尽きぬ憧憬 (なんでさ)
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prologue

――幼い頃から、何度も同じ夢を見る。

 

 同じと言っても一つだけというわけではなく、何種類かのそれをランダムに繰り返している。

 どれもはっきりとした映像は見えない。

 夢に見る光景はいつもノイズまみれで、明確な状況はほとんど読み取れない。

 一体いつからそんな風になったのか、それとも初めからこうだったのか。

 それら以外の夢を見た記憶はなくて、元からそういう性質だったのかもしれない。

 原因も理由も分からない、不可思議な現象――けれど、ただ一つ確かな事がある。

 

――最初に、その光景を見た。

 

 目に涙を溜めて、心の底から喜ぶ男の姿。

 ひどく窶れきった顔で、ヨレた背広を雨に濡らしながら、何かに感謝するように沈みゆく小さな手を握り取る。

 

――それが、あまりにも嬉しそうだったから。

 

 男が何に喜んでいるのかもわからない俺でさえ、その笑みを羨ましく思った。

 いつか自分もこんな笑みを浮かべられたならと。そう願わずにはいられなかった程に。

 

 それが始まり。

 いつ起こったのか、何を原因にこうなったのかも分からないが。

 この夢こそが、俺――衛宮士郎が初めて見た光景だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「・・・・・久しぶりに見たな」

 

 大きく空気を吸い込み、はっきりと意識を覚醒させる。

 今日は二月二十六日、日本はどこもかしこも冷え込み、都会でも一部地域では雪が降る今日この頃。

 溜め込んだ冬の冷気は芯から体を冷やし、容赦なく眠気の抜けきらない頭を叩き起こす。

 冬場はこういうとき便利だと思う。

 どれだけ寝足りなかろうが、布団に未練があろうが、こうしてほとんど強制的に起きられるんだから。

 

 時刻は午前四時半を少し過ぎたあたり。お天道さんもまだ顔を出さないこの時間、部屋の中はまだ暗くどの“同居人“も目を覚ましていないだろう。

 別の部屋にいる未だ就寝中の面々を起こさない様、出来る限り音を出さずに支度をしなければならない。

 寝巻きから早々に制服に着替え、台所へ向かう。

 普段なら全員の起床に合わせて調理を終えるよう調整するが、今日に限って俺は最後まで手を加えられない。

 なんで、仕上げは後々起きてくる後続にお任せするしかない。

 

「おはよう、士郎くん」

 

 居間に入ったところで、少ししわがれた穏やかな声を耳にする。

 

「おはようございます。今日は随分と早いですね、”院長“」

 

 掛けられた挨拶にこちらもすぐさま相手に返す。

 その見た目に反しまだまだボリュ―ムのある白髪を後ろに流した、歳に見合わず背筋をピンと伸ばした初老の男性。

 自身もお世話になっているこの”児童養護施設“の院長だ。

 テ―ブルについて湯気の立つ湯呑みを傾けていたあたり、俺よりさらに前に起床していたようだ。

 

「今日に限っていつまでも寝こけてるわけにはいかないよ。それに、君としても私がいた方が楽なんじゃないかと思ってね」

「・・・・・そうですね。俺としても院長がいてくれるなら助かります」

 

 これから朝食の準備に取り掛かっていくわけだが、今日できるのはせいぜい下拵えぐらい。

 だから、その後の仕上げはメモして他の職員さんに伝えるつもりだったが、院長がいるなら伝達その他は任せできる。

 

「まあ、私はそれほど料理が得意というわけじゃないから、そこまで期待はしないでね」

「そんなに難しいことはしませんよ。おおよそはこっちでやりますし、他の人達もいるんで問題ないと思います」

 

 台所に入り、しっかりと手を洗う。

 冬の気温で冷やされた冷水が身に染みる。何度も炊事をやっていれば慣れはするが、この冷たさは毎度の事ながら辛いものがある。

 かじかむ手に気合を入れ、ささっと米を洗い皆が起きる時間に合わせて炊き上がるようにセットする。

 主菜の鯖の照り焼きは切れ込みを入れ両面に塩を揉み込みそのまま待機。照り焼きに必要なタレはあらかじめ混ぜ合わせておいてラップをしておく。

 それからかぼちゃを使って、シンプルな煮込みにする。

 わたはスプ―ンでこそぎ落として、実に種が残らないように丁寧に取り除いていく。後は適度なサイズに切り分けて調味料と一緒に煮込む。

 頃合いを見て火を止め、そのまま二、三十分馴染ませれば完成だ。

 

「いやしかし、いつ見ても凄い手際の良さだねぇ」

「いやいや、こんなのただの慣れですから、数さえこなせればこれぐらいは普通にできますよ」

「まさか。私も自炊出来るぐらいの腕はあるつもりだけど、君が調理してると手伝う暇もないよ。うちの職員にも君ほど腕のいい人はいないしね。それにだ――」

 

 こそばゆい褒め言葉を頂いて気恥ずかしさを感じるが、やはり自身の調理スキルがそれほど優れたものではない事は確かなのだ。

 なので、懲りずに反論しようと相手を見やり、その時に初めて気付いた。

 カウンタ―越しにたわいない会話をする院長が、どこな懐かしむような目をしている事に。

 

「君は昔っからそうだったんだよ。もう覚えていないかもしれないけど、君がここに来てから初めて料理をしてみたいと言った時だ」

 

 それは思い返すのも一苦労する、大昔の話。

 

「入所してまだ一週間ぐらいの子が初めて包丁を握ったっていうのに、君はすぐに慣れたような手つきで材料を切り分けていったんだよ」

 

 ああ、それは確かに覚えいている。

 慣れない土地、慣れない環境で、そこに適応していくのに四苦八苦していたあの頃。

 何故か無性に料理をしてみたくなって、職員さんにお願いしてなんとか手伝わせてもらった。

 今にして思えば、異様な速度で俺は料理に関する事柄を吸収していった。

 

「それからも同じようなことがあって、包丁さばきどころか、火加減や食材の目利きなんかもできるようになって――あれから、もう十年経つのか」

 

 独り言のように思い返す院長につられ、知らず自分も過去を思い返していた。

 

――曰く、衛宮士郎は孤児である

 

 今からおよそ十年前、当時五歳ほどだった俺はとある事件が発生した場所で見つかったらしい。

 “ある理由”によって街の一角が倒壊し、火の手まで上がっていたという、酷い状況だったようだ。

 そんなところに子供が一人、倒れ込んでいた。

 周りに親兄弟はおらず、金も身分を証明するようなものも持ち合わせていない正体不明の幼児。

 

 更に面倒な事に、そいつには記憶が無かった。

 事件発生前後の記憶はもとより、自分が何者なのか、どこからやってきたのか、どうして事件現場にいたのかも分からない。

 ただ一つ覚えていたのは『衛宮士郎』という自身の名前だけだった。

 他の何も思い出せないその子供は、けれどその名前だけは自分のモノだと、そう確信していたようだ。

 

 ただ、本当に厄介だったのはここからで、その街には衛宮士郎という人間の戸籍情報は存在しなかった。

 名前と背格好、おおよその年齢からすぐに身元は判明するだろうと思われていたが、その期待はあっさりと破られた。

 事件発生当時の被害者との関係を洗ったり、捜査範囲を広げてみたり、行方不明者と照会してみたりと。いろいろ手は打ったらしいのだが、いずれも良い結果は得られなかったようだ。

 その後もしばらくの調査や観察期間を設けられたが、結局進展はなく、そうして俺は現代日本では見つけることも珍しくなった孤児となり、この施設へと入れられた。

 

 当時目覚めた以前の記憶は無い。自分の生まれも故郷も、直前にあった事件とやらの記憶さえ残っていなかった。

 もっとも、それを苦に感じたことはない。

 過去に何があったのかなど知る由もないが、それは既に終わったこと、過ぎ去った事だ。

 家族もおらず、過去という記憶も無くして、それでも衛宮士郎は続いている。

 ならば、そんな自分に出来る事は、ただひたすらに前に進む事だけだろう。

 

「・・・・・さて、こっちはもうあらかたは済みましたよ」

「おっと、もうそんなに経ったか。すまない、どうにも感慨深くなってね」

 

 物思いに耽っている内に作業は終わっていた。

 少々上の空であった気はするが、かといって調理に手抜かりは無いし、後片付けもきっちりと完了している。

 同時並行で自分の朝食も用意した。余り物の冷や飯で作ったおにぎりに、味噌汁と先に自分の分だけ焼いておいた鯖の塩焼き。

 皆の分に比べれば少々貧相だが、俺一人であればこれだけあれば十分だろう。

 後は必要な事を院長にメモを交えて伝えて終わりだ。

 

「院長、冷蔵庫に鯖と合わせダレを仕舞ってるんで時間を見て一緒に火を通してください。大根おろしも用意してます。時間を置いてるから辛味は飛んで小さい子でも食べられると思います。山椒もありますからそれぞれお好みで」

 

 それから、かぼちゃの煮込みは煮汁を馴染ませているから暫くすれば取り出すこと、味噌汁は既に出来ているから温め直せばすぐに出せること、卵焼きは完全にお任せする等々。

 出来る限り細かく伝え、メモを手渡す。

 

「・・・・・うん・・・・・うん・・・・・分かった。後は私と他の人でやっておくよ」

「すみません。本当は俺が最後までやれればいいんですけど・・・・・」

「いやいや、本来ならこういうのは私らの仕事だ。君が希望したこととはいえ、こうまで任せてしまっていたのがおかしいんだから」

 

 確かに、施設によっては入所している調理技術の習得や職員とのコミュニケ―ションを目的として、児童にいくらか料理させる場所もあるが、俺みたいに出来る日は毎日やっています、なんて奴はそれこそ皆無だろう。

 見方によっては職員の仕事を奪っているとも、ソレを児童に押し付けている、と見えてしまうかもしれない。

 けど、これはあくまで俺個人の希望で無理くりやらせてもらっていることだ。

 

「それこそ言いっこなしですよ。院長達は俺のわがままに付き合ってくれただけなんですから」

「そう言ってくれるとありがたい。子供達も君が作ったご飯が一番おいしいって言っているし、私らとしても助かっているのは事実だよ」

 

 半人前な手前、そう言われるのはいささか畏れ多いが、俺が作ったもので皆が喜んでくれているのなら、それは良いことだ。

 昔から早起きは苦にならなかったし、料理という行為に負い目や苦手意識はなかったから、自身を有用に扱えたならそれは有意義なことだろう。

 

「ああ、すまない。今日は大事な日だというのに引き留めてしまった。もう大丈夫だから、自分の準備をしっかりやってくれ」

「すみません。それじゃ後はお願いします」

 

 残りの工程を院長とそのうち起きてくる職員の方々にバトンタッチし、さっさと朝飯を済ませてしまう。

 とはいえ、急いでかきこまねばならないほど切羽詰まってるわけでもなく、気持ち早めに口に運ぶ程度だが。

 

・・・・・ふむ、咄嗟の思い付きにしてはなかなか。

 

 かつお節とさっき作った照り焼きのタレを少々流用したなんちゃっておかかをおにぎりに仕込んでおいたのだが、存外に悪くない。

 おかかといえば普通は砂糖を入れるものだが、この醤油主軸の味付けが米に合う。

 鯖も時間短縮の為にあえてシンプルな塩焼きなままにしたが、焼き上がりも身がふっくらしてて我ながら上出来だ。

 味噌汁は・・・・・少し味噌が多かったか。少々急いでいたとはいえ、気を付けねば。

 

「・・・・・ごちそうさま、と」

 

 空になった食器を水に浸けておく。

 こうしておくだけで汚れの落ち方が変わってくる。米のぬめりや冷めてカピカピになったデンプン質とか。

 こういった小まめなところで家事の効率化は図っていくものだ。

 

「士郎くんお茶淹れておいたよ」

「ああ、すみません院長、ありがとうございます」

 

 湯気の立ち上る湯呑みを受け取り一口啜る。

 冬の気温に冷えた体に茶の熱さが染みる。

 一口目を飲み込んだところで意図せず、ほぅ、と息を吐く。

 

「――いよいよ、だね」

「・・・・・はい」

 

 何処か落ち着かないた面持ちの院長。俺もまた体が僅かに強張っている。

 

「昔から困ってる人は放っておけない性格だったし、君がこういう道に進むとは思っていたけど、いざ当日を迎えるとやっぱり緊張するなぁ」

「院長が緊張したってどうしようもないですよ」

「そう言わないでくれ。これでも私は君の親代わりだ。子供の大事な行事に平然としてられる人間なんていないよ」

 

 それを言われると、俺もあまり咎められない。

 これまで院長や他の職員の方々にはお世話になったし、そういう風に思ってくれるのは素直に嬉しい。

 でもね自身が愛想も無く可愛げの無い子供だったと自覚している分、申し訳なさも感じる。

 

「・・・・・五時四十分か」

 

 気まずさを隠そうと、なんとなしに時計を見る。そろそろ宿直の職員さんも起きてくる頃。

 色々話してるうちに出発の時間が迫ってきた。

 

「――――ふぅ」

 

 フライング気味に逸る鼓動を落ち着かせる。

 自分自身、滅多な事では動揺しないと自負しているが、こと今日に限っては多少の緊張も致し方ない。

 何せ俺にとっては一世一代の大勝負。

 この一年、今日という日のために費やしてきたと言っても過言ではない。

 幼い頃から目指し続けてきたもの。自らが掲げる理想に至るための大きな一歩。

 

――“雄英高校”入学試験日だ。

 

「・・・・・そろそろ時間なんで、支度してきます」

「ああ、うん。確かにもうすぐ出発か。またまた引き留めてしまったみたいだ」

「いえ、気にしないでください。一人で緊張してるより、誰かと話してた方がちょうどいいリラックスになりますし」

「そうか。それならいいんだ」

 

 立ち上がり、軽く会釈をして自室へと足を向ける。

 不安も懸念も今は後回し。

 今はひとまず、遅刻してこれまでの努力を水の泡にしてしまわないように、余裕を持って出発する事に専念しよう。

 

「士郎くん」

 

 不意に呼び止められて、反射的に振り返る。

 その声と同じ、穏やかな眼をした院長は柔らかく微笑んでいて、

 

「出来ることをやりきってきなさい」

 

 そう短く、声援<エール>を送ってくれた。

 頑張れではなく、出来ることをやりきる。

 その言葉は、彼だから言えることだ。今日まで衛宮士郎が費やしてきた時間を見守ってくれた彼だからこそ、『君は既に頑張っている』と。そう思ってくれるから。

 だから俺から返す言葉も、短く、いつも通りでいい。

 

「――行ってきます」

 

 何も特別でもない、ただ出かけてくるという、それだけの挨拶。

 今はそれで終わり

 彼が願ってくれる未来、かけてくれる期待。

 それに応えるのは、思い描いた通りの結果だけで十分だ。

 

 




 初めまして、なんでさと申します。
 
 つい最近、以前から気になっていたヒロアカのアニメを視聴し始めまして、これまた以前から考えていた衛宮士郎とヒロアカのクロスやりてーな、という余りにも単純過ぎる思考で始まりました本作でございます。
 かなり前からヒロアカについては多少小耳に挟んだりしておりましたが、なかなか触れるとこまで行かず、ここ最近まで断片的な情報を見聞きするぐらいで知ったが、実際に称してかなり引き込まれました。
 
 自分Fate/stay nightに出会い、そして衛宮士郎というキャラクターに出会って理想の主人公像が確定した者でして、ヒロアカの世界観及びキャラクターにもかなり魅了されました。
 ヒーロー、あるいは正義の味方という存在が一個の職業として確立した世界において、異なる世界で正義の味方という理想を目指し、しかしその夢を決して叶えられなかった衛宮士郎というファクターがヒロアカ世界においてどう生きていくのか。
 本作はその辺りを主軸に置いて描いていきたいと思っております。

 第一話となるprologueは読み応えも何も無い淡白なものでありましたが、次回以降衛宮士郎という人間をより明確に描写して行きたいと思っております。

 ヒロアカ初心者な作者ではありますが、気楽に気長にお付き合い頂けたら幸いです。
 皆様方、コロナ等々お体にはお気をつけてお過ごしください。
 それではまた次回に。





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雄英入学試験/ある回想

 随分前の話だ。

 ある時、中国の軽慶市という場所で全身から光を放つ赤子が生まれた。

 当時の世間は相当な騒ぎになった。何せ人間という生物の常識を大きく逸脱した存在の誕生だ。

 市民も科学者も政治家も、誰も彼もがこの話に引き寄せられた。

 だが事はそれだけに収まらず、発光する赤子の誕生を皮切りとするかのように、世界中で何らかの“超常”を宿す人々が現れ始めた。

 

 原因は不明、除去方法も無い。

 出どころの分からない異能は出現当初、ひどく恐れられ、またその異能を用いて犯罪を犯す者も大勢いたという。

 現在ではこの特異な体質を“個性”と呼び、人類の八割がなんらかの特異体質を有した超人社会が形成された。

 しかし、今なお個性の起源や正体は知れず、また個性を悪用する犯罪者も後を絶たない。

 そういった犯罪者はもっぱら“ヴィラン”と呼ばれ、多くの被害を出した。

 しかしいつの時代も世を乱す存在あれば、これに抗する者達が現れるのもまた道理。

 個々人が容易く社会秩序を壊せるような社会で脚光を浴び、多くの人々が憧れる一つの職業が台頭した。

 

