無知で無垢な銃乙女は迷宮街で華開く (ねをんゆう)
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0.生まれ出る悪龍

海洋に面した岸線、ただ広い砂浜の背後に広がる緑一色の草原地帯と大森林。時期によっては観光客が馬車に揺られながら楽しむほどに自然豊かなこの場所は、しかし今現在、この地上において1.2を争うほどには荒れていた。

沿岸に建造された巨大な円形の白街壁はこれ程に離れていても目視は容易いが、常程に心を高めてくれた活気や華やかさは今は感じられず、普段は資材を積んだ木船が数多く往来している様なその海路にも、今日この日ばかりは小船一隻すら見当たらない。

水を跳ね、砂が舞い、多くの人間の決死の叫声が聞こえると共に、夥しい量の赤と黒が、美しかった景色を汚していく。青と白と緑しか無かった美しい世界が、徐々に醜い姿へと変えられていく。

 

――戦場、ここは戦場だ。

 

しかしそれは人と人との戦では無い。

人同士の戦など、つい300年程前に終演した。

今ここにあるのは、人と、龍との、殺し合い。

 

「ちっくしょうが!!なんだってんだコイツ等!!」

 

「クロノスさん!これはどうすれば……!」

 

「バルク!ラフォーレを守れ!ラフォーレ!お前は……!」

 

「指示など要らん、さっさと哭け愚図」

 

「ッ変わらず口悪ぃな!!挑発!!」

 

色黒の大男が獣人の青年と灰髪の女性に向けて指示を出しつつ剣を振るう。自身の腰に付けた石板に手を向け、嵌め込まれた透明な宝石を力強く叩きながら"挑発"と叫べば、瞬間、彼の身体から放たれるのは突風の様な軽い衝撃。

砂粒を僅かに飛ばす様なそれは、しかし驚異的な速度で海岸線を走る黒色の小さな生物達の足を一瞬だけ止め、なによりその赤の瞳に己を映し出すための強制力を与える。

 

『『『キィィィイイイッッ!!!!!』』』

 

「ぬぁぁあ!!気ッ持ち悪ィイ!!ほんとにコイツ等も龍種なのかよ!ラフォーレ!!」

 

「いいから走れ木偶の坊、私に構いながら行動を起こせるほど出来の良い頭は持っていないだろう」

 

「テメェマジでいい加減にしろよ!ぬぐわぁ!?」

 

「ね、姉さん……」

 

鱗一つ無く光沢を持った皮膚に特殊な粘液を纏った、龍種としての要素を顔面の形程度にしか残していない翼無しの小型生物。そしてその大群勢。

砂浜から突如として湧き出したそんな異形達は四つ足で砂の上を粘液で汚しながら縦横無尽に走り回り、狙った人間の臓物を鋭い歯と発達した顎で食い破ろうと狙いを定める。

総数は目で数えただけでも千は超え、臓物を貪られ既に死した勇者達の体内に粘液混じりの白の卵を幾つも植え付けているその姿は、戦う者達の戦意をも大きく抉り取った。見ているだけでも抵抗感を抱いてしまう様な姿と習性、吐き気を催してしまう者はとても多い。

そしてそんな輩を挑発で自分自身に意図的に引きつけた益荒男に浴びせられるのは、信じられないといった視線や、肩を並べて戦う女の罵倒だけでは物足りないだろう。

ラフォーレと呼ばれた灰髪の女が、20数もの小龍達に迫られながら身体中を粘液と血に塗れさせている男に対して杖を向ける。どうせいつもの事だ、耐火性能の防具が多少破けていた所で大きな問題にはなるまい。

そんな笑ってしまう程に軽い気持ちで、近付いてくる小龍たちを蹴り付けながら、足に付着した粘液を砂に塗りたくりつつも、彼女はその黒色の大杖にあまりに濃密な魔力を込める。

 

「【炎弾】」

 

手を当てる、腰の石板に。

指で弾く、嵌め込まれた3つの赤色の宝石のうちの一つを。

言葉は一言、しかしそれは詠唱ではない。

詠唱など必要ない。

生まれに左右される事のないスフィアによる魔法の行使は、ただ指先で触れればそれで十分だった。

 

『『『ピギィィイイィィイ!?!?!?!?』』』

 

いくつもの巨大な火球が飛来し、弾けた。

彼女が指で宝石を弾くほどに人間大の炎の弾が女の周囲に姿を表し、次から次へと逃げる空間すら与えない様に小龍達を焼き払っていく。

……その小龍に群がられていた大男までも含めて。

 

「熱ぃっっ!?待て待て待てってラフォーレ!焼ける!俺まで焼けっから!!」

 

「都合良く近くに水辺があるだろう、飛び込め」

 

「こんな粘液でぐちゃぐちゃな水辺に誰が飛び込むかバカ!!」

 

「あ、あはは。えっと……クロノスさんが無事なら、それでいい、のかな……」

 

暴虐無人な姉、世話役の弟、そして苦労人の友人。一見お遊びをしている様に見える彼等はそれでも、この世界で指折りの実力者。

周囲を見渡せば既に何人もの勇敢だった者達が怪我を負い、命を落とし、それでも必死になって小龍達の始末を続けている。

果たして今も砂浜に空いた複数の小穴から大量に生まれ出ているこの小龍達は、数えてみればいったいどれほどの数になるのだろうか。そうでなくとも死体の臓物に卵を植え付け、今にも増殖しようとしている悍ましさ。そしてその対象は死んだ自分達の同胞に対しても同じというのがまた恐ろしく、灰髪の女ラフォーレは目に付いた死体を人間の物まで含めて無表情で焼いていく。たとえそれが顔を知っている人間の物であったとしても、一度は顔を見合わせた相手の物だとしても。

 

「ね、姉さん……流石にそれは……」

 

「顔さえ分かれば十分だろう。それとも、苗床にされた方がマシか?」

 

「……ああ、どうせ最後には焼かれるからな。こんなもん見せられるよりかは先に焼かれてた方がマシってもんだ」

 

「それは、そうですけど……」

 

大量発生した小龍。

この増殖力を見る限り、仮に1匹でも逃してしまえばそれだけで世界の新たな脅威となり、あらゆる生態系を変えられてしまう。

人間でさえも多くの犠牲が出るだろう。

故にここで処理しなければならないのだ。

どれだけの非道を費やしても。

どれだけ非人道的な行いをしても。

 

「ったくよぉ!マドカちゃんが居てくれれば、もう少し楽に対処も出来たかもしれないのになっ……おっと!!」

 

「貴様、私の愛娘にこんなゴミ共を触れさせるつもりか?」

 

「あーあー、分かった!俺が悪かった!だから杖をこっちに向けるな!次こそ焼け死ぬ!」

 

「と、とにかく今はレンドさんからの指示を待ちましょう!それまでは僕達でより沢山の敵を処理しないと……!挑発!」

 

「あいよ了解、こっち側は俺に任せろ!挑発!」

 

「……チッ、この気色の悪い蛆虫共が。失せろ」

 

小龍達の悲鳴が木霊する。勇者達の叫び声もまたこの空の果てへと消えていく。

 

ここは龍巣の都:オルテミス付近の海岸。

 

アーザルス連邦の遥か南に位置する世界の端部の一つ、世界の脅威の最前線。

 

探索者達は戦っている。世界を脅かす龍達と。

そして、自分達の心の弱さが生み出してしまった世界の悪意と。




・秘石とステータス……掌大の長方形の石。表面には3つの窪みが存在し、ここにスフィアをはめ込む事でスフィアの力を発動する事が出来る。また、身に付けた人物にステータスという概念を付与し、経験値を得る事でその人物の能力を飛躍的に向上させる事が可能になる。

・スフィアによる魔法……龍の都:オルテミスのダンジョンからのみ採取される特殊な宝石。秘石にはめ込むことで機能し、持主の種族に関わらず魔法が扱えるようになる。


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1.最初の出会い

ダンジョン、初めてその言葉を目にしたのは祖父の部屋に置いてある大量の書物の一つからだった。

この世界に存在する4つのダンジョンについて、それが発見されるに至った経緯、困難と苦難の旅路、仲間達との衝突や友情、そして乗り越えた先で手に入れた浪漫と現実。

最初の3つのダンジョンと世界の壁を見つけ出した勇者エゼルドの物語も彼女は何度も見たが、やはり個人的に興味を持ったのは4つ目のダンジョンについて焦点を当てて描かれているこの作品だった。

誰もが作り話ではないのかと思う様な本当の話が、そこには事詳細に、その瞬間をただ文字に目を通すだけで簡単に想像出来る程に熱烈に書かれていた。彼女が本を読むのに夢中になったのは、きっとその本を最初に読んでしまった事が原因に違いない。

 

朝から晩まで工房に籠って銃ばかり作っていた変わり者の祖父。彼は山奥に引っ越して来る前に手持ちの殆どを売り払った癖に、この本の山だけは宝であるからと苦労して運び込んだというが、いつの間にかその本の山の主になっていたのは1人の子供。

祖父は基本的に銃工房に閉じ籠ったまま、普段は睡眠を取る時くらいにしか出て来なかった。それはまだ幼い少女にとって少しだけ寂しい事でもあったが、やはりそんな彼女を救ってくれたのも書物達だった。

祖父の持ってきた本の中には専門的な物から物語、小説、果てはまだ幼い子供が見てはいけない様な少しだけ刺激的な物まで様々にあったが、それ等の全てが外の世界について全く知らない少女にも世間的な常識や知識を授けてくれたと考えれば、無数に存在する彼等の作者達こそが彼女の親や先生と言っても過言ではないだろう。

 

"ダンジョン"

 

……ああ、本当になんと甘美な響きだろうか。この世界の常識が何一つ通じることの無い、予想外と未知に溢れた真の異世界。

発見から350年以上が経つ現代でも、最深部への到達は一度として成されておらず、その中でも特に有名な"龍の巣穴"と呼ばれる南方の海洋近くに存在するダンジョンでは、"ドラゴンスフィア"と呼ばれる摩訶不思議な宝石が見つかったという。

エルフや精霊族等の魔法を使える種族に生まれなくとも、そのスフィアを手に入れられれば誰であろうと魔法が使える様になるという、文字通り世界の常識をひっくり返した真なる宝石。それこそ、それは彼女の祖父の作っていた猟銃が馬鹿にされ始めた原因でもあったのだが、少女はそれに大きな浪漫を感じていた。

 

いつかダンジョンに行ってみたい。

仲間達と探索し、宝石を手に入れ、物語の様な冒険をしてみたい。そして出来るのならばこんな風に、自分も物語にされる様な人間になってみたい。

少女がそんな子供らしい健全な夢を抱き始めたのは必然の話であった。

 

……そして、幼い頃に密かに抱いたその思いが現実味を帯びたのは、皮肉にも祖父が病によって命を落としたその時だった。

祖父が亡くなった事は悲しい。どれだけ狂っていても、それでも自分にとっては唯一の家族であり、ここまで育ててくれた人間でもあったから。

けれど、同時に少女は自由を得た。

祖父に縛られる事なく、自分のしたい事をする為に、この家を離れても問題が無い。この狭い世界から解放され、求めていた広い世界へと、足を踏み出す事が出来る。

自分でもあまりに祖父への思いやりの欠ける思考だとは思ったが、それでも祖父が自分を養っていた理由も家事をさせる為だと考えると、そこはまあ似たもの親子と割り切る事も出来た。

 

そして少女は家を出た。

準備は意外にも直ぐに終わった。

外の世界を見たい、ダンジョンに行きたい。

祖父が残した最高傑作と、10年以上も煮詰め続けた思いと熱量を胸に、"龍の巣穴"があるとされる港町:オルテミスへと向けて、1人旅立ったのだ。

 

 

 

「なっ、入れないのか!?」

 

 

「え、ええ、流石にこれでは……」

 

 

そして今、少女はその憧れた街の中に居る。

あちらこちらに透き通る水が流れ、街並みからその作りまで恐らく名のある職人達が拘りを持って作り上げたのであろう美しい都:オルテミス。

探索者と呼ばれる者達が多く歩くこの街でダンジョン:龍の巣穴を管理しているのは、ギルドという公共機関だ。

ダンジョンに入るにはギルドからの許可が居る、物価の高いこの街で宿を取るには金がいる、お金を稼ぐにはダンジョンに入って稼ぐ必要がある。

ならば仕方がない、ダンジョンに入ろう。

 

そうして意気揚々と訪ねたギルドで言われた言葉が、これだった。

 

「最低でも身分証明書が無ければダンジョンへの入場は許可できません」

 

「生まれてこの方山奥暮らしだった私にそんなものはない……!」

 

リゼ・フォルテシア17歳。

その大きな見た目のせいで年齢すらも信じて貰えない哀れな女の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

リゼ・フォルテシア。

祖父からは『リゼ』と呼ばれていた彼女は、その齢17という年齢からは想像が出来ない程に発育が早かった。

12の頃には背丈は1.6mを超え、バストも一般女性並みに育った事から、定期的に下町に買い物に出掛けていた祖父に舌打ちをされながら女物の下着を渡された思い出がある。

祖父の手伝いをするだけならば力仕事なども出来たので不便に思う事はあまり無かったのだが、まあ何をするにしても胸部の脂肪が邪魔で仕方がないと、女性に対する興味が欠片も無かった祖父にはよく愚痴られたものだった。

そしてそこから5年が経った今では身長は1.8m近くまで伸び、バストも街で売っている下着では収まらず、ウキウキ気分で入った服屋では大きめの成人男性用の物しか合うものが無い。結局今はそれを自分に合う様に仕立て直して貰った物を着ているという有様だ。本当の本当に着る物に困っている。

 

しかし祖父が最後に彼女に残した所謂最高傑作はそんな彼女の体型をよく考慮したと言うか、それなりに知識を叩き込まれ、時々実験体にさせられていた彼女でなければ使い熟す事のできない物だったというか。簡潔に述べれば大きさも威力も構造も一通り馬鹿げた狙撃銃となっており、その大きさもまた周囲から彼女に目線を集める理由の一つになる。

 

「う、うぅ……」

 

加えて、艶のある黒髪を後ろに纏め、衝撃を和らげる素材で作られた動き易い黒の上着に灰青色のパンツを愛用している彼女は、確かに戦闘を考えての衣服選びをしたつもりかもしれないが、まあ生地の薄いその姿は身体のラインがよく浮き出る。

周囲の男性からチラチラと向けられる視線に気付かないというのは彼女の育ち故に仕方のない事なのかもしれないが、無防備という言葉もまたよく似合うだろう。目の前の受付嬢でさえも、目の前で忙しく揺らされるそれに少しの気まずさを抱いて自然と目を背けてしまうのは、実際もうどうしようもない。普通に気まずい。

 

「頼む!どうにか、どうにかダンジョンに入れて貰えないだろうか……!」

 

「そう言われましても……」

 

「そ、その身分証明書とやらは作れるのかい!?」

 

「ええと、この街にお住まいを持たれている方なら今直ぐにでも申請は出来ますよ?最近の方は生まれて直ぐに申請を出されていますし、他の街でもそれと同じ事をしている筈です」

 

「だから私はそれをしていないんだ……!」

 

「あ、それならクランに入るというのはどうでしょう?クランというのは探索者達が所属している集まりでして、正式に認められているクランが承認さえして下されば、それだけでダンジョンに入れます」

 

「そ、そのクランとやらに入ればいいんだな!?どこがお勧めなのだろうか!?というかもうこの際どこでもいいのだが……!!」

 

「……あ、そういえば今は都市成立祭の影響でクラン募集はしていない時期でした」

 

「駄目じゃないか!?」

 

「えと、ギルドが認めている上級の探索者さんが同伴してくれるのでしたら、それでもダンジョンには入れるんですよ?……ただ、今は都市成立祭の影響で大抵の探索者さんが街の外に出ている状況でして」

 

「やっぱり駄目じゃないか!?というか、どうして都市の記念祭なのに皆が都市の外に出ているんだ!その成立祭とやらはいつ終わるんだ!?全然祭をしているようには見えなかったんだが!?」

 

「昨日始まったばかりなので、あと5日以上は……」

 

「それより先に私が飢え死にする……!」

 

八方塞がり。

受付に食らい付く様にし必死にて解決法を探るリゼだが、提案される言葉はどうしようもない返答ばかり。

生まれてこの方バイトの一つもしたことの無いリゼにとって、これから10日間なんとかして生き残る為には都市を出て野生動物を狩りながら生活するしか無い。だが、せっかく山奥から出て来たというのに、ここまで来てそんな生活などしたくはない。憧れの街を目の前に野生動物の肉を焼いてガジガジする生活など、リゼは全くのお断り。

せめて狩るにしても、どうにかダンジョンに入って狩りたい。憧れの街における最初の思い出を、そんな情けないものにしたくはない。そんな強い思いが彼女の中にはあった。

 

「そ、それなら……!」

 

「それなら私が一緒に同行しましょうか、エッセルさん?」

 

それはそんな風にリゼがもう一度受付の女性に何か例外的な方法は無いのかと尋ねようとした、正にその瞬間だった。リゼと受付嬢、2人の(一方的に)騒がしい会話に初めて他の誰かが割り入ってきたのは。

そしてそれは同時に、リゼ・フォルテシアが運命の出会いを果たした瞬間でもあった。彼女の人生の方向性を変えてしまい、決めつけてしまうような。そんな少し乱暴で、横暴な、けれど大切な出会い。

 

「あっ、マドカさん!」

 

「……え?」

 

リゼの背後から声を掛けてきた1人の少女。

受付の女性から『マドカ』と呼ばれたその女性は、振り返ればそこで白銀の長髪を後ろに流しながら2人の方を見てニコニコと微笑んでいた。

 

一瞬の停止。

 

まるで世界の時間が止まったかの様な錯覚。

無意味に思考と血流が回る。

血流を押し出す心の臓器が脈打つ。

それでも、何の結論も出せはしない。

リゼは、一体彼女が誰なのか、彼女はどういう立場の人間なのか、そして彼女が言った事は本当に認めて貰えるのか。そう言った一切合切が分からないまま戸惑いつつも、このよく分からない妙な感覚と身体の変化に混乱してしまい、どうにかして欲しいと受付の女性の方へと助けを求める様に目線を向けた。

……しかし。

 

「も、もしかして……!マドカさん!もう依頼を終わらせて来てくれたんですか!?」

 

「ええ、急ぎの依頼だと伺っていましたから。……はい、こちらの箱に当初の数量に少しだけ上乗せした分を入れてあります。確認をお願い出来ますか?」

 

「流石マドカさんです!これなら時間までに間に合います!本当に助かります!……あ、えっと、ちょっと待ってて下さいね!今直ぐ別の職員に数量確認をさせて来ますので!」

 

「あ、ああ、それは構わないが……」

 

「ええ、お気を付けて下さいね」

 

そのマドカと呼ばれる彼女に小さな小箱の様な物を手渡された受付の女性は、喜びのあまり跳ねるような勢いで少し離れた位置で書類整理をしていた男性の方へ向けて走っていく。

話を聞くに、ギルドはどうやら急ぎの依頼を出していた様で、それをこの女性が予定よりも早く達成してくれたと……そのおかげでギルドは当初の予定に間に合い、怒られずに済む。

端的に述べればそういった事情らしい。

そんな事を考えながらもリゼが自分より0.2m以上背の低い"マドカ"という女性を横目で興味深そうにチラチラと見ていると、それに気付いた彼女が何処か申し訳なさそうに頭を下げた。それに対してリゼもまた慌てて手を振りながら向き直る。

 

「突然割り込む様な形になってしまい本当に申し訳ありませんでした、まだお話の途中でしたのに」

 

「い、いや、それは構わないんだ!……ところで、君は?」

 

「マドカ・アナスタシアと申します、この街で活動している探索者の1人です。気軽にマドカとお呼び下さい」

 

「わ、私はリゼ・フォルテシアというんだ、私もリゼと呼んで貰って構わないよ。……ところで、先程の話なのだけれど」

 

「えと、同伴の話ですよね?構いませんよ。私はそれなりにギルドと繋がりもありますし、きっと認めて貰える筈です。……勿論、リゼさんが私なんかで良ければの話ですが」

 

「そ、そんな事はない!むしろこちらからお願いしたいくらいだ!同伴をお願い出来ないだろうか!」

 

「ふふ、お引き受けします。それでは、もう少しエッセルさんを待ちましょうか。きっと直ぐに手続きも終わりますから」

 

青い瞳に白のコート。

同い年の女性ならば丁度これくらいなのだろうか、と思える様な背丈の彼女。

自分とは違い胸の発育は若干控えめな方だが、常々こんなものは邪魔だと言われて来たリゼからしてみれば、それすらも今は羨ましいと思うし、清らかな彼女にはそれこそ似つかわしいと思えた。

 

……そうだ。

なにより彼女は、美しかった。

とても綺麗だと思った。

美しいとか、神秘的だとか。

ことのつまり、見惚れてしまったのだ。

今も口元に手を当てながら微笑んで自分を見てくる彼女は、それこそ物語で見た様な精霊や女神の様で……こうして顔を合わせているだけで自然と顔が熱くなってしまう。

 

受付の女性の反応を見るに、この女性は信用の出来る人物なのだろう。そして彼女の言を信じるのなら、それなりに優秀な探索者であるという事。

ただ、それよりも何よりも、ほんの僅か言葉を交わしただけのこの状態でさえ、リゼの中での彼女に対する好感度はあまりにも大きかった。

彼女でいいのか?等と、とんでもない。

むしろ彼女がいい。

彼女とこそ、お近づきになりたい。

この出会いに心からの感謝をした。

彼女が自分にとって救いの天使であり、これから歩む物語のお姫様なのだと思わず拝みそうになりつつも、それこそ変な目で見られるのではないかと辛うじて残った自身の理性によって、リゼはなんとか心の衝動を引き止める。

今はダンジョンに入れる喜びもあるが、精霊や天使の様な容姿の彼女と一緒にそのダンジョンに入れるという喜びの方も相当に強かった。

まるで自分が何度も何度も擦り切れるまで見直したあの物語達の主人公になった様で……17歳相応のドキドキで、その不相応に膨らんだ胸を大きく高鳴らせながら、ただ横目でチラチラと彼女を見つつ、受付嬢が来るのを待つ。そんな彼女の様子はきっと、もし性別が違えば即逮捕されてもおかしくないようなもので間違いない。

リゼ・フォルテシアのマドカとの最初の出会いは、あまりにも不審者染みたものであった。




勇者エゼルド……350年ほど前に勃発したとされる種族間戦争の最中に、様々な種族の仲間を引き連れて世界を周り、3つのダンジョンと世界の壁と表された極厳地帯を発見し周知した人物。この偉業はそれから約100年後に大きく評価されることになった。


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2.最初の門番:ワイバーン

 

「……以上がダンジョンに入る際の注意事項となります。よろしいですか?」

 

「ああ、まあ……恐らくは……」

 

「……ええと、もし分からないことがあればマドカさんにお聞き下さい。ごめんなさいマドカさん、お願いしてもよろしいですか?」

 

「ええ、構いませんよ。それが同伴を申し出た私の役割でもありますから。……さて、それでは行きましょうかリゼさん。準備はよろしいですか?」

 

「それは問題ないよ、行こう」

 

「その大銃、本当に持っていくんですね……いえ、貴女がそれでよろしいのでしたら私は別に構わないのですが……い、行ってらっしゃいませ」

 

受付の女性に見送られながら、リゼは同伴を申し出てくれた少女:マドカ・アナスタシアと共にダンジョンの入り口へと続く通路を歩いていく。

このダンジョンへ続く通路に入れてもらう前に、それはもう何枚も何枚も書類を書かされ、マドカにもそれ等にサインをして貰うことになったが、それももう終わった。あまりの情報量に殆ど頭に入って来なかった注意事項に目を通すだけ通す作業も終わり、ここからがリゼが夢にまで見た未知の世界であるダンジョン探索の始まり。

探索者としての最初の一歩となる。

 

「ダンジョン、初めてのダンジョンか……!」

 

「ふふ、そんなに楽しみだったんですか?」

 

「そ、それは勿論……!とても楽しみだよ!」

 

この抑え切れない嬉しい気持ちを誰かに共有したく隣を歩くマドカへ顔を向けるが、彼女はそんな自分を見てクスクスと笑うばかり。

そしてそんな風に彼女に微笑ましそうに笑われてしまえば、リゼだって少しは恥ずかしくなってしまうというものだ。

聞いた限りでは同い年の17であるというのに、彼女のこの落ち着き様は何なのだろうか?

そんな考えからふと視線をズラすと、自然と意識は彼女の装備へと向けられていく。

 

(あれは……)

 

当然のように主武装として大銃を担いでいる変態染みたリゼとは対照的に、マドカは2本の金色と銀色の剣をそれぞれ腰に付けているだけの一般的な探索者の姿。二刀流などという、見た目のイメージとは違うかなり攻撃的な装備はしているが、それでも別に珍しい訳では無い。

……だが今はそれより、彼女の腰辺りに黒いベルトで取り付けられている黒灰色の石板の方に目が惹かれてしまう。自分が太腿に付けている物とは違い、石板の窪みには3色の美しい宝石達が取り付けられており、そのどれもがキラキラと不思議な光を放っている。

それこそが彼女がこの龍巣の都で探索者をしているというなによりの証拠であり、彼女がそれなりの実力を持った優秀な探索者であると言う証明でもあった。リゼにだってその価値について、少しくらいの知識はある。

 

「ふふ、気になりますか?ドラゴンスフィア」

 

「え?ああ、すまない。実は話には聞いていたのだけれど、こうして実物を見たのは初めてなんだ」

 

「あや、そうなんですか?珍しいですね。魔法系のスフィアならともかく、今や安物なら世界中に広く出回っていると思うのですが」

 

「私の祖父が大のスフィア嫌いだったんだ。つい最近まで山奥に住んでいた事もあって、見る機会にも恵まれなくてね」

 

「お祖父さんはエルフさんだったりとかですか……?」

 

「いや、ただの人族の技術者さ。細々と作っていた猟銃をスフィアと比較されて馬鹿にされてから、死ぬまでその時の悔しさだけでこんな物を作り上げていた狂人でね」

 

「それは……ふふ、また偉大なお方ですね」

 

「そう言ってくれると報われるよ、散々それに付き合わされた私としても」

 

そんな他愛のない会話をしながらも、2人は漸くダンジョンの入口へと辿り着く。

見た目だけで言えば、ただ大きな洞穴の様にも見えるその場所。入口にもギルド職員が座っており、取り付けられた魔晶灯によって周囲は明るく照らされている。

ここから先がダンジョン、正真正銘の未知の世界。

そう自覚すると妙に湧き上がってくる緊張感に、リゼは大銃を肩から掛けた紐を思わず強く握り締める。

探索に必要の無い大半の荷物はギルドに預けて来たとは言え、その荷物の中にだってお金は殆ど入っていない。今日この場で最低でも1日分の宿代くらいは稼いで来なければ、取り敢えず野宿が確定となる。

獣や弱いモンスターを狩る事はよくあったが、ダンジョン内での狩りはもちろん初めて。上手く出来るかどうかも正直に言えば心配しかないのだが、それでも生活が掛かっているとなれば必死になってやるしかない。

 

「リゼさんは、秘石はお持ちなんですよね?あのこれです、持っているだけで持ち主にレベルの概念が付与される石板……」

 

「ん?ああ、そちらからは見難かったかな。私はこちら側の足に付けているんだ。一応レベルは8ある。これでも山の中で獣やモンスターを狩っていたからね、それなりには戦える筈だ」

 

「なるほど、だとすると4階層くらいまでなら今の状態でも問題無さそうですね。ダンジョン内の知識については何かありますか?」

 

「いや、それが情けない事に殆どないんだ。龍種が生息しているという事は知っているのだけれど、それ以上の事はなんとも」

 

「それなら私が解説していきますので、ゆっくり歩いて行きましょうか。戦闘はお任せしても?」

 

「ああ、そこは任せてくれ。その期待くらいには応えて見せるよ」

 

背中の大銃をバシバシと叩きながらそう笑うリゼ、だが彼女にしてみれば逆にそう言われた事で少しは緊張が和らいだ。

今の自分なら4階層まで通用する。

ギルドに信用されているという彼女の言だ、そこは信用してもいいだろう。

そんなリゼに一度微笑んでから先に歩き出した彼女の横を、リゼもまた同じ様に足を踏み出して続き始めた。……ダンジョンの中は、思ったよりも普通の洞窟といった感じだった。期待していた様な不思議な感覚は無く、何か魔法的な仕掛けが動いたりする訳でも無く、ただ水気の少ない岩壁だけが魔晶灯に照らされて続いているだけ。不快というわけではないが、しかしやはり緊張感に溢れている。

 

(ただ、そこまで暗い訳でもないのが不思議というか……)

 

そうしてそれほど狭くも長くもない通路の先をゆったりと目を慣らすようにして歩いていると、ここよりもまた違った種類の明るさを持つ大きな広間の様なものが道の先に見えてきた。

リゼがそれに首を捻りながらマドカの方を見ると、彼女はそれに気付き、人差し指を立てて解説を始めてくれた。まるで物語で読んだ学校の先生の様に。

 

「ええとですね。オルテミスのダンジョンでは、5階層ごとに龍種の階層主が出現します。それ以外の階層には様々な広大な空間が広がっていまして、そこには龍種以外の普通のモンスター達も多数生息しているという構造になっている訳です」

 

「なるほど……つまり、これから赴く1階層には、本当に弱いモンスターしか存在しないと言う事なのかな」

 

「あ、いえ、実はそんな事はなく……」

 

瞬間、不用意にもマドカよりも先に大広間に足を踏み入れようとしたリゼの目の前に、何か黒く大きな影が降り注いだ。

呆然とするリゼ、目の前で爆ぜる火花。

隣に居たマドカが片手に持った剣で襲撃して来たそれを容易に防ぎ、逸らし、弾き飛ばす。

マドカに斬られ、ポトリとリゼの足元に落ちた白く尖った鋭い物体。自分の指3本分くらいある様なギラついた大きな爪だ。

落ちた先から少しずつ灰になり始めたそれを見ながら、リゼは大粒の汗を額から流して少し遠くに飛ばされてしまった襲撃者の方へと視線を向ける。

 

「このように1階層にはワイバーンと呼ばれる龍種が生息しています。このダンジョンの最初の門番であり、最初の階層主です。決して弱い存在ではありませんので、気を付けて下さいね?」

 

「も、もう少し早く教えてくれても良かったんじゃないかなぁ!?」

 

『グルルルァアッ!!』

 

「うっ!こっちに来た!?」

 

「ワイバーンは気性が荒く、対象の中で最も弱い相手を優先して狙う傾向にあります。龍種の中では非常に小さめで弱いとは言え、紛れもない龍種ですから。油断しちゃ駄目ですよ?」

 

「あっ……ぶない!?」

 

リゼが飛び退いたその場所に、飛来して来たワイバーンが強烈な落下攻撃を与える。

パラパラと落ちる床の破片と土煙。

この場に足を踏み入れて最初の一撃をマドカが弾いてくれなければ、あんなものが自分の身体に直撃していたのかと思うと、素直に身体が震えてしまう。

 

一方でそんなリゼを近くで見守っているマドカには見向きもせず、ただリゼばかりを狙って何度も何度も突撃してくるワイバーン。

本当に徹底的に弱者を狙って来る習性らしい。

マドカが近付こうとすればワイバーンは逃げる。そしてリゼが孤立すれば再び連続して突進を仕掛けてくる。確かにこれは油断出来ない相手だろう。

いくらなんでも一般的な防具も付けていない状態であの爪による攻撃を喰らえば、VIT(耐久力)がそこそこあるリゼでさえもひとたまりもないからだ。

……ただ。

 

(速度は早いが、見切れないという程ではない。加えて落下攻撃の隙が大きく、遠距離攻撃の手段を持っている訳では無さそうだ。体長は私よりも大きく、筋力や頑強さは龍種としては相応……とは言え、やりようならいくらでもあるか。例え敵に制空権があろうとも、落下攻撃ばかりして来るのならば対処は簡単だ)

 

真正面から殴り合えば防御力の差で負ける事は間違いないが、そもそもリゼは別に武闘家ではない。そこで負けた所で、他の部分で勝てればいい。これならば只管に空を飛びながら一方的に風弾を吐いてくる鳥系モンスターの対処の方がまだ面倒だった。

 

次第に慣れて来たのか無駄を削ぎ落とした動きでワイバーンの攻撃を避け始めるリゼを見て、見守っていたマドカも軽く微笑む。

彼女が何を思っているのかは分からないが、こんな所で恥ずかしい所は見せられまい。華麗に倒し、それなりに戦えるという事を証明したい。

 

リゼは背中に担いだ大銃を取り出し……何故か銃口の方を手に持って構えた。

そしてそれを大槌の様にして持ち上げながら、再び落下攻撃を仕掛けて来ようとしているワイバーンに向けてすれ違い様に振り下ろす。

 

「せぇぇえやぁああ!!」

 

『ブュゲェッ!?』

 

ただ、叩き落とす。

 

大銃の質量とリゼ自身の腕力によるあまりに強引な一撃。

確かにリゼは武闘家ではない。

しかしそれでも、決して近接戦闘が出来ないという訳でもない。そもそも山では猟銃も使ってはいたが、灘や棍棒を持って対処する事も多かった。決して銃しか取り柄のない女ではない、棍棒一つ持てない様な箱入り娘でもない。

 

『ギィギイイ!!』

 

「大人しく、しろっ!!」

 

『ピギィっ!?』

 

闇雲に振り払われた尻尾の一振りを大銃でガードし、そのまま腹部に向けて質量と重力に任せて金属の塊を再び思いっきり叩き付ける。

そんな彼女を見て、マドカは驚く様な、そして感心する様な表情で微笑んでいた。

まさかそんな風にその銃を使うのかと。

仮にも祖父の遺産の使い方としては乱暴が過ぎるその武器の扱いは、きっと初めて見れば誰もが驚愕することとなるだろう。

 

「今度からは刃物の一本でも持ち歩くべきだろうか」

 

苦しむワイバーンの頭部に向けて、瞬時に銃を持ち替えて、今度こそ銃口を突き付けるリゼ。

そのまま彼女が何の容赦もなく引き金を引けば、衝撃と閃光によって小爆発でも起きたのかと思う様な一瞬の火薬の着火の後に、ワイバーンの頭部は完全に原型も残る事なく吹き飛んでいた。

灰となって消えていくワイバーンの死体。それを見送りながらもリゼは銃に寄りかかり、一度大きく息を吐く。

やはり耳栓はどうあっても必須かもしれない。

威力を3段階の中で最も弱い状態で撃ったにも関わらず、衝撃で少しだけクラついてしまった。実弾銃であるが故に消費した弾はまた作らなければならないので、本当は使わないのが一番なのだろうが。

 

「お見事でした、リゼさん」

 

「ああ、ありがとう。龍種と戦ったのは初めてだったんだが、案外なんとかなったかな」

 

「このダンジョンの外で龍種を見る事は殆ど無いでしょうから、それは仕方ありませんよ。……ただそれにしても、ふふ、それは狙撃銃では無かったんですか?」

 

「狙撃もするし、出来るとも。けれど、こういう使い方の方が戦い易いというのも本音かな。幸運にも筋力のステータスには恵まれているからね」

 

「私は好きですよ、そういう思い切った戦い方も。少しだけリゼさんの事が気になってしまいそうです」

 

「それは……はは、面と向かってそう言われてしまうと少々恥ずかしいかな。素直にとても嬉しい事だけれど」

 

目と目をしっかり合わせてそんな事を言われてしまったからか、また顔を赤くして視線を背けたリゼは、その先に灰となり始めたワイバーンの死骸を認識した。

モンスターが灰になる。

それは何処でも共通の話ではあるのだが、それが小型と言えど龍種にも当て嵌まる話であるのだと、この時リゼは初めて知った。

そうして灰山となり次第に風に吹かれてダンジョン中へと消えていくそれ等の中に、キラリと光る緑色の宝石もまたリゼは見つける。

 

縦に細長い八面体の形をしたそれ。

リゼはそれを知っている。

つい先程、それと色の違う物を見たばかりなのだから。そしてそれこそが正に、リゼが今日までずっと憧れていた夢の欠片の一雫でもあり、夢見た未来の自分の姿に無くてはならない物でもある。

 

「マ、マドカ!これはもしかして……!」

 

「はい、ドラゴンスフィアですよ。ワイバーンを初めて倒した時に入手出来る『投影のスフィア』と呼ばれる物です。残念ながら戦闘には使えませんし、高価な物でもありませんが……」

 

「いや、いや……!私はこれがずっと欲しかったんだ!特にこの『投影のスフィア』!これがあればいつでもダンジョン内の冒険が見られるんだろう!?」

 

「そうですね。一応、同じ様に『投影のスフィア』を装着して潜っている探索者さんが居れば、の話にはなっちゃうんですけど。ギルドが企画している放送を見れるという利点はあります」 

 

ドラゴンスフィアと呼ばれる特殊な宝石群。

火水雷光闇無の6種類がある中で、唯一そのカテゴリーから外れた位置にあるのがこの緑色の『投影のスフィア』だという。

効果は単純、石板に嵌め込み手を触れる事で壁に向けて映像を投影する事。そして何より重要なのが、そこに映し出される映像は、同じ様に『投影のスフィア』を装着しながらダンジョンを探索している探索者の直接的な視界であるという事だ。

 

魔法よりも非現実的と言える様なその力は、神々の作った遊戯場とも呼ばれるこの『ドラゴンダンジョン』と、魔法の存在を一般的な物にしてしまった奇跡の宝石『ドラゴンスフィア』、そして持ち主にステータスという謎の概念を付与する石板である『龍の秘石』の3種類の中でも、特に異質な存在だ。

 

リゼはその存在を知ってからあまりに現実離れしたそれを一度でも良いので手にしてみたかったし、それを使ってベテランのダンジョン探索という物が見てみたかった。

これでまた夢の一つが叶う。

ここに来てからリゼの心は浮きっぱなしだ。

加えて初めて自分の力で手に入れたドラゴンスフィアという事もあって愛着も3割り増し。

 

早速とばかりにウキウキとそれを石板に嵌め込もうとして……サッとマドカにその手を優しく握られて止められる。代わりに一つの皮袋を手渡されて、それに戸惑っていると、今度は微笑ましげにそこに投影のスフィアを入れられてしまい、リゼのポーチの中にまで収納されてしまう。

 

「ええと、これはどういう……」

 

「流石に初心者さんがダンジョン内で『投影のスフィア』を装着するのはお勧め出来ません。一体何処で誰が見ているのか分かったものではありませんからね」

 

「!そ、そうか……すまない、少し浮かれていた様だ」

 

「いいえ、誰でも最初に犯してしまうミスですから。もう少し慣れるまではダンジョン内での使用は控えましょうか」

 

「あ、ああ……マドカも、同じ様なミスをした事があるのかい?」

 

「ふふ、私はまた探索者になった時の事情が違いますからね。ほら、早速2階層へ行ってしまいましょう?今日中に宿代を稼がないとなんですよね」

 

「そ、そうだった……よし、切り替えよう」

 

浮かれた気分も引き締め直す。

いくら最浅層とは言え、ここはダンジョン。

美しく綺麗な話ばかりではなく、救いようのない絶望すらも秘めているのがこの場所だ。一瞬の油断が先程の様なワイバーンの奇襲等で自身の命を脅かす原因の一つとなる。

そう考えれば、やはり今の自分は浮かれ過ぎであると言わざるを得ないだろう。夢の一部が少しずつ叶い始めているという理由はあるにしても、命を賭けて探索をしているという自覚が足りていない。

そこも含めてパンパンと音を立てて両頬を叩いてみると、何故だかそんな行為にすらマドカにクスクスと笑われてしまった。

そうなると逆に自分が気合を入れ過ぎてしまっている様に思えてしまって、恥ずかしいと言うかなんと言うか……

 

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないか……」

 

「ご、ごめんなさい。でも実はここから4階層までは結構ほのぼのとした空間が続くんです。だからそこまで気合を入れなくとも大丈夫ですよ」

 

「え、そうなのかい」

 

「ええ、なので今日のお金稼ぎは採取依頼で済ませるつもりだったんです。ほら、いくつか良さそうな物も見繕って来てますし♪」

 

「……本当に君には頭が上がらないな、マドカ」

 

「そう言って貰えるなら私も嬉しいですよ」

 

高揚したり、浮かれたり、空回ったり。

どうにも現状で自身の舞い上がったこの気分を落ち着かせるのは難しい事だと判断したリゼは、取り敢えずマドカから顔を背ける事で誤魔化すのだった。




スフィアとエルフの確執……この世界においてエルフと精霊族のみが単独で魔法を扱うことが出来た。詠唱によって事象を改変する力を持つ彼等は、仮にそれが小規模なものであったとしても誇りと尊厳を持っていた。しかしドラゴンスフィアが発見されたことにより、全ての種族が手軽に規模の大きな魔法を行使出来るようになる。これに対するエルフ達の怒りは大きく、エルフ達の中には未だにスフィアを受け入れることの出来ない者が多い。


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3.初めての採取

ダンジョン2階層。

それは入り口から1階層にかけて続いていた暗い洞窟地帯が途端にすっかりと消え失せてしまい、光を放つ真っ白な壁面や天井に囲まれた不可思議で広大な風通しの良い空間となる。

広さだけで言えば闘技場の様な1階層と比べてその何十倍もの大きさがあり、松明や魔晶灯すらも必要が無いという事は確かで、なによりこの場所は平穏だった。

一瞬ダンジョン内に居るという事すらも忘れてしまう様な、あまりにも落ち着いた草原地帯がここには広がっている。

 

「これが、ダンジョン……?外に出た訳ではなく?」

 

「はい、ここがダンジョン2階層から4階層まで続く草原地帯と呼ばれる場所です。特にこの2階層にはモンスターすら存在せず、こうして珍しい植物が多く存在しています。動物もそれなりに居ますが、植物よりかは種類が少ないかもしれませんね」

 

「それはなんとも、信じ難い話というか……」

 

「普段はあの辺りの湖でのんびり釣りをしていたり、昼寝をしている探索者さん達も居たりするんです。"投影のスフィア"を利用した放送を行う施設もあったりなんかして……ダンジョン内には定期的にあるんですよ、こういった休息地帯が」

 

「それは益々不思議な話だ。自然に出来た洞窟、という風にはやはり考え辛い。まあ私達探索者とすれば助かる話なのかもしれないけれど」

 

エゼルドが見つけた3つのダンジョンとは別に、約300年ほど前に世界中を旅して回っていたアマゾネスの一族達によって発見されたこの龍の巣穴。

そこには他のダンジョンと異なり様々な奇妙な仕組みが施されており、当初から人工的な作製物だと考えられていたという話がある。

しかし名のあるエルフやドワーフと言った特定の分野の専門知識を持った物達が何百年と掛けて調査をしたにも関わらず、未だその仕組みの一端の解読すらする事が出来ず、人工どころか神工の構造物だと結論付けられているのがこの場所だ。

そこにも確かに浪漫はあるのだろう。

 

「確かに、地下にこういった空間が広がっているのを見ると、神工の構造物だと言いたくなる気持ちも分かるかもしれないね」

 

「神工ですか……私としては階層主が討伐された際に、初達成者の人数分はスフィアが確実に入手出来るという奇妙な仕組みに、それを1番感じますね」

 

「!……そうか、言われてみれば確かに奇妙だ。それはどうやって判断しているんだろう?何者かが記録しているのかな?」

 

「そう考えて試してみた人も居るんですよ。ただ仮にギルドを騙すことは出来ても、ダンジョンを騙す事まで出来た人は居ませんでした。やはり何らかの高度な魔術的機構が働いている、という考えが今の主流です」

 

「……出来るのかい?そんなことが」

 

「少なくとも、今はどんな高名なエルフにも出来ていません。もしこのダンジョンの機能の一端でも解読し再現が出来れば、それだけで世界の技術力が3段は上ると言われています。……どうですか?そういう研究の道で食べていくというのは」

 

「いや、私は特別学がある訳でも、魔法に精通している訳でも無いからね。出来るなら探索者として生きていきたいものかな」

 

とは言いつつも、リゼがそういった不思議な話も大好きであるという事もまた事実。

もし機会があればそういった話についても調べてみようか……と思いながら、リゼはマドカに連れられて依頼の採取対象のある場所へと歩き始めた。

 

この大草原地帯。

澄んだ水の流れる小さな川や湖がありつつも、同時に花畑や小山もある様な穏やかな場所。広さとしてもなかなかの大きさがあり、最短距離で横断しようとしてもそれなりの時間が必要になるのは間違いない。

自身よりも背の低いマドカがトテトテと目の前を歩いていく姿に可愛らしさを感じつつも、向かう先は様々な色の花が咲き乱れる花畑。花自体は普通な物に見えるが、あまり詳しい訳では無いリゼではそれが何に使われるのかまでは分からない。

ただ、そんな花畑の前にしゃがみこんだ彼女の姿を見れば、採取の対象がこれである事は理解できた。リゼも彼女に合わせる様に腰を屈めると、彼女の解説を待つ様に目線を向ける。

 

「今日の依頼はダンジョン2階層の花の採取です。こっちの赤い花はポーションの材料に、青い花は着色料の材料になるんです」

 

「なるほど、これが……しかし、こんな花くらいなら何処にでも咲いているんじゃないのかい?いや、私も別に詳しい訳では無いのだけれど」

 

「いえいえ、それは正しいですよ。この花は何処にでも咲いていますし、農家として育てている所も街の外には多くあるくらいです」

 

「ん、そうなのか?それならば何故わざわざダンジョンへの採取依頼なんて……」

 

「ふふ、そこで問題です。この花には普通の物とは違う特別な性質が一つあるのですが、それは一体なんでしょうか?」

 

そう言ってマドカは摘んだ花を一輪リゼに手渡し、悪戯な笑みを浮かべて人差し指を立てる。

もう彼女が何をしても可愛く見えてしまう自分を自覚しつつもマジマジと花を見てみるが、特に不審な点も見当たらない。

魔力適性の無いリゼにわざわざ魔力関係の問題を出す訳もなく、かといって植物に特別精通していなければ分からない様な問題を出す訳も無いだろう。

強いて言えばこの花がとても美しい事くらいは分かるのだが、まあそんなことを言えばここにある花は皆形の良いものばかりで……

 

「……!そうか、ここにある花は皆綺麗過ぎるんだ。虫食い穴の一つもない」

 

「ふふ、大正解です♪正解者のリゼさんにはさっきのワイバーン戦で取り忘れていた魔晶を差し上げましょう♪もう忘れちゃ駄目ですよ?」

 

「え、あ……す、すまない。スフィアの方に浮かれていて、すっかりと存在を忘れてしまっていた。助かるよ」

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

モンスターが落とす魔晶という核は、それこそ大きさや質によって価値が異なり、階層主の落とす物となれば更に高く買い取ってもらえる。そんな物を忘れて来たなど、本当に何をしにここへ来たのか分からなくなるような所業だ。

羞恥のあまり顔を赤くしながらマドカからそれを受け取ったリゼは、自身の鞄に仕舞い込むと俯くが、そんな彼女の髪にマドカは赤色の花を差し込んでみる。

 

「あ〜、ええと……マドカ?」

 

「ん、やっぱりリゼさんは可愛らしいですね。お花がよく似合いますよ」

 

「わ、私はそんな花が似合う様な可愛いらしい女ではないだろう。こういうのはマドカの様な愛らしい女性の方が……」

 

「可愛いですよ、リゼさん♪」

 

「あ、あまり揶揄わないでくれ!そ、それよりも花の解説をだな……!」

 

「ふふ、分かりましたよ♪さてさて、お花についてですね」

 

普段滅多に言われる事などない、どころか生まれてこの方はじめて言われたのではないかと思うほど聞き慣れない『可愛い』などという言葉を、こんなにも近くで目を合わせて言われてしまい、リゼはあまりの衝撃に少し心配になるくらいに顔を赤くして背けてしまう。

なんとなく分かって来た事があるが、このマドカ・アナスタシアという人物はかなりの人誑しだ。

それに妙に距離感が近い。

周囲にそう仲良くもない祖父しかいない生活をして来たリゼにとっては、こうして顔を合わせて褒められる事すらも本当に気恥ずかしい。それこそ偶に訪ね人は居たが、悉く歳上ばかりだったのがまた拍車を掛けている。

 

「実はこれもダンジョンの不思議な特徴の一つでして、ダンジョン内の植物は地形の一つという考え方をされるみたいなんです。ダンジョンの地形は例え大きな爆発で吹き飛ばしたとしても時間と共に元に戻りますが、それは植物も同じです。こうして摘んでしまっても少しの時間の後に元通りに戻ります」

 

「そ、そうなのか……」

 

「ええ、それに常に最高の状態で保たれているというのも依頼が出る理由ですね。高品質な薬品や素材として使えますし、絵具の材料として求められる方も居ます。……とは言え、あまり長く滞在していると他の動物達の邪魔になってしまうので良くないんですけど。ダンジョンの動物だけは地上の生物と変わらないですし、一度私達の勝手で絶滅させてしまったこともありましたから」

 

「な、なるほど……」

 

「?大丈夫ですか、リゼさん」

 

「だ、大丈夫だ。少しは落ち着いて来た」

 

思ったよりマドカから受けたダメージが深かったこともあり、彼女の説明をなんとか頭に入れることに集中するもその意味を細部までしっかり理解出来た気はしない。

ただ分かるのは、取り敢えず目の前の花を綺麗な状態で採取する事が自分の仕事であるということ。

そうと決まれば話は早い、リゼはそれはもう自分の心情を誤魔化すように必死になって花を摘み始める。そんな様子すらも微笑ましげに見られている事にすらも気付かずに。

 

 

 

「うんうん、ちゃんと依頼されていた数と少しの追加分が集まりましたね。お疲れ様でしたリゼさん、疲れていませんか?」

 

「……勢い余って取り過ぎてしまった、私はもうどんな顔を君に向ければいいんだ」

 

「どんな顔と言われましても、その綺麗なお顔を少しでも見せていただけるだけで私は十分満足ですよ?」

 

「……マドカ、君は私を誉め殺したいのか?」

 

「そんな素敵な人の殺し方があるのなら、是非一度試してみたいものですね♪」

 

「実験体にしないでくれ……」

 

 

採取の依頼を粗方終えた2人は、今度はモンスターの出現する3階層まで見学をしに行く為に、次の階層へ続く道を歩いていた。

マドカは花を摘んでいる最中に偶然仲良くなった灰色の野兎を抱えて餌をあげながら、一方でリゼはその3歩ほど後ろで両手で自身の顔を覆い隠しつつ足を進めている。

果たして、何故こんな事になってしまったのか。

原因は単純、あの後も別の種類の花を集めていたのだが、冷静さを取り戻す為に只管に花を摘む作業に没頭していたところ、いつの間にか予定の数量よりもかなり多くの数を集めてしまっていたからだ。

それに気付いたマドカによって慌てて静止させられた時には、リゼはそれはもう多くの花を抱えている事になってしまっていて……

 

『ええっと……とても助かっちゃいました♪頑張ってくれてありがとうございます、リゼさん』

 

なんてフォローまでされた日には、本当にその場でのたうち回りそうになった。

それでも流石にそんなみっともない姿を見せる訳にもいかず、出来た事は目をぐるぐるとさせながら、ただその震える手の中いっぱいに採取した花々を彼女に俯きながら手渡す事だけ。

それはまるで花束を手渡して告白する思春期の男子の様な姿であったが、その実リゼの心の中にあったのは物語の中に出て来る様なシチュエーションに居るにも関わらずあまりにもポンコツな自分への羞恥と、それこそ彼女の目の前で格好を付けるどころか醜態しか晒していない現実からの逃避だけ。

つまりそんなに思春期の男子と変わらない。

 

「さ、そろそろ3階層ですよ。出てくるモンスターは弱いとは言え、集中していないと危ないですからね」

 

「あ、ああ、すまない、直ぐに切り替える」

 

パンパンと頬を叩く。

もうこの仕草だけでも何回目だろうか。

そろそろ叩き過ぎて頬が痛いし、変に赤くなっていないか気になるところではある。

しかしまあマドカの言う事は確かだ。

モンスターを相手に油断する事など出来ない。

個々の能力はさておき、モンスターにも群れを成して襲うと言う知能くらいはあるのだから。それで痛い目を見た事はリゼにだって何度もある。

 

「……雰囲気はあまり変わらない様だ。モンスターの種類は、見たことの無いものも居るけれど、そこまで危険そうな種は居ないのかな?」

 

「ええ、そうですね。3〜4階層の草原地帯に生息しているモンスターは4種類です。ドリルドッグとベアボアは多分見た事がありますよね?」

 

「ああ、私の住んでいた山でもよく見かけた。こちらの方が多少気性が荒そうにも見えるが……」

 

ドリルドッグとは単純に頭部に角を生やした大型犬の様な外見をしており、何故か回転するその角によって生身の人間ならば簡単に串刺しにしてしまう。凶暴性が高く、基本的に群れを成して行動するモンスターであるが、どうもこの場所にいる彼等は単体行動を好んでいるようにも見えた。

一方でベアボアは地上の種でも単体で行動する事が多い反面、発達した筋力によって家屋の壁を打ち破って民家を襲撃したり、ドリルドッグの群を蹴散らしたりする、頭の中まで筋肉で出来たようなモンスターである。見つかれば最優先で駆除されるような、とても危険な存在だ。

地上の山林付近でも度々見かける彼等はリゼとて何度も狩った事があるし、体自体はそこまで大きくない事から一部の村落では討伐が成人の儀として使われる事もあるという。戦闘経験さえあればそれほど苦戦する相手ではない。

……ただ、ここにはもう一種類。

リゼの知らないモンスターも存在している。

 

「あそこにいる大型の鰐の様なモンスターは見た事がないかな。草原を掘り返して、土の寝床を作っているのだろうか?」

 

「ああ、グランドアリゲーターという種類です。動きも遅く、特殊な力とかもありませんが、やはり身体の大きさが特徴的ですね。平均は6mくらいでしょうか?ああしてよく土を掘り返して寝床にしています。近寄って来たドリルドッグやベアボアの魔晶を食べたりもしていますね」

 

「ふむ、大型種との訓練には丁度良さそうだ。私もあれほど大きなモンスターとは戦った事がないからね。……やはり面白いな、ダンジョンというのは。こうして見ているだけでもモンスター同士で争っていたり、眠っていたり、好き放題している」

 

「ちなみに4階層にはマッチョエレファントという危険種も存在しますよ?実力的には5階層の階層主に匹敵する、どころか近接戦闘だけなら19階層辺りのモンスターに相当する怪物です。まあ必ず1体しか居ない上に近付かなければ問題は無いんですけどね」

 

「……なんでそんなのが4階層に居るのかな」

 

「何故か居るんですよね……階層主の一歩手前の層には必ず、その階層主に匹敵する力を持つ危険種が。でも、強敵との腕試しにはなるかと。スフィアも結構落としますし」

 

「……ちなみに、階層主と危険種が戦うという事はあるのかい?ここのモンスターはあまり階層移動をしない様だが」

 

「下の方で本当に稀にあるみたいですよ。その末に勝った方が負けた方の魔晶を食らって、強化種として階層に居座るそうですが……」

 

「……そんなものまで居るのか」

 

「まあ大丈夫です。強化種が出ればギルドから警報が出て、集められたベテランの探索者さん達が対処してくれますから。もし運悪く出会してしまっても逃げるのが一番ですね」

 

「そうまでしなければ倒せないという事に私は一番驚いているよ。いや、むしろ警報まで出すのか。凄まじいな強化種とやらは」

 

ダンジョンのモンスター事情はなかなかに厳しいらしい。

腕の中に抱えた野兎に今も鞄の中から取り出した人参を割りながら与えているマドカはなんて事ない様に語っているが、いざその強化種だったりが目の前に現れればリゼは一体何が出来るだろうか?

恐らく今の実力ではグランドアリゲーターに勝つ事は出来ても、5階層の階層主に勝てるかどうか微妙なところ。

大銃を使えば大抵の敵を倒せるとは言え、一発当たりのコストが重い事を考えれば、ある程度の近接戦闘が出来る様になっておくべきである。

そもそもの性質としてこの狙撃銃は遠距離用、無理矢理近距離でぶっ放す事も出来るとは言え、中距離で敵に当てるのは困難極まりない。

今後ステータスがどのように伸びるのかは分からないが、手札が多いに越した事はないため、今はなるべく使わない様に心掛けていきたい。

 

「あ、そうだリゼさん。これ差し上げますね」

 

「ん?人参のことかい?」

 

「ふふ、色は似ているかもしれませんが少し違いますよ。人参はこの野兎さんの物ですから。リゼさんに差し上げるのは、もっともっと良いものです♪」

 

「っ、これは……!」

 

本当に人参を手渡されたのかと思うような自然さで手渡されたそれ。確かに色だけなら、手渡された物の方がずっとずっと綺麗な赤色をしているだろう。

ただ、問題はそれが人参なんかよりももっともっと高価な物だということか。それこそ、この街の外では50,000L以上の価値が付く程の……

 

「『炎打のスフィア』です。拳だったり槌だったり、殴り付ける攻撃に火属性を付与するスフィアですね。きっと今のリゼさんに必要なのはこのスフィアかと思いまして」

 

「い、いいのかい!?いくら魔法系では無いとは言え、火属性のスフィアは高値で取引されると聞く……!こ、こんな今日会ったばかりの人間に渡す物ではないだろう!?」

 

「私だって何も知らない人にスフィアを渡したりなんてしませんよ。これはこれまでの数時間を見て、リゼさんが信用出来る人だと思ったからプレゼントするんです。探索者デビューのお祝いの品です」

 

「し、しかしいくらなんでも……」

 

「沢山使って、沢山活躍して、またいつか私が困った時に助けて下さい。これはその為の先行投資のような物なんですから。……もちろん、リゼさんが私の事なんて助けたくない〜って思うのでしたら、返して貰いますけど?」

 

「〜〜っ。き、君は意外と意地の悪いところがあるんだな、マドカ」

 

「ふふ、お嫌いですか?」

 

「べ、別に嫌いではないが………わ、分かった。その約束、いつか必ず果たさせて貰おう。だからその日が来るまで、これは大切に活用させて貰うことにする」

 

「ええ、そうして頂けると私も嬉しいです」

 

ニコリと笑う彼女。

そして思わずそれから目を逸らしてしまうリゼ。

この僅かな時間で、2人の間の力関係はもうこれほどまで分かりやすく構築されてしまった。

きっとこれから先もずっと、リゼはマドカには頭が上がらないのだろう。それもまあ悪くはないか、と思ってしまうのが、そもそもの原因の一つでもあったりもして……

 

(私はこんなにも美人に弱かったのか……)

 

山を出て初めて自覚したその事実に、リゼは思わず顔を覆ってしまった。

まさか自分が美人の女性、しかも自分とは違い小さく可愛らしい女性にこれほどまでに惹かれてしまうとは……リゼのこの美人好きの癖が、これから先彼女をあらゆる意味で苦しめる事になろうとは、今はまだ本人でさえも想像していなかった。




魔晶について……魔力の塊、魔力が結晶化したものとされている。現状で唯一魔力を供給出来る物質であり、この世界におけるあらゆる魔力製品はこの魔晶があってこそ成り立っている。基本的にはモンスターの核となっており、ダンジョンから商会を通じて大量に出回っている。


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4.ギルド長との面談

3階層で粗方のモンスターと戦い、自身の実力を確認したところで、手持ちの鞄が魔晶でいっぱいになったために2人は一度地上へと帰る事にした。

単価は安いとは言え、これだけの魔晶を集め、更に依頼まで完了したとなれば、1日の宿代としては十分であるとマドカからのお墨付きも貰えたのも大きい。初日から順調の一言、それは間違いなく同行してくれた彼女のおかげだった。

 

「えっと、少しだけここで待っていて頂けますか?リゼさんに紹介したい方がいますので」

 

「ん?ああ、それは構わないが……」

 

そうして魔晶の換金を行なっている際に、完了した依頼分の花と依頼書を持っていってしまった彼女。

果たして彼女がどこに行くのか、そして誰を呼びに行ったのか。僅か数時間とは言え、ダンジョン内で色々と話した仲。彼女が依頼を自分だけの手柄にして姿を消してしまうなんてことは考えられないし、どころか貰ったスフィアの価値を考えれば、依頼の分が無くとも十分過ぎる。まあもし『スフィアを奪われた!』なんて言われてしまえば何の信用もないリゼは一貫の終わりなのだろうが、例えとしてもそんな事が考えられないくらいにはリゼは既にマドカに信用を置いていた。

そして意外にも彼女の人を見る目は、それなりにまあまあよく当たる。

 

「全部で6000Lっすね、どぞ」

 

「あ、ありがとう。……結構貰えるものなんだね、今日は3階層までしか行っていないのだけれど」

 

「ワイバーンの魔晶は比較的大きいっすからね。とは言え、狩過ぎには注意っす。強化種が出て来たらワイバーンと言えど流石に上級探索者しか対処出来ないんで」

 

「ふむ、そういうのもあるのか」

 

話とやらに時間がかかっているのか、マドカが帰って来る前に魔晶の換金が終わってしまった。たかが6000Lではあるのだが、僅か数時間あの程度のモンスターを狩っていただけの割には貰えていると思えてしまう。とは言えこれだけでは宿代には届かないので、やはり依頼を事前に取って来ておいてくれた彼女には感謝しかない。それほど都会の宿というのは高いのだ。

 

「……ええと」

 

「?……ああ、鑑定士のヒルコっす。普段は換金じゃなくてスフィアの鑑定とかやってるんすけど、まあ暇なんで」

 

「なるほど。私はリゼ・フォルテシアという、これから世話になるよ」

 

「ん〜……普段なら『世話になる前に死にそう』みたいな冗談を言う所なんすけど、マドカさんが面倒見てるならその冗談は通じないっすかね。面白くない」

 

「あ、あはは……」

 

比較的空席の多いギルドの内部。探索者が殆どいないからか何となく気怠げな雰囲気が漂っており、特に目の前の女性の職員は見るからに眠そうで動きも緩慢だ。ヒルコと名乗った彼女は猫系の獣人の様で、適当な事を言いながら机に肘を突いてペンを転がしている。

こんな事が許されるくらいに大らかな雰囲気の職場なのか、それともそれが許されるくらいに彼女が優秀な職員なのか。どちらにしてもリゼはそんな事は気にしないし、むしろ初対面で冗談を交えて話してくれるだけ良心的な人物だと思っていた。少なくとも会話まで面倒臭がる様な人では無さそうなのだから、それで十分である。

 

「マドカは……信頼されているんだね。先程の受付のエッセルというギルド職員からも慕われている様だった」

 

「ん〜?まあ、それは当然っすよ。だからアンタは運が良いっす。あの人に付いて真面目に生きてさえいれば、探索者として最高のスタートを切れるんすから。まさか狙ってたんすか?」

 

「それこそまさか、だから私は単純に運が良かったんだろう。彼女と出会えた事がこの上ない幸運だと、私も今は強くそう感じているからね」

 

「……やっぱ面白くないっすね、アンタ」

 

「おや、それは残念だ」

 

仮にも公共機関の職員がとんでもない態度で客に接している事はさておき、そのおちょくりが通じないどころか、『面白くない』と言いつつもニヤニヤと笑われているところを見ると悪い印象を与える事は無かったらしい。

 

「リゼさーん!こっちでーす!」

 

「ああ!今行くよ!」

 

そうこうしている内にギルドの2階に上がる階段部分で手を振っているマドカに呼び掛けられ、リゼは受け取った6000Lを鞄に入れながら立ち上がった。

果たして彼女は自分を誰に引き合わせようとしているのか、知り合いの宿屋に紹介して貰えたりしてくれるのだろうか。

 

「最後にいいっすか」

 

「?」

 

そんな風に少しだけワクワクしながらその場を後にしようとしたリゼに、それまでペンを転がして遊んでいたヒルコが後ろから声を掛けた。先程までの気怠げな雰囲気を少しだけ潜め、なんとなく真剣味が伝わって来る様な微かな意思の灯った瞳で。

 

「その武器、作り方は知ってるんすか?」

 

「ん?これかい?……流石にこれと同じ物は作れないが、小型銃くらいならば自分でも作れる程度の知識は持っているつもりだ。この銃も簡単な修理くらいならば行える様に叩き込まれているよ」

 

「へぇ、それはまた……なんか困ったら頼ってくれてもいいっすよ、材料の在処くらいは知ってるっすから」

 

「本当かい?それは助かるよ」

 

「いやいや、いいっすよ。なんか面白くなりそうな気がするんで」

 

物事の判断基準が面白いか面白くないかの2択しか無いのか、と思う様な彼女であるが、猫系の獣人、特に女性に関してはこういったタイプも多いという。ある意味で分かりやすい方でもあろう。

一方で頭がパッパラパーなタイプも多いというので、話が通じるだけマシなのだ。単純な身体能力で言えば後者の方が高い……などという噂もあるが、むしろそれはそれで厄介とも言えるのだから。

 

 

 

 

「それで、マドカは一体私に誰を紹介してくれるつもりなのかな?」

 

「ふふ、それは会ってからのお楽しみということで♪……失礼します」

 

あの会話を最後に再びペンを転がす作業に戻った鑑定士のヒルコと別れた後、リゼはマドカに連れられて建物の2階……どころか最上階の3階まで上がった所にある一室の前へと連れて来られていた。

『お楽しみ』とは言うが、こうもしっかりとした部屋に連れて来られれば、一体自分がこれからどんな人物と会うのか、ある程度の予想は付いてしまうというもの。しかしそれを今声に出して言うのも違うだろうと、変わらずニコニコと笑っている部屋に入っていくマドカを追っていく。

 

「ほお、また大きな娘が来たな」

 

「……!ええと、リゼ・フォルテシアと言います。よろしくお願いします」

 

「ふむ、初対面の相手に挨拶が出来る程度の常識はあるか。いいだろう、とりあえず座ってくれ」

 

促されるままに執務室の様な部屋のソファへと腰を掛ける。慣れた様にお茶を作り始めたマドカはさておき、この部屋の主人であろう目の前の女性もまたとても印象的な人物であった。

大きな娘と言われたが、目の前の人物もリゼに負けず劣らず色々とデカい。種族は恐らくアマゾネスなのか、色黒の肌と後ろで一つに結ばれた髪質の硬そうな黒髪が、初めて見た種族であっても特徴的でよく分かる。その大きな胸部は大分ラフに着られている白のシャツ越しでも分かるくらいに強調されており、腕を捲った素肌には大きな傷跡もいくつも見えた。左目を失っているのか眼帯もしており、その雰囲気や立ち姿から間違いなく探索者としても実力者である事が窺えた。

 

「マドカ、紹介を」

 

「もう、いつも私にさせるんですから。……ええと、彼女はエリーナ・アポストロフィさん。このギルドのギルド長さんです。実質的なこの街のトップとも言えますね」

 

「トッ……!?そ、それはつまり、他の町の町長とかと同じ地位という事だろうか!?」

 

「ですです。ただこの街は見ての通り大都市ですから、アーセナル連邦国の中での影響力を考えるとまた話は違うかもしれませんが」

 

「な、なぜそんな人が私の様な田舎者と……!?」

 

「こいつの仕業だ」

 

「私の仕業です♪」

 

「マ、マドカぁ……!」

 

リゼの知る限り、街規模の大きさの長となれば一般人が対面できる事は滅多になく、イベントなどでしか見掛けない様な存在である。私生活でならばまだしも、仮にもこの世界に4つあるダンジョン街のトップにこうして部屋に招かれるなど……それこそコネを作りたい商人や権力者達ならこぞって切望する様な出来事の筈だ。いくら世間知らずの田舎者でも気後れくらいするし、そこまで出来る程に仲睦まじそうなマドカに驚愕もする。

 

「あー、もしかして……2人は親類関係にあるとかなのだろうか」

 

「うん?そう見えたか?くく、だとしたら私も嬉しいのだがな、生憎そういう訳でもない。私としては娘の様に可愛がっているつもりではあるが……」

 

「私の母がエリーナさんと仲が良いんです、その縁で偶にこうしてお話しする様になりまして」

 

「いや、何度も言うが私はお前の母親と仲良くはないからな?むしろ出来るならば極力関わり合いたくないと思っているくらいだからな?」

 

「ふふ、またそうやって照れ隠すんですから」

 

「あれ、これ私がおかしいのか?いつもは何でも察してくれるマドカが今日に限っては何も察してくれない、私今日化粧失敗してっかな?」

 

「いえいえ、今日もお綺麗ですよ。ね、リゼさん」

 

「あ、ああ……そうだな、美人ばかりで私も嬉しいよ」

 

今のやり取りで大体この2人の関係に想像がついたリゼは、この世界ではまだまだ高価な手鏡を持って薄めの化粧を確かめながら首を傾げるエリーナを見て苦笑う。

まあ恐らく、マドカの母親とギルド長は知り合いの仲ではあるらしいが、本当に仲が良いという訳ではないのだろう。それは彼女がマドカと知り合うきっかけでしかなく、同時にこの街でギルド長になれる程に常識的な彼女がここまで嫌がるくらいには、マドカの母親は何かしらの問題を抱えている人物だという事も想像がつく。そんな母親すらも彼女自身は慕っている様ではあるのだが、そこは複雑な事情があるとでもいうのか。

 

「ところで、マドカはどうして私をここへ……?」

 

「あ、そうですそうです。本題に戻らないと」

 

「ああ……まあ、とは言え話は単純だ。将来有望な新人探索者にギルドから何か支援が出来ないかという話をマドカから受けてな。下で申請して打ち合わせて長々と決済を回すより、先に私が承認しておいた方が話は早いだろう?何よりその方が融通も効く」

 

「リゼさんは今日の宿すら不安な身ですから、こういう話は早ければ早い方が良いと思いまして。少しだけ我儘をさせて貰いました」

 

「……!ありがとう、本当にありがとうマドカ!私はここに来てから君に助けられてばかりだ!」

 

「ふふ、気にしないで下さい。私は先輩探索者として当たり前のことをしているだけなんですから。私じゃなくても皆さん同じ事をしてくれると思いますよ?」

 

「下心全開でな」

 

「し、下心……」

 

「良かったな、見つけてくれたのがマドカで」

 

とにもかくにも、ギルドの支援を受けられるというのなら有り難い。そもそもそんな支援がある事すらも知らなかったくらいなのに、自分の知らないところで更にそれを手早く受けられる様に場を整えてくれていた。この分では恐らく下の階でも申請の準備も始めてくれているのだろう。

リゼの前にマドカがいくつかの用紙の様な物を並べていく。それは正しくその初心者支援に関する書類の数々だった。

次いでマドカはそのまま隣のリゼに寄り添い、一つ一つの書類を説明し始める。その近過ぎる距離感になど微塵も気にしていないかの様に。

 

「という事で、リゼさんは身分証明書がありませんから、基本的に探索者として一定の実績を持っている私を保証人として書類を作っていきます。それでも受けられる支援としては数が限られてしまいまして……ギルド寮の貸し出し、ギルド提携店での割引、初心者探索者用の道具セットの提供等が主な物になりますね」

 

「な、見ず知らずの私の為にそこまでしてもらえるのか……!」

 

「まあ、この世界の実情的に探索者は1人でも多く欲しいからな。それが身分が保証出来て優秀な人材ともなれば金は惜しまんよ。最終的に20層辺りまで潜れる様になってくれるのなら、ギルドとしてもかなり割りの良い投資と言える」

 

「こういうシステムを最初に導入したのもエリーナさんなんですよ?40年前の邪龍討伐で大勢の探索者が命を落としてしまいましたから、今はどこのギルドも人材育成に必死なんです」

 

「な、なるほど……」

 

仮にもLv.8のステータスを持ち、モンスターを狩っていた経験もあるリゼ。確かに将来的な期待値としては比較的高い方なのだろう。何より他の探索者が使わない様な奇妙な武器を用い、初めてのダンジョン探索で一人でワイバーンを倒したという実績もある。簡単には脱落しないだろうという思惑もあるに違いない。

書類を見る限りでは審査の過程でギルド職員との面談などが必要な場合もあるらしいが、もしかすれば今この瞬間がそれに当たるのかもしれない。

 

(……というか、むしろ私がこの部屋に来た時には『面談の必要もない』と言った雰囲気だったような)

 

だとすれば、マドカが認めているという事実がその面談代わりになっているとでも言うのだろうか。そうだとすれば正式なギルド職員ではなく何処にでもいる探索者の1人である彼女だが、このギルド内での影響力だけで言えば普通の職員と同じくらいにはあるという事になる。

今日会ったばかりの自分の保証人にもなってくれるという事からも、それほどに期待されている重圧を感じるべきか、それほどに認められている事に嬉しさを感じるべきか。少なくとも彼女を敵に回せばこの街で生きていく事がかなり難しくなるという事だけは確かだ。美人に弱いリゼとしては敵に回すどころか一生ついて回りたいくらいなのだが、それは今は置いておくとして。

 

「それと教官役、つまり君のダンジョンに関する指導は基本的にマドカに一任する事にした。マドカの依頼を手伝いながら知識を詰め込み、慣れて来た頃に独り立ちというのが今後の流れになる」

 

「こ、ここまでして貰っているのにこれ以上の迷惑をかけるというのは……!」

 

「ああ、気にしないで下さいリゼさん。これは私にも利がある話なんです。教官役の探索者は一時的なギルド職員として登録できるので、お給料が出たり食堂がタダになったりしまして……」

 

「だ、だが普段の稼ぎよりは減ってしまうのではないのか……?」

 

「それは、ええと……」

 

「まあ確かに、私達もそう多くは出せないからな、それは事実だ。だがそこは問題ない、これはマドカにとって何より利のある話になる」

 

「え、えへへ……」

 

なんだか申し訳なさそうな、しかし同時に嬉しそうな、そんな顔をしながら恥ずかしそうに頬を赤く染めて視線を逸らす彼女。彼女の白い肌は頰の紅潮を人よりも分かりやすく見せてしまうらしい。

色々と気になる事はあるが、そんな可愛らしい姿を見せられてしまえばもうどうでもよくなってしまう。自分を教える事で彼女にも何かしらの利があるというのなら、断る理由も無いだろう。

むしろ存分に利用して貰っていい。

それくらいの恩はもう受けている筈なのだから。

 

「それなら……今日からよろしくお願いします、マドカ教官」

 

「あわわ……!そ、そんな頭を下げないで下さい!名前も普通に呼んで貰っていいですから!」

 

「そうかな?……それじゃあマドカ、未熟な身ではあるが、どうか見捨てないで付き合って貰えるとありがたい」

 

「もう、見捨てたりしませんよ。私からも、よろしくお願いしますね。リゼさん」

 

お互いに頭を下げながら言葉を交わし、同時に向き直り、笑う。案外2人は相性が良く、上手くやっていけるのかもしれない。

そんな2人をエリーナも微笑ましげに見ていた。

 

ここはアーザルス連邦国の南端都市オルテミス。

世界に蔓延る絶望の原点であり、同時に未知の可能性と人々の願いが眠り集まる希望の街。

表裏一体のこの都市で果たして彼女は何を見、何を知るのか。それはまだ誰も何も知らない。それこそ目の前で微笑む美しい少女が何を抱え、何を思い、そこに立っているのかすらも。リゼはまだ、何一つとして知ることは出来ていない。




アーザルス連邦国……約200年前に誕生した連邦、現状では全ての人間と全ての種族がここに属しているとされている。世界の大敵とされる"とある存在"に対応するために各地に軍を派遣しており、各都市の方針に大きく干渉はしない方針を示している。成り立ちには神族とアマゾネスが深く関わっており、基本的には各族のトップが寄り集まって指揮を取っている。


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5.彼女が抱える物

ギルド長のエリーナとの面談が終わった後、初心者支援の申請は本当に驚く程に早く終わった。

最初に受付でリゼの懇願を跳ね除けていた人族の女性:エッセル。彼女はやはりというかギルド内でもそれなりに出来る女性であったらしく、マドカが書類を提出しに行った時には既に必要な処理の大半を終え、僅かな手作業の後にギルドカードと寮の部屋の鍵を手渡してくれた。

これはやはり探索者が今この街に居ない事によって仕事が少ないからという理由もあるのだろうが、それでもその状況に便乗して大半の職員が休みを取っているのも事実。結果的に仕事の負担は変わっていないのだし、彼女はやはり普通に優秀なのだろう。もしかすれば彼女からすればリゼはまだ妙なクレーマーの1人と思われているのかもしれないが、それはそれとして。

 

「おお、これは……」

 

与えられたギルド寮の一室はリゼが想像していた物よりもずっと綺麗な部屋であった。

ギルドの寮はギルド本部の直ぐ横の建物であり、そもそもギルド職員が住み込む為のその場所は十分以上に環境が整っている。ギルド職員には女性も多い為か衛生面の拘りも節々に見当り、一緒に部屋を見に来ていたマドカも同様に感心していたくらいだ。どう考えても祖父と共に暮らしていた山小屋よりも住み心地の良さそうなその場所に、リゼのワクワクが更に増したことは言うまでも無い。

 

それと初心者探索者向けの道具セットという物も、部屋を見て荷物を片付けている間に届いた。

中身は低級の防具一式と短剣が1本、ギルドや街のルールや探索時の注意点等が纏められている一冊の本、そして松明やナイフにコンパス等の細かな道具類の入った小さなポーチ。街で揃えようとすれば簡単に30,000Lは超えてしまう様な高価な代物だ。

どれもが新鮮で、またもや喜びの声をあげてしまったリゼは、それをまたクスクスとマドカに笑われてしまい顔を赤く染めてしまったりしたが、思っていた何倍も彼女の探索者生活は好調に始まりそうであった。

少なくとも胸部の防具の大きさが全く合っていなかった事以外には何の問題もない。

……そう、何の問題もない。

こんな事、別に今更なのだから。

山を降りてきて初めて入ってみた衣服店でも同じような事態になったのだから、最早何も言うまい。

 

「んっんっ……そういうことですので、明日は午前中にダンジョンに入って、午後からはこの街について案内をしようかなと思ってます。大丈夫そうですか?んぐんぐ」

 

「あ、ああ、それはいいのだが……大丈夫かい?」

 

「?……んっ、私は大丈夫ですよ?やっぱりギルドの食事は美味しいですし♪」

 

「そ、そうだね。私もそう思うよ、うん」

 

さて、そんな訳で今2人はギルドの食堂に居た。

ギルドの食堂は数多の地方の料理を多数扱っており、様々な種族の者達が十分に満足出来る事で有名な場所でもあった。他所と比べて少しばかり値は張るとは言え、無料で飲み食い出来るギルド職員以外でもその大きな食堂を訪れる者は多い。

そしてリゼが取得した初心者マーク付きのギルドカードを使えば、勿論割引が適用される。3割引きだ。

リゼが頼んだ栄養バランスの良い定食が1,500Lだとして、これが1,050Lとなる。女性としてはそれなりに食べる方であるリゼでも満足出来る様な量が1,050Lで済むのならば、これはかなり良心的な方だろう。少なくとも味にもリゼは満足していた。むしろ割引きが適用される間はこの食堂を使わない事は損だとも言える。

 

「………」

 

だというのに、彼女は今どうしてこうも困った顔をしているのか。

料理や食堂に対して何か思っている訳ではない。

それに文句はない、特に何か嫌という訳でもない。

ただ単純に、驚いて、困っているだけなのだ。

目の前の光景に。

目の前の、同席しているリゼが恩ばかりを感じてしまっている美少女のマドカが作り出している、このおかしな光景に。

 

「マドカは……その……食べるのだな、意外と」

 

「へ?……あ、あはは。なんだか恥ずかしいですね。ごめんなさい、みっともない所を見せてしまって」

 

「い、いやいや!そういう意味で言ったんじゃないんだ!たくさん食べる女性は私も良いと思う!食の細い女性よりもずっと安心して見ていられるというかだな!」

 

「ふふ、優しいですねリゼさんは。ありがとうございます」

 

「あ、ああ」

 

マドカ・アナスタシアは、物凄く、食べる。

自分よりもずっと背が低く、本当に抱き締めてしまえば折れてしまいそうな程に細く、儚く、か弱く見える彼女。しかしその印象とは対照的に、彼女はとにかく沢山食べていた。

今彼女の目の前には大皿3つ分の料理が有り、更に横には4皿程空になった大皿が積み重ねられている。そしてそんな料理達を彼女はとても丁寧な所作で綺麗に残さず食べているのだから、事実まあ見ていて気持ちは良い。ただ単純にそこまで食べるという事を知らなかっただけで。一体それだけの質量が彼女の身体のどこに収まっているのか気になるだけで。

 

「なるほど、私の教官役がマドカにとっても利があると言っていた理由が漸く分かったよ。君が困っていたのは食費だったんだね」

 

「うっ……そ、そうです。ごめんなさい、利用してしまった様な感じになってしまって。私は基本的にどれだけ気を遣っても食費だけで1日に10,000L近く使ってしまうんです。この食堂で普通に食べようとすると30,000Lくらいは軽く行ってしまうというか……」

 

「最低でも月に300,000Lか……なるほど、それは確かに大変だ。いや、本当に気にしないでくれていいんだ。私はもうマドカから十分に世話になっているし、こんな事でも君の役に立てるのならむしろ嬉しいくらいだからね。本当に申し訳なく思う必要なんて無い、むしろそうして嬉しそうに食べている姿を見せてくれた方が私は嬉しいよ」

 

「……!ふふ、リゼさんは意外と人誑かしですね」

 

「マドカほどではないんじゃないかな、ふふ」

 

リゼのその言葉に少しは安心してくれたのか、また大皿を平らげる作業へと戻るマドカ。美味しそうに食べる彼女のその姿は見ているだけでも微笑ましくなるものであるが、リゼも見ていればやはり何となく気になるものだ。彼女のあの小さな身体のどこにあれほどの量の食べ物が入るのかということを。

彼女の凄い所はあれだけの量を食べながらも、しっかりとバランスが取れた食事をしている事だ。サラダからメインまで悉く大量に食している。そして飲んでいるのも大きめのコップに入った大量の水。どれだけ圧縮しても体積だけで彼女の頭一つ分くらいはあるのではないかというほど……彼女は胃袋の中に肉食獣でも飼っているのだろうか。

そんな彼女の事を食堂のおばちゃん達もまた微笑ましげに見てくれているのも彼女にとっては救いかもしれない。もし嫌がられでもすれば、彼女なら2度とここで食事をする事は無くなるであろうから。それくらいは会ったばかりのリゼでも容易に想像できる。

 

「ふぅ、美味しかったです。やっぱりギルドの食事はいいですね、自分で作るよりずっと美味しいです」

 

「すごいな、10皿いったのか。もしかしてこれで腹八分目だったりするのかな?」

 

「!?え、えっと……えへへ」

 

「お腹の様子で決めているというよりは、最初から皿の枚数で制限を掛けているという感じに見えるね。もう少し食べた所で誰も文句なんて言わないだろうに」

 

「駄目ですよ、そうして満腹になるまで食べる癖を付けてしまったら元の生活に戻った時に困ってしまいますから。あんまり甘やかしたら駄目なんです」

 

「なるほど、そういうものなのか。いずれは君を毎日満腹にさせられるくらい稼げる様になりたいものだ」

 

「ふふ、そんな事になったら流石に食堂の方々が泣いちゃいますよ。私は今の生活で満足していますから、こうして美味しい食事を他の誰かと楽しく食べる事が出来るだけで十分です。それ以上は望みません」

 

――なんとなく、なんとなくリゼはマドカのその言葉に違和感を持った。

まるでそれ以上の事を望むことは良くない事だと、考えるべきでない事だと、暗に彼女がそう言った気がしたから。

そしてそれをリゼが感じ取った事にすらも気づいた様にマドカが両眼を閉じて水を啜りながら言葉を被せる。彼女に余計な心配をさせないようにと、そんな思惑を隠さず誤解を紐解く様に。

 

「【邪龍】というものを、リゼさんも当然ご存知ですよね」

 

「……ああ、この世界に5体存在する強大な力を持った龍種の事だね。40年前に1体の討伐に成功したものの、相当な規模の被害が出たと聞いているよ」

 

「ええ、その通りです。40年前の討伐時には参戦した主力ギルドがほぼ全て壊滅し、当時の英雄までもが命を落としました。勝利して得た物には決して見合わない程の被害を受け、国全体に絶望的な雰囲気が蔓延したと聞いています」

 

「それほどの……」

 

「……そして、私達探索者は3年前にも邪龍を一体討伐しています。それはご存知ですか?」

 

「なっ!?そ、そうだったのか!?」

 

「ふふ、やっぱり知りませんでしたか。邪龍と言っても、外に逃してしまえば邪龍と呼ばれていたという意味ですから。つまり新たに生まれた邪龍候補を出現と同時に討伐した訳です。私も当時手伝い程度ですが、そこに加わっていました」

 

「!!」

 

現在の世間一般で、邪龍の存在がどう伝わっているのかをリゼは知らない。リゼの知識としてあるのは、あくまで書物や古い記事にあったものだけだ。むしろ最近の事柄についてはかなり疎いと言ってもいいし、世間的な常識というものにも詳しくはない。

故に邪龍に関しても、存在や言い伝えは知っていても、生態などと言った詳細な情報は少しも知識にはなかった。それこそ、その邪龍達が何処から生まれ出て、何処へ旅立っていくのか、公表されていないそれ等の情報をリゼだって当然知るはずがない。

 

「リゼさんはこの街の探索者になるので、邪龍とダンジョンの関係について知る権利があります。聞きたいですか?」

 

「あ、ああ。私にも聞かせて欲しい」

 

「……単純に言ってしまえば、都市生誕祭、又は都市成立記念祭、探索者追悼祭とも呼ばれる今行われているこのお祭りは、形だけの、単なる建前でしかありません。その本来の目的は、オルテミス近海の海岸付近に年に1度の間隔で出現する強力な龍種を討伐すること」

 

「!!」

 

「そして真に邪龍となり得る強大な力を持った龍種は、大凡50年に1度の周期で出現します。例えば、それこそ3年前に私達が数多の犠牲を出しつつも、考え得る限り最小規模の被害で討伐する事に成功した【六龍ゲゼルアイン】がそうです。私達探索者に与えられる義務には、これらの龍種への対処もある訳です」

 

「……つまり、今この街に探索者が殆ど居ないのは」

 

「そうです、皆さんこの付近に出現した龍種の討伐に向かっているからです。いくら邪龍候補でなくとも、決して弱い訳ではありませんから。仮にもし何らかの例外で邪龍候補が出てきた場合にも備えて、戦力になる方々の大半は出動しています」

 

リゼはマドカから聞かされたその事実にただ呆然とするしかない。物語で何度も大いなる災厄として語られているあの邪龍達が生まれた土地こそがこのオルテミスであり、今も新たに邪龍が生まれようとしているという事など。そんな龍種の相手をこの街の探索者が行なっているという事は、きっとリゼがここで探索者にならなければ知ることは無かった。

 

「この件については、街の外の者達には非公開という事なんだね……?」

 

「知っているのはこの街のクラン所属の探索者と一部の商人や職人、ギルド、そして他の街の有力者達だけということになっています。この街の人間であっても積極的に教えられる事はありません。徹底管理という程でも無いんですけどね、基本的には広めず隠す様にというのが方針です。まあ一緒に住んでいる訳ですから、皆さん本当は分かっている筈ですし、本当に知らないのは3大都市以外に住んでいる様な方々だけでしょうけど」

 

「クラン所属の探索者……だが、私はまだそのクランとやらには所属していないはずだ。ならば何故教えるんだい?」

 

「……単純に、私がリゼさんに知っていて欲しかったんですよ。探索者という職業は他の誰よりも真っ先に危険に挑まなければなりません。こんな風に楽しく食事が出来る事もまた、いつまで続くか分からない様な危険な仕事なんです」

 

「……!」

 

憧れと勢いで足を踏み入れたこの探索者の世界。つまりマドカが言いたいのは、本当にその危険を犯してまで探索者になりたいのか。そして、今ならまだ引き返せるという提案。

ここまで探索者になる事に協力してくれていた彼女ではあるが、むしろこんな危険な世界にリゼを入れてしまった事に対する少しの罪悪感もあったのだろう。

ギルドの方針としては、新たな探索者は積極的に支援し、より戦力を増強していく事を優先している。そのギルドと関係の深い彼女もそれに協力はしているが、彼女自身も探索者である事からその危険性もよく理解している。故に今、彼女の中ではその2つがせめぎ合っていたのだ。まるでここまで協力してくれた事すらも罪であると感じてしまっている様に。

 

「……マドカ」

 

「はい」

 

「それでも私は、探索者をやるよ」

 

「!」

 

「これは私の夢なんだ、ずっと思い描いていた理想でもあるんだ。きっと綺麗な事ばかりじゃない、辛い事もたくさんあると今のマドカの顔を見れば分かる」

 

「それなら……」

 

「でもそれでいいんだ。そうだとしても、もしその時に耐えられなくなったとしても、私はその日までは探索者をやっていたい」

 

「リゼさん……」

 

「それに私の夢は物語になるくらいにカッコいい探索者になる事だからね。そうして世界中の子供達に私と同じ様に夢を与えたい。どれだけ辛く苦しい事があったとしても、それを乗り越えなければ物語にはなれない。そうだろう?」

 

そんなリゼの言葉に目をパチクリとさせるマドカ。珍しい彼女のその表情と、なんだか少し臭くはあった自分の台詞に思わずクスクスと笑い出してしまったリゼに続いて、マドカもまた口元に手を当てながら笑い始めた。

明日からもまたマドカに頼り切りになる、だからこそせめて彼女には笑っていて欲しい。その考えはまあ確かに本心ではあるのだろうが、やはりその根底にはリゼの美人好きという癖があるのだから何というべきか……ニマニマと目の前の同世代の少女の笑みを見ているリゼの姿はなんとなく危ないのかもしれない。




邪龍……アーザルス連邦国最大の敵にして、この世界における最大の脅威とされる存在。種族大戦が集結せざるを得なかった原因でもあり、世界中に多くの爪痕が残されている。オルテミス近海より生まれ出た龍種の中でも特に凶悪な力を持った存在の総称であり、基本的にアーザルス連邦国の総力と同等以上の存在に付けられることが多い。過去に7体が記録されており、うち2体は討伐済み。


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6.初心者探索者向け冊子

 

「ふ、ふへ、ふへへぇ……」

 

ギルド寮の一室から聞こえてくるそんな奇妙な蕩け声。同時にパタパタという両足を動かす音と、ギシギシとベッドが軋む音が聞こえて来る。

リゼ・フォルテシア。

別にやましいことをしている訳ではない。

彼女は今自身の部屋のベッドの上で2つのスフィアを目の前に並べながら、マドカの前では決して見せられない様なあまりにも情けない顔をしてニヘニヘと笑っていたのだ。

 

「初めてのスフィア、初めてのスフィアだ……!それも一つは私が手に入れたもの、もう一つはマドカにプレゼントされたものだなんて!」

 

自身の秘石の横に並ぶその2つのスフィア。

ドラゴンスフィアという物についてはリゼとて自身の調べられる限りでは調べ尽くしてきた。それが非常に美しい宝石の姿をしており、秘石に嵌め込む事で"2つ"の特殊な力を発揮するという事くらいは知っている。

そしてこのスフィア一つで安い物でも数万L、高い物ならば数十億Lにまで売値が付いてしまうという事だってあるそうだ。オルテミスの街の外ではこのスフィアはそこらの宝石なんかよりも遥かに価値のあるものであり、一つのスフィアがその家の家宝となっている事もあるということも知っている。

 

「スフィアは秘石に嵌め込む事で、起動型と自動型の2つの効果を発揮すると本には書いてあった。しかしこっちの『投影のスフィア』は起動型の効果しか無いともマドカは言っていた。それなら試すのならば『炎打のスフィア』からだろうか。

……ん?もしかしたらそれを見越してマドカは私にこのスフィアをプレゼントしてくれたのか?」

 

起動型のスフィアの効果というのは単純、秘石に嵌め込んだ状態でスフィアに手を触れることで効果を発揮する物のことだ。

例えばこの『炎打のスフィア』を起動すれば、打撃武器や拳や足、または頭部による打撃攻撃に炎属性が付与される。付与できる範囲が広い分、付与される属性の威力は他と比べて弱いという性能差もあるらしい。

ちなみに基本的にはこちらの効果がスフィアの名前に表されるという事だ、分かりやすくていい。

 

「問題は自動型の効果の方かな。こちらは起動型の様に派手な効果ではないというが、マドカから絶対に確認しておく様にと釘を刺された。確か初心者セットにあったこの冊子に基本的なスフィアの効果が書かれていると聞いたけれど……ああ、あった」

 

布袋に包まれたセットの中から一冊の書物を引っ張り出す。初心者探索者に必要そうな知識が諸々と挿絵なども含めて分かりやすく書いてあるそれ。気になるページは様々にあったが、取り敢えず今は必要なスフィアのページについて目を向ける。

そこにはいくつかのレア度の低いスフィアの詳細が書かれており、更に次のページからはオススメのスフィアの組み合わせなども記されていた。

この本の協力者として記されているのは、

『エリーナ・アポストロフィ』

『ヒルコ・ターレンタル』

『エッセル・レオキシン』

『アクア・ルナメリア』

『レンド・ハルマルトン』

『イデル・エルキネスタ』と、ギルド長と受付達以外は全く知らない名前ばかりが並んでいる。

しかしその横の著者の名前に目を通して見れば……

 

「『カナディア・エーテル』に、『マドカ・アナスタシア』……やはりマドカが関わっていたか」

 

こんな所でも見かける彼女の面影。

最早尊敬の念を通り越して崇拝に至りそうな情動を覚えたが、流石にその一歩は踏み込んではいけないと自身を押さえ付け、最初の行動に意識を戻す。

さて『炎打のスフィア』だ。

今は『炎打のスフィア』だ。

覚えるべきことは多くあるのだから、感動している暇はない。

 

『炎打のスフィア』のページには以下の様な記載がされていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・炎打のスフィア☆2【炎】-ALL-

パッシブ:体力が少ないほどSPD上昇(0〜2段)

アクティブ:炎打(ファイアーナックル)…30秒間打撃武器に炎属性を纏わせる

(炎打、水打、雷打、光打、闇打の5種類)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「パッシブが自動型、アクティブが起動型だろうか?エルフの言葉はあまり分からないのだけれど……なるほど、これは確かにマドカの言う通りだ。まさかスフィアが自身のステータスにまで影響してくるとは、組み合わせによっては自分の戦闘スタイルすら大きく変わってきてしまう」

 

例えばこの『炎打のスフィア』を3つ付ければ、一定の条件下でリゼの速度のステータスが6段階も上昇する事になる。これは事前に把握しておかなければ大事故が起こりかねない話だ、笑い事では済まされない。

 

「ええと、私の速度のステータスは……」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リゼ・フォルテシア 17歳 女性

スフィア1:

スフィア2:

スフィア3:

-ステータス-

Lv.8 初期値30+7

STR(筋力):D11

INT(魔力):G2

SPD(速度):E-7

POW(精神力):G+3

VIT(耐久力):E8

LUK(幸運):F+6

-スキル-

【星の王冠】…精神力と引き換えに意識・思考・認識能力を一時的に高速化する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

一度自身のステータスを秘石に表示させるリゼ。秘石の裏面を少し撫でるだけでそこに白い文字でこうして浮かび上がるのだから便利な物だ。

ステータスの読み方は単純。

G-を最低値の1として、そこからG-1、G2、G+3、F-4……とレベルが1つ上がるに連れて項目の何れかが1つ上昇するという仕組みだ。

どのステータスが上がり易いかは人によって異なり、自分では選ぶ事も出来ない。元に戻す事も出来ないとリゼは聞いている。

そうして見ると分かる通り、リゼは速度と筋力、そして耐久力に恵まれたステータスをしており、反面、魔力に関しては駄目駄目だ。傾向が極端過ぎて偶に笑ってしまいそうになるくらいの有様であると自負もしている。

 

「……だがこれはつまり、この『炎打のスフィア』を使う事によって、普段は大銃の重量によって相殺されてしまっている速度の強みを普通に生かす事が出来る様になるということになる。それは素直に良いことかもしれないね」

 

今更少ない魔力を伸ばした所で微々たる変化。

それならば長所を伸ばす事でより上位の相手にも対応出来る様になっておくのがベストだろう。

そもそも攻撃力は遠距離も近距離も十分なものを今は持っている、必要なのはそれ以外なのだから、敵からのダメージを減らす効果を集中的に付けていきたい所。

 

「ん。スフィアの色を揃える事で効果が増すというのもあるのか。……なっ!2属性のスフィアを同時に使用する事で特殊な効果も!?そんな事が!?

な、なになに?『炎打』と『光打』の同時使用で超熱効果が発生する、しかし『炎打』と『水打』では互いに効果を打ち消しあってしまう……むむむ、奥深いな。加えて3属性の同時使用はスフィアの制限上不可能となっているが、特定のスキルを持っている探索者であるならばこれが可能になる。詳細はカナディア・エーテル著『スフィアとスキルの相互作用に基づく秘石起源に関する推察』を参照のこと……?マ、マドカはそんな難しそうな本まで読んでいたのか。私も読んでみたい……!」

 

こうしてパラパラと目を通しているだけでも自分の知らない世界の情報が次々と頭の中に入ってくる快楽。リゼはこれが本当に大好きだった。

スフィアの組み合わせによって自身のステータスから戦闘スタイルまで変えられる、これはなんとも面白い話だ。こうなるとスフィア集めへの意欲も湧いてくるし、このページを見るだけでも色々と妄想も出来るというもの。しかもここに載っているスフィアは星2の低レア度のスフィアに関してだけ、星3以上のスフィアをもし偶然に手に入れる事が出来てしまったら……そう考えるだけでもワクワクは止まらない。

 

「……むぅ、流石にマドカについて書かれてはいないか。それにマドカと共によく書かれているこの『カナディア・エーテル』という人物も気になる。有名な学者なのだろうか?こういう時に一般常識に疎いというのは困るな」

 

これはあくまで初心者探索者向けの情報が詰まった一冊であるからにして、流石に探索者の個人情報などは載ってはいない。

ただ興味深いのは『投影のスフィアによる配信スケジュール』というもの。そこにはギルドや他探索者の依頼によって『投影のスフィア』を使用しての配信が行われる日程などが書かれている。

当然この都市成立祭によって殆ど探索者の居ないこの期間には全くと言っていい程に予定は入っていないが、リゼがこの街に着いてから今日までも幾つかマドカの名前が書かれている。もしかすればリゼがマドカの世話にならなければ彼女の名前がこの空白の期間にもっと多く載っていたかもしれない。

……まあそれはさておき、これさえあれば他の探索者の勇姿も見られれるというもの。このスケジュールが常に更新されると言うのなら、その度にギルドの告知用の掲示板をチェックする癖も付けるべきだろう。まずは何より知識、知らなければ分からないことすら分からない。

 

「それに街を探せば有名な探索者を紹介する宣伝本の一つや二つくらいある筈だ。私の様な一部の探索者の熱烈な追っかけだったり、流行り物好きは何処にでもいるはず。商人たちがその需要を見逃す筈がない」

 

最早サラッと自分が追っかけであると言った彼女であるが、その推察は間違ってはいない。有名な探索者は人々の憧れとなり、それがより多くの新人探索者を招く要素にもなる。故にギルドは『投影のスフィア』を活用する事で街の外の人間達にも探索者の勇姿を見せつけ、安全な階層を利用してイベントなどを開く事だってあるのだ。

そう言う面から言えば、特に容姿の良く実力もある探索者などはギルドにとっては偶像や象徴に仕立て易い存在でもあるし、実際にそういった立場を目標にこの街を訪れ夢破れていく者だって多い。

悲しい事に探索者になろうとして偶像になってしまった者は居ても、偶像になろうとして探索者にまでなれた者はなかなか居ないのだ。それ故に配信活動までしてくれる探索者というものをギルドは大歓迎で迎えるし、その活動の為の支援となれば全力で行う。

つまり、実を言えば適当に街を歩けば普通にあるのだ。探索者達を紹介する本や、そういった記事の載った新聞なんかは。

 

「まあ、だがそういう本の載り方は私の求めるものとは少し違うかもしれない。いや、でもそれでも十分に人々に浪漫だとか勇気だとかを与えられるのか。形が違うだけで私の求める物と同じなのか?……ふむ、難しいところだ。いや、全部載ればいい話ではあるのかもしれないけれど」

 

自分の夢が必ずしも自分の想像通りの形であってくれるとは限らない。しかしそこで足を止め失望する事なく柔軟に歩き進める事ができたリゼは、もしかすれば幸福な人間だったのかもしれない。

上述した通り、この街には人の数だけ夢があり、失われた命の何倍もの数の夢が失われていったのだから。夢を持ち前を向けているだけで幸福だと言ってもいいくらいには、探索者は死に近い。

 

「なっ!起動型の効果でもステータスを変化させるスフィアもあるのか!?き、気になる……!!」

 

まあ、彼女は夢どうこう以前に現状を楽しめているのだけれど。それが何より強いことなのかもしれない、もしかすれば。




スフィアについて……レア度は現在☆1〜☆5が確認されており、『投影のスフィア』のみがその例外に当たる。星の数が増えるほどに魔法の規模が大きくなるが、再使用間隔が明確に大きくなる。


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7.スフィアとステータス

リゼ・フォルテシアがこの街に来て2日目の朝。

寝心地のいいベッドで寝たからか少しの寝坊をしてしまい、ボサボサの髪で慌てて食堂に飛び込んで来た所を、既にとんでもない量の朝食を食べ終えていたマドカに見られクスクスと笑われてしまうという事件などもあったが、まあ他に特に何の問題もなく2日目は始まった。

その後に朝食を食べながらもボサボサの髪の毛をマドカに整えられ、周囲の職員達に微笑ましく見られて恥ずかしい思いもしたのだが、それも別に気にする話でもない。リゼ自身は大いに気にしていたが、それもまあ無視して良い。

 

取り敢えず、そうこうしつつも穏やかに朝食を終えた2人は、ある程度落ち着き見た目を整えた後、早速昨日話にあった様に再びダンジョンに潜る準備を開始した。

荷物はそう多くもない。

いつでも帰って来られる浅層の探索に、そう多くの物資は必要無いのだから。

 

「えっと、依頼はここに張り出してありますから好きな物を取って受付さんの所に持って行って下さい。難易度が高いものほど左の方に、低いものほど右の方に貼ってあるので気をつけて下さいね」

 

「ふむ、おすすめはあるのだろうか?」

 

「どうでしょう、やっぱり割りの良い依頼は朝早い探索者さん達が取って行ってしまいますから。この時期は他に探索者さんも居ませんし、今日はじっくり見てみてもいいですよ。リゼさんが気になった物を私が補足していきましょう」

 

「なるほど、助かるよ」

 

ギルドに存在する巨大な掲示板、そこにいくつも貼られている依頼の用紙をリゼはマドカに言われるがままにじっくりと読んでいく。

難易度の低い物は昨日マドカと共にこなした様な最浅層での採取任務や、低ランクのスフィアの調達。難易度の高い物になれば31〜34階層付近に存在している特殊な素材や、『投影のスフィア』を使いながら武器やスフィアの条件付きで20階層の階層主の討伐風景を見せて欲しい、などと言ったものまで様々にある。

報酬の差もやはりというかとんでもなく、例えば中層階層主の条件付き討伐となれば最低でも3,000,000Lの値が付けられている。

一方で最浅層での採取依頼となれば、多くとも3,000Lが関の山だ。

浅い層でより稼ごうとするならば、なるべく多くの任務を同時に受けてこなす必要があるのだろう。それは昨日のマドカも同じことをしていた。

 

「ちなみに、マドカは普段は一体どの様な依頼をこなしているんだい?」

 

「私ですか?そうですね……私はいつも昼前頃にここに来て、誰も取らなさそうに残っている物や、依頼期限が迫って来ている物を中心に処理していますね」

 

「それは、ギルドの為にかな……?」

 

「それもありますが、そもそもギルドが依頼を受理している時点で依頼主は一定の条件は満たしている訳です。報酬を高く設定すれば確実に達成される筈なのに、なぜギリギリの金額で設定して出しているのか……分かりますか?」

 

「……普通に考えるなら『なるべく節約したいから』だと思うけれど」

 

「ええ、それもあると思います。ですがそういった思惑の依頼は密かに下の方に職員さんは張り付けてくれています。……それでは、こうして上の方に張り付けてあるのに、あまり割りが良く無い依頼。これは一体なんでしょう?」

 

「……そうか!何かしらの事情があってお金は出せないが、急を要している依頼!」

 

「大正解です。まあこれは知らない探索者さんも多い話ですが、依頼書の張り付け方一つにしてもギルド職員さんは拘っている訳ですね。なので私はこういった物を優先的に処理しています。一応は全部の依頼を期日通りに納めたい欲はあるのですが、私も身体は一つしかありませんから」

 

そう教えられると、依頼一つにしても見方は変わってくるというもの。

例えばこの他と比べても報酬の少ない薬草の採取依頼。ギルドもその報酬金をギリギリで受けたとしか思えないのに、どうしてこうも上の方に貼られているのだろうか。リゼは依頼書を見ながら頭を回す。

 

(文字が拙い、自分の名前でさえもお世辞にも綺麗とは言えない文字……依頼人は老人?いや十分な教育を受けられていない子供か。そんな人物がわざわざ薬草の採取を願う理由となれば何がある?)

 

期限も最短で設定されている。

受理日も昨日の日付である事から、少なくとも昨日マドカが依頼を確認していた後に出された物だろう。報酬金額も端数が目立つ事から、『ありったけのお金を報酬として出した』という解釈がしっくりとくる。

 

(……恐らくは、ダンジョンの良質な薬草でなければ治す事の出来ない怪我や病にかかってしまった身内が居る、という所だろうか。地上では高価なそれを、仮に報酬が安くとも探索者の誰かが取って来てくれる事に賭けて)

 

リゼは思わずその依頼を手に取る。

なんとなく想像してしまった様子に、心を動かされてしまった。他にもいくつか依頼は持っていくが、リゼが探索者として最初に受ける依頼はこれでいいと心に決めていた。

 

「……ふふ、薬草はダンジョン6階層〜9階層の間で取ることが出来ます。今日のリゼさんの目標は5階層の階層主ワイアームの討伐になりますかね」

 

「ああ、やってみせよう」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。きっとその子の状況改善の為にエッセルさん達も動いている筈です。ここの方々は頼りになる職員さん達ばかりですから」

 

その後、依頼の受注を申請する為に書類仕事に勤しんでいる受付のエッセルの元へ向かったところ、リゼは彼女から始めて柔らかな笑みを向けられた。

これで最初のただのクレーマーの様な印象もマシになったかもしれない。まあ聡明な彼女であればあの時のリゼが必死であった事も知っていて、あの時の事も特に気にしてはいないのかもしれないが、それでも何となく認められた感じがしてしまい、リゼは素直に嬉しく思ってしまった。

 

 

 

 

「リゼさん!今です!」

 

「っ、『炎打』!!」

 

「ピギィイッ!?」

 

ダンジョン1階層、龍の首が飛ぶ。

昨日あれだけ空中からの落下攻撃に手こずらされたワイバーンも、やはり2度目となれば困難は殆ど無かった。

マドカから譲り受けた『炎打のスフィア』、その効果は打撃系の攻撃に炎属性を付与するというもの。今リゼの左腿に付けられている石板にはその赤い宝石が嵌め込まれており、ただ一度それに手を触れるだけで即座に逆手に持った大銃が炎を纏う。

リゼ自身のステータスも勿論あるが、ただの一撃で龍種の首を吹き飛ばす程の小爆発。にも関わらず傷一つ付くことのない銃の強度にも目を見張るべきなのだろう。これほど雑に扱っても壊れる事が無いそれは、果たしてどの様な材料で作られているのか。それは最早亡くなった彼女の祖父以外に知るものは居ない。

 

「それにしても、何というか……攻撃をする度にスフィアの名前を叫ぶというのは少し慣れないかな。初めては皆こういう感じなのだろうか」

 

「ふふ、恥ずかしかったですか?」

 

「……まあ、正直に言ってしまうとね」

 

それはマドカから教えて貰った事の一つ。

スフィアを使用する際には、必ずそのスフィアの名前に当たる物を声に出す癖を付けるということ。

これはどの探索者も最初に教えられる事であり、同時にどんな上級探索者でも守っている基本的なルールなのだという。しかしリゼからしてみればそれはそれで少し恥ずかしかったりもして……

 

「ダンジョン内での戦いは乱戦になり易いですし、龍種との戦いとなると周囲を伺う余裕も無くなってしまいます。基本的に集団での戦闘が多くなる以上、仲間に余計な負担を掛けさせない為にも徹底しておくべきなんです」

 

「なるほど……これはスキルの使用時等でも同じと考えていいのかい?」

 

「ええ、もちろんです。そうでなくとも特殊な技能等を持っている場合には、その技の名前も事前に決めて声に出すのが望ましいですね。その意味は分からなくとも、何か普通とは異なる事をしようとしているのは分かりますから」

 

「……ちなみになのだが、この銃を撃つ時も何か名前を叫んだりするべきなのかな?」

 

「もちろんです、立派な飛び道具なんですから」

 

「おおう……」

 

思わずリゼは頭を抱える。

銃をぶっ放す事に一体どんな名前を付ければ良いというのか。

使用するスフィア名を叫ぶ事は、まあいい。他の誰しもがやっている事なのだから、技名を叫ぶというよりは他者に伝えると考えれば、そのうち特に難なく慣れそうではある。

しかし自分で付けた技名を叫ぶとなると、それはもう本当に困る。リゼは物語になりたいのだ。その主人公があまりに奇天烈な技名を叫んでいたら様にならないし、かと言ってあまりに気取り過ぎても恥ずかしい。こんなもの、何日も掛けて考えなければならない様な大変な物である。今この瞬間に決められるものではない……けれどマドカの手前そうもいかず。

 

「その武器に名前とかはありませんか?リゼさんのお爺さんも職人さんでしたら、自分の作品に名前くらい付けていそうな物ですが」

 

「ん?ああ、そういえばそれがあるのか。……ええと、確かこの辺に書いてあった筈だよ」

 

「どれどれ?」

 

「あ〜……『マーキュリー・イェーガー』?どういう意味なんだろう?」

 

「良い名前じゃないですか!何だかカッコいいですし、それでいきましょうよ♪」

 

「そ、そうだろうか?個人的には少し気取り過ぎている様にも感じてしまうが……」

 

「そんな事はありません、私は好きですよ?次のワイアームとの戦いの時には早速使ってみて欲しいです」

 

「う……マドカがそう言うのであれば、まあ……」

 

灰となったワイバーンの死骸の中から魔晶を取り出しながら、リゼは照れ臭げにマドカのそんな言葉に流されてしまう。まあ他の誰に見られるとしても、今のところは目の前の少女が『カッコいい』と目を輝かせてくれるのだから、それならばもういいかな?となってしまうのだ。きっといざ他に周りに人が居る状況で叫ぶ事になった時には、また恥ずかしさを感じる事になるのだろうが。

 

「ええと……そ、そうだ!他にもスフィアを使う時の注意点なんかは無いのかい?今はトドメの一撃でしか使わなかったけれど、まさかずっと使っていられる訳でもないんだろう?」

 

「へ?あ、そうですね。リゼさんはスフィアを使うのも初めてなので、そこを説明するのを忘れていました。ごめんなさい」

 

話を誤魔化す為に無理矢理捻り出したその質問。しかしそれが意外と大事な事だった様で謝られてしまい、リゼはなんだか逆に申し訳ない気持ちになって頬をかく。ここから3階層までは特に何事もなく平和な空間、2人は歩きながら軽い授業の様な物を始めた。

 

「スフィアを使う上で大切な事はいくつかありますが、まず覚えておくべき事は使用間隔と消費する物についてですね」

 

「使用間隔と消費する物……消費するとなると、魔力になるのだろうか?私はステータス的に魔力(INT)はそう高くは無いのだけれど」

 

「いえ、そこは役割の問題ですね。基本的にスフィアを使用する際には代償として精神力(POW)の方を使用します。つまりスフィアを何度も使用したり、強いスフィアを使う際には、精神力(POW)のステータスが高い必要がある訳です」

 

「ええと、そうなると魔力(INT)は何の為に存在するんだい?魔法系のスフィアを使う際にも消費するのは精神力(POW)なのだろう?」

 

「はい、その通りです。なので魔力(INT)は実際に使用した際の効力の大きさに関係します。例えば魔力(INT)が低い人と高い人、この2人が同じように『炎打のスフィア』を使ったとしても、その威力には大きな差が生じる訳です。しかし精神力の消費量は変わりません」

 

「なるほど、そういう事か……つまり魔法使いとして大成するには、その両方のステータスが必要になると」

 

「まあ、ステータスの振られ方は規則性や傾向もよく分かっていないので、今のところ自分ではどうしようもないんですけどね。人によって最初から到達する形は決まってる、なんて話もありますが」

 

ステータスについてはリゼも軽く祖父から教えられた事はある。しかしその時には今のマドカ程に詳しくは教えて貰えなかったし、スフィア嫌いの祖父がステータスとスフィアの関係について言及する筈も無かった。

リゼは魔力(INT)の育ちがかなり悪い、現状では『炎打のスフィア』も多少威力を増すか打撃が炎属性を持っている程度の力しか出せない。しかしこれが魔力(INT)の高い者が使う場合となれば、熱量も増大し、規模もより大きな物になる。物理攻撃であっても攻撃範囲が広がり、複数のモンスターを纏めて薙ぎ払う事も可能になるだろう。

だが、そこに同時に筋力(STR)が無ければ物理攻撃という意味がなくなり、単に炎を打つけるだけの攻撃ともなってしまう。それはそれで使い所もあるだろうが、それならばそもそも他の魔法に適したスフィアを使うべきであって……

 

「ところで、使用間隔というものはどう言う話なんだろう?」

 

「あ、それはですね、スフィア毎に再使用出来るまでの時間があるんですよ。これはスフィアのレア度、つまりスフィアの内部に見えている小さな星の数で決まっていまして」

 

「星?……ああ、本当だ。確かにある。つまりこの『炎打のスフィア』は星2のスフィアということになるのか」

 

「ええ、そうです。スフィアにもよりますが、基本的に星1のスフィアは5秒、星2のスフィアは30秒辺りが再使用間隔だと考えて下さい。まあこの再使用間隔もスキルで短縮する人もいたりするので、やっぱりドラゴンスフィアと龍の秘石はセットで使う物なんだなぁ……と思ったりもしますが」

 

「そんな事まで出来るのか……本当に何なのだろう、このドラゴンスフィアというものは」

 

話を聞けば聞くほどに訳の分からない代物。これの調査の為に何人もの学者がこの街に住み着いて調査を行なっている理由も分かるというものだ。

まあ今はそんな事より、そろそろ3階層に辿り着くので頭を切り替える必要があるのだが。リゼは学者ではなく探索者になったのだ、ダンジョンの不思議に頭を使うよりも考えるべき事がたくさんある。

これから先、1人の探索者として物語になる為にも。




ダンジョンの休息階層について……5階層ごとに階層主と呼ばれる龍種が存在しており、その次の階層はモンスターの出現しない休息階層となっている。探索者達は新たな階層の環境に慣れるためにこの休息階層を利用しており、モンスターが出現しないために通常の魚や野生動物等も暮らしている。ギルドはこの階層の保全のために定期的に環境調査を行なっている。


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8.階層主ワイアーム

ダンジョン5階層へ向かう最中、マドカには全く襲い掛かって来ない癖にリゼを見るや否や襲い掛かって来るドリルドッグを何度も何度も殴り付けながら、2人は穏やかに歩いていた。

その大銃で頭を思いっきり殴り付ければ、そのまま灰となって魔晶を残し崩れ去っていく角犬達。しかし彼等は倒せど倒せど次々とダンジョンを構成している真っ白な壁面からまるで粘土の様に生み出されていくのだから、厄介どころか気味が悪いとすら思えてきてしまう。

 

「本当に何なんだ、このダンジョンに生息するモンスター達は……」

 

「不思議ですよね。とある学者さんによると全くの同個体が生み出されているみたいですよ?記憶の引き継ぎは無いので、行動パターンは殆ど変わらないみたいですが」

 

「……それはつまり、階層主も同じという事なのだろうか」

 

「ええ、そうみたいです。私もあまり詳しくはないのですが、どうも倒したモンスターの灰も床や壁に溶け込んでいるみたいなんですよね」

 

「けれど、外のモンスターも倒せば灰にはなるだろう?」

 

「……となると?」

 

「まさか……外に居るモンスター達はその全てが元はダンジョン産?」

 

「という学説もあります、あくまで一説ですけどね。まだ灰の一粒一粒を解析する様な方法もありませんので、誰にも詳細は分かりません」

 

「な、なんと……」

 

「ふふ、リゼさんは本当にこういう話がお好きですよね。リゼさんの為にも私も今度そういうお話を勉強して来ないとです♪」

 

「あ、いや……!すまない、私の悪い癖なんだ。どうもこういった不思議な話というか、そういうものにめっぽう弱くてね」

 

「リゼさんってもしかしてオバケの話とかもお好きですか?」

 

「……恥ずかしながら大好物だよ。祖父が持っていた怖い話を集めた書物を何度も読み返していたくらいさ」

 

「ふふ、いいじゃないですか。恥ずかしがる様な趣味ではありませんよ」

 

「うう、つい先程探索者として切り替えたばかりだというのに……自分が恥ずかしいよ」

 

そんな風に思わず顔を赤くしながらも、襲い掛かって来る犬共を大銃で吹き飛ばすリゼ。

リゼは魔法やドラゴンスフィアに強い興味があったが、しかしその興味の対象はもっと大きな物。不可思議な物、存在すら不明な物、様々な伝説や噂話、作り話などの現実とは思えない出来事。そういった物が大好物なのだ。

幼い頃に人が死した後に再び霊体となって現れる小説を読んでいた時には、夜に一人でトイレに行く事も出来なくなる程に影響されてしまった癖に、何度も何度も繰り返しその本を読んでいた。

ただの人族でも魔法が使える様になり、その力を使って悪の組織を打ち倒すという小説を読んでいた時には、祖父が工房に籠っている事をいいことに何度も何度も小説に出てきた魔法を詠唱してみたものだ。

彼女は根本的にそういう話に興味津々なのだ。

何度も何度も気を取られて話し込んでしまうのには、そういった理由もある。

 

「……よし、まずは5階層の階層主を倒さないといけないね。何事も話はそれからだ」

 

「もう大丈夫ですか?」

 

「ああ。……ただマドカ、明日の午後とかに時間が取れればいいのだが、昨日少し話していた講義の様な物をお願いすることは出来ないだろうか?どうもこの雑念を断つには一度じっくりとそういう話を聞いた方が良い気がするんだ」

 

「ふふ、それは構いませんよ?2人でじっくりとお話ししましょう。私も楽しみです。……ワイアームは空を蛇の様に飛び回る巨大な龍です、口からの空気弾と突進が主な武器になります。様子を見て助けに入ろうと思いますが、気を付けて下さいね」

 

「ああ、見ていて欲しい」

 

マドカにそう伝え、パァンっと勢いのままに両頬を赤くなるくらいに強く叩く。今度こそ頭を切り替え、マドカの講義という楽しみも作った彼女は、その自慢の大銃を手にして5階層へと続く階段に足を踏み入れた。

下に降り始めて最初に気が付くのは、2〜4階層の草原地帯の面影はそこから先には完全に消えてしまい、1階層でワイアームと戦ったあの場所に似た洞窟の様な空間が広がり始めたという事だ。

どの階層主もこの様な空間に住んでいるのかどうかは分からないが、確かに感じるのは下階層から吹いて来る少しの風。これはワイバーンの時には無かった物だ。そして同時に少しの圧というか、ピリピリとした感覚も覚え始めている。

 

「……見えた」

 

その主は、決してどこにも隠れてなど居なかった。

階段を降りる音、生物の気配、空気の流れの変化、そういったものを察知する能力はあるだろうし、事実リゼがそこに現れるのを空龍と呼ばれるこの空間の主人はトグロを巻きながらジッと視線を合わせて見ていた。

しかしそれでも彼はワイバーンの時の様にただ盲目的に襲い掛かっては来ない。その侵入者を待ち構え、確かにこの空間に足を踏み入れるまでは動くつもりは無いのだろう。

薄暗い黄金色の鱗に覆われた、蛇の様な身体に幾つもの翼と龍の頭が付いた異形の龍種。成人男性程度の大きさしか無かったワイバーンとは異なり、正に龍種というべきか、その全長は5m程の大きさがある。

 

……そしてなにより、強者の風格がそこにはあった。

偶然にも今日この日は4階層でマッチョエレファントと呼ばれるワイアームに匹敵する程の力を持つ巫山戯た化け物とは出くわさなかったが、目の前のこれと同格と言われてしまうと、むしろそのマッチョエレファントの存在の方が信じられなくなる。それ程に目の前の主からは明らかな力量が感じられた。

 

「リゼさん、支援を……」

 

「いや、必要ないよ。私が一人でどこまで戦えるのかという事も知っておきたいんだ。……それに、探索者としての最初の依頼くらいは、自分の手で成し遂げたい」

 

「……わかりました、お気を付けて」

 

「ああ、行ってくる」

 

きっと、この足をあと一歩踏み入れてしまえば、ワイアームはリゼを排除すべき敵。又は自身の領域に踏み入った餌と認識して襲い掛かって来るだろう。

けれど、今日リゼはこの先の6階層まで進まなければならない。

恐怖もある、不安もある、けれどここを突破する事が自分の探索者としての人生の始まりであると、何の根拠も無いがそう感じている。

 

「……さあ、行くぞ!」

 

「頑張って!」

 

「ああ!!」

 

『キィィイイイイ!!!!!!』

 

動きは早かった。

リゼが走り出した瞬間にトグロを解き、鱗の隙間から大量の空気を放出しつつ空を飛び始めるワイアーム。その身体で空気の吸収と放出を行い、それと同時に翼を利用する事で空中を自由自在に動き回る事こそがワイアームの強みであると直ぐに分かった。

 

『キガァッ!!』

 

「っ、やはり接近戦は無理か……!」

 

空を飛び回る体部を殴り付けようと振り被れば、凄まじい勢いでそこから退避し、即座に突進を仕掛け様としてくる一連の行動。ワイバーンは一発一発の攻撃が重く、しかしそれは単発であったが、一方でワイアームは鉤爪、噛み付き、空気弾、体当たりを連続で繰り出す事で敵を追い詰める。

リゼを囲む様にして飛び始めたその包囲網から抜け出すために走り滑り込めば、即座にまた包囲網を築こうとする徹底ぶり。なんとか体の一部に打撃の攻撃を当てたとしても、打たれる瞬間に急激な空気の放出を行う事でダメージを軽減してくる防御性能。

 

「っ、『炎打』!!」

 

『ッ、キカァッ!!』

 

「なっ!?ぐぁっ!?」

 

そして何より厄介なのが、その知能の高さ。

スフィアを使って武器に炎を灯せば、即座に空中に距離を取り、空気弾で遠距離からの攻撃を行って来る。自分の強みをよく理解しており、かつ徹底した安全意識の様な物を感じる程の危機意識。僅か4階層違うだけでこうまで階層主のレベルが変わるものかと思う程だ。果たしてこれでは過去最高到達階層となっている50階層の主とはどうなっているというのか。

空中から何度も吐き出される目に見えない空気弾から大銃を盾にしながら走り回って逃げるリゼ、着弾しても大きく吹き飛ばされる事がないのは彼女のステータスと戦闘経験故によるもの。戦うことは出来ている。それほど絶望的な相手という訳ではない。

 

(しかし、このままではどうしようもない。あまり銃弾は使いたくないのだが、やはりこれを使わなければ勝てないのか?)

 

その大きさだけあり、一発一発の銃弾がそれなりのお金が掛かる上に、作成にも手間が掛かる。祖父と過ごした家から持って来ているのは全部で10発、昨日ワイバーンに使った物も含めると残り9発。

威力が威力だけに当たれば間違いなく勝てるのだろうが、それで勝てたとしても何となく納得が出来ない気もしてしまって。

 

(……いや、待てよ。厄介なのは飛行能力、ならばその飛行能力をどうにか出来ないか?)

 

リゼは盾にした大銃の影からジッとワイアームの動きを観察する。両手の様な巨大な翼は当然だが、身体にいくつかある鱗の隙間の穴からは空気の吸収と放出を絶えず行っていて、それがあの自由な飛行を可能にしている要因でもあるのだろう。

しかしリゼが気になったのは、それ以外にも身体にいくつも付いている小さな翼だ。恐らくはあれが細かな動きの調整を行なっている。一見大した事無さそうにも見えるが、あの巨体だ。大翼と空気穴だけではあそこまで繊細な動きは出来まい。そして恐らく顔に近い大翼と違い、視界の外にいくつもある小翼への警戒は他と比べて小さいだろう。

 

「よし……『炎打』!」

 

瞬間、リゼは迷いなく左足のスフィアを叩く。赤い炎が付与された自身の銃、しかし空中にいるワイアームにそれが届く筈もない。ワイアームもそれを分かっているのか何となく余裕のある動きをしているが、それが一つの命取りだった。

 

「せぇぇやぁあああ!!!!!」

 

『グカァッ!?』

 

祖父の唯一の形見と言ってもいいそれを、リゼは何の迷いもなく思い切りワイアームに向けて投げ付ける。驚いたのは当然それを見ていたマドカと、まさか唯一の武器を投げつけて来るなどと夢にも思っていなかったワイアーム自身だ。

慌ててなんとか避けようとしたものの、身体の一部にそれが当たり、ダメージ自体は大した事はなかったものの、大気を吸収していた空気穴から火炎が入り込んでしまった事で、その苦痛にワイアームはバランスを崩しながらその身を捻り始める。

……そして、そんな風に段々と高度を下げ始めてしまった敵に向けて、リゼは探索者セットに入っていた初心者用の短剣を手に持って走り始めた。

 

「今しかない……!!」

 

普通の人間ならば届かないだろう。

しかしリゼにはステータスがある。

そしてなにより、女性にしては高めの身長がある。

普段は少しコンプレックス気味のそれも、こういう時には役に立つ。

彼女はその身に宿る力の全てを使い、跳んだ。

その短剣によって小翼を切り飛ばす為に。

 

「せぇぇぇやぁぁぁぁああああ!!!!!」

 

『ギッ……ガァァアアッッ!!!!!?!?』

 

小翼を切り飛ばし、そのまま空気穴の一つに突っ込まれたナイフが、重力と勢いによってその肉体を大きく切り裂く。あまりの苦痛に空中で暴れてリゼは振り落とされてしまったが、それでもう十分だった。

繊細な身体の作りによって空中を自由に飛び回っていたあのワイアームが、苦痛と空気穴と小翼を潰された事で感覚が変わったからなのか、突然飛び方が下手になった。叫びながらも不自然な身体の動きをして徐々に落下し始め、リゼから逃れる為に最大速度でその場を離れようとしたにも関わらず、在らぬ方向へと飛んで行き壁に衝突する。今や空龍と呼ばれた存在はどこにも居ない、目の前にいるのは低い場所で何とか空を飛ぶ感覚を取り戻そうと必死になっている低空龍だ。

リゼの思惑通り、身体の半端な損傷によって返って飛ぶ事が困難になってしまったらしい。

同じ土俵となればもう負ける事はない。ワイアームに打ち当たり落ちて来ていた愛銃を手に取り、リゼはもう一度向き直る。

 

「『炎打』っ……!」

 

幾度目かのスフィアの発動、そろそろ精神力も限界に近い。これで終わらせる必要がある。

今や空を飛ぶより地を這った方が動きの早いワイアーム、それでも空を飛ぼうと残った機関を総動員してその場から離脱しようとした事は完全な失敗だ。それこそ空龍と呼ばれる程に空中戦が得意、どころか好んですらいるのだろうが、速度が出せなくなったのならば直ぐにでも地上戦に切り替えるべきだった。一部の空気穴が使えず、他の空気穴も性能が下がっている上に飛ぶ事に集中させている現状では、空気の噴出による防御術や単純な滞空状態での薙ぎ払いなどが本来の性能を発揮できないのだから。ある意味では高い危機意識が仇になった形だろう。

 

「はぁああ!!!」

 

『ガァッ!?カッ……!」

 

リゼが跳躍しながら振り下ろした炎を纏った大銃が、ワイアームの頭部に向けて叩き付けられる。地へと墜落し、粉々に砕け散る頭部の龍鱗。それでもと顔を上げて食らい付こうとした顔面を更にカウンター気味に殴り付ける。

リゼは決して武道を習っていた事はない。

しかし彼女は単純に目が良かった。

元々視力が良いだけではなく、自身のスキルの効果も含めて底上げされた動体視力は、既に上級の探索者に引けを取らない十分過ぎる性能を持っている。

ワイアームの目に見えない空気弾による攻撃や、四方八方からの連撃をたった1人で対処出来ていた理由はそこにあり、今更手負いの龍の噛み付きなど大したものでも無かった。

 

「……流石にタフだな。けれどあまり長引かせても酷だろう、この一撃で終わらせる!」

 

『炎打』の効果を不慣れながらにもコントロールし、手持ちの部分に握り替え、銃口部分に熱を移し替える。普段からグローブを嵌めているとは言え、熱を帯びていた銃は熱いには熱かったが、所詮はその程度だ。

2度にわたる頭部への強打を受けてフラフラになっているワイアーム。だが未だに負けを認めることのない彼は、残った全身の力と空気穴を利用して一瞬の溜めの後、最高速度で突っ込んで来た。恐らくリゼと同等程度の他の探索者ならば防げるかどうかも分からない様な驚異的な速さ。一瞬マドカも助けに入ろうと構えはしたが、しかし直後にリゼの様子を見て彼女は力を抜いた。

 

「――ああ、一瞬でも気を抜いていたら負けていたのは私の方だったろう。けれど、今回は私の勝ちだ」

 

炎を纏った砲身がワイアームの口内から頭部に侵入する様にして突き刺さる。巨大なその砲身は敵の速度に対してあまりに正確に突き込まれ、鱗のない体内から正確に龍の脳を破壊する様に配置されていた。

 

『………………ッカ』

 

完全に動きを停止したワイアームが、次第に灰に変わり始める。頭部を貫いた砲身に纏わりついていた脳や血も空気に触れた途端に単なる灰へと姿を変え、あれだけ硬く、それでも生物然としていた身体が脆く弱く崩れだす。

この命の奪い合いに勝ったのはリゼだった。

ワイバーンの時よりも一回り大きい龍晶と、青色のスフィアが転げ落ちる。それは正しく勝利の証であり、この命の取り合いが終わった事を意味していた。

 

「おめでとうございます、リゼさん」

 

「マドカ……」

 

「厳しそうであれば支援魔法でも使おうかと思っていたのですが、その必要もありませんでしたね。お見事です」

 

「いや、偶然上手くいっただけさ。もしワイアームが不意打ちを完全に回避していたら、もし短剣による攻撃が届かない位置にまで落ちて来なかったら、接近戦には持ち込めていなかった」

 

「でも、その銃本来の使い方もあったでしょう?」

 

「……そうだね。けれど、ここまで来たら意地の様なものかな。これが自分の力ではないと言うつもりもないけど、これを使わずに勝ちたいとも思った。弾を節約したかったというのも本心の一つではあるのだけどね」

 

「かっこよかったですよ」

 

「!……ふふ、駄目だな、マドカのその言葉はどうにも私の心に効いてしまうらしい」

 

駆け寄って来たマドカのそんな素直な賞賛に、思わず顔を赤らめ目を逸らしながらも銃から灰を払う仕草で誤魔化すリゼ。

こんな恥ずかしい顔を見せられまいと蹲み込んでスフィアと魔晶の回収を行う……前に、ワイアームの乱撃と最後の一撃によって自身も知らぬ間に傷となってしまっていた部分をマドカのポーションによる治療を受けた。

 

ワイアームから落ちた青色のスフィア、内部に存在する小さな星は1つ。レア度は最低ランクとは言え、水属性のスフィア。3つ目のスフィアだ。

正直ワクワクは止まらない。

マドカにポーションを直接素肌に塗りたくられてのドキドキも同時にあるけれど、この興奮は今やそれすら上回りかけている。

 

「マ、マドカ!このスフィアは一体なんなのだろう?」

 

「ふふ。ワイアームからは星1のスフィアが手に入りますが、星1のスフィアというものは現状では3種類しか確認されていません。その中でも水属性となれば……『回避のスフィア』ですね」

 

「『回避のスフィア』……!」

 

「どんなものなのかは実際に使ってみると早いと思います。最も探索者の使用率が高く、汎用性のあるスフィアですから、期待しても大丈夫ですよ」

 

「な、ならば早速……!」

 

勢いのまま、赤い宝石の隣側に新たな青い宝石を嵌め込んでみる。マドカの言い方から察するにこの場で即座に使っても問題が無いという事なのだから、リゼは心のままに直ぐ様にその新たなスフィアを手で叩いてみた。一体どんな変化が生じるのか。もう心の内をワクワクと興奮でいっぱいにしてみ、ながら。

 

「………」

 

「………」

 

「………ん?あれ?」

 

おかしい、反応がない。

何度も何度も繰り返し叩いてみる。

しかし一向に青色のスフィアは反応せず、どころか試してみれば赤色のスフィアの方も反応しないことにも気付いてしまった。諦めずに2度3度と叩いてみたり、秘石を叩いてみたりもする。……しかしそれでも直らない。スフィアは一向に反応してくれない。

 

「ど、どうしようマドカ!私の秘石が壊れてしまった!どっ、どど、どうすればいいんだ!?」

 

「ふふ、違いますよリゼさん。本当に秘石が壊れていたら、ただの女の子にそんな大きな銃は背負えないでしょう?」

 

「あ、それもそうか……だ、だがそれならば、これは何故!?」

 

ステータスは機能している。

秘石が機能しなくなるのは身体から離れてしまった時しかなく、壊れてしまったというのも物理的な破壊ならばまだしも、機械的な壊れたという物は全く聞かない代物だ。

だとしたら壊れたのはスフィアの方なのだろうか?

手に入れたばかりのもの、どころかマドカからプレゼントされた物をたった1日で壊してしまったとなると、リゼは普通に泣いてしまうのだが……

 

「もう、大丈夫ですよリゼさん。スフィアは配置を変更すると1分ほど使えなくなってしまうんです。だからもう少しすればまた使える様になります」

 

「え、あ……そ、そうだったのか、よかった」

 

「戦闘中に何度も取り替えれたら、そもそもスフィアが3つしか嵌め込めない制限が無いような物ですからね。……ちなみに、初心者さんはスフィアを隣り合わせて配置するべきではないですよ。こうして両端に付ける様に心がけましょう」

 

そうしてマドカはリゼの足元にしゃがみ込み、赤色のスフィアの位置はそのままに、青色のスフィアだけを反対側の端の方へと移動させた。真ん中の窪みだけが空っぽになる形である。位置変更を行ってから1分後という事なので、今からまた1分待つ事になるのだが。

 

「……そういえば、階層主も復活するという話だったかな。それは大丈夫なのだろうか」

 

なんとなく子供みたいに世話をされている自分の様に再度気恥ずかしさを感じながら、目を逸らして顔を赤らめていると、ふとワイアームの復活時間が気になった。モンスターは直ぐに壁から復活したが、階層主は一体どれくらいで復活するのか。リゼはまだそれすらも知らない。

 

「ああ、そうですね。歩きながらお話ししましょうか。ちなみにワイアームの復活時間は30分程なので、帰る頃にはまた出て来ますね。でも流石に帰りは私が対処しますよ」

 

「そうか、ありがとう。私も1日に2度もあれと戦うとなると流石に精神的にきつい」

 

「ふふ、それは仕方のない話です。任せて下さい」

 

その感じで行けば深層に潜った時には行きも帰りも何体もの階層主と戦う必要があるのか……という思い至ってしまった考えたくもない想定は飲み込んでおくこととして、とにかくリゼはマドカの横を歩き出口を目指すことにする。

それは50階層から先に最高到達階層が更新されない訳だ、と妙に納得しながら。しかしその問題はリゼにも直ぐに襲い掛かってくるだろう。だが今は目を逸らしておく。なんだか目を逸らしてばかりの最近だ。

 

「……あ、話を元に戻しますと、スフィアを両端に付けるのは押し間違いを防ぐ為です。戦闘中は上級の探索者でも偶に押し間違えて大損害を受けてしまう事がありますから、初心者さんは特にスフィアの3つ使用は避けるべきなんです」

 

「なるほど、そうか……たくさんあれば良いという訳でもないんだね。手札が多いのは良い事だが、その手札に迷うどころか、使い慣れてもいないうちは無い方がいいと」

 

「ええ、そういう事です。基本は攻撃系のスフィア1つと防御系のスフィア1つの組合せが推奨されます。その分で言えば今のリゼさんのスフィアの組み合わせは最高です、リゼさんにピッタリの装備と言えますね」

 

「1/3とは言え私は当たりを引いたということだね。最近の私は本当に運がいい、少し怖いくらいだよ」

 

階段を登って行く。

洞窟の様な階段のその奥からは、また2〜4階層の様な穏やかな光が入って来ている。その先にかすかに見えるのは緑、聞こえてくる音はかつての住処で聞き慣れた木々が揺れ葉達がそれぞれに擦れ合う音。その音に何となく心地良さを感じてしまうのは、やはりリゼが山の住人であったからか。少しだけ足を踏み出すのが軽くなった気がした。

 

「ちなみにもう聞いてしまいたいのだけど、『回避のスフィア』とはどういう効果があるのかな」

 

「えっと、単純にその場で後方に向けて吹き飛ばされるだけですね」

 

「……それだけなのかい?」

 

「ええ、それだけです。空中にいても水中にいても問答無用で自分の後方に向けて吹き飛ばされる、ただそれだけの効果です。ですがこれが戦闘中には物凄く役に立ちます。私も愛用の一品です」

 

「……ああ、そうか。ワイアームとの戦いが分かりやすいね。回避のスフィアを叩くだけであの包囲網から抜け出せる、直撃を受けても後方に自分から飛ぶ事でダメージを軽減できる」

 

「それと知能のある相手であれば、あり得ない挙動で後方に動くことになるので、不意打ちの一手にもなりますよ。まあ何をするにしても便利です。再使用間隔も5秒ですし」

 

「それは、確かに便利だね……単純に比較は出来ないけど、再使用間隔5秒というのはそれだけで価値がある様に感じてしまうよ」

 

そうこう話しているうちに、2人は6階層に足を踏み入れていた。

視界一面に広がる緑の木々、背の高い木々の間から漏れる少しの光。草花も多く、あちこちに直りかけ獣道が存在する森林地帯。

 

「さあ、ようこそ6階層へ。……とは言え、今日は薬草を見つけたらそのまま直ぐに帰りましょうか。待っている方も居ることですから」

 

6階層から9階層へ続く緑深世界。

当たり一面にこれでもかと言うほどに緑が詰め込まれた見通しの悪いこの場所は、数多の初心者探索者達の命を奪って来たという。

リゼはなんとなく唾を飲み込む。

この深緑の先に、何かとてつもない存在が居るような気がしてしまって……




・回避のスフィア☆1【水】-ALL-
パッシブ:自身のDEXを1段階上昇
アクティブ:バック…状況に関係なく自身にバック効果

水属性という縛りはあるものの、武器に左右されることがない。主に前衛からの需要の高いスフィアであり、高位の探索者であっても好んで使う者が多い。単純な効果ではありながらも、非常に汎用性が高い。


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9.オルテミスの街並み

 

「ん〜……9,400?まあ少し色付けて10,000L(ルーネル)でいいっすかね。優秀な探索者の卵に先行投資ってことで、ほい」

 

「い、10,000L……!すまないヒルコ!助かるよ!」

 

「エッセルからも今日のあんたの報酬は甘くしろって言われてるんで、別に気にしてくれていいっすよ。存分に感謝してくれていいっす」

 

6階層で薬草を採取り、エッセルに対して納品を行った後、リゼは魔晶の換金のために再び鑑定士のヒルコの元を訪れていた。

本当ならばこれから昼食を食べて街の案内をしてくれる筈だったマドカは、何やら緊急の要件があるからとギルド長のエリーナの部屋へと連れて行かれてしまい、今ここには居ない。

とは言え、彼女もそれなりに強い探索者だと言う。探索者の少ない今の時期、街の対処のために残されている彼女がこうなるのも仕方のない事ではあるのだろう。街を見て回りたいというのは本音なので、出来れば午後には帰ってきて欲しかったが。

 

「……にしても、2日でワイアームを単独撃破とは。アンタここに来た時のマドカ並みの逸材っすね」

 

「む、そうなのか?マドカも新人の頃から強かったのか」

 

「まあ、スフィア無しでワイアーム単独討伐するくらいには」

 

「……冗談だろう?」

 

「この街の上級探索者はそんなんばっかっすよ、いちいち驚いてても体力の無駄……むしろそれくらいじゃないと上級探索者になんかなれないっすから」

 

思わぬ所で聞けたマドカの話に、リゼは驚く。

彼女はなかなか自分の事を話してはくれない。だが彼女の周りに居る者達ならば、なるほど確かにこうして話してくれる。どころか、例えとして話しやすい人物であるのかもしれない。

目の前に座る気怠げな様子で客に対しても適当な敬語しか使わないこのヒルコという女性であっても、マドカには一定の評価をしている。探索者としての力を付けるためにも、マドカの生き方を参考にするべきだ……と心の中で言い訳をしつつ、リゼはその話を引き伸ばした。

 

「マドカはいつ頃から探索者を?」

 

「あ〜、襲撃の後っすから、6年くらい前?いやそれは街に来た時か、探索者になったのは5年前っす」

 

「たった5年で上級探索者になれるものなのか?」

 

「マドカはどっちかって言うと中級探索者の上澄みって感じっすけど、それも人によるっすね。100年近く生きてるエルフと40年生きてるヒューマンが同程度……かと思えば龍殺団の長は15の小娘っすから。40〜50年程度の実力差なんか本物の化け物は一瞬で追い抜くっす、アンタもこの街に住んでればそれが嫌でも分かるようになるっすよ」

 

溜息混じりにそう言うヒルコ。如何にも天才肌な雰囲気を持つ彼女であるが、彼女もまたそういった経験をした事があるのかもしれない。

なんせギルド長があのような明らかに戦場をいくつも潜り抜けてきた様な見た目をしているのだ、目の前の彼女やあのエッセルという受付嬢も、もしかすれば探索者上がりの職員という可能性もある。

 

「ま、アンタも二つ名が付けられるくらいになったら十分っすね。あんまり高望みせず、平和に死なずに生きるのが吉っすよ」

 

「……?二つ名?」

 

「10階層を突破した探索者にギルドから与えられる別名の様な物っす。それすら知らなかったんっすか?」

 

「いや、一体それに何の意味があるのかな、と。普通に名前と所属クランだけでも情報としては十分な気がするのだけれど」

 

「意味はあるっすよ。覚えやすい、知られやすい、士気向上、情景の形成、あとは単純にカッコいい」

 

「なるほど、それも探索者集めの一環という訳だね」

 

「半分くらいは先代のギルド長達の悪ふざけっすけどね」

 

「ち、ちなみにマドカの二つ名はどんなものなんだい?」

 

「【白雪姫】……マドカの母親の二つ名と、彼女の見た目が元っす」

 

「……いいじゃないか、二つ名」

 

「アンタ、マドカの話になるとなんかちょっと気持ち悪いっすよね」

 

結局、その後マドカは普通に帰ってきた。

午後からも特に問題なく街を案内してくれると聞き嬉しがっていたリゼを、やはりヒルコは妙な目で見ていたが……まあ最初から高かったマドカへの好感度がリゼの中で僅か二日で鰻登りになっているのは確かなので、特に気にする事なくお礼だけを述べてリゼは食堂に向けてマドカを連れて行った。

 

 

 

 

オルテミスの街、この世界で2番目に技術的な革新を引き起こしている港街。白色を基調とした統一感ある街並みには、常に内部を正常に保つ魔法防壁と消毒効果を付与された水が流れている事から、『水の都』、又は『世界で最も過ごしやすいのに最も危険な街』という二つ名すら持っている。

 

さて、リゼはそんなこの街に来てからダンジョンダンジョンダンジョンと、ダンジョンの事しか考えていなかった。ところが今こうして改めて街を見渡してみると、自分の唯一知っている田舎町とは似ても似つかない素晴らしく美しい場所であるという事に改めて気が付かされる。

……まさかこんな美しい街の近くから毎年の様に龍が生み出されているとか、そんな風にはまるで思えない程に。

 

「むしろ、そういった龍が生み出されるからこそです。定期的に壊滅させられるので、何度も新たな技術を使って新しい形に作り直せるんですよ。どれだけのお金を使っても元に戻すだけの価値があり、その必要のある街ですからね。この街の高い税金はその大半が復興のために充てられています」

 

この街にはダンジョン探索の為に必要なものが軒並み揃っている。そして日々その革新のために多くの技術者と商人達が奮闘している。彼等が居るからこそ探索者達は戦うことが出来、探索者達が居るからこそ彼等もまた熱意をそれだけに向けられる。

少し涼しいくらいのこの街は、けれど同時に火傷をするくらい熱い街でもあったのだ。この街の誰もが常に命を燃やしている、僅かに残る希望の光を信じて。

 

 

「ということで。こちらがポーション売りのお姉さん、リノさんです。150年近くこの町で薬売りをされていたお婆さんが数年前に隠居されまして、このお店が今の私のお気に入りなんです」

 

「ど、どうも。エルフのリノです」

 

「ああ、どうも。新人探索者のリゼだ」

 

「あ、あはは……あ、ポーションいりません?お安くしておきますよ?」

 

「ええと、どれくらいなのかな」

 

「安い物ですと1本800Lとかですけど、おすすめはこっちの1本5000Lのポーションです」

 

「……あー、入れ物以外に何か違いが?」

 

「ありません」

 

「え」

 

「ありません」

 

「あー……はい」

 

 

 

 

「こちらの方はドワーフのベテラン鍛治師、ガンゼンさんです。この大きな工房の主人でもあり、この街最高の腕を持つ鍛治師さんです」

 

「おう、マドカの嬢ちゃんの新しい弟子なんだってな?贔屓してくれよ、ウチは高ぇけどな!はっはっは!」

 

「どうも、リゼと言います。……ところでガンゼン殿は、銃を作ったことはあるのだろうか?」

 

「銃?いやぁ、ねぇなぁ。あんなもん使うより雷弾撃った方が早ぇだろ、探索者共なら」

 

「あはは……ええ、その通りです……」

 

「しかし銃か……くくく、面白ぇな。作ってみっかな、対龍用のクソデケェ奴をよぅ」

 

(やはり最終的にはそこに行き当たるのか……)

 

 

 

 

「そしてこちらは細かな道具の取引等を行なっているプレイちゃんです。日常品からダンジョン内での必需品まで、果ては他商人との繋ぎまで、商人としての素質はこの年齢で一級品ですよ」

 

「あー!もうもう!マドカさん!私はそんなに大きな商売はしてないんだから!あ、でもでも!たくさんたくさん利用していいんだからね!」

 

「……ええと、ちなみに何歳なのかな」

 

「11歳よ!7歳の弟が居るわ!ちなみに親は私達を残して蒸発したの!借金は私が耳を揃えてぜんぶ返してやったけどね!」

 

「……つまり、この子は天才なのだな?」

 

「ええ、天才ですよ?この子も」

 

「も……」

 

 

 

 

「最後に、こちらの全身真っ黒で素肌を隠している彼女はスフィア売りのデルタさんです。基本的に探しても見つからない神出鬼没な商人さんで、名前以外は何も分からない上にギルドすら把握していません。当然商業許可すら取っていない違法な売人さんです」

 

『………』

 

「い、違法な売人……!?本当に大丈夫なのか、マドカ」

 

「大丈夫ですよ、話してみて下さい」

 

「ええと……ス、スフィアは一ついくらくらいなんだろうか」

 

『………』

 

「あ、あの……」

 

『………哀レナ娘ダ』

 

「え」

 

『運命ニ縛ラレシ事ヲ知ラヌ哀レナ娘』

 

「う、んん……?彼女は何を?」

 

「さあ……私も良く分からないのですが、本人が本当に必要な時には売ってくれますので。今のリゼさんにはデルタさんのスフィアは必要無かったという事ですね」

 

「あ、ああ……あれ、彼女は?」

 

「神出鬼没なお方なので」

 

「ええ……」

 

 

そんなこんなで、午後いっぱいを使って街を案内されたリゼ。探索者には個性的な人間が多いと言う事は聞いていたのだが、まさか探索者以外の商人や技術者達までこうも個性豊かな面々であるとは夢にも思わなかった。

しかし商人や技術者も少しでも遅れを取れば直様に没落してしまうのがこの街。彼等の様なさいのうや執着、熱意、好奇心を持った者達が生き残るのは当たり前なのかもしれない。

 

「それにしても、この街は意外にも平和な様だね」

 

「?そうですか……?」

 

「うん、なんというか……もう少し喧嘩騒ぎの様なものがあると思っていたんだ」

 

「探索者さん達が帰って来ると、それなりにありますよ。もちろん悪い事をしている方も居ますけど、そもそもこの街の最大手のクランが街の警備も行っていますから。確かに犯罪率自体は少ない方なのだと思います」

 

「あの、私が本の中でよく見た悪い事を考えている貴族や政治活動家とかは居ないのかい?」

 

「そんな方々はこんな危ない街に拠点を置いたりしませんよ。仮に居たとしても、半端な頭ではこの街の商人や探索者、ギルドを相手に暗躍なんて出来ません。むしろこれ幸いにと絞り尽くされるのがオチですね」

 

「……実際にあったのかな、そういうことが」

 

「ええ、2年ほど前に連邦中枢に強い力を持っていたエルフ王家の女王の一人が何人かの護衛の方々と共にこの街を訪れまして……散々商人や探索者に騙され回された挙句、当時密かに街中で活動していた悪い方々に誘拐されてしまったんです」

 

「そ、それでどうなったんだい……?」

 

「ギルドから要請を受けた私と、この街で探索者として活動しているもう一人のエルフ王家の血を引く方がいらっしゃるんですけど、その2人で救出活動を行いました。幸い何事もなく救出は出来たのですが、精神的なダメージも大きくて」

 

「運が悪いとかいう話ではないな……」

 

身内には優しく、他人には厳しく……というよりは、自分達の活動を邪魔する者に対してはとことん厳しいのがこの街の風土の様なものなのだろう。

ダンジョンの探索で精一杯だというのに、政治的な問題まで持ち込んで来てもらっては困ると。ダンジョン攻略に協力するつもりが無いのなら、またはその支障となるのならば、2度とこの街に訪れたいと思わなくなるくらいに滅茶苦茶にしてやると、なんだかそういう気風の様な物すら感じる。

 

もしかすれば救出活動に向かった2人というのも、それくらいしか危険を冒してまで救出活動に行ってくれる様な人物が居なかったとか……いや、流石にそこまで酷い事はリゼとて考えたくはない。

少なくともこの街のギルド職員は良心的な人物ばかりだったのだから、今この街には居ない探索者達も優しい人間ばかりだと信じたい。

 

「……ん、もうこんな時間ですか。ごめんなさいリゼさん、私これから少し用事がありまして、今日はここでお別れという事でいいですか?」

 

「ん?ああ、それは構わないが……どうかしたのかい?」

 

「外に出ている探索者さんの中から何人かが中間報告のためにこれから戻ってくる予定なんです。彼等の出迎えとギルドへの報告に立ち会う様に言われていまして」

 

「なるほど、だからさっきギルド長の部屋に呼ばれていたんだね」

 

「そうなんです、今回は意外と長引いている様なので……という事で、明日はまた今日と同じ時間に同じ場所で会いましょう。今日はありがとうございました」

 

「ふふ、助かったのはむしろ私の方だろう?本当にありがとう。忙しいかもしれないが、私にも出来ることがあれば何でも言ってくれ。待っているよ」

 

「ええ、それでは」

 

大きく手を振りながら遠ざかっていく彼女を見送り、リゼは苦笑う。なんというか、やはり彼女は忙しそうな人物であった。

今はリゼの教官役として報酬を受け取っているとは言え、やはり彼女がリゼに付きっきりになっているからか普段より依頼の消化具合は少なくなっているという話を聞いた。

マドカがリゼに付き合っている限りは、今のところ7階層以上の依頼を受けるのは難しくなる。それでも生活はできるとは言え、困っている人間の依頼を見過ごせない彼女にすれば少しは歯痒い思いをしているのは間違いないだろう。

 

(……だが、今の私はマドカ無しでダンジョンに潜る事なんてまず考えられない。他の探索者を頼れない以上、解決法は私が早く強くなる事だけだ。むしろマドカに頼られるくらいに、最低限の力と知識を)

 

そんな事を考えながらも、リゼはそういえばと一つ思い出したことがあった。

リゼのレベルは8。

しかしマドカは一体どれくらいあるのだろう?

そもそもリゼはこの世界のレベルの基準というものがそこまでよくは分からないので、自分がどれだけ他の探索者達と比べて低いのかすらも把握出来ていない。マドカは中級探索者の上澄みと言われていたが、それもどういう基準での話になるのか。リゼにはまだまだ分からないことだらけだ。

 

「……勉強を、しないとね」

 

明日からもまたマドカを質問攻めにする日々が始まる。それがいつまで続くのかは分からないが、この機会は大切にしなければならないものであるということだけは、間違いないと分かる。




探索者の才能……基本的には当人のスキルとステータスの傾向によるものが大きい。秘石によるスキルは非常に多種多様で格差が大きく、そもそもスキルが発現しない者も存在する。戦闘に直接作用するステータスが全く伸びないということもあり、特に初期段階では才能による差が顕著である。もちろんそこを技術で埋めることは可能であるが、基礎的な最低限のステータスもなければ技術を磨くのは胆力がいる。


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10.主従の花

朝、リゼが食堂に今日こそ遅刻せずにやって来ると、普段は食堂の片隅の机で食事を取っている筈のマドカの席に、2人の見知らぬ女性達が座っていた。

一人はメイド服を着た黒髪の女性、もう一方は赤いカチューシャに赤と黒のミニドレスを着た金髪の女性。

当然、リゼはその2人のことは見た事すらない。

しかし2人のその清潔感のある姿からして、彼女達が確実に高貴な身分の人間であり、尚且つ主従の関係であるということも容易に想像が付いた。……その割には主人と従者が同じ席に着いていたり、マドカも含めてまあ楽しそうに食事を取っていたりもしていて、なんとなくリゼの想像している貴族とはイメージが異なっていたりもしているが。

 

(ん?そもそもこの街の人間は政治を持ち込む貴族を嫌うのではなかったのか?……いや、政治さえ持ち込まなければ問題はないのか?)

 

とにかく、いつまでもこうして食堂の壁から3人を覗き込んでいる訳にもいくまい。せっかく寝坊せずに来たのに、これで遅れてはそれも意味が無くなってしまう。

 

「マドカ、おはよう」

 

「あ、リゼさん。おはようございます、こちらの席にどうぞ」

 

「ああ、ありがとう」

 

意を決して声をかけてみれば、流れる様にマドカの隣の席に誘導されるリゼ。彼女と対面して食事を取っていた事はあるが、彼女の直ぐ隣に座った事はなかったため、妙に緊張してしまいつつも目の前の2人に視線を向ける。

 

(……美人しか居ないのか、この街には)

 

最初に思ったのはそんな事だった。

恐らく主人であると思われる金髪の女性は真っ赤な瞳が特徴的で、悪戯な笑みと共に何処か儚さを感じるような美しさを持っている。

対して従者と思われる黒髪の女性は純粋に美形といった容姿をしていて、主人とは対照的に健康的な印象だ。リゼほどには無いにしろ、女性としては背が高めな部類だろう。

その共通点に少しの親近感は湧いたものの、主従揃って抜群の美人。美人に弱いリゼにとって、美人3人に囲まれているこの状況はなかなかに心臓に悪い。

 

「ええと、取り敢えずお二人の紹介をしておきますね。彼女達は私がリゼさんの前に教官役をしていた【主従の花】というクランの探索者さんです。……と言っても、"主従の花"はお2人だけのクランなのですが」

 

「え、探索者だったのか。……ああ、いやすまない。突然来て失礼な事を言ってしまった。私はリゼ・フォルテシアという、よろしく頼む」

 

「別に構わないわ、探索者らしい見た目をしていないことは自覚しているもの。エルザ・ユリシアよ。よろしくね、後輩さん」

 

「私はユイ・リゼルタです。エルザ様の主人をしております、よろしくお願い致します」

 

「……ん?」

 

「私がこの子の従者よ」

 

「私がエルザ様の主人です」

 

「え……え?そっちが主人なのかい!?メイド服を着ているのに!?」

 

「ふふ、まあね。……あ、ユイ?お茶を取って来て貰えるかしら、無くなってしまったわ」

 

「かしこまりました、リゼさんの分もお持ちいたします」

 

「いや、本当にどちらが主人なんだ!?」

 

「ふふ、この子よ?」

 

「私です」

 

「ど、どうなっているんだ……?」

 

エルザという如何にも主人然としているにも関わらず自らを従者と自称する彼女と、ユイという完全に従者の立場に居ながらも主人を自称する彼女。

そんな2人に困惑していると、マドカはリゼのその様子を見てクスクスと笑い始める。どうやら彼女達にも何かしらの事情があるらしい。流石にそこまで出会ったばかり掘り出そうとは思わないが、マドカの様子からして、恐らく彼女達2人の姿を見てリゼと同じ様に困惑する者も多いのかもしれない。定番ネタという奴だ。

 

「エルザさんとユイさんは、昨日お話しした中間報告の為に街に戻って来た探索者さんなんです。エリーナさんへの報告は昨日既に終えていますので、今日は久しぶりのお休みという訳でして」

 

「お休みといっても、別に疲れる様な事はしていないのだけどね。向こうでも机に向かって報告書を作っていただけだもの、肩が凝るって意味では疲労はあるけれど」

 

「エルザ様、リゼさん、どうぞ。砂糖は少なめでよろしかったですか?」

 

「あ、ありがとう。うん、とても美味しそうだ。……ええと、マドカ、書類仕事とは?」

 

「百人単位の探索者が出動していますので、物資や探索者の管理が大変なんですよ。状況整理や打合せ記録簿の作成も含めて。そこを疎かにしてクラン間の問題になっても困りますし、ギルドにも報告書は定期的に送らないといけませんからね。そして『主従の花』のお二人は信用がある上に、書類関係の処理が非常にお綺麗なんです。そこで今回試しにと前半戦の現地での物資管理にギルドからの指名が入りまして」

 

「信用についてはマドカさんの教え子だからという理由も大きいのですが」

 

「はぁ、まさか探索者になってまで書類仕事をする事になるなんて思わなかったわ……あんな気色の悪い相手と戦うよりは随分とマシではあったのだけど」

 

実質的にリゼの先輩に当たるという彼女達。

そんな彼女達の話を聞いていると、なんだか後輩としても少しプレッシャーの様なものを感じてしまう。話を聞いている限りでは彼女達は既に探索者として十分に活躍出来る立場を掴んでいるのだから、そうなれる様にと少しの焦りを感じてしまうのも当然だ。

 

「ですが、レベル的にはリゼさんはお二人に近いですから。今後一緒にダンジョンに潜ってみたりしてもいいかもしれませんよ?」

 

「ん?そうなのかい?私はてっきり20レベルくらいはあるのかと思ったのだが……」

 

「それこそまさか、私達がこの街に来た時にはまだLv.3くらいだったもの。戦闘とは無縁だったから当然ではあるのでしょうけど」

 

「エルザ様はLv.11、私はLv.13です。とは言え、まだまだ戦闘には不慣れですから。無理矢理レベルだけを上げている事実もあります。いざ戦闘となれば如何にも経験豊富そうなリゼさんには敵わないかと」

 

「いやいや、そんなまさか……!」

 

「いえ、私の目から見てもリゼさんは戦闘力だけで言えばお二人に負けないくらいのものを持っていますよ。勿論、お二人が戦闘向きでは無い事と、そもそもダンジョン探索が目的では無いということもありますが」

 

マドカにまでそう言われてしまえば、リゼとて照れながらもその話を信じるしかあるまい。ダンジョン探索が目的では無いというのはよく分からないが、実力が近いというのは確かに今のリゼにとってはとても好ましい。

いつまでもマドカに頼っていられないとは言え、まだまだ探索者としては未熟な身。いずれは独立してパーティを組んだりクランに入ったりするかもしれないが、何にしろ集団戦の経験をするのは必要だ。それも相手が同じマドカの教えを受けた相手となれば、これ以上のことは無いだろう。

 

「あ、あの……!今度私とダンジョンに潜って貰うことは可能だろうか……?」

 

そんなリゼの言葉に目の前に座る2人も少し驚いた様な顔をしたものの、リゼのその言葉が少しばかり決心がこもり過ぎていたのか、クスクスと口元に手を当てて笑われてしまった。……なんとなく、そんな笑い方すらもマドカの笑い方に似ている気がしてしまって。

 

「もちろんです、むしろ私達からお願いしたいくらいには」

 

「そうね、歓迎よ。マドカと一緒に潜る事はあるけれど、偶には実力の近い相手と組みたいもの。かと言って他の探索者と組むのも抵抗があるし」

 

「最近は女性の探索者も珍しいですからねぇ、リゼさんは期待の注目株ですよ」

 

「え、そうなのかい?」

 

「ええ、そうなんです。浅い層までの日帰りならまだしも、深層に長期間潜るとなると女性には辛いですからね。それ用の薬もあるとは言え、基本的に男性の割合が高い世界ですから」

 

「ま、待ってくれ!そんな物もあるのか!?」

 

「欲しいなら後で売っている店を紹介しましょうか?……ユイが」

 

「……なぜそこで私なのですか、エルザ様。やめて下さい、こういう話を私だけに押し付けないで下さい」

 

「えぇ?別にいいじゃない、どうせいつも私のそういう物を揃えているのは貴方なのだし」

 

「それを人前で言うのはおやめ下さい……!」

 

「あ、もしよろしければ私も付いていきましょうか?お供しますよ?」

 

「ですから、それに一体何の意味があるのですか……!それなら私が自分で材料揃えて作りま……っ、普段からそうしていれば良かったのでは?」

 

「あら、今更気付いたの?偶に抜けてるわよね貴方、そういう所が好きなんだけれど」

 

「エルザ様……!」

 

やんややんやと、よく分からない会話をしながら2人にイジられるやはりどう見ても従者にしか見えないユイ・リゼルタを見てリゼも笑う。

マドカ以外の探索者を見たのは初めてであったが、そうして出会った相手が同じマドカの教え子であり、加えてこうして見た限りでは事情を抱えてはいても間違いなく善人であった事に胸を撫で下ろしたリゼであった。

 

 

 

そして午後、今日の午後の予定はマドカによる講義の時間である。

朝食時に出会ったエルザとユイの"主従の花"というクランの2人と別れた後、そう時間も無かった為に今日は5階層のワイアームをマドカが倒して依頼をこなしたりしたのだが……昨日リゼがあれだけ討伐に困難したにも関わらず、ワイアームはマドカによって一瞬で灰になったりもした。

単純なステータスの違いはあれど、あの硬い鱗を持った階層主を『炎斬』で一撃である。彼女はSPD(速度)とINT(魔力)に偏ったステータスを持っているというが、その技能さえも一級品。リゼの様にスキルを使った視力無しにカウンターを決めた様は最早美しくすらあった。

 

(……いや、それはさておき)

 

さておき。

ここはギルドの一室。

ギルド内には著名な人物からの講義や、ギルド本部から各クランの代表に通知や報告を行う為の講義室がいくつか存在している。

当然この時期には誰からも使用されていないこの部屋は、今日ばかりは単にマドカからリゼに対して個人講義のために借りられており、今マドカは教室の前面にある黒板に何かを書いている。

その手慣れた感じからして、きっと彼女はこういう事にも慣れているのだろう。果たして自分は彼女の何番目の弟子にあたるのか、当然リゼもそこは気になってしまう。

 

「……ところで」

 

「ん?」

 

「その、何故ギルド長がここに?」

 

「居たら都合が悪いのか?」

 

「あ、いや、私は構わないのだが……純粋に気になったというか」

 

「私もマドカの講義というものを一度聞いてみたかったんだよ。それに仕事も少し落ち着いて来たのでな、気分転換だ」

 

「……本当にそれだけなのですか?」

 

「もしマドカの講義の質が良ければ、新人探索者向けの講義というものを開こうと考えている。各クランで新人の育成は行なっているが、方針が滅茶苦茶なのでな。それが出来ればクランの負担も減るだろう?」

 

「ええと、それではマドカの負担が増えるだけなのでは……」

 

「"主従の花"の2人と、もう2人の教え子達のおかげでマドカの負担も大分減って来た。君にも期待しているからな」

 

「は、はぁ……」

 

何故かリゼの隣で同じ様に紙とペンを持ちながらニヤニヤと笑っているギルド長:エリーナ・アポストロフィ。しかし当のマドカはそんな事は少しも気にせず、黒板に書き終わったそれに一度頷いた後、知らないうちに座っていたエリーナに笑いかけると、当然のように講義を行い始めた。もしかすれば彼女はこういう状況にも慣れているのかもしれない。それはつまり、それだけエリーナがマドカにちょっかいを掛けているという意味でもあるのだろうが。

 

「さて、今日の講義のお題は【クラン】についてです。リゼさんも将来的には何処かのクランに所属する事になります。自分で作るか、既存のクランに入るのかは分かりませんが、この街で生きていく上で最も重要な知識ですので、これについてはしっかりと覚えていって下さいね」

 

「わ、わかった。よろしく頼むよ」

 

ニコリと笑う彼女。

何処からともなく取り出した伊達眼鏡をかけた彼女はむしろノリノリだった。眼鏡をかけた彼女もまた雰囲気が違っていい……というのは今は胸の奥にしまい、リゼも意識を切り替えてしっかりと勉強モードに入る。

 

「まずクランというのは、探索者が複数人集まって作る集団のうち、ギルドによって正式に認められたものを指します。ギルドに認められていない集まりははクランとは呼ばれません」

 

「なるほど……それこそつまり、申請に書類作成とかが必要になる訳だな」

 

「ちなみに私が言うのもなんだが、クラン申請の書類関係は非常に面倒臭いし、簡単に許可も降りない。故に初心者や頭の悪い奴等ではクラン申請なんて普通は考えられない話だ。……の筈なのだが、その辺りをこの街に来て直ぐに片手間でやったからこそ、"主従の花"は私達も一目置いているという訳だ」

 

「ふむふむ、そこに話が繋がるのか」

 

「一応、クランに入るメリットは多いですよ。例えば身元の保証や信頼をクランの名前で得られること。クランに入っていないと得られないギルドからの情報なんかもあります。次にスフィアやパーティの融通が行えること。これは主に大手のクランの話ですね。最後にクランが保有する施設を使用できる事。これはお抱えの商人や技術者、書物なんかの事を指します」

 

「書物……それは私も少し気になるものがあるかな。デメリットはどんな事があるんだい?」

 

「これと言ったものはありませんが、強いて言うのであれば、それこそ各クラン事の特色ですかね。クランにもよりますが、所属メンバーの成果物を一度全て集め、実力順に分けている所もあります。他にもルールや規則等を厳しく設けている所もありますし、街の警備などを受け持っている所もあります。勿論、内情が実はよろしくない場所である時も。ですので、入るクランの条件を事前に確認しておかなければ、それはデメリットになってしまうかもしれません」

 

「ふむふむ。当然だけれど、事前の情報収集は大切と言うことか。勉強になるよ」

 

マドカの話す事をメモっていく。

基本的に入るクランさえ間違えなければメリットばかり、とは言えそれもクランに対して十分な貢献が出来る人間ならばという話なのだろう。その辺りを含めると普通に就職をするのと似た様なものの気もしてくる。

 

「ま、そんな事から、基本的にこの街のほぼ全ての探索者が皆どこかしらのクランに所属している。むしろクランに所属していなければ、何か理由があって入れないのではないかと疑われてしまうくらいだ。そもそも入らないという選択肢自体が無いと言っても過言ではないな」

 

「だとすると、今の私の後ろ盾がマドカだとすれば、それが今度はクランになると。……あれ?それならマドカは一体どこのクランに所属しているんだい?マドカのお母様のクランなのかな?」

 

「あ、いえ、私は何処にも所属していませんよ?」

 

「え」

 

「私は基本的にギルドに残った依頼を引き受けたり、浅層の見回りばかりをしていますので、そもそも所属する意味がありませんから。それに皆さんのおかげで顔も広い方ですので、パーティを組むのに困ることもありませんし」

 

「ああ、なるほど……ええと、つまりギルド長。そもそも周囲からの信頼があるから必要が無い、という解釈でいいのだろうか」

 

「そういうことだ」

 

それはマドカの人望もあるだろうが、彼女の様に浅層の割の悪い依頼をこなしながら毎日の食費を処理する為には、自分のクランにお金を収める余裕も無いという理由もあるのだろう。

そしてそんなリゼにエリーナが顔を近付けてこそこそともう一つの理由を教えてくれる。マドカはそんな2人の様子に一度は首を傾げるが、また黒板に向かい何かを描き始めて気にしないでいてくれた。

 

「マドカはな、実質的にギルドに所属してる様なもんなんだよ」

 

「それは、ギルドお抱えの探索者という事ですか?」

 

「ああ、正式にはギルドは専門の探索者は持てない決まりなんだけどな。けど余った依頼の処理や急な対応を求められる事態の対処、他にも外部には決して漏らせない極秘の依頼を頼める様な信頼出来る探索者が、ギルドにはどうしても必要になるんだ。うちのギルドは今そういった事の大半をマドカに頼っている」

 

「ふむ……」

 

「他にもクラン同士のトラブルが起きた時にはギルドが仲介するのは難しい、所詮は公的機関だからな。だが大手ギルドの幹部連中にも顔が効くマドカならばその繋ぎになってくれる。この街でここ数年クラン同士の大きな衝突が無いのは、大抵マドカが上手いこと処理してくれているからだ」

 

「……そこまで頼っているのなら、食事代くらい出してもいいのではないですか?」

 

「いや、それは本当にもっともなんだけどな。流石に1人の食事の為に月に何十万も出せないんだよ、報酬の増額もバレたらマドカの立場まで危うくなる。私が出来るのはせいぜい偶に夕食を奢ってやることと、お前の時の様に頼まれた事に便宜を図ってやることくらいだ」

 

「なるほど、そういう事情が……」

 

「だから初心者に対する講義を任せて、仮職員みたいな中途半端で扱い易い役職を与えてやりたいんだよ。一番この街に貢献してる人間が、その日の食事にも困るなんて間違ってるだろ?正直今もお前のおかげで一時的なギルド職員として食堂を使わせてやれている事に感謝している」

 

「そう言われると嬉しいですが……」

 

そんな事を聞かされてしまうと、ギルドとマドカの関係の見方も変わってくる。そんな立場に居るのであれば、それはあれだけギルド職員達からの評判も良いというものだろう。特に利益にもなっていないのに、ギルドの厄介事を処理してくれるのだから。 きっとリゼが初めてギルドにやって来たときにマドカが納品していたアレも、その緊急事態的な話だったのだと今なら分かる。

 

「あー、すまないマドカ。もう大丈夫だ。講義を続けてくれ」

 

「ふぇ?あ、はい。……ええと、それじゃあ次はこの街の代表的なクランについて紹介しちゃいましょうか。しっかりと覚えていってくださいね」

 

「ああ、分かった。よろしく頼む」

 

果たしてリゼがこれから先、どのような探索者になるのか。この授業はそれを決める最初の一歩である。




ギルドお抱えの探索者……現在の制度ではギルド直属の探索者を持つことは禁止されており、特定の探索者を優先的な扱いをすることは出来ない。しかし現実的にそれでは回らない部分があり、緊急時に即座に対応出来る、実力のある探索者が求められている。これはオルテミス以外の都市でも同様であり、他の探索者から反感を買うことを防ぐため、そういったお抱えの探索者は基本的にクランに所属していない個人としており、その人格についても含めて判断されている。


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11.五大クラン

 

「それじゃあ次は、この街の代表的なクランについて紹介します。しっかりと覚えていってくださいね」

 

マドカの講義は続く。

黒板に書かれているのは5つの円とその上に書かれた5つのクランの名前。

 

紅眼の空

風雨の誓い

聖の丘

青葉の集い

龍殺団

 

そのうちの何個かは、リゼもこの数日間でなんとなく聞いたことのあるクランの名前だ。この街の代表的なクラン、そしてそれはつまり今正に街の外で出現した龍と対峙している探索者達のことを指している。

 

「これがこの都市における代表的な5つのクランになります。大抵ここを覚えておけば間違いありません」

 

「なるほど」

 

「ちなみに全部が探索者が中心になって構成している。商業系のクランについては最近になって商人共との協議と試行錯誤が進んで来た頃合いだからな、もう少し時間がかかる」

 

「ですので、そこはまだ覚えなくても大丈夫です。もしクランに入りたいと思った時、この5つのクランを最初に考えましょう。ハズレはそんなに無い筈です。探索者として名を上げるのなら、の話ですが」

 

物語になる様な探索者になりたい、というのがリゼの目的。ならばそれを最短距離で進めていくには、このうちのどれかに所属するのが一番ということだ。とは言え、どれがどんなクランなのかはまだ分からない。

リゼはその説明を待つ様に微笑むマドカに目線を向ける。

 

「ふふ、ではまずは分かりやすい【聖の丘】から話しましょうか。ここは単純にこの街で最強のクランであり、最大規模のクランでもあります。ギルドと契約をして街の警備や他地域のお手伝い等も行なっている凄い所です。クランとしての最大到達階層は45階層で止まっていますね」

 

「へぇ、なんだか兵士の様だ」

 

「確かにこの街の兵士みたいな立場になっているのは間違いないな。だからこそ、【聖の丘】の探索者達は自分に誇りを持ち、街の人間はそんな奴等の事を認めている」

 

「ただ、ダンジョン探索だけに集中したいのでしたらお勧めは出来ないかもしれません。それにある程度の熱意か実力が無ければ、きっと彼等には着いて行けないでしょう」

 

最古で、最大で、最強のクラン。

しかも街の警備も行なっている。

惹かれる所はあるが、ダンジョン探索だけに集中出来ないのならばリゼにとって優先度は低い。警備を軽んじている訳では無いが、やりたい事ではないからだ。

 

「次は【風雨の誓い】です。ここはガチガチの探索系クランでして、月に1度の試験で順位決めを行なっています。1軍、2軍と、軍順によって使用出来るスフィアが変わったり、月の報酬まで変動してしまうんです。ちなみに最大到達階層は40階層です」

 

「ええと、つまり給料制という事になるのかな……?」

 

「そうだ、しかも完全実力主義のな。団員全員にノルマが課され、ダンジョン内で得たスフィアや金銭は全て一度クランに集められる事になっている。色々と揉め事は多いが、まあそれに応じた実力は間違いなくある連中だ」

 

「この街の中でもかなり厳しいクランですね。ダンジョンの探索を進めたいのならば間違いなくここでしょうけど、空気感が少しばかりピリピリとしているので、初心者さんにはあまりお勧め出来ないかもしれません」

 

「そ、それはなかなか……」

 

今度はまた極端なクランが出てきた。

確かにダンジョン探索に力は入れたいが、そこまで精神を削りながら探索を行うというのは少々辛いものがある。出来ればもう少し雰囲気の柔らかい所を選びたいというのがリゼの本音。

……とはいえ、話を聞いただけではそう思ってしまうのも仕方のない程にルールを徹底しているクランがこの【風雨の誓い】であった。

そしてまさかそんな組織のトップが2人の若い女性などとは、リゼは夢にも思うまい。しかも両人とも目が眩む様な美人であるなどと。

 

「そして次が個人的にお勧めしたい【青葉の集い】です。ここは新人さんと引退間近の老年の探索者さん達が多く、スフィア等も個人所有の形を取っています。若い方が同い年の友人を見つけられ、老年の探索者さん達も安心して楽しく過ごせる。ここはそんな優しいクランです。最大到達階層は35」

 

「おお、それはなんだか良さそうだ……!」

 

「クランに初めて入る様な初心者なら、まずここを選んで間違いないだろうな。最初の面談でジジババに気に入られれば、強くなれるのは間違いない。……まあ、一日中そのジジババの相手をしなくちゃならんのは辛い所だが」

 

「ああ、そういう……」

 

「とは言え、リゼさんなら間違いなく気に入ってもらえると思いますよ。筋もいいですし」

 

「そ、そうだろうか。それならば嬉しいのだが」

 

聞いているだけではとても良さそうに思える。

ただ、なんとなくリゼの中で気になっているのは老人の相手をしなければならないという所だ。リゼは自分の祖父にそれはもう大いに振り回された。拾って育ててくれたとは言え、何度もため息を吐きたくなる様な人であった事は間違いない。それを思い出すとなんとなく忌避感の様なものが生まれてしまうのは、偏見であると理解してはいても心が拒む。

 

「残りの2つのクランは……えと、あまり入るという事は考えなくてもいいかもしれませんね。単純にそういう所もあるという事を理解してくれれば、それで十分です」

 

「そう……なのかい?」

 

「ええ、どちらも実力と条件が無ければ入る事は出来ない様な所ですから。少人数の精鋭クランとでも言えるでしょうか」

 

「まあ、【龍殺団】に入る様な人間にはなって欲しくないってのがアタシ等の本音だな。マドカだって直接は言わないがそう言いたいだろうよ」

 

「あ、あはは……」

 

「!」

 

あのマドカがその言葉を否定しない。

その事実にリゼは驚く。

そんなにやばい所なのか、もしかしたら悪い事をしている人達なのか。そう思いエリーナの方を見るも、どうやらその顔を見るにそんな事が理由ではないらしい。

 

「マドカの口からは言い難いだろうし、言葉がかなり優しくなりそうだからアタシが言うが……龍殺団はな、異常者の集まりだ」

 

「え、異常者の集まり……?」

 

「ああ、そうだ。【龍殺団】ってのはアルカ・マーフィンっていうまだ15の狂った女が作った狂人の集まりだ。変態の集まりと言い換えてもいい」

 

「わ、私もそれについては流石に否定が出来ませんね……」

 

この都市の代表的なクランについて学んでいる最中に、突然出てきたそんな会話。

異常者の集まり。

変態の集まり。

全く毛色の違う性質のクラン。

マドカがカバー出来ないという程のそれに、リゼの頭の中はクエスチョンマークで一杯になる。しかも自分より2つ年下の少女が立ち上げたクランが、この街の最大手のクランの1つだというのだから、最早何の冗談なのかと言いたいくらいで。

 

「【龍殺団】なんてクソだっせぇ名前も15のガキが付けたからだが。その目的は名前の通り、ただ龍を殺す事だ。その為なら奴等は金に一切の糸目を付けず、年がら年中階層更新を進めている。つってもまだ40階層止まりだが」

 

「クランへの入隊条件は龍を倒す事への熱意と、Lv.30以上の実力。この街の探索者の平均がLv.23程度だとすると、これはかなりの難度です」

 

「あ〜、ええと、ちなみにどんな理由で龍を倒す様な人達なのかな……?」

 

「……龍の血を傷口から直接飲みたいとか」

 

「えっ」

 

「龍に親友を殺されたからとか」

 

「えっ」

 

「自分のゴーレムの方が強いと証明したいと言う方も……」

 

「えっ」

 

「ドラゴンの攻撃が一番気持ちが良いって奴も確か居たな、あれだけ動機がまた違うが」

 

「ええ……」

 

あのマドカが困っている、これは珍しい光景だ。そんな彼女も可愛らしいと現実逃避をしながらも、逃げずにもう一度だけ頭を回してみる。

だがなるほど、確かにこれは知り合いに入らせたくないし、そんな所に入る様な人になって欲しくないという理由もよく分かるというものだ。

レベルが30以上になると言うのも、まあそんな狂人達ならば自然となってしまっているのだろう。それを悲しい事と取るかどうかは人によるのかもしれないが。

 

「い、一応は常識的な方も1人だけ居るんですよ?私も良く一緒にお茶をしたりしていますし……!」

 

「そろそろ過労で死ぬだろ、あのエルフ」

 

「エリーナさん!」

 

なんとなくだが、そのクランのことはこの街でもタブー染みたものがあるのだろう。決して他の人間に危害を加える訳ではないが、龍を殺す事に熱心になり過ぎていて周囲の都合に見向きもしない。そんな雰囲気を感じる。

そしてそんな場所に一人だけ常識人が居るという話も、なんだか不憫だった。

 

「え、えっと、そっちはよく分かったよ。それなら次の【紅眼の空】……だったかな、そっちはどうなんだい?」

 

「え?ああ、そちらは単純に友人同士のクランだからというだけのお話です。そもそも知り合い以外を入れる気はありませんので、入る入らないの問題では無いんですよ。それでも39階層まで到達しているので有名な訳ですが」

 

「へぇ、それは凄い……」

 

「ちなみに【紅眼の空】はマドカの母親が所属しているクランでもあるぞ」

 

「え、そうなのか!?」

 

「ええ、実はそうなんです。私の母とその弟さん、そして共通の友人であるもう1人の方の3人で活動しているんです。クランの人数も最初から変わらず3人のままだという話でして」

 

マドカの母親。

あまり良い噂は聞かないが、しかし探索者としてはかなり優秀だという女性。しかしまさかたった3人のクランでバリバリの探索系の"風雨の誓い"とほぼ同じ到達階層に達しているというのであれば、それはきっとリゼが思っている以上にすごい事なのだろう。

前にマドカの二つ名も、その母親のものを参考にしていると聞いた。それくらいに母親の名前も有名だということは間違いない。

 

「さて、これでクランについてのお話は大体おしまいです。他の中小クランについても、違うのは拠点の有無や活動の大きさくらいですからね。友人同士の集まりの様なクランもありますし、これはまた今度という事で。……あ、何か質問とかありますか?」

 

「む?そうだね……ああ、今この街ではどれくらいの数のクランが存在するんだい?」

 

「ええと、大体30くらいだったと思います」

 

「正確には34だな。だがまあ、クランの数なんて分裂や合併を繰り返して頻繁に変わっているからな、そこまで気にすることでも無い」

 

「どうすれば個人でクランを作る事が出来る?」

 

「まず前提として、クランの作成には2人以上の人数が必要です。また、ギルド長との面談や、いくつもの書類を作成して申請を行う必要があります。税金や契約、法律に関する専門的な知識を持つ方を一時的に雇いながら申請を進めていくのが一般的で、探索者個人でクランの新規作成まで持っていくのは非常に困難です」

 

「クラン作成はギルドにおいてもトップクラスの難度を誇る申請だ。他所のギルドや連邦中枢部にまで影響が及ぶ重要な決定だからな。ギルド内でも専門の職員がおり、街にもクラン作成の為の知識を持った者達が営む営業事務所があるくらいだ」

 

「……それを個人で片手間で行っていたという"主従の花"の2人は本当に凄いんだね」

 

「だからこそ、エリーナさんが目を付けた訳ですよ。私との鍛錬の隙間時間に申請を行い、しかも1発ですんなりと通ったんですから。当時は私もびっくりしました」

 

「まあ、あれはああいった書類の作成にエルザが手慣れていたというのもあるだろう。連邦中枢に上げても何の問題もない、どころか上の連中が好みそうな資料の作り方をしていた。間違いなく彼女にはそういった経験があるな、それも私よりも遥かに豊富な」

 

「マドカ、もしかして君の弟子は皆そういった特徴的な人ばかりだったりするのかな?」

 

「ん〜、そうですねぇ。結構特徴的な人が多いかもしれません。最近出来た生徒さんも、巨大な銃を持ってダンジョン探索をしようとする、と〜っても特徴的な人なので♪」

 

「ふふ、それは一体何処のもの好きな人間なんだろう。私には見当もつかないかな」

 

まあ実際には、そういった何かしらの問題を抱えている相手だからこそマドカが面倒を見ているというのもあるのかもしれない。

探索者の居ない時期に身分証明出来る物を何一つ持たず、今すぐダンジョンに潜らせてもらえなければ餓死してしまう……などという新人探索者も今思えば確かに相当な問題児だ。

そんな自分をこうして救ってくれただけではなく、見放さずに面倒を見てくれている彼女は、やっぱりリゼにとって救いの天使であったのかもしれない。

 

 

「……あ、そういえば明日はその"主従の花"のお二人と一緒にダンジョンに潜る事になったので、よろしくお願いしますね」

 

「え、あ、話が早いな!?いや助かるが!」

 




クランについて……現在のクラン数は40年前と比較しても少ない方ではあるが、代わりに各クランの規模がかなり大きな物になっている。クランそのものの活動は少なく、取り敢えず所属しているというだけの探索者も多く、それを良しとしてしまっているクランもある。しかしそんな彼等の目標は更に上位のクランでもあるため、そういったクランは単なる踏台という役割をこなしていると言えないこともない。


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12.2本の花

ダンジョンに潜る準備をしている中、リゼは目を疑った。

このダンジョン街に来て4日目の朝。

流石に寝坊もする事なくこのルーチンにもなれ始め、探索者に必要な装備というのも分かってきた頃合い。

しかしそう、今リゼは少しばかり目を疑っている。

 

まず、マドカの服装はいつでもどこでも真っ白なコート一択だ。探索中に汚してしまっても、次の日にはすっかり綺麗にしてから着て来る。きっと同じ物が何着かあるのだろう。ダンジョン探索では無防備な気もするが、低階層のモンスターの爪程度ならば通す事なく、魔法に非常に強い繊維で編まれている物だというのだからそれも納得だ。

そして今日、共にダンジョンに潜る事になったメイドのユイ・リゼルタ。……まあ、まだ何となく分かる。メイド服を改造した物なのか、名残は残しつつも確かに動き易い服装になっている。胸当てや小手など、防具だって彼女はしっかりと付けていた。主力の短剣を2本手に持ち、予備の短剣も何本か腰に用意している。

問題は彼女の主人、いや自称従者であるエルザ・ユリシアの方である。彼女は服装こそ動き易いパンツドレスを着用しているとは言え、大した防具もつける事なく、金色の小杖を手に持っているだけ。その姿はとてもこれから戦闘を行う様なものには見えず、むしろこの中でマドカと並ぶくらいには儚げな雰囲気を持つ彼女がマドカ以下の装備しかしていないということに、リゼは強い不安を感じてしまっていた。

 

「あの……大丈夫なのだろうか、防具も付けていない様に見えるのだが」

 

「ん?……ああ、別にダンジョン探索を馬鹿にしてる訳じゃないわよ?ただ私は防具が付けれないというだけ」

 

「ええと、それはそういうスキルか何かの効果の話かい?」

 

「単純に体力が無いのよ。余計な荷物を持って歩いてたら、帰る頃には立てなくなってるわ」

 

「え」

 

「……エルザ様はVIT(耐久力)がG2(最低値G-1)しか無いのです。元々ステータスを付与した状態でも病弱な方でしたので」

 

「ステータスを付与しても身体が弱いと言う事があるのかい?基本的にG-1(最低値)でも普通の人間よりも優れている筈だろう?」

 

「ステータスを付与されても病気にはかかりますし、衰弱もします。元々病になりやすい身体、または身体を強化しても良くならない病に罹っていれば、例え表記上はG-1でも、実質的にはそれ以下という事にもなるんです」

 

「ああ、そういう事か。なるほど、すまなかった。君に危害が及ばないように私も努力しよう」

 

「そう、助かるわ」

 

「大丈夫ですよ、万が一の時には私のスキルもありますから。薬も持ち歩いておりますので、必要になれば言ってください」

 

「それは助かるよ」

 

よくよく考えればマドカの言う通り、ステータスが付与されたからと言って病気にならない訳ではない。多少は強い身体になるとは言え、無理をすれば普通に風邪も引くし、毒にもかかる。

ステータスの耐久力(VIT)の値が高くなる程にそういった不調とは無縁になっていくという話はあるものの、それでも耐久力(VIT)にどれくらい値が振られるかどうかは当人の運次第。上がれば体力の向上や異常耐性、物理耐性の獲得が見込めるとは言え、やはり不健康そうな人間の耐久力(VIT)が高い場合というのはなかなか無いという。ステータスの傾向は見つかっていないとは言え、それでもやはり大抵の場合はその人物に適した形になっていくのだろう。

そう考えると……

 

「……ちなみに、マドカは耐久力(VIT)は高い方なのかい?」

 

「いえ、ステータスの中では一番低いですよ。もしかしたら今のリゼさんよりも低いかもしれません」

 

「え……いや、まさかそんなことは」

 

「私の場合は体力の方は問題無いのですが、やはり他の同レベル帯の方々と比べると状態異常の耐性もかなり貧弱ですし、中層辺りの階層主の攻撃が直撃でもすれば1発で致命傷です。なんなら自分の行動でも怪我をしてしまいます。風邪とかも年に1度程の頻度で罹ってしまいますし」

 

「そ、そうだったのか……」

 

やはりというか何というか、マドカも高位の探索者の割には相当に身体の弱いタイプらしい。もしかすればエルザがマドカの世話になったのは、彼女がそういった類の探索者の気持ちが分かる人物だったからなのだろうか。基本的にはVITに困ることはなかったこの身、それは実はかなり幸運なことだったのかもしれない。

 

 

「さて、今日は集団戦について皆さんにお教えしていこうと思います。特に今回は"主従の花"のお二人とリゼさんで、仲間同士の戦闘スタイルもよく分からない状態での戦闘となります。ダンジョン内では偶然出会った探索者と協力して危機を脱する必要のある時もありますので、そんな時にしっかりと対応出来る様に練習もしていきましょう」

 

ダンジョン5階層手前。

今も奥から風が吹いてくるこの階層で、マドカからそんな説明があった。

5階層といえばリゼが以前になんとか倒したワイアームが生息している地帯であり、大体Lv.8の探索者が3〜5人居れば倒せるくらいの難易度と言われている。少なくとも"主従の花"の2人とリゼは既にLv.8を超えており、実力的には問題なく倒せる筈だ。

問題はマドカの言う通り互いに互いの戦闘スタイルすら知らず、それを実際に戦闘が始まるまでは教え合ってはならないと、そんな縛りを付けられた事くらい。

彼等の話ではレベルはあっても戦闘技術や知識などではリゼには及ばないという話なので、今回表立って指示を出すのはリゼになるのだろうか。その辺りについても戦闘が始まるまでは決められない。

 

「私は何かあった時のために後ろに控えていますが、もし少しの助言をするのなら……『まずは偏見で行動すべき』でしょうか」

 

「偏見で?」

 

「ええ、そうです。ここに居る御三方は皆さん常識的な思考の持ち主ですので、ある程度偏見で行動して問題ありません。『あの人は如何にも魔法を使いそうだ』なんて感じで」

 

「けれど、人は見かけで判断は出来ないとも言うだろう?」

 

「初めて会った相手からそこまで詳細に読み取れるのでしたら、その考えで問題ありませんよ。しかし実際にはそんな余裕も無いと思いますし、なにより私達がより思考を割くべきなのは仲間ではなく敵に対してですから。そこまで頭を働かせられる人は、それこそ集団を率いるべきでしょうね」

 

「ふむ、それもそうか……」

 

「もう一つ理由を挙げるとすれば、単純にさっきお話ししていたステータスの事です。如何にも身体が弱そうな人のステータスは、ある程度は相応なものになっている事が多いですから」

 

「ああ、なるほど、そこに繋がるのか。……分かった、自分の感覚に従うとしよう」

 

「はい、頑張って下さいね」

 

先を歩いて行く2人を追う様に、リゼもまた大銃を手に持ち駆け出す。そんな3人を後ろから見守るマドカはまるで母親の様に優しげな笑みを浮かべているが、彼女達は皆ほとんど変わらない年齢である事を忘れてはならない。

 

 

 

「リゼ!ユイに合わせなさい!!手数の多いユイの合間を縫って確実に攻撃を当てるの!」

 

「わ、分かった!修正する!」

 

「『回避』……リゼさん、次の攻撃を当てたら全力で横に。エルザ様の魔法援護が来ます」

 

「了解した……ふっ!!よし、頼んだ!」

 

「『炎弾』!!」

 

『キィィイイイイ!!!!!』

 

初めての集団戦闘というのは、リゼが想像していたよりもずっとやりやすく、そしてずっとずっと精神的に楽なものだった。

戦闘の経験があるからと2人よりも前に立って指示を出さなければならないかと浮き足立っていたのも束の間、そんな自分よりもより的確な指示を後ろから出してくれるエルザ。そしてそのエルザの意図を目線や少しの言葉だけで理解し、更に前衛として得られる情報も含めて助言や援護をくれるユイ。

こうして戦っていれば分かる。

なるほど確かに2人の戦闘経験は一流とは言い難い。しかし信頼関係や相性、そして互いの理解度は超一流だ。

短剣を二本用いて敵の攻撃を引き付けつつも掻い潜るユイ。そして後衛から殆ど動く事は出来なくとも、バリアのスフィアで身を守りつつ、超火力の炎弾を放ち大打撃を与えるエルザ。彼女達は言わば模範的なペアパーティなのだ。そこにもう1人新人を加えたところで、戦線が僅かにもガタつく事はない。マドカとはまた違った2人ならではの強さの姿がそこにあった。

 

(まあ私自身、まだそこまでマドカの強いところを見ている訳では無いのだが……)

 

「ぼーっとしない!!」

 

「はっ!?あっ……ぶない!『炎打』!!」

 

「!……なるほど」

 

巨大な身体と突風による速度向上を活かし、凄まじい攻撃範囲と攻撃速度で攻め立ててくるワイアームを相手に、油断など一瞬たりとも出来はしない。

背後からの尾の一振りに気付いていない様に見えたリゼに対し、エルザが即座に何か対応をしようとした瞬間、彼女は目を見開き顔の向きすら変える事なく身体ごと伏せてそれを回避する。直後にそれに追い討ちをかける様に何の無駄な動作や思考の逡巡すらなくスフィアに手を掛け、空振った尾に追撃を掛けるのだから、それを何より近くで見ていたユイは素直に驚き賞賛した。

戦闘の技能はそれなりにあるとは聞いていたが、リゼのそれは最早上級探索者と変わらぬ程の対応速度。一瞬の思考の切り替えの速さはそれすら上回る可能性すらある。それこそが彼女の強みであり、特別であった。

 

「っ、詰めるわ!!ユイ!リゼ!跳びなさい!『バリア』!」

 

「分かりました」

 

「了解した!!」

 

『炎斬』『炎打』!!

 

エルザが2人の前に出現させた半透明の四方形のバリアの上に飛び乗り、更に大きく飛び上がる。そうして各々の形で炎属性のスフィアを発動すると、不意をつかれた敵に明確な殺意を向けた。

ワイアームは特定の属性は持たないものの、気穴から確実に一定量の空気を取り込む必要がある事から、炎属性が一番効くという話をリゼは聞いていた。

マドカが最初にリゼに対して『炎打のスフィア』を手渡したのも、そういった理由があったからだ。

そしてリゼは確かにINT(魔力)が育たない傾向のせいで纏う炎の量は少ないが、それでも誰よりも的確に吸引を行なっている気穴を見分け、狙い打ち込む事が出来る目を持っている。

 

「リゼ!気穴を潰しなさい!ユイ!敵の気を引きなさい!その後は私に任せなさい!」

 

「「はい!!」」

 

最初のカウンターで動きの遅くなったワイアームに、リゼが更に小翼ごと気穴の一つに並々と火炎を注ぎながら破壊する。そしてステータス故に驚異的な物理攻撃としても意味を成すその一振りにワイアームが身体をくの字の様に曲げた所に、一拍すら置くことなく今度はユイが攻め込んだ。2本の短剣にその刀身の倍以上まで伸びた火炎を纏わせ、一時的に空気の吸引噴出どちらも停止した気穴に向けて奥深くまで抉り込む。

 

『ギィィイイイイァァァアァァァア!!!』

 

「退避!!」

 

「分かっ……っ!?炎弾というのはそこまでになるのか!?」

 

そうしてあれほど我が物顔で空に君臨していたワイアームが完全に地上に落下したところで、ユイはリゼに端的に退避を指示した。

追い討ちをかけるのなら今なのであろうが、何の準備もしていない前衛の2人よりも、背後で着実に準備を行なっていた彼女にトドメを譲る方が確実だと。そう思って理解はしていたものの……実際にその準備とやらを目にした時、リゼは大きく目を見開くことになる。

 

「『炎弾』……射出」

 

走り逃げるリゼとユイの間を、巨大な火炎の弾丸が高速で放たれ飛んでいく。エルザが持つのは金色の小さな小杖、一般的な魔法使いの持つ大杖とは比べ物にならない程に小さな木の棒に塗装しただけの様にも見えるそれ。しかし彼女はその杖で自身の身体と変わらない程の巨大な炎の弾を創造し、撃ったのだ。

……山を出て、街に着き、ダンジョンに潜って魔法を見た。その時には自身の祖父の作品が何故魔法と比較されて笑われたのかと実際素直に思った事はあった。祖父の作品は魔法にも負けていないと、そうも思った。けれどこの様な弾丸が僅かな準備で放てるのなら、この戦闘中にも何度も飛び交っていたあの炎弾があるのなら、なるほど確かに祖父が山に籠る前に作っていたという簡素な銃など玩具にしかならないだろうと今は思う。

 

――――――――――――!!!!!

 

背後で着弾し、凄まじい爆発音と共に火の粉を周囲に撒き散らすエルザの『炎弾』。自身が大銃に纏わせていた炎など本当に微々たるもの、これが本物の魔法使いの扱う魔法の炎。

ワイアームが炎に包まれる身体をなんとかしようと暴れのたうち回るが、気穴から侵入するどころか龍鱗まで溶かし始めるその熱量をどうする事も出来はせず、徐々に動きが弱まって行くのが見て分かる。

 

「これが、魔法か……」

 

「はい、これが魔法です。エルザさんは都市内でもかなり極端な魔法特化型ですので、この一撃にはLv.30程度の魔法使いと同等の威力があります」

 

「マドカ……」

 

「お疲れ様でした、リゼさん。かっこよかったですよ」

 

火の中でピクリとも動かなくなり、灰に変わり始めたワイアームを見ながら佇むリゼの元に、マドカがいつもの様に微笑みながら近づいて来る。一方で彼女の後ろではエルザが魔法よりも声を出す事に疲れたのか喉を潤しており、そんな彼女の側でユイも甲斐甲斐しく世話を焼いていた。やはり主従の関係は逆なのではないかと思いつつも、リゼも頭を切り替えてマドカの方へと意識を向ける。

彼女はこの場において教官、今の戦闘についての総評を聞く必要がある。そう考えたのは2人も同じだった様で、3人は静かにマドカからの言葉を待った。

 

「さて……それでは皆さん、本当にお見事でした。連携も然る事乍ら、個々の技能の高さが随所で光っていましたね。これなら準備さえ万全にすれば10階層のレッドドラゴンも倒せるかもしれません」

 

「まあ、そうね。思っていたよりもリゼが近接戦闘職として優秀だったもの、連携に慣れれば可能性はあるかもしれないわ」

 

「はい、素晴らしい動きでした。やはり戦闘経験が違いますね。……マドカさん、私達に何か足りない部分はありましたか?」

 

「ふふ、そうですね……まずエルザさんは、後衛とは言え少し動きが足りていませんでした。体力が無いにしても、棒立ちは流石に危ないです」

 

「うっ……次からはサボらない様にするわ」

 

「次にユイさんは、殆ど文句無しでした。ただ最後に攻撃する場所は気穴ではなく大翼の方が良かったかもしれません。リゼさんの攻撃で気穴は機能の大半を失っていましたので、あの瞬間での最善は翼の破壊でした。勿論、結果としては何も問題ありませんでしたが、敵を引き摺り下ろすにはやはり翼の破壊が確実ですからね。それくらいです」

 

「なるほど……確かに気穴が無くとも飛ぶ事は可能ですから、そうするべきだったかもしれません。勉強になります」

 

「それとリゼさんは単純ですね。一瞬気を抜かしてしまったところと、『回避のスフィア』の存在を完全に忘れてしまっていたところです」

 

「へ?えっ……ああっ!そういえば!?」

 

「ふふ、とは言えそれは仕方のない話でもあります。『回避のスフィア』については階層主以外のモンスターとの戦闘時に慣らしていきましょう、いきなり使って事故になっても困りますから」

 

「うぅ、自分の未熟さが恥ずかしい……」

 

「誰でも最初は同じですよ。そう落ち込まないでください、ね?」

 

マドカからの指摘に顔を赤くして項垂れたリゼ、そんな彼女の頭をマドカはまた優しく撫でるのだから、それこそ追撃をされた様な気分だ。

しかし確かにいきなり『回避のスフィア』を持ったとしても、それを突然戦闘に組み込む事は難しい。事実リゼにはそれが出来なかったのだから。これはマドカの言う通り慣れるしか無いのだろう。

 

「逆に良かったところは……エルザさんは、指示が的確で且つハッキリとした口調で行なっていたのが良かったですね。曖昧な指示は味方に余計な思考を割かせてしまいますから、流石です」

 

「まあ、基本だもの」

 

「ユイさんは十分にワイアームを抑えながらもよく周囲に目を配る事が出来ていました。初めての集団戦闘でリゼさんが困る事なく動けていたのは、ユイさんの働きが大きかったと思います。上手く情報の中間処理をしていましたね、100点満点でした♪」

 

「そうでしょうか。それならば良かったです」

 

「リゼさんは自身の身の振り方が的確でした。エルザさんとユイさんの立ち位置を理解するのが早く、しっかりと2人の間に溶け込む事が出来ましたね。単に流されるのではなく、戦闘指示に関してはエルザさんの方が適役だと直ぐに判断して行動した結果であったのがとても素晴らしいです」

 

「あ、あはは。まあこれも全部マドカの言っていた通りにしたからだよ。エルザが指示を出す姿が堂に入っていたからね、その感覚を信じてみたんだ。エルザのおかげでもあるのかな」

 

「あら、褒めても何も出ないわよ?」

 

「ふふ、それは残念だ」

 

そうは言いつつも褒められた3人は素直に嬉しそうにしているのだから、やはり同じ師を持つ仲間同士なのだろう。

初めての集団戦闘、初めてのパーティ……大銃以外の何も持つ事なくこの街にやって来た時の事を考えれば、リゼはそれはもう多くの物を手に入れただろう。

しかし何より……同年代の友人というのは今日まで山で育った彼女にとって、もしかすればスフィアや秘石よりも価値のある物なのかもしれない。

 




VIT(耐久力)の低さ……魔法使いに多い傾向ではあるが、VITの低い探索者というのは非常に注意が必要である。STR(筋力)やSPD(速度)によって身体に大きな負荷をかけた際に、VITの低い探索者は自らの動きで負傷をしてしまうリスクが高くなるからである。それでも十分な動きの出来る探索者も居るには居るが……


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13.戦闘訓練

ダンジョン7階層。

2〜4階層が広大な草原地帯であるならば、6〜9階層は完全な密林地帯となっている。特に7階層からは新たなモンスター達が草木に隠れて捕食し合っており、その力量も凶暴性も4階層までとは比べ物にならない。探索の適正レベルは10程度、2人以上のパーティを組む事が推奨されている。加えて密林内での探索方法や敵探知の手段、植物や虫類に関する知識も備えておくことが良しともされている場所だ。

 

『ガァァアアアア!!!!』

 

「ぬわぁぁああああ!!?!?!?」

 

「リゼさ〜ん、パワーベアはワイアームよりも物理攻撃が強いので直撃は避けて下さいね〜」

 

「マドカ!マドカ!!これ絶対に危険種だろう!?マッチョエレファントと同じ!次階層主と同等のモンスターだろう!?そう言ってくれ!!」

 

「いえ〜、パワーベアは普通のモンスターですよ〜。リゼさんのSTRなら正面から叩き潰せるかもしれませんね〜」

 

「無理に決まっているだろうわぁぁああ!!」

 

そして現在、リゼはそこに出現するパワーベアと呼ばれる大熊と戦闘……というか追いかけっこをしていた。

パワーベアというのはこの密林地帯に生息している一般的なモンスターであり、身体の一部と爪や牙などが金属で構成されている特殊な大熊である。

その体躯も地上の山林に生息している熊の1.5倍はあり、筋力や鉤爪の鋭さは巨大な岩石さえも容易に破壊する、地上でかつて村一つを滅ぼした実績さえもあるほどだ。

 

「まあ、地上のパワーベアは身体の金属部分が錆びてしまい、身体の動きが遅くなったり短命となったりしてしまうんですけどね」

 

「へぇ、そうなの。……ああ、このダンジョンのモンスターは錆びる前に死んで再生するから関係ないのね。むしろ錆びてたら相当長い間死んでいない強力な個体という事になるのかしら」

 

「そういうことになります。……とは言え、この階層には他にもハウンド・ハンター、フォレスト・スライム、マッチ・モスなどの様々なモンスター達が居ますから。そういった事はそうそう無いかと」

 

「だ、誰か1人くらい私の手伝いをしてくれる人は居ないのかぁぁあ!?」

 

「大丈夫よ、本当に危なそうなら私かマドカが首を刎ねるから」

 

「存分に回避のスフィアを練習して下さいね〜♪」

 

「そんな暇がぬぁぁああ!?!?!?」

 

『ァァァアアアア!!!!!』

 

頭の上を通り過ぎていく鋼の剛腕を間一髪で避け、その土手っ腹に大銃を叩き付けるリゼ。そしてマドカの言う通りその一撃でパワーベアは胃液を吐いて腹部を抑えよろめいてしまうのだから、リゼの特化したSTR(筋力)もなかなかに頭がおかしい。

 

『ガァっ!!』

 

「うっ、『回避』!!」

 

「おお、早速使えましたね」

 

「くぅっ!?『炎打』ぁ!!」

 

「うわぁ……」

 

「また強引な……あの子本当にそのうち死ぬんじゃないかしら」

 

「あはは……」

 

すれ違い様の顔面への一撃。

爆発と共に頭部の一部が吹き飛び、後方へと倒れるパワーベア。いくら十分な筋肉や脂肪があれど、頭部への直撃は大抵の生物の弱点となる。それは山でモンスターを狩っていたリゼにとっての常套手段であり、人並み外れた動体視力によってそれが容易に可能なリゼにとっての最大の武器でもある。

故に困った時にはその手段に頼り、早期決着を望む癖がリゼにはある。まあ動体視力でリゼに敵う相手が殆ど居ない事を考えると、それもまた彼女の悪癖というよりは十分な武器と言っていいのかもしれないが。

 

「はぁ、はぁ……まさか5階層を超えただけでここまでモンスターのレベルが上がるとは」

 

「別に見た目だけよ。実際リゼは傷一つなく、たったの2発で倒したじゃない」

 

「む、そう言われてみれば確かに……」

 

「むしろせっかく短剣を持っているのですから、そちらを使っても良かったかもしれませんね」

 

「はっ!?また忘れていた!?」

 

「……私が短剣の扱い方をお教えしましょうか?」

 

「本当かい!?頼む!私は刃物については全くダメなんだ……!」

 

「分かりました、お任せ下さい」

 

そんなこんなで、マドカが森の中で依頼の品を集めている間に、リゼはユイから短剣の使い方を教わる事となった。

勿論相手はパワーベア。

エルザは近くの木に座り込みユイが持ってきた虫除けの薬品を振り掛けているが、彼女はマドカの手伝いもユイの手伝いも特にするつもりは無いようだった。

襲いかかって来る白い大型狼の様なモンスターやパワーベアを片っ端から殲滅しながらドロップ品を集め、時々薬草や木の表皮を採取しているマドカ。なおドロップ品というのは長らく生き延びているモンスターのみが落とす身体の一部であり、浅層ではそうそう簡単に手に入れる事が出来ないという事なので、彼女は結果的にたった一人で9階層まで走っていく事になった。あれならば確かにリゼやエルザが手伝うのはかえって邪魔になっていただろう。

 

(というか、それよりも……)

 

「リゼさん、短刀を大振りで使ってはなりません。なるべく最小限の動きで、一撃で決めようとしないで下さい」

 

「わ、わかった!」

 

(この人、本当に刃物の使い方が上手いな)

 

ワイアームとの戦いの時には気付かなかったユイの練度の高さ。マドカはリゼの戦闘技術はエルザやユイに匹敵すると言っていたが、今こうして同じ武器で立ち会っていると、その言葉が嘘だったのでは無いのかと思わず言いたくなってしまう。

普段は2本の短剣を使っているのだろうが、たった1本でさえもパワーベアを完封している。そうでなくとも身のこなしや駆け引きは目に見えてレベルが高い。彼女は言葉通りに最小限の動きでパワーベアの攻撃をいなし、寸分違わず精密な攻撃で標的の関節部を引き裂く。彼女がたった3回攻撃しただけでパワーベアは倒れ、立ち上がれなくなってしまったほどだ。

……ただ、リゼが一つだけ気になる点を挙げるとするならば、それは彼女のそれだけの技能を活かせばワイアームだってもう少し簡単に倒せたのでは無いかと思うところで。

 

「っ、距離が、近付けない……!」

 

「リゼさん、相手を熊だと思ってはいけません。短剣を持った大男だと考えて下さい」

 

「大男?」

 

「そうです。パワーベアは戦闘中は二足歩行が基本、そして優先して狙うべきは関節部。パワーベアの金属製の表皮は鎧と同じです。曲げる必要性がある以上、関節部に金属が発生する事は滅多にありません」

 

「そう言う事か……!!」

 

なるほど、そう言われてしまえばその例えが良く分かる。大熊の形をしていても、その実は鎧を纏った大男と変わらない。しかも武器は短剣と変わらない程度の大きさしかない鉤爪だけ、顎による攻撃は頭部を見て基本的な戦闘を行うリゼには関係がない。

 

「ふっ!……っ、『回避』!ここで踏み込む!」

 

『ガァッ!?』

 

「そうです、その調子です」

 

それに加えて敵の知性は低い。

短剣程度のリーチしかない攻撃を大振りで繰り出して来る。それは威力は凄まじくとも、リゼの目ならば容易に避ける事が出来る程度の速度でしかない。

そして何より恐ろしかった体躯の大きさによる踏み込みの距離の違いは、それこそこの『回避のスフィア』が埋めてくれた。

一撃目を自力で避け、ニ撃目をスフィアで強引に距離を取り、そうして姿勢を崩した所に確実に短剣を関節部へと突き刺していく。これがきっとユイがリゼに伝えたかった戦法。しかしそれも彼女からしてみれば初歩の初歩でしか無いのだろう、まだまだ利用できる余地は大いにある。

 

「それでも、この程度の使い熟しでさえパワーベアを倒すだけならば十分という事か……!」

 

同じ動きを繰り返し、パワーベアの機動力と動きを奪っていく。敵の一撃目でもいけるのならば突き刺し、二撃目でもいけなければ更に距離を取る。ただそれだけの応用しかしていないにも関わらず、敵は大いに混乱している様に見えた。戦闘時間は長くなろうとも、リゼ自体には殆ど傷が無い。ワイアームとの初戦闘時にはあれだけの傷を受けてしまった事を考えると、これは驚くべきことだった。

 

『ウガァァアアア!!!!』

 

「錯乱したか!……だが、そうなればもう私の勝ちだ!」

 

関節部をズタズタにされたパワーベアが、最後の足掻きとばかりに残された力を全て使い、全身を大きく振り回して突進して来る。

普通ならば恐ろしいと感じるだろう、あれだけ乱れに乱れた攻撃を見切る事は難しい。一撃でも当たってしまえばその時点で致命傷の攻撃力を持っているのだから、当然だ。

しかし……リゼの目はそんな滅茶苦茶な乱撃の嵐すらも見切り、道を開いた。その小さな短剣を暴れ狂う獣の喉に向けて突き刺す為の、最短距離の道のりを。

 

「ふっ!!」

 

『ァッ……ガ……』

 

 

「………すごい」

 

リゼがあの乱撃をどう捌き、どう反撃するのか、それを見るために静観していたユイが、思わずそう言葉を漏らす。喉に短剣を突き刺され、そのまま強引に地面に向けて頭部を叩き落とされたパワーベア。

それなりに短剣の歴の長いユイであっても、あの乱撃の中に突っ込みトドメを刺すなどと言う思考は生まれなかった。というより、有り得なかった。そんな事は普通の人間には、特に自分たちの様な歴が浅くレベルの低い探索者には決して出来ない芸当だからだ。マドカくらいにSPDの高い探索者であれば成すことは可能かもしれないが、きっとマドカであってもその様な一歩間違えれば大怪我を負いかねない行動をすることは無い。

……しかし、それを彼女は当然の様に行った。まるでそのすれ違い様の攻防に、確実に勝利すると言う確信があり、確実に勝利して来たという自信があったかの様に。

 

「……ほんと、マドカの拾って来る探索者はハズレ無しね」

 

「エルザ様……」

 

「最初の2人も規格外だったけれど、リゼも相当にイカれてるわ。私でも不甲斐なくなりそう」

 

「……頑張ります、私も」

 

「そうね、書類仕事ばかりにかまけていられないわ」

 

エルザの言葉にユイが頷く。

偉大な先輩が居た、優秀な後輩を持った。

一般的なクランの先輩後輩関係では無くとも、そこに思い入れを抱いてしまうのは当然の話。そして自分達が先輩に当たる2人から学び受け取った時と同じように、自分達もまた彼女へと伝えていかなければならない。

 

「リゼ、休憩にしましょう。マドカもそろそろ帰って来るわ、そうしたら一度6階層に戻って昼食にするの」

 

「え?あ、ああ、分かった」

 

エルザに呼ばれ、リゼがパワーベアが落とした魔晶を持って疲れた顔で駆け寄って来る。背が高く、とても同じ世代の女性には見えない彼女であるが、ひょこひょこと付いてくるその可愛らしい様子には彼女のその歳らしさが出ている様にも思えた。

 

「可愛い後輩で良かったわね、ユイ」

 

「ええ、私もそう思います」

 

マドカが帰って来たのはそれから10分くらい後の事だった。彼女はリゼがあれほど苦労して入手したパワーベアの魔晶と全く同じものを何個も何個も箱に入れて持って帰ってきた。……そしてリゼに対してまた、いつもの様にプレゼントを用意して。

 




マッチョエレファント……4階層に存在する危険種であり、特殊な能力は無いが凄まじい攻撃力を持っている。積極的に攻撃をするタイプではないが、稀に体当たりを仕掛けてくるボアベアを一瞬にして粉々の肉片に変えている姿をよく見られる。初心者探索者にはまず初めに『あれに手を出すな』と教えられるが、言うことを聞かずに突っ込み命を落としてしまう者が定期的に出る。


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14.宝箱のプレゼント

 

「これは、なんだろうか……?」

 

「ふふ〜♪と〜ってもいいものですよ♪いやぁ、偶然見つけられて良かったです♪」

 

珍しく上機嫌で戻ってきたマドカから手渡されたのは、一つの木製の小箱であった。マドカが普段から持ち歩いている物よりまた一回り小さく、材質も異なり、掌大くらいしかない様なそれ。

その箱自体はリゼも知っている。

その大きさに関わらず中には大量の物が入ると言う不思議な箱だ。ここにマドカは普段食料だったりダンジョンで採取して来た物を入れたりしているのだが、リゼはてっきりそれが何処かの道具屋で売っている様な高価な物だと思っていたのだ。

……その魔法の様な箱が、まさかダンジョン産の物質であるなどと夢にも思っていなかった。だってそれはつまり、この箱もまたスフィアや秘石と同じく正体不明の存在であるという事なのだから。

 

「この箱にかなりの値打ちがある事は確かね。箱の大きさ、材質、状態、その辺りの関係で低レアのスフィアなんかより遥かに高い価格で取引されるもの」

 

「そ、そうなのか!?」

 

「ユイさん、解説をお願いしてもいいですか?」

 

「はい、お任せ下さい。……リゼさん、基本的に私達はこれを宝箱と呼んでいます。箱の効果は当然として、この箱が階層主討伐以外でドラゴンスフィアを手に入れる唯一の方法でもあるためにそう呼ばれているんです」

 

「な、なんだって!?」

 

6階層で昼食用のパンを手に持ちながら、リゼは思わず立ち上がってしまう。マドカがリゼの前に置いている小さな木箱、マドカはそれをリゼに対するプレゼントだと言っていた。そしてその中にはスフィアが入っているとも。……だとすれば、この箱一つで一体どれほどの価値があるというのだろうか。いつもの様にサラッとこうして高価な物をプレゼントしてくるマドカに対し、リゼはまた呆然と視線を送るが、やはりそこもいつもの様にニコニコと笑顔で返されてしまう。

 

「とは言え、確実にスフィアが手に入る訳ではありません。スフィア以外の物が入っている事もあれば、ハズレ箱と呼ばれる開けようとした相手に襲い掛かる箱型のモンスターも存在します。それに当たってしまえば高位の探索者であっても重傷を負ってしまう事もあるので要注意です」

 

「な、なるほど……それはまた危険な代物だね」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。そこは何かあっても私が全力で助けますから、安心して下さい」

 

「それと重要な要素として、宝箱の中身はステータスの幸運の値が関係するわ。統計的な話だけれど、レア度にも関係するみたいだから、最初に開ける人間は考えた方がいいわね」

 

「幸運……」

 

そう言われてリゼは、チラと自分のステータスを確認する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リゼ・フォルテシア 17歳 女性

スフィア1:

スフィア2:

スフィア3:

-ステータス-

Lv.8 初期値30+7

STR(筋力):D11

INT(魔力):G2

SPD(速力):E-7

POW(精神力):G+3

VIT(耐久力):E8

LUK(幸運):F+6

-スキル-

【星の王冠】…精神と引き換えに意識・思考・認識能力を一時的に高速化する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

……特別低くはない。

G-1とか、それ程に極端に低い訳では無い。

それでも、決して高い訳でも無い。

初期値からほとんど変わっていないところを考えると、リゼより適した人物は他に確実に居るだろう。そもそも私生活からそう幸運であるという自覚もない身、進んで手を挙げるには少々無謀が過ぎる。

 

「ええと、マドカは幸運は高い方なのだろうか?」

 

「あ、いえ、ごめんなさい。残念ながら私はLUK(幸運)の値はF-4しかないんです。これでも上がった方なんですけどね」

 

「私より低いのか……ユイはどうだろう?」

 

「……私については論外です。私の場合はマドカさんよりも酷く、Lv.13の現在でも未だ最低値のG-1しかありません」

 

「きょ、極端過ぎる……!というかこのパーティが全体的に不運が過ぎるのか!?」

 

「あら、一緒にしないで貰えるかしら。私はこれでもLUK(幸運):D-10もあるのよ?SPD(速力)はG-1だけれど」

 

「SPD(速力)も低かったのかい!?VIT(耐久力)は低いと聞いていたけれど!?」

 

「失礼ね、VIT(耐久力)はG2もあるわ。Lv.11になるまでに1しか上がらなかったんだから」

 

「何がどうなったらそんな事になるんだ!?というかエルザもわかっていて言っているだろう!?」

 

「ふふ、ごめんなさい。リゼの反応が面白いのだもの、それにこれは私の鉄板ネタみたいなものだし」

 

まさかのパーティ内2番目の幸運を持っていたと言う驚愕の事実を知ったリゼ。ステータスが偏る者は稀に居るとは聞くが、確かにきっとエルザほどに尖った人間もそう居ないだろう。

……というか、もしかすればそもそもある程度尖ったステータスを持っていなければ探索者として成功するのは難しいのかもしれない。それともマドカの弟子がそういう人間ばかり集まるという可能性もあるにはあるが。話を聞いているとリゼ自身、『INT(魔力)が育たず尖っているなぁ』と思っていたのが恥ずかしくなるくらいだ。

 

「という事で、私が開ければいいのね?」

 

「す、すまない。こんな危険な事を任せてしまって……」

 

「別にいいわ。それに忘れてない?幸運の低いユイが開ければ箱型モンスターだとしても、幸運の高い私が開ければ当たり箱になるのよ?私が開ける以外にそもそも選択肢が無いじゃない」

 

「え、そうなのか……?最初から箱の中身は決まっているんじゃないのか?」

 

「ん〜、どうでしょう。そこまでは私もちょっと分かりません。ですが結果的に幸運が高いほど中身が良いと示されていますから、そういう考え方も出来なくは無いかもしれません」

 

「はい、開けるわよ〜」

 

「わわっ!?せめてもう少し躊躇を……!」

 

「時間の無駄」

 

「エルザ様……!ちゃんと御自分のスキルを発動させてから開けて下さい!」

 

何の容赦もなく箱を開けたエルザに、リゼはあわあわと慌てながらも興味深そうに箱の中を覗き込む。一見真っ黒に見える箱の中は、しかしエルザの手がそこに突っ込まれると波打ち、何らかの黒の水面の様になっているのが分かった。そして何はともあれ、箱型モンスターでは無い事だけは確かであり、静かに胸を撫で下ろす。

どうやらそれはユイも同じだった様で、彼女も珍しく普段の冷静な表情を崩して息を吐いていた。マドカも腰の剣にかけていた手を下ろした事から、完全に問題はないと判断されたらしい。

 

「……ん?これスフィアね」

 

「ほ、ほんとかい!?」

 

「ええ、取り出してみるわ。……ほら」

 

「「「!!」」」

 

エルザが箱の中から取り出した一つのスフィア。

それは赤色でも青色でもなく、無色透明なスフィアであった。リゼもそれについては知っている、以前に貰った初心者用の冊子のページに書いてあった筈だ。

 

「無属性の、スフィア……!」

 

「星の数はどうですか?」

 

「えっと……3つかしら。またとんでもない物を引き当てたわね、これ」

 

「い、いったいどういう物なのだろう!?私の貰った冊子には星2までのスフィアしか載っていなかったんだ!」

 

「星3の無属性スフィア……需要が少ないものでも500,000Lは決して下らない上級探索者必須級のスフィア群です。その中でも更に珍しく強力な『指揮のスフィア』は、以前の競売では48,000,000Lの価格で落札されました。それも元々買い手が決まっていた様な物だったので、かなり安い部類の話にはなりましたが」

 

「よ、よんせん……」

 

金額の規模に足が震える。エルザから箱と共に手渡されたこの小さな宝石。もしかすればこれ一つで田舎なら一生遊んで暮らしていけるだけの価値があるというのだから、冷静さも失うというもの。

いや、まあ流石にそこまでの物では無いだろうという事くらいは分かっているが……

 

「まあ、何をするにも試してみるのが1番です。……はい、もちろん所有者のリゼさんが試してみて下さいね?」

 

「い、いいのか私が!?」

 

「いいもなにも、貴女の物でしょうに。他の誰が試すのよ」

 

「そうですね、私も少々気になります」

 

足の秘石にマドカによって自然と取り付けられるそのスフィア。せめて他の誰かが少しでも自身の所有権を主張してくれればまだ楽だったのに、この場にいる人間達が皆善人であっただけに既にこのスフィアの所有者がリゼで確定してしまっていた。

最初の『炎打のスフィア』はまだいい。

そこからの色々な支援も、まあまだ返せる範囲内だ。

しかしこれは無理だろう。

最低でも50万L、一歩間違えれば数千万L。

こんな物をプレゼントされてしまった日には一生頭が上がらなくなってしまう。そうでなくともマドカは自身の食費によって普段から生活に苦しんでいるというのに。……本人はニコニコ笑顔で優しく見守っていてくれているとは言え、どうしてもその考えだけは頭から抜けてくれない。

 

「ユ、ユイぃ〜、私は一体マドカにどう恩を返せばいいんだぁ……」

 

「その気持ちはよく分かります。しかしこれは個人的な忠告ですが、返せる物が無い以上は素直に受け取るしか無いかと」

 

「し、しかしだな……!」

 

「そもそも、最初のマドカさんからの贈り物。宝箱は相場で言えば大凡100,000Lほどの価値になります」

 

「うむ……うん?うん……」

 

「次にエルザ様が宝箱を開けた行為について。これは様々な考え方がありますが、そういった代行を頼んだ場合、エルザ様の幸運の値も含めて、固定費用10,000Lか内容物の5%あたりが妥当でしょう。今回は仮に25,000Lと仮定しておきます」

 

「今回はサービスでいいわ」

 

「そ、そうか、助かるよ」

 

「つまりただ金額だけを見るのであれば、リゼさんが感じるべき恩はマドカさんの100,000L分とエルザ様の25,000L分で十分ということです。残りはリゼさんの運によって手に入れたものなのですから、そこは有難く受け取る……と考えては如何でしょう?」

 

「なるほど!そうか!………いや、でも100,000Lの贈り物ってそもそも普通なのだろうか?他人へのプレゼントとしては些か高価が過ぎないか?」

 

「そうね、一般的な恋人へのプレゼントだってもう少し安いわ」

 

「……私達も同様の物を贈られた身ですが」

 

「マ、マドカ!?どうしてこんなに高価な物を私に!?」

 

「え……だって便利じゃないですか。せっかく見つけたんですし。それに私よりリゼさんの方が有効活用出来る物ですから」

 

「売ろうとは思わなかったのか!?」

 

「?売るよりリゼさんが役立ててくれた方が私は嬉しいので」

 

「………おおぅ」

 

「ま、まあそういうことなので……」

 

「諦めて受け取っておきなさい。死なずにそれを役立てるのが貴女の役目よ」

 

「わ、分かった……ありがとうマドカ、これはありがたく使わせて貰うよ。その分、君のことを助けられる様に」

 

「ええ、頑張って下さいね、リゼさん」

 

恩を金額で表すのはやめよう。

未熟な自分は今、ただ受けた恩を返すための努力をすべきなのだ……

 

そう思いつつもどうしてか頭の切り替えが行われないので、リゼは持っていたパンを食べ尽くすと、その場で立ち上がり早速スフィアを使用してみる事にする。

星3の無属性スフィア、どんな効果があるかは分からないので3人から少し離れたところで使用してみるが、マドカ曰く星3の無属性スフィアはどれもそこまで危険のない物だそうだ。

果たしてその中の何になるのか、本当に自分のスタイルに合ったものなのか。もし絶望的に自分と無縁のスフィアが来た時には売って別のスフィアに変えたり……いや、でもせっかくマドカからプレゼントされた物を手放すなど言語道断……などと頭をいっぱいにしながらも、リゼは見つめていた無色のスフィアに切替時間の1分を待ってから手を伸ばす。

 

「!」

 

3つのスフィアの真ん中に嵌め込まれたそれにリゼの人差し指が触れた瞬間、白銀色の光が放たれると共に変化は生じた。

 

(これ、は……)

 

変わったのは武器でも防具でもなく、視界。

元よりどれだけ書物を読み漁ろうとも全く弱くなるどころか、むしろ人より過剰であった視力が更に跳ね上がる。加えて視界の範囲、距離の調整、目に関する諸々が殆ど強化されており、いざ戦闘になってみなければ分からないが、動体視力も上がっているかもしれない。

元々人並外れた目を持っており、そこにスキルでの強化がされていたリゼ。このスフィアとの出会いは、それでもまだ足りないのかと呆れる様なものだ。もしこれらを同時使用した時、果たしてどうなってしまうのか……それはもうちょっと怖いという領域にまで足を突っ込んでいる。

 

「リゼさん?どうでしたか?」

 

「……マドカ、目を強化するスフィアという物はあるのかな」

 

「あ、『視覚強化のスフィア』でしたか。それはまた珍しい物を引きましたね、なかなかの当たりですよ」

 

「それ以上自分の目を強化してどうするのよ、その目で私の事は見ないでくれるかしら」

 

「ひ、酷いな……いやだが、やはり綺麗な肌をしているのだな、マドカは」

 

「ふふ、そうですか?」

 

「え、そこまで見えるのですか?」

 

「気持ち悪い」

 

「エルザ!私だってそう面と向かって悪口を言われれば傷付くのだぞ!」

 

とは言え、実際この視覚強化はかなり便利な代物である事は確かだ。遠くを見通すだけではなく近い物や細かい物も難無く見る事が出来る。リゼのスキルはあくまで情報処理の強化、しかしこちらのスフィアはその情報を収集する為の肉体強化に当たるのかもしれない。

そうなると役割分担はしっかりと出来ているという事で、決して過剰ではなく足りない部分を補ったというか……いや、どちらも動体視力だけは向上させる部分が被っているので、単純な分け方は出来ないのだろうが。

 

「……だが、これは暫くは使えないか。スフィアを3つ使うのは事故の危険性が高いとマドカも言っていたからね」

 

「そうですね、慣らすにしても視覚強化はやめた方がいいです。ある程度スフィアの戦闘が慣れてきたら代わりに『投影のスフィア』を付けてみましょう。その時に配信中の注意点についてもお伝えしますよ」

 

「ああ、助かるよ」

 

瞬間、『視覚強化のスフィア』の効果が切れる。

継続時間は60秒といった所だろうか。星3スフィアの再使用感覚が60秒という事を考えると、戦闘中は切り替わりのタイミングにも気をつけるべきなのかもしれない。戦闘中に秒数管理までしなければならないとなると、本当に扱いが難しいスフィアだと感じる。それに使用一度に対しても、それなりの精神力を持っていかれた様な感覚だ。使い所には気を付けたい。

 

「マドカ、午後からはどうするのかしら?一度戻って依頼の報告だけしておく?」

 

「そうですね〜。思ったより早く予定が進みましたし、新しい依頼が張り出されているかもしれません。そうしましょうか」

 

「それでしたら途中でマッチョエレファントを倒して頂いてもよろしいでしょうか?今ドロップ品の牙を探してるのですが、薬の材料に……っ!?」

 

「ユイ?どうかしたのかい?」

 

「…………」

 

「ユイはまだしも、マドカまでどうしたの?……5階層の入口?」

 

リゼがスフィアを外した直後に、ユイとマドカが同時に何かを感じ取った様に顔を向けた事に、2人は困惑する。

彼等が見つめている方向にあるのは6階層から5階層に登る階段のある入り口の方向。何かあるのかとそちらを見てみれば、しかし特に何か変化が起こっている訳でもなく、強いて言えば妙に風が吹いているというくらい。しかしそうは言ってもワイアームが居るのならば風くらいは吹くだろうし、ダンジョン内でも原理は不明ながら風は吹くので、偶々強めの風が吹いていた所で不思議では無いというか……

 

「……毒です、エルザ様」

 

「毒……?」

 

「ワイアームの存在する筈の5階層から、強い風と共に少量の毒物が漏れ出ています。……やはり、これを見て下さい」

 

ユイが自らの鞄から取り出した紫色の紙を少し水で濡らし空で振ってみれば、その紙は所々が少しずつ赤くなっている事が分かる。

そのままの勢いで彼女は鞄の中から口元と鼻を隠す灰色の布製の立体マスクを取り出し、何かの薬品を振りかけた上で全員にそれを着用する様にと指示をした。特にVITの弱いエルザには水色の液体を飲ませるほどに彼女は徹底していた。

一方で相変わらずマドカはじっと入り口の方へと顔を向けて様子を伺っている。

 

「……マドカさん、どう思われますか?」

 

「……リゼさん、スフィアを全部外してこの3つを付けて下さい」

 

「え、や、そう言われれば付けるが……何に使うんだい?というより、これは何のスフィアなのか」

 

「『炎弾のスフィア』が2つ、『バリアのスフィア』が1つです。色が全て同じなのでセットする順番には気を付けてくださいね。それと私の予備の小杖も渡しておくので持っておいて下さい、あとは私の指示を」

 

「ま、魔法なんて私は使った事が無いぞ!?」

 

「問題ありません、スフィアによる魔法は扱いが簡単ですから。ユイさんは救出と毒の対処を、エルザさんは防衛とお二人の指示をお願いします」

 

「それはいいけれど……もしマドカの考えていることが本当なら、1人で倒せるの?アルカ・マーフィンは昨年に返り討ちにあっているのよ?同じ個体とも限らないけど」

 

「他の探索者の方々がいつ帰ってくるのか分かりません、今討伐しておかなければ階層を破壊して地上へ登ってくる可能性があります。仮に降っていったとしても、他の探索者が帰って来た頃には手が付けられなくなっているのは確実です」

 

リゼは今一体どういう状態になっているのかは全く分からない。ただ話の内容から何か異常事態が起きており、マドカが対処しなければならない程の事が起きたという事だけは確かだと分かった。

腰に付いた3つの赤いスフィア、これが使用可能になるまであと1分はかかる。しかしその1分すら待っていられる余裕も無いのが雰囲気でも分かっているので、今はとにかくマドカのことを信用してついて行くしかない。

 

「とにかく救助を優先、その後は4階層に続く階層で治療と援護をお願いします。なるべく撤退は視野に入れますが、私でどうにもならなければ見捨てて地上へ報告に向かって下さい。その際は私が指示をするか、エルザさんが決定を」

 

「分かったわ」

 

「ふ、2人ともなにを……!!」

 

「そうでもしなければより多くの死者が出ます、反論は受け付けません。救助も難しければ見捨てて下さい、他人に情けを掛けている余裕があるかも分かりませんから」

 

「!」

 

まさかマドカの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったリゼは、驚き困惑しつつも彼女の後ろを歩き始めた。もしかすれば少しの幻滅もあったかもしれない。勝手に期待しておいてという話ではあるが、失望だって少しだけしたかもしれない。

けれどこの時、なにより分かって居なかったのはリゼの方だった。

ダンジョンの恐ろしさを、

本当の命の駆け引きを、

そして……本当に強い生物というものを。

 




スフィアの価格……あまりに珍しいスフィアを売る際にはギルドによる競売を掛けられることが多く、これには他の公共機関も参加することがある。アーザルス連邦軍が参加する際には他の商人達も身を引くことが多く、金額としては平凡に落ち着くことが多い。しかし有力なクランや地方の有力貴族が参戦する際には凄まじい額の応酬となり、☆3のスフィアであっても億単位の値がついてしまうことも……


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15.強化種ワイアーム

最初は本当にそんなつもりはなかった。

『龍の飛翔』と呼ばれるオルテミス近海の海岸付近から、毎年の様に強大な龍が出現する現象。これの対処の為に自分達のクランからも多くの探索者が駆り出され、残されたのはクランの維持に必要な最低限の人数だけ。

それでも都市最大規模のクランである『聖の丘』は街の警備も担当しているため、他のクランよりも街に残った人数は多かった。

彼等3人もそうして残された、比較的探索者になって新しい部類の者達であり、その3人ともが『聖の丘』のトップである『レンド・ハルマントン』という男に憧れてここに入って来た同志であり同期でもあった。

 

それこそ、最初は順調だった。

貸し出されたスフィアと装備を身に纏い、3人で順調に到達階層を進め、街の警備の担当時間の合間を縫って真面目に探索についての勉強を行い、期待の新人として持て囃された。

しかし問題は10階層の階層主であるレッドドラゴン討伐を視野に入れ始めた頃。

この『龍の巣穴』と呼ばれるダンジョンの難易度は特定の階層ごとに跳ね上がる。その最初の跳ね上がりこそがこの10階層であり、レッドドラゴン。

3人でどれだけ試行錯誤を重ねて挑んでも撤退するしか無く、かと言って今更9階層以下のモンスター相手では苦戦する事もなくレベルも大して上がらない。人数を増やして挑めば倒せたかもしれないし、何だったらレッドドラゴンの討伐だけ先輩に頼み、十分なレベルに上がるまで11階層以降で鍛錬を積むという方法だってあるにはあった。

けれど、3人はそれだけはしたくなかった。

自分達の憧れた『レンド・ハルマントン』という探索者は、初期の頃はクランにすらも入らず、たったの3人で20階層まで到達したと聞いた。そんなところを"聖の丘"に勧誘され、順調に団長にまで上り詰めたとも。なればこそ、彼に憧れた3人は、3人の力だけで同じ事を成し遂げたかったし、それを成し遂げれば未だまともに会話したことすらない『レンド・ハルマントン』に注目して貰えると思ったからだ。

 

「どうすれば3人で勝てると思う?」

 

「やっぱスフィアだろ、他のやり方だと時間がかかる」

 

「けど宝箱は滅多に見つからないし、階層主は連続して何度も狩るべきじゃないって言われてるだろ?」

 

時間を掛けて鍛錬を詰めば、確かにいつかは勝てるかもしれない。けれど、都市最大規模のこの『聖の丘』には当然ながら今も多くの有望な探索者が仲間入りする為の試験を受けているのだ。時間を掛けてしまえば彼等は直ぐに追い付いて来てしまい、自分達から『期待の新人』という肩書きすらも奪っていってしまう。同じ事をした自分達だからこそ、それが分かった。だから焦った。

そして他の探索者達が街の外に出ている今こそ、実力の差を広げるチャンスだとも思ったのだ。

 

「……連続じゃなければ、いいんだよな?」

 

「それは……そうかも、しれないが」

 

「連続って言っても、2回とか3回くらいなら大丈夫だよな……?俺達は偶然その日に頼まれ事をしていて、行きと帰りに2回ずつ戦った。これなら別に普通の事だろ?」

 

「……まあ、な。それにもし強化種が出て来たとしても、所詮はワイアームの強化種だろ?どうにでもなるって」

 

「あ、あくまで偶然だからな!それに2回までだ!それ以上は絶対に狩らない!これは譲らないからな!」

 

男3人、そうして計画を立てて、ギルドの受付に『薬草の採取を頼まれた』と嘘を伝えてダンジョンに潜った。本来ならば街の警備をしなければならない時間なのにも関わらず、2時間くらいで戻るからと自分達に言い訳をして5階層まで入って行った。

そしてその結果……

 

「み、見ろよこれ!スフィアが落ちた!しかも『狂撃のスフィア』だ!滅茶苦茶レアな奴だぞ!」

 

「ま、まじかよ!この街でも150,000Lはするレア物じゃねぇか!さっきも『回避のスフィア』が落ちたし……こ、これなら勝てるんじゃ!」

 

「ま、待て!最低でも『挑発のスフィア』は欲しい!それが手に入るまでは続けよう!な!」

 

続きに続いた幸運に、いつのまにか歯止めが掛からなくなっていた。2回と決めていた回数はいつの間にか3回、4回と増えて行き……インターバル確保のために『薬草を採取する為の行きと帰りに戦う』という建前も興奮のあまり忘れてしまう。

新しいスフィア、珍しいドロップ品。

倒せば倒すだけ何かが手に入る。

階層主を連続して倒してしまうと強化種が出てくる可能性があるという事は知っていた。

けれど、今ここで止めればもう2度とこんな幸運には恵まれないのではないか。続けていれば幸運もまた続くのではないか。そんな根拠の無い考えに頭を支配されてしまえば、いつの間にか真面目さを欲望が上回ってしまっていた。あと一度だけ、あと一度だけ、それを何度も繰り返してしまっていた。

 

 

……そして。

 

 

「ひぃっ!?」

 

「な、なんだよこいつ!?ま、待てよ!俺達まだ6体くらいしか狩ってないだろ!?それなのにこんな、こんな……!」

 

「逃げろ!逃げるんだ!勝てる訳がない!ふざけんな!強化種がこんな奴だなんて聞いてな……がっ!?」

 

「うわぁぁあああ!!!!」

 

 

 

欲望の悪魔は現れた。

 

 

 

 

 

 

……ああ、そうだとも。

この姿を見て悪魔以外にどう形容すればいいというのだろうか。

 

倒れ伏した2人の探索者、そして今こうして目の前で咀嚼されている恐らく探索者であったろう血肉の塊。そんなものを目の前に突き付けられて、リゼは身体を硬直させる。

 

ワイアーム。

今思えばあの龍は本当に可愛らしいものだった。

身体は大きく速度はあっても、所詮はリゼが1人でも倒せた程度の龍種。恐らく他の探索者であっても、しっかりとした情報収集を行い、対処を考え、事前に決めていた事柄をしっかりと行える程度の力があれば、同じ事は簡単に成し遂げられた筈だ。

エルザやユイと戦った時の様に集団戦闘の練習台にもなり、そういう意味では本当に浅層に居るのに相応しい相手とも言える類の龍。理不尽など何処にも無く、ある程度レベルが上がればマドカの様に剣の一振りで倒せる存在。

 

しかし同じ名前を冠していたとしても、今こうして目の前で飛んでいる龍というのは全くの別物である。

見た目こそはワイアームに似ていたとしても、大きさはその3倍以上はあり、黒色の体表は元より遥かに高い硬度を持ち、全ての気穴から弱毒を帯びた紫色の空気が噴出されている。

そして何より違うのが、その威圧感と存在感であった。目の前で立っているだけでも急激に重力が増した様な感覚に囚われ、手足の震えが止まらず、心臓は脈打ち、額や首筋から多量の汗が流れ出て行く。

目を向けられただけで身体は無意識の内に背後へ下り、しかし逃げようと動いた瞬間に次の獲物となり同様に肉塊へと変えられてしまうイメージを頭に植え付けられる。

その濃密な魔力を帯びたオーラの様なものは、魔力に疎いリゼでさえも気付くのだ。強化種などという言葉は知っていても、その実を誤解していたとしか言いようがない。強化種などという言葉は本当に生温かった。あれは正しく……

 

「リゼ!走りなさい!」

 

「っ!」

 

背後から背中を強く叩かれる。

そして震えていた自身の右手を誰かに引かれて、自然と身体も走り出す。

 

叩いたのはエルザだった。

手を引いてくれたのはユイだった。

自分よりも経験のある2人が、率先して自分を動かしてくれた。彼等もまた額から汗を流し、あの強大な威圧感に当てられているにも関わらず。

 

「まずは倒れてる馬鹿達を回収!その後は直ぐに撤退してマドカの邪魔にならない様に動くわ!ユイ!私を担ぎなさい!リゼ!貴女はあの2人を持つの!出来るわね!」

 

「あ、ああ……!や、やる、やるとも……!」

 

 

その赤い瞳を普段以上に赤く光らせ、エルザが必死の形相で指示を出す。ユイに担がれた彼女はその赤い瞳をジッとワイアームの方へと向け、ユイはエルザを担ぎながら始まったワイアームとマドカの戦闘の余波を避ける様に迂回しつつ、倒れている探索者達の元へと直走る。

 

『ゴァァァアアァァァァアア!!!!!!!!』

 

「っ!!せぇやぁ!!」

 

 

「マ、マドカ……」

 

必死に走るその横で繰り広げられている光景は、リゼが思わず立ち止まってしまいそうになる程に衝撃的な物だった。

その巨体に見合わず凄まじい速度を持って天井や壁面、床面までを大きく抉りながら体当たりを繰り返すワイアームと、その全てをワイアームを超える脅威的な速度で空間を縦横無尽に使い避けながら反撃を行うマドカの姿。恐らくエルザやユイには、マドカとワイアームの激しい攻防は殆ど認識出来ていない。彼等の間にどの様な駆け引きがあり、どの様にして互いの攻撃に対応しているのかを、全く理解出来ていないに違いない。

 

ワイアームが気穴からの噴出を集中させる事で実現した超高速の体当たりを、マドカは『回避のスフィア』を用いて避け、直後にマドカが発動した『水斬のスフィア』による激しい水流の伴った斬撃を、噴出する気穴を切り替える事でワイアームは軽減し受け止める。放たれた不可視の空気弾もマドカはまるで見えているかの様にワイアームの身体を足場に跳躍すると、今度は天井を足場に跳ね飛び、頭部の破壊を狙って斬り込むのだ。

いくらマドカが斬り込もうともワイアームは気穴を駆使して威力を軽減し、その鋼の様な龍鱗を用いて無効化する。

いくらワイアームが攻撃を加えようとも、マドカはその悉くを回避し、空中で無防備を晒したように見えても、鞄から取り出したロープや小型魔晶爆弾、そして『回避のスフィア』を用いて潜り抜ける。

僅か10秒の間の攻防でさえも、その中には数十を超える命の駆け引きが存在していた。その速度や威力もさることながら、なにより彼等の認識能力や思考速度の方がリゼには信じがたかった。これこそが本物の上級探索者の戦闘なのかと、唖然とした。こんなことが龍種にも出来るのかと、恐怖した。戦慄した。こんな物を見せられてしまえば自分達が行なっていた通常のワイアームとの戦いなど、本当に"おままごと"に過ぎないと、そう思わずにはいられない様な光景だった。

 

「っ、目的はそっちですか……!」

 

そうしてリゼがユイに連れられて意識を失い血塗れになっている2人の男性探索者達の元に着き、彼等を両脇に抱え立ち上がったその瞬間、マドカの方からそんな正しく想定外というような言葉が聞こえて来る。

直後に木霊する爆発音。

そして何かが崩落し、背後でエルザが狼狽える声。

 

……振り向けば、4階層へと繋がる階段が存在する階段が入口ごと破壊され、埋められてしまっていた。

ワイアームの空気弾、それが着弾したのだ。

 

マドカとワイアームの戦闘。

一見彼等は互角に戦っている様に見えて、実際にはマドカの方が押されている。有効打が無いだけではなく、体力の違いもあり、なによりユイのマスクがあったとしてもワイアームの毒は最も近くで戦っているマドカを徐々に侵食し始めているからだ。

そんな中でワイアームは更に欲を張って入口の一つを破壊し、一度マドカを退けると、今度は自分自身も6階層へと繋がる出口の方へと立ち塞がる。

完全に彼は自分達を逃すつもりが無かった。それこそただの1人でさえも、全てを喰らわなければ納得しないとでもいうかの様に。

 

「ふぅ……さて、どうしましょうか」

 

「っ、私のスフィアは……!」

 

使ったことのない魔法のスフィア。

まだ指示もされていない。

何をしろとも言われていない。

だから何も出来ない。

マドカは既にかなり消耗し、肩で息をしているというのに、ワイアームは未だ翼や気穴に損傷はあれど、大きな傷はない。それでもまだマドカやエルザは自分に指示を出してくれない。

リゼには今何もできることはないということか。

介入する事さえも許されていない。

圧倒的な力量の差。

今無意味に出て行ったとしても、本当に無惨に殺されるだけ。

 

「……エルザ様、5秒だけ時間を稼げますか?その間にマドカさんに解毒と体力の回復を行います」

 

「そうね……出来ると思うけれど、あの図体だもの。きっともう一つ荷物が増える事になるわよ?」

 

「構いません、今のままではどうにもなりませんから」

 

次元の違う戦闘と、それでもどうにもならないこの危機的状況に、ただ立ち尽くす事しか出来ないリゼ。

しかし今度はそんな彼女の前に、実力的にはリゼとそう変わらない筈の2人の先達が立つ。彼女達とて分かっている筈なのに、自分達の実力ではどうにもならないと。それなのに2人の目にはリゼとは違い、何か確信のような物が燃えている事に気付いてしまう。こんな状況であっても、あんな化け物が相手でも、自分達には出来ることがあるとでも言っている様に。

 

「な、何をして……」

 

「リゼ、私の身体もお願い」

 

「行きます」

 

「待っ……!」

 

ユイがマドカに向けて走り出す。彼女はその右手に橙色の液体の入った小瓶を手に持っており、一方でエルザは自身の両目を大きく見開いてワイアームに視線を向けていた。杖も持たず、魔法すら発動しようとしていないのに。

 

『ゴァァァアアァァァァアア!!!!』

 

「マドカさん、解毒を……!『誠心支援』」

 

「時間稼ぎは任せなさい!『鮮血紅眼』!」

 

走り出したユイと振り向いたマドカの隙を突く様に最高速度での体当たりを敢行したワイアームが、直後にほぼ直角に突進方向を変えて壁に直撃する。

瞬間、背後のリゼに向けて崩れ落ちるエルザ。

一方で走り出したユイはマドカに解毒ポーションを投げると、彼女がそれを飲み始めると同時に微小に青く輝いた両手をマドカの背中に当てて静止した。

悪かった顔色を取り戻し、少しずつ息が元に戻り始めたマドカ。一方で明らかな疲労の色を浮かべ始め、フラフラとした足取りでその場を離れてリゼ達の元へと戻り始めるユイ。

 

2人が何をしたのか。

詳しい事まではよく分からないが、リゼでも何となく予想がつく。恐らくエルザには一時的に攻撃の方向を変える様なスキルが存在しており、一方でユイには自身の体力を他人に分け与える様なスキルがあったのだろう。それと解毒ポーションを用いる事で、マドカの状態を万全に近い状態まで戻したという事だ。

 

……それでも2人の疲労はこの一瞬で凄まじい事になっているのか、もう立ち上がる事すらも困難な様子に、リゼは無理矢理に3人を抱え、ユイを先導しながらワイアームの空気弾によって落ちて来た瓦礫の影へとその身を隠す。

エルザによって壁へ衝突させられたワイアームは、想定外の動きによって身を守る行動すらできなかったのか、思っていたよりも大きなダメージを負っていた。とは言え、他所から空気を吸い込む必要がなく、自身の体内で生成されている毒を含んだ空気を排出する事が出来るワイアームの強化種。あらゆる攻撃が空気の鎧によって軽減されてしまうその性質上、大抵の魔法は無効化されてしまうのが現状だ。

恐らく有効打になり得るのは、雷属性と光属性の魔法。それとも重量をもった大槌などによる攻撃。

スフィアを変える時間はない。

リゼの持つ大銃でもまだ重量が足りないだろう。

そんな武器がこの場に無い以上、マドカは自身の持つ金色と銀色のその2本の剣と既存のスフィアだけでどうにかするしかないのだが。

 

「……銃?いや、そうか!この銃ならもしかしなくとも!」

 

そうしてリゼは漸く思い出した。

というか冷静になり、視野が僅かに回復した。

自分の持つ武器の、本来の使い方に目が向いたのだ。

この大銃はその大きさこそ特徴的だが、それに見合うだけの破壊力だって当然に持っている。それは打撃武器としての破壊力ではなく、純粋な銃撃としての破壊力だ。これを使えば当然ワイアームの空気の鎧など関係なく当てられるだろうし、あの硬い鱗さえも容易に貫きダメージを与えられるだろう。

ダンジョンに持って来た銃弾は2発。

しかしリゼとて狙撃は慣れたもの。1発さえあれば、あれほどの巨体には十分に当てられる。

 

「ユイ!すまないがここは任せる!」

 

「リゼさん?一体どこに……!」

 

もしここを狙われてしまえばどうしようもならず全滅する。しかし自分だけがこうして場所を離れて狙えば、仮にユイ達が狙われても狙撃することができ、リゼが狙われても犠牲はリゼだけだ。

リゼは大銃の中に弾が入っていることを確かに確認し、ワイアームの視界にわざと入る様な形で場所を移動する。しかしワイアームは再びマドカと戦闘を開始し始めているため、本当にその視界に入ったのかは分からなかった。

それでもともかく、リゼがやる事は一つだ。

スキルでもなんでも使って、とにかくこの弾丸を1発ワイアームに当てる。1発当てるだけでも形勢逆転の目にはなる、少なくともそれをマドカは確実に活かしてくれるだろう。エルザとユイは既に自分のなすべきことを成した、ならばリゼも自分に出来る事をするまでだ。

 

「っ、くぅ……!」

 

マドカがワイアームに吹き飛ばされる。

しかし直前に防御行動を取っていた為かダメージは少なく、むしろ意図的にそれを喰らい距離を取った様にも見えた。

マドカがユイ達の近くに着地する。

ワイアームがマドカに追い討ちを掛けようと迫る。

……狙うなら今しかない。

 

スキルを発動させる。

照準を合わせる。

自分の感覚のままに狙いを定める。

山の中で何度も繰り返した行為だ。

この大銃での狙撃の経験は少なくとも、この銃以上に手に馴染む物も存在しない。

確実に当てられる自信がリゼにはあった。

敵に致命的なダメージを与えられる確信も存在していた。なぜなら彼女はそれでも、祖父の銃作りの腕前を信じていたから。

 

 

「リゼさん!!逃げて!!」

 

 

「え……」

 

しかしその瞬間、何の前触れもなく岩影で狙いを定めていたリゼの身体が大きく後ろへと吹き飛んだ。

空気弾ではない、ワイアームの頭を狙っていたのにそんな挙動は一切無かった。それに体当たりでもない、そもそも距離が離れていたのだし仮にそうだとしても全く視認できないなどと言う事は決してあり得ない。

 

(だとしたら……)

 

スローで見える世界の中で、ワイアームの空気穴のいくつかが内部から破裂した様に損傷しているのが見える。てっきりそれはマドカが損傷させた物だとばかり思っていた。しかしそのうちの一つ、今も表皮がヒラヒラと揺れているその気穴は正しくリゼの方を向いている。まるで自分目掛けて砲撃でも行ったかのように。

 

(気穴を使った、空気弾……!そんな事が!)

 

必ずしも口から吐き出して来る訳ではない。

気穴を損傷させるという代償さえ払えば、強化ワイアームは全身の気穴からもそれを打ち出す事が出来たのだ。それに気付いていたのは実際に何発か不意打ちに気付き捌いていたマドカだけで、彼等の戦いを見れた気になっていたリゼでは、やはりその全てを把握出来ていた訳ではなかったのだ。

 

『ゴァァァア!!!!!』

 

マドカを狙うふりをしておきながら、実際には最初からリゼを狙っていたワイアーム。知能でさえも本来のワイアームを遥かに上回る厄介な相手。それが今凄まじい勢いで牙を剥いて襲い掛かってくる。

格上の敵の空気弾は尋常ならざる威力を誇り、所詮はLv.8しかないリゼの身体は今や立ち上がれない程の多大なダメージを負っていた。目でしか追えない突進に対し、這って動く事すら危うい今のリゼが出来る事はもう殆どない。大銃は自分より少し離れた場所へと飛んで行った、ポーションは鞄の中で割れてしまっている。唯一ある武器はマドカから手渡された小杖と赤のスフィア群だけだった。

……そういえば、それを何故手渡されたのかも未だわからないまま。あの聡明な彼女が何故防御系のスフィアだけではなく魔法系のスフィアまでも自分に持たせたのか。それすら分からないのなら聞くべきだったかもしれない、反応からしてユイとエルザはその理由を知っていたようだったから。

 

(まさか、本になるどころか……たった4日で、死ぬ、とは……)

 

情けない。

本当に申し訳ない。

あれだけマドカが気を回してくれたというのに。

あれだけ大口も叩いたというのに。

それなのに自分はこうして、無様を晒して死ぬしか無い。

近付く死の気配に息が荒れる。

這って逃げようとする自分の背後から猛烈な風を切る音が聞こえて来る。

思いの外、死というものは恐ろしかった。

思わず涙を流して、歯をカチカチと震えさせてしまうくらいに。それが恐ろしいものだとは当然知っていた筈なのに。いざ自分があの肉塊のようになってしまうと考えた時、リゼからはそれまでの勇しさが嘘のように消えてしまい、ただ震えてその瞬間を待つ事しか出来なかった。

 

「お祖父ちゃん……」

 

未だ年相応の未熟な精神で、どれだけ冷めようとも最後には唯一の家族であった祖父に助けを求めてしまったのは。情けない事なのか、それとも喜ばしい事なのか。ただ、何をどう言ったとしても、今のリゼにとって拠り所となるべきものが亡くなってしまった祖父しかいなかったと言う事実。それを自覚してしまえば、自分の心を蝕む闇はより一層に勢いを増してしまって……

 

 

「リゼさん!!」

 

 

リゼの身体を衝撃が襲う。

夥しい鮮血が宙を舞う。

……けれど、不思議と痛みは無かった。

むしろ暖かさと安心感がそこにはあって、衝撃は背後からではなく横からやって来て、ゴロゴロと地面を転がる自分は、それでも誰かに抱かれていて。

 

「マド、カ……?」

 

「あ、あはは……間一髪でしたね。間に合って良かった」

 

少し顔色を悪くしながらそう言う彼女。

しかし顔を合わせたのも束の間、彼女は直ぐにまたリゼを置いてフラフラと立ち上がり、崩れ落ちる。

 

「マドカ!……これは!」

 

「えと、牙が掠ってしまったみたいです。毒も入ってますね、ちょっと動きません」

 

「そんな……!」

 

彼女の左足に刻み付けられた大きな裂傷。その痛々しさに加えて次第に青黒く変色し始める様子は、それだけで見ている者に恐怖を与える様な悍ましさがあった。

完全に立ち上がれなくなってしまったマドカ、彼女自身も急激に体力を落としている様にも見える。その傷が一体誰のせいで付けられてしまったのか、そんな事少し考えなくとも分かる。

 

「わたしの、せいで……」

 

「反省会は後ですよ、リゼさん。やるなら今しかありません、少し離れて魔法の準備をして下さい」

 

「え……」

 

しかし自己嫌悪で頭の中が滅茶苦茶になっているリゼとは反対に、傷を受け今も痛みに耐えているであろうマドカの方はむしろ冷静にそう指示を出した。

確かにワイアームは2度にわたる壁への衝突で目を回しているし、何かを成すのであれば今しか無いだろう。だがこの状況で果たして何を成すことが出来るのだろうか。頼みのマドカすら立てない状況だと言うのに、大銃も離れた所に飛んでいってしまったのに、何をどうすれば。

 

「リゼさん、私に向けて『炎弾のスフィア』を最大火力で可能な限り連続で放って下さい。既にエルザさんにも同じタイミングで放つ様にお願いしてありますが、エルザさんも2度のスキルの行使で既に限界が近いので」

 

「!?な、なにを言って……!」

 

「時間がありません、今はただ私のことを信じて下さい。それ以外に方法が無いんです、お願いします」

 

「マドカ……」

 

「お願いします」

 

自分に向けて火炎の弾丸を当てろというマドカ。

その顔は決して恐怖や猛毒で混乱しているという訳でもなく、彼女はただ真面目にそう言っている。

果たしてその言葉を信じてもいいのか。

そんなことをして本当に大丈夫なのか。

けれど今はそれを考える時間すらも与えてくれない。ワイアームが頭を振るって混乱から抜け出そうとしている。マドカの状態もこうしている間に刻一刻と悪くなっている。

これ以上リゼが無駄な時間を浪費して悩み、彼女の負担になるという事は、この場の状況の何もかもが許してはくれなかった。どれだけ考えたところでリゼに出来ることなどマドカを信じること以外には存在しないという事は、この場にいる誰もが理解できる事だ。

 

「……分かった、マドカを信じる」

 

「ありがとうございます、リゼさん。……大丈夫ですよ、私こう見えて、結構強い方なんですから」

 

そう言ってニコリと笑い掛けてくれるマドカに、リゼはその彼女から受け取っていた小杖を構えてスフィアの方へと手を向けた。そのタイミングと時を同じくして、遠くの方でユイに抱えられたエルザがフルフルと震える手で杖をマドカに向けている事も分かった。

ワイアームを睨み付ける彼女の小さな背中、今からリゼはその小さな背中に向けて魔法を叩き込まなければならない。やりたくない。けれど、やらなければならない。恩人の背に火を放たなければ、この状況を打破する事が出来ない。そんな彼女の言葉を信じないなど、それは何より彼女を裏切る行為だから。

 

「……っ!!『炎弾』!!」

 

「っ」

 

「『炎弾』!!!」

 

自分の目の前が炎で真っ赤に染まる程の最大火力の魔法の連打。エルザから放たれる炎弾も相まって、マドカの身体が完全に火に包まれ見えなくなっているのに、リゼはそれでも彼女に言われた通りに自分にできる限りの全力で初めて使った魔法による攻撃を行い続ける。

スフィアを使った際に消費されるのは体力ではなく精神力だ。使い消費すればするほどに心は疲労し、脆弱になり、簡単な事で心が折れてしまう原因にもなる。

強化ワイアームにトドメを刺されそうになったあの瞬間から、リゼの心はもうとっくにボロボロだった。それなのに今、こうして頼まれたとはいえ、自分の恩人に向けて火を放っている。その事実にリゼの心は最早限界を迎え、疲労のあまり崩れ落ちたその時には、彼女はあまりにみっともなく涙を流して蹲ってしまっていた。

朦朧とする意識の中で子供の様に泣きじゃくるリゼ。未だ炎の中から出て来る事もなく、物音ひとつすら立てる事のないマドカ。

 

……死んでしまった。

 

そう思った。

自分が殺してしまった。

そう思ってしまった。

 

 

 

「ありがとうございます、信じてくれて」

 

 

「!!」

 

そうして、火炎の柱の中から発せられた、彼女のその言葉を聞くまでは。

 

「マド、カ……?」

 

「大丈夫ですよ、リゼさん。私、負けませんから」

 

瞬間、それまで轟々と燃え盛っていた火炎の塊が一瞬にして凄まじい水流の元に斬り伏せられる。急激な消火によって真っ白な煙が漂う中、少しの息苦しさと共に見えて来たのは、自身の身長の3倍以上にまで膨れ上がった水流を金と銀の混じった大剣に宿し、未だ膝を突きながらもリゼの方に変わらぬ微笑みを向けるマドカの姿。

マドカの金と銀の二本の剣は互いに重ね合わせる事で1本の大剣となり、明らかに尋常では無い勢いと量の水流によって、強化種のワイアームでさえも恐怖に慄かせる。

 

「『属性強化』」

 

「!?」

 

そして、彼女の水斬はそれだけでは終わらなかった。

マドカが腰の秘石に付けているのは青のスフィアが2つと、無色のスフィアが1つ。『回避のスフィア』『水斬のスフィア』は使っていたが、彼女はここに来て3つ目のスフィアを解禁したのだ。

それまででも十分に凄まじかった水流が、ワイアームの気穴から噴き出される風すらも塗り潰す様な脅威的な嵐となってマドカの大剣の周囲を伝い始める。大雨の様な水飛沫によってこの広い空間が僅かな隙間すら残さぬ程に水に濡れ、あれほどに恐ろしかったワイアームの威圧感さえも容易く塗り替えていく。

 

「さ、いきますよ。……『滝水斬』」

 

『ガ……ァ……ガァアアアアアアア!!!!!!!!』

 

「これを確実に当てるためだけに一体いくつ翼と気穴を破壊したと思ってるんですか?……避けられませんよ、終わりです」

 

マドカの誇るその最高の一振りは、本物の龍種の身体すらもまるでケーキの様に容易く引き裂いた。

背後の壁が爆散する。

リゼやエルザ達に向けて大量の雨が降り注ぐ。

暴風によって一瞬身体が浮きそうになり、実際そのまま飛ばされそうになったエルザを、ユイが必死になって抱き止めていた。

ワイアームの大きな身体の1/3が肉片すら残らず血塊となり、6階層の階段に向けて水と共に流れていく。残された体部はその場に落下し、灰となって崩れ始める。

殆ど闇雲になって突っ込んできたワイアームは、恐らく自身の死すらもまともに感知できぬままにその命を奪われたのだろう。それが幸か不幸かと言われれば分からないが、少なくともあれ程の強者が問答無用で命を奪われる程の力を、たった1人の少女が行使したということだけは事実であった。……彼女の一撃はそれほどに、桁の違うものであった。

 

「え、えへへ……か、勝てまし、た……」

 

「マドカ!!」

 

倒れたマドカの元へ走る。

リゼがフラフラの身体を必死に動かして彼女を抱き寄せた時、その意識は既に無かった。

それでも、生きている。

死んではいない。

それだけで十分だった。

 

本当に、いまは、それだけで……




強化種について……ダンジョン内にて特定の条件を満たすと生まれる非常に強力な個体であり、安定した討伐には上級探索者が2パーティ以上必要とされている。1階層の強化種ワイバーンでさえも上級探索者が単独で討伐出来るものではないため、スフィア目的で討伐を挑むのはあまりに危険性が高い。また同個体の強化種の中にも強さにバラ付きがあり、今回のワイアームはかなり強い方であった。


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16.後始末

強化種ワイアームとの戦闘の後、それでも一息を吐く暇は無かった。

マドカの左足の傷口から入り込んだワイアームの毒、これは空気中に排泄されていた毒とは比べ物にならないほど強力なもので、ユイがその場で施した治療では悉くどうにもならなかったのだ。

戦闘を行った階層が浅い事もあってか、異変に気付いたギルドからギルド長のエリーナ・アポストロフィを含めた職員達が比較的早く救助に来てくれた事もあり、地上に戻る事が容易かったのは幸いだろう。

しかし元凶となった2人の男性探索者と共に救護室に送られたマドカは、今もユイや他の職員達による治療を受けている。どうにも難航しているという報告しかリゼ達の元には降りて来ず、その知らせは聞く者達の顔色すらも悪くしていく。

 

「……なるほど、ワイアームの強化種か。しかも話を聞く限りでは以前出現した個体よりもかなり強い個体の様だ。よく対処してくれたな、お前達」

 

「いや、私は何も……」

 

「多少は手を出したけれど、今回のことは全てマドカ1人の手柄よ。報酬や謝礼は全部そっちに回して貰えるかしら」

 

「……いいのか?事が事だ、『聖の丘』からも相当な金額が流れて来るはずだろう」

 

「どうせマドカの治療にも相当な金が使われるんでしょうし、そこからユイに支払いが行われるのだからウチとしては十分プラス。まあその辺りの流れもマドカ自身が動けないのなら私がするわ」

 

「ふむ、なるほど分かった。それはそれでいいが……マドカの毒はそこまでの物なのか?」

 

「ユイが作った解毒剤が効かない時点で30階層主の激毒以上、街と治療院からも薬師や医療者や研究者を何人か呼んで調査させているわ。辛うじて『解毒のスフィア』が進行を弱める機能を果たしているのが幸いね」

 

「そうか……はぁ、本当に余計なことをしてくれたな、あの馬鹿どもが!」

 

恐らくひと回りは年齢の違うであろう2人がそうして対等に話している姿を見て、リゼは少しだけ居辛さを感じながらも話を聞く。

リゼとて分かっている。

誰も口には出さないが、今回マドカがああして怪我をしたのは、リゼが勝手に行動を起こしたせいだと。マドカは最初に言っていた筈なのだ、自分かエルザの指示に従う様にと。

しかしリゼはそれを破って勝手に行動を起こし、結果としてマドカに庇われる形となってしまった。普段ならばまだしも、2人のことを信用せず、あの非常事態の場で与えられた指示を守れなかったのは完全にリゼのミスである。

これでもしマドカが探索者としての生命を絶たれでもしたら……自分は一体彼女にどんな責任が取れるのだろうか。それが嫌という訳ではないが、とてもじゃないがその責任を取れるほどの物をリゼは持っていない。

 

「何馬鹿なことを考えてるの」

 

「痛っ……!?」

 

そんなことを考えていたのが顔に出てしまっていたのか、隣に座っていたエルザに突然額をピシャリと叩かれてしまった。

チラと彼女の方を見れば、エルザはわざとらしく呆れた様にため息を吐き、もう一度目を合わせると共にまた額を叩かれる。

 

「な、なぜ2回も……」

 

「全部自分のせいで〜なんて顔してるお馬鹿は5,6回殴らなきゃ分からないでしょう」

 

「そ、そんなに殴られなくとも分かる!」

 

「本当に?」

 

「うっ……それは……」

 

「自意識過剰、責任感じて後悔してれば物事が勝手に進むとでも思ってるのかしら。考え方が本当にお子ちゃまね」

 

「うぐっ、そこまで言わなくとも……」

 

グサリグサリと的確に心を突き刺して来る彼女の言葉に、リゼは表情を歪めながら悶え苦しむ。しかしそれでも彼女がただ自分を傷付ける為にそう言っているのではないという事も分かる。少なくともこの数日で、彼女がそういった類の人間ではないという事は知っているのだから。

 

「今回勝手に行動したのはリゼが悪い、そこはしっかりと反省しなさい」

 

「……ああ、分かっているよ。私が間違えなければマドカは」

 

「ただ、そのド素人のリゼに指示を出すどころかその内容まで伝えなかったのは私とユイとマドカの責任。むしろそれをしやすい立ち位置に居たのに頭回す事に必死になってた私の責任の方が大きいわ、結局そこまで回しても大したことは出来なかったのだし」

 

「いや、だがそれは……」

 

「そして次にギルド。この時期にダンジョンに入ろうとする探索者なんて限られているだろうに、よりにもよって警備を受け持つ『聖の丘』の探索者をろくに確認もせずに受け入れた。危機意識が足りていないんじゃないかしら?」

 

「いや、それは本当にすまん。エッセルが別件で出掛けていてな、新人が受付に立っていた様だ……」

 

「あとギルド長」

 

「うっ」

 

「業務時間中に昼寝をしていたと聞いたのだけれど、それは本当なのかしら?普段なら別に寝ていようが遊んでいようが構わないとしても、それで初動が遅れたというのなら問題よね」

 

「……いや、それについては本当に反省している。言い訳をするつもりもない」

 

「そう、それなら後の問題は『聖の丘』ね」

 

それまでも厳しい言葉を自他構わず飛ばしていたエルザが、その瞬間更に迫力を増す。目に見えるほどに不快なオーラを出し、リゼだけではなくエリーナまでも姿勢を正すほどに圧が変わる。彼女のその雰囲気は決して強い探索者としてのものではなく、もっと根源的な。いつもマドカと揃って儚げな雰囲気を漂わせている彼女とは思えぬ程に卓越した、圧倒的な支配者の雰囲気。

 

「さて、どれくらいふっかけようかしら」

 

「エ、エルザ……」

 

「分かってるわよリゼ、私だって別に潰そうとまでは考えていないわ。仮にも都市最大戦力だもの、算出した賠償額の3倍の金額で済ませるつもり」

 

「そ、それでも十分にやり過ぎている様にも思うのだが……」

 

「別にその程度でクランの経営が傾く訳でも無いのだし、取れる時に取ってマドカに押し付けとくのが1番でしょう。ダンジョンに潜れない間、あの子がお腹を空かせて待つ事になるよりずっといいわ」

 

「!」

 

それを言われてしまうと、リゼとてエルザの意見に乗るしかなくなってしまう。マドカの食費の事を考えれば、むしろ本来の倍すらも安いのでは無いのか。そんな風に考えてしまうくらいに、むしろこれから先の食費も困らなくなるくらい搾り取っても良いのではないかと思ってしまうくらいに、リゼはその意見には賛成だ。あんな怪物を1人で倒したのだから、それくらいの報酬は出てもいいだろう。

 

「それに、これがお金程度で済むのならマシな方なのよ、リゼ」

 

「?それは一体どういう……」

 

「さて、ギルド長さんはどうするのかしら?こんなのはどうやったって隠し通せないと思うのだけれど」

 

「うぐ……せ、せめて説得を手伝ってくれたりとかしてくれないのか!!」

 

「しない。誰がそんな自分から死にに行く様な真似をするの、今回瓦礫を退けるくらいしか仕事をしていないギルド長さんの腕の見せ所でしょう」

 

「この口だけは達者な小娘め……!」

 

頭を抱えて今まで見た事がない程に激しく狼狽えるエリーナに、リゼは困惑しながらもエルザの方へと首を傾げた。果たして2人はそれほどまでにいったい何を恐れているというのか。それもギルド長である彼女がここまで頭を抱えるというのも相当だ、いつもはあれだけ自信に満ち溢れている彼女だというのに。

 

「……マドカの母親の話よ。マドカがあんな状態になった以上、怒り狂うのは当然だもの」

 

「ああ、なるほど……けど、そこまでの話なのかい?親としては当然の話の様にも聞こえるのだが」

 

「そうね、娘を傷付けられた母親が怒るのは当然の話よ。ただ、その怒りをどう発散させるかは人によるでしょう?」

 

「……?ええと」

 

マドカの母親の噂はリゼもなんとなく聞いた事がある。彼女自身も有名な探索者であり、"紅眼の空"という少数精鋭クランに所属している実力者だと。そしてマドカと同様に美しい容姿をしており、マドカの"白雪姫"という二つ名の元となった人物だということも聞いている。

マドカの母親というくらいなのだから、多少の違いはあれど母親として十分にしっかりした人物の様にも思えるのだが、そうでもないのだろうか。なんとなく人格的にヤバそうな話も聞いたことはあるのだが。

 

「……ヤバいんだよ、あいつの母親は」

 

「え」

 

「"ヤバい"というのは、完全に人間性としての話。見た目は相当に美人で、探索者としてもこの街で最上級の部類に入る存在。それなのに人間性が完全に破綻しているの、狂人と言ってもいいくらい」

 

「ええ……」

 

俄には信じられない、まさかあのマドカの母親がそんな狂人などと有り得るはずがない。そう口に出そうとしたリゼだが、突然遠い目をして暗くなったエリーナを見るとそんな言葉すらも飲み込まざるを得なくなる。

 

「……お前にマドカの母親、つまり『ラフォーレ・アナスタシア』の有名な逸話を話してやろう」

 

「え、あ、はい……」

 

「あれはあいつが初めてマドカを連れてこの街にやって来た時の事だ。5年に渡る放浪の旅を終えて娘と共に帰ってきたあいつは、大切な娘の為にとダンジョンに潜り金を稼ぐために動き始めた」

 

「い、今のところはまだ普通の母親の様に聞こえるが……」

 

「そうだな、今の所はな。……さて、それでもその時点でラフォーレは世界最高の炎魔法の使い手としての実力を持っていた訳だ。金を稼ぐ為にはモンスターを倒して魔晶を集めるか、宝箱や階層主からスフィアを手に入れなければならない。そこで奴は娘を1人家に残す時間を短縮する為に、ある方法でモンスター共を皆殺しにした訳だ」

 

「………………………まさか」

 

「そう、そのまさかよ」

 

「あいつはダンジョンの1〜10階層までを燃やし尽くした。加えて水辺の多い階層を素通りし、今度は16〜24階層にまで火を付け、数多の魔晶とスフィアを手にして帰って来た。直後に現れた強化種さえも協力していた自らの弟達を巻き込んで焼き尽くし、金に変えたんだ。そのせいでダンジョンには2週間以上も誰も入れない状態が続いた」

 

「な、なんという事を……」

 

「あれはね、そういう女なのよ。自分の目的の為なら本当の意味で手段を選ばない。どれだけ他者に非難され様とも、その全てを力で捩じ伏せる。もし誰かに1発でも殴られれば、殺すまで殴り返す女。それがマドカの母親、"灰被姫"とも呼ばれるラフォーレ・アナスタシアという狂人よ」

 

「もとより手に負えなかったあの馬鹿女が娘を連れて来た時は、これで少しは落ち着くと私も思ったんだがな。あの化け物の様な女が本当に娘を愛していたのだから。……だが、実際にはもっと大変な事になっていた。娘が関わると、それまで以上になりふり構わなくなる。もし今回の事が奴に知られてしまえば……」

 

都市最大手クラン"聖の丘"の焼き討ち。

そんなこともあり得てしまう。

娘を持つ前よりかはいくらか丸くなったとは言え、娘が関係する際にはむしろ以前よりも尖った狂い具合を持ってしまった彼女を止められるのは、それこそマドカ以外には難しい。しかしこうしてマドカが動けない今、最早彼女を止めることは難しくて。

 

「……条件付きで制裁の機会を設けるというのはどうだろうか?」

 

「……ああ、なるほど」

 

「いや、その、あまり良い方法とは言えないかもしれないが……例えば拳で3発だけという条件を付けて、監視役が見ている前で発散させるんだ。焼き討ちにされるくらいならばと"聖の丘"側にも飲ませなければいけないが」

 

「……まあ、それが1番ではあるか。とは言え、その場合ギルドとしては関われない、私的な闘争として処理するしか無い」

 

「当事者の2人は半殺しで済ませて、後の分はトップの"レンド・ハルマントン"に受けさせましょう。仮にも都市最強の探索者なんだから、いいサンドバッグになってくれるでしょ」

 

「そうだな、そうしよう」

 

「私から提案しておいて何だけれど、なかなかに酷い話になってきてしまったな……」

 

とは言え、ここまで話が進んでしまうとリゼも最早自分のせいだけでマドカが怪我をしてしまったとは考える余裕も無くなってしまう。エルザの言っていた『悩んでいれば勝手に物事が進むとでも思っているのか』とは、正しくこういう事なのだろう。

それに少なくともマドカの母親のその話、リゼにとっても他人事では無い。もしかすればその母親が関係者全員を殴り倒すまで気が済まない可能性もある。そうなればリゼはそれをもう甘んじて受けるしかないだろう、未だ密かに燻っている後悔を消化する為にも。

 

「まあ、後の手筈は私が進めるとして……問題はお前の事だな、リゼ」

 

「え?」

 

「え、じゃないでしょう。マドカが動けなくなったんだから、別に教官役が必要でしょう?ユイは治療の為に出せないし、私も半分ボランティアでギルドの手伝いをしないといけないから付けないわ」

 

「あ、そうか……そうだったな……」

 

言われて気付くまですっかり頭になかった、というのが本音。そんなことはどうでもいい、とまでは言わないが、リゼの中ではそのことは今かなり優先順位の低い事であった。

確かに2人の言う通りマドカが動けないのなら他の探索者に指南を求めるのが当然の流れなのだろうが、今更マドカ以外の元に付きたいかと言われると正直あまり気は進まない。かと言ってただマドカの回復を待ち、怠惰を過ごすのも違うだろう。そんな事は分かっている。

 

「とは言え、今は他に有力な探索者も居ない。ギルド職員もこれから暫くは忙しくなる。私からは良い案は出せそうに無い」

 

「あ……ええと、それなら暫くは1人で探索してもいいだろうか」

 

「1人で?大丈夫なの?」

 

「4階層までしか潜るつもりはないよ、ワイアームとも戦うつもりはない。ただ、今は自分の出来る範囲でマドカの代わりがしたいんだ。……そうは言っても、4階層までで出来る依頼なんて花の採取くらいしかないだろうけど」

 

「……そう。まあ良い機会かもしれないわね、自分だけの考えでダンジョンに潜ってみるっていうのも」

 

茶を啜りながら興味なさげにエルザはそう言うが、それでも彼女が確かにリゼの心配をしているのも間違いない。マドカがいつ復帰出来る様になるか目処も立っていない今、リゼは今日まで教わった事を反復し、しっかりと身に付けておく必要がある。つまり土台固めだ。4階層までの比較的平和な階層で、可能な限り探索者としての知識と常識を体と頭に染み付ける。

その中には当然マドカから教わった依頼の選び方だとか、探索者としての良心だとか、そう言ったものも含まれていて。

 

「まあ、ギルドとしては助かるから何の問題もない。マドカの代わりと言わず、いずれはマドカの後を継いで貰いたいものだけどな」

 

「ギルド長」

 

「ああ、冗談だ。将来を狭める様な事は言わない方がいいな、悪かった」

 

「い、いや、私は別に気にしていない」

 

何気なく放たれたその言葉が、思いの外リゼの心に突き刺る。マドカの代わりになれる。その甘美な言葉は、これからのリゼの人生を少しずつ、けれども長く見て大きく変えてしまうものであったことには、結局誰も最後まで気がつくことはないだろう。

リゼ・フォルテシアの憧れが彼女である以上は、そもそもそんな言葉などなくとも未来は大まかには変わらないのだろうから。

 




ギルド長エリーナ……割とギルドに住んでいるのではないか?というような生活をしている。


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17.暴君

 

「……ん」

 

「っ!起きましたか、マドカさん」

 

「あれ?ええと……あ、そうか、私ワイアームを倒してそのまま……」

 

「意識がある様で何よりです、未知の毒だったので影響が分からず……」

 

ギルド近辺に存在する治療院の一室。

緊急の治療が必要とされる場合に開かれるその部屋で、マドカはユイを含めた数人の医療師達の元で治療を受けていた。

戦闘中に生じた数多の小さな傷は既に完治している様だが、未だ直接強化ワイアームの牙の毒に浸された左足の裂傷は治療中。むしろどう対処するのが正解なのか分からないこの現状では、少しのサンプルを採取し、暇をしていた研究者達を総動員させて調査させる事しか出来ていない。

マドカ自身、身体に何処か力が入らず、微かではあるがその毒の影響が広がり始めているのを自覚出来ていた。右手を自分の顔の前で閉じたり開いたり、その動きに若干の違和感が生じているのを確認する。

 

「……治す、まではいかなくとも、進行を止める事くらいは可能ですか?」

 

「当然、やってみせます。今は治療員の方々に定期的に解毒のスフィアを使用して貰う事で進行を遅らせていますが、ある程度の法則が分かれば対処の仕様はあるはずです」

 

「そうですか。ありがとうございます、ユイさん。……まあ、片足が動かないくらいならまだ戦えますからね。皆さんが帰ってくるまで、この街は私がちゃんと守らないといけませんから」

 

「そのような事は私が絶対に許しません。……とは言え、悲しい事に本当にそんなマドカさんに頼らざるを得ないのが現状です。報告した通り、今回出現した龍種は対処にかなり時間がかかる相手ですから」

 

ユイから手渡された緑色の液体を飲む。

マドカに処方される薬品はその全てがユイがその手で作り出したものだ。本来ならば治療院としても認められないその行為は、この街においてユイにだけ特別に認められている。

その理由が『知識の花』というユイだけが持つスキルにある。このスキルは『作成・使用する消費物の効果量が向上する』という、歴史上記録に残っているだけでも彼女の他に1人しか見つかっていないという非常に希少な物だからだ。

元々薬師としての知識を持っていた彼女がこのスキルを使用すれば、片手間で作った品質の悪いポーションでさえも上級ポーションと変わらない効果を発揮する。どれだけ治療院が日々研究を進めようとも救えない命はある訳で、そういった際に治療院の研究と彼女のスキルを合わせる事で何度も対処に成功した実績があった。

ユイ・リゼルタはあくまで探索者であり、自身に必要な物以外を作成する気もなければ、売りに出す気もない。彼女のこの方針もまた治療院や都市の薬師達からも都合が良く、今の様に良い関係を築けている理由でもある。

 

「強化ワイアームの猛毒……今後これに対処する機会があるかと言われれば難しいですが、治療院の研究員さん達は全力で協力をしてくれています。これもマドカさんの人柄でしょう」

 

「ふふ、そうだといいですね。……ただ、今回のワイアームは実力的には高い知能も含めれば25階層あたりの階層主と同等の力を持っていました。もし階層を進めた時に、もしくは街の外で出現する龍種の中に同じ毒を使う存在が居た際に、この研究はより多くの人の命を救う事になります。分からない事を分からないままにしておかない、それがこのオルテミスにおける研究者さん達の義務でもあるんです」

 

「なるほど……というか、あのワイアームはそれほどのレベルだったのですか?本当によく倒せましたね、マドカさん」

 

「攻撃力だけはありますから。エルザさんとリゼさんの魔力を殆ど全部受けましたし、実際同じ攻撃なら30階層までの階層主は全部倒せますよ」

 

「……マドカさんが地下深くまで潜れたら、きっと50階層も簡単に攻略出来てしまうかもしれませんね」

 

「そこまでお力になれるかどうかはわかりませんが、お腹空いちゃいますからね、それは流石に難しいです。もし私が50階層まで進もうとするのなら、容量一杯に食料を入れた宝箱を5つは用意して頂かないと」

 

「もし入ったとしても帰る頃には腐ってしまいそうですね、ふふ」

 

そんな風に笑い合う2人は、周囲の治療員達から見ればとても微笑ましい物である。

治療院から見た2人の印象は、当然ながら良いものしかない。

緊急の材料調達や早期救出のために戦力が必要な際、真っ先に手を挙げ行動を起こしてくれるマドカ・アナスタシア。研究員達個人の研究の為に必要な資材などの調達も、彼女が依頼を片っ端から片付けてくれる為に滞る事は少ない。

一方で特殊なスキルを持ちながらも治療院に協力し、薬師としての知識や才能だけでなく緊急時のリーダーシップも取れるユイ・リゼルタ。彼女の事情からして探索者であるのは仕方ないとしても、その目的が果たされれば治療院は本当に彼女をスカウトする気で居るくらいには気に入っている。

マドカがギルドにとって大切な人材である様に、治療院にとってはユイがとても大切な人材であったりもするのだ。

そしてギルドと治療院もダンジョンの関係で非常に近しい位置で協力が必要な立場でもある為、決して関係は悪くなく、こうして2人が仲良く話している姿は普段2人に世話になっている者達から見れば喜ばしい事でしかない。解毒の為に頑張ろうと、むしろやる気を燃やされるくらいに。

 

「……ユイさんにも、帰ってきたばかりで色々とご迷惑を掛けてごめんなさい」

 

「それをマドカさんが言うんですか?私達がこの街に来た時、マドカさんには本当に色々と助けて頂きました。私もエルザ様も、まだその時の恩の半分も返せているとは思っていません」

 

「それこそ気にし過ぎだと私は思うくらいですよ?私に恩を返すより、その分だけ新しく入ってくる方々に差し上げて欲しいです。……まあ、こうしてお世話になってしまっている身では説得力もありませんが」

 

特殊な器具を用いて血液を抜き、それを直接浄化した後に体内へと戻すという治療法もあまり意味を成していない。やはり解毒を行うには決定的な何かが足りていない、この方法では無意味だと判断したユイが指示を出して器具を止める。

 

「……正直に言ってしまえば、私は嬉しいんです。こうしてマドカさんの力になれることが。エルザ様も同じだと思います」

 

「?」

 

「私やエルザ様は戦闘に向いていません、先輩のお二人の様にマドカさんと肩を並べて戦う事は出来ません。故に少しの対抗心とでも言いますか……恩とか関係無く、個人的な欲として力になりたいんです」

 

「個人的な欲、ですか……」

 

「そう言う意味では私はリゼさんも羨ましいです。リゼさんは探索者として絶対に強くなります、それに胆力もあります。あのワイアームを相手に一撃入れようとするとは、相当POW(精神力)が高いのでしょう」

 

「ふふ、実はリゼさんはそんなにPOW(精神力)は強くない方なんですよ?つまりあの時は、きっと確信があったんだと思います。自分の腕とお祖父さんの武器の力があれば、必ずやあのワイアームにだって一矢報いる事が出来るって」

 

「マドカさんでさえも、最後の一撃以外は殆どダメージを与えられていなかったのに……リゼさんよりも5つもレベルが高いのに、私には考えられませんね。こうなってくるとスキルが2つとも支援形で埋まってしまっているのが少しだけ悲しくなります」

 

「作成・使用する消費物の効果量の上がる『知識の花』、他者に精神力と体力を受け渡す『誠心支援』。どちらも他の人から見れば喉から手が出るくらい欲しいものですよ。もし長期遠征に出かけるとなれば、必ず連れて行きたい程の人材です」

 

「エルザ様の体力では遠征は難しいので、私とは無縁のお話ですね。治療院の方からも深い層には行かないで欲しいと言われていますから」

 

「ふふ、なにも深い層に行かなければユイさん達の目的が果たされない訳でもありませんし、私と一緒に浅い層で頑張りましょう?……私もまだ、探索者を辞めるつもりは全くありませんから」

 

「……!そう、ですね。是非お願いしたいです」

 

暗に『この解毒も必ずやユイならば成し遂げる事が出来る』と、そう言われた様な気がしてユイは笑う。そしてそれを聞いていた他の治療師達もまた奮起した。

……もちろん、マドカが言いたかったのは『例えここで解毒出来ずに左足を完全に切り落とす羽目になっても、探索者を辞めることはない』ということであったりもするのだが、その辺りのすれ違いを互いに認識しなかったのはむしろ良かった事なのかもしれない。

 

 

 

 

 

マドカとユイがそうして微笑ましげに語り合っていた頃、月が上がり時計の針が頂点を回ったと言うにも関わらず、ギルドには1人の客人が来訪していた。対応したのはその時間でもまだ残っていたギルド長のエリーナ、彼女は珍しく必死な顔になって来訪者を追う。

 

「待て!お前この……!龍の対処はどうした!何故戻ってきたんだ!!」

 

「手を退けろ、エリーナ。貴様も後で殴るが、それは後でいい。私はマドカの元へ行く」

 

「だから落ち着け!あの子なら今はもう眠っている筈だ!疲れているあの子を起こすのはお前も望むところではないだろう!」

 

「……そうか、ならば先にこちらから済ますか」

 

「は?……がっ!?」

 

突如として頬に拳の直撃を受け、エリーナは頭部をそのままギルドの廊下の壁に打ち付けられる。しかし加害者であるその女は痛みに呻く彼女を一瞬見下ろしただけで、直ぐに興味無さげに窓の外から見える治療院の方へと視線を向ける。

透き通る様な青い瞳、少しクセの付いた長い灰色の髪、そして冷酷さすら感じる様な無表情が貼り付けられた酷く整っている女の顔。

彼女の着ているかなり長めの灰色と黒色のワンピースが、開け放たれた入口の扉から入ってくる風に吹かれようとも素肌を一切見せる事のない作りになっているのは、それこそ彼女の他者に対する姿勢を如実に表している。

 

「貴ッ様……!」

 

「関係者には1発で済ませてやる、原因となったゴミ共は殺す。今回の件に関わった人間を全員私の前に呼び出せ、今直ぐにだ」

 

「そんな事が出来る訳が無いだろう!そもそもこうして私に拳を向けた事自体が本来ならば問題なのだぞ!警備を呼んで檻に打ち込む事だって出来るんだ!」

 

「やってみろ、その時にはこの街の全てが火の海に沈むと思え」

 

「こっの……!」

 

一瞬拳を振り上げそうになったのを、エリーナは何とか思い止まり、深呼吸をする。今こうして拳を止めたのは一瞬頭にマドカの顔が思い浮かんだからだ。彼女の事が無ければ目の前のこんな女に容赦や妥協などするものか。

この女があのマドカ・アナスタシアの母親でさえ無ければ……ラフォーレ・アナスタシアという名前でさえ無ければ。昔の様に拳と拳で殴り合って強引にでも力で制御しようとしたであろう。結局完全に屈服させる事は今日までも含めて一度足りとも出来た事はなかったが、それでも。

 

「……はぁ、全く。今回の件は本当にこちらも反省している、ギルドとしてもマドカの治療に全力を尽くすつもりだ。多少のルール違反で本部に突かれ様とも、それを覚悟の上で話を進めるつもりだ」

 

「だから何だ、その様な当然の話を聞かされたところで何になる」

 

「お前は……関係者は既にこちらで処罰してある、だからお前は手を出すな。そこは絶対に譲れない」

 

「ならば同伴者を出せ、マドカが今また弟子を取っているという事は聞いている」

 

「本当にどこから聞いて来たんだ……同伴者の"主従の花"の2人はマドカの治療と"聖の丘"への制裁の為に全力を持って動いている。彼等は戦闘中もマドカの支援を行なっており、むしろマドカの命を救ったとも言っていい。非難されるべきではない」

 

「弟子とやらはどうなんだ」

 

「それこそお前が手を出せばマドカが怒るだろう。確かに彼女はマドカに守られるしか出来なかったが、マドカは彼女の事をかなり気に入っている様にも見えた。下手に手を出せば嫌われるぞ」

 

「……チィッ!!」

 

「うっ、ぐっ……!関係者には、1発と……」

 

今度は腹部に向けて放たれた拳。頭部でないだけまだマシとは言え、エリーナは思わず膝を突く。いくらエリーナが近接戦闘を得意とするとは言え、ラフォーレ・アナスタシアはLv.41の都市最高峰の戦力の1人だ。特に魔法使いであるにも関わらずSTR(筋力)がそれなりにある彼女の本気の拳は、如何にエリーナと言えどなかなかに効く。

 

「っ、私のことは別に何度殴ろうとも構わないがな……!絶対に元凶となったバカ共を殺すなよ!!そうなった場合悲しむのはマドカだ!お前が殺した事にも、助けた人間が死んだ事にも、お前に殺させてしまった事にさえもあの子が責任を感じるんだ!それだけは絶対に認めない!!」

 

「……」

 

「せっかく自慢の娘に育ったのだろう!ならば少しは我慢をして、もう少しだけでもあの子の正しい成長を促せ!お前も母親を名乗るのであれば娘の為に譲歩をするんだ!!命を奪う以外の報復の方法ならば私達でいくらでも考える!だから……!」

 

「諄い、黙れ」

 

「がふっ!?」

 

再び顔面に入る3発目、蹴撃。

ほぼ無防備であったエリーナにとってそれはかなり重い一撃であり、再び壁に叩き付けられた彼女はそのまま地面に倒れ伏した。いくらなんでも最上級探索者の拳と蹴りを顔面に受けてしまえば、エリーナだって意識を朦朧とさせる。ポーションを使えば治るとは言え、目の前のこの女は本当に他者を殴る事に躊躇など無く、何の容赦もなく暴力を振るうのだ。脳が揺れる様な一撃、見た目以上に被害は大きい。顔面が鼻血に塗れているのに。

 

「……いいだろう、報復に関しては貴様等に一任してやる。だがその内容に私が納得出来なければ、"聖の丘"を灰に変えてでも私がゴミ共の首を取る。いいな」

 

「……分かっ、た。それで、いい」

 

「チッ」

 

それは彼女の最後の情なのか、それとも単にエリーナを殴ったと言う事をマドカに知られたく無いためか。ラフォーレはその場を立ち去る前に自身のポケットから取り出した未使用のポーションをエリーナに向けて投げ付ける。戦闘中の衝撃にも耐える様に作成されたそれが割れる事は無いが、ラフォーレは本当にそれ以上は心の底から何も気にしていない様にしてギルドから出て行った。

 

「うっ……くっ……」

 

痛みから何とか身体を引き起こし、彼女が投げ付けていったポーションを口にするエリーナ。そうしてみれば直様に身体中の痛みが引いていくのだから、やはり最上級探索者の使う高位のポーションの効果というものは凄まじい。

……それよりも、こんなところを他の誰にも見られる事がなく本当に良かったと彼女は安堵する。こんな事がマドカに知られでもすれば、余計な危惧を与えてしまうだろうから。エリーナとてマドカの事を実の娘の様に大切に思っているのだ、非常識な母親の影響を彼女にあまり与えたくはない。

 

「……それに、以前よりかは随分と扱い易くなった方だしな」

 

かつてエリーナがまだ普通のギルド職員だった時代は、彼女を縛るものという物が本当に何も存在していなかった。暴力で無理矢理に押さえ付ける、それ以外に彼女の凶行を止める手段が無かった様な地獄である。

その時と比べればマドカというラフォーレが我慢を出来る理由が出来た今はかなりマシな方なのだろう。今日は流石に酷かったが、娘が出来てからは私生活も本当に落ち着いた。道端で肩が打つかった人間を問答無用で殴り飛ばしたりしないし、酒場で絡んで来た男の腕を文字通りへし折ってポーションで再生出来難くするために追い討ちをかけたりする様な事もしない。何度も何度もギルドに拘束された経歴を持つ彼女だが、その度にギルド側にも多大な被害が出たのだ。結局は龍の飛翔の度に彼女の戦力が必要という事で代々のギルド長達が胃を痛めながらも彼女を解放していたが、マドカが居てくれる限りエリーナはその胃痛に襲われる事はない。……例え物理的な痛みはあったとしても、この様にポーションさえ飲めば治るのだから、それよりはいくらかマシだ。

 

「ああ、マドカが恋しい……ラフォーレにはああ言ったが、顔を見に行くか」

 

その後、ふらふらとした足取りで治療院を訪れたところ、マドカが既に起きていてユイと話している空間に出会したエリーナ。あの様な理不尽な暴力を受けた彼女が起きたばかりのマドカに滅茶苦茶に甘え甘やかし、自分の心の回復に努めたのは言うまでもない。

 




ユイと治療院……オルテミスの治療院の研究は他の都市と比べても優れている方ではあるが、それでも例年出現する龍種達の奇妙な能力に対して十分に対応出来るものではない。しかしユイの特殊なスキルはその対応能力を1段階押し上げるものであり、他都市の治療院からも求められるような人材である。故にユイのスキルの存在は治療院とギルド内でもかなりの機密情報であり、その功績が表に出ることはない。


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18.ラフォーレ・アナスタシア

朝、リゼはいつもの様にいつもの席で朝食を取っていた。しかしいつもと違うのは、その対面には沢山に積み重ねられた皿も、大きな丸机に並べられた料理もなく、そこでそれ等を綺麗に平らげる少女も居ないということ。

 

「……料理の味も少し物足りなく感じるのは、不思議な物だな」

 

ユイもエルザも昨日の夜からそれぞれに籠って作業をしている。マドカとも昨日の昼から会えていない。命に別状は無いとの事だが、治療院の緊急治療室には滅多な人物でもなければ特別な入室は認められないと断られ、実際に彼女が今どのような状態になっているのかも分からない始末だ。

それでもやれる事が無い以上、リゼはいつもの様にダンジョンに潜り、無茶をしない範囲で依頼をこなし、金を稼ぎ、経験を積むしかない。それがリゼに出来る最善だった。ユイやエルザのように、強さ以外の方面でマドカを助ける事のできる手段は持っていない。それが今は歯痒くて、落ち込んでしまう。

 

「お前がマドカの教え子だな」

 

「え?」

 

そうして物思いに耽っていたリゼの背後から、見知らぬ女性の声が投げかけられた。近付いてくる革靴の音、それまで普段通りに飛び交っていた朝の賑やかしさは一瞬にて消え失せ、周囲の者達もリゼの背後の人物へと目を向けている。

 

「……マドカの、お姉さん、だろうか?」

 

「母親だ、そう似ている訳でも無かろう」

 

「え、若い……」

 

「悪いか」

 

「そ、そんなことは!むしろマドカの親類だと直ぐに分かる程には美人で驚いたというか……!」

 

「ほう、そうか………おい、そこのギルド職員。これで適当な食事を買って来い、釣りは要らん」

 

「は、はいぃ!!分かりましたぁぁあ!!!!」

 

普段マドカが座っている対面の席に、同席する事を確認する事もせずドカリと座ると、少し離れた位置でこちらを伺っていたギルド職員に貨幣を投げ付けてそう言う彼女。

あまりに自分勝手が過ぎるその姿に、彼女が本当にあのマドカの母親なのかと疑問に思ってしまったくらいだが、昨夜にエルザとエリーナから聞いていた人物像を考えると正にとその様な人物でもあった。

こうして正面から見てみれば、その整った顔と宝石の様な青い瞳は娘であるマドカと共通しているが、彼女のその髪はマドカの真っ白な物とは似ても似つかぬ灰色。

 

"灰被姫 ラフォーレ・アナスタシア"

その二つ名に違わぬ容姿に加え、そう名付けられるのも当然な程に数多の障害を物言わぬ灰に変えて来た稀代の暴君。

 

「も、持って参りました!今日の日替わりセットです!!」

 

「……釣りは要らないと言ったろ、帰れ」

 

「痛っ!?す、すみませんでしたぁあ!!」

 

リゼと同じ朝食用のセットの横に置かれた布袋に入った釣銭を、彼女は持って来てくれた彼に向けて投げ付ける。それを当てられた彼は逃げる様にしてそれを引っ掴んで自分の席に戻って、更に先程まで食べていたプレートを持って遠くの席に逃げて行ったが、きっとこの様に被害に遭ってしまった者はこれまでも多くいたのだろう。彼女がここに現れた時の周囲の反応、それこそがその事実を表している。

 

「そ、そういえば……!マドカから貴女は今都市の外で龍種の対応をしていると聞いていたのだが、それはもう終わったのだろうか……?」

 

「終わっていない、帰って来たのは私だけだ」

 

「だ、大丈夫なのか!?貴女はかなり優秀な探索者と聞いた!その様な人が抜けてしまっても良かったのかい!?」

 

「知るか、それはマドカの無事を確かめるより大切な事ではない」

 

「え、えぇ……」

 

彼女がマドカの事を大切にしている、というのは何となくでなくとも分かる。とは言え、それはもしかすれば龍の対処が間に合わないと言う事態に繋がるのではないだろうか?

