのジンギスカンくらいしか羊肉食えないので、物珍しさで購入したけど、調理法に悩んだ記憶がw
同じ羊でもラム肉だとクセがないんですけどね。

さて、ギリシャ篇にお付き合いいただきありがとうございました。
次回よりは新章、基本的には「43年の激戦の準備編」で、割と視点があっち行ったりこっち行ったりします。

ソ連の都市がナレ死ならぬナレ陥落(?)したり、格好の動きが出てきたり、あるいは新兵器の開発秘話とか、変人共の悪ノリとかw

どうかこれからもお付き合いくだされば幸いです。






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第16章:To 1943, For1943 (仮称)
第271話 日本人がギリシャで戦争やってる頃、一方○○では……的な話


このエピソードから新章スタートになります。
基本的には「1943年に向けて」的なエピソードが多いかな?

ソ連の都市がナレ死ならぬナレ陥落したり、各国が色々悪巧みしたり、新兵器の開発だのテストだのお披露目だのやったり、クルスが誰かの脳に焦土作戦したりみたいな?
……なんかいつもと変わらない気がしてきたw

とりあえず、あっちゃこっちゃに視点が飛びます。
一応、時節的には秋からクリスマス、年末くらいを予定しております。









 

 

 

 さて、日本皇国がギリシャで混沌のどんちゃん騒ぎを開始した頃……

 

 

 

ドイツ、ベルリン、総統官邸

 

「”ロストフ・ナ・ドヌー”は無事に陥落したか。あっさりしたものだな」

 

 アウグスト・ヒトラーは戦闘詳報を読みながら、そう独り言ちる。

 後方支援で当面は大規模な陸戦の可能性が低いブルガリア・ルーマニアの精鋭を抽出し、ウクライナへ後方支援部隊(機甲予備)として張りつけ、ノブゴロドの守備隊の一部を始め、国内の予備部隊の大半を南方軍集団担当戦域に移動させ、ドイツ南方軍集団主力は西進あるいは南下し、”ロストフ・ナ・ドヌー”を一気呵成に陥落せしめた。

 

 理由は、直ぐに判明した。

 ソ連はまとまった軍勢を、スターリングラードを起点に集結させていたのだ。

 いや、正確にはカスピ海北岸からスターリングラード→サラトフ→トリヤッチ→ウリヤノフスク→カザン→ニジニ・ノヴゴロド→ヤロスラブリの”カスピ海からヴォルガ川へ抜けモスクワに至る水上交通網”への兵力の集中配備だ。

 特にドイツ南方軍集団に近いスターリングラードとサラトフ、北方軍集団やフィンランド軍に近いニジニ・ノヴゴロド、ヤロスラブリへの兵力集中が顕著だ。

 

 理由は、考えるまでもなかった。

 米国レンドリースの”ペルシャ湾ルート”、ペルシャ湾→ソ連の内海であるカスピ海→ヴォルガ川からモスクワへ連なるルートが機能し始めたのだ。

 ニジニ・ノヴゴロドやヤロスラブリまで水路で運び、そこからモスクワへ物資を搬入するという感じだろう。

 

(おそらく、来年には米国製兵器を抱えたソ連農兵で溢れるだろう)

 

 だからこそ、”ブラウ作戦”を前倒しして、余剰戦力の大半を動員してまで南方を攻めることにしたのだ。

 配置勢力や米国製兵器が少ないうちに切り取ってしまおうという算段だった。

 

(できれば、その前にサラトフを攻略してしまいたかったが……)

 

 レンドリースのバレンツ海ルートが塞がれた以上、シベリア鉄道による長距離鉄道輸送がボトルネックになってるようだが”太平洋ルート”と”ペルシャ湾ルート”が生命線だという事は、ソ連も自覚しているはず。

 だからこそ、政府機能が十全と言えなくとも早急にこの配置を決めたのだ。

 

(おそらく、陣頭指揮をとって戦力の再配置を促したのはジェーコフあたりだろう。相変わらず抜け目の無い)

 

 こうなってしまうと、多方面で作戦を展開してる以上、防御を固めたサラトフの早期攻略は難しい。

 準備不足、あるいは不十分な戦力で下手に手を出せば、史実のスターリングラード攻防戦の二の舞になりかねない。

 

(おそらく、スターリンはドイツの投入可能限界戦力を見極めたうえで、黒海東岸防衛を実質的に放棄したのだろう……)

 

 その考えはおおよそ正解だった、

 スターリンは、「レンドリース品の備蓄が十分になり、狩り集めた兵たちが戦力として使えるようになった暁には、文字通り失地挽回できる」と踏んでいた。

 

(つまり、一時的に黒海方面はドイツの占領下におかれても後に奪還できると考えているのだろうな)

 

 ソ連が重点防御箇所としているのはカスピ海西岸のコーカサスの油田地帯とヴォルガ川沿いのレンドリース品搬入ルート。

 それ以外を一時的に切り捨てても良いというのなら、

 

「では、遠慮なく切り取らせてもらおう」

 

 ドイツ南方軍集団へクラスノダール攻撃命令が下ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて一方、その頃サンクトペテルブルグでは……

 

 

 

「よし、ウクライナを支援しよう」

 

 総督閣下だか枢機卿猊下だかが、いつものように妙なことを言いだしていた。

 今回はクルス目線でなく珍しく三人称で書いてゆくが……

 

「いきなり何言ってるんです? 猊下」

 

 歴史的に見て、これほど敬意のこもっていない”猊下”呼びがあっただろうか? いや、ない(反語)

 それはともかく、そう返したのはすっかり”サンクトペテルブルグ変人クラブ”の一員として定着した感があるオノデラ大佐だった。

 

「せめて閣下にしろっつーの」

 

 復活宣言ぶちかまししたり、四長老(四大聖堂主教)とつるんで、むしろ率先して民衆慰撫の為に大規模なミサをはじめクリスマス・イベントを企画してる奴が何を言ってるのやら。

 

「いやさ、小野寺君。ウチで作ってるKSP-34/42って、T-43戦車の原型っぽいのを基にしたT-44モドキだろ? それでふと考えたんだが、サンクトペテルブルグでそれが作れるのなら、ウクライナでも設計図やら仕様書さえあれば、T-34/85のトランスミッションとかが改良された後期型とか作れるんじゃなかなってさ。あそこ、ソ連が無理やり重工業移植したから、工業基盤だけはあるだろ?」

 

 どうやらクルスは、オリジナルのT-34/85(44ないし45年型)に近い物をイメ-ジしているらしい。

 流石にドイツ製の無線機と照準器を推奨し、砲弾位置やら何やらのレイアウトは改善するだろうが……可能な限り既存のコンポーネントや製造設備を使えるように配慮するらしい。

 となれば、カタログスペック自体はオリジナル(あるいはこの世界線のT-34/85)と大差ないことになるかもしれないが、少なくとも現状のピロシキ砲塔やナット砲塔のT34/76で戦い続けるよりはマシだろう。

 いや、それ以前に上手くやればソ連のT-34/85とほぼ同時期にウクライナ製T-34/85が登場させられるかもしれない。

 存外、それは意味があるかもしれないが……

 

「あー、そういう。ところで設計図や仕様書は?」

 

「もうアイデアノートを技術部の戦車科に渡して図面引いてもらってるよ。”T-34の簡易改修案”って感じで」

 

「相変わらずの脳内図面ですか? 猊下の頭ってどんな構造してるんだか」

 

「普通さ。少なくとも光ニューロチップの三次元ナノウェーハ―とかでは出来てないはずだ」

 

「どこのサイバーダインですか? それ」

 

 ひとしきり笑った後、

 

「航空機も作れるなら、大戦末期型のソ連機の設計図も送ってやりたいとこだな。幸い、アルミはまともに手に入るし、戦車のエンジンを鋳鉄ブロックで作れるようになれば、航空機にアルミ回せるんじゃねーか?」

 

「んー、それならサンクトペテルブルグ製の高品質の奴じゃなく、ウクライナの工業水準を精査した上で作れそうな鋳鉄エンジンの設計図起こした方が良いかもしれないですね? あとトランスミッション周りも。ファイナルをヘリカルギアにして5速でシンクロメッシュならとりあえずは十分でしょう。後期型T-34もそんな感じでしたしね」

 

「シュペーア君と相談してみるか……シンプルにできる部分はシンプルにして、改良すべき部分は改良して」

 

 これが契機となってウクライナで”救国の戦車”と呼ばれる「ウクライナ版T34/85」が生まれ、ウクライナどころか簡易化された設計や元がソ連の機密性の低い技術の延長線上にある為ドイツの同盟国を中心に各国で持て囃され、戦後に至るまでウクライナの財政改善に寄与することになるのだが……それはまた後の話である。

 

 

 

 とりあえず、今日もサンクトペテルブルグは平和であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




早速、ナレ陥落したロストフ・ナ・ドヌーさんは泣いていいと思うw

とりあえず、ソ連は戦線立て直し&ペルシャ湾からのレンドリース・ルートを兼ねて防衛線をカスピ海からヤロスラブリまでの”ヴォルガ川ライン”まで下げた模様。
モスクワが最前線になってしまいましたが、北のヤロスラブリは勿論、トヴェリ、カルーガ、トゥーラがまだ陥落していないので、守りはそれなりに堅い模様。

まあ、この世界のドイツは真冬にモスクワ攻勢かける様な無茶はしないで、事実上、放棄したと思われる黒海沿岸の都市を南下しながら落としていく戦略みたいですよ?

そして、また思い付きで変なことを始めるクルスw
いや、ウクライナ支援と言いつつ、確実にソ連に対する嫌がらせですよね~。
小野寺君、なんかノリノリだし。

割とカオスな感じな新章ですが、お付き合い頂けると嬉しいです。



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第272話 某Sリンの憤慨と野望、そして本日のサンクトペテルブルグの面々(ダークサイド付)

せっかくの連休なので、調子に乗って本日二度目の投降です。

今回は、割と盛り沢山……というかカオスですw





 

 

 

 あえて西部を切り捨て、コーカサス油田地帯とカスピ海の補給ルート、カスピ海からモスクワまで続くヴォルガ川の補給ルートの重防御という形にソ連はドクトリンを切り替えていた。だが、それ以外は落とさせない。

 クラスノダール、ノヴォロシスク、ソチが陥落するのは想定内。既に労働力確保も兼ねた集団疎開(住民の強制移動)も済ませた。何しろ独ソ戦が始まる前から強制移住は無数にやっているのだ。慣れた物なのだろう。

 ドイツ軍に街を追われ発生した国内戦争難民の徴兵による再戦力化も順調に進んでいる。

 米国のレンドリース品が届き始めた以上、奪われた街を取り戻すのは難しくないとソ連は考えていた。

 当然である。ドイツ以外、ソ連と正面から戦える国などユーラシア大陸に存在しないのだから。

 ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、バルト三国……一度圧倒し、赤く染め上げた国など恐るるに足らず。なぜならインフラを破壊し、反抗的な住人の間引きは済ませてあるのだ。

 ルーマニア? ハンガリー? ブルガリア? 所詮は小国の三流国。ドイツが劣勢になれば瞬く間に寝返るだろう。

 ドイツより西にある国は中立国かアメリカの管轄だ。今は放置で構わない。

 最優先はドイツ打倒、その一点だ。

 

 

 

 その為に解決しなければならない問題がいくつもある。。

 そしてソヴィエト連邦書記長、”イジョフ(・・・・)・スターリン”にとって目下、最大の問題点は、

 

「あの小癪な似非(・・)ドイツ人の日本人めっ!!」

 

 何より気に入らなかったのは、”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトベルグ”を名乗るドイツ国籍の日本人だ。

 日本人にしてドイツ人、まずどっちも敵性民族というのが気に入らない。

 

 そして、ドイツ人に奪われた”レニングラード(・・・・・・・)”の支配者を気取ってるのも気に入らない。

 何よりも気に入らないのは、

 

「私の計画を台無しにしおってっ!!」

 

 史実もそうであったように、弾圧につぐ弾圧をロシア正教に対して行っていたスターリンだったが、当初は弾圧すればすぐに瓦解するだろうと思われた正教徒の信仰だったが、粛清された聖職者を致命者(殉教者)とすることで結束し、その連帯を崩しきれなかったのだ。

 むしろ地下礼拝堂(カタコンペ)派を生み出し、文字通りの”地下活動化”するなど、より対処を難しくしていた。

 そこで、隠しきれない敗北続きのため下降気味の人民の士気を鼓舞することも兼ねて、教会活動の一定の復興を認める融和策を打ち出す方針を固めたのだ。

 そこで起きたのが、例の”サンクトペテルブルグの信仰復活宣言”、いわゆる”蒼き聖なる花十字(ミントブルー)宣言”だ。

 

 そして、その直後からソ連の西側から”人が消える”現象が多発してるのだ。

 曰くある日、共産党員が隠れ信仰の疑いのある村へ向かってみると、忽然と村民が姿を消し、廃村になっていた。

 曰くとある部隊が暫定国境線の哨戒任務に向かったらそのまま帰ってこなかった。

 散発的に、されど断続的に、あるいは示し合せた訳でもなく自然発生的に発生してるのだ。

 消えた民がどこを目指してるのか、考えなくてもわかる。

 共産党員や政治委員に監視を強化するように言っても、下手をすれば弾圧要員であるはずの彼らごと姿を消すケースすら出てきた。

 つまり、急増しつつサンクトペテルブルグの人口の出元がここだった。

 そりゃあ、信仰の自由が、”皇帝の後継者”が約束するなら、信仰が否定され弾圧された者が目指すのも当然だった。

 実際、「住民の尊敬を(共産党員以上に)集めている」というだけの理由で、拷問やリンチの末に殺された聖職者も居るのだ。

 それを目の当たりにした住人は、どう思うか?という事である。

 

 

 

***

 

 

 

 明らかに自業自得なのだが、これでスターリンの「聖職者懐柔計画」は完全に出鼻を挫かれた。

 これでは劇的な宗教との和解につながるはずの画期的政策が、ただの”二番煎じ”になってしまい、効果は半減だ。

 しかもあの似非ドイツ人は、よりによって革命勢力が苦心惨憺の末に倒した”腐敗したブルジョワジーの象徴”、ニコライⅡ世に首を垂れたというだけではないかっ!!

 

 それは自らサンクトペテルブルグを帝都として復活させ、ロシア皇帝の後継であることの宣言に等しく、ソ連に対する明確な挑戦である!!

 

「ならば、その挑戦は受けようではないか……!!」

 

 だが、今は時期が悪い。

 モスクワの防備を固め、カスピ海からヴォルガ川を伝い、ヤロスラブリまでの防衛線の再構築を固めている最中なのだ。

 いくらレンドリースによるブルドーザーなどの重機支援があっても、戦線の再構築は来年まではかかる。

 そして、それまでは積極的な攻勢には出れない。

 逆に言えば、43年ならば大規模な構成が立てられるということになる。

 

 更に朗報が入ってきた。

 ドイツ軍が南方を攻めるのに兵力不足となり、ノブゴロドの防衛隊を引き抜き、その代行としてサンクトペテルブルグの防衛隊をあてがうというのだ。

 しかも都合が良いことに、その部隊は「祖国を裏切った人民の敵」で編成されるらしい。

 

(ならば、裏切りを不問とする温情を見せれば投降するだろう。内部から切り崩すことも十分に可能か……)

 

 ”レニングラード”に仕込んだ草とは音信不通となり、新たに送り込んだ工作員は何故かことごとくが消息不明となってしまう……実際、つい先日もフォン・クルス暗殺の命を受けた選りすぐりの特殊作戦チームが侵入を図ったが、今は連絡が取れなくなっていた。

 

 しかし、”レニングラード”を実力をもって取り戻すのなら何の問題もない。

 その為には、

 

「まずは春にノブゴロドを陥落せしめる……それが”大祖国戦争”における転換点! 反撃たる” Белорусская операция(バグラチオン作戦)”の狼煙となろうっ!!」

 

 

 

 自分のプランに酔っている……自らの勝利に疑いを持たないスターリンに代わってあえて言おう。

 結局、無神論者の彼には、「宗教の本当の恐ろしさ」という物が分かっていなかったのだ。

 そう、自らが散々殺しておいても、今なお”ロシア国内で宗教として生息する”しぶとさを……

 

 加えて、彼は大きな認識違いをしている。

 ソ連が一度は屈服させた国や有象無象の小国風情に負ける訳はないと、本気で思っていた。

 スターリンの認識にあったのは、ドイツ以外なら冬戦争で痛い目に合わされた小癪なフィンランドくらいだろう。

 つまり、未だに親ソの不穏な空気漂うベラルーシはともかくとしても……ソ連は東欧諸国とバルト三国の戦力を、ほとんど計算に入れてなかったのだった……

 

 そう、ソ連が「脅威として認識していない国々」を全て合わせれば、その最大動員兵力は300万人を軽く超えることを、スターリンは完全に忘却していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「こ、これは素晴らしいっ!!」

 

 居並ぶ戦車に装甲化された兵員輸送車に牽引トラクターに連結された重砲、自走化されたロケット砲……我が欲する装備の全てがそろっていた!!

 それとドヤ顔というのか?をする閣下がちょっとお可愛らしい。

 

 うむ。ニコラス・ヴァトゥーチンである。

 私は今、フォン・クルス総督閣下に案内され、此度編成される”サンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)”の演習場へと赴いていた。

 驚いたことに、規模こそ小さい物の演習場には私が防衛指揮官として欲する装備の全てが揃っていた。

 

 上空には見慣れないが中々に高性能なフランス製の戦闘機(VG39と言ったか?)が舞い、フランス人の教官に新兵たちが操縦訓練を受けていた。

 投降した(できた)パイロットが少ないため、そしてドイツ本国もパイロットが余ってると言えない状況もあり”外人部隊”としてフランス人教官を雇い充当することにしたようだ。

 確かに制空権を奪われなければ、防御戦闘なら倍程度の相手までなら、そうそう不利になることはないだろう。

 加えて、85㎜高射砲も随分と様変わりしているという。

 高射砲自体は大きく変わらないが、電波による探知装置と連動するような改造が為され、また理屈はよくわからないが、直撃でなくとも航空機のそばを通り過ぎるだけで炸裂する信管が搭載されているのだそうだ。

 

「お前さんに、来年の春までに最低でも10万の兵力を預けることになる」

 

 なんとありがたい!

 

「ヴァトゥーチン将軍(・・)、これなら”戦える”か?」

 

「無論ですとも!」

 

 気がつけば、私は自然と敬礼していた。

 だが、無理もないと自分でも思う。

 在りし日、いつか建軍したいとウォッカ片手に亡きトハチェフスキー閣下と語り合った”機械化された将来の軍勢”が、今ここに、自分の目の前あるのだから!!

 

 不思議なほど、私には()祖国と戦うことに躊躇いはなかった。

 そして、フォン・クルス閣下に”将軍”と呼ばれた時、なるほどと理解し納得する。

 それはかつてトハチェフスキー閣下に仕えていた時と同じ感覚……

 

(私は将としてこの方を支え、行く先を見てみたいのか……)

 

 その気持ちを押さえられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、とある日の深夜。”冬宮殿”の何処か

 

 

 

「これで全部かな?」

 

 フォン・クルスの側小姓三少年のリーダー格、アインザッツは、消音装置(サイレンサー)付きのワルサーPPK拳銃を片手に、そう油断なく周囲を確認する。

 

「ん。怪しい気配はもう無いけど……」

 

「これでパパを狙うの何人目?」

 

 そう応えるツヴェルクとドラッヘン。

 

「汚物の数なんて一々数えてないよ。パパのお膝に座った数なら覚えてるけど」

 

「あっ、それボクも♪」

 

「でも、あっさりお城に侵入許すなんて、”土蜘蛛”も結構だらしないね~。鍛えなおした方がいいんじゃない?」

 

「それも一考に値するけど今回は未発見の隠し通路が使われた臭いから、コイツらの仲間を生け捕りにでき、情報を吐かせられたら不問でいいよ。むしろ叱責するとしたら、城を調査した連中かな?」

 

「相変わらずアインザッツは優しいね~。ボクだったら絶対、パパを危険にさらすこんな失態ユルサナイケド」

 

 そうヒュッとナイフを振るって血を振り落とすドラッヘンに、

 

「別に優しくはないさ。僕たちは全員殺してしまうから、情報収集は苦手だ。機能分与の問題だよ」

 

「まあ、パパに手を出そうとするなら殺して当然だよね♪ だって世界中でボクたちをボクたちとして愛してくれるのはパパだけなんだからぁ♡」

 

 

 

 以上、スターリンが送り込んだ”選りすぐりの濡れ仕事チーム”の末路である。

 宮殿の潜入に運よく成功した実行犯の彼らはこうなったが、バックアップチームの一部は捕縛され、”NSR流尋問(・・)術”にかけられた後、存在が抹消されたようだ。

 ヒトラーユーゲントという触れ込みで、シェレンベルクが連れて来たこの三人の美少年……存外に闇が深そうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、同志Sリンは”バグラチオン作戦”のスタート、反撃の狼煙にサンクトペテルブルグ攻略(レニングラード奪還)を選んだみたいですよ?

まあ、話数的には素直にたどり着けるかも分からないだいぶ先なんですけどねw
一応、イタリア攻略よりは確実に前です。

そして、早速クルスにブレイン・フライ(?)されてハイになるヴァトゥーチン中将w
これを略すと「脳味噌フライ・ハイ」?
いや、なんか別の意味になりそうな……でもK-ON!とか懐かしい♪

そして、美少年側小姓三人衆は……今は多くは語りません。
ただ、NSRより「彼岸花の反動」的な戦闘訓練を受けているのは確かでしょうね~。
というか、これが本来のお役目かも?

ご感想、お気に入り登録、評価などして頂けたらとても嬉しいです。



追記(あるいは裏話)
実は最初、スターリンは”ヨセフ・スターリン”の予定だったのですが、名前が何となくドイツっぽくなってしまったのと、「あっ、作中でも今は亡きエジョフぽい名前にしたろ(=イメージ重ね)」って事で、”イジョフ・スターリン”になりましたw







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第273話 自動小銃(突撃小銃)のお話 ~StG42とAG43~

今回、割と枢機卿猊下がウキウキしとりますw
それにしても、いくら連休だからってほぼ半日ごとに投稿してる気がする。
それ以前に休みはほぼほぼ執筆してるような気が……我ながら、他にすることないんかい?とw









 

 

 

「おお、ようやく回ってきたか♪」

 

 おう、フォン・クルスだ。

 いや~、今日はかなり機嫌がいいぞ♪

 まあ、それには当然、理由があって……ちょっと長くなるが聞いてくれるか?

 

 前世にもあった世界最初のアサルトライフル”StG44”だが、その原型である試作突撃小銃”MKb42”はハーネル社とワルサー社で1942年には完成され、同年の11月には試作銃が実戦テストに持ち込まれ、良好な成績を示した。

 だけど、史実のヒトラーの無理解により戦場で有益だと認められたにも関わらず開発中止命令が出されたんだよ。

 そして、史実のシュペーア君が中々に強かで、中止命令が出た後も”MP43”なんて如何にも短機関銃っぽい名前に変更して開発を継続、そして先行量産型とも言える銃を供給し、戦場からの「もっと大量のMP43を!」の声にヒトラーは驚き、真相をシュペーア君から聞くも、現場からの声に押されて量産を認めたって経緯がある。

 だが、”StG44”の名前の通り制式化されたのは44年で、時すでに遅しだ。

 

 とまあ、ここまでが史実の話。

 そして、今生での名前は”StG42”。

 まんま史実のStG44だが、名前の通り制式化と大量生産は大幅に前倒しされ、今年(1942年)の11月1日付でまとまった数が随時装備更新されて行く予定だ。

 この調子だと計画にある「44年までに400万丁の生産」は十分に達成できるだろう。

 

 

 

 んで、ここからは今度はサンクトペテルブルグの話なんだが……

 

「これでようやく性能比較ができるよ」

 

「ええ。しかし、驚きましたよ、閣下。もう”サンクトペテルブルグ版の突撃小銃”、その試作品? いや、先行量産型(・・・・・)が完成しているなんて」

 

 とは、何だか久しぶりな気がするシュタウフェンベルク君。

 そう、StG42の横に並べられてるのは”AG43”、正式名称は”Automatisches Gewehr 43”。

 日本語にするとまんま”43年式自動小銃”、ぶっちゃけてしまうと弾倉周り以外はほぼほぼAK-47ではなく、その発展型の”AKM”だ。

 よくわからん理由で”Cruz Gewehr 43(CG43)”にされそうになったが、そこは断固拒否して”AG43”を押し通した。

 というか”43年型クルス式小銃”ってなんだよ? 意味わからんわい。

 それにこのカタチの自動小銃だぜ? やっぱり”AK”の印象を欠片ほどでも残したいじゃん。

 

 

 

***

 

 

 

 まあ、AG43の開発経緯は割とシンプルだ。

 去年の終わりから、シェレンベルクやシュペーア君伝いにStG42の試作原型銃、MKb(H)シリーズを定期的に回して貰ったのさ。

 確かその話題って前に出したことあったよな?

 形式的には、「その試作自動小銃を参考に設計された」のが、AG43ってことになっている。

 立ち位置的には、「サンクトペテルブルグ製の簡易量産型StG42」だ。

 実際には、設計図ではなく概略図を引いたのは俺だが参考にしたのはMKbではなく、前世の記憶(トハチェフスキーじゃない奴な?)でやけに馴染み深いAKMだ。

 まあ、正確にはAKMを8㎜クルツ弾(7.92㎜×33弾)対応に再設計したってのが、事実に近いかもしれない。

 

 ただ、オリジナルのAKMからいくつかの違いもある。

 使用弾が違うから弾倉周りの変更は当然として、まずプレス加工で生産されるレシーバーの地金だが、オリジナルの1㎜厚ではなく、いわゆる”RPKレシーバー”と呼ばれる1.5㎜厚の板金になっている。無論、加工精度がシビアになり過ぎないように公差が出ても作動するよう配慮もしてるぞ?

 8㎜クルツ弾ってのは、AKMの7.62㎜×39弾より弱装なんだが、如何せん冶金技術もプレス加工技術もまだ未熟でな。強度の安全マージンは取っておきたかった。

 また、セレクターはStG42と同じ手元で、親指だけで切り替えできるようにした小ぶりな奴に変更。

 AKの大型のも手袋した時に扱いやすいってメリットもあるんだが、使用感はなるべくStG42に合わせた方が良い。同じ理由で、リアサイトもほぼ同じだ。

 後はバレルガードとショルダーストック、グリップはベークライトじゃなくて時代的に入手しやすい合板の木製。

 銃剣の着剣装置はStG42と共通で発射速度は、感覚的に使いやすい600発/分くらいだ。

 

 無論、オリジナルAKMを引き継いでる部分もあり、AKMの外観的特徴になっていた銃口を斜めにスパッと切ったようなシンプルなねじ込み式のマズルブレーキは健在、それを取り外せばStG42と同じ小銃擲弾も発射できる。

 後は内部の大規模な硬化クロームメッキ処理やハンマー・リターダーの搭載もお約束だな。

 

 コンセプトデザインを担った自分で言うのもなんだが、この時代の”うぽって”としちゃあ、かなり量産性の高いものだと思うぞ?

 元が頑丈なAKシリーズをデザインベースにしてるから、命中精度はそこそこだがタフだし。

 まあ、オリジナルより厚みのある板金やベークライトじゃなくて合板のストック類を使ってるから、サイズ的にはAKMでも重量的には1kg以上重いAK-47と同等の空弾倉付きで4.3kgになったが、これでもStG42よりは軽い。

 それに重い分、フルオート射撃の反動処理とかやりやすくなるから強ち悪いことだけじゃない。

 ああ、後これは言っておかないと。

 機動歩兵向けに折り畳み式の金属ストックを採用した”AG43S”も並行開発してるが、これもほぼAKMSだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 というわけで、野外射撃試験場。

 面子は興味津々のシュタウフェンベルク君と、自分の関わっていた仕事の成果を確かめたいシュペーア君。本日のお付き当番従兵のドラッヘン君。

 そして、実際に自分の部下が戦場で使う”サンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)”のウラソフ司令だ。

 大将って階級で呼ぶのも悪くないが、司令って役職名の方が妙にしっくりくる。

 本格的な野外テストは、カミンスキー歩兵連隊(・・・・)とかに頼むとして、本日はお披露目を兼ねた性能確認の試射会だ。

 

「いや、何でいるのさハイドリヒ?」

 

 いや、シェレンベルク(あと、小野寺君も)は出張中だってのに、なんでお前がしれっといんのさ?

 

「ふむ。新型小銃のテストと聞いてな。総統閣下に1丁土産で持って帰ろうかと」

 

 あー、この世界線のヒトラーってちょっとガンマニアの()があるって話だもんな。

 

「言ってくれれば送ったのに」

 

「いや、単純に()も興味があった」

 

 ふ~ん。まあ、気安いのは俺も変に肩ひじ張らずに済むし大いに結構だが、それは来易いって意味じゃないと思うぞ?

 

「仕事はいいのか?」

 

「これも公務だ」

 

 あーなるほど。

 またしても、ロクでもない案件持ってきたって訳ね。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、ドラッヘン君に頼み、留守番のアインザッツ君とツヴェルク君にいつものように冬宮殿の一室で、ハイドリヒと二人だけの会談のセッティングをしてもらった。

 射撃テストは順調に終わり、目立った作動不良も問題点も発見されず、命中精度は正直、弾が違うせいかオリジナルのAKMと同等以上に感じた。

 とりあえずテストは終わらせ城に戻り、何を聞かさられるのやらと思えば、ハイドリヒは開口一番、

 

「”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”加盟国、特に王室連合がお前を”大公”にすべく動いている」

 

 いや、なんでさ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、このAG43ですが……既に大量生産できる準備は整っていたりしてw
初の実戦は43年の春ごろ、ノブゴロドあたりかな~と。

まあ、そりゃあ自動小銃一つで勝敗は変わらないでしょうが、10万丁ほど集まるとどうなることやら……

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第274話 まあ、モノホンの封建貴族になるわけじゃねーってんならいいか

枢機卿猊下、詐欺被害にあう?w
とりあえず、本日二度目の投稿です。










 

 

 

「”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”加盟国、特に王室連合がお前を”大公”にすべく動いている」

 

 いや、なんでさ?

 とにかく事情を聞かせろや。

 

 

 

 まあ、搔い摘んでしまえば、そう大した理由じゃなかった。

 まず、ノブゴロドって名前は、この辺一帯を収めた”ノブゴロド公国”に由来する地名だ。

 そして、その中には今のサンクトペテルブルグも入ってる。

 伝統を大事にする欧州王国のお歴々にしてみれば、

 

「旧帝都のサンクトペテルブルグに古都ノブゴロドの統治まで任され、しかもその守護まで担当するのに”特別行政区の総督”ってのがどうにも座りが悪いのさ。しかも、近日中にフィンランドの総人口越えは確実視されてるし、リガ・ミリティアも加えれば市民軍の規模は30万だろ? もはや、サンクトペテルブルグ特別行政区は”欧州の小国”って水準さえも超えつつあるのさ」

 

 いや、その言い分はわからんでもないが、

 

「それは分かったが、”大公(Erzherzog)”ってのは流石におかしいだろ? それってドイツ的に言えば、神聖ローマ帝国時代のオーストリア大公とかの称号だろ? 公爵の上のさ。ヴィルヘルムⅡ世帝の時代ならともかく、今のドイツは帝政でも君主制でもねーべさ」

 

「だから、”他国王族の連名(・・・・・・・)による名誉称号(・・・・)としての大公位(・・・)の授与”って体裁を取るのさ。要するに以前授与された”サンクトペテルブルグ総督の宝杖”、あれと同じようなもんだ」

 

 ああ、あれね。

 確かに総督職をやるのに不都合はないし、確かに式典以外では持ち出さないし、普段は執務室の飾りになってるが。

 

「実際、誰もお前に封建貴族、”本物の大公”をやれとは言わんさ。名誉称号の大公を受け、国際名称がサンクトペテルブルグ特別行政区から”サンクトペテルブルグ大公領(・・・)”って名称に変わり、行政区分が特別行政区からドイツの保護領って扱いに変わるだけだ」

 

 だけってお前なぁ……

 

「結構、大事じゃねぇか。一昔前の”ベーメン・メーレン保護領”とかと同じ扱いになるってこったろ?」

 

 実際、ベーメン・メーレン保護領ってのは実質的に無くなっていて、今はチェコ全域がドイツに併合されている。

 ぶっちゃけ旧チェコは大変優れた工業基盤を持っていたために、ドイツ併合後は随分と優遇されてる地域で、失業率がドイツ有数の低い地域……というか、常に労働力不足で悩んでるような地区だ。

 実はウチも旧チェコの企業には随分と世話になっている……というか、業務提携を結んでいる。

 タトラ社の自動車はよく見かける(俺も所有してる)し、シュコダ社やプラガ社のもだ。小火器の分野では元国営兵器工廠のブルーノ社とかズブロヨフカ社とかも。

 スロバキアはスロバキア共和国として独立国として残ってるが、正直、独立維持と引き換えにちょっと割を食ってる印象がある。

 ドイツに併合はされたが、途端に市場が拡大して金回りが良くなった旧チェコと、独立は勝ち取ったが下にはハンガリーって強国がいて、そこそこの経済のスロバキア……果たしてどっちが住民にとり暮らしやすいのか?