――その名を、“ヒーロー”

 

 公共の場での個性使用を資格制とし、法を以ってこれを厳しく取り締まる。

 その法の中で、個性を悪用する犯罪者を抑制する為、また窮地に陥った人々をその力で救い出すため。ヒーロー公認制度に則り公共の場で個性の使用を許された者達をプロヒーローという。

 かつて人々の幻想の中にのみ息づき、決して実現することのなかった空想<フィクション>が、現代では現実<リアル>となって存在する。

 その実態がただの公務員で、自らの奉仕を対価として報酬を得る業態の一種でしかないとしても。彼らヒーローは市民を沸き立たせ、人々を惹きつけるには十分すぎるほどの存在だった。

 今となっては、プロヒーローは「将来なりたい職業」ランキングで常に一位を占める程に人気かつ馴染みのものとなっている。

 

 そしてヒーローというものが高度に専門的かつ常に危険と隣り合わせの職業である以上、これを育成・輩出するための機関や学科も当然ながら生まれることになった。

『国立雄英高等学校』、短略して雄英もまたそれらヒーロー養成学科を持つ教育機関の一つであり、これまで多くの著名なヒーローを輩出した世界でも最高峰の名門だ。

 過去には、現在多くのプロヒーロー達の頂点に君臨するNo.1ヒーローにして平和の象徴『オールマイト』や、事件解決数史上最多の実績を持つNo.2ヒーロー『エンデヴァー』といった、超一流のヒーロー達が在籍・卒業している。

 それ故、雄英を志願する学生は例年後を絶えず、その倍率は300倍、偏差値にいたっては今年は79という超難関だ。

 障害としてはこれ以上ないほど高い壁ではある。

 だが、もし無事に合格しここで学ぶことが出来たのなら。

 それはいつか、自らの理想を目指す時、確かな糧となってその歩みを支えてくれるだろう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 雄英高校ヒーロー科の入学試験は二段階に分かれる。

 一段階目は筆記試験。その難度及び特殊性を除けば、他の高校入試のそれと大して変わらない。

 他の学生との激しい競争であることには変わりないが、極論を言えばそれだけだ。

 問題はその後の二次試験。ヒーロー科を目指す学生にとっては、ここからが本番だろう。

 

・・・・・仮想敵ヴィラン――ロボットを相手にした実技演習、か。

 

 筆記試験をなんとか乗り越えた後、講堂に集められ告げられた二次試験の内容がそれだった。

 受験者は試験内容の説明後、バスに乗せられ各自の演習会場へと送られる。

 試験時間は十分間、その間に配置されているロボを撃破し、そのポイントによって合否を決定するという仕組みらしい。

 加えて、配置されるロボは四種。うち三体はそれぞれ1〜3pt、残る一体は0ptの“お邪魔虫”との事だ。

 また試験中は個性の使用が認められ、武具道具の持ち込みも各自自由。唯一してはならないのが、他の受験者に対する攻撃等の妨害行為。

 まあ、仮にもヒーローを目指そうなんて奴が、自分の合格の為に悪意で他人を害するなんてのは論外だろう。

 それはいいとして、少々気になることがあった。

 

・・・・・お邪魔虫は各会場に一体、かつ所狭しに配置されている、ね。

 

 どうにも引っ掛かりを覚える言い回しだが、実際どういうものなのかは実物を見てみるまでは分からないし、今は忘れておこう。

 下手に先入観で予測して、当てが外れたらパニックなんてのは避けたいものだ。

 

・・・・・しかし、入試の説明役が『プレゼント・マイク』、てのはどうなんだろうなぁ。

 

 今回、俺たち学生が二次試験の説明を受けるにあたって、その役を任されていたのはボイスヒーローことプレゼント・マイク。

 ヒーローとしての活動はもちろん、そのハイテンションさから繰り出される軽快かつユニークなトークで親しまれる人物で、ヒーロー稼業の他にラジオDJや実況解説などもこなしている。

 

 ことバラエティのような場ではこれ以上ないほどの適任だが、今回のような一言で言ってしまえば真面目な舞台では不適切ではないか、などとバスの振動を感じながら益体もない事を考える。

 無論、あの場でその役を任されているだけあって、試験内容の説明そのものは実に明瞭かつ分かりやすかった。・・・・・のだが、持ち前のテンションの高さは変わらず、試験に向けて気合を入れる学生にとってはいくらか気勢を削がれるものではないか。

 

・・・・・もしかしたら緊張で固まってる受験者の心を解すためだったりして。

 

 分かっている限りの彼の性格とヒーローという職の特性を考えれば、あながち間違っていないかもしれない。

 もっとも、適度な緊張状態というのは逆にその人物のポテンシャルを引き出すともいうので、やはりなんとも言えない人選だったことには変わりない。

 

「・・・・・と。もう着いたか」

 

 バスが停車し、係の人間の誘導に従って続々と学生達が降車して行く。

 その流れに従い、俺もバスを降りる。

 

「・・・・・これはまた。随分とでかいな」

 

 バスを降りた先、目の前にあったのは巨大な門。そしてその先にある無数の建物群。

 仮想ヴィランとの模擬戦闘演習、とは説明されていたがなるほど、仮想演習である以上、それに見合った会場<ステージ>が用意されて然るべきか。

 今回においては、模擬的な市街地がその舞台ということか。

 

「・・・・・ん?」

 

 少しでも演習場の情報を仕入れようと色々見回っていると、近くにある監視塔の頂点部に、人影を見つけた。

 黒く長い髪に、体の凹凸が実に分かりやすい、凄まじく煽情的なコスチュームを纏った女性。

 彼女は確か――

 

「プロヒーローのミッドナイト、か?なんだってまたあんな所に・・・・・」

 

 この場にいる以上、彼女も雄英の教師であり、本試験の試験監督なのだろう。

 だが、あんな場所にまで登っていったい何をするつもりなのか――

 

・・・・・待てよ。確かプレゼント・マイクは試験開始時間については一言も喋ってなかった。それはつまり――

 

「はい、スタート」

 

・・・・・やっぱりかっ・・・・・!

 

 彼女の宣言とほぼ同時に、演習場へ向かって駆け出す。

 門は既に開け放たれており、ここに集った受験者達を大口開けて待ち構えている。

 彼女を見た瞬間から違和感はあったのだ。

 言及されない開始時間、わざわざ見つかりにくい場所で待機していたミッドナイト。これらの情報から考えられるのは一つ。

 

・・・・・カウント無しのロケットスタートかよっ・・・・・!

 

 試験といえば普通、試験官から開始の数分前には何らかの通達があるものだし、一次試験では少なくともそうだった。

 その先入観がある以上、運良く彼女の姿とその意図に気づかなければ、咄嗟の反応はできないだろう。

 案の定、俺を含めた僅か数人だけが突飛な開幕に動け、他の多くの受験者は呆けている。

 おそらく数瞬の後、同じように走り出すのだろうが、その僅かな時間が結果に左右するだろう。

 

・・・・・ヒーロー志望なら突発的な出来事にも対応して見せろ、てことか!

 

 プロのヒーローを目指す以上、荒事や災害などの緊急事態に遭遇するのは自明の理。

 それらに動揺することなく、いち早く的確な行動を取ることが求められるのは当然だ。

 とはいえ、それを学生の、それもまだヒーロー科に在籍すらしていない連中相手に求めるとは。

 

・・・・・上等。そっちがその気なら、こっちもとことんやってやるッ!!

 

 他の受験者に比べてスタートダッシュは成功している。加えて開始前から見えていた演習場の状況という情報的なアドバンテージもある。

 条件だけ見れば、十分合格に手を届かせうる。

 

・・・・・こんなとこで躓いてられるかよっ!

 

 踏み締める脚に更に力を込め、後続との距離を離す。

 進む先に、自らが目指す先を見据えながら。

 

――衛宮士郎は、こんな所で立ち止まってなどいられないのだから。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「・・・・・なかなか早いわね」

 

 監視塔の屋根上、多数より遥かに早く駆け出していった先頭集団を視界に収めながら彼女――18禁ヒーローミッドナイトはそう独りごちた。

 すでに先頭集団は仮想ヴィランであるロボットとの交戦を開始、破壊にまで至っている。

 試験開始前から学園側の意図を把握し、迅速な行動に移る判断力があるだけあって、中々に有望そうだと彼女は考える。

 特に、赤髪の少年。

 バスから降車してすぐに視界を巡らせていた事から、その時点で既に情報アドバンテージを得ようとしていたのだろう。

 演習場を囲う外壁は相応の高さだが、それ以上の高度の建造物は幾らでも把握できる。個性によってはその情報が大いに役立つ。

 

・・・・・加えて、私の姿を視認するや否や表情を変えていた。

 

 その時、彼女から見えた表情からして、この時点でおそらく学園側の意図に気付いたのだろう。

 彼が気付いて間も無く試験は開始され、それに遅れることなく反応していた事から、この推測にほぼ間違いはない。

 その後の戦闘状況も優秀なものだ。

 演習場に入ってすぐ、両手に生み出した白と黒の双剣でロボを数機破壊した後、近くのビルを登り、今度は弓矢を生み出して次々と地上のロボを撃破している。

 遠近共に対応可能な戦闘スタイルは当然ながら、瞬時に自らに有利な立ち回りをし、着実に成果を上げていく様は見事という他ない。

 

 だが、彼女がこの少年を何より気にする点は、また別のところにあった。

 

・・・・・あのとき助けた少年がまさかこの学園に来るとは、ね。

 

 それは十年前の出来事。

 当時、まだ新人ヒーローであった彼女が赴任した街で、ある事件が起きた。

 あるヴィランが街で騒ぎを起こし、手当たり次第に暴れていたというものだ。

 犯人であるヴィランは電気に干渉する個性を有していたようで、その力で街のインフラ設備に大きな影響を与えた挙句、それらに通る電気を武器にヒーローに抵抗していた。

 

 もっとも、それだけであったのなら大した問題ではない。

 無論、街のインフラに影響を与えるなど実に傍迷惑な話ではあるのだが、それによって狂わされたインフラはどれも病院などの緊急時における急所とも言うべき施設には影響を与えておらず、また復旧も早くに終わるものだった。

 ヴィランの制圧にも大して時間は掛からなかった。

 

 だから、本当に問題だったのはここから。

 この電流ヴィランが騒ぎを起こすと同時に、別の場所でもう一人のヴィランが暴れていたのだ。

 その人物は爆弾を生み出す個性を用い、それを使って幾つかのビルを倒壊させたのだ。動機に関しては、自らの個性を目一杯使いたい、という超人社会においてはありがちな理由だった。

 ただ個性の性質上、それがあまりにも破壊的であったこと、当人の残虐性が噛み合ったこと、別箇所で起きた事件にヒーローの人員が割かれていたこと。

 これらが合わさった結果、事態の深刻化と、ヴィランの制圧および救助活動が遅れてしまうという事態を招くことになった。

 だが事件発生から数分の内に、この爆弾魔による被害は一箇所に集中することになる。

 

・・・・・ヒーローやっててもう長いけど、あの光景だけは一生忘れないでしょうね。

 

 当時の彼女は爆弾魔の地点と比較的近い場所にいた為、現着は他のヒーロー達より早かった。

 そうして現場に辿り着いた彼女が見たのはどこまでも異様な光景で、今日に至るまで彼女の記憶に深く刻み込まれるものだった。

 生み出した無数の爆弾を一箇所に投げつけるヴィラン――そして、それを受ける巨大な鋼の塊。

 それが現場に到着した彼女が見た、最初の光景だった。

 

『何よ、これ・・・・・』

 

 余りにも特殊な状況に、彼女は僅かな間、その動きを停止した。

 よくよく見ればそれはただの鋼ではなく、無数の刃が寄り集まり、まるでドームのように肥大化した姿だった。

 その謎の剣山はおそらく個性によるものだろうが、それにしたって異常だ。

 だって、剣は一箇所から出現しているというのに、そこには個性の保持者である人間の姿が見えなかった。それはつまり、当人は剣山の内側にいることを意味する。

 側から見ているだけで分かるほど、その刃の群れは隙間すらない程の密度を誇っていた。

 内側にいる人物にどれほどの影響があるか。もしそれが自らの自傷すら覚悟した行為であったのなら、その傷はどれほどの痛みを与えるのか。押しとどめた爆弾による衝撃はどれほどのものか。

 まだ新人であったとはいえ、既に幾らかの事件に遭遇・解決していた彼女をしても、目の前の光景は理解し難いものがあった。

 

 そうやって彼女が立ち止まっている間にも爆弾魔は爆弾を投げつけ、その破壊力によって刃は砕かれ、その端からまた新たな刃が現れる。

 そんなイタチごっこを、もう何度も繰り返していたらしい。

 爆弾魔の方は既に息が上がり、限界が近い事が見て取れた。

 

『ッ・・・・・!』

 

 彼女はその段でようやく我に返り、自らの個性を以ってヴィランの制圧に取り掛かった。

 彼女の個性は“眠り香”。

 自身の表皮から放出される催眠性の香りによって、吸い込んだものを眠らせるものだった。

 ヴィランが意識を一点に集中させ、かつ長時間の個性使用による疲労で意識がそぞろであったことからも、彼女の個性は遺憾無くその能力を発揮した。

 事はヴィランが彼女の存在に気づく間も無く終結した。

 ミッドナイトが現着後、一分と経たないうちの制圧劇だった。

 

・・・・・さて、こっちはどうなってるかしら。

 

 爆弾魔を手早く拘束した後、彼女はゆっくりと剣山に近づく。

 この刃の塊がヴィランでないという確証は無い。

 事件の全容を把握していなかった彼女がヴィラン同士による仲間割れなどを考慮して慎重を喫すのは当然の判断と言えた。

 そうして、あと二歩で剣山に触れられる、という距離で、変化は起こった。

 

『・・・・・っ!』

 

 現着してからこれまで、刃を増殖させる以外のアクションを起こさなかった剣山が、唐突にその刃を減じさせていった。

 緩やかな速度で、幾らかの刃をこぼれ落としながら、徐々に収縮していく。

 そうしてその硬い殻が開かれていき、ようやくその正体を見ることになった瞬間――彼女は今度こそ、言葉を失った。

 

・・・・・子供――ー!?

 

 刃のドームの中にいたのは、幼い子供。

 身長や容姿からして、年の頃はまだ五歳かそこらといった所。

 収まりきらない刃を覗かせ、全身の至る箇所には見るも無残な無数の傷跡が血を滴らせながらその痛々しさを曝け出している。

 軽く見ただけでも、少年の体には切創、刺創、爆傷、熱傷などが見受けられる。

 およそ、小学生にもならないような幼子が――いや、仮にプロのヒーローであったとしても、これほどの傷を負って平然としていられるわけがない。

 だというのに、少年は一切、苦しむそぶりも見せない。

 それを、苦痛に叫びを上げることを、涙を流すことも、ましてや表情すら変えないなど。

 

『――おねーさん』

『・・・・・っ!?』

 

 少年が発した呼びかけは彼の表情と同じく、どこまでも静かだった。

 その声を聞き、彼女はすぐに己が責務を果たそうとした。

 少年を安心させ、すぐに助けてあげるから、と。そう告げようとしたのだ。

 だが、彼女がその思考を実行に移す前よりさらに早く、少年は次の言葉を紡いでいた。

 

『・・・・・おねがい――この人たちを助けてあげて』

 

 言葉の意味を彼女が理解するより前に、その答えを眼前に叩きつけられる。

 少年の背後、この瞬間にようやく収まった刃の内から出てきたのは――小さな子供を抱きしめた、三人組の親子だった。

 お互いを抱きしめ合い、恐怖に抗っていただろうその姿が、ミッドナイトの網膜に確かに刻み込まれた。

 

『――――――』

 

 今すぐに、彼らを助けねば。

 そう考えて、心の底からそう願っているのに、まるで打ちのめされたかのように彼女の体は動かなかった。

 だって、これはあんまりだ。

 こんな年端も行かない少年が、この三人の親子を守る為に――自ら苦痛を受け入れて、ヴィランと対峙していたと、そう言うのか。

 

『・・・・・おね、が、いだから――』

 

 その先は続かなかった。

 限界を迎えたのか――それとも当に立っていることすら奇跡だったのか。

 少年はまるで糸が切れたかのように、地面に倒れ伏した。

 ポツポツと雨が降り始め、雨水に少年の血が流れていく。

 

『ミッドナイト、状況はどうなってる!』

 

 新たに聞こえた声に、はっとする。

 距離の関係でこれまでやってこれなかった他のヒーロー達が、ここに来て続々と到着したのだ。

 その瞬間、彼女は今度こそ自らの責務を果たすべく動き出した。

 

『子供が一人重傷を負ってる、救急車――いえ、誰でもいいから治癒系の個性持ちを呼んで、早くっ!!』

 

 必ず、この少年は助けねばならない。

 自らの命を賭して誰かを守ろうとしたこの子供を、決して死なせてはならない。

 人々を守り救うヒーローとして以前に。一人の人間として、そうしなくてはならないのだと彼女は断じた。

 自己を犠牲にして誰かを助けた人物への対価が、その人物の死だなどと認める気は毛頭無いのだから。

 そうして、彼女らヒーローの迅速な対応の甲斐あって少年は一命を取り留め、彼が守ろうとした家族も無事に保護されることになった。

 

