無気力勇者と5人のアイドル (添牙いろは)
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5つの聖痕

 ()()が聖衣を纏うとき――それは、戦いの渦中にある。

 ()()は勇者であり――同時に、聖女であった。

 その務めは、戦いの中に身を投じるのみに非ず――もしこれが祭事であるならば、腰に差した黄金の剣は、武器ではなく神器なのだろう。

 とはいえ、そこに厳かな空気はない。酷く世俗的で――カラフルな照明がテカテカと差し込み、楽曲の音調もカラオケのような機械そのもの。何より、そこに立つ()()自身の銀髪は整うことなくところどころ飛び跳ね、長い後ろ髪はただ束ねただけに等しい。しかし、そんな杜撰な頭部に引き換え、丸く翻る白銀のドレスは派手であり豪奢――ゆえに、神聖さとはほど遠い賑やかな 空間(ステージ)だからこそ、むしろ安っぽく見える。

 それでも。

 外界から隔離され、陽の光を失った世界で――()()は――否、()()()()だけが輝いている。だが、勇者であり聖女でもある()()に相対するのは――()()以上に世俗的であった。

 それは調理時に着けるべき真っ白なエプロン――だが、機能より見た目に重きが置かれているらしい。裾を縁取るのはフリル。胸元にもフリル。そして、肩紐にも左右に羽根を広げるかのようなフリル――そのシルエットはまるで天頂を仰ぐ白鳥のごとく。炊事場に詰めるような雰囲気ではなさそうだ。

 それに何より、頭上に掲げられているのは紫色の髪をまとめるための三角巾ではない。虹のように架かるカチューシャに前髪を整える様子はなく、右目を隠すほどに長く伸び下げることを許している。そして、例によってここにもまたフリル――フリルのアーチが、額の上を彩っていた。まさに、頭の先から足元までフリルに覆われた、フリルの化身といえよう。

 そんな彼女が、人工の光の中で――肩口のフリルから両腕を伸ばす。そして、高く結ばれたポニーテールをなびかせながら、ひらりと軽くその身を返せば――シルエットの白さに命の色が灯る。うなじから真っ直ぐ、腰のくびれの中央を貫き――それは太ももの間までひとつの曲線。柔らかく膨らんだふたつの(まる)さを分け隔てるように。誰もが、その頂きに目を奪われてしまう。しかし、それは俗ゆえにではない。ふたつの丘の右の一方――そこに薄っすらと感じられる熱――それに、闇の中で蠢く有象無象たちは一斉にたじろいだ。まるで、女神に平伏すように。

 その畏怖を感じているのは、勇者であり聖女でもある挑戦者――ヤシロとて同じこと。むしろ間近に、同じ舞台に立っているからこそ、誰よりも強くその身に受けていたはずだ。それでもあえて平静に――ステップにより生じた遠心力に導かれるままスカートがたなびき、襟首の束髪が襟巻きのように尾を引く。そして彼女もまた、降り注ぐ光の熱を感じると――フリルの威圧を物ともせず、同じように両腕を伸ばし、身を返す。

 ならば、とフリルの彼女はリズムを踏み、右へ左へ飛び跳ねる。揺れるお尻に誰もが釘付けになる中、ヤシロは淡々と目の前の動きを模倣する。

 ついにフリルの姫は右手を掲げ――両手で目まぐるしく印を結ぶと、くるりくるりと独楽のように――ここまで激しく回しては、裾のフリルは高々と舞い、その裏側に異なる色合いを覗かせてしまう。が、それは一瞬のこと。つま先に力を込めると、その回転はピタリと止まり――危うきところは裏側に。舞い上がっていたフリルは静かに膝の上にしなだれかかる。代わりに訴えかけるのは先程の熱。もはや、すべての輝きがその丸い一点に集められているかのようだ。

 これで勝負は決したか――誰もがフリルに魅了され、目を離せない。だが、ヤシロは歴戦の勇者である。複雑な手の動きを完璧に再現し――回る勢いさえそのままに。膨らんだスカートのシルエットから、彼女の方がより独楽のように見える。腰の鞘に輝きをまとわせながら、まったく同じ回転数をこなしたところで――まったく同じように急停止。

 すると。

 

「負けたーーーーーーーーッ!!」

 

 突然の絶叫。フリルの女はすべての力を使い果たしたように膝を突く。膝に続いて両手も突いたため、後ろからはお尻の割れ目の間まで見えてしまっている。先程感じられた熱はもはやない。そんな彼女のもとに――同じヘッドドレスとエプロンの女性ふたりが駆け寄ってくる。

「大丈夫です! イケてますって、シレーさん!」

「まだまだなのーっ! 全然負けてなんかないのーっ!」

 熱烈な激励に左右から挟まれながらも、フリルの化身――シレーと呼ばれた彼女は激しく首を振り否定する。

「無理よッ! やっぱり私なんかにできるわけがない……ッ!」

 応援係も同じ姿であり――膝を突いたシレーに寄り添うため同じように膝を突いては――白い丸みが計六つ。その間の割れ目は三つ。仲良く、艶めかしく並んでしまっている。

 誰が何と励まそうと、ステージ上の光が絶たれている以上、戦いが終わったことは疑いようがない。ヤシロたちの様子を腕組みして睨みつけていた赤い頭巾をかぶった和服の幼女はじとっとした目で隣の修道女を見上げる。

「……なぁ、聞いとった話とちょい違うんやないか?」

 問われた方も得心が行かないようで、視線を合わすことなくメガネのブリッジを正しながら言葉を発することはない。

 答えがないので、幼女は更に追撃を加える。

「思い出してみ、あんさんが自分でゆっとったことを――」

 言われて、修道女は目蓋を閉じた。それは思い出そうというよりも――思い出したくない記憶と葛藤しているように見えなくもない。

 

       ***

 

 その深く広大な闇は、無数の星々の瞬きを内包する。そして、中でも一際大きく真円を描いているのは――かつて、女性だけになってしまったかの惑星だった。

 その地表は、いまも赤茶けている。しかし、どことなく明るい雰囲気が感じられた。それは、女の中に男の姿もちらほらと見られるようになったからかもしれない。セピアな色合いだった街にも赤や緑など、華やかな装いに目が惹かれる。

 だが、その町外れの一角だけはまるで変わらない。蔦の蔓延る修道院――扉があるべき場所には、簡易なトタンが貼り付けられている。どうやら、一度壊れてから修繕が進んでいないらしい。

 その仮戸の高さは二メートル以上ありそうだが、さして重くはないようだ。ヤシロがよいしょと力を込めると、右に向けて隙間が開いていく。そこから中に入ろうとして――正装たるドレスの裾がモゴモゴと引っかかっているようだ。傘のように広がったシルエットをグイグイと押し込め、どうにか通過する。

 そして、出入り口を内側から元に戻そうとしてみるも――押すのと引くのとでは力の使い方が異なるらしい。これは思うようにいかず、すぐに諦めたようだ。これについて、この建物の主――修道服をまとったユウ司祭が何かを言うことはない。礼拝堂奥の黄金像の足元で屹立し、早くここへ来い、と来訪者に向けて眼鏡を光らせていた。ふたりの間には一直線に破壊の跡が残されており、砕けた長椅子断面は痛々しくささくれている。そんな荒れた道のりをのんびりゆくヤシロの足取りに、司祭の意向を汲み取る様子はない。

 ヤシロの到着を待たず、ユウは話を始める。

「見えるわね? そこからでも、()()()の聖痕が」

 そう言って振り返った先には、女神・ズーミアの巨大な黄金像――右手に天秤、左手に剣を携えているが、その身には何も纏っていない。そのため、女性としての身体も余すところなく開示しているのだが――ユウの声に、ヤシロははたと足を止める。そして、改めてその正面にそびえる巨大な裸体を注視してみた。傷――と呼ぶには端正すぎる。だが、確かに――左右の乳房と、へそを囲むように幾何学模様が()()()()()()

「それと、背後にも()()()

 どうやら、ユウ自身は全身くまなく女神像の異変を調べたらしい。その調査結果を、ヤシロに疑うつもりはなさそうだ。おそらく、さして興味もないのだろう。だが、正装――勇者のドレスで訪れているのだから、ヤシロは内心穏やかではない。一方で、やはり寝癖は立っているので、真剣味はイマイチ薄いようだ。

 そんなヤシロは、起きたばかりのようにのんびりと問う。

「ふぅん、まぁた厄介事?」

「神託よ」

「ズーミア教徒でもない人から?」

 ユウは以前の騒動で、生粋の司祭ではないことが露呈している。それでも未だ修道服を纏い、こうして勇者に対して命令を下しているのだからいささか厚顔か。

「経典に則ってやってんだから、経典どおりの職務くらいこなしなさいよ、穀潰し」

 つまりは――信心はなくともしきたりには従え、ということなのだろう。とはいえ、ヤシロに油断することはできない。

「あたしの安全が確保されてる限りはねー」

 ユウはズーミア教徒であるどころか、その護り手である勇者を罠に陥れようとした前科がある。それはユウ自身重々承知しているはずなのだが。

「多少の危険は甘んじなさい。貴女は、勇者なのだから」

 あまりの悪びれなさに、ヤシロは肩を竦めて閉口する。教団に養われている限り、真正面から対立するつもりはないらしい。そして、この勇者様は経典に疎いため、何が経典どおりで何が逸脱しているのか知りようもない。ゆえに、危険が目に見える形になってからしか振り払うことはできないのだろう。

「……で、みっつとふたつの聖痕がどうしたの」

 部屋の真ん中あたりで、ヤシロは足を止めた。ユウは近接格闘を得意としている。ゆえに、ヤシロは距離を空けたまま話の続きを促した。ユウも一応己の所業を理解しているらしく、これ以上近づけということはない。

「ちなみに、後ろの聖痕は左右のお尻よ」

「だと思った」

 両胸にひとつずつ出ているのだから、当然の推論だろう。そして、お腹にひとつ。

「五つの聖痕――これは、ズーミア神復活の知らせよ」

「いつの間に死んでたの」

 復活するためにはその前に滅んでなくてはならない。当然の順序である。

「貴女、本当に何も知らないのね」

 偽司教より教養が乏しいのだから、呆れられるのも無理はない。

「かつてこの惑星で神々の戦い……ズーミアとレノヤが戦争を起こしたのよ」

「科学か神秘か、どっちかにしてほしーんだけど」

 確かに、光速艇で星間旅行する時代に神がどうのと説かれても納得しづらい。だが、ユウの中では矛盾なく両立しているらしい。

「そういうことは、宇宙のすべてを解明してから言いなさい」

 どうやら、土着宗教の中で、科学的に解明されていないことを“神の仕業”と称しているようだ。

「そして、これから話すことは現在解明できていない事象のひとつとして、それでも現実のものとして聞いてほしいのだけど」

 ユウ自身、信じ難い内容のようだ。そもそも、彼女はズーミア教徒ではない。神の存在自体がバカバカしいのに、神の復活などといわれても信じることなどできないのだろう。

 しかし、その原理が、理屈がわからない。なのに、経典には記されている。だからこそ、最大限の警戒を寄せるしかない。

「ズーミア神は、人の身体を依り代にして復活するらしいわ」

「へー。神様に乗っ取られちゃうってこと?」

 軽くあしらいながらも、ヤシロの目は笑っていない。話の流れからして――自分が呼び出された理由には悪い予感しかしない。

 だが、それはさすがに悲観的すぎたようだ。

「依り代は、少なくとも貴女じゃないわよ」

「あ、そ。じゃあ、あたしは依り代を探しに行く方だね」

 だが、ユウは肝心なことに答えていない。依り代は、神に意識を乗っ取られるか否か。

「で、手がかりは?」

 自分のことではないからか、ヤシロはそのまま議論を先に進めようとする。いずれにせよ、ユウが都合の悪いことを正直に話すはずがないのだから。

 そこに、新たな論客が唐突に加わる。

「――聖痕……やろ?」

 ヤシロは、ユウの表情が険しくなったことで――何よりその声、その喋り方で後ろから入ってきたのがシオリン・O・カナギであることは振り向くことなく理解した。

 赤い和服の金髪幼女――しかし、そのキツネ耳は取り外せる偽物――ハッタリツネークス――どうやら彼女にとっても用があるのはユウの方らしい。

「すべての聖痕を集めし者、これすなわち神の 化身(アイドル)なり……ってな」

「何で貴女が知ってるの」

 信仰はないなりに、経典だけは読み通しているユウと異なり、シオリンは完全に無関心のはずだ。

 そう、シオリン自身は。

「知っとるモンの話を盗み聞いたからや」

 その物言いは穏やかではない。日々をのんびり過ごすことを是とするヤシロにとって、最も忌避する雰囲気だ。

「……ナニ? ここって、厄介事の掃き溜めなの?」

「悩める仔羊の拠りどころよ」

 言葉の字面に対し、ユウの声色には慈悲がない。ヤシロは諦めたように長椅子の方へと歩み寄り、崩れていない座面に倒れ込むように腰を下ろした。もちろん、ささくれた断面が刺さらないよう、黄金像の方を向いて。両胸と腹部のみっつの聖痕――自分のドレスの胸元をぺろりと捲ってみるが、そこには色鮮やかな乳首が乗っているだけ。おそらく、残りの箇所も同様なのだろう。

「で、聖痕を揃えるとどうなるの?」

 両胸を放り出したまま、ヤシロは中空に向けて疑問を投げる。詳しいどちらかが答えてくれればいい、として。

「ズーミアの愛は宇宙のすべてを魅了する……と言われているわ」

 ヤシロの態度は咎めることなく、ユウの方が問いに応じた。胸を露出することは不敬には値しないらしい。女神自身が全裸なのだから、当然ともいえるが。

 神の力だけに、ヤシロは納得したらしい。シオリンにも異論はないようだが――だからこそ、苦々しく頭を掻きむしる。

「愛……ねぇ」

 そして、苛立たしく。

「愛って何やねん」

 その命題に、ユウの答えはひとつの溜め息。どうやら、明確な定義を持たないらしい。だからこそ、わかることだけを口にする。

「重要なのは、神が、宇宙のすべてを魅了する……ってところよ」

 この答えでは、ヤシロもシオリンも納得できていないらしい。補足を促すふたりの視線がユウに集まるが、司祭はこれを屈託のない無言の微笑みで打ち返す。どうやら、これ以上開示できる情報はないらしい。ならば、とシオリンは対話の姿勢を切り替える。

「異教徒にもズーミアはんの愛はあるんかいな」

 その一言に、ユウの眉がピクリとひきつる。その仕草を見てヤシロは――スッと丸出しにしていた胸元を糺した。ただそれだけのことで――ユウとシオリンから睨まれる。これに、ヤシロは肩を竦めて両手を挙げた。

「わかったわかった、もう逃げないって」

 ヤシロには自分に降りかかる災難の全貌をすでに把握しているらしい。それを承知の上で、シオリンは追加で釘を刺す。

「勇者はん、事の重大さを理解しとるんかいな」

 この事態に対して、むしろユウの方が理解を示す。

「戦闘民族ツネークスが宇宙に愛を説くなんてゾッとするわね」

 言葉に反して声色は軽いが、半ば諦めているのだろう。この来客が現れた時点で。

「それを伝えるために、わざわざここへ来たのでしょう?」

 つまり、武力と魅力を兼ね備えた最強の女神が誕生するということか。シオリンは、宗教家の方が話も通じるだろう、とユウに言葉の先を戻す。

「カスガ参謀のことは知っとるか?」

「ええ、力任せだったツネークスが近年勢力を伸ばしてるのは、そこに知性が加わったからだと」

 暗にツネークスを無知だと蔑む物言いだが、偽ツネークスであるシオリンが気にかける様子はない。

「ヤツが意気揚々と説いとったわ。ツネークスから女神の 化身(アイドル)が誕生すれば、宇宙は我々のもんやと」

「説くって誰に?」

 ユウは素朴な疑問を口にするが、それに答えたのは意外なことにヤシロだった。

「そりゃー、()()()に決まってるっしょー」

「ッ!?」

 隠しきれないほどに驚愕しているシオリンに、ヤシロは乾いた笑いをこぼす。

「シオリンがあたしたちの前にわざわざ顔を出すくらいだからねぇ。()()()()()()()()が動いたくらい察しがつくって」

 そんなヤシロのもとに、シオリンはズカズカと詰め寄る。

「ちゃうねん、そんなことに驚いとるとちゃうねんで」

 そして、整えたばかりのドレスの胸元をグイと掴んだ。

「あんさんがあまりに呑気すぎるからや……ッ! 知らんのかい、クリス・K・グッドマンの恐ろしさを」

 腕を組んだまま、ユウもシオリンの言葉に続ける。

「戦闘民族ツネークスの中でも最恐と呼ばれる剣豪……並み居る有力者を皆殺しにして頂点に立ったといわれているわね」

「その通りや。敵対して生き延びたモンはおらん。ウチかて、盗聴がバレたら()()()()やで」

 そう言って、シオリンは親指で自分の首を切って見せる。まさに、命懸けの盗み聞きだったようだ。

 ヤシロよりも事の重さを理解しているユウがヤシロを諭す。

「悪い報せだけど、女神ズーミアも、元は普通の人間だったと経典にあるわ。そして、それを機に人が変わったとか、そういう記述もない」

 つまりは、意識を乗っ取られた様子はないということだ。意識は人のまま神になった、ということである。

「だからこそ、神を喪うまでこの惑星は栄えてたわけで……ただ、この地に宇宙征服なんて野心を持った人がいなかっただけで」

「ツネークスの戦闘力にカスガの頭脳が加わったいま、ヤツらが女神の力をどう使うか……考えただけでも恐ろしいわ」

 この情報を知る前からヤシロは呼び出されていた。ゆえに、ユウにはツネークスに限らず、異教徒に女神の力を譲るつもりはないのだろう。そのひとつが最強の戦闘集団の中に現れたことで、その難易度が格段に跳ね上がっただけで。

「ひとつ言っておくけど、伝承には不確かなところが多いわ。具体的にはどうなるかわからない。けど……」

「夢も希望もないわけやない」

 だからこそ、シオリンはここに来ている。

「カスガか、もしくは聖痕持ちか……クリスが両方護れん状況に追い込んで、片方をサクっと暗殺するか」

 暗器使いはそのような不意打ちを得意としている。とはいえ、ユウの目的はそこにない。

「いずれにせよ、ズーミアの司祭として不当な者に神の力を預けるわけにはいかない」

 ユウ自身が適当な者とはいい難いが、一応立場上の職務をまっとうする意思はあるようだ。

 シオリンにはとって、ツネークスが聖痕を揃えることを阻止さえできればよい。

「ほんじゃ、誰か代わりに揃えさすん?」

「少なくとも、異教徒は論外として……」

「何や、目星ついとらんのかい」

 シオリンは呆れた声を上げるが、ユウもただ待っていただけではない。

「手がかりはふたつ。ひとつは女神の力を発揮するには、その刻印を魅了する人々の前に示す必要がある」

「へぇー、刻印を、ねぇ」

 そう言って、ヤシロは改めて女神像を眺める。お腹はともかく、乳房や生尻を露出してステージに立つ女性アイドルはなかなかいないだろう。

「もうひとつ――刻印の力は、揃わずともその片鱗を発揮する、ということ」

 完全に全宇宙を掌握するにはすべて集める必要がある。だが、その一つひとつに意味がないわけでは無いらしい。

「つまり、最近急に注目されるようになったアイドルは、何らかの形でズーミア神の寵愛を受けている可能性が高い」

 自信満々に眼鏡のつるを糺すユウだが、ふたりの反応は芳しいものではない。

「何らかって何やねん」

「例えば、オーディションで刻印を見せたとか……それこそ、温泉でスカウトされたとか」

「無茶じゃない?」

「そのくらい無茶な偶然がなければ、急に注目されるわけ無いでしょ」

 ヤシロからツッコミを受けるユウだが、ボケたつもりはないらしい。本気でそう考えているからこそ、すでに手は打っている。

S.K.(エス・ケー)!」

 ユウがそう呼ぶと、礼拝堂奥の開けっ放しの扉から何かがふわふわと飛んできた。体長の倍はある剣を鞘ごと運んでいるからか、その軌道はやや頼りない。ドローンのようだが作りかけなのか、コードがクラゲのようにピロピロと漂っている。何とも杜撰な様子だが、むしろそれが良かった。もしきちんと精巧に作られていれば――首から切り離された生首が漂っているように見えただろう。

 その後ろ髪はせいぜい頭を覆うくらいの短さだが、もみあげにあたる側頭部は長い。その二本を器用に両腕のようにして剣に絡めている。

 人畜無害なお手伝いロボットのようだが、その生首をシオリンは看過できない。

「キ……ッ、サマ……ッ! まだ生きとったんかい!」

 何しろ、それはつい最近まで『魔王』としてこの 惑星(ほし)の片隅で君臨していた張本人なのだから。しかし、その戦いの途中で自爆したはずである。その彼女がどうして――そもそも機械なので修理したのか、作り直したのか、元々2号がいたのか――とにかく、その魔王が平然と楽しげに現れた。

 これに幼女は熱り立って刀の柄に手をかける。間合いは完全に離れているが、あらゆるところに様々な暗器が仕込まれているため、何かを飛ばすつもりかもしれない。

 それでも、生首の方は構わず呼び出した主人の方へと向かっていく。

「生きるも何も、シキ、機械だし」

 S.K.――通称、というか自称はシキというらしい。その機械は、機械がゆえに命令者には忠実に。ユウの前に辿り着くと、黄金の鞘をするりと解いた。

 それを両手で受け取ると、ユウはヤシロに向けて言い放つ。

「これは神殺しの剣。もし異教徒が聖痕を揃えるようなことがあれば……」

「うわぁ、物騒」

 ヤシロは勇者でありながら、殺伐とした解決法を好まない。それを知っているからこそ、ユウは予め懸念を払拭しておく。

「心配しないで。その剣は神しか殺せないから」

「そりゃー罰当たりだねぇ」

 ヤシロは肩を竦めて応える。いずれにせよ、あまり乗り気ではないらしい。ただ、少なくとも明確な拒絶はなさそうなので、ユウは話を進めることにしたようだ。

「S.K.、命じていた件は?」

 ヤシロが剣を承りに来ないので、ユウは再び生首ロボットに託した。それを運びながら、生首ロボットは楽しそうに報告を続ける。

「はーいはいはい。えーと……急に目立ち始めたアイドルってゆーと三人だねー。ひとりめはミーシャ」

 ヤシロの前まで近づいたところで、S.K.はスルリと目下の膝のあたり目掛けて剣を放る。神を滅ぼす神器を授けるにしては、ラグビーボールを投げ渡すような雑さだ。このロボットは、主人であるユウ以外に対してはこの調子らしい。床に落としては怒られそうだからか、ヤシロは前のめりになりながら頑張ってそれを受け取る。少し床に引っ張られたようなので、それなりの重さはあるらしい。

 運搬の任務を終えたところで、生首はフワリと後ろを向いた。そして目から光を放つと、中空に動画が表示される。そこでは、大きなハンチング帽をかぶったショートカットのアイドルがステージで踊っていた。その歓声の大きさから、相当な人数を動員し、盛り上げているらしい。

 ユウがこれといって興味を示さなかったからか、S.K.はモニタビームをスッと消す。

「ふたりめ、ミトフルー」

 だが、該当の人物の映像が表示されることはない。また、ひとりめのように歓声を浴びることもない。何ら交じるものはなく――だからこそ、この場にいる誰もが圧倒される。

「うわっ、この人、本気で歌上手くない?」

 正直、ひとりめのミーシャはお祭り騒ぎのような誤魔化しがあった。しかしふたりめのミトフルは――映像がないにも関わらず声だけで人々を引き付ける力がある。

「最近デビューしたばっかで、まだ音源だけみたいだよー。偶然発掘されたんだってー」

「風呂場でか?」

 映像がないだけに、シオリンは半信半疑だ。S.K.の方も指示に従っているだけで、あまり興味はないらしい。

「知ーらない。んで、最後のひとりはマコット。このコならシキ、コネあるけどアクセスしてみる?」

 再びモニタビームを放つと、映し出されたのは着ぐるみの女のコだった。……いや、女のコなのかも定かではない。ギャーギャーと叫ぶ声は甲高いが、怪獣の口から顔を出しているだけなので、正確なところの性別不詳だ。両サイドからふたりの力士着ぐるみに張り手を繰り出され、クルクル回っている。これはアイドルのライブというより、もはやコントだ。

 普通、女のコが痛めつけられていれば笑いより先に心配されるはずだが、その回りっぷりがあまりに豪快だからか、会場は大いに沸いている。

 しかも、どのような原理かわからないが、突然怪獣着ぐるみは大爆発。真上に向けて飛び出した中身は裸一貫、高くもない天井に頭から突き刺さり、裸身がプラプラと揺れている。が、最低限の配慮はされており、肌色の身体にはモザイク修正が施されていた。確かに、このようなライブは斬新である。が、アイドルと呼んでいいかは怪しい。とりあえず、S.K.の機械判別にはライブとして認識されたようだ。

 ということで、この三名が最近人気急上昇のアイドルとのことらしい。しかし、ユウはわざとらしい溜め息でみっつの報告を一蹴する。

「……S.K.、肝心なことが調べられてないわ」

 それはロボットの方も承知しているらしい。

「聖痕? そーだねー。そーいう画像は見つからなかったよ」

「見つからなかったじゃないでしょッ!」

 ユウの憤怒によるものか、S.K.はふわーっと吹き飛ばされていく。

「急に注目されるためには女神の力……聖痕を露出させる必要がある。だったら、映像にも映るはずでしょうッ!?」

「お腹はさておき、胸やお尻は難しいって~」

 ヤシロは一定の同情を示すが、シオリンもまた不満を感じている。

「てか、これじゃツネークスかどうかもわからんやん」

 三人とも、見事に頭部が映されていない。シオリンとしては、異教徒が云々より、ツネークスをどうにかしたいのだろう。

「だから知らないってばー」

 S.K.は憤っているユウが怖いのか、高い天井の方をふわふわと飛び回りながら叫んでいる。実際、これ以上怒鳴ったところで新たな情報が出てくるわけではない。八つ当たりする相手も遠く、ユウはひとり苦々しくひとりごちる。

