独占力 (ポットクリン)
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皇帝とトレーナー

独占力持ちのキャラクターは全員書いておきたい


 

 例えばふとした昼下がりのターフとか、雨音を聞きながら身体を解す体育館だとか――そういった青春の1ページにできたインクの染みのように、その存在は目についた。

 

「探したぞ、トレーナー君」

 

 まるで先約があるかのように、談笑する二人の間に割り込む。片方は「ごめん、LANEしてた?」と慌ててスマホを取り出し、もう片方は「おや、なにかと思えば会長殿」と白々しい笑みを浮かべた。

 

「興味深い試薬を完成させたのでね。モル……じゃなかった、トレーナー君に協力してもらっていたところだ」

「ふむ……?」

 

 その言葉に、私はトレーナーの方をちらりと見た。別段おかしな所は無いように見える……後ろで一つにまとめた黒髪も、自分よりやや低い身長も、毛先の一本に至るまでいつもと変わらない。

 

 ただ、わずかに漂う甘ったるい紅茶の香りだけが不快である。半ば意味がないと分かっていながら、私は苦言を呈した。

 

「ヒト相手に実験をする意味があるのかな。君が追い求めるのはウマ娘の限界の先だろう」

「おや、ヒトとウマ娘の身体構造の相似を見逃せというのかい? それに実験に協力すると言ったのはあちらだ」

「……やはりか。トレーナー君、あまり軽率に首を突っ込むものではないと言ったはずだ」

 

 私とタキオンの視線に晒されたトレーナーは、いやあとかついとか、そんな意味の言葉をもごもごと呟いた。

 

「まったく……タキオン、すまないがトレーナー君を返してもらうよ」

「返すも何も、会長殿の所有物ではないだろうに」

 

 やけに大きい白衣の袖を揺らしながら、彼女は大袈裟に肩をすくめた。

 

「まあ構わない、目的はほぼ済んだからね。トレーナー君、何か変化があったら連絡してくれたまえ」

「わかった。またね」

 

 去り行くタキオンに手を振るトレーナーを見て、いつ連絡先を交換したのだろうかと思った。かの変人のメールアドレスは学園では「マルウェアみたいなもん」「メフィストフェレス」「連絡してはいけない言葉」と揶揄されるほどには有名だ。

 

 しかし――バカバカしい話だが、限界を感じた生徒が一縷の望みをかけて被験体に志願することも稀にある。生徒会の議題にまで上せたそれを、学園のトレーナーたちにカウンセリングを行わせることで対処したのは記憶に新しい。

 

 

「トレーナー君」

「あ、ごめん。なんの用事だっけ?」

「仕事を手伝ってほしくてね。君にしか頼めない」

「そっか、まかせて」

 

 本当は仕事などとっくに片付けているのだが、トレーナーは私の適当極まりない言い訳を疑うことなく聞き入れた。信頼されていると言えば聞こえは良いが、実際はそんなものではないことを私は知っている。

 

 テイオーの言葉を借りるなら、私のトレーナーは極めて「チョロい」のだ。どうにも彼女は、ウマ娘のためなら献身を厭わない節があった。それはもちろん美徳だが、同時に理解者に飢えている年頃のウマ娘を誑かす悪徳でもある。

 

 それに、仮にも7冠バのトレーナーなのだから、もう少し自分の影響力を理解して行動してほしい。ここ数ヶ月で「会長のトレーナーに指導してほしい」という要望をいくつ取り下げたかも分からないほどなのに――。

 

「あ、そうだルドルフ」

「何かな、トレーナー君」

「この前秋川理事長に頼まれてさ、私もチームを持つことにしたんだよね」

「は?」

 

 

▽独占力▽

 

 

 トレーナー室に場所を移し、インスタントコーヒーを用意して私はトレーナーの向かいのソファに腰掛けた。

 

「あ、ありがと。 ……7冠バのトレーナーって、思ったより価値があるみたいなんだ」

 

 それはそうだろう、という言葉を私はコーヒーごと流し込んだ。口の中に安っぽい苦味が残り、喉を伝って胸に蟠る。

 

 トレーナーは無糖のカフェオレをちびちび舐めるように飲んで、小さくクリーム色の息を吐いた。

 

「ルドルフは以前ほどレースに出ないでしょう? あの頃よりはお互い自由な時間が増えるから、それを使って後進の育成に当てられないか――って」

 

 それは至極真っ当な意見であった。しかし真っ当なだけの意見であれば、やりようはいくらでもある。問題はその提案の出所であった。

 

 秋川理事長はこの学園で最高位の決定権を持つ人物である。決断を覆すのは容易ではない。

 

「違いないな。ただ、できれば私にも相談してほしかった」

「それはごめん……でもさ、これはルドルフのためにもなるんだよ」

「私のため?」 

「そう! 私はトレーナーとしてはまだまだだけど、チームを持てばより多くのウマ娘を指導できるじゃん」

 

 その言葉に、どこか腑が落ちる思いだった。

 

 あの日――トレーナーを私の担当にすると決めたのは、他の誰より私の夢を尊重してくれたからだ。『全てのウマ娘が幸福な世界を作る』なんて大言壮語を一欠片も疑わず、同じ視座に立って同じ夢を抱いてくれたからだ。

 

 きっと、それは今も変わっていない。トレーナーはトレーナーのまま、いつも通り私のためを思ってくれている。

 

 ならば――変わったのは、私の方か。

 

「……ありがとう、トレーナー君」

 

 私は皇帝の仮面を被った。ウマ娘の理想像としての私が、然るべき言葉を吐きだした。

 

「君の働きには飲水思源、私も気を引き締めねばならないな。詳細は後で文書で送ってくれ、私は生徒会の仕事に戻る」

「えっ……あ、手伝わなくていいの?」

「君が粉骨砕身と働いているのに、時間を奪うわけには行かないだろう?」

 

 コーヒーを飲み干し、呆気に取られるトレーナーを残してトレーナー室を出た。それから生徒会室に戻るでもなく、私は学園をひとり歩いた。

 

 どこに行けば良いのだろう。トレーナー室以外のどこなら、私はこの仮面を外せるのだろう。あの小さく、しかし2人きりで完成された空間に他のウマ娘が入ってくると思うだけで、どうにかなりそうだった。

 

 

「私はただ、君が隣にいてくれたら、それだけで良かったのに」



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