 東ポーランドが独立国として復活すれば、上からも圧迫されるだろうし。

 いやさ、最近の資料を読む限りドイツはケーニヒスベルクに繋がるバルト海沿岸のダンツィヒからウッチ→クラクフ→ザコパネ以東のワルシャワを含んだ地域をポーランドとして正式に再独立させようと画策してんのよ。

 んで、実はそれに反対してるのがドイツへの直結路が断たれる形になるウクライナと圧迫をもろに受けるスロバキアだ。

 ドイツ云々以前にあの辺は元々領土問題やら係争地が山積してるから。

 

(これは、答えの出ない問題なのかもしれないな……)

 

 財布の重さを取るかプライドを取るかって話になりかねない。

 ドイツに併合されたことで経済が活性化しているオーストリアやチェコは高みの見物だろう。

 

「アレともニュアンスが違うがな。名目的には”ドイツが保護する大公領”って感じだし」

 

「それもどうよ?」

 

 封建貴族認めてない国的にさ。

 

「正直、ドイツとしてもサンクトペテルブルグの扱いに困っているのさ。封建貴族を認められないのなら、せめて名目だけでもどうにかしろってバルト海沿岸の王国からの圧力でな。そもそも特別行政区ってのだって、本来は暫定措置だ。まあ、ドイツに責任があるとはいえ、フォン・クルス、お前さんは行政区長と呼ぶには力を持ちすぎてしまっている。他の管区指導者(ガウライター)からも『同じ区分にされても困る』とせっつかれてるしな」

 

「なら、俺の権限を削ればいいだろうに」

 

「それが国家戦略的にできんことぐらい、理解してるだろ? むしろ、お前さんの管轄する力を増大しないと都合が悪いまである。特に戦争激化すればするほどな」

 

 ったく。

 まあ、サンクトペテルブルグは兵器生産の一大拠点。特にフィンランドとか非ドイツ系装備……ぶっちゃけソ連系の武装を使ってる国への兵器供給源としちゃあ無理もないか。

 

「そういうのはドイツで抑えてくれよ。マジで」

 

「無茶言うなよ。戦争で正面からぶん殴るならともかく、権威がらみの話で仮にも王族が庶民の言う事聞くと思うか?」

 

 ……流石に俺の名誉称号ごときで戦争しろとは言えんしな。

 

「止められんか?」

 

「止められんな」

 

「そうか」

 

 俺は盛大に溜息を突き、

 

「特別行政区総督ときて枢機卿、そして今度は大公か? 属性てんこ盛りの大渋滞だろうに。いや、総督は無くなるのか?」

 

 するとハイドリヒは首を左右に振り、

 

「大公はあくまで名誉称号で、それ自体に権威はあっても付随する権限はなく何度も言うが実際に封建貴族になるわけじゃない。お前の預かってる土地の名称と区分が変わるだけで、統治権限の根拠として総督位は必要だ」

 

 マジかい。

 

「仕事的には今まで通りってのはありがたいが、ただでさえ閣下と猊下が入り混じってるってのに、これで大公殿下(・・)まで加わるんかい」

 

 大公殿下ねぇ。太閤殿下なら秀吉だな。

 敬称の三冠とか全く嬉しくないんだが?

 

「まあ、そいつは我慢してくれとしか……で、受けてくれるか?」

 

「ここまで事情を聴かされて、嫌とは言えんだろ?」

 

 Noと言える(元)日本人のつもりだが、状況が状況だ。

 それに王族に恥をかかせると、後々面倒そうだしな。

 

Danke(ダンケ)。正直、助かる」

 

「んで、式典とかってBVOでやるのか……?」

 

「それはまだ未定だと思うが……」

 

 そっか。なら、

 

「んな格式ばった物じゃなくて良いってんなら……うちのクリスマス・イベントに組み込むか?」

 

「……いいのか?」

 

「王侯貴族のお偉いさんが納得してくれるか知らんが、今年は戦争の憂さ晴らしも兼ねて、それなりに派手に……復興途中ではあるけど四大聖堂をライトアップして、四長老のクリスマス・ミサを行う予定なんだよ」

 

 年中行事とお祭り大好きな日本人の血が騒ぐぜ♪

 

「民衆慰撫も兼ねるから、クリスマス・マーケットも盛大に開くつもりだし、まあ、そこで俺も冬宮殿をバックに何か一席ぶってくれって長老たちに頼まれててな」

 

 毎度バカバカしいお話をって調子だな。

 俺の与太話、いや与太演説か?を聞きたいなんて物好きな事だ。

 

「今だったら、そこに大公就任イベント(?)も組み込めるぞ?」

 

「一応、各国の確認はとるが……その路線で調整を頼む」

 

「言っておくが、戦争の重苦しい空気を一時だけでも市民に忘れてもらう為のイベントだ。かたっ苦しいのはNGだからな?」

 

「心得た」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、共産圏もソ連も詳しいはずのクルスが、状況をなぁーーーーーーーーんにも”分かって”なさそうなので、少しだけフォローを。

 まず、スターリン政権下のソ連では聖職者だけでなくクリスマスやイースターなどのキリスト教にまつわる宗教行事も、またそれに参加する人々さえも史実でも今生でも粛清や弾圧の対象になった。

 教会でミサができないから、家族だけでひっそりクリスマスを祝おうと思ったら、密告されて家族全員が強制収容所送りになった、あるいはクリスマスの日に村の広場でパーティーを開いただけで、クリスマスという名目でもないのに村が”消えた”。

 そんな話がざらにある。

 

 そんな中、信仰の自由の復活(ブルーミント)宣言をし、四大聖堂主教の先頭に立って盛大にクリスマス・イベントを開催しようとする……

 その本質は、単純な年中行事を楽しみたがる日本人の気質とか、あるいは本当に一時だけでも戦争を忘れて欲しいガス抜きを兼ねた民衆慰撫なのかもしれない。

 だが、四大聖堂主教、四長老から見たらどう映るか?

 

「「「「正教徒でないにもかかわらず、率先して熱心に聖誕祭(クリスマス)を祝い、民を慰めんとする枢機卿猊下のなんと敬虔で慈悲深き事か……」」」」

 

 となるのだ。

 そして、これを積極的に聖堂に集まる信徒たちに聞かせる。

 無論、クルスに頼まれたからではない。

 自発的に……というか、黙ってなどいられないのだ。この感動を胸の内に秘めていたら、そのうち信仰心が鼻から溢れ出る。ご老体にそれは如何にも健康に悪いだろう。

 

 

 

 そして、ハイドリヒ。

 当然、この時にまで決まっていたクリスマス・イベントの全容を知っていた。

 というかコイツ、しれっと話してるが”例の大公が決まったお偉いさん秘密会議”に居たような……?

 それはともかく趣旨まで知っていたからこそ、「いいのか?」と聞いたのだ。

 だが、クルスは「かまわん」と答えた。

 こんな宗教学的、あるいは信仰的メルトダウンを起こしそうなイベントで、「大公になる」と。

 

(これが、天然物の恐ろしさか……)

 

 自分もヒトラーもどこか「演じて」いる。

 それは人間として当然の行動であり、自衛反応でもある。

 

(だが、フォン・クルス、お前は……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ついにクルスのフォローに字の文まで必要になってしまった(挨拶

いや、マジでこの男、「なんで外交官やってたんだ?」ってレベルで外交センスが壊滅的、特に自分に関しての評価がはメタメタで見るに見かねてですw

いや、書いてていうのもなんですが、これって一種の「勘違い系主人公」じゃないのかな~とさえ。

ハイドリヒも粛清から生き延びた海千山千の四長老もどうやらクルスの扱いを覚えたようで、したたかだなーとw


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第275話 まあ、”そっち”に関しちゃ想定済みだよ。それにしても爺様たち嬉しそうだな?

またしても字の文さんがフォローする回w








 

 

 

「ところで、もう一つ案件があるんだが……」

 

 まだあるんかーい。

 

「次はどんな厄介ごとだ?」

 

 あるいは面倒事。

 

「……スターリンがノブゴロドを、いや正確にはサンクトペテルブルグの直接攻撃を画策しているらしい」

 

 ああ。なんだ、そんなことか。

 深刻な顔をしているから、何かと思ったが。

 

「ドイツはいつ頃だと見てる?」

 

「早くとも来年の春。ソ連の現状から逆算して、最低でもそれくらいはかかるだろう」

 

 ああ、戦力が(前世より)摩耗している上に、生産拠点のレニングラード陥落とか政治中枢のクレムリンが物理炎上したりと色々あって戦線をヴォルガ川ラインで再構築してるもんな。

 畑からは兵士が、アメリカからは兵器が収穫できるソ連でも、いくら攻めたくともすぐには無理ってこったな。

 ふん。そういうことなら……

 

「なら、問題はない。それまでには、ノブゴロドの防衛準備は整えれば良いだけの話さ」

 

 

 

 ああ、言うまでもなくフォン・クルスだ。

 ぶっちゃけ、スターリンの阿呆がサンクトペテルブルグ狙うなんざ当然、織り込み済みだ。

 むしろ、よくも今まで我慢したものだと思う。

 

(まあ、どうせ我慢したくてしたわけじゃないんだろうが)

 

 なんせ、「信仰の自由の復活」なんざ、スターリンの性格考えれば、最大限の挑発もいいとこだろう。

 アレの本質は臆病な小心者だが、人間としての器はスポイトより小さい。

 苦心惨憺して散々殺して弾圧したのに、未だにしぶとく生き残る”ロシア正教残党(・・)”に苦労してる中、ロシア正教の復活ではなく「ソ連から奪った帝政ロシアの旧帝都で”新たな正教会”を立ち上げた」んだ。

 面子を潰されたアレが大人しくしてるはずもない。

 

「ざっと見積もって攻略軍は50万人程度ってとこか? 多くても100万、連中の残存兵力を考えれば150万にはまず届かなんだろうさ。ヴォルガ川防衛ラインに巨大な穴ができるからな」

 

 資料を読み解く限り、敗北続きのソ連の動員可能な戦力は、現状ざっと残り500~600万ってとこだ。

 既にソヴィエト連邦内中央アジアでの”人狩り”は、そろそろ限界に来てるだろう。

 

(モンゴル、中国大陸、朝鮮半島からの”義勇兵団”招集って手もあるが……)

 

 スペイン内戦の時の”国際旅団”みたいな名目で。

 知ってるか? あんときゃ世界55ヵ国から義勇兵が駆け付けた事を言ってるが、時期にもよるが総じて60~85%が各国の共産党員だったんだぜ?

 

 ノブゴロド、あるいはサンクトペテルブルグに攻め寄せるとわかっている以上、大軍であればあるほど進軍路は限られる。

 戦車ってのは見かけ以上に繊細で、その重量故に特に足回りが繊細だ。

 実は道なき道を延々と進むってのが、難しい武器でもある。

 分散合撃ってやり方もあるが、それにしたって限度ってもんがある。

 

(なら、根回しはしておいた方がいい)

 

「ハイドリヒ、何もサンクトペテルブルグ”だけ”の戦力で倒さなくても良いんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ほう。枢機卿猊下が大公殿下に? これはまた慶事ですのぉ」

 

「ほんに。これでますます、クリスマス・ミサに尽力せねばならぬという物ですじゃ」

 

 本日は定例のお茶会。

 週に1度、日曜ミサの労いもかねて、四長老(四大聖堂主教)を冬宮殿の客間に招き、茶会を開いて互いの近況報告をするって感じだ。

 ほら、俺も「信仰の復活」を宣言した手前、全てを面倒見るつもりはないが、アフターフォローくらいはせんとな。

 それに爺様達にはクリスマス・イベントにも協力してもらってるし。

 

「ところで、クリスマス・イベントに向けての進捗はどうだ?」

 

「これと言ってもんだいはありませぬ(・・・・・・・・・・)な。それにいかに枢機卿猊下がクリスマス・イベントに熱意を注がれているか伝えているので、信徒たちも大いに乗り気でして、盛り上げようと頑張っておりますぞ」

 

「そういうのはいいって。俺は市民が”良い思い出になるクリスマス”を過ごせて貰えれば、それで十分満足だ。特にクリスマスを知らない子供たちには、クリスマスは楽しいんだってのを知ってほしい。特にこれから生まれてくる子供たちには」

 

 もしかした”戦争を知らない子供たち”ってなるかもしれんし。

 できればそうなって欲しいもんだ。

 

「ふふっ、枢機卿猊下らしいですなあ。これで正教徒に改宗していただければ、万事丸く収まりますのに」

 

「ほんにほんに。これだけの徳のあるお方、すぐに大主教ですじゃ」

 

 勘弁してくれ。

 俺は政教分離ってのが好きなんだ。

 

「そういうのは、長老たちの中で、持ち回りでやってくれ。持ち回りなら角も立たんだろ?」

 

「枢機卿猊下を差し置いて、大主教など烏滸がましくて名乗れませぬぞ」

 

「然り。我らは皆、”蒼き聖なる花十字”の旗のもとに集まった者。その御旗になり変わらうとは思いませぬ」

 

 そんな仰々しいものか?

 

「まあ、その辺は好きにしてくれ。手間をかけさせてしまうが結局、宗教に関しては長老たちに丸投げするしかないんだ。その分、聖堂の修復やバックアップはやらせてもらうさ」

 

「枢機卿猊下に復活させて頂いた信仰、どうか我らにお任せ下され」

 

「もちろんだ。大いに期待している」

 

 すると、

 

「枢機卿猊下におかれましては、今更な事と存じますが、此度”コンスタンティノープル”から書簡が届きまして、我らが”サンクトペテルブルグ正教会”を正式に独立教会として承認する旨を知らせて参りました。近日中、使者が来訪する予定ですので枢機卿猊下に拝謁願えればと」

 

 あー、自治正教会とか独立正教会とかその辺の格付け? 番付? 区分?ってのが東方正教会系はややこしいんだよな。

 現状だと、うちはギリシャ正教からの独立教会としての承認は得ているから、今度はコンスタンティノープルからもってことでおk?

 

「構わんよ。期日が決まったら知らせてくれ。スケジュールは調整するから」

 

「ありがたきに」

 

 いや、そんなに恭しくしなくていいって。

 

「他に教会関係で何か申し入れたい事案とかあるか?」

 

「まだ具体的なには決まっておらず、お知らせするには尚早かと思いましたが……近日中に予定されているウクライナよりの使節団に、ウクライナでの正教会復活を目指す有志が同行する可能性があると」

 

「使節団? ああっ、あの”戦車設計図のお礼と更なる技術提携の強化”を申し出てる奴ね」

 

 確かシュペーア君とシェレンベルクが言ってたな。

 ほら、ウクライナ支援の一環で”ウクライナでも手っ取り早く製造できそうななんちゃってT-34/85”の設計図書いて送るって話は以前したろ?

 実際にそれが完成してNSRが直に速達(航空便)で送ってくれるっていうから任せたんだが、その返信が先日届いたんだ。

 確か、クリスマスの後、新年早々に来る手筈だったと思ったな。

 俺としちゃあ戦時下の忙しい時なんだし、技術提携程度の話なら使節団でなくとも技官や文官を何名か送ってくれれば良かったんだが、シェレンベルクに言わせればそういう訳にもいかんそうだ。

 

「それで間違いありません。それで”正教会復活委員(仮称)”の同行が本決まりになれば、その際は同じく拝謁願えればと」

 

「そりゃいいけど……なんでまた俺? 一応、枢機卿を名乗っちゃいるが、俺に自治教会やら独立教会やらの承認権はないぜ?」

 

「ほっほっほ。猊下、そういう問題ではござらん。猊下は”信仰復活の象徴”、そして此度は大公殿下におなりになられるのでしょう?」

 

 ああ、そっちね。

 

「つまり、権威付けの箔付けね」

 

「然り」

 

 

 

***

 

 

 

 さて、やはり今回も「フォン・クルスの壊滅的な外交センスの無さ」を追求せねばならない。

 ・使節団は、”クリスマス以後に来る”

 ・「俺としちゃあ戦時下の忙しい時なんだし、技術提携程度の話なら使節団でなくとも技官や文官を何名か送ってくれれば良かったんだが、シェレンベルクに言わせればそういう訳にもいかんそうだ」という意見

 

 クルスの認識は、「サンクトペテルブルグって自治領だけどドイツの一部じゃん」という認識に基づいている。

 それは法的には間違いない。

 間違いないが……クリスマスに何が起こるかは、以前本人自身がスケジューリングしていた通り、

 

 ・名誉(・・)称号”大公”をバルト海沿岸諸国の王族連合より連名(・・)で授与される

 ・同時にサンクトペテルブルグは特別行政区から”サンクトペテルブルグ大公領(・・・)”に名称変更される

 

 うん。ウクライナに限らず普通に使節団が編成される”外交(・・)”案件だ。

 何しろ各国の認識は、クリスマスを境に”準国家”になるのだから。

 おそらくクルスは、

 

『前世の幕末薩摩じゃあるまいし、一地方が国家無視して外交するわきゃないだろ?』

 

 とか思っている事だろう。

 そして、内々にウクライナ暫定政府に”大公就任”を伝え、使節団のスケジュール調整を行ったのはシェレンベルクの所属するNSRであり、その舞台背景を四大聖堂主教はしっかりと把握していた。

 

 ハイドリヒやバルト海沿岸諸国もだが、四長老も随分とクルスの扱いが上手くなったもんである。流石は共産主義者の目をかいくぐり大粛清を生き延びた海千山千の強者というべきか?

 

「ほっほっほ。全ては我らが”蒼き聖なる花十字”様の御身の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クルスにとり、ソ連(バカ)が戦車でやってくるのは、織り込み済みなようで、マジに「そりゃそうだ」程度の認識です。
無論、舐めプする気は毛頭なく、ガッツリきっちり準備整えて”お出迎え”するようですが。
さて、どこに何を仕込むことやら……

そして、四長老こと四大聖堂主教たち……流石、大粛清という時代の荒波、共産主義者の悪意の塊を潜り抜けてきた爺様たちだけあって、ホント強かw
クルスの操縦も上手くなったものです。

これで「爺様たちが黒幕で、クルスは操られている存在」とかだったらSリンにとってラッキーだったんですが、この爺様たちこそがクルスガチ勢という罠w

ともあれ、時代は少しづつでも進んで行きます。
そりゃもう遠慮も慈悲もなく。


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第276話 豹戦車の生誕と虎戦車の胎動

今回はある意味、戦争後半のドイツ主力戦車と、みんな大好き虎戦車のお話です。





 

 

 

 1942年秋、史実の数ヶ月遅れでクラスノダールはドイツ南方軍集団の手により陥落した。

 遅れたが、むしろそれは万全の準備ができたという意味において、ドイツ側に有利に働いたようだ。

 史実以上にレニングラードから始まる大ダメージを受けたソ連の戦略方針転換、”ヴォルガ川祖国大防衛線”の構築により、大規模な戦力がヴォルガ川流域へ移動したために大きな波乱なくクラスノダールは落ちたのだった。

 

 ソ連にとってはモスクワ以西は「ドイツが攻め疲れた後の逆襲で、いずれ取り戻せばよい」土地という風に考え直したようだ。

 奇妙な史実との符号の一致である。

 とはいえ、戦況は史実と大きく乖離している為、この流れは必ずしもソ連の大逆転を保証するものではない。

 ただ、ドイツも人的資源以外は余力があるとはいえ、史実より早く本格稼働を始めたペルシャ湾→カスピ海→ヴォルガ川のルートと距離は長いが相変わらず健在な太平洋ルートで運び込まれる潤沢な米国レンドリース品がある以上、油断はできないだろう。

 

 そして、激動の1942年も残すところ2ヵ月を切ったこの日、ベルリンの郊外にある車両試験場に1両の戦車が姿を表していた。

 

「ようやく完成体と呼べるものが出来上がったか……」

 

 少し感慨深げに見学に来たヒトラーが呟けば、

 

「ええ。ようやく、ようやくIV号戦車の後継に相応しい戦車が完成しました」

 

 

 

V号戦車”パンター”

主砲:KWK42/75mm70口径長砲(1軸ガンスタビライザー搭載、強化型砲塔駆動装置)

副武装:MG42/7.92㎜機銃(主砲同軸)、MG42/7.92㎜機銃(砲塔上面)、Sマイン/発煙弾投射可能近接防御火器(砲塔内蔵式)

装甲:ザウコップ式防盾150㎜、砲塔正面120㎜(傾斜装甲)、砲塔側面/後面60㎜(傾斜装甲)、車体正面80㎜(傾斜)

エンジン:マイバッハHL230P45/水冷V型12気筒ガソリンエンジン(700馬力、自動消火装置搭載)

操向・変速機:ヘンシェルL600C/”OLVAR”OG40-12-16(改良型メリットブラウン方式。セミオートマチック前進8速/、2通り旋回半径、超信地旋回可能)

照準器;ステレオ式測距器+SZF1/2軸ジャイロ安定式照準器

サスペンション:ダブルトーションバー

履帯幅:660㎜

重量:47t(戦闘重量)

最高速度:55㎞/h

特記装備:軽量均質圧延鋼装甲板、全溶接シュマールトゥルム型砲塔、潜望鏡式車長用パノラマミックサイト、全車無線機標準搭載、車内用消火装置、車体側面シュルツェンの標準搭載、渡河用シュノーケルキット対応など

 

 

 

 そう、数々の試験と改良、機械的な熟成を経て次世代の……おそらくは、終戦まで活躍し続けるだろう”鋼鉄の猛獣”が完成したのだ。

 さて、もうお気づきの方もいるだろう。

 まず、エンジンとトランスミッション関係は、統合されたVI号戦車向けに開発された物を移植した。

 そして、砲塔や車体だが……明らかにその形状は史実のV号戦車の最終型”パンターF型”だ。

 そう、あの結局量産されなかった仇花、F型だ。あるいはその後継であるE-50の方が近いだろうか?

 IV号戦車の改良で時間を稼ぎ、V号戦車とVI号戦車の開発計画を統合し開発が先行していたVI号戦車のエンジンと駆動系を移植、リソースを集中させることで開発期間の短縮に成功した。

 総重量は、この世界線では生産されなかった”ティーガーI”より10tも軽いのだ。

 ティーガーIの駆動系に起因する故障の多くの原因は、その重量による過大な負荷だったとされる。そんな中で10t、2割も軽いというのは決して無視できる数字ではない。

 

 特筆すべきは、なんとこの史実のF型準拠のV号コンセプトデザインを行ったのは、何を隠そうヒトラー総統閣下自身だ。

 いや、史実でも数々の戦車開発に口を挟んで混乱させたのは割と有名な話だが、今生ではまったく話が違う。

 

 何度が触れたかも知れないが、そもそもこの世界線のヒトラーは戦車兵、砲手としての実績があった。

 元々は砲兵として第一次世界大戦に参戦していたヒトラーだが、ドイツでも大戦末期に戦車が開発された時、その腕前から砲手として抜擢された。

 世界最初の戦車vs戦車戦において、英国のマークAホイペット中戦車を撃破せしめた、「ドイツで最初に戦車で戦車を撃破した一人」として、その界隈では知る人ぞ知るのがヒトラーだった。

 

 実はヒトラーが、史実以上にスムーズに”総統閣下”になれた理由の一つは、それなりの知名度が特に軍部にあったためとされる。

 更に言えば、それがヒトラーが戦車開発に口出ししても、陸軍が特に不快に感じない根本的な部分でもあった。

 例えば、機甲総監のグデーリアンにとって、ヒトラーは大先輩であり、普段は決して口に出さないが「戦車乗りの英雄」だと思っていた。

 

 そして、ヒトラーが戦車開発に口出ししたのは、当然今回が初めてではない。

 そもそも、この世界線においてⅢ号戦車とIV号戦車に最初から長砲身戦車砲を載せられるよう発展的余裕を持たせた設計にするよう指示したのはヒトラー自身だ。

 当時はまだ、ノウハウ習得も兼ねてドイツが対装甲用の長砲身砲開発に難儀していた時期(だから初期のIV号戦車には短砲身が搭載されていた)であるにも関わらず、長砲身搭載の指示を出していたのだ。

 ついでに言えば、野砲や対戦車自走砲などの対戦車用の長砲身砲を可能な限り設計を共通させ、共通の砲弾を使えるように指示したのもヒトラーだった。

 

 当然である。転生者でもあるヒトラーは、T-34戦車の登場を確実視しており、”T-34ショック”を未然に防ぐ為にあらゆる手を打つことに躊躇しなかった。

 正直、史実では煽りではなく紙装甲の戦車しか作ってなかった日本が、「史実の初期型T-34より重装甲の戦車」を持ち出してくるのは完全に予想外だったが、それすらも「(T-34対策の経験を積む)良い機会」だと割り切り、バルバロッサ作戦発動前の北アフリカ戦線にイタリア支援の名目で戦車兵たちを送り続けた。

 同時に長砲身砲搭載のIV号戦車の開発を急がせ、史実と異なり「初期型のT-34より僅かに勝る防御力とアウトレンジで撃破できる火力」を持つIV号戦車の大量配備を間に合わせた。

 

 この実績が陸軍人、特に戦車にまつわる人間たちの信頼を超えた信奉を生んだのだ。

 つまり、「やはり総統閣下は、戦車戦の神様だ」と。

 本当に余談だが、総統閣下も今回のテスト参加の服装は、年季の入った私物のパンツァーヤッケ(パンツァージャケット=戦車搭乗員服)だ。

 実際、ドイツの再軍備の頃に仕立てたもので、これを着て自ら戦車を操縦してテストしたこともあったせいか、中々に様になっている。

 滲み出る第一次世界大戦を生き抜いた古強者、古参戦車兵の貫禄……もしかしたら、こういう部分も人気の秘密なのかもしれない。

 

 

 だから、V号戦車とVI号戦車の開発計画統合も大きな不満も混乱もなかったし、計画自体もスムーズに行った。

 何しろ「作るべき戦車」をこれ以上ないほど正確に明確に総統閣下は示したのだ!

 

 

 

***

 

 

 

 もっともヒトラー本人にしてみれば、長砲身IV号戦車は所詮、「対処療法的な間に合わせの戦車」であり、本命であるV号戦車までの時間稼ぎが出来れば良いとさえ考えていた。

 しかし、結果は知っての通り、ヒトラーの予想を上回る大善戦、負けなし全戦全勝だ。

 これがいつまでも続くとは考えるほどおめでたい頭をヒトラーはしてなかったが、少しは余裕が出来たと安堵したのは事実だ。

 だからこそ、史実では出来なかったV号戦車F型を前倒しで生産できると踏んだのだ。

 ヒトラーは、どれほど勝とうが米ソが舐めプできるような相手じゃないことを、誰よりも痛いほど知っていた。

 だからこそ、微塵も油断する気はなかったのだ。

 

 とはいえ、完全にF型かと言えばそういうわけでもなく、エンジンと駆動系は前述の通りVI号戦車の流用だし、主砲はKWK44/1ではなくオリジナルのV号戦車と同じマズルブレーキ付きのKWK42だ。

 また、これらのコンポーネント変更に加えシュルツェンの標準搭載などでオリジナルより2tほど重量が増えている。

 もっとも、これが性能低下につながるかと言われれば、そうなってはいないのでヒトラー的には及第点以上の合格点だ。

 

(おそらくV号の本格量産が始まる43年の戦場で、この戦車と正面から撃ちあえる戦車はそう多くないはずだ)

 

 しかし、当然皆無という訳ではない。

 例えば、ソ連のT-34/85も同時期に出てくるだろうし、程なくISシリーズだって登場するだろう。むしろその対抗手段がV号戦車なのだ。

 どうやらT-34/85の登場に間に合いそうなことに逆に安堵するも、

 

(しかし、「お前のようなT-34が居てたまるか」と言いたくなるな)

 

 現在、V号戦車と比較テストを行っているのは、サンクトペテルブルグで一足早く本格的な量産が始まっている”KSP-34/42”。

 サンクトペテルブルグの残っていた製造設備と既存のコンポーネントを組み合わせただけの戦車の筈だが、腕の立つ戦車教導隊に操られるそれは、機械的熟成が済んでいるとは言えないV号戦車を相手に、「性能はカタログスペックで決まるもんじゃないのさ」と言いたげなスコアをKSP-34/42は叩きだしていた。

 

(確かトランスミッションは、前世のV号戦車の改良型だったか……)

 

 そして、見せつけるは元々はソ連戦車とは思えぬ小回り、フットワークの良さだ。

 基本、ソ連戦車は駆動系の設計があまり上手くなく”直線番長”のきらいがある。

 

「ややオーバースペックの可能性があるが、次世代ソ連戦車を想定した”仮想敵”としてサンクトペテルブルグの戦車は申し分ないな」

 

 実際は、来年から同時期に量産される”ウクライナ製のT-34/85”の方が仮想敵に向いているのであるが、現状で手元にないのであれば意味はない。

 

「技術的なマイルストーンとしてもですな。例えば、2軸ジャイロ安定式照準器や1軸ガンスタビライザーは、KSP-34/42がなければ、これほど早期の完成は望めなかったでしょう」

 

 そう同意するグデーリアン。

 実際、KSP-34/42の照準器自体はIV号戦車の長砲身型と同じだが、それを改造して2軸ジャイロ安定式にしてある。

 それを参照して開発が進められたのが、SZF1照準器だ。

 V号戦車のユニークな点は、従来は照準器に組み込まれていた測距機能を別体化し、より照準精度を高めようとしている点にあった。

 するとヒトラーは苦笑し、

 

「KSP-34/42相手に慣れていれば、さぞかし次世代赤色戦車は楽に感じるだろう」

 

 

 

 この発言は、的中することになる。

 カタログスペック上の砲力や速力は同等であっても装甲がやや薄く、小回りが効かず命中精度も悪い”KSP-34/42の下位互換(・・・・)”とも言える車両が、オリジナルのT-34/85であるのだから。

 そして、総統閣下はまたしても戦車乗りたちの信奉者を増やすことになるのだが……まあ、それは来年の話である。

 

 そして、”ドイツの総統”が重戦車のVI号戦車”ティーガー”に執着せず、より実用的なV号戦車”パンター”に注力し前倒しでF型じみたそれを完成させたことその物が、存外に歴史の分岐点の一つなのかもしれない。

 まあ、もっとも()VI号戦車開発計画はV号戦車と統合されたが、”次世代戦車に必要な要素を盛り込み、0から開発が再スタートした()VI号戦車”開発計画も始動済みなのだが。

 当然である。

 兵器というのは、開発が始まったその瞬間から、陳腐化が始まるものだ。

 

「グデーリアン君、V号戦車のとりあえずの完成は見た。だからこそ、”新たなVI号戦車”に開発リソースを集中させよう」

 

「おおっ! ついに”ティーガー計画”を!!」

 

 ヒトラーは頷き、

 

「できれば44年後半、遅くとも45年前半には生産を開始したい」

 

 ”ティーガー計画”、別名”E-60”計画。

 史実のティーガーIと大差ない重量にも関わらず、88㎜71口径長砲(ランゲ・アハトアハト)を搭載した”鋼鉄の猛虎”が本格的に胎動を始めるのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で……うん。どっからどう見ても、史実のパンターF型ですw
まあ、エンジンや駆動系のコンポーネントは史実ティーガーの流用、主砲はマズルブレーキ付きなのでオリジナルV号に近いかな? いや小型砲塔だから44年式のシュコダ社が設計したアレとハイブリッドかも……
と、とりあえずマニアックな話は置いといて、まあ今生のV号が43年に登場するなら、戦車戦で米ソにそうそう後れを取ることはないかなーと。

そして、計画凍結解除されて0から開発が始まるVI号戦車……主砲はケーニッヒティーガーと同じ物になりそうだけど、V号の開発経験を生かして大分ダイエットして登場しそうですw

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第277話 アハトアハトはドイツの魂という概念

史実とちょっと流れが違うみんな大好き、少佐も大好きな88㎜砲のお話です。
二話連続で戦車ネタなのは恐縮ですが、何となく前話と繋がってるような……?







 

 

 

 それは、北方特有の短い秋が終わりの気配を見せ、そろそろ早く到来して長く続く厳しい冬の気配を感じるころ……

 

 

 

「えっ? 現行の”アハトアハト”の量産終了ってマジ?」

 

「ええ。”ランゲ・アハトアハト”への生産移行の準備が整いましたので、そちらにシフトすることが本決まりになりました」

 

 マジかぁ~。あっ、フォン・クルスだ。

 あー、ちょっと説明するな?