 その後、ようやく事態が落ち着き、被害者への聴取なども行われた。

 これはミッドナイトが後から知り合いの警官から聞いた話だが、なんでも例の少年と親子の間に接点は無く、彼らがヴィランに襲われそうになった時にいきなり現れたのだと。

 当初の彼はその手に剣と思しき武器を生み出して戦おうとしたのだが、爆弾を生み出しそれを手当たり次第に投げつけるヴィランに対し不利を悟ったのか、あの刃のドームを自身の体から生み出したらしい。

 そうして自身と親子三人を囲い、即席のシェルターで耐え凌いでいたのだ。

 その間、暗闇と響く爆音と衝撃に怯える親子に対し少年は、大丈夫だ、必ず守る、と。励ましの言葉を何度も繰り返しかけていたらしい。

 

 この話を彼女が聞いた瞬間、再び戦慄を感じずにはいられなかった。

 ヒーローが市民からの熱烈な人気を誇るこの現代、ヒーローに憧れる子供は多い。いつかは自分も・・・・・そう考える子供は山ほどいるだろう。

 だが、いかに強力な個性を有していても、街を破壊するヴィランと対峙し、見ず知らずの親子を救うためにその身を投げ出せる人間がいったいどれだけいるだろう。

 ましてや自らの死にも直結しうる自傷を前提とした行動ならば、尚更だ。

 

 少年が生み出した刃の群れは、彼の体から生み出されながら、それにも関わらず彼自身を傷つけていた。

 この一件で少年が負っていた傷のほとんどは、その自らの個性による自傷だった。

 個性の暴走か、はたまた過剰行使か。どちらが正しいのかは分からない。

 ただ一つ言えるのは、彼は初めから、他人を守る為に自らの犠牲を覚悟したのだということ。

 自らの意思でヴィランと戦い、敵との相性を瞬時に把握して、他者を守るために最適な行動を選択出来るほど冷静な少年が、その代償を理解できないわけがないのだから。

 その証拠に、ヴィランが制圧されるや否やドームを解除し、すぐに親子の保護を求めてきた。

 敵が排除されたことと、ミッドナイトが敵ではないと判断しての行動だろう。

 その上、自身が守る親子の精神にまで気遣った。

 

 どこまでも冷静で、透徹された鋼の如き意思。

 彼は無謀や自棄で死にかけたのではなく、初めから全て承知の上で自身を犠牲にしたのだ。

 

 その後、件の少年にはまた別の意味でさまざま”おまけ“が付き纏っていたことが判明するのだが。それらの多くには彼女は関わっていない。

 結局の所、どれだけ衝撃的な出来事であろうと、彼女にとって忘れられない記憶だったとしても、彼との関係は救助した側とされた側に留まる。

 それぞれの人生に関わり合う事なんて、それこそあり得ない。

 少年は新たに自らの道に踏み出し、彼女も自身の使命に邁進する。

 それが互いの人生の続く先なのだと、そう区切りをつけたのだが・・・・・

 

「それがまさか、こんなところで再会するなんて。・・・・・人生、何があるか分からないわね」

 

 あれからそれなりの時間が経ち、更に多くの場数と経験を積み重ねて来た彼女だが、未だにあの当時の光景は忘れられない。

 おそらく、ヒーローとして生きていく限り――いや、たとえその生き方を止めることになる時が来たとしても、彼女が忘れる事などないのだろう。

 それ程までに、十年前の出来事は彼女の奥底に焼き付いている。

 

・・・・・けど、もしあの時の彼のままここに来たのだとしたら。

 

 その可能性は無いわけではない。いやむしろ、あんなに小さな頃から自らの命を差し出す選択を出来てしまえる少年が、そう容易く変わるとは思えない。

 彼は間違い無く変わっていないだろう。

 十年前の光景はそう断言できるほど、鮮烈なものだった。

 

・・・・・でも、そのままじゃ、あなたはヒーローになれない。

 

 彼はおそらく、試験を突破してくるだろう。

 筆記試験での結果こそ断定できないけれど、少なくとも二次試験での成績は間違いなく上位に食い込んでくるはずだ。

 現段階におけるロボットの撃破ポイントだけでも、既に例年の上位層と遜色ないペースだ。このままいけばトップ10はまず固い。

 加えて、受験生には伝えていない“隠し評価点“から見ても、彼は優秀と言わざるを得ない。

 筆記試験さえきっちりと押さえ、なおかつこのペースを維持し続ければ、合格は確実だろう。

 

 だが、そうして見事に入学を果たしたとしても、彼が当時の精神性のまま成長したのであれば、決してプロヒーローにはなれない。

 現代におけるヒーローとはあくまでも職業の一つ。

 多くの規制と法律によって縛られ、同時に守られる公務員でしかないのだ。

 

 ヒーローをはじめ、警察や消防など有事に際して市民を守る立場にいる人達は職業柄、常に危険に晒されることを覚悟しなければならない。

 だが、彼らとて人間。人並みの欲や感情があり、彼らを大切に思う誰かが待っている。

 ならばこそ、彼らは人々を守ると同時に、自らも無事に帰らねばならない。

 危険に立ち向かい、不幸にも殉職してしまう例は多々あれど、最後まで自らの命も諦めてはならないのだ。

 それをこなしてこそのヒーロー、プロの人間。

 初めから自らの犠牲を前提にした救いなど、あってはならないのだ。

 たとえ、そのような生き方こそが真実、ヒーローと言われる”概念“に最も相応しい在り方なのだとしても。

 

「・・・・・まあ、心配しすぎ、か」

 

 彼が首尾よく合格し、ここ雄英に入学するとなれば、その担任となる人物は二択。かつ彼の性質からして回されるのは確実に一人。

 その人物は見目悪く、愛想も無い、相当に厳しい教師なれど、何より自己犠牲という在り方を是正しようとし、また生徒に真っ直ぐに向き合える人間だ。

 彼の元で学ぶことになるのなら、あの少年はきっと正しく成長できる。

 自分はその道行きを少しずつ支えていけばいい。だから――

 

「学校でまた会いましょう――衛宮士郎くん」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「・・・・・これで73pt」

 

 自らが射抜いたロボが停止するのを認め、確認の意味合いを込めて獲得点数を口にする。

 既に試験開始から結構な時間が経過している。

 時計などの、現在の時間を把握できるようなものは設置されていないため完全なる感覚での判断にはなるが、おそらく開始後七分といったところか。

 試験開始早々、ビルを登り高所からの狙撃を続けたことで、撃破ポイントはかなりの点数を稼げた。

 おまけに仮想ヴィランとして配置されているロボどもは見た目の割に案外脆く、それなりに鍛えている奴ならば素手で装甲を貫通出来る程度の強度しかない。装甲と機体との接合も緩いらしく、その気になれば装甲を引っぺがしてコードを引き千切る、なんて真似も出来るだろう。

 正直、この程度の雑魚エネミーで本当に試験になるのかと、なかなか疑わしいものだが、実際に手こずってる学生もいるから、それほど容易い相手でもないのかもしれない。

 

「――――」

 

 再び矢を番え、標的に狙いを定める。

 見据える先には一体のロボ。仮想のヴィランらしく、録音された口汚い罵詈雑言を撒き散らしながら駆動している。

 外すことはない。どれだけ動き回ろうが、いかに難解な挙動をしていようと、中ると確信できたならその時点で矢は既に狙いを射抜いている。

 

「――――」

 

 そうして矢を放った先、数瞬前まで思い描いていた通りの軌道を描き――ロボが振り下ろそうとする両腕のみを射切った。

 想定外の横槍によって一瞬、ロボはその動きを停止する。

 その僅かな隙を突いて、ロボの前で足を滑らせていた学生はすぐさま姿勢を立て直し、ロボを破壊する。

 一連の動作の後、不思議そうな顔をするそいつから目を離し、再び自分の獲物を探す。

 

 正直な所、こういう事は競争相手を舐めた行動の様な気がしてならない。

 今だって、自分で撃破していればポイントを得られたのだ。他の受験者が対応しきれないロボを破壊するだけなんだから、妨害行為とは認定されない筈だ。

 そういうのを頭では分かっているものの、いざとなっては結局、相手に塩を贈るような行為をしている。

 俺個人としては、それ自体は何ら憚ることのない行動だと思うが、如何せん相手がどうとるかは分からない。

 実は反撃の手段があり、虚仮にされたと怒りを抱いても不思議ではないのだ。

 

・・・・・でも、もし本当に手が無かったら。

 

 ロボの攻撃は通り、そいつは傷を負ったかもしれない。その僅かなロスで、彼が得られたはずのポイントが減ってしまうかもしれない・・・・・そのせいで、合格への道が閉ざされてしまったら。

 そういう事になるのは嫌だった。この一年、雄英入学に向けて必死に勉強してきたから、この場にいる連中の苦労と努力の程は痛いほど分かる。

 でも、そうまでしても合格という椅子は限られていて、実際に入学できるのはほんの一握りの連中だけ。

 自分もまたそういう競争という渦の中の一人だとは分かっている。

 けど、必死に努力をして頑張ってきた人間が、それに見合った結果を得られないのはどうにも我慢出来なかった。

 

 叶うのなら、全ての人が幸福で満ち足りた人生を送れないかと、幼い頃からそう願わずにはいられなかった。

 それは何をきっかけにしたのでもなく、ただ昔から漠然と、しかし何より固く願う理想だった。

 そしていつの日か、少しでもその理想を叶えられるような人間に――”正義の味方“になるのだと、そう決めて生きてきた。

 それが叶えようのない夢物語なのだと、そんな真理はとっくの昔に理解している。

 けど、だからといってその夢を諦める道理も、その理由も無い。

 果たせない願いでも、それに少しでも近づこうと足掻き戦うのが人間ではないのか。

 

――その生き方を、誰より体現しようとするのがヒーローという人達ではないのか。

 

 無理、無謀、不可能。

 どれも足を止める理由にはなりはしない。

 俺がこの道を進むと決め、正義の味方を志す以上、これは決して曲げてはならないことだ。

 

 だから、どれだけ憎まれ口を叩かれようと、どれだけ人に疎まれようと、その行為が一種の利敵行為だと蔑まれても。

 俺は、俺が後悔しないように生きていくのだと――

 

「・・・・・!?何が起きた・・・・・っ!?」

 

 矢を射ろうとした瞬間、演習場中に響く爆音。

 ビル群を飲み込むほどの煙埃が巻き上がり、通りを覆う。

 もうもうと上がる黒いカーテンの向こうに、巨大な影が見え――

 

「おい、冗談だろう・・・・・?」

 

 煙が晴れた先、そこに存在したのは、これまで撃破してきた仮想ヴィランとは比べ物にならないほど巨大な”超大型“ロボット。

 全長はおそらく20mほどか状態は人体を模し、下半身は戦車のようにキャタピラで駆動するそいつは、突然街中に現れその暴力的なまでの威容を惜し気もなく晒している。

 

・・・・・プレゼント・マイクが言っていたのはこういうことかよっ・・・・・!

 

 試験後半になると”所狭し“と現れる、各会場に一体だけ配置された0ptのお邪魔虫。

 なるほど確かに言葉通りだろう。全長はおろか、横幅も道路四車線を丸々埋め尽くすほど。それでも収まりきらない巨体が、道路をはみ出して両脇の建物の外壁を削っている。

 

『試験時間、残り二分――!!』

「・・・・・!」

 

 各所に設置されたスピーカーから、ミッドナイトの声が聞こえる。

 試験後半に現れると言っていた以上、あのロボが出現した時点で残り時間が僅かなのは明白だ。

 最後の最後で、ダメ押しの振い落としという事か。

 

「あのロボ、まさか・・・・・っ!?」

 

 僅かに思考を行なっている間に、ロボはその腕部を天に向けて高く高く掲げる。

 その行動の意味を理解した瞬間――すでに駆け出していた

 

「・・・・・・・・・・っ!」

 

 振り下ろされる拳、膨大な質量を伴って大地へと落とされた一撃は、その衝撃だけで街の一角を蹂躙し尽くす。

 ロボが拳を振り落としてすぐに走り地上へと辿り着いた先で見たのは、振り下ろされた一撃による巨大な破壊の痕と、多くの学生が先の衝撃で吹き飛ばされたり、あまりの巨大さに腰を抜かしているという、惨憺たる光景だった。

 

「無茶苦茶やりやがる・・・・・っ!」

 

 いくら危険と向き合うヒーローを養成する学科の試験とはいえ、いくらなんでもやりすぎだ。

 あのサイズの敵性体が襲って来れば、下手をしなくても死傷者が出る。

 こんなことのために死人が出るなんて、そんなこと認めてたまるか!

 

「・・・・・っ、まだ動くのか!」

 

 お邪魔虫と称された通り、時間一杯まで受験者の妨害をするつもりか。

 多くの学生は勝ち目がないと悟り・・・・いやそれ以前に、本能的な恐怖からか、焦った表情で巨大ロボから距離を取っている。

 けどほんの数名、体が硬直し未だ動けないでいる者がいる。

 このままでは、大怪我どころでは済まない。

 

「ふざけてんじゃ、ねぇぞッ!!!」

 

 憤る心を抑えず、感情のまま叫びを上げる。

 今はただ最短で、一直線に。傷付きそうな目の前の人物を助け出す事を考えろ。

 滾る激情はそのまま、ただその心だけは冷徹に、深く自己に埋没する。

 

「投影<トレース>――」

 

 告げる言葉はただ一言。

 この一節を以って衛宮士郎を変革させる。

 

「開始<オン>――ッ!!」

 

 言霊は締められ、この手に確かな重みが生まれる。

 衛宮士郎の身体能力では、一番遠い学生には今から走り寄っても間に合わない――ならば、助けられる物を、間に合う物を創ればいい。

 助けるべきは三人。先の衝撃で倒れ伏すもの、敵の巨大さに座り込んでしまった者、目の前の出来事について行けず放心する者。

 その全員をこの窮地より、”引っ張り上げる“。

 狙いを定め、手にした得物を放つ。

 

「え?・・・・・ちょちょちょちょぉ――!?」

 

 狙い通り、放った”鎖“は一番ロボに近かった女子の胴体を絡め取り、そのまま全力でこちらに引っ張り上げる。

 今日という日を目指して、普段の鍛錬に更に磨きをかけ肉体を鍛えた甲斐があった。一年前であれば、鎖に繋がれた人一人放り上げるなんて芸当はできなかっただろう。

 

「すまんが着地はそっちで頼むっ!」

「まじかよぉぉ――ー!?」

 

 頭上から響く悲鳴を耳にしながら、適当なところで鎖を回収し、同じ要領で残る生徒を釣り上げる。

 一瞬だけ、視界を後ろに向ければ、一人目は何とか怪我なく着地し、残る二人も先ほど避難していた連中が何人か戻って来て、補助してくれていた。

 

・・・・・取り敢えず、あいつらは無事。残る仕事は――

 

 今なお進行を続ける巨大ロボ。

 入力された指令<コマンド>通りに動く機械は、試験終了まで自ら停止することはないのだろう。

 だったら、こっちから無理矢理止めてやる。

 

「装填完了<トリガー・オフ>」

 

 無闇に破壊はできない。

 あの巨体であれば、たとえ残骸でも誰かを巻き込む可能性がある。

 ならば、必要最低限の攻撃で無力化させる――!

 

「全投影、待機<バレット・クリア>――凍結解除<フリーズ・アウト>ッッッ!!!」

 

 放つ剣弾は二本。

 狙うはデカブツの肩部関節。

 動作ケーブルだけを斬り裂いて、二度とその腕を動かせないようにしてやる!

 

 高速で射出されて剣はその勢いを減じさせることなく、狙い過たずにロボの腕を使いものにならなくさせた。

 だが、腕が無くとも動きは止まらない。その巨体だけで、並み居る受験者を踏み潰そうと稼働する。しかし、

 

・・・・・抵抗力は削いだ、なら後は――!!

