01
黒鉄一輝には師匠が居る。その師は今となっては病に掛かり、床に伏せているがしかしその実力は剣聖と呼ぶに相応しいという。
曰く、その昔に修羅を斬り捨てた事があるという。
修羅とは、己の目的、想いを忘れてただ人を斬る事にのみ悦びを感じる者の事。一輝の師は、それを斬った事があるという。
それは忍びであり、かつて大義を持っていた。仲間と共に酒を飲む友人であった。
しかしいつしか、修羅へと堕落した。
それを一輝の師は斬った。斬って、修羅から人へと引き上げた。
そして数年。一輝の師は病を患い、床に伏せる事となった。が…床に伏せようとも、一輝の師は決して弱くなかった。
病に体を蝕まれようと、時が経ち老いを迎えようとも、彼はいつまでも剣聖であったのだという。
彼はいつも、一輝にある言葉を言って聞かせた。一輝もまた、その言葉を大切なものとして戦場に持っていっている。
“迷えば敗れるぞ”と。
「む、一輝ではないか。ついに女を連れて来たか!」
名を、
■ ■
葦名一心。それが「
最強ではあるが無銘。それは、彼を知る人間が限られているからであり、彼を知っている人間は極僅か。
彼を知っている誰もが、彼こそが最強であると言い切るだろう。
まぁ、閑話休題。
「カカカッ、まぁ座れ。久々に来たのだ、茶の一つくらい飲んでいけ」
「もう…相変わらずですね。大丈夫そうで、良かったです」
「ハッ、病で死ぬ程、弱ってはおらぬわ。それに…まだ、御主の最期を見届けておらん。それを見届けるまでは、死ねなんだ」
カカカッ、と豪快に笑う老人に一輝の付添人であるステラ・ヴァーミリオンと黒鉄珠雫は苦い笑みを浮かべていた。
白衣、切腹前の侍のような姿を思わせる。だが、放つ雰囲気が彼をただの老人ではないと物語っている。
一輝の師と聞いて二人は付いてきた訳だが…実際に目にしてみれば、何と拍子抜けした事か。
確かに雰囲気は常人のそれではないのだろうが、しかしそんな人間はよく見てきた。
これが一輝の師なのか。本当に強いのかと、二人は珍しく同じ疑問を抱いていた。
「して…何故此処に来た? 態々此処に来た理由は、見舞いだけではあるまい?」
もう分かっている。だが、しかし敢えて一心はそれを一輝へと問う。
一輝は先程までの雰囲気を消して、選抜戦の時―――破軍学園序列1位『雷切』東堂刀華との戦闘の時と同じか、またはそれ以上の真剣な雰囲気を纏って一心の問に答えた。
「また、修行を、稽古をお願いします。」
「…その理由は?」
「僕と、彼女の約束を―――果たす為に」
一心は少し、一輝の瞳を見詰めて―――そして、また笑った。
「カカカッ、あの時はまだ幼い子供であったというのにな。ここまで剣士として出来上がるとは、全く…よかろう! 今度は簡単に敗けてくれるなよ?」
「…! はいっ!」
「うむ、良い返事じゃ。あぁそうじゃ、其処の皇女と妹君よ」ちぃと、手伝ってはくれぬか?―――一心は、全盛を思わせる好戦的な笑みを浮かべて、立ち上がった。
□ □
庭にて、一人の老人と二人の少女が対峙している。
構えるは一本の太刀。綺麗な銀色が光り、刃には川の流れのような紋様が刻まれている。
手伝いとは、つまり一輝と戦う前の体の暖めである。
裏を返せば―――一心からすれば、二人はそれに丁度良い程度のものであるという事になる。
「なに、遠慮はいらん。殺す気で掛かってこい」
「では…その通りに!」
先に動いたのは、珠雫だった。
己の固有霊装である『宵時雨』で老人を斬り付ける為に素早く地を駆け、一心の眼の前にまで迫り来る。
短刀は眼前。だが、それは一心を斬り付ける事ない。
ガキィン―――と、火花を散らしてそれは弾かれた。
「良い腕じゃ…だが、その速さでは儂には届かん――なぁ!」
気迫によって珠雫は吹き飛ばされた。
何という気迫。一人の少女を吹き飛ばす程の気迫―――これが老人の出す気迫だろうか。
そんな彼女を一瞥し、ステラもまた動き出して炎を放つ。
彼女は固有霊装を展開したその時から炎の鎧を纏っている。普通ならば、それによって攻撃は通らない。
だが、それは―――“普通なら”ではの話しである。
「炎か…懐かしい。記憶が鮮明に蘇ってくるではないかッ!」
一心は炎に向かって一直線に立ち向かい、その炎を太刀に纏わせて彼女の『妃竜の羽衣』を相殺し、彼女に一閃を食らわせたのだ。