 ”アハトアハト”ってのはドイツ語で”88”、この場合は”口径88㎜の大砲って意味だ。

 そして、現在のドイツ軍でアハトアハトと言えば、普通は”FlaK18/36/37”系列の高射砲の事をさすんだ。

 史実では、バルバロッサ作戦発動時のドイツにはまだ長砲身75㎜砲搭載のIV号戦車やそれに匹敵する威力の野砲はなく、この高射砲の徹甲弾を用いた水平射撃だけが、T-34を正面から撃破できる唯一の方法だった。

 そのFlak36を戦車砲に転用しようとして、その車体として開発されたのが史実のVI号戦車s型”ティーガーI”ってわけ。

 もっとも前世のティーガーIってのは、開発自体はT-34ショック以前から始まっていて、対戦車戦より重防御陣地突破用のジャガーノートとしての役割を担わせる重戦車ってのが起源なんだけどな。

 

 だが、今生だとバルバロッサ作戦発動時にはT-34を正面から撃破できる長砲身75㎜砲搭載のIV号戦車や、それと砲弾を共用する長砲身75㎜の野砲(対戦車砲)や、IV号戦車と同じ主砲を持つ対戦車自走砲や突撃砲が必要数、大抵どの部隊でもT-34に対応できるよう配備されていた。

 その為、88㎜Flakの戦車砲への転用は消滅し、ドイツ軍の次期主力戦車のV号戦車には史実通りに75㎜70口径長砲が採用されたようだ。

 もっとも高射砲部隊の地上自衛用と称して、対戦車用の88㎜徹甲弾や高速徹甲弾がきっちり開発され、緊急用砲弾配備されているのは、如何にも今生のドイツらしい。

 実際にレアケースではあったが、KV-1やKV-2なんて重戦車と遭遇した場合は、アハトアハトにお出まし願うなんてこともあったようだ。

 

 

 

 さて、今生では今まで高射砲一本鎗で来たアハトアハトだけど、史実でもそうだった通り、そろそろ航空機の高性能化により性能不足が危惧されるようになっていた。

 そこでより長射程・高威力の88㎜砲が求められるようになった。

 いや実際、105㎜とか128㎜級のより長射程・高威力の高射砲は開発・生産されているんだけどさ、やはり大口径な分大きく重く、88㎜のような機動砲じみた運用や使い勝手とはなかったようなんだ。

 だから、ドイツは従来のアハトアハトの性能を強化した純粋な後継モデルを欲したって訳。

 それが”Flak41/88㎜高射砲”だ。

 シュペーア君が言った”ランゲ・アハトアハト(=長い88)”の通り、砲身が56口径長→74口径長と長砲身化されている上、より大きな薬莢を使うようになっていた。

 だが、この史実のFlak41がまた曲者で、後に同じ長砲身88㎜砲として開発されたティーガーⅡやPaK43の88㎜砲とは砲弾の互換性が無かった。

 わかり辛いから史実のデータをまとめてみるな?

 

 ・FlaK18/36/37;88㎜56口径長砲、薬莢長571㎜(ティーガーIの主砲弾と共通)

 ・Flak41/88㎜74口径長砲、薬莢長855㎜

 ・Pak43/88㎜71口径長砲、薬莢長822㎜(ティーガーⅡの主砲弾と共通)

 

 とまあこんな具合だ。

 ただ、シュペーア君によると今生のヒトラーは、長砲身75㎜砲の時もそうだったように「同じような性質の砲弾を複数用意する無駄」を嫌い、長砲身88㎜砲の薬莢は、822㎜のそれに統一するそうだ。

 というか史実の88㎜Flak36同様に高射砲、戦車砲、野砲は砲としての基本部分は可能な限り共通にし、周辺装置でバリエーションを加える、形式的には「開発が先行していた高射砲をベースに戦車砲や野砲を開発する」って感じになるらしい。

 まあ、実際には並行開発っぽいが、これも総統閣下はお得意の「製造の合理化」の一環であるらしい。まあ、1門の高性能砲より100門の標準的な砲という発想はよく理解できる。

 という訳で今生のFlak41は史実のクルップ案(Gerät58)に近い、822㎜薬莢の71口径長砲として完成することになる。つまりそれは、現行の571㎜サイズ薬莢のアハトアハト薬莢は時代遅れになっちまったという訳だが……

 

(勿体ないな……)

 

 あれ、戦車砲に転用するとかなり使い勝手が良いのに……んん?

 

「シュペーア君、たしかイタリアから来た90㎜高射砲の開発チームって、持ち込んでた高射砲の戦車砲への改造はできたけど、製造設備の確保で頭抱えてたって言ってたよな?」

 

 そうなのだ。

 試作砲は完成して、リグに固定しての試射では中々の性能を叩きだしたのだが、いかんせんイタリアから完成品である高射砲や治具の持ち出しはできたが、当然、製造設備自体の持ち出しは移動不可能で出来なかった。

 Mc205Bみたいな戦闘機開発の場合は、エンジンやら何やらの主要部品がドイツ製(オリジナルもドイツのライセンス生産品)であるために問題なかったし、そもそも航空機用アルミ合金の超ジュラルミンとかはドイツの方が品質が高い物が入手できる+似たような液冷エンジンの戦闘機作ってた”メッサーシュミット・スキャンダル”で冷や飯ぐらいになっていた旧メッサーシュミット社のレシプロ戦闘機開発チームや製造マネージメントグループの合流があったから、スムーズに開発から生産まで移行できただけだ。

 実際、旧メッサーシュミット社が保有していたレシプロ戦闘機用の一部の製造機材なんかも分解してサンクトペテルブルグに運び込まれたってのも大きい。

 

「なあ、シュペーア君……余剰になる現行アハトアハトの製造装置一式とか治具とかをサンクトペテルブルグに移設することは可能か?」

 

「可能不可能であれば、可能ですね。実際、一部の高射砲製造施設はランゲ・アハトアハトに生産を移行してますし」

 

 ふ~ん、なるほど……

 

「シュペーア君、イタリア人の高射砲……いや、”戦車砲研究開発チーム(スクアドラ・カッロ・カノーネ)”に臨時招集を伝えてくれないか?」

 

 

 

***

 

 

 

 集めたイタリア人のグルッペ・カッロ・カノーネ、戦車砲開発チームに事情を説明する。

 ボトルネックになっていた生産に関して目途が立ったが、その製造機材は現行88㎜Flakの物だという事。

 無論、メリットはある基本的な製造設備はすぐに入手できるし、前出の野砲やIV号戦車で十分に対処できたために(前世に比べて)あまり使用例はないらしいが、88㎜砲用の対装甲砲弾、徹甲弾(APCBC)や高速徹甲弾(APCR)が開発され、さほど数は多くないが非常用砲弾として高射砲部隊に配備されていた。

 その為、近々に量産できるのはドイツの88㎜高射砲を改設計した物か、あるいは別のプランとしては88㎜高射砲の製造機材を設定を変更して現在の90㎜砲を製造できるよう改修する方法もある……その旨を伝えると、

 

枢機卿猊下(Cardinale)(カルディナーレ)、何を悩む必要があるのです? 一番手っ取り早いのは、ドイツ製のアハトアハトを戦車砲に作り変えることでしょう。誰がどう考えても」

 

 イタリアはカソリックの総本山だけあって、総督というより馴染みが深いらしい枢機卿(枢機卿とは本来、カソリック独自の役職だったし)という呼び名が定着してしまった。

 

「いや、しかしな……せっかく諸君らが努力し、イタリア製のDa90/53高射砲の戦車砲転用を研究開発してもらったというのに、それを考えるとな……」

 

 なんか努力を不意にするようでさ。

 

「何を言ってるんです? そんなこと気にする必要はありません」

 

 と開発チームリーダー。

 

「高射砲を仕立て直すノウハウやメソッドは得た。なら同じ方法でドイツ製の高射砲を戦車砲に仕立て直せるんじゃないですか? しかも、対装甲用の高性能砲弾まで開発済みとは至れり尽くせりだ」

 

 リーダーはニヤリと笑うと、

 

「それにドイツ製のアハトアハトには前から興味があったんでさぁ。それを弄れるなんざぁ実に技術的興味をそそられる。なあ、みんな!」

 

 そして、同意を示す開発チームの面々。

 

「枢機卿猊下、結局、間に合わない兵器なんざぁ意味がありません。ご配慮いただいたのは大変嬉しいですが、俺たちの心情なんかどうでもよろしい。現実的にすぐに生産できる強力な戦車砲候補があるのなら、そっちに開発を集中すべきでさぁ」

 

 ……国籍を問わず、俺は良い部下に恵まれているな。つくづくそう思う。

 

「分かった。諸君らがそう言うなら、一日も早くアハトアハトの実物、生産機材、治具を搬入できるように手配しよう」

 

 

 

***

 

 

 

 シュペーア君と共に軍需省のトート博士と掛け合い、驚いた事に42年の11月中旬に早くも88㎜高射砲の現物2ダースと砲弾、高射砲と砲弾の製造に必要な機材一式、治具などがサンクトペテルブルグに運び込まれた。

 やはりもう余剰分があった……というより”ランゲ・アハトアハト”のFlak41の製造場所を確保したいので、割と真剣に軍需省は現行アハトアハトの製造機材の引取先を探していたらしい。

 まさに俺の提案は渡りに船で、Win-Winな状況だったようだ。

 

 本当にタイミングにまで恵まれた。

 こうしてイタリア系の90㎜戦車砲は廃案となり、「史実を再現するように」88㎜高射砲が戦車砲に設計変更され転用されることになった。

 ちょっと「もしや歴史の修正力か?」と思わなくもないが、実際にはサンクトペテルブルグでKSP-34/42の85㎜砲に続く、大戦末期でも有益な次世代戦車砲の製造能力を確保できたことは地味に大きい。

 

 85㎜砲と88㎜砲、口径は3㎜しか違わないし、大して威力も変わらないと思われがちだが……存外に威力が違う。

 例えば、通常の徹甲弾を撃った場合、射程1000mの垂直鋼板に対する貫通力は2㎝違う。無論、威力が高いのは88㎜の方だ。これだと大差ないように思えるかもしれない。

 だが、高速徹甲弾を用いた場合においては更に顕著となり、射程1000mで”傾斜装甲”を相手にした場合の貫通力は85㎜が99㎜厚、88㎜が138㎜と倍の4㎝近く貫通力の差が付くのだ。この差は無視できない程度には大きい。

 具体的に言えば、高射砲改造の88㎜56口径長戦車砲でも、”スターリン戦車を除くほぼすべてのソ連戦車をアウトレンジで撃破可能”であり、よほど駄目な車体に乗せない限りはT-34/85やシャーマンの後期型相手なら十分優位に戦える。時期的にエンカウントする可能性が高いパーシングやT-44が出てきても、まあ互角にやり合えるだろう。

 照準器と主砲を連動させる”オートスレイブ撃発装置”の製造目途も立ったし、

 

(電気油圧式の砲塔旋回装置も何とか間に合いそうだしな。パワーパック化は間に合わなくても、駆動系は最悪V号戦車のを流用すればよい。計算上は重量は似たようなものか少し重いぐらい収まるだろうし、まあ大丈夫だろう。重量の増大はエンジンの出力強化でどうにでもなる)

 

 遅延しそうな主砲製造もこれで解決した。

 どうやら、次の戦車……コンセプト的に「史実のティーガーIと同等の攻撃力とそれ以上の防御力、そしてそれを遥かに上回る機動力を備える”主力戦車(・・・・)”」は、計画通りに44年には生産開始できそうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で88㎜56口径長砲は、どうやら次期サンクトペテルブルグ主力戦車に内定したみたいですよ?
イタリア産の90㎜高射砲は良い大砲なんですが、いざ大量生産となるとどうしても早期開始は難しいですから。

そして、長砲身75㎜でもやった砲弾の合理化を長砲身88㎜でもヒトラーはやらかしました。
まあ、確かに何種類も似たような砲弾製造して備蓄するのは無駄ですし、「兵器に詳しい合理主義者」ならやらんだろうな~と。
この世界線のヒトラー、とにかく無駄が嫌いですしw

どうやら次期サンクトペテルブルグ戦車、「史実のティーガーIと同等の攻撃力を備えながら10tほども軽く、同等以上の装甲防御と確実に上回る機動力」を備えた戦車になりそうです。
一応、登場は44年の予定。

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第278話 DC-4Eよりハリファックスの方が100倍マシとか、公爵とか”あかいあくま”とか(イタリア繋がり)

”あかいあくま”と言ってもマンチェスターのサッカーチームとか、宝石魔術使うツインテ絶壁っ娘とかではありません(英国繋がり)






 

 

 

 日本皇国は、イタリア攻略に向けて様々な準備を重ねていた。

 例えば、ギリシャ奪還戦+アルバニア解放戦に参加した軍艦は戦艦4隻、正規空母4隻、強襲揚陸艦4隻だが、それぞれ2隻ずつ追加予定になってるし、護衛艦隊として軽空母4隻も投入される予定だ。

 

 また、そろそろ開示して良いと思われるが……イタリア攻略戦は、久しぶりに日英同盟合同作戦となる予定だ。

 シチリア島上陸はイギリス、イタリア本土上陸は日本皇国が担当することになった。

 

 また、その下準備としてリビアの沿岸部、マルタ島の軍港・基地能力の強化を推し進め、この度、ギリシャより正確に租借を受けたクレタ島各地の基地機能の強化や更にはカラマタへの新規空軍基地や補給港の設営が急ピッチで行なわれていた。

 

 またクレタ島のハニア、そしてリビアのトリポリ近郊の空軍基地には、いよいよ出番となりそうな四発の大型長距離重爆撃機、いわゆる”戦略爆撃機”の配備が行われ、その活躍の時を待っていた。

 せっかくなので簡単なアウトラインだけ記しておこう。

 

 中島”深山”

 エンジン:火星二七型(離陸1850馬力)×4

 最高速度:460㎞/h

 航続距離:3,200㎞

 ペイロード:6,000kg(最大)

 自衛装備:毘式12.7㎜機関銃連装×3、単装×2(計8丁)

 特殊装備:不活性ガス噴射装置付セルフシーリング防爆タンク、エンジン用自動消火装置、ノルデン式(タコメトリック式)爆撃照準器+、電波高度計連動慣性航法装置、各種警戒用機載小型レーダー、チャフ投下装置など

 

 まず最初に答えを先に言っておこう。

 名前以外は史実と別物だ。史実の”深山”は失敗機ダグラスDC-4Eを原型としていたが、この世界線の”深山”は純粋な「ハンドレーページ・ハリファクス」のライセンス生産機だ。

 エンジンをオリジナルのブリストルではなく、三菱の”火星”に変更され、それに伴う各種の仕様変更はあるが、性能はほぼほぼハリファクスに準じていると考えて良い。

 ぶっちゃけてしまうと、現在開発中の”連山”も”アブロ・ランカスター”のライセンス生産機(正確には改造型)であり、現状では戦略爆撃機のジャンルでは英国面に依存してるのが現状だ。

 だが当然、日本の航空産業はそれで終わるつもりはなく、今は技術やノウハウ蓄積の雌伏の段階であり、ジェット時代に本格的な巻き返しを図ろうとしている。主に転生者が。

 

 

 

***

 

 

 

 準備しているのは軍事面だけでなく、政治面でもだ。

 まず、現在、リビアとトルコの収容所に合計30万人を超えるイタリア軍人の捕虜が居るという現実がある。

 そして、政治部と外交部は「イタリア本国から受け取りを拒否された」この人間を何とかできないかと前々から考えていた。

 正確には、リビアで大量の捕虜が発生し、受け取りを拒否された辺りから、動き出していたのだ。

 

「そういう訳でチャーチル、”例の人物”を引き取りたいのだが」

 

「良いだろう。ただし、ソマリアとエチオピアで得たイタリア人捕虜5万も一緒にだがね」

 

「ぐっ……致し方無い」

 

「仮にも”イタリア領東アフリカ帝国の副王”が、直参の配下を見捨てて自分だけ助かるわけにはいかんだろ? ”彼”にも立場があり、それこそ今後の沽券に関わる。君たちの”使い道”を察するに、『部下の身を案じて、共に日本に下った』というカバーストーリーの方が都合が良い(・・・・・)のだろう?」

 

「……良いだろう。その条件で本国と掛け合おう」

 

「それと今日の払いは君持ちだよ。ヨシダ」

 

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて世の中、運の悪い人間というのはどこにでもいる。

 例えば、史実の”アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ”。

 当時のファシスト政権下のイタリアで、王子様と国民人気を二分したとされるイタリア王族サヴォイア家の傍流アオスタ公爵家の若き公爵様だ。

 1940年に”イタリア領東アフリカ帝国の副王”にまでなったが、翌1941年にイタリア領東アフリカは英国軍に攻め込まれ、この公爵様もあえなく捕虜になってしまう。

 そして翌年の1942年、現在のタンザニアにあった捕虜収容所で肺炎とマラリアを併発し、あっけない最期を遂げた。

 名門貴族の最後としては、何というか……かなり華がない。

 

 

 もう察していただけたと思うが……この世界線でも同じく、イタリアの若いサヴォイア=アオスタ家の公爵が捕虜になっている。

 名を”アルヴァトーレ(・・・・・・・)・ディ・サヴォイア=アオスタ”。

 なんか金ぴかの機動兵器みたいな名前だが、特に深い意味はない。

 

 そこに目を付けたのが、皇国軍並びに皇国上層部だった。

 そして、あえて名を明かさぬ部門でこんな会話がなされたという。

 

「そうだ! 彼を中心に(本国に帰国を拒否されて怨み骨髄の)イタリアンな捕虜達の中心になってもらおう。彼も同じく捕虜に落ちた身分、少なくともイタリア本土の人間よりは当たりは弱いはずだ。そして、アオスタ公爵を中心として”イタリア解放軍(・・・)”を組織できれば……」

 

「そう上手くいくか?」

 

「上手くいかせるのさ。流石にこのまま40万近いイタリア人(捕虜)を無駄飯食らいにさせておく訳にはいかんだろ? 道義的にも財政的にもロジスティクス的にも」

 

「……ああ、要するに”解放軍”を建前にした”帰還事業(・・・・)”って訳か?」

 

「そうだ。無論、”解放軍”への参加は志願制にする。強制にすれば角が立つが、志願制にすれば義勇兵としての大義名分が成り立つ」

 

「煽るんだろ?」

 

「当然だ。そもそも日本人が数十万単位のイタリア人の面倒を見てる現状がおかしいんだよ。”カエサルの物はカエサルに”さ。イタリア人には謹んで故郷へお帰りいただきましょうってな」

 

「まあ、人道的にも正しいか。装備とかは?」

 

「基本的に”腐れ手榴弾(あかいあくま)以外は”鹵獲品。軽装前提。そもそも開発体系(ツリー)が違うイタリアの装甲車両や航空機を整備する余力は、皇国軍にはないぞ?」

 

「それもそうか。変に皇国軍の兵器を与えて不慣れな装備で事故を多発されても怖いしな」

 

「そういうことだ。戦闘は皇国軍と英軍が行い、彼らは後方維持に専念してもらう。移動用のトラックや食料、野営資材は提供するが、武器弾薬は自前の物を使ってもらう。無論、手榴弾以外」

 

「……やけにイタ公の手榴弾にこだわるな?」

 

「あれ、マジに兵器でなく危険物の類だし」

 

 

 

 

 OTO M35型手榴弾

 構造的欠陥(他国手榴弾のような時限式ではなく衝撃作動式信管の採用。キャップカバーが設計上の想定通りに外れない。安全プレートによる撃針の固定が解かれないなど)から不発の代名詞となってしまったイタリア産手榴弾。

 しかもただ不発になるだけなら良いが、誤って蹴るなど衝撃を与えれば遅延信管でないため即時爆発する恐れがあり、言わば自然のブービートラップとなる手榴弾であった。

 威力じゃなくて、その厄介さから敵味方(・・・)に恐れられ、赤いラッカー塗装から”赤い悪魔”と呼ばれた。

 硬い物にぶつけて衝撃が加わらないと爆発しないとか、手榴弾の使い道を分かっていないとしか思えない設計がチャームポイント。

 ある意味、皇国軍をもっとも恐れさせたイタリアン兵器かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、ちょっと日本皇国サイドの翌年に控えたイタリア攻略ネタなどを。

そして、何故かアオスタ公爵より目立つ”あかいあくま”w

”あかいあくま”は一発ネタにしても、割とアオスタ公爵はこの先も登場する可能性も……


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第279話 勧誘 ~アオスタ公と”リベリツォーネ・イタリアーノ”~

今回は何となくパスタ、それもケチャップで味付けした”昭和の喫茶店風ナポリタン”って感じですかね~。





 

 

 

「お初にお目にかかりますな、アオスタ公爵殿下。男爵の身分で謁見とは我ながら僭越だとは思いますが」

 

「良い。今の私は虜囚であることは誰よりも心得ている。それより、治療にまずは感謝を」

 

 ”アルヴァトーレ・ディ・サヴォイア=アオスタ”は正直、戸惑っていた。

 1931年に父が亡くなり、公爵位を継いで、40年にイタリア領東アフリカ帝国の副王という地位に召し上げられたと思ったら翌年には英国人に蹂躙され、そのままタンガニーカ(タンザニア)の捕虜収容所に放り込まれた。

 

 かと思ったら今年、今度はリビアを征服したらしい日本人に引き渡され、引き渡されるなり軍病院に担ぎ込まれ……どうやら、自分はマラリアに罹患していたらしいことが判明した。

 道理で最近、体調がすぐれなかったはずだ。

 

 そして、集中治療室に搬送され、完治するまでの長期入院と相成った。

 やけにイタリア語に堪能な医師によれば、割と危険な状態だったらしい。

 そして、お墨付きが出たと思ったら、今度は爵位を持つ日本外交官と対面というよくわからない状況になっていた。

 

「殿下、まずは現状をお知らせします。驚かずにお聞きください」

 

 そう切り出された内容は、アオスタ公にとり信じ難い内容だったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

「な、なんということをっ!? 命をかけて戦った将兵をなんと心得るっ!!」

 

 イタリアの捕虜に対する扱い、引き取り拒否を知ったアオスタ公は実にイタリア男らしい直情径行の激昂をみせた。

 このアオスタ公、史実では志願年齢に達してない16歳の時に、イタリア王に頼み込んで第一次世界大戦に参戦するという”熱い漢”なのだ。

 一兵卒とはいかないが、御曹司(公爵家嫡男)としては異例に低い伍長という下士官の最下層から軍隊生活をはじめ、終戦時にはその成果から中尉に昇進していたという武勇伝を持つ。

 実際、父親の死去で爵位を継ぐまでは、砲兵連隊の連隊長を務めていたくらいだ。

 

 次期公爵の身でありながら下士官として入隊し、終戦まで戦い抜いたアオスタ公は、なるほど確かに血縁がある王子と国民人気を二分するというのも頷ける。

 そして彼は、貴族としては例外的に長い軍隊生活、それも若くして前線に立った身であればこそ、”戦友”という物の意味をよく理解していた。

 同じ死線を潜り抜けた者同士の結びつきは強い。

 例えば、兵士は戦地に辿り着く前は「国の為」「家族のため」「恋人の為」というような戦う理由をあげるが、戦地に着き実戦を経験すると

 

 『戦友の為に戦う』

 

 という意見が多数を占めるようになるという。

 それが戦場心理であり、”連帯”という物だった。

 

「捕虜たちには、既にこの事実を伝えました。今は殿下同様に憤慨しておりますが……我々が心配しているのは、怒りはいつまでも続かないことを知っているからです。人間は移り気なもので、熱はいつか冷めます。その時、考えられるのは本国に戻れぬ諦観による絶望、あるいは自暴自棄です。暴動を起こされたら我々は、力をもって鎮圧するしかなくなる」

 

「それも道理だな……では、君はそれを私に伝え、何をさせたい?」

 

「まず、殿下にはイタリア人捕虜たちの精神的支柱になっていただきたい。国民人気のある殿下なら可能だと我々は考えています」

 

「それは了承しよう、敗残の将である私にそこまでのカリスマがあるかはわからぬが、できるだけはやってみよう。だが、それだけではないのだろう?」

 

「話が早くて助かります」

 

 ”ニチャア”

 

 幣原特使は往年の”肉食獣の笑み”を浮かべ、

 

「殿下には、可能ならばイタリア人捕虜を率いて”イタリア解放軍(Liberazione Italiano)(仮称)”を組織し、その頭目に座って頂きたいのです」

 

 

 

***

 

 

 

「男爵、君はイタリア人同士で殺しあえと言うのかね?」

 

 しかし、幣原はしれっと

 

「いいえ。自衛くらいはやっていただきたいですが、積極的に戦っていただかなくても結構」

 

Che Cosa(なんだって)?」

 

「殿下、これは貴方に義勇軍を率いてもらうというお頼みではなく、”イタリア本土への捕虜の帰還事業(・・・・・・・)”のリーダーを務めて欲しいというご依頼なのですよ」

 

「……男爵、どういう意味かね? 詳しく話したまえ」

 

 幣原は一呼吸置くと、

 

「まず、前提として来年、具体的な時期はまだ未定ですがイタリア本土攻略戦を予定しております」

 

 『貴殿の故国を落とす』という割と傍若無人の発言だが、アオスタ公は特に気にした様子はない。

 良くも悪くも、この公爵もまた戦乱絶えた試しなしの欧州の貴族という事なのだろう。

 

「そして、我々が抱え込んでいる数十万人のイタリア軍捕虜……これを何時までも維持できるわけではありません。できれば一刻も早く帰国して頂きたい」

 

「それも当然だな。確かに地方都市の人口に匹敵する捕虜を養うのは、気安い話ではない」

 

 実際に数十万のイタリア軍の捕虜を抱えたままイタリア人とイタリア本土で戦争とか、皇国に限らずできればどの国でも避けたい事態ではある。

 

「ですが、イタリア本国、”ムッソリーニ政権”が捕虜の受け入れを拒否している以上、強硬手段も()むをえません。しかし殿下、行軍に捕虜を同行させるなど如何にも外聞が悪いとは思いませんか?」

 

「なるほど……それで私を含めたイタリア軍捕虜に”義勇軍”の体裁を取らせるわけか。しかも、我々は”切り捨てられた捕虜”という立場がもある。確かに『裏切りの為政者(ムッソリーニ)より祖国を解放する』という大義名分も成り立つか……」

 

 アオスタ公の言葉に幣原は頷き、

 

「なので、便宜上とりあえず”イタリア解放軍(リベリツォーネ・イタリアーノ)”とさせていただきますが、解放軍は皇国軍(われわれ)の後方に就き、制圧した地区に進駐し、治安維持を担って頂きたい。要所要所には皇国軍の部隊をおきますが、こう言っては何ですが戦略的価値の低い場所への人員配置を行わないだけでも、我々としては助かるのですよ。貴国兵士が使っていた武器も自衛の範疇を超えない軽装備に関してはお返ししますし、移動手段、食料、野営資材などは提供いたしましょう」

 

 どうやら、アオスタ公は伊達や酔狂で軍人貴族はやっていないようで、

 

「となると、部隊編成は”郷土部隊方式”の方が良いだろうな。南部から開放するのだろう?」

 

 と、少し話に前のめりになってくる。

 郷土部隊とは、同じ地域から志願あるいは徴兵された兵士をまとめ、可能なら同じ地域出身の将校に指揮させる編成のやり方だ。

 連帯感を持たせやすいというメリットはあるが、部隊ごとの戦力の均質化という意味ではデメリットがあり、特に志願兵が中心の皇国軍では地域ごとの人口の格差や、あるいは地域ごとの軍志願者の数(実際、仕事が多い都市部よりも仕事が少ない地方の方が人口当たりの志願者は多くなる傾向がある)の格差があり崩壊してしまった制度でもある。

 

「流石に作戦を明言できる立場では無いのですが、おそらくは」

 

 幣原の返答は、「郷土部隊方式の編成」が可能であることも、「南から攻め上がる」ことの肯定も兼ねていた。

 

「結構。なら、その申し出を受けよう。確かにそろそろムッソリーニ殿には退陣していただいた方が良い頃合いだ。イタリアは方々に恨みを買いすぎた。これでは”未回収のイタリア”どころの騒ぎではないだろう」

 

「ご納得いただき幸いです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしこの後、ギリシャ・アルバニアでのイタリア軍捕虜まで合流し、総勢50万人近い”軍勢”……副王時代より数倍は多い配下を持つことになった”アオスタ公爵司令官”は、その規模の大きさとイタリアの負けっぷりに卒倒しかけたという。

 

 凡そ50万人の軽装歩兵軍団というのは、おそらく軽装部隊としては史上最大規模であり、おそらくこの先も破られることはないだろう。

 無論、陸軍人だけでなく少数ながら海も空もいたし、当然、従軍拒否者も出たので、最終的には30万人を少し超える程度の軍勢に落ち着いたのだが……それでも、多い事には変わりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、幣原さん、アオスタ公のスカウト成功です。
史実の自由イタリア軍ならぬイタリア解放軍(リベリツォーネ・イタリアーノ)、近日登場予定?

でも本当の目的は、「独裁者やファシストからの祖国解放」ではなく「祖国への帰還」という。
多分、「捕虜生活からの解放」って意味なのかもしれないですw


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第280話 ノヴォロシスク、オリョールの戦い。おまけでメドヴェージェフの森とか

ほぼほぼ、ナレ死ならぬナレ陥落案件。








 

 

 

 さて、サンクトペテルブルグがまだ”レニングラード”と呼ばれていた頃、ソ連全来の電力の8割近くがレニングラードとその周辺の発電施設で賄われていたという逸話がある。

 そして、それらの発電設備の半分以上が稼働状態にある。

 その為、サンクトペテルブルグは非常に電力が豊富だ。

 なんで半分だけなのかって?

 都市攻略戦の時に破壊され、修復不可能と判断された……ってのもあるが、実際は設備が古すぎて非効率。耐用年数から考え解体して新たな発電用タービンを組んだ方が良いってのがままあったのだ。

 実際、その対象となったのは小規模発電所が多かったりするのだが。

 

 ああ、フォン・クルスだ。

 現在、サンクトペテルブルグの発電所関係で集中させているのは修復不可能とされた発電所の撤去と、それが終われば新しい火力発電プラントの設置だ。

 ゆくゆくはサンクトペテルブルグでも発電関連の機器を製造したい……ぶっちゃけ水資源豊富だし水力発電所とかガスタービン発電機とか作りたいが、今は軍需生産にかなりのリソースを割り振っている為、開発を行うにしてもおそらく戦後になるだろう。

 俺としては、サンクトペテルブルグを「軍需生産拠点」のままで終わらせたくないのが本音だ。

 戦時中は兵器のマーケットに事欠かないが、いつまでも戦争を続けられるほど国家というのは経済基盤が強くはない。

 永遠の闘争というのは、おとぎ話の中だけの話だ。

 何しろあの大国アメリカでさえ、戦費に音を上げるんだぞ?

 そういう訳で、今はドイツの電力インフラに一応の解決を見たシーメンスや友好関係のあるボルボに新規発電設備一式の見積もりを出してもらっている。

 

 とはいえ、現状でも復旧ないし拡大しつつある工業に対し、かつてソ連全域(特にモスクワ)に給電していた電力を全て”サンクトペテルブルグ特別行政区”で使えるために電力供給量自体は潤沢で、こうしてクリスマスまで1ヶ月ほどになったサンクトペテルブルグ市内にもどこか手作り感あふれた色とりどりの電飾が輝くようになっても影響は出ていない。

 しかし、電力というのは余剰があるに越したことはない戦略物資(・・・・)だ。

 特に現代の兵器製造には、非常に多くの電気を使う。その典型がアルミの精錬だ。

 

 さて、それはさておき……

 

「ノヴォロシスクとオリョールが陥落したか……良いペースだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 史実においてノヴォロシスクは、戦後ソ連において”英雄都市”として認定された。

 その理由は、1942年にドイツ軍に街の大半が占領されるも、1943年にソ連軍に奪還されるまでの間、ソ連水兵の小部隊により225日にわたって街の一部が死守されたからであるらしい。

 だが、この世界線では……

 

「ハハハハハッ!! 防御陣地や抵抗拠点など街の区画ごとまとめて吹き飛ばせっ!!」

 

 ドイツ黒海艦隊第2部隊提督、フランス生まれのジャン=ジャック・ブーサン少将は本日も上機嫌だった。

 

「大将大将、あんま適当にぶっ放してると、帰ったら司令官殿よりお小言ですぜ」

 

 とまあ、史実では存在しなかった”ドイツ黒海艦隊”の元フランス戦艦4隻による釣る瓶打ち(撃ち)に始まり、空軍の爆撃と陸軍の重砲砲撃というこの時代では先進的な、ドイツ軍では珍しい陸海空のコンバインド・バトルによりノヴォロシスクは物理的に瓦解させられた。

 

 海軍の歩兵部隊が守りを固めていた街の一区画も、流石に半徹甲榴弾の前には意味をなさなかったらしい。

 結局、彼らは225日どころか、その10分の1にも満たない時間しか維持できなかった。

 それほどまでに史実のドイツ軍と比べ、火力が圧倒していたのだ。

 

 ちなみにノヴォロシスクは、史実ではソ連がプロパガンダででっち上げた”英雄都市”の一つに数えられている。

 ”英雄都市”というのは「大祖国戦争においてドイツ軍の侵略に対して激しく抵抗し、傑出した英雄的行為を見せたソビエト連邦の都市」という名目で12の都市が選出されたが、今生では1942年11月末日の時点でドイツ軍の手に落ちていないのは、12都市中3つだけだ。

 具体的にはモスクワ、スターリングラード、トゥーラだが……この3都市、いずれもドイツの地上侵攻は受けていない。

 モスクワは空爆でクレムリン宮殿と官庁街が物理的に大炎上したが、残る2都市は地上軍はおろか見たことあるドイツ軍機は時折飛んでくる偵察機ぐらいという有様だった。

 

 

 

 そして、更なる悲劇がソ連を襲う。

 モスクワ南部にある”オリョール”がドイツ軍の奇襲で陥落したのだ。

 ソ連はドイツは黒海沿岸に全力を傾注していると考えていた。

 確かにそれは間違いない。

 何しろノブゴロドの守備隊や国内の機甲予備兵力を抽出して攻め込んだのだ。ただし、”ドイツ南方(・・)軍集団”が、である。

 だが、スモレンスク(史実ではここも英雄都市だった)の防衛戦で、ソ連軍の被害に比べれば微々たるものだが、それなりの出血を強いられた”ドイツ中央(・・)軍集団”だが、別に侵攻を自重するほどのダメージを受けたわけでは無い。

 

 加えて、確かにベラルーシはソ連のシンパや共産ゲリラの巣窟じみた場所ではあるし、サボタージュやテロを企てるものが後を絶たない危険地帯ではあるのだが……ゲリコマ対策部隊と正規の侵攻作戦用の機甲部隊が同じである筈はない。

 そもそもゲリコマ狩りで一番活躍してるのはNSRのスコルツェニーなどに代表される各種特殊任務群、パンヴィッツ将軍率いる第1コサック騎兵団、クラスノフ率いる”ドン・コサック騎兵軍”だ。

 あと加えるとすれば憲兵隊だろうか?

