FULL GATE!! -全バ転生者です- (猫井はかま)
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快晴の東京レース場フルゲート、全バ転生者です

 

 

 ――やってきましたトレセン学園!

 

「ここが日本一のウマ娘養成学校かぁ……!」

 

 まさか一発で受かるとは思わなかったよね! ()()じゃ私編入だったし!

 

「いきなりルート外れたけど……まあなんとかなるか!」

 

 そう、原作。

 私はこの世界が別の世界で語られていることを知っている。

 馬が存在せず代わりにウマ娘という人類の一種族が存在する世界。かつての世界――前世という世界では架空の物語に過ぎなかった場所に今私は立っている。

 異世界転生、前世の記憶付き……にもう一味加えて劇中の登場人物に生まれ変わりました!

 私スペシャルウィーク12歳! 前世持ちの転生者だけど日本一のウマ娘目指してけっぱり(がんばり)ます!

 

「……っし、気合入れ終了。ふぅー……」

 

 あかん。気を抜くとこわい(しんどい)ことを思い出す。

 何故私が中途編入という原作ルートを外れたのか。

 始まりは私が幼く、故郷の北海道の僻地に住んでいた頃――……

 

 

 

 

 

 

 4・5歳だったと思う。

 何をするのも楽しくて、意味もなく走り回っていた。

 お母ちゃんが本当のお母ちゃんじゃなくて、私を産んでくれたお母ちゃんは既に亡くなっていると聞かされ、物語として知ってはいたけど悲しくて悲しくてどうにもならなくなって、そんな時に偶然出会った人に思い切り泣いちゃえとか、走ることの楽しさとか、色んなことを教えられて立ち直ったりして……育ててくれたお母ちゃんと産んでくれたお母ちゃんに立派になる、天国に居ても私だってわかる日本一のウマ娘になるって誓ったりして――暇だなんて一秒も感じない頃だった。

 私の実家である農場に見知らぬ人影が近づいてきた。

 前世はともかく、今世はお母ちゃんと牛を買いに来るバクロウさん、例外のあの人以外とろくに顔を合わせたことがなかった私は怖気づいた。

 なにせ無遠慮というか、初対面であることお構いなしにどんどん距離を詰めてくるのだ。

 4・5歳児とはいえまがりなりにも転生者、お客さんという概念は知っていたのでお母ちゃんにぶん投げようとしたら、ソイツがいきなり私の名を呼んだのである。

 

『お、もしかしてスペシャルウィークか?』

 

 初対面なのになんで名前知ってんじゃ。

 恐怖体験である。

 だが本当の恐怖はそれに続いた言葉だった。

 

『この子が未来の日本一のウマ娘か――!』

 

 ちょっと待てや。

 なんでソレ知ってる。ソレ知ってんのお母ちゃんたちだけやぞ。

 産んでくれたお母ちゃんのお墓の前で宣言して以来誰にも言ってないぞ。

 決して見ず知らずのおっさんが口にしていい言葉ではない。

 怪しすぎる。怖すぎる。完璧不審者じゃんね。

 だから。

 躊躇なく防犯ブザーの紐を引いた私はわるくない。

 

 なお不審者はブザーを聞きつけて現れた近所のヒグマさんに張り倒されうちの農場から駆けつけてくれた牛さんに撥ねられ遅れて参上したお母ちゃんにふん縛られおまわりさんに引き渡された。

 そんなことが以後8年近く続くなんて思いもしなかった。

 最近じゃもう牛の花子が対人制圧のプロだよ。人体のどこ踏めば身動き取れなくなるか完全に理解してるもん。この間なんて三人まとめて取り押さえたもん。

 

 で、小学六年になる頃、多分そういう連中が手配したと思われる中央トレセン学園の入学願書がいっぱい届きました。統制取れてないのかよ不審者共。ここまでくると脅迫じゃん。

 当然お母ちゃんと二人難色を示したけど、どうせなら受けるだけ受けてみようという話に落ち着いた。もし仮に受かればこんなド辺境の田舎とは比べ物にならないセキュリティのトレセン学園寮で生活できるし、なにより私の夢のためには高校編入よりも中学から入って学んだ方が効率的だ。受験のために小学校の遠足以来で札幌に行ったけど、やっぱ都会ってすごいなぁって……話がずれた。ともかく私は半ば強制的に中央トレセン学園行きの選択肢を与えられたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ともあれ、私はそうして私以外にも転生者がいることを知った。

 そうなると問題になるのが私である。

 そう、主人公のスペシャルウィークが私ということが問題だ。

 不審者共がそうであったように、転生者ならば多かれ少なかれ私やトウカイテイオー・メジロマックイーンを主人公として見るだろう。なのにお出しされるのは中身が転生者というパチモンスぺちゃんである。私が客だったらふざけんなと返金を迫る。だが返金を求められるのはこの場合私であって、無い袖は振れない。

 いやわかるよ? 前世持ちのスぺちゃんなんて認めがたいって。普通のスぺちゃん出せやと誰もが思うよねって。したって(だって)偽装表示でもなんでもなく私は私なんだもん。

 お母ちゃんたちや牛やヒグマに可愛がられて育った私が偽者だなんて。

 あの愛情が間違いだったなんて、誰にも言わせない。

 パチモンでも偽者でもない。

 今生では私がスペシャルウィークなんだ。

 胸を張ってそう言い切れる。

 

 と、まあアイデンティティに関しては自己解決してるんだけど。

 それでも中身が違うぞとなれば面倒なことになるよね。

 不審者とか不審者とか不審者とか。

 なので極力転生者であることはバレないように過ごしたいんだけど――

 

「大丈夫よ大丈夫……入学式程度でおなか痛くしてるんじゃないわよ……こんなの気のせいよだって私はキング……私はキング……私はキング……! そうよ私は一流のウマ娘になるんだからこんなのなんでもないはずよ……!」

 

 ……門の裏でずっとブツブツ呟いてるの、キングちゃんだよね。馬でも同期のキングヘイロー。しかも言動からして確定転生者。したって(だって)キングちゃんが人前で弱音吐くなんて真似するわけ――いやもしかしてアレ隠れて誰にも気づかれないと思ってやってる?

 いやまさか、そうだとしたらなんまら(すんごい)ポンコツだべ……?

 思わずじーっと見てしまったが周囲の人たちも気になるのか、ちらほらキングちゃんと思しき子を遠巻きに眺めてる。うん、ちょっと放っておきにくい感じ出てるよね。ウマ娘って基本善性の子ばかりだから気になるよね。

 声をかけるべきかなぁと思い始めたあたりでその子は急に立ち上がった。

 丸めてた背もピシっと伸ばし一気に高貴な気配を身に纏う。

 

「――よしっ。さぁ、キングの伝説の始まりよ……華々しく飾ってあげるわ!!」

 

 優雅に、されど力強く翳りなど一切感じさせない歩みで立ち去るのを見送る。

 ……すごいなあの子。一瞬で『キングヘイロー』になった。

 演じてる、って感じじゃないんだけど……ううん、判断が難しいなぁ?

 

 んー、まあ、あの子はさておき。

 いきなり一人目見つけるくらいに多いんだな転生者……

 これ……バレないようにって、無理じゃねえべか。

 うーん。前途多難。

 

 

 

 

 

 

 そして入学式――本物のたづなさんだ、とか本物のルドルフ会長だーなんて高揚はもう無い。

 

「――であるからして生徒諸君は……」

 

 会長のお話がなっげぇ。

 陽気もあって眠たいわ話の内容が入ってこないわでなんまらこわい(すっげぇつらい)

 会長さんもし生徒と距離を感じてるとしたら理由の大半コレだよ。地元の校長先生より話長くて退屈なんだもん。見れる範囲でも新入生の皆歯を食いしばったり手の甲つねったりしてなんとか意識保ってる状態なのに気づいておねがい。

 会長さんっていうド級の美人さん見てもテンションダダ下がるなんて普通じゃないべさ。

 誰か会長さんに演説上手のスキル渡して……そんなんあるか知らんけど。

 うう、お坊さんの読経の方がまだ刺激あるよう……

 つらい。きつい。ねむい。

 新入生一丸となる願いは天にも地獄にも三女神にも届かずお話は10分以上続いた。

 

「――なので君たちは校訓を胸に精一杯走り続けて欲しい。入学、おめでとう」

 

 ……はっ! 終わった!? よっしゃルドルフ会長が壇上から下りてる!

 思わず拍手してしまったのは私だけじゃなかったようで波打つように拍手が広がっていく。

 ちらっと見えた会長さんの顔は満足げで――……もしかして、毎回これで勘違いしてるのか?

 これ称賛の拍手じゃなくて解放の拍手だってお気づきでない?

 うぐぅ……ッ! だとしてもそれを正面から指摘する勇気は私にはない……!

 私と同じような表情浮かべてるのが視界の中だけでも10人以上いる……

 ――私たちは、無力だ。私たちに――ルドルフ会長は救えない――

 

 

 

 

 

 

 何故か無力感に苛まれる入学式という謎のイベントを乗り越えた私たちは朝鞄を置いた教室へと戻っていた。この後は各クラスごとに学園生活における諸注意の訓示と教科書の配布だ。ただ、講堂から新入生全員の移動ということでしばらく時間が空く。

 机に座って鞄から入学案内を取り出す。

 今日の日程が終わった後のことを調べ直そう。

 ええと、寮は別紙に記載、荷物は入居する部屋に届けられてる……この書類か。

 私は栗東寮。知ってるけどね、入学時期ずれてるから部屋割りまで同じかわかんないけど。

 相部屋はスズカさんなのかなー。違ってたらどうなるんだろ。

 ん? 今気づいたけどこれ結構大きな原作乖離になるんじゃ?

 私のせいじゃないから別にいいけども。

 今必要な情報はこれくらいかな。先生が来るまで待つか。

 背中が張ってる気がして、はしたなくない程度に身体を伸ばす。

 

「思ったより緊張したなぁ……体こわい(きつい)わぁ」

 

 正確に言うなら弛緩しないために緊張せざるをえなかったんだけど。

 ――ん? 今誰かの耳がこっち向いたような……気のせいかな?

 

「いや、はんかくさいこと(ばかなこと)言ってないで初日くらいちゃんと――ひぇッ」

 

 なにあの長い髪が弧を描く勢いで振り向いた子!? ホラー演出!?

 ってすごいスピードで駆け寄ってきたー!?

 

「ねえねえアナタ! それ、それそれホッカイドーベンだよね!?」

「ひええ!? ホッカイドーベンって、ホッカイドー……え? 北海道弁?」

「そうそうそれそれ! ホッカイドーの子!?」

「え、あ、はい。道南出身です……」

「ファンタスティック! アタシニッポンのホーゲンが大好きなの! 特に好きなのがホッカイドーベン! ニッポンで一番キュートデース!」

 

 なんかところどころ発音が怪しいけど、外国の子? 目元だけを覆う赤いマスクをしてる……

 いやそれにしても照れるな。方言褒められたのなんて初めてだしえへへ……って。

 エルちゃん? このマスクとハイテンションはエルコンドルパサー?

 

「あの……」

「こーら」

 

 テンションアゲアゲでわちゃくちゃしてるエルちゃんの頭がこつんと叩かれる。エルちゃんが振り返った先には、絵に描いたような、お淑やかという言葉を形にしたようなウマ娘がいた。

 

「そんな勢いよく行ったら困っちゃうでしょう? 自己紹介もしてないのに」

「Oh、ソーリーデース! 念願のホッカイドーベンが聞けて嬉しくて」

「ごめんなさい、エル……この子ちょっと元気が良くて。でも悪い子じゃないんです」

「あ、いえ、私もちょっと呆気にとられただけで、気にしてないです!」

「ありがとうございます。ほらエルも」

「サンキュ、グラシアース! 自己紹介がマダでしたネー、アタシはエルコンドルパサー!」

「私はグラスワンダー。二人ともアメリカ出身で、こちらの常識に疎いのでご容赦ください」

「は、はい! 私はスペシャルウィークです! 北海道出身です!」

 

 うわーうわー! 生グラエルだー!

 エルちゃんの方がところどころ引っかかる言動してるけど本物だー!

 世代最強格の二人! フランスG1を獲り、未だ遠き門である凱旋門賞でもあと一歩まで迫ったエルコンドルパサー! 多くの怪我に悩まされながらG1四勝を挙げさらに私、馬だった頃のスペシャルウィークを完封したグラスワンダー……!

 まさかいきなり会えるなんて……その後は名前長いからエルとグラスでいいですよ、私は地元でスぺと呼ばれてました、なんて会話を続け順調に関係を構築した。

 

「ホッカイドーはゴハンが美味しいって聞きマース!」

「住んでたから実感はあんまりないけど海産物、シーフードが美味しいってよく言われてるね」

「シーフード! ホッカイドーのウミノサチでピザ作りたいデース!」

 

 エルちゃん本当に北海道が好きみたいで、何話しても喜んでくれる。

 よかったぁ……正直アニメ初登場時のちょっといじわるなエルちゃん苦手だったんだよね。

 今思えば入学より厳しい編入で入ってきた子なんてライバル確定だから軽いジャブ打つくらいして当たり前だよなってわかるけど。いやまあエルちゃんが北海道好きなんて描写アニメにもアプリにも無かったろって考えてますけどね。転生者の確率高いよねこのエルちゃん。ビミョーに言動がメキシカンというよりアメリカンだし。

 んなことより故郷褒められるってうれしいよねうへへ。

 エルちゃんがガンガン喋ってグラスちゃんはタイミングを計りかねているのかチラチラこちらを見ては相槌を打つに留まっている。あーイメージ通りだなー。言うべき時でもないと出しゃばらないグラスちゃんって。キングちゃんとエルちゃんの例があったからちょっと身構えてたけど流石にこの子まで転生者ってことはなさそうだ。エルちゃんも不審者共とは違って警戒しなくてよさそうだし。……にしても私ってそんなに方言使ってるかな? 自覚ないんだけど……?

 

「北海道といえば海鮮。間違ってないけどジャガイモを挙げないのは感心しないわね」

 

 聞き覚えのある声が割って入る。

 朝見かけた確定転生者、キングちゃんの声だ。

 

「ジャガイモ?」

「エル、ポテトのことよ」

「ポテト……フムム? ベジタブルも何か違うんデスか?」

「ジャガイモは成長具合を気候風土に左右されるの。北海道で育ったジャガイモは火を通した際の仕上がりが図抜けてホクホクするのよ」

「ホクホク……! よくわかりませんが美味しそうデース!」

 

 知らなかった……! うち農家とはいえ酪農メインだし!

 じゃがバターとか聞いたことはあるけどあって当たり前というか、狙って食べようとまでは思わないし……名産には名産の理由があるんだなぁ。地元民の方が知らないことって多いのかも。

 私が転生者だとバレたら前世と今世で人生二回分道民やってるのに、って言われそう。

 いやでもねほんと地元民って名産品に手を出さないんだよ。露店なんかも観光客向けだなって他人事と捉えちゃうし。お値段も観光客向けっていうかぼったくりっていうかアレだし。

 ……そもそも北海道以外のジャガイモ食べたことないな? え? ホクホクしてないもんなの?

 

「スぺちゃんスペース背負ってるけどダイジョウブ?」

「今の会話に宇宙を背負う要素あったでしょうか」

 

 はっ、意識がジャガイモに吞まれてた。

 私が十勝平野の向こうに行ってる間にキングちゃんは自己紹介を済ませていたらしく、改めて私も名を告げる。

 

「それにしても北海道に詳しいんだね。実家があっち?」

「我が家で取引してる農場がそちらにあるのよ。北海道産の食材は一流だもの」

 

 個人宅で農家と契約ってなにそれすごい。

 キングちゃんの実家がお金持ちらしいとは知ってたけどそこまでとは。

 しかしそのお金持ちっぷりをひけらかすでもなく北海道を立ててくれるあたり本当に『キングヘイロー』だなぁ。演技っぽくないのがすごい。前世も庶民じゃなかったんだろうか?

 

「えっと、それで――」

「話しかけた理由、かしら?」

 

 おっと先手を取られた。

 

「あなたが良いライバルになりそうだったから、ではダメかしら。入学試験次席さん?」

 

 へえー次席。ってことは新入生全体で2位かすごいなー。

 エルちゃんとグラスちゃんどっちだろ……って、なして(なんで)私を真っ直ぐに見てるのキングちゃん。

 

「……へ? え? 私!?」

 

 うそ!? そんないい点取れてたの!? 不審者共の不正とかじゃないよね!?

 再び宇宙を背負った私に普通は公表されないけど伝手があれば順位はわかるとか、それを知って未来のライバル候補と会いたくなったとか色々教えてくれてるけどあんま頭に入ってこない。

 勉強頑張りはしたけどそこまで報われるなんて思わなかった。いやまあ友達ほとんどいなかったから勉強するか農業手伝うかしかしてなかったけどさ。トレセン落ちたら地元の農高目指すべと幅広くやってたのがよかったのだろうか。それともあれか、お母ちゃんのトレーニングがめっちゃ効果的だったとか? 比較対象がほとんどいないから自分の走りがどの程度なのかわからない。

 

「キング~、そう畳みかけちゃ気の毒だよ。純朴そうな子じゃない」

 

 混乱した頭にへんにょりした声が滑り込んでくる。

 その姿を知っている。ぽやぽやした雰囲気の下に冷徹な策士の顔を隠した芦毛のウマ娘、セイウンスカイ。ただ――入学初日ということを考慮に入れると、妙にキングちゃんと距離が近い。

 

「紹介するわね、先ほど友人になったセイウンスカイさんよ」

「セイちゃんでもスカイでもお好きにどうぞー」

 

 ふんわりとした態度ながらキングちゃんの横をキープしてる。

 自然に話してるようでチラチラとキングちゃんに視線を向けてるのを私は見逃さない。

 これは、アレだな、うん。キングちゃん好きの転生者だな。

 誤魔化してるつもりなんだろうけど所作の端々からキングちゃん好きが漏れてる。

 グラスちゃんたちも何かを察して笑みがぎこちなくなってるよ。

 …………初見で見破れる転生者多いな。ほんとに隠す気あるんだろうか。

 

「スぺちゃん入試次席なんて凄かったんですね。流石です」

「じ、実感がわかないなぁ……なんて」

「ohケンソンってやつデスか? オクユカシイデスねー」

「二人とも落ち着いて心なしか体積減ってる感じで小さくなってるからその子」

 

 何かから話を逸らすように話題を戻したグラスちゃんたちを止めてくれてありがとうほぼ確転生者のセイちゃん! でもね! 原因あなたです!! 見てよグラスちゃんたちの微妙な顔! 10秒に一回ペースでキングちゃんに視線向けてるのみんな気づいてるんだよ! 指摘するのはちょっとアレだなってみんなで頑張ってるんだよ! 矛先が私だったのはちょっと辛かったけどさ!

 なんで私たちがアイコンタクトもせずに一斉に話を逸らしたかといえばキングちゃんがもう露骨としか言えないセイちゃんの挙動不審さに全く気付いてないからだ。これが私に向けられてたら防犯ブザー鳴らす確信があるほどに怪しいというのに。察するにキングちゃんは純粋培養。こういう危機感を覚えずに済むほどに大事にされてきたのだろう。ならば守護らねば……! 世俗のヤバさを知らないお嬢様にいきなりコレはハードルが高すぎる!

 ちらとエルちゃんに目で合図する。

 話変えよう。

 エルちゃんは瞬きで応える。

 ネタ切れデース!

 っく! 焦ってるから頭が回らない!

 だがそこにグラスちゃんが机に手をつくサインを出した。

 私が行きます。

 控えめなグラスちゃんが斬り込むだと!?

 

「人も増えたことですし、改めまして……私はアメリカ出身なのですが皆さんはどちらから?」

 

 無難・オブ・無難。

 そうだよ視聴者はそういうの求めてるんだよ!

 ――落ち着こう。なんだよ誰だよ視聴者。

 ころころ変わる話題に気勢が削がれたのかセイちゃんの視線は次第に外れていく。

 教室内のウマ娘の様子を窺ったり私の鞄を二度見したり――なんで二度見した?

 すると一歩キングちゃんから離れ、セイちゃんはウィンクを二回した。明らかにサインだ。

 微妙な表情や態度から読み取ると――ゴメン、浮かれすぎた。

 ……そうね、入学式だもんね。12年待ってようやく推しに会えたんだもんね。

 冷静になれるだけマシだ。脳内の危険度評価を下方修正する。防犯ブザーは要らなそう。

 

「こうして並べると国外のアタシたちはさておき、スぺちゃんが一番遠くデスね」

 

 出身地談義も一回りして総括に入る。

 沖縄出身でもいなければ北海道が一番遠いよね。

 道民視線で言わせてもらうと道南出の私なんてそこまで遠い自覚ないけど。

 

「物理的に距離があるとちょっと二の足踏んじゃいそうになりますねぇ。遠くから来たお三方的にはどーです?」

 

 落ち着いたセイちゃんに水を向けられる。

 

「私は両親の影響もあって日本に興味がありまして……そういう意味では特に」

「アタシは一度走ったコースト、西海岸の芝が脚に合いまして。似た感じで走れるっていうニッポンで学んでみたかったからデスね。パパも納得してくれたからテイコーカン? はなかったデス」

 

 おお、グラスちゃんは知ってたけどエルちゃんはそういう経緯だったんだ。

 多分転生者っぽいから原作でもそうなのかは知らないが。

 芝に合わせてかぁと感心してると視線で先を促される。

 

「あ、えっと私は目標があったから……故郷を離れる寂しさはありましたけど」

 

 目標という言葉にキングちゃんの目が輝く。

 なんだろう、妙に私の評価高くない?

 期待されてるというか、好かれてる……にしても慣れた不審者のソレとは違う。

 キャラクターとしてのスペシャルウィークを知ってるから、では、ない?

 長年不審者共から一方的な好意を向けられていたからこそわかる。

 キングちゃんの感情はあいつらとは違う。

 どう違うのか、とは説明できないけど。

 

「目標ね、いいじゃない。よければ聞かせてくれない?」

 

 一瞬言い淀む。

 私のそれは原作と似ているようで大きく違う。

 おそらく彼女が望むような崇高なものじゃないし……

 それ以前にあんまり口に出したいものでもない。

 でも、誤魔化しようがないし……知っててもらった方がいいだろうしなぁ。

 

「それは夢のためと……えーと……ぶっちゃけ身を守るため、かな……」

 

 案の定会話が止まる。

 うんちょっとね、軽い話の流れで出す言葉じゃないよね。

 

「夢はわかるけど……?」

「身を守るって、物騒ね?」

「うん、実はね――」

 

 かいつまんであの日から始まった抗争の歴史を語る。

 最初はリアクションもしてくれたのだが段々と相槌さえ減っていく。

 5年目を越え防犯ブザーを10個常備するようになったあたりで沈黙の帳が下りた。

 わかるよ。ブザーを鳴らして逃げた先で二人目三人目の不審者が現れるとかホラーだよね。

 ヒグマさんの乱舞技がなかったら今こうして無事でいられたかどうか。

 

「Oh……そんなことが……」

「鞄につけてる防犯ブザー多くね? と思ってたけどそんな理由があったとは……」

「多分北海道で一番防犯ブザー使ってる子だよ私」

 

 エルちゃんとセイちゃんが若干引いてるけど今更なので。

 なんなら地元の小学校でも引かれすぎて裏返り普通に心配されるレベルなので。

 ついでに言うと制服にも3個防犯ブザー仕込んでるよ。

 

「変質者に狙われ続けるなんて……許せないわ……!」

 

 実害にまでは至ってないんだけども。

 とは怒髪天を衝いているキングちゃんにはとても言えない。

 だからボディーガード雇うってウマホ出すの待ってください多分大丈夫だから。

 どこぞの殿下じゃないんだから分不相応ですってあいあむ農家。

 人件費払えないからほんと思いとどまっておねがい。

 私が払う? ダメだって友達に金銭的負担を押し付けるなんて出来るわけないじゃん!

 

「ま、まあスペシャルウィークさんがそこまで言うのなら……」

「トレセン学園の警備は厳重だって話だし大丈夫でしょ。許可されたマスコミ以外は入れないって有名だしさー」

 

 何故か機嫌を上方修正したキングちゃんをセイちゃんが追撃で宥める。

 あとはずっとだんまり決め込んでるグラスちゃんなんだけど……

 

「スぺちゃん……スぺちゃんを守るためなら私、人を、斬ることになっても……ッ」

「ストップグラスちゃんその覚悟決めちゃあかんやつ!」

 

 現代日本で斬り捨てるって表現が許されるのはレースで末脚発揮した時くらいじゃないかなぁ!

 ノーモアウォー! ノーモアウォー!

 みんな心にブレーキ付けよう!? これだけは外付けじゃダメだと思う!

 

「それでも心配デスね……ニッポンってGUN持っちゃダメでシタっけ?」

「対処法がアメリカン」

 

 多分きっと抑止力として提示したんだろうけどブレーキ壊れ気味でセイちゃんが引いた。

 これには流石にキングちゃんも参戦して防犯ブザーが社会的に致命傷与える自衛武器みたいなもんだからとアメリカ組を説得した。治安の悪化は避けねばならない。

 エルちゃん9㎜じゃ止まらないかもしれないから45口径がおススメって言われても困るよグロック36が良いって言われてもわかんないよ。グラスちゃん脇差なら許可が下りる筈ってそれは江戸時代の旅人だよお伊勢参りしてんじゃないんだよ私。

 銃と剣が混在するってここは幕末の京都か大航海時代のカリブ海か――落ち着け私、ここは東京都府中市で時代は現代21世紀……!