「これは全宇宙を左右する重要事項だってのに……接触するなら聖痕の確証を得てからにしたいのだけど」

 重要性はさておき、ヤシロとしては事を荒立てずに済ませたいようだ。

「もしズーミア教徒でなければ、聖痕の秘密に気づいてないかもしれないしー」

 さて、この三人の中から誰の聖痕を狙うべきか――だが、肝心の聖痕がひとつたりとも目視できていない――そう思われていたのだが。

「……フフン、せやったら、ウチの情報網のが優秀っちゅーこったな」

 ここで、シオリンが不敵に笑う。

 どうやら、聖痕に見覚えがあるらしい。例えば、お尻が丸見えになるような場所で――

 

       ***

 

 S.K.はあくまでアイドルとして急上昇している人物を探していたようだ。しかし、聖痕を得てアイドルとしての力が増したとしても、本人がそれを誇示したがるとは限らない。

「……確かに、あれは紛れもなく、ズーミア神のお尻に刻まれていた聖痕ね」

 裸エプロンメイド喫茶『Cheese O'clock』――ここはユウたちの住まう惑星とは異なり、宇宙ステーションのような人工のコロニーらしい。それだけに宇宙テクノロジーが駆使された小綺麗な建造物が並んでいる。空にあたる湾曲した天井は真夜中のように暗く、雲ひとつない星空は美しい。ただ、どんなに綺麗に整えようとも、ネオンの走る常夜の下ではオトナのための繁華街、という雰囲気は払拭できないが。

 そのひとつが、この――裸エプロンメイド喫茶、という紳士のための喫茶店なのだろう。なお、シオリンは背丈や身体つきから幼女と間違われるが、このような店にも堂々と入れる年齢とのことである。

「最近、デビューの話がぎょーさん来とるんに、全部断っとるっちゅーメイドはんがおる聞いてな」

 どうやら、ユウたちに接触する前に、目星はつけていたらしい。とはいえ、シオリン自身、自分で調べた情報が信じられなかったのだろう。

「……アレが神の力の片鱗かいな?」

 両手両膝を突いて蹲り、仲間から励まされているシレーの様子は、とてもではないが神とは程遠い。

「ダンスは達者だったでしょ!」

 確かに、彼女の舞いは美しく、一方でヤシロはただそれを真似しただけだった。にも関わらず、肝心の本人が折れている。

「やっぱり私に大舞台だなんて!」

「大丈夫です! 大丈夫ですってシレーさん!」

「シレーさんならミューズフェスだって出場できるのー!」

 ヤシロは何も考えてなさそうだが、項垂れて励まされているところまで無思慮に真似ることはない。それ以上踊ることはなく、ただぼんやりと立ち尽くしている。ステージのスポットライトはすでに落とされ、店内の照明が点灯された。メイド喫茶のミニライブは終幕したということなのだろう。一〇以上はありそうな客席のテーブルに使用中の食器は残されているが椅子は空いている。そこに座っていた者たちは、みなステージの下に集っているようだ。

 いわゆる“ご主人さま”たちにとっては、それはいつものミニライブだったのだろう。だが、知る者たちにとって、これはただのミニライブではなかった。男たちの最前列で、女ふたりがぼやくように状況を確認し合う。

「あー……これがアイドルバトル……やったか」

 もし、先程のライブをバトルと呼ぶのなら、状況的に勝者はヤシロ、ということになりそうだ。

「歌や踊りで格を競い合い、負けを認めたアイドルの身体に聖痕を持つ者が触れれば、敗者の聖痕は勝者のもとに移るはずよ」

 そうして、いずれはすべての聖痕がひとりの 化身(アイドル)に宿るのだろう。だが、勝敗の基準は技術そのものよりメンタル面によるところが大きそうだ。となると、シレーのような者はこの戦いに向いていない。

「あんさんがシレーはんの実力みたいーゆーから店長に頼んでけしかけてみたけど……」

「念のために演習しておいて良かったわ」

 確かに、右のお尻には金の女神像で見たものとそっくりな聖痕が浮かび上がっている。こうして三人分のお尻が並んでいるが――実際、観客たちが釘付けになっているのはシレーのものだ。本人が項垂れていても、女神としての力は遺憾なく発揮されているらしい。

 とはいえ、彼女は敗者である。

「演習とはいえ、いまのシレーはんが聖痕持ちに触れられると……」

 幸い、この場に聖痕持ちはいないはず――だが――

 ふいに、ヤシロの視線が厳しくなる。その瞳はいまだお尻を鑑賞している群衆に向けて――その中にあからさまな不審者がひとり。ドブ色のフードを深くかぶっているため、目元は見えない。そんな怪しい客は人混みを掻き分けるように一歩、二歩と足を進め、そして――

「っ!?」

 それで、シレーも気づいたらしい。だが、お尻越しに振り向いたものの、すでに背後では上着の暗い隙間の奥で鋭い刃物が光っている。目を見開いたのは一瞬だけ。すぐに惨事を予感して逆に強く瞳を閉じる。

 だが、そこに。

「おっと、マズイねぇ」

 ヤシロは神殺しの剣を抜き、シレーのお尻の前に差し出した。しかし、それは神しか殺せないと聞いている。何よりそれ以前に、ヤシロの剣の腕前は初心者だ。

 それでも、一瞬の隙さえ作れれば良い。

「……ッ!」

 抜き身を前にして躊躇した僅かな隙に、ローブを貫く鋭い拳が繰り出された。しかし、ユウの腕に手応えはない。そこには、ただ重いコートが一枚残されているだけ。それでも、相手の正体を知ることはできた。男性客に混じって違和感のない背丈ではあったが、真っ赤な長い髪をなびかせ――何より、サラリーマンのようにネクタイを締めたビジネススーツ――その色合いが漆黒であるため、喪服どころか、裏の組織の構成員にさえ見える。しかし、ピッチリしているどころか押さえきれない胸とお尻のメリハリは、男性のものではなさそうだ。そして、その頭上でピクピクと周囲を窺っている大きな三角耳は――おそらく、シオリンのものと違って偽物ではないのだろう。

「……なるほど、聖痕を狙うのは我々だけではなかったようね」

 どのように移動したのかはわからないが、その相手はいつの間にか人垣を越えていた。出口の扉の前に立っているため、いまから追うのは難しいだろう。だが、どうやら戦意はないらしい。

「状況が変わったわ。ここは一旦引かせてもらいましょう」

 荒事が未然に防がれたことと――何より、誰もがシレーのお尻――もとい、聖痕に夢中になっていたため、店内で騒ぎになることはなかった。ゆえに、赤髪のツネークスは、何事もなかったかのように悠々と退店していく。

「行ってらっしゃいませ、お嬢さまー」

 レジに立つメイドに引き止める様子はないので、どうやら支払いは済ませていたらしい。そして、カスガと入れ替わるように、金髪の偽ツネークスがヤシロのところへひょいと現れる。

「あんさん、よく反応できたな」

 刺客がいなくなったのを見て、ヤシロは剣を鞘に納めた。

「気配消してたからギリギリまでわからなかったけど、攻撃に転ずる瞬間ならねー」

 ただし、気配を読めてもできることは時間稼ぎくらいのもの。ユウ自身も、それを理解こそしていたが。

「というか貴女、ナニ逃げてんの」

 ユウはシオリンをそれなりの戦力と見做していただけに失望しているようだ。だがシオリンの隠匿は、仮にも同じツネークスだからこそ。

「無茶ゆーなや。カスガ・B・タカヤ……通称、カスガ参謀。よくわかったやろ。アイツ、ただの頭でっかちやない」

「腐ってもツネークスってことね」

 ツネークス――その一言で――何が起こっていたかわからなかったメイドアイドルも理解する。

「ツ……ツネークスが……どうして私なんかを……?」

 シレーはいまだ立ち上がることができない。ぺたんと床に座り込んだまま恐怖に打ち震えている。ツネークスの驚異は全宇宙に知られているようだ。

 そんな彼女を諭すのは、ユウでもヤシロでもなく――

「事情は、そこの方々からお伺いしております」

 裸にエプロン一枚という装いから、同じ店の従業員であることはわかる。が、小さな背丈に似合わずシャンと伸ばされた背筋は、お尻まで一直線に美しい。そして、反論を許さぬ雰囲気で、シレーに向けて言い放つ。

「行きなさい、シレーさん」

「メイド長……」

 その凛とした立ち振舞いは、やはりメイドの長たるものだったようだ。身長こそ低いが、シオリンと異なり胸部はしっかりと内側から張り出している。メイド長の威厳は、そんなところからも醸し出されているのかもしれない。

 上司が現れたことで、シレーも我に返ったようだ。慌てて立ち上がり、小さなメイド長に向き直る。

「し、しかし、デビューの話ならすべてお断りしたと……」

 やはり、聖痕を持つ者はその力を発揮してしまうものらしい。これまで埋もれていたのは、シレーの後ろ向きさによるものだろう。

 だが、メイド長はそれを許さない。

「またツネークスの“お嬢さま”が“お帰り”になられると、他のご主人さまにご迷惑がかかりますので」

「いやああああああッ!?」

 ひとしきり仰け反ったところで――再びシレーは膝を突いた。それに対して、待っていたと言わんばかりにふたりのメイドが素早く寄り添う。

「大丈夫、おねーさんたちもついていくからー」

「頑張りましょう、シレーさん」

 今度ばかりはメイド長の命令である。おそらくシレーも逃げることはできない。そんな様子を見ていたヤシロが呟いた。

「……なーんか、勇者の旅立ちー、って雰囲気だねー」

 本人にやる気がないのはさておき、この構図はまるで王様から魔王討伐を託された勇者一向のようである。

 そんな他人事を漏らすヤシロをユウは呆れながら肘で小突く。

「しっかりしなさい、勇者は貴女なんだから」

 だが、ヤシロはそれに応えず視線を逸らす。もしかすると、譲れるものなら譲ってしまいたいのかもしれない。

 

       ***

 

 シレーです。最近ご主人さまたちから頻繁に指名が入るようになったとは思っていたのですが、まさか、神の力だったなんて……。微力ながら、私にできることならお手伝いいたしますが……ええっ? 最初の相手は宇宙最強の歌姫!? 私などに勝てるはずがありません!

 次回、無気力勇者と5人のアイドル、第2話『4人のメイド』

 で、では、そろそろお店に帰っていいですか……?

 



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4人のメイド

 時は四十三世紀――宇宙旅行さえも、まるで海外旅行のような手軽さで。星空を遊覧するように、ふわりふわりと丸い船が宇宙空間を漂っている。ただし、ヤシロたちの惑星の宇宙港に並んでいたスペースシャトルがジャンボジェットならば、こちらはヘリコプターほどにこぢんまりしている。その船内で、何か問題が発生したらしい。

「えええええっ!? 私が宇宙を……ッ!?」

 内装は座席の数からして六人乗り。前にヤシロ、ユウ、シオリンが、後ろに、シレーを挟んでお付きのメイドがふたり座っている。重力もあるらしく、その雰囲気は二十一世紀の自動車と大差はないが、不思議なことに誰も操縦している様子がない。おそらくだが、ダッシュボード中央に乗った生首ロボこと S.K.(エス・ケー)が運行を管理しているのだろう。

 ゆえに、乗客たちは安心して談義に興じることができている。

「大丈夫なのー、シレーさん! 宇宙はでっかいメイドカフェなのー!」

「シレーさんならイケますって! ご奉仕できますって!」

 プレッシャーのあまり魂の抜けかけているシレーを、例によって同僚のふたりが励ましている。が、生尻でシートに座っているわけではない。どうやらあの衣装は店だけのサービスらしく、いまは三人揃ってメイド服である。二千年以上経っても、メイド服の魅力は色褪せずにあるらしい。なお、シオリンはいつもの赤い和服、ユウは修道服、ヤシロは――聖衣から着替えてジャージである。この場において、勇者であるはずの彼女が最も一般人っぽいことは否めない。

 シレーはよほどショックだったらしく、ふたりの激励虚しく屋根を仰いでグラグラと揺れている。その様子をユウはチラリと横目で覗くが、すぐに正面へと向き直った。

「貴女、さっきズーミア神に信仰を捧げるって誓ったわよね。だったら、司祭の指示には従いなさい」

 それは独り言のようでもあり、反論は受け付けないという意思表示でもあるのだろう。それでも、シレーの弱々しい抗議は止まらない。

「私自身が神なんて聞いてないというか……そもそも、教徒になれば悪いツネークスから護ってくれるって言うから……!」

 そのように訴えられると、シオリンはやや居心地が悪そうだ。

「おうよー、この()()ツネークスのウチがなー」

 そう言って、耳をピクリと後ろに向ける。よくできているが、これは作り物だ。シレーにユウを止めることはできそうになく、同じように巻き込まれた組のヤシロは同情の半笑いで窓の外の星々を眺めるばかり。

 ここで急にS.K.は目を見開き――瞳孔の代わりに小さな0と1の文字がぎっしりと整列されている。それがチカチカと並びを変え、そして瞬き。

「ようやく確認映像見つけたよー。間違いないって。お腹に出てるの、ズーミアの聖痕でしょー」

 ピョンと跳ねてユウに後頭部を向けると、フロントガラスに相当する部分がモニタに変貌した。映し出されているのは、どうやらCM動画らしい。『惑星ミューズに全宇宙のアーティストが集結! レイナ・キノコ、トリアンタ・ニュートラム、そして期待の新人、ミトフル!』――ここではノリの良いBGMのみで歌声が流れないため、この――赤髪をポニーテールにまとめたへそ出しチアガールのような衣装を着た女性が本当にミトフルなのかはわからない。しかし、へそ出しだからこそ――お腹周りに薄っすらと浮かぶ丸い模様が目視できる。

「S.K. さっきのメール、事務所に送っといて」

「ほいほーい、メイド喫茶ライブのやつねー」

 一瞬だけロボの目が01模様になったが、処理が終われば元の人っぽい瞳に戻された。それでシオリンも行き先を察する。

「ま、安心せぇ。ツネークスでなければ負けても構へん」

 偽ツネークスの目的は、純正ツネークスの女神降臨を阻止するところにある。ミトフルの頭部にキツネ耳がないことで、すっかり安心できたようだ。ここでシレーが奪われれば、今度はミトフルに取り入るつもりなのだろう。とはいえ、このままシレーを媒体に集めた方が都合は良い。

「なぁ……ユウはん、自分で紹介しといてナンやけど……この勝負、シレーはんには荷が重いんちゃう?」

「ステージ上で唄って踊って、相手の心を折った方が聖痕を奪える……だったっけ」

 ヤシロもシオリンに同意見のようだ。というより、スキルはともかく心の折れやすさという意味では誰の目にも明らかである。それはもちろん、ユウにも。

「……ここまで打たれ弱いのは予想外だったけど、真っ向から戦わせるつもりはないわよ、最初からね」

「うーわ、またまたアコギなこと考えとるんか」

 言いながら、シオリンはどこか楽しそうに歯を剥き笑う。どうやら他人事であれば権謀術数を楽しめるタイプらしい。逆にユウは、策略こそ巡らせても、それを楽しむ趣味はないようだ。

「ナンのためにそこの穀潰し連れてきたと思ってんのよ」

 ヤシロはキョロキョロとメンバーを見回し――消去法でユウの言いたいことを理解する。

「あたしのことかー」

「他に誰がいるのよ」

「いてほしかったんだけどなー。あーあ」

 この勇者は見た動きを見たままに再現する天才である。ここでも、その能力を遺憾なく発揮することだろう。

 

       ***

 

 惑星ミューズ――地球に似た青く丸い星――文明も発達しているようで、高層ビルがいくつも乱立している。その中のひとつで、会談が行われていた。

 そこはオフィスフロアであり、ガラス張りのミーティングスペースの外はスーツ姿の男女が忙しそうに通話したり、キーを叩き続けている。そんな堅苦しく忙しない空気をあざ笑うように――豪快にメイド服のスカートを捲りあげ、パンツを下ろしてペロンと剥き出しのお尻を突きつけているのは、メイド喫茶の超新星・シレー――に扮した勇者・ヤシロ。右尻の丸い模様を始めとして、全身丸ごと忠実に再現されていた。

 白銀の頭髪は鮮やかな紫色に染め直し、襟首で束ねていた長い髪は頭頂の方まで移されている。片目を隠す長い前髪はどうやらエクステらしく、付けている本人がすでに鬱陶しそうだ。それでも相手に訝しがる様子はない。それどころか――スーツ姿の女性は偽メイドの右のお尻に顔を近づけ、じーっと睨みつけている。その様子を察して、ヤシロはヒョコヒョコと距離を取った。加えて、ユウの左手によってスイと遮られる。

「聖痕持ちには、いかなる理由があってもお触れになりませんように、ミズリーさん」

 ミズリーと呼ばれた女性は不満げに目元を歪めるが、それ以上異議を唱えることはない。

「承知しております。アイドルバトルはあくまで格を競い合い、優劣をつけるためのもの。それはステージ上に限りませんから」

 これにユウは舌打ち混じりで答える。

「よくご存知で」

 その様子に気づいているのかいないのか、ミズリーは先に着席している赤髪の女性に向けて振り向き尋ねた。

「ミトフルさん、どう見ます? 同じ聖痕持ちとして」

 それは、先程宇宙船で確認した新人アイドル・ミトフルで間違いない。座ったままなので腰から下は見えないが、ショートタンクトップから健康なお腹がチラ見えしている。おそらく、先に聖痕は確認済みなのだろう。ミトフルはミズリーのように露骨な近づき方はしなかったが、ちゃんと見るべきものは見ているらしい。

「ん、間違いないよ。その人、聖痕持ち」

 それを聞いて、ミズリーは長くふわふわした金髪を翻す。大きな瞳はどことなく幼い雰囲気を受けるが胸もお尻もしっかり張り出しており、大人の雰囲気だ。もしこの場にシオリンがいれば、これ見よがしに体格差を見せつけられていたことだろう。

 席に戻るため、ヤシロはいそいそとお尻をしまう。そして、ユウの隣を通り過ぎながら。

「騙し打ち断念?」

「その方が貴女だって楽だったでしょ」

 ヤシロの呟きにユウは短く答える。そして、ふたりもまたミズリーに続いて自分の席に着いた。この場でビジネスルックなのはミズリーのみ。ユウの修道服は宗教的な都合によるものだが、ミトフルはトレーニングウェアのようだし、ヤシロはメイド服な上、相変わらず寝癖を直していない。他の社員たちからはさぞアウトローに見えることだろう。

 それでも、ミズリーにとっては蔑ろにできる相手ではない。

「ミトフルさんを宇宙一のアイドルにすることは、我々の悲願でもありますので……」

 どうやらミズリーは、ミトフルの仕事を管理する立場にあるようだ。スッと胸元から手帳を開くと、パラパラと中をめくり始める。そして、すぐにパタンと閉じた。あまり外に出しておきたくないらしい。

「仕方ありません。今日のライブは、ミトフルさんの枠内の調整で対バンを組み込ませていただきます。ただし――」

 ミズリーは少し前のめりになって机に肘を着く。その眼光の鋭さは、決して友好的なものではない。

「弊社は御社の願いを聞き入れる立場にある……ですから、御社には多少の不利を受け入れていただくことになりますが」

「聖痕を求めるのはお互い様でしょう? それに今回は御社が主催のライブです。その時点で充分すぎるほど有利では?」

 先方からの威圧に、ユウはまったく怯むことはない。しかし、その空気に水を差したのは当事者であるミトフルだった。

「マネージャー、ちょっといい?」

 これを、ミズリーは目を合わすことなく突き放す。

「聖痕を確認できたのですから、ミトフルさんにはもう退席していただいて構いませんが」

 どうやらこれが普段の温度感らしく、ミトフルに気にしている様子はない。そして、言いたいことだけを言う。

「さっき見せてもらった動画、三人で組んでたみたいだから……シレーさんには三人一緒に出てもらいたいんだけど」

 おそらく、メイド喫茶でのミニライブの映像をサンプルとして送ったのだろう。

「はぁ!? ナニ言ってるんです?」

「あぁ、アタシの方はソロでいいからブッキングの追加は要らないよ」

「そういう問題じゃありません!」

 不利益になる条件だからこそ、ミズリーには看過することができない。

「タイマンにすれば、ミトフルさんが圧倒的に有利で……」

「それに、相手が裸エプロンメイドなのに、アタシだけガッチリ固めるのもバランス悪いし……だから、アタシも同じ衣装に合わせるよ」

「まさか、あのエプロンを……?」

 ミズリーが絶句する理由をユウたちも把握している。宇宙船内で確認したとおりミトフルの聖痕は腹部にあり、同じエプロンで覆い隠せば神の力を発揮することはできない。言いたい放題のミトフルに、ミズリーは一周回って落ち着いたらしく、面倒くさそうにため息をつく。

「一応お尋ねしますが……聖痕の恩恵を自ら手放し、ユニット編成を許し、相手の土俵に合わせることに、我々にとってどのようなメリットが?」

「その方が面白いでしょ?」

「許可できません」

 ノータイムでミズリーはピシャリと断言する。

「ミトフルさん、貴女は一刻も早く宇宙一のアイドルにならなくてはならないのですよ。その立場をわかっておられますか?」

 ミズリーは来客の手前、どうにか怒りを堪らえようとしているように見える。が、ミトフルからしても、これはいつものやり取りなのだろう。

「アタシなら、神の力になんて頼らなくてもトップに立てる」

 ついにミズリーの堪忍袋の緒が切れたのか、ガタリと勢いよく立ち上がる。

「ハッ、ナマイキ言わないでもらえますか? 私がスカウトするまで宇宙の片隅で乞食みたいな弾き語りしかできなかった田舎者の分際で!」

 売り言葉に買い言葉か。ミトフルも堪らず席を蹴る。

「文句あるなら自分でステージに立ちなよ! 聖痕に()()()()()()()()()()()()クセにっ!」

 それを聞き、ミズリーの顔がみるみる歪む。言い過ぎを自覚したのか――ミトフルはそっぽを向いて座り直した。

「……とにかく、この条件でなきゃ対バンは受けない。予定通りのライブをやらせてもらうけど」

 そもそも、ユウたちの乱入自体がイレギュラーであり、どちらかといえば、ミズリーたちの事務所の都合にも等しい。歯を食いしばり、震える拳を握り締めながら――ミズリーは力尽きるように腰を下ろした。その様子を見ながら、ニヤニヤと口元の笑みを隠しきれないユウを、直視しないようヤシロは壁に向けて苦笑いを浮かべていた。

 

       ***

 

 ところ変わって――

 スマホのような携帯端末にはシレーたちによるの裸エプロンステージが映し出されている。振り向きながら揺れるお尻に刻まれた聖痕までしっかりと収められていた。三人分のお尻の中でついシレーに目がいってしまうのは、センターだから――というだけの理由ではなさそうだ。

「ミトフルさんのお腹は見てましたけど……本当にお尻にも現れるんですねー……」

 そこは、オフィス街の緑地といったところか。色とりどりのドローンの中に混じって、S.K.もふわふわと漂っている。その下で、四人がけのベンチに三人の女性が集っていた。先程のオフィスで見たようなスーツ姿の女性がふたり並んで座り、正面に立って前屈みに携帯端末を覗き込んでいるのは見慣れた金髪・シオリンである。赤い頭巾をかぶっているのは作り物のキツネ耳を隠すためか。耳ごと取り外せば済む話だが、対外的にはあくまでツネークスとして振る舞いたいらしい。

 金貨のようなストラップのついたスマホを持っているのはセミロングの女性。右側だけを軽く束ね、サイドテールを作っている。その隣りに座っているのは落ち着いた雰囲気の眼鏡の女性。大きなシニヨンが少しお茶目な印象を受ける。だが、その落ち着いた雰囲気とは裏腹に。

「それにしても……ミズリーマネージャーそん、()()集めに躍起になっとったからなぁ」

()()です、ハナさん」

「んー、そだっけか」

 このような時代にこのようにあからさまな地方出身者がいるのも不思議な話だが――そもそも、宇宙で日本語を発していること自体がおかしいし、これも何らかのSF的な演出なのかもしれない。

「村では、畑仕事もせんと弾き語りばっかしとったけンど……いやはや、げにすごいギターやったんなぁ」

 ユウの惑星ですらドローンが労働していたというのに、ハナとミトフルの故郷では未だに手作業が行われていたようだ。

 鑑賞中のステージはシオリンにとって見慣れたものだったこともありすぐに興味を失い、腰を伸ばした。そして、ビルを見上げる。打ち合わせに臨んでいるであろうユウたちに無言のエールを送るように。

「しっかし……こんな短期間にあんな急成長するもんかいな」

「ミトフルちゃん、お歌もギターも元々上手だったべ。けンど、畑仕事にゃなぁんの役にも立たんって叱られとったけど」

 どうやら、最近まで不遇な音楽生活を送ってきたらしい。それでも、その実力は確かなものである。

「聖痕は、然るべき素質のある者に宿ると言われておりますから」

 スマホを持っていた女性が顔を上げる。これにシオリンは気不味そうに目を逸らした。

「あんさんもズーミア教徒かい」

「はい、ヒューイと申します」

 ストラップには金貨のような円盤がくっついているが、そこにも聖痕のようなものが刻まれている。普段遣いにもそのような小物を選ぶあたり、ユウと異なり、敬虔な信者らしい。そんな信者に、シオリンは小さく『やりづらっ』と呟く。そして、改めて座ったままのヒューイを見下ろした。

「あのマネージャーに吹き込んだんはあんさんか」

「吹き込んだって……。女神ズーミアの復活は、私たちズーミア教徒の悲願ですから」

 だからやりづらいねん――やはり、独り言のように。そういうところでこだわられると、シオリンとしては困るのだろう。

「ミトフルはんはズーミア教徒なんか?」

 そうならば良し。だが、もし異教徒ならば信仰させるためにまた宗教勧誘の真似事をしなくてはならないのだろう。シレーはあの調子なので難しくはなかったはずだ。しかし、ミトフルも同じように折れてくれるとは限らない。もしシオリンがミーティングルームでの一幕を目の当たりにしていれば、さらに懸念を深めたことだろう。

