好きな人に、好きな人がいる。 (泥人形)
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好きな人に、好きな人がいる。

 

 

 ファーストキスはレモンの味。

 そんなことを言い始めたのは、さて誰だったろうか。

 物心つく前からその言葉は普及していて、だからこそ、気付けばみんな、そんなことは常識のように知っていた。

 だから、おれもそういうものだと思っていた。

 そうではないことを知ったのは、十四歳の時。

 現実世界風に言うのなら、中学二年生の春。

 この世界風に言うのなら、アインクラッド60層攻略後。

 おれは初めて、キスをした。

 ファーストキスは、思っていた以上に味気のないものだった。

 

「いやっ、なんてこと言うんですか!? あたしのファーストキスでもあったんですよ!?」

「そもそもVR世界でキスの味なんてするわけないし、当たり前っちゃ当たり前なんだけどな」

「くっ、これだからロマンのない人は……!」

 

 もぎゃーっと実に不満げに睨んでくるのは、短剣使いのシリカであった。

 その肩に乗るスカイブルーの小さなドラゴンが、「くきゅるるーっ」と主人に同調するように嘶く。

 シリカはSAOでは珍しいビーストテイマーだ。それも従えているのは、フェザーリドラと呼ばれるレアモンスター。

 最前線じゃともかく、中層では『竜使いのシリカ』なんて呼ばれるくらいの人気者で、本人の愛らしい容姿も相まって、アイドル扱いされている。

 ただでさえ女性プレイヤーの少ないSAOにおいて、シリカの知名度はまあまあ高い。

 そんなシリカが、

 

「だからシウさんはダメなんですよ。乙女心というものが分かっていません!」

 

 なんて、頬を膨らませながら言った。

 シウさん──シウ。

 それがアインクラッドにおけるおれの名前で、現実世界と比べれば、実に纏まったスマートな二文字。

 それが今のおれ。

 この世界で、一人の剣士として戦っている、おれの名前だった。

 

「そんなこと言ったら、シリカだってその……何? 男心とか分かってないだろ。お互い様だ、お互い様」

「あ、あたしは分かるもん!」

「へぇ? 例えば?」

「たっ、例えば!?」

 

 思わず敬語が剥がれ落ちるくらい動揺したシリカを肴に、エール酒を煽る。喉を少し焼くような、アルコールの感覚。

 それでいてVR世界で酔うことはないのだから、この時だけは大人になったような気分を感じられる。

 おれの無茶振りに、「えぇっと……」と頭を回すシリカ。少しだけ開いた口に、串焼きを一口くれてやった。

 

「あむっ、んんっ、んっ、何するんですか、急に。喉詰まらせちゃいますよ」

「いや、意外と悩んでるシリカってのは可愛いんだなと思って」

「か、かわっ……!? もうっ、軽々とそういうことを言わないでくださいっ」

「別に良いだろ。おれたち、付き合ってるんだし」

「それは、そうですけどぉ……」

 

 時と場所を考えてくださいよ、と唇を尖らせるシリカだった。

 時間は夕方。場所は57層主街区:マーテンの端っこ。

 他にプレイヤーは見当たらないし、別に良くないか? とは思ったものの、NPCはいるのだから、まあ仕方ないかと一人頷いた。

 SAOのNPCは、それこそ本当の人間かと見まごうほどに良く作られている。

 気にする人は気にするだろう。

 

「や、そうじゃなくてですね。そういうのは、こう、二人っきりの個室とかでじゃないですか?」

「えぇ、逆にヤダよ……ちょっとインモラルな雰囲気出てるだろ、それ」

「……シウさんのえっち」

「何でそうなるんだよ……!」

 

 頬を赤らめるシリカに、ふかぶかとため息を吐く。

 とはいえ、おれとシリカは確かに、そういった雰囲気の中にいても、まあおかしくはない仲であった。

 何故なら、おれたちは付き合っているのだから。

 いわゆる恋人関係。

 別にお似合いって訳でも無いだろうし、おっさん率の高いSAOの住人からしてみれば、子供のおままごとのようにすら見えるかもしれないが、一応はれっきとした彼氏彼女の関係だった。

 結婚はしていないが。

 もちろん現実の話ではなくて、システム的な話である。

 SAOでの結婚システムというのは、そういう恋愛関係にある二人がするものであり、現実のそれとはかなりハードルが低いものだ。

 

「でも、良かったです。シウさんが今日も無事に帰ってきてくれて」

「何だそりゃ。早々死なないよ、このレベルになったら」

「そうは言っても、最前線は危険じゃないですか。それに、今日はボス戦だった訳ですし」

「まあ、な……つっても、ここ最近の攻略は安定してるからなあ。今日も恙なく進んだよ」

 

 初めの内は非日常だったモンスターや迷宮攻略、ボス戦なんかも、一年も経てばすっかり日常に溶け込んだ。

 今では週一くらいのペースでボス攻略が行われており、ようやくゲームクリアにも現実味が帯びてきたというところである。

 おれも、一応はその攻略集団に混じるプレイヤーの一人だった。

 血盟騎士団(KoB)という、大きなギルドの一員である。

 

「シウさんって、如何にもソロプレイヤーって顔なのに、あのKoBの副団長補佐なんですから、人は見かけにはよりませんよねぇ」

「サラッとおれに失礼過ぎない? どういう顔してんだよ、おれは……」

「そうやってすぐ目を死なせるところとかですよっ。あ、それ一口、貰っても良いですか?」

「目は関係ねーだろ……シリカって酒、飲めたっけか?」

「飲めますけど、あんまり好きじゃないですね」

 

 シリカは、そんなことを言いながら一口、おれの手にあったエール酒を煽る。

 好きじゃないなら飲むなよ……なんて文句を言う前に、シリカの髪に指先だけで触れた。

 綺麗な茶髪がさらりと揺れる。シリカの緋色の瞳と、近い距離で見つめ合った。

 