 もう何度目だって感じだけど話変えよう!?

 くっそキングちゃんにアイコンタクトするけど気づいてくれねえ!!

 セイちゃんのアシストが全部空回って変な踊りする人になってる!

 

「スカイさん、なんで急に創作ダンスを……?」

 

 今ツッコむべきはそっちじゃないんだよなぁ!

 ほらぁ! セイちゃん顔真っ赤にして蹲っちゃったじゃん!

 ヒトだったら耳まで赤くなるやつだよこれ耳ふっさふさでわかんないけど!

 

「それにしても先生遅いわね。欠席者の関係かしら」

 

 よし話逸れた! と喜ぶと同時に疑問が浮かぶ。

 欠席者? 見回せば皆座ってたり立ってたり自由で席が埋まってるかどうかもわからないのに。

 問えば小耳に挟んだと答えられる。事情通なんだろうかキングちゃん。

 

「そういうわけで新入生はもう一人いるみたいよ」

「もう一人? みたいって?」

「風邪を引いたらしくて病欠なの。先生方が話してるのを聞いたわ。ツルマルツヨシって子」

「あー……」

 

 転生者疑いのかかるメンツの『あー』はツルちゃんだからなぁ……の『あー』だろうね。そっか……入学式で早速躓いたんだツルちゃん……本物か転生者かわかんないけど。取り繕うためか風邪ならしょうがないよねと話していると、蹲っていたセイちゃんが動いた。

 

「ツヨシがやらかしましてね」

 

 ぶっほっ!!

 ちょ、まっ、卑怯だろそれぇ!? 言いたくなるのわかるけどさぁ!

 キングちゃんもグラスちゃんも撃沈してるじゃん! エルちゃんはネタがわからないのかきょとんとしてるけど……このネタが通じないってことは純アメリカ人? 国が違えば仕方ないよね。

 ――グラスちゃん?

 こちらでもあちらでも同じ事件は起きたけど、年齢的に、出身国的にグラスちゃんがこのネタをリアルタイムで知った可能性はほぼゼロだ。極東のアイドルが起こした泥酔事件を揶揄した深夜番組なんてどう考えても知りうるはずがない。いくら日本文化に傾倒するグラスちゃんでもアングラスレスレの日本ネット文化にまでは辿り着かないだろう。

 こちらのグラスちゃんが知り得ないとするなら、情報源はあちらに限られる。

 年代も地域も飛び越えた知識の持ち主。

 つまり――グラスちゃんは、転生者。

 こっそり窺えば、セイちゃんがひどく冷めた目でグラスちゃんとエルちゃんの反応の違いを検めていた。ぞっと背筋に冷たいものが走る。ごく自然な流れで、当たり前の会話一つで探りを成功させた。セイちゃん、アメリカ組を狙って謀った、の? 狙い撃ちで――正確に仕留めたんだ。

 ……私だけじゃなかった。

 転生者という自覚を持ち、他の転生者を探ろうとしているのは。

 緩んでいた気持ちを今一度引き締める。

 私たちが立っているのは薄氷の上だ。

 いつ崩れ落ちてもおかしくない舞台の幕は上がってしまった。

 誰もが与えられた『役』を演じねばならない。

 演劇の裏で何を考えているかなんて見透かせない。

 嘘つきだらけの仮面劇。

 演じた仮面を剝がされた時、どうなるのか……誰も、知らない。

 

「いやホントに来ないデスねティーチャー」

 

 ネタが通じなかったからだろう、どこか気まずげにエルちゃんが話を戻す。

 セイちゃんに感づかれぬよう便乗する。狙いは私ではなかったとはいえ、油断できない。

 次にあの氷のような視線を向けられるのが私でない保証なんてどこにもないんだ。

 

「まだ講堂に誰か残ってるのかな?」

「流石にそれは……貧血でも起こさないとあり得なくない?」

「いくらなんでも遅すぎるわね……」

「何か問題でも」

 

 起きたのでしょうか。そう繋げるはずだったグラスちゃんの声はハウリングを起こしたスピーカーに遮られる。クラス中がなんだどうしたと固まった瞬間、怒声が放送された。

 

『緊急事態発生!! 全職員に第一種警戒態勢を発令! ゴールドシップがアグネスタキオンの製造した薬剤を奪い逃走中! 追撃部隊以外は各教室に籠城せよ!!』

 

 え、なに戦争?

 新入生みんなぽかんと口を開けてたら教職員と思われる人が「誰が来ても開けないように!」と言いながら教室の扉を施錠して去って行った。

 マジでテロリストかなんかへの反応じゃん。内容が意味わかんなすぎて危機的状況に対処し慣れてるアメリカ組でさえ棒立ちだけど。

 ……まあ転生者なら知らないはずがない『ウマ娘』における2大トリックスターであるゴールドシップとアグネスタキオンの名前を一度に出されたから、かもしれんけど。

 っていうかさらっと知らない情報が出てきたな。なにさ追撃部隊って。

 

「えーと、時間できたみたいだし何か話してよっか」

 

 七色に光りたくないから関わりたくない、とは言えずに会話を再開させる。

 君子危うきになんとやらという考えは皆同じなのか、放送へのツッコミは一切無く話題探しが始まった。ちらと視線を巡らせれば他の子たちも放送の件に言及してない。生存本能が働いたかな。

 

「適性がはっきりしてる子っているかしら? どうも私はわからなくて」

 

 話の方向性はキングちゃんのそんな発言で定まった。

 

「適性って距離とかバ場?」

「ええ、スペシャルウィークさんははっきりしてる? 次席なのだし」

「そう言われても……芝も砂も試験の時しか走ってないからあんまり……」

 

 故郷の山を駆け回った時間の方が圧倒的に長いんだよね私。

 地元の学校は私以外ウマ娘が通ってなかったからヒト用のグラウンドしかなかったし。

 

「意外ね。あれだけの成績を示したのだからもう専門教育を受けてるのかと思ったわ」

 

 本当に意外そうにキングちゃんは言う。

 あーこれ、もしかしたら『スペシャルウィーク』のことあんまり知らないのかな?

 だとすると正直に言うのちょっと恥ずかしいな……お金持ちのキングちゃんにうち貧乏だからトレーニングとか全部自前ですーって当てつけみたいだし。やっかむ気持ちとか無いから余計に恥ずかしくなっちゃうなぁ……

 

「あっと、適性はアタシもわからないデース!」

 

 言葉に詰まる私の気持ちを察してくれたのか、エルちゃんが強引に割り込んだ。

 ちょっと不自然だったけどキングちゃんは気づかずあら貴女も? と意識を逸らす。

 ……ごめんねエルちゃん。助かりました。今回ばかりは転生者の事前知識に感謝だよ。

 

「あー、適性は無理に判断しないってのが地元流でシタ」

「あらエルも?」

「グラスもですか。アメリカじゃこれがスタンダードなのカナ?」

「どういうこと?」

 

 その場しのぎの話題なのに私も気になる。適性を判断しないってなんでだろう。

 

「ええと……」

「ザックバランに言うとデスね、どーせ『本格化』でシッチャカメッチャカになるんだから子供の時に調べても意味がないってカンジデース」

「え、本格化ってそんなに変わるんだ」

「地元のコーチの話だとダートで育った子が本格化が来たらターフしか走れなくなったナンテ極端なのもあったそうデスよ」

「流石にそれは稀だと思いますけど……」

「いやー、この話した時の『適性ってわかんねえな』ってコーチの顔が忘れられないデース」

「なるほどねぇ。それこそ極端な話、現役時代どころか引退しても適性わかんないまんまなのにG1は勝ってるってバケモノみたいなのもいるくらいだし」

 

 ん、適性わかんないG1バ?

 それって……

 

「あらすごいじゃない。なんて選手かしら?」

「あー……ちょっとド忘れしちゃったなーあははセイちゃんうっかりー」

 

 忘れるわけねえだろ私の最推しだよ目の前に居るんだよォッ!!!

 って目が語ってるよセイちゃん……熱量凄すぎて火になってない? どこぞのステイヤーみたく目から火が出てない? 私の錯覚かな……キングちゃん無反応だし。

 いや錯覚じゃねえわエルちゃんとグラスちゃんが引いてるじゃん。顔に出るくらいドン引きじゃん。なんで気づかないんだよキングちゃん。ラノベ主人公かよ。

 そういやあったな、キングちゃんみたいな優しいけど鈍感なお嬢様が主人公の女の子向け小説。

 ……もしかしてそちらの世界から来てらっしゃる? いやまさかね……

 

 

 

 騒動はまだ治まってないのか先生が来る気配はない。

 緊張感も長くは続かず教室内はダレた空気が蔓延していた。

 ついでに言えば初対面が多いのだろう、話題が少なく会話が続かないのだ。

 それは私たちのグループにも言えて晩御飯なんだろうね、なんて話になってしまっている。

 重要だけどね晩御飯。晩に限らず三食全部。

 アニメで見たニンジンハンバーグ食べたいなぁ。お母ちゃん食べやすいようにってニンジン切っちゃうからあのまるまる一本ブッ刺すニンジン見たことないんだよ。利便性もわかるけどさ、見た目のロマンとかさ、そういうのが欲しい子供心ってあるんだよね。

 

「スぺちゃんがどこか遠く見てマース」

「緩んだ口元から垂れるよだれを見るにおなか空いたんじゃない?」

 

 ばっちり見抜かれちゃった。

 隠してないんだけど……いや隠した方がいいのかな普通。一応花の女学生なんだし。

 うんまあいいや。晩御飯楽しみだよね!

 

「初日だし定番のカレーかハンバーグってところですかね~」

「アスリートの専門学校なのだしがっつり肉! でくるでしょうね」

「お? キングはハンバーグ予想かぁ。いっちょ賭けてみる?」

「アタシもノりマース! ステーキにベット!」

「エル、ハンバーグかカレーか二択よ……いえ、バイキングということは?」

「賭けてもいいけど食堂は食べ放題ってパンフレットに書いてあるわよ」

「えっ、学生の定番おかずを賭けて勝負ができないじゃん」

 

 割と真剣にセイちゃんが残念がる。策士としてはやっときたいよねそういうのわかるよステーキおいしいもんねポークのしか食べたことないけどバイキングも一度行ってみたいんだよねどんくらいまで食べてもいいのかなぁ。

 

「あの、あまり食べ物の話を続けるとスぺちゃんが……」

「言葉の代わりによだれが出てるわね…‥」

「セイちゃん話題チェンジ頼みマース」

「うえっ無茶振り」

 

 スープ鍋一杯くらいまでなら許されるかなぁ都会じゃドリンクバーってのでカレーが食べ放題らしいしそっちもいいなぁいやいやここはやっぱりお肉でいきたいよね食べ放題お肉2ごはん3の黄金比ならいくらでも食べられる自信があるよサラダとフルーツもバランスよくいきたいよね――

 

えーと、体作りも大事だけど重要なのは戦略だと思うんだよねー!」

 

 んぉ。

 いつの間にか話題変わってたんだ。いけないいけない、無視しちゃうところだった。

 戦略かぁ。入試の範囲内くらいしかまだわかんないなぁ。

 レース中の試行錯誤だけじゃなく盤外戦術――特定の相手を避けてレースを選ぶのも戦略だ。

 クソローテとも謂われる過密スケジュールに敢えて挑むなんてのもあるらしいけど。

 正直そこまでいくとトレーナーさん任せになりそうだなーって気もするね、と口に出す。

 ……なしてみんなほっとしてるべさ? え? 戦略で攻めてくるタイプに見えてた?

 

「皆はさー、狙ってるレースとか戦法とかってあるの?」

 

 これまたセイちゃんらしい話題の振り方。

 後々のための伏線ともとれる誘導は策士セイウンスカイとしても、転生者を探るセイちゃんとしても両立できる。将来のライバルの傾向を知るためとも、原作との差異を見極めんとしているともとれる。実際、両得の策なのだろう。それくらいこのセイちゃんならやりかねない。

 

「狙いなんてないわ。全てのレースで華麗に活躍してこその一流よ!」

 

 まあキングちゃんには効かないけどね。

 これにはセイちゃんも苦笑い。

 仕方なしなのかセイちゃんがダービーとか菊花賞とか取りたいよねーと繋げばエルちゃんもグラスちゃんも三冠は狙いたいですねと続ける。そして最後に残ったのは私。

 気負わず、小さなころからの夢を口にする。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つい、とセイちゃんの片眉が上がった。

 

「ジャパンカップ――はわかるけど、幻惑逃げ? また、珍しい戦法だね?」

「憧れた人の勝ち方なんです。ずっとずっと……憧れてる」

 

 原作のスペシャルウィークが語る筈のないことを私は告げる。

 キングちゃんは動じず、エルちゃんとグラスちゃんが「憧れ……?」と小さく首を傾げた。

 本来、というか原作ではトレセン学園に来る途中でスズカさん――サイレンススズカのレースを観て憧れを抱く。だがこの世界ではスズカさんはまだデビューすらしていない。さらには大逃げではなく幻惑逃げというスズカさんに重ならない条件。不可解ですらあるだろう。

 バレてはならないと気を引き締めた直後の原作乖離。

 別に、矛盾しない。

 要は『私がスペシャルウィークだ』と納得してくれればいいのだ。

 スズカさんの前に憧れた人がいる私がいたって何もおかしくはない。

 この世界のスペシャルウィークは私。それは揺るがないんだから。

 

「ジャパンカップ……幻惑……まさか()()()()()()()?」

 

 セイちゃんの呟きにがばっと顔を跳ね上げる。

 

「知ってるの!?」

「え、あいや、詳しいわけじゃないけど」

「あ、ごめん。地元じゃあんまり知ってる人いなくて……」

「ああ……ジャパンカップ優勝してすぐに引退しちゃったからねえ」

 

 それにしてもとセイちゃんは続ける。

 

「スぺちゃんと何か接点あるの? 大分昔の選手だけど」

 

 当然の疑問だ。

 彼女が活躍したのは私たちが小学校に上がる前。

 たとえテレビで見たとしても薄れてしまうような記憶でしかないだろう。

 だけど、私にだけ向けられたあの優しい笑みは……忘れられない。

 

「うん、私が小さい頃にね――すごく、悲しいことがあって……落ち込んでる時に、偶然あの人が通りかかったの。今思えば引退後の旅行中だったのかな。大きな旅行鞄持ってて……泣きそうで、泣けなかった私の手を握ってくれた。それで思いっきり泣いてすっきりしよう! とか走れば悩んでる暇なんかなくなるよ! とか色々してくれて、本当に……助けられたんだよ」

 

 皆私のお母ちゃんのことは知ってるのだろう、一様に辛そうな表情を見せる。

 

「あの人のおかげで悲しいに整理がついたんだ。あの人に救われて、私は立ち上がれた。私が笑うのを見てあの人は去って行ったけど、名前だけ教えてもらってたから後で調べたんだよ。そしてあの人が走るジャパンカップを見た。言葉に出来ないくらいかっこよかった」

 

 これが私の始まり。

 これが私というスペシャルウィークのオリジン。

 

「初めて世界のウマ娘に勝った人、初代『日本総大将』カツラギエース。私の恩人で、私の憧れの人で、私の目標なんだ」

 

 誰にも恥じない、誰にも否定させない、私だけのユメ。

 言い切って――訪れた沈黙に、ほんの少し胸が痛んだ。

 彼女たちは違和感を抱いただろう。確証は得られなくても何か違うぞと気づいたはず。

 『皆の知るスペシャルウィーク』との差異は、見逃せるものじゃない。

 ……結局はエゴだってわかってる。

 皆が求めるのは『私』じゃなくて『スペシャルウィーク』だから。

 どれだけ虚勢を張っても認められない人は『私』を認めないだろう。

 それでも私は……

 

「……~~羨ましいデース!」

 

 うぇっ。

 

「え、エル?」

「子供の頃にチャンピオンに会えるなんて誰もが夢見るシチュエーション! アタシもやってみたかった!! セクレタリアト*1あたりで!!」

「あたりでって言うにはビッグネーム過ぎよ!? というかエルさん! 重い話よこれ!?」

「おぉ……あの流れでそう行くかぁ……」

「エルっ、スぺちゃんに失礼でしょ……っ。――まぁ私はアファームド*2さんにお会いしたことがありますけど」

「窘めるか煽るかはっきりしてヨー!?」

 

 ……え、えーと?

 急に変わった雰囲気に固まってたら、キングちゃんが一歩前に出た。

 ふんぞり返る勢いで胸を張り、勝気な笑みを私に向ける。

 

「素敵じゃない」

「へ?」

「あなたが何を悲しんでいたのか知らないけど、表情でとても辛かったというのは察せるわ。だけどそれを乗り越え、世界に勝った人を目標に据えるなんて弱い子に出来ることじゃない。あなたは強く立派なウマ娘よ――あなたと共に走れるのが誇らしいわ」

「キング、ちゃん」

「スペシャルウィークさん。あなたをこのキングの好敵手として認めてあげる」

 

 全肯定、だった。

 スペシャルウィークらしくないところを見せたのに、微塵も疑っていない。

 彼女はまっすぐに『私』を、外見や転生知識といった全てを無視して『私』だけを見ている。

 認め、られた……? 原作らしくない、私、を……?

 呆気に取られていると、にゃはは、と気の抜けた笑い声が耳に届いた。

 

「言いたいこと全部キングに言われちゃったねー」

「負けませんよキング! かっこよさでも最強はこのエルデース!」

「ふふ、ジャパンカップ……日本総大将。スぺちゃんの素敵な夢を聞けて嬉しいです」

 

 ――どこかで、諦めていた。

 私は私だけど認められないだろうって。

 それでもと心に決めていたけれど、こうして正面から認められるのは、嬉しい。

 お母ちゃんとあの人以外で『私』を真っ直ぐに見てくれたのは初めてだから。

 

「……ありがとうキングちゃん」

 

 ありがとう、みんな。

 

「私、一生懸命走る! その背に追いつき追い越せるように!」

「ふふ、それでこそ一流に相応しいライバルよ」

「皆で有マを走りまショウ! 最強決定戦が今から楽しみデース!」

「おぉ~、セイちゃんはも少し気楽にいきたいですねぇ~」

「そう言って隙を突くおつもりでしょう? そうはさせませんよセイちゃん」

 

 転生者がどうとか関係ない、ここにいるみんなは最高のライバルだ。

 一緒に走りたい、そして、勝ちたいと思わせてくれる無二の友達だ。

 改めて――私のレースはここから始まるんだと、実感する。

 

 

 ――……ふと、皆の視線が熱いものじゃないことに気づいた。

 あれ? ここってライバル同士がバチバチやるような感じじゃないの?

 なしてみんな揃って微笑ましいものを見る視線で……?

 

「ただねぇスぺちゃん」

 

 困ったようにセイちゃんは頬を掻く。

 

「え、どしたの」

「お気づきでない様子。あのさぁ、レース指定で幻惑逃げってバラしちゃダメだよ?」

 

 ――? …………ッ。

 

「……あっ!?」

 

 幻惑逃げ。幻惑というようにそれはレース参加者全員を騙す緻密極まる作戦だ。

 知られてては効果は半減なんてもんじゃない。普通に磨り潰されて終わりである。

 あの人だってそれまでのレースで一度も見せなかった逃げの戦法で全員を出し抜いたのだ。

 それを正直にやりたいと口に出すってもう、うん、ダメじゃん!!

 気づけばみんな優しいというか生温かい目でこっち見てる。

 うっわぁいたたまれない……!

 

「え、あ、その、違くて」

「うんうん」

「これは、ほら、幻惑逃げ使うぞってブラフで、だから」

「いや安心するわ」

「スぺちゃんにペテンは向いてないデース」

「その様子であんな高等戦術を使うと宣言されましても……」

「事前に苦手分野を知れてよかったじゃない」

 

 優しさが! 痛いッッ!!

 みんなの気遣いが針の筵!!

 そんな優しい苦笑い見たくなかったぁ!!

 

 

 

 上を向いていられないくらい顔が熱くなってる内に先生が来て、解散となった。

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 放課も何も今日は入学式だけだったけども。

 キングちゃん以外みんな美浦寮でキングちゃんも用事があると先に行ってしまった。

 なんだかんだ濃い一日だったな、と一人残った教室で息を吐いた。

 受け取った教科書類を入れた鞄を持ち上げる。ほんの少し重くなった鞄がジャラリと10個の防犯ブザーを揺らし帰宅を急かしているようだった。

 帰宅、か。今更だけど自宅以外で寝るのって初めてだなぁ。

 小学校の修学旅行は流行り病で中止になっちゃったし友達いな、少ないからお泊りなんて縁がなかったし。これが物語ならカツラギさんが私の師匠になって修行だーとかそんな感じでお泊りイベントなんかもあったんだろうか。レース映像見る限り参考になりそうな気がするんだよねカツラギさんの走り方。ド田舎の一般ウマ娘とジャパンカップ覇者じゃどー考えても無理筋だけどさ。

 昔から幾度も考えた妄想を適当に流し廊下を進む。

 夕日が差し込む校舎は薄暗くて、とても走れたものではない。

 これ、我慢できず走る子が出たら危なくないかなぁ。

 入学式しかない日ではやはり人気も途絶えるのかすれ違うこともなく歩き続ける。

 そんな日に何してたんだゴールドシップ。考えるだけ無駄か、ゴールドシップだし。

 流石に照明が充実してる玄関ホールに辿り着き門へと向かう。

 何メートルか歩いて、何の気なしに振り返った。

 夕日を浴び陰影の濃くなった巨大な校舎を見上げる。

 

「……?」

 

 何故、だろう。

 朝見た時とはまるで違う印象を受ける。

 どうして私は、この校舎に対して不気味だなんて感じたのか。

 首をひねりながら校舎に背を向ける。夕暮れ時だから変なことを考えてしまったのだろう。

 歩を進め学校から離れるほどに思考は移ろい今日の出来事を想起していく。

 ああ楽しかった。嬉しかった。

 友達が出来て……とても、心があたたかくなった。

 今日話した子、転生者ばかりだったな。

 総勢2000人を超えるトレセン学園で転生者ばっかと会うなんてすっごい確率――

 

「あはは――――え?」

 

 有り得るのか。一人二人ならともかく私含め5人が5人とも偶然転生者だなんて。

 

「ま、さか」

 

 普通じゃない。そんなのが有り得るとするなら、膨大な母数が必要になる、はずで、

 

「まさか――」

 

 膨大な母数。

 それが意味することは、一つ。

 

 振り向いた先で、巨大な校舎が鐘を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

「トレセン学園、全員――転生者、なの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FULL GATE!!