あのワイアームと対峙したからこそ分かるのだ。この街の探索者全てが駆り出されても討伐に時間が掛かっている現状というものが、果たしてどれほどの事態であるのかを。

 

「……向こうの処理ももう終わる、聖の丘への報復はその後だ」

 

「ええと、向こうの戦況に問題はない……という理解で良いのだろうか」

 

「私が居なくとも魔女とその弟子が居る、効率は悪かろうが処理に問題は無い。私とてマドカの居るこの世界を滅ぼさせるつもりなど毛頭ないからな」

 

「な、なるほど……」

 

だとすれば、一応彼女もまたこの世界を守るという共通の目的を持っていると言えるのだろう。そこだけは良かったというか、彼女の行動方針においてマドカの存在が大き過ぎることに驚くというか。

……ただ、どうにも彼女がリゼを見る目は険しい。それがデフォルトなのか、本当に嫌われているのかは分からないが。

 

「……腹が立つな、貴様」

 

「え」

 

どうやら本当に嫌われていたらしい。

 

「貴様は弱者だろう、他者の心配をしている余裕があるのか?」

 

「それ、は……」

 

「聞けばワイアームとの戦闘の際にもマドカの邪魔にしかなっていなかったそうだな。マドカの教え子故に今回だけは見逃してやろうと思っていたが、自身の弱さを自覚して尚その態度であるというのなら、その肩書きに相応しい存在では無かった様だ」

 

「っ」

 

瞬間、それまでとは打って変わって明らかな嫌悪を込めた圧力を向けてくるラフォーレ。思わずフォークを落とすリゼに、まだ食事を終えていない筈の周囲の者達もそそくさと食器を持ってその場を離れていく。

 

「身も心も脆弱な存在が何故あの子の負担となる。絶対の絶望も知らず、核とした目的も持たず、浮ついた精神しか持たぬ様な愚者が、何故あの子の側に居る」

 

「それ、は……」

 

「以前の者達にはまだその資格があった。最初の2人は絶望を知っていた。それまで努力では決して掴めなかった安楽を、努力さえすれば掴めると知ったその瞬間から、死に物狂いで強さを求めた。あれ等は好ましかった、力の強さの本当の意味を知っていた」

 

「………」

 

「次に来た2人は貴様よりも身体は脆弱だった。しかし今の様に私を前にしても目すら逸らさぬ程に強靭な精神と目的を持ち、どの様な手段を用いようともそれを成し遂げるという狂気すら抱えていた。そして奴等は今、力とは別の方法で名を挙げている。だが今尚、奴等の目には最初の目的以外は映っていない」

 

「………」

 

「貴様には一体何がある。半端な心と覚悟でこの街に踏み込み、あまつさえ自身の未熟故にマドカに怪我を負わせただけでなく、その上で大した心変わりをする事もなく今尚惰弱に浸っている貴様に。一体何故マドカが自身の貴重な時間を消費してまで貴様に付き合う必要がある」

 

「私、は……」

 

エルザと話した時に、リゼもそれは自覚していた。しかし彼女はマドカの怪我をリゼだけの原因ではなく、他の者達のミスが複合的に合わさった結果であると言ってくれた。リゼも無意識のうちに、彼女のその言葉に頼っていたし、その言葉で救われた気持ちになっていた。

……だが、マドカがリゼを救う為に怪我をしたのは事実である。どれだけ捉え方を変えようとも、それは変わらない。変えられない、変えてはならない。それから目を逸らすべきではないと。正面から受け止め、徹底的に自信が絶望する程に悩むべきであったと。目の前の女はそう言っている。

それすら出来ぬのであれば、マドカの側に居る事すらも罪であると。女はリゼに対して、何の慈悲もなくその選択を突き付けていた。

 

「……消えろ、愚鈍。2度と私の目の前に姿を表すな」

 

「まっ、待ってくれ!!」

 

今度こそ興味を無くした様にして立ち上がった彼女を、リゼは必死になって引き止める。彼女をここで行かしたとしても、何の問題も無いだろう。せいぜいマドカと一緒に居る所を見られる度に今の様な目線を向けられるだけだ。リゼ自身がもっと強くなれば、それも変わるかもしれない。

けれど、それでもリゼは彼女を引き止めた。

それが果たして正しい意図であったかどうかも、分からないまま。

 

「私に!鍛錬を付けて欲しい……!」

 

「なに?」

 

「私が、私が弱いことなど分かっている!私の考えは未熟だ!目的だって確かにまだ弱い!けれど私は、それでも、マドカの側に……っ、ガッっ!?」

 

「……もういい、黙れ」

 

料理が乗った大机が、凄まじい勢いでリゼの腹部に直撃する。それを蹴り飛ばし、彼女ごとに吹き飛ばしたのはラフォーレだ。

机の足は折れ、自身の頼んだ料理も含めて全てが粉々に散乱し、大きなヒビが入った丸机の側でリゼは腹部を抱えて呻いていた。

リゼのVIT(耐久力)はE8。机越しに間接的に受けたというだけなのに、それでも耐え切る事の出来ない破壊力。本当にこの女が魔法使いであるというのが信じられない程の威力だった。

 

「っうぐぅっ!?」

 

女は迷惑料と言わんばかりに食堂の受付の方に懐から取り出した10万L分の金貨を投げ付け、通りの邪魔となっている蹲ったリゼをもう一度壁に向けて蹴り付ける。彼女にもう容赦という文字は無かった。

2度、3度と壁に打ち付けられ、吐血し、床を汚す。そうして一通り満足した後、血と涙で汚れたリゼのその顔を持ち上げ、女は無理矢理に目線を合わせる。どこまでも冷たく、見下した様な表情で。

 

「ここで命を奪われなかった事をマドカに感謝しろ、ゴミが。そして早急にあの子の側から消え失せろ。貴様の様な屑があの子の側に居るというだけで虫唾が走る」

 

「あ……が……」

 

どれどけ必死に手を伸ばそうとも、彼女はもう止まることは無かった。蹲るリゼには視線すら向ける事なく、ただ不快そうに表情を歪めたまま去っていくラフォーレ。如何にも不機嫌そうな彼女に近付く者は居なかった。事の顛末をギルド長に伝える為に走る者は居ても、彼女の道を妨げる者は誰も居ない。

 

「リゼさん!?どうしたのですか……!?」

 

「ユ、イ……」

 

偶然にもマドカの治療がひと段落し、朝食を取りに来たユイがその場に来なければ、肋骨の骨折と内臓の損傷にまで発展していたリゼの怪我も、ただ事では済まなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

「なるほど、その様な事が……」

 

「……どうにも、私はエルザ達から聞いていた話を甘く考え過ぎていたらしい。マドカの母親がまさかあそこまで過激な人物だとは思っていなかった」

 

「皆さん最初はそう仰られます、私もそうでした。あの方には一切の手加減がありません。止められる人間もマドカさん以外には居りません」

 

ラフォーレによる攻撃を受けて倒れていたリゼが、偶然通り掛かったユイによってギルドの近くの空き部屋に運び込まれ治療を受けた後、2人は静かなその部屋でゆったりと事の顛末について話していた。

治療をしたとは言え、未だ痛みが残っているリゼは身体を机の上に横たわらせたまま。そんな彼女の話を側で聞くユイは、椅子に座りながら優しく笑い掛ける。

 

「……それでも、あの方は恐らく、皆さんが言うほど横暴なだけの人では無いと私は思います」

 

「……?どういうことだろう?」

 

「あの方はあれでも他人の事をよく見ているんです。気に入った人間であろうと気に入らない人間であろうと問答無用で拳を振るいますが、気に入った方には不器用な優しさを見せてくれます。……まあ、それも一般的にはかなり酷い部類ではあるのですが」

 

「不器用な優しさ、か……」

 

そう言われてみれば確かに、彼女はマドカの教え子達についてよく知っている様だった。その言葉ではユイ達のことをしっかりと評価していたし、ギルド職員や食堂に対しても迷惑を掛けた分だけの金を支払うくらいの意識はある。確かに彼女は暴君と言われる程に人間として狂っているのだろうが、その程度の常識や人間味は持ち合わせていた。

……かと言って、それだけであの暴力性が許されるかと言われればそうでもないだろうが、単に純粋な悪人ではないという事だけは確かだ。

 

「恐らくリゼさんの言葉も、あの方からすれば『"マドカさんの教え子"という立ち位置を簡単に捨てる様な人間』という風に見えてしまったのでしょう」

 

「なっ!私は別にそんなつもりは……!」

 

「つまり、ただの行き違いです。ただその行き違いがあまりに大きな勘違いになってしまったのも確かです。その勘違いを抱えたままでは、きっとリゼさんがマドカさんと一緒に居るだけであの方は怒り出すでしょう」

 

「そんな……」

 

それほどにリゼはマドカの母親に嫌われてしまった。その怒りを抑えるのはギルド長のエリーナですら難しい。しかしこれをマドカに伝え、マドカの口から誤解を解こうとするのも違うだろう。また惰弱な人間として、怪我をしたマドカに今も尚頼る様な害悪として、ラフォーレからは認識されてしまう。

かと言って『2度と顔を見せるな』と言われた手前、彼女に会いに行くのも殆ど自殺行為の様なもので……

 

「……今考えても仕方がありません。問題はありません、マドカさんはリゼさんの事を気に入っておられますから。マドカさんがそれほど気にしている方に、ラフォーレさんもそう簡単に手は出せません」

 

そう言われてしまうと、やはり結局マドカを頼ってしまっている様で落ち込んでしまうリゼ。自分の弱さを分かっていたつもりではあったが、どうやらやはり分かっていたつもりになっていただけの様だった。1人では何もこなせない、生きていく事だって難しい。あらゆる困難をマドカによって遠ざけられ、マドカによって舗装された道を歩いているだけの自分。

ラフォーレの言う通りであった。

きっとユイやエルザ、そしてその前の教え子達がやっていた様な血の滲むような努力を、リゼはまだしていない。その日にマドカに教わった事を反復して学んでいても、それほどに必死にはなれていなかった。

これでは『物語になるような探索者になりたい』という夢なんて決して叶いはしないだろう。憧れた英雄達の様に危機に直面しても、彼等のようにそれを乗り越えることなんて出来ないだろう。なぜならリゼには核となる意思がないから。絶望を乗り越えるための強い衝動がないから。いざ死に直面した時、それでも絶対に死ぬ事が出来ないと足掻く事が出来る為の燃料が存在していない。

そう考えてみれば、自分の祖父はどれだけ燃え盛っていただろうか。彼がリゼの持つ大銃を作り出したと語った直後にまるで燃え尽きた様にポックリと逝ってしまった理由も分かるというものだ。彼はそれを作るためだけに、本当の意味で命を燃やしていたのだから。そしてそれを燃やせるだけの燃料を抱えていたのだから。あれだけ冷たい目で見ていた祖父が、今のリゼには羨ましく思える。自分の人生を捨ててまで注ぎ込めるだけの何かを得た祖父の事が、ただの愚かな人ではない様に思えてしまう。

 

「……ユイは、何の為にこの街に来たんだ?」

 

「私がこの街に来た理由、ですか」

 

「ああ、君が良ければだが……教えて欲しい」

 

「……そう、ですね」

 

リゼのそんな頼みにユイは一度目を閉じて考え込む。それを話してもいいか、話してその後にどうなるか、それを彼女は考えている。話すとしてもどこまで話すべきなのかもあるだろう。彼女達2人が何かを抱えているということなど、リゼだってよく知っているのだから。

 

「……他言無用でお願い出来ますか?」

 

「約束する、マドカに誓ってもいい」

 

「……ふふ。なるほど、それなら安心ですね。分かりました、お話しましょう。リゼさんは私にとっても大切な後輩ですから、エルザ様も納得して下さるでしょうし」

 

そうして彼女は自身の頭からヘッドドレスを取ると、そっと丁寧な所作で立ち上がり、部屋の扉の鍵を閉めた。窓に付けられたカーテンも閉め切り、魔晶灯の明かりをつけていく。

そして……

 

「人前で外すのはいつぶりでしょうか。それこそおかしな話なのですが、少しだけ恥ずかしくも思いますね」

 

「え」

 

ストン、と自身の髪を下ろすユイ。

下ろしたというのは、決して解いた訳ではない。

文字通り、彼女は自分の髪を机の上に落としたのだ。

そうして中から出てきたのは、網の様な被り物で包まれていた同様に黒い短髪。それと同時に雰囲気の変わったユイを前に、リゼは思わず起き上がりそうになり、腹部の痛みと共にまた寝転ぶ。

 

「ユイ、それは……」

 

「驚かれましたか?実は私、性別は男なんです。この胸も髪も、全て作り物です。全て戦闘中に外れない様に作られた特注品、元々はエルザ様の御屋敷で性別を隠してメイドをしていました」

 

「そんな、ことが……」

 

信じられない。

今はただその一言しかない。

あれだけ女性らしかったユイが男?

今こうして目の前で髪を下ろされても、未だに信じられない。むしろ肩まで伸びたその髪や顔立ちを見るに、今でも女性なのでは無いかと思えてしまうくらいだ。……けれど、今纏っているその雰囲気は、もし男装していれば良く似合う様な質の物でもあって。

 

「それではお話ししましょうか。私とエルザ様がどうしてこの街に居るのか、そして何を目的にしているのか……少々長い話になってしまいますので、飽きたら飽きたと仰って頂いても構いませんよ」

 




ユイ・リゼルタ……女装男子。


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19.エルメスタ家

自身が本当は男であり、今日まで女装をしていたと話すユイに、リゼは心から驚きつつも彼の話を聞く。ユイ・リゼルタとエルザ・ユリシアの2人が何故この街に来たのか。彼等の目的とは何なのか。ただそれを知る為に。

 

「これはもう滅多な事では人には話せない事になりますが、エルザ様は西方の都市貴族であるエルメスタ家の長女としてお生まれになったお方です。本名はエルザ・エルメスタ、私も以前はユイ・アルケミアと名乗っておりました」

 

「偽名、か……2人が何処か高貴な場所から来ているという事は知っていたが、エルメスタ家とはどれほどの規模の家なのだろうか?」

 

「西方に存在する小都市郡を治めている貴族家の最高位に当たります。連邦中枢とも関わりが深く、元はヒューマンの築いていた王国で侯爵の地位を賜っておりました。この街の人間でも名前だけなら知っているという方も多い程度には有名な家柄です」

 

「!そこの長女というからには、エルザは相当な身分なのではないのか!?」

 

「ええ、その通りです。特に今代のエルメスタ家は男児に恵まれなかった事もあり、エルザ様は次期当主の最有力候補でもありました。エルザ様自身とても優秀なお方でしたので、15の頃には既に家の仕事の大半を受け持っていた程に頭角を表しておりました」

 

彼女がまさかそれほどに高貴な生まれであったとは、リゼは思いもしなかった。確かにメイドを連れていたりお嬢様と呼ばれていたりと思い当たる点は多かったが、一体誰がそこまでの地位の人間がこの街に居ると思うだろうか。政治的な関わりを嫌うこの街に、貴族の次期当主となる様な人間が。

 

「書類仕事が得意だと言うのはそういうことだったのか……」

 

「ええ。……私はそのエルザ様付きのメイドでした。母の家系が薬師であったこともあり、薬学の方面に知識がありましたから。生まれつき身体の弱いエルザ様が人並みに活動をするには、このスキルで作成した薬品を使用するしかなく、前当主様がお手付きされた末に生まれた私の様な厄介者でも、十分な立場を頂けたという訳です」

 

「つまり、君達は実は従姉妹……いや、ユイがエルザの叔父に当たるのか!?」

 

「そうですね、エルザ様に叔父などと呼ばれた日には自ら命を断ちそうですが。……話を戻しますが、それでも私達は忙しくも充実した日々を過ごせていました。あの日までは」

 

「あの日……?」

 

その言葉と共に顔を暗くした彼女、いや彼の顔を、リゼは訝しげに見つめる。その物憂げな顔もまた女性の様で、元々彼が中性的な顔をしているのがよく分かる。彼が身に付けているメイド服もまた体型を隠す様に作られている事も分かったが、今はそれどころではないと首を振る。そんなリゼの考えすらも見透かされていたのか、ユイは少しだけ目を瞑った後に言葉を落とし始めた。

 

「エルメスタ家に男児が産まれたのです。それと同時に、エルザ様が長期間床に伏せなければならない程に大きく体調を崩されました」

 

「それは……」

 

「お生まれになった御子息様がエルザ様を抜いて時期当主の最有力候補に上がるのは当然です、ご当主様方待望の男児だったのですから。そしてエルザ様がこれまでに無いほどに体調を崩された事もあり、それを理由に遠ざけるのは簡単でした。『簡単に体調を崩す様な人間は当主に相応しくない』、その様な最低限の言葉と共に私達は小さな部屋に幽閉されたのです。求めた薬の材料も十分には届かず、それまで御当主様に期待すらされていなかった妹様方は、これ幸いにと弱ったエルザ様に嫉妬を打つけ始め、私だけでなくエルザ様もまたエルメスタ家の厄介者扱いをされ始めました」

 

「そんな……酷過ぎないか?エルザはそれまで家の仕事も十分にこなして来たのだろう?いくら男児が産まれたからと言って、それほどいきなり掌を返さなくとも……」

 

「貴族同士の遣り取りでも、やはり男性当主の方が発言力があるとされているのが実状です。いくら外では男女平等を唄おうとも、家としては男性の当主を上げたいのが本音でしょう。エルザ様がどれだけ努力をした所で、その身が女性である以上は予備としか思われません。むしろ多少顔が売れてしまった事が面倒だと言わんばかりに」

 

「だとしても……そ、そうだ、ユイが当主になる事は考えなかったのか?一応は当主の血を継いでいるのだろう?」

 

「当主様の血ではなく、前当主様の血ですよ。現当主様からしてみれば『命を奪わないだけ有難いと思え』というところでしょうか。存在どころか性別すら偽る事を強制されていた私を表舞台に上げるなどもっての外。既に他の貴族家に存在を示されていたエルザ様が再び体調を戻す事を防ぐ為に、共に死んでくれれば良いとすら思われていたと思います」

 

「そこまで血も涙もないのか、貴族の家というのは……仮にも家族だろうに」

 

「それほどに血も涙も邪魔になってしまう様な場所なのです、貴族の家というのは。特に連邦となったこの国で力を大きく失ってしまった今の貴族達にとっては、血や涙などより金と見栄と名声が必要なんです。一度周囲から落ちぶれたと思われてしまった貴族は、本当に簡単に崩れ潰えてしまいますから」

 

男児を産めなかった貴族、ただそれだけだ。

だがそれすらも汚点として烙印を押される可能性がある以上は、当主としては気が気でない。それも代わりが病弱となれば、より考えることも多いだろう。しかし冷静に考えれば産まれた女児が優秀であるのであれば何の問題も無いと分かるのにも関わらず、没落を恐れて男児を頭に据える事にだけ執着してしまった。

先程もユイが言っていた筈だ。

他の貴族家に対し、『エルザの顔が売れた』『存在を示していた』と。

エルザはその優秀さから既に他の貴族家からも十分に認知される程の活躍を見せており、例え女性であったとしても彼女が次期当主という前提で周囲の者達が考えている程には認められていたのだ。認めていなかったのは最も近くで彼女を見ていたはずの両親達だけであったというのが悲しい話。

彼等はただ娘の体調を気遣うだけで良かったというのに。それ程の才女を守る事が出来なかったという事こそ、むしろ引き摺り下ろしたと知られてしまえばより、周囲の者達は不安に感じることになるだろう。

まだ生まれたばかりの才能すら分からない子供のために、家族を含めた全てのものを捧げようとしているエルメスタ家。もしかしなくとも彼等の没落は近いのかもしれない。

 

「エルザとユイは……逃げて来たのだな、その場所から」

 

「ええ、その通りです。この街は貴族が訪れる事を酷く嫌います、故に私達が身を隠す場所としてはこの街以外には考えられませんでした。……そして、エルザ様のお身体を治す方法も、ここにしかありませんでした」

 

「エルザの身体を治す方法?この街で?……治療院の研究、だろうか」

 

「ええ、それもあります。ですがそれでも難しいとは分かっていましたから、治療院については本当についでに過ぎません。私達の主たる目的は、エルザ様のレベル上げです」

 

「そうか!VIT(耐久力)の向上か!」

 

「はい。様々な病を抱え、常に免疫力が弱い状態であるエルザ様は、軟禁されていた期間で症状を更に悪化させています。そのままでは私がどれだけ効果の高い薬を調合した所で何れ必ず限界が来る。故にエルザ様の寿命を伸ばすには、VIT(耐久力)の値を伸ばす以外に方法が存在しません。私達がこの街に来たのは、この街で探索者をする事がレベルを上げる為に最も有効的な方法だからです。私達の目的は……少なくとも私の目的は、エルザ様の根本的な治療。これだけです」

 

その瞬間、リゼは理解した。

ラフォーレの言っていた、自身を前にしても決して引く事の無かった確かな覚悟を持った心の強さについて。確かにユイがその目的を持ってこの街に訪れていたとすれば、きっと彼は例え相手がラフォーレだろうと目を逸らす事は無いだろう。彼はエルザを救うためであれば、きっとどんな困難すらも乗り越える。そしてそんな必死な姿を見て、ラフォーレが認め、マドカが手を貸したのも当然の話だ。

それくらいに見ていて分かるのだから。

この2人の間にある信頼関係は、本当に強い結び付きであるという事が。

 

「マドカさんのおかげで、エルザ様のVIT(耐久力)は1点だけですが確かに上がりました。最初はマドカさんに背負われながらでなければダンジョンに入る事さえ出来なかったエルザ様が今の様に満足に歩ける様になったのは、それが理由です。……それでも、今でもまだ、エルザ様は時々大きく体調を崩されることがあります」

 

「ユイ……」

 

「かと言って、極端に過保護になってあの方を床に縛り付けるのも違いますから。私はエルザ様が自由に楽しそうに過ごされている姿が見れるだけでいいのです。……あれだけ酷い環境で努力をなさって来たのですから、少しくらい楽しい人生も無ければ嘘じゃないですか」

 

「……そうかも、しれないな」

 

エルザとユイの関係、そして目指しているもの。それを聞いて、リゼは少し微笑みながら俯くことしか出来ない。

堅い絆、強い想い、そして切実な願い。

どれもリゼには無い物だ。

そしてそれを手に入れる為の大きな困難というものにも、リゼはまだ打ち当たった事がない。

それはきっと幸福な事だ、退屈な人生であったとしても。そして探索者であるのならば、何れは必ずその困難に打ち当たる筈だ。その時に心が折れる事なく、目の前の彼等の様に何か一つ確かな物を得られるかどうかは自分次第。……果たして、自分は彼等のようになれるのだろうか。未だ壁すら見ていないにも関わらず、リゼはそれが不安になる。

 

「……リゼさん、ラフォーレさんに認められる事が必ずしも正しい事という訳ではありません」

 

「?」

 

ユイは続ける。

 

「確かに何か一つ、確固たる意思がある人間は強いです。どんな困難をも乗り越える原動力になる訳ですから。……それでも、マドカさんは仰っていました。目的だけを見て進む事は危険な事だと」

 

「それは、どういう……?」

 

「単純に、上級探索者の全員が全員なにかしらの目的を持っているという訳では無いという事です。そして何かしら目的を持っている人達が必ずしもそれを成し遂げる訳ではない」

 

「……!」

 

「修羅になる必要などありません、優しいままでも強くはなれます。なぜなら、マドカさんがそうではありませんか。誰よりも他者に優しいあの方が、あれほど強くあれるのです」

 

そうだ、リゼは決してラフォーレに気に入られる探索者になりたい訳ではない。リゼがなりたいのは物語に残る様な誇らしい探索者だ。そして今の彼女が誰よりも尊敬し、憧れているのは、他でもないマドカである。

 

「私は、マドカの様になれるのだろうか……」

 

「なりたいと思ったのなら、なろうとすればいいのです。自分が憧れた人に少しでも近付こうと努力する。その末にも全く同じ人物になれる事は決してありませんが、それでも最後には少なくとも、今の自分よりかはマシな自分になれている筈ですから。その努力は決して無駄にはなりません」

 

「……努力は無駄にならない、か」

 

強くて、優しくて、綺麗で、かっこよくて、愛されて……あの僅か一欠片でも、その努力をすることによって手に入れる事が出来るというのか。そうだとすればそれは、なんと魅力的な話だろう。なんと素晴らしい話だろう。なりたいとも、なってみたいとも。こんな情けのない弱い自分なんか嫌いなのだから。マドカの側に居るに相応しい人間になりたいのだから。ユイの様に、エルザの様に。

 

「ユイ……私は、強くなるよ。先ずはそこからだ。未熟でも、信念がなくても、それでも強くなれるのだと証明する。口で説明しても分かって貰えないなら、この身で示すしかないんだ。私がマドカの事を心から慕っていて、彼女の側にいてもいい人間だという事を。ラフォーレにも、自分自身にも、形で示して納得させるしかない」

 

「……もしかすれば、それは難しいお話かもしれません。マドカさんは世界の最先端であるこの都市内でも相当な立ち位置に居る人です。ラフォーレさんよりも、自分自身を納得させられるかが難点です。それでもやりますか?」

 

「それでも、やるしか無いんだ。最初はどうであれ、私は今マドカの教え子という立場を誇りに思っている。まだまだ教えて貰いたい事も沢山あるし、もっと側で彼女の事を見ていたい。そのためなら、それを目的とするのであれば……私はきっと、今よりもう少しだけは頑張れる」

 

ユイの様な必死な願いではないかもしれない。

エルザを只管に想い尽くす彼ほど美しい姿ではないかもしれない。

それでも、その為ならば少しの燃料にはなれると思うのだ。自分なりに必死に努力をして、少しの恐怖になら立ち向かえる気もするのだ。

また次に会った時、変わらず彼女の横に居られる様に在る為ならば。

 

「ありがとう、ユイ。君の話は私にとって、とてもためになったよ」

 

「そうですか、それなら話した甲斐もあったというものです。……ただ、私達の事はやはり他言無用でお願いします。エルザ様は家を出られる時に杖だったりお金だったり、書類改竄の末に色々と持ち出して来ていますから。エルメスタ家が私達に対して相当の怒りを抱いている事は間違いありません」

 

「あの金色の小杖のことか、本当に何をしているんだエルザは……ん?そういえばユイは何故今も女装をしているんだ?エルメスタ家から目を遠ざける為ならば、むしろ男の姿をしていた方が好都合なのでは無いのか?」

 

「……エルザ様の趣味です」

 

「え」

 

「エルザ様の趣味です」

 

「あ、ああ……いや、すまない」

 

「いえ、私もそろそろ女装している方が長いくらいですので……エルメスタ家を出た時に変装のために一度髪を切りましたが、それより前は普通に伸ばしていました。実はもう半分諦めています。エルザ様の気が済むまではメイドのままで居るつもりです。流石に年齢としてキツくなって来たらやめさせて頂くつもりですが」

 

「その時は、うん、私も説得を手伝うよ」

 

「お願いします……」

 

そんな会話の後、2人はその空き部屋で仮眠を取り始めた。治療を受けたリゼはもちろんのこと、ユイも昨日から殆ど眠っていなかったということで、そこにベッドはなくとも2人はぐっすりと眠ってしまっていた。

リゼの夢の中で何故かメイド服を着たマドカが出て来てしまったのは秘密である。




エルザ・ユリシア……男が嫌い。ユイを愛している。この街に来た時にはエルメスタ家の関係者ということで歓迎されずギルドからも敬遠されていたが、そこをマドカに拾われた。生活だけでなく自身のレベル上げにまで積極的に手助けをしてくれた彼女に純粋に感謝している。


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20.単純な女

『マドカの様になるためならば、自分は頑張る事が出来るはず』

 

昨日その様に治療をしてくれたユイに言い放った筈のリゼは今、トボトボとダンジョン4階層を上に向けて歩いている。

何故彼女がこんなにも落ち込んでいるのか。

それは昨日そう言い放った筈の言葉を結局成す事が出来ず、本当に自分はマドカの様になりたいのか信用出来なくなってしまったからである。

 

思えばあの事故の後、リゼはエルザにも助けられ、ユイにも助けられた。しかしその後に悉く2人の助けを無に返す様な事ばかりが続いてしまっている。

エルザがマドカの怪我の原因を分散させ、リゼにだけ背負わせない様にと言葉を尽くしてくれたにも関わらず、ラフォーレの登場によってやはり自分の責任であると考えた。その後にユイが自分達の過去を話してまでラフォーレに付けられた心と身体の傷を癒やしてくれたにも関わらず、リゼは今こうして身も心もボロボロになりながら呆然とした表情で歩いている。

 

負けた。

負けたのだ。

通常種のワイアームに。

 

今、リゼのレベルは10ある。

あの強化種ワイアームとの戦闘の後、レベルが2つも上がっていた。ただ逃げ回り、反撃を試み、失敗してダメージを負っただけなのにこれだ。これだけでもあの強化種がいったいどれだけ規格外の存在であったのかが分かるというもの。

 

……だというのに、負けた。

以前は1人でもなんとか勝てたのに。

今ならもっと楽に勝てる筈だったのに。

一方的に嬲られて、逃げ出した。

 

エルザやエリーナとの約束を破った。

ユイとの言葉を茶番にしてしまった。

マドカの教えを少しも活かせなかった。

 

「私は……」

 

昨日の勢いのままに約束破りを承知の上で強さを求めるために挑んだワイアーム戦。

しかし久方振りにその仇敵と相対した時、最初に感じたのはそんな勢いすらも塗りつぶすほどに濃密な、どうしようもない恐怖だった。

今の今まで自覚どころか想像すらしていなかった様な自分の身体の変化。足が震え、手が震え、本当にただの通常種のワイアームだというのに、その姿からあの強化種のワイアームの姿が脳裏を過ってしまう。実際にはそこには存在しないのに、あの時に感じた悍しい程の威圧感を感じてしまう。

防戦一方。

その瞬間に勝つという意識すらも飛んでいた。

襲い掛かってくるワイアームを相手に、逃げることしか考えられなくなっていた。

 

もし隣に他に誰かが居てくれれば、少しは冷静になれていたかもしれない。以前の様にマドカが側で見ていてくれたのなら、戦えたかもしれない。

しかし存外にも1人での戦闘というものは恐ろしく、心細く、なにより強化種と戦った際に感じた恐怖と死の直前の感覚がリゼの心に深く刻み込まれていた。

もしかしたら以前に戦った時にも、マドカが側に居なかったら負けていたかもしれない。

山で弱いモンスターを狩っていた時とは違うこの感覚。自分の命が明確に危険に陥る程の強敵との戦闘というのは、経験のなかったリゼにとってそれほどに影響の大きなものだった。

 

「……せめて、傷を治して、服だけでも変えておかないといけないな。話が伝わって床に伏しているマドカに心配をかけたくはない」

 

あの強化種騒動の前にマドカから受け取った宝箱は、今でもリゼの探索の役に立っている。いくら多く入るとは言え、容量の限界自体はあり、その限界も箱によって異なると聞くが、なにより重量が元の箱と変わらないというのが便利な性質。中にはこうして着替え等を入れてあるし、この箱のおかげで深層への遠征も便利になっているという理由もよく分かる。

ただ持ち物に関しては、持って行くものを事前に書類として提出しているので、変な物は持っていけない。もちろん違反がバレたりしたらまた面倒な事になってしまうが、真面目なリゼであればそこは何の問題もない。その辺りは可燃物質を持ってダンジョンを焼こうとするような輩に対する処置であるのだから。……例えばそう、娘のためにダンジョンを24階層まで焼き払ったあの女のような。

 

「あ……」

 

「ん?」

 

そんな風に服を一式着替え、地上に戻り、魔昌の換金を終えて食堂に向かう途中の事だった。換金をしてくれるヒルコからも訝しげな顔をされる程に見てわかるくらい落ち込んで歩いていたリゼが出会ったのは、それこそ昨日2度と顔を見せるなと言われた例の女性。

 

「ラフォーレ、アナスタシア……」

 

「チッ、不景気な顔を見せるな殺すぞ」

 

「いや、それは、まあ……申し訳ない」

 

「マドカの食事を持っていなければ今直ぐにでも潰していたものを……退け屑、私の道を塞ぐな」

 

「あ、ああ、すまない……」

 

「………」

 

巨大な台車に数多の料理を乗せてゴロゴロと押して来る彼女のそんな姿は、周囲の者達からしても少し前では考えられない光景だろう。しかしそんな彼女の事は見ても誰一人として道を塞ぐことなく、むしろ誰もが道を開けるのだから都合はいいのか。つまり、この空間で道を塞いだのは下を見て歩いていたリゼだけだった。

そしてそんなリゼもまた、彼女の恐ろしさは身に染みて分かっている。気分が沈んでいる今、加えて殴られるなど絶対に御免だ。素直に道を譲り、それ以上は何も言わない。

 

「……やはりイラつくな、お前」

 

「え?……うぐっ!?」

 

「ほう、防いだか。VIT(耐久力)だけは半人前だな、ワイアーム程度に敗北する雑魚が」

 

「っ、何故それを!?」

 

「貴様程度がマドカの補助無しで歩ける階層などその程度だろうが!!」

 

「っ!がっ!?」

 

最初の蹴りの一撃を咄嗟の判断で防いだリゼ。しかし直後に振われた2度目の蹴撃は、リゼの両腕のガードを避ける様に直撃の寸前に軌道を変え、目では追えていても身体では反応出来ない凄まじい速度でリゼの腹部を捉える。

ステータスだけではない、その技量すらもリゼとは比べ物にならない一線級。未だ半人前にすらなれていない未熟なリゼでは、そんな彼女の遊びの蹴りすら防ぐ事は叶わない。

 

「……弱過ぎる」

 

「っ」

 

「ステータスも無ければ技術も無い、あるのは目だけか。その様でよくもまあマドカの側に居たいなどと宣ったな」

 

「私、は……」

 

それは事実だ。

リゼは決して武道など習った事もなく、山に居た時にも知能の低いモンスターを倒すには目以外の物はそこまで必要では無かった。大半は祖父から教わった猟銃を使って弱いモンスターを倒し、どうしても必要な時にだけ短剣や銃や棍棒で殴り付ける。

そこらで剣を使ってモンスターを討伐していた者よりも、リゼは近接戦闘が未熟だろう。近接戦闘で強くなる為には目だけではどうにもならない、そんな事はここ数日で嫌でもよく分かった。

だからこそ、こうして直接言われてしまうと心が割れる。自覚しているからこそ、苦しく思う。今直ぐに解決出来ない問題だと、自分一人ではどうにでもならないのに、他の人間に助けを求められない今だからこそ辛いのだ。誰にも頼る事が出来ない今この瞬間が、本当に。

 

「………本当に腹立たしい」

 

「?」

 

しかし次の瞬間、ラフォーレがリゼに投げ付けたのは1通の手紙だった。手紙と言うよりかは本当に手元にあった紙に文字を書き、それを綺麗に折り畳んだだけの様にも見えるそれ……まさかこれが目の前の女からの手紙だとは、流石のリゼだって思わない。

 

「マドカからだ」

 

「!!」

 

「私が貴様の様な屑の為に足になるだけならばまだしも、マドカが未だ貴様というゴミを気に掛けている事が何より気に入らない。……それさえ無ければ、その気に入らない顔面を存分に叩き潰す事が出来たというのに」

 

それだけを吐き捨てる様に言うと、彼女は再びマドカのための食事をゴロゴロと運びながらその場を去って行く。

リゼは未だに腹部に残った鈍痛を感じながらも、そんな事に気に取られている暇など無いとばかりにマドカからの手紙に目を向けていた。

2つ折りにされた綺麗な何枚もの白い紙。

きっと彼女も急いで書いて、包む用紙も無い状態で、慌ててラフォーレに届ける様に頼んだのだろう。まさかラフォーレがあれほどリゼに嫌悪感を抱いているという事も露知らず、しかし純粋にリゼの事を思って。リゼの事を心配して。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リゼさん、お久しぶりです。

 

お元気でしょうか?

私は今日もユイさんの治療を受けながら色々な事を考えていました、そろそろお日様が恋しいです。

本当はリゼさんとも直接会ってお話ししたいのですが、私に打ち込まれた毒が実は徐々に気化していまして、周囲にも若干の影響を与えている事が判明しましたので、面会は極力禁止です。お母さんは強引に入って来てしまったので治療院の方々も諦めてしまっているのですが、本当にどんな影響があるか分からないので今は我慢ということで。気化した物に関してはユイさんの薬で解毒も出来たのですが、やっぱり心配なのでリゼさんは来てはいけませんよ?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……そこまで深刻な状態だったのか」

 

身体に打ち込まれた物が、今も気化して周囲に影響を与える程の強力な毒。ユイが一日中付きっきりで治療をしているとは言え、本当に彼女が命の危機に居るという事だけは素人でもよく分かる。

しかしこうして手紙を書ける元気があるという事もまた確かだ、リゼは続けて文を読んでいく。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

……さて、ところでユイさんから少しだけ聞いたのですが、どうやらリゼさんは今色々と行き詰まってしまっているそうですね。

とは言え、私も今は動けないので、リゼさんに授業も出来なければ指示を出す事も出来ません。ここで鍛錬について書いてもいいのですが、4階層まででリゼさんが学べる事はもう少ないですからね。後ろ盾が無い状態でワイアームに挑むのも危険ですから、それもオススメしたくはありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……ああ、君の言う通りだったよ、マドカ。私は愚かにもそれをしてしまったけれど」

 

そこまで彼女は分かっていたという事に、リゼは思わず自分の考えの浅さを笑ってしまう。もしこの手紙があと数時間早く来てくれれば、とも思ったが、むしろあれも良い経験だったかもしれない。自分がどれだけ思い上がり、思考が足りない人間であったのかが分かったのだから。

少なくとも同い年であるはずのマドカに、リゼはあまりにも大きな差を感じている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

という事で私は今日、リゼさんにおすすめのお店を紹介する事にしました。

色々と悩んで、苦しんで、心が痛くなって……けれどそんな時、それを一度全部忘れてしまう事も時には必要です。視点を変え、他の人の視点を知り、そうしてもう一度自分を見直してみれば、それまでとは全く違った考えが浮かんで来る事もありますから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そんな言葉の下に、小さな絵によってその店の場所が分かりやすく記されている事に気付く。一体それが何の店なのかは分からないが、マドカの紹介する店ならば信用は出来るだろう。

そして更にそこにはその店の主人に手渡す様にと小さな手紙も貼り付けられており、彼女のその徹底振りにリゼは小さく苦笑った。

彼女は本当にリゼの事を心配していたのだ。

こんな惨めな様になっている自分の為に、今も色々と手を回してくれている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

探索者をしていれば、辛い時や苦しい時はどうしてもあります。私もそうでした。

けれど、どうか今この時を乗り越えて下さい。もう一度私と会えるその日まで、心折れる事なく耐え続けて下さい。そうしたら、そこから先は、全部全部私に任せてくれて大丈夫ですから。きっとリゼさんを立派な探索者にしてみせます。

だから今は、私を信じて下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「マドカ……!」

 

手紙を見て泣くなど、はじめての経験だった。

まさか出会って少ししか経っていない相手の手紙にここまで感化されるなど、本当に自分でも信じられない。

けれど分かってしまうのだ、彼女は今も自分に期待してくれているという事が。こんな無様に人が通る廊下の隅に座り込み、涙を流している無様な自分の事を心配してくれているという事が。

 

「ああ、耐える……耐えるとも……もう一度君の顔を見るまで、私は折れたりはしない」

 

立ち上がる、心も一緒に。

リゼは流されやすい人間だ。

一度凹まされてしまえばズブズブと自分でも勝手に沈んでいくが、一度引き上げられてしまえば物凄い勢いで浮かび上がって来る。

ワイアームの敗北とラフォーレから受けた仕打ちはそれはもうリゼの心を大きく沈ませたが、マドカからの手紙という蜘蛛の糸は差し引きしてもプラスに上るほどに彼女の心を引き上げる。

単純だ、そして簡単だ。

けれど、だからこそ好ましい。

そう思ってくれる人たちが居る。

少なくとも、マドカはそんな彼女を気に入っている。

今はその事実だけで十分だ。

 

「よし、早速この店に行ってみよう……!色々と悩み事はまだあるが、違う視点を知ってみるのも大事だとマドカも言っていた!エルザも言っていた気がする!いや、ユイも似た様な事を言っていた様な……」

 

……思いの外、マドカから言われた事は既にその教え子達からも受けていたという事に気付く。というか、その度に立ち上がって、また撃ち落とされて来たのが今日までの数日間だ。もしかしなくとも今正にあのラフォーレともう一度出会ってしまったら、この高揚した気持ちも砕かれてしまうのかと思えて……

 

「っ!!」

 

リゼは急いでギルドから逃げ出した。

昼食は食堂ではなく、別の場所で取るという事を心に決めて。ここには既に居ない筈のラフォーレから逃げ出した。これは仕方のないことだった。




ラフォーレ・アナスタシア……大量の食事をマドカの元に運んでいる。気に入らない相手の指示など聞くどころか殴り付けて黙らせるまであるが、愛娘のためならばどんな雑用も積極的にやってくれる。意外と家では家事もやっている。


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21.喫茶店の妖精

リゼがマドカから教えて貰ったお店。

それは都市の大通りから一本外れた所にある、小さな喫茶店であった。

昼食の時間を少し過ぎてしまっているからか人が出入りしている様子はなく、雰囲気はシンプルで好ましい。中から香って来る独特なお茶の香りはリゼが初めて嗅いだ物であったものの、腹が空いていた事もあってか、とても食欲を唆られるものであった。

 

メイド喫茶『ナーシャ』

 

初めて聞いたその名前に、リゼはドキドキとしながらドアノブに手を掛け中に入る。

 

「おかえりなさ、うわデカ……おかえりくださいませ♡ご主人様♡」

 

「あれ?今なにか変じゃなかったか?」

 

「気のせいですわ♡ご主人様♡」

 

「そ、そうかい?そうかな、そうかもしれない。そうだったかも……」

 

店内はやはり外観に違わぬ美しさ、そして何より少し肌寒い外の気温がこの空間に入れば嘘の様に心地良く暖かくなったのを感じる。独特な茶の香りと焼いたばかりのパンの匂いが鼻をくすぐり、そんな空間でありながらも人は数人チラホラと老人が座って新聞を読んでいるだけだった。

……心が休まる。

なるほど確かにこれならばあのマドカが紹介した店というだけあるだろう、静けさと店の隅の方で鳴っている小さめのオルゴールの音が心に馴染んで本当に心地良い。

 

「それではご主人様?お出口はこちらとなっております♡」

 

「いや、出口は知っているが……」

 

「こちらとなっております♡」

 

「……もしかして、所謂一見さんはお断りという物だろうか?」

 

「いえ♡特にそういう事は♡」

 

「……?あ、そういえばマドカから紹介を貰っているのだが、これを店主に渡して欲しいと」

 

「え、マドカさんの?」

 

マドカの名前を出した瞬間、ニコニコと微笑むだけだったメイドの少女は瞬時に真顔になってリゼが差し出した手紙を引ったくる。

このメイドの女性……種族はエルフであるからか当然見目麗しく、日に照らされて輝く金髪が人々の目を引く間違いようの無い美人である。一般的なエルフよりも背が低く女性的な成長はあまり見えないが、リゼとてエルフの寿命が一般的な種族の倍はあり、実際の年齢は見た目年齢の2倍と考えるべきという常識くらいは知っている。きっと実年齢としてはリゼより上であるのだろう。

……ただその、なんというか。彼女は確かに美人ではあるのだが、なんとなくその人格に難がある様に思えてならない。この子はさっきから客である自分を帰らせようとしていないだろうか?いくら鈍感なリゼだって、それくらいは分かる。

 

「チッ、マドカさんの新しい教え子だったのか……」

 

「ええと、あの……」

 

「失礼致しましたご主人様♡どうぞこちらのお席へ♡」

 

「あ、ああ……ところで、女性に対しては『ご主人様』というより『お嬢様』とかなのでは……」

 

「呼び分けるのが面倒なので嫌です♡」

 

「そ、そうか……」

 

一体自分の何がそれほど彼女の癇に障ってしまったのか、それすら分からず困惑しながらもリゼは席に通される。この店は別に客を選んでいる訳では無い気もするのだが、何かマナーの様な物があるのだろうか?しかし店の店主と思われる男は今もその瞑っているのかと思う程に細い目をフライパンの上に向けているだけで、リゼに対しては一度会釈をしただけで直ぐにまた料理に勤しみ始めている。

不思議な店だ。

というより、働いている2人が不思議な店である。

そしてここで座る客達も、そんな事が日常茶飯事であるかの様に気にせず自分のしている事に集中しているだけ。リゼは席に着くと取り敢えず近くにあったメニューを開き、中を見てみた。

 

「……高っ!?」

 

『珈琲』と言うリゼが聞いた事もない様なお茶は、なんと一杯800L。朝食・昼食専用の日替わり定食は2400Lという他の店の3倍近くの値段であるし、どのメニューを見てもまた恐ろしい数字が本当にズラリ。

マドカは一体何を思ってこんな店に自分を招待したのか、どう考えてもぼったくりとしか思えない。そんなもの人が少ないのは当然だ、だって普通の人は来ないんだもの。元々このオルテミスの街は発展しているだけあって物価も他より高いというのに、こんな物価は普通に考えて許されない。

 

「ご注文はお決まりでしょうか♡ご主人様♡」

 

「え、ええと……」

 

「お決まりですよね♡ご主人様♡」

 

「いやその」

 

「ご主人様♡」

 

「…………………こ、珈琲というものを、一杯」

 

「いっぱい?たくさん召し上がるのでしょうか?それでしたらこちらの飲み放題(3,000L)がお勧めですよ♡」

 

「ひ、一つで頼む……」

 

「他には?」

 

「え」

 

「他には?」

 

「えっと……」

 

「ほ・か・に・は?」

 

「な、無いです……」

 

「チッ、クソ貧乏人が。帰れよ」

 

「ついに本音を隠す事もしなくなったな!?クソ貧乏人と言ったな私の事を!?確かに私は聞いたからな!?」

 

店に行くとは言え、そこまでの金額を持ってこなかったリゼ。というかそもそもそんなに懐に余裕のある訳でも無く、最近は私生活に必要な物を買い揃えている事もあって余計に寒い思いをしているのだ。飲み物1杯に800Lというだけでも手が震える程の有様、確かに遅い昼食とあって十分に腹は減っているが、だからと言って2400Lも出して満たしたいとは思わない。思えない。

メイドの彼女に如何にもと言った顔で見下されても、出せない物は出せないのだ。不服そうに店主にそれを伝えに行った彼女を横目で見送り、リゼはもう一度店内を見渡してみる。

 

(……金額は高いが、やはり店内の装飾は拘りがある。それに数少ないここの客達、皆かなり裕福な印象だ。そもそも真昼間から喫茶店で新聞や本を読みながら茶を嗜んでいるのだから、暇をしていて、暇が持てる程の身分であると言う事は当然のように分かのだが……つまり、この値段も彼等がこうして足を運ぶくらいには妥当だと言う事なのだろうか。だとすれば本当に上流階級向けの店という事になるのだけれど、マドカが一体どうしてそんな店を私に勧めたのかが分からない。店を間違えたのだろうか?いや、でも地図にはちゃんと一番端の店だと書いて……)

 

「お待たせ致しました♡ご主人様♡」ガシャンッ!

 

「え?」

 

「お待たせ致しました♡」

 

「え?」

 

そうしてマドカの真意を探る為、色々と思考の深い場所へと潜っていたリゼの目の前に置かれた超巨大オムライス。様々な具材によって箇所ごとに違うライスが盛られ、その上に何枚もの卵の生地が乗せられている最早威圧感すら感じる様な巨大なそれ。その皿は一体どこから、というかいつの間にそんな物を作っていたというのか、当然リゼはそんな物を頼んだ覚えは一才ない。

リゼが頼んだのはその後に手元に置かれたこっちの珈琲だけだ。まさか頼んでもいない物を出して、無理矢理にでも金を出させようという魂胆なのか。そう考えるとリゼの顔は一気に青くなる。

 

「ま、待ってくれ!……これは、その、なんだろう!私は別に頼んでいないが!!」

 

「マドカさん専用スーパーオムライスです♡通常のオムライスの10人前です♡ご主人様♡」

 

「10人……え、なぜ?」

 

「マドカさんからのお手紙に、ご主人様にこれをお出しする様にと書いてありましたので♡」

 

「嫌がらせか!?嫌がらせなのか!?明らかに人が食べる量じゃ無いだろうこれは!!と、というか、これはマドカからの奢りなのか!?」

 

「そうなりますね♡このヒモ女♡」

 

「うぐっ」

 

「恥ずかしくないんですかご主人様、その歳になっても自分の食事代すらまともに出せないだなんて」

 

「うっ、ぐっ……そ、そもそも私は紹介されただけで……!」

 

「大丈夫ですかご主人様?それ以上その言葉を口にして本当に大丈夫ですか?惨めな気持ちになりませんか?自尊心が粉々に砕け散りませんか?いたいけなメイドはご主人様の御心だけが心配です♡」

 

「う、ううぅぅぅ……!!」

 

言い訳はいくらでも出来るが、なんとなくここで言い訳をしてしまうと負けな様な気がしてしまう。しかし何故自分で頼んでいない物を奢られただけでここまで言われなければならないのか、いや別にマドカに文句がある訳では無いのだけれど。悪いのは間違いなく目の前のメイドの言動なのだけれど。

 

(し、しかし10人前、10人前となると……)

 

メニューにあった様にオムライスは1人前1,800L、つまりこれだけで18,000Lという事。1人前と言いつつも周りの客の物を見るとそう大きな物では無いが、その材料費により多くお金が掛けられている事は実物を目の前にしてよく分かった。なるほど確かにここは自分の様な貧乏人が来る場所では無いだろう、ただのオムライスがこんなにもキラキラと輝いて見えるのだから。同時にギラギラとこちらが萎縮してしまう様な存在感も放っているが。

 

「わ、私だってその気になれば……い、18,000Lくらいなら……」

 

「くらいなら?」

 

「は、払え……払え……」

 

「払え?」

 

「ない、が……」

 

「………あ、そう言えばご主人様?ご主人様のお名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか♡」

 

「それは別に構わないが、どうしてだろう……?」

 

「マドカさんのヒモとして、私もしっかり覚えておかないといけませんから♡」

 

「そんな不名誉な覚え方はしなくていい!リゼ、リゼ・フォルテシア!マドカの弟子だ!ヒモじゃない!」

 

「リゼ様ですね♡私はリコ・スプライト、あちらのマスターがエド・セルノワールと申します♡次からのご来店の際には必ず保護者の方とご一緒にご来店下さいね♡」

 

「だから私はマドカのヒモでも被扶養者でもないと言っているじゃないか!!」

 

思わず声を荒げてしまったが、そういえばと周囲に人が居たのを思い出すとリゼは顔を赤くして俯く。リゼがここまで声に出すほど心を乱される事は珍しいことだ。幸いにも周囲の人間はやはり2人のやり取りに何の興味も無いのか気にしても居なかったが、これ以上感情を乱されてしまえばこのリコというエルフのされるがままであると気付き、リゼは取り敢えず何も言わずに大量のオムライスの方へと意識を向ける。……改めて向き合うと、感じるその威圧感。

 

(……食べれるだろうか、これ。いや食べられないだろう、これ)

 

10人前のオムライス。

確かにリゼは一般的な女性と比べて身体が大きく、人一倍食べるということも自覚しているが、しかしそれも本当に常識的な範疇だ。一食で大皿を何枚も食べる様なマドカとは違うのだ。というかそもそも普通に考えて、人間の胃袋にはどうやったってこんな質量の物は入らない。どれだけ細かくした所で、押し込められない。

 

「あの、持ち帰r……」

 

「勿論全部食べますよね♡ご主人様♡」

 

「いや、流石にそれは無……」

 

「まさかマドカさんが奢ってくれた物を残すだなんて、そんな事はしませんもんね♡ここでちゃんと全部食べますよね♡ちゃんと全部食べて、嘘偽りなくマドカさんに報告するんですよね♡まさかマドカさんの気持ちが空回っていただなんて、間違っても奢って貰った分際でそんな事を報告して謝らせたりなんてしませんもんね♡」

 

「ぐっ!し、しかしそれは報告しないといけないだろう!私は1食でこんなにも食べ切れない!もし次があった時に『リゼさんはこれくらい食べれるんだ』なんて思われてしまったら困る!」

 

「さり気無く次がある前提で話しましたね、やっぱりヒモじゃないですか」

 

「ヒモじゃない!」

 

「じゃあどうしますか?」

 

「持ち帰りを……」

 

「当店では衛生上の理由でお持ち帰りについてはお断りさせて頂いております」

 

「そんな馬鹿な!」

 

「さ、どうしますか?食べますか?残しますか?」

 

「……頑張って食べます」

 

「それは良かった♪大丈夫ですよ、ご主人様♡マドカさんはお優しい事に珈琲の飲み放題まで付けてくれていますからね♡色んな珈琲を好きなだけ楽しんで、何時間掛けてでも絶対に全部完食してさっさと帰って下さい♡」

 

「くっ……!やってやる、やってみせる!私は今からこれを全部食べ切って見せるからな、マドカ!見ていてくれ、マドカ!」

 

「マドカさんは神様か何か?」

 

マドカに会えなくなった事も相まってか、それでも間接的に手を貸してくれる彼女に徐々に信仰的な何かが芽生え始めているリゼを、気持ち悪そうに見つめるメイドのリコ。

彼女は凄い勢いでオムライスを食べ始めたリゼを横目で見ながら、密かに持ち帰り用の準備をし始めた。

彼女も一応善人ではあるのだ。

ただ、自分よりも年下の癖に胸と背の大きい女性という存在が、彼女はこの世で1番気に食わないというだけで。

 

 

 

ーー2時間後ーー

 

 

「きっつい……」

 

「思ったより頑張ったじゃない、ご主人様」

 

「もう完全に素が出ているじゃないか……」

 

「7人前ってところ?あ、おかわり?」

 

「ああ、珈琲も次は別の味のを飲んでみたいかな」

 

「いや、オムライス」

 

「要らない!絶対に要らない!もう一月は絶対に食べたくない!」

 

「失礼な、1人前1,800Lもするオムライスなのに」

 

「もう値段の問題は当に私の胃袋の底に沈んでしまっているんだ!私は絶対に引く気はないぞ!」

 

「必死過ぎて少し引きますわ、ご主人様」

 

「余計なお世話だよ!いや本当に!」

 

項垂れるリゼ、向かいの席に足を組んで座るリコ。

山盛りにあったオムライスは今や1/3ほどしか残っておらず……いや、それでも結構残っているのだが、それでもリゼは今腹が爆発しそうなくらいには頑張って食べた。これは褒められても良い事だ。マドカへの信仰心だけで7人前近くも平らげたのだから。最初は舐めてかかっていたものの、思いの外お腹に重くのしかかって来る具材が使われていた割には、本当によく頑張った。

 

「はい、どうぞ」

 

「ん?なんだろうこれは……」

 

「持ち帰り用の入れ物とバスケット」

 

「……は?」

 

「使っていいわよ。捨てるのも勿体無いし、あんまり居座られても困るし」

 

「……持ち帰りは、拒否しているのでは」

 

「そんなの嘘に決まってるじゃないですか♡ご主人様♡」

 

「お、おお……お前ぇぇえええ!!!!!」

 

「あはは!や〜ん♡ご主人様怒っちゃった〜♡怖〜い♡このバスケット、やっぱり仕舞っちゃおっかな〜♪」

 

「くっ、うぅぅぅぅううううう……!!!!」

 

お前!などと、リゼは生まれてこの方一度も口に出した事も無いような言葉を向けてしまう程に冷静さを失っていた。しかし今は何よりも目の前の入れ物とバスケットが欲しい。持ち帰りをさせて欲しい。つまり彼女の言う事を聞くしかない。この店に来てからリゼは本当に冷静さを失ってばかりだ。この店というか、主に目の前のこの女のせいで。

 

「うふふ♡」

 

逆らうことが出来ず下唇を噛み締めながら上目遣いで睨んでくるそんなリゼを相手に、メイドのリコは愉悦ここに極まると言った感じで恍惚な表情を浮かべて入れ物にオムライスを詰め込んで行く。ああ、なんと嬉しいことか。こうして弄っても弄っても素直に感情を表に出して反応を示してくれる、弄りがいのある人間が身近に出来た事は。

リコ・スプライトは屑である。

しかし人は選ぶ。

普段は本当にしっかりと仕事をしているのだ。

ただ偶には弾ける時間が欲しいというだけで。

 

「はい♡ご主人様♡ちゃんと溢さずにしっかりと持ち帰って下さいね♡」

 

「も、もう絶対にこの店には来ない……!!」

 

「へ〜、いいんですか〜?マドカさんは貴女の為に飲み物を1年間飲み放題にしてくれてるのに〜♡」

 

「は……?」

 

「さっきのお手紙に書いてあったんですよ♪愛されてますね〜、ご主人様〜?」

 

逃げ道が塞がれていく。

味方だと思っていたマドカに。

しかもその逃げ道の塞ぎ方が完全な善意で出来ているのがまた最悪だった。

リゼにそれは本当によく効く。

 

「こ、珈琲の1日の飲み放題が3000Lだとして……い、一年だと、どうなるんだ……?」

 

「さあ?そこはマドカさんとマスターのお話になるので分かりませんけど……本当に単純な計算をすれば、100万Lくらいの話にはなりますね〜♡」

 

「ぶふっ!?ひゃっ、ひゃひゃ!?ひゃくっ!?」

 

「なんか壊れた玩具みたいになってきたな」

 

「マ、ママッ……マドカぁぁああ!?!?!?!?一体!本当に!何をしてくれているんだぁぁあああ!!!」

 

「これはもうマドカさんの為にも毎日飲みに来るしかなくなっちゃいましたね♡大丈夫ですよご主人様♡例え珈琲だけを飲みに来て何も食べずに帰ってしまったとしても、私は何も言いません♡心の中で『お、今日もマドカさんのヒモが昼間から働きもせずに"穀潰し"しに来たな』って思うだけですから♡」

 

「死にたくなる!!」

 

「またいつでもいらっしゃって下さいね♡ご主人様♡」

 

「うわぁぁぁああああああ!!もう嫌だぁぁぁぁぁあああ!!!!!」

 

リゼは逃げた。

バスケットを持って。

一刻も早くこの店から出る為に。

しかし心の中では分かっていた。

自分はもうこの店からは、というかあの女からは絶対に逃げ切れないという事に。

 

「あはは!また楽しみが一つ増えましたね、マスター♪」

 

「……程々に」

 

「分かってますよぅ♡あんな面白い人、そうそう簡単に取り逃したりしませんって♡」

 

そして彼女は当然の様に目を付けられていた。

リコ・スプライトというこの店の妖精(悪魔)に。




喫茶店ナーシャ……開業の際にマドカがマスターに諸々の支援を行なっており、融通が効く。当然リゼの飲物無料も彼女はお金を払っていないし、今回出されたオムライス10人前も月に一度訪ねてくるマドカがいつも頼むメニューである。メイドのリコ・スプライトについてはよく分からない。最初に雇ったバイトがいつの間にか看板娘になっていた。マスターにメイドの趣味もない。優秀で売上に貢献しているので好きにさせている。ただ胸と背の高い女の客に片っ端から喧嘩を売りに行くのはやめて欲しいと思っている。


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22.闇の動き

リゼが喫茶店から泣いて走る様に家に帰って不貞寝をしていた頃、日も暮れ始めた世界を見る事も出来ない地下の部屋の中で、2人の人物が言葉を交わしていた。

治療院の治療室の一つ。

漸く治療が落ち着き静けさを取り戻したこの部屋で、今も特殊な機械を左足に付けながらもマドカはエリーナからの報告に耳を傾ける。この都市を守る為に残された、責任ある探索者として。

 

「オルテミス周辺で【龍神教】の動きあり、ですか……」

 

「ああ、付近を警戒していた"聖の丘"の巡回班から連絡があった。ラフォーレからお前が聞き出した話を整理するに、探索者達が帰ってくるのは3日もあれば十分だろう。それを考えれば……」

 

「彼等がもし動きを見せるとすれば、その3日の間……いえ、準備が出来次第直ぐに、といった所でしょうか」

 

「だが、以前の様な大規模な襲撃ではあるまい。確認された龍神教の動きと規模があまりにも小さ過ぎる、せいぜい偵察ではないだろうか」

 

「……【罪のスキル】を持った人間を相手に、常識は通用しませんよ。もし以前の様に【罪のスキル】を持った人間が2人以上現れれば、今のこの街は確実に陥落します」

 

「……そう、だったな」

 

龍神教。

それはこの世界の闇の部分に当たる存在。

成り立ちは大凡45年前。

この地で2度目の邪竜討伐が計画され、それが初めての成功を収めた直後の事となる。

 

「45年前の邪竜討伐。それまで絵物語でしかなかった邪龍の討伐に初めて成功したものの、1体の邪龍を相手にこちらはあまりに手痛い人員の損失と壊滅的な被害を被った」

 

「それを機に持ち上がったのが、邪龍こそが戦乱の世を治める為に地上に降臨した真なる神であり、邪龍が討伐されてしまえばこの世界は再び元の人同士で争い合う戦乱の世に戻ってしまうという【龍神論】」

 

「それを否定する事は誰にも出来ない。確かに邪龍が全て討伐されてしまえば、まず間違いなく連邦中枢の覇権争いから種族同士の対立が生じ、200年前に邪龍の出現によって終結した筈の種族大戦は再び息を吹き返すだろう」

 

「今や龍神教の規模は計り知れないほどのものになっています。地方では隣人が実は龍神教を信仰していたという事も多いそうですからね」

 

「……そして、7年前の龍神教によるオルテミス襲撃事件の際に発覚した【罪のスキル】と呼ばれる奇妙な力を有した者達の存在。恐らくその【罪のスキル】という物を持っている者達が龍神教のトップとして動いているのだろうが、これについては我々もサッパリだ。襲撃事件の際に遭遇した2人についても、明確に分かっているのは"レンド"と"エミ"、そして"カナディア"が3人掛かりで対処した片方だけ。もう片方は記憶も報告も朧げで使えないという始末だ」

 

「私はまだその頃にはこの街には居ませんでしたが、相当な被害が出たと聞いています」

 

その頃は既に都市最大規模のクラン"聖の丘"のリーダーである"レンド・ハルマントン"が中心となり、それなりの戦力がこの街には揃っていた筈だった。

しかしそんな中でもこの街が大きな被害を受けてしまったのは、その実力者達がたった2人の『罪のスキル』所持者に足止めを食らったからに他ならない。

そしてもしそんな相手がこの機に現れたとすれば、片足が使えない今のマドカではどうにもならないだろう。警備の為にこの地に残った探索者達であっても、数という要素は『罪のスキル』に対して何ら有効打にはなり得ないと証明されてしまっている。他の何より質のある探索者を用意しなければ、あれらには対処出来ない。それこそ都市最高クラス級の探索者達で無ければ、それは不可能だ。

 

「……当時は私も指揮を行っていたが、あれは本当にスキルとしての格が違う。今ラフォーレが勝手にこの街に戻って来ているのは、不幸中の幸いだったかもしれないな」

 

「そうですね。レンドさん達には申し訳ないのですが、正直に言ってしまうと私もお母さんが帰って来てくれた事で少し安心しています。お母さんが居れば大抵の事はどうにかなりますから」

 

「そうだな、それはそうだ。例え数千のモンスター達がこの街を揃って攻め落としに来たとしても、お前達母娘が居れば解決は容易いだろう。しかし相手が『罪のスキル』となるとな……」

 

「他の街への救援要請は間に合わないでしょうか」

 

「……投影のスフィアを使った救援要請を行えば、2日もあれば可能かもしれない。しかしそれは無用な混乱を招く。相手に情報を与えてしまうことにもなる。なるべく情報を表に出さず、裏で粛々と対策を進めていくのがベストだろう」

 

「杞憂であるといいのですが」

 

「本当にな。だが可能性がある以上は対策をしなければならない、私自身が戦う準備もな」

 

実際、エリーナは探索者として特別に強いという訳ではない。近接戦闘主体である事は当然としても、それも本来は魔法使いであるラフォーレと同程度でしかない。

元々アマゾネスというのは人族から派生した種族であり、女性の出生率が100%である反面、元々人族だけの特権であった多種族との子を確実に成す事が出来るという特徴がある。そして生まれて来るのは例外なく同じアマゾネスの女児か相手の種族の純血だ。そう考えると単に人族が進化した種族の様にも感じられるが、アマゾネスは通常の人族とは違い魔法的ステータスは伸びにくく、逆に身体的ステータスは伸びやすい。そして言うまでもなく、知性はそう高くはなく、ハーフを産むことも出来ない。

それはエリーナとてそうだ。

今日まで色々な苦労があって漸く仕事を覚え、ギルド長となった今でも業務の大半は副ギルド長の手伝いがあって漸くできていること。彼女に求められているのはカリスマと実績であり、実力はそこにただオマケで付いて来たものに過ぎない。

加えてその実力も本当にこの街に来てギルドに勧誘される前に探索者として培ったものと、職員になった後に今度はその探索者達を押さえ込む為に必要になった程度のものでしかなく、とてもではないが上位の探索者と張り合えるものではない。これは探索者からギルド職員になった者にも共通する事だ。職員として働くに十分な実力であって、決して高い実力ではないのだ。

 

「……本当に戦えるのか、マドカ」

 

「?」

 

「その足で本当に戦えるのか、ということだ。片足が使えない状態での戦闘……私如きでは参考にならないかもしれないが、少なくとも私ではそんな事は考えられない」

 

「……なるほど」

 

だが、それでもエリーナは戦闘経験はある方だ。

ギルド長になる前にはダンジョンで何か起きれば真っ先に向かう立場であったし、実力ある職員として今のマドカのようにダンジョン内の見回りだって行っていた。そんな歴戦の彼女であっても、足が1本使えない状態での戦闘など考えられない。それでも十分に戦えると言うマドカの言が信じられない。

 

「確かに、私もこの状態で十全に戦える訳ではありません。ただ少なくとも、固定砲台代わりくらいにはなれます。必要になればエリーナさんに負けないくらい動く事も出来ると思いますよ?……当然、あまり動いてしまうと毒が全身に回ってしまうので、ユイさんには怒られてしまうと思いますが」

 

「……全く舐められたものだ、いくら私でもその状態のマドカには負けるつもりはないが?生意気を言うようになったのはこの口か?こいつめ」

 

「い、いはいれふよえひぃなはん……!」

 

マドカの頬を両手で引っ張りながら、エリーナは一先ずこの話はここで終えた。マドカがここまで言うということは、恐らくそれは本当なのだろう。

Lv.30にも満たない世間的に言えば中級探索者でしか無いにも関わらず、その異常とも言える戦闘技術と特殊なスキルによってLv.40を超える上級探索者にも引けを取らない力を有している不思議な少女。

長年多くの探索者をその目で見てきたエリーナであっても、目の前の彼女はあまりにも異質過ぎる。彼女の生い立ちを知っているが故に信用はしているが、それでも分からない事は多かった。だが少なくとも、この街でスフィアの扱いを最も良く理解しているのは間違いなくこの少女である。そもそも彼女は最初の教え子に普通にそれを託したが、高速戦闘中に『回避のスフィア』で無理矢理に軌道を変更する等という芸当は身体に対して大きな負担を及ぼす。これを行使すれば内臓破損や骨折を含めた一般的なポーションでは治療が困難な症状が想定されるため、基本的には非常時以外では禁止されているのだ。それがなぜVIT(耐久力)が低い筈のマドカが当然のように連続行使を行えるのか。……その技術を持っているのはマドカと最初の2人の教え子以外には存在しない。それを知る為に何人もの探索者がマドカに教えを乞うたが、危険であると言う理由で追い返されている。スフィアと自身の戦闘技術を究極まで重ね合わせたそれは、身につける事が出来ればマドカのようにレベル以上の実力が身に付けられるだろうが、習得は絶望的に困難である。

そしてマドカは、そういった奇妙な技術を恐らくエリーナが把握している以上に隠し持っている。それを考えれば、彼女の『片足でも戦える』程度の言葉を信じることは容易い。

そうでなくとも先日のワイアームの強化種、以前に発生した際には当時Lv.39の現"龍殺団"の団長であるアルカ・マーフィンが負けているという事実がある。その個体よりもレベルの高い相手をエルザとユイという都市最高クラスのサポーターが居たとは言え互角に渡り合い、最後には討伐に成功したのだ。恐らくこの事実は探索者達が街に帰ってきたあと、小さな騒動の原因の一つにも成り得るだろう。少なくともその"龍殺団"の団長であるアルカ・マーフィンは認められまい。普段から浅層の探索しかしていない様な女が、自分の成し遂げられなかった偉業を成したのだから。"龍殺団"唯一の良心であるとある女性が胃を痛めるのもまた間違いない。

 

「……マドカ、一つだけ聞かせてくれないか?」

 

「はい、なんでしょう」

 

「……4年前、お前は突然半年程この街から姿を消したな。1人でダンジョンに向かった記録を最後に。しかし半年後にお前が見つかったのは地上からだった」

 

「…………」

 

「記憶はまだ、戻らないのか?」

 

「…………」

 

エリーナのその言葉に、マドカは俯き目を閉じながらも言葉を返す。

 

「……なんとなく、その時の事を夢に見るときはあります。ただ起きた時には忘れてしまっていて、今もどうしても思い出せないんです」

 

「……そうか」

 

「自分でもわからないんです。どうやって食料もなく半年間生きていられたのか、どうして帰ってきた時に地上にいたのか、そしてどうして自分のレベルが10も上がっていたのか……ごめんなさい」

 

「あの時を境にお前の戦闘技術も飛躍的に向上していた。それ以前はラフォーレの後ろをついて回るだけだったお前が、他人と積極的に関わる様になった。だが、それでもお前はお前だった。それはあのラフォーレが証明している」

 

「……つまり?」

 

「これは私の想像なのだが、私はお前がダンジョンの中で何かしら新たな未知に遭遇したのではないかと考えているんだ。当時のマドカが1人で潜れるのはせいぜい14階層まで。恐らくその間に、少なくとも地上へ登る為の何かがある」

 

「それが使えればダンジョンを使用した避難路の作成が出来る……という事ですか?」

 

「そうだ、もしお前がその何かしらを思い出していればそれを利用出来ないかと思ったのだがな。やはりそう上手くはいかないか」

 

ダンジョンには未だ未知が多い。

既に知り尽くされたと思われていた浅層でさえも、時々突然それまでに無かった物が出現したり、確認されたこともないモンスターが出現することもある。

今はまだダンジョンへの入り口は一つしか見つかっていない。その上、深層から地上へ戻って来る手段すら存在しない。だがもし、もしそれが一つでも見つかればダンジョン探索はより楽に進むことになるのは間違いない。

今のままでは少しばかり難易度が高過ぎるこのダンジョン攻略に、ほんの少しでもその難易度を下げる為の要素は存在していないのか。徐々に手詰まりとなってきたこの状況でそれを望む者が多いのも間違いなく、それが故にやる気を無くしてしまう探索者だって多い。そして何より、あの時の出来事がエリーナやラフォーレにとって恐ろしく絶望的なものであったのは間違いないのだ。もう2度とマドカが突然消息を絶つなどという事が起きぬ様に……

 

「分かった、また何か思い出したら教えてくれ」

 

今はそれだけを伝えておく。




龍神教のはじまり……約40年前に第二次邪龍討伐が企画され、数多の犠牲と引き換えに陽龍シナスタンの討伐に成功した。しかし当時栄光を誇っていたクラン"天域"を含めた多くの探索者と軍人が命を落とし、探索者生命を奪われたことで、世界的に戦力が大きく低下してしまった。このことから民間人の間でもモンスターによる被害が増え、依然として他の邪龍は暴れ続けていたことから、『そもそも邪龍討伐などしなければ良かったのではないか』という言が地方都市を中心に広がり始める。故に龍神教徒は大都市ではなく村落や地方都市に多く、大都市の探索者達が守りを疎かにしている村落を守っているのが、実は龍神教であったりという事実もある。


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23.異変の前の

「そういえばエルザ、ユイ。この前の戦闘で私のレベルが上がっていた事をすっかりと報告し忘れていたよ」

 

「あら、奇遇ね、私もよ」

 

「私もです。1つ上がっていました」

 

「そうなのか、ちなみに私は2つ上がっていた」

 

「え……」

 

「え……」

 

久しぶりとなるクラン"主従の花"の2人との朝食。

仕事もひと段落して来たのか朝の食事を3人でこうしてゆったりと食べている中で上がった話題は、そんなものだった。

見てほしい見てほしいとほくほく笑顔で自分の秘石を見せてくるリゼ、他人のステータスを見るのはあまり良いことではないのだが、そこまでされてしまうと2人も見ざるを得ない。

 

「ほら、こうなったんだ」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○リゼ・フォルテシア

17歳 女性

Lv.8→Lv.10

初期値30+9

STR:D11→D11

INT:G2→G+3

SPD:E-7→E-7

POW:G+3→G+3

VIT:E8→E+9

LUK:F+6→F+6

-スキル-

【星の王冠】…精神力と引き換えに意識・思考・認識能力を高速化する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あら、本当ね。VIT(耐久力)が上昇してるのが素直に羨ましいわ。私なんて全く意味のないSTR(筋力)が上がったんだから」

 

「これは……元々リゼさんのレベルが上がる寸前だったからでしょうか?それとも強化ワイアームの攻撃を食らった事自体が経験として大きなものだった、という事なのか」

 

「1発食らっただけで……なんて思うけど、サポートくらいしかしていない私達ですらレベルが上がってるのよね。マドカのレベルも上がっているのは間違いないにしても、本当にあのワイアームはどんな化け物だったのよ」

 

秘石に表示されるレベルの上がる条件。

それは人間としての経験……などというかなりアバウトな物が条件として世間一般では認知されているが、その中でも最も容易くレベルを上げる方法が"龍種"との戦闘である。

例えばマッチョエレファントとワイアーム、この2体はギルドのランク付では同等の強さとされている。しかし実際に討伐した際に得られる経験値(と便宜上読んで入るが不確かな物)はワイアームの方が格段に多い。本来ならばその戦闘の最中の自身の行動や経験を経てレベルが上がるため単純な比較は出来ない筈なのであるが、それでもこうして単純な比較が出来てしまうくらいにその差は大きい。それほどに龍種の討伐というのは効率が良い。

リゼはこの街に来てからワイバーンを複数体、ワイアームを2体、そして数多のモンスター達を倒している。Lv.8からLv.9にいつ上がっていても不思議では無い程の経験もしていた為、恐らくはユイの考察が正しいのだろう。しかし恐るべきはただの一撃攻撃を受けただけで、この数日間の経験値以上のものを齎した強化種ワイアーム。

負けてもレベルは上がる、なぜならその戦闘の最中でレベルを上げるに必要な経験を得ているのだから。とは言え、攻撃を一撃受けただけでレベルが上がるという事はなかなか無い。

 

「だとすれば、あれを倒したマドカはレベルが5つくらい上がっているのではないだろうか……」

 

「……そういう単純な話でも無いのよ、リゼ」

 

「ん?」

 

「レベルが上がるには、それ相応の経験を得た時と一般的には考えられています。リゼさんもそれはご存知ですね?」

 

「ああ、それくらいは私も知っているよ」

 

「例えばマドカさんはついこの間までLv.29の探索者でした。これは一般的には10階層のレッドドラゴンを1人でも倒せる探索者が出て来るレベルだと考えて下さい」

 

「ふむ」

 

「ただ、言ってしまえばマドカは当然レッドドラゴン程度なら余裕で倒せるわ。強化種ワイアームにトドメを刺した攻撃を使わなくともね」

 

「そこも気になる話だが……それで、一体どういう事なんだ?」

 

「単純な話、言葉通り経験にならなければレベルは上がらないのです。同じレベルの探索者でも、戦闘経験が無く、戦闘中に様々な新しい体験をした探索者の方が早くレベルが上がります。つまり今回確かにマドカさんは苦戦をしましたが、マドカさんが得た経験としては5つもレベルが上がるほどのものでは無いでしょう」

 

「マドカは都市最強探索者のレンド・ハルマントンと同じくらいレベルが上がりにくい体質してるものね……とは言え、新種の毒も受けたし最低でも2つくらいは上がってるんじゃないかしら?」

 

「……つまり、同じレベルが2つ上がるという現象に必要な経験で考えても、私はただ攻撃を受けるだけ、マドカはその私を庇いながら敵を討伐する。それ程の差があるという事か」

 

「簡単に言えばね。勿論、単純にレベルが上がるほど上がり難くなるっていうのもあるわ」

 

確かに強化種ワイアームとの戦闘、それは初めての連続だった。次元の違う敵との遭遇、次元の違う戦闘の観戦、当たりどころが違えば致命的ともなり得た一撃を受け、直後に初めて感じた明確な死のイメージ。そして初めての魔法の行使。

なるほどこうしてみれば自分のレベルが上がった本当の理由はワイアームの攻撃を受けた事だけではなく、そういった様々な経験を得たからこそであると分かる。

 

(とは言え、そうなると果たして本当にマドカは一体これまでどんな経験をして来たのかと思わざるを得ないな。少なくともある程度龍種と戦い慣れていなければその様な事にはならないだろう。それこそ都市最強探索者とやらと同じくらいには)

 

自分も同じくらい龍種との戦闘経験を積めば手早くレベルを上げられるのではないだろうか?そう考えたリゼだが、つい先日ワイアームに敗北したばかりの彼女でもある。確かにそれは手早く強さを得る為には有効な手立てであろうが、今のリゼが挑む事が出来る龍種はワイバーンとワイアームだけ。ワイアームにトラウマ的なものを持ってしまっている以上は標的となるのはワイバーンしか居なくなるのだが、同じ階層主も何度も倒していると強化種を呼んでしまうという事もまた身を持って知った。やはりこの手段は今は使えない。

 

「難しいのだな、レベルを上げるというのは……」

 

「当然よ、私達だって苦労しているもの。それでも他の街やダンジョンに居るよりはよっぽど効率は良い筈。上ばかり見てボヤいていないで、取り敢えずは死なない様にレベルを上げるのが1番よ」

 

「……例えば武器を変えてみたりしたらレベルが上がりやすくなったりしないだろうか?」

 

「……リゼさん、今エルザ様が仰ったばかりです。取り敢えずは死なない様にレベルを上げること。慣れない武器は事故の元にしかなりません、絶対におやめ下さい」

 

「ああ、そうか……いやすまない、やはり少し焦っている様だ」

 

「気持ちは分かるけれど、命が1番よ。命より優先すべき事なんてそうそう無いと心に刻みなさい」

 

エルザのその言葉には、彼女のそれまでの人生の経験を元にした確かな説得力が乗っている。

人の言葉に流されやすいリゼはラフォーレの言葉で何より強さが欲しくなってしまい、半ば自暴自棄と言ってしまえる様な行動を取った。しかしそれを引き止めてくれているのは間違いなく目の前の2人だ。それを自覚しているからこそ、リゼは彼女の言葉に素直に頷く。

年齢こそ変わらない彼女達だが、生きてきた時間よりも、その生きてきた間に何を積み重ねて来たかが何より意味を持つ。ただ山奥で本を読み、モンスターを狩り、殆ど他人と関わることのなかったリゼには人生の経験というものが致命的に足りていない。故に表面上は対等であっても、リゼは彼女達の言葉は真摯に受け止め、噛み砕き、理解しようと試みる。そうしておかなければ、また他人の言葉に流されてしまうから。経験がなく、自分という存在の芯となる確固たる物が存在しないが故に、例えそれが他人の芯から生みでた言葉だとしても、貼り付けるだけの補強にしかならないと分かっていても、少しでも自分という物を確立させる為に飲み込む。

 

(……だからこそ、リゼは強くなれる。十分な知識と身体の強さを持っているのに、圧倒的に経験が不足していて、自分の核がまだ弱い。けれどそれはレベルを上げるのには最適な条件とも言える。そして本人が何より素直なのが1番ね)

 

それはエルザもユイもマドカも同意見だ。

人は経験を積み、自分という物が確立していくほど、自分の中に無いものに対して無意識にでも反抗的な意思を持ってしまう。その意思は非常に厄介なものであり、学習能力や記憶能力、適応能力にまで影響してくるのだから成長という面においては最悪と言ってもいい。

だが、今のリゼにはそれが殆ど無いのだ。

周囲の言葉を本当によく吸収する、影響される。

言い方は悪いが、本当に小さな子供と変わらない。

だからこそレベルはよく上がるだろう。

直ぐにでもエルザ達を追い抜かし、もしかすればほんの数年でマドカに追い付く事も出来るかもしれない。いや、マドカはむしろそれを望んでいる。彼女は明らかにリゼを探索者として大成させようとしている。それ自体は他の教え子にも共通する事ではあるのだが、同じ教え子という立場であるエルザとユイからしてみれば、マドカのリゼに対する期待はそれくらいのものだと感じたのだ。

 

「さて、そういう訳だから今日は私の買い物に付き合いなさいな」

 

「え……私はこれからダンジョンに……」

 

「今の状態で行っても何の意味があるのよ。依頼も今日はリゼが出来そうな物は追加無かったわよ?そんな無駄な体力使う暇があるなら私に付き合いなさい」

 

「む、むだ……」

 

「ユイ、何か買う必要のある物あったかしら」

 

「そうですね、消耗品は問題ないのですが食材が少し心許でしょうか。STR(筋力)のあるリゼさんがお手伝いしてくれたら助かるのですが……」

 

「〜〜っ!わ、わかった!手伝うとも!……ただその、代わりと言ってはなんだが、今度私のダンジョン探索も手伝って貰えないだろうか?正直今の状態だと自分のしていることが本当に正しいのかどうかも自信がなくなって来てしまって」

 

「ふふ、可愛いお願いの仕方ね。それくらいなら別にいいわよ。処理が落ち着いたら9階層まで行ってみましょうか」

 

もしかすれば、エルザやユイからしてみてもリゼは妹の様に見えているのかもしれない。図体だけは大きいが、その精神性は年相応の可愛らしさと純粋さがある。こんな風に不安そうな顔をしながらおねだりされてしまえば、この後輩を愛らしく思ってしまうのも仕方のないことだろう。

なんとなしに頭を撫でてやれば、頭に疑問符を浮かべながらも抵抗することなく、むしろ少し顔を赤らめて嬉しそうに上目遣いをするのだから、その気質は本当に妹だ。思わず抱きしめてしまいたくなるくらい。

 

「……ん?何かしら今の音」

 

そして、そんな彼女達もまた、この街に居る限りは決して荒事とは無縁でいられないのも悲しい所か。本当に平和で居られるのなら、もう少しだけこの微笑ましい光景も続いていたかもしれないのに。




レベルを上げるために……基本的には『どれほど新鮮な体験をしたのか』、『どれほど成長できたのか』、『知見や経験を得られたのか』が重要視される。しかしその辺りのことはかなり曖昧である上に検証も難しいため、『どれほど苦戦したか』として説明されることが多い。初心者探索者が強化種と出会った際には逃げるか死ぬかしかないが、そもそも強化種と出会った時点でレベルが1つ上がるほどの経験を得られる。支援という形であっても努力したのなら、どころか攻撃を受けて生還したのなら、2つ上がるのも当然と言える。モンスターよりも龍種を倒すことが最も効率よくレベルを上げられるが、強化種などはより効率が良い。邪龍討伐ともなると、上級探索者であっても一度に3つ以上は得られる。


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24.不快な羽音

 

「予定通り民衆の避難を優先させろ!"聖の丘"は怪物共の処理だ!……ああクソ!これでは全く手が足らん!!」

 

街を揺さぶる様な轟音。

耳を貫く様な悲鳴と嫌悪感を抱かせる様な奇妙な言語を放つ異形の生物達の歓声。

予定通り配置していたギルド職員を動かし、エリーナは全体の指揮を取りながらも非戦闘員の住民達をダンジョン2階層へと導いて行く。

 

それは街の大時計が丁度頂点を指し示した時の事だった。

街を囲う真っ白な壁を、何の前兆もなく登り侵入して来た異形の怪物達。ただのモンスターではない。見た目はどれもこれも虫類の形を取っているというのに、その身体のパーツのどれもが明らかに人間の体部によって構成されているという、エリーナの知識を持ってしても過去に出現事例が確認されていない、あまりに奇怪なバケモノの群勢。それらの存在をはじめに確認し、街のあらゆる場所から悲鳴が上がるまでに、さして時間はかからなかった。

 

『『『ケケケケケケケ、キ、キキ、ココキキカカカキキキケケケケ……!!』』』

 

「チィッ!気持ちが悪い!!」

 

理解の出来ない言語を身体中のあちこちに埋め込まれた幾つもの人間の口から何重にも重ねて垂れ流す蜘蛛型のモンスターを、エリーナは自慢の大剣を持ってして斬り飛ばす。今のところギルドの入口に近付いてくる程度のモンスターならば、この様にしてエリーナ1人でも十分に対処する事が出来た。あまりに酷い外見をしてはいるが、数は多くとも個々ではそこまで大して脅威ではない。

そして今も各地で"聖の丘"の団員達とギルド職員が散らばり、民を守る為に凄まじい勢いで奮闘している。そのおかげか住民への被害も殆ど出ていない。本当にこの数以外は何の脅威でも無い、なんとなくエリーナはそんな印象を受けていた。

 

(……いや、むしろ住民への被害が少な過ぎるのではないか?これではむしろ本当に民間人に被害を出さない様に立ち回っている様にも見える。龍神教の理念を考えれば無関係の人間に被害を出さないという考え方は分かるのだが、だとしたら何が目的だ?奴等は何を目的にこれほどの数のモンスターを使っている?)

 

『コケカケケケケキキクケコココココカ!!』

 

「っ、窓を割って……!ダンジョンの入口に守りを変更する!何かあれば直ぐに伝えろ!!」

 

執拗にギルド内部、いやダンジョンに入ろうとするモンスター達に対処する為に、エリーナはギルド内部へと走る。しかしエリーナとしてはますます訳が分からなくなっていた。全てのモンスターがダンジョンに入ろうとしている訳では無い。しかし何者かに統率されている様な動きはあるというその様子。敵の目的が何か分からないどころか、何も知らないエリーナからしてみれば敵の目的が複数ある様に見えてしまって、とにかく今は目の前の対処にだけ身体を動かすしか無いと言う指揮者としては不甲斐無い結果しか出せて居なかった。そしてその事実に悔しさを噛み締めるしかない程に切羽詰まった状態であるという事は、やはりどう考えても楽観視できる事ではなかった。

 

 

 

 

「な、なんだこいつらは!?」

 

「……気色が悪い、なんて言葉じゃ処理出来ないくらいには不快な連中ね」

 

「リゼさん、エルザ様……来ます」

 

エリーナがそうして必死にダンジョンを守っている頃、一方でリゼと主従の花の2人は街の大通りで異形の怪物達に囲まれていた。

朝食をしている所に聞こえて来た轟音と悲鳴。驚いて外に出てみれば、そこでは人間の腕や脚、身体で構成された大量の奇妙な生物達が屋根や壁に張り付きカサカサと動き回っていたのだから、3人の驚きと抵抗感は凄まじい。

モンスターは奇妙な言語を高速で身体中に存在する口から不規則に発し、人間の皮膚や骨で出来たような薄い羽根や、人間の上半身を幾つも繋いだ様な身体を持って飛び回る。大きさも成人男性の肉体そのまま、人間の頭だけは決して構成に使用されていない事だけは幸いか。それでも殺した時に生じる現象も人間の肉体そのままなのだから性が悪く、敵を倒す度に大量の真っ赤な返り血やドス黒い臓物が降りかかってくる状況に消費する精神力はいつもの何倍にも増していた。

 

「っ……まるで本当に人間を殺している様な気分になる」

 

「実際、あの狂った教団が裏に居るとすればその可能性も普通にあるわ。焼いた臭いも酷いものよ」

 

「ですが、それが仇となっています。例えば身体を構成している上半身の一つでも心臓を潰してしまえば、その時点で全身に不調を来たし、動きの悪化と少しの時間の後に衰弱死に至ります。硬い皮膚を持っている訳でも特殊な攻撃を持っている訳でもない、対処だけなら簡単です」

 

大銃で叩き潰すリゼ、魔法で焼き尽くすエルザ、そしてその2人とは比にならない程の凄まじい速度で心臓を突き刺し関節を引き裂き処理を進めていくユイ。ユイの攻撃は的確だ。エルザを守りながらも、人体の急所や重要な箇所を素早く正確に潰していく。まるでそれを手慣れているかの様に。

 

「こうして数をこなすだけなら私達でも何とかなりますが、このまま終わりとは思えません……っ!」

 

「敵の動きを見るに、何かを探している様に見えるわ。あの目とか耳が本当に機能している物なのかは微妙なところだけど」

 

「何かを探しているって、一体何を……!うわっ!?」

 

「リゼ!頭を回すよりまず周りを見なさい!貴方はそこまで器用な人間じゃないでしょう!」

 

「そ、それはそうだが……!」

 

どれだけリゼが考えようが、エルザの言う通り彼女はそこまで器用な人間ではない。戦いながら別の事に頭を使える程に戦闘に慣れている訳でもないし、考えたところで答えを導き出せる程に優秀な頭も持っていない。考えるより戦えというのは何より今のリゼに対して必要な事だ。それをやるにしても、よっぽど適した人間がここには居る。

 

(ダンジョンが主目的ではない、勿論ギルドも違う。それなら街全土に敵を放つ必要がない。けれど確かに何かを探している素振りはある。思考があると言うよりは何か一つの目的、意思の様なものを持って動いている……?)

 

周囲にスフィアでバリアを貼りながら、炎弾を放ちつつも観察と思考を続けるエルザ。質はともかく、本当に数が多い。嫌悪感を抱く様なその外見に大きな意味はないだろうが、これほど弱い個体を大量に呼び出す理由は、やはり単純に街の侵略が目的では無いからだろう。この街に隠されているスフィア、または人物などの、動く物、動かせる物、そして比較的大きくない物を探していると考えられる。民間人には徹底的に手を出そうとしないのに、探索者に大しては見つけた側から攻撃を仕掛けてくる所を見るに、脅威に対する防衛本能くらいはあるのか。

 

(……いや違う、これは防衛本能じゃなくて探索者を狙ってる?探索者というよりは、ある程度の実力を持っている人間が標的なのかしらね。秘石も見ずにどうしてそんな事が分かるのかは……今はどうでもいいとして)

 

観察から得た情報に推測を混ぜて仮説を作り上げていく。既に敵が何かを探して行動を起こしているというのは確実だと考えてもいいだろう。

だが、それが何かという事だけがどうしても分からない。これが仮に龍神教徒の仕業であったとしても、その奴等が探索者の抹殺でもダンジョンの破壊でも無く、彼等の理想理念を放棄してまで優先して探さなければならない様な物が微塵も想像出来ない。

 

「っ、血が多い……!返り血を浴びるとここまで戦い難くなるものなのか!」

 

「リゼさん、足元に気を付けて下さい。人間の血という物は存外ただの水よりよっぽど滑ります。エルザ様、地面を定期的に焼いて下さい。臭いは酷いですが足を滑らせるよりはマシです」

 

「ええ、分かったわ」

 

ユイの指示通り、エルザは足元の血溜まりに向けて炎弾を放ち、無理矢理に安全な足場を作り出していく。建物の角で自身の背中を守りながら、前面にバリアを展開し、確実な安全を確保しつつ援護を行うエルザ。戦闘に関する思考は今は全てユイに任せてある。そこは全て彼女に任せてもいい。ユイを信じて後悔した事など、エルザは今日まで一度も無いのだから。

 

(この探索者も殆ど居ない時期に攻め込んで来た理由は分かる、それは理解出来る。けれどそれならわざわざこうして探索者を襲わせる必要がない。何かを探すだけなのならば、探索者から逃げる様にして、ただ縦横無尽に走らせておくだけでも仕事は出来るはず。……そこまでは意思決定が出来なかった?それは普通に考えられるけど、もしそこにも何かしらの意味があると仮定したら……)

 

探しているのは探索者?

または探索者を脅かす事で出てくる物、人間。

何かしら強大な力を秘めた兵器なんてこの街には無いのだから、現実的なのは対象の探索者が持っている貴重なスフィアや武器だろうか。

しかしこの街に今そんな有名になる様なレアなスフィアや武器、道具を持った人間は数える程しか居らず、話題になってもいない。直近でそういった話は少なくともエルザが知る限りでは存在しない。

 

(……私の実家は先ず絶対に無関係。いくらなんでも今あの家にそんな力も度胸も無い。ギルドもスフィアは保管してるはずだけど、今は競売の予定も無ければ、珍しいスフィアが出回っているという事実もない)

 

新人のリゼが狙われる理由は考えられないし、確かに彼女は特徴的な人間ではあるが、つい先日山から降りて来たばかりのリゼを知っている人間など本当に指で数えるくらいしか居ないくらいだ。

 

だとしたら他に候補に上がる人間は……

 

「敵の目的は、マドカかラフォーレ?」

 

「っ、それは本当なのか!?エルザ!?」

 

「予想よ、何の根拠もないわ。可能性が他より高いというだけ。けどラフォーレがこの街に居るなんて事は敵も予想していなかったはず。この襲撃はそれなりに手が込んでるもの。だとしたら狙われているのは必然的にマドカになる」

 

「なぜマドカが……!くっ!」

 

「理由は分からないけど、あのマドカだもの。敵に狙われる様な代物の一つや二つ持っていても不思議じゃ無いわ。……ううん、そもそもマドカ自身を攫うのが目的かもしれないわね。ユイ、マドカはどこに居るの?」

 

「地下です。今日は少し規模の大きい治療を試そうとしていたので……」

 

「それならこのままマドカを隠し続ければ私達の勝ちね。他の探索者達が帰って来た時点で勝利は確実なのだし、それにそうでなくとも今ここには……っ、ユイ!」

 

その瞬間、エルザを守る様にして戦闘をしていたユイとリゼの周囲に凄まじい数の炎弾が着弾した。

 

「エルザさま!!」

 

爆破、破壊、炎上。

周囲の建物群に問答無用に大穴が開けられ、大量に彼女達を取り囲んでいたモンスター達が炭となり灰となり、血液どころか肉体の芯まで焼かれた後に血に落ちる。その極大規模の炎嵐から運良く被害に遭うことの無かったモンスター達ですら、狼狽え動きを止めてしまう程には凄惨な光景。

……完全な廃墟街だ。僅か一瞬のうちに大通りの華々しい店々が瓦礫の山と化した。

辛うじて間に合ったエルザのバリアが無ければ、ユイもリゼもその爆風に大きく巻き込まれていただろう。エルザ程の魔力によって確保された強度のバリアでなければ、それこそ身を守ることも出来ず爆風だけで一緒に粉々になっていたくらいだ。

……そして付け加えるのであれば、炎弾その1発1発全てがエルザが放っていた物より遥かに火力が高い。比べ物にならない。あの魔力にステータスが偏っているエルザよりもだ。そんな事が出来る人間は今この場所には1人しかいない。……いや、一体この世界のどこを探した所で、そんな人間は彼女1人しか存在しない。

 

「ラフォーレ、アナスタシア……!」

 

「マドカの教え子共か……居るのならもう少し存在を主張しろ、危うく殺し掛けた」

 

「あれだけ戦ってたんだから少しは気付きなさいよ……!」

 

「知らん、叫んで戦え。焼かれたくなければな」

 

「相変わらず理不尽な……」

 

以前と変わらない灰と黒のドレスの上にジャケットを羽織り、マドカと同じ青色の瞳をした暴君が、屋根の上から3人を見下ろしていた。

ユイとエルザに言葉を掛け、一瞬リゼにも視線を向けたものの、直ぐに無視する様に逸らした彼女は黒色の捻れた大杖を肩に担ぎながら未だ周囲に居残っているモンスター達を威圧する。

 

「っ」

 

その圧倒的な威圧感は、あの強化種のワイアームを思い起こさせる様な質のもの。今やこの人間が目の前に現れるだけでも足のすくんでしまうリゼだというのに、そんなものをここまで近くで浴びせられてしまえばモンスターでなくとも身体は震える。

そんなリゼを見てユイは背中に手を当てて撫でてあげるし、エルザも溜息を吐きながらラフォーレに目を向けた。元々言いたい事はあったのだ、噂にだけは聞いていたのだから。

 

「ラフォーレ、あまり私の大切な後輩を虐めないで貰えないかしら?怯えてるじゃない」

 

「後輩?笑わせるな、一度はマドカから鞍替えしようとしたこのゴミが」

 

「付き合いの長い私達よりよっぽどマドカ信者なこの子が鞍替えなんかする訳ないわ。分かってて虐めるのは少し大人気無いんじゃないかしら?それとも、それすら分からないほど脳が老けた?」

 

「……あまり生意気を言う様ならば貴様も潰してやろうか。事故に見せかけてここで殺してやってもいい」

 

「貴女が今日までギルド長やリゼに何をして来たのか、私は事細かに全て把握している。それ等を一つ残らずマドカに開示してあげてもいいのよ?私の力を使えばユイだけなら貴女からでさえも逃がす事は可能だわ」

 

「貴様……この女狐が」

 

「女狐で結構、別に私はユイ以外から何と思われようが構わないもの。貴女がマドカに対して思う心と同じように」

 

目線と言葉だけで火花が散る。

リゼからすれば信じられなかった、あのラフォーレに対して言葉でとは言え正面から逆らう事が出来るエルザの強さが。

堂々とした立ち振る舞い、力を振り上げられたとしても決して引かないという意思。なにより彼女はそうしてリゼの事を守ろうとしてくれている。今はそれが何より嬉しい。

 

「チッ、まあいい。それより今はこのゴミ屑共の処理が先だ。不快な見目を晒して飛び回る害虫共が、1匹残らず消炭にしてやろう」

 

「ちょっと、また今みたいに焼き払う気なのかしら?そんなこと続けてたら街が完全な廃墟になるわよ」

 

「何の問題がある」

 

「マドカが暫く"自主的に"その後始末をする事になるわね」

 

「…………」

 

「火力の調整をするか、的確に当てるか、他の属性の魔法を使うか。別にユイみたいに素手で潰してもいいのだけれど」

 

「……時間を稼げ、スフィアを換える」

 

「そこで火力調整しない辺り流石よね……私達が守るより自分で殴るなり蹴ったりする方が早いでしょうに」

 

「やれ」

 

「はいはい」

 

ラフォーレに対してここまで譲歩出来ただけでも十分だろう。秘石に嵌った3つの赤のスフィアを全て紫色のスフィアに取り換え、彼女はバリアを貼るエルザの背後で壁にもたれ掛かりながら片目を閉じる。そこにこれっぽっちも協力する様子など見られず、むしろリゼの方に視線を向けて何かを見極める様に……

 

「……リゼ、敵はドリル・ドッグ以下の雑魚共よ。持ち得る攻撃手段は噛み付きだけ、腕試しの相手としてはいいと思わない?」

 

「それは、何が言いたいんだい……?」

 

「スフィア交換に1分、可能な限り数を減らすの。それくらい出来るでしょう?ラフォーレを暇にしてあげなさいな」

 

「……なるほど。うん、やってみせよう」

 

ラフォーレによって吹き飛ばされた一帯の様子に反応してか、周囲からもかなりの数のモンスターが寄ってくる。頭を狂わせる程に無数の歪な羽音と鳴き声が木霊し、視界ですらも吐き気を催させ、あまりの悍ましさに全身の震えが止まらないほどの光景を見せつけられている。

……だが、それでもリゼは一つ自身の頬を叩くと体に力を込め直した。

 

「『炎打』」

 

この街の1人の探索者として。

そして何より、これ以上マドカに余計な負担を掛けない為にも。

 




奇怪なモンスター達……エリーナやラフォーレすら見たことのない奇妙なモンスター達。一体一体は初心者探索者であっても対処が可能なほどに弱い生物であるが、とにかく生理的に受け付けられない姿をしている。まるで人間を粘土のように捏ねて昆虫型にしたような姿をしており、体内にも通常の人間の臓物や血液などが入っている。心臓を破壊することで人間と同様に機能が停止し、人間に効く毒であれば通用する。攻撃手段はあらぬところに付いている口による噛み付きや、体当たり、引っ掻きなどが中心。とにかく数が多く、こちらを精神的にも物理的にも摩耗させに来る。


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25.畏怖の象徴

マドカがワイアームと戦っている姿。

それは今もリゼの脳裏に焼き付いている。

 

炎を纏った大銃を手に、リゼは屋根の上に飛び乗った。

ユイはエルザ達の守護をする、エルザもリゼに積極的に援護をするつもりはない。だがそれでいい、そうしていて欲しい。今はただ見ていて欲しい。

 

『ケコココカケケッ』

 

「……さあ、行こうか」

 

『カキッ!?』

 

目の前のモンスターを相手に全速力の踏み込みで近付き、その腹部に向けて炎打を打ち込む。その威力と小爆発に内臓が破裂し、複数の骨がへし折れる音が響き渡る。一般人程度の耐久力しか持っていない彼等が、仮にも探索者であるリゼの打撃に耐え切れる筈がない。

そして直後、それを見て周囲に居た数多のモンスター達が羽音を立ててリゼに向けて飛び掛かった。総勢32、リゼはその場で軽く一回転しながらその全てを把握する。

 

(1番層が薄いのは……そこか)

 

「『回避』」

 

「あれは……!」

 

回避のスフィア、自身をその時の体勢その他に関係なく後方へ向けて吹き飛ばすスフィア。それは単に回避に使うだけではなく、敵との距離調整にも利用出来るとマドカは言った。

……しかし強化ワイアームと戦闘を行なっていたあの時、マドカはそれとは全く異なる使い方で"回避のスフィア"を利用していたのをリゼは知っている。あの高速戦闘の最中、そんな信じられない使い方を当然の様に何度も行使していた事をリゼは知っている。

 

「せぇぇえやぁあ!!!」

 

最も敵の数が薄い層。

そこに背を向けていたリゼはスフィアの力によって勢い良く吹き飛び、同時に振り向きながら炎打を思い切り叩き付けてモンスターの壁を突き破った。

バック効果が働く僅か寸前にその場で自身の身体を回転させ、吹き飛びと回転の相乗効果が乗った一撃を放つ"回避のスフィア"の攻撃的な使用法。恐らく本来ならば慣れが生じない限りその絶妙なタイミングが掴めず実現出来ない筈のそれも、リゼならば自身のスキルの効果である程度は測る事が出来た。

単にリゼが踏み込むよりも遥かに早い突進技、大銃により攻撃範囲の広さとスキルによる正確な攻撃とカウンターを実現できるリゼならば、その程度の層は簡単に突破する事が出来る。そしてそれは自分が空想の中で思い描いていたよりもずっと上手くいった。

 

(だが、だがマドカはこれを自身の超高速戦闘中に使用していた。ギリギリの静止、急激な方向転換、そして文字通りの緊急回避、あれに比べればこんな物は初歩の初歩に過ぎない……!)

 

肉体がボロボロになる様なその使用方法は、どころか高速戦闘が出来る程の速度すら無いリゼには到底実現できないものだ。しかしスフィア一つにしてもいくつもの使い方があるという事を示されたそれを、リゼは決して無駄にはしない。スフィアの効果を有益とするか無益とするかは当人の考え方次第であるというマドカの教えを、リゼは決して無駄にはしない。

 

「『視覚強化』」

 

「っ、3つ目のスフィア……!」

 

リゼが弾いた右手が、3つのスフィアのうち中央に嵌め込まれていた透明な宝石を正確に叩く。それは強化種ワイアームと戦闘する前にマドカから貰い、エルザによって開けて貰った宝箱の中に入っていた高位のスフィア。

リゼとてこの数日間、本当に何もしていなかった訳では無かった。

3つのスフィアの使用は慣れなければ危険だとマドカからは聞かされていたが、それならば慣れれば良いのだと夜に部屋に戻ってから何度も何度も練習していた。そして今、『左右のスフィアは秘石の角を持ちながら起動させる』、『中央のスフィアはズボンの縫目に這わせて叩く』という自身で作ったルールを元に、十分に3つのスフィアを正確に叩く事が出来る様になっていた。今はまだ少しの辿々しさはあっても、僅か数日の練習で身に付けたにしては十分な出来となって彼女の中にそれは染み込んでいる。

 

(見えた……!)

 

自身のスキルとスフィアによって極限まで強化されたリゼの視覚。スローで見える世界の中、残り29のモンスター全ての位置を3次元的に把握し、高速化する思考によって自身が動くべき道筋を組み立てる。その道筋はまだまだ拙い物だろう、まだまだ素人レベルの酷い出来のものだ。……しかしそれでも、一体一体がまともな力を持たない敵だからこそ、今はただそれで殲滅させるに十分な物になる。

 

「はぁっ!!」

 

スフィアを叩いた手を戻し、再びLv.10にしては高いSTR(筋力)に任せて両手でしっかり大銃を握り締める。

リゼはマドカの様に凄まじい速度で動く事は出来ない。それは単純にSPD(素早さ)が足りないだけではなく、自身の体重の他に大銃の重量も背負っているのが大きいだろう。だが自分の移動速度と武器を振り下ろす速度の話は全くの別物。凄まじい重量とリゼの剛腕によって振われたそれは、目の無い怪物達が簡単に反応出来る様なものでは到底無かった。

 

『カキケケケケケケケケケッ!?!?』

『ケキキキコココッココッコッ!?!?』

 

「邪魔だ!!」

 

その一振りで2匹3匹のモンスターの頭部(と思わしき形の部位)を吹き飛ばす。組み立てが浅くタイミングがズレた敵に対しても、強引に身体を捻り腹筋から背筋まで全ての筋肉を使い、強引に大銃を引き寄せて叩きつける。踏み込んだ屋根瓦が割れ、振り下ろした大銃が風圧で敵の勢いを押し留め、思い切り攻撃をぶっ放したその瞬間にそこに明確に足跡が残ってしまう程には、リゼは全身の力を振り絞っていた。

 

ユイからして見れば、無駄が多かった。

 

エルザからして見れば、荒削りが過ぎた。

 

ラフォーレからして見れば、至極無様だった。

 

この程度の雑魚の大群を相手にこうも必死になっているリゼの姿は、見る人が見れば呆れてしまうかもしれない。リゼ自身も少しはそう自覚している。

……けれど、もし彼女が今この場でその姿を見ていたら。そうしたらきっと、『かっこいいですよ、リゼさん』なんて、心の底からそう思いながら言葉を伝えてくれるに違いないから。それだけはなんとなく確信出来たから。だからリゼはこの一瞬に全てを掛けて、走り抜けた。

 

「はぁ、はぁ……33体、討伐……!」

 

炎打の効果が切れる。

目の酷使によって軽い頭痛が始まる。

しかし最初に居た全てのモンスターを倒しても、周囲にはまだまだモンスター達は集まってくる。

それなのに頭痛を堪えて立ち上がったリゼの近くにはモンスター達は殆ど近寄らなくて、それ等は何故かその場で停止してジッと何かを待っている様に動きを止めていた。あまりに奇妙な静寂だけをその場に齎して、リゼが唯一近くに居た一体を吹き飛ばしてみても、彼等は全く動かなくなる。

 

「な、なんだ?」

 

「……リゼ、一回戻って来なさい」

 

「だ、だがまだ……」

 

「もう十分よ、貴女が頑張っていた事はしっかりとマドカに伝えておいてあげる。貴女の活躍もね。今はそれより…………全ての個体の動きが停止した、それはつまり」

 

「……あれか」

 

街の壁の向こうで、海面が勢い良く吹き上がる。

それと同時に他の全ての個体がその水飛沫の方へと向けて一斉に走り始める。立ち上った水柱は2つ、生まれ出た巨大な図体は2本足に2本の腕。その体長だけでも5m近くあろうかという程だと言うのに、それ程の巨体が屋根に着地しても家は潰れる事なく瓦が大きく崩れただけに止まった。

身体の作りは他と同じように人体の様々なパーツを繋ぎ合わせたような歪な姿をしているのに、そうして作り上げた存在は間違いようもなく人型であるという皮肉。2本足と2本の腕は明確にあるにも関わらず、獣のように四つ足歩行をし、やはり瞳だけは頭部には無くとも、頭の大きさに全く比例していない巨大な口を持つ異形の怪物。

あれが何かしら特別な個体であり、敵側の戦闘用の切り札である事はリゼですら容易に想像できた。なぜ今このタイミングなのか、どうして今このラフォーレという最大戦力がスフィアを取り替え終えた絶好のタイミングで出して来たのか。それだけはリゼには分からなかったが、しかし変化はそれだけに止まらない。

 

「巨人、なのか……?」

 

「あれを人と呼びたくはないがな」

 

ラフォーレが憎々しげにそれに目を向ける。

二体の巨人に群がる虫型の生物達。

そしてその虫達は"ぐじゅるぐじゅる"とでも表現すればいいのか、血と肉と臓物ごと溶解し、無理矢理に接合している様な音を立てて巨人に溶け込んでいく。それに対して巨人達が示すのは奇声だ。悲鳴の様にも聞こえるかもしれない。見るからに苦しんでいるかの様に身体を捻りながらも、その虫達に貪られているかと見間違う程の悍しい有り様を呈していた。体液や液体となった肉までもが地面に滴り落ちながら、異臭を放って姿を変えていく。

最初からそうだ。

存在から行動まで、彼等のその何もかもが人間である自分達の潜在的な恐怖だったり嫌悪だったりを刺激してくる。人間という存在そのものを否定しているかの様な、そうでなくとも馬鹿にしている様な、そんな存在にしか見えない。ラフォーレですら不快に感じ、出来るのならば近付きたくすら無い様子を見せているのだから、それは相当なものだ。

 

「っ。なんでしょうか、あれ……」

 

次第に身体を膨らませ、肉体を脈動させ、更にその大きさを増していく巨人達。いつの間にか彼等の背中には蜻蛉の様な4枚の羽が出現していた。そして肉体を覆う虫達の肉体の残骸。完全に同化した訳ではなく、所々に虫の形をした突起や、フラフラと力無く垂れ下がっている手足、ピクピクと今も動いている頭部、そして中途半端に張り付いている羽等が付着しているのもまた気味が悪かった。なるべくならば見たくない、こんな物がこの世に存在しているという事すらも否定したい。

……そうして4人が顔を顰めながらその変化を見届けていたその時、それは起きた。

 

【キィィィイイイイイイイイィィィイイッッッツ!!!!!!!!!!!!!!!】

 

「「「っ!!!」」」

 

それの発した街全体に広がる様な雄叫びは、3人の精神を直接揺さぶる様なあまりに奇怪な感覚を齎す。耳から入り、頭をぐちゃぐちゃに掻き回し、そのままその音が体内を駆け巡りながら臓物の様なドス黒い毒を全身に吐き出し回る様な悍しいイメージ。精神の壁を壊し、人の弱さを丸裸にし、周囲に対する恐怖を、目の前の巨人に対する恐怖を、吐き気を、嫌悪感を、欠片も軽減させる事なく突き付けられる。

 

最初に自分を取り戻したのは、一瞬で八つ当たり気味に近くの家屋を殴り崩す事で強大なストレスを自己防衛的に発散したラフォーレだった。

そして不味いと思ったその瞬間に唇を思い切り噛み、強引に自分の精神を引き戻したユイもまた、何とか自身の意識をそのままに頭を振るう。

しかし他の2人はそうも行かなかったらしく、エルザは貼っていたバリアを消失させ、その場に身体を震わせて座り込んでしまった。リゼもまたエルザの直ぐ側で尻餅をついてカチカチと歯を鳴らしていた。彼等2人はそれを防ぐ事も出来ず、明確に精神にダメージを受けてしまったのだ。

ユイは未だに生じている頭痛を振り払って2人に駆け寄り、ラフォーレは忌々しげな目をして巨人達を睨み付ける。

 

「精神汚染……!やってくれたなゴミ屑がァアッ!!」

 

「エルザ様!リゼさん!……っ、これを飲んで下さい!ラフォーレさんも!」

 

「寄越せ!」

 

ユイが取り出したのは、精神改善の効果を齎す彼女が作成した特製のポーションである。

精神汚染の効果はその対象の精神をどれほど侵食してくるのかが分からない。その効果を発揮するモンスターや龍種が殆ど居ない事もあり、未だに研究の足りていない分野の話だ。その恐ろしさを知っているからこそ、ラフォーレも素直にユイの差し出したポーションを直ぐ様に口にし、ユイもエルザとリゼの口に多少強引にでもポーションを流し込む。

恐らく今回の精神汚染効果はPOW(精神力)の値によって弾く事が出来る類の物だと考えられる。ラフォーレが一瞬で弾く事が出来たのがその証左だ。しかしユイとエルザの精神力にそう大きな差が無い事を考えるに、やはり人によって差はあるらしい。ユイの判断が早く的確であったのも大きかった。

ポーションを口にして震えが弱まり始めた2人を介抱しながら、ユイはラフォーレと同様に巨人達に目を向ける。

 

「……能力が精神汚染だけ、とは考えられません」

 

「……あの羽根は魔力を発しているな」

 

「魔力をですか?」

 

「恐らくアレは飛行能力を得る為の物では無い。振動によって魔力を特殊な音波として撒き散らし、周囲の魔力の動きを阻害している」

 

「なるほど、魔法の軽減効果という訳ですか……」

 

「加えて肉体もまた面倒だ。核となる本体は元の大きさのまま、その表皮はいくら削った所で他の屑共が補うという仕組みだろう。……スフィアを変えたのは失敗だったか」

 

エルザとリゼが立ち直るにはもう少し時間がかかる。しかし巨人達は今正に身体を動かし始め、当初より5倍近く大きさを増したその巨体で4人の方へと歩き始めていた。その狙いがこちらに向いているであろう事は、その怪物に眼が存在しなくとも当然に分かる。

 

「……ラフォーレさんなら、倒せますか?」

 

「当然だ。……と言いたい所だが、これ程の規模の魔力妨害を2体分も相手にするのは無理がある。炎弾に変えたとしても街の大半と引換だな」

 

「私も有効打となる様な攻撃はありません、エルザ様も魔法が中心となる以上は同じでしょう。となると……」

 

「唯一上手く働きそうなのは、こいつの大銃だけという事か」

 

表皮を削らなければ本体には辿り着けない。魔法によって焼き払おうにも2体分の魔力妨害は尋常ではなく、何より炎弾のスフィアでなければラフォーレは本来の威力を発揮出来ないスキル事情がある。

今この場で誰よりも貫通属性のある強力な物理攻撃を持っているのはリゼだけだ。正しくはリゼの大銃だけという事になるのだが、そもそもその大銃を扱えるのはリゼだけ。素人からして見ればその大銃はどうすれば弾を撃つ事が出来るのかすら分からない。

立ち直って貰うしかないのだ、あれに勝つには。

 

「……ユイ・リゼルタ。貴様はさっさとそこの屑を起こせ、後は任せる」

 

「ラフォーレさんはどうなさるのですか……?」

 

「5分時間を稼いでやる、その間にそれを起こして片方を始末しろ。片方の魔力妨害さえ無くなれば容易く殺せる。もし起きなければ街とそこの愚図ごと全て焼き払う、いいな?」

 

「……分かりました、必ず成し遂げてみせます」

 

「……お前は好ましいな。マドカと似て、懸命だ」

 

その言葉を残してラフォーレは再びスフィアを3つ赤色の物に変えて走り出した。

魔法使いであるのに、魔法が使えなくなった。SPDもVITもそれほど高いという訳ではない。決して時間稼ぎに向いているステータスやスキルを持っている訳でも無い。だがそれでも彼女は時間稼ぎを買って出た。屋根の上を走りながら、拾った瓦を巨人の顔面に向けて投げ付ける。虫型のモンスターも少しずつ壁の外からまた這い上がって来始めた。巨人は動きは遅くとも身体が大きく、それ等全てを相手に5分間逃げ回るというのはやはり現実的な話ではない。

 

「ハッ、図体ばかりデカくともやはり頭の中はゴミ屑か!」

 

……それでも、それを現実にしてしまうのが上級探索者と言うもの。

少しずつ数を増している虫型を殴り飛ばし、家屋や巨人の人型という構造の穴を突き逃げ道を確保し、その巨大な碗部による薙ぎ払いを大杖を利用した大跳躍で見事に躱す。

こんなもの、百戦錬磨の彼女からしてみれば30階層付近の階層主の攻撃の方がまだ骨があるという評価でしかない。そうでなくともこんな障害物ばかりの場所、そして知り尽くした地形、彼女からしてみれば時間稼ぎ出来ない方がおかしいという話だった。

 

ラフォーレ・アナスタシアは細かい作業や巧みな作戦立て、そして騙し合いや化かし合いが嫌いだ。しかしそれは単に彼女が嫌っているというだけの話であり、決して出来ないという訳ではないし……そもそも、別に苦手という訳でも無かった。




スフィアの押し間違い……初心者探索者から上級探索者まで決して逃げることの出来ない致命的なミス。初心者探索者がスフィアの押し間違いをするように、上級探索者は扱うスフィアの数が増えることによる勘違いでの押し間違いが多い。特にスフィアはその見た目からでは属性と星の数程度の違いしかなく、管理が非常に難しい。中級探索者以上となると戦闘中にスフィアの交換を求められるが、状況に応じたスフィアと3つの組み合わせを判断し、それをミスすることなく的確に交換するというのは、簡単に身に付けられる技術ではない。多くの探索者は鞄にスフィア用のスペースを作り、そこにスフィア名を書いたシールを貼って保管しているが、それでもスフィアの押し間違いによる死者は定期的に報告されている。


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26.狂気の作品

ラフォーレが時間を稼ぎに走り待っている頃、最初に精神汚染から立ち直ったのはやはりエルザの方だった。身体の震えも収まり、意識も明確になり、未だに顔を青くして2体の巨人から目を背けながらも、彼女はユイに寄り掛かりながら思考を巡らせる。全ては感情と精神状態を状況と理屈で強引に捩じ伏せ、精神汚染の効果から少しでも早く解放されるため。エルザはそれが出来る人間だ。

 

「ゆい……」

 

「エルザ様、もう大丈夫なのですか?」

 

「……ラフォーレに、あんな大口叩いたのに……いつまでもこんなじゃ、格好、付かないでしょう?」

 

「心配しなくとも、リゼさんもまだ起きられる状態ではありませんよ」

 

「だからこそ、よ。この子が起きた時に、こんな姿、見せたくないもの……ふぅ」

 

震える足で無理矢理に立ち上がる。

未だ精神汚染の効果は解けていない。

けれど少しくらい見栄を張れる程度には回復した、エルザにとっては今はもうそれだけでいい。リゼを起こす事が出来て、起こす為の頭が回って、起こした時にいつも通りの顔を取り繕えるのなら。それ以上の事は別に必要無い。

 

「リゼを、起こす必要があるんでしょう?ユイ、今のリゼに必要な物はなに?」

 

「……強いていうのであれば、精神的な柱か刺激でしょうか。このまま放っておいても何れは起きますが、それをより早めるとするならば、自身の精神を保ったままで縋り付ける何かか、泥水に浸った心を跳ね上がらせる様な刺激が必要です」

 

「……殴っても意味無いのよね?」

 

「そういった物理的な刺激では意味が無いかと、痛覚すら鈍くなっている筈ですから。とは言っても各種感覚器官や、そもそもの思考の動きも阻害されています。それすら乗り越えて精神に影響出来る様な何かが無ければ……」

 

そうは言っても、リゼの心にそこまで影響を与える様な物まで2人は知らない。そもそもまだ、リゼの好きな食べ物とか趣味とか、そういった所まで踏み込んでいない間柄でしかないのだ。リゼの心を動かす物と言われても返答に困るのが現状だ。もし強いて言うのであれば……

 

「……ユイ、ラフォーレと同じことをしろって言われたら出来るかしら?」

 

「それは……私では難しいです。純粋な戦闘経験が違います、地形に関する知識も不足しています。間違いなく失敗すると言いきれるくらいには」

 

「そう、それなら仕方ないわ。恐らく周辺の探索者達も精神汚染の効果で気を失っている筈よね、ギルド長はどうかしら?」

 

「ギルド本部はここからかなり距離が離れていますから、ある程度のPOW(精神力)か何かしらの対策が施されていれば問題はないかと思われます」

 

「よし、それなら今直ぐにギルド長を含めた使えそうな職員を引っ張って来なさい。その後はラフォーレと一緒にここに戻って来ること。出来るわね?」

 

「承知しました、行って参ります」

 

正直に言えばユイはエルザが何を企んでいるのかは分からない。しかし彼女の考えではラフォーレには時間稼ぎよりも別にすべき事があるという。その為ならば多少街の守りを緩めてもギルド長を引っ張って来なければならない。

……いや、実質的には街の守りは既に殆ど崩壊していると言ってもいい。あの精神汚染効果のある叫び声によって周囲の大半の探索者は意識を失い、虫型のモンスター達もそれ等を全く無視して巨人達の周囲を徘徊している。もう探し物はどうでもいいのか、それとも何より目の前のラフォーレという存在を早くに処理しておきたいのか。

そんな思考すらも今は放り出してユイはとにかくエルザに言われるがままに走る。彼がエルザの言葉を絶対に疑う事など無いのでだから。それがもし間違っていたとしても、ユイはエルザと共に心中出来る。勿論、明らかに間違っていたならば命を賭けてでも引き戻すのも従者の役目ではあるが。

 

「エリーナさん」

 

「ユイ!無事だったか!他の奴等は!?」

 

「今はエルザ様がリゼさんを看て下さっています。ラフォーレさんは時間稼ぎを、他の方々は恐らく精神汚染に……」

 

「チッ、やはりか!厄介なバケモノを呼び出してくれたな!」

 

そして存外、ユイがエリーナを発見するまでにかかった時間はそう多くは無かった。

エリーナと2人のギルド職員。

ギルド長の秘書である寡黙なドワーフの男性エルキッド・レディアンと、リゼがよく世話になっていた鑑定士の猫獣人のヒルコ・ターレンタルを引き連れて、エリーナも丁度戦場に向けて走って来ていたのだった。

大剣を背負ったエリーナに、基本素手の戦闘を好むエルキッド、そして魔法使いのヒルコ。彼等の練度はギルド職員の中でもトップクラス。彼等3人が出張って来たと言うよりは、この状況でも精神汚染に対抗して動ける様な人間が彼等くらいしか居なかったと言う方が正しいのかもしれない。

 

「な〜んか、あんま面白くなさそうな相手っすよね。全体的に」

 

「?どういうことでしょう、ヒルコさん」

 

「手札は奇妙なのに、その切り方が全くもって面白味がないって事っすよ。素人ってよりは常識人的というか、ある程度手札が割れて来ればこれまでの行動の辻褄合わせが簡単過ぎる」

 

「それはつまり、手札を用意した人間とそれを行使している人間。それが別物である可能性が高いという事か?」

 

「それは明らかだと思うっすよ。その手札が龍神教なら誰でも使える様な存在で無いことは祈りたいとこっすけど」

 

「敵は龍神教で確定なんですね、その口振りでは……」

 

「十中八九な。……それで、私達はどうすればいい?どうせエルザから指示を出されて動ける人間を探していたんだろう?動きも当然受け取っているな?」

 

「はい、今からお伝えします」

 

ユイは3人にエルザからの指示を伝える。

秘書のエルキッドも最初から一度も言葉を発してはいないが、彼は投げ掛けられた言葉に対しては必ず頷きを返す。エリーナがギルド長を続けていられるのも彼のおかげであるというくらいにはコミュニケーション能力以外は超一流の男である。果たして状況説明とエルザの言葉を伝えただけでどこまで理解したのかは分からないが、少なくとも困惑しているエリーナとヒルコとは違い、彼だけはその判断に納得して拳と首を回し始めた。他のドワーフ族とは違い比較的細めの肉体をしている彼も、その筋肉量は凄まじい。そして普段から掛けているサングラスと少し色黒の肌は、そうして敵に向かって立っているだけでも不思議なカリスマの様なものを感じさせる。

 

「……なるほど、まあいい。エルザが指示を出し、エルキッドが納得しているのならばそれは正しい判断なのだろう。分かった、私達はラフォーレの代わりに時間稼ぎに入る」

 

「お願いします、私はまたエルザ様の元に戻りますので」

 

「は〜ぁ、早くリゼさん起こして下さいっすよ。あの人の大銃の威力を間近で観れるくらいの報酬が無きゃ、こんなんやってらんないんすから」

 

「ええ、それは必ず」

 

そうしてヒルコはその場で『筋力上昇のスフィア』をエリーナに使用する。非常に珍しい無属性☆3のスフィアだ。

そして今度はエリーナが自身に『筋力上昇のスフィア』を使用する。こちらは無属性☆2のスフィアだ。

☆3のスフィアが杖という縛りがある代わりに他者にも付与出来るのならば、☆2のスフィアは武器の縛りが無いが自分にしか付与する事が出来ない。上昇度合いは同じであるが、継続時間も☆3の方が長かったりする。つまり現状のエリーナは元のステータスから2段階+2段階=4段階上昇しているという事になるが、こんな場所でそんな事をして一体どうすると言うのか。

そんな疑問はエルキッドがエリーナの大剣の上に乗り蹲み込んだ瞬間に氷解する事となった。

 

「エルキッド!先に行ってラフォーレを逃してこい!『エルザが呼んでいる』と言えば十分だ!それくらい言えよ!!」

 

「了解」

 

「せぇぇぇえええのっ!!!」

 

エリーナが凄まじい勢いでエルキッドを射出する。

元々筋力特化のステータスを持ったエリーナが更に筋力上昇を受け、そこに高速戦闘を得意とするエルキッドが合わさった事で可能になる吹き飛ばし移動。彼が思惑通りの場所に飛んで行った事を確認すると、エリーナもヒルコも慣れた様に追って走り出すのだからユイも流石に困惑した。

それでもなんとかエルザの方に報告の為に身体を動かし始めただけユイも偉いだろう。

実は割りかし付き合いの長い3人のギルド職員達は、確かに高位の探索者達には敵わないが、それでもやはり十分な力と経験を保持していた。スフィアの理解と解釈が実力を左右すると言ってもいい現代の戦闘、しかし実際にはスフィアだけではなくステータスに関する理解も大きくパフォーマンスに直結して来るという事を忘れてはならない。

 

 

 

……さて、諸々の流れはあったものの、問題なのはリゼを起こす方法である。

現在リゼの精神状態は非常によろしくない物になっており、具体的には感情の動きが鈍くなっていると言うよりは、泥水の中に浸ってピクリとも動いていない状態である。加えてエルザはそれでも微かに自分で起き上がろうとする意思自体はあったのだが、周囲の環境や動向に精神状態が流されやすい傾向のあるリゼではそう上手くも行かない。ラフォーレにボコボコにされて罵倒されれば『その通りだ』とそれはもう大いに凹み、一方で直後にマドカから励ましの手紙を受けただけで晴れ晴れ元気になる彼女。勿論今はその泥水の中でされるがままに呆然と浮かんでいるだけであり、周囲からの声など殆ど聴こえて居らず、言ってしまえばユイのポーションを摂取したにも関わらず、それでもポーションを飲んでいない一般人並みの影響という状態であった。

元々POW(精神力)が低い上に精神的にも未熟というのもあるのだが、今回付与された精神汚染というのがあまりにも彼女の精神とマッチし過ぎている。きっと普段の彼女にその解決方法を聞いてみても、自分自身ですらそれを思い付く事は難しいだろう。もしこの街に来る前の彼女がユイのポーション無しに同じ攻撃を受けてしまっていたら、生涯その状態になってしまっていたと言ってもいい。

 

「そうそう、ユイはそうやってリゼを後ろから抱き締めていなさい。ラフォーレはこっち、リゼの事をマドカを見ている様な気持ちで見なさい?」

 

「無理に決まっているだろ、こんなゴミを」

 

「貴方が出来ないと困るのだけど、マドカが」

 

「くっ……」

 

「目を瞑っていてもいいから、取り敢えず笑ってなさい。あとはこれも着て、その辺の民家から持って来た奴だけれど」

 

「殺す……!私にここまでさせておいて何の成果も上げられなければ、この場に居る人間全員を絶対に殺す……!」

 

「平気平気、私を信じなさいってば?それで私がこうしてラフォーレの後ろ側に回って……」

 

目を開けたままボンヤリと虚空を見つめて動かないリゼの前で、エルザが中心となって好き勝手に場を構築していく。なるべく被害を抑えて巨人を倒し、マドカに余計な負担を掛けないため、ラフォーレすらもそれに従い強烈な殺気を放ちながらも動いていた。

少し離れた場所でギルド職員の3人がなんとか時間を稼いでいるが、それもいつまで続けられるか分からない。ラフォーレが時間を稼いでいた時よりも虫型のモンスターの数も増えて来ており、巨人の動きも身体に慣れて来たのかスムーズになっている様な気すらした。巨人を一体でも倒せれば間違いなく事態は好転する。その為には絶対にリゼの力が必要なのだ。ここまで彼等が動くのも、リゼ以外に事態を好転させられる人間がここに居ないからこそ。

 

「……よし、準備はいいわね?ラフォーレ、少し殺気を抑えなさい、少しの間でいいから」

 

「チィッ!!」

 

「ユイ、もう少しリゼを深めに抱き寄せなさい。今だけは許すから」

 

「は、はい……」

 

「さて……あー、あー、あー……これくらいかしら」

 

リゼを背後から抱き締めるユイ、リゼの目の前で白い上着を羽織って血管がブチギレそうになりながらもニコニコと笑みを浮かべているラフォーレ、そしてそんなラフォーレの後ろで声を整えるエルザ。これこそがエルザの考えた、リゼを起き上がらせるのに必要な布陣であった。

 

 

 

 

 

『リゼさん、大好きですよ……♪』

 

 

 

 

 

「ぶはっ!?マ、ママ、マドカ!?そ、そそそそそんないきなりなななななにを!?!?!?」

 

 

「「「……………」」」

 

 

「…………え?」

 

視線は冷たい。

流れる空気も肌寒い。

エルザだって予想していた、これが最も効果のある手段であると。しかし予想すらしていなかった、まさかここまで簡単に飛び起きてくるとは。

 

五感が弱くなり、視界すらも朧げな彼女にならば目の前の灰髪のラフォーレもマドカに見間違えるかもしれない。胸の乏しいマドカ、代わりに(男性であり当然胸などないが詰物はしている)ユイに抱き締めさせていれば感じ間違えるかもしれない。元々声真似が得意なエルザ、少し粗はあっても本当にマドカの声と聞き間違えてくれるかもしれない。悉く感覚が麻痺しているからこそ効果が出ると踏んで練った作戦。

とは言え、それでも暫くは呼びかけ続ける必要はあるのだろうな……とエルザは予想していた。それをたった一言、たった一言で飛び起きるのだからもう本当に呆れてしまう。呆れてしまうし、驚いてもしまう。まさかこの女は出会って数日しか経っていないマドカに対して、ここまで心酔していたのかと。『大好き』と言われただけで精神汚染すら跳ね除けてここまで焦り出すものなのかと。思春期の男児であってももう少し違うだろう。彼女がマドカに抱いている好意の幅が少しばかり心配になってしまうくらいには、簡単過ぎた。

 

「あ、あれ……?ラ、ラフォーレ・アナスタシア!?そ、そそそそれにユイも!この状況は一体……ぶふっ!?」

 

「待ちなさいラフォーレ」

 

「離せ、マドカの為にもこいつは早急に殺しておかなければならない……」

 

「そこは、うん、私達がちゃんと見張っているから。とにかく今は止めて頂戴、お願いだから、本当に」

 

頬をぶっ叩かれて目を白黒とさせながら困惑しているリゼを他所に、エルザはなんとかラフォーレを食い止める。ギルド長達も最早限界なのだ、遊んでいられる暇もそれほどない。

 

「ええと、リゼさん?今その大銃を撃つ事は可能ですか?」

 

「こ、これをかい?それはまあ、可能だけれど……ってうわ!?なんだあの巨人!?」

 

「記憶がぶっ飛んでるわね……リゼ、貴方があの巨人を倒すのよ」

 

「わ、私が!?」

 

「魔法が通用しないのよ、そして物理攻撃で腹部にあると思われる核まで攻撃を通すにも難しい。貴方の大銃ならそれが出来るでしょう?片方さえ倒せば魔法への干渉力も弱まる筈、そうなればラフォーレでも倒せる様になる」

 

「リゼさんだけが頼りなのです、お願いします」

 

「わ、私が……そんな……」

 

周りの者達に言われるがままに巨人の方へと目を向けると、途端に動悸が激しくなる。精神汚染の効果が今もまだリゼの中に残っているのだ、それはこの場に居るラフォーレを含めた探索者達だって変わらない。今もあの怪物の精神汚染の効果は続いている。

 

「や、やれと言うのならやるが……本当に私で……ぶはっ!?」

 

「世迷言はいい、やれ。嫌だと言うのであれば首を頷かせるまで殴り続ける。ここで私に殺されるか、あれを殺してその後に私に殺されるか、選べ」

 

「どちらにしても私は殺されるのか!?」

 

「いいからやれ」

 

「わ、分かった!分かったから……!」

 

言われるがままに大銃を片手にリゼは準備を始める。背後から掛けられるラフォーレの圧、そして何となく冷たい周囲の空気。それに気を取られながらも準備をしているリゼの様子はエルザからして見れば至極頼りないものに見えたが、逆にラフォーレが居てくれたからこそ話が早く進んだと言う事もあって何も言わない。言ってしまえば期待しているのはリゼではなく、リゼの持つ大銃の方なのだから。最悪本人から使い方を教わり、ラフォーレかユイが直接至近距離からぶっ放してもいい。残酷な話ではあるが、エルザはそう思ってすら居た。

……少なくとも、リゼが大銃で敵を狙い始める、その瞬間までは。

 

 

 

―――ッ

 

 

 

「っ」

 

「……ほう」

 

「……そう。探索者としては素人でも、狙撃手としては一流という事ね」

 

さっきまで漂っていた少し締まりのない冷えた空気が、一瞬にして単なる無に塗り替えられる。

見ずとも分かる桁違いの集中力。

困惑した雰囲気や乱れた感情、それまで感じていたはずの恐怖心から何もかもが一切合切に消失し、あれだけ未熟であった女の姿が突然この場から消えてしまった様にすら感じられた。感情の制御が下手で、他人の行動に流され易く、世間知らずで何もかもが足りていない様なリゼ・フォルテシアという弱い女。

しかし目の前で大銃を構えて巨人に狙いを定めている人間がそんな未熟な女と同一人物であると、果たして誰が信じるだろうか。

 

殺気の一つも感じない。

感情の動き一つも感知出来ない。

生物が目の前で突然無機物に変わったとでも言うべきか。

動きは全て必要最低限。

自身の呼吸すら殆ど殺している。

音の一つすら殆ど聞こえず、自身の中にある全ての情動を完璧に封じ込め、ただ取り出して装着したスコープに映るそれに弾丸を当てる事に全身全霊を注いでいる。

 

ユイは考える。

もし彼女に狙われた時、果たして自分はエルザを守り抜く事が出来るだろうかと。

 

ラフォーレは思考する。

もし彼女をダンジョンという狭い空間ではなく、地上での、それこそ龍の飛翔に連れて行った場合、一体どれほどの戦力になるのかと。

 

エルザはただ見直す。

彼女がただ未熟なだけの少女ではないという事を。そして恐らくこれを知っていたマドカが常々言っていた、リゼ・フォルテシアの高い評価についてを。

 

「全員耳を閉じて欲しい」

 

リゼが発した言葉はただそれ一つだった。

自身も耳に詰め物をし、持ち手に肘を回して膝と崩れ落ちた家屋の壁を利用して大銃を固定し、顎を乗せてスコープを覗き込んだ姿勢そのままに狙いを定め終えた彼女。スキルを使用した眼による補正を終え、エルザが言っていた巨人の中央を寸分違わずに撃ち抜く為の全ての軌道予測を終える。

それは先程の近接戦闘時に描いた未熟な線とは違う。それよりもより鮮明で、確実で、何より熟練した経験に基づく確固たる形を持った光の軌跡。

 

 

 

―――――――――ッ!!!!!!

 

 

 

それは最早熱量の無い爆発と言っても過言では無かった。

至近距離で扱う際には威力を最小限にしたモードで扱っていたそれを、今リゼは最大の威力で撃ち放つ。生じた衝撃波と風圧は近くに居たエルザを背後の壁に向けて突き放し、言われて指で閉じていた筈の3人の鼓膜どころか、内臓すら揺さぶりながら付近の廃屋を崩し落とす。

耳栓をしていたにも関わらず鼓膜にダメージが入ったことで片耳の聴覚を一時的に失い、支えていた肉体や腕が耐え切れず麻痺を起こし、大銃を落とすと共にダラリと両腕を垂らす。それでもリゼは最後の瞬間まで弾丸の行方を目で追っていた。自身が描いた軌跡通りに寸分違わず飛んでいくそれが、強化した視覚でも朧げにしか見えないそれが、確かに狙い通りに巨人の腹部を打ち貫き、その肉体には小さくとも、元の弾丸よりも遥かに大きな空穴を穿つその瞬間まで。

 

『カッ―――キキ、カ……ケ、クター、カカ……』

 

何かが破壊された。

 

何かが撃ち抜かれた。

 

震え、呟き、そして消える。

 

巨人が倒れる。

 

そしてその後は、もう2度と動く事は無かった。

 

リゼ・フォルテシアは間違いなく、核となる肉体部分を、あまりに正確に撃ち抜いていた。

その姿を見て、意識を朦朧とさせられていたエルザは、自分がとんだ思い違いをしていたのだと気が付かされた。何が大銃の使い方さえ分かればいい、最悪リゼは必要ない、だ。あんな馬鹿げた銃をここまで精密に扱える人間が他にいてたまるものか。あの大銃を最高威力で狙撃に扱える人間など、世界中を探しても確実にこの女以外に存在しない。それどころか、半端な人間が至近距離で取り敢えずぶっ放そうとすれば、間違いなく自分の肉体が破損する。

豊満な胸、普通より大きな背丈と十分なVIT(耐久力)、そして強い反動のある狙撃銃を撃ち慣れている経験と、銃に関する豊富な知識と習熟……

 

「『マーキュリー・イェーガー』」

 

それは正しくリゼの為に造られた物だった。

リゼが使う為に何もかもが詰め込まれた、あまりにも彼女の事しか考えていない傑作。その作品に秘められた狂気という何かに、エルザが恐怖すら抱いたという事実は、簡単に彼女に伝えられる事ではない。




精神汚染……強力なモンスターや龍種が扱うものであり、主に対象の精神に対して影響を与える攻撃のことを指す。咆哮による恐怖心の付与や、魔法による精神操作などが代表的であり、扱う敵が少ないことから未だに研究不足な分野になる。全く対抗策を持っていない場合、その一撃でパーティが丸ごと全滅してしまう可能性もあるため、上位の探索者は何かしらの手段を用意している。特に簡単であるのがユイやラフォーレが取った自傷という手段であり、2人はこれが精神汚染であると判断した瞬間にそれを成した。POW(精神力)のステータスが対抗に関係している。


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27.襲撃の結末

 

「……正に人智を超えた力、だな」

 

ラフォーレは呟く。

この世界、機械というものはそう発展してはいない。精々時計だったり、猟銃だったり、魔力を一切使わずに作る物などその程度だ。それすら過去に天才的なドワーフ達が作り上げた遺産でしか無く、一見便利な機械に見えたとしても、実際にはそれは内部に魔力回路が埋め込まれて実現している魔道具である。そもそも機械技術だけで作るよりも、魔力回路を詰め込んだ方がよっぽど多くのことが出来て自由度も高いのだから、そもそも不要。機械技術だけの代物など芸術作品の1つ程度の扱いでしかないのも、まあ仕方のないことだ。そしてリゼが背負っている大銃もまた、魔道具の一つであるのは間違いない。

 

「……それでも、根本的な部分に魔力回路は使われていない。精々は反動の軽減と熱の排出、内部の清掃、維持。主となる要素には全く魔力が介在していない。完全な技術だけによる代物」

 

魔法兵器と呼ばれる物は存在する、中には多くの魔力を集めて使用する威力の高い物だってある。しかしラフォーレが知っているその魔法兵器の何よりも、リゼの持っていた大銃は1発の威力だけならば優れている。単なる機械的な技術だけでそれを実現している。今現在こうして自分達が扱っている人智の力が魔法による物だとすれば、これを人智を超えた力と表現したのは、決して間違った話では無いだろう。そして人智を超えた力を人智にまで引き摺り下ろした狂人が、この世界に居たという事もまた事実。

 

「見せつけられている様だな、魔法など無くとも人族は戦えるのだと」

 

知覚することすら出来ない一瞬の攻撃で地に倒れた巨人が、多くの家屋を潰しながらも息絶える様子を見ながら、ラフォーレはその力に関心を寄せる。そしてその力をほぼ完璧に、むしろ潜在以上に引き出した女の方にも、興味を抱く。

弱く未熟でありながら、愚かで無様な子供。

それがこれまでのラフォーレの彼女に対する評価だった。

しかしこの光景を見せられた今、いくつかそれを訂正しなければならない事もあるだろう。愚かで無様である事は今も間違いなく、修正される事のない残念な要素ではあるのだが、未熟である事もそうであるのだが、ただ弱いだけの人間では無さそうだと。何の可能性もないゴミクズではない、大層な使い道がある。そしてその使い道が1つ見つかったというだけで、これまでの評価も含めてひっくり返ることも当然にある。バカは素直だと、愚かは余地だと、未熟は可能性だと、そういった具合に。

 

「ラフォーレ、後は任せるわ」

 

「……言われなくとも、灰に変えてやる」

 

ユイに支えられながらも、今もまだ『2発目の狙撃を行うのならば!』という雰囲気で座っているリゼに一度だけ視線を向けるラフォーレ。それでもそれ以上に彼女が何か言葉を発する事はなく、ただ腰に付けた秘石とスフィアに右手を添えながら、悠然ともう一体の巨人の方へと歩き出す。

そんな彼女を見て逃げる様に退避を始めたエリーナ達は、もう必死である。必死になってリゼ達の元へ走ってきており、背後の巨人のことなど完全に無視だ。スフィアまで使って全速力で駆け抜けて来る。

……ラフォーレ・アナスタシアが本気の一片を出す。それだけで彼等が必死になって、その爆心地となる予定の場所から逃げ出すのは当たり前のこと。

本物の上位探索者の全力。

都市どころか、この世界全てにおいて比類する者が居ないほどに炎魔法に長けた女が魅せる、炎獄の極地。それを目に焼き付けるため、今も少し回りの悪い頭でリゼはラフォーレの後姿に目を向けた。マドカ・アナスタシアの母親、暴君とも評される暴力女、それでもなおと求められる都市に必要不可欠な女の力。

 

「……"灰被姫"、それがラフォーレの二つ名。リゼも知っているわよね?」

 

「あ、ああ。マドカの二つ名の元になったとも聞いているよ」

 

「マドカのこともあって、『彼女の髪の色からその二つ名が付けられた』みたいなことを、何も知らない人は言うかもしれない。……けどそれは違うわ。彼女は本当にそれだけの灰を被って来たからこそ、そう呼ばれているの」

 

「まぁ、それだけの灰を生み出す事が出来る、という解釈も正しいな」

 

「ギルド長……!」

 

「助かったリゼ、よくやったな」

 

ラフォーレと入れ替わりに戻ってきたエリーナが、肩で息をしながらも解説に加わる。

巨人が凄まじい勢いでこちらへ走り始める。

それはまるで相方を殺された事に対して本当に怒っているかの様。民家は悉くそれに潰され、街は大きく破壊されていく。見る人によればそれは絶望的な光景だろう。リゼとてその光景に体を震わせ、思わず銃を構えそうになったほどだ。

……だがしかし、リゼ以外の誰もがそんな顔はしていなかった。彼等は皆確信していたからだ。ラフォーレ・アナスタシアがここに居るのならば、これが自身の命を脅かす事など決して無いと。2体による妨害があるのであればまだしも、目の前のそれは所詮はラフォーレ・アナスタシアを脅かす者ではないと。"灰被姫"はこの程度の存在に屈するほど柔な女ではないと、そんな信頼と確信が。

 

 

「『大炎弾』」

 

 

ラフォーレが捻り曲がった黒の大杖を巨人に向け、腰の3つの紅のスフィアに指を当てる。

 

そしてただ一言、そう呟く。

 

生まれるはあまりに巨大な火球の群勢。

一つ一つがエルザの全力の火球よりも何倍も大きく、それが彼女が何度も何度もスフィアを指で叩く度に増えていく。……スフィアの再使用間隔時間が明らかにおかしい。☆2のスフィアは30秒の再使用間隔時間が存在し、炎弾のスフィアはその所持者の設定した火炎弾を最大3発まで射出するという物だ。しかし彼女がスフィアを叩く指は1つずつズラしているとは言え、待機させている炎弾の数は次々と増えていく。その極大の大きさの炎弾が、凄まじい数に増えていく。彼女は3つのスフィアを順に連続発動させており、彼女はそれ一つでリゼの身体よりも遥かに大きな火球を、何の躊躇もなく、絶え間無く巨人の身体へとまるで流星のように打つけ始めたのだ。逃げる場もないほど徹底的に、街や壁ごと焼き尽くす。そこに欠片の容赦や加減などは存在しない。街に対する配慮なども、当然にない。

 

『キッ、キギキッ!ガギクガゲゲガァァアッ!!!』

 

巨人の肉体を軽々と焼き抉っていく大火球群の爆発。最初に狙われた魔法を阻害する羽が耐え切れず焼き千切られた後は、もう一方的だった。抵抗する手段などどこにも無く、巨人は怯える子供のように身体を丸めて、頭を抱えて蹲るが、最早そんなことではどうにもならない。

あの大きな巨体が引きちぎられ、焼かれ、吹き飛ばされ、叫ぼうとも身を捻ろうとも、火炎の嵐に包まれていく。巨人が居た周辺は完全な火の海となり、虫型のモンスター達も同様にその破片火によって地に落とされて爆散する。巨人が逃げようとも、立てなくとも、動きを止めても、火球は何の容赦もなく降り注いだ。その肉片がただの一欠片も存在しなくなるまで、無慈悲に、徹底的に、その存在すら認めないとでも言うように、ただ只管に降り続ける。

 

「……灰被姫」

 

降り落ちる灰と火の粉。

真っ白に焦げ尽きた死体群。

夕暮れと火の海に照らされながらも振り向いた彼女には、確かにその言葉がよく似合うなとリゼは思った。

マドカと同じ青い瞳、そして整った相貌、それなのに何より火に似合う灰色の髪を纏ったラフォーレ・アナスタシア。そこにはマドカとは違う、決して引き込まれてはならないと本能的に感じてしまう様な、危険な美しさがある。手を伸ばして触れてしまえば焼かれてしまうのに、それでも求めてしまいそうになる、苛烈で神秘的な焔の光。

もしかすれば、その炎に惹かれてしまった者も過去には居たのかもしれない。その者達が今はどうなってしまったかは分からないけれど。ただそれほどに彼女という炎は、彼女がその背中に背負っている地獄は、酷くて、恐ろしくて、そして美しくて。

 

 

 

 

 

「マドカ、後は頼む」

 

 

 

 

「はい、お母さん」

 

 

 

 

「っ」

 

 

だから、そんな風に見惚れてしまっていた所を、彼女に見られては居なかっただろうか。こんな風に気持ちを動かされてしまったという事を、彼女に知られてはいないだろうか。

思わずドキリとしてしまったリゼ、その声に彼女の身体は何より大きく反応する。しかしそれも仕方のないこと、当然のこと。求めて求めてやまなかった彼女が、彼女の声が、聞こえてきたのだから。そんなものはもう、自然と顔がそちらに向いてしまっても、誰も責めたりなんかしない。

 

 

「『回避』『属性強化』『水斬』」

 

 

「『炎弾』」

 

 

 

「マドカ……!」

 

 

 

「消火調整版、『滝水斬』!」

 

 

ラフォーレが火球によって焼き払い、今も凄まじい火と熱が広がっているその空間に。聴き慣れている筈なのに、暫く聴く事が出来ていなかった、聴きたいと願っていたのに、今日まで聴く事が出来なかった、そんな彼女の声が、滝の様な流水と共に降り注ぐ。

 

ラフォーレと同じだ。

それが単一の人間が引き起こした物とは思えない様なあまりに大きな現象。彼女の母親が生み出した地獄の様な美しい光景を、突然現れ、塗りつぶす。建物の屋根の上から片足だけで大きく跳躍し、回避のスフィアを利用して更に上空へ飛び、加えてラフォーレが1発だけ宙に向けて放った火球に自ら当たりながらも、その爆風を逆手に更に空へと浮かび上がった彼女が。両の手に握り締めた凄まじい規模の水斬によって、美しい滝のよう流水を広範囲に薙ぎ払い、鎮めていく。

空間を埋め尽くす水蒸気。

今この場にまで跳ねてくる様な突風と水飛沫。

そんな風に水に濡れながらも、ラフォーレ・アナスタシアは瞳を閉じた笑顔のままに、空から落ちてくる愛娘を全身で衝撃を緩和するように膝を折りながらも受け止めた。

割れ物でも扱うように優しく、愛おしげに。

腕の中で笑う彼女の頭を、慣れた手付きで撫でながら。

 

「怪我は無いか、マドカ」

 

「ふふ、お母さん?それは私の台詞です」

 

「怪我などある訳が無いだろう、私はお前の母親なのだからな」

 

「もう、それは怪我をしてしまった私への当て付けですか?えへへ」

 

……ああ、本当になんて綺麗な母娘の姿なのだろう。

あの暴君の様なラフォーレも、娘の前では本当にただの母親の様な顔をして笑っていた。そして普段はリゼの先生でもあるマドカもまた、彼女の前では1人の少女の様に甘えていた。初めて見るこの2人の母娘の姿は、各々に個人で見ていた時よりもずっと綺麗で、美しくて、そして……

 

「羨ましいな」

 

それが誰の立場で、どの視点で、どんな行為が対象となっているのか、自分自身でもよく分からないけれど。それでもあんな風に、自分にも全てを打ち明けられる家族の様な相手が側に居たのなら……それを考えなかったと言うと嘘になることだけは確かだった。

 




ラフォーレ・アナスタシア……炎魔法に特化したスキル構成を持つ探索者であり、過去に何度か逮捕経験がある。しかし彼女の魔法による攻撃力は都市随一であり、その力を求めて何度も釈放がされている。一度は探索者認定が取り消される事態にもなったが、直後の"龍の飛翔"で大活躍したことから、ギルド側が諦めて他の探索者に向けての彼女に関する注意文を発令したことすらある(当時15歳)。母親としては割と真っ当。


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28.プロポーズ

個人的にここまでが第一部という扱いです。


オルテミスへの襲撃騒動が一旦の終わりを見せた後、街はそれまでとはまた違った騒々しさに包まれていた。

 

「おう!気合い入れろよお前達!探索者共が帰って来やがる前に準備段階までは確実に終わらせる!それとギルド長からも街の再設計の許可が出たからなぁ!この際だから南区画は全面作り直しくらいの勢いで掛かりやがれ!!」

 

「「「よっしゃぁぁあ!!!!」

 

街への被害は甚大の一言。

何よりも避難を優先させていた事とギルド職員の配置も早かった事もあり、幸いにも死人は出て居なかったとは言え、南部区画の家屋の大半が潰されてしまっている。そして焼かれてしまっている。それでもこの街において自身の家が破壊されたという事は、そこまで深刻な事ではなく、むしろ活気付く要因になるというもの。

 

「龍の飛翔で生まれた龍種が、稀にこの街に直接襲い掛かってくる事もあるんです。そうでなくとも以前は邪龍の一体の通り道でもありましたから、皆さん非常事態には慣れています」

 

「……なるほど」

 

「ですので、街の付近や地下には復興の為の資材が用意されています。こういった時の為にギルドや街の方々も日頃からお金を蓄えている訳ですし、そもそも数週間稼ぎ無しで生活する貯金すら出来ない様な方は探索者以外この街には住めませんからね」

 

「優秀な人間しか求めていないと言うより、優秀な人間で無ければこの街では生きてはいけないという事なのかな。そういう目で見ると、なかなかに厳しい街だ」

 

「一応その救いのために公共事業を発注しているので、臨時で建設業で雇って貰うことは可能です。もちろん技術職なので何の経験もなければ給料は安いですし、体力的にも大変ですが。そのために本業とは別に資格だけ取っている方も結構居ますよ、それもこの街で上手く生きていく方法の一つです」

 

皆がバタバタと街の復興の為に走り回っている中で、瓦礫に腰掛けてのんびりとそう話し合っているのはマドカとリゼだった。

久しぶりに直接会っての会話だというのに、2人とも目の前の街の光景を見ながら、変わらずマドカの講義の様な物が始まっている。

マドカの左足はまだ完治していない。リゼも大銃を最大威力で放った事による反動で休息が必要だった。エリーナに連れられて早速こき使われている"主従の花"の2人や、万が一の再襲撃の為にギルドで無理矢理に待機させられているラフォーレもここには居らず、ただ何処の現場に行っても邪魔になってしまいそうな彼等はここで静かに座っている。

 

「リゼさん。この街は今『世界一安全な場所』とも言われていますが、同時に『世界一危険な場所』とも言われています。それが何故か分かりますか?」

 

「え?……そうだね、恐らく『世界一安全な場所』とは単純な戦力の事を言っているのだろう。ここが陥落すれば、それ即ちこの世の全てが落ちるという事だろうからね」

 

「正解です。それでは『世界一危険な場所』とは?」

 

「……それこそ、龍の飛翔と邪龍の通り道だという理由ではないのかい?」

 

「龍の飛翔で街に龍種が直接乗り込んで来るというのも、実は最近はそう多くはありません。対策もしていますから。それに今はその邪龍の通り道では無くなっているんですよ」

 

「……?それなら、なぜだろうか?」

 

「丁度壁が崩れてここからでも見やすくなっていますね。ほら、あそこの島々が見えますか?リゼさん」

 

「島?」

 

マドカが指を刺したのは、街を囲んでいる白い壁が巨人によって崩落し、その先に広がっている青の地平線が沈みかけの夕陽に照らされて見えている空間。

そこには確かに緑の島々が浮かんでおり、リゼはそれを意外に思う。この世界の南端は海洋が広がっており、そこは様々な災害やモンスターによって生還不可能な場所になっていると聞いていたからだ。いまここから見れば穏やかな海でも、少し遠洋まで行こうとすれば忽ち海は荒れ、モンスター達が襲い掛かり、帰還者ゼロの記録を自らが更新する事になるだろう。……にも関わらず、あんな島がこの街の近くにあるとするならば、多少の開発は行われていて然るべきと感じたからだ。それこそこの街の探索者の力を持ってすれば、あんな島に渡るくらいならば簡単な筈で。

 

「あれ、邪龍の一体なんですよ。リゼさん」

 

「なっ!?あれが!?あの大きな島々が!?」

 

「【大竜ギガジゼル】と呼ばれる、この世界で最初に出現が確認された邪龍です。見た目はあの通り海洋で眠っていても巨大な島が作れるくらい、そしてギガジゼルは過去に記録されたどの龍種と比較しても先ず間違いなく最強の存在だと言われています」

 

「……一体どれほどの大きさがあるんだ、本体は」

 

「分かりません。ですがギガジゼルはこの300年の間に2度だけ目を覚ました事があります。その際には好みの岩石を食い漁りながら、周囲一帯をその余波で荒らし尽くしました。世界中に今もその痕跡が残っています。どの邪龍もギガジゼルが存在する場所にだけは決して近寄る事はありません。それこそが今この街が世界で一番安全であり、同時に世界で一番危険な街である理由な訳です」

 

「そういう、事か……他の邪龍が近付く事はないが、いつまたあの邪龍が起きて暴れ出すかも分からないと」

 

大凡50年前、ギガジゼルが2度目の目覚めを終えて眠りについたのがあの場所である。今やそこには新たな生態系が根付いており、ギガジゼルの脅威的な魔力を全く感じる事が出来ない存在だけがあの背の上で繁殖しているとされている。一切の刺激を禁じているが故に調査は殆ど行われていないが、数少ない上陸調査によって以前からギガジゼルの背で生活していた植物や動物が今もモンスターに襲われる事なく生存しているという。もし本当にこの世界で1番平和な場所を上げるとするならば、それは間違いなくギガジゼルの背中の上と言えるだろう。ただそこに人間が住めるかと言われれば難しく、彼はそれでもやはり邪龍であるのか、上陸調査の度に少しの動きが見られる事から、本能的に人類を拒んでいる可能性も高い。足踏み一つで村落を壊滅させるというまごう事なき最強の邪龍。それはそもそも倒すか倒せるかではなく、触れるべきではない、触れてしまえば間違いなく一度は世界の壊滅を引き換えにする必要があるという意味も含んでいる。この世界における真の絶望という物は、意外と近くで眠っていたのだ。

 

「……それで、マドカはなぜ突然そんな話を?何の意図もなく話し始めた訳ではないのだろう?」

 

「……確認がしたかったんです、もう一度」

 

マドカの視線は今も自分が消火し切れなかった炎を水系のスフィアで消して回っているギルド職員や"聖の丘"の探索者達の方に向いている。彼等も精神汚染の効果は多少受けており、治療院やユイから配られたポーションで多少はマシになっているとは言え、それでも疲れた身体のままに動き回っている。そんな彼等の手伝いを申し出れば直ぐ様に断られてしまった事を彼女は今も気にしているのか、それとも自分の怪我を悔やんでいるのか、その表情を窺い知る事は出来ない。

 

「リゼさんは……本当にまだ、この街で探索者を続けるつもりがありますか?」

 

「!」

 

「この少しの間でリゼさんもよく分かったと思います。この街における探索者という職業が、一体どれほど危険なものなのか」

 

「………」

 

「いつ滅んでもおかしくない街、いつ死んでもおかしくない職業、そして探索者になれば毎年必ず"龍の飛翔"に参加しなければならない。……今年の"龍の飛翔"でも既に十数人の探索者が死亡したと聞いています、熟練の探索者さんもその中には居たと」

 

「マドカ……」

 

「ただ生きるだけなら、もっと他に道はあります。リゼさんは優しいですし、美人ですし、きっと他の街でもすぐにいい人を見つけて幸せになれます。こんな街に居ても、こんな死に近い街に居ても、良いことなんて何一つありませんよ。どうしても探索者を続けたいとしても、せめて別の街に……」

 

「マドカ」

 

少し俯きながら一切顔を向けずそう言葉を並び立てる彼女に、リゼはただ名前を呼び掛ける。未だ彼女の表情は分からないし、どんな意図を持ってこの話を切り出したのか、本当の意味では理解出来ていないだろう。それにきっと彼女の言っている事は何一つとして間違っていない。

 

あんなバケモノを目の前にしても常に冷静に行動していた、まだ探索者として日が浅いはずのエルザとユイ。あれほど恐ろしく見えた巨人達を二体も相手に、たった1人で時間を稼いでいたというラフォーレ。そしてそのラフォーレの役割を変わりつつも、最後まで街の為に只管に走り回っていたギルド長。彼等はこういった事態に、ああいった未知の相手に、慣れていた。そして慣れていたという事はつまり、そういった経験を積んで来ているという事だ。この街で探索者をするという事は、そういった経験を何度も何度も積み重ねるという事と同義。

単にダンジョンに潜るだけなら、他の3つのダンジョンでもいい筈だ。むしろスフィアを3つも得た今なら他のダンジョンでも活躍は出来る。わざわざ邪龍が眠る近くの街に居る必要はない、わざわざ年に一度の頻度で強力な龍種と戦う必要はない、わざわざ龍神教が攻め込んで来る様な街で生活する必要はない。マドカの言う事は最もだ。

 

「……ただそれも、その対象が私で無かったら、の話に過ぎないよ」

 

「……?リゼさん?」

 

「マドカ、私も一つ言っておこう。どうやら私はこんな身体をしていながら、まだまだ保護者が居なければ生きていけない様なんだ」

 

「えっと……?」

 

リゼの意外な言葉に顔をこちらに向けて、困惑した顔で首を傾げるマドカ。けれどリゼからしてみれば、その言葉が全てだった。少しだけ座っている場所をマドカの方に寄せて、リゼは顔を近付ける。

 

「正直に言ってしまえば、私は他の街に行っても探索者を続けられる気がしない」

 

「そんな事は……」

 

「だってそこには、マドカくらい私の事を見て、心配して、思ってくれる人は居ないだろう?居たとしても、とても見つけられる気がしないよ」

 

「リゼさん……」

 

「マドカ、私はね、君との出会いを決して無かった事にはしたくないんだ。君との出会いは私の人生で最良の物だったと思っている、それこそ私の人生の全てをこの出会いに捧げてもいいと思えるくらいにだ」

 

「それは、少し重く考え過ぎではありませんか……?」

 

「それ程だったと私は実感しているよ。この街の危険性を加味してもまだ、ね」

 

「………」

 

きっとマドカは理解出来ていないのだろう。

理解出来る筈もない。

マドカからしてみればリゼのその考えはあまりにも重いし、むしろちょっと心配になるくらいの物だ。なんだったらそっちの説得をしてしまいそうになる。思い詰め過ぎだから考え直せと。自分との出会いに流石にそこまでの価値は無いと。

だがリゼが言いたいのは、正しくそこだった。

 

「私は恐らくだが、マドカと出会わなければこの街でも他の街でも生きて行く事は出来なかっただろう」

 

「いえ、あの、流石にそれは……」

 

「いや、実はそれはそんなに的外れな話でも無いんだ。なぜなら私は無知で、考えも甘くて、子供の様な未熟な心しか持っていない世間知らず。きっと直ぐに騙される。良い人を見つける前に、悪い人間に見つかってしまう。……マドカと会えないこの数日で、私が一体どれだけユイとエルザに助けられたと思うんだい?今思えば自分でも笑えないくらいだ」

 

単純、この出会いをなかった事にして、もう一度出会いのくじ引きをするのは、リゼにとってあまりにもリスクが高過ぎた。話の要点はそれだけだ。

街が危険でも、多少の危険に挑む事になろうとも、この街で最高の出会いをして、最高の環境を手に入れる事が出来た。それを捨てるなんて絶対に考えられないし、それが無い生活など今はもう考えられない。リゼの立場からしてみれば、これを手放す方が危険というくらいだ。そうでなくとも色々な意味で弱い人間なのに。

 

「マドカ、私はこの街で探索者を続けたい」

 

「!」

 

「そして出来るならば、君の近くで探索者をしていたい」

 

「……それは」

 

「分かっている、自分がまだまだ足りていないという事など。それでも、いつかは肩を並べる事が出来る様になりたいんだ。君の役に立てるくらいに、強くなりたい」

 

離れた場所から見ればプロポーズか何かの様に見えるそんな姿は、まあなんというか本当に、近く見れば子供というか、未熟というか、とてもプロポーズが出来る様な立派な女のそれではなくて。……そして、それを受けている女の顔も、ほんの少しだってプロポーズを受けた側の人間に相応しい物ではなくて。

 

「……ずっと側になんて、居られませんよ。だからいつかはリゼさんにも、友人を作って、クランに入って、私が居なくても幸せになって貰わないと」

 

「酷いな、いつかは私を捨てる様な言い方だ」

 

「捨てちゃいますよ?今までの人達だって、ある程度自分で生活出来る様になったら自立して貰っています。私もいつまでも自分以外の事に目を向けていられる訳ではないですから。リゼさんにも私なんかじゃなくて、もっと沢山の人を知って、沢山の人と関わって欲しいです。そうすれば分かる筈なんです、私なんてリゼさんがそこまで気に掛ける程の立派な人間では無いと」

 

もしこれをプロポーズと仮定するならば、きっと彼女は見事に振られてしまったのだろう。申し訳なさそうに、そして悲しそうに、それでも笑顔を浮かべながらそう言葉を伝えたマドカに対し、リゼは何故かそれ以上の事を言う事が出来なかった。その言葉を否定する事なんて容易かったのに、それでも自分の主張を通そうとすれば簡単に出来た筈なのに、それなのに……

 

「リゼさん、明日からはクランを探しましょう。探索者さん達も直ぐに帰って来る筈ですから。……なにより、リゼさんが幸せに生きる事の出来る場所を探す為に」

 

突き付けられたマドカとの別れに、喉を締め付けられ言葉を発する事が出来なかった。




4つのダンジョン……最初に3つのダンジョンが見つかり、最後にこのオルテミスのダンジョンが見つかった。それぞれのダンジョンに特色があり、環境が全く異なる。その中でも特にシステム的なのがアルテミスのダンジョンであり、スフィアが見つかるのもこのダンジョンだけである。基本的に龍種との戦闘の方がレベル上げの効率が良いことからオルテミスの探索者達が最も平均レベルが高いが、しかしだからと言って他のダンジョンに価値がない訳ではない。オルテミスのダンジョンは人気は高いが、ある程度ここでレベルを上げて他のダンジョンに流れていく探索者も一定数居る。


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29.知らない日常

あの日から3日程経った頃、街は妙な賑わいを見せていた。

……いや、実際にはこの妙な賑わいという言葉がおかしいのだろう。本来ならばこの姿こそがこの街の本当の姿なのだから。それを知らないからこそ、リゼは窓の外から見える賑やかなその景色を奇妙な顔で見つめているし、なんだか落ち着かない気分にさせられている。

探索者達が帰って来たのは前日の夕方。

目の前の賑わいとは逆に、リゼの心は寂しさすら抱えていた。

 

「はぁ」

 

溢れるのは溜息ばかり。

あの日からマドカは言葉通りに、リゼに対して様々なクランを紹介してくれている。それは以前に教えてもらった大きなものから、最近出来たばかりの小さな物まで。その探索者自体が居ない故に知識として叩き込まれていたに過ぎないが、彼等が帰って来たとなればそれは更に本格的な物になるだろう。日に日に近づいてくるマドカからの卒業、リゼはそれに対してとてつもない抵抗感を抱いている。それこそ本末転倒ながら、マドカに会いたくないと思ってしまうくらいに。この僅かな間にマドカから卒業出来るくらいに必死に勉強していた過去の自分を責めたくなるくらいに。いつまでも世話になっていてはマドカの負担になってしまうと分かってはいるのに、心と頭はこれっぽっちも一致しない。

 

「……それでも、時間を違える訳には行かないからね。そろそろ準備をしないと」

 

窓際の椅子から立ち上がり、自分の持ち物を纏め始める。この部屋も、クランに入る様になればお別れだろう。小さい規模のクランに入ったとしても、パーティを組んで10階層以降の探索が進められる様になれば稼ぎは増える。一定の稼ぎが認められる様になれば、ギルドとの契約も切れる事になっている。やっと慣れ始めた生活も、再び手放す事になる訳だ。ギルド職員にでもなれば別だが、リゼにはそれほどの実力も頭も経験もなく、ただその変化を受け入れる事以外に道は無い。

 

 

「ん、先客かな?……いや、何かこう。凄いな、先客」

 

いつもの様にマドカと昼食を食べている食堂の角の席に向かおうとしていたリゼ。しかしそこには今日は自分とは別に先客が来ていて、そしてそこには何やら5人もの女性がマドカを囲んでいて、それも全員が全員見事にリゼも見惚れてしまう様な美人揃いで……リゼは思わず隠れる様にして柱の側の席に座り込む。しっかりとその柱の影から聞き耳だけは立てて。

 

「それにしても本当に、話を聞いた時に私がどれだけ焦ったことか。何故お前が街の防衛班として残っている時に限ってこうも厄介事が起きる」

 

「そうですわね、カナディア様はとても焦っていらっしゃいました。私も龍神教が攻めて来たと聞いた時には思わず走り出しそうになってしまいましたもの」

 

「……結果的にお前達2人を先に帰らせておいたのは最良の判断だった、という事か。未知の毒の処理もよくやった」

 

「いえ、それでもまだ完全な解毒は出来ていませんから。本当に自分の未熟さを恥じるばかりです、ライカさん」

 

「でしたら後程、私とカナディア様の解毒魔法を試してみるのは如何でしょう?強度の問題なのか、性質の問題なのか、それでも不足している様でしたら精霊族秘伝の薬法をユイ様にお伝え致しますわ。セルフィ様にも杖を貸して頂ければと」

 

「は、はい!私なんかの杖でいいのでしたら好きに使って下さい!」

 

本当に目を惹くような美人の集まり、昨日までよりずっと人の多い食堂中の視線がなんとなくそちらに向いているのが分かるくらい。

マドカとユイはよく知っている。ユイを女性として数えて良いかは別としても、あの中でも遜色ない彼はやはりそういう才能があるのだろう。

ただ、他の4人はやはりリゼは初めて見る人物ばかりだった。昨日の夜に帰って来た探索者の中に居た者達であった事は間違いない。

 

(マドカはやっぱりすごいな……)

 

カナディアと呼ばれていた水色の長髪を後ろに流したエルフの麗人。

そんな彼女に付き従うセルフィと呼ばれた同じくエルフの金髪の少女。

それにユイと同じ真っ黒の髪を短く揃えた目尻の鋭い人族の女性、ライカ。

最後にアクアと呼ばれた白でも灰でも無く、輝く様な透き通る銀、もしくは透明とでも言える不思議な髪をもった、恐らくは精霊族と呼ばれる希少な種族の女性。

彼等の誰もがそこに座ってニコニコと笑っているマドカの事を心配している。それは嫉妬なのか、それとも単に驚きなのか。リゼはなんとなくもやっとした気持ちを抱えたまま彼女達の会話を盗み聞く。

 

「話には聞いていましたが、今回の相手はそれほどに厄介な龍種だったんですね」

 

「ん?ああ、厄介というか、そもそもあれを龍種と呼んでも良いものか……」

 

「頭部は間違いなく龍種のものでしたわ、本質的には虫類に近いと思われますが」

 

「……死者は例年より多かったが、精神的な被害が桁外れだ。POW(精神力)の未熟な探索者は今も軒並み寝込んでいる。戦闘中に逃亡し、そのまま行方知れずの者も多い」

 

「加えて1匹逃せば脅威的な繁殖力で増殖し、生態系に大いに影響を及ぼす程の危険性。全ての個体を排除する為にレンドさんがそれはもう頭を悩ませて……結果的には数多の試行錯誤と調査にかなりの人手と時間を要する事となってしまいましたの」

 

「ふふ、そうして街に戻って来て漸く腰を落ち着かせられると思えばこの有様だからな。帰って来て直ぐにエリーナに連れて行かれたアレの姿は、本当に哀れだったというか」

 

「あ、あはは……今度何か差し入れを持って行きますね、セルフィさん」

 

「は、はい!多分レンドさんも嬉しがると、思う、の、で……お、お願いします!」

 

「くれぐれもラフォーレには見つからない様にな」

 

口数少なく見守るライカ、この場に居る誰もを敬う様なセルフィ、硬い雰囲気を持ちつつも積極的に言葉を掛けるアクア、そしてマドカと最も親しそうにしているカナディア。彼等が決して付き合いだけでここに居るという訳では無いという事は、付き合いなどなくとも見ていれば分かる。それくらいは今のリゼでも、なんとなく分かる。

 

「さて、それでは私はそろそろ拠点に戻ろうと思う。昼頃にまた治療院に伺おう、治療はその時で構わないか?ユイ」

 

「ええ、勿論です。その時までに準備を済ませておきますので」

 

「私はユイ様とこのまま治療院に赴こうと思いますわ。クランは私が居なくとも問題ありませんもの」

 

「わ、私も一度拠点に戻ります!……多分お仕事がすごいことになっていると思うので。ライカさんもですか?」

 

「ああ……ウチには書類整理をまともに出来る奴が居ないからな。年寄り共は戦闘は出来る癖に老眼がどうのと言い訳が多くてな……」

 

「その辺りの人材育成にも目を向けていかないといけないな、私も人の事は言えないが……それでは後でな、マドカ」

 

「はい、また後程」

 

そうこう話していた彼等だが、意外にも解散するのは早かった。ある程度時間を決めていたのか、そもそももっと前から話していたのか、はたまた本当に忙しく時間を見つけてここに来ていたのか。実際にはそのどれもが当てはまっているという事は彼等しか知らない。

他の4人が普通に手を振って別れたのに対して、カナディアと呼ばれる女性だけはマドカの頭を愛おしげに撫でて去って行った所を見るに、もしかすれば彼女もエリーナの様にマドカを娘の様に思っているのかも知れない。まだ何も知らないリゼに分かるのはその程度の事だ。

リゼは本当に、まだ今は何も知らない。

 

「マドカ……」

 

「あ、リゼさん。ごめんなさい、もしかして待たせてしまっていましたか?」

 

「ああ、いや、気にしなくても良い。……それにしても、やはり知り合いが多いんだね、君は」

 

「そうですね、本当に沢山の人に気に掛けて頂いて。リゼさんも後で治療院に来ませんか?リゼさんのこと、皆さんにも紹介したいので」

 

「それは、嬉しい相談なのだけれど……いいのかい?」

 

「勿論です。リゼさんのこと、色々な人に知って欲しいですから」

 

彼女達がその場を去ってから直ぐにマドカの方に向かって行ってしまったからか、なんとなく会話を盗み聞きしていた事がバレてしまった様な気がして恥ずかしく思うリゼに対し、彼女はいつも通り優しい笑みを向けてくれる。

だからこそ辛くもあった。

彼女がそうして自分を紹介してくれる事とは、それ即ち自分を彼等のクランに紹介するという意味でもあるから。所詮は自分もこれまでの教え子達と同じ、決して彼女の特別では無いと言われている様で。

 

「リゼさん?どうかしましたか?」

 

「……いや、何でもないよ。それより少し話を聞いていたのだけど、その足ももう直ぐ治る様だね。本当に良かった」

 

「ふふ、この間の騒動では結局殆ど私は動く事が出来ませんでしたから。治ったらまた頑張らないと。リゼさんが少しずつ消化してくれていたとは言え、依頼が溜まっている事に間違いはありませんから」

 

「……ああ、まずはそこからか」

 

「え?」

 

「いや、なんでもないよ。私は朝食を取ってくるけれど、飲み物とかはいるかな?」

 

「いえ、私は大丈夫ですよ。いってらっしゃいです」

 

着いたばかりの席から、リゼは逃げる様にして離れる。

まずはそこからだ。まずはそれが出来なければ話にならない。最低限9階層までのソロ探索、そして安定した依頼の処理。つまりは、ワイアームの安定討伐。

 

(マドカの側に居る為には、マドカの役に立つ為には、それが出来る様にならなければ……)

 

果たしてそれが出来る様になるためには、どうすればいいのか。そもそも何故1人で探索を進めようとしているのか。またもや未熟な心で焦りと必死さに流され始めたリゼの内心を見抜ける者は、それを口に出さない限りはまだ居なかった。

 

 

 

特に普段通りの何の変哲もない朝食の後、少しの雑談をして時間を潰した2人は、そのまま治療院の方に向かう事にした。杖を突きながらも慣れた様に歩くマドカと、それを心配しつつ付き添うリゼ。空気中に気化していたマドカの毒も今は液体の入った特殊な器具が付けられている事もあり、外部に漏れる事もなく、マドカ自身も殆ど苦痛を感じていない様にも見えた。ただそれでも未だに麻痺や全身に広がってしまう危険性も帯びている為、油断は出来ない。前の騒動では活躍出来なかったとマドカは言うが、もし活躍していたら毒の回りが手が付けられない程になっていた可能性もあった。そう考えると、あの時リゼが頑張った甲斐というものは十分にあったと言えるだろう。

 

「マドカさん、いらっしゃいませ。リゼさんも、付き添いありがとうございます」

 

「いや、そんな大した事はしていないよ。私がここまで背負って来ようとも思ったけれど、それは丁重に断られてしまったからね」

 

「さ、流石にそれは私だって恥ずかしいですよ」

 

「そうですか……マドカさん、カナディアさんとアクアさんは先に部屋に居られます。こちらにどうぞ」

 

当然の様に治療院の受付と世間話していたユイは、入って来た2人を見るや声を掛けて来てくれて、目的の治療室に案内をしてくれた。基本的に治療院では患者に必要な治療の度合いによって階層が分けられており、1階には比較的軽度な患者が、2階には長期間の滞在が必要な患者が、そして地下には研究施設が存在している事もあり、それ程に最先端の技術が必要とされる患者が集められている。ちなみに3階は単に医療従事者達の生活スペースとなっている。

そして当たり前の話であるが、マドカが連れて行かれるのは地下の治療室。彼女がずっと今日まで治療を受け続けていた部屋と同じ場所だ。

真っ白な床と壁に囲まれたその空間は冷たく静かで、こんな場所にずっと居たのかと思うと何処か不憫に思ってしまうくらいだ。部屋の一つ一つがしっかりと施錠されており、もしかすれば何人かの患者は監禁でもされているのでは無いかと思うくらい。そんな無機質な廊下を進んでいる間、リゼの中には妙な緊張感が生まれていた。

 

「失礼します、マドカさんを連れて参りました」

 

「む、早かったな。まあ早いに越した事はないか」

 

「?……そちらのお方は、噂のマドカさんの教え子ですわね?」

 

「ええ、そうです。さ、リゼさんも中にどうぞ」

 

「あ、ああ、お邪魔するよ」

 

促されるままに中に入れられるリゼ、そこにはやはり朝に見た2人の女性が立っていた。

カナディアと呼ばれていた水色の髪をしたエルフの女性は机の上に書類の束を置いてペンを走らせており、一方でアクアと呼ばれていた精霊族の女性はすり鉢で何かをすり潰しながら様々な薬品を揃えている。やはりこうして近くで見ると両人とも目が眩むほどの美人であり、それはマドカと親しくしていた所を見てしまったが故に抱いていた嫉妬も簡単に吹き飛んでしまうほど。

そしてそんな彼女達は初めて見るリゼに気付くや

否や、作業の手を止めて立ち上がり、挨拶をする為に前に進み出てくる。彼女達は決して容姿だけの人間ではないという事を、リゼに対して突き付けてくる。

 

「なるほど、君が先日の闘争で活躍したという……初めまして、カナディア・エーテルだ。以前は"聖の丘"に居たのだが、今は訳あって"龍殺団"の世話をしている。よろしく頼む」

 

「あ、ああ……ええと、リゼ・フォルテシアと言います」

 

(わたくし)はアクア・ルナメリアと申しますわ。"風雨の誓い"にて副団長を務めさせて頂いておりますの、どうぞ末永く宜しくお願い致しますわね」

 

「あ、どうも……え、副団長?」

 

「カナディアさんもそうですよ?"聖の丘"でも、"龍殺団"でも」

 

「不本意ながらな」

 

「ユ、ユイ?彼女達は一体……」

 

「はい。カナディアさんは最高位の探索者であると同時に、スフィアに関する研究も行っていらっしゃる著名なお方です。アクアさんは滅多に表舞台に姿を表す事のない精霊族の女性であり、実力もさる事ながら、我々も知らない様な知識を多く会得されておられます」

 

「……待ってくれ、マドカ。もしかしなくとも朝君と話していた女性達は全員?」

 

「?そうですね、セルフィさんは現"聖の丘"の副団長さんで、ライカさんは"青葉の集い"の副団長さんです」

 

「全員が最大手クランの副団長クラスの人間だったのか!?それはあれだけ人目を引く筈だ!」

 

どのクランの名前も以前にマドカから講義を受けた際に聞いた事がある。この街の最大手のクラン、実力では抜きに出ている5つのクランの名前。

 

都市の警備も受け持つ最大勢力"聖の丘"。

正統派探索系派閥の"風雨の誓い"。

若人と老人が手を取り合う"青葉の集い"。

狂人揃いの"龍殺団"。

そしてラフォーレが所属する"紅眼の空"。

 

リゼもしっかりと覚えている。

つまり図らずしもリゼは、この5つのクランの副団長級の人間を全員知ったという事だ。それも聞いている中では特にこの目の前のカナディア・エーテルという女性、その経歴があまりにも凄まじい。

 

「ん?あれ?カナディア・エーテル?確かその名前は初心者用の探索者ガイドに……」

 

「探索者ガイド?……ああ、マドカと作ったあれか。役には立っただろうか?」

 

「それはもう、隅から隅まで読み込んで、とても分かりやすくて……」

 

「そうか、それは良かった。私は少々知識を貸したに過ぎず、殆どの作成者はマドカなのだが」

 

「嘘ですね〜♪カナディアさんは、ずーっと私に付きっきりで一緒に作ってくれました♪」

 

「こ、こら!余計な事を言うなマドカ!」

 

「えへへ」

 

「………」

 

やはりと言うか何と言うか、この2人は特に仲が良い様に見える。ユイとアクアもそんな2人のやり取りに笑みを向けながらも治療の準備を進めているが、その様子を見る限りではこれは本当にいつもの事の様だった。

マドカと1番仲の良い人間が自分では無いだなんて、そんな当たり前の事は別に考えた事の無いくらいには当然の話だった。けれど一度その当たり前を考えて実感させられてしまうと、それはとても重い物となって心にのしかかって来る。知り合いも友人も居ないリゼにとっては最も信頼出来る相手はマドカであったが、マドカにとってはリゼは友人の1人でしかないのだ。だってリゼはこんな風に誰かに甘える様な雰囲気を出しているマドカの姿なんて、その片鱗すらも見せられた事も無いのだから。




カナディア・エーテル……この街の最上位の実力を持つエルフの探索者にして、研究者としても有名な人物。マドカ・アナスタシアが自身の母親を除いて最も信頼している人物であり、一緒に居る時間が長い。マドカも彼女に甘えている節があり、彼女もそんなマドカを溺愛している。
自分が1番に思っている人が、自分のことを1番に思ってくれているとは限らない。


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30.道標

真っ白な部屋のベッドの上で、素足になった左足を3人に覗き込まれながらも触診をされているマドカの姿を見る。

それまで黒色に傷口が染まっていた筈のその場所には、今はもう艶やかな白く綺麗な肌が戻っており、ユイに指で押される度にくすぐったそうに笑みを溢す彼女に、苦しそうな様子はもう無かった。

 

「……ふむ、流石だなアクア。私の出番が無くなってしまった」

 

「いえ、私の知識だけでは不可能でしたわ。やはりユイ様のスキルは本当に素晴らしいですのね」

 

「そのスキルに知識が追い付いていないのは、本当に情けのない話ですが……マドカさん、一度採血を行ってもよろしいですか?」

 

「はい、お願いします」

 

アクア・ルナメリアが聞いた事もない様な植物や素材を混ぜ合わせて作った粉状のそれを、ユイがお湯に溶かして傷口に塗ったり、更に薄めて幾つかの薬品をアクアの指示通りに混ぜた物をマドカに飲ませたりしていた。何の知識もないリゼから見た目の前の光景は、本当にそれくらいでしか表現する事は出来ない。ただどうした事か、本当にそれだけでユイや治療院の研究員達があれほど苦悩していたマドカの毒が消え失せたのだから、何も分からなくとも"凄い事をした"というくらいは分かるもの。

心に少しの安堵感を抱えつつ、リゼもマドカの元へと近寄って行く。

 

「多少の痺れや感覚の違和感は残っているかもしれませんが、それも数日も経てば殆ど解消されていると思います。……これで漸く退院ですね、マドカさん」

 

「本当にありがとうございます。ユイさんも、私の為にずっと付きっきりでありがとうございました」

 

「いえ、私はしたい事をしていただけですから」

 

「……それにしても、アクアとユイの力を借りて漸くとは。厄介な毒を持つ存在が居たものだ」

 

「見たところ、強力な呪詛を帯びた毒物の様な物ですわね。被者の肉体に複雑に絡み付くそれを除去するのは容易い事ではありませんわ。現状ではより強い力で強引に除去を行う以外に方法が思い付きませんの」

 

「つまり、私の魔法でも解呪と解毒を同時に行えば治療自体は出来たという事か」

 

「むしろカナディア様程のお力が無ければ魔法での完全な除去は難しいのではないでしょうか。仮に同様の毒を扱う龍種が地上に出現した場合、その被害の規模は計り知れませんわね」

 

「……この薬の素材も、そう容易く手に入れられる物ではありませんから。研究は継続しておいた方が良いかもしれません」

 

「治療院の方に事情の説明を頼めますか、ユイさん。不足している素材等があれば私も優先的に引き受けます。この毒は相当に危険です」

 

「はい、お任せ下さい。院長にも話を通しておきます」

 

「私は似た性質の毒物を扱う龍種についての調査を行っておきますわ。龍の飛翔の記録の中に存在を確認出来れば、警戒すべき相手の特徴が分かるかもしれませんもの」

 

「ふむ、ならば私はグリンラルの知り合いに文を出しておこう。あの街のダンジョンはモンスターの宝庫だ、何かしらの手掛かりがある可能性は高い」

 

「ええ、お願いします」

 

それでも、リゼがその会話の輪に入る事は出来なかった。

そんな伝手がある訳でもなく、この件に関して自分に出来る事は他に何も無かったから。そしてその事について何のフォローも入れないマドカを責める事など誰が出来ようか、本当に人死が関わっている事なのだから。それに話がひと段落したら、彼女は直ぐにリゼの方にも顔を向けて手を招いてくれる。リゼが感じるのはただ虚しさだ。他のどんな汚い感情も、彼女はこうして許してくれないのだから。

 

「……マドカは、彼女の事をかなり気に入っている様だな」

 

「え?ふふ、それはもう。リゼさんは将来有望ですよ?今は所属クランを探している所なんです」

 

「ほう、それは……私の所属が"龍殺団"でなければ直ぐにでも勧誘していたところだ」

 

「成程……しかし"風雨の誓い"も探索者歴の浅いリゼ様には少しばかり誘い難い現状がありますわ。やはり最初は"青葉の集い"がよろしいのでは無いでしょうか」

 

「いやその、私は……まだ他のクランも、見てみたいと、思っていて……」

 

「……ふむ」

 

「それでしたら、私としては"投影のスフィア"を使う事を推奨致します」

 

「"投影のスフィア"を?なぜ?」

 

「"投影のスフィア"ではギルドが開催しているイベントや依頼関係以外にも、中小規模のクランが団員募集の為に使用している事がある為ですの。実際の雰囲気や戦力の確認を行うには打って付けかと」

 

「なる、ほど……」

 

「……まあ、マドカの方から紹介した所で本人が納得出来るかどうかは別か。大半の説明は済ませたのなら、その先はもう彼女に任せてはどうだ?マドカ」

 

「そう、ですかね……ごめんなさい、少し構い過ぎてしまっていたでしょうか、リゼさん」

 

「い、いや!そんなことはない!助かっていたのは本当なんだ!本当に!」

 

カナディアのその言葉がリゼを救ったのは間違いない。そしてアクアの提案もまたそうだ。色々と複雑に心が動く今は、もしかすればそうして落ち着く事も必要なのかもしれない。……単純に、身体を動かして人と関わるより先に、ただ呆然と何も考えずに投影された映像を見ているだけ。そんな時間が欲しいと言うのも嘘ではない。

 

「……ひとまず、彼女に言われた様に投影のスフィアを使って探してみようと思う。だからマドカは暫くは元の生活に戻って、依頼をこなしてくれ」

 

「リゼさん……」

 

「あ、でも……よければ、食事くらいは一緒にさせて欲しい。私もまだそこまでマドカ離れをする勇気は無いんだ」

 

「!……ええ、勿論ですよ!私だってそんな急に突き放したりするつもりは無いんですからね!」

 

ああ、分かっているとも。

彼女の言葉の全ては、自分を想っての事だと。

分かっているからこそ……

 

「……少し話せないか、リゼ・フォルテシア」

 

「え?ええと……」

 

「すまない、マドカ。少し彼女を借りる」

 

「え?ええ、それは構いませんが」

 

「さ、上に行こう。飲み物くらいは馳走する」

 

カナディアの突然のそんな行動に困惑しつつも、リゼは腕を掴まれて強引に部屋から連れ出された。魔法に秀でているというエルフ、しかしやはり高位の探索者ともなればそんな事は関係が無いらしい。

マドカから引き離される様に部屋から引き摺り出されると、そのまま階段を登り、辿り着いたのは治療院の1階にある小さな食堂。適当な机につかされると、そのままの足で適当な飲み物を頼み始めるカナディア。そして何故ここへ連れて来られたのか、そして何故初対面の筈の彼女が連れてきたとか全く理解出来ずに椅子の上で固まるしかないリゼ。あまりの急展開に再び彼女の頭の中は真っ白になっていた、それはカナディアが冷えた果実搾りを持って来ても尚。

 

「……君はどうも考え込む癖がある様だ。そのくせ思考が行き詰まると混乱してしまう。探索者としては早めに治しておいた方が良い癖だろう」

 

「え、あ……はい……」

 

「そう緊張しなくてもいい、まずは飲んで落ち着くと良い。私はラフォーレの様に初対面の相手に暴言を吐いたり殴り付けたりはしない」

 

「それは、まあ、なかなか彼女の様な人は居ないとは思っていますが……」

 

「ふふ、そうか。君はもう彼女の洗礼を受けた後の様だな」

 

「ええ、それはもう、本当に……」

 

「まあアレは災害の様な物だ。自分から近付いたりマドカに害を成す様な行為を働かない限りは、そうそう大きな被害を受ける事もない。探索者である限りは、根本的には味方でもあるからな」

 

「…………」

 

同じ様に持ってきた果実搾りを口にする彼女を、リゼは困惑した表情で見つめる。

ラフォーレの事を話したくて連れて来た訳では無いだろうし、かと言って喜ばしい話を持って来たという訳でも無い事は分かっているのだ。緊張はするなと言われても、そう容易く解けるものでは無いと言う事はカナディアにだって分かっている筈。

 

「……君がマドカに憧れを抱いているのは分かっている」

 

「!」

 

「その憧れの形までは知らないが、君の考えは分かる。単純、マドカと離れてまで他のクランに所属するという事に抵抗を抱いているのだろう?」

 

「そ、そこまで……」

 

「まあ、所詮はそこまでだ。だが君と同様の気持ちを抱き悩んだ者が過去に居て、その時も私がこうして同じ様に話を聞いていた。それ以上の説明は必要無いだろう」

 

「……私は、所詮はマドカに憧れた多くの1人に過ぎなかったという事か」

 

「それも否定はしない。そしてそれはマドカだけに限らない。高位の探索者に憧れや恋心を持つ者は多く、ただ只管にその相手の側に居ようと努力している者もこの街には大勢居る。その中でも特に君達の不運は、マドカはどのクランにも所属して居らず、その側に誰も置いておくつもりが無いという事くらいだな。それ以外は世の中に至極ありふれた話だ」

 

「………」

 

カナディアの言っている事に間違いは無かった。

言葉にして言われなければ気付かなかったが、言葉にして言われてみれば本当に当然の話でしかない。

 

「君は何も特別ではない」

 

「……!」

 

「君の憧れも、想いも、全てありきたりなものだ。大きく美化をして、悩みを捏ねくり回すな。もっと単純に考えるといい」

 

「……単純に?」

 

「単純だろう。そんな想いなんかより、君にはマドカの教え子であるという、この世界で僅か5人しか持っていない何にも変え難い称号があるのだから」

 

「!」

 

「誰にでも手に入れられる様なものでは無い。それが欲しくて堪らない者も多い。君は既にそんな憧れなんかより、よっぽど特別な物を持っているんだ。それでは満足出来ないのか?」

 

「それ、は……」

 

マドカの教え子であるという事実では満足出来ない、ならば他に何を求めているのか。いや、何を失うのを恐れているのか。それは単純、現状をだ。現状の生活をリゼは好ましく思っている。

ワイアームと戦闘をしたあの日までを、リゼはずっと続けていたいと思っている。

 

(だが、あの日までの生活とは……)

 

マドカに手取り足取り教えを受けながら、彼女の時間を占拠し続ける生活。彼女の目を自分だけに集め、彼女の元の生活を阻害し続ける生活。……果たして、自分は本当にそんな生活を長く続ける事を望んでいるのだろうか?だとすれば、自分は単純に彼女の邪魔者なのではないだろうか?

 

(……マドカの近くに居たい)

 

けれどその願いを叶えるのならば、せめて彼女の邪魔にならない立ち位置で居たい。むしろ彼女の助けになれる立ち位置で、その願いを叶えたい。それは今この瞬間までずっと考えていた事で、同時にそれだけは譲れない、譲ってはいけない線だとも思っている。

 

「……カナディア、さん」

 

「カナディアで構わない。どうした?」

 

「マドカの力になれる位置で、マドカの側に私は居たい。そんな願いを叶える事のできるクランというものは、あるのだろうか……?」

 

「………成程」

 

そんな都合の良い場所が存在するのか。

都合が良過ぎるというのは分かっている。

けれどその都合の良い場所が今は欲しい。

リゼのそんな無茶な願いを、カナディアは至極真面目に瞳を閉じて考えていた。

 

「無いな」

 

勿論、答えはそんな現実的なものではあったが。

 

「やはり、そうか……」

 

「だが、無いなら作れば良い」

 

「え?」

 

そして再び返されたその言葉もまた、あまりにも現実的なものでしかなかった。

 

「ようは正式に認められたクランに入っていれば問題ない訳だ。君がそんな都合の良いクランを作ればいい。君にとって都合の良い方針を持ったクランを、他ならぬ君が作れば良い」

 

「し、しかしそれは……」

 

「出来ないのか?」

 

「!」

 

「クランなど仰々しくは聞こえるが、所詮は人間の集まりだ。要件さえ満たしていればどれだけ馬鹿げた目的の為に動く小さな集まりでも認められる。今は大きく見えるクランであっても、その最初の作りは本当に馬鹿げた物だったりもする」

 

あとは熱意だけだ、と。

彼女は試す様にそう言葉にする。

 

リゼは以前に聞いたことがある。

クランを作る為には、何よりもまず書類を揃えるのが大変であると。

リゼにはエルザやユイの様に書類仕事の経験がある訳でもなく、むしろ自分の身元すらまともに証明出来ない有様だ。勉強や常識だって、そこまで自信のある出来でもない。

 

(自分に出来るのか……?いや、それが出来るだけの気概があるのか?という話なのか)

 

自分の望みを通すには、その努力をするしか無い。

その困難を乗り越えてもその望みを通したいのか、本当にその困難を乗り越えるほどに強い願いなのか。これはある意味で試されているのだろう。他の誰でもない、自分自身に。

 

「……カナディア。クランを作るのに必要な要素を、教えて貰うことは可能だろうか?」

 

「クランを作るにあたって必要な物は大きく4つ。2人以上の所属者、必要書類の提出とクラン資金10万L、そして他の公認クランによる推薦状だ」

 

「……前者3つは分かるが、他のクランによる推薦状?」

 

「金と書類さえあればクランとして認められる訳では無い。クラン同士の信頼と連携が出来なければ、"龍の飛翔"があるこの街でクラン活動を行うことは認められない」

 

「……エルザ達なら認めてくれるだろうか」

 

「さて、そこは君達の信頼関係による。推薦状を出すということは、君達が何か問題を起こせば彼等にも直接的にでは無いにしろ、少なからずの責を求められる。そう容易く出せる物ではない」

 

「なるほど……」

 

エルザは優しくはあれど、甘い人間では無い。

リゼが作るクランであっても、それが信用ならない物であれば決して推薦状を出す事は無いだろう。マドカはクランに所属している訳ではないため、今回の事については助力は願えない。……エルザが信用できる様なクランを作る、その信用に足る何かもまた必要だ。

 

「まずはもう1人、君のクランに入ってくれそうな人間を探すといい。常に数多のクランが熱心に勧誘を行なっているこの街では、何よりもそれに間違いなく時間を要する事になるだろう。彼女達の信頼を掴む方法は、それから考える方が効率が良い」

 

「……ありがとう。きっと、恐らく、これは言うより難しい話なのだと思う。……けど、やれるだけはやってみようと思う。自分の我を通す為にも。そして、自分の願いの強さを試す為にも」

 

「ああ、努力するといい。助力はしないが、陰ながら見ていよう」

 

"助力はしないが、"

 

助力はしてくれない。

ただ陰から見ているだけ。

応援も、してはくれないのだろう。

それは実質、今こうして向き合っている事でさえも、彼女としては事務的な物なのかもしれないという話。

 

「……応援は、してくれないのか」

 

「しないとも、私が今こうして君に話をしているのもマドカの為だ。あの子に自分勝手な重みを押し付けようとしている君の事は、正直に言えば私はあまり快く思ってはいない」

 

「………」

 

「我を通すとは、そういう事だ。その我を通す事で救われるのは自分一人であって、その我によって君を気に食わないと思う者は大勢生まれる。その辺りも含めて、一度考えてみるといい。君に果たして、本当にその我を通すだけの強い意志があるのかを」

 

「………」

 

それだけを言い残して、彼女はこの場を後にした。

 

とにかく動いてみる、クランを作る努力をする。きっとその方向性は間違っていない。だからこれからも、それを目標に据えて動く事になるだろう。

……だが、同時にまた疑問も生まれてしまった。

果たしてそんな中途半端な気持ちで、自分の意思を先送りにした状態で、本当にクランなど作れるのかと。クランを作る為に意思を決めるのではなく、意思を決める為にクランを作ろうとするのは、順序を違えているのではないのかと。




クラン作成の手続き……基本的にクランを作成しようと思う場合、そういった事務処理を代わりに行ってくれる民営の団体に依頼を行い、手続きを進めていくことが多い。しかしそうまでしても他クランからの推薦状と必要経費という壁は大きく、事務委託とクラン資金だけで50万L程が相場となっている。よって最初は大手のクランで経験を積み、それから個人のクランを作っていくのが基本的な流れになる。エルザはこの事務処理を全て生活の片手間に行い、通常数ヶ月〜1年掛かる書類のやり取りを一瞬で終わらせている。この技術だけで食べていけるほどの能力であり、当然ながらギルド長のエリーナに目をつけられた。


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31.予期せぬ再戦

まずは自分のクランに入ってくれる人物を探す。

マドカの治療が完了した翌日。そんな目的の為に街を歩いていたリゼであったが、結果はやはり芳しくは無かった。

 

「新人探索者も居ない、クラン未所属の扱いになっている探索者もマドカ以外には殆ど存在しない。……さて、こうなるといよいよ引き抜きしか無くなって来た訳だが」

 

ギルドの受付嬢に相談し、街で買い物をしながら聞き込みをし、そうしてもやはり良さそうな人物は全くと言っていい程に浮かんでは来ない。というかそもそも、良い知らせがほんの一つも迷い込んで来てくれない。

 

「そもそも、未だ正式なクランとして認められていない場所に入ってくれる様な探索者もそうそう居ないだろうし。入った所で何の利点もなく、むしろ不利益しか存在しない。……勧誘の為にはクランを作る必要がある、クランを作る為には勧誘が必要になる。なかなか容易い事では無いかな」

 

クランの勧誘をする前に、まず友人作りから始めた方が早いのでは無いかという様な話。しかし時間もいつまでもある訳ではない。マドカの教え子という形のない資格があれば基本的な活動には問題は無いが、その資格を長く振り翳しておくのも印象が悪い。その資格はとても便利で有益な物ではあっても、使い過ぎればマドカの寄生虫の様に見られてしまう。そうすればクラン勧誘は更に難しくなるだろう。

 

「それに他にもやる事は多い。書類の作り方を学び、10万L以上の資金をかき集め、その上で自分の新しい部屋を借りる。日々の生活費を稼ぐだけではなく、探索者として自分の実力を最低でも落とさない様にしないといけないし、どれ一つ取っても勧誘と同時進行で満足にこなせるほど容易い物ではない……考えると少し頭が痛いかな」

 

正直に言ってしまえば、現実的では無い。

そんな事は分かっている。

それでも、直ぐに出来ないと諦めるのも違う。

 

「……手持ちは3万L、これでは引っ越しをするにも物足りない。まずは纏まった金額が必要だ。部屋の期限は問題ないとしても、ある程度の稼ぎが認められればギルドからの契約は2週間の猶予の後に切れてしまう。それを考えるとあまり稼がない方がいいのかもしれないが、それではいつまで経っても10万Lなんて貯まらない。……いや、そもそも今以上に稼ぎを増やす事も現状では難しいのか。要らない心配だったかな」

 

依頼の数にもよるが、今のリゼの1日の稼ぎは大体8000L程度。そこから1日の食費の1500L(全てギルドの食堂を使った場合)と、武器や防具の整備費1500L、道具品の補充1000Lを差し引いて、多少の変動や諸々の出費を考えても毎日平均3000Lの貯金は出来るだろう。

それでも10万Lまではほど遠い。

急な出費も考えれば全然心もとない。

部屋を借りる事は出来ても、貯金に不安が残ってしまう。

ワイアームを倒して6階層以降に一人で潜れる様になればまた話は変わってくるだろうが、今もリゼの中にはワイアームに対する恐怖は確かに根付いていて、簡単にそこに辿り着く事は出来そうにない。

 

「……うん、取り敢えずは実力の保持と稼ぐ事を優先かな。ダンジョンに潜りながら、パーティを組んでくれる様な探索者が見つけられたら最高だ。夜には書類関係の勉強をして、部屋探しについても誰かに相談してみよう。それこそクラン関係ではなく、単なる部屋探しならばマドカに頼ってみてもいいかもしれない」

 

実のところ、他のクランには入らず、あくまで自分のクランを作ってみたいという事は既にマドカに伝えてあった。

それを聞いたマドカは、特に驚く事もなくすんなりとそれを受け入れ、ただ静かに微笑んで応援の言葉と『何でも力になる』という頼もしい言葉を伝えてくれた。

……とは言え、リゼの目的はあくまで自分の動きやすいクランを作り、マドカの側にいること。それを流石に本人に伝える事は出来ず、こんな不純な動機のために彼女に助力を頼む事も出来ず、この件に関しては彼女の力を借りないと決めていた。

……だが、家探しならば話は別だと考えていい。

そこが将来的なクランの本拠地になったとしても、それ以前に生きていく為に必要な事なのだから。家が無ければクランを作ってはならないという決まりもないため(滞在場所の書類提出は必要)、これくらいならマドカに相談しても問題は無いし、むしろ相談しなければ彼女が心配してしまうまである。

 

「よし、そうと決まれば昼食の時にマドカにそれを相談したら、午後からは早速ダンジョンに潜る事にしよう。運良くワイバーンがスフィアを落としてくれたりすると嬉しいのだが……」

 

またそんな都合の良い事を考えながらも、リゼはギルドの食堂に向けて歩き出した。それが本当にどれほど都合の良い考えであったのかは、それを彼女が実感するのはこの直ぐ後に分かった事であった。

 

 

 

 

「マドカ、こいつは借りていく。夕食までには返却する様に努めよう」

 

「え」

 

「あや、そうですか。ふふ、ちゃんと無事に返してくださいね?」

 

「努めよう」

 

「私の意見は考慮されないのか!?」

 

「努めない」

 

「マドカぁぁあああ!!」

 

「頑張って下さいね〜、リゼさ〜ん」

 

ズルズルと引き摺られていくリゼの姿を、いつも通り大量の皿を平らげていたマドカが小さく手を振ってニコニコ笑顔で見送る。

首元を引っ掴まれて子猫の様に抵抗すら許されず連れて行かれるリゼの姿は、それはもう哀れで、残念で、すれ違う探索者達もまた同情の目でその様子を見ていた。

 

「良い加減に自分で立てゴミ、いつまでそうしているつもりだ」

 

「いや、立てるものなら自分で立ちたかったというか……」

 

「口を動かす前に手を動かせ屑、防具くらい手早く付けろ」

 

「ほ、本当にダンジョンに潜るのか……いや、私としては助かるのだけれど」

 

取り出した宝箱から引っ張り出した防具を装着し、いつも通りの服装のまま防具などこれっぽっちも付けていないラフォーレ・アナスタシアに向き直る。

昼食を食べていたマドカとリゼの前に突然現れ、何の説明もなくリゼをここまで引き摺って来たのは、マドカの母親である彼女だった。

リゼの記憶が確かであれば、リゼはラフォーレにかなり嫌われていた筈だ。それこそ問答無用で殴り付けられる程度には。そんな彼女がどうして自分をダンジョンに潜らせようとするのか。事故に見せかけて殺すつもりなのだろうか?それならばマドカとあんな約束をする筈も無いし、こうして防具をつけさせる時間すら与える筈もなくて……

 

「っ、ワイバーン……!」

 

「邪魔だ」

 

『ピギィィイイッ!?!?!?』

 

「…………」

 

1階層の階層主であるワイバーンが、ただの1発の炎弾によって炭となって落下する。仮にも龍種であるそれを目を向けることすらせずに殺し、そのドロップ品にすら何の興味も見せない彼女。

しかし金のないリゼはそんな訳にもいかず、気を取り直して咄嗟に灰の中から魔晶を回収して小走りで彼女の後ろを着いて行くが、ラフォーレはリゼのそんな行動にすら何の興味も見せなかった。

 

モンスターの存在しない2階層を抜けて、3階層、4階層。ドリルドッグやグランドアリゲーターなど、彼女の道を塞ぐ存在は例えそれに敵意が無くとも問答無用で消炭にされていく。魔晶すらも焼かれてしまうのではないかという凄まじい火力の炎弾を、本当にどれだけ連発しようとも、彼女が疲労を見せる事は一切無かった。

そして……

 

「マ、マッチョエレファント……」

 

「退けデカブツ」

 

『ブァァアアアアアアアアアア!!!!!!!』

 

ワイアームと同等の強さを誇ると言われていたあのマッチョエレファントでさえも、彼女の前では単なる大きな的に過ぎず、2発の炎弾を受けて何の抵抗も許される事なく爆散した。

落ちる大きめの魔晶。

リゼはそれを拾いあげるが、その次元が違うとも表現できるラフォーレの魔法威力に少しの恐怖も抱いていた。

 

龍神教騒動の際に疲労した状態で見た彼女の実力。

意識の朦朧とした中で見たそれは半ば夢の様にも感じていたが、今こうして目の前で見せつけられれば、あの光景が全くの事実であったと思い知らされる。たった一人で街の一角を焼き払った彼女の実力、それが紛れもない本物であったと実感させられる。

 

「前を歩け」

 

「え?」

 

「前を歩け」

 

「それ、は……」

 

「ワイアームを殺せ、出来なければ私がお前を殺す」

 

「!?」

 

そして今、その炎弾が正に自分の身体に向けられていた。

彼女の青い瞳が真っ直ぐに自分を貫く。

近くに居るだけでも汗をかいてしまう程の凶悪な熱量が、明らかな敵意を持って浮遊している。

 

「ワイアームに殺されるか、私に殺されるか、それともお前が奴を食い殺すのか。お前に選べる道は3つしかない」

 

「だ、だが、私は……」

 

「ワイアーム程度に何を恐れている」

 

瞬間、リゼの背後の壁が爆発する。

跳ね飛ばされる身体、少しの火傷を負った足、そして這いつくばるリゼを見下ろすラフォーレ。

痛む全身に彼女は懐から取り出したポーションを乱暴に振り掛け、それでも蹲ったままのリゼの腹部を蹴り上げて無理矢理に体を起こさせる。

ラフォーレの背後には今度は2つの炎弾が浮かんでいた。発揮する圧力を更に強めて。

 

「ワイアームが恐ろしいか?この私より」

 

無理矢理に掴まれた首を強引に引き寄せられ、強者の両眼を問答無用で見せ付けられる。

ワイアームに対する恐怖。

ラフォーレに対する恐怖。

果たしてそのどちらの方が強いのか。

実際の話をしてしまえば、それでもワイアームであるというのがリゼの本音だ。それほどに強化種ワイアームによって植え付けられた恐怖は強い。

 

……しかし、目の前の女はそんな答えは求めていない。

そして、そんな答えを言った日には問答無用でその恐怖を上回る様な恐怖を植え付けてくる。この女はそれが出来る女だ、そこに躊躇はしない女だ。

何故彼女が自分にそんな事をするのかは理解出来なくとも、彼女が自分の目的のためならば簡単に他者を苦しめる事が出来る女であるということは、リゼはもうよく知っている。

 

「……倒せば、いいのだろう」

 

「そうだ、殺せ。惨たらしく殺せ、貴様に出来る最も残酷な方法で殺せ。敵に恐怖を植え付けろ、敵の尊厳を踏み躙れ。貴様の悪意の全てを打つけ、人間としての悪性を発揮しろ。ただ殺すだけでは足りない、決して認める事はない」

 

「っ」

 

何故彼女がそんな事を求めてくるのか、リゼは心の底から分からなかった。

ただ明確なのは一つ。彼女の要求を飲まなければ仮に殺される事は無くとも、ワイアームと戦うよりもよっぽど可能性のない地獄を見せられるということ。

 

「……分かった」

 

言われるがままに、リゼは足を踏み出しワイアームが潜む5階層へと進んでいく。

ここに足を踏み入れたのは少し前、その時には自覚させられたワイアームへの恐怖によって身体がまともに動かず、それは無様に敗北を期した。あれから少しの時間は経っているとは言え、リゼの実力自体はそう変わっていない。精神的にも克服しておらず、精神汚染を一度受けた影響か、元よりも精神的に弱くなっているとも言えるだろう。

 

『ゥゥゥウ……』

 

「ワイアーム……」

 

相変わらず階層内に風を撒き散らしながら自在に空を動き回るワイアーム。見ていれば分かる、今あれが警戒しているのは自分では無く後ろのラフォーレであると。しかしそれでも自分の身体の震えが止まらない。情けないことに、自分に向けられている訳でもない視線にリゼの身体は怯えている。

 

「やれ」

 

「わ、分かっている……」

 

大銃を構える。

スフィアの位置を確認する。

グッと秘石に手を掛ければ、そこだけはいつもと変わらぬ暖かさを纏っていて、少しの安堵を齎してくれた。

 

ワイアームとの戦績は1勝1敗。

エルザ達と経った時のことを考えればそこに1勝が追加されるが、それは野暮というもの。ワイアームの攻撃方法や行動については粗方頭の中に入っている。あとはそれをどこまで恐怖に負けることなく実行出来るかどうか。それを乗り越えるための要素は、それを更に超える背後からの威圧感以外はここにない。

 

「……っ、はぁぁぁっ!!!」

 

『オォォオッ!!!』

 

以前と変わらず、リゼが走り出したと同時にワイアームもまた突進を仕掛けてくる。

スレ違い様の一撃、振り下ろしたリゼの大銃が龍の顔を掠める。

 

「チッ」

 

人並外れた眼を持つリゼならば、普段の力をもってすれば今の一撃でワイアームに対して大きなダメージを与えられていた筈だった。その眼力を持ってすれば敵の攻撃を完璧に避けつつも、その顔面に一撃を叩き込むのは造作もないからだ。

しかし今こうして敵の顔を掠めるだけに結果に終わってしまったのは、迫り来るワイアームの圧にリゼが恐怖を隠すことが出来ず、冷静さを乱し、必要以上に回避する事に思考を割いてしまったからだ。

 

背後から聞こえて来た舌打ちに冷や汗を流しながらも、とにかく息をして思考を取り戻す。

振われた長く大きな身体から繰り出される体当たりを避け、必ず敵の頭から目を離さないようにし、前兆を察知すると同時にその場から大きく跳ね飛び、口から放射される空気弾から逃れる。

 

防戦一方……ではあるが、以前よりはまともに戦えている。

どうにもリゼはワイアームの突進に対して特に恐怖を抱いてしまう様で、逆に言えばそれ以外の時には頭を冷静に回す程度の余裕はあった。ならばもういっそのこと、突進に対しては全力回避に徹すればいい。幸いにも最初のスレ違い以降、カウンターを恐れてかワイアームが突進を仕掛けて来る事は殆ど無かった。

 

「っ、『回避』!『炎打』!」

 

『ガァッ!』

 

気付くのに遅れた頭上から振り下ろされる尾の一撃をスフィアの力で強引に避け、即座に反転して地に落ちた体部に向けて炎を纏った大銃を振り下ろす。

しかしこちらに回避のスフィアがある様に、敵には気穴を使った緊急回避手段がある。リゼの動きに気づくや否や、いくつもの気穴を噴射させて距離を取り、ワイアームは再び場を改める。

 

こうして対面する度にリゼは思う。

高位の探索者ならば一撃で始末してしまう様なこの龍も、根本的な能力が足りないだけで間違いなく強者であるのだと。

4階層のマッチョエレファントを見た、6階層ではパワーベアを倒した、そして地上では異形の怪物達と対峙した。そのどれもがリゼからしてみれば凶悪に見えたし、中には単純な能力だけで言えばワイアームを超えている者も存在していた。しかし戦闘経験というか、戦闘用の思考というか、強いて言うのであれば戦闘の巧さというものに関しては、目の前のワイアームが群を抜いている様に感じている。

リゼだって気付いている。

ワイアームと同等の位置付けをされているマッチョエレファント。しかし彼等にもステータスというものが存在しているとするならば、その合計値が優っているのはまず間違いなくマッチョエレファントの方であると。それでも、もし仮に彼等を直接ぶつけた場合、勝つのはワイアームの方になる。それだけは確信出来る。

 

(結局、それが全てなんだ。ステータスはあっても、それを活かせる頭と心が無ければ意味が無い)

 

ワイアームが突進を仕掛けて来る。

リゼはそれを必死になって避ける。

そして再び、ワイアームは突進を行う。

リゼはまたもやそれを必死に避ける。

 

……見抜かれた。

自分が敵の突進攻撃を苦手としているという事を、僅かこの少しの間に見抜いて来た。

 

突進の中で織り交ぜてくる体当たりや空気弾。

身体の大きさを活かした蹂躙戦法を捨てて、突進を中心とした削る意識の行動に切り替えた。そうして削られるのはリゼの体力だけでなく、精神力もまたそうだ。このまま続けていれば、必ずどちらかが限界を迎えて致命的な隙となる。

長引くこの戦いに、ワイアームは我慢比べを選んだのだ。到底モンスターが取るとは思えないそんな選択を、奴は選んだ。

 

(ならば私が我慢をするのは何に対してだ?体力か、精神力か、それとも……)

 

戦闘が長引く程に、着実に背後から感じる圧力は増して来ている。この程度の相手に何を時間を掛けているのかと、見ずとも分かる勢いだ。

ある意味では板挟み。

それでも、それこそマドカの教え子である自分がワイアーム程度に負ける様な姿を、マドカの母親である彼女に見せる訳にはいかない。この戦いに、負けるという選択肢は最初から存在してはいない。

 

(……我慢、しなければ。この恐怖から)

 

突進を避け続ける。

敵の衰弱を待つ。

それは一見我慢比べの様に見えて、実際にはただ逃げているだけに過ぎない。本当に今向き合うべきは、必要以上の力を使って避けてしまっている原因となる恐怖に対してだ。

 

……本来、リゼにとって突進という攻撃は、むしろチャンスでしか無いのだから。いくら敵が龍種と言えど、リゼの眼の性能に敵う相手などそうそう居ないのだから。

 

「おい」

 

「?」

 

「あと30秒以内に終わらせろ、さもなければこの空間ごと貴様を焼く」

 

「……っ、相変わらず容赦が無い。これはもう腹を括るしかないかな」

 

再び突進を仕掛けて来たワイアームを跳躍で躱し、その背中を踏み付けて着地する。

以前もそうだった。

リゼが敵を倒す時、それは自分の眼に頼り切ったカウンター。それしかない。正面から敵に向き合い、叩き潰す。敵を恐れる事なく、目を合わせて、冷静に頭を回さなければ、それは為し得ない。

……それに今は、たとえどれだけ恐ろしくて、足が震えるほど怖い思いをしていても、それでも……やらなければ、殺される!!

 

「『視覚強化』『星の王冠』!!」

 

『ガォァァアッ!!!』

 

「さあ!気合を入れろ!腹を括れ私!マドカはあの恐ろしい相手から、命を賭けて私を守ってくれたんだ!それに比べたらこんなもの!!」

 

声を出す。

自分を鼓舞する。

以前と同じでいい。

以前の感覚を思い出せばいい。

上手くなくていい、みっともなくていいのだ。

劇的でなくても、感動的でなくても、今だけは格好悪くても、それでいい。

目の前の敵を乗り越えられるなら。

目の前の恐怖を克服出来るのなら。

ワイアームに負けた事は、まだマドカには報告していない。報告したくない。そんな事をバレたくない。だから今ここで取り戻す。自分の自信を。マドカの教え子として、恥ずかしくない自分を。

 

「せやぁぁああああ!!!」

 

全身全霊の力を込めて、大銃をワイアームの顔面に向けて叩き付ける。突進をギリギリの間合いで避け、恐怖から意識を必死になって守り抜き、普段よりも幾分か不自然な格好になりながらもカウンターを決める。

それでも確かな手応え、確かな威力……そんなものは、何処にも無かった。

 

『ゴァァァア!!』

 

「うっ」

 

叩き付けたと思った大銃が、ワイアームの大顎によって止められ、飛ばされる。背後へ飛んでいく大銃、そして武器を無くしたリゼに追撃を仕掛けようとするワイアーム。

リゼは素手での戦闘は得意では無い、そうなれば今度こそ負けの目が見えて来る。

 

「……!いや、まだだ!!」

 

だが、リゼは以前の戦いから今日までの間に、その技術だけはしっかりと会得していた。ステータスを含めても殆ど成長していない彼女が、目に焼き付いたそれを再現する為に何度も試して練習し、そして最後には実戦で扱ったその技術。

 

「『回避』……!!」

 

背後に吹き飛ばされた大銃を追う様に、リゼもまたスフィアの効果によって吹き飛ばされる。未だ残っている視覚強化で周囲の状況を把握しながら背後に飛び、その動きに一瞬の驚愕によって身体を停止させたワイアームを踏み台にして跳び上がった。

宙で銃を掴む。

壁に足を着けて敵を見る。

呆然とこちらを見ているワイアームは、あまりにも隙だらけで、これっぽっちも、あれほど感じていた恐ろしさを持ってはいなかった。

 

「『炎打』ぁぁああ!!」

 

炎を纏った大銃を、今度こそワイアームの顔面に向けて振り下ろす。

割れる頭。

地面に叩き付けられる顎。

炎を纏い打撃と同時に小爆発を起こしたその全身全霊の攻撃は、間違いなくワイアームの命を奪うに十分な威力となった。

 

少しずつ灰に変わっていく好敵手を見下ろす。

やはりスフィアが落ちる事はなく、2度ほど見たことのある大きめの魔晶が転がるだけ。

……ただ、そこには何か目に見えないドロップ品があった様にも思えた。形にはならないそれを、一体何と言葉にすればいいのか。

少しの息を荒げながらも一度目を閉じ息を整えてから魔晶を宝箱に収めたリゼの顔が、前より少しだけ清々しいものになっていた事だけは、きっと間違いない。




リゼの戦法……基本的に近接戦闘に関しての技術は素人程度でしかなく、故郷の山では一般的な猟銃を改造したものを使っていた。故に技術ではなく、その目による対応力の違いで強引に突破している。現状の戦闘スタイルが彼女本来の物ではないというのは間違いなく、今のスタイルが最終的なものになる訳もない。


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32.2人2つ

 

「点数もつけられない程の無様、全ての判断を裏目に返す愚行、馬鹿の一つ覚えの様なカウンター、貴様は才能をドブに捨てる天才か何かか?」

 

「か、返す言葉もない……」

 

「たかがワイアーム1匹にどれだけ消耗するつもりだ?マドカが貴様くらいのレベルの頃には無傷で叩きのめしていたぞ」

 

「いや、それは、ほんと……情け無いというか……」

 

「帰りは3分で殺せ、存分に苦痛を与えてな」

 

「ぜ、善処する……」

 

ワイアームの討伐に成功した後、リゼに待っていたのは問答無用で顔面にぶち撒けられるポーションと罵詈雑言の嵐だった。

そのあまりに凶悪な威圧感の前に身体は勝手に正座をし、表情には出さなくとも明らかに不機嫌な雰囲気を醸し出して腕組み立つラフォーレに、反抗する事もなくその全てを素直に受け入れる。まあ、言い方は悪くとも彼女の言っていることに間違いはないから。苦痛を与えろ、というのは未だよく分からないが。

 

「チッ、まあいい……立て」

 

「え?」

 

「立て、9階層へ行く。着いてこい」

 

「い、いや!9階層まで行くのかい!?私はまだ6階層以降の知識が……!」

 

「身体で覚えろ、3回も死に掛ければ直ぐに慣れる」

 

「3回も死に掛けてたまるか!!」

 

「口を動かす前に足を動かせ、このゴミが。さっさと立て、9階層までこのまま蹴り飛ばして進んでやろうか雑魚、無能」

 

「いたっ、痛い!?もう蹴って、いっ!?た、立つ!立つから待っ、待ってくれない!?本当に9階層まで蹴って進むつも……ぐほっ!?」

 

「早く立て」

 

「無茶振りが過ぎる!!」

 

問答無用で腹部を蹴り付けてくる彼女からリゼは四つん這いになって必死に逃げ、そんな彼女をラフォーレは変わらぬ無表情で追っていく。

彼女はやはり、自分で言葉にした事はそれがいくら世間的に許されない事であっても実行しようとする人間だった。それはワイアーム戦の際もあの30秒で決着をつけられなかった時のために特大の炎弾を3発も宙に漂わせて用意していた事からも伺える。

 

……ただ、それは同時に彼女が自分の言葉に一定の責任を持っているとも言えるよかもしれない。

 

そして今、彼女はこうして自分の時間を割いてマドカではなくリゼの側に居る。それが示している事とはなんだろうか。そんな事は考えなくとも分かる。

 

(……あの時に私が願った"強くなりたい"という言葉を、彼女はきっと今叶えてくれている)

 

なぜそうなったかは分からない。

あれほど酷い評価を受けていたのに、どうして突然そんな心変わりをしたのかは分からない。もしこれがマドカに頼まれてのものであったならば、それこそ今の状態とは比にならない程に酷いことをされていてもおかしくない。つまりこれは、彼女が彼女の何らかの考えの元で行っている行為なのだろう。

……それはきっと、恵まれた事だ。

こうまで滅茶苦茶で強引な指導をされた事はないリゼであるが、それでも彼女の強引さはマドカとはまた違った影響を与えてくれる。ああまで必死になるには、恐怖を乗り越えるためには、無心になるためには、きっとマドカの優しさよりもラフォーレの圧力の方が適任だった。もちろん精神的な疲労は凄まじいけれど、まあそれも偶にはという事で。

 

「貴様、6階層以降の知識は本当にないのか?」

 

「す、少しだけなら……ただ、前にマドカ達に連れて行って貰った際にパワーベアは倒したのだが、他のモンスターはまだで……」

 

「完全なる森林地帯、モンスターの他に毒草や虫類も存在する。モンスターも厄介な種がパワーベア以外にも3つほど居る……言ってみろ」

 

「えっ、あっ……!えっと、物理攻撃で分裂するフォレストスライム、火花を出しながら飛ぶマッチモス、風弾を扱うハウンドハンター、それに森の帝王カイザーサーペントが最も危険だと確か」

 

「それぞれの詳細は?」

 

「……勉強不足ですまない」

 

「ゴミが」

 

「うぐぉっ」

 

ようやく普通に立ち上がって歩くのを許されたかと思えば、脇腹に突き込まれる二本指。その場で蹲るリゼに対して、ラフォーレは立ち止まってはくれるものの、さっさと立てと蹴り付けてくるのだからまた酷い。あまりに乱暴なその催促になんとか再び立ち上がってフラフラと歩き始めるが、質問に答えられなかっただけでこれとは、問一つで命懸けである。

 

「少し考えれば分かるだろう、カラ頭。ただ火花垂れ流して飛ぶだけのゴミ虫がそんなに危険か?ただ魔法以外の攻撃が効かないだけの液体がそうまで危険か?自分の発した言葉に欠片の疑問も持たないのかこの駄女」

 

「い、いや、実は私もそれは不思議に思っていて……」

 

「調べたのか」

 

「……時間が」

 

「だから貴様はゴミなんだ、この愚鈍が」

 

「痛い痛い痛い!私が悪かった!悪かったから!」

 

そうこうしているうちに辿り着く7階層、そこには以前に来た時と変わらず緑の世界が広がっていた。視界が悪く、動くスペースも限られているこの空間。同じ作りの6階層にはモンスターはいないが、7階層からは出現する。出来た獣道も短時間で元に戻り、数少なく存在する広場の様な空間は一見心安らげる空間に見えながらも、森のモンスター達の狩場の様になっているという天然の罠。そして危険なのはモンスターだけではなく、先程ラフォーレが言っていた様に毒草やモンスターでは無い普通の虫も存在するという事だ。

その程度の毒ならばある程度のVIT(耐久力)のある探索者ならば問題は無いが、そもそもの精神的なストレスや集中力の消耗までは防ぎ切れない。そうでなくとも、そもそもそういった環境が苦手な者も多いだろう。そして、単なる毒草かと思えば幻覚作用のある物まで存在している。仮にVIT(耐久力)の低い物がその被害に遭えば、パーティ全体が混乱してしまう可能性もある。何処にでもありふれている小さな物だと油断しているのは、あまりにも危険なのである。

 

「さて…………………焼くか」

 

「待て待て待て待て待て!一体何をするつもりだラフォーレ!!」

 

「何故こんな不快な場所を私が服を汚してまで歩く必要がある?それと勢いに任せて貴様今呼び捨てたな?」

 

「だからと言って火を付けたら大変な事になるだろう!それは私だって止めるさ!こんな所で火事など起きたら窒息死するじゃないか!」

 

「問題ない、ダンジョン内ではいくら火を付けようとも窒息死する事はない。勝手に空気の入れ替えが行われるからな。24階層まで丸焼きにした私が断言してやる」

 

「強化種が出てくるとマドカは言っていたぞ!」

 

「焼けばいいだろう」

 

「考え方が酷過ぎる!!……って、あぁっ!」

 

そうこうしているうちに、森から上がり始める火の手。森の"奥の方"から煙を上げながら周囲を赤く照らし始めた炎は着実に多くの火の粉と共に広がり始め、森に隠れていたモンスター達が様々な悲鳴を上げながらも走り回る音が聞こえてきた。熱を上げる空間、木々や獣が焼かれる匂い、毒草に火が付いた事で煙となって生じる毒ガス……リゼは急いで以前にユイから手渡された防毒用のマスクを取り出して着用し、その隣でラフォーレも面倒臭そうな顔をしながらマスクを付け始めた。それをした本人である癖に。

 

「ま、まさか本当に炎を付けるとは……これでは先に進めないのではないのか!?」

 

「……?私はまだ火を付けていないが」

 

「え?いや、だが先程……」

 

「火の手は森の奥から上がっていただろう、仮に火を付けるにしても何故そんな面倒な事を私がしなければならない」

 

「それは、確かに……」

 

「そもそも焼くとは言うが、本当に火を付ける筈があるか。無駄に熱い上に通れなくなる。私は直線上に爆破して道を作るだけだ駄犬」

 

「そ、それならば一体……」

 

思いの外常識的な答えが返って来た事に驚きながらも、リゼは困惑した顔で森の方を見る。大量に飛び散る火花……いや、降り注いでいる火花。それを奇妙に思い更に上の方に目を向けてみると、そこにはヒラヒラと舞う数多の羽根が見えてくる。

 

「……そういうことか、マッチモスの危険性というのは」

 

「チッ……マッチモスは求愛行動を行う際に特殊な可燃性の液体を体外に発する。それは一度引火すれば完全に消費されるまで例え水中であっても燃焼し続け、大規模な山火事を引き起こす要因となる。通常時に羽から落ちる程度の火種ならば何の問題も無いが、10匹も集まって踊り狂えばこのザマだ。害虫共が」

 

「あっ」

 

階層の上の方でヒラヒラと舞いながら大量の火花を森に向けて落としている、総じて12匹のマッチモス。見ようによっては美しさすら感じるかもしれないそれだが、ラフォーレはその集団に向けて問答無用で極大の炎弾を3発続けて撃ち込んだ。

回避する余裕も無く、理解もなく、天井にクレーターを作るほどの爆破に巻き込まれて消しとばされるマッチモス達。その体内の魔晶ごと爆散し、言葉通りに影も形も残る事なく彼等は消し去られた。体内の可燃性の液体もその熱量に一瞬で消費され、むしろラフォーレの炎弾の威力が上がってしまったのは悲しい出来事なのかもしれない。それとも、そもそも炎属性に弱い生物なのか、個体自体はそこまで強い訳では無いのか。

……しかし当然、それだけしても森の火が収まる訳ではない。今もマッチモスの火花とは別の要因で連鎖的に炎は広がっている。いくら根本を絶った所で、ここから先に進めるかどうかとは別の話だ。そしてそれはラフォーレもまた分かっているはず。

 

「はぁ……少し待て、スフィアを変える」

 

「あ、いや……私は別に構わないのだが、これだけの炎をどうにか出来るのか……?」

 

「炎弾ほどの規模は無いが、道を開く程度ならば問題無い。……3分もあればいい具合に火も広まるか。混乱したモンスター共が全滅するまで待つ」

 

「いや、もう……全部任せたい……」

 

「ふん、無能な働き者よりかは無気力な愚者の方がまだマシだな」

 

「散々だな……」

 

そして結局数分後。モンスターの悲鳴が消え、炎が森一帯に広まった頃を目安に、ラフォーレは水弾のスフィアを3つ嵌め込んだ秘石に手を当て、宣言通りに消火活動を始めた。

消火活動というよりは自分達が進む方角に向けて強烈な水弾を放つ事によって火を消し飛ばし、脆くなった木々まで吹き飛ばす事で道を作っていただけなのだが、それでさえもやはり異常な威力が出ていた事を見てリゼが呆然と着いていく事しか出来なかった事は、言い訳のしようもない。

 

 

 

 

 

リゼがそうしてラフォーレと共にダンジョンに潜っている頃、地上でもまた平和が続いているという訳ではなかった。

探索者が戻り、様々な噂話や後始末が続けられている現状。むしろこの有様で何も起きなかったという方があり得ない話とも言える。

 

「おい!マドカのねーちゃん!!」

 

「へ?……あ、アルカさん。お疲れ様です、今回も大活躍だったみたいですね。最多討伐数を記録したと聞きました、お見事です」

 

「え?ああ!へへっ、まあアタシにかかればそんなの当然……って、そんな話をしに来たんじゃねぇ!ワイアームの話だよ!強化種の!誤魔化されねぇかんな!」

 

「?」

 

ギルドの裏手にある広めの鍛錬場で治った足のリハビリをしていたマドカの所に、その少女はやって来た。短い赤髪を更に後ろで纏め、腰に短い双剣を携えた、まだ15でしか無い幼い探索者。

彼女の名はアルカ・マーフィン。

何を隠そうイカれた探索者が集う"龍殺団"を作り上げた実力あるトップであり、彼女自身その幼い身でありながらもダンジョン街オルテミス上位の実力を持つ探索者であった。

 

「マドカのねーちゃんが強化種のワイアーム一人で倒したって本当かよ!?」

 

「一人というか、エルザさんとユイさん、それにリゼさんの支援を受けながらの話ですよ?私1人では到底勝てませんでしたから」

 

「でも倒したんだよな!?それにアタシの時はそんな変な毒使ってなかった!間違いなく強化種の中でも強い奴だ!倒したんだよな!?」

 

「えっと、それはそうかもしれませんが……」

 

「絶対許さねぇ!!!」

 

「えぇ……」

 

そのあまりの勢いに困った顔をして返答する事しか出来ないマドカ。許さねぇ、そう言って双剣を構える彼女の眼は完全に本気だった。

一応とは言え自分の剣を持って来ているマドカであるが、そうは言っても彼女はアルカと戦うつもりなんて全くない。

小さな少女の癇癪というか、思春期故の衝動というか、ともかく気も手も早い彼女は口より先に体が動き、体が動けば気分が動いて、気分が動いて頭が動く。勿論全面的に戦闘の方向に向かって。

ちなみにそんな彼女がこうしてマドカに喧嘩を売るのは、特段珍しい事でも無かった。それは彼女がマドカのレベルを追い越すよりも前からそうだった。何かにつけてアルカ・マーフィンは、マドカ・アナスタシアをライバル視している。それは勿論、自分が彼女のレベルを遥かに追い越した今でさえも。

 

「ふざけんな!!ちゃんと勝負しろ!!」

 

「そうは言われましても……もうやめましょう?またカナディアさんに怒られてしまいますよ?」

 

「うるせぇ!知らねぇ!!」

 

「う〜ん……」

 

凄まじい勢いで双剣を手に飛び掛かり、目にも止まらぬ速度の連撃を打ち込むアルカ。マドカはそれを後ろに下がりながら自身も二本の剣で受け流し、鍛錬場の端まで追い込まれると、鍔迫り合いを利用してアルカの体勢を崩しつつ、鮮やかに立ち位置を入れ替える。そんな事を往復2周ほど続ければ短気な少女が頭に血が上り冷静さを更に失うのは当然の話だ。そうなれば益々勝ち目が無くなるのもまた当然の話で。

 

「なんで、なんでアタシはまだアンタに勝てないんだよ!!もうレベルだって7も上なのに!!」

 

「あ、アルカさんまた上がったんですね。でも私も今回の件で2つ上がりましたので、実際には5つの差です」

 

「5つも離れてれば!!普通は!!こんなっ!!」

 

「その考え方は少し間違っています。例えばアルカさんは実戦は十分なので、知識を付ければもっともっと強くなれる筈です。対人戦闘はまた色々と趣が違いますし、まずはそういった勉強から……」

 

「アタシに指図すんな!!」

 

 

「ですよね、カナディアさん?」

 

 

「ああ、全くその通りだ。どうもレベルが上がって調子に乗っている未熟者が居るようだな?」

 

「え……うわぁっ!?」

 

いつの間にかそこに立っていた人物に意識を奪われたその瞬間、対峙していたマドカにアルカは双剣を左右に向けて弾かれる。自分から酷く離れた位置に転がる愛剣達と、そんな無防備になった自分に向けて歩いてくる見慣れた女の姿。その威圧感は凄まじく、思わず後退りをした所を、アルカは背後のマドカに受け止められる。

 

「危ないですよ、アルカさん?」

 

「は、は、離せ、離せよ……!嫌だ、嫌だ!せっかく今からダンジョン潜れるのに!また勉強部屋行きなんて絶対嫌だぁあ!!」

 

「アルカ、まさか病み上がりのマドカに襲い掛かるとは……思い上がりの激しいお前には更に厳しい指導が必要な様だな?」

 

「だって、だってマドカのねーちゃんが……!」

 

「お前のそれが言い訳になると思うか?」

 

「うっ」

 

アルカは決して馬鹿ではない。戦闘狂で幼くはあっても、頭が回らない訳ではない。少し暴走気味なだけで、正論を叩きつけられれば口を紡ぐ程度の頭はある。

溜息を吐きながらそんな彼女に近づいて来るのは、彼女の保護者とも言うべき存在だ。彼女の居場所を実質的に守っているとも言える、龍殺団唯一の常識人。カナディア・エーテル。

 

「いいか?マドカのレベルの上がりが遅いのはそもそもの技術が高いからであって、お前のレベルの上がりが早いのは技術と経験の浅い未熟者だからだ。にも関わらず、レベルが上がった事に優越感を得て襲撃をするとは、まだまだ知識と意識の定着が浅い様だな」

 

「ア、アタシとマドカのねーちゃんにはレベル5以上の差があるってのかよ!そんなの認められるか!」

 

「むしろ事実として5つものレベルの差がありながら病み上がりを相手に弄ばれて、恥ずかしくないのかお前は」

 

「うぐっ」

 

刺さる、カナディアの容赦のない言葉が。

言葉の弱いアルカの心がへし折られる、容赦なく突き付けられる目の前の事実を直視させられて。

 

「大抵の龍種ならば今のお前の戦い方でも通用するだろう、レベル相応の結果も残せる筈だ。だがワイアームの様な知性の高い相手が今後出て来た時、今のお前ではまず間違いなく足手纏いにしかならん。強化ワイアームにお前が負け、マドカが勝てたのは、何よりその要因が大きい。お前とてそれは理解しているだろう」

 

「今はもう負けねぇ!今戦ったら絶対に勝てる!!あれは一年前のアタシが弱かっただけだ!!」

 

「別にお前が私に何と言い訳を並べ様が一向に構わないが、お前自身その言葉を何の疑いようもなく受け入れられるのか?」

 

「っ」

 

「……まったく。本当に強くなりたいのならば学べ、考えろ、そして意識を変えろ。それが出来なければお前は一生マドカに追い付く事は出来ない。お前が相手にしようとしているのは、その知識と経験のバケモノだとそろそろ気付け」

 

「あぁぁぁあもう!うるせぇうるせぇ!!バーカ!!ババアの説教なんて聞いてられっかよ!もう帰る!!」

 

「アルカ!!」

 

「うるせぇ!このクソばばあ!!」

 

「今日の夕食は野菜で揃えるからな」

 

「嫌だぁぁぁああああ!!!!!」

 

それまでの言葉の何よりも夕食が野菜で揃えられるという事実に嘆いて走り去っていく少女。置いて行ってしまった彼女の2本の愛剣をマドカが拾い上げてカナディアに手渡すと、カナディアは何処か疲れた様な顔をしながらもそれを丁寧に受け取った。

龍殺団の団長:アルカ・マーフィン、そして副団長:カナディア・エーテル。彼女達の関係は一眼見れば容易く分かる程に単純なもの。そしてそのクランの中で誰が最も苦労しているのかと言うことも、少し考えれば誰にだってよく分かる。

マドカ・アナスタシアとカナディア・エーテルは、そういう意味でも仲が良かった。互いに互いの必要な物を持っていて、気も考え方もよく合う、相棒やパートナーと言っても良い様な間柄。

 

「お疲れ様です、カナディアさん」

 

「ああ……すまないな、マドカ」

 

こんなやり取りも、2人にとっては慣れたものであった。




アルカ・マーフィン……カナディアが保護した少女であり、龍殺団の団長を務めている。凄まじい速度でレベルを上げており、能力であれば上級探索者の領域に足を踏み入れている。しかし未だ精神的に未熟であり、知識や技術に関しては未熟なところが多い。カナディアの家に住んでいるが、基本的にダンジョンに潜りまくっているので朝食を食べたら夕食まで絶対に帰って来ない。マドカに対してライバル心を抱いているが、簡単にあしらわれてしまう。


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33.努力が人を動かす

アルカがその場から逃げ出した後、マドカはカナディアの手を取って近くにあった木製の長椅子に腰掛け、いつも通りの微笑みを浮かべて言葉を待った。

種族の違い、それによる歳の違い、そんな事は些細な事とばかりに肩を並べる少女。そんな彼女に何度戸惑い、何度安らぎを得た事か。今ではそんな事にも懐かしさを感じる様な自分に、カナディアは満足感すら覚えている。

 

「……やれやれ、アルカは15とは思えぬ程に言動が幼いというのに、お前は17とは思えぬ程に落ち着いているな」

 

「それもアルカさんの人柄の一部ですから、否定するものではないですよ。実際アルカさんのあの性格に助けられている人達も居る訳ですから」

 

「そうは言っても、15の頃のお前は今と殆ど変わらなかったからな。どうにも子育てに関しては私よりラフォーレの方に才がある様に思えて自信が無くなる」

 

「カナディアさんは頑張っていますよ。それにアルカさんはちゃんと優しい心を持っています。それさえあるのなら、きっと間違いなんてありません」 

 

マドカのその言葉がなによりの本心であり、同時に間違った話ではないと知っているからこそカナディアは苦くとも笑いを返せる。

何をどうしたらあんな母親からこんなにも優しい娘が出来上がるのか、それはこの街における7不思議の1つでもあった。そうだからこそ、ラフォーレもまた自分の娘をここまで溺愛しているのかもしれないが。

 

「……本来ならばお前くらいの歳の子には年長者の私が言葉を送るべきだろうに、どうも慰められてばかりいる自分が情けなくなるな」

 

「その分、私が困った時にはいつでも助けてくれるじゃないですか。カナディアさんにだからこそ明かしている事も沢山ある訳ですし」

 

「まあ、確かにお前から持ち込まれる話は大抵頭が痛くなるものばかりだがな。それを隠されているよりは遥かにマシだが」

 

「その言い方だとまるで私が隠し事ばかりしているみたいです」

 

「事実だろう、お前は私にあといくつ秘密を残しているんだ?」

 

「ふふ〜、秘密です♪」

 

「全く、その秘密の全てを暴くにはあと何年時間が必要な事やら」

 

母と娘、そう表すには近過ぎる。

友人や親友、そう表すには熱過ぎる。

しかし恋人にしては敬いが見え過ぎる。

こうして穏やかな日差しの元で肩を並べて語り合う時間はきっと何より幸福な時なのだろう。それでも、こうして幸福な語り合いの時間もいつまでも続くものではない。

秘密がある。目を逸らしていた事実も多くある。幸福に笑う彼女達の後ろには、ずっと付き纏っている暗い事実達が確かにある。

 

「……それで、誰が亡くなったんですか?今回は」

 

「!……気付いていたのか」

 

「そんな顔していました、笑って話している事すら申し訳ない様な」

 

「そうか……まだまだだな、私も」

 

「私としてはその方が助かりますけど……まあ、大体分かります。亡くなったのはノエルさんですね」

 

「ああ……遅れて発生した地下からの個体群が、丁度治療所の真下から現れた。身動きの取れない重傷者の代わりに戦っていたそうだが、そのまま連れ去られてしまってな」

 

「……亡骸は、どうなりましたか?」

 

「……今回現れた対象はラッド・ドラゴンと名付けられた。奴等は習性として敵味方構わず死体に自身の卵を植え付け、凄まじい勢いで繁殖する」

 

「………」

 

「卵が孵化するまでに最短で3時間、その後に死体を元に生体になるまでに1時間。私達がそれを見つけた時には、既に失踪から3時間半が経過していた」

 

「そう、ですか……」

 

「見つけたのはラフォーレだ。奴は即座にその場でノエルの遺体を焼いたそうだが、間違いなく人の形は保っていなかっただろう。遺品は今まとめている、お前から借りていた物は後で代わりに返そう」

 

「……ありがとう、ございます。しっかりと話して下さって」

 

「いや、私達がもっと治療所に戦力を割いていればこうはなっていなかった。責はそう進言しなかった私にもある」

 

「カナディアさんの立場も分かっているつもりですし、レンドさんがそうせざるを得なかった程に戦力が足りていなかったという事実も理解しています。それに私だって、聖の丘の団員さん達を守れませんでしたから」

 

「……それこそ、お前が責任を感じる様な件では無かったろうに」

 

それは本当に、よくある話だった。

この街でなら当然、誰もが何度も味わう事だった。

通常のダンジョン探索ならば勿論、"龍の飛翔"と呼ばれる強力な龍種が地上に現れる厄災とも言える様な現象も存在するこの街では、ありきたりな話だ。

いくら力を増して来た探索者達でも、死者をゼロにする事なんて決して出来はしない。いくら優秀な仲間や指揮官がいたとしても、死者を出さないなどという偉業を簡単に実現出来はしない。

今回はそのうちの1人が偶々マドカにとって懐いてくれていた後輩であって、尊敬してくれていた愛らしい少女であって、真面目で責任感の強い将来有望な探索者の1人であったというだけだ。

小さな身体に金色の髪を編んだ青眼の小さな少女は、その生真面目さから人々を救う為に"聖の丘"に入り、回復に特化したスキルで重傷者達の治療を行いながらも、最後にはその彼等を守るために決して得意ではない戦闘を挑み、敗北した。その美しい容姿を欠片も残す事なく、人としてあまりに無残な最後を遂げて、彼女は消えた。

……きっと、ラフォーレがその場で即座に彼女の死体を焼いたのは、単に死体を残しておくと繁殖の餌場になるからという理由だけでは無いはずだ。

探索者ならば誰でも知っている事だ。

探索者の終わった姿など、綺麗な思い出を残しておくにはあまりに不要な物であると。

 

「……正直に言えば、油断していた」

 

「…………」

 

「敵は間違いなく邪龍級の存在ではない、そして数は多くとも1体1体はそう強い訳でもない。奇妙な能力を持っている訳でも無く、時間さえかければ簡単に終わるものだと、そう思っていた。……だが、その結果がこのザマだ。死人こそ少なくとも、精神的、そして肉体的な重症者があまりにも多過ぎる」

 

「そう、ですか……」

 

「今も街の復興と探索者達の治療が同時に行われているが、肉体的な治癒は時間をかければ可能だが、精神的な治療はそう上手くはいかない。果たして何人の探索者が辞す事になるか。再起不能の怪我を負ってしまった者達も含めると、良い想像はまるで出来ない」

 

頭に手を当てながら、蹲る様にして心音を吐露するカナディアの背中を、マドカは優しく撫でながら聞き頷く。仮にも代表的なクランの副団長(実質的な団長)として動く彼女は、自身のクランだけでは無くこの街の未来まで見据えて働いている。そんな彼女は探索者という財産の価値をよく分かっているし、1人の人間が居なくなるという事実が周囲に与える影響というものをよく理解している。

今回の討伐は確かに成功した。

しかし同時に指揮陣の1人としては完全に敗北していた。そうでなくとも、こうして弱音を吐くことの出来るマドカの可愛がっていた少女を死なせてしまったのだ。誰に言われなくとも感じる責は、あまりにも大きい。

 

「……次こそは、勝ちましょう」

 

「マドカ……」

 

「確かに今回は、沢山の被害が出てしまったかもしれません。でも、次の機会で被害を減らすことが出来れば、せめてその犠牲を無駄にはしなくて済みます」

 

「……そう、だな」

 

「私、ちゃんと理解していますから。この街に居る限り、今隣に居る誰かが明日には姿を消している事だってあるって。けれど、それは決して無駄な犠牲では無く、この世界を守る為に必要な犠牲だって」

 

誰かが戦わなければならない。

誰かが体を張らなければならない。

そこに男だって、女だって、関係無い。

それを理解してこの街に居る筈なのだから。

それを理解していなければ、この街に居てはいけないのだから。

 

「カナディアさん、手伝ってくれませんか?」

 

「?なにをだ……?」

 

「私、まだ左足の感覚が完全には戻っていないんです。だから手伝ってください、調整」

 

「……それは構わないが、あまり上手く出来る気はしないな」

 

「いいんですよ、上手くなくたって。忘れるのはまた違うとは思いますが、何かをしている間だけは、辛い気持ちも少しはマシになりますから」

 

悔やもうと、悲しもうと、謝罪をしようと、起きてしまった事は今更どうしようもならない。ただ反省して、悲しみを堪えて、前に進む以外に出来ることなんてない。

 

『マドカさん!私、絶対に絶対に!皆さんの役に立って来ますから!きっとたくさんの人を守って見せますから!だから、帰って来たらまた褒めて下さいね!絶対ですよ!』

 

「…………よく頑張りましたね、ノエルさん」

 

満面の笑みでそう言った天真爛漫な少女は、今でもまだ、この記憶の中には居る。それだけでもきっと、この街ではマシな方なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃、ダンジョン9階層ではもう1人、今にも死にそうになっているマドカの後輩が居た。

 

「うわぁぁぁあああ!!!」

 

「逃げるな!戦え!殺されたいのか!」

 

「無理無理無理無理無理だぁぁあ!!こんな!こんな化け物……!」

 

『キシャァァアアッ!!!』

 

「うわぁぁあああ!?!?」

 

「チッ、雑魚が」

 

森の中を巨大な蛇に追われているリゼ・フォルテシア。木々を薙ぎ倒し、地面を削り、進路上に存在するモンスター達を跳ね飛ばす。その速度と力強さは同じ様な形状をしているワイアームとは比較にならない程に凄まじいもの。

森の中の探索に慣れているリゼが木々の視界の悪さを利用して様々な方法で逃げ回っていても、その度に何度も何度も追い付かれ、木々などの障害物を込みにしてもなお速度で負けているが故に、リゼは本当に現在命の危機に陥っていた。

 

「所詮はただのデカい蛇だろうが、火を吹く訳でもあるまいに」

 

「特殊な能力無しで次階層主に匹敵する蛇が居るものか!!なぜ危険種はこういうのばかりなんだぁぁあ!!!」

 

カイザーサーペント。

それは実質的に6〜9階層の主であり、主に9階層の西側を根城にしている超巨大な体躯を持つ蛇型のモンスターである。

9階層の半分は彼の領域であり、モンスターでさえも一度迷い込んでしまえば2度と戻る事はない。特別な能力など全くの皆無であるにも関わらず、その危険度は10階層の階層主であるレッドドラゴン(通称:赤竜)に匹敵し、長期生存による成長を防止する為に定期的な討伐が推奨されている様な存在だ。

加えて……

 

「こうなれば撃つしか……っ!?」

 

「それは馬鹿ではない、そんな物を向けられれば警戒くらいはする」

 

ワイアーム程の知性は持っていなくとも、自身にとって脅威となる物を明確に判断し、相手がいくら自身より小さくとも身を引く事が出来る頭はある。

その森の王としての姿と強者として驕ることのない在り方から、付けられた名前が"帝蛇"、エルフの言葉に直して"カイザーサーペント"。

 

「うぁっ!?」

 

「チッ、頭だけが敵の全てだと思うな!その無駄に良い眼を凝らして探れ!」

 

「わ、分かっている!」

 

突如として背後から襲い掛かって来た敵の尾の部分が身体を掠め、吹き飛ばされたリゼの身体を隣で走っていたラフォーレが引っ掴み立て直す。

倒れた木々や、今も徐々に再生している草木によって視界は悪くなる一方。にも関わらず全方位から響いて来るカイザーサーペントが動く音。音だけでは何処から襲い掛かって来るのか分かる筈も無く、頼れる物はそれこそ目しかない。

ラフォーレでさえも適応出来ているのだ、そもそも目の良いリゼが適応出来ない筈がない。

 

「っ、こっちだ!」

 

「逆方向もだ!馬鹿が!」

 

「うぇっ!?」

 

リゼが指差した方向からは蛇の頭が、ラフォーレが指摘した場所からは蛇の尾が、2人を挟み撃ちにする様にして穿たれる。まさか2方向から同時に放たれるとは思っていなかったリゼは一瞬の驚愕も許されない内にラフォーレによって首根っこを掴まれて、その場を無理矢理に退避させられる。

ラフォーレが居なければ、一体自分は何度死んでいたというのか。3度ほど死にかければ、なんて話もしたが、とっくにそんな回数は超えていた。

 

「炎弾」

 

自分達を中心に巻き始められた"とぐろ"に気付いたラフォーレは、即座に蛇の頭部に向けて炎弾を打つけて道を開く。

……彼女のその的確な動きは、単に慣れているという事だけでは無いだろう。今の炎弾でさえもかなり威力が抑えられた物だ。普段の彼女ならば、それこそ全力の炎弾の連射によってコレを一方的に葬り去っている筈なのだ。

つまりこれは単純に、探索者としての戦闘経験と意識の差。

 

「いい加減に頭は冴えたか、愚図」

 

「あ、ああ……いや、けれど、勝てる策が思い浮かばないというか……」

 

「それをまたぶっ放せばいいだろう、最大威力で」

 

「そ、そんな簡単な物じゃないんだ。私も出来るならそうしたいところだが、最大威力で撃つには狙いを定める時間を作らなければ自分の身体も吹き飛び兼ねない……」

 

「這って帰ればいいだろう」

 

「そこはせめて運んでくれ!というかそんな怪我も私はゴメンだ!」

 

とは言え、ラフォーレは今は支援の立ち位置。

このカイザーサーペントと戦うのはあくまでリゼであり、そこまでの手伝いを彼女がする気は無いのは明らかであった。

あくまでラフォーレがするのは、リゼが死なないための手助けのみ。あれを倒すのはリゼがしなければならない事。

 

「……その、普通カイザーサーペントを相手にする時にはLv.20越えの探索者3〜5人パーティが一般的だと聞いたのだが」

 

「何の問題がある、私は貴様がそれを出来ると判断してここに居る。私が間違っているとでも言いたいのか?殺すぞ」

 

「い、いや!その期待には応えたい!応えたいが……うわっ!?そ、そもそも狙撃銃は姿を見られながら扱うものでは無くてだな!!」

 

「ならばそもそもそんな物を持ってダンジョンに入るな」

 

「紛れもない正論!」

 

そうは言っても、これを持って戦いたいと思ったのは紛れもないリゼである。そしてこれでなければ勝てないという状況が確実にあり、それは間違いなく今だ。

狙いを定める時間は、自分の身体をその衝撃に耐える為に必要な準備を整える時間でもある。特殊な耳栓を入れ、最適な身体の位置を作り上げ、肉体を負荷の掛からない力加減に持って行き、精神の状態を磨き上げる。

今も敵にまだ追い掛けられ、避け難い場所からの攻撃に晒されているこの状況で、準備に掛けられる時間は恐らく5秒もない。敵が察知して逃げることを考えれば余裕は更に減るだろう。

最大威力で撃てる弾数は肉体的な負担を考えても1発が限度、つまりそれで殺せなければ意味が無い。そして少しでも身体の準備を間違えれば粉砕骨折や内臓破裂、最悪反動で死亡する事まで考えられる。それら全てを果たして本当に完璧に成し遂げられるのか。正直に言えばリゼ自身、そこまで自信がある訳ではない。……というかぶっちゃけ、無い。

 

「ふぅぅぅ……」

 

「……漸くやる気になったか」

 

リゼの目の色が変わる。

普段は豊かな表情から、着実に色が消えていく。

それは以前に狙撃を見せた時と似たものだ。

しかしそれでも、この状況では未だそこまでは至れていない。

 

「……そのまま真っ直ぐ走って欲しい」

 

「ほう、私を囮にするか。……まあいい、好きにしろ」

 

走り続ける木々の間から、リゼは正面に重なる様にして並んでいる大きな2つの木々を探し出して眼を付ける。共に走っているラフォーレを囮代わりにそのまま走らせ、リゼは背後から迫る敵から身を隠すようにしてその木の間に走り込んだ。二本の木を利用して駆け上がり、緑に隠れる様にしてしがみ付く。するとリゼがしがみ付いたその木に向かって、帝蛇は丸ごと噛み砕くかの如く顔を横向きに食らい付いた。

……勿論、幹に当たる部分にリゼは居ない。リゼが居るのはその少し上の辺りだ。それでも、居所がバレるのにそう時間はかからないだろう。故にここから一々狙っていられる時間は無い。

 

「っ……!」

 

咥えられた木が他の木と衝突する瞬間、それに紛れてリゼも身体を移す。

遠ざかっていくカイザーサーペント、そしてラフォーレ。身体中が葉と泥だらけで酷い有様だが、目標はアレの討伐だ。リゼはそのまま再び今も帝蛇の身体が通っている道の方へと足を向けると、直ぐ様に狙撃の準備へと移った。

ラフォーレは願い通りに真っ直ぐ真っ直ぐと走っている。そしてこのままならば帝蛇は間違いなく自分が居ない事を不思議に思い、周囲に警戒を向け始めるだろう。

……リゼの狙いはそこだった。

この場所からは帝蛇の頭は見えないが、余計な事をしなくとも帝蛇は自分から頭を上げる筈。

こんな物騒な兵器を持った人間が突然姿を消して、警戒しない筈が無いのだ。あれだけ自分を警戒していたあの大蛇が、それに気付いて見逃す筈が無い。

 

(いくらでも逃げるといい。どれだけ遠くで頭を上げようと、必ずそれを撃ち抜く)

 

待つ、待つ、ただ静かにその時を。

身体の横側を通り抜けていく巨大な帝蛇の身体。

それにも一切気を取られる事なく、一心不乱に頭が上がるその時を待つ。

意外にもその時は直ぐにやってくる事はなく、リゼの精神力だけが削られる時間が過ぎていった。

 

 

……そして、

 

 

「あ」

 

ドンっと、横を通り過ぎる蛇の身体の一部がリゼに当たった。

 

「あ、あ……」

 

ズレる標準、途切れる集中力。

そして気付かれる、リゼの存在。

体制を崩され、落としてしまった大銃を慌てて拾い直す。姿勢をある程度まで直し、取り敢えずとばかりに再びスコープから蛇の方を覗いた時……そこには移動を止めてジッとこちらを見ているカイザーサーペントの姿が映っていた。

 

『キシャァァアア!!!!!』

 

「撃っ……(この体勢で撃ったら絶対に当たらない!)」

 

リゼは全速力で森の中へと姿を隠そうとする。

しかし背後から打ち付けられる蛇の身体。そのまま叢に突っ込むと、思いの外重かった一撃にリゼは何度も咳き込み身体を丸める。

 

「っ」

 

巨体が次第に近づいてくる音が聞こえた。

あれだけ走らせてしまったのだ、流石にラフォーレもここまで来て助けてくれる事はないだろう。彼女はそこまで善人では無い。ここで死んだのならばそれまでだとでも言うはずだ。

 

「うっ……くっ……」

 

激痛が走る身体を何とか引き起こし、リゼは自身の身体をわざと叢の中に隠したままに狙撃の態勢を作る。

いくら森の主であるとしても、こうして叢に居ればそれも多少は誤魔化せるはず……と言う訳でもなく、これもほんの気持ち程度の効果にしかならない。しかしそれでも、今はそれが無いよりもマシだ。

ここまで来たら作戦は単純……頭を出した所をこちらが先に撃ち抜く。所詮は先程ラフォーレと共に行った事の焼き直しに過ぎない。それを、今度こそ自分1人でも成し遂げられるかどうか。敵の尾に惑わされず、確実に頭部を撃ち抜く事が出来るかどうか。

 

(やる、殺る、やらなければ死ぬ、やる以外に生き残る術はない。神経を研ぎ澄ませ、耳と目を凝らせ、音でも敵の進行方向の情報にはなる。モンスターや虫達の動きにすらも気を配るんだ)

 

再び周囲から聞こえて来る這い擦り音、巨大な敵の息遣い、そして跳ね上がる自身の心臓の音。狙撃に余計な焦りが排除し切れず、集中力も恐怖によって散漫しているこの状態。

 

(……『視覚強化』『星の王冠』)

 

しかしマドカから貰ったそのスフィアの力を行使し、スキルも併用して発動した瞬間に、爆発的な情報量が頭に流れ込んだ事もありそんな余計な感情は軒並み流されていった。

脳内に入り込む多大な情報の処理によって感情の動きが薄くなり、慣れない聴覚による情報収集をしようとしたが故に妙に強調して聞こえていた自身の心臓の音も徐々に主張を弱めていく。

 

……そこまでしても、何もかもが見えると言う事はなかった。

けれど、見える物はそこに確かにあった。

単に視力を強化するだけではない。

単に動体視力を上げるだけではない。

"視覚強化のスフィア"は光の少ない世界でも自身の目に日の下に居る時と変わらない光景を映し出してくれていた。

スキルによる情報の処理。

僅かな動きや変化すらも見落とさない完全な発揮。

そうしてゆっくりと映る世界の一場面の中に、リゼは偶然にもその大きな黄色い瞳を見つけてしまった。こちらを見つめる球体を見てしまった。1人と一体の狩人同士の獲物を狙う瞳が、合わさってしまった。

 

「ぎっ……!!」

 

その間僅か0.2秒。

瞳を視認し、銃口を向け、引鉄を引く。

敵が頭を出して攻撃を仕掛けて来るよりも先に、リゼはそれを撃ち貫く。経験任せの偏差射撃。無意識に近い反射行動。そこには何の躊躇いや恐れも無かった。ただ今日まで培った確かな努力と経験だけが、無心となった彼女の身体を突き動かしていた。




ノエル・テナラート…聖の丘に所属していた探索者であり、回復に特化したスキルを持っていた。しかし扱いに難しいそのスキルに困っていたところをマドカに相談し、彼女の協力やスフィア提供もあってスキルを十分に使い熟せるようになった。最後は治療所を襲撃してきた龍種と戦闘し、かつての可愛らしかった少女の原型を殆ど残していないほどに食い荒らされて見つかった。教会で育った彼女は他者を治療するという才能に強い責任を感じており、燻っていた才能を開花させてくれたマドカを慕っていた。悲しいことは才能を開花してしまったからこそ、その責任感もより強くなってしまったことか。あの場で直ぐに逃げていれば、彼女はより多くの人を救えていただろう。


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34.1日2回のダンジョン生活

 

「……情けない」

 

ベッドの上で仰向けに横たわりながらも、ポツリと一言呟き萎れる。

天井に映し出されたダンジョン内の映像を虚な目で見ながらも、あまり美味しくない飲みかけのポーションを近くの机に置いた情けのない女の姿。

普段ならば人々が夕食を食べているその頃、彼女はただ怠惰な時を過ごしている。というか、過ごさざるを得ない状況になっている。

 

「はぁぁぁあ…………」

 

最後の一撃の反動と、帝蛇の度重なる攻撃によって内臓を損傷していた彼女は、最低限の食事と手渡されたポーション以外の飲食を禁止されてここに居た。

 

「また、勝てなかったぁぁ……」

 

投影のスフィアで映し出されているのは、クランの勧誘をしている1人の男の姿。まだまだ作り立ての小さなクランの勧誘を必死になって行なっている男の姿は、見方によっては少しばかり情けなく、仮にもクランの長を務めるのならばもう少しカリスマがあって欲しいところと思うほど。

しかしそれこそ、これからクランを作り上げようとしているこの女も自分の部屋だからと言ってもみっともない格好(汗流し後の下着姿)で寝そべっているのだから、大して人の事は言えまい。

 

 

……結局、あの後リゼが放った弾丸はカイザーサーペントの頭部に対して直撃した。しかし、それはあくまで直撃しただけに過ぎず、それで命を絶つ事までは出来なかった。

当たったのは敵の上顎だった。

上顎は吹き飛んだものの、生命力の強いカイザーサーペントはそれだけで死ぬ事はない。怒りと苦痛によって余計に暴れ回ってしまい、狙撃の反動でリゼななす術もなく殴り飛ばされた。そうして殺され掛けていた所を、追い付いたラフォーレの超火力炎弾によって今度は纏めて吹き飛ばされる。

そしてその後、彼女は力無く倒れ伏すリゼに対して何の容赦もなくこう言い捨てたのだ。全身ボロボロで精神的にも困憊しているリゼに向けて、本当に何の容赦もない一言を。

 

『行動が遅い、判断が悪い、ツキも無い。文句無しの不合格だ、出直して来いゴミ』

 

立てない身体を樽のように担がれ、スレ違う探索者達にジロジロと見られながらも、地上に上がって直ぐに治療院の中に乱雑に放り投げられる。それを見ていた治療院の女性が慌てて身体を起こしてくれたものの、ラフォーレはそれ以上は何も言う事はなく去っていった。

今日の稼ぎはなんと35000L、そこから治療費なり何なりを引いても+25000L。普段の3倍近い稼ぎである。それもラフォーレが倒したモンスターやカイザーサーペントの魔晶を含めているのだから当然で、資金調達をしたかったリゼとしては素直に嬉しい事でもあった。しかもレベルも1つ上がって12となっている、順調過ぎる成長速度。

今回の一件、確かに得る物は沢山あった。

……しかし何より、またラフォーレに情けのない姿を見せてしまった事がなにより悔しい。見返すどころか証明する事すら出来なかったのだから。

これではマドカにも胸を張って報告する事は出来ないだろう。貴重な弾丸を1発使っても倒せなかったのだから、探索者ではなく1人の狙撃手としても情けない。

 

「……はぁ、もうやめよう。いつまでも反省会をしていても意味が無い、寝るまでの間にこのクラン勧誘だけは見ておかないと」

 

後悔しても、今からではどうにもならない。

むしろ色々と成長した事を喜び、クランを作る為に反省会をしている余裕も無いということを自覚すべきだ。

取り敢えずはこの投影されたクラン勧誘は良い見本にはならなさそうなので、反面教師としてこうはならないようにと見ておく事にする。

 

『え、えっと!僕達のクランでは少数精鋭で、それこそ"紅眼の空"の様な形を目指していて……!それで!』

 

「……ん?」

 

そんな時だった、リゼが何かに気付いたのは。

今も色々と頭を回して同じ様な事を何度も言っている彼の背後。恐らくダンジョン7階層の入口付近だと思われるそこで、背後の森の中に動く影を見つけたのだ。

クラン勧誘をしている彼等は気付いておらず、大きさからしてもあの辺りに住んでいるモンスターの物とは思えない。

ならば普通に別の探索者かと思えば、それは歩くにしては少しばかり遅過ぎるのではないかと思う様な速度で不自然に草花を揺らしており、何となく不安な印象をリゼに齎す。

 

「……まさか、怪我をした探索者だろうか。しかしこの様子では、クラン勧誘をしている彼等は気付かないだろう。かと言ってこれを見ている者などそうは多くはないだろうし……」

 

微かに映る頭の影はユラユラと、そしてフラフラと揺れている。モンスターではない頭身、けれどそこには確かに沢山のモンスターが生息している。危険である事は、まあ間違いないだろう。今スフィアで映し出されている彼等がそれに気付いてくれる可能性も十分にはあるだろうが、気付かない可能性もまた十分にあって。

 

「………よし」

 

一瞬思考を巡らせるために目を瞑るが、そんな事をしていても別に大した考えが浮かぶ訳でもない。勢い良く身体を起こし、掛けてあった明日の為の服を着ると、普段持ち歩くバッグと大銃を担いでリゼは部屋を出た。

杞憂で済むのならそれでいい。

しかしもしこれで死者が出ていたら、それこそ明日から自分は駄目になってしまうのだから、その可能性を考えれば少しくらい身体が痛かろうがなんだろうが関係ないだろう。

 

「……という訳で、遅い時間で申し訳ないのだがダンジョンに入りたい。許可は貰えるだろうか」

 

「ええ、そういう事でしたら。……ですがおかしいですね。今この時間、1人でダンジョンに潜っている方は誰一人として居ない筈なんです」

 

「なに?」

 

そうしてギルドに走って来たリゼが事情をギルドの受付のエッセルに話すと、やはり今日までの信頼もあってか意外にもすんなりとダンジョン侵入の許可は降りた。

これだけは間違いなくリゼの築き上げた信頼である。どんな時もマドカの弟子である事を自覚して模範的な行動を行なって来た、彼女の成果と言える。最初の行動故に少しの抵抗感を抱かれてしまっていたエッセルからもそう思われているのだから、それは本当に大した事だ。

 

「という事は、既に犠牲者が1人以上は出た後だと……?」

 

「分かりませんが……こちらでも治療院に連絡を回しておきます。それと手の空いている探索者に声を掛けて7階層とそれ以降の確認を依頼しますので、この赤い布を腕に巻いて貰っても構いませんか?同じ様に赤い布を腕に巻いた探索者を見つけたら、情報提供をお願いします」

 

「分かった、対処する。取り敢えず私は7階層に直行しようと思うが、何かギルドの正式な依頼だと証明出来る物は貰えたりするだろうか?道中の探索者にも聞き取りを行いたい」

 

「それこそ、その腕の赤い布が証明になります。緊急事態対処中の探索者が身に付ける物なので、恐らく他の探索者方も気に掛けて下さるかと」

 

「なるほど……承知した、行ってくるよ」

 

「はい、お気を付けて」

 

緊急事態に対するエッセルのその慣れ様には感心するばかりではあるが、走り出したリゼの内心に宿っていたのは、やはり彼女が自分の言葉を少しも疑う事なくサポートをしてくれたという事実に対する嬉しさである。もちろんエッセルにしてみれば自身の憶測で犠牲者を出さないための経験則に基づいた行動でしかないのだが、それでも小さな事で揺れ動くリゼの心を補強するにその事実は大きかった。

 

『ガァアァア!!!』

 

「邪魔!」

 

1階層に突入直後に襲い掛かって来たワイバーンを最高のカウンターで頭部を叩き付けて撃ち落とし、そのまま2階層に向けて走って行く。未だ残っている身体の痛みは今もまだ続いているが、それを手持ちのポーションを1本強引に飲み干して誤魔化し、大銃に1発弾丸を詰めて5階層に向けて直走った。

胸の内にあるのは高揚感と焦燥感、けれど何故かそれは決して戦闘に対してマイナスに働く物ではない。妙に物が良く見えて、敵の動きに対して自分すべき事がよく分かって、頭がスッキリとしていた。

 

「威力は……最低でなければ帰りが保たないかな」

 

襲い掛かって来るドリルドッグを薙ぎ払い、眠っているグランドアリゲーターを踏み台に飛び越え、4階層で偶然にも道から少し離れた所をマッチョエレファントが歩いている事を確認して安堵してから、リゼは5階層に飛び込む。

 

『グルァァァア!!!!!』

 

「悪いけれど、今ばかりは近接戦闘をしていられる余裕は無いんだ」

 

『ガァッ!?』

 

5階層に走り込むと同時にいつも通りこちらを警戒していたワイアームを視認し、スライディングする程の勢いで座り込み構える。この程度の距離でスコープなど覗く必要も無い。ただ感覚に任せて銃口を調節し、引き鉄を引くだけ。

たったそれだけ。たったそれだけの事で、あれほどリゼを苦しめたワイアームの頭部は吹き飛んだ。

これではきっと経験値なんて少しも入る事は無いだろう。この魔晶を持って帰ったとしても弾の費用を考えると大赤字だ。

けれど、今はそれでも良かった。

人の命は金では換えられないのだから。

ワイアームの好敵手であるリゼ・フォルテシアは、狙撃手ではなく探索者のリゼ・フォルテシアなのだ。狙撃手のリゼ・フォルテシアの好敵手は、つい数時間前にカイザーサーペントという怪物が居座ったばかりである。

 

「っ、結局他の探索者とは会えなかったか。こうなるとクラン勧誘をしていた彼はまだ同じ場所に居る筈だ。……いや、それよりも見掛けた場所に走ろう。先に彼等が見付けてくれているのならそれでいい、怪我の状態によっては1秒だって時間の余裕は無い」

 

ダンジョンの7階層にはモンスターが存在している。仮に怪我の状態で彷徨いているとするなるば、その血の匂いはパワーベアを筆頭にしたモンスター達を引き付けてしまう。

現状のリゼではこの階層のモンスターを複数相手取るのは難しい。せいぜいパワーベアと1対1でならユイから習った戦闘術で対処出来るだろうが、これが2体同時となれば流石に苦しくなる訳だ。

リゼはとにかく映像に映し出されていた場所まで走り、既にそこから居なくなっていたクラン勧誘者に一瞬の気を割きながらも捜索を続ける。

 

「確か、この辺りの木々が揺れて……っ、足跡!やはりここか!そして足跡が残っているという事は、まだこの近くに居るということ!」

 

ダンジョンの形跡は時間と共に元の姿に戻っていく、それは足跡一つでさえもそうだ。それが未だ残っているという事は、この足跡はかなり新しい物であるという証左。その人物はあの時映像で見た時から殆ど移動出来ていないという事であると判断出来る。

 

「誰か!誰か居るのか!居るのなら近くの草木でいいから揺らしてくれ!声を上げられなくともそれでいい!!」

 

この森林地帯で大きく声を上げるという事は、茂みに潜むモンスター達に自分の居場所を知らせる自殺行為と同じである。しかし一刻を争う今、リゼは大銃にもう1発弾を込めながらも声を上げた。最悪の場合でも、もう1発使えば大抵の状況は何とかなる。足跡の主の血痕は無くとも、全く移動していないという事実に焦燥感が増したのだ。一度心が動いてしまえば、リゼはもう止まらない。

 

ガサッ

 

「!そこに居るのか!」

 

もしかすればそれはモンスターが立てた音だったかもしれない。けれど必死になってしまっていたリゼはそれに対して無防備に飛び出して、即座に確認へ走ってしまった。もし近くにマドカや他の探索者が居れば叱っているであろうその行動だが、今日は悉く運に見放されていたリゼ。それが報いたのか、今ばかりは彼女の運は悪くなかった。

 

「……少女?」

 

草むらの陰で木を背中に預けて横たわっていたのは、1本の奇妙な形状をした銀色の槍を手にした、ただ真っ黒のローブを身体に巻き付けているだけの羊毛色の髪の少女。土に汚れ小さな切傷がいくつか生じている素足の彼女は、疲労故になのか静かに寝息を立ててそこに居た。

 

「っ、取り敢えずは森を抜けて入口の方へ!安心は出来ないがここに居るよりはマシだ!」

 

いつフォレストスライムが落ちて来て、いつハウンド・ハンターが群れで襲い掛かって来てもおかしくない現状。今はとにかくこの視界の悪い場所から抜け出す事が最善。

リゼはそう考えて彼女を肩に抱えると、彼女の持っていた槍を右手に立ち上がった。槍など使った事もないが、何も無いよりはずっと良い。

入口への方角は覚えている、少し深くへ入ってしまってはいたが、そこまで遠い訳でも無い。リゼはとにかく走り、森からの脱出を目指そうとする。

 

『『グルルル……』』

 

「っ、ハウンドハンター……!やはり来たか!」

 

けれどやはり、森の中で大声を出すなどという愚行をした人間を住人達は簡単には逃してくれない。

見た目は狼と変わらない姿をしていても、身体に赤い線がいくつも走っている白色のモンスター。群れで行動し、口内から風弾を射出する力を持つ異形の生物。

リゼが走る獣道を、2体のそれが立ち塞がる。

人1人を運んでいるこの状態で風弾など撃たれてしまえば、無事に避けるのは至難の業となってしまう。

 

『ハウンドハンターに対しては先手必勝です、決して相手のペースを作ってはいけません。風弾による消耗作戦に移行される前に、勝負を付けるんです』

 

リゼはマドカのそんな言葉を思い出す。

森の茂みと俊敏な動きを利用した風弾による消耗作戦、それがハウンドハンターの主な戦闘スタイル。それを封じ込めるには何より、先手で敵を殺すのが手っ取り早い。

 

「ふっ!!」

 

自身の筋力を極限まで発揮し、その重たい銀色の槍の尻を掴みながら、攻撃範囲をギリギリまで伸ばして片方のハウンドハンターの頭部目掛けて突き込む。予想もしていなかった攻撃範囲はさしもの森の狩人達でさえも反応する事は出来ず、突き込まれた片割れは何の抵抗もする事なくその場で息絶えた。

 

『グルァァアッ!!!』

 

「俊敏な動きなど……!!」

 

木々を跳ね返る様にしてリゼの周囲を飛び回りながら風弾を放とうとする、もう片方のハウンドハンター。なるほど確かにその速度でそれ程細かに動かれれば、視界の悪いこの空間では対処出来る者は少ないだろう。特にまだ低レベルの探索者程度ならば、ハウンドハンター単体でも簡単に狩れるはずだ。

……しかし、今目の前にいる探索者は違う。

彼女にしてみれば、その戦闘スタイルは格好の的でしかない。あまりにも目の良い彼女にとって、その程度の動きはむしろ自分にとって都合の良い物でしかなかった。

 

「……そこだ!!」

 

『キィウンッ!?』

 

背後に現れ風弾を射出しようとしたハウンドハンターの口内に向けて、完璧に全ての動きを目で追っていたリゼは容易く振り返り槍を突き入れる。

仮にハウンドハンターがもう一体いれば話は別だったかもしれないが、最初に1体になってしまった時点でリゼに敵う筈は無かったのだ。パワーベアの様なタイプが相手ならば話はまた変わっていたかもしれないが、速度重視の相手にリゼが負ける事はそうそう無い。

 

『グゥォオオオオ……』

 

「……などと、思った先から現れるのか。参ったなこれは」

 

少しの休みを与えてくれる事もなく、大きな足音と共に木々の間から姿を表したパワーベア、そして仲間の死をかぎつけてか続々と集まって来るハウンドハンターの群れ。幸いにもフォレストスライムの姿は無いものの、自分が次第に囲まれ始めているのをリゼは察知する。退路が着実に減らされている。

 

「……絶体絶命、か」

 

肩に背負った少女はまだ起きない。この状態では大銃も撃つ事は出来ない。頼りになるのは右手のこの奇妙な槍だけ。

 

「まあ、やるだけはやってみるとしよう」

 

それでも、やはり生真面目なリゼが諦めたり見捨てたりする事は決してない。バッグと大銃をその場に降ろし、少女を筋力と体格の良さを利用して強引に抱き抱えながらも、槍の矛先をスッとパワーベアに向けて突き付けた。

 

「カイザーサーペントと1対1でやり合わされるよりは、随分と楽な状況かな」

 

リゼのその言葉と同時に、モンスター達は一斉にリゼに向かって襲い掛かった。




風弾……ワイアームやハウンドハンターが得意とする攻撃であり、空気弾とも呼ばれる。単に息を強く吹き付けているのではなく、魔法の一種である。殺傷能力は低いがノックバック効果が強く、無色であるために防ぐのが難しい。ワイアームはこの攻撃によって敵を怯ませ、直後に体当たりなどで本名の一撃を叩き込む。ハウンドハンターは最初の一撃で隙を作った直後、複数の個体で集中攻撃を行う。敵のモーションなどから発射タイミングや着弾位置の大凡の予想が出来るが、強化ワイアームはその弱点を克服しており、対処が難しい。


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35.狩人

今だけはワイアームに感謝したいと、場違いにもリゼはそう思った。

襲い掛かって来るハウンドハンターを串刺しにし、直後にそれを風弾を溜め込む個体に向けて投げ付ける。力任せに腕を振り下ろすパワーベアから距離を取り、カウンター気味にその腕を突き刺すと、今度は槍と筋力で強引にその場から飛び上がり、パワーベアの身体を踏台に飛び回るハウンドハンターの一体を蹴り付け、風弾をもう一つ叩き潰す。木々による視界の悪さも決してリゼにだけマイナスに働くものではなく、むしろ山育ち故にこの環境に慣れている彼女にとっては知能の無い獣達相手にはプラスに働いていた。

ただ目に付く相手を殴り付けるパワーベア。

馬鹿の一つ覚えの様に木々を飛び回り、風弾ばかりを撃って来るハウンドハンター。

風弾の使い方ひとつにしたってワイアームの方がよっぽど厄介だった。パワーは同じでも、ワイアームの方がパワーベアよりよっぽど上手い使い方をしていた。数は居ても、能力はあっても、目の前のモンスター達にはそれを十分に活かすことの出来る知能が無かった。

 

『貴様は才能をドブに捨てる天才か何かか?』

 

ふとラフォーレのそんな言葉が頭を過ぎる。きっと彼女からすればリゼも目の前の獣達と同じ様に見えていたのだろう。力はあっても、それを有効に活かす頭が足りていない哀れな存在。

もしかすれば単純な力の使い方で言えばリゼよりもワイアームの方が上手いかもしれない。そう考えると先程は兵器の力で強引に殺してしまったものの、やはり彼は何よりリゼの好敵手に相応しいのだろう。

しかしリゼがそんなくだらない事を考えている内にも、敵の勢いは増していた。

 

「くっ!パワーベアは二足歩行が基本、狙うのは金属のない関節部……!!」

 

以前にユイから直接教えて貰ったそれを、リゼは今正に実行し、パワーベアの右足の関節部をすれ違い様に引き裂く。

槍など生まれてこの方一度も使った事は無かったが、十分な筋力のあるリゼにとっては思いの外使いやすい武器だった。そもそも大銃を鈍器のように使っているリゼにとっては大抵の武器が使い易いに決まっているのだが、それでも大振りの出来ないこの環境であっても槍は十分に仕事をしている。

 

「これでパワーベアは実質的な戦闘不能、あとはハウンドハンターのみ。敵の数は……6かな」

 

『グゥォオ!!』

 

「っ!?」

 

顔を掠める石の弾丸。

間一髪の所で避けたそれは、今丁度戦力外に加算してしまったパワーベアが放った物。単なる石であってもパワーベアが放れば弾丸と変わらない。これならばむしろ近接戦闘にしか頭を割けない様にしておいた方が楽だったのかもしれないと思う程の威力で、それは飛んで来た。

 

(落ち着け、落ち着くんだ……大丈夫、まだ何とかなる。炎打のスフィアは使えない、炎打は汎用性は高いが刃物には付与されない。かと言って拳も今の状態では使えない。そもそも炎打のスフィアがあっても何の意味が……っ!)

 

『グルァァアッ!!』

 

「くそっ!」

 

幾つもの風弾が四方八方から放たれる。木を盾にして、全速力で飛び退いて、それでも対処出来ない物を強引に槍で叩き落として吹き飛ばされる。幸いにも致命的な怪我にはなっていない、しかしカイザーサーペント戦での怪我はまだ治っていないし、動く度に痛みが強くなって来ているのが感じ取れる。

背後から近接を挑んで来た1匹のハウンドハンターに回し蹴りを叩き込み、木に打ち付けた所を槍で刺す。

 

「ぐあっ!?」

 

しかし直後にパワーベアが放った石の弾丸がそのコントロールの悪さ故に思いもよらぬ跳ね返りを見せ、幾分か威力を弱めた物であってもそれがリゼの左足に直撃した。

思わず膝を突き呻くリゼ。

そして動きを止めた獲物へと残った5匹のハウンドハンター達が襲い掛かる。

 

「……!!『回避』!!」

 

こういう時のために取っておいた、しかしこの狭い木々の中では使いたくなかったそのスフィアを、リゼはここぞとばかりに使用する。

左足を負傷し蹲み込んでいようとも容赦なく自身の身体を後方へと吹き飛ばす『回避のスフィア』。

 

「うぐっ」

 

抱担いでいた少女を胸に抱き抱える様に持ち方を変え、背中を木に強打した衝撃を一心にその身に受け止める。一瞬息が止まる程の勢いで衝突したリゼは、そのまま倒れそうになる身体を無理矢理に叱咤して立ち上がった。

幸いVIT(耐久力)には恵まれている。

苦痛さえ我慢すればまだやれる。

消耗して来ているのは敵も同じだ。

常に飛び回り続けるハウンドハンター。

足から大量の体液を垂れ流しているパワーベア。

先に気を逸らした方が負ける。

そんな事はこの場にいる他のモンスター達ですら理解している。

 

「う、うぅん……」

 

「……あ、あはは、今目を覚ますのかい?」

 

「あの……私、あれ……?」

 

「すまないが、今はそのまま大人しく私の腕の中で眠ってくれていると助かるかな、お姫様。何分私も余裕が無くてね」

 

「えっ?あ……モンスター……!?」

 

「っ、『炎打』!!」

 

「ひゃっ!?」

 

何故かこの最悪のタイミングで腕の中で目を覚ましてしまった少女に構っていられる余裕も無く、リゼは一瞬目を背けた瞬間に襲い掛かって来たハウンドハンターの攻撃を地面に突き刺した槍で防ぎ、そのまま『炎打』を纏った右の拳で顔面を撃ち貫く。

しかし左足の踏ん張りが効かず十分な威力が出ていなかったのか、その命を絶つ事までは敵わなかった。

もう一度槍を引き抜き、別個体の追撃を逸らしながら背後へと下がっていくリゼ。

 

「くっ、流石にそろそろキツいか……!」

 

「あっ、あの!あの!ど、どうして私はこんな所に!?それに私、あの、えっと、あれ……?」

 

「すまない!その話はまた後で聞かせて欲しい!……リロードは済んでる、最低威力なら片手でも1発は撃てる。直後の腕の痺れは回避と蹴技で誤魔化すとして、いや、それよりポーションを飲んだ方が早いか?そういえばポーチに予備のポーションがまだ幾つかあったな、この際それも全て使い切って逃げるのも視野に入れて……」

 

極限の命の取り合いの中、リゼの集中力は増していく。脳の中では整理できない事を言葉にして組み立て、スキルを使って周囲の木の位置から敵の位置まで見据えルートと動きを作り込んで行く。足の痛みも必死さ故に忘却し、スキルも利用して全力で頭を回していた。

彼女のそんな様子に、抱き抱えられていた少女も思わず困惑を隠して口を閉じる。

 

「耳を塞いでくれ!しっかりとだ!」

 

「は、はい!!」

 

「『回避』!」

 

作り上げたルートに沿って、背中を向けて回避を発動させる。吹き飛んだ場所に聳え立つ木に今度はしっかりと受け身を取り、直ぐに方向転換をした。捨て置いていた自分の鞄と大銃のある場所へと槍を放り投げれば、空いた右手で回復に努める。

腰に付いていたショルダーから予備のポーションを全て取り出して飲み、左足にも雑に振り掛け、とにかく足を動かし目的の場所に辿り着いた。コンディションは悪くない。状況もまだどうにかなる。

 

「狙いはパワーベア……だけじゃない」

 

慣れた手付きで大銃の調整を行い、その凄まじい大きさの銃を片手で持ち上げて更に位置を変えていく。

パワーベアを狙う事は間違いない。

しかし、この1発でただパワーベアだけを狙うなどという大盤振る舞いなど誰がするものか。

残り5体のハウンドハンター。彼等がどう行動し、何処に追い込めば釣られてくれるのか、リゼはそこまで見据えてここに居る。極限まで追い詰められた彼女は今やもう探索者ではない、1人の狩人だ。

 

「………」

 

パワーベアと自分の間にハウンドハンター達を挟む様に位置取り、いつでも木々に引っかかることのない様に銃口を下げて走り続ける。事前に木の位置を確認して、ある程度自由に動ける範囲は頭に入れていた。とは言っても時間の余裕も確認しておいた範囲もそう大きくは無い。後は正直もう全部運任せだ。

……だだ、それほどに余裕のない状況であったとしても、彼女はここで焦って全てを台無しにしてしまう様な程度の低い狩人ではない。機会がなければまた作れば良い、この機会を活かす事ばかりを考える必要はない。狩人の彼女はそう考える。

それでももし、その機会が狙い通りに巡って来てくれるのであれば。

 

「マーキュリー・イェーガー」

 

その機会を逃す事など、絶対に有り得ない。

 

 

 

――――――――――――ッ!!!!!!!