「今日、髪下ろしてるんだな。おれ、ツインテよりそっちの方が好きかも」

「そういうのは会った時に言うものなんですけど……まあ、良いです。許してあげます」

「どっから目線だよ」

「彼女目線、ですよっ」

 

 言いながら、どちらともなく唇を重ね合った。

 目を瞑り、互いを幼く求めあう。

 キスを何度重ねても、レモンの味はしない。

 甘酸っぱさはなくて、どちらかと言えばアルコールの苦い味がした。

 けれどもやめられない。

 きっとそこには、味以上に必要なものがあった。

 

「……っは、シリカ、お前がっつきすぎ」

「なぁっ!? そ、そそそんなことないですけど!?」

「あるから言ってんだよ……でも、ちゃんと()()()()()()()()()?」

「もちろんです。シウさんこそ、あたしはちゃんと代わりに──()()()()()()()()()になれてましたか?」

 

 その言葉に、小さく笑って頷いた。

 それが全てだった。それが、おれたちの関係を端的に表している会話だった。

 

 おれたちは付き合っている。

 だけど、かけがえはある。

 

 おれたちは好き合っている。

 だけど、一番じゃない。

 

 おれたちは好きな人がいる。

 だけど、それはお互いじゃない。

 

 おれはアス姉──アスナ。結城明日奈のことが好きで。

 シリカはキリ兄──キリト。桐ケ谷和人のことが好きだった。

 

 

 

第一話 好きな人に、好きな人がいる。

 

 

 

「あーもう無理! 無理無理無理無理! アスナさんが相手とか、あたしに勝ち目無くないですか!? うわーーーんっ! もうヤダーーーッ! 無理ーッ!」

「まーた発作が始まったな……じゃあ何? 諦めるのか?」

「誰もそんなこと言ってないじゃないですか!? これはただの泣き言です!」

「泣き言なのは認めるのか……」

 

 おれの小言に耳を貸すことなく、シリカはわんわんと文句を吐き出しながらベッドで大暴れする。

 ここ、一軒家とかじゃなくてただの宿屋だから、あんまり騒がないんで欲しいんだけどな……。

 どうすんだよ、隣に泊まってるプレイヤーからクレーム入れられたら。

 

「その時はシウさんが出れば一発ですよ。何せあの血盟騎士団(KoB)なんですから、もうそれだけで威圧しまくれますっ」

「権力に頼ろうとすんじゃねぇよ……! 大体、うちにそこまでの力はない。聖竜連合(DDB)なら、また別かもしれないけどな」

「あそこの人、本当に怖いですからね……」

 

 血盟騎士団と、聖竜連合。どちらも今の攻略組を引っ張る二大ギルド。

 巷じゃ最強のKoBと、最大のDDBなんて言われてるくらい、微妙に対立しているギルドだった。

 比較的まともな面子の多いKoBと違って、DDBはオレンジプレイヤーとか普通にいるからな。

 そういう意味では、DDBは中層プレイヤーにも警戒されるギルドの一つでもあった。

 

「ま、とにかく、せめて深夜に発作起こすのはやめろ。せめて昼だ昼。出来ればおれがいないところで叫べ」

「なんてパートナー甲斐のない台詞吐くんですか、シウさんは……」

「何だよ、それじゃあ黙らせれば良いのか?」

 

 キュッと拳を握れば、「!?」と全身で驚愕を表し、それからプルプルと震えるシリカだった。

 両腕をバッと広げ、がおーっと小動物のように吼える。

 

「ギュッと抱きしめて良し良ししてくださいって言ってるんです!」

「何で今の流れでそう解釈してもらえると思ったんだよ……!」

 

 最初からそう言えよ──という言葉は呑み込んだ。こういうのを察するのが、出来る男なのかと思ったからだ。

 もしそうなのであれば、おれには程遠い境地である。

 だからか? だからアス姉はおれに振り向かないのか……!?

 でもそんなこと言ったら、キリ兄だってかなり鈍い男だろ……なんて内心愚痴を吐き散らしながら、シリカを抱きすくめる。

 小さな身体だ。年齢の割には身長は高い方だったおれにとって、シリカからは如何にも年下の少女という印象を受ける。

 まあ、多分同い年か、差があっても一つくらいだろうが。

 おれの肩に顎を乗せたシリカが、「うぅ~」と唸り声を上げた。

 

「文句を言いたくても、アスナさんは完璧すぎて何も言えません~~。あたしはどうすれば良いんですか~~?」

「お前は一旦アス姉のこと忘れろ。確かにアス姉は……くっ、キリ兄に、ゾッコンだけど……キリ兄の方はそうじゃないんだから」

「嘘です! あたしを騙そうったってそうはいきませんよ……!」

「嘘吐くメリットおれに無いだろ……」

 

 実際、キリ兄がアス姉のことをどう思っているのかと言えば、少なくとも恋愛的な目で見ていないのだけは確かである。

 というか、意識的か無意識的か分からないが、キリ兄自体、女性のことをそういう目で見ていないようだった。

 まあ、デスゲーム内で恋愛とか、それだけ切り取ったらただの死亡フラグだしな。

 キリ兄自身、SAOに来る前からかなりの廃ゲーマーだったから、単純に興味が無いのかもしれない。

 でも押しには弱いんだよな。いや本当、マジで。

 アス姉とパーティ組んでた時とか、あっさり恋人になるのかと思ったもんである。

 

「そういう訳で、一緒に攻略とかでもすれば……あっ、すまん。シリカは雑魚だったな」

「言い方! 言い方が酷くないですか!? うぅ~、あたしはどうせ中層プレイヤーですよーっ!」

「ま、まあ、そうでなくともほら、食事誘ったりとかすれば、な?」

「キリトさん、あんまりメッセージ見ないじゃないですかぁ……」

 