 

全バ転生者です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
米国三冠ウマ娘。比較対象にヒトを当てようとするとヘラクレスとかそのへんになる控えめに言ってUMA。

*2
米国三冠ウマ娘。鬼強い。






~登場人物紹介~

・スペシャルウィーク
 前世はウマ娘ライトユーザーの道民。今世も道民。
 主人公たるスぺに生まれたことにプレッシャーを感じているが今世の出会いと別れで転生したことへの折り合いはついており、自分なりに『日本一のウマ娘』を目指している。
 育てのお母ちゃんや牛やヒグマに『主人公のスぺ』ではなく『今この場にいるあなた』として愛されたので自己肯定感が良い意味で強い。
 幼い頃より不審者(転生トレーナー)に目をつけられていたので絶対正体がバレたらあかんと思い込んでしまっている。おかげで害意には非常に敏感で邪まな視線を向けられようものなら本人から見えない位置だろうと即座に防犯ブザーを鳴らすレベル。
 憧れの人は幻惑逃げで世界への扉を開いた同郷のウマ娘『カツラギエース』。
 バレてはいけないと思いつつもスぺエミュするつもりは全く無く、行動の規範がスペシャルウィークらしく、ではなくお母ちゃんたちに恥じないウマ娘、であるためカツラギエースに憧れるなどの本家スぺから外れる行動も平気でとる。
 私はこういうスペシャルウィークなんだ、と生きてるメンタル強々ウマ娘。

・キングヘイロー
 前世はウマ娘ガチ無知勢。前世からのナチュラルポンコツ。
 ガチで無知。つまりキングエミュは一切してない。素である。
 メンタルが弱いようで強く人気のないところでよく泣く(バレてる)が立ち直りも早い。キングヘイローのことは知らないがキングというからには立派でなくてはと思い込み「私はキング私はキング」と人気のないところでよく自己暗示をかけている(バレてる)。
 今世の実母にその弱いんだか強いんだかわからないメンタルを心配され原作乖離のやわらかな教育を受けて育った。その結果「おかあさまが喜んでくれる立派なキングになる!」と反骨心ゼロで原作通り一流のウマ娘を目指すようになる。仕事に忙しいお母様との仲は良好。
 この人はほっといたらあかん、と思わせる天才。
 周囲の転生者(実母含む)に一切気づいていないし、自分自身モデルとなった誰かが居るとは知らない。仮に知ったところで天然の光属性なので折れることはないだろう。
 無知であるが故にスぺを色眼鏡なしで見ており、スぺからの好感度が高い。

・エルコンドルパサー
 前世はウマ娘ファンのアメリカ人。日本オタで方言萌え。
 エルを演じなければ、という気負いはほぼ無い。成り代わり転生文化に疎かったからである。
 エルに生まれて、は? メキシカン? いや知らねーよマサチューセッツ育ちなんですけど!? となった。前世も今世もニューヨーカーに憧れておりラテン趣味はあんまりないが、父のマスクは受け継いだ。目下の悩みは辛いの苦手なのにエルなら使うよな……とうっかり買ってしまったデスソース。コレ、食べなきゃダメデース……?
 アメリカでトレセン受験時に出会ったグラスはアニメのグラスよりも脆く儚げな印象だった。手折ればすぐにでも枯れてしまいそうな儚さに衝撃を受けながらもリアルだとこういう子なんだ、と受け入れ転生者だとは思っていない。が、その観察眼が節穴というわけではなくグラス以外に不審な行動をとった者は転生者であると見抜いている。
 グラスに抱いた感情の名をまだ知らない。

・グラスワンダー
 前世はスぺちゃん単推しガチ勢。スぺちゃんの勝負服のレプリカ一式を揃えるレベル。
 前世と今世で生まれた国が違い、文化の違いに耐えきれず縋るように前世の母国である日本文化へと手を伸ばした。趣味嗜好だけ見れば本家グラスと同じような道を辿っているが本質は真逆とすら言えるほどに繊細でか弱い子。武道を学んだのも恵まれた身体スペックと精神の脆さのアンバランスさを自覚し心を強くしたいがためだった。
 この身体に生まれたのならばいつか出会えるかもしれない、と前世の激推しスぺちゃんを心の支えにして生きてきた。その愛は良くも悪くも大きく重く育つ。
 中途編入でなく入学時点でスぺと出会えたことには驚いたが、より長く一緒にいられると素直に喜んだ。エルが転生者であることには気づいているが他のメンバー、特にスぺが転生者であることには気づいていない。グラスにとってスぺは己に無い強さを持つ永遠の憧れ。崇拝の対象である。
 エルは手がかかる妹のような子だけどいつも私を気遣ってくれる優しい子。
 本物じゃないと知っているけれど私にとってのエルはこの子だけ。

・セイウンスカイ
 前世はキング同担拒否ガチ勢。ウンスキンが地雷。
 性格はともかく口調は完全にセイウンスカイエミュである。素の口調は荒い。
 セイウンスカイのことは嫌いではないどころかむしろ好きだがキングと恋愛的に絡むのだけはNGだった。のに何の因果かセイウンスカイとして生まれてしまう。
 キングに会えるのは嬉しい、しかしこの身体で絡みに行くのは辛い。という二律背反に苦しんでいる。中身が自分なら正確にはウンスキンではないのでは? と薄々気づいてはいるが、びびりの口実にもなってしまうため改善の兆しは見えない。要は恋愛クソ雑魚ウマ娘である。
 キングコールは心の中でになるがしたいので取り巻きーズ早く来てくれ(後輩なので最低でもあと一年は来ません)。その内耐えきれずキングコールしだす。
 前世から策士タイプの性格をしており、周囲にキングに手を出しそうな者が居ないか普段から探っている。転生者は容疑者として上位に位置するので要警戒対象だが、グラスはスぺ一筋、エルは無害で対象外と判断した。スぺは核心となる疑惑の隠蔽が上手いので見極めかねている。
 ただ一人キングが転生者であることに気づいていない。恋は盲目である。

・ツルマルツヨシ
 病欠。



・不審者
 大半は転生トレーナー。たまに転生ウマ娘。男女比率は6:4。
 おおむねスぺの幼馴染になろうとして撃墜された者たち。
 無思慮に牧場敷地内に入るのでスぺからは「酪農ナメてんのか」と嫌われている。
 トレセン学園では互いの牽制とたづなさんの眼力で身動きが取れない。
 普段は真面目にトレーナーやレース走者をやっている。





・カツラギエース
 ジャパンカップ初代日本人覇者。
 転生者か現地民かを含め個人情報は不明。
 産みのお母ちゃんを除けばスぺが初めて出会ったウマ娘。
 引退後実家に帰る途中で沈んでる幼スぺを見かけ励ました。
 シンボリ家から多額の懸賞金がかけられている賞金首。ONLY ALIVE(生捕りのみ)。






全員転生者(アウトレイジポスターっぽく)

カツラギエースの初代日本総大将の称号についてですが、実際にジャパンカップに置いて「日本総大将」と呼ばれたのはカツラギエースが優勝した翌年のシンボリルドルフが最初です。なので厳密に言えばルドルフが初代なんですがここの世界だとJC日本人覇者の称号ということで前年優勝者のカツラギエースにも遡及し「初代」と呼ばれたということでひとつ。

猫井でした。


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たすけておかあちゃん

コメント初めて10件以上もらえてテンションブチ上がり続きました。


 

 衝撃の事実に気づいてしまった私、スペシャルウィーク(12歳。来月誕生日)はSAN値チェック。

 1d100でどうぞ。……カラコロカラコロ……いや脳内ダイスを振るにはまだ早い。

 思い違いの可能性もある。奇跡的な確率でそう誤認しただけかもしれない。

 このトレセン学園に通う――職員を含めれば軽く2500人を超える人々が全員転生者だなんて。

 

「……そっちの方が、ありえない」

 

 はず、だよね。たぶん。

 たづなさんやルドルフ会長は――ダメだ、すれ違っただけに等しい接点ではわからない。

 私自身が転生者ということでリーチがかかる……のか? いやそれもどうなんだ。

 なにかを判断するにしても情報が不足し過ぎている。焦っても無意味か……

 今は予定の消化につとめよう。

 入学案内にはこの後寮で新入生の歓迎会が開かれると書いてある。

 18時に食堂集合……あまり時間が無いな、早く自室となる部屋に行って着替えなきゃ。

 トレセン学園本校舎とは道路を挟んで向かい側にある学園寮に足を踏み入れる。

 歓迎会の時間が差し迫ってるせいかまばらな人影にぎこちなく挨拶をしながら書類に書かれた自室へ向かった。ええと、この部屋だな。うん、番号に間違いはない。

 さて、緊張の一瞬だ。私の相部屋になるのは誰だろう。

 ノックをするとすぐに「どうぞ」と返事が来る。

 ん? この声って……

 

「あれ、キングちゃん?」

 

 よろしくお願いします、と用意していた言葉は予想外の顔を見て吹っ飛んでしまった。

 

「ずいぶん遅かったわねスペシャルウィークさん」

「あ、うん。ちょっと考えることができちゃってね……キングちゃんが相部屋なんだ」

 

 今日できたばかりの友達。

 ほぼ確定で転生者の馬としてもウマ娘としても同期のキングヘイロー。

 何故転生者確定かと言えば。

 

「よかった……! 荷物の名前でスペシャルウィークさんだとわかってほっとしていたけど実際に姿を見るまで同姓同名の別人の可能性も捨てきれなかった……! この期に及んで知らない人が相部屋だったら耐えきれなかったわ……いえ、仮にそうだったとしても潰れる理由にはならない。私はキング……! 一流になるウマ娘なんですもの……! ああでも友達でよかった……!」

 

 ……とまあ気づかれないと思ってるらしく小声でメンタル弱いとこ出ちゃうあたり原作のキングヘイローとはまるで違うよね。って。

 うんあのねキングちゃん。流石に室内で向かい合ってる時にそれで気づかないってのは無理があると思うんだ。気の毒だから言わないけどさ。

 

「よかったです友達が相部屋で。初めて尽くしだから緊張しちゃって」

「ッ! そ、そうね、多少でも気心が知れてる分やりやすいのはあるわ」

 

 聞こえなかった体で話を進めながら生じた疑問を考える。

 ――どういうことだ? 予定外の私はさておき、キングヘイローの相部屋はハルウララだったと記憶している。原作ルートを外れてスペシャルウィークが入学したことでズレが生じた? いや待て、たしかハルウララは……そうだ、ハルウララは原作ルートの私と同じ中途編入。私がルートを外れたからと言って向こうも同じとは限らない。丁度空いた隙間に私が入り込んだ形になるのか。

 

「贅沢なことを言っちゃうけど、先輩と相部屋になれなかったのは惜しくもありますね」

「あらどうして?」

「先に進んでる人から学べることって多いですし、身近になればなおさらかなって」

「なるほど、そういう考え方もあるのね……特にデビュー済みの上級生なら……」

 

 適当な会話にも感銘を受けたらしくキングちゃんは真面目に考え込む。

 妙に弱気なとこあるけど強さに貪欲なとこはキングヘイローっぽいなぁ。

 

「あ、それよりスペシャルウィークさん、急がないともう歓迎会よ?」

「え? あ、あと10分!? あわわ服入れたのどの箱だっけ……!」

「仕方ないわね私の服を――サイズが合わないか。慌てないでとりあえず全部開けて!」

 

 などとドタバタする一幕もあったがギリギリ歓迎会には間に合った。

 なお、夕食は特別メニューということでバイキングスタイルであり、ちょっと前にやった晩御飯のメニュートトカルチョはグラスちゃんの総取りとなった。何も賭けてないけどね。

 消灯時間にツルちゃんが風邪拗らせて緊急搬送されたこと以外平和な夜だった。

 ……大丈夫だよね? ギャグオチで済む程度だよね……?

 

 

 

 

 

 

 知らない天井だ。

 一度はやっておきたいネタではあったがお泊り経験ゼロの私だとガチモンになるなこれ。

 んー。5時かぁ。牛の世話しなくてもいいとわかっていても体に染みついちゃってる。

 今頃お母ちゃん一人で牛の世話してるのかなぁ。さんざん話し合ってからこっち来たけどやっぱ心配だな……お母ちゃんまだ若いけど風邪とか腰ヤるとかどうしようもないことあるし。

 何年前だったか、お母ちゃんが初めて腰ヤった時はマジで動けない!? って流石にパニック起こしてたもんな……泣きながら数十キロ先のお隣さんとこまで助け呼びに走ったのが懐かしい。お隣さんが幸いにも元ばんえいレースの選手で腰ヤった時の対処とか詳しくて軽トラでスムーズに病院まで連れてってくれた上しばらく面倒見てくれたから助かったけど。

 うん。たまに帰った時はしっかり手伝おう。

 まだキングちゃんが寝ているので起こさないようこっそり上着を羽織って部屋を出る。

 洗面所に向かうと流石エリートアスリート養成校、もう起きてる人がちらほらいて幾人かと挨拶をした。たぶん先輩かな?

 顔を洗い歯を磨きながらすれ違った人たちの顔を思い出す。

 知ってる顔はいなかった。昨夜の食堂みたいに集合してるわけじゃないからかな。

 昨晩の新入生歓迎会はクラスの人数など比にならないほどウマ娘が集っていた。当然中には原作で見知った顔も多く上級生ではバンブーメモリーやオグリキャップ、ビワハヤヒデなどそうそうたる名バもいて――オグリさんの抱えてた大人のお子様ランチチョモランマ盛りが一番印象に残ってるのだが――いやほんとなんだあれ。一人でお盆じゃなくテーブル一つ持ってたよな? 私含め二度見三度見しなかった新入生はいなかったぞ。笠松トレセン学園の食堂を営業停止に追い込んだという伝説に偽りはなかったのか。

 まあ突っ込み切れないのは置いといて、新入生もクラスメイト以外で知ってる顔がいっぱいいたんだよね。例えば鉄の女として有名なイクノディクタス見かけたけどハンバーガーが食べる端からこぼれてた。キャラを守るためにそこまですんのかと一瞬思ったがウマ娘の優れた聴覚は本気で呟かれた「何故……」という悲哀の声を聞き逃さなかった。マジでハンバーガー食べるの下手なんだイクノさん。転生者かどうかわからんけど難儀だなとこっそり合掌。最終的にイクノさんはナイフとフォークでハンバーガーを分解して食べてた。

 ほかにもオペラオーやドトウ、マンハッタンカフェ――この辺までくると新入生か上級生かちょっとわからないけど、まあ大勢いた。メイショウドトウとかあの体で去年まで小学生はなかろう。

 視界から人影が消えたのを確認し考えを整理するために声に出す。

 

「寮長がフジキセキじゃないのがびっくりしたな」

 

 初顔合わせということで栗東寮・美浦寮の新入生が集められ両寮長の挨拶があった。

 私が入る栗東寮長はメジロデュレン*1

 エルちゃんたちが入る美浦寮長はアキツテイオー*2

 二人とも原作じゃ知らないウマ娘だった。

 この世界での実績ならそりゃ寮長に抜擢されるわな、ってレベルなので知ってたけど。

 デュレン寮長はボリュームのある鹿毛が特徴的なG1二勝ウマ娘。

 アキツ寮長は和風のポニテに簪を挿したすごい長身のG1三勝ウマ娘。

 二人とも天皇賞とか有マ記念とか勝ってるレースがえげつない。

 アキツ寮長なんてクラシック後半以降は1着か2着しかとってないなんて化物だ。

 実馬の方はとんと詳しくないからわかんないけど有名な馬なんだろうか、アキツテイオー。

 名前からしてトウカイテイオーの親戚かな?

 何故か「テイオーと呼ぶなアキツと呼べ」と変な拘り見せてたから転生者だろうけど。

 もうすぐトウカイテイオーが入学してくるから被りは避けたい気持ちはわかるんだが。

 対してデュレン寮長は……確証が得られないんだよなぁ。言動に不自然なところがないし。

 虎穴に入らずんばとは言うけど無理に接触するのも考え物だ。

 なんせメジロ家のご令嬢だもんなぁ。シンボリ家と並ぶ超名家。

 転生者かどうかを調べる必要なんてないんだけどさ……一度気になっちゃうと、ねえ。

 

 まあともあれ、二年早い入学で大分違ってることは確認できた。

 ハルウララの不在。それに伴いキングちゃんの相部屋が私に。

 フジキセキ・ヒシアマゾンがまだクラシック期で寮長ではない。

 未確認だがこの分だと生徒会の面子も異なっているだろう。

 あと気になるのはこの世界線がアニメ時空なのかアプリ時空なのかってところだけど……

 この世界は現実だ。何もかもが原作通りに進むわけじゃない。私という存在がそれを証明している。だがアニメかアプリかというのは指針の一つになる。知っておいて損はない。

 転生者がどうのと違ってこっちは私の将来に直結するからな。ちゃんと調べよう。

 

 入学二日目。

 学業への準備期間として休みになっている日の使い方は決まった。

 鏡の中の私はキメ顔で笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 ノートなんかの消耗品は初めからこちらで買う予定だったので学園内の購買に向かう。

 ちなみに7時頃放送があって昨夜緊急搬送された生徒の容体は安定したとのことだった。

 よかったねツルちゃん。まだ会えてないけど。

 制服に着替えキングちゃんに挨拶をし朝食を済ませていざ到着、なのだが。

 どの世界線かってどうやって調べればいいのだろう。

 入学式の面子――ルドルフ会長にたづなさんに秋川理事長……秋川理事長って最初はアニメに出なかったけど後から出てるんだよね。この辺じゃ判断できない。

 桐生院トレーナーが居れば一発なんだけどたしかあの人開始時点で新人だったっけ。

 ということは現時点ではまだ学生? 判断するにしてもあと二年か……

 で、チーム方面から調べようにも――

 掲示板に張られた各チームのポスターを順繰りに眺める。

 アルタイル、ベテルギウス、カノープス、シリウス、ミモザ、デネブ……スピカが無い?

 あのクソダサポスターが見当たらない。二年前だから制作されてないだけ、なのかな?

 スピカが無いからアプリ時空! とは決めにくいな……リギルがあるし。最強チームだけあってかメンバー募集ポスターはないけどルドルフ会長のチームとして有名なのだ、リギルは。

 そもそも言及されてないだけでどっちにもあったりするんだろうか?

 もしそうだったら調査いきなり終わるんだけど。未解決で。

 キメ顔で出てきたけど世界に関することなんて田舎の小娘に調べられる範疇にないよ。

 

「こういうのは科学者キャラがやることだよね……」

 

 科学者? 『ウマ娘』で?

 アウトなのしかいねーじゃん。「ドーピングしない」以外の倫理全部捨ててるじゃん。

 よし、わかった! 科学的アプローチは間違ってる!

 つまり現状打つ手なし! 買い物して帰るか!

 

「……虚しい。味方がいないの再確認しただけで終わった……」

 

 なんでキメ顔なんかしちゃったのかな私。

 気合の無駄遣いでしかなかったじゃん。

 溜息を吐きながら掲示板の前を通り過ぎようとして、ソレが目に入った。

 

 

WANTED

ONLY ALIVE

KATURAGI ACE

〝初代日本総大将〟カツラギエース

¥401,683,400-

 

「スゥー……」

 

 なにこれ。

 なにこのドンッって擬音が出てきそうなセピア色の手配書。

 いつのまに令和から大海賊時代に改元したの日本。

 四億て。四億てガチモンの賞金じゃんツチノコの四倍じゃん。

 

「なしてカツラギさんが賞金首になってるべさ……」

 

 罪状何かと思えば優勝したレースのことしか書いてないしほんとなんなのこの手配書。

 あ……下に配布用の箱がある。持ち帰れるんだコレ…………さ、三枚ほど……あ、カラー版もある。じゃあこっちも三枚……

 だってしょうがないじゃん。写真なまら(すごく)かっこいいんだもん。これジャパンカップ優勝して沈黙したスタンド見上げてる時の写真じゃんこの横顔さいっこうにかっこいいんだもん。この写真が載った時の月刊トィンクル古本屋で二年探して買ったくらいだもん。

 発行元がシンボリ家ってなってるのは見なかったことにした。

 なんか歪んだ愛情感じ取れて怖かったから。

 うん深く考えるのはやめよう。

 カツラギさんのポスターが手に入ってラッキー!

 よっし今度こそ買い物続行! もう無駄なことはしないし見ない! 疲れる!

 

 

「えーと、受講科目数がこれで、ノートの数は……うんちょっきし(ぴったり)

 

 いやー流石エリート校。文房具の品揃えが専門店並だ。

 購買で揃わなかったら外行こうと思ってたのに全部買えちゃった。

 色んな使い方するのを想定してるのか普通のからルーズリーフまでノートも豊富で困らない。

 中央ともなるとこういう細かいとこまで気が回るんだなぁ。

 こわい(しんどい)ことから目を背けて買い物の成果に満足していると見知った顔が視界を過ぎった。

 

「あれエルちゃんどうしたの」

「Oh.スペチャン!」

 

 今カレンチャンと同じイントネーションになってなかった?

 時々発音おかしくなるなエルちゃん。

 見れば手ぶらで私のように買い物ではないみたいだけど何しに来たんだろう。

 

「そっちの寮に辛いの好きな人いまセーン?」

「辛いの? タバスコとか?」

「実はコレ……」

 

 ポケットから取り出されたのは細長い箱。

 やたら凶悪なドクロが笑ってるパッケージ。

 いわゆるデスソースだった。

 

「アタシ辛いの苦手なんデース。使い道が無くて」

「なんで買っちゃったの」

「イキオイで……」

 

 勢いか。じゃあ仕方ないね。

 ていうか転生者だけあって嗜好が違うんだなエルちゃん。

 簡単に手放すあたりエミュのためじゃなく本当に勢いで買っちゃったんだろう。

 にしても辛いの……オグリさんならいけそうな気もするけど好んでるって話あったかな。

 んー。あ、そういえばドトウが激辛ラーメン食べてた気がする。アプリでだけど。

 

「多分だけど、メイショウドトウって人が好きかも。昨日も赤いの食べてましたし」

 

 席が遠くて確証はないんだけどね。隣に座ってたオペラオーが咽てたから多分そう。

 隣に座ってるだけで咽るってどういう刺激物だったのだろう。

 ドトウですか今度訪ねマース! とエルちゃんは喜ぶ。

 

「サンキューグラシアース! これで無駄にしなくて済みマース!」

 

 付き合いまだ短いけどエルちゃんのメキシコっぽいとこグラシアスだけなんだよね。

 大丈夫なんかな色んな意味で。

 

なんもさー(気にしないで)

「ッ! ナイスホーゲン!」

 

 ……えっ!? 今の方言だったの!?

 

「ところで何持ってるんデース?」

「ああこれ、向こうで配布してた手配書で」

「手配書を配布……? え? どういうことデスか……?」

 

 ほんとどういうことなんだろうね。

 その後はこの人がスぺちゃんの憧れの人デスかー! なんて平和な会話をして別れた。

 

 

 

「あっと――」

 

 あれ? 道間違えたかな。

 帰ろうと思ってたのに門が無い。というか噴水――三女神像がある。

 えーと、中庭かここ。逆方向に来ちゃったか。さてどう戻ったものか。

 なんとなく三女神像を見上げる。

 三女神像か……アプリだと因子継承ってシステムに組み込まれてたけど流石に現実じゃ起こんないよねえ。よくよく考えると他馬の因子を継げるって理屈がよくわからんし。

 そもそもどういう神様なのかがわからん。

 原作では正体っぽい説は示唆されてたけどそれがどういうもんかはっきりしない。

 ついでに言えば転生するにあたって三女神に会った記憶がない。

 ウマ娘の神様って話だから元ヒトじゃあ会えないとかそういうものなんだろうか。

 

「どうしたの?」

「いやこの三人結局誰なんだろ、と」

「ああ……神話自体が曖昧だものね」

「そうなんですよ、教義も禁忌も無ければ英雄譚も無い。三女神自体の名前も徹底して省かれてて遥か昔から信仰されてる、なんて言う割に物語性が皆無の一言に尽きる。はっきり言って宗教としての体を成してないんですよね……」

「く、詳しいわね?」

「前に気になって調べたんです。資料が少なすぎて逆に調べやすくて」

「なるほど……」

「ところでどちらさまでしょう?」

 

 自然に会話繋げちゃったけど知らん声だ。

 振り返るとそこには綺麗な鹿毛の髪を長く伸ばした人が立っていた。

 制服からしてトレセン生――年上だろうか。新入生のような浮いた感じはしない。

 左耳に飾りがある。前は牝馬だった人か。

 うんやっぱり知らん人だ。

 

「あ、えっと」

 

 ? なんで動揺してるんだろう。

 顔に視線を感じるあたりどうも私が怪訝な顔してるのが気になるみたいだけど。

 

「あ、あの、どこかで会ったこと、ないかな?」

「はい?」

 

 何言ってんだこの人。

 私が会ったウマ娘なんてカツラギさんと数十キロ先の隣家で農業やってる重種*3の人だけだべ。

 この人は重種じゃない、というか重種の人は中央に来ないし。

 新手の不審者か? と一瞬思ったけどなんとなく気配が違う。気がしないでもない。

 

「いえ、お会いするのは初めてだと思いますけど……私田舎の出なのでウマ娘の知り合いがほとんどいなくて」

「あ、そうなんだ……へえ……出会いがなかった、のか……

 

 何か呟いているがますますわからん。

 私が知り合いにでも似てたのだろうか?

 がっかりしてるような、ほっとしてるような……どうにも気持ちが察せない。

 ていうか結局誰?

 

「あなたは――スペシャルウィーク、だよね。入試次席の」

「え、そ、そうですけど……」

 

 どこまで広まってんの!? キングちゃんは伝手があればわかるって言ってたけどさ……

 誰かもわからない相手に個人情報知られてるってのはいい気がしない。

 それが顔に出たのか、見知らぬ人は慌てた様子で名乗り出した。

 

「えっと、ゴメンね、自己紹介が遅れちゃって。私はメジロドーベル。多分、君の一つ上かな」

「あ、はいメジロ、えっ、メジロ家の!?」

 

 あー! この人メジロドーベルか!

 キャラもサポカも引けなかったから印象薄いんだよね。

 キングちゃんみたいに他キャラのストーリーにバンバン出てくるってこともなかったしどういうキャラか把握できてないなぁ。……あれ? これ転生者か判定できないやつ?

 まあそれは一旦置いといて、メジロ家か。そりゃ伝手あるよね。

 デュレン寮長と同じ出身。国内有数の名家メジロ家。

 転生知識抜きにしてもメジロ家を知らない日本人なんていなかろう。

 トゥインクルシリーズで活躍する血族たちを除いても日本中に影響力がある規模の資産家一族。不動産海運一次・二次産業……手を伸ばしてない業種が無いのではないかと言われるほどだ。

 私の使ってるウマホのメーカーもメジロ傘下だった気がする。

 うん。

 普通にビビる。私庶民の農家だもん。

 

「えっと、メジロデュレン寮長にはお世話に、なるかもしれません。よろしくお願いします?」

 

 とちった。

 そらそうよ入学二日目だもの。遠目に挨拶しただけだもの。

 直接言葉を交わしたこともないから定番挨拶お世話になってますが使えんのよ。

 

「あ、アタシは美浦だから気にしなくても……えっと、親戚ではあるけど、ご、ご丁寧に?」

 

 会話が止まる。

 ……え、これ私が話さないといけないやつ?

 難易度Sなんですけど。

 

「メジロドーベル、さん。その、何か御用でしょうか?」

「あの、メジロって言ってもアタシなんて全然大したことないし、デビューしてないし実績もまだ無いからその、気軽にってのは難しいかな……あんまり硬くならないで、ほしいんだけど」

「そう言われましてもメジロ家って大きすぎてスケール感わかんないですし、それ以前に先輩なのでそうくだけるのも失礼かなって思っちゃうんですが」

 

 私間違ってます?

 って顔した段階で気づいた。この言い分の方が失礼じゃんね。

 わ~ぉ大失敗!

 なんて胸中で叫ぶくらい顔を青くしてたら、メジロドーベル先輩は小さく笑っていた。

 ほわい?