 

 

「っ!?す、すごい……」

 

僅か一瞬。リゼとパワーベアの間に3匹のハウンドハンター達が偶然にも入り込んだその一瞬を、リゼは決して逃す事なく自身の愛銃で撃ち抜いた。

木々の間を走り抜ける為に下を向けていた大銃を蹴り上げ、全身の筋肉を限界まで振り絞りながら銃口を安定させ、胸に抱えている少女の存在すらも利用する様に強く抱き締めて。正に神技とも言える様な曲芸染みたそんな一瞬の銃操作を、リゼは今この瞬間に完璧に成功させたのだ。

普通の人間から実際にその目で見ても信じられない様なその技術、決して知能の高くないモンスター達では避けられる筈も無い。狙撃銃で抜き撃ちを行う様なバケモノに、獣である彼等が敵う筈もない。

 

『……ッ、クゥウン』

 

『グルルルゥゥ……』

 

「まだやるのかな、いくら私でもたった2匹を相手に負けたりはしないよ」

 

『……………』

 

「……………」

 

残った2匹のうち、恐らくはリーダー格である1匹に銃口を突き付けてリゼは睨み合う。

正直に言えば身体は限界に近い。

弾丸ももう入っていない。

それにいくら最低威力とは言え、これほど酷使した腕で撃ち放った。ポーションを飲んでも、そこまで効能の高い物では無い。全身はガタガタで、実際に目の前の2匹が襲い掛かって来れば本当に腕の中の少女を守っていられる余裕も無くなる。

……故に、これは威嚇でも警戒でもなく、交渉と駆け引きだった。

獣と人が交わせる、唯一の意思疎通。

死ぬか、生きるか。

最も原始的で、最も単純な、そんな話。

 

『グルッ……』

 

「……そうか、助かるよ」

 

そして幸いにも、本当に幸いにも、ここまで生き残った彼がリーダー格の存在であったが故なのか、彼は冷静な判断を下してくれた。

もう一方のハウンドハンターに目を向けて、そのまま森の茂みの中へと去っていく。しかしリゼもその姿が完全に消え失せるまでは気を抜く事はない。

 

「あの……ひゃっ!」

 

「もう少しだ」

 

そうして草木の揺れる音が消えると同時に、入口へ向けて全力で走り始める。大銃を肩から掛けて鞄を拾い上げ、突き刺さったままの槍も持って、ただ森から抜け出す事に尽力する。

この森の中でゆっくりと歩いていられる時間など無い。せめて入口に行けば何とかなる筈なのだ。援軍となる探索者も、追って来ている筈なのだから。

 

「っ、漸く、出口……!!」

 

「リゼ・フォルテシア!頭を下げろ!」

 

「うっ……!」

 

「『雷弾』!!」

 

『ーーーーーッ!!!』

 

森の出口に足を掛けたその瞬間、叫び込まれた言葉に従って頭を下げたリゼの頭上に、一発の『雷弾』が凄まじい勢いで叩き込まれる。

『雷弾』特有の攻撃速度、何の声もなく自身の後方へと吹き飛んでいく何か。振り返ればそこにあったのは、焼け焦げた緑色の流動体。

 

「フォレスト、スライム……」

 

「……フォレストスライムは通りの出入口付近に巣を作る事が多い、最も獲物が通る場所でもあるからな。人通りが少ない時には気を付けるといい」

 

「貴女は……」

 

「まずはこっちに、そっちの少女の怪我は?」

 

「い、いえ、私は……」

 

「とにかく診せてくれ」

 

水色の長髪、整った美貌、そしてエルフ特有の少し長めの耳。リゼはその人物を知っている。その優しくも厳しい人物を、そしてただ聖人ではないその人物を、リゼは知っている。

 

「カナディア・エーテル……」

 

「ああ。……どうやら君も、大概トラブルに巻き込まれ易い性をしている様だな。まさか昼にラフォーレに捕まったかと思えば、夜は森の中で大乱闘とは」

 

「な、なぜそれを……?」

 

「あのラフォーレが君を担いでダンジョンから戻って来たんだ、少しくらい噂にはなる」

 

「そ、それはもしかしてマドカにも……?」

 

「当然だな」

 

「うわぁ……」

 

「くくっ、そう恥ずかしがる事でも無いだろうに。よく頑張ったな、なかなか駆け出しの探索者に出来る事ではない」

 

「……!」

 

雷弾と少しの火薬を使い、小さな焚火を作って薄着の少女を温めるカナディアは、同時にリゼのボロボロの様子を見て笑う。

そこには少し前に見た時の様な堅い表情の彼女ではなく、まるでマドカの前で話している時の彼女の様な柔らかい顔を浮かべていた。それが少しだけ意外で、そんな惚けた顔を見られてしまったのか益々笑われてしまうのだから恥ずかしい。やはりカナディア・エーテルは美人なのだ、美人揃いのエルフの中でも相当に。そしてリゼは分かっている通り、美人に弱い。

 




ポーション……回復薬(ポーション)には色々なものがあるが、1つだけ気を付けなければならないことがある。それは液体のポーションは即効性があり様々な使い方が出来るが、保存しておくガラス管の方が割れ易いことである。もちろん普通のガラスは使っていないが、強力なモンスターの攻撃に対しては無力である。しかし保存期間や状態、諸々の条件を考えた上で現在の保存方法が最適であり、一時期金属容器での保存も流行ったが、容器が数日で腐食し始めることが発覚してからは元の保存方法に戻った。固形のポーションも存在しているが、クソほど不味い。


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36.報告会議

ギルドの施設の中にはいくつもの部屋があり、勿論会議室に当たるものも多く存在している。しかしその会議室1つにしても様々に種類があり、誰でも使える簡易的な物、より大人数を収容するための物、そして重要な客人を招いた時や外部への情報漏れを防ぐ為の設備の整った物と用途に分けて様々に。特に後者の物に関してはギルド長の許可が無ければ使用どころか入室すら出来ない程にしっかりとした物だった。掛かっている金額も他の比ではない。

 

「さて……全員揃ったな」

 

そしてそんな一室に、今日は珍しく何人もの人間が卓を囲んで集まっていた。

ギルド長に直接収集をかけられ、この深夜の時間帯に呼び出された有力な探索者達。この場にいる殆どが街の外の人間にも知られている様な有名な者達であり、同時にギルド長のエリーナが信用出来る、信用出来なくとも確かに裏切る事はないと判断した者達だ。

 

「……大分顔色が良くなったな、マドカ」

 

「そうですか?ふふ……お昼はリゼさんへの指導ありがとうございました、お母さん」

 

「構わない。脚の方はどうだ、少しはマシになったか」

 

「はい、順調ですよ♪」

 

"無所属"、マドカ・アナスタシア。

"紅眼の空"、ラフォーレ・アナスタシア。

実質的にギルド直属の探索者であるマドカと、有力クラン"紅眼の空"の中でも此度の件に特に関わったラフォーレは、当然の様にこの場に呼び出された。隣り合わせの席で互いに微笑み合いながら、マドカはラフォーレに頭を撫でられている。

 

「あの、エルザ様?今日は一際体調が優れないご様子ですわね、よければ回復魔法をお掛け致しますわよ?」

 

「お願いしてもいいかしら……はあ、早く終わらせて家に帰りたいわ」

 

「お仕事の方は、もうよろしくて?」

 

「ええ、後はギルド長に全部押し付けるだけ。……今日は絶対にユイに添い寝して貰うんだから、そうでもないとやってらんないわよ」

 

"主従の花"、エルザ・ユリシア。

"風雨の誓い"、アクア・ルナメリア。

明らかに顔色悪く突っ伏しているエルザに、アクアはスフィアを使用しない精霊族特有の治癒魔法を掛ける。本来ならばエルザのクランはここに呼ばれる程に大きな物ではないが、今回の件の彼女達のギルドに対する貢献度で言えば、呼び出されるのは必然の話でもあった。そして見て分かる通り、彼女はその能力を現在進行形でエリーナに酷使されている。どうやらその尻拭いはユイが犠牲になるらしい。

 

「あ、あれ?今日はカナディアさんが居ないんですね、遅れるんでしょうか?」

 

「いいや、あいつは今ダンジョンの中だ。なんか遭難者が出たんだってよ」

 

「な、なるほど……あ!記録したもの、後でカナディアさんにも渡しておきますね!姉さんにも報告しないとなので……!」

 

「お前はほんとに真面目だねぇサイ、もう少し肩の力抜いて生きねぇと若ぇのに白髪生えっぞ〜」

 

「え、えぇ〜」

 

"若葉の集い"、サイ・シンフォニー。

"聖の丘"、レンド・ハルマントン。

この場に数少ない男性である2人はその歳の差も関係無く自然に言葉を交わす。まだ15の身であるサイと、既に45の身であるレンド。背後にもたれ掛かりながら椅子をギコギコと鳴らしているレンドに反して、前のめりになってメモを取る準備をしているサイの姿は本当に対照的な2人だ。

 

そして、

 

「そろそろ私語は謹んでくれ。これより一連の騒動に関する報告を行って貰う。エルキッド、資料配布を頼む」

 

「了解」

 

ギルド長のエリーナが、秘書のエルキッドに主にエルザが作った資料の配布を命じた。

定例の会議。

今回はそれだけではなく、様々にあった一連の騒動の報告を中心に行っていく。これは龍の飛翔や何か重大な事件が起きた時に行われる物だが、今回はそれこそ本当に色々な事があった。その分エルザが作成した資料の束は分厚く、手渡されたレンドも嫌な顔をしながらもそれを受け取る。

 

「……酷ぇもんだな、色々と」

 

「想定外、というか……最悪が重なってしまいましたね」

 

「そうだな、正直に言えばラフォーレの独断行動が無ければ被害は更に酷い物になっていた。その反面、そちらの方が被害は大きかった様だがな」

 

「チッ」

 

「いえ、ラフォーレ様が拠点を出た際には既に大凡の対処の目処は付いていましたわ。カナディア様とセルフィ様がその分大層苦労をなさっていましたが、結果を考えれば最善の行動だったのではないでしょうか」

 

「……実際、マドカが十分に動けなくなった時点で戦力を早急に引き戻す必要はあったもの。ラフォーレの判断は間違ってはいなかったわ」

 

「面目ありません……」

 

「いや、ありゃあ完全にウチの責任だ。その尻拭いしてくれたマドカちゃんが気にするこたぁ無ぇよ。……街守ろうとしてる奴等が街ぶっ潰す様な真似したんだ、責任持って指導しとかねぇとな」

 

「そうだな、マドカは十分に仕事は果たした。そしてラフォーレ、今回の件については私からも改めて感謝させて欲しい。お前が居なければこの街は壊滅していた。独断専行とは言え助かったのは事実だ、ありがとう」

 

「……やめろ気持ちが悪い、頭を上げろ」

 

皆が手元の資料をパラパラと捲りながら、取り敢えず思い思いの意見を発していくスタイル。今更資料の解説を1から10までする必要もない。

静かに、そして穏やかに、特に怒声や大声が飛び交う事もないこの会議。これがいつも通りの彼等の会議の姿であった。そういう人間達が選ばれてこの場に居る、そういう冷静な人間達がこの場に居る事を許されている。本来ならばラフォーレは外されるのだろうが、マドカと一緒にいる時の彼女はその条件の中に入っている。彼女はこうしてマドカが側にいる場所では、決して暴君の姿を見せたりはしない。

 

「時にレンド、一つ聞きたいのだが……今回の街への襲撃は十中八九"龍神教"の仕業だろうが、この奇怪な生物群についての情報はあるか?」

 

「……いや、無ぇ。こんな気色の悪い化物、見た事も聞いた事もねぇ。少なくとも前に見た【憤怒】も【憂鬱】もこんな奴等を引き連れては居なかった」

 

「そうか……」

 

「ま、【憂鬱】は奇妙な沼を突然作り出してたからな。もしかすれば他の罪のスキルの力って可能性はあんじゃねぇのか?そもそも罪のスキルがいくつあって、他にどんな名前が付けられてるのかすらも分からねぇが」

 

「……スキルの力でモンスターを生み出すなんて、信じ難い話ですわ。それでもあの力のことを思い出してしまうと、納得せざるを得ないと言いますか」

 

「1匹1匹はゴミだったが、集まったデカいゴミは生意気にも私の魔法を抑え込んだ。加えて全ての個体が同一の目的に沿って動き、半ばでその目的を変えた様にも見えた。……居るだろう、ゴミを支配しているゴミ山の猿は、間違いなく存在している」

 

それこそリゼの助けもなければ勝利を掴む事は出来なかったあの状況、それを作り出した事を考えるに敵は楽観視できる様な存在では到底無かった。

加えて、そのラフォーレ曰くゴミ山の大将がこの街の中には全く見当たらなかったという事を考えると、敵はそれを遠距離から操作していたとも考えられる。果たして本当の力を見せた時、それがどれほど脅威的な存在になるのか。それを考えれば所持者1人で数多の実力ある探索者を打ち倒す事の出来る罪のスキルが関わっていると言われても、全くと言って良い程に不思議では無い。

 

「個人的に今回の敵の目的はマドカだったんじゃないかと私は思ったのだけれど、それについてはどうかしら?」

 

「ええと、どうなんでしょう……仮にそうだとしても、私は龍神教側に行くつもりは無いのですが」

 

「渡す訳が無いだろう、あんなカス共の集まりに」

 

「分かっている。仮に敵がマドカを狙って仕掛けて来たのだとしても、マドカはこの街の貴重な戦力であり人材だ。敵に屈して差し出す気は毛頭無い。これがレンドであろうとサイであろうと、我々が取る行動が変わる事は無い」

 

「ま、仮にもこの世界の最後の砦を名乗ってんだ。狙いがマドカちゃんだろうがスフィアだろうが、頭下げて差し出して終わり、なんて訳にはいかねぇわな」

 

「1度折れれば2度目が、2度折れれば3度目が。要求は際限無く続きますわ。単にマドカさんが狙われているという話では無く、対組織としての話で考えるべきかと」

 

「つ、つまりマドカさんには何の責任もないって事ですよね!僕もそう思います……!」

 

「そう言って貰えると私も嬉しいです」

 

「……私だって別にそんな事が言いたかった訳じゃ無いのだけれど、まあいいわ」

 

別にエルザとてマドカが原因であったとしても、マドカを糾弾するつもりなんてこれっぽっちも無い。仮にマドカが狙われているとして、それが原因となって街に被害が出たとして、それでマドカを責めるのはお門違いにも程がある。そんな事を言ってしまえばエルザだって実家が動いた時にはこの街に迷惑をかけるだろうし、過去まで遡ればラフォーレの方がよっぽどこの街に迷惑を掛けている。

 

「私が言いたいのは、マドカが本当に狙われているのか、そして狙われていたとしたら今後どう対応していくのか。それだけよ」

 

「……その辺りどうなんだ、ラフォーレ。仮にマドカが狙われているとして、その理由に心当たりは無いのか」

 

「回答を拒否する」

 

「お、お母さん……」

 

「黙っていろマドカ、この件についてはお前とて口を挟む事は許さん。絶対に口に出すな」

 

「……狙われているという事は確定だと、そう考えていいんだな?ラフォーレ」

 

「好きにしろ、それ以上に私から言う事は何も無い」

 

その瞬間そこに座っていた者達の心中に浮かんだのは、何より驚き。しかしそれはマドカが龍神教に狙われているという事実に対してではなく、あのラフォーレが愛娘を相手にこれほど厳しく当たったという事実に対して。

娘のためならば自分の心柱さえへし折る彼女が、その娘の意思を無視して抑え込んでいる。それはもう少し考えれば誰でも分かる事だが、それ程に他人に容易く話せない様な秘密が彼女にはあるという事になる。

 

(……ま、どうせカナディアの奴はそれすら知ってんだろうがなぁ。あいつもマドカちゃんの事になると口固ぇから何の参考にもなりゃしねぇが)

 

この場に居ないエルフの女性を思い浮かべながら、レンドは舌打ちを切る。

しかしカナディアがもしそれについて知っているとなれば、それはこの街にとって大きくマイナスになる事ではないという事が確かになる。ならばそれについてレンドが考える事は特に無いという事にもなるのだが、そうでなくともマドカ・アナスタシアという人間はこの街オルテミスの探索者の中でもトップクラスで訳の分からない人間だ。この街の頂点に立ち、指示を出す立場である以上、そういった不安要素を残しておきたく無いというのも本音にはある。

 

「……ま、街の周辺の警備を強化すんのは前提としてだ。暫くは投影のスフィア使った放送もマドカちゃんは出禁だろ」

 

「うっ」

 

「それは少し残念ですが、私もその通りだと思います」

 

「え、や、待ってくれ!そこはまだ少しの交渉の余地がだな……!」

 

「ギルド長、気持ちは分かるけど駄目よ。マドカの放送人気は高いけど、流石にこの状況で表には出せないわ」

 

「ほ、他の人に出演を代わってもらうとかはどうですか……?」

 

「マドカ以上の演者がそうそう居るか!それとも何か!君が代わりに出演してくれるのかサイ!?当然女装して際どい服を着て!それでもマドカの人気に届く事はないんだぞ!分かっているのか!」

 

「ひぃっ!!」

 

「エ、エリーナさん、落ち着いてください。あの、ほら、予告無しの短時間突発出演とかならまだ大丈夫だと思いますし……!」

 

「基本司会のお前が居なくなったらどうするんだぁぁ!中央のお偉い方の中にもお前を応援している人間が居るんだぞぉ……!」

 

「え、そうだったんですか!?」

 

「だから困るんだ!……そ、そうだエルザ!せめてユイを貸してもらう事は!」

 

「嫌よ、絶対に嫌」

 

「ぐぅ……!」

 

話の中心は、投影のスフィアを利用した配信活動について。

投影のスフィアは、今やこの世界の重要な娯楽の一つとなっている。ギルドがそういった人材を集めて作っている放送部門では日々様々な番組を放送しており、連邦中央から放送部門に降りてくる資金も日々増していく一方。1つの時間帯に1つの番組しかしていなかった物も、最近では2つに増やしていくという話が出ており、2階層以外にも放送用の設備を建設するのはどうかという話だってある。後者はダンジョン環境と強化種出現の引鉄になる危険性を考慮して今も話し合いが続けられているが、前者は既に現実味を帯びて来ている話だ。

そんな中、容姿も良く、性格も良く、番組の司会だって十分以上に熟してくれるギルドの看板娘マドカ・アナスタシアの欠員はあまりにも痛い。手紙や魔力を利用した文章伝達装置で送られてくる番組への感想に子供達による物が多いのは、間違いなくマドカが担当する健全な番組の評判が良いからで、そうして健全な番組の評価が良いからこそ、中央からも正式に金が降りてくる。様々な支援が受けられる。

 

「む、無理だ……やはりどう考えても今マドカに番組を降りて貰うことは出来ない……」

 

「貴様、ギルドの為にマドカに危険を及ぼす気か?」

 

「いきなり降りたらそれこそ街が混乱するだろう!!街というか中央が!……せ、せめて!せめて後任が出来るまでは続けてくれないか!その分の護衛はこちらで絶対になんとかするから!」

 

「「「……………」」」

 

頼む、この通りとばかりに頭を下げるエリーナの必死さには、流石にあのラフォーレでさえも口を閉じた。ギルド運営のことまではよく分からない者ばかりだが、あのエリーナがここまで頭を下げるという事は、本当にそれほど大事の話なのだと誰でも分かる。

実際、この街の探索者にとってもギルドと中央の間にトラブルが生じるのは困る事だ。放送だって、新人探索者を集るのに必要なこと。この場に居る人間達がギルドの放送にあまり積極的に参加していないのもあって、堂々とそれを否定する事は出来ない。

それにギルドと探索者達の間柄は決して悪いものではない。仕事とは言え常に探索者達が十分に活躍出来る為に彼等が汗癖動いているのを知っているのもあって、こうして素直に頭を下げて頼まれてしまうと断り難いのだ。少なくともこの場に居る人間達にはその程度の良心くらいは残っている。

 

「……はぁ、仕方ねぇなぁ。各クランで放送中の警備員回すか、ウチは街の外部の警備拡大しちまうから難しいけどよ」

 

「そう、ですわね。私のクランでは性質上そういった警備の担当を回す事は難しいですが、団長のエアロが幸いにも常に暇をしておりますわ。協力致します」

 

「ぼ、僕の所は……一応姉さんにも相談してみますけど、大丈夫だと思います。むしろお爺さん達は放送現場が見れて嬉しいんじゃないかなって」

 

「ウチは2人しか居ないから時間がある時でいいかしら?龍殺団は……無理そうね、唯一まともなカナディアが1番忙しくしてるもの」

 

「……おい、"紅眼の空"はどうすんだ?」

 

「無論私が側に着くに決まっている」

 

「やめろ、やめてくれ、お前が収録現場等に来た日には演者達が間違いなく萎縮する……」

 

「せめて3人で回してくんねぇか?」

 

「チッ、ゴミが」

 

「なんでそこまで言われなきゃなんねぇんだよ……いやもう別に今更いいけどよ」

 

どうしても人手が足りなくなる都市成立祭(龍の飛翔)の時期以外には、基本的に2日に1度、多い時には1日に2〜3回ほど放送に出演していることもあるマドカ。それも彼女の大切な収入源の一つであり、実際に完全に無くなってしまえば困るのはマドカも同じ。他に収入が得られる何かを探すまで続けさせて貰えるのなら、それ以上のことはなかった。

 

「つっても後任探すにしても、マドカちゃんの稼ぎは大丈夫なのかよ。クラン入る気は無ぇんだろ?」

 

「私が出す」

 

「お、お母さん……ほら、別にダンジョンに入らなくてもお金は稼げますから。今まで放送に使っていた時間を飲食店のバイトで補えばなんとかなります」

 

「ああ、確かマドカがお気に入りの喫茶店があったかしら。別にそんな事しなくともギルド長が首括れば大丈夫よ」

 

「誰が首を括るか。……マドカには探索者支援部門の仮職員として雇える様に既に制度改革を含めて手を回してある。金銭面の問題はない」

 

「へぇ、それは良いですね!僕も参加してみたいです!」

 

「手際が本気過ぎますわね……」

 

「そ、そこまで話が進んでいたんですか……?」

 

「仮職員と言っても、ギルドの施設を自由に使える一般人なんていう都合の良い存在よ。ギルド所属の探索者は禁止されていても、仕事の委託と施設の貸し出しは禁止されてないもの。偶々専門性のある業務で見積もりが高かったり、偶々入札が1件しか入らなかったりはするけど。合法よ」

 

「酷過ぎる」

 

「だが食堂の利用を自由に出来なかった事だけが残念だ。講師としての講師料や講演料ではそう高い額は出せない上に、常に同じ人間を呼んでいるのもおかしくなるからな。これが最良だと判断した」

 

「……これ今後マドカちゃん以外に適用されること2度と無ぇ案件だろ。お前の入れ知恵だな、エルザ」

 

「私男は嫌いだから話しかけないでくれるかしら?」

 

「散々だなウチの女連中は……これでも都市の頭だぞ俺」

 

一先ずはそんな所で今後のマドカの方針についての話は纏まった。

例えマドカが狙われているとしても、敵の本拠地が分からない現状では敵の動きを待つしかない。待ちながら、罠に掛けていくしかない。

マドカを囮になどすればラフォーレが暴れ出す事を考えるに、その罠については裏で密かに仕込んで行く事が賢明だ。それを考えてそれについてはレンドは話題に出さない様にしたし、そんなわざとらしい様子に気付いたエルザも悪態を吐きながらも話を打ち切った。

 

「よし、マドカのスケジュールについては確定次第共有する。決して外部に漏らさない様に、そして護衛も信用出来る者だけを選ぶ様に頼む。マドカはスケジュールを作成次第、エッセルに渡しておいてくれ」

 

「分かりました。……皆さんご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません、よろしくお願いします」

 

そんなこんなで会議も終わり……な訳もなく、この後も2時間ほど後処理の対処の為に会議は続いた。最後の方には疲れ切ったエルザが完全に眠り始めてしまったものの、途中でカナディアが合流した事もあって特に大きな問題になる事は無かった。

街の復興と探索者達の回復の為に忙しい日々はもう少しだけ続いていく。その大きな目的の前には、実際マドカの護衛など二の次の話であろう。それをこの世界の何よりも一に持って来てしまうヤバい女は居るけれど。それでもクランの調和という目的の為にマドカの存在は必要不可欠ではある。

 

「……そういやぁマドカちゃん、新しい教え子出来たって聞いたぜ?見込みあんのか?」

 

「リゼさんの事ですか?私個人の感想で言うのでしたら、とっても期待していますよ。彼女の目的を考えるに"聖の丘"には入らないとは思いますが」

 

「へぇ……それは、エルザ達みたいにマドカちゃんの後釜にはならねぇのか?」

 

「それはどうでしょう。そうなってくれると私も安心は出来ますが、今の時点でその道を示すつもりはありません。素直なリゼさんは示したら最後、その道だけしか見えなくなってしまいそうなので」

 

「………そうかい」

 

そして忘れてはならない。

誰しもがマドカ・アナスタシアに好印象を抱いている訳では無いという事を。

ラフォーレという爆弾を抱え、龍神教と何らかの関わりを持ち、あまりに影響の強い人望と力を持つだけではなく、その行動1つにしても盤面を掻き乱す程の変化を齎す彼女。一刻も早く前線から退いて欲しいと、そうでなくとも大人しくしていて欲しいと、そう考える人間は当然居た。

 

「あの、レンドさん……」

 

「ん?なんだ」

 

「……リゼさんやエルザさん、それにステラさん達の事、これからもよろしくお願いしますね。私も、少しずつ活動を減らしていく必要がありますから」

 

「!」

 

そして当然、そんな事に本人は気が付いている。けれど、別にそれは嫌味でも何でもない。交換条件というよりは、本当に純粋な頼みの様なもの。

 

「まだ若いだろうが、マドカちゃんは」

 

「明日隣に居る人間が生きているとも限らない、ですから」

 

「……わぁったよ」

 

会議が終わり、眠っているエルザを背負いながらラフォーレと合流して去っていく彼女をただ見送る。都市最強探索者であるレンド・ハルマントンはマドカ・アナスタシアの事を苦手に思っている。決して敵に回る相手ではなくとも、多くの秘密を抱えているにも関わらずその片鱗を見せる事なく変わらず生活に溶け込んでいる彼女を、心の底では信用していなかった。……勿論、それ以外にも彼には様々な事情はあるのだが。



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37.存在しない少女

ダンジョン6階層。

7階層以降と同様の森林地帯にも関わらず、一切のモンスターが存在しない事もあり、何となく静かで、何となく穏やかで、5階層から流れ出る風に揺れる木々の音でさえも心地良く感じるこの空間。

そんな階層の入口近くで簡単に火を焚きながら傷の手当てや事情聴取を行なっている3人は、少なくともリゼは、マドカも信頼する様な上級探索者が救援に来たという事もあって素直に心を休めていた。

 

「……そう言えば、君は薄着だったか。私の上着をどうだろう?」

 

「いえ、そんな……!」

 

「そんなボロボロで泥や血に濡れた上着を渡されても困るんじゃないか?」

 

「え、あ……!す、すまない!私とした事が……」

 

「あ!違うんです!私別にそういう意味じゃ!」

 

「くくっ、なかなか初々しい反応をするな、君達は」

 

「あ、あまり揶揄わないで欲しいのだが……」

 

「いえ、その……」

 

カナディア・エーテル。龍殺団の副団長であり、あのマドカと恐らく最も親しい探索者の1人。

しかし意外と意地の悪い所があるらしい彼女は、けれどもしかしたら空気が重くならない様に努めてくれていたのかもしれない。

思いっきり切り傷だらけのリゼはさておき、薄着の彼女はマントの下に大きな怪我をしているという事もなく、カナディアも色々と確認をしていたが特に何の問題もない健康体の様だった。

ついでにリゼも効能の高いポーションを受け取り傷口に塗り始めるが、パワーベアの投石によって負傷した左足は骨に少しの損傷があるらしく、カイザーサーペントによる内臓損傷はやはり悪化している。恐らく戻れば直ぐ様に治療院行きだろう。その事も見越してなのか、カナディアも今は何か特別な処置をするつもりは無いらしかった。そもそもVIT(耐久力)が高いのだから、帰りを歩くくらいは出来るのだし。

 

「さて、一応聞くが、他に救助が必要な人間は居ないのだな?」

 

「私が認識しているのは彼女だけかな。君は何か……ああいや、まだ名前も聞いていなかったか。自己紹介を頼めるかい?」

 

「えっと……」

 

「「?」」

 

何故か自己紹介を促すと困った様な顔をする少女。

ふんわりとした羊毛色のミドルヘアは先の方に行くに連れて白色が混じり、一重の目が特徴的なこれまた美人顔。着実にリゼの周りに増えていく美人達の中にまた1人増えた様な形になるが、それより何かしら事情を抱えている方が気になる彼女。

カナディアが言う通り、リゼは案外トラブルに巻き込まれ易い体質の様だった。そうなれば、きっと彼女が抱えている事情もそれなりのはずで。

 

「私、記憶が無いんです……」

 

「「!」」

 

困った様にそう言う彼女は、けれど申し訳なさの方が大きい様な表情をしていた。

 

「記憶が無い、と来たか……」

 

「具体的にはどの程度の話なのだろうか?」

 

「……分かりません。何かこう、思い出そうとすると頭に靄が掛かると言いますか」

 

「ここが何処かは分かるか?」

 

「ダ、ダンジョンですよね?多分、オルテミスの」

 

「何故そう思う?」

 

「モンスターが居るダンジョンはオルテミスかグリンラルの物しかありませんから。それに……カナディア・エーテルはオルテミスで活動している探索者だと」

 

「その知識が何処から得た物か思い出せるか?」

 

「……ごめんなさい、思い出せません」

 

「ふむ……」

 

話を聞いて考え込むカナディアを他所に、リゼはなんとなく視線を合わせてくれない少女に首を傾げる。どうにもこう、チラチラと相手の方から視線を向けて来る事はあるのに、それにこちらが目を合わせようとすれば即座にそっぽを向いてしまう彼女。嫌われているのか、警戒されているのか、少し顔が赤く見えるのは焚火のせいなのかもしれない。

 

ダンジョン内の光量は少しのタイムラグを伴って地上と近い状態へと変わっていく。

それ即ちリゼが夕暮れに部屋を出てから既に1時間半、ダンジョン内の光量が急激に減り始め、地上の夜よりも若干の明るさが伴っている状態へと変わり始めたという事でもある。

マドカとダンジョンに潜っていた時にはほとんど見た事が無かった夜のダンジョンの姿、そこに何となくワクワク感を感じてしまうのは当然の話だろう。真っ白な床と天井に囲まれた広大な空間、しかし所々から漏れる様に溢れている微かな白い光は見ようによっては星空の様にも見える。

 

「……リゼ・フォルテシア」

 

「ん、何か力になれるだろうか?あと呼び方はリゼで構わない」

 

「ならばリゼ。悪いが少しの間、彼女の世話を頼めないだろうか」

 

「「えっ」」

 

カナディアの思わぬ言葉に目を見開く2人。

果たしてその言葉がどういう意味で発せられたのか、同時に隣の少女もどういう意図で驚いているのか、リゼが知りたい事は多くある。

 

「理由はこれから説明する。まず単純なものから言えば、恐らく彼女はこの街の人間ではない」

 

「そうなのかい?」

 

「えっと……」

 

「私はこれでも指揮陣営の1人だ、この街の探索者達の詳細については一度は全て目を通している。特に見目の良い女性探索者については殆ど記憶している筈だ」

 

「え……それは、その、そういう趣味が……?」

 

「……そんな筈が無いだろう。私とて怒る時には怒るからな」

 

「それなら何故……?」

 

少し話はズレてしまうが、持ち前の好奇心でそこが気になってしまったリゼは首を傾げて尋ねる。彼女の様な人間が何の考えもなく美人の女性の顔を覚えている事もないだろう、そこに理由があると分かっているからこそ聞きたかった。

 

「……有力な探索者として大成し易いからだ」

 

「え、そうなのかい!?ステータスの伸びやレベルの上がりに影響を!?」

 

「いや、そうではない。そもそも探索者の大成とは単純に経験が多く、レベルが高いという事だ。いくらステータスの伸びが理想的でも、死ねば何の意味もない」

 

「それは……ならばどういう……」

 

「……生き残り易いんだよ、見目の良い女性探索者は」

 

「!!」「!!」

 

けれど好奇心で聞いたその理由は、思いの外この探索者という職業に備わっている闇に触れる様な物で。

 

「探索者人口の大半は男だ、そして当然死亡する探索者も男性の方が多い。……しかしこれを率で換算した時、明らかに性別による死亡率に大きな差が生じる。例えば無作為に男性探索者に選ばせた容姿の良い女性探索者群の数年間の死亡率については、あまりに極端な値を示してしまった」

 

「なぜ、そんな事に……」

 

「……リゼ。お前も容姿の優れた女性探索者であるのなら、何れは必ず経験する事になるだろう。親しい男性探索者が、お前の為に命を張る瞬間を」

 

「っ」

 

それは数百年も昔、それこそ種族大戦が行われていた頃から変わらず続く非愛と男の性(さが)の結果。

 

「女探索者は生き残り易い。そして長く生き残った探索者は強い。街全体で見れば男性探索者の方が多いにも関わらず、上位の探索者に女性が多いのはそれが理由だ。納得したか?」

 

「……貴女も、経験が?」

 

「まあ、な…………私も、エリーナも、ラフォーレでさえもそうだ。長く探索者を続けていれば、1度や2度は地獄を見る。そしてその地獄の最中に、男という生き物はどうにも馬鹿な事を考えるものだ。それが本当に必要な行動だったかどうかは別としてな」

 

「ラフォーレも……」

 

それ即ち、あのラフォーレでさえも恋慕を抱かれた物好きな男が居たという事だ。それに対して彼女がどう対応し、どう接していたかは分からなくとも、その男が今はもう命を落としているという事だけは確実な話。

……祖父の書物の山にはそういった探索者達の恋愛を書いた物も多くあったし、それ等もしっかりと読んでいたリゼだ。中には悲恋の物も多くあったが、それは単に架空の話ではなく、現実でもありふれた話だったということ。そして物語とは違い、現実では結末の後にもそれぞれの人生は続いて行く。悲恋が齎す影響は1時だけのものではない、そこに本人の気持ちがあろうとも無かろうとも。

 

「まあ、そういう訳で私は見目の良い女性探索者については把握している。そしてこの少女については顔の見覚えがない。探索者以外の関係者という可能性はあるが……少しいいか?」

 

「龍の秘石……?」

 

「あ、なるほど、ステータスを見れば」

 

カナディアが自身の秘石を取り外し、少女の腕にそれを付ける。龍の秘石のステータスが記録されるのは石そのものではなく肉体か魂にだとされている。つまり秘石自体に特別性は無いため、こうして他人の物であっても本人のステータスはそこに示される訳だ。

彼女に取り付けられた秘石から黒色の帯革の様な物が発生し、自動的に彼女の腕に装着される。リゼとしても毎度見ている見慣れた光景ではあるが、よくよく考えればどの様な原理でそういった現象が起きているのか不思議な物だ。

 

「見せてくれるな?」

 

「は、はい。もちろんです……えと、どうぞ」

 

一度腕に巻きついたそれを彼女は自身の手で取り外し、裏面を向けて2人に見せる。

そうすればやはり、そこに彼女のステータスは示された。彼女の名前や年齢と共に。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レイナ・テトルノール 15歳

Lv.10

武器:

スフィア1:

スフィア2:

スフィア3:

ステータス30+9

STR:F+6

INT:E8

SPD:D-10

POW:F+6

VIT:F+6

LUK: G+3

スキル

・【雷散月華】…同種の雷系スフィアの同時使用数に応じて攻撃の威力が向上する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「れ、レベル10……!?この街に来た時の私より高いじゃないか!?」

 

「やはり、単なる一般人のものとは考え難い。……調査が必要だな」

 

「調査、というのは?」

 

「リゼ、最初に彼女を見つけたのは7階層の入口付近だと言ったな?」

 

「え、ああ、私も投影のスフィアで見ていただけだったけれど……確かにフラフラとゆっくりとした足取りで歩いていた」

 

「レイナと言ったか、記憶は?」

 

「ありません……ごめんなさい」

 

「……だとすれば」

 

カナディアは1人で納得した様にレイナから返された秘石を腰に付け直して目を瞑る。彼女の言いたい事が分からない2人にとってはただ首を傾げるばかりだ。リゼが彼女の世話をしないといけないというのも、未だに理由がよく分からず。

 

「貴女が何を考えているのか、教えてもらう事は可能だろうか?」

 

「……そうだな、関係者である以上は知っておくべきだろう。これは決して外部に漏らしていい話ではないが、ダンジョンにはギルド本部の物とは別に入口が存在していると言う噂話が存在する」

 

「「!!」」

 

「勿論未確認な話ではあるが、実際に何件か事例があってな。ダンジョンに潜った筈の人間がギルドの記録に残らず地上で姿を確認されるという事が過去の記録に幾つかあった。単純にそれを手違いだと考える事も可能ではあるが……」

 

「彼女が、その入口を通って7階層に来たと……?」

 

「加えて、記憶を消された状態で、秘石や衣類すらも剥がれた状態で、だ。……これを単なる迷い込んだと片付けるのは無理があるだろう。間違いなくそこには第三者の存在がある」

 

リゼが気付かなければ少女はあのまま死んでいた。むしろそのまま死ぬ様に仕向けられていた様にも考えられる。だとしても、それならば直接手を掛ければ良かった筈だ。死ぬ可能性が高いのに、それでも殺しはしていない。無事に帰れる可能性など殆ど無いとは言え、そこには僅かながらにでも彼女が生き残る可能性が存在していた。

それはつまり……

 

「何者かがその入口を利用して彼女を逃した、という仮説を私は立てている」

 

「私を、逃した……」

 

「一体誰が何から逃し、どうすれば記憶も身ぐるみも全てが剥がれている様な状態になったのか。そこまでは私も想像が付かないが」

 

「……人身売買?」

 

「その可能性は大いにあるだろう。……とは言え、これも全て想像だ。彼女が現れた周辺にクラン勧誘を行なっていた探索者達が居た以上、彼等に保護する様に仕向けられた間者の可能性もある」

 

「!」

 

「そ、そんな……」

 

「故に、私は君がこの少女を保護するのが最善だと判断した。都市の内情に詳しくなく、知名度も低く、しかしコネはある。今は良くも悪くもマドカとも距離を置いているしな。……そして、クランメンバーを探している。隠し場所としては十分だ」

 

「それは……しかし、こう言う場合には先ずギルドに判断を伺った方がいいのではないだろうか?」

 

「当然報告はするが、ギルドに正面から伺いを立てた所で最低限の支援しかされず、むしろ彼女の存在が公表される事でその人身売買組織(仮)に追われる危険性が生じる。ギルドには正式な手続きを踏まず、ギルド長クラスに情報共有をしながら極秘で調査を行うべきだ。……少なくとも、ダンジョンのもう一つの入口が関わっている可能性がある以上はな。そしてその入口を何者かが使用している可能性がある以上は、私達は大きく動くべきでは無い。変に警戒されては尻尾が掴めなくなる」

 

それは彼女やリゼという個人の都合よりも、この街全体の、そして全探索者の都合を優先した話。

彼女は言葉自体は濁しているが、それはリゼに対してクランメンバー候補となる少女を預ける代わりに、マドカに対して極力接触させる事が無い様にと言っているのと同じ事だ。マドカが此度の関係で狙われていたと言う話はリゼもエルザから聞いている、彼女がその一味である可能性を考慮すればマドカに近付かせる訳にはいかない。

 

「……とは言え、私もそこまで生活に余裕がある訳ではないのだが」

 

「問題ない、そこは私達が何とかする。これでも強引に物を頼んでいる自覚はあるからな、そこは相応の報酬が無ければならないだろう」

 

「その……すみません……私ではお話の内容はよく分からないのですが、迷惑を掛けてしまっているのは分かるので……」

 

「え?あ、いや!別に私は君を受け入れる事を拒んでいる訳ではないんだ!ただその、私もこの街に来たばかりの人間でね、どうしても不安を感じてしまう」

 

だってリゼは、美人に弱いのだから。

彼女の様な美少女の面倒を見て欲しいと言われて拒むつもりは最初から殆ど無い。これはただ本当に自分でいいのか、それは本当に現実的な話なのか、そしてその結論に至った理由を聞きたかっただけだ。

そこがハッキリとしていて、少なくとも自分が納得出来る話なのならば何の問題もない。マドカとの接触については何を言われようとも最低限はさせて貰うつもりでいるが、そこだけは譲れない事ではあるが。

 

「それで、具体的な支援というのはどういう物になるのだろう?」

 

「支援については単純に金だな、これについては君ならば必ず彼女の為だけに使ってくれると信じている」

 

「と、当然だ!そんな事をしたりはしない!」

 

「ああ、そうだな。それでその金についてだが、月に30万Lといった所でどうだ。取り敢えず期限は6ヶ月、それ以降の延長は要相談だ」

 

「……そ、それは少し多いのでは無いでしょうか?」

 

「さ、流石に私もそれは受け取り難いというか……」

 

「そうか?君の世話をして貰う以上は広めの部屋を借りる必要があり、生活費も単純に2倍。加えて暫くは外出も許可出来ないだろう。暇をしてしまう君の趣向品等を考えれば妥当ではないか?」

 

「なるほど……まあ、それなら妥当なのかな。不自由の代償としてなら、それくらいは享受すべきなのかもしれない」

 

「そ、そんなことないです……!ほんとに、多過ぎます!」

 

「まあそう気にするな、月に30万L程度ならば大した額でもない。私の私財でも充分なくらいだ」

 

「じょ、上級探索者というのはそこまで稼ぎがいいのか……!」

 

「単純に深層のドロップ品は価値が高いというだけだ、そして私のクランは頻繁に地下に潜る。スフィアに困っている訳でも無いのでな、金ならある」

 

何と羨ましい事か、一度は言ってみたいそんな台詞。しかし彼女ほどの探索者となればそれくらい金に余裕が出てくるというのは、むしろ他の探索者にとっては夢があるというもの。ここは彼女の快適な生活の為にもその支援を受け入れるべきだ、そもそも支援自体もカナディアから直接受けるものでは無いのだから。

 

「次に君への報酬についてだが……」

 

「あ、私にもあるのか」

 

「金でいいか?」

 

「な、なんだかお金ばかりだな……い、いや、別に不満があるという訳ではないのだが」

 

「くく、冗談だ。……そうだな、先程と同じ条件で月に10万L、それと彼女に合うスフィアを3つ見繕おう。それは彼女の利ではあるが、君の利でもあるだろう?」

 

「ああ、とてもありがたい」

 

「加えて、週に一度君の為に私が時間を作ろうか」

 

「?それはどういう……」

 

金額については素直に有難いという所。これならば十分にクラン結成の為の金額も賄えるし、普段生活でも困らない。少女が実際にクランに入ってダンジョンに潜ってくれるかは分からないが、スフィアについても無いよりはあった方が絶対にいい。1つあたり数万Lは確実に超えるであろうスフィアを3つも得る事が出来る、これも相当な報酬だ。彼女が使わないのならば、単純に自分が使えばいいのだし。

……ただ、最後の言葉だけはリゼもよく分からなかった。つまり彼女がどういう意図を持ってそれを報酬にしたのか。

 

「単純に、君の悩み相談だったりに付き合うという話だ。それこそ彼女の事だったり、ダンジョンの事だったり、困る事は多くあるだろうからな」

 

「なるほど、それは助かるが……」

 

「……それに、クラン申請の為に必要な書類に関する知識。悩んでいるんじゃないか?」

 

「!!それについても聞いてもいいのか!?」

 

「当然だ、何をそんなに驚いている」

 

「いや、だって以前に会った時は……」

 

「助力はしない、だったか。……まあ、本当は今もそう思ってはいる。しかし、それでは不公平だろう。私達は私達の都合を君に押し付けている、ならば同じ様に君の都合も受け入れなければ公平ではない」

 

「……しかし、貴女のその行動は最後には同じ探索者である私にも関係する物だと知っている」

 

「そんな事は関係ない。私達は私達がそれを今解決したいから行動しているだけであって、それはただの我儘だ。別に後でもいい事を、私達の個人的な思いで今直ぐに解決しようとしている。それに付き合ってくれるのであれば、君の個人的な我儘だって解決しよう」

 

「……」

 

誠実なのだなと、そう思った。

彼女の立場ならば、そしてリゼが相手ならば、その辺りはいくらでも誤魔化しが効くであろうに。別にその報酬の中にクラン申請の助力を入れなくとも、リゼならば受け入れていただろうに。それでもこうして、ある意味で最もリゼの報酬足り得るそれを入れてくれたのは、単に他に報酬として思い浮かぶ物が存在しなかったという理由だけではあるまい。

 

「この条件で、受け入れてくれるだろうか?」

 

「ああ、私としてはそれで構わないよ。ただ、その前に……」

 

「?」

 

「レイナ、君はそれでいいだろうか?」

 

「え?」

 

リゼはもう一度顔を彼女の方に向けてそう尋ねる。

ポカンとする彼女だが、リゼはその確認が何より大切なことだと思っていた。少なくとも、彼女の意思を確認しなければこの話は成立しない。

 

「君は少しの間、それこそ私達の事情で身を隠す事になる。そしてそんな君と生活を共にするのは私だ。正直に言えばそこまで出来た人間でもない。苦労も多くかけてしまう事だろう。……君はそれでも構わないかな?正直に言ってくれて構わない、困るのであれば別の人間にお願いするだけなんだ」

 

「……まあ、そうだな。他に候補が居ないという訳でもない。ただクランに所属していない人間の方が正直に言えば扱いやすい、怪しまれ難いからな。マドカに頼めない以上、次点でその条件に適した人間がリゼしか居なかったというだけで、その気になれば他の人間を紹介する事も出来る。その場合、制限が多くなってしまう事は否めないが」

 

「わ、私……リゼさんが、いいです」

 

「!」

 

「……ふふ、愚問だったか」

 

「え?」

 

身を乗り出す様な勢いでそう言った彼女にリゼは驚く。カナディアはそれを想像していたかの様に笑っていたが、リゼはそれにただ驚くばかりだ。そこまで行動を制限されるのが嫌だったのかと、おかしな勘違いをしてしまうくらいには。

 

「その、本当に私でいいのか……?」

 

「わ、私の最初の記憶は、貴女に助けられた所からで……絶対に悪い人では、ありませんから。他の誰かの所よりも、見知らぬ私を助けてくれた様な、そんな人の所に、居たいんです」

 

「……!」

 

そしてそれは、奇しくもリゼがマドカに伝えたものと似た様な話だった。

最初に絶対的に信頼出来る人を見つけた。

自分に自信がないから、その人から離れて出会いのクジを引き直す事はしたくない。

……他に身寄りも、知識も、実力も足りていないから。出来るならばずっとその人の側に居たい。

単純な憧れだけではなく、そうした少しの邪念が入り混じった考え。けれど人であるならば当然抱くであろう弱音。それに気付いてしまうと、リゼはなんだか不思議な気持ちになった。マドカの側になって漸く気付く事もあるのだ。

 

(……例えば、ずっとは側に居られない申し訳なさ。そしてそれ故に、自立の手助けをしなければならないという責任感)

 

これをマドカも感じていたのだろう。

だから、彼女はきっと自分を直ぐにでもクランに入れようと思ったのだ。その依存が、より強くなってしまう前に。手の施し様が無くなる前に。それはなにより当然に、リゼの為に。

 

「……分かった、それなら私も出来る限りの手助けをしよう。これからよろしく頼むよ、レイナ」

 

「!……はい、よろしくお願いします!」

 

リゼは、彼女をどうすればいいのか。

マドカの様に距離を置くべきなのか。

それとも依存を受け入れるのか。

 

そもそも彼女が依存に溶けこまされる様な弱い心の持ち主であるかどうかも分からないのだから、それを論じる事は愚かな事だ。

リゼの心が弱いという事だけは、紛れもなく確かな事であるが。



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38.最初の掃除

あれから1日が経った。

無理矢理な戦闘によって少しの間安静が必要となってしまったリゼ。しかしそれは色々と準備が必要な彼女にとっては、むしろ好都合な事だったかもしれない。当然、そんな怪我をしている彼女の元にラフォーレが現れる事など1度も無かった。そして、例の彼女は今は事情聴取の為にカナディアと共にギルドの会議室へと向かっている。

そんな中でリゼが最初に手を付け始めたのは、もちろん今直ぐにでも解決出来る事柄についてだった。それ即ち、これから彼女と2人で住む事となる場所について。

 

「なるほど、部屋はこれで充分かな。家賃は……つ、月に14万L!?こ、こんなにする物なのかマドカ!?」

 

「そうですね……トイレ、お風呂、台所に寝室が付いた部屋となれば、これでも大分お安い方でしょうか。勿論、契約時には敷金と礼金が必要です。これはどちらも家賃1月分ですね。普通は2ヶ月分が相場なのですが、ここの管理人さんは人を見て部屋をお貸しする方なのでお安めなんです」

 

「と、都会の家賃を私は甘く見ていたのかもしれない……カナディアの言葉に甘えておいて本当に良かったよ」

 

「ふふ、そうかもしれませんね。……あ、そういえば私もこれを渡すのを忘れていました」

 

「ん?これはなんだろう」

 

「少し早いですが独立のお祝い金です。本当はクラン設立の為の必要資産にして貰おうかと思ったのですが、敷金礼金の足しにでもして下さい」

 

「……じゅっ!?マ、マドカ!君は一体どれだけ私を甘やかして!」

 

部屋探しを相談されたマドカは直ぐ様に知り合いの住宅管理人の元へとリゼを連れて行き、条件の良い部屋を探し出してくれた。そうして紹介された綺麗な部屋で彼女から手渡されたのは、真っ白な封筒に入れられた10万L。自身もそれほど余裕がある生活をしていないにも関わらず、彼女はこうしてポンポンポンポンとリゼに金を使ってくる。

……まあ一応マドカとしては、前の教え子にも、その前の教え子にも同様の額を渡しているので、今回も別に特別な話では無いという認識ではあるのだが、その誰もがこうして突然ポンと手渡された10万Lに驚愕と困惑を抱いていた事は彼女も知らない。

 

「そしたら、ええと……取り敢えずは必要最低限の消耗品と家具を用意しなければならないのか」

 

「家具は備え付けの物が幾つかありますけど、見た限りでは布団と調理器具は買い直した方がいいですね。残っている前の住人さんの私物も処分が必要な物がいくつか」

 

「なるほど……あ、衣服や拭き布も必要か。それに一度部屋の中を徹底的に掃除もしておきたい」

 

「それなら、本職さんにお手伝いを願いましょう」

 

「本職?」

 

「ええ、本職さんです。私が呼んできますので、その間にこの辺りの書類に記入をお願い出来ますか?それが終わったら1階の管理人室の手紙入れに入れておいて下さい。それで手続きは終わりなので」

 

「そんな雑でいいのか!?」

 

「はい、話はもう通してありますから。行ってきますね?」

 

そうして取り残されたリゼは何となく思った。もしかしなくてもこの部屋選び、1番張り切っていたのはマドカだったのではないかと。

ここの管理人は人を見て部屋を貸すと言っていた、しかしリゼは未だに管理人の顔すら見た事がない。そしてマドカは話はもう通してあると言った、それはつまりリゼは顔すら見られる事なくその条件をクリアしたという事だ。……というか、マドカが勝手にクリアしてくれていた。改めて感じるマドカの顔の広さ、自分も努力を重ねればああなれるのか。リゼは苦笑いを浮かべながらも書類作成を始めた。

 

 

それから30分ほどが経った頃。リゼが書類作成を終えて無人の管理人室に手紙を入れ戻って来て直ぐに、マドカは帰って来た。彼女曰く"本職さん"であるという2人の人物を連れて。

 

「ユイ!来てくれたのか!」

 

「はい。リゼさんが引越しをされると聞いて、少しでも力になれるのならと。……ちなみにエルザ様は連日の疲労故に今日はご不在です」

 

「いや、助かるよ。君が居てくれるなら百人力だ」

 

「それともう1人」

 

「ん?」

 

元はエルザの実家でエルザ付きのメイドをしていたというリゼ、今も普段からエルザの分まで家事を行なっている彼女が掃除を手伝ってくれるとなれば何よりも心強い。そう言えば何らかの事情で今はエルザの主人を名乗っている彼女であるが、その辺りの話もまだ聞けていない事をリゼは思い出した。

まあ、そんな疑問は彼女とマドカの背後に隠れる様にして立っていたもう1人の助っ人とやらの声を聞いた瞬間に吹き飛んでしまう訳だが。

 

「あれ〜?この声は"せっかくマドカさんが珈琲代を支払ってくれたにも関わらず、あれから一度もお店に来てくれない恩知らずのヒモ野郎さん"のものじゃないですかぁ〜?」

 

「ひっ!?……ま、まさか!?」

 

「お久しぶりですねぇご主人様ぁ♡どうしてお店に来てくれなかったんですかぁ?私ぃ、と〜っても寂しかったんですよぉ♡」

 

「ひぃぃいい!!」

 

「何本気で怖がってんだ殺すぞボケ」

 

メイド喫茶"ナーシャ"でたった1人のメイドを務めていたリコ・スプライト。かつて傷心していたリゼにとんでもないトラウマを植え付けた金髪の小さなエルフのメイドがそこに居た。

思わず尻餅をついて後退りをするリゼ、そんな彼女に青筋を立てた作り物の笑顔を浮かべて迫り追い詰める鬼メイド。そうしてリゼはあまりにも情けなくマドカの背後へと隠れた、彼女を盾にしながら。

 

「な、な、な、なんで彼女がここに居るんだマドカぁあ!?」

 

「え?だってリコさんもメイドさんですから、ユイさんのお弟子さんでもありますし」

 

「そ、そうなのかユイ!?」

 

「以前メイドについて知りたいとお話を頂きまして、少しばかりのご教授を」

 

「えへへ♡これでもちゃんとメイドとしてお店を守っているんですよ?ご主人様♡」

 

「嘘だ!!!!」

 

「おいお前ちょっと面貸せコラ、外の台車に縄で括り付けて街中引き摺り回してやる」

 

益々彼女から隠れる様にしてマドカにしがみ付くリゼ、なるほどその姿は確かに情けないものだろう。さしものマドカも苦笑いを浮かべてリゼの頭を撫でるしかないし、そんな姿を見て鬼メイドはまた弄るネタが増えたと内心でほくそ笑む。

実際にリゼは、あの日以来一度もあの店を訪れてはいない。それは確かに忙しさはあったのだが、何よりその忙しさを理由にして逃げていたのだ。マドカが珈琲を年中無料にしてくれたという話も、直接確かめた訳でも無かったので眉唾物の話として、それをわざとマドカに直接確認しなかったのもリゼがあの店から逃げていた証明である。

 

「ま、まあまあともかく、今は掃除をしてしまいましょう?リゼさんもまだ本調子では無いと思いますし、あまり無理をしないで下さいね?」

 

「あ、ああ……」

 

「今日も私が頑張りますから♪いつもみたいに寝転びながらヒモしてくれて構いませんからね、リゼさん♪」

 

「マドカの声に似せてそういう事を言わないでくれ!!それだけは本当にやめてくれ!!」

 

「ちょっと必死過ぎて引きますご主人様、きっも」

 

「その言葉が1番キツい!!」

 

そして案の定、言葉だけでもこれでもかと言うほどにコテンパンにされるリゼ。まあそれは楽しそうに笑っているリコ・スプライトから逃げる様にマドカの背後で隠れているその姿は、哀れに思うユイが居る一方、普段見れない彼女のそんな姿に少しだけ可愛らしさを感じているマドカも居た。

 

(……あー、これマドカさん相当気に入ってるかなぁ。あんまりマドカさんの前では弄らない方がいいかも)

 

ちなみにそんなマドカの反応を見ながら、何かを察して一瞬口を瞑った女も居た。

持って来た拭き布を濡らし、床清掃用の棒具に取り付けて3人に手渡すリコ。彼女とて怪我をしていると言うリゼに対して本気で手伝わせるつもりなど無かった。……とは言えあんな弄り方をしたからかオロオロとしているリゼである、そんな所がまた弄りやすいのだ。流石にそろそろ自重はするが。

 

「はい、ご主人様はこれで机の上でも拭いておいて下さいね♡」

 

「えっ、他にやる事は……」

 

「机の上でも拭いておいて下さい♡」

 

「いや、だが……」

 

「チッ、めんどくせぇなぁ……あっ、そうだぁ!いくらメイドとは言えお腹は空いちゃうのでぇ、昼食くらい奢ってくれてもいいんですよぉ?今日の働きに見合う様なぁ、と〜っても美味しいご飯を♡」

 

「……分かったよ、今日ばかりは奢らせて貰おう。あの喫茶店でいいかな」

 

「いや、なんでだよ。帰ったらまた私働かなきゃいけねぇだろうが、別の場所にしろ別の場所に。今日はプライベートだっつってんだろ」

 

「あ、すまない……」

 

そんな事は一度も言われていないはずではあるが、どうやら彼女は休みを取ってまでここに手伝いに来てくれた様であった。

マドカが何をどうやってメイドとマスター2人きりの店から彼女を引き抜いて来たのかは知らないが、少なくともリゼが完全に邪魔者扱いされているのは流石に分かった。歩き回らず余計な事をせず机でも拭いてろ、ド直球にそう言われている。これがもしマドカやユイに言われていたならば、リゼもそれはもう落ち込んだ事だろう。しかしこれを言ったのがリコ・スプライトという悪魔であっただけに、単なる戦力外通告ではなく、単純にゴミ扱いされているというか。

 

(よし、もう黙って座っていよう……)

 

こうして納得出来た。

それはもう、ある意味でリゼとリコの間でしか成立しない関係であるのかもしれない。良し悪しの問題はあるかもしれないが。

 

「……マドカは、掃除も出来るんだね」

 

「え?掃除ですか?」

 

「うん、とても慣れている様に見えるよ」

 

部屋の掃除は各々で手分けをして行う事になった。

ユイはトイレや浴場を、リコは寝室と台所を、そしてマドカはリビングを。彼等3人が取り出した掃除道具は各々に本格的で、しかもユイとマドカは探索者ならではの筋力を活かして軽々と家具を退かして丁寧な掃除を行なっていく。

そんな彼等を見て素直に感心をしたリゼは手だけ拭き布を動かして、窓拭きをしているマドカに声を掛けた。女の手でも軽々と窓を取り外して持ち上げるマドカは、リゼのそんな声掛けにも気にせずに言葉を返してくれる。

 

「ん〜、自分自身そう上手く出来てる自覚は無いんですけどね。普段の家の掃除も必要最低限という感じですし」

 

「そうなのかい?……あ、そういえば、マドカは何処に住んでいるんだろうか、聞いた事が無かった」

 

「ここからそう遠い場所では無いですね。北西の住宅地区の方でお母さんと2人で住んでいます。そんなに大きなお家でもありませんから、お掃除もそこまで大変ではないんです」

 

「……失礼かもしれないが、あのラフォーレが掃除をしている様子はなかなか想像出来ないかな」

 

「ふふ、そんな事ないですよ?お皿洗いとか、お風呂の掃除とか、毎日忘れずにやってくれるんですから。私の自慢のお母さんです♪」

 

「……意外だ。毎日お風呂掃除をしているのか、ラフォーレは」

 

想像するだけで面白いその姿。

しかしラフォーレは殆どの家事をマドカに任せているとは言え、マドカの為ならその全ての家事を代わってもいいと考えている様な人間である。焼いて味付ける雑な料理で良いのなら彼女にだって出来るし、そうでなくとも彼女は数年旅をしていた経歴もあった。基本的に不潔を嫌うラフォーレが掃除に対して苦手を抱いていないのは当然である。

そこはラフォーレについての理解度故の見解の相違だろう、彼女を知ればそこにも次第に理解が及ぶ様になっていくことだ。

 

「あ、そう言えば最近お母さんに思う所があるみたいなので、今回の引っ越しを機に一緒に食事を取る機会を減らさせて貰ってもいいですか?」

 

「ん?それは私もレイカの事があって同じ事を提案しようとしていたから構わないが……思う所というのはなんだろう?」

 

「多分いっしょに食事が出来なくて寂しいんだと思います。リゼさんが独立すれば私もあの食堂を職員として使えなくなってしまいますから、時期としては丁度良かったのかもしれないですけど」

 

「え……ああ、そうか、完全に忘れていた。私が独立したらマドカと食事を出来る時間が減るのか」

 

「そうですね、また自炊中心の生活に戻ってしまうので。……とは言え、お昼は食堂のいつもの場所で食べてる筈ですから、いつでも同席大歓迎です。お弁当沢山作って待ってますから」

 

「ああ、時間を見つけてなるべく足を運ぶ様にするよ」

 

着実に。

着実に、距離が離れていく。

まるで誰かがそう誘導しているのでは無いのかと、そう何かに八つ当たりをしたくなる程に、それを感じる。

けれど、これまでが特別だった。

そして、リゼはまだ未熟だ。

マドカも、形式上の独立はさせているが、決して本当の意味で手放すつもりなど無いだろう。リゼの立ち位置が、それこそユイやエルザと同じ場所に変わるだけ。時間を見つけて一緒にダンジョンに潜り、助言を貰ったり、階層を進めたり、そんな事を他の探索者の誰よりも優先して行って貰える。

 

「マドカ」

 

「はい?どうしたんですか?」

 

「私は幸せだよ、君の弟子になれて」

 

「!……さて、どうでしょう?これから先も同じ事が言えるでしょうか?」

 

「おや、それでは私がこれから後悔してしまう様な言い方だ」

 

「当然ですよ、独立したという事は初心者期間はお終いということなんですよ?次に私とダンジョンに潜る時は、今までよりずっと厳しくリゼさんの成長をチェックする事になります♪」

 

「ああ、なるほど、それは怖いな。マドカに失望されない様に頑張り続けないといけないかな」

 

「ええ……それに、リゼさんにはまだまだ教え切れていない事もありますから。ギルドの配信の中には私やカナディアさんが開いている講義みたいなのもありますし、講習会も任せて貰える様になりました。リゼさんがそれ等をしっかりと見て、学んで、実践に活かしているかどうかも確認しますからね?」

 

「ふふ、マドカは厳しいな」

 

「期待してますから、それだけ」

 

マドカはリゼの今後を心配して彼女を早くに手放す事に決めたが、それでもやはり大切な教え子として考えているのだ。

そして、期待しているのだ。

お金に糸目をつけないくらい。

 

「はいはいご主人様〜、イチャイチャするのはそれくらいにして貰っていいでしょうかぁ?甘過ぎて吐きそうになりますわぁ」

 

「いったっっっぁ!?」

 

「マドカさ〜ん、この人借りていいですか〜?背が届かない場所がありまして」

 

「ふふ、分かりました。あまり無理をさせない様にお願いしますね?」

 

「了解しました〜。さて、そうと決まればさっさと歩けこの糞ご主人様馬鹿野郎♡私ぃ、背が低くて届かないんですぅ♡」

 

「どれだけ言い繕った所で君が私の頭に物を投げつけた事実は消えないからな!!」

 

「もうご主人様ったら♡物じゃなくて、私の秘石ですよぅ♡」

 

「余計に悪いだろう!人の後頭部に投石をしたのか君は!?私で無ければ大怪我していたんだぞ!?」

 

「腫れの一つも出来てない癖に大袈裟ですよご主人様、それではマドカさんまた後で〜」

 

「痛い痛い痛い痛い痛い!!耳を引っ張らなくとも歩ける!歩けるから!!」

 

そうして引き摺られていくリゼを、マドカは苦笑いを浮かべながら見送る。リゼにしてみれば本当にトラウマになる様な相手ではあるが、リゼがあれほど乱暴な言葉遣いをするのは皮肉にもリコ・スプライト相手だけである。そして当の彼女もリゼの事を相当に気に入っている様に見えた。それだけでマドカの"リゼの友人を作る"という目的は半分達成されていたのかもしれない。

 

「それにレイナさんでしたか、リゼさんの良き理解者になってくれるといいですね。……一応、私ももう少し探しておきましょうか。リゼさんのクランに入ってくれそうな有力な人物を」

 

マドカのリゼに対する重い思い。

もしかしてそこには、自分を慕ってくれていたにも関わらず、自分の見ていない場所で命を落としてしまった1人の少女の影響もあるのかもしれない。



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39.はじめて

粗方の部屋の掃除が終わり、手伝いをしてくれた3人に昼食をご馳走した後。私物を整理しながらその時を待っていると、大凡日が暮れる頃には彼女がカナディアに連れられてこの部屋へとやって来た。

なんとなく広く感じていた場所も2人で座れば適度なもの。机を挟んで向かい合うと、取り敢えずの現状報告を行う事となった。

 

「なるほど、つまり結局ほとんど何も分からなかったのか」

 

「はい……唯一、私がこの街の人間では無かった事だけは分かりました。街に入った記録も無かったんです」

 

「ふむ、そうなるとやはり申し訳ないが暫くこの部屋に居て貰わないといけないんだろうね。すまない」

 

「そ、そんな!頭を上げて下さい!リゼさんには迷惑をかけてばかりで、私こそ申し訳なくて……」

 

レイナ・テトルノール。

リゼよりも2つ年下の少女は年相応の体付きに、キリッとした顔の作りとは対照的な礼儀正しく控えめな様子を見せてくれる。単純な容姿としてはリゼと同じようにカッコいい女性という印象があるが、やはり隣に立つ相手が早熟なリゼとなると可愛らしく見えるのだから不思議な物だ。

それとやはり、彼女は何故かリゼと目を合わせたがらない。頬を赤らめて、少し正面に居づらそうにしている。

 

「あー……そうだ、この部屋には寝室があるんだ。唯一の個室と言ってもいいかもしれない。それは君が使ってくれて構わないよ」

 

だからこんな言葉は最初から考えていた話題の一つに過ぎず、リゼとしてもそう大した考えもなく空気を繋ぐ為に発した言葉でしかない。その筈だった。

 

「え?そ、そんな訳にはいきませんよ!私の様な居候が貴重な個室を譲って貰うなんて、そんなの駄目です!」

 

「いや、だが君も心落ち着けられる空間が必要だろう?安心して眠る事の出来る場所があった方が、気分的にも楽な筈だ」

 

「駄目です、それだけは絶対に頂けません!リゼさんは探索者さんで!この部屋の主人で!外に出られない私の代わりにお金を稼いで来てくれるんです!私なんかよりずっとずっと安心して眠る必要があるじゃないですか!」

 

だからまさか、彼女がここまで必死になって食らい付いてくるなんて夢にも思わなかった。なんとなく引っ込み思案な雰囲気のあった彼女が、こうして机に乗り出して顔を近付けて来る程に意見を叩き付けてくるとは。

 

「わ、私は別に何処でも問題なく眠れるし、お金についても殆どカナディアが……」

 

「そもそも!リゼさんは私の事を信用し過ぎです!もしかしたら私がリゼさんの目を盗んで何か企んでいるとか考えないんですか!?如何にも出自の怪しい私に個室を与えるなんてどうかしてます!」

 

「え……だが、君はそんな事はしないだろう……?」

 

「しないですけど!絶対にしませんけど!ギルドの人達やカナディアさんもたくさん私の事を疑ってたのに……!」

 

「なに、そうなのか?それは私からも少し言っておかなければ……」

 

「だから、それが普通なんです!聞けばこの街は少し前に襲撃を受けたんですよね!?その直後に現れた自称記憶の無い不信人物なんて怪しいに決まってるじゃないですか!それなのに、どうしてこんなに普通に受け入れてるんですか!あまりに無警戒過ぎますよ!」

 

「……でも、本当に記憶は無いと」

 

「無いですけど!ありませんけど!そうではなくてですね……!!世間体というかなんというか!」

 

ならば別に何も問題無いではないか。

心の底からそう思いながら困惑するリゼに対して、意見のスレ違いというか、認識の違いというか、けれどそこに少しの嬉しさもあるのか頭を抱えて悶え苦しむレイナ。

どうも、彼女も単にオドオドとしているだけの物静かな少女では無かったらしい。むしろこれまでの状況が状況だけに、こちらが彼女の本当の姿なのかもしれない。

 

「〜〜!……あ、あの、もしかしてリゼさんって、ずっとこんな感じなんですか?」

 

「こんな感じ、というと?」

 

「その、今日まで誰かに騙された事とかありませんか……?」

 

「恥ずかしながら、私はつい先日までずっと山奥で祖父と2人で暮らしていてね。殆ど人と関わった事が無かったんだ。この街に来てからもマドカに頼りっぱなしで……やはり私は騙され易いのだろうか?」

 

「ああ、駄目だこの人……」

 

「だが、本当に人と関わりが無かった訳では無いんだ。以前に山の中で移動演劇の女性達を助けた事があってね、それ以来彼女達が本当に偶にだが訪ねて来てくれる事があって……」

 

「……その中に男性は居ましたか?」

 

「いや、女性だけの劇団だったからね。男性は居なかったよ。……そう言われてみると年若い男性と関わった事は一度も無いのか、この街に来てからも殆ど無かったかな」

 

「だめだ、だめだこの人……!あまりにも天然過ぎる!怖い!物凄く心配になる……!私なんかよりこの人の方がずっと外に出したらいけない気がする!」

 

「?」

 

自分が騙され易いという自覚はリゼにもあるし、だからこそマドカの側を離れて別のダンジョン街に行く事を提案されても断った。ただ、どうにも目の前の少女の反応を見る限りその度合いは相当な物なのかもしれないと感じている。

リゼ当人としては、別に1人でダンジョンに潜る生活をする程度ならばそう大きな問題にはならないと思っていたのに。

 

「……ちなみに、明日からの予定を聞いてもいいですか?」

 

「ん?ああ、取り敢えずは怪我が治るまでダンジョンに潜れないから、引き続きクランメンバーを探すつもりかな。書類関係についてはカナディアが手伝ってくれるというし、後はエルザに承認が貰える様な説得方法も考えなければ……」

 

「……1人で、ですか?」

 

「?ああ、一応」

 

「し、心配過ぎる……」

 

「そう言われても……」

 

だからと言って彼女を連れ回す訳にはいかないし、仮にも独立した身なのに直ぐにマドカに頼りつくのも違うだろう。別に街を歩くくらいなら問題無い気もするけれど。

どうにも彼女は、そう思ってはくれなかったらしい。

 

「……顔と服は、買えば良い。周りへの説明は、私が頑張れば良い。後は髪、この髪だけはどうにかして」

 

「レイナ……?」

 

「……リゼさん、明日私の事を美容院に連れて行って貰えませんか?しっかり顔は隠しますし、カナディアさんやギルドへの説明は私が直接しますので」

 

「それは構わないが……あまり外出するのは」

 

「それとお昼にギルドにもお願いします、聞いていた限りでは明日のその時間にカナディアさんが居る筈なので」

 

「ええ、と……」

 

「お願いします」

 

「わ、分かった。明日一日は君に付き合うよ」

 

「ありがとうございます」

 

着実に2人の立場が逆転していく。

彼女の圧に、リゼが負け始める。

会話の主導権が徐々に徐々に移行していく。

 

「それでは、まず家事分担からしましょう。基本的な家事は全部私が受け持ちます、以上です」

 

「……分担?」

 

「次に生活上の諸々の規則についてですが、これは全てリゼさんの意向に沿います。何か不満があれば遠慮なく言って下さい」

 

「規則とは」

 

「生活費についてもリゼさんに管理して貰うつもりですが、家計簿を作成しますので収支について報告を頂けると助かります。使った詳細まで報告する必要もありませんし、使った額に私が意見する事もありませんので」

 

「い、いや、別にカナディアから受け取った額は君の物なのだから君が管理してくれても構わないのだが……」

 

「……こんな怪しい人間に月30万Lも管理させないで下さい。周りの目もあるんですから、せめて警戒する素振りくらいはして下さい」

 

「う、ううむ……」

 

「……それこそ、リゼさんの警戒が足りていないと監視者として不十分だと考えられてしまうんですよ?そうなると私も自由が制限されて困ってしまうので、私の為にもそうしてくれませんか?」

 

「うっ……わ、分かった、努力するよ」

 

「本当に、もう少し人を疑う様にして下さいね?」

 

……とは言え、まあそんなことは無理なのだと、こんな少しのやり取りしかしていないレイナにもそれは分かる。まあ人前で少しは意識をしてくれるなら十分という程度の話に過ぎない。

それに、正直な話レイナの中にはこの周囲からの目という問題についての解決策は浮かんでいた。まあ少しばかり気恥ずかしいはあるが、別に嫌な訳でもないし、それは事実でもあるのだし、個人的な欲の為にも実行する気しか無いが。

 

「ええと……取り敢えず、クランの話から片付けてしまいましょう。リゼさんの作ろうとしているクラン、人数が足りないんですよね?」

 

「ああ、やはり実績の無い私のクランに入ろうとしてくれる人はなかなか居ないし、居たとしても人は選びたくて……我儘だとは分かっているのだけどね」

 

「いえ、それで正解かと。ちなみにですが、それは私が入っても問題ないものですか?」

 

「それは……そうしてくれると私も嬉しいけれど、流石に君に探索者になる事を勧めたくはないよ。実を言うと最初はそれを期待してはいた所もあった。しかし探索者の危険性を私の先生がずっと指摘していた事を思い出してね。今はやめて欲しいと思っている」

 

「私は探索者になります、そしてリゼさんのクランに入ります。はい、この話は終わりましたね」

 

「私の話を聞いていたかい!?」

 

「聞いてはいましたが、リゼさんの意向と私の考えは関係ありませんし。私はそうしたいからそうします。リゼさんだって結局探索者を続けているんですから、人の事を言える立場ではない筈ですよ」

 

「そ、それはそうだが……危険なんだ!本当に!少し間違えれば簡単に死んでしまう様な!私だってもう何度も……!」

 

「それを飲み込んだ上での判断です。戦闘に自信がある訳でもないですし、そもそもそんな記憶もありませんが、私がそうしたいので」

 

「……何か、目的が?」

 

「はい、そうですね、そうしてもっと私の事を疑って下さい。……ただ、目的と言っても話は本当に単純な事なんです」

 

「?」

 

押しても引いても動いてくれない。

一度決めたら頑固な所があるのか、加えてリゼより口が上手いという事もあって、今やリゼにとって彼女はある種の壁の様にも感じていた。直後、そんな聳え立つ壁がとんでもない攻撃を仕掛けて来るとは夢にも思わず。

 

「私、リゼさんの側に居たいだけですから」

 

「!?」

 

そう少し気恥ずかしいそうに笑う彼女。

そんな言葉と仕草にドキリとしてしまった事は言うまでもなく、言われた事もない、された事もない直接好意を打つけられるという行為に、一瞬頭の中が真っ白になってしまう。

ピシリと固まったリゼの顔を見ながらも、レイナは横目で反応を楽しんだ。明らかに照れを感じている、紅潮し始める彼女の頬を含めて。

 

「わ……」

 

「?」

 

「わ、私は君に、その、そんな風に言われる様な事は、何も……」

 

「実際、刷り込みの様なものだと思います。記憶の無い状態で目が覚めて、混乱しながらも最初に見たのが、綺麗でカッコいい女性が私を守りながらモンスターと戦っている姿だった。……けど、そんな人の事が記憶に残って、心に焼き付いて、好意を抱いてしまうのは、そんなに不思議な事ですか?」

 

「び、美化し過ぎだ……!」

 

「本当に美化していたなら、接するうちに評価は下がっていく筈です」

 

「……下がっていないのかい?」

 

「少なくとも、今のところは」

 

リゼ自身、今の今までそこまで格好の良い自分でいられた自覚は無いけれど、確かに7階層で彼女を救出した際の自分はこの街に来てから最も良く身体が動いて適切な判断が出来ていたとも感じている。それ故にカッコいいと思ってくれたのならそれは素直に嬉しい事であるし、頑張った甲斐もあった。……ただ、今もなお評価が上がり続けているという点に関しては一向に理解は出来ない。少なくともこの会話で上がった話題はリゼが酷く騙され易い人間であるという内容くらい、なぜそれがむしろ評価が上がるのか。リゼにはそれがこれっぽっちも理解出来ない。

 

「お、煽ても今の私に金銭的な余裕は無くてだな……」

 

「別にそんなこと求めてませんよ。……ギルドやカナディアさんは疑っていましたが、私が興味があるのはマドカさんではなく、リゼさんですから」

 

「っ」

 

けれど、多分その言葉がリゼにとっては今までの何よりも大きな物だったかもしれない。

 

「マドカより、私が……?」

 

「?ギルドからの帰り道で一度だけ挨拶を頂きましたが、それだけです。むしろ一度顔を合わせただけの人の事をそこまで意識する理由がありません」

 

「それは、私を通じてマドカと知り合いたいとかでは無く、本当に……?」

 

「疑って下さいとは言いましたが、そういう疑い方は嬉しくありません。別にここで約束してもいいんですよ?マドカさんとは2度と話さないと」

 

「そ、そこまではしなくてもいい!……い、いや、なんだか新鮮な気分だったんだ。まだ新人の私はマドカの作ってくれた場所に居ただけだったから、他の何より私に、その、興味を抱いてくれるというのは」

 

「……なるほど」

 

まあ実際のところ、他の何よりリゼに興味を抱いている人物としてはメイド喫茶のリコ・スプライトという存在も居るには居るのだが、当の本人はそんなこと露も知らず、方向性も色々と違うので自覚しても飲み込む事は出来ないだろう。

そうでなくとも人との関わりが殆どなかったリゼにとって、他の何よりもリゼを見てくれる人物というのは、言ってしまえば初めての経験だったかもしれない。

祖父は銃のことばかり見ていた。

エルザやユイは自分達の目的を見ている。

そしてマドカも、決してリゼだけを見ている訳ではない。

 

「確かに私もこれから色々と見て、色々と思い出せば、他に興味が湧く事は当然出て来ると思います」

 

「ま、まあ、それは当然だ……」

 

「ただ、多分忘れられない事もあるんだと思います。例えばリゼさんがこうして抱き締めながら私のことを守ってくれた事とか」

 

「あ、いや!あれは私も必死だったというか!力を入れる必要もあって!」

 

「別にいいんですよ?理由なんか無くても抱き締めてくれても」

 

「そ、それは流石に問題だろう!」

 

「本人が良いって言ってるんですから問題にはなりませんよ、初心ですね。友人同士で抱き合うなんて普通の事です」

 

「え、ええと……そうなのかな」

 

そんな冗談にも真面目にオロオロとしてしまうのだから、弄り甲斐があるというか何というか。鬼メイドの目に留まって当然である。可愛げがあるとも言うのだろう、これくらい分かりやすい方が人は好ましい。

 

「そ、そこまで言うのなら……わ、わかった」

 

「え?」

 

そしてこの女、本当にクソ真面目だった。

頼まれたら断れないのは当然、求められれば答えてしまう。

当然そこに美人好きという下心が無いと言えば嘘にはなるが、それでもある羞恥や戸惑いをどうにか出来てしまうくらいには、尽くす人間だ。

そしてそれが冗談であるかどうかを判断する能力も、まだまだ全然足りていない。

 

「理由はその、まだよく理解出来ていないのだが、これも普通の事……なのだろう?私が世間知らずであるという事は理解している」

 

「え、あ、いや……」

 

「一先ず、痛かったら言って欲しい。私も加減が分からないんだ、すまない」

 

「ひんっ」

 

レイナよりも身体の大きなリゼが、そんな弁解の言葉を耳元で囁きながら、両腕をしっかりと巻き付けてくる。互いの鼓動の速さが直接伝わってしまう様な距離、互いの体温が感じられるほどの触れ合い。

突然の想定外の行動に顔を真っ赤にして完全に動きを止めてしまったレイナに対し、リゼは本当にこれで良いものかと少し心配そうな顔をしながら力加減を調整していた。

確かにリゼは騙され易い。

自分に対する自信もない。

しかしそれが最も力強く働くのは、なにより信用している人間からの言葉である。心を許している相手の言葉ほど、それが少しばかり違和感のある物であっても信用してしまう。この相手がもしマドカであれば、大抵の事は信用してしまうだろう。それも彼女の危うさであり、良さでもあった。

 

「あ、あわわ……!」

 

……そして今日ばかりは、強さでもあった。

 

「うまく、出来ているだろうか?なにぶん経験が無いんだ。人と抱き合うなんて、それこそ記憶にある限りでは一度もない」

 

「は、初めてだったんですか……!?」

 

「ん、初めてだ。……ああいや、ダンジョンで出会った時のことを考えたら2度目になるのかな。なるほど、言われてみれば確かにこれは、心地が良いかもしれない」

 

「は、はじめて……はじめて……私が、はじめて……」

 

ドワーフ族には友人との挨拶の際に互いを抱き合うハグという文化があるらしいが、きっとその文化に似たものが彼女にもあるのだろう。けれど確かにこれはいいものだ、とても暖かくて安心する。

……リゼの思っているのはこんな所だ。

それを喰らっている本人は安心とはかけ離れた場所に居るが。長く時間が続けば続く程に体温と心拍数が上がっていき、着実に頭の中で何かが爆ぜているが。ある意味で仕置きになっているのかもしれない、冗談とは言え純粋なリゼを騙した罰が。

 

「……リゼさん。ご、ごめんなさい……」

 

「ん?なにがだい?」

 

「友人同士で抱き合うなんて、その、ほんとは、普通じゃ、ないんです……少なくとも、私の常識的には、ですけど……」

 

「……」

 

「う、嘘というか、冗談のつもりだったと言うか!言ってみたら本当にしてくれないかなぁと思ったりして……ほ、本当にしてくれるとは思わなかったんですけど、結果的に騙してしまった、みたいな」

 

「……別に文化として持っていなくとも、レイナがして欲しかったのなら理由としては十分なんじゃないだろうか」

 

「え」

 

「それに『そういう常識だから』よりも、『そうして欲しいから』の方が私も嬉しいよ。少なくとも今、私はとても嬉しく感じたからね。……もちろん、次からは最初から素直な言葉として伝えてくれると、もっと嬉しいのだけれど」

 

「……!」

 

最早口説いている。

最早落としに掛かっている。

しかしリゼ・フォルテシアにそんな頭は当然無い。

完全な天然、どこでどう育ったらこんな女殺しが生まれるのか。そしてレイナは知っている。この顔のいい女は、戦っている時、特に誰かを守りながら全力で身体と頭を回している時こそが本当に良い顔をするという事を。だってそれこそがレイナがリゼに見惚れた瞬間なのだから。あの顔をした人間が自分にこうして囁いてくれていると考えると、それはもう本当に毒で。

 

「あ、あの……そろそろ……」

 

「ん、そうか。また言ってくれ、これくらい

なら大歓迎だ」

 

「は、はい……た、偶ににしましょう。うん、それがいいと思います、絶対」

 

「そうかい?……うん、分かったよ。少し残念だけれど」

 

「そ、そんな寂しそうな顔しないで下さい!ま、またお願いしますから!」

 

そんな会話が、彼等の共同生活初日の遣り取り。

なんとまあ濃密なものだったろうか。

取り敢えずレイナは当然ながらこの日の夜は殆ど眠れなかったし、最初の反応とは打って変わって満足顔のリゼはぐっすり眠る事が出来た。一応訂正はしたが、リゼがハグ魔にならない事だけを祈るのみである。



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40.主従の違い

「はぁ……」

 

小さな部屋の中に、ため息が一つ溢れる。

それは北西地区の比較的見目の良い住宅街の中にある借り部屋であり、それこそ昼間にリゼが契約した部屋と似た作りのものだ。

しかし内装はそれよりも少しだけ高級感があり、部屋の中も綺麗に整えられている。それこそ埃の一つも許さない程に徹底的に、その徹底振りには人によっては若干の狂気すら感じるだろう。部屋の主人の為に、主人の健康の為に。

 

「お疲れですか、エルザ様」

 

「ユイ……また少し面倒な案件が来たのよ」

 

「それはまた……ギルド長からでしょうか」

 

「いや、マドカ。ギルドの方にも話はいってるみたいだけどね」

 

「珍しいですね、マドカさんから直接だなんて」

 

机の上に置いた紙をユイに手渡し、疲れた顔を隠す事もなく肘を付いて返答を待つエルザ。最近はギルド長に色々と扱き使われていた彼女だが、漸く解放されると思った矢先に舞い込んだ一つの知らせ。

 

「……龍の飛翔の、再兆候?エルザ様、これは」

 

「わっかんない、ほんとにわかんない。そんな例外これまで一度も無かったから、普通なら戯言だと切り捨てればいいんだけど……情報提供者がマドカとなるとねぇ」

 

「マドカさんはこれを一体どこで……」

 

「あの子、商人も含めて顔が広過ぎるから。それこそ複数の目撃情報を個人で色々と取り纏めて出してるわ。明日の朝に"聖の丘"が調査に向かう予定よ」

 

「……兆候は、資料上では中間段階ですか」

 

「それが本当ならまだ1ヶ月は時間があるとして、どうやって誤魔化すかが問題ね。年に2度も都市成立祭なんて言い訳立てられない、気を引くための新しい祭りの用意も1ヶ月だと商人連中にいくら頼んでも難しいでしょ」

 

「それはエルザ様が頭を悩ますのも当然の話です」

 

「しかも今はかなりの数の探索者が精神的にも肉体的にも疲労してる、圧倒的に戦力が足りないわ。主力はマドカも含めて全員出さざるを得ない、都市の守りに割いていられる余裕がない」

 

知れてよかったが、知らなければよかった。

これは正しくそんな話。

年に2度も龍の飛翔、つまり地下からの強力な龍種の出現が起きた事例は過去に存在しない。前回の敵がアレだっただけに、それの残党という可能性も無くはないが、今はタイミングが悪過ぎる。最悪の場合スポンサーとなっている商人達がこの街から逃げてしまう可能性も出て来る。

 

「外部からの戦力の補充は間に合うのでしょうか?」

 

「どうかしら。唯一戦力になり得るグリンラルの探索者達も、モンスターの大量発生を対処しているところだもの。期待は難しいと思うわ、先輩さん達は帰ってくるでしょうけど」

 

「ステラさんとリエラさんですか、それは心強いですね」

 

「後は英雄さんが呼べるといいわね、それだけで難易度がずっと下がる」

 

実際、大抵の敵はこの街の最大火力を持つ探索者達をぶつければ何とかなる様にも見える。しかしいつもそう容易く行く訳ではないのが現実というものだ。前の敵がその火力すら凌ぐ程の数の暴力であった様に、街を襲撃した化け物がラフォーレの魔法を阻害した様に、何事にも例外は存在する。

けれど、その例外を凌ぐ例外こそが"英雄"と呼ばれる人物でもある。常に忙しく飛び回っているその人を呼ぶ事が出来れば、2度目の龍の飛翔だろうがどうとでもなるに違いない。

 

「街への説明も、"外部に強力なモンスターが出現した"という理由を正直に話した方がいいかもしれませんね。1ヶ月しかありませんが、1ヶ月はありますから。今こそ街の力に頼るべきかと」

 

「……まあ、そうね。今は出来ることをするしか無いわよね」

 

「他にも何か懸念があるのですか?エルザ様」

 

「………」

 

ユイは何よりエルザの事を知っている。

彼女が悩んでいる時、困っている時、苦しんでいる時、そんな事は表情を見れば直ぐにでも分かる。そしてそれを自分に見せると言う事が、相談に乗って欲しいという合図である事も当然に。

 

「……気になるのよ、マドカの様子が」

 

「マドカさんの様子、ですか……?」

 

「なんか、妙に落ち着いていないのよね。エリーナも同じ事を言っていたわ」

 

「ギルド長まで……」

 

「"聖の丘"の調査は明日。けど実はマドカと副ギルド長のエルキッド、それと"聖の丘"の副団長のエミ・ダークライトの3人は今もう外に出てるのよ。明日の朝には着けるからって」

 

「……夜間の移動の危険を承知で率先して動いた訳ですか、確かにマドカさんらしくないですね。それに面々も異質です」

 

「エルキッドは奇妙な勘が働くし、エミ・ダークライトは偶々居合わせただけなのにマドカの顔を見た瞬間に同行を志願したわ」

 

「何か感じたのでしょうか」

 

「さあ、私にはわからない事よ。ただエリーナの話を聞くに……3年前の邪竜候補、それが出現する前の時も同じ3人の面子で調査に向かってるって事だけは確かね」

 

「……縁起が悪い、と」

 

「もしまた邪龍候補が現れれば、次は勝てるか分からない。全滅の可能性も十分にあるし、最悪この街ごと滅ぼされる。そうなればこの世界は終わり。海で眠ってる邪龍を起こされた日には再起すら出来なくなるでしょうね」

 

悪い事を考えればキリがない。

しかし邪龍候補という存在はそれほどの物だと、エルザは過去の記録を見て知っている。実際に戦った者達の言から知っている。圧倒的な力を持つ彼等が絶望的な状況に追い込まれる程の存在であったのだと、理解している。

 

「……以前の邪龍候補は、"六龍ゲゼルアイン"でしたか。6つの首を持つ巨大な竜」

 

「ええ。5つの属性全てのブレスを自在に操り、脅威的な回復防御魔法で尋常ならざる耐久力を持つ巨大な個体。複数の種類のブレスを混ぜることで全ての対策防具を無に還し、強力な近接戦闘能力と超射程のブレス攻撃のせいで少数精鋭での戦闘をせざる得なかったと記録にあったわ」

 

当初は数で攻める予定であったが、一吹きで山一つを焼け野原に変えてしまうほどの広範囲攻撃に一度は凄まじい数の負傷者を出してしまい、撤退を強いられたという事もあった。

それはもう3年も前の話。

ユイとエルザがこの街に来た頃には、その話はもうとっくに終わっていた。

 

「英雄、軍長、レンド、クロノス、ゼクロス、エアロ、アクア、ラフォーレ、マドカ、カナディア、シセイ、セルフィを中心とした精鋭陣に、山岳の都アイアント産の最新鋭のバリア装置を可能な限り装着させての徹底抗戦。戦闘に参加出来ない者達の魔力を利用した遠距離魔法兵器による陽動を含め、6日間の継続戦闘の末に討伐成功……記録を見るだけでも納得の面子よね、他の街からも根刮ぎ力を集めての総力戦よ」

 

「6日間の継続戦闘、ですか……」

 

「我等が先生も3年前から最前線に立っているんだもの、教え子の1人として誇らしくて仕方ないわ」

 

「唯一無二のスキル持ちの方ですから。その事を考えるに、我々も今後間違いなく戦場に投入されることになるでしょう」

 

「リゼもね」

 

「……あの威力を見せられてしまえば仕方ありません。特に魔法を帯びていない遠距離物理攻撃は貴重ですから、量産が出来ればいいのですが」

 

「量産しても完全に扱える様になるまでどれだけ時間の掛かる事やら、そもそも量産ができないのだけど。軽く見ただけでも頭のおかしい武器よあれ、多分リゼもまだ知らない機構がいくつか存在してる」

 

リゼ・フォルテシア。

見ているだけでは必死なだけの無知な女であるが、時間が経つに連れて彼女の異常性が明らかになっている。無駄に大きなだけだった様に見えた大銃の異常性、それを使い熟す銃士としての異常性、そしてマドカがあれほどに期待をしているという事は彼女の素質はそれだけではないはず。

 

「今回の件で以前からマドカが提案していた遠距離物理攻撃兵器の有用性が確認されたでしょう?だから早速、鍛冶屋のガンゼンを中心に開発班が出来たのよ」

 

「……順調なのですか?」

 

「今のところは全く。人を殺す程度の威力の物は作れても、龍種に明確なダメージを与えられる程の物は作れない。色々と構想はあったけど、それを実物にしようとすると上手くいかない。ただ銃を大きくするだけでは作れないのよ、魔力砲の様な設置式で作るのが最適ね。まあ銃に詳しい人間なんて居ないんだけど。結果的には魔力で砲弾を押し出す原始的な兵器に立ち戻りそう」

 

「そもそも実弾の銃の製造は殆どされていませんし、研究の対象にもなっていませんでしたから。しかしそうなると、やはりリゼさんの助力が必要ということですね」

 

「ええ、リゼのお祖父さんはもう亡くなってるみたいだし。……ほんと、あの武器もモンスター殴って傷一つ付かない硬度だし、何を素材にしてるのだか。リゼは気付いてるのか分からないけど、重量も普通の金属の比じゃない」

 

リゼはまだ知らない。

その研究班の人間達が今血眼になってリゼの事を探しているということを。そしてそんな彼等を押さえ込んでコントロールしてくれているのがエルザだという事を。

 

「はぁ、真面目な話は終わり終わり。家の中でも肩が凝るのは流石に嫌よ」

 

そう言うとエルザはそれまでの雰囲気を緩めて柔らかな笑みを浮かべてユイに手招く。彼女は真面目な人間ではあるが、決して自分の家の中でまで固い顔をしていたいとは思わない。自分の近くに寄ってきたユイの両手を取り、抱き締めさせる様にその手を胸元に引き寄せる。自然、ユイの顔がエルザの顔の横まで来るが、2人とも今更その程度で顔を赤らめたりすることは無い。これはただの甘えだ。

 

「ユイ〜?肩揉んで〜」

 

「構いませんが、そろそろお休みになられますか?」

 

「う〜ん、そうしようかしら」

 

「そうですか、それでは準備を……」

 

「ユイ〜?添い寝して〜」

 

「駄目です」

 

「なんでよ〜、もう別に嫁入りする予定も無いんだしいいじゃない。ぶっちゃけユイに嫁入りしてる様なもんなんだし〜」

 

「女装を解く許可を頂けるのでしたら、その論法も通用しますが」

 

「それは駄目」

 

「……せめて膝を貸す程度でお治め下さい。私とて立場というものがあります」

 

「別に襲ってくれてもいいのよ?」

 

「お嬢様」

 

「もう、今は私の方が従者なんだからその呼び方はやめなさい。主人としての自覚がまだまだ足りていない様ね」

 

「……エルザ様は従者としての自覚が足りていないのでは?」

 

「あら酷い、私はこんなにもご主人様の為に働いているのに」

 

「……申し訳ありません、自覚が足りていませんでした」

 

「真面目に受け取らないの、冗談なんだから」

 

自分の肩を揉ませながら、決して顔を離す事を許さず、愛おしげにユイの頭を撫でるエルザ。

生まれてから今日まで、ずっとエルザの為に生きてきたユイ。決して優しい言葉だけを与えて来た訳でも無いにも関わらず、恨むどころか、遂にここまでついて来てくれた誠実な従者。

 

「愛おしい」

 

この気持ちを言い表す言葉は、それ以外に浮かばない。抱えている想いはその言葉程度では到底言い表せられるものではないけれど。

 

「ユイ、女装やめたい?」

 

「……いきなりどうされたのですか」

 

「貴方が本当にやめたいと言うのなら、やめてもいいのよ。これはただ私の、私が少しだけ寂しいというだけだもの」

 

「……」

 

「いつかはやめないといけないのだし、それなら」

 

「……いえ、構いません」

 

「?」

 

「今更です、エルザ様。もう女装をしている方が長いくらいですから、問題ありません」

 

「ユイ……」

 

「それに……とっておきは取っておくものです。必要な時に、エルザ様を驚かす時に、いつか訪れるかもしれないそんな時の為に残しておきたいと思います」

 

「……本当にいいの、それで」

 

「未完成な状態でエルザ様に見せたくはありませんから。密かに準備をして、仕上げて、磨いて、最高の状態で披露させて頂きます。その時まではどうか、この見苦しい姿でご勘弁下さい」

 

「……馬鹿ね。でも、それなら私も準備をしておかないと。その時になって心の準備が出来ていなくて、心臓が止まりでもしたら大変だもの」

 

「なるほど、それは確かに困ってしまいます」

 

冗談混じりに2人は微笑むと、ユイは慣れた様にしてエルザを横にして抱き抱えた。かつては病弱な彼女の為に何度もしたが、ある程度の活動が出来なくなった今はこの抱き方は殆ど趣味の様な物でしかない。けれどユイが抱き抱え、エルザがユイの首に手を回し、抱える側も抱えられる側も自然と互いにとって楽な姿勢を作り出すそれは、病が回復したからと言って無くすにはとても勿体無い事だった。

 

「少し重くなってしまったかしら、恥ずかしい」

 

「むしろ私としては安心します。もっと重くなって下さい、エルザ様」

 

「ふふ、女性に対しては最低な言葉よ?ま、許してあげるけど」

 

ずっと、ずっと、ずっと、側に居てくれるだけでいい。彼女達に支援能力が宿ったのは、もしかしたらただそれだけを誰よりも強く思い願っている彼女達だからこそなのかもしれない。



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41.始まる変化

日が上り始めた頃。真っ白な海岸線に降り立つ3人の人物と馬車の前には、打ち寄せる波と大きな亀裂が3本伸びている。

亀裂に入った海水はどこまでもどこまでも深く、底の見えない暗闇の下へと落ちて行く。岩質の海岸に走ったその亀裂は、とても自然に出来た物とは思えない程に大きく異質な雰囲気を放っていた。

 

もしもの為にと持って来た工具を用いて岩に穴を開け、金具を打ち込んで黄色のテープで周囲を囲んで行く。ここは決して人通りの多い場所では無いが、人が通らないという事はない。そうでなければ目撃情報すら得られなかったのだから。

この亀裂の底に人が落ちる事は大きさ的に今はまだ無いだろうが、何かの事故の原因となる可能性は十分にある。それを防ぐための努力をすることが今出来る最低限だ。

 

「やれやれ……当っちゃったねぇ、マドカちゃんとエルキッドの勘」

 

「……」

 

「あまり、当たって欲しくはなかったのですが」

 

「ああ、全くだ」

 

褐色の肌に黒髪をしたアマゾネスの女性、エミ・ダークライト。"聖の丘"の副団長であり、同時にレンドの幼馴染でもある彼女は、ギルド副団長のエルキッドとマドカと共に情報提供のあった異変地の調査に来ていた。

"龍の飛翔"と呼ばれている都市オルテミス付近の海岸線から突如として強力な龍種が出現する現象。

 

「この大きさの亀裂、3年前とそっくりだ」

 

龍種が出現する場所には亀裂が入り、それは時間と共に数を増して行く。5本目の亀裂が入った後に、龍種が地下より這い上がり、それは穴となるのだ。そしてそれは即ち、穴の大きさ、亀裂の大きさが出てくる龍種の強さに直結するということ。大きさではなく強さ。理屈はよく分からないが、それが間違ったことは一度もない。

 

「24m」

 

「3本時点でその大きさですか……ありがとうございます、エルキッドさん。こちらも金具の打ち付けと印巻きが終わりました。エミさん、写真機の方は」

 

「終わったよ、最近のは綺麗に映るもんだね。地図と図面にも下ろしといた、第一報の資料としては十分さ」

 

「……近くに村や街はありませんね。ただ足場の悪い岩層地帯が広がっているので、戦うには不向きでしょうか」

 

「その分、障害物はそこそこあるさね。アタシとしてはそれが一番助かるよ、エルキッドは何か気になるかい?」

 

「特には」

 

「そうかい、一応周辺も写真機で撮っとこうかね」

 

街から馬車で5時間ほど、近くに村や街はない。補給が簡単に出来る環境では無いという悪点はあるが、広大な岩層地帯となれば好き勝手に爆撃出来るという良点もある。その気になれば補給は部隊を作って常に往復させていれば問題は無い、特に今回の相手となる存在の大きさを考えれば都合が良いくらいだろう。

 

「それに何より、大竜ギガジゼルの眠ってる海辺とは真逆の方向だ。最悪の最悪の最悪だけは回避出来る」

 

「然り」

 

「そうですね、それだけは本当に……」

 

オルテミス近海に眠る最強の邪龍と目されている存在、大竜ギガジゼル。一度目を覚ませば世界の大半を荒地に変えてしまう様なその存在に影響を与える事だけは何があっても阻止しなければならない。そういう意味でも、今回の地形的な条件というのは恵まれていた。不幸中の幸いと言うべきか、それにしてはその不幸があまりにも大き過ぎる様な気もするが。

 

「……よし、そしたら予定通り移動しようか。エルキッドはここに残って次の調査部隊に引き継ぎ、いいね?」

 

「承知」

 

「マドカちゃんとアタシはこのままグリンラルに向かうよ、5日もあれば着くかな」

 

「そうですね。あ、先程お渡ししたお手紙もお願いします、エルキッドさん」

 

「承知」

 

そうして再び馬車に乗り込み、エルキッドをその場に残して走らせるマドカとエミ。ここには調査の為に来たが、実際その目的は初期調査だけではない。魔素濃度を含めた本格的な調査を行うのならば長期間の滞在が必要となり、それこそ慣れていないマドカ達がこの場に来るよりも調査班を派遣した方が早いくらいだった。

それでもこうして何よりも早く3人が調査の為にここに来た理由、それこそが新緑の都グリンラルへの戦力要請。

 

マドカ達が活動する『龍巣の都:オルテミス』に龍種が活動するダンジョンがある様に、この世界に4つのダンジョンがあるのだからそれを管理する場所が他に3つあるというのは当然の話だろう。

そのうちの一つが『新緑の都:グリンラル』。

文字通り木々に囲まれた都市であり、大量のモンスターが存在するダンジョンの管理と封鎖を行なっている場所になる。元はエルフと獣人族が中心となって管理を行なっていた事もあり、今も大半の探索者がその二者で構成されており、魔法兵器の開発が盛んな街でもあった。

 

「それにしても、戦力貸してくれるかねぇ。向こうも"怪荒進"終わったばかりだろう?」

 

「貸せる貸せないではなく、貸す以外の選択肢がありませんよ。私達が負ければ、邪龍が1体増える上にダンジョンの管理が出来なくなります。それは誰もが望まない結果でしょう」

 

「ま、そりゃそうか。アタシは今回も静かにしてるから、交渉はマドカちゃんに任せるよ」

 

「もう、エリーナさんもエルキッドさんもエミさんも、皆さん押し付けるんですから。私は職員さんでも指揮陣営でも無いんですよ?」

 

「へーきへーき、向こうも知ってんだし。それに今は教え子ちゃん達も居るんだろ?それなら大丈夫だって」

 

「それはそうかもしれませんが……」

 

そしてグリンラルと言えば、マドカのもう2人の教え子達が派遣されている場所でもある。

ユイとエルザの前に、つまりマドカにとって最初に世話をした2人であり、教え子達の中でも最も戦闘力の秀でた2人だ。

そんな彼等はグリンラルの"怪荒進"、つまりオルテミスの"龍の飛翔"と同じ様に、街の周辺から大量の強力なモンスターが出現する現象に対処する為に派遣されていた。

グリンラルの"怪荒進"はピークが過ぎた後でも少しの間はモンスターが出現し続ける事から、彼等もまだグリンラルに滞在している筈であった。再会も嬉しく、活躍を聞くことも楽しみとなる。交渉の矢面に立たされる緊張よりも、その楽しみの方が強いくらいだ。

 

「それと、グリンラルには今は英雄さんも居る筈さ。なによりそっちを捕まえるのが先かねぇ」

 

「そういう意味では、時期は良かったのかもしれませんね。連邦軍への話はエリーナさんから行くと思いますが、軍長さんも同じくまだ滞在している筈ですので」

 

龍巣の都オルテミス最強の探索者として名高いのは当然ながら"聖の丘"団長であるレンド・ハルマントンである。龍種を狩るという事で最もレベルが上がりやすいオルテミスにおける最強ということは、それはつまり他の街のどの探索者と比較しても紛れもない最強という事と同義である。

……しかし、だからといって彼がこの世界における最強の人間であるかと言われれば話はまた別なのだ。

 

「何があってもあの2人は外せない、邪龍候補と殺り合うってならね」

 

「ええ、そうですね。……とは言え、着くまで最低でも4日は掛かるわけですが」

 

「……私等が行くより伝文機で話が纏まってそうだねぇ」

 

「まあ、私個人としても幾つか用事がありますし。それに頑張った2人を迎えにも行きたかったので、ちょうど良かったです」

 

「まあ本当はあんま表に出ちゃ駄目なんだけどねぇ、今のマドカちゃんは。あんな事があって直ぐだってのに、勢いでギルド長を丸め込んじゃって」

 

「その為にエミさんが居るんですから♪エミさんが居れば私も安心して旅が出来ますよ♪」

 

「調子が良いんだ、この娘はほんと」

 

そして忘れてはならない、マドカの外出禁止命令破り。

緊急事態、エリーナの混乱、そしてそれを半ば強引に破って来た事もあって後でラフォーレとカナディアに叱られる事は殆ど間違いは無いし、恐らく今頃エリーナもあの2人からこっ酷く叱られている最中であろうが、それでもマドカは一度グリンラルに行く必要があった。そして同行者のエミ・ダークライト、彼女が側にいる限りは尾行や暗殺に対する危険は殆ど無いと言っても良い。彼女に守られている限りは、それこそ以前の巨人でも出て来ない限りは危険が及ぶ事など決して無い。

 

「ま、期待には応えてあげるさね。ちゃんと帰るまでマドカちゃんを守ってあげるよ、お姉さんに任せるさ」

 

エミ・ダークライト。年齢に反した若々しい容姿から長らく都市の偶像として活動して来た彼女は、何より変装と暗殺を得意としている。そして何より、マドカに配信業の基本を教え、実質的に後を引き継がせたのは彼女であった。

一流の気配察知能力、そして一流の変装技術。

新旧有名人である彼女達の来訪は、マドカの現状を考えなくとも隠蔽は必須のものだと言えた。

 

 

 

 

一方その頃。

昼も近くなって来た頃合いのギルド本部。

昼食も後回しに何やら忙しなく働く職員達を他所に、ギルド長の部屋には4人の人物が座っていた。

それは職員達がそうまでして働かなければ理由とは無関係に、けれど無視できない大切な理由で。

 

困惑した顔のリゼ・フォルテシア。

髪色を薄く変え、リゼとお揃いに後ろで髪を纏めたレイナ・テトルノール。

そして見るからに疲れた顔をしているカナディア・エーテルが対面に座り、明らかに何発か殴られ机に突っ伏しているギルド長エリーナ・アポストロフィがその隣に居た。

 

「い、いったい何が……」

 

「……先日の会議でマドカを都市の外に出さないと決めたのだがな、エリーナが緊急事態の対処にマドカを使ってしまった」り

 

「カ、カナディアさんが、その、拳を……?」

 

「いや、帰りが遅いマドカを不審に思ったラフォーレが夜中に乗り込んで来たらしくてな。殴る蹴るの末に簀巻きにされてギルドの3階から吊るされていた、本人も絶賛反省中だ」

 

「馬鹿か、馬鹿か私は……何故私はあんな、いや絶対エミもマドカもエルキッドも気付いていただろうに!ああ何故私だけ気付かなかった!止められたのは私だけだろうに、止めようと出来る人間は私だけだったろうに!今度は何をするつもりなんだマドカ、今度は何がしたいんだマドカ、頼むから無事に帰って来てくれマドカ……」

 

「……とは言うが、エミが隣に付いている。まあ問題は無いだろう」

 

「エミ、というと?」

 

「"聖の丘"のもう1人の副団長だ、こと暗殺にかけてアレに勝る者は居ない。暗殺を仕掛けられて逆に暗殺し返す様なバケモノだよ、私の馴染みでもあるが」

 

「なるほど……」

 

マドカは今日も今日とて色々と動いているらしい。

悲しいかな、問題は彼女がラフォーレの行動を甘く見ていること。朝から無理矢理醜態を晒される羽目になったエリーナにとって最大の失態はマドカを行かせてしまった事ではなく、マドカと彼女の間でラフォーレに対する認識が違う事を直さず置いたままにしている事だろう。せめてマドカがラフォーレにだけでも伝えておけば、小言程度で済んだであろうに。

 

「それにしても……マドカも約束事を破るのだね、なんだか意外に感じるよ」

 

「マドカはあれで結構約束を破る、というかその約束事よりも優先度が高い事があれば何の躊躇もなく破る。数年前にもラフォーレとの約束事を破ってダンジョンに勝手に潜った挙句、半年間も帰って来ない事があった。あれに比べればマシな方だな」

 

「ダ、ダンジョンに半年も……それも相応の目的があった、と言う事ですか?」

 

「そうだろうが、帰って来た時には殆ど記憶が飛んでいた事もあって聞き出せはしなかった。マドカの唯一の悪癖の様なものだと考えればいい、それに振り回される人間は多いが」

 

「………」

 

「リゼさんは勝手にダンジョン潜ったりしたら駄目ですよ?しっかり私に報告してからにして下さいね」

 

「え、あ、いや、分かっている」

 

「……ほ〜ん、ほんの数日で仲睦まじく関係が築けている様でなによりだ」

 

「まさかこの僅かな間で尻に敷かれているとは思わなかったが」

 

「し、尻に敷かれているということは無い筈だけれど……」

 

これ以上マドカの事を考えていても仕方ない。マドカの事は心配ではあるが、そもそも彼女はリゼが心配する必要がある様な弱い存在では無いのだし、立場的にはカナディアと同等の人間が側に居るという。それならば今はただ帰りを待って自分の事に集中しておくべきだろう。まあそうは言っても今回用事があるのはリゼではなくレイナの方であるのだが。

 

「……なるほど、君を探索者にか」

 

「信用出来ないという事は分かっています。実現するにも時間がかかるという事も理解しています。ただ、今日はその最初の願いをしに来ました」

 

「髪を染めたのも、口元を隠す様な服装にしているのも、今出来る君なりの努力であると」

 

「はい」

 

「しかし今は外に出ない様にと、そもそも昨日言い付けた筈だが。それを破った理由は相応の物があるのだろうな?」

 

「それ、は……」

 

しかしどうも、話はまた良くない方向に進んでいるらしかった。エリーナは疲れているのか特に言葉を発する事は無いが、彼女もカナディアと同じ様に勝手な行動を起こしたレイナに対して疑惑をかける様な目をして見つめている。レイナはそれに対して俯くだけだ、この展開は理解していたし、言い訳のしようも無かったから。

 

「行動を早くに起こすべきなのだと考えたのは理解するが、だとしても方策として間違っている。髪を染めて決意を表するより、こちらの出した条件に素直に従っている姿を見せた方が遥かに効果的だった筈だ。その判断を違えたのは、君が冷静さを失っていたからに他ならない。はしゃぎ過ぎたとも言うべきか」

 

「はい……」

 

「違うんだカナディア、彼女は私のために……!」

 

「それは違うな、この子がした行いは君のためでは無い」

 

「え」

 

「……そうですね、全て私自身の為の行いです。分かりやすく髪を染めたのも、こうして行動を起こしたのも、全部」

 

「自覚したか?良い格好を見せたいという考え、しかし場合によっては彼女を貶める事にも繋がる。相手の無知は既に理解しているだろう」

 

「少しは」

 

「隣に立ちたいと思うのであれば、相応の人間になれ。少なくとも今回、対応したのが私で無ければ言い訳のしようもなく全てが潰えていた」

 

「はい……」

 

リゼは口を挟めないし、彼女達が何について話しているのかも理解出来ない。しかしレイナがカナディアに叱られており、レイナがそれについて反省しているという事だけは確かだ。オロオロとしているばかりでは居られないので背筋を伸ばして話を聞いているが、カナディアがこちらに話を振ってくる様子はない。リゼが何も理解出来ていないことを見越している様に。

 

「え、ええと……話はよく分からないのだけど、レイナは探索者としては認められないのだろうか」

 

「いや、それ自体は構わない。というより、正直な話を言えば、私個人としては既に彼女のことを殆ど疑ってはいない」

 

「しかし昨日はレイナの事を疑っていたと……」

 

「昨日はな。だが昨日の時点で何故かマドカの方から勝手に彼女と接触があってな、そこでマドカも彼女の事を信用していた。それもそれで頭が痛い話だが、その時点で私の中にあったレイナへの疑いは殆ど晴れている」

 

「えっと、私が言うのもおかしな話ですねど、本当にそれだけで?本当に挨拶だけだったと思うのですが……」

 

「私がこの世界で信じている事が3つある。自分の研究成果と、古代文明の存在、そしてマドカ・アナスタシアだ」

 

「「ええ……」」

 

「このマドコンが」

 

思わぬカミングアウトに2人は困惑の表情で互いに目を合わせるが、何度見てもカナディアは至極真面目な顔でそう言っている。エリーナも呆れた様な顔をして見ているが、どうも彼女はそれほどにマドカの事を信用しているらしかった。彼女ほどに責任ある立場に居る人間が。

 

「別にマドカの言葉を全て信用しているとは言わないが、少なくともあの子の人を見る目は信用している。とは言え、その裏付けをするのが私の役割だ。その上で君のことを私はもう殆ど疑っていない」

 

「何が決定打になったんでしょう……?」

 

「それこそ、今回の君のミスだろう。本当に何かを企んでいる人間ならば、こんな容易いミスは起こさない。それを起こしたという事は、それほど君が盲目だったという事だ。そうでなくとも君の熱意は感じていた」

 

「?」

 

「……あの、恥ずかしいので」

 

「分かっている、私とてそんな無粋な真似をするつもりはない。故に君が探索者になりたいというのなら、口利きくらいはしよう。ギルド長がそれでいいのなら、だが」

 

「カナディアがそれでいいのなら好きにすればいい、単独での入りはまだ認められないが」

 

「だ、大丈夫です!絶対にリゼさんと一緒の時にしか潜りません!ずっとリゼさんの隣に居ます!もし勝手に離れていたら殺してくれても構いません!」

 

「レ、レイナ!そこまで言うことは……!」

 

必死のあまりとんでもない事を言い出したレイナにリゼは慌てて静止を掛ける。しかし対面の2人はそんな様子に驚くでもなく苦笑いを浮かべるだけなのだからどうしようもない。

それでも、どうにかレイナが探索者になれるという事だけは決まりそうであった。それこそレイナが自分でその資格を握り取った様なものであるが。

 

「ということはつまり、私とリゼさんでクランを作る事も出来るということですよね……!」

 

「あ〜、それなんだが」

 

「え?」

 

「本当に申し訳ないのだが、認められない」

 

「「ええ!?」

 

しかし、どうやら話は何もかも上手くいくという訳ではないようだった。



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42.消えない情景

『まさかリゼ、君にも身分証明出来る物が無いとは思わなかった。流石に両人とも証明証が無いクランの設立など認められない、悪いがもう1人身分が証明出来る人間を連れて来て欲しい』

 

カナディアにそう言われてから、2人はギルドの食堂のいつもの席で互いに頭を抱えて落ち込んでいた。てっきりこれで全てが解決する、そう思っていたところに突きつけられた事実。

いや、まあ少し考えれば当然の話なのだが。

どう考えても当たり前の話でしか無いのだが。

それでも落ち込む時には当然に落ち込む。

 

「私の身分証明書が出来上がるまで、短くとも半年……過去の居住証明が出来ないレイナの場合はもっと時間がかかる。なんということだ」

 

「クランに入っていると、税率とかも変わってくるそうです。半年の間は他のクランに入れて貰うという事も考えますか?」

 

「むぅ……そう、か。それも選択肢としてはあるが……」

 

「とは言え、リゼさんはともかく、私を受け入れてくれそうなクランは少なそうですね。余計な爆弾は何処も抱えたくないでしょうし」

 

「だからと言って半年間何の活動しないというのも……出来るなら私もレベルの近いレイナとは共に実力を高め合っていきたいと考えているんだ」

 

「「……ううん」」

 

悩んでいても解決する問題では無いが、かと言ってクラン団員を探すことは困難を極める。書類関係の勉強ならばカナディアを通じて2人でいくらでも頑張れるが、団員探しを頑張るというのは不毛となる可能性の方がずっと高い。既に十分な数のクランがあるこの街では、未だクランにすらなっていない様な仮初の集団に入りたがる様な人間は下心を抱えた者以外には居ないのだから。

 

「……仕方ありません、暫くはこのまま2人で活動しましょう。税率とかの優遇措置は受けられませんが、生きていけないという訳でもありません。リゼさんが私の監視を続けている限りはカナディアさんからの支援も受けられますし」

 

「そう、だね。それが一番か。別に今の状況に不満がある訳でも、急いでクランを作る必要に迫られているというわけでも無いからね」

 

「まあ、私はリゼさんと一緒に居られればそれでいいですけど」

 

「うっ……そこまで言われるほど、まだ頼れる人間では無いことが残念かな。私もマドカくらい出来た人間なら良かったのだけど」

 

「私が見てるのは良く出来ていないリゼさんですし、いきなり良く出来たリゼさんになったら私の方が反応に困ってしまいそうです」

 

「ふふ、褒めているのか貶されているのか分からないな」

 

元々薄い茶髪だった彼女は今はそれを更に白に寄せ、紺色の長い上着を口元までボタンを止める事で顔の下半分を覆い隠している。

彼女はリゼのことを好ましく思っている。

選んだ上着の色はリゼの髪色によく似ているし、後ろで縛る髪型だってリゼを意識しているのだろう。それくらいはわかる、というより直接教えてくれたのだから知っている。

 

「ただ……やっぱり少しむず痒いかな」

 

「え?」

 

「いや、こうして他人から好意をぶつけられるのは少しむず痒いという話だよ」

 

「別に今は私だけですが、少しすればもっと増えると思いますよ?リゼさんはその、カッコいい、ですから……」

 

「いや、そんな事はないだろう。とてもカッコいいと言われるほどでは……」

 

「つまりリゼさんをカッコいいと思った私は異常だということですか?」

 

「そ、そうは言わないが……」

 

「じゃあリゼさんはカッコいいです、それでいいじゃないですか。きっとそのうち分かりますよ、みんなリゼさんの魅力を。リゼさんだって自覚することになると思います」

 

「あはは、どうやら私は君に口では勝てそうにないらしい」

 

「ふふ、分かってて言ってますし」

 

「意外と悪い子だね、レイナは」

 

軽く食事を取りながら話を深める。

何より現状、稼ぐ手段はダンジョンに潜る事しかない。いくらカナディアから多少の信頼を得て、リゼと一緒にならばある程度の自由は許されたとは言え、カナディア意外からの信頼を得ている訳ではなく、やはり活動は大きくすべきではない。人身売買の組織などが本当にあれば尚更。顔や髪色を誤魔化す工夫も続けるべきだろうし、例え許可したとは言え、ダンジョン探索以外の目的であまり外を出歩いているのはカナディアも良い顔はしないだろう。一度信頼を得られたなら、これからもその信頼を維持し続ける努力が必要になる。当初の約束とは既にかなり違った状況になっているが、だからこそより気持ちを引き締めるべき。毎日の報告書もカナディアにいつでも提出できる様な形にしておく必要がある。

 

「だがダンジョンに潜るにしても、それより先にレイナには色々と勉強や戦闘訓練が必要だ。まあ私が出来る事なんて、マドカから教わった事をそのまま伝えるくらいしかないのだけど」

 

「記憶を失う前の私はそれなりに戦っていた様なので、慣れればそこそこ戦える様になるでしょうか」

 

「どうだろう、記憶の喪失の程度にもよるかもしれない。ただ、ダンジョンの中が本当に危険なのは確かだよ。少なくとも私はまだ7階層以降を自信を持って歩く事が出来ないからね」

 

「という事は、一先ずの私の目標は5階層の突破という事ですね。そこから先はリゼさんと一緒に少しずつ探索を進めて行く感じで」

 

「ああ、武器や防具はどうしようか?カナディアからスフィアは貰ったのかい?」

 

「ええ、リゼさんがギルド長とお話しされている間に。私のスキルに合う様にと、雷属性のスフィアを3つ頂きました」

 

「……見せて貰っていいかな?」

 

「ふふ、興味深そうですね」

 

「スフィアに興味津々なのは否定しないよ、今も毎晩自分のスフィアを密かに眺めていたりするからね」

 

リゼはレイナに手渡された3つの黄色を宿したドラゴンスフィアを見つめる。

左から順に【雷斬のスフィア☆2】【雷斬のスフィア☆2】【体盾のスフィア☆2】。どれもが雷属性のスフィアであり、そのうちの2つはレイナのスキルに合わせて同じ物だ。リゼが初めて見る物としては、【体盾のスフィア☆2】。リゼは早速いつもの初心者探索者用の一冊を取り出して調べ始める。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・体盾のスフィア☆2【雷】-盾-

パッシブ:盾の防御力を【小】UP

アクティブ:かばう…対象の味方1人の前に高速で移動する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「こんな物もあるのか……やはりスフィアは面白い」

 

「これ、高速で移動ってどうするんでしょう?身体が勝手に動いてくれるんでしょうか?」

 

「待ってくれ、詳細が書いてある。なになに……対照を定めて、スフィアを発動。その後は勝手に身体が動き、対象の正面に防御姿勢で出現。スフィア発動中はSPDが3段階上昇するが、完全な無防備状態となるため注意」

 

「……つまり、防具を持っている事が前提という事ですか?」

 

「武器でも防御姿勢にはなるらしい、だからこそ武器選びも慎重にすべきなのかもしれない。レイナは何の武器を使うつもりなんだい?」

 

「大槍です、なんとなくしっくり来たので」

 

「……そういえば、レイナを発見した時にも君の隣には槍が落ちていたな」

 

「あの槍はカナディアさんが調べるとかで……新しく別の槍を後で送ってくれるそうです。必要な装備も含めて一式」

 

「それはまた、いたせり尽せりというか」

 

まあなんというか、本当に途端に協力的になってくれたというか。あんな風に一度は"応援しない"と言われたのに、レイナが来た途端にこれほどの協力を得られたという事にリゼは困惑しかない。……とは言え、実際にはカナディアが協力しているのは本当にレイナに対してだけ。リゼへの協力はそのついでであり、あくまで報酬として。

まあそれでも、彼女本来の気質として結局は思わず手を貸してしまっているという所もあるだろう。彼女はこの街の指揮陣営の1人として数えられている人間、有望な探索者に手を貸すのは常である。特に彼女が言っていた、容姿の良い女性探索者は生き延び易いというもの。あれもまた理由の一つだろう。

カナディア・エーテルはマドカ・アナスタシアに並々ならぬ思いを抱いている、しかしそれでも彼女はこの街を指揮する人間の1人なのだ。

 

「……それなら取り敢えず、今日はモンスターの出ない2階層まで行ってみようか。1階層の戦闘は私が引き受けるが、それでも私の指示に従って欲しい」

 

「は、はい、お願いします」

 

「……正直に言えば、そんなに自信がある訳ではないんだ。だから本当に、気を付けてほしい。私はマドカほど戦闘に慣れてはいないし、誰かを守りながら戦う事なんて……んむ」

 

色々と頭で考えながらそう言おうとしたリゼを、レイナが急に身を乗り出して人差し指を口に当ててくる。それは真剣な目で、それは深刻な目で。それまでの彼女の雰囲気とは全く違った、全く変わった、別人の様な顔で。

 

「……何回言わせるんですか」

 

「?」

 

「私は、マドカさんは求めていません」

 

「!」

 

「リゼさんの、リゼさんのままでいいんです。私がリゼさんに求めているのは、リゼさんなんです」

 

「それは……」

 

明らかに怒りを表情に浮かべた彼女は、片頬を膨らませてリゼを叱りつける。そんな事は今の今まで何度も伝えて来たというのに、どうやったってそれが治らないからこそ。それが気に入らないと、それは求めているものとは違うと、何度言えば分かるのかと。

 

「別にリゼさんがへっぽこでも何でも、私は構いません。むしろ私は、へっぽこなリゼさんの方がいいです」

 

「へ、へっぽこ……」

 

「私に上手く教えられる自信がないのなら、必死になって教えて下さい。私をうまく守れる自信がないのなら、必死になって守って下さい。完璧なんて絶対に求めないので、必死になって私を見て下さい」

 

「レイナ……」

 

「受ける身なのに生意気を言っていることは分かってます。でも、本当に私が完璧を求めているのなら、それこそ最初からリゼさんじゃなくてマドカさんやカナディアさんの方に行きます。それでも私がリゼさんに、リゼさんを選んだ理由を、少しでもいいので考えて欲しいです」

 

「私を、選んでくれた、理由……」

 

薄々気付いていた。

リゼの視線の先にはレイナが映っている様で、その実本当にそこに映っていたのはマドカであったということを。

だから怒る。

だから訴える。

一体誰を見ているのだと。

誰よりも今目の前にいる自分を見ろと。

それこそ理不尽であると自覚はしているが、彼女にそれほどの意識を植え付けたマドカ・アナスタシアを憎らしく思うほどに。

 

「同じ内容を教えて貰うにも、例えその質が落ちようとも、例えより時間がかかってしまったとしても、私はそれをリゼさんに教えて貰いたい」

 

「……ああ」

 

「リゼさんがマドカさんのことを尊敬しているのは、憧れているのは、知っています。……分かりはしませんけど、理解はしています。それはきっと私が今こうしてリゼさんに抱いている気持ちと一緒だから」

 

「……」

 

「……ふふ、また理解出来ないって顔してますね」

 

「ああ、いや……」

 

「理解しなくてもいいです、今は分からなくとも構いません。ただ一つだけ、お願いします。……どうか自分を他の人と比較して、卑下しないで」

 

「……!」

 

「私の好きになった人を、他の人と比較して悪く言わないで。他の何を許す事が出来ても、他の何を見て見ぬ振りする事が出来ても、例えそれが誰にであっても……私は、私の憧れた人を馬鹿にされたくない」

 

まあ本当に、出会ってまだ数日だというのにリゼの何が一体彼女の心をここまで掴んで離さないのか。そればかりはリゼには分からないし、きっと彼女自身もそれには気付けてはいないだろう。

……だが同じ立場であるとすれば、レイナだって同じことを思っているのだ。まだ出会って少しのマドカの何が、一体なぜリゼの心をここまで掴んで離さないのかと。それもまたレイナには分からないし、きっとリゼ自身も気付けてはいない事であって。

 

「……努力は、してみるよ」

 

「簡単に治りそうではなさそうですね」

 

「まあ、一度良い先生を持ってしまうと、どうしてもね。そもそもの話、私はまだ他人に何かを教えられる立場じゃない。まだ教えて貰う立場の人間なんだ」

 

「だったら丁度いいじゃないですか。誰かに何かを教えるという事は、教える側にとっても改めて物事を理解する良い機会です。私は学べて、リゼさんは学び直せる。そして私が学べば、今度は2人で学べる様になる」

 

「……君は凄いな、レイナ」

 

「物事、もっと良い方に考えていきましょうよ。今の状況、私にとっては何もかもが最高ですよ?リゼさんにとってはどうですか?」

 

それをそんな風に満面の笑みで言われてしまったら、もう返す事が出来る言葉なんて一つしかなくて。

 

「……最高かもしれない」

 

「ふふ、いつか絶対に断言させてみせますから。今この瞬間が最高なんだって、リゼさんの口から」

 

「それは大変だ、私も頑張らないといけないね」

 

「別に頑張らなくてもいいですよ、私が勝手に頑張りますから」

 

彼女は強い。

強い女だ。

それを何度も感じさせられる。

それに比べたら、自分は弱い女なのだろう。

けれど彼女はそんな弱い自分を肯定してくれる。

誰かと比較することを否定してくれる。

それに甘えるのは容易い。

その耳心地の良い言葉に頷くのは容易い。

 

……だが、それでも。

 

(私は、もっと強い人間になりたい。それは実力だけじゃなくて、探索者として、女として……そして、人間として)

 

一先ずはエルザの様に、ユイの様に……マドカの教え子として、相応しい人間に。そしてそれを超えたのなら、その更に上へ、マドカの隣へ。

……リゼの目に映っているのは、やはりその情景でしかなかった。

 



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43.肉の大狼

「チッ!なんだいこのモンスターの量は!」

 

「エミさん!一旦降りて戦いましょう!このままでは馬車の方が先に沈みます!」

 

「仕方ないねぇ……マドカちゃん!とにかく数を減らすんだ!馬を守るのはあたしに任せて、好きなだけ暴れてやんな!!」

 

「はい!」

 

何処を見ても巨大な木だけが並んでいる様な空間で、狂乱状態に陥った様々なモンスター達が襲い掛かってくる。馬を守る為に一度馬車から降り、敵の数を減らす必要があると判断した2人は即座に戦闘態勢に入った。

既に"怪荒進"は終わった筈、これほどのモンスターが残っている理由がない。それもこの精神状態は明らかに異常であった。マドカは持ち前の速度を生かして最低限の攻撃だけでモンスター達を無力化していき、エミはそのマドカよりも早く正確な攻撃で命を奪う。そもそも高速戦闘を最も正しく扱えていると言えるのがエミであり、加えてエミはステータスやスキルの関係で誰より高速戦闘と暗殺に優れている。高速戦闘に長けている彼等2人が並び立てば、数の暴力はさしたる脅威ではなくなってしまうほどだ。あっという間に数を減らし、次々と魔晶に変わっていくモンスター達。それでも追加で走り込んでくるモンスターの数が減る事はない。

 

「チッ、キリがない!馬車を引きな!やっぱり強行突破しか無さそうだ!」

 

「エミさんは!?」

 

「あたしは馬車の前を走って道を開く!遠慮は要らないよ!全力で走らせるんだ!」

 

「分かりました!!」

 

「「【光斬】!!」」

 

一旦周囲のモンスターをスフィアを使い最高速度で処理すると、マドカは馬に乗り、エミはその前方を走り始める。いくら馬車を引いているとは言え、馬よりも早い移動速度。加えて走りながらも前方から迫ってくる数多のモンスター達を斬り殺し、決して馬に当たらない様にと吹き飛ばす。レベルによるステータスの上昇があるとは言え、その芸当は単純な身体能力だけでは出来ないだろう。圧倒的な高速戦闘への慣れ、驚異的な眼力、そして冷静な思考、何を取っても一流なエミだからこそのものだ。

 

「オラオラオラオラオラァ!道を開けな雑魚共!!」

 

モンスター達は強さ的には恐らくオルテミスの龍の巣穴ならば7〜9階層辺りで出現する様な者達。数体を相手にリゼがあれ程に苦戦していた事を考えれば、片手間でその軍勢を片付けている彼等上級探索者の強さが分かるというもの。

そうして落ちる魔晶に目もくれず、新緑の都:グリンラルへと走る2人。確かにこの辺りはモンスターが多く、常に警戒が必要な場所ではあった。しかしそれにしても今回はあまりに数が多過ぎる。倒しても倒しても追撃は減る事なく、むしろグリンラルに近付くにつれて増えていくようだった。

……確実に何かが起きている。

自分達が想像もしていない何かが。

そして同時に、グリンラルの探索者達すらも予想出来なかった何かが。

 

「っ、エミさん!!」

 

「馬車は破棄するんだよ!……流石にこの質を相手に、守ってられる余裕なんかない!」

 

「……はい」

 

木々の開けた大きな広間で、それは居た。

脈打つ肉塊、走る血脈、異様なほどに膨れ上がった肉の花。その中央に聳え立つのは、なんと醜く悍しい存在だろうか。皮膚の溶け落ちた女、左腕の無い女。瞳もない、心もない、そして女には……理性が無い。

 

【キィェェェェエエエエエエエエ!!!!!!!】

 

「っ、モンスターを呼びやがったね!?」

 

「エミさん!周囲のモンスターを!」

 

「いいや!そっちはマドカちゃんが片付けるんだ!数が多過ぎてあたしじゃ手に負えない!」

 

「っ……分かりました、お気を付けて!!」

 

360度、全ての方向からモンスター達が殺到してくる音がする。その中央で叫び散らすのは肉の女。まるで大きな花から生まれた物語の精霊の様な姿をしている癖に、その構成している物質が他の全てを最低へと変える異形の怪物。

 

「【光斬】……2連!!」

 

マドカが先に戦闘を始める。

得意の高速移動でより近い相手に向けて光の斬撃を放ち、速度と的確な範囲攻撃によって敵を葬る。【光斬】は他の属性と比べて切れ味が良く、代わりに他の属性と比べて打ち消され易い脆さを持っている。【属性斬】のスフィアで斬撃を飛ばすには相応のINTが必要になり、特に【光斬】はその切味と斬撃速度の速さからかなり相性が良いスフィアではあった。今回マドカがそれを装備していたのは正しくこういった状況を想定していた故の物ではあったが、それでも流石にこの量までは想定していない。

 

「っ、マドカちゃんでも対処は難しいかい……だとするとやっぱり」

 

アレを殺すしかない。

 

【キィェェェェエエエエエエエエ!!!!!!!】

 

「うっさ……」

 

片耳を小指で塞ぎ、ナイフを構えるエミ。

瞬間、ユミの足元を抉る様に放たれる肉の鞭。エミはそれを後ろに跳ね飛び回避し、直後に全速力で特攻を仕掛ける。狙うは人間体の首、そこに核があるかどうかは分からなくとも急所である可能性は高い。敵意を持つ相手に対して半自動で放たれる高速の鞭、そしてまるで指揮をする様に異様に長い指を振るう肉の女。そのあまりに無防備、けれどまともな意識すらないにも関わらず妙に人間味のある姿に、エミは舌打ちを切って突入する。

 

「【致突】」

 

クリティカルストライク。

【致突のスフィア】を使用した蒼のオーラを纏った刺突は、最高速度の乗ったエミによって、あらゆる障害を潜り抜けて無防備な肉の女の首へと迫った。一瞬の肉の鞭の動きの鈍り、そして歪み、意図的にそれ等を作り出したエミはより意識の内へと入り込み、完全に女からの気配を断ち切る。そこまで来ればもう……

 

「終わりだよん」

 

【ギッ……ィイッ!?】

 

煌めく閃光、響き渡る空気を打つ音。黒のナイフに集約された蒼のオーラが一瞬の小爆発を起こして女の首ごと頭の半分を撃ち貫く。極極極稀に生じるとされる致命の一撃(クリティカル・アタック)、【致突のスフィア】はその可能性を現実的な確率まで引き上げるとされ、加えて都市で最も致命の一撃を放った回数が多いのが他でもないエミ・ダークライトである。彼女が【致突のスフィア】を使用した際のクリティカル率は驚異の62%、その際の威力は通常の約2.5倍。STRがE8しか無い彼女でさえ、レンドと同等の攻撃を敵の甲殻や防御を無視して放つ事が可能であるというのだから、それはあまりに驚異的なものだった。

故に最凶、故に致突。

例え鎧に身を包んでいようとも必ずやその命を奪い取る、例えどれほどの巨体を有していようとも、ただの一撃で葬り去る。

 

「……筈だったんだけどねぇ」

 

【ゴァッ……ギッ……】

 

「そこに核は無かったかぁ、もしかして手探りしかない?」

 

【コカカァッ……グェッ……オグォルルゴポッ……】

 

「気持ち悪いなぁ、本当に」

 

肉体を再生させながら漏れ出る大量の血液に気管を詰まらせ、悍しい音を立てて踠き苦しむ肉の女。何をどうしたらここまで悪意のある存在を作れるのか。

 

【アッ、ガッ!?ギィィイヤァァァァォイッァァア!!!!!!!!!!!】

 

「っ、こいつら……!」

 

「エミさん!ごめんなさい!もう抑え切れないです……!」

 

「くっ!!」

 

遂にマドカが抑え切れなくなったモンスター達が肉の女に向けて殺到し始める。直後に始まったのは捕食、捕食されるのはモンスターではなく肉の女の方だ。悲鳴を上げてモンスター達に食われ始めた女を、エミとマドカは未だにこちらへと寄ってくる新手を尽く潰しながら見ることしか出来なかった。

 

「「っ」」

 

……そして、変化は起き始める。

 

多くのモンスターに捕食された女の身体は既に殆ど残って居らず、女だったと思われる肉塊がピクピクと動くだけ。しかしその女を食べた筈のモンスター達が、今度は凄まじい勢いで苦しみ始めるのだ。肥大化する身体、抜け落ちる体毛、皮膚が溶け、目が落ち、それはあまりにも見覚えのある姿へと変わっていく。

次第に肉の花弁に溶け込み混ざり始めたそれ等を尻目に、マドカとエミはただ只管にモンスターを狩る。何を優先すべきかは分かる、今はとにかく数を減らす事が先決。しかしようやく終わりが見えてきた群勢とは対照的に、中央で生じた異形はより明確な進化と変化を始めた。

花弁の中央に出現した5つの肉の球体、それは各々に形を変え、徐々に人の形を模していく。5つの花弁にそれぞれ乗る様にして起き上がる各々で様々な欠損を生じている肉の女達。それでも変化はそれだけでは終わらず、女達は強引に押し込められる様にして蕾の様に閉じた花弁の中へと引き込まれる。

響き渡る5つの悲鳴。

肉をかき混ぜる様な醜音、花弁の隙間から漏れ出す赤液、近寄ろうにも近寄り難いそんな悍ましい物体を前に、エミもマドカもただ呆然と立ち尽くすしか無い。

 

「……そういうことかい、よぉく分かったよ。こいつを生み出したのが何処のどいつかってのが」

 

「……はい」

 

グバァッと勢いよく花開かれたその先に、現れたのは獣の姿。役割を果たした様に花弁は枯れ、溶け、異臭を放って崩れ落ちる。

残ったのは巨大な狼を模した肉の怪物。それまでの様な柔らかな皮膚ではなく、強引に固められ、引き締められた、全身が筋肉で出来ている様な外見。しかし身体の所々に元となった女の腕や頭が僅かに残っているのを見れば、最早あれと無関係とは絶対に言えない。

 

「龍神教……ここに居ましたか」

 

「あーあ、こりゃ頑張んないといけないね。マドカちゃんに傷一つでも残そうようものなら、あたしがラフォーレに殺されちまいそうだ」

 

「………」

 

「……?マドカちゃん?」

 

「いえ……なんでもありません、やりましょう」

 

「お、おう」

 

マドカにしては珍しく反応の悪い受け答えに、あまり見た事のない妙な無表情。けれどそれも一瞬で、一度瞬きをすれば彼女の表情はいつも通り優しいものに戻っていた。一先ず勘違いだったと考えて、エミはナイフを構える。

 

「取り敢えず相手の攻撃を全部把握するよ!いいね!」

 

「はい!行きます!!」

 

最初から全速力で飛び出した2人に、肉の狼も凄まじい速度で襲い掛かる。穿たれた地面に大きな穴が空き、それが速度だけではなく単純な力すらも尋常ならざる物である事が直ぐに分かる。

挟み込む様にしてエミと別れ、タイミングを合わせて左右からほぼ同時に攻撃を当てるも、互いの攻撃は大きなダメージになることは無い。爪すらも肉を硬化した物であり、剣を当てれば僅かな傷しか付けられず、それすら即座に再生する。

見た限りでは特殊な力は持っていないらしいが、そもそもの基礎戦闘力の異常な高さ。都市でも最速に類する2人の速度に当然の様に対応し、自身もまたほぼ同等の速度で戦闘を行う。もしこれが仮にSPDのステータスの高くない探索者が相手をしていれば、他のステータスがどれほど高くとも簡単に屠られていただろう。

……むしろ、オルテミスの最上位の探索者2人を相手にほぼ互角に渡り合うモンスターが、グリンラルのダンジョン外に居る。これが何よりの問題だ。もしこれが少しでも間違えていれば、果たしてどれほどのグリンラルの探索者が殺されていた事か。

 

(……いや、それにしてもこの広間に来てまで他の探索者が居ない事の方がおかしいね。まさかもう)

 

今グリンラルにはマドカの2人の弟子と、英雄、そして連邦軍の長を張っている男が居る筈。他にもグリンラルの数多の探索者が居るにも関わらず、どうしてグリンラル入口に繋がるこの広間にこの様な存在が住み着いていたのか。考えれば考えるほどに嫌な予感は広がっていく。

 

(だからこそ、とにかく今はこいつを……!)

 

マドカとエミはアイコンタクトを交わす。

マドカもエミと同じ事を考えていたらしく、早急な排除を肯定する。

高速移動による同時攻撃、しかしそれだけでは永久に倒すことは出来ない。以前の肉の巨人の事を考えるならば、必ず敵の何処かに核がある筈で、そしてそれは身体の中央部に位置している可能性が高い。とは言えそれがどれほどの大きさで、狼の身体の中央というものがどう定義されているのかは分からないが……

 

「それも撃ってみればわかる事、ってねぇ!今だよマドカちゃん!【致突】!」

 

「はい!【光斬】、【属性強化】……【狂撃】ぃッ!!!」

 

エミの【致突のスフィア】による防御無視の貫通攻撃と、マドカの【光斬のスフィア】【属性強化のスフィア】【狂撃のスフィア】による自身の防御をかなぐり捨てた最高威力のぶった斬り。

肉狼が着地をした瞬間に攻撃を当てる様に動いた2人は、その一撃を確実に打ち当てた。単純なステータスでならば劣っているだろうが、そもそもの話、彼等はそんじょそこらの探索者と比較しても話にならない程の戦闘経験の持ち主だ。

モンスターと戦った、龍種と戦った、そして人間とも戦い、果ては邪龍候補ともなり得る大敵とも命を奪い合った。

それに比べれば、知能も低ければ理性すらまともに働いているのかも分からない狼など、時間と手間さえ掛けてしまえば、今更怯える様な相手ではない。

 

【ゴェッ……ガッ、カッ……】

 

「……致突、入りませんでしたね」

 

「まっ、なんだかんだ10回やったら4回は発動しないからね。けどマドカちゃんの攻撃だけで充分さ。……どうやらその核ってのは、相当大きい物だったらしいし」

 

バックリと切り裂かれた狼の身体。そこから垂れ流されるドス黒い血液と臓物、そして今もなお再生をしながら何事もなく立ち上がろうとしている獣とは対照的に、開かれた傷口から見える弱々しい"誰かの目"。

 

「エミさん……」

 

「さて、どう伝えたらいいもんか。敵は単体であたしやマドカちゃん以上の速度と攻撃力を持つ個体も存在する、それと多分状況によっては無限に強化が可能だ」

 

「……倒し方は、明確ですが」

 

「ま、そうだねぇ。……中に核として入っている"人間"を殺せばいい。単純明快、これ以上に分かりやすい答えもないだろ」

 

「……小さく弱い個体は例外としても、大きく強い個体は間違いないですね。つまりこれは、決して特殊な生物や、モンスターではなく」

 

「着ぐるみ、龍神教徒の強化アイテムってとこか」

 

【アッ……ガァッ……ぁぁぁあああぁ……』

 

臓物と共に零れ落ちる1人の人間。

衣服すら来ていない全身の皮膚が爛れた姿のそれは、腹部を7割ほどまで切り刻まれ、残り僅かな命を自覚しても這い寄ってくる。

彼が見つめる視線の先にあるのはマドカだ。

それ以外には見向きもせず、ただただ震える右手をマドカに差し向けて呻き声を上げ続ける。

 

「っ、マドカちゃん……!」

 

「大丈夫です、エミさん。……もう、大丈夫です」

 

その大丈夫はきっと、エミでも、自分でもなく、目の前で命を終わらせようとしている男に向けて放った言葉。

蹲み込み、右手を取り、優しく微笑む。

マドカの言う通り、男には既に敵意がなかった。

それどころかむしろ、彼の瞳に宿るのは……

 

『ぁ……ぁ……だっ、い……ま……』

 

「もう……大丈夫です。貴方はもう、苦しまなくていい」

 

『わ……た、……は……』

 

「おやすみなさい、そしてごめんなさい。無知で、無力だった私を、どうか許さないで」

 

『ぁ……あ……』

 

男の身体もまた、狼の肉塊と共に崩れ落ちて溶けていく。肉も、骨も、何もかもが消えて、灰となる。マドカの掌に残ったのも、風に吹かれて飛んで行く僅かな灰だけだった。

それに対して怒りは抱かない。

悲しみも抱かない。

ただ呆然とした虚しさがあるだけだ。

 

「……マドカちゃんのせいじゃないよ。マドカちゃんだけのせいじゃないさ」

 

「いえ、私の責任ですから。全部背負って、それでも私は前に進みます。……だからそれより、今はグリンラルへ。もし同じ個体が他にも居たら……エミさんの速度に匹敵する様な個体が、もし複数存在していたら」

 

「……急ごうか、とにかく」

 

「はい」

 

マドカはエミを先導するように走り出す。

マドカが今、どんな顔をしているのかはエミには分からない。ただ、確かに彼女の言う通り、今立ち止まっていられないという事だけは確かだ。……立ち止まっていられた時間なんて、今日までどれだけあったかという話でもあるのかもしれないが。

 

 



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44.2つの疾風

「あっ、ぐっ……!?」

 

「リエラ、大丈夫……?」

 

「だ、大丈夫!私、お姉ちゃんだから……!そ、それよりステラ、援軍はまだ来ないのかな」

 

「多分、来ない。来たとしても、時間かかる」

 

「そ、そうだよね……今はなんとか、堪えないと……!」

 

大きな扉が聳え立つ、グリンラルの入口。

殺到するモンスターの数は決して減る事はなく、既に全身に裂傷を負いながら精神力も底をつき始めている双子の姉妹が、対になった槍を構えて立ち塞がる。

リエラ・ブローディア。

ステラ・ブローディア。

今年で19になる2人は、何を隠そうあのマドカ・アナスタシアの最初の教え子であり、彼女が扱う特殊な高速戦闘術を唯一会得した者達である。

互いの身体と槍を使い、完全な意思疎通の元に繰り広げられる曲芸染みた高速戦闘術。本来ならば十分なVITが無ければ決して実現することのないそれを、それこそマドカと比べれば未だ拙く速度もかなり落ちているものの、彼女達はそれでも都市で"唯一"模倣した。

本来はダンジョン内という狭い空間であるからこそ実現するそれも、槍を使い、互いの身体を使い、彼等は擬似的な物として迫り来るモンスター達を退け続ける。……息は荒い、体力も精神力も出血量もそろそろ限界に近い。

 

「「【刺突】【水斬】……!」 」

 

それでも彼等の速度だけは衰える事なく、むしろスフィアを使う事でより激しさを増していた。【刺突のスフィア】による前方への高速突進に、【水斬のスフィア】を合わせる事で、範囲の広い水圧によって強引に道を開いて内部から蹂躙する。

より戦闘力に重きを置いてマドカに師事を請うていた彼等は、こうしてグリンラルへたった2人で戦力として貸し出されても十分に受け入れられる程には強い。レベルに比例しない強さとでも言えばいいのか、良い意味で強さがレベルに見合っていない。だからこそ彼等は誰よりもマドカの教え子らしい、と言えるのだろう。

緊急の他街への戦力の貸し出し、以前はマドカが担っていたその役割を今は2人が担っている。だからこそ、負けられない、意地がある。任せられたからには、その位置を奪ったのであるのなら、最後までやり通す義務がある。……師の名前を落とす事をないように、師の弟子を名乗るに相応しい位置であるために。

 

「っ……でも、流石にこれはっ!」

 

「リエラ、一回退こう」

 

「でも……!!」

 

「街の中にも罠はある、それを利用して減らすしかない。私達が動けなくなったらそれも使えない」

 

「っ!……わ、分かった」

 

「ん、それじゃあ……」

 

思わず意地が勝ちそうになってしまったリエラは、一瞬マドカの顔を思い浮かべて気持ちを落ち着ける。妹のステラの方が冷静で、姉の自分の方がこの有様なのだから恥ずかしいばかりだ。

……それでも、いくら街中に罠があるとは言え、それは街の民が総員で迎え撃つために使う物だ。今は動ける民の大半が反対側の門を守る為に動いている、こちらに割ける戦力は殆ど無いだろう。果たしてこの数を自分達は本当に押し込める事ができるのだろうか?その疑問を抱いているのはステラも同じで……

 

「【水斬】【水斬】【属性強化】……!」

 

だからこそ、その声を聞いた瞬間に、2人の顔からは思わず笑みが溢れた。

 

「【闇弾】【闇弾】【闇弾】!!やぁっちまいなぁ!マドカちゃん!!」

 

「「マドカ(さん)……!!」

 

「リエラさんもステラさんも気を付けて下さいね!!滝水斬!!!!」

 

2人の前に降り立った彼女が、流星の如く光り輝く巨大な水の柱で薙ぎ払う。抉れる地面、薙ぎ倒される森の木々、そして水圧によって魔晶ごと粉々にされる大量のモンスター達。特殊な機構を持つ白と黒の2本の剣を重ね合わせて大剣として扱う彼女は、以前に見た時と変わらず、正しく都市最高の属性使いとして相応しい馬鹿げた攻撃を見せつけた。

今も雨の様に降り注ぐ水飛沫に、森の深くへと流れていく流水とモンスターの灰。あれほどに犇いていたモンスター達は僅かの1匹すら残っておらず、目の前にいるのは一息を吐いて大剣を双剣に分解して収納する彼女と、そんな彼女を呆れた様に苦笑いをして見つめる聖の丘の副団長だけ。

 

「マドカさ〜ん!」

 

「わわわわっ!も、もう、リエラさん?いきなり背後から抱き付いたら危ないですよ?」

 

「えへへ、ごめんなさい!でも来てくれたんですね!ありがとうございました!!」

 

「ふふ、どういたしまして。リエラさんもステラさんも、どうやらたくさん頑張ったみたいですね」

 

「はい!頑張りました!」

 

「ん、頑張った。褒めて」

 

「あはは、お二人共よく頑張りました〜!」

 

「にへへ」「ん」

 

桃色の髪を撫でられて微笑む2人を、マドカは慣れた様にして受け入れる。まさかこの3人の中で最も年下なのがマドカだとは誰も思うまい。未だ17のマドカに対して、ブローディア姉妹は共に19。当初こそ年齢の違いから諸々のトラブルはあったものの、それが今ではこの関係なのだから人間の関係というのは面白い物だ。2人の治療を始めたマドカを、エミも隣に蹲み込んで手伝い始める。相当無茶をしていたのか、姉妹は見た目以上に酷い状態だった。

 

「さて、一体ここで何が起きたのか、お姉さん達に教えて貰えるかい?一応ここに来る途中でも変な奴にはあったけどさぁ」

 

「アタラクシアさんとリスタニカさんも、まだグリンラルに居るんですよね?お二人は何処に居るんですか?」

 

「……それが」

 

粗方の治療を終え、近くの倒れた木からマドカが片手間で切り取った丸太の上に座った2人は、時々顔を見合わせながらも説明を始める。

"怪荒進"が終わった筈のグリンラルで、何故これほどの数のモンスターが発生しているのか。そしてこの街にいる筈の英雄と連邦軍の長は何処に居るのかを。

 

「"怪荒進"が連続した……?それは本当なのかい、リエラちゃん」

 

「は、はい……実はその、私達が1度目の怪荒達を対処した本当にその直後に、また別の場所で大量のモンスターが出現したんです。調査の結果、殆ど同時に2箇所で予兆が起きていたらしくて、私達はそのうちの片方だけを見つけて最初の調査を打ち切っていたので……」

 

「それで戦力が足らずに抑えきれなくなったと」

 

「はい……2度目の規模は1度目の数倍の物で、人手が足りずグリンラルは一瞬で包囲されてしまいました。今はこの街の4つの入口をそれぞれ防衛していまして、南を私達が、西を英雄が、東を軍長が、北を街の他の探索者達全員が担当しています」

 

「そりゃまた大役を任されたねぇ」

 

「1度目の怪荒進で、知らない毒を持ってるモンスターがたくさん出てきた。その治療も遅れ気味、動ける探索者がとても少ない」

 

「それでも一番数が少ない場所を任せて貰ってた筈なんです……筈なんですけど」

 

「……アレが呼んでたのかねぇ、マドカちゃん」

 

「分かりませんが、可能性はあります。そもそも地形も分からず別種同士では群れる事もないモンスター達が、それほど迅速に街を取り囲んだ。司令塔的な役割が居てもおかしくありません。……逆に被害を抑えていた可能性もありますが」

 

「……マドカ、なんの話?」

 

「えっとですね……」

 

そうして今度はマドカがここに来るまでの事情を話し始める。どうしてグリンラルに来ることになったのか、そしてここへ来る間に出会った奇妙な怪物。加えてオルテミスの街が一度襲撃されてしまい、その際の敵の目的が恐らくマドカであったということまで。

 

「だ、大丈夫なんですかマドカさん!?そんな、こんな、出歩いたりして!?」

 

「大丈夫大丈夫、そのためにあたしが見てんだから」

 

「はい、それにむしろ来られて良かったです。……思っていたより状況は悪い様ですから」

 

「……ん」

 

英雄と連邦軍長、この2人に関しては恐らく何の問題もない。むしろ彼等がやられるのであれば、それはマドカとエミでも対処出来ない相手であるということを意味している。こちら側ももう暫くモンスター達は来るだろうが、マドカ達が来た以上は何の問題もない。問題があるのはむしろ、反対側の探索者達が居る方……恐らくそちら側では正しく戦争が繰り広げられているのだろう。ブローディア姉妹が動けない以上、マドカ達がこの場を離れる事は出来ない。心配ではあっても、あちらはあちらに任せるしかない。

 

「ま、なんだかんだこの街を守り続けてる探索者共だ。あんまり出しゃばるのも良くないさ」

 

「エミさん……」

 

「にしても、龍の飛翔も2連続、怪荒進も2連続と来たかぁ……こりゃ本当に何か起きてるね。しかも怪荒進は1度目より2度目の方が規模が大きかった、龍の飛翔も今のところ2度目の方が明らかに前兆が大きい部類のもの」

 

「……ってことは、アイアントでも同じ事が起きてるってことですか!?"紅嵐"が2回来てるとか!?」

 

「ええ、その可能性は極めて高いと思います。世界に存在する4つのダンジョン、それぞれが共鳴していると考えるのが妥当でしょう。……原因は分かりませんが」

 

「……龍神教の動きが多いのも、そのせい?」

 

「だろうね、あいつらは何かを知っている筈だ。それこそ、ダンジョンで長く活動しているあたし達すら知らない様なことを」

 

チラとエミはマドカの表情を伺う、しかしそこにはやはり少しの悲しそうな表情が見受けられるだけ。

今回の件で何かしら龍神教との関わりがあるという事が示唆された彼女、それはつい先程の肉狼の中に入っていた男への反応の違和感もまた証明していた。

……それでもエミは、マドカが敵だとは考えない、考えられない。もし彼女ほどの人間が龍神教側のスパイなのだとすれば、それこそ本当に他の誰を信用出来るのかという話になってくる。それはつまり、何か大きな理由がある訳でもなく、単純にエミがそれを信じたくないというだけ。

 

(レンドの話だと、ラフォーレとカナディアはこの子の何かを知っている……ただ、ラフォーレはともかく、カナディアが知ってるならスパイの可能性は無いと見ていい。全く、何も一番疑い難いマドカにこんな容疑が掛かってくるなんて)

 

それでも彼女がそれを話そうとしないのは、それだけの理由があるのか、はたまたラフォーレとの約束を忠実に守っているからなのか。

とは言え、そもそも都市の多くの見る目のある人間が彼女を信用していることもまた事実。唯一レンドだけが彼女を疑っている所はあるが、それもまた彼自身の方に理由がある事だから仕方がない。それについてマドカに非は無いし、むしろマドカの方が被害者だと言ってもいい。故に大きな問題はないだろう、それこそ今直ぐ解決すべきほどでは。

 

「っふぅ、流石にそろそろ落ち着いて来た頃合いかね」

 

「そうみたいですね。ごめんなさいエミさん、任せっきりになってしまって」

 

「いいのいいの、ここに来るまでマドカちゃんには頑張って貰ったし」

 

「あ、あの、この件の報酬とか……!」

 

「あー、お姉さんは要らないよ?金なら腐るほどあるからねぇ」

 

「私も必要ありませんよ、お二人で受け取って下さい」

 

「……マドカは、お金に困ってる」

 

「こ、こら!ステラ!」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。グリンラルには野生動物も多いですから、その気になれば狩りに行く事も出来ますから」

 

「……悪いけど2人とも、この子の食事代くらい出してやってくれないかい?流石にあたしも今は手持ちが少なくてねぇ」

 

「と、当然です!任せてください!というか出させてください!」

 

「報酬、いっぱい……ステラ、うはうは……だから、大丈夫」

 

「そんな……ごめんなさい、先生として情けないです」

 

むしろ自分達の先生が街の外で野生動物を狩って食べている方が問題というか、情けないというか。

そもそもこの女が大体金欠な理由は食事代だけではなく、他人への施しというか、自分以外へ使う事の方が多いというのが大き過ぎる。リエラとステラもその恩恵を、むしろ教え子達の中では最も受けて来た立場。今でも思い出せば頭が痛くなる様な贈り物の数々、あれと比べればこれくらい何とでも無いというか、それくらい出させろというか。

 

「……一先ず、私は他の箇所の様子を見て来ようと思います。エミさん、もう暫くここをお任せしてもいいですか?」

 

「構わないよ、行っておいで」

 

「あ!マドカさん!私も行く!」

 

「怪我が大丈夫なのでしたら……ステラさんはどうしますか?」

 

「疲れた、寝てる」

 

「ふふ、分かりました。それなら行きましょうか、リエラさん」

 

「はい!」

 

東側と西側は問題ない、マドカは北の方角へ向けてリエラを伴い走っていく。そんな2人を見送ったエミとステラは、特別親しい訳ではなくとも気不味い雰囲気になる事もなく、同じ丸太の上に腰掛けた。一見閉じこもりがちに見えるステラも、別に人見知りという訳ではない。どころか誰に対しても同じ様に接する彼女の方が、姉よりは気軽に接する事が出来て。

 

「強くなったじゃないか、あんた達」

 

「……皮肉?」

 

「いいや、あたしがそう思っただけさ」

 

「マドカに助けられたのに?」

 

「マドカだってあたしがサポートしてたろ?」

 

「………」

 

納得行かないと言った様に寝そべる彼女の身体を、エミはポンポンと叩く。こんなにも可愛らしい彼女達ではあるが、その根本となっている物は酷く悲惨なものだ。マドカが拾いでもしなければ、こうまで丸くはなっていなかったであろう2人。それを知っている今だからこそ、それを知る事が出来たからこそ、気に掛ける。所詮それが本当に彼女達のためではなく、その他の全てのもののためであったとしても。

 

「ま、死なずにいれば強くなれるさ。いつかは」

 

「……マドカより?」

 

「あの子はあれ以上強くなる気なんてサラサラないからねぇ、あんた等が追い抜いてくれる事しか考えてないよ。だからそんな事気にしてないで、さっさと追い付いて安心させてやんな」

 

「……ん」

 

強くなるための動機は、優しいものであって欲しい。そう思うのは我儘なのか、それとも願いとして許される範疇なのか。……それでも、悲しみと無力感で強さを求めて来た人間を誰よりも側で見続けて来たエミにとっては、何十年経ってもそれに苛まれる様な人間になって欲しくないというのは、決して譲る事の出来ない事の一つでもあるのだ。

 



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45.ダンジョンとは

1本の槍が振われる。

自身の背丈と変わらない程に大きなそれを軽々と振り回し、時に防具として、時に足場として、陸空を自在に動き回り確実に敵にダメージを与えていくその槍捌きに見惚れてしまう。

汗が舞い、髪が踊り、彼女は笑う。

倒したモンスターから魔晶を拾い、こちらに小さく手を振りながら。

 

「……これは、私では近接戦闘で勝てそうにないな」

 

「そうですか?なんだか少し照れてしまいますね」

 

「いや本当に、まさかここまで強いとは思わなかった。まるで舞を踊っている様にも見えたよ」

 

「身体が勝手に動くというか、特に何かを考えながら動いている訳ではないんです。ただこういう場合にどうすればいいのか、それを身体が覚えているというか……」

 

レイナは大きな槍を体全体でクルクルと回しながら赤くなった顔を隠す。

身体や意識にそこまで色濃く残っているという槍捌き、つまりそれは彼女が記憶を失う前にそれほどの努力を重ねて来たということに他ならない。加えてモンスターとの戦闘の慣れ、レベルの問題はあっても4階層で複数戦闘を難無く熟るというのは十分過ぎる。これはもしかしたらリゼが戦闘面で教えられる事はなく、むしろ教えられる立場になるだろう。リゼとしてはもしかしてそちらの方が助かるのかもしれないが。

 

「ふむ……それなら今日は一先ず持ってきた依頼を片付けながら歩こうか。帰りに試しにワイバーンと戦ってみよう、私の様に苦手な相手が居たら困るからね。先に試して知っておく事も大切だ」

 

「リゼさんはワイアームが苦手なんでしたっけ」

 

「うっ……教え役としては本当に恥ずかしい話だよ。実は今もまだ正面から1人で戦うのは避けたいくらいなんだ、この銃を使ってもいいなら話は別なのだけど」

 

「そもそも、ワイアームって1人で倒す様な相手なんですか?」

 

「え?」

 

「その、私も勉強中なので詳しくないんですけど、そもそも1人でダンジョンに入る人の方が普通は少ないですよね?」

 

「……確かに」

 

「多分なんですけど、そもそも1人で倒そうとするのが間違いなんだと思うんです。それは怖いのは当然というか、むしろ怖くない方がおかしいというか」

 

「………」

 

レイナのその言葉を、リゼは時間を掛けて咀嚼する。……そういえば、どうしてワイアームと1対1で戦うことになったのか。

思い返せば最初の一戦から1人だった様な気はするが、そもそもそれはリゼが1人で戦いたいからとマドカに嘆願した結果であり、マドカもいつでも助けに入れる用意はしてくれていた。

次の一戦はエルザやユイと一緒に戦い、集団戦闘についてを学んだ。こう考えるとマドカは最初からワイアームとのソロ戦闘など指示した事は一度も無かったし、むしろ集団戦闘を勧めている様にも感じる。

それならば3度目はと考えれば、ああなるほど、これが原因だ。3度目はマドカが強化種ワイアームとの戦いで怪我をした後の話であり、リゼは何をトチ狂ったのか1人でワイアームに挑んでボロ負けした。マドカは手紙でそれを止めていたし、よくよく考えれば実力の拮抗している相手とボロボロの精神状態で戦えば負けるに決まっていた。

そして4度目はラフォーレとダンジョンに潜った時で、彼女は当然のように自分をワイアームと1人で戦わせ、むしろ1人で倒す事が当然の様に……

 

「そうか、ワイアームは1人で戦う様な相手ではなかったのか……」

 

「今更何を言ってるんですか、リゼさん……」

 

可哀想なものを見る様な目で見られる。

自分で勝手に思い込んで、ラフォーレに刷り込まれた。マドカは最初から1人で戦うものではないと教えてくれていたのに。いや、確かに1人で倒せるに越した事はないだろうけれども。そもそも安全を取るのがダンジョン探索であって、そもそも異常なのはラフォーレの様な人間であって、ダンジョンの中ではマドカすら安全を取るというのに……

 

「……えっと、次からは2人で挑みましょう。というか、出来る限り1人でダンジョンに潜らないで下さい」

 

「ぜ、善処する」

 

「あとこれ、絶対心に焼き付けておいて下さい。階層主は普通1人で戦う様な相手じゃないですから」

 

「わ、分かった……」

 

「それとダンジョンで命懸けの戦闘をする人は普通に頭がおかしいですから。絶対に勝てる戦闘しかしない、これ徹底して下さい。分かりましたか?」

 

「は、はい……」

 

教えるつもりが教えられる。

これもまた教える立場のあるある。

……まあ、なんか違う気もしなくもないが。

自分の情け無さを隠す様に黙々と花を摘み始めたリゼを見て、レイナは苦笑いをしながらそれを手伝い始めた。

 

別にレイナもリゼの心を虐めるつもりはないが、どうも彼女は色々と勘違いをしている節があるのだ。それこそ今の様に、思い込んでしまっている所があるというか、思い込みやすいというか。そこはしっかりと指摘して直しておかなければならない、何よりも彼女の命を守るために。

 

「……そういえばリゼさん、この花って別にダンジョン外にもありますよね?どうしてわざわざダンジョン内で摘む必要があるんですか?」

 

「うん?ああ、それは……ほら、なんとなくこの花畑を見ていたら違和感がないだろうか」

 

「え?……なんでしょう、状態は良いですよね」

 

「ああ、正にそれだよ。ダンジョン内の植物は全て状態が良い上に、積んでも直ぐに再生される。均一で状態の良い花が多いという事は、製品化した時に良好な質が更に安定する。だから絵の具やポーションを作る際に重宝されるんだよ」

 

「へぇ、なるほど。そういう事だったんですね」

 

一度説教の様になってしまった空気を変える為に、レイナは気になった事を聞いてみる。あくまで自分は教えられる側、あまりそこを乱す様な真似はしてはならない。そしてそんなレイナに対して、リゼはマドカに教えて貰った事を、そのまま彼女に話した。加えてその際に、なんとなくリゼの顔色が変わったのをレイナは感じた。なんというか、探索者の顔ではなくなったというか。だから気になって、また一つ質問を投げかけてみる。

 

「……でも不思議ですね。ダンジョンは植物やモンスターは産む癖に、動物は産まないなんて」

 

「そうだね。確か『そもそも等価交換の原則が成り立っていない』とカナディアが書いた本にはあったかな。だからこそ、ダンジョンはモンスターや植物を産む為に何かを犠牲にしているのではないかという推測もあったけれど」

 

「リゼさん、そういう本も読むんですか?」

 

「意外だったかな?」

 

「正直に言ってしまえば」

 

「ふふ、実は私は本に目がなくてね、最近はカナディアが書いた本をよく読んでいるんだよ。彼女は探索者としては当然、研究者としても一流だからね。色々と面白い実験をしているんだ」

 

「へぇ、例えばどんなのですか?」

 

「例えば、『通常のモンスターも倒し続ければ強化種は現れるのか』というのを昨日は読んでいたかな」

 

「確か、同じ階層主を倒し続けると強化種が現れるんでしたよね?でも通常のモンスターなら沢山の探索者によって普通1日にかなりの数が倒されている様な……」

 

「だから、同じ個体だけを倒し続ける。探索者を壁面に待機させ、同じ個体だけを壁から復活した瞬間に倒し続けたんだ。他の個体は全部縛り付けてね。ちなみにその実験はこの4階層で行われたらしい」

 

「……どうなったんですか?」

 

リゼの話に、思わずレイナはのめり込んでしまう。そんな彼女の様子にリゼも嬉しくなってしまったのか、笑みを浮かべながら答えを返してくれた。

実はカナディアの本もかなり難解な書き方をしているため、リゼもかなりの時間をかけて理解している。故に彼女がこうして自慢げに話しているのも、彼女の努力あっての事である。

 

「強化種は現れた」

 

「!」

 

「詳しい条件は分からないが、63回目で本来オルテミスのダンジョンではあまり見ることのない通常モンスターの強化種が現れたんだ。その際にはドリルドッグの強化種である、ブレイド・ライガーが現れた」

 

「初めて聞いた種族です」

 

「簡単に言えば歯の一部が歪に巨大化した種族で、口に大きな剣を加えている巨大な狼型モンスターかな。咀嚼をする為に口が大きく、2段になっていて、口内にもう一列歯があったりもする。戦闘力は10階層のレッド・ドラゴンに匹敵したらしい」

 

「そ、そんなに強いんですか……?」

 

「ああ、その時はマドカとカナディアで討伐したおかげで被害は皆無で済んだらしいが、ここからある仮説が立てられた。……つまり、これは今後スフィアの様な価値のある物を落とすモンスターが出現するという可能性だ」

 

「……なるほど」

 

すっかりと話に夢中になってしまった2人は花を摘む手すら止めてしまう。興味深そうに聞いてくれるレイナに、リゼももうノリノリである。むしろここに来て一番嬉しそうまであった。今のレイナはまさしくリゼが求めていたそういう話し相手であったのだ。

 

「つまり、今は観測されていなくとも、価値のある何かを落とすモンスターが何処かに現れる。だからこそダンジョンはその乱獲を阻止するために、強化種が出る様にしていた?」

 

「その通りだよ。今のところは大抵のモンスターからは魔晶や少しの素材しか出ないけれど、例えばその素材の中に希少な金属があればどうなるだろう?探索者達はこぞって狩り始める筈だ」

 

「今のところはそういう事はないんですか?」

 

「あるにはあるけれど、軒並み深い階層のモンスター故に負担と利益が見合っていないらしい。……けれどもし、その負担が今後の技術進歩で軽くなったとしたら?」

 

「……4階層のモンスターでそれなら、一体どんなモンスターが生まれて来るんでしょう」

 

「少なくとも、あの強化種ワイアームに匹敵する怪物も出て来るんじゃないかな」

 

人間に欲を出させる癖に、楽をしようとすれば即座に罰してくるダンジョンの在り方。それがあるからこそ探索者達の民度もある程度保障されていると考えると、それもまたどこか思惑的な物を感じてしまう。そもそもダンジョンとは何なのか、一体どこへ繋がっているのか、何のために作られたのか、最下層には何があるのか。それは探索者達にとっての永久の浪漫でしかないし、自分が生きているうちに分かるとは限らない。

 

一先ずは50階層。

それなりにキリのいい数字であり、そこに住む階層主こそが数多の探索者を退けてきた正に最強の門番である。50階層を突破した時にこそ、ダンジョンの何かが分かる可能性がある。だからこそカナディアもダンジョン探索には積極的であるし、戦力の増強にも力を入れている。勿論他の理由はあるが、彼女が最も50階層に興味を抱いているという事も確かだ。

 

「……まあ、私達がそれに関係する階層までの降りるにはまだまだ時間がかかりそうだが」

 

「本当に行きたければ強い人に連れてって貰えばいいんですよ、それこそカナディアさんは結構な頻度で30階層辺りまで行っているらしいですし」

 

「いや、流石に悪名高い龍殺団と行動を共にする勇気は無いというか……」

 

「レベルを上げようとすれば危険だし、実力を上げようとすれば今度はレベルが上がり難くなる。……本当に、簡単に強くなれる道は無いんですね」

 

「まあ、こうして花を摘んでいるだけの私達が言える事ではないかもしれないけれど」

 

「「……ふふ」」

 

どういう方針で実力をつけていくか、それもこれから考えていかなければならない。とは言え、それも今すぐに考えるべき事ではないだろう。

最初を大切にしない探索者は早死にする。

基礎を作らない探索者は邪魔になる。

だから今は、急がないことが大切だ。

……急がないで済むのなら、その方がいい。

 

 

 

 

 

「一先ず調査報告を」

 

「は、はい!えっと……」

 

リゼ達がダンジョンで花摘みをしている頃、ギルド長の部屋ではカナディアとエリーナが調査団を指揮していた"聖の丘"の幹部の1人であるセルフィ・ノルシアから報告を受けていた。

"聖の丘"を抜けたカナディアの代わりに今のレンドを支えているセルフィは、未だ慣れない事も多いながらこうして働いている。エミも居ない現状では彼女の責任もなかなかに重い様だった。

 

「えっと、現地の調査員によるとやはり兆候はここ数年と比較してもかなり大きな物でした。それでも六龍ゲゼルアインが出現した時と比べれば周辺への影響は少なく、特有の地響なんかもないので、邪龍というよりは単純に身体の大きな龍種ではないかと調査員達からは予想されています」

 

「ふむ……しかしエミやマドカ達からの報告では邪龍の可能性が高いという話だったが」

 

「例えば以前ゲゼルアインが出現した際には周辺からガスの噴出や継続的な地震、大量の魚類の死亡などが前兆当初からありました。これは過去の邪龍が出現した際の前兆としても当て嵌ります。しかし今回はその様な兆候が見当たりません。地表のヒビ割れもその1箇所のみ、前回の様に複数箇所に発生していると言う事もありませんでした」

 

「……考え過ぎだったか?」

 

「まあ、流石に連続となればな。そう何度も邪龍候補が来られても困る」

 

「……ただ」

 

その言葉に安堵の息をついたのはカナディアとエリーナだけ。セルフィだけは、未だ伝えていないその情報に顔色を良くはしていなかった。

 

「調査団に同行していた"青葉の集い"のシセイ様が、少し気になる様な事を言っていまして……」

 

「シセイが?何と言っていたんだ?」

 

「……なんでも、50年前に滅龍デベルグが出現した際も今回と同じ様な兆候を見たと。具体的には一波目の亀裂で既に小さな穴を作っている様な膨らみ型の亀裂を」

 

「「!!」」

 

今は"青葉の集い"に所属しているシセイ・セントルフィとは、既に齡140を超えた"蒼ノ賢者"とも呼ばれる歴戦のエルフである。

年齢による衰えを見せた今も都市で5本指に入る破壊力を持つ魔法を扱い、若い頃は探索者ではなくギルド職員として働いていた為に都市を最も長く見てきた存在だと言ってもいい。

……そんな彼が言う、それはあの滅龍デベルグが生じた際の兆候と似ていると。

 

「滅龍デベルグ、確か出現した当初はただの小竜だと思われた存在だったか。生憎私は詳しくは知らないのだが……」

 

「端的に言えば、出現直後に海底で眠りについていた大竜ギガジゼルを叩き起こした存在だ。体長僅か2〜3m程度のワイバーンと変わらない存在が、あのギガジゼルの甲殻をブレスで貫通した。……そもそも本当にブレスだったかどうかも今では怪しいが、それ以来彼の龍はこの世界の何処にも姿を現していない。噂では今は混毒の森に潜んでいるといわれているが……」

 

「ああ、その龍か。その後のギガジゼルの大破壊ばかりに目がいっていたが、あれもあれで規格外な存在だったな」

 

「ご、ごめんなさい、私も勉強不足で……」

 

どれだけの労を成しても破壊する事は出来ないとされていた大竜ギガジゼルの甲殻、それをただの一撃で貫通させた様な存在がいる。とは言え、その様な奇妙な邪龍が現れたのはその時だけ。他に前例もない。今回はよく似ているだけで、本当に大したことのない龍が現れる可能性だって高い。

 

「……エリーナ、前回の"龍の飛翔"で精神的な傷を負った探索者達は」

 

「あまり順調とは言えないな、長い目で見れば今回参加させる訳にはいかないだろう。彼等もこれで1年間は大丈夫だと安堵している、耳に入れることすらも避けたい」

 

「やっぱり、少数精鋭で倒すしか無いんでしょうか……?」

 

「しかし滅龍デベルグと同等の邪龍が出現する可能性も考える必要がある、今の精鋭陣で本当に勝てるのか?もう50年は大丈夫だと踏んでいたんだ、前回ほどの準備は無いぞ」

 

「………」

 

確かに、いくら以前より全体的なレベルは上がっているとは言え、圧倒的に準備が足りない。他街にもそれほどの装備を今すぐ発注しても、足りる事は決してないだろう。だとすれば……

 

「鍵はリゼ・フォルテシアだ」

 

「!」

 

「確かそれって、マドカさんの新しい……」

 

「彼女の大銃は単体でマドカの一撃に匹敵する。加えてマドカと違い、それは単純な物理攻撃。魔力妨害によって軽減される事が決して無い」

 

「だが、今のままでは固定砲台は間に合いそうにない。例の子の関係もあって、今は極力リゼ・フォルテシアへの接触は禁止しているからな」

 

「だからこそ、必要なのはリゼ・フォルテシアのレベル上げだ。彼女があの射撃に耐え得る肉体を身につけ、最大威力での連続射撃を可能にさせる必要がある。……射出が認識出来ない程の長距離からの射撃、それは魔法にはない利点だ。そして龍種を相手とした時、非常に大きな力となる」

 

「……デベルグの様に小型であったとしても、彼女が居れば逃げられずに済むという事か」

 

「仮に大型だったとしても、視覚の破壊が簡単になります……確かに、彼女が鍵になりそうですね」

 

今ある技術でも簡単な射撃装置くらいは作れるが、それは決して龍種の鱗を貫けるほどの物ではなく、より遠距離射撃に重きを置けば瞳の膜すら撃ち貫く事は出来ないだろう。そもそもダンジョン内では銃を使うよりも魔法や鞭などの中距離攻撃の方が有効であったため、銃に関する研究など、それこそ3つのダンジョン街の何処でも全く行えていない。固定砲台も広域殲滅と一点集中が出来る魔力砲ばかり。

リゼの大銃の利便性だって、彼女がこうして十分に扱い活躍したからこそ認められているものだ。そうでもなければ不必要、少なくともこの世界ではそう切り捨てられている。

 

「……カナディア、あの弾速と同等の魔法兵器はあるか?」

 

「光属性や雷属性の魔法でもあれほどの速度は出ない、射出の衝撃で人間が吹き飛ばされる様な代物だぞ?一度向けられればエミでも避けられまい」

 

「分かった……当面の目標の一つとしてリゼ・フォルテシアのレベル上げを含めよう。まあ、勿論マドカに許可を取る必要はあるが」

 

「まあ、マドカさんに怒られたくはないので……それは必要だと私も思います」

 

「……はぁ。ああ言った手前、手助けはし辛いのだがな」

 

リゼの知らないうちに、話は進んでいく。

本当はゆっくりと強くなっていくつもりだったのに。今はもう少しだけ時間をかけたいと思っていたのに。それでも世界は待っていてはくれない。



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46.とある依頼

翌日、ダンジョン5階層。

万全に防具を整え、武器を持ち、スフィアに手を添えて2人はその階層に踏み込む。高鳴る胸の音は果たして恐怖か、緊張か、期待か。

以前と変わらず部屋の奥で唸り声を上げる相手に対峙しながらも、ふと震えていたその右手を握られる感覚を覚えた。横を向けば彼女がいる、今も笑って、大丈夫だと、まるでそう言っているかの様に。

 

「……さあ、行こうか」

 

「はい、行きましょう」

 

『グルァァァア!!!!!』

 

同時に飛び出した3者。

しかし最も早く動くのはSPDのステータスの高いレイナだった。槍を利用して大きく飛び上がり、壁や天井を利用して近づいて行く彼女はまるで雷の様。

その変則的な動きに驚愕し、咄嗟にその場から離れる事で様子を見ようとしたワイアームは流石の対応力を持っていた。……しかし彼女ばかりに目を取られてはいけない、ここにはそのワイアームを倒すことに並々ならぬ執念を抱いている女が別に居るのだから。

 

「【炎打】……!」

 

『グルァッ!?』

 

間一髪、尾を壁に打ち付けて強引に頭の位置をズラした事でワイアームは振り下ろされたその攻撃を避ける。直後に着地を刈る様に空気弾を放つ準備をするが、その背後からはもう一つ忍び寄る影もあって……

 

「【雷斬】」

 

『ーーーーッ!?』

 

背部を大きく切り刻まれたワイアームは全身の空気穴から全力で空気を吐き出し、凄まじい風圧を撒き散らしながら空へと逃げる。

【雷斬】は切れ味はもちろん、何より敵に与える痛みと麻痺が効果的な一撃だ。麻痺自体はそう長くは続かないとは言え、本来ならリゼが追撃出来る程度の時間は稼げたはず。……にも関わらず動かない思考の中でもひたすらに空気を噴射して自分達を吹き飛ばそうとした所を考えるに、リゼは思うのだ。やはりこの相手は、例え2対1であっても少しの油断もしてはならない相手なのだと。例えリゼのレベルがどれほど上がろうとも、決して舐めてかかってはならない相手なのだと。感心すらする。

 

「どうしますか、リゼさん」

 

「……私が叩き落とすよ」

 

「えっと、どうするんですか?」

 

「敵の突撃を待って、すれ違い様に叩き落とす。だから最後のトドメはレイナに任せるさ」

 

「え、何言ってるんですかリゼさん?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「え?……え?本気なんですか?」

 

「……ええと、私は何かおかしなことを言ったかい?」

 

「え?なんですかこれ、私がおかしいんですか?」

 

リゼの提案に本気で困惑するレイナ。当然である、他人からすれば本当にこいつはいきなり何を言い出したのか、頭がおかしくなったのかと思うような話なのだから。

 

「……わかりました、お任せします」

 

「ああ、任せて欲しい」

 

しかしそれでもレイナはそれなりにリゼの実力は認めているし、彼女が色々と普通では無いことも知っていた。特に今は彼女は自分の先生であるのだから、従わない理由はないだろう。こんなにも自信満々に言っているのだし、元々はワイアームと1人で戦おうとしていたような人間でもある。レイナは指示通りにリゼの後ろの方に待機することにした。

 

「さあ、ワイアーム。……今度の我慢比べは、負けないよ」

 

『グルゥゥ……』

 

大銃を肩に担いで、もう片方の手でスフィアへと手を伸ばす。リゼはこれでしかワイアームに勝てない、否、これしか勝つ方法を知らない。以前の時には恐怖のあまりラフォーレの前だというのにそれは時間をかけて悉く失敗してしまっていたが、今日は後ろにラフォーレは居らず、むしろカッコいい所を見せたい少女がいる。

……ここでミスはしたくない。カッコいい所を見せて、凄いと思って貰いたい。一緒に組むのに値する人だと思って貰いたい。今のリゼの背中を押しているのはその想いだけだ。

 

そのためなら、少しの怪我くらい。

 

「……来い!ワイアーム!!」

 

『グルァァァアアァァァァアア!!!!!!!』

 

「【視覚強化】!【星の王冠】!【炎打】!!」

 

同時にスキルを発動し、スローになった世界でワイアームの動きを予測する。逆にワイアームからこちらの動きを読み難くさせる為にリゼは前へ前へと走り、大銃に炎を纏わせた。

恐ろしい形相、凄まじい勢い、思い出すのはかつて見た強化種。……だがもう、怖くない。今はもう、そんなに怖くない。あの後に見たカイザー・サーペントの勢いの方が今より断然凄かった。断然恐ろしかった。一撃で命を奪うほどでもないただの突進でしかないワイアームのそれは、不思議といざ前にすれば少しの余裕があって、手の震えだって小さくなる。……ラフォーレに向けられたあの酷い経験は確かに、意味のあるものだった。

 

「ふっ……!!」

 

直撃の僅か瞬間、リゼは身体の向きを変えてワイアームを避ける。掠める事もない、けれど余裕があった訳でもない。そのギリギリの瞬間を見極めて動いたリゼの姿は、それこそワイアームやレイナから見れば突然実体が無くなったかの様にも見えた。

振り下ろされた炎を纏った大銃はワイアームの空気穴の一つを叩き潰し、内部に存分に炎を注ぎ込む。身体の内部からの火傷、それはワイアームに尋常ではない苦痛を与え、浮遊のバランスを崩した事もあってか勢いそのままに落下した。床を滑る様にして落ちたワイアームが向かう先にはレイナが待っており、彼女はそれまで【体盾のスフィア】を据えていた手を少しズラし、リゼの無事を確認してから槍を構え直した。

 

「【雷斬】、【雷斬】……」

 

凄まじい量の雷がレイナの槍から迸る。

同種の雷系スフィアの同時使用数に応じて攻撃の威力が向上するレイナのスキル、本来同じスフィアを同時使用した際に起きる威力の向上が更に勢いを増して膨れ上がる。先端部から放たれる尋常ならざる青白い雷の束は、まるで闇夜に開く花の様にも見えて。

 

「【雷散月華】」

 

『ーーーー!?』

 

壁を駆け上がる様にして大きく飛び上がり、滑り込み衝突したワイアームに向けて突き立てる。

雷を纏った彼女の槍はワイアームの鱗を何の苦もなく貫通し、その脳天を叩き割った。脳を焼き、血を焦がし、全身を走った雷は僅か数秒にしてワイアームを絶命に至らしめる。

 

「……まさか一撃とは」

 

いくら階層主とは言え、ワイアームは5階層の階層主。ワイバーンをどう解釈するかにもよるが、ある意味では最初の難関とも言える存在であるが故に、ステータス自体はそう大したものではない。レイナの様な一定以上の火力があれば、それを当てるだけで簡単に倒せる様な存在だ。だからこそ重要になるのが、それをどう当てるのかということ。

ワイアームの簡単で確実な討伐に必要な役割とは、『空から地上に撃ち落とす役割』と『ワイアームに一切の抵抗を許さず撃破する役割』の2つだ。そして2人はそれを自然と担っていて、互いに当然の様にそれを成した。故にこの結果は当然のものであると言えるだろう。

……勿論、ここは最浅層。チームワークとしては初歩の初歩の技能といったところであるが。

 

「凄いなレイナ、驚いたよ。まさかワイアームを一撃で倒すとは思わなかった」

 

「いえあの、驚いたのは間違いなく私の方だと思います」

 

「?」

 

「さっきのその、何したんですか?いきなりワイアームが擦り抜けた様に見えたのですが……」

 

「えっと、避けただけだけれど……」

 

「どんな避け方したらあんな事に……」

 

「私は元々眼が良くてね。それにスキルと【視覚強化のスフィア】を使えば、見えない物なんて滅多にないくらいさ」

 

「……例えば今から私がこの槍でリゼさんを攻撃したとしたら、避けることは出来ますか?」

 

「避けるどころか掴むくらいの自信はあるかな」

 

(……ああ、この人も色々とおかしな人なんだなぁ)

 

それも本当に今更の話ではあるのだが、むしろおかしくなければここまで期待される事も無かったであろうに。まあそもそもこんな巨大な銃を軽々と抱えて笑っている様な女を、なぜ一時でもまともな人間だと考えていたのかと人は言いたいくらいである。

そしてそんな女は灰を掻き分けて目当ての物を探す。マドカから教わった事が本当なのであれば、まず間違いなくアレが落ちているだろうから。勿論それはリゼの物ではなく、レイナの物として。

 

「ああ、あった」

 

「はい?」

 

「レイナのスフィアがあったんだよ。ほら、水属性だし……【回避のスフィア】かな。私とお揃いだ」

 

「……貰っていいんですか?」

 

「当然だ、これを使って今後も私を助けて欲しい」

 

「私の属性とは合わないと思いますけど……」

 

「しかし戦闘スタイルとは合うだろう?もしレイナが1人で戦わざるを得なくなった時、それはとても役に立つ筈だよ。なにせ私自身相当に助けられているからね、とても便利だ」

 

「……それもマドカさんからの知識ですか?」

 

「むしろダンジョン探索に関して私がマドカから受け取っていない物の方が少ないよ。それは私にとって重要な事で、それは私にとってとても大切な事実さ」

 

スフィア1つ、魔晶1つ。

これから先もこれくらい簡単に倒せるのであれば稼ぎの量も安定してくるのだろうが、実際こうして覚ました顔をしているリゼの中では声高く心臓が鳴っている。それほどにワイアームに対する苦手意識は未だ根強く残っているし、出来るならば戦いたくない相手である事は変わらない。

まあ探索者を続けていくのなら今後もこの5階層は死ぬほど通る事になるだろうし、ワイアームとも死ぬほど顔を合わせる事になる。そのうち慣れるだろうとは言え、最低でもこの動揺を周囲に知らせない様にはしたいものだ。少なくともレイナには、カッコいいところを見せておきたい。

 

「まあ、それはともかく、一先ずは6階層で休みを取ろう。……ああいや、そうなると帰る時もまたワイアームを倒さないといけないのか。だとすると一度1階層に戻って」

 

「……リゼさん、本当にワイアームが苦手なんですね」

 

「うっ」

 

まあ、その人だけを見続けている人間からすれば、その様な些細な変化は簡単に見抜けるものではあるのだけれど。特にリゼとは違い、鋭いレイナには。

 

「構いません、このまま6階層に行きましょう。帰りは私が前に立ってワイアームを倒します。そっちの役割も経験しておきたいですから」

 

「そ、そうは言うが……」

 

「それに信用させないといけませんからね」

 

「信用……?」

 

「はい。少なくとも私と一緒にいる時は、ワイアームなんて怖くもなんともないという信用を」

 

「!」

 

それを慢心と取るか献身と取るかは人によるかもしれないが、レイナからしてみればワイアームはそこまで脅威ではないように見えたのは事実だ。それはもちろん1人で討伐しろと言われれば話は変わるかもしれないが、2人でならば簡単に討伐できる様な相手にしか思えない。……どころかむしろ、アレは元々2人以上で戦う事が前提としてある様な、そんな存在の様にも見えている。そもそも最初から1人で戦うという選択肢こそ間違っているくらいに感じて。

 

「ありがとう、レイナ」

 

「はい…………そ、それより、今日はこの依頼について調査も少しだけ行いましょうか。モンスターの出ない6階層の様子を見るくらいはしてもいいと思います」

 

「ああ。行方不明者の捜索、だったかな」

 

「はい。まだ10階層のレッドドラゴンに挑む事もない、それこそ私達と同じくらいの新人探索者がある日突然ダンジョンから戻って来なかった。不審に思ったクランメンバーが総出で捜索したものの、遺品の一つすら見当たらないと」

 

ギルドから持ってきた詳細をレイナが読み上げる。

……だとしたら、その人物は一体どこへ行ってしまったというのか。全くの手がかりもなく、今も一部のクランメンバーが探し続けているというのに、ギルドでも情報収集を続けているというのに、影も形も出てこない。

しかしその予想は、今この場にいる2人なら出来る。

 

「ダンジョンのもう一つの入口……レイナが運ばれて来たであろうその場所から、外に出てしまった」

 

「もしくは攫われてしまった、でしょうか」

 

「そうなると、ますますこの6〜10階層辺りにそれがある可能性が高くなってくるね。とは言え、見て分かる通り……」

 

6階層へと繋がる階段を降り、目の前に現れるのは光り輝く真っ白な壁と床によって照らされた緑溢れる森林地帯。……何かを探すのに決して向くことのない、迷いの森。

 

「6階層だけでこの大きさ、この4倍以上もの空間からそれを見つけ出すのは至難の業ですね……」

 

「加えて9階層はカイザー・サーペントの領域になっているからね。こうして生えている草木にも毒が混じっているし、危険な虫類も多い。一応対策はしてきたとは言え、探索に向かない地帯であるのは当然、長時間の滞在もあまりお勧めされないかな」

 

毒や病に対する耐性もVIT(耐久力)の向上によってある程度は上がるものの、やはり解毒のポーションは欲しい。それに毒を持っているだけならばまだしも、裂傷となるほどの傷を与えてくる虫も居るのだ。ここでキャンプを貼るのであれば、カナディアが使っていた様な虫除けの香材は必須であるし、探索をするのなら人数が居る。

死角からモンスターに襲われやすいこの地形、1人ではそれこそ以前のリゼの様に頭上からスライムが落ちて来たりハウンド・ハンターに知らぬうちに囲まれたりと、簡単に命を落とす事になるだろう。

 

「……こうして色々と知識が付いてくると、なんだかんだラフォーレの進み方が最も安全だったのだと分かるのが悔しいかな」

 

進行方向を爆撃し、出口まで強引に道を作り出す。

一見単なる精神力の無駄遣いであり、あまりに野蛮過ぎる突破方法ではあるものの、死角を破壊し、虫類を殺し、爆音と威力でモンスター達を追い払う。こうなればただ歩くだけで無傷で突破する事が可能という、豊富な精神力があればあまりに効率的な進み方。出来る人間は限られるだろうが、出来るのならば進んですべき事だろう。……それに幸い、どうやらこの階層は森をいくら焼いた所で強化種が出る事は無いらしいのだ。そもそも定期的にマッチ・モスが全焼させている様な場所であるのだから当然の措置ではあるのだが、そうなればむしろその突破方法が正攻法の様にも見えてくる。

 

「どうしますか?リゼさん」

 

「……一先ずは他の依頼を片付けよう、今日は様子見と採取依頼を終わらせて帰還だ。帰りのワイアーム戦もある事だし、あまり探索を急いで大怪我をするのも違うからね」

 

「分かりました、そうしましょう。……あっ、その前にお昼にしませんか?作って来たんです、休憩にしましょう」

 

「ああ、それは助かるよ。レイナは料理が上手いからね、今日も楽しみだ」

 

「ふふ、褒めてもお弁当しか出ませんからね」

 

そろそろこの生活にも慣れてきた2人。

それでもダンジョン探索が順調に進むのはここまでだと分かっている。ここから先はリゼもまだ慣れておらず、1人での探索など未だ出来ない領域。この広大な場所で人探し、物探しなど以ての外だろう。だが逆に言えば、ここでそれが出来る様にならなければこれから先の階層など話にならないという事でもある。



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47.グリンラルの事情

静まり返った森の夜。

アレだけの事があったからか今日ばかりは妙に静かな暗闇の中で、彼等は一際大きな建物の中へと案内されていた。

都市グリンラルは元はダンジョンを管理していたエルフ達の里であり、その特徴は徹底的な木造建築。加えて圧巻なほどに並び立つ高層建造物。まるで建物そのものが木の様にも見えるこの場所では、当然高所恐怖症を患っている様な人間に居場所は無い。そうでなくとも建物を繋ぐ通路には簡素な物が多く、中には手摺すら付いていないどころか風によって常に揺れて居る様な物まであるのだ。

……とは言え、ここに居る人物達は今更その程度では顔色一つも変えない。単に登るだけならば恐ろしくもない、それどころか廊下から別の廊下に飛び移りだってするかもしれない。それくらいイカれてないとダンジョンを潜る探索者という生き物はやっていけないのだ。

 

「やあやあ、やあやあ、久しぶりだね、うん、久しぶりだ。元気にしてたかな?元気にしてたといいんだけど」

 

「やあキャリー、相変わらず面倒臭い話し方してるねぇ。……それにゼグロスも、こうして顔を合わせるのは久しぶりかい?」

 

「がっはっは!ああ、最近はなかなかオルテミスに行く機会も無かったからな!元気そうで何よりだ!エミ!そして……マドカもな」

 

「はい、お久しぶりです。ゼグロスさんもキャリーさんも、お元気そうでなによりです」

 

入口から入ってきたマドカ、エミ、リエラ、ステラを待ち構えていたのは、5人の男女。その内の都市の代表者である2人は、笑顔を浮かべてマドカ達を迎え入れた。

短い金髪を後ろで纏めた中性的な彼女は、キャリー・テーラムというこの街のギルド長を務めるエルフの女性である。

一方でその横で腕を組んで座っている橙髪の獣人の男性は、ゼグロス・ルナフォルド。その筋肉量と威圧感から分かる通りにグリンラル最強の探索者であり、探索者代表を務める男だ。

もう1人キャリーの後ろに彼女の秘書であるラメール・デイというエルフの男性もいるが、彼は特に何かを言うこともなく頭を下げるのみ。彼はそういう人物であるからして、そこに特に何かを言う者も居ない。

 

「それに……アタラクシアさんとリスタニカさんも、お久しぶりです。2年ぶりになりますが、こうして再び会うことが出来たのを嬉しく思います」

 

「ああ」

 

「……うむ」

 

「相変わらずそこの2人は口数が少ないねぇ、強い奴は口数まで少なくなるのかい?辛気臭いよ」

 

「エ、エミさん……」

 

そしてそんなゼグロスよりも遥かに強い存在感を有している2人が、この場には居る。

 

"英雄" アタラクシア・ジ・エクリプス

 

"軍長" リスタニカ・ゼグレスタ

 

都市最強どころの話ではなく、この世界における実質的なNo.1とNo.2。

ふわふわとした長い紅髪を纏い、人形の様に整った顔をした彼女は、この世界最強の実力を持つ"英雄"と呼ばれる様な人間だ。最低限の笑み、最低限の言葉、しかし纏っている覇気は本物。マドカは当然、レンドですら彼女には敵わない。世界中を単独で回り、平和の為に戦い続けているのが彼女で、英雄だ。英雄、アタラクシア・ジ・エクリプスだった。

 

一方で黒色の肌に髪を剃り、ゼグロス以上の筋肉量に、座っているにも関わらず立っている誰よりも高い位置に頭のある巨大な体躯を持つドワーフの男。ドワーフにしてはあまりに身長が高過ぎるその彼こそが、連邦直属の軍を取り纏める最強の精鋭。街単位の災害に、軍よりも先に単体で送り込まれる様な単一の化け物。それが軍長、リスタニカ・ゼグレスタ。

 

「いやぁ、うんうん、今回は本当にありがとうね、本当にありがとう。2人にはとても助けられちゃったからね、助けられちゃったんだ」

 

「ああ」

 

「……うむ」

 

「……ゼグロス、こいつらに会話任せてたら話進まない気がするよ」

 

「あー……まあ!とにかく本題入るとするか!」

 

同じことを2回言うおかしな癖のあるキャリー、一言二言しか決して話そうとしないアタラクシアとリスタニカ。そして全く話そうとしない秘書のラメール。こんな奴らに会話を任せていたらいつまでもまともな会議は出来ない事は明確なので、こういうことはあまり好きでは無いにも関わらず誰よりも前で喋るのはゼグロスでしかない。

 

「それと……リエラ、ステラ!」

 

「は、はい」「………」

 

「お前達も良くやってくれた。この都市を守れたのはお前達の働きが大きい、心から感謝をしたい」

 

「い、いえ、そんな……!」

 

「お金……」

 

「ああ!報酬には期待してくれていいぞ!恐らく契約の倍は払うだろう!キャリーがな!」

 

「殺していい?殺していいよね?殴って、蹴って、転がし回して、その上で殴って蹴って殺し回しても許されるよね?許されない?許されるよね?」

 

「やった」

 

「ちょ、ちょっとステラ……!」

 

話は逸れたが、別にそんな世間話をするためにここに集まった訳ではない。

4人は四方形に形作られた長机の一辺の席に着き、主にエミとマドカとゼグロスが中心になって話を進めていく。具体的にはこれまでに起こった事を、本日起こった事を。

 

「……なるほど、一先ずはこれでこっちは収束って思っていいんだね?」

 

「流石にな!今も夜通し調査隊が外を探索しているが、今のところは問題はない!というかこれ以上来る様ならば本当に都市が滅ぶ!俺も限界だ!」

 

「別にそれは大丈夫でしょ、マドカちゃんも居るんだし」

 

「あの、私にも限界はあるので……」

 

「足りる」

 

「ア、アタラクシアさんまで……!」

 

「それで?この街の探索者が少ない理由ってのは本当にただの毒のせいなのかい?」

 

「………」

 

「やっぱり違うのかい」

 

「ふむ、ふむ、毒ではないよ、毒ではね。でも寝込んでいるのは確かなんだ、みんな寝込んでいる」

 

「それはどういう……」

 

マドカがアタラクシアにまで弄られている横で、エミが話を進めていく。あまりにも足りていないグリンラルの戦力、少なくとも探索者の数だけならばオルテミスとそう変わらないこの街がこれほどの人手不足に陥るとは普通ならば考えられない事だ。

だからこそ、恐ろしくも感じる。

そうなった元凶についてが。

 

「私達は"獣熱病"と呼んでいるよ、"獣熱病"と」

 

「"獣熱病"、ですか」

 

「1度目の怪荒進の際にモンスター共が持って来た病……より具体的に言えば、獣人族にだけ感染する奇怪な病だな!」

 

「症状は?」

 

「圧倒的な感染力!そして驚異的な薬効耐性!致死率は低い!症状は単純!熱が出て身体に力が入らず寝込む程度のものだ!」

 

「治療の方法は確立しているんですか?」

 

「薬はないかな、薬はね。ただ【解毒のスフィア】を3つ同時使用すれば治るよ、【解毒のスフィア】を3つ、同時にだ」

 

「ああ、道理で……」

 

納得して頷くエミとマドカ。

【解毒のスフィア】を3つと簡単には言うが、治療系のスフィアは☆2の物であっても凄まじく希少価値が高い。そもそもオルテミス内であってもそう多くは出回っていないそれが、スフィアを好まないエルフも多いこの街で十分にある筈がない。

つまり治療が行き詰まっている理由というのは、単純に治療の手が追いついていない。それに尽きる。

 

「……解毒のスフィアはいくつありますか?」

 

「ラメール、ラメール?」

 

「はい、現時点でグリンラル内では【解毒のスフィア☆3】は4つ存在しております。その内の3つは現在もエルフ達が使用中です」

 

「マドカちゃん、いくつあればいける?」

 

「個人的に1つ持っていますが、念のためにもう一つ貸してください。ただ私が【範囲強化のスフィア☆3】を一つしか持っていないので、それも1つお貸し頂きたいです。後は私に魔法を放つ事が出来る役割の方もお願いします」

 

「ラメール、ラメール?」

 

「はい、問題ありません。しかしより効率を高める為に患者の移動を行う必要があります。明日の朝までには全ての準備を完了させましょう」

 

その言葉と共になんとなく雰囲気の明るくなる一同、治療の目処がたったことへの安堵はグリンラル側の彼等にとって間違いなくあった。そうでもなければ本当に各地から【解毒のスフィア】をかき集めて来なければならなかったし、それに掛かる金額も彼等が試算していた限りでは凄まじい物になっていたからだ。誰よりも胸を撫で下ろしているのはギルド長のキャリーであるだろうし、その秘書であるラメールだって少しだけ無表情を崩している事から確かにそれを喜んでいた。

 

「いやはや、いやいや、やっぱりカナディアが気に入っているだけあるね、流石はカナディアのお気に入りだ。オルテミスから呼ぶしかないと思っていたんだよ。カナディアをね、呼ぶしかないって」

 

「カナディアさんの代わりになれるなら嬉しく思います、カナディアさんほど効率良くは出来ないと思いますが」

 

「居ないカナディアより居るマドカよな!はっはっは!」

 

「……ところで、ゼグロスはその病にかかってないのかい?あんたも獣人だろうに」

 

「はっはっはっはっ!!……ふぅ」

 

「あ、これ掛かってんね」

 

「掛かっておらん!」

 

「ゼグロスさん、額がすごく熱いのですが……」

 

「……マドカよ、主は少し体温が低いのではないか?冷え性か?」

 

「冷え性なのは否定しませんが……ただ、それにしてもこれは、むしろよく平気で立っていられるなというくらいの」

 

「なぁに!この程度の熱など!普段俺が纏っている灼熱の方が何倍も熱く燃え滾っている!!」

 

「熱い、熱くない?換気しようよ、換気。ラメール開けて、窓開けといて、ラメール」

 

「はい、かしこまりました」

 

よく見れば今も疲労からか立ち上がるとフラフラと若干の重心がズレている彼を見るに、なかなかに辛い状況だという事がよく分かった。それならばそもそも何故探索者の中心ともなる彼が未だに治療されていないのかという話にもなるが、どうせ彼のことである。他の誰よりもこの病の影響を受け難い自分を治療している暇があるのなら、他の者を治療する様にと訴えたのだろうとエミは予測する。加えて、もしかしたらの話ではあるが……

 

「……この病、再発するのかい」

 

「……そうだね、その通りだ」

 

「1度罹れば2度目はない、などという生易しい病ではなかった!既に3度罹った者も居る!」

 

「あの、それは……もしかしなくても、ここから……」

 

「君の言う通りだよ、言う通りだ。獣人しか罹らないこの病、獣人だけの限られた病。……間違いなく広まる事になる、この場所からね、広がるよ」

 

「っ」

 

症状は熱と脱力感のみ、しかし治療法は【解毒のスフィア】を3つ使う方法のみ。致死率は低くとも治療しないのならば何れは力尽きるであろうし、仮に今の状態でこの病が世界中に広まればあまりにも多過ぎる獣人族の人々が命を落とす事になってしまう。……加えて治しても再び罹ってしまうという事を考えるに、マドカの力で多くの人を一斉に治癒しても根本的な解決にはならないだろう。

 

「必要なのは、感染経路の把握」

 

「ラメールよ!その辺りはどうなっている!」

 

「……一先ずは全ての獣人族に部屋からの外出を禁止しています。他のエルフ達を総動員してその管理を行なっておりますが、試験結果を見るに恐らく感染経路は飛沫でしょう。根本的な治療には【解毒のスフィア】が3つ必要ですが、部屋や器物の消毒には【解毒のスフィア】1つで十分でした」

 

「分かりました、それでは一先ず明日は全ての獣人族の方を広場に集めて下さい。念のため、治療を終えている方々も含めてです。その隙に全ての【解毒のスフィア】を使用して都市内の全面清掃をお願いします、それと絶対にこの都市から誰も出さない様に徹底して下さい。獣人族だけでなく、エルフの方々にも」

 

「かしこまりました」

 

いい加減に話の進まないこの空間に疲れてきたのか、ラメールもキャリーを通す事なくマドカの言葉に頷く。一方で空気になっている"英雄"と"軍長"の2人は決して寝ていたりはしていないが、そんなマドカの言葉に小さく頷くだけ。この件に関して自分達では何の役にも立てないと分かっているからなのか、彼等はそれは静かな物だった。……いや、そもそも彼等は常に静かな者達であるのだが。

 

「……あの、いいですか?」

 

「ん?どうしたんだいリエラちゃん」

 

「いえ、その……そういえばマドカさん達がここに来た理由をまだ聞いてなかったなぁって」

 

「あ、そういえばそうでした。グリンラルの事ばかりでうっかりしていました」

 

そして今の今まで言葉を全く発していなかった者は他にも2人居る。

この病について知りつつも何も出来なかった自分達とは事なり、たった1人でこの件を解決出来るという自分達の先生をキラキラと目を輝かせて見ていたリエラ。その一方で話には耳を傾けつつも机にうつ伏せて眠そうに目をしょぼしょぼとさせているステラ。

しかし彼等としてもそれについてはずっと気になっていた、まさかマドカが自分達を信用していなかったなどと言う事はあるまいし。

 

「……なるほど、なるほどね。オルテミスでも同じ事があったんだね、龍巣の都でも」

 

「えっと、つまりマドカさんがグリンラルに来た理由っていうのは……」

 

「そうです。アタラクシアさんやリスタニカさん、それにゼグロスさんを含めたグリンラルの探索者さん達に協力をお願いするため……それと、たくさん頑張ったであろうリエラさんとステラさんを迎えに行くためですね」

 

「も、もう!マドカさんってば!」

 

「マドカ、眠い……」

 

「あっと……私の膝上で眠るのはいいですけど、落ちない様に気を付けて下さいね?」

 

「あー!いいなーステラ!」

 

「うーん、話が進まないねぇ」

 

マドカの隣に座って居たステラはそのままマドカの膝上に倒れ込み寝息を立て始め、それを見て居たリエラはそれを羨ましそうに指を咥えているが、エミの言う通り話が進まないのでマドカは苦笑いをしながらもアタラクシアの方へと顔を向ける。

 

「どうでしょう?」

 

「行こう」

 

「あ、ありがとうございます!……リスタニカさんは」

 

「……連邦報告後、直ぐに」

 

「良かった!ありがとうございます!」

 

即決する2人。

まあ現世人類最後の希望とでも言うべき彼等は、その名前に相応の価値観を備えている。人類の危機に対して彼等が動かない筈もなく、世界の危機に彼等が目を背ける筈もなく、そもそもこうして会って事情を説明出来る機会を得られた時点で協力は取り付けられた様なものではあったのだ。

問題はグリンラル、そこの探索者達についてで……

 

「正直に言えば、難しいかな、正直に言えばね。困難な話だ」

 

「……はい、分かっています」

 

「ただ、ここまでして貰っている。こんなにも助けて貰ってしまった。だから最低限の援助を、最大限の補助をしよう。具体的には……ゼグロスと物資とエルフ達を、最強と特別と魔法部隊を」

 

「ありがとうございます、十分過ぎます」

 

「がっはっ……がはっ!がふっ!ぐふっ!」

 

「ゼグロス、あんたもいい加減に痩せ我慢はやめて寝てな」

 

「な、ならん。この場で……彼女の前で、みっともない姿は見せられん」

 

「……ったく、あんたら2人は揃いも揃って、このマザコンが」

 

「?」

 

ゼグロスとエミの会話の内容はさておき、グリンラルからも今出来る最大限の援助が受けられる。戦力の数自体はまだまだ足りていないが、単純な質だけで見ればもう十分なくらいだろう。それこそ以前の様な数が必要な相手でもなければ対処は出来るだろうし、多少の数が相手ならば何とかなる。……邪龍候補が出て来る事を考えれば、話はまた変わって来るだろうが、これ以上は望めまい。

 

「今日はこれでお開きにしようか、終わりにしよう。この階層の部屋は好きに使ってくれていいよ、全部ね。アタラクシア、部屋の案内をお願い出来るかな?君達の使ってる部屋とか、空いてる部屋とか、全部の案内」

 

「分かった」

 

「今日は本当にありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」

 

「うんうん、期待しているよ、楽しみにしている」

 

「はい。……ゼグロスさんも、あまり無理をなさらないで下さいね」

 

「ほら、言われてんぞバカ」

 

「むっ、むぅ……善処する」

 

叱られた様に露骨に落ち込むゼグロスを見てマドカは一瞬微笑みながら、今も膝の上で寝息を立てているステラを抱えて立ち上がる。そんな彼女を今も羨ましそうに見ているリエラは精一杯のアピールなのかマドカの服の裾を掴みピッタリと引っ付いているが、彼女は知っていた。ステラは本当はまだ眠ってなどいないということを。

 

「それと……アタラクシアさん、後で少しだけお時間頂けますか?お話ししたいことがありまして」

 

「構わないよ」

 

「ありがとうございます」

 

そうしてリエラと笑顔を交わしながらアタラクシアとリスタニカに先導されて部屋を出て行くマドカを見つめながら、エミは漸く力を抜いて座り込んだゼグロスの隣の席に腰掛ける。キャリーとラメールもそんな2人を取り残して、立ち去った。残ったのは2人だけ、昔から親交のある2人だけ。

 

「ふぅ……私達の時代も、そろそろ終わりかねぇ。頼もしいばかりだよ。アタラクシアも、マドカも、その教え子達も」

 

「……元より、我々の時代など陳腐な物だ。誇れる事など何もなく、現状維持と再興に努めたのみ。終われるのなら早急に終えた方がいいに決まっている」

 

「うん?どうしたんだい、珍しく弱気じゃないか。やっぱり馬鹿も病気になると少しは変わるもんかい?」

 

「……痩せ我慢が下手になった」

 

「……」

 

「お前の前だからこそ話し方を戻すが、俺は元々人を惹きつけられる人間ではない。学もなく、頭もなく、レンドの様なカリスマもない。だからこそ話し方を作り、声も張って常に最前線を走り続けて来たが、それも年々難しくなってきた」

 

「………」

 

「そろそろ、引き時なのかもしれん。余計な役に立ち、余計な存在になる前に、一線を退くのもありなのではないかと最近は……ぶっ!」

 

ゼグロスの後頭部を思い切り引っ叩くエミ。

病に侵されたゼグロスはそのまま力なく机に倒れ伏すが、エミはそんな彼を引き起こそうともしない。むしろ自分で体を起こせと、そう言う様に。

 

「あの人は最後まで戦ったじゃないのさ」

 

「!」

 

「手も足も欠けて、何年も戦いから身を引いていたのに、あの人は最期の最後まで変わらず奮闘していたよ。それなのにあんたはここでもう辞めるのかい?」

 

「……そもそも、最初にこの話を持ち出したのはエミだろう」

 

「そうだったかい?もう覚えてないよ、弱音ばっか吐いてる情けない馴染みを見てたら忘れちまった」

 

「それに、俺は別に一線を引いても戦いをやめるとまでは言っていない。最後まで戦うつもりだ、あの人の様に」

 

「だったら最後まで頑張んな、全部」

 

「ぐふっ」

 

「中途半端にして後進に心配掛けさせんじゃないよ、だったら最後まで精一杯痩せ我慢しな。それこそ、あの人は弱音を吐く相手も居ないのに見ず知らずの私達のことを育ててくれたじゃないか」

 

「………」

 

辛くても苦しくても無理をしろ、そんな事が言える関係もなかなかにあるまい。とは言え、年齢的に衰えを感じ始めているのも事実。新しい風が吹き始めた今、それを遮ることのない様に身を引こうとするゼグロスの考えも間違っていない。エミの言い分にも、いくらでも反論する事は出来る。

 

「……だが、まあ、そうだな。せめて世間が一度落ち着きを取り戻すまでは頑張ってみるか。一先ずは目先の"龍の飛翔"、後進に先頭を任せるのはそれからでもいい」

 

「まあ、これが最後の踏ん張りだと思って頑張りな。あたし達の時代が陳腐な物だって言うんなら、せめて見られる様な形にしてから退きな。……あたしは今でも思ってるよ、あたし達の時代が最高だったって」

 

「……そうか」

 

小さく頷くゼグロスに対して、エミは立ち上がり背中を向けながらも笑みを浮かべる。だってそうだ、間違いない。確かにマドカやアタラクシアを筆頭に、若い芽は急激に伸び始めているけれど、確かにリエラやステラ、それに"青葉の集い"の者達も含めて、更に新しい芽達も生まれ始めているけれど、それでもエミにとっては自分達の時代こそが最高だった。だから自分の意見を切ってまでもゼグロスの意見をへし折りたかったし、それならば最後まで責任を持って整えろと無理に言う。だって負けてないから、エミはそう信じているから。

 

「うちの街には140超えても探索者やってるジジイも居るんだ、それくらいの気概持ちな」

 

「くくっ、そんな例外中の例外を獣人の俺に持ち出すな。カナディアの奴に言え、全く」

 

ゼグロスもエミに笑みを返す。

全くどういうことか、同期の彼等は揃って未婚の独身という妙な奇跡。恋人も居らず、その年齢はもう40を超えている。そんな今だからこそ成り立つ絆だったりとか、腐れ縁だったりとか、そういう物は強いのだ。もちろん、最高の世代だとは言いつつも、誰一人として結婚していないし子供も居ないというのは流石に問題であるとエミだって理解はしているのだけれど。



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48.森の中

「くっ!?相変わらず数が……!」

 

「リゼさん!頭上です!【雷斬】!!」

 

「っ!?あ、ありがとうレイナ!今のは危なかった……!」

 

「いえ、それより……また囲まれました」

 

「ああ、その様だね」

 

鬱蒼とした森林の中で飛び回る白い影。

頭上から降って来たグリーンスライムを焼き焦がし、何体も何体もその白い影を潰しているというのに、一向に減る事のない獣の姿。

 

「どうやらここはハウンド・ハンター達の縄張りだった様です。倒しても倒しても復活して呼ばれて戻って来てしまいます」

 

「だとしたら、一度ここを離脱するしか無いかな。……レイナ、君が今向いている方角から突破を狙おうか。どうもそこが一番手薄の様に見える」

 

「本当にどうしたらこんな場所で高速で動き回るハウンド・ハンター達の位置を把握出来るんですか……ですがまあ、分かりました。最高威力の攻撃で突破した後、先導します。フォローをお願い出来ますか?」

 

「ああ、任せて欲しい。レイナの事は私が必ず守るよ」

 

「!……そ、それでは、お願いします」

 

「いつでも構わないよ」

 

「っ、【雷斬】【雷斬】……【雷散月華】!!」

 

最大威力の攻撃を持って視界を遮る薮をぶった斬る。そこに陣取っていた白狼が不意を突かれて両断され、レイナはそのまま一心不乱に前へと走った。リゼの言う事を信じていて、リゼの援護を信じているから。

 

「【炎打】」

 

両断された薮の左右から更にまた別の二体のハウンド・ハンターが現れる。しかしレイナの後方目掛けて凄まじい速度で飛び出したそんな2体を、飛び出す以前から完全に見切っていたリゼが銃のただ一振りで撃ち落とす。

尋常では無い眼力、速度を生かすハウンド・ハンターにとって最も最悪の天敵と言えるのがリゼなのかもしれない。事実ここに来てから彼等を最も屠っているのは近距離戦闘を得意とするレイナではなくリゼであるのだから、彼等がレイナを狙う様に動き始めたのも当然の事である。レイナが頭上から落ちて来るスライムに気づく事ができたのも、単純にリゼのおかげでその余裕が出来、リゼを見ていてその必要性を感じたからに過ぎない。

 

「リゼさん!一先ずこのまま6階層に戻りましょう!何より森を抜ける事が先決です!」

 

「そうだね、それがいいだろう。……そろそろハウンド・ハンターが追いついて来るから、私が指示を出したら従ってくれるかい?」

 

「大丈夫です!お願いします!」

 

森の中での単純な移動速度であの狩人達に勝てる筈もない、数十秒も走っていればいくら元の速度が早いレイナと森の中の移動に慣れているリゼであっても容易く追い付かれてしまう。リゼの言う通り背後から聞こえて来る幾つもの足音は凄まじい勢いで2人に近付いており、それに対してレイナの焦りは増していく。……それでも、この状況でも普段と変わらず優しい声色を保っているリゼは、単純に優しいのか、それともレイナの為に冷静を保っているのか、もしくは彼女も色々と壊れてしまったのか。

 

「【星の王冠】【視覚強化】」

 

スキルとスフィアの同時発動。

リゼの思考が高速化され、視覚が強化される。

大きな薮を跳躍する際、一瞬だけ顔を背後に向けて前へと戻す。僅かそれだけの動きに関わらず、リゼの脳に入り込み処理を完了した情報と思考量は膨大だ。ただ顔を動かしただけであっても、強化された視覚によって茂みや木々の間を走る全てのハウンド・ハンターの位置を完全に把握し、特に最も近く今正に攻撃を仕掛けようとしている個体に目星も付けた。

 

「【炎打】」

 

茂みを飛び超えた着地の瞬間、リゼは着地を意図的に片足だけの物にし、炎を纏った大銃を構えながらその場で一回転する。飛び掛かり、顔面に小爆発を起こす様な凄まじい打撃を叩き込まれるハウンド・ハンター。吹き飛ばされたその個体は背後を走っていた別の個体に打ち当たり、更に近くにいた別の個体の走りの邪魔をした。他者から見ればあまりにも偶然が重なり過ぎた様に見えるその現象も、大体半分くらいは、あまりにもマッチし過ぎた生来の眼とスキルとスフィアがあったからこそ実現した必然。そしてそれだけの離れ業を見せながらも、リゼは無駄な動きの一つもなく平然とレイナの後ろに追い付く為に走り始める。

逃げている立場であるというのに、近接武器で追手を完全に封じ込めるその姿は、チラと背後を確認して偶然にも目撃してしまったレイナからすれば、もう頼もしいと言うどころの話ではない。

彼女が期待されている理由も分かるというか、マドカという有名人がわざわざ弟子に取った理由が分かるというか、誇らしくもあるし、尊敬もするし、その隣に立つに見合う存在にならなければという圧も感じてしまうと言うもの。

 

「っ、レイナ!そのまま前方の薮に向けてもう一度最高威力の【雷斬】を打ち込んでくれないか!」

 

「は、はい!分かりました!【雷斬】【雷斬】……【雷散月華】!!」

 

言われるがままに森を抜ける寸前である大きな薮に向けて、最高威力の雷突きを放つ。レイナの目には何も見えていない、その藪の奥に潜んでいる物については何一つとして理解出来てはいない。それでももう大体わかる、彼女が言うのであれば間違いなくそこに敵は居るのだ。十数年付き合って来た自分の五感が何も気付かなくとも、そこには何かがあるのだ。そして当然の様に、当たり前のように、彼女の突きは薮に隠れていた認識出来ていなかった存在を穿つ。

 

「っ、パワー・ベアが隠れて!?」

 

「そのまま入口まで走るんだ!」

 

「は、はい!!」

 

今正に藪の中から姿を表そうとしていたパワー・ベアの頭部を、レイナの槍撃が吹き飛ばした。焦げ臭い匂いを残しながら力なく倒れ伏す巨体、まさかこれほどに大きな存在が自分の近くに潜んでいたとは夢にも思わなかった。隠れていたとしても待ち伏せをしていたハウンドドッグ程度だと思っていたが、本当にこの森というのは何処に何が潜んでいるのか分からない。それこそ探索能力……例えば獣人の鼻、エルフの耳、リゼの目、そういったものが無ければまともな探索など出来ないのではないかというほど。むしろ他の探索者達はどうやってこの森を抜けているのか、ラフォーレの様な異常を除いた普通の探索者の攻略方法が知りたいと思うのは当然の事だ。

……とは言え、結局こうして振り切れてしまったのだから、本当に感覚器官の優れた人間がこの森には必要な気もして来る。まあそればかりは天の授かり物。今更鍛えようとしても意味の出る物ではないので、レイナ個人でこの階層の探索の役に立ちたいと思うのならば、別の方策を考えるしかない訳だが。

 

「ふぅ、ここまで来れば大丈夫でしょうか」

 

「ああ、そうだね。……とは言え、7階層の西部がハウンド・ハンターの縄張りになっていたとは思わなかったよ。パワー・ベアをあの一帯に近付くに連れて見なくなったのはそれが理由だったのか」

 

「……むしろ東部に行くに連れてパワー・ベアの数が増えていると言う考え方ってどうでしょう?いえ、これもただの想像でしかないのですが」

 

「いや、レイナの言う通り、西部がハウンド・ハンターの領域ならば、東部がパワー・ベアの領域の可能性は高い。グリーン・スライムは森全体に広く分布しているし、マッチ・モスは自由気まま。縄張りを作るのであればこの2種しか居ないからね、左右に分かれて対立している可能性は十分にある」

 

「それって、リゼさんが山に住んでいた時の知識ですか?」

 

「うん、山に住んでいたモンスター達がね」

 

だとすれば、7階層において最も安全な道はど真ん中。中央。ラフォーレが突き進んだ最短路。

 

「そこがモンスターが最も少ない道。当然多少は居るだろうけれど、それも互いの領域の境に配置された数少ない見張り番くらいだろう」

 

「つまり、7階層の突破は簡単だと言うことですか?」

 

「それが実はそうでもない」

 

「?」

 

7階層から6階層に繋がる階段に隣り合わせで腰掛けながら、リゼはそっと7階層の森の入り口付近を指で示す。一見すればそこに何かがある様には見えないが、リゼが再び7階層に降りて小石を手に取り投げてみれば、ドサリと落ちて来た存在を見て、彼女が何を示していたのかがレイナにも直ぐに分かった。

 

「……グリーン・スライム」

 

「そう、これも私の予想だけれど、恐らく中央の縄張りの境界線はグリーン・スライムの数が最も多い」

 

「でも、さっきはグリーン・スライムは森全体に広く分布していると」

 

「ああ、それは群を作ることのないスライムの特徴でもあるからね。……ただ、スライムにとって何処が最も安全に狩りが出来るのかを考えれば、自然とそこに多くのスライムが集まるんだ」

 

「安全に……あっ、つまり私達と同じ」

 

「そう。普段は群を作っている2種族は、境界の番の為に何体かの個体を中央部に送り込んでいる。スライム達にとってはそれは絶好の餌だ。いくら物理攻撃で分裂するスライムでも、分裂し過ぎれば消滅してしまうからね。なるべく1体1に持ち込むのが彼等の基本なんだよ」

 

つまり中央の道を走っていくのであれば、何より警戒すべきはグリーン・スライム。逆に言えばグリーン・スライムによって中央のモンスター達は狩られている可能性が高く、そこについては殆ど考える必要はないということだ。

 

「それどころか、彼等の境界を分けているのがグリーン・スライムの住処で、この森の二大巨頭だと私達が考えていたハウンド・ハンターとパワー・ベアは、むしろグリーン・スライムに脅かされて東西に逃げ込んでいるという可能性まである」

 

「そんなことが……」

 

「私も最初はグリーン・スライムは森に広く分布していると考えていたけれど、そもそも生息しているモンスターの種類の少ないこの環境では、単純にそういった別れ方をしていてもおかしくはないからね。実に興味深い現象だと思うよ」

 

リゼは思い出す。

ハウンド・ハンターの群れから逃げたはいいが、それから後をついてきた追手の数が想像していたよりかは少なかった事を。一度は何故かとも思ったが、思い返せばその寸前にリゼはグリーン・スライムに襲われかけていた。その際には辛うじてレイナの雷斬によって難を逃れたが、それを見ていたハウンド・ハンター達の考えは違っていた。

……つまり、あのグリーン・スライムはまだ生きていると。その可能性を考えて、ハウンド・ハンター達は群れの半分にリゼ達を追わせ、もう半分でスライムの死体を八つ裂きにしていた。彼等にとってスライムとはそれほどまでにしなければならないほどの脅威だと。

 

「東西に分布している彼等が最も恐れるのは、壁から新たに出現するスライム達の存在。見つければ何よりも優先して排除しているのかもしれない。下手に分裂されて縄張りを荒らされても困るからね、正に私達が家の中で虫を見つけてしまった時の様な反応さ」

 

「……モンスター達も色々と考えているんですね」

 

「考えているというよりは、刷り込まれているんだろう。長く生きている個体から、生まれたばかりの個体へ。この森の中で長く生き残るコツを、本能的に」

 

そうして長く生きた個体は、強力な個体に変わり、何れはこの階層の分布を大きく変える存在となる。この階層一つでも、それほどの生態系が完成されている。……本当に残念なことは、そういった繋がりと努力をただ気分で舞っているだけのマッチ・モス達に定期的に燃やされて、全滅andリセットに持ち込まれている事なのかもしれない。それでも時間が経てば自然と元の配置に戻るのだろう。そう考えると、なんだかんだでこの階層の生態系の頂点に存在しているのはグリーン・スライムでもカイザー・サーペントでもなく、マッチ・モスなのである。それもまた理不尽な話だ。

 

「だとすれば、7階層を通り抜けるには……」

 

「結局、ラフォーレの行っていたことが大正解だったという訳だ。つまりグリーン・スライムが苦手としている炎属性の魔法を発動させながら森の中央を歩く」

 

「ですが、流石にそんなことをしていたら私達のステータスでは通り抜ける頃にはヘトヘトになってしまうのでは……」

 

「そうだね、だから必要なのは松明かな。それでもグリーンスライムを完全に寄せ付けない事は出来ないけれど、遭遇する可能性は十分に減らせるだろう。相当にお腹の減っている個体くらいしか襲っては来ない筈だ」

 

「私が前に進みながらリゼさんが後ろから上方を見ていて下されば大丈夫そうですね、リゼさんはどうにも戦闘中は上方への注意が疎かになるようですから」

 

「あ、あはは、なんだか恥ずかしいな……やっぱりバレていたか……」

 

「当たり前です、まあその分私が見ているので問題ないですが」

 

「それは安心だね、心強いよ」

 

「っ、私が助けられない時もあるんだからしっかりして下さい」

 

「ああ、気をつけるよ」

 

「……もう」

 

レイナのおかしな様子にも気付くことなく、リゼはこれからのことを思案する。まだ自分達の実力では策を巡らせて階層を踏破することは出来ても、依頼にあった行方不明者の捜索やダンジョンのもう一つの出口を探すことは難しい。

探索を初めて2日目、人数が増えたことによる進歩の大きさも感じているが、目的のための道のりの長さもまた感じている。

 

(そういえば、マドカも以前この階層を1人で探索していたな……)

 

それは例のワイアームと戦う前のこと。

リゼがユイに戦闘技法を教え込まれている間に、マドカはたった1人で様々なモンスターを下しつつ依頼をこなしていた。

今になってあれがどれほどとんでもないことをしていたのか思い知らされるが、マドカの攻略法は単純に自身の速度に任せた強引な突破だったと記憶している。速度さえあれば同じ事が出来る訳でもなく、単純な地形への理解やモンスターの習性の把握が出来ていなければならない。

……しかし、別にこの森では速度が重要と言う訳では決してないのだ。むしろ生半可な速さではハウンド・ハンター相手に目が追いつかない。知識と理解さえあれば、方法はいくらでもあるはず。

 

「リゼさん?」

 

「……よし、取り敢えず少しずつ調査を進めて行こうか。グリーン・スライムが好みやすい木の形、パワーベアが身を隠せる薮の位置、ハウンド・ハンターのパトロールルート、マッチ・モスがこの森に与える影響。この辺りが把握出来れば階層の攻略も簡単になる筈だ」

 

「ふふ、なんだか探索者というよりは研究者みたいですね」

 

「ああ、でも続けていればレベルも自然と上がるだろうからね。それに私はレベルに見合った実力のある探索者になりたいんだ、その為に地道な努力もしていきたい」

 

「一般的にはレベルだけ上げて実力は後でつける……というのが、効率の良い方法だと思いますが」

 

「……そこは憧れの問題かな」

 

「はいはい、マドカさんですね」

 

「むぅ、悪いか」

 

「いいえ、リゼさんがマドカさんのことをそれはもうとびきり慕っているのは分かっていますから」

 

「うっ」

 

「いいですよ、付き合います。……まあ、レベルが高くて強いよりも、レベルが低いのに強い方がカッコいいですもんね」

 

「そ、そうだろう!私もそう思うんだ!」

 

「はぁ……単純な人」

 

実際は本人が思っているより遥かに茨の道であることは今は言わないでおいた。それにリゼという人間であれば、そんな茨の道も最後には潜り抜けてしまいそうで、レイナは息を吐く。

急いだところで10階層のレッド・ドラゴンには敵わない。ならばここで徹底的に調査を行なって、強くなって、カイザー・サーペントを倒せるくらいまで籠るというのも普通の選択肢として有りだ。

才能ある優秀な探索者ならばクランの上位陣に守られながらより深い層に潜りレベルと実力をマンツーマンで引き上げられるのだろうが、リゼ達の自力でのし上がるという選択も決して悪いものではない。

後は密度と努力……

 

きっと今の2人の姿を見れば、マドカはニコニコ笑顔で肯定するだろう。徹底的に基礎を叩き上げる、それこそが探索者として長く生きていくのに何より重要なものなのだから。

 



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49.探索者の醍醐味

探索を初めて3日目。

しかし2人は珍しく午前中からダンジョンには潜っておらず、部屋の中で机を挟んで向き合いながら座っていた。机の上にあるのはそれぞれの秘石、表示されているのはステータス。

 

「ふむ、上がっているね」

 

「なんだかんだで、昨日はそれなりに危ない橋を渡っていましたから。一歩間違えればリゼさんはスライムに、私はパワーベアにやられてましたよ」

 

「それもそうか……」

 

レベルが上がっている。

色々とあったものの、昨日の探索はそれなりに多くのモンスターを倒したという事実に加えて、互いがいなければ命の危機に陥っている様な乱戦も乗り越えた。それくらいの褒美はあってもいいだろう。

 

「私のステータスはこれだよ、レイナも確認しておいてくれ」

 

「は、はい。……いいんですよね?本当に」

 

「ふふ、何を今更。私達は一心同体の身だろう?」

 

「!そ、そうですよね……!い、一心同体……ふふ、一心同体」

 

その言葉を嬉しそうに何度か噛み締めながら、リゼの秘石を覗き込むレイナ。なんとなくは知っているが、それでもこうしてマジマジと見るのは初めて。他人のステータスをこうして見るというのは、互いに深い信用が無ければ難しいことだ。もしかすればリゼにはそこまでの考えはないかもしれないが、レイナの心は舞い踊っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リゼ・フォルテシア 17歳 女性 

Lv.13

スフィア1:回避☆1

スフィア2:視覚強化☆3

スフィア3:炎打☆2

武器:大銃『マーキュリー・イェーガー』

-ステータス-初期値30+12

STR:D11

INT:G+3

SPD:E-7

POW:F-4

VIT:D-10

LUK:E-7

-スキル-

【星の王冠】…精神力と引き換えに意識・思考・認識能力を高速化する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……如何にも近接戦闘型って感じのステータスですね。普通に剣を持って戦えば強そうですが」

 

「今のところそのつもりはないかな、短剣くらいは持っていると便利そうだけれど」

 

「私もそれでいいと思います。そんな銃を使えるのはきっと世界でリゼさんくらいでしょうし、その唯一性を捨ててまで取る必要がある程の選択肢でもありません」

 

「そう言ってくれると助かるよ。……勿論、いざとなればこの拘りも捨てるけどね。この銃よりもレイナの方がずっと大切だ」

 

「……口説いてるんですか?」

 

「え、くど……?」

 

「いや、まあ、もういいですけど」

 

リゼの自然な口説きは一旦置いておくとして、ステータスに目を戻す。

魔法関係のステータスが伸び難いのか、その辺りはからっきし。せいぜい今の様に付与魔法として物理攻撃の威力の底上げ程度にしか期待は出来ないだろう。

しかし反面、それを補えるほどの筋力と武器の性能。速度も平均的にあり、耐久力も高め。全体を見れば偏っている様にも思えるが、実際に戦闘を始めてみればリゼはかなりバランスの取れた探索者だ。遠距離戦闘ではまず負けないだろうし、仮に近距離に持ち込まれたところで最低限は戦える。

 

(特にスキル……内容と名前が合っていない気もするけど、普通に誰が持ってても便利な類のもの。それにリゼさんの眼とスフィアが合わされば、高速戦闘を仕掛けられてもむしろ有利を取れるくらい)

 

開けた場所で戦うのならば速度と筋力に期待したかったが、ダンジョン内で戦うのならば今のステータスがベストとも言えるだろう。

結局ダンジョンの中で一番活躍するタイプというのは、バランスの取れたなんでも屋か、あまりに極端な尖った人員だ。耐久力があるだけでなく、マドカによって回避のスフィアを利用した戦闘法を教わり、ラフォーレから単独戦闘を叩き込まれているリゼは、同レベルの他の探索者と比べても1人でやれる役割はそれなりに多い。

成長としては非常に順調だ。

精神的な弱ささえ克服出来れば、よりその強みを引き出す事が出来るだろう。

 

「次はレイナのものを見せてくれないかい?」

 

「あ、はい。確かリゼさんには以前にも見て貰いましたよね、あの時からあまり変わってはいませんが……」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レイナ・テトルノール 15歳 女性

Lv.11

スフィア1: 体盾☆2

スフィア2:雷斬☆2

スフィア3:雷斬☆2

武器:普通の大槍

-ステータス-初期値30+10

STR:F+6

INT:E+9

SPD:D-10

POW:F+6

VIT:F+6

LUK: G+3

-スキル-

・【雷散月華】…同種の雷系スフィアの同時使用数に応じて攻撃の威力が向上する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

以前に見た時よりもINTが1上がっている。

長所が伸びており、彼女の強みが更に増した形だ。

 

「改めて見るとなかなかバランスの良いステータスをしているね」

 

「そうですね、ただまだレベルが低いので器用貧乏という感が否めないです。今のところ有効な戦法がスキルと速度を使った突撃くらいしかまともなものがありませんから」

 

「それだけで大抵の敵は深傷を負ってしまうから、暫くは十分だと思うが……しかしこのステータスだと、やはりマドカに意見を聞いてみたいものだ」

 

「……またマドカさんの話ですか?」

 

ほおを膨らませて見るからに機嫌が悪くなったレイナを見て、リゼは咄嗟に手を振って弁明する。別に今のはそういう意味で言った訳ではないのだから。

 

「いや、違うんだ。今のは単純にレイナの戦法がマドカのものと似ているからという意味で言っただけで」

 

「私が、マドカさんとですか……?」

 

「ああ、恐らくステータスの傾向も近いと思う。主に速度を生かした戦闘を得意としていて、付与魔法による強力な攻撃で敵を打ち倒すというのが私が見た限りの彼女の戦法だ。……特にマドカは筋力と耐久力が強い様には見えなかったし、きっとレイナよりその傾向は極端だろう」

 

「……つまり、私の完全上位互換ということですか」

 

「そ、そういう訳ではないんだが……レイナならマドカ達の様な一部の上級探索者が使う高速戦闘を身に付けられるんじゃないかと思うんだ。普通高速戦闘をするにはSPD以外にも最低限のSTRやVITが必要になるそうだけれど、レイナはその辺りも平均的にあるのだし」

 

「………」

 

そもそも高速戦闘とは何かと言われれば、単に早い戦闘という訳ではない。地形や大槍等の武器を利用して3次元的に縦横無尽に駆け回り、大きく早い動きで敵を攻撃する戦闘方法のことを指す。

単に早いだけの攻撃ならばSPDだけで十分だが、跳躍や着地、そして腕力が必要になるこの戦闘法は十分なSTRとVITが伴わなければ非常に危険なものだ。故に高いレベルに到達し、且つバランスよくステータスが育っていなければ成り立たない。

そんな常識を破壊したのがマドカ・アナスタシアであり、彼女独自の謎の技法を、更に唯一彼女の最初の教え子達だけが再現出来ているとされている。

ここまで全部、リゼも他人から聞いただけの話。

 

「……確かに、それが出来る様になれば森の中でも便利かもしれませんね」

 

「ああ、そう思うよ」

 

「ただ、正直に言えば一朝一夕で身につく様なものではないので、あの森の中で活かせるとは思いません」

 

「え」

 

リゼの話を聞いて、レイナは冷静にそう伝える。

別にマドカを否定したい訳ではなく、単にそれが不可能だとレイナは判断した。

 

「まず高速戦闘と呼ばれるその技法は、単純な身体能力以外にも周囲の地形把握能力や判断能力が必要です。そして何より慣れがなければいけません」

 

「あ、ああ」

 

「前者2つは簡単に身につくものではなく、才能と経験によって少しずつ出来てくるものです。そして慣れに関しては、仮に実際の戦闘で使える様になるまでは相当なレベルを要求されます。一歩間違えれば自滅する技ですから、半端な状態では使えません」

 

「そ、そうか……確かに危険ではある……」

 

「高速戦闘と呼ばれるその技法を使用する探索者が少ないのは、単にステータスの問題ではないんです。単純に会得に時間がかかり、危険だから。十分にステータスがあっても危険なのに、ステータスが不足している身体でそれを再現しているマドカさんは正直例外が過ぎて参考になりません」

 

「よ、よくよく考えたら……」

 

言われて初めて気付いたのか、リゼの顔が青くなる。こればかりは速度を生かして戦う探索者にしか分からない感覚なのかもしれないが、正直自分の身体だけで出せる速度以上のものを地形を活かして出すというのは、それなりに恐ろしい。レイナだっていざとなれば壁なり天井なりを蹴って必殺の一撃を狙う時だってあるが、それを連続して絶え間なく行えと言われると絶対に嫌だ。着地を考えるだけで思考が滅茶苦茶になるし、そんな状態で戦闘なんて無理に決まっている。最悪、普通に足が砕ける。

 

「いや、だが……マドカはそれを強化種のワイアームに対してずっと……」

 

「言っては悪いですが、正直狂ってるとしか思えません。マドカさんが常識を破壊したのではなく、マドカさんが常識を逸脱しているんです。広めないのも広まらないのも当然です、真似をしようとすれば探索者生命を失う可能性だってあるんですから」

 

「………」

 

待ってくれと、リゼは言いたかった。

だってマドカは単に戦闘だけではなく、移動にだってそれを使っていたはずなのだ。失敗すれば命に関わる様な技法を、あれだけ当然のように扱っている。……単純に自分の技術に自信があるのだろうか。それともレイナの言う通り、本当に。

 

「これ以上は私が言うと妬みの様に聞こえてしまうのでやめておきますが、そういった理由で今のところ私はその技術を身につける気はありません。確かにリゼさんのお役には立ちたいですが、それが原因で隣に居られなくなる様な事はしたくありませんから」

 

「あ、ああ、そうして欲しい。すまない」

 

「いえ、その、リゼさんの常識が壊れているのはリゼさんだけのせいではありませんし」

 

最初に見たものが悪かった、としか言いようがない。メリットだけの物などこの世には存在しない。一見素晴らしい物事にだって、何処かにデメリットは存在する。

確かにマドカは教える側の人間としてはそれなりに優秀であったかもしれないが、本人が異端な存在であるが故に教えた人間に常識を誤解させてしまうところがあったということだ。

結局、新人に対する教官役として最も優れているのは、何をするにしても極めて平凡な人間であるのだろう。そもそもそんな人物は滅多に居らず、普通という基準も時勢によって様々であるのだから、存在しないと言ってしまってもいいのかもしれないが。

 

「ま、まあとにかく、リゼさんの言う通りしばらくはこのまま頑張って行こうと思います。あとはスフィアですね、リゼさんの手持ちにはどんなものがありますか?」

 

「ええと……」

 

レイナに言われた通り、リゼは自身のスフィアを取り出す。

【回避のスフィア】【炎打のスフィア】【視覚強化のスフィア】、これがリゼの持っている全てだ。そのうち2つはマドカから授かったものであることは、その気の入り用に拍車を掛けている。

 

「私はこんな所です」

 

そしてレイナの持っているスフィア。

【回避のスフィア】【雷斬のスフィア】【雷斬のスフィア】【体盾のスフィア】、この4つ。リゼが持っている数より多いことはさておき、属性が偏っていることを考えるに自由度はかなり低い。恐らく【回避のスフィア】を使うことは滅多にないであろうことが想像出来る。使えると便利ではあるのだが。

 

「ふむ……スフィアの面からしてもやはり柔軟性が足りないか。そもそもの数が少ない上に、やはり無属性のスフィアがもう一つは欲しい」

 

「……私はよく知らないのですが、スフィアってそんなに取り替える物なんですか?色々な組み合わせで使っていると、咄嗟の際に間違えて使ってしまいそうですが」

 

「ええと、相手次第で属性だけは変えるということはあるみたいだ。ただレイナの言う通り誤発の可能性がある以上は、複数のセットを作ったとしても、配置場所には気をつけるべき……と聞いているよ。攻撃系は手前、回避や防御系は後ろ、みたいにね」

 

いくら優秀な探索者と言えど、やはり緊急時や格上の敵と戦う際には感覚に頼る。感覚に頼れば、普段と違う配置にしていた時にミスが起こる。これが原因で命を落としている探索者はかなり多いとマドカは言っていた。

故に基本的にスフィアは間違えてもいい組み合わせでセットを作ること。……例えば、普段は【回避のスフィア】を入れている場所に【炎打のスフィア】を入れたりしない。しかし同じ防御系の【堅盾のスフィア】ならば入れても良い。加えて発動前には少しでもミスに気付く可能性を上げるために、必ずスフィアの名前を叫ぶこと。これを徹底する様にと教えられた。

 

「……ただ、私は基本的にスキルの影響で自由枠が1つしかありません。雷系統の同スフィアが2つとなると、もう1枠には無属性か雷属性のスフィアしか入れられませんし」

 

「そもそも柔軟性が取り難い、ということか。……ん〜、少し待っていて欲しい」

 

そうしてリゼが取り出したのは、いつもお世話になっている新人探索者用のヘルプ冊子だった。全てという訳ではないが、基本的なスフィアは殆ど網羅されているその一冊。レイナに合う様なスフィアが無いか、リゼはそれを広げて探し始める。

 

「ふむ……雷系統にはどうも盾を使うスフィアが多いみたいだね。だから雷を得意とする探索者は小楯を持つ傾向があるようだ」

 

「さ、流石に大槍に小楯は……」

 

流石に星3のスフィアは現状では手に入らない。

一方で星1のスフィアはそもそも3種類しか存在しない上に、どれもレイナのスタイルには合っていない。

よって星2のスフィアの中から一つ一つ説明文を確認しながら探してみると、2人は丁度良さそうなスフィアをいくつか見つけることが出来た。もちろん同じ星2のスフィアの中にもレア度の違いはあるが、それは今は置いておくとして。

 

「【刺突のスフィア】、これは槍専用の無属性スフィアらしい。効果は前方への高速突進、空中でも使用できる事から愛用する探索者は多いようだ」

 

「この【盾壊のスフィア】も良さそうですね。打撃系ですけど槍でも使えますし、相手のVITが強いほど攻撃力が上がるというのが……あ、ただこれ、自分のSPDが下がってしまうんですね」

 

「同じ攻撃系ならこっちの【狂撃のスフィア】の方がいいかもしれない。VITが最下位まで落ちるというデメリットは怖いが、その分、速度を落とす事なく凄まじい攻撃力を発揮出来る」

 

「単純なステータス上昇系のスフィアでもいいかもしれませんね。私なら速度や魔力を上げて長所を伸ばすのも……」

 

「いや、待ってくれ、確かステータス上昇系のスフィアは秒数管理が必須だと聞いたことがある。途切れなく発動する必要がある上に、属性付与系のスフィアの様に目では切り替わりが分からないと」

 

「そ、それは困りますね……常に思考を割いていられるほど出来の良い頭ではないので。使ってる人も少なそうです」

 

もうこうなったら雷斬のスフィアを3つ入れておいた方がいいのでは?むしろカナディアから受け取った【体盾のスフィア】が最適解なのではないか?

そんな風に2人の議論は盛り上がった。

最適が分かったところで手に入るとは限らないのに、手に入れようとするにも十分なお金もないのに。

……それでも、こういう時間が一番楽しいと感じていたのは2人とも同じだった。探索者の醍醐味、理想の自分を描いてみる。新種のスフィアが発見された際にオルテミスが大きく盛り上がるのは、それこそ誰もがこういう会話が好きだからに違いない。

 



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50.宝探しと不審と暴君

「今日は宝箱探しをしてみたいと思うんだ」

 

「宝箱探し、ですか?」

 

いつもの様に6階層。

ここ数日ワイアームを色々な形で討伐していたことによって、リゼの中でも大分あのトラウマが薄まって来たことを自覚し始めた今日この頃。2人は虫除け様の使い捨て携帯品をベルトに付けて森の中を歩きながら、そんな会話を交わしていた。

 

「ああ、宝箱さ。私がいつも道具入れに使っているこれ、見たことはあるだろう?」

 

「あ、確か物が沢山入る不思議な箱ですよね?バッグに入る大きさで便利だなぁと思っていたのですが」

 

「私はこれをマドカから貰ったんだが、実はこの宝箱はダンジョンの中にあるんだ。そして中にはスフィアが入っていることがある」

 

「スフィアが……階層主を倒さなくても手に入るんですね」

 

「ああ、階層主を倒す以外にスフィアが手に入る唯一の方法らしい」

 

行きと帰り、もう6回ほどワイアームを2人で倒したものの、ドロップしたのは最初のレイナの一度のみ。しかもそれは確定のドロップであるのだから、実質的に収穫はゼロだと言ってもいいだろう。別にそれを目的にしていた訳ではないので構わないのだが、スフィア1つにしても手は増えるし、使わないのなら売れば金になる。無くても今のところは構わないが、あった方が絶対に良い。

 

「それにレイナにも宝箱があった方が絶対にいいと思ったんだ。持ち歩く鞄の大きさも小さく出来るし、何より軽いからね。荷物は少ない方が絶対に良い」

 

「なるほど……」

 

最初の頃のリゼの様に鞄の中に最低限の荷物を入れて背中に背負っているレイナ。しかしそれでもそれなりの大きさがあり、これでは確かに不便だろう。リゼの宝箱に入れてもいいが、片方が全ての荷物を持っているというのは緊急時に困る。だからリゼはこれを提案した。

 

「とは言え、やはりと言うべきか宝箱というのは早々見つかる物ではないらしい。それにこの森林地帯では木の上にあることも多く、かなり見つけ難いらしいんだ」

 

「それは……絶望的なのでは?」

 

「ああ、だから本当にそれだけを目当てにはしない。ついでにこんな依頼も受けて来たんだ」

 

「……スライムジェルの納品?あ、なるほど」

 

なんとなくリゼの言いたいことを理解したレイナ。

以前にここに来た時に、2人はこの階層を簡単に攻略するためにまずはスライムについて知るべきだと話した。

どんな風に行動しているのか、どんな風に攻撃を仕掛けて来るのか……スライムは生態系の関係で森の中央部に多く集まっている上に、その中央部を通ることこそが階層攻略の最適解である。だからこそスライムとの戦闘は避けられず、その為にはとにかく経験を積むしかないと結論付けた。

 

「以前に言っていたことを試すんですね」

 

「ああ。レイナが先陣を切って、私が頭上に目を向ける。そこまで深くに行くつもりはないけど、宝箱を探しながら襲って来るスライムの討伐といこう。幸いにもこの依頼は期限がまだあるからね、安全第一で地味に進めても大丈夫さ」

 

「流石はリゼさんです、明日のリゼさんの首が心配ですけど」

 

「そ、それは言わないで欲しいな……」

 

リゼが宝箱の中から松明を取り出す。

火を苦手とするグリーンスライムはきっと逃げ出してしまうだろうが、それでいい。偶然にも複数のスライムに群がられてしまう可能性があるのに、そんな危険な橋は渡れないから。松明を付けていても腹を空かせたスライムなら勝手に襲い掛かってくる、討伐するのはそんな個体だけでいい。

 

「さあ、行こうか」

 

「はい!」

 

仮に松明が思っていた以上に効果を成さず、2人ともグリーンスライムに囲まれてしまった時のために、火炎瓶だって持って来ている。使い方を誤れば自分達も怪我をする可能性はあるが、この階層のモンスター達ならば先ず逃げるし、この程度の炎では森も焼けることはないという触れ込みで売っていた物だ。……何より命を大切に、最大限の準備を行う。リゼはそれを徹底する努力をする、探索者としての成長を見せ始めていた。

 

 

ただ一つ、想定外だったのは。

 

 

「……嘘だろう、流石に」

 

「あ、あはは……」

 

30分後。

 

ダンジョン"8階層"。

 

損傷、軽微。

消費、軽微。

疲労、極少。

 

 

総戦闘回数……2回。

 

 

「全然モンスターと出会わないじゃないか!」

 

「ま、まさか私もここまでとは思いませんでした」

 

ダンジョンの中央部を松明を持って突っ切るというこの攻略法は、2人が思っていた以上に、否、本当に心の底から想定外だというくらいに、安全だった。

 

それは当然だ。

だってまだ6〜9階層の話なのだもの。

まだまだ入口付近でしかないのだもの。

そんなに難易度が高い筈がない。

 

「それに、何組か他の探索者の方々ともスレ違いましたね……」

 

「ああ……」

 

あまりの呆気なさに呆然とし、それならばと7階層から8階層に歩き始めて数分後くらいに、2人は他の探索者の一団とも遭遇していた。

彼等は疲れた様な顔をしつつ、けれど周囲に全くと言って良いほどに警戒をしておらず、不思議に思ったリゼがそれを尋ねるとこう言ったのだ。

 

『襲って来ないよ、モンスター達は。パワーベアもハウンドハンターも、中央部での戦闘はなるべく避けたいからね。三つ巴どころか四つ巴になる可能性もあるし、彼等だって中央部はスライムの溜まり場になっていると知ってるし』

 

それはもう本当に、目から鱗の話だった。

以前にレイナを助けた際にパワーベアとハウンドハンターに襲われた経験のあるリゼは、てっきり彼等は獲物を見つければ中央部まで攻めて来ると勘違いしていた。ハウンドハンターから逃げた際にパワーベアに待ち伏せされた経験のあるレイナは、彼等は度々敵の領域に侵入して来ることもあると思っていた。

しかし彼等も知能のある獣。

待ち伏せもするし、弱った獲物を見つければ危険も侵す。しかしそれはあくまで短時間で獲物を仕留められる状況が整った場合のこと。

スライムが潜む中央部で長時間の待ち伏せなんて絶対にしないし、様々な種族と争いになる可能性のあるこの場所で生き生きとした獲物に襲い掛かったりなんか絶対にしない。

 

『つまり松明さえしておけばいいんだよ。……ああ、確かに腹を空かせたスライムは襲って来るかもしれないけど、そう滅多には居ないよ。居たとしても落ち着いて松明で炙っていれば逃げ出すし。数秒触れただけで人を溶解させられるほどの力はグリーンスライムにはないから、包み込まれて拘束されない様にだけ気をつければ大丈夫さ。2人以上居るならそもそも焦る必要もない』

 

そんな風に色々と教えてくれた一団の長は、2人に『頑張って』と手を振りながら地上へと帰って行った。彼等はどうもレッドドラゴンと戦っていたらしく、いつかはああなりたいとリゼは思ったが、今はそれどころではなく。

 

「警戒しすぎていた、という訳ですね」

 

「グリーンスライムは確かにパワーベアやハウンドハンターの天敵……ただ、それが私達に対しても脅威かと言うと、そうではなかったという訳だね。結局、力の強さでは無く、相性の良し悪しでしかなかったと」

 

「ま、まあ当初の攻略法の解明には至った訳ですし。これで良かったと思いましょう」

 

「ああ……ただ中央部では宝箱も見当たらなかったし、やはり新たな物を見つけるためには危険を犯してパワーベアかハウンドハンターの領域に入るしか無さそうだね」

 

よくよく考えてみれば、木の上にある様な宝箱はスライムに溶かされている可能性も十分にある。中身のスフィアまで溶かされてしまうのかは分からないが、少なくとも多くの探索者が通るこの道沿いに宝箱が残っている可能性なんて0に近い。

聞くに階層更新が出来ない探索者の中には宝箱目当てに手当たり次第に荒らし回っている者も居るそうだし、こんな浅い階層で経験の浅い自分達がそんな彼等を出し抜けるとも思えない。

 

「宝箱探しは現実的では無さそうだね」

 

「まあ……そもそも私達、LUKも高い訳ではないですから」

 

「LUKは宝箱の中身だけではなく、見つけられる可能性にも干渉するのだったかな。肝心なところを調べ忘れていた自分が恥ずかしいよ」

 

「一応、これからも目だけは配っていきましょう?簡単には見つからないと思いますが、探そうとしないと見つかりませんから」

 

しかしまあこうなると、自分達の中だけで完結して物事を考えるという危うさがよく分かる。森の攻略法を探すのは面白みがあったが、同時に危険でもあった。予め他の経験のある探索者に話を聞いておけば無駄な時間を掛ける必要もなかったし、思わぬ落とし穴がある可能性だってあったのだ。

マドカが居ない今、先生役は他に探す必要がある。

とは言え、実力のある探索者達が近頃何やら忙しそうにしていることもリゼは知っていた。マドカでさえも街の外に出ているというのは、それなりに異常なことでもあるのだろう。

 

「……やはりダンジョンに潜っているだけでは駄目か」

 

「何か考えが?」

 

「いや、考えという程ではないよ。ただ、先輩探索者との関係を築くのも必要なことだと改めて思ったんだ。緊急時には嫌でも関わることになるのだし、早いに越したことはない」

 

「それはそうですけど、私達の今の立場はかなり怪しいですよ?クラン未所属で証明書もない。それこそマドカさんの弟子、くらいしか使えそうな肩書きがありません」

 

「むしろマドカに拾われていなかったら私には何があったんだ……」

 

「その場合は適当なクランに入れて貰えてたかもしれませんし、たらればは余計な思考です。それより、知り合いの探索者に心当たりとかありませんか?」

 

「一応、私と同じマドカの教え子だったという2人組のクランがあるが、昨日見た時には大量の資料に埋もれながらギルドの書類を作っていたよ。今は頼れないかな」

 

「……なぜ探索者がギルドの仕事を?」

 

「委託業務だそうだ。元々そういった関係の仕事をしていたからか、職員よりも手際がいいらしい」

 

「委託業務って……公的機関のものですし、普通は入札制度で組合単位で仕事を取るものじゃないんですか?私もあまり詳しい訳ではありませんが」

 

「……"入札制度はあっても、その条件まで細かく取り締まる法はまだ不出来だから"と言っていたよ」

 

「なるほど、つまり法の穴を突いて絶対その人達しか取れない様な条件で発注したんですね。まあ仕方ないことだとは思いますけど、入札制度の意義を完全に無視していると言いますか……」

 

とは言うものの、その実態は2人が考えている様な汚いものではなかったりもする。

それなりの高待遇な仕事ではあるが、その内容は普通の人間では出来ない様な頭のおかしいもの。一時は都市貴族の当主として仕事をこなしていたエルザと、その補佐をするユイでさえ必死になっているという時点で普通ではない。

基本的に数年をかけて連邦中枢と何度もやり取りを交わして進める事業でも、彼女達が行えば2〜3度程度のやり取りで済む。それほどに優秀な彼女達を雇うのだから、ギルド側がここぞとばかりに溜まりに溜まった厄介な仕事を押し付けるのも当然の話。それこそ他の組合からすれば"正気か?"と思い、思わず代表が確認をしに来るほどの質のものである。

 

「他に知っている時間がありそうな探索者となると……マドカの母親くらいか」

 

「マドカさんのお母さん?現役の探索者なんですか?」

 

「ああ、一応はこの都市でも最高クラスの探索者になる」

 

「そんな人が時間があるというのは不思議な話ですね、カナディアさんも最近はギルドの会議室に篭り切りになっているくらいなのに」

 

「……人格に問題があるんだ」

 

「あっ」

 

その一言で理解してくれるだけ、彼女が察しの良い女性で良かったとリゼは心から思う。

 

「正直に言うと、彼女の手を借りるのは本当の本当に最終手段にしたい。確かに強くなりたい思いはあるが、自ら死地に飛び込もうとまでは考えていないからね」

 

「……具体的には、どんなことが」

 

「多少の助けはあったとは言え、単独で階層主相当のカイザー・サーペントと戦わされた」

 

「よ、よく生きてましたね」

 

「まあ彼女も見捨てるつもりは無かったようだからね。……とは言え、彼女は基本的に鉄を叩いて熱する様な人間だ。容赦がない。何が何でも今すぐに強くなりたい、という時でもない限りは頼るべきではないと思う」

 

「お、覚えておきます」

 

そうなると、本当に心当たりが無くなった。

ダンジョンの8階層と9階層を繋ぐ階段に辿り着き、腰を下ろして休息を取りながらリゼは頭を悩ませる。単純にダンジョンの攻略法を知りたいというだけならば、ギルドの職員や本を買ってもいいだろう。しかし細かなモンスターの生態や分布図などはまた別の話だ。そこについては自分で調べるか先輩探索者に聞くしかない。そして自分で調べるということに対する危険性はよく知っているし。

 

「せめてパワーベアの生態が分かれば、領域に踏み込む事も考えられるのだが……」

 

 

 

 

 

「なんだ、パワーベアの生態を知りたいのか。物好きな奴等もいるもんだ」

 

 

 

 

「「!?」」

 

その人物は、不意にそこに現れた。

思わず武器を取り出して振り返り、警戒心をもって構える2人。2人は階段に腰掛けて話していた、だから後ろが見えていなかったのは当然の話。しかしそれでも足音すら聞こえなかったというのは、単純に異常だ。

大槍と銃を向けられていても、少しも表情を崩すことなく赤いマフラーの下で微笑を浮かべている背の高い男。黒の帽子に、白のシャツ、サスペンダーまで付けているその様子はまるでダンジョンに潜るのに相応しくない服装だというのに、半袖の先から見える細くとも引き締まった筋肉が言わずとも彼の実力を証明している様にも見えた。

……見たことがない。

少なくともリゼは知らない。

あまりに奇妙な見た目をしたその人物を前にして、2人はただただ困惑していた。

 

「そう警戒するなよ、ただの探索者だろ」

 

「い、一体いつからそこに……」

 

「今来たところだな。取り敢えず武器下せって、ほら。怖くてお兄さん近付けないだろ?」

 

「「………」」

 

敵意は感じられない。

見た目は怪しいが、悪意も無さそうに見える。

しかし、果たして信用していいのだろうか?

リゼは万が一のために右手に【投影のスフィア】を隠し持つ。

 

「……なるほど。ま、及第点だな。女の探索者だ、それくらい警戒心があった方がいい」

 

「!」

 

しかしその程度のことすらも見破られ、リゼは改めて眉を顰める。もし彼がもう少し探索者らしい格好をしていたのならここまで警戒はしなかっただろうに、やはり格好というものは大切なのだなと妙に冷静に考えてしまう。

一方で彼はもう警戒を解くことは出来ないと諦めたのか、微笑を苦笑いに変えながら2人の間を通って9階層へと降りていく。下の階層から見上げて、これでいいだろ?と身振りで示す。地形的な有利を明け渡した、ということなのだろう。レイナの警戒は解けないが、そこでようやくリゼは武器を下ろす。

 

「……すまなかった、どうも警戒しすぎていた様だ」

 

「いやいや、それくらいで丁度良いだろう。怪しい奴を怪しめない奴こそ問題だ。その点、お前達は正常だ」

 

「名前を聞いてもいいだろうか?私はリゼで、こっちがレイナという」

 

「……どうも」

 

「アルファだ、好きに呼んでくれ」

 

「……では、アルファさんと」

 

なんとなく上から目線を下から向けられている気もするが、恐らく探索者としての実力は彼の方が上。リゼは彼の言動には特に何も言わず、思惑を探る。

何がしたいのか。

何をする気なのか。

言葉ではああ言ったが、当然まだ警戒はしていた。

 

「パワーベアの生態、知りたいんだろ?」

 

「!」

 

「着いてきな、俺が実地で教えてやろう」

 

思わず視線を合わせるリゼとレイナ。

信用していいのか。

信用するべきなのか。

分からないが、渡に船だというのは間違いない。

丁度こういったことを相談できる先輩探索者に飢えていたのは言うまでもないが、特にパワーベアの生態については早めに知っておきたいと思っていた。恐らく実力のある目の前の男、味方に出来るのなら頼もしい。

……ただ、どうにも話が美味すぎる様にも感じる。

そんなこと言ったらリゼとマドカの出会いの方がよっぽど美味すぎた訳であるが、流石に性別の違う相手となるとその辺りの事情も変わる訳で。

 

「なんだ、行かないのか?」

 

「……それは」

 

 

「それは不要な提案だ、腐れ男」

 

 

「「っ!?」」

 

そしてまた、リゼとレイナの背後から声が掛かる。

もうなんなのだこれは、と。

後ろを取られてばかりではないかと。

レイナはまたもや咄嗟に槍を構えて後ろを向いたが、リゼだけは首すら動かすことなくジッと目の前の男を見つめていた。それは後ろを向いた瞬間に男がおかしな行動を取らない様にと監視するためでも、仲間として背後をレイナに任せからでもなんでもない。

 

……単純に、動けなかったのだ。

その声に、その言葉に、聞き覚えのあり過ぎる声色に、身体が恐怖で硬直してしまったから。

 

「マドカ、さん……?」

 

「ほう、お前も私とマドカが似ていると思うクチか。その様なことは決してないが、天地が割れようとも断じてないが、大変に気分は良い。愚図に付き纏う愚鈍な塵という評価を少しばかり改めてやろう」

 

「ち、塵……?」

 

「………」

 

この不遜な言動。

この世全てがゴミクズだとでも言いかねない様な傲慢さ。

リゼはよく知っている。

むしろよく分からされている。

目の前の男が明らかに嫌そうな顔をしていたが、今のリゼの方がよっぽどとんでもない顔をしていたことだけは間違いない。どうして彼女がここに、どうしてこんなところで出会ってしまったのか。やっぱり噂話なんかするもんじゃないと、リゼは心の底から後悔している。

 

「……ところで、そこの愚図はいつまで背中を向けているつもりだ?あれだけ面倒を見てやったのにも関わらず挨拶の一つも無しとは、良い身分になったものだな?」

 

「お……お、おひさしぶりです、ラフォーレさん……」

 

「どうした、何をそんなに怯えている?以前の意気の良さはどこにいった?如何にも怪しいあのゴキブリを今この場で灰塵にしてやれば、少しは腹を抱えて笑えるか?」

 

「初対面の人間を相手によくそんなことを言えるな貴女は!?」

 

思わずツッコミを入れてしまったリゼに対して、ラフォーレは鼻を一度鳴らしただけで後は気にも留めない。レイナもまた呆然と彼女の方を見ていて、間違いなく『話には聞いていたが、これがあのマドカ・アナスタシアの母親だとは信じられない』といった思いを抱いているのが良くわかる。

……ただ現状での一番の問題は。

 

「初めて顔を合わせる人間をゴキブリ扱いとは、聞きしに勝る傲慢さだな、ラフォーレ・アナスタシア。正直少し引いてるぜ」

 

「誰の許可を得てその名を呼んでいる、薄汚い虫ケラ如きが。貴様がその家名を口にするだけで私とマドカの繋がりが穢れる、死して償え」

 

「おいおい、マジで話通じねぇのか?だったらなんだ、お前の言うその繋がりとやらはその程度の事で穢れるほど安いものってことか?」

 

「口を慎め、貴様の粗末な脳から出力された戯言を頭に入れる気は毛頭ない。というか貴様の声が既に私は嫌いだ、2度と呼吸をするな」

 

「なんだこいつ、最強かよ」

 

最強かどうかは分からないが、最凶であることは間違いない。呆れた様に顔を背ける男、目の前の女が言葉ではどうすることも出来ない存在であると分かれば、そういった反応になるのも仕方のない話だろう。それにこれ以上なにかを言えば、本当に攻撃を仕掛けてくるような雰囲気もある。

別に彼は今のところ悪い人物ではないし、言動や容姿が妙に怪しいというだけで、リゼとレイナも不審な男性に話しかけられて警戒していただけだ。ここまで言われているのを見ると流石に過剰と思ってしまうというか、むしろちょっと申し訳なくなるというか。

 

「やれやれ、せっかく久しぶりに出て来たってのに散々だな。はいはい、大人しく消えますよ〜っての」

 

対話を諦めて9階層へと歩いていく彼を見送る。

何か声をかけようとも思ったが、特に何も浮かばず、少し手を上げるだけに留まった。……彼が最後に一言、残したその言葉を聞くまでは。

 

「ま、けど確かに良い粒ではあった。流石はマドカ・アナスタシア、あれなら邪龍討伐の良い駒になる」

 

「「「!!」」」

 

「貴様待て!!」

 

その名を聞いて、ラフォーレは凄まじい勢いで階段を飛び降りる。未だ足元が見えていたはず、しかしラフォーレが地面に着手した際には既にそこに男の姿はなかった。

僅か1秒にも満たない時間で、男は姿を眩ました。

動き出したのは間違いなくラフォーレが先、それなのに姿を確認出来なかったということは、森の木々までの距離から考えるに……単純計算で、DEXの値がラフォーレのおよそ2〜3倍はあると考えても良い。

 

「ラフォーレ、あの男は……!」

 

「チッ、何者だあの男。マドカの知り合いか?」

 

「ラ、ラフォーレさん……でしたよね、貴女もあの方をご存知ないのですか?」

 

「知るかあんな屑石にも劣る愚物!!」

 

「ひっ」

 

「何故あの様な輩がマドカのことを知っている……!マドカはあの男と知り合いなのか!?否、まさかマドカを狙う不埒な輩か!?ああああぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!なぜ殺さなかった!なぜ見逃した!やはり殺しておけば良かった!……いやまだ間に合う!まだ殺せる!ここから最深層まで焼き尽くす!!奴に力があるとは言え所詮は愚図!20階層でも30階層でも徹底的に追い詰めて追い詰めて追い詰めて殺し尽くしてぇぇえええ!!!!!」

 

「待て待て待て待て待て!!待つんだ!待つんだラフォーレ!そんなことをしたらまた強化種がぁあ!」

 

「離せ駄女ぁぁああ!!貴様ごと爆破してやろうかぁあ!!」

 

「矛先をこっちに向けるなぁぁあ!?!?!?」

 

……まあ何にしても、宝探しなんて大人しくしていられないということだけさ確実である。

 



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51.2人の役割

「はぁ、疲れた……」

 

「災難でしたね」

 

カーン、カーンと音の鳴る熱気の溢れる空間。

その一角で2人は疲れた顔をして座っていた。

ダンジョンから戻って数時間、そろそろ日も沈む頃というくらいだろうか。この街一番の鍛治師ガンゼン、そんな彼に呼び出されたとギルドで聞いたのだが、リゼとレイナの顔から疲労の色は消えていなかった。

……だってあの後、本当に9階層を燃やし尽くし、抵抗の為に襲い掛かって来たカイザーサーペントを骨どころか灰すら残さない勢いで爆破し、それでもまだ治らないと10階層のレッドドラゴンを徹底的に殺し尽くした後、8〜6階層までの道までガンガン焼滅させていった様な女の直ぐ側に居たのだ。

あんなものどうすれば良いというのだ。彼女があれ以上にダンジョンを破壊するのを防ぐのに精一杯である。もし6〜9階層以外であんなことをしていたら、本当に強化種が出てくるところだったのだ。その強化種に苦しめられたリゼが必死になるのも当然というもの。

 

「……ただ、まあ、分かりました。リゼさんがどうしてあんなにラフォーレさんのことを怖がっていたのか」

 

「あの人は……人が普通はやらないことを、やれないことを、何の躊躇もなく本当にやるんだ。間違いなく人を殺しているし、どう考えても地上に居ていい人種じゃない。もしこの地に邪龍などという存在が現れなければ、とうの昔に牢屋に入れられている人物だ」

 

「リ、リゼさんがそこまで言うんですか……世の中が平和になったら真っ先に捕まりそうですね」

 

「捕まる……というより、捕まって欲しい。あれは人類の脅威の一つと数えて良いと私は思う」

 

「まあ、その、レッドドラゴンは脅威的な炎耐性を持っていると聞いていましたが、その上から炎弾で焼き尽くす様なお方ですし……確かに街一つを焼き払うくらいは出来るかもしれませんね」

 

むしろ、もう既に街一つくらい焼いていてもリゼは驚かない。リゼの中では"あんな人間がマドカの母親だなんて"というより、"あんな人間を母親にしているマドカがすごい"という考え方になっている。あんな怪物を仮にも人類の味方側に置いて制御出来ている(出来ていない)のは奇跡に近い。……まあ勿論、彼女の中にも彼女なりの価値観があって、根本的には人間であり、人間の味方をするのは当然なのだろうが、一度人間に失望すれば途端に反旗を翻す可能性があるのも確かなこと。こうして付き合い続けているとわかるのだ。最初の頃に思った、どうしてギルド長があれほどマドカのことを溺愛しているのか。そりゃ溺愛もするだろう。マドカがあれほど善良で街と人を助ける様な性格の持ち主であるからこそ、ラフォーレも街や人を焼き払うという手段だけは絶対に取らないのであろうから。

 

「おっと、すまねぇ!待たせたな姉ちゃん達!こっちの部屋に来てくんな!」

 

「あ、はい。行こうか、レイナ」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

そんなことを考えていたら、どうやらガンゼンの方の用事が終わったらしい。ドワーフらしく低い身長に隆々とした筋肉、そして所々が焦げている髭や髪。彼と話したのはそれこそリゼがこの街に来てマドカから案内をされた時だったろうか。

彼は2人を鍛冶場から連れ出し、大きな食堂の一つに連れて来た。街の中でも最大級の鍛冶屋ということもあり、人も多ければ施設も大きい。しかし機能に必要のない無駄な部屋は存在しておらず、会議室の様なものはないようだ。今も数人のドワーフやヒューマンが大量の飯を喰らいながら大声で話している様なそんな場所で、この鍛冶屋のトップである彼は話をしようとしているようだ。

……まあ、そんなことを気にする2人ではないけれど。やはりこんな仕事をしているだけあって、豪快な人達なのだなぁと思うくらい。

 

「うし、じゃあ先ずは自己紹介からすっかぁ。あぁ、リゼの嬢ちゃんは前に会ったよな?マドカちゃんが紹介してくれた時だ」

 

「ええ、この街一番の鍛治師であると」

 

「はっはっは!よせやい照れるだろ?……ま、そんな訳でこの鍛冶場を仕切ってるガンゼンってんだ。悪いが家名はなくてな、実家と縁切った時に捨てちまった」

 

「それでは私も改めて、リゼ・フォルテシアと言います。私の祖父が銃を造っていて、なんだかここの雰囲気を懐かしく思います」

 

「あ、私はリゼさんの、その、パーティメンバーのレイナ・テトルノールです。鍛冶とかは、その、正直よく分かりません……」

 

「よしよし!名前はちゃ〜んと覚えたかんな!こんな商売してんだ、客の顔と名前を覚えるのは得意ってもんよ!」

 

特に将来有望そうな探索者の名前は。まあそこまでは言葉にはしないが。ただやはり鍛治師という商売、特に名前の売れた腕のある職人は、担当する探索者の目利きも重要だ。街一番とは言え、ガンゼンも1人の人間。出来ることに限りはあるし、一人で全ての探索者の武器は作れない。

いくら有名なクランの新人でも直ぐに引退しそうな探索者の担当なんてしていられない、いくら長続きしそうでも大成しなさそうな探索者の担当なんてしていられない。より長く、そしてより高品質な武器を求めてくる探索者。それこそがガンゼンほどの腕を持つ鍛治師が求める客の条件だ。その点で言えば……

 

「ま、両方とも客としては合格だな」

 

「え?」

 

「合格……というと?」

 

「見込みがあるってことだ、そのうち俺が武器を造ってやってもいい。それくらい良い探索者になりそうな予感がする」

 

「ほ、本当ですか!?それは素直に嬉しいな」

 

「ま、俺がお前さん達に武器を造るってことは未来永劫無いだろうが」

 

「どっちなんだ!?」

 

上げて落とされて、困惑する。

造ってやると言ったり、造ってやらないと言ったり、その言葉にいちいち素直に反応をするリゼを見てガンゼンは笑っていた。レイナもまたそんなリゼの反応を可愛らしいと楽しんでいたことは言うまでも無い。

 

「取り敢えず、俺が今日お前さん達を呼んだのは、それこそお前さん達2人の武器のことについてなんだが」

 

「武器、ということは……」

 

言うまでもなく、リゼの大銃のこと。

銃に取り憑かれたリゼの祖父が作り出し、先の戦闘でも脅威的な攻撃力と精密性を見せた兵器とも言える様なその武装。

 

「えっと……でもリゼさんの武器だけでなく、私のもですか?」

 

「そういえば……」

 

ガンゼンの言葉のおかしなところに気付き、思わず持っていた普通の大槍に目を向けるレイナとリゼ。それこそ何処にでも売っている様なそんな武器に、ガンゼンともあろう鍛治師が興味を向ける筈がない。

 

「覚えてねぇか?お前さんが見つかった時に一緒に転がってたっていうおかしな槍をよ」

 

「!」

 

「なるほど、あれのことか……」

 

「そうだ、あれの調査も俺に回って来てんだよ。魔力を使わない大砲を作れだの、全く意味分からん機構で出来た大槍を傷付けずに解析しろだの、ギルドは無茶を言いやがる。まあ楽しいからいいけどよ」

 

そう言ってガンゼンは自身の長い髭を撫でながら至極嬉しそうに笑う。よくよく見てみれば目の下に若干の隈、睡眠時間を削って何かをしているということがよく分かる。

言われるまで2人ともすっかり忘れていたのだが、リゼがレイナを見つけた時、彼女の側に一本の銀色の槍が落ちていたのだ。使ってみた感触としては少し重たいが頑丈な槍……程度の認識でしかなかったが、カナディアがその後に調べたいからと持っていってしまったことを覚えている。

まあ確かに見た目は銀色の板を何枚も貼り付けた様な奇妙な姿をしていたから不思議には思ったが、どうやらその槍もリゼの大銃と並べられるくらい不思議物体だったらしい。少なくとも街一番の鍛治師であるガンゼンがこれほどのめり込んでいるくらいには。

 

「ただ、私達にその槍に関する知識はない。役に立てるとは思えないのだが……」

 

「……はい」

 

「いや、この槍に関しては"使い方"くらいまでは判明してんだ」

 

「え、そうなんですか!?」

 

「ああ。ただ問題はその機構っつーか、無理矢理にでも再現出来ねぇっつーか」

 

「……つまり?」

 

「あの槍だけ2、3歩時代を先取りしてやがる」

 

「!」

 

「俺はあれが50年先の未来から飛んで来たって言われても驚かねぇ、それくらい時代を先取りしてやがる。少なくとも俺は『スフィアを嵌め込んで起動させる』武器なんてものは見たことがねぇ」

 

「スフィアを嵌め込んでだって!?」

 

思わず前のめりになって驚くリゼに対して、ガンゼンは苦笑する。周囲に座っていた食事中の鍛治師達もその内容については既に知っていたのだろう、まるで子供でも見るかの様にリゼのその様子を笑って見る。

 

「今はうちの連中で図面回して必死に頭捻ってるところだ。だがそれもそろそろ手詰まりでな、ここでちょいと周り道をしてみるかって話になった訳よ」

 

「それで私が呼ばれたんですか……?」

 

「ああ、まあ一緒に見つかった人間なら何か起きるかもしれないし、そもそもの所有権はアンタにあるからな。仮に試し斬りをするにしても、所有者に依頼するのが筋ってもんだろ」

 

「なるほど……」

 

「ちなみに、話を遮る様で悪いのだが、私が呼ばれた理由とはなんなのだろうか?私も試し撃ちをすればいいのかな」

 

「いや、お前さんには助言が欲しいんだ。さっきも言ったが、ギルドから実弾兵器を造って欲しいと言われててな。解決法を知っているのならそれでいいし、知らないのならその銃を見せて欲しい」

 

「リゼさんは銃作りの方も詳しいんですか?」

 

「いや、せいぜい一般的な猟銃程度しか作れないよ。ただお爺ちゃんから大型の銃の基本的な構造と手入れの方法については教わってるから、力にはなれるかもしれない」

 

「おお、そりゃあいい!なんだったらその爺さんが残した資料でもあれば良かったんだが」

 

「あはは、家に戻ればいくらでもあるかもしれないが……恐らく解読から必要かもしれないね。私の祖父は確かに年中銃のことばかり考えていたが、全て自分の中で完結していたんだ。自分が忘れそうな事しか記録していなかったから、私も少し読み飛ばして防虫処理だけ施した後、全部仕舞ってしまったよ」

 

「勿体ねぇなぁ、その資料だけで実弾兵器の進歩に5〜10年は省けるってのに」

 

しかしなるほど、ここまで聞けば確かに自分達も協力出来るかもしれないと頷ける。それにしてもここに来て実弾兵器の実用性が改めて見直されていると聞いたら、祖父はどう思うのだろう?リゼはそんなことを考えながら、ガンゼンの案内で銃工房(仮)へと向かうことになった。

それも全て、魔法が効きにくい相手が現れたこと。

そしてそれに対してリゼが大いに活躍したこと。

この2つの要因があったからこそだ。

勿論、実弾兵器自体が敵の属性耐性に左右されず、非常に安定してダメージを与えられるという点で万能な邪龍対策になるというギルドの気付きもあるに違いない。

 

「……ん?もしかしてお爺ちゃんはこれを狙って私に大銃を渡したのかな」

 

流石にあの銃狂いがそこまで考えていたとは思わないが、もしかすれば今頃は天でほくそ笑んでいるのではないかと考えると、妙にその顔が鮮明に思い浮かんだので、リゼはイメージの中でその額に弾丸を撃ち込んだ。

 

 

 

 

リゼが銃工房(仮)へと通されている間、レイナは事務員の女性に連れられて中庭に連れて来られていた。ここでは主に造った武器の試し切り等が行われており、時折探索者達に頼んで実際の立ち合いをさせていることもあるからか、それなりに広く施設も整っているようだった。

 

「こちらがその槍でございます」

 

「これが……」

 

厳重に鍵の掛かったケースの中から取り出された一本の銀色の大槍。正直ほとんど記憶の中にはない代物であったのだが、確かにこうしてマジマジと見るとその姿は妙だ。

手渡されて持ってみれば今現在使っている普通の大槍よりも重く、そして硬い。刃の鋭さも見るだけで分かるほどに尋常ではなく、指で触れただけで切れてしまいそう。

正直に言ってしまうと、触って持って構えてみて、決して手に馴染むということは無かった。むしろ普通の槍とは明らかに違うからか少しの違和感があり、初めて戦闘をした時とは違うその感覚から、記憶を失う前に自分が愛用していたということは無い様に思える。

 

「どうですか?」

 

「……少し慣らしてみてもいいですか?いきなりは危ないかもしれません」

 

「ええ、こちらでどうぞ」

 

一先ずは横に振り、縦に振り、基本動作の確認から。長さ自体は今使っている大槍と変わらないので問題なく、後は重さと若干の重心の違いに慣れればいい。全体的に太くはなっているが、レイナの手でもまだ十分に持てる程度であるし、ある程度振っていれば自然とコツも掴んでくる。

 

「……こうしてみると、結構いいかも」

 

性能としては全体的にシンプルだ。

変な形もしておらず、むしろ信頼出来る強度がある分、信用して扱える。武器に配慮することなく盾代わりにだって出来る。単純に普通の槍としても性能が高く、同じ程度の物を買おうとすればそれなりの値がするだろう。……だからこそ、信じられない。

 

「あの……これ本当にスフィアを嵌め込むことが出来るんですか?」

 

「ええ、少し試してみましょう。柄の尻の部分を地面で3回ほど叩いてみてください」

 

「えっと、こうですか?……わっ」

 

言われるがままに柄の尻の部分で地面を3回叩いてみると、手元の部分の銀色の鋼板の一枚が縦にスライドする。そうしてみれば明らかにスフィアを嵌め込む為であろう窪みが見つかり、それは秘石に三つ存在する窪みとやはり同じ様なものだった。

ということは、つまり機能も……

 

「試しにこちらをお使い下さい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

手渡されたのは【回避のスフィア】。

レイナの秘石にはいつも通り【雷斬のスフィア】2つと【体盾のスフィア】が嵌っている。普通ならば個数制限の関係で使うことが出来ないが、試しに嵌め込んだ【回避のスフィア】に触れてみれば……

 

「わわっ!?本当に発動した!?」

 

瞬時に背後に吹き飛ばされる様な感覚。

間違いない、効果はしっかりと発揮されている。

 

次に手渡されたのは【炎斬のスフィア】。

ついでに秘石のスフィアも【雷斬のスフィア】と【回避のスフィア】へと変え、これで赤色、黄色、青色と合計3属性のスフィアが揃ったことになる。属性制限の関係上、普通ならばこれではどのスフィアも効果を発揮しなくなるはずだ。

ただそれでも槍に嵌め込まれたスフィアに触れてみれば……

 

「……やっぱり、発動する」

 

槍の穂の部分が炎を纏った。

その状態で秘石の【回避のスフィア】を発動してみても、普段通りに背後に身体が飛ぶ。どのスフィアも制限に引っかかっているはずなのに、効果を発揮することが出来ていた。……否、もしかすればこれは。

 

「秘石と武器のスフィアは、完全に別物扱いということでしょうか……?」

 

「我々はそう結論付けています。例えば先程は秘石のスフィアを変えたばかりのクール時間中だったにも関わらず、槍側のスフィアは発動していました。この事からも両者に関係性は無いと考えられます」

 

「つまりこれは、秘石の一種?ステータスの変化は無いように思いますが……」

 

「恐らくスフィアを発動する機能だけが埋め込まれているのではないでしょうか。しかしスフィアの効果はステータスに左右されるというのが基本的な考えですので、やはり装備中の秘石と多少の繋がりはあるという可能性も……」

 

「それなら秘石を外して試してみましょう」

 

これならステータスとの関係がよく分かる。

スフィアさえ外してしまえば、ただの人間。

エルフでもないのだから生身で魔法は使えないし、ステータスで表せば0という形になるだろう。これでもスフィアが発動するということなら……

 

「……発動しましたね、規模は先程と変わらないみたいです」

 

「なるほど……つまり、秘石として『スフィアを発動する効果』と、武器として『一定の威力を保つ効果』の2つがあるということでしょうか」

 

「もしかすれば持主の魂や肉体とリンクしている可能性もありますが、その点は今度は私が別の槍で普段通りに【炎斬のスフィア】を使用してみればハッキリすると思います。……が、恐らくは仰る通りかと。普段私が使っている【雷斬のスフィア】より規模が小さく感じました」

 

この調査をする前に安全確認のためにガンゼンが何度か試してデータを取ってくれていた様であるが、これだけスムーズに色々と分かるとレイナも夢中になってくる。ガンゼンの気持ちも今なら少し分かるところだ。

そしてやはり炎斬のスフィアを使ってみれば、秘石で使用して方が威力は大きかった。つまり秘石が無い状態でも、この武器さえあればスフィアの発動だけなら可能ということだ。

 

「!……もしかすれば、この武器があればステータス不足で十分な威力を出せないスフィアも使えるようになるということでしょうか?」

 

「あ、それは確かに……ただ、【炎弾のスフィア】や【バリアのスフィア】の様に武器が指定されているスフィアは使えないかもしれませんね。その点で言えば、単に選択肢が増えたと考えるべきでしょう」

 

「属性の相乗効果を狙うか、複数の属性を担うか、万が一のための回復防御系のスフィアを入れておくのもいいかもしれません」

 

「属性縛りだけが難点の【回避のスフィア】を入れておくのが良さそうですね。まあ普段から使っている人にとってはスフィアの位置が変わることになるので、押し間違いの危険性はありますが」

 

とは言え、現在レイナは【回避のスフィア】を基本的には使っていない。それはスフィアの数や属性制限によって噛み合わないからだ。それでも【回避のスフィア】自体は自分の戦闘スタイルに適しているという悔しさ。……この槍はそんな問題を解決してくれる。探索者の誰もが苦悩したスフィアの選定に、この槍は新たな拡張性を齎した。

 

「ガンゼンさんが必死になって解析をする理由がなんとなく分かった気がします」

 

槍と秘石の両方に【雷斬のスフィア】を装着し、その2つを同時に発動してみる。そうすれば普段通りにスキル【雷散月華】は発動し、槍の穂の部分から凄まじい雷が程走る。……どうやら秘石と槍に関係はない、とは完全には言えないらしい。

基本的には別物扱い。

しかしスフィアを揃える事によるスキルは発動する。

もし秘石の3つと槍の1つ、合計4つの枠を全て【雷斬のスフィア】で埋め尽くしたら、一体どれほどの威力になるのだろう。4乗の【雷斬のスフィア】に、【雷散月華】のスキル効果が乗って、更に4つ分の雷属性スフィアの連結効果が加わる訳だ。

同じ色のスフィアで揃えるほど威力が増すという副産物的な効果は、効果量に対して柔軟性がないことから無視されることが多いが、これが4つ分ともなれば選択肢として浮上してくるくらいの代物にはなるはず。

 

「試してみますか?【雷斬のスフィア】4つ同時発動」

 

「……いえ、今はやめておきます。恐らく今の私のステータスと装備、それと技術では制御出来ないと思いますから」

 

「マドカ・アナスタシア氏は相当な規模の属性攻撃を低VITで扱っているということですし、考え過ぎではないでしょうか?」

 

「……彼女を基準に物事を考えるのは間違いです。私が普段使っている2乗分の【雷散月華】でさえも、かなりの集中力を必要とする程の反動があるんですよ?」

 

「そうなのですか?……地形を変えるほどの一撃を放てる探索者さんというのは少ないので、そこまでとは知りませんでした」

 

「私は本当に人伝(主にリゼ)の話でしか彼女のことな知りませんが、聞いている限りでは彼女が何気なく行っている行為はその全てが常軌を逸しています。……私がするのなら、せめて全身に耐雷装備が欲しいですね。それと槍と自分の手を接着しておく必要があると思います、視界の防護も必要ですね」

 

「そこまでですか……」

 

「マドカさんが水属性を好んで使っているというのも、そういう理由があるんだと思いますよ。まあ水属性は水属性で、あれほどの振動と衝撃にどう耐えているのかという疑問は残りますが……」

 

顔ではスッキリしていても、実際にその身体には相当な負担が掛かっているのではないだろうか?レイナはそう考えて、振り払う。

彼女がどんな負担に耐えていて、それをどう考えて感じているのかなんてどうでもいい。ただ、戦闘スタイルが共通しているからか、彼女のことを知りたがっているリゼよりも理解が深まっていってしまっている現状は微妙な気持ちだ。

別にレイナ自身は彼女のことを知りたいとはこれっぽっちも考えていないのに。

 

「一先ず、スフィアの使用を続けて貰えますか?秘石と槍の関係がないと分かった以上、そのスフィアの魔力的な動力源がどこにあるのかを確認しておきたいので」

 

「分かりました。私の予想では槍を振ったり当てた際の衝撃がエネルギーに変換されているのではないかと思いますが……まずはエネルギーの容量を確かめないとですね」

 

「その変換機構でさえ、あるとしたら現時点では全く再現不可能な未知の技術なのですが……とにかくお願いします」

 

その後もレイナはリゼとガンゼンが戻ってくるまでに様々な可能性を事務員の彼女と調べ続けた。その中でも何より気になったのが、『なぜただの事務員であるはずの彼女が、ここまで技術的な面でも知識を持っているのか』ということであったが……結局それが分かることはなかった。



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52.決死

『マーキュリー・イェーガー!!』

 

ズドンッと、巨体が落ちる。

地面に平伏したのはワイアーム。侵入者が階層に入り込んだ直後に放たれた超高速の弾丸は、彼の眉間のやや右側にズレた位置に着弾し、それでも当然の様に脳を吹き飛ばしたことで絶命させられた。

肉体は灰となり崩れ落ち、中から侵入者達が見慣れた大きさの魔晶が現れる。今日もスフィアが落ちることはなかった。しかし同じだけの収穫はここにあった。

 

「む……やはり形にズレがあったか」

 

「弾丸作りって、そんなに繊細な物なんですね」

 

「ああ、ガンゼン殿のおかげでこの街でも作成出来るようにはなったけれど、型の出来がイマイチだったみたいだ。これはまた工房に行って調整させて貰わないといけないね」

 

「付き添いますよ。……ただ、ご実家からは持って来なかったんですか?」

 

「持って来れる様なものではなかったんだよ、材料さえ揃えれば全部自動で作れる様な大掛かりな物だったからね。一応、全部手作業で行えばこれまでも作ることは出来たんだけれど、流石に型がないと工芸品の様にこう、部品の全てをヤスリで削って形を整える必要が……」

 

「そ、それは地獄ですね……」

 

「1発作るのに最短でも1週間はかかるんだ、流石にそんな事もしてられないからガンゼン殿には感謝しかないよ。工房の一角を貸してくれたのだし」

 

魔晶を拾い上げながら、そんな雑談に興じる。

今日まで滅多に弾丸を使って来なかったリゼが、緊急時でもないのにワイアームなんかに放ったのはそれが理由だった。作ってみた弾丸の試し撃ち、どうやら今日のそれは失敗だったらしい。

型を作るにもリゼだって初めての経験で、完全な物を作るには何度も何度も試しと修正が必要になる。しかし1度目のトライにしてはなかなかに精度の高い物が出来たと言えるくらいだろう。放たれた弾丸がズレたとは言え、それでもしっかりとワイアームの頭部を吹き飛ばしている。近距離狙撃だけで言えば使える程度のものだ。暴発したりしなかっただけ十分。

 

「さて、これで今日の私の用事の半分は終わったけれど……レイナは何か試したいことはあるかい?」

 

「いえ、特には。あの槍について私への確認は不要とお伝えしておきましたから。私が使うことで何か特別性が発揮される事もありませんでしたし、あの件について私はもうノータッチです」

 

「そうなのか……」

 

「まあ、そもそも所有権が私にあるというのもおかしな話でしたからね。そう言われた以上はその権利を有効に利用させて頂くつもりとは言え、正直に言ってしまえば記憶を無くす前の私もあの槍は使っていなかったと思います」

 

「そこはまあいいんじゃないだろうか?あれだけが君の唯一の持ち物だったことは事実なのだし、ただ使っていなかっただけで、作って貰ったばかりの物かもしれない。体一つで放り出されていたんだ、近くにあった槍の1本くらい貰っても誰も文句は言わないさ」

 

「……まあ、もし検証の最中に壊れてしまったら金銭と引き換えに所有権を譲り渡せば良い話ですし、戻って来るのなら便利な武器が使えるというだけですし。確かに悪いことはありませんもんね」

 

「そういうことさ、運が良かったと思えば良いよ」

 

「そうですね、運はいいと思います。……本当に」

 

「?」

 

なんだか優しげな表情をして見つめて来るレイナに、少しの恥ずかしさを感じながら首を傾げるリゼ。とにかくその視線から自分を逸らすために今日受けて来た依頼の内容を確認するが、どれもいつも受けているものと変わらない面白味のないものだ。

ハウンド・ハンターのドロップ品の収集に、薬草の納品、後は見慣れた花の採取に……ギルドから頼まれていたカイザー・サーペントの行動調査。特別性があるのはこれくらいか。

 

「カイザー・サーペントの行動調査……つまりおかしな行動をしていないか確認を行う、ということですか?」

 

「ああ、先日ラフォーレに森ごと焼かれただろう?森の方も再生して、カイザー・サーペントも新たな個体が生まれている筈なんだ。用はその個体が現状9階層のどこを根城としているのかを把握しておく必要がある、それを知っておかないとうっかり足を踏む入れてしまって襲われる危険性もあるからね」

 

「なるほど……」

 

仮に中央部を根城にしていた場合、それこそラフォーレにでも依頼してもう一度焼き払って貰う必要がある。本当は復活した直後に生まれた個体に高威力の炎弾を撃ち込むなどして角の方へ追い出す必要があったのだが、そんな事まであのイカれた女がする筈もない。

知らなかったとは言え、多少は関わった身。それくらいするのはまあ当然と言えば当然というか、報酬は普通に良いので提案されて即決して来たわけだ。中央道を根城にしていたとしても、排除しろとまでは言われていないのだし。

 

「それにしても……ギルドの方は相変わらず慌ただしいですね。何が起きているのかは教えて貰えませんが、明らかに商人さんや上級の探索者さん達が走り回っているのが目に見えます」

 

「うん、何かは起きているんだろう。それも都市全体で対処しなければならない、"龍の飛翔"、いや、"都市成立際"に匹敵するほどの何かが。マドカも未だ帰って来ていないようだし」

 

「……まあ声を掛けられないということは、必要ないということですから。そんなことに巻き込まれないで済んだ、と考えましょう。それに多分ギルドの反応を見るに、私達は別の役割を求められているようですし」

 

松明を片手に、6階層の中央部を歩くいていく。6階層にはモンスターは出現しないが、そこまで明るい道でもなく、持っていて悪いこともない。寄って来る虫は居るが、防虫剤の効果で次第に勝手に離れていく。

少し不機嫌そうなレイナの顔も、一列になって歩いているリゼからは見えない。2人の会話は淡々と続いていく。

 

「恐らくギルドとしては私達にこうして小さな依頼を普段通りにこなしていて欲しいんだろう。マドカも居ないし、私達がしなければ溜まっていく一方、ギルドの職員や上の探索者達にはそんなことをしている暇もないからね」

 

「というか、いくら報酬が低いからって他の下位の探索者さん達は本当にこういう依頼をやらないんですね。むしろそんな依頼自体、もう殆ど破綻している様に思えますが……」

 

「裏を返せば破綻していても出さざるを得ない依頼、ということだよ。むしろそういう依頼を日々消化しているからこそ、こうして割りの良い依頼を回して貰えるのさ。職員の方々も、私達にはかなり丁寧に接してくれていると思わないかい?」

 

「……確かに」

 

これも全て、マドカから学び、引き継いだもの。

同じ階層の依頼でも、本当はもっと朝早くに来れば割りの良いものがいくらでもあるのだ。わざわざそれを無視してこうして残り物の処理をしているのは、単純にリゼのマドカの教え子としての我儘。

その我儘が結果的に功をなしているのだから、リゼのマドカ信仰は増していくばかりで。

 

「そもそも身元不明な私達だ。こうして少しずつ信頼を勝ち取っていこう。いつかきっと報われる日は来る」

 

「……ふふ、いいんですか?そんな不純な考えで。マドカさんなら"困っている人が居るから助けた"なんて聖人のような答えを出すんじゃないんですか?」

 

「うっ、それはその……」

 

「冗談ですよ、リゼさんは素直ですね」

 

「レ、レイナ……!」

 

リゼがマドカの代わりにされていると考えるとあまり気分は良くないが、リゼがマドカに取って代わっろうとしていると考れば応援出来る。

この人が本当は凄くて、本当にカッコいい人だということは今は自分だけが知っていればいい。後で多くの人が気付いたとしても、その時にはもう自分に追い付ける者は居ないだろう。……マドカ以外には。

もしかすればレイナの中にあるマドカに対する警戒というか不満の根本は、そこにあるのかもしれない。自分より先にリゼを見初め、間違いなく誰よりも視線を集めている。もしかすれば自分よりもっとリゼの良い所に気付いているのかもしれないのだ、彼女は。それが気に食わないし、羨ましい。

 

「……代わりになるんじゃなくて、取って変わる、か」

 

「ん?何か言ったかい?」

 

「いえ、なんでもありませんよ」

 

奪い取りたいと心から思う。

彼女の視線の行き先を。

 

 

 

 

 

 

 

9階層、一際高い木の上。

8階層への入口付近に都合よくあったそれに登って、長身のリゼが付近を見渡す。女性にしてはそこそこ大きなあの身体で、よくもまああれほどスルスルと木を登るものだとレイナは素直に感心した。

勿論大銃はレイナが持っているが、彼女はスコープの一つも持たずに肉眼だけで周囲を見て巨体を探している。頭がおかしい。

それも見難いと感じれば不安定で細い木の枝でも足場にして躊躇なく立ち上がるのだし、レイナからすれば僅かにしか見えなくとも彼女の行動一つ一つがハラハラものだ。別にここから見えなくとも手段はあるのだし、無理をして欲しくないというのが本音。

 

「よし……レイナ、今から降りるよ」

 

「え?あ、はい……って、うわぁっ!?」

 

突然飛び降りて太い木の枝を両手で掴むと、更に次の枝に手を伸ばして、数秒足らずで地面へと着地してくるリゼ。そこらのモンスターでもこんな降り方はしてこない、曲芸でもしているのかというほど。

一瞬本当にバランスを崩して落ちてしまったのかとレイナは驚愕してしまったし、その後はもう信じられないようなものを見て呆然とするばかりだった。

 

「あ、危ないから普通に降りて下さい!!」

 

「え?あ、ああ、すまない。木登りは幼い頃からしていたから、慣れというのかな……そんなに危機感が無かった」

 

「枝が折れたりしたらどうするんですか、曲芸師じゃないんですから」

 

「ん、一応それも確認して飛び移っているつもりだけれど……確かに危険ではあったかな。ただこの降り方は、それこそ曲芸師の女性に教わったものでね」

 

「ほんとに曲芸師の技だったんですか……」

 

まあ、それならもう何を言っても無駄だ。

レイナに出来ることはもしもの事が起きた際に、リゼをフォロー出来る準備を整えておくだけ。とは言え、まさか彼女がこんなことをしてくるなんて思いもしていなかったのだ。やはりまだまだ理解が足りていないと自覚する。もっと色々なことを知っておかなければならない、彼女の助けになりたいのなら。

 

「それで、見つかりましたか?カイザー・サーペントは」

 

「ああ、それらしき木の動きは見つかったよ。ただ悪いことに、根城は中央部から少し東に寄った位置にあるみたいなんだ。包囲を確認しながら真っ直ぐ9階層に向かうだけなら問題ないが、一歩間違えたら襲われてしまうかもしれないね」

 

「……そもそも一歩間違えるような探索者は間違いなく実力が不足している探索者ですし、このままでは大きな問題になるかもしれません。今は実力のある探索者は殆どダンジョンに潜れてはいませんし、早急にギルドに報告しましょう」

 

「ああ、この地形だと私も狙撃は難しいからね。急ごう」

 

狙撃をして追い払うなりなんなり出来ればいいのだが、この階層は平坦な地形の上に草木が生えているという単純な構成。狙撃には全く向いていない。

10階層のレッドドラゴンとの対決の直後にカイザー・サーペントの縄張りに入ってしまう若い探索者が居てもおかしくないので、対処は早急に必要だろう。リゼでさえも初対面時には弄ばれた程の知能を持つ厄介な相手だ、楽観視だけは決して出来ない。

 

依頼はもう全て済ませてある。

あとはもう帰るだけだ。

だからリゼとレイナは走りながら出口を目指した。

階層を繋ぐ階段へはそこまで離れている訳ではない、長く見積もっても30分もあれば地上に帰る事が出来る………筈だった。

 

「!?リゼさん!!」

 

「っ、なんだこれは!」

 

そう、帰れる筈だった。

8階層と9階層を繋ぐ階段。

そこについ数分ほど前までには決して無かった筈の岩石の壁さえ無ければ。

 

 

 

――――――――――――ッ!!!!!!!!!!