 完璧な反論をされてしまったので、思わず押し黙るおれだった。そうなんだよな、キリ兄、結構メッセージ見逃すんだよな……。

 あと普通に何て返せば良いのか分からず後で返信しようと思い、そのまま忘れるとかも良くやる。

 これで何度も愚痴られているおれの身にもなって欲しいところだった。

 おれのメッセには爆速返信するのだから、なおさらである。何なん? あの人……。

 

「……あたし、思うんですけど。シウさんが女性だったらキリトさん、イチコロですよね」

「それはおれもちょっと思うからマジでやめろ」

「あたしがシウさんだったら良かったのに……!」

「まあ、そうなったらそうなったで、アス姉とバチバチにやることになるんだけどな」

「人が考えないようにしてたこと、言わないでくださいよ……」

 

 再びしおしおと意気消沈し、おれにしがみつくだけになるシリカだった。

 同時にアス姉には手が届かないことを、自ら語った形になったおれまでしょんぼりしてしまう。

 キリ兄と違ってアス姉の場合、もう勝ち目がないとかのレベルじゃねーんだよ。

 論外なんだよね、残念ながら。

 

『はぁ……』

 

 互いの深いため息が重なり合う。互いを見ているようで見ていない、シリカの瞳を見ていると、ああ、似た者同士だな。と思えた。

 シリカと出会ったのは、今から一年以上も前のこと。

 武器の強化素材集めの為、中層まで降りた時に偶然出会い、何やかんやフレンドになった。

 それ以降、時々暇が合えば会うくらいの関係になって、主におれはアス姉のことを相談するような、いわば恋愛相談相手のような仲を構築していた。

 友人だった、と言って良いかもしれない。歳が近いせいか、良く話が合った。

 その関係が変わったのは、今から二か月くらい前のこと。

 シリカはちょっとした事件に巻き込まれ、そこでキリ兄に助けてもらい、サクッと恋に落ちた。

 で、同時に間接的に失恋した。

 当然だ。

 おれが好きなのはアス姉で。

 アス姉が好きなのはキリ兄で。

 そしてキリ兄も満更ではない──ということを、シリカは知っているのだから。

 好きな人に、好きな人がいる。

 けれどもそれが、好きであることをやめられる理由になるだろうか?

 それじゃあ仕方ないね、と割り切ることは出来るだろうか?

 答えは否。

 もしかしたら、おれたちがもっと歳を重ねていて、もっとたくさんのことを経験していたら、また違ったかもしれないけれど。

 おれたちはただ、諦めることなんて易々とできなかった。

 あるいは、諦めないことだけが、おれたちに出来たことだった。

 どうすれば良いのか分からなくて、そうするしかなかった。

 だから、だろうか。

 おれとシリカは多分、話以上に気が合った。

 あまりにもどうしようもないところでさえ、きっと似ていた。

 

 それ以来、少しだけ会うことが増えた。

 少しだけ一緒にいる時間が長くなった。

 少しだけ愚痴が増えた。

 少しだけ深く踏み込むようになった。

 気が付けば、互いの傷をなめ合っていた。

 どちらともなく、互いを互いの代替品としていた。

 寂しさを埋めるように、熱を求めるように、優しさを欲しがるように、人に飢えているかのように。

 言葉にもし難い空気の中で、おれたちは互いを求めた。

 初めてのキスは、やっぱり少しも、甘酸っぱくはなかった。

 

 

 

 

 

 



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おれの、好きな人。

 

「という訳で好きです! アス姉! 付き合ってください!」

「うーん、無理かなー。それよりシウくん、新人教育終わった?」

「エーーン! 三人とも終了しましたぁ!」

 

 通算何回目かも分からない失恋をしたおれに、「お疲れ様、ありがとね」と和やかな声をかけてきたのは、当然ながらアス姉────アスナであった。血盟騎士団初期メンバーにして、紅一点。鬼の副団長と名高い、あのアスナである……なんてことを、本人に直接言ってしまえば、それこそ鬼のように激怒しそうなものであるのだが、まあ、心の中で思うくらいは自由だろう。

 それに、実際のところ、アス姉を《攻略の鬼》なんて言い始めた輩は、ぶっちゃけセンスがあると思っていた。

 攻略中に檄を飛ばすアス姉、マジで怖いからな。普通に角とか生えてるの見えるもん。

 そういうところも含めて好きなのだから、全くやれやれ、恋は盲目であるというか、何というか……と、我がことながら呆れてしまう。

 これでせめて、両想いだったら良かったんだけどな。

 見ての通り、勝ち目が一ミリも見いだせないタイプの片想いであった。

 そろそろ諦めたいところであるのだが、もう人生の半分くらいは一緒にいた感情なので、早々手離せる訳もない。

 そんなおれの、複雑な心境をまさか看破した訳ではないだろうが、呆れたような目をしたアス姉が、小さくため息を吐いた。

 

「何だかもう、シウ君からの告白、デイリーログインボーナスみたいに思えてきたよ、わたし……」

「ログボだって言うなら受け取って欲しいんですけど?」

「う~ん……無理かな……」

「熟考してもやっぱり駄目なんだ……」

 

 その内おれの告白でプレゼントボックスがパンクしそうなアス姉だった。いつかは一括受け取りして欲しいものであるのだが、残念ながら現実は、期限切れでドンドン削除されている感じだった。

 時間経過で廃棄される恋愛感情、か。パッと見最悪の字面だな、と思った。

 おれが懲りずに告白を重ねているのが悪いのか、あるいは受け取らないアス姉が悪いのか、軽く議論を交わせそうなほどである──といっても、もちろん、初めの一回目はこんな雑な処理はされなかった。

 真っ当に真摯にフラれた記憶が焼き付いている。

 おれがスッパリ諦められる人間であったのならば、そこで話は終わっていただろう。そうはならなかったから、こうなっているのだが。

 ここまで来たら長所なのか短所なのか、微妙に分からなかった。

 