 

「正直だね」

 

 透き通るような笑みだった。

 ……これ土下座した方がいいやつかな?

 ちょっとこのタイミングで笑う意味がわかんない。

 怖い。

 土下座キメようと正座したら何故か慌てて止められた。

 完全に打ち首コースの流れだと思ったんだけど違ったらしい。

 すごい早口で本当に気にしてないむしろ好ましいと捲し立てられた。

 ヤバいこの人が何考えてんのかほんと理解できない。

 こっちはバッドコミュ連打してる気分なのになんで好感度上がってんの。

 

「えっとスペシャルウィーク……」

「あの、長いのでスぺでいいですよ。メジロドーベル先輩」

「そう? じゃあアタシもドーベルでいいよ」

 

 ぐいぐいくるぅ。

 距離感の詰め方がエグいっていうかアクセル微調整できてない感じがする……

 既に失敗しまくってる気がするけどここで間違えたらなんか一気に崩れそうでまじこわい。

 

「えっと……ドーベル、さん」

 

 嬉しそう。

 かわいいね! 私地雷原歩いてる気分だけど!

 そうか先輩呼びがアウトか――こっちとしては親しくないし先輩呼びで通したいんだが。

 あれかな? 超名家だから遠巻きにされちゃって……的な。

 んで空気読めない新入りの無礼が心地よかったみたいな?

 ……それだけでここまでアクセルベタ踏みになるかな?

 などと考えていたら、向こうが地雷踏み抜いてくれた。

 

「それにしても――小さい、んだね」

「うぐっ」

 

 ついに言われてしまった。

 そうだよ私背が低いんだよ……!

 原作スぺちゃんは158㎝あったはずなのに私140ちょっとしかないんだよ……!

 同級生みんな私より20㎝は背が高いなんてひっでえことになってんだよねぇ!!

 原作開始まであと2年あるからこれから伸びるんだと皆も思ってくれたのかクラスメイトは誰も突っ込んでこなかったし私もいけるんじゃないかと思い込もうとしてたのにさ。

 何が悪かったのかな……鍛え過ぎて骨が伸びなかったのかな……

 女子で13歳になろうかって時にこれじゃあもう望み薄じゃん……

 身長140ってタマモクロス一直線じゃん……

 

「え、その、小さいのにすごいなって! 君走るの速いんでしょ!?」

 

 歯を食いしばってるのが見えたのかフォローしてくれるけど無理です悔しいです。

 だってこの人目算原作スぺちゃんと同じくらい背が高いもん。160あんじゃないの。けっ。

 

「それに、ほら、か、可愛いじゃない!」

「可愛さよりもかっこよさと長いストライド稼げる脚が欲しかったです」

 

 血涙出そう。

 お母ちゃんのトレーニングも歩幅狭いからピッチ走法極めた方がいいわで固定されちゃってるしさもうせめてあと10㎝背が高ければストライド走法で華麗にスパート! とか出来たのにさ。

 

「――え?」

 

 慌てた様子の無い、消え入りそうな声。

 潮目が変わったにしてもどうして急に? と顔を上げれば彼女は驚いた顔をしていた。

 

「ドーベルさん?」

「あ、いえ……もう、自分の走りが見えてるんだ、って」

「見えてるって、漠然としたものですけど……」

 

 アニメで見たスぺちゃんの走り方だし。

 今の私の脚はあんな長くないし現実に即して改良する余地はありまくりだと思うし。

 どっちかっていうと映像で見たカツラギさんの真似に近いから言うほどでも……

 

「それでも、十分すごいと思う。アタシなんて……全然見つからない」

 

 ……ああ、上級生だもんな。

 本格化が来てるかはわかんないけどデビューの時は刻一刻と迫ってる。

 基礎となる走り方に明確なヴィジョンがないと不安になるというのはわからないでもない。

 メジロ家なら子供の頃から教育されてるだろうし、その焦りは一入だろう。

 その重責は背負うものの無い私には理解の及ばぬものだ。

 だけど、走ることだけなら私にだってわかる。

 

「私は――小さい頃から明確な目標がいただけです」

 

 ()()()で欧州最強を倒したスペシャルウィーク。

 ()()()で世界に勝てることを示したカツラギエース。

 

「私は出会いに恵まれました。あの人たちの背を追ってがむしゃらに走って真似をした。それがたまたま使い物になった。それだけだと思うんです」

 

 追うだけではダメかもしれない。これから変えていかなきゃいけないのかも。

 それでも前世と今世。あの日私の眼に焼き付いた走る姿を忘れることはない。

 あなたにもそんな尊敬できる人がいるのでは? と水を向ける。

 

「それ、は……マックイーンとか、まだ小さいのにすごいなって……それに、ラモーヌさんは、憧れるけど……そんなので、いいのかな」

「あなたが褒めてくれた私はそれです」

「ッ!」

「私は憧れた人たちに胸を張れる走りがしたい。私にとってはそれが全部です」

 

 ドーベルさんは俯いて、私の言葉を噛み締めているようだった。

 多分そのすごい人たちが彼女の自信の無さに繋がってるんだろう。

 だけど見方を変えればそれは目標になる。一歩を踏み出す理由になる。

 彼女もそう思ってくれれば、と伝えたかったんだけど……どうだろう。

 私、弁が立つ方じゃないからなぁ……

 

「やっぱりすごいね、君は」

 

 ふわりと、頭を撫でられた。

 

「アタシの悩みなんて一蹴しちゃうんだね」

 

 見上げたドーベルさんは微笑んでいて――――

 

「え、いや!? そんな軽く見てないですよ!?」

「あはは、わかってる。ありがとうね――スペちゃん」

 

 迷いが晴れたかどうか、付き合いもなければ原作キャラも知らない私にはわからない。

 袖すり合うもなんとやらと言うし一助になれればって気持ちだったんだけど、察せるのは少なくとも重荷を重ねることにはならなかったくらい。

 彼女はただ優しい笑みを浮かべてまたねと言い残し去って行った。

 

「ドーベルさん、か」

 

 メジロドーベルさん。

 綺麗な人だった。多分悪い人じゃない。

 原作の方を知らないから転生者かどうかって判別はつかないけど。

 その上で、私が言うのもなんだけど、という自覚はさて置いて。

 ……完全に友達いない人の喋り方だったな……大丈夫かなあの人……

 

 

 

 

 

 

「ここどこぉ……」

 

 買い物だけだしと横着せず生徒手帳持ってくるべきだった。

 生徒手帳には簡易見取り図が載ってたからいくらか目安になっただろうに。

 ドーベルさんと別れてからあれでよかったのかなぁなんて考え事しながら歩きだしたのが拙かった。もう現在地さえわからない。ほんとどこなのここ。北大並みに広大だよトレセン学園……適当な建物に入っても建物内の地図はあっても学園全体の地図が無いから打つ手がない。目安箱みたいのあったら投書しようかな……全体地図もっと掲示すべきですって。

 ああここさっきも通ったな。総合体育館……どうせならカフェテリアにでも行きつけばいいのになぁ。ていうかうろ覚えの地図だとここらへんってカレッジエリア? 研究施設とかが集まってる区画だったよーな……中等部新入生が来るようなとこじゃないなあ。

 なんて彷徨っていたら、調子っぱずれの歌が聞こえてきた。

 なんぞこれ。ウィニングライブでこんなの歌ったっけ――ん? なんか聞き覚えあるな。

 こんな変なの……うまぴょい伝説はさて置いて、変なの歌ったっけ?

 しかしリズムめちゃくちゃだな。

 本来のメロディ無視して適当に歌ってる感が、

 

「っかちゅううッッッ!! オィエッ!!」

 

 ●かちゅーぶじゃねーか。

 なんでロック調なんだよ。歌詞含め原型留めてないよ。

 この時点で嫌な予感がひしひしと漂い始めていたが見てしまった。

 歌ってるやつの姿を。

 うっわ。

 ウマ娘会っちゃいけない人ランキング4年連続1位のゴールドシップじゃん……

 あの長身にストレートロングの芦毛、無駄に整った顔つき。間違いない。

 何故か掃除をしながら歌ってる。

 特徴的なヘッドギア? は緩められたんこぶの上で器用に揺れていた。

 昨日の件で怒られたんかな。三段たんこぶなんてマンガ以外で初めて見た。

 気づかれないうちに逃げよう。

 踵を返すとぼよんと柔らかいなんかに顔がぶつかった。

 なんで道端にヨギボーが……リボン? トレセンの制服だよね。あれ誰かにぶつか

 

「おぉ? なんか小せーな?」

 

 ひゅっ。

 嘘だろ10mは離れてたじゃん!? 気軽に物理法則無視しないでくんない!?

 原作どころか原点からしてワープかますけどさ!?

 

「あ、あわわわわわわ」

 

 ゴールドシップにロックオンされたぁ……!

 ロックアラート鳴らしてよマイブレイン! 必死に回避運動に入ったのにさぁ!

 

「おー! オメー噂のアレだろ!」

「ひえっ! う、噂!?」

 

 またぁ!? なんなのもしかして次席ってなんかヤバいの!?

 

「そう噂の――スペード3世、だな?」

「スぺしか合ってねえわっ!!」

 

 逆によくここまで外せたな!?

 あと誰から数えて三代目よ!? マルゼンスキー!?

 

「おーおー打てば響くなオマエ。ドラマーの才能あんじゃねーの?」

 

 実に楽しそうなゴールドシップとは正反対に私は頭に上った血が引いていく。

 逃げなければ。いやしかしこの体格のゴルシ相手に逃げ切れるか?

 本格化が来てるかはわからないけど見た目の筋力だけで負けそうな気がする。

 ここが山の中ならバーリトゥードレースで振り切れるのに……!

 

「怯えんなよ悲しくなっちまうだろ?」

 

 無茶言うな。

 ゴールドシップであることを差っ引いてもバカでかい吊り目美人に絡まれるなんて恐怖だ。

 頼むから自分がヒグマくらいでかいって自覚を持ってほしい。

 

「ったく埒があかねーな。ちょっくら月面旅行に付き合えよ」

 

 どこから取り出したのかサングラスとマスクを身に着ける。

 ええ、いまさらぁ……?

 って何を持ち上げて……金属のボールペン?

 

「ぬぐぁっ!?」

 

 光っ、MIBじゃねーか!!

 しかも光るだけ!!

 

「――っ!?」

 

 いつの間に、私の両手が後ろ手に拘束されて……!?

 しまっ、これじゃ両袖に仕込んだ防犯ブザーが取り出せない!

 

「オメーの友達でもいいんだけど、まあグラスのじーさんはダメだしな」

 

 バ鹿なぁ! 私が防犯ブザーを鳴らすこともできないなんて――!?

 

 ぎゃあああアニメで見たことあるズタ袋おおおおッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝啓お母ちゃん。

 たすけてください。

 ついにスぺは不審者に捕まってしまいました。

 不審者ってレベルじゃねーとは自分でもわかってますがたすけてください。

 ふふ、『スペシャルウィーク』はズタ袋に捕らわれる運命なのかな。なんて。

 くっそぉ……感触からして両手の親指を結束バンドで繋いでるなこれ……無理矢理千切ろうとすると指が折れる拘束技だ。お母ちゃんが不審者ども捕縛する時にやってたから覚えてる。繋がれたのが手首なら骨も頑丈だし指の自由度が段違いだから袖に仕込んだ防犯ブザー使えるのに。

 ……ガチの拘束じゃんか。

 あれ、ゴールドシップだからとちょっと軽く見てたけどこれ本気でヤバいやつなんじゃ。

 いやちょ、こ、子供に見せらんないドラマみたいなことされないよね……?

 トイレに起きたらお母ちゃんが煎餅齧りながら見てたドラマみたいになんないよね!?

 即チャンネル変えられたけど保健で習ったから意味わかるんだよぉ!

 なんも見えないから不安がとめどなく溢れてくるー!

 などと声に出さず喚いていたらばさりとズタ袋が取り払われた。

 

「……っぐ」

 

 急に明るくなったから光が目に痛い。

 光量は大したことない室内灯……か?

 目を細めて視力の回復を図る。

 室内、ゴールドシップが下手人ということを考えるとスピカかシリウスの部室か……?

 ぼんやりと見えてきたのは――人影?

 

「だ、誰です、か」

 

 見えた。見えてしまった。

 ――アグネスタキオンがそこにいた。

 当然のようにゴールドシップも横に立っている。

 

 アグネスタキオン ト ゴールドシップ ニ カコマレテイル

 

 そっか。

 私ここで死ぬんだ。

 人間恐怖の閾値を超えると悲鳴も出ないのだと身を以て知った。

 はい深呼吸ー。すー、はー。

 

「ころさないでください」

 

 摩擦係数ゼロで命乞いが口から出た。

 

「アッハッハ、すこぶる失礼だな君は」

「武器も定規も構えてねえ相手にそりゃねえだろスぺ3世」

「そんざいがきょうきなんですおねがいですからいのちだけはたすけてくださいできればはしれるままかいほうしてくださいあとのどがかわきました」

「ずぶっといね君」

 

 自己紹介が要らなそうなのは助かるよと笑って、予想外にも律儀にタキオンは紅茶でいいかいと訊ねてきた。

 

「あ、すいません紅茶は飲めないんです」

「本気で図太いね君。ちょっと神経MRIで撮っていいかい」

 

 その後なんで紅茶がダメかと言えばお母ちゃんが冷蔵庫で冷やしてた紅茶を麦茶と思い込み一気飲みして盛大に咽かえったのがトラウマになってて口をつけるだけで拒絶反応が出ることを吐かされた。二人揃ってアホかと言われた。

 

「さて本題に入ろうか。背格好からして新入生だろう名も知らぬ君」

 

 本題。やっぱり何かあるのか。

 ゴールドシップが絡んでるから無意味な可能性もあると踏んでいたのだが。

 アグネスタキオンという頭脳派がいたんじゃ破綻する推測に過ぎない。

 ある意味、ゴールドシップよりも狂ってるのだから。

 

「な、名も知らぬって誰かもわからずに拉致ってるんですか?」

「氏素性は関係ないからねぇ――なぁ? 転生者君」

 

 頭が真っ白になる。

 耳鳴りの幻聴、目がチカチカする幻視。

 足元が崩れ去った浮遊感という幻覚に支配される。

 

「――はっ、な、にを」

 

 なん、で。

 どうして、どこでバレた。

 セイちゃんのように探ってる人がいることはわかっていたが、セイちゃんにだってバレてない。たった一日。それだけの間にどんなミスを犯せばこんなことになるというんだ。

 頭の奥がチリチリと焼かれ悲鳴を上げている。

 呼吸が乱れて体勢を維持できない。

 逃げたい。

 今すぐ、脇目もふらず逃げ出したい。

 親指を拘束する結束バンドが食い込むが構ってられない。

 そんな私の様子を、アグネスタキオンはふぅんと観察している。

 ――実験動物になった気分だ。

 これならセイちゃんが罠に嵌めて向ける冷たい目の方がマシだ。

 アグネスタキオンの視線には、プラスもマイナスも、温度という概念が無い。

 どれだけの策士だろうと私の友達は人間の範疇だったと思い知らされる。

 

「その反応だけで充分だが……あまりいじめても可哀そうだ。種明かしといこう」

 

 全然そんなことは思っていない口調で彼女は告げる。

 

「なに、ご同輩というだけのことさ」

 

 ひっくり返った天地がまたひっくり返るような事実を。

 

「ご、同輩って、じゃあ、あなたたちも」

 

 昨日思い至った可能性。

 なくはない、レベルの発想でしかなかったが……

 

「……なんで、私が転生者だってわかったんですか」

「それを聞かれても困るね。そこのゴールドシップ君が当たり引いたと連れてきただけだから」

 

 言われたままに視線を向ける。

 

「あん? なんでって最初に目についたからだぜ。あとツッコミのキレが良かった」

「ツッコミて」

「ゴルシちゃんに必然性を求めるな。何考えてんだおまえは」

 

 ……いやそうかもしれんけど。

 本人に言われるとクッソ腹立つな。

 いや待て。転生者ということは『本人』ではないのでは――

 違う。

 この人は私を捕らえる時なんて言っていた?

 確かに言ったぞ、『あのグラスのじーさんはダメだ』と。

 グラスちゃんは女の子で爺さんなんて呼ばれる要素は皆無だ。仮にこの人が転生前を見通せる何かを持ってる、なんて荒唐無稽なことでもない限り彼女に『爺さん』と呼ぶ要素は見出せまい。いや、そうだったら私のことだってスぺでなく別の呼び方をしただろう。ならば考えるべきは『グラスの爺さん』という存在を認識するだろう世界線。そこから転生してきたのだと仮定するのなら筋は通る。ではその世界線はどういうものか。少なくとも少女になってない、元の性別のまま。名前も変わってないのなら馬のままだろう。そこでグラスワンダーを爺さんと呼び『ウマ娘』よりも優先、あるいは重視するだろう存在、は。

 知っている。

 

「あ、あなた、は」

 

 私は、それを、知っている。

 

「んー? どうしたぁスぺ」

「あなた、は――」

 

 それは当たり前すぎて考慮外になる世界。

 この世界を俯瞰的に語る際必須の前提知識を創り上げた世界。

 SFなどでは単純化しこう呼ばれるだろう――正史世界。

 

「――ステイゴールド産駒、ゴールドシップなんですか」

 

 隠居した競走馬グラスワンダーに挨拶をしていたという競走馬ゴールドシップが存在した世界!

 

「へぇ」

「ほぉ」

 

 初めてアグネスタキオンの視線に色が宿る。

 彼女はついに私に興味を抱いた。

 皮肉気にゴールドシップが笑う。

 気づかなければよかったと言うかのように。

 

「よーく自力で気づいたなぁ――賢いじゃねぇかスぺ」

 

 つまり、本物中の本物ってこと……?

 たった4戦でその名を刻み付けた超光速の貴公子アグネスタキオン。

 破天荒極まる走りで記録も記憶も塗り潰した黄金の不沈艦ゴールドシップ。

 彼らそのもの。何の混じり気もない純粋なる生まれ変わり。

 え――じゃあ中身転生者だから安心なんてことは――

 

「嫌だあああああああッッ!! 死にたくないよおおおおッッ!!」

 

 オリジナル通り越してオリジンじゃねーか!!

 原作どころか原案が現れるなんてそんなんある!?

 アニメやアプリと同じくらいヤバいじゃねーか!!!

 誰かー! 誰か助けてー! 光る薬漬けにされて変な世界に連れてかれるーッ!!

 

「たしゅげでおがあぢゃああああああッッッ!!!」

 

 

「すぺっ」

 

 急に、眠く、意識が、

 落下感。どこに、なぜ。

 逃げようと、あれ、なんで?

 

「コイツ自身が防犯ブザーみてーなヤツだな。ジャンプ主人公かよ」

 

 その言葉を最後に、私は意識を失った。

 

 

 

 

 

「んがっ!?」

 

 失ったじゃねーわ! 失ってる場合じゃないんだよ!

 って、あれ?

 

「……?」

 

 拘束が解かれてる。

 

「おー起きるのはえーな」

 

 気の抜けた声に顔を向ければパイプ椅子の背もたれを前にして座ってるゴールドシップがいた。

 

「あの、今私気絶して、後遺症とか残りませんよねこれ大丈夫ですよね」

「やべーやり方はしてねえよ。コンプラ的にも問題ない手段しか使ってねぇ」

 

 人為的に人を気絶させるのって大概後遺症の恐れがある危険な行為だから……やめようね!

 それを踏まえるとなにやられたんだ私。訊きたいけど怖くて訊けない。

 全身痛くも怠くもないんだ。寝て起きただけって感じしかしない。

 ホントになにされたらこれで意識だけ刈られるの??

 

「そこの知能指数サル並みの会話してる二人。いい加減人類レベルの話をしていいかい?」

 

 すげえ罵倒された。

 座り直してアグネスタキオンと向き合う。

 逃げれはする――だろうが正直逃げ切れる気がしない。

 それに、この話を中途半端に終わらせるのは拙い気がする。

 

「あの反応、ということは君は元ヒト――『ウマ娘プリティーダービー』のある世界から来た、ということで間違いないかな?」

「……はい。ころさないでください」

「だーかーらーそんなことしないって言ってるだろう。いい加減聞き分けたまえよ」

 

 そんなこと言われても。

 話が進まないなぁなんて文句じゃ誤魔化せない。

 私とこの人たちは決定的に違うのだから。

 

「スぺ、オメーあれだろ。中身がヒトだから馬のアタシらとは敵対関係になるみたいな心配してんだろ? んなこたねーから安心しとけ。中身がヒトなんてオメーだけじゃねーし、なんならウマ娘って存在自体オメーの方が近ーよ」

「んえ? ……???」

「ゴールドシップ君、ただでさえ混乱してるんだから情報の洪水を浴びせるのは勘弁してやれよ」

 

 は? ウマ娘は私の方が近い……??

 転生者ぞ? とてもじゃないが普通とは呼べんぞ?

 

「ウマ娘の成り立ちは知ってるかな?」

「ええ……メタ的には競走馬の魂を宿して生まれた子で……」

「はいバッテン。再試験」

「んぇ?」

「それじゃあ全員私と同じ馬の生まれ変わりだろう? 君らのいう原作とやらは転生だと明言してたのかい?」

 

 ……ん? 確かに転生という表現が使われてるとこは見たことない。

 そうだ、原作がそんな転生者祭りならそもそも私は転生者だらけという現状に怯えたりしない。なにより私の言った通りだったら私は『ウマ娘』ではないことになる。だが現実として私は役所にウマ娘として出生届が受理され国民保険も予防接種もちゃんとウマ娘向けを受けている。

 馬ではなくヒトの魂を宿してる私がだ。

 ならば何を以ってウマ娘たらしめているのか? 思い出せ、詳しい設定は語られていないがアグネスタキオンが不正解だと言い切れるだけの情報が原作にはあったはずだ。ウマ娘の成り立ち、ウマ娘の始まりに関する何か――あ。

 そうだ。転生じゃない。未来は決まってない。やり直しじゃない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 受け継ぐのであって宿すのではない。

 馬そのものでは、ない。

 ダービー馬、日本総大将、スペシャルウィーク。

 私は、私自身の夢を追って――彼と同じ、中央のレースに身を投じた。

 だけど、それは私が選んだ道だ。彼に選ばされたものじゃない。

 

「――正解」

 

 出来の悪い教え子を受け持つ教師の顔でアグネスタキオンは朗々と語る。

 

「ウマ娘は人類の一種とされているからこの説の中では便宜上『ヒト』と称する。そうだ、ウマ娘はヒトとして生まれる。ならばその魂は別物であるはずがない。ヒトの魂を宿して生まれ、馬の魂――この場合『想い』や『希望』と言い換えられるかな? それを受け継ぎ生きていく種族だ。つまり、転生者だとかなんだとかでややこしくなっているが、君のようなヒトプラス馬の状態は至極真っ当なものなのさ。スタンダードと言ってもいい。私たちの方が異端なのさ。こうして仲間探しをするくらいにね?」

 

 だから転生者を拉致ってたのか。

 どちらの中身かなんてわからないから。

 正体を明かしたのだって転生者だというところまで。馬だったというのは私の推理。

 ……いまさらながらやってしまったと気づく。ゴールドシップがあんな顔をする筈だ。

 逃げたがっていたくせに私は自分から深みに嵌った。

 ――アグネスタキオンに興味を抱かせた。

 

「それは――期待はずれで、すみません?」

「あっはっは、本当に神経太いな君は。普通それ煽りだよ」

 

 もう私への興味を隠そうともしない。

 

「ま! 今後とも仲良くしようじゃないか。君の頭の回転の速さは興味深い」

 

 一を聞いて十を知るには足りないがね、と皮肉気に笑う。

 アグネスタキオンの頭脳からすれば、なんて皮肉は返せない。

 目的はなんだ。何を狙っている。

 未だ、この人のことを量りかねている。

 

「ずいぶん、あっさりしてますね? 仲間を探していたんじゃ」

「サンプルが欲しかっただけだからねぇ。元馬はもう二人いるし、元ヒトのサンプルを増やすのも悪くない。ああ怯えられる前に言っておくが、サンプルと言っても切り刻んでどうこうする方じゃなくて走りを計測する方だぜ?」

「走りを……?」

 

 ゲームのアグネスタキオン、と考えるなら別段おかしなところはない。

 だがこの世界のタキオンは転生のことを知っている。それはウマ娘の神秘へと至る懸け橋になるのでは? と考えても不自然ではないと思う。

 

「あなたは転生のことを研究しないんですか?」

「転生。転生か。興味がないと言えば嘘になるが――最優先にはならないねぇ」

「なぜ?」

「取っ掛かりが見えない。もちろんそこから探す研究も素晴らしいとは思うがね、はっきり言ってそれより楽しいウマ娘の限界を超える速さという身近で心躍る研究テーマが目の前にある以上私はそちらを選ばない。それだけの話だ」

 

 金で短縮も出来ないしね、と部屋中の実験器具を見回す。

 

「……そういえば突っ込み忘れてましたけど、よく学生でこれだけの機材買えましたね……?」

 

 マンガで読んだけどあそこの電子顕微鏡ってなまら高いらしいのに。

 

「ああ、私の薬って飲むと光るだろ。被験者が」

「はあ光るそうですね。私は現実ではまだ見てませんが」

「今飲ませてあげようか? ちなみにイチゴ味で効果は快眠だ」

「全力でお断りします。それで光る薬がどういう……?」

「人体が光る、つまり生体発光なわけだが、生体発光ってあんまり研究が進んでない分野だったんだよね。そこに私が再現可能なレベルで光らせちゃって、ついでにその化学式を特許とって論文にして発表したらまあバカ売れしてね。今じゃ毎年ほっといても数億円入ってくる」

「レースより稼いでません!?」

「未デビューだから確実に稼いでるねぇ。前世で稼いだ分はそろそろ超えるかな?」

 

 グレードレース三戦優勝より稼ぐウマ娘ってなんだよ。なんだよ……?