 彼らは職業柄、あるいは歴史背景的に非正規戦・非対称戦の対応が妙にうまかった。

 そして、治安活動を彼らに任せる形でブリャンスク方面の西方、そしてクルスクを迂回しての南方の2方面から完全装甲化された正規軍が攻め込んだのだ。

 如何にヴォルガ川ラインに防衛線を下げたと言っても、モスクワへ直接つながる要所にしてはあまりにあっけない戦いの幕切れだった。

 いや、それを言うならノヴォロシスクも同じかもしれない。

 ノヴォロシスクは本来、軍港としての機能も有していた(だから海軍歩兵が陣取っていたのであるが)ので、本来なら強固な防衛を固めるべきなのだが……

 

 

 

 実はドイツ人が知らない事実ではあるのだが……こうもあっさりノヴォロシスクもオリョールも陥落した遠因は、「スモレンスク防衛戦」におけるソ連の大消耗とクレムリン炎上による政治的混乱が尾を引いていたのだ。

 確かに兵員の数自体はいたのだ。無論、国内戦争難民で慌てて穴埋めしたような部分はあるからお世辞にも練度は褒められた物では無かったが……

 だが、不足していたのは兵隊の練度だけではなく、武器・弾薬・食料が全体的にそうだった。

 

 そう、本来なら運び込まれ、備蓄されていなければならないはずの物資が届いていなかったのだ。

 特にノヴォロシスクではそれが顕著だったようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、オリョールが陥落した事で、後に政治的影響を残す事件が発覚する。

 オリョール近郊の”メドヴェージェフの森”で、200体近い無造作に埋められていた遺体が発見されたのだ。

 ソ連、いやスターリンは「たかが(・・・)200名を粛清」なぞとっくに忘れていた。大粛清で殺した数を統計学と言い切る男らしい話である。

 

 だが、これはドイツ人も流石に罪を問うことはなかった。

 なぜか?

 それは、「ロシア人がロシア人を殺した」という事実だけにとどまらない。

 そこで死体になっていたのは、ただの市民ではなかったのだ。

 その主だった者はオリョールにあった刑務所の囚人、「反革命犯罪などで服役していたはずの政治犯(・・・)」だったのだ。

 そこには、トロツキーの妹やスターリンの同胞であるが、最終的に”政敵になるかもしれない(・・・・・)”著名な共産主義者、社会主義革命党中央委員会の元メンバーや大学教授、開業医なども含まれていた。

 その罪状は、「敗北主義的扇動を行い、破壊活動を再開するために逃亡を準備しようとしていた」……完全に濡れ衣である。

 ちなみに提案したのは、またしてもベリヤだったりする。スターリンといいエジョフといい、ホントに粛清と称して自国民殺すのが好きな連中である。

 つまり、彼らはドイツ人が「オリョールに攻め込んでくる」という事象にかこつけて、”粛清”されたのだ。

 いわゆる同胞殺しの”メドヴェージェフの森の虐殺”が世に晒された瞬間であった。

 

 

 

 もっとも”虐殺”と銘打ったところで、ソ連が「政治犯を法に基づき前倒し処刑しただけだが、何か?」と開き直ってしまえば所詮は内政の問題なので、わざわざ他国民であるポーランド人を連行して殺した”カティンの森”と違い杉浦千景率いる戦争犯罪調査チームが出張ってくるような話ではなく、専らドイツがソ連の国内向けにばら撒くビラに記載するプロパガンダのネタが一つ増えた程度の話であるが。

 

 事実、犠牲者の質が問題なだけであり、量は「ソ連の粛正にしては少ない。いつもの”面倒だから皆殺し”ではなく、一応は選んだのか」程度の認識であり、影響があったのは犠牲者の支持者がいたソ連だけで、戦後も含めてこの一件を非難する他国政府は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




数百程度、しかもロシア人同士なら「平常運転」で国際的にスルーされてしまうソ連クオリティーw

いや、フィクションとかでなく、マジでスナック菓子食う感覚で住民虐殺命令とかしてますからねー。スターリンとかベリヤは。

ただこの世界線では、きっちりツケ(・・)は払ってもらうことになりそうですが。
少なくとも、こうもあっさりあちこち陥落する一因は、ドイツ軍が無駄な消耗を避けて元気いっぱいなだけでなく大粛清の影響も少なくないでしょうね~。

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第281話 赤化汚染進む病める大国と、狙撃兵小金持ちになる(えっ?)

前半と後半の温度差よw






 

 

 

 さて、少し信じがたい話をしよう。

 史実の1941年モロッコとアルジェリアへの上陸作戦である”トーチ作戦”……

 ノルマンディー上陸作戦として知られる”ネプチューン作戦”……

 

 この二つの作戦は、「ドイツ相手に行った作戦」である以上に、ある共通点がある。

 それは、「スターリンから(・・・・・・・)第二戦線を展開することを要求されて実行された作戦である」ということだ。

 繰り返すが、”スターリンからの要請”をルーズベルトやチャーチルが受け、立案された作戦だ。

 

 ”バルバロッサ作戦”発動時、当然ながらドイツは東部戦線に戦力を集中させていた。

 その圧力を緩和する為に、「欧州方面にドイツ軍を誘引する”第二戦線”を形成する」ことを要請された。

 いや、要請ではない。はっきり言えば、米英に巣食うコミンテルンネットワークに命令が飛び、米英は”まるで子分(・・)のように”その通りに動いたのだ。

 ただし、当時のコミンテルンも米国を欧州直接上陸に向けさせたり、ダイナモ作戦や各地の敗北で疲弊していた英国を即座に欧州へ押し戻させることはできなかった。

 そこで行われたのが”トーチ作戦”であり、そしてアフリカではドイツ軍の誘引は不十分として、再度、”要請”が飛び今度こそ欧州直接上陸が叶ったのが”ネプチューン作戦”だ。

 

 つまり、この二つだけではないが、確実にこの二つの大規模上陸作戦は「ソ連の都合(・・・・・)が優先されて行われた作戦」であり、「ソ連の命令(・・・・・)で米英兵士の血が流れた作戦」でもある。

 つまり、米英は自国の兵士の命より、”ソ連を優先した”のだ。

 当時の米英が如何に赤色汚染が深刻だったかをよく表すエピソードである。

 

 

 

 だが、この世界線では転生者といくつかの幸運が重なり、英国は国家の中枢にまで入り込んでいた共産主義者、ソ連の手先(コミンテルン)を辛くも排除・駆逐することができた。

 だが、何度も出てきたようにアメリカは相変わらず、”史実通りに”腹の中(あるいは頭の中)まで赤色汚染が進んだままだ。

 そして、そんな赤化末期症状を起こしているアメリカならばこそ、当然のように「ソ連支援のための作戦」が立案された。

 

 内容も作戦名も、まんま”トーチ作戦”だ。

 ただし、発動は来年……1943年を目途に予定にされていた。

 遅延の理由はいくつかある。主だった理由は二つで、

  ・英国の協力が得られないこと

  ・真珠湾攻撃がなく、議会工作に手間取っていること

 などだ。

 英国の協力が得られないことはどうしようもないが、それはアイルランドを取り込んだ事で補填と解決が付く。

 むしろ、問題なのは議会工作だ。

 

 実際、最近は”World War Ⅱ”と表記されることの多いこの戦争への参戦自体は、最悪”大統領令”でどうとでもなる。

 だが、参戦反対派議員に連名で集団訴訟を起こされ、連邦最高裁判所による違憲判決で上書き(無効化)されたらコトだ。

 いや、赤色汚染が進んだ米国司法界なら、ソ連の思い通りになる可能性は高いが、それとて絶対というわけでは無い。

 それ以前に裁判が長引けば、参戦のチャンスを逃すかもしれない。

 何より、

 

(軍自体が参戦に消極的というのがまずい……)

 

 無論、軍部全体が消極的という訳ではない。

 例えば、新世代の兵器と戦略である”戦略爆撃機”を実戦投入したがってるルメーやその一派などが良い例だ。

 ミッチェルやドゥーエが思い描いた”未来の戦場”を具現化するのは自分しかいないと息まいている。

 

(あれなら、大義名分さえ整えば、どこの街だろうと民間人ごと爆撃するだろう。条約違反など気にもかけずに……)

 

 それが”この男”が忠誠を誓う国を救うのに、今まさに必要な力だと確信していた。

 

(まずはドイツの街全てを焼き払わねばならん……)

 

 米国に張った”赤い根”は誰が考えるよりも深く広く、それはモスクワへと繋がっていた。

 

(コミンテルンやマスコミだけでは足りん。チャイナロビーとユダヤロビーに動いてもらうしかないな。福音派(エバンジェリカルズ)も全米ライフル協会も、各労働団体も……総力戦だ)

 

 この大統領のアドバイザーを自称する男の名はあえて語らぬ。

 だがアメリカは今、全力で戦争に傾注する為の胎動を始めるのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ああ、まだリビアに帰れてない下総兵四郎だ。

 どうも帰省は年明けになりそうだな。

 

 えっ? 普通は帰省する故郷は、日本皇国じゃないのかって?

 いやいや、嫁さんと子供がいる場所が故郷だろ?

 

 さて、そろそろクリスマスへのカウントダウンが始まりそうなこの時期、俺に来客があった。

 リビアからではなく皇国からだ。

 差し出された名刺を見ると、

 

「”豊和銃器”?」

 

 陸軍から銃器の委託生産依頼を受けている指定企業(国策企業)の一つであり、確か梨園三式改から九九式狙撃銃への改修も請け負ってたはずだ。

 

「鉄砲屋さんが俺に何の用だ? 確かに貴社製品のヘビーユーザーではあるが……」

 

 いや皇国狙撃兵の大半はそうだろうけどさ。

 

「いえ、実はリビア、キレナイカ王国より正式なオーダーがありまして……端的に申し上げますと、下総大尉の”シグネイチャーモデル”の狙撃銃を制作し、量産してほしいと」

 

「はぁ……?」

 

 なんだそりゃ?

 ああ、シグネイチャーモデルってのは、要するに”ある人物が使ってる道具のレプリカ”のことで、当然、大量生産を前提にしている。

 スポーツ用品に例えるとわかりやすいが、テニスラケットやゴルフクラブの”○○選手モデル”とか銘打ってあるのがそれだ。

 だが……

 

「困ったな。生憎、俺専用の狙撃銃とかないぜ?」

 

 なんせ基本的に官給品だし、特に改造とかしてない。

 さっきの例えを出すと、”○○選手愛用のモデル”としては成り立つかもしれんが、俺専用にカスタムされた狙撃銃ってのは無い。

 

「それは存じ上げております。ですから、ここは発想を変えて、いっそこの機に”下総大尉専用モデル”を製作しようという運びになりまして」

 

 いや、どうしてそうなった?

 

「陸軍とも相談しましたところ、陸軍に試験納入するなら許可とのことでした」

 

 軽いな陸軍装備担当部署の上層部。

 

「そしてせっかくですので”北アフリカの和製ヘイヘ”、下総大尉に理想の狙撃銃についてお伺いしたく馳せ参じました」

 

 そういや、史実のヘイヘも銃器メーカーから専用の銃を戦後に贈られたとかなんとか。

 

「それって”名義貸し(・・・・)”じゃなくて、俺の意見を反映した銃、俺にも回ってくるの?」

 

 理想を語るのは構わんけど、スナイパーとしてはできた製品を使ってみたいじゃん?

 

「無論です。むしろ、試作品の監修をしていただければと。もちろん、シグネイチャー使用料のインセンティブとは別に監修費用はお支払いします」

 

 いや、銭金にそこまでこだわんねーけどさ。

 まあ、商魂たくましく結構なことだ。

 

(史実をなぞるならリー・エンフィールド系の小銃ならL42A1狙撃銃をなぞるのが鉄板だろうが……)

 

 でも、それじゃあ面白くない。

 

「そういうことなら、簡単な図解入りの概略図でも書いておくかね~」

 

 俺は小鳥遊君に紙とペンを持って来てもらい、

 

「機関部とかはクロームメッキ処理を含めて九九式狙撃銃のままで良い。7.7㎜/Mk8実包を安心して撃てる小銃は、肉厚薬室でクロームメッキ処理された九九式くらいだろうし。けど、銃身は鍛造の冷間鍛造のブルバレルに変更しフルフローティング・マウントにして欲しいな。着剣ラグとかいらんけど、バックアップのメタルサイトは残すのは必須。スコープが故障したから狙撃できませんじゃ、戦場では話にならんし」

 

 前世の21世紀とかならともかく、この時代の光学照準器(スコープ)ってのは望遠鏡やカメラの望遠レンズと同じ光学精密機器の範疇で、タフさはなくむしろ軍用機器としては繊細で脆弱な部類に入る。

 技術的、素材工学的な限界って奴だな。実際、高価な割には壊れやすいスコープを嫌って、軍用狙撃銃には使わない方針の国が大半だ。

 というか積極的に狙撃銃にスコープ採用してるのって、日本とドイツぐらいじゃないか?

 

 だから、スコープはなるべく壊れにくいシンプルなタイプを選び、またスコープが故障した場合を考え、スコープはマウントごと取り外せる構造にして、バックアップの従来型メタルサイトは欠かせないって訳だ。

 

「スコープは10倍の固定倍率で、曇り止めの窒素ガス封入、ガス漏れ防止に加えて防水・防塵・防砂を兼ねたOリングなんかのシールをかませて、レンズ自体は無反射コーティングでなるべく径が大きく明るい物がいい。ただし、野外……戦場で使うことが前提だから、ある程度の耐衝撃性を考慮してくれると助かる」

 

「倍率は変更出来なくて良いんですか?」

 

「いいよ。砂漠の砂ってのはきめ細かくてね、ズーム式にするとどうしたってテレスコピック構造の伸縮で可動部分が増えるだろ? そこに容赦なく入ってきて故障の原因になる。それにスコープに限らず光学機器ってのは倍率変更可能にすっと必然的にレンズの構成枚数が増える。レンズの枚数が増えると重くなるし、画像が暗くなる……そうだろ?」

 

 ズーム式の可変倍率スコープってのは便利なんだが、戦場で使うとなるとただでさえ繊細なスコープが、構成レンズ枚数の増加やズーム機構の組み込みで更に重くなり、機構の複雑化は故障の原因になり、レンズの枚数が増えるだけ光の減衰で像が暗くなる。

 正直、デメリットの方が多くなるのさ。戦場では基本、シンプルイズベストなんだよ。

 あと、温度変化や湿度変化によるレンズ曇りや、雨や砂にも強いことが望ましい。

 

「ストックは、素材は合板のままで良いけど、バットプレート(肩に当たる部分)とチークピース(照準器を覗くときに頬が当たる部分)は別体にして調整できるようにしてくれると助かる。あとバイポットは二段階くらいで長さが調整できる頑丈な奴を標準搭載してくれると良いな」

 

 現在の技術で再現可能な「戦後の(・・・)ボルトアクション式狙撃銃の標準メソッド」としちゃあこんなもんか?

 イメージ的には木製ストックが主流だった時代の最後の方の狙撃銃、米軍のM40とかかな?

 

 

「あと、これらの要求を満たしたうえで、ある程度の頑丈さを保ちつつ弾丸とスコープ込みで重量6kg以下に抑えるのを目標にしてくれ。相手が狙撃手まで届く武器を持ってる事を想定しなければならんし」

 

 使える素材を考えると、結構厳しめな要求の自覚はある。

 

(だが、スナイパーってのは存外に動き回るからな)

 

 意外に聞こえるかもしれないが基本、ガチの正規軍相手への狙撃の場合、カウンタースナイピング対策で「こっちの射点がバレる前に動く」のが鉄則だ。

 敵狙撃手のカウンターもだが、正規軍なら狙撃地点まで余裕で射程に納める重機関銃やら迫撃砲やらに事欠かないはずだ。

 ぶっちゃけいつまでも未練がましく狙撃地点に残っていたら、「狙撃兵が大体居そうな場所に火力の集中投射」してくるぞ?

 

「”撃ったらバレる前に動く”のが戦場狙撃の基本だしな」

 

(まあ、そういう意味ではギリシャやアルバニアの共産ゲリコマは楽できたんだけどな)

 

 連中はそもそも長射程の重火器不足で、狙撃手も居るにはいたんだが俺に言わせれば「素人以上、狙撃手未満」だな。

 自分が攻勢側に居て当てるのは上手いが、いざ自分が狙われた時の対応がなっちゃいない。

 特に着弾地点から弾道予測して狙撃点を割り出すのが致命的に下手糞だ。これって狙撃兵の必須技能なんだが……

 

(狙撃兵としての訓練受けてない猟師とかなんだろうな……多分)

 

 狩りの獲物、動物は鉄砲撃ち返してこないから。

 

「これは思ったより大掛かりな開発になりそうですね……」

 

 かもな。

 アイデアは出すし、テストもしてやるが、作るのはお前さんたちだ。

 狙撃で戦場や戦況を変えるって事はないが、1発の銃弾が歴史を変えるってのはままあるからな。

 第一次世界大戦がそうだったろ?

 とりあえず、期待して待つとしよう。

 

 

 

***

 

 

 

 まあ、この時の俺は、後にこれが”デザート・スナイパー・ライフル(The DSR)”シリーズとして各国の軍や法的機関(例えば、皇国では各県警に設置が義務付けられているSATとか)に採用され、おまけに様々な実包対応のバリエーションも産み豊和の看板商品になるとは思いもしなかったんだよな~。

 いや、まあデザート・スナイパーってだけで俺の個人名が製品名に入らなかっただけマシだったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実であり事実、「スターリンから第二戦線(西部戦線)構築の要請」によりカサブランカやノルマンディーが実地された。
これだけで、当時のアメリカがどういう国かよくわかるというものです。

はっきり言えば、ルーズベルトはスターリンの御用聞きみたいなもんです。
ちなみに史実の英国も五十歩百歩ですのであしからずw
どっちも国家の中枢はまっかっかです。

狙撃銃の後年のネーミングですが”デザート・スナイパー・ライフル(砂漠狙撃用小銃)”ではなく、”The デザートスナイパー・ライフル(砂漠の狙撃手の小銃)”という意味らしいです。
定冠詞”The”が付く砂漠の狙撃手なんて一人しか該当がいませんがw

ただ一言……40年代の技術とはいえ、スナイパーライフルがまだふんわりとした形しかなかった時代に”コレ”売りだしゃ、そら売れるよw
だって、FRP製のストックとかに変えたら、ほぼ現代のボルトアクション式狙撃銃だし。

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第282話 ソチ陥落! いや、陥落と言ってよいのかコレ? 余計に話がややこしくなってるんだが……どうしよ?

日曜なので、二本目投稿。
サブタイは、作中のとある登場人物の心の声を素直に書き出してみましたw







 

 

 

 さて、1942年12月初旬、遂にソ連黒海沿岸の最後の要所、古くから保養地としても知られるソチが陥落する。

 いや、この言い方は少し語弊がある。

 

 ドイツ軍の先遣隊が向かった時、ソチ側の代表者が会談に応じ、そして……

 

「条件を飲んでいただければ、ソチを無血開城いたします」

 

「……その条件とは?」

 

「我々、”ロシア正教軍(・・・・・・)”の聖職者、軍人と役人、民間人合計31万人の”サンクトペテルブルグへの亡命”です」

 

「はっ……?」

 

 

 

***

 

 

 

 南方軍集団司令官、ボック元帥は困り果てていた。いや、むしろ途方にくれていた。

 なんと、自分達が攻め込もうとしていたソチは、既に”クーデター軍”により占拠されていたのだから、無理もない。

 内容を聞いた時、その鮮やかさと電光石火っぷりはボックも驚いたほどだ。

 

 事の発端は、ドイツが積極的に世界中に流布していた「サンクトペテルブルグでの信仰の復活(=ミントブルー宣言)」が瞬く間にソ連国内の正教徒、特に共産主義やソ連という体制を良しとしない地下礼拝堂(カタコンペ)派に伝播したことだ。

 史実でもそうだが、ロシアの正教徒は実にしぶとく粘り強く、実は政治局員や共産党員、赤軍の中にも「隠れ信徒」は大勢いたのだ。

 そして、そのカタコンペ・ネットワークを通じて計画が練られた。

 

 ソ連西部の暫定国境の近くなら”信仰の自由を求める同志”が手引きして確保した集落に集まり、まとまってドイツ軍が守る野営地に白旗を掲げて近づけばよい。

 どうやら、そういった事態の対策マニュアルはドイツ側ではできているようで、必ずしも丁重に扱われるとは言わないが、少なくとも無碍に扱われることはなかった。史実との大きな違いである。

 だが、この方法には欠点があった。

 いくら最近、蓄積されたダメージで監視の目が緩みがちとはいえ、共産主義者の警戒網をくぐり抜けてドイツ人と接触できる人数が、大体一つの村の人数……一度に数十人、多くても数百がカモフラージュで誤魔化せる限界だった。

 

 だが、集団が大きくなり過ぎ、その手口が使えない”信仰の自由を求めるロシア人集団”が出来上がってしまう事態が発生した。

 多いと言ってもたかが数十万、赤軍の正規部隊に囲まれたたらひとたまりもない。

 スターリンが、どれほどの人数を虐殺してきたかを、彼らは目の前で見てきたのだ。

 

 そこで彼らは一計を案じた。

 ソチの防衛隊の中にも”信仰の自由を求める同志”は居た。

 それも複数、中にはそれなりの高官も居たのだ。

 そこで彼らは”偽の命令書”……”援軍の到着”と”国内の戦争難民の受け入れと兵力化によるソチ防衛計画”をでっち上げたのだ。

 

 このプランの成功の為、条件が揃っていたことも追い風になった。

 まず、クレムリン炎上から始まった政府機能のマヒがまだ完全復旧には至らず、またいくら想定内だったとしても立て続けに、そしてあまりに早いペースでロストフ・ナ・ドヌー、クラスノダール、ノヴォロシスクという大規模拠点が陥落したためにその対応に忙殺されていたこと。

 その為、ソチの防衛隊が中央との連絡が途絶えがちで、そうであるが故に偽の命令書に対する十分な精査や確認ができなかったのだ。

 更に人間というのは、危機的状況には「希望的観測にすがりたい」という願望がある。

 ただでさえ、ヴォルガ川戦線に兵力を集中させるために増援が回ってこず、迫りくるドイツ軍に対して何もかも足りてなかったソチ防衛隊は、その増援を告げる偽命令書の内容に縋ってしまったのだ。

 これは仕方のない部分はある。

 増援を送って来ないにも関わらず、ソチには「死守命令」が出ていた。

 つまり、”ドイツ軍の侵攻を遅延させる為の捨て駒”にされていたのだ。

 当然、ソチ防衛隊司令部は援軍要請を行った。「今の兵力では死守も無理」だと。

 本来、それは軍上層部から「無視された嘆願」だった。

 

 だが、その返答として届いたのが、この件の偽命令書だったという訳である。

 また、国内難民を”臨時の肉壁として使え”という内容もまた、ソ連の現状をよく示しており、リアリティの構築に一役買っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、”信仰の自由を求める集団”は何食わぬ顔でソチへと入り、そしてドイツ人の接近に伴いクーデターを起こして奇襲でソチ防衛隊を制圧。

 その次に、聖職者達が市民に

 

「ドイツに降伏し、信仰の自由が認められたサンクトペテルブルグへ向かおう」

 

 と市民を説得(扇動)したのだ。

 同調する市民には歓迎を、受け入れない市民はソチからの退去を、そして反抗する者は……強制的に反抗できない状況にした。生死を問わずに。

 

 結果として生まれたのが、31万人の亡命希望者という訳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このような事情がありまして、是非ともフォン・クルス総督閣下には受け入れて頂きたく」

 

 と平身低頭するドイツ南方軍集団の参謀長、モーデル大将。

 ああ、フォン・クルスだ。

 何やら、ハイドリヒの野郎が「緊急の案件がある」ってんで面会してみたら、同行していた……というかメインゲストだったのが、南方軍集団の参謀長だった件について。無論、初対面だ。

 いや、ホントに何事よって感じだからな?

 

 まあ、話を聞いてみれば簡単で、サンクトペテルブルグの評判を聞きつけたロシア人が(ソチ)を占拠して、無血開城を条件にドイツへの亡命とサンクトペテルブルグへの移住を希望してると……

 

(それも理由が”信仰の自由”を求めてって……)

 

「ハイドリヒ長官、別にドイツ本国で信仰の自由がないわけではないないですよね?」

 

 第三者がいるから丁寧に、外向けの言い回しで「サンクトペテルブルグでなくともドイツ本国が受皿でいいんじゃね?」と言ってみる。

 いや、それ以前に「サンクトペテルブルグへの亡命(・・)」ってなんだ?

 亡命するのはドイツであって、サンクトペテルブルグはドイツに亡命した後の移住先じゃねーの?

 いや、ただ単に端折っただけかもしれんし、ツッコむのも野暮ってもんか。

 

「お忘れのようですが総督閣下、我が国での社会統治システムは”国家社会主義(ナチズム)”でして」

 

 ああ、大っぴらに信仰の自由は言えないってことね。

 さもありなん。

 ドイツは”表向き”、ユダヤ人の排除・排斥・弾圧を行ってる事になってるから。

 ユダヤ人嫌いの国内世論と、まあ色々な意味を込めた対外政策両方の意味で、その”表向き”は重要だ。

 少なくとも、戦後まで隠し通さなければせっかくの”仕込み”が無駄になる。

 ちなみにユダヤ人の定義の一つは、特定の民族や血筋を物理的にさすものでは本質的には無く、「ユダヤ教を信じる人々」ってことになる。

 つまり、ドイツ(アーリア人)系ユダヤ人ってのは普通に居る。

 そういう意味では、信仰の自由は信教の自由と混同されそうだから、それを表立っては言えない。

 

 まあ、厳密に言えば信仰(・・)の自由と信教(・・)の自由ってのは似て非なる……というか、全然別物なんだけどな。

 信仰の自由ってのは、「神を信仰する自由」であり、それに付随する宗教上の祝典、儀式、行事その他の布教などを任意に行うことができる自由だ。

 つまり、信仰を捧げる神を”指定できる(・・・・・)”。

 対して信教の自由は、「信奉する神仏を自由に選べる権利」だ。

 ぶっちゃけ、信じる神は何でもいい。悪魔だろうと邪神だろうと、なんならスターリンをご神体にしてもいい。

 

 んで、前世の戦後日本国が憲法で認めていたのは”信教の自由”だ。

 だから、何処とは言わんが怪しげな新興宗教は蔓延(はびこ)るし、税制優遇目当ての宗教団体の皮をかぶった別の何かが蔓延(まんえん)する。

 だが、今生の日本皇国は実質的に、そしてサンクトペテルブルグ(ドイツ)は、信教の自由までは認めていない(・・・・・・)

 正直言えば、ドイツが別に正教を弾圧してないからこそ、俺は堂々と「信仰の自由」を標榜できるってわけだ。

 

 はっきり言えば、どんな肩書が付こうが俺は宮仕えの役人だ。ついでに俗物でもある。

 だから、住んでる場所の法を捻じ曲げてまで何かを主張するようなリスキーな真似はしない。

 そもそも役人が率先して法の順守を破ってどーするって話さ。

 ”悪法でも法は法”って言葉もあるが、法ってのはまんまその地の規範であり秩序その物だ。本質的には気楽に破っていいようなものじゃない。

 もっとも法ってのは、”社会をスムーズに動かすための潤滑油”って側面もあるから、厳密・厳格ばかりでなく時には杓子定規なだけでなく柔軟性や弾性に富んだ運用と適用が求められるのも難しいところだ。

 

 ただし、潤滑油として考えた場合、主観だがオイル硬めなのが日独で、柔らかすぎて恣意的に運用されてるのが米ソだと思う。

 まあ、タタール的ルーシがお大事な連中にとっては、「ルールは力のある者の都合によって作られ、都合によって無効とされる」のが当たり前なので、法に対する考え方が違うんだがな。結局、ソ連……いや、ロシアって土地は支配者と被支配民って構図が一番安定するらしい。

 まあ、民族性の違いはさておくとして、

 

「受け入れること自体は吝かじゃないんだが……ちょっと心配事はあるが」

 

 いや、別に嫌って訳でも駄目って訳でもないんだが……というか、軍にとって俺の立ち位置とか認識とかどうなってんだ?

 

「なんでしょう?」

 

「ハイドリヒ長官、まず”受け入れて問題ないか”の思想チェックはNSRとかがやってくれるんだろ?」

 

 要するに不穏分子が紛れてないかの炙り出しだ。

 

「無論」

 

 そこは問題ないとしても、

 

「モーデル大将、その希望者達は”宗派の違い”をわかっていると思うか?」

 

「宗派の違い? というと?」

 

 あー、もしかしてモーデルもわかってないのか?

 

「サンクトペテルブルグの正教は、あくまで独立教会の”サンクトペテルブルグ正教”であって、ロシア正教じゃない(・・・・)んだぜ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




またしても展開酷すぎ案件w

いや~、行き場を悩んだロシア正教カタコンペ派がやらかしました。

ボック:「ま、まあ、血が流れずにソチを占領できるならいっか!(思考を放棄)」

ハイドリヒ:「なんか面倒くさい事になったな~。まあ、クルスの案件だな、これ」

ヒトラー:「クルスが住まわせて良いというのなら、亡命させても良いじゃろ」

クルス:「いや、だからってこっちに丸投げすんのどうよ?」

そしてクルス、最初は丁寧な言葉遣いをしていたはずなのに、思考リソースを対処に割いたせいで一瞬で化けの皮が剝がれたという。

まあ、普通は総督風情(・・)に採択仰ぐなんてことはしません。
ただ、この場合は色んな意味で「クルスに投げとくのが最適解」ってだけでw

まあ、クルスって「外交官以外の能力」には恵まれてますからね~。
あっ、武力はそこまで恵まれてませんが。(なお比較対象;リチャードIV世、シモヘイ、舩坂弘之)
まあ、前世経験位紐づいた射撃や格闘技能はありますんで、自衛くらいはできますが、何分フィジカルを鍛えてる暇がないと言いますかw

今回のピックアップ・ツッコミ所:”サンクトペテルブルグに亡命”
うん。クルスの認識は正しいんだけど、四長老を含む市民やソ連在住反共正教徒にどう思われているかと言えば……是非もなし。

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第283話 うん、まあこれも総督のお仕事らしい(ナニカチガウ……)

クルスェ……いや、まあ前回からの続き(オチ)ですw
そうであるがゆえにあっさり書き上がったので、短時間間隔投稿。





 

 

 

「モーデル大将、その希望者達は”宗派の違い”をわかっていると思うか?」

 

「宗派の違い? というと?」

 

「サンクトペテルブルグの正教は、あくまで独立教会の”サンクトペテルブルグ正教”であって、ロシア正教じゃない(・・・・)んだぜ?」

 

 ああ、フォン・クルスだ。

 なんか最近やたらとそこかしこでエンカウントする気がするハイドリヒが、南方軍集団の参謀長を連れ立ってやってきた。

 戦争は良いのか?と聞きたくなったが、どうやらモーデル大将のお悩みは、その戦争がらみ……ソチを無血開城させたのはいいが、31万人のロシア人が信仰の自由を求めてドイツへ亡命、サンクトペテルブルグへの移住を希望しているらしいってことだった。

 

 まあ、ドイツはユダヤ教しか(表向き)弾圧してることにしかなってないし、史実と違って別にカトリック、プロテスタント、正教会などに公的には特にこれといった手を出していない。

 

 流石に戦争への協力は要請しているがそれはごく弱い圧力(ふんわりとした要求)で、断ったとしても「○○教会に断られたという事実」を公表するだけで、それ以上のペナルティはかしていない。

 後の判断は官報以外の民間報道や国民の判断に任せるという感じだ。

 んで暴力事件とかまで起こすのは大抵は思考が先鋭化し過ぎてつける薬の無くなったナチ党の下っ端か、古典的なナチズムの信奉者……ナチズム原理主義者みたいな輩だ。無論、そういうのは取り締まり対象になる。

 ぶっちゃけ今のドイツの国家運営にとり、ナチズム過激派ってのは邪魔なだけだし、丁度良い口実にもなっているのだろう。

 ドイツ政府としては、戦争しているのに国家に非協力的ってことで信者離れしようが知った事ではないというスタンスで、関係ないように聞こえるかもしれないが、今のドイツは「良心的兵役拒否」なんて物は存在しなく、教会での奉仕・福祉活動を兵役の代わりにするということもない。

 まあ、つまりはドイツは「信仰の自由」を公言してるわけでは無い。かと言って別にそれを全否定しているって訳でもない。

 

(サンクトペテルブルグでは信仰の自由を明言しているが……)

 

 他にもロシア人がドイツではなくわざわざサンクトペテルブルグを指定した心当たりもあるっちゃある。

 無論、戦争してる最中のドイツじゃ居づらいってのもあるだろう。

 だが、他にも……

 

 ・ドイツはロシア革命で反共産主義だったいわゆる”白系ロシア人”が確固たるコミュニティを築いてる

 

 ってのがまず大きい。彼らは現役だけでなく()共産主義者ってのも毛嫌いしている。

 捕虜だけでなく亡命者も”一度でも赤化したロシア人”を受け入れようとはしていない。一種の近親憎悪に近い感情を拗らせている感じだ。

 

 あと、白系ロシアンスキーってのは「自分達こそが”正統(・・)なロシア帝国の継承者”」って意識があって、サンクトペテルブルグも「俺よりも正統な後継者である自分達が統治する方が相応しい」と普通に考えてるし、最終目的に至っては「共産主義者よりの祖国の奪還=その第一歩がモスクワ攻略」とか本気で言ってるんだぜ?