「いや、長所だとは思うけどね。シウ君のそういうところ、わたし好きだよ」

「そうやって軽々に好きとか言うから、勘違いするやつが出てくるってことを、アス姉はいい加減覚えた方が良いと思いますが……」

「やだなあ、こんなことシウ君くらいにしか言わないよ~」

「まあ、アス姉は、キリ兄の前だと緊張しすぎて、意味不明なツンデレになりますもんねぇあ!? ちょっ、蹴らないで! ごめんって、アス姉!」

 

 ニッコリ微笑んだまま蹴りを叩きこんでくるアス姉だった。圏内なのでダメージは発生しないし、そもこの世界に『痛み』は存在しないので、衝撃だけがおれの足を貫通していく。

 これはこれで不快である。

 あとノックバックは普通に発生するので二重に不快だった。

 

「別に! わたしは! キリト君のことなんて! 好きじゃないもん!」

「流石に無理がありますってそれ……」

「無理じゃありません!」

「無理ですって。いや、マジで無理。不可能」

「そ、そんな真顔で言わなくても……」

 

 しょぼしょぼしょぼん……と肩を落とし、数秒書類(というか、オブジェクト化された室内マップ)と睨み合ったアス姉が、そこそこデカいため息を吐いた。

 今更ではあるが、ここはアインクラッド三十九層にある、血盟騎士団()本部である。

 そう、旧本部。つい最近、我が血盟騎士団団長のヒースクリフが、五十五層にあるやたらとデカい建物を購入し、そこを新本部とした。

 なのでまあ、それに伴った引っ越し作業……はこの前終了し、そのオマケのような時間を、のんびりと二人で過ごしていたのであった。

 一応アス姉は副団長で、おれは副団長補佐だからな。

 名目上は、旧本部の最終整理・清掃である。後は戸締り。

 現実とは違い、アイテムやら何やらは収納するだけで良いのが楽なところであるが、良いか悪いかはまた別であるのだな、と思った。

 良くも悪くも、名残惜しい。

 

「こことも、今日でお別れなんだよねぇ」

「ですね、明日には売っぱらうって、団長言ってましたよ」

「寂しくなるなあ……わたし、新本部苦手なのよね」

「知ってます……というか、アス姉は牧歌的な町が好きで、都会的な街が嫌いですよね」

「一概にそういう訳じゃないけど……まあ、そうね。確かにそういう気はあるかも」

 

 懐かしむように、アス姉が窓へと目を向ける。そこには実に田舎的な光景が広がっているだろう──もちろん、SAOは西洋ファンタジーをモチーフにした世界であるので、日本的な光景ではないだろうが。

 それでも、雰囲気は近い……はずだ。それこそ、アス姉の実家────閃光のアスナではなく、結城明日奈の母方の実家。宮城県の山間部にある、小さな村と。

 何故そんなことを知っているのかと言えば、そりゃ当然ながら、おれとアス姉はリアルでの知り合いだからである。

 まあ、知り合いと言うか……何というか。

 ざっくり言えば、幼馴染であった。幼馴染と胸を張って言えるほど、付き合いがあった訳では無いが。

 どちらかと言えば、憧れのお姉さんといった色が強いと言って良いだろう。

 おれはどこにでもいるようなゲーム好きのガキンチョで、アス姉は女子校に通うお嬢様。

 そりゃ拗らせるだろって感じの関係だった。

 

「今も、シウ君にとって、わたしは憧れのお姉さんなのかな」

「いや、普通に好きな人ですが……」

「それは、あんまり変わらなくない? 好きって感情には、そこら辺も含まれると思うけど」

「まあ……そう言われたら確かに、憧れのお姉さんのままかもしれないですね。ただ、そういった言い回しをするなら、世話のかかる上司って呼び方をしたいですけど」

「ひ、人をお転婆みたいに……」

 

 実に不満そうにジト目を向けてくるアス姉であったが、撤回する気はなかったので真顔で見つめ返すことにした。

 アス姉は結構お転婆だ──お転婆になった、と言った方が正しいだろうが。

 この世界に来る前のアス姉はかなりの箱入りお嬢様で、品行方正、清廉潔白、親に言われたことは粛々とこなし、自身の欲求はかなり奥深くに隠し込んでしまうような性質だった。

 それがこの世界に来たことで、解放されているようだった。

 あるいはそれは、『剣士』としての側面を手に入れたが故に、発散方法を知ったということなのかもしれないが。

 

「大丈夫、責めてる訳じゃないですよ。良いことだと思ってます。おれはずっと、アス姉にはそういう風に、振る舞って欲しかったから」

「……君、わたしのこと好きすぎでしょ」

「えぇ……今更? 好きすぎじゃないと、こんなにしつこくないと思いますよ」

「あははっ、確かに」

 

 しつこいということは否定せずに、屈託なく笑うアス姉だった。そこは否定して欲しかったなあ、なんておれの気持ちが届くわけもなく、小さくため息を吐く。

 まあ、これで良い。これが良いとは全く、言える訳も無いが、悪くはない。

 というか、悪くはないと思わないと、頭が滅茶苦茶になりそうだった。

 かなり分かりやすくドギツイ『僕が先に好きだったのに(BSS)』をかまされてる訳だからな。何回枕を濡らしたか分かったものではない。

 客観的に見ても普通におれが可哀想だと思うもん。

 相手がキリ兄じゃなかったら、軽く癇癪起こしていたところである……いや、そう、本当に、相手がキリ兄だからな……。

 認めたくはないがお似合いだとは思うし、普通に両思いだと思うので、さっさと付き合うなりして完全に諦めさせて欲しいものだな、とアス姉を見ながらそう思った。

 

 

 

 

第二話 おれの、好きな人。

 

 

 

「──以上で、報告を終了します」

「うむ、ご苦労。悪かったね、雑用を押し付けてしまって」

「いえ、わたしが望んだことなので。他に用がないなら、わたしは下がりますが……」

「ああ、うん。私の方からも依頼は特にない、下がりたまえ」

 