 

「えっと……未デビュー……? え? 何歳です……?」

「今かい? 中等部三年だから15歳かな? アッハッハ、前世より長生きできたねぇ!」

 

 笑えねえよそのジョーク! 未成年!? 中学生!?

 そりゃG1勝てば中学生でも億稼げるけどなにやってんのこの人!?

 ……頭が痛いが、理解は出来た。

 金は潤沢、基礎研究も揃ってる、その上本人が一番やりたいこと。

 確かにこのアグネスタキオンが走ること以外を目的になんてする筈がない。

 

「つまり……私をキープしておくのは」

「元馬と元ヒトの違いの観測だねぇ。君はそこそこ頭が回るようだし、頭脳を誇るヒトとしてはちょうどいいモデルケースだ。都合のいいモルモットを見つけたら手元に置きたくなるだろう?」

 

 言い回しは不穏だが走ることへの影響の差を調べたい、ただそれだけだ。

 まぁ……最後の一線は越えないと思う……たぶん、そう思いたい、し。

 

「ターキオーン。なんか面白い薬作ってねぇ? 飽きたわ」

「きーみーがー勝手に連れてきてどういう料簡だいゴールドシップ君。昨日持っていった植物が爆発的に成長する薬ででも遊んでなよ」

「没収済みなんだよぉ。エアグルの花壇に撒いたろかと思ったけど泣きそーだし花がかわいそーだからやめちまったしよー。おめーもうちょい自然と生物に優しい薬作れよ」

「私がどう思って作ろうと使うのは人の勝手さ。製造責任だなんてそれこそ無責任なこと言わんでほしいね。使った奴が100%悪いに決まってる」

 

 ゴールドシップのダル絡みを心底うざったそうに躱している。

 記憶が確かなら『うまよん』だったか『うまゆる』あたりで「ゴルシ君」と呼んでたはずだが。

 

「……あんまり親密ではないんですね?」

「君はコレと仲良くしたいのかい?」

「テメーらアタシなら何言ってもいいと思ってんだろ」

「群れのボスに好んでケンカ売りに行くのとはちょっとねぇ」

「泣いちゃうぞ」

 

 妙に子供っぽい……甲高いとかじゃなく絶妙に舌っ足らずな口調で――んぁ?

 

「ん? 今のもしかしてなんかのモノマネです?」

「そう言われると聞き覚えがあるような……?」

「はいシンキンターイムチッチッチッチッ」

「カウント早いちょっと待ってえっとなんだ絶対聞いたぞコレ」

「急かすな考えさせろ不意討ちやめたまえどっかで聞いた、ちょっと黙りたまえよ!」

「ボーン。ターイムアウトー」

「クッソ妙に悔しい!!」

「喉まで出てるんだよ! ジ●リだろ!?」

「ん、ジブ、『千と●尋の●隠し』かぁ!」

「そうだそれだ! 神●隆●介のでっかい赤ん坊だろ!」

「合ってるけど制限時間オーバーでおまえらの負けでーす」

「「本ッ気でムカつくなぁ!!」」

 

 思わずタキオンさんとハモっちゃったよ。

 うっわぁー答え出たのにモヤモヤするぅ……

 

「ていうかタキオンさんジ●リ見るんですね」

「君は私が論文以外目もくれないアレだと思ってるのかい。普通の親に普通に育てられたんだから子供向けアニメくらい見て当然だろう」

 

 いえあなたの家庭環境知りませんけども。

 普通に育てられてるタキオンさんって想像できないんですけども。

 絶対物心つく頃にはケミカルカラーの液体入った試験管両手に持ってたでしょあなた。

 

「まー話まとまったんならよーアタシと遊ぼーぜスぺぇ」

「うぃ、ご、ゴールドシップさん……」

 

 急に抱き着かれると反応に困る。

 今までのあれこれを思い返せば悪い人じゃないのはわかるんだけど。

 いや悪いわ。拉致拘束は言い訳出来んわ。刑事事件だよ。

 

「ウィ、ってことはオッケーな?」

「フランス語喋れませんからノーですね!」

「あとよ、一々フルネームで呼ぶなよ他人行儀じゃねーか。ゴルシちゃんでいいぜ?」

「え、と……ゴルシちゃんさん?」

「お、おもしれーなその呼び方。それで固定な」

「あれ強制!?」

 

 だああ! やっぱこっちはこっちで距離感わかんねえ!!

 危険度と理解しにくさが噛み合ってないよこの二人!

 

「大福小僧にエサを与えるとキリがないぞ君ぃ」

「与えてるつもりないんですけどね!?」

「どーも日本人ってヤツは危機意識に欠けるな……生存本能足りてるかい?」

 

 私の暗闘の歴史も知らんで勝手を言うなぁ……!

 なんか一発意趣返ししたい。

 

「そんな悪者ぶって……ダイワスカーレットに文句言われても知りませんよ」

「ダイワスカーレット! 私の最高傑作と呼ばれた娘か! いいねぇ会ってみたいものだよ」

 

 お?食いつきいいな。

 

「私が果たせなかったダービーの夢を叶えたディープスカイにも会いたいが聞いた話可能性が高いのはダイワスカーレットらしいからねぇ。アッハッハこの世界はまだまだ楽しめるなぁ」

 

 ほーん。

 なるほど?

 前世の娘さんと仲良くしたいと。

 隙を見せたなアグネスタキオン。

 

「……元ヒトとして言わせてもらいますけど、父親は娘に嫌われるって決まってます」

 

 ピシリ、とタキオンさんの動きが止まった。

 こうかはばつぐんだ、ってところかなー?

 ふははは。父親いないから知らんけど!

 

「アッハッハ」

 

 何の感情も込められてないのっぺりした笑い声が響いた。

 毛が逆立つどころか尻尾がアンテナみたいに跳ね上がる。

 ひえ。

 え、ゴルシが呆れた顔してるけどなに。

 抱き着いてたのになんで距離とるの。

 え? 殺気?

 

「リーディングサイアーナメてっと手籠めにするぞ小娘」

「すんませっしたぁっ!!」

 

 尻尾が! 尻尾がひゅってなった! コワイッ!

 タキオンが直接的な脅しに出るって怒気がハンパないんですけど!?

 

「オメー地雷踏む相手は選べよ」

 

 うわあああん! ゴルシに正論言われたぁ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 解放された。

 生きて帰れる。

 だけどそれを喜ぶ気力がない。

 台風ってああいうのいうんだべか……

 未だかつてないほどにゆるくない(つかれた)

 なして買い物に出た、しかも学園内の購買行っただけでこんなことに。

 精神と体力を代償に大事なこと学べた。あの二人同時に相手しちゃダメだ……

 癒しが欲しい。

 具体的には故郷の味。

 まあ無理だよね……しゃあない馴染みのコンビニ弁当で誤魔化そう。

 美味しいんだよねあそこのかつ丼。コンビニで一番好き。

 といっても土地勘ないからウマホで検索。

 セコマ*4の最寄店舗は、と。

 検索したら、随分でかい地図が出た。

 

「は?」

 

 都内に、無い。

 最寄り店は埼玉県草加市? はい?

 距離は……片道フルマラソン?

 ウマ娘の脚ならその気になれば往復二時間切るけどさ?

 冷めるじゃん。出来立てのかつ丼が。

 ぐっちゃぐちゃになるじゃん。かつ丼が。

 このご時世にイートインなんて無理だし詰んでるじゃん。

 

「なして埼玉にしかないのセコマあああああああぁぁぁぁッ!!」

 

 踏んだり蹴ったりだよもうやだあああああぁぁぁぁ!!

 

 

 

 

*1
G1二勝、しかも菊花賞と有馬記念という最強決定戦を二回勝っている名馬。「ウマ娘シンデレラグレイ」に明言はされてないがそれらしきウマ娘が登場している。半弟に最強ステイヤー・メジロマックイーンがいるがウマ娘世界での血縁は不明。寮長設定は本作オリジナルなので鵜吞みにしないでください。

*2
登場作品は「ウマ娘シンデレラグレイ」。簪を六本挿したポニーテールにアイシャドウと迫力ある長身美人。なんとゴルシより5㎝もでかい175㎝。明言はされてないがモデルはG1三勝馬「ニッポーテイオー」。ハルウララの実父である。寮長設定は本作オリジナルなので鵜呑みにしないでください。

*3
パワー特化のウマ娘のこと。例を挙げるとばんえいウマ娘。

*4
セイコーマート。北海道が誇るどんな僻地にも出店する漢気溢れるコンビニチェーン。弁当の美味さは他の追随を許さない(※個人の感想です)。悲しいかな、店舗のほとんどは北海道に集中しており埼玉・茨城にも出店しているが北海道程の広がりはない。








~登場人物紹介~

・スペシャルウィーク
 道民の転生者。転生先も道民。
 この度生まれて初めて防犯ブザーを無力化された。
 嘘だ、人類の英知が負けるなんてありえない。
 アイデンティティクライシスを迎える。
 ちなみに身長140㎝ちょいと自称してるが入学時の正式な計測は139.2㎝だった。1~2㎝は誤差の範囲なのをいいことにさばを読んでいる。139超えてるし実質140だし。原因はお母ちゃんに加え牛さんやヒグマさん相手にぶつかり稽古しまくって筋肉鍛えまくったからである。小学6年生時点でその気になれば鋼鉄の扉に蹴り跡残せるほど。
 実は前世の故郷に引っ張られているため道南(北海道の握りやすそうな部分)出身を自称しているが今世の実家があるのは道央(その他の部分の下半分)である。わかりやすく言うと函館空港でなく新千歳空港を使う位置。完全に無自覚なので周囲を混乱させることもしばしば。

・メジロドーベル
 前世はそれなりのウマ娘オタク。対人能力の低さは前世由来。
 転生者として生まれたバタフライエフェクトで幼少期のトラウマが無いのだが押しが弱く周囲に流されてる内に出不精になり人前に出ることが苦手になってしまった。
 前世でスペシャルウィークが繁殖期に牝馬嫌いになったがドーベルだけは例外だった、という説を見て『これ運命の恋じゃん』と魂に刻まれており、ドーベルに生まれ変わった際に「もしかしてアタシの運命の相手ってスペシャルウィーク?」と思い込んでいる。そのため男性への興味が一切無くなり嫌いこそしないものの塩対応オンリーとなった。
 積極的にではないが実家の力を使ってスぺのことを探しており、北海道在住ということまでは突き止めていた。だがそれ以上は生来の引っ込み思案な部分が足を引っ張り顔を見に行くことさえできなかった。
 そしてようやく出会えたスぺは何故か非常に小柄で自分のことを憶えていないという想定外の事態に見舞われる。だがしかし、がつがつ来られるのが苦手なため憶えてなかったのは逆に好印象に繋がった。威圧感の無い小柄な姿は安心感をくすぐった。トドメに飾らない純朴さが思い込みを恋へと導いた。乙女脳フル回転である。
 目下の悩みはロリコンに目覚めそうなこと。
 なお、スぺに下心ありで近づいているが純粋な恋心からであるためかスぺの不審者センサーには引っかからない。
 恋敵は思い出補正で美化されまくったジャパンカップ初代覇者。

・ゴールドシップ
 自称前世は競走馬『ゴールドシップ』。転生が一度きりだと誰が言った?
 艦これ世界に正規空母翔鶴として転生したアタシは不幸艦の伝説もなんのその、群がる敵をなぎ倒し不沈艦伝説で塗り替えてやったのよ。あん? コラボしてない? かてえこと言うなよD●●繋がりでイケんだろ。ていうか銀髪ロング多いから転生先に困んねーんだよアタシは。多過ぎだろ銀髪ロング。アタシは芦毛だけどよ。次はカサマツでオグリの代わりにデビューでもしてみっかぁ?タマパイセンとガチるのも楽しそーだよなぁ、明石焼き勝負でよ!
 以上解説文責はゴルシちゃんだぜ。

・アグネスタキオン
 前世は競走馬『アグネスタキオン』。現在中学生。あと数日で15歳。
 あっさり人間の生活に順応し頭脳と環境に恵まれたことを自覚して好きな研究を繰り返す人生エンジョイ勢筆頭。人格のベースが前世なためか少々口調が男性寄り。性自認はちゃんと女性。
 本人は普通の家庭と言っているが原作通り実家は良家で研究の初期投資も両親が賄ってくれた。誕生日プレゼントに4000万円の電子顕微鏡(現在も愛用中)をぽんと渡すなど親バカ極まってる家族である。数十倍じゃきかないほどの利益で返ってきて両親は白目を剝いた。
 目下の楽しみは自身の最高傑作と謳われた愛娘『ダイワスカーレット』に出会うこと。今世でヒトの生活様式を学んだのでヒトのように寄り添って愛でたいと思っている。
 スカーレット君は賢いねえ末は博士か大臣だねえ。

・ツルマルツヨシ
 1日入院。




・カツラギエースに懸賞金かけた人
 日本ウマ娘トレーニングセンター学園生徒会長シンボリルドルフ。
 ポケットマネーから出しているのでシンボリ家の会計に不正はありません。






沢山の感想が嬉しくて続編書けました。
私褒められて伸びるタイプなんです!
基本遅筆なので続くかどうかはうんまあ。
1話完結で楽しめるように書いてるつもりなのでそんな感じでお願いします。

猫井でした。

12/19 Othuyegsさん誤字報告ありがとうございました。常用外の漢字ですがタキオンなら使うだろうな、とうことでそのままにさせていただきます。


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山は危険でいっぱいです

気づいたら後書き含め100kb超えたわ!はっはっは!

あけましておめでとうございます。新年一発目から湿度がひどいもん書いてしまいました。
今年もよろしくお願いします。





 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 中央とも呼ばれる学園の生徒会室で、一人の女性がパソコンを操作していた。

 陽が暮れ薄暗くなった室内で執拗にある動画の一場面を繰り返している。

 その動画は学園内の警備用に設置された監視カメラの映像だった。

 延々とリピートを繰り返し――部屋が明るくなったことに気づく。

 

「あらルドルフ、難しい顔しちゃってどうしたの?」

「ああマルゼンスキー……なに、『件の少女』のことで少しね」

 

 学園生徒会長シンボリルドルフは画面から視線を外し照明をつけた女性を見つめる。

 ルドルフの政務を支える女性、マルゼンスキーは告げられた言葉に柳眉を歪めた。

 

「件の――年代からして、『特別週間案件』?」

「ああ。我が校……否、URA史上最大の恥部。中央トレーナーの大量逮捕者を生み出した三大事件、『特別週間案件』『東海ダービー案件』『大脱走案件』――その一人だよ」

 

 東海ダービーとは愛知県ウマ娘競技会が主催するローカルシリーズ所管のレース。別組織が運営する中央の生徒会が言及する類のモノではない。少しレースまわりに詳しければそれが隠語であると気づいただろう。

 

「……『トウカイテイオー』『メジロマックイーン』――『スペシャルウィーク』」

 

 マルゼンスキーは不快感を隠そうともせずに隠語の裏に秘されたその名を口にする。

 

「未就学の頃より『特定の環境にある者たち』から付け狙われる少女たち……か」

 

 トレーナーがウマ娘の望まぬ接触をする。しかも自己判断も難しい幼年期に。人並みの倫理観を持っていれば眉を顰める事案である。青田買いなどという言葉では済まされない問題行為だ。

 

「中央だけで30人以上の逮捕者を出した大事件……しかもそれは一度に起きたのではなく毎年のように繰り返された。おまけに逮捕された者たちを聴取しても運命だとかあやふやでスピリチュアルなことばかりを話して埒が明かないときた。今ではURA幹部ですら関わりたがらない呪われた案件扱いだ。寺社の管轄にしようという動きさえあったらしい」

「あらあら、根性が足りてないわねぇ~……お姉さんMK5よ?」

 

 少し溜めて告げられた言葉。明らかに考えてからの発言にルドルフは溜息を漏らす。

 

「……マルゼン、私の前では無理をしなくていいと言ってるだろう?」

「ごめんなさい……もう癖になってて……あー、なるべく自然体にするわ」

「そうしてくれ。まったく、()()()というのは厄介だな?」

 

 さらりと告げられた通り、マルゼンスキーは転生者であった。

 それを知っているのは目の前の生徒会長だけであり、他の誰にも漏らしていない。

 マルゼンスキーはかつてどこかに存在した『マルゼンスキー』を演じて生きている。

 異世界と呼ばれるべき遠いどこかの『彼女』を。

 

「ええ、とてもね――それに振り回されて破滅したのが『彼ら』。地方トレーナーや中央以外のウマ娘も含めれば100人近いんだったかしら?」

「正確な数はわかっていないよ。事件初期には示談で済ませたケースもあったようだからね。特にメジロ家は独自に対処したようで、余計に総数がわからなくなっている」

「あらあら怖いこと。マグロ漁船ならまだ穏便ね?」

「人権とは、法治国家とは、と疑問を呈したくなってしまうな」

 

 掘り下げまい、とルドルフは瞑目する。

 シンボリ家の遠縁にあたる『トウカイテイオー』の件ではシンボリ家の末端が動いた形跡があったからだ。本家筋のルドルフとしてはメジロ家をとやかく言える立場ではない。元より家族を守ろうとした結果なのだから強く言うつもりは毛頭ないのだが。

 

「……トウカイテイオー。私の息子、か」

 

 呟き執務机に拵えた厳重な鍵付きの引き出しを開ける。

 取り出されたのは複数の種類さえ雑多なノート。

 

「私の息子なのにシンボリ家に直接生まれないというのは驚きだな。マルゼン、君の言う……なんだったか、『生産牧場』とやらが関係しているのかな?」

「さあ……そこいらの法則性は不明のままよ。あたしだって全てを知ってるわけじゃない」

 それに、とマルゼンスキーは釘を刺す。

「あまり混同するのはやめなさい。前世は前世、今のその子はあなたがおなかを痛めて産んだ子じゃないでしょう」

「ふっ、耳が痛いな。痛みも伴わず親面するなというわけだ。見賢思斉、その言葉に従おう」

 

 ノートの表紙には『ウマ娘プリティーダービー』と書かれていた。

 

「転生者というものは厄介だが――君のように楽しませてもくれるんだね」

 

 ルドルフはノートを開きパラパラと捲る。

 ふと手が止まるのはトウカイテイオーの――競走馬のトウカイテイオーの情報が記されたページだった。父シンボリルドルフ・母トウカイナチュラルと書かれた文章を指で撫ぜる。

 

「君が記してくれた『ウマ娘プリティーダービー』の情報は本当に役立つよ」

「……肝心な部分は明かしていないけどね」

「我々の戦績。つまりは未来か。そんなもの知る価値は無い。我々の幸福には不要だよ」

 

 ばっさりと切り捨てる。

 

「定められた未来など誰が欲しがるものか。未来は白紙だからこそ価値がある」

 

 それに、とルドルフは剣呑な視線をマルゼンスキーに向けた。

 

「知ってしまえば囚われる。君が『史実』通りに引退しかけたように」

 

 かつてトゥインクルシリーズを走っていたマルゼンスキーは『史実』と同じように負傷し引退を決めようとしていた。だが当時の生徒会やまだ幼かったルドルフに説得され、8戦8勝の業績を以ってドリームシリーズに移籍することで引退を回避したという過去があった。その怪我は、現代医療をもってすれば簡単に治せるものだったのに。

 

「……手痛い意趣返しね。前世と混同したのはあたしが最初だもの」

「そんなつもりはなかったが……螻蟻潰堤と思い謹んでくれ。君のような才人が安易に去ろうとする姿など二度と見たくない」

 

 一息つきルドルフは別のページを開いた。

 

「さて、問題のスペシャルウィークだが……サンデーサイレンス産駒……血統は、ほう? 君の孫か。なるほど強くなるだろうねこの子は。ふむ? 君とシラオキ系の娘となると、この子の母も強かったのかな?」

「あの子の母は――いえ、個人情報の範疇よ。黙秘させてもらう」

「……君がそう言うのなら」

「それで、その子がどうしたの? 何かを見ていたようだけど」

 

 マルゼンスキーが生徒会室に入った時、ルドルフはパソコンを覗き込んでいた。

 入口からも今の立ち位置からもパソコンの画面は見られない。

 

「ああ、彼女がね――()()()を見て顔色を変えていたんだ」

 

 手配書。その言葉を察せない生徒会役員はいない。

 何事もそつなくこなし隙さえ見せないルドルフが行った唯一の奇行。

 無敗の三冠を成した皇帝の王冠に傷をつけた最初の一人。

 

「さて、ざっと見たところサラブレッド『スペシャルウィーク』と『彼女』の間には何の関係もない。血縁に至ってはかすりもしていない。だが――この世界ではわからない」

「ルドルフ? 何を」

 

 長い付き合いのあるマルゼンスキーすら絶句する。

 

「大惨事の中核である少女が我が怨敵『カツラギエース』と関わりがある」

 

 皇帝シンボリルドルフは大衆の前では決して見せない凄惨たる笑みを浮かべていた。

 

「今までの調書には一切書かれていなかった情報だ。どんな関係か? 転生者が関わる事案か? 年齢的に噛み合わないが、『ヤツ』の血を引く者なのか? 親と子が同世代に存在しうるこの世界ならば、本来交わらぬ者たちが親子となることも有り得るのではないか? 転生者などという荒唐無稽な存在が関わるとしたら、そんな有り得ないことも起こるのではないか? 『ヤツ』の娘だとしたら――この少女もまた、私の首に牙を届かせる存在なのではないか」

 

 心から嬉しそうに、楽しそうに、皇帝は笑う。

 だがその笑みは、獲物を前にした肉食獣のそれだった。

 

 

「ふ、ふふ」

 

「楽しみだよ『カツラギエース』の後継者かもしれない君が」

 

「ああ楽しみだスペシャルウィーク。君の走りを、早く、速く、疾く、味わいたい」

 

 

 朗々と謳い上げるが如く。

 されどのその言葉に血生臭さを感じずにいられない。

 己が背筋が冷たくなったのは錯覚ではないとマルゼンスキーは表情を強張らせる。

 

「――ルドルフ」

 

 獅子を思わせる皇帝の哄笑は低く、生徒会室に響いていた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 春先というのに何故か寒気がする今日この頃皆さまいかがおすごしでしょうか。

 スペシャルウィーク(12歳。誕生日はゴールデンウィーク期間中なのにそれなりの頻度で平日。なんかくやしい)なんですけれども、しょっぱなから困っております。

 はい。相部屋のキングちゃんと軽いにらみ合いが発生してしまいました。

 ちなみに悪いのは私。

 

「部屋の半分はあなたの領域なのだから好きにすればいいとは思うの。でもね。これはちょっと。……どうなのよ」

「ごめんねごめんね。でもカツラギさんって人気が出てすぐ引退しちゃったからグッズがほんとに少ないんです。ぱかぷちも一種類しかないくらいで」

「仕方ないのも理解はできるんだけど――部屋に手配書貼るって」

 

 そう、先日手に入れた私の憧れの人であるカツラギエースさんの手配書……いやほんとになんなんだこの手配書。悪いことなんもしてないのになんで賞金首になってんだ。

 ともあれそれを飾ることでもめているのである。

 全面的にキングちゃんが正しいと思う。思うのだけど、そこは譲れない。

 

「カツラギさんの他のポスターってライブとかの笑顔のばっかでこの写真雑誌に掲載されただけでポスターになってないんですよこの勝ったのに静まり返る観客席を見上げてる愁いを帯びた横顔って他に無くてメチャクチャ希少で」

「ああうん……本当にこの人のこと好きなのね……」

 

 はい大好きです。

 恩もあるけどその後自分で調べたあの人のレース見て大ファンになりました。

 かっこいいんだよ爆発したって形容された末脚とか鬼気迫る入れ込み具合とか。

 特にさ、クラシックシーズンの京都新聞杯が最高なんだよね!

 動画あるよ見る? え、もう15回見たからいい? そう……

 

「ルドルフ会長とかミスターシービーだとグッズも豊富で色んな表情見れるけどカツラギさんの笑顔以外のってほんとこれだけなんです悪いとは思うけどほんとこれ貼るの許してください」

「……まあ我侭言わないあなただもの。これくらいは我慢するわ」

 

 キングちゃん! キング様! キーング!!

 いやっほうありがとうめっちゃうれしい!

 ということで早速貼り出したんだけど。

 

「手配書一枚貼ってあるだけで荒くれの集う酒場みたいな感じになるのね……」

 

 それは否めない。

 おかしいよねその他の部分は全部女学生の部屋なのにWANTED一枚で空気がガラッと変わるんだもの。なんで埋没しないんだよ貼ったの私だけど。

 嬉しいけど微妙な気持ちになるというブツを作ってくださったヤツにどういう感情向けていいのかわからないまま陽は暮れていった。

 

 

 

 

 

 

 その日私たちは複数クラス合同の授業に参加するためトラックに集合していた。

 いよいよ、レースである。

 といっても選抜ですらない模擬レースなんだけど、本格的に走れると皆気合が入っていた。

 今この場にいるのは厳しい入学試験を越えてきた日本全国選りすぐりのアスリートの卵だ。

 ただ走るのでなく競うということにウマ娘の本能がこれでもかと刺激される。

 意気軒昂、気炎万丈って感じで、入学して初めての模擬レースに燃えている。んだけど。

 なんかいる。

 

「アーッハッハァッ!」

 

 うわぁ高笑いしとる。

 なんかいつもよりテンション高いな……徹夜明けかな?