 

 前進する巨体に臆さず、自ら接近する。

 これだけの巨体、急所をピンポイントで貫くにはその正確な位置を見つけなければならない。

 そしてその巨大さ自体が、俺にとっては障害となる。

 離れた距離からでは駄目だ。より近くで。より深く。より鮮明に。

 その設計を遡り、構造を網羅し尽くす。

 

「ふっ・・・・・!」

 

 その無粋な無限軌道に轢き潰される直前、救助に用いた鎖を放つ。その両端には杭の如き短剣が繋がっている。

 その鋭さも強度も確かなものだ。

 真っ直ぐに投擲した先で、その短剣部分は装甲に深々と突き刺さった。

 それを確認すると同時、一気にロボの機体上に跳び上がる。

 たとえ自身の脚力では不可能でも、引き寄せられるロープ代わりがあればやれないことはない。

 

「・・・・・っと」

 

 流石に着地までは綺麗に終わらず、機体の揺れもあって少々フラつく。

 けど、目論見通りに乗り込むことは出来た。後は、こいつの動力部を見つけるのみ。

 

「同調開始<トレース・オン>」

 

 自らを一体の生き物から、一個の装置へと切り替える。

 分厚い装甲に手を触れ、その全容を隅々まで“解析”する。

 使用材質を、設計思想を、運用方法を追想し、解体する。

 

「づぅ・・・・・!」

 

 読み込んだ膨大な情報量に、脳が拒絶反応を起こす。

 頭の中でピンボールでも跳ね回しているみたいに、ガスガスと痛みを訴える。

 

・・・・・放っ、ておけっ。それより今は――ー

 

 機体を隈なく調べ尽くし、その動力源を今度こそ見つけた。

 最後に必要なのは、この分厚い装甲をぶち抜いて、内部の機構を破壊する術だ。

 

「投影開始<トレース・オン>」

 

 いま一度心を鎮め、残る一手を用意する。

 使い慣れた黒弓を生み出し、空いた右手に番える“剣”を創り出す。

 銘は無く、ただ頑丈さと鋭さだけが取り柄の一振りだが、この場においてはこれ以上ないほどに必要な条件を満たしている。

 

「――――」

 

 大きく息を吸い込み、穿つ先を見据える。

 この一瞬、この身は外界の何をもにも影響されない。

 機体の動作による振動も、残る試験時間も関係なく、ただ思い描く結果を果たす事にのみ専心を向ける。

 

「――――往け」

 

 限界まで弦を引き絞り、全霊の一射を放つ。

 外しはしない。たとえ中る結果を見ていなかろうと、抵抗も無くそこに埋め込まれただけの標的など、逃しようもない。

 そして一拍の後、鈍い金属音が鼓膜を震わす。

 ァァァァン、と余韻を周囲に染み渡らせながら、機体はそれに倣うかのようにその動きを停止させた。

 頭部に怪しく輝いていた赤い点灯も、その光を失った。

 

「――成功、だな」

 

 弓を降ろし、自身の思惑が上手くいったのだと認めた。

 巨大な機体には、二次被害を引き起こしそうな損傷箇所は無く、またその動きによって崩れ落ちそうな建物の下には、既に誰の姿も無い。

 後ろを振り返ってみれば、何人かの学生はこちらの行く末を観察しているが、それ以外の面子は各々ポイント獲得に勤しんでいる。

 俺としてはどう考えても度を過ぎた危険物体を無力化するのと、それによって他の連中が気兼ねなくポイント獲得に専念できるようにするというのが理想だった。

 この状況を見るに、まさしく完全な目的達成だろう。

 

「その所為といえばなんだけど、あれから1ptの追加も無いんだよなぁ、結局」

 

 当然と言えば当然だが、このデカブツを相手にしていた間は、撃破ポイントは一度も加算されていない。

 73ptに到達した時点で自身の撃破ポイントは途切れている。

 あの後すぐにこのお邪魔虫が現れたんだから、そんなこと気にしている暇も無かったというのが実情だ。

 この失速が原因で、結果に影響する可能性も十分に考えられるだろう。

 無論、不合格通知の到着も覚悟しておかねば。

 

「・・・・・何はともあれ、誰も大きな怪我もしなくて良かった」

 

 一人でそう納得し、満足気に頷いてみせる。

 これぐらいのポーズをとっておかないと、本当に不合格だった時、さすがに落ち込みそうだ。

 

『そこまで――ー!只今を以って二次試験は終了となります!』

 

 デカブツの上から揺れない地上に帰還したそのタイミングで、各スピーカーより試験終了を知らせるミッドナイトの宣言が聞こえた。

 同時に、それを示すブザーだかサイレンだかも鳴り響く。

 それを聞き遂げてようやく、人心地つけた。

 

 出発前に励まされたように、出来ることは全てやりきった。試験中に自分の信条に恥じるような行いもしなかった。

 試験の出来についても、筆記・実技共に自身の中では概ね良好。

 実際に合否が通達されるまでは安心出来ないが、結果がどうあれ、鳴こうが喚こうがこれで手は尽くし切った。

 後は、自分の積み重ねてきたモノが身を結ぶことを祈るだけだ。

 

 




 投稿開始直後のスタートダッシュということで、なんとか2日目で第二話を投稿出来ました。
 物語はまだまだ始まったばかりですが、Fate履修済みの方にはお馴染みの衛宮士郎の異常性を、ここから徐々に描写していく所存です。
 とはいえ、現状の彼はあくまでヒロアカ世界の衛宮士郎であり、その根底に対する認識も少々異なっております。

 これから物語が本格的に開始しますが、できる限りペースを落とさず投稿し続けたいと思います。
 それではまた、次回でお会いしましょう。


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台頭する異端

 雄英高校のとある一室。

 普段、あまり使用されないこの部屋は今、興奮冷めやらぬ教員の話し声で賑わっていた。

 

「うちの入試は毎年、将来有望な子達が集るけど、今年は最近の中でもかなり優秀じゃないか?」

 

 年に一度の雄英入学試験が終了し、各会場で監督を行なっていた者も集合し終えた。

 今は試験中の記録を再生しながら、改めて算出された試験結果に大きく沸いている。

 

「二位の子は“救助”ポイントが0ptでこの順位・・・・・おまけに撃破ポイントに関しては一位か。個性の運用や立ち回りもさることながら、終盤までペースを落とさなかった。凄まじいタフネスだ」

「少し性格に荒々しさが見られるけど、それに反して動きは繊細かつクレバー。これからかなり伸びそうね」

 

 この入試において、事前の説明で伝えられる撃破<ヴィラン>ポイントの他に、受験生に明かされていない“もう一つの評価基準”。

 それが救助<レスキュー>ポイント。

 ヒーローを目指す以上、他者への気遣いや思いやりは当然に有して然るべき資質である。

 試験中、自らのpt獲得にのみ執心するのではなく、他者への手助けなどの心遣いを見せた者に与えられるのが、この救助ポイントだ。

 本試験は撃破ポイントと救助ポイントを合算する構造となっている。

 

 その点において、いま話題となっているこの学生は殊更、目を惹く。

 白味がかった金髪と鋭い目つきが特徴的な少年。彼は撃破ポイントにおいて77ptという数値を叩き出し、これのみで二次試験の成績順位で二位に就いた。

 自身の掌から爆発を発生させるこの学生は、長くヒーロー志望の生徒を育成してきた彼らから見ても、その将来性に大きな期待を持てる逸材だった。

 試験中に見せた性格的な粗暴さや攻撃性は、これからの時間でいくらでも改善・矯正が可能だ。

 その点に関しても、周囲に噛み付くような事はあれど、決して傷付けたり喧嘩になる事もない。頭の中では、常に一定の冷静さを保っている事が窺える。

 これがこの場に集まる教員達の、この学生――爆豪勝己に対する、おおよその評価だった。

 

 そして、彼とは全く反対の意味で注目されるのが、七位の少年。

 

「俺としちゃあ七位のやつもかなり気になるぜ!なんせ久しぶりにあのデカいのをぶっ飛ばしちまったんだからな!」

「撃破ポイントが0ptで、救助ポイントは60pt・・・・・二位の学生とはまるで対照的だな」

 

 毎年、試験の後半になると起動する超巨大0ptロボ。

 その巨体と破壊力の程から殆どの受験者はこれを避けるし、教員側も一応はそのように推奨している。

 しかしごく稀に、これに立ち向かい撃破してしまう者もいる。

 その中でも、この少年はさらに強烈。

 それまで一切の撃破ポイントを獲得していないにも関わらず、最後の最後でこの巨体を真っ向から殴り飛ばすという快挙を成し遂げたのだ。

 そしてその理由が、退避し損ねた女生徒を助けるためという、人間性という観点において実に好感の持てる理由だった。

 

「緑谷出久か。・・・・・しかし、自らの個性で全身骨折を始めとした大量の負傷とは、まったく個性の制御が出来ていないな」

「まるで個性発現したての幼児だな。この課題を克服しない限り、ヒーローとしてやっていくのは厳しいだろうなぁ」

 

 彼の欠点としては、まさしくコレ。

 ほとんどの受験者が即刻、退避を選択するほどの巨大ロボを、拳の一振りで殴り飛ばすほどの力を有していながら、その反動で全身にほぼ致死レベルの大怪我を負ってしまった。

 雄英高校が誇る看護教諭、対象の治癒能力を超活性化させる個性を持つ『リカバリ―ガール』による治療が無ければ即死、よくて一生まともに動けない体になっていただろう。

 規格外の超パワーと、それに耐えられない未成熟な肉体。

 およそ、個性と身体が馴染んでいないととしか考えられないほど、彼はチグハグだった。

 だが逆を言えば、それさえ克服してしまえば、非常に強力なヒーローに成り得るという可能性でもある。

 いずにせよ、彼が入学する事になれば、この点において重点的に鍛える事になるだろう。

 

「・・・・・しかしまあ、今年に限って言えば、一位の子がダントツでぶっちぎりだな」

「「「・・・・・・・・・」」」

 

 先ほどまで賑わっていた室内が、打って変わって水を打ったように静まり返る。

 その原因となるのは、二次試験における総合成績で一位を獲得した少年。

 

「撃破ポイントは73pt、救助ポイントに関しても66pt・・・・・合計で139ptとはな」

 

 139pt。

 その得点数がいかに桁外れか。

 撃破ポイントでこそ、二位の学生には遅れを取っているが、救助ポイントの有無で二位とは62ptの差をつけている。

 

「我々も毎年こうして受験者の評価をしてそれなりだが、ここまで圧倒的なのは雄英の歴史の中でもごく少数だろう」

「正直、この時点での学生に関しては異常なほどだ。正直、どこから評価していけばいいか・・・・・」

 

 長年、多くの学生を育成してきた彼らをしても、言葉に窮するほどの結果。

 試験中の彼の行動に対する評価点も、実に多岐にわたる。

 

「ミッドナイト先生は現地で見てたんでしょう?貴女から見て彼はどうでした?」

 

 教員の一人が、彼に割り当てられた試験会場の試験監督であるミッドナイトに、意見を求める。

 この場で全会場をモニターし、各生徒の様子を記録しているとはいえ、映像越しでの情報と、生で見る実際の所感とでは大きく異なってくるからだ。

 

「・・・・・そうね。まず、視野の広さと判断力については、現段階でかなりのモノだと思う」

「現地に到着後、すぐに演習場の様子を観察、貴方の存在に気付いて即座にこちらの意図を理解した、ということでしたな」

 

 事実、カウント無しのロケットスタートにも瞬時に対応し、開始前に得た情報から自身に有利な立ち回りも行った。

 その結果、彼は序盤から終盤までほとんどペースを落とさず撃破ポイントを稼いでいる。

 

「開始直後、剣を生み出してロボを撃破したから近距離型かと思えば、ビルの屋上に登ってその後は弓による遠距離狙撃に終始するスタイルを維持し続けるとは。流石に予想外だった」

「それも驚く点ではあるが、何より凄まじいのは狙撃の命中精度が九割超ということだ。数体仕留め損なったロボ以外、全て確実に破壊・行動不能にしている」

 

 彼の最も得意とする戦闘スタイルが、遠距離からの狙撃であることは間違いないだろう。

 終盤までこの方法に固辞し、そのほとんどを確実に命中させる技量からも、彼がいかに優れた射撃量を有しているのかが窺える。

 

「・・・・・いや、一つ違う」

 

 しかし一人、彼らの考察に異を唱える人物がいた。

 

「スナイプ、それはどういう意味だ?」

 

 暗がりの中、その特徴的な仮面<マスク>とドレッドヘアーが目につく教員。

 雄英高校三年生担任教師、『スナイプ』。

 こと射撃においては最高峰の実力を有する彼が、少年の狙撃力について異なる意見を提示する以上、他の者では理解が及ばない理由があるのだろう。

 故に、考察を遮られた教員は特に気を害するわけでもなく、素直にその続きを促した。

 

「彼の命中率についてだ。九割じゃない。試験開始から放った射撃全てが彼の狙い通り――つまり、100%だ」

「・・・・・!」

 

 告げられた所感に、室内がざわめきを見せる。

 確かに、少年の狙撃能力は類を見ないほどに高いものがあるが、それでも撃ち漏らしもある。

 それでもなお、命中率100%と断言するその理由を皆、測れないでいた。

 

「しかし、現に何体かのロボは仕留めきれていない。当たりはすれど、狙った通りの結果ではない。これを考えれば、100%は言い過ぎじゃないか」

 

 別の教員が、スナイプの意見に反論する。

 放った矢が当たりはしても、それが狙った通りの標的ではなかったのなら、それは確実な命中とは言えないだろう。

 これに関して、同じく高い射撃能力を有する彼であれば、妥協するとは思えない。

 

「その考えが、そもそもの間違いだ。言っただろう、彼が放った矢の全ては、彼の“狙い通り”だと」

「・・・・・まさか仕留めきらずにいることも、全て織り込み済み――?」

 

 独り言のように溢れた驚愕に、スナイプは無言。

 その無言が、その考えが正しいのだと是認している。

 

「・・・・・彼が仕留めきれなかった状況は全て、他の受験者が手こずっていたロボが対象だ。我々はこれを援護とポイント獲得の双方を行なった結果、失敗に終わったのだと考えていたが――」

「初めから、他の競争者を助ける事だけが目的だった、という訳ね。でも、それなら何でわざわざ破壊しきらなかったの?そうすれば、いま言ったみたいに両方こなせたのに・・・・」

 

 スナイプの意見が正しいのだとして、疑問点はそこだ。

 純粋に助けるためなら、完全に仕留めてしまった方が確実だし、何より自分にも旨味がある。

 まさしく一挙両得、一石二鳥だというのに何故、敢えてそうしなかったのか。

 

「・・・・・これは、完全に私の推測なんだけど――」

 

 少年の意図を掴めず考え込む教員達に、ミッドナイトが静かに語り出す。

 

「おそらく、彼らがちゃんとポイントを獲得できるようにしたんだと思う」

「まさか!いくらヒーロー志望とはいえ、公平な競争の場だぞ。そんなところで、わざわざ競争相手を手助けしたっていうのか!?」

 

 示された解答に、多くの教員が動揺を隠せないでいる。

 他人の成果を横取りする者はいるだろう。正々堂々とは言えぬが、妨害行為でさえなければ、それも歴とした競争手段の一つだ。

 危機に陥った誰かに手を差し伸べる者は幾らでもいるだろう。そもそもそういった人間を育むのが雄英の本質だ。ここにくる以上、学生達は多かれ少なかれそういった善性を抱いている。

 だが、死地でも災害現場でもない、ましてや命の危機に関わるような重大な場面でないにも関わらず、平等かつ公正な競争で自らの利益より他者の利益を選択できるなど。

 それを一度や二度ではなく、開始から終了までずっと続けるなど、それは間違いなく常軌を逸している。

 

 それはこの雄英の入試においても同様だ。

 確かに二次試験の評価基準に救助ポイントが設けられてはいるが、それは人として当たり前の善性を、当たり前のように示せるか、という事を見ての事。

 困っている人は助けるべきだ、というヒーローであれば当然に持つべき資質が備わっているか、見極める項目だ。

 だからこそ、彼の獲得した救助ポイントは最後の行動も含め、相当に高いものになっている。

 だが、もし彼の行動の真意が今話された事と一致するのなら、彼が得られる救助ポイントは、今より更に多くなくてはならない。

 

「――少なくとも、私が知る“あの子”はそういう人間よ」

 

 それでも、その異質な答えこそが事実だと、ミッドナイトは断言する。

 言葉の上では、あくまで私見だと言っている。

 しかし彼女の目は、一切の疑いなく、その考えを信じている。

 

「・・・・・そうだったな。十年前の事件、彼に一番最初に接触し、保護したのは貴女だった」

 

 かつて起きた特異な事件。

 新聞でもTVでも、その詳細についてほとんど報じられなかった、ごく一部の関係者しか知らない事実。

 ミッドナイトは、その核心とも言うべき場所に最も近い人間の一人であった。

 

 この場にいるものは皆、ヒーローを育成する教員であると同時に、プロのヒーローでもある。

 当然、特殊な背景の学生について、一定の情報は与えられている。

 しかし、紙の上での情報しか知らない彼らでは、彼女が当時抱いた所見を理解できないのは当然の事。

 彼らの多くが、射撃を得意とするスナイプの射手<ガンナー>としての感覚を理解できないのと同じ事だった。

 

「・・・・・彼の真意については、今は置いておこう。彼の考えにしろミッドナイトの感覚にしろ、本当のところは現状、確かめようがない」

「そう、だな。ひとまず、次の場面について見てみよう」

 

 プロのヒーローらしく、瞬時に自身の思考を切り替え、すべき仕事に取り掛かる。

 既に集計結果が出ている以上、ここでの評価は実際の合否に影響しない。

 しかし、この試験内で見れた各学生の個性や性格といった情報は、実際に彼らが入学した際に教育を施す指標の一つとなる。

 故に、完全に合格の見込みがないものでもなければ、学生一人ひとりをしっかり見定める責任が彼らにはある。

 

「・・・・・とはいえ、残る評価点は、やはり最後の大型を相手にした時か」

「毎年、挑んでく学生はちらほらいますが、同じ年に二人も倒せる人間が出てくるのは稀ですね」

 

 モニターに表示される巨大ロボと、それから離れる多くの学生、事態に対応しきれない学生――それらとは反対に、自らロボへと疾走する少年。

 