 アインクラッド第五十五層主街区:グランゼム。そこの中央に位置する血盟騎士団新本部、最上階。

 旧本部について、団長へ報告を終えたアス姉と共に、一礼してから団長室を出る。

 っふー、緊張したな。

 一応、おれも初期メンバーではあるのだが、団長は普通に初老の男性って感じなので、前に出ると常に緊張感を持たされる。

 苦手なんだよな。あの人の、何でも見透かしてるような目。

 何も悪いことしてないのに、つい何かしちゃったかなと不安になる。

 

「シウ君はまあまあ常にやましいことあるでしょ……この前もキリト君と二人で、昼間っから花火大会してたじゃない」

「いや、あれはキリ兄が悪くないですか? おもむろに肩ポンして花火見せつけてきたんですよ?」

「うんうん、そうだね。攻略会議直前じゃなかったら、わたしもギリギリ許してたかなあ」

「……へへっ」

 

 言い逃れは不可能そうだったので笑って誤魔化そうとしたのだが、「まだ許してませんからね」とでも言いたげにおれの頬を抓るアス姉だった。

 こういうお堅いところは相変わらずというか、SAOに来てから拍車がかかってるように思える。

 副団長という責任がそうさせているのかもしれない、と思った。あるいはおれやキリ兄が好き放題するからか。

 どちらにせよ、変わったところばかりではなかった。

 まあ、そこがまた良いのだが……。

 

「それより、今日はこれから予定ある?」

「これからですか? 一応、業務は終わってるんで……まあ、レベリングしますかね」

「おっ、勤勉な攻略組だ。何時までの予定?」

「え? いや普通に朝までですけど……」

「君、そういう変なところばっかり、キリト君から学習するよね……」

 

 本当にやめて欲しいんだけど……とかなりマジなトーンでアス姉が言う。しかし、如何にも常識人のような振りをしているアス姉ではあるが、アス姉はアス姉で過去に一週間、ほとんど寝ずにダンジョンに籠ったことのある女である。騙されてはいけない。

 おれの知る限り、ぶっちぎりでイカレてるプレイヤーはアス姉である。

 そんなアス姉と比べれば、今から朝までレベリングなんて可愛いものだ──というか、ギルドで役職を貰っている以上、多少なりとも事務仕事は発生する訳であり。

 それに時間を持っていかれる以上、どこかで無理をしないといけないのは、誰だってそうである。

 ソロ時代が懐かしい……いや、正確にはソロじゃなくて、三人パーティーだったんだけど。

 

「シウ君って、今レベル幾つだっけ?」

「80ピッタリです。そろそろ81になるかなあって塩梅ですけど」

「おっ、結構上がったね。わたしの三つ下だ」

「いや高いな……三つも差があるのかよ」

 

 たった三つ。されども三つである。基本的に、その層+10が安全マージンとされているSAOで、現在62層を攻略したばかりのおれたちのレベルは、非常に高い方ではある。

 といっても、これくらいは当然だ。攻略組最強ギルドの一員であり、尚且つただの下っ端ではないのだから、このくらいのレベルは保持していないと格好がつかない。

 しかし、そうはいっても、このくらいのレベルになると、一つ上げるのもかなり苦労する訳で……。

 三つ差はまあまあ大きかった。美味しい餌場に三日籠っても追いつけないんじゃないだろうか。

 おれより忙しい立場だというのにこれなのだから、いつ寝てるんだこの人って感じである。

 いや、まあ、おれの場合は暇な時間を道楽に注ぎこんでいたりもするのだから、結局はそこの差でしかないような気もするのだが。

 そういう息抜きを必要としない、ストイックな生き方は、おれにはできない。

 流石だな、と嘆息するしかなかった。

 

「いや、単純にシウ君がパーティでのレベリングを好まないからでしょ。ソロは効率悪いって、前にも言ったよね?」

「でも今SAO内で一番レベル高い人、多分ソロですよ。キリトって言うんですけど」

「キリト君は例外! もー、あの人の真似しないでよー。本当、いつ死んじゃうか、分からないんだからね!?」

「まあ、死んだ時は死んだ時でしょう」

 

 運が無かった、で終わるんじゃないだろうか。あるいは、ああミスっちまったな、とか。

 ギルドに入っておいて何をという話ではあるのだが、おれはソロが好きである。

 それは何も、おれのコミュニケーション能力が極端に低いだとか、ギルドメンバーとの折り合いが悪いだとか、そういう話ではなく、単純に全てが自己責任であるからだ。

 勝った時も、負けた時も。

 ラッキーも、アンラッキーも。

 成功も、失敗も。

 全てが自己責任で完結するが故に、おれはソロが好きなのである────仮に死ぬことになった時に、誰のせいでもなく、百パーセント自分のせいで死ぬのならば、きっとおれは受け入れられるから。

 無論、ボス戦は例外であるのだが……アレはアレで、別種の「仕方ない」を与えてくれるからな。

 何せ”ボス”なのである。

 あー、強いし、これはもうしゃーないわ、って多分思える。というか、五十層で死にかけた時に、そう思えた。

 じゃあ何でギルドに入ったんだよという話にはなるのだが……そりゃもちろん、アス姉がいるからだよな。

 言ってしまえば、それだけである。何なら、その一点にしか価値はない──のだが。

 

「わたし、シウ君のそういう、自分の命にあまり固執しないところ、すっごく嫌い」

「……手厳しいですね。別に死にたがりって訳じゃないんですけど」

「むしろそのくらいの方が、相手しやすくて良いくらいだよー。シウ君はそれと違って、死にたくはないけど、その場面が来た時に、まあいっかーとか思いそうだから、益々嫌いなのっ」

「嫌いに嫌いを重ねられている……!?」

 