 制服のままだるだるの白衣を着たその人物は諸手を上げて歓喜を表した。

 

「いやぁ~若い芽が屯してるのはいつ見てもいいものだねぇ。可能性の数がそれだけあるということなのだから!」

 

 完全に言動がマッドサイエンティストじゃん。

 あんただって十分若いでしょうに、というツッコミできないくらいマッドじゃん。

 つうか学生。自分の授業に出なさいよ。今更学ぶことあんのか疑問ではあるけど。

 あの人英語とドイツ語で論文書けるからな……

 まあアレだよ。

 何故か一年の授業に三年生のアグネスタキオンがいるんだよ。

 ウマ娘って発育良いから体格差は殆どないけど醸し出す異様な雰囲気に遠巻きにされてる。

 いやもう明らかに怯えた視線向けられてんじゃん。初日からアレだったしな。

 

「教官」

 

 5人いる教官にアレ放置でいいんすかと指をさす。

 全員顔をそむけた。おい。

 

「……仕方ないのよ、実績があるから……」

 

 デビュー前って話じゃなかったっけ?

 

「彼女が見物に来てアドバイスすると怪我率が下がるって数字で出ちゃってるのよ……教員だけでこの数の生徒を完全に管理するのは不可能だしアドバイスがトレーナー顔負けの的確さだから口を挟むことも出来ないし」

 

 心底悔しそうに教官は言う。

 まあ怪我に関しては若くして引退に追い込まれたんだから人一倍過敏だろうし、なにより理論を重視する科学者。教官としては一生徒にお株を奪われる形になるが他の生徒の為になるなら目こぼしせざるを得ない、と。単純に人手が増えるだけで大分違うだろうしね……

 仕方ないかぁ。仕方ないのかなぁ……? それ加味しても危険じゃない……?

 早速怯え切った同級生が話しかけられて尻尾跳ね上げてるし。

 二言三言話すと「な、なるほど?」みたいな顔になってはいるけど。

 

「第一組はスタート位置へ!」

 

 言いたいことは山ほどあったが口で言ってどうにか出来るわけもなく授業は進む。

 アグネスタキオンはアップしてる生徒を見回しては目に付いた相手に近寄り話しかけるということを繰り返していた。教官の言うところが正しければアドバイスらしいのだが。

 ウマ娘は50㎞/hを軽く超えるスピードで走るから一つ二つ直せるだけで大分違うのだろう。と、思う。怪我したことないし予防とかそういうの詳しくないから何とも言えない。

 何組かが走り終え誰かがぶっ倒れて保健室に運ばれていった。多分ツルちゃん。

 ツルちゃんだから怪我ってことはないだろう。スタミナ切れかな?

 そういえば保健室って行ったことないけど保険医は誰なんだろ。まさかこの時点でいるとかないよな元祖不審者……

 

「やぁやぁモルモット君~、ようやく君のデータが取れるねぇ~」

「うひぃぇぁ」

「それどうやって発音してるんだい」

 

 やめて親しげにしないで噂になっちゃう……

 ほらぁ同級生の皆さん「え、アレと仲いいの」って目で見てるぅ。

 

「ま! 知らない仲じゃないし期待しているよ」

 

 そう言って不審者は離れていった。

 短い接触時間でごっそり気力持ってかれた気がする。

 あの人、元馬の転生者だからか行動が読めないんだよね……

 対タキオンの取扱説明書どっかにないかなぁ。

 

「スぺちゃんあの人は……」

「アグネスタキオンさんって先輩。走りの研究してるんですって」

「そ、そうデスか……」

「あの、あんまりこういうこと言いたくないんだけど……付き合う相手は考えた方がいいわよ」

 

 キングちゃんがそこまで言うほどかぁ……

 登場即マッドサイエンティストだもんな。そらそうだよね。

 一応フォローしておくと無差別に実験に巻き込もうとするけど殺すまではしないし何されるか想像もつかないんだけどまあ死にはしないしレースの邪魔になることもないと思われる程度だから危険度はそんなに高くないんじゃない?

 そう告げたら危なくなったらすぐに呼べとか考えなおしなさいとか色々言われた。

 うん。全然フォローになってなかったな? 事実だけど。

 ともあれ私の番だ。友達の応援を背にスタート位置に並ぶ。

 うん、やっぱり他人が走るのを見るより自分が走ってこそだ。ウマ娘だもんね。

 友達は全員別の組になっちゃったから競えないのが残念だけどまあ一回目だし。

 受験以来のレース。もう脚がうずうずして治まらないな。

 タキオンにいいとこ見せてやるなんて思いはあんまりないけどけっぱって(がんばって)

 

「スタート!」

「スぺちゃんっ!?」

 

 あ。

 出遅れた。

 

「うおおおおっ!?」

 

 やば、まじめにヤバい! 考え事してて棒立ちだった!

 このままじゃダントツげっぱ(ビリ)じゃん!?

 

「ん~、ヒト由来の油断か? いや出遅れは馬でも珍しくないしな……」

 

 ああああ耳に届くタキオンの冷静な分析がムカつくー!

 全部自分が悪いんだけどさぁ!

 くっそ出遅れ過ぎて「え? 作戦?」なんて呟きまで聞こえてくる!

 ごめんなさい普通にスタート大失敗です!

 他の人たちは私のことなんか気にせずどんどん先に行っちゃって現在団子状態。

 私は最後尾から…………バ身がわかんねえ! けっこう後ろ!

 今回マイル戦だからか団子が過密で抜けそうにない!

 助けてマイルの皇帝ニホンピロウイナー! マイルの帝王アキツテイオー!

 会ったことないニホンピロウイナーさんとアキツ寮長が青い空で呆れ顔した気がした。

 ええい神頼みは後にして現状を認識しろ私。作戦立てなきゃどうにもならん。

 後はコーナーを曲がって直線で終わり、団子は過密で抜けられないが内より――大外一気!

 加速ポイントは、ごちゃごちゃ考えてる暇なんて無い。ここから全力全開だ!

 

「――っふ」

 

 全力で地面を蹴り抜く。

 減速は考えない。大外回りならこっちの方が速い。

 一歩、二歩、脚を地面に叩きつけて加速力に変換する。

 流れる景色が一気に引き伸ばされる。ウマ娘の動体視力でも追いつかない加速。

 これが、カツラギさんを真似て身に着けた私の末脚だッ!!

 

「スパート! に、しても……!」

「――やるねぇ」

「ナンてパワー……ッ!」

「これが、スぺちゃんの」

 

 外野から聞こえてくる声が後方に流れていく。

 団子状態の集団から息をのむ気配が伝わる。

 大丈夫突っ込まないよ。

 私は外からブッこ抜く!

 

「追いつかれた……!?」

「嘘でしょ!」

 

 バラけない! みんな実力伯仲か!

 それならそれで好都合、これなら末脚も発揮できまい!

 なんて甘い考えが通用するならここは中央じゃない。

 団子の中から弾かれるように、おそらくは距離適性の高い末脚自慢の子たちが飛び出す。

 口に出さなくてもわかる。彼女たちは叫んでいる。

 

 ――ここは私の距離だ! どけぇっ!!

 

 ぞくぞくと、心地よい寒気が背筋を走るよ。

 負けてられるか、勝つのは――私だッ!!

 

「ぬっぎぎぎ……!」

「がああああッ!」

「勝ぁーつッ!」

 

 歯を食いしばったり叫んだり。

 各々自分らしい力の出し方で最終直線を突っ走る!

 並んで、追い抜いて、追い抜かれて、そして、

 

「ゴール! ストップ! クールダウンしながら止まれっ! 終わったから!」

 

 教官の叫び声があっという間に遠くなる。

 ゴールしたけどすぐには止まれず、徐々に減速しながら脚を冷ましていく。

 はぁ、はぁ――結局、ゴールでも5人くらい固まっちゃったな。

 えっと、順位は……?

 

「ええと……誰が何位?」

「カメラ導入しとくんだった……」

「肉眼で判別できないでしょアレ」

 

 教官が3人くらい集まってなんかごにょごにょ話し合ってる。

 いや順位発表。私以外の子も焦れてきてんぞ。

 まだかなーとコースに視線を向けると残りの教官とタキオンがなんかしゃがみ込んでる。

 なにしてんだろと耳をそっちに集中した。

 

「……ふぅん。教官君、こりゃ埋め戻さないと足つっかけるね」

「え、ええ……ここまで深く抉れるなんて……」

「オグリキャップがカサマツ時代に消えない足跡つけたって聞いたけど、まさかこれ……」

「ダートとターフじゃ話が違うが――いずれは届くかもしれないねぇ」

 

 小声で話してるせいか流石に聞こえづらいな。話の半分も聞き取れないや。

 オグリがどうのダートがどうの……芝のレースなんだけど?

 

「コース整備に入ります! 次の組はしばらく待機!」

 

 うおっ、いきなり大声出さないでびっくりする。

 結局順位は審議の結果5位まで入線扱いということで幕引きとなった。

 みんななんとなくもやもやしたままゼッケンを返しコースを出る。

 勝った負けたがはっきりしないのって存外ストレスになるな。

 レースを終えたのに参加者全員一言も喋らないよ。私含め。

 クールダウンを終え一息つく。

 スタートのポカはさておき一応想像通りには走れたかな――という自己分析は霧散する。

 無数の視線が私に注がれていた。

 4つじゃない。10や20ではきかないほどの数。

 レース参加者だけじゃない、見学してたウマ娘たちまでもが私を睨んでいる。

 育ちが育ちだから私は敵意に敏感だ。その本能が警鐘を鳴らすほどのギラギラした、負けてなるものかという視線。ぞわぞわと毛が逆立つ。ぶるりと震えてしまいそうだ。――ああ、やっぱり中央はいいな。競う相手が、こんなにもたくさんいる!

 

「うひぉよわぁッ」

「ほぉう……なるほどねぇ」

 

 なんでいきなり足撫でまわすかなこのタキオンはぁ!

 ご丁寧に袖まくって素手でやるんじゃないよ!

 沖野Tかと思ったじゃないか!

 

「トモも素晴らしいが……何より良いのはバランスだな。なるほど、こういう筋肉の付け方をすれば足首が……コレはバラし甲斐があるなぁ……ッ」

 

 褒められてるっぽいけど撫で繰り回されて気持ち悪いしなにより言い方ぁ!

 多分解析し甲斐があるって言いたいんだろうけどそれじゃ解体されそうじゃんさぁ!

 

「ふぅん――相当高負荷のトレーニングを積んできたねぇ。これで壊れてないとはよほど優秀なトレーナーがついていたのかな?」

「え、いやお母ちゃんが見てくれてただけですけど?」

「ほう、君のご母堂は一廉の人物らしいな。一度意見交換してみたいものだね」

 

 アグネスタキオンにここまで言わせるって。

 ただの酪農家じゃなかったのお母ちゃん。

 

「それじゃあ――っと、おいそこの君!」

 

 5mは離れている子にいきなり呼びかける。

 案の定その子は悲鳴じみた声を上げていた。

 

「力が入り過ぎている。セーブを覚えないと足を壊すぞ」

「え? で、でもスペシャルウィークさんは」

「筋肉の配分が違う。君は瞬発力を高レートで弾き出すための筋肉だ。一瞬で出せる力は君の方が強いがその負荷に他の部分が耐えられない。このちびっ子は筋肉が関節を守る鎧になってるからあのパワーを連続で出しても平気なんだ。君の下腿三頭筋、脛の筋肉は素晴らしいが諸刃の剣だということを憶えておきたまえ。要は使いどころを誤るなってことさ」

「な、なるほど……」

 

 遠目に見ただけでそこまでわかんの。

 うーんこれは教官が追い出さないのもわかる気がする。

 なんて考えていたらぐりんと不気味な軌道でこちらを向いた。

 

「で、君だが」

「あっはい」

「とにかく無駄が多いね!」

 

 おぅ。

 

「特にスパートだが……君、ピッチ走法なのにストライド走法意識してるだろ?」

 

 え、なんでわかるの。

 

「ピッチ走法には不必要な力みが見える。だから踏み込みが強くなりすぎるんだ。将来的にはストライド走法を主軸に置きたい、みたいなこと考えてるんだろうが現状身についてるピッチ走法の邪魔になってるねぇ。混ぜないで切り替えたまえよ」

「なして一回見ただけでそこまでわかるんです……?」

「見て筋肉を触診すれば大体わかるだろ。わかんない奴がいるとしたらただのバカだぜ」

 

 天才ってすぐこういうこと言うー。

 けどまあ参考になったのでお礼を言うとタキオンはじゃあねと去って行った。

 切り替え早いにも程があんだろ。なんだろうこの独り相撲感。

 ともあれ。混ぜるな、か……無自覚だったけど憧れの走りが表に出ちゃってたのか。

 ううん、これ意識しただけで直せるかな? 誰かに指導を頼むべきか……

 

「ぎゃああああああッ!!?」

「コンプちゃんーっ!?」

 

 え、なにこの悲鳴。

 思わず顔を向けた先では晴天の昼間にも関わらずなお眩しい発光体がいた。

 

「なにこれ!? なに!? 私どうなってんの!?」

「ぎゃああこっち来んなー!?」

「コンプがやられたー! 逃げろ、逃げろおおぉぉっ!!」

 

 ゾンビパニックの映画みたいになってんじゃん。

 誰かタキオンの薬飲んだな。眩しっ。

 毎秒単位で色が切り替わって直視していられな、眩しっ。

 ていうかコンプ……? 光り過ぎて誰かわからんけどもしかしてクラスメイ、眩しっ。

 現実で光られるとこんなにも目に痛いのかタキオンの発光薬。

 あ。すっげえ速さでタキオンが逃げてる。

 教官もとんでもない速さで追いかけてる。

 素人じゃないとは思っていたけど重賞クラスはいけんじゃないのあの速さ。

 やっぱ指導陣も魔境だわ中央。

 

「スぺチャン! 逃げマスよ!」

 

 急に腕を引っ張られる。

 エルちゃんが見たことないほどに焦っていた。

 え? なんで? 目が痛いレベルで光ってるけど光ってるだけじゃ、

 

「アレ! ()()()んデスッ!!」

 

 は。――はぁっ!?

 

「ネイチャがやられたー!!」

「カワカミ頼む動かないで! あんたが暴れたら感染者が爆増すんの!」

 

 混乱が加速度的に広がっている。

 うつ、感染? は? 薬剤で光ってるだけじゃ、まさか!?

 ウィルス人工的に作り上げたなあのマッド女!!

 このご時世になんてもん作りやがる!

 感染者は積極的にうつそうとはしてないみたいだけどちょっと接触するだけで感染するからパニック状態の現状では何の意味もない。パニックを起こした感染者が走り回ればそれだけで爆発的に感染が広がるのだ。

 っていうかなんでいきなりバイオハザード始まってんだよ!!

 ここカプ●ン世界だったの!?

 

「――ッ、この声!」

 

 知ってる悲鳴に振り返れば眩し過ぎてよくわからん状況だけど走り回ってる感染者の中にグラスちゃんが取り残されていた。

 

「た、助けないと……!」

「おバカ! あの子はもう無理よ! あなた自身が助かる道を選びなさい!」

 

 エルちゃんに掴まれた反対の腕をキングちゃんに引っ張られる。

 それが正しいのはわかる……! 今飛び込んでもただ感染者が増えるだけだ。

 でも、見捨てるなんてできない。だって友達なんだ……!

 かなり早い段階で感染したのか諦め入って寝転がってるセイちゃんを跨いで走り出そうとするとひと際強く、最初から掴まれていた腕が引かれた。

 あっぶなセイちゃんに触るとこだった!

 

「え、エルちゃん……?」

「――スぺちゃん」

 

 青い眼が澄んでいた。

 怖いぐらいに澄み切っていて――決断を下したのだと、示している。

 

「あなたとフレンドになれて、楽しかったよ」

 

 これは、ダメだ――!

 

「エルちゃん! ダメ、そんなの間違ってる!」

「アハハ、アタシバカだから――そんなの、知らない」

 

 私を放しエルちゃんは駆け出す。

 捕まえようと伸ばした手はキングちゃんに引き戻され届かなかった。

 

「なんで、キングちゃん……!」

「……ッ。女の、覚悟を踏みにじるなッ!」

「ッ」

「あの子は、自分を犠牲にするって決めたのよ……誰にもそれを止める権利なんて、ない」

 

 私を掴むキングちゃんの手が、震えていた。

 ああそうだ。私は、助けたいと思っただけだった。

 エルちゃんみたいに――身を捨ててなんて、思いつかなかった。

 中途半端な私の助けたいなんて、止められて当然だ。

 あっという間にエルちゃんは蹲るグラスちゃんの元に辿り着き――感染者との衝突を、身を挺して防ぎ切った。

 

「――え、エル……」

「ハァイグラス、メイアイヘルプユー?」

「エル、エルッ、どうして……!」

 

 じわじわとエルちゃんの身体が感染し光っていく。

 そうしている間にもパニックを起こした感染者たちが走り回り、グラスちゃんにぶつかりそうな相手だけをエルちゃんは体で止めていた。

 

「初めて会った時から、思ってたんデス。グラスは、アタシが守らないとって」

「エル、やめて! 私はもういいから!」

「嫌デース。その、ッ、オネガイは……聞けない、ネ」

 

 突き飛ばせば終わる。

 エルちゃんに触れてさえしまえば守る理由もなくなるから。

 だけどそれはエルちゃんの想いを否定することに他ならない。

 

「エル――ッ!!」

 

 悲嘆に暮れながらも、グラスちゃんはただ……耐えることしかできなかった――

 

 

 

 なんつー茶番劇は発光が30分くらいで治まったので次第に落ち着いていった。

 捕縛されたタキオンの後遺症は無いという発言で遅れて感染した子も光っぱなしではあったが時間経過を待つ余裕ができたみたい。なおタキオンは本校舎玄関ホールに吊るされた。目が死んでる美少女が簀巻きで吊るされてるのを見なきゃならない一般生徒の気持ちを慮ってほしい。実験結果にご満悦なのかずっと笑ってて怖ーんだよ。

 キングちゃんが聞いた話によるとあのウィルスはマジでヤベエから絶対漏らすなとか色んなことがあったらしいが踏み込みたくなかったので詳しくは聞かなかった。キングちゃんも忘れたがっていたようでそれ以上話すことはなく早々に切り上げる。

 

「エルちゃんとグラスちゃんは?」

「グラスさんを庇ってぶつかりまくってたから念のためにと保健室に連れてかれたわ。エルさんは平気だと言ってたけどあんなことのあとじゃね……」

「いや冷静になってみると恥ずかしくって顔出せないってとこじゃないの」

 

 セイちゃん。ステイ。

 思ってても言うなよそれは。

 変にテンション上がっちゃったんだよみんな。

 ほらキングちゃんも思い出して顔赤くしてんじゃん。

 いいよね一人寝っ転がって恥ずかしい思いゼロのご身分はさあ!

 

「だって光るだけだし……」

 

 そうだけどね!? そうなんだけどさ!

 あの場で冷静さ保つの無理くない!?

 などとじゃれ合ってる間に自習時間も終わり――タキオンのアレで午後の授業が1コマ未満潰れたのだ――下校時刻となった。今日は模擬レースあったから自主練はなし、休養に当てるように言われてるのでみんな制服姿で帰っていく。普段ならここからジャージに着替えて自主練なのでルーチンが狂う感覚だ。なんとなく解散しちゃったからこの後どうするって決めてないなあ。

 人影がまばらになってきた教室でぼんやりしていると、誰かが近づいてくる足音がした。

 

「少しよろしいでしょうか」

 

 声に振り向けば眼鏡をかけた長い三つ編みが特徴的な少女、イクノさんがいた。

 イクノディクタス。50戦以上を怪我無く走り抜け『鉄の女』と呼ばれた名馬。その魂を受け継ぐウマ娘だ。アニメ2期でチームカノープスの一員として色々盛り上げてくれたのを憶えている。ターボにプロレス技かましたり。

 ここは現実でアニメとは違うとわかっているがどうしても印象は原作に引っ張られる。ついでにいえばここの人たちって転生者疑惑あるしな。ドーベルさんとか判断できない人もいるからその辺曖昧なんだけど。

 あと背が高い。羨ましい。

 

「えっと、あなたは」

「申し遅れました。隣のクラスのイクノディクタスと申します。先ほどの合同授業でご一緒させていただきました」

 

 あれこれ知ってますよ、なんて態度は見せず知らない体で問い返せば極々普通の切り返し。今のところ怪しい点は無い。

 するとスペシャルウィークさん、と声に熱が籠った。

 

「あなたの走りに感銘を受けました。私が目指す壊れない走りに通ずるものをあなたの走りに見ました。不躾とは重々承知していますが是非ともその強靭な足腰の作り方を教わりたいんです」

 

 ふむ? 確か原作のイクノディクタスは走れなかった過去があるから徹底的に自分を管理する、みたいな感じだった、はず。そういう理屈ならタキオンが言ってた私の頑丈な脚の作り方を知りたくなるのも頷ける話か。私がやってた頃は未実装だったから詳しいところまではわかんないんだよな……ドーベルさんと同じパターンじゃん。

 

「つまり私のトレーニングをやってみたいと」

「はい。もちろん拒否してくださっても構いません。門外不出の教えや部外秘であった場合無理を言える立場ではありませんから」

 

 あるらしいね、一族秘伝とか。

 まあうちは箸にも棒にもかからないどころか親類縁者不明っつう寒門以前の家柄なんですけど。産んでくれたお母ちゃんの血筋からして不明だからなうち……家系図がお母ちゃんと私の二代で終わる超シンプル仕様。

 だからまあ隠さなきゃってことは無い。

 

「別にいいですよ。今からは無理ですけど週末に自主練する予定でしたし」

「! ありがとうございます。しかし、週末ですか?」

 

 ああ数日開くもんね。

 

「学園内じゃできないトレーニングなのでできるとこまで行くんですよ。都合が悪いのならまた別の日にでも……」

「い、いえ大丈夫です。少々予想外なだけですので。何か準備は必要でしょうか」

「口頭じゃ忘れ物が出るかもしれないので後でメールします」

 

 そしてアドレスを交換して別れた。

 予定外だったけどトレーニング仲間が出来たのは嬉しいな。

 週末が楽しみだ。

 

 玄関ホールではまだタキオンが吊るされながら笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 学園の、特に一年生の間に流れる空気が変だ。

 タキオンのアレから日が経ってないからかと最初は思ったがアレの被害は学年全体というわけじゃない。空気がおかしいのは全体なのでおそらくは違うだろう。ならゴルシかと思えばそうでもなさそうで、ここ一週間ほど中等部の校舎では見かけてない。アレの場合学園にいるのかという疑問も生じてくるので深く考えたくはないのだが、ゴルシが姿を見せずになんかする、というのはまずあり得ないだろう。騒ぎを起こすなら自分自身でってタイプだろうし。

 二大問題児じゃないならなんなんだ? となるんだけど……

 

「わかんないなぁ……」

 

 大体なんかあったらアイツらって思っちゃうんだよね。実際拉致られたし。

 実害受けた記憶が強すぎる。大概の違和感塗り潰しちゃうぞこれ。

 

「どうしたの? うわの空で」

 

 声をかけられはっとする。

 

「あ、すみません。折角誘ってもらったのに」

「いいよ、考え事くらい誰でもするし」

 

 そう笑って許してくれるのはメジロドーベル先輩。

 カフェテリアでランチセットをおかわりしてたら売り切れてしまい次何食べようかメニューとにらめっこしてたらお茶に誘われたのだ。

 そうしてこの部屋に連れてこられたのだが。

 ここどう見ても食堂じゃないんよね。私たち以外誰もいないし。

 なのに給仕さん出てくるんだけど、どういうことなのかな? もしかしてメジロ家が専用として学園から買い取ってるエリアだったりします? ちょっとスケールでかすぎてりかいできない。

 

「悩み事?」

「悩み、ではないんですけど」

 

 空気がおかしいってだけだからなぁ。

 警戒心強めの私だから気にしてるだけかもしれないし。

 でも変に誤魔化すような話でもないし言っちゃうか。

 ドーベル先輩が答え知ってる可能性だってある。

 

「なんか一年生に情緒不安定な子が急増してるんですけど何か知りません?」

「情緒不安定?」

 

 うん情緒不安定。そうとしか言えない。

 さっきの私じゃないけどうわの空だったり妙にカリカリしてたり、あんま言いたかないんだが生理中みたいな様子の一年生がやたら多いのだ。

 問われても思い当たらないようでドーベル先輩は首をひねる。

 

「タキオン先輩のバイオハザードじゃなくて?」

「アレに遭ったら情緒ブッ壊れるでしょうけども」

 

 聞けばああいうの月イチくらいの頻度で起きるらしい。マジかよ。

 タキオン内包してんのに壊れないなんて人間社会って意外と頑丈だな……

 マッドはさておき、それ以外だとドーベル先輩はわからないらしい。

 流石にいきなり解答とはいかないか、と思ったら先輩の顔色が変わった。

 ウマホを取り出し何かのアプリを起動する。ちらと見えたのは……カレンダー?