 

 

 

「っ、今の音は!?」

 

甲高い悲鳴のような、楽器のような、高い音。

それが自分達の背後から鳴り響く。

咄嗟に振り返り、しかしリゼが見えたのは森の奥深くへと消えた黒い人影のみ。

それを追い掛ける暇はない、余裕はない。

なぜならその直後、凄まじい轟音と振動が階層内に響き始めたからだ。

 

……来る、あれが来る。

 

リゼはそれが聞こえて来た瞬間に悟っていた。否、リゼの身体がよく覚えていた。この街に来て、探索者になって、リゼが敗北した存在はいくつか居るけれども。それは正しく本気の戦闘で負けたと言っていい相手だった。

 

「……っ、レイナ!走るんだ!」

 

「な、な、な、なにが起きて!?」

 

「カイザー・サーペントが来る!恐らくさっきの音はアレを誘き寄せるための何か、この壁を作り出した相手と同じだ!私達は嵌められたんだ!」

 

「そ、それなら壁を壊せば……!」

 

「っ、やってみるか……?」

 

リゼの大銃とレイナの【雷散月華】、この2つを同時に放てば確かにあれが普通の岩壁ならば破壊出来るだろう。しかし問題はそれが破壊出来なかった時、例えばあの壁が想定以上に分厚かった場合だ。

最高威力で2つを同時に放てば、リゼは身体的に、レイナは精神的に多大な消耗を受けてしまう。そのままの状態でカイザー・サーペントと対峙するとなれば、負けは必然だろう。

かと言って、そもそもそんな壁をこの短時間で作り出せるのか?という疑問もあるが、それを言うならばそもそも、この規模の岩壁ですら簡単には作り出せないだろう。つまりこれが出来ている時点で、自分達の知らない未知の何かが働いていると考えてもいい。少なくともこんな効果を発揮するスフィアをリゼは知らない。

……だとするのなら、最善の選択は。

 

「……ここでカイザー・サーペントを討つ!」

 

「!」

 

「私の判断を信じてくれるだろうか、レイナ!」

 

リゼはレイナの横を並走しながら、断言する。

固い意志、決死の表情。

リゼはもう、覚悟を決めていた。

その判断が本当に正しいかは分からない。

ラフォーレと挑んだあの時から自分がそれほど成長しているとは思えないし、ラフォーレが居ない現状では簡単に騙されて殺されてしまう可能性だってあるだろう。

……けれど、それでも、言葉にした。

だからもう後には引けない。

後には引けないように、言葉に出したのだ。

引く気なんてもうこれっぽっちだってない。

 

そしてレイナの返答もまた、決まっていた。

 

「私はリゼさんを信じています!全身全霊で、何が起きてもリゼさんの力になります!だから使ってください!私のことを!」

 

「……!」

 

レイナがそんなリゼの言葉を断れる筈がないのだ。

そんな風に、そんな表情で言われた言葉を。

胸が高鳴る、気分が高揚する。

嬉しい、カッコいい、力になりたい。

だって仕方がない。

この人に憧れたのだ。

この人の、こんなところに見惚れてしまったのだ。

レイナの心にもう恐怖なんてなかった。

冷静な思考もぶっ飛んでいる。

でもそれでいいとも思っている。

今はただ、この人の力になりたい。この人の側で戦いたい。この人の役に立ちたい。ただそれだけしか考えられない。

 

『キシャァァアア!!!』

 

「レイナ!作戦は単純、二手に分かれて一撃を叩き込む!片方が胴体に一撃を入れたら、その隙を見てもう片方が頭部を破壊するんだ!出来るかい!?」

 

「やってみせます!!絶対に!!」

 

何処の誰がこんなことを企んだのか、何のためにこんなことを仕掛けて来たのか、そんなことはどうでもいい。今はただ生き残る。敵を喰らって、生存する。頭の切り替えはもう済んでいた。リゼの頭の中は、もうそれだけにしか集中していなかった。

……そして奇しくもそれがとんでもない状況にばかり放り出されて来たラフォーレとの訓練が齎した慣れだと気付いたのは、一先ず今ではない。



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53.vsカイザー・サーペント

レイナが大きく跳躍し、森の木々の中へ突っ込んでいく。一方でリゼは外周の木々の少ない部分を走り、カイザー・サーペントを引き寄せる。普段ならば復活したモンスターと、そこを縄張りにしているモンスター達が熾烈な争いをしているこの場所も、カイザー・サーペントが暴れている今ばかりは空白だった。逃げていくモンスター達、凄まじい勢いで土煙と共に迫り来る巨体。

あれが何故モンスターではなくリゼを狙ってくるのかは分からない。ただ……

 

「【星の王冠】【視覚強化】」

 

スフィアとスキルを同時発動し、走りながら首だけを動かして迫り来るカイザー・サーペントの状態を確認する。

 

(……怒り狂っている?目が血走っていて冷静じゃない、それに身体に妙に多くの傷がある。再生しているものが少ないことを考えると、比較的新しいものだろうか。しかし私が木の上で確認した時、特段暴れている様子もなかったが、一体どうなっている?)

 

そこまで考えて、余計な情報は切り捨てた。

今この状況で使えるのは、敵が冷静さを完全に失っているということくらいだろうか。以前に戦った際にはその暴れ様とは裏腹に、常に冷静で森の地形を利用して様々な攻め方をして来たカイザー・サーペントだ。あれにはリゼも読み合いに負け、ラフォーレに何度も助けられてしまった過去がある。

だかもし、今それが無いのだとしたら。

 

(この距離から撃ち込むのは……リスクが高いか。当てられない訳ではないが、以前に撃ち込んだ際には僅かに位置がズレて絶命には追い込めなかった。あれが他の要因ではなく、カイザー・サーペント自身の知覚能力であった場合、仕留めきれない可能性は高い)

 

幸いにもアレの目に映り込んでいるのは自分だけ。

木々の中に隠れているレイナのことは気にも留めていないし、レイナの一撃が放たれてからの方がより確実だ。

 

「とは言え、私の足ではあと何秒もつか……!」

 

少し森の中へと入り、カイザー・サーペントがなるべく多くの木々を薙ぎ倒しながら進む様に誘導してはいるものの、やはり距離は縮まるばかり。

多少でもDEXが伸びていなければ、こんな追いかけっこすら出来ていなかっただろう。木々の中を走る技術が無ければ、ほんの数秒で轢き殺されていた筈だ。なんだかんだ言ってもこの階層は、リゼにとって動き易い環境であったのは間違いない。

 

「【雷散月華】……!」

 

「来たか……!」

 

真っ赤に染まった2つの瞳が寸前まで迫ったその瞬間、レイナがその視界から逃れつつ、凄まじい電撃を迸らせ、カイザー・サーペントの胴体目掛けて飛び跳ねる。

いくら分厚い皮と肉体を持った帝蛇とは言え、レイナのそれは雷属性特有の切味と麻痺効果を持った致命的な一撃だ。いくら急所ではなくとも、突き刺されば確実に一瞬でも意識が吹き飛ぶ筈。その隙に頭部を吹き飛ばせば……

 

『キシィィィイイイイイ!!!!!!!』

 

「なっ!?」

 

「えっ!?きゃぁっ!?」

 

「レイナ!!」

 

瞬間、間違いなく視界に捉えていなかった筈のレイナの攻撃を、カイザー・サーペントは身体を不自然なほどに強引に動かし交わし、巨体を打つけて吹き飛ばす。

その動きによって僅かに距離が離れてしまったとは言え、未だにカイザー・サーペントの目はこちらに向いたまま。それなのに何故レイナの攻撃に対応出来たのか。何故見ずとも後方からの攻撃に対応出来たのか。そんなこと、少し頭を回せば思い至る。

 

「……まさか、目以外にも感知器官が?」

 

蛇に熱を感知する器官が存在することは、山で過ごして来たリゼは知っている。しかしそれは目と鼻の間部分に存在していて、後方に対してはあまり良く働かない筈だった。加えて熱を感知しているとは言っても、その距離には限度がある。遮蔽物を越してまで感知出来るものではないし、その器官が仮にカイザー・サーペントにもあったとしても、今の攻撃を避けられる筈がない。

……つまり、敵にはそれとは違う、むしろそれを発展させた感覚器官が存在していると考えるべきだ。それがある限りは不意打ちは不可能。

 

「くっ、先ずは距離を取る……!」

 

リゼは走りながら跳躍し、手頃の良い枝に手をかけると、腕力に任せて自分の身体を上空へと引き上げる。そのまま対面にあった大木に足を付けると、更にもう一度跳躍をして別の木に飛び移った。

先程まで足場にしていた大木が薙ぎ倒される。

動きを察知した帝蛇が、前進をやめて頭を持ち上げる。

……ただ、リゼの狙いは逃げることだけではなかった。攻撃こそ最大の防御。いくら良い器官持っていたとしても、その長く大きな体の全てをカバー出来る訳ではないだろう。

 

「【マーキュリー・イェーガー】!!」

 

『ギッ……キィィイイイイィィィイイイイイ!!!!!!!』

 

弾の一つをここで使う。

木々の間から身を隠して放ったそれは、頭を持ち上げたことで停止せざるを得なかった帝蛇の地面との設置部分の体を撃ち抜いた。

あの極太の肉体に文字通りの風穴を空ける一撃、カイザーとも呼ばれた巨蛇が肉体をくねらせてその痛みにもがき苦しむ。

リゼはその隙に木々を飛び移りながら地上へと降り、吹き飛ばされた反動で今も苦しそうに立ち上がろうとしているレイナの元へと駆けた。見た目では大きな怪我を負ってはいない様だが、あの様子では何処かの骨にヒビが入ってしまっているのかもしれない。リゼは走りながらも次の弾丸を用意し、装填の準備も同時にし始める。

 

「レイナ!大丈夫かい!?」

 

「リ、リゼさん……ご、ごめんなさい。役割、果たせなかったです」

 

「仕方のないことだから気にしなくてもいい!それよりも怪我の具合を虚勢なしで教えるんだ!」

 

「……恐らく右足の骨にヒビが入っています。正直に言うと、走れません」

 

「分かった、気にしないでいい。……私が次の一撃を当てれば、それで済む話だからね」

 

「リゼさん……」

 

手袋越しでも凄まじい熱を持つ装填部を無理にこじ開け、多少の火傷を無視しながらも強引に装填を完了させる。最大威力の連続装填、本来ならばもう少し時間をおくべきだろうが、銃の負担も肉体の負担も無視をして、額を伝う汗を拭いながらリゼはレイナの前に立つ。

それに決して策がない訳ではないのだ。

まだそれを判断するだけの材料が無いというだけで。

 

「……!そうだレイナ、松明を投げてくれ!」

 

「松明をですか?」

 

「そうだ、帰りのことは考えなくても良い!とにかくカイザー・サーペントの近くに投げてくれるだけでいい!」

 

「わ、分かりました!!」

 

更に目を赤く染め上げた帝蛇が頭を持ち上げてリゼを睨み付けたと同時に立ち上がる。リゼの手には自身の松明、そしてレイナも同時に自分の松明に火を付けて敵に投げ付けた。予想通り、敵は投げ付けられた松明をわざわざ身体で弾き飛ばしてからリゼの方へと顔を向ける。

 

(やはり感知器官は熱か光に対応している。恐らくは熱かもしれないが、以前に私は吹き飛ばされる木に隠れて奴から逃れたことがある。……つまりあの器官は、熱を感知する癖に熱に弱い。あの時はラフォーレの炎弾によってその器官が破壊されていたと予想して良い)

 

適当に撃っていた様に見えて、実際には彼女は数発の炎弾でそれを破壊してくれていたのだろう。だからリゼは吹き飛ばされる木々に隠れて逃れる事が出来たし、その後に身体に触れてしまうまで感知されずに済んだ。

……となると、あの時の最後に銃弾を僅かに逸らしたのは敵の単純な動体視力によるものだという最悪の結論を導き出してしまうのだが、それはもうこの際無視だ。

 

今はとにかく、

 

「感知器官を破壊する!」

 

リゼはレイナと同じ様に松明を放り投げて敵の動きを一瞬止めると、バックの中の箱から1本の瓶を取り出した。

可燃性の液体……やはりこれは持っていて損はない。補充しておいて本当に良かった。また森を燃やしてしまうことになるが、ラフォーレの様に森を全焼させるまででは無いのだから許して貰えるだろう。

 

「【炎打】!!」

 

リゼは銃を構えて撃つのではなく、打った。

炎を纏った銃底で、空に放り投げた液瓶を力一杯に殴り付ける。

 

『キィィィイイイイイ!?!?!?』

 

飛び散る液体。

着火し、火の雨となって散弾の様にカイザー・サーペントの顔面に向けて降り注ぐ。これなら敵の何処に感知器官があったとしてももう機能は果たせないだろうし、何粒かが眼に入り込んだのか、あまりの痛みに敵は頭を周囲に叩き付け始めた。

銃底に張り付いた燃焼している液体を、再びバックから取り出した消火用の液体を使って消し、再びレイナの元へと駆け寄る。

槍を杖にしながらもなんとか立ち上がった彼女に、リゼは疲労を隠しながらも笑い掛けた。

 

あと少し、もう少し。

まだ気は抜けない、敵の怒りは最高潮。

恐らく僅かでも思考を取り戻せば、敵はもうなりふり構わず突っ込んで来るだろう。そうなればレイナは避けられないし、リゼだってレイナを背負いながら逃げる事は不可能だ。

それならばレイナを放置してリゼが気を引けば良かった話ではあったのだが、リゼはもうここで決着を付けるつもりだった。

これ以上は自分の体力と集中力がもたない、色々と柵を巡らせて敵を弱らせても、最終的に決定打を入れるだけの余裕がなければ負けなのだ。

つまりここが最適、ここが最善。

僅かでも余裕が残っている今この時でなければ、100%の狙撃は実現しない。

 

「レイナ、最大出力のを頼みたい。そのまま私の背後で掲げていて欲しいんだ」

 

「……はい、分かりました」

 

言われるがままにスフィアに手を伸ばす。

リゼの思惑は分からなくとも、疑う事はしない。

 

「【雷斬】【雷斬】……【雷散月華】!」

 

短時間での2度目の使用。

精神力の消費はそれなりに大きいが、リゼの抱えている疲労と比べれば小さなものだ。レイナがしたことと言えば不意打ちに失敗して吹き飛ばされた程度、まだ何の役にも立てていない。

リゼに言われた通りに槍を掲げながら、レイナは必死になって頭を回す。この後に起きること、この後にすべきこと。指示された理由は分からないしリゼが何を考えているのかも分からないが、それでも現状から予想出来ることは多いにあった。

何の役にも立たずに終わるなんて出来ない、足手纏いのまま任せきりにするなんて絶対に嫌だ。この人の役に立ちたいと思ったから、今ここに立っているのだ。だからレイナは痛みを訴える右足に更に力を入れて、より強い痛みを自身に与えることで叱咤する。この程度のことで立ち止まっていられるほど、まだ自分は何も成していない。

 

「来い!帝蛇!!」

 

『キシャァァアアァァァア!!!!!』

 

リゼの呼び掛けに呼応する様に、帝蛇が迫り来る。

やはり高い知能はあるのか、木々を盾にして、頭を大きく動かして、リゼの狙撃を少しでもズラせる様に警戒しているのが見て分かる。それでもこうして突貫してくるのは、それほどの怒りからなのか、それともそれでも勝てるという自負からなのか。その巨体からは想像も出来ないほどの早い動き、地面が抉れ、木々が吹き飛ぶ。階層が揺れ、本来ならば狙撃は難しい状態だ。

 

(それでも、当てられる)

 

確信している。

そのための布石は既に打った。

 

「【星の王冠】【視覚強化】」

 

だから後は、この引鉄を引くだけだ。

 

「【マーキュリー・イェーガー】!!」

 

『ーーーッ!!!』

 

本日3度目の射撃。

2連続の最高威力。

弾が放たれた直後、限界を迎えた両手が離れ、弾丸を放ち終えるまでなんとか保ち続けた姿勢も崩れて後方に爆音と共に吹き飛ばされる。

それを既に予知していたのかレイナは槍を右手で掲げたままリゼの身体を受け止め、右足の痛みを堪えながらもしっかりと敵を視認する。

 

……リゼの弾丸は今度こそ、そして今日こそ、間違いなく、カイザー・サーペントの眉間のど真ん中を撃ち抜いていた。

向こう側が見える程に清々しい風穴、帝蛇の目からは既に正気は消え失せており、両方の眼もあらぬ方向へ向いて灰化を始めている。

 

全てがリゼの思い通りだった。

 

特殊な感知器官を潰してもリゼの弾丸に僅かな反応を見せるカイザー・サーペント。それに対してリゼが考え用意した手段は2つ。一つ目は可燃性の液体を撒くことによって、感知器官と目潰しを狙うこと。そしてもう一つは、凄まじい電撃を放つレイナを背後に置くことで、強引に逆光の状態を作り出し、感知器官も視界も完全に封じることだ。

性能の良い眼というのは、あまりに良く見え過ぎてしまう。それは同じ様に良過ぎる目を持つリゼだからこそ実感としてよく分かること。

だから仕掛けて、成功した。

 

……唯一思い至らなかったのは。

絶命したカイザー・サーペントの死体が、果たしてどう動くのかということで。

 

「ま……ずい……」

 

頭を失い、脳を失い、そのままプッツリと全身の機能が停止する。そんな生優しい相手であれば、目の前の存在は皇帝という名を付けられはしない。

身体を灰に変えながら、完全に肉体だけの抜け殻になりながら、それでも脳が命じた最後の指令を全うする。つまり全力の突撃、対象を絶対に殺し尽くすという絶対の意思。

殆ど行動能力を奪われてしまった2人にとって、これは間違いなく致命的だった。リゼは死すれば勢いが落ちてくれると当たり前の様にそう思って、ブレーキのかかる距離なども見測っていたのに。予想出来なかった。

 

「でも、大丈夫ですリゼさん」

 

「レイナ……?」

 

「ここから先は、私の予想通りですから」

 

「っ、なにを……!」

 

無造作に槍を投げ捨てたレイナが、その場で残った力の全てを振り絞ってリゼの身体を放り投げる。進行方向から直角に、絶対にあの突進に巻き込まれない位置へと、彼女を避難させた。

そんな彼女の行動に絶望の表情を浮かべるリゼ、だってそれは誰がどう見たって自己犠牲だ。確かにこれなら1人は生き残ることが出来る。しかしそれは同時に、もう1人が絶対に直撃を受けることを前提としたもの。いくら秘石の力があったとしても、VITの高くないレイナがあんなものを受けて生きていられる筈がない。

 

「レイナ!!」

 

なぜそんなことをするのか。

なぜこんなことをするのか。

分かっている、分かっているとも、分かっているけど納得など出来ない。出来る筈がない。リゼはそんなこと、これっぽっちだって望んでいないのに。

 

「まったく、リゼさんは私のことがまだまだ全く分かっていませんね」

 

「レイナ……!!」

 

「私がリゼさんのこと、そう簡単に手放すと思っているんですか?」

 

瞬間、自身の秘石に嵌め込まれた一つのスフィアを叩くレイナ。彼女はその状況に見合わない様な余裕のある様子で、絶望の表情を浮かべる目の前の人に呆れつつ、けれど同時に少しの嬉しさも混じえながら、ただ笑みを浮かべていた。確信をしていたし、備えてもいたからだ。目の前の人を守るために。そして同時に、目の前の人の側に居たいと思う自分を守るために。

 

「【体盾】」

 

「っ!」

 

放り出されたリゼの身体を追う様に、レイナの身体が跳び上がる。DEXを3段階上昇した状態で対象に定めた相手の側へ防御態勢で移動する、ただそれだけの効果。しかしレイナにとって何より必要だったのは、このスフィアはその目的のためならば疲労した身体であろうと怪我をした足だろうと、持主や物理法則すらも関係なく無理矢理に動かすという点だった。そしてどのような状況であろうと、相手が空に居ようが水の中に居ようが、必ず視界に捉えた相手の元まで辿り着かせてくれる。

 

「ぐっ……!」

 

損傷した右足であろうと、スフィアはレイナに驚異的な跳躍力を与え、同時に彼女に凄まじい激痛を齎しながらもその身体を守りたいと指定した人間の元へと飛ばして届けた。落下し始めたリゼの前に防御態勢で現れ、スフィアの効果が切れると同時にレイナは振り向き、彼女を抱える。

無理をさせ過ぎた、治療を行うまで右足はもう使えない。未だ銃撃の反動が抜けないリゼが十分な状態で着地を出来るとも思えなかった。だからレイナは残った左足と自分の身体を使って、リゼを守りながらも可能な限り自分自身も軽症で済む様な形での着地する努力をした。

滑り込む様な形を意識して、鞄を下敷きにしながら尻と胴体を犠牲にして四肢へのダメージを軽減する。衣服が傷付き、相殺し切れなかった衝撃が身体を襲う。2人分の体重だ。いくら横向きの力があったとしても、いくら鞄を下敷きにしたとしても、一瞬息が止まるほどの反動は着地してから暫く動けないほどのものだった。

 

「レイ、ナ……!」

 

彼女に守られ、最小限ダメージで済んだリゼが、震える身体で今度は痛みに動けないレイナを抱き寄せる。

灰に変わっていくカイザー・サーペント、彼が打つかった階層の壁には大きな凹みが出来ていた。決死の突貫、徐々に再生を始めている壁であるが、実際その強度はそれなりのものだ。もしあれが直撃していたら、そう考えるだけで恐ろしい。

 

「くっ……この……!」

 

しかしまだ、まだ安心は出来ない。

カイザー・サーペントは倒した。

しかしここは9階層、モンスター達はまだ居るのだ。

そしてここは決して安全な場所ではなく、むしろ10階層への階段と9階層への階段からも離れている中間位置。カイザー・サーペントの暴れ様に逃げていったモンスター達だが、壁の近くということは死んだモンスターが再生してくる場所でもあるのだ。あの騒ぎで恐らくこの階層の生態系は滅茶苦茶になった、それによって争いが起きていてもおかしくない。そうして散り散りとなった残党達もまたここに……

 

「VITは……高い、方なんだ……!私が立たないで、どうする……!」

 

下唇を噛み、震える身体を叱咤しながら、リゼはレイナを背負って立ち上がる。大銃は狙撃時には皮のベルトで肩から掛ける様にして、仮に失敗しても遠くへ吹き飛ばない様に固定しているが、それも一連の中で外れてしまった。落ちている大銃までは距離がある、レイナの槍など更に遠いし既に折れてしまっている。リゼの鞄は何処で外れたのかもう記憶にすらないが、恐らくはカイザーサーペントの残した大量の灰の中だろう。レイナの鞄の中を見てみるも、ポーションの系統は着地の際に軒並み割れてしまっていた。

だから最優先したのは大銃、武器の確保。

その為に歩いているが、遠い。

そこまでの距離が、今はもうあまりにも遠い。

 

『グルルル……』

 

「……もう、きたのか」

 

少し離れた場所から聞こえてくる唸り声。

それが一体誰のものなのか、リゼは見ずとも知っている。森の草木が揺れ始める。やはり単独行動はしていない様だった。

これならパワーベアと滅茶苦茶になった縄張りの取り合いをしてくれていた方がまだマシだった。嫌な偶然というのは重なるものだと言うが、この状況はあまりにも不幸が続き過ぎている様にも感じる。否、そういえばこんな状況に陥ってしまったのは、そもそもが恐らく人為的なものだったと、リゼは今更になって思い出したのだが。

 

『グルルルゥッ……』

 

「……8体、か。拳に炎打の効果を纏って、回避を利用して上手く立ち回って……しまったな、ポーション瓶の破片でも持って来れば良かった」

 

ジリジリと壁際へと追いやられる。

囲む様にして迫るハウンド・ハンター、リゼはレイナを背後に隠しながら片手をスフィアの近くに置いた。まだどうにかなる、どうにかなるはず、どうにかしなければならない。だってレイナは最後まで自分を含めた2人が生き残る方法を考えていてくれたのだから、それならリゼだってそうするべきだ。決して諦めるなんて選択は取れない。

 

(考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!どうする、どうすればいい!どうすればこの場を切り抜けられる……!私達はまだ死ぬ訳にはいかないんだ!!)

 

ハウンドハンター達が口を開く。

近付くのを恐れてか、風弾による牽制を行い嬲り殺しにするつもりなのだろう。そうなればリゼにはもう何も出来ない、されるがままになるに決まっていた。ただそれでもリゼはレイナを自分の背後に下ろすと、素手のまま目の前の一体に殴り込むために走り出した。決してレイナには攻撃が当たらないように、敵をまずは一体でも減らすために。

 

 

 

……想定外だったのは、そう。

 

意外と世の中の大半というのは、必然で出来ているということだ。

 

 

 

 

【大炎弾】



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54.灰被姫の憂鬱

【大炎弾】

 

そんな言葉が聞こえた様な気がした。

そして直後、リゼの頭上から凄まじい大きさの爆発音が響くと共に、信じられないほどの大きさの炎の流星群が瓦礫すらも焼き払いながら降り注いだ。

爆発音に驚いたハウンドハンター達が逃げていく、しかし彼等は着弾した巨大な火球によって森ごと焼き払われた。爆音、突風、熱風、リゼは咄嗟にレイナを抱き締め、その全てに背を向けて歯を食いしばる。それは咄嗟の判断だが、頭で実行したものではなく、どうすればいいのか考える前に身体の方が判断したものだった。

 

階層が揺れる。

衝撃波に内臓が揺れる。

真っ白な光から目を背け、意識を確立させるために、只管に朧げな目のレイナの顔を見つめ続けた。

 

 

……そうして、数秒なのか数時間なのかも分からないほどの時間のあと。荒い息を堪え、身を覆う熱による汗を拭いながらリゼが振り返れば、そこにもう緑と呼べるものはなにもない。赤熱する大地。灰となり空へと舞っていく生物達の残滓。火は燃え盛り、世界は赤く染められ、風と共に煙と灰塵がそこらを踊り狂っている。

 

ああ、知っている。

知っているとも。

こんなことが出来るのは、1人しか居ない。

実力としても、モラルとしても、こんなことをする様な輩は、この世界に1人しか居ないとリゼは確信している。

 

「生きていたか、愚図」

 

「……ラフォーレ」

 

ぶっ壊した8階層と9階層を隔てる天井から、その女は降りて来た。あれほどの高さから落ちて来たというのに、あまりに美しいロール着地を決め、当然のように話しかけてくる見知った狂人。

 

「どうして、天井から……」

 

「9階層へつながる階段が埋められていたからな。もしかすればあの気に食わない害虫の仕業かと思い、不意打ちで森ごと焼き払ってやろうと思った訳だ。お前が助かったのは偶然だな」

 

「……そうか」

 

もう何も言うまい。

もう何かを言う気力もない。

天井なんか壊しても大丈夫なのかと、強化種が出てくるのではないかと、そんな心配をする余裕は身体にも思考にもどこにも残っていなかった。今はもう

レイナをこうして抱えていることしか出来ていない。むしろ苦しくさせていないか心配なくらい。

 

しかしそんなリゼの様子に彼女は目をくれることもなく、自分が降りて来た天井の方へとその鋭い目を向けた。同じ様にリゼも目を向ければ、光でよく分からないが誰かの人影が見えている。影は小さい、どうにもそこにいるのは子供らしい。

 

「おいクソガキ!何を偉そうにこの私を見下ろしている!さっさと降りて来い!この役立たずが!!」

 

「酷過ぎる……」

 

『だ、誰が役立たずだ!!そ、それよりこんな、この、やっぱり頭おかしいだろアンタ!!』

 

「殺す」

 

『待て待て待て冗談だ!お、降りる!今から降りるから!!』

 

ラフォーレとは違い、滞空中に一度『回避のスフィア』を使う事で落下速度を軽減して着地をした1人の少女。活発そうな口調、短く赤い短髪を更に後ろで纏めている特徴的な容姿、しかしそこには明らかに探索者として優れているであろう雰囲気を感じられる。二本の短剣を腰に携え、彼女は何か異常なものを見るようにラフォーレを見上げていた。……いや、まあ、異常なのだけれども。

 

「普通マジでここまでやるかよ……」

 

「ええと、彼女は……?」

 

「クソガキだ」

 

「ざっけんな!アルカだ!マドカのねーちゃんのライバルの、アルカ・マーフィンだ!」

 

「マドカの、ライバル……?」

 

「なに、100回戦って100回負けるような愚図でも名乗れるような安い称号だ。価値はない。……そういえば龍殺団の団長などという不名誉な肩書きも持っていたな」

 

「誰が不名誉だ!!これでもアンタのところと最高到達階層は一緒なんだぞ!!」

 

「強化ワイアームに秒殺された雑魚が長の養育施設だ」

 

「1年も前の話を蒸し返すなぁあ!!」

 

その言葉に驚く。

龍殺す団と言えばマドカもフォロー出来ないような頭のおかしい人間の集まりであり、確かにそのトップに立っているのは1人の少女だとは聞いていた。しかしいざ目の前にしてみると、本当にこの小さな少女が都市の中でも最前線を走るクランの長だとは思えない。確かに探索者としての雰囲気はあるが、目の前で言い争っている様は本当に子供にしか見えなかった。

 

「おい」

 

「あ、とと……ありがとう」

 

ラフォーレに投げ渡されたポーションの蓋を開け、取り敢えずはレイナに半分を飲ませる。先程まではぼんやりと意識はあったようだが、今は寝息を立てて眠っている。右足の治療はどの様な状態になっているか分からなかったため、ポーションを手で直接塗り付けて止血をするに留めた。

そうして残った液をリゼが飲み干せば、怪我自体はそれほど多くなかったが故に、時間をおけば普通に立てるようになるくらいには回復する。これなら休息さえすればレイナを背負いながらでも地上に戻れるだろう。ラフォーレが隣にいるのであれば、森林地帯であろうとモンスターは脅威ではない。流石に、流石に今日くらいは無事に送り届けてくれるであろうし。いくら彼女であっても。

 

「……ほう、あれは私が焼いたものではないな」

 

「え?」

 

リゼがまたレイナを背負おうとした時に、珍しく、本当に珍しく、ラフォーレからそんな機嫌の良さそうな声が聞こえてくる。彼女の視線の先を追ってみれば、大きな灰の塊。つまりカイザーサーペントの死骸だ。彼女はそれを見て口角を上げていた。

 

「お前達が倒したのか?」

 

「まあ、その、閉じ込められてしまって。必要に駆られてというか……」

 

「ふむ……クソガキ、最初にアレを倒したのはいつだ」

 

「だからクソガキはやめろっての!……探索者になって3ヶ月くらいの時か?その時の仲間と、兄貴に手伝って貰って倒した」

 

「ああ、そういえばその前に一度無様に殺されかけていたな。あの男に泣き付いていたのを今思い出した」

 

「だからなんでそんなことばっかり覚えてんだ!!あと泣き付いてねぇ!兄貴が勝手に手伝いにきただけだ!」

 

ラフォーレにそう食らい付くも、「いいから死骸の中から魔晶と荷物を拾って来い」と尻を蹴られるアルカ。それに対して至極不満そうに睨み付ける彼女だが、やはり悪名高いラフォーレに逆らうことはないのか、ぐちぐちと何かを呟きながら灰の山を掻き分け始める。……いや、もしかするとあの様子では過去にラフォーレに刃向かったことがあるのかもしれない。勿論その結果は、想像通りのものであるのだろうが。

 

「……なるほど、こうなるとやはりマドカの目は間違っていなかったのは確定だな」

 

「?……それはどういう」

 

「私が想像していたよりかは使える人間だった、ということだ。探索者となって1月程度の女が帝蛇を殺した、仮に戦闘経験があったとしてもそうある話ではない。よくやったな」

 

「!」

 

一瞬、リゼは自分の耳を疑った。

そして何故か、あれほど苦手だった女の言葉なのに、深く胸を動かされた。

……褒められた。

あのラフォーレ・アナスタシアに褒められたのだ。

その意味をリゼはなんとなく知っている、むしろこの女がマドカ以外の探索者を褒めている場面など今日の今日まで見たことがない。その対象に今こうして自分が居る、見出したマドカのついでとは言え、間違いなく認められている。

 

「……何を泣いている、気持ちが悪い」

 

「えっ、あっ、いや、これは……」

 

「勘違いするなよ、それでもまだお前は愚図だ。だが最初に見た時の様な甘ったれた顔が少しはマシになった、それだけだ」

 

「わ、分かっている。まだ、まだ気を抜いたりはしない」

 

「……いいか、その銃は貴様にしか扱えないとは言え、貴様単体の実力はそう高くない。しかしだからと言って、決して銃を使わない自分を強くしようなどと考えるな。その程度の量産品など腐るほどいる、今更もう必要ない。貴様には他に生き残る術があるだろう」

 

「あ、ああ」

 

「お前に求められているのはその銃の性能を十二分に活かすことだと理解しろ。走りながら撃て、跳びながら撃て、何度でも撃て。より強大な敵を穿ち続けろ。……それ以外のことは量産されたゴミ共にやらせればいい、そのためにアレ等は居る」

 

「な、なるほど……」

 

大銃を拾い上げる。

やはり今日も今日とて傷一つ付くことのなかった祖父の形見。ラフォーレの言葉は、きっと1人の探索者としてだけではなく、都市を守る一員としても自分に求められている姿なのだろう。

今のリゼでは最大威力で弾丸を放った場合、連続で2発までしか叶わない上に、リゼが祖父と考案した固定された姿勢でなければその反動に耐えられない。……だがもし、もしもっと容易く撃ち込むことが出来る様になれば。きっと今日みたいに、レイナを危険に晒すことはなかったはず。

 

「愚図」

 

「……その呼びに素直に返事をするのは未だに少し躊躇われるのだが、なんだろうか」

 

「褒美だ」

 

「!」

 

無造作に投げつけられたそれを、リゼは片手で掴み取る。赤色のスフィア、そして中には2つの星。

 

「これは……」

 

「【炎弾のスフィア】だ」

 

「!……ええと、その、素直にありがたいと思っているのだが、実は私はINTが目も当てられくらい低いというか……」

 

「だからお前は愚図なんだ、誰が今更魔法使いになれと言った。魔法弾系のスフィアは射出武器や投擲武器の弾丸に対しても作用する。矢や投石、猟銃でさえもそうだ」

 

「な!そ、そうなのか!?ということは!?」

 

「その銃に作用するかどうかは知らん、少なくとも古典的な大砲や投石機などと言った、武装ではなく兵器と呼ばれるものには反応しなかった。……加えて内部構造次第では発動の瞬間に爆発もあり得る」

 

「しゃ、洒落にならないんだが……」

 

これでも意外と毎日しっかりとリゼは手入れしているのだ。事故が起きない様に日々のメンテナンスも欠かさない。火薬を使っている弾丸に炎を纏わせるというのは、率直に言えばかなり恐ろしい行為である。仮にそれを実現するのであれば、弾の改良から必要だろうし、多くの検証も必要になってくる訳で。

 

「……一先ず、一般的な猟銃から試してみようと思う。ありがとうラフォーレ」

 

「ふん」

 

それで会話は終わりなのか、ラフォーレは今も灰の山に潜っているアルカの元へと歩き始めた。こうして見ると、なんだかんだで彼女も大人の女性なのだろう。人の好き嫌いはあれど、面倒見はいい。口も悪いし指導も極端だが、それ相応の理由と知識もあるのが良くわかる。

 

「クソガキ、命令だ」

 

「なんだよ!人がせっかくスフィアのドロップが無いか探してやってんのに!」

 

「今直ぐ15階層まで降りろ」

 

「!」

 

「ここと同様に塞がれた通路がないか見て来い、あれば即座に破壊しろ。レッドドラゴンとブルードラゴンが生きているかどうかも見て来い。死んでいれば羽虫は下に向かっていることになる」

 

「……15階層まででいいのかよ」

 

「羽虫と言えど未知、未熟者が余計な手を出すな。仮に見つけたとしても無視して戻って来い。……貴様が私より優れた頭を持っていると自負しているのであれば好きにすればいいが」

 

「……性格悪ぃな、相変わらず。分かったよ、見てくるだけだろ、ったく」

 

「ついでにこの階層に戻って来た際に次の帝蛇を端に退かしておけ。殺さない限りは好きにしろ」

 

「あいよ。……ほら姉ちゃん、スフィアは無かったけど魔晶は無傷だ。あとこの鞄も姉ちゃんのだろ?」

 

「あ、ああ。ありがとう、アルカ・マーフィン」

 

「アルカでいいぜ、そんじゃな」

 

ラフォーレにそう命じられた彼女は、軽い様子でリゼに荷物を渡して、10階層へ向けて走って行った。探索者としてはかなり軽装、持っているのも小さな鞄と双剣だけ。しかし彼女もきっと、それこそレッドドラゴンやカイザーサーペントを1人で倒せるほどの十分過ぎる実力を持っているのだろう。そうでなければ、これほどラフォーレに信用されない。出来ると判断されているからこそ、こうして指示を出されているのだから。……いつかはそう思われる様な探索者に自分もなりたいと、リゼは思った。

 

 

 

 

 

『15階層まで行って来た。塞がってた壁は無かったけどよ、やっぱレッドドラゴンとブルードラゴンが殺されてたぜ。しかも魔晶にも手を付けてなかった。灰の形を見る限り、多分一撃だと思う。こう、首をスパーンッて』

 

『調べてみましたが、やはりアルファという名前の探索者はこの街のどの名簿にも存在していませんでした。門とダンジョンの出入り記録にもありません。加えて目撃された容姿に当たる人物の心当たりも、少なくとも職員の中にはありませんでした』

 

『壁が出来た時の状況と言われても、本当に私が木に登って周囲を見渡している間に出来ていたんだ。下にはレイナが居た筈だし、恐らく時間的には10分もない。音も大してしていない。……ああ、それとカイザーサーペントが妙に興奮していて、生傷とストレスを抱えている様だった。悲鳴の様な笛の様な高い音が聞こえた後に、いきなり私達に襲い掛かって来て』

 

ラフォーレはその日の夜、ギルドの食堂で温かい茶を啜りながら物思いに耽っていた。

マドカの新しい弟子であるリゼ・フォルテシア。当初は甘ったれた腑抜けというイメージであったが、この頃妙に意識が変わり、実力を付けてきている。その隣にいたよく分からない女はさておき、マドカに憧れて必死に強くなろうと藻搔いているあの姿は素直に好感が持てていた。

だからこそ暇潰しに叩いてやろうとも思ったのだが、そんな折に奇妙な雰囲気を纏う男を見つけてしまった。今思えばやはりあの時あの瞬間に顔を合わせると同時に殺すべきだったのだろう。調べれば調べるほど、その情報は出てこない。マドカならば知っている可能性もあるが、彼女は今は街の外に出ている。まだ断定は出来ないが、リゼ・フォルテシアを9階層に閉じ込めたのがあの男であったとすれば、今回限りでこの悪戯が終わるとは考え難い。

……正直、ラフォーレ個人の考えとしては探索者に試練を与えるのは別に構わないが、あれは仮にもマドカの選んだ教え子である。今回の様に監視者が誰も居らず、一歩間違えれば死ぬ状況に頻繁に巻き込まれるというのは少し困る。事実、ラフォーレが間に合っていなければ彼女はあそこで死んでいただろう。9階層が封鎖されていると耳に挟み、近くを歩いていたアルカの首根っこを掴んで降りて来た甲斐はあったが、マドカの教え子に勝手に手を出すというのはあまりにも不快だ。

 

「珍しいな、お前がそう考え込んでいる姿は」

 

「……なんの様だ、魔女」

 

「その魔女という呼び方はあまり好きではないのだが……まあいいか、席を借りるぞ」

 

「勝手にしろ」

 

そんな風に人が近寄り難い雰囲気を出しているラフォーレの元に、珍しく1人の女が同席を申し出てくる。カナディア・エーテル、ラフォーレが昼間に散々こき使ったアルカが作り上げた龍殺団の副団長を務めるエルフだ。

彼女はラフォーレの対面に座ると、少し遅めなのか夕食をとり始める。メニューは焼魚を中心とした定食。一部の物語ではエルフは野菜しか食べないといった設定もあるが、実際には魚だろうと肉だろうと普通に食べる。そもそも彼等は普段から狩りをしているのだから当然だ。ただ果物だけは特に好んでいるのか、彼女もまた黄色の柑橘類を別で頼んでいるようだった。

 

「昼はアルカが世話になったな」

 

「使っただけだ」

 

「いや、今後も怪我をしない程度に使ってやってくれ。お前と関わった日のあの子は大人しくなって助かる」

 

「はっ、反面教師とでも言いたいのか?」

 

「実際にそうなっているのだから仕方あるまい。お前以外の一体誰が、居るかどうかも分からない男を殺すために階層境界を破壊して森を焼き払うなんて真似をするんだ。他に探索者が居たらどうする」

 

「松明の灯りは無かった。松明無しであの森を突破出来るほどの力がありながら、帝蛇に襲われているガキの助けをしようともしない探索者など死んでもよかろう。……まあ実際にはそんな輩も居なかった訳だが」

 

「その辺りも疑問が残るな。いくら帝蛇の情報を出していたとは言え、あの時間帯にあの階層で他の探索者が居なかったというのは妙だ。とは言え、アルカの証言では10階層以降に壁は無かったというし、そちらについては単なる偶然なのかもしれない」

 

「………」

 

出口は偶然でも、入口は必然だろう。

ダンジョン内で、何者かが企みを施している。

あのアルファという男がどういう立場の人間なのかは分からないが、少なくとも最初に見たあの時からダンジョンの外に出た形跡は一切なかった。

ダンジョン内で生活している、にしてはあまりにも身なりが清潔過ぎる。つまり可能性としては、ダンジョン内にそういった施設や大掛かりな隠れ家があるか、ダンジョンの外に出る他の出口があるということだ。

 

「ダンジョンの別口については、それこそリゼとレイナの2人に調査をお願いしている。2人とも快く受け入れてくれた」

 

「つまり、その件で狙われた……訳ではないな」

 

「ああ、2人のレベルではまだ十分に森林地帯を探索出来るほどではない。それに森林地帯は既に何度もお前とマッチモスに焼き払われた場所だ、宝箱目当ての探索者達もよく駆け回っている。あるとしても普通では見つけられない方法で隠してあるんだろう」

 

そもそも、いくらレイナがあの場所で見つかったとしても、それであの階層に別口があると考えるのは早計だ。それこそあのアルファの様な人間が彼女をそこまで運んで来たと考えることも出来る。まあそうなると目的とか理由が訳の分からないことになるが、正直この件については殆どが想像だ。あの男とダンジョンの別口が関係していないという可能性もあるし、別口の存在を否定することは難しいが、それほど便利なものなのかすら分からない。

 

「聞くが」

 

「ん?なんだ」

 

「あの愚図の側にいた女、レイナといったか。あれについては何か分かったのか」

 

「連邦中枢に問い合わせているところだが、あまり芳しくない。正直あの子も悩みの種だな。身元が分かればいいが、分からなければ問題の一つになる」

 

「技術はあったな、知識はあるのか」

 

「ある、基本的な常識や知識に問題はなかった。何処かに監禁されて育っていた、という線は間違いなく無い。槍術も何処かで訓練を受けて得たものだ、実戦だけで身に付けたものとは違う様に思える」

 

「……今のうちに殺しておくか」

 

「やめろ、例え彼女が潜入員であったとしても、恐らく問題はない」

 

「なぜそう言い切れる」

 

「記憶を無くしている事実は間違いないからだ」

 

「それだけでは理由にならんな」

 

「それとリゼ・フォルテシアに惚れている」

 

「………」

 

「………」

 

これほどラフォーレが微妙な顔をするのを、カナディアすらそうそう見たことはない。

どう反応すればいいのか分からないというか、何と言えばいいのか分からないというか。カナディアもまた苦笑いしか出来ないのがまた気不味い。

 

「……まあ、容姿だけはいいからな。あの愚図は」

 

「それと言動も何処で身に付けたのか、どうも無意識に女性を口説いている節がある。正義感も強いし、そういう人気が出そうな人種だ」

 

「エリーナが喜ぶだろう、マドカに代わる未来のアイドル候補だ」

 

「実際、そこまで含めてマドカは彼女を見込んだのではないかと私は想像している。……こうしてマドカが都市から居なくなっても、あの子の教え子達はその穴を埋める様に働いているのは事実だ。配信の代役だけはエリーナもまだ模索しているが、お前の言う通り彼女に話が来るのも時間の問題だろう」

 

「……気に食わんな、マドカが居なくとも問題ないとでも言いたいのか?」

 

「むしろそう仕向けているのがあの子自身だということを言いたい。全く、身の引き方と役割の分配が完璧だな。ひと段落がついたら私の研究を手伝ってくれるだろうか」

 

「……お前」

 

ラフォーレの視線が鋭くなる。

なんとなく増した威圧感、それに対してカナディアもまた涼しげな顔で果実水を口に含む。元々都市内でも有名な2人が同席しているだけあって、周囲からの視線も多少はあったが、そんな彼等も変化に気付き次々と立ち上がり逃げ始めた。ラフォーレが暴れたのは過去に一度や二度で済む話ではないのだ。巻き込まれる前に逃げるのが一番、ここでの常識の一つとして染み渡っている。

 

「貴様またその話か!何度言わせれば気が済む!貴様などにマドカをやるか!!」

 

「むっ……とは言うが、その方があの子も静かに暮らせるのは確かだろう?私もそろそろ今のクランの引き継ぎを始める、数年もあれば十分に手放せる程度まで成長する筈だ。マドカの役割分配とタイミング的にも合う」

 

「黙れこの年増!50を超えた分際で17の娘に執着するなど気持ちが悪いにも程があるわ!」

 

「そ、その様な不純な気持ちはない!それにエルフとしてはまだ若い方だ!!」

 

「何が若いだ!所詮は人の2倍程度の寿命しか持たない蛮族が!割ったところでマドカより10も歳上だろうが!」

 

「わ、私はただ1人の研究者としてマドカを助手として欲しいと言っているだけだろう!」

 

「なにが1人の研究者だ!貴様が研究に託けてマドカと妙に近い距離感で接していることは周知の事実だ!」

 

「なっなっなっ……!」

 

どうやら今日の負けはカナディアの方らしい。

こう見えて意外と色々と情報を集めているラフォーレ、特にマドカの件に関して彼女が弁舌で負けることはそうそうない。

 

「……マドカは貴様に気を許している。故に今のところは見逃しているが、不純な行為を働いたり、私から母としての役を奪う様な行いがあれば……徹底的に殺すからな」

 

「そ、その様なことは考えていない!私はノーマルだ!」

 

「普通という意味か?その歳になっても未だ男との噂話が欠片もない女が何を言っても説得力がない。加えてエルフには同性愛も多いと聞く、特に女のな」

 

「ノーマルだ!」

 

「どちらにしても、余計な手間をかけさせるなよ。私とてあの子に嫌われたくはないんだ」

 

なんだかんだと言っても付き合い自体はそれなりに長い2人。"いまのところは"マドカへの良い影響の方が多いだけに譲歩している部分はあるが、これから先も見逃し続けられるかどうかは分からない。

 



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55.緑の都の空の下

新緑の都:グリンラル。

マドカとエミがこの街に来てから3日が経過していた。都市への出入りを一時的に完全に封鎖し、都市内で徹底的に行われた消毒活動。マドカのスキルによる極大効果の【解毒のスフィア】は集められたほぼ全ての患者の病を取り除き、消毒活動も効率化され、今も常に更なる警戒はされているが、都市の活気は少しずつ元のものを取り戻し始めていた。

 

「……ふぅ、ご馳走様でした」

 

「相変わらず食べるねぇマドカちゃん、変わらない食欲だ」

 

「すみませんキャリーさん、食料も限りがあるでしょうに毎日こんなにも……」

 

「はっはっは!そう気にするなマドカ!此度の功労者を労うのは当然の話よ!」

 

「そうそう、マドカさんは何も気にしなくていいんだよ〜!倒れるくらい頑張ってくれたんだし、当然だよ〜♪」

 

「あ、あはは……流石に使い過ぎました」

 

食堂の片隅に積み上げられた大皿。

見慣れていないグリンラルの探索者達はその様子を信じられない様な顔で見ているし、そのことをよく知っていた彼女の周りの者達もまた基本的に苦笑う。

都市の出入りはあと2日間は禁止されているし、そんなことを知らずに来てしまった商人達は近くの村に滞在しているとのことだった。それまではマドカ達だって街の外には出られないし、食料だって限られている。だからこそ最初は彼女も遠慮していたが、流石に一度気を失って倒れてしまうほどこの都市のために魔力を使った少女に食事を我慢させるほど心の狭い者はここには居なかった。

 

「それにまあ、キャリーのことだ。こういう時のために食料の備蓄は欠かしていないんだろう?」

 

「当然だね、当然過ぎる。あらゆる物資の貯蓄は都市運営の基本だからね、運営者としての仕事はしているさ」

 

「キャリー様、その備蓄についてですが現状で既に全体の6割が消費されています。回復の手筈を整えてはおりますが、金銭的には二度の怪荒進の影響でむしろプラスとは言え、その買い付け先に難儀しそうです」

 

「まあ、今直ぐに元に戻す必要はないからさ、今直ぐじゃなくていい。それより君達は本当に無償で良かったのかい?無償だよ?」

 

「わ、私はもう十分なくらいご馳走して貰っていますし……もしそれでもということであれば、ステラさんとリエラさんにお渡しして欲しいです」

 

「……またマドカが教え子にお金渡そうとしてる」

 

「も、もう!そんなことしなくても大丈夫ですから!ありがたいですけど!」

 

「リスタニカとアタラクシアはいいのかい?要望があれば聞くよ、聞くからには努力もする」

 

「必要ないよ」

 

「……連邦軍は民の税で動いている、許可なき報酬の受領は懲戒の対象だ」

 

「これだからねぇ」

 

「むぅ、此奴等だけで一体何人分の人件費が浮いていることか。これは十分な復興が出来なければ面目が潰れるぞ、キャリー」

 

「やめろよゼグロス、変な圧を掛けるのはやめてくれ」

 

基本的にお金がないのに遠慮し教え子にばかり金銭を回そうとするマドカに、生きていくに十分な金銭を持っているが故にそれ以上を求めない英雄アタラクシア、そして職務に忠実な連邦軍長リスタニカ。

言ってしまえば、この3人が集まれば小規模の怪荒進なら簡単に対処出来る。都市への被害を飲み込めば中規模の対処すら出来るはずだ。そんな3人を殆どタダ同然で使ったのだから、それに見合ったお金の使い方を求められるのは当然と言えば当然か。

実際マドカの実力は他2人に比べれば格段に低い方ではあるのだが、スフィアで出来ることであれば大抵の事が出来るのが彼女だ。今回の解毒の様に1人で持てる役割があまりにも多い。これは明確に彼女かカナディアだけの強みだと言えるし、こればかりは英雄にも軍長にも出来はしない。

 

「にしても、マドカちゃんがこの街に来てくれたら助かるんだけどなぁ。他じゃないこのグリンラルに」

 

「現実的に考えてはいますよ、もう少し時間がかかると思いますが」

 

「「「え」」」

 

「え?」

 

ただ、会話の繋ぎになんとなくキャリーが吹いたその冗談に対する答えが、それまで和気藹々としていたこの空間を完全に停止させる。それについてはエミやリエラにステラ、吹いたキャリーだけではなく、アタラクシアやリスタニカでさえも驚いた様子で目を開いていた。

 

「ま、ま、待ちなマドカ!グリンラルに来るって、あんたそれどういうことだい!?」

 

「そ、そうですよマドカさん!?そんなのあたし達も聞いてないです!そうだよねステラ!?」

 

「うん、聞いてない」

 

「ええと……まあその、オルテミスではそろそろ私の役割も終わりそうなので。都市間の戦力差があまりに開いても困りますし、次はグリンラルで探索者育成に貢献するのもいいかなぁと」

 

マドカのその言葉に、反応は3分される。

絶望の表情を浮かべるオルテミス組に、明らかに嬉しそうな顔をするグリンラル組、そして感心して頷いている英雄と連邦長。マドカの言葉は的確であったし、その思考も納得出来るものである。

実際3都市の中で元より強かったグリンラルの探索者の実力がより増して来ているのは事実であったし、そこに都市に献身的な協力を続けるマドカ・アナスタシアの影響は間違いなくあった。

スフィアの発掘も出来ず、オルテミスに対して大きく遅れをとる他の都市にしてみれば、マドカ・アナスタシアが協力してくれると言うのであれば、その食費をどうにかするくらいくらいのことはむしろ条件としては安過ぎるくらい。

 

「ルメール!ルメール!これはもうどうしたらいいと思う!?どうしたら!?今からマドカちゃん用の宿舎でも建てておくかい!?もう今直ぐ!」

 

「流石にそれは早計かと思われますが、ギルドでの正式な採用が出来るように法改正等の手続きを進めておくことは有りかと。オルテミスでも同様の改正が進められていると聞きます、それを参考に手配を進めましょう」

 

「うえ〜ん!マドカさん行っちゃやだぁあ!それなら私もグリンラルに来る〜!」

 

「……リエラ、それだとマドカが役割を分担した意味がない」

 

「う、うむ、それは我々にとっても非常に、非常に喜ばしい提案ではあるのだが。オルテミスのことは本当に良いのか?カナディアもラフォーレも居るだろう?」

 

「なに心底嬉しそうにしながら言ってんのよ気持ち悪い。……いやでもマドカちゃん、それラフォーレとかカナディアは知ってるのかい?」

 

「お母さんには伝えてあります、その時には自分も引っ越すからいいと」

 

「「「え」」」

 

「まあ龍の飛翔が近付けば戻りますし、こちらに滞在する時間の方が多くなるだけと考えて頂いた方がいいと思います。まだまだオルテミスでやらないといけないことも多いですから」

 

そして再び反応が3分される。

勿論その原因はマドカの母親、ラフォーレ・アナスタシアの存在だ。

彼女の悪名はもちろんこのグリンラルにも届いているし、この場にいる様な者達は実際に会ってその横暴さをよく知っていた。

あのラフォーレがグリンラルに引っ越してくる?気に入らないことがあると、ギルド長のエリーナでさえも殴り飛ばすあの女が?グリンラルのギルド長であるキャリーはエリーナと違いステータスは本当に低い、腹部に一撃でも入れられてしまえば内臓が破裂してもおかしくない。

そんな相手を街に引き入れるというのは、あまりにもリスクが高い。それはマドカという人材を引き入れるメリットと天秤に掛けられるほどのものだ。

 

「あー、マドカちゃん?マドカちゃん。もしあれなら、逆に必要な時にだけ連絡して来てもらうって形でもいいんだよ?むしろ必要な時にだけ来て欲しい」

 

「えっと、もしかしてご迷惑でしたか……?」

 

「そ、そうではありません。キャリー様は3都市の中で最も危険度の高い"龍の飛翔"を警戒なされているのです。此度の様に各厄災が連続して発生する状況が今後も続くことを考えた場合、マドカ様には拠点をグリンラルに構えて頂いた方がいいと思われます。結果的に今回もグリンラルの危機に駆け付けて頂きましたし、私達としてもオルテミスの敗北は望むところではありませんから。ステラ様やリエラ様の次戦力として活躍していただければと」

 

「そ、そーそーそー!そういうことだよ!そういうことだ!流石はルメール!私の最高の秘書だ!もう完璧!」

 

「恐れ入ります」

 

「なるほど……」

 

必死にキャリーをフォローするルメールの言葉に、マドカはなんとか納得出来たらしい。今この瞬間、2つに割れていた意見は1つに纏まっていた。アタラクシアとリスタニカはそんな2勢力を可哀想な目で見ていた。……ラフォーレ・アナスタシア、彼女はやはり一般人からはただの災害だと認識されていた。

 

「そ、それにマドカちゃん?今回はこうして来ちまったが、暫くは外に出たら駄目なこと忘れてないかい?帰ったらエリーナ辺りにまた怒られるのが目に見えるさね」

 

「あっ……そ、そういえばそうでしたね。ど、どうしましょう、これではグリンラルにもアイアントにも行けません……」

 

「そ、それならマドカちゃんに他の探索者を紹介して貰おうかな!教えるのが得意な探索者を寄越して貰いたい!教師役が足りてなくてね!うん!」

 

「そ、そうですねキャリー様。現状で居なければ、これからオルテミスで育てて頂くという形でも良いかもしれません」

 

「なるほど、育成者の育成ということですか……そうなると今の知識だけでは足りませんね。もっともっと勉強して、私自身も経験を付けていく必要があります。先の長そうな話になりますが、大丈夫ですか……?」

 

「構わないとも!ああ構わない!受け入れる準備はしておくからね!準備だけは!」

 

「そういうことでしたら……」

 

とまあ、こんなところでキャリーとエミは互いに隠れて合図を送り合いながらこの話を打ち切った。オルテミスとしては今マドカを手放す訳にはいかないし、グリンラルとしては耐性のない状態でラフォーレを受け入れることなど決して出来ない。ラフォーレだけはオルテミスに閉じ込めておかなくてはいけないのだ。他の街では何が起きた時に、アレを封じ込めることなど絶対に出来ない。並の探索者が100人居たところで止められないのがあの怪物なのだから。むしろ全滅させられる。

 

「む、そういえば……」

 

「ん?なんだいゼグロス」

 

「マドカよ、1人紹介したい人物がおるのだ」

 

「紹介したい人、ですか?」

 

話を逸らすための意図的なのかどうかは分からないが、ゼグロスが突然そんな事を言い出す。他の者達も首を傾げていたが、キャリーだけはなんとなく話を察したらしく目を向けていた。

他でもないマドカに紹介したい探索者、それが意味することは"特殊"でしかない。

 

「うむ、数ヶ月ほど前に北東部の森林で見つけた女子なのだがな。当初は錯乱して訳の分からぬことを話していたのだが、其奴の持っていたスキルがなかなかに奇妙だったのだ」

 

「というと……?」

 

「他者のスフィアの発動を打ち消すスキル……とでも言うべきか。どうやったところで人間相手にしか使えない様な前代未聞のスキルを所持していた」

 

「!」

 

「今は部屋に閉じこもって何かを書き殴っているが、今後龍神教と事を成すのであれば使えるかもしれん。ここに居るよりは狙われておるオルテミスに居った方がよかろう」

 

「……そういうことでしたか」

 

軽く話されたその特徴に、マドカが興味を持ったらしい。口元に手を当てて何かを考え込んでいる。そんな彼女をステラはジッと見ているが、エミはなんとなくこれが単なる厄介払いであると想像が付いた。

明らかにまともではない精神状態の人間の保護というのは、公的な機関の人間として倫理的にはしなければならないと分かっていても、その世話まで含めれば実際には単なる重荷でしかない。マドカであるならばどうにか出来ないだろうか、どうにかしてくれないだろうか。そんな思惑が見て取れる。まあ確かに妙にマドカを気に入って正気を取り戻す〜なんてこともこの子を近くで見て来た身としては想像も付くが、あまりいい気分ではない。……まあそれでも、この様子では答えは一つだろうが。

 

「分かりました。ただ、お会いするのは午後からでも大丈夫ですか?実はこれからアタラクシアさんと一緒にダンジョンの様子を見てくる予定なんです。それなりに深い場所まで行ってくる予定なので、夕方辺りがいいかなと」

 

「ふむ、伝えておこう」

 

「っていうかマドカさん!ダンジョンに行くんですか!?」

 

「それなら私達も……」

 

「あ、いえ、今回は速度重視で移動するので、少人数の方が好ましいんです。ごめんなさいリエラさん、ステラさん」

 

「むむむむ……そ、それならエミさんは行かないんですか」

 

「あたしかい?あたしはこれから都市外のモンスターを見てくるから駄目だよ。例の病気を持ってるモンスターが居ないとも思えないからね、消毒役のエルフを連れて夜までは帰って来ないつもりさ」

 

「リスタニカは一度帰るんだろう?連邦に報告に帰るらしいね。ゼグロスは都市内の罠の修理、治すところは沢山ある」

 

「……私達、もしかして暇?」

 

「も、もっとDEXがあれば……やっぱり世の中はDEXの値で決まってたんだ……!」

 

「そ、そういう訳ではありませんが……その、こういう機会ですしグリンラルのダンジョンに潜ってみるのはどうでしょう?勉強になると思いますよ、オルテミスとはまた違った特徴がありますから」

 

……と、暗に自分は何度も潜った経験がある様に話しているマドカだが、実際には片手で数えられる程度しか経験がないのが事実だ。それでもアタラクシアと共にとは言え、日帰りで深層まで潜るなどと言っているのだから、ブローディア姉妹は未だ届かない師の遠さに嫉妬と尊敬の入り混じった複雑な感情を向けるしかなかった。

 

 

 

「さて、行きましょうか」

 

「ああ」

 

ダンジョン1階層に続く洞穴の前で、2人は装備を整えて立つ。入口の雰囲気は多少植生があるくらいで基本的にはオルテミスのものとほぼ同じ。病み上がりで殆どの探索者が現在はダンジョンに潜っておらず、僅か数日の空白期間とは言え、内部で何が起きているのか入口に立つ守衛や受付のギルド職員ですら戦々恐々としているのが見て取れた。

 

グリンラルのダンジョンには階層主と呼ばれる存在が居ない。10階層ごとに階層内の環境は大きく変わるが、モンスター達が階層間の階段すら自由に動き回るため、階層ごとの分布図等の特徴があまりにも掴み辛い。加えてオルテミスのダンジョンの様なモンスターが存在しない休息エリアがここには無かった。オルテミスが強大な龍種によって階層攻略を阻まれるダンジョンであるのなら、グリンラルは純粋なモンスターの巣窟として探索者を追い詰めて来る。

 

「今回の目的はダンジョン内の異常の調査、それと……」

 

「強化種の討伐、だね」

 

「はい、強化種の捜索は私が行います。アタラクシアさんには討伐をお願いしたいです」

 

「うん」

 

マドカの秘石に収まっているのは【視覚強化のスフィア】【聴力強化のスフィア】【速度上昇のスフィア】の3つ、完全な探索スタイルの装備である。

互いに持ち物は武器と鞄1つだけ。アタラクシアすら普段付けている鎧も外して、一般の探索者の様な身軽な服装で聖剣と腰に小さな鞄を付けているのみ。なかなかに見ることのできない珍しい姿であることは言うまでもなく、ついでに普段の白いコートを脱いでアタラクシアと同じ様な格好をしているマドカもまた、最近出来た彼女の新しい教え子が見れば思わず鼻息を荒くしてしまうくらいには珍しい事は言うまでもない。

 

「一応ですが、定期巡回をしていたギルド職員さんが8階層でグランドタイガーのものと思われる咆哮を聞いています。他に強化種の情報はありませんが、基本的に遭遇したモンスターは全て討伐するくらいのつもりでいきましょう」

 

「分かった」

 

「目的は25階層です。かなり飛ばさないと夕食に間に合わないと思いますので、申し訳ありませんがよろしくお願いします」

 

「任せて」

 

25階層?日帰りで?何を言っているんだこの人達は?

そんな顔をしていた守衛が瞬きをした瞬間、既に2人の姿はその場から掻き消えていた。聞こえてくるのは遥か暗闇に遠ざかっていく2人分の足音だけ。

スフィアの効果でDEXの値がS23まで上がっているマドカと、元々の異常なステータス故にDEXがマドカより更に早いSS-25まで到達しているアタラクシア。そんな彼女達にもう一般的な常識など通用する筈がなかった。



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56.才能発揮

「またここに来てしまった」

 

ギルド横の治療院……ここに来るのも、もう何度目になるだろうか。顔見知りの治療師が出来てしまったし、受付の看護師とも雑談を出来る程度の仲になった。こうして大きな身体に生まれると否が応でも他人の記憶に残るのか、多くの人に覚えて貰っていることをリゼも最近になって自覚し始めていた。

リゼの負った怪我と言えば、筋肉の炎症と右肩に若干のヒビが入っていたことくらいか。それもポーションの内部への注入か長時間浸すかの選択で、短時間で終わらせるために注入を選んでもう治ってしまった程度の話である。本当に戦闘規模の割には怪我が少なくて済んだ。……それもこれも、その分を背負ってくれた彼女のおかげだろう。

 

「ありがとう、レイナ」

 

ベッドの上で寝息を立てて眠っているレイナ。右足の損傷が酷く、つい先程まで治療室で手術を受けていたほどだ。とは言っても目的は怪我を綺麗に治すために骨の状態を確認し、破片を取り除いたり位置を整えたり、内部から丁寧に修復していくことだった。それこそ別にリゼの様に効能の高いポーションを注射してもそれなりの修復はされるが、違和感が残ったり、形が変わったり、元より脆くなってしまうという可能性があるということから、多少金額は高くなってしまうがこの方法をリゼは選んだのだ。

もちろん勝手に。だって起きないから、起こしてないけど。レイナのためであれば、その程度の金額は全く気にはしない。金額を彼女に伝える気なんて毛頭ないけれど。

 

「失礼します」

 

そんな風になんとなくレイナの顔を見て座っていると、突然小さなノック音と共に、部屋の中に1人の女性が入って来た。どうせ数日だからと個室を取っているので目的は自分達であると分かるが、入ってきたその人物にリゼは覚えがある。特徴的な結び方をした金色の髪、謙虚な様子、そしてエルフ特有の長い耳。

 

「君は確か……」

 

「えっと、突然すみません。ここにレイナ・テトルノールさんとリゼ・フォルテシアさんが居ると聞いて来たのですが……お邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

「あ、ああ。今椅子を用意するよ」

 

彼女を見たのは確か探索者達が"龍の飛翔"から帰って来た直後だったろうか。朝にマドカが様々な探索者に囲まれている中に、彼女の姿があった記憶がある。確か名前は……

 

「あ……す、すみません、紹介が遅れてしまいました。私は"聖の丘"所属のセルフィ・ノルシアといいます。よろしくお願いします」

 

「ああ、私がリゼだ。レイナはまだ眠っているから……対応出来るのは私だけになるのだけど、いいかな?」

 

「そ、それについては問題ありません。……というかごめんなさい、こんな時に突然訪ねてしまって。もう少し合間を置くべきだったとは思ったのですが」

 

「いや、構わないよ。貴女の様な人がそれほど急がなければならない用事があったのだろうし。……それに私も貴女が以前にマドカと話している姿を見て、お近付きになりたいとは思っていたんだ」

 

「そ、そうだったんですか?な、なんだか恥ずかしいですね。あんまりそういうことを言われる事がないので……」

 

素直に顔を赤らめながら視線を逸らす彼女。一眼見たイメージ通り、純粋というか、可愛らしい性格をしているように見えて、リゼはなんだかそれだけで目の前の彼女を気に入ってしまった。

エルフであるし、探索者としても間違いなく先輩に当たる人物。しかし何故かこう訴えかけて来る謎の後輩感、なんとなく彼女は沢山の探索者達に可愛がられているのだろうなと思えてしまう。……それと同じくらい苦労していそうな雰囲気も感じるが、それはまあ今は置いておくとして。

 

「それで、今日はどんな御用なのかな?」

 

「あ、はい!えっとですね、実は私こう見えても"聖の丘"で幹部をさせて貰っているんですけど……」

 

「……え?そ、そうなのかい?」

 

「あ、はい。退団されたカナディア様の後を継いで色々と仕事をさせて貰っているのですが、以前の都市成立祭の際にうちの団員がリゼさんにご迷惑をおかけしてしまった様で……」

 

「ああ、あの時の……」

 

とは言われたものの、リゼの中ではその話はもう終わった話である。あの件で主に被害に遭ったのはマドカであるのだし、その罰はもう受けているとも聞いていたし……それよりリゼとしては今の話の方がずっと気になっている。あのカナディアの後を継いでいるということは、この少女は都市最大手のクランである"聖の丘“の中でもかなり上の人間であるのではないのかと。人は見た目に寄らないとは言うが、後を継いだということは、少なくとも数年前のカナディアと同じくらい凄い人間だと考えるべきだろう。

 

「私はもう気にしていないし、あの事件で一番の被害にあったのはマドカだ。私はむしろ邪魔をしてしまったくらいで、謝る側の人間だと自覚している」

 

「いえ、そんなことはありません。浅層での強化種の発生は、探索者としても最も忌避すべき事柄ですから」

 

「え、それほどのことなのかい?」

 

「リゼさん自身にも影響があったと聞いています。まだ経験の浅い探索者が強化種と対面してしまった時、身の危険は勿論ですが、なにより精神的な影響が大きいんです」

 

「!」

 

そう言われてみれば、それは確かにそうだった。

あれが原因でリゼは今も少しその名残が残っている程度にはワイアームという種族に対してトラウマが出来てしまったし、実際ワイアームに敗北している。あれも逃げて来たからよかったものの、一歩間違えれば死んでいた可能性だってあったろう。

……どうやらあの時のリゼの反応は、大袈裟と呼べるものではなかったらしい。リゼが特別心が弱かったとか、そういう考えも思い込みだったようだ。もちろん事実として弱い方ではあるのだが。

 

「それなのにうちの団長はマドカさんのことばかり気にしていて、リゼさんに関してのフォローをして居なかったと聞きまして。直後に貴女がダンジョンから治療院に運ばれたと報告を受けたので、こうして急いで様子を見に来たという訳なんです」

 

「なるほど……」

 

「本来は責任者である私達が行動を起こすべきだったのに、結局その当たりのケアもラフォーレさんに任せきりになってしまっていて……もう本当に、申し訳ありませんでした」

 

真摯な謝罪。

彼女ほどの立場の人間がわざわざここまで一人で足を運んで頭を下げている。その意味が分からない程リゼも子供ではない。

……というか、ラフォーレのあの行動にはそんな意味があったのかと今更ながら思う。まあ恐らくはマドカからラフォーレに頼んだと考えるのが納得出来る筋ではあるが、まあそれにしては強引が過ぎる方法だった。結果的に見れば確かにあれが最短で問題を解決する方法ではあったかもしれないが、あれこそ精神的に弱い人間なら折れてしまっていたのではないだろうか。というかカイザーサーペントに関しては、本当に恐怖の対象がもう一つ増えていてもおかしくなかった訳で。

 

「まあその、謝罪については素直に受け取らせてもらうよ。けれど結果的にはこうして何事もなく探索者を続けられているから、それ以上は必要ないかな。もしそれでもということがあるのなら、同じ様な事が起きない様にしてくれるだけでいい」

 

「!……分かりました、再度徹底させることを誓います」

 

「うん、信じるよ。……ただ、それとは別で、私個人としてもう少し貴女と話がしたいという我儘はあるのだけど、これからもう少し時間があったりはしないだろうか」

 

「え?ええ、それは大丈夫ですが……言ってはなんですが、あまり面白い話は出来ませんよ?ほら、その、わたし見ての通りつまらない人間なので」

 

「ふふ、そんなことないさ。優秀な探索者とこうして関われる機会は少ないし、気軽に話せる友人を作っておくのは探索者にとって大切なことだとマドカも言っていたからね。それに個人的にも、まだ数分話した程度の間柄でしかないけれど……君の人柄には、強い好感を持っているんだ」

 

「ふぇ?」

 

あ、またリゼさんが口説いてる。

普段ならそう突っ込んでくれるレイナは今、彼女の横で夢の中にいた。好感の持てる人間には全力で接する、元はそんな純粋な思いなのに……いかんせんこの女、顔がいい。それこそラフォーレでも素直に認める程度には、顔の偏差値があまりに高い。

 

「ギルドと上位の探索者達が忙しそうにしているのは知っているし、それは貴女もそうだった筈だ。そんな中でも私なんかのことを気にして、こうして直接会いに来てくれて、話を聞く限りだと元は自分の管轄外の仕事だったんだろう?これだけで貴女がとても誠実で、優しくて、責任感の強い女性だということは誰にでも分かることだよ」

 

「そ、そんなことないですよ。私なんてまだまだ駄目駄目で……」

 

「そんなことないさ。外聞よりも事実を優先して心からの謝罪が出来る。これは一見ありふれたことの様に感じるかもしれないけれど、意外と難しいことで、そしてとても尊いことだと私は思う。素敵な人だよ。そして私は、そんな素敵な人と、ただ言葉を交わしたいと思っている」

 

「あ、や、あの、そんな……」

 

「ふふ、どうかな?私の我儘に付き合ってくれるだろうか?」

 

「……は、はい」

 

顔を真っ赤にして口元に手を当てながら俯く彼女に、満足そうな顔をして頷く女誑し。しかしそんな女誑しが狙っているのは、単に優秀な探索者から色々な話を聞いてみたいと言う程度の話。あまりにもタチが悪い。

 

そして質問責めを始めるリゼ。

どうして探索者になったのか?

普段はどんなことをしているのか?

どんなスタイルの探索者なのか?

探索者になってからのどんな強敵と戦ったのか?

目を爛々にさせながら、子供の様に嬉しそうに目の前の少女の話を聞くリゼ。よくよく思い返せば今までリゼがこうしてまともに会話が出来る実力のある探索者というのは少なかったし、その武勇伝を聞ける機会もあまりなかった。

 

(そういえば、マドカの武勇伝というのも聞いてみたいな)

 

そんなことも頭を過ぎるが、そもそもこういう話をどうしてこの街の人間は纏めたりして取り上げてくれていないのかという不満にも辿り着いた。それほどの出来事の最中に【投影のスフィア】なんて付けているはずもなく、残るのはこうして聞ける本人達からの話だけ。あまりにも勿体ない。

自分よりも頭の良い人間が多い筈のこの都市で、リゼが思い付いたそんなアイデアが全く存在しないと言う訳でもないだろう。つまりそこには何か出来ない理由がある訳で、逆に言えばそれさえ解決出来るのならリゼもまたそれを楽しめる事が出来る訳で。

 

「なるほど、貴女はカナディア・エーテルを追い掛けてこの街に」

 

「は、はい。それからカナディア様の元で色々とお手伝いをしていたのですが……それはつまり引継ぎが簡単に出来る状況を自ら作り出してしまっていたという訳で」

 

「なるほど、これ幸いとばかりに後釜にされてしまった訳だね」

 

「あはは……カナディア様は元々、研究資金の為に探索者を為さっていたんです。それが今日まで続いてしまっていて、辞める時期をずっと考えていたそうなんです」

 

「……ん?しかし彼女は今は龍殺団に在籍していると記憶しているけれど」

 

「その、当時のアルカさんは本当に滅茶苦茶で、一度は保護した身として放っておけなかったのでしょう。結局仕事が増えてしまったと嘆いておられました」

 

「なるほど、確かに彼女らしい。私もマドカに頼り切りになっていたことを注意されて、好ましくないとも言われたけれど、結局彼女はそんな私にも手を貸してくれたからね」

 

「あはは、それもカナディア様らしいですね」

 

あの水色の髪をしたエルフは、やはり何処でも苦労人らしい。そしてそんな苦労人だからこそ、目の前の少女の様な素直な人間から好かれているのだろう。その中にはマドカも居ると思うと、リゼは納得する。最初は注意されて少し怖くなった時もあったが、今のイメージはまた違う。

 

「……でも、私はそんなカナディア様が好きなんです。姉の様に、カナディア様の側に居たかった」

 

「姉、かい?」

 

「はい、私の姉が里にいた時のカナディア様の侍女だったんです。邪龍が里を襲撃して来た際にカナディア様を庇って亡くなってしまったのですが、私は姉とカナディア様の関係に憧れていて」

 

「……とすると、もしかして君はマドカに嫉妬していたりするのかな?」

 

「っ!?ど、どうしてそれを!?誰にも言ったことないのに……!」

 

「い、いや、他ならぬ私がカナディアに嫉妬しているからね。まあ、そもそも出会ったばかりの私がこんな感情を抱くこと自体が筋違いなんだろうが」

 

「な、なるほど……あ、あの。このことはどうか秘密に」

 

「言わないよ、その代わり私のことも秘密にしてくれると助かるかな。あまり知られたいことではないからね」

 

「は、はい。それはもちろん………そ、それに私は、マドカさんにもお世話になっているのに、こんな、こんな気持ちを抱いてしまっているなんて。こんな汚い自分を、カナディア様に知られたくはありません」

 

「じゃあこれは私達2人だけの秘密だ。大丈夫だよ、これでも私は口が硬い方だからね」

 

「は、はい!大丈夫です!わ、私も秘密にします!」

 

「うん、約束だよ」

 

意外と似たもの同士だとか、2人の間だけの秘密とか、スムーズにそういう方向へ話を持っていけるリゼはもしかすればナンパの天才なのかもしれない。

僅か十数分前に出会ったばかりとは思えないほど互いに心を開いて話している2人。

そして話はまだ盛り上がる。

 

「実は私も最近、弟子を取ったり、自分で研究をしてみたりしているんです。後釜をしっかり育てて、マドカさんのようにカナディア様の研究のお手伝いをしたいので」

 

「それは凄い。仕事も忙しいだろうに、大丈夫なのかい?」

 

「……それが、あまり大丈夫そうではないんです。そもそもわたしは人にものを教えるのが苦手みたいで、教えたい事が上手く言葉に出来なくて。研究の方だって、今は色々な論文や本を読んでいるんですけど、たった数枚の紙を理解するのに数日もかかってしまったり」

 

「なるほど、やはり何事も出だしは難しいということなのかな」

 

「そうなのかもしれません……今はカナディア様の書いた『スフィアとスキルの相互作用に基づく秘石起源に関する推察』を読んでいるのですが、これがまた難解で」

 

「……ん?」

 

ふと、その本の題名を聞いてリゼは立ち上がる。

今も寝息を立てているレイナの横の椅子に掛けてあった自分の鞄。その中から宝箱を取り出してゴソゴソと何かみを探る。そうして取り出したのが……

 

「もしかして、これだろうか……?」

 

「えっ、あっ!そ、それです!どうしてリゼさんがそれを……?」

 

「ええと、初心者探索者用の冊子の中に参考文献としてこの本が載っていたんだ。私は元々スフィアやダンジョンについて興味があってね。マドカが参考文献として挙げた本でもあるし、空き時間を見つけては読んでいたところだったんだよ」

 

「り、理解出来ましたか!?」

 

「まだ1/4程度しか読めていないけれど、今のところは何とか理解出来ているよ」

 

「お、教えてください!私あの、言いたいことはなんとなく分かっても、だからそれが何で、何の役に立って、その後の理論にどうして繋がってくるのかがイマイチ良く理解出来なくて……」

 

「お安い御用さ。……でも」

 

そうしてまたセルフィの目の前に座り、前のめりになって顔を近付けるリゼ。この女はこういうことを自然に出来る。自然に出来る様に、仕込まれていた。これが普通の振る舞いで、カッコいい女性としての在り方であると。移動劇団の女達から徹底的に教え込まれていた。

 

「その代わり、よければ私を弟子の代わりにしてくれないかい?」

 

「……?弟子の代わり、ですか?」

 

「ああ。君の後釜になることは出来ないけれど、何かを教える練習台にはなれると思うんだ。是非その練習台になりたいと思ってね」

 

「で、でもそれでは私ばかりが得をして……」

 

「そんなことはないさ。私だって君から色々な知識を得ることが出来るし、この本についても一緒になって新たな知見が得ることが出来る。……それに」

 

「それに……?」

 

「これからもまた、こうして君とお話をする機会が得られるだろう?」

 

「!」

 

ウインクを決めてそんなことを言ってくる顔の良い女。セルフィは色恋の経験はない。男性に対してそういった気持ちを抱いたこともまだない。エルフの女は綺麗なものに惹かれる傾向があり、それ故に美しい女性を相手に過剰な憧れを抱いてしまうことの多い種族でもあった。……ただ、だからこそ、色々と耐性のないセルフィがこんな猛攻に耐えられる筈がなかった。こんな普通に考えて、というかどう考えても口説いているとしか思えない言葉を、女性的でありながらカッコいいという部類に入る顔の良い女から浴びせられ続ければ、心を動かされない筈がないのだ。なればこそ、こうなることは必然。

 

「あ、あの……」

 

「うん、なんだい?」

 

「そ、その。よろしくお願い、したいです……」

 

「そうか、私も嬉しいよ。……セルフィと呼んでもいいかな?」

 

「は、はい、もちろんです……私も、あの、リゼさんと、お呼びしますので」

 

「ああ、よろしく頼むよ。セルフィ」

 

「は、はい……」

 

なお、セルフィの歳は大体リゼの2倍程度である。

エルフであるのだから当然とは言え、歳の差だけでは測れない、なんとなくの互いの雰囲気もまた、立場や年齢に縛られないこういった関係を作り出す要因になったのかもしれない。

……まさかレイナも思うまい。

自分が眠っている直ぐ横で、自分の慕っている女性が新たに別の女性を口説き落とそうとしているなどと。そしてその鮮やかな手際から都市でも非常に有名な人物を、僅か1時間も経たないうちに陥落させているということなど。

リゼ・フォルテシアは紛れもない天才であった。

女性を口説き落とすという点においては、あまりに優秀な素質と天運を持った奇跡の存在であると。彼女に最初にそれを仕込んだとある劇団の女は、後にそう強く語っている。



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57.異世界人との面談

日が落ち、赤焼けた空に青の色が強く混ざり始めた頃。二つの人影がとある民家を目指して歩いていた。

人通りは殆どない。未だに外出禁止令は出されていて、それを皆が(半ば無理矢理)守っている。

それでも静かかと言われればそうでもなく、1人で部屋の中で騒いでいる獣人は居たし、そんな獣人達と酒盛りをしているエルフやヒューマンも居る。あくまで獣人同士が会わなければいい……という訳では本来はないのだが、彼等のストレスもそろそろ限界ということなのだろう。気持ちは分からなくもないが、あと数日くらい我慢出来ないものかとも思ってしまう。

 

「……大丈夫か?マドカよ」

 

「へ?あ、えっと………ふふ、流石に疲れてるみたいです。道中の戦闘の殆どはアタラクシアさんにして貰っていたのですが、やはり何度か休憩を入れたとは言え、数時間ものスフィアの連続使用は少し」

 

「明日でもいいのだぞ?」

 

「いえ、約束した以上は。ただ、明日は流石にお休みを頂きますね」

 

「ふむ、それがいい。新たな感染者も見当たらず、今はエルフの者達で森の中のモンスターの調査を進めている。ここからは我等の仕事だ」

 

「ふふ、頼もしいですね」

 

「ああ、任せてくれていいとも。……まあこの騒ぎ様を見せてしまうと、自信を持ってそう言えないのが悲しいことだがな」

 

地下から発生した大量のモンスター達が持っていた謎の病気。獣人にしか感染せず、『解毒のスフィア』でしか治せない。今回の件が公になれば、きっと『解毒のスフィア』は凄まじい勢いで高騰することになるだろう。元々回復系のスフィアは珍しい物であるのだが、個人だけでなく公共機関でさえ集め始めるのは目に見えている。正にスフィア一つで家どころか豪邸が建てられるくらいのレベルになるのは間違いない。

 

(……それと、スフィアを活かせる人材も)

 

今回のマドカの様に、少ないスフィアで最高効率を出せる人材は、今後より必要とされる。しかしそんな人材はオルテミスでさえも滅多に居ないのだ。

例えば先日のマドカと同じことを出来る人間は"龍殺団"のカナディア・エーテルと"風雨の誓い"のアクア・ルナメリアくらい。"聖の丘"のセルフィ・ノルシアも擬似的に同じことが出来るかもしれないが、必要となるスフィアの個数が多くなる。

マドカが思い付いただけでもたった4人、もし病が広がってしまえばこの4人で世界を回る必要が出て来るのだろうか。そうなれば獣人を固めた方がいい気もするが、なによりモンスターが病の保持者になるというのが苦しい。放っておけば、それこそ獣人が全滅するまで止まらなくなる。病が変質する可能性だってあるし、病がモンスターに与える影響も観測していかなくてはならない。

根本的な解決をするためには、徹底的な研究と対策を練っていくしかないだろう。それがマドカの仕事かどうかと問われれば違うであろうが、そういった提案や土台を整えることくらいは出来る。

 

「ふむ、ここだな」

 

「っ、すみません、考え事をしていました」

 

「なに、構わない。……ところで、俺はこの後キャリーに呼ばれているのでな。1人にさせてしまうが、大丈夫か?」

 

「大丈夫ですよ、ただお話しするだけですから。……ふふ、ゼグロスさんは私とお話しする時は、なんだか心配症さんですね」

 

「そ、それはっ!……ひ、必要となれば大声も出すが、マドカはあまり好みではないだろう。それに個人的にも、その、こちらで話したいと思っていてだな」

 

「そうですね、私も今のゼグロスさんの方がお話ししやすいので好きですよ」

 

「っ……な、何かあればギルドに来るといい。直ぐに対応する」

 

「ええ、分かりました。頼りにしてますね、ゼグロスさん」

 

「………」

 

最後は顔を見せずに小走りで行ってしまったから表情は分からなかったが、単に照れてしまっただけだろう。そう思ってマドカは目の前の小さな家に向き直る。

キャリーから貸し出されているという空き家、そこには1人の女性が住んでいるということであり、どうにも聞く限りでは正気ではないらしい。……いや、意思疎通は出来るらしいのだが、言っていることが分からず、毎日ただひたすら何かを書き殴り続けているとか。言葉は同じなのに、時々知らない言語が混じってくる。スフィアや魔法を見るとまたブツブツと呪文を唱え始める。それはまあ確かに、異常な存在と言えた。

 

「すみません、ゼグロスさんから紹介を受けたマドカ・アナスタシアと申します。入ってもよろしいでしょうか?」

 

…………

 

返事は返ってこない。

しかし中の灯りは付いているし、人の気配も伝わってくる。ガリガリと何かを書き殴っている音、どうやら噂は本当らしい。

しかし相手がどんな人間であろうとも、これまでにない様な特殊なスキルを持っているとなればマドカとしては是非とも勧誘したいという気持ちがある。今は協力はしてくれなくとも、オルテミスには来て欲しい。そう考えている。

 

「失礼します……」

 

鍵は空いていたし、何度か呼び掛けても無視されるのならばと、マドカはゆっくりと中に入り部屋の中の様子を確認する。元々はキャリーが持っていた小さな家、彼女の親戚が住んでいた家らしい。しかし今は過去の影など殆どなく、部屋の至る所に様々な表やメモが書かれた紙が貼られ、床には丸められた紙や使い切ったインクの瓶が捨てられている。

最近はそれほど紙も高価ではなくなったとは言え、この使い方はなかなかに豪胆と言えよう。そして部屋の主は今も大きな机の上に様々な紙を広げて、今もその毛先へ向かうに連れて赤色に変わっていく長い褐色の髪を片手で掻きながらブツブツと何かを呟いてインクペンを動かしている。

 

(……?)

 

そんな彼女の背後からマドカはひっそりと近寄り、こっそりと書いている物を覗いてみる。これでもカナディアの手伝いをして色々な書物を読みながら、最先端の研究に触れて来た。ゼグロスからも"何を書いているのか分からない"と言われていた彼女の成果が単純に気になってしまったのだ。

そうしてみれば……

 

「……なるほど、これはスフィアと秘石が外付の魔力生成器官であるという説に対する反論ですね。ここまで独学で辿り着いたんですか?」

 

「っ、は!?え、なに!?誰!?」

 

「こんばんは、良い夜ですね」

 

突然耳元で話されたからか、彼女は凄まじい勢いでふっ跳んでいく。この家が靴を玄関で脱ぐタイプの家で、机も低く、彼女も床にクッションを引いて座っていて良かった。この感じでは普通の椅子に座っていれば倒れてしまっていただろう。まあその時にはマドカが受け止めていただろうが、それはともかくとして。

 

「ゼグロスさんから聞いていませんか?マドカ・アナスタシアです、今日は貴女の勧誘に来ました」

 

「勧誘……?というか待って、あんたさっき私の書いてたこれ、意味分かってたわよね?なんで?」

 

「そういった研究のお手伝いをしているから、でしょうか。それなりに知識には自信があります」

 

こうして見ると目の前の彼女が疲れた顔をしていても、それなりの美人さんであることが分かる。鋭い目付き、なんとなく圧を感じさせる様な雰囲気、そして目の下のクマ。その辺りから彼女の気質の様なものを感じられるが、それと同時に彼女が目の前のマドカに対して興味を抱いていることも窺えた。一方でマドカから彼女に対する興味は既に、その何倍にも増している。

 

「……じゃあこれ、分かる?」

 

「?……なるほど、"魔力生成器官"ではなく"魔素変換器官"であるという仮説ですか。空気中に"魔素"と仮定した物質が存在していて、スフィアと秘石はそれを形として変換出力していると。つまりエルフ達が自身の魔力使って使用する魔法と、スフィアによる魔法は、精神力の消費という共通点はあるものの、根本的に原理が違うということですか」

 

「どう思う……?」

 

「私がお手伝いをしている方が似た説を提言していましたが、未だその"魔素"に当たる物質の実在を証明することは出来ていません。ただ個人的には支持している説ではあります。秘石の原理が解明出来ればいいのですが、現在の技術力では壊す事すら出来ません」

 

「……本当に分かるのね。この街の奴等は誰も見向きもしてくれなければ、理解すら出来なかったのに」

 

「スフィアはグリンラルでは取れませんから。理解したとしても意味のないことを、時間と労力を掛けてまで頭に入れようとする人はなかなか居ないのでしょう。それよりは魔力製品に関する論文の方が間違いなく需要があります」

 

「……そう、そうよね。よくよく考えてみれば当然の話だったわ、私ほんと何考えてたんだろ」

 

目に見えて彼女は落ち込む。

しかしマドカとしてはもうこれ以上にないほどの賞賛を贈りたい、それほどに書き込まれ積まれている紙の束の価値は高いものだった。これほどの逸材は早々見つかるものではない。

これはマドカの個人的な考えではあるが、研究者というのは探索者と同じくらい重要な存在だ。探索者は確かに居れば居るほどいいが、個々の能力は必ず何処かで限界が来る。そこから先をどう伸ばすか、如何に探索者の消耗を抑えるか、如何に一人当たりの効率を伸ばせるか。如何なる研究であろうとも、突き詰めればそこに行き着く。だからマドカとカナディアは数年前から研究者に対しての支援の増強をギルドに要望しているし、オルテミスの一画には彼等のための特区も存在している。

この時点でマドカの心は決まっていた。

その為ならばいくらでも私財を費やそうと。

 

「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 

「……天霧鈴葉。スズハ・アマギリって言った方がそれっぽいかしら」

 

「ではスズハさん。先程も言いましたが、今日は貴女の勧誘に来たんです。私と一緒にオルテミスに来て頂けませんか?」

 

「それはまた突然な話ね。折角ここにも慣れてきた頃だったんだけど、それあたしに何かメリットある?」

 

「この世界で最先端の街で、それなりの待遇を保証します」

 

「……そんなこと、あんたの一存で出来るの?見た限り、ただの若い探索者って感じなんだけど」

 

確かにマドカの見た目は珍しいものとは言え、初めて見た人間からすればただの若い女だ。それほどお金がある様にも見えない。ダンジョンからの配信を見ていなければ、初めて抱くイメージとして、それほど権力のある様な存在でもない。

 

「安心して下さい、手段はいくらでもあります。仮にその手段が全て潰えたとしても、私が直接貴女を支援します」

 

「それこそ信用出来る訳ないじゃない、あんたに何のメリットがあるのよ。私がこれだけ頭捻って作った論文だって所詮は後追いだった訳だし、そこまでする程の価値なんて別に無いでしょ」

 

何処か不貞腐れた様にそう言う彼女。

気持ちはマドカにも分かるが、それでもマドカの熱は冷めない。冷めることはない。

 

「それでは担保として、一先ずこちらをお渡ししておきますね」

 

「?なにこれ、スフィアよね?」

 

「中の星の数を見てみて下さい」

 

「星の数って…………………ぃっ!?」

 

マドカが手渡したのは1つの透明なスフィア。

無属性のスフィアであり、見た目だけならばその辺りにあるものと特段変わらない。しかし違うのはその内部に浮かんでいる星の数。

 

「4つ!?4つってこれ……!」

 

「☆4のスフィア、ご存知ですか?」

 

「龍族の秘宝で、今は盗まれてるって少し前に読んだけど……」

 

「それは【黒龍のスフィア】の話ですね、あれは本当に秘宝と呼べるものです。☆4のスフィア自体は他にも数例ですが発見されてはいます。これもそのうちの一つ、【生存のスフィア】と呼ばれているものですね」

 

「それって世界に数個ってレベルの話なのよね?な、なんでこんなものを私に……」

 

「それをお預けしておく程に、私は貴女に価値を感じているから、でしょうか。その証明として考えて頂ければ。……あ、一応扱いには気を付けて下さいね。それを持っていると知られれば、数多の勢力から命を狙われかねません」

 

「怖過ぎて持ってらんないんだけど!?」

 

「そのための【生存のスフィア】です。発動後は10秒間、外部と完全に隔絶された球体領域に閉じ籠る事が出来ます。傷も回復しますし、便利ですよ?自分だけにしか使えませんが」

 

「そ、そもそもあんたなんでこんなの持ってるのよ!?ただの探索者じゃないの!?」

 

「ただの探索者ですよ。少しだけ出しゃばりで、少しだけお節介な」

 

「………」

 

スズハはこの段階で、なんとなくだが察していた。

目の前の女がただの探索者などというのは、自分で言っておいて何だが、絶対にあり得ないと。そもそもこの街を取り仕切っているゼグロスとかいう男が特別紹介したいと言って来たような女だ。

そしてこの☆4のスフィア。

絶対にこの女が言っている以上にとんでもない代物で、価値だけで言っても、もっと過剰な反応を示すべき物に違いない。そしてそんな物を初対面の相手に軽々しく手渡すというのは、彼女自信がこの宝石の価値を分かっていないか、気が触れているかのどちらかしかなくて。

 

「……2つ、聞いてもいい?」

 

「構いませんよ」

 

「まず、あんたはあたしの何にそんなに価値を見出したの?分かる様に説明して」

 

「……これから私が話すこと、誰にも話さないと約束して下さいますか?少なくともあと10年は」

 

「……まあ、それくらいなら」

 

「分かりました。ではまず先程の"魔素変換器官"の説、既に私がお手伝いをしているお方が提言しているとお話ししましたよね」

 

「ええ、そうね」

 

「でも実のところ、私はそれが事実であると知っていたんです」

 

「は……?」

 

「つまり、私が彼女にそう気付くように仕向けたんです。けれど貴女は、私が仕向けなくとも独学だけでその真実に非常に近い説に辿り着いた……そこに組み立てるまでの過程もサッと読んだだけですが見事なものでした。論文としての完成度も高かったです。だから私は貴女の本当の価値を知っています」

 

「………は?」

 

何を言っているんだこいつは、と。

ただただ困惑する。

困惑するしかない。

本当に何を言っているのか分からなかったからだ。

ただ分かるのは一つだけ……

 

「もしかして、あんたも私と同じ、別の世界からここに来たの……?」

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

 

目の前の人間も恐らくは、自分と同じ、何らかの異物であるということ。

 

「ですが、違います。私は正真正銘、この世界で生まれて、この世界で育った人間です。別の世界のことなんて知りませんし、記憶にも知識にもありません。……ただ、最初に言った通り、この世界の知識については自信があります」

 

「じゃあ、あたしがどうしてこの世界に連れて来られたのかは知ってる?」

 

「残念ながら、それは私にも分かりません。ですが大方の予想は付きます。というか、この世界にそういった時間や空間に干渉出来る様な存在はひとつしかありません」

 

「なんなのよ」

 

「邪龍です」

 

「どの?今は5体居るんでしょ」

 

「どれでもないと思います。そして恐らくは、現存するどの個体よりも魔法に長けている存在です」

 

「……意味分かんないんだけど」

 

「ふふ、私にも分かりませんから」

 

底が知れない。

真実を話しているだろうことは分かる。

ただ、その言葉が指し示している本当の意味まで捉えることが出来ない。こちらの1で10を理解されているのに、相手の10に対してこちらは5も理解出来ていない。端的に言えば不快だ、そして奇怪だ。近寄りたくない、関わりたくないとすら思える様な抵抗感を感じてしまう。

 

「……じゃあ2つ目の質問。そのオルテミスにあたしを連れて行って、そもそも何をさせたいわけ?あんたの助手なんて真っ平ごめんなんだけど」

 

「候補としては2つですね。1つは先程お話しした私がお手伝いしているカナディア・エーテルさんの助手をして貰うこと。もう1つは少し前まで私が教えていた、リゼ・フォルテシアさんのクランに入って彼等のお手伝いをして貰うことです」

 

「あんたの指示通りに動きながら?」

 

「いえ、私からは一切干渉するつもりはありませんよ。もちろん支援はしますが、基本的にはスズハさんの望むままに動いて頂ければと」

 

「……ねぇ、本当に意味分かんない。こんだけ話してるのに、あんたのこと、これっぽっちも理解出来ない」

 

「私が理解し合おうとしていませんからね、仕方のないことではあります。そして私達の関係は、それが一番なのだと確信もしています」

 

「頭おかしいわよ、あんた」

 

相変わらずニコニコと笑っている彼女に対して、スズハは顔を歪ませながら頭を掻く。

正直何も分からない。

敵か味方かも分からない。

ただ、妙に誠意だけは感じられる。

そして押し付けられている様なものではあるが、重い期待と信頼を寄せられている。なぜ初対面の人間にこれほど求めているのかも理解出来ないが、この世界に来てこれほどまで純粋に期待や賞賛をされることは一度も無かった。

……だからかもしれない。

その押し付けがましい視線を、遮ることが出来ないのは。

 

「……あんたが求めてるのは、どっちなのよ」

 

「後者でしょうか」

 

「探索者になれって言うの?研究者じゃなくて?」

 

「別にダンジョンに入って欲しい訳ではありません、ただリゼさん達の力になってあげて欲しいだけなんです」

 

「それがあんたにとって一番利益になるってことね」

 

「いえ、私にとって利益があるのは前者でしょうか」

 

「は?……つまり、教え子の利益を優先したってこと?」

 

「そういう部分もありますね」

 

「……素直に両方やって欲しいって、そう言えばいいじゃない」

 

「将来的にはそうして欲しいですが、今直ぐにそれを求めたりはしません。聞く限りではまだこの世界に来て浅い様ですし、まずは探索者の支援をしながら細かな知識を付けて頂ければと思っています」

 

「………」

 

恐らくであるが、仮にこの話を拒否したとしても、この女は自分の意見を肯定して身を引くだろうと思える。どうしてもと食らい付いてくるような姿が、全く想像出来ない。

しかしスズハは理解している。

自分がどれほどスフィアや秘石のことを調べたとしても、スフィアが発掘されないこの街の人間達にとってはこれっぽっちも価値の無いものであり、唯一理解のあるギルド長の計らいでタダ飯食らいをしていられるが、いつまでもこのままで居られる筈がないと。

ダンジョンで金を稼ぐことを拒否したのだから、研究で成果を出すしかないが、そもそもこの世界の知識が不足している現状では、何の研究をすれば利益になるのかも不明確だ。何れ嫌でも追い出されることになる、何もかも分からず理解も出来ないこの世界に。

 

(……この話に乗るしかない)

 

自分にとって利益しかない提案。

少なくともこれからの生活は確保される。

あまりに提案の内容が良過ぎるが、それも目の前に居る狂人から出されたものであることを考えれば、一周回って信用も出来るというもの。そもそもこんなとんでもない代物まで渡して来て、貴女にはそれと同等の価値があるとまで言われたのだ。

ここまでの期待をされたのは、元の世界でも無かったことである。

色々と利用されて貶められる可能性も考えたが、そうなるとどうしても☆4のスフィアを渡した意味がなくなるのだ。別に身分の不明な小娘1人を貶めるのであれば、それこそ最低ランクのスフィアで事足りる。

きっと彼女は裏切らないのだろう。

そして言葉通りの環境を用意してくる。

そして最後には彼女の望み通りの形になる訳だ。

 

手のひらで踊らされているようで気に入らないし、不快でもあるが、乗るしかない。

この女であればもしかすれば、自分を元の世界に戻す方法もまた知っているかもしれないのだから。

 

「最後に確認、あたしを元の世界に戻すことは出来ると思う?」

 

「……断言は出来ませんが、可能性はあります。しかしその可能性について今詳細に語ることは出来ません」

 

「そう……それならいいわ、協力してあげる。あんたの話に乗ってあげる」

 

「それでは……!」

 

「オルテミスに行くわ、そのリゼって奴の手伝いをすればいいんでしょ?戦闘なんて絶対に嫌だけど、頭くらいなら貸してあげるわよ」

 

「ありがとうございます、スズハさん!」

 

「……」

 

満面の笑みで頭を下げられ、スズハは溜息を吐きながら部屋の片付けをし始めた。必要な物、不要な物を纏めて引っ越す準備をしなければならない。

……まあ、悪いことにはならないだろう。

その確信だけは、この短時間に確かに植え付けられていたから。



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58.エルメスタ家の令嬢

ある日の昼頃。

治療院の一室で、今日で退院ということもあって荷物を纏め終えたレイナ・テトルノールは1人の女性と向き合っていた。

リゼはいつもの様にギルドの残り物の依頼をこなしており、それが終わった段階で迎えに来てくれるという手筈になっている。入院自体は3日程度で済んだが、やはり個室の入院となるとそれなりに費用はかかるというもの。しかし個室であるからこそ、こういった会話が出来るのもまた事実だった。

目を覚まして直ぐに憧れている相手が別の女を口説き落としているところを目撃した際には何もかもがどうでもよくなってしまったりもしたが、まあそれも終わった話。いつかは彼女の魅力が周囲に知れ渡ってしまうということはレイナも覚悟はしていた。それが少しずつ始まっているという程度の事だろう。

……だとしても、だとしてもだ。

 

「へぇ、その様子だと私のことを知っているのかしら?これは口封じが必要ね、どうしてやろうかしら?」

 

(なんでエルメスタ家の御令嬢を姉弟子に持ってるんですかあの人はぁぁぁああ!!)

 

顔を真っ青にしながら大量の汗を流すレイナ。

レイナは知っている。

なぜ知っているのかは知らないが、確かに知っている。

ヒューマンが多く生活している西方の大都市群ローレライを支配している複数の貴族家。その中で最も大きな権力を有しているエルメスタ家の当主として、正に今目の前で脚を組んで座っている女の顔を見た記憶が明確にある。

直接会った訳ではない。

遠巻きに見た訳でもない。

恐らくは写映機で撮られた物を見た。

そんな朧げながらも確かな記憶。

 

「それで?どこまで知っているのかしら?」

 

「エ、エルメスタ家はかつてのヒューマンの王族に連なる家系の1つで、今も連邦中枢に深く関わっている実質的なヒューマンの取りまとめ役として……」

 

「そうじゃないわ、私についての話、よ」

 

「し、し、知りません!私は本当に、な、何かの拍子で写映機で撮られたものを見た記憶があるというだけで!それ以上のことはけっして何も……!」

 

「今のエルメスタ家の状態は?」

 

「分かりません!!」

 

「どの時点までなら知ってるの?」

 

「次期当主がほぼ貴女で決まったという話までしか……!」

 

「ユイ、どう思う?」

 

「少なくとも、敵意や害意は感じません」

 

「そう」

 

一体何からそんなものを判断していると言うのか。

まさかこのメイドは他人のそういった意識を感じ取ることが出来るとでも言うのか。……いや、出来るのかもしれない。仮にもあのエルメスタ家でメイドを務めていたとすれば、十分な戦闘力を身につけていても不思議ではない。

エルメスタ家周りの政争はそれは凄まじいものだったと記憶にある。その中で一度は当主にまで登り詰めたとしたのであれば、むしろそういった意識を感じ取れない筈がないとでも言うのだろうか。

そんな風に身体を震わせているレイナの反応は一見過剰に見えるかもしれないが、一般常識のあるヒューマンからすればこれは割と普通である。エルメスタ家はエルフで例えるのであれば王族に匹敵する。ヒューマンの王族の本家筋が既に絶えている現状では、血筋的に最も近いエルメスタ家こそが最上の存在だ。以前よりは力を落としているとは言え、未だその力と影響力は絶大。そんな彼等から「どうしてやろうか」などと言われたら、一般人は身体を震わせて俯くしかないというもの。

 

「まあ、マドカが許可して、リゼが信頼しているのなら、心配は必要なかったかしら」

 

「ほっ……」

 

「いえ、そういう訳には参りません。エルザ様に関する情報の一切は、御当主様より降格を指示された時点で全ての差押えを行われております。披露後に流布される予定でした原稿等も全て処分致しました。エルザ様のお顔を知る者は相当に限られている上、処分した筈の写しを見ているというのは異常と言うほかありません」

 

「あ、あわわ……」

 

「他の人間に撮られていたという可能性は?正式な話が出てくる以前から仕事自体はしてたし、関連の人間とも会っていたでしょう。そこで撮られていた可能性も無いこともないわ」

 

「いえ、それもあり得ません。エルザ様の御公務の際はあらゆる場面で私が警戒をしておりました。また、御当主様としてもギリギリまでエルザ様のことは秘匿しておきたいという思惑がありましたから、その……」

 

「なるほど、あの狸のやりそうなことね。この分だとますます私の情報はもうこの世に残ってなさそう。……本当に貴女、どこで私のことを知ったの?ん?」

 

「わ、わわ、わかりません……」

 

本当に知らないことについてなんと言えばいいというのか。しかしこうなった以上、自分だけで説得することは不可能だろう。不可能というか、自身の安全性を証明出来る術が今のレイナにはない。記憶が無い以上、自分自身でさえも自分を信用出来ないからだ。記憶が戻った途端に敵になる、そういう可能性を否定することは出来ない。

 

「ど、どうなるんですか……?私」

 

「さて、どうしようかしら。ユイ、何か案はある?」

 

「穏便に済ませるのでしたら、何か弱味を握る、または作り出すのが一番でしょう。記憶がないということですし、思い出した時のことを考えればより強力なものを推奨します」

 

「らしいわよ?さてさて、それじゃあどんな弱味を作ってあげましょうか」

 

「ひっ」

 

弱みがないのなら作れば良い、そんな酷いことを容易く言う様な人間達。これが権力の世界で生きて来た者達なのか、それもこの国の頂点に居た人間のやることだ。いくらリゼの姉弟子とは言え、それとこれとは別の話。

せめて酷いことだけはされないようにと、レイナは祈りながら目を瞑る。

 

「それじゃあ貴女、これを持っていなさい」

 

「……な、なんですかこれ。布?」

 

「はいパシャリ」

 

「え、写真機……?あ、あの、これ本当に何……」

 

「下着よ」

 

「下着!?」

 

「もし私達の素性を誰かに話したら、その瞬間に貴女がリゼの下着を盗んで隠し持っているって写真ばら撒くから♪」

 

「これリゼさんのなんですか!?」

 

「写真よりそっちに反応するんですね」

 

「あのね、そんな訳ないじゃない、新品よ。リゼが付けてるのと同じ物だけど」

 

「な、なんでそんなことを知って……というか、全く同じ物って言われると妙に生々しいというか」

 

「ここだけの話、リゼのサイズって普通の店には売ってないのよね。だから前に私の知ってる店に連れてってあげたの、ちなみに上はこっち」

 

「でかっ!?な、ななっ、なんですかこれ!?」

 

「……あの、エルザ様。どうしてその様な物をお持ちになって」

 

「いや、ほら、リゼの相棒が出来たって聞いたから。話の種とか、プレゼントになるかと思って」

 

「こんな物プレゼントされても困るんですが!?」

 

「あ、こっちもあげるわ。邪魔だし」

 

「邪魔な物の処分をしに来ただけですよねこれ!?」

 

レイナが抵抗出来ないのを良いことに、彼女の鞄に強引にそれを詰め込んでいくエルザ。ノリで買ったはいいが、自分ではサイズに合わないし、使うこともなく、完全に処分するために今日ここに持って来たのは間違いない。

……だとしても、なるほどこれは確かに弱味として強過ぎる。処分するにし難い物であるし、レイナの下心的な意味でもなんだかんだで処分出来ない様な気がしてくる。かと言って処分しておかないと弱味に利用されてしまうし、というか写真ばら撒かれたら全部終わるし……いや、むしろこの弱味で我慢しておかなければ、次は本当に冗談では済まない弱味を作られてしまうかもしれない。これが冗談で済む程度の弱味かどうかは意見が分かれるが、この下着を隠しておくだけで済むならその方がいいかもしれないということはある。

こう聞くとレイナがこの下着を持っていていい理由を無理矢理作っている様にも聞こえるが、この大きさという衝撃を知ってしまうと、定期的に見返したくなるのは人間として正常な反応と言えなくもないというか。

 

「ま、取り敢えずこの件はこれで許してあげるわ。無くさない様に、それもしっかり隠して持っておきなさい」

 

「は、はい…………あの、これ純粋に気になった事なんですが。この大きさの女の人って、リゼさん以外にも居るんですか?」

 

「そりゃ居るわよ、じゃないとそもそも売られてないでしょう。例えばそうね……"青葉の集い"の副団長ライカが最近常連に加わったって聞いたわ。後は"風雨の誓い"の団長エアロの下着を、副団長のアクアが買いに来てるみたい」

 

「みょ、妙に詳しいんですね……」

 

「こんな面白い話、調べるのは当然よ」

 

「エルザ様……」

 

悲しそうな顔で自分の主人を見るユイだが、なんとなくエルザのその気持ちが分かってしまうのがレイナも悲しい。

もうなんだったら、その店の場所まで教えて欲しいくらい。それこそそれくらいはリゼに直接聞いてもいいだろうが。

 

「ま、最悪別に私達のことをバラされてもいいのよ。周りからの目線が変わるだけで、知ってる人は知ってるし。ただ、家から刺客でも向けられると面倒なのよね、私が生きてるって時点で家にとっては不都合でしょうし」

 

「そ、それほどなんですか……」

 

「それくらいなのよ、どうせ今頃エルメスタの家は上手く回ってないもの。私が探索者として生きてるなんて広まれば、他の家からは"わざわざ無能を頭に挿げ替えた愚か者"って言われるでしょう?自尊心の強いあの狸がそれを良しとする筈がない。そうなるくらいなら本当に私を殺しに来る」

 

「エルメスタ家が上手く回っていないというのはかなりの問題なのでは……」

 

「知らないわよ、自業自得でしょ。私を外したら大変なことになる……って思わせる為に見え見えの地雷と爆弾を色々仕込んでおいたのに、それすら気付けず放り出した盲目の方が悪いわ」

 

「な、なんてことを……」

 

一体エルメスタ家がその後にどうなってしまったのか、調べれば分かることではあるが、目の前の2人はそれを調べてすら居ないらしい。……いや、ユイの方はしっかりと調べているのかもしれないが、その顔色からしてやっぱり碌なことになっていない様だ。敵に回してはいけない人間、どうやら目の前の人物がその分類に入る系統だというレイナの予感は、決して間違ってはいなかったということ。

だとしたらもう、レイナに出来ることは一つだ。

 

「あ、あの……」

 

「ん?なにかしら」

 

「私は、その、リゼさんのお手伝いをしたいと思っています」

 

「……」

 

「記憶を取り戻した時、私がどう変わってしまうのかは分かりません。ただ一つだけ、取り戻したとしてもこれだけは絶対に変えないと決めていることがあります」

 

「へぇ、なに?」

 

「私は最後まで、リゼさんの側に居るということです」

 

自分の立場を明確に示す。

例え何が起きたとしても。

例え何を裏切ることになったとしても。

これだけは動かさないと決めたこと。

 

「どうしてそこまでリゼに執着するの?」

 

「救われたからです」

 

「それだけ?」

 

「憧れたからです」

 

「ありきたりね」

 

「好きになったからです」

 

「まだ足りないわ」

 

それだけでは人生の主軸とするには足りていないと、そう言われる。背後に控えていたユイを側に座らせて、見せ付ける様に彼女の肩に頭を乗せるエルザ。そこに自分たちの様に相応の理由や過程があるのか、その言葉に足りる感情があるのか。それを聞かれている。

……見抜かれている。それではないだろうと。お前の心に潜んでいる執着は、その程度のものではないだろうと。

 

「……リゼさんが欲しいです」

 

「へぇ」

 

「リゼさんを取られたくないです」

 

「なるほど」

 

「リゼさんに私だけを見て欲しいです」

 

「もっと明確なものがあるでしょ」

 

「………」

 

あるとも。

もっと汚くて、もっと悍しい感情が。

自分自身ですら嫌悪する様な、黒さが。

 

「……マドカさんに負けたくない」

 

「……」

 

「あの人からリゼさんを奪い取りたい。あの人の場所を取って変わりたい。私はあの人が向けられてるリゼさんの視線を、全部、全部独り占めにしたい」

 

「そんなにリゼが欲しいの?」

 

「欲しいです。他の何よりも」

 

「もう一度聞くわ、どうして?」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

「美しかったから、私と違って」

 

 

 

 

 

――その一言が、正解だったらしい。

 

「ふふ。見つけられたかしら、自分の本音」

 

自分が酷い顔をしていることは分かっている。

人には見せられない、特にリゼには絶対に見せることの出来ない、そんな顔をしているに決まっている。思わず従者のユイが立ち上がりかけたほどだ、明らかに普通ではないのだろう。

 

「そうね、リゼは綺麗な人間だもの。純粋とも言えるし、まだ色を知らないとも言えるのかしら」

 

「……きっと、最初に知って憧れた色がマドカさんだから。今も美しくあり続けられるんです」

 

「汚い自分は嫌いかしら」

 

「何が汚いのか、どう汚れているのか、記憶がないので分かりません。ただ以前の私は間違いなくリゼさんの側に居ていい様な人間ではなかった。根拠はなくても、その確信だけが強くあります」

 

「でも離れる気はないんでしょう?」

 

「……そうですね、結局私は汚い人間だということです。リゼさんの色を汚すことになると分かっているのに、離れられない。リゼさんの側に居ると、自分まで綺麗な人間になれている様に感じるんです。リゼさんが笑みを向けてくれる度に、自分がここに居てもいいように感じるんです」

 

「さぞかし心地良かったんじゃない?」

 

「はい、それはもう。今も幸せです。だから手放したくありません。リゼさんが側にいてくれて、笑いかけてくれるだけで、私は幸せで居られますから。……だってほら、私多分、記憶を失う前に何人か殺してます。槍の使い方とか、完全に人間相手を想定してますし。そんな人間が人並みの生活とか、普通許されないじゃないですか?本当はリゼさんみたいな人に近付くことだって、許されて良いことじゃないじゃないですか」

 

言っている事が滅茶苦茶なことは自覚していた。

色々と矛盾していることも気付いていた。

けれどその矛盾した言葉こそが何よりの本心でもあった。

目の前の女性はそれをただ頷いて聞いている。

警戒している従者を抑えて、何もかも分かっているかの様な顔をして見つめて来る。

 

「じゃあリゼから離れる?」

 

「嫌です……むしろ、もっと近くに居たいです」

 

「ならそれで良いじゃない」

 

「……止めないんですか?」

 

「止めないわよ。だってユイだって人くらい殺してるし、私だって間接的にならやっちゃってるし」

 

「!」

 

「むしろマドカだって結構な数を殺ってるわよ」

 

「そ、そうなんですか!?」

 

「探索者がダンジョンに潜るだけの仕事だと思ってるの?警護や治安維持だって請け負ってるのよ。誰もやりたがらない仕事を進んでやってるマドカが、1人も殺してない訳ないじゃない」

 

「それは、確かに……」

 

想像もつかなかったし、考えたこともなかったが、言われてみれば気付くこともある。探索者なんてそんなに綺麗な仕事じゃない。ダンジョン探索を主としているのは確かだが、それしかやらないのかと言われればそうでもない。事実、"聖の丘"の探索者達は街の警備のために日々働いているし、例えば以前の様に龍神教等から攻撃を受けた際に真っ先に前に立つのは彼等だ。

もちろん、そういった仕事は嫌われる。

それでも誰かがやらなければならないから、"聖の丘"はその役割を担っているし、適切な人材が見つからなければマドカやベテランの探索者達が率先してそれ等をこなしている。他の者達がやらなくて済む様に。誰も手を挙げずに困る人が出て来ない様に。

 

「周りに居る人間が全員綺麗な訳じゃないのよ、一見綺麗に見えても血で汚れてる奴は沢山居るわ」

 

「……リゼさんは」

 

「あの子だって人を殺したことはないでしょうけど、獣やモンスターは日常的に狩ってたクチね。自分で血肉の処理もしてたみたいだし、意外とあれでも血生臭い人間かしら」

 

「そ、それは汚れてるって言えるんでしょうか。生きていく上では普通のことの様な」

 

「知らないわよ、そんなあんただけの価値観。生きていく上で必要な殺害が許されるのなら、人殺しだって別に問題ないでしょうが。結局は当人と周りがどう思っているか。あんたがリゼが汚れてないって言うなら、それまでなのよ」

 

他人への印象なんて自分の線引き次第、むしろその線引きでさえも後からいくらでも変わる。だからそんなものは知らないし興味もないと彼女が言う。

 

「それにそんなこと言ったら私にとってこの世界で一番綺麗で可愛いのはユイ、リゼはせいぜいマドカの次ね」

 

「……私にとっては、リゼさんが一番です」

 

「だったらそれでいいのよ。汚れていようが何だろうが関係ない、大事なのは本人達がどう思っているか。汚れていても愛してくれるなら問題はないもの」

 

「愛してくれるでしょうか、リゼさんは」

 

「少なくとも、今のこの世界で他の何よりもリゼのことを優先出来るのは貴女だけ。それをあの子が気付けば、少しは動くんじゃない?」

 

「え、そうなんですか……?」

 

「まあ、私は間違いなくユイを選ぶし、ユイは私を選ぶだろうし」

 

「マドカさんは……」

 

「あの子は……また見てるものが違うもの。マドカが1人の人間を選ぶなんてあり得ないし、そういう意味では敵にならない。敵になってくれない、って方が正しいかも知れないわね」

 

「……正直、最近はマドカさんのことを考えるのが一番辛いです。リゼさんが憧れている以上はいつかは絶対追い抜かないといけない相手なんですけど」

 

「似た様なことを思ってる奴は何人か居るから、相談するならそっちにしなさい?個人的に一番辛いのはリゼ側の人間だと思うけどね、絶対報われないし」

 

絶対と言われるほどかと驚く。

そういう意味では確かに、憧れたのがマドカではなくリゼであったのはまだ救いだったのかもしれない。彼女は常に個人を見てくれる。同じ目線で居てくれる。……もしかしたら、今自分が考えている様なことは、他の人達はもうとうに過ぎた迷いで、それほど特別なものではないのかもしれない。そうも思えてくる。

 

「あの……もしエルザさんが私の立場だったら、どうしますか?」

 

「どうするって?」

 

「どうやって、その、リゼさんに攻め入っていくかというか……」

 

「……そうね。多分今まで通り隣で支えて、その時が来るのを待つんじゃないかしら」

 

「待つんですか?何を……?」

 

「マドカが居なくなるのを」

 

「居なくなる……えっと、マドカさんに恋人が出来たりとか、そういうことですか?」

 

「違うわよ、文字通りあの子が居なくなること」

 

「……?」

 

そしてこんな風になんだかんだと相談に乗ってくれた彼女は、今日この日、今この瞬間、それまでの何よりも強い威力の爆弾を落とした。

 

「あの子、多分そのうち消えるわよ。少なくともこの街からは」

 

「!?」

 

呆れた顔で彼女はそう言う。

隣のユイもなんとなく話は聞かされていたのか、少し悲しげな表情を浮かべていた。しかしレイナの中にあったのはただただ驚きだ。そして困惑だ。そもそも何故なのか。本当だったとして、何故止めないのか。どうして知っているのか。何故他の人には知らせずに、殆ど関係のない自分なんかに教えるのか。

 

「まあ実際、殆ど私の勘だから当てにするかどうかは好きにすればいいわ。……けど、どうもあの子は何かに焦ってるように見えるのよ」

 

「一度顔を合わせただけなので何とも言えませんが、あまりそういうイメージは抱きませんでしたが……」

 

「だから誰も気付いていないし、私も勘でしかそう言えない。けどこういう時の私の勘って、経験上そこそこ当たるのよね。それに、だとしたら幾つか納得の行く部分もある」

 

「マドカさんが将来的に居なくなるという前提で、今の行動に納得出来ること……教え子をつくっていること、とかですか?」

 

「そうね、先ずはその辺り。これはあの子がずっとやってきてる事だけど、この街に不足している役割を先ずは自分が担って、その後にそれをクランやギルド、出来なければ教え子達に引継がせてる。例えば先輩達には都市街への派遣戦力や臨時戦力として。私達にはギルドに知恵を貸す探索者であり、臨時の際にギルドの思惑を作戦に反映出来る中間役として」

 

「リゼさんの役割は……あ、細かい依頼の処理」

 

「それと将来的にはクラン間の仲介役にもされるんじゃないかしら。元々ギスギスしてた大手クランの間をマドカが取り持った様に。ほら、リゼは人当たりが良いし、結構愛されるタイプでしょう?頭も回るし、なによりラフォーレと話せる少な過ぎる貴重な逸材だもの」

 

「そ、それは確かに……」

 

確かに話を聞いていると、上手い具合に色々な役割が分配されているのだろう。これから順調に行けば正しくリゼがそういった役割を担うことになるであろう未来がレイナには容易く想像出来るし、むしろ彼女が将来有名な探索者になることは元々予想していたことだ。むしろ適任とすら言えるし、だとすれば彼女がこうして他のクランに入らずに自身でクランを作り上げようとしていることすらも、"都合が良い"。

 

「あ、あの、まさかマドカさんはここまで全部考えて……」

 

「それはないわね、あの子はそこまで他人の人生に干渉しないわ。ただ、適任だから任せる、出来る限り良い環境にしてから。私達は良いとこ取りをさせられてるだけよ」

 

「い、いったい何故そんなことを……」

 

「ただ都市の問題を解決するために動いている、というのが、一番筋が通った理由。けど、もしその都市の問題を粗方解決したら、今度はどうすると思う?」

 

「……えっと、他のことをするんじゃないでしょうか。それこそダンジョンの探索を進めたりとか」

 

「あの子は体質のせいで長期間のダンジョン探索が出来ないから、それは無いわね。ただもし支援という観点で動くのであれば、次は恐らく他の街の問題解決に動くはず」

 

「!つまり他のダンジョンのある街に行ってしまうって事ですか!」

 

「そう考えるのが普通ね。……そう、ここまでが普通の考え。ここまでなら多分ラフォーレもカナディアも気付いてる。問題は私が感じた"焦ってる"ってところ」

 

そう、それがそこに新たな考えを生み出す。

単に問題解決を図るのであれば、そこまで焦る必要はない。邪龍の襲来を警戒して、龍の飛翔等の災害を警戒して。理由ならいくらでも建てられるが、どれも今更な話だ。来る時には来る、どの街の探索者も普通はその程度にしか考えていない。

 

「どうしてマドカは焦っているのか。邪龍の大きな動きは今のところ観測されてない。災害については、まあ色々起きてるから、これは問題になるかしら。ダンジョンに関しては不審者以外は普段通りね。他に問題を挙げるのなら、龍神教くらい」

 

「……マドカさんはその中の何かを知っていて、それが起きるまでそう時間が残っていないということですか?」

 

「そう。……そう、私も最初は考えてた。けど最初に私が言ったことを覚えてる?マドカが居なくなるって」

 

「あ」

 

最初はその言葉から始まったこの話、当然、最後に行き着くのもそこだ。

 

「もっと単純な話じゃないかって、私はそう思うのよ。何かが起きるから焦ってる、だったらどうして街の問題解決ばかりするのかしら。それより軍備増強や探索者育成に力を入れるべきでしょう?むしろ街総出で対策を練るべき」

 

「た、確かに……」

 

「だから本当に単純に……もし将来的に自分が居なくなって、この街のことに手を貸すことが出来なくなることが分かっているから、焦っているとすれば」

 

「……っ!!龍神教が、マドカさんを狙っているって!」

 

「そこに繋げるのが、まあ自然よね」

 

だとすれば大きな問題だ。

こんな風に話しているどころの話ではない。

むしろ今すぐにでも彼女をこの街に引き戻すとか、追加戦力を向かわせるべきだ。相手は大半の探索者が居なかったとは言え、世界最大の都市であるこのオルテミスにも襲撃を企てたような輩。何をして来てもおかしくない。

 

「でも、何もする必要はないと思うわ」

 

「ど、どうして!」

 

「あの子が受け入れている以上、意味がないからよ」

 

「そ、そんなことは……!だって相手は危険な勢力なんですよ!?」

 

「龍神教自体はただの宗教よ、イカれてるのは一部の奴等だけ。……ただ、どうしてそんな奴等がマドカを狙っていて、マドカはそれについて何を思っているのか。マドカが敵のスパイだとは考えられないし、その辺りを予想するにも圧倒的に情報が足りない。それにこの事を迂闊に噂話であっても漏らしてしまえば、今直ぐにでもあの子が居なくなってしまってもおかしくない」

 

触れられない。

触れたくない。

誰に頼まれた訳でもなく都市に尽くし、穴を埋めている彼女が裏切るなどとは万が一にも考えられず、きっとその行く末は自分達都市の住民にとって決して悪いものではないという確信だけがここにある。

だからエルザはこれについては他の誰にも話していなかったし、マドカに対しても直接聞くことなく意図的に龍神教に関しては話を逸らしていた。

 

「……ただ、居なくなってしまうんですよね。このままだと、マドカさんは」

 

「そうね、私の考え過ぎならそれでいいわ。私が恥ずかしい思いをするだけで済むのだもの。……ただ、最悪なのは私達の平穏のためにあの子が地獄に歩いていく様な結末よ。例えば死を承知で龍神教を潰しに行く、とか」

 

「そんなこと、出来るんですか?」

 

「例え話よ、つまり何かしらの生贄になる様な結末のこと。ある意味、如何にもあの子らしい最期じゃない?」

 

「……マドカさんは龍神教の何かしらの生贄になる未来が決まっていて、龍神教が最近になって動き始めたのは、その儀式の日が近くなってきたから?」

 

「だとしたら、最近になって妙な災害が増えてきたことにも納得がいくのよね。結局のところ、龍神教の最大の目的は現状維持だもの。彼等だって新たな邪龍の誕生を望んでる訳じゃない。それを治めるための何らかの手段を行使しようとしているってのも、考えられない話じゃないのよ」

 

龍種によって種族間の争いがなくなり、皆が一丸となっていられる今がある。だから邪龍を倒されては困るし、けれど邪龍が増えてしまっても困る。それが恐らく今の龍神教の基本的な考え方。

だとしたら新たな邪龍の発生を防ぐという点においては利害が一致しており、そこに関しては彼等の益は自分達の益にもなる。

 

「……どうして、この話を私に?」

 

「都合が良いのよ、リゼの側にいる貴女がこの話を知っているのは。口も堅いでしょう?それにいざという時のリゼへの対処も出来る。だから正直、今日はこのことを貴女に伝えに来たのが本筋なのよね」

 

「……このことは、他に誰かにお話しするつもりはありますか?」

 

「先輩の妹の方には話すつもりよ、姉の方は潰れそうだから話さない。他のギルド職員や探索者にも、基本的には話さない様にしなさい。私の誤解の可能性もあるし、あまり事を荒げたくないの」

 

「エルザ様、レンドさんにだけはお話しした方がいいのでは……」

 

「駄目よ、あの男こそ絶対に駄目。あの男はマドカに関してだけは持ち得る全ての能力が絶望的になると思いなさい、アルカより当てにならないわ。……この件に関しては冷静過ぎるくらいの人間にしか話せないの、それくらいマドカという人間の存在は大きい。他に話せるとしたら、アタラクシアくらいかしら」

 

「アタラクシアというと……英雄アタラクシアですか?」

 

「そ、あれは人類世界の救済という目的だけで動く連邦にも属していない個人。完全な人類の味方。その上、口が硬過ぎる。人類救済の為なら迷いなくマドカだって斬る女よ。……話を通しておいて損なことは絶対にない」

 

マドカを救うために、マドカを斬れる様な人間しか頼れないというのもなんとも皮肉な話だ。しかし情のある人間がこの件に関わって、変に行動を起こされたり、話を広められてしまっても困る。本人に直接聞くなど言語道断だ。

……現状維持をしつつも、その裏にある何かを探り、解決する。そんな理想過ぎる理想だが、それを出来るのはレイナくらいマドカに対して悪印象を持っている人間の方がいい。

 

「最後に、マドカが嫌いな貴女にこの件に関わる理由をあげる」

 

「は、はい」

 

「もしこの件が捻れて、リゼとマドカが最悪な別れ方をした場合……どうなるかしら?」

 

「!」

 

「リゼがマドカに憧れている以上、貴女も嫌でもマドカのことに首を突っ込んでおいた方がいいのよ。……それはつまり、マドカを見るリゼの視線に割り込むってことになるのだもの」

 

そうしてレイナは一つ頷いた。

今から何かをしろという話ではない。

ただその時が来たら動いて欲しいというだけ。

 

……実際のところ、レイナにとってこの件は、話を聞いている最中から自分が手伝わなければならないと思ってしまったくらいのことだった。だからエルザに理由を与えられる必要は特になかったし、それが決定打になった訳でもない。

レイナがただ一つ思ったこと。

どうしてもそれだけは避けたかったこと。

 

(リゼさんを、泣かせたくない)

 

そんな風に泣かせたのなら、絶対にマドカを許さない。ただそれだけだ。



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59.配信者

ダンジョン2階層、モンスターが存在せず、穏やかで人懐っこい動物達だけがのんびりと過ごしている平和な草原地帯。それなりの広さのあるこの階層の一画には、ある大きな施設がある。施設といっても建物がある訳ではなく、小さなステージや複数の機材、そして数多の机椅子に仕切り板。そういった物が揃えられているというだけだ。外から見れば少しの見張りと大量の白い板が並んでいるだけなので、壁の白さと相まって、そこにその様な空間があるとはもしかしたら気付かない人も居るかもしれない。

しかしその仕切り板の向こうでは様々な取り組みがされており、リゼ・フォルテシアは今日この日、何故かその空間に連れ込まれていた。

 

「え、あ、ええと、これで今日のニュースは終了かな……?次は30分ほど時間を置いて、カナディア・エーテルによる『スフィア魔法講座-基本編-再講義』が配信されるそうだよ。魔法講座か……うん、楽しみだね。私も出来ることなら是非このまま残ってみんなと一緒に受講したいところなのだけど、生憎人を待たせてしまっているんだ。どんな講義をしていたのか、もし見ていた人が居たら、今度会った時に教えてくれると嬉しいかな。それではまた」

 

一度深々とお礼をし、顔を上げてから少しのぎこちなさの残った笑顔を浮かべて手を振るう。それから数秒も経たないうちに効力を消される撮影係の持つ投影のスフィア。そうして湧き上がったのはリゼ以外のその場に居た全員だ。拍手を浴びせ、次々とリゼの元に集まり、彼女に握手を求める。

それに対して当人はただただ困惑しながら応じていた。こんな経験は初めてだから。

 

「いやぁリゼちゃん!良かった、ほんっと〜うに良かった!これが初めてだとは思えないくらいだ!やはりワシの目に狂いはなかった!」

 

「そ、そうだろうか?自分ではあまり上手く出来た自信がないのだけれど……」

 

「そんなことはないぞリゼ!この様子だと明日の伝文機は稼働しっぱなしだ!」

 

「ギルド長!既に伝文機が稼働し始めています!どれもリゼさんについてばかりで、好評です!!」

 

「うぅ……一時は担当職員の削減の話まで出ていたが、これでなんとか首の皮が繋がったな!監督!」

 

「ギルド長の言う通りだ!ばんざ〜い!」

 

「「「ばんざ〜い!!」」

 

「……ええと」

 

監督と呼ばれているドワーフの小さなお爺さん。

そして普段はキリッとした表情をしているギルド長。

そんな2人を中心に、この場に居る全員が満面の笑みで大はしゃぎしている。リゼはその雰囲気に微妙についていけずに取り敢えず周りに合わせて両手を上げたり下げたりしてみるが、彼等の喜びというのは経緯を考えれば、実は当然の話であったりもする。

 

「なあリゼ!よければ明日からも配信を手伝ってくれないか!朝に一度、もしくは夕方に一度だけでもいいんだ!もちろん両方出てくれるとなお嬉しい!」

 

「そ、それはまあ、そこまで喜んで頂けるのならやぶさかではないのだけれど……本当に私で良いのだろうか」

 

「何を言う!お主、自分の才能に気付いておらんのか!」

 

「さ、才能……?」

 

「いいかリゼ!人気の配信者になれる人間というのは、そう多くないんだ!」

 

「は、はぁ……」

 

「まずは容姿!人間どんな綺麗事を言ったとしても所詮は見た目よ!特に女子であるのなら最高じゃ!」

 

「み、身も蓋もないことを……」

 

「次に個性と愛嬌だ!誰からも愛される様な人格は当然、特別性も重要と言える!その点お前のその天然の女誑しは最高だ!」

 

「わ、悪口を言われていないだろうか……?」

 

「監督!伝文機の感想の大凡8割は女性からのものでした!あと『もっと映像を顔に寄せろ無能撮影者』と言われました!心が折れそうなので明日からは女性に撮影者を交代して下さい!」

 

「その意見を良しとする!」

 

「は、8割……」

 

監督の言葉に続く様に、周りの者達も強く頷く。

何度でも言うが、リゼは顔が良い。

それだけで救われる命もある。

特にリゼの顔の良さは女性に人気が出るタイプのものだ。それに加えて言動も女性に人気が出やすいというか、そうなる様にとある劇団の女達に仕込まれたものである。これで人気が出ない方がおかしいのだ、それはまさしくレイナが何度でも言っていた様に。

 

「ふむ。こうなったら服装もどうにかした方が良いのぅ、ギルド長」

 

「なるほど、それは確かにそうだ。他の番組で使っている衣装担当を次からは参加させるとするか」

 

「肝心の衣装はあるのか?この背丈の物はなかなかあるまい」

 

「なに、特注品を作っても釣りが来る。ここで一気に話題性を掴むぞ」

 

「あ、あの……何か話が大きくなっている気が……」

 

「安心しろリゼ!一先ず、お前が出演する度に50,000L出す!後は全部私たちに任せておけ!」

 

「30分で50,000L!?やっぱり話が大きくなっていないか!?」

 

「大きくなるんじゃない!大きくするんだよ!お前が!オルテミスの新しい顔になるんだ!」

 

「責任が重過ぎる!!」

 

「マドカだってやったんだ!弟子のお前が出来なくてどうする!というか今この都市にお前以上に適任な人材が居ないんだよ!大人しく偶像になれ!」

 

「どうしてギルド長は配信のことになると冷静さを失うんだ!?」

 

それほどに配信業というのがオルテミスにおいて重要な仕事だから、としか言いようがない。

話が逸れるが、そもそも『投影のスフィア』を使用した配信というのはオルテミス以外のダンジョンにおいても使用することは出来る。しかし問題は、こうして何事もなく平和な配信が出来る様な環境が他の街のダンジョン以外には殆どないということ。よって配信業の主体は当然の様に環境の整ったオルテミスになるし、その地位を奪還するために他の街や機械職人達も必死になって工夫を凝らしているのが現状だ。

しかし何故それほど必死になって配信業を成長させようとしているのか、何故それほどギルド長は配信に執着するのか。それは当然、金に行き着くからだ。

 

「リゼちゃんや、あれを見てみるといい」

 

「あれは……何かを配信しているのかい?」

 

リゼ達から少し離れたところ。

身なりを整えた男性が片手に液体の入った瓶を持ち、投影のスフィアを使用した女性撮影者に向けて何かを話し始める。それを見るにどうやらその瓶のことを説明、紹介しているようだった。そして彼等から更に少し離れた場所では、同じ様に身なりを整えた人物達が今か今かと自分達の出番を待っている。

 

「商人達による広告だよ」

 

「広告?」

 

「つまり自分のところで作ってる製品を宣伝してるんだ。こんな珍しい物を作っていて、何日後にこの街で販売する。そんな情報を流している訳だ」

 

「なるほど……そんな使い方が」

 

「そんで、ワシ等はあの連中から広告費をせしめとる」

 

「広告費?」

 

「宣伝をさせてやる代わりに、お金を出させとるんだ。人気の番組の間の宣伝は高いし、夜中や早朝の宣伝は安い。まあ安いって言ってもそれなりの額にはなる訳だが」

 

「それを出すほどに効果がある、ということかい?」

 

「少なくとも、オルテミスのギルドが認めた商人と商品しか宣伝は出来んからな。宣伝の常連の商人はそれだけで信用になるということよ。……そしてその広告の価値を維持するためには、ワシ等がより人気な番組を作る必要があるという訳じゃ」

 

「……配信業にこれほどギルドが必死になっている理由が分かった気がするよ。商人達との重要な繋がりにもなっているんだね」

 

「うむ、それにこれがないとオルテミスのギルドは回らないんだよ。龍の飛翔やら邪龍の影響で頻繁に都市を壊されるんだ。その復旧のための金の半分は、配信業で賄ってるくらいの勢いさ」

 

リゼは思わず感嘆の声を漏らす。

この話で色々なことに辻褄が合って、同時にこの配信業というシステム自体も、よく出来ているなぁと感心してしまう。

マドカが配信業に関わっていると聞いた時には少し意外にも思ったことのあるリゼであるが、今の話を聞けばその役割が如何に重要であったかというのも分かるというもの。その重要な役割として自分にも期待をされているとなれば、重圧はあるが、同時に嬉しさもあった。

よく分からないが、自分はこの街の役に立てる。

マドカと同じように。

 

それに報酬も正直に言えば魅力的だった。

お金に余裕があるとは言えない現状、1度の出演で50,000Lも貰えるというのはあまりに時間効率が良過ぎる。

 

「配信の出演というのは、今日のようにニュース……つまり出来事の報道をするだけで良いのだろうか?」

 

「うん?ああ、一先ずはそれだけでいい。あまり最初から色々やってしまっては飽きも来るからな。最初の露出は少なく、希少性で売っていく」

 

「?」

 

「そのうち色々なイベントの司会だの取材役だのを任せるのもいいかもしれんな。清楚で売っていたマドカちゃんと同じ路線を辿りつつ、同時に女性向けの方向性で……」

 

「??」

 

肝心のリゼが付いていけないまま、2人は今後の展望を語り始める。こんなことならもっとマドカの配信を見ておけば良かったと後悔するが、そもそもリゼがこの街に来た時には既にマドカは殆ど配信業に関わっていなかった。というか、街の状況的に最低限しか関われていなかった。

案外、配信というのも時間泥棒である。

本を読んだり武器の手入れをしたりなど、日々忙しくしているリゼからすればなかなか見る機会がない。これに関しては、それこそレイナに相談した方がいいだろう。彼女は取り敢えずリゼよりかは間違いなく一般常識というものに精通している。

 

「リゼ、これは今日の分の報酬だ」

 

「あ、ああ……ん?あの、多くないだろうか?」

 

「なに、取っておくと良い。帰り際だったお前を見つけて無理矢理引き留めたのは私だからな。相棒の退院祝いだとでも思って、それで2人で美味いものでも食べて来い」

 

「そういうことなら……」

 

既にレイナを迎えに行く筈だった時刻から30分も遅刻している、その礼くらいにはなるかもしれない。

リゼはその場でもう一度周りに居た者達に挨拶をしてから、レイナの元へ急ぎ走った。色々とやることは増えて来たが、同時に他人から何かを求められる立場になれてきたという実感もある。

本に残るような人間になるというのはまだまだ遠い話ではあるかもしれないし、探索者としての実力もまだまだ不足している。しかし確かに実感出来る成長と変化を、今は素直に喜びたいとも思う。

 

 

 

 

 

「……伝言機、ですか?」

 

場所は移ってグリンラルのギルド本部。

お昼を食べ終わりフラリと立ち寄ったマドカに話しかけて来たのは、1人の女性ギルド職員だった。最近はグリンラルには来ていなかったこともあり、その顔に見覚えはなかったのだが、その彼女が持ってきた大きな機械がマドカの興味を惹きつける。

 

「はい、アイアントの技術者達と共同開発を行なっている伝話機の前段階とでも言いましょうか。機能としては単純、伝文機が文章を送る機械であるのなら、伝言機は言葉、つまり音声を相手に送ることができます」

 

「それは凄い発明じゃないですか!」

 

「ええ、ですが問題もあります。まず伝文機の様に紙による出力が出来ず、多くの情報を記録しておく術がありません。30秒程度の音声しか送れない上に、次の音声が届くと以前の音声記録が消失してしまいます」

 

「それはまた……」

 

今やこの世界に伝文機は無くてはならない存在だ。

各村や町に最低でも一台は置いてあり、裕福な家や有名な店、そして巨大な都市には当然の様に備えられているほどに広まった。送りたい伝文機の番号さえ控えていれば魔力か魔晶の消費で使用出来る手軽さ。文化を向上させるのに正しく一役を買ったそれは、とある1人の天才が作り出した物であり、世界を変えたと言っても過言ではない。

それに代わる物となれば本当に大発明と言えるのだが、やはり世の中そう簡単にはいかないというか。

 

「本当に緊急時の伝達手段にしか使えないということですね」

 

「そうです、それが唯一の利点とも言えます。ボタンを押すだけで記録し、送ることが出来る。伝文機の様に文字を入力する必要がなく、子供でも簡単に扱えますから」

 

「消費魔力の問題はどうですか?」

 

「……恥ずかしながら、これも解決出来てはいません。一度の伝達に中魔晶1つ分のエネルギーが必要になります。これを解決しなければ、そもそもの伝話機の実現、どころかその先の伝映機の開発にも至ることは出来ないでしょう。当然、秘石経由での魔力補充はまだ現実的な段階には至っていませんし」

 

「ふむ、エルフや精霊族の方でも手軽に使える様な物では無さそうですね。魔晶の消費が前提ですか」

 

「そうなってしまいます。キャリー様でさえも一度の使用で軽く疲労されていた程です」

 

エルフや精霊族は自身の体内の魔力を自由に操作出来、スフィアに頼らずとも小規模の魔法を扱うことが出来るのは今更の話ではあるが。このグリンラルのギルド長であるキャリー・テーラムはあれでも一応エルフの王族に連なる1人。探索者としては活動していなかった為にステータスは低いが、潜在的な能力はカナディアと同等と見ていいし、そもそも素の魔力量も普通のエルフよりもかなり多い。

そんな彼女が一度の使用で息を吐くほどと言うことは、やはり伝文機ほど手軽には使えないと見ていい。それこそ秘石経由で精神力を直接魔力に変換して流す技術が確率されれば消費魔力の問題も多少はマシになるかもしれないが、そちらの技術こそ伝話機よりも現実的ではないくらいだ。どうやったって無理がある。

 

「なるほど。……それで、私はこれを持ち帰って、オルテミスのギルドに設置すればいいんですね?」

 

「はい、最初は失敗作だと思っていたのですが、今回の一件で少しは価値がある物だと思いまして。……恥ずかしい話ですが、2度目の襲撃の際、私達グリンラルのギルドは完全な混乱状態にありました。キャリー様が街の見回りに出ておりまして、戻って来られるまで伝文機を打つ暇もなく」

 

「原因不明の病に、前代未聞の連続した厄災、仕方ないと言えば仕方のない話です。そもそもキャリーさんが外に出て働いていたという時点で、それほどの極限状態だったということですし」

 

「ありがとうございます……一応キャリー様が戻られた際にギルド直通の伝文機で各都市にも連絡を取ったのですが、時間帯も悪く、ようやく返答が来たのも数時間後のことでした。もしマドカ様やエミ様がタイミング良くこちらに来ていて下さらなかったら、一体どれほどの死者が出ていたことか」

 

それについては本当に偶然としか言いようがなく、マドカもお礼を言われてもなんと返せばいいのか分からない。しかし一つの都市がこれほど容易く崩壊しかけるという事実が目の前にある以上は、より多くの対策を練るのは当然のこと。ならばマドカがやるべきことは1つ、少しでもその手伝いをする。

 

「……わかりました。しかし話を聞くに、必要なのはギルド長同士の直接的な連絡手段かと思われます。これはギルドに設置するのではなく、ギルド長に直接お渡ししましょう。大量の魔晶を使えば擬似的な伝話機の様な役割も出来ると思いますし、緊急時の使用に魔晶を節約する意味もありませんから」

 

「なるほど……!その手がありましたか!でしたら私達は消費エネルギー量の問題より、小型化を進めるべきなのかもしれませんね!」

 

「そうですね。小型化と同時に投入部分に適した大きさの魔晶を選別して、予めキャリーさんにお渡ししておく必要もあると思います。都市の主要な方々にもお配り出来るといいのですが……」

 

「実はまだ大量生産出来るほどの環境は整っていないんです……そもそも失敗作で、実際に使用の段階になるのはもっと先だと考えていましたから」

 

「だとしたら、一先ずは6台を目指しましょうか」

 

「6台ですか?3都市のギルド長以外ですと……」

 

「連邦本部に1台、アタラクシアさんに1台、リスタニカさんに1台です。連邦本部は言うまでもなく、緊急時に最も頼りになるお2人に最先端の連絡手段をお渡ししておくのは絶対に必要な事です。もちろん、激しい戦闘に身を置いている方々ですから、少しばかり頑丈に作る必要はあるかもしれませんが」

 

「なるほど!!参考になります!!」

 

常に大陸中を走り回っている2人。

リスタニカに関しては連邦本部が居場所を把握している故にある程度問題はないとは言え、アタラクシアに関しては本当に誰も居場所を知らないということがザラにある。いつでもどこでも連絡できる手段というのは、彼等にとっても欲しい物だろう。というか何より3人のギルド長と連邦本部が彼等に持っておいて欲しいと強く強く願っているに違いない。

 

「い、今から早速作って来ます!マドカさんが出発する前にせめて小型化だけでも……!!」

 

「一応、リスタニカさんもアタラクシアさんも暫くはオルテミスに居ることになると思います。それまでにお二人の分だけでも作って頂けると助かります。難しい様でしたら、小型の伝文機でも構いません。それはそれで難しいかもしれませんが……」

 

「やってみせます!任せてください!……あ、ありがとうございました!マドカ様!」

 

「いえいえ〜、頑張って下さいね〜」

 

しっかりとお礼も言ってくれて、やる気満々で走り去っていく彼女。途中で眼鏡を落としたりしていたが、無理をしない程度に頑張ってくれればと思う。

そういえば名前を聞きそびれてしまったが、あの様子ではもう一度くらい会える機会はありそうだった。

 

「……連絡手段、か」

 

振り払うように首を振り、立ち上がる。

今日はこれから特に用事がある訳でもないが、グリンラルはまだまだ復興途中。手伝えることは多くある筈だ。

どこの都市に居てもやることは変わらない。

マドカはただ、普段通りに……



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60.マドカ嫌いの少女

「……こんなのでも、レベルって上がるものなんですね。今回私がしたことと言えば、吹き飛ばされて怪我をしてたくらいだと思うのですが」

 

「そ、そんなことはない!レイナは私を守ってくれたじゃないか!」

 

「ま、所詮必要なのは苦戦の度合だもの。龍種との戦闘の方が上がりやすいとは言え、カイザーサーペントなんて本来はかなり格上の相手でしょう?死に物狂いで勝ったのに1つも上がらなかったら、それこそ詐欺よ」

 

「ついに私のレベルも抜かされてしまいましたか、リゼさん」

 

「書類仕事してるだけでレベルが上がるのなら、私達だってトップの探索者ね。全く、私達だって別にオルテミスに事務仕事しに来たって訳じゃないのに」

 

「あ、あはは……」

 

ギルドの食堂で何を飲み物だけを頼み、そうしてゆったりと静かな時間を満喫している4人。リゼにとって、彼女達とこうして時間を共にするのはいつ以来だったろうか。普段というか今も相当に忙しくている目の前の2人、自分達と同じくらいのレベルの探索者でありながら既にこの街に居なくてはならないという地位を掴んでいる2人。今日ばかりはと取った休みを、こうして後輩の自分達の様子を見に来るために使ってくれたのは感謝という他ないだろう。リゼが来るまでの間にレイナも2人と打ち解けていたのか、自然に話すことが出来ている様でまたなによりだった。

 

「にしても、相変わらずとんでもない成長速度ね。まさかこの短期間でカイザーサーペントを倒すくらいになるなんて思いもしなかったわ」

 

「それはまあ、マドカと、レイナと……ラフォーレの、おか、げ……」

 

「素直には認めたくないという、リゼさんにしては珍しい表情をしておられます」

 

「ふふ、まあ実際、厳しい指導者という意味ではラフォーレ以上に優れている人間も居ないもの。もう少しマドカに余裕があれば、もっと違う成長の仕方をしてたかもしれないわね」

 

「エルザさん、マドカさんはどういう方面に優れた指導者なんですか?」

 

「うん?……そうね。強いて言うのなら相手の長所を伸ばす、というのも違う気がするわね」

 

「一般的でない特徴を持つ人物を伸ばす指導者、というのはどうでしょう?」

 

「ああ、それね。間違いないわ、どちらかと言うとそういう人間を敢えて選んで教えてそうなところはあるけど」

 

「「?」」

 

話の流れ的にマドカの教え子というより、ラフォーレの教え子と言われている様で不満気なリゼはともかく。どういう人間がマドカの教え子に選ばれているのか、それは誰だって気になるところ。

 

「あの子、変なスキル持ってたり変な特徴持ってる人間が好きなのよ。好きっていうか、凄く興味があるっていうのかしら」

 

「リゼさんが変なのは分かりますが、エルザさん達も特別な何かを持っているんですか?」

 

「レ、レイナ?君は私のことをそんな風に思っていたのかい……?」

 

「まあ私達のはリゼほど変なものではないわ。まず私は稀少な"魔眼"系のスキルを持ってるのよ、それもかなり強力な」

 

「魔眼ですか、聞いたことないです」

 

「そうね、それくらい実例がない系統のスキルってことよ。それとユイはあまり公には出来ないスキルを持ってるの」

 

「公には出来ないスキル……?」

 

「簡単に言えば、一人で市場を破壊出来る様な。私が必死に隠してなかったら、今頃うちの実家で飼い殺しにされてたでしょうね」

 

「感謝しております」

 

「その10倍くらいユイに助けられてるのがこの私よ」

 

「そこは胸を張るところなのだろうか……?」

 

この世界には色々なスキルがあり、時には同じスキルを持っている人間というのも居ると聞く。示されている名前は違うのに、効果は全く同じだとか、少しだけ効果量が違うだとか、その辺りは諸々だ。その辺りの差が不平等だとして時々問題になることもあるが、ある意味ではどんな底辺階層の子供であったとしても成り上がることが出来るということもあり、不平等ではあっても平等ではある、などとも言われている。

 

「つまり、もう一組の先輩方、つまりマドカの最初の教え子であった2人も特別なスキルとかを持っていたのだろうか?」

 

「そうね、むしろあれこそ本物の化け物。レベル自体はまだそんなに高い訳じゃないのだけど、一時的に最上位の探索者と同等の戦闘力になれるって言ったら分かりやすいかしら」

 

「……あの、本当にスキルなんですか、それ」

 

「不平等の上澄みが探索者として有名になれるのよ?この街で名前の知られてる探索者は全員生まれたその瞬間から当たりを引いた勝ち組だと思いなさい」

 

「身も蓋もないな……」

 

事実なのだから仕方がない。

 

「教え子という立場ほどにはなっていないにしろ、この街の何人かの探索者はそうやってマドカの助言や支援を受けて急な成長をしたりしているわ。あの子はそういう変なスキルの使い方を考えるのが上手いのよ。……そうして最前線に立つ様になって、命を落としてしまった子達も居るけど」

 

余計なことを言ってしまったと手を振るう彼女に、その話に興味があったとしても、それ以上のことをリゼとレイナは聞くことは出来ない。

探索者だ。

常に命の危機が側にある。

長くやっていればそういうこともあるのだろう。

まだ運良く身の回りで親しい人物が死んでしまったということが無いだけで、これから先もそういったことを全く経験せずに生きていける筈がない。

 

「……エルザ、実際この街では日々どれくらいの探索者が犠牲になっているのだろう」

 

「まあ、1週間に2〜3人ってところかしら。体感だし、クラン一つが壊滅したりすることもあるからなんとも言えないけど。ちなみに大抵は新人を卒業した今のあんた達くらいの探索者よ。それこそ前にあんたの前で強化ワイアーム出した奴等がそんな感じだったでしょう?」

 

「なる、ほど……」

 

「事故は起きるし、想定外はあるし、慣れた探索者でも階層更新の際には1人〜2人くらいは死んだりする。慣れたせいで慢心して死ぬこともある。上位の探索者に人格者が多いのは、単純にそれ以外の馬鹿が死んでるからね」

 

正しくあんな風に、慣れて来た探索者が慢心をして、強化種を呼び出してしまったり、無茶な前進をしてしまったりする。その辺りを冷静に判断できる人間がいなければ、ルールを守り守らせる常識的な人物が居なければ、パーティ全員が容易く死に絶える。

自分はそういう人間になれているだろうか?

リゼは今一度思い返す。

 

「……ん?なんだか騒がしくなって来ましたね」

 

「そうね、なにかしら」

 

「……!あれは」

 

そんな風に雰囲気が落ち込んできたところに、ギルドの入り口の方から聞こえて来たざわめきが刺さりこむ。目を向ければそこでは見るからに装備を整えた4人の探索者がギルドに入るところであり、職員達も慌てて受付の準備をし始めていた。

厳つい顔をした体の大きい虎人族の男、何処かヘラヘラとした様子のある大盾を持ったヒューマンの男性に、受付の職員とニコやかに言葉を交わす大杖を持った猫人族の女性。最後にそんな彼等の中でも誰よりも偉そうに、そして誰よりも満面の笑みを浮かべている少女が1人。

 

「あの子は確か……」

 

「ああ、"龍殺団"が潜るのね。この忙しい時期によくもまあ……こっちとしては都合が良いけど」

 

龍殺団、リゼはその単語をこの街に来てから何度も聞いた。

それこそカイザーサーペントを倒した後、助けに入ってくれたラフォーレに連れられて彼女はその場に居た筈。色々と弄ばれてはいたが、あのラフォーレが確かに彼女の実力を認めているらしい指示を出していたのをよく覚えている。

それにしても龍殺団といえば……

 

「……カナディアは居ないようだね」

 

「まあ無理でしょ、今のカナディアにそんなことをしてられる暇なんてないもの。色々おかしな情報も上がって来てるし」

 

「おかしな?」

 

 

「ん?おー!あの時の姉ちゃんじゃねぇか!」

 

エルザの話に踏み込もうと思ったその瞬間、明らかにリゼに向けて甲高い大きな声が飛んで来た。声の主は言われなくとも分かる、カチャカチャと腰に付けた双剣が揺れる音も小さな足音共に聞こえて来る。

 

「え、あ、ああ、こんにちは。アルカ、で良かっただろうか」

 

「おう!名前覚えててくれたんだな!あたしは覚えてないけど!」

 

「ふふ、リゼ・フォルテシアだよ。気軽にリゼと呼んでくれると嬉しいかな」

 

「そうか!ならあたしはアルカでいいからな!って、これ前にも言ったっけ?お、そっちの気絶してた姉ちゃんも元気そうだな!」

 

「へ?あ、はい……あ、あの、ありがとうございます……?」

 

リゼが名前を覚えていてくれたことが嬉しかったのか、機嫌良さげにバシバシとリゼの肩を叩きながら笑う彼女。こうして見ていると普通の可愛らしい快活な少女であるが、その叩いている手の力は凄まじいものである。VITが比較的高いリゼでも痛いと感じているし、ステータスに対して力の加減が出来ていない様にも感じる。これの相手がもしVITが極端に低いエルザであれば、普通に怪我になっていてもおかしくないくらいのものだ。

実際に顔を合わせたのは初めてのレイナであっても、彼女が持っているそういった危うさというか未熟さの様なものが見えてしまう。

 

そしてどうにも彼女はそういう人間に愛されるのか、なんだか楽しそうな笑いを浮かべて悪巧みをしているエルザの顔がリゼの目に入ってしまう。

 

「あら、私達のことは無視かしらアルカ?今日はちゃんとママに外出許可は貰ってきたの?」

 

「げっ!な、なんでこの性悪女がここに……!」

 

「なんでも何も、リゼは私達と同じマドカの教え子だもの。付き合いがあるのは当然でしょう?」

 

「なっ!」

 

それを聞くと同時に、アルカの表情がみるみるうちに変わり始めた。信じられないといった顔、けれど何処か納得したようなところもあるのかもしれない。そうして自身の中で粗方の整理がついた瞬間に、彼女は一歩後ろに下がって宣言した。

 

「あ、あたしと勝負しろ!」

 

「え、えぇっと……?」

 

リゼに対して向けられた一本指。

先程までの可愛らしい少女の姿は何処へやら、少し興奮しているというか、怒りの方向に感情が向いているというか、そんな雰囲気を感じている。

そのあまりの変わりようにリゼはただただ困惑するしかないし、エルザは『やっぱりね』という様な顔をする。

 

「アルカ、それは無理よ。レベルの差を考えなさい」

 

「レベルの差!?たった2人でカイザーサーペント倒したんだ!20くらいあんだろ!」

 

「だとしても30超えの探索者が言うことじゃないでしょうに。それにその子は20すら無いわ、私達と変わらないくらい」

 

「は……?」

 

するとまたもや"信じられない"といった顔をする。

次々と顔色が変わりそこは可愛らしくもあるのだが、リゼとしては普通に最初の様に仲良くしたいところ。リゼ個人としては彼女の様な元気のある少女は好ましくあったし、むしろ助けて貰った恩もあるのだから対立などしたくはない。

とは言え、果たして彼女が何を思い、何を考えているのかはサッパリ分からなかった。迂闊な言葉を発して余計に嫌われたくはない。

 

「な、なあ姉ちゃん?あんた、レベルはいくつなんだ……?」

 

「ええと、丁度この前の戦いで14になったくらい、かな……」

 

「なぁっ!?」

 

確かめる様にまたエルザの方へと目線を向けるが、彼女は当然それに頷くだけ。その隣にいたユイにも目を向けてみるが、やはり同様に頷かれる。

 

「な、ななっ、なんで、なんでマドカの姉ちゃんは……!!」

 

「?あの……」

 

「う、うるせぇ!なんでもねぇ!!」

 

怒りを自分の中だけで爆発させたのか、床を大きく踏み付け、一つの足跡を残して彼女は受付の方へと歩いていく。明確な怒りの表情、そういえばとリゼが思い出せば彼女は以前に会った時に『マドカのライバル』を自称していた様に思う。それに対してラフォーレは『100回戦って100回負ける』という様なことを言っていた。……もしかすればそこに、彼女があれほどの怒りを抱えていた理由があるのかもしれない。

 

「アルカ!予定の階層より深く潜ったらまたカナディアに怒られるわよ!!」

 

「うるせぇ!!そんなこと分かってんだよ!!ばーか!!」

 

珍しく大声を出してそう忠告したエルザに対して、アルカはただ子供らしい罵声を返してダンジョンの入口に向かって走っていく。他の3人もその後を続き、それでも特段エルザに対して怒っているという様なこともなく、まるでいつもの事だとでも言う様な雰囲気だった。

困惑しているのはそれを初めて見たレイナとリゼだけ。

 

「悪かったわねリゼ、でも最初に教えておいた方が後で面倒なことにならずに済むと思ったのよ。私達がマドカの教え子って立場である以上、あの子に嫌われるのは避けられないことだもの」

 

「なぜ、彼女はあれほどにマドカのことを……?」

 

「思い込みとか、不満とか、コンプレックスって言うのかしらね。そういうのがあるのよ、あの子自身もまだ精神的に未熟だし」

 

「マドカさんが何かをする様には思えませんが、行き違いとかですか?それとも、まあ、私の様にと言いますか……」

 

「ま、そんなところよ。分かりやすい話をあげるのなら、あの子、マドカに一度も勝てたことないのよ。レベルはあの子の方がとうに高いのに」

 

「ああ、そういう……」

 

「それと少し前に私達の先輩方にも負けてる」

 

「それは……確かに、色々と複雑な感情を抱いてしまっても仕方ないかもしれないね」

 

と言うか、そこまでいくとその先輩方の異常さの方が目に付いてくるくらいだ。いつか何処かで彼等は戦闘に特化していると聞いたことがあるが、マドカ自身の年齢を考えても彼等だって相応に若い探索者であるだろうに。

 

「ま、もう少し落ち着けばマシになるわ。なんだかんだで多少の常識はある子だもの。探索者としての素質は間違いなく抜群だし、死にさえしなければ将来は優秀な人材になるわ」

 

「……愛されている様には、見えたかな」

 

「それを知らぬは本人ばかりってね。だから早死にされると困るのよ。他の探索者にも影響が出るから」

 

そうは言っても心配しているのはエルザも同じように見えるのだから、やはり彼女は色々な人物から愛されているのだろう。

それはもちろんマドカだって。

 

(……もしかすると、彼女も本当はマドカのことを)

 

一瞬そんなことを考えてしまって即座に踏み込み過ぎだと頭を振ったが、同じことを考えていたレイナはますますマドカ・アナスタシアという人物の罪作りぶりに息を吐いていた。リゼの側に居ると、どこに行っても彼女の話ばかり。いつかはそれをリゼの話ばかり聞ける様になればいいなと思って、すっかり冷めてしまった飲物を啜った。



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61.平和な半日

「さて、今日の依頼は……」

 

「……まあ、いつも通りですね」

 

いつもの依頼板の前。

怪我もすっかり治り、不足した道具を買い直し、レイナも壊れてしまった槍を新しい物に変えてこの場に立っている。

カイザーサーペントを倒したからと言って、毎日が大きく変わる訳でもない。せいぜい普段の早朝は2人でゆっくりと朝食を食べていたのが、少し急いでリゼの配信業に時間を割いたということくらいか。

まさかリゼがそんな大抜擢を受けていたとは全く知らなかったレイナであるが、意外と言うべきかやはりというべきか、彼女はそれを当然のことだと言い、一緒に手早く朝食を済ませ、彼女の撮影を少し離れたところから見ていた。

 

そこからもう一度ギルドの方へと戻って来れば、大体普段通りの時間で、いつものように余った依頼だけが残っている。戻って来る途中にすれ違った探索者達は誰よりも早く良い依頼を取った自分達と、間違いなく出遅れたであろうリゼとレイナを比較して優越感に浸った様な様子を見せていたが、もう今更割の良い依頼になど少しの価値も感じていない2人。

仕事というよりは習慣。

それこそ先日はよく薬草を納品している小さな薬剤師のお婆さんから、直接のお礼と箱いっぱいの果物を頂いた。むしろこっちの方が価値があるのではないか?本気でそんなことを考え始めたくらいだ。

 

「とは言え、次に目標に出来る事となるとレッドドラゴンの討伐くらいです。レッドドラゴンは危険度的にはカイザーサーペントと同等とは言え、少人数での攻略は非常に難しいとの事ですから」

 

「正直カイザーサーペント自体、戦う予定は全く無かったからね。必要に駆られたから倒したというだけで、あのレベルのモンスターと戦うには私達はまだまだ実力不足だ」

 

「仲間を増やそうにもクランも結成出来ていませんし、今は仕方ないでしょう。とにかく依頼をこなして、地道に探索を続けて、スフィアを買うのもいいかもしれませんね。凄くお高いのは理解してますが」

 

「スフィアか……」

 

花集め、薬草集め、2階層の動物達の餌やり、果てはダンジョンではなく地上の荷物運びの依頼まで。地上の関係のものは午後から行うとして、まあ本当に偶に仕事をしている自分達を鼻で笑って歩いていく探索者達が居るのも仕方ないと思うくらいには平和な依頼ばかりがある。

生活費の問題はカナディアの支援もあり問題はないが、新たにスフィアを購入するほどのお金となるとまた話は変わって来る。先日のカイザーサーペントの魔晶はレイナの入院費と手術費に消えたし、もう一度倒そうとも絶対に思わない。それにやはりクランに入っていないとなると税金の関係も辛かった。一つ一つは地味なものであるが、積み重なると重く感じてくる。

 

「そういえば、スフィアって何処で売ってるんでしょう?私は見たことないのですが」

 

「私達は普段はプレイの店で道具を揃えているからね、彼女はスフィアは手元に持っていると危ないからと、直ぐに他の商人に売り渡してしまうから売っていないんだよ。他のお店も似た様なもので、結果的に大きめのお店でしか取り扱っていないそうだ」

 

「ああ、確かに探索者でもない一般人がスフィアを大量に持っていると強引に奪われてしまうかもしれませんね。特に探索者の多いこの街では、善良な人間ばかりという訳でもありませんし」

 

「ただ、どうもギルドから商業許可を取らずにスフィアの売買をしている違法な商人も居るらしい。以前にマドカからデルタという人物を紹介されたよ」

 

「……あのマドカさんが違法な商人と繋がってるんですか?意外ですね」

 

「それについては私も驚いたが、エルザに聞いたところ、どうもかなり奇妙な商人らしいんだ。普段は絶対にスフィアを売らないのに、時々フラリと前に現れては、かなりの安値で特定のスフィアを売り付けるんだとか」

 

「それ、本物なんですよね?何が目的なんでしょう」

 

「分からない。ただ、上位の探索者の中にも彼の助けを得て苦難を乗り切った者も多いそうだ。だからギルドとしても、偽物を売り付けている訳でも、盗みを働いている訳でも、市場に大きな影響を与えている訳でもないからか、見て見ぬふりをしているらしい。もちろん、そもそも神出鬼没過ぎて探し様がないというのもあるようだけれど」

 

「私達の前にも現れたりしてくれるんでしょうか」

 

「本当に手が詰まったら来てくれるかもしれないね。ただ、そのためには自分達でまず動かなければいけないんじゃないかな」

 

「正論は耳に痛いです」

 

一先ず依頼を階層順に、そして午前にやる分と午後にやる分に分け、それを受付の方に持っていく。すっかり顔馴染みになった受付のエッセルはいつもの様に笑顔で受け取り、受注の処理を始めてくれた。やはり今日もギルド全体が慌ただしい。

何か指示されるまでは首を突っ込むのも邪魔になるからと目を背けて来たが、そろそろ話くらいは把握しておくべきなのかと思い始めている。知ったところで何が出来るという訳でもないが、知っておくことで心の準備をしておくことくらいは出来るだろう。

 

「はい、お待たせしました。それではお二人とも、今日もお気をつけてくださいね」

 

「ありがとうエッセル、行って来るよ」

 

「行ってきます」

 

ダンジョンに入って直ぐに襲い掛かってくるワイバーンも、最近はあまり見なくなった。というのも時間的に先行部隊が倒してしまっていることが多く、同じ理由でワイアームも毎回の様に戦うということはない。それでも戦闘経験と地道なスフィア掘りの為にも帰りだけは絶対に倒す様にタイミングを見計らっているし、4階層のマッチョエレファントも見つけたら戦う様にはしている。

レイナという刺突系の攻撃が得意な仲間が増えたこともあり、リゼが回避のスフィアを使って気を引いているうちに、レイナが背後から攻撃を叩き込むといった感じで、戦闘もかなり楽になった。

これが人数の力とでも言うべきか。

むしろ苦戦しなければレベルは上がり難いというのだから、そろそろワイアームに単独で再度のリベンジをしてもいいのかもしれないが……それでもやはりまだ少しの抵抗感があるのだから、あの強化ワイアームによるトラウマは根強い。

 

「よっ」

 

『キャンッ!?』

 

「また来ましたね、あのドリルドッグ」

 

「最近見かける度に襲い掛かって来るからね、あんな積極的な個体いただろうか」

 

「ダンジョン内のモンスターの個体って、何回か復活すると変わったりするんですかね?私はよく知らないんですけど」

 

「その辺りを実験した論文もあったけれど、結果的には変わらなかったそうだよ。ただ、長い時間を見て、例えば50年や100年毎に変わるという可能性はあるかもしれない。流石にそこまでの検証は出来ないし、出来たとしても特別大きな意味は出てこないだろうけど」

 

顔を合わせる度に襲い掛かってくるドリルドッグを大銃で思いっきり叩き付けて灰に変える作業。マドカに見守られながら最初に戦った時と比べれば、随分と慣れたものだ。元々住んでいた山でもモンスターは狩っていたが、その際は大抵猟銃を使っていた。今更の話ではあるが、猟銃を一丁持っておくというのも手段の一つとしてアリではないかとも思えてくる。それこそラフォーレに貰った『炎弾のスフィア』を有効活用することが出来るし、普通の性能であっても目潰しや足止めには有効であることも多いはず。

 

「ところで、この前のレベルアップでレイナは何のステータスが上がったんだったかな」

 

「POW(精神力)ですね、正直あんまり変わらないです。スフィアの使用回数とか精神的な抵抗力とか、他のステータスと比べて使用用途としては地味ですし」

 

「私もPOW(精神力)だったのだけれど、元々がかなり低い値だったからね。少し安心したところもあるよ。深い階層に行くと精神的な攻撃をして来るモンスターも居ると聞く」

 

「精神的な攻撃、ですか。POWの値が心の強さにももっと影響してくれると良かったんですけど」

 

「まあ、扱いとしては"精神的な抵抗力"という言い方が正しいのかな?魔法関係もあるからその辺りはまた表現し難いところだけれど、本人の精神に上乗せしているだけで、精神自体は変わらないという解釈のようだよ。だから実際の抵抗力は自前の精神力+POWという計算式になるのかな」

 

「リゼさんはそういう攻撃を受けたことありますか?」

 

「以前の襲撃の際にね、恥ずかしながら見事にやられてしまったよ。ラフォーレは自前の精神力で、ユイは直前に自分で唇を切ることで抵抗したらしい。エルザより回復も遅かったし、私はそもそもそういう攻撃に抵抗力がなかったみたいだ」

 

「それなら、ユイさんみたいな術を身につけないといけませんね」

 

「い、いやぁ、なかなか咄嗟に出来るものではないと思うのだけれど」

 

そんな会話をしながら5階層を通るが、やはり先行した探索者達が討伐してしまっていたからか、ワイアームはそこに居らず、風に吹かれている灰の山だけがあった。それを見てなんとなくホッとしてしまったのはやはり治らない癖であるし、一先ずは今日の目的を確認するという名目で意識を逸らすことにする。

 

「今日は10階層の手前まで行くということにしたが、レイナは大丈夫そうかい?」

 

「ええ、問題ありませんよ。ここに来るまでに軽く慣らしていましたが、足の方も以前の感覚と変わりません。やっぱり高い治療を受けただけありますね」

 

「ふふ、それなら良かったよ。カイザーサーペントは他の探索者達が倒したりしていなければ端の方に居る筈だけど、もし戦闘中なら今日はやめておこう。適当に探索をして用事を済ませて、帰り際に再度カイザーサーペントの位置を確認してから帰還だ」

 

「ま、最後のは普通にボランティアですね」

 

「どうせ近くを通るんだ、知ってしまったのならやった方がいい。もしやらないで何か起きてしまったら、変に責任感を感じてしまうからね」

 

「リゼさんは真面目ですね〜、そういうところが好きなんですけど」

 

「臆病なだけさ、本当は」

 

依頼に書かれていた数量+αの薬草を集めてから9階層へ向けて歩いていくが、道中にやはり宝箱は見当たらない。松明を付けていればグリーンスライムは見つけても飛び掛かって来ないし、時々出会すハウンドハンターはリゼが何かをする前にレイナが突き刺した。パワーベアは見つからなかったが、群勢で襲って来ることが無ければ今はもうそこまで難しい相手ではない。それにある程度探索者が同じ道を通っているからか獣道の様に跡が残って以前よりも歩きやすい上に、そもそもモンスターの数自体もかなり少なかった。街の復興も進み、龍の飛翔による療養期間を終え、少しずつ探索者達がダンジョン探索を再開し始めている。それだけでダンジョンの攻略難易度が下がっていた。なんとなくモンスター達の動きも消極的になっている気がする。

 

「……これ、レッドドラゴンで詰む探索者も多そうですよね」

 

「レイナもそう思ったかい?」

 

「はい、正直この森林地帯は実力を上げるのに適してないです。攻略するだけなら中央の道を通ればいいですが、一歩道を外れると途端に難易度が跳ね上がりますから」

 

「うん。それにそこで身につく経験も複数を相手にした戦闘、レッドドラゴンとの戦闘には活かし難い。ワイアームやカイザーサーペントと戦闘を積むのが一番良いのかもしれないが、カイザーサーペントは流石に強過ぎるからね」

 

「ワイアームと何か縛りをして対峙するのが良いのでしょうか、何か起きても対処し易いですし」

 

「それがいいと思うよ。……そういえば強化ワイアームを出現させた彼等も今の私達と似た様な立場だったかな。彼等はワイアームを大量に狩ってスフィアを増やす事で戦力を増やそうとしていたんだろう」

 

「まあ実際、私達はスフィアを少し増やしたところで今更何かが大きく変わる訳でもありませんし。知識を得て、対策を練って、少しでもレベルを上げてステータスを向上させるのが正攻法でしょう」

 

「単純に私のVIT(耐久力)を上げてこれを連射できる様になれば、それだけで階層更新は進むだろうからね」

 

「そんなこと言ったら、私だってSPDを上げて【雷散月華】を当てられるようになれば……はぁ、やっぱり高速戦闘を覚えないと駄目かなぁ」

 

9階層に辿り着いたものの、結局カイザーサーペントは森の端の方で生まれたばかりのパワーベアを貪り食っていたり、眠っていたりをしているばかりで、わざわざ端の方に居る彼を狙う様な探索者も居ない様だった。そのまま中央部を歩いていけば、やはり何の苦労もなく10階層へ続く階段の目の前まで辿り着いてしまう。

少し様子を見るだけだと10階層を覗いてみたりもしたが、そこでは丁度レッドドラゴンを討伐したばかりの探索者達が居り、嬉しそうな雰囲気に水を差すのもどうかと思って退散することにした。

レッドドラゴンを実際に目にすることが出来なかったことは悲しいが、いつかはああなりたいと思う。倒したパーティは5人であったことから、やはり人手は必要なのだろう。2人ペアで活動している探索者は他に居ないだろうか?その辺りの事もマドカが帰ってきたら聞いてみようとリゼは思った。

 

 

「はい、お疲れ様でした。いつも依頼分より少し多めに納品して頂いて助かります、こうして頂けると苦情が少なくて済むんですよ」

 

「マドカから学んだことだからね、それを忠実に守っているだけさ」

 

なんだかんだで今日は特に大きなトラブルもなく、昼を少し過ぎた辺りで地上に戻って来ることが出来た。10階層までの往復で大体5時間程度、探索に慣れてきたこともあって以前よりかなり早く帰ってくることが出来るようになった。食堂の方は丁度今が真っ盛りで、大体あと30分もすれば空き始める頃合い。お腹は空いているが、一先ずは片付けや手入れから終えるのが賢い。

 

「追加の依頼は来ていたりするのかな」

 

「いえ、今日は特にありません。……そういえば、マドカさんと言えば、つい先ほどグリンラルを出たと報告がありました。あと数日もすれば帰ってくるそうです」

 

「それは本当かい!?」

 

「ええ、アタラクシアさんとブローディア姉妹も一緒に戻って来るとのことです」

 

「アタ……ブロ……?」

 

「アタラクシアと言えば、英雄アタラクシアのことですよね?ブローディア姉妹というのは?」

 

「あれ、ご存知ではありませんか?マドカさんが最初に指導されていたお二人で、リゼさんにとっては先輩に当たるかと」

 

「ああ、なるほど……アタラクシアというのも、現代の英雄の名前なんだね。先代の名前は知っていたけど、やっぱりまだまだ一般常識が足りていないかな」

 

「歴代最強と呼ばれているくらいですよ、人類最大の希望です。……というか、やっぱりというか、マドカさん本当に顔広いんですね。まああの人自身も相当に有名な方なので、当然と言えば当然なんですが」

 

よくよく考えてみれば自分達と年齢的にそう変わらない彼女がここまでの立ち位置に居るというのは素直に凄いとレイナは思う。そういう意味では先日会ったアルカという少女もまた、精神的に未熟ではあっても大手のクランのトップに立っていた。意外とこの街は年齢による縛りというか、偏見が無く、優秀な者にはそれなりの立ち位置を認めてくれる風があるのかもしれない。……実際、年齢よりも能力で人選を行うことが生存率に繋がってくるのだから、そういう考えに行き着くのは当然のことではあるのだが、とは言えそういった土台を作るのはまた難しいことでもあり、この辺りにも過去の探索者達の奮闘具合が表れているとも取れる。

 

「ちなみにですけど、マドカさんが帰ってきたらどうするんですか?」

 

「ん?どうするというのは?」

 

「いや、ほら、仮にも教え子なんですから。困ってることを相談したり、何かを教えて貰ったり、考えてないんですか?」

 

「ん……それは確かに。とは言っても、今のところマドカに教えて貰いたいことと言われてもレッドドラゴンを討伐するのに知恵を貸して欲しいとか、そういう類のものしかない気が」

 

「ちなみに私はありますよ」

 

「あるのかい!?」

 

「ええ、高速戦闘を教えて貰おうかと思いまして」

 

「私が提案した時には嫌だと言っていた気が……」

 

「状況が変わったので」

 

「それに君は、その、なんというか、マドカのことが……」

 

「状況が変わったので」

 

「状況が変わったのかぁ……」

 

それなら仕方ない。

それに危険と言われる高速戦闘の会得も、なんとなくマドカが教えるとなれば安全のように思えるのだから、レイナが良しとしているのならそれ以上にリゼが何かを言うつもりはなかった。

そんなこんなで、1日の半分が終わる。

特に何事もなく、平和な日々だ。



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62."ナーシャ"再び

「さて、午後からは地上での依頼だったね」

 

「そうですね。荷物運びに迷子の兎探し、孤児院の手伝いと……これ本当に私達がやる必要あるんでしょうか」

 

「必要があるかどうかというより、誰もやってくれないというのが正しいかもしれないね。お金を掛けてでもステータスの高い探索者にして貰いたい仕事」

 

「けどこんなことをやって小銭を稼いでいる探索者は笑われる、だからこうして余る……ということですか」

 

「実際、探索者の中にはこういった仕事ばかりしていたマドカを軽んじていた者も居たそうだ。エッセルがそう言っていた」

 

「その後に実力の差を見せつけられて惨めなことになっていそうな話ですね」

 

「あ、あはは……」

 

昼食を摂った後、2人は早速地上での依頼をこなすために街に出ていた。受けていた依頼は3つ、一先ず荷物運びの依頼を受けるために向かっていた先はプレイの道具屋であった。

プレイというのはリゼが最初に街を案内された時に紹介された小さな少女であり、彼女はその年にして群雄割拠の市場で小さな道具店を切り盛りしている。それ以来、なんだかんだと必需品を揃える際には彼女の店に厄介になっており、密かに常連のようになっていたのだ。

 

「来たわね!……ってなによ!リゼとレイナじゃない!2人が依頼を受けてくれたの?」

 

「ああ、君からの依頼となれば受けない選択肢はないよ」

 

「ああ、余ってたのね」

 

「そうですね」

 

「き、君達は……」

 

もう少しこう、手心というか。

相変わらずハッキリとした物言いをするプレイに、冷静に言葉を返すレイナ。元はただのテントだった場所を少しずつ増築し、建物と言えるほどの物ではなくとも、逆に人目を引く見た目になったプレイの道具屋。誰もが来るというよりは常連に客層を絞った経営をしているようだが、他の商人の様に言葉でうまく言いくるめようとしない彼女のその性格こそが気に入られているというのは間違いなくある。もちろん彼女も何も考えていないという訳ではなく、同じ商人に対してはそういう態度を使うのかもしれないが、客には誠実に対応するという彼女の信念はやはり心地良くはある。

 

「それで、今日は何を運べば?」

 

「今日は配達をお願いしたいのよ!大量の香辛料を仕入れるのはいいけど、ちょっと重過ぎるから!」

 

「なるほど、そういうことか。そんなことでいいのなら声を掛けてくれれば手伝ったのに」

 

「駄目よ!いくら親しくしてもお客さんはお客さん!そこの区別はしっかりするわ!」

 

「そ、そうかい……?それならまあ」

 

「運ぶのはこの箱ですね、何処に運べばいいんですか?」

 

「"ナーシャ"っていう喫茶店よ!」

 

 

 

「え」

 

 

 

え?

 

 

 

世界が止まる。

 

 

 

「あれあれ〜?何処かで聞いたことのある声がするな〜と思ったらぁ♪最近巷で噂になってる元ヒモのご主人様じゃないですかぁ♡」

 

「え」

 

甘ったるい砂糖の様な声色。

くすぐったくなるくらいに優しく丁寧に肩に触れてくる冷たく細い指。

しかしそんな言動とは反対に、リゼの中の全てが今直ぐにこの場から逃げろと警鐘を鳴らす。

 

喫茶店ナーシャ

 

ああ、知っている、知っているとも。

嫌というくらい知っている。

忘れるはずがない。

忘れられるはずがない。

だってそこには、あの悪魔が……

そして今直ぐそこに、その悪魔が……

 

「挨拶もなしとは偉くなったものですね〜♪………なぁ、オイ」

 

「な、ななっ、なななな!なんで……!なんで!」

 

「リゼさん……?」

 

「あっ、ナーシャのメイドさんじゃない!今この探索者達に頼まれてた物を持って行かせるところだったのよ!丁度良かったわ!」

 

「そうだったんですかぁ♡偶然です〜♪……あ、そうだ☆どうもこの探索者さん、お店の場所を忘れてしまっているみたいなのでぇ?私が案内をしていっていいですかぁ♡」

 

「それは助かるわ!それじゃあそういうことだから、よろしく頼むわよ!リゼ!レイナ!」

 

「え、ええ、分かりました……」

 

「………」

 

「……返事はどうしたヒモ」

 

「は、はいぃっ!!い、行ってくる!!!」

 

「うん?そ、そう?なんだか妙に気合入ってるのね」

 

身体の直ぐ後ろでボソッと呟かれるドスの入った声。ギチギチと音を立てて握られている右肩。その場にいる誰からもバレないような見事な位置調整、リゼはとにかく逃げるようにして2つある大箱のうちの一つを手に取る。しかしその行動もまた、墓穴を掘った。

 

「ご主人様〜♡……乱暴に扱うんじゃねぇよ、殺すぞ。なんのために台車じゃなくて人間雇ってると思ってんだ」

 

「ヒィッ」

 

もうどうしようもない、逃げ場などない。

咄嗟にレイナの方に目を向けるも、彼女は残りの一箱を持ち上げてプレイと言葉を交わしている。ああ、どうやら彼女は丁寧に荷物を持ち運んでいるみたいだ。流石はレイナ、リゼはそうして死んだ目で彼女のことを見つめるだけ。

 

「割れてたら覚悟しろよ♡テメェの小腸オーバーフローさせてやるからな♡」

 

「……はい」

 

ラフォーレといい、このメイドといい……なんだかリゼは妙にこういう過激な性格の人間と縁がある気がして、ちょっと涙が出そうになってしまった。

 

 

 

「やっぱり、メイドさんはリゼさんとお知り合いだったんですね」

 

「そうなんです〜♡最近は全然お店に来てくれなかったんですけど〜?今のお住まいの掃除をお手伝いしたくらいの仲なんですよ〜♡」

 

「そ、そうだったんですか。私も今そこに暮らしているので、なんだか知らなかったことが申し訳ないです……」

 

「いえいえ〜♡申し訳なく思わないといけない人はもっと別にいますから〜♡何処のヒモ女のことかは言いませんけど〜♡」

 

「うっ……すみませんでじだ……」

 

メイドのリコを挟む様にして歩く2人。

しかしその荷物と立ち位置を利用して腹黒メイドがリゼの脇腹にペンの尻の部分を突き刺していることは当人達以外は誰も知らないことだ。

レイナと話す時には明らかに猫を被っているが、それでも何処かマウントを取れるような話選びをしているところにこの性格の悪さが滲み出ているというもの。決してそんなことは口に出さないが、口が裂けてもそんなことは言わないが。

 

「それで、リゼさんはどうしてメイドさん……リコさんのお店に?」

 

「あ、ああ、それはマドカに紹介して貰ってね」

 

「マドカさんに、ですか?」

 

「実はマドカさん、うちのお店の開業に関わってるみたいなんですよ〜。それで店長と仲が良くて〜、偶に来てお喋りしてますね〜」

 

「え、そうだったのかい?それは私も初耳だ」

 

「なんだか意外ですね」

 

「ということは、あのお店の雰囲気やメニューは……」

 

「あ、そこは全部マスターの趣味みたいですよ〜?あくまで少しだけ資金援助をした仲だ〜って言ってました〜」

 

「……本当に少しなんでしょうか?」

 

「さあ、どうだろう……」

 

どうせ絶対メチャクチャな大金を出したぞ。

そんな確信だけが頭の中にある。

どうせ『これからゆっくり返して貰えれば、私は問題ないですよ』みたいなことを言って設立資金の大半を援助したに決まっている。

マスターとマドカの関係がどんなものなのかまでは分からないが、マドカと話したことの少ないレイナでさえも似たような想像をしていたのだから、ある意味で分かりやすいというかなんというか。

 

「あ、そうだ〜♡お2人はもう昼食は取られましたか♪」

 

「え?あ、はい、丁度ギルドの方で……」

 

「それなら良ければマスター自慢の珈琲でも飲んでいって下さい♪もちろん、料金は取りませんから♪」

 

休憩するほど何かをしている訳でもないが、こうまで言われては断れない。他の2つの依頼も持ってきたはいいが、別に今日中にしなければならないということでもなかった。少しくらいゆっくりと1日を過ごすのもいいだろう。

リゼとレイナは一度顔を見合わせて頷き合う。

 

「それは助かるが……いいのかい?正直今日はあまり手持ちが無いよ」

 

「今日"は"……?」

 

「………今日"も"」

 

「もう♡期待してないから安心して下さいご主人様♡それに料金も以前にマドカさんがとあるヒモのために置いて行った1年分の無料券を使うだけですし♡」

 

「そ、そっちからのサービスは結局殆ど無いじゃないか……」

 

「自分の金を1銭も払ったことのないご主人様に提供されるサービスなんて、割引どころか笑顔すらも勿体無いと思いませんか♪」

 

「ぐ、ぐぅぅぅ………」

 

「………なるほど」

 

まあ、ここまで来たらレイナにもなんとなく勘付くものはあったが、取り敢えずは何も口を出すことなく見て見ぬふりをした。

本人達がそれで納得しているのであれば、他人の自分が口に出すべきではないと思ったからだ。行き過ぎた発言がある様ならば、その時に止めればいい。

……まあ、問題はその本人が実は全く納得していないところであるのだが。周りから見ている分ではそんなことは分かりはしないので、これも仕方ないと言えよう。リゼには諦めてもらうしかない。

 

 

 

「へ〜、ご主人様はクランを作るつもりなんですか。随分と出世しますね〜」

 

荷物を指定された場所まで運ぶと、2人は言われていた通りに店で休憩をすることになった。運ばれてきた珈琲という飲み物は相変わらず独特な香りをしていて、初めてそれを見たのであろうレイナも恐る恐るながら飲んでいる。

喫茶店ナーシャは今日も相変わらず静で少しの常連達が読み物をしながら寛いでいる。無言のマスターも以前に見た時と変わりないようだった。一度会釈をして、食器の清掃を始める。この基本的に騒がしい街の中で、こうまで静けさが特徴的な店もそうはないだろう。耳心地良く聞こえてくるレトロな音楽もまた心地良い。

 

「でもまだ無職なんですよね?」

 

「無職ではなく無所属だ」

 

このメイド以外は。

このメイドがこの店の雰囲気をぶっ壊しているとリゼは心の底から思っている。いやまあ制服とかは別に馴染んでいるのだが、このメイドの性格だけが致命的に合っていない。珈琲を出したのなら他の仕事をしに行けばいいのに、何処の店に客の机に図々しくも座って肘を突きながら持ってきた果実絞りを飲み始める店員が居るというのか。仮にもメイドを自称している癖に。

 

「実は私達、身分証がないんです。登録されているかも怪しいくらいで、リゼさんに関しては間違いなくされていないとか」

 

「へぇ、ご主人様は地面から生えて産まれて来たんですね」

 

「そんな訳ないだろう!私の祖父がしてくれていなかっただけだ!……まあ、そんな理由で申請が通らないんだ。だからせめて身分が証明出来る仲間が増えないかと考えていて」

 

「出来てもいないクランに入る様なもの好きはそうそう居ないと思いますけどね〜。勧誘活動とかしたんですか〜?」

 

「勧誘?」

 

勧誘活動、そう言われてみるとまだそれはやっていない。というかそもそも諦めていた上に、あまりよく知らない人を受け入れることに抵抗感があった故に避けていたといってもいいだろう。

とは言え勧誘活動が出来るほどに他のクランより飛び抜けているところなど、それこそリゼがマドカの弟子であるという点くらいしかない。それを武器にして人を集めるというのもやっぱり嫌というか。

 

「手っ取り早く解決したいなら、大手のクランの偉い人に相談してみるのもいいんじゃないですか、ヒモ主人様」

 

「なんだその名称は……しかし、それはどういう意味だろう?それで解決出来るのかい?」

 

「大きいクランほど人が多い訳で、そうなると多かれ少なかれ出て来るじゃないですか〜?ほら、穀潰しみたいな」

 

「あ、あぁ……」

 

「さ、流石にそういった人材を受け入れるというのは今後のクラン運営にも支障が出そうですし、遠慮したいです……」

 

「そこでマドカさんを使うんですよ〜」

 

「「?」」

 

果実絞りを飲み終わったからか、入っていた氷を取り出してバリボリと貪り始めるメイド。あまりにメイドにあるまじき姿を見せていることに彼女は気づいているのだろうか?それはそうと話は続く。

 

「マドカさん経由で大手クランの偉い人間と接触するんですよ〜、流石にマドカさんの紹介で来た人間に糞みたいな人材を押し付けられませんからね〜」

 

「なるほど……あくまで私達は顔合わせをお願いしただけ、それでも確かに紹介して貰える人材の質はとても変わりますね」

 

「ええと、具体的にはどういう……?」

 

「何かの理由で今のクランに居づらい人間、合っていない人間、そういう感じですかね〜」

 

「……あとは私たちの目利き次第ということか」

 

「人を見る目は無さそうですけどね〜、ご主人様方は」

 

「「…………」」

 

それについてはまあ、正直に言ってあまり自信がない。リゼは自分が騙されやすい人間であると自覚しているし、レイナはそもそも自分のことがよく分かっていない。リゼという人間を見た眼は信じられるが、他に関してはまた別物だ。出来ればその辺りの目利きもマドカに任せたいという秘めた思いもある訳で。

 

「……あ、そうだ」

 

「?」

 

そうして2人がなんとなく悩む様な顔をしていると、リコは何かを思い出した様にして立ち上がる。すると空になった容器をそのままに、パタパタと店の中に居るとある常連のお爺さんに話しかけに行ってしまった。

あまりに行動が自由過ぎる彼女が何をしたいのかはよく分からないが、彼女は何故かそのお爺さんを連れてこの席に戻って来る。

恐らくは高齢のエルフだと思われる髭の長い老人。寿命の長いエルフだ、年齢は100を超えていると思って良いだろう。そんなお祖父さんは髭を自身の珈琲を片手に持ち、髭を擦り歩きながらリゼとレイナの顔を見ていた。

不思議な雰囲気がある。

なんというかこう、存在感というのだろうか。それが希薄でありながらも異質と感じてしまう。そんな不思議な老人だ。

 

「ええと、この方は……?」

 

「ふむ……名をシセイという。仲間を探している青葉と聞いたが、確かかな?」

 

「青葉?仲間を探しているというのはそうですが……」

 

「青葉は若い探索者のことですよ♡最近ご老人方の間で流行っている表現です♡」

 

他の客の前だからかまた可愛こぶり出したリコであるが、あれだけ堂々と氷を噛み砕いていた人間が今更何を……と思いつつ、リゼはそれも一旦飲み込む。それよりも目の前の人だ。リゼは思い出していた。確か"青葉の集い"という大手のクランがあったことを。

 

「シセイさんは"青葉の集い"の幹部をされている方なんです♡」

 

「なっ!そ、そうだったんですか。挨拶が遅れました、リゼ・フォルテシアです」

 

「レ、レイナ・テトルノールです!」

 

「シセイさん♪こちらのご主人様は"こう見えても"マドカさんの新しいお弟子さんなんですよ♡」

 

「なぜ"こう見えても"を強調するんだ……」

 

「ほう、彼女の……なるほど確かに、良い目をしている」

 

覗き込まれる瞳。

というか"マドカの弟子"という称号が強過ぎる。

その信頼度があまりに高過ぎる。

どうしたらこんなことになるというのか。

これでは本当に迂闊に悪戯も出来ないだろう。

肩書きが人を作るという話もあるが、まさに今その影響を思い知らされているというか、作らされているというか。

 

「それでどうでしょう?紹介出来そうな探索者さんって今いらっしゃいますか?」

 

「……居る、が、少しばかり問題がある」

 

「問題……?」

 

「人格にではなく、体質とでも言えばいいのか……この話を外に出すことは難しい。簡単に話すことは出来ん」

 

「人格的な問題はないと解釈してもいいのでしょうか?」

 

「あの子は愛される、少し変わってはいるが優しい子よ。しかし愛されるが故に、特異な物を抱え込んでしまった。我等はあの子に幸せになって欲しい、しかし枯葉の中に閉じ込められていては腐るばかりじゃろうて」

 

愛しているが故に、旅立って欲しい。

そんなことを言われてしまえば、心を動かされてしまうのはリゼが単純だからか。

それでも目の前の老人がここまで言うような人間だ、一度くらい会ってみてもいいのではないだろうか。それこそ事前にマドカに意見を聞いてみたいところはあったが、いつまでも頼ってばかりではいられない。まずは自分で行動することも大切だ。例えそれて失敗したとしても、今は隣にレイナも居るのだから1人だった時よりもずっと心強い。

 

「会うことはできますか?その青葉に」

 

「もちろん、機会は用意しよう。明日の午後、ギルドの会議室でどうかな?」

 

「分かりました、よろしくお願いします」

 

「ふっふっふ……良き青葉の生まれがまた見られる、礼をすべきは枯葉の方か」

 

そんなよく分からないことを言ってリコに代金を手渡すと、老人はゆっくりと店を出て行った。思いがけない出会いがあって、そして話は思っていたよりも淡々と進んでしまった。いつの世も人との繋がりということなのか……ドヤ顔でこちらを見て来るメイドを見てリゼは思考を頭から切り離す。

 

「あれ〜?懸命に働いたメイドに対して褒めてもくれないんですか〜?ご主人様ぁ♡」

 

「……あ、ありがとう、助かったよ」

 

「誠意は言葉ではなく金額、ですよね♡」

 

「うっ……そ、それならこの、チーズタルト?とやらを2つ頂けるだろうか」

 

「え?20?」

 

「2人分だ!!そんなに持って来ても絶対に払わないからな!」

 

「もう♡冗談ですよ〜♡マスター、チーズタルト2つで〜す♡」

 

以前にオムライス10人前を胃袋に詰め込まれたトラウマが復活しそうになり、肩で息をしながら必死になるリゼをレイナが背中を撫でて落ち着ける。

……まあしかし、レイナからしてみればやはり2人は仲が良い様に見えた。少なくともリコの方は間違いなくリゼを気に入っているし、リゼも滅多に見せない姿を彼女にだけは見せている。

 

(少し、嫉妬かなぁ)

 

別にリゼに怒られたい訳ではないのだが、あんな風に感情を思いっきりぶつけ合える関係も偶にはいいかなぁと思ったりもするのだった。

実際にそうなったら、思いっきり凹んでしまいそうな気も同時にしたのだけれど。

 



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63.龍と森

グリンラルを出て少しが経つ。

街を出る頃にはもう殆ど平穏通りの動きを取り戻していたグリンラルからは、自分達と同じタイミングで商人達の馬車も出発し始め、数日振りの自由に彼等も身体を伸ばしていたりするのが見えた。

道が分かれるにつれて後ろをついて来る馬車の数も減り、帰りに周囲を見て回ってからオルテミスに戻ると決めていたため、付近からはより人の気配が消えていく。

 

「……マドカさん?どうかしたの?」

 

「え?あ……いえ、その、少し"混毒の森"を見ていました」

 

「混毒の森……」

 

ブローディア姉妹の姉の方:リエラは、ぼーっとある方向に目を向けているマドカに気付き、声を掛けた。

今この馬車に乗っているのは全部で6人。

戦力提供のために派遣されていたブローディア姉妹に、そんな2人を迎えに来たマドカとエミ、そしてグリンラルで同じ様に奮闘していたアタラクシアと、マドカが突然何処かから連れて来たスズハと名乗る少女。

エミは馬車を引いているし、アタラクシアは隅の方で目を閉じて座っていたが、スズハとステラは書物を読んでいたり眠っていたりと思い思いのことをしていた。会話も特になく、マドカの隣に座ってそわそわとしていたリエラがようやく声を掛けたという感じ。そしてそんな2人の会話に例の彼女も入ってくる。

 

「混毒の森……名前の通り大量の毒物に塗れてるって聞いたけど、実際どうなのかしら?」

 

「む……」

 

「実際その通りですよ、スズハさん。毒草や毒虫が大量に生息している上に、モンスターも強力な毒を持った個体が多いです。そもそも毒霧や毒沼が多く、流れている水にも色々と混入をしていますからね。そういう生物しか生き残れないというのもあります」

 

「へぇ、これだけ周りに緑があるのに、どうしてわざわざそんな住み辛い場所に生息してるのかしら」

 

「魔力濃度が濃いからだと言われていますね。基本的に魔力濃度の高い場所にモンスターは集まり易く、そういった場所の生物は多くの魔力を蓄えていますから。例えばオルテミスから見える海洋も、深海の方はかなり濃度が濃いみたいです」

 

「なるほどね、モンスターにとっては毒のデメリットより魔力濃度のメリットの方が多いってことかしら」

 

「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。オルテミスの深海も、グリンラルの混毒の森も、危険性が高過ぎて調査が進んでいませんから。魔力濃度が高い理由も分かりませんし、そこに何があるのかも分かりません」

 

「この世界では地上でさえも未開拓の場所が多いのね。深海は私の世界でも殆ど調査が進んではいないのだけれど」

 

「その辺りの話も一度聞いてみたいですね、素直に気になります」

 

 

「……む、むむむ」

 

自分が最初に話しかけたのに、突然割り込んできたスズハとばかりマドカが話している。話しかけるにも勇気がいる行為、なんだかそれを利用されたみたいでリエラは頬を膨らませた。

そして今度は自分の番だとばかりに知識を探る。

 

「そ、そういえば!混毒の森には邪龍が潜んでると聞いたんだけど本当なのかな、マドカさん!」

 

「え、そうだったの?」

 

「ああ、滅龍デベルグのことですね」

 

「滅龍って、また大層な名前ね」

 

「マ、マドカさんは何か知っていますか!?」

 

「そうですね……」

 

世界中に散らばっている5体の邪龍。

その情報はあまり公には公開されていないとは言え、探索者である以上、リエラだって少しくらいは知っていた。そんな話が噂としてあるということ程度の話だが。

 

「そもそも滅龍デベルグについては、どれくらいご存知ですか?リエラさん」

 

「え?えっと……世界で6体目に現れた邪龍で、碌な戦闘すら出来ずに逃げられてしまったって」

 

「それだとおかしいと思いませんか?滅龍デベルグは出現以降、特に大きな活動は見せていません」

 

「うん……うん……?」

 

「……つまり、出現してただ逃げて、それ以降全く姿を表さない様な龍種を、どうして邪龍認定してるのか、ってことでしょ。それこそ滅龍なんて大層な名前まで付けられて」

 

「あ、ああ、なるほど……」

 

言われて気付く。

というかリエラ自身、邪龍に対してそこまで興味がある訳ではなかった。故に疑問にも思ったことはなかったが、確かに知っている限りの知識では危険性なんて全くないように思える。

 

「これは私の知る限りの情報ですが、滅龍デベルグは全長2〜3m程度の非常に小さな個体です」

 

「えっ、そうなの?」

 

「へぇ」

 

「そしてこの個体は出現と同時に空の彼方へと飛んで行ってしまったため、戦闘を行う隙すら無かった……そう言われています」

 

「でもそれだと、やっぱり何の興味も無いわよね?」

 

「そこで考察の要素を一つ、大竜ギガジゼルの存在です」

 

「えっと……あっ、オルテミスの近くの海で島みたいに眠ってるあの!めちゃくちゃ大きくて、暴れると世界が滅ぶっていう!」

 

「そうです、その邪龍です。それでは、その邪龍が最後に暴れたのはいつでしょうか?」

 

「……ああ、なるほど」

 

「え?」

 

それだけのことで一体なにが分かったというのか。

というかそもそも、リエラとしてはその大竜ギガジゼルが最後に暴れ回ったのがいつということすら覚えていない。確か大竜ギガジゼルの目覚めが原因で邪龍討伐の声が大きくなったという話は聞いた覚えがあったが……

 

「大竜ギガジゼルの目覚めが50年前、それと6体目の邪龍の出現も50年前。時期が一致するわね」

 

「あっ!」

 

「そうです、つまり当時なぜ邪龍討伐の声が高まったのか。それは大竜ギガジゼルが原因ではありません、そのギガジゼルを呼び起こしてしまった滅龍デベルグが原因なんです。……だって、当時のギルドや探索者達ですら逃げることしか出来なかったギガジゼルを見て、『ギガジゼルを討伐しよう!』なんて声は上がらないでしょう?」

 

「な、なるほど……!」

 

つまり、邪龍討伐の声が高まったという言葉の本当の意味は文字通りではなく、『邪龍はギガジゼルを自力で起こす可能性がある、だから可能な限り減らそう』という意味だったということだ。

最強と呼ばれる大竜ギガジゼルは、その暴れ様を見た当時の人間達からすれば同じ邪龍という括りにすることすら烏滸がましかった。人の力ではどうにもならない天災、故に排除するという考えすら湧いて来ない。

 

「……それで、どうして滅龍なんて名前に?」

 

「ギガジゼルの甲殻は凄まじい硬さを持っていまして、如何なる手段を用いてもそれを傷付けることは出来ないという話があります。しかし50年前に目覚めた際に、殻の一部に穴が空いているのが発見されたそうなんです。それもかなり大きく、まるでその部分だけが消滅したかの様な穴が」

 

「それが滅龍デベルグの仕業で、だから滅龍と……」

 

「人間と同程度の大きさしかない龍が、それほどのことをしたのなら、そりゃ邪龍認定もするわね。つまりこの世界ではギガジゼルの甲殻以下のあらゆる防壁は突破される可能性があるってことだもの」

 

「まあそれに関しては邪龍全てに対して言えるのですが……やっぱり単純に、想定される力量での認定だと思います。ギガジゼルに大穴を開けられるのなら、つまり他の邪龍でさえも殺せるという話になって来ますから」

 

そしてそのデベルグが最後に目撃されたのが混毒の森周辺。彼の龍はそれ以降全くと言っていい程に目撃されていないが、今でも稀に謎のクレーターが見つかることもあるという。

 

「それもあって、混毒の森には立ち入りを禁止しているんです。滅龍デベルグを起こすことは、即ちギガジゼルを起こす可能性を引き上げることに繋がりますから」

 

「な、なるほど……や、やっぱり邪龍についての勉強ってした方がいいのかな……?」

 

「しておいて損はないと思いますよ、それほど情報は多くないので短い時間で出来ますし。……それに、私達探索者にとっていつかは倒さなければならない相手ですから。これから生まれてくる存在が、ギガジゼルより強く、凶暴性の高い個体である可能性も否定出来ません」

 

「それは……そっか……」

 

「………」

 

そんなマドカの話を聞いて、スズハは混毒の森の方へと目を向けて溜息を吐く。よくもまあそんなにギラギラとした目をしていられるものだと、心底呆れて向かい合うのも嫌になった。

 

(詰んでるじゃない、この世界)

 

そう結論付けたのだ、当然のように。

この世界に落ちて、拾われ、最初にしたのは本を読み漁ること。文字だけは何故か元の世界に近いもので、所々よく分からない場所もあったが、それでも大体の意味は理解出来た。故にこの世界の事情や、大凡の歴史も知っている。

 

「……オルテミスにはそのギガジゼルが居るのよね?次に目覚めるのはいつなの?」

 

「周期的に言えば数百年は大丈夫だと思いますよ、そもそも以前に起きたのもデベルグに無理矢理起こされたというものですし」

 

「つまり、気をつけるべきは次の龍種……?」

 

「そういうことになりますね。他に脅威とするのであれば……少し前に龍神教からの襲撃がありましたが、暫くは大丈夫でしょう」

 

「?なんでそう言えるのよ」

 

「少なくともスズハさんのことは私が責任を持って守るからですよ、例えリゼさん達が受け入れてくれなくても」

 

「……そう、責任感の強い保護者で良かったわ」

 

「むっ」

 

そんな風にリエラがまた嫉妬を燃やそうとした時に、馬車を引いていたエミからの声が掛かった。どうにもモンスターの群れが近付いているらしく、処理をして欲しいということらしい。

 

「リエラさんはここにいて下さい、私1人で大丈夫ですから」

 

「う、うん……」

 

「それでは」

 

当然のようにその対処に向かったのはマドカだ。

リエラも立ち上がりかけたが、それを手で制される。マドカはそのまま馬車から飛び降り、前の方へと走って行ったが、隣に居たスズハはそれを信じられないものを見たような目で見ていた。

エミの言葉通り森の中を馬車に並走しながら近付いてくるグロウ・マンキーの群れ。中型の猿型モンスターであり、長く堅い爪を白熱させて攻撃を仕掛けてくるモンスターだ。森の中というのは彼らの領域であり、木々を華麗に移りながら取り囲んで攻撃を仕掛けてくるというのが定石。普段はこうして馬車を率いる馬を襲ったりしているらしい。

 

「……ねぇ、一つ聞いていい?」

 

「……いいけど」

 

「マドカって、どれくらい強いの?」

 

「どれくらいって……」

 

見ていれば分かる。

 

リエラはそう答えようとして、口を閉じた。

それは何より、彼女がもうそれを自分が言葉にするよりも早く見せていたから。

 

森を、木々を、文字通りに我が物とする彼等を相手に、むしろその領域に自ら飛び込んでいき蹂躙し始めるマドカ・アナスタシア。木々を移る速度は群れのどの個体よりも早く的確で、彼等の赤熱した爪は一度たりとも彼女に触れられることなく潰されていく。スフィアを使っている訳ではない。特別なスキルを使っている訳でもない。単純なステータスと技術だけであれを成している。

 

「……ねぇ、あれが探索者にとって平均レベルな訳?」

 

「そんなわけ、ないじゃん……あんなことが出来るの、オルテミスでも片手で数えられるくらいだよ」

 

「そう、それはなにより。探索者ってのも私の想像していたよりかは常識的な生き物だったのね。木の間を移り飛びながら回転斬りを叩き込む頭おかしいのが普通だなんて言われたら、どう反応すればいいか分からなかったわ」

 

「そ、そんなにおかしい訳じゃないもん!マドカさんより強い人もいっぱい居るし、速度ならエミさんが、剣術ならレンドさんが、魔法ならカナディアさんの方がずっと規格外だよ」

 

「じゃあ、あれだけの特別ってなんなの?」

 

「えっと……五属性が使い分けられることかな」

 

「?なにそれ」

 

「マドカさんの剣、2本あるでしょ?あの剣はそれぞれ属性を光属性と闇属性に変えられるんだよ、出力は落ちちゃうけど。それでマドカさんのスキルを含めると、1人で5つ全ての属性が使えるの」

 

「それ、あの武器があれば他にも出来るの居るんじゃない?」

 

「そ、それは……や、でも、ほら、だからマドカさんもそこまで特別な人じゃないっていうか」

 

「あんたそれでいいの?」

 

「え?……あ、違うの!マドカさんは本当に特別な人で!けど全然おかしな人じゃないっていうか!」

 

「はいはい」

 

「うぅ……」

 

そうこう言っているうちに全滅するグロウ・マンキー達。結局彼等はマドカに傷一つ付けることなく木から落とされた。

スズハには戦闘のことなど分からない。

だから正直、あれがどれほどのことなのか実感は全く湧いて来ない。

ただ分かるのは、異常なあの女が戦闘力まで異常であったとしても、なんら不思議ではないということ。

 

「ただいま戻りました」

 

「お、お疲れ様!マドカさん!怪我はない!?」

 

「ふふ、この通り大丈夫ですよ」

 

「……ほんと、メアリー・スーの怪物ってあんたみたいなのを言うのかしら」

 

「?なんですかそれ」

 

「子供の作った物語に出てくる様な理想的な人物、みたいな言葉よ。強くて、愛されて、特別で……」

 

「あ〜……」

 

何でも持ってる、何も不自由がない、そして誰からも特別扱いされる。そんな彼女の姿が何となく気に入らず、そんな風に皮肉気に言ってやれば、しかし彼女はやはりスズハの想定から少し外れた言葉を返して来た。

 

「まあ、そんな理想的な人物が居るのなら、是非この世界を救って欲しいですよね」

 

「……」

 

「確かに私は特別な物を色々と持っていますが、それでもこの世界を救えません。必死に頑張ってはいますが、精々延命程度でしょう」

 

「延命は出来るのね」

 

「それに、私はこれ以上レベルが上がりませんから。どうせ直ぐに戦力外になりますし、もう少しもすればリエラさんとステラさんに抜かれるでしょう」

 

「そ、そんなこと……」

 

「そのうち私は居なくても問題ない存在になります。そんな私を理想だなんて呼んで欲しくはありません。……全部が全部貰い物の人間を、理想だなんて言ってはいけません」

 

つまり、理想はもっと高く持て、と。

そういうことを言われているらしい。

 

「そういう意味では、きっとこれからお会いするリゼさんは、理想に近しい人になると思いますよ」

 

「えっと……マドカさんの新しい教え子さん、だったよね?」

 

「ええ、リゼさんは強くなると思います。それに好奇心もありますし、人に愛される性格の持ち主です。彼女とスズハさんに色々と引き継いで貰えたら、私はもう引退ですね」

 

「……その歳で引退は早過ぎるんじゃない?」

 

「さっきも言いましたけどレベルが上がりませんから、前線に立つよりも後方で育成に時間を割いた方が効率が良いという判断です。リゼさんやリエラさん、スズハさんもそうですけど、最近は妙に特殊なスキルを持っている方が多いですからね。戦力増強を考えるのであれば、私はそっちに尽力するべきだと思うんです」

 

「そうなの?」

 

「え……どうなんだろう、私は知らないかも」

 

それはこの場に居る誰もが知らない事だった。

唯一前の方に居るエミだけは長い探索者生活の中でなんとなく気付いていたのかもしれないが、今の若い探索者達はそれを知らないだろう。精々が上の探索者達は良いスキルを持っているなぁと思う程度。

 

「ええ、実際40年前の邪龍討伐時点の探索者の記録と比較したところ、最近の探索者のスキルはかなり特殊になって来ています。例えば40年前は『火属性【中】上昇』という様なスキルが多かったんですけど、最近は『火属性【中】上昇、火属性スフィアの待機時間が1/2』みたいな形になって来てるんです。……あ、ちなみにこれ私のお母さんのスキルです」

 

「そんな明らかにシステムに干渉してくる様なことある?」

 

「だ、だからラフォーレさん、あの勢いで途切れる事なく炎弾を乱射出来てたんだ……」

 

「最近見た中で一番強いと思ったのはダントツでリエラさんとステラさんですね。正直将来的に探索者最強の名声を受けるのはお二人だと確信しています。現状でも最高ステータスなら私を軽く超えているくらいですし」

 

「は?え、さっきまでの露骨な後輩アピはなんだったの?こっちの方が全然バケモノだってことじゃない」

 

「バケモノ!?」

 

「そもそもグリンラルへの戦力提供をたった2人で認められるくらいですから。実際アタラクシアさんやリスタニカさんと並んで街の入口を守れていましたし、かなり凄いことしてたんですよ?」

 

「殆ど一人でオルテミスの留守を任されてたマドカさんに言われたくないよぅ!」

 

「まあそっちは結局失敗した訳ですが♪」

 

「それでも凄いもん!」

 

思わぬ人間が実はとんでもない素性を持っていたりして、如何にもとんでもなさそうな人間が実はそうでもなかったりする。

正にそんな一面を垣間見てしまったスズハではあるけれど、これから彼女が向かう場所にはむしろ凄くない人の方が少ないくらい。そうでなければ生き残れない世界に来てしまったことは、悲しいことなのか、幸福なことなのか。

 



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65.騒がしい日

サブタイトルの数字が飛んでますが問題ありません。


その日、リゼとレイナが普段通りにギルドを訪れると、職員達どころか周囲の探索者達すらも慌しく動いている様子を見ることとなった。

ギルドにいる探索者達も普段見かける様な若い探索者達ではなく、少し年を食った中堅の探索者が多い様に見えるし、中でも聖の丘の刺繍を胸に刻んだ者達が多い様にも感じた。

……明らかに何かが起きてしまったのだろう。

多少鈍感な部分のあるリゼでも、それだけはハッキリと認識出来た。

 

「リゼ、レイナ、こっちに来るっす」

 

「ヒルコ?あ、ああ、一先ずお邪魔するよ」

 

何が何だかと立ち尽くしていたリゼとレイナにそうして声を掛けてくれたのは、鑑定士のヒルコである。主に換金や鑑定を仕事にしているギルド職員であり、ギルド長と副ギルド長に次ぐ影の実力者でもある彼女であるが、やはりというか何というか、こういった雰囲気の中でも彼女だけは普段通りにのんびりとペンで遊んでいた。

そんな彼女の前に座る2人。

周りの邪魔にならない様にと、避難したとも言えるだろう。

 

「ヒルコ、これは一体何事だい?ダンジョンで何かトラブルでも起きたのだろうか?」

 

「いや……まあ、もうここだけの話じゃなくなるんで話しちゃうんすけど、ほぼ間違いなく外界に龍種が逃げたっす」

 

「……なんだって?」

 

話の内容がよく理解出来ないリゼとレイナ。

しかしそれは当然だ、その話を理解する前にはそもそもの前提となる話があるのだから。何も知らない2人が突然事実を突きつけられても困惑するのは仕方のないこととも言える。

 

「えっと、龍種が逃げたというのは、ダンジョンから逃げたということでしょうか?」

 

「違うっすよ。……話の始まりは、そもそも、どうしてマドカさんがグリンラルにまで足を運んでいるのか?ってところっすね」

 

「それについては私も話は聞いていないのだが……」

 

「前兆が見つかったんすよ、2度目の龍の飛翔の」

 

「「!?」」

 

「それが話の始まり……要は、マドカさんはグリンラルに戦力提供の交渉に向かった訳っすね」

 

そこまで聞けば、後の話の流れは大体わかる。

 

「つまり、マドカが交渉に出かけているその間に龍が出て来てしまい、対応が出来なかった……そういうことだろうか」

 

「まあそんな感じっす。マドカさんがグリンラルを出る直前に、『出現予想地点を掘って欲しい』なんて伝文機で送って来たっすから、まさかと思って掘ってみたら……」

 

「既に龍種が出てきた後の痕跡があった、ということですね」

 

「そういうことっす、穴が塞がりかけてたんすよ。むしろ予兆が見つかる前には既に外界に出てた可能性すらあるみたいっす」

 

「それはまた……」

 

とすれば、この騒ぎは恐らくその龍種を探して討伐するためのものだろう。先ずは聖の丘から捜索のための編成が組まれ、発見後直ぐに攻撃部隊が駆け付ける。今はそのための相談か何かをしている段階で……

 

「だから!!なんで出発できないんだ!!今直ぐにでも探索に向かうべきだろう!!」

 

「落ち着いてください!何の情報もないというのにどうするつもりですか!今無駄に人手を減らせる余裕はないんです!許可出来ません!」

 

「そんな悠長なこと言ってる間にいくらでも探せんだろうが!馬鹿言ってんじゃねぇ!いいから出発許可を出しやがれ!」

 

ギルドの受付で探索者と職員が言い争っている。

2人とも、性別は違っても互いに今にも掴み掛からんとするほどの勢いだ。明らかに強そうな身体を持っている男を相手にしても、一歩足りとも引くことをせず、むしろ大きく机を叩いて威嚇する女性職員。というかエッセル。百戦錬磨のギルド職員は恫喝に決して屈する事がないどころか、むしろ食い殺してやらんばかりの気迫を放っている。

 

「……うわぁ」

 

「ふ、2人とも誰かを守りたいという点においては思いは同じなのだろうけどね」

 

「ま、とは言っても今はマドカさんの帰りを待つのが先決っすよ。情報が全くない状態での捜索なんて無意味にも程があるっすから、特に今回は……」

 

「?」

 

「いや、なんでもないっす。そういうことで、アンタ達にも捜索の協力をお願いすることになるかもしれないっすから。準備だけはしておいて欲しいっす」

 

「ああ、任せて欲しい。眼には自信があるんだ」

 

「……あの、それって戦闘に参加する必要とか出てきますかね?」

 

「アンタ等より強い奴なんてこの街には腐るほど居るっすよ、そこまで人材は不足してないっす」

 

「ああ、うん、まあ、それはね……」

 

しかしまあこうなると、何か指示があるまで変に緊張して普段と違うことをする意味もないだろう。むしろこういう時にこそ普段通りに動く人間が必要であるということは流石に理解しているし、リゼにはそれを求められているということも分かっている。

一先ずはいつも通りに配信の手伝いをし、その後は依頼の処理だ。いつもの探索者達が居ないことを考えると、普段よりも処理すべき依頼は多くなるかもしれない。取り敢えず期限が今日までの依頼から優先して処理していくことに……

 

「あ」

 

「ん?なんっすか?」

 

「いや実はその、今日の午後に"青葉の集い"から探索者を1人紹介して貰う予定になっているんだ。影響は出るだろうか」

 

「あ〜、それは流石に無理じゃないっすかね。誰からの紹介なんすか?」

 

「シセイさんと名乗っておられました」

 

「あ〜……あ〜、なるほどっす」

 

「え、なにがだい……?」

 

「シセイさんがリゼ達に誰を紹介したいのか予想出来たんすよ。大変っすね」

 

「そんなに大変な人なんですか!?」

 

「本人はかなり温和っすよ、やばいスキルとスフィアを持ってるだけで」

 

「やばいスキルとスフィア!?」

 

「なんすか?やばい人間だけでクラン作るつもりなんすか?龍殺団の対抗馬とか面白すぎて応援したくなるっすね」

 

「わ、私はやばくないですから……」

 

「レイナ!?」

 

まあそうは言っても、事情が事情なだけに仕方ない。まだ相手から正式な断りがない故に中止とは限らないが、これだけギルドも探索者も慌ただしくしているのだ。"青葉の集い"という都市内でもかなり大きなクランの人間が、そう簡単に時間を割けられる場合でもない。

 

「……よし、ありがとうヒルコ。取り敢えず私達はいつも通りのことをしてくるとするよ。エッセルの邪魔にならないかが心配だけれど」

 

「あ〜、むしろ喚いてる探索者の相手しなくて嬉しがるんじゃないっすか?まあ付き合いっすから、シセイさんが来たら話しておいてあげるっすよ」

 

「ああ、助かるよ。よろしく」

 

それから2人は依頼板の元へ近寄り、期日が迫っているものから優先して取りエッセルの元へと向かった。ヒルコの言った通り普段通りの、むしろ状況を見て期限が危うい物から持って来てくれた2人を見て、エッセルが喚く探索者を押し退けてニッコニコで応対するくらいには好感度が爆上がりしたらしい。

 

 

「……まあ、こういう対応が大切なんだと思います。何かが起きても焦り過ぎず、声を掛けられるまで下手な行動は起こさない。何か協力出来そうなことがあるのなら、軽い情報提供程度に済ませる」

 

「でも、それほど人任せでいいのだろうか?……いや、自分が行動を起こせば事態を良く出来るとは思ってないのだけどね」

 

「それがまず事実としてあって、次に私達より慣れていて優秀な人達もこの街には大勢居る訳です。そしてそんな彼等はなるべく現状維持をしながら事態を解決したい筈ですから、私達の様な働き手は余計な混乱を起こす事なく、普段通りのことをしていればいいんです」

 

「なるほど……彼等が落ち着いて対策を立てられる現状維持という基盤を、私達は担っているということか」

 

「そういうことですね。方針決めはギルドと上位の探索者に任せて、能力も経験もない私達は無力を噛み締めて大人しくしていましょう。……きっとギルドに中堅の探索者が多く居たのは、自分がどちら側に立つべき探索者なのか理解出来ていないからなんでしょうね」

 

「……それが責められるべきものなのか、妥当なものなのかは、私にはまだ判断が出来ないかな」

 

「同感です」

 

若くとも優秀であれば重宝される。

例として挙げやすいのはマドカであるが、それ以上に今はエルザやユイの方が分かりやすい。まだ歳も若く探索者としても歴が浅い彼女達が、既にギルドのかなり深い情報まで知っており、その方針決定にまで携わっている。

他にも"青葉の集い"の団長と副団長もかなり若く、"風雨の誓い"の団長と副団長も探索者全体で見れば若々しい。

だからそんな彼等を見て自分も同じ位置とは言わなくとも、積極的に動ける立ち位置にくらいは居るのではないかと勘違いする者も出てきてしまう。これはある意味で弊害であり、誰もがその立場になり得る話でもある。

 

「私が勘違いしていた時にはレイナに止めて貰うことにしよう」

 

「え、止めないですけど」

 

「え?」

 

「いや、だってリゼさんは将来的に絶対その位置取れるじゃないですか」

 

「???」

 

「ギルドの信頼もあって、勉強も熱心で、誠実で、唯一無二の特技があって、灰被姫とそこそこ話せる……こんな人材早々居ないですよ?」

 

「な、なんだかそう褒められると恥ずかしいな……調子に乗ってしまいそうだから、やっぱり止めて欲しい」

 

「多少は構いませんが……多分最終的にはそうなると思います。というか私だったら私情抜きでもそうしますよ。灰被姫の凶行を止めてくれる人間なんて何人居てもいいですからね」

 

「それは普通に嫌過ぎる……」

 

どう考えてもそれが目的で引っ張られることになる気しかしない。あの女が何かをやらかそうとする度に必死になって止めようとして被害に巻き込まれる将来の自分を想像して、それならばそんな立ち位置になんか行きたくないとリゼは思った。

とは言え、レイナは色々と回りくどい言い方をしていたが、単体で移動式の超威力超精度の砲台として機能する様な、対邪龍戦において極めて強力な切札となり得る人間を会議の場に参加させないなどということは決して有り得ないため、リゼの未来は確定している訳だ。それこそ作戦立案の出来るマドカ側ではなく、絨毯爆撃による広範囲殲滅を得意とするラフォーレ側の人間として。求められる役割がラフォーレ側なのだから、今後も彼女とよろしくお世話になるということもまた言うまでもない。

 

 

 

 

「いやいやいやいや待て待て待て待て待て!!」

 

「な、なんなんですかこれはぁぁあああ!?!?」

 

「と、とにかく逃げるんだレイナ!!私の前で道を開いてくれ!」

 

「わ、わっかりましたぁぁああ!!!」

 

ガサガサガサ!バサバサバサ!!

2人の背後からはそんな凄まじい音の軍勢が聞こえてくる。必死に走って、必死に逃げて、背後から稀に飛んでくる空気弾をスキルとスフィアを使った眼を用いて避けたり叩き落としたり。

一体なぜこんなことになってしまったのか。どうしてこんな絶体絶命の危機にカイザーサーペントの居ない筈の8階層で陥ってしまっているのか。それについてはもう本当に、運が悪かったとしか言いようがない。

 

「ああ!もう!いつの間に8階層の支配権をハウンドハンター達が得ていたんだ!?昨日はこんなことにはなっていなかった筈だろう!?」

 

「昨夜のうちにハウンドハンターとパワーベアの陣営で大規模な抗争があったんじゃないでしょう……ひゃぁっ!?」

 

「あっぶない!!」

 

前方を走るレイナに向けて待ち伏せをしていた1匹のハウンドハンターが襲いかかり、それにいち早く気付いたリゼが持っていた短剣を投げ付けて撃ち落とす。運良く顔面に突き刺さったことでレイナに怪我は無かったが、どうにもその短剣を拾い直す余裕も無さそうで、リゼは諦めて走り続ける。

凄まじい量のハウンドハンターの群れ。

この階層に生息している個体はこうまで多いものなのかと、リゼは今驚きすら感じている。

 

「あ、ありがとうございますリゼさん……!」

 

「構わない!それより……この状況はどう考えても問題だ!こうなると本当に広範囲攻撃の手段を持つ人材が欲しくなるというか!」

 

「魔法使いってやっぱり必要なんですかね!今更ですけど正直この階層わたしメチャクチャ戦い辛いです!」

 

「同感だ!!ラフォーレが二言目には森を焼こうとする気持ちが最近は少し分かるくらいだ!見辛いし邪魔なん……だっ!!」

 

『キャンッ!?』

 

少し広めの空間に出た瞬間に、その場で大銃を振り被りながら一回転し、薮から出てきた3匹のハウンドハンターを一振りで薙ぐリゼ。

 

「『雷斬』『雷斬』……【雷散月華】!!」

 

そして、リゼのその行動に気付いたレイナは、最大威力の雷斬でリゼに追い付いてきた個体ごと後方の木々を大きくぶった斬る。凄まじい雷によって複数の個体が撃たれ、木々も多く切り倒されたことで押し潰され、道を塞がれ、群れの統率が悪くなる。

 

「ありがとうレイナ!」

 

「は、はいっ!」

 

そのまま一撃の疲労を感じ始めたレイナの手を引き、リゼは残り僅かまで迫った8階層の入口に向けて走る。こうしてハウンドハンターに追われて逃げるのも、果たして何度目のことだろうか。マドカであれば1人でも殲滅出来るのだろうか。ラフォーレなら間違いなく出来る。エルザやユイのペアでももしかしたら出来るかもしれない。……だが、リゼ達にはまだそれは出来ない。

 

(レイナに問題はない、むしろ彼女は本当に良くやってくれている。今も広範囲攻撃という役割を擬似的に果たしてくれた。……問題は)

 

リゼの近接戦闘能力。

正直に言えばそれは本当に素人に毛が生えた程度のものでしかなく、側からみればただ大銃で殴り付けているに過ぎない。眼が良いことを武器にしてタイミングだけは最高だし、カウンターには滅法強いが、それ以外は基本のきの字も出来ていない。

 

『マドカさんが帰ってきたらどうするんですか?』

 

以前レイナにそう聞かれたことがある。

今ならそれこそ『近接戦闘を教えて欲しい』と答えられるが、しかし同時にラフォーレは『近接戦闘を学ぶなどと考えるな』というようなことを言っていた。認めたくはないが、ラフォーレも実績だけを考えれば十分にリゼの師としてカウントしていいだろう。そんな彼女の助言を無にするというのもリゼの良心が痛むし、そもそもそれが彼女に知られでもしたら何をされることか。迂闊なことはしない方がいい。ここが現在リゼの中で本当に悩ましい話だった。それでもラフォーレに対する探索者としての尊敬は間違いなくあり、リゼは決める。

 

(少し無理をして入口付近まで来たら何体か返り討ちにしようかとも思ったが……やはりやめておくことにしよう)

 

リゼが企んでいた無茶を引き留めたのがラフォーレだというこの皮肉。リゼは考えていた通りにレイナを連れて7階層へ登る階段へ飛び込んだ。

階層移動を出来ないことはない様であるが、何故かそれを避ける傾向のあるモンスター達。ハウンドハンター達もその例には漏れず、多少興奮して数体はリゼ達を追っては来たものの、群れでなければ恐ろしくも何ともない。地形的有利を取ったレイナに直ぐ様に串刺しにされ、リゼによって叩き潰された。

……本当に、ダンジョンというのは恐ろしい。

 

「ふぅ……さて、依頼については後は木の表皮を持っていくだけだ。少し休んだら戻ってギルドに報告しようか」

 

「はい、そうしましょう。リゼさんは休んでいて下さい、私が今のうちに表皮を」

 

「休むのはレイナの方だよ、精神力的にも疲れているだろう?……私も少し疲れたんだ。ここで2人で休息をして、表皮はその後で取りに行こう。ほら、私の隣に座るんだ」

 

「は、はい……す、座ります……」

 

考えることも多いし、やるべき事もたくさんあるし、まだまだ自分には足りていない物ばかり、それなのになんだか時間がすごくゆっくりに感じてしまう。いそいそと隣に座って俯くレイナに少しもたれ掛かりながら、目を閉じるリゼ。

 

(……正直、思い描いていた自分にはまだまだ程遠いかな。ただ何も考えずにダンジョンに潜っているだけでは、強くなれないのは当たり前だ)

 

考えて、試して、修正して、挑戦する。

いつまでも偶然の危険を回避して強くなるばかりではいけない。何も考えずにダンジョンに潜るのは簡単だ、苦悩が少なくて済む。けれど意識をして努力をしなければ何の意味もないのだ。より早く強くなり、より早くあの背中に追い付くためには……苦しい思いや、困難に頭を悩ませることを常としていかなければならない。

 

「……レイナ」

 

「は、はひっ!な、ななっ、なんですか!?」

 

「今日の午後は、少し、工房に籠ろうと思うんだ。……帰るのが遅くなるかもしれないが、構わないかな」

 

「!……はい、分かりました。待ってますから、美味しい夕食を用意して」

 

「うん……ありがとう」

 

そろそろ自分のスタイルを定める時だ。

自分に合った戦闘スタイルは、もっと他にある筈なのだから。



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66.調査報告

海辺に広がる広大な岩場。

本来ならばそこで繰り広げられていた筈の2度目の龍との接触は、しかしあまりにも想定外の出来事によって行われる事はなかった。

崩落しぽっかりと空いた巨大な空洞。

地下に向けて深く深く広がっているそれは、それでも徐々に元の地形に戻り始めている節が見当たり、この穴がやはり普通の物ではないのだと自覚させられる。……まあ、今回亀裂を掘り返したのは龍種ではなく人間なのだが。だとしても。

 

「なるほど……話は大体分かったよ。お疲れさんだったね、もう戻っていいよ」

 

同じ"聖の丘"の部下達にそう伝え、もう一度穴の中を覗き込むエミ・ダークライト。そんな彼女の近くには座り込んで同じ様に穴を観察している赤毛の少女が居て、エミはここに来て割と初めて彼女に声をかけた。

 

「何か分かったかい?あんたも研究者なんだろ?」

 

「……この世界の地面って、どこもこんな不自然な直り方するわけ?」

 

「いいや、こんな直り方するのは龍の出る穴くらいさ。あたしの知ってる限りはね」

 

「……見た限り、掘り返した穴以外には外部に繋がる通路はない。穴の正体はともかく、地下水や海水が入り込んでる様にも見えないし濡れてもいない。何より穴は垂直で、攀じ登った様な足跡もない」

 

「つまり、どういうことだい?」

 

「龍の大きさはこの穴の直径より一回りは小さい、加えて移動手段は間違いなく飛行。そして優先して穴や濡跡が治った訳でもないのなら……間違いなく、何らかの手段で地表を通り抜けている」

 

「……マドカちゃんの予想通り、ってことかい」

 

「まあ事前情報を全部整理して鵜呑みにすれば、その程度は予想出来ることよ。ただ問題は……あれね」

 

「ん?」

 

そう言って隣に同じ様に座り込んだエミに対して説明する為に、向かい側でロープを繋いだ魔晶灯を持っている調査員に指示を出すスズハ。まだ顔を合わせたばかりだというのに、一体いつの間に指示を下せるまでの関係を築いたのか。そのことについても言及したかったエミだが、言われるがままに視線を向けた所でそれに気付いてしまった。穴の壁面に僅かに付着している、巨大な黒い染みの様な物に。

 

「なんだい、あれは……?」

 

「これが採取した試料、分かる?」

 

「……?」

 

「……先ずこれの正体だけど、単なる焼けた土よ。高熱で焦げてる、ただそれだけ」

 

「ブレスの跡じゃないのかい?」

 

「それとここから少し離れた場所に同じ様に焦げた跡のある岩床が見つかったわ。ひっくり返させたら裏面どころか、その下の岩にまで貫通してた」

 

「……」

 

本当にいつの間にどれだけ"聖の丘"の団員を使っていたというのか。彼女のその積極性や経験のある調査員達すらも言いくるめた口の上手さにも驚くばかりであるが、今はそれより話の内容に思考を割く。

 

「……ブレスじゃなく熱線?いや、それなら岩も全部貫通してるかね」

 

「出現した龍種が通り抜けた場所が焦げてるとしたら?」

 

「!なるほど、そういうことかい。この跡から今回出現した龍種の大凡の大きさは予想できるかい?」

 

「焦げた範囲が縦4.5m、横10m程度として……胴が長く、蛇みたいにうねる様に飛行しているタイプなのはほぼ確定ね。胴体の直径はそのまま4.5m、掘り返して移動痕を見れば体長もかなり詳細に予想出来ると思うわ。……まあそれはこの岩層を手っ取り早く掘り進められる技術があるのなら、の話になるのだけど」

 

「流石にそれは難しいさね。けど、それだけ分かったなら十分だよ」

 

大きさとしては許容の範囲内という訳だ。

3年前に出現した邪龍候補の六龍ゲゼルアインはそれこそ山の様な大きさがあった。生じた亀裂も4つ目になって凄まじい広がりを見せ、空いた大穴で村が一つ半壊してしまったほど。それと比べれば幾分もマシであるし、絶望感も小さい。

ただ問題は……

 

「……マドカちゃんの様子を見るに、身体が大きくないからって油断できる相手じゃないのかね」

 

「……もしこいつが原因なら、そりゃ油断なんて出来ないでしょうよ」

 

「?」

 

ここに来るまでの間、その話をする前から、妙に神妙な雰囲気を出していたマドカ。彼女がそんな顔をしていた理由を、スズハだけは共有出来る。

別の世界から落とされたスズハ。その原因は邪龍であると、むしろ邪龍以外ではあり得ないとマドカは言った。しかし既存の邪龍にはその様な力を持った者は存在しない。

……つまり。それを引き起こしたのは、未だ誰にも知られていない邪龍か、新たに現れた邪龍ということになるのだ。そしてこのタイミングで現れたこの龍種こそ、スズハをこの世界に呼び出した存在であるとするのであれば、理屈があまりにも通ってしまう。

 

「どうするの?地面にまで潜れるとしたら、正直探し出すのは絶望的よ?追跡だって絶対無理」

 

「……アタラクシアに追わせる、以外に解決策は思い浮かばないね。けどアタラクシアだけで勝てる相手とは思わないんだろ?あんたも」

 

「さあ、戦力については私は分からないもの。それこそマドカにでも聞いてきたらどう?ほら、丁度こっちに来たわよ。如何にも怪しい奴を連れて」

 

「………」

 

そう言われて見て顔を同じように横に向ければ、なるほど確かに、如何にも怪しそうな人物を連れてマドカがにこにこ笑顔でこちらに歩いてきていた。

真っ白なローブで顔まで隠し、素肌の一つすら見せないような格好をした見窄らしい人間。背後に小さな馬車が見えることから、もしかすれば商人なのかもしれない。どう考えても普通の商人ではないが。

 

「エミさん!スズハさん!この商人さんが有力な情報提供をして下さいました!」

 

「……怪しい」

 

「マドカ、あたしはあんたがいつ悪い人間に騙されないか心配で心配で仕方がないよ」

 

「え、えぇ……?」

 

しかしまあ、情報をくれると言うのに見た目で判断して追い返すのも失礼だ。一先ずはどんな情報なのか、聞いてから判断するべき。そう思い直して向き合ってみるが、やはり何処からどう見ても胡散臭い。

 

「あ〜、商人さん?あんたの名前を聞いて良いかい?」

 

「ロレイド……ロレイドと言います。訳あって素肌を晒せないのを許して頂きたい」

 

「変な病気じゃないでしょうね」

 

「いえ、これは精神的な問題で……光が、苦手なのです。以前に故郷が邪龍によって滅ぼされまして、その際に……」

 

「ああ……なるほどね」

 

さっきまであれほど胡散臭さを感じていたというのに、その理由を聞けばこうして同情を抱いてしまうのだから不思議な物だ。

邪龍から生き延びたとしても、精神的な影響を抱いてしまう者は多い。それ故に龍殺団に入って日々龍種を殺している者も居るくらいだし、このオルテミスにも少なからずそう言った者は居る。何かが極端に苦手になってしまったり、火や血に対して極端な拒否反応が出てしまう者だって居るのだ。それが光であったとしても、決して不思議なことではない。

 

「それでロレイドさんとやら、有力な情報ってのはなんなんだい?」

 

「は、はい……私は先日グリンラルを出た後、オルテミスに辿り着き、これからアイアントに向かうつもりだったのですが……グリンラルに到着する前に、見てしまったのです。蛇の様に空を飛ぶ、半透明な光の線を」

 

「光の線……それはいつの話だい?その光はどこに向かって動いていたんだい?」

 

「もう2週間近く前の話になります……空よりも青い光の線が、混毒の森の方へ向けて飛んで行きました。その時には見間違えかと思っていたのですが、こちらのマドカさん曰く、見間違えではないとのことで」

 

「っ!まさか、そういうことなのかい!?」

 

何かを確認する様にマドカの方を見るエミ。

それに対してマドカは頷くだけ。

しかしこの話が本当であるのなら、そう……ここから生まれでた龍種は、もしかすれば最初に対処したラッドドラゴンと命名されたあの龍種よりも先に出現していた可能性があるということだ。つまりラッドドラゴンこそが2匹目であり、こっちの龍種こそが1匹目。

 

「もしこれがグリンラルの連続した怪荒進と連動しているのであれば、筋は通ります。あちらが1度目の直後に発生したと考えれば、こちらも同じように2つの間にそう大きな間隔は無かったのでしょう」

 

「……その理論だと、こっちも2度目より1度目の方が規模は小さいんじゃないのかい?代わりに厄介な何かを持っていそうではあるけど」

 

「そうですね、私もそう想像しています。そして気になるのは青い線状になっていたということです。ロレイドさん、その線はどれくらいの速度で動いていましたか?」

 

「はぁ、それほど速いという感覚はありませんでしたが」

 

「……そういうことね、大体分かったわ」

 

「いや、あたしはサッパリ分からないんだが」

 

エミはサッパリすっかり分からない話であるが、そのことは今ここで軽々しく言える話でもないので、マドカは『また後で』とジェスチャーをしてその場を納める。

……まあ端的に言えば、もし仮にその龍種がスズハを呼び出したきっかけになっているとすれば、それは空間か何かに直接干渉したことになる。スズハがこの場にいる以上はそれは成功したのだろうが、それに対する対価は何を支払ったのか?というのが問題になって来る訳である。

 

「弱ってる、もしくはエネルギーが切れている……直ぐに動き出すって訳じゃなさそうね」

 

「恐らく混毒の森に向かったのは消費した魔力の補給のためではないでしょうか。グリンラルを出る際にキャリーさんに軽くお話はしましたが……あ、こんな時に伝言機の出番です!ちょっと行って来ますね!」

 

そう言ってロレイドにもう一度お礼をして走って行ってしまうマドカ。これで話は終わりなのかと、ロレイドもスズハ達に1つ頭を下げて馬車の方へと歩いて行ってしまう。

それにしても、まさかつい先日まで居たはずの街の近くにそんな龍種が来ていたなんて、エミは思いもしなかった。もしかすればその可能性に気づいていたマドカは潜伏先として混毒の森に目星を付けていたのかもしれないが、まあ実際どうしようもないというのが結論だ。

仮に混毒の森に潜んでいるのが確定だとしても、そこはまだ未開拓の領域。討伐する以前に探索することすら困難であるし、諦めて出て来るのを監視する以外に方法はないだろう。それに運が良ければそのまま混毒の森の毒にやられて息絶えてくれるかもしれないし、滅龍デベルグと縄張り争いをして共倒れになってなってくれるかもしれない。……その場合の最悪はデベルグが再びギガジゼルを起こしてしまう可能性だが、オルテミスとグリンラルの距離を考えればその可能性はそう高くないだろう。

 

「とにかく今は監視、それだけさ」

 

「その監視もどこまで意味があるんだか。そのまま混毒の森の向こう側に消えていってくれないかしら」

 

「そうしてくれるのならありがたいけどね、結局暴れてくれた方が楽に見つけやすいんだから困ったもんだ。デベルグの様に引きこもっててくれると助かるがねぇ」

 

「温和な性格の可能性もあるもの、そう願って無視しておきましょう。龍種が地上に出たなんて話はなかった、それでいいじゃない」

 

などと白々しくもそう言ったスズハだが、彼女にしてみれば殺されてしまうと元の世界に変える方法が本当になくなってしまうため、それこそ逃げ回ってくれる方が好都合であるという。

せめて生捕にして欲しい。

物体を擦り抜ける半透明の生物にそれが通じるかどうかは分からないが、スズハにはさっさとこんな危ない世界から帰りたいという欲しか存在しなかった。今こうしていても変な龍が出て来てもおかしくない世界なんざ、恐ろしくて仕方がない。

 

 

 

 

「『炎弾』『水弾』!」

 

「うん……多分、大丈夫。お疲れリエラ」

 

「う、うん!これくらいはね!」

 

「よーし!それじゃあ後はお姉さん達に任せな!うんと美味しい物を作ってやるさね!」

 

「「うおー!!!」」

 

日も沈み始めた頃、大きめのテントや魔晶灯が立てられた仮拠点で調査員達を含めて夕食の準備に取り掛かる。リエラが小杖とスフィアで生み出した水と炎、これらは長期間のダンジョンや街外への遠征の際には必須の物と言えるだろう。なにせこれと幾つかの道具さえあれば食事から体洗まで様々なことに利用できる。

初心者向けの探索セットには入っていないが、中級者向けの物になれば折り畳み式の鍋や簡易的なシャワーの様な物だって存在する。

長期間の遠征において必要な対策は安全面はもちろん、ストレス、つまり精神的な負担の軽減だって同じくらい必要なことだ。小さな負担の積み重ねが集団の不和となり、やがて大きな衝突にまで発展する。過去にその様なことは多くあった。

故にテントは勿論、便所や手洗いの設置、平等で効率的な見張り配置など、大手のクランほどその辺りを徹底させる傾向がある。それはこの外部調査でも同様だ。そして重要なのは、頭を張る人間もこうして表に出て働いている姿を見せること。これが意外と、いざという時に効いてくるとエミはよく知っている。

 

「うぅ、私も料理出来るようにならないとなぁ……」

 

「?香辛料、焼く、終わり。これで十分」

 

「わ、わたしとステラの2人だけならそれでいいけど……大人数になるとそうもいかないよぅ」

 

「どうせ2人だけのクラン、作る機会なんてない」

 

「……わ、わたしはステラにだって美味しいもの食べて欲しいもん」

 

「……」

 

「そ、そうやって頭を撫でたって……ふへへ」

 

どちらが姉でどちらが妹なのか分からないとはよく言われることではあるが、ブローディア姉妹は双子だ。姉であり、妹であり、そうして支え合って生きて来た。

料理なんて必要以上には出来ないし、必要以上にする必要も余裕もなかった。けれど今はその余裕が出来つつある。視線の先でエミが団員達と共に大きな鍋に色々な具材をぶっ込んでいる所を見ながらも、昔とは違う幸福な現状に身を置いていることにリエラは何か心が疼くのを感じていた。

 

「そういえばマドカさん、今頃オルテミスに着いたかな?」

 

「多分、馬車より速い」

 

思い出すのは調査の後、結果を報告するために最低限の荷物だけを片手に、自分の足でオルテミスまで走って行ってしまったマドカのこと。確かに距離的にはいけるだろうが、そこで走って帰るという選択肢が出ることが彼女の昔から変わらない人間性というものなのか。

 

「マドカさん、ほんとに変わらないね」

 

「良くも悪くも。……実力も、性格も」

 

「そろそろ私達の方が強くなれたかな?」

 

「2人がかりなら……無理そう」

 

「まだ無理なの!?」

 

「こっちの手の内、全部知ってる」

 

「そんなこと言ったら私達だって!」

 

「ほんとに?」

 

「うっ……」

 

「今はまだ、難しい」

 

ブローディア姉妹にとって最大の恩人であり、最大の壁でもある彼女。いつかは勝ちたい、早く追い抜きたい、常にそう考えて来た。冷静なステラの言葉の中にもその執着はあるし、彼女を慕うリエラでさえもその思いは変わっていない。

 

「……」

 

リエラがステラと自分の間に置いていた2本の槍に目を向けると、ステラも同様に視線を移す。それは自分達にとって今や無くてはならないものであり、分身であり、自分自身だった。互いの名をそのまま付けられたその2本は、35階層の階層主であるダブルヘッドドラゴンの龍宝が使用されているという。

龍宝とはスフィアや魔晶とも違い、どちらかと言えばドロップ品に属する物であるが、各階層主から本当に稀にしか落ちることのない非常に貴重な宝石だ。武具に使用することで強力な能力が付与出来るとされているそれだが、35階層と言えばそれこそラフォーレ・アナスタシアの所属する"紅眼の空"や"龍殺団"は攻略出来たが、"青葉の集い"は未だ攻略出来ていないほどの難易度の階層主が存在している世界だ。そんな龍種の龍宝となれば価値を付ける付けない以前の問題であり、そもそも発見されれば凄まじい話題になる様な代物。

自分達ですら知らないうちにそんな物を材料にされていた当時のブローディア姉妹としては本当に驚いたものだし、否定されてはしまったが、その犯人だって大体予想は付いている。

 

「……絶対に倒す」

 

「ステラ……」

 

「あの人の仕事も、役割も、全部奪う。そうすれば私達は……もう何も、怖がらなくていい」

 

「……うん、そうだね。頑張らないと」

 

「頭使うのはエルザにさせる」

 

「そ、そこはまあ、うん……エルザちゃんごめん……」

 

マドカの弟子の中で唯一既に師を超えているのが実はエルザであるという事実は、何故かそこまで悔しくないという。れは既に一同全員の総意でもあるということは、公然の秘密というものであったりなかったりしていた。



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67.銃の可能性

「……結局リゼさん1日帰って来なかったんですけど!!」

 

「あ、ああ……いや、というか、本当に最初の私との契約は何処に行ったというか。そもそもこの週に1度の時間もリゼ・フォルテシアとの時間だった筈なのだが」

 

ギルドを出て、鍛冶屋の方へと歩くレイナとカナディア。ぷくっと両頬を膨らませて歩く彼女は、以前にカナディアが言葉を交わした時よりも幾分か人間味があるというか、遠慮が無くなったというか、とにかく健全に見えた。

これでも彼女の生活のために当初の契約通りに毎月30万Lの支援を続けているカナディアであるが、彼女達2人で既に普通の生活が出来る程度の稼ぎがあるのだから。これはもう殆ど『ダンジョンの別の入口の調査報酬』として解釈している部分もあるが、実態はほぼ単なる支援である。まあどうせそろそろリゼ本人から支援を打ち切るような話があるとは予想しているが、こちらから話した手前、3ヶ月分くらいで話は纏まると予想される。ぶっちゃけカナディアとしては、それくらいの端金はどうでもいい。

そして2人がどうして鍛冶屋に向かっているのかと言えば、それは言わずもがな、この場に居ないリゼの元に向かうためである。

 

「うん……?ガンゼンの鍛冶屋が今日は妙に静かだな」

 

「確かに……前に来た時にはもっと活気があった筈ですが」

 

そうして辿り着いたガンゼンの鍛冶屋。

以前にレイナが奇妙な槍の性能解明のために来た時には多くの鍛治師達が忙しなく鉄を打ったり武具を売ったりしていた筈だが、何故か今日は店頭に最低限の人員が居るだけ。鉄を打つ音もあまり聞こえては来ない。

 

「もしかして……」

 

この瞬間、何かを予想できたのは当然ながらレイナの方だった。

いつもとは違う雰囲気、ならばその原因はいつもとは違うことにあるはず。そしていつもとは違う何かがあるとすれば、それは間違いなくリゼがこの場で何かしらの作業をしているということに他ならない。

 

「そこの君、今日はなぜこうも静かなんだ?」

 

「え?ああ、"聖の魔女"様。実は例の大筒を持った女性が今とんでもない物を作っていまして、ガンゼンさん含めて鍛治師連中の殆どはみんなそっち見に行ってるんですよ」

 

「とんでもない、物……?」

 

「こ、今度は何をしてるんですかリゼさん……」

 

そんな言葉を聞くと同時に、工房の奥の方から湧き上がる男達の歓声。もう何が起きたかなど議論する必要もない。殆ど勝手に中に入っていくカナディアとレイナ、そんな2人を止めることすらしない店員達。彼等も店を仕方なく任されているとは言え、本心ではその場で起きていたことに興味津々だったらしい。

大工房の奥の方、個人用の小さな工房が多く配置されているその空間に辿り着けば、多くの男達が何度も何度も手を上げ祝福の声を上げている。その中心に居たのは、一本の黒い完全金属製の銃を掲げる見慣れた女。猟銃の様にも見えるが、レイナやカナディアが知っている様な形とは違うし、必要以上の無骨さは薄く潰された鉄の箱の様にも見えて。

 

「リゼさん!」

 

「ん?……ああ!レイナに、カナディアも!見てくれこれを!ついに完成したんだ!」

 

「見てくれって……」

 

明らかに寝不足なのか目の下にクマを作ってポヤポヤとしている彼女だが、その興奮が珍しく顔に出ている。否、言ってしまえばこの場にいる全ての職人が似たような雰囲気を持っていた。彼等は一体いつからここでその様子を見守っていたのか、この歓声はその徹夜明けの妙な精神がもたらしたものでもあるのかもしれない。

 

「リゼ・フォルテシア、これは一体なんだ?なにを作ったんだ?」

 

「基本はお祖父ちゃんが教えてくれた単発式の銃さ。ただ、ダンジョン内の戦闘にも耐えられる様に最硬の合金を使用しつつ、殴打にも使用出来る様な頑丈な作りにしたんだ。それに威力だって増し増しだ!」

 

「は、はぁ……それで、この騒ぎは?」

 

「ふははははは!!!これはいい!こいつはいい!スゲェぞ姉ちゃん!おい"聖の魔女"!こりゃ時代が変わるぜ!時代はスフィアじゃなくて銃の時代かもしれねぇ!!」

 

「そ、そうなのか?」

 

「おい姉ちゃん!やっぱりお前のお祖父さんは天才だ!同じ天才の俺が断言する!こんなゴチャゴチャした機構、頭のネジ外れた狂人くらいしか思いつかねぇよ!」

 

「あはは、そう言ってくれるとお祖父ちゃんも報われるよ。生前はスフィアに銃は負けないということをずっと証明しようとしていたからね。たくさん褒めてあげて欲しい」

 

「「「はっはっはっはっは!!」」」

 

「「………」」

 

そのテンションに乗ることは出来ない健全な睡眠を取った2人ではあるが、まあ確かにこれをリゼが作ったのだと言われると驚くところもある。彼女は本当に銃工房で生まれ育った人間なのだと今初めて理解出来た。

それに銃の方も黒く細長い箱を潰した様な形をしているとは言ったが、形からしても、どう考えてもそれは片手で撃つことを前提にしている様にも見える。普通の人間にあの大きさの銃を片手で撃つなんてことは絶対に出来ないし、そもそも狙いが定まる筈がないのだから、間違いなく感覚のあるリゼ専用の物なのだろう。それに銃弾と思われる物も妙に細長く大きい。これほどの鉄の塊が撃ち込まれると考えると、レイナは普通に血の気が引いた。

 

「……ガンゼン、もしかすればこれは容易く探索者を」

 

「殺せるだろうな。これのスゲェ所はレベルの足りねぇ相手でも関係なくぶっ殺せるってとこだ。例え急所に当たらなくとも致命傷だろうよ」

 

「リ、リゼさん……」

 

「ああ、だから構造上の重要な箇所についてはガンゼン殿にしか伝えていないし、一緒に作っていたのもガンゼン殿だけだ。それにこの銃も私以外には使えない作りにしている。両手では支え難い上に、相応のSTRとVITがないと発射の反動で怪我をするだろう。そもそも片手射撃でも相当な練度がなければ標準がかなりブレる」

 

「……流石にその辺りについての理解はあったか」

 

「銃についての理解が深いというのは、その危険性にも理解があるということだからね。……お祖父ちゃんは言っていたよ。もしスフィアではなく銃が世界に広まっていれば、この世はまた違った姿になっていた筈だとね」

 

故にこの技術を広めるかどうかについては、より頭の良い人間達に任せる。スフィアにも銃は負けていないということを証明したいという想いはあれど、リゼの祖父はその影響についての理解はあったため、リゼにもそれを伝えていた。

ガンゼンの頭があれば、今からそれを活用し、応用し、多くの者達が容易く使える形に変え、大量に生産することも可能だろう。しかしそうなった場合、もしかすれば普段から不満を持っていた者達が今の実力のある者達に銃口を向ける可能性が出て来る。それが正当な理由であるならばまだしも、単なる嫉妬や欲望で実力のある者達を殺されては困るのだ。

 

「……今のところ広める気はねぇ。ただ、そこまでしてでも戦力を上げる必要が出て来たのなら、遠慮なく使うつもりだ。当然そこはギルドやお前達との協議の末の話だがな」

 

「そうしてくれると助かる」

 

「大型砲台の方の支援は引き続き行うつもりだよ。それについては既に協議も済んでいる案件だという話だからね」

 

そう淡々と話す3人に対して、その重大性に気付き、なんとも言えない心地になっているのはレイナである。リゼの持っている大銃がなんだが凄いものであるということは知っていたが、そこまでの物であるとは想像すらしていなかったからだ。

そしてリゼがそこまでの影響力を持っている人間であるとも今の今まで思ってもおらす、思考が止まる。

 

(……もしかしてマドカさんは、ここまで考えてリゼさんを?)

 

そうだとしたら、まあなんと悔しいことか。ここでもまたリゼ・フォルテシアという人間に関する理解度で負けていたということなのだから。

 

「レイナ、今から試し撃ちにいくのだけど……君も来ないかい?」

 

「え?あ……はい、いきます」

 

「……あ"!!そ、そういえば昨日レイナが夕食を作って待っていてくれるって……!」

 

「いえ、まあ、その……それはもう大丈夫なので」

 

「す、すまない!本当にすまない!この償いは必ず何かで……!!」

 

「……じゃあ後で抱き締めてください」

 

「え"」

 

「なんですか?嫌なんですか?あーあ、せっかく昨日は腕によりを掛けて作った料理を結局冷まして1人で食べることになったのに、そうですか、リゼさんはそんな私を慰めることもしてくれないんですね。いえ、いいんです、分かってます、それでも私はリゼさんのことを思って今日も涙を拭きながら家事に勤しみますから。それもこれも全部わたしの惚れた弱味……」

 

「わ、分かった!する!するから!だからそんな泣く真似はしないでくれ!」

 

「よろしいです。それでは行きましょうか」

 

「……全く、敵わないなレイナには」

 

けろっと立ち直ってリゼの手を引くレイナ。

ずるいことをしている自覚はある。

リゼの弱味に付け込んでいる自覚もある。

けど、今のレイナにはこれしかない。

 

(これくらいしか、マドカさんに勝てるって自信を持てるものがない……)

 

そんな悲し過ぎる現実から目を背けるために、ただ知らない男達の背中を追う。今ここに居ない見えない相手は聞けば聞くほど強大で、知れば知るほど焦りは増すばかりだから。

……そもそも相手が自分とは別の舞台に立って居るということに気付くまでは、レイナにはもう少し時間がかかるらしい。

 

 

 

 

大きな破裂音が5発、訓練場に木霊する。

様々な武具の試しに使われるこの訓練場においても、これほどの音は滅多に聞こえることはないだろう。

撃ち込まれた5発の弾丸はその全てが的にされた藁人形の頭部に吸い込まれ、あまりにも正確に中心を射抜かれている。

 

「……凄まじい腕前だな」

 

「す、すごい……」

 

「これはもう慣れかな。いちいち狙って撃つのも面倒になってからは、実家でもこうやって片手で猟銃を使って狩をしていたよ。幸いにもステータスには恵まれていたからね」

 

5発とも様々な態勢から撃って見せたものの、その全てがしっかりと狙い通りの場所に吸い込まれているのだから、彼女の言は間違いないのだと誰もが分かる。それほどに銃を撃ち続けて来たということに少し引いてしまう者も居たが、これは間違いなく彼女だけの武器だ。

付近にいる者全員が耳栓を付けなければならないというのは少し不便ではあるが、リゼ曰く直ぐに慣れると。それにこのくらいの威力であるなら、VITの値が高ければ耳栓なしでも問題がないらしい。カナディアはそれを龍種の咆哮に例えて納得していたが、レイナにはよく分からない世界の話だった。とは言え、これから近くで戦うのであれば慣れておかなければならない音ではあるのだが。

 

「にしても、やっぱ問題は弾丸だな。薬莢は使い回せるだろうが、これも形整えねぇと使えねぇぞ?」

 

「猟銃を生産している所はないだろうか?ある程度の形を整えてくれれば、手入れや製作が楽になる」

 

「オルテミスには居ねぇだろうなぁ、ツテ持ってる商人くらいなら居るかもしれねぇが」

 

「この大銃にしてもそうだけれど、やはり弾丸作りが一番困る。単純に時間がかかるし、繊細だ。正直ガンゼン殿が銃関係の資材を集めていてくれなければ、これも完成しなかった」

 

「弾丸をうちで作ってやってもいいが、それなりに金はかかるぜ?そいつで殴ってた方が安上がりなくらいだ」

 

「む、むむむ……こんなことならお祖父ちゃんの弾丸じゃなくて普通の猟銃の弾を……いや、でもそれだと威力が」

 

祖父の工房であれば大量生産が可能な機械もあったが、それについては流石に持って来ることが出来なかった。そもそもの話、祖父はそれ等をどこでどうやって作ったのかも分からないが、簡単に作れる物ではないということだけは分かる。今の状態では1発当たりの単価が浅層の魔晶1つには全く見合わない。せめてそれ以下の単価にならなければ容易くは使えないだろう。

 

「……取り敢えず、少しずつでも構わないから製造をお願いしてもいいだろうか?当然、作って貰った分しっかりと支払いはするよ」

 

「ふむ……とは言え、今後のことを考えれば大量生産の目処を付けておくのも悪いことじゃねぇ。まあ金払ってくれるってんなら、後は職人の仕事だ。額も勝手に調整する、気にすんな」

 

「一先ず、今の単価としてはどれくらいになるだろうか?」

 

「……2200L?」

 

「たっか!?1発でですか!?」

 

「ううん、まあ設備が整っていない以上はそうなるか……」

 

「嬢ちゃんが持ってるその型、全部譲ってくれんなら半額にしてもいいぜ」

 

「いきなり安くなりましたね!?」

 

「その型にはそんだけの価値があんだよ。未知の技術を金で手に入れられんなら、なんぼ払っても安いもんだ」

 

「それならもっと安くしてもいいのでは?」

 

「うっ」

 

「……うん、まあ私が持っているよりかは役に立つだろうし、それは問題ないかな。その条件を飲もう」

 

「金額については後で私とも交渉しましょうね♡ガンゼンさん♡」

 

「おっ、おお……」

 

ガンゼンとて鍛治師であると同時に商人の1人。

なるべく自分の得は多い方がいい、より高く売り付けたいし、より安く仕入れたい。故に物の価値というものを尋ねられれば、少しくらい高い値段を言ってしまうのも仕方ないというものであろう。

ただ、今回は騙した相手と、その保護者が近くに居たのが不味かったらしい。純粋で誠実なリゼを騙すということは、その信仰者にとっては何よりの罪である。果たしてどれほどまで値切られることになるのか、その報いは受けることになるのは間違いない。

 

 

 

「……ところでリゼ・フォルテシア、その大銃はもう使わないのか?」

 

「?いや、普通に使うつもりだけれど」

 

「まさか、両方持っていくのか……?」

 

「ええと、移動には問題は無いはずだ。それにこの銃もこうしてベルトで腕に固定すれば持ちながら走れるし、射撃も安定する。ほら」

 

「……荷物が多そうだな、兵器人間か?」

 

「本当はもう一丁欲しいんだが、装填の問題があるんだ。弾倉を作るにも下手な形にすると邪魔になるし、ここも今後考えないといけない所かな」

 

「君はほんとうに何になりたいんだ……?」

 

「そもそもそれが私の本来の戦闘スタイルというか、山の中でモンスターを狩る時には大抵そうしていたよ。いくら頑丈なモンスターでも基本的に額に2発撃ち込めば力尽きるからね」

 

「………」

 

もしかしなくともこの女は、設備さえ整えてやればとんでもない探索者になるのではないか?まず間違いなくここまでマドカが読んでいた訳ではないだろうが。益々彼女の人を見る目というものに対する信頼度が増したカナディアは、信頼出来る商人を数人頭に思い浮かべながら、今日という久しぶりの休日も仕事に飛んでいきそうなことから目を背けていた。

 

「……で、武器の名前は?」

 

「あ……」

 

リゼは作成した人間として命名をしなければならないという現実から目を背けていた。



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68.灰被姫の系譜

街の北西部に位置する住宅街の1つ、男2人が生活しているそれなりの大きさを持つ一戸建てがそこにはある。身体の大きな半獣人の青年が作った少し遅めの昼食を、逞しい肉体を持ったヒューマンの男性がガツガツと食していた。そんな彼の前に青年は座り自分も手をつけ始めたが、今日も満足の出来る仕上がりになっていたらしい。青年の機嫌は頗る良いように見えた。忙しない最近の中でも久しぶりとも言えるゆったりとした1日、これを今こそ満喫しているという雰囲気がそこにはあった。

 

「あ、そうだクロノスさん、どうも僕達は一旦待機になる可能性があるみたいですよ」

 

「ん?……はぁ?いや、つってもバルク、龍種が逃げたのは確かなんだろ?どういうことだ」

 

「お昼前頃にマドカちゃん達が戻って来て再調査を行っていたそうなんですけど、どうも既に龍種は混毒の森の方まで逃げてしまった可能性があるみたいなんです。伝文機による第一報なので、詳細は今からマドカちゃんが走って届けに来てくれるみたいですが」

 

「ほぉ〜、そりゃまた働き者で。んっ……まあそれなら確かにどうしようもないか。追っても走っても無駄だわな。……最近は瓦礫の撤去に街外の警戒巡回ばかりだったし、だったらここらでマドカちゃんの顔でも見に行くか?」

 

「いいですね、そうしましょう。恐らくこっちに着くのは深夜になると思います、明日の昼頃に伺うのがいいんじゃないでしょうか?」

 

「そうするか。ああ、水取ってくれ」

 

「はい、どうぞ」

 

口の端に着いた卵の切れ端を口に戻しながら、男は受け取った水を飲む。誤解をされることは多々あるが、彼等は決してそういう仲ではない。ただ元々所属していた連邦軍においても同部屋であり、このオルテミスに来てからも生活する上で都合が良いから同居しているというだけである。加えて言うのであれば決して彼等の周りに女性が居ないという訳でもない。ただその唯一の女性というのが、あまりにあまりというのはあるかもしれないが。

 

「……んで?ラフォーレの奴はどこで何やってんだ?あの糞龍潰してた時から一度も見てねぇけど」

 

「マドカちゃんが新しい教え子を取ったことは知ってますか?」

 

「あん?そうなのか?」

 

「ええ、どうもマドカちゃんが居ない間その子の面倒を見ていたみたいです。代わりに色々指導していたとか」

 

「……絶対嘘だろ。それかマドカちゃんに似てたのか?」

 

「いえ……多分将来性のある新人さんだったからだと思います。話を聞く限りでも相当酷いことをされていたみたいなので」

 

「それはまた……ご愁傷様だな」

 

バルクという青年。彼が街やギルドで聞いた限りでは、マドカの新しい教え子であるリゼという少女はそれはもうラフォーレ・アナスタシアに酷い扱いをされていた。食堂で突然机ごと吹き飛ばされたかと思えば、廊下で突然蹴られ、唐突にダンジョンに連れて行かれて半殺しにされた挙句、治療院に投げ込まれ、噂ではカイザーサーペントと単独で無理矢理戦わされたという話もあった。流石にそれは誇張だろうが、普通に考えれば行き過ぎた訓練と言わざるを得ない。

 

「自分の姉のことながら、僕には未だに姉さんのことが分かりませんよ」

 

「いや、あいつの考えてることなんか分かったところで理解は出来ねぇだろ。10歳で家を出て単身オルテミスに来る様なイカれた奴だぜ?元々の頭が違うんだよ」

 

「僕の中で一番印象的なのは、家を出る1年くらい前に姉さんが突然父さんに炎弾を撃ち込んだ事ですね。あれは間違いなく殺す気でした」

 

「ああ、なんだっけか?殴ったり蹴られたりしてたんだろ?バルクだけ、父親が違うとかで」

 

「ええ、当時の姉さんの言葉は今でも忘れられません。『貴様という存在そのものが不快だ、存分に苦しんで死ね』と」

 

「おいおい……それが9歳の女が実の父親に使う言葉か?」

 

「結局父さんは死ななかったんですけど、全身に酷い火傷を負いまして。それからはすっかり萎れて大人しくなりましたよ、火を見る度に怯える様になりましたが」

 

「ラフォーレの話は聞く分には面白ぇんだよな」

 

「当事者になると笑ってられませんけどね」

 

2人の笑い声が家中に響く。

ラフォーレの弟である半獣人のバルク・エルフィン。バルクの元上官であり、このクランの長でもあるヒューマンのクロノス・マーフィン。これにラフォーレ・アナスタシアを加えた3人のクランこそが"紅眼の空"であった。

たった3人のクランでありながら、都市トップクラスの実績を持つ彼等。しかしそんな彼等であってもラフォーレ・アナスタシアを制御することは出来ない。その一方で近くに居る時間の長い彼等だからこそ、その横暴さに対する身の振り方を弁えているし、その横暴さを楽しむ方法も身に付けている。そして同時に、他の誰よりも諦めていると言ってもいいのかもしれない。

 

「さーてと、ところで今日の方はどうするよバルク?ダンジョンでも潜るか?」

 

「それこそ、そのマドカちゃんの新しい教え子さんに挨拶をしに行くというのはどうでしょう?姉さんが目を付けるくらい優秀な探索者であるのなら、今後も顔を合わせる機会はあるかもしれません」

 

「ああ、そりゃそうだ。何処に居るのかは知ってるのか?」

 

「普段はマドカちゃんみたいにギルドの余った依頼をしていると聞きました、取り敢えずギルドに行けば間違いないと思います」

 

「そりゃ真面目でいいねぇ。さーて、今日も美味かったぜバルク。皿は片付けとくからお前も着替えてきな」

 

「僕は食べ終わるのにもう少しかかりそうなので、先に着替えて来ていいですよ」

 

「おっ、そうか?そんじゃ先行って来るわ」

 

どう考えても何の害もない、むしろ常識的な2人が接触してくるというのは、リゼとレイナにとっては何よりの朗報であろう。それがラフォーレと同じクランの人間であるというのなら、リゼにとってその苦労を共有出来る数少ない人達であるというのも間違いない。

 

 

 

 

 

お昼を過ぎた頃、リゼとレイナはダンジョンから依頼を済ませて戻って来ていた。いつも通りのことをして来ただけであるが、いつもと少し違うのはリゼの右手に固定されているその武器。

 

「……なんか、思う存分、という感じですね」

 

「ああ、やっぱりこれが一番戦いやすい。銃弾を使うのは今日は避けたけれど、単なる打撃武器としても威力は落ちるが扱い易さは段違いだからね」

 

ブンブンとそれを軽々と振り回すリゼ。

相変わらず『炎打』のスフィアの対象である銃による殴打は、リゼの筋力も相まって頭部に直撃すればモンスター達の頭を容易く吹き飛ばした。いつもよりもイキイキと戦闘をしていたリゼを見て、彼女が言っていた本来の慣れた戦闘スタイルというのは嘘ではなかったのだとレイナは納得出来たのだ。

 

受付に依頼品の納品を行い、確認が終わるまで2人でまた依頼板の方を見る。少しの雑談を交えながら、午後の時間を使っても消費する必要のある依頼がないのか探していた。

 

「……そういえば、やっぱり"青葉の集い"からの探索者の紹介は先延ばしになりましたね。仕方ないと言えば仕方ありませんが」

 

「マドカもそろそろ帰ってくるらしいし、その話次第でまた状況も動くんじゃないかな。むしろこの停滞状態こそ、カナディア達の様な忙しい人間達にとっては久方振りの休みを取れる良い機会になっているみたいだね」

 

「まあ私達には関係のない話です」

 

「……カナディアにもいつかお礼をしないといけないね。私達2人としては結果的に一番世話になってしまっているというか」

 

「そうですね……ただ、クラン作成のことも考えるともう少しお世話になってしまいます。少しでも報いるために、ダンジョンの出口探しも進めたいところですね」

 

「……まだまだ進んでないのが現状だけれどね。個人的に壁や天井も見て見たけれど、特におかしな場所もなかったんだ。やっぱりあるとしたら木々や藪の中なのか、見当もつかないよ」

 

特別処理が必要そうな依頼もなく、今日も以前の様に何人かの探索者が遠征許可を取りに来ていたが、もう良い加減に面倒臭くなったエッセルがラフォーレ・アナスタシアを受付の近くで丁寧に持て成し始めた事で叫ぶ人間は全く消えた。

菓子に飲み物に、彼女の求めた書物なりなんなりを自分の仕事よりも優先して持って来るエッセル。これこそが彼女の考えた現状で最も効率的な仕事の進め方らしい。

……お陰様でギルド内はいつも以上に静まり返っていて、一部の職員はむしろ縮こまってしまっているが。あのラフォーレを利用してでも、というところにエッセルの強さがあるように思えるし、そこを気に入ってラフォーレももてなされている感も無くはない。

 

「あ〜……ラフォーレ、こんにちは」

 

「……何か用か、愚図」

 

「い、いや、見かけたから挨拶をと思って」

 

「そんなことをしている暇があるのならダンジョンで死んでこい、どうにも生温い顔をしている様だが?」

 

「そ、それは……」

 

無視をして帰れば殴られるのではないかと思って話しかけてみたものの、むしろこれなら声を掛けなければ良かったのではないかと思ってしまうリゼ。その後ろでレイナも苦笑いをして身構える。

 

「……まあいい、今日はそういう気分ではない」

 

しかし『もしかすればこのまままたダンジョンの奥深くに連れて行かれるのではないか』というリゼの嫌な予想が的中することはなかった。再び熱い茶に口を付け、読んでいた一冊に目を下ろす彼女。元々の容姿が良いだけに、側から見ればその姿は美しい本好きの令嬢の様である。これだけならマドカの母親と言われても納得できるのに、本当にどうしてこんな凄まじい性格をしているのか。

 

「ところで、ラフォーレはここで何をしているんだい?」

 

「マドカを待っている」

 

「え、今日帰って来るのかい!?」

 

「明日の深夜頃にな」

 

「明日の深夜……」

 

現在時刻14:24。

……深夜?

2人は首を傾げる。

 

「まだあと30時間ほどあるが……」

 

「だからなんだ?」

 

「あ……いや、なんでもない」

 

「何か手違いでもあってマドカが1日早く帰ってきたらどうする?」

 

「そ、それはどうだろう……」

 

「むしろ何かが起きて迎えが必要になる可能性もあるだろう」

 

「ま、まあそれは……」

 

「いつ何時であろうと、どの様な状態であろうと、あの子が帰って来たことを確認し、迎え入れる。それが私の役割だ。それ以上に優先すべきことはなく、それ以上に大切なことはない」

 

「……あ」

 

その言葉を聞いて、リゼは1つのことを思い出した。

確かマドカは過去に一度、ダンジョンに行ったまま半年以上もの間帰って来なかったことがあると、ギルド長のエリーナが言っていた。もしかすればラフォーレがここまでマドカの帰りに拘るのには、それが理由にあるのではないだろうか。

人でなしのラフォーレ・アナスタシアが唯一人間らしくなるのが、娘のマドカに関係することだ。そんなラフォーレが半年もマドカが行方不明になっていた時に、冷静で居られた筈もないだろう。

 

「……それなら、私達にも手伝えることがあれば言って欲しい。雑用でも荷物持ちでも出来ることならしたい」

 

「殊勝な心がけだが、余計な世話だ。……だがまあ、気が向けば使ってやろう。貴様のその眼だけは評価している」

 

彼女はそう言い終えると、もうこれ以上話すことはないとばかりの雰囲気を出して、また足を組み直して菓子に手をつけ始める。リゼも空気を読んでその場を離れ、提出物の確認を終えたエッセルの元へ向かい依頼の後処理を終えた。

 

「……ラフォーレさんも、あれでやっぱり1人の母親なんですね」

 

「ああ、時々私も不思議に思うよ。けどやはり母親にとって、自分の子というのはそれほどの存在なんだろうね。まだまだ私達には分からない気持ちだが」

 

「そういえば、ラフォーレさんってといくつなんですかね?物凄くお若く見えますけど」

 

「ああ、それは聞いたことなかったな。ギルド長と同年代と考えると……いくつなんだ?」

 

「さあ?」

 

まず間違いなく30後半から40くらいだろうが、あのラフォーレ・アナスタシアである。もっと破天荒なことをしていてもおかしくないし、どんな年齢であってもあの若々しい容姿を保っていて不思議ではない。色んな可能性が考えられる。

とは言え、もしかすればそこに触れてしまうと逆鱗である可能性もあるので、一瞬話題に出した後に2人はそれを忘れることにした。

見えている地雷は踏まない、今はそんなことよりお腹を満たしたい。出来る限り賢く生きるのが一番である、特にラフォーレ相手ならば、殴られたくないのならば。

 

「……なんか、最近日替わり定食が似たようなメニューばかりな気がします。日替わりとは」

 

「ま、まあ確かに。明日は違う場所に食べに行くかい?……念を押されてしまったから、時々はナーシャにも顔を出さないといけないし」

 

「あそこ高いですけど、お金大丈夫ですか?」

 

「お金より私の胃の方が心配かな……」

 

「結局懐は痛いんですね、美味しいので私はいいですが」

 

ラフォーレと話した後、2人は昼食を食べ終え食堂から出てゆったりと伸びをしていた。

実際、そろそろ食堂の昼食も食べ飽きて来たというのはある。決して美味しくないということはないし、メニューが少ないという訳でもない。ただ毎日同じ食堂で、唯一新鮮味を求めて頼んでいた日替わり定食がほぼ固定になってくるとなると、物足りなさといものは出てくるわけで。少しの刺激が欲しい……だったら喫茶ナーシャに行けばいいじゃない!というのは少しばかり乱暴過ぎる論法ではあるが、まあこんな時でもなければ行こうとは思わないのがあの店だ。それにあのメイドにも新しい仲間候補を紹介して貰った恩もある。最低限の礼儀として店を利用するくらいはするべきだろう、たとえその末に多少弄られることになったとしても。

 

「あ?おいバルク、あいつ等じゃねぇか?」

 

「へ?……あ、そうですね。あの大銃は間違いないです、話し掛けてみましょうか」

 

「うん?」

 

そうして食堂を出て、鍛治師ガンゼンの元へ色々と設備の相談をしに行く道中のことだ。見知らぬ大男2人組からそんな風に指を指されたのは。

1人は獣人の男性。典型的な獣人の成人男性といった風貌で、その隆々とした肉体の分厚さに反して垂れ目の大人しそうな雰囲気をしていた。一方で隣に立っている色黒の人族は、獣人の彼とは対象的に、同様に筋肉質な身体をしてはいるが分厚い肉体ではなく、高身長で理想の肉体美と言えるだろう。

 

「……誰だろう?」

 

「さあ?」

 

知らない、本当に知らない人達。

というかリゼの記憶の限り、この街に来てから殆ど男性と言葉を交わした記憶がない。それこそ鍛治師のガンゼンくらいだろうか。逆に言えばそれくらい探索者の中で指揮を取っている男性は少ないし、その理由もカナディアから聞かされていた。

それでも分かるのは、ベテランの男性の探索者というのはそれほどに熟練されており、その実力もかなりのものであるということ。目の前の2人も当然ながら見た目にあった実力を持ち、精神的にもまた優れているのだろう。基本的に探索者は見た目で判断して良い、それはマドカも言っていた。

 

「どうしますか、リゼさん」

 

「問題ないよ、せっかく声を掛けてくれるんだ。面識くらい作っておこう」

 

「分かりました」

 

レイナにそう告げて、リゼは近付いてくる2人を待つ。まあ街のど真ん中だ。何かトラブルが起きることもないだろう。

そして言葉をかわし始めれば直ぐに分かったことではあったが、当然ながら、彼等のその内面もまた本当にその見た目まんまの人間でもあった。

 

「よう、いきなり声掛けて悪かったな。俺はクロノスってんだ、こっちはバルクな」

 

「あ、ああ、私はリゼという。こっちはレイナだ」

 

「……どうも」

 

「クロノスさん、それだと僕達の名前しか伝えられてないですよ。女の子達に突然話しかける怪しい男達です」

 

「ん?ああ、それもそうか。悪いな、マドカちゃんの教え子に挨拶しないとって思ってたらつい」

 

「………」

 

まあ、そうだろうなとリゼは頷く。

むしろその繋がり以外で声を掛けてくる探索者も早々居ないだろう。なんとなくレイナが小さく溜息を吐いたのに気付いたが、しかしこうして繋がりが広がるというのは、例えそれが自分達の力でなくとも有り難いことだ。今度はその繋がりを別の人にも繋げられるように、出来る限りたくさんの繋がりを作っておきたい。

 

「ええと、つまり貴方方はマドカの知り合い……ということだろうか?」

 

「ああ、まあそんなところだ」

 

「そうですね、僕は一応マドカちゃんの叔父……という族柄になりますか」

 

「……え?」

 

「え?」

 

思いもよらぬ告白。

レイナと同時に聞き返す。

バルクと名乗る獣人の彼は、自分がマドカの叔父なのだと。ということはそれはつまり。

 

「ラ、ラフォーレの親類……というか姉弟!?」

 

「ええ、ラフォーレ姉さんの僕の姉です。バルク・エルフィン……姉さんの旧姓もエルフィンなんですよ」

 

「に、似てないですね……」

 

「レ、レイナ!」

 

「あっはは、構いません。……父親が違うんです。母が奔放な人でして、姉さんはエルフとのハーフで、僕は獣人とのハーフだったりします」

 

「ラ、ラフォーレがハーフエルフだということも初めて知った……」

 

「エルフ要素何処にも無いじゃないですかあの人……」

 

となると、マドカはエルフのクォーターということになるのだろう。あの2人が魔法に秀でたステータスをしているのも納得というところだ。一方で近接戦闘もかなり出来るところは、単純にラフォーレの素質ということなのか。

 

「時間あるなら少し話さねぇか?俺達も顔繋ぎくらいしときたいんだよ、何があるか分からねぇからな」

 

「何が……?」

 

「何か起きた時に上手く意思疎通が出来るように、ということです。そこの喫茶店か、ギルドの食堂か、どちらでも僕達が出しますから」

 

別にガンゼンと約束していた訳でもないリゼ達は、一先ずその誘いに頷くことにした。……何かあった時に、意思疎通が出来る様に。その理由は一度その"何か"を体感したことのあるリゼとしては、時間を使うに充分なものだった。



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69.襲撃と罠

日も沈み、すっかり世界が静けさを取り戻し、動物達すらも夢の世界に旅だった頃。マドカ・アナスタシアはオルテミスへ向けて未だ走り続けていた。

既に走り始めてから約5時間。山を2つほど超えてこれから森林地帯に突入し、ひたすら海岸線を走り続けている現在。多少遠回りにはなるが森林を突っ切るよりかは走りやすく安全であり、あまり多くはない体力を考えてもこれが最短であると判断した。時々必要に応じて休憩を挟んではいるが、そろそろ空腹が限界でもある。このまま走り続ければ1〜2時間程度で到着は出来るだろうが、この辺りでもう一度休憩を入れる必要があるだろう。

 

「……ふぅ、そこまで急ぐ必要もないのかもしれないですけど」

 

伝文機だけで伝えられる情報には限度がある。

それだけで判断して貰うことも可能ではあるだろうが、出来るだけ正確な情報を手渡した上で判断をして貰うのが一番だろう。都市の探索者全体に影響する様な重要なもの、それを自分が走るだけで1日でも早く届けられるのならマドカに戸惑いはなかった。

 

「ええと、エミさんに貰った食料も……あや、もうあんまり残ってないですね。この体質にも困ったものです」

 

詰めに詰めて貰った食料用の宝箱の中も、休憩の度に補給していた為に中身はもうあまり残っていない。大体3人分というところか。

引っ張り出したパンを食べながら、近くにあった枝を折り、火を付ける。身体が海潮の影響でベタついているのが分かるが、マドカは特に気にせずに身体を伸ばしたりしながら温まった。

その気になればその辺りの獣を買って食べることも出来るが、そんなことをするくらいなら1時間我慢して走り続け、オルテミスに着いた時点で補給する方が早い。3人分もあればまあ保つだろう。

エミは現場での指示役を調査員達に求められてしまい、適役が自分しか居なかったとはいえ、本当に持久力のないこの身体は不便である。十分なステータスのある他の探索者ならば半日走り続けるくらいは当然のように出来るだろうに。

 

「まあその気になれば木や草、泥だって食べられますけど……流石にそれはしたくないですし」

 

冷たくなっていたパンに少しの具材を挟んだ後に軽く火に炙り、食べる。この身体のいいところはどれだけ美味しい物を食べても太ることがないし、どれだけでも食べられる事と言えるかもしれない。燃費の消費があまりにも悪いという言い方も出来るが、人より何倍も食事の幸福を噛み締められるというほうがマドカ個人としては気に入っている。食は無限だ、無限の幸福がここにあると言っても過言ではない。

 

「……?」

 

それはそんな風に残り少ない食料を消費し、肉体の疲労をほぐし終えた頃にマドカが気付いた異変だった。

 

(音、それも複数。これはモンスターじゃない?)

 

焚火の始末をしようとした足を止め、腰に付けた2本の剣に手を伸ばし……

 

 

「っ!!?パワーアロー!?なんて精度!!」

 

手が掬に触れる瞬間に暗闇の中から放たれた2本の弓矢。それはあまりにも正確にマドカの剣に当たり、マドカの身体ごと後方へ吹き飛ばした。海面に落ちる愛剣達、着地までの間に千切れたベルトと鞄だけは空中で引っ掴めたのは幸いだった。

右脚に取り付けていた秘石を取り外し、千切れた鞄と共に腹部に取り付ける。身体に装着することで自動的に黒色のベルトが巻かれることを利用し、破れた箇所を補うと、その後すぐさまに鞄から引っ張り出した3つのスフィアと予め嵌められていたものを交換する。着地するまでの間にここまでの作業を流れる様に行えたのは、単に経験の問題だ。武器は諦める、拾っていられる時間などない。

 

(目を凝らさないと、弓師の練度が尋常じゃない……)

 

足が地面に付いた瞬間に着ていたコートを広げる様にして前方へと投げ付け、そのまま右方向へ向けて直走る。射抜かれるコート、やや右側。

基本的に弓士というのは右利きが多い、そして弓を引き絞るという工程がいる以上、狙いを定める標的が弓士から見て左へ向けて動くよりも、右へ向けて動く方が撃ちにくい。とは言え、これほどの精度を持つ弓士であるのならばその誤差は計算に影響を与えるほど大きなものではない。故にマドカはその方向に走ることによるデメリットを無視し、より確実なメリットを取った。

 

(木の上からの射撃。右利きの弓士が枝の上に乗って射撃をする場合、普通は背もたれの為に身体の左側に幹を配置させる事が多い)

 

つまりある程度の距離を走れば弓士達は位置を変えざるを得なくなる。これが一流のリーダーを持つ様な集団であるのならば、間違いなく右利きと左利きの弓士を揃えて複数人を配置しているところだ。しかし現状放たれている弓矢の数は2本。加えて着弾のタイミングが僅かにズレている上に、着弾位置も何の工夫も見られない。腕は一流、しかしその2人は所詮かき集めの者達なのだろう。

 

「放て!!」

 

「「!?」」

 

マドカが叫んだ言葉に釣られて、弓矢が1本飛んでくる。しかしそれは精度も速度もあまりにも初撃に比べて劣ったもので、暗闇の中と言えどマドカの身体を掠る事もなく飛んでいった。

目的は言うまでもなく撹乱だ。

弓を覚えた過程において他者から指導されたのであれば、少なからず動揺を誘うことのできる言葉。それを不意打ち気味に差し込まれれば、明らかな優位と僅かな焦りを覚えた人間に対しては効果は抜群だ。

それでももう1本の弓矢は放たれておらず、マドカは姿勢を可能な限り低くして滑り込みながら森林の中に突入する。結局放たれる事がなかったことを考えるに、もう1人の方も先程のブラフに引っかかり動揺し、撃つ機会を逃したのだろう。

 

(どちらも対人戦闘の経験は少なそうですね、探索者崩れでしょうか)

 

鳴り響く笛の音、バサバサと音を増やす草木をかき分ける音と男達の荒い息遣い。弓士だけでなく地上の戦闘部隊も当然であるが居たらしい。しかし姿を隠すためにこの場から少し離れたところに居たのか、直ぐに目の前には来ないだろう。

……ならば狙うのは当然。

 

(先ずは弓士から)

 

一際大きな木に駆け上る。

相手がエルフであった場合、こちらの居場所は音だけで殆どバレているだろう。一方で相手の居場所は矢の射出方向から予測できた曖昧なものでしかなく、相当な素人でもない限りまず間違いなく移動をしているはず。

 

(だから……!)