 しかし、ヒューイの信仰心はユウよりもフレキシブルだった。

「いいえ。けれど、新たなズーミア神が目覚めれば、私はその新たな神を信奉いたします」

「ええんかそれで」

「はい」

 自身にとって都合の良いはずの回答を聞き直すシオリンに、ヒューイは改めて即答した。それに対してヘラリと笑うシオリンは安心したのか、呆れているのか。真意は掴めないまま、少しだけ上目遣いで。

「おい、生首巨乳」

 目の前の相手に呼びかけるような声量ではあったが、きちんと拾ってS.K.はスルリと降りてきた。

「もうオッパイないけどねー。で、ナニ?」

「残りのふたりについては一先ずええ。まだ見ぬ最後のひとつの聖痕探しとき」

 ミーシャとマコット――このふたりが聖痕持ちであろうがなかろうが関係ない、というのがシオリンの意向らしい。だが、S.K.は渋る。

「と、言われてもねぇ。虱潰すには全宇宙に何人いると思ってんの」

 相手が本来の所有者でないからか、ロボットは二つ返事で従うことなく不服を述べる。だが、この時代の機械とはそういうものなのかもしれない。それとも、ワーニングメッセージの一種と受け取っているか。

「ナニも赤子からニートまで掘り起こせぇ言わんて。ズーミアはんの紋章が出ると、何かと目立つんやろ?」

 ミトフルが急デビューしたことからも、シオリンはその宿命に利用価値を感じたらしい。

「せやったら、アイドルだけに限らへん。なんかこー……演劇から合唱まで幅広げてみぃ」

「ほーい」

 返事をすると、S.K.の瞳はまた01になった。すべての処理を検索に当てているのか飛行能力が失われ、下で待ち構えていたシオリンの腕にスポンと収まる。シオリンはS.K.をあまり良く思ってはいないはずだが、衝撃で演算を誤っては困る、ということなのだろう。

「ほんじゃ、ウチは船に帰るで。メイドはんのお付きが待っとるからな」

 おそらく本物のシレーも一緒に違いない。シオリンは踵を返すが、踏み出す前に何かを思い出したように振り返る。

「……んで、あんさんたちはこの先どーする?」

 ユウたちと同じように打って出るのか、他の聖痕持ちが現れるの待ち構えるのか。

 しかし、ただの社員である彼女たちにその決定権はないらしい。

「私は神のお導きに従うまでです」

 どのような形になるかは分からないが、ヒューイにそのすべてを受け入れる心積もりはできているらしい。一方、ハナは。

「ミズリーそんの見る目を信じるべ。なんせあの人は、元芸歴二〇年の大ベテランだべからな」

「ふーん、そか。んじゃな」

 大した情報は得られなさそうなので、シオリンは改めて広場の外へと歩き始めた。そして、残念そうに呟く。

「ウチくらいは信じたるか。ミトフルはんのアイドルの素質ってやつを」

 どうやら、全力で鞍替えするつもりらしい。

 

       ***

 

 陽は落ちて――ビル群に遮られた星空が、そこだけポッカリと開けている。その地上にはドーム状の施設。中から割れんばかりの歓声が溢れている。

『トリィさん、ありがとうございましたー!』

 ドレスの女性が手を振りながらステージから去っていく。それを取り囲むのは万を超える観衆たち。ステージのライトが落ちると、そんな彼らも期待に静まり返る。

『それでは、続いて……なんとこの大舞台での初ライブ! 期待の新人ミト――』

『待ってくださいッ!』

 シレーによる突然の割り込みに会場がざわつき始めた。どうやらこの趣向は事前に告知されていなかったらしい。そんな観客たちに対して、押し付けるようにステージは再点灯。そこに現れたのは――

『我々、メイドシスターズを差し置いて、デビューなんて認めませんよ!』

 舞台に立つのは四人の裸エプロンメイドであった。 上手(かみて)で迎え討つのは赤髪ポニーテールのミトフル。一方、 下手(しもて)にてふたりの同僚を従え、プロレスのように指を差しているのはシレー――ではなく――

 

 ――モニタの並ぶ調整室。何人ものスタッフがお揃いのジャケットを羽織り、モニタを静観している。誰ひとり動じる様子はないので、やはり内部的には予定通りらしい。そこに混じって、似たような装いのシレーが両手を組んで祈っている。

「何も起こりませんように何も起こりませんように何も起こりませんように――」

 そんな彼女に寄り添うのもまたスタッフジャケットとジーンズ。ただ、その背丈の低さと、襟首で縛った長い金髪はシオリンだろう。和服でないため頭巾は目立つからか、大きなハンチング帽をかぶっている。それは、頭頂不明の急上昇中アイドル、ミーシャのように。

「しっかりせぇや。決着の後はご本人のアドリブやで」

 どうやらいま流れているセリフは台本通りの録音で、ヤシロがリップシンクしているようだ。しかし、舞台にアクシデントはつきものだし、一応勝負の結果に脚本はない。そのため、ここで待機しているのだろう。

 同じくミズリーマネージャーも真剣な――そして、少しの苛立ちを含ませてモニタを凝視している。どうやら、シオリンの呟きには気づいていないらしい。

「勘弁してよ……? 私のキャリア、貴女に全プッシュしたんだから……ッ!」

 元芸歴二〇年のベテランアイドルがそのキャリアを捨てるに至ったその実力とは――

 

 ワァァァァァァァァッ!!

 

 楽曲はメイド喫茶でシレーがヤシロと対峙していた際に流れていたもの。ミトフルはどこまでも相手の土俵に合わせたようだ。しかし――

『~~~~♪』

『~~~~♪』

 その歌声はユニゾン。ダンスも似ているが――もちろん、シレーもメイド喫茶でご主人さまたちを魅了するだけの実力の持ち主である。ヤシロはその動きを完璧に模しているはずだが、ミトフルのキレはそのさらに上を行っていた。お腹の聖痕をエプロンで覆い隠した上で。

『~~~~♪』

『~~~~♪』

 ふたりのバックダンサーを従えて奮闘するも、そのシレー(ヤシロ)さえもバックダンサーに押し込むような圧倒的な存在感。もしシレー本人であったら、一周保たずに膝を折られていたことだろう。

 一応、メイドとしての楽曲は歌い終えた。観客たちはただ素晴らしき楽曲、そして、素晴らしき新人に出会えたことに拍手喝采を送っている。

『デビューを賭けたこの一曲、勝者は――』

 アナウンスに煽られるように、掲げられたペンライトは――ところどころ残っていた青も消えて真っ赤に。ミトフルのカラーである。

『――ミトフルッッッ!!_!』

 

 ワァァァァァァァァッ!!

 

 このレスポンスを見せられては、どんなアイドルでも格の違いを認めざるをえないだろう。しかし、ここに立っているシレーの中身はヤシロなので、悔しそうな様子はない。ただ、いつもの半笑いで――ここまでの完敗に笑うしかない、という様相ともいえる。そんな対戦相手と、ミトフルは舞台中央で向き合った。

『いいステージだったね』

 そう言って、ミトフルが手を差し出すのは自然な段取り。だが、ここで触れられても――彼女は偽シレー。替え玉だとバレてしまう。ゆえに、ヤシロはモジモジしながら腰が引けている。同僚メイドふたりも構えているので、何だかんだで有耶無耶にするつもりらしい。

 しかし。

「今度は、()()()()()()と唄いたいわ」

 マイクを外しての小声。そして、ミトフルは相手の手に触れることなく自ら引いた。そして、そのまま天井に向けて右腕を伸ばすと――

 

 フワ……ッ

 

 床から噴水のように立ち上る光の壁がミトフルの身体を包み込む。このエフェクトによって演目が進行したことを確認したらしく、ヤシロたちは小さく手を振りながら逃げるように引っ込んでいった。それにも惜しみない拍手が送られているところから見ても――録音とはいえその唄はシレーのものだし、ダンスもシレーのコピーである。それには一定の評価は得られたようだ。

 そして、光の壁が弾けると――裸エプロンから真っ赤な衣装に――それは、船内で観たCMで着ていたもの――ここからがミトフルの本領発揮、ということなのだろう。これには観衆たちの熱も留まるところを知らない。

 だが――

 

「何を考えているのあの小娘ッッッ!!」

 調整室でミズリーが咆える。その剣幕に、スタッフたちは震えることしかできない。そんな張り詰めた空気の中、シレーとシオリンはこっそり撤退していく。怒り心頭のマネージャーが、それに気づくことはない。

 そして、会場のミトフルもその怒りに気づくことは――いや、怒るであろうことは容易に予想できるはずだ。だからこそ、唄の合間のダンス中に、カメラに向けて高らかに宣言する。

『聖痕なんてなくったって、アタシは宇宙一のアイドルになるッ』

 

 ワァァァァァァァァッ!!

 

 そんな会場の盛り上がりとは裏腹に――

「ミトフリャァァァァァァァッ!!_!」

 その形相は――担当アイドルに向けられるものではなかった。

 

       ***

 

 星空の下のビル群――その目下に押し込められているドームから熱を帯びた光と声援が漏れ出している。だが、その屋上まで届くことはない。

「…… 出撃()しますか?」

 真っ赤なキツネ耳がヒクヒクと動く。長い髪を夜風になびかせている長身の女性は、メイド喫茶に現れたカスガ参謀――真っ黒なスーツが空の色に溶け込んでいる。

 その隣に立つ深い赤紫色のローブ姿の人物は頭半分くらい背が低い。だが、カスガ参謀自身が高いので、おそらく標準的な身長なのだろう。

 しかし、そんな参謀にも物怖じしない。

「……ダメ。あのコに勝てる相手じゃない」

 戦闘能力には秀でているツネークスでも、アイドル力ではミトフルには及ばないのだろう。

「ならば、プランβにて……」

 その答えを予測していたように、参謀はすぐさま別案を提示する。が、フードの彼女もそれを予測していたようだ。

「それもダメ。あの会場には()()もいる」

 しばしの沈黙――それが誰のことを示すかはわからない。そして、参謀に通じているのか、いないのか。

「その程度の数であれば、私ひとりで――」

「迂闊に手の内を見せるな」

 暗いフードの中から鋭い眼光が差し、参謀はビクリと身を竦める。そして崩れ落ちるように膝を突いて(こうべ)を垂れた。

「……申し訳ありません」

 カスガ参謀の右手の裾から刃物が引っ込む。一先ず、流血沙汰は避けられたようだ。

 屋上の床に視線を落とし、静かに震えていた参謀であったが――何かに気づいて顔を上げる。そこは、すでに彼女ひとりになっていた。

 ゆっくりと立ち上がり、軽く周囲を見渡す。そしてため息を吐いた。

「我々の手に、宇宙を――」

 そう呟くと、カスガの後ろ髪がふわりと舞う。それが闇夜に流れるように、参謀の姿も消えていた。

 

       ***

 

 その星空は大地から見上げたものではない。果てしない大銀河を漂っているのは、ユウたちの宇宙船のようだ。

「いや~、ミトフルはんのアイドルマンシップのおかげで助かったなー」

「何よ、アイドルマンシップって」

 その座席順は指定席なのか、惑星ミューズに向かっていたのと同じ並びになっている。目下の肩の荷が下りたためか、船内の空気は少し穏やかになっていた。ユウを除いて。

「正攻法で勝てる相手じゃないわよ、アイツ。どうにかしなきゃ」

「まーた悪いこと考えてるー」

「神のためよ。悪いことなんて何もないわ」

 ヤシロから冷やかされても、ユウがブレることはない。

 ここで何やら、アラームのようにS.K.が飛び跳ね始めた。

「シオリンー、シオリンー、見つけたよー」

「S.K.、聖痕が確認できたの?」

 朗報を期待して少し表情の明るくなったユウだったが、そこにシオリンが水を差す。

「すまんが指示は書き換えさせてもろたで」

「はぁ? ナニ勝手なことしてんのよ」

「……シレーはんに自信つけさせるためや。本場モンのアイドルと戦わせとっても勝てる気がせぇへん」

 シオリンの表情はヘラヘラと嘘くさい。実際、ミトフルに乗り換えるつもりだったのだから、この言い訳は急造のものだろう。そんな裏事情は知らないが、ユウはいつの間にか自分の知らない指示が動いていたことが気に入らないらしい。

「だからこその替え玉でしょう!」

「ほーこく聞かないのー?」

 ユウとシオリンが喧々囂々しているところにS.K.が平然と割り込んできた。が、聖痕集めに有益な報告ならユウにとっても有益なことには違いない。

「ま、いいわ。どーせ奪うなら、奪いやすい相手からのがいいでしょうし」

 ピョンピョンとピンクの生首が跳ね、フロントガラスに向くと星空がS.K.モニタに切り替わった。しかし――

「ほらほら見て見てー。このコのお尻にあるの、聖痕でしょー?」

「うをっ、コレは……ッ!」

 何故か楽しそうに食い入るシオリン、ドン引きのユウ、苦笑いのヤシロ。後部座席のメイド三人は真っ赤になって俯いている 。

「ちょ……何てこと……!」

 ユウの眼鏡がずり落ちるほどに驚愕させたのは――確かに、左のお尻に描かれているのは聖痕の一つだろう。しかし、背中を反らせ、高々と右足を後ろ手で引き上げ――それを全裸で、かつ、全裸の男の腹の上で――この、とんでもなくアクロバティックなオトナの組体操のタイトルは――『軟体ダンサーの新四十八手』

 

       ***

 

 ハイ! アタシ、ミトフル! アタシのステージ楽しんでもらえたかな? ようやくアタシの歌をみんなに聴いてもらえるようになったんだし、これからも楽しんでいくつもりだよ! ……そう、アタシには聖痕の力なんて必要ない……ッ

 次回、無気力勇者と5人のアイドル、第3話『3匹のキツネ』

 うーん……AVねぇ……そういうアプローチもアリだったかな?

 



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3匹のキツネ

 そこは、どこの惑星か――ミューズと似ているものの、一つひとつのビルの高さはその足下にも及ばず――例えるならば竹と筍、といったところか。それでも、ビル群が密集していることには変わらず――ゆえに、遮るのは夜空ではなく大地のみ。

 点々と瞬く街明かりを眼下に踏みしめ、みっつの人影が地上を睥睨している。頭頂まですっぽりとフードをかぶったひとりに、ふたりが寄り添うように跪いて。屹立しているのはおそらく、カスガ参謀をも屈服させた()()だろう。

 だが、よく見ればひとりは跪いているように見えて――実のところ、ただしゃがんでいるだった。その視線は宇宙の星々へ向けられ、気持ちよさそうに目を細めている。だが――ピクピクっと震える尖った耳は紛れもなくツネークスのものだ。

 そして、もうひとりもまた頭頂にキツネ耳を掲げている。こちらはきちんと膝を突いて面を伏せているが――その耳先は力なく下を向き、表情は不服そのものだ。

「お願いします、オレにアイツと……っ!」

 暗がりにふわりとスカートのシルエットが浮かぶ。口調は男らしいが、発言しているのは女子らしい。そんな彼女からの抗議を受けて、フードの上官は――微動だにせず、ただ視線だけ寄越す。闇に沈む闇の中から鋭い瞳でギロリと見下ろしながら。

「私は、指示を待て、と言った」

 その静かなる一喝は、男勝りの彼女さえ口を噤ませる。そんな部下を上官はそれ以上一瞥することさえない。ただ、独り言のように。

「必要があれば、呼ぶ。それまでは、待機。……返事は?」

「……はい」

 悔しそうに歯を食いしばり、スカートの彼女は答える。そして、代わって声をかけられるのは、しゃがんでいるもうひとりの方。

「それじゃ、行く」

「オゥ!」

 しゃがんでいたツネークスは、しっぽをフワリと振って応じる。そして――

 

 タンッ

 

 月明かりの中に、()()()()は飛び立った。暗い輪郭しかわからないが、大きな耳と尻尾――ツネークスとしての特徴を除けば、出るところは出て、くびれるところはくびれている女性体型がふたつ。

 そして――暗いステージに残されたのはローブの抜け殻と、悔しそうに拳を握り締めるひとりの少女だけ。そんな彼女は震える手付きで――ぐいと力強くハンチング帽をかぶった。感情が溢れ出しそうな目元を隠すように。

 

       ***

 

 さて、こちらは例によっての小型宇宙船。星の海の航行中に、またもいざこざが発生しているらしい。

「急いで! 一直線に最短ルートで行くのよ!」

「けど~、そんでも間に合わないってー」

「ワープでも何でも使いなさい!」

「ぐぇ~」

 ダッシュボードに埋め込むように、ユウはS.K.の頭を上からグリグリと押さえつける。機械の瞳はグルグル回っているが、01にはなっていないので、処理中ではなく物理的に目を回しているだけのようだ。

 不服そうに唇を尖らせながらもS.K.は航路検索を始めたようだが、それでもユウに一息つく様子はない。生首の上に浮かぶスクリーンを睨みつけながら、何やら忙しそうに指でウィンドウを流している。それでも、両隣のふたりには何ひとつ手伝う素振りはない。

「そー急がんでも、そいつツネークスやないて」

「別に、AV女優がアイドルやっててもいーじゃない」

 先程の映像――ヨガのようなポーズで性行為に臨んでいた動画を観てから、ユウはずっとこの調子のようだ。しかしそれは、事情の深刻さを理解しているからこそ。

「もちろんいいけどね。ただのアイドルなら。けど……今回は女神的アイドル……それも、宇宙唯一の絶対神よ」

 その影響力はヤシロの想像の域を超える。

「ズーミアの愛は宇宙のすべてを魅了するわ。そんな神が男たちの性欲を慰めてしまったらどうなると思う?」

 それを聞き、ヤシロはジャージの両腕を掲げた。まるで、降参するように。

「ははー、それは壮大な一夫多妻ならぬ一妻多夫の逆ハーレムだねぇ」

「すべての精子が奪いつくされて宇宙滅亡だわ!」

 どうやら、銀河一のズリネタが降臨するということらしい。

 それを聞いても、シオリンは未だ半信半疑のようだ。おそらく、彼女の警戒のすべてはツネークスか否かによるのだろう。

「聖痕はその器に見合うモンに発現するんやろ? これもズーミアはんが望んだことってことかいな」

 まさか、神がこの世を滅ぼすようなことはしないだろう、とシオリンは楽観視している。だが、ユウはそもそもズーミア教徒ではない。

「たとえ神の意思であろうと、そんなクソみたいな理由で滅ぼされてたまるかっての」

 自身が納得できないのであれば、平気で神にも牙を剥くようだ。そして、そのためには手段を選ばない。

「……それにあっちの事務所、聖痕とかそういうのを気にしてる様子もなかった」

「何かこー、ギャフンと言わせてその隙に聖痕を掠め取ろうってか」

 暗器使いのシオリンは、そのような手口が好物らしい。が、ヤシロは残念そうにため息をつく。

 その頃、S.K.はいつのまにか処理を終え、普通にスヤァスヤァと寝息を立てていた。そこに手刀が叩き込まれると、ギャヒィと機械らしからぬ悲鳴が上がる。扱いは乱暴であるものの、ユウとて加減は心得ているらしい。

「メール受信のエネルギーまで回せと指示したつもりはないわ」

「そんなの渋ったって一光秒も進めないよー」

 光が一秒に進む距離――ざっと地球を七周半、といったところだろう。それでも、宇宙空間においては誤差の範囲らしい。

 S.K.は機械ながらもユウの言葉を字面通りに受け取ることはなく、メールを確認せよという指示だと理解していた。特定のメールを監視していたようで、ディスプレイに表示することなくツラツラと読み上げる。

「スペースライブネットから返信来てるよー。飛び入り共演オッケーだって」

「ぐぁ」

 天井を仰いで呻くのはヤシロ。どうやら今回も対決するのは替え玉の方らしい。だが、相手はアイドルではなくAV女優である。ならば、その舞台は――

「よっ、AVデビュー、お疲れちゃん」

 シオリンは軽く茶化すが、当の本人は――いつもの苦笑いで応じている。

「ユウー、いいの? 勇者がそーいう作品に 出演()てて」

「何をいまさら。裸エプロン喫茶でも踊ってたじゃない」

「あたし、裸エプロンじゃなかったんだけどー」

「というか、裸エプロン()()()喫茶ですっ!」

 後部座席から重要な一語について訂正が入るが、前方三名が気にする様子はない。

「……そもそも、裸体で魅了する女神の宗教よ。性行為だってむしろ大歓迎なんじゃない?」

 ユウは生粋の教徒でないだけに、女神相手にも遠慮はしない。しかし、今回はその辛辣な表現が最も適切であるとシオリンも理解している。

「せやから、自分が女神んなったんに気づかずAV女優続けられると――」

「全宇宙の子種を独占する逆ハーの完成ってねー」

 それを阻止するために、ヤシロはこれから成人向け作品の収録に臨む。そこに重い覚悟は感じられないが――むしろ、すべてを諦めているのかもしれない。これもまた、勇者としての務めのひとつなのだと。

 

       ***

 

 緑色の空からフワリと宇宙船が降りてくる。いや――”フワリ”と見えたのは、まだ遥か彼方にあったからか。地表に近づいてきたそれは、質量相当の風圧をまとっている。それでも、着地する直前には、今度こそフワリと柔らかく。砂埃を上げながら静止したところで前後合わせて四つの扉が開いた。そして、続々と乗客たちが降りてくる。

「何や、寂れたトコやなぁ」

 開口一番、シオリンはそんな失礼な感想を口にする。だが、彼女が言うように――そこは宇宙港どころか、もはや地球の駐車場――さもなくば、ただの空き地か。黒く広々とした一帯には、似たような丸い宇宙船がふたつみっつと置いてある。ただ、さすがは宇宙船用というべきか、通路とすべき余白はない。格子状の白線が並び、満車――満船の際にも人はその間を通って行き来する前提なのだろう。

 ゆえに、出入り口のための通路も広くはない。ヤシロたちの船からまっすぐ見据える先は裏口のような細い路地になっており、少なくとも、大型車両が出入りできるような広さはない。ただ、その向こう側の雰囲気は廃れた地方のビジネス街――未来らしさは感じられず、せいぜい五階程度の高さのビルが乱立している。

 最後にユウが船から降り、メイドたちに向けて一言告げる。

「ここ、あんま治安良くないから、誰か船に残っててもらいたいんだけど」

 治安が良くないところに取り残されるとなれば、メイドたちに良い顔はできない。だからこそ、彼女が率先する。

「でしたら私が」

 そんなシレーの献身に対して、ユウの返事は素っ気ない。

「何を言ってるの。貴女にはやることがあるでしょうに」

「えっ、今回出演するのはヤシロさまでは……」

 相手に聖痕に関する知識はなく、ならば、シレーが直接向き合う必要はない。

 とはいえ。

「貴女、何をしに行くかわかってるの?」

“間接的”には、シレー本人が向かわなくてはならない。何故なら、聖痕を奪い合うことができるのは、聖痕に選ばれた者だけなのだから。

 

 陽も暮れて――

 その路地裏は街灯さえも乏しく、車道は闇によってところどころが寸断されている。そんな暗さの中だからこそ、漏れてくるわずかな光と音たちには蠢くような力強さが込められているようだ。

 ジジジと点滅するネオンには見慣れぬ文字が記されている。何と書いてあるのかは、この星の住人にしかわからない。だが、()()()()()()()()()()であることは、その雰囲気でわかる。

 実際、そこの責任者はそれに見合う装いだった。

「うんうん、うちのオツヒノちゃんに目をつけるとは見どころあるねぇ」

 埃と落書きだらけの壁に囲まれた四畳半ほどの小部屋の照明は、点いているにも関わらず光で満たすにはいささか弱い。そんな粗末な床にパイプ椅子を置いて向かい合わせて座っているのは、黒光りするレザーの上下で身を固めた細身の男だった。シルバーアクセもジャラジャラと派手にまとわせているが、長い黒髪を襟元で縛り、不潔感はない。場所が場所ならバーテンダーのような雰囲気である。

 一方、ユウの表情は険しい。誰と対面しても退くことのない鋼の司祭ではあるが、この部屋の汚らしさには閉口させられているらしい。

「それはどうも」

 小さく答える場違いな司祭に、レザーの男は携帯端末を差し出す。だが、それを手渡すわけではない。

「最新版の段取り、確認する?」

「ええ、お願いします」

 ユウは答え、男と同じようにスマホのような自分の携帯端末を取り出した。すると、画面が光り、表のようなものが映し出される。相変わらず見慣れぬ文字で、内容は読み取れない。だが、ところどころに打ち消し線と強調赤文字が見受けられる。

 一つひとつ確認しているユウの顔つきは渋いが、男はどこまでも機嫌が良い。

「汁男優百人斬りを対戦形式にしようとはねぇ。そういうゲームっぽいのは受けもいいんだよ」

 男はしきりに褒めちぎるが、ユウが眉ひとつ動かすことはない。

「……うちには、優秀な企画立案者がおりますので」

 

「へっぷし」

 天井を見る限りでは、ひとホールくらいの広さはありそうだが、収容人数いっぱいの男たち詰め込まれている。暗い監獄のようだが無理矢理連行された様子はなく――むしろ、嬉々として――それどころか、興奮さえしているようだ。頭上に据え付けられた音響設備からもここがライブハウスのような場所だとはわかるが――別の部屋ではAVに関する議論が交わされている。つまり、これから行われるのはただのライブではなく、集まってきているのも観客ではない。先程の男が口にしていた通り――百人の汁男優、ということなのだろう。

 そんな性欲に満ちた男たちに囲まれて可愛らしいくしゃみを放ったのは――大きなハンチング帽にキツネの顔がプリントされたフリースとジーンズを着込んだ――その金髪はシオリンのものだろう。周囲から浮かないように、長い後ろ髪は帽子の中に収められているらしい。