 

「あ、あー……近い内にわかると思う。その、あんまり口に出したいことじゃないから……」

「はあ……?」

 

 その後は話を濁されたままお茶会は終わった。

 話し上手な人じゃないけどあまりに不自然な断ち切り方。

 ドーベル先輩の顔が赤かったような気もしたが……体調悪かったのかな?

 

 

 

 先輩の言った通りすぐにわかった。

 彼女が顔を赤くしていた理由も。

 一年生の空気がおかしかったのはとある授業のせいだと判明したのだ。

 もっともそれを理解したのは授業を受けてからだったのだが……

 そして件の授業が始まり――――終わって先生が出て行っても誰も動こうとしなかった。

 正確に言うと、受けた衝撃が大きすぎて何かしようという気にもならない。

 うん。落ち着こう。

 考えをまとめて、まとめ、て。

 

 ――ウマ娘は同性同士でも子供が作れるってなに?????*1

 

 ちょっと待って。え? じゃあさ、もしかして。

 なんなの神秘の一言で放り投げないでよどういうことなのこれ。

 嘘でしょ。ちょっとほんとに? 今まで信じてきたものが崩れるんだけど?

 前世に比べて同性婚の法整備進んでるなって思ってたけどそういうこと?

 え? もしかして、お母ちゃんがお父ちゃんだったりするの……?

 前々から不思議ではあったけどお母ちゃんが日本国籍持ってる理由ってそれ!?

 

 混乱から脱した者からウマホを取り出す。

 ある者はLANE*2に高速で文字を打ち込みある者は直に電話した。

 そして始まる阿鼻叫喚の地獄絵図。

 ほっとする者もいれば懸念が当たり絶叫する者もいるさまは正に混沌。

 

Papa! Are you my father!?(パパはパパだよね⁉) really!? Tell me the truth! please!!(お願いだから本当のこと言って!!)

 

 エルちゃんが英語で捲し立ててるけど早口で何言ってるのか聞き取れない。

 というか他人に気を割いてる余裕がない。

 教室の惨状にぽかんとしてるのはほんの数人だ。知ってたんなら言ってよ……! どういう機会があればそんな話することになるのかわかんないけどさぁ!

 私もウマホを取り出す。

 中央に受かって初めて買ってもらった通信端末。

 お母ちゃんと札幌まで行っていっしょに選んだ私のウマホ。

 ロック画面を解除するのにひどく手間取る。こんな難しかったっけ。

 私とお母ちゃんはLANEやってないから電話をかける。

 呼び出し音が鳴り始める。お母ちゃんの顔が頭を過ぎった。

 物心ついたころからの記憶がフラッシュバックする。

 牛によじ登って怒られた記憶。

 初めてお母ちゃんに贈ったプレゼントは花冠だった。

 いつも美味しいご飯を作ってくれた。

 お母ちゃんが作ってくれたケーキは不格好だけど美味しかった。

 産んでくれたお母ちゃんのことを初めて話した日。

 お母ちゃんが泣くのを初めて見た。

 あれは、

 電話が繋がる。

 

「あ、お母ちゃん!? あの、その、っき、聞きたい、ことが」

 

 いつも通りのどうしたー? という返事に気勢を削がれた。

 お母ちゃんとは血が繋がってないと思ってた。それでも親子だと思ってる。

 お互い秘密なんて無いくらい信じあってて、悩みだって全部話していた。

 その関係性が変わるにしても、えっと、どう変わるんだ……?

 産んでくれたお母ちゃんが、だから、育ててくれたお母ちゃんの……?

 

「――元気してる? 腰大丈夫?」

 

 寮で初めて迎えた朝のことを思い出しながら口にする。

 一人だと腰痛めたら大変だよねって。手伝わなきゃって。

 そう、いつも通り。いつも、どおり……

 

「うん、うん……今度帰ったら手伝うね。うん、またね」

 

 通話を切る。

 話せなかった。

 訊けなかった。

 今でもこんな話どう切り出せばいいのかわからない。

 訊けば何かが変わってしまう。

 確証には至らないおぼろげな感覚が歯止めをかける。

 落ちるように座り込んだ。

 呆然とするしかない私の隣に通話を終えたエルちゃんが腰を下ろす。

 

「パパはパパでシタ……」

 

 安堵を滲ませる声音に嫉妬してしまいそうになる。

 そんな私の代弁をするかのようにセイちゃんが口を開いた。

 

「訊けるなんてすげーよエルちゃん……私訊く度胸ないよ……」

「私もです……まさかと思うと手が震えて」

 

 不安だったのだろう、いつもの面子が自然と集まっていた。

 セイちゃんとグラスちゃんはウマホを手にしたまま項垂れている。

 待機時間を過ぎ真っ暗になった画面が彼女たちの心象を表してるようだった。

 

「スタートのイキオイだけデス……一瞬考えこんだらアタシだって……」

 

 安心できたはずなのに疲弊しきった姿に何も言えなくなる。

 そうだ、家族の件が解決したって私たちの足元は揺らいだままなのだ。

 私たち全員転生者だから常識が完全にひっくり返った。

 いやまあこっちでも周りの反応とか中一まで教えられなかったあたり見ると結構な爆弾なのかもしれないけど……察するにこれ以上遅くすると間違いが起きたりレースに影響したりとかがあり得るけど人格形成が未熟な小学校じゃ教えらんないとかそーゆー感じだろうか。うん。こっちでも十分大ごとじゃないか。私たちの反応普通だよ。

 そういえば授業の最後にセラピー受け付けてるって言ってたな……衝撃デカすぎて流しそうになっちゃってたけど。

 

「……あれ? なんか少なくない?」

 

 いつものメンバーが集まったと思ったけど足りない気がする。

 そうだよキングちゃんが来てないじゃん。

 

「ああキングならあっち――え‶ッ」

 

 素っ頓狂なセイちゃんの声に振り向けばキングちゃんが背もたれに全体重預けて呆けていた。

 

「キングちゃん!?」

 

 やっべえ! そういえばキングちゃん原作と違って大分箱入りじゃん! 普段しっかりキングヘイローやってるから忘れかけるけどすげえ繊細だよこの子!?

 友の危機に落ち込んでる場合じゃねえとグラスちゃんたちも立ち上がる。

 話しかけても無理だったので私が抱えて保健室まで突っ走った。

 運び終わった後一番小さいスぺちゃんが抱えなくてもよかったんじゃない? と私たちの中で一番でかいエルちゃんに視線が集まったけどほら、ウマ娘ってみんな力持ちだからそこは別に……バランス? うん、そうね……

 

 

 小さいつってもメロディーレーン*3ほどじゃねーし……

 本来のスぺちゃんだって500㎏超えないくらいの体格だし……

 常識がぶっ壊される授業はそうして私の心に小さな傷を残して終わった。

 

 

 

 

 

 

 待ちに待った楽しい週末。

 その筈だった。

 待ち合わせ場所の栗東寮玄関で顔を合わせた私とイクノさんは挨拶もなく黙り込んでいた。

 私たちに限らず一年生はみんなこんな感じなんだけど。上級生は恒例の季節だね、それもいつか思い出になるよみたいな顔して見てるけどアンタら本当に乗り越えたんだろうなと声を大にして問いかけたい。何人か明らかに顔背けてたじゃん。トラウマ思い出してたろ。

 深く息を吸って吐き出す。

 いつまでもこうしてても埒が明かない。

 重たい話はすっきりさっぱり終わらせよう。

 

「……イクノさん、あの授業受けました?」

「……はい。衝撃、でした……」

 

 ジャージ姿のイクノさんは俯き気味で、光の具合か眼鏡に遮られどんな顔をしているのかわからない。私もひとにあれこれ言える表情してないだろうとは思うけれど。

 

「…………何故うちは父が居なくて母が二人いるのかな、って、思ってはいたんです」

「イクノさん」

「思えば産院で撮ったらしい赤ん坊の私を抱く写真からして母二人しか写ってなくて」

「イクノさん」

「おかあさんと結婚するって言った過去が本気でヤバい気がし始めて……ッ」

「それは同性婚とはまた別の問題じゃないですかね!?」

 

 確か三親等内の結婚はできない……んじゃなかったかな?

 というか真っ当な親なら普通に喜んで思い出にするだけの話だと思う。思いたい。

 ……冷静に考えれば娘が父にお嫁さんになるって話と一緒だから問題ないという結論に達するのだが、私たち二人とも父親がいないのでその答えに至るまで30分以上かかったのである。――いや生物学上の「父」に当たる人は確実にいるわけで……やめよう! あたまこんがらがってきた!

 なおイクノさんのお母さんは二人ともウマ娘だそうで。うん。深くは聞くまい。

 そんなやり取りの末に目的地まで軽く走ることにした。

 ヒトならともかくウマ娘なら軽いジョギングくらいの距離だ。

 二人とも余裕があり話しながら走った。多少は仲良くなれたかな?

 

「山……ですか」

 

 辿り着いた目的地を見上げイクノさんは呟いた。

 山地トレーニングとは先に言ってあったけど実際に見ると思うところがあるのだろう。

 近くのベンチに腰掛け靴を履き替える。ランニング用の蹄鉄シューズじゃ山道は危険だからね。ワンテンポ遅れてイクノさんも履き替え始める。

 

「ご実家でも山でトレーニングを?」

「うん、実家が山の麓にあるので。子供の頃から山が遊び場だったんです」

 

 さて、注意喚起をしないとな。

 ここからはガチだ。

 町中走る時はうるさくて邪魔になると包んでいた熊鈴をリュックから取り出し口を開く。

 

「本当は原生林がいいんだけど慣れてない人いきなり放り込むと100%死ぬから」

「死ぬ」

「自然って容赦なんて概念無いからウマ娘だろうがヒトだろうが遭難したら死にます。たまに救助される人のニュースありますけど宝くじに当たるようなもんですあれ」

「宝くじ当選するほどの強運がなければ助からないんですか……」

「気候風土に原生生物、地形によってはガス溜り。殺意しかないですよ山って。人間は自然の中じゃ生きられません」

 

 ドン引きしてるけどこんくらい脅さないと一人で行っちゃう可能性あるからね。

 誇張してない事実だし。自然は怖い。これを忘れちゃいけない。

 生水飲めば寄生虫をはじめとしたデストラップ、食べれそうなものは毒混じりだもん。

 気軽に食べようとしてお母ちゃんや近所のヒグマさんに叱られたの思い出すなー。

 

「絶対に私から離れないこと。あと歩き方をよく見て真似してください」

 

 防犯ブザー10個装備してきたからもしものことがあっても助かる可能性は高いけどね。

 人通りとかから見るに最悪でも一週間くらいで発見されるだろうし。

 これが北海道だったら確実に死ぬけど。

 人口密度がねー。

 

「あの、スぺさん。そのベル? はいったい?」

「熊鈴です。ここになんかいるぞって音で知らせて熊と遭遇しないための道具です」

「それは聞いたことがありますが……ここいらに熊が出没したという話はありませんが?」

「熊の生息域って人間が観測して勝手に決めたものですからあてになりません。越境くらいならざらで海を渡ったケースもあります。この島には熊は出ない、なんて侮っていると遭遇して首が飛びます。物理的に」

「首が飛ぶ」

「熊に限らずイノシシやサルなど人間じゃまともに勝てない生物は大概そうです。餌を求めて、縄張り争いに敗れて、など理由は様々ですが確実なのは人間の都合なんて彼らには関係ないということですね。町に降りてくる野生動物はよくニュースになるでしょ?」

「なるほど……山の中なら何をかいわんや、ということですか」

 

 そういうこと。頷いて立ち上がる。

 今日は初回だから山道は走らない。

 イクノさんがいるからってだけじゃなく私も初めての山だからだ。

 山は一つ一つが別世界。山に慣れてる、なんて通用しない。

 まずはゆっくり慣れましょうとイクノさんに伝え山道へと踏み入った。

 

 山に入り1時間。

 徐々にこの山に馴染んでいくのを感じる。

 この感覚が危険なんだけど。油断と同義だからね。

 それでイクノさんの方は――

 

「不整地を歩くだけでこんなにも……! もし走っていたら、足首の角度一つ、間違えれば怪我をしますね……! しかしこれは、体幹が鍛えられるのを実感できます……!」

 

 息を荒げながらも目をキラキラさせて私の後をついてくる。

 どうやら彼女が望んでいたトレーニングになってるらしい。

 

「なる、ほど……! 常に考えながら、歩みを進める、これは、レースに役立ち、ます」

 

 流石と言うべきか、初回でそこまで気づくなんて。

 ウマ娘のレースはとにかくヒトとは比べ物にならないくらい長い。

 その長い道のりでバ群の形成、流れ、バ場の状態などあらゆることを考え処理しなければならないのだ。俗に「ウマ娘レースは頭が二つ要る」と言われる所以である。多分前世でいうところの馬と騎手の役割分担みたいなもんだとは思うけど、私たちはそれを一人でやらなければならない。

 事前にトレーナーと作戦を立てたりなどは出来てもレース中はどうしても一人だ。

 マルチタスクは必須になる――たまにこういうの全部すっ飛ばして勝つ人も出るんだけど、ああいうのは参考にしちゃいけない。天才とか化け物とかそういう類だあれは。

 歩みを進めながらちらと後方を窺う。

 イクノさんは体力がある方だが、慣れない道と長時間周囲を注意し続けたことによる消耗が激しい。少し休憩を挟んだ方がいいかな。

 

「もう少し行くとウマ娘用のコースがある開けた場所に出ます。そこでお昼にしましょうか」

 

 返事を確認し歩調を緩める。

 やがて森が途切れ目的地が見えてきた。

 山中の開けた場所に作られたダートコース。管理維持のしやすさから芝じゃなく砂にしたんだろうなと感じさせるそこは場所が場所だからか人影もまばらだった。

 一息ついて座れる場所を探しイクノさんを誘導する。

 荷物を置き持参したお茶を一口飲んだところで落ち着いた。

 

「ふう……いつもはこれを走って行うのですか?」

「そうですね。地元だとセコマ……コンビニの場所とかわかってますしもっと軽装なので。荷物を軽くするのは別の理由もありますけど」

「何故か訊いても?」

「知らないヒグマに追われたら直線だと追い付かれるんで木の上に逃げるんですけど、最悪木から木へ飛び移る必要があるので……下手な木だと登ってこられて逃げ場なくしちゃうんですよね」

「思ったより命の危機な上アクロバティックな理由でした」

 

 それ飛び移れる木がなかったら? と聞かれたので防犯ブザー鳴らして誰か来てくれるのを祈りますと答えた。すごい顔されたけど自然相手は最終的にそうなるんよ。

 ヒグマ相手はスぺさんでも勝てませんかなんて話ふられたけど開拓時代に重種の人がステゴロで勝ったって話は聞くけど重傷と引き換えって話だったし勝てる気がしない。ごく稀に気迫勝ちするウマ娘が出るから勘違いしがちだけどサシじゃ絶対勝てない相手だからね熊って。近所のヒグマさんだって思いっきり手加減してくれただろうにポンポン投げられたし。

 

「いつかは勝ってみたいですね……」

 

 だというになんで真剣なまなざしでそんなこと言うの……?

 

「イクノさん、いくらなんでも熊相手は……」

「しかし熊の最高速度は毎時60キロと聞きます。我々は70キロ……平地と不整地では全く話が異なるでしょうが、ただ勝てないと思うだけなのはどうにも悔しい」

 

 ……おっと? こいつぁ私の勘違いかな?

 あっはっはぁ。

 お弁当を広げて食パンそのままサンドイッチを一口。うん。おいしい。

 ひとここちついたのででっかいおにぎりを食べ始めたイクノさんと話を続ける。

 簡単に諦めるのが悔しいのはわかるけど絶対挑まないでくださいねと念を押した。

 私たち人類の脚は何万年も前から道を作りそこを走ることを目的としているのだ。自然そのままの場所を走る野生動物とは根本的に違う。基本的に熊に遭うなんてのは自然の中なんだから相手の土俵で走ることになるんだ。勝てないのがおかしいと思う方が烏滸がましい。

 そう説き伏せたのだけど微妙に納得してなさそうな気配を感じる。

 やだこの子すっごい脳筋。なしてそこまでして熊に勝ちたいの。

 勘違いと思ったのが勘違いってレベルじゃん。

 リュックの大部分を占めていたお弁当を食べ終えこの後どうするか考える。

 せっかくコースあるんだしひとっ走りしようかな?

 でもイクノさんの疲労抜けきってないよな……ん、見覚えのある、というか今私たちが着てるトレセン指定のジャージ。トレセン生もここに来るんだ――なんかこっちに近づいてくる? あれ、知り合いだった、か、な。って。

 

「やあ、奇遇だね」

 

 爽やかな笑顔でその人はそういった。

 

「る、るど、シンボリルドルフ生徒会長!?」

 

 そう、ルドルフ会長が。

 なんでここに……ジャージ姿からして自主トレ?

 いやでもチームリギルの会長がわざわざ学園外のダートコースって……?

 

「そんな堅苦しくなくとも好きに呼んでくれていい。ルドルフとでもね。スペシャルウィーク、イクノディクタス」

 

 名を呼ばれ固まっていたイクノさんもびくりと反応する。

 

「わ、私たちをご存じで……?」

「生徒の顔と名前は憶えているよ。曲がりなりにも生徒会長を拝命した身だ」

 

 さらりととんでもないことを言ってのける。

 よくある話だが、生徒数が文字通り桁が違うトレセン学園でとなればその凄まじさは類を見ないだろう。疑惑――転生者ではないかということを考慮に入れれば、私たち原作キャラの名を言い当てるのは難しくもないだろうが……その身に纏う覇気が、そんな疑惑など消し飛ばしてしまう。

 

「先日の模擬レースはいい走りだった。将来有望だな」

 

 なにせ相手は日本の頂点に立つウマ娘だ。

 無敗三冠、唯一の七冠、ドリームシリーズ覇者。

 どれをとってもこの人だけというあまりにも強大な肩書。

 トゥインクルを退いて長いのに未だに凱旋門賞をはじめとした海外レースへの挑戦を望まれる、絶対の皇帝。

 

「あ、あり、ありがとうございます」

 

 返事一つ返すのにも緊張しきってしまう。

 王様――皇帝への謁見がいきなり叶ってしまった一般人の気持ちが痛いほどわかる。

 がちがちの対応に慣れているのか、気さくに話を続けてくれた。

 新入生の視点から見て学園に不備や不満はないか、今思いつかなくとも気づいたら教えてほしいなどといった生徒会長らしい会話が続く。

 緊張こそすれそんな和やかな空気の中会長と視線が重なった。

 

「その紫の瞳……」

「え、あ、これはお母ちゃん、母譲りで」

「ほう」

 

 会長の眼が細められる。

 

「そうか。君の瞳は母君譲りか」

 

 ……わざわざ話題に上げるようなことだろうか?

 紫色の眼ってそこまで珍しくないような……会長さんだって同じ色だし。

 

「――……似ているな。流星の形は違えど、眼差しは真っ直ぐだ」

 

 消え入りそうな呟き。

 だけど聞き逃せない。

 この人は、お母ちゃんを、産んでくれたお母ちゃんを知っている?

 私自身多くは知らない――お母ちゃんのことを……

 様子を窺っていると会長さんは視線をコースへ外し、再び私へと向けた。

 

「どうだろうスペシャルウィーク。私と走ってみないか?」

 

 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 

「……えっ!?」

「食後のようだし必要なら待つのも吝かではないが」

「いえ、それは、軽くしか食べてないのですぐに動けますけど」

 

 えらい勢いでイクノさんが私を見た。

 なんぞ。あなただって同じくらい食べてたじゃん。

 ああパンよりお米の方が腹持ちいいからイクノさんはまだ動けないのかな?

 

「それは頼もしいな。イクノディクタス、君は……慣れぬ運動で疲労が溜まっているようだ。仲間外れにするようで心苦しいが審判を頼めるだろうか」

「あ、は、はい」

 

 元々トレーニング目的で来ていたのか、会長さんはジャージのポケットからストップウォッチを取り出しイクノさんに渡した。

 

「で、でも……私と会長さんじゃ、勝負にならない、と」

「その見立ては正しい。本格化を迎えていない今の君ではG1級ウマ娘と走るなど無謀でしかない。だが、これは練習だ。今の実力を見つめ直す機会とでも思えばいいさ」

 

 敢えて私は勝負と言った。

 併走ではなく勝負と。それを会長さんは否定しなかった。

 ……やり合う? あの、〝皇帝〟シンボリルドルフと? あのディープインパクトでさえ並ぶにとどまった前人未到の偉業を成し遂げた大英雄と?

 あちらでもこちらでも変わらぬ絶対の皇帝。

 こちらの業績だけを見ても尋常じゃない。

 この人に勝ったのは歴史上二人だけなのだ。

 世界を騙した女、カツラギエース。

 稀代の爆弾ウマ娘、ギャロップダイナ。

 三冠ウマ娘二人に世界中から集った優駿、さらには観客まで幻惑したカツラギエース。

 類を見ない爆発力を持ちながら不安定極まりいつ爆発するかわからないギャロップダイナ。

 俗にシービー世代といわれる王の異名を持つウマ娘たちが乱立する魔境の世代。

 その世代の人たちしか、あの三冠ウマ娘ミスターシービーですらこの人には勝ってない……!

 今更ながら冷や汗が噴き出す。

 皇帝シンボリルドルフと競うという事実に押し潰されそうだ。

 ただのファンならいい思い出で終わっただろう。

 だが私はいずれトゥインクルシリーズを走る競技者。

 その道の頂点と競い敗れたら……消えない傷になってしまうのではないか。

 絶対に勝てない相手なんてものが心に刻まれてこの先走れるのか。

 違う、最初から負ける前提でどうする! その方が問題だろ私!

 競技者だっていうんならそんな弱気の方が間違ってる!

 

「……ッ」

 

 両手で自分の頬を張る。

 よっし! 怖気づくのは終わり!

 そんな私の様子を見て、会長さんは満足げに微笑んだ。

 

「実は君の走りが私の尊敬する人物に似ていてね――正直に言えば血が騒いだ」

 

 私の走りに似ている、それは、私が真似たのは。

 ……ああ納得だ。シンボリルドルフに勝った、たった二人のウマ娘。

 その一人、初めて皇帝に敗北を刻んだのが……カツラギエース。

 私が憧れその背を追い続ける中距離の王者と称えられたウマ娘。

 そりゃあ良い気がしないだろう。G1ウマ娘ともなればプライドの高さも並じゃない。

 だけど。

 ルドルフ会長ってここまで好戦的な人だったかな……?

 転生者……なのかもしれないけど、それにしたって何故に新入生と勝負なんて。

 カツラギさんのような先行策から逃げといった選手なんて他にもいるだろうに。

 

「ここのコースは一周1200m。身体が出来上がっていない内に長い距離を走るのはよろしくないからちょうどいいかな」

 

 1200……スプリント戦か。

 正直加速しきれるか怪しい気がするんだけど……会長の言うことは正しい。私たちはまだ本格化も来ていない未完成の体。例えばステイヤーの素質を持っていたとしても今3000mのレースなんてすれば体にかかる負担は将来の比ではない。たった一度のレースで壊れる可能性は低いだろうが……それでも短距離という安全性を捨てる理由にはならないだろう。

 どうにも自分の能力把握しきれてない気がするから全部憶測になっちゃうんだけど。

 経験が圧倒的に足らない。もっと練習しなきゃ。

 

「そうだな、あとは――」

 

 会長さんの視線が私に、特に脚に向けられる。

 タキオンじゃあるまいし見ただけで走力がわかるとも思えないけど。

 

「10秒」

「え?」

「10秒遅れて私はスタートしよう」

 

 言って予備なのかもう一つのストップウォッチを取り出し設定し始める。

 10秒。

 ヒトの最高峰が100mを駆ける時間。

 だがウマ娘なら並でも170mは軽く走れる。

 この人は自分だけマイル戦をしても構わないと言っているに等しい。

 いや加速の時間が要ることを考えれば200m追加するよりも条件は厳しくなる。

 ハンデ、ということらしい。

 彼我の実力差を考えれば普通に走っては勝負が成立しない。

 本格化前というどう足掻いても届かない力量差。

 冷静に考えればまだ足りないくらいのハンデだ。

 ――けど、それで納得できるほどウマ娘の闘争本能は安くないんだよなァ……ッ!

 格下どころか庇護すべき子ども扱いを、よりにもよって走る場でされるなんて……!

 

「参考に一走りしようか?」

「いえ結構です。あなたのレースは全部見ました」

 

 現代日本最高峰のウマ娘。それがシンボリルドルフ。

 トゥインクルを退きドリームに移ってなお最強説でトップに名が挙がる規格外。

 そんなウマ娘を研究しないやつなんかいない。

 

「それは重畳。後輩が勉強熱心で嬉しいよ」

 

 ああ焚きつけは成功だよ会長……!

 これで燃えなきゃウマ娘じゃない。

 馬の近縁種のシマウマはライオンだって蹴り殺すくらい気性が荒いんだ。

 同種でないとはいえその魂を受け継ぐ私たちがひたすら温厚なんてあるわけないだろうが……!