 

ゴリ押す。

 

「な、なんだこの音は……!?」

 

「慌てるな!取り囲め!敵の武器は奪った!後は嬲り殺しにするだけで……」

 

 

 

「武器を奪えば勝てる、と?」

 

 

「「っ!!」」

 

生まれも育ちも全く関係のなかったエルフの男達、山林の中での戦闘ならば誰にも負けることはない。今日が初対面の間柄であっても、2人は別々のところで全く同じそんな確信を持っていた。

しかし目の前で掴まれた片割れの男の襟首。

一瞬、ほんの一瞬の間にその男は目の前から消失した。直後、頭上から放たれた凄まじい衝撃。木々から叩き落とされ、押し潰される。目が周り、思考が鈍り、音だけが耳に入る。何かが折られる音。何かを取られる音。そして最後に、腹部に叩き込まれた拳の一撃。男が朧げな意識の中で感じ取れたのはそこまでだった。

海面に2つの水飛沫が跳ねる。

 

「見つけたぞ!殺れ!殺れ!!」

 

「うぉぉおお!!!」

 

「1、2、3……全部で14人ですか。いえ、まだ増援が居そうですね」

 

折られた弓と矢の残骸を足元に、大きな木を背中に月夜に照らされながら5つのスフィアを手に転がしている白い女。増援に駆け付けた男達が各々の武器を持って取り囲む。

しかしそんな状況でありながらも当の女:マドカには焦りや動揺の仕草は一切見られなかった。

ただ冷静に目と耳を使って状況を把握する。

奪い取ったスフィアを鞄の中に仕舞い込む。

 

「おい!この数相手に勝てると思ってんのか?大人しく捕まれば命だけは助けてやるぜ?」

 

「龍神教……では無さそうですね。誰から依頼を受けたんですか?狙いが私の持っている情報、という訳でもないでしょうし」

 

「それはこれから俺達がじっくり教えてやるよ。いいからさっさと両手上げて地面に伏せな、話はそれからだ」

 

「作戦が少しお粗末でしたね。戦力の逐次投入は当然として、本来なら弓矢を放った初撃の時点で笛を鳴らす様に指示すべきです。……そもそも、なぜ弓士達も初撃で私の頭を狙わなかったのか」

 

「なんだと……?」

 

「数を用いた奇襲は何より速度を優先すべきです。そもそも戦力も1箇所ではなく分散して配置した方が良かったでしょう。寄せ集めの戦力で指示系統に問題があったのかもしれませんが、それは指揮者の能力不足が最大の原因です」

 

「テメェ!!言わせておけば好き勝手……!」

 

「だから。……せっかく武器を奪うことに成功したのに、こうして逆に武器を奪われる事になるんですよ」

 

「!!」

 

「組長!こいつ弓と矢を……ぐぁっ!」

 

「かかれ!かかれ!!」

 

背中に隠し持っていた弓と矢筒。

彼女を見た瞬間に気付くべきだったのだ、足元に転がっている残骸は全て1人分のそれであったと。

放たれた矢が部下の男の頭部に突き刺さると同時に、長は自身の慢心を漸く自覚し捨てる事が出来た。

 

『炎斬!!』

 

『炎打ァア!!』

 

マドカに向けて振り下ろされた剣と大槌によるそれを、彼女は真上に飛び上がることによって避ける。背後にあった木が被害を受けて倒れ始めるが、彼女はむしろそれを足場に利用した。

 

『双射(ダブルシュート)』

 

使用するのは弓矢専用の『双射のスフィア』。

その効果は文字通り一度の射撃で2本の矢を2つの対象に向けて放つ。ただそれだけ。

ダンジョン内においては雑魚モンスターを狩る程度でしか役に立たないそれだが、碌な防具も身に付けていない人間相手であれば十分な性能をしていた。

上空に飛び上がりながら放たれた2本の矢は正確無比に攻撃を仕掛けてきた2人の男達の頭部に突き刺さり、その命を奪う。

 

「機動部隊は木に登れ!あいつを好き勝手動かすな!叩き落として袋叩きだ!!」

 

「それは愚策ですよ、『雷弾』」

 

「なっ……ぁがっ!?」

 

倒れ始めた木から跳ね飛び、『雷弾』のスフィアを使用して弓を放つ。凄まじい速さで放たれた雷を纏った矢は長であった男の喉を貫き、言葉を封じる。

陣形が崩れ始める。

動揺が広がり始める。

迫って来た機動部隊には近寄らず、マドカは先程頭を射抜いた男の持っていた剣を持って海岸線まで走った。このまま速度で振り切れるのならそれでいい。無理ならば木々に紛れて殲滅する。速度と隠密戦闘ならば自信がある。

……そう考えていた。けれども、やはり何もかもが上手くいくとは限らないのがこの世界。

 

「っ!!これはっ……!」

 

突如として全く警戒していない場所から放たれた1本の矢。それはマドカが寸前に聞いた風切り音を頼りに何とか首を傾げて避けはしたものの、深々と右肩に突き刺さり、走る彼女を砂浜に転倒させる。

 

「ぅ、弓士は最初から3人居た……!?」

 

即座に射線から身を隠し、肉を引き裂きながら強引に矢を引き抜くと、そこに一番効能の高いポーションをぶっかける。

3人目の弓士の居場所が分からない。

先程の男達の足音が近付いてくる。

更に後ろから逐次投入していた更なる部隊が近付いてくる音もしている。

 

(おかしい……一見穴だらけの敵の策の中に、妙に質の違う点が散らばってる。助言した者が居る?それならそもそも策全体を見直すように助言すべき)

 

遊んでいる。

もしくはマドカの性格を知っている上で、わざと不完全で波の激しい策を持ち出して来たか。

先程は挑発の為にあんな風に策の穴を指摘したものの、あれも含めて全てが敵の思い通りであったというのなら、これほど恥ずかしいこともないだろう。

 

形が元に戻り始めたが未だ痛みが走り十分には動かせない右肩。これでは弓を両手で引くことは出来ない。加えて何となく感じ始めた少しの痺れのようなもの、つまりら毒矢の可能性。

マドカはその場で弓と矢を捨て、剣に付いた汚れを拭う。徐々に相手のスタンスも見えて来た。スフィアもまだ使える物はある。情報が多ければ多いほど、それに対するやり方も多くなるというもの。

 

「あの木の裏だ!囲め!」

 

コンッと隠れている木の裏に矢が当たる音が聞こえる。だがそれももう今更だ。マドカは鞄から取り出した1本の瓶を持つと、直ぐ様に姿を現し、宙へ投げたそれを剣によって叩き飛ばし破壊した。

 

「お母さん直伝です、『炎斬』!」

 

炎を纏った剣で、叩き飛ばした。

 

「っ!あの女!森に火付けやがった!!ふざけやがって!!!」

 

突如として身を隠してくれていた環境が地獄に変わっていく。可燃性の液体を炎を纏った武器によってばら撒く放火。奇しくもこれは彼女の教え子であるリゼ・フォルテシアも同じことをしていたりもする。

まだ射撃をしていない弓士が居たということは、4人目、5人目が居てもおかしくないということだ。ならばその全てを潰すには、そもそもの隠れ場所を破壊するのが一番効率が良い。

多少の飛沫でマドカにも火が移ったりもしたが、彼女はそれを別の液体を掛けることで消火した。放火目的の物質を所持するのであれば、反対に消火用の物質もセットで保持しているのは当然のことだ。

 

「ああもういい!全員武器を持て!このまま平地で取り囲んで殺すぞ!あいつは火と木に紛れて逃げやがるつもりだ!数で押し潰せ!絶対逃すんじゃねぇぞ!あいつも疲弊してる筈だ!火傷なんか気にすんな!探索者崩れだろうが!!」

 

ただでさえ早々に長を奪われて混乱していたというのに、更にこの放火で混乱し尽くしている集団を、隠れていた弓士が取り纏める。

やはりあの男だけは他とは違うらしかった。

その男もまた弓矢を捨て剣を抜いた事から、この場での1番の手練れは彼ということになるのだろう。加えて至るところの木々から人間が動く音が聞こえてくる。やはり隠れていたのはあの男だけではなかったらしい。徐々に追い詰められているのが分かる。

 

「……32人、これで本当に全員ということで間違いないですか?」

 

「クソが、あの灰被姫の娘ってのは確かな様だな……おい!盾持ちから前に出ろ!その間から弓持ちが狙え!その次に槍持ちだ!あと魔法は使うんじゃねぇぞ!こいつには魔法が効かねぇ!距離も十分に取れ!」

 

「その情報も何処から……というのも、当然教えてくれませんよね」

 

「お前と話すつもりなんてこちとら欠片も無ぇんだよ!矢絞れ!!」

 

徹底的に殺すという気概の感じられるその男は、顔をローブで隠しているものの、まず間違いなくマドカ・アナスタシアという女を殺す為に準備を整えて来たというのが明らかであった。

盾持ちで囲み、距離を取って矢で射抜き、仮にその2つを突破して来たとしても槍で串刺し。単に取り囲んで袋叩きにでもしてくれた方が突破の可能性はあったが、男はそれも含めてマドカ・アナスタシアを調べ尽くして来たのだろう。

マドカのセットしているスフィアの中に、この状況を打開出来る物はない。そもそもセットした時と状況が異なり過ぎているのだから当然だ、どのような武器を奪えても良いようにと攻撃系のスフィアばかりを選んでしまったのは結果論ではあるがミスだった。加えて右肩は未だに動かせば激痛が走るし、確実に毒が回り始めて視界が暗くなっている。そもそもスフィアを発動しようとした瞬間に矢が放たれるだろう。

 

「っ」

 

……どう考えても勝てる状況ではない。

苦肉の策で森を燃やしたおかげで全体的にダメージはあるし、思考を乱すことも出来たが、無理矢理に打開策へと繋げることまでは出来なかった。やはり最初の弓師2人を含め、練度の違う人間が数人混じっている。それもここまで一度たりとも魔法を撃ってくれないし、そもそも魔法使いが敵には何故か存在しない。

端的に言えば、詰んでいる。

 

(……もう、多少の被弾は仕方ないですね。なんとか活路を見出すしか)

 

しかしそれでも、彼女の目から諦めの闇を見つけることは出来なかった。その様子にやはり警戒していたのは、現指揮者の男だ。

 

「放て!!」

 

号令と同時に放たれる計12本の矢。

その全てがマドカに刃を向けているが、その腕前故に様々な高低差で飛んで来る。むしろ全員が同じように頭や腹部を狙ってくれていたのであれば跳んだり伏せたりすれば避けられたかもしれない。しかし最初から一撃で殺す必要はないと考えられる程度には優秀な弓師達が揃い過ぎていた。

その上、余計な思考をさせる前に、何かを仕掛けさせる前に、男は引金を引く事に成功したのだ。

それに対してマドカが行う事はただ1つ……全力で跳ね飛ぶ。頭部と心臓への被弾を避け、可能な限り生き残る可能性を高めるにはそれしかなかった。

 

「うっ……ぐっ!!」

 

左足に2本、腹部に1本、左手を庇った右手に1本。そして剣と右脚で撃ち落とした3本。当たらなかったのは6本。……恐らく何人かは双射(ダブルシュート)を使用している。

合計13本の弓矢がマドカ目掛けて放たれたのだ。

砂浜の上だからか、跳躍力が足りなかった。

 

「っ、ぐ……」

 

被害が少なかった右足を使ってなんとか着地し、守り抜いた左腕で剣を持つが、これでは反撃をすることもままならない。もしこれで被害が軽微であったのならば斬り込み乱戦に持ち込もうとも考えていたが、この状態ではそもそも走り抜けることすら困難だ。そうでなくとも既に毒で意識が朦朧としている有様。森に火をつけたおかげで敵の戦力を全て炙り出せたことはいいのだが、想定より弓師が多過ぎる。自分にとって天敵とも言える弓師が、この練度で、この人数で。

 

「警戒を怠るな!次の弓を引け!!次で確実にトドメを刺せ!奴が死ぬまで絶対に目を逸らすな!!」

 

何処までも徹底している敵の男。

出血量も相当で、既に片目が見えなくなっている。

剣を持つ左手にも徐々に力が入らなくなってくる。

 

(これだったら大人しく森の中で高速戦闘を……う〜ん、同じだったかなぁ。ここまで優秀な弓師さんが潜んでたら足を止めた時点で終わりだったろうし、長期戦に持ち込まれて毒攻めされてたかも。最初の組長さんとやらも、あの人の策のうちだったのかな?これはやられたなぁ)

 

仮にあのまま森の中で戦っていたとしても、恐らく今とそう変わらない状況になっていただろう。そう思えてしまうくらいに、徹底され過ぎている。

もし活路があったとすれば、最初のスフィア選択。あの時点で感覚強化のスフィアを選んでいれば敵の居場所や現状をより鮮明に把握出来ていたかもしれないが、それも聴覚か嗅覚でなければ意味が無かっただろう。マドカが選ぶとすれば視覚の方だ、それ以外を優先して選ぶ理由が存在しない。そもそも完全に油断していたし、武器を落とされてしまったことで冷静さが無意識下で欠けてしまっていたのかもしれない。攻撃系スフィアばかりを選んでしまったのは、きっとそれが原因だ。武器に対する依存性、それを捨てきれていなかった。

 

「……最後に、聞かせてください」

 

「……」

 

「貴方方の雇主は、どなたですか?」

 

「……アルファという男だ」

 

「……」

 

マドカが左手の剣を地面に落とす。

項垂れるように全身から力を抜く。

そしてそのまま一度、大きな溜息を強く落とす。

そんな彼女の様子に男はまるで同情や共感でもしたかのように微妙な顔を返した。それは互いにその人物についてそれなりに知っているからこその反応でもあった。

 

「っ!?」

 

しかし直後、その空になった左手をマドカが男に向け、男や取り囲んでいた者達が一瞬身体を硬直させる。……そして瞬間に、変化は起きた。

 

 

 

 

「オイ、何やってんだテメェ等」

 

 

その男が、現れたのだ。



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70.大人達の考え

「オイ、何やってんだテメェ等」

 

突然背後から聞こえて来たそんな言葉に、男達は振り返る。

砂浜を歩く音。

剣を引き抜く音。

波が引いては打ち寄せる音。

急激に彼等を襲った静けさの中に、明らかな怒りと殺意を抱いた男の声が突き刺さった。

 

「お、お前は……!」

 

つい先ほどまで少女を追い詰め、確かな勝利を掴みかけていた指揮者の男の顔からも、青い色が差し込まれる。その男が近付いてくるほどに集団の焦りは高まり、円を作っていた陣形も崩れを見せ始めた。

そんな彼の姿を朧げな視界の中で目視したマドカの表情には、安堵の表情。

 

……くたびれた男だ。

一見すればその辺りにいるおっさん探索者。

だが、この世界ではおっさんこそが強いのだ。

少し歳を取った男が強い。

むしろ歳を取ることが出来た男は強い。

それほどまで生き残った男が、弱い筈がない。

 

「く、来るな!それ以上近づけばこの女を殺すぞ!」

 

「あぁ?オイ、聞こえなかったのか?……おじさんはな?テメェ等がここで何やってたのかを聞いてんだよオイ!!!」

 

「ひっ……ぁ……かっ……!!!?!?」

 

瞬き1つ。

その僅かな時間の間に、1つの人間の首が飛んでいた。

 

「ひっ、ひぃぃい!!」

 

「1人残らず死に晒せやぁああ!!!」

 

振り落ちる血飛沫、転がり落ちる生首達。

それが殺戮の始まりの挨拶。

 

「こ、殺せ!!全員でかかれ!時間を……い、いや!今はそれよりもマドカ・アナスタシアを!!」

 

「『雷弾』」

 

「っ!?」

 

指揮者の男は一瞬で自分達の不利を悟り、周囲の者達を盾にしている間に、瀕死のマドカ・アナスタシアにトドメを刺すことを決意した。……しかしその直後。小杖すら持っていない筈のマドカ・アナスタシアから、雷の魔法弾を撃ち込まれる。

完全な不意打ち、激痛と麻痺が走る身体。

視線を向ければ、ニコリと笑う女の顔。

 

「きっ、さま……!」

 

そしてそのような隙を見せた男に対し、彼は決して見過ごす様なことなどしたりしない。この場の一体誰が主犯格であるのか、既に最初から目をつけていた男が、見逃す筈がない。

 

「おう、死んでくれや」

 

「ぁ……かっ……」

 

逆さまになった視界の中で、いくつも転がる生首達が、自分の方へと目を向けているのが見えてしまう。そんな中でも何故かこちらを悲しそうな顔で見つめる彼女がいた。それが男が最期に見た光景。

 

槍をへし折り、剣を破壊し、弓による攻撃を敵を盾にすることで避け、そのまま敵の死体ごと突き刺し斬り飛ばす。全ての人間の頭部を残すことなく落とし、より混乱と恐怖を広めていく。

……徹底的に、徹底的に男は殺し尽くした。

防御のための盾すらも彼の前では何の意味も持たない。引き裂かれ、砕かれ、逃げることすら叶わない。SPDでもVITでもSTRでも敵わない。剣技1つでさえも通じない。何もかもが圧倒的な格上。その怒りと狂気の中には、確かな技術と経験が染み付き存在していたのだ。

 

「……」

 

30人以上もいた軍勢が全滅したのは、その男が現れてから数分と経たないうちの話だった。全員の首が落とされ、特に指揮を取っていた男の顔はその上から更に一撃が突き刺されている。

月夜に照らされた砂浜は黒く染まり、血臭がこれでもかというほどに立ち込めている。その背後では森林が焼けており、見様によっては今この場所は地獄なのだろう。

しかしそんな中でも、彼女だけはいつもの笑顔を浮かべて男を待つ。窮地を救ってくれた男に、ただ左手を持ち上げて。

 

「レンドさん……」

 

「……っ!おい!大丈夫かマドカちゃん!!生きてるな!?待ってろ!直ぐに街に運んで……じゃねぇ!それより治療を!」

 

「ふふ、都市最強の探索者さんがこんな時間に散歩だなんて。エミさんに怒られちゃいますよ?」

 

「言ってる場合か!!クソッ、出血量が……」

 

男の名はレンド・ハルマントン。

"聖の丘"の団長をしている男であり、同時にオルテミス最強の探索者でもあった。そしてオルテミス最強ということは、同時に世界最強の探索者ということでもある。

そんな男がこうして自分の怪我にオロオロとしている姿は、マドカにとっては何となく面白くて、珍しくて、思わず冗談を言ってしまう。

 

麻酔を打ち、切開し、矢を引き抜くレンド。

その後にポーションをかけて包帯を巻いていくが、これも応急処置にしかならないだろう。治療院に帰って本格的な治療をしなければ、神経や筋肉に後遺症が残る可能性が出て来る。

その上なによりマドカには血が足りていなかった。

最低限の治療を終えた頃にはそれもかなりの限界で、立つことすらもままならない状態。

 

最悪の状況は避けられたとは言え、ここから1時間耐えてくれるかどうかはマドカ次第である。もともとVITが低く身体の弱い彼女だからこそ、弓に塗られた毒が致命的だ。万が一を考えて解毒用のポーションも飲ませたが、それでもVITが低ければ影響は出るのだ。

マドカが考えているよりは状況は悪い、少なくともレンドはそう考えている。そう考えているからこそ、必死だった。

 

「ぁ……そういえば、私の剣が、海に……」

 

「そんなもん後からまた拾って来てやる!だから今は帰るぞ!おじさんに任せとけ!な!」

 

「はい……」

 

矢を抜いてポーションをかけるのが最善の止血方法とは言え、流石に6箇所はやり過ぎたのかもしれない。そうでなくとも腹部の一本は臓器にまで達していた。今も内部で出血していてもおかしくない訳で。

 

「た、ったく!どうしたんだよ、マドカちゃん!あんな奴等に、負けるタマじゃねぇだろ……!」

 

「あ、あはは……油断、しちゃいました。勝てるかなぁって、思ったんですけど……思ったより、本気で、調べてられて、て……」

 

「……!とにかく、あと1時間!いや30分頑張ってくれ!そしたらオジサンが絶対助けてやるから!」

 

「はい……流石に疲労と、空腹が……限界です」

 

「は、ははっ、そっちかよっての」

 

レンド・ハルマントン。

そのレベルは58。

彼はそのステータスとスキルを全力で使い、ただ只管に走り続けた。そんな中でもマドカが自分の鞄の中に入っている報告用の資料だけはしっかりと手に持っていることに気付きながら。そして同時に、彼女を襲った犯人の素性を頭で回らせながら。

 

 

 

 

「レンド!」

 

「っ!ラフォーレ、カナディア……」

 

オルテミスの治療院、その緊急治療室の前。

何処までも真っ白なこの建物の中、一際大きな鉄の扉が存在するその場所で男は足を組んで治療の終わりを待っていた。

そんな最中に飛び込んできたのは2人の見知った女達。まあ来るだろうなと予想はしていた、予想通りの2人だった。

 

「レンド!マドカの様子は!?」

 

「見ての通り治療中だっての。……まあ、多分大丈夫だ。マドカちゃんの教え子のユイちゃんだったか?あの子が起きててくれたのが幸いだな」

 

「おい根暗……あの子を襲ったのは何者だ?当然全員皆殺しにしたのだろうな?」

 

「安心しろ、全員漏れなくぶっ殺した。捕まえる余裕も無かったからな。今も頭を切り飛ばして置いてある。調査するなら見に行けばいい」

 

ドアの前に仁王立つラフォーレ。

カナディアはレンドの対面に座り、焦る心を押さえ付けるように爪を噛む。焦っても仕方がないとは言え、冷静ではいられないのが人間というものだ。特にラフォーレに至っては、見るからにワナワナと拳を震わせて、今にも暴れかねない状況だ。その怒りをぶつける相手が既に死んでいることもまた、彼女のフラストレーションを溜めている要因でもあるのかもしれない。

 

「……敵の特徴は?」

 

「探索者崩れの掻き集めってとこか。大体15〜20レベル程度の戦力が揃ってたな」

 

「その程度の奴等にマドカがやられたというのか?」

 

「マドカちゃんが言うには、敵さんも本気でマドカちゃんのこと調べて来てたらしいぜ。……まあ実際、敵の方に魔法使いは1人も居なかった。弓持ちと盾持ちで囲んで、槍持ちで迎撃。指揮官も慣れてたな、武器も海に落とされていたくらいだ」

 

「徹底的なマドカ対策をして来たということか……確かに身体を射抜くより、武器を落とす方があいつにとって致命的だろう。殺気で気付かれかねん」

 

「特に頭やってた男、あいつは俺が暴れ始めてからもマドカちゃんを殺そうとしていた。幸いにもマドカちゃんが不意打ちで雷弾当てて……あん?そういえば、なんでマドカちゃんは雷弾撃てたんだ?」

 

「あの子は探索時には左手に小杖を張り付けて仕込んでいる、だからだろう」

 

「なるほど、流石に相手さんもそこまでは調べられてなかったってことか」

 

「………」

 

とは言え、その際に森林が燃えていた事からも彼女がどれほど追い込まれていたのかは想像出来る。疲労していたところを襲撃され、木々に隠れている弓士を炙り出す為に森に火を付けた。もし同じ立場であれば、レンドも同じ事をしただろう。その後の結果も、まあ容易く想像は出来る。ラフォーレ以外のどの探索者も似たような結果になる筈だ。それくらい探索者同士の戦いというのは数が有利だ。特に相手の能力や傾向が把握出来ている上に、策を練られる立場に居るのであれば、余程の無能でない限り負けという結果は有り得ない。

 

「……殺す」

 

「待てラフォーレ」

 

「絶対に殺す!!探索者崩れも、山賊も!全員纏めて焼き殺してやる!!」

 

「落ち着け!!」

 

「所詮は屑の集まりだろうが!殺して何が悪い!!女子供を寄って集って嬲る様な奴等に生きている価値などあるものか!!」

 

「いいから落ち着け!!」

 

このままでは本当に付近の山林全てに火を付けかねないラフォーレを必死に止めるカナディア。山賊はともかく、探索者崩れというのは決して悪い奴等ばかりではない。小さな村落で日々依頼をこなしていたり、傭兵として働いている者だって多くいる。確かに今回の者達もそういった人間で、金と嫉妬に釣られて参加したということはあるかもしれない。

カナディアとて気持ちは痛いほどよく分かる。

しかし緊急時にそういった地方の防波堤として機能する人材こそ、彼等でもあるのだ。オルテミスの指揮陣営の一人として、それだけは許可出来ないし、見過ごせない。

 

「マドカは!お前が奴等を殺すより、お前が近くに居ることを望むはずだ!!」

 

「っ」

 

「いいから今は、あの子の側に居てやれ。その間に主犯の捜索はこちらでする。……殲滅の際は、お前に任せると約束する」

 

「……」

 

「レンド、お前もそれでいいな?」

 

「ああ、好きにしてくれ」

 

「……」

 

舌打ちの一つもせず、ラフォーレは顔を背ける。

一先ずはこれでいい。

しかしこれで終わるとも限らない。

ラフォーレの怒りがマドカを一人で送り出したエミ達に向かないとも限らないし、最悪その教え子達に向く可能性もある訳だ。それだけは避けなければならないし、他へ向けてその怒りを誘導しないといけない。……まさかエミも思わなかったのだろう、このほんの短距離の移動の間に命を狙われることになるなどと。それもマドカだけを狙い澄ましたような、こんな策を。このことを聞けば、彼女は間違いなく自分を責める。

 

「レンド、敵は龍神教ということでいいんだな?」

 

「……いや、どうだろうな」

 

「?」

 

だからこそ、そうして不明確ながらも何となく有り得そうな情報を利用してラフォーレのヘイトを龍神教に向けようとしたのだが……ここでレンドがそれを否定するという事実に、カナディアは素直に頭を傾げる。

 

「どういうことだ?」

 

「……少なくとも、主犯格の男が着ていたローブは龍神教のものではなかった。似てはいたがな」

 

「似てはいた……」

 

「おかしいだろ。着るなら正式な物を着る筈だ、それが奴等にとって誉れ高い行為だからな。逆に着ないなら関係を疑われない様に全くの別物を着ればいい。わざわざ似た様な物を着る必要はどこにもない」

 

「偶然ではないのか?敵もそこまで深く考えてはいないだろう。そこまで考えるのなら、お前の言う通り普通の探索者に混ざった格好をしていた筈だ。そこまで半端なことをする理由がない。精々顔を隠すために選んだと考えるのが妥当だ」

 

「……」

 

「考え過ぎだ、お前も少し落ち着け。……自覚しているだろう、お前はマドカのことになると冷静さを失う。今何を考えても空回るだけだ」

 

「……わりぃ」

 

色々と考えて言葉にしてみたはいいものの、レンド自身も分かってはいる。滅茶苦茶な思考で表層だけをなぞる様な適当なことを言ったと。

感情的になっている。

動揺してしまっている。

10年経っても変わっていない。

変われていない。

 

「……だが、まあ、いい加減にしておけよ。とは言っておこう」

 

「……」

 

「あの子は聡い。気付かれているぞ、お前があの子を通して誰を見ているのか」

 

「……」

 

「まあ今回はそのおかげで助かったとは言え、もう30年近く経った話だろう。それを若い人間に押し付けるな」

 

「……28年だ、まだ30年は経ってねぇ」

 

「変わらず気持ち悪いな、あの人が見たら泣くぞ」

 

「やめろ……分かってんだよ、んなことは」

 

分かっていてもどうしようもならないから、変われていない。そう言いたいのだろうが、事実変われていないのだから、変われない理由、つまり変わろうとしない自分が居るということは否定出来ない。

都市最強の探索者でありながらまあなんと女々しいことか。それにそうでなくとも、こんな会話をあのラフォーレの前でしているのだから、それがどれほど深刻な病であるのかというのも分かるというもの。

 

「根暗、貴様は何故その場に居た」

 

「……」

 

突如としてそんな風に差し込まれたラフォーレのその疑問は、しかし言われてみれば至極当然のものだった。仮にこの男が自分の娘に対して他者を写して見ていたとしても、ラフォーレとしては、100歩譲って悪い影響が無ければそれでいい。

しかし特段マドカと仲が良いという訳でもなく、むしろ日頃から何かしら疑惑を持った目で見ている様な男が、何故今日に限っては迎えに行くなどという訳の分からない行動をしたのか。それも完全な独断で、単独で。結果が良ければで済まされる過程ではない。カナディアでさえ、それは疑問に思っていた。

 

「……疑っていたからだよ、マドカちゃんを」

 

「貴様ァっ!!」

 

「待てラフォーレ!!先ずは話を聞け!!」

 

そこまではカナディアの予想通りだ。

問題はそこまでするに至った原因、理由について。

 

「急ぎの連絡があるとは言え、あの子が単独で行動する。エミも誰も見ていない中で。そんな中であの子がどんな行動をするのか、誰かと会っているんじゃないか。それを確かめたかった」

 

「他に理由がある筈だ。お前がその場の勢いだけで動くとは思えん、それに至る何か他の情報がある筈だ」

 

「……」

 

カナディアとレンド、その付き合いは長い。それこそもう30年になる。だからこそ知っている、この男がここまで単独で動く場合にはその確信のようなものがある筈だと。そうでなくとも、それに値するほどの疑惑がある筈だと。

 

「……垂れ込みがあったんだよ、マドカちゃんがグリンラルで龍神教の下っ端と夜中に接触してたってな」

 

「「っ」」

 

「俺の部屋の電文機に、グリンラルに設置されてる電文機から送られて来た。送ってきた相手は分からねぇ。……だが、俺もマドカちゃんに龍神教と何らかの関わりがあるんじゃないかとは思ってた」

 

「……それを確かめる為に、貴様はマドカの帰路を嗅ぎ回っていたと」

 

「ああ、逆に言えばそれくらい俺はマドカちゃんのことを疑ってる。それもお前達2人があの子の何かを隠しているからじゃねぇか。……俺自身の、問題を加味したとしてもな」

 

「「……」」

 

それを言われてしまうと、カナディアもラフォーレも何も言うことができない。この件に関しては本当にこの2人とマドカ自身しか知らないことであり、それ以上の情報の漏洩は徹底的に封じられている。それはオルテミスの頭とも言えるレンドに対してもそうであり、それほどに2人はその情報が漏れることを恐れていた。

……しかし、マドカに対してとある理由であまりに重く複雑な感情を抱いているレンドに対しては、最初から説明しておくべきだったのかもしれない。そう考えれば、それを説明するのに今ほど適した場面も無いとも言える。今回のところはそれが良い方向に作用してくれたのだから。ここで隠し事を終える、というのも良いタイミングだろう。

 

「……ラフォーレ、いいか?」

 

「構わん、だがこれまで同様に他への漏出は徹底的に封じろ。それが条件だ」

 

「レンド、その条件でいいか?」

 

「ああ、問題ねぇ。……分からなかった事が分かるんだ、そしてお前が隠していてもいいと思えるような話なんだろ?なら教えてくれ」

 

ラフォーレも、これ以上自分の娘に余計な疑いをかけられ、付き纏われるくらいならばという許容だったのだろう。

それに目の前の男は、なんだかんだと言ってもマドカを陥れる様な行いはしない。色々と残念な男ではあるのだが、そういう信頼だけはあった。

 

「先ず、マドカの生まれからだな」

 

「生まれ?……ラフォーレが放浪中に拾って来たって聞いてたが」

 

「具体的には"破壊した龍神教の支部から拾って来た"だな。マドカは元々龍神教のとある一派に分類される教徒達によって育てられていたらしい」

 

「なに?」

 

ラフォーレの方にその言葉の真偽を尋ねる為に視線を向けるが、彼女は面倒臭そうに壁にもたれながら頷くだけ。しかし重要なのは"破壊された龍神教の支部"という部分だ。間違いなく破壊したのはラフォーレだろう。そこが想像出来るからこそ、妙な説得力もあるというもの。

 

「とある一派ってのはなんだ?」

 

「分からない。だが私が調べていた限りではかなり内向的な派閥だったらしく、他の龍神教徒達とも殆ど接触をしていなかったらしい。……それとこれは噂だが、生き残ったその連中は後に他の教徒達に処分されたそうだ」

 

「マドカちゃんは何か言ってなかったのか」

 

「当時のあの子にそれほどの意識はない。そしてあの子が記憶を思い出す限りでも、奴等がマドカに求めていたことは1つだ」

 

「?」

 

「人間を超越すること。……肉体的にも、精神的にもな」

 

「……」

 

その為に何をして、何をさせられていたのか。そこも気になるが、今重要なのはそこではない。むしろそれほどの仕打ちを受けてなお、彼女がどうして未だに龍神教と接触をしている可能性があるのかということだ。

 

「施設に居た子供はマドカ1人だ、ならばなぜマドカがその対象として選ばれたのか。それはあの子が特別だったからだ」

 

「生まれた時から特別だったってことか」

 

「……話は逸れるが、今の龍神教を取り纏めているのは大聖人と呼ばれる者達だそうだな。そして我々の予想では、7年前にオルテミスに襲撃をして来た罪のスキルを持つ者達こそが、その大聖人なのだろう」

 

「それはまあ……っ、いや待て。ラフォーレ!お前があの子を拾ったのはいつだ!?」

 

「7年前だ」

 

「っ!そういうことか……!!」

 

そこまで聞けば言わずとも分かる。当時と、それと先日の龍神教の襲撃が何を目的としていたのか、確信が持てる。そして何故それほどに、龍神教の頭を担っている者達すら前に出てくるほどに彼等が必死になっていたのかということも、想像が付く。

 

「……マドカちゃんは、罪のスキルを持ってるってことだな?」

 

「その通りだ」

 

レンド自身、マドカのステータスを直接見たことはない。否、それこそマドカの弟子達でさえも彼女のステータスをしっかりと見たことはないだろう。戦闘の様子から大体の想像はついても、例えばそのスキルの名前なんかは知らない筈だ。

……だって隠していたのだから。

見れば分かる程に異質なそれを、ラフォーレとカナディアが隠す様に厳命していたのだから。

 

「マドカの持つ罪のスキルは"暴食"。味方からの魔法ダメージを自身の攻撃力に変換する」

 

「?いや待て、あの子は敵からの魔法攻撃だって無効化していただろう。単純に被魔法を攻撃に変換するだけじゃないのか?」

 

「それこそがマドカを捕えていた者達の狙いだ」

 

「?」

 

「さっきも言っただろう根暗、奴等の目的はマドカを超越した存在にすることだと」

 

かなり特殊なスキルだ。

ダメージを無効化するのは当然として、それを変換するというのもなかなか無い。これだけ聞けばあまりにも有能過ぎる。だがそうなってしまうと、邪魔になるのは"味方からの"という部分だ。これでは防御には利用出来ず、攻撃力を上げることにしか使えない。……ならばどうするか。

 

「おい、まさか……」

 

「そうだ、そのまさかだ。端的に結論だけを述べれば……マドカはこの世界の全ての生命に対して、敵意を持つ事が出来ない」

 

「っ、そうなるようにガキの頃から擦り込んだって事か……!!」

 

「擦り込んだ程度ならいいのだがな。私が襲撃した際、あの子の居た隣の部屋には血と灰に塗れていた。人骨と思われる物もな。……あの子がそれだけの為に一体どんな仕打ちを受けて来たのか、それだけは私でさえ聞けん」

 

所詮は素人の集まり。

人の精神に詳しい訳でもない教徒達が、どの様な手段を用いてそれを成したのかは今でもハッキリと分からない。だが事実としてマドカはあらゆる魔法を変換している。ならばスキルが求めている要素を満たしており、敵意を持っていないどころか、むしろ味方と思うほどになっているのだと想像が付く。

 

「……マドカちゃんは、グリンラルで教徒相手に何を話したんだろうな」

 

「それは私にも分からない。……だが、あの子のことだ。何かしらの交渉をして、オルテミスへの襲撃を止める様に要請したのではないかと予想している」

 

「……つまり、全部俺の杞憂だったって事かよ」

 

「そういうことだ根暗、あの子は間違いなく善人だ。露骨に接触を避けているからそうなる、気色の悪い」

 

「はは、ひでぇ言いようだな……」

 

龍神教の仲間どころか、龍神教こそが彼女にとって宿敵。それでも龍神教によって件の一派が粛清されている事と、大聖人達が必死になってマドカを探していた事を考えるに、彼等の本意ではなかったとも取れる。

……これまでの2度の龍神教による襲撃の原因がどちらともマドカであったと考えると、むしろ彼女は今なにを考えているのだろうか。どう考えても、責任を感じてはいるだろう。彼女は何も悪くない話ではあるが、それを彼女自身がどう思うかは別の話。

 

「……マジでマドカちゃんは何も悪くねぇじゃねぇか」

 

「だから言ったろう」

 

「何を疑っていたんだ貴様は」

 

「いや、だってよ、あんな明らかに色々と不穏っていうか、未だにわからないことも多いしよ……」

 

「不穏というよりは、本当に何が起きても良い様に行動しているだけだろうな。……今回の様に、マドカでさえもいつ死んでもおかしくないのが探索者だ」

 

「まあ分からないことは多くとも、あの子が善人で私達の味方であることは間違いない。ならばあの子のしていることは正しいことだ。疑うことすら烏滸がましい」

 

「そ、それは流石に言い過ぎだが……まあ、概ね私もその認識だ」

 

目の前の人間がどちらもマドコンと呼ばれる様な人間であることは間違い無いのでその言を素直に受け取ることは出来ないが、確かに彼女は結果的にこのオルテミスに益をもたらしている。その結果はどんな悪い想像も容易く打ち消すだろう。そしてその役割を自分だけの物にしていれば、"もしかしたらその役割を使って悪い事を企んでいるのでは?"なんて考えられるが、彼女がその役割を率先して他に任せている事だって知っている。

……つまり、疑える明確な理由がない。

というか、疑う必要がそもそもない。

むしろ今すべきことは。

 

「だったらマドカちゃんを狙ったのは……なんだ?」

 

「「……」」

 

「龍神教はマドカちゃんを狙ってるが、命を奪うって話じゃねぇ。むしろそっちについてはマドカちゃん自身が話を付けてるとして……」

 

「そうだな、私には現状あの子を狙う理由のある組織の見当がつかない。ラフォーレはどうだ?」

 

「……ない。が、1つ気になる点はある」

 

「何の話だ?」

 

疑うどころか、心配すべきなのだ。

あの場にいた頭の男が本当の主犯格だとは思えない。あれほどの人数を集めたという事は、相応の金を支払ったということでもある。

そしてマドカ曰く敵はマドカの戦闘方法まで調べ尽くしており、相応の情報網を持っているということでもあるだろう。

……この襲撃が、今回だけで終わるとは思えない。

 

「アルファ、という男に心当たりはあるか」

 

「いや、ねぇな……カナディアはどうだ?」

 

「聞いた覚えはあるが……何者なんだ?」

 

「少し前にダンジョン内で愚図……マドカの新しい教え子に声を掛けていた不快な男だ。マドカのことを知っている様な言動をしていた上に、恐らく相当高いステータスを持っていた」

 

「どれくらい調べたんだ?」

 

「ギルドの出入記録、街の出入記録、探索者名簿にギルドの記録まで全て調べた。しかし未だ少しの足取りすら掴めていない。……加えて、その翌日に愚図共が9階層に閉じ込められ、狂った帝蛇と強引に戦わされる事件が起きた」

 

「「!!」」

 

それについてはカナディアも軽くではあるが聞いているし、報告も受けていた案件だ。しかしまさかラフォーレがそれほどしっかりと調べていたとは夢にも思わなかった。それもラフォーレの母親としての勘なのか、探索者としての勘なのか。

 

「……確信はあんのか?」

 

「ない、何の関係もない偽名を使った馬鹿という可能性もある。全て私の勘だ」

 

「しかし、怪しい人間が居たというのはな……タイミングが良いと感じるのも確かだ。どう思う、レンド?」

 

「……マドカちゃんに聞いてみれば分かるだろ。仮にそのアルファって奴のことは知らなかったとしても、マドカちゃんが何かしら聞き出してくれてる可能性もある」

 

「まあ、そうだな。あの子はその辺り抜け目がない」

 

そんな風に話がひと段落した辺りで、扉の鍵が開いた音が聞こえた。どうやら治療はなんとか無事に終わったらしい。それと同時に立ち上がった3人の速度は、それはもう凄まじいものがあった。

 



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71.配置転換

「ほんと……最近少し身体張り過ぎじゃない?マドカ」

 

「あ、あはは……ご迷惑をおかけして……」

 

「一番迷惑に巻き込まれてる奴が何言ってんのよ、むしろもう少し周りに迷惑かけなさい。……っていうか、いくら至急伝えたいことがあったとしても1人で行動しようとするその癖はいい加減に直しなさい」

 

「あたっ」

 

額にトンと当てられる手刀。

マドカが襲撃された夜から2日目の朝。

意識自体は翌日に覚ましてはいたものの、その後も諸々の検査や治療などもあり、出来たことは殆どない。そしてその中で最初の事情聴取役として選ばれたのがエルザだった。既に優先して伝えておかなければならないことは治療をしていたユイ経由で伝えているとは言え、肝心の今回の襲撃についてはまだ誰にも話せていない。明らかに冷静ではない一部の者達が居ることから、その辺りクールなエルザが選ばれたのは当然の話だ。

それでもエルザとて思うところはある。

こうして珍しく手刀を振り下ろすくらいには。

 

「で?どうしたのよ、いくら数が多くてもそこらの探索者に負けるなんて」

 

「あ〜……その、慢心していたと言いますか。最初の手応えとか、陣形とか、リーダーとか。そういうのを見て勝てると判断したんですけど」

 

「思わぬ隠し球があった、ってところ?」

 

「隠し球というか、その全部が罠でした。私にそう思い込ませるための。リーダーは別に居て、伏兵もたくさん居て、私のスキルなんかも全部バレてましたね」

 

「……徹底的に殺すつもりだったのね」

 

「そうかもしれません。ただまあ勝ち筋はあったと思います。最初のスフィア選択をもっと慎重にしていれば、もしくは2人の弓士を倒した時点で周囲の調査をしつつ木伝いで撤退していれば……敵の正体を掴もうとするあまり出過ぎてしまいました、これは反省点です」

 

「責任感が強過ぎるのよ。死んだら元も子もないでしょうに」

 

それからマドカは具体的に戦闘がどの様な流れで進んだのかを詳細に語り始める。そもそも初手の2発のパワーアロー、あれを身体に撃たれていたら即死していたんじゃないかとエルザは思ったが、それについてはあまり言及しないところを見ると、どうもそれについては対策があったのかもしれない。実際、マドカをよく調べて来ているという敵も狙わなかった事を考えるに、そうなのだろう。エルザは知らないが。多分ユイも、自分達の後輩や先輩達だって知らないだろうが。

 

「で、敵の正体は?レンドが殺したのが黒幕って訳じゃないでしょうし、マドカも何の情報も得ていない訳じゃないでしょう?」

 

「……」

 

「アルファ、という男が関係あるのかしら?」

 

「!どうしてそれを……!」

 

「リゼがダンジョンで声を掛けられて、それ以降ラフォーレが調べていた人物よ。どうもマドカのことを知っていたみたいだけど、知り合い?」

 

何とも言い難い顔をしているマドカのその様子を見れば、彼女がその男と何かしらの関係があるというのは明らかであった。もう本当に、何故こうも色々なところに首を突っ込んでいるのか。……しかし直後にマドカから伝えられた答えはエルザが想定していたものとは少し違った。

 

「……知り合いというか、付き纏われてる、でしょうか」

 

「……は?」

 

「えっと、なんと言いますか……たくさん好意を頂いているんですけど、私はそれを返せない。でも彼はそれでいい、みたいな」

 

「マ、マドカ……?あんた本当に大丈夫!?なにか変なことされてない!?変なこと吹き込まれてない!?騙されて関係とか持ってないわよね!?」

 

「?えっと、よく分かりませんが……取り敢えず、少し変わった方です。それとエルザさんの予想通り、襲撃して来た方に指示をしたのはアルファさんだと聞きました。恐らく間違いありません」

 

話が思っていた方向とは全く別方向に複雑になって来た。エルザは思わず頭を抱える。マドカのストーカーがマドカを殺しに来た?もう全然意味の分からない話なのだが、その人物が狂人に当て嵌まる類であるのならもう何でもありである。エルザが一番嫌いなタイプの人間だ。そんな厄介な存在に付き纏われているマドカも、あまりにも心配が過ぎて。

 

「取り敢えず、その男の詳細を教えなさい」

 

「えと、服装は黒い帽子と白のシャツ、黒のサスペンダーを付けたパンツに、赤いマフラーを好んでいます。長身で筋肉質で、顔もかなり良い方だと思います」

 

「……一応聞くけど、惚れてないわよね?」

 

「あ、いえ、全然そういう気持ちは」

 

「良かった……他に情報は?ステータスとか、普段何してるのかとか」

 

「偶に顔を合わせると声を掛けて来るくらいなので……何処で何をしているのか、今どんなステータスなのか、何か目的があるのか、私にはよく分かりません」

 

マドカでさえも詳細を把握していない?

こうなるとその男がどうやって街の出入りをしているのかとか、そういう問題もかなり重要になってくるだろう。そんな歩いていれば多少の話題には登って来そうな男が、これまで全く目撃情報がないというのも不気味だ。マドカが見ている以上、実は街の責任ある立場の人間が別名義を名乗っていたり、成りすましている可能性もない。

 

「つまり、変に好意を押し付けてくる訳の分からない男が、突然マドカに刺客を送り込んで来たってことね。理由の想像はつく?」

 

「……私の夢を応援してくれてるみたいなので、そのためかもしれません」

 

「聞いちゃうけど、どんな夢?」

 

「人の力で邪龍を倒せる様にしたいです」

 

「……そのためにマドカを襲ったってこと?」

 

「単純に私の力を試したのか、私に対して試練を与えたのか、それとも探索者全体に危機感を与えたかったのか。全部私の想像ですが、それなら納得がいきます」

 

「納得って、普通マドカ自身も死にかねないそんな方法するかしら?」

 

「アルファさんが好意を伝えて来たのは、私の夢を伝えた後の話なんです。だから彼にとって、もしかすれば魅力的だったのは私ではなく、私の伝えた夢の方なのかもしれません」

 

「……」

 

エルザは考える。

そして心の中でマドカの言葉を否定する。

その流れでいくのなら、現状の手札だけで可能性を模索するのであれば、恐らく男の目的は"その夢を叶えたマドカ"という女だ。夢を叶えられなかったマドカに興味はない。だからこういった行動を取ることが出来る、そう考えると筋が通る。

邪龍を討伐するという偉業。

それを成す為に前に立ち努力し続けた女。

価値という点で言えばこれ以上の物はなく、英雄というよりは聖女であったり女神であったり、事実上この世界で最高の名誉を得る女になる。

 

(……もう少し純粋な見方をするのなら)

 

その夢を掲げたマドカに惚れた。

だからどうしてもその夢を叶えて欲しい。

その夢を叶えたマドカを見たい。

その夢を降ろしてしまえば、自分が惚れたマドカではなくなってしまう。

だから、そうなるくらいなら今のうちに死んで欲しい。堕落して失望する前に、幻滅してしまう前に。

 

(どちらにしても、勝手な話よね)

 

その正体を掴めた訳ではないが、こうして何とか仮定だけでも組み立てられたのなら上出来だ。何の情報もない状態で対策を組むよりも、何かしら仮定があった方が動き易い。

それにこれがマドカにばかり向く様であればマドカを守るだけで済む話だが、その男が惚れたマドカの夢の内容を考えるに……どう考えても探索者全体に影響を与える様な仕掛けをしてくる可能性が高い。

 

結果的にそれが探索者全体の底上げとなる様な仕掛けであったとしても、恐らくかなり強引な、それこそ多少の犠牲は当然という様な物になるはずだ。むしろ今回の様な、マドカを含めて全てを台無しにする様なことをしでかしてくる事も考えられる。

 

「また厄介なのに目を付けられたわね、ほんとに」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「それこそマドカが謝る事じゃないわよ。狂人なんて何処にでも居るし、それに目を付けられただけの人間に責任なんてない。マドカじゃなくても、結局は何処かで似た様なことが起きてた筈なのよ。……だから、この件で1番の被害者は間違いなく貴女」

 

「エルザさん……」

 

カナディアから聞いた話では、恐らく龍神教からの襲撃は今後なくなるとの事だった。その詳細については聞けなかったが、エルザはその件についても目の前の女が関係していると確信している。彼等がそう言う以上は余計なことは言わないが、正直まだ敵が龍神教であってくれた方がマシだった。

これからどうするか。

どう対策をしていくか。

必要なのは探索者全体の底上げか。

そもそも男が何かを仕掛けてくる必要がないほどに探索者全体の力が強まれば、それで良いのだから。邪龍を討伐するという話だって、相手がギガジゼルでないのであれば、そこまで否定するほど非現実的な話ではないとエルザも思っている。

 

「……取り敢えずマドカ、今日から本当に外出禁止ね」

 

「あ、あはは……」

 

「それと今持ってる仕事も全部私達に割り振りなさい。昨日先輩達も帰って来たし、リゼも自然とマドカの仕事を引き継いでるわ。オルテミスは機能してる」

 

「……そうですか、リゼさんも」

 

「あんたのこれからの仕事は、探索者の育成。それだけに尽くしなさい。ギルドにも念を押しておくけど、何か起きても積極的には動かない。動くのは本当に最悪の事態が起きた時だけ」

 

「でも、その……動ける人は少しでも多い方が」

 

「助かるでしょうね。けど、それは他の探索者でも出来る事なのよ。それをわざわざ他の役割を持てる人間がやる必要はないし、優秀な人材を割くほど重要な箇所でもない」

 

「……」

 

「貴重なのよ、頭になれる探索者は。加えて育成が出来る探索者となるともっと限られる。……これからの時代、強いだけの奴は要らない。強くて頭も回る人間が必要になる。そんな探索者を育てられる人間は、そう多くないでしょ」

 

それこそリゼ・フォルテシアがその代表格。確実に強くなれる人材であると同時に、その真面目さと好奇心で様々な知識を取り込み始めている。知識とは力だ。思考とは策だ。強さを得るにも頭がいる。強さを得た後にこそ頭がいる。単純な話、レンド・ハルマントンが10人居れば龍の飛翔に割く人員も少なく済むのだ。1人1つの役割で済む時代は終わるし、終わらせていかなければならない。馬鹿が馬鹿のままでいい時代ではなくなっていく。

 

「……前線から引くべき、ということですか」

 

「そうよ」

 

「まだまだ若いつもりなのですが」

 

「失ったら困る物を大切に仕舞っておくのは当然の話、それが例え買ったばかりの綺麗な物でもね」

 

「それが本当に私が望まれている役割、なんですね」

 

「少なくとも、リゼはそう思ってるわ。あの子は言わないけど、ずっとマドカの帰りを待ってた。まだまだ教えて欲しいことがあるって。同じことを教えて貰うとしても、マドカに教わりたいって」

 

「……そうですか。それなら、仕方ありませんね」

 

実際、痛手ではある。

単独ではともかく、複数での戦闘であればマドカ・アナスタシアの実力はこの街の最上位だ。そして彼女は戦闘以外の分野で最も便益を図れる。それを手軽に運用出来なくなるとなれば、色々と困る部分も出て来るだろう。

しかし今はその痛みを得て、困るべきなのだとエルザは考えている。人は実際にそれを感じなければ動かない。その痛みは変革のためには必要なものだ、逃げ続けていても手遅れになってから困るだけ。それなら今のうちに痛みを享受しておくべきだ。

2度の龍の飛翔、2度の怪荒進、明らかに異常が起きている。これからの事を考えれば、その痛みを乗り越えるチャンスは今しかないかもしれない。

 

「ん…………分かりました。それならこれから、皆さんにはもっと頑張って貰わないといけませんね」

 

「これでも十分頑張ってるんだけど、まあ仕方ないかしら。お師匠様のためだもの」

 

「それでは、そんなエルザさんに。一先ず景気付けに、これを渡しておこうと思うのですが……」

 

「ん?」

 

マドカが近くの引き出しから引っ張り出した新しいバッグ。彼女はその中から何かを取り出して、当たり前のようにエルザに手渡した。

 

白色のスフィア、光属性のスフィア。

 

中に入っている星の数は3つ。

 

……かなり珍しいものだ、それは分かる。だが☆3のスフィアの中で光属性の物とは、果たして何があっただろうか。少なくともエルザの記憶の中にその知識はない。それにこのスフィアは他の物と比べて、妙に光を纏っているというか、秘石に嵌め込む前から若干ながら光り輝いている様な気もして。

 

「……これ、どんなとんでもない代物なの?」

 

「"天域"というクランのことを知っていますか?」

 

「ええ、まあ。確か40年前の邪竜討伐の際に壊滅したクランよね。49階層まで辿り着いたって聞いてるわ」

 

「これはその"天域"が拠点の1つとしていたと思われる、とある廃墟の中から見つかった物です。ほら、ナーシャという喫茶店のある」

 

「ああ、あそこそんな場所だったのね。……それで、このスフィアは?」

 

「【光竜のスフィア】と私は呼んでいます」

 

「!」

 

「恐らく25階層のホーリードラゴンからしかドロップしない、最も珍しい部類に入るスフィアではないかと推察しています」

 

軽々しく言ってはいるが、それが本当であるのなら、こんなにも軽々しく手渡して良い物ではないだろう。それもギルドで書類仕事ばかりしているエルザに渡すべき物ではない、もっと有効活用できる人間に渡すべきだ。これ一つで家宝どころか、族宝にもなり得るような代物。

マドカの度の過ぎた贈り物についてはかなり慣れて来た方ではあるが、このレベルのスフィアになると、流石に他の人間に流すべきという考えがエルザの頭を過ぎる。

 

「スフィアの効果は『迷光(カモフラージュ)』、15秒間完全に姿を消すことが可能です」

 

「……これを私に渡した理由はなに?」

 

「悪用される危険性があるからです」

 

「ああ……なるほど」

 

「調べた限りではギルドの記録にもないスフィアです。そして存在そのものを隠すべきだとも考えます。15秒間とは言え、使い様によっては他のスフィアとは違い、様々な事が出来ますから」

 

「……暗殺や拉致、密偵に窃盗、盗聴に侵入。まあサッと考えただけでも色々使えるわね」

 

「エルザさんとユイさんなら、きっと上手く使ってくれると思うんです。悪いことには使って欲しくないですし、危険なこともして欲しくありませんが、私が持っているよりは可能性の一つになるのかなと」

 

きっと目的はそれだけではない。

単純にエルザとユイの戦力の強化。

あまり動くことの出来ないエルザからすれば、これは本当にあって助かる物である。

マドカは決して2人の本当の目的を忘れてはいない、故に恐らくは自分の役割を押し付けることによって本当の目的が遠のいてしまうことに対する謝罪でもあるのだろう。……気にする必要などないというのに。ありがたいことに変わりはないけれど。

 

「……ねぇマドカ?」

 

「はい?」

 

「あんたこれ使えば襲撃にもっと上手く立ち回れたんじゃない?」

 

「あ〜……あはは」

 

「だから!温存するのやめなさいっての!!どうせあんたまだ変なスフィアいっぱい持ってんでしょ!!」

 

「あはは〜」

 

「隠し事もやめなさい!」

 

なお、やめない。知っているとも。

きっとその持っている変なスフィアの数々も、売るだの取引だのに使わずに、こうして相応しい人間にバラまくつもりなのだ。

……別にLUCが高い訳でもないのに、なぜこうも珍しいスフィアを持っているのか。そういうことも考えると、やはりマドカを後方に置くことは正しいことなのだろうとエルザは思うことが出来たので。

 

(全力で前線から引き離してやる)

 

もう2度と戦闘なんか出来ないくらいに徹底的にしてやろうと、そう考えた。



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72.まともな大人

結局近くの喫茶店に入ることにしたリゼ達は、決して警戒している訳ではないが、それなりに人目のつく席へと座った。

……大きな身体を狭そうにしながら座る目の前の2人は、まあこうして対面しているだけでも色々と圧がある。それでも人の良さそうな顔をしているのは変わらず、あのラフォーレの親族とは思えないと思ってしまうのも無理はない。

 

「ま、俺はあいつと血縁関係は無いんだけどな。昔一緒に都市防衛した、その時以来腐れ縁ってやつか」

 

「あ、そうだったんですね。……ということは、お二人が"紅眼の空"というクランの?」

 

「ええ、そうです。僕と姉、そしてクロノスさんの3人で結成しました」

 

「っつぅか、体の良い隠れ蓑にされてるってのが正しいだろ。アレの監視も責任も全部押し付けられんだぜ?ハズレクジもいいとこだ」

 

「あ、あはは……」

 

「紅眼の空……」

 

リゼは自分の頭の中にある"紅眼の空"というクランに関する知識を引っ張り出す。マドカから各クランについての講義も受けたことがあるが、確かにオルテミスにおいて5つの指に入る力を持ったクランだと記憶している。

例えば、最大到達階層39。

これは"龍殺団"や、"風雨の誓い"と同等だ。

龍殺団はイカれた集団であるということはさておき、"風雨の誓い"は集団内で徹底的に軍争いをしている徹底的な探索重視のクランである。

それと同等の偉業をたった3人で成し遂げたというのは、異常という他ない。だからこそ、その名声は大きく、ラフォーレという女も畏怖を抱かれていると言っていいだろう。

 

「……たった3人で39階層を攻略した、というのは」

 

「ん?ああ、あれか……いや、たった3人ってのは流石に誇張だぜ?んなこと絶対に無理だ」

 

「あ、やっぱりそうなんですか?」

 

「正しくは4人ですね。その残りの1人は、言う必要も無いと思いますが」

 

「……またマドカさんですか。ですが、彼女は深層へ潜入は出来ないと聞きましたが」

 

「んなもん物量で無理矢理に決まってんだろ。中継地点に置いてある非常用の食料全部使って、食糧用のバッグも3つ持って、バルクが実質荷物持ち+料理人やって突っ込んだ。結局後で俺達が補充しに行く羽目になったけどな」

 

「そ、そんな滅茶苦茶な……」

 

そんな滅茶苦茶なことでもしなければ、成し遂げられない偉業であった。実際そういうことなのな間違いない。そしてそれを成し遂げたからこそ、彼等は今の立ち位置を確保している。それはマドカでさえも同じだ。

 

「あ、あの、どうしてそこまでして……?」

 

「姉さんの願いです。当時のマドカちゃんは実績が無く、浅層で余った依頼ばかりこなしているとよく馬鹿にされていたんです」

 

「陰で"ゴミ漁り"なんて呼ばれててな。マドカちゃんは別に気にしてなかったみたいだが、ラフォーレの方はそうはいかねぇ」

 

「あぁ……」

 

容易く想像出来る。

むしろその時点で何人か陰でボコボコにしていたのではないだろうか?陰口を叩いた人間を1人残らず見つけ出して丸焼きにしていてもおかしくない人間なのだから、あれは。

 

「そこで30階層攻略を目的に4人で強引に潜る事になったんです」

 

「30階層?35階層ではなくですか?」

 

「いや……なんつーか、思いの外30階層の闇龍が簡単に倒せてな。そのまま35階層まで挑んでみたら、苦戦はしたが結果的には殺れちまったんだよ」

 

「そ、そんな簡単に……」

 

「姉さんとマドカちゃんは探索者としての相性が良いので、2人揃えば攻撃面は万全なんです」

 

「逆に俺とバルクはガッチガチの前衛型でな、そもそもの耐久力は抜群だ。加えてマドカちゃんが事前の調査を徹底的にしてくれた上に後衛で指示まで出してくれるもんだから、まあやり易いったらない」

 

「指揮役と攻撃力の補助を綺麗に埋めてくれたからこその結果です。……そもそも姉さんに指示を出せる人なんてマドカちゃんくらいですし、前で戦いながら指揮に四苦八苦しなくていい僕達が戦い易くなるのは当然の話なんですが」

 

それは確かにと、リゼは頷く。

こういった集団戦闘の際には、基本的に指示は後衛の人間が出すものだとリゼは聞いた。勿論優秀なリーダーであれば、前衛で戦いながらそれが出来るらしいが、少なくともリゼとレイナのパーティでは探索でも戦闘を走るレイナにリゼが指示を出すという役割を取っている。リーダーとしての素質はさておき、目の良いリゼの方が得られる情報が多いからだ。そしてその情報量も、前に居るより後ろにいる方がより多い。

……ただ、あのラフォーレが後衛でまともな指示を出すとは思えない、出したとしても相当酷い指示だったのだろう。そして当然こちらからの指示など素直に聞いてくれる筈もない。そんなパーティで生きてきた2人が、ラフォーレすら素直に聞くマドカからのまともな指示を受けられたのなら、実力以上のものを出せると言うか、そもそもが実力を出せていなかったというか。

 

「マドカちゃん、マジで正式にウチに来てくんねぇかなぁ……」

 

「せめて……せめて丸焼きを止めてくれるだけでいいんですけど……」

 

「ま、丸焼きですか?」

 

「敵が攻撃してくるだろ?」

 

「は、はい」

 

「受け止めるだろ?」

 

「え、ええ」

 

「纏めて炎弾を打つけられんだよ」

 

「「え、えぇぇぇ……」」

 

「ですので僕達の防具は、強度より熱耐性の方に性能を多く割いています。具体的には10階層の赤龍のブレスを顔を守るだけで完全に無傷で防げるくらいに……」

 

「ひ、酷すぎる……」

 

「俺達はこれでも元連邦軍の兵士でな、色んな怪物とも殺り合って来たもんだが……あいつだけはマジで、俺の人生の中で2番目にヤベェ」

 

「その、1番目は……?」

 

「天龍ジントス」

 

「それは邪龍の1体なのでは……」

 

「というか邪龍と戦ったこともあるんですね」

 

「ボコボコにされたけどな」

 

「駐在していた都市が滅ぼされたんです。そこで最後まで戦って生き残ったのが僕とクロノスさん、それと姉さんで。"紅眼の空"というクラン名も、僕達が最後に見た光景が紅空だと思ったら、実はジントスの眼だった……ということで」

 

「怖っ!?」

 

「そ、そんなに大きいのか!ジントスというのは!?」

 

「いや、確かにデケぇけど、嘲笑いに来たのか認めたのか、気失って目覚ましたら至近距離に居やがったんだよ。あの時は流石にラフォーレの奴も固まってたな」

 

「むしろそこでも噛み付いていたら本当に獣というか……」

 

「あ、でも去っていくジントスに炎弾は撃ってましたよね。僕達で必死に止めましたが」

 

「獣じゃないですか……」

 

ラフォーレ・アナスタシアがモノホンの狂人であるということが、話を聞けば聞くほどによく分かる。そして聞けば聞くほどに伝わってくる、目の前の2人の疲れ具合。この2人が妙に仲が良さそうに見えるのも、もしかすればそうして支え合っていないと、とうに心が折れてしまっていたからなのかもしれない。

リゼは思い出す。

最初にラフォーレと出会った頃のことを。

 

「あの……彼女は生まれた時からそうなのか?何かこう、辛い過去があったとか、そういうのは」

 

「僕の知る限りはないと思います。これは姉さんに半身を焼かれた父から聞いた話なのですが、」

 

「枕詞が強過ぎる」

 

「僕達の母親は奔放な人だったんですけど。僕の妊娠が発覚した時に、父より先に母を殴り付けたのが姉さんだったみたいで……」

 

「……ええと、それは何歳くらいの頃の話でしょう?」

 

「姉さんが3〜4歳くらいの頃の話です」

 

「もう完成してんじゃねぇか」

 

「馬乗りになって何度も何度も殴り付けていたそうです。使用人が止めに入るまで、父も呆然と立ちすくんで居たとか」

 

「当然の反応過ぎますね……」

 

「ラフォーレは……あれで結構、真っ直ぐだからね……」

 

「ああ、真っ直ぐだろうな。障害物全部ぶっ壊して真っ直ぐな奴だよ、あいつは」

 

そんな真っ直ぐさは、むしろ必要ないくらいだけれど。周りの人間が被害を受けるだけだけれど。というか、棒どころか針ダルマと表現した方がいいのではないだろうか?気に食わない他の棒があれば、即座に刺しに行く。あまりに攻撃的過ぎる、なんかそんな生物。

 

「本当に、マドカさんは奇跡みたいな存在なんですね……とても血を分けた親子だとは思えません」

 

「……ん?」

 

「え?」

 

「ん?」

 

「……あの、なんですか?」

 

「いや……マドカちゃんとラフォーレに血の繋がりはねぇぞ?」

 

 

 

「「…………」」

 

 

 

「「えええェェぇぇええ!!!?!?!?!?!?」」

 

 

喫茶店の中に2つの大きな驚声が響き渡った。

 

 

 

「いや、むしろなんであれが本当の親子だと思った」

 

「た、確かに!確かに私達もずっと不思議だったが!だが、だが……!」

 

「か、髪とか!目の色とか!あと美人で、凄く似てるじゃないですか……!?」

 

「姉さんがマドカちゃんを最初に拾おうとした理由が正にそれだったみたいですよ。髪が汚れて姉さんと同じ灰色になっていて、目の色まで同じだったから気になったんだとか」

 

「ひ、必然だったのか……!」

 

「そもそも姉さんまだ27ですし、マドカちゃんは17歳なので年齢的にも……」

 

「つぅかラフォーレが男作るわけねぇだろ。結婚出来るかどうか以前に、そもそもあいつはしねぇ奴だよ」

 

「こうして言われると納得しか出来ないのが本当に悔しい……!!」

 

言われてみれば当然だけれど。

どう考えたって当たり前だけれど。

言われてみないと言葉になんか出来いものというものがある。

けれど2人からしてみれば、特にそれをよく見ていたリゼからしてみれば、彼女達2人はあまりにも親子で、互いの信頼も本物の親子の愛に勝るとも劣らないようなものだった訳で。むしろ血が繋がっていないからこその関係だったのだろうか?それにしてもラフォーレのあの溺愛っぷりを見てしまえばそう考えてしまうのも仕方ないというか……

 

「……でも、仲良いんですよね?私はお二人が一緒に居る場面を見たことはありませんが、ラフォーレさんのお話を聞く限りだと」

 

「ああ、多分ラフォーレがこの世界で唯一甘く接してる人間だ」

 

「そ、そこまでなんですか……」

 

「り、理由とかあるのだろうか?その辺りが分かれば少しはラフォーレとの接し方も……」

 

「それが僕達にも分からないんです。姉さんがマドカちゃんを連れて来た頃には、2人の関係は出来ていましたし。……当時はギルド長も含めて、姉さんのその様子に驚いたものです。あんな姉さんの姿は本当に誰も見たことがなくて」

 

「その後の行動にも驚いたがな」

 

「あぁ……例のダンジョン丸焼き事件」

 

「え、なんですかその不穏過ぎる事件の名前は」

 

ギルド長から聞いた過去にラフォーレがマドカの養育費のためにダンジョンを丸焼きにし、その末に生まれた強化種さえも焼き尽くしたとされる事件。それが原因でラフォーレは単に丸くなった訳ではなく、マドカに関してとなればむしろとんでもない大事を引き起こす可能性があるというのが分かったが、それはある意味、マドカの存在は彼女の性格をそれほどに変革させたという訳で。

 

「いやぁ、それにしても……マドカちゃんの新しい教え子だって聞いたから声掛けに来たのに、まさかラフォーレの話題で盛り上がることになるとはな」

 

「あ、あはは……それはまあ、なんというか」

 

「何故かラフォーレさんと妙に関わりありますよね、リゼさん」

 

「まあ、うん。色々と世話になったということは否定出来ないかな」

 

「ですが、それはつまり多少なりとも姉さんに気に入られているということでもありますから。弟としては、これからも嫌わずにいて貰えると嬉しいです」

 

「き、気に入られているのだろうか?」

 

「そりゃそうだろ。無関心の人間に時間割くほど優しい人間じゃねぇぞ、あれは」

 

「それは確かに……最初に会った頃には散々な目にあった……」

 

「というと?」

 

「誤解もあったんだが、机ごと蹴られたり、廊下で蹴られたり……ユイの治療を受ける羽目になってしまったんだ」

 

「治療が必要なくらい蹴られたんですか!?」

 

「うちの馬鹿が申し訳なかった」

 

「姉さんがすみませんでした」

 

「い、いや!その後にマドカからもフォローをして貰ったし!その後は色々と世話にもなったんだ!だからもう気にしていないから顔をあげて欲しい!」

 

それを思うに、やはり今のリゼは以前よりもラフォーレから好印象を持たれているというのは間違いのない話であって。色々と巻き込まれる間柄ではあるとはいえ、それ自体はリゼとしても悪い気分ではなかった。それにリゼはラフォーレの探索者としての能力を素直に尊敬している。彼女との行動で学ぶことも多く、そうでなくとも少し前には命を救われているのだから。彼女の人格に問題があると言っても、だからと言って彼女を嫌う要素はない。

 

「私は1人の探索者として彼女の能力を素晴らしいものだと思っている。私には魔法は殆ど使えないが、それでも状況判断や決断力、深い経験に対応力など、見習うべきところは多い。彼女との関係は、なんだかんだと言いつつも、これから先も続けていきたいと思っているよ」

 

「「…………おお」」

 

「……私はてっきりそういう言葉はマドカさんに言うのかと思っていました」

 

「あ、いや、それはその……実は最近はマドカは留守にしていることが多いから、むしろラフォーレと行動して、実地で教えを受けることが多かったりして」

 

「ああ、ラフォーレさんが半分教官役みたいになってたってことですか」

 

「う……基礎はマドカに教わったのだけど、実はそこから先は他のクランに入って教わる様に言われていて……」

 

「自分でクランを作ることにして、しかもその後にマドカさんが外に出てしまったから、教わる人が他に居なかった訳ですね」

 

「そう考えるとラフォーレはもしかしてそれに気付いて私を……」

 

「いえ、それはないかと。マドカちゃんがそれとなく姉さんに声を掛けていたんだと思いますよ?マドカちゃんが教え子を本当に放り出して外出する筈がありませんし」

 

「代わりに選んだ人選だけが絶望的だったけどな。母親に対するあの信頼の高さだけはどうにかなんねぇかなぁ、ほんと」

 

しかし結果としてラフォーレはリゼのワイアームに対する恐怖を取り除き、一度カイザーサーペントとの戦闘を経験させることによって、9階層に閉じ込められた際にも何とか生きて帰ることが出来るように導いた。マドカの判断は間違っていなかったし、ラフォーレの指導もまた間違っていなかったということだ。

そしてなによりリゼ自身が色々と考えが甘かったところもある。マドカは優しいが、今のリゼにとっては多少無茶の中に放り込むラフォーレくらい厳しい方が、成長という点では良かったのかもしれない。……もちろん、理論やら知識なんかを学ぶ時には当然のことながらマドカに教わるのが一番であるのは間違いないが。それだけは間違いないが。

 

「ま、そういうことならいいな。これから先も、なんとかやっていけそうだ」

 

「?これから先?」

 

「ああ、どうせ何か対応が必要になった時、お前達は俺等と組むことが多くなるだろうからな」

 

「え……そうなんですか?」

 

「うん、だって姉さんを抑えられる人なんてそんなに居ないからね」

 

「「あっ」」

 

「いやぁ、こりゃ楽になるぜ。今までのマドカちゃんの弟子は跳ねっ返りばっかでよぉ、むしろあいつとバッチバチに睨み合ってるくらいで……」

 

「そ、それは……」

 

「エルザさんだけじゃなかったんですね……」

 

こうまで言われるともう逃げることも出来なくて、レイナとリゼは顔を見合わせて苦笑いを交わした。大の大人が男泣きをしそうな勢いでそんなことを言うのだから、こちらとしても少しくらいその手伝いをするのもいいのではないだろうか、と。……まあ、本当にどうしようもなければマドカに助けを求めればいいことであるのだし。

 

「まだまだ力不足で、正式なクランも立ち上げていないが……力になれることがあれば」

 

「おう!俺達のことも頼ってくれていいからな!」

 

なにより人格的にまともな大人との繋がりというのは、とても大切なことである。



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73.動揺、情動

「う〜ん……いいですね、かっこいい」

 

「え、ええと……あまりそう見られると少し恥ずかしいのだけど、レイナ」

 

「ここまで来ると背中の大銃が邪魔なのでは?」

 

「これが私の主兵装だが!?」

 

「見るからに重そうですし」

 

「それは否定しないけれど!」

 

ガンゼンの鍛冶屋にて完成した2丁目の猟銃(改)。リゼが作った設計を元にガンゼンが自らの手で複製したそれは、なんだったら最初にリゼが作った物よりも美しい仕上がりになって彼女の手元にやって来た。

レイナに頼まれてこうしてポーズを取っているが、あらゆる角度からそんなリゼの様子を見て感想を述べてゆくレイナのその行動に、リゼは顔を真っ赤にしながら反論していた。

 

「いいですね、リゼさん。ほんとにいいです」

 

「も、もうここらでやめておこう。それにほら、今からダンジョンに行く準備をしないといけない」

 

「あ〜、今日もきびきびお仕事の時間ですか……金銭的な余裕が無いとは言え、だからこそ、そろそろ階層更新をしたいですねぇ」

 

ダンジョンのことを話してみれば、さっきまでの元気はどこへやら。途端に疲れた様な顔を見せるレイナ。しかしリゼとて、その気持ちは少し分かる。

10階層のレッドドラゴン、あれにはまず間違いなくまだ勝てない。そうなると9階層までで一先ず我慢しておかなければならないのだが、そこまでの探索はもう毎日の日課だ。草原地帯は見慣れに見慣れ、ドリルドッグ程度なら欠伸をしていても相手に出来る。森の中での戦闘も徐々に慣れ始め、少しずつ道から外れた場所でも余裕を持って戦える様にはなって来た。それでもカイザーサーペントと対峙して、今度もまた倒せるかと問われれば、目を逸らさざるを得ないのが現状だが。戦力自体は、まだ殆ど変わっていないのだから。

 

「まあ、こうなることは分かっていたことだからね。地道にやっていこう」

 

「そうですね。……というか、恐らく2人でレッドドラゴンを攻略しようとしている事自体が間違いですよね?」

 

「それはそうだと私も思うよ」

 

「……エルザさんとユイさん、お誘いしたらレッドドラゴン討伐に協力してくれないでしょうか?」

 

「してくれるかもしれないけれど、彼女達も忙しいからね。昨日も帰りに挨拶をして行こうと思ったら、2人とも不在にしていたよ。……結局、まだマドカが帰って来たという話も聞いていないし」

 

「一先ず、それについてもギルドに行って話を聞いてみましょうか。私としてもマドカさんにはそろそろ帰って来て欲しいところなので」

 

そんな少し前では考えられない様なことを言いつつ準備をし始めるレイナは、リゼの目を少しも気にすることなく桃色の寝巻きを脱いでいく。同性とは言え流石にリゼは、背を向けて銃の点検をしつつ、早朝にガンゼンの元を尋ねた時に聞いた話を思い返した。

 

(……取り逃した龍種、か)

 

龍の飛翔が連続して起きる可能性がある、最初はそんな話だった筈だ。しかし実際には既にその龍種は解き放たれていて、今や混毒の森と呼ばれる、ここから遠く離れた場所へと飛んで行ってしまったとガンゼンに聞かされた。恐らくはまだ大々的には話されていない事らしく、リゼもガンゼンに軽く事情を聞いた程度に止まっているが、果たしてこれは喜ぶべき事なのか分からない。

龍の飛翔の対処に行かなくて済んだというのは、いつかは経験しなくてはならないこととは言え、心の準備が出来ていなかったリゼにとっては助かったと思っている。しかし殆ど正体不明の龍種が解き放たれてしまったというのは、将来的にもかなりの不安を残す問題である。

龍の飛翔で生まれてくる龍種というのは、僅か1匹でも都市の探索者の大半という戦力で迎え撃つ必要がある程の力を持った存在だ。邪龍候補ともなれば総戦力で挑んでも負けることもあるという。もし今回生まれたのが邪龍候補級の存在であったら?

そう考えると、これからオルテミスが平穏を取り戻すのかは微妙なところだ。より激しさを増していく可能性も高い。

 

「リゼさん、着替え終わりました。さ、行きましょう?」

 

「うん?ああ、行こうか」

 

その辺りも少しは情報が入ってくるのか、リゼ達の立ち位置はよく分からないと言う他ない。

 

 

 

 

2人がギルドに辿り着けば、意外にもそこは普段と変わらぬ姿が広がっていた。普段と変わらないというのは、具体的に言えば連日の様に受付と言い争っていたり、イライラとしていた探索者達が居ないという意味である。そしてそうなれば当然ながら、受付達の機嫌も良い。

 

「やあエッセル、今日は静かなんだね」

 

「あ、おはようございます、お二人共。ええ、少し状況が変わりまして」

 

「状況、ですか?」

 

「はい。その件についてお伝えしないといけないことがあるとのことで、お二人を治療院にお呼びする様にと承っております」

 

「治療院にかい?……話が見えないな」

 

そうして渡されたメモには、治療院のとある一室の番号が記されている。誰かが怪我でもしているのか、それとも呼んだのはユイとエルザなのか。それにしても会議室なんかを使わずに病室を使うというのは、なかなかに不思議な話でもある。それにこの番号、リゼの記憶が正しければ重傷者が運ばれる様な階層の番号だ。そんな場所を緊急とは言え使えるとは思えず……

 

「……うん、分かったよ。ありがとうエッセル。一先ず向かうことにするから、もしよければ今日中に処理が必要な依頼を纏めておいてくれると助かるかな。今日は少し遅れて出てきたからね」

 

「はい、分かりました。しかし今日中に処理が必要な依頼は今のところありませんので、今日のところはごゆっくりされて下さい」

 

「ああ、行ってくるよ」

 

最初の頃に比べれば彼女も随分と親しくなれたとリゼは思う、優しく微笑み手まで振ってくれるのだからリゼだって上機嫌だ。これも日頃の積み重ねとでも言うべきか、少しずつではあるが自分という人間自体の信頼も出来ていると考えれば嬉しくもなる。

 

「それにしても、治療院ですか……どなたかがトラブルで怪我をして、そのトラブルの解決を依頼される。とかでしょうか?」

 

「……エルザが倒れた、とかでなければいいのだけど。彼女は元々身体が弱かったらしい、何かが起きて重傷者用の区画に入っているというのも考えられる」

 

「ああ、なるほど……何にしても、あまり楽しい話ではなさそうですね」

 

「うん、そうなんだけど……エッセルの雰囲気は決して深刻という様子ではなかったのが気になるかな」

 

治療院はギルドの直ぐ横にあり、そうして言葉を交わしていれば受付には直ぐについた。こちらの受付嬢にも既に顔を覚えられてしまっていたらしく、事情を話せば直ぐに許可を受けることが出来た。治療院の人間に覚えられてしまう程に頻繁に来ているというのはどうかとも思ってしまうのだが、これはこれで探索者としては避けられないことであるのかもしれない。そもそも治療院がギルドの真横に建てられている時点で、間違いなくそういった事を想定しているのは言うまでもないのだから。

 

「ん、この部屋だね……あの、入ってもいいだろうか?」

 

『いいわよ、入って来なさい』

 

辿り着いた部屋の前で一度立ち止まり、扉を3回叩いて声を掛けてみれば、中から返ってきたのはやはりエルザの声。となるとリゼ達の想像は当たっていたということなのだろう。エルザが体調を崩して入院しているが、一先ず今回の件についてを説明しておく。……別にそこまでして伝えてくれなくてもいいのに。そう内心で思い、レイナと苦笑いをで視線を交わしてから、2人で静かに中へと入っていく。

 

 

 

「あや……なんだか見違えるくらいにカッコ良くなりましたか、リゼさん」

 

 

 

 

「……え?」

 

 

その優しい声色が、リゼの耳へと入り、頭の中へと染み渡る。外の光に照らされて、真っ白な髪を揺らす女性の姿。彼女は身体に包帯を巻きながらベッドで身体を起き上がらせていて、そこに寝ていると思っていたエルザは、むしろ彼女の横に腕を組んで立っていた。

 

「……マドカ?」

 

「ええ、私ですよ。ただいま戻りました」

 

思考が止まる。

呼吸が止まる。

リゼの中の、何もかもが静止する。

視線は釘付けになり、持っていたメモは床に落ち、情けなく口を開けたままに立ち尽くす。

 

「もう、そんなに信じられませんか?幽霊ではないですよ、ほら。本当です」

 

彼女の声も、仕草も、笑顔も……少し合わないうちに薄くなっていた記憶が、脳が、情報として取り入れるだけで歓喜を挙げて蘇っていくのを感じていた。

変わらないし、変わっていないし、そんな笑み一つでここまで自分が動揺し、その声を聞いただけでここまで心が揺れてしまうなんて、それこそ今日まで、本当に今の今まで、想像すらしていなくて……

 

「リ、リゼさん!?」

 

「うっわ」

 

「え、えぇ……リゼさん、そこまでですか……」

 

「へ?」

 

頬に感じる冷たい感覚。

それを拭ってみれば、濡れている。

 

「あ〜……リゼさん?」

 

「ち、ちち、違うんだマドカ!?こ、ここっ、これは別に、本当に……!!」

 

自分のことながら、信じられない。

いや、そこまでのことなのかと。

エルザやレイナの反応も分かる、流石にこれは普通に考えたら気持ち悪い。ほんの数週間離れていた友人と再開しただけで涙を流すなんて、むしろ相手に気持ち悪がられても仕方のない話だ。だからリゼは手を前に振って必死になって言い訳をする。

 

「リゼさん、こっちに来て下さい」

 

「へ……?」

 

「もう、そんな風に泣かれてしまうと困っちゃいますよ。……せっかく少しずつ距離を離していこうと思ってたのに」

 

それでも、そんなことはリゼが一番分かっていた筈だ。リゼが憧れた彼女は、自分のこんなみっともない姿を見たところで、失望したりしないし、気持ち悪いと思ったりもしないなんてことくらい。

マドカに言われるがままに近寄り、彼女の側の小さな丸椅子に座って身を縮こまらせる。彼女はこちらを向き、俯くリゼに変わらず微笑んでいた。

 

「リゼさん」

 

「あの……その……」

 

「……お爺さんを亡くして、1人でこの街に来て。すごく不安でしたよね。それに、私が居ない間も自分の力で、沢山頑張っていたと伺っています」

 

「それは、その。レイナや、ラフォーレとかに、助けて貰って……」

 

「よく、頑張りましたね」

 

「っ」

 

「リゼさんは頑張りました、だから少しくらい弱い所を見せてしまっても大丈夫です。明日からはもう何処にも行きませんから。……もう、教え子を放って何処かに行ったりしませんから」

 

「……ぅぅ」

 

気が付けば彼女の膝の上に頭を乗せて、抱き抱えられる様にして背中を摩られていて。こんな情けない姿をレイナやエルザに見られていると思うと、リゼは本当に泣きたくなる。

……けれど、リゼが不安だったのはそうだった。

レイナという信頼できる仲間を得た。

オルテミスに知り合いも増えた。

少しずつ信頼も増してきていると理解している。

しかしそれでも、リゼには素直に甘えることの出来る相手というのが居なかった。

 

「……なるほど、そういうこと」

 

「あの、どういう……?」

 

「人間、生きてれば泣きたくなる時だってあるのよ」

 

「はぁ……」

 

「だから、そういう時に泣ける場所があるかどうかってのは意外と大切だって。そういう話」

 

「……!!」

 

周囲からの重圧、将来の不安、戦闘の恐怖……そういった物が普段から少しずつ蓄積し、限界になってしまう時が、誰にだってある。それはエルザだって、ユイだってそうだ。夜寝る前に人恋しくなって、ちょっと普段より甘えてしまうことは当然のようにある。

しかしリゼには、そういう場所がなかったということで。レイナに対しては対等であっても、彼女からは頼られたり判断を求められることが多い身。そうでなくとも彼女の半保護者としての立場がある以上、リゼにもその意識の線引きがあったのだろう。

そんなリゼが唯一頼れるのが、マドカだった訳だ。

立場としても自分の保護者であった彼女こそが、リゼが唯一心からの弱音を出せる相手だった。それは泣きたくもなるだろう。マドカが居ない今日までの間に、リゼは色々なことを努力して乗り越えて来たのだから。探索者として、レイナの先輩として、必死にやって来たのだから。

 

「また大きな娘が出来たわね、マドカ」

 

「ふふ、皆さん大切な教え子ですから。エルザさんだって、そういう意味では私の娘じゃないんですか?」

 

「あら、それは光栄ね。手の掛かる母親を持って、私も嬉しいわ」

 

「もう、またそんなこと言って」

 

優しく微笑み、エルザと少しの冗談を交わす彼女。

リゼとはまた違う絆が、その間にもあるということがよく分かる。

 

「…………」

 

それを見ていたレイナは、複雑な気持ちだった。

自分がこの場所で、何をして、どうすればいいのか。そもそも自分はここに居て良い人間なのか、分からない。

マドカの教え子というグループ。

そんな彼等の関わりをレイナはこれまでにも見てきて、自分がそのグループには含まれていなくて、なんだか居辛い感覚を感じていたことは、何回かあった。それでもレイナはマドカをライバル視していたし、負けたくないと思っているし、今だってリゼを慰めるその立ち位置が心の底から羨ましいと感じている。

 

「…………」

 

それでも同時に、まだ敵わないと、そうも思う。

自分はまだリゼが甘えられる様な人間ではないし、少なくともそんなことが考え付かなかった程度には至らない人間だった。自分ばかりがリゼに甘えて、彼女を甘えさせるということなどしようともしていなかった。

加えて、こうして改めて向き合ってみれば、彼女は自分が想像していたよりもずっとずっと善人で。如何に自分の中の彼女の像が、自分によって歪められた存在であったのかということに気付かされる。

いつか話したように、もしレイナが最初に出会ったのがリゼではなくマドカであったのなら、もしかすれば自分が慕っていたのは彼女であったかもしれない。それくらいに彼女は魅力的な人物であり、尊敬できる人間だ。そんなのは当たり前だろう、自分が慕っているリゼが慕っている人間なのだから。そうでなくては困る。

 

(……けど、だからこそ)

 

居辛いのだ。

もしこの対抗心が無かったら、素直に彼女と接する事が出来るとか。なぜこんな人に敵対心を燃やしているのかとか。なぜ自分はこの輪の中に入れないのかとか。そういうことを考えてしまって。そういうことを考えることこそが、リゼに対する不誠実ではないかと、そんな検討外れの事まで考えてしまって。それで。

 

「レイナさんも」

 

「っ!」

 

「ありがとうございます、リゼさんの側に居てくれて」

 

「それは、別に、私の……」

 

「例えそれがレイナさん自身の意思であったとしてもです。感謝くらいはさせて下さい」

 

「………」

 

ここで素直に言葉を返せないのが、今のレイナだった。こんなことではいけないと、分かっているのに。リゼが慕う相手にこんな態度を取るのは、良くないと分かっているのに。あまりに複雑なこの心の内は、レイナ自身でさえ、理解できるものではなくて。

 

「レイナさん、困った時にはカナディアさんを頼るといいですよ」

 

「え……?」

 

「そうでしょう?リゼさんの保護者は私ですが、レイナさんの保護者はカナディアさんなんですから」

 

「あっ……」

 

そして彼女はやっぱり、レイナがその時本当に、自分でさえも気付いていないくらいだったのに、欲しい言葉を与えてくれた。自分のことをよく思っていないのだろうと、そんなことは彼女だって気付いている筈なのに。

 

「私に頼れないのなら、カナディアさんに頼って下さい。カナディアさんはどんな時だって相談を受けて迷惑に思ったりしませんよ。彼女はそれくらいに真面目で、責任強い人ですから」

 

リゼに向けるのと変わらない笑みを、向けられる。

……ああ、分かったとも。

この人にはまだ勝てない、確信出来た。

少しの努力ではどうにもならない。

もっと、もっと自分自身を磨かなければ、この人の立場を奪い取ることなんて出来やしない。

 

「……ありがとうございます、マドカさん」

 

「いえ、私もレイナさんのことは応援していますから。力になれる事があれば、遠慮なく言って下さいね」

 

だから、そう言うのであれば、やはり遠慮なく頼るべきなのだ。そうでもしなければ、リゼの目をこの人から奪い取ることだって、出来やしないのだから。



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74.躍動する世界

何故か感動の再会といった雰囲気になってしまったマドカとの久しぶりの対面から少しが経ち、漸くリゼの様子が落ち着いた頃。それを見計らっていたエルザは少し呆れた様に、しかし可愛げのある後輩を愛でる様な目を向けて、話を元に戻すことにした。

 

「さてと、本題は別にマドカとの再会じゃないのよね……そろそろいいかしら、リゼ?」

 

「ん?……あ、ああ、すまない。も、もう大丈夫だ」

 

「あ、レイナさんも座って下さい。椅子ならここにありますので、リゼさんの隣に」

 

「……どうも」

 

今も目を赤くしながらマドカに手だけは繋いで貰っているリゼは、もうなんだか本当に子供の様ではあるが、流石に今それについて触れてはいけないとレイナも分かっている。

代わりに反対側のリゼの手を握って膝の上に置くと、そのままレイナ自身も少し顔を赤らめながら視線をエルザの方に移した。リゼとマドカがそんな自分をどんな顔をして見ているのかなんて恥ずかし過ぎて見たくなくて、けれどそんな心すらエルザにはバレていたのか、ニヤニヤとした顔を向けられて俯いた。

 

「ま、いいわ。まず今回リゼをここに呼んだのは、一先ず情報の整理と共有をして、これからの事に備えるためよ」

 

「……ええと?」

 

「そうね、分かりやすい話からするなら……先ず、どうしてマドカが今ここまでの怪我を負っているのか、からかしら」

 

「!」

 

バッとリゼが顔をマドカの方に向ければ、確かに彼女は今も治療中であることが伺える。自分の感情ばかりに気を取られてしまっていたが、そもそも彼女はこの病室に入院していたのだ。何かがあったことに間違いなく、彼女がそれほどの重傷を負ったことも間違いのない事実。

 

「だ、大丈夫なのかい!?」

 

「ふふ、大丈夫だから面会出来るんですよ?」

 

「あ……そ、それは確かに……」

 

「話が進まないから続けるけど、マドカが怪我をしたのは襲われたからよ」

 

「それはまた…………襲われたというのは、単純に命を奪いに来たという意味で捉えていいんでしょうか?」

 

「ええ、相手の目的は完全にマドカの命。そういった行為を目的としたものではないわ」

 

「「?」」

 

レイナとエルザのボカした物言いに同様に首を傾げるこの2人。それを見て互いに溜息を吐きながらも、今はもう無視をする。普段は色々と鋭い癖に、どうしてこういった話に関しては2人とも鈍いのか。そういった危機感もそろそろ持って欲しいというのが、レイナとエルザの思うところ。

 

「敵の正体は判明しているんです?」

 

「アルファという男よ」

 

「「!」」

 

「ラフォーレから聞いているわ、あんた達もその男に声を掛けられたそうね。……この男が裏で糸を引いて、探索者崩れの集団をマドカに仕向けた。それはマドカ自身が敵の指揮を取っていた男から聞き出してる」

 

「……アルファ」

 

「まずこの男について、何か情報はある?」

 

「いえ、私もリゼさんもあの日以来一度も会っていない筈です。そうですよね?」

 

「あ、ああ、その筈だよ」

 

あれはカイザーサーペントに襲われる前日の話だったろうか。ダンジョンの中であの奇妙な男に話しかけられ、そこに偶然通り掛かったラフォーレに助けられた?のは。……あの男がマドカを襲ったというのなら、それは許せない話でしかない。しかしリゼもレイナも、あれ以来あの男とは一度も会っていないこともまた確かだった。それに2人としては他に気になることもあったりして。

 

「その……マドカさんが。相手が集団とは言え、他の探索者に負けたんですか?」

 

「あ、あの、私もそんなに強い訳では……」

 

「相手はそんなに強かったのかい!?」

 

「Lv.20前後の探索者崩れが30人前後、ってところね。とは言え、普段のマドカならその程度はなんとか処理出来る範疇よ」

 

「体調でも崩していたんですか?」

 

「体調を崩しているのかい!?」

 

「えっと……なんだかリゼさんが慌しいので、少し落ち着かせますね」

 

「よろしく、マドカ」

 

「ふぎゅっ」

 

マドカの事となると途端に過剰な反応を示す今のリゼはどう考えても話を遮っているので、そんな彼女の頭を落ち着かせるために自分の膝の上に乗せて、撫でながらマドカは続きを促す。レイナはそんな様子を冷ややかに見ているし、エルザは明らかに面倒臭そうな顔をしているし、リゼは顔を真っ赤にさせていた。リゼが未だに本調子ではないのは分かっている。ならば好きなだけそうしていればいいという判断であった。

 

「マドカが負けたのは、単純に相手がマドカを調べ尽くして、事前に対策を立てていたからよ。ご丁寧に偽りの指揮官まで作って、奇襲で武器を落とされたのが致命的だったわね」

 

「ええ、それと私の判断ミスもあります。正直に言えば迂闊でした」

 

「マドカ……」

 

「あの、何故マドカさんが狙われたのでしょう?そこまで周到な準備をしていたとなれば、相当な恨みでも抱いているとかが考えられると思いますが」

 

「そのアルファって男が、マドカに付き纏ってる変態糞野郎だからよ」

 

「「………」」

 

「……つまり、エルフが言うところのストーカーという奴ですか」

 

「えと、付き纏われているのかい?マドカ」

 

「……まあ、その、好意を伝えられてはいますね。しっかりとお断りしていますが」

 

「マドカは世界一綺麗だからな……」

 

「え、なんで今突然口説きに行ったんですか、リゼさん」

 

「?」

 

「え、今の天然で言ったんですか?本気でそう思ってたんですか?どんだけ重い想い抱いてるんですか」

 

「他人事みたいに言ってるけど、あんた達も狙われる可能性あるのよ」

 

「「え」」

 

それは考えてみれば当然の話。そもそもダンジョンで話しかけられたあの時、あの男は明らかにリゼがマドカの教え子の1人であることを知っていた。その上で話し掛けて来たとなれば、何からの関心を持っているのは明らかだろう。

 

「どころか、あんた達が9階層に閉じ込められてカイザーサーペントに襲われた件も、この男が関与してるんじゃないかってラフォーレは睨んでるわ」

 

「「なっ!」」

 

そもそも、ダンジョンにあの様な形で閉じ込められるということ自体が、前代未聞だった。その想像にはラフォーレの勘と思い込みも多分に含まれているとは言え、決して否定できるものでもない。既にマドカを襲っている事からしても、むしろその可能性は高まっている。だとすれば今後も同様の事が続いても不思議ではないし、リゼどころかエルザ達にもその手が掛かることだってあるだろう。

 

「……狂人ほど厄介な相手も居ませんね」

 

「私も同意見よ、マドカの願いを叶えるためにマドカを殺そうとするくらいだもの。都市を巻き込む様な事をしでかしてもおかしくないわ」

 

「マドカの夢というのは……?」

 

「あ、えっと……人の力で邪龍を倒せる様にすることです」

 

「壮大」

 

「あ、だから教え子をつくったりしていたんだね」

 

「そうですね。私に出来る事を精一杯していたつもりなんですが……ごめんなさい、まさかこんな形で巻き込んでしまうことになるなんて」

 

「だからマドカは悪くないって言ったでしょ。アンタは狂人に目を付けられただけで、むしろ被害者でしょうが」

 

とは言え、そのせいでリゼ達まで死にかけたとなれば、マドカが責任を感じてしまうのも仕方がない。しかしやはりエルザの言う通り、狂人に目を付けられたことを責めることは誰にも出来ない。そんなこと、生きていれば誰にだって起こり得る事なのだから。むしろ有名になる程、その手の被害は増える。

リゼだって将来的にはそういった手合いに悩まされることがあるかもしれない。そう考えればレイナだって他人事ではなかった。むしろこの状況を活かして、リゼに狂人の恐ろしさという物を教え込む……良いチャンスになるのではないだろうかと、そう考える。

 

「そうなると、これからどうすれば良いでしょうか?その様子からすると、アルファという男の足取りは掴めていなさそうですが」

 

「ええ、むしろどうやってダンジョンの内と外を移動しているのかも分からないわ。少なくとも名簿や記録には残ってなかった」

 

「……それって」

 

「お二人も、カナディアさんから聞いていますよね。ダンジョンの別口の話を」

 

「ああ、丁度今6階層から9階層の間で私達が探しているところだよ」

 

「相手はそれを利用している可能性が高いです。そして私の予想では、別口はもっと深い層にあると思われます」

 

「え、そうなんですか?」

 

カナディアの予想では、レイナが現れた森林地帯にそれはあるのではないかと言われていた。それはリゼもレイナも状況から可能性が高いと思っていたし、あのアルファという男と会った層も近いため、この話が本当ならばむしろ信憑性は上がるとも言えるはず。

 

「簡単な理由として、9階層での件がアルファさんの仕業だとして、彼はお二人を閉じ込めた後にどこへ逃げましたか?」

 

「ええと……あ、たしか10階層より深い場所に行ったのではないかとラフォーレが」

 

「ええ。そしてアルカさんが15階層まで見て来た限りでは、レッドドラゴンとブルードラゴンの2体が殺されていた。……本当に6〜9階層に抜道があるのなら、15階層のブルードラゴンまで殺す必要がない。そもそも深層に向けて逃げる必要すらない」

 

「……状況的に仕方がなかった、という線もありませんか?」

 

「お相手がアルファさんでなければ、それで理由も通ります。しかし今回私を追い詰めた手際を考えるに、そんな半端な事はしないでしょう」

 

「そもそもの目的は……マドカが見初めた教え子が、本当に邪龍討伐を成し遂げられる様な素材か見極めるためってところ?」

 

「もしくは、リゼさん達に試練を与えるため、でしょうか。私のやり方では甘いと言われているのか、それともオルテミスに居なかった私の代わりと言うつもりなのか……」

 

どちらにしても迷惑な話だ。

頼んでもいないことを、こちらの意識に関係なく。

 

「そういうことなので、ダンジョンの別口の捜索は一先ずは打ち切りましょう。それにレイナさんの身元についても、アルファさんが知っている可能性も高いです」

 

「!ああ、そうなるのか……!」

 

「ええ、それとエルザさんとはもう話したのですが……」

 

「マドカにはこれから探索者の育成を主にして貰うことになったわ」

 

「「!!」」

 

「マドカが動くほど、アルファが余計な事をして来る可能性が高くなる。それならギルドで大人しく探索者の育成に努めて貰っていた方がいいでしょう?……ま、それはそれで敵の思う壺の様な気がして腹が立つけど」

 

「それは……!う、うん!それはとても良い事だと思うよ!それがいい!そうしよう!私は応援するよ!マドカ!」

 

「……ふふ」

 

「え、あ……あれ、私何か?」

 

「いえ、エルザさんの言う通りだなぁと思いまして。リゼさんは本当に私に教えて欲しかったんですね」

 

「うっ……エ、エルザ……?」

 

「事実を伝えただけよ、責められる謂れは無いわ」

 

「それはそうだが……!!」

 

如何にもそうだったとしても、実際にこう面を向かって言われてしまうと恥ずかしくなってしまう訳で。しかしそうなっても他人を睨み付ける事すら出来ず頬を膨らませる彼女が可愛らしくて、マドカもエルザも取り敢えずリゼの頭を撫でる。そしてそんな様子を見ていたレイナも、負けじとばかりに彼女の頭を撫でる。

 

「な、なぜ皆して私の頭を撫でるんだい!?」

 

「いえ、リゼさんは可愛らしいなぁと思いまして」

 

「あんたはそのままで居なさい」

 

「あ、私はただの対抗心です」

 

「対抗心で人の頭を撫でないでくれ!?」

 

未熟さ、純粋さ、それは時として弱さにもなり得るものの、やはり尊いものである事に変わりはない。今だけしかないとも言えるそれを慈しみたいと思うのは、酸いも甘いも噛み分けた人間特有の共通意識であるのかもしれない。

……それはさておき。

 

「あ、言い忘れてた。噂で聞いてると思うけど、龍種を一体取り逃がしたから」

 

「え、なんですかその話。これから討伐するって話じゃ無かったんですか」

 

「……今朝方にガンゼン殿から軽く聞いていたが、本当だったんだね」

 

大事な話はもう一つある。

それこそ、これから先のことを左右するとなれば先程の話以上に直接的な話が。

 

「ええ、どうやら対処した1度目の"龍の飛翔"は、実際には2度目だったようです。それ以前に既に抜け出していて、今は"混毒の森"に逃げ込んでいます。捜索は困難です」

 

「混毒の森……世界の東端に広がる、名前の通り猛毒が蔓延る危険地帯」

 

「前人未到の地。最初にこの世界を巡った勇者エゼルドが見つけた、4つの極限環境の1つですね。そういえばマドカさんはグリンラルに行っていたとか」

 

「ええ、しかし私達が滞在していた時には特にそれらしき物は見えませんでした。……私の想像が正しければ、今はあの濃度の高い魔力を回復に費やしている頃だと思われます」

 

「回復?」

 

「………」

 

そんなマドカの話の中で、何故だか渋い顔をして彼女を見つめていたのが意外にもエルザだった。何やら納得していないというか、それ以前に"さっさと話せ"とでも言っているような、彼女にしては珍しい顔。ここに来た時点で2人の中で話の共有は終わっていると思っていたのだが……

 

「エルザ、まさか君も初耳の話だったりするのかい?」

 

「その龍種が"何故回復する必要があるのか"についてはそうよ、リゼが来たら説明すると話してくれなかったのよ。それどころか、そもそも逃げ出した龍種が疲労しているという事実すらも口止めされてるわ」

 

「え」

 

「……あの、それって結構大事な情報なのでは?隠しておいて良いものではないと思うのですが」

 

「ええ、そうですね。普通に考えればそうなのですが、今回は少しばかり状況が特殊なんです。伝えているのもユイさんとレンドさん、カナディアさんにエリーナさんくらいです。……なのでこの件についての扱いは、今ここで決めたいと思っています」

 

「今、ここで……?」

 

その時だった、部屋の扉に乱暴に2回ノックが叩き付けられたのは。驚くリゼとレイナ、警戒するエルザ。しかしそんな3人にマドカは安心するようにとジェスチャーをし、普段と変わらない様子で声を掛ける。

 

「入っても構いませんよ、スズハさん」

 

「……本当に意外、あんたも怪我するのね」

 

「怪我ばかりですよ、むしろ。治療中はお構い出来ませんでしたが、不自由はありませんでしたか?」

 

「ええ、あんたの教え子達が良くしてくれたおかげでね。……張り切ってたわよ?あたしをもてなしてあんたに褒められたいって」

 

「ふふ、そうですか。後でお礼をしておかなくてはいけませんね」

 

背は低く、体は細く、全てが小さく……毛先に向かうほど茶から赤色に変わっていくその長い髪が特徴的な、目付きの鋭い少女。彼女のことをリゼは知らない、レイナも知らない。どころか、エルザすら彼女のことは見たことがない。そして言っていることは分かるが、話している言葉のイントネーションが何処かおかしく感じてしまう。方言なのか、特殊な話し方をするのか。そしてどうにも感じてしまうのが、何かが違うという奇妙な違和感。

 

「マドカ、彼女は?」

 

「ええ、ご紹介します。私がグリンラルからご招待した『スズハ・アマギリ』さんです。……彼女は、こことは別の【異世界】から来られた方です」

 

「「「!?」」」

 

どうやらもう少しだけ、話を続ける必要があるらしい。



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75.少しの影

「ええ、ご紹介します。私がグリンラルからご招待した『スズハ・アマギリ』さんです。……彼女は、こことは別の【異世界】から来られた方です」

 

「「「!?」」」

 

マドカのその言葉は、リゼ達だけでなくエルザも目を見開き、驚愕を隠す事が出来ないほどの衝撃を伴っていた。そんな信じられないといった目線を向けられ、見るからに面倒臭そうに溜息を吐く彼女。

異世界から来た。

それが果たしてどんな意味を持っているのかは、分からない。しかしそうであれば、今こうして抱えている彼女に対する奇妙な違和感にも納得出来るところがある。だから誰もそれがマドカによる冗談であるとか、疑うようなことは決してしなかった。

 

「端的に言いますと、取り逃した邪龍は実態のないエネルギー生命体です。そして恐らく空間に干渉する力を持っています。疲労しているというのは、その力を使ったからですね。今ここにいるスズハさんは、その犠牲者であり、その証明とも言えます」

 

「ちょ、ちょっと待ってマドカ!そんなサクサク話進めないで!理解するのにもう少し時間がかかるから!」

 

「……あの、本当に別の世界から来たんですか?」

 

「これがタチの悪い夢じゃないならね」

 

「な、何か証明出来るものとか……!!」

 

「……その疑うってより単純な好奇心って感じは嫌いじゃないわ。ただ、証拠ねぇ」

 

リゼの好奇心に呆れたように、しかし片頬を上げて鼻で笑った彼女は、近くにあった紙とペンを取り上げて何かを書き始めた。その速度は凄まじく、彼女が所謂研究者と呼ばれるような人種である事が想像がつく。そうでもなければこの世界でそこまでペンの扱いに慣れることはない。……まあこんなエルザよりも病弱なのではないかと疑わしくなる様な身体で探索者であったら、心配どころの話では無いのだが。

 

「……多分この中で一番頭が回りそうなのあんたでしょ、はい」

 

「そう思われるのは満更でもないけど……っ」

 

「エ、エルザ?何が書かれていたんだい!?」

 

「……これは、何かしら?」

 

「あんた達が知りたがってた罪のスキルの名称。最初は"7つの大罪"のことかと思ったけど、"憂鬱"があったんでしょ?だったらその原型の"8つの枢要罪"の方」

 

「す、すうようざい……?」

 

「4世紀にエジプトの修道士が記した8つの想念のことよ。6世紀にグレゴリウス1世に改正されて7つの大罪に……まあこれはあたしの世界の話だから、こっちでどうかは知らないけど」

 

「……マドカ?まだ理解が追い付いていないのだけど」

 

「それが正常です。そして分からないからこそ、私は彼女を招待しました。彼女はその存在そのものが不可思議でありながら、誰よりもその疑問を解き明かす力を持っています。とても頼もしい人ですよ」

 

「一番怪しい奴に言われたところでね」

 

「ふふ」

 

彼らの会話の大半が理解出来ないリゼとレイナ、しかしエルザがこれほど動揺しているということだけで何かすごい事が起きていると分かる。しかし2人もいつまでも他人事では居られない。というか、この件についてはマドカが他人事では居られない状況に追い込んで来た。

 

「もしリゼさん達がよければ、スズハさんをお二人のクランに入れてあげて欲しいんです」

 

「「えっ!?」」

 

「……マドカ、本気なの?」

 

「ええ、本気ですよ。もちろん、リゼさんとレイナさんが良ければですが」

 

想いもよらない提案。

異世界から来たというこの人物を、人柄も何も分からない彼女を、リゼ達のクランに入れて欲しい?エルザが訝しむのも当然の話だった。同じ様にレイナも目を細めてその真意を見抜こうとする。しかしリゼは口元に手を当て、意外にも穏やかな表情をしていた。

 

「マドカ、彼女は戦闘は出来るのかい?」

 

「いえ、出来ません。彼女はLv.1で、グリンラルを出る際に初めてモンスターを見たと言っていました」

 

「それなら、マドカが彼女を私のクランに入れると良いと思った理由を教えて欲しい」

 

「ふふ、リゼさんは本当に私を疑いませんね。……理由は大きく3つあります」

 

マドカの提案した事ならば、絶対に悪いことになんてならないという確信のあるリゼは……そもそも、言っていることは分からないが、既に異世界から来たという彼女に尊敬の念すら覚えているリゼは、自分の至らない知見を得るためにマドカの言葉に耳を傾ける。それこそがリゼの強いところだ。リゼのそういうところを、レイナもエルザも好ましいと思っているのだから。

 

「まず1つ目の理由は、スズハさんにこの世界の知識を付けて貰うためです。クランでの活動となれば、例え支援役であったとしても情報は入って来ますから。探索者の触れる事柄の知識は一通り得られるでしょう」

 

「まあ、それは分かるわ。マドカは将来的にこの子をカナディアの下にでも付けたいんでしょ?」

 

「いえ、カナディアさんと同等の位置に着いて貰うつもりですよ?」

 

「「!?」」

 

「むしろ潜在的な能力では、彼女はカナディアさんを超えています。研究だけに打ち込める彼女は、きっと大きな力になってくれる筈です」

 

「勝手に期待を膨らませるのやめてくれる?」

 

「私がこう思った理由は、最初に会った時にお話しした筈ですよ」

 

「………」

 

目を細めてマドカを睨み付けるスズハ。

どうにも彼女は自分を連れ出したマドカに対して、あまり良い印象を抱いていないらしい。先程も一番怪しい等と言っていたし、グリンラルで何かがあったのだろう。ただマドカの方はやはりそんなことは微塵も気にしておらず、淡々と話を続ける。

 

「2つ目はリゼさん達に新たな知見を授けてくれるということです」

 

「あの……それこそ、本当に私達でいいんですか?彼女のその異世界?の知識はもっと有効活用した方がいいのでは」

 

「彼女の存在は間違いなく極秘中の極秘になります。そんな中でも彼女が自由を得られる上に、余計な負担を掛けず彼女の知識を引き出し、それを十分に活用出来る信用のある探索者となると……私の中にはリゼさんしか思い浮かびませんでした」

 

「マドカ……!」

 

「嬉しそうに……」

 

「……私が言えることではないのですが、なんだかリゼさんが身元の怪しい人間の隔離場所の様になって来ているような」

 

「あたしは構わないわ。見た感じ、その子かなりの善人っぽいし」

 

見て直ぐに分かる如何にもな善人というのは、やはり初対面の相手に対して与える安心感というものが違う。思い返せば最初からリゼに対しては多少態度が柔らかかったスズハ。好奇心が強く可愛げもある彼女を、どうやらスズハも気に入ったらしい。……そうなると少し警戒心を出してしまうのがレイナであり、しかし一方でリゼは色々な人に褒められて普通に嬉しそうな顔をしていた。

 

「最後の理由は、信用と常識の問題ですね」

 

「信用と、常識……?」

 

「はい。まず信用というのは、スズハさん自身の信用です。いくらスズハさんが優秀な人材だとしても、それを認めさせ、実際にその能力を研究の世界で十分に活かせる様になるまでは、制度上かなりの時間がかかります。……売り込みでは駄目なんです、向こうから買いに来させるくらいでなくては。そんな意味のない時間と労力を割かせる訳にはいきません」

 

「……えっと?」

 

「要はその子が制度やらに縛られて使える時間を浪費させたくないのよ。それにいくら画期的な成果を出したところで、信用や立場がないと認められないし、成果だけ奪われるなんて事もあるのよ」

 

「そんな……」

 

「だからこそ、クランという後盾がある中で伸び伸びと研究に打ち込んで欲しいんです。その研究成果をリゼさん達が真っ先に活用出来るという強みもあります。……そして、そんな常識破りな成果を最初に受け入れられるのも、現時点で色々と常識を打ち破っているお2人しかいません」

 

「今サラッと常識無いって言いませんでした?」

 

「もう一つ言うなら、今後はクランに抱えの技術者や研究者が居る状況を常識にして欲しいんですよ。今も得意先の商人や専属の職人が居るというクランはありますが、研究への出資というのはなかなか進んでいませんから。ギルドが進めている研究特区の再開発計画と時期を合わせて、リゼさん達には研究の価値というものを広めて欲しい」

 

「………」

 

期待が、重い。

そう思ったのはレイナだけでなく、スズハもまた同じ様な目でマドカの方を見ていた。こんな正式に認められてもいないクランの人間に、一体何を求めているというのか。そんな都市の常識を変える様なことを押し付けるには、流石に荷が重すぎるのではないだろうか。隣で聞いていたエルザだってそうおもう。

 

「……あんまり結果ばかり求められても困るんだけど。そのやり方だと基礎研究が疎かになって、間違いなく何処かで行き詰まるんじゃない?」

 

「ええ、仰る通りです。ですから、ギルドと協会には基礎研究への支援を中心に行うよう進言するつもりです。応用研究への支援は各クランが行えばいい。安定的な報酬が得られる基礎研究と、報酬が安定しない応用研究。こういった形態が作れればと」

 

「それより、その余計な手間のかかる制度ってのを考え直した方が良いんじゃないの?古臭い慣習に囚われるのなんて御免よ」

 

「いえ、それはそれで意味がありますから。確かに余計な手間は掛かりますが、1から研究者を育てるという意味では機能しています。スズハさんの様に最初から結果を出せる様な人にとっては、少し手間となってしまうだけで。だからこそ、クランを後盾とした応用研究という逃げ道を用意したんです」

 

「……そこまで言うのなら、当然私に調べて欲しい題材も用意してあるんでしょうね」

 

「はい、勿論です」

 

そうしてその話の流れでマドカにニコリと微笑まれるレイナ。まさか自分に白羽の矢が向くとは思わず、驚き戸惑い首を傾げるが、どうも自分に関することを調べさせるらしい。とは言っても、医者でもないのにレイナの記憶喪失を調べることなんてする筈もなく……

 

「レイナさんの持っていた不思議な武器の調査ですよ」

 

「あ……な、なるほど……」

 

「不思議な武器?」

 

「ええ、どうやらスフィアを装着出来る武器だそうです。あまり詳しく聞いてはいないのですが、スフィアの効果もしっかりと発揮するそうです」

 

「へぇ、そういう技術はなかったと思うけど」

 

「もしそれを調査して、同じような武器を……いえ、道具を作り出せるようになれたとしたら」

 

「生活様式から変わるけど、いいわけ?」

 

「ええ、構いませんよ。文明を50年は進める勢いでお願いします」

 

 

 

「だからなんでいちいち期待が重いの?一応この世界も文明レベルそこまで低くないからね?」

 

しかしそうなると、あの武器の扱いも色々と変えなければならなくて。それもこれも全部面倒な役割を引き受けるのはエルザになる訳で……

 

「……ねぇマドカ?そんなに私の仕事増やすの楽しいかしら?」

 

「あ……あの、えと、ごめんなさい」

 

「謝られてもやらざるを得ないから、もういいけど。それに私は私でマドカからご褒美貰ったし?その分くらいは働くわ」

 

「え……な、何を貰ったんだい!?エルザ!?」

 

「ふふ、秘密♪けど間違いなく、リゼが見たことのないものよ」

 

「うぅ、見たい……」

 

そうしてリゼの好奇心を煽るだけ煽って、エルザはそれ以上リゼの質問に答えることはしなかった。これも彼女の少しの仕返しというものだろうか。勿論、仕返しをする対象が確実に間違えているが。リゼにとっては完全にとばっちりであるが。可愛げのある、冗談ではあったが。

 

「それで、リゼさん?どうでしょう」

 

「構わないよ」

 

「……というか、どうせリゼさんの事ですから提案された時点で返答なんか決まってた筈です」

 

「ふふ、レイナさんはいいんですか?」

 

「いいですよ、私の目的は別にリゼさんを独り占めにすることではないので。……リゼさんが何れ有名になるのは覚悟の上ですし?リゼさんがそれを望むなら私は手伝うだけですし?」

 

「そういえばリゼさんは物語にされるような人になりたいんでしたよね」

 

「んなっ!?そ、それは確かにその、そうなれたらいいなぁという思いくらいはあるが……そ、そもそも私の目的は物語で見た様な生活をしてみたいという事だったから、実際にはその夢はもう殆ど叶っているというか……」

 

「そういうことなので、スズハさん。お二人のことをお願いします。立派な英雄さんに仕立ててあげてください」

 

「お前ほんとあたしのこと何だと思ってんだ」

 

そうして、話は漸く終わった。

エルザは今日はもうこのまま帰るらしく、治療院で仮眠を取っているユイの元へ向かい、スズハは今後もしかすればリゼ達と同居することになるかもしれないが、今日は一先ず今滞在している場所へと戻って行った。

残されたリゼとレイナ。

そしてそんな彼女達に対して、マドカは声を掛ける。

 

「さて……リゼさん、レイナさん。何か私にお願いしたいことはありますか?」

 

「お願い……?」

 

「ええ、お二人共それなりに探索者としての生活に慣れて来た頃だと思います。そうなれば当然、行き詰まることも増えて来た筈です」

 

「あ……」

 

「私はこれから探索者育成の為に動くことになりますが、しかしそれでも、特別な贔屓くらいはしますよ。リゼさん達は当然、私の贔屓の対象です」

 

贔屓の対象。

言い方は少し悪いかもしれないが、それも彼女の少しの自虐と言ったところだろうか。そしてお願いしたいことなど、当然にある。教えて欲しいことなど幾つでもある。それこそ最初から、帰ってきたら直ぐにでも願うつもりだったのだから。

 

「……でも、私もいいんですか?」

 

「当然です。私は何も自分が教えた方にだけ贔屓をする訳ではありませんから。……ただ、覚悟はして下さい」

 

「そんなにも厳しいんですか……?」

 

「いえ、そうではありません。ただ、私はお二人の出来ることを増やすことが出来ますが、出来ることが増えればその分だけ判断も増え、危険も増えます」

 

「……その危険より、出来るようになった利の方が大きいのではないでしょうか?」

 

「先日の"龍の飛翔"で、そうして私が選択肢を増やした少女が亡くなりました」

 

「「っ」」

 

「正直に言えば、責任を感じています。私は彼女の選択肢を増やし過ぎた、つまり責任と重圧を負わせてしまった。その結果、彼女は自らの命を犠牲にして、剣も振るった事がないのに前に出てしまいました。……これを反省せず同じミスを繰り返す様では、私は2度と彼女に顔向け出来ません」

 

「………」

 

レイナからしてみれば、彼女のその話は、そしてその話をする彼女の表情は、意外と言えば意外なものだった。別に彼女が失敗をしないとは思っていないし、事実こうして失敗をして治療を受けている。しかしそれでも、どうしても、レイナの中には彼女が万能な人間に見えていたらしい。

考えてみれば、彼女だって人間だ。ミスもするし、間違えもする。そしてそれに落ち込む事もあるし、罪の意識を持つことだってある。……今はもう、取り繕う様に表情を戻したけれど、それはつまり、普段から彼女は取り繕っているということだ。目に見えている彼女だけが、彼女の全てではない。聞こえてくる噂だけが、彼女の真実ではない。

 

「さて、そういうことです。私と関わる事で良い事も悪い事もあります。私に教えを請うよりも、カナディアさんに師事を願った方が健全且つ安全に成長出来ると断言だってします。……それでも、私から教わりたいと思いますか?」

 

「………」

 

「私は、マドカから教わるよ。最初からそう決めている」

 

「ふふ、お母さんに教わってもいいんですよ?なんだか相性良いみたいですし」

 

「それは全力で拒否させて欲しい!!」

 

「レイナさんはどうします?」

 

「……私は」

 

返答なんて、別に決まっている。

戸惑う必要もなく、迷う必要もなく、利益を考えれば、先のことを考えれば、むしろそれ以外の選択肢が何処にあるというのか。わざわざこうして聞いてくる事自体が、そもそもおかしいと言ったっていい。少しの軽口程度ならまだしも、リゼが好ましく思っている人に対して好意を拒否するなんてあり得ないことだ。たとえ表面上だけでも取り繕う。それが当然の反応。

 

「……私も、貴女に教えてもらいたいです」

 

「そうですか」

 

彼女のことをよく知るためにも。

リゼのことをより理解するためにも。

それに、

 

(対抗心とか、嫉妬はあっても……やっぱりこの人、嫌いになれない)

 

自分の大好きな人が、大好きな人なのだから。

どう考えたって、嫌いになれる筈なんてない。

そう断言出来るくらいには、リゼを見初めた自分の目は間違っていないという確信がある。



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76.笑う人達

その日から、単調なだけの日々は変わってしまった。

 

『まずは赤竜を倒すために、自分達で出来得る限りの知識を身に付けて来て下さい。期間は5日です。5日後にギルド主催の講義を行う予定になっていますので、そこで答え合わせをしましょう』

 

マドカから与えられたそんな課題。

探索者として成長する為に、今まさに停滞の時期にいる2人に、マドカが普段通りのニコニコ笑顔で与えた宿題とも言えるそれ。

 

"10階層の階層主、レッドドラゴン(赤竜)を倒すための情報を収集する"

 

いや、この言葉だけでは不十分だろう。

マドカは知識を身に付けて来いと言った。それはつまり、収集した情報をノートに纏めているだけでは意味がない。しっかりと頭に入れて、理解すること。ここまでを含めての課題である。

 

「恐らくその答え合わせというのは、身に付けた知識が本当に解釈として合っているのか……そういう意味でもあるのかもしれません」

 

「なるほど……だとすると、単に得た知識を表面だけ見て受け入れるのは違うかもしれないね」

 

「加えて、私たち個人の課題もありますから。思っているよりかは余裕がないかもしれません」

 

「うん、それはそうだ。それにレッドドラゴン討伐のための知識も、一体どこから手に入れればいいのか……図書館にそういった本はあるだろうか」

 

「どうでしょう……そうやって知識のありかを探すのも宿題の目的の一つに見えて来て、なんだか疑心暗鬼になって来ました」

 

「あはは、まああまり考えていても仕方がないからね。先ずは動くとしようか」

 

課題を与えられたとは言え、それで日課が無くなるという訳でもない。むしろ他にもやる事はいくらでもあるし、課題の答えを深めようとすればする程に時間は消えていく。どれだけ効率的に日課をこなしていくか、それも重要だ。

 

「取り敢えずはギルドに行ってスズハと合流しよう。彼女も私達の仲間になるんだ、なるべく交流はしておきたい」

 

「そうですね。なるべく彼女が居る時に方針については話すことにしましょうか。私達だけ知っているというのは、小規模のクランでは孤立の原因になるかもしれませんから」

 

着替えを終え、武器を担ぎ、いつもの様に部屋を出る2人。今日はいつもより朝早くに動いているからか普段よりも外を歩いている人が僅かに少ない気もして、少しの新鮮味を感じる。

この部屋にも使い慣れて来て、自分の家だという実感も出て来た。しかしそこまで広い訳でもなく、もしこれからもクランメンバーが増えるのであれば、もう一部屋借りる必要が出て来るだろう。幸いにも隣の部屋は最近無人になったばかりであり、今日まで大家には一度たりとも会ったことはないが、交渉の余地はあるかもしれない。

 

(ただ、そうなると問題はやはりお金か……)

 

今はカナディアとの契約で金銭的な余裕はあるが、それもいつまでも続くという訳でもあるまい。そうでなくとも自分達で稼いだ訳でもないお金で水準以上の生活をするというのもリゼとしては少し抵抗感がある。

やはり10階層を超える事は、仲間を増やしていくためには急を要するのだと理解出来る。恐らくはここが探索者としての関門の1つなのだろう。3人以上のパーティでは、10階層までで得られる報酬では生活が難しい。そう考えれば強化ワイアームを呼び出してしまった"聖の丘"の3人の男性探索者が何故あんな無茶をしたのかというのも分かるところ。同じ立場になって漸く理解出来ることもあるということか。

きっとリゼ達は恵まれているのだろう。彼等も大手のクランに入っていたのだから恵まれていた方。自分達と同じような立場で、もっと過酷な日々を過ごしている探索者も居るに違いない。……そうして少しずつではあるが、リゼが見える世界の姿というのも大きくなり始めていた。

 

 

「……意外ね、この世界にも珈琲があるなんて」

 

「こーひー、ですか?……あ、その飲み物の事ですか。確か街の外れにある喫茶店で出されていたものが、最近になって人気が出始めているみたいです。食堂でも数量限定で出しているんだとか」

 

「へぇ、味もまあまあだし。異世界にしては普通に食べ物も美味しいわよね」

 

「色々な種族が集まる街なので、食の好き嫌いも多くて……それにお金の動きも大きいですから、腕や常識のない料理人は直ぐに席を取られてしまうと、マドカさんやカナディア様が仰っていたのを聞いたことがあります」

 

「なるほど、淘汰されてるって訳。いいじゃない。好きよ、そういうの。自分に関わらない所でなら是非進めて欲しい現象ね」

 

「え、えぇ……」

 

 

 

 

「……おや、意外な組み合わせだ」

 

リゼとレイナがギルドの食堂に入ると、そこには意外な2人が席を同じにして朝食を取っていた。

1人は昨日顔を合わせた新たなクランメンバーであるスズハ・アマギリ。そしてもう1人はリゼが少し前に出会った"聖の丘"の幹部であるエルフのセルフィ・ノルシア。

 

そう言えばと思い返せば、セルフィとは以前に研究の手伝いをするという約束をしてから一度も会えていなかった。一緒に書物を読み解こうという話はしたものの、そもそも彼女が忙しく、なかなかリゼと時間が合わなかったのだから仕方なくはあるが、それでもせっかく見つけた友人と顔を合わせられないというのは寂しいもの。リゼは早速レイナを連れて2人の元へ歩み寄る。

 

「おはよう、2人とも。珍しい組み合わせだね」

 

「え?あ……!お、おはようございます、リゼさん!」

 

「珍しいのは当然じゃない?初めて会ったんだし」

 

「そうなのかい?」

 

「あっ、は、はい!じ、実はこの後、スズハさんをカナディア様の元へ連れて行くことになっていまして……!」

 

「他人の金で朝食済ませてるって訳」

 

「他に言い方は無かったんですか……」

 

歯に衣着せぬ彼女の物言いに、少し苦笑いをしながらも同じテーブルに座る2人。図らずも隣に座ることになったリゼに、セルフィは少し緊張しながらも嬉しそうに迎え入れ、一方でスズハ自分の席が狭くなったことに若干嫌そうな顔をしながらも椅子をずらす。

 

「……ああ、私まで座ったら意味ないですね。リゼさん、朝食取ってきます。何が食べたいですか?」

 

「ん、すまない。……そうだね、レイナが食べたい物と一緒の物を持って来て欲しいかな。今日はそういう気分なんだ」

 

「ふふ、どういう気分なんですかそれ。分かりました、少し待っていてください」

 

今日の日替わりは魚料理らしく、レイナはリゼの目が一瞬それに向いていたのに気付いていたため、笑みを溢しながら気分良さげに歩いていく。

一方でセルフィやスズハといった自分にとってとても興味深い人達と話す事が出来るということで、リゼもまたニコニコと嬉しそうに笑みを向ける。

そんな2人の姿に苦笑いを浮かべながらも、悪くはなさそうな顔をスズハは見せる。

 

「どうも人には恵まれたらしいわね」

 

「うん?どういうことだい?」

 

「なんでもないわ、あんた達のクランに入るのは満更でもないって話よ」

 

「そうかい?私も嬉しいよ、スズハには色々なことを教えて欲しいからね」

 

「嬉しそうに……犬みたいね、ほんと」

 

スズハとて、人を見る目はあるつもりだ。

元の世界ではあまり人に恵まれたと言える様な人生でもなく、まあ色々と面倒なことにも巻き込まれた。そのせいで軽い人間不信に陥っていたこともあったが、こちらの世界の人間は何となく悪意が薄い様な気もしている。文明的な進歩というのは、もしかすれば人の心に闇を生み出しやすいのかもしれない。もしくは偶然にも悪意のない人間ばかりと出会っているのか。

 

(……悪意はない代わりに、もっとヤバいのを隠してそうな奴も居るけど)

 

朝にギルドでスズハを待っていた目の前に居るセルフィというエルフの少女も、やはり同様に自分に興味があるように見える。事情は聞いているのだろう、聞くことが出来る"あの女"に信頼されている人間の1人なのだろう。そして彼女も同様に、恐らくは自分が持っている知識に興味を抱いている。隣の犬も同じだ。そしてスズハにとっては、それは決して不快なことではない。むしろ好ましい。純粋に知識を求める人間というのは、その理由が何であれ、スズハにとっては受け入れやすい人種だった。

 

「それで?あたしはこれからどうすればいいわけ?リーダーさん」

 

「あ、ああ!一先ずは私達の課題の手伝いをしてくれると嬉しい。……あ、もちろん!スズハのすべきことを優先するのは当然として!」

 

「で、すべきことって何かあるの?」

 

「あ、えと……一先ず、今日のところはカナディア様への挨拶だけです。ただ、スズハさんの事情は街でも極極一部の探索者にしか知らされていないので、落ち着いた頃合いに事情聴取を行いたいと」

 

「へぇ、ちなみにあたしのことを知ってる極一部ってのは?」

 

「リゼさんとレイナさん、マドカさんにエルザさん、私とカナディア様に……ギルド長とレンドさんも。あ、あとユイさんとエミさんも知ってるかもしれません」

 

「まだ顔と名前が一致しないのよね……」

 

「リゼさんのクラン、エルザさんのクラン、私達"聖の丘"の幹部3人。そこにマドカさん、カナディアさん、ギルド長……というメンバーです」

 

「"聖の丘"ってなに?」

 

「この街で最大のクランの名前だよ。このセルフィはそのクランの上から3番目、カナディアの後任なんだ」

 

「へぇ、若いのに凄いじゃない」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

しかしこの話を聞く限りでは、恐らく今挙げられた面子からリゼ達を差し引いた者達こそが、実質的なこの街の支配者層ということなのだろうとスズハは考える。支配者という言い方は悪かったとしても、街の方針なりなんなりに関与できる面子がそれであることは恐らく間違いない。

その事情聴取とやらをするのもその中の何人かであると想像も出来るし、事情を知れば知るほどにスズハとしては悪寒すら走って来る。

 

「戻りました。今日の日替わりは焼魚ですよ、リゼさん」

 

「ありがとう、レイナ。……うん、良い匂いがする。やはりレイナに任せて正解だったね」

 

「いつも通り日替わりを貰ってきただけなんですけどね。……それで、何の話を?」

 

「あたしの事情を知ってる人間を確認してただけよ。だからこれから、あんた達の課題って奴を聞こうとしてたの」

 

「なるほど」

 

両手にお盆を器用に持ちながら戻って来たレイナは、まるで慣れた給士のようにリゼの前にそれを置き、自分の席へと戻ってくる。

スズハとしては、彼女の印象は至って普通だ。悪い人間ではないのだろうが、人並み程度に欲というのを持っているというか、簡単に言えば安心できるくらいには人間臭い。リゼに対して並々ならぬ想いを抱いているということも、むしろ分かりやすいくらいで、その辺りの感情を上手いこと隠す人間より、よっぽど付き合いやすい相手だろう。

 

「あの、課題というのは何ですか?」

 

「ああ、マドカから退院までの間に幾つか課題を貰っているんだ。先ずはレッドドラゴンの攻略に関する知識を身に付けること、これは私達2人に共通して与えられた課題だね」

 

「そういう情報って図書館とかにでもある訳?」

 

「いえ、ダンジョンの攻略に関する情報はギルドが売っている冊子が一番分かりやすいと思います。リゼさんも買いませんでしたか?初心者探索者向けの道具セットとか」

 

「あ、そういえば……」

 

「そういったものもギルドで買うことが出来るんです。値段は一般的とは言え、品質や情報の質は確かですから。市場で下手なものを買うよりはいいと思います」

 

「そ、そこは盲点だった……というか、初心者向けの冊子に書いてあった気もする。ああ、スフィアの一覧ばかり読んでいたからか……」

 

もう既に軽く擦り切れ始めるくらいには最初に貰ったあの冊子を読み返しているリゼであるが、そこに関しては読み落としてしまっていたらしい。

ギルドではそういった冊子や道具セットの購入も行うことが出来、個人ごとに回数制限はあるが割引の特典なんかもある。本来はそういうことはクランの先輩に教えて貰う……というか、クランで購入して与えられることになる訳だが、リゼに関しては最初からクランに所属してはいなかった。その上、住まいすら固定されていなかった事もあり、一度にあまり多くの情報や荷物を与えても迷惑だろうと、マドカも代わりに購入して与える様なことはしなかった。こういうこともあるので、ギルドはもう少しこの情報を広く宣伝してもいいのだろうが、公共機関としてあまり商売っ気を出したくないという事情もある。仕方ないと言えば仕方ない事故であった、むしろここで教えてくれたセルフィに感謝以外にない。

 

「その冊子、誰が書いてんの?」

 

「一般の探索者ですよ、主に経験もあって知識もある様な。ギルドからの委託業務として出されているんです」

 

「公共機関で売りに出せるくらいの冊子作れる様な探索者ってそんなに多くないでしょ、実質独占みたいなもんじゃないの?」

 

「え、えと、それは……」

 

「ギルドというか、探索者も人材不足なので……」

 

「まあ、そうでしょうね。年寄りの探索者とか居ないの?ギルドでもなんでも、こういう組織って1人や2人くらい老害が居そうなもんだけど」

 

「高齢の探索者自体は居ますが、大抵は"青葉の集い"というクランで後進育成に努めているようです。……でもそう言われると、確かに不思議ですよね」

 

「確かに……」

 

いくらなんでも、主要なクランやギルドには高齢の人間が殆どいない現状というのはあまりにもおかしい。そこで3人から目を向けられたのは、当然その辺りの事情を知っているであろうセルフィ。視線を感じてピクリと身体を震わせた彼女は、目を若干逸らしながらも事情を語り始めてくれる。

 

「あの……簡単に言えば、淘汰です……」

 

「?」

 

「40年前に多くのクランが壊滅した時に、戦場には出なかった高齢の探索者と若い探索者だけが残るというクランも多発しまして……そうなると若い探索者達が成長した頃になれば、当然高齢の方々は邪険に扱われる様に……」

 

「まあ、そうなりますか……」

 

「それだけならまだ良かったのですが、大きな排斥運動が起きたりなんかして、一時期かなりの問題になったんです。カナディア様やレンドさん達の一つ上の年齢層が殆ど居なくなってしまった影響で、上と下で意識の乖離が起きてしまって」

 

「敵対し始めた、と」

 

「はい……私がこの街に来た頃には、既に老人の方々の大半がクランやギルドから引き離されていて、集団となって街の隅で暮らしていました。そしてそんな状況を変えたのが、ライカさんとマドカさん、そしてギルド長でした」

 

「出たわね」

 

やはりお前か、とでも言いたいような表情をするスズハ。レイナも同様で、リゼも興味深そうに身体を乗り出す。そして同時に気になったのが、"ライカ"という人物について。

 

「マドカさんの提案で、まだ新人の探索者だったライカさんを中心に"青葉の集い"が立ち上げられたんです。ギルド長のエリーナさんもかなり大胆に介入をして、多くの新人探索者と高齢の探索者がそこに加入することになりました」

 

「ライカというと……以前に"龍の飛翔"から帰って来た際に、セルフィやカナディアと共にマドカの側に居た彼女のことかな?」

 

「はい。赴任当時から高齢の探索者に対する扱いを問題視していたエリーナさんと、若いながらも高い素質と意思を持っていたライカさんに、マドカさんは目を付けていたんだと思います。実際、提案後はライカさんが殆ど1人で今の形を作り上げましたから。勿論、エリーナさんやシセイさんの支えや説得があってこそではありますが」

 

「とんでもない女傑もいたものね」

 

「彼女は実力でも、この街で最も生存能力の高い探索者として有名なんです。マドカさんやエミさんと同じ高速戦闘の使い手でもあって……きっとリゼさん達ともお話をする機会が今後あると思います」

 

「高速戦闘……」

 

その言葉に反応するのは、当然ながらレイナ。

十分なステータスと技術が出来ないとされる戦闘法、それこそ正にレイナが今習得を目指しているものである。そして同時に、マドカから出されている彼女個人に対する課題もその関連であった。

 

「なんでこの世界は優秀な女が多いのかしらね」

 

「……女性の探索者にも、燻っている方は多いですよ。その日の生活も出来なくなって、身体を売っている人だって居ます」

 

「「………」」

 

「今は偶然、目に見える位置に女性が多いだけです。その下にはオルテミスでは探索者を続けられず、他の街へ移動したり、探索者崩れとして傭兵や故郷の警備兵になったり、無茶苦茶な探索をして命を落とした人達が居ます」

 

「そう、なのか……」

 

「結局は才能ですからね、探索者というのは。スキルが発現しなかったり、発現しても意味のない内容だった、ということもあります。ステータスの伸びも傾向はあるとは言え、やはり本人には殆ど関与出来るものではありません。……苦しんでいる人は多く居ます」

 

そう言うセルフィは、何かを思い出しているのか、少し悲しそうな笑みを浮かべて俯く。この街には商人の間や、料理人の間でさえ淘汰が作用する。それがどうして探索者の中では存在しないと言えるだろうか。むしろそこにこそ強く作用する、他の何より淘汰は発生する。……才能のないものに、居場所はない。

 

「そういう人達の底上げを、今後は集中的に行っていくそうです」

 

「……ええと、何がだい?」

 

「昨日の夜にお邪魔した時に、カナディア様とギルド長とそうお話ししていました。マドカさんが」

 

「ええい、いちいちあの女の話をしないと気が済まないのかしら?」

 

「いえ、そういう訳ではないのですが……ギルドや探索者関係の話には大抵マドカさんが出て来るので」

 

「どんだけ首突っ込んでるんですか……」

 

「もう既にちょっと食傷気味なんだけど」

 

「わ、私は尊敬しているよ……!!」

 

「……でも、リゼさんも将来そうなりそうですよね」

 

「えぇ!?」

 

「私もそう思います」

 

「そ、そんな!私がマドカのようにだなんて……!」

 

「あからさまに嬉しそうにしてんじゃないわよ」

 

「リゼさんも結構首突っ込みますから……」

 

「それに、その……かっこいいですし」

 

「え?なに?あんたもそういう感じ?うわ、なんか途端に居づらくなってきた」

 

「スズハさんも直ぐにこちら側に来れますよ」

 

「いやだ!絶対やめて!あたしは普通だから!ノーマルだから!」

 

「なんの話をしているんだい?私も混ぜて欲しい……」

 

「近寄んな!」

 

「いきなり!?」

 

まあそうは言っても、才能があるのだから仕方がない。この机を囲んでいる者達には、あってしまったのだから仕方がない。持って生まれた以上は、別に持てなかった人間に配慮をして、遠慮をする必要もない。だって、ある者にはある者なりに、恵まれている者には恵まれているなりに、苦労や、苦痛や、責任……そして、試練が与えられるのがこの世界なのだから。持たざる者に同情をしていられるほど、正常で居られる人間がどれほど居るか。

 

『……リゼさん、実は具体的に私に教えて欲しいことが決まっていなかったりしませんか?』

 

『そ、それは……』

 

『いえ、別に責めている訳ではないんです。それに、それとは別件でリゼさんにこなして欲しい課題もあったので』

 

『こなして欲しい、課題……?』

 

『ええ』

 

 

 

 

 

 

『レイナさん以外の方とパーティを組んで、5日以内にもう一度"帝蛇"を倒して来て下さい』

 

 

 

 

 

 

……お相手は、誰でもいいですよ。



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77.必死に

「以上がこれまで報告を止めていた実際の経緯です。質問はありますか?」

 

「「「…………」」」

 

時間は戻る。

それはリゼ達が去り、そこから3時間ほどが経った後の病室。集まったのは各々に仕事がひと段落した、この街の責任者とも言うべき者達。

ギルド長のエリーナ。

聖の丘の幹部であるレンド、エミ、セルフィ。

今は龍殺団に居るカナディアに、

ギルドに関わることの多い"主従の誓い"のエルザとユイ。

そして今、その誰もが困惑の表情を隠せずに居た。事前に聞いていたエルザだけは、目を逸らして頭を回している様にも見える。

 

異世界から来た人間。

次元に干渉する程の力を持つ龍種。

そんな彼女に与えた星4という希少過ぎるスフィアをマドカが持っていたという事実に、その異世界人がカナディアに間違いなく追い付いてくる頭脳を持っているという確信。

 

大半が言葉を失ってしまっているのも当然だ、まるで夢や想像を語られている様な気分なのだから。

それくらいには突拍子もなく、現実味もなく、むしろ真剣に語っているマドカの頭がおかしくなっているのではないかと思ってしまう。

そんな空気の中、最初に言葉を出せたのはやはりカナディアだった。彼女こそ、この場で誰よりも、マドカのそういった言動に慣れていたから。そして何より、彼女の言動を信じていたから。もちろん、事前にそれとなくユイ経由で聞かされていたという事情もある。

 

「マドカ、彼女が異世界から来たと裏付ける証拠は何かあるか?」

 

「直接話してみれば多少の違和感は抱けると思いますが……やはり明確なのはエルザさんが受け取ったアレでしょうか」

 

「アレ?」

 

「……これはあたしが持っておくより、カナディアに持たせておいた方がいいわね。はい」

 

「あん?なんかのメモか?」

 

「ええ、内容は8つある"罪のスキル"。それ等全ての名称です」

 

「「は!?」」

 

「彼女の世界では"8つの枢要罪"と呼ばれていたそうです。他にも"7つの大罪"と呼ばれる発展系もあるそうですが、少なくともこの世界には無い概念の話ですね。……そもそも無いのか、残っていないのか、生まれていないのか。彼女の妄想という線もありますが、少なくとも内容を見る限りでは筋は通っていると思います」

 

マドカは柔らかな表情のままそう言うが、この件に関しては頭の回る人間ほど閉口せざるを得ない。何故なら、そもそもの話、どうして異世界の概念がこの世界にも同様にあるのかという話に繋がってくる。いやそれ以前に、そもそもどうして異世界から来た彼女と言語や文字を殆ど共有出来ているのかという前提から疑うべきだ。

カナディアがこうして見る限り、文字に関しては殆どこちらの世界と差異がない。もちろん全く同じと言う訳でもなく、所々で異なっている場所も多い。

 

……冷静に考えれば、その異世界というのが今住んでいるこの世界の並行世界であるとするのなら、なんの問題もなく話は通る。

しかし可能性という話であれば、過去にも彼女と同様に世界を超えた人間が居り、その人物がこの世界の文化や文明に関わっているという事もあり得るだろう。きっかけが邪龍等の龍種であるのなら、それが既に滅びた古代文明の頃から延々と続いて来た話であるのなら。ことのつまり、自分達のこの世界の文字や文明のオリジナルが、その異世界にあると考えるのが自然だ。

異世界というよりは、上位世界。

異世界人ながらもカナディアに追い付けるとマドカが断言するほどの頭脳。単純に文明レベルが高い場所で育った人間だとするなら、その確信は当然のものになる。

 

「……信用していいんだな?」

 

「信用出来ないのであれば、見て、聞いて、言葉を交わして、時間を掛けるべきです。……時間を掛けることなく、真実を知ってなお、それでも自分から迎えに行ってくれる人だから、私は彼女のことをリゼさんに託しました」

 

「そもそもこの世界にとっての異物、存在するだけで不明の病などを撒く可能性もある。そう容易く受け入れていいものではないだろう」

 

「では、受け入れませんか?」

 

「っ」

 

「……確かにカナディアさんの言う通り、彼女が彼女の世界特有の病原を抱え、それが抵抗力のないこの世界で爆発的に広まってしまう可能性はあります。しかし恐らくその可能性はそう高くありません」

 

「なぜだ?」

 

「話を聞く限り、彼女の世界には秘石やスフィアという概念はありませんから」

 

「!」

 

「彼女の世界の人間は皆、秘石を外した、つまりステータスが付与されていない状態で生活しているそうです。……肉体の強度だけで言えば、私達より彼女がこちらの世界の病で死ぬ方が現実的です」

 

「………」

 

「そうならないために、生存のスフィアを渡したんです。個人に対する回復力とVIT向上率は最高クラスですから。……本当はエルザさんに譲るつもりだったんですけど」

 

その言葉にエルザは呆れた様に首を振るう。そんな物を押し付けられても困ると。以前に貰った物でさえ、扱いに困るのだから。

……しかし、やはりいつものように、カナディアとマドカの討論は7:3くらいでマドカが勝利した。確かに異世界から来たスズハのせいで奇妙な病が広がる可能性がないということもないだろう。もしかすればグリンラルで広がった獣人に対してのみ発揮されるあの病は、元々スズハが持ち込んだものである可能性だって否定は出来ない。

しかし既にスズハはこの世界に来てから何日も経っていて、何人もの人々と接触している。仮に原因不明の病が発生したとしても、仮にグリンラルで流行った病が本当にスズハが原因だったとしても、それを証明する方法もなく、彼女に取らせる責任もない。考えるだけ無駄な話だ。

 

『利用するのなら、負債も含めて受け入れるべき』

 

マドカは暗にそう言っているのだろう。

その負債を加味してでも、受け入れる価値が彼女にはあると。

 

「……分かった、私はお前の判断に従う。お前達はどうする?」

 

「どうするもなにも、お前等の会話は情報端折りすぎて何も分かんねぇんだよ」

 

「私もレンドに同意だ」

 

「あ、わ、私も……あんまりその、理解が……」

 

「セルフィ、気にする必要はないよ。あたしにも分からん」

 

「私達はマドカの方針に従うわ」

 

「はい」

 

反応は各々。

しかし何処か粗雑な反応を見せるエルザに対して、レンドが向ける目は冷たい。

 

「おいおい、仮にもマドカちゃんの弟子がそんなんでいいのか?」

 

「折角家から出たのに、雑務から方針決めまで私にさせる気?コキ使うにも限度を考えて欲しいわね」

 

「だからってマドカちゃんのやり方の全部に疑問すら思わないのはどうなんだ」

 

「10人殺して100人確実に生かす様なやり方でいいのなら、代わってあげるわよ?」

 

「……」

 

「都市貴族のくだらない政争でならまだしも、私のやり方は本当にどうしようもなくなった時以外には相応しくないわ。やろうと思えば出来るけど、無意識に犠牲を許容していても文句言わない?」

 

「……意見出せってだけの話だろ」

 

「必要だと思えば出すわよ、でも必要だと思わなければ出さない。……今回に関しては、正直どうでもいい。病気さえ移されなければそれでいいし、その辺りもユイが見てくれるでしょ?」

 

「はい、勿論です」

 

「異世界から来ようが何しようが、情報源が1つ増えた程度の話。確かに驚きはしたけど、一度飲み込めばそれだけよ。……ちなみに聞くけどマドカ、あの子に解毒のスフィアは使った?」

 

「グリンラルを出る際に私の手で行っていますよ。"怪荒進"で発生した病の心配もあったので、念のため。加えて、出入りをする人間全員に消毒の義務もありました。それ以前にキャリーさんがしていたそうですが」

 

「ならもう別にいいじゃない、完全にどうでもいい。もうこの話よくないかしら、まだ他に話すべきことはあるでしょ?」

 

「む……」

 

話を理解しているであろうエルザはそう言うが、内容があまり把握出来ていない人間からすればそう簡単には受け入れ難い。しかし他にも話を進めなければならない事案があることも確かだ。一先ずその辺りの質問については後ほどマドカにするとして、今はわざわざこうして集まった人間の中で共有しておかなければならない情報を纏めるのを優先すべきなのだろう。

 

「一先ず取り逃した龍種は……邪龍候補として数えてもいい力は持っていると判断していいんだな?」

 

「ええ、エリーナさん。空間に干渉する力となればそれだけで保有しているエネルギー量は計り知れません。……そしてスズハさんの推測が確かであれば、相手には肉体が存在しない。物理攻撃が完全に通用しないと考えてもいいです」

 

「そもそも倒せるのかい?そんな奴」

 

「分かりません。最悪、死ぬことはないという可能性を考えてもいいかもしれません」

 

「……要は、エネルギーを消費させることは可能でも、完全に死滅させることは出来ない。生物ではなく現象という可能性か」

 

「はい、あくまで可能性ですが。今後数十年、若しくは永久的に定期的な削りが必要になる様な厄介さを抱えているタイプということも考えられます」

 

「他に考えられる能力は?」

 

「周囲のエネルギーを取り込む事で、際限なく力を増していくというタイプ。または一定量のエネルギーを抱えた途端に形態変化をするタイプ。単純に容量を超えて爆発するというのも有り得るでしょうか」

 

「……どれも洒落にならないな」

 

「思い付いた限り、どの可能性であっても厄介です。だからこそ、混毒の森に逃げられたのはかなりの痛手です。早急に敵の能力だけでも把握しておかないと、グリンラルが吹き飛ぶことも……」

 

「マジで地上に出てくる龍共は揃いも揃って厄介な奴等ばっかだな……」

 

「どうする?エリーナ」

 

「むぅ……」

 

混毒の森の調査など、そう容易く出来る事ではない。困難な環境を乗り越える様な装備に関する開発は、オルテミスでは行っていないからだ。グリンラルでも多少の開発はしているとは言え、あの街はモンスター対策に重きを置いている街だ。環境対策装備となればやはりあの街を頼るしかない。

 

「マドカ、アイアントに行ってくれないか」

 

「はい、分かりました」

 

「いや、駄目に決まってるでしょ。あんたも何了解してんのマドカ」

 

「え?……あ」

 

「あ」

 

「エリーナも、なんでもかんでもマドカに行かせない。この子はもう外には出さないから」

 

「うっ……す、すまん。つい、いつもの癖で……」

 

何でもかんでもマドカに頼っている現状は、やはり根本的に本人とギルド長であるエリーナの意識が問題にあるかもしれない。エルザとしてはもうマドカを外に出すつもりはないし、何があろうともそれは絶対に阻止する。別にアイアントに行って話をして来るくらいなら、他の誰かでも出来るのだから。確かに顔の広いマドカが行った方がその辺りの交渉や信用もスムーズではあるかもしれないが、時間で解決出来るのならば、必要なだけ時間を掛ければいい。

 

「あー、そうなると……セルフィか」

 

「えぇ!?私ですか!?」

 

「あんたしか居ないでしょ」

 

「そ、それは……」

 

白羽の矢が立ったのはセルフィ。

しかしそれも当然の話。

レンドやカナディア、ギルド長のエリーナは都市の維持のためには極力居て貰わなくては困る。エルザやユイはオルテミスの外には出られないし、マドカは言わずもがな。動ける人間はそう多くない。

 

「……ま、仕方ないさね。あたしも行くよ」

 

「エミさん……!」

 

「思えばあんたにはこういう経験を積ませてなかったからね、良い機会さ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「……すまないな、エミ」

 

「いいんだよ、これは上司としてのあたしの仕事さ。その代わり、レンドには気張って仕事して貰わないといけないかね?あたしもセルフィも居ないんだから」

 

「うげ、まじかよ……」

 

「それなら2人に任せよう。ギルドからもヒルコを同行させる。……グリンラルにもこの話をする必要があるな」

 

「伝言機……は伝える内容が多いので使えませんね。残念です」

 

これもまた次代の育成というものか。探索者など、それこそオルテミスの探索者など、いつ死んでもおかしくない。特にこうして龍の飛翔が今後も不定期に起きる様になるとすれば、今このように顔を突き合わせている人間の誰かが明日居なくなっているということだってあるだろう。だからこそ、次代の育成というのは常に考えなければならないことであり、その次代の探索者達を守っていくことも考えなければならない。……そう考えていてもなお、以前の"龍の飛翔“の様に若い死人は出る。経験を積ませるために連れて行っても、想定外はあるし、異常事態だってある。だから考え過ぎということはない。セルフィを一人で行かせず、エミとヒルコを付けたのも、彼女の経験の無さを補うため。

 

「そうだカナディアさん、一度スズハさんと話してみてくれませんか?」

 

「ん?ああ、それは構わない。セルフィ、お前も顔を合わせておくといい。マドカの見込みが確かならば、今後関わる機会も多いだろうからな」

 

「わ、分かりました!」

 

「それとレンドさん」

 

「うん?おじさんにもなんかあんのか?」

 

「アタラクシアさんがこの街に来ているのは知っていますよね」

 

「ああ、相変わらずマイペースに街を散策してるらしいな」

 

「中位の探索者に対して彼女の力を見せる機会を作ることは出来ませんか?」

 

「へぇ……なるほど、そりゃいい。エリーナ、鍛錬場使う予定あったか?」

 

「いや、ない。治療院専用のスペース以外なら好きに使え。……エルザ、回覧文を作ってくれるか?」

 

「それ遠回しにイベントの企画から作れってことよね?完全に業務外なんだけど」

 

「金なら出す、頼む」

 

「……マドカの講義に参加させて貰えるならいいわよ。その時間には仕事入れないで」

 

「分かった、手を回そう」

 

「了解」

 

こうした小さな働きが、いずれは大きなものになるように。意見をぶつけ合うことは当然あるが、それでも最後には纏めることが出来る。それが出来るからこそ、この都市は回っている。

 

 

「マドカ」

 

「はい……?」

 

粗方の話が終わり、病室に集まっていた彼等が解散していった後。唯一最後まで部屋に残っていたカナディアが、マドカの隣に座り、声を掛ける。

お昼にはリゼが座っていたそこに、カナディアは座り、同様に彼女の手を握る。しかしマドカがリゼに向けていた温かな笑みを、今度はカナディアがマドカに向けている。

 

「必死だな」

 

「!……ふふ、どうしてカナディアさんにはバレてしまうんでしょう」

 

「お前が思っている以上に、私はお前を見ているからだ」

 

「そうなると、果たしてカナディアさんにはどれだけ隠し事を隠せているのか……」

 

「お前が思っている以上に私は気付いているし、私が思っている以上にお前は隠し事をしているんだろう」

 

「否定はしません」

 

「だろうな」

 

身体をそのままベッドに横たわらせるのではなく、わざわざ自分の方に引き寄せてマドカの頭を自分の膝の上に乗せるカナディア。そしてそんな彼女にされるがままにされるマドカ。

今日の会合の中、話の殆どはマドカが引っ張っていた。彼女が一番に状況を把握しているのだから仕方がないとは言え、短い時間の中で情報を纏め、他者に伝えられる様に頭の中だけで整理するというのは容易い事ではない。

 

「エルザが言っていたな、方針を決めているのはお前だと」

 

「ええ、光栄な話です。私も特別リーダーとして優れている訳ではありませんから、お話をする度に間違っていないかと心配になるのですが」

 

「良くやっているよ。何かあればエルザは指摘するだろうし、レンドも後から気付いて伝えるだろう。そう責任を負う必要はない。支持するというのは、責任を持つということだ。そして立場としては私達の方が上。例えミスが生じたところで、その責はお前には無い」

 

「……それがもし、私自身の目的のために提案した方針であったとしてもですか?」

 

「そうだ。お前の意思や目的など関係ない、結果採用するかどうかは私達次第なのだからな。……勿論、研究に関してもそうだ」

 

「!」

 

「お前がどの様な思惑を抱いていようと、当人がそれでいいと思っているのであれば、それでいいんだ。だからもっと気軽になれ。……仮にお前に責任が求められたとしても、半分は私が持ってやる」

 

カナディアから顔を隠す様にして背けるマドカの表情を、そこに生まれている感情を、見ることは出来ないし、真に理解することも出来はしない。

ただ、彼女が必死なことだけは分かる。

彼女が常に全力を出していることも分かる。

分からないことばかりの中にも、カナディアならば見つけ出せるものがある。

 

「今日はこのまま眠ってしまえ。考えなければならないことは多いだろうが、偶には全部投げ捨てて後先考えず眠るのもいい。……それが人間というものだ」

 

「……はい」

 

「お前は頑張っているよ。ああ、本当に」

 

頑張り過ぎなくらいには、これ以上に掛けられる言葉が思い付かないくらいには。

……その一部でも負担を受け持とうと、少しでも楽にしてやろうと、教え子達も頑張っているというのに。一体どこまで手を広げるつもりなのだと。きっと彼等も思っているに違いない。

 

(リゼ・フォルテシア……)

 

小さく寝息を立て始めた膝の上の少女を見つめながら、以前に見た時よりも随分と真っ直ぐな目を向けてくる様になった彼女の新しい教え子のことを思い出す。最初は不純な気持ちで作り始めた彼女のクランも、スズハという少女が入ることになって、段々と面白い面子が揃い始めた。

 

(期待、してもいいのかもしれないな)

 

マドカの隣に居たい。

マドカの力になりたい。

そう宣った彼女は、他の教え子達とは違い、自分達の中でだけで完結することなく、人を取り入れている。そしてその人柄故なのか繋がりも広め始め、その愚直さ故にマドカの教えを忠実に守り、自然と彼女の仕事を受け継ぎ始めた。……そんな彼女が作り始めたクランであるのならば、もしかしたら、もしかしたら本当に、マドカを支えられる様な存在になれるのかもしれない。少しでもこの子が抱えている何かを、受け持ってくれるようになってくれるかもしれない。

 

「ふ、ふふ……しかし、それにしても、まさか3人全員が身元の保証が出来ないとは。全くどんな偶然だ、これでは正式な申請がいつまでたっても出来やしない」

 

書類だけなら、もう一通り用意と準備はしてやっているというのに。何故誰もが気にもしない様なところで彼女は躓いているのか。そう考えるとなんだかおかしくなってしまって、カナディアは笑う。

健気で、必死で、不憫で。

 

「本当に、見る目があるな。マドカ」

 

願わくば、彼女がマドカの夢を叶える一助にならんことを。



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78.高速戦闘訓練

「ふっ……はっ……よっ」

 

「……ええと、大丈夫かい?レイナ」

 

「段々、慣れて、来ました……ふぅっ!」

 

「おお、すごいね」

 

「えへへ、ステータス様々です」

 

慣れた6階層を進む2人。

今日も今日とて5階層のワイアームは2人の試し切りの相手となり、スフィアを落とすことなく消えていった。最早ワイアームに対するトラウマなどリゼには殆ど残っておらず、特に最近は両手の猟銃という得意なスタイルで、かつ探索者としての自身も付いてきたこともあり、色々と試すことが出来てありがたい相手だと思うようにもなって来た。

そんなおりの今日であるが、いつもと違うのはレイナの様子。普段はリゼの前方を歩く事の多い彼女が、今日は木にぶら下がり、飛び伝いながら進んでいる。

 

「それにしても……これ、結構難しいです……ねっ!」

 

「ふむ、やっぱり難しいのかい?」

 

「ええ。どうやれば上手く飛び移れるのか、事前に考えてルートを作らないといけないですし……ふっ。それに着地だったり、身体の動きだったりも、意外と工夫が必要で」

 

リゼの歩行速度に合わせながら、絶妙な速度で木々を飛び移るレイナ。速度を出していいのなら少しは楽だろうし、いちいち止まってもいいのならもっと楽だ。しかし歩行している相手に合わせながら移動するというのは、これがまた難しい。特に会話をしながらとなれば、意識はいくつも割くことになる。しかしレイナがリゼとの会話を蔑ろにする筈もない。

 

「あっ……痛っ!?」

 

「だ、大丈夫かい!?怪我は……!」

 

「だ、大丈夫です。枝が折れて、ちょっと着地にも失敗してしまっただけなので……」

 

「休憩した方が……」

 

「い、いえ!本当に怪我とかはしていませんから!……それに、あの、とても情け無いので今のは忘れて貰えないかなぁとか」

 

「……ふふ、私は別に気にしないよ?」

 

「わ、分かってますけど!」

 

こればかりは慣れであるとは言え、木々を飛び回るというのは普通に考えて難しい。荷物もあって、槍もあって、この状態で戦闘なんて出来る気もしない。

 

『"6階層以降の探索は、なるべく地面に足を付けずに移動すること"。これがレイナさんの課題です』

 

高速戦闘を教えて貰うに当たり、マドカから出されたレイナ個人に対する課題が正に今努力しているこの縛り。そして続けているうちに、段々と高速戦闘への理解が深まって来ている気がしている。

 

「ただの移動ですけど……実戦ではもっと思考に回せる余裕が削られて、その状態で戦闘もするんですよね」

 

「空間を縦横無尽に飛び回りながら行う戦闘方法……私もマドカのそれを一度だけ見たことがあるけど、あれは確かに凄かった。身体の大きな龍種に対して効果的なのは間違いないだろうね」

 

「あの、その時のマドカさんは何処で高速戦闘を?」

 

「5階層、ワイアームが居る場所だよ」

 

「……あんなだだっ広い場所で、一体どうやって」

 

「主に壁や天井、強化ワイアームの身体なんかを、回避のスフィアやロープを使いながら飛び回っていたかな。隙の生まれる滞空時間をスフィアの斬撃や小型の魔晶爆弾で誤魔化しつつ、その反動も利用していた覚えがある」

 

「……本当に人間なんですか?」

 

「うん、まあ……色々と経験して来た今思い出すと、改めて凄さが分かるというか」

 

そして同時に、あの強化ワイアームという存在が本当にどれほど脅威的な強さを持っていたのかというのも、実感出来る。

もし次に会うことがあったとしたら、その時には今度こそ自分の力で倒せる様になっていたいとリゼは思ってはいるものの、仮に大銃を撃てたとしても至近距離でなければ避けられてしまう気がしている。気穴と龍鱗によって半端な魔法や物理攻撃は通用せず、体内に持っている毒は長時間戦闘を許さず、気穴を犠牲にした全方位射撃を行え、それでいて最大の武器は速度と巨体と知能なのだから、やはり強化種というのはつくづく規格外の存在なのだろう。

 

「よっ……まあ、そんな先生に教えて貰えるんですから。これもリゼさんのおかげですね」

 

「そんなことはないさ。……というか、レイナは普通の高速戦闘を教えて貰えるのだろうか?」

 

「?どういうことです?」

 

「いや、以前にマドカの高速戦闘は普通のものとは違うと聞いたんだ」

 

「え、そうでしたっけ。……そういえば、そんな話をした覚えも」

 

「ああ、確か高速戦闘というのはSPDだけでなくVITや STRの値もある程度高くなければ成立しないらしい。けれどマドカは独自の方法で制限を破っていて、その方法は彼女の最初の教え子にしか教えていないんだとか」

 

だからその方法を聞くために何人かの探索者が彼女に問い詰めたが、彼女はそれを決して他者に教えることはしなかった。何処かで聞いたそんな話を思い出してみるが、よくよく考えればあのマドカが他人に教えず、技術の独占をするとは考え辛い。何か理由があるのだろう。

 

「……なんとなく、言いたいことは分かります。空間を縦横無尽に高速移動することになりますから、肉体も相応の耐久力が無ければ自爆することになるということでしょう。ただ私はステータス的にそこまで尖っていませんから、その方法は使わなくて済むんじゃないでしょうか?まさかあの人が普通の高速戦闘の方法を知らないなんて事もないでしょうし」

 

「む、それもそうか……」

 

「それに多分それ、かなりやばい方法ですよね?」

 

「……私もそう思うよ」

 

「『安全のためにステータスが必要』という理論に対して、『ステータスが無くとも実現出来る』って答えになってませんよ。間違いなく安全を疎かにしているということです、流石に私はそこまでして会得したいとは思いません」

 

「うん、私もレイナにそこまでのことはして欲しくないよ」

 

だから今は取り敢えず、木を飛び移るというだけのこの課題をとにかく熟す。多少余計な動きや経路を辿ることになったとしても、まずは体に慣らして、覚えさせることが必要だ。速度を上げた時に思わぬ事故をしないためにも。

 

 

 

――その後、2人は8階層でモンスターのドロップ品目当てに森の深くへと入ることにした。

9階層にはカイザーサーペントが居るので近寄りたくはないし、7階層は現在モンスターの分布的にパワーベアが優勢であり、目的のハウンドドッグが集団で固まって動いているという情報があったからだ。

8階層の分布は東西で2つの勢力が睨み合っており、こういった状況が一番動き易い。そして当然ながらこんな時でも、レイナは木と木を飛び移りながら移動をしている。

 

「レイナ、頭上にスライムが居るよ。それから東の方から何匹かハウンドドッグが来ているね」

 

「了解しました!ふっ……【雷斬】!!」

 

「うん、完璧だ」

 

『ギャウンッ!?』

 

木を思い切り蹴り付けて跳躍し、緑と同化していたグリーンスライムを的確に攻撃したレイナ。一方で木々の間を凄まじい速さで走って来ている3匹のハウンドドッグに対して、両手の猟銃で正確無比に2発の銃弾を叩き込むリゼ。

突如として消えた左右の同胞に驚き立ち止まったところを、更にレイナが投げ付けた槍によって撃ち抜かれる。

……今やもう、4匹程度の相手ならば容易くなった2人だ。リゼは森の中でも扱い易い猟銃(仮)を手に入れた事で中距離ならば無類の強さを発揮しており、レイナも元々のセンスもあるのだろうが、既に空中での戦闘に慣れ始めていた。流石に普段以上の動きなんて絶対に無理であるが、視点が変わったからこその利点も多少はある。レイナにも一度しか使えないとは言え、中距離の攻撃だって出来るのだから。視点だけではなく、戦法も変わる事で、見えてくることも違ってくる。

 

「ふぅ……ドロップ品は出ましたか?」

 

「いや、やっぱり簡単ではないね。やはり奥の方にいる強い個体を狙うしか無いのかもしれない」

 

「うぅん、流石にそれは……」

 

「もう少しだけ粘って、それでも無理なら諦めよう。深くまで行って危険を冒す必要はないよ、こればかりは運だからとエッセルも言っていた」

 

偶にあるこんな無茶な依頼も、出来ない時は出来ないのだから仕方がない。

 

「あ、リゼさんまた……」

 

「うん、一先ず私が片付けるよ。レイナは少し休んでいて」

 

「あ、ありがとうございます」

 

そうこう言っているうちに、仲間が戻ってこないことに気が付き寄ってくるハウンドドッグ達。敵の数は5、恐らくリゼの銃声を聞いて近寄って来ているというのもあるのだろう。

しかしそんな相手でさえ、今のリゼは1人で対処出来ると言い切れる。以前はそれなりに苦しい戦いをしていたが、流石にもう慣れた。

 

「まず1匹」

 

レイナと話している間にリロードを終えていたリゼは、前方に走りながら片手間に右方向から寄ってくる1匹の眉間を撃ち抜く。

 

「2匹目」

 

そのまま一度茂みを挟み姿を隠した直後、思いっきり跳躍し全体重を乗せた跳び蹴りを前方から飛び掛かってきた個体の顔面目掛けて叩き込んでみれば、耐久力が貧弱なハウンドドッグは絶命した。

 

「3匹目」

 

先程弾を撃った方の銃を腰のホルスターに仕舞い込めば、同時に取り出した銃剣をもう片方の銃に装着する。空気弾を発射するために身体を膨らませたハウンドドッグ。リゼはむしろそれに対して突っ込み、射出されたそれを衝撃が頬を掠める程にギリギリで避け、最短距離から首を刈った。

 

「リゼさん!」

 

「4匹目」

 

すると今度は木の上で機会を伺っていた個体がリゼの背後から飛び掛かり、それに気付いたレイナが咄嗟に叫ぶ。しかしリゼは既にそれに気付いていたのか、そもそも気付いてわざと見逃していたのか、その場で小さく跳躍をし、空中で身体を回しながら豪快な回し蹴りで迎撃する。思わずレイナも惚れ惚れとしてしまう様なそれは、ハウンドドッグの小さな身体をまるで弾丸の様に吹き飛ばし、幹のしっかりとした木を大きく揺らす程の衝撃をその身に与えた。

 

「最後」

 

そして5匹目。

4匹の仲間が屠られている間も虎視眈々とリゼの隙を狙い続け、地形を利用しながら上手く自分の身体を隠し続けている個体がいる。恐らくそれはかなり強い個体であり、この階層でも長く生き残っている個体であろうことは易々と想像が付いた。

以前に戦った時もそうであったが、恐らくハウンドドッグの部隊にはリーダーとしての役割を果たす個体が1匹は配置されている。3匹程度の小規模ならば別であるが、5匹以上の部隊には明らかに知能が高い個体が混じっている訳だ。

時には引くこともするし、こうして仲間を犠牲にしながらこちらの戦闘力を測ったりすることもある。本来ならばリゼにレイナまで居ることは知っているのだから知能が高ければ引くはずであるが、こうして未だこの場に留まっているということは、何かしら勝算があるのかもしれない。

 

「ふぅ」

 

リゼは銃剣を取り外し、息を吐く。

 

 

 

 

「……【視覚強化】【星の王冠】」

 

 

 

 

『ギッ!?』

 

「えっ……」

 

その早業は、レイナも一瞬自分の目を疑うほどのものだった。

レイナの左後方から、地面に落下した頭部に銃痕を残したハウンドドッグの死体。直ぐ様に灰となって、黒く変色した爪と魔晶を残して消えていく。一気に空間を包み込んだ静寂の中、レイナの視線の先でリゼが静かに銃を下ろす。

 

……リゼが行ったのは、狙撃だった。

 

しかしただの狙撃ではなく、極限まで視覚を強化し、思考速度を早めた中で実現した、照準を殆ど行わない狙撃。完璧な偏差射撃。森という障害物を厭わない正確さ。そしてレイナからしてみれば本当に銃を持つ腕が動いた瞬間に銃声がしたと思うくらいの早撃ち。

これが本来のリゼ・フォルテシアだった。これが本来の、山や森の中における、リゼ・フォルテシアの姿だった。……リゼ・フォルテシアは、生粋の狩人だった。

 

「レイナ、帰ろうか。ドロップ品が運良く手に入ったからね、これでエッセルも喜んでくれるだろう」

 

そう笑う彼女に、レイナも小さく頷く。

そして思う。

やっぱりこの人はすごい人なんだと。

この人を見初めた自分やマドカが絶対に間違っていなかったと言い切れるくらいには、かっこいい人なのだと。

少し暑くなってきたと感じるくらいには顔に熱を灯して、確信を深める。

 

「リゼさん!受け止めて下さい!」

 

「へ?うわぁっ!?」

 

突然無防備に木の上から飛び降りて、慌てるリゼに受け止められるレイナ。本当にその咄嗟の行動に驚いていたのか、必要以上に力を入れてリゼは抱き締めてしまうが、レイナにしてはそれはそれで意図せぬご褒美と言ったところ。腕の中でニコニコと笑うレイナに、リゼも苦笑いをして応える。

 

「いいのかい?木の上で移動するのが課題だったのに」

 

「地面や足を付けないように、が課題でしたから。これでも一応課題をこなしていることにはなります♪」

 

「ふふ、それならこのまま地上まで連れて帰ってしまおうか?」

 

「そ、それは流石に恥ずかしいので……せめて6階層までで」

 

「よし、了解した」

 

嫌な顔もせず。

むしろ嬉しそうな顔までしてくれて。

これで惚れるなという方が無理な話だ。

……もし最初に出会っていたのがマドカであったのなら、レイナはきっと彼女を慕っていた。しかしそれでも、断言出来るのは、例えマドカを慕っていたとしても、今レイナがリゼに抱いている感情と同じものを感じることは絶対になかったということ。

 

「……リゼさん」

 

「うん?なんだい?」

 

「カッコよかったですよ」

 

「そ、そうだろうか」

 

「ええ、特にあの回し蹴り。何処で習ったんですか」

 

「昔遊んで貰っていた女性劇団の人達が、革のボールを色んな蹴り方で見せてくれた事があるんだ。それに憧れて密かに練習したりしてね」

 

「やっぱりリゼさんにとっては、その人達が色々な始まりなんですかね」

 

「うん、そうだと思うよ。……こうして相手の女性を優しく抱き抱える術も、あの人達から教わったからね」

 

「……全く、とんでもない怪物を仕立て上げたものですね。その劇団の方々には心の底から感謝を伝えたいところですが」

 

こんな人だから、正直に言えば今回出されたリゼに対する個人課題については不安しか残らないのだけれど。その辺りの信用をして、離れることも大切だから。今回ばかりは身を引くことは、覚悟しなければならない。

 



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79.パーティ募集

ワイワイガヤガヤと、今はもうこの騒がしさにも慣れて来てしまった。最初にこの街に来た頃には本当に同業者というのは滅多に見ることが無かったが、今はこの状態こそが普通であると理解している。

それにしても感じてしまう物足りなさというか、空白感というのは、言うまでもなく最近はずっと隣に居てくれた彼女が今日ばかりは居ないからである。そして当然ながら、そこには理由もある。

 

『リゼさんの課題は、私が居ると邪魔になると思いますから。私は今日明日とスズハさんと一緒にカナディアさんの所に行って来るつもりです。……もし機会があれば、クランメンバーの勧誘もお願いしますね』

 

レイナからそう言われた今朝のこと。そのまま彼女をスズハの元へと送って、リゼは本当に久々に1人でギルドを訪れた。

ここも以前と比べれば騒がしくなった。それでも2度目の龍の飛翔の話が出ていた時よりは静かになった方だろう。周囲を見渡せば鑑定師のヒルコが今日は居ないが、受付のエッセルは普段と変わらずせっせと仕事をこなしていた。別にギルドの受付は彼女だけではないが、つい彼女の所に足を運んでしまうのは、もう癖の様なものだ。

 

「おはよう、エッセル」

 

「あ、おはようございますリゼさん。話は聞いていますよ」

 

「え、そうなのかい?」

 

「ええ、リゼさんが1人で受付に来たらパーティの募集の仕方を教えてあげて欲しいと。エルザさん経由でマドカさんからお話がありました」

 

「なるほど、それは助かるよ。早速教えてくれると嬉しい」

 

それからエッセルは幾つかの用紙を用意して、リゼに説明を始めてくれる。

確かにクランという集まりはあるが、それでもクラン内で全てが完結する訳ではない。偶には違う人物と組んでみたいという人もいれば、何か大きな目的のために外部から一時的な戦力を求めるということもある。そうでなくとも自分のクランへの勧誘のためにパーティ募集に積極的に参加する者や、若い人間の力になろうと暇を見つけては手伝いをする老人も居る訳だ。

募集の方法も簡単、用紙に条件や目的等を書き込んで掲示してもらうだけ。報酬の分配方法等も明記し、ギルド職員に確認して貰えばそれで大丈夫だ。

 

「目的は帝蛇の討伐、報酬はドロップ品を換金して平等に分配と……」

 

「どういう方を募集しますか?必ず希望通りになるとは限りませんが、パーティの編成は記入しておいた方が良いかと」

 

「なるほど。……最悪私が遠距離も近距離も担えるから、魔法が得意な人が欲しいかな」

 

「知識的に不安があるのでしたら、歴の長い探索者さんの枠を1つ作っておくのもいいかもしれません」

 

「あ、それはいいかもしれない。……帝蛇を相手にするとなると、もう1人くらい居た方がいいのだろうか」

 

「そこはリゼさんの能力次第です。2人に指示を出すのと、3人に指示を出すのとでは割ける余裕が違いますから。実力的に自信があるのなら少人数で、頭脳や経験に知識があるのなら大人数で、というのがおすすめです」

 

「そういう考え方もあるのか……うん、勉強になるよ。一先ずは2人の募集で上げて貰っていいかな?人を集めてみて、足りなさそうなら改めて再募集ということで」

 

「分かりました、それでは3番のテーブルでお待ち下さい」

 

そうしてリゼが書いた募集を食堂とギルドを繋ぐ廊下の方に貼りに行くエッセル。ギルドにいくつかあるテーブルというのは、どうもこのパーティ募集のために使われるものらしい。募集を見て参加を決めた人間が、指定された番号のテーブルに集まる。単純な話だ。以前にラフォーレが座って本を読んでいたことがあるが、あの時にはテーブルに番号の書かれた札はなかった。そういう使い方も出来たりするということか。

 

「それにしても……緊張するね」

 

初めて会った人間と、パーティを組み、探索をする。しかもその上、目標は帝蛇の討伐と来た。別に今日1日で達成しなければならないことではないが、朝にレイナに言われた様に、ここで良さそうな人を見つければ自分のクランに勧誘する事だって出来るだろう。だがその反面、色々と拗れてしまって、上手くいかなかった……なんてことも有り得る訳で。

それでも基本的に人との関わりというのはリゼは好きな方である。緊張もあるが、楽しみだという気持ちも大いにあった。もちろん、不安だって間違いなくあるが、それでも。

 

 

 

 

「ね、パーティ募集してるの?」

 

 

 

 

「え?」

 

 

それはリゼがテーブルで待ち始めて、本当に5分もしないうちのことだった。エッセルからサービスされた茶に口を付け、お礼ではないが買ったギルドの情報誌に目を向け始めた頃に、唐突に。

 

「何を倒したいの?」

 

「あ、ええと、カイザーサーペントを……」

 

「へぇ、大変そう」

 

「うん、まあ、大変ではあるかな」

 

ギルドに入って来て、こちらを見て、真っ直ぐに近寄ってきた1人の少女。特徴的な青銀色の長髪に、美しい氷の様な両瞳。服装は簡素で、荷物だって鞄1つ。唯一目に止まるのは、全体的な雰囲気に似合っていない黒色のリボンだけ。……それなのに彼女は、端的に言えば、とても美しかった。そしてリゼは彼女と似た雰囲気を持った人物を、過去に一度目撃したことがある。

 

「あの、失礼なのかもしれないが……もしかして、アクア・ルナメリアという人物を知らないだろうか?"風雨の誓い"の副団長のことなのだけれど」

 

「知ってるよ、同族だし」

 

「同族、ということは……」

 

「自己紹介、まだだったね。クリアスター・シングルベリア、長いからクリアでいいよ。精霊族なんだ、珍しいでしょ」

 

「精霊族……」

 

その種族のことは、リゼは実はあまりよく知らない。聞いた話では今はあまり表舞台には出てこない種族らしく、昔は人族と手を取り合って戦っていたらしい。確かにリゼの読んだ本の中でも、彼等は人族に力を与えて、大きな障害を退けるために不可欠な役割を担っていることが多かった。

そしてリゼとしては、アクアと出会った時にも思ったのだが、彼等精霊族というのはその伝えに違わぬ程に神秘的な何かを保有しているようだった。マドカとは違う美しさ、天然の芸術品とでも言うべきなのだろうか。もし自然の中で氷で出来た美しい彫刻を見つけたのであれば、まさに今リゼが感じている感情を知ることが出来るだろう。彼女達にはそんな超自然的な美が備わっている。

 

「私はリゼ・フォルテシア。ある人に課題を出されていてね、誰とでもいいからパーティを組んで帝蛇を倒す様にと言われているんだ」

 

「へぇ、やっぱり大変だ」

 

「うん、だから手伝ってくれる人が欲しいんだ」

 

「魔法しか使えないけど、いいの?」

 

「むしろ私は魔法が使えなくてね、使える人が居てくれると助かるよ」

 

「そうなんだ?じゃあ私達、ベストマッチだね」

 

「べすと……?」

 

「相性良さそう」

 

「なるほど……ふふ、そうかもしれない」

 

「うん、座っちゃうね」

 

空いているリゼの隣の席に座るクリア。彼女はあまり表情は動かないが、それなりに積極的な人物らしい。リゼとしては嫌いではないし、むしろ好ましいというくらい。特にこんな美しい女性と顔見知りになれたのだから、幸福なくらいだろう。リゼは変わらず美人に弱いし、綺麗な女性が好きだ。

 

「それで、何処のクランの人?見たことないけど」

 

「私は何処のクランにも所属していないよ。むしろ今からクランを作ろうとしてる」

 

「へぇ、すごいね」

 

「でもなかなか上手くいかなくてね。クラン員は私を含めて3人集まったんだけど、何の偶然か3人とも身分証明証が無かったんだ」

 

「ふふ、なにそれ。めちゃくちゃ面白い」

 

「そうかい?」

 

「うん、自分の平凡な自己紹介が恥ずかしくなりそう」

 

「まだ名前くらいしか教えて貰っていないよ」

 

「ん、そうだっけ?そっかぁ……自己紹介、どうしようかなぁ」

 

マイペースというか、人よりテンポが遅れているというか。動きも口調もゆっくりとしていて、この独特な空気感に向き合っていると引き込まれてしまう。自然と心が穏やかになって、自分の身体から力が抜けていくような、そんな不思議な感覚。

 

「私、"青葉の集い"に居るんだ」

 

「へぇ、あの有名な……」

 

「うん、大体ホームでお爺ちゃん達とお喋りしてる」

 

「ふふ、孝行してるんだね。よくこうしてパーティを組みに来るのかい?"青葉の集い"なら沢山人は居そうだけれど」

 

「ううん、全然」

 

「へ?」

 

「ダンジョンに入る時はお爺ちゃん達と一緒のことが多いし、パーティ募集もあんまり見ないよ」

 

「それなら、どうして……?」

 

「ん〜……」

 

少しの間、目を上に向けて考え込んでいた彼女は、それから直ぐに何かを思い付いたのか、リゼの方に目を向けて、机の上に肘を乗せて前のめりになりながら笑みを浮かべる。

 

「一目惚れ?」

 

「ひとっ……めっ!?」

 

「精霊族の習性、知ってる?」

 

「い、いや、知らないけれど……」

 

「強い意志とか、綺麗な心に惹かれるらしいよ」

 

「そ、そうなのか」

 

「心、綺麗だよね。一目見て分かった」

 

「そ、そうなのだろうか……?」

 

「そうだよ」

 

「そうなのかい……?」

 

「うん、そう」

 

「……もっと綺麗な人が居ると思うが」

 

「それはそうだけど、別にさ、一番を探してる訳じゃないし」

 

「そういうものなのか……」

 

「それにほら、少し汚れてるくらいの方が趣があるじゃん?」

 

「ふふ、それはちょっと分からないかもしれない」

 

「え〜、残念」

 

珍しく口説かれているような状況に、慣れないリゼは目を横に逸らし、頬を少し赤らめながらも会話を続ける。どうも精霊族というのは、容姿以外にも色々と不思議なところがあるらしい。長寿の上にスフィア無しでも少しの魔法を扱えるエルフや、人間以外の特徴を持つ獣人や龍人も、普通のヒューマンであるリゼからすれば不思議なものだが、精霊族はもっと存在が神秘的だ。霊的というか、なんというか、……正直リゼとしては、十分に興味が惹かれてしまう。

 

「あの……」

 

「あの人、こっちに来てるね」

 

「え?」

 

精霊族について、彼女について、色々聞いてみたいと声を掛けたその時、クリアは何かに気付いた。言われるがままに彼女が指差す方向に顔を向けてみれば、なるほど確かに1人の女性が真っ直ぐにこちらに向けて歩いて来ているのが分かる。

……不思議なのは、何人かの探索者が驚いた様な顔をして彼女のことを見ているという点。そして同時に、その女性からはクリアとはまた違う圧倒的な存在感を感じてしまうということか。

 

明らかに実力がある。

それも相当な。

見て、感じて、それだけで分かるくらいには。

 

服装は一般の探索者の様な身軽なもので、腰に付けている剣だってそこらで手に入る程度の代物なのに。それが酷く似合っていないと、見合っていないと思えるほどに、彼女だけが、彼女という人間の存在だけが、明らかに飛び抜けている。

 

「入りたい」

 

「え?あ……ええと、パーティに入ってくれる、ということだろうか?」

 

「ああ」

 

「それは嬉しいのだが……本当に、私のパーティでいいのだろうか。貴女は、なんというかその、私なんかに見合っていない凄い人のように……」

 

「君がいい」

 

「な、なぜ……」

 

「心がいい」

 

「また心なのかい!?」

 

 

「あ〜……同族?」

 

「少しな」

 

「お〜、珍しい」

 

波巻きの掛かった赤髪をした彼女は、一度リゼに目線で確認を取ると、空いていたもう一つの席に座る。話を聞く限りでは彼女も精霊族の血を持っているらしく、パーティ募集をしたら偶然にも珍しい精霊族を2人も引き寄せてしまったリゼは、それはもう周囲からも注目の的だ。

自分の精神にそこまで自信のないリゼにとってはどうしてこうも彼女達から好意を受けられるのか分からないし、何より隣の確実に都市でも最上位の女性をこれから率いるということに対する重圧がもう本当に重い。

こんなの帝蛇など一瞬なのではないだろうか?

こうなってくると本当にマドカがこの課題を出した本当の理由についても、考察の必要が出て来てしまうというか。

 

「あ、あの……ええと、取り敢えず……」

 

「エクリプスだ」

 

「エクリプス……あ、名前のことかな」

 

「ああ」

 

「じゃあ、その……エクリプスさんと、クリア。2人のレベルと、得意な戦闘方法などを教えて貰ってもいいだろうか?」

 

魔法が得意だと言っていたクリアと、剣を持っていることから間違いなく前衛であろうエクリプス。そこにリゼが居ればパーティバランスとしては一見完璧に見えるが、事前の情報共有は大切だ。

もしかすればこういった所も含めて、マドカからの課題なのかもしれない。こんな風に運良くパーティに恵まれたのも、マドカが手を回していたからという可能性だってあるのだから。どんな時でも手は抜かない。自分に出来る最善を尽くすことをリゼはもう一度戒める。

 

「えっと……レベルは14、水系の魔法が得意。というか、水属性しか使えないんだよね。スキルのせいで」

 

「そうなのかい?」

 

「うん、でも威力は自信あるよ。それに凍らせる事も出来るから、任せて」

 

「なるほど、それは頼りにさせて貰うよ」

 

クリアは1属性に特化した魔法使い、という感じらしい。実際こういう分かりやすい探索者というのは経験の少ないリゼとしてはありがたい。普段組んでいるレイナは近接戦闘を主としていたので、遠距離型のクリアに指示を出すという経験を得られるのも大きいだろう。あくまでこのパーティのリーダーはリゼ、経験が少なくてもその責務は負わなくてはならない。そして利用もするべきだ。これから先の長い探索者人生をより良いものにするためにも。

 

「エクリプスさんは……」

 

「呼び捨てて」

 

「あ、えと……エクリプスについて、聞いても?」

 

「何でも出来る」

 

「え……」

 

「求めて欲しい」

 

「それは、その、役割を求めれば、それをしてくれるということだろうか?」

 

「ああ」

 

「……魔法使いでも?」

 

「可能だ」

 

「素手格闘とかでも……?」

 

「勿論」

 

「単独討伐も……?」

 

「求めるのなら」

 

「なる、ほど……」

 

嘘をついている訳でも誇張している訳でもなく、実際に彼女にはそれが出来るだけの力があると理解出来る。しかしこれはこれで困ったものだと言わざるを得ない。

正直に言えばリゼとしてはカイザーサーペントより少し上程度の戦力を集められれば都合が良かった。多少の失敗なら見逃せるような、それくらいがパーティ初体験としては理想の状況。だからクリアに関しては本当に良い戦力だと思ったし、彼女が良いのならば今後も仲良くしたいと思っているくらいだ。

 

……ただ、エクリプスは違う。

正直どこに配置してもこの課題の難易度があまりに低くなってしまう。

例えば攻撃的役割に配置してしまえば、討伐は簡単になされてしまうだろう。しかし防御的役割を与えれば恐らく敵の動きが殆ど無くなってしまう。魔法使いを願えばクリアの役割が消えてしまうし、こうなるともう多少彼女の言がホラであって欲しいくらいだ。しかし彼女の実力が本物であるのなら、そんな本物を直で見られる良い機会でもあって。

 

「……あの、エクリプス。無茶を提案してしまうのだけれど」

 

「なんだろう」

 

「その……剣ではなく、木の棒とかで戦うというのは、可能だったり、する、のだろうか……」

 

「!」

 

「あ、いや!流石に冗談だ!そんな危険な事というか、ある意味侮辱の様なことをさせる訳には!」

 

「可能だ」

 

「え」

 

なんとなく、なんとなく思い付いたそんな条件に、エクリプスは少しだけ微笑みながら首を縦に振って肯定する。……出来るらしい。それどころかむしろ、なんかちょっと嬉しそうな顔をしている。それは一体何に対する感情なのか。ただそうなればもう、役割は決まった。

 

「ええと、それなら……基本的な作戦は、エクリプスが近距離、私が中距離、クリアが長距離からダメージを与えていくという感じでどうだろう。私はこの通り銃を使うんだ。精度には自信があるけれど、音に驚かない様に気をつけて欲しい」

 

「おお、珍しい武器」

 

「いいね」

 

「背中の大きいのは使わないの?」

 

「以前は使わなければ勝てなかったが、今回は使わずとも勝ってみたいんだ。……というか恐らく、この戦力だとこれを使うと簡単に倒せてしまう」

 

「なるほど」

 

「うん、任せて。最悪、私も盾役やるよ」

 

「……クリア、VIT(耐久力)の値は?」

 

「G2」

 

「エルザと同等……!絶対に前に出ないでくれ!」

 

「残念……」

 

なんとなく、リゼは思う。

どうして自分の周りの人間はこう、VITの低い相手が多いのだろうと。そこは探索者をする上で、むしろ一番大切なところではないのかと。

 

「その、ちなみにエクリプスのVITは……」

 

「S+24」

 

「ああ、それはよかった!……S+24!?」

 

「おお、すごいね。私のLUK(幸運値)と同じだ」

 

「君も一体どんなステータスをしてるんだいクリア!?」

 

「へへ」

 

相手のステータスは可能な限り詮索しない。そんな常識とも言えるルールも思わず破ってしまいたくなるくらいには独特な人物達を前にして、リゼは湧き上がる興味を必死に押さえ付けながら今後の方針に思考を割くのだった。



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80.静かな会話

初めてのパーティで、ダンジョンに入る。

見知らぬ相手。

見知らぬ環境。

そんな中で指揮を取る。

 

きっと最初は困惑するのだろう。

焦りもするのだろう。

不安にもなるし、自分自身を疑わしくもなる。

 

……ただ幸いだったのは、募集に駆け付けてくれた彼女達がとても優秀で、かつ性格的に温和であったことか。

 

「水弾」

 

ドッパァァァンッと、もうなんかそうとしか言い表せない様な凄まじい破裂音と共にドリルドッグが吹き飛んでいく。いつもリゼ達に喧嘩を売りに来るあのドリルドッグだ。凄まじい速度と威力と共に放たれたその大きな水の弾丸は、破裂と共に周囲に水飛沫を撒き散らし、リゼの身体を衝撃と共に大きく濡らす。

 

(……威力がおかしい)

 

それはもし比較をするのであれば、属性の相性もあるとは言え、ラフォーレ・アナスタシアの炎弾を正面から相殺出来るのではないかと思えるくらい。

いや、まあこの前提を語るのであれば、そもそものラフォーレ・アナスタシアの頭のおかしい炎弾について議論しなければならないのだが、敢えてそれは今は置いておくとしてもだ。体感とは言え、ステータスが魔力に偏り過ぎているエルザの威力を超えているだろうそれは、リゼからすれば思考が止まる。

 

「………」

 

『ギャウンッ!?!?!?』

 

一方、横ではまた違った破裂音と共に、よく分からないが粉々になった何らかのモンスターの肉片が見える。恐らく残った半身的にベアボアであるのだろうが、まあ見事に頭部が消し飛ばされている。

 

(一瞥もせずに……)

 

ベアボアはどう言い繕ったところで決して頭の良いモンスターとは言えない。それが空腹状態ともなれば、警戒心よりも闘争心。何にだって喧嘩を売るし、仲間とだって喰らい合う。その末に決して手を出してはいけない相手に喧嘩を売り、マッチョエレファントにボコボコにされている姿も稀に見る。……恐らく今のも、その類だったのだろう。問題はその女の拳の一振りが、マッチョエレファントの突進並みの威力があったというところ。

 

(ラフォーレの拳が可愛く見えてしまう……)

 

リゼの周りにはこうして筋力を活かして戦う探索者があまり居らず、むしろそういった役割はこれまで自分にあった。そんな彼女からしてみれば自分よりも遥かに強い肉体を持つ隣の美女はなんだか新鮮で、ついついその強者特有の雰囲気に目を惹かれてしまう。

 

「?どうした」

 

「あ、いや……魔法使いや速度を重視する探索者は何人か見て来たのだけど、力や肉体を活かす探索者というのはあまり見たことがなくて。少し興味が」

 

「……なるほど」

 

エクリプスは相変わらず言葉少なく、けれど穏やかな微笑みを浮かんでリゼの瞳を覗き込む。その瞳に宿っている光は、強く、優しく、そしてとても真っ直ぐだ。色は違えど、種類は違えど、リゼはその光を知っている。良く似た光を、見たことがある。

 

(そうか、似てるんだ……色は違えど、マドカの目に)

 

このエクリプスという謎の探索者を、どうして最初に見た時からこれほどに警戒薄く受け入れてしまったのか。どうしてすんなりと隣を歩いているのか。その理由が、この目だ。この目を持っている人間を、リゼが受け入れない筈がない。

 

「あ、そういえば……2人はカイザーサーペントと戦った経験はあるだろうか?」

 

「一度だけ」

 

「ないかな、レッドドラゴンは倒したことあるけど。リゼは?」

 

「私は一度だけあるよ、本当に辛うじてだったけれどね」

 

「すごいじゃん」

 

「武器の性能と、仲間の献身のおかげさ。……だから次はもっとマシな作戦を立てられように、今日という機会を大切に使わせて貰いたいんだ」

 

「……いいね、すごくかっこいい」

 

「ああ」

 

それがリゼの後悔、そして反省。

あの時にレイナが怪我をして、結果的に最後まで上手く動くことが出来なかったのは、間違いなくリゼの立てた作戦が失敗したことが理由なのだから。

 

『だからお前は愚図なのだ』

 

ラフォーレのその言葉は、正に真実。

階層を調べ、生態を調べ、調べ尽くしてから望む。そんな当たり前のことを怠っていたが故にレイナに怪我を負わせてしまった。

レイナは優秀だ、上手く実力を発揮させればもっと簡単に帝蛇を倒す事も出来た筈なのだから。リゼはもう少し、否、もっともっと、必死にならなければならない。大切な仲間を守るということに。

 

 

 

 

「……みたいなこと、考えてそうなんですよね。リゼさん」

 

「いや、知らないけど」

 

「まあ、なんとなく分かる話ではあるな」

 

突然話題に出されたそんな話に、カナディアは微笑みを浮かべながら果実茶を啜る。

 

ここはカナディア・エーテルの自宅、そして研究室。大量の書物や資料が綺麗に整理された巨大な空間は、彼女が如何に金銭的な余裕があるのかというのを強く示している。そんな中で白衣を着て作業に勤しんでいた3人は、現在は休憩の最中だった。

 

「最近は部屋に帰るとずっとギルドで買ってきた情報誌を読み漁ってるんです。私のために必死になってくれるのは素直に嬉しいんですけど、自分の時間を取れてないんじゃないかなって……」

 

「彼女に趣味の様なものが?」

 

「あ〜……そういえば、そうでなくともずっと本を読んでいた様な。リゼさん好きなんですよ、不思議とか謎とか、そういう話」

 

「いいんじゃない?好奇心は猫も殺すけど、あればあるほど知識は増えるから」

 

「猫を……?」

 

「知識は財産、そして力だ。学ぼうとする意思の強さもまた能力。それも楽しんで学ぶことが出来るとなれば、それはもう才能だろう。食事や睡眠を削るほどでない限りは、彼女の好きにさせてやればいい」

 

「なるほど、そこが基準なんですね。勉強になります」

 

3人で茶を啜りながら菓子を摘み、薄くかかっている穏やかな音楽の中で言葉を交わす。

以前にマドカが言っていたが、リゼの保護者がマドカであるのなら、レイナの保護者は正式にはカナディアになる。それは責を負うべき立場という意味での話であり、決してレイナの保護者はリゼではない。リゼにレイナの責任を負うことは出来ない、責任を負うには信用と立場が必要だからだ。

そして責任を負うべき立場だからこそ、負ってくれる人だからこそ、相談出来ることもあり、相談しなければならないこともある。即ち、特別な関係は生まれる。

 

「ところで、あの子は?セルフィだっけ?あたしの話を聞きたいとか言ってなかった?」

 

「本人的にはそう願っているだろうがな、あの子にも立場がある。近くアイアントに行くことになり、今はその準備中だ」

 

「やっぱり大手クランの幹部ともなると忙しいんですね」

 

「下位のクランは自分達の維持を、中位のクランは都市の維持を、上位のクランは世界の維持を。……誰かに決められている訳ではないが、見える物が増える程に、そう動かざるを得なくなる」

 

「この世界の人間って、結構善性強いわよね。普通は蹴落としあって利益を占めようとするところじゃない?」

 

「そこまで大層なものではないが、蹴落としあった所で得られるのは一時の利益に過ぎないからな。いくら金があったところで、都市が消えればただの紙屑になるだろう?」

 

「人間なんてそう利口なものじゃないでしょ」

 

「ああ、そうだな。今は各クランの頭になっている人間達が互いに理解があるというのも大きい。……そしてセルフィや君達の様に、少しずつ頭だけではなく、その下の者達の間にも繋がりが生まれ始めている。未来は明るい」

 

「どうだか」

 

色々と問題はあるし、それらが解決したところで全てが上手くいくとは限らないと。ただカナディアの言う通り、正に今も渦中のリゼ・フォルテシアが初対面の2人と仲を深めながらダンジョンに潜っているのだから、それが僅かでも明るい未来に通じているというのも否定は出来ない。

 

「……というか、それならこんな風にあたし達に構ってていいの?あんたも忙しいんじゃない?」

 

「ん?ああ、確かに役割は多いが、昔程ではない。私は今は探索者ではなく、研究者としての立場に重きを置いているからな」

 

「龍殺団の副団長、都市の上層部、研究者、探索者指導……それに私達のことも乗せるとなると、なんだか申し訳なくて」

 

「あたしは全く思ってないけど」

 

「ふふ……まあ、今は本当に落ち着いている具合だから安心していい。私が居なくとも動いてくれる人間が居る、私より優秀で経験のある者達が居る。"出なくていい"のではなく、"出て来るな"というのが最近だ」

 

「へぇ、いい傾向じゃない」

 

「ああ、後は以前の騒動で精神的な影響を受けてしまった探索者達が復帰出来れば言うことはない。君達のクランが正式なものになって、より勢力を増してくれるのなら最高だ」

 

「悪かったわね、身分が証明出来なくて」

 

「あの、スズハさん……それ私にも刺さるので……」

 

「ふふ、嫌な偶然は重なるな」

 

そうして、話はこれからのレイナ達の話に変わっていく。

 

「実際、レッドドラゴンだっけ?倒せるの?2人で」

 

「まあ、普通に考えれば無理だろう。2人で倒そうとするのであれば、最低でもLv.20と、かなりの火耐性装備を揃える必要がある」

 

「で、ですよね……」

 

レイナがこの部屋に来て、スズハとカナディアが何やら難しそうな話をしている傍らで読んでいた本が、そのレッドドラゴンについてのものだった。

 

・凄まじい熱量と範囲の炎ブレス

・非常に硬く、常に熱を帯びている龍鱗

・広い空間を自由に飛び回る高度な飛行能力

・一撃が致命的な近接攻撃

・言葉にする必要もない巨体

 

簡単に言えば、そんな特徴。

危険度的にはカイザーサーペントと同等とは言え、それは帝蛇のあの規格外の巨体を考慮しての話だ。アレとはまた別の脅威がそこにあり、帝蛇を倒せたから赤竜を倒せるのかと言われれば、そこにイコールは成り立たない。逆もまた然り。

 

「狙撃したらいいんじゃない?あのバカみたいな銃で」

 

「その場合、問題はそれで倒せなかった時だ。あれは連発が出来ない。炎ブレスで反撃されれば、階層間を繋ぐ狭い通路が丸ごと炎で埋め尽くされる。即死は免れないだろう」

 

「うわ、そんなにヤバいの?」

 

「ああ、実際に幾つかのパーティがそれで壊滅している。レッドドラゴンと戦う際には、強力な水魔法か障壁魔法は必須だ。それがないなら高位の防火装備を整えるか、高速移動や飛行手段、これを用意するしかない」

 

「……例えば上位の探索者さんは、どうやって倒してるんですか?」

 

「私やセルフィの様な魔法使いは、単純に水魔法で押し通す。マドカやエミ、ライカの様な高速戦闘型は、壁を走る等してブレスを3次元的に避ける」

 

「当然のように壁を走らないで欲しいんだけど」

 

「アルカは火耐性付きのマントとVITで強引に突破して近接戦闘に持ち込む事が多い、一方でラフォーレは炎のブレスごと炎弾で爆破するな」

 

「頭おかしい……」

 

「勧めるのであれば、やはり魔法使いを1人募集する事か。『バリアのスフィア』と『水弾のスフィア』を持っているだけで相当楽になる。たった2人でカイザーサーペントを倒した君達なら、それだけで攻略は可能だろう」

 

もちろん、INTがそこそこあるレイナがその役割を担ってもいいが、単純に赤竜を相手にリゼが1人で勝てるのかという問題もある訳で。そうなればやはり、もう1人探索者を募集するのが一番理にかなっている。もしかしたらマドカならば、2人で突破できる方法を知っているかもしれないが……そもそもそんな方法は無いということを自分達で理解させるための課題である可能性も考えれば、一先ずは現実を受け止めておくことが重要だ。

 

「ちなみに、やっぱりスズハさんは戦えませんか?」

 

「小動物も殺したことないような女に龍退治を求めないでくれる?」

 

「す、すみません……」

 

「ステータスはどうだ?」

 

「ん……まあ、魔法寄りじゃない?あたしが大剣振り回してるってのもあり得ないでしょうし、妥当?」

 

「ふむ。しかし、いざという時のためにスフィアの知識や経験は得ておいた方がいい。魔法寄りのステータスを持っているのなら、それだけで役に立てることは多くある筈だ」

 

「それはそうだけど……」

 

「一緒に赤竜倒しますか?」

 

「絶対嫌」

 

「ダンジョンに潜ってみたりとか」

 

「それも嫌」

 

「でも一度はモンスターと戦っておかないと、緊急時に怖くないですか?」

 

「うっ……」

 

「大丈夫ですよ、私やリゼさんが守りますから。基本的にはリゼさんの横で魔法の支援をして下さればいいだけですし」

 

「……なんかその流れで、いつの間にか深い層まで連れて行かれそうなんだけど」

 

「そんなことないですよ♪」

 

「全然信用出来ない……」

 

実際のところ、レイナとしてもスズハにダンジョンまで来て欲しいとは思っていなかったりもする。

なぜなら彼女の言う通り、戦闘への慣れというのは簡単に得られるものではなく、その気がない人間を連れていっても事故の元にしかならないからだ。可能な限り、身近な場所で死人は出したくはない。それは至って当然の話であるのだが、それでもリゼの性格を考えれば、より気をつけるべき事であるとレイナは思う。……自分も含めて、彼女の側で死人を出すべきではない。

 

「先ずはレッドドラゴン。そこから11階層以降の水泉地帯を抜けて、ブルードラゴンだ。まだまだ先は長いな」

 

「あ〜……そこの勉強もしておかないといけませんね」

 

「ちなみに水泉地帯は、あのラフォーレが最も苦手としている場所だ」

 

「え、そうなんですか?……いくら水辺とは言え、あまり想像出来ませんね」

 

「なに?奇襲が多いとか?それか泳ぐ必要があるとか」

 

「いや、泳ぐ必要は無いが……ふふ、それも勉強して学んでみるといい。ラフォーレ・アナスタシアが嫌っている理由も分かるだろう。あそこほど気まぐれな場所も他にない」

 

それを最後に、壁にかけられた時計の音が鳴り始めたこともあり、カナディアは立ち上がり自分の作業に戻って行く。スズハの世界ではもう滅多に見ることがなくなったような、時刻を知らせるために鐘を鳴らす時計。

残されたレイナとスズハは、互いに顔を見合わせ、互いに小さく笑いを吹き出す。

 

「あんなこと言われると、気になってしまいますよね。調べないといけない事はたくさんあるのに」

 

「いいんじゃない?いつかは学ばないといけないことなんでしょ?……それに、そのラフォーレって奴がどんな人間なのか、個人的にはそっちの方が気になるし」

 

「ダンジョンの攻略に"焼払う"という選択肢が上から2番目くらいにあるような人です」

 

「なにそれ、すごい面白そう」

 

「あとマドカさんのお母様です」

 

「おぉぅ……やっぱり狂った人間からは狂った人間が生まれるのね」

 

「血の繋がりはないそうですよ」

 

「途端に弄り難くなったんだけど」

 

「親子仲は本当に良いみたいです。私もリゼさんに聞いた話ばかりで、あまりよく知らなかったりするのですが」

 

「今度紹介して貰おうかしら」

 

「多分リゼさんは全力で引き止めると思いますけどね、結構な被害に遭っているみたいですから」

 

「そう、なら今度会った時はその話を聞かせて貰いましょう」

 

「ふふ、嫌がりそうですねぇ、リゼさん」

 

クランの長になるリゼを差し置いて、仲を深めた2人。スズハは癖のある性格はしているが、こうして話してみれば善人に違いはなかったからだ。

それに……リゼが嫌がらない程度に適度な弄りを入れてくれそうな人材は、レイナとしても歓迎出来る。彼女は戦力としては期待出来はしないが、クランの仲間としてはかなり有望な存在であった。

 



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81.再起

ギルドと治療院の近くにある大きな鍛錬場。

基本的に使用は自由であり、治療院が所有するリハビリ専用のスペース以外は、新たな試みをしている探索者や、未だ経験の浅い若人達に教えを託すために熱を入れているベテラン達が使用している事が多かった。

勿論そんな空間は周囲を見渡しているだけで様々な情報が手に入る場所でもあり、鍛錬場で身体を動かすことはなくとも、有名な探索者が居るという情報を聞き付けて野次馬に来る者だって多い。

 

例えばそう、こんな組み合わせだとか。

 

 

「お、おい!クロノスさんが居るぜ!剣振ってる場合じゃねぇって!!」

 

「相手は……白雪姫?治療院の区画に居るってことは、怪我でもしてたんかね」

 

 

「ほれ、しっかり見んか。お主も何れは彼奴等くらい動けるようにならんとな」

 

「っせぇなぁ、分かってんだよンなこと」

 

 

「うっわ、相変わらず美人……実力もあって性格も良くて顔も良いとか普通にズルくない?ねぇ?」

 

「マドカさま!!」

 

「……え?」

 

「ああ!わたしのような凡人でもマドカ様の教えを受けられる日が来る、それだけでも夢のような心地だったのに……!!まさかこうして生で戦っている姿まで見れるなんて!」

 

「ちょ、ちょっと?あんた一回落ち着いて……」

 

「神々しく凛々しく美しくこの世で何よりの奇跡とも言える完成された美の存在であるあの方に出会えたということだけでわたしはもう世界の全てに感謝をして頭を地の底まで叩き付けてもいいくらいの幸福に浸されているというのになぜこれをみな分からないのかそれこそわたしは全く分からないしもっと感を震わせて涙を流して崇めたてるべきだと思うの彼女こそが現代のメイアナであることは疑いようのない事実であるというのはもう世界史に記録しても良いくらいに確定しているのだしむしろ個人的には過去の女神と比較するのも烏滸がましいというか新たな女神として精霊族どころか世界の全ての存在が敬い祭り上げるべきだと私はもう何度も何度も言っているのにどうしてそれを誰も分かってくれないのかそれこそわたしは分からないと言うか世界は謎で満ちているなぁと思いながらもやはりマドカさまを生み出したこの世界は素晴らしいものであると再認識をしながら今日も朝から清潔な水で身体を清めて来た私は何の憂いもなく今こうして彼女の前に姿を晒す事が出来ることを褒めて褒めて褒め称えたくてたまらなくて!!」

 

「……なにかしら、なんか急に美人が羨ましくなくなってきたわ」

 

 

彼等の言うように、治療院の区画に居るのは、クロノス・マーフィンとマドカ・アナスタシアの2人。

ラフォーレが所属する"紅眼の空"の実質的なリーダーをしているクロノス・マーフィンは、相変わらずの隆々とした黒く輝く肉体を滾らせて身体を動かしているし、それに対してマドカ・アナスタシアは普段通りの穏やかな笑みを浮かべながら凝り固まった身体を伸ばしていた。

彼等が持っているのは木製の剣。

マドカは腰に2本、クロノスは少し大きめのものを1本と小楯を持っており、彼等がこれから何をするのかについては疑問を抱く必要もないくらいに明らかだろう。

 

「マドカちゃんはやっぱ人気だな、羨ましいぜ」

 

「ふふ、クロノスさんがそれを言うんですか?男性探索者の大半が憧れている"熱鋼漢"のクロノスさんが」

 

「はっ、男に好かれても嬉しくねぇっての。昔っからそうだからなぁ、偶には女の子達から黄色い声援を受けてみたいもんだ」

 

クロノス・マーフィン、彼は元連邦軍の兵士であった。元より非常に優秀な人材として重宝され、その能力の高さから派遣部隊の指揮を取っていた事さえある。部下からの信頼も厚く、彼の実力は当時の軍内でも最精鋭部隊に匹敵する程のものだったという。

そんな彼は探索者に転職した後も、その面倒見の良さから多くの探索者に指導を施し、多くの近接戦闘を得意とする男性探索者の目標として、手本としてあり続けている。

都市最強探索者である"聖の丘"のレンド・ハルマントンも、そのレベルの差を加味したとしてもなお、スキルと魔法を封じた純粋な剣技の打つかり合いならば、彼が自分と同等以上であると認めている程だ。その実力と指導力は間違いがなく、何よりとある理由で彼を理想と掲げる者はあまりに多い。

 

「んじゃ、マドカちゃんの好きなように打ち込んで来な。今更俺から教えられることも無いしな」

 

「はい、お言葉に甘えさせていただきますね。よろしくお願いします」

 

一度頭を下げて、2本の木剣を構えるマドカ。大怪我と受けた毒も今や完全に回復し、僅かに残った違和感を解消するためにこの場を用意して貰った。それに何故クロノスが付き合っているのかと言えば、それは単純に彼が暇だったからという理由以外に他ない。

彼は割と暇人である。

そして暇だからこそ、こうして求められた指導や訓練に付き合う事が出来る。暇であることもまた、彼にとっては大切な要素だった。

 

 

「なにあれ……意味分かんない……」

 

 

言われた通りに、最初に仕掛けたのはマドカから。得意な空間を大きく利用した空間移動ではなく、正面から様々な手法と手数によって攻め込んでいく。凄まじい速度で繰り出される双剣の連撃、しかして同様の攻撃は一切に無い。時には剣を逆手に持ち替え、時には足払いや体術を利用して、クロノスの堅い守りを攻め崩しに掛かる。

しかしそれに対してクロノスは決して戸惑うことも驚くこともなく、淡々と攻撃に対処し、自身の守りを徹底させていた。彼ほど小楯の扱いの上手い探索者もそうは居ない。彼と対峙した者は皆同様に、その小楯がまるで体を覆い尽くすほどの大きな存在感を発揮していたと口を揃えるほどだ。

普通であれば数秒で全身をズタボロにされている様なマドカの不規則且つ予測困難な連撃を、小楯と剣、そして自らの肉体と立ち回りによって制限し、確実に防いでいくクロノス・マーフィン。

2人のそれは分からない者が見ても目を見開き、分かる者が見れば感嘆の声を漏らす。

 

「ふっ」

 

「ぬぅ!?」

 

クロノスが仕掛けた反撃の一振りに対して、身体を空中で上下反転させ、空振ったところに更に反撃を加えようとするマドカ。それでも彼はわざと自分の身体を崩すことでマドカの攻撃を強引に小楯に当てて防ぎ、そのまま腕の力だけで空中の彼女を押し出し、体勢を立て直すための距離を取る。

 

攻めきれないマドカと、攻められないクロノス。

 

クロノスはその性格とは対照的に、戦闘は非常に堅実だ。

勿論、大剣を持って攻撃を重視することも出来るし、武器がなくとも大抵のモンスターを倒す事が出来る。簡単に言えば魔法以外なら殆どの役割を熟すことが出来る彼であるが、やはり得意なのは小楯を使いながら敵の注目を引く最前衛の立ち回り。

彼の仕事は守ることであり、マドカの攻撃をこうして完全に防ぎ切っているというだけで、勝利していると言えなくもない。

……しかしそれでも、クロノスは知っている。空間を活かしにくいこの平地という地形も含めて、今この状況はあまりにもマドカにとって不利な条件であると。そう理解しているからこそ、悔しいではないか。相手が不利な状況で、自分が優位を取れているのは当然の話。そこから更に上を取れてこそ実力。

 

「……よし、全部頭に入った」

 

「!」

 

「さあ来い!」

 

直後、放たれたマドカの低姿勢からの高速打ち上げを、クロノスは完全に読み切って小楯で流す。そのまま反撃に放たれた一振りをマドカは身体を捻ってなんとか避けるが、続く小楯による強打を咄嗟に防いだことによって、左手に持っていた木剣が飛んでいった。追い討ちをかける様にし距離を詰め、体当たりを仕掛けるクロノス。しかし今度はマドカが羽織っていたコートを突如として前方に広げ、体当たりに対してむしろ距離を詰める。接触の瞬間、クロノスの足元に滑り込み、その足元を隠れ蓑にしていたコートで拾い上げて掬うマドカ。予想もしていなかったその行動にクロノスも思わず転倒しそうになるが、直ぐ様に右手を地面に付けて軽快に身体を跳ねさせ、何事も無かった様に着地をした。一方でマドカはその隙を逃すことなく弾き飛ばされた剣を回収しに向かうが、それをただで許すクロノスではない。

 

「ふっ!!」

 

迷うことのないシールドスロウ。

投げ付けられた小楯はクロノスの筋力によって凄まじい勢いで飛んで行き、マドカが拾い上げようとしていた木剣を弾き飛ばす。そのまま追撃のためにマドカへと走り込むクロノスであるが、これに対してのマドカの判断も早かった。小楯が投げ付けられた瞬間に彼女は既に剣を拾うのを諦め、右手にもう一方の木剣を、左手に先程目眩しに使った自身のコートを持ち、襲い掛かる彼を迎え撃つ。

 

「っ」

 

「また目眩しか!そう何度も似た様な手が……!」

 

再び2人の間に広げられたマドカのコート。互いの姿を隠す様に距離やタイミング、広げ方まで計算されたそれは素直に賞賛に値するが、2度も見れば驚きはなく、ただただ冷えた頭がここにあるだけ。クロノスは広げられた瞬間に空いていた自身の手で引っ掴み、即座にそれを奪い取って視界を取り返す。

 

「!……なっ!?」

 

クロノスの頭の中には、コートを隠れ蓑にしてマドカが弾かれた木剣か自身の投げ付けた小楯を拾いに行く選択か、先程と同様に目隠しを利用した何かしらの奇襲を仕掛けてくるという選択があった。故にどちらにも対応できる様に木剣を可能な限り短く持ちながら速度を緩めず、超近接戦闘であっても対応出来る様に構えていた。

……しかし何のことはない。

コートを奪い取った瞬間、目に入った情報は無。完全な無。つまりそう、そこに居る筈のマドカの姿は何処にもなかった。

 

「あっ……ぶねぇ!!」

 

真横から聞こえた風切り音。クロノスの今日まで培ってきた勘と反射が全力で働き、何とか顔だけを動かして、僅かに頬を掠めながらもそれを避ける。

不意を突かれ、完全に崩された体勢。

しかし一方で無理な体勢から剣を振るったからか、マドカも着地を優先させて追撃は行わない。

 

……互いに次の手を思考しながら、着地の姿勢を維持して目を合わせる。

 

次はどうするか、

 

どう攻め込むか、

 

どう攻め込まれるのか。

 

周囲に居た誰もが固唾を飲んで見守る中で、

その場に一切の静寂を齎す様な空気感の中で、

 

 

……しかし張り詰めた緊張の糸は、思いの外小さなことで、本当に容易く途切れてしまうのだった。

 

 

 

 

ぐううぅ……

 

 

 

 

「あ」

 

 

マドカの腹の虫が告げた。

 

 

お昼である。

 

 

 

「く、くくっ……はははははっ!なんだ腹減ったのか、マドカちゃん」

 

「ご、ごめんなさいクロノスさん。お見苦しいところを……」

 

「いや、構わねぇって。変な時間に呼び出しちまったのは俺だしな。……それにまあ、初日はこれくらいだろ。休み明けの準備運動にしてはやり過ぎたくらいだ」

 

ゴトリ、とクロノスは自身の両手と両腕に巻いていた重鋼の装備を外しながらそう笑う。驚く観衆、恥ずかしそうに顔を赤らめるマドカ。2人からしてみれば、それは当然の話だ。レベルの差を考えても、病み上がりのマドカがクロノスと近接戦闘で互角になど戦える筈がない。何かしらのハンデがなければ、今の様な策の打つかり合いなどあり得ないこと。

 

「にしても、引き出し持ってんなぁマドカちゃん。片手を自由にしたのがミスだったか?」

 

「それでも、結局全部防がれてしまいましたけどね。流石の防御力と対応力です、全然敵いませんでした」

 

「時と場合、あと地形次第ってとこだ。最後の一撃はマジで危なかった。……俺がコートを奪い取るところまで想定して、同じ軌道で跳んで仕掛けて来るとは。一瞬マドカちゃんが瞬間移動でも覚えたのかと思ったぜ」

 

「ふふ、私がこの服装を好んでいる理由の1つでもありますから。個人的には鎧で身を守るより、一瞬でも目眩しに使えるこちらの方が有用なので」

 

「防御力もあるんだっけか」

 

「ええ、鈍な刃程度なら穴を空けることも出来ませんよ。……まあ衝撃はそこまで緩和出来ないので、普通に痛いのですが」

 

「今からでもまともな防具付けて欲しいって、多分みんな思ってるぜ?」

 

「体力もないので……」

 

それまでの立ち回りで、完全に互角に見えた仕掛け合いで、明確に見えた2人の差。あれだけ動いておきながら涼しそうな顔をしているクロノスと、息を少し荒げながら汗を拭うマドカ。

強化ワイアーム戦でもそうであったように、マドカ・アナスタシアには持久力が欠けている。だから余計に防御力は無いし、森で襲われた時の様に、たった一撃の負傷があまりに重い。

 

「……ま、あんま無茶すんな。周りが思ってるほど、マドカちゃん強くねぇからな」

 

「ふふ、そうですね」

 

「短時間で瞬間的、味方が居ないと強味も活かせない。単独行動なんかもうすんなよ」

 

「はい、すみませんでした」

 

「……本当に分かってんのか?」

 

「もう、分かってますよ。そろそろ私が出しゃばる必要も無いってことくらい」

 

「………」

 

クロノスに水を手渡し、マドカは近くの椅子に腰掛ける。適度に風も吹いて来たこともあって、少し寒そうにコートを着直した。地面に着かない両足をフラフラと遊ばせながら、彼女は顔を上げて笑う。

 

「リゼさん達がクランとして十分に活動出来る様になって、アルカさんが精神的にもう一皮剥けて、リエラさんとステラさんが私を倒せる様になったら……もう何の憂いもありません」

 

「年寄りかっての」

 

「だって私、レベル上がりませんから。流石にそろそろ誤魔化せなくなって来ましたし、平均が上がるほど取り残されるのは当然です」

 

「ま、確かに最近の若い奴等の成長速度はすげぇよ。でも流石に悲観し過ぎなんじゃねぇか?置いて行かれるにはまだ10年は要る」

 

「悲観ではなく、期待ですよ。それに期待といえば、私はクロノスさんにも期待してるんですよ?そろそろ50階層突破してくれないのかな〜って」

 

「……いや、それ以前に俺達まだ39階までしか行ったことねぇんだけど」

 

「でも、行けますよね?この街の精鋭を集めれば」

 

「……でけぇなぁ、期待が」

 

「だってわくわくしませんか?50階ですよ?節目の階層ですよ?そんなの、絶対何かあるじゃないですか」

 

「ま、そりゃそうだ。これで心が動かねぇってんなら、探索者として失格だわな」

 

「それなら、お願いしますね」

 

「……………………追々な」

 

その後、マドカは一つ頭を下げてその場を去っていく。どうも他にもまだしなければならないことがあるらしく、今日もここに来るまでに何やら忙しなく動いていたらしい。声を掛けて来る男女に関わらず朗らかに挨拶をしながら、朝から晩まで何かをしている。

……部屋の中でゴロゴロと怠惰を貪っている姿なんて、一度たりとも見たことがない。入院している時でさえも、人を呼び、言葉を掛け、そうでもなければ静かに目を閉じて何かを思考している。

そういう人間なのだ、マドカ・アナスタシアというのは。見ていれば、目を向けていれば、嫌でも分かる。彼女は何かをしていない自分というものを許していないのか、はたまたそういった強迫観念を持ち合わせているのではないかと。それとも若しくは、1秒たりとも時間を無駄にすることが出来ない理由でもあるのか。時間を無為にすることは罪だとでも言うのか。まあそれは実際のところ、こういう世界でもあるのだし、責任を持っている人間ならば誰にでも当て嵌まることであって、それを言われてしまうと苦痛に満ちた表情で思考を停止させなければならない人間も自分も含めて何人も居たりするのだが、それはさておき。

 

要は。

 

不自然なのだ。

 

責任感が強過ぎる。

 

分不相応が分からない。

 

どこまでが相応で、相応だと思っているのか。

 

「……急かしてくれるなよ、マドカちゃんと違ってこっちは心の準備が要るんだ。そうホイホイと未開の地に足運べる訳ねぇだろ」

 

勝てるかもしれないけど。確かに彼女の言う通り、今の探索者達の実力であれば、総力を合わせれば50階層を超えることもまた出来るかもしれないけれど。否、彼女がそう言うのであれば、それはきっともう出来ることであるのだろうけれど。

だからと言って、簡単に出来ることではない。

誰もがマドカ・アナスタシアのように、未開の地に表情を変えずに足を赴き、龍種が発生する可能性のある場所に迷いなく調査に向かい、大人数に奇襲をされ殺され掛けたとしても、次の日には以前と変わらず、変わらず過ぎず、平然と笑っていられることはない。誰もがそんな人間であるのなら、人は人の社会を築き上げることなど出来なかった。

 

「けど、まあ……だからケツ叩かれたってことか。ケツ叩くために、呼ばれたってことか」

 

誰でも良かったリハビリの相手に、わざわざクロノスを呼んだ理由。わざわざラフォーレに使い走りをさせてまで、呼び寄せた理由。……いい加減に先に進め、足を進めろ。その為に、心を決めて、動き始めろと。釘を刺された。念を押された。逃げ道を潰された。

 

『さっさと階層を更新しろ』

 

言い訳をすることなく

 

『私の力を借りるな』

 

以前の時の様に

 

『自分から踏み出せ』

 

他の人間に先導されるのではなく

 

 

 

 

「……やればいいんだろ、やれば」

 

やれば。

遣れば。

挑れば。

戦れば。

殺れば。

 

「探索者を、名乗るなら」

 

これから先も、名乗っていたいのなら。



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82.英雄

基本的にワイアームという5階層に生息する最初の関門を突破する際、探索者達は様々な攻略法を用い、そこには確実な策というものは存在しない。

それはワイアームが他のモンスター達とは違い知能が高く、例え一度は突破出来た実績のある策であったとしても、こちらの機敏を読んで対処してくる可能性があるからだ。

故にワイアームを攻略する際に必要なのは、読んでいても対処出来ない策を用意すること。若しくは最初から策など作らず、ワイアームの能力では対処の出来ない力でゴリ押すこと。ワイアームを相手にその場での対応力で勝負を挑むというのは、あまり賢い方策とは言えない。……ちなみに、それを今日の今日まで続けて来たのが他でもないリゼである。

 

「リゼ、避けて。水弾」

 

「え?うわぁっ!?」

 

『ブッ!?』

 

「エ、エクリプス!!」

 

「ああ」

 

『ゴブェッ!?』

 

ワイアームと正面から対峙していたリゼに対して、水弾を放つクリア。間一髪リゼがそれを避けてみれば、水弾はワイアームの顔面に直撃する。凄まじい圧力を伴ったそれはワイアームの顔面を破壊するほどでは無かったが、視界を潰し、一瞬の判断力を奪い取る。そうなれば直ぐ様にそこにエクリプスが木の棒で頭をかち上げ、ワイアームの巨体が宙を舞った。特段力を入れている様には見えないのに、発揮されるのは規格外の剛力。目がおかしくなったのかと思ってしまう様な光景だ。しかしそれでも龍の命を奪うほどではなく、むしろ太い木の枝が折れてしまったところは、リゼの狙い通り。

 

「リゼ、あれいける?」

 

「ああ!任せてくれ!!」

 

普段とは全く異なる戦闘。

それでもリゼは両手に持った長銃を、気を失って落下してくるワイアームの頭に向けて、引き金を引く。

 

「おお、ど真ん中」

 

「ふむ」

 

いつも通り、狙った所に百発百中。

開け放たれた口から脳にかける様に撃ち込まれた2発は、ワイアームの命を奪うには十分であり、龍鱗に阻まれることなく意識を刈り取る。

宙から落ちながら灰へと化していくワイアーム、落ちて来たのはいつも通りの魔晶が1つ。

 

まあなんというか、あっさりだ。

 

実力のある探索者が揃えば難易度も危険度も大きく下がる。そんなことはレイナと一緒に探索をする様になってからよく分かっていたつもりだった。しかし2人が3人になった今、それをさらに強く感じている。

 

(……人数とは、ここまで大切なものだったのか)

 

恐らく凄まじい実力者であるエクリプスが居るとは言え、今回彼女がしたことは筋力に特化した他の探索者だって出来ることだ。重要なのは、バランスと、手数と、意識の分散。

魔法ばかりに偏っているのではなく、遠距離、中距離、近距離が得意な人間がバランス良く配置されている。そして各々が十分な働きをし、1度隙を作れば残りの2人で致命的な攻撃を叩き込める。

2人で戦っている時には、片方で注意を引き付けたところで、もう片方で攻撃を当てることもまた容易いことではなかった。例えばカイザーサーペントの時なんかがそう。生物は2つ程度の対象であれば、意識を割くのは容易いため、過剰なくらいに惹きつけなければ、対応されてしまう可能性が高い。しかしこれが3つになると、途端に難しくなってしまう。それは人間でさえもそうだ。そして3人になれば、火力が不足するということも滅多になくなる。

 

(私は中距離、レイナが近距離、となると必要なのは長距離の魔法使いか。攻撃に偏り過ぎていることを考えれば防御や支援が得意な人材を求めるのもいいかもしれないが、それは4人目以降で考えればいいこと)

 

改めて、パーティの編成の重要性というものを考えさせられている。誰でもいい、などと簡単には言ってはいけないということだ。そしてこの考えは何もダンジョン内だけでしか役に立たないことではない。

 

「すごいね、あれで当たるんだ」

 

「ん?ああ、これでも腕には自信があるんだ。このライフルだと龍の鱗目掛けて撃つと、途中で軌道が変わる恐れがあるからね。確実に撃ち抜くにはああして体内に撃ち込むのが1番さ」

 

「……困るな」

 

「え?」

 

「狙われたら」

 

「あ、ああ、なるほど。……いや、エクリプスならそれでも避けそうな気がするけれど」

 

「背中」

 

「ん?……あ、これかい?」

 

「難敵だ」

 

「ふふ、不可能と言わないところにむしろ私は驚きたいかな」

 

口数は少ないものの、こうして言葉は交わしてくれるエクリプス。一方で指示を出すのに困っていると助けてくれたりなど、実力以外でも力を貸してくれるクリア。そんな2人も互いに同族であるからなのか、間に壁のようなものは感じることない。

即席のパーティではあったものの、連携も取れている。こうなると後はもう、どうやって倒すか。そこから何を得ることが出来るのか。それを考える方が先決なくらい。

 

「ん〜……」

 

「どうかした?」

 

「いや、これは課題の意味を成しているのかと思ってね」

 

「課題?……ああ、そういえば誰かに言われてパーティ募集してたんだっけ?」

 

「そうなんだ。知らない相手と組み、以前に何とか倒した相手に2度目の勝利を得る。恐らく求められているのは、そこで得られる苦労だとか経験だとか、普通に考えればそういうものだろう?」

 

「さあ?」

 

「……ええと、ただ幸いにも来てくれた2人は実力もあって、むしろ私を助けてくれる。今のところ苦労と言える苦労もないし、この戦力なら帝蛇も苦戦することはないだろう」

 

「つまり楽勝だと」

 

「ま、まあそこまでは言わないけれど……本来の目的を果たせていない様な気がしてね」

 

本当に、マドカは何を目的にこんな課題を出したのか。それさえ分かれば苦労しないのだが、まあこれも苦労の一つということなのか。それともリゼでは想像も付かない裏があるのか。リゼがマドカの思考を読めたことなんて一度もないのだから、もう何もかもが意味がなく感じてしまう訳で。

 

「……ん〜、後で考えればよくない?」

 

「だが、考えて動かなければ為にならないというか……」

 

「自然体でいいんだよ、自然体で。考えろって言われた時に考えればいいの」

 

「……そうなのだろうか」

 

「他人が考えてることなんて分かんないし、頭の良い人のことなんてもっと分かんない」

 

「まあ、それは確かに……」

 

それはリゼも頷く。

エルザの考えてることなんてリゼには説明されないと1割も理解出来ないし、知識量と頭の良さというのは全くの別物であると理解もしている。いくらリゼが知識を付けたところで、例えばエルザと論争をしたら一方的にボコボコにされるだろう。エルザはこちらの考えてる事を当ててくるが、リゼが出来るのは精々野生動物の考えてる事を当てるくらい。まあつまり、それくらいの差がある。

 

「本当に頭の良い人達はさ、私達の残念な頭のことも考えて指示出してくれるんだよ。だから私達は変なこと考えずに、出来る事を必死にやればいいって訳だよ」

 

「……出来る事を必死に、か」

 

「それに案外、そんな大したことは考えてないかもよ?」

 

「例えば……?」

 

「友達を作って欲しかった、みたいな」

 

「……ああ、それはあり得るかもしれない」

 

指示を出したのがエルザだったら違うだろうが、マドカであるのだから……ああ、なるほど。確かに彼女なら、そんな理由だけで課題を与えることだって、きっとある。色々な出会いを経験してきたリゼに対して、普通の友人を作って欲しかったと。交友関係を作って欲しかったと。そう話す彼女の姿が、リゼには容易く思い描ける。

 

「ま、簡単なら別に良いからさ。カイザーサーペント倒して、早く帰ろうよ」

 

「ああ」

 

「……うん、そうだね。良ければ2人とも、今日の夕食は一緒してくれたりしないだろうか?もう少し話をしたいんだ」

 

「もちろん」

 

「構わない」

 

「ふふ、それは本当に……楽しみになってきた」

 

笑うリゼ。

そしてそんな彼女を微笑ましげに見る2人。

そんな柔らかな空気も、世界も、雰囲気も。

 

 

ここまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炎が弾ける。

爆風が咲き乱れる。

大地は揺れ、風は吹き飛び、世界が鳴く。

 

ああ、分かるとも。

言われずとも、分かるとも。

 

……誰の仕業かなんて。

 

 

 

『『ーーーーーッッ!!!!!!』』

 

 

 

最初に気付いたのは、8階層に足を踏み入れた時だった。

否、エクリプスは恐らく6階層に入る前に、既にその異変に対して少しの気付きを得ていたのかも知れない。彼女の口数がより少なくなったのが、その辺りからだったからだ。

そうして7階層、中央の本道から1本離れた場所を、3人の探索者パーティが一心不乱に逃げていく姿を見た。火傷を負い、意識を失った1人を背負い、リゼ達のことなど少しも気にかける余裕もなく、ただひたすらに6階層へ向けて走っていく。その時には既に、何か嫌な予感がクリアとリゼの中にも生まれていた。嫌な空気というものを感じ始めていた。

それから8階層。そこはもう明確だった。異様に熱かった。そして同時に揺れていた。階層というよりは、地面が揺れていた。地面が熱かった。そしてそこに暮らすモンスター達が酷く取り乱していた。我を失っていた。圧倒的な何かに怯えてすらいた。エクリプスが走り出したのは、そこからだ。木の棒ではなく剣を抜き、錯乱するモンスター達を切りながら、クリアとリゼの道を開く。最初に設けた約束を破ったことに対して、注意をすべき状態でないことは明らかで。2人は必死に走ってエクリプスに着いていった。彼女が速度を2人に合わせていたのは間違いなかったが、それでも彼女が焦っていたのがありありと分かった。……彼女が焦らなければならないようなことが起きているというのが、嫌でも分かってしまった。

 

 

そして9階層。

 

今の前に広がっている、この光景。

 

『『ーーーーーッッ!!!!!!』』

 

2匹の生物の内臓を揺らす様な雄叫び。咆哮。

木などもうどこにも残っていない。

モンスター達は種族関係なく焼き尽くされ、生まれ出ても壁に張り付く様にして外周で縮こまっている。そうしていても余波で焼かれ、吹き飛ばされる。

 

思い出すのは数日前。

ラフォーレ・アナスタシアが正にこの階層で披露した火炎の地獄。しかし目の前に広がっている光景は、あんなものより更に酷い。

 

床面が吹き飛んでいる。

壁面が抉れている。

消えない火炎があちこちを舞い。

今も階層全体が巨体によって削られている。

 

……2体のモンスターが争っている。

 

巨大で、強大なモンスター達が、2体。

 

片方は知っている。

片方は知識として知っている。

 

しかしその両方とも、本当の意味でリゼは知らない。

知っているけれど、知りはしない。

 

 

 

 

「……なにこれ」

 

 

 

 

「強化種が……2匹……?」

 

 

 

 

強化種カイザー・サーペント

 

強化種レッド・ドラゴン

 

 

10階層を突き破り、9階層に這い出て来た赤竜が。

本来出て来る筈のない赤竜が。

出会う筈のない帝蛇と相対し、殺し合う。

縄張りを守る為に。

障害を排除するために。

本来の種より遥かに力を増して。

より規格外と化した、巨体を持って。

 

 

『ーーーーーォォォオオッッ!!!!!!』

 

 

「不味いっ!!」

 

「【水壁】!!」

 

 

強化レッドドラゴンが吐き出した灼熱の白炎を、クリアが咄嗟に発動した【水壁】が遮る。

【水壁】のスフィアは"属性バリア"と呼ばれる類のスフィアであり、通常のバリア魔法に属性が付与されていることで、特定の属性に対する防御力をより増すという特徴を持つ。しかしレア度は☆3、非常に貴重であり最使用まで1分の待機時間が必要だ。

それを水属性しか使えないクリアが使用すれば、壁としてだけでなく、むしろ攻撃にも使える様な凄まじい勢いとなる。……なる、はずなのに。

 

「っ……これ、やば……」

 

「これでも防ぐのが精一杯なのか!?」

 

3人をドーム状に包む水の壁。

その水勢と規模は普通のバリア魔法と比べても相当なレベルのものだとリゼでも分かるくらいなのに、内部に貼ったバリアにヒビが入りはじめる。

顔を歪めるクリア。

目を細めるエクリプス。

そしてリゼはただ、戸惑うしかない。

 

 

「あっぶな……割れるかと思った……」

 

幸いにも、強化カイザーサーペントが強化レッドドラゴンの首を絞めたことで、リゼ達を襲っていた炎獄は一旦勢いを止める。やはり彼等2匹にとっては目の前にいる好敵手が全てであり、リゼ達のことは眼中にもないらしい。ことのつまり、脅威とすら思っておらず、そこらの怯えるモンスターと同等程度という判断なのだろう。

それは純粋に好都合だ。

好都合だが……

 

「これは……どうしたら、いいんだ?」

 

否、何をすることが出来るというのか。

 

「強化ワイアームですら、手も足も出なかったのに……」

 

強化ワイアームですら、マドカ1人では勝てない様な相手だったというのに。その更に上の階層主の強化種、しかもそれと同等の存在がもう一体。強化種というのは本当に、元の存在からは大きくかけ離れた強さを持っている。今のリゼでは、どうやったって勝てる想像が思い浮かばない。

 

「無理、帰ろうよ」

 

「クリア……」

 

クリアは断言する。

 

「あんなの"聖の丘"とか"風雨の誓い"とかが対処するものだし、絶対無理。戦っても意味ない、逃げないと」

 

「それは、確かに」

 

 

 

 

「駄目だ」

 

「「!」」

 

しかしエクリプスは、更にそれを否定する。

 

「決着がつけば、手に負えなくなる」

 

彼女にしては長文な言葉で、キッパリと。

これまでにないくらい、ハッキリと。

 

「それは、どういう……?」

 

「強化種が、強化魔晶を喰らう」

 

「!!」

 

「邪龍になる」

 

「邪龍っ……!?」

 

正しく言えば、邪龍の候補。

しかし強化種という存在は、常にその可能性を持ち合わせている。

下ではなく、ダンジョンの上に向かう性質。

カイザーサーペントの様に元々の縄張り意識の強いモンスターは強化種となっても居座る事が多いというが、そうでなければ奴等は本能的なのか上の階層目掛けて登って来る。取り逃せば、止められなければ、地上に上がり、オルテミスを壊滅させて、飛び立つことになる。

現時点でも上位の探索者だけで組んだパーティでなければ、単体の相手は出来ない程の力を有している2匹だ。それを片方が片方の魔晶を喰らい、更に力を増したらどうなってしまうのか。言わなくとも分かるだろう、大量の死者が出る騒ぎになってしまうということくらい。

 

「でも、出来ることがないのに変わりはないよね?」

 

「クリア……」

 

「私達のせいじゃない、そこまで責任を負わなくていい。ここで死ぬつもりも……っ!?」

 

 

 

「問題ない」

 

 

 

瞬間、掻き消えた。

音も、炎獄も、熱も全て。

 

「……え?」

 

付近に、一瞬の静寂が取り戻される。

 

エクリプスが抜いた、ただ一本の剣の、水を纏ったその一振りで。

 

「なに、したの……?」

 

「生きて返す」

 

「「………」」

 

「手伝え」

 

クリアがあれほど苦労して防いだ炎獄を、エクリプスはただ剣を振るうだけで吹き飛ばした。振るったことすら分からないほどの速度で抜かれたそれで、空間を自分のものにした。

……口数の少ない人だ。

もっと色々、本来なら言葉を交わすべき場面だ。

しかし彼女は、その一切を省略出来る。

何故なら、言葉で表す必要もないほどに、その姿が物語ってくれるから。何よりその姿が、他のどんな言葉よりも説得力を持っているから。

 

「エクリプス、貴女は……」

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

「人の味方だ」

 

 



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83.3度目の

エクリプスが剣を一度振るう。

ただそれだけで、争い続けていた2体の動きが停止する。例えるならそれは、周囲を飛んでいた鬱陶しい虫達の中に、命に関わる様な毒を持つ危険な存在が紛れ込んでいたのを見つけた時のよう。

そしてそんな2体に睨まれているにも関わらず、エクリプスは顔色一つ変える事なく剣を構えた。

 

「身を隠せ」

 

「わ、わかった……!」

 

「帝蛇を殺せ」

 

「それは分からない!?」

 

「引き付ける」

 

「だとしてもだ!!」

 

「頼んだ」

 

「そこはもう少し説明が欲しかったかなぁ!!」

 

足場にクレーターを作る様な凄まじい跳躍。

直後、強化赤竜の顔面にエクリプスが衝突する。

そして始まる、三つ巴の争い。

争いは激化した。

10階層から8階層までをも大きく揺らし始めた。

……エクリプスは、化物だった。

彼女の一振りは強化赤竜の爪を弾き飛ばし、強化帝蛇の強固な鱗肌を叩き斬る。

 

「『水斬』」

 

「っ、あれは!?」

 

そして彼女が本気で剣を振るった時、リゼは2度だけ見たことのある、とある光景が重なった。マドカが強化ワイアームを倒し、ラフォーレが焼いた街を消火する際に披露した極大の水斬。彼女がスフィアやスキルを駆使して生み出す必殺の一撃。流石にあそこまでの威力は無いとは言え、驚異的な威力を持っていることは間違いない。

……マドカが様々な前提条件のもとで生み出すそれを、エクリプスはただ【水斬のスフィア☆1】を使用するだけで劣化版とは言え再現する。言うなれば、彼女の一振り一振りが必殺。

強化赤竜の龍鱗を破壊し、強化帝蛇の巨体を抉る。

 

「……分かった」

 

「な、何が分かったんだい?」

 

「エクリプスの正体」

 

「え?」

 

「……アタラクシア・ジ・エクリプス、当代の英雄だ」

 

「英雄、だって!?」

 

リゼはその話を聞いたことがある。

歴史の中にも"英雄"という存在は度々現れ、特に今代の英雄は歴代最強と呼ばれる程に優れた存在であるということを。その人物は邪龍候補を倒した3年前の龍の飛翔の中でも、大きな役割を果たしたのだと。

 

「精霊族と人族の間に定期的に生まれる、生まれつきステータスが異常に高い存在。それが英雄なんだって」

 

「そんな存在が……」

 

「どれだけ龍を倒してもレベルは上がらないけど、生まれた時からLv.100に相当するステータスを持ってるって」

 

「Lv.100!?ラフォーレでさえ40程度なのに!?」

 

「けど今代の英雄は、もっと規格外らしいよ」

 

「……ど、どれくらいに?」

 

「スキルも兼ねると、最高で……Lv.150くらい」

 

「ひゃ……」

 

エクリプスが高速戦闘をし始める。

しかしそれはマドカの時の様な繊細な動きでは決してなく、着地と跳躍の瞬間に足場を大きく抉り、衝突する様な、あまりに力業な高速戦闘。いや、むしろあれこそが高速戦闘の原型とも呼べるものなのだろう。

強化赤竜がブレスを吐く為に空気を吸い込み始めれば、水斬の斬撃を叩き込んで邪魔をする。強化帝蛇がその巨体を利用して逃げ場を防ごうとすれば、僅かに残った隙間に強引に踏み込んで削りながら脱出をする。豪快な力技の中にも、確かに彼女が積み上げて来た戦闘の経験値というものが見て取れる。

 

……ならば、このまま彼女に任せておけばそれでいいのではないだろうか?自分達が何もしなくとも、彼女は勝ってしまうのではないだろうか?

 

一瞬そう考えてしまったのは、リゼだけではない。

 

「……でも、指示出されちゃったし」

 

「まあ、そうだね」

 

「ってことは、簡単じゃないってことだ」

 

「そうなるのかもしれない」

 

「リゼは、どうするの?」

 

「自分に出来る事を必死にやればいい。頭の良い人は私達の頭のことも考えてくれている。……そう言ったのはクリアだろう?」

 

「うん……そういえばそうだったね」

 

「流石にこのままエクリプスを置いて逃げるなんてこと、私は出来ないからね。クリアもそうであってくれると、私は嬉しいよ」

 

「……仕方ないなぁ、これも惚れた弱味かぁ」

 

強化帝蛇を殺す。

一先ずの目的はそれだけ。

リゼはライフルを仕舞うと、背中の大銃に持ち替えた。もちろん威力は最大。耳栓は軽く付けるだけ。意思疎通は最低限で良い。

 

「クリア、私のことを守ってくれるかい?」

 

「いいよ、任された。そっちの方が得意なんだよね、実は」

 

「持って来た弾丸は3発、これを帝蛇の頭に撃ち込む。クリアもこの耳栓を使って欲しい、あと衝撃が酷いから気を付けて」

 

「うん。ふふ、どんな攻撃になるのか楽しみだ」

 

「さあ、はじめての3連射。私の体が保つのか、この銃自身が反動に耐えられるのか、色々な意味で心配だ。せめて2発目辺りで力尽きて欲しいかな」

 

任務は単純明快。

やるべきことも容易い。

しかし強化帝蛇ともなれば、この速度の弾丸も避けられてしまう可能性は十分に考えられる。つまり必要なのは、確実に当てるための何らかの策。

 

「来たっ!!」

 

「【水弾】」

 

戦いの余波で飛んで来た巨大な瓦礫を、クリアが生み出した巨大な水弾が叩き落とす。水系のスフィアは魔力によって威力が大きく変わると言われており、魔力の低い探索者が扱う水弾は殆ど単なる水を生み出す魔法に過ぎないと言われるくらいだ。一方でマドカくらいの威力になれば、階層を階層主ごとぶった斬るくらいの威力になる。そしてクリアの水弾もまた、巨大な瓦礫を雑に撃った水弾で撃ち落とせるくらいの威力がある。

……ただそれでも、この戦いの中では余波をどうにかするだけで精一杯だ。やはりレベルが違い過ぎる。

 

「どうするの?」

 

「ーーーーーーーー……」

 

「すご、もう聞こえてないじゃん」

 

今の一撃で確信した、もう守りは大丈夫だと。

だからリゼは直ぐに頭を切り替えた。

目を凝らして、思考を巡らせ、敵の隙を探る。

強化帝蛇を倒すために必要なのは、絶対的な隙である。通常の帝蛇の時点で大銃での狙撃に僅かながらでも反応した、それは特殊な熱反応器官によるものであると分かった。

そして強化帝蛇ともなれば、更にそれを上回る感覚器官を持っていてもおかしくない。弾数が少ない以上は、そう考えておくべきだ。

 

「ね〜、あの〜、そろそろ撃ってくれないとキツ……【水壁】」

 

「ーーーーーーーーーー」

 

「おおぅ、これもうやるしかない感じだ。そんなカッコいい横顔見せられたらさ、そんなのもうさ……あ、また【水壁】砕けた。もうちょい喋らせて欲し、【水弾】」

 

本日2度目の水壁の破壊。

水弾の使用間隔を埋める様に水壁を展開してはいたが、炎による攻撃でないのなら水壁は単なる【バリアのスフィア☆1】より少し防御力が強い程度。これならば普通のバリアのスフィアで良かったというくらい。だが今からスフィアを取り替えている時間も余裕もない、今はとにかく手当たり次第に撃ち落とすしかない。

それにそうでなくとも……

 

 

ーーッッッツ!!!!!!!!

 

 

「ひっ!?」

 

なんの前触れもなくぶっ放されたリゼの大銃が、その反動で近くにいたクリアの全身を震わせる。それは衝撃などという言葉で表すのも生温い、殆ど爆発だ。耳栓をしていれば大した物ではないなどという考えはあまりに甘過ぎて、クリアは思わず瓦礫を撃ち落とす作業を忘れて呆然としてしまう。

 

「っ、避けられた」

 

「え……」

 

気付けば静まった階層を破壊する三つ巴の壊音。クリアが強化種達の方へと振り向けば、そこにはリゼに対して警戒する様な、そして僅かに恐怖しているような雰囲気を纏った2体と1人がそこに佇む。

 

「あー……えっと、リゼ?これどうするの?」

 

「次は確実に当てる」

 

「次って言われても……」

 

 

ーーッッツ!!!

 

 

「ひんっ!?」

 

今日2発目の銃弾。

2発目のそれは1発目と比べると威力は弱めで、事実リゼは今それを銃口を足でかち上げ、1発目の時の様に狙いを定めることなく片手でぶっ放した。

銃なんて撃ったことすらないクリアからすれば、信じられないようなその射撃は、しかし今度は何故か避けられることなく強化帝蛇の胴体に撃ち込まれた。苦痛に喘ぐ帝蛇、リゼから大きく距離を取る様にして離れた強化赤竜。アタラクシアはそんな様子を見て瓦礫の上に佇むだけ。

 

「クリア、対処法が分かったよ」

 

「腰が抜けそうなんだけど」

 

「ああ、ふふ、すまない。ただ強化種とは言え、もう同じ相手に2回も全力勝負を挑んだんだ。流石に3度目はすんなり勝ちたい」

 

微笑み、笑うけれど、その目は全く笑っていない。直ぐに帝蛇の方へと鋭い視線を向け、口元に付いた煤を親指で拭うリゼ。3度目のリロード、これが外れたら手がなくなる。だというのに彼女はその一発を外してしまうなどという重圧は一切感じていないように、ただ標的と睨み合うだけ。

 

「……次は何をすればいい?」

 

「水弾の温度を変えることは可能かい?」

 

「ん……考えたことないけど、少しくらいなら」

 

「それなら一番高い温度で水弾をばら撒いて欲しい。……エクリプス!申し訳ないがもう少しだけ抑えておいて欲しい!!」

 

リゼのその言葉に頷くこともせずに、直ぐ様に隣の帝蛇に水斬を放つアタラクシア。その勢いは先ほどより更に増し、彼女の動く速度は更に跳ね上がった。どうやらさっきまでの戦闘でさえも、彼女は手を抜いていたらしい。

一方でそんな帝蛇はリゼからもアタラクシアからも赤龍からも狙われていることもあり、動きからも明らかな焦りを見せ始めた様に見える。しかしそれでも時折尻尾を使って瓦礫を弾き飛ばして来るのだから、帝蛇がどれほどリゼを警戒していて、早急に排除しておきたいと思われているのかが分かる。

 

「とは言え、こちらの利点は身体が小さいことだ。これだけ荒らされた地形の中、こちらにばかり目を向けていられないカイザー・サーペントから身を隠すのは簡単だ」

 

「でもなんか、ほら、蛇ってすごいんでしょ?なんか」

 

「うん、個人的に色々調べてみたんだけど、どうやら目はそれほど良い訳ではないらしいよ。ただ皮膚で振動を、舌で匂いや味を捉えられる上に、特に性能が高いのは目の下にある熱を感知する器官だ。帝蛇はこの器官が普通の蛇以上に発達している上に、頭を中心に360度感知することが可能だそうだ」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

「強化帝蛇は恐らく単純な情報処理能力と肉体の性能が高い、普通に撃てば1発目の様に絶対に当たらない」

 

「でも2発目は当たったよね?なんで?」

 

「カイザー・サーペントに対応するために、特殊な弾を作って来たんだ。具体的に言えば、威力を弱める代わりに弾丸が纏う熱量を抑える弾さ」

 

「ああ、なるほど」

 

現在のこの階層の気温は非常に高い。

なぜなら強化赤龍が吐く豪炎によって森も焼け、今なお炎が残っているからだ。特に強化赤龍は自身の身体そのものが高熱を発しており、目ではなく熱を捉えているカイザーサーペントにとっては、この状況で最も脅威であるのは、そもそも感知がしにくいリゼ達に他ならない。

 

「水弾の温度を高くするっていうのも、気温を下げないためか〜」

 

「うん、それと身を隠すために私達の体温に近い液体を撒いて欲しかったからかな。それに一度身を隠せてしまえば……クリア、私に水をかけてくれないか?」

 

「……?痛いのが好きなの?」

 

「い、いや、そうではなくて……身を隠しながら狙うとは言っても、少しは身体が見えてしまうから。少しでも見つかる危険性を減らしたいんだ」

 

「なるほど」

 

「それと………………」

 

「……へぇ。頭良いんだね、リゼって」

 

「ふふ、必死に倒す方法を考えただけさ」

 

互いに顔を合わせて、笑みを交わす。

リゼに言われた通りに、手渡された2本の缶に入っていた液体を小さめの水弾に混ぜ始めるクリア。一方で身体を水で濡らし、極力火に近い瓦礫の隙間から伝わってくる熱を我慢して標準を定めるリゼ。

帝蛇は赤龍と同等の危険性を持っているとされながらも、出現する階層が1つ違うため、実際には赤龍よりも下にランク付けされることが多い。それ故に正面から戦わせてみれば赤龍の方が強いのではないかという話も多かった。

……しかしどうしたことか、こうして強化種同士を戦わせてみれば明らかに赤龍よりも帝蛇の方が強い。通常種であれば分からないが、強化帝蛇はその鋭敏な感覚によって起用に素早く巨体を動かして赤龍の致命的な一撃を避け、龍種として他の生物とは比較にならないほど硬い龍鱗を、単純な肉体による締め付けでヒビを入れる。特に恐ろしいのは発達した牙であり、恐らく龍鱗よりも更に硬質であろうそれは、強化赤龍の翼を食い千切った。

リゼから受けた1発、そしてリゼに対する警戒というハンデを差し引いても戦況は五分五分。そして何よりそこまで戦力差が開いているのかと問われれば、それは間違いなく個体としての知能の差であるとリゼは考える。

リゼは知っている、カイザーサーペントはかなり知能が高いことを。単純な駆け引きという面で見れば、あれはリゼがこれまで見てきたモンスターの中でもワイアームの次に高い知能を持っている。下手をすれば戦闘という面で限れば、そこらの探索者よりも駆け引きが上手いくらいだろう。

高熱のブレスと飛行能力という恐ろしい武器を持っている上に、龍種として基本能力も高いレッドドラゴン。しかし知能自体はそこまで高くはないのが今のリゼには目に見て分かり、明らかにその場その場での対応しかしていないし、思い付きやパターンによる行動も多い。距離が離れればとにかく炎を吐きまくるその行動が代表的だ。

一方でカイザーサーペントは炎も吐くことはないし、毒すら持っていないが、自分の肉体と赤龍の扱うブレスの相性を即座に把握し、ダメージにならない最低限の動きで距離を詰める。そして恐らくは敵が飛行能力を持っているが故に、空から相手を見下ろす戦闘パターンばかりを使用していることを見切ったのか、帝蛇はその巨大で壁を天井を破壊しながら器用に強引に登り、重力を利用した素早い突進で赤龍を押さえ付ける。

今やエクリプスがやることは、その2体の争いに時々攻撃を挟むことで、決してどちらかに優勢が傾かない様にコントロールすることだけだった。単に争うだけだったにも関わらず、次第にその影響範囲を広めていく2体。もう既にギルドの方も動いているだろう。しかしリゼとしては最低限、エクリプスに言われた役割くらいは……こなして見せたい。

 

「クリア!」

 

「よーし、いくよー……【水弾】!」

 

可燃性の液体を混ぜた小さめの水弾が2つ、表面に炎を纏って飛んでいく。今回混ぜた液体は揮発性が高く、液体と混ぜても暫くは燃え続ける。加えてクリアが水弾の内部の動きを最低限にしていることもあり、液体と水は分離した状態で、それでも球体を保ったままに動きをコントロールされていた。

それに対して明らかな反応を示したのは当然カイザーサーペント。2つの水弾は全く別の場所から射出される様に指示したが、最も重要なのは2つの弾の速度差だ。片方はクリアの可能な限り最速で、もう片方はゆっくりとした動きでリゼと帝蛇の間を走る軌道で設定した。

頭の良い帝蛇であるならば、直ぐ様にその2つは陽動であり、本命の一撃が直後に別の場所から来ることを予測するだろう。そして普通であれば、陽動の水弾が放たれた地点とは全くかけ離れた所から攻撃するのが定石。実際、帝蛇もそう考えたのか、自身の頭をわざと赤龍の腹部に頭突きする形で隠し、火を伴った水弾を後頭部に受けることは覚悟しつつ、尾を使って身体を大きく暴れてさせ始めた。

瓦礫や砂埃を巻き上げ、身体や頭部を大きく動かし、赤龍を盾にしながらも狙撃に備えている。実際それは最善の手段であり、普通であればそんな状態の帝蛇の頭を撃ち抜く狙撃なんて誰にも出来る筈がないだろう。

……そう、普通であれば。

 

 

 

 

 

ーーーーーッッ!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

「……任務完了」

 

 

「すご……」

 

最高、最大威力の狙撃。

強化種カイザーサーペントの頭が地に落ち、強化種レッドドラゴンの腹が大きく抉り取られる。帝蛇は完全に力尽き、赤龍は甚大なダメージを負ってヨロめいた。

 

「っ……」

 

「リゼ……!」

 

大銃を落とし、その場に倒れたリゼの元へとクリアが掛けよる。

1日3発の連続射撃。リゼの大銃には威力を3段階に切り替える機能があり、1発目を中威力、2発目を小威力、3段階目を強威力で使用した。いくら慣れているリゼとは言え、流石に身体にも限度がある。耳は殆ど聞こえないし、指どころか腕も碌に上がらない。炎に近いところで待機していたこともあり、肉体的にも精神的にも疲労困憊の様相を呈しており、尋常ではない集中力が切れたことで掛かっていた負担を一気に自覚してしまったらしい。

 

「リゼ、大丈夫?」

 

「……?す、すまない。ちょっと聞こえない……」

 

「ポーション耳に流し込めばいいのかな」

 

「ええと……うん、耳に流し込もうとしてないかい?普通に飲ませて欲しいかな……」

 

聞こえなくとも、やろうとしていることが分かってしまう。クリアがそんな分かりやすい人間で良かったとリゼは心の底から思いながらも、ポーションをされるがままに飲まされた。

背後から伝わってくる大きな振動、聞こえ難くなっている今の耳にも伝わってくる悲鳴の様な龍の叫び声。帝蛇を倒すという任務が完了したあと、きっとアタラクシアが赤龍の処理を始めているのだと予想する。しかしそれは戦闘というか、本当に処理で。むしろ可哀想なことになっているのではないかと苦笑いをしながら、今はとにかく自分の身体の回復を優先させた。

 

「……聞こえる?」

 

「ああ、少しはマシになったかな」

 

「そっか。ちなみに私はまだ困惑してる。燃えてる水弾ごと頭を撃ち抜くなんて、普通考えないし」

 

「あ、あはは……前にも似た様な形で処理したんだ。熱感知とは言っても、結局は視界と同じ平面的に事象を捉える感知能力だからね」

 

「すごいね、本当に」

 

「……クリアのおかげだよ。君は本当に優秀な魔法使いだ」

 

「そう?」

 

「ああ、頼りになった」

 

「それなら嬉しいかな、頑張ったかいもあったよね」

 

ズズンッと、背後から何かが崩れ落ちた音が聞こえてくる。

それきり一切の破壊音と叫声が途絶え、静けさと平穏を取り戻した9階層。きっと全てが終わったのだろう。強化種2体の闘争も、英雄による新人探索者に対する試練も、全部。

 

 

「……お見事」

 

「ふふ、あんな怪物達を1人で押さえ込んでいた君がそれを言うのかい?エクリプス」

 

「言うさ」

 

「流石英雄、かっこいいじゃん」

 

「……知っていたか」

 

「むしろ最初に気付かなかったの、普通に同族に怒られると思う」

 

「そうなのかい?」

 

「英雄って、人族と精霊族の繋がりの証だからさ。言葉だけでもぞんざいに扱うと怒られるんだよね」

 

「気にするな」

 

「うん、気にしてないから大丈夫」

 

「そ、そこは少しくらい気にした方がいいんじゃ……」

 

クリアと、エクリプス。

色々と特徴的な性格をしていて、片方は英雄と呼ばれる規格外の存在で、本来であれば手を伸ばしても届かない、こうして言葉を交わすことも出来ない人物であるが。

存外このパーティは、戦闘だけでなく、互いの相性としても噛み合っているのかもしれない。

そう思うとリゼは即席であったにも関わらず、これは運命の出会いだったのではないかと思ったほどだ。そして単純に見識も広がったし、色々な体験をすることも出来た。魔法というものがこれほど便利なものであり、本来の高速戦闘の在り方についても学べた。これが出会いであり、これこそが人と人との道が交わることによって生じる変化。

 

エクリプスとクリアに肩を貸して貰い、立ち上がる。本当に、2人と組むのがこれきりだということを勿体なく感じてしまうくらいに、変え難い出会いであったと今なら断言出来た。

 

「うん、11階層に」

 

「ええ!?まだ進むのかい!?」

 

「良い機会だし、見に行くくらい良いんじゃない?」

 

「だ、だがこの有様をギルドに伝える役割とか……!!」

 

「終息した」

 

「誰かやっといてくれるからへーきへーき」

 

「せ、精霊族はみんなこんな感じなのか!?」

 

ただ、こういう2人のちょっとした雑なところは、真面目なリゼとしては慣れないところもあるのかもしれない。



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84.揺葉

巨大な河川がいくつも流れる洞窟地帯、それが11階層から15階層へと続く階層模様になる。11階層はダンジョン2階層や6階層と同様にモンスターは存在せず、普段はここで釣りや水遊びに興じる探索者や、上質な水や海藻などを採取するために潜水装備で潜る探索者などがよく見られる……らしい。

 

「君達!上階では一体何が……!!」

 

「あ、ええと……」

 

「なんか解決したから、帰っても大丈夫」

 

「そ、そうか!それは良かった!!」

 

10階層で突如として出現したレッドドラゴンの強化種、それが天井を突き破ったことにより崩落し、カイザーサーペントと出会ったことで更に被害が大きくなった。その振動はかなりの範囲に渡って響いており、どうやらこの付近の探索者はみな11階層に避難していたらしい。

10階層から降りて来たリゼ達に対して集って来た彼等はクリアが適当に発したその言葉に盛り上がり、地上へ向けて走っていく。どうやらそれくらいこの異常事態を不安に思っていたらしく、恐怖していたらしいことがよく分かった。見た限りでは装備の質的にもリゼやクリアとそう変わらないくらいの探索者が大半、この反応も当然といったところだろう。

そもそもワイアームの強化種さえ、マドカと支援に特化した主従の誓いの2人が居て漸く倒せたくらいなのだ。それが2体も出現したとなれば、上位の探索者であっても当然の様に逃げる避けるが選択肢に上がって来る。

 

「まあそれはどうでもいいとして」

 

「い、いや、どうでも良くはないけれど……」

 

「どう?11階層、綺麗でしょ」

 

「ああ……うん、そうだね。確かにとても綺麗だ」

 

透き通った美しい水は見ているだけでも心の中が良い意味で空っぽになるというか、その中でも息づいている小さな魚や生き物達、そして海藻などは、色々とあって僅かに浮つきを戻せていなかった心に安らぎをもたらしてくれる。

先程までいた空間が戦闘の影響で異様に熱かったという理由もあるが、なんとなくここに居るだけで心地の良い涼しさを感じる気もしている。

 

「わたしは嫌いだけど」

 

「クリア!?ここは水属性が得意な君こそという場所じゃないのかい!?」

 

「水辺って嫌いなんだよね」

 

「え、えぇ……」

 

そう言う通り、ダンジョンの入口付近から一向に動こうとしないクリアに、リゼは笑うしかない。ふとエクリプスの方へ目を向ければ、彼女はその綺麗な水にグローブを取った素手を通し、水の冷たさを素直に楽しんでいるらしい。それとも彼女でさえも強化赤龍の炎は辛かったのか。しかしやはり彼女も規格外の美人であり、水で自分の髪を濡らし、紐を咥えながら一纏めにしようとしているその姿は、同じ女性でもドキドキとさせられてしまう様な魅力がそこにあった。

 

「い、いや、そうではなくて……」

 

せっかくここまで来たのだから、新しい階層について目で見て手で触れて理解する必要がある。

11階層は広大であり、この感じではまず間違いなく水生のモンスターが大量に発生するのだろう。それに水の深さもそれなりのものだ。6階層に毒草や毒虫が少ないことを考えるに、12階層移行はこれよりもっと水が深かったりなどするのかもしれない。

水に1度でも落ちてしまえば、直ぐに上がらない限り酷いことになるのは間違いなくて、こんな重い武器を持っているリゼでは致命的なミスになりかねないということも考えなければならない。

 

(それに銃弾は水の抵抗で威力がかなり落ちてしまう、どちらかと言えばこの階層はレイナの方が活躍出来るのかもしれない)

 

電気の伝導率を上げるために無理矢理水を汚すなんてことも考えられるが、そうなると少し怖いのが水を汚染することが引鉄になって恐ろしい存在が出て来たりしないか。その辺りも帰ったら調べなければならないということを頭の中に留めて、リゼは疲労した身体を休めるためにエクリプスの隣に座った。

 

「リゼ」

 

「うん?なんだいエクリプス」

 

「これを」

 

「え……?」

 

髪を一纏めにし、強化種達を翻弄していた先程までとは打って変わって萎らしく座っていたエクリプスに呼ばれると、何か2つの物を手渡される。一つはそれなりに大きな物、もう一つは割と手に馴染んだ小さな物。

 

「これは……スフィアと、なんだろう?」

 

「龍宝だ」

 

「龍宝……?」

 

「クリア」

 

「え、説明投げるの?……まあ、いいけどさぁ」

 

見た目は掌大の紅色の鉱石、表面に白色の不純物も付着しており未加工の宝石といった印象も受ける。しかし同時に受け取った赤色のスフィアと比べれば、その紅色がどれほど深みがあり、そして途方もない何かを秘めているのか嫌でも分かるというもの。

 

「龍宝は……なんか、すっごい珍しいやつ」

 

「ざ、ざっくりとしてるね」

 

「武器とか防具とかを作る時に使うと、なんかすごい効果が付くんだって。オルテミスでも1年に1個見つかるかどうかって聞いたことある」

 

「そ、そんなものをどうして私に!?」

 

「?要らない」

 

「い、要らないって……」

 

「武器とか防具は要らないってことじゃない?ほら、多分すごい武器とか持ってそうだし」

 

「ああ」

 

「そ、そうは言っても……」

 

「貰っておけばいいじゃん」

 

「え?」

 

「それで仲間を守れるならさ、それでいいじゃん」

 

「!……それも、そうかもしれない」

 

クリアのその言葉に同意する様に、エクリプスは笑顔でそれを手放しリゼの手に残していく。きっとこれ一つでとんでもない額が付くのだろう、なんだかこんなことばかりだ。マドカの時然り、リゼは色々な物をこうして渡される。しかしクリアの言う通り、それで仲間の命を守れるのならそれ以上のこともない。ここで申し訳なさを我慢するだけで最悪を免れるなら、迷う要素なんてどこにもない。

 

「ありがとう、エクリプス」

 

「ん」

 

「あれ、魔晶は?」

 

「砕けた」

 

「え、それが一番もったいないよね」

 

「すまない」

 

「い、いや、それはもう仕方ないというか……」

 

「スフィアはなにかな」

 

「分からない」

 

「あ、えと、試してみるかい?」

 

「帰ってからでいっか」

 

「そうだな」

 

「お腹減ったしさ、そろそろ帰りたい」

 

「奢ろう」

 

「ほんと?ありがとう」

 

「い、良いのかい?」

 

「あ、そういえばさ、英雄も疲れるの?」

 

「疲れる」

 

「倒れたことある?」

 

「3年前の邪龍討伐」

 

「私あの時は物資係に居たからなぁ」

 

「話のテンポが早いな君達!!」

 

もう少しこう、一つ一つの話題を大切にというか。もう少し話の移り変わりに余裕を持って欲しいと言うか。せっかく邪龍討伐とか気になる話が出ているのだから、そこはもう少し掘り下げて色々な話が聞きたいというか?

 

「リゼ」「リゼ」

 

「こ、今度は何だい!?」

 

「「お疲れ」」

 

「……!」

 

本当に2人は、唐突に、そういうことを言って来て。

 

「……2人のおかげだよ」

 

色々と余計なことを考えずにこうして達成感に浸れているのは、間違いなく。

 

 

 

 

 

 

ダンジョンの9階層で起きた騒動については、地上でも既にそれなりの大事になっていた。

最初は9階層から命からがら逃げて来た探索者達による報告、そして直ぐ様に動くことになったのは、いつもの様に便利に扱われるマドカ・アナスタシア……ではなく、彼女の事情を知っており代わりを申し出たライカ・シンフォニーと、マドカと共に食堂に居たラフォーレ・アナスタシアである。

 

「……これは、酷いな」

 

「ほう……強化種が2体というのは嘘ではなかったか」

 

「相討ちとは考え辛い、誰の仕業だ……?」

 

「アレを見ろ小娘」

 

「?……あれは」

 

灰の山となった場所を探っていたライカは、ラフォーレの指さした方向に壁が何かで穿たれた様な跡を見つける。赤龍が爪で付けたにしては小さい上に深く、帝蛇の牙であれば2つ穴が出来ているはず。弓や槍で付けたようにも見えなくもないが、弓使いのライカはそれとも違うと断言する。少なくともライカはこんな跡は見たことがなかった。

 

「銃痕だ」

 

「銃痕……?」

 

「つまり、あの愚図の仕業ということか」

 

「?」

 

横顔とは言え、滅多に見ることのないラフォーレ・アナスタシアの笑み。決して微笑ましい物ではなくて、むしろ自分に向けられていれば慄いてしまいそうなものだけれど、果たして彼女にそんな笑みを向けられる人間が一体どれくらい居るのかという話。

 

「確か今、英雄アタラクシアがダンジョン内に居ると聞いていたが、その"愚図"とやらと行動を共にしていたということだろうか?名簿の確認を忘れていた」

 

「いや、もう1人居る」

 

「もう1人……?」

 

「階層が異様に濡れている。あの愚図は水魔法は使わん、これほどの規模の水魔法を使うとなれば同行者も限られるだろう」

 

「……"神の子"、クリアスター・シングルベリア」

 

「はっ、相変わらずあの愚図は女を誑かす能力だけは一流だな」

 

その言葉と同時に、ラフォーレは付近の探索をやめて地上へ戻る道を歩き始めた。ライカはそれに気付くと、慌てて彼女を追い掛ける。

 

「ま、待て!まだ彼等に会って話を聞けていないだろう!?」

 

「必要ない、あの愚図はクソ真面目だ。言われずとも報告を寄越す」

 

「しかし救援を待っている可能性も……っ!」

 

瞬間、放たれた炎弾をライカは避けた。

何の容赦もなく当てるつもりで放たれたそれは、ライカでなければ大怪我をしていたかもしれない。しかし彼女は何も悪びれる様子もなく、階段を登っていくだけ。

 

「私に指図をするな小娘。探したいのであれば勝手に探せ、私を巻き込むな」

 

「………」

 

それほどマドカとの食事の時間を邪魔されたことに不満であったのか、しかしよくよく考えれば彼女の判断も間違っていなかったりもするだろう。

事態が終息している以上、1人は現地に残って調査を続け、もう1人は地上にその報告に上がる。追加人員を派遣するとしても、救護目的と救援目的では全く違う。完全に戦力として連れて来られたラフォーレ・アナスタシアが救護の為にこの場に残るというのは、まったくもって意味のない話。

 

「……流石に歴のある探索者は違うな」

 

そこまでのことを直ぐに思い付かずに、ただ目の前の惨状に驚いていただけの自分とは違う。これが場数の差というものなのか。仮にも1つのクランを率いる立場に居る者としては情けなさを感じてしまう。

ラフォーレ・アナスタシアは3年前の邪龍候補の討伐の際に活躍した精鋭部隊の1人であり、ここ数年で恐らく最も強化種の討伐に関わっている実力者だ。人格的な問題はあるとは言え、探索者としての知識も経験も豊富であり、その気になれば集団を率いて指揮を取れる貴重な人材でもある。

未だ若く経験も少ない、今ある仕事を始末するので精一杯なライカとは、そこが違う。横暴な人物ではあるが、尊敬出来ない訳ではなく、見習うべきところは多くあるだろう。たった4人で35階層を突破しているという事実には、相応の理由があるということ。

 

「あれ、ライカさんだ」

 

「?……クリアスター」

 

「クリアでいいのに」

 

そうして付近に瓦礫に押し潰された探索者がいないか周囲を探していると、丁度目的の人物達が11階層から上がって来た。

"英雄"アタラクシア・ジ・エクリプス、"神の子"クリアスター・シングルベリア、そして……

 

「ええと、はじめまして……だろうか。前にマドカと話しているのを一方的に見たことがあるけれど」

 

「話は聞いている、リゼ・フォルテシアだな。ライカ・シンフォニーだ」

 

「ど、どうも」

 

聞いていた通りの特徴。

身長が高く、顔が良く、巨大な銃を手足の様に扱う異端な探索者。最新のマドカの教え子であり、他の教え子達と同様に既に様々な厄介ごとに巻き込まれ、その中で活躍をしているらしい。他にも胸部の大きさが自分と同じくらいであると余計な情報も耳に入れられたが、ライカとしてはどうでもいい。

 

「これを倒したのはお前達か?」

 

「えっと、それはアタラクシアが……」

 

「3人で」

 

「え?」

 

「私達3人で倒したってことだと思うよ」

 

「!そ、そうか……すまない、ありがとう」

 

「……3人、か」

 

ライカはアタラクシアの方ではなく、クリアの方へと目を向ける。しかしそれに対してただ首を横に振るクリア。次に目を向けたのはリゼの背負う大銃、噂には聞いていたが、こんな物を本当にぶっ放しているというのだから正気ではない。硬い龍鱗を持っているならばまだしも、いくら強化種とは言え、元が蛇であるカイザーサーペントの皮膚は物理耐性は非常に特徴的。打撃や属性攻撃には強いが、刺突や斬撃には弱い。銃撃など防げる筈もなく、十中八九強化帝蛇を倒したのはこの女だと分かる。

……適材適所、それを含めて指示を出したのは。

 

「英雄アタラクシア、これは誰からの指示だ?」

 

「え?」

 

「……マドカ・アナスタシア」

 

「「っ」」

 

「なるほど……」

 

「そ、それならエクリプス……もしかして、私のパーティに入ったのもマドカの……」

 

「指示は警戒」

 

「?」

 

「過程は趣味だ」

 

それはつまり、あくまでマドカから指示されたのはダンジョン内の警戒だけであり、そこに至るまでの道中は全て任されていたということか。リゼはなんだかその言葉に安心してしまって、それもなんだか変なことだと思いつつ、話を元に戻す。

 

「強化種が2体も同時に出現するなど、前代未聞の出来事だ。原因は分かるか?」

 

「いや、流石に分からない。私達も後から来たから、出現したところを見た訳ではないんだ」

 

「アタラクシア、心当たりは?」

 

「不明だ」

 

「……やはりマドカに聞くしかないか」

 

「そもそもここでしないといけない話じゃないし、帰りたいなぁ」

 

「え?ああ、すまない。……どうも、この状況に少し混乱しているようだ。地上まで送ろう、帰りの戦闘は任せてくれて構わない」

 

「いえ〜い、めっちゃ楽出来るじゃん」

 

「すまない、助かるよ」

 

そう言ってライカが背中から取り出したのは、1本の大弓。材質的に軽いのかそれを軽々と彼女は振り回すが、そんなライカとリゼに挟まれたクリアは、2人の顔を交互に見て呟く。

 

「なんかヤバい武器持った2人に囲まれてる」

 

「や、ヤバい武器……」

 

「別に私のは普通だろう、大弓くらい使っている探索者はウチのクランにも多く居るだろう」

 

「でも大体お爺ちゃんだよね」

 

「……?ああ、そうか。2人は同じ"青葉の集い"のクランなのか」

 

「今頃気付いたの?」

 

「ああ、セルフィから聞いていた。確かライカという女傑が若くしてギルド長やマドカと共に高齢の探索者達を纏め上げ、"青葉の集い"を作ったのだと。君のことだったのか」

 

「ひゅ〜、女傑だって〜」

 

「やめろ恥ずかしい。……私は別に大したことはしていない、単に役割を引き受けただけだ。道筋を作ったのはマドカで、それを現実的にしたのはギルド長で、それに乗っかったのが私という、ただそれだけの話だ」

 

「急に早口になるじゃん」

 

「……うるさい」

 

クリアの弄りに対して、恥ずかしそうに顔を背ける彼女は、如何にも年相応という感じ。これが同じクランの仲の良さなのかと考えると、これから自分のクランを大きくさせていくつもりのリゼにとっては、なんだか少し楽しみにもなるというもの。

そんな風にニコニコと笑みを向けられているのに気付き、余計に恥ずかしくなるライカ。

しかしリゼはまだ知らない。

偉業を成し遂げて帰った彼女がこの後、ラフォーレに殴り飛ばされることになるということを。



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85.遠い

『貴ッ様ァ!!この私の助言を破っておきながらよくもまあ図々しくその愚図面を前に出せたなこの愚図が!!』

 

『い、いくらなんでもこの大銃だけで戦闘を続けるなんて無理だぁ!!それにこっちの方が私の基本スタイルなんだぁ!!』

 

『喧しいわ愚図がァ!!少し目を離した隙に調子に乗ったか!いいだろう!そこまで言うのであればそのスタイルでやらせてやろう!ただし及第点が取れるまでダンジョンから帰れると思うなよこの愚か者が!!』

 

『ま、待ってくれラフォーレ!せめて少し休憩してから……マドカぁぁぁあああ!!』

 

『あ、あはは……』

 

ということがあり、ようやく地上へ戻って来ることが出来たリゼは、そのままラフォーレによって再度ダンジョンの中へ連れ込まれて行った。哀れに引き摺られていくそんな彼女を見る周りの目は、なんだかとっても同情的で、しかし誰も助ける人は居ない。

元々、カイザーサーペントを倒した後にラフォーレから『大銃の扱いを極めろ、他のことには手を出すな』という助言を受けていたにも関わらず、他のことに手を出してしまったのがリゼである。ならば今直ぐにでもそれが使い物になるようにしてやろう、というラフォーレの判断は至極正しいものだ。リゼとしても、結果的には為になる話だろう。……まあ今日中に帰って来られるかは割と絶望的な話ではあるが、上位の探索者にそこまで付き合って貰えるということを感謝すべきでもある。

 

「ということで……ありがとうございました、お二人とも。リゼさんが無事に帰って来られたのはお二人のおかげです」

 

「無事……?」

 

「ま、まあお母さんもリゼさんのこと気に入っているみたいですし」

 

「……おかげって言うか、巻き込まれたよね。英雄サマに」

 

「すまない」

 

「それで、マドカはどうして知っていたんだ?」

 

「知っていた訳ではありませんよ。ただ知り合いから街中でアルファさんを見掛けたという話を聞いたので、アタラクシアさんにダンジョン内での調査をお願いしたんです」

 

「アルファ……例のマドカを狙っている変態男か」

 

「へぇ、そんな罰当たりな人が居るんだ」

 

「ただ、流石に今回のことは予想外が過ぎました。強化種が2体も同時に出現するなんて、少し間違っていれば地上に大きな被害を与えていた可能性すらあります。本当にアタラクシアさんにお願いして良かったです」

 

「むしろ英雄サマのせいで難易度上がった説」

 

「すまない」

 

「ほんと死ぬかと思った」

 

「クリアさんもお疲れ様でした」

 

「ん〜、メイアナ様にそう言われたなら頑張った甲斐もあったかなぁ」

 

「ふふ、クリアさんがメイアナ様を信じてないことなんて知ってるんですからね?そもそも私はメイアナ様ではないのですが」

 

「髪が白くて目が青かったらみんなメイアナ様だし、単純だよねぇ、精霊族って」

 

「お母さんも昔はメイアナ様って呼ばれていたみたいですよ?言われる度に強く否定していると言っていましたが」

 

「強い否定」

 

「それはもう強い否定なんだろうなぁ」

 

話は逸れていくが、こうして話している間にも彼らの後ろではギルド職員達がこれでもかと忙しく走り回っている。強化種2体の出現ともなれば、その原因究明のために奔走するのは当然の話だ。肝心のリゼ達から聞けた話も、原因は分からず、不審な人物も見ておらず、取り敢えず英雄アタラクシア・ジ・エクリプスの力もあってなんとか討伐に成功したと言うことくらい。目撃者の特定のためにダンジョンに入った人間の名簿を洗い直して、各クランに聞き回っている。しかしやはり特に今のところ手掛かりもなく、どこまで遡っても2体が突然出現したようにしか思えない。

 

「……強化種を自由に呼べる方法がある?」

 

ライカは小さくそう呟く。

個人、若しくは少人数で、加えて短時間で、もし強化種を呼べる方法があるとしたら。それはダンジョン、探索者、どころかこの街や世界そのものに対する凄まじい脅威になる。決して見つかってはいけない方法であり、知られてはいけない情報だろう。だがこうなった以上、マドカがアルファという男を見たという事実があり、本当にその男が関わっているのだとすれば……

 

(一体この街に、強化種に挑める人間がどれだけ居る?今の戦力で、本当に対抗出来るのか?)

 

ワイアームの強化種とマドカ・アナスタシアを基準に考えるとする。ワイアームの強化種というのは通常のワイアームよりも絡め手となる手段が多く、その知性も考えれば一気に上位の存在となる。それにマドカの罹った毒のことを考えれば、あれは恐らくレッドドラゴンの強化種にも勝る。

 

(……私ならば、どこまで戦える)

 

ライカには強化種と戦った経験がない。3年前の邪龍候補討伐の際も、ライカはその精鋭に参加することは出来なかった。あれに参加出来たのはベテラン探索者ばかりで、唯一若かったのはマドカとセルフィ、そして少し歳の離れたエアロくらいだった。

それくらい強化種と矛を交える機会というのは得られるものではなくて、ライカからすれば探索者になって数ヶ月にも関わらず、既に2度も強化種と出会っているリゼが羨ましくて仕方がない。

 

「それでは、私とライカさんはこれから行くところがありますので」

 

「は……え?」

 

「ん〜、なら私は帰ろっかなぁ。疲れたし」

 

「あ、そうだ。アタラクシアさんはレンドさんの所に行ってくれませんか?今企画していることがありまして、それに協力してもらいたいんです」

 

「了解した」

 

「えっ?あっ、マドカ……?」

 

「まあまあ、こっちにこっちに」

 

アタラクシアとクリアと別れて、マドカはライカを連れ出していく。向かう先はダンジョンの中、出て来たと思ったらまた入っていく2人を見て職員は不思議な顔をしたが、それもリゼとラフォーレの件もあったので何も言わずに見送った。

1階層のワイバーンはラフォーレが消しとばしたのか灰しか残っていなかったが、その方が都合が良かったとばかりに、マドカは身体を伸ばし始める。

 

「さてライカさん、競走しましょうか」

 

「?いきなり何を……」

 

「ライカさんが私の高速戦闘を密かに練習してるの、知ってたんですよ?危ないから駄目だって、ちゃんと言った筈なんですけどね」

 

「そ、れは……」

 

笑顔を向けられながら、叱られているのだと分かる。しかし彼女が言うことももっともであると知っている。何度も怪我をした、この身をもって知っている。

 

「だからですね。そんなに使いたいのなら、最後の仕上げくらいお手伝いしようかなぁと思いまして」

 

「!」

 

「これからは教える側として頑張ると決めましたし、これもその一貫ですね。……ただし、まあ、その代わり」

 

「?」

 

 

 

 

「最後の仕上げが一番苦しいことだけは、先に言っておきますよ?」

 

 

 

「なっ……!!!」

 

瞬間、顔の横を通っていった彼女の姿。

 

一瞬瞬きをした、正にその直後のことであった。

 

見えていたのに、反応出来なかった。

彼女の動きに何も出来ず、ただ見送ってしまった。

自分の意識の隙をつかれた。

 

「さ、構えてください。ライカさん」

 

「なにを、言って……」

 

背中合わせに背後に立つマドカは、ライカに少しもたれ掛かりながら軽い拍子でそう語る。レベルは既に上回った、今やあの頃とは違い見上げるだけの存在ではない。……それなのに、どうしてこうも。

 

(この女は、強い……!!)