驚愕の感情が顕となった。信じられないものを見るような目で、ステラは一心を見る。
そんな、有り得ない。炎を以て炎を相殺し、そして尚且、一閃を食らわせるなど。
初見の炎を太刀に纏わせる? いや、そもそも炎を刀に纏わせるなんて簡単に出来る芸当ではない。
しかし一心はそれを容易に熟した。それもその筈。何故なら彼は以前、炎よりも強いであろう雷を纏わせて斬り周った事があるのだ。雷に比べれば炎など、一心にとっては生温い。
「ほれ、どうした? まだ一振りしかしておらんぞ」
そう。まだ、一心は一回しか刀を振るっていない。
珠雫の短刀は弾いただけで攻撃していない。
一心は未だ一回しか攻撃していないのだ。
「…シズク、私から提案があるんだけど」
「…なんですか?」
「きっと、イッシンには個人じゃ敵わないわ。だから、私とアナタで連携して戦うの。」
「……確かに、その方が勝率は高そうですね。分かりました、貴方の提案に乗りましょう」
あまり仲の良くない二人だが―――しかしだからこそ、ライバルだからこそ、出来る連携というものがある。
ステラは炎を消し、純粋な剣技を以て打ち倒す為に一心へ突撃する。その大剣を振るうが、しかしそれはやはり弾かれる。
そして、一心は太刀を上から下へと振り下ろし、ステラに再び一閃を食らわさんとする。
だが、一心の太刀がステラに傷を付ける事は無かった。一閃を防いだのは炎ではなく、水。
珠雫の援護が、彼女を護ったのだ。
「ほぉ…水か。水を纏った事はなかったのぉ…面白い、滾ってきたわ―――!」
目を見開き、一心は目にも留まらぬ速さで連撃を繰り返す。
一連、二連、三連と、太刀を振るう。
火花が散る。太刀と大剣が交差する。
水の刃が後方より飛ぶが、しかし一心はそれを一瞬にして斬り捨て、再び一閃を繰り出す。
重い。一太刀一閃、その全てが重たい。何とか弾いているが、しかし一瞬でも気を抜けば押し返されてしまうだろうとステラは確信する。
そうなれば、自分は一瞬で斬り捨てられるだろうと。
故に、油断はしない。弾き返されようとも、だが隙が生まれないように力を込める。
ステラは一歩下がり、そして地面に力強く蹴って大剣を振り下ろす。弾き返されないように、全力を込めて――!
だがそれは、弾かれなかった。
すらりと、一心は体を横にずらしてそれを回避し、ステラに居合を食らわせた。
鮮血。赤色が、地面を染める。
それに、ステラと珠雫は驚愕する。
『幻想形態』ではなかったのだ。いや、そもそもあれは固有霊装では無かった。
あれは、本物の太刀。葦名一心が所有する、葦名一心が最期に使った刀なのである。
「良い、良いぞ、皇女、妹君―――いや、ステラ、珠雫よ。女子でありながら、よくぞそこまでの力を持ったものよ。女子との戦で心躍ったのはエマ以来よ。」さぁ、もっと儂を昂らせてくれ―――気迫が全身に響き渡る。
汗が頬を伝って、地に落ちる。
今ここで漸く、ステラと珠雫は理解した。彼には―――勝てないのだと。
傷は付けられる。傷は食らわせられる。だが、勝つ事は絶対に出来ないのだと。
何故なら一心は一度として、技と呼べる技を使っていない。つまり、彼にとって二人は技を出す程の実力者ではないという事。
それは、一心が今も大した力を出していないという事に他ならない。
それを理解して、最初に浮かんだ感情は―――『悔しい』というものだった。
「っ、珠雫!」
「分かっています!」
怒り。それだけが募った。
もう関係無い。相手の事など知った事かと、怒りで我を忘れている。
大剣―――もとい、『妃竜の罪剣』に紅蓮の炎を纏わせ、巨大な緋炎の大剣を形造る。そして、それを振るおうと
珠雫は一心の体を細胞単位で分解
「させるか、戯けめ」
―――する事は、出来なかった。
大剣を振るうその瞬間に、分解しようとしたその瞬間に、一心は既に距離を詰めて、二人の眼前に納刀して構えていた。
間合いに入っている。そして納刀している。それはつまり、抜刀術の構えである。
抜刀したその瞬間、彼女達にも、それを見る一輝にも視えぬ程の速さで斬撃を繰り返す。
斬り刻まれる。衣服、肉体、霊装を、斬り刻まれている。
そして―――最後には、それ以上の速度の一閃を以て、両断された。
その剣技の名を『一心』。
ただ斬ること。
その一事に、心を置く。
そうして放たれる連撃は、神速である。