 

 俺に言わせれば”扱いにくくてしょうがない連中”なんだよ。

 ほら、前にハイドリヒに「配下にするなら赤白どっちだ?」と聞かれたことあったろ?

 即決で赤って答えた理由がこれさ。

 確かに俺は前世込みでアカは大嫌いだが、かと言ってシロなんて入れた日には、日々主導権巡って政治闘争になるのは目に見えていたからな。

 そんな状況じゃ、出来る仕事もできなくなる。

 

(いつかは白系の有効利用法を見つけにゃならんのだろうけど……)

 

 俺に敵意を向けてるくらいならば構わんが、不穏分子化して国内で討伐とか無駄以外の何物でもないからな。

 加えて、ドイツ本国では正教会の信徒が少ないんだよ。

 確か人口の2~3%くらいだと思った。

 元々ルターの出身地がドイツだったせいか、他の欧州諸国よりもプロテスタント比率が高いのが特徴だな。

 そう言えばアメリカの”ピューリタン”ってのもプロテスタントではあるんだが、ありゃ出所は英国国教会アンチのカルヴァン派、イギリスからの放逐組で広義な意味でのプロテスタントって感じだ。

 そして、アメリカ以外ではあんま聞かないピューリタンの成れの果て”福音派教会(エヴァンジェリカル)”ってのは、実はプロテスタントの中でも世界的には非主流派なんだな、これが。

 そうなってくると、ロシア人がサンクトペテルブルグを目指すってのもわからなくはないが……

 

「モーデル大将、その亡命希望者達が”ロシア正教の復活(・・・・・・・・)”を望んでるなら、ちょっと難しいかもしれんぞ?」

 

「その、浅学ゆえによく理解できないのですが……」

 

 あー、軍人さんにはそりゃ馴染みの薄い話だよな。

 

「まず、正教会ってのは”一国一教”の独立教会の原則ってのがある。そして、端折っちまうがロシア正教ってのは帝政ロシアの国教で、同時に帝政ロシアの消滅と同時に潰えたと、公式的にはそういう見解なのさ」

 

「えっ?」

 

「考えてもみてくれ。帝政ロシアの後釜は、神殺し宗教全否定の共産主義者国家のソ連だろ? 実際、現在進行形で聖職者や正教徒を弾圧してるし、結果として正教会としての機能は喪失している……」

 

 少なくともそれが”公的な見解”で、

 

「そういう”建前”があったからこそ、サンクトペテルブルグ正教会は生まれたんだよ。ロシアが健在なら、サンクトペテルブルグ正教は生まれなかったのさ」

 

「それはつまり……」

 

 理解してくれたようで何よりだ。

 

「帝政ロシアが既に滅びた以上、ロシア正教も公的には存在しない(・・・・・)

 

 これが本来のソ連のスタンスなんだよ。

 

「故にサンクトペテルブルグの正教徒は必然的にサンクトペテルブルグ正教徒になっちまうのさ。それを理解してるのかって話さ」

 

 

 

***

 

 

 

 別に正教徒からカソリックに宗旨替えしろとかって話じゃない。

 だが、見上げる十字架が八端十字架ではなく”蒼い花十字”になるってことだ。

 あの長老たちが「滅んでしまった国の国教」の再興なんて認める訳はないし、それを認めると……

 

「サンクトペテルブルグ正教ってのは、既にギリシャ正教(東方正教会)からもコンスタンティノープル主教からも独立教会として承認されている」

 

 今更だが、なんでドイツ正教ではなくサンクトペテルブルグ正教として申請して認められたんだろうな?

 いや、コンスタンティノープルやアレクサンドリアみたいなケースもあるしなぁ。

 

(しかし、ギリシャとトルコとエジプトって、見事に日英に所縁のあるとこばっかだねぇ)

 

 まあ、何かの力(政治力学)が働いたような気がしないでもないが。

 

「正教徒であることは何の問題もない。だが、”ロシア正教の復活”ってのは無理だ。その辺りを理解した上でサンクトペテルブルグへの移住というのなら、無論、可能だ」

 

「それを私から説明するとなると……」

 

 ああっ、モーデル大将には難しいだろうな。

 実直な軍人っぽいし。

 

 宗教がらみの話ってのは厄介だったり、面倒だったり、生臭かったりする事が多いんだ。

 宗教に限らず、哲学や思想なんかもその傾向があるが。

 そして、拗らせるとどこまでも拗れていくのも特徴だ。

 理性でなく感情が絡むと特に。

 

(そもそも理性的なら宗教テロなんて起きんだろうしなぁ~)

 

 知ってるか?

 狂信的宗教テロってのは、本質的には神へ近づく手段、信仰の一環なんだぜ?

 例えば、自爆テロで死んだ人間を”殉教者”に仕立てちまう辺りにそれが現れているだろ?

 

(はぁ~、仕方ねぇ)

 

「モーデル大将、俺はサンクトペテルブルグから動けんからソチの政治面と宗教面の代表者、指導者か最低でもその代理人を連れて来てくれ」

 

「えっ?」

 

「これも総督の責務だ。四大聖堂主教をサンクトペテルブルグ正教の代表として交えた席で俺が状況を説明する」

 

 四長老爺様たちに全部押し付けるのは、なんか違うしな。

 

「これで”また”、軍部に”貸し”を作れますな?」

 

「取り立てる予定のない貸しなんざ、いくら作っても仕方あるまいに」

 

 というかハイドリヒ、なんでそんなに楽しそうなんだよ?

 

「この一件、頼みますよ。枢機卿猊下」

 

 お前、そろそろ張り倒すぞ!

 ……いや、なんか確実に回避されそうな気がするが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うん、総督のお仕事ダナ(視線逸らし)
ドイツ軍に”貸し”を作りまくってるサンクトペテルブルグ総督にしてサンクトペテルブルグ正教枢機卿、もうすぐサンクトペテルブルグ大公殿下がいるらしいですよ?

ホント、いつまでサンクトペテルブルグ大公領(=ドイツの保護領)でいられることやらw
まあ多分、戦時中はそういう扱いなんでしょうが……


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第284話 【なんか】四長老(四大聖堂主教)が俺以上にノリノリでイケイケな件について【なんでよ?】

さて、ソチの件の顛末?みたいな感じの話です。
まあ、内容はかなりアレですがw





 

 

 

 さて、サンクトペテルブルグ四大聖堂主教、四長老の爺様たちに事情を説明したんだが……

 

「ほっほっほ。このソチから聖職者、名に聞き覚えがありますのぅ」

 

「長老たちの知り合いなのか? それなら話が早いかもな」

 

「ええ。ええ。お任せくださいませ。枢機卿猊下のお手を煩わせるようなことにはなりますまい」

 

「ですので猊下、”謁見(・・)”は冬宮殿の”聖ゲオルギウスの間”で行いましょう」

 

 まてや。

 謁見ってなに? ”聖ゲオルギウスの間”って玉座の間じゃん!

 

「謁見じゃなくて事情説明な? あと宗教がらみだからいつものどこかの聖堂の”円卓の間”でやるつもりなんだが……」

 

 各聖堂にはそれぞれ俺と長老たちで会議を行う”円卓の間”を用意してもらっている。

 無論、元ネタはアーサー王伝説のアレだが、「神の元の平等」の暗示でもあるし、四大聖堂に上下も貴賎もないって象徴であり、枢機卿……総督の俺と爺様たちの間にも上下は無いって意味でもあるんだが。

 だからこそ、会議の開催も月替わりの持ち回りでやってもらってるんだけどな。

 

「むぅ~。枢機卿猊下は近々大公になられるお方、玉座にお慣れになった方がよろしいと思いますがのう」

 

「儂も同意見じゃ。それと玉座に座る枢機卿猊下の左右儂ら四長老で固めるのもやってみたいのう」

 

「勘弁してくれ。俺はまだ正式には大公じゃないんだ」

 

 気軽に冗談を言ってくれるぐらい打ち解けてくれたのは嬉しいが、

 

「第一、玉座に座っていいのは国王や皇帝であって大公じゃないだろ?」

 

 どちらかと言えば、玉座に跪く側だ。

 

「サンクトペテルブルグでは大公殿下より上がいないので仕方ありますまい」

 

 そりゃそうなんだけどさ。

 

「一応、大公領になってもドイツの保護領って扱いだからな?」

 

 なのでドイツの法律を無視するって訳には行かない。

 まあ、日本語的な意味での条例に近いローカル法の制定や追加、施行はできるがあくまでドイツ法に則った上でのそれだ。

 

「しかし、玉座に誰も座らなければ、今は亡き陛下が寂しがるかもしれませぬなあ」

 

 あー、もう。

 

「わかったわかった。大公に就任したら、なんかのイベントとかで考えておくから」

 

 あくまで考えるだけだからな?

 そこっ! フラグとか言うんじゃない!

 

「ここはせめて”ピョートル大帝の間(小玉座の間)”で一つ」

 

 いや、それこそあそこって「ピョートル大帝の偉業を称えるモニュメント」ってだけで実際には、間として使われてないじゃん。

 

「わかったわかった。宮殿大聖堂の修復急がせるから、そこで何かのイベントやることで手を打とうか」

 

 あそこも共産主義者に荒らされたままだからな。

 来年の復活祭(イースター)(1943年は4/25がイースター)は下手すりゃ防衛戦の真っ最中だろうし……まあ、来年のクリスマスくらいには、少しは見れるようになるかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、実際にソチから使者がサンクトペテルブルグに来訪する。

 政治の方は代理人(元政治局員だったか?)だったが、聖職者の方は宗教部門のトップらしい。

 

「という訳で、神に祈ること、正教の教えを守ること、正教徒であることは何の問題もないが、ロシア正教としては容認できないんだ」

 

「は、はっ! 委細承知でございますっ!」

 

 爺様たちや……そんな『逆らったらわかってんだろうな? オラァァァァーーーン!』みたいな雰囲気出すのやめてやれ。

 可哀想にあっちの聖職者、すっかり萎縮しちゃってんじゃん。

 これじゃあ圧迫面接だっつーの。

 いや、爺様たちに悪気がないのはわかってるけどさ。

 

「それさえ理解してくれているのなら、サンクトペテルブルグを預かる者として諸君ら31万人を受け入れることを約束しよう。ただし、一度に全員ではない。都市の拡張、諸君らが住む場所を確保しなくてはならないからね」

 

 まあ実際、インフラ整備にさらに力を入れないとならないが、労働力の確保ってのは確かに助かる。

 加えて助かるのは、31万人中5万人は元公務員や元軍人だってことだな。

 

「聖イサク大聖堂主教」

 

「はい」

 

 正式な役職名を呼ぶたびに、なんで爺様たちはドヤァ顔をするんだろうか?

 

「サンクトペテルブルグには、まだ使用可能な無人の空き教会はいくつかあったね?」

 

「御意。後でそれぞれ四大聖堂の教区ごとにまとめたリストをお持ちしましょう」

 

「ありがとう。君たちソチ組にはそのいくつかを任せることになるだろう」

 

 さて、これは言っておかないとな。

 

「教会を復活させることは信仰を蘇らせるのと同義だ。存分にやりたまえ」

 

 

 

***

 

 

 

 とりあえずの話し合いが終わったら、「聖職者同士で詰めの話がある」と聖職者を連行して四長老は別の部屋へ行ってしまった。

 手持ち無沙汰になった俺、フォン・クルスは暇つぶしにソチの政治代表と少し世間話でもしようと思う。

 

「枢機卿猊下、この度は御拝謁を許してくださりありがとうございました」

 

「なに、これも”総督”の職務の内だ。いざサンクトペテルブルグに来てから『こんなはずではなかった』では、双方にとり不幸でしかない」

 

 『今回は、総督として会ったんだよ~』と『31万人の不穏分子抱える気はねーから』と暗に釘をさしておく。

 

「格別のご配慮に感謝を」

 

「格別じゃない。当然の配慮だ。甘く聞こえるかもしれんが、私が管理する土地に住まう民には不幸になってほしくない、出来れば幸せになって欲しいだけだ。信仰の自由を保証するのもその一つと考えて貰っていい」

 

 まあ、幸せっていうのは人それぞれ。お祈りするのが幸せってんなら、そうすりゃいいってだけの話だ。

 

「では、”総督閣下”にお聞きします。閣下にとり信仰とはなんでしょう? 聞けば、閣下ご自身は正教徒ではないとか」

 

 おっ、踏み込んでくるね?

 

「信仰とはそれぞれがもつ心の光さ」

 

「”心の光”……?」

 

「ああ」

 

 俺は頷き、

 

「神は無限にして永遠の存在、世界や人類を創造した存在だろ? 聖書によれば、神は自分の姿に似せて人を創ったとされるが、だからといって真の全知全能ならば人の叡智が及ぶような存在ではないと思うんだよ」

 

 おそらくは三十次元以上の存在……魂をまるでデータコピーのように転生させるような存在だ。

 ぶっちゃけ、人間がどうこうできるような物じゃない。

 

「人の価値観も思考も信仰も、全て人が作った物だ。神が”こうあれ”と創った物じゃないと考えるべきだ。だから人それぞれの信仰が、それぞれの神の姿があってよいと思うのさ」

 

「それが”心の光”と?」

 

「なあ、信仰とはそもそも何だと思う? 俺は祈りの本質は、”願い”だと考えている」

 

「願い、ですか?」

 

「ああ。現実ってのはいつも残酷で、誰にとっても優しくはない。私もその例外じゃないのさ。特に戦争だらけのこんな時代ならそうだろう。だけど絶望だけでは人は生きていけない。だが、自分の力ではどうにもならない……ならばどうする? 人知を超えた”神”という存在に祈りを通じて願う。先の見えない闇の中で見つけた一縷の望み、光を求めて何が悪い?」

 

 まあ、俺の主観だがな。

 

「私は正教信徒でもなければ宗教家でもない。神が何なのか語る口は持たんよ。だが、民がそれを求めるなら、可能ならばそれを叶えようとするのが為政者というものさ」

 

 うん。やっぱり俺は正教徒にはなれんな~。自分で言うのもなんだが、宗教的には異端もいいとこの考え方だわ。

 

「……宗教家ではないと、どの口が言いますか」

 

 あれぇ?

 

「なるほど。正教徒に帰依しないのは、ご自身にかけたリミッターという訳ですか。さもありなん。”猊下”が大主教や守護聖人になられた日には、それこそ歯止めがきかなくなりますからな。宗教が暴走したときの恐ろしさは、()共産主義者としてはそれなりに知っているつもりです」

 

 うんうんと一人で納得しないで欲しいんだが?

 というか、この男、本当に政治局員か? なんかコメディアンと言われても違和感ないんだが。

 

「いや、流石にそこまでの影響力はないと思うが……えーと、すまん。もう一度、名前聞かせてもらえるか?」

 

 いや、書類で読んでるはずなんだけど、なーんか引っ掛かるんだよなぁ。

 喋ってみたらわかったんだが、このノリってどこかで……

 

「”ゲンバラ(・・・・)・リュシコフ”。元はしがない小役人ですよ」

 

 思い出した!

 リュシコフって極東ソ連軍の情報を大日本帝国に売った……

 

(国家保安委員じゃねーか! しかも元クソッタレエジョフの部下!)

 

 そしてエジョフの失脚で自分も粛清対象であることに気付き、保身のために日本に亡命したっていう……まあ、判断力や柔軟性のある男だ。

 

(今生では極東ではなく東部戦線にいたのか……)

 

 別に不思議な話じゃない。

 日本皇国は、樺太や北海道の北部方面の防衛には腐心しているが、大陸権益には興味を示していない……というより、中国大陸や朝鮮半島に関わること自体を拒絶している。

 レンドリース品の搬入ルートはあるものの、日米ソの関係は険悪であるだけで表立って敵対しているわけでもなく、一触即発の軍事的緊張状態にはなっていない。むしろ政治的挑発はお互いよくやっているが、軍事的(物理的)挑発はむしろ互いに自重していたりしているのが現状だ、

 逆に言えばソ連と日本は直接的に接触する機会がない。

 

「あー、リュシコフ副代表(・・・)、もしかして売りたい情報とかあるんじゃないか?」

 

 するとリュシコフはニヤリと笑い、

 

「猊下が買って下さるので?」

 

「……NSRに口利きしてやる。値段には色をつけるようにしてやろう。サンクトペテルブルグで生活するなら、先立つものはあった方が良い」

 

「ありがたきに」

 

 恭しく頭を下げるが、どこかその動作は胡散臭さを感じる。

 

(ああ、こいつは典型的な狸だわ。臭いで分かる)

 

 決して善良ではない。むしろ、悪徳側だろう。だが、面白い(・・・)

 前世記憶に残るスターリンやエジョフやベリヤのような肥溜めじみた腐敗臭ではなく、こいつは政治的動物の獣臭さだ。

 

(そして、サンクトペテルブルグに必要な手合いでもあるな)

 

 マキャベリストな政務官ってのは、存外に貴重だしな。

 現状、政務官のジレンコフとかの負担が大きくなりつつあるし。

 

「ところで奥方と娘さんとは合流できたのかね? 後は君の家族もだ」

 

 リュシコフはギョッとして、

 

「ソチにいますが……どうしてそれを?」

 

「私とて会談する人間を何も調べない訳じゃないさ」

 

 うっそぴょーん。前世記憶的にそーじゃないかとカマをかけてみただけだ。

 前世ではたしか、本人以外は脱出に失敗してほとんど家族と身内全員殺されてるし。

 

「おみそれしました」

 

 今度こそ本心から頭を下げるリュシコフに、

 

「正式にサンクトペテルブルグへの移住したら、冬宮殿に尋ねにきたまえ。少なくとも妻子を食わせられる程度の仕事は斡旋しよう」

 

「……どのような仕事を?」

 

「”濡れ仕事(・・・・)”がウンザリだというのなら、それなりの仕事を用意するさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳でお爺ちゃんたちがハッスルしとりますw

まあ、主導権握ろうとすんならマウントとってナンボだよなぁ~と。

そして、今回のクルスの名言(迷言)

「格別じゃない。当然の配慮だ。甘く聞こえるかもしれんが、私が管理する土地に住まう民には不幸になってほしくない、出来れば幸せになって欲しいだけだ。信仰の自由を保証するのもその一つと考えて貰っていい」

「ああ。現実ってのはいつも残酷で、誰にとっても優しくはない。私もその例外じゃないのさ。特に戦争だらけのこんな時代ならそうだろう。だけど絶望だけでは人は生きていけない。だが、自分の力ではどうにもならない……ならばどうする? 人知を超えた”神”という存在に祈りを通じて願う。先の見えない闇の中で見つけた一縷の望み、光を求めて何が悪い?」

うん。皆さんのツッコミを代表して……

”それ、総督じゃなくて国主とかの言い回しだから!”

自分で書きながら「そーじゃねーべや!」とセルフツッコミいれてしまったというw

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第285話 仕込み(露・独風)&仕込み(和風)

という訳で、言い方変えればネタ晴らし回&悪巧み回






 

 

 

 それはソチの代表団が戻る機上での一幕……

 

 

 

「どうでしたか? リュシコフ代表(・・)、我らが大公殿下(・・・・)は」

 

「シェレンベルク特務(・・)少将、それ、人前で呼ぶのはやめてくださいね? あの男は今でも自分が代表だと信じている……信じ込ませているのですから」

 

「あなたこそ人前で”特務”は付けないでくださいよ?」

 

 シェレンベルクは知っていた。このリュシコフという男が、ソ連国内での”最高機密作戦”に従事していたことを。

 リュシコフは知っていた。実は目の前の少将を名乗る男こそが、実質的な国家保安情報部(NSR)のNo2であることを。

 

「少将、とりあえず質問に答えますと……恐ろしい御仁ですな。そして、おそらくは歴史上屈指の”宗教家”でもある」

 

「というと?」

 

「宗教や信仰をあそこまで”政(まつりごと)の方便”と認識している方はそうはいないでしょう。主観ではありますが、宗教に飲み込まれているようでは宗教家とは呼べない。自分と宗教を切り離し、道具として宗教を使いこなしてこその宗教家です。そして、本当に恐ろしいのは……」

 

 リュシコフは言葉を切り、

 

「そうでありながら、あの御仁の言葉には”噓がない”。本気で民に幸あれと思ってる……宗教の教えではなく、呼吸をするように当たり前の本心として。理解しましたよ。なぜ、総統閣下(・・・・)はあの御仁を高く買っているかを。共産主義は決して民を幸せにしない。だから、彼は何が無くとも共産主義の敵であり続ける……なるほど、実に理に適っている(・・・・・・・)

 

 シェレンベルクは満足そうに頷き、

 

「少し早いですが……長きにわたり潜入内偵任務、お疲れ様でした。リュシコフ特別調査官(・・・・・)

 

「いえいえ。こちらこそ、新たな”仕え甲斐”のある上司に巡り合わせていただき感謝を」

 

 

 

 

***

 

 

 

 ゲンバラ・リュシコフ

 1900年生まれ。ロシア革命の最中に潜入し身分を偽り、20年もの間諜報活動を続けた生粋のスパイマスターである。

 現在の所属はNSR。ただし大本は「”第一次世界大戦敗戦後”のドイツ復興の青写真を書いた組織」であり、その命により潜入工作を図る。

 エジョフの配下に居たのは、「潜在的敵国の有能な軍人を間引き(・・・)するのに一番都合がよかった」から。

 赤軍大粛清は、彼にとり天祐だった。しかし、史実より遅くなったエジョフの失脚(粛清)と共に、家族(ソ連側の受け皿となった協力者一家。実際には血の繋がりはない)や妻子とともに行方をくらます。

 どうやらエジョフ配下時代からカタコンペ派と(お目こぼしを取引材料に)接触を図り、家族共々彼らの中に潜伏し脱出の機会をうかがっていた模様。 ただし、この”本当の経歴”が公開されることはなく、ソ連からは史実同様に「裏切者」認定され続ける事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1942年晩秋、日本皇国、首相官邸

 

 

 

「ふ~ん……ヤンキーが本格参戦の予兆ね」

 

 皇国首相、近衛公麿の手元にある資料には外務省情報部、軍統合情報部、内務省公安部、そして英国諜報機関より提出された情報を元に首相直轄の”内閣調査室”でまとめられた内容が記されていた。

 

「ようやく本腰入れる気になったのはいいが、米国書記長(ルーズベルト)は赤い幕僚たちとつるんで議会工作の真っ最中。軍は全般的に乗り気じゃないか」

 

 そして、近衛は呼び寄せていた官房長官の広田と外相の野村に、

 

「広田サン、野村サン、各国の情勢から考えてそろそろ米国を”泥沼に引き摺り込んで(・・・・・・・・・・)”良い頃合いだと思わないか?」

 

 すると広田は、

 

「まさかアメリカに軍事的挑発を仕掛けるのではあるまいな?」

 

 と即座に問いかけるが、

 

「まさか。真珠湾(パールハーバー)なぞやらんよ。皇国(我が国)にメリットが無さすぎる」

 

 なんでここで”真珠湾”という特定の地名が出てくるのか広田と野村は内心で小首を傾げる。

 確かに米国太平洋艦隊の一大拠点ではあるし、太平洋方面のレンドリース船団の重要な補給ポイントではある。

 だが、日本からはいかんせん遠すぎる。

 挑発目的なら近場のフィリピンやグァムでも問題ないはずだが……

 以前に一度、「真珠湾に対する先制攻撃」は米国との関係悪化が加速した場合の”対米戦シミュレーション”の一環で行われた事があったが、「現状では、リスクの割にはメリットが少ない」と結論付けられている。

 まず、先制攻撃を行う場合、米国太平洋艦隊の主力を殲滅できる可能性が最大のメリットだが、それは「攻撃するタイミングで真珠湾に敵艦艇が揃っている」事が条件であり、いざ開戦となった場合、艦隊の行動は軍機となるのでその確認は困難だった。

 実際、この問題を解決するには偵察衛星の実用化とリアルタイムの映像からの画像受信が必要とされた。

 インターネットでリアルタイムの衛星画像を見れる現代人にはピンとこないだろうが、初期の偵察衛星は”写真偵察衛星”と言って目標の上空で衛星軌道から写真撮影を行い、そのフィルムを耐熱カプセルに封入して投下、地上班がそれを回収して現像し、解析を行うという実にアナログな方法を取っていた。

 因みにリアルタイムはともかく、日本皇国軍の宇宙開発チーム(秘匿なので現状では名称は非公開)によれば、このアナログ式の写真偵察衛星なら1950年以前に実用化可能であり、目下フィルム投下ではなくインスタントカメラとNE式写真転送技術の組合せで、何とかリアルタイムでの静止画受像ができるようにならないか研究が行われている。

 

 その辺の事情を近衛が知らないわけはない。というか宇宙開発事業は近衛自身が陣頭指揮をとっている「国家最高機密にして最優先事項」と位置づけてる肝いりの事業だ。

 予算が機密費から出ており、それでも不足なら「誘導弾推進器開発(=ロケットモーター)」の名目で予算を捻出していた。

 実際、この部門で開発されたペンシルロケット用の固体燃料ロケットモーターが元になり、数々の誘導弾が生まれて行くのだからあながち全て噓という訳でもない。

 

「そっちじゃなくてさ、英国から午後の紅茶(アフタヌーンティー)に誘う感覚で誘いがあったろ? フランスからのマダガスカル売却の一件。ほれ、日英で共同出資・共同管理しないか奴さ」

 

「ありましたな。それが”アメリカへの呼び水”になるので?」

 

「なるな」

 

 近衛は頷き、

 

「実際作る作らないは棚上げするとして、日本皇国の海軍と空軍の哨戒基地を設営すると発表すればいい。いや、”地中海安全保障会議”構想があったな? なら実際、正規の輸送航路から外れるにしてもインド洋に拠点があった方が何かと便利だ。それにかこつけて予備予算で本当に作っちまおう」

 

「それは構わないのですが……」

 

 先を促す野村に、

 

「野村サン、今、レンドリース船団のペルシャ湾ルートはどういう航路を辿っている?」

 

「なるほど……つまり、首相はアメリカ人が手を出す大義名分を与えると同時に攻撃するポイントを絞りたいと?」

 

 野村も広田も近衛のブレーンとして、当然のように機密指定の「最新のアメリカに関する調査報告書」は読み解いている。

 そうであるが故の結論だった。

 

「日英がマダガスカル島に拠点を作ればケープタウン沖を回ってアフリカ東岸を通るレンドリース船団は当然、圧迫を受けるが……だが、同時にちょっかいを書けない限り日英が監視以上の行為、目立った妨害をしないことも理解している。日英も米国も軍事衝突、これ以上の面倒事なんて抱え込みたくないのが本音だ。そして、マダガスカルに駐屯する日英軍に手を出してペルシャ湾ルートが遮断されるのは日英でも米国でもない。実際、米国のレンドリース反対派は大喜びするだろうさ」

 

 近衛は癖のある笑みで、

 

「アメリカが参戦したがっている理由は、『ソ連の命令(・・)でドイツの圧迫を軽減させる為の”西部戦線”を構築する』ことだ。そして、ペルシャ湾ルートが潰されることは、断固として回避せねばならない。無論、短絡的な考えなら攻撃する可能性も考えられなくもないが……流石に”赤い取り巻き”も、そこまでリスキーな真似はしないだろう。ペルシャ湾を潜水艦と機雷原だらけにされたくは無いだろうし」

 

 実際、インド洋には英軍の基地が既に点在しており、そこからでも通商破壊作戦は十分に可能だ。

 実際、日英の潜水艦や航空機、場合によっては軽空母まで投入した通商破壊が行われれば、史実のモンスーン戦隊の比ではないダメージが出るだろう。

 そして、行き着く先は日英同盟とアメリカの本格的な軍事衝突→全面戦争だ。

 

「オチが見えてるのに議会も、何より軍部が納得しないだろうな。計画はあっても日英との全面衝突の準備なんざ、誰もしてないし」

 

 それは日英とて同じことではあるが。

 

「今、アメリカに無いのは”参戦に必要な大義名分”さ。アメリカ自身は中立法で主体的には動けないし、正直に『ソ連からの要請』とは言えねーんだわ。いくらアカに浸食されてるって言っても、面と向かって『ソ連からの要請で○○を攻めます』なんて言った日には、本来の保守層……多数派から反発招くのは確実だからな。参戦できても44年の大統領選挙に勝てなけりゃ、ルーズベルトも意味無いだろうし」

 

 言ってしまえば、この世界線に”真珠湾攻撃”、アメリカに言わせれば「卑怯なだまし討ち」がない事が、未だ政治的な足かせになっているのだ。

 日英独に巣食う転生者達は「腐れアメリカの手口」をよく研究していた。

 

「国内で大義名分が用意できず、ソ連からの要請だとも言えない。ならどうする? 一番手っ取り早いのは、”偽フランス(=ケベック・フランス、ドゴール・フランス)”からの要請って形にしちまうのがいい。アメリカってのは元来フランス贔屓の気風がある。そっちの方向でまとめる方が堅実だ」

 

 近衛は思考を加速させ、前世との知識と現状のすり合わせを行いつつ……

 

「だが、いきなりフランス本土上陸は……ないな。来年にやるなら、準備に時間が無さすぎる。それとドイツはそれを許すほど甘くはない」

 

 現在のドイツの現状、日英ともめてない現状ならフランス北岸は十分に航空機の攻撃圏内でもある。

 そもそも北岸は終戦までという約束で一部を除きドイツが租借しているのだ。

 いきなり本丸に強襲上陸をかけられるほど、米軍の戦争準備は進んでいない。

 

「となると、”西部戦線”とやら作るとすれば”仏領モロッコ”だろうな。おそらくだが狙い目は、”カサブランカ”あたりだろうさ」

 

 前世知識一辺倒という訳ではない。

 これには根拠があった。

 

「何故、そこまで断言を?」

 

 広田の当然の質問に、

 

「他に適当な場所がないってのもあるが……モロッコを切り取れれば、実は巨大なメリットがあるんだよ」

 

 近衛は地図を取り出し、

 

「モロッコを取れれば、”ここ”に圧力かけられるだろ?」

 

「「ジブラルタル海峡っ!!」」

 

 広田と野村の声が綺麗に重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




リュシコフさん、実はドイツの仕込みだったという罠w
まあ、本人は転生者ではないんですが、絶対に当時の転生者(ハイドリヒの先輩?)が暗躍してるよなーと。

そして、近衛しゅしょーは悪巧み……というか英国のお誘いに乗るようですよ?

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第286話 ジブラルタル海峡の支配者 ~スペイン内戦が三つ巴になった件について~

わりかしこの世界線のスペイン内戦に興味持たれた方が多かったことに驚いた件についてw
いや、マジにこの世界線のジブラルタル海峡、いえいえ英領ジブラルタルについて語るのにスペイン内戦は避けては通れぬので、実にタイムリーだったというか。






 

 

 

 ジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)……

 この世界線における現状を表す端的な言葉がある。曰く、

 

 ”ジブラルタル海峡の支配者は、英国をおいて他になし”

 

 これでは具体性に欠くだろう。

 なら、こういうのはどうだろうか?