 

「私もリゼさんとお母さんから学んだんです。……急いでいる時には、実戦で教えるのが一番早いんだって」

 

「それは一番真似したら……ぐっ!?」

 

「さ、SPDの値は一緒なんですから。私に追いつくには練度を上げるしかないですよ?……高速戦闘の」

 

「瞬き1つ許してくれない人間から何を学べと言うんだ……!!」

 

抜かれた剣、それを弓で懸命に逸らす。

引き離す、引き離す、そのために足を動かす。しかしその女はむしろ自分を追い抜いて、回り込んでくる。SPDは同じはずなのに。いくら近距離戦闘が得意だからと言って、いくら自分が遠距離戦闘しかして来なかったとはいえ、流石にこれは……

 

「っ、時間差の2撃……!」

 

「右腕も左腕も、全くの別々に動かせるようになると便利ですよ。あと人間を相手にする時は定石を多少崩した方が楽です、剣の振り方一つにしても」

 

「お前の腕は鞭か何かか!」

 

「正にそんなイメージです」

 

「こっ、のっ!!」

 

ガードするだけで精一杯な連撃から抜け出すために、多少強引に回避のスフィアを使い、マドカから距離を離すライカ。しかし彼女の表情は変わらない、彼女もまた腰のスフィアに手を伸ばす。

 

「さて、逃げ切れますでしょうか」

 

「そんな使い方を……!」

 

そうして距離を離して体勢を立て直そうとしたライカを、マドカは背中を向けて同じように回避のスフィアを使って追い掛けてきた。

リゼも知っているマドカの定石。そしてそのまま身体を回転させて攻撃を続行してくるのだから、こいつには怖い物がないのかとすら思ってしまうほどだ。一歩間違えればあらぬ方向に飛んでいき、大きな隙を晒すことになるというのに。しかしそのミスすら起こさない確証がある様に、彼女はそれを当然の様に成す。

 

「だが!これは持っていないだろう……!」

 

「回避☆2ですか」

 

回避☆1のスフィアが後方への吹き飛ばし効果であれば、回避☆2のスフィアは前方へ前転しながらの吹き飛ばし効果であった。

正にマドカがそうしたように、ライカは自分の身体を横に向けて回避する。ライカとて似た様な技術は使っている、そして一度見たのであればそれを応用に利用する程度の器用さはある。いくらマドカであっても、空中での2度目の方向転換は出来ないものだ。これはスフィアの枠を2つも回避に使用しているライカの特権。

……そう考えていたが、それは間違いである。

 

「っ、これは……!」

 

「鎖、結構便利ですから持っておくと良いですよ」

 

「勉強に、なる……がっ!!」

 

腕に巻かれた鎖によって、強引に引き寄せられ、無理矢理近距離戦闘に持ち込まれる。しかし分かる、完全に手加減をされていると。近距離戦闘では分がないということは分かっていたが、全ての攻撃がこちらの武器と防具に当たる。ここまで来れば人によっては侮辱とも思うだろう。しかも当の本人は笑みを浮かべているのだから、こいつの人間性を知っていなければライカと言えどブチギレているところだ。

 

「くっ、怪我をしても文句を言うなよ!!"双射"!!」

 

「言いませんよ、怪我をするつもりもありませんから」

 

「っ、バケモノか……!」

 

至近距離から放った【双射のスフィア☆2】による予備動作なしの二重射撃。スフィアによって生み出された矢は自動で装填され、意思によって射撃される。その間に次の実物の矢を用意し、3本目を射出するのが定石だ。近距離戦闘でも十分な力を発揮するそれは、少数での戦闘の際には弓士にとって不可欠なものと言えるだろう。

……ただそれが対人戦闘においてもそうかと問われれば、そうではない。実際マドカは射出の瞬間に切先を矢の先端と合わせる事で2発に別れる前に粉砕し、そのまま次弾となる実弾を装填させることすら妨害した。

 

「そういう時は即座に矢で攻撃できるといいですね。あとその速度で跳ぶと着地が危ないですよ」

 

「っ」

 

とにかく逃げるために天井を蹴って降りようとしたのは良いが、勢い余って自分の許容範囲を超えた速度を出してしまったライカは、マドカによって腹部に巻かれた鎖によって勢いを落とされ、なんとか無傷で着地をさせられる。

それに伴って遅れて降りて来た彼女は、両手に剣を持ちながら、余った指で器用に鎖を収納していく。変わらぬ笑みを浮かべたまま、冷静に。

 

「ですが、これなら十分に合格ですね。仕上げをする必要もなかったでしょうか」

 

「……合格、なのか?」

 

「ええ、ここまで追い詰めて唯一のミスが今のだけですから。普段使いをする分には問題ないでしょう」

 

「やはり、分かっていて追い詰めたのか」

 

「強化ワイアームはこれ以上です」

 

「!」

 

「強化種と戦ったことがないことを気にしていたんですよね?だから私なりに強化ワイアームの動きを少し再現してみたつもりです。……本物は私以上の攻撃力と体力、そして空中を自在に飛び回り、壁を抉り、薄い毒を充満させながら襲って来る訳ですが」

 

「……よく、そんなものを」

 

「あれは"主従の誓い"のお二人のおかげです、私一人では到底無理な相手でした。……そして気付きましたか?単なる移動という面においても、ライカさんはまだその速度を活かしきれていないことを」

 

「っ」

 

「とは言え、この分野については私よりエミさんに教えを頂いた方がいいと思います。私もエミさんから色々と教わりましたから。その辺りも纏めていつか本にしたいですね、速度重視の探索者は事故を起こしやすいので」

 

「…………」

 

……遠いな、と。

素直にそう感じてしまう。

自分より2つ下の少女、探索者としての歴も自分の方が長いはず。それなのに彼女の存在はこれほどまでに遠く、そして大きく感じてしまう。

彼女は天才であるし、ステータスやスキルにも恵まれている。正しく探索者になるために生まれて来たような人間で、レベルが伸び難いことくらいしか欠点がない。ただそれよりも異常だとライカが感じているのは、その達観した精神性だ。

視点が違う、考え方が違う、そもそも立って見ている場所が違う。日々を必死になって、自分の目の前の物を見ることだけでも精一杯なライカとは違い、この年下の女は常に何処か遠くを見つめている。だからきっと、その過程にあるものに対して、それほど執着はしていないのだろう。

故に遠い、近くには感じられない、身近な人間には感じられない。

……端的に言えば、憧れる。

 

「安心してください、ライカさん」

 

「……?」

 

「今のライカさんなら、強化種との戦闘でも十分な戦力になれます」

 

「!」

 

「そして、こうして1人で高速戦闘を完成させてしまうくらいの努力家さんなら……直ぐにでも、最上位の探索者になることだって出来ます」

 

「……お見通しか」

 

「長い付き合いですから」

 

「まだ4年だろう」

 

「人生の1/5ですよ、十分に長い付き合いです」

 

「それも、そうだな。……あと2年もあれば、お前に勝てるようになるだろう」

 

「あと1年で頑張ってください」

 

「お前の隠し事を考慮しての2年だ」

 

「なるほど」

 

「……だから、言ってくれ」

 

「?」

 

「足りないことがあれば、指摘してくれ」

 

せっかくこれまで見せてくれなかった高速戦闘を見せてくれて、その応用まで教えてくれて、ならばもっと……より多くのことを……

 

 

 

「………それなら先ず。回避☆1のスフィアと双射のスフィアは、可能な限り同時に使用した方がいいです。回避と反撃を同時に行える貴重な機会ですから、追い詰められている状況では有効な手段です」

 

 

 

「次に対人戦闘では回避☆2のスフィアはあまりお勧めしません。移動距離は長く速度も早いですが、前転する必要があるので慣れるまで視界の確保が難しいので。それより回避☆1のスフィアを2つ付けた方が便利な場合がよっぽど多いです」

 

 

 

「それと双射を放つ場合には可能な限り照準時間は短くする方がいいです。双射は不意打性能が高いので、近距離戦闘で使うのであれば弓矢で殴り付けるついでに放つとか、そういう使い方が出来ると最高ですね」

 

 

 

「そもそも高速戦闘を主軸に置くのであれば、武器に工夫をしてみるのもいいかもしれません。せっかくの弓矢ですから、鎖やロープを撃つことで空中での移動手段を増やすのもありだと思います」

 

 

 

「それともし余裕があれば、腕に仕込み矢を付けておくのもいいかもしれません。私はこうやって小杖を仕込んでいますが、仕込み矢であれば威力は下がりますが双射も使えますし、予備の武器としても役割が持てると思います。もしもの時に絶対に役に立ちますからオススメです」

 

 

 

 

「……そんなに沢山指摘されるとは思わなかった」

 

「え、あ、すみません」

 

「いや、勉強になるのは確かなんだ。ありがとう」

 

「は、はい」

 

彼女から見れば、まだまだ不足しているところばかりということなのか。むしろそれくらい期待をしてくれているということなのか。

とにもかくにも。

 

(……遠いな)

 

この感想だけは変わりそうになかった。



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86.気の合う仲間

「ーーーーーーうぁ」

 

「なにこれ」

 

「リゼさんです」

 

「いや、知ってるけど……なにこのボロ屑」

 

「帝蛇と赤竜の強化種と戦わされた後に、単独で赤竜の前に放り出されたリゼさんです」

 

「ドMなの?」

 

「流石にボコボコにされて負けたそうです」

 

「そりゃそうでしょ」

 

スズハがリゼとレイナの部屋を訪れると、そこには玄関入って直ぐに倒れている黒焦げの服を着て倒れている女と、そんな彼女の体を持ち上げようとしている女の姿。怪我はない……というよりは治された後なのか、どうもレイナが帰って来た時に玄関前に放り投げられていたらしい。気力も体力も尽きていて、状況を聞くだけが精一杯様子。スズハも仕方ないと溜息を吐きながら落ちていた荷物を運んでやる。

 

「で、赤竜倒す方法は見つかったわけ?」

 

「正直リゼさんの大銃を使えばそこまで難しい訳ではなさそうです。帝蛇ほど感覚が優れている訳でもないみたいですし、堅牢な龍鱗もこの大銃の障害になるほどではないですし」

 

「ボコボコに負けてんだけど」

 

「それはこっちの二丁銃を使ったからみたいです、あと全力射撃したせいで身体がガタガタだったんじゃないでしょうか」

 

「大銃だけに専念した方がいいんじゃない?」

 

「これにばかり頼ってはいられませんから。基礎を整えていかないと事故を起こします。大砲として生きていくだけなのならまだしも、探索者として生きていきたいなら基礎能力は重要です」

 

「でもこの世界のレベルって概念、龍種相手に苦戦するのが一番効率いいんでしょ?なんでこいつ帝蛇とばっか戦ってんの?」

 

「……実は以前はワイアームとばかり戦ってまして。なんだかこう、どうも蛇型のモンスターに縁があるというか」

 

「でもレベルは上がってるわね」

 

「え、ほんとですか?」

 

リゼが足に付けている秘石を勝手に除き、そのレベルを確認するスズハ。レイナもいけないとは知りつつも覗き込む。実力が離されすぎてしまうとパーティメンバーとして困ってしまうので、仲間のレベルくらいは確認しておきたいというのは当然だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○リゼ・フォルテシア

17歳 女性

Lv.14→16

スフィア1:回避☆1

スフィア2:視覚強化☆3

スフィア3:炎打☆2

-ステータス-

初期値30+13→30+15

STR:D11

INT:G+3

SPD:E-7→E8

POW:F5

VIT:D-10→D11

LUK:E-7

-スキル-

【星の王冠】…精神力と引き換えに意識・思考・認識能力を高速化する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……盾にでもなりたいの?こいつ」

 

「実際ステータスは純戦士向きというか、大型の武器を持って前衛で殴り合ってそうな感じなんですよね」

 

「精神力ってスフィア使う時に消費されるんでしょ?魔力もないし、スキルも使えば同レベル帯の近接型より強いんじゃない?」

 

「実際、最初の方はこの大銃を棍棒のようにしてモンスター殴ってましたし。最近はこっちの銃を使っているので、あまり見ませんが」

 

「あんた何Lvだっけ?」

 

「12です」

 

「また引き離されたわね」

 

「……わかってます」

 

「4レベルって、そんなに簡単に縮められるわけ?」

 

「……わかってますよ」

 

今回、本当にリゼが強化種を撃ったのだとすれば、直ぐにもう1つレベルが上がってもおかしくはないだろう。それほどの偉業だ、むしろ2つしか上がらなかったのが物足りないくらい。

ならばレイナも追い付かなければならないが、一緒に成長するのと追い付くというのは全くの別物だ。相手も成長しているのだから、単純にそれ以上の成長を自分はしなければならない。

レイナに足りないのは、地獄を見せてくれる相手。それ即ち、リゼにとってのマドカ……の母親であるラフォーレである。決して死なせず、しかし問答無用で地獄の中へ放り込んでくれる。そういう存在。単純にレベルを上げたいのであれば、そういう相手を見つけることこそが重要になる。優しさだけでは強くはなれないのだ、そういう意味ではラフォーレは名教師と言える。

 

「地獄を見せてくれる人、か……」

 

「レベル上げたいなら良い方法があるわよ」

 

「え?なんですかそれ、聞きたいです」

 

こうして困っている事案に、何故だかあっさりと解決法があると言うスズハ。この世界の住人ではない彼女が、一体どういうつもりなのか。むしろこの世界の住人でないからこその考え方でもあるのか。スズハはリゼの衣服を着せ替えてベッドに寝かせると、身を乗り出して彼女の言葉を待つ。

 

「3日くらいダンジョンに引きこもったら?」

 

「……は?」

 

しかし出て来た言葉は、知的な彼女からは考えられないような脳筋手段で。

 

「例えばレベルを2つ上げるために50時間必要だとする、これを1日5時間の探索で成し遂げるなら単純計算で10日必要だってことでしょう?」

 

「え、ええ、そうですね」

 

「でもこれを1日20時間の探索に帰れば、3日で上げれる」

 

「それ死にますよね」

 

「だから効率が良いじゃない」

 

「?」

 

「3日間、死にそうになりながら必死にダンジョンの中で生きてるだけで、相当レベル上がるんじゃない?モンスターは勝手に襲って来る訳だし、階層主は復活するし」

 

「……事故りません?」

 

「そりゃ事故はあるでしょ、その危険性があるから効率が良い訳だし。全くの安全で成長したいのなら、それこそ時間掛けるしかない」

 

「………」

 

確かに、1〜6階層の間であれば野宿でも何とかなると言えばなる。7階層以降は流石に1人では難しいが、ワイアームを1人で倒すというのにもそろそろチャレンジしたいと思っていたところだ。ただ問題は……

 

「私、1人だとダンジョンに入れないんですよ……」

 

「そうなの?」

 

「記憶がなくて、出自も信頼出来ないので。リゼさんが私の目付役って感じなんです。最近はそれも形骸化というか、あってないような条件になって来てるんですけど」

 

「じゃあ他の人間を見繕って来たら?」

 

「誰かと一緒に籠るってことですか」

 

「それなら7階層以降も行けるんじゃない?」

 

「なるほど……」

 

しかしそうなると、今度は良さそうな相手が見つからない。リゼと潜ればいいというのはその通りだが、それではリゼに追い付けない。あくまでこれはリゼのレベルに追い付くための特訓であり、一緒に特訓しては意味がない。

 

「マドカ・アナスタシアでしょ」

 

「……マドカさんですか」

 

「20階層くらいまで行きたいって言えば、本当に連れてってくれるでしょ。あれは極端なタイプだから」

 

「極端?」

 

「甘い鍛錬を頼めば甘過ぎるけど、過剰な鍛錬を頼めば過剰過ぎる。あれはそういう人間よ。あいつの最初の教え子見たことある?」

 

「"主従の誓い"のお二人より前の方々ですよね、まだお会いしたことはありませんが」

 

「見て分かるくらい目がギラ付いてんのよ」

 

「え」

 

「振る舞いは普通の子供の癖に、目の奥で笑ってない。マドカ・アナスタシアを尊敬の目で見てる癖に、その目が滅茶苦茶に鋭い。畏怖とか、標的とか、敵視とか、そういうの」

 

マドカ・アナスタシアに畏怖を抱えている者は少なからず居たとしても、あれほど心の底から尊敬と畏怖と反心を両立させている人間も居ないだろう。あの姉妹がマドカ・アナスタシアに抱えている異常な心情は、そういったことに過敏なスズハから見ても近寄り難いものだった。そして聞いた話では、あの2人は既にこの街においても最前線に立てるほどの実力を有していると。あの若さでそこまでになるには、相応の地獄を潜る必要がある。そして実際に潜ったのだろう。そしてその地獄に導いたのは、恐らく……

 

「ま、手軽に地獄が見たいなら、あの女に着いていくのが1番ってのは間違いないでしょ。実際そこの馬鹿はそのせいで地獄見てる訳だし」

 

「それは確かに……」

 

「うぁ……」

 

どちらかと言えば、マドカの母親の方に。

リゼ自身も最近何となく感じているようであるが、リゼにとって直接の師に当たるのはどちらかと言えばマドカよりラフォーレである。それくらいリゼはラフォーレに色々と世話になっているし、鍛錬に何度も付き合ってくれるくらいには気に入られている。実際過去まで遡っても、ラフォーレにここまで付き合って貰えているのはリゼくらいである。本人は絶対に認めたくないだろうけれど。それは否定の出来ない事実だ。

 

「……とは言え、もうマドカさんの授業も始まってしまいますから。ダンジョンに籠るのは少し先の話ですね」

 

「で、赤竜の倒し方は?」

 

「何か見つかりましたか?」

 

「……なんであんたら水系の攻撃スフィア持ってないのよ」

 

「そんなこと言われましても……」

 

「マドカ・アナスタシアには現状では確実に勝てる手段は無いって言っておきなさい。少なくとも相手の行動基準でも調べない限りは勝ち目なんて無いわよ。空飛んでる相手に遠距離攻撃手段なしで挑むとか無謀が過ぎるから」

 

そう言ってスズハは自分が持ってきた鞄の中から着替えを取り出し始める。……着替え?レイナがそんな風に不思議に思うと。

 

「あ、言い忘れてたけど今日からあたしここに住むから」

 

「ええ!?」

 

唐突にそんな重要なことを伝えられた。

異様に荷物が多い気はしていたが、それにしても。

 

「マドカの教え子達から放り出されたのよ、クランに入ったんだからクランの仲間と相談するべきだって。流石に他の人間に住居貸せって言うわけにもいかないし、ここしかないの。いいでしょ?」

 

「それはまあ……リゼさんも断らないでしょうし、私も構いませんが」

 

「部屋割りは?」

 

「奥の個室はリゼさんの部屋で、私は大体このリビングで生活してます」

 

「そう、それならあたしも今日からここね。布団の余りある?」

 

「一応ありますよ、安物ですけど」

 

「あるだけマシよ。……ってかほんと、この世界の文明レベルがそこそこ高くて良かったって心から思うわ。布団もあるし、シャワーもあるし、部屋は土足じゃないし、これだけでぜんぜんマシって感じ」

 

「……えっと、研究費用とかも出した方が良いんですよね?」

 

「必要なものがあれば言うけど、それとは別に自由に使える額があると助かるのは事実ね。それ相応の働きが出来るかは保証出来ないけど」

 

「実際こうして赤竜の情報集めて貰ってますし、調べ物とか書類関係を任せられる事務員が居るのは助かりますから。月給制のお給料を出すって感じで良いかなぁと私は思いますよ」

 

「給料制より小遣い制の方が重圧少なくて助かるわ、マドカ・アナスタシアもそうだけど変に期待されても普通に困るのよ」

 

「それなら最初は5万Lくらいでどうですか?そこから必要に応じて相談していく形で」

 

「……お小遣いにしては十分過ぎるくらいね。5万L分の働きは出来る様にするわ」

 

「まあそんなに気負わないで下さい、リゼさんは多分なにも成果が出なくても気にしませんから。リゼさんは一緒に隣に居てくれる人が居るだけで嬉しがる人ですし」

 

「あんたは?」

 

「自分より頭の良い人が分からない様な壁に直面したら、単純に絶望するだけですね」

 

「どんだけ後ろ向きなのよ」

 

「だから頭脳役として頑張って欲しいです。個人的にはスズハさんの存在はとってもありがたいので。自分より頭の良い人が側に居てくれるっていうの、結構安心感強いんですよね」

 

「……まあ戦闘をしない分、それくらいの負担は受け入れてあげるわ」

 

意外にも目の前の女がかなりネガティブな人間だったということに驚きながらも、しかしまあその程度の期待であるのならばスズハにとってはまだ可愛らしい。

自分の頭に自信が持てなくて、重大な決断をすることが難しい、恐ろしい。だから自分より間違いなく頭の良い人が決断をしてくれるのなら、その結果が良かろうと悪かろうとも納得出来る。要はそういうことなのだ、なんとも弱気な人間らしい。

 

「あんた、意外と可愛いわよね」

 

「かわっ……え?」

 

「……いや、何度も言うけどそういう趣味は無いわよ?」

 

「だ、誰もそんなこと言ってないじゃないですか」

 

「単に身近っていうか、健気っていうか、悪く言えば普通なのよ」

 

「なんで悪く言ったんです……?」

 

「ここに来てから普通じゃないっていうか、変な奴としか会っていないから妙に落ち着くのよね。マドカ・アナスタシアとかマドカ・アナスタシアとかマドカ・アナスタシアとか」

 

「スズハさん、実は私よりマドカさんのこと苦手ですよね」

 

「……やばいわよアイツ」

 

「そうなんですか?」

 

「約束してるからあと10年は言えないけど、個人的にはこの世界に来てから出会った人間の中で一番頭がおかしい。というか視点が違い過ぎる」

 

「……本当に苦手なんですね」

 

「慕われる理由も分かるんだけどね、入れ込んだら駄目なタイプよ、アレ」

 

「もう手遅れな人が結構居るんですけど……」

 

「この街は終わりね」

 

「縁起でもないこと言わないでください」

 

そんな冗談を話していると時間も良い具合。リゼは未だにピクピクとしているが、空腹も限界になってくる頃だろう。

レイナは立ち上がり、食事の準備をし始める。

ちなみにスズハは料理はできない。

リゼの料理は全てが豪快だ。

まともな料理はレイナくらいしか出来ない。

これがこのクランの現状であったりもする。

 

「……冷蔵庫もあるのよね、この世界」

 

「魔晶って本当に便利ですよね、その力を上手く変換している技術の方が凄いんでしょうけど」

 

「正直理論だけ説明されても全然実感湧かないのよね。魔力線を引いて魔力を流すんでしょ?その線の形で色々な効果が生まれるとか……」

 

「私もあまり詳しい訳ではないんですけど、その形を新しく1つ見つけるだけで一生食べるのに困らないそうですよ」

 

「ガチの魔法陣とか描いたらどうなるのかしら」

 

「魔法陣っていうと、カナディアさんが魔法を使う時にだけ出るアレですよね?描けるんですか?」

 

「流石に魔法陣は難しいけど、点描写を使えば図形なんて無限に描けるし、それで一攫千金を狙うのもありよね。フラクタル図形とかなんかあるでしょ」

 

「難しい話はよく分かりませんが、私の槍の方も調査をお願いしたいです。本当に私の物なのかも怪しいですが、本当に凄い代物なので」

 

「……意外とやることあるわね。まあ暇しないくらいが一番いいんだろうけど」

 

「一先ず、必要な物があれば纏めて、冷蔵庫にでも貼っておいてくださいね」

 

「母親か」

 

何処の世界でもやることは同じ。

なんだかその様子にスズハは素直に笑ってしまった。

もしかすればスズハと最も気の合う人間は、リゼでもカナディアでもなくレイナなのかもしれない。



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87.初めての講義

そしてその日は漸くやって来た。

マドカ・アナスタシアによるはじめての"新人探索者向け"講義。

 

今回の題目は……"レッドドラゴンの討伐"。

 

「す、すごい人の数ですね……」

 

「あ、ああ。改めてマドカの影響力の強さを感じさせられるというか……」

 

「いや、これ新人と同じくらいベテランも居るでしょ。何しに来てんのよあいつ等」

 

ギルドに設置されている最も大きな講義室、すべての席が埋まっているどころか、壁際に立っている人間で敷き詰まっているような状況。

流石に席に座っているのは新人探索者ばかりのように見えるが、カナディアやクロノスの様なリゼでも全然知っている人間もここに居るし、果てはこの狭い空間にも関わらずラフォーレまで居る始末だ。

早速前に立っているマドカも緊張した面持ちをしているし、まさか彼女もここまで人が集まるとは思っていなかったのだろう。リゼだってもう少し小規模な物を想像していた。

 

「あ、えっと……それでは時間になりましたので始めますね。マドカ・アナスタシアです、本日は"初めてのレッドドラゴン討伐"について講義をさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします」

 

拍手が起きる。

特に壁際の人間達から。

ほんと何しに来たんだあの人達。

 

「さて、ではまずレッドドラゴンの討伐について基本知識から確認していきましょう。手元の資料の1ページ目を広げてください」

 

リゼは言われた通りに広げる。

今日の講義のためにこれも作ったのだろう、なんとなく内容がリゼが探索者になって最初に貰った冊子に似ていた。

 

「レッドドラゴンは基本的にLv.15以上の探索者4人以上で対処することがギルドとしては推奨されています。特に火耐性装備は必須、全身を覆い隠せる装備であると良いとされています」

 

資料には火耐性のマントや大楯など、都市で売られている色々な装備が書かれている。星が付いているのは、恐らく特に有効な装備ということか。

 

「レッドドラゴンに対峙する際のパーティ編成についてですが、必須となるのは遠距離攻撃です。魔法や弓、銃などを扱う人員を一人は必ず確保する必要があります。特に魔法は水魔法であると良いですね、逆に炎魔法はよっぽどの火力がないとダメージにもなりません。とは言え、炎魔法でさえなければ最悪なんでもいいです」

 

ちなみにそのよっぽどは間違いなくラフォーレである。実際この前リゼが連れていかれた時、最終的にはラフォーレが赤龍を焼き尽くしていた。赤竜の耐性を上回る威力の炎魔法、それは都市ごと焼き払うことだって可能だろう。

 

「逆にあまり推奨されない役職は前衛の盾職です。本来であれば龍種の攻撃を防げる盾職は有効なのですが、炎のブレス攻撃が厳しいです。そもそも至近距離での直撃を避けるべきですが、それを防げても今度は呼吸が続きません。基本的にダンジョン内は常に空気の入れ替わりが起きていますが、レッドドラゴンのブレス攻撃を至近距離で受けても余裕を持っていられる様な方は滅多に居ませんね」

 

なお、これについてはラフォーレの同僚であるクロノスとバルクがそれにあたる。彼等はそもそも普段からそれ以上の炎魔法を受けているので当然ではあるが、そもそもステータスの高さと盾職としての年季が違う。

……まあ、盾職の居ないリゼ達には関係ないのだが。それはそれでいずれ問題が出て来そうでもある。

 

「最も動き易いのは移動速度の早い探索者になります。ブレス攻撃は離れるほど威力が弱まりますし、ブレス攻撃中はレッドドラゴンは無防備になります。熟練の方々はその隙に最大威力の攻撃を頭部に直撃させて早期の討伐を狙うのを定石としていることが多いです。……個人的には一撃で倒せないのなら翼を狙うことをおすすめします。これをするだけでずっと戦い易くなりますからね」

 

さて、基本知識はこの辺り。

ここまでならばリゼだって勉強した中で知っている、他の者達も同様だろう。言葉にするだけなら簡単だ。しかし実際に対峙してみて分かったが、あれはそれほど容易い存在ではない。堅牢な龍鱗と龍種の強力な筋力、そしてブレス攻撃はこちらが想像していたよりも遥かに火力が高く範囲が広い。流石に本格的な龍種となるとワイバーンやワイアームのようにはいかないのだ。少なくとも、一人で倒せる相手ではない。リゼは自分が撃ち込んだ二丁銃の弾丸が殆ど効いていなかった時にそれを悟った。翼すら奪うことが出来なかった。

 

「基本知識については以上ですが、恐らく皆さん思ったと思います。"Lv.20になるまで9階層で引きこもっていなければならないのか?"と」

 

周りの探索者達が頷く。

 

「ワイアームを討伐するにしても、Lv.20になるまで一体どれほど倒さなければならないのか。実際それよりも11階層以降で鍛錬をした方が効率は良いでしょう、しかしそうなると他のパーティの後に着いて行くしかありません。実際そうしている方もこの中には居ると思います、そういった依頼を私も何件か頂いたことがありますから」

 

パーティ同士で組み、数の暴力で倒す。そんな風にして11階層に赴いている探索者も多く、それほどにレッドドラゴンというのは下級〜中級の探索者にとって大きな難関なのだ。そもそも火耐性装備もそれほど安い物ではない。人数を増やせば安定性は上がるが、その人数分の装備を整えるとなるとまた難度は上がる。

 

「そこで今回私がお教えするのは、理論上ブレスさえ防げば、3人以上のパーティで確実にレッドドラゴンを倒せる方法です」

 

「「「「「!?」」」」」

 

講堂が騒つく。

無理もない、リゼですら驚いていたからだ。

マドカが嘘をつくはずがない、しかしそうと分かっていてもとても信じられる内容ではない。周りの者達も同じ意見なのだろう、ベテランの探索者達ですら困惑している。しかしマドカはそれに対して特に表情を変えずに自身の鞄を漁った。

 

「まず10階層に出現するレッドドラゴンですが、いくつか個体特有の特徴が存在します。何度倒しても同じ個体である以上、その特徴は変わりません」

 

「特徴……」

 

「まず10階層に出現するレッドドラゴンは非常に好戦的であり、人間を見掛ければ襲い掛かり、逃げようとすればより追い掛けてきます。そしてこのレッドドラゴンは自身のブレスの有用性を理解している為、ブレスを多用します」

 

「そ、そうだったのか……」

 

「よって3人以上でダンジョンに入った時、こちらから先手を仕掛けなければ相手は確実にブレスを使用して来ます。そしてこのブレスについてですが、向かって左側に火力が弱い空間が存在します。これは単なるブレスの癖ですね、右側の牙が異様に発達していることが原因です。よって吐かれた際に即座に左方向へ移動することで被害をかなり減らすことが可能になります」

 

「…………」

 

「また弱点と呼べる部分として頭部と心臓は当然ですが、この個体は恐らく生まれ付き翼の骨格に異常を抱えています。丁度翼の付け根辺りのこの部分ですね、ここをこの角度で強く叩けば飛べなくなります」

 

「「「…………」」」

 

「最後にダメージについてですが、いくら行動を阻害しても倒せなければ意味がありません。そこで今回使うのがこの2つです。金槌と毒針、この毒針は特注品ですが増産のお願いを既にしてあります。金槌で叩くと時間を置いて内部に注入されます」

 

「「「…………」」」

 

「やり方は単純です、レッドドラゴンの腹部にあるこの部分に思いっきり突き刺します。ここは肉体の中でそれなりに柔らく浅い部分にある動脈です、STRがE8もあれば十分に打ち込めるでしょう。全身に回るまでは大体1分弱ですね。特にこの部分を狙うのをお勧めする理由は、炎袋と呼ばれる器官が直ぐ近くにあるため、毒で早期にブレスを妨害することが出来るからです。こうなれば後は弱体化した相手を遠距離から攻撃するだけで簡単に倒せます」

 

「「「「「「………………………」」」」」」

 

 

………

 

 

「ということで今話したことを実現出来るだけの基礎が養われていればレッドドラゴンは倒せます」

 

「「「「「……………」」」」」

 

「……ええと、あの、聞こえていますか?あれ?」

 

静寂に包まれた講堂の中で、あまりにも反応がなさ過ぎて全員が押し黙る。それに対して困惑するマドカではあるが、そんなことは当然であり、もうなんかむしろちょっと不審な目でさえ見られていた。それくらい意味の分からない話だったからだ。

 

(これが、調べるということ……)

 

レッドドラゴンを倒すために、その為の方法を調べて来いと言われていた。故にリゼもレイナも可能な限りのことを調べ、この日のために備えて来た。……だが、その"調べる"という行為がどれほど浅いものであったのか今思い知らされている。これが本当の、本気で調べる行為なのであると言われているように感じている。

 

「ええと……一先ず言葉だけでは実感が湧かないと思いますので、今お話ししたことを小規模クラン"夢の足音"の皆様に実演をお願いしています。彼等はここ数日で実際に何度もこの方法でレッドドラゴンを討伐しています、それでは投影しますね」

 

マドカのその言葉にギルド職員達が灯りを消し、マドカは自分の秘石とスフィアによって投影を始める。

移り始めたのはダンジョン10階層に入る手前の階段。今や9階層は綺麗に元の姿に戻っており、そこには撮影者から見て4人の探索者が装備を整えているのが見える。男性2人、女性2人、パーティのバランスはリゼから見ても安定している。盾役1人、魔法役1人、剣盾持ちの指揮官に、弓を背負い槍を持った万能役が1人。レベルはリゼやレイナとそう変わらないくらいだろう、そして一番重要な毒針を持っているのは……弓と槍を持った身軽な女性。

 

「装備として共通しているのは火耐性のマント、これがあれば遠距離からのブレスならそれなりに防ぐことは出来ます。毒針を持っているのはパーティの調整役であるルルさんです。ステータスはSTR:E+9、SPD:D+12、言うまでもないですが速度のある方が持つのが一番ですね」

 

4人は時間になったからなのか、早速ダンジョンの中へと入っていく。撮影役は本当に撮影をするだけらしく、彼等の動きがよく分かるように動いてくれている。慣れているのだろう、とても見やすい。

 

「さて、先ず注意の一つ目として、レッドドラゴンとの戦闘では対面したら戦闘開始……ではありません。先程も言ったようにこちらの存在を視認した瞬間にブレスを放って来ますから、そもそも足音等に注意して侵入する必要があります」

 

リゼは大きく頷く。それのせいで開幕殺されかけたし、ラフォーレが魔法で相殺してくれなければどうしようもなかった。流石にブレスの威力は強化種には全く及ばないが、それでも何の対処もしていない人間を焼き殺すには十分過ぎる。好戦的にしても過剰が過ぎるのではないかと思うくらいだ、だからこそレッドドラゴンの危険度は高いと言われているのだろうが。

 

そして投影された映像の中で4人が遂に10階層に突入した。するとマドカの言う通り、彼等を視認した瞬間にブレスを吐き出したレッドドラゴン。やはり問答無用、むしろそれこそが奴の常套手段なのだろう。そして彼等はマドカの話通り、即座に左側へ向けて走り出す。大楯と剣盾持ちの男性陣が前に、そして魔法役の女性が"バリア"の魔法を目的地に貼りながら。

 

「まずブレスに関してですが、確かにこれは強力な攻撃です。それは龍種達も理解しているので、これを多用して来るというのは邪龍クラスになっても変わりません。しかしこれが完璧な攻撃手段かと言われるとまた違います。ブレス攻撃の共通の弱点として、攻撃の最中は五感が殆ど意味を成しません」

 

大楯役の男性が一人で耐えている間に、剣盾持ちの男性がバリアに守られながら更に左へ左へと毒針持ちの女性を誘導していく。そうしてブレスの中から女性だけを逃すと、彼等は煙幕をそこら中にばら撒いた。

ブレス攻撃が収まる、そして直後に盾を強く叩きながら"挑発のスフィア"を使用する男性達。魔法役の女性は"光弾"の魔法をレッドドラゴンの顔面目掛けて射出し、更にその気を強く引いた。挑発のスフィアの使用後も盾を叩き大きな音を立て続ける彼等の目的はリゼにも分かる。

 

「はい、ここでレッドドラゴンの翼を無力化します。その後からは瞬き厳禁です、効率化された彼等の行動は早いですよ」

 

煙幕から飛び出し、レッドドラゴンの背中に飛び乗った女性がバッグから鉄製の金槌を取り出し、付け根辺りの部分に向けて思い切り振り下ろす。直後、凄まじい咆哮を上げたレッドドラゴン。リゼは驚いた、あんな金槌でレッドドラゴンの硬い鱗越しにダメージを与えられるのかと。……しかし、よくよく考えればそれは当然の話だった。それほど硬い龍鱗が関節部分に存在していれば、そもそも彼等はまともに動くことすら出来やしない。つまりはマドカの言うその弱点部分には、堅牢な龍鱗というのがそもそも存在しないのだ。

 

「ここ大事です」

 

痛みに咆哮を上げたレッドドラゴン、しかしその咆哮に怯えることなく、むしろ勝機とばかりに4人は動き出す。

背中に乗っていた女性は直ぐ様に腹部の方へと周り、魔法使いの女性はバリアの魔法をレッドドラゴンの顎の下に設置する。剣盾を持った男性は一心不乱に前へと走り、大楯の男性は1つの球のような物をレッドドラゴンの頭部に目掛けて投げた。彼等のその一つ一つの行動は、毒針の一撃を確実に与えるための物。

 

「すごい……」

 

ポツリとそんな言葉が聞こえてくる。

リゼもそう思った。

あのレッドドラゴンを相手に、主導権をこちらが確実に握っている。レベルが自分達と対して変わらないであろう彼等がだ。

 

大楯を持った男性が投げたのは破裂と同時に凄まじい音が鳴る音爆弾であった。激痛から意識を取り戻したレッドドラゴンは直後に響いた音爆弾に驚き、直後に顎にぶつかったバリアに混乱する。翼は使えない、飛べない、視線は空を見るばかり、何が起きているのかも理解出来ていないのだろう。そしてそんな無防備になったレッドドラゴンの腹部目掛けて、先程マドカが黒板に描いた正にその位置に目掛けて……正面に回り込んだ女性の毒針が、打ち込まれる。大きく振り上げた金槌が、毒針の背に叩き付けられる。

 

「はい、これで毒針が打ち込まれましたね」

 

目的が果たされた事を確認し、女性は剣盾を持った男性に背中を守られながら撤退していく。顎の下に貼っていたバリアが破られ、凄まじい激痛と聴覚が戻ったことにより、冷静さを取り戻したレッドドラゴンがそんな2人に視線を向ける。

再び息を吸い込んだレッドドラゴン、未だ毒はそれほど回っていない。ブレスの阻害も出来ていない。距離の近いこの場所でそれを受けてしまえば、致命傷は避けられないだろう。

 

「ここからは便利なスフィアの使い方を紹介しますね。これは"回避☆1"のスフィアを持っている方が2人居る時に使える方法です」

 

剣盾を持った男性と、弓槍を持った女性が何を思ったのかブレスに対して振り返る。しかしそれは決して諦めた訳ではなく、2人は肩を組みながら同時に跳躍すると、交互に空中で"回避☆1のスフィア"を使用し始めた。

ブレスがたどり着くより早く後方に吹き飛んでいく彼等、そしてそんな2人の前に大楯持ちの男性がレイナも使っていた"体盾☆2のスフィア"で割り込むと、今度は"堅盾☆1のスフィア"を使用して全力でブレス攻撃を防御する。そこに再び魔法役の女性によってバリアが貼られれば、ほとんど無傷でブレスを防ぐことに成功した。

 

周囲からも称賛の声が上がる。

それほどに彼等の連携はよく練られていたものだったからだ。それも互いに信頼関係が出来ているからこその物というのがよく分かる。気付けばベテランも含めて全員がその映像に意識を引き込まれていた。

……そして、それから先の戦況は、一方的だった。

 

 

「飛行能力を無くし、ブレスも吐けず、行動も遅くなったレッドドラゴン……この状態を作り出すことが出来たのなら、後はもう何の脅威でもありません」

 

弓槍の女性が弓矢によってレッドドラゴンの眼を潰し、魔法役の女性が口に目掛けて光弾を撃ち込む。男性陣は彼等から一定の距離を取りつつも"挑発☆2のスフィア"によって気を惹きつけ、動きが更に鈍くなり始めた頃を狙って近接戦闘を行い始めた。

目に向けての弓矢など普通であれば先ず当たらないが、やはり毒の効果がこんなところでも生きているのだろう。しかもその弓矢にも違う種類の毒が塗ってあるそうなのだから、徹底している。

そうしてそれからレッドドラゴンが灰に変わったのは、ブレスを防いでから5分もしないうちのことだった。彼等は本当にレッドドラゴンを自分達の力だけで倒したのだ。中位の探索者でも数を揃えなければ苦戦すると言われていた赤龍を、最低限の装備で。

 

「はい!ということで、見事レッドドラゴンの討伐に成功することが出来ました!素晴らしい連携でしたね、100点満点です。皆さんも映像越しにですが、彼等に拍手を送ってあげてください」

 

映像の中でハイタッチを交わす彼等に対して、拍手を送らない者はいなかった。ラフォーレさえも素直に拍手をしていた。マドカの指示だからということもあるかもしれないが、それでも認めているものがあるとリゼには分かる。

動きや魔法の威力を見れば誰からでも分かるのだから、彼等は特別ステータスに偏りや特殊なスキルを持っているわけではないということを。

 

「クラン"夢の足音"の皆さんは、1年ほど前に幼馴染同士で結成された小規模クランです。最近まで皆さんと同じようにレッドドラゴンの討伐で苦悩されていたのですが、パーティとして模範的な彼等を見込んで今回のことについて協力をお願いさせて頂きました」

 

つまり本来なら彼等もここに居たであろう者達である。正に自分達と同じ悩みを抱えていた人間が、ここまでの偉業を見せた。レッドドラゴンという難関の敷居が、一気に下がったようにも感じられてしまう。……いや、実際にマドカは下げたのだ。そのためにこの講習を開いたのだ。

 

「ここまで組み立てるのに費やした時間は約2週間です。しかし実際に討伐を成功させるまでは1週間もかかりませんでした、その時はマント以外にも火耐性装備が整っていましたからね。慣れてからは最低限の装備でシナリオ通りに進め、少しでもミスをすれば撤退するようにしています。ちなみに現時点でシナリオは2通り作ってあります。資料に両方載せてありますので、それを参考にご自身のパーティに合わせて作り替えてみて下さい」

 

リゼは思った。

今日配られたこの資料、これからとんでもない値段で出回ることになるのではないかと。これはそれほどに貴重な代物だ。まあどうせギルドの方で公式配布されることになるだろうとは思うが、まさかギルド側もここまでの内容とは考えていなかった筈だ。

事実、なんだかギルド職員達が慌ただしそうにしているのが目の端で見える。きっと増産の指示を慌てて出しているのだろう。

 

そしてリゼもその資料を見ながら自分のパーティでのことを考えてみるが、今回こうして別のパーティの戦闘を見せられて、改めて思ったのが盾役と魔法役の重要性だった。

特に仲間を背に守れる大楯には銃士として強く魅力を感じるし、バリアの魔法についても守りだけでなく拘束にも役立つという汎用性の高さに驚く。

レイナはまだしも、リゼがいる時点でこの資料そのままの手段を使用することは出来ない。他にシナリオを自分なりに考えなければならないと理解はしているが、それもなかなか難しそうだ。やはり人員を増やすことを考えなければならないのだろうが、それでも敷居が間違いなく下がったというのもまた事実。レイナであれば間違いなく毒針の役割を担えるのだから、リゼはそれについては信用しているし、むしろ毒針を使うまでもなく彼女の全力の攻撃力を叩き込めば突破できるとすら思う。

 

「さて、講義の主な内容としてはこんな感じなのですが……実はギルドの中に私の席を設けて貰うことが出来る様になりました。場所は探索者受付窓口の直ぐ横です」

 

「マドカの……」

 

「ですので、私はこれから大体そこに居ることになります。もし今回の件で"自分なりにシナリオを考えてみたけれど自信がない"というような方が居ましたら、どうぞ私の元に相談しに来て下さい。……もちろん、他の相談事でも構いませんよ。講義は大体1〜2週間に1回を予定していますが、初心者さんに向けた集団訓練なんかも行っていく予定です」

 

それはつまり、これからマドカに対して皆が気軽に相談事を出来る様になるということ。その貴重さをリゼは理解出来ていないが、彼女の教え子という立場に羨ましさを覚えいた者達からすれば、思わず声をあげてしまうのも無理もない話であった。

そしてそれは中位以上の探索者達にとってもそうだ、悩みを抱えている探索者などいくらでもいる。

 

「さて、最後に何か質問はありませんか?……今思い付かなければ後からでも構いませんが、出来れば今してもらえると有り難いです。それを皆さんに共有することも出来ますから」

 

「……それなら俺から」

 

「あや、クロノスさんですか。私に答えられることがあれば是非」

 

「ああ、悪いな。これは他の龍種の対応についてもそうだが、映像の奴等も苦戦してたが、そもそもブレス攻撃に対しての対抗手段が無さすぎる。なんか良い方法はないか?」

 

「……そうですね」

 

これはこれから先も"龍の飛翔"と呼ばれる討伐を繰り返していかなければならない、この街の探索者だからこその悩みだろう。クロノスも多くの龍種と戦って来た、彼は数年前の邪龍候補との戦闘にも参加していた人間だ。そんな彼でもブレス攻撃を脅威と感じている、あれは単純だがそれほどのものだということ。

 

「簡単な方法として、敵の口を塞ぐというものがあります。しかしこれは言わずもがな非常に難しいです」

 

「まあ、そうだな」

 

「しかし逆に口を開いたまま拘束するという手段も存在します」

 

「口を開いたまま?」

 

「では皆さん、一度試して欲しいのですが、口を開いたまま息を吸い込んでみて下さい」

 

そんなことを言われてしまうと全員が口を開けたままなんとか息を吸い込もうとしている間抜けな光景が生まれてしまうのだが、なるほどこれは確かに難しい。吸い込むには吸い込むことはできるが、普段よりも吸い込む量が確実に少なく、吐く量もまた少なくなってしまう。

 

「頑丈な槍なんかで口を開いたまま固定することが出来れば、ブレスを無効化することは可能でしょう。ただし槍の大きさが合わないと意味がありませんし、そもそも手や尻尾などで取り払うことも出来てしまいます。……それでも、それは無意味ではありません」

 

「それを取り外すという手間と、思考を割かせる事が出来るってことか」

 

「そういうことです。そもそも口の中の物を取り出すって割と器用な行為ですし、激しい戦闘中ほど有効だと思いますよ。専用の武具を作るのもありかもしれません、こう伸縮が可能な頑丈な棒のような物を」

 

そんなクロノスの質問の後、ベテランの探索者を中心に時間いっぱいまで質問が飛び交った。彼等がここに来た理由もリゼはその時になってようやく分かったというか、彼等は自分達も当然分かっていることも質問し、マドカとの間でその質問の意味や答えの理解をわざわざ解説しながら若い探索者達に共有していたのだ。

いつかは自分も彼等のような大人になりたい、そう思ったのはリゼだけではないだろう。



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88.精霊族

マドカのはじめての講義、それは大成功と言っても十分なほどの盛況を上げて終わりを迎えた。

こうして改めて終わった後に講義室に居残って出ていく人を見ていると見知った人間も多くて、なによりエルザとユイの2人も来ていたことには驚いた。彼女達もレッドドラゴン討伐はまだしていないということなので当たり前だが、その忙しさを置いても来たかったのかもしれない。

 

「リゼも来てたんだ」

 

「え?……クリア、君も来ていたのかい?」

 

「うん、勉強になるって勧められたからね」

 

そうして前の方で質問に受け答えしているマドカを見つめていると、肩を叩いて声を掛けて来たのはクリアスター・シングルベリア。つまりは先日そのレッドドラゴンの強化種との戦いに協力してくれた彼女である。彼女は相変わらずといった様子で、けれどそんな自分とクリアの会話に不思議な顔をしていたのはレイナとスズハだった。彼等は初対面であるのだからこの反応は当然だ。むしろリゼの説明が少な過ぎる。

 

「ああ、えっと……こっちはレイナとスズハ、私のクラン(仮)に所属してくれている2人だ。それでこちらはクリア、先日の強化種との戦いで私に手を貸してくれた女性だよ」

 

「どうも、手を貸した女性です」

 

「ど、どうも」

 

「また独特なやつを連れて来たわね」

 

それに関しては弁解の余地がないほどクリアは独特な人物である。しかしクリアの容姿については本当に美人であり、レイナとしては『こいつやっぱり美人引っ掛けて来たな』という思いの方が強かったり。そして……

 

「おや、青葉達は既に知り合っていたのか」

 

「!あなたは……シセイさん、でしたか」

 

「あ、お爺ちゃん。この人だよ、この前話してたの」

 

「……お爺ちゃん?」

 

「クランに居るお爺ちゃんの1人。ほら、うちのクランってお爺ちゃんとお婆ちゃんばっかりだし」

 

「ああ、そういう」

 

クリアの後ろから付いてきていたのは、以前に喫茶店ナーシャで出会ったあの老人である。名前はシセイ、クラン"青葉の集い"の幹部をしているという老人だった。

以前に話した時には団員を紹介してくれるという話をしたものだが、結局それは諸々の影響で延期されてしまったことを思い出す。

 

「……ということはまさか、以前に貴方が私達に紹介して頂けると言っていた団員というのは!」

 

「うむ、クリアのことだ」

 

「え?私追い出されるの?」

 

「本人が完全に蚊帳の外みたいなんですけど、大丈夫なんでしょうか……?」

 

なお、本人は本当に何も知らなかった模様。

今ここで初めてそんな話を聞いたのか、まあ当然ながら彼女は驚いてシセイの方を振り返っていた。マイペースな彼女にしても今回のこれは普通に驚くべきことだったらしい。

 

「クリア、お主もそろそろ同世代の者と歩みを共にすると良い。幸い、彼等はお前を受け入れてくれるのだろう?」

 

「……それはそうだけど」

 

「く、クリア!君さえ良ければ私は一緒に探索をしたいと思っているよ!」

 

「リゼ……」

 

リゼは身を乗り出してそう言う。

こここそが勧誘のポイントだと思ったからだ。

それくらいにリゼはクリアのことを気に入っていたし、一緒に探索をしたいと考えていた。何より魔法使いという彼女の役割は本当に必要な人材であるし、彼女の実力も十分以上。ここで必死にならず、他の誰に対して必死になるというのか。リゼは全力でクリアを勧誘する気だった。

 

「でも私、水系のスフィアしか使えないよ?」

 

「構わないとも!私など銃しかまともに使えない!」

 

「私はスキル構成上、雷系のスフィアしか使いません」

 

「あたしはそもそも戦えないしダンジョンにも潜らない」

 

「こんなパーティだから大丈夫さ!」

 

「うん、それは普通にパーティとして汎用性が無さすぎると思う」

 

「う"」

 

「急に正論言うわね」

 

「ちなみに攻撃力なら最強ですよ、私とリゼさん」

 

「なにそれ超面白そう」

 

「急に興味持つじゃない」

 

ただ実際、防御力に難のあることは理解している。その点、クリアは"水壁のスフィア"を持っている。これがあるというだけでも違ってくるし、3人とも偏りがあるとは言え、扱う属性がバラついているのは決して悪いことではない。もしクリアが入ってくれるのであれば、これ以上のことはないだろう。

 

「だからクリア、私は君を勧誘したい」

 

「………」

 

クリアは考える。

チラとシセイの方を見るが、彼も静かに見つめ返すだけ。彼がするのはあくまで引き合わせるだけであり、実際に決めるのはクリア本人でなければならないからだろう。別に今のクランに居心地が悪い訳ではない。確かに同世代の人間とは距離があるが、高齢の探索者たちとは上手くやれている。……ただ。

 

「……リゼ、私ちょっと厄介な体質持ってるんだよね」

 

「厄介?」

 

「ちょっと誤魔化して伝えると、水辺に入れない」

 

「水辺に?水魔法を使うのにかい?」

 

「うん、それと周りにバレるとヤバい事情もあるんだよね。ちょっと価値が付けられない物を持ってる」

 

それすらも口にするのは勇気がいるものだったのだろう、周りの人達が聞いていないことを確認しながらもリゼ達に小さく囁いた。……ただ、そんなことを言われてもリゼ達にとっては今更というもの。

 

「……だとするとクリアさん、私達も周りにバレると不味い物を持っているのですが」

 

「え?そうなの?」

 

「まあ、そうだね……確かにレイナのあの槍は不味いのかもしれない」

 

「あ、ごめん。言い忘れてたけど、あたしも割とバレるとヤバいスフィア持ってるから」

 

「それを今ここで言うのかい!?」

 

「仕方ないでしょ、忘れてたんだから」

 

「あ、後でしっかり説明してくださいね!絶対ですからね!!」

 

「あたしのは価値がつくだけマシよ、あんたらの槍と銃の方がよっぽどでしょ」

 

とまあ、色々と変な物を持った素性の怪しい集団がリゼ達のクラン(仮)なのである。たとえ変な物を持っていたとしても、素性がはっきりとしているだけクリアはまともなのだ。

 

「ふ、ふふ、ふふふ……」

 

「ク、クリア?何かおかしかったかい?」

 

「ふふ……うん、みんなそんなに変な人達なんだ」

 

「あ、ああ。簡単には話すことが出来ないのだけれど……」

 

「否定出来ないのが悲しいところです」

 

「それじゃあ、私が入ったらもっと変な人達の集まりになるんだね」

 

「え?」

 

ここなら自分は疎外感を感じずにいられるかもしれない、3人の会話を聞いてクリアはそう思った。振り返りシセイの方を向いてみれば、彼は小さく頷いてくれる。クリアはリゼの性格を知っている、彼女であれば受け入れてくれるだろう。一度はダンジョンに共に潜り、成果を上げることもできた。これ以上の証明もない。

 

「おじいちゃん」

 

「なに、クランが変われどお主は儂等の大切な青葉。それは変わらん」

 

「うん……偶には顔見せに行くからさ、ちょっと行ってくるね」

 

「うむ」

 

そもそも、"青葉の集い"はそういうクランだ。

高齢になった探索者を集め、若い探索者を育てる。そうして巣立っていく彼等を見守り、いつでも帰って来られる場所として有り続ける。だから巣立ちというのはむしろ歓迎すべきことであり、所属が変われども関係性まで変えることはない。

高齢の探索者と若い探索者の繋がりを保持したままに、彼等の人生の受け皿となる。それは今は若い彼等が老いてしまった後だとしても、変わることなく。

 

「リゼ」

 

「ああ」

 

「私もリゼのクランに入るよ、なんか面白そうだし」

 

「ふふ、今更だけど変なことに巻き込まれるかもしれないよ?この前の強化種みたいな」

 

「えぇ〜、それはちょっと勘弁して欲しいなぁ」

 

「でも、退屈はさせないと約束する」

 

「……口説くの上手いなぁ、これも惚れた弱味ってやつかぁ」

 

「「え?」」

 

何気無く発したその言葉に、レイナとスズハが反応する。まさかこいつも?と思ったが、正にそのまさかである。まあ彼女の場合は本心がどうなのかは分からないし、それが恋愛的なそれなのかは分からないが、それでも彼女はリゼの心に惚れた人間の1人。

 

「クリアスター・シングルベリア。得意魔法は水属性、この世界で唯一存在が確認されている星5のスフィアを持っています。どうぞよろしくお願いします」

 

「「「え」」」

 

彼女もまた特大の爆弾を持って、リゼのクランに加入した。

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふ、ふふふ」

 

「マ、マドカ?流石に笑いすぎだ」

 

「だ、だって、まさかクリアさんもリゼさんのクランに入ることになるなんて……リゼさんは本当に私の想像の斜め上を行くんですね」

 

「斜め上」

 

「まあ、うん……変なパーティであることは否定出来ないわよね」

 

クリアがリゼのクランに参加することになったと決まった後、4人は講義室に居残り、質問を全て終えたマドカと対面していた。

彼女はクリアがリゼのクランに参加したという事実が本当に面白かったらしく、上機嫌に笑っていた。これもなかなか珍しい光景である。

 

「でも、これで漸く正式にクラン申請が出せますね。個人証明の出来る方が入ってくれましたから」

 

「本当に、本当にね……」

 

「意外と税の優遇は大きいですからね、引越しか追加で部屋を借りることを検討してもいいかもしれません。4人では少し手狭でしょう?」

 

「確かにそうですね、引越したばかりではありますが……」

 

「まあ今でも寝れないことはないんじゃない?どうせ女しか居ないんだし」

 

「へえ、なんかそれも面白そう」

 

「……あの、そうなると私も一緒に寝たいんだが。仲間外れにされているようで少し寂しいというか」

 

「あんた体大きいから狭くなるでしょ」

 

「うぅ」

 

「寝る時だけ机をリゼさんの部屋に入れれば出来ないことはないですよ」

 

「そうなるとマジで何のためにこいつに部屋与えてんのか分かんなくなるけどね」

 

「わ、私はそもそもみんなと一緒が……」

 

「なんかいいね、こういうの。私にも後で見せてよ、リゼ達の部屋」

 

そんな風にこれからの生活のことについて話していると、ふと気付けばそんな自分達のことをニコニコと嬉しそうに見ているマドカの姿。なんだかそれがこの成長を嬉しがる母親のように見えてしまって、リゼは少し恥ずかしくなる。

 

「なに変な顔して見てんのよ」

 

「いえ、やっぱりクランというのはこうでないとなぁと思いまして」

 

「マドカさんも羨ましいんですか?」

 

「マドカも入りたいの?」

 

「いえいえ、私にはやらないといけないことが沢山ありますから。それに私が入ると皆さんの楽しみを奪ってしまいます」

 

「楽しみ、というのは……?」

 

「未知に対して全員で力を合わせて取り組む、そんなかけがえのない機会のことです」

 

「な、なるほど……」

 

 

……まあ確かに、マドカはこうして講師ができる程には色々なことを知っている。彼女がこのクランに入れば、知らないことを調べながら話し合う楽しみというのは無くなってしまうだろう。

少し前と比べてリゼの周りは一気に騒がしくなったし、今はそれも嬉しいと思っている。しかし最初はマドカとそういう仲になりたいと思っていたリゼとしては、むしろ彼女と距離が出来てしまったようで少し寂しくも感じてしまう。そもそも彼女にはそんな気は最初から無かったようにも思えるが。

 

「さてさて、それでは皆さん。今日の私の講義はどうでしたか?」

 

「す、すごかったよ!本当に自分たちの勉強不足を思い知らされたというか!!」

 

「半分くらいしか分からなかった」

 

「というか私達では事前にあそこまで調査出来ませんでしたよね、勉強にはなりましたが」

 

「気持ち悪かった、どんだけ調べてんのよ。解剖でもしたの?」

 

「ええ、やはり赤竜というのは関門として大き過ぎましたからね。傾向分析のために生かさず殺さずで相手をしたり、両手足を切って麻痺毒を注入した後に身体の構造を徹底的に調べ尽くしました。興味があればその辺りの資料も後ほど提供しますよ」

 

「……貰っておくわ、何かに使えるだろうし」

 

「何に使えるんですかね?」

 

「ほら、次の龍種の対策とか」

 

「龍種の体構成のイメージが無いのよ、生物関係はあんまり得意じゃないけど必要な知識でしょう」

 

「ええ、その通りです。この世界で生きていくのであれば、龍種との戦いは避けては通れませんからね」

 

そう言いながらマドカがスズハに手渡した資料の一部を覗き込んでみれば、骨格から体の部位等がまあ綺麗な写生されていて、スズハもそれを見て少し感心しているようだった。そして研究者というのはこういう人間のことを言うのだと思い知らされて、マドカが言っていた"クランに1人は研究者が居るようにしたい"という意味がなんとなく分かった。

 

「……マドカ、この後時間あるかしら?この資料含めて幾つか聞きたいことがあるんだけど」

 

「ええ、構いませんよ。……ふふ、なんだか添削されている気分ですね」

 

「お前の知識全部奪ってやるからな」

 

「スズハさんって顔怖いね」

 

「こらクリア」

 

まあそんなことはさておき、話は講義の件について戻っていく。そしてリゼ達のこれからについても当然。具体的にはレッドドラゴンをどうしていくか、という件について。

 

「……正直に言ってしまうと、クリアさんが加入することになればレッドドラゴンは大した相手ではなくなってしまうんですよね」

 

「あ、やっぱりそうなのか」

 

「イェイ」

 

「それってやっぱり☆5のスフィアのおかげですか?」

 

「いやぁ、あれ使わなくても水属性は得意だからさ」

 

「クリアさん1人でブレスは防げるので、リゼさんなら翼を破壊出来るでしょうし、レイナさんならダメージも与えられると思いますし」

 

「………なんだったのよ、今日までの努力は」

 

「安心してください、多分次の青竜でまた詰みます」

 

「うん、私水辺は無理だし」

 

「その感じだと次の黄竜でも詰みますよね、私がダメージ与えられませんし」

 

「ねぇ、3人しか居ないのに毎回1人役立たずになるのどうにかならないわけ?リゼしかまともに働いてないじゃない」

 

「そ、そんなことは……」

 

「安心して下さい、その次の白竜はリゼさんの天敵ですから」

 

「もうどうしろっていうのよ」

 

「やっぱりパーティメンバーを増やすしかないんでしょうか……」

 

「普通の奴を連れてきなさいよ普通の奴を、どうしてこうも偏った奴ばかり集めるのよ」

 

「リゼの趣味じゃないの?」

 

「違うよ!?」

 

「こうなるといよいよ"主従の誓い"のお二人と共同探索を申し出た方がいい気も……」

 

「そうは言っても、ブレスを攻略出来れば赤竜を倒せる訳ではありませんから。一先ずは目の前の敵に集中するのが良いと思います、そもそもステータス的な話をすれば皆さんまだ適正には達していませんからね」

 

「「「そうだった……」」」

 

結局、安全に安定して倒したいのであれば、レベルを上げて装備を整えるのが確実。それをせずに倒す方法を今回マドカは教えてくれたとは言え、そもそも敵が危険な存在であることに変わりはない。

先ずは安定して倒せる手順を模索して、試して、それを安定して出来るようにしなければならない。これから先、それこそワイアームと同じくらい嫌でも戦うことになるのだから。

 

「さて、それでは最後に今回のお二人の宿題について話しましょう」

 

「「!」」

 

その話題が出た瞬間に、リゼとレイナの背筋が伸びる。

クリアの加入の話ですっかりと頭から抜けてしまっていたが、これこそ今日ここに来た大きな理由の一つでもある。別に出来ていなくともマドカが怒ったりしないのは分かってはいるのだが、怒ったりしないからこその緊張感というのもこの世にはある。

 

「宿題ってなに?」

 

「私がお二人に今日までの宿題を出していたんです。まずは赤竜についての知識を調べること、これは今日の講義中の様子を見ても十分に出来ていたと判断しました」

 

「み、見られてたんですね……」

 

「個人的にはその、足りなかったとも思ったのだが……」

 

「そう思えたということが大事なんですよ、そうやって少しずつ精度を上げていくんです。最初から完璧に出来る人なんてそう居ませんから。……それと今回の私の調査は過剰だったのでお手本にはしないで下さいね、私も殆どやらないので」

 

「あ、ですよね」

 

「一先ず調査については合格です、よく頑張りましたね。ちゃんと全員で協力して情報を集めていたようですし、クランの空気も良さそうです。心配はいらなさそうですね」

 

つまり必要最低限の調査能力はあると認めて貰えたということだ、それはそれで安堵する。平均と言葉で言うのは容易いが、その平均の能力もないと自覚してしまうのはなかなかにキツイものがある。それは自分がそれほど優秀な人間ではないと自覚しているほどに恐ろしくなるものだ。少なくともレイナはほっと胸を撫で下ろした。

 

「次に個人個人に与えた課題についてですね。リゼさんは文句無しで合格です。むしろ最初は"パーティを組んで帝蛇を倒せ"だったはずなのに、妙に大きな話になってしまいました」

 

「あ、あはは。あれはクリアとエクリプスのおかげだよ、でも良い勉強になったのは間違いないかな」

 

「うん、私も楽しかったよ」

 

「ふふ、クリアさんはどう思いましたか?リゼさんのパーティとして参加してみて」

 

「特に不自由はなかったかな。知識が足りないところも素直に聞いて取り入れてくれたし、安心感があった」

 

「そうですね、それがリゼさんの良いところだと思います。分からないこと、知らないことがあれば見栄を張らずに他人を頼ることが出来る。当たり前のことのように思えますが、指揮を取る人間として大切な資質です。クリアさんも言っていましたが、そういう姿勢は付いていく人達も安心感と信頼感を抱けます」

 

「そ、そうかな?そうだと嬉しいのだけど……」

 

「今度そういう関係の本をお渡ししますね。これからも優秀な指揮官となれるように成長して欲しいので」

 

なんだか思った以上に褒められてしまいリゼは見て分かるほどに照れてしまっているが、そんな様子を見て哀れに思っているのがスズハである。

優秀な指揮官だのなんだのと言われているが、この女は間違いなくリゼを将来の都市最上位の幹部辺りまで押し上げる気満々であると分かってしまうからだ。この女が他人に対して異様に期待を押し付けていることは身をもって知っていたが、もしかすれば一番重い期待を押し付けられているのはリゼなのではないかとすら思えて来る。

…‥だってこの女は確実に、リゼを邪龍討伐の頭数の一つとして数えているだろうから。それがこの女の目的であり、これまでの全てがそのための行動であるとするならば、ここまでリゼに手を貸す理由も分かるというもの。だとすると、リゼと一緒にいる自分もヤバいのではないだろうか?そんな風に考えたが、それも既に手遅れである。スズハにもう逃げ場などないのだから。戦闘に参加しないだけマシだろう。……それも含めてこいつの計画通りという可能性もあるが、それはもう気にしても仕方のないことで。

 

「さて、それではレイナさんの"6階層以降の探索は、なるべく地面に足を付けずに移動すること"という課題はどうでしたか?」

 

「あ、はい。一応あれ以降続けてはいまして、少しずつ慣れてはきました。今は最低限の移動くらいは問題なく」

 

「なるほど……となると、一度私が直接見た方がいいかもしれませんね」

 

「え?」

 

「今度私と2人きりでダンジョンに潜ってみましょうか、レイナさんの動きも見ておきたいですし」

 

「ふ、2人で!?」

 

「いや、どうしてリゼさんがそこで反応するんですか」

 

「いや、羨ましくて……」

 

「リゼさん、たまにはレイナさんも他の人とペアを組む経験も必要なんですよ。レイナさんはこんな機会でもないとそういうことが出来ないんですから」

 

「うぅ……わ、分かったよ……」

 

「リゼさんも、今度久しぶりに2人きりでダンジョン行きましょうね」

 

「あ、ああ!絶対だ!忘れたら駄目だからね!」

 

などというやり取りを冷たい目で見ていたスズハは、3人のその奇妙な関係性にとあることを思い付く。

 

「……もしかしてこの世界、レズしか居ない?」

 

単に周辺に女性が多いというだけである。

しかし、それに対して答えたのはクリアだった。

 

「えっとね、確か世界の2割くらい」

 

「多くない?よくこの世界人口保ってるわね」

 

「エルフの女の人とアマゾネスは同性愛者が多いらしいよ。あと精霊族は性別気にしないし」

 

「確実にそこのせいでしょ」

 

「その代わり、アマゾネスと獣人はたくさん産むから。ヒューマンだけはハーフを作れるし、エルフは長寿だし」

 

「精霊族だっけ?それはどうなってんの?あんた精霊族なんでしょ?」

 

「私達は同性でも子供産めるから」

 

「…………」

 

「?」

 

「………マジで?」

 

「うん、マジ」

 

「どうやって……?」

 

「聞きたいの?えっちじゃん」

 

「いや、だって……それ男でも妊娠するってことでしょ?」

 

「精霊族はアマゾネスと一緒で女しか居ないよ?」

 

「……ちょっと頭痛くなって来た」

 

「あんまり私達のこと知られてないからね」

 

精霊族がえっちなこととか、よく知られていない。



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89.高まる期待

リゼ達の講義を終えた後、マドカはその足で別の会議室へと向かっていた。

思っていた以上に順調に成長していたリゼとレイナ、そしてそんな2人にツッコミを入れるくらいに馴染んでいるスズハ、そして新たに加わる事となったクリア。正直に言えばマドカは驚いていた、リゼは本当によくやっている。自分一人では出来ないことも多いということを理解していて、それ故に他者にその力を求めることが出来る。そして彼女自身、その手を取ってくれる人を周囲に作れる人格の人間であり、それこそ少しの試練さえあれば彼女の名前は今以上に広がることになるだろう。それくらいに彼女は、マドカが思わず鼻歌を歌ってしまうほどに彼女は頑張っていた。

 

(ただ、そういう試練はもう少し先ですね)

 

時間があればマドカの代わりに放送にも積極的に協力してくれる彼女、下地は出来ている。しかしそれに飾り付けをして華やかな演出とともに表に出すには、未だ少しばかり土台が足りない。今の状態で出してしまえば悪意によって折れてしまいかねない。……必要なのは挫折、そしてそれを乗り越えた経験。それもこれまでとは比にならないほどに大きな、それ。

 

「失礼します」

 

辿り着いた会議室に入ってみれば、そこに座っていたのはカナディアとレンド、そしてアタラクシアとエリーナの4人。

 

「おう、来てくれたかマドカちゃん」

 

「今日の講義は非常に良かった、流石だなマドカ」

 

「お陰でギルドの方は急遽増産に追われることになったがな、しかし私もカナディアと同意見だ」

 

「おつかれ」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

褒められながらも席につくマドカ、彼女の上機嫌な様子もあってか4人とも暖かく迎え入れてくれた。彼女の今回の講義はそれほどに意味のあるものだった。どれほど強大な敵が現れたとしても、調査を徹底的に行えば勝てる可能性があると示してくれたもの同然なのだから。龍の飛翔によって現れる龍種はともかく、ダンジョン更新に関してであれば有用性は高い。

 

「レンドさんも、時間があれば一緒にインフェルノドラゴンの対策を作りましょうね」

 

「あはは……ああ、頼むぜ」

 

レンド達が過去に撤退した45階層の階層主であるインフェルノドラゴンのことはさておき、今ここにこの面子が集まったのは別件だ。

机の上に置かれた資料、手にとってみればよく纏っている。流石はエルザだろう、彼女は本当にこういう能力が高い。

 

「……"英雄試練祭"、街を引っくるめたお祭りにした訳ですか。これは面白いですね」

 

「だろう?流石はエルザだ、良い形に纏めてくれた」

 

「エリーナさん、時間的に間に合うんですか?ここで龍種が発生しないと分かった以上、アタラクシアさんも直ぐに出発したいでしょうし」

 

「ああ」

 

「その辺りは大丈夫だ、既に商人達には組合を通じて超特急で動いてもらっている。あの英雄アタラクシア・ジ・エクリプスが目玉の祭だ、彼等も気合を入れている。最短で5日後には可能だそうだ」

 

「もうこのビラは配られてたしな、はえぇもんだ」

 

「流石ですね、全力を注ぎ込むところが分かっているというか。……それにしても、アタラクシアさんにエントリーした探索者が挑むなんて単純な催しなのに、これは人が集まりそうですね」

 

英雄試練祭、単純であるが分かりやすいその祭の目玉は正しくそれである。英雄アタラクシア・ジ・エクリプスの高みというものを知って貰う、それは下から上まで全ての探索者に。

それは人類の希望として、そしてその希望を守る者達への活力として、これは決して無駄にはならない。アタラクシアもまた、それには賛成している。

 

「それでなんだが……マドカ、お前もアタラクシアのように挑戦を受けてみないか?」

 

「いいですよ」

 

「えっ」

 

「え?」

 

「……いや、そこまであっさり受け入れて貰えるとは正直思っていなかった」

 

「私は体力がないですから、アタラクシアさんのように延々と相手をすることは出来ないですけどね。出来ることはお手伝いさせて貰いますよ」

 

「マドカちゃんは需要あるだろうしなぁ」

 

マドカ・アナスタシアは以前から放送業の方で人気があった、そして一部の冒険者からも慕われている。どころかリゼのように崇拝に近い重過ぎる感情を抱かれている部分もある。需要が相応にあるのは間違いないし、これを機に彼女の教え子になろうと気合を入れる者も出て来るはずだ。

 

「そういうことだからレンドもよろしく」

 

「やっぱオレもかよ……」

 

「仮にも都市最強を名乗っているのであれば逃げられる訳がないだろう。マドカも引き受けた、まさかお前が断るまい」

 

「……わぁったよ」

 

「ふふ、私がレンドさんに挑戦したいくらいですね」

 

「やめてくれ、みっともないところ見せちまいそうだ」

 

世界最強のアタラクシア、都市最強のレンド、中級探索者最強のマドカ。上から下まで良い具合に網羅した良い構成だろう。実力の足りない新人であっても、相手がマドカであれば申し込みやすいはずだ。そしてそれが彼女の講義に参加する切っ掛けになるのならそれ以上のこともない。……そして現実的な人間の高みと、非現実的な人間の高みを知ることも出来る。

 

「最後にはメインイベントとしてマドカとレンドにアタラクシアに挑んで貰うのも良いかもしれないな」

 

「何言ってんだこのクソエルフ」

 

「ふふ、いいじゃないですか。一緒に頑張りませんか?」

 

「うっ」

 

「私は構わない」

 

「というか、単純に私達も見たいからな。マドカと仲を深める良い機会にもなるだろう、やれ」

 

「エリーナの言う通りだ、やれ」

 

「やりましょう!」

 

「………………わぁったよ」

 

エリーナ的には完全に興行のためとは言え、それが求められているということもまた事実。それが祭の目玉になるというのも間違いなく、それを見たいがために多くの探索者が集まることになるだろう。そうなるともう1階層でワイバーンを縛り付けて思いっきりやらせる方がいいのかもしれない、ワイバーン君は可哀想ではあるが。

 

「あっ、そうだ!その時にあれを使っちゃってもいいですか?カナディアさん」

 

「あ、あれをか?それは……いや、流石にやめておいた方がいいだろう。やるにしても次の機会だ」

 

「そうですか……それは残念です」

 

「アレってなんのことだ?まだなんかあんのか?」

 

「ああ、マドカがかなり昔に見つけた物ではあるのだが……まあ才能の権化のようなものだ。実現出来るのはセルフィ、マドカ、それと試してはいないがステラ・ブローディアくらいだろう」

 

「……やべぇ話じゃねぇだろうな?」

 

「やばい話ではあるな、考古学的な面ではあるが」

 

「待て、それはギルドとして聞き捨てならんのだが」

 

「スフィアと秘石の製造にエルフが間違いなく関わっている、という話だ」

 

「はい終わり!この話終わり!」

 

「お前それ絶対発表すんじゃねぇぞ!?絶対だからな!?エルフ共が増長するのが目に見えるわ!!」

 

「だそうだマドカ」

 

「そうですか、それは残念です。まあ何れバレる話ではあるので、それまでに他の種族も関わっていたというような証拠でも揃えましょうか」

 

「そう上手くいくといいのだがな」

 

「エルフのスフィア嫌いを何とか出来ると思ったのですが……」

 

思わぬところからぶっ込まれた種族間の平穏を崩しかねないそんな話は置いておいて、というか出来れば2度と浮上してこないことを祈って。

良くも悪くもエルフというのは面倒臭い気質をしていて、そんな彼等がこうして曲がりなりにも他の種族と手を取り合って生きていられるのは、実はアマゾネスと交友が深いことが理由にあったりもする。その辺りの歴史の話はまた後ほどにするとして。

 

「まあ参加する件については問題ねぇけど、条件とかどうすんだ?その辺は書いてねぇけど」

 

「エルザはマドカに任せると言っていたが」

 

「安全面を考えると属性系のスフィアは禁止したいですけど、そうなると強みを潰されてしまう人も出てくるでしょうし……見栄え的にも武器を木製の物に変えるだけでいいと思います。あとは私達が気をつければいいだけですし」

 

「簡単に言ってくれるぜ……」

 

「そうですね、かなり負担が大きくなると思います。相手に怪我をさせないように、かつ私達は自分が怪我をしないようにもしないといけませんし」

 

「……やっぱりマドカはやめさせるか」

 

「おい、なんでマドカちゃんだけなんだよ。俺も危ねぇんだよ」

 

「わ、私は別にそんな……」

 

「いや、マドカには目付け役の人間を付ければいい。クロノス辺りであれば問題ないだろう」

 

「なるほど、それなら確かに」

 

「あ?もしかして俺の声って聞こえてねぇのか?ぶっ飛ばすぞクソ女共……ごっ!?」

 

腹部に突き刺さるエリーナの拳と額に叩き付けられるカナディアの掌。彼女達は容赦なかった。主にレンドに対しては、彼が頑丈過ぎるのもいけない。

いや、別に悪くはないのだけれど。

ただ頑丈だから雑に扱われているだけだけれど。

そんなレンドも隣のマドカが優しく叩かれた額を撫でてくれるのだから、それで良しとして貰いたい。……まあ直後に停止してしまった彼に再びカナディアの掌が飛んでくるのだが、これに関してはカナディアのファインプレーである。

 

「……それと、だ。例の龍種が混毒の森に消えたおかげで色々と調整を……主に連邦と軍長に報告と、キャリーが監視に調査に後始末にと地獄回りをすることになったのだが」

 

「キャリーさん……」

 

「想定外の事態とは言え、龍の飛翔はオルテミスの管轄。これを取り逃してしまったのはこちらの責任だ。そういった事情もあってグリンラルに探索者の派遣を行うことになった」

 

「まあ当然の話だな」

 

「派遣する探索者は調査中にギルドロビーで騒いでいた喧しい奴等を任命するつもりだ。エッセルが全員の顔と名前を覚えていたからな、容赦なく職権濫用をして強制任務として各クランへ通達する」

 

「そりゃ喜ぶだろうよ、あんだけ騒いでたんだからな」

 

「しかしそれとは別件で、グリンラルから協力依頼が来ている。それについてカナディアとマドカにも意見を聞きたい」

 

「協力依頼?」

 

資料の2部目、そちらはエルザが作った物ではない。書かれている内容は怪荒進によって発生した"獣熱病“に関して。

当初の予定通り熱病を持ったモンスターを何体か取り逃がしてしまっていたらしく、周囲の村々で少しずつ報告され始めているという。幸いにも熱病は"ライフバード"が原因ということが分かり、ライフバードから他のモンスターへ病が移動することはないという。

 

「なるほど……マドカから話は聞いていたが、ライフバードを全滅でもしない限り相当厄介な病のようだな」

 

「これは本来グリンラルの領分だが、あちらには知っての通りスフィアがない。こちらから取り逃がした龍種の監視をお願いする見返りとして、この件についても協力をお願いしたいとのことだ」

 

「"解毒のスフィア"をいくつか提供するんですね」

 

「ああ、それと放送でライフバードと熱病に関して継続して警告を行なっていく。これに関しては明日リゼ・フォルテシアにお願いするつもりだ」

 

「……治療院で調査するにも検体が欲しいですね、それと今すぐにでも街の入り口に検疫所を作るべきです。反発する獣人の方も居るかもしれませんが、事情を説明して検疫時点で発覚すれば無料で治療を行うとでも言えば納得して貰えるでしょう」

 

「そうだな、街に持ち込まれるよりはマシか」

 

「確か解毒のスフィア3つで治療出来るということだが、問題は大きな都市が近くにない村々だな。容易く用意できる物ではない上に、都市に足を運ぶのも難しい」

 

「……村を回る医療師共に頼むしかねぇか」

 

「ああ、それと連邦にも協力を依頼する。アタラクシアも3つ持っていくといい、無駄にはならないだろう」

 

「1つは持っている」

 

「あ、3つというのはあくまで平均的なエルフのステータスでの話なので、アタラクシアさんなら1つでも十分かもしれません」

 

実際マドカはそれに範囲強化のスフィアを使用して広範囲の消毒と治療活動をしていた。こういった事が起きた以上はグリンラルでもこれまで以上にスフィアに重きを置くようになるであろうし、スフィアも高騰していくことだろう。

絶対的に需要に対して供給が追いつかないドラゴンスフィア、この辺りの安定供給も課題の一つになっていくのかもしれない。

 

「一応キャリーには最悪私がグリンラルに赴いて治療を行うと伝えておいてくれ。流石にもうマドカには行かせられないが、私でも同じことは出来る」

 

「ああ、親友のお前がそう言うのであればキャリーも喜ぶだろう。……それにしても、こうなると恐ろしいのは未知の病だな」

 

「そうだな、正直そういう可能性は考えたこともなかったっつぅか」

 

「私が受けた強化ワイアームの毒も似たようなものですね、未知の毒でしたので。治療院の設備更新や人手不足の解消は急務でしょうか」

 

「人材確保も必要だな。ギルドによる支援もあって新人探索者が増え始めたとは言え、やはりレアスキルというのはいくつあっても良い。お前やユイ・リゼルタ、そしてセルフィのような人材が各街に一人ずつ居て欲しいくらいだ」

 

「……あまりそういう者達に龍の飛翔に出向いて欲しくはないのだがな、その辺りどうにかならないのかレンド」

 

「そりゃこっちとしても同意見だけどな、本人達が行くっつって聞かねぇんだから仕方ねぇだろ。次からそういう奴等は別部隊に分けて運用するつもりだ、マドカちゃんを部隊長にしとけばよっぽど大丈夫だろ」

 

「あれ?また私の責任増えました?」

 

「普段クランに入らず自由にやってんだ、こういう時くらいおじさんのこと助けてくれよ」

 

「いつも助けられてる癖に何言ってんだろうな、このおっさん」

 

「全くだな」

 

「おい、聞こえてんぞ」

 

「私は構いませんよ、あまり期待されても困ってしまいますけど」

 

それにそういう役割であれば、マドカは大歓迎なのだから。それこそ以前の時のように、自分の手の届かないところで無茶をして死なれてしまうくらいならば、その全ての責任を負ってでも彼等を指揮できる立ち位置は欲しい。マドカは指揮の経験は少ないが、ないからこそ経験を積んでおくべきなのだから。そういう意味でも断る理由などなかった。

 

「さて、一先ず話としてはこんな感じなのだが……マドカ、この後は何か予定あるのか?よければ昼食でも一緒にどうかと思ったのだが」

 

「ほんとですか?……ええと、30分ほど待って貰ってもいいでしょうか。実は試作の武器の試し斬りを頼まれていまして、ガンゼンさんがギルドで待っているはずなので、受け取りだけしたいんです」

 

「マドカちゃんも大変だな」

 

「光栄なお話ですよ、素晴らしい新作を誰よりも先に使わせていただけるのですから。……こういう素敵な役割もいずれは他の方に引き継げればと思っているのですが、今はまだ楽しませて貰ってます」

 

「引き継ぎなぁ、誰か候補は居るのか?」

 

「今のところは居ないですね。武器が使えるのと武器の問題点が見つけられるのは別の能力ですから、視野の広さと頭の柔軟性も必要です。良さと悪さを見極めた上で、果たしてそれが本当に無意味な要素なのかまでを考えられる人にお渡ししたいです」

 

「……いや居ねぇだろ、そんなやつ」

 

「性格的にはリゼさんがあと5年ほどすれば良い具合になると思うのですが、彼女は銃しか使いませんからね。そういう人材探しも必要ですね」

 

「相変わらず彼女に対する期待が大きいな、マドカ」

 

「でも、カナディアさんもリゼさんに期待、してるでしょう?」

 

「……多少はな」

 

気恥ずかしそうにそういうカナディアに、マドカはニコリと笑って立ち上がる。それから自分の鞄の中に手を入れると、一枚の紙をカナディアに対して手渡した。

 

「ガンゼンさんが調査をしていた"例の槍"に関する調査結果です、ここから先はスズハさんに引き継がれることになりました」

 

「!これは……」

 

「あん?何の話だ?」

 

「以前にダンジョンの中で女が見つかったと言ったろ?あの時に一緒に見つかった奇妙な槍の話だ」

 

「ああ、あのスフィアが使えるってやつか」

 

「……マドカ、この"推定作成時期が10年以内"というのは本当なのか?」

 

「「は!?」」

 

「事実みたいですよ、何度も調査したそうです」

 

「ま、待て!スフィアを利用出来る技術を組み込んだ武器が10年以内に作られていたということか!?」

 

「不思議な話ですよね。ガンゼンさん燃えてましたよ、そうでなければこうして調査の引継ぎなんて許してくれなかったと思います」

 

「………」

 

「案外、この街が最先端な訳ではないのかもしれません。そうだと嬉しいんですけどね、個人的に」

 

わからないことばかりが増えていく。

それに対して嬉しそうにニコニコと出来る人間も、そうは居ない。こういうところが怪しく見えてしまうのだ。少なくともレンドは溜息を吐く。

今はもうマドカに対する疑いというのはほとんど抱いていないとは言え、こういう小さなことが積み重なって出来てしまったのだから、もう少し子供らしくしてくれないものかと。彼女が本当に年相応の少女であり、探索者なんかやってなければ……レンドがそう考えたのも、一度や2度の話ではなかったりした。

 



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90.新たな仲間との交流

4人目の同居人。

そもそもの話、別に同居する必要はないのではないのか?という話にもなるが、もともと"青葉の集い"の本拠地にて暮らしていた彼女がクランを変えたにも関わらずいつまでもそこに居るというのもおかしな話。

講義の次の日には彼女は早速荷物を纏めてやって来たし、リゼ達もそんな彼女が来ることを楽しみに待っていた。

 

「荷物すっくな、鞄一つ分じゃない。本当にそんなんで大丈夫なの?」

 

「うん。ほら、邪魔だし」

 

「クリア、何か飲むかい?特別なものはないけど」

 

「あ、うん、貰う。これ何処に置けばいいかな?」

 

「こっちに棚を用意しましたので、クリアさんの私物はこちらに入れて貰えれば大丈夫ですよ」

 

「お〜、いいじゃん。かっこいい」

 

「一応ここ鍵付きの金庫になってるから、やばそうなのあったら入れときなさい」

 

「ういうい」

 

この小さな部屋に4人での同居というのは少々狭苦しくも感じてしまうところではあるが、クリアはそれについてはそこまで気にしていないらしい。

特にこの同居人が増えるということで、奥の個室がリゼのものではなくスズハの物になったというのも大きい。スズハの研究用のスペースとして模様替えされることになったのだが、それよりも狭い部屋で雑魚寝をするという行為を何よりリゼが強く求めたことが理由の大きな一つだろう。スズハは自分の部屋が出来る、リゼはみんなとぎゅうぎゅう詰めになって眠れる、レイナはリゼの側にいられる、全員がwinwinになれる素晴らしい提案だった。

 

「にしても……女4人で共同生活って、なかなか無いでしょ」

 

「そういうものなのかい?」

 

「あ〜……まあ、確かに女性だけのクランってあまり無いのでしょうか」

 

「そうかも、だから結構新鮮。ほら、女同士って結構ドロドロするじゃん?」

 

「そこは大丈夫でしょ。私はハッキリ言うし、リゼはこの通りだし、レイナも割とそういう不満は自分にも向かうタイプだから。少なくとも嫌がらせとかは発生しないんじゃない?」

 

「私はみんなで寝るのが楽しみなんだ!真ん中は誰にも譲りたくないくらいに!」

 

「リゼ、多分そこは普通みんな入りたがらない場所だから」

 

「えぇ!?そんな勿体ない……」

 

「とまあこんな感じなので、リゼさんが居る限りは大丈夫なんじゃないかなぁと。ここまで来ると今後男性を入れることはまず無くなると思いますが」

 

「ふふ、私的には好きだよ。じゃあ私はリゼの左側に陣取ろうかな」

 

「それなら私は右側ですね」

 

「となると……スズハは私の身体の上に?」

 

「何言ってんだこいつ?はっ倒すぞ」

 

スズハにそういう趣味はない、というか同性同士でぎゅうぎゅう詰めになって寝たくはない。そもそも身体の上で寝る訳がないだろうと、その無駄に高い位置にある頭を叩きたくなるところだ。

しかしリゼはそんなスズハの拒否になんだか寂しそうな顔をして俯くのだから、純粋な人間の悲しみは最強の武器なのではないかと思ってしまう。求められていることは素直に嬉しくはあるけれど、流石に身体の上で眠るというのは無い。他の何かであれば許容は出来るけれど、それだけは絶対にない。

 

「はぁ……せめて端にしてくれる?レイナの横とか」

 

「本当かい!?それでも嬉しいよ!」

 

「……意外とスズハさんって折れてくれますよね、頼めば聞いてくれるというか」

 

「理由が正当だったり可愛げがあれば聞くわよ、逆にどれだけ正しくともクソみたいな理由のためなら絶対聞かない。割とその辺り感情的なのよね、それでいいとも思ってるけど」

 

それにスズハとて、他人と寝るということが本当に嫌という訳ではない。

今日までの間に不安が無かったのかと言われれば全くもってそんなことはなく、むしろグリンラルでマドカに誘いを受けるまでは本当に今後のことに不安しか無かった。オルテミスに来て半ば強引にリゼのクランに入ることになったが、今のこの生活がどれほど恵まれているか自覚はしている。自分から接することの難しい性格をしているだけに、リゼにはとても救われている。

1人で眠れば余計なことを考える、不安も覚える。しかし隣に誰かが居れば、それだけで安心感というのは違うものだ。それもこうして自分を暖かく迎え入れてくれる人間であれば尚更。……ここまで含めてマドカ・アナスタシアが考えていたとまでは流石に思わないが、もしそうであれば多少の腹立たしさは隠せなくとも、感謝くらいはしてやりたいところだ。自分の居ていい居場所があるというのは、それだけで精神的な持ちようが違う。

 

「どうだろうクリア?私達のクランで上手くやっていけそうだろうか?」

 

「う〜ん、まだ分かんないよね」

 

「あ、あはは……」

 

「この子結構正論言うわよね」

 

「私さ、あんまり同年代の人と仲良くなれなかったんだ。だからリゼ達に問題がなくても、私のせいで仲良くなれないんじゃないかなって」

 

「そう、なのかい……?」

 

「うん。気味が悪いらしいよ、よく分かんないけど」

 

小さな机を囲んで、4人が座る。

そうして真ん中の机の上に置かれたのは、クリアの秘石。そこには3つの青色のスフィアが嵌っており、真ん中の一つが特に強い光を帯びているように見えた。

 

「こうしてクランに入れて貰ったからには、このことはちゃんと話しておかないとって。お爺ちゃんに言われたから」

 

「……例の星が5つあるスフィアの話ですか?」

 

「うん、真ん中の光ってるやつがそれ。この世界で一つしかなくて、この世界で私にしか使えないスフィア」

 

「クリアにしか、使えない……?」

 

「なにそれ、そんなのあるの?」

 

そもそものスフィアの性質から考えてみれば、その限定的な条件はあまりにも異質だ。誰にでも魔法が使えるようになるという名目のスフィアで、種族どころか個人に縛りを求めて来る。そんなスフィアがあるということなどリゼが今日まで読んできた本の中には一切載っていなかったし、聞いたこともない。

 

「スフィアの名前は【水神のスフィア☆5】、見ての通り水属性。私にしか使えないって言うか、私が使う秘石に勝手に装着されるんだ」

 

「……ちょっと言葉だと分かんないから、実際に見せて貰っていいかしら?」

 

「うん、いいよ」

 

そうしてスズハから渡されたスズハの秘石、それはグリンラルでキャリーから渡された物で、今日までスズハが身に付けていた物だ。秘石は誰の物を使っても効果を発揮する、ステータスは秘石ではなく本人由来のものであるからだ。

クリアがスズハから渡された秘石を自身の腕に近付け、いつも通り黒色のベルトのような物によって自動的に装着される。そして装着が完了すると同時に、クリアの秘石の中央に出現した青色のスフィア。視線を机の上に戻してみれば、そこには中央の窪みだけが空になった秘石があるだけ。

 

「ほんとに、移動してる……」

 

「ど、どうなってるんだ?」

 

「……クリア、もしその状態の秘石を私が付けたらどうなるのかしら?」

 

「ん〜、やめた方がいいと思う。前に試した人は弾き飛ばされて壁に衝突したから、怪我すると思う」

 

「……異質過ぎるわね、星5のスフィアって全部そんな感じなのかしら」

 

単純に使用出来ないだけならばまだしも、弾き飛ばすという攻撃性まであるとなると話は別だ。それも秘石を外して弾き飛ばすということは、生身の状態で吹き飛ばされるということになる。最悪の場合、打ちどころが悪くて死んでしまうことだってあるだろう。

 

「クリア、その水神のスフィアの効果はを教えてもらってもいいかい?」

 

「うん、いいよ」

 

クリアはゴソゴソと自身の鞄の中を探り、一冊の薄い冊子を取り出す。恐らくは手作りで作成されたそれは、どう考えてもクリア自身が作成した物ではないだろう。それほどに丁寧に作られており、クリアが雑に保存しても大丈夫なように素材もそれなりに良い物だった。

 

「マドカさんとカナディアさんに作って貰ったんだ」

 

「あいつ本当に何でもやるわね……」

 

「えっとね、確かここに……あった、これこれ」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・水神のスフィア☆5【水】-ALL-レア

パッシブ:攻撃に対して自動で水弾によるカウンター攻撃を行う。

アクティブ:幻影鏡…1度だけあらゆる攻撃を反射する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「「「「…………」」」」

 

「スフィアの鑑定が出来なかったから、マドカさんとカナディアさんが調べてくれたんだ。すごいでしょ」

 

「……強くないですか?」

 

「え?クリア?これもしかして以前の戦闘の時も使ってたのかい?」

 

「アクティブの方は使ってないけど、パッシブの方は私じゃどうしようもないし。まああの時は全部赤竜のブレスにこっちの水弾は掻き消されてたんだけど」

 

「あの、これ実質無敵なんじゃ……」

 

「……いや、確かスフィアって使用間隔に制限があったでしょ。星5つのスフィアってどれくらいになるわけ?」

 

「えっとね……30分だって」

 

「実質1戦闘に1回ってところですか……」

 

「いや、しかし十分が過ぎる。どんな攻撃でも一度は絶対に対処出来るというのは、あまりに大きい」

 

「それで?デメリットくらいはあるんでしょ?デメリットってあれよ、不利益みたいなの」

 

「まあね」

 

むしろそれが無ければおかしいくらいの文章がそこには書かれている。

あらゆる攻撃に対する自動カウンター、そしてどんな攻撃でも一度だけ反射する最強と言っても過言ではない防御手段。例えばこんなものが高位の探索者が使えるようになれば、単独でどこまで深くに潜りに行けることか。リゼが最もイメージしやすい探索者となるとマドカかラフォーレであるが、どちらが持ってもとんでもないことになりそうだ。

 

「まずね、このスフィアが外せない」

 

「まあ、見た通りね」

 

「あと水属性のスフィアしか使えない」

 

「それはこの前も言ってましたけど、そう言う理由だったんですね」

 

「あと水属性のスフィアしか手に入らない」

 

「そこまで限定されるのかい!?」

 

「でも水属性のスフィアの効果も強くなるし、武器縛りが無くなるんだ。だから杖がなくても水弾を撃てるよ」

 

「……それでもメリットの方が大きい気がするわね」

 

「あと水の上を歩ける」

 

「それは凄いな!!」

 

「でも水辺の近くに長く居ると引き込まれる」

 

「急にホラーになるじゃないですか!?」

 

「なんかこう、水の中からたくさん手が出て来るんだよね。一回本当にやばい時があって、その時はマドカさんが思いっきり雷斬で水面ごと吹き飛ばしてくれたんだけど。そのせいで周りの人達から避けられるようになっちゃって」

 

「……これ呪いじゃない?」

 

「スズハさんもそう思います……?」

 

レイナとスズハの意見は同じだった。

そして一度その線で思考を進めれば、色々なことに納得がいってしまう。

つまりは彼女は何処かのタチの悪い水神に気に入られてしまい、そのスフィアを与えられたのではないだろうか。そして水神は隙あらばクリアを自分の物にしようとしており、水の中へ引き込もうとしてくる。

 

「つまり……やはりスフィアには神の存在が関わっているということだろうか」

 

「あ、やっぱりリゼさんはそっちが気になるんですね」

 

「だってこれは神であればスフィアを作れると言っているような物というか!……あ、もちろんクリアのことは心配しているよ!?水神なんかに渡すものかとも思ってる!!」

 

「あはは、分かってるよ。むしろそういう反応の方が助かるかも、結局水辺にさえ近付かなければ大丈夫なんだし」

 

「て言うか、この世界にも神っているの?」

 

「遥か昔に滅びてしまって、今はその子孫である神族と呼ばれる種族が各地に点々としていますね。神族の集まる村があったと聞きますが、それも邪龍によって滅ぼされてしまったとか」

 

「……まさか本物の神を滅ぼしたのも邪龍とか言わないわよね?」

 

「そ、そこまでは私も……」

 

なんとなく触れてはいけない世界の深淵を垣間見てしまったところで、話は戻る。

まあ別にクリアが女神に魅入られていようと何だろうと、それで気味悪がるような者達でもない。リゼとしては今も目を爛々と輝かせているくらいにはそういう話は大好物であるし、マドカが雷斬で対処したという話を聞き、それが何より得意なレイナも恐怖感は薄らぐどころか責任を感じた。スズハとしてもなんか変な幽霊に取り憑かれている少女くらいの見方でしかなく、正直研究の種が増えてシメシメと思っていたりもする。

それよりも神族の里を滅ぼしたという邪龍の方がよっぽど恐ろしいだろう。少なくとも間違いなく神の子孫である者達の集まりを滅ぼしたというのだから、邪龍の恐ろしさという物を改めて思い知らされる。

 

「ええと、それじゃあ今後の対応としては……クリアは11階層以降には同行ができないという事でいいのだろうか?」

 

「同行はできるけど、あんまり動けないから守ってね?って感じかな。なるべく水に近寄らないようにしないといけないし、もしもの時は水面吹き飛ばして欲しいし」

 

「あ、それは私に任せて下さい。雷斬は私の得意技なので」

 

「おお、心強い」

 

「ただ、それでも少し不安は残るかな。そこはまた別で対策を考えてみるよ」

 

「うん、お願い」

 

せっかくクランに入ってくれたのだから、レッドドラゴンを倒したらお役御免……なんてことにはさせたくはない。可能な限り安全を確保した上で、3人で力を合わせてダンジョンを攻略したい。そのための努力ならリゼは惜しまないつもりだ。必要であれば砲撃で水面をぶっ飛ばすことも……

 

そこで気付いてしまった。

なんとなくラフォーレ・アナスタシアと似たような思考になってきている自分のことを。最近感じているのだ、もしかすれば彼女の探索の仕方が最も安全で効率がいいのではないかと。そんな風に徐々に毒され始めている自分を微妙な目で俯瞰している自分も居たりする。

 

「ああ、そうだ。話は変わるのだけれどスズハ、これを君に渡しておこうと思う」

 

「なに?赤色のスフィア?……なんで?」

 

「これはクリアとエクリプスと強化赤竜を倒した時に手に入れた物なんだけれど、【軽減のスフィア☆2】というものなんだ。……ただその、炎属性で杖の縛りがあってね。私もレイナもクリアも上手く利用出来そうにないんだ」

 

「なるほど、つまり要らないのね。そういうことなら貰っておくけど……杖ねぇ」

 

「リゼ、龍宝はどうしたの?」

 

「ああ、ガンゼンさんに頼んで小杖にして貰っているよ。必要ないかもしれないけど、スズハにも武器くらいあった方がいいと思うんだ」

 

「……龍宝?」

 

「あ〜あ……」

 

「ちょっとレイナ?なにその反応?龍宝ってなんなの?もしかしてこのバカまたとんでもない物を押し付けようとしてない?」

 

「大丈夫さ、小杖を作る際に不要な部分を換金するって契約でお願いしたからね。作成費は無料どころかむしろ入ってくるくらい……」

 

「やっぱりとんでもない物じゃない!!そんなところまでマドカに似なくていいのよ!!」

 

「そ、そんなに褒められると照れてしまうな」

 

「防具にしても良かったんじゃない?」

 

「いや、その余剰分で全員分の防具を用意して貰うつもりさ。1人分の防具にするより全員に相応の物で揃えたかったからね」

 

「なるほど、いいじゃん」

 

「……もしかして防具まで私の分を用意してるんじゃないでしょうね」

 

「当然用意しているよ?」

 

「このっ!このっ……馬鹿!アホ!アンポンタン!!」

 

「あ、あんぽんたん!?」

 

言うまでもなく、リゼはスズハのこともちゃんと大好きであった。こうして1人だけ省くようなことを決してしないくらいには。……まあそれが戦闘をしないと明言している彼女に対して余計な圧になっていることには気が付いていないが。師匠がマドカ・アナスタシアであるのだから、仕方がない。



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91.スズハの穏やかな一日

「レッドドラゴンを、倒しに行くぞー!」

 

「「おー!」」

 

「しっかり倒して、無事に帰ってくるぞー!」

 

「「おー!」」

 

「うん……頑張ってきなさいな」

 

ギルドの前で威勢よく手を上げた3人を前に、スズハは周りからの視線を感じて微妙な顔をしながらそれを見守る。

ようやくこの日がやって来たというか、色々考えた結果この日になったというか。

 

「英雄試練祭に参加するためにも、やるなら今日しかない!」

 

先日急遽発表された"英雄試練祭"、その内容は簡単。"英雄"アタラクシア・ジ・エクリプスと、"聖の栄漢"レンド・ハルマントン、そして"白雪姫"マドカ・アナスタシアと手合わせが出来るという謎の祭りだ。しかも祭りの最後には英雄アタラクシアにレンドとマドカが協力して挑むとなれば、探索者達どころか一般人からしても熱狂物である。

なお、そもそもマドカを表に出させないために放送から引き離したのではないのか、という当たり前の声も主にラフォーレ・アナスタシアの方からあったりもしたのだが、そこはマドカの側にラフォーレとカナディアが常に付いているということで言いくるめたという話もあったりする。

……まあ何にしても、この件で誰より熱狂したのがリゼであることは間違いない。元より熱狂的なマドカファンであると同時に、以前その強さを目にしたエクリプスが彼女と戦うとなれば、リゼは何にしても絶対にそれを見たいと主張したのだ。

そして出来れば2人に挑みたいとも。

 

「レッドドラゴンを倒して、少しでもレベルを上げて2人に挑むぞー!」

 

「「おー!」」

 

街の雰囲気を見るに、また金が回るのだろうなぁとスズハは思う。スズハが来る前に南区画が全焼したと聞いていたので、その資金集めも兼ねているのだろう。ギルドとしてはこのイベントは何がなんでも成功させたいという思いが読める。

……ただまあ、マドカ・アナスタシアが襲撃を受けた件にしても、リゼが強化種と出会った件にしても、何か訳の分からない相手が暗躍していることは間違いない。なんとなく嫌な予感は誰だってしているだろうし、正直スズハとしてはこれから行く赤竜討伐でさえも心配はあった。十分に対策はしているとは言え、対策出来ない部分はどうしようもない。

相手が人間であるなら、想定外の隠し球でも用意しておけばとも思ったが……少なくとも今回は間に合わなかった。

 

「……ま、一先ず生きて帰ってきなさい。強化種が出るなりなんなり、無理だと思ったら這ってでも逃げて帰ってくること。いい?」

 

「ああ、ありがとうスズハ」

 

「大丈夫です、今回はクリアさんも居ますから」

 

「いえい」

 

「それはそれで心配なところもあるけど……」

 

「えー、ひどいなぁ」

 

「それならもう少しシャキッとしなさい、油断するんじゃないわよ。1人でも死んだら全部終わりだと理解しなさい、人間の集団っていうのはそういうものよ」

 

「……わかった」

 

「まあ、素人の私が言うことじゃないかもしれないけど。活動始めて初日で死人が出るとか勘弁よ、しっかり倒して寄り道なく帰って来なさい」

 

「うん、そうする」

 

そうして、スズハは足を進める3人を見送った。

よっぽどのことが無ければ大丈夫の筈ではあるが、そう言った慢心がとんでもないことを引き起こしてしまう可能性もある。そういった気持ちを戒めるためにも言葉にしたが、言葉にしてもどうにもならないものが人間の心というものである。

自分でさえも心などというものは上手く扱うことができないというのに、どうして他者の心に干渉することなど出来ようか。スズハからすれば容易く人の心を動かすリゼやマドカの様な人間の方が異質に見える。それこそ才能なのだろうとは思うが、自分にそういった才能がないことも自覚している。

見送る3つの背中には少しの羨ましさはあるものの、そこに並ぶ勇気もスズハにはない。ならばやはり自分に出来ることをする、それ以外に他にない。

 

「あれ、スズハさんじゃないですか。おはようございます」

 

「……マドカ・アナスタシア」

 

背後から声を掛けられ、まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで現れた彼女に振り向く。いつも通りの邪気のない笑顔、初めて見た人間であればそれを美しいものだと思ってしまっても仕方がない。……否、恐らく彼女のことをここまで警戒している人間も自分以外にそうそう居ないだろうとも思っている。当然だ、この女がこの街で成した数々の功績を知れば。

 

「その様子では、リゼさん達がレッドドラゴン討伐を行うのは今日でしたか」

 

「わざとらしい、どうせ知ってたんじゃないの?」

 

「いえ、知りませんでしたよ。なんとなく予想はしてましたけど」

 

「ま、あんな祭のことが公表されればね」

 

「ふふ、そんなにやる気になってくれてましたか?」

 

「そりゃもう、喧しくてたまったもんじゃないわ」

 

「そうでしたか」

 

まあ嬉しそうな顔で返答するものだと。

自分やリゼ達が探索者として、クランメンバーとして仲良くしているということに対してであろうということは分かるが、そういう目を向けられるとなんとなく腹が立つのも仕方がない。

 

「呑気ね、そんなことしてる暇があるわけ?色々面倒くさいことが起きてるんでしょ?知らないけど」

 

「ええ、まあ、そうですね」

 

「リゼ達が巻き込まれでもしたら困るんだけど」

 

「大丈夫ですよ、そのために私はここ(ギルド)に居るんですから」

 

「………」

 

「地上でも、ダンジョンでも、何か起きれば直ぐに対処出来ますから。まあ相手の目的たる私があまり動くのは得策ではないでしょうけど」

 

「……ほんと余裕そうね」

 

「そう見えますか?」

 

「私にはね」

 

「それなりに必死ですよ、私個人の力なんて大したものではありませんし」

 

それが態度に表れていない時点であまり焦っている訳ではないと思ってしまうのも、自分の根性の悪さ故なのか。

なにはともあれ、この女がそれなりにリゼや自分達に配慮してくれているのは分かっている。疑わしくはあっても、敵でないことには間違いない。あまり疑い過ぎるというのも違うだろう。恩だけは間違いなくあるのだから。

 

「……ねぇ」

 

「あ、そうだ!」

 

「っ」

 

「スズハさんも一度ダンジョンに潜ってみませんか?」

 

「は?」

 

「モンスター出ない2階層までですけど、どうですか?」

 

こちらの自責の念など知ったこっちゃないとでも言うように覗き込んでくるマドカ、その頭を叩き落としてやりたくなる。

……ただ、その提案自体はとても魅力的なものだ。言葉ではどうこう言うことは出来ても、結局はそれを見て感じなければ分からないこともあるし、そもそも説得力が伴わない。この女の実力はカケラ程度ではあるかもしれないが知っているし、身の安全についてもまさか怪我をさせるようなこともあるまい。

 

「……本当に戦闘しなくていいのよね?」

 

「はい。したいのならお手伝いしますけど」

 

「それはまた別の機会でいいわ、スフィアの試し撃ちくらいならしてもいいけど」

 

「それじゃあ早速手続きしちゃいましょう!ささ、こっちへ!」

 

「え、今直ぐ?ちょ、引っ張るな!?」

 

「さあさあ、行きますよ〜♪」

 

「こ、この強引女……!!」

 

腕を組まれ、ぐいぐいとギルドの中へと連れていかれるスズハ。この女はこういうやつなのである。スズハは諦めて連れて行かれた。むしろそれ以外に選択肢などなかった。

 

 

 

 

「……マジですんなり入れちゃったし」

 

「だって私、探索者兼ギルド職員っていう便利な人間ですから」

 

マドカに防具を装着させられて、ギルドの控室で着替えを終えたスズハ。数枚の紙に記入をすれば、何故だかすんなりここまで来ることが出来てしまった。

それにこの妙に仰々しい防具、これだってギルドからの貸し出しである。

 

「にしてもヘルメットまで……」

 

「ダンジョン内に入るのが探索者だけという訳でもありませんから。投影のスフィアを利用するにはダンジョンに入る必要がありますし、1階層にはワイバーンも出ます。もしものことを考えて、放送に出演するためにダンジョンに潜る必要のある商人さん達にはこういった防具を付けて貰うんです」

 

「なるほどね……それにしても、もう少し汚い空間を想像してたけど、綺麗なものね。ダンジョンの控え部屋なんてみんな血塗れの泥塗れなんじゃないの?」

 

「だからこそ綺麗に掃除してるんですよ。病の温床になりかねませんから」

 

「そういうところ本当にキッチリしてるわよね、この世界」

 

「探索者は世界にとって大切な人材、こんなつまらない事で死なせてしまっては責められてしまいます。ギルドも必死なんですよ」

 

「やっぱり邪龍なんていう大敵がいるからこそ、政治も多少はまともなのかしら」

 

「龍神教の方がよく言っている言説の一つですね、個人的には支持出来る意見だとは思いますが……地方の方では未だ激しい政争があることを考えると、ある意味で私達の力が歯止めを掛けているのかもしれません。この街で探索者の反乱なんかが起きたら全部おしまいですから」

 

「政治に失敗した時のリスクの大きさが理由ってことね」

 

この街の方針に妙に探索者が入れ込んでいるということを不思議にも思っていたが、むしろ彼等を入れ込んでいるからこそギルドの権威を維持出来ているということか。こんな世界だからこそ、最後に求められるのは力。

スズハの世界の兵器があればそんな時勢も多少は変わるかもしれないが、例えば以前に確認された実体のない龍種。あんなものが存在しているとなると、それほどの兵器があったとしても邪龍と呼ばれる存在に対して無傷で勝てるかは怪しいところ。

 

「話変わるんだけど、邪龍の被害ってどれくらい出てるの?この世界飛び回ってるんでしょ?」

 

「邪龍ですか?基本的に大龍ギガジゼル、超龍アバズドル、絶龍ロバルド、滅龍デベルグは世界の四方を縄張りにしていますから。被害があるのはその周辺くらいです。ただ天龍ジントスだけは縄張りを持たずに世界を飛び回っていますから、世界の主な被害はジントスのものになります」

 

「へぇ、そんなにやばいの?」

 

「かなり好戦的な龍種でして、天候を操ることが出来るんです。身体も凄まじく大きくて、大国が一夜で滅されたこともあります。今も定期的に村落が壊滅したりしていますね」

 

「天候ねぇ……」

 

「あと稀に他の邪龍に喧嘩を売って世界中を荒らしまわります」

 

「さっさと討伐しなさいよそんな奴!!」

 

「討伐方法が確立されてないんですよ。下手に大勢で向かっても大嵐で全滅させられてしまいますし、そもそも普段はその巨体が霞むほど上空を飛んでいるので遭遇することすら難しいというか……気分次第では周囲を土砂降りにして大洪水を引き起こされてしまうので」

 

「害悪過ぎるでしょ!!」

 

そんな風に現在の世界の主な邪龍の被害は天龍ジントスによるものである、という知識を得ながら、2人はダンジョンの中へと入っていく。

リゼ達はもうかなり先まで進んでしまっているのだろう、彼らからすればもう慣れた道だ。探索者を続けていくのであれば、この入口は人生をかけて何度も何度も繰り返し歩く場所である。スズハは今後何度通ることになるかは分からないが、少なくとも最初の感想は"不思議な洞窟"という感じだった。

 

「確か1階層にはワイバーンが居るんだったわよね?」

 

「ええ、私が倒しますから大丈夫ですよ」

 

「スフィア使っておいた方がいいかしら?この"生存のスフィア"」

 

「そこはスズハさんにお任せします。一応その必要がないようにはしますが、心配でしたら」

 

「……まあ今は別『グギャッ!?』………に?」

 

 

まだ大広間に足を踏み入れてもいない。

踏み入れようとして、足を持ち上げたところだ。

入口目掛けて突っ込んできた巨大な何かを、マドカ・アナスタシアが腕だけを振るって吹き飛ばした。

停止する時間、停止する表情。

目を合わせているマドカ、彼女は微笑む。

ただしその右腕に握られている鈍く光る白銀の剣は赤い血を滴らせており、落ちている肉塊は恐らく竜の翼の片方。

 

「ちょっと試してみたいことがあるんです、少し待ってて下さいね。【雷斬】」

 

「え、あ、うん」

 

剣を仕舞い込み、鞄から取り出したのは4本のナイフ。両手に2本ずつ持ち、それぞれに雷を流した。やはりINTの値が高いだけに小さなナイフに流した雷の量はかなりのもので、それだけで凄まじい攻撃力を持っているのは明らかで。

 

「よっ、ふっ」

 

「!?」

 

「ギッ………ギャウンッ!?」

 

先に投げられた2本のナイフに、続けて投げられた2本のナイフが追い付き、当たり、軌道を変える。まるで見当違いの方角へ向かっていたそれは突如としてワイバーンの頭部へ向きを変え、その頭部を左右から綺麗に撃ち抜いた。

右と左に同時に投げられたそれが、そんな風に襲い掛かって来るのなら、普通の人間であっても初見で対応することは相当難しいだろう。……というか、普通に考えて人間業ではない。投げたナイフに後から投げたナイフが追いつくだけでも異様なのに、更にそれを自身の思い通りの場所に当てるなど、お前はいったいどこの忍者だと言いたくなる。

 

「ん〜……やっぱりもう少し慣らしが必要ですね」

 

「……あんた何目指してんの?」

 

「結構便利だと思うんです。最終的にこういう地味な技が勝負を分けることになるというか……」

 

「そんなことばっかりしてるから変態になるのよ」

 

「取り敢えず死角に隠れた相手にも当てられるようになろうかなと。まだ2回の軌道変更が安定しなくて」

 

「やっぱり変態じゃない」

 

もしかしなくとも1階層に陣取るワイバーンは毎日毎日こんなことばかりされているのかと考えてしまうと途端に何だか可哀想に思えてきてしまうが、その性質は弱者を徹底的に狙う狩人。広間に入る前から狙われるほど格好の標的だったスズハは一瞬違えば殺されていたような相手である。

 

「スズハさんも、もう一つくらいスフィアがあるといいかもしれませんね。リゼさんから軽減のスフィアを貰ったんですよね」

 

「ほんと耳が早いわね……まあ確かに私のスキルのこと考えると持ってるスフィアは多い方がいいでしょうけど」

 

「レア度の低い物であれば差し上げますよ。回避☆1とかなら幾つも持ってますし……」

 

「……やめとくわ」

 

「いいんですか?」

 

「ええ、あんまり借りを作るのも嫌だし」

 

そもそも、もうスズハはリゼのクランに入っているのだから。出来る限り自分達の力で積み上げていく方がいいだろう。積み上げた成果が自分達のものだけではない……なんてことにはしたくない。

 

「……クラン活動は楽しいですか?スズハさん」

 

「……まあ、楽しい方なんじゃない?少なくとも前の世界に居た時よりは充実してるわ。大した会話もしない奴等と研究に没頭しているよりは、よっぽどね」

 

「それは良かったです。何かあれば声を掛けて下さいね、可能な限り要望には応えますから」

 

「……期待するなって要望は聞いてくれない癖に、よく言うわ」

 

それから2人は1階層の放送スペースを見学し、モンスターの出現しない穏やかな空間を人懐っこい小動物達と戯れたりしながら時間を過ごした。思った以上に何事もなく平和過ぎるくらいの時間を過ごすことになったスズハとしては、なんだか少し拍子抜けした気分になってしまった。



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92.vsレッドドラゴン

スズハが穏やかにマドカと共にダンジョン1階層を楽しんでいる一方で、リゼ達は森林地帯を抜けて目的の10階層へと繋がる階段の前に立っていた。

ここまでは特段のイレギュラー等もなく、モンスターとの戦闘回数も並程度。もしかすればまたカイザーサーペントに襲われたりだとか、森が焼けていたりとかするのではないかとも思ったのだが、流石に今日ばかりはそんなこともなかったらしい。

 

「……ただ、少しくらい不運があった方が良かったかもしれませんね。リゼさんの普通って幸運の部類みたいな感じがあるので」

 

「レイナ?私はそこまで不憫ではないし、LUKの値もそれなりに高い方だからね?」

 

「へぇ、いくつ?」

 

「E-7だ」

 

「ふふ、勝った。S+24」

 

「それはクリアがおかしいだけだ!」

 

「……というか、もうそれだけで食べていけますよね」

 

主に以前にエルザが行った宝箱の開封依頼なんかで。というかよくよく考えればクリアが居る限り、今後は宝箱が見つかった時点で優勝確定なのではないかとも思ったりしたが、レイナは一先ず頭を切り替えることにした。

今回の目的が既に目の前にある。もしかすればこうして話している声も聞こえてしまっていて、既に警戒されてしまっている可能性もある。いくらクリアが加入したからといって、確実に勝てるという訳ではないのだから。あくまで敷居が下がっただけ、僅かな失敗が死に繋がるということだけは常に頭においておかねばならない。

 

「さて、それよりレッドドラゴンです。マドカさんの講義を受けて作ってみた作戦は共有した筈なので、当然頭には入れて貰っているとは思いますが」

 

「うん、任せて。完璧だから」

 

「……まあ、クリアさんの役割は少ないのでこの際置いておきましょう」

 

「あ、あはは」

 

「私達はマドカさんが言っていたようなシナリオを組み立てるというやり方ではなく、その場に応じて適切な策を選んでいくという方法で戦います。正直これもまだまだ不安が多いので、言葉で済む指示は言葉で行えばいいかなぁと思いますが」

 

「そうだね、作った作戦を必ず使う必要はないよ。使えるところで使っていこう。幸いにも人数はまだ3人、指示の速度は追い付く範囲だ」

 

「うん、任せた」

 

「……クリアさんは後衛なんですから全体を見て指示を出して欲しいくらいなのですが」

 

「苦手だから」

 

「そこまで胸を張って言われると何も言い返せませんね……分かりました、ただ簡単な注意喚起くらいはお願いしますね」

 

「それなら出来るよ、頑張る」

 

「うんうん、頑張ろう」

 

取り敢えずは装備を整えるためにリゼとクリアは赤黒いマントを羽織り、レイナは2人とはまた違う黄色っぽいマントと黒色の手袋を嵌める。

ちなみにであるがクリアは武器と呼べる物は一般的な小杖しか持っておらず、それであの威力の攻撃を成立させたりしている。これも全て彼女が極力荷物を持ちたくない上に、自分に合う小杖に巡り会えていないという妙な拘りのせいなのだが、これならばもしかしなくともスズハよりも先に用意してあげた方が良かったのではないかと思ったほどだ。まあどちらかと言えば赤竜の龍宝よりも青竜の龍宝で作らないと受け取ってくれなさそうではあるが、一先ず彼女が小杖しか持って来ていないのは事実だ。一見、枝か何かなのではないかと思ってしまうような小さなそれしか。

 

「さて、行こうか。ここからは会話も足音も極力消してくれ」

 

「突入のタイミングは予定通りリゼさんにお任せします、行きましょう」

 

「転けないようにしないとね」

 

「……あんまり意識させないで貰っていいですか?自分でも不安になってくるので」

 

 

 

 

ダンジョンの階層と階層を繋ぐ階段というのは意外と大きく、そしてそれなりに長い。一本道であるだけではなく、渦を巻くように設置されていたり、途中で向きを変えていたり、その形は諸々だ。

その中でもこの10階層へ向かう階段というのは渦を巻くように設置されており、ある意味では好都合とも言えるし、ある意味では厄介とも言える。

身体を出さない程度にギリギリ顔だけを出して10階層の中の様子を伺うリゼ、彼女がここに来たのは3回目だ。

1回目は強化種を倒した時、2回目はラフォーレに連れて行かれてボコボコに負けた時。今回はあの時のように先制でブレスを吐かれるようなことのないように神経を使っている。

 

「……こちらには気付いていないみたいだ」

 

階層の中央辺りで身体を巻くようにして横たわっているレッドドラゴン。ブレスのせいなのか環境のせいなのか、少し暑く感じてしまうこの階層であっても彼はやはり心地良さそうに身体を休めている。

眠ってはいないようだが、奇襲を仕掛けるには十分だろう。

 

「クリア、頼むよ」

 

「うん、任せて」

 

「レイナは常に私の後ろに」

 

「はい、お願いします」

 

ブレスに対応出来るのはクリア以外には居ない、この戦闘は彼女にかかっている。そしてリゼの主な役目は囮、壁、引きつけ役。

 

「行こう……!」

 

階段の影からリゼがクリアを抱き抱え、レイナと一緒に飛び降りる。階段を下る音で気付かれるよりかは、着地の瞬間に気付かれた方が時間を稼げるという判断の元で行った行動ではあったが、流石にVITが高いだけあってリゼは2人分の体重の着地を楽々とこなしレイナと共に走り始めた。

クリアはSTRとSPDとVITがあまりに絶望的な数値をしている、急いで走るのであればリゼが担いで走るほうがどうやったって効率がいい。

 

「っ、リゼさん!早速ブレスが来ます!」

 

「このまま全力で走るんだ!クリア!」

 

「はいはい任せて、【水壁】」

 

着地の音に気付いた瞬間、相手のことをろくに確認することもなく直ぐに息を吸い込み始めたレッドドラゴン。先制火炎ブレスがあまりにも徹底され過ぎている。強力な攻撃を敵に押し付けるというのは単純なように見えて、実際にはとても有効的な攻撃だ。事実これがどうしようもなくて行き詰まっていた探索者も多くいたのだから。

 

「よ、し……!ブレスが弱くなった段階で予定通りレイナは抜け出して煙玉を撒いてくれ、私とクリアで相手の目を引きつける」

 

「分かりました」

 

「クリア、作戦Aは覚えているかい?」

 

「えっと、なんだっけ?レイナと逆方向から着弾するような軌道で水弾をつくればいいんだっけ?」

 

「その通りさ、頼んだよ」

 

それこそが弾系の魔法の有用性の高さの一つ、軌道や威力などをある程度ならば自由に操作することが出来る。これは弓矢や弾丸に付与した時には現れない特徴であり、魔法使い特有のものと言っていいだろう。空間を広く使い、特に陽動したいのであればまず間違い無く必要な物だ。そしてリゼも当然これを作戦に取り入れた。魔法使いを運用する上で必要な知識も当然最低限は取り入れていた。

 

「!?待ってください!クリアさんも水壁を解かないで!!」

 

「え?うん、まだ解かないけど……」

 

「レイナ?一体何が………っ!?クリア!!解かないどころか強化してくれ!!全力だ!!」

 

「了解」

 

薄くなり始めた炎の壁。

その更に向こう側。

豪炎の揺らめくその隙間から、リゼは目撃した。レイナが偶然ながら見つけてしまったそれを、リゼは間違いなく視認することが出来る。

 

「ブレスがもう1発来る!!」

 

瞬間、再び空間を覆う炎獄。

リゼの指示通りに水壁の維持に集中したクリアによってダメージはないが、しかしその想定外の攻撃に動揺しない訳ではない。バリア系の魔法は維持している間にも多少の強化や弱化をすることは出来るが、しかし生まれる障壁自体はそれほど堅牢な物ではない。今こうしてブレスを防げているのは単純に属性の相性とクリアの性質によるものだ。

……だからこそ、本来はこんなことあり得ない。仮にこんなことをされてしまえば、大半の探索者がこれを防ぐことは叶わないからだ。

 

「3度目!?」

 

「ど、どうなってるんですかこれ!?」

 

「クリア!あとどれくらい耐えられる!?」

 

「うーん……あと1発?」

 

「クリアさんが居なかったら確実に私達死んでましたよねこれ!?」

 

「くっ!?思った以上に火炎が激しい……!」

 

必死になって頭を回す。

もうこの際、こうなった原因についてはどうでもいい。今はただこの現状を突破することだけを考えなければならない。

ブレス持ちのレッドドラゴンを相手に撤退は絶望的、ならば倒すことだけを、前に進むことだけを考えなければならない。最悪の場合は大銃を使う必要もあるが、しかしリゼの頭の中では決して最悪の要素だけがある訳ではない。ただそれをどう組み立て、活かしていくかを必死に回している。余裕はないし、時間もない、だからこそヤケになってはならないと唇を噛みながら冷静さを維持する。

 

「リゼー、流石にそろそろキツイかもー」

 

「リゼさん!取り敢えず私が突破します!そうでもしないとブレスが止まりません!」

 

「駄目だ!そろそろブレスが止まる!それまでなんとかクリアは頑張ってくれ!そのブレスが止まった瞬間に……っ!?またか!」

 

「4度目……!」

 

「あー……我慢比べ?」

 

「まさか……誰かは知らないが、討伐に失敗して学習した個体が残ってしまっていたのか!?」

 

ブレスを吐き出し、普通であれば視界を確保するなり炎袋を休息させるなどするためにレッドドラゴンは一度肉弾戦闘に移行する。それが通常。

しかしこの個体はブレスを吐き終えた瞬間に再び息を吸い込み、続けてブレスを吐き出して来る。都度これで4度目。

つまりはそう、この個体は学習してしまっている。

どこの探索者かは分からないが、リゼ達と同じようにレッドドラゴン討伐のために挑み失敗してしまったのだろう。基本的にはブレスから接近までの流れはどの探索者も似たり寄ったりのはず、このレッドドラゴンはそれを警戒している。自身の炎袋を酷使してでも、ここで確実に焼き払うことを優先したということだ。実際、クリアのように強力なバリアを使える探索者が居なければ中級の探索者も含めて殆どのパーティはこれで壊滅してしまうだろう。それは決して間違った行動ではないし、むしろ有効的な策。

 

「………ごめん、そろそろ本当にキツイ」

 

「っ………クリア!水神のスフィアを使って欲しい!」

 

「いいの?」

 

「ああ、切るならここしかない!レイナ!水神のスフィア発動と同時に私と共にレッドドラゴンに突っ込んでくれ!全力の雷斬を纏わせたままでいい!」

 

「わ、分かりました!」

 

既にヒビが入っていた水流を伴うクリアのバリアが割れ始める。その隙間から入ってくる炎に対してクリアの水神のスフィアが自動反応し水弾が放たれるが、次から次へと流れ入ってくるそれを完全に止めることなど出来やしない。

……だがそれでも、敵とて限界は近い。この4度目のブレスは明らかに規模が小さくなっており、元々ブレスの間に休息を入れる必要があることを考えると、その負担は見た目以上に大きいはず。

 

……というか、そうでなくては困る。

 

一応保険は用意しているが、それは使わずにおきたい。リゼは両手の猟銃を握り締め、レイナは腰元の2つの雷斬のスフィアに手を添える。

時間的な余裕はない、タイミングを合わせて可能な限り速攻で仕掛ける。可能な限り敵の思考を乱す。そして生まれた僅かな隙を、より大きな物にする。

 

「1、2、3……今だ!!頼むクリア!!【視覚強化】【星の王冠】!!」

 

「【雷斬】【雷斬】【雷散月華】!!」

 

 

「いくよ……【幻影鏡】」

 

 

瞬間、世界そのものが波の様に揺らぎ始めた。

火炎に包まれた空間が波打ち、クリアが対象として指定したレッドドラゴンの火炎ブレスだけが、渦潮の様な動きと共にクリアの上空へ向けて吸い込まれ始める。

そんな誰もが驚愕する様な現象に一瞬目を取られそうになりつつも、足だけはしっかりと動かして頭も後から追いついて走り出すリゼ。

同時に凄まじい雷を迸らせながらリゼより更に早い速度で突っ込んでいくレイナの姿は、他でもないレッドドラゴンにとっては恐ろしくて仕方がない存在だろう。

突然自身のブレスが異様な動きを見せて吸い込まれてしまったかと思えば、その合間を縫う様にして現れた明らかに危険な雷の存在。これで既にレッドドラゴンの意識は2つに割かれている。つまりは速度も遅く大して目に見える脅威のないリゼの姿は、殆ど認識されていないと言ってもいい。

 

「レイナ!作戦Bだ!!」

 

「了解です!!」

 

レイナが付近にあった岩を使い、わざと大きく跳躍する。

跳躍する瞬間に岩に差し込んだピンは縄によってレイナに繋がれており、レッドドラゴンが迎撃しようと尻尾を振るった瞬間に、再び自分の身体を岩の方へと強引に引っ張った。

空振ったことに驚きを見せるその思考の隙間、リゼは精度重視に改造を進めた猟銃の片方『レイジー』によってそれを正確無比に狙い撃つ。

 

『ギィッ!?』

 

「よし!クリア頼む!」

 

「よーし、任せされたー」

 

右の眼球を撃ち抜かれたレッドドラゴン、そんな彼に追い討ちをかける様にクリアの上空に浮かんでいた空間の歪みから火炎のブレスが放たれる。

元より炎に対する耐性を持っているレッドドラゴン、それによるダメージはそれほど大したものではないだろう。しかしブレスという攻撃の欠点、そして利点。それはマドカも説明してくれていた筈だ。この反射で利用するのは、当然その性質。

 

「【水弾】」

 

火炎に包まれる中心部に、クリアが自身の最大威力の水弾を低い弾道で放つ。更にそれを追う様にして突入するのはレイナ。

ブレス攻撃は相手も自分も視覚や聴覚、嗅覚が殆ど機能しなくなってしまう。3人が目的としていたのは最初からレイナの一撃だけである。その一撃を当てるために、徹底的にレッドドラゴンの思考も感覚も乱した。やっていることは講義で見たパーティと同じ。それを自分達なりのやり方に置き換えただけ。

 

「もう1発!!」

 

『グギィッ!?』

 

今度は威力重視の改造を施した猟銃のもう片方『ライザー』によって、最も防御力の低いとマドカに教わった腹部へ銃弾を叩き込む。それは致命的な物にはなりはしない。ただ余裕を削りたかっただけだ。

そして衝突する高威力の水弾。火炎の壁を突き破りレッドドラゴンに打ち当たったそれは、龍種として十分な大きさのあるその巨体を一瞬ではあるが浮き上がらせるほどの規格外の威力。半端なINTでは大したダメージになることのない水属性で龍鱗が砕けるほどの威力を出せる者が、果たしてどれほどいることか。

 

……そして。

下位の探索者でありながら単独でここまでの攻撃力を出せる者も、そうは居ない。ただ一撃であるとは言え、その一属性にのみ特化した驚異的な威力は、リゼの憧れるマドカ・アナスタシアに指を掛けているだろう。

未だ未熟な身であったとしても、それでも。

 

 

「【雷散月華】ァッ!!」

 

 

水弾の影に隠れて接近していたレイナが、水弾が弾け飛んだ直後にそれをレッドドラゴンの腹部へ向けて突っ込んだ。

レイナの服装は火炎対策の物ではない。

むしろ雷対策の装備。

それはクリアの水によって自身が影響を受けることのないようにと用意した物だ。元よりこのパターンは想定していた作戦の一つ。

 

 

ーーーーーッッ!!!!

 

 

まるで目の前に雷が落ちたかと錯覚するような閃光と雷撃、レイナの槍は深々とレッドドラゴンの腹部に突き刺さり炸裂する。

体内から流される凄まじい規模の雷。

レイナの身体を汚す大量の体液。

 

仮にも龍種、即死することはなかった。

腹部に槍が突き刺さったままでも身体を動かし、レイナを振り払う程度のことはしてみせた。

しかしそれは決して意図したものではなく、殆ど無意識で行った最後の抵抗。全身を雷によって貫かれ、内臓から焼かれ、衝撃によって脳まで損傷し、流れ出る血流が止まることはなく、特にレイナは火炎袋を確実に貫く様にして狙って穿ったためにブレスを吐くことすら許されない。

 

「ふぅ…………一応、飛んだ時のことを考えて準備はしてましたけど。問題は無さそうですね」

 

空へと逃げようとした時のために投擲用のロープを準備していたレイナと、翼を撃ち抜くために構えていたリゼ。

そして2発目の水弾を用意していたクリア。

 

大きな音を立てて倒れるレッドドラゴン、次第に灰に変わり始めたその様子を見て3人は漸く安堵の息を吐くことが出来た。

自分達がクリアの張っていた水壁や汗のせいでぐちゃぐちゃになってしまっているのも面白いが、あまりの威力に槍を引き抜いた瞬間に折れてしまったレイナの様子を見ても、リゼは少し笑ってしまう。

‥‥正直、ここまで絶体絶命の戦いをすることになるとは思ってもいなかった。しかしなんとかそれを乗り越えることが出来た。これは探索者として、非常に良い経験になったと言えるかもしれない。それこそ、同じ状況を共有するパーティという面でも、当然に。

 

「ありがとう、2人のおかげで倒せたよ」

 

「いえ、そんな私こそ…………でも、今日ほど自分のスキルに感謝したことはないかもしれません。レッドドラゴンを一撃で倒せる威力が無かったらどうなっていたことか」

 

「いつも頼りになっているよ、レイナ」

 

「そ、そうですかね……!」

 

 

「リゼ〜、私も疲れた〜」

 

「おっと……あはは、生き残れたのはクリアの頑張りのおかげだよ。本当にありがとう」

 

「……その顔やば」

 

「え?な、何かおかしかったかい?」

 

「惚れそう、もう惚れてるけど」

 

「え?え?」

 

 

「わ、わたしも惚れてますからね!リゼさん!!」

 

「え?ええ?あ、ありがとう……?」

 

まさかレッドドラゴンも、自分が死した後の灰の上でこんなイチャコラが行われているとは思うまい。先程までの緊張感が嘘のように霧散する。しかしそれもまた探索者には必要な能力であると、マドカであれば言うだろう。

緊張感も、恐怖も、悲しみも、長く引きずる必要はない。それを直ぐに切り替えるのも必要な能力だ。……もちろん、反省をしっかり忘れずに行うこともまた必要なことではあるが。

 



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93.お祝い

レッドドラゴン討伐後、3人は一度11階層を覗いた後、特に何かをすることもなく真っ直ぐに地上へと戻って来た。それはスズハからも言われていたことであり、なんとなくあまり長くダンジョンに居るとまた余計な何かに出会してしまいそうな気がしたからである。

その甲斐もあってなのか帰り道もレイナが武器を無くしてしまっているとは言え、異常事態に巻き込まれることもなく、無事に帰ることが出来た。

 

強いて特筆すべきことがあったとすれば、それは……

 

 

「みなさんお疲れ様でした!それと、おめでとうございます!」

 

「はいおめでと〜う」

 

「あ、あはは……ありがとう、マドカ、スズハ」

 

 

ダンジョン2階層で遭遇した意外な2人。

まさかスズハまでダンジョンに来ているとは夢にも思わず、出会した際にはそれは驚いたものだった。どうやら一度くらいダンジョンに入ってみた方がいいと言われて来ていたらしく、リゼ達が見つけた時には2人で花畑の近くで野兎と戯れていた。美人が2人そんな風に小動物と遊んでいる姿はリゼとしても非常に目に心地の良い光景だったりもしたのだが、それはともかく。

 

「……なるほど、討伐に失敗したレッドドラゴンですか。それは私も盲点でしたね、申し訳ありません」

 

「い、いや!別にマドカが謝ることじゃないさ!」

 

「いえ、ですがリゼさん達の話を聞くにこれはかなり危険な話です。私としたことがその検証を忘れていました、直ぐに対応策を練ろうと思います」

 

実際のところ、自身の身体を顧みることもなく4度もブレスを吐かれてしまえば、どうにもならない。マドカの言う通り、これからレッドドラゴン討伐を行う探索者が増えてくることを考えると、早急に対応が必要な案件ではあるのだろう。幸いにもこのような事態に遭遇したのは、リゼ達が最初だった。運は悪いけれど、運は良かったと言える。

……それに、そもそもリゼ達はマドカが示した方法を殆ど実行していないし、シナリオもかなり自由なものだったりするので。誠実にマドカの教えを遂行したかと言われると微妙なところだ。その点だけはリゼも少し寂しく思っている。

 

「えと、今は取り敢えず喜びましょうか。皆さん無事に帰ってくることが出来ましたし」

 

「そうですね、これからはこのレッドドラゴン討伐を当たり前のようにしていかないといけないんですけど……」

 

「ああ、そういえばそうなるのか……ワイアームのように行きと帰りで2回も……」

 

「改めて考えると上位の探索者って頭おかしいわよね、どんだけ階層主倒してんのよ」

 

「ある程度の戦力が確保されると、レイナさんみたいな高火力を持った探索者が重要視されるんです。レイナさんを守りながら確実に一撃を当てて倒す、結局チマチマ戦うよりそれが一番効率良いですからね。慣れるとそこらのモンスターと変わらない気安さで討伐していくようになります」

 

「ワイバーンみたいな?」

 

「ええ、そんな感じです」

 

「確かに‥‥私も最初は苦戦したけれど、今は一撃で倒せるようになったからね」

 

初めてマドカに着いてダンジョンに潜った時、ワイバーンとはそれは必死に戦ったものだ。それこそ思わず貴重な弾丸を使ってしまうくらいに。

それが今や最初の強襲を見切り脳天をかち割るか、弾丸を叩き込んで終わりである。自分の成長もあるが、何より大きいのは単純な慣れだった。

ワイアームについても最近は苦手意識も無くなって来て、1人でも問題なく倒せるようになって来た。そうして繰り返していくうちに、レッドドラゴンも同様に容易く倒せるようになっていくのだろう。今自分達が思っているほどに困難な道ではないのかもしれない。‥‥もちろん、単純に道中が長くなるというだけで苦しいことは間違いないが。

 

「あ、そうだマドカ。実は私とレイナの分のスフィアが出てね」

 

「初回討伐の証ですね、何が出たんですか?」

 

「うん、さっきヒルコに見てもらったんだが……【炎斬のスフィア☆2】と【軽減のスフィア☆2】だったんだ」

 

「……どんだけ軽減したいのよアンタ」

 

「いや、私も好きで手に入れた訳では……」

 

「炎斬のスフィアは使えそうですね、レイナさんが持っておくといいと思います。軽減のスフィアは……一先ず保管しておいていいと思いますよ。もしかすれば何かに使えるかもしれませんし、お金が必要になった時の保険にもなりますから」

 

「な、なるほど」

 

「……あんたもそうやって保険作ってんの?」

 

「う〜ん……確かに私はたくさんスフィアを持ってますけど、基本的にお金に変えるつもりはありませんね。持っておくだけで可能性になりますし、流通を広めるより必要な方にお渡ししたいので」

 

「……つまり、あんたマジで金無かったのね」

 

「ふふ、お金がないのは本当です。本当に必要な時にはスフィアを売ってでも捻出はしますが、自分の食費のために売りはしません」

 

「難儀な人間ね」

 

そんな姿勢のおかげで周りの人達から助けて貰えているのだから、マドカとしてはそこまで難儀している話でもなかったりするのだが。

それはさておき、レッドドラゴンを倒したことで色々と変わることも増えてくる。今回マドカがわざわざこうして講義室を借りてまで彼等を集めたのは、それが理由でもあった。……そう、つまりは講義である。これはいつものマドカからの授業でもあった。

 

「さて、レッドドラゴン討伐を果たした探索者さんには一つ特別なご褒美があります」

 

「特別なご褒美……?」

 

「端的に言えば、二つ名が貰えます」

 

「あ、そういえばそういうのあったね」

 

「クリアさんはもう持ってますからね」

 

「うん、持ってる」

 

「へえ、あんたはどんな二つ名なのよ?」

 

「"神の子"」

 

「…………」

 

「…………」

 

「ま、まあ、なんとなく分かるような分からないような」

 

「LUK特化ですからね、クリアさんは……」

 

レッドドラゴンを討伐した探索者はギルドの広報に載り、更に関連組織との定期的な会合の中で二つ名が決定される。そしてその名前を元にレッドドラゴンを討伐出来るほどの力を持った将来有望な探索者を広め、支援し、商売へも利用していく。過去に探索者の情報を扱う関係でギルドと商人達の間で問題が起きてしまったため、であれば最初からギルドと相談の下で扱って貰おうと生まれたのがこの会合の起源でもあったりする。

決して格好付けのために付けられるものではないのだ、単に名前で呼ぶよりもよっぽど認知度が高くなる。もちろん代表達の遊び心や好奇心があることも確かではあるのだが、それによって実際に探索者達の個人個人の名前が広まり、探索者を目指す者が増えたこともまた事実。

 

「それにしても、二つ名ねぇ……他にどんなのがあるのかしら?」

 

「そうですね、例えば私の二つ名は"白雪姫"です。これはお母さんが"灰被姫"という二つ名でしたので、髪の色とかの関係でそこから来ています」

 

「他には?」

 

「カナディアさんは"聖の魔女"という二つ名で、これはカナディアさんが以前は"聖の丘"で活動していた代表的な探索者であったことが由来です。同じく団長のレンドさんは"聖の栄漢"、副団長のエミさんは"聖の陽影"と呼ばれています」

 

「セルフィはどうなんだい?今はカナディアの代わりに副団長をしているのだろう?」

 

「セルフィさんは"万華鏡"ですね。本人はあまりお好きではないようなので、もしかすれば今後変わることもあるかもしれませんが」

 

「変えることもできるんですか?」

 

「そうですね、どうしても探索者を続けていく中で最初と今のイメージが変わることはありますから。探索者側から変更を申請して、それが通れば変更してもらうことが可能です。どちらにしても私達ではどんな名前が付けられるのかは分かりませんが」

 

「……変な名前だけは付けられたくないわね」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。あちらも商売がかかってますから」

 

「なるほど」

 

そしてそういえばと思い出すが、リゼ達はまだクラン創設の申請を出してはいない。一先ずレッドドラゴン討伐を終えてから進めていこうと思っていたが、この場合はマドカのようにクランの名前とは関係のないものが付けられるのだろうか。

なんとなくリゼの中ではカナディアのようなクラン名に関係のある名前で揃えていくのが羨ましく感じていただけに少し残念ではあったりするのだが、しかしそれは同時に師匠のマドカの二つ名の要素が取り入れて貰える可能性が上がったということでもある。

‥‥正直、今からワクワクが止まらない。

カッコいい名前をつけてもらいたい。

 

「さて、それともう一つ」

 

「ま、まだ何かあるのかい!?」

 

「私からのお祝いです」

 

「え」

 

まだ他に何か貰えるものがあるのか、と思えば……意外にもそれはマドカからリゼに対しての、本当に個人的なプレゼント。成長した教え子に対してのお祝いの品。レイナにもスズハにもクリアにもない、マドカからリゼに対してだけの、贈り物。

 

「こ、これは……」

 

「リゼさんは何が喜ぶのかと悩んだのですが、エルザさんから私とお揃いの物が一番喜ぶと聞いたので。私が普段身に付けている唯一の防具である、この外套を」

 

包紙の中から出てきたのは見覚えのある形をした黒いコート。彼女の物とは色が違うが、それでも形は間違いなく同じ物だ。魔法に強くて、簡単には武器の刃を通さないほどには強靭で、そして軽い。

……ああ、エルザは間違っていない。

本当に何も間違っていない。

他のどんな贈り物より、リゼはこれが一番嬉しい。

二つ名より、スフィアより、何よりこれが一番喜ぶ。

 

「〜〜〜〜!!!!あ、ありがとうマドカ!!!」

 

「ふふ、本当に喜んでくれるんですね」

 

「喜ぶもなにも!……さ、早速着てみたいのだが!!いいかな!?」

 

「それはもちろん、私も嬉しいです」

 

なんとなく冷たいレイナとスズハの視線に気付く様子もなく、今着ているジャケットを脱いでそれを羽織るリゼ。若干リゼの適正よりも大きめのサイズではあるかもしれないが、それでも決して見苦しいほどではない。むしろ彼女はまだ成長中、今後のことを考えれば丁度いいくらいだろう。

 

「ふふ、リゼさんは私とは違って前を閉めない方がカッコいいかもしれませんね」

 

「え?そ、そうだろうか」

 

「ええ、カッコよく着こなしてください。リゼさんはカッコいいですからね」

 

「か、かっこいい……ふふ」

 

「ニタニタしてんじゃないわよ」

 

マドカの真似をして首元までしっかり閉めようとしたのを止められて、マドカの手で前を開けられていくことに少しの照れを感じながらも、カッコいいと褒められてデレデレに顔を解かすその姿は、スズハが思わず突っ込みをいれるくらいにはみっともなかった。

……しかし、こうして出来たリゼの姿がかっこいいと表するに値することは、この場にいる誰もが同意している。

よく似合っている。流石にスタイルと顔が良過ぎるだけはある、それは思わずレイナが抱きつきに掛かろうとする自分の体を一瞬本気で理性で捩じ伏せる必要があったくらいだ。

 

「ど、どうかなレイナ?」

 

「す、すっっごくいいと思います……!!!」

 

「顔がガチ過ぎる……」

 

「クリアも、どうだろう……?」

 

「最高」

 

「あ、ありがとう……!」

 

しかもこう、その見た目に対して嬉しそうに、それに少しだけ恥ずかしそうにしているところもまた趣深い(レイナ談)。うちの団長が一番可愛いしカッコいい、あの姿でまた姫抱きされたい、心の底からそう思う(レイナ談)。

 

「ちなみになんだけど、あのコートってどんな代物な訳?」

 

「以前に精霊族の隠れ里へ行った際に生地を頂きまして、それで作って貰いました。色々と希少な素材で作られているそうです」

 

「……希少?」

 

「私もよくは分からないのですが……クリアさんは何か知っていますか?」

 

「うん?あ〜…………なんかあった気がする。歴代の里長が一生かけて作ってるみたいなの」

 

「………………リゼ今の聞いてた?」

 

「え?なんの話だい?」

 

「なんでもない、忘れなさい」

 

「???」

 

とにかく、なんかやばい物を使っているということは分かったのでこの話はここで終わっておく。

この辺りの話は白髪で青眼の人間であれば誰でも信仰する女神に見えてしまう精霊族のイカれた悪癖と、その精神性の美しさに惹かれてしまう習性故に起きてしまった諸々の事故が原因であったりもするのだが、そこはまた別の機会に。

 

「でも本当に良かったです。皆さん大きな怪我もないようですし、英雄試練祭は問題なく参加出来そうですね」

 

「そう!それなんだ!それが楽しみなんだ!」

 

「全員で参加されるのですか?」

 

「私はもちろん!!」

 

「ん〜、私はリゼの見てればいいかなって」

 

「……私は、マドカさんにだけ挑戦したいと思っています。他のお二人は見るだけで」

 

「スズハさんもですか?」

 

「それ聞く必要ある?やるわけないでしょ」

 

「ふふ。一応ですよ、一応」

 

そうして全員に配られる小さな冊子、つまりはパンフレット。この祭りのためにギルドと印刷所が必死になって最短期間で仕上げたそれは、今早速、商人達の手によって各地に配られているという。流石に既に3日後にまで迫っていることもあり他の街から挑戦者を集めるということは難しいが、投影のスフィアによって配信を見ることは可能だ。これもあって会場は主にダンジョン2階層になり、地上の訓練場で待ち受けるのはマドカだけである。これがギルド長が譲歩した最大の配慮であり、もちろん警備は万全だ。そして悲しいことに道中の安全を確保するためにワイバーンくんは拘束されて吊るされてしまうことになる。当日は3階層以降への侵入は一部の依頼をこなす探索者以外は禁止されるとのこと。

それと……

 

「なにこのスケジュール……あんたここで死ぬんじゃないの?」

 

「ふふ、祭の日は一日中こう頑張らないといけませんね」

 

「確かに、マドカさんへの挑戦者は多そうです」

 

「だ、大丈夫なのかい?」

 

「やばそう」

 

それこそ朝から晩まで、逐一休憩を入れていくとは言え、常に挑戦者の相手をし続ける必要がある。そんなスケジュールになっている。元よりそれほど体力があるわけではないマドカ、これは本当に大丈夫なのかと誰もが心配すること間違いないだろう。それこそやる気になっていたリゼも、途端に顔を青くして様子を伺う。

 

「ちなみに次のページに私やレンドさん、アタラクシアさんの詳細が書かれてたりするんですけど」

 

「マドカだ!!」

 

「リゼ、珈琲溢れてるよ」

 

「子供かお前は。……で?」

 

「ここに書いて貰ってるんです。休憩時間中は自慢の教え子達に頑張って貰います、って」

 

「………可哀想なリゼさん」

 

「またボコボコにされるのね」

 

「き、聞いていないんだが!?」

 

「もう、流石にそんな酷いことしませんよ。これを引き受けてくれたのはステラさんとリエラさん、つまりは私の最初の教え子さん達です」

 

「ああ、あの姉妹」

 

「最初の教え子……」

 

意外にも、そう意外にも、リゼは今日までその最初の教え子、つまりは自分の先輩に当たる人物達に会ったことがなかった。

以前にマドカと共にグリンラルから帰って来たとは聞いていたが、それ以降は特に話を聞くこともなく、自分達のことでいっぱいいっぱいで挨拶にもいけていない。それこそレッドドラゴンを討伐してからにしようと考えていたのだが、丁度ここで彼等の話が出て来た。

 

「最初の教え子……エルザさん達より先なんですよね?戦闘に秀でていると聞いたことがあります」

 

「ええ、そうですね。もう少しすれば私を追い抜くと思います」

 

「そ、そんなになんですね」

 

「見た目とか性格は結構子供よ、ってかあいつらそんなに強かったの?」

 

「強いですよ、もう10年もすれば間違いなく都市最強の席に座ると確信しています」

 

「私知ってる、龍殺団の団長に勝ったんだって」

 

「アルカにかい!?」

 

「ですから、私の代わりを十分に果たしてくれるはずです。むしろ挑戦者さんが増えてしまう気もしますが、それはそれで好ましいことですし」

 

「そりゃまた献身的なこって」

 

実際、マドカ流の高速戦闘を会得しているのは彼らだけであるという話はリゼも何度も聞いた。ラフォーレも認めるほどの強い意志を持ち、グリンラルにもオルテミスの代表として派遣されていたほど。つまりはマドカの言葉が多少の期待による誇張があったとしても、それでもそこに立てる実力と自信を持っているのは間違いない。

……正直、少し不安な部分もある。

マドカの教え子なのだから酷い人だとは思わないが、エルザ達ほど優しく面倒見の良いイメージが湧いて来ない。そしてそれは実際にこうして今日まで一度も顔を合わせていないこともまた証明している。……もちろん、あちらが先輩なのだから本当ならばリゼの方から顔を見せに行かなければならないのだろうが。それくらいには相手方もリゼに興味がないということに他ならない。

 

「お祭りは3日後ですから、それまでは身体をゆっくりと休めて下さい。明日からは私も少し忙しくしてしまうのでお相手出来ないんですけど、ステラさんとリエラさんにお会いしに行ってもいいと思います。家はスズハさんが知っているはずですから」

 

「まあね」

 

「なるほど……そうだね、そうしてみるよ。カナディアやエルザも忙しいのかな?」

 

「そうですね、特にエルザさんはずっとギルド長と当日の調整をしていますから。もし急ぎの用があるのでしたら、私から伝えておきますが」

 

「いや、そこまでの話じゃないから大丈夫だよ。祭が終わってから労いと共に話してみるさ」

 

単にクラン作りについて聞きたかっただけの話、別に今直ぐに必要な話でもない。それにある程度慣れて来たら、レッドドラゴン討伐にユイとエルザも誘いたいとリゼは思っていた。その辺りのことも含めて一度腰を据えて話す機会が欲しい。……というより、そういうことを茶でも飲みながら和やかに会話したいのだ。リゼは当然ながらエルザやユイのことも大好きなのだから。

 

「……そうだマドカ、今度久しぶりに一緒に食事でもどうかな?なんだかこうして話していても物足りないんだ」

 

「ふふ、勿論構いませんよ。私もリゼさんとまたのんびりとお話ししたいですし」

 

それはもちろん、マドカとも。

2人きりで話したい、食事がしたい、笑い合いたい。

 

「場所は『ナーシャ』でどうですか?」

 

「え"」

 

……その場所については、本当に、望んでいなかったのだけれど。

 

「リゼさんが来てくれないって、リコさんが悲しんでいましたから。良い機会ですから一緒に顔を出しに行きましょう?大丈夫です、お食事代くらい私が出しますから」

 

「え、あ、え………………うん」

 

その瞬間にリゼの頭に浮かんでしまった光景が実現してしまうまで、あと数日。



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94.恋した男達

それはオルテミスから少し離れた場所にある海に面した岩壁の洞穴、ここに入るためには文字通り崖を下るか船を使って入り込むしかない。一体誰が何の目的でそんな場所に洞穴を掘ったのか、それは誰にも分からないことだ。

しかしながら、そんな不思議な空間がそこにあるということは、実はそれほど知られていない話ではない。少なくともその男は知っていた。昔、両親を失った自分を育ててくれた女が語っていた。

曰く、用心棒として船に乗っている時に偶然見つけた秘密基地なのだと。30も過ぎた女が意気揚々とそう話している姿を見て、当時は呆れたものだった。それから10年近く経って思い出して、培ったコネを使ってそれを気紛れに確かめに行ってみれば、たしかにそれはそこにあった。他にはなにもなかったけれど、確かにそれはそこにあって、ただそれだけで感傷に浸ってしまった。

 

 

……だから、そう、許せなかった。

 

 

 

「へぇ、こいつは予想してなかったな。まさか最初に俺を見つけるのがアンタだとは」

 

「……お前が"アルファ"で間違いないな」

 

「意外と暇なのか?都市最強さんってのは」

 

以前に来た時には大したものなど無かったそこには、灯りだけでなく木製の机やベッドまでもが置いてあり、椅子にもたれかかりながら読んでいた書物を閉じたのは、レンドを含めた上位の探索者達が探していた例の男。

 

「抵抗してくれんなよ、この外にも探索者を連れて来てる。そもそも海に面しているこの場所、逃げ場なんか何処にもねぇよ」

 

「どうだろうなぁ」

 

「なに……?」

 

「いやなに、こっちの話だ。それより少し話そうぜ、あの都市最強と話せる機会なんてそうそう無いからな。ちょっとは良い思いさせてくれよ」

 

「……ふざけてんのか?」

 

「ふざけてねぇよ、俺はいつでも真面目だ」

 

こうして対面してみると、レンドは一つ驚いたことがある。それは容姿の若さに反して、目の前の男の落ち着き方と語り口が妙に落ち着いていることだ。それは例えば彼の低い声や紳士的な服装もまた起因しているかもしれないが、何より僅かながらも焦りが見られない余裕のある様子がそう思わせるのだ。

こちらは剣を抜いているというのに、足を組んで背もたれに身体を預けているその姿。警戒すらしていない、されていない、むしろ馬鹿にされているのではないかと思ってしまうほどに。

 

「それで?こんなところまで俺に会いに来て、何か用事か?」

 

「しらばっくれても無駄だ、お前が探索者崩れを唆してマドカちゃんを襲わせたってのは分かってんだよ」

 

「なんだ、あいつ喋っちまったのか。まだ生きてたりすんのかね」

 

「いや、俺が殺した」

 

「それは残念」

 

否定はしない、それだけでレンドの剣を握る手に力が入る。先程からチラチラと周囲にも目を向けているが、やはり抜け道らしい場所は見当たらない。それどころか武器らしき武器も無く、当然ながら他の敵が潜んでいるということもありはしない。

もしかすればここにダンジョンへのもう一つの入口が隠されているのではないかとも思ったが、やはりそういったものも無いらしい。

……だからこそ分からない、この男がなにを考えているのか。体感ではあるが、少なくとも目の前の男の実力は自分よりも下であるだろうに。

 

「何を企んでいるのか知らねぇけど、お前はここで捕らえる。これ以上マドカちゃんに危害を加えられても困るからな」

 

「おいおい、惚れた女の願いを叶えてやりたいってだけだろ。そんな過剰に反応するなよ」

 

「そのためなら本人を殺してもいいってのか、糞野郎」

 

「あのくらいで死ぬかよ」

 

「実際殺されかけてたんだよ!!」

 

「気のせいだろ」

 

「テメェ……」

 

言葉は通じない、最初から分かっていたことではあるが腹が立つことに変わりはない。レンドはこれ以上の会話には意味がないと理解し、意識を戦闘に切り替える。会話など捕まえた後にすればいい、これはあくまでその人間性を確認するための最低限だ。それを確認できたのであれば、これ以上は不要。腕だろうが脚だろうがへし折って持って帰る。

レンドは右足で3回足音をたて、外に待機させていた"聖の丘"の団員のうちの何人かに警戒の合図を送る。仮にここから逃げ出せたとしても、崖上にも海にも団員を配置させている。それも全員がLv.25以上の手練れで揃えた、逃すつもりは最初からない。

 

「……そうだな、せっかく俺のことを見つけられたんだ。一つ褒美をやろうか」

 

「必要ねぇ、これ以上喋ることもねぇ」

 

「まあそう言うなって。お前達が取り逃がした実体の無い龍種についての情報だ、聞きたいだろ?」

 

「なに……?」

 

「異龍ルブタニア・アルセルク、それがあの肉体のない龍の名前だ。それと言うまでもないが邪龍の1匹でもある、8匹目の邪龍だ」

 

「っ」

 

頭を切り替えていたレンドと言えど、流石にその情報については目を見開く。マドカの話からして、なんとなく覚悟していたことではあるが、邪龍が更に増えたことが確定してしまったように思えてしまって。

 

「……どうしてお前がそれを知ってんだ?」

 

「まあ殺りあったからな」

 

「は……?」

 

「ありゃ厄介だ、物理攻撃が効かないからな。それなのにこっちは触れただけで大火傷。どころか空間の入れ替えに3次元的な絨毯爆撃までして来やがる。正攻法でやったらまず勝てない」

 

「……なら、どうしてテメェが生きてやがる」

 

「まさか俺が単独で動いてるとでも思ってたのか?そりゃ少し楽観的過ぎんだろ」

 

「っ!!」

 

瞬間、レンドの決断は早かった。

敵に仲間が居るという可能性が浮上した瞬間に、その男を確実に確保するために斬りかかる。

決してその可能性を考慮していなかった訳ではない、そのために手練を連れて、周囲の警戒も行っていた。……しかし、それでも仮に、この男の言っていることが全て正しかったのであれば。この男とその仲間達は、邪龍と対峙して生きて帰れる程度の力を持っているということに他ならない。むしろ今こうして想像している以上の力を持っていたとしてもおかしくない。

 

「おっと」

 

「っ、なんだその手套……!」

 

「便利だろ?特別性……だっ!」

 

「ぐっ!?」

 

振り下ろした剣を両腕で構えた手の甲で受け止められ、返しの拳を反射的に防いだ直後、衝突点から白色の爆発が生じる。

砕け散る剣、頬を掠める破片。

レンドの一撃を防いだにも関わらずダメージを受けていない左手、剣に触れた瞬間に生じた爆発、言われずとも分かる。それは全て彼が両手に嵌めている白色の手套が原因なのだと。見た目は革のようなそれが、突然に剣と同じほどの硬度を持ち、攻撃の意思を持って穿たれた瞬間には多量の魔力と共に爆発した。剣を破壊されたのも意図的だろう。

 

「チッ……!」

 

「なるほど、それが噂の鏡剣ってやつかい……少し不味いか」

 

「【視覚強化】【光斬】」

 

「うおっ!?」

 

腰に携えていた一本の剣、レンドはそれを引き抜いた瞬間に光斬を発動し十分な魔力と共に斬撃としてそれをアルファの腰元目掛けて水平に放つ。この狭い空間、跳躍をしても伏せるにしても避け難い。避けたとしてもそれは大きな隙になる。しかも斬撃の種類は光斬、打ち消されやすい代わりに非常に早く鋭い攻撃だ。

それに対して行える行動、最適な行動、つまりは斬撃を撃ち落とす以外に他にない。故にレンドは最速の突きで確実にその隙を取りに行く。

爆発と共にかき消される光斬、その直後に眼前に現れる剣の切っ先。アルファはそれを更に片方の手套で防ごうと右手を差し込むが……次の瞬間、その切っ先は彼のガードを擦り抜けた。

 

「っ、噂通りだな!」

 

「初見で避けやがった!?」

 

「理屈が分かってりゃ避けられるに決まってんだろ、【回避】【岩壁】」

 

「っ、こんのっ!!」

 

ガードを擦り抜けた突きを避ける。どころかそのガードを誘いにしたのか、頬を掠めるだけで攻撃をいなす。

そして直ぐ様に"回避のスフィア"によって背後に飛び、レンドも存在を知らない"岩壁のスフィア"によって2人の間に岩の壁を作り出した。瞬間、レンドの頭をよぎったのはアルファにこのまま逃げられてしまう可能性。目視では他に逃げ道などないと確認したはずではあるが、彼はまるで逃げる方法が他にようなことを言っていた。……故に、レンドは焦る。そして無理を通す。無茶をするのではなく、無理を通した。

 

「【魔力変換】!!オッ、ラァァァァアアアアアア!!!!!!」

 

剣の尻を構え、全身の筋肉を振り絞りながら岩壁に向けて叩き付ける。A20のSTRはA-19のVITによって少しの損失もなく活かされ、更にスキル【魔力変換】によって一時的にINTを3段階下げることで、STRをS23まで引き上げる。

それほどまでに引き上げられたSTRから繰り出される渾身の一撃は、ただそれだけで中級の探索者のスフィアを使用した必殺の一撃に匹敵する。そしてそれは同時に、あの英雄アタラクシア・ジ・エクリプスと同等のSTRを実現していると言い換えることも出来る。それはつまり……

 

「ははっ!3秒も保たなかったか……!!」

 

「大人しく切り伏せられやがれ!!」

 

戦闘は拮抗、するはずなどない。

2人の間にはどうしようもないほどに決定的なステータスの差がある。レンドのレベルは58、これはオルテミスでも次点がカナディア・エーテルの55、エミ・ダークライトの52になるような、圧倒的な数値だ。加えて本来であれば器用貧乏となり嫌われるバランス型の能力値振りは、彼ほどになると万能と言って差し支えない領域に手が届く。

例えアルファがレンドの剣撃に無傷で耐えるほどの優秀な手套を持っていたとしても、例えその手套が敵に致命傷を与えるほど大きな攻撃力を持っていたとしても、レンド・ハルマントンには通用しない。そもそもこのレベルになった探索者に、戦闘技術がない訳がないのだ。アルファも頭が回るようには見えるものの、しかしそれはレンドのそれには及ばない。多くの死線をくぐり抜け、過去まで遡っても比類する探索者が殆ど居ないほどまで上り詰めた彼の戦闘技術は、武器を合わせるほどに、火花を散らすほどに敵を追い詰める。徹底的な圧力、威圧感をもって、戦況と戦場を自身の思い描いた形に塗り替える。

 

「ぐっ……ぅぐ……」

 

「終わりだ、抵抗すんなよ。これ以上やっても無駄って分かんだろ?」

 

再び両腕の手套でガードしたアルファを、レンドは筋力に任せてそのまま抑え込む。ガードをやめて攻撃に転じようとすれば、その瞬間に叩き切られる。このままガードに徹していたとしても、そもそものSTRが違う。VITが高ければまだ耐えられたかもしれないが、彼のそれは決してレンドに喰らい付けるほどのものではない。。どちらにしても詰みの状況だ。両手が使えないのであれば、当然ながらスフィアも使えない。

これほどのステータスの差がありながらも、むしろここまで喰らい付いてきたことの方が凄いくらいだろう。何せレンドの体感でしかないが、恐らくは彼のレベルは30後半から40前半。それだけで探索者上位の連中に食い込むほどであるというのもまた驚くべきことではあるのだが、だとしても15以上のレベル差がありながらレンドが一瞬本気を出さなければ取り逃がすところだった。手套の性能があったとしても、並の探索者に出来ることではない。

 

……ただ一つ気になるのは。

 

(解せねぇな。ここまで簡単に抑え込めるんなら、最初のあの威勢の良さが分からねぇ。……ハッタリ、だといいんだがな。こいつの得体の知れ無さと態度が妙に引っかかる)

 

邪龍とやり合ったというのも嘘だったのか、それとも他の仲間に任せていて自分は殆ど加わっていなかったのか。まあ確かにこれほどの力があれば、たとえ邪龍相手だとしても戦闘の駒としては使えるかもしれないが、だとしても歯応えがなさすぎる。

……そもそも、この男はあのマドカを他者を使って追い詰めたような奴。本当に何の用意もせず、こんな風に愚直なほどに正面から戦って負けたりするのだろうか?否、そんなのはあまりにも楽観的な考え方だ。しかしそれにしては外の様子も中の動きも、あまりにも変化が無さすぎて。

 

「……不思議か?」

 

「っ、何の話だ」

 

「不思議だろう?そりゃそうだ、あまりにも無策に見えるだろうからな。……だがそれも別に気にするほどのことじゃない。実際、俺は無策だ」

 

「……そりゃ結構、ならこのまま拘束させてもらうぜ」

 

「おいおい、だから気が早過ぎるだろ。……そもそも俺は、別にここに来るのが誰でも良かったんだよ。マドカ・アナスタシア以外であれば、どうとでもなるからな」

 

「!?!?」

 

一瞬、ゾクリと背筋を撫でるような違和感。なにか黒い靄のようなものがアルファという男を中心にして放たれたような、レンドはこの感覚を覚えている。

直後、押さえ付けていた剣が、徐々に徐々に押し返され始め、膝を付けていた男が笑みを浮かべて立ち上がり始めた。

単純な力比べで互角……否、むしろ負けている。突如としてアルファのSTRの値が急激に上昇した。体感で約10段階、そんなものはあり得ない。都市最高の魔導士の1人に数えられる"青葉の集い"のシセイでさえ、多くのデメリットと引き換えに8段階の向上が限度だ。龍化のように複数のステータス値を向上させた際の合計値であればまだしも、1つのステータス値をそこまで激的に向上させられるスキルなど、少なくともレンドが知っている限りでは前例がないはずだ。

……つまりはそう、レンドの嫌な予感と想像が的中してしまったことは確実。

 

「テメェ……!!"罪のスキル"持ちか!!」

 

「ご名答、マドカとお揃いだ。羨ましいだろ」

 

「っ、【魔力変換】!!」

 

弾かれる剣、一瞬であるが距離を取る。しかしレンドは直ぐ様にSTRに回していたステータスをSPDに回し、狭い空間を利用した高速戦闘へと以降した。

エミやマドカほどの速度は出ないが、それでも十分なステータスがあることを活かした、本家本元の高速戦闘。頑強な肉体によって実現される、縦横無尽に跳び回りながら凄まじい威力の攻撃を押し付ける最強の戦法。特に対人戦においては、十分な技術や眼、そしてSPDがなければ一方的に嬲り殺されるだけとなるだろう。

 

「おーおー、やっぱり早いなぁ。流石に高速戦闘で打つかり合ったらVITの差でやられちまいそうだ」

 

「チッ!今度はSPDか!!」

 

どう考えても先程より瞬発力や反応速度が上がっており、それもまたやはりレンドを少し上回るもの。ここまで来れば、そのスキルの内容についても概ねの想像が付く。

レンドの攻撃を防ぎ捌くことに集中しているアルファ。仮にそれがレンドの想像通りのスキルであるとすれば、このまま削り続ければ何れは勝つことが出来る。実際に目に見えて疲労してきているその姿、先程までのような筋力も今は存在しない。

 

(回避のスフィア、岩壁のスフィア、それと不明な無属性が1つ。持っているスキルは『敵のステータスの1つを模倣して+1段階する』ってところか?武器は手套、硬質で爆破する。……種が分かりゃどうにでもなる)

 

「【視覚強化】」

 

「っ、なんだ遊びは終わっちまうのか?寂しいもんだ!」

 

「【光斬】【雷斬】………【雷閃激】」

 

属性のスフィアは、同時発動することによって特殊な現象を生み出す。場合によっては消失してしまったり、使用した本人にまで被害を与えてしまうような噛み合わせも多いが、しかし適切な組み合わせであれば本来以上の性能を発揮する。

それが例えば、雷属性と光属性。

属性の異なる2種類のスフィア。スフィアの枠を圧迫し、属性が異なることで自由度も下がり、属性を揃えた際にボーナスとして発生する性能の向上もなくなってしまう。

そこまでしても実現させたかったもの。それこそが雷と光が合わさることによって実現する、この……超高速。

 

「っ、そう来るか!!」

 

必殺。

レンド・ハルマントンの奥の手。

 

彼の持つ鏡剣レイは特殊な構造によって見た目と実際の形が異なっている。彼の卓越した技能によって殆ど自在に幻の形を変えられるそれは敵のガードを擦り抜け、【雷閃激】によって感知すら困難な速度で穿たれる。仮に反応出来たとしても、【視覚強化】によって強化された彼の動体視力と反射神経は、あらゆるカウンターに対応する。そこに更に高速戦闘という要素が上乗せされれば、実質的にガード不可の必殺技と化す。

目立った威力は無くとも、その突破力は十分。マドカやラフォーレのような目に見えた殲滅力は無いが、単体の敵相手であれば確実に殺すことが出来る。……そう、確実に。

 

 

「必ず殺すから必殺技とは、よく言ったもんだよな」

 

 

「!?」

 

「ほら来いよ」

 

「くっそ……!!」

 

その身体目掛けて穿とうとしていた剣の軌道を僅かに逸らす。定めた先は右肩、そこを吹き飛ばせば腕を破壊して肺を破損させることが出来る。これまでの戦闘の中で想定したVITから考えれば、これで死ぬことは無いはずだ。

 

「っ………そうだよなぁ?殺せないよなぁ?」

 

「貫けねぇ……!?」

 

「殺せない相手に必殺技なんか使うもんじゃねぇって話だよ、【拘束】」

 

「ガァッ!?」

 

【雷閃激】による最速の突きでさえ剣を右肩へ突き刺すことしか叶わず、壁に向けて叩き付けて抑え込むことしか出来なかった。そしてその驚愕の隙を狙って、アルファはスフィアの発動と共にレンドの腹部に蹴りを見舞う。

その蹴りの本来の威力とは明らかにかけ離れた勢いで後方へ吹き飛ばされるレンド。そして直後、蹴りを受けた部分を中心に彼の身体を紅い魔法陣が閉じ込めた。宙に浮いたまま指一本と動かせなくなった自分の状態を自覚する、何をされたのかは目の前の男は宣言していた。……拘束された、未知のスフィアの力で。それもこの性能、間違いなく☆4のスフィア。

 

「お〜痛ぇ、いくら素材のいい服着てたところで骨は折れるっての」

 

「こっ、のっ……!!」

 

「……ま、流石にお前にはバレてるか」

 

「INT対抗で強度が決まる、そこからは力付くでぶっ壊す!分かりきってんだよ……!!」

 

「おいおい、だからって壊そうとしてくれるなよ。そんなことされると……本気の爆破を打ち込むしか無くなるぜ?」

 

「っ」

 

黒い光を帯び始めた左手の手套、つまりは拘束を破ろうとした瞬間にそれを叩き込むという意思表示。……レンドとしては別に構わない、その返しに今度こそ殺してしまえばいいのだから。ただしそれは、その攻撃を受けてなお満足に動くことが出来たのなら、という話。目の前の男は決して馬鹿ではない。レンドがここまでアルファという男のステータスを戦闘中に測っていたように、彼もまたレンドのステータスの度合を理解している筈だ。

それでもなお自身が失われていない今の状況は、ハッタリか、それとも事実か。

 

「中途半端に必殺技なんか使わず高速戦闘に徹していれば、こんなことにならなかったのになあ?」

 

「はっ、もう勝ったつもりか?舐めてんじゃねぇぞ糞野郎」

 

「いやいや、俺が言いたいのはな……普段の冷静なお前なら、こんな簡単なミスは犯さなかったってことだ」

 

「っ」

 

「マドカ・アナスタシアに関係する事柄には冷静でいられなくなる。まさか都市最強のそんな情けない噂話が本当だったとは思わなかったぜ」

 

「………!!!」

 

それはレンドが何度も何度も言われて来た言葉、そして本人すらも否定することが出来ない間違いようのない事実。

実際にこうしてレンドはアルファの居場所を突き止めることに成功し、最善を尽くして追い詰めることが出来た。それは彼の調査と思考と勘による結果であり、だからこそ、そんな彼が今この瞬間にこのようなミスをすることは本来あり得ない。

冷静ではなかった、焦ってしまった。未知のスフィアを持つ相手だからこそ、こちらも対策が可能なスフィア構成で挑む必要があったというのに。彼のスフィア構成は完全な攻撃型、そして攻撃型で行くのであれば初手から【雷閃激】をぶっ放すくらいはする必要があるあったというのに、結果的には全てが半端。……つまりは、思考を放棄していた。

 

「テメェは!龍神教は何をしようとしてやがる!!」

 

「おいおい勘違いするなよ。俺は確かに大聖人の1人だったが、今は別にどうでもいい。俺は俺の目的のためにやってる」

 

「……それがマドカちゃんの夢を叶えてやることだってのか」

 

「ああ、まあそういうことだ」

 

「どうしてあの娘にそこまで拘る!」

 

「逆に聞くが、お前こそどうしてそこまでマドカ・アナスタシアに執着してるんだ?」

 

「…………」

 

「はっ、まあそういうことだ。別に言葉にするほど大した話でもない、お前があれに昔の女の姿を重ねていようと俺にとってはどうでもいい」

 

「!?」

 

「ただ、マドカはやり方が甘いからな。多少厳しくしてやらねぇと人間なんか成長しねぇ。だからその部分を俺が補ってやろうって話だ。これでも人類の為に努力してんだぜ?むしろ感謝してくれよ」

 

「ふざけやがって……」

 

少しずつ、少しずつではあるが拘束が緩んで来ているのを感じている。これまで少しずつではあるが、アルファにバレない程度に抵抗を続けていたからだ。不意打ち気味にこれを破り、直ぐ様に殴り付けて拘束する。剣は拘束された際に落としてしまったが、元よりステータスの差は明らかなのだ。罪のスキルでVITを底上げさえされなければ、やりようはいくらだって……

 

「ああ、そうそう。俺はお前にも言いたいことがあるんだった」

 

「?」

 

 

 

「お前、いつまで45階層で足踏みしてんの?」

 

 

「っ!」

 

「さっさと突破しろよ、50階層。俺達"大聖人"はとうに突破してるぜ?」

 

「………は?」

 

レンドの身体から力が抜ける。

視線がアルファの顔を追う。

しかし彼はただ口角を上げるだけで、それ以上に何かを語ろうとすることはない。しかしそれが決して冗談やハッタリでないことはレンドでも分かってしまうし、なによりそんな嘘をつく必要がそもそも存在しなくて。

 

「じゃあな」

 

「っ、待て!!全員洞窟に入れ!!こいつを取り押さえろ!!」

 

「だから、指示が遅ぇんだって。お前はあんまマドカに関わらない方がいいぞ、またな」

 

この洞穴の先は断崖絶壁、崖の上にも海上にも入口付近にも団員達は待機している。しかしアルファはレンドと戦っていた時と比べ物にならない速度で突っ切ると、何の迷いもなく海中へ向けて飛び込んで行った。

拘束を破壊してレンドも走ったが、漸く洞穴から出てみれば既に残っていたのは水面に示された大きな波紋。海上の団員達が浮き上がってくるはずの男を警戒しながら待っているが、待てども待てども男が姿を現すことはない。次第に団員達は散らばり少し離れたところまでも警戒し始めたが、この時点でレンドは殆ど確信してしまっていた。

 

……逃げられてしまったのだと。

 

 



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95.英雄試練祭1

それから3日後。

もう既に日が昇りかけているような早朝からでも騒がしい喧騒が聞こえてくるようなそういう日は、まあどうしたって自身の感情も昂るもの。"都市成立祭"などという名ばかりの静かな半祝日と比べれば、これこそが正に祭りという活気がそこにある。

 

「さあ!さあ行こう!祭だ!お祭りだ!!私はこういうのが初めてなんだ!!」

 

「はいはい、いいから少し落ち着きなさい。今から行ってもまだ屋台もやってないわよ」

 

「そ、それよりリゼさん。寝癖がまだ少し直ってませんから、ここに座ってください」

 

「う、うん……す、すまない。どうにも昨日から落ち着かなくて」

 

「ふふ、リゼ楽しそう」

 

「早めに寝かせて良かったわね、ナイスよレイナ」

 

レイナの提案で昨晩はいつもより2時間早く寝床に着いた4人。それはもう完全にリゼのためだけでしかなく、予想通り彼女が寝息を立て始めたのはそれから3時間後のことであった。しかも大体3時間が経った頃に自分でも全く眠れなさそうな事に気付き焦り始めてしまったのか見るからにオロオロとし始めた彼女を見かねて、スズハがクリアとレイナに添い寝をするように指示しなければならなかったような有様。その上、そうしてみればものの数分で寝息を立て始めたのだから、こいつは本当に小学生かとスズハも呆れてしまったほどだ。

……まあ、その大きな図体に見合わず可愛らしいと言われればそうなのだろうが。

 

「戸締まりした?灯りと火の元確認した?」

 

「ええ、私が確認しました。リゼさん忘れ物はないですか?スフィアとか財布とか」

 

「だ、大丈夫……な、はずだけど。少し確認してもいいかな」

 

「……クリア、あんた何で手ぶらなの?」

 

「?いつもこうだけど」

 

「財布は?」

 

「お金はここにあるし」

 

「財布代わりに封筒持ち歩いてる奴、私初めて見たわ」

 

「あ!手拭いがない!」

 

「だから小学生かお前は」

 

「スズハ、小学生ってなに?」

 

「私の世界で6歳くらいから学校に通ってる奴等のこと」

 

「すごい悪口を言われてた!?」

 

そんなことを話しながら、部屋を出て4人で祭りの会場へと足を運ぶ。会場とは言っても街全体が探索者や他の町から押し寄せた一般客のために何かしら用意をしているため、それこそ全体的に盛り上がっているという感じではあるのだが。だからこそ定期的に足を止めて目を輝かせるリゼは一先ず目的地に着くまでは左右をクリアとレイナに挟まれて、レイナに手を引かれながら先導される羽目になったりしたのだが、それもまた一興。

しかしこうして見ると諸々と不思議な店があるものだと改めてスズハは思ったりもする。薬売りだとか食品売りとかはまあ分かるとしても、少女2人が営んでいる錬金術研究所だとか、魔晶製品だとか、何より魔力を利用していない普通の機械製品が他の何より遥かに高額であるのがまた不思議なところ。機械技術が進歩していないというより、そもそも必要とされていないという感じなのだろう。だからこそ、魔力無しで動いているそれを珍しげに見ている人も多いし、買っているのも金持ちそうな人間が多い。

まだまだスズハもこの世界に関する理解が深まっていないということだ。何より錬金術などという言葉はこの世界に来てから初めて聞いた。そんな物が本当にあったのかと、少し驚いているくらいだ。

 

「ギルド裏の鍛錬場でしたよね、マドカさんが担当してるのって」

 

「うん。昨日なんか改装してたから、多分そう」

 

「へえ、私はなんだかんだで行ったことがなかったよ。そんなところがあったんだね」

 

「治療院のリハビリ場としても使われてるから、いつかお世話になるかも」

 

「あ、あはは、そうならないといいのだけど……」

 

「………あれ?」

 

そうしてギルドは向かう階段を登り始めた頃、レイナは人混みの中に"それ"を見てしまい、思わず立ち止まってしまう。そんなレイナに気付き、同じように足を止める3人。

 

 

「…………え?」

 

 

レイナが見つめていた視線の先、そこに同じように目を向けて呆然としてしまったのはリゼ。何故ならそこに居たのは、彼等が正に今こうして会いに行こうと思っていた目的の人物:マドカ・アナスタシア。

しかし問題なのは、そんな彼女が楽しそうに"手を"引いている1人の『男性』の存在だ。

 

……そう、男性。

 

背が高く、身体もしっかりしていて、なにより美形。周囲の女性達がその姿を見ると思わず振り向いてしまうようなそれに、怪しさが見えてこない愚直な雰囲気をした、好青年。

 

そんな彼とマドカが、2人で"手を繋いで"走っているのだ。マドカ・アナスタシアが嬉しそうに彼を連れて行くその姿は、見る人が見れば、というかそれを見てしまったリゼからすれば…………恋人のような間柄にしか見えなくて。

 

 

「ぁ………ぇ………?」

 

 

「ヨシっ!!」

 

「レイナ、気持ちは分かるけど落ち着きなさい。流石に全力でガッツポーズするのはやり過ぎよ」

 

ガッツポーズどころではない。左手でガッツポーズしながら右手で正拳突き、彼女がこれまで見せて来た中で最高の感情表現である。

……とは言え、リゼやレイナが考えていることが事実とは、少なくとも色々と知っているスズハには考え難い。そこでこの街についてよく知っているであろう彼女に意見を聞いて見る。

 

「クリア、あの男誰か知ってる?」

 

「え?あ〜………なんか見たことあるかも。なんか剣術道場から3人で来た、みたいな」

 

「マドカの恋人なわけ?」

 

「違うと思う。マドカの恋人って、どっちかって言うとカナディアさんじゃん」

 

「「あ〜……」」

 

「ぐふっ」

 

上げてから落とす。思わぬところから放たれた凶弾に撃ち抜かれたリゼは思わず膝を突きそうになってしまったが、そんな4人に気付いたのはどうやら相手方も同じだったようだ。

例の男性を引き連れていつもの笑みでリゼ達の方へ走ってくるマドカ。それを見てリゼのHPはひとまず笑顔を返せるくらいには回復した、単純なものである。

 

「おはようございます皆さん、今日は大丈夫そうですか?」

 

「あ、ああマドカ。私達は大丈夫だよ、ちょうど今顔を出しに行こうと思っていたんだ」

 

「そうだったんですね。……?なんとなく顔色が悪い気もしますが」

 

「ああ、別に気にしなくていいわよ。それより私としてはそっちの男性の紹介をして欲しいところなんだけど」

 

「え?あ、ああ」

 

やはりこうして前にすると、彼の身長はリゼと同じか、それより少し大きい。特に十分な鍛錬と実践経験によって生まれたのであろう、がっしりとした肉体は、正しく男性美といったところだろうか。男性も憧れる男性の姿とはこういうものなのだろう。

そんな彼はこうして女ばかりの集団を前に何となく居辛そうにしており、そんなところからも彼の真面目さが伺えてしまう。‥‥そしてそれ以外にもなんとなく感じる、湿っぽさ。

 

「こちらはベインさんです。私と同じ中級の探索者さんでして、最近あまり顔を見ていなかったので、こうして連れ出して来たんですよ」

 

「ど、どうも。リゼ・フォルテシアです」

 

「レイナ・テトルノールです」

 

「スズハ・アマギリ」

 

「クリアでいいよ」

 

「あ、ああ。ベイン・ローガーデンだ。……その、よろしく頼む」

 

その辺りの区別がどうなっているかは知らないが、お前は間違いなく上級の探索者に区分されるべきだろう、というマドカに対するツッコミはさておき。

リゼに差し出された右手を握り返して挨拶を返すその様子を見れば、この女性ばかりの空間に少しの抵抗感はあるにしても、女性自体が苦手という訳ではないらしい。

特に事前にあったクリアの話の通り、彼は背中にスズハの身長よりも遥かに大きな鋼の大剣を身に付けており 、スフィアもしっかりと装着している。

 

「……すごいな」

 

「え?」

 

「あ、ああ、いや、すまない。俺と同じくらいの身長の女性を見るのは初めてで、少し驚いてしまったんだ。気を悪くさせるような話であったなら謝らせて欲しい」

 

「ああ、なるほど。私は気にしていないから大丈夫だよ。自分の身体の大きさにも今は感謝しているくらいなんだ、貴方ともこうして目線を合わせて話すことが出来るからね」

 

「………彼女はもしかして女性に人気があったりしないか?」

 

「御明察」

 

「これからもっと人気になります」

 

「いいよね、リゼ」

 

「ああ、君達もそういう……」

 

流石にマドカから気に入られているだけあるのか、少なくともスズハにはその青年が普通にまともな人間に見えた。少し顔色が悪そうではあるが、下心のようなものも見えて来ない。

これだけの美人に囲まれたのなら、少しくらいそういう気持ちが湧きそうなものでもあるのだが。女性慣れしているのか、それとも……

 

「ということで、ベインさんのことは皆さんにお任せしますね!」

 

 

「「「「え?」」」」

 

 

「ま〜たこいつは……」

 

「私これから出番なので!また後でお会いしましょうね!それでは!」

 

「お、おいマドカ……!」

 

「………行っちゃいましたね」

 

「私はなんとなく予想してたけどね」

 

「マドカっぽい」

 

取り残された女4人と男1人。

凄く居辛そうな彼に対し、出来ることはただ一つだろう。少なくともこうして任されてしまった以上は、彼を放ってマドカの元へ行くことも出来ないし、そもそもそんなことをする我らがリーダーでもないのだし。

 

「よし!それじゃあ行こうか!」

 

「切り替えが早いな!?」

 

「マドカがああ言ったんだ!さあ!マドカの勇姿を見に行こう!」

 

「ああ、なるほど、君はそういう……」

 

マドカ・コンプレックス、つまりはマドコンなのか……とまでは口にすることはなかった。それを言ったところで毒にも薬にもならないのだから。一先ずはマドカが人を押し付ける程度には信頼している人間という以上の情報は、必要ない。

 

 

 

 

『……という訳で、本日は基本的に私がこの区画で皆さんのお相手をさせていただくことになりました。ただし、お恥ずかしい話ではありますが私はそれほど体力に自信がある訳でもありません。そこで、私の休憩時間中は自慢の愛弟子であるこちらのお二人に代わりをお願いしています。ささ、マイクの前に』

 

『は、はい……!』

 

『ん……』

 

ギルド前の広場で行われた開会式、その後の各区画での説明会にて彼女は司会を担当していた。こんな重要な役割があったのならば、時間に焦るのも当然の話。しかしそれでも彼女は涼しい顔をしてその役割を全うしているのだから、そこは流石としか言いようがない。

そしてそんな彼女がギルド裏の鍛錬場で行われる"試練"についての説明をしている最中、紹介をされた2人の少女。恐らくは双子であるのだろうが、リゼからして見れば本当にただの少女にしか見えて来ない。しかしそんな彼女達こそが、マドカの最初の教え子達である。つまりは、リゼの先輩。

 

「どうも今日の今日まで延々とダンジョンに潜ってたみたいよ」

 

「なるほど、だから訪ねてもいらっしゃらなかったんですね」

 

「……マドカはすごい実力者だと言っていたが」

 

「ベインさん知ってる?」

 

「え?ああ……」

 

どれだけ顔がイケていようがなんだろうが、全く興味を示すことなく自然体で接してくる変わった少女達に囲まれて、なんとなく慣れて来たベインは解説役に回される。まあこの中で一番この街について理解が深いのがクリアという時点で仕方がないことではあるのだが、彼等にはこういったことに関する知識がない。そこで少なくとも数年はこの街で探索者をして来たベインは非常に便利な存在であった。ベインとしても、そういう使い方をされた方が接しやすいというところ。少なくとも会話の糸口にはなり無言の時間は続かなくなる。

 

『ステラ・ブローディアさんと、リエラ・ブローディアさんです!皆さんよろしくお願いします!』

 

『よ、よろしくお願いします……!!』

 

『お願いします……』

 

ブローディア姉妹。

その名前は探索者達の間ではそれなりに有名なものであり、何よりマドカ・アナスタシアの教え子という名前を広めた張本人達である。

 

「"右手の鮮血"リエラ・ブローディア、"左手の冷血"ステラ・ブローディア。彼等は何処のクランにも所属することなく活動している珍しい探索者だ」

 

「え、クランに所属していないのかい……?」

 

「ああ。彼等は税金なり制度なり、そういったことには興味がないみたいだからな。余計なしがらみに縛られることも嫌なんだろう」

 

「へえ、割と話せる子達だったけどね」

 

「今は大分落ち着いているが、この街に来たばかりのころは相当に荒れていたと聞いたことがある。それこそ、身分証明が出来ず文字も読めず、最初はギルドで大暴れをしたらしい。それを見兼ねたマドカが手を差し伸べた、というのが切っ掛けだそうだ」

 

「……どこかで聞いた話ですね」

 

「わ、私は暴れてはいないよ!?」

 

「それとラフォーレ・アナスタシア、つまりマドカの母親に師弟関係の解消を迫られたことがあったそうだが……計24回も挑んで無理矢理折らせたらしい」

 

 

「「頭おかしい」」

 

 

「……リゼ、あんたもそういうこと言うのね」

 

「頭おかしい」

 

「あ、これマジな時の反応なのかしら」

 

「頭おかしいですよ……」

 

「ああ、俺もそう思う」

 

つまり今目の前でマドカから紹介を受けて頭を下げている2人は、24回もラフォーレ・アナスタシアに喧嘩を売り、24回も返り討ちにあっているということだ。むしろ24回目でラフォーレが漸く折れただけであり、それがなければ何十回でも何百回でも同じことをしたのではないだろうか。

それは正しく狂気と言っていいだろう。

ラフォーレがリゼという教え子を曲がりなりにも今では認めてくれているのは、この2人のその狂気があったからこそなのかもしれない。

 

こうして見ている分には本当に何の変哲もない可愛らしい女性達にしか見えないのだが、やはり諸々で聞こえて来た噂話は本当らしい。

 

『それでは!これより15分後から早速"試練"を開始したいと思います!希望者の方はあちらの受付にお並びください!また、今回は見学用としてギルドと治療院の一部をお借りしています!見学者の方々も職員さん達の誘導に従ってお進みください!』

 

 

 

「さて、それじゃあ移動しましょうか。予定通り私とクリアは場所確保して来るわ」

 

「私とリゼさんは受付をして来ようと思います。ベインさんはどうされますか?」

 

「ああ、一応マドカから試練に参加するように言われている。受付に同行しよう」

 

恐らく、ダンジョン2階層の方でも同じように説明会が行われている頃合いだろう。開会式を終えた中央広場は投影のスフィアを使った観戦会場に変わっているし、日除けのテントと共に用意された椅子やベンチ、丸机なんかに座り始めた一般客達に、様々な飲食店の売り子達が歩き始める。

 

ようやく祭がはじまったのだ。

 

最高峰の探索者達の実力を知ることが出来るお祭りが。



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96.英雄試練祭2

ゴッ、ゴッとぶつかり合う固い音。

その挙動の一つ一つに歓声が上がり、その空間を囲うように簡易的に作られた階段状の観客席では数多の者達が拳を掲げ、手を叩き、熱狂する。

 

「【刺突】!!」

 

「そこです」

 

「っ!?」

 

木製の槍を持った男性探索者がスフィアによる高速突きを発動した直後、それと交わった瞬間に彼女は完璧なカウンターによって彼の獲物だけを吹き飛ばした。

項垂れる男性、一際大きな歓声をあげる観客達。いつの間にか治療院の窓からも患者達がその様子を観戦しており、医療師達と共に楽しんでいるようだった。最後に一度手を差し伸べ、握手をした2人は、そんな彼等にも頭を下げ、手を振り、清々しい顔をして控えへと戻っていく。

これで5戦5勝、それも全てが危なげなく。元より予想出来ていたことであるとしても、ここまで来るとその実力の高さに改めて感心する者も多くなる。

 

「か、かっこいい……!!」

 

「流石」

 

「えぇ、なんなんですかあれ。あの男の人、間違いなく私より槍捌き早かったと思うんですけど」

 

「ねえ、あれ何したの?」

 

「うん?ああ、恐らく【刺突のスフィア】による突きのタイミングを読んだんだろう。【刺突のスフィア】は槍武器で最高速の突きを行うスフィアだが、発動した時点で殆ど身体の動きが自動化されてしまうからな」

 

「へえ、狙う場所も変えられないわけ?」

 

「いや、そこは流石に変えられるが、姿勢を大きく崩すような変更は出来ない。つまり発動してから当たるまでの時間は確定していて、当たる箇所も大まかに予想が出来る」

 

「ということは、それほど難しい技術ではないということですか?」

 

「いや、それでも普通は無理だ。スフィアに関する十分な理解と、それを捌いて武器だけを飛ばす剣の技術が必要になる。少なくとも俺にはそんなことは出来ないな、普通に防いだ方が早い」

 

「レイナ、ちゃんと勝って来なさいよ」

 

「今の話を聞いてそんなことを言うのは少し意地悪が過ぎませんか!?」

 

幸いにも良さそうな席に着くことが出来た5人は、目の前で行われた光景をベインに解説を願いながらもただの観客として楽しんでいた。

レイナとリゼ、そしてベインが受付に走った頃には既にそれなりの列が出来てしまっていて、この感じでは恐らく実際に手合わせ出来るのは昼前くらいになると予想されたからだ。本当であれば英雄と都市最強の両方にも挑んでみたかったのだが、この様子ではどちらか1人が限度だろう。

……もちろん、マドカの試練が特に人気だというのも理由の一つであることは間違いない。それは単純にマドカが人気であるという理由以外にも、彼女の実力が3人の中では最も手頃であり、彼女の人柄故にどうやっても他の2人と比べて安全であるということも理由になる。実際に中には明らかに実力の見合っていない記念参加の者達も居るし、マドカはそんな彼等にも自分の実力をちゃんと見せるやり方で上手いこと楽しませていたりもする。

 

「マ、マドカさま……!」

 

「おや、貴女は精霊族の方ですか。珍しいですね」

 

「は、ははははははい!あ、あの、あの、あのあのあのあの!わたし今日はマドカ様とお手合わせが出来るということをお聞きしまして数日前からずっとこの身を清めて清めて清め散らかして何度も何度も何度も何度も感謝と喜びを天と地に伝えるべく五体投地からの天投心涙を続けて貴女様の前に立つためになんの恥ずかしさもなきように精霊族に伝わる伝統的な化粧と詞言を学び直した上に衣服も……」

 

「ふふ、とても可愛らしいですね。私のためにお洒落をして来てくれたんですか?よく似合っていますよ、嬉しいです」

 

「ぁ……………あ、ああ!ああああああ!!!」

 

「あやや……ほら、泣かないでください。お名前を聞いても良いですか?」

 

「み……み、み……みる、の……」

 

「ミルノさんですね。このまま戦闘をするのは危険ですので、今日は少し棄権しておきましょうか。怪我をして欲しくはありませんから」

 

「あ、ああ……ま、まどかしゃまぁぁあ……!!」

 

 

 

 

「……なにあれ?」

 

「マドカの熱狂的なファンだ、精霊族に多いらしい」

 

「まあメイアナ様だし、違うけど」

 

「リゼさんもクリアさんに好かれてますし、素質あるかもしれませんね」

 

「あるよ、めっちゃある」

 

「凄い食い気味」

 

「あ、あそこまで熱狂的だと流石に私も少し困ってしまうかな」

 

そんな風に目の前で行われた妙な光景を見て話していると、ふとこちらに真っ直ぐ近寄って来ている2人を視認する。それはリゼが今日まで言葉を交わすことのできなかった2人。リゼは思わず立ち上がり、こちらから迎えに行くように小走りで歩いて行く。

彼等がどう思っているかは分からないが、少なくともこちらは一つ失礼をしてしまっているのだから。相手方から挨拶に来させるなど、本来あってはならない。

 

「ど、どうもはじめまして。リゼ・フォルテシアです!挨拶が遅れてしまって申し訳ない……!」

 

「わっ、そんなこと気にしなくていいよ!?むしろ初対面で謝罪なんかされたら困っちゃうって!ねえステラ!?」

 

「うむ、くるしゅうない」

 

「ステラ!?」

 

赤桃色の短い髪を後ろで纏めた、少し活発気で真面目気質が垣間見える姉のリエラ・ブローディア。一方で同じ髪色でもそれを長く伸ばしている大人しめな雰囲気を持った彼女は妹のステラ・ブローディアである。

ラフォーレという人間を知り、そんなラフォーレに24回も食らいついたとされるブローディア姉妹。しかし意外にも彼女達の様子はとても優しくて、暖かくて、人間味のあるもの。それこそマドカの最初の教え子だと言われても、十分に納得が出来るような人格。

 

「君がマドカさんの新しい教え子のリゼちゃんだね、聞いてた通り真面目そうな子でよかったよ。仲良く出来そう!」

 

「え、ええ、まだまだ未熟ではありますけど……」

 

「もう、そんな話し辛そうな固い言葉遣いしなくてもいいんだよ?もっと楽にしてよ、ねえステラ?」

 

「…………?何か言った?」

 

「うん、マドカさんが見たいのは分かるけど今はリゼちゃんと話してあげようね」

 

「あ、あはは……それなら、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 

どうやらマドカの試練の方が気になって仕方がないのか、じっとそちらの方を見ているステラと、そんな彼女を注意しながらもチラチラと見ているリエラ。本当にマドカのことを慕っているのだろう。マドカの教え子という立場を守るためにラフォーレに挑んだのだから当然と言えば当然なのだが、こうなると今こうして時間を取って貰うのも悪い気もして来てしまう。

 

「そういえば、エルザちゃん達は居ないんだね。忙しいのかな」

 

「確か午前中は運営の方で手伝いがあると聞いているよ、午後からはここに来てくれるとか」

 

「そっか、じゃあ挨拶はその時でいいかな。リゼちゃんもマドカさんに挑戦するの?」

 

「もちろん。近接戦闘に自信があるわけではないけれど、やっぱりこの機会は逃せないというか」

 

「うんうん、いい向上心だね。‥‥本当はもっと色々とお話ししたいんだけど」

 

「バイバイ」

 

「こらステラ、失礼だよ」

 

「あはは、今度また機会を頂ければ嬉しいかな。今日はそれよりマドカの勇姿を私も見たいからね」

 

「グッ」

 

「もう、調子良いんだから。……ごめんねリゼちゃん、あとありがとう。また今度色々とお話ししようね」

 

……きっと、2人は本当に顔が見えたから挨拶をしに来ただけなのだろう。それほど長居するつもりもなく、その証拠に揃って小走りでマドカの控の方へと走って行ってしまう。戻した視線の先では筋肉質な男性探索者から木製の剣と盾を奪い取ったマドカの姿。これで10人目。そろそろ休憩が挟まる頃か。

 

「おかえりなさいリゼさん、どうでした?」

 

「ん?ああ、とても良い人達だったよ。疑う訳ではないけれど、ラフォーレに本当に24回も挑んだのか信じられないくらいには」

 

「まあ、私もあの子達には世話になったからね。……っていうかクリア、あんたは喋ったことないわけ?」

 

「あったような、なかったような……」

 

「あ、相変わらずですね……」

 

「くく、なんだか君達の人柄が分かってくると会話も面白く感じて来るな」

 

「変?」

 

「いいや、上手く噛み合っている。女性だけのクランというのも珍しいのに、ここまで仲の良いクランとなるとより珍しいからな」

 

意外というほどではないかもしれないが、ベインからのリゼ達に対する評価はかなり高くなっていたらしい。まあ実際クラン登録がされていないので本当にただの集団でしかなかったりするのだが。

まあそれはそれほど大切な話でもない。

 

 

 

 

 

 

「……それで、どういう要件だアルカ?お前のことだから今日は真っ先にマドカへ挑戦しに行くと踏んでいたのだがな」

 

「妙に落ち着いているなクソガキ、糞でも食ったか?」

 

「いや、糞を食って落ち着くってどんな生き物だよ……まあ、本当ならあたしも今日はマドカの姉ちゃんに挑みたかったけどよ」

 

マドカの控え室、つまりは彼女が休息するためだけに設けられたテント。その中では事前の約束通りにラフォーレとカナディアが座っており、ある意味で最前席の最高の場所でマドカの姿を見ていた。

そんな2人の元へ神妙な顔をしてやって来たのが、カナディアの所属している"龍殺団"の団長であるアルカである。彼女はライバル視するマドカに正面から堂々と挑むことが出来る絶好の機会だというのに、受付をした訳でもないらしく、こうしていつもよりも大人しい姿でやって来たのだ。それはラフォーレとカナディアにとっても意外な姿で、だからこそ、こうして2人で話をまともに聞いてやるくらいには気にかけている。

 

「……アルファってやつに話しかけられた」

 

「「!!!」」

 

「ヤバいやつなんだよな?たしか」

 

だからこそ、その言葉を耳にした瞬間に2人の顔色は一気に変わる。やはり容易く聞き流していい話ではなく、それを正直に相談しに来たアルカをむしろ褒めてやりたいくらい。

 

「その男は、何と言っていた……?」

 

「なんか、力が欲しくないか?って」

 

「頷いたのか?」

 

「いや、流石に怪し過ぎて断ったよ。けど……」

 

「なんだ?」

 

「『お前は今のままでは永久にマドカ・アナスタシアを越えることは出来ない』って言われた……」

 

「……なるほどな」

 

それを聞いて、アルカが受付をして来なかった理由がなんとなく理解出来た。つまりは、アルファの言葉によって揺れてしまった心を、確定させるのが怖かったのだろう。今のアルカではマドカには敵わないことを、彼女は本当はよく分かっている。だから今日ここで挑んだとしても、恐らく負ける。そしてそこで負けてしまえば、アルファのあの甘い言葉に乗ってしまうかもしれない。

カナディアは思わずアルカの頭を撫でる。いつもは手の掛かる子ではあるのだが、少なくともここまで考えられるほどには賢く育ってくれていたのだ。カナディアとしてはそれだけで十分、むしろよくそれを素直に伝えてくれたというほど。

 

「クソガキ、その男とは何処で会った?今は何処にいる?」

 

「中央広場に向かって走ってる時に声を掛けられたんだ。その後は人混みに消えちまって追いかけられなかった……」

 

「そうか……よく報告してくれたな。この祭の中に奴が紛れ込むことは予想されていたことではあったが、お前のおかげで確証が取れた」

 

「まあ、うん……」

 

「やれやれ、こうなるとまた焼き払う羽目が出てくるか?」

 

「それは最後の手段だ」

 

「分かっている」

 

数日前、レンドがアルファを取り逃がしたという情報は一部の探索者にしか共有されていない。特にアルファが罪のスキルを持っており、更に未確認のスフィアを2つもっていること。加えて明らかに尋常ではない性能を持っている装備を扱い、罪のスキルを持つ大聖人達が非公式ながら50階層を突破したという話もまた報告を受けた者達に衝撃を与えた。

あれからレンドは何処か気落ちしたように必要最低限以外では外へ出ることなく、今日も開会式への出席はせずにそのままダンジョン2階層へ向かってしまった。ショックを受けているのは分かるが、それにしても油断し過ぎだろうとラフォーレは不満を感じている。そもそ罪のスキルの本当の恐ろしさは"裏返った"時なのだから。あれが街の中心で裏返れば、それこそどれほどの被害が出るか分からない。それを誰よりも知っているのが実際に対峙したレンドの筈なのだが。

 

「な、なあ。そんなにヤバい奴なのか?そのアルファっての」

 

「少なくとも、レンドから逃げ切れる程度の実力と罪のスキルを持っている。恐らく能力がある程度割れた今であればレンドでなくとも対処は可能だろうが、不味いのは"罪のスキル"を持っているということだ」

 

「罪のスキル……?」

 

「龍神教の大聖人などと呼ばれる糞共が持っている特殊なスキル群だ。恐らくはそれを持っている奴らが集まっただけなのだろうがな」

 

「強いのか?」

 

「ああ。"罪のスキル"には表と裏の2つの効果が備わっているが、通常時の表の効果でさえ他のスキルと比べれば相当に優秀だ。……例えば以前に私とレンド、エミで対峙した【憂鬱】はこちらのステータスを6段階も下げて来た。加えて恐らく当時の時点で都市最強のレンド以上のレベルを有していたな」

 

「マジかよ……じゃあ裏ってのは」

 

「これは事例が2つしかないが、基本的には規模が大きくなると考えていい。【憂鬱】は巨大な沼と共に強力な精神汚染効果のある霧を発生させ、多くの探索者を無力化した。【憤怒】は陣営全体に争いを誘発させ、魔法の暴発や暴走によって100人以上の負傷者を発生させた記録がある。死者も大量に出た。……正直、【憤怒】の方はエアロとアクア、そしてシセイ先生がいなければどうにもならなかったな」

 

「私はその頃は街から出ていたから知らんがな」

 

「…………」

 

7年前に起きた龍神教によるオルテミス襲撃は、確かに多くの龍神教徒が集っていたとは言え、それは殆ど意味を成していなかったと言える。にも関わらず街に多大な被害が出たのは、僅か2人の大聖人と呼ばれる者達が発動した"罪のスキル"によるものだ。

当時はマドカもラフォーレも、当然その教え子達やアルカだって居なかった。最終的には"聖の丘"の3人と、"風雨の誓い"の2人、そして高齢の探索者が主な戦力となって、なんとかこれを退けることが出来た。しかしその時の記憶は当時の探索者達には今なお深く根付いており、カナディアでさえ思い出せば顔が渋くなる。それこそギルド長のエリーナからしてみれば、先日の襲撃の際に気色の悪い巨人から受けた精神汚染など、【憂鬱】のものと比べれば可愛いものと言えるくらい。そんなものを街の中央で放たれたのだから、壊滅するのも当然。

 

「敵のスキルの名称だけでも分かれば対策は立てられるのだがな、あの馬鹿はそれすら看破出来ずノコノコと……」

 

「ラフォーレ、その話はここでするな」

 

「?」

 

「……とにかく。アルカ、もし必要になれば直ぐにでも龍化しろ。今回ばかりはそれを許す。だが、相手がそれほどの敵であることだけは忘れるな」

 

「あ、ああ、分かったよ」

 

いつもは厳しいカナディアが、自分に街中での龍化を許可した。その事実だけでアルカは唾を飲み込む。

7年前と比べればこの街の戦力も相当に増しているとは言え、精神汚染に対して耐性というのを身に付けるのはなかなか難しい。薬品による耐性向上、POWによる抵抗、そもそもの精神性と精神汚染の種別による相性なども関係してくる。例えばレンド・ハルマントンはその精神性故に大抵の精神汚染に対しての抵抗は可能であるが、過去のフラッシュバックという一点においては非常に弱い。一方でリゼ・フォルテシアは大抵の精神汚染に弱いが、過去のフラッシュバックについては大した効果を発揮しない。こればかりは本当に相性でしかないので、精神をより強靭にする龍化を迷いなく使えとカナディアは言っているのだ。そこまでしても耐えられるかは分からないのだから、まだまだ未熟なアルカには。

 

「ラフォーレ……!」

 

「カナディアさん!!」

 

「「?」」

 

そんな風にアルカへの忠告が終わった頃、慌てた様子でテントに入って来た2人の姿があった。それはマドカの教え子であるブローディア姉妹、この後にマドカの代わりに出番を控えている2人だ。

なんだか妙に焦っているというか、困っているというか、そんな様子を見せた2人にカナディアは何かを感じて立ち上がる。それなラフォーレも同じだ。

 

「何があった」

 

「あ、あのね。私達はその、話しか聞いてないし。顔とか知らないからはっきり言える訳じゃないんだけど……」

 

「何の話だ?」

 

「マドカさんが今戦ってる人……」

 

「……"アルファ"って人?」

 

 

「「!?」」

 

客席からの歓声が一斉に大きくなったのは、その直後のことだった。



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97.英雄試練祭3

最初にその異変に気付いたのはリゼとレイナだった。というよりは、その人物の顔をハッキリと認識していたのがこの2人以外には存在していなかったとも言える。

マドカの対面から歩いてくる1人の男の姿。

マドカ自身もその人物のことを視認した瞬間に少し驚いたようにしていたし、かと言ってこの観衆の中で彼女は何かを言うわけでもない。

リゼ達とて、その人物が具体的に何をしたのか、どんなことをして来たのか、その確信がある訳ではない。それほどまでに彼はこれまで暗躍しかして来なかったし、こういった直接的な形で姿を表すことはなかった。だが彼は今、こうして以前見た時と同じように黒の帽子を持ち上げて、軽薄な笑みを浮かべてマドカの方を見ている。片手には試練に挑む者達が持っていたのと同じ木刀を持って。

 

「リ、リゼさん……あの人……」

 

「……控室にはラフォーレとカナディアが居るはずだ、今は静観しよう。何かあれば入ればいい」

 

「分かりました……」

 

あの2人が出てこないということは、何か考えがあるのかもしれない。もしかしたら気づいていないだけかもしれないが、そうでなくとも行動はマドカが指示した時でいい。少なくとも今ここで何か行動を起こすのは得策ではない。ここには病人や子供も含めて大勢の観客が居るのだから。

……というか、なぜ受付で引っ掛からなかったのだろう。流石にその辺りは徹底していると思っていたのだが。

 

「ようマドカ、元気してたか?」

 

「アルファさん……」

 

「ま、こんな機会滅多にないからな。俺にだって楽しむ権利はあるだろ?なあに、今日は本当にこのためだけに来たんだ。他に何も企んじゃ……いや、企んではいるか」

 

「……もちろん、アルファさんにも参加する権利はあります。ただし、無関係の方に危害を加える様なことは私も見逃せません」

 

「安心しろって、俺もお前のことしか見えてない。嬉しいだろ?」

 

「はあ……」

 

マドカにしては珍しく、本当に心から呆れたように深く息を吐いて脱力する。そんな彼女の姿はリゼでさえ始めて見るくらいであったが、彼女は直ぐに顔を上げて戦闘態勢に入った。それは対するアルファも同じだった。

……そしてなんとなく感じる、これまでのそれとは全く異質な雰囲気。それまでは歓声を上げて騒いでいた観客達も、ピリついた雰囲気を感じたのか徐々に声が小さくなっていく。何人かの探索者は、少し眉を顰めてその様子を見ていた。それは隣のベインもまた同じである。

 

「リゼ」

 

「ああ、マドカが本気だ。クリア、もしもの時のために準備だけはしておいて欲しい。杖くらいはあるかい?」

 

「うん、任せて」

 

「頼むよ」

 

そうしてスズハから小杖を受け取って準備をするクリア、彼女はどうも手ぶらで居たいがためにスズハに必要な物を預けていたらしい。まるで自分の財布をお母さんの鞄に入れている子供のようにも見えるが、それは一先ずどうでもいい。

なにより重要なのは……

 

 

 

 

ーーーーーッッ!!!

 

 

 

 

「!?はっや!?」

 

「何者だあの男!?」

 

最初の一撃、どちらが最初に仕掛けたのかはリゼでさえ分からない。というか、恐らくはほぼ完璧に同時。そしてその一撃は決して鍔迫り合いになることはなく、衝突した直後に2人は各々の形で次の攻撃へと移った。

弾かれた衝撃を利用して上半身を逸らしながらマドカの顔面に向けてその長い足を蹴り込むアルファ、一方でマドカもまた弾かれた衝撃を利用して姿勢を低くしながら足元近くを薙ぎ払う。辛うじて木刀でそれをガードすれば、追い討ちをかけるように放たれるマドカの左手の突き。

一瞬リゼの目でも気づけなかったほどに巧妙に隠されたその拳を、しかしアルファは視認した直後に【回避のスフィア】を使って回避する。それも利用した態勢がほぼ俯向きであったために、回避のスフィアによる移動効果は上方に向けて働き、彼はその状況からでさえ攻めの手を緩めることがなかった。先程のマドカの攻撃に対する意趣返しなのか、彼もまた自身の身体で巧妙に隠しながら彼女に向けて木刀を振り上げる。……それでも、それすら見抜き始動で食い止め、そのまま無防備に宙に舞ったアルファを蹴り飛ばしたマドカのそれは、最早誰もがその目を疑った。否、そのやり取りを視認出来る者達だけが、目を疑った。

攻撃を受けたにも関わらず、何事もなかったように華麗に受け身を取り、着地をするアルファ。彼もまた余裕の笑みを彼女に向けて、衣服についた汚れを払う。

 

「ひゅう、やっぱ単純な戦闘技術だけじゃ勝てそうにないな。スフィアも使わずにこれかよ、自信無くすぜ」

 

「満足しましたか?」

 

「まさか、まだまだ試したいことは幾らでもあるんだ。もう少し胸を貸してくれよ」

 

「……あまり長くは付き合えませんよ、後もつかえているんですから」

 

「そりゃ悪いな!」

 

そこから先の光景に、歓声が上がることは一度たりとも無かった。凄まじい速度と、変態的な挙動による徹底的な攻撃のぶつけ合い。常に次の攻撃へ繋げるための布石を打ち続け、確実に相手に有利を与え続けない、つまりはペースの奪い合い。奪われてしまえば負けが確定するからこそ、相手がそういう存在であるからこそ、そう認めているからこそ。

アルファという男は明らかに近接戦闘のレベルが他の探索者とは一線を画しており、それは技術だけで言えば上級探索者の中でもレンドやクロノスに匹敵するほどのものだ。しかし一方のマドカはそんなアルファすら圧倒する。どれほどアルファがリゼでは予想も出来ないような攻撃を仕掛けて来ても、彼女はそれを始動で叩き潰して反撃する。見えているのではなく、分かっている。身体の位置や構造的な部分から予測している。少なくともリゼにはそう見えた。ステータスはアルファの方が優れているのだろうが、最早この場において有効的に働くのはSTRとSPDだけだ。マドカは足りないSTRを技術で補い、アルファはSPDを技術で補う。その末の結果がこれであり、つまりはマドカの方が優れていた。

 

「【回避】!」

 

「【体盾】」

 

「っ、なんだその使い方!?ぐっ!?」

 

きっとリゼは、色々と勘違いしていたのだろう。

 

マドカの蹴り上げを再使用間隔ギリギリで【回避のスフィア】を発動させ上空へと逃げたアルファ、しかしマドカは【体盾のスフィア】をアルファを指定して発動したことで跳躍が不可能な体勢からでも追い討ちをかけに行った。そのまま更に上空へと打ち飛ばされた彼を、彼女は居合の体勢を取って落下を待つ。明らかな着地狩り、しかしそれはアルファも分かっている。アルファほどの使い手であれば、それを利用してカウンターを叩き込むことなど造作もないことだろう。それでも相手はマドカ・アナスタシア、そんなことを容易く許してくれるはずも無く……

 

「【挑発】」

 

「なっ!?しまっ……!?」

 

弾き飛ばされた木刀。

武器だけを狙った居合斬りが直撃し、勝負は決した。

マドカがしたのは、【挑発のスフィア】による意識の乱しだった。本来であれば盾役の探索者がモンスターや龍種を相手に攻撃を引き付けるために使うそれ、人間相手には効果が殆どないために対人戦闘では基本的に一切使われることはない。しかしそれは決して効果が全くないということではなく、例えば思わず視線を移してしまう様な気を引くことくらいならば可能なのだ。そしてマドカはそれを最善のタイミングで使用した。つまりは着地狩りで居合斬るその瞬間にだ。

まさかここで【挑発のスフィア】を使用してくるなどとは露ほども考えていなかったアルファからすれば、その驚きは相当なものだったろう。それこそ挑発の効果をモロに受けてしまうくらいには。

いくら攻撃系のスフィアを禁止しているこの試練であっても、【挑発のスフィア】を使っている者などこれまで1人たりとも居なかった。そんな使い方があると知っている者も少なく、知っていたところで実戦に活かせる者など何処に居るというのか。たとえ居たとしても、それを利用出来る状況など滅多にない。そのためにスフィアの枠を一つ潰すなど、普通は考えない。

 

「………………」

 

「……何なんですか、あの人」

 

「なんかよく分かんなかったんだけど、取り敢えずあの女が頭おかしいことだけは分かった」

 

「凄まじい、な……」

 

それなりに付き合いのあったであろうベインもまた顔を歪ませながら苦笑う、剣を知っている者ほど衝撃は大きかったのかもしれない。レイナもまた感心どころか引いている。決着が付いたというのに歓声が小さいのも、恐らくは普段前で戦う探索者達が陽気な反応をすることが出来ない状況に陥ってしまっているからだろう。

皆どこかでマドカのことを舐めていたのかもしれない。所詮は中位の探索者であり、普段は放送なり残り物の依頼をこなしているだけの人間だと。色々な噂は聞こえて来ても、それを実際にその目で見たことのある者の方が少ないのだから。

だがその実力を真に測ることが出来ていなかったのはリゼも同様だ。今になって思い当たることもある。強化ワイアームとの戦いの際に、あれほど激しく戦闘をしていた彼女が最終的に負っていた大きな怪我はリゼを庇った時のものだけであった理由とか。それこそリゼの行動さえなければ、彼女は強化ワイアームを完封していたのではないだろうか。エルザやユイの助けが必要であったことは間違いないが、それでも。

 

「強ぇなぁ、やっぱ」

 

「今度こそ満足出来ましたか?」

 

「ああ、完敗だ。マジで愛してる」

 

「ごめんなさい、何度も言いますがそのお気持ちには応えられません」

 

「応えてくれなくていい、受け止めてくれ」

 

「………受け止めるだけなら」

 

「それで十分だ、欲しいのはマジだけどな。……お、やべ」

 

そうして今になってテントの中からカナディアとラフォーレが出て来たのは、最低限この試練を終わらせるという形式上の理由からなのか、それとも割り込むことが出来なかったからなのか。しかしとにかくラフォーレが凄まじい勢いで走り込んで来たのを見て、アルファは即座にその場から撤退して行った。その逃げ足はそれこそ目にも止まらぬと言った具合であり、人混みに紛れて姿を消した彼に対して、ラフォーレも奥歯を噛み締めて見送ることしか出来ない。

 

「マドカ……」

 

カナディアに寄り添われ、控えのテントの方へと歩いていく彼女。それとすれ違う様に出て来たブローディア姉妹は、マドカとハイタッチを交わすと、気合を入れて彼女の代わりを勤め始めた。2人も多少の動揺はしているようであるが、姉のリエラが特に頑張って声を張り上げていることもあって、徐々に場の雰囲気が戻り始めたのを感じる。彼等なりに自分の役割を果たそうとしているのだろう、ついでにマドカのフォローもまた。

 

「リゼ、ちょっと来なさい」

 

「え?あ、ああ」

 

リゼがスズハから観客席から離れた場所に呼び出されたのは、そんな時だった。

 

 

 

 

 

「悪かったなマドカ、止めるのが遅れてしまった」

 

「いえ、あれがベストだったと思います。きっとアルファさんも、観客が居るあの場では私達が派手に動くことは出来ないと見越しての行動だったでしょうし、こちらが動けばそれを理由にしてより大きな行動をして来た可能性もあります」

 

「チッ……マドカ、奴は恐らく特定条件下でSPDを上げるスキルを持っているぞ。仮にお前のSPDを反映していたとしても、あれは速過ぎる」

 

「撤退時にSPDを上げるようなスキルでしょうか、"罪のスキル"の効果がレンドさんの情報通りなら捕まえるのは難しそうですね」

 

「戦闘中に捕まえることは出来なかったのか?」

 

「本当に何も準備をせずに乗り込んで来るとは思えなかったので、一先ずアルファさんの底を掘り出すことに専念しました。ステータスは変動するとしても、技術を向上させるのは時間がかかりますからね」

 

「なるほどな」

 

控えのテントに戻って来たマドカとカナディア、そしてラフォーレは、早速アルファについての情報の共有を始める。一応近くにアルカも居るには居るのだが、彼女は妙に大人しく隅の方で座っており、視線を向けると逸されてしまう。そんな様子に少し不思議にも思ったりしたのだが、それよりかは情報共有が先だ。彼がこのまま何事もなく帰ってくれるのならばいいが、もしかすればレンドやアタラクシアにもちょっかいをかけに行く可能性がある。既にギルドとダンジョン2階層へは使いを走らせている、この祭にアルファが現れたという情報は伝わるだろう。

 

「だが、個人単位であればどうにもなる範疇ではあったな。"罪のスキル"は知らんが」

 

「マドカ、奴が複数で動いているということについて知っているか?レンドがそう話していたのだが」

 

「……正直、心当たりがありません。例えば以前に襲撃を受けた際に明らかに1人他の探索者崩れとは違う方が居ましたが、その方も雰囲気的にはどこか雇われただけのような方でしたし」

 

「……おい、中止するなら今のうちだが?」

 

「私とて中止にしてしまいたいのだがな、エリーナが泣く。それに観客席を見ていたが、むしろここに居た方がマドカは安全だろう」

 

「?」

 

「リゼ・フォルテシアの一向が居た、それと久方振りにベインも見たな。お前の仕業だな?マドカ」

 

「ええ、連れて来ちゃいました」

 

「……まあ、あの眼だけは良い愚図が居れば異変に気付くのは早いか。一日このテントの上に括り付けておいてやろうか」

 

「お、お母さん。それは流石にリゼさんが可哀想ですよ」

 

リゼの話題を出したからだろうか。それもあのラフォーレがそれなりに認めているようなことを言ったのも相まって、なんとなく話を聞いていただけのアルカの機嫌が悪くなった気がした。

ラフォーレとしてはリゼの眼に関しては間違いなく優れていると認めているし、それを扱う当人も最低限の知性は持っていると評価している。まあ色々と問題点はあるが、少なくともラフォーレの鍛錬にも文句を言いながらも付いてくる根性はあるし、惰弱ながら懸命に努力をしている。あれほど滅茶苦茶にボコボコにしてやっても姿を見掛けたら話しかけて来るし、冗談を言えば怖がらずにツッコミを入れて来るような呆れた人間だ。そんな人間はこの街に本当に何人居るかというところ。

……実際のところ、少しくらいは可愛く思っていると言ってもいい。決して口に出して言うことはないが、そうでなければ何度もダンジョンに連れ出す訳がない。そしてそうして認められたのは、他でもない彼女の頑張りだ。ラフォーレからしてみればアルカに機嫌を悪くする権利はないし、単純に不快にすら思う。いつまで経っても嫌なことから逃げて弱者であり続ける人間に、ラフォーレは興味を持たない。

 

「クソガキ、お前もやることが無いのならさっさと出て行け」

 

「う……」

 

「お母さん」

 

「何の見返りもなく強者が弱者と刃を交える、これほどの機会をただ座って見ているだけの探索者に価値などあるものか。やる気がないならさっさと消えろ、不快だ」

 

「ぐぅ…………だ、だったらあんたも英雄に挑んで来ればいいだろ!言ってることは同じだ!」

 

「私の方が強者だ、必要ならばあの女から私に訪ねてくるべきだろう」

 

「ご、傲慢過ぎる……」

 

「………」

 

ただ、それを言ってくれるだけ優しい方なのかもしれない。それを厳しかろうと何だろうと、言葉で言ってくれるだけ温情だ。誰も何も言わなかったならば、アルカはただ無為に時間をここで費やし、貴重な機会を失ってしまうところだったのだから。

……とは言え、流石に今の心のままマドカに挑めるほどアルカも強くはない。向かうのはダンジョン2階層、負けても仕方がないと思える相手に挑みに行く。それこそが彼女に今出来る最大限の努力だった。

 

「………行ってくる」

 

「ああ、気を付けろよ」

 

「行ってらっしゃい、アルカさん」

 

「………ふんっ」

 

やはり相変わらず、マドカに対しては当たりが強いところもまた、ラフォーレからしてみれば好ましくはないのだろう。まあ彼女がまだまだ未熟な子供であるからこそ見逃してはいるが、そろそろその年齢という言い訳を使うのも難しくなる年頃。大人として認めて貰いたいのであれば、少なくとも自分の反抗期くらい自分でどうにかして来いとも思っている。まあそれも生まれた時から反抗期の様な彼女自身と、生まれてこの方一度も反抗期のなかったマドカという娘を持ったかるこその考えかもしれないが。その点ではカナディアが大変である。

 

「すまないなマドカ、だがお前とアルファのあのような姿を見ればショックも受けるだろう。あれほどの体術の出来る人間はそう居ない」

 

「……あれは私とアルファさんだからこそ成り立つものです、半分は演舞のようなものでした」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、お互いに責め続けるスタイルだからこそです。片方が待ちの姿勢を作ればあんな曲芸みたいなことは起きませんよ」

 

「……うちのむさ苦しい奴等が模擬戦で睨み合っている様なものだな」

 

「そういうことです」

 

であるならば、攻めと守りを重視する2人が打つかればどうなるかは、以前にマドカとクロノスが証明している。そもそも探索者同士の戦闘など、スキルにスフィア、それらの扱いにまで及んで影響してくるのだから、技術とステータスだけで語ることなど決して出来やしないが。そうでなければ都市最強のレンドがアルファになど負けるものか。そしてマドカ・アナスタシアがステータスに見合わぬ立ち位置に居るはずもない。

結局のところはパフォーマンス、この試練で負けたからと言ってそれが全てな訳ではない。

 

「さて……お母さん、お願いがあります」

 

「なんでも言え」

 

「リゼさん達と海岸線の確認をお願いできますか?」

 

「!……何か来るのか?」

 

「来ないといいですけどね。私の知ってるアルファさんなら、"お祭り"で"屋台"を出さないなんてことはまずありません。きっと楽しめる仕掛けを準備しているんじゃないでしょうか?」

 

「……つまりさっきのは」

 

「宣戦布告?」

 

「チッ……魔女、ここは頼んだ」

 

「ああ、任せてくれ」

 

「あ、そうだお母さん、ベインさんだけは残して下さい」

 

「……あんな腑抜けをどうするつもりだ?」

 

「騒動は多分複数箇所で起きるはずですから、そのうちの一つに当てます」

 

「……過保護だな」

 

「どうせ民間人が少ない箇所で引き起こしてくれると思いますから、それならそれで利用させて貰いましょう。アルファさんが私の思考を使ったように、私もアルファさんの思考を利用しますよ。……事が起きた時のアルファさんの居場所は、目星が付けられますので」

 

試練が始まる。



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98.英雄試練祭4

「……ということがあって、私はクランを作ることにしたんだ。まあその、あまり褒められた理由ではないのだけれど……」

 

「なるほど、本当にマドカは慕われるな」

 

「それ普通に私も初めて聞きました。なんだかその時のリゼさんの姿は容易に想像出来るのが不思議です」

 

「まあマドカの側にいる、役に立つ、ってなら果たしてんじゃないの?クラン設立の理由とかクソほどどうでもいいけど」

 

「ここ美味しいね」

 

午前中の試練が終わった後、5人は近くの店に入り昼食を取っていた。各々で注文した物は違うとは言え、これだけの混雑の中で机を一つ取る事が出来たのはひとえにスズハの機転からか。彼女が早めに昼食を取りに行くと提案してくれなければ、外に見える大混雑の中に自分達も仲間入りしていたことは間違いない。こういうところは祭りの経験のないリゼには出来なかった考え方である、仲間が居るというのはやはり強い。

 

「なんとなくだが、君達のことについて分かって来た気がする。レッドドラゴンを倒し、マドカの教え子の1人で、カナディアさんからも気に掛けられているとなれば、直ぐにでも有名になるだろう」

 

「でもリゼさんって、マドカさんの弟子って言うよりはラフォーレさんの弟子ですよね」

 

「レイナ!世の中には言って良いことと悪いことがあるんだ!!それは駄目な方だ!」

 

「ラフォーレ……ラフォーレ・アナスタシアか……リゼ、君は凄いな」

 

「いや、私としても不本意なことではあるのだけれど……」

 

「俺も以前に仲間達とダンジョン内で鉢合わせたことがあったんだが、その時は呆然として立ち尽くすことしか出来なかった。何せ苦労して倒そうとしていたキャラタクト・ホエールが1人の女性によって爆散したんだ。驚きもする」

 

「キャラタクト・ホエール?」

 

「14階層に生息している危険種だ」

 

「…………危険種」

 

「リゼさん危険種嫌いですよね、マッチョエレファントすら未だに避けますし」

 

「危険種は、なんなとなくその……筋肉で全部解決しようとする雰囲気があって苦手というか」

 

「ちなみにキャラタクト・ホエールはカイザー・サーペントよりも更に大きい。それにギルドとしても次の階層主であるブルードラゴンより明確に強いと認識している。戦う時には慎重にな」

 

「嫌だ……戦いたくない……」

 

「またラフォーレさんが連れてってくれますよ」

 

「レイナ、一緒に来てくれるかい?」

 

「……………………多分その時の私達に拒否権とかないと思うんですけど」

 

「え?まじ?」

 

「なるほどね、このクランにはそういうリスクがあったの。やばいとこ入っちゃったわね」

 

「あ、あはは……」

 

最早そんなどうにもならない事実にスズハは苦笑いをするが、まあ実際のところラフォーレ・アナスタシアに気に入られているというのは悪いことばかりではない。もちろん良いことでもないし、羨ましがる人間なんて殆ど居ないであろうが。

 

「そういえば……ベインさんはどこのクランに所属している方なんですか?話を聞く限り、かなりお強いんですよね?」

 

「………ああ、まあな」

 

「レイナ」

 

「え?」

 

「いや、いいんだ。曲がりにもこうして受け入れてくれた君達だ、話すことに抵抗はない」

 

「でもどうせ面白くない話なんでしょう?祭りの日に話すことないんじゃない?」

 

「それはそうだな、君は優しいな」

 

「気持ち悪いからやめてくれる?」

 

「や、さしい……な……?」

 

「なんか最近、スズハがエルザに見える時があるんだ……」

 

「すごく分かります」

 

とは言え、ベインが話そうとしたことは、つまりは話してもいい、むしろは話したいと思ったからこその話であろう。それを無為にするというのも違う。

リゼはベインの方へと顔を向け、その話を聞く姿勢をつくる。リゼだって最初から分かっていたことだ、ベインが何かを抱えていることなど。それを話そうという気になったということは、それくらいには信用してくれたということに間違いない。であるならば、こうして聞く以外の選択肢などあるものか。少なくともリゼはそう考える。

 

「……俺は"剣の光"というクランに入っていた。元々は故郷の道場で剣を極めた3人で立ち上げたものでな、周囲からの強力はありつつも、順調に階層更新を進めていたんだ。それこそ30階層まで3人で進んだ程にだ」

 

「30階層!?凄いな……」

 

「だが、そこまでだった」

 

「………え?」

 

「………」

 

「俺達は30階層の攻略を失敗した。つまり、負けたんだ。……俺以外の2人は、その時に死んだ」

 

「な……」

 

「……ま、そういう話よね」

 

ダンジョンという世界で生きていくのだから、当然ながらそういうことはある。そしてそれは決してリゼ達にも無縁な訳でもない。それこそリゼが地上を歩いている間にも、悲劇というのは起こっているものだ。どれだけギルドが努力しようとも、犠牲者数はゼロにはならない。僅かなミスで数人の命が奪われる、老年の探索者であってもそのミスはする。偶然に、まだリゼの周りで人間が死んでいないだけだ。……いや、正しくはリゼの周りでももう死んでいる。強化種ワイアームが出現したあの瞬間に、それを呼び出してしまった者達の中にも。

 

「挑んだ悪竜、つまりはデビルドラゴンと呼ばれる階層主に対して、俺達は万全の準備をして挑んだつもりだった。……途中までは、順調だった。手筈通りに進み、勝利は固いと、確信すらしていた」

 

「………」

 

「そこでミスが起きたんだ。……スフィアの押し間違いだ」

 

「スフィアの、押し間違い……」

 

「仲間の1人が、『回避のスフィア』と『水斬のスフィア』を押し間違えた。回避すべき攻撃を回避することが出来なかった。……致命傷を受けた、そしてもう1人の仲間がそれをカバーするために無茶をし、貫かれた」

 

「そんな……」

 

「それを前にして俺は、何も出来なかったんだ。ただ言われるがままに意識を失った仲間を背負い、言われるがままにもう1人を囮にして逃げた。……そうして帰って来たところで結局、その仲間も死んだがな」

 

「なるほど、それで引き篭もったってこと?」

 

「ああ、そんなところだ。もう半年になる」

 

「…………」

 

もし、もし仮に。

リゼがそうした状況でレイナとクリアを失ったとしたら、一体どんなことを思うだろうか。それこそベインの話を聞いている限りでは、失くしてしまった2人は同じ道場で長く鍛錬して来た相手であって、とても大切な存在であったことに間違いはないだろう。

マドカから聞いていた、スフィアの発動間違いは大きな被害をもたらすことになると。だからこそ、最初のうちは真ん中のスフィアの枠は空けておいた方がいいとも。故にリゼはそれへの対処として、左右のスフィアは秘石の角を持って使用すること、そして中央のスフィアはズボンの縫い目に沿って発動することを徹底した。それによってスフィアの発動間違いは全く起こらなくなったが、それが咄嗟の判断となればどうなるのか。そもそも、そういったことをマドカのように教えてくれる相手がいなかったらどうだったのか。……あの情報一つが、本当に生死を分けるのだ。それは確かにギルドの発行している冊子に書かれているが、誰もがそれを真面目に一文残らず読んでいる訳でもなくて。

 

「結局、俺は仲間の死を前にして何も出来なかった……言われるがままに行動して、自分では何も出来なかった。クランのリーダーを任されていながら、実際には俺が一番相応しくなったんだ。笑えて来るくらいにな」

 

「そんなことは……」

 

「そんなことはないでしょ」

 

「スズハ……」

 

「別にリーダーじゃなくても結果は変わんなかったんじゃない?」

 

「スズハ……!」

 

「そもそも話聞く限り、別に落ち度はないでしょ。仲間が死にかけて冷静に指示出せる人間の方がよっぽど少ないでしょ」

 

「……だとしても」

 

「クリア、どう思う?」

 

「え?う〜ん……スフィアの押し間違いが一番悪いと思う」

 

「……それは」

 

「死んだ人間に責任を押し付けたくないのは分かるけど、事実は事実として受け入れるべきだと思う。そうしないと、相手にも失礼」

 

「………」

 

「割と容赦ないですよね、クリアさん」

 

「それがこの子のいいところよ」

 

であるならば、であったとしても、半年もあれば果たしてベインの心は回復し得るのかと。少なくともここに、この祭りに出てきたというのは、何かしらキッカケがあったからというのは間違いない。

 

「……またマドカ・アナスタシア?」

 

「え?何がだい?」

 

「こうやって外に出てきた理由よ」

 

「え?あ、なるほど……」

 

「ああ、君の想像通りだ。俺がこうして引き篭もってしまった後も、何人かの同業者達が訪ねてくれた。彼女もその1人だ。……定期的に食料を持って来てくれたんだ、だから俺はマドカには頭が上がらない」

 

「それで今日、無理矢理連れ出されたと」

 

「そういうことだ」

 

「……リゼ、あんたやっぱり押し付けられたんじゃないの?」

 

「俺も今はそう思う」

 

「え?」

 

「マドカさんはリゼさんの人柄を信用してるってことですよ」

 

「え?そ、そうかな……!」

 

「うれしそう」

 

「そりゃ嬉しいでしょ」

 

「くく、そうなんだろうな」

 

きっと、マドカがリゼのことを気に入っているであろうことは、ベインも同意するところだ。なぜなら現状、こうして出会って数時間のベインが自分の身のうちを打ち明けたくらいには信用出来ると確信出来た。それはリゼだけではなく、リゼが作り出した周囲の人間関係や雰囲気もまたそうだ。

‥‥そして何より好ましいのは、こうしてベインの重い話の後にも、引き摺ることなく変に気遣うようなことをしてはくれないこと。むしろ問答無用でビシバシ言われた。それは決してリゼの本意ではなかったとしても、物事を解決する姿勢が整ったパーティが出来ているとも言える。

 

ならば自分がこの話をしたことは決して間違ったことではないだろう。少なくともこういう人間が世の中には存在していて、こういう失敗が世界には確実にあって、自分達にも決して無縁なものではないと、そう知って欲しかった。それを糧にして欲しかった。ベインがこれを話したのは決して同情が欲しかったからではない、気に入った彼等というパーティを守りたかったからだ。それが本当に彼等にとって有益になるかどうかは、他と比べて賢いわけではないベインにはとても分かりはしないが。

 

「ほんと、何処に行っても、何をやっても、あいつは関わってるわね」

 

「マドカさんって、何年くらい探索者として活動してるんですかね」

 

「ああ、確か5年くらい前のはずだ」

 

「でも確かマドカは半年くらい行方不明になってるから……実質的な活動期間は4年半くらいだろうか」

 

「ちなみに3年前の邪龍候補討伐戦に彼女は最前線で参加している」

 

「頭おかしいんか、あいつ」

 

「スズハ、口調乱れてる」

 

「便利なスキルを持っているからな」

 

「スキルならリゼさんだって凄いんですから!」

 

「うん、レイナ?別に競っている訳ではないんだよ?」

 

なんだか変なところに飛び火して来た炎を、リゼは優しく嗜める。相変わらずマドカが苦手そうなスズハのことはさておき、まあ確かにスキルというのはリゼもおもしろいと思っているところ。

 

「リゼのスキルってなに?」

 

「ああ、一時的に意識と思考を高速化して、認識能力を強化するスキルだよ」

 

「ええと、どういう意味だろう?」

 

「うん、使うと自分以外の世界がゆっくりと見えるようになるという感じかな。元々の眼もいいからね、『視力強化のスキル』と併用すると見えないものはなにもない!……と私は思っているよ」

 

「……あんたそんなに目ばっかり強化して楽しい?」

 

「いや、楽しみでやってる訳では……」

 

「なんか毛穴まで見られてる気がして落ちつかないわ、こっち見ないでくれる?」

 

「私だって泣くときは泣くんだぞ!」

 

実際スキルとスフィアを併用している最中には見えていることは言わないでおいた。というかその気になればもっと色んなものが見えていたりするのだが、それを言葉にするほどリゼもデリカシーがない訳ではない。

 

 

 

 

 

「………」

 

昼食を食べた後、リゼは再びマドカの試練の場に戻って来ていた。午前中にはリゼの番はやって来ず、あの後はただブローディア姉妹の戦闘の様子を見ていた。

見ていた限りでは特段それほど強いという印象があった訳でもなく、確かに技法やなんかは優れているが、マドカを見た時のような驚きは無かった。正直、噂ほどの印象がなかったのは気掛かりではあったのだが、確かに途中であった2対2の戦闘では圧倒的であったりもした。果たしてそういう意味であったのか、そうでもないのか。

 

「リゼ、わかってるわよね」

 

「え?あ、ああ、一応……」

 

「……仕掛けて来るなら午後って、本当なんですか?スズハさん」

 

「性格と目的的にはそうなんじゃない?やって来なければそれでいいでしょ、警戒するだけならタダよ」

 

「私、実は閉会式の際に配信の方で司会をやることになっているんだ……原稿を読むだけの仕事とは言え、何事もないといいのだけれど」

 

「リゼさんも大変ですね……」

 

「眠い……」

 

「ク、クリア、こんなところで寝てどうするんだ」

 

昼食も共にし、いつの間にかクリアの世話薬までさせられているベイン。

しかし確かに今日のマドカとアルファの会話を聞く限りでは、あの男の性格的にこの祭りの機会を逃すようには見えないというのはリゼも同意するところ。出来ればそれは今日のリゼの番が終わってからにして欲しくはあるのだが、そこはもうスズハの言う通りに祈るしかなくて。

 

「おい、愚図共」

 

「え?」

 

「行くぞ」

 

「え?…………え?」

 

「あ……」

 

レイナが察する。

ベインが固まる。

クリアが眠そうにしながら着いてくる。

スズハは目を背けてそそくさと逃げようとしたところを、レイナによって掴まれた。

そして肝心のリゼは、何が起きたか分からずに、何をされているのか分からずに、ただただ首根っこを掴まれて引き摺られていく。マドカの居る場所とは、正反対の方向に。

 

「な、な、な……なんで……」

 

「いいから着いて来い。そこの腑抜け男は要らん、他は全員だ。拒否した者から殴り飛ばす」

 

「さ、スズハさんも行きますよ」

 

「嫌過ぎる……」

 

「ど、どうして。どうしてラフォーレが……」

 

「文句でもあるのか?」

 

「せ、せっかく私の出番が次の次まで来ていたのに……これだけのためにお昼までずっとワクワクしながら待ってたのに!!」

 

「どうせ負けるのにやる必要があるのか?」

 

「それは分かっていたけれども!だとしても!!これだけを楽しみに私は最近ずっと頑張って……!!」

 

「行くぞ」

 

「うわぁぁぁあああ!!マドカぁぁぁあああ!!」

 

「哀れ過ぎる……」

 

「私もマドカさんと戦いたかったです」

 

「別に頼めばやってくれるんじゃない?」

 

「寝れるかな……?」

 

「それは無理でしょ」

 

今日も今日とて、リゼはマドカではなくラフォーレに連れて行かれるのであった。



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99.英雄試練祭5

「え?今から海岸線にですか?」

 

「ええ、行って貰えますか?」

 

「そりゃマドカさんに言われたら行くけど……いいよね、ステラ」

 

「うん……分かった」

 

休息終わりの交代として、戻って来た2人にリゼ達を追うように指示を出してマドカは見送る。そんな彼女を後ろから見守るのはカナディアだ。彼女はそんなマドカの姿に特に何かを思うこともなく、ただ街の地図を取り出して何かを書き込み続けている。それが彼女に与えられた役割だ。彼女もまた必死にその役割をこなしている。

 

「マドカ、出来上がった。多少抜けている箇所はあるかもしれないが……これでいいか?」

 

「ありがとうございます、カナディアさん。十分な出来です。事が起き次第、これを元に移動します」

 

「やれやれ、あのアルファというやつも意外とこんな風にしてお前に対する策を練っていたのかもしれないな」

 

「さあ、そこまでは分かりません。ですが一度はしてやられましたから。……今回はアルファさんに対しての嫌がらせをします。仕掛けられた策を今から取り除くことは難しいですが、思い通りにさせない程度のことは出来るんですよ」

 

「………」

 

この子のこういう茶目っ気というか、悪戯性というか、見ている分には本当に可愛らしい。けれどきっと、その内はとてもではないが悪戯で済ませられるものではないのではないとも思ってしまう。

カナディアはマドカのことを知っている、それこそこの都市で2番目にはよく知っていると自負している。だからこそ、彼女は決して敵にしてはいけない相手であると知っている。それは策士であるとか、やり方がエゲツないとか、そういう意味ではなくて……

 

「……お前なら、あの男に勝てるのか?」

 

「種さえ分かれば誰にでも勝てますよ、あとはどれだけスフィアを知っているかです。知らないスフィアには対抗出来ませんからね」

 

「罪のスキルについてはどうなんだ?」

 

「考えるだけ無駄です」

 

「?」

 

「カナディアさんも知っての通り、あれは裏返ったら終わりですから。適切な対処法なんてありません、裏返ったら即撤退です」

 

「……お前も、出来るのだろう?」

 

「出来ませんよ」

 

「え?」

 

「私は裏返せませんよ、幸いにも」

 

「幸い……?」

 

その言葉の真意を聞くことは出来なかった。

 

 

 

 

――――――――――――!!!!!!!

 

 

「っ!?」

 

それは直後に都市が揺れたから。

テントの外から聞こえて来た轟音、振動、そして悲鳴。予想出来ていたことではあるけれど、分かっていたことではあるけれど、ここまでの衝撃となるとカナディアも眉を顰める。やはり少しの小競り合い程度で収まることはないようだ。そしてこの感じでは先程向かわせたブローディア姉妹がリゼ達の元へと着くのは少し時間が掛かりそうではあるが、もうそちらのことはを心配していられる余裕もない。

慌てて立ち上がったカナディアに、マドカもまた頷く。

 

 

『モ、モンスターだぁぁあ!?』

 

『何処から湧いて来やがったこいつら!?』

 

『探索者は!?探索者は何処だ!?』

 

 

 

「……ではカナディアさん、この辺りのことはお願いします。予想ですがダンジョンの方でも同時に、より大きな事が起きていると思います。恐らく今日までの強化種騒動は、このための布石というか、使い所としてはここになってくると思うので」

 

「アタラクシアとレンドの足止めか……分かった、街の統制を取りつつ適度に戦力を管理しよう。あまり無茶をするなよ」

 

「ええ。捕縛するのは無理だと思いますが、奥の手の1つくらいは看破して来ます。……他の方が行くのであればまだしも、私が行ったところでアルファさんは何も面白くないでしょうからね」

 

「やれやれ……」

 

さて、その嫌がらせが何処まで意味を持っているのか。カナディアはそれを期待するだけして、マドカの後ろ姿を見送った。自分もここから観客達の避難誘導をしつつ、都市中に散らばる探索者達の指揮を取らなければならない。マドカの言う通り、どうせレンドもアタラクシアも何らかの方策で足止めを食らっているのだろうから。それこそ最初の地響きは、そこから来たものであるのだろうから。

 

「………アゼリア!!!」

 

「はいは〜い♪何か用ですか〜、カナディア様〜♪」

 

「見ての通りだ……が、お前には別の線で動いて貰う」

 

「はにゃ?」

 

「召喚のスフィアを3つ使って都市内のモンスターを排除し、特に避難誘導を優先しろ」

 

「なんか割と普通な指示じゃな〜い?」

 

「いや、可能な限り派手にやれ。今回の件でオルテミスの評判を落とす訳にはいかない、お前の力を観客共に見せ付けてやれ」

 

「なるほどなるほど〜?そういうことなら了解で〜す♪龍をぶっ殺せないのは残念だけど〜、暴れちゃうからね〜♪」

 

「なるべく被害は出すなよ、逆効果になる」

 

何も守ればいいのは人や物だけではない。戦うのであれば完全勝利。カナディアが同じ"龍殺団"のアゼリア・ボードウィンという猫獣人の探索者に指示したのは、そのための布石。

 

「さて、地上に残っていた探索者の中に何人戦える奴が居るか……ここが私の腕の見せ所だな」

 

どうせ大半の上級探索者はレンドとアタラクシア目当てに地下に居て、使えそうな中級探索者はマドカの指示のもと海岸線に駆り出されているのだから。残った探索者がどれだけ居て、そんな彼等をどこまで上手く配置出来るのか。それすら試されているようで気に食わないが、やるしかないのならやってみせよう。それをやって来た結果の今があるのだから。

 

 

 

 

 

 

時は戻って30分ほど前。

リゼ達一向は暗い雰囲気で、主にリゼが泣きそうな顔でラフォーレと共に街の外を歩いていた。この祭りの日に祭からどんどんと離れていく、この事実だけで心が辛い。しかも装備はフル装備、こんなもの何か変なことに巻き込まれるのだろうと、誰であっても想像することが出来るというもの。

 

「あの、わたしは本当に戦闘も何も出来ないんだけど……」

 

「だからなんだ?」

 

「……え、これ死にに行かされてる?」

 

「私はマドカほど甘くはない。戦闘が出来ないからといって一度も戦場を見たことがないなどと、そのような愚図を許すことはない」

 

「………」

 

「絶望しろ、恐怖しろ、その身で味わえ。そうして始めてお前は隣に立てる」

 

「ラ、ラフォーレ。私達は別にそんな……」

 

「貴様等の思いなど糞ほどどうでもいい、重要なのはその女が許せるかどうかだ。安全圏から責任感のないゴミ指示を飛ばした挙句に、失敗して仲間を殺した時の己の姿をな」

 

「………」

 

あいも変わらず酷いことを言いながらも、割とためになる助言をくれる彼女に、リゼは複雑な表情で口を閉じる。

 

「最悪、3時間後にはお前達の誰かは死んでいる」

 

「「!?」」

 

「そ、そんな奴を相手にすんの!?どうして!?」

 

「知らん、全体像を把握しているのはアルファと精々マドカだけだ。我々はあいつらがしている盤上遊戯の駒に過ぎん」

 

「そんなふざけた話……!!」

 

「そもそも前提は盤上遊戯すら成立していなかった。それをマドカが無理矢理にここまで引き上げている、何を文句言うことがある?」

 

「っ!」

 

「せいぜい有能な駒として機能しろ、そしてなるべく長く生き残れ。恐らく増援の準備はあるだろうが、敵の詳細まではマドカとて分からん。そもそも海岸線に出現するというのもマドカの想像だ、騙し合いで負けたのならここには何も現れん」

 

だとするのなら、ここには何かが現れるのだろう。

リゼはひとつ息を大きく吐き、意識の切り替えを行う。マドカが言ったのであれば、きっと間違いない。リゼの中では彼女の言葉とはそれほどに強い意味を持ち、そんなリゼの姿を見て同じようにレイナも意識を切り替えた。クリアはいつも通りではあるが、しっかりとレイナから防具を受け取り杖も取り出したし、ラフォーレはそもそも既にその辺りの準備を終えていた。…‥未だ切り替えが出来ていないのは、こういうことに慣れていないスズハだけ。しかしそれを責めることは出来やしない。ああは言ったものの、スズハを一緒に連れて行くことにはリゼだって納得してはいない。せめて少し離れた場所から見ているだけ、普通はそれで十分だろう。

 

「仕方ない……クリア、スズハを守ってあげて欲しい。防御手段を持っているのは君だけなんだ」

 

「うん、いいよ。頑張る」

 

「……悪いわね」

 

「おい愚図、お前に確か【炎弾のスフィア】を渡したな?」

 

「え?あ、ああ、一応ここにあるけれど……」

 

「それをそこの女に渡せ、それと私からもひとつ貸してやる。杖はあるか?」

 

「いや、まだ無いけど……」

 

「ならばこれも貸してやる」

 

「ど、どうも……」

 

それこそ無属性の【生存のスフィア】しか持っていないスズハの元に、リゼからは【炎弾のスフィア】が、そしてラフォーレから不明な無属性のスフィアと、彼女の予備の小杖が一本手渡される。

自分の武器やスフィアを貸し渡すと言うその行為に意外な顔をしたスズハであるが、そろそろラフォーレのことが分かってきたリゼにとっては特段驚くことではない。もしこの後に及んでも嫌だ嫌だと逃げたり騒いだりしていれば容赦していなかっただろうが、スズハは不安気にしながらも言われたことを自分なりに納得して、足を遅めることもなく着いてきていた。きっとそういうところが気に入られたのだろう。

 

「それ、何のスフィアなんですか……?」

 

「【指揮のスフィア☆3】だ、使用すると味方と認識している対象全体の攻撃力を上げる」

 

「な、そんな便利なスフィアが!?」

 

「最近の相場であれば1つ300万Lを超える」

 

「「「ぶふっ!?」」」

 

「……汚いな貴様等」

 

「さ、さんびゃくまん!?」

 

「価値としてはかなり下がった方だがな、未だ希少なスフィア故に容易に市場には出回らん。無くすなよ」

 

「は、はい……」

 

マドカ然り、ラフォーレ然り、珍しいスフィアを持っていることは理解出来るが、そのスフィアに重きを置き過ぎていないことは良く似ている。スフィアは確かに珍しく、便利で、高価な物ではあるが、彼等にとってはそれほど重要な物ではないのだろう。無いと困るが、無ければ他の手段を取る。固執していないから他者に貸し出したり提供することに抵抗は少なく、有効的に活用出来る。

その点、リゼはまだそこまでの境地にはない。レイナやクリア、スズハに貸し出すことは出来るが、これが関わりの少ない相手となると難しい。そりゃマドカだって見ず知らずの相手に貸し出すことはしないだろうが、そもそもリゼはスフィアに固執している意識がある。元々スフィアに憧れがあった人間だ、それは仕方がない。妙なコレクション意識も芽生えて来ていることもまた原因だ。……もちろん、それが悪いことだとは誰も言うことはないだろうが。最低限、仲間内で貸し借り出来ればラフォーレだって何も言うまい。

 

海岸線が見えて来る。

今のところは特段なにか異変はない。

いつも通りの波風に、変わらない砂浜。そもそも街の左右にかけて砂浜は広がっているのだから、リゼたちが辿り着いたここに正に事が起きるという訳ではないはずだ。そう考えると街の高台から海岸線を見張り、何かが起きてから走った方が良かったのではないかとも思ってしまうが、リゼは直ぐにその考えを捨てる。

 

「ラフォーレ」

 

「なんだ」

 

「あのアルファという男、何者かと予想ついていたりはしていないだろうか」

 

「………なぜそれを私に聞く」

 

「……その、これでも私は貴女のことを信用しているんだ。経験とか思考とか、今は全く追い付けないけれど、目標にはしている」

 

「ほう?お前はてっきりマドカを目標としていると思っていたがな」

 

「そ、それは変わっていない。……けど、色々と付き合ってみて分かったんだ。貴女の思考は合理的で建設的で納得が出来るものだと。最初はとんでもないことに聞こえても、色々と知るにつれて、それが納得出来る理由の元に生まれたものだと理解出来た。……だから私は、貴女の意見を聞きたいんだ」

 

「……ふっ、ひよっこが一丁前なことを言うようになったな。阿呆なりに頭は回していたということか」

 

「むっ、私だって色々と考えているんだ。ちゃんと貴女のことも尊敬している」

 

「なるほどな」

 

正直言って、マドカの思考について真似をするのはリゼは絶対に無理だと思ってしまっている。それはレッドドラゴン討伐の講義の時に、より顕著になった。リゼが単独であれほどまで徹底的にレッドドラゴンを追い詰める策を作るには、あと何十年か後になっても同じ物の考え方が身に付いているとは思えなくて。現実的ではないし、道筋も分からない。

しかし一方でラフォーレの考え方はとても分かりやすく、そして身近なものだった。探索者としてはとても優秀な存在ではあるのに、リゼとしても十分に努力次第で追い付けそうな範囲であり、何より簡潔だ。例えば7階層〜9階層を進むために森の中央を爆破していくという方法も、最初はとんでもないと思っていたが、何度も踏破した今では間違いなくそれが効率の良い方法だと納得して結論付けている。もし炎弾が十分に使える環境があれば、リゼは迷いなくそれを使うだろう。

リゼはラフォーレの思考を理解出来る。

つまりはそういうことだ。

そもそもの思考が何処か似通っているのだ。

彼女の考え方こそが自分の完成形であると、そう思えてしまうくらいには。

 

「……こっちに来い」

 

「あ、ああ」

 

リゼを3人から引き離して、ラフォーレは腕を組む。他の誰にも話せない話なのか、リゼに対してだからこそ話してくれるのか。そこも大事なことではあるが、だからこそ、これから話される事も非常に重要な事であると分かる。それを本当に聞いていいのかと、迷う様子を見せでもすればラフォーレは殴って来るだろう。ここまで来たらリゼにはもう覚悟を決める意外に他にない、この件に首を突っ込むという覚悟も同時に。

 

「恐らく、奴は龍神教から抜けて来た大聖人と呼ばれているゴミ共の1人だ」

 

「大聖人……」

 

「罪のスキルという特殊なスキルを持つ奴等の集まりだ。奴がそれを持っていることは既に確認している、問題は恐らく奴が龍神教から自分の意思で抜けているという点だ」

 

「それに何か問題が……?」

 

「以前の龍神教による襲撃、あれの目的を思い出せ」

 

「目的?……あ、確かマドカを狙ったとかエルザが言っていたような」

 

「マドカは罪のスキルを持っている」

 

「な!?……え!?そ、そうだったのか!?」

 

「ああ、他言無用にしろ。他者に話せばお前の首を刎ねる」

 

「そ、それは分かったが……」

 

これを伝えることが、果たしてどれだけのラフォーレからの信用に基づくものなのか。知らないのが当人だけであるのだから報われないが、構わずラフォーレは言葉を続ける。

 

「つまりは、奴等は罪のスキルを持っている人間を集めようとしていると考えられる。それが何の目的のためかは分からないが、普通に考えろ。そんな奴等がせっかく集めた罪のスキル持ちを容易く手放すと思うか?」

 

「………!大聖人達はアルファも探している!?」

 

「その可能性は高い。…‥そうでなくとも、既に奴等は2度この街に襲撃を仕掛けている。1度目はマドカを私が龍神教の施設から連れ出した時、2度目はお前も居たな」

 

「罪のスキルを探し出すためなら、手段を選ばないということか……それこそオルテミスの全探索者を敵に回しても構わないというくらいに」

 

「そうだ。そしてマドカだけではなく、アルファもまた龍神教の起爆剤になり得るということでもある。そして奴の場合は、それすらも自身の目的の為に利用して来る可能性が高い」

 

「!まさか今回の件には龍神教も絡んで……!!」

 

「さあな、そこまでは知らん。だが今回絡んでいなくとも、何れは絡んで来ると考えていいだろう。そういう見方をすれば、奴にとって探索者共に対して与える試練というのは、まだまだ弾が残っているということになる。……さっさと捕まえなければ、より面倒なことになるだろうな」

 

「こ、ここにアルファが現れる可能性は!?」

 

「恐らくない、少なくともマドカの予想ではな。ここに居る面子を見ろ、誰があの男に勝てる?私とてマドカほど近接戦闘は出来んぞ」

 

「な、なるほど……」

 

アルファと龍神教の関係性、そして龍神教の脅威。龍神教の恐ろしさについては、リゼもその片鱗程度ではあるが味わった。あの今思い出しても恐ろしく感じる異形の怪物達、あんなものを使役している集団。そんなものがまともである筈がない。恐らくこの街の探索者の大半が思っていることだろう、出来れば龍神教と対立などはしたくないと。しかし自分達が探索者であり、彼等が龍神教である限り、その対立は切っても切り離せないものでもあるのだ。そこに罪のスキルという要素が加わってしまえば、間に生じる溝は決定的で。

 

「……さて愚図、貴様に一つ問題を出してやる」

 

「え?も、問題?」

 

「これから我々が対処するであろう敵について考察しろ、ヒントは先程までの会話の中に残した」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!?そんなの分かる訳が……!」

 

「制限時間は1分だ、やれ」

 

「うぇ、うぇええ!?」

 

あいも変わらず始まるラフォーレからの無茶振り。わざわざ彼女がそれを大声で良い、直後に少し離れた場所に待機していたレイナ達も呼び戻したことを考えるに、ここから先は彼女達が聞いても良い話ということだろう。というかまあ、単純にこれからの敵の話なのだから、むしろ居てくれなければ困るくらいのものであるが。いやそれにしても……

 

(か、考えろ……考えろ……さっきまでの話の中にヒントがあるとラフォーレは言った。これから戦う相手の特徴。普通に考えれば海岸線なのだから、こう海系のモンスターが妥当ではあるが)

 

海岸沿いには林もあるが、正直そこに何かが隠れているようにはリゼの眼で見ても思えなかった。だとすればやはり海に関係して来るのかとも思うが、そこでリゼは思い出す。

 

(ま、待てよ?そう言えば"龍の飛翔"の時には毎回この海岸線の何処かから龍種が生まれるとマドカが言っていた。つまりはここから龍が出て来るのではないか?……いや、しかしそんなことまでアルファに操作出来るのだろうか?未だにオルテミスでもよく分かっていない現象なのに)

 

単純な想像で選択肢をいくつかに纏めることは出来た。しかしどの選択肢も根拠に乏しい。あまり明確な答えというものが浮かんで来ない。

 

(いや、ここまでは誰でも考え付くことだ。ようはここから、ここから先の推理に、恐らくラフォーレの言っていたヒントが関係するのではないだろうか)

 

先程までのラフォーレとの会話、その中でも何かしら関係しそうな会話というのは精々……リゼが質問した、この場にアルファは現れるのか?という質問くらい。それに対してラフォーレはあり得ないと言い切った。理由としては"マドカが明らかにアルファには勝てそうにない人間をここに向かわせたから"。

 

……であるならば、ここに居るメンバーはどういう共通点を持つ?どういう相手なら勝つことが出来る?つまりは、どういう理由で集められた?

 

「………!!!」

 

そんなこと、少し考えれば分かる。

何故なら自分で集めた仲間達なのだから。

自分の大切なクランのメンバーなのだから。

 

このクランに所属している者達が最も得意としている戦闘、そんなものは大型相手に他にない。得意としているというか、大型相手にも十分に効果を発揮する力を持った者達ばかりが集まっている。

リゼの"大銃"、レイナの"雷散月華"、クリアの"水弾"、そしてラフォーレの"炎弾"。

 

「大型の龍種、またはモンスター……マドカが予想出来たのはそこまで。ただ、そのためにどんな属性に対しても対抗出来るように私達とラフォーレを組ませた。スズハを無理矢理にでも組み込んだのは、未知の相手に対する早期の解析のため」

 

「ふむ、70点だな。まあ合格点か。……もう一つ重要なのは、お前達の戦闘は遠距離攻撃が多く、酷く目立つという点だ。当然私もな」

 

「目立つ……?」

 

「オルテミスの高台には魔法砲が設置してあるのは知っているな?」

 

「あ、そうか……狙撃……」

 

「そうだ。ある程度離れた位置に出現したとしても、派手な攻撃をメインに中長距離でやりあっているだけで、狙撃手にとってはかなり楽になる。援護射撃というのは単純な戦況だけでなく、精神的にも意味のあるものだからな」

 

「そもそも街から離れた位置に出現したのなら、そこまで焦ることでもないと……」

 

「そういうことだ、魔法砲の有効射程範囲まで引き込んでからでなければ戦う意味もない。……まあ敵にも狙撃手段があればどうにもならんがな、その時はお前が気張れ」

 

「そ、そんな……」

 

そう言いながらもラフォーレの口元が若干嬉しそうに上がっていたのを見たのはレイナだけで。やっぱりリゼは少しずつ彼女に認められて来ているのだなと、本人には言わないがレイナは嬉しく思った。それと同時にやっぱりお前はラフォーレ・アナスタシアの弟子なのではないかと全員が思っていたが、それもまたいつものことのように黙って飲み込む。これもそろそろ慣れて来たルーティンだった。

 

 

 

 

ーーーーーッッ!!!

 

 

「っ、この音は!?」

 

「海洋からか!!」

 

「なっ、都市の方からも揺れが!?」

 

「来るぞ!全員戦闘態勢を取れ!!」

 

試練が始まる。



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100.英雄試練祭6

想像していたのは、例えば海底から巨大な龍種が出現するとか、大量のモンスターが陸に上がって来るとか。そんな様子。

先程までの話的に恐らく前者が正しいのだろうと身構え、二丁銃をしまって代わりに大銃を構えていたのだが、しかしリゼのその良過ぎる目に最初に映ったのは意外にも龍でもモンスターでもなく人間だった。

全身黒で着込んだ男かも女かも分からない人物が、尋常ではない速さで船を動かしこちらに向かって来ている。それだけを見れば単に祭で浮かれているのか何かかと思ったのだが、リゼが固まっていたのは実際それだけではなかったから。

一直線にこちらに向かって来る船の背後には明らかに異様に膨らみ、迫って来ている巨大な波の姿。しかもその中には黒い巨体も映り込んでいて、それこそが今回の標的であり、先程から海洋全体に響くのではないかと思うほどに凄まじい怨嗟の声を出している者の正体であると、誰もが理解する。

 

「チッ、面倒な!!」

 

「なっ!?そんないきなり!!」

 

ラフォーレが巨大な炎弾を空中に出現させ、リゼの静止など聞く価値もないと切り捨てて、問答無用で撃ち放つ。標的は当然ながら船とそれに乗っている人物であり、直撃すれば中位の探索者でも大怪我は免れないと思えるほどに凄まじい威力と速度を伴った一撃だった。

 

ーーーー!!

 

「なっ!?」

 

しかし船に乗っていたその人物は、直撃しかけた巨大な炎弾を何らかの手段によって蹴り返した。本来ならば接触した瞬間に爆発を引き起こすそれが何故か起爆することがなかった。……魔法の反射、そんなものがあるとはリゼは聞いたこともない。しかし現実的にそれは起きているし、反射された炎弾はこちらに迫って来ている。

 

「ク、クリア!!」

 

「うん、任せて。【水……」

 

「馬鹿正直に迎え撃つな!!全員さっさと退避しろ!!」

 

「え!?わ、分かった……!!」

 

リゼはスズハを担いで、レイナはクリアを担いで、ラフォーレが走っていく後を追っていく。実際のところ反射された炎弾などに構っていられる余裕はなく、船に乗った黒衣の男を追うようにして凄まじい高さの波と共にそれは迫って来ているのだ。海岸に隣接した林の中に逃げ込み、なるべく強靭な木を見つけなければならない。そうでもなければ、戦う以前に飲み込まれる。

 

「クリアスター!!最大威力の水弾をここに置け!!タイミングを見計らって波と相殺しろ!!出来るな!?」

 

「おけ、任せて」

 

「相殺した後は水壁を引け!リゼは視覚強化をしてあの男の動向を把握しろ!絶対に見失うな!スズハはとにかく炎弾を波目掛けて射出しろ!波にさえ当たれば問題ない!難しいことは考えるな!レイナはそのまま待機!スズハの魔法の補助をしながらリゼと情報を共有してあの男の対処に備えろ!!」

 

「「「「は、はい!!」」」」

 

ラフォーレの指示のもと、各々が自分のすべきことをしながら林の中へと突っ込んでいく。山育ちで鍛えた木登り技術は本当にリゼをよく助けてくれる。6階層以降で高速戦闘を練習していた甲斐もあって、レイナもスズハを抱えながらスルスルと木を登っていた。これは意外かどうかは意見が分かれるところではあるが、ラフォーレもまた、なんならリゼよりスムーズに木を登っていた。

 

「【視覚強化】」

 

リゼは視覚強化のスフィアを使い、例の船に乗っていた男に目を合わせる。男は陸に座礁した船を既に降りており、寸前まで迫った背後の波にも特に反応を示すことなく、衣嚢に手を突っ込みながらゆったりとこちらに目掛けて歩いて来ていた。そこには焦りや混乱といったものは微塵も存在していなくて、彼はただ一度、波を纏った何かが直撃するその瞬間にスフィアを一つ発動させた。

 

「来るぞ!!【炎弾】解放!!」

 

「【水弾】解放」

 

「え、えっと、これ押せばいいのよね!?」

 

「そうです、そのまま杖を向けて前に弾を発射するイメージを作って下さい。ラフォーレさん達みたいにスフィア名を言葉にしながら発射するとやり易いですよ。とにかく可能な限り撃ちまくって下さい」

 

「わ、分かったわ。え、【炎弾】!!」

 

男が波に飲み込まれた直後、やはり予想通りに凄まじい大きさの波がこちら目掛けて襲い掛かって来た。事前に指示があった通りに用意していたクリアとラフォーレの各3つの巨大な水弾と炎弾が、交互になるような綺麗な隊列を組んでそれに対抗する。圧倒的な質量に対して、威力に任せた一点突破で対抗する。

レイナに使い方を教わりながらも、レベル1にしては十分な威力の炎弾を放ち続けるスズハ。そんなスズハとは比べ物にならない小型の隕石のような凄まじい炎弾を、秘石に付けた3つの炎弾のスフィアを使って乱射し続けるラフォーレ。最後にクリアが水壁のスフィアを使用したことで、ようやく5人はその大津波から身を守ることが出来た。そこまでやらなければ、あの波に飲まれていた。そこまでして波に飲まれることを拒んだ理由としては、やはりリゼ達のパーティの基礎の足りなさが理由になる。そもそも彼等はまだ11階層以降の水没地帯をまともに探索したこともないのだ、水辺での戦闘には慣れていない。故にラフォーレは確実に散らばることのないように、この策を選んだのだろう。

 

「よくやった」

 

クリアが水壁越しに周囲の様子を見る。

一帯の木々は薙ぎ倒され、徐々に引き始めているとは言え周囲は水浸し。しかもそれだけでなく、1番の問題は……

 

「………なんなんだ、あの大きさは」

 

海岸に乗り上げ、その大きな身体を巻く凄まじい威圧感と雰囲気を持つ一体の竜。頭部からは赤白い髭の様な鰓を大量に生やしており、一般的な龍種とは異なり、鱗と呼べるものが存在しない。真っ黒な全身は鋼の筋肉とも言うべきか、強靭で引き締まった肉体が脈動しており、目にするだけでも身体が震えるような巨大で鋭い歯と爪は、あまりにも死という言葉を体現している。

 

「………レイン・クロイン」

 

「レイン、クロイン……?」

 

怒り故なのか真っ白に染まった鋭い両眼に貫かれながら、リゼはラフォーレの言葉に反応する。正直リゼの身体は恐怖で震えている。これは強化種と相対した時と同じ感覚だ。その身体は強化種ワイアームより少し大きいが、この明らかに普通の階層主とは異なる明確な殺意とも言うべき物。これだけはいつまで経っても慣れることはない。慣れることが出来ない。

 

「世界の南端たるこの『無限の海』において伝説とも呼ばれる海竜の名だ。龍種や邪龍という括りではなく、世界の4端に住み着く王たるモンスターの一角だと定義されている」

 

「そ、そんなモンスターが居るのか……!」

 

「か、勝てるんですか?これってその、私達だけで何とかなる相手では……」

 

「安心しろ、恐らく相手は成体ではない。過去に確認された個体はオルテミスが作り上げた全長200mの探索船を頭部だけで沈めている。……少なくともコイツは邪龍や邪龍候補ほどどうにもならない相手ではない」

 

「……おかしいでしょ、この世界」

 

こんな生物が平気で存在していることにも、成体ではないとは言えそんな生物を相手にしようとしている探索者という者達も。異世界から来たスズハとしては信じられない。元の世界ではここまで頭のおかしい生物は居なかったし、仮に居たとしても歩兵がどうにかしようなどとは絶対に考えない。軍や戦艦を持って来て、きっとそういう対処をするだろう。

けれど彼等は実際にその邪龍を一体討伐しているし、邪龍候補も被害を抑えて討伐に成功している。そうやって解決して来た実績があるのだ。本当に意味が分からない。

 

「リゼ、あの男は何処に行った?」

 

「波に飲まれて、その後は一切見当たらなくなってしまった。ただ波に飲まれる直前に無属性のスフィアを発動していた、巻き込まれて命を落としたというのは考え難い」

 

「……なるほど、本当にこいつをここに連れて来るだけの役割だったということだ。レイン・クロインも見失っている、その怒りの矛先まで擦りつけられたと言ったところか」

 

「なんて迷惑な……」

 

であるならば、腹を括るしかないだろう。

というより、元よりそれ以外の選択肢などない。

ここまでの力を持ったモンスターを放置しておくなど出来るはずもない。そもそも海竜でありながら地上でも活動が可能な存在なのだから、怒りのままに人間の居るオルテミスに追い討ちをかけに行く可能性は十分に考えられるし、やはりここで討伐するしかないだろう。討伐は出来なくとも、足止めくらいは。

 

「レイナ、私と来い。近距離〜中距離で奴の注意を引く。基本的には回避に徹し、ダメージは後方に任せろ」

 

「わ、分かりました」

 

「リゼ、貴様は狙撃に徹しろ。ただし常に移動し続け、貴様の存在を敵に意識させ続けろ。意識を割かせながら着実にダメージを与えろ」

 

「分かった、任せて欲しい」

 

「クリア、スズハ、お前達は支援と分析だ。成体ではなくとも基本的には格上だ、どんな手を使ってでも勝てればいい。……以前のマドカの講義を覚えているな?」

 

「……あれと同じことを戦闘中にってのは現実的じゃないと思うんだけど」

 

「現実的だろうが非現実的だろうがやれ。分かっているか?オルテミスの壁上に兵士が居ない、つまりは既に街の中でも事が起きているということだ。魔法砲による援護射撃どころか、このままでは増援が来るかどうかも怪しい。下手に足止めをするより多少の危険を犯しても処理をする方が可能性はある」

 

「………」

 

「出来るな?」

 

「………やってみるわ」

 

「それでいい」

 

強引で、無理矢理で、ほとんど強制。無理矢理に責任と役割を押し付けられ、きっと出来なければ彼女の言う通りになるのだろうと想像出来る。

本音を言えば逃げ出したい。全部放り投げて都市に戻り、多少の被害を覚悟してでも全員でやるべきなのではないかとも思う。……ただ、こういう選択をするからこそ、この世界の人間達は未だに滅びる事なく生き残っているのだろうとも思う。こういう人達が居るからこそ、自分も守られて生きていけるのだろうとスズハは思う。だったら自分も勇気を出して、精一杯戦ってみるべきだろう。少なくともリゼやレイナ達の様に、本当の意味で殺し合いをするのではないのだから。自分にも戦える場所があるというだけで、きっと幸せなのだから。

 

「……ラフォーレ」

 

「なんだ」

 

「貴女はやはりカッコいいな、最近よくそう思うようになった」

 

「……そろそろ動かなければレイン・クロインが痺れを切らす。奴は今はこちらに警戒して動いていないだけだ」

 

「ああ、すまない、こんな時に。……ただ、正直今は貴女にも憧れている。貴女の様な探索者になりたいとも、そう思っている」

 

「ならば先ずは役割を果たせ。私は前に出る、指示を出すのはここからは貴様の役割だ。下手な指揮をするようであれば容赦なく殴り飛ばすからな」

 

「分かっている。……ありがとう、貴女は本来前線を張るタイプではないだろうに」

 

「単にこれが一番最適な手段だけだっただけだ。良い加減にまともな前衛を引き入れるんだな、まだ貴様等は使い物にならん」

 

「ああ、努力するよ」

 

 

 

――――――――――――――ッッ!!!!!!

 

 

 

「「!!」」

 

「来ます!!」

 

そこが制限時間だった。

レイン・クロイン、その幼体。

仮にラフォーレの話が真実であったとすれば、その成体はもしかすれば邪龍に匹敵する存在なのではないかとすら思うような存在。頭部のみで大型船を破壊したほどの巨体を持つそれだ、その幼体であれば確かにこの大きさも頷ける。姿形は違えど、強化種カイザーサーペントくらいもあるこの大きさ。そして咆哮と共に増したこの威圧感もまた、強化種特有のあれに近い。故に強化種など見たこともないレイナは唇を少し噛み、額に皺を作りながらラフォーレと共に走っていくし、スズハに至ってはクリアに半分しがみ付いていなければ立てなくなっているほどだ。

……それでも、それでもリゼは違う。

 

 

「私が切り開く」

 

 

そうだ、何度も考えた。

カイザーサーペントと対峙した時に、自分の狙撃を敵は見切ってきた。それは単にカイザーサーペントの知覚能力が特別に優れていたからという理由は確かにあったが、そもそもの話、それをそのままにしておいてはいけないのだ。これから階層を進めていくに連れて敵はどんどん強くなる、そしてこの大銃の破壊力はそれでもなお通用するかもしれないが、例えカイザーサーペント相手でも確実に直撃させることが出来る方法……つまりは技術が必要だと。

 

ラフォーレが言っていたのはそういうことだ。

 

変なことにうつつを抜かしている暇があれば、この大銃を確実に敵に当てることの出来る努力をしろと。その真意に気付いてから、別に猟銃を作ったことに後悔はしていなくとも、その分の努力は上乗せしてするべきだと思ったのだ。‥‥そして同時にまた、ラフォーレのことを尊敬した。滅茶苦茶で、好き勝手している人だけれど、やはり探索者としての彼女は優れているのだと。

 

だから。

 

 

「ぃぃぃいギィイァアアッッ!!!!!」

 

 

全身に力を振り絞る。

全力で歯を噛み締め、筋肉を総動員させてその銃口を足元から一気に振り上げる。設定した威力は最大、それを狙撃に必要な照準を一切行うことなく引金を引く。やったことはそれだけだ。

それは正しくレイナと初めて会った日に、彼女を助けるために必死になっていた際に試した殆ど偶然の産物。足で銃口を蹴り上げ、ハウンドハンターの群れとパワーベアを一度に貫いた。あの時は最小の威力の行使であったけれど、あれが成功したからこそ今の自分達が生きているというのは間違いないから。……あれをもし最大威力でも射出することが出来たのなら、それこそ。

 

 

―――――――――ギィィァァァアアイィィィァァィイィィィィイイィイ!!?!?!?!?!?

 

 

カイザーサーペントだって、貫ける。

 

 

 

 

 

「………あ、あはは。流石にズレたかな」

 

 

 

「リゼさん……すごい……」

 

 

「本当に馬鹿だな、アイツは」

 

 

レイン・クロインの下顎が半分吹き飛ぶ。

 

同時にリゼもまた大きく後方へ吹き飛ばされる。

 

右肩が外れた、いくつか筋肉が断裂している。

けれどそれを無理矢理に直して、ポーションで治療する。

 

……まだ制御は出来ていない。

こんなものは短時間に2度も出来るものではない。そもそも最大威力の狙撃が今の身体では連続で出来るものではないのだから。それにこれではまだ足りない、いずれは以前のように銃口を蹴り上げての狙撃が出来なければならない。これでは射撃までの初動が遅過ぎるし、敵に僅かながらでも警戒する隙を与えてしまう。

 

それでも、今日ばかりは。

 

「今日は弾を節約する気はないよ。……さあ、存分に警戒して欲しい。威力は下げざるを得ないけれど、それでも絶対に当てて見せよう」

 

もうその威圧感だって、3度目だ。

最初に強化ワイアームから受けたアレと比べればこんなもの……心を折るには至らない。



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101.剣士の記憶

俺達は同じ道場で育った同胞だった。

生まれは人族の多いそれなりに大きい街で、周りを見れば裕福な人間ばかり。同じくらいの歳の子供が綺麗な服を着て"学校"というところへ行っている間、俺がやっていたのはゴミ漁り。クソみたいな父親とクソみたいな母親の元で生まれて、生きていくために仕方なくそんなことをし始めて、何が楽しいのかも分からないような話ではしゃいでいるガキ共を見ながら腐りかけのパンを食らう。今考えればもう少しやりようはあったのかもしれないが、当時の俺にとって大人は敵で、子供は馬鹿で、世界は憎悪と苦痛に溢れていた。

野良犬同然に生きている俺のことをわざわざ目の前に来て笑い、憂さ晴らしのようにボコボコにして去っていく奴等がいた。ゴミを漁って生きている俺に嫌悪感を抱き、自分の子供に近付かないように注意しながらも、心のどこかで嘲笑っている奴等がいた。救いの手を差し伸べるふりをして、そのまま何処かに売られかけるようなこともあった。

もしかすればその中に、本当に俺を救い出そうとしてくれた人も居たのかもしれない。今ならそう思うこともできる。しかし当時の俺にそれを受け入れることが出来たかと問われれば、今でも無理だと断言してもいい。

そもそも初めて知った大人が自分の両親だ。そして次に知った大人があんな奴等だ。小さな人間は頭が悪く、大きな人間は自分の敵。この世界にはそんな奴等が溢れていて、生きていくにはあいつらと戦うしかない。あの輪の中に入ろうなどと、一度も考えたことはなかった。羨ましいとすら思える土壌が無かった。ただ怒りと憎しみと恐怖だけが心の内には存在していて、近付く奴等全員に牙を剥いていた。

 

そんな生活に変化が起きたのは14の頃。

 

元より身体だけは丈夫だった俺は、体格も食事の割には大きくなって、喧嘩で負けることもなくなっていた。街を彷徨く半グレを見境なく叩き潰し、そいつらが持っていた財布なり食料なりを奪い取る。散々に痛ぶってくれた大人達を探し出して、何度も何度も顔面を床に叩きつけてやった。そんなことを続けていれば当然に探索者崩れや街の衛兵に狙われることにもなったが、正直に言えばカモが増えたくらいの感覚で。むしろ奴等から奪い取った武器やスフィアで、より手が負えなくなっていた。

このスフィア一つで何十日も食い物に困らない、むしろこれを使えばもっと多くのスフィアを奪い取ることが出来る。それを知ってしまってからは、むしろ自分の方から探索者崩れを狙うようになった。この段階で俺は街の人間全員の共通の敵になったそうだが、それこそ今更だろう。俺にとっては街どころか他の全ての人間が自分にとっての敵だったのだから。味方など居たことも作ったこともなかったのだから。そういう人間と出会うことも、認識したこともなかったのだ。

 

……だから、きっと。

 

当時の俺を止めるために、"彼女"のとったその行動はあまりにも的確だった。

 

 

 

『これで満足?』

 

 

『……………』

 

 

 

負けた、完膚なきまでに。

 

その日は雨が降っていた。

いつものように大橋の下で10人程の徒党を組んで襲って来た威勢の良い半グレ達を叩き潰し、その頭を名乗っていた男を必要以上に殴り付けていた時に、その女は現れた。

 

『やめなさい!!それ以上したら死んでしまうわ!』

 

「?」

 

なんだこいつは?と、

なにを言っているんだ?という疑問。

 

別に殺しはしない、殺してしまえば面倒なことになるという経験があったから。けれどだからと言って、ここまで殴り付けているのは自分が生き残るためだ。半端な仕置きで許していたら、こいつらは何も懲りることなくまた歯向かってくる。だからやめるつもりも、やめる必要もない。やって当然のことだ。足の骨を折って、許しを乞うても殴り付け、意識を失っても川に投げ込んで引き起こす。ここまでやっても足りない奴には足りない。それが14年間生きて来て学んだことだった。だからそれが分からないあの女は、なるほど馬鹿の1人なのだなと思った。だから構わず殴り続けた。そんな女の言葉は無視をして。

 

『だから!やめなさい!!!』

 

『………なんなんだお前は、お前も俺と喧嘩しに来たのか?』

 

自分よりも背が低くて、全然に弱々しそうで、小突いただけで吹き飛んでしまいそうな、そんな女。俺にとっての女というのは、集まってコソコソと何やら話しているかと思えば、こちらに向けて不快な視線を寄越し、殴り付けてやれば容易く吹き飛んでビービーキャーキャーと喚き出す。そんな不快で阿呆な存在でしかなかった。そんな奴等を守ろうと勇足で前に出てくる男共も阿呆にしか見えなかった。

それこそ稀に女の中にも強そうな奴等も居たが、正直に言えば良いスフィアを持っているカモという印象しかない。だが目の前のこの女はそのスフィアすら持っていない。正直何の価値もない。だから興味もない。面倒だから何処かへ行って欲しくはあったのだが、彼女は頑として譲ることなく、気絶した男に振り下ろそうとしていた俺の腕を止めに来る。

 

『この街には衛兵すら恐れる暴れん坊が居るって聞いたの。それってあなたのことよね?』

 

『知るか、いいからさっさと退け。お前もこいつと同じ様になりたいのか』

 

『退かない、私は貴方を止めに来たんだもの』

 

『何言ってんだお前……?』

 

『いいから、その人を降ろして。もう十分でしょう。それから私と来て、連れて行きたいところがあるの』

 

『……気持ち悪ぃ』

 

心の底からそう思った。

こういうことを言って来た奴はこれまでも多く居た。けれどそういう奴に限って真っ先に逃げる。一緒に雇って連れて来た探索者崩れ共を仕向けて、そいつらが負けたら真っ先に逃げ出すのだ。個人的に一番信用できない奴等だと思っていた。

……目の前の女は本当に一人でここに来たらしく、そこだけはこれまでとは違うが、だとしても本質は変わらない。1発2発殴ってやれば直ぐに逃げ出すだろう。金を出せば許してやるとでも言えば、今日の稼ぎも増えることだろう。

 

少なくとも、その時の俺の考えはそんなものだ。

それが覆ったのは、面倒臭くなった俺が胸倉を掴んでいた男を放り捨てて、その女の頬を軽く殴ってやった直後のこと。

 

『………は?』

 

気付けば俺の身体は宙を舞っていた。

そして逆さの格好で視線を合わせた女が、鋭い眼と共に発声と共に、右脚を振るう。

 

『ハッ!!』

 

『ぶっ!?』

 

空中で無防備な脇腹に突き刺さった本気の蹴り。

その細身からは予想もしていなかったような威力で放たれたそれは、俺のこの大きな身体をも容易く吹き飛ばし、空気が肺から強引に押し出されれような強烈な勢いと共に橋脚に向けて叩き付けた。

頭部から落下し、苦痛に悶えて蹲る。

怒りと共に睨み付けた女は変わらず鋭い表情をしていて、しかし右の頬だけは赤く腫らしていた。それでも迷いのない戦闘態勢。背中に背負っていた布袋から木刀を取り出すと、意外にもサマになっている雰囲気でそれを構える。

 

『……お前、覚悟は出来てんだろうな』

 

『ここに来た時点でそんなものは済ませてるわ。力づくでも貴方を連れて行くって覚悟だけど』

 

『訳の分かんねぇこと言ってんじゃねぇ!!』

 

近くに落ちていた質の悪い剣を拾い、女に向けて飛び掛かる。渾身の力を込めた一振り、それはただそれだけで岩をも叩き割るような威力のものだ。ただの棒を叩き付けただけで、そこらの半グレは骨が折れるし意識を失う。だから剣なんて使おうものなら、ほぼ確実に相手の命を奪うことが出来るだろう。別に命を奪わないのはその後が面倒だからであって、喧嘩の流れで死なせてしまったことは何度かある。他者の命を奪うことに今更なにかを思うこともなかった。だから加減など一切しなかった。

……していない筈なのに、当たらなかった。

 

一振り、二振り、何度振るっても当たらない。

いくら質が悪いと言っても鋼製の剣、本来は木刀などで防げる様なものではない。しかし女はそれをただ一度当てて身体を動かすだけで捌き避け、一瞬の隙を突いて反撃してくる。受けた攻撃は大した威力は無いにしても、仮にそれが自分と同じ鋼製の剣であった場合、間違いなく致命傷であったと断言出来るようなものばかり。お前の命などいつでも奪えるのだと言われているようで腹が立ったし、だからと言って現状では何の意味もないと余計に怒りを激らせて剣を振るった。究極、剣を持って来ていない女の方が悪いのだから。いくら反撃を食らったとしても、最後に立っていた方が喧嘩は勝ちなのである。この場に木刀などを持ち込んだ時点で、そもそもこの女は勝つ気がなかったということなのだから。

 

『っ!!』

 

『お前の木刀と、俺の身体……!どっちが先に壊れるか見ものだな!!』

 

少しずつ、少しずつではあるが木刀にダメージが入っている。当然だ、いくら捌くだけとは言え、対するのはこの俺の全力の一撃なのだから。ある程度のダメージを与えたら、スフィアを発動させて木刀ごとぶった斬る。それで終わりだ。勝ち筋は見えている。こいつも強かったが、結局はその程度なのだと。……正にそう、思った瞬間。

 

『ごふぁっ!?!?!?』

 

『そこ、鳩尾って言うのよ』

 

『おっ、前……ごグッ!?』

 

『いくら筋肉があっても、顎を叩かれたら辛いでしょう?』

 

『がっ……ぁぐっ……!!』

 

『そもそも……別に木刀なんか使わなくても、今の貴方に勝つことは大して難しいことじゃないわ』

 

ドゴンッ!!と、女の全身全霊の体当たりがフラついた身体に正面から打ち当たる。自分が知っている体当たりとは全く質が違うそれは、体格の全く違う俺の身体を、再度大きく吹き飛ばした。

顎を叩かれた直後から全身に上手く力が入らなくなってしまい、ロクな受身も取ることが出来ずに転がっていく自分。剣は手を離れ、情けないほどに無様な姿で這い蹲る。女は少しの息切れはしているが、大した怪我は全く負っていない。それに対して自分はどうだ。何発殴られた、立ち上がることは可能か、ここからまだ勝ち目はあるのか。懸命に腕に力を入れて立ちあがろうとするが、息は苦しく、鳩尾とやらを突かれた瞬間から吐く様な痛みが止まらず、身体は自然と丸まっていく。

 

『これで満足?』

 

『……………』

 

女はそんな俺の姿を見下ろし、腰に手を当てそう言った。

短く切り揃えた黒い髪、背後に浮かぶ月より輝く青い瞳。彼女は決して嘲笑するような顔はしていなかったし、その表情は最初からずっと変わらない。彼女は常に真面目で、真剣だ。これまで会って来た女の様に目線を逸らすことなく、その強い意志を持った青の瞳にむしろこちらが逸らしてしまいそうになる。まるで何かを見透かされている気がして。その目の前では嘘をつくことも憚れる気がして。

 

『……俺を、どうするつもりだ』

 

『私のお世話になっている道場に連れて行くわ』

 

『道場……?』

 

『剣術を学ぶところよ。剣術だけじゃないけど』

 

『……そんなところが、あるのか』

 

『ちなみに私がそこの1番弟子、だからこんなに強いの。納得した?』

 

『…‥なるほどな』

 

ニカッと、その時に彼女は初めて笑った。

それはそれほど不快な笑みじゃなかった。

そんな顔を向けられたのは、生まれて初めての経験だった。

だからその笑顔に連られて、自分も思わず口元が上がってしまったのも、驚きはしたが本当は人として不思議なことではなかったのかもしれない。より身体を丸めたのは、そんな自分の顔を隠すためだ。こんな反応をしたのもまた、生まれて初めてだった。自分の笑顔を隠すことなど、今日まで一度もしたことがなかった。

 

『……なぜ、俺なんだ』

 

『きっかけは、稽古相手が欲しかったから』

 

『?』

 

『道場ではもう誰よりも強くて、先生も滅多に相手をしてくれないから。だからこの街に強い人が居るって聞いて、その人のことを勧誘してみようと思ったの』

 

『………』

 

『色々と調べたら、貴方はずっと1人で喧嘩ばかりしてるって話だったからね。これはやっぱり道場に入れるべきだ!って思ったのよ』

 

『頭おかしいのか、お前……』

 

『ひどいなぁ』

 

『事実だろ』

 

本当に、なんて馬鹿げた理由なのだろう。

そんな理由のためにこの女はここまでしたのかと、普通に理解に苦しんだ。けれど彼女は構わず自分の話を続ける。蹲る俺の前に蹲み込み、出来る限り目線を合わせながら。先程までとは違い、優しげな顔で。

 

『だからこれは、勧誘の1段階目です。道場に来れば、貴方も私みたいに強くなれます』

 

『……2段階目は?』

 

『待遇の話』

 

『待遇……?』

 

『うちの道場はね、ちゃんと仕事をして成績を残すだけで、美味しい食事も安心して寝られる場所も保証して貰えるの』

 

『!』

 

『練習して強くなって、道場を綺麗に掃除して、他の道場と交流試合をして、偶にモンスター討伐の依頼を受けて……うん、それくらいかな』

 

『……意外と大変そうに、聞こえるな』

 

『うん、意外とね。でも、貴方なら出来ると思う』

 

『……どうして、そう思う?』

 

そんな俺の質問に、彼女は一瞬考え込んだ。

けれどその後に出てきた言葉は、それまでの雰囲気とは違ってなんとも間抜けなもので……

 

『なんとなく?』

 

『………本当に、なんなんだお前は』

 

『別に理由なんて何でもいいもの、私は単に相手が欲しかっただけだから』

 

でも、だからこそ良かったのかもしれない。

ここで少しでもまともな返答が返ってきたら、それっぽい答えが出て来たのなら、不要な疑いはより膨れ上がってしまっていたであろうから。彼女がこうして時々こちらが不安になってしまうくらいの間抜けな反応を出してくれたからこそ、失笑であっても笑ってしまって、ほんの僅かな心の緩みを突破口にしてくれたのだから。

 

『もういい、好きにしろ』

 

『……!ってことは!!』

 

『お前の話を聞いていたら、俺はこんな阿呆に負けたのかと情けなくなった。不意を付いて殴ってやろうとも思ったが、最早そんな気もない』

 

『嫌なら嫌って言えば引き下がるわ』

 

『違う、そうじゃない。……察しろ』

 

『?』

 

『お、お前は…………そこに行けば、俺はお前より強くなれるんだな?』

 

『!……それはどうだろうなぁ、私もたくさん努力してるしなぁ』

 

『本当に面倒な奴だなお前は。だったらそれ以上の努力をすればいいだけだ。……それに、ただ強くなるだけで美味い飯と寝床が貰えるというのが良い。もちろんお前の言っていることが嘘という可能性はあるが……そろそろここでの生活も先が見えなくなっていた頃合だ。近頃は飯の種になる半グレも減って来たからな、正直に言えば都合が良い」

 

『つまり?』

 

『……………………連れていけ』

 

『はい、よく言えました!』

 

『屈辱だ……』

 

笑う女、頭を抱える俺。

 

けれど。

 

 

……違う、そうじゃない。

 

 

別にそんなこと、どうだって良い。

 

 

生きていくことは簡単だ、奪えばいいのだから。

自分がされたように、仕返せばいいのだから。

だから半グレが減ろうが増えようが変わらない。

むしろこれは今より生き難くなる選択であり、率直に言ってしまえば面倒な選択肢を選んだ訳であり、きっと後から自分は苦労をして後悔するであろう道だ。だって別に強くなりたいなどと思ってはいないのだから。このままでも大抵の人間を叩き潰すことは出来るのだから。

 

だから、理由は、

 

わざわざ生き難い道を選んでしまった理由は、

 

この言いようのない焦燥感が疾る原因は、

 

 

 

『………俺は』

 

 

『ん?』

 

 

『俺は…………お前の眼が、好きなのかもしれない』

 

 

『……………?????』

 

 

分かっているとも。

 

分からないけれど。

 

それは今でも、ずっと……



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102.英雄試練祭7

突如として街の中に出現したモンスター達、果たしてそれに対して冷静に対応出来た人間が一体どれくらい居ただろうか。数だけのモンスターではない、それなりの数のモンスターが、それなりの質で存在している。既に怪我人は多く出てしまっており、こうなってしまえば死人が出ているのは当然と言っても良い。元々この祭の間は"聖の丘"の団員を中心とした探索者達が見回りをしていたし、そうでなくとも一般の探索者達も普通に参加していた。マドカへの挑戦権を得るために昼までずっと観戦をしていたリゼが良い例だ、彼女の様な探索者は実際それなりの数が居た。しかし彼等がリゼとは違ったのは、自分の武器を持って来ていなかったということだろう。というより、リゼもまた一度は部屋に戻って武器を取りに行っていた。それに対してラフォーレから一言二言と嫌味を言われたりはしていたが、しかしそれも仕方のないこと。だからこそ、彼等はかなりの苦戦を強いられている。モンスターを倒すのではなく、モンスター達を食い止めることに重きを置き始めるくらいには。

 

「ォォォオオオオ!!!!」

 

「はぁっ!」

 

そんな彼等の合間を縫う様に走り斬っていく少女と、それなりの巨体がある相手にも関わらず、ただの一撃でそれを叩き潰す青年。硬めのモンスターは彼が、群れを成している様なモンスターは彼女が。それぞれに処理を続けて、とある方角へ向けて走って行く。全員を助けられる訳ではない、しかし目に付いた人々を助けずにはいられないのが彼等の良い点でもあり、悪癖でもあると言えるだろう。

 

「マドカ!本当にこっちでいいのか!?これでは街の外に出てしまうだろう!」

 

「それで構いません!恐らくアルファさんは街の中には居ませんから!それよりベインさん!あのモンスターだけは確実に潰して下さい!アレは人体に子供を寄生させるモンスターです!増殖を始めれば取り返しのつかないことになります!!」

 

「なんというモンスターを……!!【闇斬】!!」

 

植物と昆虫を混ぜて巨大化させた様な歪な姿をしたそれに向けて、ベインは鋼塊のような分厚い剣に闇属性を纏わせて突貫する。マドカの言った通りにそのモンスターは先に管のようなものを付けた触手を勢い良く放って来たが、彼はその巨体からはイメージ出来ない様な繊細な剣捌きでその全てを撃ち落とし、全身全霊の一撃を叩き込む。縦に真っ二つにされたそのモンスターは自身の身体を灰に変え、霧散した。厄介なモンスターではあったのだろうが、防御力という点ではそれほど大した存在ではなかったらしい。しかしベインは思う。マドカがこのモンスターについて知っていたから対処出来たが、仮に全く知らない実力不足の探索者がこれと出会してしまったらどうなるだろうかと。しかしマドカはそんなベインの杞憂を見抜いたようにして声を掛ける。……相変わらず彼女を思い起こさせるような美しい青の瞳をこちらに向けて。

 

「恐らく既に何人かが犠牲になっているとは思いますが、カナディアさんもあのモンスターについては知っています。その対処に必要な薬品も以前に治療院が完成させています、それほどの被害は出ないでしょう」

 

「そうか、それは良かった。しかし仕方のないことではあるが人手が足りていないな、ダンジョンに居る探索者達にはまだ伝わっていないのか?」

 

「いえ、そういう訳ではないと思います。……もうすぐ1分ですね、これを見て下さい」

 

「!!」

 

マドカが使用したのは投影のスフィア、つまりは同じスフィアを使っている者の視界が映し出される、探索者であれば誰もが持っているそれだ。走っている彼女の秘石から前方の床に向けて映し出されたそこには、確かにダンジョンの中の様子が映し出されていた。

 

「モンスターの大群……!?この量は街の比じゃないぞ!」

 

「この量のモンスターを街へ出さないために必死に止めているんでしょう、中に強化種らしきモンスターもいくつか見当たります。それに気付いましたか?クロノスさんやレンドさんを含めた上級探索者がここには1人も居ません」

 

「!!英雄アタラクシアも……!」

 

「十中八九、このモンスターの大群以外の異常事態も起きています。私としてはそっちの方が心配です。……強化種程度で済むといいのですが」

 

もしかすれば自分達は今からでもダンジョンに向かった方が良いのかもしれない、ベインは一瞬そう思う。主犯と思われるアルファを追ったとしても、彼としては既に仕込みは終えていると考えるのが妥当だ。今更に捕えたとしても、この状況が止まるとは思えない。ならば少しでも死人が減る様に立ち回るべきではないのかと。

 

「なっ!?なんだあれは!?」

 

「!!……なるほど、リゼさん達の方にはレイン・クロインを当てて来ましたか。あれは厄介ですね」

 

しかし直後に噴き上がった潮水に一瞬足を止めて目を向けてみれば、そこには街から少し離れた海岸線に現れた凄まじい巨体を持った海竜の姿。普通に考えればあんなもの、龍の飛翔と同等の戦力を揃えなければ対処することなど出来ないだろう。……しかし当然、現状ここにそんな余裕など何処にもない。そう、どこもがギリギリなのだ。ギリギリの戦力で戦っている。否、そうしなければならないようにさせられている。そうしなければ勝つことすら出来ないように仕組まれている。

 

「ベインさん、ここでアルファさんを逃すのは簡単です。ただ私達がアルファさんのところへ行くことで出来ることもあります」

 

「出来ること……?」

 

「恐らくは街中のモンスター達、何らかの手段で操られているんです」

 

「なっ、人間がモンスターを操れるのか!?」

 

「本来なら無理ですが、今の今まで息を潜めていたことを考えるに、そしてさっき見た一連の動きを見るに、間違いありません。私達がアルファさんの元へ行ってそれを止めるだけで、かなり戦況はマシになるはずです。モンスター同士の共喰いを誘発出来るようになりますから」

 

「なるほど……」

 

確かに、あれほど様々な種類のモンスターがいるというのに、異様に互いのことを意識していなかったことを思い出す。それこそ寄生するあのモンスターも、その生態からすれば人間だけではなく他のモンスターに対しても攻撃して当然だろう。しかしそんな素振りすら無かったし、なんだったら協力はしなくとも同じ対象に一緒に攻撃しているところも見かけた。それは間違いなく異常だ。

 

「街の中がひと段落すれば、他の場所に戦力を回す余裕が出来ます。恐らくは戦力的に何処も拮抗するのではないかと私は思いますが、これからの私達の行動次第でそれを崩すことが出来るんです」

 

「それならば俺達が今からリゼ達の支援に向かった方が早いんじゃないか?」

 

「そうなればアルファさんは介入して来ると思います。彼の目的は探索者達の実力の底上げ、つまりは苦しい戦闘をして欲しいんです。そのためなら無理矢理にでも拮抗する状況を作り出して来る筈です。だから私たちは目立ってはいけないんです、目立つことなくモンスターを操る術について探って阻止します」

 

「……俺たちはまだ見つかっていないのだろうか?」

 

「ええ、恐らくは。結局のところ、メインの戦場はダンジョンと海岸線ですからね。彼も人間ですから、3箇所同時に目を向けることなんて出来ませんよ。そしてだからこそ、アルファさんが居る場所も想像が付きます」

 

そう言って取り出したのは、この街の周辺の地形をかなり詳細に書いてある小さな地図。そこには何本もの線が引かれており、少し離れた場所にある小さな丘に赤丸が描かれている。他にも赤丸はいくつかあるものの、その部分だけがより強調されて記されている様に見える。

 

「カナディアさんに作って貰いました。この周辺の地形の中から、街と海岸線の両方を見ることの出来る高い場所を絞って貰ったんです。その中から特に事前に目星を付けていた海岸を見ることの出来る場所を私が選びました。ここなら片手間に街の様子を見ることも出来ます。………それに、そろそろ」

 

「!なんだこれは……!!」

 

マドカが投影のスフィアを何回か叩き、映像の視点を切り替える。殆どの視点は探索者達が必死になってモンスターを押し返している様子を映しているものだったが、その中に一つだけあった異質な映像。明らかに草原地帯に存在していてはいけないような異形な龍種に対する探索者達の様子を、その映像は天井付近から撮影している。一体誰がこのような形でこの様子を見ているのか、まず間違いなくアルファの手の者だろう。そしてその対する龍種が一体どんな存在であるのか、少なくとも龍の飛翔に参加したことのある探索者であれば簡単に理解出来るだろう。あれはダンジョンの階層主として存在する龍種とは違う、龍の飛翔において生まれ出て来るタイプの龍種だ。……つまりはパーティ単位の討伐ではなく、街単位で対処が必要になる類の存在。

 

「これがダンジョン内で起きている様子ですか、少し不味いですね」

 

「……マドカ、まさかこの龍種は」

 

「邪龍候補、かどうかまでは分かりません。ただ軽く見た限りでは、アタラクシアさんの攻撃が全く通じていません」

 

「英雄アタラクシアの攻撃が通じない相手……」

 

「とは言え、向こうには大半の上級探索者が集まっていますから。信じるしかありません。致突使いのエミさんが居ないのは辛いですが、イデルさんとシセイさんが居るのが幸いです。前衛も揃っていますし、レンドさんなら上手くやってくれるでしょう」

 

「……そうだな、それより俺達は俺達でこれから戦う相手のことを考えるべきか」

 

「そうですね、こちらも戦力が足りていないという前提で動きましょう」

 

投影のスフィアを一度切り、マドカはスフィアを再び入れ替える。ベインもスフィアの編成を変えようかとも思ったが、正直どういう組合せが最適なのかが分からないので、一先ずいつも通りの編成のまま望むことにした。スフィアに関するミスについて、今のベインほど恐れている者も存在しないだろうから。

むしろああして戦闘中にもポンポンとスフィアを変えるマドカの方がベインからしてみれば信じられないことだ。同じように"聖の丘"のカナディアの弟子でもあるセルフィ・ノルシアも戦闘中にスフィアをよく変えるが、そもそも見た目は殆ど変わらないスフィアを殆ど見て確認もせずに、よくもまあ変えられる物だと。彼女達のバッグの中身はどういう整理になっているのか気になりもするが、そこは一先ず置いておく。ベインには一生関係のない話であるのだろうから。

 

 

「………見つけました」

 

「なに?本当か?」

 

「ええ、あそこ見えますか?豆粒程度ですけど」

 

「……よく見つけたな、この距離から」

 

「この距離から見つけないと察知される可能性もありましたから。スフィアを全て感覚強化の物に変えて、時間効率と安全性から最善と思われるルートを辿りました。ちなみにこのルートはカナディアさんが作ってくれた物の一つです、若干風向きなどで改変はしましたが」

 

「……ただ強いのが上級探索者ではないということか、勉強になる」

 

「都市防衛を考える以上、聖の丘ほど都市周辺の地形に精通している組織も居ないでしょうし。カナディアさんにお願いして正解でしたね」

 

「……まだまだ未熟だな、俺も」

 

まさか久しぶりに部屋から連れ出されて、祭に行き、知らない少女達に囲まれて……こんな事に巻き込まれるなどと。一体だれが想像したろうか。

それこそ今日は本当にこれまで色々と気にかけてくれたマドカの顔を立てて、一通り祭りを見たら帰ろうと、それくらいの気持ちで出て来ただけだと言うのに。……こんな風にまた剣を持ってモンスターと対峙し、走り、落ち込む暇すら与えてくれない。

 

「ベインさん」

 

「うん?」

 

「ベインさんは大丈夫ですよ」

 

「!」

 

「ベインさんはきっと立ち上がれます」

 

大切な仲間達を失った。

ただの仲間ではない、この人生を変えてくれた者達だ。無くてはならない2人だった。それを失ってしまって、理解してしまって、何も考えられなくなった。何も考えたくなくなった。心に穴が空いたで済まされる話ではない。

……彼女は自分を光の世界に引き上げてくれた。

……彼は自分を光の世界に馴染ませてくれた。

どうしようもない屑であった自分に、ここにいてもいいのだと教えてくれた大切な家族だった。唯一の家族だった。だからそんな2人を失って、助けられなくて、どうして立つことなどできるのかと。どうやって立てばいいのかと。

 

「ベインさんは、困った人達を見捨てられません」

 

「……違う、俺はそんな高尚な人間ではない。俺は」

 

「そういう人に、なったんですよ」

 

「!」

 

「ルミナさんが言っていました。出会ったばかりの時のベインさんは、どうしようもない凶犬だったと」

 

「きょ……」

 

「だから自分とルフトさんで、真人間にしたんだそうです。おかげで今では自慢の好青年に育ったと、かっこいい男になったんだと」

 

「……かっこいい、男」

 

彼女が知らないところで自分のことをそんな風に表現していたなど、知らない。あの少年と一緒になって、自分のことをそんな風にしようとしていたなどと。当然知らない。

けれどだからこそ、それこそが間違いようのない答えでもある。

 

「過去のベインさんがどうだったかは知りません、ですが……」

 

「……今の俺は、あの2人に変えられた俺は」

 

「ええ、立ち上がれますよ。そこに困っている人が居るのなら、自分の力で守れる人が居るのなら。……だって事実、ベインさんはさっきまで街の中で守っていたじゃないですか。それが当然のように」

 

マドカに連れられて、そこでモンスターに襲われている住民達を見つけて、気付けば持ち歩いてはいても使うことはないと、2度と握ることはないのだろうと思っていたその剣を、振り下ろしていた。

『逃げろ!!』と大きな声を出して、その身体でモンスターと少年の間に無理矢理に割り込んで、必死になってモンスターを叩き潰した。それは完全に無意識で、マドカが言ったように、自分はそれを当然のことのようにやっていた。

 

「……マドカ。不思議な話だが、生活のために人殺しまでしていた俺が、今ではあの頃の自分を否定しているんだ」

 

「そうですか」

 

「あの頃の馬鹿な俺にはそれ以外の選択肢がなかったとは言え、けれど今では、他人の命を奪うなど相当なことでもない限り考えられない。……俺は、変えられたんだ」

 

「嫌ですか?」

 

「いや、嫌じゃない………むしろ嬉しい」

 

「ルミナさんも、嬉しそうでしたよ」

 

そういうことを、もっと、もっと早くに気付けていれば。もっと早くにそういうことを話すことが出来ていれば。そう思わずにはいられない。

けれどきっとそのおかげで、自分はこれからも生きていくことは出来るのだろう。少なくとも、こうして他者を救うために必死になれている間は。悩む暇すらも与えられることなく、剣を振るっているうちは。

 

「力を貸してくれますか、ベインさん。私はそれなりに色々なことが出来ると多少の自負はありますが、それでも1人ではただの中級探索者でしかありません。正直アルファさんと対峙しても、勝てる確率は五分ないです」

 

「……ここまで来て断る訳がないだろう?それに、ああして閉じこもってから半年の間、毎週欠かさず顔を見に来てくれたのは君だ。食事をする気力もない俺のために生活用品を届けてくれていたのもだ。その恩の一部でも返せるのなら、どんな願いでも聞くさ」

 

「ふふ、それこそそんなに気にしなくてもいいんですけどね」

 

彼女ならそう言うと分かってはいたが、そう思うだけの人は居たかもしれないが、それを実行までして、続けてくれたのは彼女だけだ。だからその恩はとても重い物であると理解しているし、それはいつか絶対に返さなければならない恩であるという考えも変える気はない。

 

「さて、どう攻める?」

 

「手早く済ませましょう。地上から攻めては直ぐにバレてしまいますし、空中から飛び掛かっても空気を裂く音でバレてしまいます」

 

「となると?」

 

「撹乱しましょう。先手で敵に負傷を与えれば僥倖、情報を得られるだけでもこちらの有利点になります」

 

まずはここから。

ここから自分は戻るのだ。

たった1人になってしまっても、2人の思いを無駄にしないために。今度こそ自分の足で、歩いて行かなければならない。



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103.英雄試練祭8

リゼ達とレイン・クロインとの戦闘は、当初の想定以上に凄まじい規模のものとなっていた。

 

 

「こっの!!」

 

 

キィィィイイイイイ!!!!!!!

 

 

「くそっ!また防がれた!!……クリア!!」

 

「任せて、【水弾】からの【氷弾】」

 

 

 

「……これも駄目か!!」

 

 

レイン・クロインの周囲を渦巻く異様に蒼い水流。

重力に逆らって動くそれは、当然ただの水ではない。

レイン・クロインの全身から絞られるように滲み出て来た粘性を帯びた液体が海水に混じったものであり、リゼの大銃による射撃の威力を接触と同時に大きく軽減させ、液体を排出したことによって更に肉体を硬化させて完全に攻撃を防ぐという、凄まじい防御能力を持った専用の防具でもあった。

クリアが水弾を自身のスキルで凍らせることによって放つ【氷魂】による物理攻撃。それを更に水圧を持って射撃させてみるものの、やはり粘性を帯びた液体の壁に阻まれ威力を落とされる。

 

「考えろ、考えろ私……あの水流は今のところ防御にしか使っていない。そもそも操作に意識を割く必要がある以上、防御にも限度がある。雑に操作すればするほど広く薄く展開させることになるから、つまりこちらの攻撃が通りやすくなるということでもある。だから今こうしてクリアと射撃し続けていること自体は決して間違いではない。とにかく今は射撃を続けてレイナとラフォーレの支援を……」

 

思考を口に出して必死に目を動かしながら頭を回す。4発目の弾丸を装填し、熱を排出しながら次の射撃に備える。

レイナとラフォーレは主にラフォーレの指示によって今のところは現状維持を成功させており、ラフォーレの【炎弾】以外にダメージを与えることは出来てはいないものの、適度な距離をもって敵の攻撃を避け続けていた。……しかし、だからこそ十分に意識を割けていないというのもある。先ずはラフォーレ達が攻め込める隙を作るのが先か。あの攻撃力だ、一撃でもモロに食らってしまえばラフォーレであっても致命傷になりかねない。

 

「とは言え、あの水流がある以上は最大威力の射撃でなければ……だが今の状態でそれは」

 

この切り札があるからこそ、レイン・クロインも容易く攻め込めないという停滞を作ることが出来ている事実がある。ならばこの停滞を利用して、あの水流について分析を進めるべきなのか。

しかしリゼにはそんな頭は無く……

 

「ラフォーレ!!地面の砂を吹き飛ばしてあの水流に当てて!!」

 

「!……いいだろう」

 

スズハが突然、あの小さな身体の可能な限り大きな声でそう叫ぶ。それが確かにラフォーレに伝わったのかは微妙なところだが、しかし朧げながらに聞こえた単語でもラフォーレは言われたことを理解したのだろう。

 

「?………っ、こうか!!」

 

「そうだ愚図、【炎弾】!」

 

ラフォーレが一瞬自分に目配せをしたことに気付き、咄嗟にまだ射撃の出来ない筈の大銃を構えて敵に照準を定める。そしてそんな自分に気付き水流を再び展開したレイン・クロイン。

それを見たラフォーレは炎弾で地面を吹き飛ばし、スズハの指示通りに展開された水流に向けて大量の砂を被せた。

 

「これは……」

 

「次よ!クリア!水弾をあの水流に当てて!可能な限り大きめで!」

 

「え?いいの?」

 

「いいから!」

 

「了解、【大水弾】」

 

今度は逆にクリアに水弾を要求したスズハ。クリアの放った大きめの水弾はレイン・クロインに向けて直進し、展開された水流ごと巻き込んで爆破した。大量の水を浴びて不機嫌そうな顔をするラフォーレ、当然ながらレイン・クロインにはそれほどダメージはない。そもそも深海すらも縄張りにしているような相手だ、水属性による攻撃はあまり意味をなさないだろう。……それでも。

 

「スズハ!?水流の勢いと規模が増したんだが!?」

 

「予想通りよ!」

 

「駄目じゃないのか!?」

 

「問題ないわ!リゼ!クリア!同時に撃ちなさい!狙いは敵の身体よ!ちゃんとフェイクは入れて撃ちなさいよ!」

 

「わ、わかった!……クリア!射撃のタイミングを合わせるから好きに撃ってくれ!」

 

「おっけーい」

 

スズハに言われた通り、リゼは目を細めて自分の目だけで照準を定める。狙う先はスズハの言われた通り敵の身体、そしてその中でも特に水流が浮遊していない尾に近い部分。加えて……

 

「いくぜーい、【尖氷弾】」

 

「っ……今だ!!」

 

クリアが氷弾を射撃した直後、それと軌道がクロスするような位置取りになるようリゼも遅れて射撃する。それはもちろん最小威力故に、銃口を蹴り上げた照準時間ゼロの抜き射ちだ。

弾丸のサイズは氷弾の方が遥かに大きい、しかし弾丸の速度はリゼの大銃の方が遥かに早い。それを氷弾を追うようにして撃ち込み、軌道の途中でクロスさせた。これを完全に避けるとするのであれば、相当な思考を要求される。

 

「【炎弾】」

 

「っ、流石ラフォーレ……!」

 

そして視界を隠すように、ラフォーレが炎弾をレイン・クロインの顔面に向けて回避行動中の半ば無理矢理な体勢から打ち当てる。

そこまでしてスズハが確かめたかったこと、それは……

 

 

――――――ギィィアイィィィァァィイィィイ!?!?!?!?!?!?