 しかし、そうは言っても、今更変えられる部分じゃないからなあ。

 この世界に来てから約二年間、ずっとそんな風に考えて生きてきた。いや、あるいは、現実世界にいる時だって、そう考えていたのかもしれない。

 死がより鮮明に、隣り合わせになったのを感じたから、ただ表出しただけで、常にそのようなスタンスであったように思う。

 いやでも、これで嫌いとか言われてるなら直すべきだよな……と思うおれと、今更無理だろと匙を投げるおれが、おれの中で取っ組み合いを起こしそうだった。

 

「ううん、分かってるよ。言われて変えられるほど、シウ君は器用な人間じゃないって……だから、だからね、シウ君」

 

 そっと、頬に手を添えられた。いやに真面目なアス姉の瞳が、遠慮なしにおれに突き刺さる。 

 

「君がうっかり死なないように、わたしがちゃんと、見ていてあげる」

「……これ、もしかして遠回しな告白では!?」

「全然違うよ!? もうっ、そうやってすぐ茶化すところも嫌い!」

 

 ほら、レベリング行くよ! とおれの手を取るアス姉だった。そういえば、手を握られるのは初めてだったかもしれない。

 たったそれだけのことに笑みが綻んで、

 

「……何にやけてるの、君は」

 

 若干角を生やしたアス姉に、そんな風に睨まれるおれだった。

 

 

 

 

 



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彼女の、好きな人。

 

「スイッチ!」

「ぜぁあああああ!」

 

 ライトブルーの光が薄闇に跡を残すように尾を引いて、巨大なフロアボスの頭を鋭く切り裂いた。

 同時に数ミリしか残っていなかった、フロアボスの真っ赤なHPバーが底を尽き、数瞬の硬直の後に爆散。

 ガラス片にも近いポリゴンの破片が降る中で、フロアボス攻略時特有のファンファーレが耳朶を叩いた。

 ……ふぅ、と息を吐く。同時にポンと頭を叩かれた。

 

「よ、お疲れさん、シウ」

「あー……お疲れ様です。キリ兄、またラスト(L)アタック(A)持っていきましたね?」

「そ、そう羨みがましい目をするなよ! 偶然だって……いや、そりゃ狙ってはいたけどさ」

 

 そんなの、誰だって一緒だろ? と若干の気まずそうな表情と共に、言い訳を重ねるのはキリ兄──キリトであった。

 ソロであるというのに、攻略組内でもトップの実力を誇る、黒ずくめの少年。

 そして、アス姉の想い人である。

 クソッ、それだってのに全然嫌いになれないんだよな。

 これで嫌いになれたのならば、どれほど楽だっただろうか。

 ただ恨めばそれで済むんだからな。

 恋愛感情ってのはつくづく面倒なものである──人間関係を構築するのも、破壊するのも、いつだって気持ちの変わりようなんだから。

 好きという気持ちには種類があって、その分だけ並行して並ぶ。

 おれはアス姉のことが異性として好きだし、キリ兄のことは人として好きだった。

 そこに優劣はない。

 好きなもん好き。

 好きな人は好き。

 誰だって、そういうもんだろ。

 

「また難しい顔してるぞ、シウ」

「そうさせてるのはキリ兄なんですけど……やれやれ、これだから罪深い男は」

「罪深い男!? 急に何の話だよ!」

 

 ビックリしたように目を開き、キリ兄が叫ぶ。とはいえ、これまで多くの女性プレイヤーを恋に落としてきているのだから、別に間違っていないだろう。

 本人には全くその手の自覚がないあたり、有罪ポイントが非常に高い。

 会う度に女性プレイヤーとの交流だけ広げてるからね、マジで。

 おれじゃなかったら普通にキレて殴りかかってたと思う。

 おれの温情に感謝して欲しいところだな……なんてことは、流石に思えないが。

 いい加減誰か一人決めろよ、とは思うところであった──それが多分、一番諦めがつくから。

 

「ま、それよりLA、何が落ちたんですか? また剣?」

「えーっと、あー、短剣だな」

「ってことは競売行きかあ……」

 

 キリ兄は片手剣使いだ。

 道楽で短剣スキルと両手剣スキル、どちらも取っていたような気はするが、まさかここでメイン武器のチェンジをするとは思えない。

 ていうか、普通にソロに向いてないからな、短剣……いや、愛用しているおれが何をという話ではあるのだが。

 見た目から分かる通り、一発当たりの火力が低いのである。

 その分、手数が多いのだが、やはりスキル一つとっても、全体的に弱い部類に入るのが短剣スキルだった。

 攻略組でも、あまり使っている人間は見ない──それこそ、おれくらいじゃないだろうか?

 中層まで降りれば結構いるんだけどな。実際、シリカも短剣使いな訳だし。

 良くも悪くも、使い手次第な部分の多いスキルだった。

 

「あーっと、それなら、う~ん……いるか?」

「いや、いらないですけど……おれに甘すぎでしょ。バレたら普通に反感買うって。それに、今の武器は結構気に入ってるから」

「うっ、すまんすまん。つい、前の癖で」

「おれに対する弟判定、長引きすぎだろ……」

 

 ジト目で睨みつけたものの、「そうは言ってもなあ」と苦笑いと共に、頭をかくキリ兄であった。

 弟──そう、弟だ。

 おれとキリ兄はそれこそ、第一層からの付き合いではあるのだが、何を思ったのかこの人、突然「弟がいたら、シウみたいなのかな……」とか言い出したのである。

 どう考えても女性にやる仕草なんだよね、それは。

 おれが女だったら惚れていたと思う──まあ、そうなったのがシリカみたいなもんなんだけど。

 そういう訳で、SAO最初期からの付き合いであるおれは、キリ兄にはそういう扱いをされていたのだった。

 ただでさえ、リアル年上幼馴染なアス姉がいたからな。

 キリ兄がそう思ってしまうのも仕方がないだろう──おれ自身、「キリトさん」じゃなくて、「キリ兄」って呼んでる訳だしな……。

 しかし、そうはいってももうトリオは解散しており、頻繁に会う訳でもなくなったのだから、いい加減、その過保護的なものはやめて欲しいのだが。

 言ってもきかなさそうだなと思う反面、変わらず接してくれることが、少しだけ嬉しかった。

 いや、ね。

 おれ、キリ兄のこと、かなり好きなんだよな……。

 そのせいで感情が迷子になっているのだから、全くやれやれ手に負えないな、というところであるのだが。

 