研ぎ澄まされた老境の剣聖一心だからこそ、為せる技だ。
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剣聖と達人の邂逅
「カカカッ! やはり戦の後の酒は美味い!」
結局、あの後は一輝との木刀稽古を終えて修行は終了し、ステラと珠雫は途中から現れた“エマ”という薬師によって傷を癒やされ、そのまま一心の家で食事を共にする事とした。
一心は病に侵されている身であるというのに、それこそ笑いながら元気に酒を飲んでいた。
「ねぇ、イッキ。イッシンって本当に病気なの…?」
「う、うん。本当なんだけど…」
「カカッ、病になんざ負けてはおられんと言ったじゃろう。一輝がその最期を迎えるまで、儂は死ねぬ」
また、盃に告げられた酒を飲み干して一心は語る。
「それはそれとして…一輝よ。儂が飲んでいるこの酒の名は分かるか?」
「? 『どぶろく』じゃないんですか?」
どぶろく…それは、一心が好む酒の名前。
白く濁ったどぶろくの徳利。酒とは、振る舞うものである。
葦名一心も愛した、この濁り酒は、実に濃醇である。一方、悪酔いしやすいことでも知られるが。
一心は笑って、どぶろくではないと答えた。
「これは猿酒と言うんじゃが…それとは別に、こいつは『修羅酒』とも言う」
「…昔、儂は…修羅を…いや、修羅の如きものを、斬った事がある」
それは、一輝は既に知っているがステラと珠雫は知らない話し。
葦名一心の過去。葦名一心がかつて斬り捨てた、『修羅』に落ちかけた者の話し。
「修羅とは、なんですか」
珠雫は一心に問い、一心は「何のために斬っていたか…それを忘れ、ただ斬る悦びにのみ、心を囚われた者の事よ」と、答えて、盃に猿酒を…否、修羅酒を注いで、それを飲む。
「…斬り続けた者は、やがて修羅となる。一輝よ」御主の目にも、修羅の影があるぞ―――と、一心は静かな眼で一輝を見詰める。
一輝は何も言わない。ただ、一心の方を見ずに鍋の下でパチパチと音を立てて燃え揺れる火を見詰めている。
一輝もどこか、思う所があるという事なのだろう。
「せいぜい儂に斬られぬよう…肝に命じろ」
「……はい」
一輝の瞳に写すのは、一心ではなく燃え盛る炎だった。
□ □
食事を終えて、一輝達は学園へと帰って行った。
一心は静かに座り、壁に背を預けていた。
頭の中で思い浮かべるのは、彼が斬り損ねた『修羅』の姿。
それと同時に、黄泉帰った己を斬り捨てた『忍び』の姿を浮かべていた。
死んで、そして起きて見れば未来の日本。葦名は無き國となり、狼や九郎、弦一郎もまた無き者として扱われている。
そんな中で一心は若かりし頃の姿で目を覚まし、そしてその後でエマと出会った。
街を歩く中で、狼や九郎に酷似した者達を見たが、どうやら記憶は無いようで、記憶があるのは一心とエマの二人だけだった。
それから数十年。黒鉄龍馬や南郷寅次郎と出会い、大戦を終わらせてからは隠居していたのだが、やはりどうしても縁というのは切れないもので再び病に体を侵されてしまった。
だが、そんな時に一輝と出会ったのだ。
いつか、これは良い剣士になると直感で理解したのと同時に修羅にもなると理解した。
鍛え上げ、そして見届ける事にした。
『剣聖』たる自分を越えて『剣神』へと至るか、はたまた『修羅』を越えて『羅刹』に墜ちるか。
最悪の場合―――つまり『羅刹』に堕ちた場合は己の『固有霊装』を使ってでも、斬り捨てるつもりである。
「……」
「カカカッ…今日は客が多いな。」
襤褸々の白い衣を纏う黒髪を束ねた男。その腰には一本の日本刀を差している。
曰く―――霊峰、その頂。もはや常人では呼吸をする事すらままならない山の頂には一人の侍が居るという。
それは世界最強と名高い《比翼》をも斬り伏せたという。
無銘の達人。いや、ただの『達人』。
「良い夜じゃ…血が滾る」
「……」
「喋らぬか…その仏頂面も、懐かしい…では、やるか」達人よ―――抜いた刀は、黒い何かを纏っていた。
『剣聖』葦名一心、対、『無銘』達人、いざ尋常に―――勝負。
詳しくは、自分の過去アカウントである「全智一皆」のpixiv作品「無銘の達人」を御覧ください。
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