 くしゃみを案じて寄り添うのは――眼鏡とニット帽、チェックのネルシャツにチノパンという装いの紫髪の――シレーと思われる。男装のために胸は押さえつけているようだが。

「シオリンさま、お風邪でも?」

「うんにゃ、誰かがウチの功績を褒め称えとるんちゃう?」

 そんな軽口を、シレーに受け止める様子はない。

「ルナさんたちにお薬もお願いすれば良かったかしら」

 おつきのメイドふたりの姿はないのは、どうやら別の用事を頼んでいるかららしい。ここまで来てなおメイド然としているシレーにシオリンは問う。

「あんさん、やることはわかっとるな」

「はい。ヤシロさまが相手の心を折ったところで、私が聖痕を奪う……と」

 惑星ミューズにてミズリーマネージャーが言っていた通り――アイドルバトルはあくまで相手の心を折るための儀式。心を折るだけならば、その枠に収める必要はない。

「あの勇者様だけやない。ウチら総勢でチャチャ入れたるさかいな」

 客に混じっている彼女自身だけでなく、スタッフルームにもユウが控えている。どのような手段をもってしてでも聖痕を奪い取るつもりなのだろう。一体何をやらかすことか――シレーは身内ながら笑顔を作りきれていないようだ。

 

 それはさておき、再び別室へ。

「まー、ぶっちゃけ百人斬りって、タイトルこそインパクトあるけど、少人数で百人捌こうとすると、どうしても間延びしちゃうからねぇ」

 男はふと顔をあげるとそこにはみっつの壁掛けモニタが埋め込まれている。そのひとつにはすし詰めの男たちが映っているので、おそらく先程シオリンたちがいた場所であり、その豆粒のひとつが彼女たちなのかもしれない。

 別のモニタに映っているのは正面外にあったネオン。扉が閉まっているのは撮影中に邪魔が入らないようにだろう。何しろ、ここで行われるのは音楽イベントではなく集団乱交なのだから。

 最後のひとつはステージ上――その中央でヤシロと並び立つのは黒髪サイドテールの女のコ――いまはタンクトップとショートパンツを身に着けているが、宇宙船で見たパッケージでメインを飾っていた全裸の聖痕持ちに相違ない。その背後に、肩からギターを下げている大きな三つ編みの女のコと、キーボードの前で控えているミドルヘアの女のコについては見覚えがない。オツヒノとお揃いの衣装なのは隣に立つヤシロの方。対戦するのはあくまでそのふたりであり、ノースリーブとミニスカートの楽器担当は、一応部外者の体ではある。

 とはいえ。

「ルミちゃんとミヤちゃんにも手伝ってもらうつもりだったんだけど……いや~、女のコの増員は大歓迎だよ~。それも、ロハだなんて」

 どうやら、後ろのふたりはルミちゃんとミヤちゃんというらしい。いまは一線引いているが、何だかんだで巻き込まれてしまうようだ。その三人に加えて四人になってどれだけ変わるのか……元が少なすぎるだけに、一人の増員さえもありがたいのだろう。

 ユウはAVの撮影自体にはあまり関心がないようで、眼鏡のブリッジを正しながら淡々と契約面を確認する。

「出演自体はノーギャラで構いませんので、宣伝については御社持ちで大々的にお願いいたします」

「はいはい、こちらとしても、ここが勝負どころだからね」

 今回の事務所は聖痕についてまったく見地がない。だからこそ、ノーギャラという形で女優に扮したヤシロをねじ込んだのだろう。おそらく、広告云々については怪しまれないための後付け理由か。ヤシロが相手を屈服させたのを見計らって、シレーが横から聖痕を奪うための。

 だが、AV事務所の男の方は、まったく察する様子はない。

「前回の四十八手が、まさかあそこまでブレイクするとは……。うんうん、御社、本当に見る目あるよ。オツヒノちゃんは、これから歴史に名を残す女優になるだろうからね!」

「……ええ、まさに宇宙一の器でしょう」

 笑えない事情を知っているがゆえに、本心から讃えながらもユウには笑えない。聖痕が現れたのだから、偽りなく宇宙一になる器の持ち主なのだろう。しかし、よりにもよって宇宙滅亡の窮地を招いているのだからとんでもないことだ。

 しかし、ここでユウが初めて微笑む。

「……ですが、うちのヤシロも()()()()()()()()()()()ですので」

 それは、対戦相手が一級品であればこそ。あの勇者は見たものをすべて模倣してしまう。

 だが、男にとってそれはどうでもいいことらしい。

「期待してますよ。……まあ、勝負は前座ですから。その後……最低でも二十五人はお願いしますねー」

 対戦の結果、男たちがどのような勢いで彼女たちに襲いかかるのか――台本には記されているが、宇宙の文字で書かれているため、その詳細までは窺い知れない。そして、ユウにとっても瑣末事なのだろう。あの聖痕をシレーが奪うことさえできれば。

 

 そこに、キーボードの重厚な音色が響き渡る。ミドルヘアの女のコ――ルミか、ミヤかはわからない。ともかく、その演奏開始がアイドルバトル開幕の合図なのだろう。

 ジャンジャンジャンジャン、とエレキギターが掻き鳴らされるが、奏者の表情に余裕がない。楽しそうに鍵盤を叩いているキーボード担当と違い、あまり達者ではないようだ。それでも、そこにリズムがあればステップは刻まれる。トントンと軽い身のこなしは、まさに準備運動といったところか。この程度であれば、ヤシロでなくても真似ることは造作もない。

 だが、こと模倣に関して、ヤシロは完璧すぎる。だからこそ。

 

 ざわ……。

 

 第二パートで早速空気が変わる。曲調は引き続きゆったりしているにも関わらず、ビートの刻みを倍速にしたかのようなオツヒノの急発進。髪を振り身を翻し、上へ横へと大きく動く両手の動きにブレはない。そのキレの良さに、邪な思惑で参加していた男たちも純粋にダンスに魅入られる。

 AVでは脱ぐまでのシーンは飛ばされがちなため、巻きで進行する段取り――なのかと思いきや。

 

「あちゃー……オツヒノちゃんの悪いクセが出ちゃったか」

「ペースアップは五ターン目からでは?」

 ところ変わってステージ裏。ユウは自分の端末で段取りを再確認している。だが、男はポリポリと頭を掻くばかり。

「最初のステップでヤシロちゃんの力量を認めたみたいだね。全力で戦うべき相手だと」

 簡単な動きであっても、オツヒノにはこだわりがあったらしい。それを寸分違わず見せつけられたことで――

 

 そんな裏方たちの杞憂を顧みることなく、ステージはアダルト作品の企画とは思えないほど盛り上がっていた。拙いギターは完全に浮いており、キーボードによるアルペジオで上がったり下がったりと全力で焚き付けている。

 ビシリとポーズを決めたオツヒノだったが――

「私の……とっておきを……!」

 まるで録画のように再現するヤシロにみるみる焦りを滲ませる。そして、相手が自分と同じ体勢で静止したのを受けて――両目を見開いた。その表情から、どんな激しい振り付けが繰り出されるのかと思いきや――お腹のあたりをモゾモゾしながら腰を軽く左右に振るだけ。

 しかし。

 

 ズルンッ!

 

 おおおおおおおおッ!?

 

 突然のストリップに、会場の男たちは激しく沸いた。オツヒノは仁王立ちのまま顔を真っ赤にしている。自らの下腹部を隠すことなく見せつけながら。

 さすがにこれはヤシロも――と思われたが、その瞳はどこかぼんやりしている。自分が何をしているのかさえわかっていないのかもしれない。ただ無心に、目の前の相手と同じことを。ズボンの前を緩める動作も、まるで指を動かしたことの結果にすぎないかのように。

 

 ズルンッ!

 

 おおおおおおおおッ!?

 

 ふたりめの露出に対しても、男たちは惜しみない喝采を送る。次は上も脱いでくれるものと期待して。

 だが、彼女がそれ以上服に手を付けることはない。先程のは緩急をつけるための小休止、と言わんばかりに爆発させた。下半裸で。しかし、その動きは凄まじい。

 観客側で――シレーはその動きに見惚れている。シオリンも同様だったが――ここで我に返ったようだ。

「アカンな、ヤシロはん負けるで」

「えっ?」

 その呟きでシレーも少しだけ隣を見る。だが、すぐに視線はステージへ。オツヒノの四肢はさらに勢いを増し、それどころか――トンッ――足首の力だけで全身を跳躍させ――フィギュアスケートばりの高速回転――まるでワイヤーで釣られているかのような滞空時間――だからこそ――会場中に行き渡ったのだろう。その流れる速さは人の目で終えるものではない。ゆえに、観客たちに背を向けて着地したことで、彼女の力が明らかになった。

 彼女の持つ――女神の力が。

 

 別室のモニタからステージの様子を見ていたユウも、場内が制圧されたことを理解する。そして、オツヒノを見出した事務所の男も。

「うんっ! あのコはやっぱり下半裸が一番似合うんだよ!」

 だが、それは正確ではないとユウは知っている。男たちを魅了しているのは下半裸ではなく、あの左のお尻でぼんやり光っている聖痕だと。

 

 ヤシロもまた、見たままにオツヒノの動きをトレースする。だが――

「うわっぷ!?」

 その瞳に生気が戻った、というべきか。やはり、普通の人間が足首のバネだけで宙に浮くことなどできるはずがない。それは、跳躍というよりただの背伸び。ましてや回転など叶うはずもなく、豪快にバランスを崩して大の字に倒れてしまった。それで我に返ったらしい。

 ヤシロはまっすぐに降り注ぐ熱い光の中で眩しそうに目を閉じる。そして、それを見たオツヒノは――

「っしゃぁッ!」

 拳を掲げて勝利宣言。ギターはジャカジャカと適当に掻き鳴らされ、キーボードが決着を奏でる。ぷりんと揺れるお尻に男たちは釘付けだ。その隣で開かれた股の間には目もくれず。どうやら女神の力は魅了だけでなく、物理的な制限さえも突破するものらしい。人の力では及ばず、このダンス勝負はオツヒノに軍配が上がった。

 その勝利に泥を塗るように――

 

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!

 

 炸裂音と共に、ステージの照明が砕け散る。

「きゃぁっ、何なのよ!?」

 戸惑うオツヒノたち、そして、観客たち。その混乱に向けて誰かが叫ぶ。

「ツネークスだッ!」

 その声は低く押さえられているが、残念ながら女性のもの――おそらくシオリンが発したものだろう。が、ここで重要なのは、誰の言葉かではない。

「ツッ、ツツツ……」

「ツネークスッ!?」

 男たちは途端に狼狽する。それは、別室でも。

 

「ええええっ!? そんな危険な汁男優が……っ?」

 レザーの男は思わず立ち上がるが、ユウは比較的落ち着いている。

「あなたは客の誘導を。私が救援に向かいます」

「え?」

 男が驚くのも無理はない。だが、この司祭はただの司祭ではない。

「こう見えて、武術の心得がありますので」

「は、はいっ! ではお願いします!」

 男は立ち上がると、非常口を確保するため奥の扉へと向かっていった。その背を見届けたとき――ユウは口元を少しだけ綻ばせる。その余裕を裏付けるように。

 

 その頃――ホールは烏合の衆の乱闘となっていた。出入り口の方は我先に逃げようと男たちが詰めかけ――

「ちょっとー! 私たちも逃げなきゃ!」

「こういうときは、下手に動くと余計に危険なんだよー」

 男たちは一心不乱に入ってきた出口に詰めかけているが、オツヒノたちは舞台袖から控室を経由して外に出ようとしているようだ。が、それを止めているのは他でもないヤシロである。

「ほら、あっち通っても、結局混み合ってる通路と合流しちゃうしー。ほら、パンツ穿いてー」

 ヤシロ自身は下半裸のまま、ショートパンツを押し付ける。それを受け取り足を通しながらも、オツヒノはやはり落ち着かない様子だ。

「で、でも……ツネークスって、こー……暗殺集団って――」

 パンパンッと再び炸裂音が鳴る。そして、シオリンによる楽しそうな追い打ちが。

「ステージ狙われてる! オツヒノちゃん、あぶな――」

 

 しかし――言い終わる前にヤシロの両目がカッと開く。それと同時に――

 

 ドゴン――ッ!

 

 爆発音、そして地鳴り。それは、これまでのような軽いものではない。フロアの客席中央に砂埃が舞っているのは、その天井が崩落したからだろう。だが、もやが晴れていくに従って――

 

「ツツツッツツツツネークスだぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 今度の声はシオリンではない。だが、彼女の帽子が取れたわけでもない。男の誰かによる鬼気迫る絶叫――どうやら上のフロアは明るいらしく、そこから光が差している。だからこそシルエットが顕になった。

 埃散るスポットライトの中で、彼女はゆっくりと立ち上がる。その頭には大きな耳。お尻から垂れ下がるのは大きな尻尾。だが――それ以外何も身に着けていない。いや、耳や尻尾はツネークス生来のものゆえに、普通に全裸である。その様子は、未来から身ひとつで送り込まれた殺し屋のようだ。その不穏な光の中で、肌が白く映えることはない。どうやら全身陽に焼けているようで、まさにキツネ色に染まっていた。

 ツネークスはただ直立している。女性として膨らんだ胸もお尻も隠すことなく。ただ、視線だけで窺っていた。ステージ上の獲物を。

 ゆえに。

「早く逃げて!」

「え? え?」

 これまでの方針を一転されてオツヒノたちは戸惑う。が、ヤシロの表情に真剣そのもの。まさに、勇者となっていた。下半裸のままだが。

 そこに、事務所の方からユウも到着する。

「オツヒノさん、こっちよ!」

「う、うんっ!」

 状況が変化したのだとオツヒノも察したらしい。しっかりパンツも履き整えられており、演奏役ふたりと共に離脱しようとする。それを、ツネークスは静かに見つめていた。いつでも追いつける、と余裕めいた笑顔で。だが、その視線を遮るように半裸の銀髪勇者が割り込んでくる。それで、獲物を定めた。

「オマエ、アイドルバトルしてタ。聖痕持ちカ?」

 場内はあらかた逃げ終えているが、まだ騒ぎは収まっていない。そんな中で独り言を呟いても聞こえるものではないが、目が合えばヤシロとて察する。あちゃー、といった表情で困っているが、それに配慮するほどツネークスも甘くはない。

 どこか楽しそうな表情のままキツネ色の彼女はトンッと床を蹴る。だが、たった一歩でターゲットの目の前まで迫っていた。それはまるで女神の力を纏っているかのように。だが全裸であるため彼女が聖痕持ちではないことは明らかだ。かつて、ユウとシオリンが対峙した際に見せた『下駄ジェット』――偽ツネークスは機械によって補っていたが、生粋のツネークスはそれを自力で実現できるらしい。

「聖痕持ちカ? ン? ン?」

 尋ねながら、ツネークスは右肘を引き絞る。

「ひぇっ」

 危険を察知してヤシロがしゃがみ込むと、彼女の身体があった空間が竜巻によって削り取られる。その芯にあるのは褐色の腕。捻りを加えたことで周辺の空気を巻き込み、弾丸のように撃ち出された風圧が――ドゴンッ――奥の壁を触れることなく打ち砕く。

 そして続けざまに――今度は左拳による打ち下ろしの体勢だ。膝を折っているヤシロにこの体勢から避けることは難しい。そんな哀れな勇者に対して慈悲はなく――

 

 ――バシィ――ッ!

 

「……っつぅ……」

 それは、二本の腕で支えるように。

「ユウー、助かったよー」

 ヤシロは見上げる。彼女の背後から覆いかぶさるように腕が伸ばされているが――濃紺の袖が砕けるように破れ散る。それだけでなく、髪を覆っていたフードも。向こうの壁まで粉砕する威力だが、どうにかこの程度で抑えたらしい。なお、眼鏡だけはズレることなく残っているので、おそらく神の力で守られているのだろう。

 放たれた両の掌底によってツネークスの二撃目は遮られた。腕と腕の力比べのトンネルの下を、ヤシロはわたわたと脱出していく。

 ユウはそのまま渾身の力を込めて――掴んだ腕を捻る!

「オッ!?」

 それに逆らうことなく、ツネークスの身体はプロペラのように旋回。それだけで終わることはなく――足場を失い回避不能となった敵に向けてユウは腰を捻り鋭い蹴りを放った。だが――体勢を崩しているはずのツネークスは跳び箱のように両手で跳ね除け――逆に真上からその健脚を振り下ろす。それを受け止めることなくユウは後ろに距離を取った。

「やっぱ、自分から仕掛けるのはダメね」

 相手の着地を狙うことなく、ユウは改めて構える。それは、ツネークスにとって意外だったらしい。背を向けてしゃがみ込んでいるのに、追い打ちを仕掛けてこないのだから。

「ン? ン?」

 尻尾を揺らしながら肩口から覗くその表情は、挑発しているようでもある。相手がそれに乗ってこないため――むしろ、興味が湧いたようだ。ピクリ、と大きく耳が動くとその場から姿を消し――一瞬にしてユウの目の前に。すでに右手は振りかぶられている。が、ユウに焦りの色はない。

 

 パシィッ!

 

 横から叩くことで軌道をずらした。そこからカウンターを撃ち込むのがユウの戦闘スタイルである。だが、その表情は芳しくない。左肩の襟がバチンと爆ぜ――それでも右拳を繰り出す!

「オッ!?」

 その回避方向は横ではなく後ろ。ワンステップでユウのリーチの外へと離脱したようだ。しかし、驚いた様子はなく、むしろ感心している。

「ン? ン? オマエ、面白いナ」

 トントンとリズムを整えると、ツネークスは同じように振りかぶる。だがその一撃は重く、弾くだけでもダメージは避けられない。

 だが――

「ッ!?」

 反撃を待たずに、今度は左手が迫ってくる。ユウは咄嗟に攻撃から防御に切り替えた。しかし、次も攻守交代はない。再び拳が迫ってくれば、ユウには弾き続けるしかない。

「ハハハッ! アハハッ! アハハハーッ!!」

 バチバチと物凄い音を立ててふたりの間の空気が弾け飛ぶ。いや、弾け飛ぶのは空気だけでなく――ユウのローブの胸が、腰が、足回りもバリンと吹き飛ばされた。それだけでは収まらず、中に着ていたブラのカップも砕け、ショーツまでビリリと千切れ舞う。

 一先ず相手を丸裸にしたことで攻撃目標を失ったのか、ツネークスの腕が少しだけ止まった。

 「ッ!」

 その一瞬の隙を逃さず、ユウは渾身の力を込めた一撃を繰り出すも――

「オマエ、尻にも聖痕、ナイ」

 ユウは後ろから声をかけられ青褪める。ツネークスは拳を躱すどころか、反応できない速度で背中に回り込んでいた。余裕たっぷりに、右足で左足をポリポリと掻き、興味深そうにお尻を眺めている。これにユウは――突き出した右手を引くことさえできない。

 すでに、勝敗は決している。敗者は死を覚悟して身を固くするが――

「待ーーーってーーー見て見てーーーーーっ!」

 両腕を広げているヤシロは、道を塞ぎたいわけではない。ショートパンツだけでなくタンクトップをも脱ぎ捨て――股の間から胸の先まで全裸に――この場に女子しか残っていないこともあり、大胆な身体検査だ。

「ン~? ンン~?」

 正面について疑う余地はない。ゆえに、ツネークスはひょいひょいとヤシロの背後に回り込む。ふたつのお尻もただツルっとしたまま何もない。

「聖痕ないナ、オマエ」

 散々襲った後だが、納得してもらえたらしい。

「クジャの仕事、聖痕持ち捕まえるコト。お前たち、用なイ。クジャ、行ク」

 彼女の名前はクジャというのか――ともかくツネークスの彼女は軽く膝に力を溜めると――ボコンと天井を突き破ってどこかへ行ってしまった。ふたつ目の穴を残して。

 一先ず、危機は去ったといえる。それで緊張の糸が切れたのか、ユウは力なく膝から崩れ落ちた。

「こ……れが……ツネークス……」

 どうやら、直に対峙したのは初めてだったらしい。想像を絶する完敗に、司祭は静かに震えている。

「ユウー……歩けるー……?」

 ヤシロの声は気遣い半分。もう半分を思い出して、ユウは歯を食いしばる。

「わかってるわ! ヤツの狙いは聖痕持ち……ッ!」

 本人が言っていたのだから捨て置くこともできない。ヤシロはチラリと脱ぎ散らかした服を見下ろすが、ユウが全裸で走り出している以上、自分だけ着たいとも言い出しづらいようだ。全裸のふたりは静まり返った通路を抜け、階段を駆け上がっていく。

 だが、表に出てみると――建物の床に穴が空くほどの騒ぎだったにも関わらず、警察や機動隊のような組織がやってくる様子もない。ただ、通行人がチラホラと――一様に、街灯を見上げている。その理由は、ヤシロたちにもすぐわかった。

「ぅ……ぅ……」

 苦しそうではあるが、声が漏れているので生きてはいるらしい。だが――大きな灯りにロープで吊るされている様子に力はなく、着直したはずのショートパンツさえも剥ぎ取られていた。地面に血溜まりはないので外傷はなさそうだが、このまま逆さ吊りにされていては命に関わる。顎の下あたりに吊り下げられた小さなふたつの鈴の音は儚いほどに美しい。だからこそ、この状況の異様さが際立たされる。

 これにはユウもヤシロも絶句するしかない。一体誰の仕業か――誰もが惨憺たるオツヒノを案じている中――ヤシロは何かに気づいてライブハウスの方へ振り向く。釣られてユウも。そこには――女のコが立っていた。壊れた会場を憐れむように。辱められた女のコから目を背けるように。

 だが、彼女が本当に悔やんでいたのは――

「本当は、オレだってこんなことしたくなかった……」

 そこに、一迅の風が吹く。短いスカートが大きく捲り上がり――その奥をユウたちは見せつけられた。そこに下着はなく、長くフカフカなキツネの尻尾が腰回りに巻きつけられているのを。そして、左のお尻には――ぷらんとオツヒノの身体が揺れながら回る。そうして顕になったお尻から――なくなっている――会場中の男たちを夢中にさせ、現実離れした滞空時間を実現した、彼女の聖痕が。

 そして、ハンチング帽をかぶったこの女子のお尻にそれを見たということは――

「貴女……オツヒノの聖痕を……ッ!」

 ユウからの問いに、聖痕の持ち主は答えない。代わりに、ひとつだけ忠告を残す。

「急いだ方がいいぜ。()()()の命令は聖痕持ちを捕らえることだからな」

 そして、先程室内でクジャが見せたようなツネークスによる跳躍――突き破る天井はなく、ビルの屋上に向けて吸い込まれていった。

 それを見送ることしかできないユウは、悔しそうに拳を握り込む。

「ク……ッ、油断した……! ツネークスが組織的に動いてることは把握していたのに……ッ!」

 そんなユウを後目に、ヤシロはオツヒノを見上げている。

「てか、下ろしてあげないとマズイって。パンチで柱ごと倒せない?」

 その惨状さえ目に入らず、ユウはひとりハッとして夜空を仰ぐ。

「……ッ、宇宙船、急ぐわよ!」

「うんっ」

 未だ緊急事態は続いている。何事かと奇異の目を向けられながらも、全裸のヤシロは同じく全裸のユウに続いた。

「けど……あんなロープ切れる刃物あったっけ。聖剣使っていい?」

「そんな場合じゃないでしょッ!」

 ヤシロは工具を求めていたようだが、ユウは別の目的のために向かっている。

()()()のことだから、何かあれば宇宙船に逃げ込むに決まってるわ!」

 それは、もうひとりの聖痕持ちのこと――!

「もし、ヤツらが私たちの宇宙船を把握していたら……!」

 一応シオリンは同行していたとはいえ。

「偽物は本物には無力だからねぇ」

 本物が現れた際の逃げ足の速さは喫茶店で確認している。もし先程のツネークスがやって来れば、誰よりも先に身を隠すことだろう。無力なメイドを放り出してでも。

 暗い路地を駆け抜け――空が開けた。ユウたちが着陸した停船場である。外から真っすぐ見据えた場所に降りていたため、乗っていた船はすぐに見つかった。

 すぐに見つかったからこそ――絶望的な状況も明らかになる。

 船の足下まで駆け寄ってきたヤシロとユウ。そんなふたりを丸い屋根の上から待ち構えていたクジャの肩には――全裸にひん剥かれたシレーがしっかりと担がれていた。右のお尻の聖痕を見せつけるように。

 

       ***

 

 オツヒノよ! ……っつーかナニコレ!? いきなり撮影内容は変わるわ、通り魔みたいな襲撃に遭うわ……ッ! ま、まあ、私くらいになればあの程度のSMプレイだってお手の物だけど……さすがにギャグボールで逆さ吊りはないわー! 鼻にヨダレ入ったらどーすんのよ! って、そういう問題じゃない?

 次回、無気力勇者と5人のアイドル、第4話『2人のアイドル』

 あのふたりがついに激突……って、誰と誰?