「ま、それなら一つ、打ち上げにでもいくか? 良い店をこの前見つけたんだ。シウと行きたいって思っててさ」

「そういう風に言われたら、おれが断れないの知ってて言ってるでしょ……」

 

 ため息交じりに言えば、へへっと笑うキリ兄だった。実に少年らしい、邪気の抜けた笑み。

 お誘いは嬉しいのだが、そういうのはどう考えても好きな人にやるムーブなので、その辺もうちょい気を遣って欲しかった。

 ほら見ろ、ちょっと遠くからすげぇ視線が刺さってきてる。これもうどう考えてもアス姉のだからね?

 やっぱりこれ、断った方が良いかもしれないな……と思ったが、

 

「良いだろ。久し振りに、俺に付き合えよ、シウ」

 

 なんて、期待を込めた眼差しを向けてくるのだから、無下に出来る訳が無かった。

 ただまあ、つい一週間前も会っているのだから、全然久し振りじゃないんだけどな。

 この人、おれのこと好きすぎだろ。

 

 

 

 

第三話 彼女の、好きな人。

 

 

 

 当然と言えば当然ではあるのだが、閃光のアスナをアス姉と呼んでいるように、黒の剣士キリトをキリ兄と、何も理由の一つもなく呼んでいる訳ではない。

 理由はある。無論、言うまでもなく、大きなものが──なんて、思わせぶりなことを言っても仕方がないので、早々に言ってしまうのだが、キリ兄は命の恩人なのである。

 そう、命の恩人。死にそうになっているところを、救われた。

 現代日本では早々陥らないことではあるが、しかし、SAO内ともなれば話が変わる。

 可視化されているHPバーが空になれば、ゲームからもこの世からも即退場。

 それがこの世界のルールであり、事実おれは、第一層でその危機に瀕し、そこを救われた。

 無論、死ぬこと自体はハッキリと言って、珍しいことではない。

 一万人のプレイヤーの内、たった一か月で二千人以上もの人が死んだ世界なのだから、当然だ。

 SAOとはそういう、実に死が身近な世界だった。現実よりもよっぽど、死という鎌が振りかざされるのが多い世界。

 そしてキリ兄は、そんな死神の鎌を打ち払うのが、酷く得意な人間であった。

 それこそ、他人の死ですら弾いてしまうほどに。

 言ってしまえばそんな、実にありきたりで陳腐、けれども何よりも大きい恩。

 それが、おれが彼のことを呼ぶ際に、尊敬を込めて「兄」と付けている理由だった──だから、いつであったか、キリ兄がシリカに放ったという、「妹に似ているから」に類するような理由ではないと、ハッキリ断言しておくべきだろう。

 別に弟判定を出されたからと言って、わざわざ律儀に「兄」と呼んでいる訳ではないのだ。

 というか、そうだとしたら、最早一種のプレイだろ……。

 嫌だよ、疑似兄弟プレイとか。誰が得するんだ。

 なんなら、アス姉とキリ兄と行動する時は、弟連れのカップルみたいな絵面になってしまう問題まで発生している。

 いや本当にダメじゃん。

 呼び方を変えた方が絶対に良いだろ──と思ってから、既に一年が経過していた。

 変えられてない時点でお察しである。

 いや、なんか……「キリトさん」って呼ぶとすげぇ悲しそうな顔するんだよ、キリ兄……。

 因みに、アス姉も同様である。

 普通に涙目になられたせいで、おれが泣きたくなった。

 何でこの人らは自分が姉/兄であるところにアイデンティティ置いてんだよ。

 さて、そんなキリ兄が、

 

「偶にはこういう雰囲気の店も良いよな。隠れ家感があって」

 

 なんてことを、ニヤリとしながら言う。

 アインクラッド六十一層、主街区:セルムブルグ。

 ざっくりと言ってしまえばここは、城下町と言うべきだろうか。

 街の中央に城が立っており、それを円形上に囲んで出来上がった街。

 並び立つ家々はどれもが高級であり、中々手が出せないながらも人気のある街だ。

 あらゆる要素が雑多に詰め込まれた、五十層主街区:アルゲードなんかに居を構えるキリ兄はむしろ、苦手としてそうな街であるのだが、どうにもそういう訳ではないらしい──いや、あるいは、こんな街にある隠れ家的店だからこそ、キリ兄の好奇心を刺激したのかもしれないが。

 中央にある城の地下にある小さな店とか、おれでも興奮しちゃったもんな。

 ただ、その、何というか。

 

「こういうところには、女性を連れてきた方が良かったのでは?」

「はぁ? 何言ってるんだ、そんな気安く誘える知り合いとかいないって」

「は? え? マジで言ってんですか……!?」

 

 この人、アス姉やシリカを何だと思ってるんだ……。

 釣った魚なんだからしっかりと餌やりはして欲しいところだった──まあ、アス姉にされては困るのだが。

 いや、困るというか、なんというか……。

 言語化しづらい感情で胸が満たされてしまうので、色々と反省して欲しかった。

 尊敬はしてるんだけど、純粋にそれだけじゃなくなってるんだよ。

 

「だからまあ、こうやって気軽に誘えるのも、シウくらいだよ。クラインとエギルはあれでいて、結構忙しいしな」

「まるでおれが暇人みたいな言い方するのはやめませんか? いや、そりゃそこの二人とは比べ物になりませんが……」

 