 

 

「当たった!?水流を貫通出来た!?」

 

「それもあるけど……やっぱり、そもそもの水流の操作すらままならないみたいね」

 

「ど、どういうことだい?スズハ」

 

「そもそもの使用用途が違うのよ。あの能力は決して、戦闘で使うようなものじゃない」

 

リゼの弾丸は水流を貫通し、クリアの氷弾もまた水流の防壁が追い付かずにレイン・クロインの腹部に直撃する。

明らかに先程までの妨害力がなくなっている。

リゼの射撃がダメージになっている。

規模の割に、質が悪くなっている。

 

「元々あれは水中での移動をスムーズに行うために使う能力ってことよ。特殊な体液で水の抵抗を減らすことで、あの巨体もある程度自由に動かしてる。……高速移動の際には体液を広く薄く散布して大量の水を高速で動して、一方で細かな動きをする際には濃度を上げて少量の水を強引に動かす。あれはそれの応用に過ぎないわ」

 

「そうか!つまり体液の濃度を薄くするほど質は水に近くなって、大まかにしか動かせなくなると!」

 

「それと恐らく体液の操作が可能な範囲はそれほど広くないわ!そこまで広かったらむしろ移動中に不便だもの!」

 

「流石だスズハ!!」

 

そこまで分かったのなら、もう十分。

あとは水弾で防御性能を減らして、そこをリゼの射撃で撃ち抜けば……

 

「避けろ愚図!!!」

 

「え?………ぬわぁああっっ!?!?回避ぃっ!?!?」

 

瞬間、レイン・クロインの口内から凄まじい勢いの水流が放たれた。まるで砂浜を真っ二つに切り刻むかのように放たれたそれは、一瞬にしてリゼの元へと到達し、間一髪、その脅威的な動体視力と【回避のスフィア】を使用することでなんとか避けることは出来た。

 

……しかし、ここに来てまだ隠し球。

果たして他にもまだどれほどの隠し球を持っているのか。そうでなくとも堅牢な肉体、巨大な図体。

少なくとも今の水流はリゼだからこそ避けられたものの、これをクリアやスズハに撃たれていたら間違いなく死んでいた。リゼの脅威を敵が既に知っており、今もそれを定期的にチラつかせて敵の気を引いているからこその結果だ。ラフォーレが最初に敵の気を引けといっていた理由は、正しくこれ。リゼにしか対処出来ない攻撃というものもあり、基本的に初見殺しの攻撃は目の良いリゼが受けるべきと言える。

 

「これは……もしかして、長期戦になりそうかな?」

 

既に初撃の顎の破損部分からは体液が漏れ出ておらず塞がっており、リゼが脚に撃ち込んだ銃弾による損傷箇所からも徐々に流れる血の量が減り始めている。……小規模ながらも再生能力持ちということだ。まだまだ体力も有り余っているように見え、敵の能力の一つを把握したとは言え、まだまだ底は見えてこない。

 

「……本当に、砂浜は体力を持っていかれるから苦しいのだけれどね」

 

しかも海水に濡れて一面ドロドロで。

ここから先、すごく泥臭い戦いになりそうだ。

体力を減らして、損傷を増やして、動きを弱らせて、トドメの一撃を刺す……その役割を担うレイナを明らかに温存させているラフォーレの考え。リゼに任された役割は、馬車馬の如く走り回り、残り7発となった弾丸を確実に敵の身体に叩き込むこと。

まだなんとかなるとも。

まだリゼでも対応出来る範囲、絶望に浸りはしない。

 

 

 

 

 

 

「そんな訳、あるかぁ!!」

 

「ふっ」

 

「っ、早い……!」

 

2人の少女が巧みな連携によって仕掛けた槍による攻撃を、黒い外套に身を包んだ少年が軽やかに跳んで避ける。彼の両手は未だに衣嚢の中、武器すらその手に出してはいない。しかしそれでも2人の少女が次々に繰り出す双槍による苛烈な攻撃を、少年は容易く避け、捌き、息一つ乱すことなく飄々と受け流していた。

 

オルテミス入口の大門にて、既に数人の門番達が意識を失っている。ここを守っているのは2人の少女達で、そして攻め込もうとしているのがその少年でもあった。

……もちろん、この余裕な様子からしても本当に攻め込む気は無いのかもしれないが。仮にそうであったとしても、ここを明け渡す訳にはいかないということは馬鹿でも分かる。少女達は奇しくもグリンラルでもそうであったように、再び都市の入口を死守する最重要な役割を担っていた。

 

「っ……この人、強い。強いっていうか、早い!」

 

「ん、単純にステータスが高過ぎる」

 

「ああもう!早くリゼちゃん達を助けに行かなきゃいけないのに!あんな怪物、絶対変な力持ってるに決まってるもん!!」

 

「同感、だけど……」

 

 

 

「あぁ?ンなことさせる訳ねぇだろうがバカ女共」

 

 

 

「……口の悪い人は苦手かなぁ」

 

「それも同感」

 

分かるとも、敵は明らかに格上だ。そのステータスだけで想定するのであれば、この街の上位探索者に匹敵する。一体どこにこんな逸材が隠れていたのかと思うほどで、少なくとも現在の2人:ブローディア姉妹では正面からやり合えばまず間違いなく負ける。そもそもマドカ・アナスタシアの最初の弟子である2人の少女は、その評判に反してレベル自体はそれほど高くない。両人ともLv.25、この街に於いては大凡平均的と言っていいだろう。……しかしそれでも、2人の目には特に絶望の色は混じっていない。焦りはあっても、それは自分達にではなく、リゼ達の身を心配してのもの。

 

「……よし、さっさとやっちゃおう。リエラ」

 

「うん……そんな大した相手じゃない、ステラ」

 

 

「あぁ?」

 

 

「「【水斬】………!!」」

 

「!?」

 

ブローディア姉妹は元々揃ってSPDの値が高い傾向を示していたステータス傾向を持っていた。現在はレベルが上がるにつれてその傾向も改善してはいたが、それ故の怪我というものが当初は本当に絶えなかった。……故にこれを身に付けられたというのは、彼等にとっては正に報われたと言っても良いのかもしれない。

 

「早ぇっ!?」

 

「早いだけじゃ!」「ない」

 

「っ!!」

 

激しい水流を伴った二本の槍を交互に凄まじい速度で穿ち放つ……だけではない。彼等2人の真骨頂は双子として培って来た互いの信頼と理解度により実現する、異次元的なコンビネーションである。その身体能力もあり、まるで曲芸のように二身一体となって次々と放たれる予想不可能な乱撃。そして何より苦しいのが。

 

「おりゃぁあああ!!!」

 

「こっ、のっ!クソ女ァ!!」

 

「リエラのことを悪く言わないで」

 

「グッ!?………クソがぁ!!」

 

その異次元的な動きを、高速戦闘による3次元的な動きにまで発展させることが出来ること。

例え壁や天井などのない広々とした空間であっても、彼等は互いの身体を使うことでそれを成すことが出来る。それこそが彼等だけの特別であり、彼等だけにしか許されない特権でもあった。

相手の槍を掴み、槍と槍を重ね合い、空と地上の両方から完全に同時に突き付けられる攻撃。迎撃を行おうとすれば反対側から妨害が入り、それは致命的な隙となって襲いかかる。

 

「調子に……!」

 

「のってるのは!!」「そっち」

 

「ぶっ!?」

 

蹴りによる攻撃を受ける直前、ステラはリエラを上空へと蹴り上げ、そのままの姿勢から槍による足払いを仕掛ける。そうして体勢を崩した所にリエラは槍を振り下ろし、間一髪でそれを捌かれた直後、まるでその行動すらも読んでいたかのように下から投げられたステラの槍を掴み取り、男の顔面に石突の部分を全力で叩き込んだ。

 

「もう一丁!!」「任せて」

 

「なっ……ごっ!?」

 

更に吹き飛んだ男に対し、ステラは背面で槍を受け取ると、その場から前方へ大きく跳躍し、互いの槍の石塚の部分を異様にピッタリと接着させた。そうしてリエラが全身の力を込めて彼女を射出すると、凄まじい速度でぶっ飛んでいったステラの蹴りが男の腹部に追い討ちをかけて直撃する。

このような追撃が来るとは少しも想定していなかった男はその一撃をモロに受けてしまい、ゴロゴロと門から遠く離れた位置まで吹き飛ばされてしまう。

 

……姉妹が時々見せる、スフィアを使っていないにも関わらず生じている明らかな物理現象の無視。例えば急に姉の方が空中で落下速度を早めたり、今のように槍同士を石突で奇妙なほどにピッタリと合わせたり、完全に不可能だと思われるような挙動すら実現して攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

(こいつ等……)

 

彼とて戦闘経験は豊富にある、そのレベル相応の物は。しかしそれであっても、数の不利があったとしても、この2人は明らかに中位の探索者などという生優しい存在ではない。

 

「……やっぱり、対人戦闘には慣れてないんだね」

 

「………あぁ?」

 

「ステータスは高い……でも、活かせてない」

 

「勝ち目は無いよ、投降して」

 

 

 

『…………ア"ァ"!?』

 

 

 

「「っ」」

 

 

……さて、ならばここからだ。

別に互いに分かりきっていたことだ。

互いに見せているのが全てではないと、こんなものはただの小手先の探り合いでしかないと。……その程度で終わるような相手がここに来る訳がないと、そんな相手ではないと。

それは彼が外套を取り払い、晒した素顔と共に放たれた強烈な威圧感に対して、少女達もまた顔を歪ませただけで、それほどに驚いていないことからもそうだ。

 

ガリガリガリ……と、男はその奇妙な金属が取り付けられた靴を地面に擦り付け火花を散らせながら立ち上がる。発火する金属部、生じた炎は未だに地表を揺らめいている。そして異様なのは、あれほどにブローディア姉妹の水斬を受けたと言うのに、全くと言って良いほどにダメージを受けていないその衣服。

まるで怒り狂った獣のような形相をしたその少年は、ブローディア姉妹からすれば、むしろそちらの方が驚いたくらいだった。まさかこれほどのステータスを持っている人間が、顔を隠していた時から分かってはいたものの、本当にこんな少年だったなどと。それもその少年には顔面に酷く大きな切傷が刻み込まれていて、その眼から滲み出る濃厚な負の感情は、こうして対峙していても眉を顰めたくなるほどに研ぎ澄まされたもので。

 

「………君の名前を、聞いても良いかな?」

 

 

「………イプシロン」

 

 

「イプシロン……?」

 

もちろん聞いたことはない。

しかし名前の雰囲気的にも、やはりあのアルファという男の関係者であるということは確かだと思ってもいいのだろう。今回のこの騒動の全てがあのアルファの仕業だとして、やはりあの男には仲間が居る。そして厄介なのが、その仲間達はどうやったってステータスが高い、まさに目の前の人物を集めたような集団であるということ。

 

「何が目的?私達は引いて欲しいだけ」

 

「目的?………巫山戯んな、巫山戯んじゃねぇ!!!全部テメェ等のせいだろうがぁぁあ!!!!!!!!!」

 

「っ!?」「【回避】!!」

 

尋常ならざる初速と共にリエラに向けて放たれた炎を纏った蹴りを、ステラが咄嗟に『回避のスフィア』を使用して回避する。踵落としのように放たれたそれは地面に直撃した瞬間に小爆発と共に土砂を噴き上げ、強烈な火花を散らし、更に纏う炎の量を増した。

灼熱の炎を自らの足に纏いながら、それでもただ純粋な怒りをこちらにぶつけてくる彼。ステラはその威力に驚いていたが、リエラは少年のその様子に驚いていた。彼が単なる悪人ではなく、もしかすれば彼もまたアルファに利用されている犠牲者であるという可能性に。

 

「死ね!死ね!!死んじまえ!!テメェ等全員、この街のクソ野郎共も全員!!!!全員纏めて、ぐだばりやがれぇぇええええ!!!!!!!」

 

「っ!ま、待って!落ち着いて!!話を聞かせて!!そうじゃないと……!」

 

「ステラ!!駄目!!」

 

未熟な少年、怒りを撒き散らす力を持った子供。当たり散らす様にして街と陸地を繋ぐ橋を破壊し、街壁に穴を空け、門を吹き飛ばす。姉妹が必死にそれを押さえ込もうとするも、しかし彼がその足を振り下ろし、叩き付けるほどに、その両足から生じる獄炎は勢いを増していく。既に近づくだけで火傷してしまいそうなほどに燃え上がったその様子に、2人はただ距離を取ることしか出来はしない。

 

「あああああああああぁぁぁぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「〜〜〜っ!!ステラ!!」

 

「【水弾】」

 

ステラが腰から取り出した小杖を向けて、水弾のスフィアを発動する。しかしステラは確かにINTがある方ではあるが、クリアやラフォーレのような驚異的と言えるほどの魔法を扱える訳ですはない。それも小杖から射出される様な魔法規模ではその炎を一端を消すことすらも出来ず、ただただその少年の怒りを買ってしまっただけのように見えた。

 

「殺してやる………全員皆殺しにしてやる!!!!!!」

 

「これ以上したら!貴方も呼吸出来なくなっちゃうよ!!」

 

「ぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

ガン!ガン!と、彼がその場で床を地団駄するように蹴りつけるにつれて、凄まじい火花が飛び、靴に纏う熱量が増していく。彼自身もその顔面に火傷を負いながらも、少しずつ呼吸が出来ていないのか顔色を悪くさせながらも、そのステータスと怒りによって強引に意識をしがみ付かせ、離れた位置にいる姉妹も汗を流し始めるほどの凶悪な豪炎を発生させていた。

……不味い、と単純に妹のリエラはそう思う。あれほどの熱量というだけで不味いのは分かるが、そもそもその破壊力があまりにも未知数だった。先程までの段階であってもオルテミスの門や橋を破壊するには十分だったもの、それをここまで高めて爆破させれば、果たしてどれほどの被害が出るか。そうでなくとも彼の視線の先に居るのは自分達。SPDはそれほど変わらないとは言え、あんなものを近くで爆破させられてしまえば2人ともタダでは済まない。少なくともどちらかは死ぬ可能性が現実的に生じてくる。

 

「……リエラ、全部寄越して」

 

「ステラ!?何をする気!?」

 

「殺すしかない」

 

「殺すって……駄目だよ!それにそんなことしたらステラも!!」

 

「私は大丈夫」

 

水弾を放った直後、これではもう意味がないとリエラはスフィアの切り替えを行っていた。それはマドカから教わったことの一つでもあり、意味がないと判断した時点でスフィアの交換は行うという鉄則。そしてリエラがセットしていたのは、赤色、青色、黄色の3色のスフィア。本来ならばスフィアの発動条件に違反し、全ての効果が発動しないはずのその組合せ。しかしそれを見た瞬間に、リエラは顔を泣きそうなほどに歪めて俯く。

 

「…………使うの?」

 

「うん、だから全部寄越して」

 

「………………………分かった」

 

「ん、ありがと」

 

「……ううん、ごめんね。情けないお姉ちゃんで」

 

「そんなことない」

 

リエラは自身の槍をステラに手渡し、ステラは腰のスフィアに手を添える。既に灼熱は周囲の石材を溶かし始めるほどにまで膨れ上がっており、炎というより光ではないかと思うほどの状態へと変化していた。

……それでも少したりとも変形していない彼のその黒色の衣服。分かるとも、彼の持っている全てが今のオルテミスの技術を遥かに上回る物であると。そしてその力に対抗するには、今のオルテミスでもそれほど広まっていない、そもそも使用出来る者自体がそもそも限られる、この隠し玉を使うしかないと。

故に覚悟は決まっている。そもそもステラ・ブローディアはそれほど覚悟を決めて物事に臨むことは少ない。だからこういう場合は、姉のリエラよりも自分の方が適任だと考えている。……姉には姉の適した場所があると、そう思っている。今更1人2人人間を叩き斬ろうとも、自分はどうも思わない。

 

「……ん、それじゃあ」

 

 

 

 

『【水斬】【水斬】【水斬】』

 

 

 

 

「「え?」」

 

 

 

 

『消火調整版【滝水斬】』

 

 

それは正しく、ステラが腰の3つのスフィアを同時に触れようとした瞬間の出来事であった。

聞いたことのある台詞、聞いたことのある技名。そして直後、生じたのは街の壁面上部から突き込まれた2人がよく見慣れた消火用に調整された超大規模の水斬。それは灼熱を纏う少年に彼にダメージを与えない程度の流速で並々と大量の水を叩き込むと、熱量も炎も全てを圧倒的な質量で抑え込み、彼の身体ごと破損した橋の下の海面へと叩き付けた。

弾け飛ぶ水飛沫と、周囲を覆う水蒸気。街と陸地を繋いでいた大橋は完全に破壊されてしまい、ステラはリエラを抱えて物陰に隠れてその衝撃から身を守る。

 

「マドカ………さん……?」

 

晴れていく蒸気の中、海面から飛び上がり肩に気絶した少年を担いだ1人の女性の姿。彼女もまた少年の様に黒い衣服で身を隠しているが、一度海に飛び込んでしまったからか、真っ白な長い髪が外套の中から外へと流れていた。その美しい白髪は2人がよく知っている彼女のものと瓜二つで、けれどどう見ても2人の慕う彼女よりも背丈が小さくて。

 

「待って」

 

「っ、ステラ……」

 

そのまま何事もなかったかの様にして2人の目の前を通ろうとする彼女に、ステラは立ち塞がる。

何が何だか分からない、しかしそれでも目の前の人物をこのまま行かせることだけは違うと、それだけは分かる。それに少なくとも目の前の人物はマドカではない、それは単なる勘ではあったが、常に彼女を目指して努力して来た2人だからこそ分かることだ。

 

「あの、貴女は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【退ケ】

 

 

 

 

 

 

 

「「………………………ーーーーーーーーッッッッツツツツ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」」

 

紅の瞳が2人を貫く。

瞬間、過ぎったのは2人の首が引き裂かれるあまりに明確で明瞭な殺気によるイメージ。首の8割ほどまで剣によって切り裂かれ、その命が終わる瞬間を現実と見紛うほどにまで研ぎ澄まされ突き付けられた、死の幻想。

全身から活力を奪われ、足がすくみ、尻餅をつき、首を確かめる。バクバクと鳴る心臓と荒れた息の中、滲み出る涙によって滲む視界のなかでも自信と周囲、つまり現実を再確認する。必死になって自らの首を触り、それよりもと同時に互いに顔を向き合わせて、相手の生死を確認する。

 

「ぁ」

 

……生きている。

自分はいい、それよりも相手が生きている。

片割れが生きている。

 

女はそんな2人を置いて離れていくが、最早そんなことはどうでも良かった。

 

2人は互いに抱き合い、ただ涙を流しながら蹲ることしか出来ない。けれどそれで良かった。だって彼等にとって大切なのは、何より互いでしかないのだから。2人で生きて来たからこそ、もう1人で生きていくなんてことは絶対に出来ないのだから。

 

 

 

 

圧倒的な力の差?

 

あれはそんな生優しいものではない。

 

あれはバケモノだ。



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104.英雄試練祭9

オルテミス周辺には木々が無く禿げてしまっている山岳地帯というものが多くある。今やそこには緑が茂ってはいるものの、しかし木々の存在しない山というのは少し異様に見えるかもしれない。

しかしそれは4年前に出現した『六龍ゲゼルアイン』のブレス攻撃によって生じた戦痕であり、それを見てオルテミスの新米探索者達は当時の争いの大きさと、その討伐に成功した先達の偉大さを実感するのだ。

 

……アルファが陣取っていたのは、まさにその場所であった。

付近の地形的にも高く見易く、街の様子や海岸の様子が一望出来る。もちろん多少離れているからこそ魔道具によって視界の補助はしているが、どちらにしてもこの騒動を見渡すには十分な環境である。

鼻歌を歌いながらリゼ達とレイン・クロインの幼体との戦闘を見るアルファ、その背後には別の魔道具を使用して街の方を見ている全身を黒で隠した背の高い女性も居た。

 

レイン・クロインは火属性と水属性に対して強い耐性を持っている。故に幼体と言ってもラフォーレ・アナスタシアの全力の火力攻撃に耐えるくらいのことは出来るし、アルファの予想通り、彼女はリゼ・フォルテシアとその一向を中心に戦闘を組み立てているらしく、それほど出しゃばる様なことはしていないように見えた。

リゼが大銃を器用に扱い、口から放たれる水流を悉く交わしながら狙撃を行いダメージを蓄積していくその様子に、アルファは素直に舌を巻く。彼女に対して期待はしていたが、少しずつ、少しずつ、この戦闘の最中にも彼女は成長している。それはステータス的な意味ではなく、単純に技術的な話だ。彼女はステータスとして最低限の基礎はある、そして銃を扱う技術も比肩する者が居ないほどに出来上がっている。故に彼女に必要であったのは、単純に龍種との戦闘の経験と、その銃を戦闘中にどう活かすかという思考と実体験の積み重ねであった。

 

「だから積ませた、だから仕組んだ。最初は帝蛇、ぶっ放せば当たるなんて甘っちょろい考えのままじゃ進まないからな。それで次は2体の強化種、地獄みたいな状況でも狙撃を成功させて貰わなきゃならない。……そんで今回が、こいつだ。レイン・クロイン。いつでも安全圏から狙撃出来る訳がねぇ。レイン・クロインの水流も狙撃みたいなもんだ。狙撃対狙撃をどう対応するかってのが肝だったんだが………くくくっ、そんな方法取るのかよ。そりゃ変態が過ぎるだろ、最高だな」

 

「………」

 

アルファの独り言に対して、女性は特に言葉は挟まない。

アルファとて、最初に一切の照準なくレイン・クロインの顎をリゼが破壊した瞬間には素直に驚き立ち上がったのだ。そこから威力を落とし、敵に狙う場所を悟られないように銃口を蹴り上げる様にして当然のように正確無比な銃撃を行い始めたリゼ。アルファの口角は上がり、久方振りにこれほどまでにマドカ・アナスタシア以外の人間に興奮を抱かされた。

 

「最高だ……流石はマドカが選んで来た探索者だ。その中でもあれは最高の駒になる。そりゃラフォーレ・アナスタシアも気にかけるだろうよ。楽しいだろうなぁ、俺も楽しいとも。少しくらい期待を裏切ってくれてもいいだろうに。何より素直に壁に挑んでくれる上に、叩けば叩くほど伸びてくれるのが最高にイイ!試練の用意のしがいがある!」

 

街中は混乱している。地上に残っていた探索者達が全力で民間人を守っており、ゴーレムが3体ほど出現したこともあってか少しずつではあるが優勢になりつつあるように見える。

しかしそちらは当初の想定通り特に何かしら収穫がある様には見えず、アルファとしてはそれほど興味の湧く対象ではない。そうは言っても用意したモンスター達はそれなりにレベルのある存在であるため、この件を通してレベルを上げる探索者はそれなりに居るだろう。決して無駄にはならない。

そしてそれは1階層で避難した民間人を守りながらモンスター達を地上に出さない様に奮闘している探索者達も同様。ここも良い塩梅に調節出来てはいるだろう。本当はもう少し劣勢で進ませるつもりであったが、カナディア・エーテルの魔法による殲滅速度が速過ぎる。これだけはアルファの想定外であった。

多少調査を行っていたとは言え、やはり魔法においては世界最高峰と言われるだけはあるということか。街の探索者達にも指示を出し、少しずつ防衛の陣形を最善に近付け始めてもいる。あれこそ魔法使いが目指すべき最終地点だろう。そこはアルファも素直に認めている。

 

「あとは……」

 

ダンジョン3階層。

邪龍候補: 鋼龍レイゼルダインを導いたあの階層。

街の大半の上級探索者と英雄アタラクシア・ジ・エクリプスが揃っている最高の空間に、最硬の龍種を打ち込んだ。

鋼龍レイゼルダインの売りはその脅威的な耐久力だ。物理耐性は言うまでもなく、魔法に対する耐性はむしろ物理耐性よりよっぽど優れている。☆3以下のスフィアによる魔法ならば完全に無効化してしまうし、その可燃性のブレスは視認しづらいにも関わらず吐き終わった直後に広範囲に大爆発を引き起こす。

邪龍としては弱い方ではあるものの、しかしその無敵性はアタラクシアの攻撃すらも弾くほどのものだ。地上に上げてしまえば街は一瞬で爆発を繰り返し廃都に変わる。図体の割には身軽で、物理攻撃力も相当に高い。やはりこうして上級探索者の試練に使うには最適な存在と言えるだろう。

少なくとも、あの最強の英雄がレンド・ハルマントンに意見を求め、探索者最年長のシセイ・セントルフィを頼っている。これだけで意味はあるというもの。必死さを忘れた強者達が、老年も含めて必死さを取り戻し、余計な自尊心を捨てて、再び挑戦している。

 

六龍ゲゼルアインを倒した後に何処かやり切った様な顔をして腑抜けていた奴等が、再び探索者の顔を取り戻した。今更レベルだの技術だのは、彼等には不要。必要なのは危機感だ。鋼龍レイゼルダインは、正にそれを与えてくれている。

……もしかすれば多少の死人は出るかもしれないが、だとすれば、それはそれで彼等の着火剤にもなる。少なくともあれは六龍ゲゼルアインより遥かに弱いのだから。あれから4年経って余計な犠牲を出したというのなら、それこそ彼等が腑抜けていた証拠になる。それでいい。

 

「にしても……お〜い、マドカは何処に行ったよ?何処かしらに出てきた所に乗り込んでやろうと思ったのに、これじゃあ待ち惚けだっての」

 

この状況で彼女が動かないことはまずあり得ないとして、彼女は基本的に戦力が最も足りていない場所に行くであろうとアルファは考えていた。故に行き先は鋼龍レイゼルダインかレイン・クロインのどちらか。

彼女の最初の弟子であるブローディア姉妹さえ抑え込めば、レイン・クロインの方に戦力が足りなくなると当初は踏んでいた。しかし想像以上にリゼ・フォルテシアの一味が頑張っている。あれでは勝つことまでは出来なくとも、街からの増援が来るまで持ち堪えてしまうだろう。

……つまり、現状では本当にマドカ・アナスタシアの行き先が絞れない。

 

「いや、だが……この状況で俺のこと追って来るか?」

 

普通に考えてあり得ない。

そもそもこちらの居場所に関する情報が存在しない。いくら予想を付けていたとしても、街から離れたこの場所をピンポイントで見つけられる筈もない。そもそもそれをする意味も薄い。そんな時間を無駄に消費する可能性の高い選択をするくらいならば、街の中で他のモンスターを討伐した方がよっぽど早いだろう。

……それでも、もし仮に彼女が本当に自分を探すことを優先しているのだとしたら。それはモンスターを討伐するよりも自分を探す方がよっぽど早いという確信を持っている場合以外には存在しない。

 

 

 

【武士】

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

【闇斬】【狂撃】

 

 

 

「おいおいおいおいおい!!まじかよ!!」

 

 

 

 

『【闇業撃破】ァァァアアア!!!!!!!!!』

 

 

「!?」

 

凄まじい風切り音を奏でながら、上空から飛び降りて来た1人の青年。彼の握る大剣には闇属性が付与されていて、しかし何よりその全身に漲る破壊力の予兆にアルファは脅威を感じた。

1も2も考える前にその場からの撤退、あんなものを受け切れる筈がない。【武士のスフィア】と【狂撃のスフィア】を組み合わせた、一撃の威力を至高まで高めたそれを、あれほどSTRに偏ったステータスを持った探索者が叩き付ける。それは龍の一撃に匹敵するほどのものだ。

 

 

――――――――――――ッ!!!!!!!!!

 

 

「っ!?こいつ丘ごと……!?」

 

大剣を地面に叩き付け、足場どころか丘ごと吹き飛ばしたのではないかと思うほど抉り取る様な威力で破壊する。咄嗟に飛び退いたことで跳ね上がった土砂に当てられ、衝撃波に揺らされ、無防備を晒す。

……そしてつまりそれは。

 

「こんにちは、アルファさん」

 

「マドカ……!!」

 

「さ、行きましょうか。今日はデートに付き合いますよ」

 

「くっ、そっ……!!ぐっ!?」

 

姿を現したマドカに無防備になった身体を掴まれて、そのまま左腕を切り裂かれて蹴り付けられる。吹き飛ばされた先は丘の下。逆に先程の青年は街のモンスターの支配をさせていた彼女の方へと向かっていった。

……つまり、ただこれだけのやり取りでこちらの目論見は崩されたという訳だ。

使い物にならなくなった左腕を取り敢えず諦めて、右手で枝を掴んで減速を図る。ステータス的に余裕があるとは言え、マドカ・アナスタシアを相手にするならばこれ以上のダメージは負っていられない。

 

「今回は本気ですよ」

 

「っ!」

 

「貴方もそうでしょう?アルファさん」

 

「がっ……ごっ!?」

 

追い討ちをかける様に減速を試みたアルファの腹部にマドカは膝蹴りを突き込み、そのまま木に叩き付けた。柔な細い木をへし折り、勢いのままに地面を転がっていき、最後に再び大木に身体を打つける。口から漏れ出る血と唾液、腹部から伝わる重い痛み、恐らく肋骨と内臓がいくつかやられている。

……果たして、一体どれほどの距離を吹き飛ばされたろうか。少なくともこのダメージは尋常ではない。本当に一瞬気を抜いただけで、自分よりも明らかにレベルの低い彼女にここまで一方的にやられた。だから恐ろしいのだ、彼女の姿が見えないということは。彼女に隙を見せるということは。

 

「く、くくく……」

 

けれど、だからこそ面白くもある。

自分が未だに足りていないと自覚させられる。

錠剤型の回復薬を5粒ほど口に含み、飲み込む。無理矢理に身体を持ち上げ、戦闘態勢を取る。彼女は今日は本気でやってくれると言った、ならば立ち上がる以外に他あるまい。

こんな機会は滅多にない。彼女が自分の全てを受け止めてくれる機会なんて、そんなもの立ち上がらない理由にしかならない。それだけで立てるとも、それだけで笑えるとも。それだけで、幸福だとも。

 

「本当に本気でやってくれるんだな?マドカ」

 

「もちろんです、今回の件は流石に私も怒っていますから。……たとえ探索者に試練を与えるためとは言え、民間人を巻き込むとは何事ですか」

 

「……一応殺しはしないように配慮はしてるんだがな」

 

「人間が肉体だけで生きているとでも思っているんですか?あれほどの凶悪なモンスター、襲われた子供達が何を思うか……今日はキッチリ負けて帰って貰います。徹底的に叩きのめしますので、しっかり反省して下さい」

 

「……優しいなぁ、おい」

 

片手に赤色のスフィアを3つ持ち、それを慣れた手つきで一瞬で秘石にセットした彼女。本当に怒っていて、こちらを睨んでいて、髪と衣服を風に靡かせて。そんな彼女の姿が、本当に凛々しくて、美しくて……

 

「愛してるぜ、マドカ・アナスタシア」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

だからこの想いは一方的で良い。絶対に受け止めて返してなどくれるなと、一生そう思っている。報われなくて良い、自分の物になどならなくていい。誰のものにもならず、当然この想いは叶えてはくれず、ただ自分の役割を全うする。仮にそれがどれほど荊な道であろうと、それがどれほど悲惨な結末へ導いていても、こんな粗末な想いになど決して囚われることなく突き進んでいく。

そうだ、そうだとも。

そうでなくては、それでなくては……彼女はマドカ・アナスタシア足り得ない。

 

 

 

 

 

 

「ハァァァア!!!!」

 

『っ』

 

ベインの振る大剣を、彼女は軽い身のこなしで避けていく。当初の予定通り、彼女をアルファから引き離し、その手に持った何かしらの魔道具を使用させることをやめさせることが出来た。

マドカの想像通りであれば、これで街中のモンスター達の支配は解ける。時間的にも避難は大方終了した頃、モンスター同士の共食いも発生し始め、殲滅速度はより速くなっていくだろう。それさえ落ち着けば、他の場所に援軍を送ることが出来る様になる。

支配を解くことで多少の被害が出る可能性はあるが、それよりも他所に援軍を送ることが一番大切だというマドカの言葉にベインは頷いた。故にこの決断に後悔はない。

 

……ただ。

 

「っ……!!」

 

感じる違和感、それが拭えない。

剣を振るう、攻め込む。剣士の技術には剣の振り方だけではなく、その体の動かし方一つにでさえ意味がある。故にそれなりに学んだ者同士であれば、相手の動きの意味や練度、そして無駄や不足まである程度理解出来るようになるものだ。そして素人を相手にした場合、それが一番大きな力量の差に繋がってくる。

 

……違和感があるのは、正にそこだ。

目の前の女性の体捌きは明らかに達人級のそれであり、間合いのやり取りでさえも既にベインは何度か負けていた。しかし何処かその技術がぎこちなくも感じるのだ。腰に携えた水晶のように透き通る大きめの細剣を手に取る仕草すらなく、ただ只管にこちらの攻撃を避け続ける。明らかに自分よりも高い技術があるのに、どうしてそれをぎこちなさそうに使うのか。

 

「………【闇斬】」

 

「っ」

 

手を抜いているから。

自分の使っている流派を知られたくないから。

そしてそれが出来る相手だと、見下されているから。

ベインは大剣に闇属性を並々と注ぎ込み、全身の筋肉を漲らせる。その身体ほど大きな巨大な鋼の塊を、彼は凄まじい速度で振るうことが出来る。それは単純な力であり、単純だからこそ脅威である。元より技術なくしても多くの探索者を屠って来たその剣は、そこから培った確かな技術によって更に多くのモンスターを屠った。

 

「喰らえっ!!」

 

闇を走らせた大剣を、一切の無駄を排除した最速の連撃で叩き込む。ベインの基本的な戦闘スタイルは最前線でこの巨大な剣をとにかく敵に密着して攻め込むものだ。敵に防御をさせて、その防御を吹き飛ばして、更に前へ前へと詰めていく。

そのために必要な肉体も、技術も、反射神経も、彼の先天的な才能と後天的な努力故に身に付いていた。元々は本当に猪のように突き進むだけだった彼も、剣を学び、自分を知り、そして切り開いた道で身に付けた技術は尋常ではない。飛び退き、突っ込み、跳ねて沈み、あらゆる方向から剣を叩き付ける。一撃一撃を必殺のものとしながらも、それを一切の絶え間を作ることなく確実に敵の身体目掛けて放っていく。

 

「ハァァァアアア!!!!!」

 

『っ、……!!』

 

剣を抜いた。

ぎこちなさが取れていく。

浮かび上がっていく本来の技術。

 

……故に分かる、やはり目の前の女は自分より遥かに剣士として格が高いのだと。単純な技術では絶対に敵わない相手なのだと。そしてだからこそ、ベインの額に皺が出来始める。口の中が少しずつ乾き始める。それは剣を叩き付け、追い込み、その技術を浮かび上げるほどに、目の前の女が彼女と重なりはじめたからだ。

 

『!!』

 

「くっ……オオォォォオ!!!」

 

知っている。

その全てを知っている。

今の針を差し込むような超絶的なカウンターを。振り上げた瞬間に剣を叩き態勢を崩す超人的な心眼を。これほどの威力を持った一撃に対して正面から挑みかかり、それを完璧にいなして反撃を試みるクソ度胸を。ベインは全部知っている。

 

 

 

 

「……………何をしているんだ、ルミナ」

 

 

 

 

『…………』

 

 

都度40。それほどに剣を叩き付けた腕から、完全に力が抜けて切っ先を落とす。しかしそれは決して疲れから来たものではない。

 

ルミナ・レディアント。

 

ベインがダンジョンで見捨てて来てしまった、同門の女性。ベインが彼女のことを間違えるはずがない。一体何度彼女と剣を合わせたと思っている。ただ自分と剣を合わせてくれる人を探すために、単独で人殺しを道場に勧誘しに来たような女だ。そんな彼女に自分が本当に何度正面に立たされたと思っている。その度にどれほど悔しさを飲み込まされ、努力をさせられたと思っている。

 

「ルミナ……お前なんだろう?どうして何も言わない?生きていたのなら、どうして今まで教えてくれなかった」

 

『…………』

 

「ルミナ!!」

 

彼女は何も言わない。

外套を着たまま、その顔すら見せてはくれない。

ただ静かに剣を持ち上げ、ゆっくりとこちらに突き付けてくる。まるで何かを知りたいのであれば剣を合わせて聞きに来いと、そう言っているように。生前の彼女がとにかく手合わせに物事を結び付けて来ていたように。

 

『………!』

 

「くっ!?」

 

『っ!』

 

「なっ、速い……!?」

 

仕掛けて来たのは彼女から。以前のように彼女の剣速に対応する為に大剣を盾にするように前に掲げたが、しかしそこに到達した彼女の剣の速度は明らかに以前の比ではなかった。

先程とは真逆に、防戦一方に追い込まれるベイン。

彼女の基本的な戦法は変わっていない。その異常とも言える技術と単純な速度、そして対応力と発想で敵を追い詰めていくいつものスタイル。しかし何より違うのは、そのステータスの基礎値だ。一撃一撃の威力と速度が明らかに上昇している。つまりはレベルが上がっている。それも1とか2とかの話ではなく、相当な上がり幅で。

 

「……っ!?光属性のスフィアか!」

 

剣撃を防御し、鍔迫り合いに持ち込んだところで筋力だけで強引に吹き飛ばすことで、無理矢理に距離を取る。しかし直後に彼女は自身の左脚に取り付けていた秘石のスフィアを叩き、光属性のスフィアを使用した。彼女がよく好んで使用していた光属性のスフィア。光斬をよく使っていたことから、その切れ味と斬撃に特に注意を払って戦闘をしなければならないのだが……しかし今回彼女が使用したのは、光斬のスフィアではない。

 

「!?何のスフィアを……ぐぁっ!?」

 

そのスフィアを使用した瞬間、彼女の動きが激変する。まるで地面を氷上のように高速で滑り始め、その突風のような凄まじい速度をもってベインの左腕を引き裂いていったのだ。……ベインが全く知らないスフィア。ここにマドカが居ればその正体も分かったかもしれないが、居ない以上は自分で想像するしかない。

 

「くっ……!!ハァッ!!」

 

再びスフィアを叩き、低い姿勢のままに突っ込んで気た彼女を避け、途中で軌道を変えて追撃しようとして来た2度目の剣をなんとか弾いて対応する。単純な速度だけではない、滑るようにして動くからこその自由で慣れない攻撃が厄介だった。しかし反して攻撃の威力自体はそこまでではない、左腕が引き裂かれただけで済んだのはそれが原因だ。

滑るということは踏ん張れないということ、故に直接打ち合えばむしろこちらが有利な状況に持ち込める。……相手がルミナでさえなければ。

 

「!?……厄介だな!【狂撃】!」

 

背後から飛んできた魔力の斬撃を、ベインは風切り音を聞いた瞬間に大剣を強引に振り回して叩き落とす。しかし斬撃による攻撃はそれだけでは終わらず、彼女はベインの周りを滑りながら何度も何度も剣を降り斬撃を飛ばして来る。

ベインはなんとか突破口を作るために狂撃のスフィアによって足元を吹き飛ばして斬撃を掻き消すと、背後が壁になるような場所目掛けて走っていくが、それでも新たな斬撃が追撃を仕掛けてくる。

ルミナのスキルの中には、スフィアを使うことなく斬撃を飛ばすことを可能にするというものがある。つまり彼女はスフィアを使用せずとも擬似的な魔法を扱うことの出来た希少な人物でもあった。

……この地上を高速で滑走するという奇妙なスフィアは、正しくそんな彼女のためにあるとも言えるだろう。容易く背後に回り込み、中距離から常に動き回りながら斬撃を囲むように射出してくる。ベインは岩壁を背後にしてその攻撃に対応するが、しかしとにかく数が多い。どれほど撃ち落としたところで限度がある。

 

「ぐっ……くっ……!」

 

スフィアを攻撃系のままにしてしまっていた、最初の一撃の直後にもう少しバランスの良い構成に変えておくべきだった。この辺りがブランク故の失敗か。そしてこれが引きこもり続けていた故の停滞か。

 

「ハァ、ハァ……ごほっ、ごほっ」

 

勝てない、勝てる光景が思い浮かばない。全身に斬撃による切傷をつけられ、大剣を盾にするようにして膝を突く。こちらが限界なのを悟ったのか、彼女も攻撃の手を弱めてベインの目の前に佇んだ。

彼女を下から見上げる。

外套の中がチラと見える。

しかしそこに彼女の顔は殆ど見えず、口元は隠され、目元も外套に付けられた薄い布によって隠されていた。しかしその顔が間違いなくルミナのものであることは間違いなく、そして彼女が彼女であることも間違いない。

 

「なぜ……なぜあんな男の下に付いている。何故だルミナ!答えてくれ!!」

 

『………』

 

彼女の秘石に付いているもう一つの光属性のスフィア、それは間違いなく光斬のスフィアだ。彼女はそれを温存し、つまりはベインを殺すつもりなど毛頭ないということ。

だがこちらの質問になど一切答えず、剣を合わせても力の差だけを徹底的に押し付けられ、その表情すらも見せてはくれない。

脅されているのか、それとも操られているのか、それすらも教えてくれないからこそ、ベインの心は大きく乱れる。生きていてくれた、それがどんな形であったとしても。それだけでも嬉しいけれど、心の底から歓喜するようなことではあるけれど、だからこそアルファに従っている今の彼女への不安が大きく感じてしまう。

 

『………っ!』

 

「!?待て!!行かせるか……!」

 

しかしそんなベインの言葉に彼女は反応を見せることはなく、何かに気づくような仕草をした後、ある1方向に向けて滑走し始めた。その方向は正しく先程マドカがアルファを蹴り飛ばして降りて行った方向。

ベインは痛む身体を気合いで立ち上がらせ、凄まじい速度で滑走していく彼女を追う。スフィアを取り替え、ポーションを頭から乱暴に被り、痛みを堪えて足を動かす。

 

きっと全ての元凶はアルファだ、あの男だ。

だからこそ、とにかく……あの男をどうにかしなければならない。

 



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105.英雄試練祭10

2本の剣を持つ非常に攻撃的なその戦闘法は、意外と実践している人間というのはそれほど多くはない。理由としてはあまりに扱い辛いからだ。それこそ初心のうちはそういった探索者を見掛けることもあるが、そんな彼等も次第に片手剣にしたり、片手を小楯に変えたりしている。……ぶっちゃけ、このスフィアというシステムと双剣というスタイルが全くと言って良いほどに噛み合っていない。スフィアを叩く必要がある以上、片手は可能な限り自由に出来ていた方がいい。特にスフィアの交換が必要になってくる中級以上の探索者となれば、それはより必要な要素になってくる。

 

「こっ、のっ……!」

 

「ハァッ!!」

 

だからこそ、そもそも双剣を相手にした立ち回りというのはあまり確立されてはいない。そして同時に、その条件下においても双剣を使っているような物好きは、総じて異様に実力が高い。例えばそもそもスフィアを最低限しか使わなかったりとか、逆にスフィアの扱いが変態染みているとか、例えば戦闘の組み立て時点からその欠点を補っているとか……

 

「全部お前のことだよマドカぁ!!」

 

「突然何の話です……かっ!!」

 

「ぐぅっ!!」

 

押されている。

スフィアをまだ一度も使用していないマドカに。

この英雄試練祭の最中でもアルファはマドカと手合わせをし、ほとんど互角程度の攻防を繰り広げた。最後に敗北はしてしまったとは言え、ステータスの差を考慮せればそれも補える。しかし今回違うのは、アルファが既にマドカから手傷を与えられているということ。腕を切られ、腹部を蹴り飛ばされ、叩き付けられて。明確に劣勢な状態から戦闘が始まった。

これがレンド・ハルマントンのような真正面から経験と技術で圧殺してくるような正統派であればまだいい。アルファとて百戦錬磨、いくらでもやりようがある。だが目の前の女は間違いなく自分と同じタイプの人間であり、むしろその上位互換。つまり。

 

「っ……!」

 

「これも避けんのかよっ、どんだけ俺の思考読んでんだっかはぁっ……!?」

 

「読めているということは、そこから追い詰めることも可能ということです!!」

 

「ごぁっ!?」

 

レンドから聞いていたアルファの武器である手足の武装、それは単純に爆発を引き起こすグローブや靴のようだと考えていい。そして当然それらは耐久性も高い。素手戦闘の要領で敵を追い詰めていくものなのだから。

だがその一方で、それは剣や槍のようなリーチの長さをどうにか出来る技術が無ければ成り立たない。これに対してマドカが行ったのは、剣撃の揺れだ。通常、速度と切れ味を優先させるために一閃を描くようにして振るう剣を、全身を上手く使って決して振り切らず。直撃する瞬間に軌道を変え、剣舞のように無軌道な軌跡を描く。それを両手の剣で、超高速。単純な突きですらも波を描くようなそれは、単なる素人がすれば大した脅威ではないだろう。だが目の前の人間は素人などでは到底ない。

 

(マッジで1秒で何手先まで予測してんだよコイツ……!!その精度の突きをエサにして裏で逆手に持ち替えてんじゃねぇよ!!)

 

一先ず距離を置くためにアルファは回避のスフィアを使用してそれを避ける。……これまで隠していたスフィアの1つを、こちらが先にバラす羽目になってしまった。こちらは未だ1つすらマドカのスフィアの内容を把握出来ていないというのに。

 

「やっぱ先ずは高速戦闘を封じねぇとなぁ!!」

 

「っ!?」

 

「『水刃』!!」

 

「っ、アルファさんにしてはまた珍しく正統派なスフィアを……!」

 

『水刃のスフィア』、それは斬撃武器がなくとも属性による斬撃を飛ばすことの出来るスフィアだ。そしてその斬撃は通常の斬撃よりも妨害には弱いが、範囲が広いという特徴があった。

アルファは一度マドカを木の上へと弾き返すと、姿勢を低くしながらそのスフィアを使用した。自身の腕を剣のように振るい、水による斬撃を3方向へ向けて放つ。つまりは周囲の木々を薙ぎ倒すためにそのスフィアを使用したのだ。

倒れ始めた木々に、マドカはアルファと目線を合わせながら大人しく地上へと降りる。そんなマドカをアルファもまた特に動くことなく笑みを浮かべて見つめていた。

 

……もちろん、ここで姿を隠して奇襲を狙うことは出来る。しかしそれは相手も同じだ。そうなってしまえば互いにとって非常にやり難い勝負になる。

マドカとしては時間のかかる戦闘になることを嫌い、アルファとしては慣れない隠密戦闘なんかでマドカに勝てるイメージが全く浮かばなかった。故に互いに見つめ合い、周囲が高速戦闘の出来ない地形になったこの場所で向かい合う。

手傷はアルファの方が多い、しかし高速戦闘さえ封じてしまえばアルファの方が有利だ。アルファとて高速戦闘は出来るが、練度が違い過ぎる。単純な正面衝突が、最も勝率が高い。

 

「……これで2つ」

 

「あん?……ああ、俺のスフィアの話か。確かにもう2つも晒しちまったな、まだこっちは1つも見てないってのに」

 

「あとの1つは、『拘束のスフィア』とかでしょうか」

 

「…………なんで分かんだよ」

 

「レンドさんと戦っていた時にも使っていたようですし、戦闘中も何度か使うタイミングを測っていましたから。スフィアを予想するために何度か余裕を見ては隙を作ってみたんですが、あの反応では『拘束のスフィア』を持っている可能性が1番高いかなと」

 

「……マジでスフィアの扱いと知識に関してはバケモノだな」

 

「ええ。そこだけは私が1番だと、謙虚にならずに言えるところですから」

 

「あ〜ちっくしょう、どうしたもんかなコレ」

 

しかしそうは言いつつも、アルファの笑みは益々深まるばかり。楽しくて楽しくて仕方がない。左腕の傷のハンデなど、むしろ喜ばしいくらいだ。

どれほど策を立てても、どれほど抗っても、それを自分が想像も付かなかい方法で、想像していても本当にやるとは思わなかった方法で取り返してくる。

ならば何処までやればいいのか、何処まで対応してくるのか。策を考えて、打つけて、覆されて、それを繰り返して頭を必死になって回している現状が、どうしようもなく楽しい。どうしようもなく面白い。

 

「さて……アルファさん、恐らく今はスキルでINTの値を私に合わせていますよね。それまでは多分SPDだったと思うんですけど」

 

「ああ、それがどうしたよ」

 

「SPDに戻しておくことをおすすめします」

 

「?」

 

「私の3つのスフィアの正体、お教えします」

 

「!!」

 

アルファは咄嗟に身構える。

それはマドカの雰囲気が変わったからとか、そういう理由ではない。それは単純に彼女が左手の剣を仕舞い込み、片手剣のスタイルに変えたからだ。

……他のどんな変化よりも、今はその変化の方が恐ろしい。これまで隠していた3つのスフィア、しかもそれが全て赤色の炎属性のスフィアである。彼女を知っている者からすればあまりにも珍しいスフィアの組み合わせ。いくら高速戦闘を封じたからと言っても、この女ならばどれだけでも奥の手を隠していても不思議ではない。

 

「アルファさん、私のセットしたこのスフィア。なんだと思いますか?」

 

「……母親習って【炎弾】3つって事はないだろうよ。【炎壁】で囲って【炎刃】で八裂きって感じか?まさか【魔砲】3つなんてバカみたいなことやるんじゃねぇだろうな」

 

「『バリアのスフィア☆1』が3つです」

 

「………………は?」

 

「これ全部バリアのスフィアです。初心者探索者でも持っているような、☆1のスフィアです」

 

「………………待て、お前が何を考えてるのか全く分かんねぇ」

 

「大丈夫ですよ、安心して下さい。これからがその答え合わせの時間ですから」

 

「っ!!」

 

マドカが何の工夫もすることなく突っ込んで来る。それに対してアルファが取ったのは周囲への警戒だ。つまりはバリアのスフィアによる、逃げ道の妨害。または疑似的な拘束、それを警戒した形になる。

龍種との戦闘においても、バリアのスフィアは一時的な拘束や妨害に使われ、敵の隙を一瞬であっても生むという方策があるからだ。故にアルファがそれを警戒し、警戒してしまったのは仕方がない。

……バリアの使い方は、それだけではないのに。むしろ集団戦闘においては、こちらの方が汎用的に使われている方法だというのに。

 

「残念、不正解です」

 

「……!!足場かっ!!」

 

「そうです。そしてこれを利用すると……?」

 

「しまっ……!!」

 

「開けた空間でも、高速戦闘が可能になります」

 

反応が遅れたアルファの身体に、マドカによる斬撃が叩き込まれる。左足、背中、そして右腕。回避のスフィアを使用して4撃目を避け、バリアを足場として仕掛けて来た追撃の5撃目を右足で足場を爆破させることで相殺し、しかしそれでも払い切ることが出来ず6撃目の追撃が迫る。

……通常、高速戦闘というのは床や天井、壁を利用して縦横無尽に飛び回りながら敵の死界に潜り込み翻弄し致命的な攻撃を与えるものだ。だが逆に言えばそれは、必要な足場さえあれば何処でも出来るということ。

そこでうってつけなのが『バリアのスフィア☆1』、これは自身の前方に強度小のバリアを展開するものである。強度自体は弱くとも、足場にする程度ならば何の問題もない。そして☆1故に使用間隔は5秒。杖が無ければ使えないという制限はあるが、マドカはその左手に小杖を常に隠し持っている。

☆1のスフィアと言えば『回避のスフィア』ばかりが注目されてしまうが、この『バリアのスフィア』もまた非常に汎用性の高いスフィアなのだ。魔法使いなら誰でも、このスフィアを使いたがる。仮にそれで炎属性のスフィア制限が掛かってしまっても、それでも。

 

「けどなぁマドカ!!所詮は5秒だろうと制限はあんだろうが!!」

 

「!」

 

「時間制限のせいで攻めが単純なんだよ!!舐めてんじゃねぇ!!『拘束』!!」

 

「っ」

 

斬り付けられた傷の痛みなど全く無視して、アルファは残った全ての力を振り絞って『拘束のスフィア』を使用し、迫ってくるマドカに対して蹴りを叩き込んだ。

回避すら捨てた渾身の一撃。

そしてそれはマドカがこちらを殺す事など絶対出来ず、故に防御を捨てても良いというあまりに打算的な思考の元に放たれた一撃でもあった。

拘束のスフィアに防御は関係ない。スフィアを発動した直後の肉体攻撃が敵に接触した時点で、それは発動する。敵にノックバック効果を与えた後、そのまま問答無用で敵を拘束するのだ。拘束時の強度はINT対抗で行われるとは言え、アルファには自身のステータスの1つを敵と同値+1にするというスキルが存在する。故に拘束は確実に成功するし、一度捉えてしまえばマドカの筋力では破ることは困難になる。そこまで含めてこのスフィアを選んだのだ。

故にこれさえ成功してしまえば、後はもう……

 

「いえ、貴方の負けです。アルファさん」

 

「っ!?」

 

「言った筈ですよ。……私は、他の誰よりもスフィアを知っていると」

 

「なぁっ!?」

 

「そもそも私は最初から、『拘束のスフィア』を警戒したことなんて一度もありません」

 

ノックバック後に発動した拘束のスフィアが、破られる。完全に拘束が完成する直前に、爆ぜ、砕け散る。マドカはそれを分かっていたように再び足場を発生させると、驚き呆然としていたアルファに迫った。

 

……アルファにもう手はない、これ以上の策など存在しない。そもそもこんなもの、あまりにも天晴れで、あまりにも驚き甲斐があって。

そしてあまりにも、満足が過ぎる。

 

 

 

「………ハハッ、やっぱすげぇわ」

 

 

 

 

「アルファ!!」

 

 

 

「っ……!」

 

 

間一髪だった。

マドカの剣が腹の部分で峰打ち気味アルファに叩き込まれるその瞬間に、増援は間に合った。本当ならばベインと対していた筈の女性、その彼女がアルファの劣勢を察知して割り込んで来たのだ。

彼女は自身の剣でマドカの一撃を阻むと、その場で3撃ほど互いに剣を交わらせてから距離を取る。

 

……アルファとは違う類の強者、単純に対人戦闘の凄まじい経験値を感じる剣術。その太刀筋1つであっても、驚くほどに無駄が無い。

 

「これは……迂闊には攻め込めませんね」

 

「あっぶねぇ、助かったぜ"ガンマ"」

 

「………その名前は慣れない」

 

「慣れろよ、もう本名を名乗れる立場じゃねぇんだからな」

 

ベータと呼ばれたその女性は、外套で顔を隠した姿はそのままに、鞄から取り出したポーションを雑にアルファに振り掛ける。それに対してマドカは特に反応する事なく、スフィアの取り替えを行った。

……正直この2人を相手にして勝てる自信はマドカにはない、このままでは逃げるしか道はないのだが。

 

「さてと?いや悪いな、気持ち良くトドメを刺させてやれなかったわ。負けは認めるから勘弁してくれ」

 

「まあ、仕方ないですね」

 

「だがようマドカ、これだけは教えてくれよ。さっきのやつはどういうことだ?どうして俺の拘束のスフィアは効かなかった?何をどうやりゃあそこから拘束を破れるんだ?」

 

「……………………まず、前提として。拘束のスフィアには欠陥があります」

 

「ほう?そりゃ初耳だ」

 

「具体的には拘束の順番です。拘束は両手足から行われますが、この順番が決まっているんです。……右手、右足、左足、左手。この順番で4箇所を固定させてから、そこを起点に全身を縫い合わせます」

 

「それで?話が見えないんだが」

 

「その最初の固定の強度には、INT対抗との関係がないんです。常にその相手の体格に依存した一定の強度で働きます。INT対抗による拘束の強度は、あくまで両手足を固定後から発生するものが対象となる。つまり……」

 

「……最初の手足の固定さえ破壊すれば、拘束は完了しない?」

 

「そういうことです」

 

それは本当にアルファですら知らなかった事実。だがしかし、その理論であればおかしな場所も出て来る。それだけでは説明出来ないこともある。

 

「だがその場合、常に全身に力を入れていればそもそも拘束をされないということにならないか?」

 

「そうですね。だから順番が大切なんです」

 

「………?」

 

「この欠陥を隠すために発動するのが強制的なノックバック効果です。このノックバック中に手足の固定は始まり、体に自由が戻る頃には固定は完了しています。そして固定は途中で破壊されても他の固定箇所が作用していれば、時計回りに再度の固定が始まるんです」

 

「ああ……もういい、分かった」

 

「…………」

 

「つまりは、ノックバック中にも冷静になって、両手足の動きを止める事なく固定を破壊し続ける。だが固定が完了するまでの猶予は、実際のところアホみたいに短い」

 

「そうですね。両手で防御なんかをして浮かされてしまえば、拘束はまず免れません。ただしあくまで4箇所の固定が拘束の条件なので、さっきのように両手で防御をしてしまっても、両足の固定を破壊し続ければ猶予を保つ事は出来ます。……簡単なのは『拘束のスフィア』を使用された瞬間から吹き飛ばされながらでも常に両手足を思いっきり全力で動かし続けることです。これでも変に判定が残って拘束されてしまうことはありますが、まあ基本はこれで対策できます」

 

「なんだその馬鹿みたいな抜穴は……間抜け過ぎるだろ」

 

「そもそも拘束なんて強力な術が、肉体の接触なんて簡単な方法で実現する方がおかしいんです。こんなものは強力な龍種相手には殆ど成功しません。それが強力だと分かっているからこそ、アルファさんも好んでいるんでしょう?」

 

「………ああ、そうだ、その通りだよ。ちっくしょう、完敗だな」

 

 

 

 

「マドカ!!」

 

 

 

背後から掛かる青年の声。

どうやら解説による時間稼ぎも成功したらしい。

ガンマという女性を追いかけて来たベインは流石に速度では敵わなかったらしく時間が掛かってしまったが、しかしこれなら十分に間に合ったと言えるだろう。

 

……これで2対2。

戦力的には、治療中とは言え、それでもアルファの傷が深い分を考えれば然程差はないと言えるだろう。それはどちらも分かること。

しかしそれよりも何よりも大切なのは、ベインがここに来ても来なくても、これ以上に戦い合う理由も余裕もやる気も無くなってしまっているということ。アルファは既に満足しているし、これ以上の余裕もないし、ある程度マドカという戦力をこの場に縫い合わすことが出来たために理由もなくなった。よってアルファが選ぶ方策は1つ。

 

「ああ、満足したぜマドカ・アナスタシア。そういうことだから俺はもう帰るわ」

 

「なっ!貴様待て!逃すと思うのか!!」

 

「あん?別に逃してくれなんて言うつもりもねぇよ。逃したくないなら好きに追いかけてくればいい」

 

「巫山戯るな!!貴様ルミナに何をした!!」

 

「……なんだ、お前ら知り合いだったのかよ」

 

「…………」

 

女性は何も話さない。

ここに駆け付けた時には声を出していたが、ベインがここに来てからはジッと口を瞑ったままだ。だからこそベインもイラついているし、モヤついている。そして当然彼の怒りの矛先が向くのはアルファであり、アルファもまたそういう状況は楽しむような人間だ。つまりはまあ、マドカはなんとも言えない顔になる。

 

「なあオイ、お前等もしかして恋仲だったりしたのかよ?うん?」

 

「っ、そいつに触れるな!!」

 

「はっはっは、こりゃあいい。……いやなに、これでも俺はお前のこと評価してんだぜ?『武士のスフィア』を使ったとは言え、あそこまでの破壊力はなかなか出せねぇ。間違いなく逸材だ。……なぁ?お前もそう思うよなぁ?」

 

「貴ッ様ァ!!」

 

ベインの前でわざとらしく彼女の肩を抱き、見せ付けるようにして顔を近づけるアルファ。彼女はそれに対して顔を背けるだけで特に反応を示すことなく、ベインが大剣を構えてもアルファはそのニヤケ面を崩すことはない。

 

「いやぁ、最高だな………で?どうするんだ?こいつにボコボコにされた程度の奴が、俺になら勝てるとでも思ってんのか?」

 

「っ」

 

「怒って喚くだけならガキでも出来んだよ、自分の女取られてその様子じゃ酒の肴にしかなれねぇぜ?マドカに頼らなきゃ何にも出来ねぇのか?本当にチ○コ付いてんのか?」

 

「っ……!!」

 

どれだけ挑発されても、しかしベインとて分かっている。自分の不足を。自分の弱さを。

あの時に仲間達を失ってから鍛錬すらもろくにせず引きこもって来たその身は、ステータスは変わっていなくとも当時より遥かに弱くなっている。それに現状が2対2でようやく膠着状態になっているのも理解している。これは敵の挑発だと。そうして膠着状態を打ち破ろうとしているのだと、ベインとて分かっている。

 

……だが、それでも。

 

 

「………………………はぁ。やれやれ、仕方ねぇな」

 

「?」

 

「なぁ、お前ももういいだろ?あんな粗チン野郎。だからよ、帰ったらまた"いつもみたいに"楽しませてくれよ。むしろこいつのこの顔を思い出せば……クク、いつも以上に渋りそうだなぁ?」

 

「っ!?……お前、ルミナに何を!!」

 

「あぁん?おいおい、頭の中までガキンチョのままかぁ?男が女従えてんだぜぇ?そんなもんやる事は1つしかねぇだろ?……まあ俺の場合は当然、そこに愛も加減もサラサラねぇけどなぁ?はっはぁ!!マドカ以外の女なんざ俺にとっちゃあ使い捨ての道具みたいなもんだ!!」

 

 

『……ァァァアルファァァァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

そこが我慢の限界だった。

ベインは大剣を自身の力で破壊してしまわん程の勢いで握り締め、激怒の表情で障害物の全てを巻き込みながら突貫する。スキルもスフィアも技術も何もかもをかなぐり捨てて、ただ力だけで直線上に存在するその全てを薙ぎ払う。あまりにも凄まじい鬼神の一撃、だがしかしそれに対してアルファが選択したのは同様に突貫である。浮かべた笑みを益々に深くして、その暴力の嵐に彼は突っ込んだ。

 

 

『ギィィッイィィィイイイイ!!!!!!!!』

 

 

「思考飛ばして勝てる様な相手だと思われてたんなら、そいつぁ素直に悲しいもんだなぁ!?『拘束』!!」

 

 

『ガァッ………ァァァアアアアッアアアア!!アルファァァァア!!!!!!!」

 

 

「はっはぁ!正に鎖に繋がれた獣じゃねぇか!こりゃ良い見せ物になるなぁオイ!」

 

拘束のスフィア。

マドカには通用しなかったそれも、そんな欠陥のことなど露程も知らないベインではどうすることも出来はしない。一度当たってしまえば、マドカのINTをコピーしているアルファに、ベインの低いINTでは太刀打ち出来ない。いくらSTRが高くとも、INTの差が大き過ぎて拘束の強度が強過ぎる。

ベインが何度も何度も身体を動かそうと暴れても、拘束はビクともしない。どれほどアルファに目の前で煽られたところで、それは無意味に彼の体力を奪う結果しか齎す事はない。

 

 

「……アルファさん、そこまでにして貰えますか?流石に悪趣味が過ぎます」

 

そんな2人の間に、マドカは割り込んだ。

剣をアルファの首元に突きつけ、それと同時に彼は回避のスフィアを使って後ろに跳ぶ。マドカの顔は険しい。流石に一連の流れに不快感を感じたらしい。

スフィアを変えてから既に数分、やろうと思えば彼女はやれるだろう。一応そういうことを想定したスフィア構成にもしてあるし、そんなことはアルファとて分かっている。

 

「おっと、そんな怒った顔しないでくれよマドカ。俺が本当に愛してるのはお前だけだぜ?」

 

「そんなことは聞いてません。……それより、ここは引いてくれるんですか?それとも、まだ続けるんですか?」

 

「ッ!?マドカ!?何を言っているんだ!!」

 

「いいや?流石に今日はもう満足だ、このまま帰るぜ。想定していた以上に楽しませて貰った。最高の1日だった。……他の場所もまあ、後は好きにしろよ。手を出すつもりもない」

 

「そうですか、分かりました」

 

「待て!!マドカ!!追ってくれ!!それともこの拘束を!!マドカ!!頼む!!」

 

「いえ、追いません。というか、追えません。……アルファさんは逃走系のスキルを持っているみたいですから、本気で逃げられたらどうしようもありません」

 

「ま、そういうことだ。……じゃあな雑魚、精々自分の無力に嘆いて引き篭もってろよ。こいつはもう少し借りてくからよぉ」

 

「待て!ふざけるなァ!!ルミナ!!ルミナァァァア!!!!!」

 

「………」

 

ベインのそんな叫びも虚しく、アルファもガンマもその場を去っていく。マドカはそんな2人のことを追うことはしないし、彼等が本当にここから離れた場所に走って行ったことを確認してから、ベインの拘束を外すために2本の剣を組み合わせて大剣にした。

拘束のスフィアは使用者が遠く離れた所へ行けば自動的に解除される。しかし単純に第三者から攻撃を受ければそれは容易く瓦解する。それもまたこのスフィアの弱点でもある。基本的に多対一で使用するものではない。

 

「頼む……頼むマドカ、今からでも追いかければ、君なら……」

 

「……いえ、追い掛けません。仮に追い付けたところで、私1人ではあの2人には勝てません。それよりもリゼさん達のところへ行く方が先です」

 

「………………」

 

「ベインさんは、どうしますか?それでもまだアルファさん達を追い掛けたいと言うのなら、私は止めません。追い付ける可能性はありますし、ルミナさんを取り戻せる可能性もあるかもしれません。……その選択をしたとして、決して無駄にはならないでしょう」

 

「………………」

 

分かっている、分かっているとも。

マドカの言っていることは何もかもその通りで、自分のこれは全て自分の我儘なのだと。そもそも自分がああして飛び出して拘束された時点で、自分にはそれ以上の何かを他人に求められる権利など無かったのだと。

アルファ達がこの場を去ったことすら、単に見逃されただけだ。マドカとの戦闘で既に満足していたアルファが、そのまま去って行っただけだと。自分は何もしていないし、むしろ自分がルミナを役割通りに足止め出来ていたなら、今頃はマドカがアルファを捉えることが出来ていたかもしれないということも。

 

……ああ、そうだ。

全て、自分の無力が原因だ。

 

自分にもっと力があれば、自分がただ腐っておらず努力を続けていれば。こんなにも弱くなってしまった自分に、何かを選ぶ権利など、ないに決まっている。



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106.英雄試練祭11

 

「ああもう!本当にどうなってるんですか!この怪物!!」

 

「い、いくらなんでもタフ過ぎる!何か裏があるのか!?」

 

「増援はまだなの!?このままだと擦り潰されるわよ!?」

 

「あはは、流石に普通に疲れて来た……」

 

海岸線を砂を巻き上げながら動き回るレイン・クロイン。戦闘開始から30分、しかし未だにリゼ達はそれを相手に変わらぬ勢いの戦闘を繰り広げていた。

レイン・クロインの能力を幾つか解析し、初見殺しの攻撃もリゼが何度も避けて対応した。しかしそれでもまだ戦況が優勢に回ることはない。リゼとてもう既に5発は弾丸をあの肉体に撃ち込んだ、それでもレイン・クロインは時間をかけてそれを再生していく。そして無尽蔵とでも言うかのような恐ろしい体力と集中力、それを前にしてはリゼもレイナも切札の一撃を未だに切ることが出来ない。敵が疲れて動きが弱まったところで使い、確実に討伐する……というのはいいが、そもそも敵が全く消耗してくれないというのは話が違う。このままではむしろ危ないのはこちらの方だ。疲労したところに一撃必殺を撃ち込まれかねない。

 

(そうか、ラフォーレがあまり動いていないのはそれに対応するため……)

 

この戦闘中、ラフォーレはそれこそ異様なほどに大人しい。レイナと共に中距離でレイン・クロインの意識を引きながら、不定期に炎弾を頭部に打つけるだけ。彼女が本気を出せばいくら火に耐性を持つレイン・クロインでさえもダメージを与えられそうなものであるが、彼女としては現状は我慢比べという認識なのだろう。摩耗少なく役割をこなし、必殺を撃とうとした瞬間に邪魔をする。それを只管に繰り返す。そうして怒ってくれるのなら、怒り狂って乱射してくれるのなら、それはそれで都合が良いと。その隙を逃さない彼女でもない。

 

(となると、危ういのは……クリアか)

 

大水弾と氷弾の連発、そもそも元々精神力も体力もそれほど高くはない。最も離れた位置にいて、致命傷になる攻撃をしていなかったからこそ、優先してリゼが狙われていたものの……敵が多少冷静になって来れば、まず先にと彼女と彼女が守るスズハが狙われても仕方がない。

 

(ただそれにしても……こいつ、妙に知性が高い……!)

 

そう、その可能性を捨て切れないほどに、全力で対処しなければならないのが目の前の敵だ。

海の王の幼体、つまりは子供だ。

だが子供の癖に、あまりにも能力が高い。自身の体力の高さを理解していて、適度に暴れながらも確実にこちらの一撃を引き出そうとしている。つまりはフェイントをかけてくる。定期的にわざと隙を見せる様に視線を切り、最大威力の銃撃を誘って来る。それに対してリゼが乗らないのは単純に狩人としての駆け引きである。野生動物の中にもそういった行動を取るものは居た、これは単なるその延長線。……しかしだとしても。

 

(海の王とは、これほどまでに厄介なのか……!!)

 

 

「ぐぅっ!?」

 

身体の隙間を縫うように放たれた水流を回避のスフィアで避ける。しかし一瞬遅れてしまったからか、少し掠めてしまい衣服と左肩に裂傷が入る。それでも、そんなことはもう今更だ。ポーションを使用するまでもない。

 

……突破口。

何か突破口が欲しい。

この状況を脱するためには、もう一つ何かが必要だ。

 

弾の数もそれほど多くない。

自身の体力もかなり削られている。

 

せめてあと1人、あと1人でも増援が来てくれれば……

 

 

 

 

「リゼちゃぁぁああ!!遅くなってごめぇぇえん!」

 

 

「っ!リエラさん!ステラさん!!」

 

 

「遅いぞ馬鹿娘共!!」

 

「ご、ごめんなさぁぁあい!!」

 

 

そんな時だった、待ちかねていた増援が来たのは。

そしてラフォーレも正にそれを待ち続けていたのか、半ギレになりながら叱り付ける。……だが、間に合った。間に合ったどころか、これ以上ないほどの増援が来てくれた。1人どころか2人も来てくれたのだから。しかも不足していた前衛が。これ以上のことなどあろうか。

 

「お前達はレイナと前衛を張れ!こいつは雷属性の一撃必殺を持っている!上手く使え!」

 

「おお!凄いじゃん!よ〜し任せて!」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

「よろしく」

 

ラフォーレが一際大きな炎弾をレイン・クロインに直撃させ、その隙にブローディア姉妹と役割を交代する。単に前衛という役割で言えば、彼女はその姉妹のことを信用していたからだ。

……マドカ・アナスタシアの教え子の中でも、一際戦闘力に秀でた彼等。単に敵を引きつけるという役割においては、そのコンビネーションはあまりにも優秀だ。

 

「クリアスター!スズハ!」

 

「っ」

 

「なに〜?」

 

「なんでもいい!奴の動きを抑えろ!!それと指揮のスフィアの準備もしておけ!!」

 

「了解〜、ということでスズハ。方法考えてよ」

 

「あんたね……はぁ、分かったわよ。まあ私に任せなさい、そんなに難しいことじゃないから。取り敢えず【指揮のスフィア】は使うから!!全員いいわね!!」

 

そして既にかなり疲労しているクリアと、その横に控えているスズハに、逆転のための一手を打つようラフォーレは指示を出す。

むしろレイン・クロインを相手に決定打のないクリアにしては、大分頑張っている方だろう。そもそもクリアは水辺では活動出来ない、一度波に浸ったこの海岸線ですら正直かなり恐ろしさを感じている。ずっとスズハに肩を触れさせているのがその証拠だ。

……それでも、やっと増援が来たから。疲労を感じている顔で、それでも前を向く。そんな彼女を見て、スズハも頭を回す。自分にやれるのはそれくらいしかない。

 

「愚図!!」

 

「分かっている!!」

 

そして……リゼはもう何かを言われる前に、最大威力の砲撃の準備を終えていた。ラフォーレのしたいことは、もう分かっていたから。そしてそのために必要とされている役割も、また。

 

「いいか、敵の動きは私とクリアスターで止める。お前はその隙に確実に奴にそれを当てろ」

 

「ああ、任せて欲しい」

 

打つかるようにラフォーレと背中合わせになり、そう言葉を交わした直後に互いに別方向へと走る。彼女のやりたいことは分かるから。だって彼女のすることはいつだって適切で、自分にも少し考えれば分かるくらいには単純明快だったから。

 

 

「【炎弾】【炎弾】【炎弾】………【理解の淵】」

 

 

ラフォーレがスキルを使う。

 

 

【超大炎弾(メテオフレア)】

 

 

バチバチと青い火花を散らしながらスフィアを叩いた彼女が背負うのは、それこそリゼも見たこともないほどに巨大な隕石のような蒼火球。それはレイン・クロインの巨体であっても明らかに脅威と言えるほどのそれであり、それが出現した瞬間に周囲の温度が一気に上昇したことを誰もが感じていた。

 

……馬鹿げている。

 

これがラフォーレ・アナスタシアの最強最大の一撃。この世界で最強の火炎魔法の使い手である彼女の、地形ごと粉々に焼き尽くす、龍すら屠る灼熱の一手。

……ここに来てリゼは、ようやく確信出来た。彼女こそが自分が目覚めす将来の姿であると。自分と同じ遠距離からの超火力の手段を持つ彼女という探索者。だから彼女は自分を気にかけてくれたのかもしれない。それはあくまでリゼの予想でしかないけれど、それでも。

 

「クリア!もう面倒なことは考えなくてもいいわ!貴女の最大威力の水弾を撃っちゃいなさい!」

 

「ふふ……了解。負けてられないよね、これ」

 

そうして、そんなラフォーレを見たクリアも汗を一つ落としながらスズハの指示で変えていたスフィアを叩く。ラフォーレが自由に動ける状況になる、つまりは増援が来た時点で彼女はそれをスズハに指示していたのだ。ラフォーレから指示を受ける前から、こうなることを見越して。

 

 

「【水弾】【水弾】……【水神の加護】」

 

 

もちろん、流石のクリアであってもラフォーレに匹敵するほどの威力の水弾を作り出すことは出来ない。だが彼女が残りの精神力を費やし、正直受け入れ難いその加護をしっかりと利用してやれば……

 

 

「【大水弾】」

 

 

スズハが求めていた十分な威力の水弾くらいは、出来上がる。

 

 

「小娘共!!そいつの口を塞げ!!」

 

 

「ステラ!!」「うん……」

 

そんな凄まじい規模の魔法を見せられて、レイン・クロインが考えたことは狙撃による術者破壊であった。それは当然の行動だ、手段さえあるのなら誰だってそうする。しかし運が悪いのは、ブローディア姉妹相手にそんなことは決して許して貰えないということ。

互いに互いをロープで結び、敵の身体を駆け上がりながら縦横無尽に飛び回り、その巨体をズタズタに引き裂いて行く。これが本職の前衛、これが最高級の連携。いくら堅い皮膚を持っていようとも、2人の持つその槍にはダブルヘッドドラゴンの龍宝が使われている。そんなもので防げるほど容易い武器ではない。

 

 

「いくよ」「うん!」

 

 

 

「「【双水斬】!」」

 

 

そうして容易く頭部まで辿り着いた2人は、一瞬のうちにレイン・クロインの両眼を切り裂く。それこそレイン・クロインが一瞬目を奪われたことに気が付けなかったほどの一瞬で。

……ラフォーレは言った、面倒になるから眼は潰すなと。しかしそれは前衛が本職であればなんら問題のないことだ。もちろんその後に暴れ尽くして手が付けられなくなる可能性はあれど、今必要なのは何より一瞬の停止であって。

 

 

「クリア!」

 

「いっくよー……!!」

 

 

クリアの大水弾がスズハの指示と共に飛んでいく。狙うは事前に言われていた通り、レイン・クロインの頭部である。もちろん海竜であるレイン・クロインに単なる水弾はあまり効果はない。しかしスズハの目的はダメージではないから。

 

「……レイン・クロインの生態を考えるに、水を操る能力は自分の体液を利用する必要がある。でももう使える体液はあれにはない。けれど水を補給してしまえば、硬化した身体がまた柔らかくなってしまう」

 

だから水辺には戻らなかった。

あれにはリゼの銃弾が分からなかったから。

水辺に逃げられていれば、水の抵抗を受けて威力が落ちるリゼの銃弾では対処は難しかっただろう。しかし知能は高いとは言え、それほどのことを考えられる頭はあの竜には流石にない。故に銃弾を恐れて、水の補給をわざとしに行かなかった。

 

「だったら、無理矢理補給させてやればいいのよ。……幸いにも、口を閉じる下顎はリゼの初撃で無理矢理破壊されてるんだから」

 

スズハの思惑通り、目を奪われたことで思考のために停止していたレイン・クロインの口の中にクリアの水弾が無理矢理推し入って行く。恐らく本当に何が起きているのか分かっていないだろう。なんだったら自分がいつの間にか水の中に居るのかと勘違いをしてしまっていてもおかしくない。……それに敵はそもそも体液を枯渇させている海竜。そうして水を与えられてしまえば、飲むしかない。

 

 

 

 

 

「……ああ、良くやった」

 

 

 

 

「っ、全員離れろ!!」

 

 

「もう離れてるよ〜」「レイナこっち」

 

「は、はい」

 

 

ならばもう一息。

ラフォーレは気付いていた、前衛を張っている最中に。レイン・クロインの感知期間が髭にも役割があるということを。あれは恐らく普通の生物には存在しない特殊な第六感だ、髭が常にリゼに向けて動いていたのをラフォーレはしっている。故に今リゼが撃ったとしても、それは避けられてしまうだろう。それがリゼの狙撃が最初の一撃以降、ほとんど当たらなかった種だ。

……だがその一方で、その髭が炎によって焼けることもまた、ラフォーレは定期的に打ち込んでいた火球によって知っている。あれはそれを確信するためのものでもあったのだから。

 

 

「焼け、熱波灰塵」

 

 

青く光る彼女の瞳は、ただその惨状を無感情に見つめる。振り下ろされた右手、彼女がしたのはただそれだけ。しかしただその一振りに、あまりにも恐ろしい魔力量の一撃が込められている。

 

……それは正に、天を落とした様な光景であった。

 

きっとこれを見なければ、リゼ達は本当のラフォーレ・アナスタシアという魔導士の実力を見誤ったままであっただろう。彼女という探索者をどうしてギルドが制御出来ず、どうしてその横暴を見逃さざるを得なかったのか。真に理解することは出来なかったはずだ。

だって彼女が居るというだけで、炎に耐性のないあらゆる龍種は塵になるのだから。彼女が居ることで、あまりに多くの龍種に対応することが出来るのだから。それは本当にリゼと同じ……一撃必殺のそれだから。

 

 

 

――――――――――ッ!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

『ギィィィイッイイイ"イ"イ"イ"イ"イ"イ"!!!!!!!!!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?』

 

 

 

リゼは走る。

凄まじい爆風だ。

凄まじい熱量だ。

本当なら呆気に取られてしまうようなその光景、しかしリゼはそんな中でも止まることなく走り続ける。だって自分に求められているのはそんなことではないから。そんなことをしていたらラフォーレに怒られてしまうから。

 

 

『リゼさぁぁぁあああああん!!!!!!』

 

 

「っ!!」

 

 

遠くから爆音に混じって聞こえた彼女のその声に、リゼは砂浜を滑る様にして姿勢を落とし、その大銃を構える。だって分かったから、彼女のしたいことが。ただその一声で、彼女の狙いが。それが分かるくらいには、一緒に時間を共にしてきた。一緒に肩を並べて来た。

爆風による少しの火傷、狙撃による身体の裂傷、けれどそんなものはもう気にならない。ただこの1発に全てを賭ける。狩人としての原点に戻る。ここまでお膳立てをしてもらっておいて、どうして外すことなどできようか。ここで外すような人間が、どうしてこの銃を持つに相応しかろうか。

 

「【視覚強化】【星の王冠】」

 

リゼの視界に真っ直ぐ光の線が入る。

煙の中に見えるレイン・クロインの身体、その少ない情報から敵の姿勢や位置を予測する。組み立てる。

 

……ああ、見える。見えるとも。

もうどれほど見たと思っている、どれほど観察したと思っている。敵の動きも、敵の身体も、龍種という存在のパターンも、頭にはなくともこの眼に焼き付いている。たとえその身体が爆煙に隠されていようとも、それでも……!!

 

 

『レイナァァァアアア!!!今だぁぁあああ!!!』

 

 

リゼは引鉄を引く。

 

それと同時に、凄まじい雷を迸らせながら飛び上がった少女が見えた。……知っていたとも、彼女がそこに居るということは。彼女が敵の頭部を狙っているということは。故に狙ったのだ。自分は敵の両足の付け根の部分を。左右のその両方を。同時に破壊出来るような、完璧な軌道で。

 

 

「【雷斬】【雷斬】【雷斬】……【雷散月華】ァァァア!!」

 

 

リゼの一撃によって姿勢を崩し、その首を差し出す様な姿勢となったところに、レイナが三重の雷斬による全力の雷散月華を叩き込む。

炎や水に対してはまだしも、雷に対しては特に耐性は持っていないレイン・クロイン。そもそも斬撃性能の高いその属性によるレイナの渾身の一撃は、スズハとクリアによって軟化していたことも合わせて、そしてブローディア姉妹によって予め傷跡が付けられていたこともあって、しっかりとその首を捉えて……引き裂いた。

 

……一刀両断。

 

まるで凄まじい雷が落ちたかの様な極大の雷撃音と共に特大の雷属性を伴った大槍を振り下ろし、その極太の首をただの一撃で両断する。

 

彼女自身すら初めて試した、雷斬を三重に伴った雷散月華。その威力は明らかに普通のものではなくて。

 

 

 

「はっ、アレも十分に異常の範疇だ」

 

 

結末を見守っていたラフォーレは、腕を組みながら口角を上げてそう言った。それを終えた瞬間に、互いに疲労困憊した身体を無理矢理に動かして駆け寄り合いに行った、レイナとリゼの姿に少しの呆れを感じながら。

 

 

 

 

 

「……少し、遅かったみたいですね」

 

「ああ。それにしても、いやしかし……凄いな」

 

「……さあ、ダンジョンの方に向かいましょう。死人を出す訳にはいきませんから」

 

「ああ、行こう」

 

英雄試練祭はまだ終わらない。

あらゆる英雄達に、試練を与えるためのこの祭りは。彼等がそれを真に乗り越えるその時まで、終わることは決してないのだから。

 



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107.英雄試練祭12

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

「……くく、全員ズタボロだな」

 

「あ、あはは……流石に、疲れたよ」

 

ヘトヘトになって砂浜に座り込む彼等を、ラフォーレは楽しそうに見下ろす。灰に変わり始めたレイン・クロインの死骸。それを改めて見上げてしまえば、本当にとんでもない化け物だったと強く思わされてしまう。自分達の怪我がこの程度で済んでいるのは、間違いなくこのラフォーレのおかげであって。

 

「だが、まあ……良くやった。合格点をやろう」

 

「あ、あはは……」

 

「そりゃどうも……」

 

初めての戦闘、しかもこれほどの規模のものを前にしてスズハはよく頑張った。混乱する頭でも、しっかりと考えて指示が出せた。それほど大きく動いてはいないが、しかし精神的な疲労感はとんでもない。

そしてクリアもまた、十分によく頑張った。回復薬を使っても精神力が枯渇するほどに魔法を乱射し、スズハを守ることまでしたのだから。この水辺で"水神のスフィア"を使いたくないという彼女の個人的な縛りもあった中で、精一杯にやった。

加えてレイナもラフォーレと共によく敵を引きつけていたし、最後の一撃は見事なものだったと素直に褒められる。自分自身を傷付けるほどの雷の中、最後まで冷静にやり通した彼女をラフォーレは素直に認めている。

最後に……リゼもまた、よくやっていた。何発もの射撃、彼女の身体は内部からズタボロだろう。それでも敵の狙撃を引きつけ続けた彼女の働きはあまりにも大きい。なんなら1番最初から見ているだけあって、彼女の成長はラフォーレが1番よく知っている。あの未熟な娘が、本当によく戦えるようになったと思う。頭も回せるようになった。覚悟も出来るようになった。……使い物になるようになった。それだけで十分だ。未だ愚かなところはあるが、ラフォーレにとってはそれで十分だった。

 

「まあいい、暫くはここで休んでいろ。無理に動く必要はない」

 

「で、でも……」

 

「街の方は問題ない、アレを見ろ」

 

「あれは……あ、狙撃兵」

 

「あれを配備出来る程度には余裕が出来たということだ。むしろ遅いと文句を言ってやりたいくらいだな」

 

「さ、流石にそれは……」

 

「それにダンジョンの方は……まあ、お前達にはまだ早過ぎる」

 

「っ」

 

「行ったところで足手纏いにしかならん、大人しくここで寝ていろ。次がある可能性に備え、予備戦力として休息を取るのもまた必要なことだ」

 

「……分かった」

 

投影のスフィアを使い、ダンジョンの中の様子を見ているラフォーレ。恐らく中継をしている探索者が階層間を繋ぐ階段から撮影しているのだろうが、状況はかなりとんでもないことになっている。階層を縦に2階層分貫き、暴れ狂っている巨大な龍種の姿。それに対して凄まじい威力の攻撃が次々と放たれているが、しかしそれでも全く怯むことのないその巨体。

 

「はっ、まあこいつらのことは良い。向こうに任せておけ。………それより」

 

「?」

 

「おい、小娘共」

 

投影のスフィアを切り、ラフォーレは近くで槍を研いでいたブローディア姉妹に声を掛ける。彼女達はこれからダンジョンに向かう気満々だったのだろう。流石に好戦的というかなんというか。しかしそれでも、ラフォーレはこのまま彼女達を行かせるつもりはなかったらしく。

 

「なになに〜?」「聞きたいこと……?」

 

「お前達、どこで何をしていた」

 

「「う」」

 

「マドカの指示通りに動いていたのなら、もっと早くに合流が出来ていた筈だ。何をしていた?」

 

「それは……」

 

そこから彼女達が話し始めた内容は、何も知らないリゼ達にとっては、正直あまりにも信じ難い話であった。

突如門から侵入して来たイプシロンという少年、そうして暴れ始めた彼を助けた奇妙な少女の存在。そしてそんな彼女が放った、凄まじい威圧感……

 

 

「……お前達が、身を竦ませるほどの存在だと?」

 

 

「うん。身を竦ませるっていうか、本当に殺されたかと思った。……ただ目を合わせただけなのに」

 

「やばかった……」

 

「それに、その、白い髪っていうのは……」

 

「うん、一瞬マドカさんかと思ったもん。【滝水斬】とか使ってたし」

 

「けど眼は赤かった」

 

「顔はあんまり似てなかったよね。別人だって直ぐに分かったくらい」

 

「うん」

 

「………」

 

ブローディア姉妹は、それこそ今の戦闘でも本気は出していなかった。彼女達が本気を出せば、龍殺団の団長であるアルカ・マーフィンを倒せるほどになる。有名な話だ。

けれどそんな彼女達が本気で死を錯覚し、そのまま動けなくなるほどの殺気を出したというのだ。……つまりはそこには、確実に覆せないほどの実力差がある訳で。

知っている限りでは、あのアルファでさえも。そこまで恐ろしい力は持っていない筈だ。

 

「……その女こそが、敵の最大戦力なのかもしれんな」

 

「「!!」」

 

「アルファを含めたその集団は、まず間違いなく龍神教とは別物だ。その集団の中で最も強い力を持っているのが、その女かもしれん」

 

「……それより強い敵が居る可能性は?」

 

「十分にある。その女の行動から考えるに、首謀者はアルファであり、その女は尻拭いをしているだけのようにも思えるからな。……アルファが実質的な集団の頭であり、その女は本当に戦力だけを貸している人間という可能性もあるが」

 

「ある、が……?」

 

「……私にはどうも、あのアルファという男にそれほどの人望があるようには思えん」

 

「……」

 

「……」

 

それはまあ、確かにと。

言わざるを得ない。

 

仮にあのアルファという男の他に何人か仲間がいることは確定したとしても、しかしそれを従わせられるほど彼が慕われている光景が思い浮かばないのだ。もちろん何かしらの弱みを握って無理矢理動かしているということも考えられるが、どちらにしても……彼は集団を率いる器は持っていない。例えそれが悪人の集まりだとしても、微妙なところだ。

 

「まあ、これについては後でマドカと擦り合わせる。一先ずお前達はこのままダンジョンに向かえ。それと、これも飲んでいけ」

 

「お〜、ありがとうラフォーレさん!」「ありがと」

 

「お前達はあと5分休憩をしたら私に着いて来い。このまま街の奴等と合流し、壁内と周辺一帯の探索を行う。……流石にこれ以上は無いと思うが、この機に乗じて何かしらを企む輩が居るやもしれん。警戒だけは怠るな」

 

「「「は、はい」」」

 

緊急時におけるラフォーレ・アナスタシアはここまで頼もしいものなのかと、きっと多くの者がそれに驚くことだろう。だが彼女がこんな姿を見せるのは、そこに居るのが使える人間であると判断したからに過ぎない。これが最善であると判断しているからだ。もし使えない人間であれば、容易く使い捨てる様な真似もしただろう。

……彼女は使える人間であると判断すれば、その人間をそれなりに大切にはする。それこそリゼの大銃やレイナの雷散月華がダンジョンの方に出現した龍種に効果的である可能性が僅かにあったとしても、こうして温存するくらいには。

ラフォーレは恐らく邪龍候補と思われるアレの元に、未だ経験の浅い彼等を連れて行くつもりなど毛頭なかった。そんなことをすれば最悪心が折れる。アレと向き合わせるのは、次の機会であっても遅くは無い。

 

「やれやれ、なぜ私がこんなことを……」

 

本来はマドカの教え子であった筈なのに。こうして教官役をするのもこれきりにして欲しいものだ。……そう考えていても今日こうしてこの役割に着いてしまったのだから、もしかしてマドカは意図的にそうしているのではないだろうか?母親というのは大変なものである。

 

 

 

 

 

 

「とんでもない……ですね」

 

「ああ、まだ戦闘が続いている」

 

街の壁の上で火を焚きながら、リゼとレイナは投影のスフィアで映したその光景を見る。もう夜も深まった。2人は外壁の見張り台の近くで、こうして街の中と外の見張りを任されている。

……ダンジョン内での戦闘が始まって、既に8時間。けれど未だに戦闘が終わることはない。既にラフォーレもカナディアもダンジョンの方に向かっており、マドカも含めて長期戦の姿勢を取っていた。

 

……それほどに、恐ろしい硬さと体力を持った龍種だった。

 

疲労した探索者はどんどん撤退しており、今は最上位の探索者達だけで徹底抗戦している。聖の丘や龍殺団、風雨の誓いの団員であっても、それほどの長期戦について来られる人間は多くない。延々と戦い続けている英雄アタラクシア・ジ・エクリプスと都市最強レンド・ハルマントン、リゼも少し前に会ったラフォーレの同僚であるクロノス・マーフィンは流石のものである。一切の休憩を取らずに最前線に立ち続けているのはこの3人だ。それこそ、今まさにこうして映像の中に映っているのが、実質的なこの都市の最高戦力になるのだろう。そしてその戦闘というのは、本当にあまりにもというレベルのもので……

 

「……マドカ」

 

もちろん、その中には彼女の姿もある。

今はその凄まじい硬度を持つ身体に一点集中で攻撃を与えることで突破口を作ろうとしているらしく、彼女は支援役として支援魔法や回復魔法を凄まじい規模で展開しながら立ち回っていた。……どうやら彼女はそういうことも出来るらしい。

 

見ている限りでも分かるが、魔法による攻撃は効力が薄いらしく、しかし物理による攻撃も未だに傷跡が殆ど付けられていないほどに完全な装甲を持っている。ブレス攻撃はガスによる大爆発を引き起こしており、ラフォーレはブレスを出そうとした瞬間に口元に炎弾を打ち込むことで体内からの破壊を試しているが、それも未だに功をなしていない。

……本当に、突破口を探るために各々が多くのことを試している。その堅牢な攻殻を破るために。アタラクシアでさえダメージを与えられない、その防御を突破するために。

 

 

「あれが……邪龍、なんでしょうか」

 

「そう、なのかな……邪龍候補、というものかもしれない」

 

「なるほど……」

 

 

そもそもダメージが通らないという、あまりにも規格外な敵。アルファはそんなものをどうやって連れて来たというのか。どうやってダンジョンに干渉しているのだろうか。不思議に思うことはいくらでもある。

しかしこうして見ると改めて、自分達が行ったところで何の役にも立てないと思い知らされる。そもそも最上位の探索者達と自分とでは、ステータスという地力が違う。そして経験も違う。何の役にも立てないどころか、邪魔にしかならないだろう。

 ……もちろん、レベルが足りなくともマドカのように役に立つ人間は居る。しかしそうするには何もかもが足りない。魔法も剣も使えて、何もかもが出来るから、彼女は何処でも活躍出来る。やはり出来ることの多さというのは大切なのだ。まだ銃士としての自分の役割を極めることも出来ていない現状では、それこそラフォーレが言っていたように、他のことに手を出すことは烏滸がましいけれど。

 

「……レイナ」

 

「はい?」

 

「ええと、だね……その、今日は本当にありがとう」

 

「っ……」

 

レイナは背筋を伸ばす。

焚火に照らされた顔を赤くしながら。

目と目を合わせた、リゼに微笑まれて。

 

「君のおかげで、勝つことが出来た」

 

「そ、そんなことは!」

 

「いや、もちろんレイナだけのおかげじゃない。……けど、君のおかげで私がここまで来れたのは事実だ。私が今も生きているのもね」

 

「リゼさん……」

 

「君が居なかったら、君と出会えなかったら。もしかしたら私はまだ1人でワイアームを相手に燻っていたかもしれない」

 

「……そんなの。私だってリゼさんと出会えて良かったと思っています。最初に私を見つけてくれたのが貴女で、きっとそれが何よりの幸福だったんだと、確信しています」

 

「ふふ、そこまで言われてしまうと少し自信がないのだけれど」

 

「それくらいに今が幸福だということです」

 

「……私もそうさ。君がいつも私の側に居て、支えてくれるからこそ、私も歩くことが出来る。君がいつだって私を信じてくれるからこそ、私も君を信じられる」

 

自分がマドカに対して感じている感情を、きっとレイナは自分に対して感じてくれている。それがなんとなく居辛くて、気恥ずかしくはあったけれど。だからこそ救われていることも多い。

彼女なら常に自分の隣に居てくれる。彼女は何より自分を優先してくれる。彼女は誰より自分と一緒に居たいと言ってくれる。家族が居ないリゼにとって、マドカと離れてしまったリゼにとって、レイナは自分の支えになってくれた。それにどれだけ救われたことか。自分を信じてくれる人間が側に居るということで、リゼがどれだけ勇気付けられたことか。

 

「……次はダンジョン11階層、水辺地帯。正直に言うと私は全然自信が無いし、クリアもあまり得意ではないらしい」

 

「ええ、分かってます」

 

「きっとレイナの負担が増してしまうだろう」

 

「ふふ、でもリゼさんがそれで全部押し付けてくれる訳ないじゃないですか」

 

「ああ、そうだね。どんな手段を使っても、その負担を取り除くつもりだよ」

 

「なら気にしなくても大丈夫です」

 

「……ありがとう」

 

 リゼのパーティは、あらゆる状況を突破する打開力を持っている。属性も偏っている。しかし逆に言ってしまえば、大抵の場合で1人は機能不全に陥ってしまう。まだまだ器用な立ち回りが出来ない若さ故の欠点と言ってもいい。

 だからこそ、それを補うための工夫と技術を身に付けていかなければならないのだ。こうして少しずつダンジョンを攻略しながら、出来ることを増やしていかなければならない。何も出来ないからと立ち尽くすのでは無く、それでも何かをし続ける。そうして、遥かな高みに向けて歩み続けるのだ。今はまだ手の届かない、その場所に。少しずつ、少しずつ、足を踏み締めながら。

 

 

 

 

 

 

『甘イ』

 

 

 

 

 

「「っ!?!?」」

 

 

 突如として背後から聞こえたその声に、勢い良く振り向く。レイナは気付かなかった、リゼだって分からなかった。リゼの背後に、レイナの視界の中に、いつの間にか居たその人物に。こうして声を掛けられるまで、2人は一切気付くことが出来なかった。

 2人は武器を構える、アルファの手のものではないかと。しかしそんな2人に対して、その全身を真っ黒な衣服や何やらで隠した人物は、特に何かをしようとする訳でもなく、武器を向けられても動揺もしない。ただ外壁から見える世界に顔を向け、立ち尽くすだけ。警戒どころか、脅威とも思われていないような姿で。

 

『久シブリダナ、リゼ・フォルテシア』

 

「え?」

 

「リゼさんの、知り合いですか……?」

 

「い、いや、そんなことは……」

 

『最初ニ会ッタノハ、マドカノ紹介ダッタカ』

 

「マドカの、紹介…………………あっ!!」

 

 リゼは思い出す。

 自分がこの街に来た、本当に最初の最初の頃。マドカに街を案内して貰いながら、プレイやガンゼンを含めた多くの商人達を紹介して貰っていた。彼女は正しくその中の1人。レイナとの話の中でも出したことがある。

 

「スフィア売りのデルタ……どうして貴女が」

 

「デルタって……あの?」

 

「うん、間違いない」

 

 スフィアの売人:デルタ。

 彼女はギルドから商業許可を取らずにスフィアを売っている違法な売人であり、そんな立場でありながらもマドカと懇意にしているという不思議な人物だ。エルザから聞いた話では、彼女は普段は全くと言って良いほどにスフィアを売らない癖に、本当に必要な人物の前に現れては安価で売ってくれるという、奇妙な行動をしているらしい。それ故にギルドも積極的に取り締まってはいないらしいのだが、本当にそんな彼女がどうしてここに居るというのか。

 

『………話ヲ、聞イテイタ』

 

「「!」」

 

『オ前達ノ考エハ、甘過ギル』

 

「どういう、ことだろう……?」

 

『………』

 

 

 

 

『時間ガ無イ』

 

 

 

「時間……?」

 

『目覚メノ時ハ、近イ』

 

「目覚めというのは、一体何の……?」

 

『邪悪ナル龍達ノ』

 

「「!?」」

 

 

 果たしてこれは、リゼが初めて彼女に会った時にも語られた意味の分からない言葉の羅列の一部であるのか。それとも、現実に沿った確実な忠告であるのか。その辺りは判断に困るところである。

 それでも、邪悪なる龍。その言葉の意味が理解出来ないほどにリゼだって愚かではない。

 

 

「邪龍が、まだ生まれて来るのか……?」

 

『ソウダ』

 

「どうして貴女が、それを……?」

 

『………』

 

「言うつもりは、無いと……」

 

 

 そうして彼女はようやく顔を自分達の方へと向ける。

 ポケットを探り、取り出したのは黄色のスフィアと、青色のスフィア。スフィア売りの彼女が取り出した、2つのスフィア。それが意味するところは勿論……

 

 

「……いくらで、売って貰えるのだろうか」

 

『依頼ヲ出ス、報酬ハ前渡シデ良イ』

 

「依頼?一体どんな……?」

 

 

『……ダンジョン14階層、コノ地図ノ場所ニ。未発見ノ通路ガ有ル』

 

 

「なっ!?未発見の通路!?」

 

「14階層って、そんな浅いところにですか!?」

 

『ソウダ、オ前達ニ調査シテ貰イタイ』

 

「調査って……」

 

「……それはまあ、構わないけれど。その、どうして私達に?単に調査するだけなら、別に私達で無くても」

 

『………』

 

 

 

『"マドカ・アナスタシア"ニ、知ラレテハイケナイ』

 

 

「「え……」」

 

 

「オ前達ニハ今後も、彼女ニ知ラレテハナラナイ依頼ヲ頼ミタイ」

 

 

「「………」」

 

 

 それは正直、想像すらしていない提案であった。そして自分達では正しい判断が下せなさそうな、そんな話。

 

 

『私ガ頼ンダ事モ、接触シタコトモ、話シテハナラナイ』

 

「ど、どうして……」

 

『都合ガ悪イカラダ』

 

「……もしかして、私たちを嵌めようとしていませんか?スフィアを餌に、私達にマドカさんを陥れる片棒を担がせる気なのでは」

 

「な、なんだって!?」

 

『ソレハナイ』

 

「……どうしてそう言い切れますか?」

 

『私ハ彼女ノ味方ダカラダ』

 

「……味方なのに、隠すんですか?」

 

『味方ダカラコソ、隠シタイ』

 

「………」

 

『………」

 

「………」

 

「え、ええと……」

 

 こういう駆け引きが如何にも苦手そうなリゼの代わりに、レイナが前に立ってデルタと言葉を交わす。そうは言っても顔が見えないのがキツイ、相手の思いがわからない。何処からどこまでが本気で、どういうつもりでこんなことを言っているのか、想像が付かない。

 ただリゼの話を聞く限り、マドカがこのデルタを信用しているのは本当で。他でもないマドカが信用しているような人物であるのなら、どれほど見た目が怪しくても信用出来ないことはなくて。

 

「……調査して、中に何があるのか見て来るだけでいいんだね?」

 

『構ワナイ』

 

「……本当に、マドカに害にはならないんだね?」

 

『全テ彼女ヲ救ウタメノ行動ダト言イ切ロウ』

 

「……分かった」

 

「良いんですか?リゼさん」

 

「良いも悪いも、判断できるものがない。ただマドカが彼女のことを私に紹介するくらい信用していたのは確かだ、私としてはそれだけで信用出来る」

 

「……分かりました」

 

 もちろん、危険はある。

 何が起きるかも分からないし、14階層は水辺地帯。しかもパターンが変わっていないなら強化種が居るであろう階層だ。簡単にはいかないだろう。けれどそのために手渡されるスフィアであるとも言えるのかもしれない。それにもしこの依頼が彼女の言う通りであるのなら、リゼは断ることなど決して出来ない。それがマドカを何かしらから救えるというのなら、それをしないという選択など存在しない。

 

『私カラノ要求ハ2ツ。コノ依頼ニツイテハ他言無用ニスルコト』

 

「ああ、私達のパーティの中だけで完結させる。それで良いんだね」

 

『ソレデ良イ。……ソシテ2ツ目、ソノ通路デ見タコトハ全テ"ギルド"ニ報告シテ欲シイ』

 

「え、いいんですか……?」

 

『偶然見ツケタ、ト言ウ形デ広メテ欲シイ。真ノ目的ハソコニアル』

 

「……あくまで、そこまで含めて貴女の狙いということですね」

 

『ソウダ』

 

「……分かったよ、その依頼を正式に受けよう」

 

 一先ず帰って来れるということを前提とした依頼であると聞いて、レイナも少しは警戒が解けたらしい。リゼがそう言うと同時に、彼女は2つのスフィアをそれぞれに手渡して来る。

 青色のスフィアはリゼに、黄色のスフィアはレイナに。

 

 

「………え、どっちも星3!?」

 

 

『盗賊ノスフィア☆3、武士ノスフィア☆3。内容ハ鑑定士ニデモ聞ケ、私カラ貰ッタ事ハ言ッテ構ワナイ。ソレデハナ』

 

 

 彼女は言葉をそれきりにして、その場から闇に溶けるようにして姿を消した。こうして見ると、彼女が本当に何者なのか分からなくてなってしまうけれど。それでも……

 

 なんとなく、アルファとは別口でまた厄介なことに巻き込まれたのではないかという勘だけは、2人の中にあった。



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108.新たな階層に向けて

 

・盗賊のスフィア☆3【水】-ALL- レア

パッシブ:ドロップ率【小】上昇

アクティブ:盗賊の鼻…自身から10m以内に宝箱があるかが分かる。

 

・武士のスフィア☆3【雷】-ALL- レア

パッシブ:狙われる確率【小】減少

アクティブ:無の極致…30秒の停止状態の後、次の攻撃の威力【特大】上昇

 

 

 

「……スフィアの売人デルタ、こんな物をタダ同然で渡して来るなんて。やっぱヤバい奴っすね」

 

「そ、そんなにすごいスフィアなのかい?ヒルコ」

 

「いや、マジでヤバいっすよ。正直少し引いてるっす」

 

 ギルドでスフィアの鑑定士をしているヒルコは、2人から手渡されたそのスフィアを見て何とも言えない顔をする。騒がしいけれど、静かでもある今日のギルド。昨日あんなことがあったのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

「そもそも、どっちのスフィアも超レア物っす。価値としては言い値でいいくらい」

 

「そ、そんなにですか!?」

 

「武士のスフィアなんて、街のトップ層でも欲しがってる奴が滅茶苦茶に居るくらいっすよ?毎回競売に出てると上位クランが勢揃い。龍殺団のアルカとか、それ目当てに毎日出品確認しに来てるんすから」

 

「お、おおう……それはまた何か……」

 

「……それと盗賊のスフィア、こっちはマジで現状だと価値が付けられないっす。それこそ持ってることを事前にギルド長に相談した方が良いくらいには」

 

「そこまで!?」

 

「いや、効果の程は分かりますけど!?そのレベルの物なんですか!?」

 

「現状入手手段が45階層のインフェルノ・ドラゴン討伐の確定入手以外に無いんすよ。確定入手出来るとは言え、45階層って言うのは……」

 

「……確か、聖の丘が撤退を余儀なくされたっていう」

 

「そうっす。……つまり今出回っているのは全て、40年前に活動していたクラン"天域"が入手したもの。しかも現状、その殆どの行方が分かっていない」

 

「ヤバ過ぎるじゃないですか!!」

 

「だからヤバいって言ってるじゃないっすか。そもそも効果が普通に考えてヤバいんすよ、これにLUCの高い探索者が居たらほぼ敵無しっすからね?」

 

「………」

 

「………」

 

「………え、なんすか?」

 

「その……実は今、私達のパーティにはクリアさんが居まして」

 

 

「………クリアスター・シングルベリア!?マジっすか!?あのLUC偏重の!?」

 

 

「あ、ああ……」

 

「……やば、最近仕事サボってたんで全然知らなかったっす」

 

「君は君で何をしているんだ……」

 

 つまりはまあ、このスフィアは。決してリゼとレイナに渡された物ではなく、クリアとレイナに渡された物だと言うことだろう。

 なにせこれがあるだけで、クリアという探索者の価値が跳ね上がる。その事実を聞き付けた大手のクランが、挙って勧誘しに来てもおかしくないくらいに。それくらいにこの盗賊のスフィアとクリアという探索者の親和性は高い。……何せ彼女は付けているだけで水系のスフィアの効果を上げてしまうのだから。それが適用されてしまうとしたらつまり、スフィアを手に入れる難易度はあまりに大きく下がることになる。

 

「……ちょっと来るっす」

 

「え?ど、どこに?」

 

「鑑定仕如きが手に負える話じゃ無いんで。ギルド長のところに行くっす。話は早い方が良いんで」

 

「わ、分かった。お願いしたい」

 

 あのヒルコが席を立ち上がり、自分から進んで2人をギルドの最上階まで連れて行こうとする。つまりこれはそれほど彼女にとっても無視出来ない案件ということ。

 ギルド長が忙しいことは言うまでもない、しかし話は早い方が良いに決まっている。これはそれくらいに、リゼとレイナが考えているより重要な問題を秘めていた。

 

 

 

 

「……また厄介な問題を持ってきたわね」

 

「そ、そうだろうか……?」

 

「いや、良い報告ではあるんだ。決して悪い話ではない。悪い話では、ないんだが……処理を後回しにしたい話ではあるな」

 

「それはね」

 

 ギルド長の部屋、普段よりも書類なりなんなりが散らかっているそこに目の下にクマを作ったギルド長のエリーナとエルザは居た。

 単にイベントを開くというだけでも大変だというのに、あんなことまで起きてしまって。後処理だけではない、彼等は今後のことも考えていかなくてはならない。こういう状況になってしまうのも仕方のない話だろう。

 

「それにしても……デルタか」

 

「ギルド長は彼女のことを何か知っているんですか?」

 

「ふむ……お前達は彼女のことをどこまで?」

 

「その、エルザに聞いた基礎的なことくらいしか」

 

「では、マドカと仲が良いことについては?」

 

「それは私も知っているよ。彼女を私に紹介してくれたのはマドカだし、彼女もマドカとは仲が良いと言っていた」

 

「……では、何故あの2人が仲が良いのかは知っているか?」

 

「……それは」

 

 正直、そこまでは知らない。

 それはまあ、だって、2人にも色々な出会いとかがあったのだろうし。そこについて触れるのはまた違うというか。リゼはそう思ってしまうけれど。

 

「リゼ、あのデルタって女はね。マドカと同じなのよ」

 

「同じ……?」

 

「この街、果ては世界のために、自分の利益を差し出すことを躊躇わない人間」

 

「……!」

 

「そんな人間は、少なくとも他にはアタラクシアかリスタニカくらいじゃない?だから気が合うのよ、あいつ等は」

 

「……本当に困った人間の前に現れて、スフィアを安く売る」

 

「やってること、マドカに似ていると思わない?」

 

「……確かに」

 

 目指しているものが同じなら、彼等が仲を深めるのも当然。言うなれば彼等は、あの他者の為に本気で自分を犠牲に出来るイカれた奴等は、それが必要であれば自ら死地に飛び込むことも厭わない。むしろ率先して飛んでいく。それさえ知れば他には何も要らないと、口数が少なくとも手を結ぶ。

 彼等の間に、それほど感動的な出会いも過程も存在しない。マドカ・アナスタシアとアタラクシア・ジ・エクリプスは、それこそ目を合わせた瞬間に理解したくらいなのだから。ロクな言葉も交わすことなく、手を組んだ。そしてエルザやエリーナの予想通りなら、あのデルタという女もまた同じ。

 

「だから私たちはあの女に干渉しない。そもそも神出鬼没過ぎて捕縛など出来はしないが、しようともしない。違法ではあっても、あの女には私達ギルドがが出来ないことが出来るからだ」

 

「出来ないこと……」

 

「……行き詰まった探索者達に、スフィアを渡すという行為」

 

「……!」

 

「スフィアが1つあれば、直ぐにでも自身を昇華出来る者達が居る。けれど私達はそれを手渡すことが出来ない、スフィアというものの価値があまりにも高過ぎるからだ」

 

「……彼女もまた必要な役割を、担ってくれているということだね。誰に頼まれるでもなく」

 

「さあ、どうだろうな。もしかすればマドカや他の誰かに頼まれてやっているという可能性はあるが、別にそこは重要な問題ではない」

 

 エリーナがそう言い終わると同時に、エルザはレイナの方へと指を向ける。心底疲れたような顔をして、けれど同時に後輩たる彼等に少しの慈愛も込めて。

 

「武士のスフィアと盗賊のスフィア……十中八九、デルタの目的は貴女達の強化よ」

 

「強化……」

 

「レイナ、その武士のスフィアが貴女にとって有益な物であることは理解しているわよね。リゼでもクリアでもなく、貴女に与えられた理由」

 

「……私の雷散月華を、更に強化出来る」

 

「そう。雷斬3つで幼体とは言えレイン・クロインの頭を落とした、そこに武士のスフィアがあれば攻撃力はより増す」

 

「ま、待ってください。雷斬3つでさえボロボロで……そもそもスフィアは3つまでしか」

 

「いや、そうでもない。お前が持っていた槍の話だが、今回正式にお前達に引き渡されることになった」

 

「「!!」」

 

「あれを使えばスフィア4つを同時使用出来るだろう。身体のダメージについては、まあ努力してVITを上げて貰うしかないが」

 

「………」

 

 レイナと共にあったあの槍は、話を聞いている限りでは鍛治師ガンゼンの元で調査中であったはず。しかしそれも終わり、レイナの手に、いやスズハの調査対象として戻って来るということなのか。

 あの槍は有用だ、レイナでもスフィアに縛られることなく水属性の回避のスフィア☆1なんかを使えるようになるのだから。むしろ攻撃力という面で見れば確かに、今以上にレイナの突破力は上がるだろう。それこそリゼの最大威力の砲撃と同等のレベルにまで。

 

「そして盗賊のスフィア、これは恐らくクリアスターがダンジョンに積極的に入るようになったからこそ渡して来たんだろう」

 

「クリアさんがですか?」

 

「ああ、彼女は色々と事情があるだろう?なかなかパーティを組んでくれる人間が出来ず、自分でも作ろうとしなかった。そのLUCの高さを目当てに宝箱の開封を求めて来る者も居たが、面倒臭いからと断ってもいたからな」

 

「「あ〜……」」

 

「そんな彼女が、自分の活躍出来る場所を、受け入れてくれる場所を見つけられた。今以上にダンジョンに潜るようになる。……あれだけLUCに偏重している者も他にそうは居ない、あれはあれで才能だ。彼女が盗賊のスフィアを持ってダンジョンに潜るというだけで、この都市におけるスフィアの供給量は大きく変わってくる」

 

「スフィアだけじゃない。ドロップ品や、龍宝まで。盗賊のスフィアはそこまで影響するわ」

 

「そう、か……そこまで影響するのか」

 

「盗賊のスフィアは以前はこの街にも1つ確認されていたが、邪龍襲撃の際に紛失してな。それを求めて聖の丘が45階層に挑んだが、敗北して撤退することになった。そういう経緯もあり、そのスフィアは正しくオルテミスという街そのものが求めていた物と言っても良い。……正直に言えば競売にかけて欲しい、ギルドを治める者としてはそう言いたい」

 

「……だが」

 

「それはデルタの思惑に反するから、しない方が良いわね。むしろ素直に45階層を攻略すべきでしょうとも。レンドのケツを蹴り上げてね」

 

「ああ、そうして複数手に入れた方がよっぽど誠実だ。わざわざギルドやクランの間に不和をもたらす意味はない」

 

 だからそう、つまりその盗賊のスフィアをデルタがわざんざリゼ達に渡した理由。この都市ではなく、他でもないリゼ達に手渡した理由。それは……

 

「さっさと強くなりなさい、そう言われてるのよ。あの女に」

 

「……期待されている、ということかな」

 

「彼女だけではない。正直に言えば、私達ギルドもお前達には期待している」

 

「お、重いですね……」

 

「お前達のパーティの構成を思い返してみろ、ギルドとして期待するなと言う方が難しいだろう。それもラフォーレと共にレイン・クロインの幼体を討伐した実績。あのラフォーレと共になど……私は本当の本当にお前に期待している!」

 

「それはラフォーレの面倒を見るという点での話に聞こえるのだが……」

 

「あいつのことは頼んだ!」

 

「遠慮したい……」

 

 ただ、まあ、そういうことだ。

 このスフィアを手に入れてしまった時点で、もうスフィアが足りないから勝てないという言い訳は出来なくなる。才能に恵まれている、環境に恵まれている、ならばもう努力以外には何も無い。それほどに期待を背負っている。返せるものは結果だけであり、努力しないことは許されない。そういう追い込み方をされているのは、どうしようもない事実だ。

 

 

 

「……まあ、別に気にしなくていいわ」

 

 

「え?」

 

 

「そんな不安そうな顔しなくてもいいのよ、重圧なんて感じる必要ない。ギルド長の言葉だって無視して結構」

 

 

「痛っ!?」

 

 突然そう言ってギルド長の後頭部を引っ叩いたエルザは、リゼ達に優しく微笑む。ステータス差があるとは言え、本当に容赦のない引っ叩き。エルザは呆れていた。そして同時に、心配もしていた。

 

「色々言ったけど、期待なんて他人が無責任に勝手にすることなのよ。そんなことにイチイチ責任なんて感じなくてもいい」

 

「……だが」

 

「少なくともリゼ、私は貴女に何も期待していないわ」

 

「っ」

 

「精々……そうね、今のまま良き後輩で居てくれればそれでいいかしら」

 

「……なんだか、随分と可愛く聞こえてしまう期待だ」

 

「世界を救うなんて目的のために本気になれる人間なんてそうそう居ないのよ。期待されたからって、そんなもの目指さなくてもいい。……リゼ、貴女の最初の目的はなんだったかしら?どうして探索者になりたかったの?」

 

 その言葉に、ハッとする。

 それを思い出させたかったのだと、理解する。

 

「……物語の、本の中の人達に、憧れたんだ」

 

「いいじゃない」

 

「彼等みたいに未知を探索したい。仲間を手に入れたい。困難を打ち破りたい。……そして叶うなら、そこに居る彼等のように、自分も物語にされるような活躍をして。夢を与えられるような人間になりたい」

 

「それだけを目指していればいいのよ。期待されたからってそれを捨てるのは、とても勿体無いことだと私は思う」

 

 なんだか彼女より歳だけは上のエリーナは、そんな風に良いことを言う彼女を見て何処か居辛そうな顔をして俯くが。しかし確かに、エルザには色々なことを教えられる。彼女が自分達にとって先輩であってくれたことを、心から感謝したいくらいに。自分達は良くして貰っている。

 

「……ありがとう。一先ずこの件のことは気にせず、次の階層攻略について頭を回したいと思う」

 

「ええ、それでいいと思うわよ。頑張りなさいな、貴女達には他に考えるべきことが沢山あるんだから。こっちの規模の大きい話は、全部ギルド長にでも押し付けときなさい」

 

「うぅ……なんで私が着任している時に限ってこんなことばかり……」

 

「そういえば、そろそろ連邦からの監査の時期かしら?次から次へと、ギルド長っていうのは大変ねぇ」

 

「くそう、くそう……!他人事だと思って……!」

 

「ふふ、だって私にとってはもう他人事だし?あぁ、自分の時はともかく、他人が監査で苦しんでいるのを見るのは心から楽しいわね」

 

「もう嫌だぁぁ……」

 

 

 

「「あ、あはは……」」

 

 ギルド長という立場も、どうやら相当に大変らしい。あれが自分達の立場で無くて良かったと心から思いつつも、本当にいつの間にかこの場から姿を消していたヒルコのことを思い出して、彼女のようなタイプが長生きをするんだろうなぁとリゼは苦笑いをした。

 

 

 

 

*************************

 

 ギルドを後にした2人は、それから自分達の部屋に戻ることにした。途中でいくらか食材を買い、街の修繕作業を行なっている作業員達に軽く挨拶をしながら、帰路に着く。この街はまた壊れた、そしてまた直されている。こういうことを繰り返して今の美しい風景があるのだと思うと、それも風情があるように感じられてしまう。

 きっと次の街は、前よりももっと美しく強くなるのだろう。その姿が楽しみでもある。他人事ではあるかもしれないけれど、作業員の彼等と違って自分達の戦場はここでは無いから。他人として、出来上がった物に拍手をするのが自分達に求められている役割だ。

 

 

「ただいま、2人とも」

 

「ただいま戻りました〜」

 

 

「あら、早かったじゃない」

 

「レイナ〜、お腹減った〜」

 

「はいはい、直ぐに準備しますから」

 

 

 何かの本を読んでいるスズハと、夕方なのに布団の中でグデッとしているクリア。今日は出掛けたくないと言っていた2人は、どうやら本当に午後はずっとこうしていたらしい。

 いつものように食事の準備をし始めたレイナに代わり買ってきたものを棚の上にしまった後、リゼは足を掴んできたクリアの隣に座り、寝ている彼女の頬をフニフニと触る。そんな2人を見てスズハとレイナも呆れながら笑みを浮かべる。……これが4人の生活。こんな風にしてダンジョンに行かない時には過ごしている。

 

「にしても、結構大変だったみたいね。ダンジョンの方も」

 

「ああ、新聞かい?」

 

「ええ、死人はそれほど多くはなかったみたいだけど……ダンジョンは修繕が終わるまで暫く立入禁止、あの状況は中継もされていたから改めてダンジョンの危険性が周知される形になって。これから志望者が益々減るんじゃ無いかって危惧されてたわ」

 

「なるほど……でも、結果的には勝利したんだ。あれに憧れを持つ人たちも増えるんじゃないかな?」

 

「世の中がアンタみたいな能天気ばかりだったら、そうかもね」

 

「むっ」

 

「それにしても、☆4以上の魔法スフィアなら比較的通じるって判明した瞬間に先ず出て来たのがマドカさんでも、ラフォーレさんでも、カナディアさんでもなく、あのシセイさんだとは思いませんでした。いえ、別に侮っていた訳ではないんですけど」

 

「あ〜、お爺ちゃんは凄いから。カナディアさんもマドカも、火力出すためには時間かかるけど。お爺ちゃんはスキル発動するだけだからね」

 

「他も相当なバケモノだったでしょ。映像だけだと最後とかもう何が起きてるのか分かんなかったし」

 

「シセイさん、カナディア、ラフォーレ、セルフィ、そしてマドカ……魔法使いの5本指は彼等だと言うくらいだし。その内の4人が☆4以上のスフィアで一斉に最大火力を発揮すれば、流石に凄いんだろう」

 

「な〜んであの女は魔法使いの5本指に入っているのかしら?剣士じゃなかったの?」

 

「逆に剣士の5本指には入っていないらしい。世の中分からないものだね」

 

「それにも入ってたら"いよいよ"でしょ」

 

 あの邪龍候補とやらは何処から来たのか、オルテミスが隠していた邪龍の出自についても今回の件で公になってしまうかもしれない。まあそれがバレたところでエルザも居るのだから、むしろ良い方向へ話を持っていけるだろうから心配する必要はないが。

 今回の件でオルテミスの力を示すことも出来た訳だし、その辺りの政治的なことは自分達が考えても仕方がない。それより思うことは……

 

 

「あぁ、結局マドカに挑戦することが出来なかった……」

 

「あ〜、なんかそういうのもあったわね」

 

「それにマドカさんがエクリプスさんに挑むのも見れませんでしたね」

 

「それ!それもだ!!それも見たかったのに……なんて勿体無いことをしてくれたんだ!アルファ!!」

 

「まあ気持ちは分からなくもないわ」

 

「お腹空いた〜」

 

 

 イベント、襲撃、そんな一時の寄道は終わる。地上でどれだけ龍種を倒しても、ダンジョンの攻略が進む訳ではない。けれど確かに強くなった自分達は、ならば尚更立ち止まる訳にはいかない。

 立ち止まるのは、ダンジョンから帰って来た時くらいでいい。こうして笑みを浮かべながら立ち止まるのは、むしろ必要なことだと思うから。

 

 



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109.現実

「で?現実的な状況は?」

 

「良い訳ないだろう、大問題だ」

 

「だろうな」

 

 各クランのトップ達を集めるだけ集めたその場で、ギルド長のエリーナは明確に頭を抱える。疲労した顔、ストレスにも悩まされているのだろう。しかし当然だ。今回の件はそれほどのものである。

 

「このオルテミスという街の危険性が、これでもかという程に伝わってしまった。幸いにも地上での死者は殆どなかったとは言え、怪我人は相応に居る。特に地下の件が中継されたのが不味い。このオルテミスという街がいつ滅んでも不思議でないという事実は、商業人達にとってはあまりに不都合な事実だ」

 

「……俺達にとっちゃあ、今更な話だけどなぁ」

 

「正直、私は一時的なもので済むと思うけどね。いくら危険でも儲けが出ることに変わりはないんだし、危険と金を天秤に掛けて金を取るような商人はいくらでも居るわよ」

 

「……それでも、質の低下は避けられん」

 

 特にあの地上でのモンスターの襲撃に巻き込まれた商人達は特に、本格的に手を引きはしなくとも、少しずつ規模を小さくしてしまうだろう。これは恐らく避けられない話だ。商人達の顔触れも変わる、それが変わると現在のバランスも崩れ始める。問題はむしろこれから増えてくると言っても良い。

 ……しかし、正直もうそれはどうやったって手の付けようがないものだ。今までも同じことは何度もあった。受け入れて、一つずつ対処していくしかない。

 

 

「もっとヤバい問題があるでしょ、ギルド長」

 

「………」

 

「……そんなに不味い問題なのか?」

 

「あぁ、正直に言うと今の体制が大きく変わる可能性もあるような話だ」

 

「「「!?」」」

 

 

 そう、つまりそれこそが本題。

 今日彼等を集めたのは、確かにこれからの方針について話す必要もあるけれど。何よりここで忠告しておかなければならないことがあるから。

 

「エリーナさん、何があったんですか?」

 

「……来月、ギルドの監査があることは知っているな?」

 

「監査……?」

 

「ああ、サイは知らねぇか。まあ要は連邦から監査官って奴等が来てな、ギルドが真面目に仕事してるかチェックしに来るんだよ。書類とか経理とか、まあ諸々」

 

「へぇ、そんなものが……」

 

「そうね、例年なら別になんてことないんでしょう。オルテミスのギルドなんて世界の要なんだもの。運営に問題が頻発しているならまだしも、安定しているのなら余計な藪を突きたくないってのが連邦側の本音の筈」

 

「ならば何の問題もないのではないか?」

 

「……そうもいかないんだ、カナディア。今年の監査官が、少々不味い」

 

「「「?」」」

 

 例年なら連邦側から事前通知されていた書類を一通り揃え、特に難しくもないような確認を当日にされて、後は適当に街の中をフラついていれば終わるようなもの。真面目に運営していれば、ある程度は目溢しして貰えるような。そんなもの。だから書類整理が大変であっても、エリーナがここまで絶望するようなことはなかった。……そう、普通の監査官ならば。

 

「マドカ……お前は昨年会っているはずだ。丁度その時にアイアントに居た筈だからな、あの監査官とも会っているはずだ」

 

「へ?……あ、もしかして"リロイズ監査官"さんのことですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「……いや、待て。昨年のアイアントだと!?確かアイアントのギルドは昨年に!!」

 

「そうよ、当時のギルド長が収賄でクビにされてる。その後に監査官が一時的な代理のギルド長になって、僅か1ヶ月でギルドの運営方針から何まで全部変えられたそうね」

 

「おいおいおいおい!待てよ!!そんな奴が今度はここの監査に来んのか!?今エリーナ以外にここのギルド長を変えられたら困るぞ!!つぅか、この状況で運営方針変えられたら誰よりも俺達が困る!!」

 

「それに正直、今年は不味い……普段の監査ですら事情を説明して見逃して貰わなければならなかった案件がいくつかある。特にマドカとエルザへの一時的な業務委託、これが正直不味い。これが無ければ運営に支障を生じていた故に本来であれば許されていただろうが……」

 

「……相手が悪いってことか」

 

 そもそもギルドを運営していく中で、正直ルールとしては当然あって然るべきものであったとしても、邪魔にしかならないようなものがいくつもある。それを全て守っていくなど不可能なことで、だからこそ監査側もある程度は飲み込んでくれるものだ。

 だが例の監査官は違う、それを徹底的に指摘して、全てを作り変えてしまう。有能なんだろう、それは分かる。けれどギルドと探索者の間には何より信頼が必要だ。ギルド側の方針を変えてしまうということは、それ即ち関係を再構築するところから始めなければならない訳で……そういう点においては、エリーナより優れた者は今のギルドには居なくて。

 

「とにかく、こちらとしても来月まで努力はする……が、そういう可能性があるということだけは理解して貰いたい」

 

「まあ、こればっかりは俺達も手を出せねぇからなぁ……」

 

「それでも、出来ることはあるのよ。というか、今回の本題の本題はそれだもの」

 

「本題の本題?」

 

「お前が関わってると、マジで話の流れが面倒クセェな、エルザ……」

 

 エルザに促され、ユイと副ギルド長のエルキッドが追加の資料を配り始める。ここまで特に興味なさげにマドカの髪で遊んでいたラフォーレも、その資料を見た瞬間の目を見開く。

 

 

「………どういうことだ、これは」

 

 

「提案はクロノスだ、そしてそれは私達にとっても都合が良かった」

 

「なに?」

 

「まあ、何かしらアイツにも熱を上げさせるようなものがあったんだろう。……いや、むしろ最近はあり過ぎたくらいか」

 

 

 

【クラン合同50階層攻略遠征(案)】

 

 

 そう記されたその資料は、しかし決してそれほど詳細に何かが書かれている訳ではない。けれどそれが何を意味しているのかは、この場に居る誰もが理解している。それは誰もが一度は考えたことのあるものだ。しかし同時に、これまで決して実現することのなかったもの。こうしてエリーナとマドカの働きがあって、各クランの状況が落ち着き、その仲も深まった今だからこそ実現出来る可能性のあるもの。

 

「……なるほど、監査はなるべくギルドだけで情報を完結させたい。つまりこの遠征をエリーナさんは監査期間中にやって欲しい、ということですか」

 

「その通りだ、マドカ。『遠征中故に話を聞ける人間が居ない』、簡単な理由だがこれが1番効く」

 

「特に、これが成功すればギルド側にとっても功績になる。そうなれば監査側としても大きく現状を崩すことは出来ないでしょうし」

 

「私は賛成ですよ。……なんなら、この資料の計画より、もっと規模を大きくしてもいいくらいに」

 

「「「っ」」」

 

 資料に目を通したマドカは、どうやら何か企みを得てしまったらしい。それが具体的にどんなものかは分からないが、まあそれは今後の作戦会議で存分に活かしてもらうとして。

 

「私も賛成だ」

 

「ラフォーレ……」

 

「くく、あの愚図も偶には面白いことを考える」

 

「い、いや、だがな……!」

 

「そもそも、こんな計画を見せられて拒絶するような玉無しがここに居る筈も無いだろう」

 

「っ」

 

 

「まあ玉無しは割と居るんだけど」

 

「エルザ様……!!下品です!!」

 

 反論しようとしたレンドを無視して、ラフォーレは声高らかにそう言葉にする。自身のクランのリーダーたる男から何も聞かされていなかったことに特段の怒りもなく、むしろ感心するかのように。そして同時に、レンドに対して挑発するかのように。

 

「下の奴等も育って来た。……にも関わらず、普段から偉そうなことを口にしている我々が未知に挑まないなどという笑えた話も無いだろう」

 

「………」

 

「そうでなくとも、これは今後も継続していくべき事柄だ。挑まなければ進歩はない。立ち尽くしたままでは、何も先に進むことはない。先に進むことを、我々は強制されるべきだ」

 

「お母さん……」

 

「お前とてそうだろう、魔女。いつまでもあんな養護施設に浸らせていては、クソガキはクソガキのままだ」

 

「……そうだな、お前の言う通りだ。あの子にもそろそろ、他の優秀な探索者達と組ませる経験は必要だ」

 

「お前はどうだ、坊主。老人共の良い運動にもなるだろう」

 

「……そうですね。僕はまだまだ勉強中の身ですが、皆さんと肩を並べる経験をさせて欲しいと思っています。シセイさん達も、きっとついて来てくれる筈です」

 

「精霊、お前は?」

 

「私達は探索に重きを置くクラン、断る理由がありませんわ。特にこのような機会、クランの総出を持って参加させて頂きます」

 

「はっ、それでこそ探索者だ。良かったなエリーナ、ここに腰抜けは居ないらしい」

 

「……そうだな、本当に何よりだ」

 

 言いたいことは言い終わったと、ラフォーレはそうして話をエリーナに振ると、また興味なさげに資料を机の上に放って娘を愛で始める。きっと彼女が1番この計画に賛成なのだろう。だからこそ、こうして絶対に拒否出来ない状況を作った。指揮官を張るべき人間が拒否し、少しでもこの計画が頓挫する可能性を消した。わざわざ自分が動いてまで。

 

 

「…………」

 

「レンド」

 

「………………」

 

「レンド……」

 

「………………………………」

 

「レンドさん……?」

 

「〜〜〜〜〜!!!!分かったよ!!やりゃあいいんだろ!やりゃあ!!」

 

 

 そしてやっぱり、レンドはマドカに弱かった。他の者達からの言葉には我慢していたが、マドカにそう言われた瞬間に彼は決壊した。

 だってそんな大規模な遠征なんて、しかも前代未聞のクラン合同など、来月までの準備をするとなれば死にそうになるほどのデスマーチの始まりを意味しているというのに。そんなもの誰がしたがるというのか。……けれど、それでも分かっている。この機会を逃してしまえば、ラフォーレの言う通り、自分達は立ち止まったままだと。強制されなければならないのだ。そうでなければ、安定した地位を手に入れてしまった自分達は、進めない。

 

「よし、ならば決まりだ。遠征のことに関しては完全にそちらに任せるしかないが……マドカも暫くは遠征の方を頼む。というか正直に言ってしまえば、50階層攻略にお前の力は不可欠だろう」

 

「……つまり、各階層の非常用の物資も使い潰してしまって良いということですね」

 

「ああ、その程度の消耗が無ければ成し遂げられる偉業ではあるまい。今のクランの勢力図にお前の存在を加えないことはあり得ないからな、緩衝材としても期待している」

 

「……分かりました。50階層攻略のために、私も全力を尽くします」

 

 

「エリーナ、私からも1つ提案がある」

 

「ラフォーレ?……なんだ?」

 

「遠征中の地上の守りについてだ」

 

「……!」

 

「マドカまで出るとなれば、代わりに要となる人間が1人は必要だろう」

 

「……お前がやるのか?」

 

「まさか、他者に押し付けるに決まっている」

 

「では、誰に……?正直に言えば50階層攻略のためには1人として残せるような人材は居ないように思えるのだが」

 

 

「バルク、私の愚弟で良いだろう」

 

 

「「「!」」」

 

 抱く思いは困惑。

 けれど同時に納得。

 そしてそれは決して良い意味での納得ではなく、あらゆる意味での納得。

 

「前衛の盾役ならば足りている、あの愚弟が居なくとも特段の支障はないだろう。加えて言うのであれば、愚図があれを甘やかし過ぎている」

 

「……確かにバルク・エルフィン、つまりお前の弟の実力は確かだ。だが司令塔としては」

 

「そうだ、未熟過ぎる。経験すらない。だからこそ強引にでもやらせなければ、いつまで経ってもあのままだ」

 

「……龍神教の恐れもある。最悪の場合、バルクは潰れるぞ」

 

「ならば潰れればいい、24の男をどうしてそこまで甘やかす必要がある。責務を押し付けろ。より年の若いガキ共に重責を担わせていると言うのに、素質がないと言うだけで何故無関係で居られる?素質があろうと無かろうと、必要になった時に敵は待ってくれるのか?」

 

「………」

 

「才能がないことは役割を引き受けない理由になどなりはしない。それこそが我々が今後中位の探索者共に求めていくべきことだろう」

 

「………」

 

「まあ、そりゃそうだ……」

 

「……少し変わったか?ラフォーレ」

 

「私とて嫌々ながら若輩共の教育をさせられている、貴様等も苦しめ」

 

「お前は相変わらずだな、ラフォーレ……」

 

「ちょっと良い話だと思ったのに……」

 

 そう言ってため息を吐きながらも隣でニコニコと笑っているマドカの頭を撫で、ラフォーレは今度こそ口を閉じる。ラフォーレは母親としてマドカの思考を理解しているつもりだ、自分に何をして欲しいのかも大凡の見当はつく。ここまでの一連の流れも、この会議室に来る前にそれとなくマドカから話があったことから予想して纏めたに過ぎない。

 ……そもそも、ラフォーレに弟のバルクに対する愛情など存在しない。アレはただ自分と同じ母親の腹から生まれて来ただけの他人だ、家族であると思ったこともない。故に本来ならこんな事も言うつもりはなかった。

 ラフォーレにとって家族とは血の繋がりによるものではなく、心の繋がりによるものだ。たとえ血が繋がっていようとも自分が認めなければ家族にはなり得ないし、血が繋がっていなくとも自分が認めれば家族になる。故に彼女にとっての家族はこの世界においてマドカを置いて他には居ない。マドカの危惧さえなければ、バルク・エルフィンの成長などどうでも良かった。それこそリゼ達とは違い24の立派な成人なのだから、今更どうこう言うことすらアホらしいと思っているくらいに。

 

「さて、最後に……アルファのことだ」

 

「「「っ」」」

 

「エルザ、今までの情報を頼む」

 

「はいはい、いつの間に秘書になったんだか……」

 

 配られた資料の最後。今回の騒動を引き起こしたであろう現況。この会議の締めくくりの話題として、それを避けることは出来ない。これについて誰よりも目の色を変えたのは、レンドだった。

 

「今回の件で分かったことはいくつかあるけれど、一先ず敵が集団の組織であることは確定。判明している人物はアルファ、ガンマ、イプシロンの3人。あと1人居るけど、これは不明。それとこの名前も全員が偽名、つまりはコードネームみたいなものかしら?」

 

「厄介な奴等だ……」

 

「特にガンマ、マドカ達が遭遇した相手ね。……半年前に壊滅したクラン"剣の光"のルミナ・レディアントで間違いないらしいわ。状況的には死亡した筈だけど、生きていたのね」

 

「……マドカ、どう思う?」

 

「私は少し手合わせした程度ですが、確かに剣技はルミナさんを思い起こさせるものでしたね。そもそも同郷のベインさんが確信していたので、ほぼ間違いはないと思います。ただしレベルは確実に上がっていました」

 

 いくら半年のブランクがあったとは言え、それは決してベインが手も足も出なくなる程のものではない。ならば単純に彼女のレベルが上がっていたと考えた方が良い。マドカの個人的な体感では、レベルだけならアルファと同等にあってもおかしくはなかった。つまりは40と少し。少なくとも半年前から10以上は上がっているということになる。

 

「……つまりはまあ、そういうことなんじゃない?」

 

「そういうこと……?」

 

「本来死んでいた筈の人間を、組織に入れている」

 

「!」

 

「……死者蘇生の技法があるということか?」

 

「若しくはダンジョン内で死に損なった人間を集めている」

 

「……そっちの方が現実的だな、偽名を使う理由にもなる」

 

「敵の戦力はどうなっていますか……?」

 

「マドカ」

 

「そう、ですね……アルファさんとルミナさんは、スフィアの手数なんかを考えたらレンドさんやクロノスさんくらいじゃないと相当キツいと思います」

 

「まあ、そこのボンクラは一度負けているからな」

 

「ぐぅっ……」

 

「イプシロンさんは、少なくともリエラさんとステラさんで押さえ込んでくれる筈です。厄介な爆発力を持っているとは聞きましたが、上位の探索者ならどうにもならないレベルではないです」

 

「まあ、それでも穴にはならない程度の実力はあるだろうな。今後の成長を考えると油断は出来ない」

 

「最後に、そのイプシロンさんを助けたという謎の人物についてですが……」

 

「ああ、ブローディア姉妹が動けなくなったって言う……」

 

 

 

「まず勝てないです」

 

 

 

「「「「!?」」」」

 

 マドカのその言葉に、誰もが目を見開く。彼女がそこまでのことを言ったのは、今日まで一度たりともなかったからだ。確かに話には聞いているけれど、彼女がそこまで言うほどのものなのかと言われると誰もがそうは思っていなくて……

 

「……そこまでなのか?」

 

「私の想像が正しければ、アタラクシアさんを当てる以外に方法はないです。1対1ならアタラクシアさんが負ける可能性も考慮すべきかと」

 

「なぜ、そう思う……?」

 

「単に私達の中で最も強い存在がアタラクシアさんなので、それを基準にしています。具体的な戦力分析というよりは、アタラクシアさんを基準にしなければならないような規格外の相手と想定して動くべきだということです」

 

「なるほどな……」

 

「つまり、それより弱い可能性もあるが、強い可能性すらあると」

 

「個人的な思いで言えば、リエラさんとステラさんは既に上級探索者に加えていいです。そんな2人が明確な死のイメージを、睨まれただけで実感させられた。……それはつまり、それほどの実力差があったと考えるべきです。それこそ、相手は2人を容易く殺すことが出来るよう実力者であるというくらいに」

 

「……あの状態になったブローディア姉妹を想定するとして、この中に一撃で彼女達を倒せる人間が居るか?」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「まあ、無理だろうな。勝つことは出来るだろうが、瞬殺なんざ先ず出来ねぇ。ステータスだけならまだしも、あいつらはマドカちゃんに直々で剣教わってるからな」

 

 リゼやエルザ達は、あくまでマドカから探索者としての基本や心得を教わっただけに過ぎない。そもそも戦闘のタイプが違うので、助言は受けたりしたが、その戦闘方法を真似ることまではしなかった。

 ……だが、ブローディア姉妹は違う。彼女達はステータスの傾向的にも、正しくマドカの戦い方が身に合っていた。故にマドカの戦闘法を基礎として会得した後に、自分達の物へと昇華していった。今はそこから派生して槍を使うようになったが、彼女達は元々は剣を使っていたのだ。ラフォーレやレイナが中距離で気を引く程度のことしか出来なかったレイン・クロイン相手にも、近距離で翻弄し続けたそれが、2人の技術の高さを物語っている。

 

「……さて、どうするべきか」

 

「敵の人数がそれだけとも限らない。最悪、オルテミスの全戦力を投入して漸く……ということもあるだろう」

 

「そ、そこまで……」

 

「ただ、別に争う必要はないようにも思えるのよね……」

 

「なに?」

 

「だって、敵の目的は明確でしょう?レンド、貴方が聞いて来たんじゃない」

 

「……!」

 

「新たな邪龍……異龍ルブタニア・アルセルクだっけ?それの足止めしてくれたんでしょう?そして貴方に早く50階層を突破するように言った。龍種を誘き出して、私達にぶつけて来た」

 

「……世界のために動いている、とでも言うつもりか?」

 

「むしろ、そこを肯定しないと何も始まらないでしょ。認めたくないのは分かるけど、それが目的ならアレだけの人数がアルファに協力してたのも納得出来るのよ」

 

「………」

 

 そして、それが理由であるのなら、ルミナがそちらに着いた理由も理解出来なくもない。邪龍は増えたのに、未だオルテミスの探索者達は44階層で立ち止まったまま。危機感を抱き、強引な手を使って来たと考える事もできる。あのアルファという男もそれを目的として最初に持っていたのなら、同じ目的を持ったマドカに強い共感を抱いたという経緯を立てるのも不思議ではない。

 

「……マドカちゃん、仮にあいつらが世界を救うなんて目的を持ってたら。お前はどうする?」

 

「別に、どうもしません」

 

「どうも……?」

 

「私は私のやり方で進めていくだけです。そこが噛み合わなければ、打つかることもあるでしょう。……納得し、必要があれば、協力だってします」

 

「……やっぱそうか」

 

「アルファさんのことは厄介だとは思いますが、別に嫌いではないですから。この街を守るために手を貸して欲しいと言われれば、迷わず手を貸します。逆にレンドさんが悪いことをしそうになったら、容赦なく敵対しますよ」

 

「……そうか」

 

 マドカ・アナスタシアは、決して自分達の味方ではない。この都市の、世界の味方である。けれどそれは結果的に自分達を守るためであるのだから、やはり自分達の味方と言えるのかもしれないけれど。

 

「……とにかく、もしそういう目的が敵にあるのなら、50階層突破を目指す邪魔はして来ない筈。油断は出来ないけど、今は特に考えなくて良い」

 

「なら、私達は……」

 

「とにかく50階層の突破、これが必要だ。50階層の先には何かがある。奴等の言葉からしてもこれは間違いない」

 

「つまり、私達はそこに辿り着き"前提"を手に入れる必要がある……」

 

 若者達だけではない。

 探索者であるのなら誰にでも、挑戦を避けることはできない。ただ立ち止まっていることなど、許してはくれない。それは他でもない、地下から這い上がる龍種達が。

 

 現実には夢も希望もない。

 しかしだからこそ、足掻かねばならない。

 

 そうでなければ自分の描いた理想が手に入ることは無いのだから。




書き貯めは一旦ここでお終いです。
またある程度書き貯めたら投下していこうと思っています。
コメント、評価等を頂けると嬉しくて筆が乗る単純な人間ですので、どうぞよろしくお願いします。


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22-2.龍神教徒ではなく

書き貯めた分をまた投下していきます。

……が、本編の前に。

実は書いておきながら投稿はしていなかった話が4話ほどあります。
余計なノイズになってしまうと考えたからです。
最初の方を読み返すきっかけとなれば幸いです。

それでは、よろしくお願いします。


 オルテミスの街から少し離れた森林地帯。

 本来ならばモンスターが存在していてもおかしくないようなその場所は、例年この時期になると『龍の飛翔』と呼ばれる強力な龍種が出現する為か。大抵のモンスターは少し離れた場所へと避難のために移動してしまっており、今は異様なほど平穏な静けさを保っている。彼等にもそういった知能はあるのだ。

 

 そして今。そんな場所で焚き火を取りながら、予め馬車の中に持って来ていた食料を平らげているのは、赤色と黒色の特徴的なローブを来た5人組の集団だった。

 

 1人は馬の世話をし、1人は焚き火の世話をし、もう1人は食料や荷物の確認を行う。そして残りの2人はと言えば、今もまだ馬車の中で眠っている片方を、もう片方が肩を揺さぶり起こしている所である。……いや、起こしているというのもおかしいかもしれない。彼は決して眠っている訳では無いのだから。ただ声を掛けただけだ。

 

 

「レイター様、レイター様、目的地に着きました」

 

「…………着いた?」

 

「ええ、着きました。あと数時間で夜が明けます、ここはオルテミスから3kmほど離れた森林地帯です」

 

「………バレてない?」

 

「……申し訳ありません、2時間ほど前に周囲を警戒中の探索者に勘付かれた可能性があります。何分馬車の音は騒々しく、ローブを取り出してしまっていた者も数人居まして」

 

「………いいよ、別に」

 

「本当に申し訳ありません」

 

 

 馬車の中でゆっくりと身体を起こす『レイター』と呼ばれた青年。赤色と黒色の特徴的なローブの集団とは言ったが、彼だけはそこに白色の線が何本も入ったデザインの違う物を羽織っている。

 彼はチラと馬車の外に目線を向けると、一度溜息を吐いてもう一度身体を横に倒す。起き上がることすら気怠そうに、けれども一度は起き上がったのは、最低限の労りのためか。

 

 

「計画は予定通り、早朝に仕掛けるという事でよろしかったでしょうか?」

 

「………いや、昼」

 

「早朝では無いのですか?」

 

「………警戒されてる」

 

「!も、申し訳ありません!」

 

「………いい。とにかく、探して。その為なら、貸す、いくらでも」

 

「はっ!必ずや!見張りをここに1人置いて行きます、お借りした物は絶対に我々が有効に活用してみせます!」

 

「………期待してる」

 

 

 それきりまた目を閉じてピクリとも動かなくなったレイターを見て、男は静かに馬車を降りた。近くで荷物の確認をしていた女性に見張りの役割を指示し、残りの3人を直ぐに焚き火の周りへと呼び付ける。

 

 海が近くにある事もあり、森林があるとは言え、この場は少し肌寒い。ついでにと手渡された食事を受け取りながら、彼もそうして自身の身体を温めはじめる。それほどの不便はない、大切な主人に不便をさせないように準備したのだから。そして大切な仲間達にも、苦しい生活をさせたい訳ではない。

 

 

「……移動中の我々の失態、レイター様は快く許してくださった」

 

「なんと……!」

 

「それは本当ですか!ネロ!」

 

「ああ、だがそれ故に計画は早朝ではなく少し時間を遅らせて行う事となった。これはレイター様の負担となる、計画の成功率も当初よりずっと低くなっただろう」

 

「「………」」

 

 

 男の言葉に、それを聞いていた男女の2人は小さく俯いた。

 彼等は此度の任務において、自分達の組織の、そして敬う彼等の、強いては人類全体の行く末を占う程の重大な責任が存在していることは自覚していた。しかし支給されたそのローブに多少心が浮ついてしまった事もあり、その責任に対する認識が甘くなってしまっていた事もまた自覚している。

 

 自分達が所属する"龍神教"の最高権力者である"大聖人"が1人、レイター・シンカリオン。彼は1日18時間を寝て過ごさなければならないという異常体質を持ちながらも、こうして自分達と共に最前線まで訪れ、力を貸してくれている。

 

 ……にも関わらず、既に1つ迷惑をかけてしまっているのだ。

 彼がここまで出てくる程に重要な任務であるというのに、自分達はただの一度の浮つきで、その任務を失敗へと導きかけてしまった。故にこれ以上の失敗は決して許されない。自分達の命を賭けてでも目的を果たさなければならない。自分達の命でそれを成せるのであれば、むしろ安いくらいの目的である。

 

 

「……必ず成功させる」

 

「ああ、分かってる」

 

「私達は大聖人様方に拾われた身だもの、なんとしてでも今回の任務は失敗できない」

 

「そうだ。今は行方の分からない2人の大聖人様、彼等を見つけ出すまで我々に安息は無いと思え」

 

 

 龍神教は今や、恐ろしく大きな集団となった。

 最初に掲げた理念が想像以上に共感を呼び、より多くの力なき者達からの支持を受けるようになった。それに応じて手を広げなければならない範囲も大きくなってしまい、当初の目的のためにむしろ動き辛い状況になってしまったことも否めない。だからこその自分達である。

 

 4人は組織の末端という扱いでは無く、トップである大聖人の直属の部隊という扱い。大聖人達にとって最も信頼出来る者達の集まりであり、だからこそ、その重要性も各々が理解できている。彼等自体にそこまでの権限も無ければ、名が売れている訳でも無いのだが、大聖人達の直接の指示が飛んでくるという立場。大聖人達が自分達の真の目的のために動かせる、信頼出来る唯一の私兵とも言ってもいい。光栄どころの話ではなく、命を賭ける覚悟はとうにできている。

 

 

「だというのに、自分が情けない」

 

 

 ……そもそも、彼等は元はただの居場所のない一般人だった。そこから少し訓練したり学んだりはしたが、その事実は決して変わらない。価値観も感覚も特筆すべきものもない凡人だ。だからこそ、自分達が救われ拾われた事実は重い。

 

 滅多な事でも無い限り大聖人達は龍神教徒に指示を出す事は無いが、自分達には気軽に指示を出してくれる。彼等はそれほど近い感覚で自分達を置いてくれている。ならばこそ、相応の働きが出来なければ存在意義がなく、その信頼すらも失ってしまう。彼等の命を賭ける理由はそれで十分だった。大聖人達こそが自分達の全て。その信頼を失うことが何よりも恐ろしい。

 

 

「取り返さないと……成功させないと……」

 

 

 龍神教徒を名乗っていても、実際には他の教徒達の様に邪龍を称えている訳でもない。むしろそこについてはどうでもいい。彼等がそこに居るのは、彼等が大聖人達に忠誠を誓っているからというだけ。言ってしまえば邪龍など、どうでもいい。

 

 ……故に、此度の任務を失敗する事は許されない。

 

 この任務は、そんな大聖人達の悲願であるのだから。決して台無しにする事は許されない。どんな手を使ってでも、確実に成功させなければならない。その任務は自分達の命などとは天秤にも掛けられないほどに重要なものなのだから。

 

 

「作戦は少し変える。俺が大群を指揮し、ギルが強化体を管理するのはそのままだ。だがレイには日が上ったと同時に街に一般人として潜入し、『罪のスキル』を持っているお方を探して貰う事にする。昼までに見つからなかったり、同行を拒否されてしまえば、予定通り俺達が攻め入ろう。合図は炎弾の打ち上げだ」

 

「……そうね、個人的にもそっちの作戦の方が好ましいわ。断られる可能性が高いからと大聖人様方は仰られていたけれど、出来る事なら穏便に済ませたいもの。……確かマドカ・アナスタシアという女性探索者が『罪のスキル』を持っている可能性が高いのよね?容姿の情報をもう一度確認させて貰っていいかしら?事前に出演してる配信で確認してはいるけど、一応ね」

 

「ああ……そのマドカ・アナスタシアってのは、【暴食】を持ってる可能性が高いんだろ?【暴食】ってのがどんなスキルか分かっているのか?ネロ」

 

「いや、【暴食】に関しては他の『罪のスキル』と比べてあまりに情報が少な過ぎる。残っていた資料を見ても、当人の異常な食欲意外に目立った記述が見当たらなかった。周囲の人間すら殺して食べるその特異性の方に目を向くのは、まあ至極当然の話ではあるのだがな」

 

「つまり、戦闘という面で言えばそう大した相手ではないという事か。……勿論、裏返った時にどうなるかは考えたく無いが」

 

 

 多少強引にでも連れて来る様にと言われているとはいえ、『罪のスキル』を相手に戦闘を仕掛ける危険性というのは、他でも無いその持ち主達の下につく自分達が1番よく知っている。

 

 ……単に敗北するだけならまだいい。失敗してもそこに本当に罪のスキルを持つ者が居ると分かれば、それは確かに意味のある行動となるからだ。

 

 だがそれは、最低限この場所から生きて帰る事が出来た時の話でしかない。仮に『罪のスキル』が"裏返って"しまえば、こちらがどれほどの質と量を用いたとしても生きて帰ることは難しい。

 

 【暴食】の力については分からなくとも、ただ持ち主の食欲を持ち上げるだけでは無いだろう。そこには他のスキルと同じようなイカれた効果があるはずだ。数や質を容易くひっくり返す、そんな異常な能力が。

 

 

「ギル、レイ。例え何があろうとも、俺達の中の必ず1人は絶対に生き残らせろ。そして生き残った者はそのままレイター様とルイと共に撤退するんだ」

 

「な、何を言っているの、ネロ?そんなこと……」

 

「ああ、そうだな。生き残る可能性はレイが1番高い、お前は民間人のフリをして生き残る事を最後まで優先しろ。俺達もお前を巻き込まないよう、民間人への被害はなるべく抑える様に動く。あくまでも標的は居残っている探索者だ。ある程度追い詰めれば出て来るだろう。そうなればマドカ・アナスタシアも誘き出せるかもしれない。その眼に映すことさえ出来れば、目的の一つは達成だ」

 

「……それでも、全員生還が1番よ。私が見つけて連れて来られれば、それで済むんだから」

 

「そう容易くいくといいのだがな、攻め入ることは前提で考えた方がいい。罪のスキルは罪のスキルを感知出来る、雰囲気を感じて出て来ない可能性の方が高い。……そうでなくとも、俺達の目的はマドカ・アナスタシアだけではないのだから」

 

 

 もしそれだけのためならば、わざわざ襲撃などという手段を用いることもない。

 別に龍神教は過激派という訳ではなく、大聖人達も争いを求めているわけでもない。ただ彼等には余裕がなく、時間がなく、強引な手段を用いなければ実現出来ない夢があるというだけ。犠牲は可能な限り減らすが、その真の目的のためであれば多少の犠牲は割り切る。彼等にはそれをするだけの権利があるし、この場にいる皆がそれを本気で信じている。正常な頭で、そう考えている。

 

 

「最後に……レイ、仮に俺たちが死んだら大聖人達のことを頼む。戦力的に問題はないとは思うが、ロレイド様が調査中に失踪されたオルテミスへの襲撃だ。何が起きるか分からない」

 

「……分かってる、でもそれは全員同じでしょう?あまり自暴自棄にならないように。私達は簡単に死んでいい立場じゃないんだから。1人だって本来なら犠牲になんか出来ない貴重な存在で、大聖人様方の財産なんだから」

 

「まあ、それもそうだな」

 

 

 その言葉を最後に、彼等は立ち上がった。

 

 目的を果たす為に。そして生きて帰る為に。

 

 互いに互いの手を合わせて、最高の結果を望み、笑みを上げた。

 

 

 

 ……それが最後の晩餐になるか否かは、今はまだ分からない。



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27-2.変えた者達

「……三人の反応が、消えた」

 

「まさか!?そんな!?」

 

「待って、探る……」

 

 

 街から離れた森の奥深く。馬車の中で仲間達の帰りを待っていた彼女は、ただそうして自身の主人からポツリと告げられた言葉に対し、声と身体を振るわせていた。

 

 同僚であり、仲間であり、家族同然でもあった3人全員の反応が途絶えた。それは明らかに普通ではない。誰か1人であればまだ覚悟はしていたが、しかし3人全員などとは。言葉を理解することは出来ても、酷く現実感のない話だ。

 

 

「ネロ、ギル、レイ……まさか3人とも居なくなるなんて、そんな……」

 

 

 もちろん危険な任務であると覚悟を持って来たのは間違いなくとも、全員が生還して帰る手順もまた用意して挑んだというのに。犠牲など1人も出すつもりなど無かったのに。確かに多少強引なやり方ではあったものの、そもそも住民への被害さえも極力出さないようなやり方に妥協した筈だ。逃走手段だって用意はしていた。

 

 

「……駄目だ、手下の生き残りが殆ど居ない。意思の仲介者も居ない。記憶を辿る以外の方法で、これ以上の捜索は不可能だ」

 

「レ、レイター様!我々は!!」

 

「……帰るしかない。直ぐに追手がこの辺りを探しに来る、馬車を出して」

 

「っ!……かしこまり、ました」

 

 

 ここで取り乱して意見を述べたり、街の方へと一心不乱に走らなかったのは、単に彼女が冷徹なだけなのか、それとも、それでも彼女が大人の女であったからなのか。

 いつでも帰れる様に支度を済ませて居たとは言え、まさかこんなにも孤独な気持ちで帰路を歩む事になろうとは夢にも思わなかった。

 

 前線に立っていたネロとギルの危険は承知していた。最悪の場合とは言え、彼等も失態を取り戻すために敢えてそれを選んだのだから。……だが、なぜ街に一般人として潜入していたレイまで居なくなってしまったのか。それだけが全く分からない。

 

 彼女にとってレイとは、数少ない同性として大聖人の元で共に育ち、自分にとって姉のような、けれど妹のような存在でもあった。せめて彼女だけでも帰って来てくれていたのなら、この涙と悲しみを共有し、孤独だけでも癒すことは出来ていただろうに。それさえも許されないことに、衝動が込み上げる。

 

 ……そして、そんな彼女の悲しげな背中を察してか、普段は殆ど寝そべっている彼女の主人もまたグッと体を持ち上げ、近くに座り込むと、その震える肩に優しく手を乗せる。そんなレイターの心遣いがまた胸を痛くして、暗闇の中をゆっくりと走り出した馬車の上で、静かに密かに涙を流した。

 

 

「……ネロとギルは、強化体と同化して、殺された。想定外の、探索者が居た。"灰被姫"……あれを排除しなければ、本命は出て、来なかった」

 

「……はい」

 

「ギルは、不明な攻撃で、即死した。それに怒り狂ったネロは、離脱を拒否し、"灰被姫"に、焼かれた。記憶から見えたのは、そこまでだ」

 

「レイター様、レイは……」

 

「…………分からない。街の中で、聞き込みをしていた。黒いフードの女に、声を掛けた瞬間、意思疎通が、途絶えた。周囲の手下共も、殆ど同時に、殺されている」

 

「そう、ですか……ありがとうございます……」

 

「うん……ふぅ……」

 

 

 滅多にここまで言葉を重ねることのない彼が、能力を行使して記憶と記録を大量に遡り、ただ彼女1人の為に、仲間達の、家族とも言える彼等の最後を伝えてくれる。

 

 分かっている。

 今回の任務は完全に失敗であったと。

 

 敵の戦力を甘く見ていたと。想定外の事が多過ぎたと。レイターですらも悔しさが心中に渦巻いている。単なる失敗だけではないのだから。それだけならどれほど良かったことか。

 

 誰が思うか。まさかこのタイミングで、よりにもよってあの"灰被姫"が独断で帰って来ているなどと。想定外にも程がある。その上で人選も悪過ぎる。あれならまだ都市最強が居た方が遥かに良かった。

 

 そしてレイターも知らない様な迷宮都市オルテミスから放たれた正体不明の物理兵器の存在。あれさえなければ"灰被姫"だって封殺する事が出来ていたし、劣勢になったとしても撤退の手段が存在していた。

 

 あれだけ街中を探し回った時点で、後は"白雪姫"さえ引き摺り出せば勝ちだったのだ。最低限の役割をこなして、全員を撤退させる指示を出せたのだ。……しかし事実として、それさえする事が出来なかった。こちらの損失はあまりに大き過ぎる。大切な仲間であり家族を3人も失った事、これだけは簡単には受け入れられない。

 

 そもそも何故、マドカ・アナスタシアはこれほどの状況になっても出て来なかったのか。それもまた理解出来ない。

 

 

「……問題は、レイを襲った、女だ」

 

「ぐっ……その、黒いフードの女のことですか?」

 

「……他人の、意識越しとは言え。動きが早く、見えなかった」

 

「そんな!レイター様がですか!?」

 

「……あれは、間違いなく、異常だ。あの街には、欠けた大聖人以外にも、何かが、居る」

 

「それは……ほかに潜んでいた探索者や、欠けた大聖人その人では無くてですか?」

 

「……大聖人なら、反応出来る。探索者でも、強過ぎる」

 

「オルテミスの秘密兵器という事でしょうか」

 

「……分からない。神族の、監視者かもしれない」

 

「っ、神族の!?」

 

 

 そんな正体不明の存在の事はさておいたとしても、今回の事で一つハッキリとした事がある。

 それは罪のスキル一つでは、今のオルテミスを陥落させる事は到底不可能だという事だ。数年前の襲撃の時とは探索者達のレベルが格段に違っている。本気で対抗するのならば、大聖人全員で向かう必要があるだろう。

 

 ……そしてその中でも特に恐ろしいのは、間違いなくあの"灰被姫"ことラフォーレ・アナスタシア。スキルと装備が脅威的な程に噛み合っている彼女の攻撃は、僅か1人で街一つを滅ぼせる程の規模であり、言ってしまえばそれは"罪のスキル"に匹敵する。何の細工もなしに正面から直接的にぶつかり合った時、果たして彼女に勝てる者が大聖人の中でも何人居るだろうか。

 

 その上で。そんな彼女と同等の規模の破壊を行使出来るとされている彼女の娘であり、罪のスキルを保持している可能性が最も高い少女、"白雪姫"マドカ・アナスタシア。彼女まで敵に回した時の事は考えたくもない。

 

 

「レイター様……もし、もし今居る大聖人様方が総力でオルテミスを襲撃したとして、私達は勝てるでしょうか……?」

 

 

「………」

 

 

 レイターはそれに明確な言葉は返さなかった。

 

 だが勝てるとも、勝てる筈だ。どう考えても負ける可能性などある筈も無いのに、しかし何故かそれを言い切る事が出来ない不思議な予感もある。その予感の正体は分からない。そういうものはレイターには不向きな感覚だ。

 

 

「レイター様……?」

 

「……寝るから。後は、よろしく」

 

「は、はい。おやすみなさいませ……」

 

「うん。無理しないで」

 

 

 もう十分に働いた。

 迫り来る眠気や気怠さを仲間の死によって無理矢理覚醒させていたが、それももう限界だった。レイターはそのまま気絶する様にして再び眠りに付く。

 

 彼等を照らし出す唯一の光である月の明かりは、何故か今日の様な日に限って真丸とした形のままに美しく光を放っているのだから妬ましい。

 今も涙を流しながらも馬車を走らせる彼女の目に灯っていた光が、果たしてその月光による物なのか、それともまた別の燃えたぎる何か故になのか。それは聴くまでもなく分かる事だ。

 

 今回の件における死者の数は3人。死傷者となればより増えるであろうが、命を落とした人物となるとそれが仕掛けた側の3人だけとなった事は、世間一般からしてみれば自業自得、哀れで無様な結果、そう思われても仕方がない。

 

 

 ……それでも、彼等は人間だった。

 

 事情を抱えた、同じ人間だった。

 

 故に抱いた感情も、思いも、願いも、間違いなく同じ人間らしい物であっても、何もおかしい事ではない。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

「おーおー。素直に帰って行ったよ、アイツ等。情けねぇなぁ」

 

「……良かったの、アルファ?仲間なんでしょ?久しぶりに挨拶くらいしないの?」

 

「あん?別に仲間なんかじゃねぇよ。向こうは家族だのなんだの煩かったが、俺はそんな風に思ったことは一度もねぇ。関わるつもりもねぇよ」

 

「……なんだか、それだけ聞くと反抗期で家出をしている子供みたいね。まあ普段の言動も青年病みたいなところあるし、もしかして意外と男の子してる?マドカちゃんに恋してたりもするし」

 

「ぶっ飛ばすぞクソ女」

 

「やってみなさいよ、ヘタレ男。全部デルタさんに言い付けておいてあげるから」

 

「くっ……」

 

 

 ガラガラと車輪の音を立てて遠ざかっていく2人の龍神教徒の姿を、高台の上から見下ろす。赤と黒の模様の入ったローブを着ている龍神教徒とは違い、彼等が羽織っているのは真っ黒なローブ。

 

 それは流行っているのか?と言われても仕方のない光景ではあるが、人間としての特徴をなるべく隠すにはこれが一番良い。着るのも脱ぐのも容易いことも意味がある。機能性は重要だ。……まあもちろん、もしかしたらアルファはそんな格好を趣味として気に入っていたりもするのかもしれないが。

 

 

「それで?これからどうするつもり?」

 

「そうだな、そろそろマドカの方に何かしらちょっかいを出したいところなんだが……一回試してみてぇ。あんな怪物じみた女でも、追い詰められたら何か変わるのかってな」

 

「ほんと悪趣味」

 

「お前に言われたくはねぇ、人のこと言えるタチかよ」

 

 

 

『私カラスレバ、ドチラモ悪趣味ダ』

 

 

 

「「っ!?」」

 

 

 突如として背後から掛けられたその言葉に、2人は思わず身体を跳ねさせて振り向いた。

 ……単純に背後を取られた。どころか気付くことさえ出来なかった。それはそれなりに経験を積んでいる2人だからこそ驚くことであり、けれどそれを成した人間を見れば納得せざるを得ない事柄でもあったりする。

 

 

「チッ、盗み聞きしてるような奴の方がよっぽど悪趣味だろうが。デルタ」

 

「ぜ、全然気付けなかった……」

 

『ソンナ事ハドウデモイイ、ツイテ来イ』

 

「あぁ?お前と手を組むつもりはねぇって話になっただろうが。先に言い出したのはお前だろ、勝手なこと言うんじゃねぇ」

 

「ええと、何かあったんですか?」

 

 

『アア、新種ノ『邪龍』ガ現レタ』

 

 

「「!?」」

 

 

 こいつは本当に人を驚かせることが趣味なのか?

 ……と思うような言動しか今のところしていないデルタなのだが、流石に今の発言は笑えない。本当に笑えない。笑える訳がない。アルファだって普段は見せないほどに動揺し、思わず立ち上がった程だ。そこに冗談が介在する余地など決してない。

 

 

「おい、どういうことだ。"龍の飛翔"は探索者共が対応してる最中だろ。失敗したのか」

 

「で、でも、あれは邪龍ではないって……」

 

『別箇所デ同時ニ"龍の飛翔"ガ発生シテイタ。同時発生トイウコトダ』

 

「っ……その上、取り逃がした方が邪龍ってことか……」

 

『我々以外ニ対応出来ル人間ガ居ナイ、戦力ヲ集メテ対処シタイ』

 

「それは構いませんが……しかし、邪龍となると……」

 

「だろうな、下手な戦力でどうこう出来る相手じゃねぇ。そもそも居場所は分かってんのか」

 

『勝手ダガ"イプシロン"ニ追ワセテイル。……マタ観測ノ結果、敵ハ実体ヲ持タナイ"エネルギー生命体"ノ可能性ガ極メテ高イ』

 

「……は?」

 

「実体を、持たない……?」

 

「おい、ンなモンどうやって倒す気だ」

 

『ソレヲ探スノモ我々ノ役割ダ。……最悪、殺セナイトイウ結論ヲ出スコトモアル』

 

「あ、相変わらず邪龍というのは……」

 

「好き勝手言いやがって……なんだ殺せない生命体って、もうそこが矛盾してんじゃねぇか」

 

 

 しかしそうは言ってもデルタの言う通り、これはやらなければならないことだ。自分達の本来の目的のためにも、それが確実に危険な行いであると分かっていたとしても、せめて情報だけでも持ち帰って来なければならない。

 

 ……自分達の主人は今は動けない。だからこそ、その役割を代わりに可能な限り担わなければならない。主人が居なければ何も出来ないなどという、情けない愚か者で居るつもりなどないのだから。むしろ良くやったと安心させるくらいでなければ、そもそも自分達がこうして居る意味がない。

 

 

「ベータ、お前はコイツに着いてろ。俺は先に行く」

 

「え?まあ、それはいいけど……」

 

「デルタ、分かってんだろうな」

 

『アア、目印ハ以前ト同ジダ。海岸線ヲ走ッテイケバ見ツカル筈ダ』

 

「で?」

 

 

『……………………コレヨリ3時間、オ前ヲ殺ス」

 

 

「え?」

 

 

「おおっとぉ!?」

 

 

 現れてから人を驚かせるようなことばかりしているデルタであるが、それは尚も変わらず。今度は突然に刀を取り出すと、それをアルファに向けて振り下ろす。

 辛うじてそれを避けた彼であるが、そのままの勢いで迷うことさえ一切無く、凄まじい勢いで逃走をし始めた。まあ命を狙われているので当然の反応ではあるのだが、それを見ていた何も知らない者からすれば困惑しかない。彼等は一体何をし始めたのか。気が狂ったとしか思えまい。

 

 

「はっはぁ!またなノロマ共!」

 

『チッ……』

 

「あ、あのデルタさん?これはどういう……?」

 

『着イテ来イ。本気デ殺ソウトシナケレバ、アレノ『スキル』ハ発動シナイ』

 

「スキル?……ああ、もしかして逃走用の。そういうことですか」

 

『心構エノ時間ハナイ、覚悟ハ良イナ?』

 

「……それはもちろん。そのためにベインの所に戻らず、こうして貴女達に協力することにしたんですから。それにこんな壮大な計画に関われる事なんて、本当なら滅多にない。選ばれたことは光栄。むしろ少しだけワクワクしてるくらい」

 

『ソウカ……強イ女ダナ』

 

「でしょう?」

 

 

 そんな話をしながら、2人もまたスフィアを取り換え始める。既に先に走って行ったアルファも同様のことをしているだろう。

 速度上昇☆2、速度上昇☆3、滑走☆1。そして恐らくアルファはパッシブでSPDが向上するものに。本来であれば龍種の移動速度になど追い付ける筈もないのだが、これも『滑走のスフィア☆1』があれば話は変わる。

 

 

『道中デ増援ヲ拾ウ。仮ニ倒セナクトモ、"マドカ"ノ役ニ立ツ情報ダケデモ集メタイ。……行クゾ』

 

「了解です。目指せ、未知の邪龍の討伐!ですね」

 

『……ソレガ出来ルホド、弱イ龍ダト良イノダガ』

 

 

 そうして、いつもの癖のように剣を掲げた"ガンマ"こと"ルミナ・レディアント"は、外套の下から以前と変わらぬ明るい笑みを現してデルタに微笑んだ。そしてそんな彼女に促されるままに、デルタも嫌々ながら自分の刀を取り出して、彼女のそれと重ねる。

 

 剣の光は、今もなお変わらない。

 

 決して衰えることなく、輝き続けている。



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64.龍神教祖

「そう……作戦は失敗、ということね」

 

「申し訳ありません……」

 

「いいのよ……ううん、良くはないけれど。経緯を聞けば、責めるべきことなんて何もないわ」

 

「……はい」

 

 

 真っ白な大理石で作られた森の中に潜む巨大な宮殿。巨大な鐘が吊るされているその場所で、1人の妙齢の女性が少し俯きながら報告を受けている。

 彼女は真っ白なドレスに身体を包み、しかし顔色は重く沈んだ様子をしていた。その報告を告げた部下と思われる女性もまた、泣きそうな表情をして俯いている。

 

 

「レイターは?」

 

「今は、御自分の部屋で休んでおられます。しかし目に見えるほど落ち込んでいる様子で……」

 

「……ネロとギルは命を落とし、レイは行方不明。あの子が責任を感じるのも仕方のない話ね」

 

「申し訳ありません……」

 

「貴女が謝ることじゃないでしょう?まさか灰被姫が単独で帰って来ているなんて誰も思わないもの」

 

 

 オルテミスへの大規模な侵攻作戦。

 しかしその目的は失踪した『傲慢』の大聖人と、行方が分からなくなっていた『暴食』の大聖人を探し出すこと。長く情報が流れて来なかった彼等を本格的に探すため、そもそもは多少焦りを感じて指示をしたものだった。

 

 なんでもいいから関連する情報が欲しいと、レイターの能力を使って都市中の資料さえも記録した。強引ではあっても、絶対に何かしらの情報は得ることが出来ると確信してのことだった。それがこうまで裏切られた。

 

 

 (まさか、本当に何も得られないなんて……)

 

 

 今日までの長い調査の結果、マドカ・アナスタシアという少女が『暴食』のスキルを持っている可能性が高いという報告が上がり、その少女が今回の龍の飛翔の際に単独で街に残るという情報を聞いた。

 そうであるのならばこの機会を逃す手は無く、一先ずは彼女が本当に大聖人かどうかだけでも確認がしたかった。それだけでも確定させることが出来る最高の機会だった。罪のスキルに警戒したとしても、戦力が無いのだから嫌でも前に出て来るしかないと。そう思っていたのに。

 

 

「……そうね、これは私の失態だわ。私がもう少し以前から準備をしていれば、もっと深く考えていれば、焦り過ぎた、暴走した、レイターは頑張ってくれたのに、作戦の立案まであの子に任せてしまって、ああ、情けない、情けない、どうして私はいつもこう……」

 

「ロ、ロゼリアさま!もう一つ、ご報告したいことが!」

 

「……もう一つ?」

 

 

「マドカ・アナスタシア様が『暴食』の大聖人様であるということだけは確認出来ました!」

 

 

「!?でも、オルテミスでは顔を合わせることが出来なかったんでしょう……?」

 

「実はですね……」

 

 

 ルイはそれから起きたことを、つまりは続きを語り始める。失敗した後の、ここに来るまでに起きた出来事だ。

 

 オルテミスでの作戦が失敗した後、ルイとレイターは帰り道の途中に、グリンラルで活動をしていた仲間達の物資支援と応援に向かっていた。

 彼等の目的は、発生が目されていた怪荒進の調査と警戒。どれほどの規模で発生し、どの様な被害が予想され、探索者達は果たして本当にそれに対応出来るのか。付近の村落への影響はないのか。そういったことに対処するために、数人の仲間達が一般の教徒達を手助けする形で活動していたのだ。

 

 ……そんな時に起きた2度目の怪荒進、そして原因不明の獣人にのみ感染する病の発生。いくら英雄と連邦軍長が居るとは言え、傍観してはいられないとレイターは判断し、自身の力を使うことにしたのだ。

 

 

「オルテミスから送られて来た2人の探索者が守っていた門が最も手薄だったこともあり、レイター様はレビに『怠惰』をお使いになられました。モンスターの多くを惹きつけながら処理をしていたのですが、そこに……」

 

 

 マドカ・アナスタシアが現れた。

 

 そしてそのマドカ・アナスタシアを、レイター・シンカリオンは中間者となったレビ越しに目視した。目視することが出来た。そして確信することが出来た。

 

 マドカ・アナスタシアは間違いなく、『暴食』のスキルの保持者であると。

 

 

「ほ、本当なの!?本当にマドカ・アナスタシアが『暴食』の保持者なのね!?」

 

「はい、間違いありません。……それに、最初はマドカ様もオルテミスを襲った存在と同じということでレビを敵視されていたのですが、最後には何かを理解して頂けたのか、レビに御慈悲を」

 

「……そう、そんなに優しい子に育っていてくれたのね。あんなに酷い目に合わせてしまったのに」

 

 

 ロゼリアが顔を両手で覆い、泣き始める。

 ルイはそんな彼女を見ると直ぐに目を伏せた。

 

 レビがマドカの側にいた"聖の陽影"と呼ばれるエミ・ダークライトに攻撃を仕掛けたのは、単純に自分が攻撃されたことに対する抵抗以外にも、彼女を倒してマドカと接触を図ろうと考えていたからだろう。

 

 ……否、それよりも、彼も含めたその場の全員がそもそも全く冷静ではなかったという理由の方が大きいか。マドカが偶然にもレビの前に現れるなど誰一人として予想できていなかったし、直後にレイターから彼女が探し求めていた大聖人の1人であると断言されたのだ。

 

 なにせ、それを聞いていたレビでさえも困惑と混乱の中で自分に出来ることをやっただけであり、むしろ彼は良くやったというくらい。結局その際、他の誰もがまともな指示を出せなかったのだから。そこは完全に自分達のミスであり、彼はその被害者とも言えよう。

 

 レイターは今、そのことについても落ち込んでいる。人に指示を出す経験も才能もない。そんな自分が人を率いたところで、死人が増えるだけだと。実際に4人も死なせてしまったという事実が、今まさに彼を蝕んでいる。

 

 

「私も報告は受けていましたが、まさかあれほど聡明で慈悲深い方だとは思っておらず……」

 

「それで彼女は?それからどうしたの?」

 

「実は……マドカ様はそれから数日間グリンラルに滞在しておられましたので、接触を図ることにしました。情報の収集と同時に機会を伺っていたのですが、それを察して下さったのか、3日目の夜にマドカ様の方から機会を作って下さいまして」

 

「話せたのね!?それであの子はなんて……!」

 

 

「『今はそちらに行くことは出来ない』と」

 

 

「っ……!」

 

「ただ、ある事情を話すためにもいずれは我々の元に帰って来てくださると仰っていました。それまでは自分との関係を隠していて欲しい、と」

 

「事情……?あの子は今、そのために何かをしているということ?」

 

「わかりません、詳細を教えては下さりませんでした。それでも、決して我々のことを疎ましく思っている様には見えず、むしろその……緊張であまり上手く話せなかった私を気遣ってくれたりとか、してくれて」

 

 

 何から話せばいいのか、どう言葉にすればいいのか。急な接触に困っていたルイに対しても彼女は優しく待っていてくれた。そして思わず変な質問をしてしまっても彼女は微笑みながら返してくれて、最後には殺してしまったレビのことを詫びつつも、こう言った。

 

 

「『私は【暴食】と相性が良く、他の方々よりもかなり負担が軽いんです。裏返ったことさえありません。だから心配しないで下さい、私は今十分に幸せです』……そう仰っていました」

 

「そう……ああ、良かった、本当に良かった。あの子が幸福で居てくれて、負担が少しでも少なく居てくれて。あの子の境遇を考えたら、もっと恨まれていてもおかしくないくらいなのに」

 

 

 だがこれは逆に言えば、これ以上自分達が明確に彼女に近付くということは、彼女の現在の幸福そのものを破壊することにも繋がると言われている様なものでもある。

 単なる龍神教徒ならまだしも、その頭となっている大聖人達がこれ以上大手を振って彼女に近付くべきではないだろう。むしろ接することをやめ、互いに知らないふりをしておくべきとも言える。

 

 

「……分かったわ、全員に伝えなさい。マドカ・アナスタシアに関してはこれ以上に接することをやめ、彼女の素性も隠す様にと」

 

「か、構わないのですか?漸く見つけることが出来たのに……」

 

「いいの、あの子が幸せなのなら。私は決して全員を側に置きたい訳じゃないの。ここに居なくても幸せで居てくれるのなら、それでいい」

 

「……わかりました、徹底させます」

 

 

 マドカ・アナスタシアと龍神教の間には何の関係もない、それでいいのだ。欲を言えば直接会って話してみたいという気持ちもあったし、出来るのならばここで生活を共にしたかった。少し違えばそういった今も確かにあったということを考えれば、悲しみも苦しみも今もなお色濃く襲い掛かって来るが、後悔ならばいくらでもした。

 

 今は無事であったことと幸福でいるということに、ただただ安堵しておく。むしろそれ以上を望める様な立場でないということは、ロゼリア自身が他の誰よりも自覚している。

 

 

「あとは……ロレイドね」

 

「はい……ロレイド様に関しては、此度の遠征どころか、他の都市の調査網にも情報一つ掛かることがありませんでした。目撃情報どころか手掛かり一つ見つけられないというのは少々妙かと」

 

「……生きてはいるのよ、そうでなければ私達が未だ変わらず生活出来ている筈がない。それなのに2年前にオルテミスに調査へ向かってから報告一つ返って来ない」

 

「レイター様が今回これほど大きく動いたのは、マドカ様を引き出す以外にも、街の徹底的な捜索を行うことでロレイド様を見つけ出すという理由があったからです。……しかしまず間違いなく、ロレイド様はオルテミスの地上には居ませんでした」

 

「他の街の調査はどれくらい進んでいるの?」

 

「信頼出来る各地の教徒達にも人探しの依頼を出していますが、やはりこちらも芳しくありません。探索者として活動しているということもなく、次は小さな村落を対象にした捜索に切り替えようかと」

 

「……あの子は何をするにも目立ちやすいから、本当に何処かに監禁されている可能性も考えた方がいいわね」

 

「マドカ様のように、ですか」

 

「……ええ」

 

 

 マドカの他にもう1人行方が分からなくなった大聖人であるロレイドは、今もその手掛かりすら掴めていない。大聖人が全員集まるということを一度くらいは実現してみたくとも、こうして捜索のために他所に出した大聖人が行方を晦ましてしまえば元も子もない。

 

 ロレイドが居なくなって以来、大聖人を1人で外へ向かわせることは決してしなくなった。不自由を感じる者も居たが、それでもやはりそのリスクはあまりにも大き過ぎるのだ。同じ失敗は犯せない。

 

 

「マドカにロレイドのことは聞いた?」

 

「あ、いえ、私も混乱していて聞き忘れてしまいました、申し訳ありません……」

 

「いえ、まあいいわ。それにマドカの私達への態度を考えれば、知っていたら教えてくれていたはずだもの。……ああ、もう、考えれば考えるほど悪い想像しか浮かんで来ない。色々と変なことも起き始めてるし」

 

「……あ、あの。その件についても一応、マドカ様から情報提供があったのですが」

 

「マドカから?どんな?」

 

「オルテミスでも2度目の龍の飛翔の兆候が見られていたそうなのですが、もしかすればもう既に地上に逃げ出してしまっている可能性があると……」

 

「なんですって!?」

 

 

 それはあまりにも……あまりにも見過ごすことの出来ない重大な話だった。それまでの話が全てまどて吹き飛んでしまうような、とんでもない内容。

 

 なぜなら龍の飛翔は怪荒進とは危険度が違う。

 

 ただモンスターが押し寄せるだけであれば、仮にグリンラルから逃してしまっても他の街から探索者を集めればどうにでもなる。後からのフォローが出来るのだ。

 

 しかし龍の飛翔で生じる龍種というのは非常に個体としての能力が高く、仮にオルテミスで逃してしまえば、他の街で対処することは困難なのだ。それこそオルテミスから探索者達が救援に来てくれるのを待つしかない。街の壊滅だってあり得る。

 そしてそれは龍神教徒でさえもそうだ。オルテミスから龍種が逃げてしまえば、何の罪もない一般の龍神教徒達も多く犠牲になってしまう。

 

 

「グリンラル内で空間異常の痕跡を見つけた……とマドカ様は仰っておられました。しかしオルテミスから連絡がないことを考えると、出現予想地点に大きな動きはなかったのでは無いかとのことで……」

 

「それは、どういうこと……?出現予想地点に動きがなかったのに、出現した?」

 

「空間を移動する、もしくは物体を擦り抜ける様な特殊な力を持った龍種が生まれたのではないかというのがマドカ様の考えです。現時点では直接確認を行えていないので全て予想に過ぎませんが、空間異常が起きたのは確かなことから、前者の可能性が高いと」

 

「空間移動って……!そんなのどうしようもないじゃない!ああ、こんなのもうどうしたら……こうなったらやっぱり私が直接殺しに……!!」

 

「な、なりません!!それにマドカ様が教えて下さったのですが、空間移動には龍種と言えど凄まじいエネルギーを使用するそうです!今直ぐに行動を起こすことはないとのことでした!」

 

「それはつまり……今殺しておかないと後々大変なことになるってことよね?」

 

「それは……まあ、そうとも言いますが……」

 

「……マドカはその後なんと言っていたの?」

 

「一先ずは情報収集と各地の防衛をお願いしたいと。潜伏先が分かった時点で教徒を利用してマドカ様にお伝えすれば、後はオルテミスの探索者で対処する様に動いて下さるそうです。龍神教は邪龍討伐ではなく、探索者ではどうしても対処を後回しにしてしまう小さな村落を守るべきだと」

 

「……あの子、聖人なのかしら」

 

「大聖人様です」

 

「私、この名前返上すべき?」

 

「いえ、皆さん大聖人様ですから」

 

 

 そう言われてしまえば、まあそうするしかないだろう。それに情報収集ならば得意分野、むしろ戦闘となると本当に大聖人達が出張る以外に龍神教には碌な戦力が存在しない。

 龍神教から分離した武闘派の組織もあるにはあるが、その辺りは勝手に暴れている別分子であるし、大聖人の言うことなど聞きもしない。そのくせ大した力も持っておらず、弱いわ、脆いわ、言うこと聞かないわ、頭悪いわで使い物にもならない。

 

 故に戦闘をオルテミスがこのまま受け持ってくれるようにマドカが仕向けてくれるのなら、それに協力しない理由が無かった。ただでさえ大聖人直属の者達を今回の遠征で4人も失ってしまったのだから、流石にこれ以上の損失は精神的にも重過ぎる。暫くは大きな動きは避けたい。

 

 

 

「……うん?」

 

 

「どうかなさいましたか、ロゼリア様」

 

「いえ、その、純粋に気になったのだけど……マドカはどうして私達の内情をそこまで知っていたのかしら?」

 

「え?……えっと、それは、聡明な方だからではないかと」

 

「いや、流石に限度があるでしょう。何も知らないあの子から見たら龍神教なんて憎むべき相手で、都市に2度も大規模侵攻を仕掛けているヤバい奴等よ?今の時点で龍神教の狙いどころか、私達の思惑や活動方針まで知ってるのは行き過ぎじゃない?」

 

「……何かそういったスキルをお持ちになっている、とかでしょうか。心を読むスキルのような」

 

「ああ……そういえばマドカを監禁していたゴミ屑共が八裂きにする前に何か言っていた気がするわね。素晴らしいスキルを持っている天才だとか何とか……それならまあいいわ」

 

「何か心配されていたのですか?」

 

「……正直どこまで信用していいのか、直接会っていない私だと判断が出来ないのよ。ごめんなさいね、これが私の常だから。けれどあまりにも話が早いというか、早過ぎるというか、都合が良過ぎて信用し辛いというか」

 

 

 それに関してはルイも否定することは出来なかった。

 こちらの動きを先読みしている、という訳ではない。レビとの戦闘までは彼女は間違いなくレビのことを危険な敵だと認識していたし、事実として中にレビが入っていたことにも気付いていなかった。しかしその後はあまりにも手際良く、理解も早く、むしろ協力的で、過去の遺恨なんて全くないみたいで。

 

 

「マドカ様が実は龍神教を憎んでいる、そう考えているのですね」

 

「……こちらの内情を知っているのは、それだけ熱心に調べていたから。そうとも捉えられるでしょう?そう考えるとあの子がロレイドの失踪と関わっている可能性も出てくる。ロレイドを監禁して色々と情報を引き出していたのなら、これだけ理解が深かったのも当然だわ」

 

「……直接お話をした限りですが、個人的には否定したい意見ではあります」

 

「気持ちは分かるわ。けど、心の隅にでも置いておきなさい。それだけでいざという時の動きが変わるわ。……あぁ、気分が悪い。愛すべき家族まで疑わないと気が済まない自分が本当に悍ましい。死にたくなるわね、死ぬ気はないけど、本当に死にたい」

 

 

 これでもまだマシな方だと言うのだから、本当に罪のスキルというのは重い。

 

 いつになれば楽になれるのか。いつになれば心から笑えるようになるのか。どうして自分達にだけこんなものが付いてしまったのか。

 

 何度も何度も何度も何度も考えたこんな疑問は、今も少しも形変わることなく頭の中を渦巻いていた。



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110.挑戦、開拓

漸くですが本編に戻ります。
よろしくお願いします。



 

「クリアの幸運を当てにした私達が間違っていたぁぁああ!!!!!!」

 

 

「LUCの値なんて何の関係も無いじゃないですかぁぁああ!!!!!」

 

 

「あはは、背中めっちゃ痛い……」

 

 

 12階層、水泉地帯。

 周囲には水辺ばかりで、多くの水系モンスター達が好き勝手暴れているような、そんな環境。事前に勉強していたことから分かっていたように、あまりにも混沌とした階層環境である。

 

 ……そしてリゼ達は現在、その帰路を全速力で撤退している最中であった。

 

 理由はもちろん、【不運】である。

 

 彼等のつけていた頭の防具は、漏れなく破損していた。

 

 

「はぁ、はぁ……な、なんなんですかこの階層!?モンスター同士で本気で殺し合ってるせいで、強いモンスターが本当に強いじゃないですか!!」

 

「ボルテクス・スネークが3匹纏めて突っ込んで来たんだが!?あんなもの私でなければ絶対に避けられないだろう……!?」

 

「ちょっと横向いただけなのにデビル・フィッシュが背中に突撃して来た、横向くだけでも怖いね……」

 

 

 13階層に辿り着く前に、リゼは撤退を選んだ。なぜならあまりの混沌っぷりにパーティ全体で混乱してしまいそうになったからだ。故にそうなる前に方針の1つを示した。リーダーとしては十分な判断と言える。

 

 ……まさか13階層にも行けないほどの酷い有様であったとは、本当に想像さえしていなかったのだ。ここで同じように酷い目にあった探索者は、きっと多くいるのだろう。レッドドラゴンを漸く倒して、少し調子に乗った先にあるのがこの環境であるのだから、きっと探索者は誰しも『ふざけるな』と言っているに違いない。

 

 

「リ、リゼさん、どうします?」

 

「………」

 

「リゼ、ここ水多過ぎて辛い……」

 

「……むう」

 

 

 

 正直に言おう。

 

 

 

「これは無理だね……」

 

 

 

 そう、無理である。

 

 

 一先ず、現状では確実に。

 

 

「そもそも敵が小さい上に早過ぎて、私の狙撃が殆ど意味を成さない。その上クリアの調子が悪いどころじゃない、やはりこれだけ水が周りにあると辛いのかい?」

 

「うん、落ち着かなくて……レイン・クロインの時もそうだったけど、今回は周り全部が完全な水辺だし。あんまり戦力にはなれないかも」

 

「いや、それは最初から分かっていたことだ。問題ないよ。……とは言え現状、レイナへの負担が大き過ぎる。これも最初から分かっていたことだけれど、想像以上だった」

 

「あ、あと、リーダー格のバトル・スワンが本当にヤバいです。完全に対人戦闘並みの集中力が求められます。周囲からの奇襲に気を配っていられる余裕がありません」

 

「……道がそこまで広くないというのも問題かな」

 

 

 一度体験してみたからこそ、こうして問題点も分かるというもの。だがどちらにしても、完全に手札が足りていないことだけは分かる。

 パーティ3人のうち1人は完全に使い物にならず、もう1人は強みを活かせない。そして前線を張っているのは実質的に1人だけ。こんなものはどうしようもない、だってこれではきっと15階層のブルードラゴンとの戦闘でも状況は変わらないだろうから。多少無理をして14階層を乗り越えたとしても、何の意味もない。むしろ帰りが怖くなるくらいなら、ここで無理をする必要もない。

 

 

「これからどうしましょう……ちょっと想像以上過ぎて困ると言いますか」

 

「……そうだね。もう少しだけ探索をしたら、そのまま帰ろう。レッドドラゴンは行きと同じ手順で倒すとして、その前にここで他にも少し確かめておきたいことがあるんだ」

 

「確かめておきたいこと……?」

 

「具体的に、どんな人材が今の私達に必要なのか」

 

「!」

 

「そのために、この混沌具合をもう少し目に焼き付けさせて欲しい。……すまないレイナ、もう少し付き合ってくれるかな」

 

「……今更じゃないですか、そんなこと。気にしないでください」

 

 

 少しずつ、そして着実に、リーダーとして成長し始めているリゼを見て、レイナも嬉しく思う。

 そしてそんな彼女からの期待を、決して裏切ったり断ったりすることはしない。彼女がやってほしいと言うのなら、やるまでだ。それがたとえどんな無茶であっても、レイナはリゼに命を預けられる。

 

 

「さて、私も狙撃が使い物にならない……なんてことをいつまでも言っていられないからね。そのために大銃以外を作ったんだ、早く適応しないと」

 

 

 何せこの階層で狙撃をしているのは、自分だけではないのだから。

 同じ様に狙撃を使って生きている"スナイプ・オクトパス"という明確な存在が居る以上、言い訳の余地はない。

 

 これまで以上に狙撃の速度を上げる、話はそれだけだ。それに別に本当に打ち抜けないと言う訳でもない。課題は狙撃時の集中力をなるべく長く継続することだ。それが出来るようになることこそが、この階層でリゼに求められていることである。

 

 

 

 

 

 

「……というような課題が出て来ているだろうな、今頃は」

 

「なるほど、それは盲点だったわ」

 

 

 いくつかの論文を手に取りながら、スズハはカナディアとそんな言葉を交わす。

 こうして定期的に様々な知識を取り入れ、交流するために2人は集っているが、しかしそんな話をしながらも別々の作業を進められているのは、単に2人が優秀なだけである。

 

 

「だが、ようやく認められたのだろう?クランとして。団員を増やしていくというのは、クランを運営していく以上は永久に付き合っていく必要のある問題だ。ここらで慣れておくのも将来のためになる」

 

「まだ認められてないわよ、クランの名前だって決めてないんだし。その辺りの書類をギルドに提出して漸くってところかしら」

 

「しかし、こうなると楽しみだな」

 

「?」

 

「君達のクランの構成員は現状、なかなかに個性的な連中の集まりだろう。次の人間はどんな事情持ちなのかと少し楽しみに思ってな」

 

「やめてよ縁起でもない」

 

「あれはリゼ・フォルテシアの趣味なのか?」

 

「その辺りはアンタの方がよく事情を知ってるでしょうに」

 

「ふふ、まあな」

 

 

 まあスズハ自身、リゼの人を見る目はそれなりに信用している。少なくとも現状、彼女が集めたメンバーはハズれていない。彼女が慕っている人間も(一部認めたくない奴も居るが)善良であるし、むしろ奇妙なほど悪人は居なくて。

 

 

「ちなみに、良さそうな奴とか居ないわけ?移籍希望してる水辺が得意な奴みたいな、そんなの」

 

「ふむ……そもそもあの辺りの階層を得意とする探索者自体が存在しない。それは私とてそうだ」

 

「……まあ、そうでしょうね」

 

「君の見立て通り、あそこを安定して突破するためには、VITの高い盾役か、動きの素早い探索者が2人以上は必要になる。しかしそれも今のところ心当たりは無い、少なくとも君達のパーティに入れてみたいと思うような人材は居ないな」

 

「ん〜、けど今から1から初心者育てる時間もないし、かと言って男を入れるのも今更ねぇ」

 

「意図的に作った訳ではなくとも、自然と入団条件というものは生まれて来てしまうからな。それも悩みどころか」

 

「仲間探しって大変ね、ほんと」

 

「ああ、全くだ」

 

 

 潜る階層が深くなるほど、人手を増やしていく必要がある。それはクラン運営の基本であり、例えば40階層を目指すのであれば通常10人以上で攻略することが常識だ。だからこそ僅か4人でそれを成し遂げた"紅眼の空"が評価される訳であるが、あのような少数精鋭は参考にならない。

 クランを運営するにあたり人を集めなければならないのは、カナディアの言う通り今後も向き合っていかなければならない課題であり、そうして集めた者達の人間関係を良好に調節していくのも避けられない悩み。その大変さをカナディアは嫌というほどに知っているし、心の底から面倒だとも思っている。

 

「まあ、こういう時は団長を信じてやると良い」

 

「……それも普通に心配なんだけど」

 

「大丈夫だろう、彼女には人を率いる素質がある」

 

「素質ねぇ……」

 

「誰かから慕って貰える、それは間違いなく貴重な素質だ。そして周りの者たちは、そんな彼女の得意ではない部分を埋める努力をする。……これだけで集団というものはある程度は回るものだ」

 

「……まあ、確かに支え甲斐のある子だけど」

 

「そもそもラフォーレとあれほど親密に出来る時点で、この街でも屈指の逸材だ。彼女を支えるということは、決して間違った選択ではない」

 

「それは間違いないわね」

 

 

 故に、本当に心配するべきはそこではない。スズハが頭を回し、考えるべきなのは、そこにはない。彼女がもっと思考を割くべきものは別にある。もちろん既に割いているのは当然であるが、それにしても。

 

 

「……例の槍について、何か分かっただろうか」

 

「それこそ馬鹿言わないで、こちとら工学の基礎から勉強させられてるのよ?専門外も専門外。素人に分かることなんて、たかが知れてるわよ」

 

「それでもレイナ曰く、かなりの時間を費やして学んでいるそうだが?」

 

「まあ、それはね。……勉強に苦労したことはないわよ、他の人間より効率的に学んでる自覚はある。けど所詮はその程度の話、先人達の努力を数日で乗り越えられるほどイカれた頭は持ってないわ」

 

「……そうか」

 

 

 分かっているとも、これについては早ければ早いほど良いと。再現さえ出来れば、直ぐにでもリゼ達の装備を整えられる。そして特殊な機構故に、慣れるためにも早めに渡しておくべきだ。戦力などある方が良いに決まっているのだから。これが間に合わずに彼等が死んでしまう可能性もある、そうはしたくない。

 

 故にスズハは魔力の基礎から工学まで、関連する分野の基礎知識を早急に身に付ける努力をしている。可能な限り論文を読み込み、スフィアそのものの解析を本当に1から行なっている。だがそんなもの、一月や二月でどうにかなるものではない。そんな簡単に追い付けるものではない。

 当然だ、自分の前を走る研究者達が何人居ると思っているのか。彼等とて優秀な者達なのだ。そんな彼等を僅かな時間で追い抜けると思えるほどスズハも自惚れてはいない。

 

 

「……まあでも、やってやるわよ」

 

「!」

 

「ひっくり返してやるわよ、全部。学に携わってる奴等を全員ドン引きさせてあげる」

 

「ほう、それは楽しみだ」

 

「とりあえず、来月分の論文のチェックをお願いしていい?こっちの世界の文字と規則性なんかはもう殆ど完璧に頭に入ってると思うけど、一応ね」

 

「……本当に出すつもりだったのか。全く、君は君で何者なんだか」

 

「別にただの学生よ、友達も居ないつまんない女。だから正直こっちに来てからの方が充実してるわ。面倒なことには巻き込まれるけど、こんな態度の悪い女を好き好んで内側に引き入れてくれるような物好きとも出会えたしね」

 

「なるほどな」

 

 

 カナディアはそれだけ聞くと、一先ず目を閉じた。

 色々と分からないことも多いし、彼女の素性も普通に信じられていない自分が今も居る。だがそれでも受け入れているのは、彼女もレイナも人柄は間違いなく善人であること。そして両人ともリゼ・フォルテシアという人間を信頼して側にいるからだ。

 

 誰かに心酔している人間というのは、その心酔先の人間性によって印象が変わる。故にカナディアの持っている印象が良いということは、つまりそういうことで。

 

 

「……そういえば、あのベインとか言う男は今何やってるわけ?正直クランに入れたくはないけど、盾役としては役に立ちそうじゃない?」

 

「ん?ああ、彼なら今はとある道場で鍛え直しているそうだ。……そういえばマドカが近々様子を見に行くとか言っていたな。一緒に行ってみたらどうだ?」

 

「いや、別にそこまでするほどの興味はないわよ。それこそあの女と2人きりとか何の罰ゲームって話」

 

「ふふ、まあそう言うな。剣術を学べる場所を知っておくというのは、君達にとっても価値のある話だと思うぞ」

 

「……!」

 

「まだ君達のパーティに剣士は居ないが、別に剣だけを教えている訳でもないそうだからな。そういう密かな顔繋ぎというのも、リーダーを支えるのに必要なことだ」

 

「……はぁ。分かったわよ、仕方ないわね」

 

 

 前の世界では外に出ることさえ嫌だったスズハは、しかし最近はそれほど苦ではなくなった。知らない世界の知らない事柄を知るために外を出歩く機会が増え、どうもそのうちに抵抗というものは薄まったらしい。

 

 

 (それにまあ、戦えない私に出来ることなんてこれくらいだし。やらずに後ろめたさを感じるよりはマシよね)

 

 

 知らない世界で居場所を作ってくれた彼等を守るためにも、可能な限りの努力をしたい。パーティとかクランとかそれ以前に、それは同じ部屋に住む同居人として。臭い言い方をすれば家族として、当然の想いだと。生まれてこの方そんなことを一度も考えたこともなかったスズハは、少しだけ自嘲しながらも確かな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーおまけーーー

 

 

「ところで、アンタってあの女と恋人的な関係なの?」

 

「ぶふっ」

 

「どんだけ動揺してんのよ」

 

「す、するに決まっているだろう!突然何を言い出す!!」

 

「いや、そうだったら少しは人間味あって受け入れられそうだし。それにこの世界レズ多いんでしょ?特にエルフの、社会問題にまでなってるそうじゃない」

 

「……よく言われるが、私とマドカは単なる友人関係だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「よく言われるってことは、"相当"ってことを自覚した方がいいと思うけど」

 

「う……」

 

「ちなみにアンタ等、どれくらいの頻度で会ってる訳?」

 

「……特別な理由がない限りは、毎日」

 

「"相当"でしょ」

 

「べ、別にこれくらい普通のことだろう!」

 

「いや、アンタ等なんか距離感近いのよ。別に近寄って話してるくらいならいいんだけど、常にボディタッチとかしてるのはもう普通に気持ち悪い」

 

「き、気持ち悪い……」

 

「まあ、あの女も受け入れてるみたいだし?何ならアンタに他より心開いてるのは本当だろうから、別にやめろとは言わないけど……流石に年離れた女が独占欲剥き出しで小娘に執着してるのはどうなのよ。その癖、往生際悪く一向にその辺りを認めようとしないところも冗談に出来ない感じがあって気持ち悪い」

 

「ぅぐっ」

 

「大体、20も離れた同性を性欲込みで好きになった時点でどうやったっても気持ち悪いでしょうが。なにいつまでも無駄な抵抗してんのよ」

 

「ぐふっ」

 

「デリケートな話だからアンタの立場もあって周りの人間は何も言わないのかもしれないけど、恋愛経験ゼロの私でも分かるくらい露骨なんだから。そろそろ腹括ったら?」

 

「……なぜ、私はいきなり説教をされているんだ?」

 

「あの女を人間に戻せそうなのアンタくらいだから」

 

「酷い言いようだ……」

 

 

 こんな馬鹿みたいな話も、リゼ達がダンジョンに潜っている間にしていることもあったりする。

 



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111.喰らう欲

「ハァ、ハァ……い、嫌だ!助けてくれ!死にたくない!死にたくない!!ッギィッ!?!?ガァァァアアアアッ!?!?!?」

 

 

 赤に染まる。

 

 突き立てられた刀、切り落とされた片腕。

 

 叫び、足掻き、逃げようとした男の身体は地に縫い付けられた。

 

 

「オイオイ、逃げんじゃねぇよ。テメェが言ったんだろうがよォ?これは死合い、勝ち負けじゃねェ。生きるか死ぬかだ。なら両方生き残るようなことは、あっちゃならねぇよなァッ!?」

 

 

「ヒィッ!ヒィィッ!!」

 

 

「ギャハハハハハ!!テメェも武芸者の1人ならよォ!!死ぬこと怖がって道歩いてんじゃねぇよボケがァ!!!」

 

 

「ァァァアアアアア!!?!?!?アアアッァァァアアアアア!!!!!!?!?!?!?!?!?」

 

 

「安心しろや!!死ぬより怖ェモンを教えてやるからよォ!死んだ方がマシだと思えたら完成だァ!!その時にテメェの頭が動いてるからどうかなんて知ったこっちゃねぇけどなァ!!」

 

 

「ィッギィィイ!?!?ギャァァアアアッッッ!?!?!?ゥァアアアアッ!!!!!ガァァアアアアッ!?!?!?」

 

 

 指を切る。

 耳を切る。

 腕を斬る。

 足を斬る。

 

 けれど殺しはしない。

 

 死なせはしない。

 

 痛みさえも最小限。

 

 しかしだからこそ、絶望は深く、心は割れる。

 

 戻らない、戻せない、戻れない。

 

 失い続け、消え続ける自身への恐怖は、それこそ本当に死んだ方がマシだと思えるほどのそれで……

 

 

「……チッ、面白くねェ。何が東方最強の武芸者だ、まだアイアントの探索者共の方がマシだったじゃねェか。口先だけのゴミ屑共が」

 

 

 眼下に広がる海岸線。

 南方に来なければ見ることの出来ないこの景色は、確かに見応えのあるものであろう。しかし武を嗜む者にとって、特に力を求める者達にとって、この海岸線は全く別の意味を持つ。

 

 

「オルテミスの探索者ってのは、どんな怪物共なんだァ?アァ?」

 

 

 既に心が壊れ、意識を失った男の頭を斬り飛ばすと。頬に着いた血を拭いつつ立ち上がる。この世界で最も強い者達が集まるという街を目指して、歩みを進める。

 

 オルテミスという街は、そういう場所だ。

 

 こうして常に世界中から荒くれ者達が集まる。

 

 彼等に共通しているのは、つまりはまあ……その末に確実に、心を折られるということか。たとえどれほど技術や力に自信があろうとも。たとえどれほど実績を積んでいようとも。それでも。

 

 

 ……上には上が居るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外とこの街って、道場みたいな場所は少ないんですよ。それこそ長く続いているのは片手で数えられるくらいしかなかったりします」

 

「へぇ、それは本当に意外ね。こんだけ戦闘バカばっかりなんだし、需要はありそうなもんだけど」

 

 

 苦手な人物ではあるけれど、実際にこうして会うと割と普通に話すことが出来る。スズハにとってマドカ・アナスタシアという人間は、そんな存在である。

 

 結局カナディアに勧められた通り、マドカと共にベインが居るという道場へ向かっている最中ではあるものの、しかしどうやら目的の道場は街の外れにあるらしい。歩いて向かっているが、それなりに距離がある。

 

 もし秘石によって身体能力が強化されていなければ、スズハは絶対にこんな風に出歩くことはなかっただろう。身体が貧弱で体力もないスポーツ音痴だったスズハにとって、秘石という未知の技術はそういう意味でも非常に便利なものだった。異世界人の自分でもそれが使えたということもまた、運が良い。

 

 

「端的に言えば、普通の武道は探索者にはあまり需要が無いんです。対人戦闘の技術が不要という言い方をした方が分かりやすいでしょうか」

 

「ああ、そういうこと」

 

「基礎的な技術なら大抵の人が教えられますし、龍種やモンスター相手の立ち回りなら下手な達人より私達探索者の方が知っています。つまり小さな道場に行くくらいなら、"青葉の集い"に入って老齢の探索者に直接指南を受けた方がよっぽど良い」

 

「なるほど、あそこのクランはそういう強みもある訳か。普通はそういう大手で下積みを積んでから独立するってのが一般的なのね」

 

「そうなります、だからリゼさん達は割と特殊なんですよ。……話が逸れましたが、そういう事情があるので、逆に言えば今も続いている道場にはそれなりの強みがある訳です。そこでしか身に付かないものがあるとか、そういう需要がある」

 

「特殊性、ってことね」

 

 

 これならなるほど。確かに大手の下積み経験もなく、下の者に技術を教える経験も実績もないリゼ達にとっては、道場というのは今後必要になってくる可能性はあるのかもしれない。

 少なくとも一時的にでも、そういう場所で教えを受ける経験をしておくことは、今後クランの運営を長くしていくことを考えれば決して無駄にはならないだろう。

 

 

「で?今から行くところはどんな特殊性があるのよ?……クイズ形式とかは良いから、普通に教えて」

 

「ふふ、先手を打たれちゃいましたか。……そうですね。簡単に言えば、先生がとても優秀なんです」

 

「……割と普通な理由なのね」

 

「ええ、でもだからこそです。あらゆる武具に精通し、以前は探索者として活動していたこともありました。40年前の邪龍討伐にも参加し、生き残り、多くの有名な探索者達に教えを施した程の人ですから。すごい人なんですよ」

 

「へぇ、じゃあアンタもその人から教えを受けたわけ?」

 

「いえ、私には教えたくないと言われてしまいましたので。……別に嫌われてる訳ではないみたいなんですけど、教えたくはないんだとか。世間話とかは普通にするのに、不思議な話ですよね」

 

「……」

 

 

 どうせまたなんかやったんだろうなぁと思いつつも、特に指摘することなくスズハは道を歩く。この女の頭がおかしいことは既に分かっている。普通の人間面してるだけの異常存在だということも。故に最早変にツッコミを入れる気にもならない。

 

 そう、そんなことよりだ。

 

 それほど優秀な人物であるというのなら、人柄次第では直ぐにレイナに紹介しても良いのではないだろうか?彼女も槍の扱いには長けているが、そこでならまた新しい何かを掴めるかもしれない。紹介する意義はある筈。

 

 ……正直に言えばリゼも道場に入れたいという気持ちはあるものの、彼女に関してはなんとなく触れづらいところがある。それはリゼの成長についてはあのラフォーレが関心を寄せているのが理由であり、横から変な口を出せば面倒なことになる可能性が高いからである。それはきっとマドカも同じで……

 

 

「ねぇアンタ、リゼに自分から教えるつもりないでしょ」

 

「……!」

 

「やっぱり。あんだけ慕ってる子に対して、酷い先生も居たものよね」

 

「……ふふ。そう言われてしまうと言い訳の余地もないのですが……でもきっと、今の状態が良いと思うんです。お母さんにとってもですけど、何よりリゼさんにとって。私が付きっきりで教えていたら、自分で調べて考える力や、リーダーとしての精神性なんかは身に付かなかったでしょうし」

 

「……まあ、それは確かにね」

 

「時には人を頼ることも必要ですけど、人に頼れないことの方が多いのが人生です。なんでも自分でやる必要はなくても、大抵のことは自分で出来た方がいいに決まってます。その点、お母さんはその辺りをしっかりとリゼさんに叩き込んでいましたし。私ではここまで育てられませんでした」

 

「はあ、耳の痛い言葉ね。まあ私は『出来ることを増やす努力が出来る力』の方が大事だと思うけど」

 

「なるほど、それはそうかもしれません」

 

「よし、勝った」

 

「……結構負けず嫌いですよね、スズハさんって」

 

「アンタにだけよ」

 

「ふふ、それなら光栄ですけど」

 

 

 そんなことを話していると、いつの間にか目的としていた道場に辿り着いていた。

 

 その道場はそれなりに大きくはあるものの、しかし決して名門などというイメージのものではなかった。

 木造建築で雰囲気はあるし、今も10人弱の男女が中庭で木刀などを使って素振りをしているが、そこになんらかの特別性も見出すことは出来ない。チラとマドカの方を見てみても、彼女はなんとなしに頷くだけ。ここであることに間違いはないようであるが、それにしてはなんだか普通で。

 

 

「さ、入りましょうか。……すみませ〜ん!マドカです〜!お邪魔しま〜す!」

 

「え、そんな軽い感じでいいの?」

 

 

 インターホンのようなものもないので、発展した街でもこんな原始的なことをしなければならないことはさておき。この調子なら確かにマドカは偶にここに顔を出しているのだろう、なんとなく慣れている様子が見受けられる。

 

 ……まあ慣れていないのは素振りをしているような探索者達の方かもしれないが。マドカの名前を聞くと素振りをやめて顔を見にくるのだから、彼等はきっと経験の浅い探索者なのだろう。そんなことをしなくても今はギルドに行けば会えるのだし、わざわざ見に来る必要もないとスズハは思ってしまうのだが。

 

 

「……なんじゃ、また来たのか。マドカ・アナスタシア」

 

 

 道場の中では、ヘトヘトになって休憩をとっている門下生達と、1人の老人がその中央に立っていた。

 白い髭を長く伸ばして、覇気もそれほどなく、けれど腰は曲がっていない。木刀も何も持っていなくとも、その門下生達の相手をしていたのがこの老人であると、素人のスズハでも確信出来る。

 

 そしてそんな老人はマドカを見ると、なんとも微妙そうな顔をして出迎えた。嫌そうとまでは言わないが、呆れるというか。複雑そうな、そんな雰囲気。

 

 

「こんにちは、ゾルゲンさん。こちらはスズハ・アマギリさんです。以前にお話したリゼさんのクランで、作戦立案や研究調査なんかを担当しています」

 

「あんまりハードル上げないで。……スズハ・アマギリです、今日は道場の見学に来ました。うちには槍使いの女と、魔法系がカッスい女銃士が居るので、お世話になる機会もあるかなと」

 

「ほう、話は聞いとる。レイン・クロインを討伐したと聞いたが、今更学ぶことがあるのかのぅ」

 

「さぁ、私は戦闘なんて分からないので。ここで見たことをそのまま伝えて、判断は任せます。細かい話はその時に直接して下さい」

 

「……マドカ・アナスタシア。どうしてお主の周りの女はこうも気が強いんじゃ」

 

「あ、あはは。リゼさんは控えめな方ですよ?素直で誠実で、直向きな可愛らしい方です」

 

「なぜその女子を連れて来んかった……」

 

「あん?どういう意味よ」

 

 

 まあ実際、スズハやエルザやラフォーレのような気の強い女性が目立つことは仕方ないにせよ、そういう女性がリゼやマドカの側に多いことは事実。

 そういう女からリゼのような今時珍しい素直で純粋な女が気に入られるのもまた、当然の話。

 

 

「それで、ベインはどこに居るの?一応挨拶に来たって名目で来たんだけど」

 

「ん?あやつなら寝とるぞ」

 

「は?鍛錬中じゃないの?なんで呑気に寝てるわけ?」

 

「正しくは気絶しとるな」

 

「………」

 

「……あの、また無茶な鍛錬を?」

 

「うむ、じゃがまあ止める必要もなかろう。身体の丈夫さが売りのような男よ。……そも、女を取られて死ぬ気になれんような男なら、ここまで世話を焼いてやることもないわい」

 

「へぇ、まあそれは良いことね」

 

「よ、よくないですよ。気絶するまで鍛錬に打ち込むなんて、危ないです……!」

 

「こう言う時ばっかりまともなこと言ってんじゃないわよ。男なんて意地張ってなんぼの生き物でしょうが」

 

「そうじゃそうじゃ。図体のデカい男を過保護にするでない、気絶するくらいが丁度ええわ」

 

「えぇ……」

 

 

 そんな風に珍しいこの機会にと2人でマドカをいじめていると、突然外から大きな物音が聞こえて来る。

 いくつかの悲鳴と打撃音、スズハにとっては全く聞き慣れない、あまりよろしくないもの。只事ではない、それくらいのことは察することは出来る。

 

 

「スズハさん、私の後ろに」

 

「っ……ほんと、こういう時は頼りになるわよね」

 

 

 目を細めながら歩いて来るゾルゲンと、スズハを自分の背後に隠すように立ち位置を変えるマドカ。この女の得体の知れなさを知っているからこそ、この女が味方であることに何より安心感を覚える。……逆になった場合など考えたくもないが、それはさておき。

 

 

「マドカ・アナスタシア」

 

「ええ、問題ありません」

 

「ひぅっ!?」

 

 

 扉を貫通して来た刀の刃が、スズハの眼前で止まる。

 

 スズハにはそれが飛んで来たことさえも認識することが出来なかったのに、自分の前に立つ女はそれを片手で軽々と掴んでいた。これが実際にダンジョンで戦っている者と、そうでない者との違いというところか。似たようなことはリゼだって出来るかもしれないが、それがいざ命を奪われかける瞬間となれば捉え方は全然違って。

 

 

「ぃよぅ、クソジジイ。元気にしてたかァ?」

 

「……なんじゃ、デパルか」

 

「お知り合いですか?」

 

「昔の教え子じゃ。教えたことをなんでも飲み込む天才的な才覚の持ち主だったんじゃが、調子に乗りやすい愚か者でのぅ。碌なことにならんと徹底的に扱いておったんじゃが、途中で逃げ出して、それきりよ」

 

「チッ?だからこうして顔見せに来てやったんだろうが、あァン?」

 

「デパル、外の者達はどうした」

 

「殺してねェよ。……つっても、オルテミスの探索者ってのも大したことねェなァ?所詮こんなもんかよ、無駄に期待させやがって」

 

「うわぁ、如何にもって感じ……」

 

 

 ……正直に言えば、武道も何も分からないスズハにとってしてみれば、目の前の男はそこまで強そうには見えない。チンピラとヤクザとホームレスを混ぜたような、そんな見た目。ベインのように如何にもというほど筋骨隆々ではないし、覇気のようなものではなく、単純に人として近寄りたくないという感覚。

 

 小物っぽいと言ってしまえばそれまでだが、しかしこの老人がそこまで言うということは、実力と才能自体はあるのだろう。その丈を見抜くだけの眼力をスズハは持ってはいないが。

 

 

「外で素振りをしていたのは、まだ経験の浅い探索者さん達です。……これから花開こうとしている方々を一方的に攻撃しておいて、その言い草ですか。確かに少しお調子者なところがあるのかもしれませんね」

 

「………オイ、今なんつったクソ女」

 

「一目見て相手の実力が分からない程度の武人なのですね、と言っただけです」

 

「ブッ殺されてェか女ァ!!!」

 

 

 

「……不味いのぅ」

 

「結構怒ってるわね……まあいいんじゃないの、身の程が知れるでしょ」

 

「いや、デパルが叩き潰される分には別に構わんのじゃが……」

 

「?」

 

 

 マドカ・アナスタシアだって怒る時は怒る。想像通り、それは怒鳴り付けたりするようなものではなかったとしても。特にそれが未来の芽を摘むような行いであるのなら、アルファの時と同様に彼女は容赦しないだろう。

 

 ……ただ今回に関しては、恐らくきっと、スズハが想像している以上の何かがそこにはある。

 

 

「ふぅ……もうよい。マドカ・アナスタシア、後は頼んだぞ。儂は表の者達を見て来る」

 

「え?あ、はい」

 

「オイ!!待ちやがれジジイ!逃げんのか!!このクソ女の次はテメェだぞ!!」

 

「勝手にせぇ、どうせお前はその娘には勝てん」

 

「ンだとォ……?」

 

「逃げる、というのは間違っとらんがな。小心者の儂にはこれから起きることを直視する勇気はない」

 

「……アァ?何言ってんだァ?」

 

 

 そんな意味深な言葉を残して道場を出て行くゾルゲン。他の門下生達も連れて行き、残されたのはマドカとスズハとデパルだけ。

 あまりにもあまりなその対応に困惑しているのは誰よりもデパルであったし、スズハは逃げるタイミングを逃したことに後悔をしていた。こんなことならリゼでも連れて来れば良かったと。何故自分はこんな女と2人きりで行動してしまったのかと。面倒なことに巻き込まれるのは明らかだったろうに。

 

 

「チッ、まァボケたジジイのこたぁどうでもいい。それよりテメェだクソ女、死ぬ覚悟は出来てんだろなァ?」

 

「いえ、そういう覚悟をするつもりはありませんので……一先ず、木刀でどうですか?」

 

「アァ?」

 

「せっかく天才剣士さんにお手合わせ願えるのですから、一太刀二太刀で終わってしまっては勿体無いですし」

 

「……木刀なら殺されねェとでも思ってんのか?そりゃ考えが甘ェだろ」

 

 

「いや、もうやるならさっさとやってくんない……?どうせ負けるんだから」

 

 

「ンだとゴルァ!!!!」

 

「ひぅっ……マ、マドカ!!もうさっさとやっちゃってよ!!」

 

「ふふ、分かりましたから。ただ少し私にも時間を下さいね?……本当にこんな機会、滅多にないんですから」

 

 

「「っ」」

 

 

 きっと、デパルが目の前の女の異常に気が付くことが出来たのは、そこで漸くであった。そして逃げることが出来る最後の機会もまたその瞬間。

 

 それでも彼が望んだのは……

 

 

「……っ、やってやろうじゃねェか」

 

 

 彼は強者に飢えていた。

 放浪の最中、技術を身に付け、実力を身に付け、多くの勝ちを得て。自分よりも強い人間を求めるようになった。そして確実に自分よりも強い人間が居るであろうこのオルテミスへと辿り着いた。

 

 ……だが、やはり彼は間違えたのだ。

 

 多くの技術を身に付け、その天才的な才能によって最上まで昇華させることが出来た彼だからこそ、絶対にその女とは出会ってはいけなかったのだ。あまつさえ、手合わせなどすべきではなかった。

 

 

「よろしくお願いしますね、デパルさん。……一先ず軽く、6時間程度は付き合って貰えると」

 

「「………え」」

 

 

 女は技術に飢えていた。

 

 戦闘の技術ではなく、武道における技術を。道場を営んでいる師範達が彼女を避け始めたことによって生じた、その欲望が。今正に、あらゆる技術を身に付けた世間知らずな男に叩きつけられようとしていた。

 

 

 

 

 最後まで見ていたスズハは、こう語っている。

 

 それは正に、技術を貪り食らっているようであったと。

 

 他者の努力と才能を、それを身に付けるために費やした時間も気力も労力も、何の容赦もなく喰らい尽くしていたと。

 

 スズハのマドカ・アナスタシアに対する苦手意識が増したのは、もう言うまでもない。



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112.帰還と帰還

 カラカラと回る車輪の音。それほど広くはない馬車の中で身体は伸ばせず、そろそろ長旅にも飽きて来た女の姿が3つあった。

 行き先はオルテミス、出た街はアイアント。到着まではあと数時間と言ったところだろうか。それでもまだ数時間あるという事実は酷く気疲れするものであったとしても、それなりに道が整備されて来た現在、大都市間の移動は40年前より遥かに短時間のものになっている。

 

 

「それにしても……アイアントに"混毒の森"対策の装備について話に行っただけなのに。なんだかオルテミスは大変なことになってたみたいですね」

 

「まったく、面倒なことは続くもんだね。これはある意味、私達がアイアントに行ってて良かったんじゃないかい?」

 

「確かにそうかもしれません。……こういう役割も、いつまでもマドカさんに押し付けていられませんよね」

 

「安心しな、今後はセルフィに押し付けられるよ」

 

「えぇ!?」

 

「そりゃそうだろ。一度やれちまったんなら、2度目3度目が来るのは道理さ。その時にも私が着いて行ってやれるかは分からないだろうねぇ?」

 

「うええ!?せめてエミさんが来てくれないと困りますよぉ!」

 

「あっはっは、アンタも幹部になったんなら腹括りな。いつまでも若さと未熟が言い訳になるわけじゃないんだよ」

 

「うぅ……シアンさんはどう思いますかぁ?」

 

「幹部ならやるべきだと思う」

 

「ぐふっ」

 

「……まあ、厄介ごとを持って来たのはこっちもかね」

 

 

 チラと、エミはセルフィの隣に座る少女を見る。

 

 金髪碧眼の愛らしい少女、年齢は15。特徴を言葉にするだけならば、アイアントから良さそうな探索者をスカウトして来たようにも見えるだろう。

 

 しかしそうではない。この少女の出自に宿っているあまりに凄まじい爆弾は、出会った瞬間からエミが普通に頭を抱えたほどのヤバいものであった。……というか、むしろエミだからこそ、そのヤバさを理解せざるを得なかった。

 

 

(レンドもマドカちゃんも、なんならゼグロスも、確実に面倒なことになる……はぁ、どうして今頃になって"天域"の忘れ形見なんかが出て来たんだか)

 

 

 40年前の邪龍討伐において活躍し、誇張なく最強を誇っていたクラン"天域"。そのクランについては、当時まだ3歳であったエミも間接的に色々と関わっている。

 

 そして何より面倒なのが……このシアンという少女が、都市最強の男レンド・ハルマントンの急所にあまりに深く結び付いているということ。

 

 エミとて正直に言えば『もうどうにでもな〜れ』という感じでオルテミスに連れて来ているのだ。そこにある諦めの感情は大きくて、けれどエミにとっても連れて来る以外の選択肢が取れないほどの重要な人物で。

 

 ……本当に、もう、本当に。

 

 

『オイ!降りやがれテメェ等!!』

 

『ひぃっ!?』

 

 

「……なんだい、盗賊かい?面倒だねぇ」

 

「行って来ます」

 

「あっ!ちょ、シアンさん!?」

 

「行かせときな、セルフィ。どうせ……」

 

 

 

「『高速』」

 

 

 

「あの速度に反応出来るような奴は早々居ないよ」

 

 

 エミさえも知らない『高速のスフィア』。

 きっとこの世界にはまだまだ自分が知らないようなスフィアが数多くあるのだろうと、今更になって思わせられる。少なくともそれは自分の新たなモチベーションになっているし、43歳になった今でも伸び代があるという事実に苦笑することにはなっても、気後れすることはなかった自分を見直す良い機会にもなって。

 

 

「意外と強かった」

 

「うわぁ!?は、早かったですね……」

 

「うん、『高速のスフィア』の強みだよ」

 

「はぁ。盗賊のスフィアを手に入れて、深層で宝箱を探して、まだまだやることは多いねぇ。思わず若返っちまいそうだよ」

 

 

 3人はまだ知らない。まさかオルテミスでクラン合同の深層攻略計画が進んでいることなど。ましてやそれは本気も本気のものであり、45階層どころか50階層の攻略まで見据えたものであるなどと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、リゼとレイナは呼び出されていた。

 

 クリアは早起きをすることが出来ず、スズハは先日のこともあって、『暫くあの女と会いたくない』とのことで。何があったのかはリゼには分からなくとも、取り敢えず深くまで聞くことはなく、こうして2人だけで来た形である。

 

 そしてそんな2人の前には今、思いもよらぬ人物が居る。いやまあマドカはリゼ達にこの人を紹介するために呼び出したのだろうけれど、それにしてもだ。

 

 

「こちら、"聖の丘"のクランリーダーをしているレンド・ハルマントンさんです。リゼさんもクランを正式に立ち上げることになったんですし、顔合わせくらいはしておくべきかなと思いまして」

 

「え、あ……えぇ……」

 

「おう、おじさんも噂は色々聞いてるぜ。……つぅか、そもそも一回迷惑掛けてるんだったな。強化ワイアームの件はすまなかった。謝罪が遅れたことも含めて、改めて謝らせてくれ」

 

「い、いや!謝罪はもうセルフィからも受けているし……!」

 

「それにしても謝罪が遅れたことは言い訳出来なくてだな……改めてこうして顔を合わせてなかったら、多分もっと後回しにしてたろうし」

 

 

「……マドカさん、意外とこの人クズなんですか?」

 

「レ、レイナ!初対面の人にそれは流石に失礼だろう!」

 

「まあ多少怒ってはいます」

 

「そ、そんなことはないですよ?ちょっとだけ不真面目なところがあるくらいですから」

 

 

「は、ははは……若者からのクズ扱いは効くぜ……」

 

 

 レンド・ハルマントン。

 彼は"聖の丘"のリーダーであるだけでなく、龍種対応の際などにおいて探索者達のリーダーを務めているような人物である。都市最強探索者としても名高く、オルテミスを知っていれば彼のこともまた同時に知っているのも当然と言うべき存在。

 

 最近はアルファを取り逃がしてしまったことを機に、何かと落ち目な彼であるが、実際のところ本当に凄い人なのである。それこそ40年前の邪龍討伐によって壊滅的な被害を受けたオルテミスを、ここまで立て直した立役者としても。

 それに『拘束のスフィア』さえ知っていれば、ちゃんとアルファだって捕まえられていた筈なのだから。……まあ知らなかったのでポンコツやらかしたこともまた事実なのだが。決してアルファより弱いなどという事はない。

 

 

「ええと、やっぱり初対面が謝罪から入るというのも気不味いというか。よろしければ気にせず、1人の探索者として接して頂けると嬉しいかなと」

 

「おお……こんな素直で良い子が出て来てくれて、おじさん泣いちまいそうだ。今後とも頼んだぞ、ラフォーレのこと」

 

「や、やっぱりそうなるのか……」

 

「あ、あはは……」

 

 

 似たようなことを他でも聞いた覚えがあるが、やはり皆が求めるものは同じなのだなと改めて思うと、リゼもレイナも苦笑いするしかない。

 それくらいラフォーレ・アナスタシアという女に彼等は手を焼かされていたということなのだから。きっと彼女の武勇伝は止まることを知らない、それこそマドカの母親らしく。それが良いものなのか悪いものなのかは別物として。

 

 

「ところでその、まさか紹介だけって訳でもないと思うんですけど……」

 

「ええ、レイナさん。ご察しの通りです。クラン合同遠征については以前に軽くお話しさせて頂いたと思うのですが、実はそれについてリゼさん達のクランにもお手伝いをお願いしたくて」

 

「え、私達がかい?」

 

 

 クラン合同遠征、その噂は少しずつ街にも広まり始めている。まあそれほどの規模の遠征ともなれば商人達とも連携することになるので、準備の段階で情報が出回るのは当然の話ではあるものの。流石のリゼ達でもこの件は自分達には無関係なものだと思い込んでいた。

 

 いくらレイン・クロインを倒したとは言え、自分達はまだまだ新米。ダンジョンの深層まで潜れるような知識も経験も力もない。故に甘く考えていたところがあるのだが……

 

 

「遠征とは言え、全戦力で単純に突き進むという訳ではないんです。各階層ごとに戦力を分けて、担当を作る。……例えば私とベインさんがリーダーを務めるグループは、45階層のインフェルノドラゴンを行きと帰りの2回倒すことになります。同じように40階層、35階層、30階層のそれぞれにグループが配置される訳です」

 

「どうしてそんな手間のかかることを……?それだと人数も資材もかなり使うことになってしまいませんか?」

 

「まあな、だが俺達の目的はあくまで50階層の黒龍の討伐だ。……どんだけ金が掛かったとしても構わねぇ、万全の状態で最高戦力を50階層に送り出す。これはそのための策だ」

 

「な、なるほど……」

 

「加えて言えば、深層の階層主を相手に数で押すのは無意味ですから。なるべく少数精鋭で、相性の良い探索者を当てる必要があります。……特に黒龍は情報が少ないので、なるべく様々な特技を持つ探索者を無傷で送りたい」

 

 

 全てを50階層の攻略に費やす。

 

 それこそが今回の遠征の主軸であり、それほどに皆がこの遠征のために全力を尽くしている。それは探索者だけでなく、ギルド職員から商人、職人達まで。街全体が全力稼働して、遠征のための準備をしている。

 

 ……つまりそれは、新米の探索者であろうとも無関係ではいられないということ。例え深層に向かう力が無かったとしても、出来ることをしなければならない。

 

 

「と言っても、リゼさん達にお願いしたいのはそんなに大変なことではありませんので安心してください」

 

「よ、よかった。私はてっきり30階層辺りまで着いてこいと言われるのかと……」

 

「ふふ、そんなこと言いませんよ」

 

「まあ簡単な話、レッドドラゴンの討伐と11階層までの荷物持ちだ。それと11階層での待機班だな。……これで大体伝わるか?」

 

「ええと……つまり私達は。先行して荷物を運びながらレッドドラゴンを倒した後、そのまま11階層で非常時のために待機しておく。マドカ達が戻って来たら、再度レッドドラゴンを倒した後、そのまま地上まで荷物持ち。……こんなところだろうか」

 

「ええ、概ねその通りです。……正直に言えばレッドドラゴンくらいならお母さんも含めて一撃で倒せる人も居るんですけど、そこに待機している人が居るということが重要なので。遠征中に異常事態が起きたりしたら洒落にならないですから」

 

「緊急時のための予備戦力ということですね」

 

「あとこの際に各地点の休憩拠点を整備しておきたい。その辺りの仕事も頼むつもりだ」

 

 

 例えば。突然15階層で強化種が出現した、突然13階層で崩落が発生した、連絡役が12階層で力尽きてしまった。そんなことが起きる可能性も、決してゼロではない。そう言った時のために、各階層に探索者を配置しておき、予備戦力として、そして階層の監視役として働いて貰う。

 

 それに11階層という比較的浅めの階層は、地上への中継役としての役割もある。地上への連絡は『投影のスフィア』で出来るとしても、地上からの連絡をすることは出来ない。そうなると最低でも15階層まで走って、ブルードラゴンを倒せなくとも、16階層の人間に呼び掛ける必要がある。もちろん、そのような事は余程ないが。

 

 ……しかしそう、決して責任のない役ではないのだ。そしてそれは多少の責任を任されるくらいには信用が得られているということと同義でもある。まだ16階層に辿り着いたことはなくとも、それが出来ると期待されている。その期待は重い。

 

 

「ま、変なことが起きない限りは大したことねぇ仕事だ。おじさんとしてはマドカちゃんの方が心配なくらいだぜ」

 

「うん?マドカはそんなに大変なのかい?」

 

「えっと……中規模クランの精鋭陣と一部上位の探索者を取り纏めて40階層と45階層の階層主を討伐した後、そのままリーダーをベインさんに引き継いで、そこからは50階層まで支援役として着いていくつもりです。50階層で実際に戦うことはないんですけど、治療や支援くらいなら出来ますし、作戦立案や情報の取り纏めもやれますから」

 

「……あの、それ帰りも含めてですよね?どんだけ働かせるんですか」

 

「し、仕方ないだろ。本当は黒龍対策の支援役だけで良いと思ってたが、40階層が山場過ぎんだよ。あれ突破してんの"聖の丘"だけなんだぞ?そこを最低限の消耗で処理してくれるってんなら、もうやって貰うしかなくてな」

 

「……レッドドラゴンの時と同じ感じでやるのかい?」

 

「いえ、スリーヘッドドラゴンは確かに基礎能力が尋常ではないのですが、致命的な弱点が1つありまして。そこからハメ殺す方法を幾つか考えてあったんです」

 

「ハメ殺す……」

 

「……マドカちゃん、それおじさんも聞いてないんだけど」

 

「次に40階層に挑戦しようとする方に提案するつもりだったのですが、そういうお話が全く出てこなかったので。……だから何度もお誘いしたんですよ?もう」

 

「わ、悪かったよ……」

 

 

 現存するクランの中でも、過去に40階層を突破することが出来たのは"聖の丘"だけ。"風雨の誓い"も"龍殺団"も"紅眼の空"も39階層で突破記録は途絶えている。

 

 これをなんとかするためにマドカはず〜っとず〜っとスリーヘッドドラゴンの対策を考えていたというのに、その間にどこのクランも階層更新ではなく自力を盤石にする方へと動いてしまっていた。

 

 もちろんそこにはマドカによるちょっとした意地悪もあって、これを伝えるのは早い者勝ちくらいの気分で居たら、結局こうして今日の今日までそんな話さえ出てこなかったという始末で……

 

 つまりはまあ。

 

 

「なるほど、マドカは拗ねていたんだね。そう考えると、なんだか意外な一面を見たようだ」

 

「ふふ、そうかもです。だから今のレンドさんの困った顔を見て、少しだけ楽しくなっちゃいました」

 

「……まあ、こんなおじさんの顔見て楽しく思って貰えるんなら儲けもんだな。やれやれ」

 

「難儀ですねぇ」

 

 

 そしてそんな話をしていれば、なんとなくレンドの人柄も見えて来るというもの。噂で聞いていたような都市最強探索者としての厳つい要素は割と無くて、こうして話していると本当にただの中年のおじさんという感じ。

 

 もちろんダンジョンの中などではこんな風ではないのだろうが、少なくとも話しやすい人間性であることは確かだ。今はそれでいい。……今後確実に関わっていく人物であるだろうことは、レイナだって予想しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「ミライ、さん……?」

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 ギルドの少し静かな空間に、絞り出すようなそんな言葉が妙に響いて聞こえた。

 

 その言葉に反応したのはレンドだった。

 

 声の聞こえた方を見ると、ギルドの入口に立つ3人の女性。見知った2人と、知らない1人。

 そして誰も知らないその少女は、目を見開いて、涙さえ流して、信じられないようなものを見る目で。……けれど同時に、縋るように、求めるように。

 

 

「ミライさん!!」

 

 

「ふぇっ!?わ、わたしですか!?」

 

 

 金髪碧眼のその少女は、ギルドの中だろうと関係なく、『ミライ』という聞いた事もない人物の名前を叫びながらマドカに向けて走り始める。椅子を倒して、机に当たって、転びそうになりながらも、それでも関係なく、飛び付いて、抱き付いて、泣き始める。

 

 突然のそんな状況、困惑するのは誰であってもそう。それでも一先ず抱き締め返して、状況が分からなくとも泣いている少女を優先して対処しているマドカは、なんとなく以前に泣き始めたリゼを慰めていた時の姿に重なる。ただもちろん、彼女もまた困惑しているのは事実で。

 

 

 

「ミライ……って……」

 

 

 

「あちゃー、やっぱりこうなったか。……まあ予想してたことではあったけど、まさかレンドも居たとはねぇ」

 

「ど、どうしてマドカさんに……?」

 

 

「お前等……」

 

「セルフィ!帰って来ていたんだね!」

 

「あ、リゼさん……!た、ただいま戻りました!」

 

 

 何がなんだか。

 

 まさにその言葉こそが相応しい現状。

 けれど珍しいのは、この件については普段ならスズハ曰く物知り顔をしているマドカもまた、何がなんだか分からないように狼狽えているということであり。

 

 ……さて、この件。

 

 リゼ達は完全に立ち会っただけの、他人事ではあるけれど。じゃあこれが完全に自分達とは無縁のままに終わるのかと言われれば、絶対にそんなことはないんだろうなぁと。レイナはそれとなく予想していた。

 



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113.死んだはずの少女

 その邪龍討伐の計画が持ち上がったのは、6体目の邪龍を取り逃してしまったことが原因であった。

 

 後に滅龍デベルグと呼ばれるようになったその邪龍は、とても小柄で、見た目はワイバーンと変わらないくらいの存在であったという。

 

 見て分かるほどの威圧感を持っている訳でもなく、当時最盛を誇っていたクラン"天域"を含めて、誰もがその龍をそれほどの脅威だとは捉えていなかった。

 

 ……だからこそ、取り逃したのは必然。

 

 小柄故に逃がれ易く、小柄であっても強靭であったからこそ、対処が困難。

 それでも逃すまいとあらゆる探索者達からの砲撃を受けて、決してダメージが無かった訳でもなく。最終的に滅龍デベルグが取った行動は、海底で眠りについていた最悪の邪龍である"大龍ギガジゼル"を強引に起こすという方法。

 

 

 決して起こしてはならない最強最大の邪龍に、滅龍デベルグはダメージを与えた。ギガジゼルの絶対防壁とも言われていた甲殻を撃ち抜いたそのブレスは、あらゆるものを消滅させる滅龍デベルグの最大の特徴である。

 

 その結果生じたのは、

 世界そのものに対する壊滅的な被害。

 

 たった一度の油断は、最盛を誇っていた筈の世界そのものを瞬く間に滅ぼした。確実に歴代最強と呼ばれていた戦力を持ってしても、ただ逃げ惑うこと以外を許すことはなかった。それは当時の英雄でさえも変わらない。

 

 

 大龍ギガジゼルは討伐出来ない。

 

 

 定期的に生じる大災害のようなもの。それこそがこの世界の常識。人類最強の存在である英雄でさえも一瞬の足止めも敵わない。

 

 そうしてギガジゼルがオルテミス近海で再度の眠りに着いた頃には、大都市の半数以上が崩壊し、連邦軍は壊滅状態となっていた。生きるか死ぬかは完全に彼の龍の気分次第であり、眠りについたその後も、生き残った者達は今度は棲家を失い、蔓延るモンスター達によって安息を奪われることとなった。

 

 

 ……第二次邪龍討伐とは、つまりはそんな油断から世界を崩壊させてしまった、当時のオルテミスの探索者達による禊のための戦いである。

 

 最強という地位に驕り、結局ギガジゼルを前にしては自分達も逃げ惑うことしか出来ず、多くの者達の死体と末路を目にして。どれだけ情報操作をしてオルテミスへのヘイトを下げたところで、決して拭うことが出来なかった当人達の罪の意識。

 

 彼等はこの犠牲を決して無駄ではなかったと証明したかった。その失敗を失敗のままにしておきたくなかった。その失敗があったからこそ奮起し、邪龍達を滅ぼすまでに至ったと。そう言い切ることの出来る未来を求めていた。

 

 

「……けど、そうはならなかった」

 

 

「「「……」」」

 

 

「誰も、分かっていなかった。邪龍という存在の本当の恐ろしさを」

 

 

 そうだ。

 

 第二次邪龍討伐は、成功した。

 

 成功はしたが、失敗でもあった。

 

 【陽龍シナスタン】、光を操る邪龍。

 

 付近の光量を変化させるだけでなく、強力な光線によって人間の知覚出来ない速度であらゆる存在を無差別に焼き払う。あらゆる防具は無意味であり、あらゆる速度が無意味となる。相対した人間の目は確実に潰れ、100人を率いたとて2秒も掛からず壊滅する。

 

 討伐に要した犠牲は千を軽く超え、受けた被害は万に迫る。

 

 最強クラン"天域"は壊滅し、当時の英雄も死亡した。戦闘に参加した連邦軍及び他都市の有力な探索者達も壊滅的な被害を受け、その後の各都市は多くの龍種やモンスター達を封じ込めることが出来ず解き放つこととなってしまった。

 

 

 誰もが言った。

 

 その討伐に意味はあったのかと。

 

 邪龍を一体討伐した代償に、自分達はあまりに多くのものを失い過ぎたのではないかと。数百年をかけて築いて来た磐石な地盤を犠牲にしてまでも、本当にやるべきことであったのかと。

 

 

 当時のオルテミスのギルド長は自死を図った。

 

 ギルド職員の何人かもそれを追った。

 

 世界はそのまま死んでいく筈だった。

 

 本来なら、そこで。

 

 

 

「本来、なら……というのは……」

 

 

「そこで出て来るのが、ミライ・アーリアって女だ」

 

 

「!!……さっき彼女がマドカに叫んでいた」

 

 

「……本当に、ミライさんじゃない?」

 

 

「ごめんなさい、私はマドカ・アナスタシアです。少なくとも40年前には、私は確実に生まれていません」

 

 

「……」

 

 

 ギルドの会議室の一室を借りて、目の下にクマを作っているエリーナとエルザを無理矢理連れて来てから、その話は進んでいた。正直何も知らない者からすれば、到底信じられないようなオカルト的な話が。

 それでも同じようにオカルト的な現象でこの世界に来た者を知っているからこそ、完全に否定することが出来ずにいる。邪龍という存在が蔓延るこの世界では、常識など容易く破られるものだと言っていい。

 

 

「で、そのミライ・アーリアってのはどんな女なわけ?」

 

「……元は"天域"に所属していた探索者でな、邪龍討伐戦における"天域"唯一の生き残りだった。それでも左足と右腕を無くして探索者は続けられず、孤児院を営んでいたんだ。探索者が死にまくって行き場を失った子供が大勢居たからな」

 

「孤児院……」

 

「……エミ、それはもしかしなくとも」

 

「そうさエリーナ。私とレンドとゼグロスは、その孤児院の出だ。……だから簡単に言えば、私達の母親みたいなもんなんだよ。ミライ・アーリアは」

 

「「「!」」」

 

 

 都市最強探索者であるレンドと、その馴染みであるエミ。そして今はグリンラルで探索者達を纏めているゼグロスもまた、同じ孤児院でミライ・アーリアに育てられていた。……そして勿論、彼等が探索者を志すようになった理由もまたそこにあって。

 

 

「その人は、もう……?」

 

「……ああ。当時は邪龍討伐以降、"龍の飛翔"に対応することが難しくなっていた。だから出現した龍種がオルテミスまで飛んで来ることも結構あってな」

 

「じゃ、じゃあ、ミライさんは……!」

 

「……俺達を逃すために、犠牲になった」

 

「そん、な……」

 

「もう28年も前の話になる。あの人が居なかったら、今の俺達は無かった。少なくともオルテミスもグリンラルも、今とは別の姿になっていただろうな」

 

「「「………」」」

 

 

 当時32歳、まだ生きていれば60の歳の人物の話。

 40年という年月はそれほどに長く、そしてレンド・ハルマントンを中心にオルテミスが大きく変わり始めたのは、正にその瞬間からであると本人達さえも認めている。

 

 ミライ・アーリアの献身こそが、滅びに向かう世界を止めるきっかけとなった。それがあったからこそ、レンド達は今日まで走り続けることが出来た。

 歴史としては誰も話すことはなくとも、レンド達が忘れることは決してない。どんな形であっても、あの人こそが世界を救ったんだと。きっとレンドは死んでもそう言い続ける。

 

 

「……まあ、歴史の授業としてはためになったけど」

 

「あん?」

 

「取り敢えず、これを避けては通れないでしょ。……そんなにマドカに似てるの?そのミライって女は」

 

「……」

 

「……」

 

「……似てる、どころじゃねぇよ。瓜二つだ。そこのシアンって子だけじゃねぇ。俺もエミもカナディアも、ゼグロスさえも同意見だ。あと10年も経てば、完全に俺の知ってるあの人になるんじゃないかとさえ思ってる」

 

 

 カナディア・エーテルは、その孤児院出身ではない。しかし、そんな彼女もまたミライ・アーリアのことは知っている。それでも少し言葉を交わした程度の彼女は、レンド達ほど固執はしていないし、重ねてもいない。

 

 

「はぁ、なるほど?だからマドカに対する態度が妙にキモかったのね、アンタ」

 

「うっ……」

 

「まあそれはどうでもいいわ。それより、マドカの方は何か知らないの?それくらい似てるらしいけど」

 

「……どうでしょう、私の出生のことは概ね皆さんご存知かと思いますが。それでも人間である以上、何処かに血の繋がった人物が居るのは当然の話です。こういう珍しい容姿をしていますから、特徴的な血族の生まれである可能性は否定出来ません」

 

「……!そういえばブローディア姉妹が殺されかけたって女も、マドカちゃんと似た雰囲気してたって言ってたな。眼の色とかは違ったらしいが」

 

「ええと、シアンと呼ばせて貰ってもいいだろうか。そのミライという人も、強い人だったのかい?」

 

「うん、5年でクランの最前線に立ってた天才。素手格闘の高速戦闘が得意だった」

 

「高速戦闘……」

 

「当時最強クランの最前線に、5年で……」

 

「……ありそうだな、マドカにも繋がる特殊な血筋が」

 

「ンな奴等、敵に回したくねえ……」

 

「むしろここまで来たら、ラフォーレ辺りにも混じってるんじゃないかい?」

 

「ふふ、そうだと嬉しいですね。真実が分からないのが残念ですが」

 

 

 それにまあ、ここまでは単なる前提となる情報共有でしかない。今回生じた問題は、決してそれが主題という訳ではないのだから。

 

 だって、そもそもおかしいだろう。

 

 まだリゼよりも歳の低いであろうシアンというその少女が、どうして40年も前に亡くなったミライ・アーリアについてこれほどよく知っているのか。

 

 そんなあり得ないことが起きてしまった事こそが問題なのである。明らかな歪みが発生した。それは決して容易く見過ごせるようなことではない。

 

 

「一先ず、今後のことを話さない?」

 

「ああ……つっても、今はなぁ」

 

「クラン合同深層攻略……私達が街を離れていた間に、いつの間にか凄い話が出て来ていたんですね」

 

「正直に言ってしまえば、クランもギルドもマドカにも今は余裕がない。シアン・アーリアについて調べていられる余裕もなければ、後回しにしてしまいたいのが実情だ」

 

「まあ、そうなるわね」

 

「……ああ。なるほど、大体分かりました」

 

「え?なにがだい、レイナ?」

 

「遠征とギルドの監査が終わるまでの間、私達で引き取って軽く事情聴取をしておいて欲しいと。そういう話になると思います。……というか、そうでもないと私達までこの場に呼ばれる意味が分かりませんので」

 

「あ…………な、なるほど、そういうことか」

 

 

 つまりはそう、いつも通り。

 

 

「シアン・アーリアは、40年前の邪龍討伐戦の最中に確実に死んでいる。それは一応ギルドの記録の中にもあった。……だがこうして、今になって何故かアイアントのダンジョンの中で発見された」

 

「シアン自身も、その認識でいいのかな……?」

 

「うん。……物資の運搬中に、陽龍の強襲を受けて。腰から下が、無くなってた筈だから」

 

「っ……アイアントの対応はどうなっているんですか?」

 

「数百年遡っても前代未聞の出来事だからねぇ、向こうも大騒ぎさ。一応ダンジョンも記録も漁ってる最中だが、あまり期待は出来ないだろうねぇ。見つかった階層も大したところじゃなかったそうだ」

 

「……とは言え、ダンジョンですから」

 

「こうしてオルテミスの探索者が生き返った以上は、無関係ではいられませんよね」

 

 

 時を超えた死者の復活。

 

 同じようにダンジョン内で記憶を失った状態で見つかったレイナや、異世界から転移して来たスズハ、もしかすればシアンはこの2人の経緯とも何らかの関わりがあるかもしれない。

 

 少なくともそれだけで、リゼとしてはこの話には積極的に関わっていきたいもの。そんな彼女を暫くの間でも預かって欲しいと言われれば、リゼだって断るつもりなど毛頭なかった。

 

 

「私としては問題ないよ。……もちろん、スズハやクリアにも相談はしないといけないけど」

 

「はぁ……まあ2人も特に嫌がることはないと思います。シアンさんは見習いと言えど"天域"のクランに所属していたくらいの探索者ですから、ウチとしてはむしろ有難いくらいです」

 

「……悪いわね、リゼ。厄介抱えてる連中を押し付けるような場所にしてる自覚は割とあるんだけど、正直めちゃくちゃ助かってるのよ。変な事情持ちを1箇所に固めてくれるどころか、その上で正常なクラン活動してるくらいだし」

 

「あ、あはは……でも私は別に負担だなんて一度も思ったことはないよ、エルザ。むしろ引き合わせてくれたことに感謝しているくらいさ」

 

「リゼさん……」

 

「ただ、シアンはそれでいいのかい?他にしたいことがあるのなら、別に探索者に戻る必要もないと思うが」

 

 

 言葉の多くないその少女は、今もずっとマドカの隣で、マドカの手を握りながらこの場に居た。そこにいるのが自分を拾って家族になってくれた女とは別人であったとしても、それでも別人とは思えないのだろう。

 

 そして彼女のこれからの行末に、彼女自身の意見を反映させることは難しい。それもまた彼女自身はわかっている筈だ。それでもリゼがそれを尋ねたのは、もし彼女に求めるものがあるのなら、可能な限りそれを叶える努力をするため。

 

 

「……どうしたらいいのか、分からない」

 

「……」

 

「一緒に、居られない……?」

 

「……私の忙しさを理由にしなくとも、一緒に居るべきではないと思います」

 

「どう、して……?」

 

「私とミライ・アーリアさんを、混同しないために」

 

「……!」

 

「私はミライさんにはなれませんし、貴女の中の彼女を私と混同させるべきではありません。今の状況を自覚するためにも、そしてこれからの生き方を考えていくためにも、私とは少し距離を置いた方がいいと思います」

 

「……うん」

 

「大丈夫ですよ。リゼさんは信用出来る人ですし、何も絶対に会わないという訳ではありません。……私はただ、貴女を孤独にしたくないだけなんです。何も知らない世界に居ても、自分の居場所はちゃんとあるんだと。そう感じられるようになって欲しいんです」

 

「……!」

 

 

 きっとそれは、スズハに対しても彼女は思っていたのかもしれない。そしてそれと同じことを、今しようとしている。……そこにリゼを勝手に巻き込むというのは、正直どうかと思うところもあるけれど、結局リゼだってこういうお人好しだ。

 だからやっぱりこの師弟の間にも、信頼関係というものがあることも間違いなく。

 

 

「……リゼ、で、いい?」

 

「もちろん、気軽に呼んで欲しい」

 

「これから、よろしくしても、いい……?」

 

「ああ、歓迎するよ。……ただ、1つ注意しておくと、私のクランはとても個性的なんだ」

 

「そうなの……?」

 

「うん。そうだろう?レイナ」

 

「ええ、そうですね。……クランリーダーは馬鹿みたいに大きな銃を担いでダンジョン内で狙撃してますし、唯一の近接役は記憶喪失で出自も不明。魔法使いは女神に呪われてますし、参謀役なんて異世界人ですから。今更"生き返った探索者"が1人や2人増えたところで、大した話題にもなりませんよ」

 

「おもちゃ箱か?」

 

「……リゼ達のクランって、変?」

 

「うっ、直接そう言われると……」

 

「ふふ、冗談」

 

 

 改めて羅列されると、流石のレンドであっても苦笑いをしてしまうような団員達ではあるけれど。そんな個性を纏めている、そして慕われているリゼだからこそ、信頼出来るというもの。

 エリーナも、エルザも、マドカも、セルフィも、レイナも、リゼ・フォルテシアを知っている。そして次第に都市にも影響を齎すような人物になっていくであろうことを確信している。レンドも、エミだって、今日こうして彼女という人間を見てそう思った筈だ。

 彼女の中に眠る素質を、彼等が見逃すはずもない。

 

 

「じゃあ改めて。私達のクランにようこそ、シアン」

 

「……よろしくお願いします。リゼ、レイナ」

 

 

 マドカから手を離し、リゼと握手を交わす彼女を見て、羨ましく思っていたのは実はセルフィだった。まだ探索者になったばかりだというのに、ほんの数ヶ月でクランを自ら作って、こんな会議にも参加して、そしてここまで信頼されるようになって……

 

 

 (なんだか、羨ましいなぁ……)

 

 

 果たしてそれは、リゼの立場に対してなのか。それとも彼女に受け入れて貰ったシアンの立場に対してなのか。

 それは本人にだって分からなくても、羨ましくても、自分なら出来るだなんて思えないから。複雑な気分にならなくても済む。そして素直に、彼女の力になりたいとも思える。

 

 

「リゼさん。今度、もし良かったら、またお話ししませんか?色々とお話ししたいことがありまして……」

 

 

「もちろんだよセルフィ!私もたくさん君に話したいことがあるんだ!」

 

 

「……ふふ」

 

 

 徐々に開いていく、人誑しの才能。

 その様子を見て喜ぶのは一人。

 マドカ・アナスタシアはニコニコ笑顔で見つめていた。

 

 



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114.男と男

「はぁぁ………やっと終わったぁ」

 

「お疲れ様です、リゼさん。もう慣れたものですね」

 

「いや、こればかりはまだ慣れないよ。……というより、そろそろマドカが復帰してもいいんじゃないかな」

 

「いえいえ、このお仕事はもう引き継ぎ終わりましたので。今後ともよろしくお願いしますね、リゼさん」

 

「…………もう正式に私に引き継がれた扱いになってたのかい!?それこそ聞いていないよ!?」

 

「ふふ」

 

 

 例の騒動の後、暫くは都市内の(主にプラスな)報道ばかりをしていたオルテミスの放送局であるが。そろそろ通常運転に戻して行こうという話になり、リゼは当然のように呼び出された。

 『投影のスフィア』を利用した放送で、そのメインの顔とも言える探索者。どうやら知らぬ間にそれはマドカからリゼに引き継がれていたらしく、それまでも定期的に手伝いをしては来たものの、もうこの役割から逃れることも出来なくなっていたのだと、リゼは今日ここで初めて知った。

 

 

「でも、向いていると思いますよ。私より」

 

「え?……そ、そうだろうか」

 

「ええ、こういうのって意外と難しいんですよ。言ってしまえば結局のところ、誰にでも好かれるような人間性を持つ人がやった方がいいので」

 

「……?マドカの方が好かれる気がするが」

 

「いえ、私は一部の方には酷く嫌われてしまう性質でして。昔は『子供の癖に余裕面が気に食わない』なんてよく言われたものです」

 

「そ、そうだったのか……それはまた、何と言えばいいのか困るけれど……」

 

 

 その言葉を聞いて、なんとなく思い出すのはスズハのこと。彼女もまたマドカのことを嫌っているというか、苦手にしている様子があり、ここ最近は顔も見たくないというようなことを言っていた。

 マドカのことが大好きなリゼとしては正直よく分からない感覚ではあるけれど、まあ確かにマドカの考えていることはリゼには分からないことも多い。しかしそんなことを言ってしまえば、なんならエルザの考えていることだってリゼには想像も付かない。なんとなくそれと同じような気もしてしまうが、まあ違うのだろう。きっとそこは触れない方がいい。スズハも別に一生顔を見たくないという訳ではなく、暫く距離を置きたいという感じなのだから。本人が折り合いを付けようとしているところに、他人が余計な口を挟むのも無粋なもの。求められた時に答えを出せるくらいにしておくのがベストなのだろう。

 

 

「そうだマドカ、この後いっしょに朝食でもどうだろう?久しぶりに2人で食べたいんだ」

 

「あ〜……私もリゼさんと同じ気持ちなのですが、実は今日は連邦の監査担当者さんがいらっしゃるんですよ。もしよければ、その方への挨拶が終わった後でも構いませんか?」

 

「それはもちろん。……それにしても、監査か。その方が例の監査官なのかい?」

 

 

 リゼも色々と噂は聞いている。どうもギルドには監査というものがあり、毎年その時期が近づくとギルドがピリピリとし始め、普段から探索者だろうと何だろうと恐れることなく対応するエッセルに、より近付く者が減るんだとか。それほどに例年大変な行事だというのに、今年は監査官がとても厳しい人間で、エルザまで頻繁に借り出されているらしい。先日顔を合わせた時に、目の下にクマを作りながらユイに背負われている彼女を見かけたくらいだ。

 

 

「いえ、これが少しややこしい話なのですが、監査担当と監査官は別なんですよ。監査担当者は監査の進行役で、監査官の補助役でもあります。当日スムーズに進行を行えるように、事前に現地を訪れて、必要な書類を受験側に提示したり、現地の情報を集めたり、場を整えたりするんです」

 

「なるほど……司会、みたいな感じなのかな」

 

「ふふ、概ねその理解で大丈夫ですよ。立場上は当然中立ではありますが、受験側に何かしら問題があった際には、事前にそれを把握して、対応を一緒に考えてくれたりもします。決して敵ではありません。……ただ、流石にエリーナさん達も限界なので、今日は一日そのお手伝いをするつもりなんです。接待とでも言いましょうか」

 

「ギ、ギルド職員というのは大変なんだね……」

 

「そうですね。ですが、いずれはリゼさんもエルザさん達のお手伝いをすることになるかもしれませんよ?」

 

「えぇ!?そ、そんなのは出来る気がしないよ……!」

 

「まあ、そもそもエルザさんが来年以降も手伝ってくれるかが怪しいんですけどね。今回は流石に異常事態が多過ぎたので、恩を売るためにも手伝ってくれているところもありますので」

 

「あ、ああ、それは確かに……」

 

 

 監査について何も知らないリゼでも、それだけはわかる。絶対に無理である。

 そもそもエルザは実家に居た時に監査を受けていた側であり、その経験もあって今回こうして手伝いをしている。しかし彼女にとっても監査というものは疲労するものであり、やらなくてもいいなら絶対にやりたくないというところ。そもそも常日頃から『書類仕事するためにここに来たわけじゃないんだけど』と言っている彼女である。本当に今回が最後くらいの勢いだろう。ただでさえ真っ当な報酬は出てこないというのに……

 

 

「……というか、ギルドの監査に探索者が関わるというのも問題はないのかな」

 

「鋭い質問ですね、実は割とよろしくないです」

 

「や、やっぱり……」

 

「それでも、なんでもかんでもギルド職員だけで完結出来る仕事でもないので。まあその辺りの改革も最近になってガンガン行われていますので、数年もすればしっかり整備されると思いますよ。連邦にも優秀な方はいらっしゃいますから」

 

「なるほど……確かに規則に不備というか、時代に伴っていないのなら、規則の方を変えていくのが道理だね」

 

「簡単な話ではないんですけどね。それを凄まじい勢いでガンガン行っている、"超改革派"なんて呼ばれている人が居るんですよ。その影響で連邦内も今は相当な激務に見舞われているそうです」

 

「おお、それはすごい人も居たものだね……」

 

「それが今度来る監査官さんです」

 

「……ああ、そういうことか」

 

「ええ、そういうことです」

 

 

 きっと、その人が監査官に選ばれたのも、多少厄介払いというか、一先ず連邦内の混乱を収めるためにも矛先を他の都市に向けたいという思惑があったのかもしれない。

 その犠牲となったのがオルテミスである。他の都市を運営しているギルドや貴族達はさぞかし胸を撫で下ろしていることだろう。オルテミスの規模を考えれば、少なくとも同一の監査官が2箇所以上を受け持つことにはならないのだから。

 ……そしてもっと言えば、今回の監査担当者も被害者の1人と言えなくもないだろう。超改革派と呼ばれるような人物の補佐を務めることになるのだから。確実に簡単には帰れない。

 

 

 

「……ん?」

 

 

 そうしてリゼがギルドの受付の方へ歩いていくと、聞き覚えのある声と聞き覚えのない声が聞こえて来る。ギルド内は決して静かではなくとも、一際聞こえてくる2人の声。それでも言い争っているというほどではなく、しかし穏和な会話という訳でもなく。なんとなくピリピリとした雰囲気を感じる空気感。

 

 

「あれ、エルザ?」

 

「うん?……ああ、放送終わったのね。お疲れ様リゼ」

 

「う、うん。それは良いんだが……もしかして、そちらの方が」

 

「……まあ、挨拶くらいしといてもいいんじゃない?こんなのでも連邦でそこそこの地位に居る人間なんだし」

 

「はぁ!?そこそこって言わないでくれるかしらぁ!?これでも年齢不相応なくらい出世してるんですけどぉ!?」

 

「それでこんな役割押し付けられてるんだから、同僚から嫌われてるんじゃない?出世欲の強い人間は大変ね」

 

「人が気にしてることをズケズケ言うところはほんっとに変わってないわねぇ!!」

 

「え、ええと……?」

 

 

 話の流れからしても、目の前の女性が大凡どんな立場の人間なのかということは理解することが出来る。それにしても連邦という公的な場所で働いている人物にしては、妙に上品な雰囲気。黄金の髪を輝かせ、何処かの貴族の令嬢がスーツを着ているような、僅かに感じる違和感。

 

 そして何より驚いたのが、その人物とエルザが妙に親しそうにしているということ。親しそうと言うより、軽口を叩き合っているというべきなのかもしれないが。少なくともリゼはエルザがそんな風にしている人物が連邦の方にも居たとは知らなかった。……まあもちろん彼女はお家の関係で伝手くらいはあるかもしれないが、それでも彼女の事情を鑑みるに。

 

 

「今回の監査担当者のネーナ・ミサライア。馬鹿だけど優秀だから安心して良いわ」

 

「もっと紹介の仕方なかったわけぇ!?」

 

「あ、えっと……リゼ・フォルテシアです。ただ着いてきた探索者でしかないのだけれど……」

 

「マドカ・アナスタシアです。疲れているエルザさんとエリーナさんの代わりにと思ったのですが……どうやらエルザさんのお知り合いだったみたいですね」

 

「まぁ、ねぇ……腐れ縁ってやつよぅ」

 

「同じ貴族家の長女だったのよ。まあこの子は実家の体制が気に入らないからって家ごと叩き潰して、連邦で1から自立するような大馬鹿猪女だったんだけど」

 

「誰が大馬鹿猪女なのかしらぁ……?」

 

「あんた以外に居る?」

 

「実家に地雷敷き詰めて姿消した蛇女に言われたくないわよぅ!あの家を穏便に解体するために、あたしがどんだけ苦労させられてるか分かっているのかしらぁ!」

 

「それは素直に悪いと思ってるわよ」

 

「だったらそれなりの態度があるでしょぉ!?まったく!何の相談もなしに実家を出て!!手紙の一つくらい残しておくのが筋ってものじゃないのぉ!?」

 

「そんな時間無かったのよ」

 

「だったら素直に頼りに来なさいよぅ!!無駄に探したじゃなぁい!!」

 

「……巻き込みたく無かったのよ、色々と」

 

「変な時ばっかり謙虚になって、いらないのよぅ。そんな遠慮」

 

「「………」」

 

 

 なんというか、割と仲は良かったらしい。

 口ではやんややんやと言いつつも、それも長く続けば立派な縁。エルザが家から逃げ出した後も彼女はエルザの行方を探し続けていたのだろう。当時は寝たきりになるほどに病状が悪化していたというエルザだ、まさか誰もオルテミスに居るとは思わなかったということか。それも探索者になって活動しているなんて、夢にも思うまい。

 

 

「……けど、普通に歩けるようになったのねぇ。それだけは本当に良かったわぁ」

 

「ユイとマドカのおかげよ。私のレベルを上げるために、私を背負いながらダンジョンに連れて行ってくれたんだから。感謝してもしきれないくらい」

 

「ふふ、もう十分に恩返しはして貰った気もしますけどね」

 

「むしろ恩が溜まっていく一方なんだけど?リゼもそう思わない?」

 

「思う」

 

「そ、即答しなくても……」

 

「……そう、良い居場所を見つけられたのねぇ」

 

「……ま、お陰様でね」

 

 

 さっきの話からしても、きっとエルザの実家であるエルメスタ家は解体されている最中なのだろう。つまりエルザが意図的に残して来た地雷を、彼等は気付くことも出来ずに踏み抜いた。栄光あるエルメスタ家が解体されるとなれば、連邦も含めて影響は大きいだろう。

 

 ……だが、エルザももうそんなことには興味がない。彼女は今を見ているし、彼女にとって本当に大切な物もここにある。そんな彼女の変わり様を見たからなのか、ネーナも何処か嬉しそうにエルザを見ていた。

 

 

「さて、話も落ち着いたところですし、そろそろ監査の話をしたいのですが……」

 

「そ、そうだったわぁ……」

 

「ああ、やっぱりあんたも死にそうなのね」

 

「なんであたしが監査担当なんてしないといけないのよぅ……しかもよりにもよってあんな男の担当なんて!!」

 

「むしろあんたで良かったわよ、あんたも私が居て良かったでしょ」

 

「……それはまあ、確かにそうだけどぉ。あたしあの男、人間的に苦手なのよねぇ」

 

「そうですか?私はリロイズさんとは結構仲良くさせて貰っていますよ」

 

「……あんた正気ぃ?」

 

「大丈夫ですよ、大変なことになることは否定しませんけど。私達もダンジョンの中で頑張って来ますので、こちらのことはお願いしますね」

 

「「……はぁ」」

 

 

 如何にも優秀な人間が2人揃っても、同時に大きな溜息を吐き出してしまうような現状。リゼは心の底から思った。自分がこれに関与しなくていいことは、本当に幸運なことであるのだと。そして、たとえ優秀な頭を持って生まれて来たとしても、それが必ずしも幸福なことには繋がらないのだと。

 

 ……つまり端的に言えば。

 

 

「リゼ、せめてスズハを貸しなさい。ギルド職員じゃなかろうと、使えそうな人間は全員擦り切れるまで使い潰すから」

 

「あ、あはは……ほ、本人の意思を尊重したいかな……」

 

 

 頭が良くなくて良かったと、心から思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣きじゃくる。

 

 

 もう10年以上もしていなかった、そんな情けない姿を。誰に晒すでもなく、誰に見せるでもなく、けれど他ならぬ自分自身にこれでもかと言うほどに、みっともなく晒している。

 

 ……けれど、たとえ誰に見られようとも。

 

 もうどうでもいい。

 

 死んでしまいたいと、心から思う。

 

 

 自尊心をズタズタに引き裂かれた。

 

 そんな表現さえも生ぬるい。

 

 自分自身の人生の全てを叩き潰された。

 

 全てを否定されたと言ってもいい。

 

 それほどに酷いことをされた。

 

 

「俺は………俺は………ッ!!」

 

 

 こんな街に来なければ良かった。

 

 あんな女と出会わなければ良かった。

 

 素直に忠告を聞いておけば良かった。

 

 

「っ」

 

 

 今でも思い出すと身震いをする。

 

 あの如何にも善人ぶった顔をした女が、まるで指の先から少しずつ刃物で切り落としていくような行為を、なんの罪悪感もないような笑顔のままに迫って来たことを。

 

 

「なにが天才だ……なにが最強だ!!俺の!俺のどこにそんな才能があったってんだァ!!!」

 

 

 雨が降り始め、土だらけになった自分の身体を、それでも足りないとばかりに世界は汚し始める。

 

 期待していたのは事実だ、このオルテミスにならば自分よりも強い人間が居ることを。そしてそれは事実だった。少なくとも自分などこの街では大した存在ではなかった。

 

  自分が山賊を叩き潰すくらいの感覚で、この街の探索者達は自分のことを叩き潰す。多少手こずった程度の感想を述べる存在でしか、自分はない。自分が見下していた女という存在であっても、自分は勝つことは出来なかった。

 自分の考えも価値観も、何もかもを砕かれた。何もかもが間違っていたのだと、思い知らされた。

 

 

『………これ、違いますよね』

 

 

 あの女はそう言った。

 

 

『双刃斬、でしたか。接触の瞬間に震脚で強引に刃を揺らすことで、一振りで2つの傷跡を作り出す。……確かに見事な技でしたが、これ未完成ですよね。これでは敵の傷を増やすだけで意味がありません、それならそのまま斬った方がよっぽど相手に深傷を負わせられます』

 

 

 自分でも分かっていたことを。

 

 分かっていても、敢えて目を背けていたことを。

 

 

『つまり本来の双刃斬とは、こうではないですか?』

 

 

『っ!?』

 

 

 その技術は、確かに途絶えていた。

 死んだ師範の技を見様見真似で真似て道を作り上げた人間から、自分が奪い取った。一度見た技ならば当然のように真似することが出来る才能があった自分は、そうしてその技を自分のものにした。

 微かな違和感と共に、それは否定しない。

 

 

『重要なのは震脚ではなく、足捌きと体捌きです。秘石による身体強化だけでなく、これを実現するには十分なSPDが必要です。……ただ一振りで対象を2つ斬る技、スフィアではなく技術だけでそれを実現した。それこそが双刃斬と呼ばれるこの技の正体でしょう』

 

 

 けれどその女は、ただ一度技を見ただけで。

 

 ほんの一瞬で、その違和感を晴らしたのだ。

 

 そして自分は、それを真似ることが出来なかった。

 

 完成された剣技というものは、決して一目で真似ることが出来るような容易い代物ではなかった。スフィアが無くとも行使できる、魔法と見紛うような極まった本物の技術は、多少人より優れた才能があったとしても、容易く理解出来るものではなかったと。それを突き付けられた。

 

 ……自分は、天才などでは無かった。

 

 

 

『この技も誤解があると思います。実際は……』

 

 

「っ」

 

 

『足りない部分がありますね、必要なのは左手の……』

 

 

「………っ!!」

 

 

『これは元々の欠陥だと思うのですが、改善点は……』

 

 

「っ……!っ!!!」

 

 

 

 

『さあ、次の技を教えてください?貴方の学んだ全てを私に見せてください』

 

 

 

 

「巫山戯るなァッ!!!!」

 

 

 

 ……自分の持ち得る全ての技術が。少なくとも自分が好んで使っていた技の全ては、あの女に喰われた。

 

 未熟な未完成品だと罵倒されながら。

 

 より完成された形を目の前で見せ付けられながら。

 

 

 

 師であるゾルゲンは言っていた。

 

『逃げる、というのは間違っとらんがな。小心者の儂にはこれから起きることを直視する勇気はない』

 

 最初から知っていたのだ、こうなることを。

 

 あの女が他人の技術を喰らい尽くして、それだけでは飽き足らず、その人間の武人としての誇りも自身も根刮ぎ屠り去って行くということを。そしてそれに対して自分達は逃げる、目を背けるという手段しか取ることが出来ないということを。

 

 

 ……そしてそれはつまり、この街で道場を継続しているゾルゲンでさえも。自分が唯一認めているあの師範でさえも、あの女からは目を背けるしかないということ。

 この世界にはあんなバケモノが居て、自分は少し優秀なだけの1人の人間でしかないということ。

 

 自分は決して、世界を変えることの出来るような、何もかもを支配することが出来るような……そんな特別な存在などでは、なかったということ。

 

 

 

「俺は………俺が今まで見下して来た奴等と、何も変わらなかったってことかよ………」

 

 

 

 最強の探索者が集まるこのオルテミスであっても、自分は最強で、多少手強い存在が居たとしても、これまでのように淡々と追い抜いて行く。

 

 そんな生優しい想像は、もう出来ない。

 

 少なくとも、あの女を超えるイメージが出来ない。

 

 あの女の姿が、今も恐怖と共に脳裏に焼き付いてる。

 

 

 

「弱ェ俺に……何の価値があるってんだ……」

 

 

 

 あの女に散々に喰らい尽くされた後、逃げるように道場を後にして、そんな自分の無様さに自暴自棄になった。店に当たり散らして、無関係の人間に刀を振り上げた。

 

 ……だがその直後、色黒の大男に滅多打ちにされた。

 

 クロノスと呼ばれ民衆に慕われていたその男は、自分のあらゆる技術と技を、たった1つの小楯と凄まじい剛力、そして確かな技術と経験で捩じ伏せた。

 

 ……完敗だった。言い訳も出来ないほどに。

 

 だからそれを認められずに、また逃げた。1日に2度も負けたことなど初めての経験で、それは意外にも自分の心を強く引き裂いたからだ。僅かに残った言い訳の余地が、粉々に砕け散っていくことを感じていたからだ。

 

 

『意外と強かった』

 

 

 それなのに、最後の言い訳さえも消えた。

 

 街を飛び出し、とにかく誰でも良いから叩き潰して、少しでも自分の存在意義を確立しようと。少しでも自分は強い人間なのだと思いたいと、願って、この街に向けて走って来た馬車を襲った。

 

 そこにはきっと自分のような力を求めてオルテミスにやって来た探索者志望者が居て、そいつを倒せば、少なくともこの街の怪物みたいな探索者を除けば、自分は優秀な人間なのだと。言い訳が出来ると思ったからだ。

 

 ……だが、そこでも負けた。

 

 負けた。

 

 負けたのだ。

 

 明らかに自分よりもずっと年下の金髪の小娘が、視認さえ困難な程の凄まじい速度で自分の首を峰で叩いた。

 

 防ぐことが出来たのは最初のスレ違い様の一太刀だけ、ここでも自分は何の言い訳も出来ない完敗を喫した。それも自分より年下の女に。この街の探索者でさえないような女に。……完膚なきまでに。

 

 

 

 

「………もう、いいかァ」

 

 

 

 途端に、怒りも悲しみも、虚しくなる。

 

 道化のような自分に。

 

 調子付いていたこれまでの自分に。

 

 恥さえ覚える。

 

 馬鹿馬鹿しくも感じた。

 

 ……初めて死にたいと。

 

 そう、思った。

 

 

 

「もう………いいだろ……」

 

 

 

 握りなれたその刀は、何人もの人間の命を奪って来た。それならば最後に喰らわせるのは、自分の命であることが相応しいだろう。

 ……こんな愚かで身の程も知らず無様に踊り続けて来た男の命を真に欲しているのかは分からないが、少なくとももう、これ以上に生き続ける理由も目的も快楽もない。もう何もかもが虚しく、馬鹿馬鹿しい。それほどに自分には武以外のものがなく、結局のところ武に頼り続けていたという事実にも、心が折れた。

 

 

「結局……つまんねェ人間だったんだなァ、俺は」

 

 

 それしか支えがないから、こうなる。それ以外に自分に誇れるものがないから、こうなった。多くの武人を馬鹿にしながら、その生き方や誇りを踏み躙りながら、結局自分はその武という場所でしか生きていなかった。

 それが奪われたというのなら、これは必然。支えを失った人間に待つ末路など……そんなもの、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

「それならその命、俺に使わせてくれないか」

 

 

 

 

「っ…………誰だァ、テメェ」

 

 

 

「デパル・ロバートだな。……ベイン・ローガーデン。ただの探索者だ」

 

 

 

「探索者ァ……?」

 

 

 

 刀を腹に向けて振り下ろそうとした瞬間に声をかけて来た、その大男。ベインと名乗ったその男は、なるほど確かにこの街の探索者なのだろう。見て分かるほどの鍛えられた実力と、見ずとも分かるような凄まじい覇気。

 

 ……また突き付けられる。

 

 きっと自分はこの男にも敵わないのだろうと。

 

 理解出来る。

 

 それが理解出来る程度の眼は、あったらしい。

 

 

「ハッ……オルテミスの探索者様がこんな雑魚になんのようだってんだァ?あぁ?」

 

 

「君の力を貸して欲しい」

 

 

「力だァ?」

 

 

「そうだ。……俺には、取り戻さなければならない人間が居る。そして、打ち負かさなければならない男が居る。だが事実として、今の俺にはその力が無く、戦力もない。とてもではないが1人では、その目的を果たすことは出来ない」

 

 

「………っ」

 

 

 一瞬息を飲むほどの、怒りの感情。

 握り締めた拳がギリギリと音を立て、踏み締めた大地にヒビが入る。……恐らくは、ステータスがSTRに偏重しているのだろう。しかしそれにしても、以上な力量。そしてこの男、立ち姿や歩き姿からしても、確実に十分な技量さえ持っている。少なくとも自分自身、これほどまでの覇気を持つ武人というものを見たことがない。

 

 

「……お前みたいな奴にも、勝てねェ男がいんのか」

 

「……そうだ。俺はあの男を前に、足手纏いにしかならなかった。俺が足止め出来なかったばかりに、マドカがあの男を捕える機会をフイにした。……今の俺は、まだ弱過ぎる。あの遥かな高みに、指さえ届かせることが出来ない」

 

「……」

 

 

 もう、分からなくなっていた。

 

 これほどの男が、自分は弱過ぎると悔やむほどの世界があるのだと。その事実を受け入れるのは難しくて。そして困惑もしている。

 

 自分はどれだけ物知らずであったのかと。自分は一体どれほど何も知らないのかと。……この男が見ている世界とは、果たしてどのようなものなのかと。思考が巡る。

 

 

「……どうして、俺なんだァ」

 

「君が剣の天才だと、ゾルゲン師範から聞いた」

 

「……!!」

 

「あのゾルゲン師範が手放しに天才と表現するような男だ、その実力を疑う余地はない。そしてまだ何処のクランにも所属していない、俺にとっては願ってもない幸運だ」

 

「……俺ァ人殺しだ、そんな野郎を味方に引き入れていいのかよ。正義の味方様がよォ」

 

「なに、俺もそうだ」

 

「っ」

 

「何人も殺した、善人も含めてな。昔のことだが、それを無かったことにするつもりもない。……そして正義の味方でもない。俺はただ、俺のためだけに生きている。もしその目的と正義が相反するものであるとするのなら、俺は別に悪に染まってもいい」

 

「……」

 

「……彼女を取り戻すためならば、俺はこの世界の全てを敵に回しても構わない」

 

 

 たとえ悪人を味方にしようとも。

 たとえ人殺しの力を借りたとしても。

 他者から罪人の仲間だと蔑まれようとも。

 

 

「……さっき、マドカって言ったなァ。その女と、その男は、どっちが強ェ?」

 

「ん?……殆ど互角、しかし先手と知識量でマドカが上回っていた」

 

「……そんな野郎に、勝てるってのか?」

 

「勝てる勝てないではなく、勝たなければならない。どんな手を使ってでも、どんな不意を突いてでも、打ち倒さなければならない」

 

「っ」

 

「俺にはマドカやルミナ、それこそ君ほどの剣の才能は無かった。だが剣で勝てないのなら、剣以外のものを使ってそれを上回る。……スフィアでも、魔法でも、肉体でも、なんでもいい。あらゆる可能性を用いて、俺の持つ全てを費して、必ずや勝利を掴み取る」

 

「勝利、を……」

 

「それが俺の覚悟だ。君の力を使いたいと願うのも、理由はそれでしかない。……最悪、君の性格も経歴もどうだっていい。たとえ君が生粋の殺人鬼であったとしても、君が俺を超える才能の持ち主であるのなら、それでいいんだ」

 

「……」

 

 

 だから、きっとそれは、救いだった。

 

 それまで間違っていた自分の人生を、愚かであった自分の人格を、この男はどうでも良いと言い切った。ただ人より優れた才能を持っているのなら、求めるのはそれだけであると。

 

 何より心動かされたのは、その男の中に"嘘"という文字は一欠片たりとも存在しないことだった。この男にとっては既に嘘を吐くような余裕もなく、人を騙しているような時間もない。

 

 この男の全てはその一点であり、そのためであれば他者からどんな目で見られようとも構わないと。それを何より、その男の立ち姿が物語っていた。

 

 

「俺も、あの女に勝てんのか……?」

 

「……マドカのことか?珍しいな、彼女にそこまで対抗心を抱く人物は」

 

「答えろ。……俺は、勝てるのか?」

 

「……無責任なことを言うつもりはない、そしてそれを決めるのは俺でもない。ただ1つ言えることは、マドカも決して無敵ではないということだ。事実として彼女は少し前に冒険者崩れの集団に襲われて、命を落とし掛けている」

 

「!!」

 

「十分に現実的な目標だと、俺は思う。……少なくとも"英雄"に勝ちたいと言い出すよりもよっぽど正常だ、そうだろう?」

 

「………ハッ、そりゃそうだ」

 

 

 よくよく考えてみれば、この世界には"英雄"なんて呼ばれる人外が居たことを思い出す。……そうだ、何を考えていたのか。この世界には怪物が居るだなんて、当然のことではないか。あれは例外だなんて目を背け続けて来たが、きっとだからこそ自分はここまで落ちぶれたのだ。

 

 

「なァ大男、俺達は何処まで這い上がれると思うよ?」

 

「……どうだろうか。だが俺達の想像以上に天は遠い。先日の騒動の際にマドカが言っていたよ。俺が対峙する男の仲間の中には、英雄でなければ対処出来ないような怪物が居ると」

 

「……マジの話か、それ」

 

「少なくともマドカには、こんな質の悪い嘘を吐く理由がない」

 

「……クカ、それでもお前は諦めねェのか」

 

「諦めないさ。言っただろう?敵が誰であろうとも、どんな手を使ってでも打倒する。……何をしてでも、俺はルミナを取り戻す。敵の強大さで諦めることが出来るほど安い願望ではない。そのためなら俺は……何処まででも自分を追い詰めることが出来る」

 

「っ」

 

 

 そこでようやく実感した。

 目の前の屈強でありながら優男のような顔をしている人間が、どうして殺人などということが出来たのかが。この男はつまり、自分の目的のためならばそれ以外の全てを投げ捨てることが出来る人でなしだからだ。それこそがこの男の根源であり、今目に見えるそれ以外は、正に後付けのものでしかないからだ。

 

 ……この男は変わったのだ。根源を覆い隠すほどの何かを身に付けて、身に付けさせられて、今ここに居る。生まれ付きの狂人が、人として生きることが出来るように与えられた。そしてそれを与えた人間というのは、恐らく……

 

 

「……ベインつったかァ」

 

「ああ、そうだ」

 

「いいぜェ、協力してやる。お前がそのナントカって奴をぶっ倒して、女を取り戻すまで。俺が付き合ってやる」

 

「対価は?」

 

「地獄の底まで連れて行け」

 

「いいだろう、契約は成立だ」

 

 

 雨にずぶ濡れになりながらも、互いに剣の柄を打つけ合う。

 

 これは決して仲間が出来ただとか、友人が出来ただとか、そんな甘い契約ではない。地獄への道連れ、死と隣り合わせの道を歩く決意の表明。……そして。

 

 

「一先ず、最速で上級探索者に追い付く。ダンジョンに籠る覚悟は出来ているか?」

 

「イチイチ聞く必要ねェだろ。お前は黙って前歩いてろ、後ろ下がったら蹴り飛ばしてやっから」

 

「……ああ、そうしてくれ」

 

 

 武人ではなく、探索者として生きていく。

 

 否、立場に囚われることなく上を目指す。

 

 挑戦する立場として自分を位置付ける。

 

 弱者である自分を受け入れ、そこから這い上がるという覚悟と絶対の誓い。必ずやあの女を見返すという、反抗。

 

 

 デパル・ロバートは今日漸く生まれ出たのだ。

 

 才能という殻に守られた狭い世界の内から。

 

 自分の意思で、自分の足で。

 

 立ち上がった。



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115.5人目

「と言う訳で、連れて来たんだけど」

 

「……シアン・アーリアです、よろしくお願いします」

 

「どうでしょうか。スズハさん、クリアさん」

 

 

 マドカと朝食を取った後、リゼはシアンを連れて部屋に帰って来た。昨日までは一先ず事情聴取のためにとギルドで夜を過ごしていた彼女であるが、その後も特に目星い情報を得ることが出来なかったため、今日こうして正式にリゼ達の元に送られた訳だ。

 

 それに部屋は狭いとは言え、小さな女の子1人を面倒見るくらいの余裕はある。事前にスズハとクリアにも説明はしておいた。……とは言え、実際に会って見なければ反応は分からないというもの。その辺りの心配はあるようです無いようなものではあったものの、どんな反応が返って来るのか緊張はしていて。

 

 

「……62点。クリアは?」

 

「80点、勝った」

 

「くっ、やっぱこういうのでアンタには勝てそうにないわね」

 

「ふふふ、約束」

 

「分かってるわよ、奢ればいいんでしょ。はぁぁ、変な賭けするんじゃなかったわ」

 

 

 

「……あの、2人とも?」

 

「賭けって、何してたんですか……?」

 

「ん?リゼが次に連れて来そうな女を予想する賭け」

 

「負けた方がみんなにプリンを奢るって」

 

「な、何をしていたんだ君達は……」

 

「というかそれで80点取れたクリアさん凄過ぎませんか……?」

 

「ふふ、余裕」

 

 

「……?」

 

 

 どうやらリゼの知らないところで2人は変な賭け事をしていたらしく、その結果よく分からないがプリンをスズハに奢って貰えるらしい。

 ……80点取れたクリアも異常だが、64点取れたスズハも十分におかしいことを忘れてはならない。なにせこの賭けは何の情報も無い時に行われたものなのだから。予想出来たことさえ意味が分からない。

 

 

 まあ、そんなことはさておき。

 

 

「まあ事情は聞いてるし、アンタが連れて来たんなら文句は無いわよ。スズハよ、よろしく」

 

「うん、リゼが良いなら私も良いと思う。クリアスター・シングルベリア、クリアって呼んで。よろしく」

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

「なんだかそう言われると私への責任が重いと言うか……」

 

「まあまあ、これも信頼の証ですから」

 

 

 段々とクラン員達からの自分への期待とか信頼が大きくなって来ていることは、まあきっと良いことなのだろうけれど、責任も感じてしまうリゼ。

 しかし予想通り、スズハもクリアも彼女のことを受け入れてくれたようだ。特にシアンは背が小さいからか、幼さを感じるのかスズハも優しく頭を撫でていたりする。

 

 

「シアン、貴女いくつ?」

 

「……15歳、です」

 

「あら、やっぱり最年少なのかしら」

 

「いえ、私も15歳ですよ。スズハさん」

 

「嘘!?18くらいだと思ってたわ、レイナ」

 

「私は17〜」

 

「ああ、クリアは私と同い年なんだね。私も17歳だよ」

 

「えぇ……なんか改めて聞くと21の女としてはショックなんだけど。歳の差感じるのってキツイわぁ」

 

「い、今こうして言われるまで歳の差を感じたことあんまり無かったですけどね……」

 

「それはそれでなんか悲しいわね……」

 

「い、1番お姉さんということで良いじゃないか!私はいつも頼りにしているよ!」

 

「スズハ姉さ〜ん」

 

「あ、それいいですね。スズハお姉さ〜ん。……さ、シアンさんも」

 

「……す、スズハお姉さん?」

 

「……なんなのよこの辱め」

 

 

 まあ今日の今日までそれほど年齢を気にせずやって来れたという意味では、良い関係を築けているということで。一先ずスズハが顔を真っ赤にさせる程度でこの話は終わりで良い。それにそうされながらもスズハは控えめな性格のシアンを気に入ったのか愛でているので、今後の関係も問題なさそうだ。

 ……そう、話さなければならないのは今後のこと。そしてシアンの事情についても、話しておかなければならない。

 

 

「……ま〜たマドカ・アナスタシアか」

 

「いえ、今度はマドカさんは殆ど無関係みたいなものです。どちらかと言えば問題は……」

 

「……生き返った、ってこと?」

 

「その辺りは確かに、容易く公言できることではないね」

 

「……」

 

 

 人が生き返った。

 

 その事実はあまりに重く、そしてあまりにも人々の心を揺らし動かす事実。これを公表することは絶対にしてはならないと、それがあの場で全員が統一した意見の1つ。

 

 

「まあ、割と毒になる話よ。……知り合いが死んで悲しみに暮れてるような奴なんて、それこそこっちの世界にはごまんといるでしょ。死んだら取り返しが付かないからこそ、人は時間は掛かっても心を処理出来るのよ」

 

「……その前提が、覆される」

 

「変な希望なんて持たせるべきじゃない。けどこの件を知った人間は絶対にその希望を持ってしまう、私達もね」

 

「……」

 

「それにリゼ、危険なのはこの子もよ」

 

「え?」

 

「生き返った人間に、生き返る方法を聞きたがるのなんて、当然の話でしょ」

 

「!!」

 

「どうやっても、そういう輩は出て来るわよ。必死な人間にとっては、相手の事情なんて知ったことじゃない。……後は言わなくても分かるわね?」

 

「……ああ、分かるよ」

 

「……噂、漏れますよね」

 

「ま、多少は覚悟すべきね。聞き耳立ててる奴なんて何処にでも居るものだもの」

 

 

 それはきっと、人が生きて死ぬ限り、どうしようもない問題だ。そして生き返るという異常を経験した人間が、どうやっても避けることの出来ない問題。

 

 ……まだ本人も状況が受け入れていられず、不安定なシアン。彼女の心を守ることもまた必要なことだ。少なくともクランの仲間として受け入れるのであれば、その責任は全うしなければならない。

 

 

「……私」

 

「大丈夫さ、シアン」

 

「……?」

 

「私はこのクランに入ってくれた君を、絶対に見捨てたりしないし、迷惑だなんて思ったりしない」

 

「!」

 

「むしろもう私は、君のことを手放したくないとさえ思っているよ」

 

 

 リゼのその言葉に、レイナも、クリアも、スズハも、笑みを浮かべながら頷いた。だって自分達のクランリーダーであるリゼ・フォルテシアという女は、そういう人間であり、そういう人間だからこそ、自分達は着いていくと決めたのだから。

 ……そして同時に、そういう人間の側にいられる自分でありたいとも思っている。ならば自分達もまた、リゼと同じだ。そんな些細な厄介ごとくらい、どうってことない。

 

 

「さあ、今度は私達から改めて自己紹介をしよう。……リゼ・フォルテシア、一応このクランのリーダーをしているよ。いつも銃を3丁持ちながらダンジョンに潜っているし、偶にマドカの母親に拉致されるよ。一応マドカの教え子の1人なのにね……よろしく」

 

「ら、拉致……?」

 

「え?これもしかして自虐する流れですか?……あ、えっと、レイナ・テトルノールです。記憶喪失の状態でダンジョンで見つかって、完全に身元不明の上に、多分記憶を失う前は槍で人と戦うような良くないことをしてたと思います……あ、でも今はリゼさん一筋です!よろしくお願いします!」

 

「記憶喪失……」

 

「順番的には私かしら?……スズハ・アマギリ、ダンジョンに潜らないで頭使ってるわ。こことは別の異世界から邪龍の力で飛ばされて来たらしいけど、リゼのおかげでなんとかやってるわ。あと私マドカ・アナスタシアのことは好きじゃないから、よろしく」

 

「い、異世界……邪龍……」

 

「ん〜、私かぁ……クリアスター・シングルベリア。水の女神の怨霊?みたいなのに付き纏われてて、☆5の水神のスフィアを持ってる。水魔法は得意だけど、水の近くに長く居ると引き込まれちゃうから。……あ、私もリゼ一筋ね。よろしく」

 

「ほ、☆5のスフィア……水神……」

 

 

「……とまあ、こんな感じで。私が1番衝撃が薄いくらいに凄い事情を持った人間ばかりが、何の因果か集まっているのがこのクランなんだ」

 

「だから安心しなさい。バレたらヤバい迷惑度合いで言えば、私とクリアの方が断然上よ」

 

「いえい」

 

「まあそんな人達ばかり連れて来るリゼさんも、割りかし変なところあると思うんですけどね……」

 

「い、言わないでくれレイナ……私も最近そういう変な星の元に生まれてしまったような気がしているんだ……」

 

 

 改めて語ってみると、確かにこれはまあ酷い。

 よくもまあここまでこんな人材を集めることが出来たものだと、いっそ惚れ惚れするほどに。それはリゼのクランを外から見ている者達は、例えばカナディアなんかは、酷く面白そうな顔をするだろう。

 

 だって実際面白いのだから。そんな変な人間ばかり集めておいて、こうして和やかなクラン運営をしている様子もまたおかしいのだから。面白おかしくて、たまらないのだなら。

 

 

 

「………ふ、ふふ」

 

 

「「「「!」」」」

 

 

「すごい、変なクランだね」

 

 

「……ああ!でも、私の自慢のクランさ。だからそこに新しく入る君のことも、君の言葉で聞かせて貰ってもいいかな」

 

 

「うん。……シアン・アーリア。何年も前に死んだはずなのに、ダンジョンで生き返った探索者。ミライさんも居ないし、知ってる人も居なくて、不安だったけど……ここでなら私も、やっていけるかもしれない」

 

 

「ふふ。大丈夫さ、きっと」

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなことはさておき。

 

 

 

 

 

 

「シアンの力を貸して欲しい!」

 

 

「え……」

 

 

「……う〜ん、情けない」

 

 

 リゼ・フォルテシア。

 悲しいことに、彼女はそこまでカッコいい女ではない。

 

 

「えっと、どういう……?」

 

「端的に言えば、戦力不足でして」

 

「……4人も居るのに?」

 

「私は戦えないから3人よ。それとそんな貴重な3人が、現状実質2人になってるわ」

 

「うへぇ」

 

「……?」

 

 

 そこでリゼは改めて説明する。12階層以降の攻略に自分達が手詰まりを起こしていることを。というか、そもそも生い立ちだけでなく、自分達は戦力的にも極端が過ぎるということを。

 

 そもそもこれからクランとして活動していくのだから、その辺りは先ず話しておかなければならなかったことかもしれないけれど。

 

 

「……水属性しか使えない魔法使いと、雷属性特化の槍使い」

 

「1番汎用性あるのが銃をぶっ放すリゼとかいう変態構成よ」

 

「へ、変態……」

 

「そのリゼさんも魔法は全然ですし」

 

「でも一撃はすごいよ」

 

「瞬間火力は上級探索者並でも、ダンジョン探索においては中級以下でしょうが。あと属性が偏り過ぎて基本耐性持ってるモンスター相手に1人は役立たずになるのが問題過ぎる」

 

「……ちなみに、シアンはどういう探索者なんだい?」

 

「えっと……見たほうが、分かると思う」

 

 

 そうしてシアンは自身のステータスを表示させた。

 

 

ーーーーーーーーーー――――――――――――――――

シアン・アーリア 15歳

Lv.22

スフィア1:

スフィア2:

スフィア3:高速☆4

ステータス30+21

STR:D-10

INT:D-10

SPD:B-16(A+21)

POW:G+3

VIT:G+3

LUK:E+9

スキル

・【生者光進】…体力の消費量が非常に激しく、光属性以外の威力が弱まるが、光属性の威力が強く、SPD+5。

・【定命打破】…極稀に死地を打破する。

――――――――――――――――――――――――

 

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「……また、極端ですね」

 

「完全にスピード特化だ……」

 

「しかも実質属性縛りで、短期決戦型……」

 

「その……ごめんね……」

 

「い、いや、責めているわけじゃないんだ……!むしろ私達としても待望の近接戦闘を得意とした仲間だし!」

 

「でもさ、あれだよね。むしろ私達味があるっていうか」

 

「……まあ、それは確かに」

 

「しかも属性バラけてるのも凄いわよね……」

 

「……リゼさん、もしかして全属性揃えることで問題解決しようとしてませんか?それはちょっと脳筋過ぎると思いますけど」

 

「私は何もしていないよ!?」

 

 

 しかしクリアの言う通り、シアンのステータスは正にリゼのクランの色というか、らしさがあるというか。むしろここで普通のものを見せられても困っていたくらいかもしれない。

 全く意図はしていなくても、徐々に徐々に自分達のクランの方向性が(勝手に)出来上がっていくこの感覚。これもクラン運営の面白さの1つと言ってもいいだろう。

 

 

「にしても、2つ目のこのスキルは何なの?極稀に死地を打破するって………死んだのよね?」

 

「うん、でも多分生き返ってから発現したスキルだから」

 

「まあ、お守り程度に思っておけばいいんですかね……」

 

「死地に赴くことの多い私にとっては、この上ないほどに頼りたいお守りだけれど」

 

「ああ……」

 

「ん〜、レイン?クロイン?と戦わされるなんて思わなかったよね」

 

「……今後も似たようなことに巻き込まれるんでしょうね、きっと」

 

「頭が痛い……」

 

「そういうのに巻き込まれることも覚悟しておくといいわよ、シアン」

 

 

「……?探索者は邪龍を倒すために居るものでしょ?」

 

 

「「「………」」」

 

「だそうです、頑張ってくださいねリゼさん」

 

「邪龍は流石にきつい……!!」

 

「邪龍は許せない……頑張ろうね、リゼ」

 

「期待が重い……!!」

 

 

 幸いなことは、シアンの性格という面でも、ここに馴染むことが出来そうなことなのかもしれない。そしてこうなると、徐々に浮かび上がってきたクランの色。そして良い加減に、決めないといけないクランの名前。未だにそれを決められていない、優柔不断なクランの長。

 

 

「それで……ここのクランの名前は……?」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………リゼさん、そろそろ決めました?」

 

「………まだ、です」

 

「まだかぁ」

 

「あんたの決めたものなら何でも良いって言ったでしょ、さっさと決めなさいよ。税優遇が使えないじゃない」

 

「うぅ……」

 

「みんなどうやって決めてるのかな?」

 

「さぁ……?」

 

「アンタ明日それ聞いて来なさい。シアンの探索の準備とかはやっておくから、知り合いは腐るほど居るんでしょ」

 

「……はい」

 

 

 最早カナディアからの金銭的な支援はこちらから断って無くなっているし、人数が増えるほどに日々の生活費は増えていく。研究費や弾薬費も含めて徐々に減っていく貯金を見ていると、こうして悩んでいることさえも責められるのは当然。

 

 これはこれで死活問題なのだ。

 

 新しくメンバーを加えるのならそれこそ……なにより優先して、クラン長として最初の仕事たるそれを、リゼは成し遂げなければならなかった。



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116.クラン名

 クラン名を決めるにあたって、果たしてどういう経緯で今のものに収まったのか。それについてリゼは1つだけ聞いたことがあった。

 

 "紅眼の空"、つまりラフォーレ・アナスタシアが所属している少数精鋭のクランについてである。

 

 クラン長のクロノス・マーフィンはかつて連邦軍に所属しており、部下でありラフォーレの弟でもあるバルク・エルフィンと共に、とある街に駐在していた。ラフォーレもまた偶然ではあるものの、その街に一時的に立ち寄っていたという。

 そんな最中に、彼等は邪龍の1体である天龍ジントスの襲撃を受けた。そして必死の抵抗も虚しく、街は壊滅し、多くの死者を出した上で敗北したそうだ。

 

 3人が意識を取り戻し、その目に映したのは紅い空。

 

 ……否、天龍ジントスの紅の瞳。

 

 最後まで戦い抜き意識を失った彼等を、ジントスはその巨大な瞳で至近距離からジッと観察しており、末には命を奪うこともなく街を去っていったという。

 

 そんな普通では考えられないような3人共通の経験から、そして次に相対した時に絶対に勝利を掴み取るという決意から、あの光景を絶対に忘れることはないという意図を込めての"紅眼の空"。

 

 正に天龍ジントスへのリベンジを、彼等はクラン名に込めている。

 

 

「……改めて思い出すと、私もそんなクラン名を付けたいと思わされてしまう。とても素敵だ、憧れてしまう」

 

「そ、そんな理由があったんですね……確かにカッコいいというか、憧れます」

 

 

 そんな風に各クランの名前の由来を知るための旅について来てくれたのは、つい先日この街に帰って来たばかりのセルフィだった。

 既にセルフィ抜きで始まっていた遠征準備に彼女が今更入り込める余地はほとんどなく、微妙に暇をしていたところを偶然リゼが見つけた形である。なかなか知る機会も少ないクラン名の由来、どうやら彼女も気になったらしい。

 

 

「そういえば、"聖の丘"はどうなんだい?」

 

「えっと、あんまり詳しくは教えて貰えなかったんですけど……昔、"聖花"という二つ名の探索者が居たそうなんです。レンドさんとエミさんとカナディア様はその方にとてもお世話になったらしく、自分達の探索者としての人生は、その"聖花"の咲く丘から始まったものなのだとか」

 

「……つまり、どれだけ高みに登っても、その人への感謝を忘れないために。そういうことか」

 

「そういうことだと思います」

 

 

 なんとなく、リゼは思い当たる話がある。それこそシアンが慕っていたという女性、レンドとエミの2人を育てていたという女性の話。

 

 きっとその女性こそが"聖花"なのだろう。

 

 それほどに彼等にとって"聖花"というのは重要な存在であり、自分達の始まりであり、死ぬまで背負い続ける覚悟を持って名をつけたのかもしれない。そして決してそのクラン名を汚すことのないように。

 

 

「……なんだかどんどんハードルが上がっているような気がする」

 