「迷いも躊躇もなくこれか。既に相当な撃破ポイントを稼いで余裕があったのは事実だが、それで安心して余分な行動をした――っていうわけじゃないんだろうな」

「それはないでしょう。事態を把握してすぐ、自分の意思で危険に立ち向かっていく彼が、そんな打算的な考えで動いているとは思えない」

 

 七位の少年と比較した際、同じ行動・結果でもそのポイントアドバンテージの差で、七位の方がより多くの救助ポイントを与えられている。

 実際に起こした行動のインパクトも必死さも、こちらの方が心に訴えるものがあるからだ。

 しかし、この対大型仮想ヴィランでの評価において、それが必ずしも七位が一位より優れている、という証左にはならない。

 あくまで双方の状況や力量を見た上で、如何により“ヒーロー的”であったかが、与えられたポイントの差を分けているに過ぎない。

 

「逃げ遅れた学生三人をすぐさま救出した後、間髪入れずに腕を使い物にならないようにして、とどめは動力源を一撃、か」

「見事な手際だと、そう言う他ないわね。大型が現れたと見るやすぐに屋上を降りて向かっていく決断力も目を見張るわ」

「分析力も大したものですよ。三人を助けた後、瞬時に被害を考慮して腕を潰しに行き、無力化する際も無駄な破壊はせず動力源だけを撃ち抜いた。おかげで、二次災害は一切起こっていない」

「ただ、目に見える危機に対し、少しばかり向こう見ずには感じるが」

 

 今上げられた点が、七位との大きな違いだ。

 彼が目の前の人の危機に対し無我夢中で立ち向かい、その規格外の力で障害を捩じ伏せたのとは違い、こちらは心を燃やしながらも冷静に、どうすればより少ない被害で助けられるかを思考し、それをラグ無く実行している。

 これに際し、自らの能力をどれだけ制御できているか、というのも明確な差異だろう。

 

 自身の力を正確に把握し、それを適切な方法で運用する能力。

 プロヒーローを目指す以上、自身の個性をいかに有用に扱うかは彼ら彼女らにとっては急務だ。

 これをどれだけ早い段階でこなせるかが、その後の進路に大きく関わってくる。

 当然、優秀であればあるほど、より大きな力を持つ“ヒーロー事務所”からの誘いや、志望できる選択肢が多くなる。

 入学後も、各人の個性のより高度な制御及び強化は、ヒーロー科では強く求められる事項だ。

 その点、一位と二位は他の学生に比べ、既に大きく先を行っている。

 

「しかし、彼の個性は結局の所、無生物の創造、でいいのでしょうか?」

「少なくとも、試験中の様子ではそう伺える・・・・・いささか、古風な武具に傾いている気がするが」

 

 試験中、この少年が見せた主な武器は三種

 試験開始直後の、黒と白の双剣、終盤まで使用した黒塗りの大弓、大型出現時に使用した短剣付きの鎖。

 他にも多数の矢に、大型を行動不能に陥らせた三振りの剣。

 また、大型の腕部を斬り裂いた二振りは自ら振るうのではなく、空中に創造・固定した後、高速で射出している事から、単なる創造には収まらないようにも感じる。

 

「それで言うなら、創造系の個性の彼がどうやって大型の動力を正確に見つけられたのかも、私は不思議だわ」

 

 続く形で疑問を呈した教員に、他の者も賛同するように頷く。

 優れた狙撃術を身につけている彼が、わざわざ大型に取り付いて何事かを行なっていた様子から、何らかの精査能力も備わっていると見れはする。

 しかしそうなると、創造の個性が枷となる。

 

「創造系と、調査系の複合型・・・・・いや、それにしたって双方とも一方に迎合できるような類には思えない」

「それ以前に、二つの特徴は完全に独立している様に見える。あれで複合してるって言われても、とても納得できない」

 

 原則、個性というのは一人につき一種類であり、どれだけ多岐にわたる応用が可能でも、枠組みとしては単一のものだ。

 またほとんどの場合、出現する個性は親からの遺伝だ。

 仮に母親は風を操る個性、父親は水を操る個性をそれぞれ有していたとしよう。二人の間に生まれた子供は、高い確率でどちらか一方の特徴を受け継いだ個性が四歳までに発現する。

 母親から遺伝すれば風に、父親から遺伝すれば水にまつわる個性が、といった具合だ。

 場合によっては、その二つが複合した個性を体得する事もあり得るだろう。

 だが、たとえどのような個性が発現しようと、それはどこまでいっても“単独”の能力だ。

 仮に両親の個性、双方の特徴を受け継いだとしても、それは二人の個性を混ぜ合わせた一つの個性でしかない。

 

 無論、中には混ざり合わずに発現するような人間もいない訳ではない。

 ただそういった者の多くは、肉体が通常の人体から大きく逸脱する“異形型”と、任意の決定で行使される”発動型“或いは”変形型“のどちらかとの抱き合わせであることが多い。

 この二通りの組み合わせでは、それぞれが迎合することは難しく、結果として独立した形で出現する。

 その場合でも無論、二種の特徴を持つ一つの個性であることには変わりはない。

 

 問題は、発動型の様な任意行使する類の個性の複合型は、ほぼ必ず二つの特徴が混合した形で出現するという点だ。

 そうでなくとも、二つの特徴が相互に作用するような性質を備えている。

 だから、仮に独立しているように見えても、根本的には根底で繋がっているのだ。

 

 しかし、この少年はまるで二つの個性が、それぞれ独立して存在しているように感じられた。

 双方の個性が、一方の個性と結びつかない。

 構造を調べる能力も、無機物を創造する性質も、双方がそれぞれで完結している。

 一つにはならず、互いが干渉し合うこともない。

 これが真実、個性の二つ持ちであるのなら、彼は現行の個性という現象への認識を、真っ向から打ち崩す反証存在となってしまう。

 

「その点については、彼の個性に関する資料を見てもらえれば分かるかと。少なくとも個性の二つ持ち、という訳ではないのは確実だわ」

「確かにそれは受け取りましたけど・・・・・生徒の入学前にその個性を調べるなんて――」

 

 この資料の存在に違和感を感じた教員が、異を唱えようとしたが、その先は続かなかった。

 公正な評価を行うため、既に認知している教員以外、資料にはまだ目を通していなかった。

 これまで議論された疑問も、その資料で答えを得られるのか、と誰もが考えた。

 その期待自体は裏切られることは無い――だがそれ以上に、より難解な現実を、彼らは叩きつけられることになる。

 

「―――何ですか、これは」

「言ったでしょう。彼の個性に関する資料だって」

「いや。しかし、これは・・・・・」

 

 資料に目を通し、その内容を咀嚼し、理解するにつれて、皆一様に声を失う。

 これまで多くの個性と遭遇し、その運用を何度も目にしてきた彼らが、一人に個性に対して誰もが理解が及ばない。

 この場の誰一人として、そこに記されている情報を信じられないでいる。それは――

 

「――曰く、衛宮士郎の個性は”精神性“の発露である――ほんと、出鱈目な話よね」

 

 それが、彼らが絶句するに至った事実であった。

 

――”精神性“の発露。

 

 一人につき一つ、という常識以外に、個性にはもう一つの原則がある。

 それが、個性は”身体的“特徴である、という事だ。

 いかに超常的で常軌を逸した事象であろうと、それはあくまで人間が持つ身体機能の”延長“でしかない。

 個性は必ず、当人の肉体から発生する。

 

 だが、この少年は違う。

 その発生原因も、発生原理も、発生経路も、何もかもが不明。

 どこから物を生み出しているのか、いかにして物を出現させるに至るのか、どのような道筋で物を生成しているのか。

 個性の治療を専攻する医者による診断、長らく個性に慣れ親しんできたヒーローを始めとした個性使用資格保有者の意見、そして個性研究を行う科学者による見地。

 誰一人として、その正体を掴めなかった。

 そして今日に至るまで、何一つ解明されていない、正真正銘の未知。

 彼の肉体には、個性を発現させるに至る要素が確かに存在する。

 だが、それがどの様に作用して彼が扱う能力と繋がるのか、そのプロセスが一切解明出来ない。

 

「彼が”色んな意味“で特別なのは、みんなはもうわかっていると思うけど――」

 

 そう前置きして、ミッドナイトは自らが知る限りの情報を伝達する。

 

 十年前、事件に巻き込まれる形でその存在を発見された彼には、記憶も家族も何もかもが無かった。何処から来たのか、何故あの場にいたのか、それどころか、名前以外の存在証明<パーソナル>を悉く失っていた。

 当然、その当時に彼が行使していた個性の正体についても、彼は把握していなかった。

 

 当初、体内から無数の刃を現出させていた事から、変形型の様な個性だと考えられていた。

 しかし、その時に居合わせた被害者の証言と、その後の調査から、彼の個性の主点はあくまで物を――特に、刀剣の創造をする事にあると判断された。

 肉体から刃を生み出していた能力はあくまでその副産物、或いは副作用であることが発覚する。

 また、この時点で既に対象の構造を把握する、解析の能力を併せ持っている事も、本人の言から判明した。

 

 だが先述した様に、彼の体にはそれらの特徴を現実に発生させる要素が、致命的に抜け落ちていた。当然ながら、無から有を生み出す術は存在しない。

 同じような創造系の個性でも、素材となるのは当人の血液だったり、脂質だったり、とにかく元となる何かがあって、初めて成立する。

 対する彼は、創造を行うにあたって、そういった肉体的要素を一切使用していない。当然、大気中の成分や周囲の物体から持ってきている訳でもない。

 

 これは彼の創造の個性の未知性を示すと同時、最初に見られた、刃の群れをも矛盾させる。

 何せ、彼の肉体には刃も剣も生み出す要素が無い。周囲からそれを取り込んでもいない。

 にも拘らず、彼はその手に、その体内に、在る筈の無いモノを生み出している。

 

 また、彼の創造が特異な点として、生み出される造物は何もない空間からいきなり現れ、挙句にそれらは致命的な損壊を迎えた瞬間、光の粒子となって跡形も無く消滅するという特徴がある。

 言うまでもなく、この世のどこにも壊れた瞬間、光となって消え去るような物質は無い。

 形を保っている限り、創造物は間違い無く本物同様の物質として構成されている。

 個性が身体的な性質である以上、この世に存在しない物質は生み出しようが無い筈なのに、間違い無くそれらは通常の物質で構成されているのに、壊れたその時からこの世のモノではなくなる。

 これらが如何に異常な事か、個性というものに深く携わっている者であれば、容易に理解できるだろう。

 

「・・・・・だから、精神性の個性、だと?」

「というより、それ以外に説明のしようがない、というのが本音ね」

 

 彼の肉体に彼の個性につながる要素が存在しないというのなら、それは彼の精神から来るモノではないか?

 最初にそう思いついた学者は、当時の少年が自らの個性について感じる所感から、よくよく口にしていた発言から、この発想に至った。

 

――設計図が見える、と。

 

 つまり彼の頭、あるいは別の何処かに、刀剣をはじめとした無数の人工物の記録がその設計図ごと記録されており、これを基に彼は現実に武具を出現させている――つまりコピー、贋作だ。

 そして、彼の脳の構造が通常人類の範疇に収まることから、記録場所も脳以外である事は明白。

 そうでもなければ、実物と寸分違わない物を創造できるほどの強固なイメージを、人間の頭脳で維持し、それを無数に保存出来るはずがない。

 脳でなければ何処から――そうして思い至ったのが精神から来る個性、という結論だった。

 

 彼は自らの精神――心の中に、それら無数の設計図を保管する場所を有している。

 これを参照する事で、実物と寸分違わない偽物を生み出している。創造に用いる素材も、おそらくここから来ているのではないか、とは研究者の弁だ。

 

「そう考えると、解析の個性がどうして同居できているのかも納得できる」

「そりゃあ、実物の構造を把握できなけりゃ、贋作なんて造りようがないわな」

 

 互いに独立した二つの個性と思われた能力は、この論を当て嵌めることによって綺麗に一つどころに収まる。

 一見、無関係に見えた二つが、根底では確かに結びついていたのだ。

 

「そして、素材がその精神的な場所から来ている以上、壊れれば消えるという道理も、一応納得できる」

「まさしくこの世に無いモノだからな」

 

 依然にして、その個性が全くの未知の存在であることには変わり無く、その原理やプロセスも不明点が多い。

 しかし、研究者の長年の調査により、一定の理解は得られる事になった。

 

「聞いた話だと、ここまで漕ぎ着けるのに八年はかかったそうよ」

「八年もかよ!?そんじゃ何か、この衛宮士郎ってのは、自分の個性の原理も分からず、誰にも指導されず、ほぼ独学でここまでやってきたと!?」

「そうなるわね」

 

 Unbelievable!!!、とプレゼント・マイクが天を仰ぐ。

 そうなるのも無理はなく、他の教員にしても同様の想いだった。

 本来、個性の制御とは、幼い頃から先人の教えを受けながら、少しずつその体に覚えさせていくものだ。

 当然、知識の無い子供の時分には、勝手もわからず碌に扱えないことも多い。

 それを徐々に大人から教わりながら、自身に定着させていくのだ。

 

 そんな、個性を扱うものであれば誰しも通るような道を、衛宮士郎という人間は碌に実態も分からないそれを、誰の手も借りず雄英ヒーロー科入試に通用するレベルにまで磨き上げた。

 他者の教えなく、自身が扱う力の正体もわからず、ただ自らの感覚と研鑽を以ってここまでやってきた。

 彼が特殊かつ異常である事は、この場の者なら既に誰しも理解しているが、それでも驚愕は抑えられない。

 

「ついでに言っとくと、この子の個性に関しては完全な部外秘、極秘情報だから。間違っても外には漏らさないようにね」

「バラしたくてもバラせませんよ、こんなの・・・・・」

「突然変異の個性、で済ますには異質すぎるな。というより、よくまともな生活がしてこれたな」

「実際、最初は揉めたそうよ。ここまで貴重なサンプル、飼い殺して徹底的に研究しない手はないって――ハン、頭でっかちの学者が考えそうなことだわ」

 

 露骨に嫌悪を示すミッドナイトに、学者の言い分も分からないではないが、それでも彼女と同様の反応を教員達は見せる。

 確かに、彼の個性について研究を進めれば、個性研究の分野において、大躍進が望めるかもしれない。

 或いはそれ以上に、これまでの系統に属さない、完全なる特異点にも繋がりうる存在だろう。

 しかし、彼らはどこまでいってもヒーローであり、一人の子供の人生を踏み躙り糧にしようというような言論は、唾棄すべきものなのだ。

 

「・・・・・正直、話が突拍子もなさ過ぎていささか処理がおっつかないですけど、そろそろ話を戻しましょう。結局、彼の個性はどう定義すれば・・・・・?」

「そういえば、最初はそんな話だったか。あんまりにもびっくり箱すぎて、完全に忘れていた」

 

 今更といえば今更だが、衛宮士郎の個性をどういうモノとして扱うのか。

 原理やプロセスはともかくとして、個性は起こす事象から名付け及び定義付けを行う。

 こうまで異端であると、単に創造や解析とも呼びづらい。

 より適した呼び方は必要だろう。

 

「ああ、その事ね。それなら彼本人が最初っから決めてたわよ」

 

 水を向けられたミッドナイトは、あっけらかんとそう告げる。

 この個性が定着しきった現世に突如として現れた突然変異級の異物。

 精神から贋作を生み出し、存在する筈のない現実へと映し出す、その個性の名は――

 

「――『投影』と言うそうよ」

 

 

 

 

「イレイザー、ちょっといい?」

「・・・・・まだ何かあるんですか、ミッドナイトさん」

 

 モニタールームでの評価も終え、各々それぞれの仕事に戻り出した時、ミッドナイトは同僚の一人、イレイザーヘッドこと相澤消太を呼び止めた。

 ちなみにこの二人、どちらも雄英の出身で、ミッドナイトが一つ上の先輩である。

 

「アンタってさ、ヒーロー科1-Aの担任でしょ。なら当然、”あの子“が受かったらアンタのとこに回されるでしょ」

「・・・・・まあ、そうなるでしょうね」

「もしそうなった時にさ、あの子のこと、よくしてあげて欲しいのよ」

「・・・・・・・・・・」

 

 相澤は、ミッドナイトの意図を図りかねた。

 彼女が教師として、”おおむね“真っ当かつ公平に生徒に接しているのは知っており、事実として生徒からも慕われている。

 たまに変な性癖や趣味趣向を表出させなければ、基本的に良い教師なのだ。

 それが今、捉えようによっては一人の生徒を贔屓してくれ、と言っているように思われる発言をしている。

 無論、彼女に限ってそういう間違いは無いだろうが、ひとまず確認はしておかなければ話も進まない。

 

「一応聞いときますが、それはどういう意味で?」

「あ―、なんて言えばいいか――そうね、ひとまずよく注意して教育してくれるぐらいでいいわ」

「・・・・・例の件ですか」

「そういうことね」

 