 英国は、ジブラルタル海峡の北岸と南岸双方に巨大な陸海空の基地を有している。

 北岸はアルヘシラスやタリファを含むジブラルタル湾全域、具体的にはソトグランデからサアラ・デ・ロス・アトゥネスあたりまで。南岸はセウタに始まりタンジェやメリリアに囲まれたジブラルタル海峡周辺の”スペイン保護領モロッコ”のジブラルタル海峡に面した地域すべてが、

 

 英領(・・)ジブラルタル”

 

 なのである。

 史実とかなり異なるこの状況……ジブラルタルの歴史的変遷を騙るとあまりに長くなってしまう。

 なので、ここでは軽いピックアップ、直近の”スペイン内戦”の頃の話を簡単にまとめてみようと思う。

 さて、スペイン内戦において英国のとった行動は、一言で言えば「キリスト教徒の保護」を大義名分とした行動だ。

 スペイン内戦を搔い摘んで言うと、スペイン第二共和国政府に対してスペイン陸軍の将軍グループがクーデターを起こしたことにより始まった内戦で、

 

 ・左派勢力(共和派、ロイヤリスト派):人民戦線、ソビエト連邦、メキシコ、国際旅団(義勇兵団)

 ・右派勢力(反乱軍、ナショナリスト派):ファランヘ党(スペインのファシスト党。フランコ将軍)、ドイツ、イタリア、ポルトガル

 

 が戦った。

 少し解説すると、国際旅団は小説家のアーネスト・ヘミングウェイやジョージ・オーウェルにアンドレ・マルロー、写真家のロバート・キャパらが関わったことが有名……というか、その時点でどういう性質の集団か察していただけると思う。

 ちなみに構成は時期にもよるが60~85%が55ヵ国以上から集まった各国共産党員で、内訳は知識人や学生が20%、労働者が80%だったらしい。

 要するに従軍記者として虐殺やら何やらと評して好き勝手に報道し、結果として戦争を煽りまくった6万人の集団である。

 ドイツの方は、かの有名な”コンドル軍団”だ。

 

 

 

 さて、当初英国は英領ジブラルタル(史実のジブラルタルと同義)の防衛の為に軍を派遣しただけだった。

 だが、内戦初頭の1936年の秋、とんでもない事実が発覚する。

 ”史実同様(・・・・)に”人民戦線派支配領域で7000人以上の聖職者が殺害されていたのだ。

 これに英国国教会は「共産主義者の非道」を激しく糾弾した。

 当時は英国も赤色勢力に浸透工作を受けていたが、特に激怒したのが即位したばかりのリチャードⅣ世だったのが運の尽き。

 国王自らの勅命で、スペイン内戦の介入命令が出ればどうしようもなかった。

 また、当時が保守党のボールドウィン内閣だったのも幸運だったのかもしれない。

 

 そして、ここで動いたのが我らがチャーチル、当時の英国外相だった。

 本当にどんな運命の変遷か、外相だったチャーチルは早速同盟国の日本とコンタクトを取ったのだ。

 戦中の政策のせいで結構誤解されているが、史実でも今生でもチャーチルは反共だ。事実、ロイドジョージ内閣当時、大臣としてロシア革命を阻止すべく反共産主義戦争を主導し、赤軍のポーランド侵攻は撃退している。

 他にも、1920年には「社会主義者は全ての宗教を破壊しようとしており、ロシアとポーランドのユダヤ人が作り出す国際ソビエトに信を寄せている」と演説したりもしている。

 実は、史実のチャーチルも元々は反共であると同時に、当時の欧州では一般的な反ユダヤでもあったようだ。

 例えば、同年2月のサンデイヘラルド紙に『シオニズム対ボルシェヴィズム:ユダヤ民族の魂のための闘争』というシオニズムを痛烈に批判する寄稿文を載せていたりするのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そんなチャーチルであればこそ、日本皇国の何処か根源的な共産主義者嫌い(そして、当時は広田内閣であり、史実同様に広田首相のアカ嫌いは有名であった)は熟知しており、期待通りすぐに援軍が地中海に派遣されることになった。

 そう、第二次世界大戦当初のタラント強襲で日本艦隊が参戦できた下地は、既にこの時に整えられていたのだ。

 元々、35年のドイツの再軍備宣言で海軍軍縮条約がご破算になり、戦争に向けた予備命令が出ていたことも功を奏した。

 大義名分は、「民間人、特に聖職者の安全地帯の確保」。

 ちなみにリチャードⅣ世、共産主義者の非道に対する憤怒に噓はなかったが……しっかり「ジブラルタル海峡周辺の”可能な限りの確保”」を命じてる辺り、実に抜け目ないの(ブリカス)である。

 

 王様とカンタベリーのトップ連名での「人道主義に基づく参戦じゃあ! オラァッ!!」なのだからたまった物じゃなかったろう。

 1936年に日英同盟に基づき援軍要請を受けて、約1年を準備と調整に費やし、日本皇国の本格的な参戦は1937年末からだ。

 加えて、同盟云々の大義名分や建前は置いておくとして、当時日本皇国の参戦理由は、ある意味中々に酷い。

 どちらかと言えば日本国は、元々何となく親スペイン的ではあったのだが……

 

 『スペインが共産化するのも、軍政化するのも面白い状態ではない。だが、どちらかしか選べぬというのなら、もっとも国益に叶う方法を選択するとしよう』

 

 という訳で英国と結託し、ジブラルタル海峡領域での英領の拡大に助力し、39年までズルズルと続いた内戦で日本皇国も九七式軽戦車、チ38式半自動歩兵銃、或いは当時は試製の文字が入った零式艦上戦闘機や”隼”や”鍾馗”、一式戦車などをはじめとする「第二次世界大戦投入予定の」各種新兵器のテストをしっかりやっていたのだ。

 余談ながら、皇国のカモフラージュが上手かったのか、あるいは試験投入された数が少なかったせいか、そもそも関心が薄かったのか定かではないが……この時点で、日本皇国の新兵器のデータが独ソ側に取られていた形跡、あるいはそれが後の兵器開発に反映された形跡はあまり無い様だ。

 いわゆる「ゲスト参戦」的な認識を持たれていた可能性も否定できないが。

 

 まあ、日本皇国民がふんわりとした浅い好意を持っていたのは「王国としてのスペイン」であり、軍事独裁政権でも、ましてや赤色政権でもなかったこともこの決定を後押ししていた。

 また、日本皇国が赤色政権だけでなく、軍事政権もあまり好ましくないと思っているのは書いておきたい。

 これは歴代転生者たちの尽力による「シビリアンコントロール」や「軍の政治的中立性」の概念が定着していたというのもあるが、犬飼内閣→宇垣内閣→広田内閣と続いた激動の30年代で二度も軍需政権樹立のクーデター未遂を(それも米ソのコミンテルンの黒幕嫌疑がある中で)起こされたのだから是非もなしだろう。

 史実のいわゆる5・15事件も2.26事件も未然に、決起の首謀者たちが会合中に射殺もしくは捕縛という形で防がれたが、この時の恐怖と嫌悪感を転生者のみならず皇国政府が忘れることはないだろう。

 特に広田は2.26事件(未遂)の当事者でもある。

 この世界線では、未遂に終わったせいもあり、政府の方針として「軍機」扱いで内々に処理され、世間を大きく震撼させるようなことはなかったが……皇国が一層、軍事政権を警戒するには十分な論拠となった。

 

 

 

 話を戻すが……史実と異なり、”スペイン内戦”では日英同盟が参戦したせいで、結果的に”三つ巴の戦い”の様相を呈したのだ。

 そして実に皮肉なことに、正規軍の投入兵力や練度、装備から考えて、最も本気だったのが日英同盟だったのは紛れもない事実である。

 はっきり言おう。民間人は積極的に保護したが、敵対する者、民間人に紛れた便衣兵などに対して最も容赦なかったのも日英だ。

 実際、日英共にこの時点で”不正規戦・非対称戦”の実戦経験がつめたのは、後の影響を考えれば実に大きかったと言える。

 

 「敵が立てこもる場所に手榴弾を投げ込み、その後、部隊員が突入し自動火器による火力制圧を行う。それを疑わしき部屋がある限り繰り返す」という現代のCQB(Close-Quarters Battle:屋内近接戦)の基礎を編み出したのは、我々の知る歴史ではソ連将軍の”ワシーリー・チュイコフ”が独ソ戦においてとされるが、この世界線においてはこのスペイン内戦において日英特殊作戦任務群(の先駆け)の間で、自然発生的に生まれたようだ。

 ちなみにCQC(Close-quarters Combat)は現在の定義だと武器格闘や徒手空拳を含む近接格闘術のことを指すのが一般的で、こちらも第二次世界大戦中の英軍将校ウィリアム・E・フェアバーンが生み出した「ディフェンドゥー」や「サイレント・キリング」を纏めた「フェアバーン・システム」が祖とされている。

 つまり、CQBやCQCの概念は既にスペイン内戦の時代に生まれ、主に日英で第二次大戦を触媒に現在進行形で収斂されていると考えていい。

 まあ、その戦術の確立に転生者が一枚かんでいるのは間違いないだろうが。

 

 

 

***

 

 

 

 ともあれ、スペイン内戦の終結宣言が為された時に英国が維持していたのが上記の地域であった。

 そして、1942年現在も英国が実効支配し続けている。

 スペインは、第二次世界大戦開戦当初こそ一応はスペイン内戦の勝者であるフランコ将軍がこの地域の奪還を試みようとした。

 だが、コンドル師団帰国後以降、ドイツは「自分の戦争が忙しい」という理由で、援軍を出し渋った。

 すでに疲弊……スペイン内戦で日英が好き放題暴れたり、あるいは兵器の実験場にしたせいで、史実以上に疲弊したスペインが単独でジブラルタルの英軍にしかけられるわけもなく、手をこまねいているうちに今度は日英独の停戦が成立し、効果的な手がうてないまま現在に至る。

 

 

 

 そして、そんなジブラルタルに隣接しているのが仏領モロッコだった。

 

「仏領マダガスカルが日英に取られて手を出せないとして、偽フランスの腐れドゴールの要請で動くという建前を作れ、尚且つ西部戦線という名目が立ち、加えてジブラルタルに圧力を加えられる……これだけの条件が揃って狙わない理由がないだろ?」

 

 これも真珠湾攻撃もなく、日英同盟を崩せず、英国を味方に付けられず、かといって日本とも敵対までは持っていけなかった”今生のアメリカ”に取れる、「史実とは異なる理由」の”最適解”であった。

 

 そして、近衛に言わせれば『最適解であるが故に読み易い(・・・・)』のだ。

 いや、これには誤解がある。

 アメリカが『モロッコへの上陸こそが最適解』になるように日英共同で状況を持っていこうとしているのだ。

 これこそが、”国家戦略”という物だった。

 

 

 

 そして、当然の疑問も解消しておこう。

 なぜ、”今になって、アメリカが参戦しやすい状況”をあえて作るのか……

 

「議会も国民も軍隊も本音では戦争に乗り気じゃない状況で、果たしてアメ公はどこまで”本気で戦争”できんのか、実に見物だとは思わねぇか?」

 

 クックックッと嗤う近衛……

 その表情は、如実に『生産力上げるばかりで、一人だけ血を流さねぇなんて許すわきゃねーだろ?』と物語っていた。

 

「とはいえ、万が一のことがあっても面白くはないな……本土で編成した追加の(三式戦車)試験部隊をシリア東部に入れ、シリアの部隊の一部をジブラルタルに移動させておくか……具体的には1個軍団程度。広田サンは永田サン(永田銀山陸軍大臣)に、野村サンは吉田サンに連絡を。そういう方向で調整してくれ」

 

「「はっ!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後日、ホテル”The SAVOY”のラウンジにて……

 

 

 

「相変わらず君の国のPrime Ministerは察しが良くて助かるよ。先読みして行動してくれるから色々手間が省ける」

 

「だが、それ以上に厄介な男だぞ? 何より喧嘩っ早い」

 

「それがどうした。率直過ぎるのも実直過ぎるのも政治家としては減点対象だが、我が国の国王夫妻に比べれば、その程度の厄介さなど物の数ではない」

 

 吉田は一瞬で理解と共感をしてしまうが……

 

「それは比べる対象自体が間違っているのではないか?」

 

 率直さや実直さが減点対象になるあたり、流石は「歴史上、素直という評価だけは受けたことのない国民性」の面目躍如である。

 

「とりあえず、コノエ首相の提案は”喜んで”と伝えておいてくれ。調整は実務者協議で決めて良いだろう。国王陛下への報告は、明日にでも私の方からやっておく」

 

「了解した」

 

 そして今宵も日英の古狸たちの夜は更けてゆく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、スペイン内戦に日英同盟が「人道支援(民間人、特に聖職者の保護)」を大義名分に積極的かつ大規模に介入したせいで、英領ジブラルタルは大幅に拡張し、史実のスペイン領モロッコのジブラルタル部分を確保し、北岸の領土も拡大。
後にジブラルタル湾全体が軍港化するなど、史実とは比べ物にならないくらいここの権益を英国は持つことになりました。
つまり、ジブラルタル海峡南北両岸は、完全に英国の天下でここでスエズ運河の支配権もありますから、地中海を「キング・リチャードIV世のバスタブ」にできるって寸法です。

いや~、日英同盟はスペイン内戦では景気よくフランコ組も赤化組もボコったみたいですよ?
まあ、来るべき二度目の世界大戦の兵器実験場と予行演習を兼ねてたみたいなので、そりゃあ気合も入ったでしょうね~w

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第287話 日ノ本の、戦う空に”誉”あれ

今回は、ガラッと話題を変えておそらくは43年に戦場に出てくる”機材(エンジン)”の開発四方山話っぽい感じです。





 

 

 

 さて、技術者にも勝負時という物がある。

 例えばそう、史実ではかつて国家の命運を担った、少なくともそう期待された航空機用レシプロエンジンがあった。

 その名は、

 

 ”誉”

 

 開発コード:NK9。別名”ハ45”。

 空冷星形18気筒エンジンで2000馬力級とされているが、実際には1800馬力級であった。

 ただし、この言い方は公平ではない。

 実際、”誉”が2000馬力に届かなかったのはスパークプラグや電線を始めた電装系や不純物が多くオクタン価の低い燃料、潤滑油などの品質の悪さが原因とされており、史実の大日本帝国の状況を如実に物語っていた。

 実際、戦後にアメリカが電装系を一新して、質の良い潤滑油とハイオク燃料を使いテストしたところ、実際に2000馬力以上の出力を発揮し、高度6,000mで687km/hの速度を発揮したという記録が残っている。

 

 むしろ、”誉”の弱点は「小型軽量コンパクトでありながら高出力」を求め過ぎた結果、あまりにも”繊細な設計”になってしまった点にあるように思われる。

 当時、エンジンの直径を極端に小さくし空気抵抗を減らすことが速度上昇のカギとされていた。

 だが、実際には元々直径が大きい空冷エンジンはプロペラ後流の性質と相まって、直径が大きくなってもさほど「飛行機全体の空気抵抗」には影響がないことが戦後の研究でわかったのだ。

 むしろ、空冷とは読んで字のごとく”空気でエンジンを冷やす”のでエンジンへの空気抵抗が小さくなるということは、当然、冷却効率の低下を意味する。

 だが、”誉”は設計を突き詰め過ぎて信頼性設計や冗長性設計を行う余地がなく、全体的に高度な製造技術を要する余裕のない設計になっていた。

 また、生産効率や品質管理の考えも不十分だったと言える。

 結論から言えば、

 

 ”エアレーサーのエンジンとしてなら良いのだが、軍用の大量生産品としては……”

 

 というエンジンになってしまった。また出力特性がややピーキーだったという証言もある。

 そして、そのツケ(・・)は戦況の悪化による熟練工の徴兵や爆撃による生産拠点の喪失などでの工員や製造設備の不足、また使用できる素材の品質低下などが重なり”不良品”が大量発生するという形で支払われる事になった。

 実際、戦争末期になればなるほど、出力も稼働率も凄まじい勢いで低下していいくことになる。

 

 他にも空間的余裕が物理的になかったためにエンジン熱で電線被膜が溶けて絶縁不良を起こして故障するなんてことも珍しくなかったらしい。

 

 

 

***

 

 

 

 とまあ、ここまでは史実の”誉”の話。

 そして、この世界の中島飛行機エンジン開発部、特に自ら陣頭指揮をとった”中島 和久平”も主任開発者の”中川 正一”もその辺のことを弁えていた。

 まず、彼らは「空気抵抗を一度棚上げし、2000馬力級エンジンに必要な直径、その最適解」を求めた。

 結果として導き出されたのが、”直径50インチ(1270㎜)”、オリジナルの”誉”と比べて直径が9㎝ほども大きく、同級のエンジンである米R-2800”ダブルワスプに比べて7㎝、BMW801より2㎝ほど直径の小さいエンジンとされた。

 その分、排気量も増えて史実の35.8l→39.38lに拡大されている。

 

 また、史実の大日本帝国より皇国の工業水準は上であり、例えば厚さ1㎜・間隔3㎜つまりピッチ4㎜)、高さ70㎜のアルミ合金製放熱フィンがブルノ―方式鋳造で大量生産できたということからもそれが伺える。

 しかも、それだけではエンジン冷却に足らぬとBMW801のようにエンジン本体とオイルクーラー用の強制冷却(シロッコ)ファンが装着が最初から前提とされていた。

 また軸受けは裏金付きのケルメット合金であり、また直径制限によるトレードオフもなかったためにクランクピンも一部に油冷機構を持つ強度十分な太い物が採用されることとなった。

 

 さて、燃料供給装置であるがマルチポイントインジェクション方式(1気筒それぞれに燃料噴射装置が付くタイプ)を採用した金星60番台に比べ、”誉”は前後の9気筒ずつに1基の燃料噴射装置を備えたシングルポイントインジェクション方式、”中島式低圧燃料噴射方式”(シリンダー内への直接噴射ではなく、キャブレターを負圧式からダイヤフラムポンプを使わない低圧燃料噴射式のフロートレス気化器を採用した型)となっており、開発時期から考えれば技術的退行を起こしたと思われるかもしれない。

 だが、これにはいくつかの理由がある。

 一つはシングルポイントインジェクション方式としたことで既に完成の領域にあった中島のキャブレター技術の延長線上にあるシステムで、マルチポイントインジェクション方式より安く早く生産でき、既存の技術を使うため安定性と信頼性が高いというメリットがあった。

 加えて、どうも転生者混入の疑いが強い中島の技術陣は、BMW801が歯車とリレーで構築した”コマンドゲレート”を”パラメトロン型エンジン集中統制装置”で再現しようとしたのだ。

 コマンドゲレートとは、燃料の流量、プロペラピッチ、過給機のセッティング、空燃比や点火時期などをスロットルレバーの操作で自動調節しようという先進的なシステムで、このパラメトロン型エンジン集中統制装置と組み合わせるのに、演算負荷(必要パラメータ)が少ないシングルポイントインジェクション方式の方が都合が良いという側面があった。

 

 過給機はマーリンエンジンのライセンス生産で技術・生産が確立されたオーソドックスな2段スーパーチャージャーであり、これを高高度対応も視野に入れ3速化して採用。加えて、サーモスタット制御の水-メタノール噴射式冷却措置付きインタークーラーが組み合わされる。

 また、振動によるエンジン・機体の金属疲労を軽減する為の二次振動抑制装置の”ダイナミック・バランサー”も標準搭載だ。

 

 他にも史実の”誉”で構造的急所や弱点とされていたコンロッド軸受、ピストンリング、バルブカム、バルブスプリングなどの部分が修正されていた。

 もっともこれらの部品の問題は、技術力や加工精度云々以前の問題で、銅やら何やらの使用材料制限に起因する物が多い。そういう意味では、よほど希少金属でない限り、一般的な素材なら特に使用制限のない日本皇国では、問題の半分以上は最初から解決されているような物だった。

 これに加えて、発電機、プラグ、電線類などの電装品関係は電気・電子分野の先進国である英国準拠、また樺太油田などの小規模ながらも産油国の誇りと威信にかけて100オクタンのハイオク航空ガソリンと、鉱物(ナフテン)系の高品質な潤滑油を使う事を前提に設計され、実際にそうなるように生産体制が組まれている。

 

 また、余裕のある設計は容積に比例した重量増大を招いたが、逆に配線の取り回しやオイルポンプの配管の無理を無くし、またオリジナルよりも大容量の空冷式オイルクーラーの採用などにも繋がっている。

 他にもオリジナルと同じクロームモリブデン鋼製のクランクケースとクランクシャフト、耐熱性に優れた金属ナトリウム封入の中空バルブ採用など、

 

 『史実の”誉”の短所を丁寧に潰し、長所を伸ばす』

 

 やり方、あるいは設計方針により、離陸出力2200馬力、水-メタノール噴射で高度8,000mで2480馬力を発生する傑作エンジンが誕生したのだ。

 細かく言えば、推力(ロケット)式排気管は、ステンレス鋼素材に変更されていたりと、細かい改良にも余念がない。

 結果としてこのスペックは単純出力だけ見ても、結局試作のみで量産されなかった”誉四二型”や”誉”の後継として開発されていた幻のエンジン”三菱ハ43-Ⅱ”にほぼ匹敵する。

 

 

 

***

 

 

 

 実を言うと、ブースト圧などを上げてエンジンの極限状態を引き出そうと思えば、ベンチテストの状態で今生の”誉”は2400馬力を記録したらしい。

 だが、その状態では各部の負荷が大きく、信頼性や耐久性、安定性を保つために2200馬力に抑えたという(デチューンした)経緯がある。

 また、ピークパワーを下げた出力特性としたら、結果としてパワーバンドが広くなった副次効果もあったようだ。

 

 その繋がりで、”誉”の隠れた長所を一つ上げていこう。

 実はこの時代の航空機用レシプロエンジンが、半ば「使い捨て」だったのを皆さんはご存知だろうか?

 

 この時期のジェットエンジンの耐久性が低く、長くて稼働時間は40~50時間、短ければ15時間以下でしかなかったというのは割と有名な話だと思う。

 しかし、レシプロエンジンも現代のジェットエンジンと比べると長いとは言えなかった。

 

 液冷エンジンの例で恐縮だが、皇国でもお馴染みのマーリンエンジンの平均稼働時間は300時間前後、米国のV1710系のアリソンエンジンに至ってはその150時間程度でしかなかったという記録が残っている。

 

 というのもそれだけエンジンの極限性能を引き出そうとした結果、現代の車で例えるならレッドゾーンのオーバーレブでずっとエンジンを回してる感覚に近い。そうなってしまえば過負荷でエンジンにガタが早く来るのも当然……そういうセッティングが主流だった。

 

 対して今生の”誉”は、あえて-200馬力の余力を持たせる(デチューンする)ことで、最高出力(ピークパワー)より安全性、信頼性、耐久性を取ったのだ。

 実はこれ、「戦後の日本車が壊れにくかった理由」と同じだったりする。

 おかげで”誉”の耐久稼働時間は500時間を軽く超え、一説には1000時間に到達しているらしい。

 

 そして、中島和久平は試作”誉”が”48時間連続運転試験”を無事クリアした時にニヤリと笑い、

 

「このエンジンの成功は約束された」

 

 と腕を組んで呟いたらしい。

 

 

 

***

 

 

 

 まだ、先の話になるが……この初期型の”誉”でさえ十分な成功とされ、空軍、海軍の多くの航空機に搭載されることになるが、やがてジェットエンジンに開発リソースを集中させる為にエンジンを含むレシプロ航空機部門を三菱が各社に売却したことにより、”誉”は更なる発展をみせ、『皇国最後の空冷星形航空機用レシプロエンジン』として有終の美を飾るスペックを叩きだすことになるのだった。

 

 

 

誉一一型(ハ45-11)

 ・空冷星形18気筒エンジン

 ・排気量:39.38l

 ・過給機:2段3速式スーパーチャージャー+水-メタノール噴射装置付きインタークーラー

 ・燃料系:中島式低圧燃料噴射方式(シングルポイント・インジェクション方式)

 ・制御系:パラメトロン型エンジン集中統制演算処理装置

 ・出力:2200馬力(離陸)、2480馬力(水-メタノール噴射装置使用時。高度8,000m。使用制限時間30分)

 ・直径:1270㎜

 ・全長:1850㎜

 ・乾燥重量:960kg

 ・

 

 史実の”誉”より一回り大きく重く、同格のR-2800より一回り小さく軽い。

 この時代、世界最高峰の星形18気筒エンジンかどうかは議論の余地があるが、トップクラスのエンジンであることは間違いない。

 存外、この”誉”の開発と大量生産の成否こそが、存外に日本皇国と大日本帝国の分岐点の一つなのかもしれない……

 

 また、史実の”誉”と比べて特筆すべきは高高度対応能力の高さで、エンジン統制装置と3速化された2段式スーパーチャージャーの恩恵もあり、水-メタノール噴射装置を使わない状態でも高度11,000m付近で1500馬力近くを発生しており、この時代の空冷星形エンジンの中では高高度の希薄な大気の中での馬力低下が最も少ない部類であり、大きな出力低下はあるが通常の100オクタン燃料でも高度15,000mまで動作確認が取れていたのだ。

 

 ある意味、高高度に泣かされた大日本帝国の怨念やアンチテーゼが詰まったようなエンジンと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、史実と似て非なる”誉”エンジンのお話でした。
いや~、43年から終戦に至るまでの日本皇国軍用機の主力エンジンですからね~。
特に大戦後半の艦上機は整備性も考えて”誉”一色になりますし。
空軍機も多く採用しますし、一度じっくり書いておきたかったんですよ。

基本、一回り大きく重くなった分、出力が向上し設計に余裕を持たせた為に安定性や信頼性を増した”誉四二型”って感じでしょうか?

デチューンした分、負荷が小さく耐久性マシマシなので「武人の蛮用」にも耐えられますし、また高品質な電装系や燃料、潤滑油を日本皇国は供給できる体制ですので性能劣化とかも起こりにくいでしょう。
地味に二次バランサーの搭載も大きいかも。振動が少ないってのは金属疲労も小さくなりますから。

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第288話 戦争後半を彩るドイツの小火器と、そして遥かなるクバーニ

今生のドイツは、戦争に手を抜きません。
油断しません。舐めプしません。
何よる、感情に流されないんですよ。
誰よりも総統閣下が。





 

 

 

 1942年の秋から冬にかけて、ドイツの南方軍集団の大攻勢、”ブラウ作戦”を前倒しした形で始まった”42年秋季大攻勢”は、可能ならば陥落させたかったサラトフには手が届かなかった(攻勢を見送った)が、防御の堅いスターリングラードもサラトフも狙わず、モスクワ攻撃は空爆どまり。

 レニングラードはとっくに陥落させているので、まだ余力があった。

 また、今生のヒトラーが南方軍集団や北方軍集団を軽んじてないのもまた大きかったのだ。

 

 実際、新兵器も大物は滅多にない物の続々と投入されていた。

 有名どころを列記しておこう。

 

 ・StG42突撃小銃

 ・MG42汎用機関銃

 ・FG42軽機関銃(空挺機関銃→分隊支援機関銃。史実G型ないし後期型)

 ・Gew43半自動狙撃銃(先行量産品。ZF39規格4倍スコープ標準搭載)

 

 StG42はAG43の回にも出てきたが、まんま史実のStG44突撃小銃だ。Kar98K小銃を生産中止にしてまでリソースを注ぎ、全力生産に移行している。

 そして、”ヒトラーのチェーンソー”とあだ名されたMG42汎用機関銃も史実以上に順調に量産され、前線へ投入されている。

 

 史実と異なるのはFG42軽機関銃で、当初は史実通りに空挺用機関銃として空軍省より開発要求が出されたが、41年のマルタ島での大損害と作戦の失敗で空挺作戦全般が大幅に見直された結果、FG42開発計画は一度、白紙に戻った。

 しかし、戦場からZB26/27/30軽機関銃の有用性が認識されたことで陸軍省が計画を引継ぎ、開発途中だったFG42を叩き台に「分隊用の軽量機関銃」として再開発するに至った。

 その結果、生まれたのが史実のG型、いわゆる後期型のFG42だった。

 史実のFG42Gとの最大の相違点は、ZB26軽機関銃系列と同じ弾倉を使用可能という事だろう。

 

 Gew43は史実と少々開発経緯が異なり、フォルマーM35A自動小銃が史実と違って開発中止にならず、その開発を引継ぎ7.92㎜×57弾を使用する半自動狙撃銃として完成させたのが、Gew43だ。

 途切れない開発の割には生産開始が史実と大きく変わらないように見えるのは、実は史実のGew43(W)準拠の物なら実は1941年に試作半自動狙撃銃”G41(w)”として完成していた。

 しかし、以下の欠点が指摘されたのだ。

  ・全体的な性能や耐久性は不十分であり、過度の動作不良や破損が発生した。射撃負荷が過大であることが原因で排莢不良が頻発する。

  ・標準的な砂塵下での試験では手動により容易に操作できたが、自動装填射撃の信頼性は低い。

 また、「ボルトキャリアーを開いて後退位置で固定すれば、Kar98用の装弾クリップを使って5発ずつ、あるいは手で1発ずつ、弾薬を弾倉へ直接押し入れることができる」という”過剰に凝った”メカニズムも複雑化を招き強度不足に起因する動作不良や故障原因になるとされたのだ。

 そこで作動方式を複雑なガストラップ方式からオーソドックスなロングストロークピストン式に改め、ボルトキャリアーを開いての給弾も実用的にあまり意味はない(むしろスコープ標準搭載が決まった為に邪魔)とされ、ZH29半移動小銃の10連発弾倉を標準として設計しなおされる事になった(つまりZB26系やFG42と弾倉を共用できる)。

 これらの改修により登場したこの世界線の”Gew43”はどことなく、史実の戦後米軍の半自動狙撃銃”M21”に似ていた。ちなみに役割も選抜狙撃手(マークスマン)向けなので被っていると言えた。

 興味深いのは、同時期にサンクトペテルブルグで開発されていた半自動狙撃銃がZH29をベースにバイポット付きのロングヘヴィバレルとピストルグリップとストレートストックを組み合わせた”ドラグノフ狙撃銃”に似た物であり、二つの半狙撃銃の印象は違えど弾倉は共用だったことだ。

 加えて、そもそもZB26系機関銃とZH29小銃のマガジンリップは共通なので、任務によっては他に20連発、25連発、30連発のマガジンが柔軟に使い分けられていたようだ。

 

 まあ、他にも個人携行用装備として既に大量生産体制に入ったドイツ版バズーカの”パンツァー・シュレック”や手榴弾感覚で使えるパンツァー・ファウスト”が続々と南方戦線へと運び込まれていた。

 面白いのは、本来なら対戦車ライフルとして開発されていた”PzB38/39”が”PzB/B.NSR.41(史実の”PzB M.SS.41)”同様に、8倍のスコープを搭載し長距離狙撃銃として活路を見出したようだ。

 ちなみにMP40短機関銃は、装甲車両乗員などの自衛用や屋内近接戦闘(ドイツでもCQBの概念が生まれていた)の使い勝手の良さから生産継続が決定され、またStG42に置換されるKar98kは、同盟国やあるいは非正規軍組織などに流れ戦力増強に妻がることとなった。

 

 

 

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 何度も言うが、モスクワ、レニングラード、スターリングラード、ムルマンスクへの無駄な消耗戦を仕掛けることもなく、ドイツ本国が空爆に晒され生産が滞ることもなく、また無理してコーカサスの油田地帯を狙う必要もない。

 

 ドイツ本国、いやヒトラー総統は黒海方面の南部の価値や意味を見誤る事は無い。

 予備兵力を充当に使い南方軍集団には過不足ない兵力があった。

 

 また、レニングラード改めサンクトペテルブルグで製造され送られてくる兵器も心強かった。

 地上兵器に限っても、自走式ロケット砲(いわゆる”カチューシャ”)に、各種迫撃砲などがそうだ。

 どちらかと言えば、ドイツの正規兵器体系の穴埋めや補填を行う装備が主流だったが、これがあるとないとじゃ大違いというのが、数多くの戦場を駆け抜けてきた古参の将兵の意見だった。

 あと地味にサンクトペテルブルグ産の戦闘糧食が、最近は妙に兵たちに人気らしい。

 

 他にも前述の旧チェコより前述のZB26系の機関銃などの小火器や車両、旧オーストリアよりマンリッヒャーM1895の流れをくむボルトアクション方式の狙撃銃がといった具合に各地から続々と補給物資が届いていた。

 

 そして誇ってよいのは、同盟国や友好国などを合計すれば史実の数倍の生産能力もさることながら、それを滞らせないドイツの兵站能力の高さだ。

 史実に比べて遥かに高い生産能力や史実でも高い前線基地や野戦飛行場の構築能力の高さもだが、渡洋能力はほぼないがこと地続きの陸地に限っては早期の重機開発とモータリゼーションの実現、国策とした鉄道技術の進歩やトート機関の尽力などで、ユーラシア大陸西部という局地的にではあるが米軍並みの兵站補給能力(ロジスティクス)を実現しているのは驚嘆して良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 だが、順調過ぎるのも考えもので、戦力は現状では足りてるとはいえ、戦域が大きく広がり、同時に投入される戦力も増えた為に南方軍集団、ボック元帥とその幕僚だけでは手が足りなくなってしまったのだ。

 正直に言えば、正規軍だけでなく主に後方支援を担当する黒海沿岸の同盟国部隊ウクライナ、ルーマニア、ブルガリアの部隊まで入れれば200万人を優に超える南方軍集団を現状の司令部で切り盛りするには限界が来ていた。

 

 そこで、ドイツ国防軍最高司令部(OKW)とドイツ陸軍総司令部(OKH)が話し合い、旧ソ連領の黒海沿岸からカスピ海にかけての地方、いわゆる”クバーニ(・・・・)”を

 

 ”クバーニ(クバン)方面軍”

 

 として、南方軍集団とは連動しながらも独立した指揮系統を持つもう一つの軍集団の創出をヒトラーに提案した。

 これをヒトラーは二つ返事で了承する。

 そのレスポンスに驚く中央の参謀たちに、

 

「実は私からも提案しようと思っていたのだよ」

 

 と手書きの紙片を机から取り出した。

 まだ原案作成中のそれは、”クバーニ独立軍創設計画”と銘打たれていた。

 

 それを読むように促された高級参謀は、今度は別の意味で驚いた。

 

「方面軍司令官”ヴァンフリート・リスト”元帥……ですか?」

 

 リスト元帥と言えば、「マジノ線突破の立役者」であり、ルーマニア陸軍近代化の功績やブルガリアの味方への引き込み交渉の功労者でもあった。

 しかし、史実同様にリスト元帥のナチ嫌いは有名であり、ヒトラーの前でもそれを隠そうとしなかった。

 そして、それが煙たがられていた上に、それが引き金になって今年(42年)7月に左遷され後方に下げられたという話が広がっていたのだが……

 

「よろしいので?」

 

 高官の一人がそうヒトラーに聞くと、

 

「静養の効果があり、体調が無事回復してるようでな。医師からの許可も出てるし、本人も復帰を望んでいるので丁度良いだろう」

 

「はっ?」

 

「ん?」

 

 しばしの沈黙……するとヒトラーは何かを悟ったように、

 