「あ、あはは……取り敢えず、他にも聞きに行きませんか?」

 

「……とは言え、"青葉の集い"はシセイさんがよく言う若い探索者、つまり"青葉"が集うという意味だろうし。"龍殺団"なんてそのままだろうし」

 

「じゃあ、"風雨の誓い"かな。でも実は私はまだあまりあのクランの人達とは関わりがないんだ」

 

「まあ、その、確かにピリピリとした雰囲気があって少し近寄り難くはあるんですけどね」

 

「他にクランと言えば……」

 

 

 

 

 

「ん?リゼじゃないか」

 

 

「え?」

 

 

 背後から"男性"の声で話しかけられ、振り向く。

 リゼがこの街で面識のある男性というのはそれほど多くはなく、特に"リゼ"などと呼んでくれる人間となるとそれは更に絞られる。

 

 

「あ、ベインさん!?」

 

 

「なに、ベインで構わない。さん付けは少しくすぐったいんだ」

 

 

 英雄試練祭の際に、一時的にだが共に行動をした彼:ベイン・ローガーデン。

 あの時以来殆ど顔を見ていなかった彼が、何やら買い物帰りの様子でそこに居た。一時期スズハが探しに行ったりとかいう話を聞くくらい会うことが出来ていなかったというのに、本当に何事もなかったかのように……

 

 

「そ、その、随分と久しぶりというか……」

 

「ああ、相変わらず元気そうで何よりだ。俺も最近は自分を鍛え直していたからな、あれ以来あいさつに行くことも出来なかった。すまない」

 

「いや!無事なら良いんだ!あの時は街の方でも大変だったみたいだから、少し心配で……」

 

「君達こそ、レイン・クロインを倒したんだろう?素直におめでとうと言わせて貰うよ」

 

「あ、あはは、あれは私達だけの力では……ん?」

 

 

 ぎゅうっと、腕を抱き締められる。

 

 その犯人は当然に横にいたセルフィであり、彼女は何やらそうしてリゼの腕にしがみ付きながらベインを見ていた。見ていたというより睨んでいるというか、警戒しているような顔をしているけれど……

 

 

「ええと、セルフィ……?」

 

「確か君は、聖の丘の……」

 

 

「……お二人は、どういう関係なんですか?」

 

 

「「え?」」

 

 

「仲良いんですか……?」

 

 

「……ど、どうだろう」

 

「まだそれほど話してはいないというか……」

 

 

「仲良くないんですね」

 

 

「そ、その言い方もどうかと思うが……」

 

「……ああ、なるほど」

 

「?」

 

 

 ベインはこれでも、この街に来てからそこそこ長い。この街には色んな人間が居り、生と死の距離が異様に近いからか、恋愛的な話も数多くあることを知っている。そこには異性どころか血の繋がりさえ関係なく、禁忌と呼ばれる部分に足を踏み出す者も居るくらいだ。

 

 ……特に、エルフの女性。最早言わずもがな、彼等は本当に同性との恋愛話というものが異様に多い。綺麗なものを好むエルフとしての性質なのかもしれないが、最前線で活躍する強い女性、カッコいい女性というものに彼等はハマりやすい。

 

 そして目の前の少女もまた、エルフの1人。

 

 加えて隣のリゼという彼女、彼女もまたエルフの女性が好みそうな顔に、なんとなく相手を口説き落とそうとしているような言動を、本当に自然にやっているような人誑し。……となるともう、現状は大体理解できて。

 

 

「まあ、その、安心してくれて良い。俺は別に恋愛をするつもりはないからな。……どころか、1人の女を追っている。彼女に対して恋愛感情があるかどうかは微妙なところだが、少なくとも彼女を取り戻すまで、俺は他の何にも目を向けるつもりはない」

 

「……?」

 

「……まあ、そういうことであれば」

 

「誤解は解けただろうか」

 

「はい……その、すみませんでした」

 

「いや、構わないさ」

 

「???」

 

 

 2人のやり取りの意味が全く分からないという様子のリゼは放っておき、取り敢えずそれだけの言葉でセルフィの警戒を解くことは出来たらしい。

 

 まあ事実、ベインにそのつもりはない。確かにリゼは女性として魅力的には見えるが、ぶっちゃけベインの好みのタイプでもない。彼女がレイン・クロインを倒したということもあり、取り敢えず今後も良好な仲を継続していきたいとは考えているが、それ以上を求めている訳でもない。変な誤解で噂を広められても単純に困る、それくらいの認識である。

 

 

「それで、今日は何をしていたんだ?買い物には見えないが」

 

「ああ、ええと……実は私達のクランがようやく認められそうで、あとは書類を提出しに行くだけなのだが……」

 

「そうなのか、それはおめでとう」

 

「ただ、クランの名前が決まらなくて……」

 

「ああ……」

 

「今は各クランの名前の由来を聞いているところなんだ。何か参考になればと思って」

 

「……ふむ」

 

 

 一応ではあるが、ベインもまたかつて3人だけのクランを作って活動をしていた。彼等の場合は書類作成に詳しい人間も居らず、その辺りはお金を貯めて申請を代行してくれる機関に依頼していたのだが、それはさておき。

 

 

「俺達が作ったクランに関してなら教えられるな」

 

「い、いいのかい?」

 

「もちろん構わないさ。……とは言え、ありきたりな話で面白味はあまりないかもしれないが」

 

「そんなことはないさ!良ければ是非参考にさせて欲しい!」

 

「確か、あなた方のクランは……」

 

「"剣の光"、決めたのはルミナだったかな」

 

 

 そう言うとベインは、自分の剣を引き抜く。

 その鉄塊のような剣はいつ見ても圧を感じるような存在感があるが、彼はそれを容易く片手で振り回す。けれど今回はそれを振るのではなく、掲げた。自分の腰の位置から、天に向けて。

 

 

「……とまあ、俺達3人がいつもやっているお決まりの円陣というかだな。3人で剣を重ねて、そのまま掲げる。すると太陽の光が反射して、まるで3本の剣を中心に光が放たれたように見えるんだ」

 

「おお……!だから"剣の光"な訳だね!」

 

「ああ、単純だろう?だが俺達は3人とも同じ場所で剣を磨いた、クランの名前に"剣"が入らないということはまず無いだろうなとは思っていたんだよ」

 

「……自分達にとって切っては切り離せない、そんな要素を入れた訳ですね」

 

「なるほど……」

 

 

 やはりクランの名前と言うからには、そうなるのも自然な話ではあるだろう。だがそれも難しい話だ。何故ならリゼ達のクランは本当に各々が色々な事情を持っており、共通点を見つける方が難しい。これだけは切っても切り離せないというものはない。そしてもちろん、お決まりの円陣なんていうものも存在しない。

 これも参考になりそうで、ならなさそうなところだ。けれどそういうクラン名を名付けたいと思わせられるようなものでもあった。

 

 

「はは、その様子ではあまり参考にならなかったか」

 

「いや、素直に羨ましいと思ったんだ。そういう名付けのセンスが私にもあると良いんだけど」

 

「そう言われるとルミナも喜ぶだろう」

 

「ですが、意外とクランの名前を付けるのって難しいものなんですね。私はもう最初からあるクランに所属したので、こういう悩みがあることさえ知りませんでした」

 

「ああ、私も思わぬ壁だよ。だがやはり他のクランの由来を聞くのはとてもためになる。もっと色々なものを聞いてみたいものだね」

 

 

 

 

 

 

「クラン名の由来なら私も1つ知っていますよ♡ご主人様♡」

 

 

 

 

 

「…………え」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 

 

「…………え"」

 

 

 

「久しぶりにあった愛しのメイドに絶望顔を向けるなんて、良い度胸してやがりますわね?ご主人様ァ♡」

 

「ぎゃぁあああ!!!な、なな、なんで君がここに居るんだぁぁぁあああ!!!!!」

 

「"灰被姫"に会った時と同じ反応するのは流石に傷付く」

 

 

 

 喫茶店ナーシャのメイド:リコ・スプライト。

 

 

 降臨。

 

 

 

 

 

 

 

 

 相変わらず静かな店内。

 

 珈琲の独特な匂いと、心地の良い音楽。

 

 高級喫茶店として主に年齢層が高く、かつ金銭的に余裕のあるような者たちが寛いでいるような、憩いの空間。

 

 それが喫茶店ナーシャ。

 

 

「お待たせいたしました、ご主人様♡珈琲24人前でございます♡」

 

 

「数がおかしい!!!」

 

 

 なお、そんな空間をぶち壊しているメイドが1人。

 

 店長のエド・セルノワールが必死に入れた珈琲を24人前一気に持って来た頭の悪い女。リゼが恐らくこの世界で唯一強いツッコミを入れる悪女。

 そんな彼女の珍しい姿は、恐らくここでしか見ることは出来ない。

 

 

「どうして珈琲が24人前も出て来るんだ!私は2人分しか頼んでいない筈だ!」

 

「当店からのサービスです♡」

 

「不要な気遣い!!」

 

「あとご主人様が店に来られない間に溜まっていた1日1杯の無料分です♡」

 

「ストック制!?ストック制なのか!?毎日来ないと次に来た時に貯めていたものが全部出て来るシステムなのか!?」

 

「全部お熱いうちにお飲み下さいね♡」

 

「胃が焼け爛れるだろ!!」

 

「いいから飲め、オラ、全部口に流し込んでやる」

 

「熱い熱い熱い熱い熱い!!本当に熱い!!どうして全部ホットで持って来るんだ!!せめてアイスにしてくれ!!ホットしか駄目なルールでもあるのか!!」

 

「まあそもそもそんなストック制なんて巫山戯たシステムはありませんので♡」

 

「謝れ!店長に謝れ!!こんな馬鹿げた事のために24杯も珈琲を淹れた店長に謝れ!!」

 

「あはは♡ご主人様は相変わらず面白いですね〜♡」

 

 

 

「………」

 

 

 2人のやり取りに、セルフィも目を丸くして珈琲に口を付ける。それはレイナが最初にこれを見た時と同じ。

 これほど遠慮なくズバズバと言葉を口に出すリゼというのは本当に初めて見たし、リゼとこんなやり取りができる人物も初めて見たからである。

 

 なお、そんなリゼの方は熱そうにしながらも一生懸命に珈琲を飲んでいるし、そんな彼女を見て腹抱えて笑っているエルフのメイド。なんなら基本的に貞淑を最とするエルフの同族で、これほどまでにワイワイとはしゃいでいる女だってセルフィは初めて見たくらいだ。価値観が揺れる。

 

 

「それで、なんでしたっけ?ご主人様は敵クランの弱みを握りたいんでしたっけ」

 

「一度もそんなことは言ってない!……私のクランの名前を考えるために、他のクランの名前の由来を調べているんだ。君が知っているものがあると言ったから着いて来たんだろう」

 

「ところでご主人様、ご注文は?」

 

「……はぁ。セルフィ、何か食べたいものはあるかい?」

 

「え?そ、そうですね……それなら、オムライスとか」

 

「オ、オムライス……」

 

「ぶふっ」

 

「……?どうかしましたか?」

 

「い、いや、なんでもないんだ。リコ、オムライスと季節の彩りサンドを頼む」

 

「はいはい、10人前ずつでいいです?」

 

「1人前ずつに決まっているだろう……!!」

 

「いや、流石に物足りないかなって」

 

「だとしても10人前も食べない!!しかもその言い方だと全部で20人前も出て来るじゃないか!!」

 

「レッツチャレンジ!!」

 

「しない!!」

 

 

 肩で息をするほどに激しいツッコミをするリゼに対して、リコは至極楽しそうに注文をマスターに伝えに行く。彼女の何が一番酷いかと言うと、返答次第では本当に20人前を持って来ることである。珈琲24杯がその証拠だ。

 

 今も熱さと暑さを感じながら必死に冷めないうちに飲もうとしている真面目なリゼも弄り甲斐があって悪いと言えば悪いのだが、そういうところが彼女の良いところ。これもある意味では人徳と言うのだろう。

 

 

「さて。注文も貰ったし、ご主人様のために私もお話しくらいしますか」

 

「態度が大きい……」

 

「はしたないから足を組まないよ」

 

「母親かアンタは」

 

「……それで、教えて貰えるクランというのは?」

 

「ご主人様は"夢の足音"ってクラン、知ってます?」

 

「「……?」」

 

 

 残念ながら、2人ともそのクランのことについては知らなかった。

 

 

「ん〜?確かレッドドラゴンの討伐について、マドカさんから色々と教わってたって聞いたんですけど……」

 

「……あ!レッドドラゴン討伐講座の時に投影のスフィアで配信されていたクランのことか!」

 

「へぇ、そんなことがあったんですね」

 

「そのクランに色々教えてる時にマドカさんがここに来て、私も色々とお話ししてたんですよ。その時にそのクランの名前の由来を聞きまして」

 

「……本当にマドカはここの常連なんだね」

 

「今更過ぎません?」

 

「いや……まあ、今更なんだが」

 

 

 マドカの講義内容を実際に実践してみせた、小規模のクラン。戦力的にはリゼ達と殆ど変わらず、バランスの良いパーティ編成をしていたという記憶がある。

 

 マドカは講義のために事前に彼等に色々と教えていたというのだから、確かにその辺りのことを知っていてもおかしくない。何ならその辺りのことを気軽に話すくらいにリコとマドカが仲良く話している姿の方が、リゼは見たことがないくらい。というかマドカがこの店に来ているところさえ見たことがない。引越しの際に一緒にはいたけれど、それでも。

 

 

「それで、由来というのは?」

 

「ダンジョン内で聞こえる自分達の足音、だそうですよ」

 

「足音……夢ではなく、自分達の?」

 

「夢に向かって歩く自分達の足音は、同じように自分達に近付いてくる夢の足音でもある。だから"夢の足音"なんだとか」

 

「……これも素敵ですね」

 

「ああ、よくそんなのが思い付いたね」

 

「前々から話していたそうですよ。ダンジョンの階段を降りている時の足音が妙に響いて聞こえるって」

 

「なるほど、何気ないことでもヒントになり得るということか……」

 

 

 

「いやでも、ご主人様のクランの名前とか割と付けやすくありません?」

 

 

 

「「え?」」

 

 

 呆れたように、そして不思議そうな目を向けられる。

 けれどリゼにもセルフィにも、その言葉の意味は分からない。これほど困っていると言うのに、彼女は付けやすいとまで言い切ったのだから。しかも「当たり前だろ」とでも言いたげな顔で。

 

 

「そもそも、ご主人様の作るクランの名前にマドカさんの要素が入って来ないとかあり得ます?」

 

「あ〜……」

 

 

 セルフィもまた、それを聞いて頷いた。

 

 

「い、いや!だがクランというのは決して私だけのものではないから……!」

 

「そんな個人的な思いを付けるのは間違っていると?」

 

「あ、ああ」

 

「でも入れたいんでしょう?」

 

「そ、それは……」

 

「それなら入れればいいじゃないですか。後から変えられないものなんですよ?クランの長が納得していないような名前を付ける方が間違ってると思いません?」

 

「う……」

 

 

 急に正論を叩きつけられて、リゼは狼狽える。

 それはリゼだってクランの名前にはマドカの要素を入れたい、そもそもそのために作ろうとしたクランなのだから。しかしクランというのは自分だけのものではない、仲間達も自分と同じ思いを抱いている訳ではない。それなのにこんな……

 

 

「……リゼさん、私も入れて良いと思います」

 

「セルフィ……」

 

「だってきっと、リゼさんのクランの人はみんな、そんなこと知ってると思うので」

 

「え……?」

 

 

 ただ、それもまた、リゼの独りよがり。

 

 

「クランの名前については、全部リゼさんに任せると言われたんですよね?」

 

「あ、ああ」

 

「それならつまり、クランの名前はリゼさんの好きなように、好きなものを付けてくれて良いってことだと思うんです。……むしろ、リゼさんが今日まで努力してここまで漕ぎ着けたものに、私なら自分の意見を入れようとなんてしませんよ。それがどんな名前であったとしても、リゼさんの決めたものが最善だと思うはずです」

 

「セルフィ……」

 

「ぶっちゃけクランの名前とかクソゴミダサボケカスアホなものでもなければ、なんでもいいですからね」

 

「リコぉ……」

 

「別にマドカさんの要素が入っていたとしても、カッコよければなんでもいいんですよ。『ああ、こいつ相変わらずマドカさんのこと大好きだな』としか思われませんって」

 

「……」

 

 

 改めてそう言われると、リゼもなんとなく自分は考え過ぎていたのかとも思ってしまう。確かに色々な由来を聞いてかっこいいと、憧れると思ってしまったが、それも彼等からしてみれば深く考えて付けた訳でもない。彼等としては当然なものが目の前にあって、それを捻っただけ。ならばリゼもまた、自分の持つ当然のものを捻るべきなのだ。

 

 ……それこそ"聖の丘"のように。自分達の始まりが1人の女性だと言うことを示す、最大規模のクランのように。名前の由来が1人の人間であったとしても、何ら問題はない。

 

 

「方針は決まりましたね。……たとえばなんですけど、リゼさんにとってマドカさんはどういう人ですか?その、花のような人〜みたいな、そんな感じで」

 

「私にとってのマドカは………………………太陽、かな」

 

「重っ」

 

「重いって言わないでくれ!!」

 

「……とは言え、太陽をそのまま入れるのも芸がないですよね。マドカさんの二つ名が"白雪姫"ですし、何かないでしょうか」

 

「そう言えばご主人様の二つ名はそろそろ付かないんです?」

 

「いや、今はほら、ギルドが忙しいみたいで……」

 

「つっかえ」

 

「そんなことを私に言われても……」

 

 

 確かにその辺りが使えれば何らかのヒントにはなったかもしれないが、無いのだから仕方ない。

 しかし、白雪姫と太陽と並べると、あまりにも真逆過ぎて組合せづらい。そもそもマドカの所属していないクランにマドカの要素を入れるというのも、かなり難しいところがある。これは捻り方にも工夫が必要だろう。少なくとも雪も白も太陽も、リゼのクランの色としてはあまり適切ではない。

 

 

「ん〜…………マスター、良い案ありません〜?」

 

「マ、マスターに聞くのかい!?」

 

「と、突然振られても困るのでは!?」

 

 

 そうしてリコに雑に話を振られたマスターは、スッと顔を上げる。彼がこれまでの話を何処まで聞いていたのかは分からない。むしろセルフィの言う通り、困るのが普通だ。そもそもマスターとはリゼは殆ど話したことがないというのに、協力など……

 

 

「……"月"、というのはどうでしょう」

 

 

「え?」

 

 

 それでもマスターは優しかった。

 

 

「太陽を追いかける月。太陽の光で自らを輝かせる月。太陽さえも手を伸ばせない夜を照らす月。……マドカさまを太陽と評するのであれば、リゼさまは正に月を名乗るに相応しいお方かと」

 

「おお……」

 

「そ、それは些か褒め過ぎと言いますか……」

 

「ご主人様は永久にマドカさんのこと追い掛けるつもりなんですか?きっしょ」

 

「リコ?私も傷つく時は傷付くんだよ?」

 

 

 しかし、マスターのその提案は、リゼにとってはとても素晴らしいものに見えた。何より月というのが良い。パッと見ただけではマドカの要素は見えないが、そこには確かに自分とマドカの関係が現れている。それに加えて、そこから捻りやすく、なんとなくお洒落な雰囲気もあるからだ。

 ……欠点は今の自分が月を名乗るには少しばかり足りていないということくらいか。

 

 

「クランの名前というのは決意にもなり得ます。今のリゼさまが月を名乗るに足りていないと思うのであれば、いつかの自分を月にするという決意でも良いのです」

 

「………ありがとうございます、マスター」

 

「いえ、お力になれたのであれば」

 

 

 本当に、本当にどうしてこんな人格者のもとで、こんなふざけたメイドが働いているのだろう。リゼはもう不思議で不思議で仕方がない。どうして雇ってしまったのか。リゼから見たら店に不利益しか齎していないように感じてしまうのに。

 

 

「あ……ご主人様ぁ♡」

 

「………なんだい」

 

「私ぃ♡是非ご主人様のクラン名に入れて欲しいものがあるんですけどぉ♡」

 

「………まあ、話くらいなら聞くが」

 

「じゃあ"紐"で」

 

「私はもうヒモじゃない!!ここのお代だって自分のお金で払えるんだ!!」

 

「じゃあ"泡"で我慢してあげますよ」

 

「"泡"……?なぜだい?」

 

「スプライトってエルフの言葉で泡が弾けるって意味なんですよね」

 

「………………………どうして私のクランの名前に君の要素を入れないといけないんだ!!」

 

「あはは!ご主人様が突然怒り出した〜♡怖〜い♡」

 

「ぐぬぬ」

 

 

 

 流石に入れなかった。

 

 



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117.百満天の世界

「ちょ、ちょっと、まだ着かないの?良い加減に疲れたんだけど……!」

 

「いいから!もう少しだ!クリアも居るかい?」

 

「うん〜、レイナにおぶってもらってる〜」

 

「ど、どうして私が……」

 

「あ、あはは……シアンも大丈夫かい?」

 

「うん、ここに居るよ」

 

「それなら良かった」

 

 

 月夜の下、リゼ達は珍しく街の外に出ていた。

 碌な明かりも手に持たず、月の光と自分達の眼だけを頼りに。誰よりも目の良いリゼが先導して、とある場所に向かっている。

 

「スズハも背負うよ、ほら」

 

「……まあそれは助かるけど。そもそもなんなのよ、クランの名前を決めたんじゃなかったの?」

 

「ああ、決めたよ。決めたからこそ、そのために必要な思い出を作りに行くんだ」

 

「は?」

 

「行けば分かるさ。それにもう直ぐ着くから、安心して欲しい」

 

「……はぁ、分かったわよ。後はアンタに任せるわ」

 

 

 レイナがクリアにしているように、リゼもスズハを背負い、シアンに笑みを向けながらも山道を歩む。モンスターが決して居ない訳ではなくとも、今更地上に居る程度のモンスターはそれほど強敵という訳でもなかった。

 そうでなくとも、順調にレベルも上がって来ている。慢心する訳ではないが、余裕はある。

 

 

「……ねぇリゼ」

 

「ん?なんだい、スズハ」

 

「道中暇だから変な話をしてもいいかしら」

 

「構わないよ、何の話だろう」

 

「……なんかこの世界、エルフの男はエルフの女よりアマゾネスとくっ付く割合の方が高いって本で読んだんだけど。マジなの?」

 

「あ、あはは……」

 

 

 本当に変な話がブッ込まれた。

 

 

「まあその、なんというか、本当みたいだよ?」

 

「それってやっぱり、エルフの女にレズが多いからなの……?」

 

「い、いや。というよりはエルフの男性とアマゾネスの女性の相性が良過ぎるというのがあるみたいだ」

 

「……?むしろガサツ過ぎて嫌って思われそうだけど」

 

「エルフの男性は内向的な性格が多い一方で、アマゾネスは誰とでも仲良くなれる陽気な性格の女性が多いからね。特にエルフとアマゾネスは昔から種族間で深い関わりがあったんだ。だから互いに抵抗感が薄いというのも大きいかもしれない」

 

「あ、なんだったかしらそれ……何かの話で見たことあるわ」

 

「種族間大戦、主に邪龍とオルテミスのダンジョンが見つかった辺りの頃の話だよ」

 

 

 それについての本は、リゼだって何度も何度も読んだ。忘れることなど出来ないくらい、擦り切れるほどに。だから物語の中の内容ではあっても、そういう伝説になっているような話ならば知識の自信がある。

 

 

「元々アマゾネスは1箇所に定住するのではなく、常に集団で各地を渡り歩いている種族だった。どの種族とも子を作ることが出来る上に、生まれてくる子供は相手の種族の子か、アマゾネスの女性だけ。そういう部分も彼等の生活に適していたんだろう」

 

「……それも不思議な話よね、卵が先なのか鶏が先なのか」

 

「世界で初めて龍の巣穴、つまりオルテミスのダンジョンを発見したのは海水浴中のアマゾネス達だった。彼等は種族間大戦にも参加しておらず、そんな彼等が早期に見つけることが出来たからこそ、被害は最小限で済んだんだ」

 

「戦争中に海水浴って……」

 

「邪龍のせいで、種族間で同盟組み始めたんだよね」

 

「シアン……ああ、その通りだ。ヒューマンと精霊族、ドワーフと獣人、エルフとアマゾネス。当時手を組んだ彼等の関係は、今も各地で色濃く残っているね」

 

「ああ、そういえば英雄はヒューマンと精霊族の間にしか生まれないんだっけ?なるほど、そういう感じね」

 

「エルフとアマゾネスの関係もその一環さ」

 

 

 なにも全てのアマゾネスが戦争に参加していなかった訳ではない。彼等だって仲間を殺されて黙っていられるような性格では無かったのだから。エルフの敵にまわっていたアマゾネスだって存在していたはずだ。

 

 

「それでも、龍の巣穴を見つけたアマゾネス達が助けを求めたのはエルフ達だった。彼等はエルフが自分達より知識と知恵を持っていることを知っていたし、それを認めていたからだ。そしてエルフ達もまた調査に協力した。エルフ達もまた、アマゾネスという種族のことを知っていたし、彼等が嘘を吐いて騙し討ちするくらいなら、正面から殴り付けてくることを知っていたから」

 

「……多少頭の回る人間からすれば、それくらい実直な相手のことを好いてしまうものね」

 

「そうかもしれない。けれど結果的に龍の巣穴から定期的に龍種が生まれることが確認されて、神族を通じてその情報は全ての種族に共有された。……それこそが種族間大戦が終結したきっかけだった」

 

「実際に終了したのは、邪龍の存在なんでしょうけどね」

 

「……」

 

「まあ、否定は出来ないね。龍神教の言っていることはその通りで、実際に戦争が終結したのは第一次邪龍討伐が大失敗に終わったからだ。……ただ、ここにもアマゾネスが関わってくる」

 

「へぇ」

 

 

 この辺りの時代の物語の主人公は、アマゾネスの女性であることが多い。若しくはエルフの男性が主人公であり、アマゾネスの女性がヒロインという形だろうか。

 それほどにアマゾネス達はこの時代の中心を担っていた。彼等こそが今を作り上げた。それを否定する者はこの世界の何処にも存在しない。

 

 

「連邦国家を作る際に、当然種族間で大きく揉めたんだ。それまで戦争をしていた者達が突然1つになろうとするのだから、当然だね」

 

「理想と現実なんてそんなもんよね」

 

「特に困難だったのはエルフの説得だったんだ。彼等は1つの国を作り上げて、世界中の大半のエルフがその国で生活していた。故に閉鎖的であり、他種族に対する偏見や敵対心が強かった。最後の最後まで平等な扱いをされるということに抵抗を示していた」

 

「ああ、そこでアマゾネスが……いや、むしろアマゾネスはそんな堅物共をどうやって懐柔したのよ。コミュニケーション能力バケモノか」

 

「ふふ、その通りさ。エルフ達を説得して、特に仲の悪かったドワーフや獣人達とも間を取り持った。邪龍討伐が失敗して明らかに絶望的な雰囲気が漂っている中でも、アマゾネス達はいつも通りの明るさと前向きさを持って、全ての種族の手を取って前へと引っ張った。……エルフの男性達の求める女性像が変わったのは、その時だと言われているよ。どれだけ絶望的な状況であろうとも、誰よりも先に立ち上がり、誰よりも前に立って道を歩く。膝をつく自分達の手を引きながら。そんなカッコいい女性に、彼等は強い魅力を感じたんだとか」

 

「……なるほど、それで脳を破壊されてしまったのね。だからって同族より他族との婚率が大きくなるのはヤバいでしょ。そりゃエルフの女もレズが増えるわ」

 

「ま、まあ、そもそもエルフは子が出来にくいからね。アマゾネスとの方が子孫を増やしやすいところもあるみたいだ」

 

「もうそれ種族としての欠陥じゃない……?エルフのレズが多いんじゃなくて、エルフの番が減っただけに見えて来たわ」

 

 

 まあ結果的にエルフの数は以前より増えているというのだから、種族的な問題というのはそれほど無いのだろう。同時にアマゾネスもまた増えているが、彼等はその無茶のせいで死亡率も高いという要素も抱えている。なんだかんだで上手いこと世界は回っているので、特段問題にならないという実情がある。

 

 

「かくいう私も、実はそのアマゾネスの主人公に憧れた身でね」

 

「へぇ、そうなの」

 

「ああ、とてもカッコ良かったんだ。絶望的な状況で、誰もが保身のために身を振り始めた中で、その女性は100年後の子供達のことを考えて先陣を切った。諦めることなく、只管に状況を覆すことだけを考えていた。……そんなカッコいい女性になりたいなって、思ったんだ」

 

「……先陣なら切ってるじゃない、正に今」

 

「へ?あ、あはは、これは道案内してるという方が正しいんじゃないかな」

 

「そんなことないわよ。アンタの背中が前にあるからこそ、安心して着いていけるのよ。立派に先頭走ってるわ」

 

「スズハ……」

 

 

 ぽすぽすと、軽く頭を叩かれる。

 

 

「アンタの好きにやりなさいよ。確かにアタシはマドカ・アナスタシアが嫌いだけど、アンタがマドカのために何かしたいって言うのなら、迷わず協力するわ」

 

「……それは、どうして?」

 

「それ以上にアンタのこと気に入ってるから」

 

「!!」

 

 

 それはきっと、スズハにとって最大限の好意の伝え方なのだろう。暗闇の中、顔は見難いし、そもそも後ろを振り向かないように頭を固定される。それでも彼女がなんとなく恥ずかしそうにしていることは分かる。

 

 

「アタシ、前の世界で友達居なかったのよ。勉強ばかりしてたし、海外の大学に入ったりして、基本的に周りの人間も年上ばかり。それも自分よりも頭の悪い年上だから、ナチュラルに見下してたんでしょうね。何処に行っても嫌われて、馴染めなかった」

 

「……そうは見えないけどね」

 

「ここに来て分かったからよ。いくら頭が良くても、頭だけで何とか出来ることなんてあまりに少ない。……究極、生きていくことさえ難しい。自分が思っていたより、頭の良さの価値はそこまで高くなかったことを知ってしまった」

 

「……」

 

「それなら自分の価値はなんなのか、自分のこれまでは何だったのか。そう考えていた時期もあったわ。……そんなことを考える余裕さえ無くすような女と会うまではね」

 

「マドカのことかい?」

 

「話の流れからしてもアンタに決まってんでしょ、リゼ」

 

「え?」

 

 

 今度は普通に頭をしばかれる。

 しかし今のはリゼが悪い、この流れでマドカを褒めるはずなど無いのだから。それこそスズハが、褒めるはずなど決してない。

 

 

「何処に異世界に迷い込んだ人間に、異世界でも未解明の技術を解析させようとする奴が居るのよ。戦闘は嫌って言ってるのにレイン・クロインと戦わされるし、そうでなくともダンジョンの情報収集とまとめを任されて。こっちに来てから私の頭常にフル稼働なんだけど?」

 

「そ、それは……その、申し訳ないと思っているというか……」

 

「だから、ありがとう」

 

「……???お礼を言われる理由が分からない」

 

「アンタが私に価値を与えてくれたのよ」

 

「価値……」

 

「ここに居ていい。それどころか、居て欲しいって。必要としてくれた。理由をくれた。……ただ養われるのと、仕事を持って隣に居るのって、やっぱり違うと思うのよ。だから本音を言えば、この忙しさに今は安心してるの」

 

「スズハ……」

 

 

 ダンジョンには潜らない、恐ろしくて潜れない、レイン・クロインと対峙して余計にそう思った。それでもリゼは許してくれるし、どころか頼ってくれる。戦闘に参加しないのに、仲間の1人として扱ってくれる。これまで常に疎外感を感じていた自分が、育った世界とは異なる場所で、仲間意識を感じている。

 スズハにとってそれは、そして今は、人生の中でも一番に幸福だと言えるようなものなのである。馬鹿みたいな冗談を言い合って、ツッコミを入れて、笑い合って。いつか憧れたそんな集団の中に、今自分が居る。そしてそこに入れてくれたリゼに、受け入れてくれたリゼに、スズハは心の底から感謝している。

 

 

「もう元の世界に戻りたいとも思わないのよね」

 

「え、でも……」

 

「だって、こっちの方が楽しいんだもの。あんな狭い部屋だけど、前の部屋よりずっと過ごしやすい。川の字で寝るのも慣れてきちゃったし」

 

「……私も、可能ならスズハには居て欲しいよ。これから先、むしろスズハの力はより必要になってくると思うんだ。もっと忙しくさせてしまうかもしれないけど、力を貸して欲しい」

 

 

「そもそも今でさえ、必要どころか必要不可欠ですからね。今更何を言ってるんですかって話ですよ」

 

「レイナ……」

 

 

「私も、話しやすいから好きだよ。スズハ」

 

「……ふふ、そんなこと初めて言われたわよ、クリア」

 

 

 そうこうしているうちに、リゼは目的の場所に辿り着いた。それはリゼが昼間に探していた場所であり、奇しくもマドカがアルファに対して襲撃を仕掛けた場所でもある。

 ベインの一撃によって半壊した場所もあるが、やはり街を見下ろせるほど高い所にあるこの場所が一番見晴らしが良かった。そのクラン名を付けるからには、この場所が一番に相応しいと思ったのだ。

 

 

「どうだい、綺麗だろう?」

 

「………」

 

「おお、リゼすごいじゃん」

 

「下見してたんですか?」

 

「ま、まあ、場所だけはね」

 

 

 昼間に下見をしていた、故にこの"星空"までは見ていない。けれど知識と方角から、概ね想定はしていた。この角度なら良いものが見れるのではないかと。そしてそれは想定通りだった。

 目の前に広がる大きな突きと、美しい星空は、その下に広がる海洋も含めて、心を奪われるほどに美しい。

 

 

「……?星空はあまり好きではないかい、スズハ」

 

「……いいえ、好きな方だと思うわよ。それで?こうしてこんなものを見せに来たってことは、クランの名前には"星"でも入るのかしら」

 

「!……やっぱり敵わないな、スズハには」

 

「私も予想できてたよ」

 

「わ、私もです!」

 

「……わたしは、分からなかったかな」

 

「はは、でも"星"だけが入るわけじゃないんだ。……説明するよりも先に発表したほうがいいかな」

 

 

 ガサゴソと、鞄の中から紙を取り出すリゼ。しかしそんなもの、この暗闇の中では見えないだろうと、レイナは灯りを付け始める。こういう気が効くというか、本当の意味でリゼのことをサポート出来るのは、リゼをずっと見ているレイナの特権だろう。

 それこそクリアなどシアンと一緒になってぼ〜っと星空を見上げているし、スズハはそんな2人を見て苦笑いを浮かべている。この2人は方向性が似ており、どうも気の合うところがあるらしい。元々口数の少ないシアンと、喋ることさえ面倒臭がるクリアでは、その根本が違うだろうが。どちらにせよ彼女達にそこまで細かい他者へのサポートなど期待出来る筈もなく。

 

 

「準備できた?」

 

「す、すまない!ああ、こういう時も格好がつかないのは本当に恥ずかしいな……」

 

「そういうところがリゼさんの良いところでもありますよ」

 

「……それで、どんな名前にしたのよ」

 

「ああ!これを見てくれ!」

 

 

 バッとリゼが広げた紙、そこに書かれていたのは……

 

 

 

  

「『星月の海』!」

 

 

 

「……意外とお洒落なもの持って来たじゃない」

 

「でもこう、あんまりなんか、パッとしませんね」

 

 

「かふっ」

 

 

「私達に星とか月とか海の要素ある?」

 

「スズハ、当ててみようよ」

 

「いいじゃないクリア、レイナとシアンも考えなさい」

 

「いいですね、それ」

 

「……うん、私もいいのなら」

 

 

「え、えぇ……私はひとりぼっちかい?」

 

 

 レイナでさえ『パッとしない』と口走ってしまった新しいクランの名前は、けれどどうやらその意図を当てるためのゲームに使われてしまったらしい。

 しかしそれも仕方ない、なにせリゼのセンスで付けられたものなのだから。むしろスズハの言う通り、意外とお洒落なところに収まったという感想が先行している。

 

 

「はい!私はリゼさんが私達のことを星に見立てたんだと思います。『みんなそれぞれ個性的だけれど、確かに強く美しい光を放っている』みたいなことを言いたいのではないかと」

 

「うっ」

 

「ああ、絶対それだわ」

 

「ロマンチスト?」

 

「リゼ言いそう〜」

 

「それなら私は月の部分をマドカ関係にしたと思うわ。どうせマドカを太陽に見立てて、無理矢理"月"を入れ込んだのよ。星だけでも良さそうなものなのに、流石にそこは外せなかったのね」

 

「な、なんで分かるんだ!?私はまだ何も言ってないじゃないか!!」

 

「ん〜、多分だけどさ。リゼは星空好きだと思うんだよね。ほら、リゼって目がすごく良いから。星空の見え方もすごいことになってると思うし、そういう意味では"星空"っていうのはリゼの中で一番の褒め言葉なのかなって」

 

 

「な、なんでこんなに私の頭の中が……」

 

 

「じゃあ……海は、星空のこと?」

 

「それこそ、星空と、それが映った海だったりするんじゃないでしょうか。私達の目ではここからだと海なんて見えないですけど、リゼさんの目からだと星々の光さえも海に反射しているのでは。そうでなければ、ここまで来る意味もありませんし」

 

「うっわ、それは普通に一回見て見たいかも」

 

「一番綺麗なところに連れて来てくれたのかぁ」

 

「それと同じくらい綺麗って、言いたいのかな……?」

 

「え〜、これもうリゼからのプロポーズじゃん」

 

「あんた私達のこと好きすぎでしょ」

 

「なるほどなるほど、つまりこのクラン名はリゼさんから私達への愛の言葉ということなんですね。じゃあもうこれで決まりじゃないですか」

 

「これからクラン名を思い出す度に、リゼからの愛情を思い出せるのかぁ」

 

「愛が、たくさん詰まってるんだね」

 

「たった4文字にここまでの愛を込めるなんて、良い詩人になれるんじゃない?リゼ」

 

 

 

「もういっそ殺して欲しい……」

 

 

 クランメンバー達のあまりの理解力に、羞恥で死にそうになるリゼ。流石のリゼであっても、ここまで隠していた思惑を見抜かれてしまうと恥ずかしくて仕方ない。

 

 ……それでも、このクラン名は確かに受け入れて貰えたらしい。

 

 一目見れば、なんとなくそれっぽく見えるというだけである。しかしそこに込められた意味は、メンバーにしか分からない。けれどそれで良い、むしろそれを他者に教えるつもりもない。

 

 それこそ大凡の予想は出来るかもしれないが、それを本当の意味で理解するためには、今この場所に立ち、リゼという人間を知らなければならない。自分達は数少ないその1人であり、その独占感こそが重要だ。

 

 リゼ・フォルテシアという女に惹かれて着いてきた者達にしか分からないクラン名。他の何より、それがいい。

 

 

「ほら、さっさと立ちなさい。クランリーダー」

 

「そうですよ、明日からは正式なクランになるんですからね」

 

「頑張れ、リゼ」

 

「……えと、応援してる」

 

 

 

「……うん。ありがとう、みんな」

 

 

 そうしてようやく、クランは成った。

 最初は絶望的であったリゼの希望は、彼女の努力と誠実をもって形となった。様々な偶然が重なって、こんなにも頼もしく、こんなにも好ましい仲間達が集まってくれた。

 

 

「ほら、じゃあ声出ししなさいよ」

 

「こ、声出し!?」

 

「目標とかですよ、ほらほら」

 

「も、目標……目標……」

 

「リゼがクランを作った目的なんて、1つだよね〜」

 

「そうよ、怒ったりしないから正直に気持ち悪いこと言いなさい」

 

「もうみんな分かってることですから、隠しても無駄ですよ」

 

「……私は分からないから、教えて欲しいかな」

 

「う……わ、分かったよ……」

 

 

 嘘を吐いても意味がない。

 嘘を吐く理由もない。

 それを受け入れてくれる、そんな仲間だ。

 

 

「わ、私達の目的はただ1つ!!」

 

 

「「「「ひと〜つ」」」」

 

 

「太陽の代わりに、夜を照らす月のように……!!」

 

 

そんな太陽の輝きを、追いかけ続ける月のように。

 

 

「太陽が無くとも、世界を彩る星達のように……!!」

 

 

そんな足りない月の光を補う、星達のように。

 

 

 

 

「マドカ・アナスタシアの、役に立ちたい……!!」

 

 

 

 そんな普通なら笑われてしまうような馬鹿馬鹿しいクラン目標でさえも、仲間達は受け入れてくれた。少しくらいは呆れながらも。それでも、これこそが自分達のクランリーダーなのだと。そう笑いながら。



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118.魔砲のスフィア

「なんか……意外と見つからなかったね、宝箱」

 

「その代わり、見つかった唯一の1つから、明らかにヤバいのが出ましたけど………」

 

「火属性の☆4…………『魔砲のスフィア』ねぇ」

 

「初めて聞いたかなぁ」

 

「うん、私も知らないかも」

 

 

 日が沈み始めた頃。

 ギルドの空いていたテーブルの1つを借りて、5人は揃って苦笑いをしていた。

 

 せっかく『盗賊のスフィア』を手に入れたのだから、戦力増強と全員分のスフィアを揃えるためにも、今度こそ宝箱を探しに行こう。

 

 そんな軽い気持ちで潜ってみたのはいいものの、『盗賊のスフィア』の効果はあくまでも『自身から10m以内に宝箱があるかが分かる』というもの。

 パッシブ効果も『ドロップ率が上がる』というだけで、そこに宝箱の出現率は恐らく関係がない。

 

 故に1日中6階層から9階層を往復してはみたものの、見つかった宝箱はたったの1つだけだった。

 まあ実際、この街で宝箱が見つかる頻度も、探索者の数に対してかなり少ないと言ってもいい。いくら『盗賊のスフィア』があったとしても、宝箱の数自体は変わらないことから、むしろ1つ見つかって良かったというくらいなのかもしれない。

 

 ……とは言え、その中身に干渉するLUCの値がぶっ壊れているクリアが居るので、その唯一の宝箱が大大大大大当たりになってはくれたのだが。

 これはこれで扱いづらいところもあったりして。

 

 

 

「おや、皆さん揃ってどうしたんですか?」

 

 

 

「うげっ」

 

「あ……」

 

「マドカ!もう仕事はいいのかい?」

 

「ふふ、漸く休憩時間が作れるくらいになった、という程度ですよ。……おや?」

 

 

 そうしてスフィアと睨めっこしていた彼等に、背後から声を掛けに来たのは、少し疲れたような顔をしたマドカ・アナスタシアである。

 

 彼女を見た瞬間に嫌な顔をしたスズハと、目を見開いて近くに寄って行ったシアンの対照的な反応が目を惹くが。ここに彼女が来てくれたことは割と都合が良い。

 そう思ったのはレイナも同じようで、あまり大きな声で話せないことでもあるので、彼女は小さく手招きをしながらマドカを輪の中へと入れた。

 

 

「実は今日、盗賊のスフィアを使ってみたんです。このスフィアはそれで見つけた宝箱に入っていた物なんですけど」

 

「へ?初日で見つけたんですか?それは凄いですね、『盗賊のスフィア』があってもなかなか見つからないのに」

 

「あ、やっぱりそうなんだ」

 

「まあ世の中そんなもんよね」

 

「……それで、これは何のスフィアだったんですか?」

 

「うん、ヒルコに見せてみたところ『魔砲のスフィア』というらしいんだ」

 

「え……」

 

 

 ヒルコ曰く、ずっとずっと大昔に1つだけ確認されてはいるものの、あまり資料が残っていない上に、現在は恐らく都市の外の何処かにあると言われている物だそうだ。

 効果自体は魔力による砲撃を行うようなイメージだと言うが、やはり珍しいものなのだろう。そのスフィアの名前を聞いた途端に、マドカはあまり見ないほどに驚いた顔をしていた。

 

 

「ま、『魔砲のスフィア』を見つけたんですか?本当に?」

 

「うん、流石はクリアだよ。こんなものを1つ目から引き当てるなんて」

 

「ふふ、いえい」

 

 

「……………」

 

 

「……あの、マドカさん?」

 

「なに?またこれもやばいスフィアなの?持ってるだけでヤバい物とか、もうこれ以上要らないんだけど」

 

「いえ、まあ、物凄く珍しい物ではあるんですけど、それ以上に………」

 

「……?」

 

 

 口元に手を当て、何かを考え込んでいるマドカ。その様子からすると、危険な物という訳ではないのだろう。しかしだからこそ、彼女がここまで真剣に悩んでいる内容が分からない。

 それでも彼女は直ぐに答えを出したのか、何かを決めたような仕草をした後、真剣な顔をしてリゼに向き直った。思わずリゼも背筋を伸ばしてしまうくらいに真剣に。

 

 

「あの、リゼさんにお願いがあります」

 

「は、はいっ」

 

「この『魔砲のスフィア』、貸して貰うか、売って貰うことって出来ませんか?」

 

「はえっ!?」

 

 

 それはリゼが想像もしていなかったような言葉、これにはレイナもスズハも驚きを隠せない。あのマドカ・アナスタシアがそこまで言うところなど、これまで見たこともなかったからだ。

 

 

「あの、これってマドカさんがそこまで欲しがる物なんですか……?」

 

「そうですね……私自身が欲しいと言うより、次の遠征でこれがあると、階層主の討伐が非常に楽になるんです。具体的には45階層の階層主を、より短時間で討伐することが出来ます」

 

「よ、45階層って……」

 

「想像もつかないね」

 

「正直あまりお金はないのですが、対価としてお渡し出来るスフィアならあります。勿論、『魔砲のスフィア』と同等に珍しく、且つリゼさん達の使い易い物を用意しますよ」

 

「い、いやいや!そんなことは……えっと……」

 

 

 一瞬、リゼは自分の口から出そうになったその言葉を、思わず飲み込んだ。

 

 これが自分だけの物であるのならまだいい。だがこれは今日一日を犠牲にしてクラン全員で手に入れたものだ。それを自分だけの意思でどうこうすることは間違っている。

 

 ……なんてことをリゼが考えているのは、これだけ付き合いの長くなった者達にはバレバレだった。困っているリゼを他所に、呆れたように、けれどそれが好ましいと言うように、3人は無言で苦笑う。シアンもこれから分かって来るだろう。同じように染まっていくはずだ。

 

 

「好きにしなさいよ、リゼ。別にあげちゃってもいいわ」

 

「え!?い、いやだが……」

 

「むしろ引き取って欲しいくらいです。マドカさんがここまで言うくらい珍しいもの、これ以上要らないですよ。今でさえ管理に困ってるんですから」

 

「し、しかし……」

 

「ん〜?いいんじゃない、また探せば。必要になったら、また出してあげるからさ」

 

「クリア……」

 

 

 そもそも、このクランの目標を考えるに、こんなものは本来悩むことでもない。何せこれこそ、マドカ・アナスタシアの役に立つことであるのだから。

 流石に何でもかんでもホイホイ言うことを聞く訳にはいかないが、これ以上に役割を果たせる案件もそうはあるまい。

 

 

「……というかむしろ、ここで借りを多少でも返しておきたいのよね。アレに助けて貰った以上、口出し出来ない立場なのがやり難くて仕方ないのよ。対価とか言いつつ、同じ☆4のスフィア押し付けられてるし」

 

「まあ散々手を回して貰ってますし、受け取り難いのなら、日頃のお礼も兼ねてって感じで考えて貰えれば良いと思いますよ」

 

「そうでなくとも、こんなもん競売に掛けたら絶対目立つでしょ。下手に使っても注目の的よ」

 

「う〜ん、目立つのは嫌かなぁ……」

 

「………私も、あんまり目立ちたくはない、かな」

 

「と言うのが、クランの総意みたいですが。どうでしょう、クランリーダー?」

 

 

「レイナ……みんな……」

 

 

 なんだか良い話をしているように見えるが、これが決してフリではなく本音なのだから、リゼは本当に気にする必要はない。

 このクランの者達は全員が全員、色々と面倒臭い事情を持っている。だからこそ、こんな珍し過ぎるスフィアを手に入れても苦笑いをしていたのだから。

 

 注目なんて必要ない、大金だって必要ない。

 

 平穏に、普通に、自分達のペースで歩いて行きたい。

 

 そもそも火属性の魔法系スフィアなど、このクランの中にまともに使える人間など居ないのだ。役に立たず、面倒事を持ち込まれるくらいなら、マドカに引き取って貰って、もっと素晴らしいことに役立てて貰った方がよっぽど良い。

 

 

「……ありがとう、本当に」

 

「良いのよ、アンタがリーダーなんだから」

 

 

「マドカ、そういうことだから。これは君に貰って欲しい。お金もスフィアも要らない。私達からの日頃の感謝だと思って貰いたいんだ」

 

「……本当に、良いんですか?」

 

「ああ、構わないよ」

 

「その……遠征で使った後、これをお母さんに渡したいなとかも思ってたりするんですけど。それでもいいんですか?」

 

「あはは、それならむしろその方がいいんじゃないかな。ラフォーレには世話になっているし、今後も(あまり喜ばしくないけど)一緒に戦うことも多くなると思うからね。彼女が強くなることは、私達にとっても良いことさ」

 

 

 

「まあ別にギルド長が死ぬくらいよね?」

 

「簡単に想像出来ますね、それ」

 

「うん、ダンジョンが滅茶苦茶になりそう」

 

 

 裏でボソボソ何か話している3人はさておき、リゼのその言葉に対して、マドカは本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。それはきっとスフィアを貰えることよりも、リゼのその言葉と、それを引き出した仲間達との関係を嬉しく思ったからだ。

 リゼだって嬉しいのだから、それは分かる。本当にこの仲間達が好きだと、改めてそう思った。

 

 

「リゼさん、皆さん、ありがとうございます……ただやっぱりこのまま貰ってしまうのは気が引けるので、少しですが協力させて下さい」

 

「いや、アンタの少しは少しじゃないから嫌なんだけど……」

 

「ま、まあまあ」

 

「ええと……それなら、シアンさんのスフィアを用意するというのはどうでしょう?多分まだスフィア揃ってないですよね?今日はそのために宝箱を探していたんだと思いますし」

 

「あ、それは本当に助かるかもしれません」

 

「……いいの?」

 

「いや、それは本当に助かるよ。シアンは光属性を得意としているんだけど、私達は本当に何1つとして光属性のスフィアを持っていなかったから。実はすごく困っていたんだ」

 

 

 マドカの言う通り、元より今日はそれを探しに来た。

 シアンが持っているのは、彼女が最初に目を覚ましていた時に持っていた『高速のスフィア☆4』だけ。

 どうもそれは彼女が生前から好んで使っていたレアスフィアだったらしく、それだけが前の時から持ち越せた物だと言うのだから。レアなスフィアは要らないが、レア度の低い汎用的なスフィアが欲しい。それこそが自分達が本当に求めていた物。

 

 

「あ、あはは。これだとやっぱり交換みたいになってしまったね」

 

「まあいいんじゃない?この方がスッキリはするでしょ」

 

「ちなみにシアンさんは欲しいスフィアはありますか?」

 

「光斬☆2と速度向上☆2……!」

 

「これ以上速くなってどうすんのよ……」

 

「ま、まあ長所を伸ばすのは、このクランの特徴みたいなところありますし」

 

「ふふ、分かりました。ではその2つをお渡ししておきますね」

 

「そしてサラッと当たり前のように言われた物が鞄から出て来るのも凄いですよね」

 

「あいつ全部のスフィア持ってんじゃないの?」

 

「スフィアの売人でもそこまで持ち歩きませんよ……」

 

 

 そうしてマドカに2つのスフィアを手渡されたシアンは、珍しく目を輝かせてそれを嬉しがっていた。これで彼女が生前に使っていたスフィア構成が出来たのであれば、確かに嬉しいだろう。

 そのまま流れるように抱き付きに行ったところを見ると、単にマドカから貰えたのが嬉しかったのか、はたまた甘えたかっただけなのか。正直そんなシアンが羨ましくも思ったりするものの、流石に今は我慢する。

 

 

「ちなみになんだけど、その魔砲のスフィアってどんな感じなのよ?」

 

「全ての魔力を使用して放つ一撃です。十分な力を持つ魔法使いが使えば、上層の階層主程度なら一撃で倒せます」

 

「つまりロマン砲ってことね」

 

「遠征では私が使うつもりなのですが、多分一番上手く使えるのはお母さんだと思うんです。元々が火属性特化ですし、何よりこのスフィアは魔法に対するセンスと理解度が重要なので。お母さん程の才能を持つ人が極めれば、きっと恐ろしい火力になるのではないかと」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「……あの、リゼさん。これ私達、とんでもないことをやらかしたのではないですか?」

 

「い、いやまさか、そんな……だ、大丈夫さ。きっと、うん」

 

「あーあ……」

 

 

 またエリーナが酷く胃を痛めることを想像しつつ、けれどラフォーレが今以上の力を手にすることの利点を飲み込んで貰うとしよう。彼女の実力をよく知っているリゼ達だからこそ、その有効性は分かっている。

 

 

「あ、そうだ。もしよろしければ今度、この遠征が終わった後にでも、皆さんに紹介したい人が居るんです」

 

「紹介したい人?」

 

「……どうせまた変な奴でしょ」

 

「錬金術師の方でして」

 

「錬金術!?この世界って錬金術あんの!?」

 

「今はもう珍しいんですけどね」

 

 

 なんかそんな気になる話もありつつ、彼等はそのまま共に夕食を取るためにギルドの食堂へと向かって行った。

 

 遠征前のちょっとした一時ではあったものの、やっぱりどうやったところで、このクランの実質的な保護者はマドカとラフォーレなのだろう。

 そういえば最近ラフォーレに会っていないな、とリゼは思ったりしたが、その考えは一瞬で捨てた。なにせ彼女と会う時など、絶対に平和ではないのだから。会いたいと思っているのに会えないのがマドカで、会わなくてもいいのに会ってしまうのがラフォーレ。そんな悲しい図式は、けれど確実に存在した。



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119.合同遠征の始まり

 クラン合同遠征の話が出てから1ヶ月。

 関係者達にとっては長くとも短かったこの期間は、それでも当然のように過ぎ去って行き。ようやくこの日がやって来た。……やって来てしまった。

 

 

「す、すごい人の数ですね……」

 

「あ、ああ。なにせ大手クランの大半が参加している上に、住人や商人達も見送りに来ている……お情けの参加とは言え、流石に緊張するね」

 

「馬鹿言ってんじゃないわよ、そのために今日まで何度もレッドドラゴンを討伐して来たんでしょ。変に緊張せず、ちゃっちゃと終わらせて来なさい」

 

「ちゃっちゃっちゃ〜」

 

「……うん、大丈夫だよ。きっと」

 

 

 今回のクラン合同遠征は、前人未踏(の筈)の50階層突破と、51階層到達を目的とされている。マドカを含めた彼等が挑む未知と困難に比べれば、確かにこれまでもう何度も何度も倒して来たレッドドラゴンを討伐するだけの仕事など、簡単なものだ。

 むしろ11階層に到達してからの方が長いくらい。どうせ暇になるだろうからと、エリーナからは11階層まで資材を運んで休憩所を補修しておけとさえ言われている。本当に難易度的にはその程度の話なのだ。

 

 これが成功すれば、確実に歴史の1ページに刻まれることになる。自分達はオマケであっても、その手伝いが出来る。きっと重要なのはそこ。いつかは自分達が最前線に立つんだぞと、そう言われている。

 

 

「そういえばマドカは……」

 

「マドカ……」

 

「あん?さっき向こうに居たわよ?めっちゃ忙しそうにしてたけど」

 

「まあそうですよね。確実に酷使されてますし」

 

「忙しそうだもんね〜」

 

「うう、マドカの役にたちたい……」

 

「たちたい……」

 

「……なんか。最近マドカさん関係の話になると、リゼさんとシアンさんが全く同じ反応し始めるのがちょっと面白くて」

 

「分かるわ、こっちの方が姉妹みたいよね」

 

「新しいタイプ」

 

 

 そんなことを話していると、中央広場に集まった探索者達の前に、1人の男性が現れた。

 都市最強の探索者であり、此度の遠征において指揮を務める男:レンド・ハルマントンである。

 

 以前にリゼが見た時とは違い、ヘラヘラとした様子はなく、ダボついていた衣服を着ていたダラシのない姿もそこにはない。軽装備ながらも防具を身に付け、万全の装備を整えた彼は紛れもない戦士としての存在感を持っていた。

 

 それこそ彼が現れた瞬間に、探索者達の口が揃って閉じてしまったほどに。彼はそれほどに、今日ばかりは雰囲気が違った。

 

 

 

『……40年だ』

 

 

「?」

 

 

『かつて探索者達が邪龍に立ち向かい、勝利と敗北を同時に味わったあの日から40年。邪龍の討伐と引き換えに、"天域"を含めた多くの探索者達が命を落とし、世界を絶望という名の暗雲が覆った。……俺もまたその暗雲の下で育った1人だ、当時のこの街の空気感を覚えている。あれほどに暗く悲壮感の漂っていたオルテミスを、忘れる筈がない』

 

 

「……」

 

 

 その戦いで命を落としてしまったシアンが俯く。そんな彼女をリゼは引き寄せると、それでもレンドから目逸らすことはしなかった。それは他の者達もそうだ。

 

 

『数百年積み上げて来たものが崩れ落ちた、回帰は不可能だと誰もが悟った。……諦めるのも当然だ、嘆くのも仕方がない。これから少しずつ滅亡へと歩んでいくのだと、頭の良いやつほど分かっていた筈だ』

 

 

「「「………」」」

 

 

 

『……だが少なくとも、俺は諦めなかった』

 

 

 

「「「!!」」」

 

 

『俺は馬鹿野郎だった。育ててくれた親代わりに礼も言えなかったような、そんな頭の悪いクソガキだった。……だが俺はそんな馬鹿野郎だったからこそ、ここまで走って来られた。無茶やらかしても、なんとか生きて来られた。そんなことを続けていたら、何の気の迷いなのか最強なんて称号まで貰っちまった。孤児院育ちのガキンチョが、こんなところに立ってるなんざ自分でも笑っちまう』

 

 

 そこで一瞬、レンドは息を吐く。

 ……思い出しているのだろう、その親代わりを。

 

 けれど彼は直ぐにまた顔を上げる。

 悲しみなど全部飲み込んで、笑って。

 

 

『そんで面白ぇことに、ここには俺と似たような馬鹿野郎共がこんだけアホ面揃えて集まってやがる。……戦力として疑いはねぇ。一番怖ぇのが本物の馬鹿だってことなんざ、他でもない俺達が一番よく知ってる』

 

 

「……はは」

 

 

『いいかお前等。……俺達は今、再び40年前に手を掛けようとしている』

 

 

「!」

 

 

『この50階層到達は、"天域"にさえ出来なかったことだ。数百年かけて出来なかったことを、俺達はたった40年でやろうとしている。……俺は確信している。今ここに居るお前達こそが、何百年遡ろうが間違いなく最強の世代だってな』

 

 

「「「!!」」」

 

 

 レンドが『挑発のスフィア』を発動させる。

 本来、人間相手では効果の薄いそれも、自分の存在を主張するという役割を持つことは出来た。もとより惹きつけられていた探索者達の視線が、更に強まる。それでもレンドが表情を変えることはない。彼は集団を率いる長として、決して引くことはなかった。

 

 

『51階層には間違いなく何かがある、これは確信だ。そして俺はそれを知りたい。……ああ、そうだ。知りてぇ、知りてぇよ、自分の知らねぇことを。知らねぇことばっかの馬鹿野郎でも、無知晒してる愚図野郎でも、何っにも知らなさ過ぎていい加減ムシャクシャしやがる!なんでも知ってるような顔しやがる奴等に戸惑うばかりで、もうそろそろ我慢ならねぇんだ!!』

 

 

「レンドさん……」

 

 

『なあ!!お前達だってそうだろう!!なんで探索者なんかやってる!?自分の知らねぇものがそこにあるからだろ!!知らねぇ世界がそこにあるからだろ!!だから辞められねぇんだ!!階層主ぶっ潰した後に広がる次の世界が!知識でしか知らねぇ新しい階層が!いつだって俺達を待ってやがる!!30なっても!40なっても!!あのワクワク感だけは忘れられねぇ!!』

 

 

「……!!」

 

 

『俺達は探索者だ!!探索してナンボだ!!知ってる世界で満足するような奴等が名乗っていいほど安いモンじゃねぇ!!未知のためならいくらだろうと頭下げてやる!!財産もプライドも必要ねぇ!!どんな手段を使おうが立ち塞がる奴はブチ殺す!!!黒龍だってそうだ!!奴の先に眠る未知を、これからテメェ等に見せてやる!!』

 

 

 思わず、拳を握ってしまう。

 それは周りにいた他の探索者達も同じだった。

 

 探索者をしていたら、誰だってそれを知っているからだ。階層主を倒した後に広がる、広大な次の階層の光景。全く知らない世界、全く知らないモンスター、全く知らない素材や環境。それ等をまた1から新しく学び直して、経験してみて、往々に苦戦をしながらも、それでも少しずつ攻略の糸口を探っていく。

 そんな未知へと挑むその楽しさを、誰もが知っている。あの達成感を、あのワクワク感を、誰もが経験している。

 

 

『クランなんざ関係ねぇ!昨日までの諍いなんざ忘れちまえ!!この遠征中、テメェ等は人間じゃねぇ!探索者だ!!何より未知の攻略に全てを捧げろ!!持ってる全部を絞り尽くせ!!テメェ等の全部を使い潰して!確実に51階層に辿り着く!!』

 

『『『『『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!』』』』』

 

『行くぞ馬鹿野郎共!!気合い入れろよ!?自分を捨てろ!!口も足も使えるモンは全部動かせ!!攻略遠征の始まりだァア!!!』

 

『『『『「『『『『『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』』』』』』』』』』

 

 

 相変わらず空気に流されやすいリゼは周囲と同様に手を掲げて叫んでいたけれど、しかし今日ばかりはレイナ達も声を出していた。

 演説の上手い下手はある、もっと引き締めた形のものをすべきだったと言う人も居るかもしれない。しかし今日ばかりはこれで良かったと、ここに居る探索者達は声を揃えて言うだろう。

 

 探索者なんて馬鹿野郎だ。

 

 馬鹿でもなければ、こんな危険な仕事はしない。

 

 そしてそれを楽しめる馬鹿でもなければ、こんなことは続けていられないのだから。

 

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 

「おっもい」

 

「うぅ……」

 

 

 さて、そんなふうに気合を入れて始まった攻略遠征ではあるものの、リゼは絶賛大荷物を背負って先行していた。

 

 本体の出撃はまだ後であり、リゼ達が先行してレッドドラゴンを倒す。既にワイバーンとワイアームの担当者達は配置に付いており、リゼ達が通る頃には彼等は見事に無力化して手を振ってくれていたが、自分達もまたレッドドラゴンを相手に同じことをしなければならない。

 

 しかしまあ、それ以上に今は荷物が重たかった。

 

 

「11階層の拠点の補修……むしろこれは増築になるのかな。いやまあ大切なことだということは分かるのだけれど」

 

「と、取り敢えず森の中のモンスターはシアンさんにお任せしますね……」

 

「うん、任せて」

 

「リゼ〜、おもた〜い……」

 

「頑張ってくれクリア、間違いなく君の荷物が一番少ないんだ……」

 

 

 資材もそうだが、食料も含めた生活用品もそうだ。これから遠征が終わるまで、暫くは11階層で生活することになっている。そこに加えて緊急用の品も入っていて、ギルドはこの機にダンジョン内の休息設備を刷新する気なのが見え見えであった。

 まあその分のお給料もいただいている案件であるため下手なことも言えないが、それならせめて人員を増やすことくらいはして欲しかったところ。ただでさえ少人数のクランだと言うのに、リゼが6割、レイナが3割、クリアが1割くらいの割合で持っているのだから。単純にリゼは歩くことさえも必死である。

 

 

「それにしても……やっぱりシアンさんが来てくれて本当に助かります……」

 

「そう……?」

 

「ああ、分かるよ。安定感が出るというか」

 

「何より高速戦闘に慣れているのが心強いです。私も少しずつ身につけてはいるんですが、やっぱり慣れるまでもう少し時間がかかりそうで……」

 

「クランの人達に教えて貰ったから……VITがなくても出来る高速戦闘」

 

「……」

 

「……」

 

「それあれなんですかね、必修技能なんですか?」

 

「便利だよ。出来ない人は、出来る人に勝てない」

 

「それはそうなんですけど……ちなみにどういう鍛錬をしたんです?」

 

「この森林地帯で、鬼ごっこしてた」

 

「それだけ……?」

 

「何十回も着地に失敗して、身体壊したけど」

 

「「ひえっ」」

 

「身体で覚えるのが一番早いって、みんな言ってた。でもミライさんだけは怒ってたかな、危ないから駄目って」

 

「……大人しくマドカさんの言う通り、地道にやっていきます」

 

「うん……その方がいいと思うよ、私も」

 

「そっか」

 

 

「……ところでクリア?さっきから妙に静かだけれど」

 

 

「ーーーーー。」

 

 

「クリアさんの意識が!?」

 

「虚弱にも程がある!?」

 

「あ、えっと……私も少し持つね」

 

 

 結局、クリアの持っていた荷物も半分ほど持つことになってしまったリゼ。

 

 ……ちなみにどうやってそんなことを成したのかと言えば、クリアの持っていた『水斬のスフィア☆2』とレイナの持っていた『炎斬のスフィア☆2』を使った。

 この2つのスフィアが持つパッシブスキルとして、『体力が少ないほどSTR上昇(0〜2段)』というものがある。マドカの言っていた通り、パッシブスキルの存在を忘れずに居た自分を本当に褒めたいとリゼは思った。

 

 

 

**************************

 

 

 もちろん、今更レッドドラゴンに苦戦するということはなかった。

 それは当然、それまでも何度も倒して来たために十分に手順、経験があるからであり、今でも正面から何の策もなしに突撃して倒せるほどではない。

 

 ……と、言いたいところであるが。

 

 

「シアンさんが早過ぎて、滅茶苦茶簡単に毒針刺せるんですけど……」

 

「クリアが水弾を撃って、それに隠れてシアンが近付いて毒針を刺したら、後はもう流れで行けてしまうね」

 

「シアン、いえ〜い」

 

「いえ〜い?」

 

 

 パーティメンバーが増えたからこそだろう。それまでクリアが居ても雑な動きをすれば危険であったのが、正直かなり簡単に倒せるようになってしまった。

 もちろん、それはマドカの教えてくれた毒針と、それを刺すべき場所という情報の恩恵が大きい。とは言え、ここまで簡単に倒せるようになるものなのかと、リゼは自分でも普通に驚いてしまった。

 

 

「でもこれなら、レッドドラゴンを鍛錬の相手に使えるね……レッドドラゴンは階層主の中でも最も標準的な龍種と言われている。ここで戦い慣れておいて悪いことはないはずだ」

 

「というか、レッドドラゴンが異様に強かったのも、ここで戦い慣れておくためというのがありそうですよね。……まあ今回は倒さずに拘束して放置してありますけど」

 

「倒したら次のが出てきちゃうからね〜」

 

「……復活しない、よね?」

 

「ああ、マドカにも確認してあるからね。……毒で十分に弱らせた後、両方の翼を切り落として傷口を焼く。可能な限り爪と牙を破壊してから、捕獲用のロープで縛り付け。最後にブレスを封じるための棒と金具を口の中に取り付けたら完成だ」

 

「……何日くらい保つんでしょう?」

 

「衰弱死しないように、定期的に確認しておかないとね。捕獲用の棒とロープは予備のものがまだあるけど、もしもの時のことを考えたら放置は出来ない」

 

「餌、あげる……?」

 

「い、いや、そこまでしなくても大丈夫さ。仮にも龍種、普通に生きていても食事の頻度はそれほど高くないらしいからね」

 

 

 荷物を再び背負いながら、今も動けず唸っている芋虫のようなレッドドラゴンを他所に、11階層へと降りて行く。

 

 ……しかしシアンが入ってくれたことによって、パーティとしての安定感が増したのは事実だ。本当は大楯のようなものを持った防御特化の人間が居ると安心感があると思っていたが、彼女のその速度は下手な防御役よりよっぽど相手の注意を惹きつける。

 持続力がないことだけは欠点だが、彼女の速度はマドカと同等。彼女と同じ高速戦闘も出来るため、ミニマドカと言ってもいい。

 

 

「高速のスフィア☆4、改めて見ても凄まじい性能だね」

 

「本当に、ものすごい速度でした」

 

「うん、これに何度も助けられた」

 

 

 彼女が前の生から持っていたという『高速のスフィア☆4』。これはイメージした経路を高速で移動するという効果がある。

 目視できる範囲内で経路をイメージし、スフィアを発動。すると回避のスフィアや体盾のスフィアのように自身の身体が物理法則を無視して勝手に高速で移動するため、攻撃だけでなく移動にも使えるという優れものだ。

 

 もちろん、敵に衝突するという危険性や、途中で経路変更は出来ないため、単調な線を引くと待ち伏せされてしまうという欠点もある。また☆4のスフィアのため、使用間隔も15分とかなり長い。戦闘中に1度しか使えないと考えてもいい。

 それでも3次元的な移動さえ可能なため、視界の範囲内だけではあるものの、擬似的な飛行さえ可能になる。汎用性は極めて高い。

 

 

「光属性というのが悲しいですね。もう1つあっても私には無用の長物になってしまいそうで」

 

「戦闘中に経路を引くというのも大変なことだ。シアンも慣れるまで大変だったんじゃないかい?」

 

「うん、だから今は慣れた軌道を使ってる。戦闘中に新しく線を引くのは、大変だから……」

 

「なるほど、そういう使い方になるのか……」

 

「でも確かに効率的です」

 

 

 逆に言えばそれは、自分達もその軌道を覚えれば連携が出来るということ。そういう意味でも非常に使い勝手が良い。

 

 

 (……いや、そもそもスフィア自体どれも使い勝手がいい。基本となる『回避のスフィア』だってそうだ。『体盾のスフィア』だって、単に仲間を守るために使うものではなかった)

 

 

 レイナが危機から逃げるために使ったように、マドカが敵に追い打ちをかけるために使ったように。一見すると攻撃や防御のためだけのスフィアでも、その汎用性は多岐に渡る。

 

 

 (『挑発のスフィア』……本来は盾役が敵モンスターを引きつけるために使うスフィア)

 

 

 だがマドカはそれを敵の集中を逸らすために使い、逆に今日はレンドがそれを探索者達の気を引くために使った。

 

 

 (マドカと他の探索者の間にある、実力以外の明確な違い……つまり、スフィアに関する知識量。それもまた極めれば強みになるということだ)

 

 

 これから数日の間、正直に言ってしまえば暇になる。時間だけは沢山ある。その間も鍛錬を欠かすつもりはないが、この機会を使ってその能力を高めるということをしてみるのも良いのかもしれない。

 実際、リゼが戦闘中に現実的に使えるスフィアの数はそれほど多くないし、武器が武器だけに汎用性もない。しかしそこで諦めていては、伸び代が無くなってしまうということも事実だ。元より工夫をしなければ容易く実力の伸びることのない銃士という役割。それをしないという選択肢はない。

 

 

「リゼさん?どうしたんですか?」

 

「いや……すまない、後で相談したいことがあるのだけど良いだろうか。それほど大したことではないから、片付けがひと段落した後でいいのだけど」

 

「!……もう、良いに決まってるじゃないですか。むしろ頼ってくれて嬉しいくらいです」

 

 

 より早く強くなりたいのなら、無駄に出来る時間はない。

 しかし何より重要なのは、自分がパーティで行動していて、パーティメンバーを頼ることが出来るということだ。自分だけでなんでも出来るほど優秀ではないが、だからこそ他人に頼ることが出来る。1分1秒を必死になって切り詰めるよりも、こうして他人と意見を交えたほうがよっぽど効率が良い。……そして何より、楽しい。

 

 リゼの目的は別に最強の探索者になることではないのだから。こういう時間も大切にしていきたい。楽しく笑って話せるような探索者生活を送りたいのだ。

 

 



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120.不思議な男性

○リゼ・フォルテシア

-所持スフィア-

・投影☆1無

・回避☆1水

・炎打☆2炎

・視覚強化☆3無

・炎弾☆1炎

・軽減☆2炎

 

○レイナ・テトルノール

-所持スフィア-

・投影☆1無

・体盾☆2雷

・雷斬☆2雷

・雷斬☆2雷

・回避☆1水

・炎斬☆2炎

・武士☆3雷

 

○スズハ・アマギリ

-所持スフィア-

・生存☆4無

・軽減☆2炎

 

○シアン・アーリア

-所持スフィア-

・高速☆4光

・光斬☆2光

・速度向上☆2無

 

○クリアスター・シングルベリア

-所持スフィア-

・投影☆1無

・水壁☆3水

・水神☆5水

・回避☆1水

・回避☆1水

・水弾☆2水

・水弾☆2水

・水斬☆2水

・盗賊☆3水

 

 

 

 

「……意外と結構、ありますね」

 

「というより、クリアがこれだけ持っていたことに驚いているよ。中身はかなり偏っているみたいだけど」

 

「水属性のスフィアしか出ないから、偏っちゃう」

 

「……光と闇、ないね」

 

「そう言われると、属性の偏りも酷いですね。私の持っている物も大半はカナディアさんから頂いたものですし、実質的に私達が手に入れたいスフィアは殆ど水属性か炎属性なのでは……」

 

「あ、あはは……酷い偶然だ」

 

 

 一先ず荷物を運び終え、持ち込んだ資材などの整頓を行ってから。リゼは早速思い付いた提案をしてみることにした。それ即ち、今持っているスフィアをもう一度把握し直し、そこからまた何か新しいものを見つけてみたいという提案。

 自分の持っているスフィアは分かっていても、他人の持っているスフィアまで見る機会はこうでもしないとなかなか無い。そういうこともあって改めて持っているスフィアをこうして並べてはみたものの……それは本当に、酷い有様だった。

 

 

「ううん……数はあっても、種類が少ない上に汎用的に使えるものは少ないね」

 

「水属性スフィアが一応全員分ありますけど、結局、私もシアンさんも得意属性で殴った方が強いんですよね。敵に強固な耐性があるのなら別ですけど」

 

「水に弱い敵もここから先は少ないからね〜」

 

「シアンはどうだい?何か意見はあるだろうか」

 

「……うーん」

 

 

 元より、汎用性など叶わないというか、必要のないパーティであることは理解している。しかし今回の主題は、それでも可能性を模索することだ。ここで『やっぱり無いですね』と終わるわけにはいかない。

 

 

「『バリアのスフィア☆1』が欲しいかな……」

 

「バリアのスフィア……確か炎属性の魔法系スフィアですよね。汎用性の高いスフィアとは聞いていましたが」

 

「足場に出来るから、探索にも便利。それに上手く使えば、高速戦闘にも使える」

 

「!……なるほど、その使い方がありましたか」

 

「探索用の足場か、確かに今後必要になることも多そうだ。1つは確保しておきたいね」

 

「水属性のバリアないかなぁ……」

 

「クリアさんの"水壁のスフィア"も、私達のパーティの唯一の防御手段なので外せないんですけどね」

 

「防御手段が無さすぎないだろうか、私達のパーティ……」

 

「無い無いとは思ってましたけど、改めてこう見ると考えさせられるものがありますね……」

 

 

 元々課題の1つではあったけれど、レッドドラゴン等の龍種が扱う広範囲ブレスを思うと、その課題はより大きく見える。せめて小さくとも防御手段を増やしたい。

 なんなら属性縛りの無いリゼが弱いINTを無視して無理矢理使っても意味はあるだろう。リゼはステイタス的に前に出ることも出来るのだし……

 

 

「ふむ。そうなると"バリアのスフィア"は☆1だし、最悪購入も検討しようか。今の私達ならそれくらいは買える」

 

「そうですね。スフィアを売るという行為も極力やめましょう。クランを作った以上、今後はメンバー数がどうなるのかも分かりませんし」

 

「全員"回避のスフィア"3つ持ちとか出来るよね。……あ、私は2つか」

 

「極端ですけど、そういうことも出来ますからね。そう考えると、本当にスフィアはいくつあっても良いくらいなんですけど……」

 

「……私が前に持ってたスフィア、何処に行っちゃったんだろう」

 

「今度またレンドさんに聞いてみようか。40年も前のことだし残っている可能性は少ないけど、シアンの知り合いの品なんかはあるかもしれない」

 

「うん……!」

 

 

 ただ、先日の"魔砲のスフィア"の件から分かったこともある。それはつまり、レアリティの高いスフィアは使い勝手が悪いということだ。そればかりを持っていてもどうしようもない。

 特に星の多いスフィアは使用間隔があまりに長く、☆4以上になると戦闘中に1度しか使えない。確かに効果は強いが、戦闘が連続するダンジョン内でこれらを有効的に使うのは難しい。どうやっても対階層主戦で使うのがメインになる。

 

 (……贅沢な悩みだ)

 

 だからと言って、そういうスフィアを売って大量に安いスフィアを仕入れるというのも、なんか違う気がする。こういうことに悩むのも探索者の楽しみの一つであり、優秀になるために必要な経験だ。近道にはなるが、その道で本来得られるはずの経験が得られないのは、正直怖い。リゼがクランのリーダーという立場に居ることもあって、その感覚は尚更にある。仲間達の命を背負っている以上は、なるべく安全を取りたい。

 

 

「なんだか楽しそうですね、リゼさん」

 

「え?ああ……楽しいよ。私はずっとこんな探索者生活を憧れていたんだ。まだまだ先は長いけれど、だからこそワクワクもする。マドカやレンドさん達の居る所に辿り着くには、あと何年掛かるか分からないけどね」

 

「結局、密度ですからね。マドカさんは数年であそこまで辿り着いたと言いますけど、多分あの人は一日中ダンジョンと世界のこと考えてるような人ですし。私達はゆっくり行きましょう。転ばずに走っていける自信はないです」

 

「うーん、それは確かに……」

 

「それに……時々あるラフォーレさんからの無茶振りのためにも、今は地盤を整えた方がいいと思います」

 

「ああ……」

 

「出来ることは確実に、最低限の地力を身に付ける。取り敢えずは基礎を鍛えて、今持っている手札を確実に使えるようにしましょう。『まだこんなことも出来ないのか!』と言われてしまわない様に……」

 

「すごく言われそうだ……よし、じゃあこの機会を利用してみんなで色々と試してみようか」

 

 

 全く課題がない、などということはない。

 むしろ課題だらけである、幸運なことに。

 

 難しいことだと分かってはいるが、せめて次に会った時に彼女に褒められたい。以前のように、努力を認めてほしい。失望されるようなことにはなりたくない。

 

 

「私は一先ず、"武士のスフィア"に慣れることと、フルパワーの"雷散月華"に慣れたいですね。後は高速戦闘、次にマドカさんに会うまでに基礎だけは身に付けておきたいです」

 

「手伝うよ?私も、いろいろ試してみたい」

 

「ありがとうございます、シアンさん」

 

 

「んー、私は……なんだろ?」

 

「クリアは体力付けようか」

 

「えぇ〜……」

 

「というより、それくらいしか不満点ないんですよ。流石にそれなりに戦い慣れてますし、魔法の扱いも上手い。使えるスフィアも水だけですし、そうなると……」

 

「うぅ、仕方ないなぁ……」

 

 

「私は……少し狙撃を調整してみるよ」

 

「え、まだ足りないんですか?」

 

「スナイプ・オクトパスに一方的に勝てるようにならないと」

 

「あれ狙撃するために生まれて来たようなモンスターですけど……」

 

「片手狙撃は出来るんだ、二重狙撃も。ただまだこの銃に指が馴染んでいなくてね、どうも照準までに無駄な動きが多い。せっかくリロードもし易く設計したのに、その長所が活かせていない。完全に私の力量不足だ」

 

「職人かな?」

 

「すごいね。あんなに早いのに、まだ早くなるんだ」

 

「まあ、その辺りはリゼさんに任せます……」

 

「あとは"炎弾のスフィア"と組み合わせてみたい。一応設計上は問題ない筈なんだ。今後は硬いモンスターも増えて来るだろうし、早めに身に付けておかないとね」

 

「応援してますよ」

 

 

 せっかくの機会なのだ。なるべくこの場から動かないようにすることは仕事の内ではあるが、そんな時間さえも無駄には出来ない。とにかく試したい事だらけ。他の冒険者が少ない今を狙って、やりたいことをやるべしだ。

 

 

「あ、そうだリゼ。良かったら水弾で的を作ってあげる」

 

「クリアさんはサボりたいだけでしょう?さあ、私たちと一緒に走りましょうね」

 

「うぁぁ……」

 

 

 

「あ、あはは……」

 

 

 ……うん、やりたいことを。

 

 

 

**************************

 

 

 

「回避!………ぐはぁっ!?」

 

 

「クリアが飛んだ……?」

 

 

「水神のスフィアって回避のスフィアにも影響するんですか!?ちょ、クリアさん!?生きてます!?いや生きてはいるでしょうけど!!」

 

 

 回避のスフィアで後方に吹き飛んでいったクリアを見てアタフタとしているレイナとシアン。けれど取り敢えず頭を打って気絶しただけのクリアも確認して、リゼは苦笑いを溢す。

 

 あれから3日、鍛錬は順調だ。

 

 リゼも弾丸の無駄遣いは出来ないが、3丁の銃の扱いだけはそれなりに慣れて来たと自負している。なにせここ数日、リゼはずっとこの銃達を1人で振り回していた。偶に12階層に行って入口で飛びかかって来るモンスター相手に叩き落としたりもしていたが、水面から跳ねて来るデビルフィッシュがあまりにも鍛錬に丁度いい相手だった。

 

 シアンと一緒に高速戦闘の練習をしているレイナも、手本が目の前に居るからか1人でやっていた時よりも色々と試せているらしい。シアンもそんなレイナに色々と試させてもらっているようだ。

 

 クリアは……まあ、体力など一朝一夕でつくものでもない。本人なりに頑張っているみたいなので、それでいいだろう。色々とスフィアを使えるように試しているようだし。まあそれでも、絶望的な身体能力故にこういう事故も起こすが。取り敢えずは見守る事とする。

 

 

 

 

「ああ、居た。君達、少しいいかな」

 

 

 

「え……?」

 

「っ!?」

 

 

 ふと、背後から声をかけられる。

 

 気付かなかった、この場の誰も。

 

 シアンでさえも。

 

 

「え……?あ、え?」

 

「おや、驚かせてしまったかな。すまない、俺もオルテミスのダンジョンに潜るのは久しぶりなんだ。正直、少し緊張している」

 

「は、はあ……」

 

 

 突然この11階層に現れたその男性は、ダンジョンに潜るには如何にも不相応な背広を着て、そこに居た。

 

 高身長、身なりは良い、顔も酷く整っている。体格も戦士という風貌ではない。年齢は20代後半くらいだろうか。だが当然ながら、この場にいる誰もその男のことを見たことがない。

 

 ……思い返すのは"アルファ"、あの男もこうしてダンジョン内に見合わない服装で飄々と現れた。そして訳の分からないことを言って姿を消した。容姿の良い男ということもあって、よりそれを思い起こさせる。

 

 

「少し聞いてもいいかな」

 

「な、なんでしょう……」

 

「この休憩所は君達が作ったのかい?」

 

「え?ええ、まあ……」

 

「なるほど、なかなか良い出来だ。女性だけのクランが出来たとは聞いていたが、確かに特別扱いはしていないらしい。これを見るに器用な女性が居るのかな」

 

「……器用というより、経験があって。私は山生まれの山育ちと言いますか、家屋の修繕とかもやらされて」

 

「ふむ、となるとやはり重要なのは幼い頃の環境と経験か。孤児院の授業内容に幾つか取り入れてみるかな」

 

「?孤児院……?」

 

 

 そんな如何にも怪しい人物から飛び出した、"孤児院の授業"などという言葉。それを聞いた瞬間に、なんとなくでも警戒が解けてしまったのは、流石に警戒心が幼過ぎるだろうか。その証拠に、未だレイナだけは警戒心を解いていない。

 

 

「ああ、俺が出資している孤児院があってね。そこでは子供達に色々な授業を施して、つまりは人の成長について研究をしている」

 

「……研究というと、あまり良い聞こえではありませんが」

 

「レ、レイナ」

 

「はは、まあそう聞こえても仕方ないか。いや、気にしなくていい。実際、やっていることは変わらない。行く宛のない子供達を集めて、俺の発案をその人生を使って証明して貰っている。彼等が成功しても、失敗しても、20になれば追い出すつもりだ」

 

「…………あれ?意外と普通?」

 

「普通、なんですかね……?」

 

 

 そんな自分とレイナの反応を見て、男は口元に手を当ててクスクスと笑い始める。そうして笑っている姿すらサマになっているが、どうやら自分達は遊ばれていたらしい。

 

 

「いや悪かった、俺もオルテミスには数年ぶりでね。今の探索者達がどんな人格を持っているのか、巷で有名なクラン"星月の海"で見てみたかったんだ」

 

「そ、そうなんですね……」

 

「……ああ、分かりました。この人は多分、スズハさんと同じタイプの人です。つまり敵に回したら駄目です」

 

「そ、そうなのかな……」

 

「俺と似た女性が居るのか、それは興味深いな。……どうにも今のオルテミスには優秀な女性が多い、それも少し過剰な程に。だが中間層は男性の方が多い。その理由も知りたいところだ」

 

「……それは、なんでなんでしょうね?」

 

「さ、さあ。カナディアは『女性の探索者を男性の探索者が庇ってしまう事が多いから』と言ってたけど」

 

「それにしても、今の幹部陣の女性率は明らかに異常だ。偶然として片付けるのは簡単だが、そこに理由を見つけられれば、今後の女性人材の育成に役立つ」

 

「な、なるほど……」

 

「実は逆に連邦の方では女性人材が足りていない。他都市もそれほど多くはない。やはりギルド長が女性なのが大きいのか?いや、それならグリンラルもそうか。となると……」

 

「「………」」

 

 

 なんだか色々と考えているというか、考えることが好きそうな人というか、その性質には親近感もある。ただその真っ黒な髪の下にある蛇のような雰囲気は、それでもやはりこちらに緊張感を抱かせる。

 

 

「……リゼ・フォルテシア。君はマドカ・アナスタシアについてどう思う?」

 

「え?」

 

「彼女の教え子だと聞いた、どう思う?」

 

「……」

 

 

 レイナの警戒心は益々増すばかりだ。

 何せ彼は未だ自分の身元さえも明かしていない、どう考えても怪し過ぎる。しかしそれを尋ねたところで、まともに答えてくれるタイプでもないだろう。

 

 

「えっと……素敵な人?」

 

「……」

 

「マドカのためになりたい、マドカの力になりたい……早くマドカに頼られるようになりたい。本気でそう思っています」

 

「……ああ、いや」

 

「マドカは私の憧れなんです。いつかは私も彼女のようになりたいし、彼女にもっと信頼して貰える存在になりたい。それは確かに驚くほどに優秀な人ではあるけれど、だからこそそんな彼女を、その、1人にしたくないというか……」

 

「……ええと」

 

 

「あーすみません、この人"マドカ信者"なので」

 

「マドカ信者……」

 

「明らかに異常なくらい優秀なマドカさんに、ベロベロに心酔した人達に私が個人的に付けている名称です。特にこちらの方、リゼさんはもう手遅れです。マドカさんの役に立つためだけにクランを設立して、挙げ句の果てに幼体とは言えレイン・クロインまで倒した頭のおかしい人です。極まってますよ」

 

「極まって……そうか、なるほど。面白いな」

 

「頭のおかしい人……」

 

 

 しかしまあ、側から見れば普通に頭のおかしい人である。間違いない。他人の役に立つためだけにクランを立ち上げて、人間を集めて、普通そこまでやろうとも思わないし、実際にやらないだろうに。

 

 

「……いいな、面白い」

 

「え?」

 

「リゼ・フォルテシア、君は今のこの街についてどう思う?」

 

「この街、ですか?」

 

「ああ、君はこの街に来たばかりだと聞いた。全く何も知らない世界からこの街に踏み入れてみて、君はどう思った?何か困った事はなかったか?」

 

「困ったこと……」

 

 

 そう言われてみて、考えてみる。こんなことをどうして聞いてくるのか不思議な話ではあるが、聞かれたからには答えたい。けれど、よくよく考えてみれば。この街に来てから困ったことなんて、そんなの……

 

 

「いっぱいある……」

 

 

 いっぱいあった……

 

 

「クランを自分から作ろうとすると最初の1人が集まらないし、物価が高いから貯金が全然出来ないし、なんか戦いたくもない強化種とか階層主と無理矢理戦わされるし……」

 

「最後のは完全にリゼさんの不運とラフォーレさんのせいですよね」

 

「クランも、普通は下積みを積んでから作るから……」

 

「貯金もクランに入ってれば結構貯まるかな〜、リゼはクラン作るための資金貯めてたからじゃない?」

 

「……あれ?待ってくれ。私もしかして、自分から大変な道を進んでいたのかい?」

 

「う〜ん、今更」

 

「下積み無し、友人無しでクランを作ろうとするのは流石に猛者過ぎると思います」

 

「そ、そうだね……そうだね……そうか……そうだ……」

 

「あ、特に不満は無いそうです」

 

「みんな優しいし、マドカは凄いし、支援もあるし、ラフォーレも厳しいけど指導してくれるし……文句無いです……」

 

 

「はは、それは良かった」

 

 

 改めて自分の選択が如何に大変な道のりに進むものだったのかと思い返してしまい、別に後悔をしている訳ではないが、なんだか妙な脱力感を感じて膝をついてしまったリゼを撫でる。

 レイナは知っている、リゼが色々と苦悩していたことを。特にカナディアからの支援はあったものの、なるべくそれに頼らないように自分の稼いだお金だけで生活を安定させつつ、クラン設営のための貯金を貯めようとしていた。結果それはあまり上手くいかずに泣く泣く支援で受け取ったお金に手を付けてしまっていたけれど、そんな彼女の真面目過ぎるところをレイナは知っている。

 

 

「いや、それが聞けただけで俺は満足した。これからも大変な事は多いと思う、けれどめげる事なく頑張って欲しい」

 

「え?あ、はい」

 

「じゃあ、俺はこれで帰るよ。……またそのうち会える、その時にもこうして和やかに話せるかは分からないけどね」

 

「へ?」

 

「それじゃあ、また」

 

 

 そうして、その男性はまた階段を登って行った。

 結果、名前も何も聞き出すことが出来ずに、どころかその正体さえも明かすことなく。本当にリゼのその言葉を聞きたかっただけのように、帰っていく。

 

 

「……なんだったんでしょう」

 

「……よく分からないけど、多分アルファのような人ではないと思うよ。勘でしかないけど」

 

 

 結局、マドカ達が遠征から帰ってくるまで、リゼ達にそれ以上の出来事が起きることはなかった。あの男性がもう一度こうして目の絵に姿を現すこともなく、ただ平和に時は流れていく。

 

 

 

 ……マドカ達が帰ってくるまで、は。



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121.帰還と混乱

 それは遠征が始まってから2週間が経った頃のこと。

 マドカ達が帰って来ることもなく、地上からの連絡が来ることもなく。通り掛かった探索者達から『ギルドが監査で大変そうだ』などという話を聞きつつ、変わらず鍛錬を続けている。……それは、そんな最中のことだった。

 

 

「リゼさん!!レイナさん!!」

 

 

「は……?」

 

 

「え?……マ、マドカ!?それにカナディアとレンドさんも!?」

 

 

 凄まじい勢いで走って来たのは、大凡10名余りの人々。そしてその人々の顔を、リゼはよく知っている。よく知っている人達の顔ばかりが、そこにはある。

 

 

「な、なんで地上から!?……い、いや、本当に何が!?」

 

「事情は後で説明します!一先ずレイナさんを貸して下さい!!」

 

「わ、私ですか!?」

 

「愚図!!手持ちの物資を全て出せ!!それと赤竜の拘束が緩んでいたぞ!!貴様この3週間を弛んで過ごしていた訳ではないだろうな!!後から直しておけ!!」

 

「は、はぃい!!」

 

 

 軍隊か何かかと思うような勢いで叱られて、慌てて保存していた臨時用の物資を小袋に分けて準備するが、赤竜の拘束が緩んでいたことだけは何の言い訳も出来ないので仕方がない。

 ……それよりも彼等の方だ。ここまで問答無用でレイナを借りたいと言ってきたマドカ、こんな彼女の姿はなかなか見られるものではない。何よりラフォーレでさえも何処か焦っているように見える。

 

 何らかの異常事態が起きた。

 

 それは間違いない。

 

 

「こんの愚図が!食料をそれだけ詰めてどうするつもりだ!!せめて水の比率を増やせ!!人間食わずとも3日は生きれるわ!!」

 

「あ、あぁ!!すまない!!」

 

 

「……チッ、少し聞け」

 

「え……?」

 

 

 手際の悪いリゼの横に立ち、不機嫌そうに顔を歪ませながらも、ラフォーレは怒鳴る様な姿勢から急に態度を変えて、荷物を詰める手伝いをし始める。

 ……レイナと何やら話しているマドカ。しかしリゼに対してはラフォーレがそれを教えてくれるらしい。なんだかそれが自分の師はあくまでラフォーレだと言われているみたいで微妙な気持ちになるが、今はそれはどうでも良くて。

 

 

「54階層にダンジョンの別口が見つかった」

 

 

「なっ!?」

 

「私達はそれを使って地上に帰って来た。それ以外にも幾つか奇妙な部屋を見つけたが、問題は倒した1時間後に50階層に黒龍が復活したことだ。これは通常の階層主であればあり得ない速さだ」

 

「っ……45階層以下には、未だ取り残されてしまった探索者達が多く居る?」

 

「そうだ。黒龍をもう一度倒すより、地上から45階層に向かった方が確実だと判断した。それほどにアレは馬鹿げていた。……ただこの件、お前も何れ無関係では居られなくなる」

 

「?……それは、ダンジョンの別口について?」

 

「違う、お前のスキルについてだ」

 

「スキル……?」

 

 

 リゼより遥かに手早く荷物の準備を終わらせると、そのまま荷物を纏めて肩に担ぐ。相変わらずの無駄を嫌う様子、けれど彼女のそういうところをリゼは尊敬している。

 

 

「今以上に励め。お前達の実力が十分な域に達したと私が判断した時に、そのまま50階層へと連れていく」

 

「!!」

 

「……また情勢が変わる。少なくとも、実力的に頭打ちになっていた私達の問題が解決した。近いうちに探索者間の実力差は今以上に広がることになるだろう。50階層を超えるか超えないか、これが全てを分ける」

 

「っ……私達もこの3週間、何もしていなかった訳じゃない。少なくとも直ぐにでも、青竜には挑める」

 

「そうか、ならばさっさと成果を出せ。私は結果以外を評価することはない」

 

「分かってる、証明してみせる」

 

「ふんっ」

 

 

 詳細はなく、けれど概ねの経緯だけを話してラフォーレはまたマドカの方へと向かった。こちらを見て反応を待っていたレイナにも一つ頷くと、彼女はそのままに彼らの後をついて行くための準備をし始める。彼女も自分の役割を自覚したのだろう。今は何より最速で45階層に辿り着くまでの駒が必要なのだと。

 

 ……正直、レイナの探索者としての使い勝手の良さは誰よりもリゼがよく知っている。最低限の速度が確保されている上に、上級探索者に匹敵する脅威的な火力。何より彼女自身の人間性も、マドカやラフォーレはかなり好意的に見ていた。

 

 

「リゼ」

 

「カナディア……」

 

 

 そうしてリゼとラフォーレの話の内容というか、空気の重さに気付いたからか。声を掛けて来てくれたのはカナディア。彼女もまた他の彼等と同様にボロボロの姿をしているが、彼等をここまで追い詰めた"黒龍"という存在にも恐ろしさを感じてしまう。それはリゼ達も将来的に相対しなければならない相手、身が引き締まる。

 

 

「なに、レイナは必ず無事に返す。心配は要らない」

 

「……いや、そこの心配はしていないよ。ただ、君達の方こそ大丈夫なのかい?怪我はともかく、顔色も悪そうだ」

 

「正直、限界だ。結局50階層の黒龍戦ではマドカを含めた予備戦力も出さざるを得なかったし、十分な休息も取れていない。……だがそれ以上に、早急に46階層に置いて来てしまった者達を連れて帰らねばならない。彼等を失うのは全てにおいて痛過ぎる」

 

「……分かった、でも気を付けてくれ。ここまで来ると何かこう、あまり良い雰囲気ではなさそうだ」

 

「ああ、それは私も感じている。……だが恐らく、戦力的な問題はもう何もない」

 

「?」

 

 

 そう言いつつ、カナディアが見つめる先に居るのは先程までリゼと話していた筈のラフォーレの後姿。普段と変わらず、纏めた荷物をマドカに渡しているその姿に、奇妙なところは何処にもない。

 

 

 (……あれ)

 

 

 けれど、気付く。彼女が何か変わったのではなく、彼女を見る周りの目が何処か変わっていることに。それはカナディアでさえも同様であり、他の者達も若干の畏怖のようなものをその目に纏わせていた。

 

 

「端的に言えば、"都市最強魔導士"はラフォーレになった」

 

「え……?」

 

「もっと言えば、"都市最強探索者"の称号さえも、今後アイツのものになるかもしれん」

 

「はっ!?」

 

「今回の一件で、恐らく最も強く恩恵を受けたのはラフォーレだ。状況ゆえに試さなかったが、黒龍に対しても単独で有効な攻撃が出来るようになった。……魔砲のスフィアは、お前達がマドカに提供したそうだな」

 

「……まさか、アレのせいで?」

 

「いや、アレも含めた複合的な理由でだ。だがそれ故に、戦力的な問題は殆ど存在しない。……一応だが、この話はお前の中にだけ留めておいてくれ。意外だろうが"都市最強"の座は名前以上に影響力が強くてな、それを脅かされる可能性を表に出すだけでも面倒事が起きる」

 

「……うん、そうしておくよ。また手伝えそうなことがあれば教えて欲しい。私なんかの力で出来ることなら、だけど」

 

「何を言う、もう何度もお前には手伝って貰っているだろう。今後も期待している」

 

「!……ああ!」

 

 

 そんな驚愕すべき話をしながら、背中を向けた彼等を見送った。レイナとも手を振り合いながら別れたが、彼女の無事を心配はしていない。ここのように30階層までは階層主を縛り付けているし、それ以降も彼等ならば容易く倒すことが出来るだろうから。それに35階層以降も、彼等ならば問題あるまい。

 

 

 

「……じゃあ取り敢えず、あと数日はここで待機かな。シアン、クリア、3人でもう少し待っていようか」

 

「うん」

 

「いえす。レイナも大変だなぁ」

 

「じゃあクリア、体力作り手伝うよ。ほら、立って立って」

 

「うへぇ」

 

「……リゼ、赤竜の拘束は直さなくていい?」

 

「……あ!!忘れてた!!」

 

 

 危うく再びラフォーレにしばかれる理由を作りそうになってしまったものの、取り敢えず今直ぐに自分達の何かが変わる訳でもない。きっと目に見えて色々と変化し始めるのは、間違いなく彼等が46階層から帰って来た後のことだろう。

 

 

 

 

**************************

 

 

 

 攻略遠征は終わった。

 ただ参加させて貰っただけの下級クランの人間にとっては、本当にただ待っていただけのようにしか思えないけれど。結局はじまりもおわりも、荷物を持って道を歩いていただけで、どちらかと言えばダンジョンに篭って自分達を見直していたという感覚の方が正しいくらい。

 

 

「なっ、51階層以降はダンジョンじゃなかった……!?」

 

「ええ、そうなんです……暫くはどうやっても、この街は騒がしくなること間違いないと思います」

 

「そ、そんなことが……」

 

 

 ダンジョンからは帰って直ぐに、騒々しく走り回りはじめたマドカ達を他所にしながら、リゼはこうしてセルフィに呼び出されて会議室の一室に招かれていた。

 クリアやレイナ達は取り敢えず自分達の部屋に戻り、今は色々な片付けをしている。それは他の探索者達も同じだ。その中でもこうしてセルフィがリゼにだけ声を掛けてくれたのは、決して個人的な思いで特別扱いをしているからではない。

 

 

「まず51階層についてなんですけど、"石碑の部屋"と呼ぶことにしています。これは文字通り、その小部屋の壁面には色々な絵が彫られていたからです」

 

「それは……かなり大きなことなんじゃないかい?ダンジョンが人工の物であるという事実にも繋がるし、歴史的な価値も高そうだ」

 

「はい、なのでこれに描かれていた内容については特に口外を禁じられています。……ただ、そのですね」

 

「?」

 

「そこに描かれていた内容が、何と言いますか……ちょっと、衝撃的過ぎまして。レンドさんを含めた一部の暦の長い方々が相当なショックを受けているんです」

 

「……そこまでのことなのかい?」

 

「はい、正直私も驚いています。カナディア様も平静を装っては居ますが、間違いなく暫くは51階層から出て来ないんじゃないかなって」

 

「……なる、ほど」

 

 

 つまりは、ダンジョン内で初めて歴史的な遺物が見つかったという話。そしてそれは"神が作った遺跡"という見方によって多くの不可思議を飲み込まれていたというのに、そうもいかなくなったという話にもなる。

 正直リゼとしても相当に気になる話だ。まあこれも50階層に行けるようにならなければ、カナディア達が将来的に発する情報を待つしかないというような話なのだが。

 

 

「次に52階層です。ここでは黒龍が落とした『器』というものを使うことで、自分の秘石を強化することが出来ました」

 

「……は?秘石を強化?」

 

「はい。具体的に言えば、3つ目のスキルの解放です」

 

「!?」

 

「その場で新たなスキルに目覚めた人は殆ど居なかったんですけど、実際にマドカさんは3つ目が浮かんでいました。これが50階層を超えた際に共通して得る事の出来る利点になると思います」

 

「……なるほど、ラフォーレが言っていたのはそれだったのか?」

 

 

 通常2つしか持つことを許されないスキルというものは、それ1つでさえ効果によって探索者達のスタイルを大きく変える。これで1つ当たりを引けるだけでやれることは増えるし、なんなら生きていくことも可能になる。"主従の花"のユイ辺りがそれに当てはまるだろう。

 これに3つ目を抽選する機会が得られるとなれば、それだけで探索者達はやる気を出す筈だ。それほどにスキルというものは大きい。人の人生を容易く変える。正しく50階層を超えるかどうかで、探索者としての価値は2分されることだろう。探索者間の格差はより大きなものになる。

 

 

「次に53階層なんですけど……多分、これがリゼさんにとっては一番大きな意味を持つと思います」

 

「ん?というと?」

 

「特定のスキルを変えることが出来たと言いますか……というより、特定のスキル群に何かしらの共通意味が見つかったと言いますか」

 

「スキルを、変える……?」

 

「そうですね、これは私のスキルを見せた方が早いと思います。もうリゼさんに隠すような意味もありませんし」

 

「あ、ありがとう。私のも一応見せるよ」

 

「すみません、お気遣い頂いて」

 

 

 自分のステイタスというものは、それこそ先ほどのスキルの話のように、人生を左右している。つまりは他者に容易く教えるものでもないし、教えていいものではない。それを教えて貰えるというのは光栄なことであり、確かな信頼関係がなければあり得ないものだ。

 故にリゼも変わりに自分のものを見せる。これはマナーと言っても良いだろう。

 

 

――――――――――――――――――――――――

セルフィ・ノルシア 32歳

Lv.43 30+42

STR:E+9

INT:B+18

SPD:D-10

POW:B+18

VIT:E8

LUK:E+9

『魔乱の美』…3つまで魔法を蓄える事が出来る。スフィア変更後も持続可能。

『属性変換』…INTを3段階下げる事で、次の魔法の属性を変更できる。

――――――――――――――――――――――――

 

 

「おお、凄いスキル構成だ……これは本当に、魔法という面においては殆ど万能に近いね」

 

「あ、あはは……あ、年齢には触れないで下さいね。一応エルフ的には2で割るくらいが適正なので」

 

「大丈夫だよ、それくらいの常識はあるさ」

 

 

 通常の人類の約2倍近い寿命のあるエルフにとって、年齢は基本的に1/2をして見るという常識についてはさておき。このスキル構成はなるほど確かに優秀である。魔法を蓄える事ができる上に、威力を下げて属性を咄嗟に変える事も出来る。ステータスの傾向も完全に魔法方面に偏っており、魔法使いとしてあまりに優秀だ。

 特にこの年齢でLv.43に到達しているだけでなく、幹部として既に働いているというのは大きい。"聖の丘"としては間違いなく次の団長として推していく気なのだろう。彼女にはそれだけの器があると、リゼも思う。

 

 

「それで、スキルを変えるというのは……?」

 

「はい、私の場合この『魔乱の美』というスキルをその部屋では変える事が出来ました。変えた後のスキルがこれになります」

 

 

――――――――――――――――――――――――

『醜悪な魔』…スフィアが6つまで装備可能になるが、稀にスフィアがランダムで勝手に発動する。

――――――――――――――――――――――――

 

 

「スフィアを6つ!?こ、これはまた、なんというか……」

 

「スフィアが6つというか、簡単に言えば秘石を2つ持つ事が出来るようになったんです。ただスフィアを使っていると、勝手に発動していない筈のスフィアまで発動することもあって。便利ではあったんですけど危険だったので、一先ずは以前の『魔乱の美』に戻すことにしました」

 

「戻すことも出来るんだね」

 

「はい。そしてこの変えられるスキルについてなのですが、共通して『○○の○』というようなスキル名を持ったものになります。まあ今のところの共通点ではあるのですが」

 

「……それって」

 

 

 リゼにもそれは、心当たりがある。

 何故ならリゼだって、同じようなスキルを持っている。むしろそれこそが自分にとっての特徴というか、それがなければ自分の今の戦闘スタイルを確立出来ていないほど重要な核を担っている、そのスキルを。

 

―――――――――――――――――――――――― 

【星の王冠】…精神力と引き換えに意識・思考・認識能力を高速化する。

――――――――――――――――――――――――

 

 

「つまり、私もその部屋に行けば……」

 

「はい、恐らく変えられると思います」

 

「変えた後のスキルは、どういうものが多いんだい?」

 

「基本的には私のように各人の中でも重要なスキルになっている場合が多くて、変えた後のものはデメリットがありつつも強力なものが多かったです。ただ今の立場もありますので、実際に変えたまま帰って来たのはラフォーレさんだけだったんですけど」

 

「……そうか、ラフォーレはそれで」

 

「はい……どのスキルも確実に戦闘面では優秀でしたが、逆に連携には難しそうなものばかりだったんです。つまり戦闘スタイル的にもラフォーレさんがそれを受け入れられるのは当然なんですよね」

 

「なるほど、それはまあ……」

 

 

 確かに、セルフィが採用を遠慮した『醜悪な魔』であったとしても、怖いのは誤爆だけ。つまりは回復魔法や支援魔法を一切使わないのなら話は別。全てを攻撃系の魔法スフィアにしておけば、誤射はむしろ追加攻撃になる。固定砲台として使うのなら、何の問題もないだろう。

 ……仮にこの『醜悪な魔』がラフォーレに発現していても、彼女は採用していただろう。それがより彼女に寄り添うようなものなら、それは余計に。だがセルフィにはそれは出来ない。彼女は幹部として大勢を纏める立場にあるのだから、何より支援を求められる。

 

 

「今これに該当しているのは、今回50階層に辿り着いたメンバー以外だと、"主従の花"のユイさんと、"英雄"アタラクシアさん、それとリゼさんくらいだと思います」

 

「ユイとアタラクシアか……どちらも変化後が気になる人物達だ」

 

「今回50階層に辿り着いたメンバーの中でも、該当者は私とカナディア様、レンドさん、ラフォーレさん、アルカさん、サイさん、アクアさんと、主戦力ばかりだったので。強力なスキルである理由でもあったのかなと」

 

「……あれ?マドカは該当してなかったのかい?」

 

「ええ、マドカさんは何も」

 

「……そういうこともあるのか」

 

「そ、そうなんでもかんでも当てはまる訳じゃないですよ」

 

「そ、それはまあね」

 

 

 確かに、自分の持っているこのスキルはそれなりに強い方だという自覚はあった。恵まれたと言っても良いだろう。しかしなんならクリアのスキルだって完全に特殊な部類だし、レイナのスキルだって非常に強力なものだ。もしかしたらスキルというものには、そういう特殊な群分けが出来る共通点があるのかもしれない。

 

 

「そういえば、54階層には何が?」

 

「あ、そうでした。54階層には地上に繋がる割れ目があったんです」

 

「割れ目……?」

 

「"空間の歪み"ってマドカさんは言ってました。どうやら特定の条件を持った人間だけが、それを利用して地上との行き来が出来るようになるみたいでして。当たり前のように未知の技術です」

 

「……それはつまり」

 

「はい、50階層の突破。それを成した人でなければ、その歪みを利用することは出来ませんでした」

 

「空間の歪みとは……またとんでもない話が」

 

「空間に干渉する龍種も最近観測されましたし、今後その辺りの利用方法も模索されるかもしれません」

 

「ちなみに55階層には?」

 

「階層主が居ました。55階層以降はまた普通のダンジョンが続いているのではないかと」

 

「そうか……」

 

 

 まだまだわからないダンジョンのこと。そしてどう考えてもキリよく100階層あたりまで続いていそうなその雰囲気。数100年をかけて未だ半分に辿り着いたところと考えると気の遠くなるような話ではあるが、これは間違いなく歴史的な快挙であったと言えるだろう。

 世界はまた走り始める。自分達もついて行かなければならない。振り落とされることなく、追い付くほどの勢いで。



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122.あっちもこっちも

「と言う訳で!ブルードラゴンを討伐したい!!」

 

 

「おお〜」

 

 

 久しぶりの我が家、少々手狭になって来た我が家。膝の上でゴロゴロとしているシアンを撫でながら、リーダーたるリゼは言い切った。

 

 

「その前に、キャラタクト・ホエールは?」

 

「それは嫌だ!!」

 

「決心が雑魚過ぎる」

 

「リゼさんの危険種嫌いがまた……」

 

「でも、14階層調べないといけないんだし、いつかは倒さないといけないんだよねぇ」

 

「うぐっ」

 

 

 11〜14階層に広がる水源地帯の主である危険種キャラタクト・ホエール。超巨大モンスターであるその寝床を調べる事こそが、スフィアの売人デルタから依頼されたことである。偶然に見つけたその通路をギルドに報告し、広めてほしいと。本当にそれだけの依頼とは言え、危険種の寝床に潜り込むというのはあまりにも恐ろしい。特に今回の危険種は明確に次の階層主より強いと言われているのだし……

 

 

「……ま、いいわ。順当に行くなら先に倒すべきは階層主の方だもの。それに一応調べてはあるわ」

 

「流石スズハ!!助かるよ!!」

 

「生態としては本当にただの水竜ね、なんなら私も含めて戦わされたレイン・クロインの方がよっぽど強いくらい」

 

「まあ、あれは……」

 

「レイナは見て来たんでしょ?どうだったの?」

 

「まあ、縛られてるところだけでしたけど……正直、あんまり驚異には思えませんでした。鱗もありましたけど、レイン・クロインを見た後だと……」

 

「ちなみにこの竜、雷属性にめちゃめちゃ弱いみたい。レイナの雷を水面に叩き付けるだけで相当なダメージを与えられるはずよ」

 

「おお……!!」

 

 

 それは素晴らしいことである。漸く戦いやすい相手と戦うことができるのだ。これは今回そこそこ楽勝なのでは?……一瞬でもそう思ってしまったリゼに、スズハは睨みを効かせる。

 

 

「ちなみに、事故率はNo.1」

 

「え……?」

 

「この水竜は狡猾でね、攻撃の時にしか浮上して来ない。しかも隙を見つければ直ぐ様に超威力の水流で切り裂いてくる」

 

「……水流、ですか」

 

「水流は2種類。狙撃と切断。特に狙撃については水の中からでもしてくるわ、多少威力は落ちるみたいだけど」

 

「うわぁ……」

 

「この水流で過去に何人もの期待の新人が撃ち抜かれてるわ。調子に乗りはじめた奴等を殺すにはうってつけね」

 

「す、すまなかった……」

 

 

 とは言え、水流自体はレイン・クロインも使っていた。威力もそちらの方が強い。つまり全体的に彼の竜の劣化版と言っていいとは確かなのだ。正直そこまで苦戦するような相手ではない。……まあ、そんな意気込みのままにリゼは以前にワイアームにボロ負けしたのだが。

 

 

「ちなみに、他の方々はどんな風に倒してるんですか?」

 

「水の中に毒を投げ入れたり、雷属性を流し込んだり、そうして無理矢理に浮上させてから叩くのが一般的ね。今のレイナなら一発で気絶させられたりして」

 

「偶にはそれくらい簡単にいって欲しいですねぇ」

 

「まあ正直、今回は完全にレイナにとってボーナスステージだから。レイナとシアンで敵を浮上させて、リゼがズドン。これでイケるわ」

 

「私は〜?」

 

「踊って応援でもしてなさい」

 

「よぉし仕方ない、頑張って踊るかぁ」

 

 

 手渡された桃色のポンポンを手にモタモタと踊り始めたクリアに苦笑いを向けつつ、リゼは改めて思考する。

 話を聞いている限りだと、今回苦戦するのは階層主ではなく危険種の方なのだろう。これもまたレッドドラゴンが最大の関門と言われている所以なのかもしれない。危険種など無視していれば素通り出来るのだし、本来ならこのまま何事もなく16階層まで進むことが出来る。

 

 

「……ちなみに、キャラタクト・ホエールの方の情報は」

 

「ん?そうね……14階層に鎮座する超巨大モンスターで、毎日21時に起きて3時に寝る生活をしているわ。起きて直ぐに周囲の全てを飲み込む勢いで食事をしていて、基本戦闘をすると階層そのものがボロボロになるみたいね」

 

「規模が……規模がおかしい……」

 

「必殺技は吸い込んだ大量の水を一斉に放出する横向き大瀑布。ある程度しっかりとしたVITがないと水圧で粉々になるらしいわ。あと単純に押し潰されても当然死ぬ」

 

「……戦いたくない」

 

「タフ過ぎてラフォーレ・アナスタシアも滅多に殺さないみたいね。ギルドとしても討伐は推奨してない。どの上級探索者も好きで戦おうとはしないわ」

 

「なんでそんな怪物の寝床に忍び込まないといけないんですか……」

 

「まあ上手く行けば大丈夫でしょ、上手く行けば」

 

「それで上手く行った試しがないんだが……」

 

 

 定期的にこれに挑みに行く馬鹿は出て来るが、基本生きて帰って来るのは稀である。彼のモンスターが眠っている間に通り抜ける、それこそが定石。

 

 

「ちなみに過去にキャラタクト・ホエールが暴れた影響でダンジョンの床が抜けて、ブルードラゴンと邂逅したことがあるみたいよ」

 

「ダンジョン間の床ってそんなに脆くない筈なんだけれど……それで、どうなったんだい?」

 

「一方的にブルードラゴンが食い殺されて、キャラタクト・ホエールが強化種になった。"青葉の集い"のシセイ・セントルフィを中心としたパーティがこれを葬ってるわ」

 

「クランじゃなくてパーティで処理したのか……」

 

「シセイさん凄い……」

 

「うーん、お爺ちゃん流石だなぁ」

 

 

 過去を掘れば誰かの武勇伝が出て来るもの、それこそがこの探索者と言う職の楽しいところでもある。意外な人物が意外なところで活躍している、そんな話がここには溢れている。その中の一つにいつか自分もなることになるのだろうが、それを実感することになるのはいつになるだろうか。もしかすれば既に名前が残っていることもあるかもしれないが……

 

 

「ま、基本レイナが中心になるのは間違いないわ。逆に次の階層からは活躍し難くなるんだし、ここらで一発かまして来なさいな」

 

「そうですね、頑張ります!」

 

「クリアは次の階層から頑張りなさい」

 

「いえい」

 

「シアンはもう少し先までは全然余裕よ」

 

「うん、ホーリードラゴンは無理だよ」

 

「リゼは休める時ないから」

 

「うん……分かってるヨ……」

 

 

 まあ、まあ、気にしない……むしろそんな日が来ることの方が困るし、もっと強くならないといけないし、危険種と戦うのだって別に全然怖くなんか……なんなら今直ぐにでも戦いに行ったって構わないとも。流石にダンジョンから帰って来たばかりの今日にそれをすることなんて絶対にあり得ないけど……

 

 

 

 

「おい貴様等!!支度をしろ!!キャラタクト・ホエールを殺しに行くぞ!!」

 

 

 

 

「「「ギャァァアアア!!!!!!」」」

 

 

扉が吹き飛んだ。

 

 

「で、出たぁぁあ!?!?」

 

「鬼……!悪魔……!!」

 

「いきなり過ぎんでしょ!!」

 

「ラ、ラフォーレ!?なんで!?なんでキャラタクト・ホエール!?先にブルードラゴン!!ブルードラゴン!!」

 

 

「訳の分からないことをガタガタ抜かすな!!今更ブルードラゴン程度が貴様等の腹の足しになるか!!奴は今夜中にブチ殺す!!さっさと立て!!また蹴り飛ばされたいか!!」

 

 

「ひぃぃいん………!!」

 

 

 しかし、悲しいかな。

 リゼ・フォルテシアの本当のお師匠様は、そんなに優しい人間ではなかった。『早速明日ブルードラゴンに挑戦してみよう』程度でも許されない。『今直ぐにキャラタクト・ホエールに挑みに行く』を強制してくる悪魔である。

 

 

 そうしてリゼ達は本日2度目のダンジョン探索に赴くことになった。

 

 断れる訳があるまい。彼女だってこうして遠征から帰って来たばかりなのに自分達に付き合ってくれているのだから。その行為を無碍になど出来るはずもない。

 

 

 

 ……などというのは完全にリゼの勘違いであり、実際のところはラフォーレも自身の手に入れた新しい力を試しに行きたいだけであり、そのついでに彼等は連れられただけだったりするのだが……それはまた後の話。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ざっけんじゃねぇ!!!」

 

 

 バァァンッ!!と、大きな音を立ててその場に立ち上がったレンドを見て。都市最強を誇る経験とステータスを保持する人間の圧を正面から向けられて。けれど彼は決して表情を変えることはなかったし、それに恐怖さえしていなかった。

 集まる視線は嫌悪ばかり、そんな最中でも太々しく腕を組んでいる態度には、隣に立つエリーナでさえ何とも言えない顔をするしかない。

 

 

「理由なんざどうだっていい!!エリーナを今ギルド長から外す意味が分かってんのかテメェ!?これから否が応でもオルテミスは混乱すんだ!!そこにギルド長の交代って……あり得ねえだろ!!」

 

「レンドさん……」

 

「逆に聞くが、今この状況だからこそエリーナ・アポストロフィをギルド長から外すべきだとは思わないだろうか?都市最強」

 

「何ぃ……?」

 

「そもそも前提として、エリーナ・アポストロフィにギルドを治めるに相応しい執行能力はない。それ故に違反ギリギリの行為を繰り返し、結果として彼女はこちらが多少譲歩したところで"ギルド長補佐"まで降格させざるを得ない状況に陥った。……つまり、これまでが間違った状態だったということだ。それを正すことの何に問題がある」

 

「問題大アリに決まってんだろ!!エリーナだからこそ言うこと聞いてた連中も居たんだ!!ポッと出のギルド長の言うこと聞くような奴なんざ商業連中にも居やしねぇ!!それもテメェみたいな胡散臭い男の言うことなんか誰が聞くか!!」

 

「酷い言いようだが、そもそもギルドは公的組織。その人事に対して探索者が口を出すことは不可能だ。これは連邦としての決定であり、覆すことは出来ない。否定するより適応して貰いたいものだ。真にオルテミスのことを考えるのであれば、それが最善ではないだろうか」

 

「っ……ふざけんじゃねぇ、俺は認めねぇ。こんだけ馬鹿げた情報が手に入って、これからそれを公表しなきゃならねぇんだ。そんな状況をエリーナ以外に纏められるかよ、冗談も休み休み言いやがれ!」

 

 

 一瞬だけ冷静になったレンドの言い放ったその言葉に、きっとその場に居た何人かも共感したのだろう。少なくともこの場に居た者達は今回手に入ったその情報の内容を知っているし、その重大さも知っていた。

 各方面の人間から強い信頼を得ているエリーナをギルド長から下ろした状態でその情報を公表することなど、絶対に出来ないと誰もが分かっていた。故にその男の横暴な態度も相まって、レンドが部屋から出ていくのを追って彼等も部屋から姿を消していく。

 

 そうして残ったのは、僅か数人。

 

 事情を知っている者、知らなくても分かっている者、何も知らないけど恐らく問題ないと分かっている者。それくらい。

 

 

 

「ど、どど……どうするんだ新ギルド長ぉ!!あの様子ではレンド達は絶対に認めないだろう!!何か策はあるのか!?」

 

「……ねぇ、当人が一番役割を外されたこと受け入れてるのもどうなのよ」

 

「誰が好き好んでオルテミスのギルド長なんてやるものか!!変わって貰えるのなら変わって欲しい!!私は常々そう連邦に伝えていたんだぞ!!」

 

「こんなことだろうと思ったが……」

 

「ネーナさんもエルザさんも目の下が……」

 

「……ねえ、もう監査は終わったんだけどぉ?いつになったら連邦に帰れるのかしらぁ?」

 

「私そもそもギルド職員でもなんでもないんだけど?いつまで付き合わされればいいわけ?そろそろ探索者に戻らせてくれてもいいんじゃない?」

 

「あ、あはは……」

 

 

 ギルド内部は現在、まさに地獄絵図。

 そしてそれはギルド長どころか監査官さえ同じ。

 なんならそう、こうして太々しい男さえ……

 

 

「あの……リロイズさんも、大丈夫ですか……?」

 

「ああ、問題ないよ。マドカさん」

 

「指震えてますけど……」

 

「……腱鞘炎が酷くてね」

 

「治療魔法使いますね、多少マシになると思います」

 

「助かるよ、本当に」

 

 

 リロイズ・セルガ。

 今回の監査において連邦から派遣されて来た監査官であり、同時にこのオルテミスの新たなギルド長として任命された、若くして非常に優秀な青年である。そしてそんな彼もまた、色々と持病を患っていた。しかしそれも仕方がない、彼は常に激務と戦い続けているのだから。

 

 

「それにしても、マドカはともかくカナディアまで残ってくれるとは思わなかったな。流石に今回ばかりは反対するかと思ったが」

 

「私はマドカが残ったから残っただけだ。まあマドカの表情を見て、何かしらの理由があるのだとは予想していたが……」

 

「このマドコンめ……」

 

「……なるほど、彼女もマドカ信者なんだね」

 

「?」

 

「レイナという少女が言っていた。マドカ・アナスタシアに熱心な人々を彼女はそう呼んでいるらしい」

 

「ああ、なるほど」

 

「し、信者だなんてそんな……」

 

 

 まあ実際その筆頭というか古株がカナディアであるのだから、何も間違ってはいないのだけれど。実際この件についても何より先にマドカの表情に気が付いて、諸々の理由は頭の中にあったのに、その全てを捨てて彼女はマドカを待っていた訳で。

 

 

「それで?実際のところはどうなっているんだ?」

 

「エリーナの力不足」

 

「よくもまあオルテミスのギルド長なんてやってられたわねぇ、このザマでぇ」

 

「……少なくとも、これだけの異常事態を処理出来るほどの能力が今の彼女には本当にない。身内の不足故にあまり表立っては言えないが」

 

 

「……と言われているが、当人の意見は?」

 

 

「無理だ、絶対に破綻する」

 

 

「は、恥ずかしげもなく……」

 

「だって無理だ!絶対に無理だ!!50階層の先に人工物があって!?ダンジョンの真相が描かれていて!?しかも過去に踏破された形跡があっただけでなく!?3つ目のスキルが発現する!?それも一部のスキルは変えられるだと!?こんなものどう処理すればいいんだ!!」

 

「……まあ、それはな」

 

 

 元よりエリーナはそれほど事務仕事が得意な訳ではないし、殆どの仕事を優秀な部下の協力もあって何とかこなしていた形だ。彼女に求められていたのは何より人望と信頼であって、ギルドの方針にもマドカやレンドを含めた探索者達が密かに口添えしていたからこそ、上手く回っていたところがある。

 そんな彼女の元に舞い込んで来た、こんな大事。混乱するのは当然で、最早どうしたらいいのかも分からない。元より自分はギルド長になんか向いていないと思っていたのだが。自分より優秀な人間に任せられるのなら、これ以上のことはない。

 

 

「だが実際のところ、この状況でギルド長が変わるというのは確かに好ましくはない。その点においてはレンド・ハルマントンの言い分は正しい」

 

「良かったわね。もう10年はギルド長から逃げられそうにないわよ、エリーナ」

 

「嫌だぁあ!!」

 

「つまりリロイズさんは、何か考えがあって一時的にギルド長を引き受けているということですね」

 

「ああ、そうだ。俺に権力欲は無いからね、君なら分かるだろう?マドカさん」

 

「ええ、分かりますよ。リロイズさんは本当に世界の未来を思って行動している人ですからね、アタラクシアさん達と同じで」

 

「はは、彼女達と同列にされるのは少し恐縮かな。俺はただ、今より少しでもマシな未来を作りたいだけさ。……せめて、今を生きる子供達が大人になった時に、俺達なんかより明日に希望を感じられるような世界にしておきたい。そう思っているだけさ」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「お前より若い彼がこんなことを言っているが、お前は恥ずかしくないのかエリーナ」

 

「うぐっ」

 

「リロイズさんは孤児院も経営しているんですよね。様子はどうですか?」

 

「お陰様で順調だよ。マドカさんに贈って貰った本も喜んでいた。それに先日、年長の3人が遂に独り立ちしてね。連邦職員の試験にも合格したんだ」

 

「それは凄い!おめでとうございます!」

 

「ありがとう、俺も嬉しかった。まさか部下になるとは思わなかったからね、正直かなり驚かされた」

 

「……お前は本当に恥ずかしくないのか、エリーナ」

 

「うぅ、分かってるよぅ……」

 

 

 元よりマドカとリロイズに面識があったのは知っていたものの、何故か妙に仲が良さそうな雰囲気があるなと思っていたが、どうもこのリロイズという男も彼等と同類の人間らしい。

 マドカやアタラクシアほどイっちゃってる訳ではないが、世界の将来のため、もっと言えば今を生きる子供達の未来のために、全身全霊をかけている。連邦職員という立場で、自分に出来ることをやっている。そんな彼なのだから、なるほど監査官としての立ち位置は相応しいのだろう。確実に賄賂なんか受け付けないだろうし、何よりそういう人間を絶対に許さない。

 

 

「一先ず、1月以内に現在のギルド運営で障害になっている規則を全て変えようと思う。その間に今回判明した件について公表する情報を整理して、ギルド長をエリーナさんに返した後の概ねの方針を作るつもりだ」

 

「規則を変えるって……そんなに簡単に出来ないでしょ」

 

「そうだね、だからここからが地獄だ」

 

「「「………」」」

 

「だが少なくとも、俺からの起案というだけで上には随分と通り易くなる。エリーナさんなら20年かかる変革も、俺なら1月で終わらせられる。それにこれが終われば、今後は君たちも随分と動き易くなる筈だ。断る理由はあるかい?」

 

「……有能過ぎる」

 

「流石はリロイズさん……」

 

「本当にギルド長やってくれないかしら」

 

「おい?私はそれでもいいが、何かこう傷付くんだが?」

 

 

 なんとなく、カナディアは思った。

 きっと何処の組織もこういう異様に優秀で献身的な人間が1人は居て、それ故に今この世界はそれなりにまともに動いているのではないかと。少なくとも今の連邦がかなり良心的な運営がされているのは、こういう人材の影響が大いにあるのではないかと。

 

 

「ああ、それとネーナさん」

 

「はいぃ?」

 

「君は今日付けで俺の正式な補佐に異動が決定した。おめでとう、異例の昇格だ」

 

「は?………はぁぁぁあああ!?!?」

 

「く、くふっ、くふふふふ……よ、良かったじゃないネーナ。能力が認められて」

 

「ふっ、ふっざけんじゃないわよぅ!?こんな仕事人間の補佐なんて自殺しに行くようなものじゃないのぉ!!わたしには本気で世界の将来を憂うようなイかれた思考はないんだけどぉ!?」

 

「そんなもん誰にも無いわよ」

 

「働き甲斐は保証するよ」

 

「働き甲斐搾取を公言!?せめて報酬を出して欲しいのですがぁ!?」

 

「公務員だからね、それは難しい相談だ」

 

 

 悲しいかな、どうやらネーナも連邦に帰れるのは暫く先の話になりそうである。そしてこれから始まるデスマーチに、嘆いても喚いても巻き込まれていく。

 仕方がない、世界の未来のためなのだから。優秀な人間が搾取されてしまうのは、世の常である。



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123.vsキャラタクト・ホエール

 基本的に地上において巨大なモンスターを見る機会というのは早々ない。偶然見かけたとしても自分の体の2倍くらいが精々、それ以上に大きな存在となると探索者達に正式な討伐依頼が出る。

 それ以外の場合となれば、それこそ邪龍と遭遇してしまった運の悪いものだけ。その中でも幸いなのか不幸なのか生き残ってしまったものだけが、その規格外を目にすることになるだろう。

 

 ……だが、オルテミスの探索者は違う。

 

 彼等はカイザー・サーペントでその異常な巨躯を目撃する。そしてその後に、それ以上の巨体を持つ"それ"を否が応でも見ることになる。本当にこんなモンスターを倒すことが出来るのかと、そう思わされてしまう。

 

 

「でっっっっっっっっかっ!?!?!?!?」

 

 

 カイザー・サーペントは動けば分かるとは言え、それでも森の中にその姿を隠していた。奇襲も得意としていたし、ダンジョンの階層の大きさと比較すればまだなんとか常識的な範囲だろう。

 

 ……だが、キャラタクト・ホエールは違う。

 

 コイツはそもそも自分の身体を隠すことなんて出来ないし、なんなら階層そのものがこのモンスターのためにあるような地形の作りをしていた。

 

 広大な階層の中央に広がる大湖に、まるで巨大な島のようにドテンと存在している異様な存在。その湖には他の階層と同様にモンスター達が生息してはいるものの、それまでとは違い何処か大人しくも感じてしまう。

 

 しかしまあ、それも当然だ。あんな存在が眠る直ぐ横で、一体どうして暴れることなど出来るだろう。レイン・クロインよりも遥かに大きなその身体は、何処かこのオルテミス近海に眠る最強の邪龍を思い起こさせる。

 

 

「な、なんなんですかこれ……こ、こんなモンスターが居るんですか!?」

 

「なんだ、知らんのかお前達。キャラタクト・ホエールは地上でも目撃例はある」

 

「「「「え」」」」

 

「それこそレイン・クロインに大船が転覆させられた際の話だ。端的に言えば、コイツらは成体のレイン・クロインの餌で、幼体のレイン・クロインはコイツらの餌になる」

 

「「「はぁ!?」」」

 

「お前達があれだけ苦労して倒した幼体も、海の中ではコイツの餌ということだ。まあ相性もあるがな。ブルードラゴン程度がコレに敵うはずもあるまい」

 

「「「え、えぇ……」」」

 

 

 そんなとんでもない話を聞かされてしまえば、恐怖もより一層強くなるというもの。あれだけ苦労して倒した竜を餌にして生きているなどと、それは明確に階層主よりも強いと言われるだろう。

 ……というか少なくとも、間違いなく今のリゼ達にとっては格上の相手である。だってそのレイナ・クロインでさえもラフォーレ達の力が無ければ勝てなかったというのに。彼女も一緒に来ているとは言え、絶対に力を貸してくれないだろうし。一体どうやって倒せばいいと言うのか。

 

 

「ほら、さっさと行ってこい」

 

「う〜ん、相変わらずのこの無茶振り」

 

「流石に無理過ぎます……」

 

「わたし向こうで踊ってるね」

 

「クリアが逃げた……」

 

「お前も氷は撃てるだろう、逃げるな」

 

「うぐっ」

 

 

 しかしそう言われても、いきなりアレに勝てなんて言われても普通に困る。それはもう今からギルド本部をぶっ壊して来いと言われているようなものである。ゴロゴロと寝返りを打つだけでプチっとされてしまうような相手、無闇に突っ込んで勝てる訳がない。

 

 

「どうします?リゼさん」

 

「こ、こんな時は………ててーん!連れ去り際にスズハが手渡してくれた対キャラタクト・ホエール作戦案〜」

 

「やったー!」

 

「いえーい!」

 

「スズハさん素敵!本当に素敵!!」

 

「優秀な頭が居て良かったなお前達」

 

 

 こんな事もあろうかと。

 試案の段階ではあるものの、ここに連れ去られる前にスズハはそれをリゼに渡してくれていた。まさに生命線、一条の光。もしものためにと色々な準備をしていてくれた彼女には、もう心の底から感謝しかない。故に早速リゼはその中を読んでみる。

 

 

「キャラタクト・ホエールと対峙する際に、先ずこちらに有利な点が1つ。それは基本的に彼のモンスターが眠っていることである。つまり確実に先制攻撃を当てることが出来る」

 

「なるほどなるほど」

 

「つまり、レイナの最大火力を脳に突き刺せば終わる」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……あの、それだけですか?」

 

「うん」

 

「そ、そっかぁ……いえ、まあ、そうですよね!属性的な相性も良いんですし!武士のスフィアだって今はあるんですから!なんならリゼさんが撃ち抜いた所に合わせれば皮膚の分厚さだって関係なく……!!」

 

 

 

「炎弾」

 

 

 

「「「あ」」」

 

 

 ラフォーレの掌から放たれた大きな炎弾が、凄まじい速度で飛んでいく。もちろんその行く先はキャラタクト・ホエールのお尻。誰もそれを止めることなど出来ず、と言うか出来るはずもなく。ただそれが着弾し、大きな衝撃と共に爆ぜた後…‥彼等はようやく意識を取り戻した。

 

 

「じゃあな、後は頑張れよ」

 

「な、何をしているんだラフォーレぇえ!!!!」

 

「先制攻撃など許す筈がないだろう愚図が。正面から挑んでボコボコに殺されて来い」

 

「比喩でもなんでもなく本当に死んでしまう!!」

 

「リ、リゼ!起きた!キャラタクト・ホエール起きた!」

 

「どっどどっ、どうすればいいんですかぁ!?あんな突進止められる人ここには居ませんよ!?」

 

「と、とにかく全員散開!!レイナはクリアを連れて行ってくれ!!全員で逃げ回りながら適時攻撃を加えていくんだ!!」

 

「「「りょ、了解ー!!」」」

 

 

 もう直ぐ起床の時間であったこともあり、無理矢理起こされたキャラタクト・ホエールは不機嫌なままにこちらに向けて突っ込んで来る。それは最早、島がそのまま突っ込んで来ているような恐ろしい光景だ。

 そんな中でも咄嗟にリゼが出したその指示は、まあそれなりに適切なものだったろう。リゼも今日まで色々な経験をさせられて来た。少しずつではあるが、こういう場面でも頭が働くようになってきた。

 

 

「シアン!君はキャラタクト・ホエールの注意をなるべく引き付けてくれ!私とレイナで削る!けど無茶はしないように!!」

 

「うん、任せて」

 

 

 レイナとスズハは共に行動しているが、きっと彼等は問題ない。2人でならそれなりに立ち回れる。

 問題はシアンの方で、彼女は体力的に問題がある。そもそもこの階層にはキャラタクト・ホエール以外のモンスターも普通に存在していて、彼等は主の暴走によって大混乱を引き起こしている。故に余計な戦闘をさせるくらいなら、キャラタクト・ホエールの近くにいた方がよっぽど安全だとリゼは判断した。

 

 

「痛ぁっ!?こ、こんな時にスナイプする必要はないだろう!!このっ!!」

 

 

 ……つまり、現状最も被害を受けているのは単独で足も早くないリゼである。今も何故かこの混乱の中でスナイプ・オクトパスから狙撃を受けた。お尻に当たったのは不幸か幸いか。

 

 

「くぅっ……というかそもそも!あんな脂肪の塊のようなモンスターの何処を撃てば良いんだ!?やっぱり同じ箇所に攻撃を集中して脳を狙うのが一番か!?」

 

 

 眼を狙う、というのは簡単だ。

 しかしそれは下策であるとリゼは知っている。

 

 視界を失ったモンスターは基本的に暴れるし、それが巨体なほど厄介であることもまたリゼはよく知っている。目は人もモンスターも思惑を浮かべやすい。敵の狙いを察知するためにも、そして少しでも思考を残させるためにも、なるべくならば狙うべきではない。

 

 

「よ、よし、こうなったら一度やはり頭を………ごふっ!?」

 

 

 そうして大銃を構えようとした瞬間、脇腹に突き刺さる強い衝撃と、雷撃の痛み。

 

 

「ボ、ボルテクス・スネーク……」

 

 

 雷を纏いながら水面を凄まじい勢いで走るそのモンスターは、やはり今日も今日とてリゼに向かって飛び掛かる。そしてそれに追い打ちを掛けるかのように飛び掛かるデビル・フィッシュ達。

 リゼは何度かそれらを大銃で叩き落として再び走り始めるが、受けたダメージはそれなりに大きい。

 

 

『クエーーッ!!!!クエックエックエッ!』

 

 

「こ、今度はバトル・スワンか。なるほど、これは少し……いや、かなりキツイかな」

 

 

 相変わらずムキムキの筋肉を見せ付けてリゼの前に立ち塞がったそれは、レイナに殆ど対人戦闘をしているようなものだと言わしめた程の実力者である。

 正直に言えば、正面からやり合ってリゼが勝てる保証は何処にもない。バトル・スワンとはそれほどの存在だ。それもこんな、数多のモンスターが大混乱しながら飛び交っている戦場の中で。今だってリゼは飛び掛かってくるデビルフィッシュを蹴ったり殴ったりしながら叩き落としているというのに。

 

 

(ど、どうすればいい?というより、なんなんだこれは?バトル・スワンはともかく、この混乱の中でキャラタクト・ホエールをどうにか出来るイメージが全く浮かばない……)

 

 

 ふと視線を横に逸らしてみれば、そこには必死にキャラタクト・ホエールを惹きつけながら逃げるシアンの姿。更にその奥には、作り上げた氷壁に立て籠りながら、襲い掛かってくるモンスター達をなんとか凌いでいるレイナとクリアの姿。

 ……実際、どこにも余裕はない。そもそもリゼには照準を合わせる時間さえもない。眼だって常に動き続けている。これだけのモンスターを単独で対処出来ているのは、どうやったってこの眼があるからだ。

 

 

 (考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ……!!とにかくモンスターの方をどうにかしないと話にならない!!けど早くしないとシアンの体力が切れる!!シアンが倒れた本当に勝ち目がなくなってしまう!だがこれだけ広大な湖のモンスター達をどうすればいい!?ここには木々だって大してない!使える地形も限られるのに一体どうすれば……!!)

 

 

 

 頭に熱が上る。

 

 これは良くない傾向だと分かってはいるものの、しかし落ち着いていられる時間さえも今はない。

 

 自分に都合の良い奇跡など起きない。状況は自身の力で突破しなければならない。甘えたことは言っていられない、甘えたままでは生き残ることは出来ない。いつだって生き残ることが出来たのは、自分が覚悟をしたからだ。

 生き残るためなら何だってやってやる、何だって飲み込んでやると、それほどの強い意志の元に自分の全てを集約させることが出来た時。

 

 そしていつだって、その引鉄になっていたのは……

 

 

 

 (……ラフォーレだったら、どうする?)

 

 

 

 【星の王冠】【視覚強化】

 

 

 

 スローになった世界の中で、リゼはギョロギョロとその眼を凄まじい速度で動かす。収集するのは地形の情報、そして同時にモンスター達の情報。

 

 それぞれのモンスター達は今どんな状況に居るのか、そしてどんな方針で動いているのか。それはキャラタクト・ホエールだって同じだ。そして仲間達、何より自分の持っている手札の全てをあらためて参照する。

 

 加熱した頭を冷やしたのは、決して頭を加熱させないような人間を模倣することだった。このような状況であっても間違いなく適切な対応をするであろう人間をよく知っていたから、そしてそんな人間の考え方を自分は理解出来た経験があったから。模倣した。

 

 

 

 (………あれだ)

 

 

 

 視線の先に見つけたそれに、そしてその光景から導き出した結果に、リゼは迷うことなく実現のための行動を繋げる。咄嗟に手に持っていた大銃の設定を最大威力まで引き上げ、角度を変えるために直走った。スキルとスフィアで全てのモンスターによる攻撃を捌き切り、同時に全体への状況把握も忘れない。

 

 

『……そうだ、それで良い』

 

 

 何処からともかく聞こえた気のするそんな言葉も無視して、リゼは目的の場所に辿り着いた。これが本当に正解かどうかは分からない。けれど少なくとも今の自分にはこれしか思い浮かばない。ならばこれをやるしかない。リゼ・フォルテシアの精一杯を、ここでやるしかない。

 

 

「全員!!その場にしがみつけぇええ!!」

 

 

「「「っ!!」」」

 

 

 大声と共に、引鉄を引く。

 

 瞬間、生じたのは爆発。

 

 けれどそれはキャラタクト・ホエールに生じたものではなく。この混乱の最中、元々の習性なのかは分からないが、湖の一端に奇妙なほどに固まっていた【ロスト・タートル】の群れに対して生じたもの。

 

 

『それで?肝心のお前はどうする?』

 

 

「言われなくても!!」

 

 

 最大威力の狙撃は、それなりに成長した今でさえも反動は大きい。……けれど、それがどうした。撃たなければならないのなら撃つまでだ。何発でも、何十発でも。この身体が動く限り。

 

 

「2発目!!」

 

 

 大量のロスト・タートルが空中を舞い、次第にそれが周囲の空気を吸い込み始めているのを見ながら、その全てを通り抜ける軌道を作り上げ、2発目を撃つ。

 

 目標はキャラタクト・ホエール、その頭部。

 

 そして当然、それで手を止める訳ではない。

 

 赤口の滲んだ両の手、反動で痣が出来てしまった自身の胸元、そんな全てを無視して震える手で3発目の弾丸を大銃にぶっこむ。

 熱によって自身の手が焼けようが関係ない。ここに来て初めての最大威力の3連続射撃。それを成さなければ、あの怪物は倒せない。

 

 

「クリアァァア!!氷でレイナの足場を!!」

 

 

「!!」

 

 

「3発目ぇえ!!」

 

 

 最低限の照準、最低限の反動抑制。

 残りの体力全てを注ぎ込んで放った3発目に、リゼの身体は大きく後方へと吹き飛ばされる。それを完全に抑え込めるほどの力は当然に無くて、けれどその弾丸を確実に届けるだけの力は今の彼女にはあった。

 

 

 

 ――――――――――――――――ッ!!!!!

 

 

 

 一切の無駄のない動きで放たれた2発の弾丸は、キャラタクト・ホエールの頭部に間髪入れずに突き刺さる。若干の着弾地点のズレは当然ながら生じていた。しかしそれが若干で済んでいるのは、まごうことなき職人技。

 

 響き渡る悲鳴、溢れ出る血流。そしてそんなキャラタクト・ホエールとは無関係な場所で生じた、大量のロスト・タートルによる問答無用の大量吸い込み。これこそがリゼの思い付いた、彼女なりの最善策。自分という駒を最大限に活かして役目を終える、一瞬の煌めき。

 

 

「レイナ!!行って!!」

 

「っ、行きます!!」

 

 

 大氷弾を何発もダンジョンの壁面に向かって撃ち込み、クリアはレイナのための足場を作る。それはロスト・タートルの吸い込みから避けるように配置されたものであり、そして同時に彼女を巨大なキャラタクト・ホエールの頭部まで届けるために必要なものであった。

 

 キャラタクト・ホエールはそれほど頭の良いモンスターではない。全く知らない銃のような武器で突然に狙撃されて、これほどまでに甚大なダメージを受けて、彼は混乱どころか半ば意識を飛ばしてさえいた。

 

 ……けれど、当然それは一瞬だけだ。そしてその一瞬を逃してしまえば、きっとまた状況は変わってしまう。

 

 

 (走れ、走れ、走れ……!!氷を、それとも壁面を!!)

 

 

 全てのスフィアを発動させる。

 

 シアンに教えて貰った高速戦闘を基に、壁面走りを敢行する。一歩間違えれば全てを台無しにしてしまう、けれどこれを成功させなければリゼの無茶が報われない。

 

 だからなんとしても、なんとしてもここで仕留め切る。無防備に吹き飛ばされたリゼを早く迎えに行くためにも。疲弊したシアンにこれ以上の無理をさせないためにも。今ここで、必ず……!!

 

 

 

 【高速】

 

 

 

「っ、シアンさん!?」

 

 

「あと、お願い……」

 

 

「!!……はい!!」

 

 

 一瞬、壁面の凹凸を踏み間違え、足を滑らせて姿勢を崩しかけてしまったところを……高速のスフィアを使って直下から追い付いて来たシアンによって立て直される。

 

 たった1人でキャラタクト・ホエールの気を引き続けていた彼女の疲労は明らかに色濃くて、それでも確かにこうして自分を見て、自分を支えてくれたことに。より一層の信頼が湧き上がる。

 

 

「【雷斬】【雷斬】【武士】……!!」

 

 

 武士のスフィアは、10秒の待機時間の後、次の攻撃の威力が跳ね上がるという効果のスフィア。つまりは跳躍から落下までの10秒間を作り出す必要があり、その一撃に全てをかける集中力を作り出す必要もある。そして10秒という極めて長い時間を生み出し、確実に余裕のない中でも最善を尽くせる柔軟性も。

 

 ……けれどその時間は、リゼとクリアが作り出してくれた。そして今もシアンがレイナを守るために近くに居てくれている。後は自分の努力だけ。全ての条件は揃っていた。心配すべきことなど、もう何一つとしてない。死力を尽くす、ただそれだけで良い。

 

 

「【極致・雷散月華】ァァア!!」

 

 

 自身の身体さえ焼き尽くしかねない程の雷撃を、レイナはその巨体に向けて叩き付ける。それはレイン・クロインを討伐した時を更に超えるような、渾身の一撃。

 ダンジョンの中に凄まじい雷が落ちたような、そんな驚異的な衝撃が付近の階層にまで響き渡る。

 

 

 ……いつの間にか、レイナはこのパーティの中で火力役を担っていた。それこそリゼの銃になんて敵うはずが無いと思っていたのに、敵が強大になるほどに、自分の力は求められ、そのためにリゼさえも尽くすようになっていた。

 

 

 それでも改めてこうしてみると、自分に求められている役割を改めて自覚する。これが自分に出来ることなのだと、自覚する。せざるを得ない。

 

 

 雷撃はリゼが空けた大穴からモンスターの体内にまで侵入すると、そのままその巨体を貫くようにして内部から焼き尽くした。斬撃、爆発、焼失、様々な破壊が濁流のように流し込まれ、その破壊は脳を叩く程度では終わらない。

 肉体を貫通し、湖全体にまで雷撃は広がっていき、そこに住まうモンスター達の命さえも奪っていく。元よりリゼの仕掛けたロスト・タートルのばら撒き故に大量のモンスター達が飲み込まれていたというのに、そうして生き延びていた者達さえもレイナの雷撃は焼き払った。

 

 

 

 

「そらみろ、出来ただろうに。お前達は自分を甘やかし過ぎだ」

 

 

「……そうかなぁ」

 

 

 荷物のようにラフォーレに担がれたリゼは、苦笑いをしながらも、シアンとクリアに抱き付かれているレイナを見た。……だがまあ実際、リゼだって信じていたとも。

 

 自分が倒れても、きっと彼女達はやってくれると。

 

 一緒に今日まで努力して来たのだから。

 

 命を預ける信頼など、とうに出来上がっている。



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124.狭間の空間

「さて、まあ及第点といったところだな」

 

「相変わらず厳しい……」

 

 

 ボロボロになった身体を各々で治療し合いながら、いつものようにラフォーレからの総評を聞く。

 

 リゼの身体は言わずもがなボロボロだし、レイナも自身の雷撃で火傷だらけ、シアンは体力がスッカラカンで倒れているし、クリアは長く水の側に居たせいで明らかに顔色が悪くなっている。そんな満身創痍の状態。

 もしラフォーレがこうして近くに居てくれなかったら、帰り道をどうするか途方に暮れていたところだ。それほどの激戦というか、半分くらいは自傷ダメージを彼等は受けていた。

 

 

「先ずはリゼ以外。お前達は少しは打開策を考えようとしないのか?指示を聞くだけなら新人でも出来るぞ」

 

「「「うっ」」」

 

「特にクリア、お前が一番余裕があっただろう。壁面に足場を作ったことは評価するが、それ以外の行動がゴミ過ぎる。あんなところで立て籠って状況が変わるのか?」

 

「うぐっ」

 

「シアンとレイナ、お前達は不可は無いが可も無い。自分に出来ることを最低限やっただけだ。この愚図は未熟で愚かで頭も悪い。少しは負担を受け持て」

 

「「すみませんでした……」」

 

「ひ、酷い流れ弾が飛んできたんだが……」

 

 

 愚図で未熟で愚かで頭も悪いとまで言われて、リゼだって傷付く時は傷付く。今回は自分なりにそれなりに頑張ったつもりなのに。それこそラフォーレの真似をしたりなんかして、自分を無理矢理に冷静にしたり……

 

 

 (いや、なぜ私はマドカじゃなくてラフォーレの真似をしているんだ……)

 

 

 だって仕方ないじゃない。マドカの思考よりもラフォーレの思考の方が分かりやすくて自分に合ってしまっているんだもの。自分で実際にその状況に陥ると、結果的に何処までも合理的なラフォーレの思考と重なってしまうのだもの。

 そうでなくともこうやって色々と教えて貰ったり無理矢理指導を受ける機会が多くて、自然と探索者としての在り方まで似通ってきてる気がして……

 

 

「……おい、この程度の軽口で何をそこまで落ち込んでいる」

 

「違う、違うんだ……ただ私は本当にこのままでいいのかと反省を……」

 

「良い訳がないだろう愚図、初動がゴミにも程がある。お前は一体今日まで何を見て来たんだこのポンコツが」

 

「ひんっ」

 

 

 どうやら容赦のない罵倒はここからだったらしい。これまでは前座、前置き程度のものだったというのか。心が壊れてしまいそうになる。頑張ったのに。

 

 

「点数で言えば75点だな」

 

 

「……あれ?意外と高い」

 

 

 情緒が滅茶苦茶になりそうだ。

 

 

「初動はゴミだったが、まあそこから立て直したのは素直に褒めてやろう。特に単独になり追い詰められたあの状況で思考を回すことに集中したことは評価してやる。加熱した頭を冷やせた事もな。その後の発想と行動も、お前にしてはまあまあのものだった。事実として今回の貢献度はお前が一番高い、一番マシな動きをしていた」

 

「……」

 

「……なんだ、また泣くのか」

 

「な、泣かない!!」

 

「そうか、泣いていたら顔面に炎弾を叩き込んでいたところだ」

 

「絶対に泣かない!!」

 

 

 危うかった。

 本当に危うかった。

 

 けれどそれも仕方がないではないだろうか。何せコイツは普段から罵倒しかして来ない女であるが、本当に評価すべき時には評価してくれる人間でもある。つまり彼女からされる称賛というのは、他の誰から貰うよりも難しいものなのだから。

 自分の努力や頑張りが認められた、それが間違っていなかったと否が応でも思わされるし、もうなんか普通に嬉しくなってしまう。そうでなくともリゼは元々涙脆いのだから、感極まってしまうのも当然である。

 

 

「……勘違いしやすいが、ロスト・タートルは決して無敵な訳ではない。この階層における頂点は間違いなくキャラタクト・ホエールだ。奴が気を荒げた時、ロスト・タートルは水辺の端に集まり身を固める。これは互いに互いを吸い込む事で地形にしがみ付き、キャラタクト・ホエールの吸い込みを耐えるためだ。そして天敵たるロスト・タートルが減ることで、他のモンスター共はつけ上がる。その結果があれだ」

 

「な、なるほど……」

 

「さて、その点あの状況でのお前の行動は、まあ十分なものだろう。モンスターを減らすために固まっていたロスト・タートルを散らせる、そして奴等は少しでも身を固める為に互いに互いを必死に吸い込み合う。結果的に大量のモンスターがその犠牲となった」

 

「私もそこまでロスト・タートルの性質を知っていた訳ではないのだけれど……とにかくモンスターを減らしたかったんだ。あれだけ刺激すれば反射行動で吸い込んでくれないかと思った」

 

「知識不足は反省すべきだが、まあその考え方は間違っていない。ロスト・タートルが脆い存在であれば、あの一撃で気絶していた可能性もあるがな。お前の仲間の方にでも飛んでいけば最悪もあり得た」

 

「た、確かに……」

 

 

 そういう意味では、リゼの行動はかなり賭けの要素が強かったのかもしれない。しかしあれ以外に方法は思い付かなかったので、今回はラフォーレの言った『考え方は間違っていない』という言葉を受け取っておくべきなのだろう。

 

 

「じゃあ、私はどんな初動を取れば良かったのだろう……?」

 

「元より、奴の習性を利用すべきだった。そうでなくとも、お前は実際に襲われるまで他のモンスターによる脅威を考えてはいなかっただろう」

 

「う……」

 

「キャラタクト・ホエールは1日の大半を眠っており、起きると同時に階層ごと吸い込み腹を満たす。この習性から考え直してみろ」

 

「!!……そうか、私は最初にその習性を利用して階層内のモンスターの数を減らすべきだったのか。時間帯的にもキャラタクト・ホエールがお腹を空かせていたのは当然、直接的なダメージではなくクリアの水弾なんかで挑発して誘発すべきだった」

 

「そこまで出来ていたなら満点をやっていたな。しかし当然ながら難易度も高い。だが持続力の無いお前達のパーティを考えるに、これ以外の方法では体力がもたん。数多のモンスターを焼き払う殲滅力にも乏しいからな」

 

「……確かに。私は何より今のパーティの欠点を考えて戦闘を組み立てるべきだった。戦闘の持続力と、複数の殲滅力、そして防御手段に乏しいのは元より明確。咄嗟の判断を優先して、次への組み立てを全く考えていなかった」

 

「まあその辺りの咄嗟の判断を的確に出来るほど、貴様の頭の出来は良くない。経験も足りず、落ち着きもない。……だが、自分達の欠点を予め把握し、それを踏まえて"してはならない"ことを定め、速攻の方針を立てる事くらいは出来るだろう。それが今回のお前の反省点だ」

 

「……勉強になるよ。確かに今の私達に判断を後回しに出来るほどの余裕はない。防御力の無さを考えて逃げることばかりを優先してしまっていたけど、行き過ぎれば結果的に自分の首を絞めることになるということか」

 

「その辺りのバランス感覚を培え。お前達に防御手段がないことは事実だ、無茶をすれば容易く死ぬ」

 

「む、難しい話だね……」

 

 

 流石に現時点で満点を出せるとはラフォーレも思ってはいなかっただろうが、しかしそれにしても自分達の欠点を知り、それを踏まえて策を立てるという当然の前提を作っておくことは確かに大切なことである。

 これについてはリゼも大いに納得したし、そんな大切なことが抜けていたという事実に反省もする。基本的に戦場にスズハは出て来ないので、作戦を立てるのはリゼになる。その作戦を立てるのに大切な前提をこうして誰かに教えて貰えるというのは、とても恵まれたことだ。

 

 

「まだ足りない役割はあるが、人数が増えたことで安定感は出て来ただろう。最早この階層でやることもあるまい。さっさとブルードラゴンを倒して次に進め」

 

「……あ、そのことなんだけれどラフォーレ。実は私達にはこの14階層でやらなければならないことがあって」

 

「なに?」

 

「リ、リゼさん?それって言っちゃってもいいんですか?」

 

「いや、まあ、良くないかもしれないけど……正直、この機会を逃してもう一度キャラタクト・ホエールを倒すっていうのも……」

 

「ま、まあ、それは確かに……」

 

「?何の話をしている、貴様等」

 

 

 幸いにも、まだモンスター達は復活していない。しかしもう10分もすれば、殲滅したモンスター達は再出現するだろう。その前に例の隠し通路に入りたい。もう一度アレと戦うなんて絶対に嫌だ、それならラフォーレも巻き込んでしまった方がずっと良い。

 

 

「実はとある人から、14階層のキャラタクト・ホエールの寝床を調べて欲しいと言われているんだ。場所はこの地図に示してあって……詳細は私達もよく分からないんだけど」

 

「……ほう、未開拓領域か。こんなところにあるとは私も知らないな」

 

「本当にあるのかどうかも分からないけど、今ならモンスターも殆どいないし、可能なら調べてしまいたい。もし良かったら、少しの間クリアを見ていてくれないだろうか。彼女は水に入れないから……」

 

 

「……いや、私も行こう」

 

 

「「「え」」」

 

 

 それはリゼとしても意外な反応。場所からしても嫌でも水の中に潜らないといけないというのに、まさかあのラフォーレが服を水に濡らすことを承知しても付き合ってくれるとは思わなかったのだ。

 ……それはまあ、着いて来てくれるというのなら心強くはあるけれど。しかしそうなると色々と状況が。

 

 

「うん……まあ、どうにかなるかな」

 

「あ、その辺り雑で良いんですね」

 

「いや、どちらにしても証人は居てくれた方がいいからね。それに私達ももうボロボロだし」

 

「それは、ええ、そうですね……」

 

 

「話はついたか?」

 

 

「ああ、それじゃあ潜ろう」

 

「仕方ないな」

 

 

 水の中に潜れないクリアには一旦14階層と15階層を繋ぐ階段の方まで避難して貰って、疲労して泳げないと首を振ったシアンと共に待っていて貰うことにする。

 潜るのはリゼとレイナとラフォーレ、リゼもレイナも決して泳ぎが苦手ということもなかった。なんならリゼは山に流れる川でよく遊んでいたし、麓にある滝から飛び込んだりしていた事もある。野生児なのだ。基本的に。

 

 

「よし!私について来てくれ!行くよ!」

 

 

「………はっや」

 

「猿かアイツは」

 

「猿って泳ぐの早いんですかね」

 

 

 全身ボロボロだった筈なのに、銃を一本だけ背負って容易く潜っていくその様子。秘石によって身体能力が向上しているので衣服なんかの重さも殆ど感じないも同然なのだが、それにしてもリゼの動きは早かった。

 何処かイキイキさえしている様子で。凄まじい速度で深く深くへ潜っていく。まるで人魚のように、あまりに軽やかな動きで。

 

 

 (確か地図だとこの辺りに……ん?あ、ここだけ水草があんまり生えてない。ってことは……ああ、やっぱり!砂の下に金属の扉みたいなのがある!!)

 

 

 その野生児独特の嗅覚で、予め概ねの場所は分かっていたとは言え、容易く隠されていた扉を見つけたリゼは。そこそこ重いその金属の扉をこじ開けて、一度息継ぎに戻ることもせずに、そのまま扉の奥へと潜っていく。

 

 

 (ちょ、リゼさんの動きが早過ぎますって……)

 

 

 一瞬にして扉を見つけ出して、簡単にそれをこじ開けて、その先の空間に何の躊躇もなく潜っていく。明らかに殆ど光のない空間がその先に広がっているというのに、いったい彼女の眼には何が映っているというのだろう。怖くはないのだろうか。

 

 そんな彼女の姿には流石のラフォーレも表情も歪ませていたし、そんな場所に入っていくのにも多少躊躇していた。しかしまあ、それでも目の良いリゼが先行するからこそ安心出来るところも多少はあるというところ。

 

 

 (……ん〜、意外と深いな。けど人が泳ぐのには十分な広さがあるかな。ただ少し暗いのが難点だろうか、先の方に薄らと光は見えているから行き止まりではないだろうけれど)

 

 

 四方を金属に囲まれたその通路は、水に浸されたままに只管に下へ下へと繋がっている。これはある程度泳ぐことになれた人間でなければ辿り着くことは難しいだろう。それこそ、普通の人間ならば恐ろしくて引き返してしまっても仕方がない。

 

 ……しかし、リゼはそんなことで止まることはなかった。何故ならこれだけ深く潜っているとは言え、息はまだまだ全然余裕があるし、なんなら薄暗くてもバッチリ周りが見えている。むしろ先の方に光が見えていて、そこに出口があるということを確信さえしていた。所謂海底洞窟のような作りなのだろう。そういう隠し場所を、リゼは地元の滝壺で見たことがあった。

 

 

「ぷはっ!……よし!着いたー!!」

 

 

 少しも息を荒げることなく、辿り着いたその空間でリゼは晴々と笑顔を浮かべる。当初の想定通りそこにあった空間は普段のダンジョンと変わらぬ光に満ちていて、空間の位置的にも14階層と15階層の狭間のような場所なのだろうか。

 天井は低いけれど、空気もあるし、光もある。呼吸に問題はないし、気温も平均的だ。これは本当に、如何にも隠し通路といった様相。リゼのワクワクは止まらない。

 

 

「ぶっはぁ!!……や、や、やっと着いたぁあ!!!」

 

「……ごほっ、ごほっ」

 

 

「ああ、大丈夫だったかい2人とも。もしかしたらと思って今から迎えに行こうかと思っていたところだったんだけど」

 

 

「……お前は元気そうだな、愚図」

 

「これくらいは慣れているからね!よく下流から上流まで魚と一緒に泳いだものさ!」

 

「やってることがヤバ過ぎる……」

 

 

 釣りに飽きた時、暑過ぎて泳ぎたくなった時、上流から滝壺を通って下流まで、泳ぎに泳ぎまくって手掴みで魚を取っていたことがある。探検と称して川の隅から隅まで探索してみたり、なんかそういうこともしていた。川遊び木登りは彼女の常である。モンスターさえいなければ、キャラタクト・ホエールの前でも泳ぎまくっていたのに。

 

 

「それで……なるほど、目的はここか」

 

「うん、そうみたいだ。ただ、この先に何があるのか全く分からない。というより、本当にあったんだなと驚いているくらいかな」

 

「ちなみに、誰から教わった?」

 

「……それは、一応秘密にするように言われていて。なるべくなら話したくない」

 

「ふん、まあ構わん。お前達に調べろと言ったということは、この先にあるものを公表するという行為さえお前達に任せるということだ。……相当に厄介なものが眠っているのだろう」

 

「……あんまり嬉しくない話ですね、それは」

 

 

 モンスターの気配はしない。けれどそこまで奥まで繋がってはいない。少なくともリゼの目には、その通路の最奥が既に見えている。そこに広がる小さな小部屋が、そして中央にある奇妙な台座が。リゼの目には見えていた。

 

 

「……行こう、2人とも。それにラフォーレ、もしかしたらこれはかなりの大事になってしまうかもしれない」

 

「別に構わん、困るのはエリーナ達だ。さっさと行くぞ、下っ端が変なことに気を遣うな」

 

「……うん」

 

 

 ラフォーレが先頭を歩いていく。リゼとレイナもそれに続いて、歩みを進める。

 ラフォーレ達が51階層で発見したもの、ダンジョンが人工物であるという証拠、そしてそれ故にスキルや秘石について干渉できる術が存在するという事実。それらを踏まえて、この隠し空間。何も無い筈がない。これほどの場所に隠されているものが、単なる小空間である筈がない。

 

 足を踏み入れた白い小部屋。

 

 目に映る詳細な情報。

 

 そこにあったのは……

 

 

 

「……なんですかね、これ」

 

「……なるほどな」

 

「え、本当になんなんだ?これ」

 

 

 よく分からなかった。



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125.尽きない未知

 14階層と15階層の狭間の空間。

 その最奥に広がっていた小さな部屋。

 

 リゼ達はようやく辿り着いたそこで真っ白な台座を見つけたものの……その正体がよく分からず、普通に困惑していた。なにせここにはマドカやカナディアのようなダンジョンに詳しい専門家は居ないのだから。ラフォーレとて常識的な範囲内の知識しか持ってはいない。

 

 

「これ、文字ですよね……お二人とも読めます?」

 

「む、無理かな……」

 

「……これを読めるのはマドカと魔女辺りだ。51階層の壁画にも似たような文字が使われていた。少なくとも今は殆ど使われていない言語で間違いない」

 

「え、じゃあ私達これ見つけただけで帰宅ですか……?」

 

「それはそれで悲しい……」

 

「はっ、そんなことをする筈がないだろう。こんなものを見つけて何も弄らず帰るとでも?馬鹿を言うな。ダンジョンが爆発しても構わん、適当に触るぞ」

 

「「やっぱり帰りたくなって来た!!」」

 

 

 ラフォーレ・アナスタシアもやはり人の子。そして探索者。未知は大好物である。こんなものを見せられて何もせず帰るなどと絶対にあり得ない。突然爆発したって構わない、とにかく触りたい。

 

 

「ふむ……ほう、なるほど……やはりこれが出て来たか」

 

「え、なんですかこれ……ガラスの中に文字が浮かび上がって……」

 

「やはり根本的には53階層で見たものと変わらんな。こちらは文字が読めんが……ん?ああ、これか?」

 

「ラ、ラフォーレ?」

 

 

 台座に嵌め込まれた硝子板、そこに次々と浮かび上がる文字や図形をラフォーレは何の躊躇もなく指で弾いていき、そうしているうちに突然ガコンッと現れた奇妙な窪みに、彼女はまた何の躊躇もなく自分の秘石を取り外してそこに嵌め込む。

 

 

「ほう?やはり文字が変わったな。秘石の記録を読み取って使用者が最も親しんだ言語に変換しているのか、恐ろしい技術だ」

 

「うわ、うわ……な、なんなんですかこれ、何百年先の技術を見せられてるんですかこれ……」

 

「す、すごい!こんな!すごい!こんな技術があるなんて!な、何が書いてあるんだい!?こちらからは少し読み難いんだ!私にも読ませてくれ!!」

 

「喧しいぞ愚図、少し待っていろ」

 

 

 などと言いつつリゼと同じようにニヤニヤと笑みを浮かべている彼女を見るに、やはり彼等は生粋の探索者なのだろうなと、この超技術を前にむしろ恐怖さえしているレイナは思ってしまう。

 未知を楽しめるか、恐ろしいと感じるか、それこそが探索者としての素質を分けるのだろう。リゼは間違いなく探索者に向いている。常識的に見えるが、その根本はどうしようもなく好奇心の塊だ。

 

 

「……なるほど、つまりコイツはダンジョンの管理装置だな」

 

「管理装置?」

 

「分かりやすいのはコレだ、階層主の設定」

 

「!!」

 

「各階層主の難度と変更が行える。まあ見ての通り15階層までしか操作することは出来ないようだが」

 

「そ、そんなことが!?」

 

 

 ラフォーレの示した画面には確かに、5階層のワイアームが映し出されており、難度は普通、そして隣には見知らぬモンスター達の姿も表示されている。

 

 ……もしラフォーレの言っている事が本当なら、この画面を少し触るだけで5階層の階層主が変わるのだろう。そもそものワイアームの強ささえも変えることが出来るということにもなる。これは言わずとも、とんでもない話だ。ますますダンジョンが人工のものであるという証拠になってしまう。

 

 

「ただ……気になるのは結構な項目にバツ印があることですね。難度も大して変えられない感じですし」

 

「……愚図、お前の秘石をそこに嵌め込んでみろ」

 

「え?あ、うん」

 

 

 ラフォーレの言われた通りに、今度はリゼの秘石をそこに嵌め込んでみる。すると使用される言語は特に変わらなかったというのに、画面の表示は大きく変わった。それこそバツ印の項目が増えるどころか、項目そのものが消えるくらいには。……つまり。

 

 

「そうか、そういうことか……」

 

「ど、どういうことだい?」

 

「恐らくは、調整出来る要素を増やすためには何かしらの条件をクリアしなければならないということだ。より端的に言えば、ダンジョン内で何かしらの偉業を成し遂げることで、変更出来る階層主の選択肢が増える」

 

「!!……それは、50階層の突破とかだろうか?」

 

「その辺りが順当だろうな。そしてこれで漸くだが幾つか納得のいく事も出てきた。これを見てみろ」

 

「……!!」

 

 

 リゼの秘石を取り外し、再びラフォーレが自分の秘石を嵌め込む。そうして現れた変更可能な要素を再び探っていると、そこで見つけた重要な一文。それはそれまで理由の分からなかった、とある問題の答えとも言えるような、決して見逃すことの出来ない最重要要素だった。

 

 

 【強化種】

 

 

「……つまり、アルファは」

 

「ああ、間違いなくこれを使ってお前達に強化種を当てていた。そして恐らく、私達が見える範囲に載っている項目以外にも、数多の機能がコイツにはあるんだろうよ」

 

「で、でも、50階層を突破したラフォーレさんでさえも【強化種】にバツ印が……」

 

「それも単純な話だ。奴は恐らくもっと先の階層まで潜った経験があるということ。……それとも、別の偉業を成し遂げたのか。開放条件が分からない故に何とも言えんがな」

 

 

 現時点の設定では、ワイアームとレッドドラゴンの難度だけが少しだけ高く設定されている。逆にワイバーンとブルードラゴンの難度は少し低い。これもまたアルファが設定したのかもしれないが、この辺りの調整も今後自分達も出来るようになるということ。

 

 変更出来る要素がラフォーレでさえまだ少ないために自由度は低いが、これは今後ダンジョンの運営をしていく中で、そして探索者の育成を考えていく中で、非常に重要な要素になり得る。なんなら51階層以降で見つけたものよりもギルドとしては重要度の高いものになるだろう。

 

 とんでもないところで、とんでもないものを見つけてしまった。こればかりは流石に、笑えない。

 

 

「ま、待ってくれ……これには15階層までの操作権限しかない。つまりもっと深い階層には……」

 

「同様のものがあるだろうな、確実に」

 

「ひえっ……」

 

「で、でもこれ、見つければ相当に便利ですよね……ダンジョンの難易度そのものが大きく下がりますし」

 

「むしろ優先して探さなければならないだろう。難易度どうこう以前に、アルファのような輩に好き勝手させないためにもな」

 

「た、確かに……」

 

「そうでなくとも、これはあまり触れない方が良い」

 

「え?どうして?」

 

「これから帰りのレッドドラゴンが知らない龍種に変わっていたら、お前達は生きて帰れるのか?」

 

「「……」」

 

「レッドドラゴンの難度を1つ変えるだけでも、お前達のようにマドカから教わった手順を忠実に守って討伐を行なっているような探索者は死ぬ。これはそうして指先1つで大量の探索者を殺害出来るような代物だ。存在を広めることは危険性を増やすことに繋がる」

 

「なる、ほど……」

 

 

 恐らくこの装置は浅い階層の管理にしか使われていないし、キャラタクト・ホエールの真下にあったということからも、それだけの実力があれば自由に使っても良いという思惑の元で備え付けられていたものなのだろう。

 ……だが、普通に考えて過去数100年もの間、これが本当に見つかって居なかったのかと言われれば、そこは怪しい。つまり見つかって居なかったのではなく、見つかった上で隠されていたという表現の方が正しいのかもしれない。見つけなければ良かったと、それくらいの勢い。

 

 アルファがこれを知っていたのも、おそらくはその経緯の中で唯一話が伝わっていたからなのではないだろうか。そしてもしアルファが人類の敵であったのなら、この装置を使ってとっくに大量の探索者達が犠牲になっている。そこだけは本当に不幸中の幸いだろう。あの男が曲がりなりにも世界の未来のために動いていたからこそ、被害は殆ど出ていない。

 

 

「お前達はこの場所を教えた人間のことは話せないと言ったな。そういう契約ならば聞かないでおいてやるが、逆に何処までなら話せる。話は私のところで止めておいてやる」

 

「え?あ、えっと……取り敢えず、偶然見つけた風を装ってギルドに報告して欲しいと。本当は私達のパーティの中でだけ完結する約束だったから、ラフォーレを巻き込んだ時点で良くはないのだけど……」

 

「……そいつの目的は?」

 

「わ、分からない。……ただ、これはマドカのためになるって」

 

「マドカの?」

 

「ああ、だからマドカにも知られないように依頼を進めて欲しいと言われた。だからこのことについてはマドカにも話していないよ」

 

「……そういうことか」

 

「?」

 

 

 リゼのその言葉に何かしら納得したかのように、ラフォーレは頷く。彼女はマドカの母親であり、マドカを拾って来た人物でもある。紛れもなく、マドカ・アナスタシアについて誰よりも詳しい。リゼの知らない事情だって、彼女は多く知っているだろう。

 そんな彼女からしてみれば、どうやらこの話は納得の出来るものだったらしい。であれば、やはり問題ないのだろうか。彼女がマドカに害となるものを許す筈もあるまい。

 

 

「さて、お前達には何処まで話すべきか……一先ず、これについてはキャラタクト・ホエール討伐中に湖に落ちたお前が、偶然に見つけたという体を取る。依頼主の要望通りに進めろ。私も余計なことは言わん。マドカにもそう説明しておけ」

 

「わ、分かった」

 

「それで、その、何処まで話すというのは……?」

 

 

「……恐らくだが、マドカはこの装置についても知っていたんだろう」

 

 

「「え」」

 

「だがそれを話せない理由があった。若しくは、話すタイミングを失っていた。しかし今後の動きの中で、この装置の存在をどうしても探索者達が知る必要があった。……故にその依頼主は動けないマドカに代わって、これをお前達に見つけるように依頼したんだろう。概ねの筋書きはそんなところか」

 

「え、いや、でも……そんなことって……」

 

「元より知っていたのに話していなかった。そもそも話す必要がなかった。私が言ったように、無用な危険を招くからな。……だが、それを悪用するアルファのような輩が現れた。故にマドカはなるべく自然な形で自分が見つけたように振る舞い、アルファの利用を阻止出来る体勢を作りたかったんだろう」

 

「……けど、最近のマドカは忙し過ぎた」

 

「そうだ、単独でダンジョンに潜ることも殆ど出来ていないほどに。そんな状況で無理に情報を出せば、また要らぬ疑いを掛けられる。むしろ遠征のような他に優先して考えるべき事も出来た。今のマドカには信頼が必要だ。……確実に解決しなければならない問題にも関わらず、手を付けることが出来ていなかった」

 

「だから私達の方でその問題を解決するように彼女は言ったのか……54階層と地上を繋げる道をラフォーレ達が見つけて、この管理装置を私達が見つけて、これでアルファ達の行動をかなり制限する事が出来る」

 

「私がここに居なければ、お前達は本当に何も知ることなく依頼主の思惑通りにマドカの代わりを成していたのだろう」

 

「……?」

 

 

 概ねの話は分かった。つまりは、様々な事情を知り過ぎているマドカに対する疑惑を減らすために自分達は使われたのだと。これはマドカの負担を減らすための依頼であったのだと。デルタは本当にマドカを思ってこれを自分達に頼んで来たのだと、分かった。

 

 ……ただ1つ分からないのは、であればラフォーレがそれをわざわざ自分達に話した意味だ。本当にマドカを思うのであれば、こんなことを自分達に話す必要はなかった。どうせリゼ達ではどれほど考えてもそこまでの思考には至らなかったろうし、依頼主の思惑とラフォーレの意思はそれほど離れてはいないだろう。ラフォーレにしても、マドカの事情を知る人間は少なければ少ない方が良かった筈。

 

 

「……私とて、お前の頭のイカれ具合はいい加減に理解している。お前がどれほどマドカに心酔しているのかもな」

 

「え?あ、あはは……照れるなぁ」

 

「リゼさん、多分これ1/3くらい罵倒です」

 

「え」

 

「愚図め……だが少なくともお前は、マドカの不利益になるようなことはしないだろう。あの子がどれほど異常な性質を有しているとしてもな」

 

「……!」

 

「故に、無関係にするより巻き込んで利用してやった方が使えると判断しただけだ。……未だ愚図で間抜けなのは変わらんが、少しは使えるようになってきた。精々そのままマドカに献身し続けろ、そしてあの子の負担を少しでも背負え」

 

「あ、ああ!言われなくとも!!」

 

 

 ……それはきっと、今まで彼女に言われたどの言葉よりも価値のある褒め言葉であった。何せこの世界の何より娘を優先させる女から、その娘のために働くことを許すと言われたのだから。娘のための献身を認めてやると言われたのだから。これ以上の言葉などあるものか。

 

 

「まあ、マドカさんの力になるためにクランを作った訳ですし……これで漸く公認って感じなんですかね」

 

「……本当に気持ち悪いな、お前」

 

「え!?あ、いや!レイナ!それは秘密にして欲しかった!!」

 

「というか、お前達はそれでいいのか?」

 

「あ、はい。それを承知の上でというか、その辺りの話はもう終わっています。全員納得済みですし。うちにはリゼさんに心酔してる人間か、マドカさんに心酔してる人間しか居ませんので」

 

「本当に気持ち悪いな、お前達……」

 

「類が友を呼んじゃったので」

 

「なるほど開き直るか、良い度胸だ」

 

 

 けれど、だからこそ信用して貰っても大丈夫だと自信を持って言える。結局のところ、集団を纏めるにおいて重要なのは個人の野心とリーダーの求心力であり、少なくとも【泡星の月】の人間に野心など殆どない。リゼの走りたい方向に向けて、『仕方ない人だなぁ』と一緒に走って行くだけだ。そんな彼女に着いて行きたいと思ったのだから。

 

 

「……とは言え現状、この装置の使い道はそれほどない。せいぜいお前達に私が強化種をぶつけてやるくらいか」

 

「ヤメテ……」

 

「大丈夫ですリゼさん、強化種の項目まだ使えないので」

 

「危険性を考えるに、ギルドとしてもコイツの存在を表に出すつもりはあるまい。だが唯一の使い道として……調査対象に出来る龍種が増えた」

 

「調査対象……?」

 

「強化ワイアームの毒にマドカが侵された時、その治療法に難儀したことを覚えているか」

 

「……!!」

 

「それと同じだ。"龍の飛翔"で現れる龍種には厄介な性質を持つものが多い。それに対する対抗策はいくらあっても良い。毒然り、特殊能力然り、単純な生態や攻撃手段もそうだ。少なくとも現状ここで変更出来る全ての階層主については、調査を行う必要がある」

 

「なる、ほど……」

 

 

 それはもしかしたら、邪龍の対抗策になるかもしれない。将来の邪龍候補を討伐する鍵になるかもしれない。その情報一つで多くの犠牲を回避することが出来るかもしれない。……そしてこの街はそのためだけにあらゆる機能を回している。その意識はまだリゼ達には根付いてはいないけれど、多くの死線を乗り越えてきたラフォーレからすれば当然のもの。

 

 

「これを見つけたのはお前達だ、表向きはな。……何を言いたいかは分かるな?」

 

「……その調査に、参加させて貰える?」

 

「ふっ、前向きだな」

 

「でも助かりますよね。事前知識の全くない相手と戦う経験ってあんまりないですし」

 

「うん、これこそ未知だ」

 

「良かったな、これで暇をすることもない。16階層以降の探索は基本的に往復も含め1日以上かかる、これまで以上に探索の進行速度は遅くなるだろう。浅層で出来る事が増えるのは幸運だと思え」

 

「そ、そういえばそうか……」

 

「その視点はなかったです……」

 

 

 これからは日帰りで帰って来られる範囲ではなくなる。それこそ数日をかけてダンジョンに潜ることになる。ダンジョンの潜り方そのものを変える必要が出てくる。

 

 

「……あの。50階って、めちゃくちゃ遠くないですか?」

 

「今更か」

 

 

 やはり何をするにしても、自ら経験してみなければ分からない感覚というのはあるというもの。それはこうして未知と向き合うという行為もまた同じ。

 キャラタクト・ホエールを討伐するという行為でさえ、こうして始まる新たな目標のきっかけに過ぎなかったのだから。これから更に深く深くへと、ダンジョンを潜って行ったとしても、きっと未知が尽きることは早々無い。



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126.情勢の変化

「………なるほどね」

 

「あ、ああ……」

 

「……」

 

「……ええと、エルザ?」

 

 

 

 

 

「……………こふっ」

 

 

 

 

「エルザぁぁああああああ!!!!?!?」

 

 

 

 その報告を聞いて、きっと彼女は最早限界だったのだろう。もう既に見るからに体調が悪そうだったというのに、更にとんでもない仕事を増やされて。なんなら抱えていた問題に匹敵するか超えるくらいの情報を持ち込まれて。そんなの当然にこうなる。倒れる。

 

 

「ええと、リゼさん。エルザさんを後でユイさんのところに連れて行ってあげて下さい。後は私が引き継ぎます」

 

「マ、マドカも早速ギルドで働いているんだね……」

 

「ええ、流石に忙しいので」

 

「す、すまない。そんな時にこんな話を持って来てしまって……」

 

「いいえ、気にしないで下さい。これに関しては確かに衝撃の大きい情報ではありますが、対処自体は単純なので。リゼさんとお母さんが実際に見て来たというのなら、わざわざ確認しに行く必要もありませんし」

 

 

 気を失って倒れたエルザを解放しながら、多少疲れてはいるだろうが、変わらずニコニコとした笑顔でマドカはリゼ達に笑いかける。彼女も今はギルド内の処理を必死で手伝っているらしく、遠征から帰って来た直後にこれなのだから、本当に元気なものである。

 もちろん、彼女の背後ではリゼも見知った人達が顔を真っ青にしながら只管に働いている。エリーナでさえも大量の書類を持ちながら一階と2階を往復しているのだ。これは相当な有様である。

  

 

「マドカ、必要なら何かしらあの部屋に入れないように仕込んで来るが」

 

「大丈夫ですよ、お母さん。何をしたところで、破れる人は破ってしまうんですから。……それよりかは、キャラタクト・ホエールから『武士のスフィア』が見つかったという噂を出します。対策はこれで十分です」

 

「なるほどな」

 

「うん……?」

 

「単純な話、地上と54階層の入口は確保してあります。恐らくアルファさん達は今ダンジョン内に居ませんし、そうでなくとも人の目があるだけで相当動き辛いでしょう」

 

「あ、そういうことか」

 

「それに『武士のスフィア』が見つかったというだけで、少なくともアルカさん達は確実に14階層に向かうでしょう。そうでなくともお金目当てに、多くの中級探索者が様子を見に行く筈です」

 

「お前も『武士のスフィア』を持っていることは容易く口外するなよ、面倒事に巻き込まれる」

 

「確かにあれは、すごいスフィアだった……」

 

 

 あれほどの巨体を持つキャラタクト・ホエールを粉砕したレイナの一撃は、彼女のスキルによる影響はあっても、それでも異様な破壊力を有していた。『武士のスフィア』とはそれほど強力なスフィアであり、あのアルカでさえも必死に探し求めているものだ。持っていると分かった時点で、少なくとも彼女からは交渉を持ちかけられるだろう。

 ラフォーレまでわざわざこうして忠告してくれているのだから、それは素直に聞くべきだ。

 

 

「他の階層についてはどうする?15階層以降の管理装置もあるだろう」

 

「そうですね……ステラさんとリエラさんがまた小遠征に向かうと言っていたので、その時に軽くお願いしてみます。とは言え、基本的に見つからないと考えた方がいいかもしれません。まあ見つからなくとも問題ありませんが」

 

「あの2人か……そういえばまだ殆ど話せていないんだなぁ……」

 

「ふふ、まあ彼女達は強くなることに必死なので。今回の攻略でもベインさん達と一緒にかなり頑張ってくれました」

 

「そ、そうだったのか……」

 

「ええ、私と一緒に45階層のインフェルノ・ドラゴンを倒してくれたので。次は黒龍を倒すんだ〜って気合いを入れてましたよ」

 

「………遠い先の話だなぁ」

 

「そうだな、あと一年は必要だな」

 

「ラフォーレ?もしかして私のこと、あと一年で50階層に連れて行こうとしていないかい?流石に無理だからね?」

 

「愚図、お前レベル幾つになった」

 

「に、22だけど……最近色々あったし」

 

「今度レベリングするぞ、1月は地上に帰れると思うな」

 

「マドカ助けて!!殺される!!」

 

「ふふ、仲良くなりましたねぇ」

 

「今になって分かるギルド長の気持ち!!」

 

 

 母親の関係になると途端に目が節穴化してしまうマドカに対して絶望するこの気持ち、あの時のエリーナの気持ちが今更になって分かってしまう。せめて1月籠るのならマドカと一緒がいいのに、きっとその願いが叶うこともないのだろう。あまりにも憂鬱が過ぎる。絶対に強くなれるだろうという確信はあるけれど。

 

 

「一先ず、この件については口外はしないで下さいね。後はこちらで対応します。ただ階層主の調査の時にはリゼさんにお願いするかもしれませんので、お願いしますね」

 

「あ、うん。任せて欲しい、そこは是非やらせて欲しいくらいさ」

 

「マドカ、55階層以降の攻略についてはどうなっている?」

 

「まだ話は出てないですね。今はエリーナさんがギルド長から降ろされたことで、レンドさん達も混乱しているようでして」

 

「え!?そうなのかい!?」

 

「チッ、そんなクソ程どうでもいいことに無駄な時間を使っているのか。……使えそうな人間は居るか?」

 

「んー……3つ目のスキルが解放されることが判明したせいで、各クラン55階層以降の攻略より、50階層の攻略について力を入れ始めている感じです。正直50階層を攻略した人達の中で今直ぐに55階層を攻略しようとしている人は居ませんね」

 

「……クソが、なんのために50階層を攻略したと思っている。これでは何の意味もないだろうが」

 

「……」

 

 

 ラフォーレの落胆したような、悔しがるような、そんな表情に何とも言えない気持ちになる。ギルドが騒々しいのも分かるが、ラフォーレの気持ちもリゼには分かる。せっかく50階層を突破して、ここから先は完全に未知の領域だというのに。そこから先に進めない悔しさ。同じ立場ならリゼだって多少ヤキモキしてしまうかもしれない。それこそ55階層の階層主を倒した次の世界なんて、リゼだって知りたいくらいなのに。

 

 

「少なくとも、暫くは何処も動かないと思います。なんならお母さんも、有望な探索者を集めて50階層を攻略した方が早いくらいかもしれません」

 

「……はぁ。あまり簡単に言ってくれるな、私はそういうのは苦手なんだ」

 

「わ、私達は無理だからな!?」

 

「分かっている、お前達はさっさとイエロードラゴンを倒して来い。……マドカ、有望な探索者を教えてくれ」

 

「先ずはリエラさんとステラさん。あとベインさんが最近、とある男性とペアを組んで居ます。45階層でも参加していましたが、彼も将来有望かと」

 

「ああ、アレか……確かに奴等には以前にはなかった必死さが見えた、少しは使えるか」

 

「"青葉の集い"の方々も良いかもしれません。基本的にギルド運営とは無関係ですし、ご老人が多いことから長期の遠征に行けないことを悩んでもいましたので。他メンバーの50階層突破にもそれほど熱意はないでしょうし」

 

「ふむ、この際にジジイ共に甘やかされたガキ共を叩き治してやるのも一興か。盾役が手に入るのも良い」

 

「盾役ならバルクさんはどうなんだい?ラフォーレの弟の。彼は今回の遠征では地上戦力として残っていたと聞いたけど」

 

「アレは駄目だ、クソの役にも立たん」

 

「え……?」

 

「この遠征の間、奴は地上で何もしていなかった。最低限の鍛錬のみ、自身の力量を伸ばすための努力を殆ど怠っていた。……3週間だぞ?それを奴は無にした。今更そんな男の何に期待する?アレを連れて行くくらいなら、お前を連れて行った方が100万倍マシだ」

 

「……」

 

 

 そんな冷たい言葉を前に、流石のマドカも何も言わない。リゼとしても反応に困る。けれどラフォーレの性格を知った今なら、その反応が当然のものだとも思ってしまう。

 

 ブローディア姉妹とベインは、それぞれの目的のために本気で必死になって努力をしている。ラフォーレはそういう人間を好む。

 "青葉の集い"の彼等も、甘やかされているとは言いつつ若さに合わない実力を持っているのは確かだ。当然そこに努力はある。

 リゼ達だって殆ど成り行きで手酷い目に遭っているのは事実だが、それ以外でも確かに努力はしている。毎日のようにダンジョンに潜っているし、依頼も欠かす日は無いし、今回の遠征中も3週間、自分達に足りないものを自分達なりに必死に磨いたつもりだ。それがキャラタクト・ホエールとの戦闘中でも一部ではあるが功をなした。

 

 ……だが、ラフォーレの話したそれが本当のことなら。ラフォーレの弟であるバルク・エルフィンはこの3週間を大きな挑戦や工夫もすることなく、ただ平然と過ごした。その間に同じパーティメンバーのラフォーレやクロノスは50階層突破のために全力を尽くしていたというのに。地上で何の問題も起きなかったことを良いことに、怠惰を貪った。

 

 ラフォーレが怒りを通り越して見放してしまったのも、仕方がない。いくら弟であろうとも、彼女にとって血の繋がりというのはそれほど大したものではないのだから。

 

 

「その点、あのベインという男は良い目をするようになった。奴は1年もすれば最上位まで登るだろう」

 

「そうですね、私もそう思います。元よりそれだけの才のある方でしたから。意思が伴った今、登り詰めるのに然程時間はかからないかと」

 

「……意思、か。それは私にとってもよく分からないかもしれない」

 

「まあお前には確かに奴ほど熱の伴った意思はないな」

 

「うぐっ……わ、分かっているよ。前にラフォーレに言われた時に散々悩んださ」

 

「……だがまあ、それが無くとも結果を出しているのだから。そろそろ認めなければならないだろう」

 

「え?」

 

「お前のマドカに対する執着は本気で気持ち悪いとな」

 

「褒めて?そろそろ普通に褒めて?それに私だって好奇心とか楽しさとか、そういうのもあって努力が出来ているだけで……」

 

「ふふ、つまり探索者に向いていたんですね。何をするにしても、それを楽しめる人間が一番強いですから」

 

「あはは、そうかな」

 

「マドカに褒められて露骨に嬉しがるな、気持ちが悪い」

 

「痛いっ!!」

 

 

 褒められてデレデレとしていたところを引っ叩かれる。

 しかしマドカの言う、結局のところそれを楽しむことが出来るのが一番強いかもしれないというのには、ラフォーレも納得したところがあった。金や名声を求めるより、憎悪や憤怒で動くより、それは好奇心と楽しさで動いている人間の方が動き続けられるに決まっている。

 それに実際、きっとラフォーレだって同じだ。未知への好奇心と、その楽しさで探索者をやっている。そしてそれこそが探索者として最も優れた才能なのだろう。なんだかんだ言いつつ結局こうしてリゼの面倒を見てしまっているのは、そういう既視感があるからなのかもしれない。

 

 

「それで、50階層の再度突破を目指すのかい?」

 

「愚図共が燻っている以上、やるしかあるまい。幸いにも黒龍の情報は揃っている。私自身もそれなりの力を手に入れた。……ああ、そういえばこの"魔砲のスフィア"を見つけたのはお前達だったか。それについては感謝してやる」

 

「感謝されてる気がまるでしない……」

 

「ギルドの方がひと段落したら、私もカナディアさんと一緒に51階層の調査をするつもりです。そのついでで良ければ手伝いますよ、お母さん」

 

「ああ。ありがとう、マドカ」

 

「ラフォーレが普通に感謝してる……何故それが私には来ないんだ……」

 

 

 仕方がない。だって愛娘なのだから。

 そこはリゼでは食い込めない領域である。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 久しぶりにお祝いも兼ねて外で食べよう!なんて話になって、連れて来られたのは何故か例の喫茶店。

 どうやらポストの中に『最近来てないけど珈琲胃の中に入れる準備出来てる?』という文章があったのをリゼが発見したらしく、これはと思い彼女も危機感を感じたらしい。

 

 

「ほ〜ん。で?ブルードラゴンは?」

 

「レイナの一撃で多分浮かび上がって来ると思う」

 

「あとは私が頭部をズドンと」

 

「……つまり、余裕なのね」

 

「レイナが凄かった」

 

「私もびっくりしました」

 

 

「いつの間にか普通に探索者してたんですね、ご主人様」

 

「私は最初から普通に探索者していたつもりだけど?あと鼻に肉を詰めようとしないでくれ、私をどうしたいんだ君は」

 

 

 当然のように机に混ざって、何故か一緒になって食事を摂り始めたいつものふざけた店員。フォークに肉を突き刺してウリウリとリゼの鼻に押し付けて来るその様子から、彼女が変わらず元気そうだと言うことが見て取れた。

 そして今日も店主エドは静かに食器を磨いている。なぜ彼はこの店員を叱らないのだろう、リゼは不思議で仕方がない。

 

 

「にしても、こんなお洒落な店をリゼが知ってたなんて思わなかったわ。少し高めだけど良い店ね」

 

「ありがとうございますぅ♡お陰様で毎月そこそこ黒字なんですぅ♡」

 

「ま、また生々しい話を……」

 

「確かここの出資者がマドカさんなんですよね、今でも時々来たりするんです?」

 

「げっ、そうだったの?」

 

「結構来ますよ〜?単に食事に来ることもあれば、マスターとなんか話してる時もありますし。私のことも可愛がってくれるのでぇ♡」

 

「……なぜ私を見ながらそれを言うんだ」

 

「私もこのお店知らなかったかも」

 

「ん?クリアも知らなかったんだね、シセイさんはここに来てたけど」

 

「"青葉の集い"の方々はそれなりに来られますね〜。まあターゲット層が時間と金の有り余ってる御老人なので当然なんですけど〜」

 

「そう考えると、何故かメイド服を着ているリコの存在が一番この店に相応しくないのでは……?」

 

「え?なに?オムライス10人前おかわり?」

 

「い、言ってない!!あと"おかわり"ってなんだ!そんなもの一度だって頼んだ覚えはないぞ!!」

 

「えぇ!?じゃあ20人前も食べるんですかぁ!?こ、これには流石の私も見直さざるを得ませんわね、なんて立派なご主人様……」

 

「い・ら・な・い!!」

 

 

 危うく注文票にオムライス20人前を書きそうになった彼女を、リゼは必死になって止める。リゼは知っている。この女は放っておけば本当に20人前のオムライスを持って来る女だと。そしてそんなリゼの様子を、クリアやスズハは珍しいと見ていた。その気持ちはレイナにも分かる。リゼがこういう珍しい取り乱した方をする相手はそれほど居ないのだから。

 

 

「冗談はさておき」

 

「それが冗談だというのなら、今直ぐにそのペンを机に置いてくれ」

 

「現実はさておき」

 

「絶対に現実にはさせない!!」

 

「ご主人様は知ってます?最近の都市外の情勢とか」

 

「ん?」

 

 

 それまでの冗談が嘘のような真面目な話をぶっ込まれて、リゼは思わず戸惑ってしまう。しかし改めてそう言われると、実はそれほど知らなかったりする。何なら最近は自分達のことで手一杯で、都市の外で何が起きているのかなんて触れることさえ出来ていなかった。それどころではなかった。

 

 

「まあどうせそんなことだろうとは思いましたけど〜……なんか色々大変みたいですよ〜?主に邪龍とか、龍神教とか」

 

「!!」

 

「……邪龍」

 

「シアンさん……」

 

「良ければ、軽く教えて貰ってもいいかな?デザートの一品くらいなら奢るよ」

 

「やれやれ、仕方ないですね〜。マスター、超ジャンボフルーツパフェを1つ〜」

 

「本当に何の遠慮もない……」

 

 

 邪龍と聞いて、シアンの表情が曇ってしまうのは仕方のないこと。そういう意味ではこの話をしてくれたのが空気を壊してくれるリコであって良かったのかもしれない。リゼのお小遣いも悲鳴を上げるが。

 

 

「最近、超龍アバズドルの動きが活発らしいんですよね〜。なんでも活動範囲が広がって?町が一つ消えたんだとか」

 

「超龍アバズドル、か……」

 

「その邪龍は私もよく知らないです……スズハさんは分かります?」

 

「まあ最低限だけど……簡単に言えば、レッドドラゴンの最終形態みたいな奴よ。基本は世界の端の火山帯を縄張りにしていて、現状だと最も討伐難度が低いと考えられてるわ」

 

「……いやでも、確かアバズドルは」

 

「ええ、200年近く前に討伐対象になって、人類側が返り討ちにされてる。難度が低いって言われてるのは、持ってる能力が単純だからよ。やってる事は熱線を撒き散らしてるだけだし」

 

「熱線……シナスタンみたい……」

 

「陽龍シナスタンは光を操って敵を焼いてたけど、超龍アバズドルは自分の身体から熱線を撒き散らすの。地形破壊と集団殲滅を得意としてる。過去の記録だと、人間が近付いただけで消えた、ただの一撃で大きな湖が蒸発した、なんて巫山戯た話もあるわ」

 

「あ、相変わらず邪龍というのは……」

 

「そ、そんなアバズドルが活動を……?」

 

「最近は大人しくしてたみたいなんですけどね〜。それで龍神教も活動を増してるって感じなんですよ〜」

 

「……!」

 

 

 最近はその言葉も聞いていなかったけれど、今でもリゼの記憶には確かに残っている。ラフォーレやエルザ達と対峙した、あの異形の怪物達。龍神教、邪龍こそが世界を救うと信じて疑わない者達。

 

 

「龍神教は何を?」

 

「アバズドルの被害があった場所で、救命活動を行ってまして。実際に龍神教の活躍でかなりの数の人達が命を救われたんですって」

 

「それ、は……」

 

「まあそうなると?龍神教の評判も上昇、信徒も倍増、そんな話が広がって少しずつ各地で影響力を強めてるみたいな。『隣に座る人間が龍神教徒だと思って話せ』なんて言葉もありますけど、本当にそんな感じになってきたと言いますか」

 

「……まあ、そこは実際に人命救ってんだから当然の報酬でしょ。気に入らないなら先に助けるべきだったのよ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

「割と世の中がきな臭くなってきましたからね〜。獣人にだけ感染する熱病とか、邪龍が増えた疑惑とか。他にもこの前のアイアントで起きた紅嵐で、汚染地域が増えたなんて話もありましたし。滅亡の日は近い、みたいな悲観的な話も多いみたいですよ〜」

 

「……滅亡の日、か」

 

 

 リゼは知っている。

 邪龍が増えてしまった事は事実だと。

 

 スズハは知っている。

 獣人にのみ感染する熱病の存在を。

 

 つまり恐らく、アイアントで汚染地域が増えたというのも本当の話なのだろう。

 

 ダンジョンのある各都市で、こうして良くないことばかりが続いている。それを考えれば滅亡の日が近いというのも決して嘘とは言い難い。

 

 

「スズハはどう思う?滅亡の日だなんて」

 

「いや、割と現実的にこの世界やばいでしょ」

 

「やっぱりそう思います……?」

 

「少なくとも、邪龍が1匹気分を変えて大暴れしただけで半壊するような現状。しかも邪龍だけじゃなくて、グリンラルには怪荒進が、アイアントには紅嵐がある。……元の私の世界並みの平和を手に入れるのに、あと何百年かかるのよ」

 

「まあ私は私が生きてる間に何もなければいいかなって思いますけどねー」

 

「君は本当に…………ん?いや、君はエルフだからあと100年以上は生きるじゃないか」

 

「何も起きないといいですね〜」

 

「……そうだね」

 

 

 そんなリコの言葉に、リゼは素直に頷く。あくまでリゼは探索者としてダンジョン探索を楽しんでいたい訳であり、邪龍討伐を目的にしている訳ではない。なるべくなら今のままこの生活を楽しんでいたいとは思う。……なるべく平和に、誰も悲しむことのないように。

 

 

 

 

「……あ、そういえば今日はマドカさんから伝言を預かってるので呼び出した訳なんですけど〜」

 

「先にそれを言わないか!!」

 

「明日とある"錬金術師"さんがここに来る予定なんですけど、会っていきます?」

 

「「会いたい!!」」

 

 

 それは会いたい。

 

 リゼはスズハと一緒に身を乗り出した。

 



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127.報酬、期待

 メイド喫茶ナーシャから帰ってきた後、リゼは流石にここ数日の疲労でクタクタになった身体を引き摺りながら、それでもレイナ達と別れて1人とある場所へと向かっていた。

 

 

「すまいないなリゼちゃん。ギルドがあんな状態でも放送だけは止められない。そろそろリゼちゃんかマドカちゃんを出せって視聴者も上の連中もうるさかったんだ」

 

「いやいや、私なんかで良ければいつでも構わないよ。喜んでもらえるのならこれ以上のこともないさ」

 

「ありがとう、これは今日の駄賃だ。少し多めに包んだから、良いものでも食べて休んでくれ」

 

「助かるよ、ありがとう。監督もあまり無理をしないでくれ、それじゃあ」

 

 

 ダンジョン2階層における配信業。

 こうして定期的に手伝っているリゼではあるが、どうやらこの1月近い遠征による空白期間は視聴者達にとっても苦しいものだったらしい。リゼが帰って来た事が分かると、彼等は直ぐに出演の要望を出して来た。

 

 リゼの人気は特に女性を中心に根強い。なんなら同僚に当たる他の出演者でさえ、リゼが帰って来るのを待ち望んでいた。生来の顔の良さと女誑しの気質は、なるほどやっぱり確かなものらしい。今日だって久しぶりだと、妙に労われたし、お菓子もたくさん貰ってしまった。

 それにマドカとは違い、連邦上層部のお偉いさんが喜ぶような健全なタイプではないものの、若い女性職員達が喜んでいるということもあって、連邦としてもマドカの後釜として押していきたいという話もあったらしい。

 

 

「……なんなら配信業こそ、私が一番マドカから引き継げているものかもしれないな」

 

 

 まだ自分のことで精一杯で、1日に1回参加するのが精々だけれど。少しずつ余裕が出て来たら、もっと色々な仕事を任せて貰えるだろう。……そして同時に、知名度もマドカと同じくらいに。

 

 

 

 

『リゼ・フォルテシア』

 

 

 

 

「っ!?誰だ!?」

 

 

 

 それはダンジョンからの帰路。夜も遅く一通りの少なくなった階段通り。星空と街を見下ろすことの出来るそんな場所で、リゼは唐突に背後から言葉を掛けられた。

 電灯が少なく、辺りを照らすのは月と星の光だけ。けれどそんな暗闇の中でも、リゼの眼は誰よりも世界を見分けている。故に暗闇の中に隠れながらこちらに近付いてくるその人物にも、直ぐに気付くことが出来た。それはもちろん、その人物が誰なのかまでも。

 

 

「デルタ……」

 

『!……驚イタ、コレホドノ闇ノ中デモ見エルノカ』

 

「目には自信があってね。それに驚いたのは私もさ。まさか早速こうして接触してくれるとは思わなかった」

 

『依頼ノ完了ヲ確認シタ。心ヨリ感謝スル』

 

「いや、マドカのためになると言われたら断ったりしない。……ただ、成り行き上ラフォーレも巻き込んでしまった。問題はないと思うけれど」

 

『ムシロ彼女ヲ巻キ込メタ事ハ最善ダッタ。気ニシナクテイイ』

 

「それなら良かった」

 

 

 てっきりその事で怒られてしまうのではないかと思っていたリゼは、デルタのその言葉に安心する。

 自然とリゼとすれ違い、星空を見上げるようにして階段の手摺りに寄り掛かる彼女。こうしてみると彼女は普段の不思議な人物という感覚がなく、リゼより身長の低いただの少女のようにも思えるのだから不思議なものだ。もちろん簡単には触れ難い人物ではあるけれど。

 

 

「これからも何かあれば手伝わせて欲しい。報酬なんてなくとも、それがマドカのためになるのなら手伝いたい」

 

『……ソウカ。ダガ現状デ頼メル事ハナイ。実力ガ不足シテイル』

 

「実力不足か……耳の痛い話だね」

 

『邪龍ノ全討伐、ソレヲ成セ』

 

「は……?」

 

『ソレガオ前達ノ最低限ノ責務ダ』

 

「……」

 

 

 唐突に放たれたそんな言葉に、思わず声が出なくなる。

 邪龍の全討伐?そんなのは正直、全くと言っていいほどに現実的ではない話だ。リゼはここ最近そうして邪龍という生物の恐ろしさを聞いて来たからこそ、そう思う。

 

 たった1匹討伐するだけで世界が傾きかけた。人類の持つ全てを賭けて挑んでも倒せないことさえあった。レンド達は邪龍候補こそ倒してはいるが、長くを生きている現存する邪龍達にはまだ手を出せていない。

 

 

「それなのに……邪龍の全討伐が最低限だと、君はそう言うのかい?」

 

『"異龍ルブタニア・アルセルク"、オ前達ガ取リ逃ガシタ実体ノ無イ邪龍ヲ覚エテイルカ』

 

「……スズハから話だけなら聞いているけど」

 

『"アルファ"ハ奴ノ足止メヲシテイタ』

 

「!!」

 

『私モ多少ノ手伝イハシタガ、失敗シタ』

 

「アルファと君が、失敗した……?」

 

『ソモソモ、奴ハ殺セナカッタ。……ツマリ、"異龍ルブタニア・アルセルク"ハ生物デハナク自然現象ニ近イ』

 

「!?」

 

『ソレガ邪龍ダ。……減ラサナケレバ、増エテイク。人類ノ安全圏ハ、狭クナルバカリダ』

 

「……」

 

 

 先日の一件で、アルファ達がどれほどの戦力を有しているのか嫌でも垣間見えた。そして恐らく、まだ何か隠しているものがあるというのが共通見解。

 そんな彼等でも殺せず、そもそも殺すという行為すらできない存在が生まれて来てしまった。そしてこれからそういった邪龍は増えて来ると、彼女はそう言っている。

 

 

「……君は、何をどこまで知っているんだい?アルファとも知り合いのようだし、君の立場はどういう?」

 

『イズレ分カル』

 

「……」

 

『私ハ代替品ニ過ギナイ。ダガ活用ガ約束サレテイル。オ前ガ順調ニ成長シテイクノデアレバ、嫌デモ手をヲ取ルコトニナル』

 

「じゃあ、君とアルファとの関係は?」

 

『救世ノ為ニ手ヲ貸シテイル。ソレダケダ』

 

「……最後に。もう一つだけ、聞いても良いかな」

 

『アア』

 

 

 

「マドカのことは、好きかい?」

 

 

『……アア。君ニモ負ケナイ程ニ』

 

 

「……そうか、それなら十分だ」

 

 

 リゼにとって何より重要なのは、その一言だ。逆に言えば、もしそこを否定されてしまっていたら手を取れなかったかもしれない。けれど彼女はそこだけはしっかりと自分の意思を出して言葉にしてくれた。その共通点こそが、きっと今後の関係を形作る。

 

 

『リゼ・フォルテシア、追加報酬ダ』

 

「っ、これは……?」

 

『【滑走ノスフィア☆1】、5階層ノ別ノ階層主を倒シタ際ニ手ニ入ル物ダ』

 

「……!!そうか!階層主が増えたということは、倒した際に確定で貰えるスフィアも増えるということ!!」

 

『"ラフォーレ・アナスタシア"二モ教エテヤレ。奴モ忘レテイル』

 

「ありがとう!!そうさせてもらうよ!!」

 

 

 それだけの言葉を残して、彼女は再び暗闇の中へと消えていった。

 ☆1とは言え光属性のスフィア。そして今のリゼは星の数が少ないスフィアであったとしても、それが非常に有益なものであるとよく知っている。

 

 

「……後で試さないと」

 

 

 それまでの疲れなど一気に吹き飛んでしまう。やはり何をするにしても、好奇心というものは非常に強い。やっぱりダンジョンはまだまだリゼを飽きさせてはくれないらしい。これから先もどれだけだって、きっとリゼが飽きることはないんだろう。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 さて、そんな風にリゼが探索者としての楽しみをこれでもかと味わっている一方で。もちろん苦労している人間は何処にでもいる。何もかもが順調なわけではないのだから。目の前の問題に頭を抱えている者達が、少なくともギルドという場所の中には大勢居た。

 

 

「よっ、元気……そうではねぇな、流石に」

 

「クロノスさん!……そうですねぇ、私は元気ですよ?エリーナさんはさっき向こうで吐いてましたけど」

 

「おおう、地獄絵図ってのはこのことか……」

 

 

 今回の50階層攻略を提案した、ラフォーレと同じクランに所属する男:クロノス・マーフィン。彼もまたこうして地上に戻って来た後、諸々の面倒事に相対して来た。それらを処理し終えたからこそ、こうして彼女達の顔を見に来た訳である。

 ……もちろん、彼もまたその顔に疲労の色は濃い。

 

 

「すみませんでした。遠征結果の報告について、配信にまで出て貰ってしまって」

 

「いや、構わねぇよ。レンドもなんか大変なんだろ?まあ流石に3日連続の飲み会はキツかったが、質問責めにしたい気持ちも分かる。……結局、商人連中もこういう話を聞きたいが為にオルテミスに居るみたいな所もあるしな」

 

「正直助かってます。連邦に居た時の経験もあって、クロノスさんは飲みの場でも適切に対応してくれますし」

 

「はっはっは、まあ死ぬほど参加させられたからなぁ。今回ばかりは俺も何回も死にかけたし、話のネタには困らなかったよ。英雄扱いは恥ずかしいからやめて欲しかったが」

 

「ふふ、発起人なんですから。それくらいは当然です」

 

「煽った奴がよく言うぜ」

 

 

 連邦軍に所属していた経験もあってか、クロノス・マーフィンという男は、人望だけでなく十分な常識も備わっている。飲みの席にも慣れているし、顔も広い。特に彼は探索者に転身してからも連邦軍と懇意にしており、レンドが参加しなくとも彼が居ればパーティはそれなりに盛り上がるのだ。そういったことができる能力もまた貴重、大切な人材だ。

 

 

「マドカ〜、この資料終わったっす〜……」

 

「ああ、ヨルコさん。お疲れ様です、今日は一旦帰っても大丈夫ですよ。あとは私がやりますから」

 

「うっ、うっ……もう働きたくない……明日は年休取るっす……」

 

「その辺りはエッセルさんにお願いしますね」

 

「絶対無理に決まってるじゃないっすかぁ……」

 

 

 えぐっえぐっと泣きそうになりながら帰り支度をし始めたヨルコを見送り、あの彼女があそこまでになるほどに今のギルドはヤバい状況なのかとクロノスは真顔で口を閉じる。クロノスもそれなりに探索者になって長いが、こんな状況は初めて見た。これならまだ昨日の飲み会の方がマシだったろう。

 

 

「そういえばクロノスさん」

 

「あ、ああ。どうした?」

 

「お母さんが早く55階層に行きたいって言ってました」

 

「……相変わらず気が早ぇな、アイツ」

 

「まあ、56階層以降の景色を早く見たいんでしょう。50階層と違って素通り出来そうな階層主ではありましたけど、やっぱり倒してから進みたいでしょうし」

 

「はぁ……つっても今は何処も50階層突破に専念したいんじゃねぇのか?スキルが増えるなんて言われたらなぁ」

 

「ええ、なのでステラさん達を誘って50階層を再突破しようとしてました。なんならアルカさんとかにも声を掛けるかもしれませんね。……彼女は今回、まあ、あまり活躍は出来ませんでしたから」

 

「なるほどなぁ」

 

 

 "龍殺団"の団長であるアルカ・マーフィンは、何を隠そうこのクロノス・マーフィンの実の妹である。そしてそんな彼女は今回の遠征において、それほど活躍することが出来なかった。

 彼女は今回、45階層と50階層の両方に参加すると言って聞かず、にも関わらず十分に働けたのは45階層だけ。50階層では黒龍の攻撃で真っ先に沈んでしまい、それがレンドに対してマドカを含めた予備戦力を全て出す事を決断させた一手になったりもした。

 

 そうでなくとも、アルカ自身の認識は違う。

 

 45階層では魔砲のスフィアを使用したマドカによってインフェルノ・ドラゴンが深い傷を負い、自分は殆どその後始末をしたようなもの。

 50階層では何の活躍もできずに早々にリタイアしてしまい、その尻拭いをまたもやマドカにやって貰ったように感じたのだろう。

 

 元より最近の出来事で落ち込み気味であった彼女は、ライバル指しているマドカとの差を実感してじい、更に深く落ち込んでしまっている。

 

 

「まあ実際、運が悪かったというだけなんですけどね。黒龍のあの攻撃は初見で避けるのは難しいですし。むしろあれを受けて生きていられるステータスを持つアルカさんが引き受けてくれたおかげで、死人が出なかったようなものなんですから」

 

「ま、あの頑固娘は何言っても言うこと聞かねぇよ。この際ラフォーレに見てもらうってのもありだろ」

 

「クロノスさんは参加しないんですか?しますよね?」

 

「……」

 

「……」

 

「……ちょっと休憩させてくんない?おじさん流石に年齢がな」

 

「ふふ、まだ28歳でしょう?」

 

「いやぁ、けど……あんなの見てよくまた黒龍に挑もうなんて思えるな、あの女」

 

「必要なら私も手伝うつもりです。今なら54階層からダンジョンに入るって手段が使えますからね」

 

「……逃げ道塞ぐねぇ」

 

「それに、"聖の丘"を追い抜けますよ?」

 

「はぁぁ……都市最強なんて興味ねぇんだけどなぁ」

 

 

 今回の遠征において何よりの収穫は、マドカの活動範囲が増えたことと、インフェルノ・ドラゴンを討伐したことで盗賊のスフィアが再び広く流通したことだろう。

 各クランは早速ダンジョンに潜りまくってスフィアを掻き集め、今度はクランによる50階層突破に向けて走り始めている。

 

 特に"聖の丘"と"風雨の誓い"はかなりの気合を入れており、連日多くの探索者がダンジョンの中へ入っていっているのが現状だ。

 そして"青葉の集い"はラフォーレと共にそれを成すことになるだろうし、マドカの予想ではそこに"龍殺団"も入って来るかもしれない。

 

 これからダンジョン攻略はますます燃え上がることになるだろうし、それに応じて都市自体の地力も高まっていくだろう。なんならラフォーレはこれを機に"紅眼の空"を抜ける可能性だってある。

 

 彼女にとってクランとはそれほど重要なものではないし、彼女ほどになれば別にクランに入っていなくとも不利益は殆どない。……そうでなくとも、同じクランメンバーの弟があの様子なのだから。クロノスも今後の動きについて考え直すべきだ。

 

 

「……ま、ラフォーレは抜けるだろ」

 

「私もそう思います。順当に行けばカナディアさんが"龍殺団"を抜けて、そこにお母さんが入るのかなと。"青葉の集い"と連携を取って、ダンジョン攻略の最先端を走っていくことになると思います」

 

「そこにブローディア姉妹と、ベインか」

 

「ええ、戦力としては十分です。将来性も」

 

「……俺達はどうするんだ、って言いたいんだよな?」

 

「はい」

 

 

 結局、クランという垣根は将来的に邪魔になる。そしてラフォーレは現時点でそれを邪魔と感じており、その気質を持って破壊しようとしている。必要なら容易く移り変わるのは間違いない。

 ただ只管にダンジョンに潜る、強くなる。その目的を達することの出来る人間を集めようとしていて、きっとそこにリゼ達も将来的に加わることになるのだろう。

 

 ……このままでは取り残される。

 

 何もしていなければ情勢はどんどん進んでいき、気付いた時には手の届かないところまで彼等は進んでいることだろう。"聖の丘"と"風雨の誓い"もまた、ラフォーレには遅れるだろうが着いていけるだけの地力がある。きっと黒龍は数年もすれば簡単に倒されるようになるはずだ。単なる通過点でしかなくなってしまう。

 

 

「……バルクのこと、マドカちゃんはどう思う?」

 

「……」

 

「聞いてるとは思うが、今回の遠征中、アイツは何もしてなかった。……なんてラフォーレは言うが、まあ何も起きなかったんだから仕方ねぇ。むしろ何か起きた時のためにアイツなりに準備はしてたんだ。ラフォーレは滅茶苦茶に言ってやがったが、俺個人としては怒ることなんて何もない」

 

「……」

 

「ただ、アイツは実際ラフォーレの言う通り、探索者には向いてねぇよ。小さい町で衛兵やってた方が合うだろうさ、むしろ頑張ってる方だろ」

 

「……連邦軍に返すんですか?」

 

「さあな。……ただ俺は、未だに天龍ジントスが許せねぇ。バルクがどんな道を選んだとしても、俺は自分の道を歩くだけだ」

 

「ということは……」

 

「ラフォーレに協力するってのは正直あんま気分良くねぇが、それがジントスを潰すのに一番手っ取り早いんだろ?少なくとも、マドカちゃんはそう思ってる」

 

「……はい」

 

「ならそうするさ。俺の目的はブレねぇよ」

 

 

 かつて、あの時、自身がずっと守り続けていた街が一つ、ただの1匹の龍によって壊滅した。

 生き残りは極僅か。思い出のある場所も、親しんだ友人や、酒を飲み交わした顔しか知らないような住民も、一瞬にして失った。あの日からクロノスの中には天龍ジントスに対する憎悪があり、必ず仇を取ってみせるという誓いがある。それより優先されるものなどない。それがあの龍を討ち倒すために必要だというのなら、迷うこともない。

 

 

「個人的には、バルクさんにも頑張って貰いたいです。バルクさんほどの盾役もなかなか居ませんから、戦力として貴重な存在です」

 

「まあな、ただバルクのことは口を出さずに全部アイツの選択に任せる。いつまでも指示を受ける側では居られない、ってのも本当だしな」

 

「……もしよければ、1つ提案があるんですけど」

 

「ん?どんな提案だ?」

 

「リスタニカさんのお手伝いをさせてみるのはどうでしょう」

 

「!!」

 

 

 リスタニカ・ゼグレスタ。

 それはマドカがグリンラルへと行った際に再会した彼であり、連邦軍の長として、どころか第二の英雄とも評される人物である。当然ながらかつてのクロノスの上司に当たり、その影響を強く受けた。英雄アタラクシアと同じく、常に単独で世界中の危険地帯を歩き回っている彼。

 

 

「……確かに、今のバルクなら軍長と行動しても実力的には問題ねぇな」

 

「リスタニカさんは今、超龍アバズドルの活動地域付近で救援活動をしている筈です。最近になって手軽に連絡を取れる手段が出来たので、ギルド長経由で話も通せますよ」

 

「そうなのか……いや、マジで良い考えだ。今のバルクは精神的な未熟さが何よりの問題になってる。その点、常に過酷な地域で活動してる軍長の手伝いは、否が応でもアイツを成長させるだろう」

 

「……当然ながら、かなり辛い話にはなりますが」

 

「あんだけメタメタに言われたラフォーレの側で探索者を続けるのと、軍長の手伝いをするの。どっちが楽なのかって話だな。……それこそ、それを決めるのはバルク自身か」

 

 

 きっと、リスタニカは断らない。

 それがバルクという男を、つまりは人々を救うために必要な戦力を育てるためというのであれば、決して。……しかし同時に、バルクのために足を遅めるということも決してしないだろう。あの男の目には何より民を救うことしか映ってはいないのだから。着いて来れないのなら、そのまま置いていくことも厭わない。

 

 

「早速帰ってバルクに提案してみるわ。明日あたりにラフォーレにも声掛けねぇとな。ありがとな、マドカちゃん」

 

「いえいえ、役に立てたのであれば」

 

「……そういやぁ、ラフォーレが妙にリゼちゃん達のこと褒めてたな。10階層も突破したんだろ?マドカちゃん的にそっちはどうなんだ?ラフォーレが普通に褒める程となると俺も気になってな」

 

 

 

「変なことはしないでくださいね?」

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 なんとなく。

 空気が変わったのを、察した。

 

 

 

「リゼさん達のことはお母さんに任せています。あんまり手を出したら駄目ですよ?」

 

「え?あ、いや、別にそんなつもりは無いんだけどな……」

 

「リゼさん達には、私の持ちうる全てを注ぎ込みます」

 

「は……?」

 

「今日まで掻き集めてきた優秀な人材、情報、物資、その全てを彼女達に賭けるつもりです。私がそう決心せざるを得ないほどの成果を、彼女は出し続けてくれた」

 

「……な、なる、ほど?」

 

「今はまだ秘密にしておいてくださいね。リゼさんは私よりお母さんと相性が良いようなので、地力を付けるまではお母さんに任せたいんです。実際レイン・クロインどころかキャラタクト・ホエールまで倒してくれましたし、実力も経験も短期間で凄まじい速度で身に付けています。それに全てを注ぎ込むと言っても、いきなり全てを渡しても意味がありませんから。少しずつ少しずつ、時期を見計らって渡しているところなんです。最低限の力量さえ身に付けば、後は早いでしょうね。未知と遭遇し、それを咀嚼する速度も適切にコントロールしていかなければなりません。彼女は繊細ですから。ただその辺りもお母さんが改善してくれています、一年もしないうちに彼女は私を超えてくれる筈。邪龍討伐のためには如何に彼女達を健全に成長させることが出来るかに掛かっています。その為にはたとえアルファさんであっても余計な手を出させる訳にはいきません。……正直もう私の教え子と言ってもいいのかというくらいお母さんに任せてしまっているのですが、実際私ではあそこまでリゼさんを導くことは出来なかったと思うので。それに今後のことを考えればリゼさんはお母さんを参考に探索者としての成長をしていった方がいいのは間違いありませんからね。なので良ければリゼさん達の成長については私に、いえ、お母さんに一存させて欲しいんです。もちろんリゼさん達から何かを頼まれた際には答えてあげて欲しいんですけど、少し過保護なくらいになりながら成長を促していきたいなと思っていまして。きっとリゼさんには不思議な力と言うか、運命力のようなものがあると思うんです。人に恵まれるというか、彼女という人間が生来持っているものと、人生の過程で育まれた性質が噛み合って、彼女はきっと将来的に多くの人々と心を通わせることになるでしょう。だから大事に育てたい、なるべく大きく育てたい。もしかしたら彼女こそ私の探していた希望かもしれない。そういうことなので、彼女について少しだけ特別扱いしてしまうことは許してください。そして彼女は私が特別扱いしているということも、良かったら覚えておいて欲しいです。もし彼女に手を出してしまいそうな悪い人を見つけたら教えて下さいね、私がちゃんとお話ししますので」

 

 

「……お、おう」

 

 

 周りが見えていないというより、話したいことが沢山あるというようなその反応。これが単に無表情で長々と話していたのなら、まだ心配するなり恐怖するなり反応出来たのに。普段と変わらぬ感情豊かな表情と仕草で、止まることのない言葉の雪崩。

 

 

(普通の子じゃないってのは分かってたつもりだったんだがな、それっぽい片鱗が出て来たというか……まあ、あんだけ荒れてた時のラフォーレが愛娘なんて言って連れて来た時点で、そりゃ普通な訳がないわな……)

 

 

 人類のため、救世のため、それほどスケールの大きな対象のために、本気で向き合うことの出来る異常者。そしてそんな異常な精神を成り立たせるのは、それこそ相応の能力を持っているからに決まっている。

 

 ……だとしたら。

 

 

 (頑張れよ、リゼちゃん……)

 

 

 とんでもない怪物に目を付けられてしまった新人探索者に、クロノスは心の中でエールを送った。



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128.錬金術師

 "錬金術師"

 

 その言葉は実のところ、この世界においてそれほど有名な訳ではない。というよりはむしろ、嘲笑される対象であると言ってもいい。何故なら既に錬金術師達のやっていた事は技術の進歩によって他の誰にでも出来るようなことに成り下がり、錬金術師と言いながらも結局のところ金を生み出すことなど出来なかったのだから。もちろん永遠の命を作り出すこともまた叶わなかった。

 

 故に錬金術師とは時代遅れの職業であり、職業とも言えない過去の遺物。現代研究者達にとっては既に興味の対象にさえならず、錬金術師を名乗るような頭のおかしい人間を保護することなど金をドブに捨てるようなものだ……とさえ言うだろう。

 

 

「つまりつまり、錬金術っていうのは物質に魔力を加えることで変化を起こす……っていうのが全ての基本になるのさぁ」

 

「……それは、ええと、今や回復薬作りにも使われているような基礎的な技術なのでは」

 

「そうだよぉ」

 

「そ、そうなのかぁ……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 目の前でニコニコと笑っている小さな少女に、リゼもまた反応に困りながら、しかしその可愛らしさに少しの癒しを提供して貰う。

 

 ……錬金術師、つまりは今や基礎技術となったものを使う人達。現代における価値はゼロに等しい。もちろん金など作れない。だから言ってしまえば彼女は、錬金術師とは言いつつも単なる技術者で研究者でしかないと言えるだろう。

 

 

「フィーナさんは、ええと、なぜ錬金術師を名乗って……?」

 

「かっこいいからねぇ、昔から憧れだったんだぁ」

 

「憧れ、か……それなら少し分かるかもしれない。私も探索者が憧れだったんだ」

 

「わかるぅ?確かに金はまだ作れないけどぉ、諦めた訳じゃないからさぁ。期待してて欲しいなぁ」

 

「なるほど、それは楽しみだ」

 

 

 

 

「……それで、実際にはどういう人なんですか?」

 

「バチクソ優秀な技術者、オルテミスに来て2年で魔力と物質の未発見現象を20以上見つけてる」

 

「すごっ!?」

 

「マジでバチクソ優秀じゃない!!」

 

 

「ふふん!そうよ!フィーナはすごいんだから!」

 

 

「……リコさん、この人は?」

 

「幼馴染目的に地元を出奔した元地方貴族のクソレズ」

 

「クソレズ……」

 

「本当に多いわね、同性愛者……」

 

 

「ち、違うから!私は別にそんな……!」

 

 

「ユメ〜、ケーキ来たから一緒に食べよぅ?」

 

「え?あ、うん……食べる」

 

 

「って感じ?」

 

「なるほど推しに弱いのね」

 

「ベタ惚れじゃないですか、完全に女の顔してましたよ」

 

「登場人物みんな女だけど」

 

「クソレズの集まり♡」

 

「私は違うから」

 

 

 リコがここに居るせいで、なんだかいつもより会話の方向性が酷いことになっている気がするが。取り敢えずリゼは気にすることなく聞いた情報をまとめる。

 

 ……ようは、目の前の彼女は優秀な技術者。錬金術師を名乗っているのは単なる趣味。隣の少女はその錬金術師の幼馴染で、彼女のために家を出て来たほどにゾッコンだと。

 

 

 (うん……なんだろう、割と普通な感じがする)

 

 

 言っては悪いが、期待を下回っている。

 マドカから"錬金術師"が居ると聞いて、リゼは物語の中に出てくる魔法のような奇跡を起こす存在をイメージしていた。けれど実際には彼女はただの技術者、確かに優秀ではあるけれど、それだけだ。正直、どうしてマドカがわざわざ彼女を自分に紹介しようとしたのか、あまり話が見えて来ない。リコもその辺りは知らないようだし、一体どういう反応を示せばいいのだろうか。

 

 

「その……フィーナさんとユメさんでしたよね。お二人はマドカさんとはどういう?」

 

「んっとねぇ、オルテミスの研究区画って若者と部外者に厳しくてねぇ。助けて貰ったんだぁ」

 

「……?」

 

「も、もう。それじゃあ分からないでしょ」

 

「ユメ説明してぇ」

 

「う……し、仕方ないな」

 

「ありがとぉ」

 

「えっと……何処から話せば良いのかしら。先ず、ユメがオルテミスの研究区画に来た時は、まだ年功序列の意識が強かったのよ。ユメはこんな性格だから、全然馴染めなかったのよね」

 

「うん〜」

 

「……まあ、それはなんとなく分かるわ」

 

 

 ユメの言う通り、確かにこのオルテミスの研究区画には昔ながらの凝り固まった意識が根付いている。最近はかなり改善しては来たが、実際にそれについて早期の改善が難しいからこそ、マドカはこうしてスズハをリゼ達のクランに入れた訳なのだから。

 スズハ自身も偶に研究区画に行くこともあるが、その度にマドカやカナディアの名前を借りていても、若いからと言って妙な反応をされることがある。目の前の彼女なら尚更だろう。特に街に来たばかりで金のない若者など、下働きから始める以外に選択肢などない。

 

 

「それで、途方に暮れて彷徨っていたこの子をマドカさんが拾ってくれたのよ」

 

「拾って……」

 

「ご飯もらったぁ」

 

「ほんとに拾われてた……」

 

 

 元より、マドカが研究区画の是正に精を出し始めたのは実はこの件が根底にあったりもする。フィーナという若い才能を潰しかねなかった研究区画の在り方に、明確に危機意識を持ったのだ。そしてそれはマドカからそれを知らされたエリーナやカナディアもまた同様だった。

 

 

「それから工房貰ってねぇ、本とかもくれてぇ、お金も貸してくれてぇ……」

 

 

「滅茶苦茶に支援されてる……」

 

「相変わらずだなぁマドカは……」

 

 

「次の学会にカナディア様と出たんだぁ」

 

 

「いきなりとんでもないことしてる!!」

 

「次って何ですか!?直近ってことですか!?」

 

 

「それでねぇ、借金返済〜」

 

 

「また話が飛んだ!?」

 

「急展開過ぎる!!」

 

 

「魔銀が作れるようになったんだよぉ」

 

 

「もう何も分からない!!」

 

「誰かちゃんと説明して!」

 

 

 通訳が居ないと本当に話がポンポンと飛んでいってしまって何が何だか分からなくなるが。しかし確かに分かったのは、この少女もまたとんでもない天才であるということ。相変わらずマドカ・アナスタシアの才能を見抜く目というのは確からしく、なんだかすごいものが出来たらしい。

 

 

「あー、えっと……魔銀っていう魔力の伝導効率が凄く高い物質を作る方法をフィーナが見つけて、それをカナディアさんと発表したのよね。その技術をなんやかんやして、お金が手に入ったみたいな」

 

「なんやかんや……」

 

「これはアレね、その辺りの処理は全部マドカ・アナスタシアに任せてたんでしょ」

 

「うん〜」

 

「それにしても、魔銀ねぇ……新しい技術過ぎてまだ勉強しきれてなかったわ。魔力の伝導効率の高い金属ってなると……………………ん?」

 

「スズハ……?」

 

 

 スズハの動きが止まる。

 そして口元に手を当てると、リゼの言葉も気にすることなく何かを考え始める。

 

 リゼは知っている。これはスズハが何かに気付いた時、そして頭を回す必要がある時の状態だ。まあつまりはなんか色々考えてるから邪魔すんじゃねぇぞ、という時の状態だ。もちろんそれはレイナ達も知っている。直ぐにそれを察知すると、取り敢えず一旦口を閉じて彼女の反応を待ち……

 

 

「フィーナ・ルリア、ちょっと相談なんだけど」

 

「うん、いいよぉ」

 

「例えばなんだけど、こういう魔力回路を作るとして……この4点のこういう規則性を再現したいのね」

 

「うんうん」

 

「……で、この部分とこの部分を繋いでる物質が分からないのよ。魔力の波長っていうか、一定の動きに反応して性質が変わってて」

 

「それは魔銀じゃ無理かなぁ……けどこれなら蝋泥石を変質したもので出来るかも?これに瑠璃光石を特定の条件下で変質させれば粘性を持つようになるから〜」

 

「は?錬金術ってこんなこと出来るの?」

 

「こっちの変化は私もよく分からないんだけどぉ、なんかこうなるんだぁ」

 

「……いや、多分これは魔力関係ないわ。単なる化学変化。魔力がなくても高温多湿の条件下でなら再現可能よ」

 

「えぇ?そうなのぉ?んぅ、ってことはぁ……」

 

「ああいや、そうね、これは使えないか。……ん?でもこれって、こういう規則性よね?ってことは鉛と煮沸すれば」

 

「出来るよぉ?でもまだ再現性がねぇ」

 

「真空状態でこいつとこいつ掛け合わせたら?」

 

「……あぁ!すごいねぇ!それならそれならぁ!」

 

 

 互いにノートを取り出して、ああだこうだから始まり、そのままよく分からない世界に没頭していく2人。その辺りのことが全く分からない人間からすればリゼだって苦笑いをしながら首を傾げるしかないし、けどやっぱり邪魔をしてはならないと少し離れて別の席に座る。

 

 

「そ、そういえばスズハさんもマドカさんが直接スカウトして来た天才でしたね……」

 

「うん、しかも異世界人のね。スズハはすごいよ」

 

「な、なにこれ、なんか悔しい……」

 

「はいはい。クソレズ、クソレズ」

 

 

 難しい話はよく分からないと、元よりその席で一緒にデザートを食べていたシアンとクリアにも笑みを向けながら、一先ずは彼等2人の会話を待つ。

 もしかしたらマドカの狙いは彼女達を引き合わせることだったのではないかと、リゼは思った。

 

 元より異世界の知識があり、その上でこっちの世界の勉強も始めたスズハ。そこにこっちの世界における天才であるフィーナを引き合わせる。人間的な噛み合わせの相性はあるかもしれないが、そこは2人の性格を知っているマドカなら判断も出来ただろう。

 実際、2人はこうして研究のこととなると妙に良い相性を見せた。このタイミングで錬金術師を紹介するなんて話が出て来たのも、もしかすれば……

 

 

「リゼ!!レイナ!!あの槍の機構、再現出来るかもしれないわ!!」

 

「はっやい!?いつの間にそんなはなしに!?」

 

「また急展開な!!」

 

 

「ユメ〜!魔金作れるかもぉ!」

 

「なんで!?嘘でしょ!?」

 

「こっちも急展開過ぎる!!」

 

「天才が本当に天才じゃないですか!!」

 

 

 ……とは言え、やっぱり直ぐにどうこうできるという話でもないらしく。その後2人は一度スズハの資料を取りに戻った後、フィーナの工房へと向かっていった。互いに互いの知識や才能が利用出来ると知ったからだろう、きっとこれから気が済むまで議論を交わす筈だ。

 

 

「フィーナ取られちゃった……」

 

「あ、あはは……」

 

 

 まあその、可哀想な子も1人生まれてしまったが。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 静かな執務室の中で、漸く一先ずの書類を作り終えた男が、椅子にもたれ掛かりながら額を解す。

 ……しかしこれも、一先ずの作成に過ぎない。連邦上層部も一筋縄ではいかない。優秀な若造を気に食わないと、必ず一度は突き返されることが目に見えている。それでも、そこに壁があったとしても進まなければ何も変わらない。

 

 

「お疲れ様です、リロイズさん」

 

「……マドカさん、そっちの書類も出来たのか」

 

「ええ、なんとか。エッセルさんという優秀な職員さんが居るんです。彼女が大半を仕上げてくれていました」

 

「なるほど……こういう時に思い知らされる。やはり優秀な人材というのは、優秀な人間のもとに集まるのだと」

 

「ふふ、エリーナさんも支え甲斐のある方ですからね。……よければ少し話しませんか、リロイズさん」

 

「いいよ。君との会話は有意義だ」

 

 

 温かな湯で濡らした手拭いを手渡され、それで顔を拭きながら、灯りを少し暗くされた部屋の中で2人は話す。彼はギルド長用の椅子に、マドカは来客用の小さな椅子に座って、目線を合わせることなく言葉だけを交わす。

 

 

「超龍アバズドルの封じ込めは、もう限界のようですね」

 

「……彼の龍の封じ込め対策については、連邦内での秘匿情報の筈だ」

 

「邪龍についてなら、私の方が連邦よりよっぽど知っていますよ」

 

「……そうだろうな、君ほど本気で邪龍を討伐しようとしている人間は居ない。英雄は人類の救済を、軍長は連邦国の防衛を。そして君は何より、邪龍の討伐を望んでいる。君達は共通して世界を守ろうとはしているが、そのやり方、主目的が異なっている」

 

 

 どうやって世界を守るのか。

 なんのために世界を守るのか。

 なにをしたくて世界を守るのか。

 

 そして、マドカ・アナスタシアという人間について、彼女が求めている本質は正しく"邪龍討伐"それに尽きる。オルテミスのための献身も、探索者達への貢献も、結局のところはそこに収束する。リロイズはそれを知っている。……彼女がそれほどに邪龍に対して拘っていることを、知っている。

 

 

「超龍アバズドルをこれ以上抑え込むことは、不可能だ」

 

「……」

 

「元よりアバズドルは、好戦的で攻撃性の高い邪龍だった。それを火山地帯に封じ込めることが出来ていたのは、アバズドルの住みやすい環境作りに注力して来たからだ。そのために連邦内でも徹底的な調査を続けて来たし、事実としてそれは功をなしていた」

 

「それが失敗した理由は分かったんですか?」

 

「ああ、天龍ジントスが火山地帯を荒らした」

 

「……またジントスですか」

 

「本当に厄介な邪龍だ。奴は過去にもアバズドルと衝突して龍族の里を破壊しているが、今回はアバズドルの棲家を荒らしてそのまま去っていった。……アバズドルが怒り狂うのも当然だ。その怒りを受けるのは人類だが」

 

 

 邪龍同士の衝突というのは、稀にだがある。

 しかしその大半は縄張りを持たない天龍ジントスによるものであり、元より天龍ジントスというのはそういう厄介な性質を持つ。たとえ敵が邪龍であろうと喧嘩を売り、嫌がらせをし、人類に対しても気分次第で襲撃する。知性が高く、それこそラフォーレ達のように気に入った人間を見逃すこともある。

 

 

「聞かせてくれ。……君の見込みで、現在の総戦力で超龍アバズドルの討伐は可能かどうか」

 

 

「無理です」

 

 

「……即答か」

 

「超龍アバズドルの討伐のためには、十分な冷却能力が必要です。しかし現状、アバズドルを冷却出来るほどの技術も力もこの世界にはありません。それがない限り、仮にアタラクシアさんが100人居ても一方的に焼き払われるだけです」

 

「……だが、君のことだ。解決策はあるんじゃないかい?」

 

「個人的にアイアントと、オルテミスの研究区画に技術開発をお願いしています。しかし実現のためには未だ困難が多過ぎて、もう少し時間がかかるでしょう。……ですが確かに1つだけ、現実的な解決策を握ってはいます」

 

「良ければ、聞かせて欲しい」

 

「クリアスター・シングルベリア、今はリゼさんのパーティに居る精霊族の少女です」

 

「!!」

 

 

 想定外の人物の名前が出て来たことに、リロイズは驚く。リゼのパーティに居た精霊族の少女、彼女のことはダンジョン内でも見た。体力をつけるためなのか1人だけ走っているところを見たが、一見しただけでは本当に中位の探索者という感じだった。少なくともリゼほどの将来性は感じられなかったが……

 

 

「彼女はその特殊な性質だけでなく、水属性を氷属性に変えるという非常に稀少なスキルを持っています。そして水神の加護を受けている。これから順当に成長していくのであれば、彼女の冷却能力はアバズドルに対して有効な筈です」

 

「……それまでは、打つ手なしか」

 

「ええ、アバズドルは攻略法さえ確立してしまえば容易く倒せますが。それを用意するのが大変な邪龍です」

 

「逆に聞かせてくれ。現状で倒せそうな邪龍は存在するのだろうか」

 

「凄まじい規模の犠牲を覚悟すれば、絶龍ロバルドは倒せるかと」

 

「……滅龍デベルグは?」

 

「未だに居場所が掴めてないです。恐らく好戦的ではないのでしょう。正直この龍にはあまり手を出すべきではないと考えています。……それよりかは、異龍ルブタニア・アルセルクの動向の方が気になります。監視は不可能に近いですが」

 

「本当に、邪龍というのは……」

 

 

 大龍ギガジゼル

 超龍アバズドル

 絶龍ロバルド

 天龍ジントス

 滅龍デベルグ

 異龍ルブタニア・アルセルク

 

 現在確認されているこの6体の邪龍について、マドカの見立てでは討伐出来そうなのは絶龍ロバルドだけ。そしてそのロバルドでさえ、多くの犠牲を覚悟しなければならない。……ようやく50階層を突破したというのに、そんな今でさえ邪龍討伐には困難が付き纏う。どころか邪龍は増えてしまった。

 

 陽龍シナスタン

 六龍ゲゼルアイン

 鋼龍レイゼルダイン

 

 これまで討伐した邪龍と邪龍候補は、結局のところまだ倒せる範疇だったのだ。陽龍シナスタンとて、他の邪龍と比べれば討伐は現実的だった。邪龍という括りは意外にもかなり大きなものであり、その中での上下も幅広い。大龍ギガジゼルを頂点に、どの龍も討伐には困難を極める。

 

 

「行方不明のデベルグ、現状では討伐方法のないルブタニア・アルセルク、討伐が極めて困難なギガジゼル。少なくともこの3体以外は倒したい」

 

「……最優先は言うまでもなくジントス、だが」

 

「ジントスを倒すためには、あれほどの巨体を地上に縛り付ける方法か、若しくは地上に叩き落とす手段が必要です」

 

「……今の連邦にそんなものはないな」

 

「私もワイアームを使って色々と考えてはいるのですが、ジントスほどの邪龍に生半可なことをすれば多くの街に被害が出ます。飛行能力を奪うのも難しい。……何より、ジントスは逃げます。追い掛けることは不可能に近い」

 

「……」

 

「もしギガジゼルが再び起き上がり、このオルテミス近海から離れた場所に移動してしまったら。再びジントスはオルテミスを襲うようになるでしょう。皮肉にも私達はギガジゼルに守られている」

 

「リミットはそこか……」

 

「ギガジゼルの心拍数などから、こちらもそれほど余裕はありません。表面上の平穏とは裏腹に、刻一刻と災厄の日は近付いています」

 

「……なるほど、どうやら俺が思っていた以上に。いや、連邦が想定している以上に状況は悪いらしい。早急にアイアントでもダンジョン攻略を進めて何かしらの打開策を見つけなければ、間に合わないな」

 

 

 きっと雪崩のように、この平穏は一度崩れ始めたら止まらない。邪龍による被害は確かに近年では減ったものの、それは本当に今だけだ。マドカ・アナスタシアがそれを最優先事項として捉えるのも当然。

 

 一般人どころか探索者でさえ、たとえばリゼのように邪龍討伐については現実感がなく、絶対に無理だと思ってしまっているが。それが出来なければこの世界は滅ぶのだ。そうでなくとも、壊滅する。

 "龍の飛翔"や"怪荒進"を食い止めているのも精一杯の今、現状維持もいつまで続けられるのか。前回のように2連続で生じるような事が続けば、本当に世界の危機は増えるだけ。

 

 

「マドカさん、君の次の目標は?もちろん直近の、それこそダンジョンの階層数なんかで」

 

「さて、どうでしょう。あとはタイミングと努力次第ですから。……もしこのまま停滞するようであればお尻を叩かないといけませんけど。私がせずともお母さんがしてくれそうなので」

 

「君の母親も苛烈な人だ」

 

「ダンジョン攻略は暫くお母さんに任せるつもりです。その間に私は邪龍の対策について本腰を入れます。……報告書も作っている最中なので、完成したらギルド経由で連邦にも上げます。連邦として取り組んで欲しいこともあるので」

 

「……配信業のおかげで君の評判は上層部にも良い。俺ではなく彼等宛に送ると良いと思うよ」

 

「分かりました。別口でリロイズさんにもお送りしますね」

 

「助かるよ、ありがとう」

 

 

 連邦、都市、龍神教。

 実際のところ、既に人類同士で争っていられる余裕など何処にもない。それはアルファ達も同じであり、彼等もきっと理解はしているはずだ。

 

 ……そういう部分でも、腹を括る必要は出て来るだろう。あらゆる感情を飲み込んで、どこまで譲歩して手を組む事が出来るのか。少なくともギルド長が変わる変わらないで争っていられる暇など、当然にない。



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129.新しいスフィア

「それでご主人様?結局どうなったんです?」

 

「うーん、まあ順当と言っても良い感じ、かなぁ」

 

 

 ズズッといつもの珈琲を飲みながら、リゼは目の前に何故か座っている金髪のメイドの問いに答える。飲んでいるうちにというか、もう何十杯も飲まされているこれだが、段々クセになってきているのだから不思議なものだ。

 こうやってここの常連達はこの珈琲の魔の手にかかっているのだろうか。だとしたら客に困らないのも納得出来る。1日に20杯近く飲まされるような人間は稀だろうが。

 

 

「確かに進展はあったけど、実用化に向けてはまだまだ問題だらけ。今直ぐに出来るものでもなく、そうでなくとも影響の大きさを考えて事前の根回しは必要。だから気にせずダンジョンにでも潜ってろ、って言われたよ」

 

「なら潜って来いよ」

 

「……この後に行くつもりだよ、君に一応の報告をしに来たんじゃないか。これでもそれなりに感謝してるんだ」

 

「へぇ。そういえばご主人様?今マスターが数量限定でお弁当を売っていまして。……ああ!今のお礼の件とは全く関係ないですよ!?勘違いしないで下さいね!?誠意は言葉ではなく金額とか思ってないですからね!?」

 

「し、白々しい……分かったよ、1ついくらだい?」

 

「1500L」

 

「くぅっ、相変わらず微妙に高いなぁ……」

 

「まいど。珈琲一杯サービスしといたげる」

 

「それは元々飲み放題じゃないか……」

 

「いや、私用の珈琲を一杯サービス」

 

「???………………………………………どうして私が君の分の珈琲代まで払うことになっているんだ!?そこまでの感謝はしていないぞ!!」

 

「はは、反応おっそ」

 

 

 相変わらずそんな風に弄ばれながら、これ以上たかられる事のないようにリゼはお弁当を8人分持って店を出る。

 

 まあ確かにあの店の飲食物は高くはあるけれど、金額相応の味が保証されていることも分かっている。なにせ作っているのはあのメイドではなくマスターなのだから。そこは信用している。それに昨日から色々と頑張っているスズハ達への良い差し入れにもなるだろう。

 本当に、あのメイドさえ居なければリゼだってもう少し頻繁に通うというのに……

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 なぜ喫茶店ナーシャで弁当を8人前も買ったかと言われれば、まずは研究に没頭しているスズハとフィーナ、そしてユメの3人への差し入れ。そこにダンジョンに潜るリゼ達4人のお昼用。

 最後の1人は……今回は珍しく、リゼの方から彼女を呼んでみた。ダンジョン2階層、広々とした空間。そんな場所ではあるが試したいものがあったから。彼女の意見を聞くためにも声を掛けた。

 

 

「ほう、これが……」

 

「ああ、スフィアの売人デルタから貰ったんだ。滑走のスフィア☆1、まだ見つかってない新種だって」

 

「はっ、どうせ例の新しい階層主を倒せば手に入るのだろう。お前達にあの場所を教えたのもそいつだな」

 

「「………」」

 

「まあいい、取り敢えず試してみろ」

 

「う、うん……」

 

 

 相変わらず察しの良いラフォーレ・アナスタシア。流石にそこの繋がりをもう隠し切れなくて、というかうっかりしていてバレてしまったが。彼女はそれをそこまで気にしているようでも無かったので、一先ずこのまま話を続ける。

 

 滑走のスフィア、どう使えば分からないが一先ずはシアンに渡してみる。理由はいくつかあるが、何よりこのスフィアの存在を知った時に目を輝かせていたのが彼女だからだ。元より光属性スフィアを使う彼女、自分の手札が増えるのは嬉しいのだろう。

 

 

「怪我には気を付けてくださいね、シアンさん」

 

「うん、ありがとう。……【滑走】」

 

 

 スフィアを変えて1分の待機時間。好奇心でわくわくとしているシアンとリゼとは対照的に、不安そうなレイナは注意を促す。それでもやっぱり楽しみは止まらず、シアンは早速とばかりにスフィアを叩いた。

 

 ……直後、生じた変化は明確。

 

 

「あっ」

 

「危ない!!」

 

 

 ずるっと滑って尻餅をつきそうにシアンを、リゼは反射的に支える。その目の成せる技である。

 

 しかしそれにしても、シアンの足から発生した白い光。そしてそれまでの足の踏ん張りが効かなくなったように、途端に滑らせた彼女の足。つまり生じた効果は言葉通り。

 

 

「ありがとう、リゼ……でも、もう分かったかも」

 

「ということは、つまり……」

 

「うん、こういう事だと思う」

 

 

 支えられたリゼの手から離れ、シアンは自然と床面を滑っていく。少しのぎこちなさはあれど、それでもその動きは軽やかだ。

 

 ……滑走のスフィア。その効果は言葉のまま、床面の状態に関係なく滑走することが出来るようになる。本当にそれだけの、単純なもの。

 

 それでもリゼは知っている。スフィアというのは効果が単純なほどに汎用性が高いと。そして事実として、そうして滑っているシアンを見てラフォーレは口角を上げていた。

 

 

「面白いスフィアだね。実際に滑ってみて、どうだった?」

 

「……うん、これ面白いね。まだ慣れないけど、移動が楽になるかも」

 

「移動の改善は大きいですね。……でもこれ、継続時間とかあるんでしょうか。そこが分からないと怖いというか」

 

「シアン、そのスフィアの欠点を挙げてみろ」

 

「え、欠点?……ええと、使ってる間ずっと精神力を消費してたかな。あと、私は普通に走ってた方が早いかも。坂とかあると難しいし、滑ってると速度も落ちるし……あと多分、私のスキルのせいで出力が上がってるはずだから、本当はもう少し使い難いと思う」

 

「ふむ……」

 

 

 そう言われてみると確かに、良いことばかりではないのかもしれない。個人用の馬車のようなものだと考えた方がいいのだろうか。回避のスフィアなんかとうまく組み合わせれば加速も出来るかもしれないが、先ず使いこなすためにも練習は必須なのか……

 

 

「どれ、私にも貸してみろ。あれこれ議論するよりやった方が早い」

 

「た、確かにそうだね。シアンもいいかい?」

 

「うん、お願いします」

 

 

 目の前に実物があるのに議論する意味などない。それは正しくラフォーレの言う通りで、シアンは彼女にスフィアを渡す。もしかしたら彼女も一度自分で滑ってみたかったのかもしれないが、流石にリゼもそこには言及しなかった。リゼだって気持ちは分かるのだし。

 

 

「【滑走】……む?なるほどな」

 

「どうだい?」

 

「お前のような馬鹿には使えんな」

 

「ひ、酷い……」

 

「だが、恐らくこの感覚。精神力を消費し続ける限り永続的に使えるのだろう」

 

「永続的に!?それはすごい!」

 

「解除とかって出来るのかなぁ?」

 

「それこそスフィアを叩けば……こういうことだ」

 

「なるほど」

 

 

 ラフォーレの言う通り、スフィアを叩けば光は消えて、必要な待機時間の後にもう一度叩けば再度光は現れる。

 

 

「この感覚は独特だ、凡人が慣れるには時間がかかる。消費する精神力はそれなりだな、恐らく私であれば2日は保てる」

 

「うわ、宙返りした……」

 

「そして恐らくだが、この光が床面との緩衝材のような役割を果たしている。靴が二重になっているような感覚だ」

 

「えっと……?」

 

「地面の凹凸の影響が少ない。砂利の上でも滑走出来ると言えば分かるか」

 

「ああ!なるほど!」

 

「……それ、かなり凄いですよね?」

 

 

 

「ああ、そして恐らくだが……水上も滑れる」

 

 

 

「「「っ!?」」」

 

 

 ラフォーレの語ったその言葉にこそ、きっと何より価値がある。というより、恐らく何もかもをひっくり返す。それほどに深刻な言葉であると、少なくとも今のリゼ達は知っている。

 

 

「ラ、ラフォーレ……?確か以前にオルテミスでは、世界の南方の壁である大海を調査するために、巨大な船を作って旅立ったとか……」

 

「そこで初めてレイン・クロインを見つけたって……」

 

「沈んだんだよね、殆ど帰って来なくって」

 

 

「……一応言っておくが、このスフィアがあるからと言って攻略は不可能だ。南方の壁は凶悪な嵐と巨大なモンスター群によって成り立っている。そうでなくとも2日程度で到達出来るような距離でもない」

 

 

「「よ、良かったぁ……」」

 

 

「貴様等、面倒事から逃げる癖をつけるなよ」

 

 

「「だ、だって……」」

 

 

 幸いにも世界に大きな影響を与えるようなものでは無さそうであるが、正直そろそろ面倒事から逃げたいと思って来ているのも本音。もう少し何事もなく生きていくことは出来ないのだろうか。……まあ、結局その辺りの処理をするのはエルザ達なので、自分達は殆ど何もしないのだけれど。

 

 

「それとシアン、お前はこのスフィアを使うより自分で走った方が早いと言っていたが。それは間違いだ」

 

「え……?」

 

「このスフィアはこう使えば良い」

 

「……!」

 

 

 既に【滑走のスフィア】の感覚を掴んだのか、ラフォーレはそう言いつつ走り出す。それはスフィアを使わない、普通の走り。けれど彼女はそのまま最高速に達した瞬間に、スフィアを発動した。

 

 

「な、なるほど……」

 

「つまり、足りない速度は足で稼ぐと……」

 

「あれなら私にも出来そう……」

 

 

「それと、こういう使い方も出来る」

 

 

「「「え……」」」

 

 

 最高速で滑走し始めたラフォーレが、突然その場で壁面に向けて跳躍する。いったい何を血迷ったのかと思ったのも束の間、彼女はそのまま壁面を滑走し始める。

 

 ……つまりは、壁走り。

 

 マドカやシアンなんかの速度偏重の探索者がよく使い、レイナが先日のキャラタクト・ホエール戦で失敗したそれである。それを彼女は本当に容易く実現したし、どころかこういうことが出来るようになることこそ、このスフィアの強みなのか。

 

 

「ふぅ……流石に私とて慣れは必要だな。現状ではこの程度が限界か」

 

「いや、途中なんだかとんでもない動きをしていたような……」

 

「もしかして壁面走りって、これから探索者の必須技能になったりします……?」

 

「絶対むりぃ……」

 

「マドカを含めた本職共に渡してみろ。壁どころか天井さえ走り始めるぞ」

 

「天井走り……!」

 

「シアンさん?危ないですからね?」

 

「大丈夫、3歩くらいなら今でも出来る……!」

 

「速度偏重型の探索者やば過ぎません……?」

 

「その分、自爆は多いがな」

 

 

 逆に言えば、それで自爆する様な探索者はやっていけないということ。速度を活かすには広い視野と柔軟性、そして器用さが必要だ。つまり速度を売りにしているというだけで、そこには相応の能力が伴っているということでもある。

 

 

「まあ、これの応用性について早急に知りたいのであればマドカにでも聞け。今のお前達にその必要はないだろうがな」

 

「あ、あはは……」

 

「まあ、それは確かに……」

 

「シアンしか使えないもんねぇ」

 

「そうかな……」

 

「ということで、これからブルードラゴンを倒しに行ってこい」

 

 

「「「「え」」」」

 

 

 また事前の相談なしにとんでもない話をブッ込まれた。

 

 

「あ、いや、その……今日はそんなつもりなかったから、準備が殆どできていないというか……」

 

「準備?武器と防具と水食料、他に何が要る?」

 

「そ、それはそうなんですけど……わ、私達まだ前の戦いの傷が癒えてないと言いますか……」

 

「常に万全の状態で戦えるなどと腑抜けた事を考えているのではないだろうな?疲労しているからこそ、この機会を逃す手はないだろう」

 

「い、嫌だぁ……帰りたいぃ……」

 

「クリア、お前はこの階層では大層に暇そうにしていたようだな?次の階層からは殺す」

 

「こっ……」

 

「シアン、お前は早速『滑走のスフィア』を使って来い。ここから15階層までの間に必死になって慣れろ」

 

「は、はい……分かりました……」

 

「ついでに16階層の景色を見て来い。あの空間は独特だ。2、3回雷に撃たれるのも一興だろう」

 

「笑えない……」

 

 

 そうして今日の予定を無理矢理に決められると、彼女は満足したようにリゼから受け取った弁当を手にして階段を登っていく。どうやらあのお弁当はお気に召して貰えたらしい。それは素直に嬉しく思う。……思うけれど。

 

 

「え……ほ、本当に行くんですか?というか、行かない選択肢ないですよね?これ?」

 

「ラ、ラフォーレと喧嘩する勇気があるのなら……」

 

「そんなのないぃ……」

 

「……頑張ろう」

 

「そ、そうだね……うん、まあ、確かにラフォリアの意見は尤もだし。頑張ろうか」

 

「……何れにしてもやらないといけない事ではありましたけど、それにしてももう少しゆっくりしたかったです」

 

 

 今日こうしてブルードラゴンを倒してしまったら、少なくとも明後日には16階層以降まで足を伸ばさなければ、またラフォーレに叱られる。そしてそうなると、明日は早速17階層以降について勉強しなければならないし、やることは沢山ある。暇な時間など何処にもない。

 

 

「仕方ない……大丈夫!キャラタクト・ホエールほどの相手じゃない筈だから!ササッと倒して!ササッと帰ろう!」

 

 

 なお、当然そんなにも簡単に倒せる相手ではないことは、リゼだって内心では本当は分かっていたりもする。今日の彼女の楽しみは、お昼のこのお弁当。そのために頑張って生きるぞと、彼女は改めて縋り付きながら気合を入れた。

 

 



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130.アルファの通達

 その日、アルカ・マーフィンは1人暗い闇夜の中を歩いていた。

 

 ここ最近、何もかもがうまくいかない。

 

 この前の遠征の最中であっても、自分は肝心のところで活躍することが出来なかったし。結局それをマドカに尻拭いされてしまった。強くなる強くなると足掻いてみても劇的な変化は起きないし、最近になってレベルの上がる速度が落ちていることも自覚している。

 そしてこういう時に限って新しいスフィアが手に入ることはなく、遠征の最中に手に入った階層主討伐報酬のスフィアもまた、特に珍しくもない何とも言い難いものばかりだった。

 

 

「武士のスフィアさえあれば……」

 

 

 英雄試練祭の時も、鋼龍レイゼルダインに対して自分が出来たことは何もない。武器も防具も今以上のものは難しいと言われた。けれどマドカの力も借りたくない。

 

 ……最近になって聞こえてくる、"リゼ・フォルテシア"の噂。

 マドカの新しい弟子として記憶にあるが、最初に見た時は大きな銃を背負っているだけのデカい女という印象だったのに、幼体とは言えレイン・クロインを倒しただとか、凄まじい勢いで階層を更新してるだとか、あのラフォーレ・アナスタシアも認めているだとか、色々と聞こえてくる。

 

 

「羨ましい……」

 

 

 嫉妬する。

 自分の方がまだ遥かに強くはあるけれど、まだ弱い筈の彼女は自分にないものを持っている。やはりマドカ・アナスタシアの教え子というのは、特別なのだろうか。その括りの人間達に対して、アルカは凄まじいコンプレックスを抱えていた。それこそ、自分よりもレベルの低いマドカに負けるだけでなく、アルカはブローディア姉妹にも負けているから。

 

 

「よう、元気ねぇなぁ。そんなんじゃ幸せが逃げていっちまうぜ?」

 

「何だおま……っ、お前は!?」

 

「お、覚えてたか。アルファってんだ、よろしくな」

 

 

 馴れ馴れしく、軽薄で、胡散臭い。そんな男のことを、アルカもまた知っていた。マドカと戦っていたその姿を、アルカもまた喰らいつく様に見ていたから。

 

 

「っ、あたしになんか用かよ!」

 

「用が無いなら話しかけねぇよ」

 

「……!」

 

「おいおい、だからそう構えんなって。今日は本当に話に来ただけだっつぅの。これだからガキは困る」

 

「……」

 

「おう、利口だな。それでこそだ」

 

 

 子供扱いされたくないから、武器を下ろした。そんなアルカの考えはむしろ非常に子供らしくはあるけれど、それにアルファは気を良くする。

 アルカはまだまだ子供だ。けれど大人になりたい子供である。きっとそんな彼女の性格は、アルファでなくとも見抜くことが出来る。

 

 

「ほら、やるよ」

 

「っ、なんだよこれ……」

 

 

「【武士のスフィア☆3】」

 

 

「!?」

 

 

「欲しかったんだろ?そのスフィアが。だから少しは珍しい奴を持って来たんだぜ?まあ元々は"天域"の持ち物だったみたいだがな」

 

「天域って……」

 

「ま、そんなこたぁどうでもいいんだ。俺が言いたいのは、ならお前はそのスフィアさえ手に入れば本当に強くなれんのか?って事だからな」

 

「っ」

 

「さっき言ってただろ?武士のスフィアさえあれば、ってな。なら、これでお前は滅茶苦茶強くなった。そういうことだよな?」

 

「……」

 

 

 こうして投げ渡されたそれが、本当に武士のスフィアなのかは分からない。確かに星3つ入った黄色のスフィアではあるけれど、それだけなら他にもいくらだってある。

 

 ……そうでなくとも、何かおかしい。だってこうして本当に武士のスフィアを手に入れたのなら、男の言う通りもっと自信が湧き上がる筈だ。これからもっとたくさん活躍出来ると、もっと有名になって、マドカも認めざるを得なくなると、そう思える筈だ。

 

 それなのに……

 

 

「お前、マドカをライバルって言ってんだろ?」

 

「っ……」

 

「強いスフィアさえありゃあ、マドカ・アナスタシアに勝てんのか?」

 

「……」

 

 

 それはとても意地の悪い問いかけ。

 誰もがその問いに対して同じ答えを持っているというのに、この男はそんな問いをわざわざ未熟なアルカに投げ付けてきた。故に黙り込んだ彼女を、相変わらずニヤニヤとした顔で嘲笑う。そんな状態でも武士のスフィアを手放せないアルカのことが、それほど面白いのだろうか。

 

 

「本当の強さ、欲しくないか?」

 

「!!」

 

「俺ならお前をマドカに勝たせてやれる、その手段がある。当然、楽な話じゃねぇよ?それでも絶対に勝てるって保証してやる」

 

「あ、たしは……お前の言葉なんかに……」

 

「俺はお前の才能を見込んでる」

 

「っ……!」

 

「お前ならマドカに勝てると思ったから声かけてんだ。その方法を知りたくないのか?」

 

「それは……」

 

 

 知りたい、知りたいに決まっている。マドカに勝てるほど強くなる方法、欲しいに決まっている。そんな才能が自分にあるのなら、喉から手が出るくらいに欲しい。

 

 

「けど……あたしは……」

 

 

 もう、夜も遅い。

 そろそろ帰らなければ、カナディアに叱られてしまう。そしてそんなカナディアの顔が脳裏にチラつく。

 

 もし自分がここでこの男に着いていけば、この男の話を聞こうとすれば、彼女は間違いなく悲しむだろう。それが分かるからこそ、自分の足元には線がある。これ以上先に進んではいけないと、そう示す線が。

 

 

「お前なら都市最強にだってなれる、全部俺に任せとけ。どんなやつでも敵わないような最強にしてやるよ。なんならスフィアだって幾らでも……」

 

 

 

 

 【大炎弾】

 

 

 

 

「「っ!?!?」」

 

 

 夜の暗闇が一瞬で照らされるほどの、巨大な炎の球体。突如として現れたそれは、今正しくアルカに近寄ろうとしていたアルファに向けて上空から襲い掛かった。

 

 街の中であろうと、問答無用で大爆発を引き起こしたそれは、灼熱と共に一帯を焼き尽くす。そこが広場でなく路地であったのなら、果たしてどれほどの被害が出ていたか分からないほどだ。

 

 ……そんな情け容赦のない一撃を放つことが出来る倫理観のない人間など、この街には1人しかいない。この街というかそもそも、そんな非常識な人間はそうそう居ない。

 

 

「まぁたお前かよ、ラフォーレ・アナスタシア……イチイチ突っかかって来やがって」

 

 

「ほう?生きていたか。……なるほど、それがダンジョンの入口を塞いでいた【岩壁のスフィア】か。やはりスキルを元に戻すべきではなかったな」

 

 

「ラフォーレ……」

 

 

 炎弾による爆発を岩壁によって防いだアルファ。そんな光景に呆然とするアルカの前に、建物の上からラフォーレ・アナスタシアが降り立つ。

 やはりどんな時であっても、少しイカれた人間の方が怖いものだ。こんな街中で地形を変えるような攻撃はして来ない、という思い込みは実際誰の中にでもあるもの。もしアルカがアルファの立場であったら、今の襲撃を防ぐことは出来なかっただろう。

 

 ただ、今重要なのはそんなことではなく……

 

 

「おいクソガキ」

 

「っ……なん、だよ」

 

「何を話していたのかは知らんが、まさかあんなゴミクズの言葉を間に受けた訳ではあるまいな」

 

「うっ……」

 

「馬鹿が。今時『怪しい男に着いて行かない』程度のこと5歳児でも出来るぞ。ガキ扱いされたくないのであれば、ガキのようなことを考えるな」

 

「……」

 

「自分しか見えていないからそうなる。より多くに目を向けん限り、貴様は100年経とうがそのままだ」

 

「っ……」

 

 

 相変わらずズカズカと他人の心を踏み荒らすこの女は、口でさえも容赦というものはない。助けに来た筈なのに攻撃して来る。こんな女とリゼ・フォルテシアはよくもまあ良い関係を築けているものだと誰もがそう思うが、彼女はどちらかと言えばサンドバッグに近いので話は違う。

 もちろん、アルカが更に落ち込んだところで慰めもしない。何なら興味さえない。

 

 

「酷い奴も居たもんだ、同情するぜ。少しは褒めてやってもいいじゃねぇか」

 

「優しい言葉を吐く人間など、コイツの周りには幾らでも居る。自分が恵まれていることにさえ気付いていないガキに掛ける言葉など罵倒で十分だろう」

 

「ひっでぇ」

 

「そんなことはどうでも良い。……漸くこうして対面出来たんだ、まさかこのまま逃げるなどと寒いことは言うまい」

 

「……ハッ、ガキの面倒より力比べかよ。これだからクズは救いようがねぇ」

 

「クズがクズを語る姿は滑稽だな」

 

「同感だよ。だったらもう、言葉なんか要らねぇよなぁ!」

 

 

「っ」

 

 

 一瞬、アルカが身震いするほどの空気感の移り変わり。同じ程度にはレベルがある筈なのに、それだけでは説明出来ないこの2人の異常性。

 ……それこそがつまり、彼等が強者と呼ばれる所以。

 

 

「来いよクソ女!!その綺麗なツラ歪ませろ!屈辱塗り付けて這い蹲らせてやるからよォ!!」

 

「逃げ惑えよ凡夫!!強者気取りのその顔面、少しはマシに整えてやろう!」

 

 

 

「おっ、おい!?いくらなんでもこんなところで!?」

 

 

 空に浮かび上がる巨大な炎弾の群勢。

 それに対するは、肌を撫でる程に迸り空気を揺らす咆哮を上げる豪雷の拳。

 

 どちらも確実に街中で放って良いようなものではないし、けれどどちらもアルカが止められるような雰囲気では既にない。このままでは周辺一体が吹き飛びそうな勢いで彼等は満面の笑みを浮かべているし、かと言ってアルカが割り込んだところで更に怒りを増してしまうような気もして……

 

 

「カ、カナディア!助け……!」

 

 

 

 

 

『そこまでだ!!』

 

 

 

「「「っ!?」」」

 

 

 燃え盛る炎の音も、迸る雷の音も、喧しい程にアルカの耳を焼け焦がしていたそれら一切を塗り潰すような、凄まじい爆音が周囲に小玉する。

 アルファとラフォーレの間を凄まじい速度で通って行った、殆ど視認することも出来なかった何か。突如として生じたそんな明らかな脅威を前に、2人もまたそれまでの空気を変えて目を細める。

 

 

「すご、リゼほんとに行った……」

 

「ひぃん、リゼさん生きて帰って来てくださいぃ」

 

「が、がんばれ」

 

 

 "彼女"の後ろの方から聞こえて来る、そんなやり取り。けれど肝心のその"彼女"は、こんな状況を前にしても一切揺らぐことなく背筋を伸ばして立っている。確かな怒りの表情をそこに宿して。けれど慣れていないからか、右頬を膨らませるという、あまりにも可愛らしい怒り方をしながら。

 

 

「……何のつもりだ、愚図」

 

 

「ラフォーレ!いくらなんでもこれはやり過ぎだ!こんなことをしたらまたマドカの仕事が増えるじゃないか!!彼女は今でさえまともに眠れない状況なんだぞ!」

 

 

「ぅ……」

 

 

「アルファ!君もそろそろいい加減にしてくれ!!何を企んでいるのかは知らないが、やるなら正々堂々とやらないか!!一般の人達に迷惑をかけるなんて言語道断だぞ!」

 

 

「……なんか普通に怒られたな」

 

 

 今日ばかりは本当に怒っているのか、リゼ・フォルテシアは少しの恐れも見せることなく街を破壊しかけていた2人に対してプンスカと叱っていく。

 

 何より彼女が右手に持っている、その大銃。普通に考えてこの距離であれば、まあ彼女は人に向けたりはしないけれど、それでももし向けられたら、アルファもラフォーレも問答無用で撃ち抜かれる。

 

 彼女の目と銃士としての実力は、高速戦闘を得意とするハウンド・ハンターさえも照準無しで撃ち抜いた程だ。本人は分かっていないであろうが、今この場所には三竦みさえ成り立っていない。圧倒的なリゼの有利である。今この場で彼女の言葉を聞き入れないという選択肢は人柄を知っているラフォーレしか居らず、そのラフォーレもマドカを引き合いに出されて黙らざるを得ない。

 

 

「……はぁ、分かった分かった。これ以上はやめとくぜ。お前もそれでいいよなぁ?"灰被姫"」

 

「……チッ」

 

 

 マドカ・アナスタシア大好き人間であるリゼは、当然ながらその怒りの中にマドカに対する心配が多分に含まれている。そんな彼女の言葉は当然ながら同じマドカ大好き人間達にはそれなりに効くということが、ここに証明された。

 

 

「まったく!せっかくブルー・ドラゴンを苦労して倒して来たかと思えば!これじゃあ帰れないじゃないか!私だって今日くらいゆっくり休みたかったのに!」

 

 

「ん?おお、なんだよもう青竜倒したのか。順調で良いじゃねぇの。なら次はキャラタクト・ホエールだな」

 

 

「……コイツは既に倒している。というか私が倒させた」

 

 

「え?ん?は?……お、おいおい!すげぇなマジかよ!!あれだろ?単独っつぅか、そこのパーティでだよなあ!?ラフォーレ・アナスタシアは当然参加してねぇんだろ!?なんだよやるじゃねぇか!レイン・クロインぶっ殺したのはやっぱ偶然じゃなかったか!!」

 

 

「っ……?」

 

 

 素直に褒められる、というより称賛される。そんな光景にアルカもリゼも驚いてしまうが、アルファのそういう思想についてはラフォーレも知っていた。そしてそれが真実であることが、ここで漸く確認出来た。

 アルファはマドカの目的を、やり方はどうあれ応援していて、探索者達の力量の向上を望んでいる。故にリゼが順調に成長していることを、彼は喜ぶ。

 

 

「っかぁ、やっぱ当たりはこっちかぁ!俺は人を見る目ってのが無いんだよなぁ!そこでマドカに勝つのは流石に無理か!」

 

「……アルファ、君が何をしたいのかは分からないけど。1つ私からも聞きたいことがある」

 

「おん?いいぜいいぜ、今日は気分が良いからなぁ。1つくらいなら答えてやろうじゃねぇか」

 

「デルタとはどういう関係なのだろう」

 

「……あん?デルタ?」

 

 

 リゼには世界を守るだとか、そういう大きな話はまだよく分からない。聞くべきことは他にも沢山あったのかもしれないが、それでもこの話についてはリゼ達しか知らないことだ。

 故にリゼはこの方面からアルファに対して切り込んでみた。他の方向については、自分よりもっと優秀な人達が考えてくれるからと。自分に出来ることを、やろうとしてみたのだ。

 

 

「デルタってお前…………ああ、スフィア売りのデルタな」

 

「?そうだ」

 

「どういう関係かって言われたら……んー、回答に困る質問だな。まあ中立って言っときゃ丸いか?意見合わねぇ時も多いが、アイツが居ないとどうにもならねぇ事の方が多いからな」

 

「……協力関係にあると?」

 

「必要な時はな。反りの合わねぇ奴と好きで付き合ったりするかよ。敵に回したくねぇってのはそうだが」

 

「そもそも、彼女はどういう人物なんだろう?」

 

「……さあな、そりゃ本人から聞いてくれ。ま、そのうち分かるだろ。嫌でもな」

 

「……?」

 

 

 意味深な言い方ばかりして、ハッキリとした回答を出さないのは如何にもというところではあるけれど、結局分かったのは彼とデルタは本当に必要な時に手を組む程度の関係ということだけ。そこから両者の詳細については見えて来ないし、理解が深まることもない。

 

 

「……おい、待て。貴様はここに何をしに来た、せめて帰る前にそれだけ告げていけ」

 

「ん?おお、そりゃそうだ。忘れてた忘れてた」

 

「チッ、それで?ここに何をしに来た」

 

 

 わざとらしく、嫌味ったらしく、口元をニヤつかせながら飄々と立ち振る舞うアルファに対して、どうやらラフォーレは本当に気が合わないのだろう。明らかに機嫌が悪そうな彼女であるが、しかしそれでも目の前の情報だけでも抜き取るつもりなのだ。

 マドカ曰く、アルファには逃走用のスキルがある。アルファを追うことは不可能と判断しているのだろう。

 

 

「そろそろ、また龍神教が来るぜ?」

 

 

「「っ」」

 

 

「目的は当然マドカ・アナスタシア。そんでこれは俺からの忠告だが、マドカとあいつ等を引き合わせない方が良い」

 

「……なぜだ」

 

「展開が進んじまうからだ」

 

「?」

 

 

「お前等だって、まだマドカとサヨナラしたくないだろ?」

 

 

「なっ!?」

 

「……」

 

「ま、俺もそれはゴメンだからな。それだけ言いに来たってことだ。これマジで親切だぜ?」

 

「……お前とて罪のスキルを持っている、元龍神教の人間だろう」

 

「まあな。だから当然、奴等の目的の中には俺の存在もあるが……ま、それはどうでもいい。俺はあいつ等とも反りが合わなかったんだ。戻る気はないとでも伝えといてくれよ」

 

「じゃあ誰となら反りが合うんだ……」

 

「マドカとか?」

 

「私の娘を愚弄するのはやめて貰おう」

 

「してねぇよ、されてんのは俺だ」

 

 

 どうやら龍神教ともあまり良い関係を築けていなかったらしい彼は、しかしそれも特に気にしてはいないのか、用は済んだとばかりに手を振りながら背中を向ける。

 ……そんな彼に対して、ラフォーレも追撃の姿勢は見せない。そんなことが通用するような相手ではないと分かっているからだ。別に藪を突いても良いが、流石にこれ以上マドカに対して迷惑をかけたくもなかったのだろう。

 

 

「ああ、ラフォーレ・アナスタシア。ついでにマドカに伝えといてくれよ」

 

 

「……なんだ」

 

 

「若い芽を育てるのも良いが、"想定通り"、もう限界だ」

 

 

「っ」

 

 

「アバズドルが暴れた原因はジントスだが、そのジントスが暴れた原因はやっぱ別にあった。……どうもどっかに怪しい動きしてる邪龍がいやがる。俺は今からそれを調べに行くって伝えといてくれ」

 

 

「……いいだろう」

 

 

「よし、じゃあな」

 

 

 いつもの飄々とした雰囲気を一変させて、真剣な顔付きで話したその内容は、当然ながら無視出来るものではなかった。そしてそれと同時に、彼という人間が、というより彼等が普段から何をやっているのか少しだけ分かった気もした。

 ……そして、どうしてそんな彼とマドカが決して険悪な仲にはなっていないのかも。結局、彼等は仲間ではなくとも、共通の目的を持った同志ではあるということなのだろう。だからきっとマドカは、本気でアルファを捕まえたりはしない。なにより自身の目的のために。そこだけは、不平等に。

 

 

「……ラフォーレ、今の話は」

 

「気にするな、貴様のような雑魚が関わるような話ではない。関わりたいのなら力を付けろ」

 

「……」

 

「逃げ癖を付けるな。私から言えるのはそこまでだ」

 

「……分かった」

 

 

 ダンジョンの中でも言われたその言葉が、今は妙に重く感じる。けれどきっと、それはラフォーレからしてみれば変わらない重さの言葉だったのだろう。

 いつまでも逃げていられる話ではない。マドカの力になりたいと望んでいるのなら、それは尚更。決してリゼにとっても無縁の話ではないのだ。……そんなことを、本当に今更になって実感させられる。

 

 

「さて……クソガキ、お前はいつまで黙っている」

 

「うっ」

 

「そもそも、私はお前を探すためにわざわざこんな時間まで歩かされていたんだ。余計な手間をかけさせるな」

 

「え……?」

 

 

「50階層を再度攻略する、手伝え」

 

 

「「っ!!」」

 

 

 そして一方で隣で黙って俯いていたアルカにも、ラフォーレは前へ進むための方針を示す。変わらず前へ前へと、彼女は進み続けている。

 

 

「何処のクランも話にならん、あれでは51階層以降の探索は半年は先になる。それまで待っているつもりもない。ならば残りの戦力を掻き集めて早々に突破した方が早いと判断した」

 

「……本気、なのか?」

 

「ならばお前は黒龍の初撃で潰された事を永遠に引き摺るつもりか?マドカに対する劣等感を永久に抱えて生きていくつもりか?」

 

「っ、そんなの嫌だ!!」

 

「どうする」

 

「やる!!やるに決まってる!!そのために作ったクランだ!!マドカの姉ちゃんにだって負けねぇ!!誰にも負けたくなんかない!!」

 

「ふっ……ならば2週間やろう、万全の状態を作って来い。分かってはいるだろうが、手の内が分かっていたとしても容易い相手ではない。貴様等の持ち得る全てを惜しむ事なく吐き出せ」

 

「それも分かってる!!いつもやってることだ!」

 

 

「それと……」

 

 

「……?」

 

 

「明日から1週間の間、私は"青葉"のところのガキ2人を最低限まで鍛え上げるつもりだ」

 

「……!」

 

「貴様が望むのならば、地獄を見せてやろう」

 

「っ、絶対にやる!!」

 

「……その恐れ知らずだけは褒めてやる」

 

 

 身を乗り出してそう口にしたアルカに対して、ラフォーレは口角を上げながら額をこづく。

 ……実は意外と他者に指導をすることを楽しく思い始めたのではないだろうか。まあ元より彼女は強引過ぎる所を除けば意外と指導は上手かったのだけれど。

 

 

 

「……あれ?私は?」

 

「知らん、マドカにでも聞いて来い」

 

「やったぁあ!!!」

 

「……」

 

 

 この後普通に殴られた。



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131.教え子達の冒険

「……ということで、ブルードラゴンも倒したから次の階層に行こうと思うのだけれど。その前に何かしておいた方が良いことなんかはあるだろうか」

 

「ふむふむ、そういうことですか」

 

 

 アルファと会った次の日の昼頃。リゼは早速シアンを連れてマドカの元にやって来ていた。

 ……ちなみに、当然ながら昨日のことはラフォーレからマドカに伝えられているし、そのことについてリゼが話せることも特にない。話せることは、変わらず自分のことだけ。余計なことも、今は聞かずに黙っておく。

 

 

「一先ずは、おめでとうございます。そして、よく頑張りましたね。まさかこの短期間でキャラタクト・ホエールまで倒せるようになるなんて、私もすごく驚きましたよ」

 

「あ、あはは。みんなのおかげだよ。シアンも入ったばかりなのに頑張ってくれて、すごく助かってるんだ」

 

「ううん、リゼもすごいよ。銃を使ってると、別人みたいにカッコよくなるし」

 

「ふふ、仲良くやれているようで何よりです」

 

 

 少なくともリゼとシアンはこうして、一緒にマドカのところにルンルン気分でやって来るくらいにはすっかり馴染んでいる。他のメンバーも年下のシアンを可愛がっているし、上手くやっているのはその通りだろう。

 なにより誰もが他人には言えないような妙な事情を抱えているというのも大きい。密かに抱いてしまっていた孤独感を感じずに済んでいるというのが、リゼのクランに居る誰もが感じていることだ。

 

 

「さてさて、次にすべきことでしたか。……そうですね、実は1つ都市外から依頼が来ていまして」

 

「え?都市外から?」

 

「ええ、定期的にあるんです。これまではそういった案件は主に私が引き受けていたんですけど、最近はリエラさんとステラさんにお任せしています」

 

「……誰?」

 

「ああ、私の先輩だよ。マドカの最初の教え子の2人さ」

 

「最初の……そうなんだ……」

 

「ところで、それを何故私達に?彼等は今は忙しかったりするのかい?」

 

「いえいえ、この件は既にお二人にお願い済みです。……ただせっかくの機会ですから、リゼさん達も試しに参加してみては如何でしょうか?」

 

「「!」」

 

 

 それは思いも寄らない、意外な提案。

 

 相変わらず詳細な意図は読めないけれど、そこに何の意味もないということはないと知っている。それにこれが良い機会であるというのは、実際その通りだ。

 少なくともこれまで最低限の付き合いしか出来なかったブローディア姉妹と、話を出来る機会が貰えるのだから。リゼにとってはそれだけで十分な価値がある。

 

 

「何をすれば良いの……?」

 

「そうですね……実はオルテミスからグリンラルへの中継地点として、キネシスという小さな町が栄えています。ただ、どうも最近、その辺りで奇妙なモンスターが発生しているそうなんです」

 

「奇妙なモンスター?」

 

「ええ、翼の生えた人型のモンスターです。一見すると"天使"のようなのですが、どうも正体は二足歩行をする竜……強いていうのであれば、龍人なのだとか」

 

「……それは、竜人族じゃなくて?」

 

「別物です、その町に住む竜人族の方々が証言しています。そのモンスター達に人の要素はなく、意思もなく、単に二足歩行をしているだけに過ぎないと。しかし過去に目撃例もなく、出所を探すどころか、対処に手一杯になってしまっているそうです」

 

「つまり、今回の目的は……」

 

「そのモンスターに関する調査と、可能な限りの殲滅。問題解決にはリエラさんとステラさんだけでも十分かもしれませんが、より被害を抑えるためには人員が必要なのです」

 

「なるほど、そういうことか……」

 

 

 話は簡単、被害を抑えるためになるべく多くのモンスターを倒すこと。そして自分達よりも先輩が側に居て、彼等から多くを学ぶこともまた望まれていることの1つなのか。

 

 一旦ダンジョンから離れることにはなってしまうけれど、それも恐らくはマドカの狙いだ。このままダンジョンにばかり通っていても、きっと感覚が偏ってしまう。リゼ達が本来相対しなければならない敵は、ダンジョンの外に居るのだから。そうでなくとも色々な経験をさせたいというのも、マドカの中にはあるのかもしれない。

 

 

「今のリゼさん達なら、油断さえしなければ問題なく達成出来る依頼だと考えています。……ただ、この件には多分に未知の要素が含まれていることだけは忠告しておきましょう。その背後に潜んでいる何かがより強大な場合は、撤退を選ぶことも視野に入れておく必要があります」

 

「っ……確かに、龍というだけで良い予感はしないね」

 

「武装はしっかりと。それに地理についても軽くで良いので頭に入れておいて下さい。場合によっては、住民を率いてグリンラルへ避難する必要もあるかもしれませんので。最悪の最悪を想定することも忘れずに」

 

「わ、分かった」

 

 

「それとシアンさん」

 

「ん……?」

 

「過去の"天域"による記録に、何度か【天使】という言葉が出ていたのですが。何かご存知ありませんか?」

 

「!?」

 

「天域の……」

 

 

 天域が壊滅したのは、ほんの数十年前。しかしそんな記録が僅かしか残らないほどに、当時のオルテミスの状態は酷いことになっていた。生き残っている老人達も、天域が従事していたような難度の高い依頼については知らない。当時のギルド長も既に自殺していた。

 故にこれについて知っていそうなのは、確かにもうシアンだけという事情があるのだが……

 

 

「ちなみに、その記録というのは……」

 

「辛うじて読み取れた情報としては、"天域"の探索者の1人が"龍の飛翔"対処中にオルテミス近海で"天使"を見たという情報。またこれはギルドの記録にも軽く記載があったのですが、この"天使"と思われる存在について"天域"による調査が1度行われています」

 

「そ、その結果は……?」

 

「記録にありませんでした。しかしこれ以降の調査が行われていないことから、大きな問題はなかったのかと思われます。……基本的にギルドが不自然なほど意図的に記録に残していないということは、"知るべきではない"と同等の意味を持ちますので」

 

「っ、忘れた方が身のためということか……そして、それは忘れても良いことだと」

 

「そういうことです」

 

 

 それは正しくリゼがラフォーレと共に見つけて来た、ダンジョンの管理装置と同じ。余計な被害を生じさせるくらいなら、見つからなかったかのように振る舞うのが一番だと。そう判断されたということ。後世に残すことはしないと、ギルドが決めたこと。

 

 

「……ごめん。何も知らない」

 

「そうですか……いえ、問題はありませんよ。まだ幼かったシアンさんに情報を制限していた可能性は元から予想出来ていたことではありますので」

 

「けどマドカ、そうなるとこれは……」

 

「可能性の話です。今回の件との関連は不明ですが、しかし仮に何かを見つけてしまった場合、その情報の扱いについても考えなければなりません。……情報統制も、時には必要でしょう」

 

「そこまでいくと、流石に私達では……」

 

 

 無理がある。

 

 仮に忙しいスズハを連れていくにしても、彼女は政治的なことはサッパリだ。調査以外でリーダーシップを取るような人間でもないし、情報統制なんか出来るかと言われれば『無理、嫌』と突き返すだろう。

 

 そしてもちろん、リゼにだってそんなことは出来ない。他のメンバーだってそうだ。後はブローディア姉妹の手腕次第になってしまうのだが、一度言葉を交わした感覚だと、彼女達にそういう才覚があるようにも見えず……

 

 

 

「なるほど、だから私達が呼ばれたってわけね。マドカ」

 

 

 

「!!エルザ!ユイも!久しぶりだね!」

 

 

「あら、そんなに久しぶりだったかしら?」

 

「私はお久しぶりですね、元気そうで何よりです」

 

 

 相変わらず少し眠そうにしながらも、それでも休息が取れたのか、以前に見た時よりはそれなりに元気になったエルザの姿。そんな彼女の側に控えるユイも、リゼは言葉通り久しぶりに見た。

 そして彼女達の口振りから2人も今回の件に参加してくれるということは、もう言うまでもないだろう。

 

 

「けど、もう大丈夫なのかい?エルザは特に色々と忙しそうだったけれど……」

 

「ギルドはまだ忙しそうだけど、私は別にギルドの人間じゃないし。時期を見計らって抜けさせて貰ったわ。そろそろ距離置かないと本格的にギルド長の秘書にされそうだし」

 

「な、なるほど」

 

「ユイも暫くは治療院に通い詰めてたから、気分転換には良さそうなのよね。まあもう今は私達よりリゼ達の方がずっと強いでしょうし、後輩に甘えさせて貰うとするわ」

 

「ええ、頼りにしています」

 

「あ、あはは……うん、頑張らせて貰うよ」

 

 

 エルザ達と一緒に行動するのも、本当に久しぶりの話だ。龍神教の襲撃を受けた時以来だろうか。

 そして偶然にも、若しくはマドカによる必然か、こうして先輩後輩全員で1つの依頼に向かうことになった。ふれあい大好きなリゼにとっては、これは非常に嬉しいこと。急にワクワクが大きくなるのだから、そしてそれが側から見ていても分かるのだから、可愛げがある。

 

 

「さてさて。多少人数は多くなってしまいますが、これなら何の不安も無いでしょう。というより、とてもバランスの良いパーティに思えます。大抵の"もしも"には対応出来るでしょうし、私も安心です」

 

「ま、防御については本当に無振りなんだけどね」

 

「エルザ様のスキルと、クリアさんの魔法くらいでしょうか」

 

「……いや、その、なかなか私達も縁が無くてね。必要なら私が盾でも持つよ」

 

「別に良いわよ、私が"バリアのスフィア☆1"を使うだけだから。リゼの感覚がおかしくなってるだけだと思うけど、私は属性縛りも何もない優秀な魔法使いよ?」

 

「え?あ………そ、そうか!!そうじゃないか!!すごい!属性縛りが無いなんて!!なんて頼もしい魔法使いなんだ!すごいよエルザ!!」

 

「……ユイ、どうしたらいいと思う?想像してた3倍くらい後輩の感覚がおかしくなってたんだけど」

 

「致し方ない部分はあるとは言え、お労しいです」

 

「あはは……そういった部分もリゼさんに教えてあげて下さいね」

 

 

 本来なら属性縛りなんて無いはずなのに、例外ばかり集まってしまった弊害なのだろう。リゼの冒険者としての感覚が完全に壊れてしまっていることを見て、流石のエルザもツッコミを入れづらかった。

 なぜ彼女は縛りを付けながらダンジョン攻略をしているのだろう。マドカの言う通り、その辺りの感覚も治してあげないといけないと。先輩としてまだやるべき事があることを、安堵すればいいのか、悲しめばいいのか。

 

 しかしどちらにせよ、それが楽しみなことには違いない。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

「……で、ここまでは分かったのよ。ここから先がどうしても分からない。だから知恵を貸して貰えないかしら」

 

「貸してぇ」

 

 

「おい……おいおいおいおい!これマジで言ってんのか嬢ちゃん!?」

 

「天才天才とは言われていたが、まさかここまで解明するとはな……」

 

 

 以前はリゼも銃を作ったこのガンゼンの鍛冶屋に、しかし今日は似つかわしくない3人がそこに集まっている。それは彼等をここに集めたスズハと錬金術師のフィーナ、呼ばれたのは当然ガンゼンとカナディアである。

 若き才人の2人が解明したそれを、熟練の2人にも見てもらいたい。そんな思惑で開かれた今日この日だが、しかしそれにしても出て来た内容が凄まじい。

 

 

「どう?必要なら解説するけど」

 

「ふむ……発想は突飛なものばかりだが、魔力回路の流れ自体は理解出来る。そこで行き詰まった理由もな。確かにこれは難解な問題だ」

 

「だよねぇ」

 

「技術的な面ではどうかしら?」

 

「……正直、やりたい事だけは分かるんだが、1から10まで相当厄介だぞ。最先端の技術がてんこ盛り。机上の空論もわんさか。そもそもこんな繊細で複雑な回路を組むなんざ、今の技術でやろうとすれば武器になんか到底転用出来ねぇ。どんだけ頑張った所で最終的にデカい箱みたいなのが出来上がるだろうよ」

 

「うん〜、それも問題かなぁ。私でもあの大きさに収めるのは絶対無理ぃ」

 

 

 レイナと共にリゼが拾ってきた、スフィアを嵌め込み使用することが出来るという不思議な槍。その技術を解明するためにスズハとフィーナはこれでもかと試行錯誤を積み重ねてきたが、しかし最終的な結論はそれだった。

 全く同じものの複製は、少なくとも現在の技術では不可能。やろうとすると、大きな箱のようなものになってしまう。そんなものを背負って戦闘しろなどと、不可能にも程がある。当初想定されていたような役には立てない。

 

 

「けど個人用の武器じゃなくて、大砲なんかには使えないかしら?なんか前に話あったんでしょ?リゼの大銃を参考にした物理兵器の開発みたいな」

 

「ああ、それがあったか」

 

「なるほどな……実のところ、あれからリゼの嬢ちゃんの助言もあってそれなりに形にはなって来たとこなんだ。試してみねぇと分からねぇが、そっちがある程度完成したら試してみるのも良いかもな」

 

「すごいねぇ、オルテミスの戦力増強だぁ」

 

「ああ、これが実現すれば龍種への対応策が増える。もちろん簡単な話ではないだろうが」

 

「……兵器の発展なんて喜ばしいものじゃないって私のこの考え方も、この世界の実情を考えると馬鹿馬鹿しいものよね。こんな兵器が出来たところで、邪龍討伐なんて夢のまた夢だもの」

 

「まあ、そう言うんじゃねぇよ。邪龍には効かなくとも、適当な龍種には有効だ。なによりそれをリゼの嬢ちゃんが証明してくれてんだ。少なくともレイン・クロインの幼体程度にはそこそこ効くだろ」

 

「つまりリゼはその大砲を常日頃持ち歩いてるってこと?改めて考えると頭おかしいわね」

 

 

 なお、リゼの大銃の方が最大威力は大きく、射撃の精密性など話にもならないほどに優れていることを考えると、その上で最近は連射までし始めたことを考えると、彼女という人材は本当に唯一無二だ。その射撃がどの相手まで効くのか、実のところそれをガンゼンを含めた者達は何よりも気になっている。

 

 

「魔力回路についてであれば、少しは力になれる。それにフィーナという優秀な技術者も居ることだ、多少無茶な組み方をしても形にはしてくれるだろう」

 

「いいよぉ、任せてぇ」

 

「流石にその辺りは武器屋より優秀だろうな。それ以外なら力になれる、前にリゼの嬢ちゃんが使ってた工房を使っていいぞ。素材もある程度なら融通してやる、まあ投資だな」

 

「助かるわ。ぶっちゃけまだ魔力関係の知識に不安があるのよね、爆発でもされたら困るし。フィーナもその辺りかなり感覚派だから」

 

「なるほど、そういう事情か」

 

「それと、これを公表する時の面倒そうなアレコレも頼みたいわ。政治的なものは専門外だから」

 

「安心しろ、こんなものを発表すれば確実に面倒なことになる」

 

「うげ」

 

「我々も協力者としてなら名前を貸すが、メインは君の名前だ。それこそマドカの思惑通り、君の所属するクランの名前と共に公表されるべきものだ。クランのためにも、逃げるべきではないな」

 

「……はぁ。まあ付きものよね、仕方ないか」

 

 

 これが自分だけの名声であればスズハもフィーナを巻き込んででも逃げていたかもしれないが、リゼ達にまで影響するものとなれば、流石に逃げる訳にはいかない。

 今の自分の生活を保証してくれているのは彼等であり、同じように命を賭けてはいないのに、それでも仲間として受け入れてくれているのは彼等だ。こうして研究に打ち込める環境を作ってくれているのも。故に、ここで受けられる名声を断るのは違う。それを受けるのは自分だけではないのだから、それを最大値にして返すのが責務でもある。

 

 

「もしかして、あの女そういう私の性格を知っててリゼのクランに入れたんじゃ……流石に考え過ぎかしら」

 

 

 思っていた形にはなりそうにないけれど、何とか割いて貰っていたリソース分の働きは出来そうなのか。結局この槍もレイナからは『研究がひと段落するまではいいですよ』と言われて返しそびれているし、そもそもリゼ達の装備の整備など、直接的な支援は出来そうにないのが悲しいところだが。

 

 

「さて、実際に形にできるまでどれくらい掛かるかしら。半年以内に試作品が出来れば早過ぎるくらいね」

 

 

 その早過ぎるくらいを実現するのが、彼等が命を賭けて戦っている間に自分が出来る唯一ではあるのだが。

 

 彼等が必死になってダンジョンを攻略している間にも、スズハは必死になって研究を進めていた。その成果が少しずつ形になりつつある。そしてそれはきっと、この世界の技術を確かに一歩進めるものだ。もっと言ってしまえば、行き詰まっていた世界を切り拓くもの。

 世界を変えるのはいつだって、馬鹿か天才である。



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