 相澤とてあのモニター室にいた以上、衛宮士郎についての情報は伝えられているし。

 そもそも十年前の件は一般的にこそ大きく報道されなかったが、この界隈に関わる人間なら、大抵の連中は噂程度は知っている。

 五歳の子供が全身刃で固めて、自傷を負いながら親子を庇って爆弾ヴィランに立ち向かった。

 そんな嘘だか本当だか分からないような都市伝説みたいな話は、存外いろんなところに広まっている。知らないのは、およそ関わりのない一般市民だけだ。

 

 当時の彼の行動を鑑みて、彼は容易に自分を捨てて他者を救えてしまえる人間だと分かる。

 その在り方を正さぬまま生き続ければ、いずれ破滅は訪れる。

 

「ヤツがあの頃から、一つも変わっていないと?」

「逆に聞くけど、試験の様子見て変わってると思う?」

「いいえ、全く」

 

 にべもない即答だった。

 あまりにも断定的ではあるが、それも仕方のないことではある。

 人伝に聞いて、実物を見たのが今日初めての相澤でさえ、ミッドナイトと同様の意見に至れるほど彼の在り方は歪で――それ以上に真っ直ぐだった。

 

「ヒーローなんてもの目指してる以上、そういうのは多少なりとも必然だけどさ、彼の場合は度を越してる。自分っていう存在が初めからすっぽり抜け落ちちゃっているのよ」

「・・・・・・」

「窮地に陥る誰かを見て、咄嗟に助けたいと思ったりするのはいい。それは真っ当に社会で生きてる人間なら、大抵は持ち合わせてる善性よ」

 

 そしてヒーローは、その咄嗟を実行できる人間の集まりだ。

 だが衛宮士郎は――

 

「あの子の場合、助けなきゃとか、助けたい、って感情で動いてるわけじゃない。ヒーローとしての生き方っていうのでもない。多分あれが、彼にとっての生存原理なのよ」

 

 だから、誰かを助けるために迷いも躊躇もなく走り出せる。

 人としての道徳心や、ヒーローのような責務で動いているわけでもない。

 自身の能力を把握し、徹底的に無駄を削ぎ落とし、他者の救済にその命を駆動させる。

 慣れでも義務故でもないのに、心を猛らせながらも常に冷静に正確な行動に移れるのはそれが理由だ。

 初めから価値など認めていないから、容易く当然の様に、自分の存在をベットできる。

 そこには恐怖も欲も無く、ただ怒りと使命感があるのみ。

 

「他人の為にしか生きられない、他人の喜びでしか笑えない。――きっと、そういう子なのよ」

「・・・・・随分、衛宮士郎について知ってるんですね。事件後も交友あったんですか?」

「そういうんじゃないし、私が彼に再会したのは今日が初めてよ」

 

 そういう割には、相当に断定的な物言いだ、と相澤は感じた。

 関係としてはたかが一度、事件現場で出会ったヒーローと被害者。

 碌に言葉を交わした事もないだろう人物の、それも今日に至るまで一度も出会ってない少年の何を見て、そう考えるのか。

 

「多分、理屈じゃないのよ。少なくとも、あの時の彼を見ていない人間には分からない感覚だわ」

「・・・・・とりあえず、ヤツが俺のところに来たら、注意深く監視・監督しときます。無茶するようなら、無理矢理にでも縛りあげますよ」

「ええ、そうしてくれるとありがたいわ」

「別に、ありがたがられる事でもないですよ。それが俺の仕事です――何よりそんな生き方をするような奴を、そのままヒーローにするつもりはありませんから」

 

 相澤は、自己を犠牲にした救済というものを嫌っている――より正確に言えば、無謀な自殺行為を、だが。

 誰かの為に命を賭けるという在り方は、本来なら唾棄すべきものだが、同時に尊いものでもあると認めている。

 それが熟考を重ねた上の最後の決断であったのなら、これを止める事は出来はしない。

 しかしただ感情的になり、何の考えもなしに死地に飛び込むのは自殺志願者のそれと何も変わりない。

 故に、ヒーロー志望であろうと容易く自分を犠牲にするような生徒は、徹底的に絞り上げる。

 それが、雄英高校ヒーロー科1-A担任教師、相澤消太の信条だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 日付は本日三月五日。

 あの強烈な雄英入試から一週間となる本日。

 全力を出し切ってほんの僅かに肩の力が抜けた俺こと衛宮士郎は――

 

「なあ士郎にーちゃん、ドッジボールしようぜ、ドッジ!」

「ダメだってば!お兄ちゃんは今からあたし達とおままごとするんだからー!」

 

 バイタリティ溢れる正反対の児童たちに、引っ張り回されているのだった。

 

「待て待て、生地が痛むし伸びるから服を引っ張っちゃ駄目だぞ。それから庭でボール遊びは危ないから、やるなら公園に行く時だけだっていつも言ってるだろう」

「えぇー?そんなのつまんねー!」

「わがまま言っていないで早くしゅくだい?でもしてきなさいよ」

「なんだとぉ!?」

「はいはい、喧嘩はそこまで。ドッジボールは今度絶対にやるから、今は我慢してくれ」

 

 とまぁ、こんな感じで同じ施設に入所している年少の相手をするのは年長の役割だったりする。

 それは構わないし、危ない事さえしなければ、時間があるなら遊びに付き合うのは問題ない。

 ただこの一年、雄英入試に向けて追い込みをかけていた為、碌に遊んでやれなかったので、入試が終わってすぐというもの、学校や幼稚園が長期休暇に入った子供達がとにかく遊べとねだり倒してくるのにはなかなか堪えるものがある。

 如何に体力や持久力に自信があるとはいえ、子供の体力はまたそれとは違った方向性で凄まじいのだ。

 それに付き合うのに大して苦にはならないが、それはそれとしてその無限とも思える元気さはいったいどこから湧いてくるのか、甚だ疑問である。

 

・・・・・ま、俺としても良い気分転換になってるからな。

 

 雄英入試が行われてから、もう一週間だ。

 そろそろ合否通知も届く頃合い。

 普段から図太い方だとは思うが、今ばかりは柄にも無く体に力が入り、無意識に緊張しているのが分かる。けど、子供達と遊んでいる間はそんなこと気にしてられるほどの暇もないから、却って気が紛れる。

 子供達も一年分の時間をここで取り返そうという気概なのか、いつにも増して楽しそうなので、俺としても彼らが喜んでくれるなら喜ばしい。

 

「士郎くん、ちょっといいかい?」

 

 子供達の無尽蔵なスタミナに振り回されていると、院長が顔を出してきた。

 俺に用があるらしく、ちょいちょいと手招きしている。

 

「俺に何か用ですか?」

「ああ。ほらこれ、お待ちかねの合否通知だよ」

「っ・・・・・!」

 

 不意打ち気味に手渡された手紙に、思わず息を呑む。

 時間からしてそろそろ来るだろう、とは思っていたが、とうとうやって来たということか。

 しかし、子供達と遊んで緊張が抜けていたタイミングだったため、その衝撃は常よりさらに重く響いた。

 

「年少組の相手はこっちでしておくから、君は行ってきて」

「・・・・・すみません、後はお願いします」

 

 子供達にしばらく席を外すと謝って、急足で自室に向かう。

 本来、ここみたいな児童養護施設じゃ個室なんてなく、何人かの児童で相部屋が常だが、近しい年齢の入所者がいないから、俺に割り振られた部屋は実質、俺の個室になっている。

 まあ、夜たまに小さい子達が忍び込んでくることもあったりするが・・・・・

 

「・・・・・・・・」

 

 部屋に入り扉を閉め、手にする手紙を見下ろす。

 無地の白い便箋に、雄英のシンボルマークがデザインされた品を感じる真っ赤な蝋封。

 右下には、雄英高等学校の文字が確かに記されている。

 

「――――」

 

 慎重に、強引に破り切って中身を傷つけないよう、ゆっくりと封を切る。

 泣いても笑っても、これで最後。

 結果がどうあれ、俺は自分の進む先を決めなくてはならない。

 合格であれば、そのまま思い描いていた通りの道に。不合格なら、更に遠いヒーローへの道に。

 いずれにせよ、否応なく選択は突きつけられる。

 

「――よし」

 

 覚悟を決め、手紙を開封する。

 中身を取り出し、その手の中に収まったのは――

 

「金属製の円盤?・・・・・投射型の記録端末か。あんなロボット使うだけあってハイテクなんだな、雄英って」

 

 合否通知にわざわざこんな高そうな機材を使うとは、変な所で贅沢というか、浪費してるというか。そもそも、入試で配置されてたロボットも、一体どこから金が出ているのか。

 よもや税金ということは無いだろうが、なんだかんだ国立の高校だから、全くあり得ない話ではない。

 

「というより、見終わったらどうすればいいんだ、これ・・・・・」

 

 よもや普通に捨てるわけにもいくまい。

 どう見ても精密機械の塊、おまけに雄英からの合否通知となれば、学園内部の機密事項とかあったりするかもしれない。

 合格すれば入学時に返却すればいいけど、不合格ならそうもいかないだろう。

 いっそ、バラバラに分解して、各パーツをリサイクルショップにでも売り払おうか。

 ちょっとした小金で、子供達に何か買ってやれるかもしれない。

 

「・・・・・とりあえず、見てみないことには始まらないか」

 

 色々と余計な思考が混じったが、今度こそ意を決し、端末を起動する。

 

『初めまして、衛宮士郎くん。みんな大好き雄英のマスコット、小型哺乳類の校長先生、根津さ!』

「・・・・・ねずみ?」

 

 空間に映し出される映像の画質と、ホログラフィック技術にも驚いたが、よもや起動してすぐに見るのが二足歩行で衣服を纏うねずみとは、思っても見なかった。

 この個性社会、動物の特徴を宿した人間など珍しくもないが、この人はなんか、まさしくねずみそのものって感じで違和感がない。

 

・・・・・まさか本当にねずみ・・・・・?いや、まさかな。

 

 いくら個性なんてものが日常となった現代でも、本当の動物が人語を発するなんて聞いたことがない。

 そもそも人間とねずみとじゃ、喉の造りも違うだろう。

 

『早速だけど試験の結果発表させてもらうよ。準備はいいかな――?』

「――――」

 

 記録映像の中の校長が、覚悟は出来ているか、と問いかける。

 この日まで、性に合わずにソワソワした日々を過ごしてきたが、それも終わりだ。

 この瞬間、衛宮士郎が進むべき道が、遂に定められる。

 

『一次試験、筆記テストは基準値を達成。二次試験、実技テストは――』

「・・・・・・・・」

『撃破ポイント73pt、そして試験時には君達に伝えていない救助ポイント66pt。合計で139pt、総合成績はぶっちぎりの第一位。つまり――』

 

 知らず、全身に熱が生まれる。

 耳慣れない評価点も、自分の順位がどうなのかも、気にもならない。

 ただ今は、映像の中の記録された言葉、それがこれから告げるだろうそれを先に理解して――

 

『――試験突破、見事合格さ!』

「――――ッ!」

 

 ようやく伝えられたその結果に、思わず拳に力が入る。

 胸中に渦巻く感情は、喜びでも安堵でも無い。

 ただ、自らが進むべき道が明確に照らされたのだと、心を燃やして。

 

『君の事については、我々も事情を把握している。けど、だからといって雄英は君を特別視しないし、同じように軽んじることもない』

 

 そうでなければ意味がない。

 全国に数あるヒーロー科、雄英に及ぶ高校もありながら、それでもあえてこの場所を選んだ。

 かつての実績や排出したヒーローの存在もあるが、それ以上に。

 

『だからこそ約束するよ。君が選んだこの場所は、きっと君を最高のヒーローに育て上げて見せると』

 

 前例の無い、過去も持たない個性保有者。

 それを徹底的に鍛え抜き、研磨できる環境は雄英こそが相応しいのだと。

 小さな体で、しかし決して弱小な存在ではない校長は。

 俺の異常性を知りながら、この期待に応えると宣言してくれた。

 ならば――

 

『雄英で君を待っている。これからここが――君のヒーローアカデミアさ!』

 

――“正義の味方”への道が、今ここに開かれた。

 

 

 




 読者の皆様方、どうもなんでさです。
 徐々にヒロアカ視聴進める中、お茶子ちゃんとかねじれちゃんとか、よくよく目にする子達をかわいいなーとか感じながら、それはそれとして耳郎響香ちゃんと八百万百ちゃんが個人的にはお気に入りだったりします。

 今回のお話では雄英入試での士郎の評価及び彼の能力の異常性、その一端が教師陣に明かされ、説明されるという回でした。
 こういうのは要所要所で細かくやっていこうかな、と思ったのですが、指導する側の教師陣は最初に把握しておく必要があるかなと考え、一気に描写させていただきました。(長ったらしくてすみません)
 先に補足を入れておくと、士郎が扱う能力は現状、型月の“魔術“ではなく、あくまでヒロアカの“個性”です。相当に特異な存在ではあれど、枠組みとしては間違いなくヒロアカ世界に適応した形となっております。
 とはいえ、今のところやってること、やれる事はFate本編士郎と大体同じです。二つの差異がどこで表面化するのか、作者の思惑に乗る感じで見守っていただけたらと思います。

 それでは今回はこの辺りで。


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出会う雛たち

 

 四月上旬。

 うららかな春の日差しと桜の花びらが心を暖める生命溢れる季節。

 長い冬を乗り越えてきた無数の花々と木々、そして名も知れぬ雑草達が芽吹き、耐え忍んだ日々を帳消しにする様に全力でその生を謳歌する。

 大小様々な昆虫類も顔を出し始め、各々の繁殖に努める。

 

 自然界においてこの季節は目覚めと発展の時期であろうが、俺たち人間にとっても新たなスタートを切る季節だ。

 学生達は新学期が始まり新たな出会いを迎え、社会人なりたての新入社員の皆様方はそれぞれが希望した将来に向けて、それまで未踏であった世界に足を踏み入れていく。

 かくいう俺も、雄英入試という一世一代の大勝負を乗り切り、見事に雄英への入学を果たした。

 ここから衛宮士郎という人間の理想に近づく為の歩みが始まるのだと、自然と体に力が入る。

 

「――というより、気合い入れすぎたな」

 

 呆れたような独り言に言葉を返す者は居らず、呟きに反応して視線を向ける者すら居ない。

 というか、ぶっちゃけていうと教室に誰一人としていないのである。

 

「七時二十分。流石に早過ぎたか・・・・・」

 

 入学早々に遅刻などするわけにもいかず、その上、起床時間が普段のままで、思いっきり時間が有り余ってしまった。

 しばらく時間でも潰していれば良かったのに、俺自身も妙に意気込んでしまって、つい元気よく登校したのが間違いだった。

 最初こそ改めて見る雄英の規模の大きさや、やたら広い校舎に迷い気味になり、そうして辿り着いた教室の扉のデカさに驚いたりと、全く何も気づいていなかった。

 しばらく席に着いて過ごすも、人が来る気配は未だなく、ここでようやく自分が気を張り過ぎたのだと理解した。

 

「前は学校まで一時間だったからなぁ。まだどうにも癖が抜けん」

 

 施設にいる間は朝食の準備や、日課の“鍛錬”などをしていると、自然と丁度いい時間になっていたが、それももう暫くは無いだろう。

 

「惰性でいつまでも前の生活スタイル引き摺ってるとか、精進が足りてないぞ、全く」

 

 ペチン、と自分の額を叩き、軽く喝を入れる。

 どうあれ新しい生活が始まっているんだから、早くそれに慣れていかなければ。

 生活リズムが崩れて学校生活馴染めません、なんて話は通じないのだ。

 

 なんて考えてみたところで、この静寂な時間が変わる訳でもない。

 せめて誰か一人来るまで“鍛錬”でもして、少しでも時間を潰すのと、自らの研鑽をしよう。

 

「――同調開始<トレース・オン>」

 

 自らの“個性”を始動するキーを口にし、自らの内面深くにまで潜っていく。

 衛宮士郎が扱う個性は、他の大多数のそれと大きく違っている。

 故に、その習熟法も自然、異質なものになっている。

 彼らがそれを周囲の大人達から教わり、徐々に制御・強化していくのに対し、俺のこれは誰一人として指導が出来ない。

 必然的に、個性の訓練は自身の感性と認識、そして完全な独学で行なっている。

 

『投影』と呼ぶこの個性は、自身の精神にある保管場所から、過去に観察・保存した物を複製として現実に出現させる――特に刀剣類の複製に特化している。

 一度見たものなら大抵の物は記録でき、余程複雑な構造のものでもない限り、ほぼ本物と変わらない精度の贋作を生み出せる。

 聞いてる分には便利そうに思えるがその実、相当に扱いづらい。

 

 そもそもの話、俺の個性はあくまで現実に存在しない偽物だから、本来なら簡単に崩れ去ってしまう。

 これを上手く現実に落とし込んで運用するには、保管場所から対象の設計図とそこにある素材を引っ張り出す必要がある。

 その時に頭にイメージする設計図や材質に綻びがあったり、また完璧にイメージしても俺自身の理解そのものが疎かであれば、碌に扱えない、中身も耐久性もないハリボテが出来上がる。

 

 その上で何より問題なのが、この素材を持ってくる、という工程だ。

 どうにもこの保管場所、その素材とやらで満ちているらしく、少し調整を誤ればそれが大量に逆流してくる。

 加えて、刀剣の複製に特化している事から、この素材もその要素を色濃く反映しているようであり、一歩間違えれば溢れ出した刀剣の要素が刃となって俺の体を内側から喰い破ってくる。