 



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2人のアイドル

 暗い空――それを背にしてなお暗く。

 暗い短髪の女が担ぐ、儚い女の長い束ね髪が夜風になびく。

 雑居ビルに囲まれた暗い空き地のその端で、キツネ耳が悠々と見下ろしている。ユウたちが乗ってきた宇宙船の上で。ツネークスに焦る様子はない。むしろ、悔しさを滲ませているのは地上の方。

「……ッ」

 目の前で聖痕が持ち去られそうになってなお、ユウには手を出すことができない。彼女自身の 戦闘術(スタイル)も起因としてあった。が――根本的なレベルが違いすぎる。

 正面から戦って勝てる相手ではない。

 だが、搦め手を練る猶予もない。

 ゆえに。

「クジャ、聖痕持ち捕まえタ。帰ル」

 

 ――ダンッ

 

 それはまるで星空に吸い込まれるように。

 この段になって、ユウは入れ替わるように宇宙船の屋根に飛び乗る。ヤシロも続いて。だが、クジャが降下してくることはない。真っ直ぐ上に飛び立ったように見えたのだが。

 不安と屈辱に奥歯を噛み、空を見上げるユウの隣で、屈んで足下を見つめながらヤシロが呟く。

「宇宙迷彩の船で回収したんだと思うよ」

「……そうね」

 考えなしに大ジャンプなどするはずがない。おそらく、視認できないほど上空にツネークスの船が待機していたのだろう。

 こうして――ヤシロたちは聖痕のすべてを失ってしまった。

 

       ***

 

 星の海に漂う小さな宇宙船――そこに賑やかな様子はなく、涙声だけが静かに響く。

「シレーさん……一体どうして……」

 どうやら、お付きのメイドふたりは無事らしい。その中央の席を空けたまま、しくしくとハンカチで涙を拭っている。そして、前方左席――シオリンの場所にも誰もいない。唐突にふたりの欠員を出してしまった。ユウの修道服はともかく、ヤシロの普段着ジャージはいささか締まらない。が、外を眺めている眼差しはいつになく引き締められている。

 そこに、S.K.が空気を読まない楽しげな報告を持ってきた。

「スペースライブネットから着信ー、撮影については落ち着いてから改めてだけど、とりあえずオツヒノは無事救出、命に別状はないってー」

 それを聞き、窓に向けて微笑むヤシロ。一方、ユウは興味がなさそうだ。

「……そう」

 いま考えるべきは、これからのこと。そのために必要な情報はこれまでのこと。

「で、一体何があったの」

 それは、正面のS.K.に向けられたものかもしれない。だが、背後のメイドたちも、とにかく不安だったのだろう。

「シオリンさまが戻ってこられて! ここにいろと!」

「私たち、三人で待っていたはずなのに!」

「シキ、ずっと見てたんだけど、急にシレーが消えちゃってねー」

 S.K.だけでなくメイドふたりまで喋りだしてはさすがにユウとて聞き取れない。

「一旦うしろのふたりは黙って。S.K.、船内の録画を」

「ほーい」

 口頭では要領を得ないので、自分の目で確認することにしたようだ。いつものように、S.K.はぴょんぴょんと前を向き、フロントガラスがモニタとなる。映し出されたのは、メイドがひとり、スマホをいじりながら寛いでいる図だ。

「盗撮してたのー!?」

 どうやら、メイド自身にも知らされてなかったらしい。

「失礼ね。自分の船の室内を撮って何が悪いの。治安悪いって言ったじゃない」

 それを同乗者に伝えていないのはどうかと思うが。おそらくユウは惑星の治安どころか、同乗者たちさえも信用していないのだろう。

 一応防犯カメラということで、画面左上に日付と時刻のような表示はある。だが数字自体は読めないし、表示も変わらない。と思ったが、最後の一桁が変わった。が、また止まった。おそらく、秒ではなく、分刻み以上の単位なのだろう。

 映像中のメイドの挙動は小刻みに慌ただしい。どうやら録画データは倍速で再生されているようだ。が、登場人物はスマホを見ているばかりで、それ以外の変化は特にない。少しして、買い出しに出ていた――ルナ、とシレーに呼ばれていたメイドが帰ってきたため、留守番メイドはスマホいじりをやめた。ふたりでとりとめのない雑談に興じている。

「このあと、誰か来た?」

 状況が変わらないことに飽き飽きしてきたのか、ユウが後部座席に問いかける。

「私たち、怖かったからずっとここにいたんですけど……」

「かなり遅い時間になった頃、シオリンさんが……」

「S.K.、その十秒前まで飛ばして」

 ユウは、相変わらずメイドたちの事情に興味を示さない。これまで以上の超高速で、代わり映えのないメイドたちの雑談が流れていく。

 そして。

『こういう役はミナトさんの方が良かったと思うのー』

『仕方ないですー。今回はこういう企画ってこともありますし』

 一倍速に戻されたことで、ふたりの会話が聞き取れるようになった。が、そこに意味はない。重要なのは、この十秒後――

 ガチャリ、と扉が開かれたのはシオリンの席ではなく後部座席の方。さすがにメイドたちも驚き振り向いた。

『……っし、まだあるな、ソレ』

 強引に身体をねじ込んできたシオリンはメイドのルナの膝の上を跨ぎ、手を伸ばした先にあるのは――

「神殺しの剣っ!?」

 ユウはいまさら気づいて背後に振り向く。後部座席の裏側――そこに置いてあったはずの黄金の鞘が確かにない。録画されているとおり、シオリンが持ち出したのだろう。

『緊急事態や。ウチが何とかするさかい、あんさんらはこっから動くんやないで』

『はっ』

『はいっ』

 強張ったまま、メイドたちは応える。神しか斬れない剣で何をするつもりか――シオリンは詳しく告げず、そのまま出ていってしまった。

『な……何があったのー……?』

『シレーさんは、大丈夫でしょうか……』

 メイドのルナは外の様子が気になるらしい。ずっと見ていたため、()()の接近にはすぐ気が付いた。

『シレーさん、こっちです!』

 扉を開け、外に向けて叫んでいるのだから、彼女はまだ捕まっていない。お付きのメイドたちも聖痕持ちが危うい立場にあることは承知していた。なので、ルナは席を詰めることなく――シオリンのようにシレーも自分の上を跨がせる。そして、両サイドから守るようにシレーを中央に座らせた。さらに、シートベルトも締めて。にも関わらず、結果として彼女は攫われた。

 ユウは、後ろのふたりの方へと振り向くも――結局何も言わずに姿勢を戻す。おそらく、聞いても無駄だと断じたのだろう。

「S.K.、シレーがいなくなる十秒前まで飛ばして」

「うんー、シキもビックリしたよー、ホントに」

 そこからは大した猶予もなかったようだ。おそらくシレーは、現場で何があったかをふたりに軽く説明し、恐ろしさのあまり揃って沈黙。窓側のメイドたちは外に警戒を向け、シレーはカメラ目線――おそらく正面を監視しているのだろう。

 だが、次の瞬間。

『シ、シレーさんっ!?』

『何で!? 何でなのーっ!?』

「何があったのよ!?」

 モニタの中のメイドふたりと一緒になって観ていたユウも思わず叫ぶ。

「ビックリでしょ! シキにも何が何やら」

 撮影した本人すら何が起きたのかわかっていない。だが、メイドふたりはむしろ訝しむ。

「い……いえ、()()()()

「違う?」

 ユウはもう一度振り向いた。今度は、メイドたちの話を聞くために。

「違うのー。このあと、急に()()()()()()()になって……」

 画面上では、急に目潰しを受けたようには見えない。ゆえに、ユウはメイドたちに懐疑の視線を向けている。だが、ヤシロにはわかったようだ。

「真っ暗になったので、五秒くらいでしょ」

「はっ、はい!」

「よく覚えてないけど、数秒だったのー」

 ユウが意外そうに振り向くと、ヤシロは少し腰を上げて――天井の隅に触れて何かを確認していた。

「宇宙煙幕。揮発性の」

「そんなもの持ち込んだら、船のセキュリティに反応が――」

「この狭い空間に五秒くらいの超微量なら、センサーにもかからないよ」

 ユウは反論するが、どうやら限定することですり抜ける方法はあるようだ。

「それに……んー……シキ、一九時五八分……()()()()()()()んじゃない?」

「S.K.ッ!」

 どうやら、宇宙文字でそのように書かれていたようだ。S.K.ならば画像認識も容易い。あっという間に表示内容を基に解析してくれた。

「わっ、すごい。一九時五八分から五九分まで、()()()()()()()よ!」

 S.K.は嬉しそうにピョンピョン跳ねている。そこに悲壮感はないのはロボットだからか。

「どういうこと……?」

 混乱しているユウを横目に、ヤシロは深く座り直して天井を仰ぐ。

「飛ぶ前に確認したけど、屋根の上にワープ装置もあった。よーするに……電波ジャックで記録を止め、その一瞬に船内の視界を奪って、ワープ装置でシレーだけ船の外に抜き取ったんだよ。ま、拉致誘拐の基本的な手口だね」

 平然と言ってのけるヤシロに、ユウは――一周回って感心したのか、半笑いになっている。

「ずいぶん詳しいじゃない」

 その視線を無視するように、ヤシロは窓の外に視線を反らした。少々失礼な言葉を残して。

「ユウのが得意分野だと思ってたけどね、そういうのは」

「何を言っているの。私は善良なズーミア司教よ」

「ただ――」

 ユウの軽口に応じることなく、ヤシロは淡々とひとりごちる。

「――変わっちゃったんだね、ツネークスも」

「ヤシロ、貴女――」

「惑星アブソリュー、到着五分前ー! みんな、ちゃんとシートベルト締めてねー!」

 安全にかかわる警告であるため、S.K.はふたりの会話を堂々と遮る。それで、ユウは出かけた嫌疑を引っ込めた。視線だけに、その想いを残して。

 

       ***

 

 今度の惑星の空は青い。しかし――その建物はなぜか白塗りの壁に瓦葺きである。まるで江戸の城下町のような敷地に停まっているのは様々な惑星で見かけたスペースシャトル。おそらく、時代劇風味なのはあくまで外装だけなのだろう。

「シレーさんのことわかったらすぐに連絡するのー!」

「では、皆さんもお気をつけて」

 そこはおそらくターミナルの内部のようだ。広々としたフロアにはヒューマンタイプからタコやイカのような形状の生物が行き交い――和服のような形状が多く見られるので、やはりそれがこの惑星の文化なのだろう。もちろん、宇宙ターミナルだけにボディスーツから宇宙服のような装いまで様々だが、ユウのような修道服は他になく、ヤシロのようなラフな部屋着でうろついている者はさすがに皆無だ。

 中空には宇宙文字で書かれた案内板がふわふわと浮いているが、荷物運びのドローンたちはぶつかることなくすり抜けていく。どうやら看板に実体はないようだ。

 その下で、メイドふたりがヤシロたちと向き合っている。

「あたしたちも何かわかったら連絡するからー」

「先ずは、ミューズでミトフルたちを張ってなさい。聖痕を持っている以上、狙われる可能性は高いだろうから」

 メイドたちは最後に深く一礼して、改札の方へと向かっていった。ユウが名残惜しさをまったく感じさせない冷淡さで踵を返したので、ヤシロも慌ててそれに続く。ユウの所作は、修道女というよりビジネスマンのようだ。

「S.K.」

 雑踏に磨り潰されそうなその呟きひとつで、透ける案内板を貫通して楽しんでいたピンクの生首は、呼び出しに応じてひゅるりと下りてきた。

「ほーいほいほい、どーしたん?」

「確認よ。ちゃんと先方にはアポ取ってるんでしょーね?」

 不躾な言い分だが、どうやらS.K.は自信満々らしく、楽しげにふたりの周りをぐるりと廻る。

「そりゃーもー、同じシリーズだもん。バッチリだってー」

「もしかして、教会でゆってたコネがあるってヤツ?」

 ヤシロが尋ねると、S.K.はスーっと飛び寄り――歩行中の視界を塞がないよう、頭の上に着陸した。伸びたままのケーブルはテロリと垂れるが、前が見えないほどではない。

M.2.(エム・ツー)……モモ、ってゆーんだけど、いつでも来ていいよー、ってゆってたからね。早速遊びに来たってわけ」

「遊びじゃないっての」

 ユウはピシャリと嗜めるが、だからこそ、ヤシロには気になることがある。

「こんな簡単に接触できるなら、真っ先に来とけば良かったのに」

 それをしなかったことにはユウなりの理由があった。

「聖痕が確認できなかったからよ」

 ユウにとって、教義が広まるのはできる限り避けたいらしい。そして、そんな主の意向を生首ロボは把握している。

「ちなみに、モモの方は聖痕も女神も興味ないんだか知らないんだか、全然話題に挙がんなかったんだよねー。もし無関係だったら、ただ遊びに来ただけってことで誤魔化すよー」

 そこまでユウの指示か。それとも方針を汲んでのことか。

「ということで、先ずはS.K.に探り入れさせるから。私たちは離れて待機」

「細かいことはユウに任すよー」

 さて、宇宙港の建物は、()()は和風でも設備はハイテクである。重厚な木造風味の扉だが、人の接近を感知すると観音開きではなく左右にスッと分かれて開く。そして外は――牛のいない牛車や、担ぐ人はいないのに中に浮いた駕籠――おそらくドローンだろう。その一つひとつが漆塗りのようにツヤツヤしているが、中身はきっと宇宙物質であり、すべてがテクノロジーの賜だ。

 とはいえ、どんなにテクノロジーが進化しても、その場所に必要な機能は変わらない。ヤシロは周囲をキョロキョロと窺うと――どうやら行き先を見つけたらしい。

「あ、ユウ。言ってた乗り場アレだよね」

 歩き出そうとするヤシロだったが、ユウはその背に呼びかける。

「さっき、聞きそびれたんだけど」

 その声色の芯に強さが込められていたからか――ヤシロは足を止めるが、振り向くことはない。そして、ユウも目を合わせろと求めることはない。

「貴女、ツネークスの手口に詳しいようだったけど――」

 何らかの関係があるのか――その問いに、勇者が答えることはない。

「ツネークスはプロの犯罪集団。盗みから殺しまで何でもするけど――」

 ヤシロは表情を見せずに、ため息をつく。

「あくまで闇の住人。ああやって堂々と人前で暴れることはなかったんだ」

 それは、宇宙煙幕で犯行の瞬間さえも隠蔽するほど。それに納得したからこそ、ユウは問う。

「ならば何故――」

 今回はエキストラを巻き込んでカメラの前で凶行に及んでいた。ゆえに。

「これまではね」

 ヤシロはツネークスの現状を例外として否定する。

「カスガ参謀……だっけ。ちょっと信じ難いんだけど……何者なんだろ」

 シオリンから話を聞いてもさして動じることはなかったヤシロだが――オツヒノの一件を目の当たりにして認識を改めたらしい。ツネークスは、以前のツネークスではないと。だが。

「……シオリンなら知ってるかもしれないけど」

 その背から、ユウは何を感じ取ったようだ。自分はそれ以上知らない――もし知っていたとしても話すつもりはない――ただ、軽く振り向いた勇者はいつもの笑みで。

「ま、しゃーないね。あたし、勇者だから」

 だから、ユウもまたいつものように素っ気なく応える。

「よく言うわ。ひとりじゃ何もできないクセに」

 ヤレヤレ、とヤシロは肩を竦めて歩き出した。己の成すべき場所へと向けて。

 

 観覧車のゴンドラは一つひとつが離れの小さな茶室のようだ。透き通ったチューブの中を、大蛇のような龍が高速で駆け抜けていく。華やかな敷地にはファンシーな小物や和菓子が露店に並び――それでもやはり白塗りの壁で囲まれたその内側はいわゆる遊園地のようだ。その入口で、場違いな修道女が揉めている。

「ハァ? 関係者だって言ってるでしょ! 中でヒーローショーやってる……えーと、何だっけ? S.K.!」

「モモの事務所? そっちは宇宙にゃんにゃんだけど、外部企画への協力で、そっちは聞いてないなー」

 このような時代なので、当然入場は全自動である。ゆえに、並ぶゲートの隅の方で――係員の熊人がユウの怒声を一身に受け止めていた。

「いま、ステージに連絡を入れておりますので……もう少々お待ちいただければと」

 真摯に対応しているため、この二足歩行の熊は着ぐるみということはなく、そういう生物なのだろう。体長は二メートルを超えるが瞳はつぶらで、肩をすぼめて恐縮している。これにはヤシロの方も申し訳なくなってきているようだ。

「ユウー……別に入らなくてもいいんじゃないー?」

 先にS.K.によって探りを入れるのだから、その保護者まで入場する必要はない。が、ユウにはユウの事情がある。ただし、大っぴらにはできないので、ヤシロの襟首を掴んで顔を近づけ小声で。

「外じゃ何かあったら対応できないじゃない。S.K.のコネなんだからタダで当然でしょ」

「けど、必要ならお金くらい払ったら……」

「何・故・?」

 ユウの笑顔は力強い。どうやら、断固たる意思で無料入場したいようだ。教会の改修も進んでいなかったし、彼女は色んなところでケチ臭いのだろう。

 そこに――ふわーりふわーり――風船のようだが指向性を持ち――駆け足のような速やかさで――

「お待たー。どしたのどしたのー?」

 初めて見る生首の女のコが飛んできた。S.K.が触手のようにもみあげを伸ばしているのに対して、遊園地の生首はツインテールにまとめ上げている。そういえば、ちょんまげを結っている人も見当たらないし、どうやら和風なのは服飾だけらしい。飛んできた生首はS.K.の髪が白く見えるほど華やかなピンク色で、束ねた根本には赤い藤の花を吊るしたかんざしがあしらわれている。生首といえど華やかであり、行楽地ということもあって、怖がられることなく馴染んでいるようだ。それに対して、コードが収まりきっていないS.K.はいささかアウトローな印象を拭えない。

 そんなふたりは仲睦まじく。

「わー、モモ~」

 S.K.が飛んで迎えると、ふたつの生首はペアダンスのようにクルクル廻る。

「遊びに来てくれて嬉しいよ~」

 と、喜ぶM.2.。しかし。

「早速だけど、タダで入れて~」

「え」

 S.K.の一言で、M.2.の旋回がピタリと止まった。そこで、ユウに睨みつけられていることに気づいたらしい。

「う、うーん……今日のあたしら、むしろゲストでー……主催さんに迷惑かけるわけにもいかないしー」

 ユウとは目を合わせないよう明後日の方を向きながら、熊の係員の肩にフワリと下りる。

「この人たちはうちのスタッフってことで見逃してよー。関係者入り口に回ってる時間がなかったからーってことで……ね? ね?」

 もふんもふん、と熊の毛の中で甘えられては――熊とて頭を掻きながら了承するしかない。

「うー……公演中につき急を要した……ってことにしとくかなぁ……。ということで、せめて駆け足で向かってくれる? 寄り道せずに」

「しないわよ」

 本人もそう言っているし――時間がないという設定は熊自身が決めたことだ。ゆえに、客相手のようにもてなすことはない。

「それでは……お疲れ様。本日はよろしくお願いします」

「やれやれー、んじゃ行こっかー」

 フワーリ――来たときと同じような速度でM.2.は飛び立つ。だが、ピンポロポンポロと楽しい警笛を鳴らしているのは下を走る者たちのための配慮か。

「すいませーん、急いでまーす」

 ただし、大人はともかく子供は何かと反応が鈍い。チビッコたちを躱しながらユウは舌打ちしつつ、それをヤシロが宥めつつ――一行は人混みの奥へと潜り込んでいった。

 

 熊人やイカタコ人が跋扈するこの世の中で、まさかのヒーローショー――ゆえに様々な種族に配慮した結果か、敵対しているのはネコ耳の付いたクラゲの頭にアルパカの身体、そしてカニの四肢にワニの尻尾の生えた 合成獣(キメラ)である。それに従うのはネコ耳とネコ手袋を着けた頭のみクラゲな白全身タイツの――体型から見て女性がふたり。作りの雑さからも、おそらく下っ端だろう。

「受けなさいっ! レインボービーーームッ!」

 そう叫んでヒロインは発射ポーズを決めているが――右手は相手にかざしているものの、左手は真上に、左膝も高々と上げているので、あまり力が籠もっているようには見えない。だが、ともかくカラフルな光線が放たれて、三体いる怪物のうちの一体が両手を挙げて受け止める。

「ぎゃーーーーーっ」

 悶え苦しむ下っ端は、粉塵を巻き上げ大爆発。煙幕が晴れたときには、その姿は消えていた。これには子どもたちも拍手喝采。だが――客席最後尾の最上段に立ち、ユウは冷めた目で眺めている。ヤシロも、やや懐疑的のようだ。

「……ん~? 前に見たコってあんなだったっけ?」

 正義の味方は赤から紫までのカラフルな着物柄のピッチリしたボディスーツに身を包み、サワサラのツインテールを虹色に輝かせながらなびかせている。顔立ちについても、資料映像では着ぐるみの口から顔を覗かせていただけだったが、もっと幼い雰囲気に見えた。

「どう見ても別人でしょ」

 ユウははっきりと断じ、S.K.の方を睨む。その訴えから逃げるように、もみあげ生首はツインテ生首の裏へとフワリと逃げた。それで、何となく事情は察したらしい。

「あー、うちのマコットはキメラの方だよー」

 言われてユウたちは改めてステージに注目する。

「逃さないっ! レインボーレーザーーーーーッ!」

 さっきと技名は異なるが、エフェクトは一緒だ。もう一体の怪物も同じように煙幕に紛れて退場していく。こうして残されたのは、マコット扮するボスだけとなったようだ。

 しかし。

「……注目のされ方、間違ってない?」

 言って、ユウは空飛ぶS.K.の方を見上げる。当の生首ロボは、ステージそっちのけで生首友達と雑談に興じているようだ。とはいえ、ロボはロボである。聞こえていながら、指示ではないとして無視しているのだろう。なので、代わりにヤシロが応じる。

「でも実際、あの動きは大したもんだよ」

 怪物の着ぐるみは、至極動きづらいはずだ。にも関わらず、飛んだり跳ねたり側転やらバク宙やら、軽やかな動きで――むしろ、正義のヒロインより目立っている。

「あんなの、映画みたく重力制御やエフェクトでどうとでもなるでしょ」

 ユウは興味なさげだが。

「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()でやってのけてるんだよ、あのコ」

 ヤシロに言われて、ユウは改めて舞台の方を注視する。

「……確かに、急に浮き上がるような不自然さはない……?」

 その瞳は、もはやトリックを見破ろうとする手品の観客のようだ。が、ここでM.2.が正解を提示する。

「何も使ってないんだよー、マジで」

「そんなわけないでしょ!」

 ユウは驚愕してM.2.に怒鳴るが、むしろ慣れたものなのだろう。

「ビックリでしょー? 最近急に動きが良くなってねー。お客さんも大喜び!」

「良くなったってレベルじゃないわ!」

 ヤシロはステージから視線を動かさずに首肯だけで応じる。オツヒノが見せた超滞空――人の限界を超えているという意味では、怪物の方が圧倒的だ。しかも、聖痕を露出せずに。だからこそ。

「文字通り、怪物かもしれないよ。それもミトフル級の」

 エプロンでお腹を隠した上で会場全体を魅了する歌唱力を発揮した天才アイドル――方向性は違えども、相当の器なのかもしれない。

 着ぐるみショーは正念場を迎えている。レインボーな光線を掴んで抵抗するマコット入りボス怪獣。当然、映像エフェクトであればやりようはあるが、実際に掴んでいるというのだから物理現象を超越しているとしか言いようがない。

 そんな力比べの最中だというのに――ヤシロは何かに気づいて空を見上げた。ライブハウスでもそうだったが、彼女はその手の勘に優れているらしい。

 何かが一直線に落下してきて――

 

 ドゴォォォォン……ッ!

 

 ステージ中央で巻き起こる突然の爆発と、客席まで轟く激しい地鳴り――これにはさすがに悲鳴が上がる――が、混乱はない。幸が不幸か、観客たちはステージ演出だと思っているらしい。何しろ――

「ねぇ、あの瓦礫ってどこが崩れたの?」

 ヤシロの疑問はもっともだ。ステージはあくまでステージである。演劇に不要なものは置かれていない。にも関わらず――どこから現れたのかわざとらしいコンクリート片の山が突如現れ、そこからピクピクとカニの片足がはみ出ている。

 だからこそ、おそらくこの事故による怪我はないのだろう。いまのところは。だが、ここから先はその限りではない。何故ならば――ユウの瞳に映っているのは、圧倒的な驚異。

「アイツは……クジャ……ッ!」

 ダラダラと溢れ続けるスモークの中、ステージ中央に陣取っているのは、ライブハウスを破壊し、シレーを拉致していったツネークス――クジャ。その手にかかれば、聖痕持ちであっても太刀打ちできるとは限らない。

 それでも、一先ずこの場に混乱が見られないからこそ。

「モモ、レインボーガールにはこっそり退場してもらっていい?」

「え~、せっかく盛り上がってきたのに~? それに、あのコは版元の事務所所属で、うちの管轄外なんだよー」

 M.2.は舞台関係者として、様々なしがらみがあるようだ。ヤシロとて、ステージを蔑ろにするつもりはない。だからこその、最大限の譲歩。

「いま降ってきたの、本物のツネークスだから」

「ゲ、マジで?」

 ここまで超常現象の連続だったため、M.2.はあのツネークスの出現もその類だと処理していたらしい。

「うーん、わかったー。怪我させたらマジヤバイし。あと、観客も誘導しなきゃかなぁ」

「それはあとでいいと思う。逆に混乱させちゃうかもだし。先ずは関係者だけ」

 聖痕の力でステージが作られているので、そのままステージとしてまとめてしまいたいようだ。

「オッケー、うちのスタッフ最小限だけ残して避難してもらいつつ、何とかごまかしごまかしやってみるー」

 言うと、M.2.の目は01の羅列模様となる。飛行能力も疎かになるため、ポスンとヤシロの両腕に収まった。

「ユウ、何かあったら聖痕持ちだけでも守りたいんだけど」

 この勇者に戦闘能力はない。ゆえに、このようなことは人任せになってしまう。

「ナメないでよね。私はズーミアの司祭よ」

 とユウは笑みを作ろうとしているものの、口元には余裕がない。やはり、直に拳を交えた際に感じた力量差は如何ともし難いのだろう。だとしても、その意志は強い。

「それじゃM.2.、舞台袖に案内してくれる?」

 呼びかけられたことで、ヤシロの手の内の生首の瞳が集中処理から復帰した。臨機応変に対応するため、外部接続用の最低限のリソースは残しているらしい。

「シキの持ち主ってことだからいいけどねー。けど、ステージには出ないでよ? ギリギリの調整をお願いしてるとこだから」

 案内するため、M.2.はふわりと浮き上がり――観客たちの視線を遮らないよう大外回りに。ユウたちはそれに続いて駆けていく。その間も、M.2.によるアドリブ指示により、ステージショーは続いているようだ。

『おおっと、レインボーガール、ここでダーク・ツネークス・フォームに変身ー!』

 そのアナウンスによって歓声が上がる。いつの間にか、ツインテールの姿はない。M.2.が指示したことで舞台外へ離脱し、クジャをツネークスを模したニューヒロインだと言い張ることにしたのだろう。

 だが、本人にそのつもりはない。特に演技も台詞もなく、自然体ですたすたと瓦礫へ向けて無防備に歩いていく。とても、無防備に。ボディースーツどころか完全に全裸である。子供への刺激は強すぎるかもしれない、と保護者たちはどうしたものかとオロオロするばかり。だが、ここまで堂々と全裸で振る舞われると――肌が陽に焼けた褐色ということもあり、遠目ゆえにボディスーツのように見えてきているようだ。

 そんなクジャは、淡々と瓦礫の山から足をズボっと引っこ抜く。そこから現れたのは――

「ケホ、ケホ……何なのよもー……」

 ネコ耳クラゲの頭が取れていた。ゆえに、はっきりとわかる。やはり彼女こそ、宇宙船で見た力士ぐるみに叩き尽くされていたお笑いアイドル――マコットである。だが、その髪はチリチリのアフロになっており――突然の中の人の登場だったが、あまりにもわかり易すぎる変貌だけに、会場には爆笑の渦が巻き起こる。

 そんな様子を、ツネークスはまったく意に介さない。

「オイ、オマエ、聖痕持ちカ?」

 クジャがゴツンと頭を蹴ると――スポーンと頭が吹っ飛んでしまった。

「オォッ!?」

 さすがのクジャも一瞬驚いたようだが――ポンポンポンポン、とステージ上を跳ね回り――外に出そうな際には見えない壁に弾き返され――

「きゅぅ……」

 ころりと床に転がったところで、口周りをヒゲのように黒くしたアフロの生首が寂しそうなうめきを上げる。普通に生きているらしい。多少ブラックジョーク気味ではあるが、会場は大いに受けてくれたようだ。しかし、それを舞台袖から見ていたユウたちは戸惑っている。

「……アレ、私たちが守る必要あるの?」

「う、うーん……むしろ、どうやったら死ぬんだろうねぇ」

 何しろ、頭が取れてなお健在である。もはや、怪我という概念すら疑わしい。

 少しばかり目を回していたマコットだったが――

「ちょ、ちょっ! あたしの身体にナニしてんのよ!」

 クジャは徹底的にマイペースである。アルパカのフワフワの毛を梱包材のようにむしり捨て、中の肌色をあっという間に顕にしてしまった。それに思わず食いつくユウ。だが、その動機は男子が女子の裸体を期待するのとはまったく異なる。ずっと気になっていた聖痕の有無――いまそれが明らかに――

「バ……カな……ッ!?」

 ユウは目を見張る。同じようにヤシロもまた。

「画面加工じゃなかったんだねぇ、あのモザイク」

 それは、収録時に編集されたものではなかった。どうやら、直に相対しているはずのユウたちさえ、ミコットの裸身はモゴモゴした肌色の四角模様に遮られているようだ。それは当然、観客たちも。少なからず品はないが、笑えるレベルの痴態で済んでいるらしい。

 しかし、クジャからしてみれば、これは困る。

「ンンン~……聖痕……?」

 おそらく、今回も聖痕持ちを攫うよう指示を受けているのだろう。しかしこれでは識別できない。とりあえず担いで高々と持ち上げて、軽く振ってみてから――

「おっトー」

 瓦礫の山でバランスを崩したのか、そこから豪快にパイルドライバーをキメてしまった。

「むぎゃー!? あたしの身体に酷いことしないでー!」

 痛覚が寸断されているのかマコットにダメージを受けている様子はない。ゆえに、これまた会場は大盛り上がり。クジャの足元をピョンピョン飛び回って抗議しているところまで含めて。傍目には滑稽だが、つきまとわれる方としては非常に鬱陶しい。だからか、クジャは身体の方を捨てると、代わりにそのサイドテールを掴み上げた。そして、顔と顔を付け合わせて素朴に尋ねる。

「オマエ、ロボだったのカ?」

 その可能性に気付き――舞台袖で、ユウは空飛ぶツインテールに驚きの目を向ける。

「その発想はなかったなー」

 機械といえど、ユウは怖いらしい。見れば、S.K.も一緒に逃げている。扱いの悪さについては二体の間ですっかり共有されているようだ。

 ロボたちに生態調査を行うまでもなく、その疑惑は本人が否定する。

「ロボチャウワー!」

 電子がかった合成音声で。しかも、自動車のウィンカーのような目にツギハギのブリキ――そんな二十世紀のようなロボなどこの時代にはなさそうだが――ともかく、ミコットの顔面はそんなあかさらまな機械人間に早変わり。顎が外れるほどカコンと口が開き、そこから――

 

 ポピーーーーーッ!