 ふつふつと煮え滾り始める頭で作戦を考える。

 怒りに任せてぶっ飛ばすだけじゃ勝てない。

 ここはダート。タキオンに無駄だと言われた力みが活きる環境だ。

 むしろ好条件。弱気の作戦を練る必要はない……ッ!

 

「作戦は組み上がったかな?」

 

「――はい」

 

 煮え滾った心とは別に冷え切った頭を用意する。

 この人に勝つにはどっちか片方じゃダメだ。

 全力を出し切る煮え滾る心。

 適切に判断する冷めた頭。

 両方を使いこなして挑まねば皇帝には届かない。

 

「それでは一周1200m。スタートとゴールの審判をさせていただきます」

 

 イクノさんがスタートラインの横に立つ。

 会長がおそらくは10秒にセットされたのだろうもう一つのストップウォッチを手渡した。

 

「……スぺさん、大丈夫ですか?」

 

 スタート前で張り詰め、表情が消えてるだろう私にイクノさんは問いかける。

 色んな意味が含まれているだろうそれに頷きで返す。

 正直一つ一つの意味を拾っている余裕がない。ただ走れるということだけを応えた。

 横に並ぶ会長は手を挙げることで問題なしと示す。

 

「それでは――」

 

 イクノさんが手を構える。

 私は前傾姿勢を取りスタートに備える。

 会長は構えなかった。

 

「始めッ!!」

 

 一歩目からフルスロットル。

 後方に砂煙を上げながら駆け出す。

 息を飲んだ気配は誰のものだったのか、あっという間に後方に消えていく。

 ――大逃げ! これしかない!

 加速力も最高速度も走行技術も全てが負けている!

 勝ち筋を見出せそうなのは頑丈さとスタミナだけだ!

 脳内時計が5秒を刻む。

 まだ会長は動かない。今の内に取り戻せないだけの距離を稼ぐ。

 脳内時計が8秒を刻む。

 あと一秒少しで会長が動き出す。

 気になる点があるとしたら、この作戦の大筋はカツラギさんがルドルフ会長を降したジャパンカップの再現になるということだが――

 

 途端。

 

 世界から温度が失われた。

 春の陽気が消えた。走って上昇し続けているはずの体温が感じられない。

 殺気。私のはるか後方で動き出した一人のウマ娘が放つそれが、全てを奪い去った。

 これが、これ、が……G1級ウマ娘の走る世界……!?

 異次元。別世界。私が今まで走ってきたレースはなんだったんだ……!?

 

「慣れてない筈の大逃げが様になってるじゃないか……!」

 

 遠いはずの声が近く聞こえる。

 錯覚? それとも、わからないわからない!

 殺気を一当てされただけで思考回路が狂った!

 なにを、どうすれば、逃げなきゃ――!

 

「流石は先輩の、カツラギエースの娘だ!」

 

 狂った思考回路が漂白される。

 今なんと言った? 誰がなんだって?

 娘……!? 私が、カツラギさんの……!?

 いやないでしょ!? 私生まれた時カツラギさん中学生だよ!?

 これ以上家系図ややこしくしないでほしいんだけど!?

 少なくとも私のお母ちゃんは産んでくれたお母ちゃんで――相手が育ててくれたお母ちゃんとは限らない? え? 逆なら、ありえる? たしかに父親が誰かなんて知らない。カツラギさんが私を産んだんじゃなく産ませたなら、年齢的に無理は生じ――ふっざけんなぁ!! それじゃ産んでくれたお母ちゃんが犯罪者になるじゃんよ!!

 なにクッソ失礼なこと言ってんだこの皇帝は!!!

 否定しきれないのは私が悪い!

 確認する度胸がない私の弱さのせいだ!

 だけど! だけど!!

 負けたくない、負けたくないッ!!

 お母ちゃんをバカにした人なんかに絶対負けたくないッ!!

 

 萎えそうになっていた脚に血液と憤怒を無理矢理注ぎ込む。

 それは衰えかけた加速を再開させる。

 

「は、はは! それでこそ、それでこそだカツラギエースの後継者!」

 

 だけど、私の加速を嘲笑うかの如く声は、殺気は、信じられない速度で肉薄する。

 背中に静電気が走ったかのような痛みが生じた。なんだ、これ。

 故障、じゃない、表面的な痛み。皮膚に、電気が――

 

「どうした! 君の母はもっと速かったぞ! 君の血統を私に示せッ!」

 

 ま、さか、〝汝、皇帝の神威を見よ〟……!?

 アレはゲームのスキルじゃなかったのか!? ここ現実なのに!?

 嘘だ! 発動条件を満たしてない! ちが、現実だから? ゲームみたいな条件じゃない? 肌が、筋肉が、脳が、意識が雷光に焼かれていく。

 西洋における神権の象徴、日本でも神威を示す強大なる力。

 皇帝の身に纏う覇気が、稲光となって敵対者を焼き尽くす――――

 

「私の前を走り、私にその背を魅せ付ける!! カツラギエースの娘よ! 今度こそ、私は! 私こそが!! 貴様の瞳に我が背を焼き付ける時だカツラギエースッッ!!!

 

 並ばれた。

 必死に稼いだ距離は一瞬で無に帰した。

 負ける。

 勝てない。

 届かない。

 狂気さえ孕んだ雷光に、勝ち筋も作戦も悉く焼き潰された。

 追い抜かれたらもう追いつけない。

 抜き返すなんて物理的に不可能だ。

 10年走ってきた私が終わる。

 生まれ変わって積み上げた私が消える。

 彼から受け継いだ想いも、お母ちゃんにもらった愛情も――――

 

 ふ・ざ・け・る・なああああッッ!!!

 

「私はカツラギさんじゃないッ!!」

 

 肺が痛い。

 心臓が痛い。

 腰が痛い。

 脚が痛い。

 全身が痛い。

 

「私は」

 

 体中がひび割れそうだ。

 ミシミシパキパキと幻聴が聞こえる。

 筋肉が軋んでいる? 骨が割れている?

 違う、もっと奥底のような、表面のような。

 私の何かが、割れようとして――――

 

「――私、は――」

 

 全部を無視して、憧れたあの一歩を。

 爆発したと謳われた、あの人の一歩を!

 私の脚で! 私の意思で!!

 

 ――パキリ、とほんの僅かに、何かが割れた。

 

 

「スペシャルウィークだああああああぁぁぁッッッ!!!!」

 

 

 一歩。

 確かに追い抜かれた雷光に、一歩だけ。

 ほんの一瞬。刹那の間。

 私は並び立ち――追い抜かれ、置き去りにされた。

 

 

 

 

 

 

 どこを走っているんだろう。

 そもそも走れているのか。

 身体は前に進んでる気がするけど、わからない。

 どこまで走ればいいんだっけ。

 あれ……イクノさん? なんで駆け出そうとして、

 誰かに止められ、た……?

 顔を上げていられない。

 霞む視界の中に一本の白線が見えた。

 なんだっけあれ。

 何か、大事なモノだった気がする。

 横線。白い――ゴールライン。

 そうだ。あそこまで走らなきゃ。

 あと、何歩だろう?

 わからない。だけど、辿り着かなきゃ。

 わたしは……そのために、はしりだしたんだ……

 

「ゴールだ」

 

 誰かに抱き止められた。

 全身、指先まで脱力した体を支えられてる。

 

「見事な走りだった――スペシャルウィーク」

「……か、いちょう……?」

 

 ルドルフ会長が、腕一本で私を支えてくれている。

 

「――君は……カツラギ先輩の娘ではないのだな」

 

 紫色の瞳が、色んな感情を浮かべていた。

 ひとつひとつの名はわからない。無数の感情。

 

「一条の光の矢……いや、星の光か。彼女とは違う、君だけの光を見たよ」

 

 彼女……カツラギさん。

 私の、憧れの人。

 

「あの人は、月だったな。シービーという太陽の光を受けて輝く人だった。か細くとも自ら輝く君とは……違う、のだな――ああ、私は月の光に惑い星の光へ手を伸ばしたのか」

 

 滑稽な真似をしたと自嘲する。

 徐々に曇っていた思考が動き出す。

 そう、だ。

 私が激発した理由。

 何をおいても、これだけは糺さなきゃ。

 

「あ、の……お母、ちゃんの、ことは……」

「……君の光に触れて、君の怒りは理解したつもりだ。その上で言わせてもらうが……君の母君とカツラギ先輩の関係を疑ったわけじゃない。カツラギ先輩が君の母ではないかと思い込んでいたんだ。結果的に君の母君を侮辱するような真似になってしまったことは謝罪する」

 

 すんごく申し訳なさそうな顔で会長は言った。

 ……んあ? そう、言えば……お母ちゃんも、カツラギさんも、同じ紫の瞳で――――

 あー……あー、そういう、すれ違い、でしたかぁ……

 そうですね。私とカツラギさんって眼や毛色が一緒だしちょっと似てるんですよね。

 こっぱずかしい。

 かんっぜんに勘違いでブチギレちゃってたじゃん。

 これどっちが悪いかつったら両方悪いよ意思の疎通ができてないだけだよ。

 話せばわかるの典型じゃんよなにやってんの私。

 

「……わかってくれたなら、いいです……」

「すまないが、今は言葉でしか償えない。贖いは別の形で果たそう」

 

 いやもういいです……恥の上塗りになるんで忘れてください……

 穴があったら入りたいという概念をかんぜんにりかいした。

 ああ、もう……眠い、な……

 

「……今はゆっくり休めスペシャルウィーク」

 

 優しい声がかけられる。

 私を支える会長は、それ以上私に触れないようにしているようだった。

 それが、何故か安心できて……眠気が抑えられなくなる。

 疲れた――もう、休んでしまおう。

 

「理解したよ。君はカツラギエースじゃない。だからこそこう言おう」

 

 薄れゆく意識の中、されどその声はしっかりと届いていた。

 

「スペシャルウィーク。これから先何年かかろうと私はドリームトロフィーの頂で君を待つ。いずれ君が辿り着くだろう強者の祭典で最強として君臨し続けよう。君が君自身の牙を私の首に突き立てる日を一日千秋の想いで待ち続ける」

 

「これはシンボリルドルフとスペシャルウィークの約束だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる感覚。

 ヒグマさんの背に乗せてもらった思い出が過る。

 ん――いや待て。ここは北海道じゃない、はず。

 えっと……?

 

「……イクノさん?」

「目覚めましたかスぺさん」

 

 私はイクノさんに背負われていた。

 慌てて降りようとして、頭のてっぺんから爪先まで走る痛みに身をよじった。

 

「ぴぎゃっ!?」

「あ、動かないでください。全身筋肉痛という見立てです」

 

 全身、って。

 筋肉痛ってこんな痛いもんだっけ? ちょっと経験がないレベルなんだけど。

 なにしたらこんなことに…………あ。そうだ、私……会長とレースして……

 

「……負けた、んだ」

 

 呟きに、返事は無かった。

 うろ覚えだけど、抜かれた後はもうひどいものだった。

 どうやってゴールしたのか、ゴールに辿り着いたのかもあやふやだ。

 こんな――指一本動かせなくなるまで力を振り絞ったのに、なんにもできなかった。

 

「素晴らしいレースでした」

 

 私を背負ったまま歩みを止めずに彼女は言った。

 

「私もいつかあんなレースがしてみたいと、心から思います」

 

 声に嘘は感じない。多分、本気でそう言ってくれている。

 そっか。

 全力を出して、それでも届かなかった。

 だけど不様なだけじゃないって思ってくれる誰かがいる。

 そうだったなら、きっと、報われる。

 しばしの無言。

 首まで痛いから見える範囲は狭いけれど、見覚えのある風景だった。

 府中駅前……? もう学園まであと少しだ。

 

「え、山道を、私を担いで……?」

「心配しないでください。会長が配慮してくださいました」

 

 会長。その一言で体が強張る。

 そんな私にイクノさんは苦笑して説明してくれた。

 会長は眠ってしまった私をイクノさんに預けた後、山に不慣れなイクノさんが私を担いで下山するのは危険だと車道まで誘導してくれてシンボリ家の車で麓の駅まで下ろしてくれたらしい。あんな体たらくを見せた私が担ぐのは心配だろう? と私に指先すら触れず、麓から先も我が家の車では不安だろうと電車賃を渡して車から降ろし去って行ったそうだ。

 ……完璧な対応である。完璧すぎて顔をしかめるしかないくらい。

 電車賃にしたって私があんな真似をしなければ走って帰れただろうと言われたらぐうの音も出ない。実際その予定だったから。

 ここまでされたら文句の一つも出やしない。

 

「これほどのことが出来る会長がああなるなんて――ライバルというのは、重いのですね」

 

 ふと、イクノさんが口を開いた。

 カツラギさんのこと、聞こえていたみたい。

 

「……そう、だね……私たちも……レースを走り出したら、ああなるのかな?」

「想像も……できません。でも、羨ましいと、思ってしまったことは確かです」

 

 背負われた私からはどんな顔をしているのか見えない。

 

「それだけ思える相手がいる。それだけ競える相手がいる。ウマ娘として、走者の一人として、妬ましく思ってしまいます」

 

 イクノさんと同じようには思えない。

 私が思うライバル像とは違った。

 エルちゃんたちに感じる想いとは全く違う、強烈な感情だった。

 今の私じゃ言葉に出来ない会長のカツラギさんに向ける想い。

 だけど、傍にいただけで身を焦がすほどの熱量があったのは確かだ。

 どれだけの過去があればあそこまで想えるのだろう?

 レースでどんな思いをすればあそこまで執着できるのか?

 ウマ娘として、まだまだ未熟な私にはわからない。

 

「スぺさん? 眠ってしまったのですか?」

 

 声を出すのも億劫だ。

 なんとか返事をしようとして、強張るイクノさんに揺らされ、悲鳴が漏れた。

 

「いっ、ぎ……! い、イグノ、ざん……?」

 

 無理矢理覚醒させられた視界に、栗東寮の玄関と――その前に立ち塞がる二人の人影を見た。

 ん……? いやなんでいるの二人とも。あなたたち美穂寮生じゃ、

 

「「スぺちゃん」」

 

 本能が警鐘をガンガン鳴らし始めた。

 なんだ。え? これ知らないヒグマに遭った時の。

 

「「その人は誰?」」

 

 明暦の大火かよってレベルで脳内の警鐘が鳴り止まない。

 

「え。グラスちゃん……? ドーベル、さん?」

 

 イクノさんが小さく、これは拙い、と呟いた。

 続けて体重を訊ねられる。意味が解らんが38㎏ですと正直に答えた。

 しばしイクノさんは考え込み、ぼそりと斤量よし、と呟く。

 

「皆、本格化前――図らずも対熊の練習になりますね」

 

 ちょっと待て脳筋。

 まだ諦めてなかったんか。

 

「スぺさん。走れますか」

「無理です。動けません」

「置いて逃げる不義理はしたくありません。しばし――我慢してください」

「え」

 

 待って。

 何するかわかったから待って。

 ダメ今それ耐えらんない。

 説得するから、日本語通じるかわかんねー状態だけど。

 お願いだから待っ

 

 

 逃走を開始したイクノさんの背で私は悲鳴を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 中央トレセン学園生徒会室に肉と骨の軋む音が響く。

 

「ルドルフ」

 

 冷え切った声でマルゼンスキーはルドルフに語り掛ける。

 

「言ったわよね、若い子に迷惑かけるなって」

 

 視線は合わせない――合わせられない。

 マルゼンスキーが腕を捻り上げる関節技をルドルフにかけているのだから。

 

「アームロック程度じゃ話を聞く気にもならないのね? わかったわ」

「待ってくれ釈明の時間を与えてくれマルゼン。確かに君の憂慮する事態にはなったが」

「ギルティ」

 

 ビキッ、と腕を捻る角度が深まった。

 

「あっ、ちょっ、落ち着こう話を聞いてくれ皇帝の腕はそっちに曲がらないからっ」

「あたしの孫……娘も同然の子になにしてくれてんの?」

「いやだからね? あっ、あっ、私の体で人体の可動域を確認するのはやめ、ようっ」

「お姉さんちょっとね――堪忍袋の緒がブッチギレたわ」

「待って。待って。マルゼン大事には至ってな、複合技に切り替えろと言ったんじゃなく」

「おいっすー。まーたカツラギのことでルドルフが暴走したってー?」

「あらシービーちゃんいらっしゃい」

「ちょっ、動かないで、腕がっ」

 

 ぼくんっ

 

「アッ」

 

 鈍い音が生徒会室に響き渡った。

 

 

 

 

 

*1
オリジナル設定。当作品の作者は百合婚を推奨しております。

*2
短文SNS。

*3
JRA最軽量記録を幾つも持つすごい小柄な現役牝馬。みんな大好きアイドルホース。










~登場人物紹介~

・スペシャルウィーク
 道民の転生者。北海道の山育ち。野生の猿と誤認され通報されたことがある。
 地元の猟友会では北限を超えた猿として有名だった。
 山は本当に怖いよ。ルドルフ会長とエンカウントするし。そんなのお前だけである。
 身長が伸びなくなるほど鍛えた結果が公表された。素でコレと並ぶオグリってなんなん……?
 この度憧れの人が自分の親かもしれない疑惑が生じる。
 それに付随して怒りのスーパーモードを発動した。
 皇帝への好感度は255下がった(タキオンと同程度)。
 未来のライバル発言でちょっと上がった(タキオンより髪の毛一本分マシ程度)。
 なおタキオンへの態度が塩いのは元馬の転生者だからではなくタキオンだからである。初手拉致監禁尋問脅迫フルコースの心証はすこぶる悪い。そこまでやったタキオンと一発で並ぶあたり会長の踏んだ地雷の大きさが窺える。
 多分馬のオペラオーやディープインパクトのような穏やかな馬が転生してきてたら普通に仲良くなってる。
 ただしステイゴールド。テメーは(ウマソウル的にも)ダメだ。

・アグネスタキオン
 前世は競走馬。URAの特別指定要注意人物。
 実はとある薬品を学園に売りカレッジエリアの研究室を一部屋取得してる。
 なので本校舎の旧理科準備室には近づいておらずカフェとの接点は現時点では無い。
 その薬品とは靱帯の治療薬。様々な症状を緩和し治療を早める夢のような薬だった。のでURAは厚労省に突撃をかまし爆速で薬事審議会から認可をぶんどった。URAが製造販売する権利を独占すればとんでもない利益を生むと試算されたが秋川理事長の「どんな経緯であれ利益は正しい道で還元されねばならん!」という鶴の一声でタキオン個人の収益になるはずだった。が、他の薬でも利益を出しているタキオンは要らんから研究室ちょうだいと突っぱね協議を重ねた結果純利益の1/3を受け取り研究室を私物化するという現状に落ち着いた。
 この行動が秋川理事長を除く学園上層部とURAから「こいつ利益でも釣れないあたりガチのマッドサイエンティストなんじゃ」と危険視される原因となった。

・ブリッジコンプ
 前世は田舎の警察官。退職するまで猪・猿・鹿・熊以外で出動したことはなかった。夏生まれ。
 今世も田舎出身で村代表として近隣の市主催のレースに出場。ぶっちぎりの一位を取る。県のスポーツ課の人に中央に挑んでみてはどうかと薦められ中央トレセンを受験、見事合格をもぎ取る。
 村総出(200人ほど)で送り出され故郷に錦を飾ることを決意する。目指すは天皇賞。
 珍しい尾花栗毛(金髪)のウマ娘で上京していきなりモデルにスカウトされた。偶然近くを通りかかったシニア級の先輩ウマ娘(転生者)に助けられ無事断るも都会って怖いと萎縮してしまう。先輩から「とりあえず風呂敷で荷物まとめるのは今時目立つから普通のカバン買おうね」とアドバイスされたり面倒を見てもらい徐々に慣れていった。
 新入生初のタキオンの薬の被害者。16,777,216色に光り輝いた。
 ちなみに薬の効果は筋肉痛軽減。慢性化しつつあった疲労が完全に抜け「マジかよ……」となりつつもタキオンへ律儀にお礼をしに行き無事データを取られる。ゾンビ映画のゾンビみたいなことにはなったが肉体回復は確かだったのでタキオンへの悪感情はあんまりない。なお薬ははちみつレモン味で美味しかった。
 スぺに対しては主人公云々以前に「私よりちっさい子がいる!」と仲間意識を抱いている。

・イクノディクタス
 前世は陸上競技者。ウマ娘知識はうろ覚え。もうそろそろ13歳。
 転生しウマ娘の体を得てヒトを遥かに超える走力に心を奪われる。
 この時点で前世がほぼ吹っ飛んでいる。走るのが楽し過ぎたのが悪い。
 幼い頃から走りに走り、走り過ぎて小学生の時ついに屈腱炎を患ってしまう。
 一度は二度と走れないと絶望したが家族の支えもあり克服、中央のレースを目指す。
 そんな経験から壊れない脚、屈強な走りを求め日々鍛え続けている。タキオンと違い理論ではなく目に見える成果を基準に考えているため実践第一主義。脳筋である。
 スぺの北海道の山野で鍛えられた剛脚を目にし求めていたものはこれだと確信する。
 女子力が筋肉になっているので恋愛ごとには疎い。小動物を見て「可愛いですね、脆そうで」と呟き同級生に精神科医を紹介されそうになったことがある。もちろん加虐趣味などがあるわけではないのだがいかんせん全ての物事を脳筋解釈してしまう全体的に残念な女。彼女的には脆い=庇護対象と言ったつもりだった。
 スぺのことは主人公だったことすら忘れておりむしろ大きな怪我無く引退まで走ったということの方が記憶に焼き付いている脳筋仕様っぷり。無事之名バ、いいよね……いい……
 実はスぺと似たような家族構成(本作オリジナル)だがスぺが家族の話をあまりしないのでイクノは気づいていない。またスぺが実母と死別してることは知らない。
 ルドルフには何故か本能的な畏怖を感じてしまう。


・グラスワンダー/メジロドーベル
 は???


・シンボリルドルフ
 前世は■■■――少なくともウマ娘の知識は持ってない。
 女性に年齢を問うのは感心しないな?
 普段は人望を集める演説下手な生徒会長。求む原稿書ける広報担当。
 全ウマ娘の幸福を願う人格者。
 だがその裏では初めて己に敗北を刻み付けたカツラギエースに執着する狂乱の皇帝。
 カツラギへの想いは既に妄執と化しており個人資産で賞金首にするほど。
 周囲に望まれるがまま無敗を重ねていった。唯一好敵手と見込んだ相手はクラシックの最中本格化を終えてしまい涙を流しながら謝りライバルの座から去ってしまった。無敗の三冠という前人未到の偉業を成した時、隣には誰もいなくなっていた。
 そして挑んだJC。日本人初の偉業を重ねるはずだったレースで、初めて道を阻まれた。
 紫の瞳、黒鹿毛の長い髪を振り乱した長身痩躯のウマ娘。
 空虚であったはずの皇帝の心は、敗北という巨大な傷に埋め尽くされる。
 次戦で報復を果たした時、皇帝の胸にあったのは欲しいという感情だけだった。
 カツラギという巨大な傷をつけられた皇帝の器が満たされることは決して無い。
 飢えた狂える皇帝はただ一人、額に流星を走らせる黒鹿毛のウマ娘を求めている。
 一人だけ世界観が違う。湿度が深海。
 カツラギエースが絡まなければ気のいいお姉さん。

・マルゼンスキー
 前世はウマ娘ガチ勢。ルドルフより少し年上。アニメもアプリもマンガもコンプしていた。
 ついでとばかりに実馬にも食指を伸ばしかなり広い範囲で学んでいた。
 そのため今生ではマルゼンスキーのキャラを守るのに必死になり精神的に追い詰められてしまっていたのだがルドルフに「無理に古い言葉を使わなくてもいい」と救われる。
 以降生徒会に所属しまだ若いルドルフのサポートとブレーキ役を担う。
 自身が知りうる競馬史・ウマ娘の設定を記した「マルゼンノート」の執筆者。
 ルドルフのオグリキャップスカウトを穏便な流れにするなど苦労している。
 一部では「皇帝の愛人」「女房役」などと噂されているが本人的には手のかかる妹分の手綱を握る姉役の気分である。ロケットスタートで病む妹分の世話が大変。
 スぺに対しては史実で孫だったということと今世で(主に不審者のせいで)苦労してることを知っているので複雑な想いを抱いている。


・教官's
 文章が長くなるので省かれたが5人中4人はウマ娘。もちろん全員転生者。
 トレーナーになるための下積みだったり教官職一筋だったり目的は様々。
 中には元重賞ウマ娘もいたりする。
 人格的には善良な方で「今年の新入生は黄金世代かぁ」くらいに見ている。
 原作キャラに会えたから、と暴走することなく職務に忠実な大人たち。
 生徒どころか同僚まで転生者ということには気づいていない。
 なお模擬レースに写真判定を用意しなかったのは新入生の初回模擬レースでこんな大接戦ドゴーンになった実例がなかったため。今後も頻度と有限の機材のやりくりを考えれば模擬レースに写真判定は用意されないだろう。秋川理事長にチクったら一発で導入されるだろうが。

・ツルマルツヨシ
 保健室送り(複数回)。






 グラスとイクノにスぺに対する恋愛感情は(今のところ)無いのでハーレムではないです。
 え? 結婚できるの? と気づいてしまったのでSANチェック入ってますが。
 感想一杯もらって気合入れて書いたら過去最長になったZE!
 だいたいタキオンと会長が悪いZE!

 猫井でした。


1/7 赤頭巾さん誤字報告ありがとうございました。


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