闇落ちぼっちちゃんを養う虹夏ちゃん概念 (やみーさん)
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闇落ちぼっちちゃんを養う虹夏ちゃん概念
伊地知虹夏の帰宅は早い。その理由は世間一般的に言う『良い』会社に勤めているから……というより、それが出来るところを目指したからに他ならない。
「ふー、さむさむー」
今は冬が目前だ。凍え始めた世界から逃げようと、今の住処であるマンションの一室へ足を早める。
そして、玄関を開け放ち、薄暗い世界へ足を踏み入れると──待っていたのはうめき声だった。
「あー、うー……」
布団を被ったピンク色のなにか──それが声をあげて、ビール缶を片手に埋もれていたのだ。
それを視界に入れると、虹夏は思わず笑みが溢れるのを感じた。
(ぼっちちゃんはいつ見ても可愛いなぁ……)
そして、弛む頬を抑えながら鍵を後ろ手に閉め、勢い良く部屋へと足を踏み入れる。
「ただいまー!!」
そして、のそりとそのピンク色が蠢くと、やがてゆっくりとこちらへ顔が向けられる。淀んだ瞳に、意思の薄弱な言葉が揺蕩うように虹夏へ放たれた。
「……あ、お……お帰り、なさい……虹夏、ちゃん」
その光景に得も言われぬ感情が湧き上がるのを後に、虹夏は周りに転がっている缶を視界に入れると絶叫した。
「──あー!! ぼっちちゃん!! お酒は一日一本っていったでしょー!! めっ、だよ! めっ!!」
「あっ……あ、あ……」
そう。一週間前、余りの酒癖の悪さに虹夏がひとりと決めた約束は、『お酒は一日一缶』。そしてひとりの周りに転がっていたのは五缶以上だった。
それを目にされたひとりは言葉を失う。『捨てられるかも』『追い出されるかも』──そんな想像がひとりの脳裏に浮かびあがる。
「ごっ、ごっ……ご……ごめんなさい!! な、何でもするから!! 何でもするから許して下さい!!」
布団の上で何度も頭を下げる。それを前にし、思わず虹夏はひとりへ駆け寄ると優しく抱き締めた。
「大丈夫。 大丈夫だよ、ぼっちゃん! ぼっちちゃんのことは何があっても私が守るからね!!
でも、体も大切にしてもらいたいなー、ってだけだよ! うん、これから頑張ってお酒減らして行けば大丈夫!!」
「あ……」
ひとりが虹夏の優しさに涙を滲ます。そして、おずおずと抱き返した。
(あー! ぼっちちゃんはほんと可愛いなぁ!!)
その動作に愛おしさを感じるが、長くはそうしてられない。虹夏は明日も出勤しなくてはいけないのだ。
数分後、虹夏はゆっくりと手を離すと立ち上がった。
「──じゃ、ぼっちちゃんお風呂行こっか。いつもみたいに頭から洗ってあげるね!」
「……は、はい」
そして、スーツを脱いでシャツ一枚になると虹夏はひとりの手を引く。少し重い感覚と共に、ひとりは立ち上がった。
そして手に引かれるまま、ひとりは虹夏について行く。
「……そ、その……なんで虹夏ちゃんは私にこんな優しくしてくれるんですか?」
「んー? そうだねー、まずぼっちちゃんは可愛い! そして可愛い!! なにより可愛い!!!」
「え……えへへ」
そして、脱衣所へ入るように促しながら頭を悩やます。
(ほんと、ぼっちちゃんって私がいないとなにも出来ないなぁ……私がいなくなったらどうするんだろう…………やっぱり、そろそろ自立を促したほうが良いのかな……)
虹夏はうーんと唸りながら、ひとりの服を脱がし始めた。
(……いや、でも私はもう26で社会人4年目……ぼっちちゃんも25……ここまで来たら、無理かなぁ……?)
ひとりの社会進出を半ば諦めながら、しかし虹夏は知らず知らずの内に笑みが浮かべていた。そして不思議そうにこちらを見詰めるひとりへと、心の中でそっと話し掛ける。
(──だけど、私がいないとなんにも出来ない……そんなぼっちちゃんが大好きだよ)
なんか思い付いたら続くかも。
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虹夏ちゃんの帰宅が遅くなって絶望するぼっちちゃん概念
「うー、あー……」
後藤ひとりはうめき声をあげていた。一度ぐびりとお酒をあおり、そのままぼーっと空を見上げる。
視界に映るのは白い壁だけだった。
(……虹夏ちゃん、遅いな)
そして思考によぎるのはその事だけであった。いつもなら帰って来るであろう時間。いつもなら笑顔でドアを開け放って、ひとりへ抱きついてくる時間。
期待を込めてチラリと扉の方を見遣る。
(…………虹夏、ちゃん、遅いな)
再びお酒が口元に運ばれる。一瞬手が止まるが、抑えきれない衝動がひとりの腕を動かす。
ツンとくる、鉄のようなアルコールの臭いが鼻をついた。
(…………虹夏……ちゃん……)
喉が音を立ててアルコールを搔き入れる。思考をお酒へ逃がすために。頭の片隅に浮かんでいる絶望を直視しないように。
今日何本目か分からない缶を持ち上げ、間髪入れずに開ける。子気味の良いプシュ、という音が鳴る。
(虹夏、ちゃん……虹夏ちゃん…………)
ごくり、ごくりの喉をならす。すぐに缶は空っぽになった。再び缶に手を付ける。プシュ、と音が鳴る。ごくりごくりと喉が脈動する。
「…………ぁ」
そして、思考から逃げられなくなるのはすぐだった。虹夏が用意してくれたお酒がなくなったのだ。
手が空を切る。無意識に空の缶を掴んで口元へ運ぶ。ない。隣の缶──ない。隣の缶──ない。ないないないないない。
なにもない。
(虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん──)
そして、抑えきれない思考が外へと溢れ出た。