 

 それは会場を突き抜けるほどの高出力――真横ではなく少し空に向けられていたのは偶然か、それともステージマスターとしての配慮か。吐き出された波動砲はクジャのすべてを飲み込んで――

「ウ……ソだ……ゾ……」

 ――そこに残されたのは――生々しく焦げたツネークスの片腕だけ。支えを失い自由落下した頭は着地とともにボカンと爆発。それによりキツネの腕は燃え尽き、ステージ上は何とか誤魔化すことができたようだ。しかし――

「レインボーガール、いなくなっちゃた……」

「負けちゃったの……?」

 会場の子どもたちがざわつき始めている。

 そして、舞台裏もざわつき始めている。

「ガールをすぐに再登板させて!」

 M.2.は叫ぶがスタッフたちは首を振る。

「すぐには無理ですよ。呼び戻しますか?」

 安全第一と遠ざけたのが仇となった。

「このままヒロインは帰っていった、じゃダメなの?」

 ユウは作品を知らないから安直なことを口にする。

「ダメなのーっ! 最後にガールがエンディングテーマを唄いながら踊る……それをカットしたら先方からもめっちゃ怒られるし、大きなお友達も許さないよっ!」

 M.2.はクルクル回りながら全力否定。その締め括りはいわゆる御隠居様の印籠のようなものなのだろう。

 ともかく敵は倒したので、一先ず安全だ。なのに、肝心の主人公がいない。そんなとき、()()は役に立つ。

「ヤシロ、貴女、コピーできる?」

 ユウに問われて物真似勇者は苦笑い。

「ダンスはできるけど、歌は無理だよー」

 幸運にも番組を観ていたため、踊れることは踊れるようだ。とはいえ、声真似はできない。が、ここではそれで充分だ。

「歌はバックで流すから、早くスーツに着替えて!」

 M.2.は現場責任者として、とにかく場をつなぐことだけ考えている。

「ひえー」

 囲いも疎かに全裸にひん剥かれるヤシロ。だが、ここで会場に異変が起きる。

「~~~~♪」

 誰が唄っているのか、メロディが聴こえてくるのは客席の方から。おそらく、レインボーガールのエンディングテーマである。

「え? どーなってんの?」

 M.2.だけでなく、ミキサー前のスタッフたちも首を傾げているので、音響を通してのものではないらしい。

 音響を通すことなく、客席中に届く声量で――

 

「~~~~♪」

「ちょっ……こんなところで……!」

 深くかぶったニット帽にサングラス――素性の明かさず謳う少女の隣で、スーツ姿の女性が慌てふためいている。袖を引いて再着席するよう促しているが聞き入れられる様子はない。だが――その歌声に誰もが聴き入っている。大人から子供まで。そして、舞台唯一の生存者までも。

「みっ、みみみ……ミトフルさんっ!?」

 モザイクのまま瓦礫と一緒に放置されていた首無し裸体が勢いよく立ち上がり、頭がニョキリと生えてきた。呼びかけたその名は、先日の大音楽祭でデビューを果たした超新星のもの――

 周囲も確信を持ち始めており、誤魔化せないと腹を括ったのだろう。サングラスを外し、ニット帽を取ると、長い赤髪がふわさと現れる。そして――手持ちのヘアゴムで大雑把なツインテールに。その姿は――即席レインボーガールか。

「あー……もう、いつも勝手に……!」

 隣のスーツ姿の女性はマネージャーのミズリーである。どうやらふたりはお忍びで来ていたらしい。

 中央階段ならまだ客席通路よりはスペースがある。マネージャーの抑止を振り切り、ミトフルはそこへと辿り着くと――何とかサビには間に合った。空気を察して、伴奏も流れ始めている。

「~~~~♪」

 装いは即席かもしれない。だが、歌は――そしてダンスも――そのクオリティは本物以上の上位互換。

 TVサイズの一分半――唄いきったところで、拍手喝采が巻き起こる。会場が、彼女をレインボーガールだと認めた証だ。

 それは、敵役の怪物さえ認めるほど。もう着ぐるみは着ていないが。

「みっ……ミトフル……さん……あたし……会えて、光栄すぎる……というか……!」

 階段を上ってきたマコットは、モザイクの裏側でモジモジしている。それを不思議そうに見つめる子どもたち。どの角度から見ても修正が入っているのが面白いようだ。

 そんな中での、感動の対面である。

「アタシ、モニタの向こうで身体張って活躍してるマコットさんのこと、ずっと尊敬してました」

 おそらく、ミトフルは多忙な毎日を送っているはずだ。その寸暇を惜しんで観劇に来たのである。彼女の言葉に偽りはないのだろう。

 そして、マコットの想いにも。

「そ、そんな……あたし……ミトフルさんの弾き語り動画の頃からずっとファンでした!」

「うわ、恥ずかしいな……」

「いえ! あの頃から……ミトフルさんなら絶対宇宙一のアイドルになれるって信じてて――」

 感極まってミトフルの両手を取るマコット。しかしその瞬間――

 

 カ――ッ!!

 

 ふたりを、そして会場を閃光が包み込み――

 白さが引いて、誰もが目を開けると、そこには全裸の女子が立っていた。そこにモザイク処理はない。ゆえに今度こそ確信できる。前にも、後ろにも、もう彼女に聖痕はない。

「え、え……あーっ、そーいやあたし素っ裸だったわーっ!」

 みんな何となく察していたので、驚きよりも笑いが起こる。その姿は本人さえも忘れていたようだ。しかし、思い出しては居たたまれず――マコットは慌てて会場から去っていく。服を探すのならスタッフたちの方へと向かうべきだが――何故か、会場の外へ。そこには遊園地の来場者たちが往来しているはずなのだが――あまり考えていないらしい。

 こうして、主人公・レインボーガール(即席)だけが残された。

「レインちゃーん!」

「レインちゃーん!」

 子どもたちからのコールを受けて、ミトフルは嬉しそうに手を振り応える。だが。

 

「待ちなっ!」

 

 歓声を掻き消す一声は、階段を登りきったその上から。

「オレを差し置いてレインボーガールを名乗るたぁ、聞き捨てならねぇ」

 そのシルエットは真っ黒な全身スーツ。揺れるツインテールも本物に近い。

 だが――舞台裏に緊張が走る。

「あ、アイツは……!」

 ユウにもヤシロにも見覚えがあった。もっとも、そのときは大きなハンチング帽をかぶっていたが、いまはそれを取り――大きな三角耳を顕にしている。

 そして、彼女は名乗った。

「オレこそがダーク・ツネークス・フォーム……真のレインボーガールだ!」

 先刻の舞台の件があったため、これも演出として受け入れられているらしい。しかし、裏方たちは本当の事情を知っている。

「マズイよ、止めなきゃ」

 ヤシロは逸るが、ユウに動く気配はない。

「ここで待機よ」

「何で」

 この勇者はひとりで立ち向かったところで無力だと自覚があるのだろう。焦りながらも、無鉄砲に飛び出すことはない。

 そんなヤシロに、ユウは十全に諭す。

「ふたりはこれからステージでアイドルバトルに挑むはずよ」

 その言葉を裏付けるように。

「どっちが本物のレインボーガールか……歌と踊りで勝負しろ!」

 実質、聖痕を賭けたアイドルバトルである。とはいえ、もし負けそうになれば、オツヒノのような目に合わすつもりだろう。横槍を入れるのならそのときで良いし、その方が客席の只中で暴れられるより避難誘導もしやすい。

 だが。

 

「ヤだよ」

 

 盛り上がっていた会場の空気がシンと静まる。ミトフルはそのままミーシャに対して踵を返し、ひとりステージに向かっていく。

 呆気に取られたミーシャは、震えながら改めて問直す。

「な、んだ……聞き間違えか? オレの挑戦から逃げる気かよ」

 これに――ミトフルは空を見上げてポツンとつぶやく。

「アナタじゃ、相手にならないから」

 ミーシャの耳がピクリと動き、表情が強張った。殺気を漲らせたことで、その毒が届いてしまったことを察したのだろう。

 だが、ミトフルは逃げない。今度は振り向き睨みつけながら。

「局を脅してゴリ押しするだけの三流アイドルに興味はないの」

 ざわ……空気が変わった。ミーシャの拳の震えは足先まで伝搬し――

 

 ドン――ッ!

 

 何も見えなかった。瞬く間に距離を詰め、振り抜かれた右腕が真っ赤に染まる。

 だが――

「……ッチ、邪魔が入ったぜ」

 押しのけられて倒れているミトフル。その代わりに血を噴き上げているのは――

「良かった……ミトフルさん……」

 

 きゃあああああああ!?

 

 これはもう演出の域を超えている。演出だとしても度が過ぎている。子供は泣き出し、大人は我が子を抱え、我先にと出口へ詰めかけた。落ち着いてください――そんなアナウンスは誰の耳にも届かず、混乱の中、ミーシャは拳を引き抜く。膝を突き倒れるミズリー。そんなマネージャーにミトフルは駆け寄る。

「どうして……」

 悲しそうに、ミトフルは呟く。そんなアイドルに、ミズリーは最後の力を振り絞ろうとしていた。

「貴女は、私の夢……だから……必ず……」

 それが彼女の精一杯だったのだろう。眠るように息を引き取ったマネージャー――その心からの想いを受け止めて、ミトフルの瞳から――

「どうして……」

 涙が溢れて――くることはない。

 ただ、どこまでも残念そうに。

「どうして……聖痕が現れるまで、アタシを見つけてくれなかったの……」

 立ち上がるミトフルの瞳は冷たい。

「聖痕があってもなくても、アタシの唄は変わらない。なのに……どうして……」

 そして、立ち上がった。ツネークスを前に、怖気づくことなく向き合っている。

「そんなに勝負したければしてあげてもいいよ。無駄だと思うけど」

 ようやく要求を受け入れられて、ミーシャは満足そうだ。

「おっ、亡きマネージャーの意志を継ごうってか?」

 軽い挑発――だが、それが()()の命運を定めた。

「女神もミズリーさんも関係ないよ。だって、そもそもアナタ――」

 

 ――()()()()()()()じゃない。

 

「え――」

 ミーシャを驚愕させたのは、目の前のアイドルの言葉ではない。その背後に――もう、観客たちはあらかた逃げ終えている。にも関わらず、こんなところに残っているのは――フードで顔を隠し、ローブで身体を隠し、前身頃の合わせの隙間からそっと細い腕が伸び、ミーシャの肩にそっと置かれた。

 そして、別れの言葉を。

「貴女のアイドルごっこは、もうおしまい」

 

 すると――

「うっ、わあああああああッ!?」

 ミーシャの身体が燃え上がり、足下からボロボロと崩れていく。

「そ、そんな……ま……ク……クリ……ス……」

 炎が掻き消えると共に、ミーシャの姿は跡形もなく燃え尽きていた。そして、代わりに立つのは――頭頂にはキツネ耳を掲げた全裸の女性。暗い髪は長く、くるぶしまで届きそうだ。そして、左胸と――ぶわっ、と闘気が迸ると、覆われていた背中が明らかになる。左のお尻には聖痕――それはかつて、オツヒノの身体に刻まれていた――!

 彼女こそ、真に聖痕を持つ者――そんな彼女が――獲物を逃さぬ蛇のような瞳を突きつける。

「奇しくも――お互い、ふたつずつの聖痕を持っている」

 それを、ミトフルも認めた。

「いいわ。アナタはアタシと共にステージに立つ器よ」

 パッと両上を広げると――ミトフルの身体が輝き始めた。その中で影として浮かんでいるのはふたつの聖痕――右の胸と、お腹と――

 どこからともなくリボンが差し込まれ、腕に足に、お尻に、胸にと巻き付いていく。そして、その白い光は真っ赤な生地へと姿を変えて――

 それは、アイドルとして戦うための舞台装束――!

「アタシはミトフル! 宇宙一のアイドルになる女よ!」

 

       ***

 

 ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……ッ! どーなってんのよ! 着ぐるみアクロバットさせられたかと思ったら首が取れたり口からビーム吐いたり……それに引き換え、ナニよあの変身シーン!? 同じ超常現象だってのに、ちょっとエコ贔屓がすぎるんじゃない! ……え? え? 警察? いや、このカッコには深い事情があって……ちょ、お願いあたしの話を聞いてー!

 次回ーっ、無気力勇者と5人のアイドルーっ、第5話『1人の女神』ーーーっ!

 って最後なのにあたし名乗ってないじゃん! 未来のスペーストップアイドル、マコット・アマギでしたーっ!

 



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1人の女神

 その教会から、この旅は始まった。

 町の外れの寂れた一角――蔦にまみれたその石造りの塊は、まるで遺跡か廃墟のようだ。――いや、“まるで”どころか、正面の扉はトタンを立てかけているだけなので、誰でも入り放題の実質廃墟である。もっとも、ここの責任者の性格を考えれば、施錠すべきところにはしっかり施錠しているのだろうけれど。偽司祭である彼女にとって、信仰の場は守るべき範疇の外にある。その――礼拝堂の最奥にそびえ立つ女神の黄金像さえも。天秤と剣を携え、その身に五つの丸い(きず)を湛えたその神は、この戦いに何を思うのか――

 

 ところ変わって――

 円筒型の 宇宙居住区(スペースコロニー)――その湾曲した屋根から陽が差すことはなく、ただ外宇宙の星々を写すのみ。 常夜(とこよる)の、大人たちの世界として。

「はい、こちら『 Cheese O'clock(チーズオクロック)……」

 その店の看板にも宇宙文字でそう書かれているのだろう。正確なところはわからないが、丸いチーズの塊からワンピース切り取っているそのアイコンは、数十世紀前の人間でも理解することはできる。

 かといって、そこは決してチーズ専門店ではない。木造、煉瓦仕立て風味のオシャレな内装を忙しなく行き来するのは、ヘッドドレスをかぶったエプロン姿のメイドさんたち――そのフリルは華やかではあるが、客たちが振り返るのはその裏側――背中からお尻、太ももの裏側に至るまで開かれた肌色に、誰もが釘付けになっている。働いている側も男たちの視線を承知の上で振る舞っているのだろう。料金のうちとして。

 そんな女性たちを束ねる裏方の()()まで同じ制服に揃える必要ないのかもしれない。逆に、だからこそ、従業員を束ねる者としての強い意志が感じられる。

「あら、ケミーさん」

 その小さな部屋に甘いデザートの香りはない。客席と同じような木造の内装――だが、その窓から覗くのは点々と光の灯る宇宙要塞。ゆえに、この建物もあくまで精巧な壁紙として装っているのだろう。客の目の届かないところまで。そこに、経営者の本気が窺える。

 ただ、通信機器まで古風に揃えていることはないようだ。彼女が耳に当てているのは、様々な惑星でよく見るタイプの携帯端末。後ろ髪は長く、椅子の背もたれもあってうなじまですっぽりと隠している。が、横から見ればその艶めかしさは明らかだ。フリルもあり、生地面積は広く作られているはずだが、彼女の胸があまりにも豊かだからか――それでも、辛うじて見えないよう調節されているあたり、己のメイド装束に対するこだわりが感じられる。

「そう……それで、いまはどちらに?」

 その表情から察するに、あまり良い報せではないのだろう。当然だ。この店でトップを走っていたメイドリーダーのシレーは――

 

 裸エプロンメイド喫茶と通信をつなぐのは同じコロニーの敷地内ではない。超高層ビルが整然と立ち並ぶ惑星・ミューズ――とあるオフィスのエントランスで携帯端末に向けて必死に報告しているのは、おつきのメイドふたり組のうちの――メイド長からはケミーと呼ばれていた――何度か名前が出ていたルナ、()()()()()

「はい、それで、さらわれたシレーさんを探すために犯人が現れそうな場所として、ミューズにいるのー。それで、えーと、ルナさん」

 とルナに問いかけると。

「えーと、どうなってるんでしたっけ、ヒューイさん」

 ルナは傍に立つヒューイ――ミトフルの事務所のズーミア教徒に丸投げしてしまった。なお、その隣にはメガネのハナさんも同伴しているし、周囲にはビジネスフォーマルなヒューマンタイプが絶えず行き交っている。どうやらいまは業務時間帯らしい。そんな中で、ふりふりのフリルをまとっていては、否応なしに目立ってしまう。ヒューイたちからすれば、一度は自社のアイドルと同じ舞台に上がった同業者であるため無為にはできない。が、こうも周囲からチラ見されては、社員としても居心地が悪いようだ。

「それが、ミズリーさんと一緒に非公式な外回り、と聞いていたのですけど……」

 スケジュールとしては、そのように登録されているのだろう。だが、その内情を部外者にもらすわけにはいかない――もしくは、本当にそうとしか知らされていないのか。ハナさんは不思議そうに首を傾げている。

「とっくにミズリーそんから連絡さ来とる頃なんだけんども……あん人が連絡つかんことなんて(はず)めてだべ」

 ミズリーにとって、宇宙一のアイドルは夢だった。が、その夢は――

 

 一方、いまだ夢を追い続ける者もいる。トーン……トーン……と軽やかな跳躍。クルクルと高速旋回しながらも、着地の足元がブレることはない。それでも、本人は納得できないようだ。

「うーん、最近脱いでも調子上がらないみたいなのよねー」

 言いながら、オツヒノは傍に脱ぎ落としていたハーフパンツに手を伸ばす。中にショーツも脱いだ形で残っているので、そのまま足を通そうとしているようだ。が、ふたりのパートナーはそれを許さない。

「そんなことないよー良かったよー」

 と、キーボード担当だった黒髪の女のコが上半身にまとわりつけば、ギター担当だった三つ編みのコは下半身に食らいつく。

「オツヒノちゃんもあたしたちとお揃いでいこー」

「ぎゃー!? 変なとこ指入れんな!」

 下半裸の女のコたちがくんずほぐれつ――だが、少し離れて見てみると、そこはレッスンルームのようではあったが――照明やカメラを構えたスタッフたちによってじっくり取り囲まれている。規模は小さいながらも、ミトフルの出ていたライブの舞台裏のような雰囲気だ。

 大変な騒動はあったものの、彼女たちはAV女優である。半袖のトップスは着ているものの、下は半裸――そんな女子がもつれながら押し倒されたのだから――

「はいカットー」

 ドテンと三人が絡み合うように倒れたところでカメラが止められる。が、監督の表情は穏やかなので、これで、脚本通りなのだろう。

 なので、これはあくまで本人たちによる悪ふざけか。

「こっから先は別撮りでしょーよ」

 三つ編みの頭がグイグイと足蹴にされている。痛そうな素振りはないので、足の裏で押されている、という方が適切か。

 そのような扱いを受けながらも心配そうに声をかける。

「オツヒノちゃん、やっぱりいまはさっきみたいな感じ?」

 どうやら、聖痕を失ったことをスランプのように捉えているようだ。それは、オツヒノ本人も。

「ぬぅ……私が本気を出せば、あの三倍は高く飛べたはずなのに……」

 誰もがお尻の聖痕のことを話題に挙げない。最初から見えていなかったのか、気づいていなかったのか――一時期の絶好調を懐かしんでいるようだ。

 それでも、先程のジャンプは大したものである。それは、キーボードのコも認めるところ。

「そもそも、実演サンプルもあのくらいだったし、むしろちょうどいいんじゃない?」

 だが、本人には認められないようだ。

「ダメ、やっぱ納得できない! 監督、もう一度――」

「お、オツヒノちゃん! もうここだけ七回目……!」

「スタッフさんたちにも次の予定があるんだから……!」

 オツヒノは勢いよく立ち上がるが、すぐさま仲間ふたりが下から飛びかかって止めた。しかし、止め方はやはりその流儀に基づく。

「ぎ、ぎゃあああ!? だから、変なことすんなっての!」

 撮影時と同じ流れではあるものの、カメラが回ってないからかオツヒノのリアクションはやや()()()だ。それでも結局ドスンと倒されて――スタッフたちもほっとしているので、結局先程のカットが採用されそうだ。

 そこに入室してきたのは、責任者の男――テカテカした革のジャケットは、このような小綺麗な場でも変わらない。おそらく、別室で裏方仕事などをしていたのだろう。その表情から察するに、そこでどうやら良くないことが起きたようだ。

 とはいえ、それは女優たちに対してではなく。

「監督さんたち、このままエドーキョーへ飛ぶって言ってませんでした?」

 顔を見合わせながら不思議そうに頷きあうスタッフたち。行き先は正しいが、その表情からどのような反応を見せればいいのか戸惑っているようだ。が、それを見て、レザーの男は目元を緩める。

「そりゃー悪運が強い。いま、あっちの 惑星(ほし)にツネークスが現れたってニュースが」

 その報に、誰もがぞっとして顔色を青くする。特に、目の当たりにした女優たちにとっては名前だけでもトラウマモノだ。その暴力性は、もはや自然災害にも近しいのだろう。だとすれば、宇宙船のダイヤも乱れるに違いない。

 もし、オツヒノがリテイクを繰り返していなければ、その騒動に巻き込まれていたことだろう。そう思えばスタッフたちも苦労が報われて穏やかなため息もこぼれる。

 が、空気を読まない一言によって、温かな雰囲気は一気に凍りついた。

「それなら、もう一回撮れません!?」

 人の不幸に漬け込む笑顔だが――さすがにこのオツヒノを放っておくことはできない。

「だからって、これ以上付き合わせたら悪いでしょ!」

「もー、()()()のシーンは撮ったじゃない❤」

「とっ、とっ、撮ったって……だから……ぎにゃーーーーー!?」

 今度は足蹴にされても力強く、ふたりはオツヒノに立ち向かっていく。これには、お仕置き的な意味も含まれているのだろう。

「やめ、やっ、あふぅ❤」

 気の抜けたオツヒノの吐息が上がる。さすがに、もう立ち上がってくることはなさそうだ。監督たちに向けて深々と頭を下げているレザーの男――それに対して怒っている様子はない。どうやらこの撮影は丸く収まってくれたようだ。

 

 一方、その頃――

 そこに、輝きも華やかさも何もない。

 ただ、静かにスタンドライトだけが小さな卓上だけを照らしている。

「えーとね、外を出歩くときは服を着るか、毛を生やすかしてくれないと」

 そう咎めるのは――犬人か。全身に蒼銀の立派な毛を蓄え、その上で日本警察のようなジャケットを着込んでいるのだから重装備である。

 その対面に座るのは、つるっとした見慣れた地肌。

「いえ、その、あたし、毛を生やすとか無理なんで」

 頭の赤髪は顔の左側でひとまとめにされているが、そこ意外に目立った発毛は見られない。それで、犬人も何となく察したのだろう。

「じゃあ、何でそんなカッコでウロウロしてたの。あ、カツ丼食べる?」

 フランクな雰囲気で蓋付きの丼をスススと全裸女子の方に寄せる犬人。種族が違うこともあり、女子の装いは気にしていないようだ。それも、本人が恥部を丸出しにしていても動じることのない理由かもしれない。