「ああ。例の噂か……リスト元帥を私の命令で後方に下げたのは事実だ。フランスからの激務が祟ったのか、定期健康診断であまり芳しくない数字が出ていたのでな」

 

「はい……?」

 

 

 

 考えても見て欲しいのだが、シカゴ学派疑惑がある合理主義者のこの男(ヒトラー)が、たかが(・・・)公然と”ナチを批判した程度”で有能な将軍を左遷やら罷免やらするわきゃない。

 というより、ヒトラー自信もナチ党やらナチズムを「便利な政治の道具」としてしか思っておらず、好き嫌いなど最初から考慮の対象外だ。

 むしろ最近はその先鋭化した思想がそろそろ邪魔になってきたから、スラブ人に関するあれこれ等当初あったはずの文言を削除し、ハイドリヒやNSRとつるんで弱毒化に勤しんでるほどだ。

 いや、もはや一部を除いて大分、形骸化できたと考えて良い。

 

 余談だが、ヒトラーがナチズム原理主義者じみた……ドイツに”政治亡命”してきたミットフォード男爵家の三女と四女に距離を置き、世話役のリッペンドロップに丸投げしてるのだ。

 リッペンドロップ本人としては、爵位は低いが英国王室と所縁のある姉妹(家系)と繋がりを持てて、虚栄心と自尊心を大いに満足させているようだが……まあ、適材適所というところだろう。

 

「夏から強制的に入院・静養させていたのだが、まさか”元帥が体調悪化で後方送り”とは言えまい? 士気に関わる」

 

 逆に噂話も、事実を誤魔化すためには役に立つのでさして実害がないことも相まって、ヒトラーは放置していたのだ。

 

「NSR管轄の第1コサック騎兵団(パンヴィッツ将軍麾下のコサック混成軍)やドン・コサック騎兵団(クラスノフなどの白系ドン・コサック軍)は、流石にウクライナ・ベラルーシなどの主要地域の治安活動から外せないが……そろそろクバーニ・コサックを中心に第2コサック騎兵団を編成する頃合いかもしれんな」

 

 ヒトラーは少し逡巡してから、

 

「43年は、防戦の機会が増えるだろう。そのための下準備は怠るべきではない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実でも42~43年に登場するドイツの小火器って多いんですよね。
そして、この世界線のドイツのおっかない所は、同盟国や友好国を合計すれば史実の数倍に匹敵する生産力と、それを「必要な時に必要な場所へ必要な量」を届けられるロジスティクス能力なんですよ。

無論、それは史実で言う東部戦線を中心としたユーラシア西部という限定した地域ですが、地続きのここだけは空陸共に史実米国並みの輸送力を発揮します。
ただ、その分、渡洋侵攻能力はほぼ皆無と言ってよく、海軍は基本的に近海海軍なんですよね。

そして、リスト元帥。
この合理主義の塊みたいなヒトラーなら、ナチ嫌い程度で優秀な将軍を干したりしないだろうな~とw

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第289話 リスト元帥とクバーニ方面軍、そしてクバン・コサック ~復讐するは我にあり~

リスト元帥、華麗(?)に登場です。





 

 

 

 リスト元帥の復帰と着任、南方軍集団の再編→クバーニ方面軍の創設は並行して行われた。

 戦力自体は既にクバーニに存在していたし、後は司令官であるリスト元帥とその幕僚団が着くのを待つだけとなった。

 

 ボック元帥の幕僚から数人のクバーニ方面軍への人材抽出があり、またボック元帥の幕僚団も数名の幕僚の補填があった。

 

 ボック元帥とリスト元帥の管轄区域は、ロストフ・ナ・ドヌーを境界としそれより北が南方軍集団、それより南がクバーニ方面軍と決められた。

 蛇足ではあるが、どうもこの2人どうやら以前からの顔見知りらしい。

 

「先ずは復帰をおめでとう」

 

 どうやらボック元帥は前線からリスト元帥が消えた本当の理由を知っていたようで、

 

「それと復帰早々、大変な役目を押し付けてしまう形になってすまない」

 

「これもお役目。承知しております。それに休養をいただいたおかげで鋭気は養われているので心配ご無用」

 

 リストはそう快活に笑うと、

 

「こちらこそ、黒海沿岸の南下作戦の折、前線をあけてしまって申し訳ない」

 

「それこそ仕方ないことだ。総統閣下直々の命であれば尚更」

 

 そして、戦況確認と認識の摺合せ。

 リスト元帥の復帰は、ソチの無血開城の直後であったが、南方軍集団は黒海沿岸のソ連の南端、グルジアとの国境の街”アドレル”まで軍を進めていた。

 

「これ以上の南下は意味を持たないでしょうな。バクーの油田を狙わないのなら余計に。総統閣下の示す戦略目的から考えて、現状グルジアには手を出すべきではないだろうと」

 

 1921年に赤軍に占領されるまで独立国であり、そして未だにソヴィエト連邦に組み込まれながらもキリスト教が根強い地域でもある。

 

「総統閣下はグルジアの再独立を狙っていると思うか?」

 

 ボックの言葉にリストは小さくうなずき、

 

「だが、今はその時期じゃない。だが、その下はトルコだ。あそこに馴染みの深い国家はあるだろう?」

 

「……日本か?」

 

「ああ。だが、日本は来年のイタリア攻略を隠そうともしていない。クバーニ、いや南コーカサスで事態が動くとすればそれ以降だろう」

 

「パトゥミに退避しているロシア人の黒海艦隊はどうする?」

 

「ドイツの黒海艦隊で強襲する手もあるが、あまり得策ではないな。事実、残存艦も少ない。ソチに航空機による哨戒基地、アドレルに即応の魚雷艇(Sボート)部隊を貼り付けておけば十分だろう。実際の脅威となるのは潜水艦による通商破壊ぐらいだろうが、船団護衛は海軍御領分だ」

 

「ふむ。それでよいと思う。司令部を置くのはクラスノダールで構わないか?」

 

「申し分ない」

 

 ボックはコホンと咳払いし、

 

「リスト元帥、南下しないとして君はこの先、何処をどう攻める?」

 

「南へ行かないなら、東しかないだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リストの現職復帰第一戦は……

 

 

 

「”ビャチゴルスク”、攻撃開始っ!!」

 

 ロストフ・ナ・ドヌーからクラスノダールを攻撃する際、ボック元帥は『クラスノダール、ノヴォロシスクへの進撃路の安全を確保する』という理由で、ロストフからクラスノダールへ向かう中間地点にある分岐路よりチホレツク、アルマヴィル方面へ別動隊を進出させ、ネヴィンノムイスク、スタヴロポリを立て続けに陥落させ、そこで一旦進軍を停止していた。

 

 ネヴィンノムイスクは都市として成立したのは1939年のまだ若い街で、元々はクバーニ・コサックの集落があった場所だが……そのコサックがどうなったのかはお察しくださいだ。

 スタヴロポリは実は1935年にサンクトペテルブルグ攻略戦で戦死したヴォロシーロフ将軍にちなんで”ヴォロシロフスク”と改名されたが、ドイツが占領すると同時にスタヴロポリという名称に戻った。

 特に関係ないが、スタヴロポリの語源はギリシャ語の”十字架の街”という意味らしい。

 

 

 

 さて、実はビャチゴルスクは本来はそれなりに防御の堅いストロングポイントと言えた。

 当然だ。

 この街は黒海とカスピ海のほぼ中間点にあり、カスピ海西岸から黒海へ抜ける道の合流点(チョークポイント)でもある。

 

 だが、ビャチゴルスクはあまりにもあっさりと陥落した。

 その最大の要因は、ソ連がこの時点でクバーニ方面軍の創設と、その司令官を全く掴んでいなかったことだ。

 

 防衛のソ連側は限られた戦力を有効利用するためにネヴィンノムイスクへ続く太い街道に警戒と防備を集中させており、ネヴィンノムイスクとビャチゴルスクの中間地点にあるクルサフカに前線防衛陣地を構築し、ビャチゴルスクに続く長い縦層防衛陣線を構築していた。

 これまでのドイツ南方軍集団は、馬鹿正直なまでに街道に沿って進軍しており、土地勘のないドイツ人は力押しの正攻法しかできないと思い込んでいたのだ。

 

 だが、相手は”あの”リスト元帥である。

 マジノ線の突破の功績持ち……彼がクラスノダールに司令部を開いてすぐに探らせたのは、現有のドイツの支配地域からビャチゴルスクに抜けられる「ロシア人が意識していない進撃路」の有無だった。

 

 リストは数々の情報から、「本来、この方面を守っていた部隊がヴォルガ川方面の防備に移動していたこと」、「現在、ビャチゴルスクを守る部隊がまだ編成されて日が浅く、またビャチゴルスクに着任してさほど時間がたっていないこと」、「故に防衛側のソ連軍もまた土地勘がない(・・・・・・)」と結論付けたのだ。

 

 リストの優れている点は、地図や航空写真偵察に頼り切るのだけでなく、偵察部隊や測量部隊を投入して現地調査を徹底させた所だ。

 これを怠っている司令官や参謀は存外に多い。

 地図だけで作戦を決めるなど、言いたくはないが大日本帝国の参謀本部では日常茶飯事で、その典型が”インパール作戦”だ。

 はっきり言うが、史実の帝国陸軍は敵ではなく「(陸軍3バカなどに)味方に殺された」人数の方が多い印象がある。

 

 そしてマジノ線攻略を成功させたリストだからこそ、「地図や写真が噓をつく」ことをよく理解していた。

 

 そして見つけ出したのだ。

 スタヴロポリからスヴェトログラドへ抜ける街道の途中にある、ビャチゴルスクに繋がる細い抜け道を。

 

 リストはまずスヴェトログラドと南にあるチェルケスクを攻撃し、占領する。

 どちらも守備隊は少なく、奇襲に近い攻撃となった。

 

 

 

***

 

 

 

 その結果を見て、ソ連側はこう判断した。

 

 ・ドイツは防御の堅いビャチゴルスク攻略以外のカスピ海へ抜ける別ルートを模索するためにスヴェトログラドを攻撃した

 ・またネヴィンノムイスクへの別ルートでの攻略を模索するためにチェルケスクを攻略した。

 

 実際、チェルケスクからビャチゴルスクへ抜ける比較的整備された街道は存在する。

 余談ながらチェルケスクはスリモフ→イェジョヴォ・チェルケスク→チェルケスクという30年代の名前の変遷があるが、調べてみるとソ連の粛清(内ゲバ)の歴史の一旦が垣間見える。

 とにもかくにも以上のような理由から、ビャチゴルスク防衛隊は更に労力を投じてチェルケスク方面の防御陣地の構築を始めた。

 そして実際、ネヴィンノムイスクとチェルケスクからドイツの装甲化された重火力部隊が押し寄せ激しい戦闘となったが……だが、それらは”全て陽動部隊(・・・・・・)”だったのだ。

 

 本命は、先の”抜け道”を駆け抜ける”NSR第2コサック騎兵団”、そしてシュクロ将軍率いる”クバン・コサック義勇騎兵団”……そう、あの抜け道を見つけたの者こそが、まさに先祖がこの地に暮らしていたクバーニ・コサックの一人であり、馬くらいしか通り抜けられない道だからこそ、ソ連から見過ごされていたのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは、とても凄惨な物になった。

 当然である。

 ソ連は、ロシア革命直後より”コサック根絶命令”を出していたのだ。

 理由は「皇帝に忠誠を誓っていたから」。長々と理由が書いてある資料もあるが、根本的にはこれだ。

 つまり、クバーニ(クバン)・コサックにとって赤軍もロシア人も先祖伝来の土地を奪い、文化風習を奪い、男を殺し女を犯し、最後はコサックに連なる全てを絶滅させにきた怨敵であり仇敵だった。

 

 親の子供の妻の恋人の仇なのだ!

 そして騎兵である以上、確かに重武装は携行できない。

 しかし、軽騎兵彼らは騎乗できる重量の”ドイツ製兵器”を与えられていた。

 新しすぎるStG42は流石に無かったが、馬上で短弓のように取り回しやすいP38/40短機関銃、P38拳銃、対装甲用にパンツァーファウスト、そして手榴弾。中には長弓のようにMG34汎用機関銃を器用に振り回す強者もいたらしい。

 

 

 

 最初は、お決まりの制空権を巡る航空戦。

 そして何時ものようにドイツの勝利で航空優勢を奪われる。

 当然だ。アメリカンスキーの貢ぎ物である最新鋭の戦闘機も装備も、まずはモスクワ防衛に、次にヴォルガ川防衛線に回される。

 まだ、要所とは言えそこから外れたビャチゴルスクにまでまだ回ってくる筈もない。

 

 そしてセオリー通りのスツーカによりピンポイント急降下爆撃と、双発爆撃機の範囲爆撃。

 対人用の散弾型、対装甲用の成型弾頭の集束爆弾が次々に投下され、ビャチゴルスクの防衛線を上空から裁断していく。

 そして、パターンの重砲の撃ち合い、戦車は防御陣地が功を奏して中々入って来れない。つまり蹂躙できない。

 自分達は劣勢だが、決定的な敗北はない……ソ連軍がそう思い始めた頃に、”彼ら”は殺意を漲らせ森からやって来た……

 

 

 

***

 

 

 

 そして、ソ連軍が重火器の筒先を全て街道から来るドイツ人に向けていたことが災いした。

 いや、一体だれがこの時代に森を抜けて騎兵が攻撃を仕掛けてくると思うだろうか?

 ソ連軍の知識では、時代遅れのコサック騎兵は精々ドイツ人支配領域でのパルチザン掃討か、あるいは斥候や偵察が関の山だったはずだ。

 奇襲攻撃になったとはいえ、正面から正規軍に挑むなど誰も考えて居なかったのだ。

 

 ”土地勘のあるクバン・コサック騎兵による森林突破の浸透戦術”

 

 それがリストの切り札だったのだ。

 それに加え、政治将校はこの地のコサックはとっくに根絶されたと聞いていた。

 だが、現実にコサックは自分達を殺しに来てる……それはまるで過去から蘇った悪夢のような情景だった。

 

 ソ連兵が機関銃を向ける前に短機関銃で撃たれた。

 銃座に馬で駆け抜けながら手榴弾を投げ込まれる。

 戦車の砲塔が旋回しきる前に死角からパンツァーファウストを叩きこまれる。

 まさに乱戦。

 そしてこういう状況では、装備の重さや大きさが仇になることがままにある。

 そして、クバーニ・コサックは弾が切れたら死んだソ連兵の武器を奪い戦いを継続する。

 敵の武器を奪うのも、ロシア人の武器を使うのも慣れた物だった。

 

 そして、この機を見逃すドイツ軍ではない。

 電撃戦、エア・ランド・バトルはそもそもドイツ軍の十八番だ。

 火力の綻びをついて、装甲化された作業車で障害を除去。進軍、そして吶喊。

 お待ちかねの蹂躙劇が始まった。

 

 

 

***

 

 

 

 こうしてビャチゴルスク守備隊は全滅した。

 繰り返すが、語義通りに全滅した。

 ドイツ人は降伏を認めてもよかったが、コサックはそうではなかったのだ。

 頭目であるシュクロを筆頭に、その恨みはあまりに深い。

 コサックを預かったNSRの指揮官もその心情を知っていたからこそ、止められなかったのだ。

 果たして逃げおおせたのは何人いるだろうか?

 唯一の救いは、ソ連にしては珍しく住民を後方……カスピ海の荷下ろし要員として退避させていたので、事実上の民間人の被害が出なかっただろう。

 故に”ビャチゴルスクの戦い”は、こう記される事になる。

 

『ソ連軍は誰一人”降伏することなく”、最後まで戦った』

 

 と……

 今回の戦死者はざっと15万人ほど。だが、ロシア革命から現在まで、”根絶”されたコサックは、どう少なく見積もっても300万人を下回ることはないだろう。

 怨嗟も憎悪も、まだ当面は消えることはなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




別動隊のコサック騎兵軍、大活躍!

対フランス戦、マジノ線突破立役者であるリスト元帥なら、これくらいやってくれるかな~とw

ドイツ軍と言えば機甲師団という先入観を逆手に取ったやり方ですね。実は戦車こそが陽動だったという。
あるいはリスト元帥が着任したことを知れば、あるいは少しは警戒したかもしれませんが、どうやらソ連はスパイから情報、「リスト元帥がナチ批判で干された」を鵜吞みにしていたようですね。

まあ、確かに正統派のボック元帥の戦い方ではないですからね。このやり口はw

クバーニ方面の戦いの描写は多くは無いですが、何というか一筋縄ではいかない感じ?


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第290話 (赤色感染症に)病める大国の内部分裂

今回は、再びヤンキー目線です。




 

 

 

 アメリカ合衆国大統領、フランシス・テオドール・ルーズベルトは1942年も残り1ヵ月となったその日、怒りで顔を紅潮(アカく)させていた。

 彼の手元には二つの報告書があった。

 一つは、日英が共同出資でフランスよりマダガスカル島を購入する事と、そこを軍事拠点化するという旨の報告。

 もう一つは、ドイツがビャチゴルスクを陥落させ、更にカスピ海方面へ進出しているという報告だった。

 

 この二つが何に直結するかは考えるまでもない。レンドリースの”ペルシャ湾ルート”だ。

 マダガスカル島が基地化されたところで、日英が通商破壊を仕掛けてくるとは米国もルーズベルトも考えてはいない。

 その気があるなら、とっくにイランに展開する(権益を持つ油田警備の)英軍か、あるいはシリア東部に展開する日本軍が仕掛けてきてるだろう。

 だが、未だにその兆候はない。

 ただ、”監視”されているだけだ。

 そして、マダガスカル島に軍事拠点化すれば必ず日英の一般的な意味での哨戒網は構築されるし、監視の目は増える。

 それが嫌なら日英の哨戒網を迂回するしかないが、それだとただでさえ長い航路が余計に伸びる。

 結局は、マダガスカル島東岸を掠める様な公海上、つまり今までと同じ航路を通るしかないだろう。

 

(クッ……やはり、マダガスカルを早急に支配下に置くべきだったか?)

 

 しかし、それが不可能であることはルーズベルトも承知していた。

 北アイルランドの買取と基地化で、明確な敵対ではないが英国との関係は緊張状態が高まっている。

 そして、アフリカ東岸は英国人の天下だ。

 その状態でマダガスカルに手を出す……その案件を議会に納得させる根拠がなかった。

 実際、共和党をはじめ民主党の中でもレンドリースに懐疑的な勢力が超党派で徐々に出だしている。

 レンドリースに反対する根拠は、

 

 ・米国の中立法を侵害している

 ・リスクに見合った効果がない

 ・コストパフォーマンスが悪い(コストに見合った効果がない)

 ・ソ連への支援に使う金額を、福祉などに宛がい米国市民(納税者、有権者)に還元すべき

 ・あるいはせめて米軍の充実に使うべき

 

 だ。腹立たしいことに正論であり、如何にマスコミを操作しようと皮肉なことにこのような主張は特に保守層に評判が良い。

 

『ドイツは危険な敵であり、アメリカは野心に溢れた覇権的帝国主義者を、民主主義の守り手として打倒せねばならない』

 

 という主張も、

 

『ソ連は民主主義国家ではない。ソ連を支援しても民主主義の防衛にはならないし、アメリカには亡命してきた王家すらある。それらを同時に支援するというのであれば自己矛盾ではないのか? そもそも、ドイツと敵対する理由がどこにある?』

 

 と返される。

 本当にマスコミの全てが汚染されていたら、議会の罵り合いじみたディベートも封殺できたのだが、少数勢力とはいえ独立系メディアは存在しており、またレンドリース反対派と結託したこともあり徐々にではあるが国民の間にも「レンドリース不要論・不必要論」が浸透し始めていた。

 

 

 

 そして、ドイツがユダヤ人達を強制収容所に閉じ込め弾圧しているという事実、またドイツから脱出してきたユダヤ人の証言などからアメリカ国内のユダヤロビーを味方につけることは成功したが、あの小賢しい日本人が「ミントブルー宣言」などという仰々しいスタイルでアメリカでは当たり前の「信仰の自由」を宣言したこと、更にはソ連が行ったとされる聖職者の弾圧の内情が「その被害者たるロシア正教聖職者の証言」という形で流れ、保守系の福音派からも「ソ連への支援はいかがなものか?」という声が出てくる始末だ。

 法曹界も宗教界も……この時期のアメリカは多くの政府機関、アメリカ国内の民間シンクタンク、民間平和団体、宗教関連団体、出版社などが赤色勢力に乗っ取られてソ連の手先となっていたが、コミンテルンがとことん利用した”個人主義的な自由”こそが、今度は「ソ連支援を疑問視する個人の発言」を許したという訳である。

 実際、アメリカのピューリタン、いや福音派は世界のプロテスタントの中では非主流派、むしろ異端であり、正教徒たちに特に思い入れがある訳ではない。

 だが、同じキリスト教として宗教弾圧には過敏になるという物だ。もっとも、過敏になってこの程度なのがアメリカなのだが。

 

 加えて、ユダヤロビーを味方につけたのは、必ずしもメリットばかりではなかった。

 実際、史実でもこの時代のアメリカにはヘンリー・フォードを始め、反ユダヤ主義者がごまんといたのがまず一つ。

 そして、ルーズベルトが”ユダヤロビーと昵懇”という情報が流されたのと同時に流布されたのは、

 

 ”ソ連におけるユダヤ人の迫害の実態調査記録”

 

 だ。史実でも、スターリン自身が

 『ユダヤ主義などカニバリズム(=食人俗)の名残にすぎない』、『ボリシェヴィキはポグロムを組織して党内のユダヤ分子を片付ける』と発言しており、また大粛清の折には史実のヒトラーと同じく”ユダヤ人陰謀説”を持ち出し、ユダヤ系政治家だったカーメネフ、ヤキール、ソコリニコフ、ラデック、トロツキーを粛清している。

 無論、多くのロシア系ユダヤ人も粛清や強制移住(実質的な追放)の憂き目にあっている。

 日本ではあまり知られていないが、スターリンもその後釜のフルシチョフも、実は反ユダヤ主義者だ。

 そして、史実同様にそれらは”問題なく実行された”のだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、これらの相反する情報が一斉に流された。

 無論、狙っているのはアメリカの世論分断や数々の離間工作。

 そして、仕掛けたのはこの容赦のなさとやり口から考えて、英国諜報機関に間違いないだろう。

 ドイツに味方してるつもりはないだろうが、少しだけケベック州や北アイルランドの意趣返しをしてるような気がしなくもない。

 

 そして、ソ連の暗部を次々に白日に晒す杉浦千景の「ソ連の戦争犯罪レポート」に、おまけで内容が平和過ぎると評判の大島大使著の数々のドイツ満喫記などが複雑に重なってくる。

 アメリカンな赤色汚染マスゴミがいくら騒ごうが否定しようが報道しない自由を発動させようが、国境の向こうからラジオ放送に乗って、あるいは数々の紙媒体で嫌でも流れて来るのだ。

 

 政治的(あるいは物理的にも)力押しのごり押しではあるが、今はまだレンドリースは続けられている。

 だが、日に日にレンドリースへの疑問視や不満は積み重なるばかりだ。

 実際、最近は「レンドリースを中止して、その金額分減税しろ」なんて国民の声まで上がってくる始末だ。

 ルーズベルトから見てもアメリカの国内世論はしっちゃかめっちゃかであり、これでは……

 

「次の選挙がおぼつかぬか……」

 

 1944年の選挙まで2年を切っているのだ。

 

「必要なのは、誰の目にも明らかな”勝利”だ」

 

 例えば戦後アメリカは、「(アメリカが認定する)悪に撃ったトマホーク巡航ミサイルの数だけ大統領支持率が上がる」と言われていた時期がある。

 そして、この時代のアメリカはもっと顕著で、

 

 ”どこかの戦場で勝てば、大統領の支持率は上がる”

 

 のだ。それも面白いくらいに。

 アホみたいな話だが、アメリカ人という種族は”正義が勝つ”と普通に信じている。

 滅びの美学が大好きな日本人の発想である”勝てば官軍負ければ賊軍”、”勝ったやつが正義を名乗り歴史を作る”とは逆の発想なのだ。

 つまり、アメリカにとり勝利こそが正義の証明なのだ。

 だからこそ、ルーズベルトには”明確な勝利”が切実に必要だったのだ。

 ”現在のアメリカの行動こそが正義”である事を国民に知らしめる為に。

 だが、なりふり構わず戦争を仕掛ける訳にはいかない。

 大義名分がいる。

 

(ドゴールは協力するとは言っている)

 

「キング長官、やはりフランス本土上陸は無理か?」

 

「無謀です、プレジデント」

 

 合衆国艦隊司令長官にしてアメリカ海軍のトップになったアーノルド・キングが応える。

 

「やはり、攻めるとしたら西アフリカしかないか……キング長官、来年中にモロッコ上陸は可能かね?」

 

「その規模でしたら、確実に準備は間に合います」

 

 

 

 

 

 こうして、また歴史は動き出す。

 ただしそれは、見た目が史実と似ていようが、中身までそうとは限らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いや~、きっと米国では赤色の浸透工作を逆手に取る英独の工作員たちが嬉々としてカウンターインテリジェンスを行っていることでしょうw

実は英国系だけでなくドイツ系移民も多いですから。
そしてソ連は、決してユダヤ人問題でドイツの事を言えない件について。
マジに「どの口が言う?」ですよ。

実際、帝政ロシア時代からしょっちゅうポグロムとかやってましたからね、こいつら。
作中では政治家のみ名前を上げましたが、著名人だけ見ても粛清されたユダヤ人ってかなり多いんですよね。
しかも、戦後もフルシチョフとかもやってるし。

この世界線では、アメリカは確かに参戦するでしょうが……まあ、史実のようにはいかないでしょうね。

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第291話 アタック・ザ・グロズヌイ……の筈だったが、思わぬ展開に

カギとなるのはチェチェン人とイングーシ人。





 

 

 

 リスト元帥率いる”クバーニ方面軍”は、ビャチゴルスクを要塞化し、航空基地を併設すると同時に東進を続け、史実より僅かに遅れてナリチクを制圧。

 史実では1942年10月28日にドイツはナリチクを制圧するも、早速翌年の43年1月3日に赤軍に奪還されるという体たらくを見せていた。

 逆に言えば、もうそれだけ弱っていたのだ。

 実際、ナリチクに限らず、南方軍集団管轄領域でソ連に奪い返された都市は実に多い。

 

 だが、赤い同志諸君には残念なことに、この世界線でも同じことができる可能性は低いと言わざるを得ない。

 ドイツ本土に爆弾の雨が降ることもなく、無駄な戦闘で消耗もなく、日英との停戦が覆される気配もなく、周辺諸国との関係は良好であり、ドイツ本国と同盟国(除くベラルーシ)の生産力は右肩上がりであった。

 特にサンクトペテルブルグを筆頭に、バルト三国、ウクライナの復興が著しい。

 ポーランドはドイツに併合された西ポーランドはともかく、東ポーランドは亡命政府が英国より帰国し定着、ドイツの支援のもと”ポーランド共和国”として再独立、国際社会に復帰すべく鋭意復興中である。

 ただし、国境線をどうするかで少々もめているが。

 

 現在、最新の資料によればドイツとしてはケーニヒスベルク→ダンツィヒ→グラウデンツ(グルジョンツ)→ウッチ(この世界では改名されないようだ)→チェンストホヴァ(同じく改名されず)→カトヴィッツ(カトヴィツェ)のラインより西をドイツ領、それより東をポーランド共和国(ほぼ、ソ連の元被支配地域)として独立させるという方針を固めていた。

 無論、住民移動に関しては制限を設けるつもりはなかった(一度だけだが国籍選択の自由を与える予定だった)が、なんと同盟国(みうち)から反対が出てしまっている。

 例えば、ドイツとの直結路が断たれる形になるウクライナに直接北からの圧迫を受けることになるスロバキアだ。

 バルト三国の説得と了承は取り付けたし、直接国境を接する事になるベラルーシからの文句は上がっていないが、ノイラート外相も中々に苦労しているようではある。

 

 未だに共産ゲリコマとの戦いが続いているベラルーシはともかく、まあ他の地域は平穏とは言わないが大規模な軍事衝突はなく、ソ連との戦いに全力を傾注できているのが、今のドイツだ。

 レニングラードとムルマンスク、アルハンゲリスクという北方軍集団の管轄地域を陸海空の集中的戦力投入で、泥沼になる前にさっさと陥落させて統治と復興を開始、モスクワやスターリングラードで余計な労力を使わず、行うのも後処理も面倒な無駄で無意味な虐殺を律し、アフリカや地中海からも手を引き、インド洋への進出もせず、史実では占領していた国々も占領しなかったり、占領してもさっさと再独立させた。

 

 これだけやって生まれた余力をドイツは無駄にする気は無かった。

 ナリチクに続いてオルジョニキーゼ(ウラジカフカス)を攻略するのだった。

 

 しかし、この時点で……現在で言う”チェチェン共和国”に入った辺りで奇妙な風向きになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 チェチェンにはある意味においては有名な都市がある。

 ”グロズヌイ”と呼ばれる都市だ。

 そして、この街には実に”ソ連らしい”血腥さ漂うエピソードがある。

 元々、この街はクバーニ(クバン)コサックの土地だった。

 そして、例の”コサック根絶命令”の一環として、土地を追われ代わりに山岳民族であったチェチェン人とイングーシ人のグロズヌイへの移住を奨励し、1936年に”チェチェン・イングーシ自治共和国”が生まれる。

 だが、ソ連が”バグラチオン作戦”による大反攻を成功させた1944年、街に住んでいたチェチェン人とイングーシ人は、「ナチス・ドイツに協力した」という嫌疑で、グロズヌイを追放される。

 無論、ただの追放ではない。民族ごと強制移住であり、行き先はカザフスタンやシベリア。またその際に10,000人以上が虐殺された。

 更に市内のチェチェン人の居た痕跡は、内務人民委員部によって徹底的に抹消された。

 フィクションではない。厳然たる事実、”史実”だ。

 

 そしてこの世界線……グロズヌイは土地を追われたコサックにとり因縁の街であり、そして……

 

「我々のグロズヌイ侵攻を支援すると? チェチェン人とイングーシ人がか?」

 

 その報告を聞いたクバーニ方面軍司令官のリスト元帥は、かなり困惑していた。

 無論、こうなるに至った経緯はある。

 チェチェン人とイングーシ人の部族代表で極秘裏に行われた会合で、族長の一人がこう発言したのだ。

 

『ドイツ人に協力しようがしまいが、結局、我々は粛清されるのではないか? 彼らは敗北の責任を誰かに押し付けずにはいられないのだから。特にスターリンはそうだ』

 

 その会合で、”結果が同じなら、まだドイツ人に協力した方がマシなのでは?”という方向性が定まった。

 しかし、実際に鉄砲持って赤軍を襲うのではなく、あくまで「救援要請」を出し、間接支援を行う事により、その功績をもって現状の”チェチェン・イングーシ自治共和国”を安定させるという物だった。

 

 

 

***

 

 

 

 実はこの申し出は、ドイツ本国の意向にも合致していた。

 既にコーカサス油田の確保を優先戦略目標から外していたドイツではあるが、旧ソ連とグルジアを結ぶ黒海とカスピ海に挟まれた回廊”クバーニ”は、ソ連にとりいわゆる「殴られると痛い”やわらかい下っ腹”」になりかねない地域だった。

 

 実際、ドイツはかつて存在したクバーニ人民共和国の領土とほぼ同じ領土を元々の住人であるクバーニ・コサックを中心とした、黒海コサック、ドン・コサック、ウクライナ・コサックたちを戻し「反共親独コサック連合の国家樹立」を目指していたのだ。

 シュクロ将軍をはじめとするクバーニ・コサックをはじめ、各コサックたちは「確固たるコサックの安住の地」確保を目指してドイツに協力していた。

 だが、問題はカスピ海西岸に接する地区の統治だった。

 ソ連の”コサック根絶命令”のせいで、コサックたちの数はそう多くはない。例えば、有名のホロモドールの目的の一つが、「コサックの餓死」を狙ったものだという事も後年に公開された資料ではっきりしていた。他にも1919年2月から3月の1か月間だけで8千人以上のコサックが組織的に殺害され、1919年から1920年にかけて30~50万人のコサックが殺害または国外追放されたなどいう記録も残っている。

 そして、現在のコサック人口はその結果だ。

 

 その状況でのチェチェン人とイングーシ人からの申し出は、まさに渡りに船だった。

 無論、元々の住人であるコサックたちを説得する必要はあったが、彼らにしても広大過ぎる面積を統治するには人口が足りてない事を自覚しており、不承不承ながらもその決定に従う下地は整っていた。

 

 また、グロズヌイを要塞化できるメリットはドイツにも大きかった。

 例えば、この周辺に大規模な空軍基地を設営できれば、ペルシャ湾→イラン→カスピ海→ヴォルガ川と北上するレンドリースルートへのこの上ない圧迫となる。

 一例をあげれば、グロズヌイからレンドリース品の集積地や石油の備蓄・精錬基地のあるアストラハンまで400km程度しかないのだ。

 完全に遮断できなくとも、空爆と航空機雷による港湾封鎖で、かなりの効果が期待できる。

 

 故にリスト元帥が南方軍集団司令部と協議したうえで、OKHに最終判断を仰いだ返答を要約すれば……

 

「その申し出を受け、存分にやるがよい。新独の隣人が増えるは喜ばしき事」

 

 という指示が出たのも当然の成り行きであった。

 つまり、この時点でグロズヌイの陥落は決定したと言ってよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




またしてもソ連の悪行の結果、自業自得オチとなりましたw

そりゃまあ、チェチェン人とイングーシ人がどうしてグロズヌイに来たのか、そして前の住人であるコサックが誰によりどうなったのかを知ってれば、そりゃあね。

そして、この世界線のドイツは、史実のような国外の辺境部族に無理解なんて甘っちょろい存在ではないです。
入念かつ徹底的に情勢を事前調査した上で、侵攻を行いますから。
しかも情報源として申し分ない旧クバン・コサックが手元にあるんですから、そりゃあ情報入手も楽だった事でしょう。

この辺の地図がキチンと確定するのは、ソ連がどの程度力を落とすかによりけり……つまり、戦後かなと。

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第292話 ジングルベル(ロシア語)と車(旧チェコ)と銃(サンクトペテルブルグ製)と

サンクトペテルブルグには、随分と旧チェコ企業が進出してきてるみたいですよ?