捨てられても仕方ないのではとひとりは思う。既に、いつも帰ってくる時間から1時間は過ぎようとしていた。こんな社会のゴミなんて捨てられて当然だ。いなくなれば迷惑をかけないですむ。そうだ。消えてしまえばいい。消えたい。だけど、死にたくはない。
そもそも、こんな状況の発端は? 自分だ。ここまで落ちた要因は? 自分だ。
「──ねぇ──ぼ──ちゃん!」
なんで虹夏が己を捨てるのか。あんなに笑顔で、優しかったじゃないかとひとりは夢想する。
働いてないからか。遂に愛想を尽かしたのではないか。働くチャンスはあったのに何で動かなかったのか──後悔と絶望がひとりの心を染めて、そして。
(虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん──)
「──おーい! 帰ってきてーー!!! ぼっちちゃーーん!!」
「……ぁ」
──目の前に、光が灯った。
「…………虹夏、ちゃん」
「あー! やっと戻った!! もー、びっくりしたんだよ? ちょっと仕事が長引いて、急いで帰ってきたらぼっちちゃんが不定形生物になってたんだもん。いやー、やすりの使い方とか忘れてたからちょっと焦っちゃったなー。
ほんと、いつぶりかなぁ……ぼっちちゃんが崩壊するの」
目の前で虹夏が笑顔で話している。動いている。その事実が、今のひとりにとってはなによりの救いだった。
「……虹夏ちゃん」
「うん? どうしたの? ぼっちちゃん」
涙が溢れる。堪えきれない嗚咽が喉を上ってきた。だが、それをも上回る言葉が、ひとりの口から溢れ出た。
「虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん──」
「あー、そっかぁ……怖かったね、ごめんね! でも大丈夫、大丈夫だよー」
あやすような声が気持ちいい。ひとりにとってはもう虹夏だけが現実世界との繋ぎなのだ。いや、ひとりの世界には虹夏しかいないのかもしれない。見えるのは金色で、聞こえるのは、匂うのは虹夏だけ。
でも、そんなひとりでも分かることがある。
「おー、よしよしー。大丈夫、大丈夫……大丈夫だよー」
きっと虹夏の世界はひとりだけではない。もっといろんな人がいて、いろんな色があって、いろんな音が溢れているに違いないのだ。
だから、ひとりの声は呪いだ。虹夏の世界に自分だけがいれば良い、という。叶いもしない望みを叶える為の。
「虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん虹夏ちゃん──」
虹夏ちゃん「計画通り」
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結束バンドのメンバーとこっそり会ってるぼっちちゃんを見て闇落ちする虹夏ちゃん概念【前編】
『──犯人は貴方だ!』
『な、なにぃ?! ど、どういうことだね毛無くん!』
『ふっ、簡単なことですよ警部……』
ひとりは部屋の隅でうずくまっていた。チカチカとした光りを放つのは、最近話題の推理アニメ。
元は漫画らしく、頭のかつらがとれると突然推理力がアップする、通称『髪無しの勝郎』が主人公として難事件を解決していく流れだ。
最近は映画化も決定しているほどの人気作らしい。
だからといってひとりがそれを『見たいから見ている』という訳ではない。ただ、考える時間を減らしたいから、五感を埋めているだけだ。
情報を他の物で埋めている間だけは、考えないで済む。
そして、アニメが決着を迎えようとするその瞬間──
「──え?」
音が鳴り響いた。部屋に広がるのは、スマホの着信音。
「あ、あっ……えっ、え……」
ポケットから慌てて取り出す。アニメの音声を聞いていたイヤホンを引き千切るように取る。最近はなかったが、虹夏は時たまこうやって電話をかけてくるのだ。なるべく早く出ないといけない。
名前も見ずに急いで通話のボタンを押した。
「で、電話は久し振り、ですね……ど、どうしたん──」
『──あ、ひとりちゃん? その、こっちこそ久し振り』
頭が真っ白になった。
声が違う。喋り方が違う。相手は虹夏じゃない。
じゃあ、誰だ?
『その……喜多、郁代です。久し振りに、会えたらな、って……ひとりちゃん、時間空いてたり、しない?』
鈍く動いていた思考が動きだす。喜多、郁代。
(……喜多、ちゃん…………私のこと、だって……虹夏ちゃんが……なんで、今更……)
トラウマが蘇る。ひとりがバンドを辞めたのは、完全に人間関係の崩壊だった。それに『逃げ』の一手で対応したひとりを見捨てず、ついてきてくれたのが虹夏だ。
いや、むしろ虹夏以外との人間関係は壊れていたから、虹夏以外ついてきてくれる可能性はなかったと言っても良い。
そしてだからこそ、
「……あ、え……と……その……ぇ……と」
言い淀む。どう答えるべきなのか。本音を言えば、会いたくない。そもそも名前を確認さえすれば電話に出ることさえなかった。
電話の向こうで大きく息を吸う音がした。
『──じゃあ! 東京都■■区■■駅のおりた先にあるセパレートっていうお店で明日の朝10時から待ってるわ! ロインにも住所送ってくわね!』
そして、ひとりからの返答がないことを確認すると、郁代ははぁ、息を吐ききる。そして、か細い声で呟いた。
『……待ってるわ、ひとりちゃん』
プチ、と通話が切れた。手元に残るのは喜多郁代と書かれた画面だけ。
「──え?」
ひとりの前に転がるパソコンは、既にチカチカと次の物語を映し出していた。
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