 制御の難しい個性はこの世に多々あれど、少し雑念が入っただけで大怪我――最悪死に繋がるようなのは俺ぐらいのものだろう。

 加えて、この投影を行うのにもそれなりのエネルギーがいるらしく、基本的には精神性の個性というだけあって、その精神力、ともいうべきものが消費されていく。

 これが尽きると、意識を保っているのも辛く、身体機能の方にも影響が出てくる。

 

 そういった理由もあって、この力を使いこなす為には、とにかく投影そのものに慣れ親しみ、その際に引き出す量を正確に把握し、何より自己という余分を徹底的に排する必要があった。

 毎日、暇さえあれば無心で投影し、それができない時も脳内でのイメージを欠かさなかった。

 研究者の人達が俺の個性の正体や原理について頭を悩ませている間も、完全に自身の感性だけを頼りに、その根源に手を伸ばした。

 そんな事を十年近く繰り返してきたおかげか、今では調整を誤ることも無くなり、投影の精度も随分上がった。

 

「――投影完了<トレース・オフ>」

 

 意識を表層へと浮かび上がらせ、個性行使による成果を見る。

 一方は漆黒の、一方は白亜の、刀身に亀甲模様が浮かび柄の中心に太極図が描かれる、それぞれ同型の二刀一対の双剣――干将・莫耶。

 中国の伝説に登場する夫婦剣と同名のこの中華刀を、俺は何故か好んで使用している。

 刀剣としての美しさを除けば、目立った特徴もない、“斬れ味と頑丈さだけ“が売りの双剣だが、それ故に確かに使い勝手も良く信頼性が高い。

 しかしそういった理由以前に、俺はこれをひどく慣れ親しんだものとして扱っていた。最初こそ、その重みと刃渡りの広さに振り回されたが、振るえば振るうほど手に馴染むのだ。

 まるでそれこそが本来の姿だと言わんばかりに――或いは、本当にそうなのかも知れない。

 

 そもそも、俺が記憶し貯蔵する刀剣を始めとした物が、初めから俺の中にあった物だ。

 どれも見た事も触れた事も無い物ばかりで、それらを記録した覚えなどこれっぽっちもない。

 けど、俺は生まれた時から十年前のあの時に関する記憶が、完全に抜け落ちている。

 となれば、それらはその五年の間に、かつての俺が記録した物なのだろう。

 

 あまりに多くの時間が流れてしまい、もう失った過去に対する拘りも随分薄れてしまった。

 それでも、時折夢で見る光景は忘れられず、今もふとした時に記憶を探ろうとしている。

 

「・・・・・はぁ。落ち着かない状況とはいえ、感傷に浸るなんてらしくもない」

 

 投影した双剣を消し去り、なんとなしに窓の外を眺める。

 そもそもこんな事になってるのも、結局は自分の不注意からくるものだ。

 さっさとこの生活に慣れて、もうこんな醜態は晒さない様に心掛けよう。

 

「・・・・・ん?」

 

 静まり返った空間だからか、些細な物音も妙に耳につく。

 カツカツ、という一定のリズムで刻まれるそれは、廊下から聞こえてくる。

 足音。徐々に近づいてくるそれは、間違いなく足音。

 

「――よし」

 

 気を抜いていた姿勢に、少しばかり力を入れしゃんとする。

 時間も八時手前といったところ。

 そろそろ登校してくる生徒がいてもおかしくはないし、少なくともこの足音の主はこの1-Aに向かっている。

 教師にしろ生徒にしろ、ファーストコンタクトで情けない所は見せられない。

 

 そうして待つこと数秒。

 ガララ、とその成人男性の平均身長の二倍はあろう扉が引かれ、誰かがその姿を見せる。

 

「――あら?」

「や。おはよう」

 

 想定外とでも言うように、目をパチクリさせる生徒に向けて、軽く手を挙げ挨拶する。

 俺が着る学生服の、女子用のそれを身に付けた人物。

 右側の前髪だけお下ろし、残りを後ろに流したヘアスタイルが目につく女子だ。

 

「――ええ、おはようございます。随分早いんですのね。てっきり、私が一番乗りかと思いましたのに」

 

 一秒ほど呆けたのち、気を取り直した彼女が挨拶を返す。

 少しばかり呆れた様な顔をする彼女に、思わず苦笑する。実際、自分としても不本意な事なので何も言い返せない。

 

「ちょっと気合を入れ過ぎたのと、前の生活リズムが抜けきらなくってな。――俺としても我が事ながら参ってる」

「やる気があるのは結構ですけど、習慣に関しては自己管理不足、と言う他ありませんわね」

「はは・・・・・」

 

 情けない話ではあるが、全くもって自律が出来ていないのは事実だ。

 手厳しいお言葉ではあるが、俺自身が同じ考えをしているので甘んじて受ける。

 

「・・・・・いえ、失礼しました。決してあなたを貶そうというわけではありませんの」

「ああいや、全く気にしてないし、俺としても自覚してるから、そうやって指摘してくれるとありがたい」

「ありがたいんですか・・・・・?」

「ああ。なんていうか、改めて喝を入れてもらってるみたいで身が引き締まる」

 

 実際、自覚している欠点を他人に注意されるっていうのは、中々に効くものだ。

 人間誰しも、人にはいいように見られたいものだから、外からの声で改めて自身を改善する、というのはよくある話だと思う。

 まあ俺の場合は人目より、自分で情けないだけだが。

 

「・・・・・人に注意されて有り難がるなんて、おかしな方ですね」

 

 今の会話に可笑しなものでも感じ取ったのか。

 彼女は口元に手を当て、フフ、なんて綺麗に笑う。一瞬ながら、見惚れてしまった自分がいる。

 全くもって今更な話ではあるが、目の前のこの女生徒はかなりの美人さんだ。

 整った顔立ちは当然、その特徴的なヘアースタイルも彼女によく似合っている。

 同年代の女子にしては高めのその身長も、彼女をより美しく際立たせている要因だろう。

 

「・・・・・と。そういやまだ名乗ってなかった。――俺は衛宮士郎。上でも下でも好きな方で呼んでくれ」

 

 赤くなりそうな顔を隠す意味も兼ねて、本来なら一番最初に済ませておくべき儀式を切り出す。

 相手もそこを失念していたと思いだしたのか、笑うのをやめ改めてこちらに向き直ってくれる。

 

「それでは、衛宮さんと。私は八百万百です。ご存知の通り、少々ものをはっきり言ってしまう性格ですが――」

「いや、さっきも言ったけど、全然気にしないし、俺って結構抜けてるからさ。八百万みたいにはっきり言ってくれる奴がいてくれると、俺としても助かる」

「・・・・・ありがとうございます。私もあなたのような方がクラスメイトで、嬉しく思います」

 

 ファーストコンタクトこそ少し気まずいものになったが、互いに笑って知り合うことができた。

 その後、たまたま席が隣であった彼女と時間が来るまで色々な話をした。

 

「そういえば、衛宮さんはどちらからいらしているんですの」

「地元は、ここから電車で二時間ぐらいで――」

 

 地元はどこなの、とか。

 

「八百万って推薦入学なのか!?」

「ええ。これでも私、筆記も実技も自信がありますのよ」

 

 彼女が推薦組での入学であることに驚いたり。

 

「方向性が異なるとはいえ、そろって創造型の個性とは」

「いや、まったく。変な縁があるもんだ」

 

 個性の話題になり、触り程度しか話していないが、お互いにモノを創る個性であると知ったり。

 

 そんな感じで八百万としばらく談笑していると、扉の開く音がした。

 一旦会話を止め、揃ってそちらに目を向ける。

 

「――む」

「おはよう」

「おはようございます」

 

 教室に入った瞬間、先客である俺たちを見つけた男子生徒に、間髪入れずに挨拶をする。

 なんかデジャブを感じるが、それはそれとして挨拶はきっちりやっておくべきだろう。

 相手もそう感じたのか、こちらに歩み寄った後、ピン、と背筋を伸ばして声を発した。

 

「二人ともおはよう!俺は私立聡明中学出身の飯田天哉だ」

「お、おう。俺は衛宮士郎っていう。呼び方は好きにしてくれ」

「八百万百です。私も好きな様に呼んでください」

 

 なんとも元気の良い挨拶をしてくれた飯田君に少々気圧されながら、こちらも名乗る。

 入室時から曲がらないそのピンとした姿勢や身につけた眼鏡、七三分にした黒髪など、いかにも真面目という印象が先に立つ。

 同学年でもなかなか見ないその高い背も、そのイメージを強くしている。

 

「しかし、衛宮くんも八百万くんも早いな、俺も見習わなくては」

 

 そのイメージ通りというか、自分より先に登校していた俺たちに、しきりに感心した様子で頷いている。

 まあ、八百万についてはその通りだが、俺に限って言えばただのポカなので、そんな風に持ち上げられる事じゃない。

 

「八百万はともかく、俺は普段の習慣が抜け切らなくって、早く来すぎただけだよ。八百万が来るまで自分の不甲斐なさに頭抱えてたぐらいだし」

 

 そのまま流してしまっても良かったが、自分の失敗を良い様に言われるのは、なんとなく居心地が悪い。

 今のうちに誤解は解いておくべきだろう。

 

「なんと、そうだったのか。――いや、それでも普段からそんな風に早起きをしているというのは良いことだと俺は思う!」

「・・・・・そっか」

 

 五指を指先までピン、と伸ばして力説する飯田くんに、もう俺は言葉が無かった。

 ここまで誉めてもらっているのに、無理に否定するのも何だか悪い気がしてくる。

 彼がそれでいいなら、そういうことにしておこう。

 

 それから、飯田くんも交えて再び会話を再開する。

 その中で彼がヒーロー家系の出である事など、色々と教えてもらった。

 そうこうしているうちに、チラホラと他のクラスメイト達も登校してきて、彼らともまた自己紹介していく。

 途中、俺が入試の時に巨大ロボの前から引っ張り上げた女生徒もいて驚いたが、彼女が無事合格出来ていて安心したりと、来た時とは打って変わって中々賑やかな時間だった。

 その後も続々と生徒が登校してきて、凄まじく柄の悪いとてもヒーロー志望に見えない金髪の男子生徒など、個性豊か(というより癖が強すぎる)な面々と顔を合わせていく。

 

 そして、始業近くに最後発と思われる緑髪の男子生徒が来たあたりで、事は起こった。

 

「お友達ごっこがしたいなら他所へ行け」

 

 ほとんど囁き声にしか思えない微かな声だったが、この場にいるのは皆厳しい試練を乗り越えてきたヒーロー志望。

 その僅かな音を皆聞き取り、故にこそ、その言葉に呑み込まれた。

 

・・・・・流石に雄英、浮かれ気分は許さない、か。

 

 ここは将来ヒーローにならんと志す者が集まる場所。

 当然、生半可な意志で居ていい場所でも、付いていけるものでもない。

 先の言葉は、それを言外に指摘したものだった。

 

「担任の相澤消太だ。よろしくね」

 

 何故か寝袋を抱えて現れた、全身真っ黒に染めた草臥れた様子の男性は、気だるげな声で端的に自己紹介を済ませた。

 担任ということは彼もまたプロのヒーローなんだろうが、あまり記憶に残っていない人物だ。

 これでもヒーロー志望。メディアに露出しているヒーローやヴィランについては、大なり小なり調べている。

 その上で見覚えが無いのだから、おそらく二択。余程マイナーか、メディア露出を嫌っている人物なのだろう。

 雄英ヒーロー科の担任が、メディアにほとんど出たこともない新人ヒーローなんて、それこそあり得ないだろうし。

 

「早速だが、お前ら体操服<コレ>着てグラウンド出ろ。急いでな」

 

 登場からして強烈なインパクトを残した相澤先生は、俺たちが状況に追いつく事を待つ事もなく次なる指示を叩きつけていき、早々に退出していった。

 一分も無い時間だったが、それだけでこの場の学生全員を圧倒していく様は、色々な意味を含むが、それでもやはり只者ではないのだと感じさせる。

 

「・・・・・序盤から荒れるな、これは」

 

 これから何をさせるつもりかは分からないが、少なくとも気を抜いて熟るものでない事だけは確かだった。

 

 

 

 

 

 

「個性把握テストぉ!?」

 

 告げられた行事に、多くの生徒が重ねて反復した。

 確かに、運動着に着替えてグラウンドに向かうように指示したんだから、何らかの訓練なりを行うものと思っていたが、少々予想外のものだった。

 入学式やガイダンス等もすっ飛ばした常識破りな行程に疑問を呈する女子もいたが・・・・・

 

「ヒーロー科に来た時点で、そんな悠長な行事に出てる暇無いよ」

 

 その言葉だけで、彼女の疑問をバッサリ斬り捨ててしまった。

 少々型破りではあるが、確かに彼の言う通り、誰かを救う為にこの場に来た人間が、ゆっくりと歩いていて良いわけがない。

 その身と心をボロボロにしても、絶えず足を前に進めるのが当然というものだ。

 

「雄英は“自由”な校風が売り文句だが――それは俺たち先生側にも言える事だ」

 

 皆、言葉を失ったり緊張したりと、動揺を隠せないでいる。

 入学初日にこれでは、それも無理もないだろう。

 俺も、今朝みたいにうっかり気を抜いてました、なんて許されない。

 

「――さて。中学の頃からやってるだろうから分かると思うが、これからお前らには個性を最大限用いた上で、体力測定をやってもらう」

 

 体力測定。

 ソフトボール投げや反復横跳び、50m走、握力測定等々。

 およそ日本で暮らす学生ならお馴染みの行事。

 とはいえ、個々人の能力値が大きく異なるこの個性社会においてはその意義が薄れ、一部では、いまだに画一的な平均値を測ろうとする政府のお偉いさん方に、批判の声も上がっている。

 

「丁度いいのは、そうだな――爆豪。個性使ってこのボール投げてみろ」

 

 指名されボールを渡されたのは、始業前から色々と目立っていた金髪の男子生徒――『爆豪勝己』

 

「普通のソフトボール投げと同じだ。円から出なけりゃ何してもいい――ああ、一応備品だから、そのあたりは調整しろ」

 

 言うだけ言って、先生はさっさと観察に入った。

 指示された爆豪はというと、円の中心に立って、何度か腕を伸ばし調子を測る。

 

「んじゃまあ――」

 

 そしてそれが済んだのか、投球姿勢を取り、

 

「――死ねぇッ!!!」

 

 とてもヒーロー志望とは思えない台詞と共に、爆風を伴った見事な投球を見せた。

 見たところ自身の体から爆発を起こす個性といったところか。

 態度も個性も暴力的なものだが――

 

・・・・・ボールを壊す事なく、爆風だけを上手く乗せた。見かけによらずかなり繊細だな。

 

 あそこまで攻撃的かつ破壊力の高い個性だ。今みたいに応用するには、相当に微細なコントロール力が求められる。

 それを苦も無くやってみせるとは、彼の技量の高さが窺えるというものだ。

 

「まず、自分の最大限を知ること。それがヒーローの素地を形成する合理的手段だ」

 

 そういって先生が掲げた端末には、今の投球の記録が表示されていた。

 およそ700m。

 それが第一投で爆豪が叩き出した数値だった。

 一番槍、デモストレーションとしては十分な記録――いや、“十分”過ぎた。

 

「なんかおもしろそー!」

「個性思いっきり使えるなんて、さっすがヒーロー科!」

 

 俺たちがただの学生である以上、大っぴらな個性の使用は原則、禁止されてる。中には、それを抑圧的に感じている奴もいただろう。

 そんな中、初めて個性の使用を認められた上での体力測定。

 高校生活初日という、否応なしに浮き足立ってしまう日であることもあって、彼らがはしゃぎ気味になるのも、仕方ないことなのかもしれない。

 

・・・・・けど、それはちょっと不味いぞ。

 

 ヒーロー科担任である以上、相澤先生が甘い人間でない事は、ここまでの態度で察せられる。

 そんな彼の前で、歴としたヒーロー育成の為の工程を、“おもしろそう”などと感じてしまうのは――

 

「・・・・・面白そう、か」

 

 地を這うかのような、重い声。

 呟きでしかない、ただその一言で分かってしまう。

 彼らの示した姿勢、それが完全に相澤先生の意に反するものだったのだと。

 

「ヒーローを目指すこの三年間、そんな心持ちで過ごす気か?」

 

 この場にいるのがヒーローを志望する優秀な学生でなければ、おそらくその気配だけで側にいる者を萎縮させてしまうような、重い圧だ。

 ここまで言われれば全員、相澤先生が何と言わんとしているのか、もう気付いている。

 皆、気を引き締めるはず――

 

「――よし。これからの測定、トータル成績が最下位のものは“見込み無し”として、除籍処分としよう」

「「「はぁあああ――!?」」」

 

 告げられた決定に、クラスメイト達が今度こそ度肝を抜かれる。

 たかだか体力テストの成績で最下位になっただけで、一年以上積み重ねてきた努力全てを水の泡にされる。

 そんな暴挙、普通に考えればまず通らない。

 だがここは雄英。カリキュラムも特殊なら、その教育方針もまた特異に過ぎる。

 

――そしてここは、“自由”な校風が売り文句。

 