「いえ、あたし、カロリー制限あるんで、そういう重い食事はちょっと……」

 一糸まとわず食べ物のことを気にしていられるのだから意外と余裕がある。これに対して、犬人としては何か会話の糸口がほしいようだ。

「カロリー制限って減量? 何かスポーツやってるの?」

「アイドルですーっ! って調書にもさっき書いた!」

 ばん! と机の端に寄せられていた書類を叩く。このような時代でも紙の文化は残っているらしい。

 犬人はチラリとその調書に横目を落とし、改めて容疑者の顔を凝視する。

「アイドル?」

「アイドル! マコット・アマギ! 色んなショーとか出てるっての!」

「いや、あんま見ない顔だなーと思って」

 アイドルに対してあまりに失礼な発言だが――おそらく、()()アイドルではないかと疑っているのだろう。そして、マコットの方にも疑われる自覚はあった。

「それは、うー……着ぐるみの仕事とか多いから……今日もヒーローショーで……ってそれも説明したじゃん!」

 ばんばん! と再び調書を叩くミコット。どうやら、あまり真面目に話を聞いてもらえていなかったらしい。

「スーツアクター?」

「アーイードールぅー!」

 犬人に核心を突かれても、マコットの意志は揺らがない。これには、犬の警察官も負けを認めたらしい。

「わかったわかった。じゃあ、アイドルのミコット・アマギさん、会場で何があって、それで、どうして駅前を全裸でうろついてたのか、もう一度説明してくれる?」

 調書を再確認するのかと思えば胸元のポケットから携帯端末を取り出した。紙の方はあくまで参考資料程度のものだったらしい。

「だから、駅前に出たのは服を買うためであって……」

 と少しモジモジしたところで。

「それよりね! あたしのステージにミトフルちゃんが来てくれてたのよ! けど、ツネークスも来てたから会場騒然! 一時はどうなるかと思ったけど……」

 マコットは嬉々として己の武勇伝を語るが、犬人の反応は極めて薄い。おそらく、マコットが盛っている部分を適宜間引きながら聞いているのだろう。

「うんうんそうだね。エドーキョー・ウチークビランドにツネークスが現れたって、署でも大騒ぎになってるよ」

 どうやら、あの遊園地はそんな物騒な名前らしい。たが、それならM・2たちが普通に飛び回っていたのも頷ける。

 

 だが――

 

 いま、この敷地内で起きているのは演出としての打首ではなく、本当に死者が発生する騒ぎだ。ツネークスの出現――あの戦闘力を考えれば、この厳戒態勢も当然か。それはまるで合戦――城攻め――赤茶けた甲冑をまとうのはヒューマンタイプだけでなく二足歩行の肉食獣たち。その中でひとりだけ奉行のような陣笠をかぶっているのは、おそらく司令官に相当する役職なのだろう。それでも、他の警官たちと同じような甲冑を着ているので、先陣を切ることもできそうだ。

 だからこそ、ライオン奉行は、携帯端末に向けて苛つきを顕にしている。

「待機!? 何故!? もう包囲網は完成しているのですよ!?」

 これに対して、通話先の方も苛ついている。

『未だ要求がないのだ! 下手に動いて死人を出したいか!?』

 上司としては、部下の安全が第一なのだろう。しかし、現場としては犯罪者を捕らえたいようだ。

「ならば、園内まで包囲を狭めて――」

 ライオン奉行は本部との交渉を続けている。一体、中で何が起きているのか――それを知る者は、そこに立つ者たちだけか。

 

 青かった空はいつの間にか暗く重い曇に覆われている。あたりに漂っていた笑い声も消え去り、そのステージはまさに戦場の様相だ。

 そんな中でも、彼女たちは光り輝く。

「~~~~♪」

 その歌声を聴く者は客席にない。彼女たちは人々のための 偶像(アイドル)だというのに。それでも、彼女たちは唄い続けた。偶像が、偶像であるがためゆえに。

「~~~~♪」

 伴奏もなく、そのステップだけがパーカッションを刻む。だが、それで充分だった。神が彩るアイドルたちに舞台演出は必要ない。そこに、 偶像(アイドル)さえいればいいのだ。

 と、いうことで。

「ほんじゃ、うちのスタッフは総員撤収したし……ツネークスが来たんじゃ、あたしたちの所為じゃないよねぇ、うん」

「だよねー、うん、わかるわかるー」

 その舞台裏――生首ロボたちはこの事態に対して勝手に自己解決して納得したようだ。そして。

「んじゃ、お疲れー。シキ、またねー」

 どうやら、イベント関係者として入場した設定は最後まで残っていたらしい。M・2は退勤するような気軽さで、通用口へと逃げていった。

 それを視界の隅に入れていたユウの目つきが鋭く変わる。ここからが本題だと言いたげに。

「ここはミトフルにノるわよ。異論はないわね」

「ノるって……」

 異論こそないものの、ヤシロにはその表現にやや異論を含むようだ。が、ユウはそれを意に介さない。

「私たちの目的を忘れないで。ミトフルの方がまだ言葉が通じる。そうでしょう?」

 ユウの瞳は仲間に協力を仰ぐというより説教か。

「それとも、貴女があの黒キツネを説得する?」

 その舞いは――舞いというより組み手に近い。打ち出されるのは手刀。身を翻せば背中から踵が飛んでくる。その長い髪さえも、光を削り取るノコギリのようだ。

 それでも、ミトフルは逃げない。無様にしゃがみ込むこともない。すべては振り付け――予定調和の殺陣のように、上半身を反らし、下半身を滑らせ、黒い圧力との接触を紙一重のところで避けている。

 そのうえで、この歌唱力だ。

「~~~~♪」

 マイクは持っていない。用いる必要もない。女神の加護を受けた肉声をもってすれば、手荷物などは邪魔なだけ。両手――両足――ストンストンと後方回転を繰り返すミトフルに、黒い竜巻が襲いかかる。黒い髪――白い足――獲物を逃さず追い詰めていくが――これ以上舞台端に追いやられてはアイドルとは呼べない。ならば――上か。鋭く跳躍すると、間一髪のところで破壊衝動から抜け出した。見上げるツネークス頭領の瞳は――狂気の笑みに満ちている。

 それは、女神の力か――それとも、ツネークスとしての身体能力か。弾丸のように打ち出された黒い彗星を、ミトフルは速度を落とすことなく――まるで舞台を彩る妖精のように。赤と黒の光の帯がステージ中を輝かせ――そして、ふたりは降り立った。

「~~~~♪」

「~~~~♪」

 ふたりの歌声はハーモニーを奏でている。だが、決して互いを認め合うことはない。どちらかが退くまで――自らが舞台中央で勝ち名乗りを上げるまで、この頂上決戦は続くのだろう。

 それは、殺伐としながらも、観る者を魅了するものだった。が、自分の歌唱力に絶対の自信を瞳に秘めたミトフルに対して、クリスの孕む絶対的自信は――殺意。歌でねじ伏せるつもりはない。殺してしまえば良いのだから。クリスが笑えば、ヤシロが怯む。言葉の通じる相手とは到底思えない。

「少なくとも、あたしに語り合えるようなツネークスのお友達はいないねぇ」

 ゆえに、自分もミトフルを支持する――ごく自然な、当然の結論に至った。

 が、しかし。

「でも、()()()()()()()()()()ならいるのよね?」

 ターミナルの前にてかけられた嫌疑――それをここで、ユウは蒸し返す。だが、責めるものではない。

「何か示しなさい。あのツネークスを精神的に揺さぶる方法を」

 ツネークスについて知っていることがあるのなら、その情報をミトフルのために使えとユウは言う。だが、それはヤシロにとて簡単なことではない。

「無茶だって。相手はあのクリスだよ?」

「そう、やっぱり」

 ユウは残念そうに床に目を伏せる。だが、ヤシロは落胆していない。

「けど……あたしたちは、ミトフルの()()を見誤ってたんじゃないかな」

 視線を誘導するように、ヤシロはステージの上のふたりを見やる。

「あれだけの実力を持ちながら誰にも認められず……それでも唄い続けたその強い想い――」

 ミトフルはいまもステージで唄い続けている。目の前で宇宙の壊し屋と呼ばれるツネークスの殺気に晒されながら。しかも、その楽曲は――ミーシャが舞台で披露していたもの。つまり、ここでもミトフルは相手の土俵に合わせており、まだまだ余力を残している。

 ゆえに――有効な打開策はない。が、まだ慌てる時間でもない。ヤシロはそう言っている。しかし、ユウが失望している原因はそこではない。

「貴女、知っていたのね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を」

 それは、ヤシロが自ら口にしていたこと。

「いい加減答えなさい! 貴女は一体何者なの!?」

 疑惑が確定的なものとなり、ユウはヤシロの胸ぐらに掴みかかる。

「貴女は私の敵? それとも味方? いまのミトフルにはまだ余裕がある。けど、ヤツらのこと、何をしでかすか――」

 その言葉に、ヤシロは雷に打たれたように目を見開く。

「……マズイ。クリスが得意としているのは、()()()()()()()()()……!」

 ヤシロはユウの手を振り切りステージの方に向き直る。だが――嘲笑うようにクリスの口元がニヤリと歪んだ。そして――掌を天にかざすと――何かを握り潰した。それはただの振り付けのように。

 だが。

「始まる……何かが!」

「何がよ!?」

「“何か”だよ!」

 ユウに止められても、ヤシロは“何か”を直感していた。その“何か”を止めようとしたものの――

 

 ゴッ!!

 

 勇者の目の前を何かが塞ぐ。それは金属の破片のようだ。

 

 ゴッ、ゴッ、ゴゴ…ッ!!

 

「な、何!? 何なのよ!」

「ぴぃ~……上空で“何か”が爆発したみたい~」

 降り注ぐ飛来物がスタッフルームの天井をことごとく粉砕していく。

「S.K.、どうなってるの!」

「ぴぃ~助けて~!」

「と、止めなきゃ……クリスを……ッ!」

 崩れていく瓦礫の中に、ヤシロたちは埋もれていく。だが、そんな中でも――

「~~~~♪」

 相手が逃げないのであれば、自分だけ逃げるつもりはない――ミトフルは物騒な流星の中でも唄い続ける。

 

 ゴゴゴッ……ゴゴゴゴ……ッ!

 

 客席には粉塵が上がり、もはや見る影もない。それでも、彼女はそこに――ステージに立ち続けた。

 彼女の唄には覚悟がある。

 目の前でマネージャーを失い、ツネークスとはいえ人ひとり焼死するところを見せつけられてなお、ミトフルは怯まない。女神の 偶像(アイドル)であるならば、自分が被弾することはないと信じているのだろうか。そのひとつが、ステージの縁を削り取っても。その破片が飛び散り――ミトフルはくるりと回る。その振り付けに、破片の方が追いつけない。スッスと躱され、背景ボードにバチバチと当たる。

 この程度では、彼女たちの旋律を妨げることはできない。クリスもそれは承知していたのだろう。ゆえに、()()()()()()ものは、その()()()だけ。

「おっと、貴女はこっち」

 クリスが再び空に手をかざすと、近づいてきていたひとつが進路を変えた。ゆっくりと、路肩に停めるように。

 そして、もうひとつはそのまま一直線に加速度を衰えさせることなく。

 

 グチャリ。

 

 互いに向き合い、奏で合うクリスとミトフルの間に投げ入れられたのは――骨が砕け、肉が飛び散り――その返り血が頬を濡らしたとき、初めてミトフルの歌が初めて止まった。床にへばりついて見る影もないが――キツネの耳――長い髪――そして、女性にしては大きな背広――これはカスガ参謀の最期の仕事か、それとも策士が最期に憚られたか――救いの道はあったはずだ。()()()()()の飛来物のように。

 それは、先程クリスの手によって仕分けられたもの。それがゆっくりとその腕の中に下りてくる。一糸纏わず、長い髪がふわふわと漂っているが、そのお尻は見間違いようがない。それは、メイド喫茶でご主人さまたちを魅了していた――

 

 カッ――

 その光はつい先程と同じもの。ミトフルとマコットの間で交わされた手と手の中で。つまりは――

 

 その白さの中でツネークスは風を放つ。バサバサとたなびく後ろ髪の下で――左だけでなく、右のお尻にも聖痕が現れていた。加えて、左胸にも――計三つ。ここまではミトフルが有利に立ち回っていた。しかし、相手の聖痕の数が上回ったのである。

 それを証明するように。

「~~~~ッ♪」

 反撃と言わんばかりにクリスが唄い奏でるのはミトフルが音楽祭で唄ったデビュー曲。しかも、その声は本人よりもさらに通る。

「!」

 音圧が増したことを、ミトフル自身も察したのだろう。しかし、負けるつもりはなく――むしろ、好敵手と出会ったというべきか。少し気を取り直したところで――だが、クリスはその出鼻を最悪のタイミングで挫く。

「貴女は、用済み」

 抱えていた首をポキリとへし折った。もう二度と唄えないようにと。

 同じ聖痕を携えていたアイドルが目の前で呆気なく――それでも、ミトフルは――頬を伝う汗を拭うことなく――強く目を閉じ気丈に(かぶり)を振る。

「それでも、アタシは――ッ!」

 マネージャーやツネークス――何人もの死を直視してきた。それが宇宙一のアイドルを目指すための決意でもあると。

 だが。

「残念。ちょっと遅い」

 その声に目を開くが、彼女の前にキツネはいない。すでに、そのポニーテールの後ろ側へ。両肩を撫でるように――むしろ、首を掻き切るように――ッ! その爪がうなじにそっと突き立てられたとき――

 

 カッ――

 

 すべては、この瞬間のため。

 一つひとつで心を揺らがせることはできないと踏んでいたのだろう。

 天空からの飛来物も、

 幾度となく見せつけられる死も、

 聖痕の力のよる歌声も。

 ゆえに、すべて同時に。

 畳み掛けるように。

 

 その閃光が散り去ったとき――最後のアイドルバトルの幕は下りた。

「…………」

 ようやくスタッフルームの残骸から抜け出したヤシロたちは、その現実の前に言葉なく立ち尽くす。

 その戦場に、もうアイドルはない。

 あるのは――地味なフリースとジーンズを着込んだ一般人と、そして――ひとりの女神。お腹に聖痕を刻み込み、満足そうに空を見上げている。

「フフフ……これで、ついに、五つの聖痕が――」

「揃ってしまった……」

 ユウは絶望して両手を突く。

 だが、そのとき。

 

「下駄ジェットォーーーーーッ!!」

 

 その叫びとともに背景の板が勢いよく砕けた。だが、クリスとて力で勝ち取った頭領である。すぐさま反応し――棒立ちになっていた敗者の頭を掴んで容赦なく盾にする。

 だが、それに構うことなく――

「クリス・K・グッドマン、討ち取ったりゃーーーーーっ!」

 シオリンの握る神殺しの剣――その黄金の刃が、クリスとミトフル――ふたりの腹部を貫いていた。

 

       ***

 

 クリスかと思った? 残念、勇者ヤシロちゃんだよー。いやー、シオリンってばどこに行ってたかと思ったら、こんないいとこ持っていくなんて。けど……うわー、アレがこーなって、あーなったら……ちょーっとマズイんじゃない? ま、いーけど。

 次回、無気力勇者と5人のアイドル、最終回『最後の聖痕』

 やれやれ、ようやくおしまいだねー。お疲れちゃーん。

 



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最後の聖痕

 自分の胸部を刃が貫いている――その現実に最も恐怖しているのは、事情をまったく知らないミトフルだろう。しかし、同時に最も困惑していることも否めない。一滴の流血どころか――その表情は、痛みさえもまったく感じていないようだ。

 それはあまりに突然のことだったが――ヤシロたちはようやく状況を把握できたらしい。

「もしかして、シオリンが持ってるのって……」

「そう……、神だけしか斬ることのできない『神殺しの剣』……ッ!」

 ユウは勝利を確信して拳を握る。ズーミア教徒ではないシオリンは予め知っていたのか、それとも実験していたのか――ともかく、人の盾さえ躊躇せず、聖痕を五つ揃えた女神の命を一撃で捉えた。

 と、思われたが――

 クリスの口元がニヤリと歪む。見れば、ふたりからはいずれも出血がない。シオリンも自分で刺したとはいえ半信半疑だったのだろう。すぐさま柄を手放し踵を返す。

 

「下駄ジェ――ッ」

 

 明らかに、失敗した際の離脱まで最初から考えていたであろう機敏な動きだ。

 

 が、しかし。

 

 シュ――ッ

 

 それを読んでいたかのような――ヤシロの投擲。足下の瓦礫のひとつを、逃走経路を塞ぐように放り込んでいた。

「うをっとォ!?」

 予想外の障害物にシオリンは身体を捻るが、バランスを崩してあえなく転倒。ゴロゴロと派手に転がるも、そこは偽物でもツネークスか。その勢いのままにバッと素早く起き上がる。

「ナニさらすねん! 急にあんなもん――!」

 ヤシロに怒鳴り散らすシオリンだったが、凶行の現物に目をやった際に少しだけ訝しむ。

 コトコトン――

 ()()()の瓦礫が荒れ果てた客席に転がり落ちた。ひとつしか投げていないはずなのに――ふたつ。その違和感の正体に気づいたとき、シオリンの顔が青ざめた。見えないほど細く、透き通った糸――そして、刃物で斬ったかのような瓦礫の綺麗な断面――

 シオリンの抗議に耳を傾けることなく、ヤシロはゆっくりと歩みを進める。

「死にたくなければ、派手に動かないほーがいいよ」

 まっすぐクリスと向き合いながら、独り言のようなヤシロの警告。

「命拾いしたようね。感謝しなさい」

 まっすぐヤシロと向き合いながら、独り言のようなクリスの忠告。

 そんなふたりの世界に、ユウは納得したように呟いた。

「やっぱり、貴女……」

「まさか、ホンマモンの……」

 偽ツネークスさえも知らなかった事実。

 しかし、それを当の本人は一蹴する。

「やだなぁ、あたしは――」

 フッと吐息をもらしたところで――ヤシロの身体が勢いよく燃え始めた。

「な……ッ、んて、こと……ッ!?」

 勇者の敗北にユウは絶望を隠しきれない。だが――炎をまとわせながらひょいと後ろに飛び退くと、それだけであっさりと吹き消されてしまった。これに驚いているのは周囲だけ。ふたりにとってはちょっとした挨拶のようなものだったようだ。

「やっぱり、貴女には通じない」

「炎はあくまで目眩ましでしょ。本命は足下から伸びてる――」

 足下の瓦礫の隙間を通すように、黒い影が流れ込んでいた。が、ヤシロに言われてそれはスッとクリスのつま先へと引っ込んでいく。

 ふたりの攻防に誰もがついていけない。しかし――言葉にしてみれば、至極簡単なことだった。

「殺してしまえば二度と出会うことはない。それが、二度は通じない陳腐な手品だとしても」

 ヤシロの指摘に対して、クリスのニヤァと目を見開く。そこに怒りや悔しさはない。ツネークス頭領自身もそれを承知し――むしろ誇りとしているようだ。

 この反応に、ユウは最強のツネークスが最強たる所以に気づく。

「まさか貴女も、そこのポンコツ勇者と同じ――」

 それを認めたのは、ポンコツと蔑まれた勇者自身。

「そ。百の武術を極めし者ってこと。ただし、初歩だけね」

 クリスの強さの秘密は引き出しの多さにあったようだ。初見の動揺で確実に殺す――二度は通じなくとも、二度と相まみえることはない。この宇宙の、ありとあらゆる流派を網羅している者などいなかった。いま対面している、勇者以外に。

 それを知り、シオリンも苦々しく笑みを浮かべる。

「加えて、殺気に対する過敏なまでの反応……なるほどなぁ、クリスの名を聞いても驚かんかった理由がわかったで」

 クリスにヤシロは殺せない。殺意を放てば勘付かれ、すべての仕掛けは見破られてしまう。だからこそ、自分にしか止められない、とヤシロは決意を固めていたようだ。

「ま、実際何度か狙われてるってのもあるけど」

「そう。私が狙って殺せなかったのは貴女だけ」

 クリスの指先が動けばヤシロは巧みに立ち位置を変える。どうやら抜き差しならない攻防が行われているらしい。だがヤシロは、身を守ることはできても敵を討つことはできない。

「だからさー、ここはひとつ穏便にお引取り願えないかなぁ。クリスだって、あんま手口を()()()()()()()()()()でしょ?」

 ここは人が多い。下手に動けば死者が出る状況ではヤシロもやりづらいのだろう。だが、ユウは目的のために犠牲を厭わない。

「ナニを悠長な! このままじゃ、宇宙が終わる……ッ!」

「ちょい待ち」

 焦るズーミア司祭を窘めたのは、意外なことにシオリンだった。

「神殺しの剣で貫いたんに殺せとらんねん。っちゅーことは……」

「剣がインチキって言いたいの?」

「もしくは、神様の方がインチキかもな」

 神殺しの剣で殺せない神――剣が正しいのであれば、クリスの方が神ではないことを意味する。ツネークスの首領が神に――それだけを恐れていたシオリンにとって、これはある意味僥倖だ。しかし。

「何を……言っているの?」

 状況を理解できていないミトフルは少し唖然としている。

「あぁ、驚かせてすまんかったな。こいつは神殺しの剣っつーて――」

「神様しか斬れないんでしょ、それは何となくわかる」

 ミトフルはクリスを見る。ただ、そこに特別な情はない。

「それで、そのツネークスが斬れなかったって言われても……だって、まだ()()()()()()()()()のに」

「「「!?」」」

 シオリンもユウも、もちろんヤシロもこれには驚きを隠せない。だが、もうひとりそれを認知している者がいた。

「その通り……」

 クリスは蛇のような瞳でヤシロをまっすぐに見つめている。

「だから……ここでこのまま逃がすことはできない」

「いや、あたしアイドルでも聖痕持ちでもないんだけど」

 ヤシロは即座に否定するが、それをクリスは認めない。

「いえ、貴女はアイドル……私にはわかる……」

 クリスが手をかざしたのは、ヤシロに訴えかけるためではない。すぐさま勇者が一歩前に出ると、その背中で空気が爆ぜた。また何かの暗殺を仕掛けていたらしい。

 話の腰を折られながらも、ミトフルはヤシロへの説得を続ける。

「アタシにもわかる。アナタにもわかるのでしょう? だって、聖痕持ちは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから……!」

「えっ!?」

 と真っ先に驚いたのはユウ。その言葉が真実であるならば、顔見せ――むしろ、尻見せというべきか。シレーに扮したヤシロに対して、偽聖痕を見破っていた上でマネージャーを欺いていたことになる。

 もしくは――

「ヤシロ貴女……ずっと黙ってたの……ッ!?」

「いや~、やっぱ聖痕持ちはオーラが違うなー、とか思ってたけど」

「そうではなく!」

 ここで問題なのは、ヤシロが聖痕の気配を感じ取っていたことではない。

「貴女、本当は――」

「なわけないじゃん」

 とヤシロは疑惑を一蹴する。

「身体検査ならライブハウスでしてもらったでしょ。あたしに聖痕はなかったって」

「クジャからも、そう報告を受けている。けど……」

 それはクリスも認めた上で。

「何なら、もっかいここで脱ごーか?」

 言いながらジャージのファスナーを下げ始めるヤシロ。だが、クリスがそれを止める。

「その必要はない。私は貴女から聖痕を感じている。それで充分。聖痕を晒して力を発現させたりはしない」

「あ、バレた? けど、それが唯一の勝機かなーって」

 ヤシロは聖痕を意識したことはない。それによって、どんな力が引き出されるかも。だが、もし、万が一、自分に何か力が眠っているのなら――

 トントントンとステップを踏み始めるヤシロ。カッとクリスが睨むのに合わせてサッと横へスライドする。くるりくるりと回りながら、改めてファスナーを下げきった。そのまま流れるように腕を抜き、上着をマントのようになびかせる。

 その軽快な所作に、見ているシオリンは不思議そうだ。

「何や、けったいな動きしよったからに」

 最初はシオリンと同じ顔をしていたユウだが、ふいに何かを思い出す。

「これは……オツヒノとのダンスバトルのための――!」

 早々に本気になった対戦相手によって段取りを変えられてしまったが、本来はこのように踊りながら徐々に脱いでいく予定だったのだろう。ジャージを脱いでシャツになると、下から乳首が浮いている。それを頭から抜くため一瞬視界が遮られたが、それでも殺気は見えているらしい。豪快に前屈をキメると裸の上半身が顕になった。

 クリスが指をパチンと指を鳴らす。それに合わせてヤシロはズボンの腰に両手の指を入れ、膝を抱えるようピョンと飛んだ。すると、中身の抜けたジャージの足がズタズタに切り裂かれていく。体勢を崩すことなく着地してお尻をひょいと突き出せば、残されていたショーツがパツンと飛んだ。見えない刃に生地を掠め、最後の一枚を切り千切ったらしい。

 ストリップとしては最後の一枚だが、ここでは少々事情が異なる。ヤシロらしからぬ二段回し蹴り――飛びかかるスニーカー――それはクリスに届く前に灰となった。

 そして、ヤシロは仲間たちに問う。

「見えた? 足の裏」

 ほんの一瞬に対して無茶なことを言うが、ここにいる者たちは命がけだ。ヤシロの一挙一動に誰もが注目している。中でも、最も納得できていないユウがまっさきに答えた。

「……なかったわ。そこが本命だと思ってたのに」

 自分が見落としたのであれば、自分の目で確認したかったのだろう。だがやはり、ヤシロの身体に聖痕は見られない。それでもミトフルは確かに感じていたし、クリスはいまも感じているはずだ。

「聖痕持ちが死んだ場合、他の適合者に聖痕は移る。本来、探し直しなんて面倒くさいことはしない」

 だから、クリスはシレーから聖痕を奪ってから殺したようだ。

「けど」

 クリスの笑みの意味を、この場にいる誰もが理解する。

「私にとって、貴女以外であれば聖痕を奪うことは造作もない。そう、貴女以外であれば、全宇宙を敵に回しても……!」

 空が、空気が、さらに暗く重くなったように見える。その正体は、おそらく殺気――圧倒的な恐怖に耐えかねて、ミトフルは震えながら尻餅を搗く。それでも、ヤシロは一歩も退かない。それは、自分にクリスの暗殺術は通じないという自信からか。

「つまり、あたしだけは()()()()()()()ってことだね」

 結局のところ、アイドルバトルは気持ちの勝負なのである。

「いま触れ合ったら、聖痕はどっちに移るかな?」

 全宇宙で唯一殺しの通じない相手が、殺し屋に向けて一歩進む。だが、殺し屋もまた怯まない。

「さぁ? その前に殺してしまえば関係ない」

 それは、クリスにとっての誇りなのだろう。

「あたしを殺せるかな?」

「私に触れる?」

 裸の胸を突き合わせ、お互い手の届くところまで近づいたところで――ドンドンドン、と立て続けに三発。クリスの足下が炸裂するが、ヤシロは少し後ろに――けれど、下がり続けるわけにはいかない。

 武術の基礎は身のこなしにある。肩を揺らし――素早くクリスの横へと回り込む。それを迎え受けるようにツネークスは掌を突き出すが、ヤシロはそれを無視。構わずクリスに向けて踏み込んだ。

 パツン、パツンと床を砕きながら距離を取ろうとするクリス。その行く手を遮るようにギラリと足下から無数の剣山が飛び出してきた――が、ヤシロはそれを恐れない。裸足で刃を蹴り飛ばすと――それは見た目ほど鋭くもなく、硬度もなかったようだ。裏庭の雑草のようにぐにゃりと曲がってしまう。

 もはやクリスは目と鼻の先――だがここで、ヤシロは少し屈んで足元の石を掴んだ。そして、少し横の足元に目を落とす。そこにタールのような水溜りができており――その黒さに向けて一投――!