 

 

 

Бубенцы(ジングルベル)♪ Бубенцы(ジングルベル)♪”

 

 日本人の耳には”ぶーげんちー♪”と聞こえるロシア語版の”ジングルベル”を歌う子供たちの声がそこかしこから聞こえる、あちこちが電飾で飾られたサンクトペテルブルグの街……

 

 その華やかな街を抜けて、俺ことフォン・クルスは郊外の射撃試験場に来ていた。

 まあ、クリスマス・イベント前の最後の仕事って奴だ。

 いやはや、囮で庁舎(冬宮殿)から運転手・これ見よがしなサイドカー座乗護衛付きのベンツのリムジンを走らせて、俺自身はアインザッツ君たち三人と一緒に愛車の一つ、シルバーのタトラT77aで出発だ。

 今が冬じゃなければ、”オペル・アドミラル”のコンパーチブルで走りたいとこだ。

 好みの問題だが、何となくだがベンツって公用車とか権威主義とかって感じがして、私有する気が起きないんだよな~。BMWはオサレ過ぎてハイドリヒみたいな伊達男なら様になるが、どうも俺っぽくないというか……どっちもいい車ではあるんだけど。

 なんで、俺の愛車はタトラのT77aとT87、オペル・アドミラルのコンパチと、シュコダ・スペルブ4000とかな。

 あと変わった所ではフランス車のシトロエン・トラクシオン15-Sixも所有してるぞ。

 まあ、複数所有してるのも、まあ旧チェコ企業とフランスからのは「サンクトペテルブルグに進出するにあたっての贈答(宣伝)」って感じだが、アドミラルのコンパチは趣味。条件はアインザッツ君たち三人乗っけて移動することもあるから四人乗れることかな?

 まあ、複数持ってる車をとっかえひっかえ乗ってるってのは一応、理由がある。

 

 そんな面倒臭いことしてるのは、シェレンベルクによれば「サンクトペテルブルグの警戒レベルを引き上げてるから、そのために必要な処置」であるらしい。

 何でも、クリスマス・イベントのバルト海周辺王国の代表が来るし、しかも来年に赤軍のサンクトペテルブルグ(正確にはノブゴロドだが)に対する大攻勢もあるから、不穏分子やら潜り込んだ工作員やらが活性化してるらしい。

 んでもって治安担当の憲兵やら自警団だけでなく、防諜のNSRも年末商戦真っ青の大忙しらしくてな。

 

 そこで囮のベンツを走らせた上で、俺はその日の気分で選んだ車で移動してるってわけ。

 しかもこの車たち、仕掛け爆弾のチェックもかねてNSRの息のかかった整備士たちにメンテしてもらってる。まったく頭が下がるよ。

 

 ついでと言ってはなんだけど、これらの俺の私有車には外からわからないようにMP40短機関銃(サブマシンガン)やらウィンチェスターM12銃身切り詰めた散弾銃(ソウドオフ・ショットガン)やらを積んでいる。

 俺も一応、銃は使えるし、アインザッツ君たち三人も、銃を使える……というか、護衛としての訓練も受けているらしい。

 一応、腕前を見させてもらったが、中々の物だった。

 偶に血の匂いをさせているような気がしていたが、まあ、そう言う事なんだろう。ベッドの中では可愛く()くだけなんだが……差し詰め愛玩用にもなる小さな猛獣ってとこか? ネコ科かイヌ科かは知らんが。

 

 

 

***

 

 

 

「何とか量産が間に合いそうで良かった」

 

 俺は安堵の息を漏らす。

 同じく安堵した表情のサンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)の総司令官のウラソフ、ノブゴロド防衛司令官のヴァトゥーチン、トルーヒンにブニャチェンコの将軍格の重鎮をはじめとする今回の”先行量産モデル”の試射会に参加したサンクトペテルブルグの防衛を担う面々……

 

 彼らの前には、いくつかの武装が並んでいた。

 一つは、ソ連のDP28軽機関銃を元に開発された”ZM42(Zug Maschinengewehr 42:42年式小隊用機関銃)”だ。

 イメージ的には前世の戦後すぐに生まれた”RP46軽機関銃”だ。

 とはいえ、中身は割と違うかもしれない。

 動作方式はRP46と同じくガス圧作動のロッキングブロック式、給弾装置回りもだが、使用弾は当然のように7.92㎜×57(8㎜マウザー弾)+ドイツ軍標準の非分離式ベルトリンク給弾だ。

 当初はMG34用のサドルマガジンを流用する予定だったが、あれを使おうとすると設計が面倒になるので、結局は100連ないし200連発メタルベルトリンクが納められる給弾ボックスを製造し、本体下部に取り付けられるようにした。

 また、7.92㎜用の銃身をわざわざ開発するのも阿保らしいので、銃身交換システムごとZB30軽機関銃のバレルのパテントを買い、それをライセンス生産することにした。

 つまり、ZM43軽機関銃は、ドイツ軍でも分隊支援火器(分隊用機関銃)として採用されているZB30と銃身互換性があるのだ。

 

 まあ、使用弾の変更やら何やらあったから、少々開発に時間がかかってしまったが、実は業務提携している今は民営化している元国営工廠、旧チェコのブルーノ社の技術協力もあり、何とか完成に漕ぎつけることができたってわけだ。

 別に彼らも善意の協力ってわけではなく、ベルト給弾機構なんかのデータをとってたし、現物も持って帰ったから、そのうち製品に反映させるだろう。

 お次は、

 

「並行開発してて良かったぜ……」

 

 手に取るのは”TM43(Truppen Maschinengewehr 43:43年式分隊用機関銃)”、ぶっちゃけ前世の”RPK”の7.92㎜×33(8㎜クルツ弾)仕様だな。

 前に触れたAG43の対になる機関銃……ってより、AG43の銃身をバイポット付きのヘヴィロングバレルに交換して、ショルダーストックを両手保持できるようにした軽機関銃仕様って奴だ。

 分隊ごとにZM43軽機関銃を配備するのは無理だから、その穴埋めだな。元々、AG43はオリジナルRPKと同じ肉厚のプレス材を使ってレシーバーを使ってるから、レシーバーもそのままAG43のを流用できるので生産性が高い。

 まあ元ネタのRPKならロングマガジンやらドラムマガジンでも用意するとこだが、ぶっちゃけそれを作る手間考えるなら、StG42/AG43共用の弾倉を多く生産して余分に持たせた方がいい。

 どうせ1㎜の鉄板プレス加工して大量生産できるわけだし。

 

「狙撃銃も、まあ必要数は揃いそうだな」

 

 グリップを、旧チェコ製のZH29半自動小銃を改造した半自動狙撃銃”SG43(Scharfschützen Gewehr 43:43年式狙撃銃)”だ。

 とは言っても、ZH29のバイポット付きヘヴィロングバレル仕様のストック無しスコープマウント装着用の溝有りモデルをチェスカー・ズブロヨフカ社より購入して、ドラグノフ狙撃銃タイプのストックとZF39規格の4倍スコープを装着したモデルだ。

 ちょっと面白いのは、今生の場合、確かにツァイス社が軍に納品した”ZF39”という4倍の光学照準器はあるのだが、必要数からツァイス社の生産だけでは要求数に足りないので、軍はこのZF39を規格化、倍率・サイズ・スコープマウントまで含めて”ZF39規格”とし、各光学機器メーカーに発注したって経緯がある。

 そのおかげで42年現在は多少、ZF39規格のスコープは生産に余裕があり、こうしてサンクトペテルブルグでも納品できたという訳だ。

 

 他に新型装備としては、”PAG43(Panzer Abwehr Granatwerfer 43:43年式対戦車擲弾発射機)”なんてのもある。

 こいつは前世のRPG-7ではなく、その前身のRPG-2に近い個人携行型の対戦車兵装だ。

 実は対戦車擲弾部分自体はドイツ軍で急速に配備が進んでいるパンツァーファウストと同じで、弾頭部分の後方に発射薬が詰め込まれたカートリッジが装着される。

 パンツァーファウストは基本的に使い捨てだったパイプ部分は、保持グリップ、発射薬への点火装置、照準器、弾頭ストッパーがついたちゃんとした発射筒として作られている。

 要するにパンツァーファウストの使い捨て部分を繰り返し使えるようにした武器ってイメージしてもらえればいい。

 

 とまあ、”俺の知ってる歴史”の「ちょっと未来の赤軍兵装」で今回再現できたのは、ここまでだ。

 

 

 対装甲/長距離狙撃に使えるってんなら他にも14.5㎜×114弾を使う”デグチャレフPTRD1941”や”シモノフPTRS1941”とかもあるが、現在、サンクトペテルブルグで現在量産してるのは前者の”デグチャレフPTRD1941”だけだ。

 ”シモノフPTRS1941”は5連発弾倉のセミオートって手の込んだ設計のせいか、重く命中精度があまり良くない。それに機械的熟成がイマイチなので、作動がやや不安定だ。

 それだったら手動単発でも5kgも軽く、動作確実で命中精度もマシな”デグチャレフPTRD1941”に生産を絞った方が良い。現在、コイツにドイツ本国から持ってきた8倍のスコープを頑丈なマウントを介して取り付けている。

 実際、元は対装甲ライフルと言ってもソ連の戦車相手じゃ14.5㎜弾程度の威力で壊せる部分は限られてるから、基本的には精密狙撃になるんだよ。

 正直、”シモノフPTRS1941”の設計を洗練させたセミオートの長距離狙撃銃(バレットみたいのとか)とかも作ってみたいが……まあ、時間はかかるだろうな。

 

 他に従来型の歩兵用の兵器、DShK38/12.7㎜重機関銃は戦車用だけでなく地上設置型もそこそこ数は揃っている。PM-38/120㎜重迫撃砲、GVPM-38/107㎜迫撃砲、BM-37/82㎜迫撃砲、RM-38&RM-41/50㎜軽迫撃砲なんかもドイツ軍やその他の納品分を抜いても必要数は揃うはずだ。

 少々火力バカの傾向があるが、寡兵で大軍を討つには、それなりの手順を踏む必要がある。

 

(まあ、他にも色々仕込みはする必要はあるが……)

 

 

 

***

 

 

 

 無論、これをそれなりにまとまった数を作ったからといって戦況が有利になるなんて思っちゃいない。

 戦場において、武器の優劣は「わかりやすい指標」ではあっても「絶対的な指標」ではない。

 正直に言えば、数の差を質や性能の差だけで覆すのは難しいんだ。

 

 だが、最初から数的劣勢がわかっているのなら、それを承知に対処してみせるのが、トップとしての腕の見せ所だ。

 

(ある意味、ソチからの亡命組は僥倖だったな……)

 

 ありがたいのは、軍人や新規志願兵が少なく見積もって3万、最大で5万人ほど増えそうなことだ。

 このタイミングでそれは助かる。

 ソチ組をいきなり前線に出すことはできないが、訓練や再編を行いながらのサンクトペテルブルグ駐留部隊として考えれば、来年の春……おそらく赤軍が攻め寄せてくる頃には計算上、最低でもノブゴロド防衛に15万人以上のサンクトペテルブルグ市民軍(ミリシャ)を貼り付けておくことができる。

 これもただの15万ではない。”純粋な戦闘部隊としての15万”だ。

 兵站、補給線の維持や後方支援をバルト三国義勇兵団(リガ・ミリティア)に丸投げできるのがサンクトペテルブルグの強みだ。

 サンクトペテルブルグ・ミリシャとリガ・ミリティアを合計すれば、その戦力は倍加すると言っていい。

 

 また、リガ・ミリティアはトート機関との共同土木ミッションで工兵隊としての腕前をめきめきと上げているから、ノブゴロドの要塞としての機能強化や改良・改造にも現在進行形で大活躍してくれている。

 加えて、イリメニ湖やヴォルホフ川の”治水工事(・・・・)”も担ってもらってるしな。

 

(本来なら、ダムと水力発電所でも作りたいところだが……)

 

 今は戦時だ仕方あるまい。

 

「それに何も我々だけで迎え撃つわけでは無いからな」

 

「猊下、何かおっしゃいましたでしょうか?」

 

「大したことじゃないさ、ウラソフ()。ただ、我らが街を守る為に打てる手はまだまだあると思い返していただけさ」

 

 まあ、今日の試射会もその一環、ミリシャの首脳陣に配下がどんな新兵器を使うのかを確認してもらうってのが本来の意図なわけだし。

 

「御意に。正義と勝利は蒼き聖なる花十字の御旗の元。全ては枢機卿猊下の御心のままに」

 

 いや~、ウラソフ君や。満面の笑みで返してくれる所申し訳ないが、海外ではウチは”蒼き聖なる花十字軍(ミントブルー・クルセイダース)”とかふざけた名前が広がってるけど、あくまで十字軍じゃなくてその本質は市民軍だからね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、クリスマス間近で来年春の防衛線の準備に余念のないサンクトペテルブルグでした。

そして、サンクトペテルブルグ製の兵器類はほぼ「違う世界線(史実)の50~60年のソ連兵器。使用弾はドイツ系アレンジ」という感じでw

ともあれ、ソ連の春季攻勢への準備は着々と進んでるみたいですよ?

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第293話 大戦後半を見据えて、技術的穴埋めでもするとしようか

クルスの少年愛発言(?)に思ったより換装蘭の反応があってビックリw
実際にヤッたヤらないかは皆々様のご想像にお任せするとして……そもそもこの男(クルス)、性欲とか肉欲とか、そういう情動的なもん残ってるんかな?

そんな訳で(どんな訳だ?)、今回はドイツでは主流から外れた開発を穴埋めしようというエピソードです。






 

 

 

 ああ、フォン・クルスだ。

 もうクリスマスまで1週間、3日後にはバルト海沿岸諸国のお偉いさんがやって来る。

 まあ、冬宮殿もクリスマスの装いにしたし、宮殿前の広場にはモミの木が設置され、電飾も終わり、お約束の天辺の星も飾り付けた。

 ゲストルームもクリスマスコーデで準備万端。

 NSRに依頼した給仕チームも到着し、セキュリティチェックを兼ねてあちこちを見回って当日の段取りを確認。

 陣頭指揮をとってくれているアインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君の三人が実に頼もしい。

 

 さて、対する俺は大公位授与式の段取りの確認も終わり、クリスマス・スピーチの原稿も仕上がった。

 そして現在、シェレンベルクに推敲してもらってるんだが……

 

「これでよろしいのでは? 一応、写しはハイドリヒ長官に送っておきますが」

 

「頼む」

 

 こういう時、電子メールのありがたさが身に染みるぜ。

 それはさておき、

 

「シェレンベルク、今の俺の権限で、ドイツ本国から技術者を指定しての招聘は可能か?」

 

「それはできると思いますが……誰を?」

 

「”ハンゲルグ・フォン・オハイン(・・・・)”。ジェットエンジンの専門家だ」

 

「? またどうしてジェットの技術者を? まさかとは思いますが……サンクトペテルブルグでジェットの開発を?」

 

 俺は頷きながら、

 

「ああ。一応、研究ぐらいは進めておこうと思ってな」

 

 いや、俺に回ってくる外交文章を読む限り、どうやら米国の本格参戦が近そうなのは明白だ。

 で、連中の切り札は空母機動部隊か戦略爆撃機ってとこだろう。

 いずれにせよ、空からの脅威に対する備え、防空能力の強化はしておくに越したことはない。

 

(海からサンクトペテルブルグを攻められるのなら、その時はドイツ本国は陥落してるだろうし)

 

 だが、戦略爆撃機はアイルランドからでもソ連領からでもやろうと思えば飛んでこられる。

 

「ところで、なぜにオハイン技師を? 私の記憶が正しければ、確かハインケル社のエンジン技師だったはずですが?」

 

「ああ、それな。オハインは”遠心圧縮式(・・・・・)ターボジェット”の専門家なんだよ」

 

 少し説明しておくと、ジェットエンジンってのは大きく遠心圧縮式と軸流圧縮式の二つがある。

 この辺を詳しく書くと専門的になり過ぎるきらいがあるが……遠心圧縮式の方が構造が単純で実用化が早かった(実際、世界最初のジェットエンジンは遠心圧縮式だった)が、構造的に大型化や多段圧縮化(つまり、高出力化)が難しく、かなり早い段階(50年代)で発展的限界を迎えてしまった。

 

 軸流圧縮式は、逆に構造が複雑だが多段化・大型化・高出力化がしやすくジェットエンジンの主流になったってわけ。

 実はジェットエンジン開発黎明期、つまりこの時代既に二つの方式の将来性の明確な差は予見されていて、史実のドイツでは開発のベースが軸流圧縮式で固定されていた。

 

 もうちょっと詳しく書くと、今生でも最初の遠心圧縮式ジェットエンジンの特許を取ったのは英国軍人のホイットル(ちなみに軸流圧縮式ジェットエンジンの理論構築をしたのも英国軍人のグリフィスだった)で、しかもその特許は機密指定されなかったので、それを目にして遠心圧縮式ジェットエンジンの特許をドイツで出したのが、当時は工学大学院生だったオハインだ。

 その後、オハインはハインケル社と契約し、技術実証エンジンの”H-1”を作り上げ、そして人類初の実用ジェットエンジンである”HeS3”へと繋がっていく。

 余談ではあるが、史実ではハインケルへのナチ党の悪感情により、「人類最初の実用ジェット機”He178”の初飛行」は発表されなかったが、何度か話した通りに、今生ではハインケル社は冷遇されておらず、むしろ優遇されている。

 故に「世界最初の実用ジェット機の初飛行」は、国威発揚も兼ねて大々的に行なわれていた。

 史実と同じ1939年8月27日、ポーランド侵攻直前の話だった。

 

 

 

***

 

 

 

 ハインケル社はその後、世界初の実用ジェット戦闘機He280とそのエンジンである遠心圧縮式の”HeS8”を開発し、既に配備させてはいるが……正直、エンジンのパワー不足も相まって性能的には昨今の高性能化著しいレシプロ戦闘機と比べて、特に優位性はないというのが実情で、結局は少数生産に留まるだろうとシュペーア君も言っていた。

 

 そして、ハインケル社自身も遠心圧縮式に行き詰まりを感じて見切りをつけ、開発を軸流圧縮式ジェットの”HeS30”に切り替えている。

 

(そう言う訳で、オハインは手が空いてるはずなんだよな……)

 

 そして、俺はまだ遠心圧縮式ジェットが技術的限界に達してないことを知っている。

 

(クリーモフ”VK-1”……)

 

 前世のソ連が、ロールスロイス社の遠心圧縮式ジェット”ニーン”を無許可コピーして作り上げたエンジンだ。

 もっとも、これは最新のエンジンを「ソ連との関係改善」を理由にホイホイくれてやった英国の労働党政権(アトリー政権)も悪いのだが。

 英国の労働党政権はガチアカだからな~。

 

(そして、俺はそのレッドコピーをよく知っている)

 

 正確には原型の”ニーン”や”ダーウェントMk.V ”もだ。

 

「ドイツ本国の主流は軸流圧縮式ジェットだろ? なら遠心圧縮式ジェットのマイスター連中は動かせるんじゃないかってな」

 

「作るんですね? サンクトペテルブルグのジェット機を」

 

「まあ、とりあえずは迎撃機を考えている」

 

(なら、タンク博士にも声をかけてみるべきか?)

 

 ”アレ”の原型になった”Ta183”の設計者なわけだし。

 

「わかりました。ハイドリヒ長官に話を通しておきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 後日……

 

 

 

「”MiG-15”作るんだって?」

 

 会うなりいきなりそれかい、ハイドリヒ。

 いや、何を作るのかモロバレだし。

 

「正確には、”bis”の方な」

 

 あるいは測距レーダー積んだ限定的全天候型の”MiG-15P”。

 

「良いだろう。調整はNSR(こっち)とトート博士で行うから、準備しておいてくれ。他にも必要な人材やら素材やら機材やらあれば伝えてくれ。可能な限り手配する」

 

 まあ、実際にそりゃ助かるな。

 

「ハイドリヒ、もしかしてドイツ式ジェットの保険とか考えてるのか? もしかして、軸流圧縮式ジェットが上手くいってないのか?」

 

「お前の知ってる歴史よりは多分、多少はマシとだけ言っておこう。Jumo004Bの実用型は完成しているし、004Dまではまあ44年までに量産体制に入れるだろう。だが、2軸構造を取り入れた004Hやその先のJumo012となってくると怪しいな。ハインケルの方はHeS30は既に量産体制に入ってる。HeS011は多分、、戦争に間に合うといった進捗状況かな?」

 

 あー、なるほど。

 確かにそれなら保険の一つも欲しくなるな。

 

「了解した。Ta152Hの開発が終わって少しは暇になって、来れるようならタンク博士をサンクトペテルブルグ入りできるように頼めるか? 無理なら無理で構わん」

 

 MiG-15の概略図は頭の中にあるが、それを正式な設計図として昇華させるには、やはり専門家の手を借りたい。

 

「心得た」

 

 まあ、今生においては英国から黎明期の遠心圧縮式ジェットエンジン”ハルフォードH-1(デ・ハビランド ゴブリン)”が戦時中に……英米の関係が修復されない限りアメリカに渡ることもないだろう。

 というか、むしろ日本皇国に渡ってる可能性が高い。

 遠心圧縮式にしろ軸流圧縮式にしろ、少なくとも現在は英国が米国のジェット関連技術を圧倒している。

 ジェットの先進国は、遠心圧縮式なら英国、軸流圧縮式ならドイツが世界をリードしてるのは間違いない。

 そして、その2国から技術供与や技術強奪を行えないだろう米ソは、おそらくジェット開発が俺の知っている歴史よりは遅れるはずだ。

 日本皇国は……正直、元母国でも実はここが一番わからん。

 ドイツから開発が中止されたBMW003、英国から時期的に考えてハルフォードH-1……だが、独自でも開発しているだろう。

 間違いなく転生者は暗躍すると思うが……

 

(なんにせよ、今は米ソに対するジェットのアドバンテージをとことん活用するとしよう)

 

 この戦争、負けるわけにはいかんしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クルス:「遠心圧縮式ジェット、ドイツで作らんのならサンクトペテルブルグで作ればえええやん。ついでにMiG-15モドキ作ったろ。あれの原型、ロシア人が何を言おうとTa183だし」

という感じで、サンクトペテルブルグでTa183という名前のMiG-15が生まれそうですw
時期的には大戦末期かな?
ぶっちゃけアメリカの参戦が濃厚になってきたから、B-29対策かな?
HeS8を搭載したHe280は実はこの時点でも少数ながら実戦配備(ジェット機の試験運用とノウハウ習得を兼ねてますが)が始まってますし、Jumo004系にエンジンを絞ったMe262も純粋な戦闘機として開発されるでしょう。
それもより史実より凶悪な感じで。
誘導弾の類も当然開発されるでしょうが……それだけで十分と思えるほどクルスは状況を甘く考えてませんからね~。
本気で全面戦争となれば、どんな状況からでも盤面をひっくり返しかねない米国の恐ろしさよ。

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第294話 1942年12月24日、サンクトペテルブルグにて(大公位授与式、ロマノフの残滓)

ようやくクリイベ(?)の開始です。





 

 

 

 サンクトペテルブルグにおけるクリスマスの準備は整った。

 街はまるで戦争を忘れたかのように煌びやかに飾り付けられ、冬宮殿前の広場には天辺に金色の星を頂いた大きなモミの木が電飾に輝き市民の憩いとなっている。

 なんかその姿は、”アレクサンドルの円柱”と高さを競ってるようにも見えた。来年はアレクサンドルの円柱にもクリスマス・デコレーションしてみるか?

 

 クリスマス・1週間前より、サンクトペテルブルグのあちこちには市がたち、元気に走り回る子供たちの笑い声やそれを優しく見守る親たち、あるいは将来そうなりたいと微笑む恋人たちにあふれていた。

 

 そこには戦争の暗い影がなく、一時とはいえ戦争の憂いを忘れられればそれで良いと俺は思っている。

 ああ、フォン・クルスだ。

 

 ”バルト海条約機構(Baltische Vertrags Organisation:BVO)”の王国有志連合の使節団は既に到着している。

 まあ、かつての栄華を万全と言えないまでも何とかそれなりに見栄えがするように取り脅したゲストルームは、それなりに満足してもらえたようだ。

 ロシア革命の後、腐れボリシェヴィキの阿呆共は、この宮殿を”エルミタージュ美術館”とかして使ってたから、略奪の限りを尽くされた四大聖堂とかに比べれば保全状態はマシだったとはいえ、やっぱり内部はお世辞にも褒められた状態じゃなかったからな。

 

 そして意外なことにNSRから派遣されてきた給仕をはじめとするホテルスタッフ(?)は意外と言っては失礼だが、かなり優秀だった。

 本当の五つ星ホテルに比べると分からないが、少なくとも高級ホテルになれた上流階級のお歴々から不満や苦情が来るようなサービスにはなっていない。

 ついでに美術館として利用されていた冬宮殿のメリットを生かして、空き時間に見学ツアー(?)を開催してみたが、これが思ったより好評だった。

 まあ、確かに如何にハイソな方々でもロマノフ王朝時代の美術収集品、例えば”インペリアル・イースター・エッグ”なんかをじかに目にする機会はそうそうないだろうしな。

 

 

 

 

***

 

 

 

 そして、そんなこんなでクリスマス・イブ……1942年12月24日の夜にクリスマス・イベントが始まる。

 場所は冬宮殿の中ではなく、宮殿をバックにした宮殿広場の特設ステージ。

 俺の大公位(=Erzherzog)授与式は、サンクトペテルブルグ市民有志オーケストラ(ありがたいことに予想を上回る応募があり、大々的にオーディションを行ったのはご愛嬌)が奏でるバッハのカンタータ第61番”いざ来ませ、異邦人の救い主よ”の中、厳かに始まった。

 いや、この曲のタイトルって……深くはつっこむまい。

 

 本来なら貴族の任命式はその国の王族がってことなんだろうが、ドイツには既にそういうのは居ないので、王家連名の名代としてその……スウェーデンの王子様がその役割を担った。

 いや、これいいのか?

 

 ついで言うと、最初は主に政治的意図を含めてロマノフ家の生き残りにその役目(プレゼンターか?)の依頼がいったらしいが……見事に断られたらしい。

 さもありなんだ。

 前世の名前だとウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフとアンドレイ・ウラジーミロヴィチあたりだろう。

 ウラジーミルの方は、戦時中に亡命ロシア人の御旗としてドイツの味方に付くように要請されたが「ドイツへの協力は帝政ロシアの復活に繋がらない」という理由で協力を拒んだ。

 アンドレイの方は、ロシア革命が起こるとすぐさま国外逃亡し、国外にいる愛人の元へ逃げ込んだ男だ。

 ちなみにこの2人に関係しているのが”ムラドロッシ”という組織で、「帝政ロシア(君主制ロシア)とソ連の現政権のハイブリッド」を目指すという中々に脳味噌お花畑の集団だ。

 ちなみにウラジーミルの死んだ親父のキリルがその首魁で、アンドレイは本人は政治的目論見はなかったが、愛人との間にできた息子がムラドロッシに入り親ソ発言を繰り返し投獄されたって経緯がある。

 ちなみにアンドレイの兄が、ウラジーミルの父のキリルで、この二人は叔父と甥という関係にある。

 

 ちなみに「君主制と共産主義の融合を目指す」というお題目亡命ロシア人組織”ムラドロッシ”ってのは、今生でも存在するが……まあ、ソ連の工作員の温床になりやすいのでNSR(国家保安情報部)の要監視対象組織になってはいるが、基本的にドイツ政府のみならず白系ロシア人組織からも相手にされていない。まあ、本人たちは他の亡命ロシア人組織と距離を置いてるつもりらしいが、基本的には飼い殺し状態だ。

 本来なら独ソ戦開始前に組織ごとソ連に送還しても良いくらいだが、それをしないってことは何か別の使い道があるのだろう。

 

(工作員ホイホイとかな)

 

 ただ……

 

『ふむ。これでロマノフ家は周辺諸国の信用も信頼も完全に失墜したな』

 

 そうやけに楽しげに事の顛末を語るハイドリヒの顔が印象に残る。

 というか、言い回しからして断られる事を前提……というか、むしろ「断られる」という実績が欲しかったんじゃないだろうかね?

 実際、ロマノフ家の復権だのなんだのってのは、ドイツにとってはあまりメリットがないんだよな。ドイツ勢力圏在住のロマノフの家系って今生でも前世と同じく”ムラドロッシ”と関わってるし。

 ”ムラドロッシ”以外の白系ロシア人組織ってのは基本的に最終目的が「帝政ロシアの復活」だけど、その前提に「共産党打倒」や「祖国奪還」が入ってくる。

 共産党との融和を夢見る”ムラドロッシ”とは根本的に合わないんだよ。

 それが可能かは別にして彼らにしてみれば、「共産主義者を打倒さえすれば、ロマノフ家は自分たちになびく」と思っているのだろう。

 そしてドイツは別にロマノフ王朝の復活を望んでる訳じゃない。

 

(欲しいのは、旧帝政ロシア領土を管理できる人材ってことだろうし)

 

 つまり、別に統治さえできるのならロマノフである必要はない訳だ。

 だからこそ、俺がここに居るって訳だ。

 

 実際、特定の思考でも無い限り、大衆にとっては「食わせてくれる頭目」が一番偉いわけだし、食わせてくれるならそれを受け入れる。

 逆に食わせてくれない為政者は見限られる。

 ロシア革命だろうがフランス革命だろうが、その本質は国民の腹を満たせなくなったって事にその原点がある。

 自分が食うに食えないのに、上流階級が贅沢三昧している……少なくとも大衆にそう信じ込ませる事が出来たら革命は起きるのだ。

 要するに鬱屈した憎悪やら憤懣やらのはけ口として革命は起こる。

 分かり易い例はフランス国歌”ラ・マルセイエーズ”だ。あれなんて”貴族を殺して畑の肥やしにしてしまえ”だぞ?

 悪いが、1世紀前の日本皇国が英仏を天秤にかけて英国と手を結ぶのはそりゃそうよ。

 当時の日本人だって、革命勢力のヤバさは理解したはずだ。

 

 おそらく、ドイツにせよ周辺国にせよ、俺を大公に据えるってのは、「食わせられる側の統治者」と判断できたからだ。

 確かにサンクトペテルブルグ市民を飢えさせる気は無いし、なんなら俺の大したことはない全知全能をそこに全て振り分けてもいい。

 まあ、そこまでしなくとも部下に恵まれたせいでそれなりに上手く回ってはいるがね。

 

 あと為政者、大公を肩書として名乗る以上、「市民の生命と財産」を守るのに全力を尽くすのは当然だ。

 自分たちを守ってくれない領主など見限って当然だ。

 そもそも税を徴収する大義名分の一つが「安全保障」だ。

 金だけ巻き上げて市民の安全を保障しない貴族なんざ淘汰されて当然だろう。

 

 だからこそ、俺はギロチンだの蜂の巣だのになった王侯貴族達の二の轍を踏むわけにはいかない。

 心しろよ、俺。

 

 総督だの、枢機卿だの、大公だのともてはやされたところで、結局は市民の同意が無ければ何もできないのが為政者ってもんだ。

 そして、俺は結局は何処まで行っても宮仕えだ。

 宮仕えであることを逃げ道や口実に使うな。

 俺は正しく公僕なんだと言おうことを忘れるな。

 

 俺あっての市民じゃない。

 市民あっての俺だ。

 

 命を軽んじるな。民を軽んじるな。

 

 それを忘れ驕れば待っているのは破滅だけだ。

 事は俺が破滅するだけじゃすまない。多くの市民を巻き込むんだ。

 手段よりも結果を優先しろ。

 求められるのは、血の高貴さでも高尚な魂の在り方でもない。物事を成し遂げられるのにどんな手段も使うマキャベリストだ。

 

 クリスマス・イブの雪の夜、俺は大公位を示す”バルト大公位勲章”を授かりながら、改めて気を引き締めなおす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、この章のラストイベントの始まりです。
ロマノフの残滓(ドイツ在住組)の顛末は「復権の可能性の喪失」ですw
まあ、「共産主義と共存して君主制復活」なんてお花畑な理想掲げる”ムラドロッシ”と関わっているロマノフの傍流なんて、ドイツ的には復権させる価値はないですからね~w
特にヒトラーは、「理想ばかりで現実見ない人間」は嫌いそうですから。

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あと、ちょっとご報告なのですが……
この先、かなり執筆が遅れると思います。
実は、ちょっとリアルの仕事関係で色々あり、年末進行なども重なるのであまり執筆時間が取れそうもありません。

なので、更新がこれまでに比べてかなりゆっくりになりそうなのですが、気長にお待ちいただければ幸いです。




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