 片や攻略組のギルドマスター、片や攻略組兼商人である。

 忙しくない訳がない。副団長補佐とかいう肩書の割に、そこまで忙しいと言うほどでもないおれは、確かに暇人と言えば暇人だった。

 主にやってることが新人の案内と、あとはアス姉の仕事や我儘に振り回されてるだけである。

 楽と言えば楽な仕事だ。流石に、ソロのキリ兄とは別格ではあるが。

 

「それだけじゃなくてさ、やっぱり歳が近いプレイヤーって、あまりいないだろ?」

「まあ、SAOはほとんどおっさんですからね。当然っちゃ当然ですけど」

「そうそう、だから尚更、シウは気にかかるんだよ。ただでさえ、シウの戦闘スタイルは見てて危なっかしいしな」

「くっ、いつまで経っても子ども扱いされている……!」

 

 だいたい、言うほど命知らずな戦い方はしていない。これまで順調に生き残っていることが、それを証明しているだろう。

 短剣使いである以上、間合いは詰めまくらないと話にならないしな。

 それに最近は、初見のフィールドに行くときはパーティであることが多い。

 アス姉に普通にキレられたばっかりだしな。

 基本的には”いのちだいじに!”が常である。

 

「シウは普通に”ガンガンいこうぜ”が基本スタイルだろ……今日のボス戦だって、狂ったようにタゲ取ってたの、俺は見てたからな」

「いや、あそこはそうしないと崩れてたでしょ……臨機応変に対応したってやつですよ」

「そういう言い回しで煙に巻こうとするの、シウの悪いところだぞ」

「いやぁ、お手本があるとつい真似しちゃうんですよね。キリトってプレイヤーなんですけど」

「くっ……くそっ、反論できない!」

 

 グラスを握り、悔しそうにおれを見るキリ兄だった。はい、おれの勝ち!

 何故負けたか明日までに考えてきて欲しかった。出来れば140文字以内に収めてきて欲しい──と言っても、ただの冗談という訳でもないのだが。

 おれの戦闘スタイルは、明らかにキリ兄とアス姉に多大な影響を受けている。

 二人とも鬼神みたいな戦い方するからな……。

 なので、その辺に文句をつけるのであれば、まずは自分らの戦い方を鑑みて欲しいところであった。

 特にキリ兄とかヤバかったからね、この前のクリスマス。

 事情ありきとは言え、あの時のキリ兄はマジで切れたナイフって感じだった。

 

「まあでも、心配してくれてることは、素直に嬉しいです。でも大丈夫、おれはあの、天下のKoBですよ?」

「そうやって慢心してる時のシウが一番心配なんだが……まあ、アスナがいるから、大丈夫だとは分かってるんだけどな」

「……そういう信頼とか、ちゃんと本人に示してあげないと、意外と伝わらないもんですよ」

「うっ……し、シウから伝えるとか……」

「そこでおれに頼るの、マイナス百万点なんですけど……」

 

 普通にこの場でパンチしても許されそうな所業だった。人の心がなさすぎるだろ。

 何故好き好んで、好きな人が好きな人への信頼を、おれが伝えなきゃいけないのか。

 仮にもアス姉はおれの好きな人なんだが……好きって言い過ぎて国語の問題みたいになってきたな。

 誰が誰を好きなのか答えなさい、とか出題されそう。

 

「ていうか、そうでなくとも、ただでさえ、KoBに入るって時に一悶着起こして、それっきりなんですから。いい加減仲直りくらいしてくれませんか? 間に挟まってるおれが、一番怠いんですけど」

「す、すまん……」

「いやまあ、こればっかりはキリ兄だけじゃなくて、アス姉も悪いんですけどね」

 

 アス姉はギルドに入るべきだと思っていたキリ兄の気持ちも分かるし、ここまで一緒に歩んできたんだから、皆で同じ道を選びたいと思ったアス姉の気持ちも分かる。

 アス姉は、ある意味で本当に、この世界の住人だ。

 ゲームにほとんど触れずに育ってきたアス姉は、それであるが故に、この世界をゲームとして見ていない。

 だからこそ、そういった人がみんなを率いるのは、あるべき姿であるというのは納得できるというものだ。

 そしてキリ兄も、ある意味で本当に、この世界の住人なのである。

 ここをゲームであると明確に理解した上で、この世界を生きている。

 二人は対極でありながら、同一なのだ。

 それでいて、互いに頑固な気質がある。

 意見が分かれる時は徹底して分かれる二人であり、だからこそ今は、別々の道で攻略に励んでいるという訳だった。

 おれは今、そんな二人の橋渡し役みたいになっている。

 ふざけとんのか。

 冷静に現状を認識し、真っ当に台パンしそうになるおれだった。

 

「仲直りして欲しい気持ちと、仲違いしたままでいろって気持ちが半々だ。おれは一体、どうすれば……!?」

「急に怖いこと言い出すなよ……なんだ、もしかして酔ったのか?」

「SAOで酔うことってないれしょ、何言ってるんれひゅか」

「いや酔ってる酔ってる! やけ酒みたいな雰囲気で酔ってるぞ、シウ!」

 

 グイッと日本酒(が一番味としては近いらしいアルコール)を飲み干したおれに、良く分からないことを言うキリ兄だった。

 でも何か、眠くなってきた気がするな。

 今日は疲れたから、そのせいかもしれない。

 

「まあ、でも。好きな人と、好きな人には、仲良くして欲しいから。さっさと前みたいに、仲直りしてくらはい……」

「……シウ、お前本当に、そういうところだぞ」

 

 どういうところだよ、とは聞けなかった。

 それより先に瞼は落ちて来て、おれの意識は溶けるようにして落ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 




《シウ》
 翌朝、キリトの家のベッドで目を覚ました。

《キリト》
 シウをお持ち帰りした。

《アスナ》
 シウがキリトにお持ち帰りされたという話を聞き、脳がバグる。

《シリカ》
 何でよりによってオメーーーーがお持ち帰りされてんだよ!! とキレ散らかした。


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