 

 ボゴンッ!

「かはぁッ!?」

 

 立っていたクリスの身体は地面に溶け、代わりに墨のような噴水が上がる。中からクリスの身体が弾き出され、ここぞとばかりにヤシロは飛びかかるが――伸ばした指先に手応えはなく、すぐさま背後に向けて構え直した。その先の空間にモジャモジャとした黒い毛玉が浮かんでいる。そこからキツネの耳がひょっこり飛び出し、白い手足も生えてきた。そして、瓦礫の砕けた地面に降り立つ。

 虚実交えた攻防であったが、そのすべてをヤシロは見切っているようだ。ツネークスの頭領に対してここまで戦えるとは、シオリンは予想だにしていなかったらしい。

「もしかしてこれ……イケるんとちゃう……?」

「触れれば……指一本でも触れさえすればいいのよ!」

 ユウもズーミアの勇者に希望を乗せる。だが、そのとき。

「なるほど……ふふふ……わかった……。どうして、こんな簡単なこと……」

 クリスはこれまでにないほど優しく微笑む。だからこそ、恐ろしい。これにはヤシロも警戒を強くする。それでもクリスはそのままで。みぞおちの前で両手を組み――ゆっくりと呼吸を整えている。

「ふふふ……ふふふ……」

 気味は悪いが、ヤシロとしては何としてもクリスに触れなくてはならない。すり足で少しずつ、クリスとの間合いを詰めていく。

 だが、そのとき。

「ッ!」

 ヤシロの膝がガクンと落ち、身体ごとゴロンとひっくり返されてしまった。そして、膝を掴まれたような形で宙吊りにされている。

「どうして……ッ!?」

 ヤシロにも何が起きたのか理解できない。だが、シオリンには心当たりがあった。

「もしかして……もっすごい殺気に当てられすぎて感覚がバカになっとったんじゃ……」

「半分正解」

 先程の慈愛が嘘のように、陰惨な笑みを浮かべてクリスは答える。

「我々の仕事は殺しや盗みだけじゃない。ときには、懐柔も行う」

「懐柔!? これが_?!」

 ユウは納得できないようだが、クリスにとっては日常茶飯事なのだろう。

「ふふふ……言葉で話し合うつもりはない。ただ、性的な快楽に陥れるだけ」

「!」

 それはある意味、殺気とは真逆の行為。あまりに強い殺気に当てられ、殺気のみに警戒していた――()()()()()()()ヤシロは、その羞恥プレイ――エロストラップに気づけなかったのだ。

 バッ、とクリスが両腕を開くと、ヤシロの両膝もガバっと開かれる。女性の恥部を――これからその秘するところをこれでもかというほど辱められるであろう。

 本来であれば。

「やー……死ぬね、こりゃ」

 クリスの背後に黒いオーラが立ち込める。今度こそ紛れもない殺気――性的なお遊びはここまで。これから奪われるのは理性ではなく――命そのもの――

 

 ――――。

 

 次の瞬間、視界のすべては真っ白になっていた。

 そこに立つのは捕らえられていたはずのヤシロと、トドメを刺さんとしていたクリス。ふたりとも何が起きたかわからず呆然としている。

 ぼんやりしたふたりを景気付けるように、どこからともなく声がかかる。

「あーっ、やっと気づいてくれたー?」

 それは上からだったらしい。ヤシロたちが顔を上げると、その先から裸の女性が舞い降りてくる。ふわりふわりと、ライトブラウンの長い後ろ髪を羽根のようになびかせて。

 それは、初めて見る人物のはずだ。なのに、初めて見る気がしない。何故ならば――ヤシロたちと同じ高さに降り立ち、自己紹介を始めたことで明らかとなる。

「はじめましてー、って言うべきかな。私、ズーミア。わけあって神様やってましてー」

 たしかに、これまで何とか見かけた女神像にそっくりである。とはいえ、あまりの軽さにヤシロは首を傾げざるを得ない。これに対してクリスは――

「貴方が……貴方の所為で……ッ!」

 勢いのままに食ってかかろうとするが――そこは神ゆえに。

「きゃっ」

 見えない壁のようなものに弾かれて、クリスは可愛らしい悲鳴を上げる。それで、ヤシロも彼女を神と認めたようだ。それでも、極めてぞんざいに。

「えーと……それで、神様が何の用?」

 この謎の状況を前に進めたがるヤシロだが、熱り立ったクリスは止まらない。

「貴様の所為で王子様がッ! 許さないッ! 殺してやるッ! 絶対に……ッ!」

 掻き毟るようにもがいて大騒ぎしているため、ヤシロとしても放っておきづらいようだ。

「えーと……何があったの」

「んー……三百年くらい前かな。クリスちゃんも私たちと同じ神だったんだけど」

 ズーミア神はさらっととんでもないことを口にする。

「私はッ! 王子様と結ばれるためッ! 天界を捨てッ! 現し世人に……ッ!」

 その結果がツネークスらしい。

「えーと、その王子様、というのは……」

 話の流れから察するに、神ではなく現し世人――つまり、どこかの宇宙人の類なのだろう。そして、その予想は正しかった。それも、実に世俗的な。

「うん、当時大人気だったメンズアイドルでねー。すっごくカッコ良かったんだよー」

 ズーミア神の言葉はどこまでも軽い。一方で、クリスの言葉はどこまでも重い。

「貴様らは私が王子様と結ばれそうになったのに嫉妬して、争い、その戦いに巻き込まれた王子様は……ッ!」

「というか、神同士だけで話し合ってれば良かったのに。実際、レノヤちゃんとはそうしてたし。なのにクリスちゃんが独断で堕天したもんだから、現し世巻き込んじゃったんでしょ」

 ふたりの見解は平行線のようだが、ともかく話の概要はわかった。女神たちによる三角関係――アイドル本人も含めれば四角関係か。その結果、その男は命を落とすことになったのだろう。

 ゆえに、クリスが聖痕を求めた理由は、宇宙を手にするためではない。

「王子様亡きこの世界……せめて貴様を地獄に落とすッ! そのため、我が身に貴様を限界させて……ッ!」

「それで、自殺でもするつもりだったの? うわー、宇宙壊す気?」

 ヤシロは、神は死んだと聞かされていたが、神はこうして生きている。もし本当に死んでいたら、この宇宙は存在していなかったようだ。

 クリスは元神である。ズーミア神を殺せばどうなるかわかっていたはずだ。それでなお殺そうとするのだから、よほどの想いだったのだろう。そして、それは当然クリスと争ったという女神としても。

「まったくー、私だって現し世に死者が出る争いは不本意なんだよー。けど、そのまま復活させても似たような争いが起きそうだし」

 女神ともなると死者を甦らせることさえ造作もないようだ。かといって、安易に同じことを繰り返すつもりはないらしい。

「でね、行き着いた結論としては……彼のことは男のコとしてではなく、自分の息子として愛を注ごう、ってことで!」

「「!?」」

 これにはヤシロだけでなく、クリスも驚き絶句する。その反応を見て、ズーミア神は何故か誇らしげだ。

「ま、私くらいになれば新たに産み直すくらいできるんだけどね。なんたって神だから。けど、そのために限界しちゃったら、また現し世を混乱させそうだし。クリスちゃんみたくー」

「あー……」

 ヤシロは納得して大きく首肯する。堕天した元神が殺し屋集団の首領というのもむしろできすぎか。

 かつての恋敵からの提案とはいえ、クリスもこれには前のめりになる。

「それで、王子様をどうやって転生させる気……?」

 神本人を限界させず、神の力だけを人々に与えるため――それを巡って、アイドルたちは戦ってきたのだが。

「うん。必要なのは生殖能力だけだからね。そのために私を丸ごと下ろすわけにもいかないし……それで、私の力を()()に分けたんだよ。その、生殖能力を含めてね」

「六つ!?」

「生殖能力!?」

「ちょっと! いますぐそこ座って股開きなさい!」

「わかってるー。わかってるってばー」

「で、指で開いて」

「ったくー、こんなとこ自分じゃ見れないじゃんー」

「あー……貴女、何てとこに聖痕限界させてんの……」

「仕方ないでしょ。生殖能力っていえばそこなんだから」

 色々とワチャワチャしていたが――ともかく、聖痕は最初から全部で六つあり、最後の聖痕もついに発見されたようだ。

「その聖痕が発動したらここに呼んで、役割を説明しようと思ってたんだけど……」

 ズーミアはガクリと肩を落とす。

「何でその前に、クリスちゃんが他の全部揃えちゃってるの」

「発現させてほしかったら、もっとわかりやすいところに出しなさい」

「しょーがないじゃん! 生殖能力なんだから!」

 クリスの言うことはもっともだが、神としても致し方ないところはあったようだ。

「ということで、聖痕はひとりに集めないでほしいな。私が現界しちゃうから」

「だったら何で集めさせるような経典残しちゃったの」

 ヤシロからの指摘に、ズーミアはぷいと視線をそらす。

「あれ、私が書いたんじゃない……。信者の人たちが勝手に書いただけで」

 神とはいえ、人の世はままならないらしい。

「まー、集まっちゃったものは仕方ないからまた散り散りにさせちゃうけどいーよね」

「構わない。貴女には二度と会いたくないし」

「つれないなぁ。私はクリスちゃんのこと大好きなのに」

 クリスの方はただの憎まれ口のようには見えないが、ズーミア神の方はやっぱり軽い。

「じゃあ、もっかい分散しとくね。ただ、聖痕をあげた人は半神として現し世人やめてもらわないといけないんだけど……そこは許してほしいな。色々便利な能力もオマケしとくし」

 サラっととんでもないことをズーミア神は人類に押し付ける。しかし、そこでヤシロはひとつの可能性に気づいたようだ。

「人をやめるってゆーけどさ、もし、死んじゃった人を半神にしたらどうなるの?」

「ん~……そーだねー……その場合は――」

 

       ***

 

 裸エプロンメイド喫茶『Cheese O'clock』――そこでは、今夜も艶めかしいメイドライブが行われている。そのステージに立つのは――

「~~~~♪」

 首を折られて絶命させられたはずのシレーがそこにいた。右のお尻にはかつての聖痕を携えて。どうやら、人間ではなく半神として新たな生を与えたようだ。しかし、シレーも、シレーを応援する人々も、変わったことに気づいていないらしい。

「シレーちゃーん!」

「シレーちゃーん!」

 ご主人さまたちからの歓声の中に黄色い声援も混じっている。

「シレーさん、さすがなのー!」

「シレーさん、素敵ですー!」

 誰よりもメイドリーダーの無事を願い、捜索していたふたりである。スポットライトを浴びて輝くシレーに夢中になって仕事のことも忘れているようだ。

 それでも――そんな店内を眺めながら、メイド長は嬉しそうに眺めている。事あるごとに挫折していた弱気なシレーの陰はもはやない。彼女の成長を願って旅に出した――そんな側面もあったのだろう。多分。

 

       ***

 

 万の人々を収容する大舞台――そのステージにミトフルは立っている。だが、彼女ひとりではない。その隣に並び立つのは――

「アタシは夢だったんじゃないんですか? ミズリーさん」

 赤いポニーテールに対抗するように、金髪を左右のツインテールに。揃いの衣装を着て、ミズリーマネージャーが立っていた。ミトフルのお腹に聖痕はない。代わりに、それはミズリーに移っている。つまり、もうマネージャーではないということだ。

「前言撤回。あの大怪我の後、異様に身体の調子が良くて……身体年齢が二〇も若返っちゃったわ!」

 自分が一旦死んでいたことは記憶にないらしい。当然といえば当然だが。そして、元はミトフルのものだった聖痕をミズリーに移すことで、半神として蘇らせたのだろう。ここまで急激に若さを取り戻している時点で、もはや人間業ではないのだが。

 これにミトフルは驚くやら呆れるやら、複雑そうな表情を浮かべている。

「元々何歳だったんですか……」

「ミズリー、十七歳でーすっ!」

 そんなキャピキャピした宣言に、会場の一角がざわめく。そして、スタッフルームでも。

「おおお……ッ、ミズリーそんの名台詞を再び聞くことができようとは……ッ!」

 モニタを見つめるハナさんの瞳もまた、二〇歳くらい若返っているように見える。

「私としては、聖痕にお使えできて幸せです」

 本当に、ヒューイとってはその持ち主は誰でもいいようだ。

 芸能界はアイドルひとりで成り立つものではない。様々な関係者たちの思惑が複雑に絡みあってできている。それを彼女は誰よりも知っていた。

「デビューしたばかりの小娘に教えてあげる。芸歴二〇年の重みってやつを」

 十七歳を宣言した直後にこれはないが、ミトフルにとっては良い挑戦状になったようだ。

「アタシだって負けませんよ。聖痕なんてなくったって、宇宙一のアイドルにアタシはなる!」

 

       ***

 

 白い壁の細い廊下――ここはどこかのイベントホールか。その扉のひとつから、オツヒノが出てきた。グレーのパーカーにデニムのショートパンツ――日常的な装いだが、胸には金のトロフィーを大事そうに抱えている。どうやら、何かのコンクールで優秀な成績を収めたようだ。

 誇らしげに廊下を闊歩するオツヒノ。だが、何かに気づくとギクリと表情を固くして――回れ右。すると、顕になった背面は――パーカーはともかく、ショートパンツのお尻の部分はさらに短く――というより、谷間だけ残して切り取られたTバック――左の聖痕を顕にしていては、どこにいても注目の的になってしまう。

「オツヒノちゃーん、最優秀賞おめでとー」

「今日のダンスもキレッキレだったねー」

 駆け寄ってきたのはいつものふたり――つまり、ダンス仲間ではなく、もうひとつの仕事の方だ。

「よっ、ヨユーよ、ヨユー!」

 見つかったことで開き直ったのか、オツヒノは元気を取り戻す。だが、すぐに再び。

「それじゃー、今度はいつものステージに立っちゃう?」

 と三つ編みのコがニヤニヤすれば。

「もー、立ってるのはステージの方でしょー」

 と黒髪のコもノッてくる。

 それに加えて、レザージャケットのマネージャーまで。

「オツヒノちゃん、前回全員返り討ちにしちゃったでしょ。男優さんたちも沽券に関わるからって今度は徹底的にやりたいって」

「勝ち逃げはずるいんじゃないかなー、オツヒノちゃん」

 三つ編みのコはオツヒノのノせ方を熟知しているらしい。その煽りにオツヒノは怒ることなく、むしろ誇らしげに胸を張る。

「ふっ、ふん、誰が逃げるかっての! 男の百本や二百本、ヨユーよ! 超ヨユー!」

 これに、言質を取った、と言わんばかりにマネージャーが笑う。

「それじゃー、ダンス大会第二戦といこうかー! ファンのみんながオツヒノちゃんのダンスを待ってるよー」

「任せなさいって! どんな舞台でも華麗に踊る、それが最優秀ダンサーの実力だっての!」

 面白いくらいにノせられていることを、本人は自覚しているのかは定かではない。だがきっとこの先も、ダンサーとAV女優を両立していくことだろう。

 

       ***

 

『さーぁ、生き残るのはどっちだー!?』

 楽しそうなアナウンサーの声が響き、運動場のような広場に磨りガラスのようなパネルが二枚立っている。書かれている文字は宇宙仕様であるため分からないが、パネルの足下は、一方は泥のようなプール、もう一方には厚手のマット。どのような催しが行われているのか、非常にわかりやすい。

 そして――どうやらパネルはホログラムのようで、人がぶつかってもスルリとすり抜ける。飛び込んできたのは、ビキニ水着の女のコと――虹色マーブルのよくわからない模様の塊。女のコは無事マットに受け止められ、よくわからない方は―――

 

 バチャァァァン……!!

 

 派手に泥が飛び散り、赤青緑に泥の茶色まで加わった。湧き上がる会場。本人はガニ股のまま泥の上にプカっと浮いている。

『マコット選手、これでまさかの一〇連敗!』

 会場を包む笑い声に、マコットはすぐさま気を取り直して立ち上がった。どうやら深さは腰くらいしかないらしい。だが、例のモザイクが身体を隠しているので、またしても全裸なのだろう。この堂々とした振る舞いは、自分が神に守られていることを自覚しているのか、ここまでカラフルならレオタードと変わらないと高を括っているのか。

「絶対イカサマでしょコレ! あたしが飛び込んだ方に後から変えてるとか!」

 身体を一切気にすることのない全力抗議に、会場はさらに盛り上がる。

『いやー、さすがに勝ってもいい頃だと思うんですけどねー』

『そろそろ天文学的な確率になってますし』

 実況解説の煽りもあり、番組的には美味しい展開になっているようだ。

「おかしい……切なさ乱れ撃ちは弓技でしょうに……」

 この結果に納得できないようで、マコットはブツブツ言いながら泥プールの縁に手をかけ足をかけ、豪快によじ登っていく。

 だが、上りきったところで――

「うわっ、ぶわっ!?」

 唐突に足を滑らせ罰ゲームへ再転落。お約束のようなタイミングにギャラリーも笑いを堪えることができない。歓声の中、マコットが勢いよく這い出してくる。今度こそ地上に立てたことで、転倒の原因を理解して掴み取った。

「コレあたしのブラじゃん! 何でこんなとこ落ちてんの! っつーか、もうこんなんいるかーっ!」

「うわっ、うわー!」

 勝利した女のコの方に自らベトベトのブラを投げつけるマコット。そのやけっぱちにさらに湧く。

 笑いは取れたところで、次の対決へ。

『それでは……マコット選手、次は何色にしましょう』

「んーと……色が濁ってきたからそろそろ白で」

 と無意識に自分が敗北する前提なのが笑いを誘う。が、あえてそこにツッコミは入れずに選手紹介。

『白の対戦者は……こちら!』

 選手登場口に下ろされていたカーテンがスパッと上がり、そこにいたのは、羽織袴を着込み、ちょんまげをかぶったパンダの着ぐるみ。中の人が喋ることはないが、力強いポーズでやる気をアピールしている。

「パンダ侍じゃん!」

 登場口の左右にもその顔を模したアイコンが飾れているので、おそらくこの番組のマスコットのようなものなのだろう。可愛い水着の女のコを期待していたギャラリーだったが、この意外性にはちょっとウケた。

『すいません、負けすぎてもう出れるアイドルいないんで』

 パンダ侍が白い沼に落ちたら、きっと見事なシロクマとなることだろう。番組的にもそれを期待しているだろうし、そろそろマコットを合格させて次のコーナーへと進ませたいはずだ。が、ここであえて敗北する芸人アイドルをみてみたい気もする。

 さて、笑いの神は、どちらに味方するのか――

 

 バチャーン……

 ぎゃああああああ……

 ぶはははは……

 

 想定以上に間延びしてしまったこのコーナーは、放送前に編集しておく必要があるだろう。だが、彼女の裸体には最初から修正が入っているため、年齢制限の心配だけはなさそうだ。

 

       ***

 

 緑の空の赤茶けた惑星――ズーミア神の加護は失ったが、それでも女神は今日も見守ってくれている。教会の大聖堂――そこにユウ司祭の姿はない。マスターの留守中に羽を伸ばしているのか、S.K.とM.2.――ふたつの生首が仲睦まじくフワフワと踊るように浮遊している。

 その目下の座席は相変わらず片付けられていない。残骸のような長椅子に、白銀のドレス姿の金髪の少女がちょこんと座っている。

 少女は生首たちの様子を見上げていたが、生首の方からフワリフワリと下りてきた。

「シオリンー、ヤシロんとこ行かなくていいのー?」

 S.K.がのんびりと尋ねると、シオリンは嫌そうにそっぽを向く。その頭に見慣れたキツネ耳はない。

「司祭が留守の間、聖堂を守るのが勇者の役目、ということで」

 口調も何だか気味が悪い。それは、生首二名にとっても同じことだったようだ。

「その口調気味悪いからやめなよー」

「てか、ツネークスが来てるんだから勇者として討伐に行かなきゃー」

 S.K.は相変わらずだが、M.2.の方は和風アクセサリーを取り外している。やはりウチークビランド用の装いだったらしい。

「アホ言うなや」

 耳元で回るステレオが鬱陶しかったのか、シオリンはパンチ二発で追い払う。特にダメージはなく、ふわーっと旋回して壁に追突することはない。そんな浮遊物を目で追うこともなく、独り言のように呟く。

「……顔も割れてしまいましたし、先代勇者もお忙しいようですし……私はこちらに隠れさせていただきますわ」

 どうやらシオリンはツネークスの頭領と相対してしまったことで、ツネークスを名乗ることが難しくなってしまったようだ。ゆえに、ここで第二の人生を歩むことにしたらしい。

 とはいえ。

「ほとぼりが冷めるまでは」

 ずっとこの惑星に居座るつもりはないようだ。

 

 そして、先代の勇者と、ここの司祭がどこにいるかといえば――

 

 そこは、庭つきの一戸建て――といえば聞こえはいいが、広い敷地にポツンと粗末な小屋が立っているだけ。地域の町並みと同じく、木材とトタンの組み合わせである。これが勇者の自宅だというのだから質素なものだ。

「また、産まれたそうね」

 その室内は、相変わらずの昭和家屋である。ただ、畳の中央には布団が敷かれ、薄水色のガウンを羽織ったヤシロが横たわっていた。そこにユウが、ノックも呼び鈴も鳴らさずに入ってくる。

「処女懐胎、お疲れ様」

 ユウは相変わらず無表情なので、労っているようには感じられない。とはいえ、それもいつものことなので、ヤシロの方も気にしていないようだ。

「まー、どっちかとゆーとお腹で育ててる間の方がしんどかったけどねー。今回のコ、全然じっとしてくれなかったから」

 出産は本来途方もない大事である。だが、そこは女神の力によるものか、まったく苦労は見られない。

 そして、生まれてきたのも普通の赤子ではない。

「オゥッ! クジャ、なんか頭が重いゾ」

 タオルに包まれた褐色色の赤子はおそらく生後数十分といったところだろう。それでも普通に喋っているどころか――どうやら生前の記憶まで残しているらしい。

 それは、この二名も同じこと。

「赤ん坊は頭がデカイんだよ。首も座ってないから大人しくしとけ」

「やれやれ、再び戦えるようになるには何年かかることかしら」

 子供クジャを抱きかかえる女性の足元を挟むように、かつてシオリンが着ていたような和服姿の小さな女の子たちが立っている。茶髪にキツネ耳、赤髪にキツネ耳――そして、抱きかかえられているのは褐色肌のキツネ耳――そして、抱きかかえているのもキツネ耳。それも、漆黒の髪を足首まで伸ばした、全裸の。

「……これで、この戦いの死者は全員埋め合わせた」

 冷徹無慈悲なツネークスの頭領であっても、協力しなくてはならない理由がある。

「これで次はようやく男の子かもねー」

 ヤシロはよいしょと身を起こした。本当に神の力が宿っているようで、出産さえもちょっとした力仕事くらいの感覚らしい。あまりにも簡単に産み直している実感のなさに、ユウは頭領ツネークスに釘を刺す。

「お目当てのメンズが復活したからって殺し直すとかやめなさいよ」

 ゾッとしてカスガとミーシャは尻餅をつく。まだ機敏に動くことはできないようだ。とはいえ、クリスに殺意はない。

「わかってる。どこで神の力のバランスが崩れるかわからない。ちゃんと育てる」

 といったそばから。

「……少なくとも、元の姿に戻るまでは」

 これには、足元の子供たちもドン引きだ。が、胸元のクジャだけは元気がいい。

「オゥッ! クジャ、今度はもっと強くなるゾ!」

 生後数分で再起を宣言する赤子はともかく、勇者の方はあまり再起したくないらしい。

「それならまー、少なくともあたしの身の安全も、あと二〇年くらいは保証されるのかなー?」

 ヤシロにとって、それが最も大事なこと。そして、もうひとつ。

「……生活についても保証するわ。勇者改、女神の化身として」

「わーい」

 ユウとの約束に、嬉しそうに布団に寝転ぶヤシロ。だが。

「現勇者が、勇者の任をまっとうしている限りはね」

「ぐぇ」

 ユウの一言で女神の笑顔が嫌そうにひきつる。おそらく――あのシオリンがこの惑星のために腰を据えることなどないとヤシロも察しているのだろう。

 それでも――一先ずは満足そうに目蓋を閉じる。新たな生命を育むためにしばしの休息――それをしっかりと満喫するように。

 



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