「生徒の如何は俺たちの自由――ようこそ。これが雄英高校“ヒーロー科”だ」

 

 

 

 

 

 

 相澤先生の決定でなし崩し的に始まったヒーロー科への残留を賭けた競争。

 さっきまで浮かれ気味だった生徒も、今では気を引き締めて測定に臨んでいる。

 俺も遅れを取るわけにはいかない。

 個性の性質上、全ての種目に対応できるわけではないが、その分、応用が効く種目は出来る限り大きな記録を出さねば。

 

・・・・・しかし、相澤先生のさっきの言い方は――

 

「先生も初日から大胆な事をしますわね。衛宮さんもそう思いませんか?」

 

 考え込んでいる間、八百万がいつの間にか近くまで来ていた。

 

「八百万。それは、さっきの話か?」

「ええ。成績最下位は除籍処分・・・・・普通、そんな所業が通るはずもないでしょう」

 

 少し考えれば分かりそうなものですのに、と彼女は続ける。

 確かに、ここが如何に雄英とはいえ、普通に考えれば入学初日に体力測定の結果如何で除籍など、生徒本人はおろか、文科省が許しそうもない。

 当然、ご両親からの苦情も来るだろう。

 そういう事情を考慮すれば、さっきの発言は完全な虚偽で、弛んでいる生徒達に発破をかけるためだった、考えるのが自然。

 八百万の考えは、大体そんなことだった。ただ――

 

「俺も概ね同じ考えだけど、ちょっと俺とは重点が違うかな」

「・・・・・と、言いますと?」

 

 反論した俺に、八百万は気分を害した風もなく、ただ真面目な顔で発言の意味を問うてきた。

 そこまで真剣に聞いてくれるのは、俺の答えに対する興味故か。

 俺は八百万ほど賢くはないので、あまり期待されると気後れするのだが、それはそれとして足りない頭で考えた持論を言ってみる。

 

「俺たち生徒への発破、ていうのは俺も同感。実際、最初に比べて皆あきらかにやる気に満ちてるし」

「ええ、そうですわね」

 

 ここは双方同じ考えだ。

 この点に関して、然して議論する必要はない。

 

「で、問題はここから。先生の発言の、何処に注目するかが、個人的には肝だと思ってる」

「どこに注目するか、ですか・・・・・?」

 

 はて、と不思議そうに首を傾げる八百万に、改めて美人だな、などと雑念を抱きつつ俺は頷く。

 

「さっき、最下位は“見込み無し”として除籍するって、先生は言ってただろ?ってことは、“見込み”があれば最下位でも残すし――」

「“見込み”がなければ成績一位でも落とす、という事ですか。――あり得ない、とは言い切れないのが、悔しいですわね」

 

 俺の持論を吟味し、難しい顔をする八百万。

 実際、雄英のような特定の方向性に特化した養成機関というのは競争が激しく、基準に満たないものは途中で落とされる、というのはよくある話だ。

 別段、雄英に限った話ではない。

 ヒーロー科にしろそれ以外にしろ、望みの無い者をいつまでも在籍させていたら、そいつが将来に向けてやり直すための時間も奪うことになる。

 教育する側も、無駄な時間とリソースを浪費する。お互いに、損しかない悪循環だ。

 

「可能性が無いのなら早い内に諦めさせて、別の道を模索させる。確かに、それが合理的な選択ですわね」

「といっても、あくまで俺の推測だし、そこまで深く考える必要ないと思うぞ」

 

 何度も言うように、これは俺の勝手な推論。

 根拠らしい根拠なんて欠片も無いし、ただの勘繰り過ぎの可能性の方が高いのだ。

 下手に考え込んで、八百万が力んでしまったら、申し訳なくて顔向けできない。

 

「――いえ。真意がどうあれ、私はこの雄英に、何よりヒーローとなるに値する人間なのだと、相澤先生に証明しなくてはなりません」

「――――」

 

 俺の余計な心配を余所に、彼女は力強い瞳で、これからの測定に闘志を燃やしている。

 その意志の強さと、清々しいまでの真っ直ぐさ――それが、とても好ましいものに思えた。

 彼女は自らの相応しさを示そうと意気込んでいる。それは試された事で躍起になっているとかではなく、自分の力を理解した上で、これまでの道程を誇った自信だった。

 

・・・・・ああ、強いな。

 

 出会ってほんの数時間で、彼女のこれまでや性格など、知らない事ばかりだ。

 けど、ただ一つ。これだけは自信を持って言える。

 

「――大丈夫だよ。八百万は、絶対にヒーローになれる人間だ」

「え――?あ、はい。ありがとうございます・・・・・?」

 

 いきなりの台詞に、八百万は戸惑った様な、なんだか頭が追いついてないような反応を見せる。・・・・・少し、発言が急すぎたか。

 それでも、今のは心の底からの本心なので、特に言い繕ったりする気はない。とはいえ、

 

「ま、こんなの俺が言うまでもなないし、八百万は自力でそれを証明するってんだから、余計だったな。偉そうなこと言って悪い」

 

 苦笑を浮かべながら、今の非礼を詫びる。

 彼女は相澤先生に自分の力で見せつけると言っているのだ。

 俺みたいな奴があんな励まし紛いなこと、言う必要もなかった。

 

「・・・・・次、衛宮士郎!」

「はいっ!――それじゃ八百万、お互い頑張ろうな」

「・・・・・・・・ええ」

 

 軽くひと声かけて、八百万と別れる。

 最後、少し元気が無いように見えたが気のせいだろうか。

 彼女の事だから、自己管理に抜かりは無いと思うが一応、後で確認しておいた方がいいだろう。

 

・・・・・今はとりあえず、目の前に集中だ。

 

 先生の言葉を信じようと、俺自身の考えを信じようと、いずれにせよ相応わしくない人間は淘汰される。

 ならば、自他共に認められるほど、十分な結果を出せばいい。

 こんな一歩目程度の所で足踏みしている暇など――衛宮士郎には、許されていないのだ。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 動悸が収まらない。

 周囲は体力測定を続けているから騒がしい筈なのに、それでも心臓の鼓動が煩くて、耳に痛い。

 こうも心が落ち着かない理由は、分かっている。

 

――八百万は、絶対にヒーローになれる人間だ

 

 今日出会ったばかりの、クラスメイトの男子生徒。

 その出会いや、話してみた印象など、とても不思議な人物だと感じている。

 けれど、今のところはそれだけ。

 まだ、お互いによく知らないし、彼はこの雄英で初めて会話した同級生というだけでしかない。

 だというのに、そんな彼から掛けられた言葉に、こうまで心を打たれている。

 

・・・・・褒められたりするのは、別に珍しいことではありませんのに。

 

 自身の優秀さを理解している。

 昔から勉強が出来て、両親もよく自慢の娘だと言ってくれている。

 誰かに頼られたり、誰かの役に立てるのが嬉しくて、幼い頃からずっと、ヒーローになるのだと夢見てきた。

 その為の研鑽は惜しまず、必要なものは何でも吸収してきた。

 そんな風に生きてきたから、両親に留まらず、仲の良い友人も、学校の先生も、誰もが皆、私はヒーローになるのだと信じてくれた。

 だから、そういった期待を向けられるのは、ある意味では慣れている。

 それなのに、今まで何度も聞いてきたそれと全く同種の言葉なのに、彼の言葉だけは、どうしてこんなにも心に響くのか。

 

・・・・・裏が無い、とでも言えばいいのかしら。

 

 人が他者を称賛する時、そこには何かしら必ず理由がある。

 親しい人だから。実績があるから。その人物に取り入りたいから。

 人によって動機は様々だが、私にとってもそれは同じ事。

 両親は、私が娘だから信じてくれる。友人達は、親しいから信じてくれる。先生は、私が結果を残しているから信じてくれる

 それは当然のことで、それを嬉しくないなどとは、微塵も思わない。

 

 だけど、彼は違う。

 彼と私は親族では無く、まだ親しくも無く、これまで私がしてきた事を何一つとして知らない。

 それでも、何も知らずとも。

 ただ、八百万百<ワタシ>が八百万百<ワタシ>であるというだけで、いつか必ずヒーローになるのだと言ってくれた。

 

 根拠のない賞賛なんて、本来なら何一つ響くものではない。

 だというのに、彼の言葉はどこまでも透き通っている様で、まるで清流の様に心に染み渡った。

 

「・・・・・衛宮、士郎さん」

 

 呟くように、彼の名を口にする。

 出会って間もない、初めての学友。どんな人物なのか、まだほとんど何も知らないけれど。

 その力強い瞳が、強く印象に残っていた。

 

「――本当に、不思議な方ですわね」

 

 彼の言葉が何故、誰のそれよりも心動かされたのか。何故、出会って間もない私を彼はそこまで買ってくれているのか。

 分からないことだらけで、答えもそのヒントもまるで掴めそうにない。

 それでも、一つ言えることがある。

 自身の行動としては変わりなくて、彼の有無は関係ないけれど。

 それでも、ああまで言ってくれた彼の信頼を裏切る事だけは、したくなかった。

 

 

 

 

 

 

 先生の指示に従い、スタートラインに立つ。

 第一種目は50m走。

 俺の個性では、普通にやっては役に立たない。

 個性を用いた上で測定を行うのなら、各種目に応じた工夫が求められる。

 

・・・・・基本、ラインを出たりしなければ何でもアリだったな。

 

 50m走とは言うが、必ずしも足を使って完走する必要も無ければ、なんなら走る必要もない。

 ただ最低限のルールに従って、ゴールラインを通過すればいい。

 となれば、やり方はいくらでもある。

 

『位置ニツイテ、ヨーイ――』

「投影<トレース>――」

 

 カウントと同時に、言霊を紡ぐ。

 脳内に設計図を待機させ、自らのイメージを実現させ得るモノを想起する。そして――

 

――パンッ!

 

「開始<オン>ッ!」

 

 合図と同時に個性を行使し、待機させていたモノを投影する。

 生み出したのは入試でも使った鎖付きの短剣――それに少し手を加え、鎖の全長をかなり引き延ばした。

 この50m走は、はみ出たりしなければ基本、何でもアリ。

 

・・・・・だったら、こういうのも問題ないはずだ!

 

 短剣が現出した瞬間、それを前方へと投擲している。

 刃がレーンに埋まったのを確認すると同時、体ごと腕を一気に引く。

 

・・・・・バランスが、きつい、な・・・・・!

 

 走り飛び込む様に前進し、宙に浮いた瞬間、勢いを殺さず利用して推進力とする。

 やってることは、はっきり言って無茶苦茶だ。

 こんな、アクションスターでも真っ青なワイヤーアクション染みた動き、衛宮士郎にはできない。

 けど、直線に限って、あらかじめ決められた距離でなら、辛うじて不可能ではない。

 

・・・・・着地する前に、第二投・・・・・!

 

 不慣れな動作を行いながら、空中でもう一方の短剣を投げ放つ。

 最初より難度は高いが、この程度熟せないのなら話にならない。

 今度はゴールライン少し越えたあたりに打ち込み、着地と同時に再び飛び込み――

 

「うぉ、とっと」

『4秒51』

 

 着地はもつれこけそうになるも、ギリギリで踏みとどまる。

 記録も上々、ぶっつけ本番にしては、曲がりなりにも形にはなっていた。

 既に計測を終えている飯田くんなんかには及ばないが、決して悪くは無い数値だろう。

 

・・・・・さて、次の種目はどうするか。

 

 ひとまず第一種目を終え、待機しながらこれからの種目に対して考えを巡らせる。

 いま一度、自分がどの種目であれば力を発揮できるか。

 投影という個性はその特殊性以前に、案外限定的な運用しかできない。

 今の50m走なんかも、必要な道具を個性で用意しただけで、それを実際に運用するのは完全に俺自身の身体技能頼り。

 こういった、あらかじめやる事を決められた画一的な運動というのは、俺の個性にとってはとことん相性が悪い。

 

・・・・・握力測定とか、上体起こしなんかは、どうやっても無理だな。

 

 純粋に、当人の身体能力がそのまま結果に関わってくる種目は、俺の個性では対応しきれない。

 長座体前屈や持久走、反復横跳びも、なんとか自前の身体能力でどうにかするしかない。

 

・・・・・残り二つで、やり切るしかないか。

 

 それらであれば、俺の個性でも応用できる。

 どこまでやれるかは何とも言えないが、少なくとも形にはなるはずだ。

 他の測定は、完全にこれまでの鍛錬の結果次第である。

 

「・・・・・ん?」

 

 自身の個性を利用する術を考え、脳内でそのシミュレーションをしていると、ふと、視線を感じた。

 しかもかなり下の方、それこそ、施設で子供達に見られてた時ぐらいの高さで――

 

「・・・・・・・・」

「えっと・・・・・」

 

 俺の感覚は決して鈍ってはいなかった。

 確かに、視線を感じた先に人はいた。

 身長100cm少しくらいの、高校生にしては異様に背の低い男子生徒。いや、そこのところはどうでもいい。

 問題は、無言で見つめてくる・・・・・というか、睨んでくるその目に篭った、怒りだか憎しみだか分からん感情は何なのか、ということだ。

 

「・・・・・あー、何か気に触るような事でもしたかな?」

 

 できるだけ下手で、穏当に話しかける。

 いったいなんでこんな親の仇でも見るかのような激情を宿した目で睨まれてるのか、これっぽっちも理解できないが、何かしてしまったのなら素直に詫びたい。

 入学初日から学友と敵対状態になるなど、御免被る。

 

「・・・・・・・・・ね」

「え・・・・・?」

 

 微かな呟きを聴き取れず、呆けた声を出す。

 まるっきりなんて言っているか聞こえない・・・・・聞こえないのに、なんか聞きたくないよう気がする。

 しかし、ここに至って目の前の彼はもう止まる気などないのか、今度こそ完全に敵意を宿しながら俺を見上げて、

 

「死ねッ――!!」

「何故!?」

 

 とんでもねー台詞をぶちこまれた。

 

・・・・・完っっ全に初対面だぞ、なんでここまで嫌われてんだ・・・・・?

 

 なんかもう、色々と訳が分からん。

 何があれば、こんな出会って数秒の人間に、ここまで憎悪を抱けるというのか。

 俺は彼に何かした覚えはないし、そこで嫌われるほど、目に付く悪行をやった覚えはないぞ――!

 

「ちょっと待て、一回落ち着こう!いったい俺の何が気に食わないのか、理由ぐらいは教えてくれよ!?」

「何が気に食わないって、そんなの決まってるだろが!?オイラはな――」

 

 冷静さもクソもない、弾け飛ぶ火山のような激情で、彼は勢いのまま吠える。

 理由がまるで見当もつかない、その怨みの源泉はいったい、

 

「――お前みたいな簡単に可愛い女子と仲良くなってくような奴が、一番許せないんだよ――ッッッ!!!」

「・・・・・・・・・・は?」

 

 いや、えーと、んーと・・・・・は?

 

「さっきから見てたんだぞ!?入学初日だっていうのに、もうクラス随一の胸部装甲を誇る八百万に手をつけやがってッ――!」

「何を言ってるんだ、お前は・・・・・・」

 

 その、魂の奥底から湧いてくるような、全霊のシャウト。

 それこそ、血でも滲んでそうな叫びに、本気で頭を抱えたくなる。

 言ってる事は理解できるが、だからこそその言葉の意味が分からず、理解に苦しむ。

 

・・・・・いや、ほんとに、なんでさ・・・・・。

 

 彼が何に憤っているのか、分かるのに判らない。

 そもそも、手を付けるってなんだ、手を付けるって。

 

「あのなぁ、俺は別に八百万に“そういうこと”してないし、最初に教室で会っただけのクラスメイトだぞ。お前が考えてるような事、一切無い。第一、軽薄に女子の体をどうこう言うのは、ヒーロー志望としてアウトだぞ」

「じゃかぁしい!いいかよく聞け、オイラが雄英に来てヒーロー目指してるのはなぁ――女にモテたいからだよッッ!!」

「・・・・・・・・・」

 

 もう、言葉も出ない

 いっそ清々しいまでのクソ野郎っぷりに、ここまで一直線なら、それも一つの生き方か、なんて思ってしまった自分が情けない。

 ヒーローを目指す理由が如何に千差万別とはいえ、ここまで直接的に欲望に繋がってる奴は、ほとんどいないだろう。というかいてくれるな。

 

「・・・・・まぁ、お前が俺どう思ってもいいけどさ。そういうこと、あんまり女子達に直接言うなよ」

「はっ!何を言い出すかと思えば、俺のエロへの欲求が、その程度の言葉で止まるわけないだろう!?どうしてもっていうんなら――」

「――そうか、ならいい」

「え・・・・・?」

 

 ほとばしるパッションのまま叫ぼうとする相手を無視し、そのまま決定を伝える。

 相手はこちらの気配を感じたのか、何やら汗ばんでいるようだ。

 それがある種の本能から来るもモノなのだとしたら――彼の生物としての機能は正常だ。

 

「お前が何しようとお前の勝手だし、お前の考えを無理矢理捻じ曲げるような権利、俺にはない」

 

 だが、それはそれとして。

 

「俺の見える範囲で、お前が女子に対してさっきみたいな言動を――あまつさえ、実行に移したら、俺は容赦なくお前を叩きのめす」

「・・・・・・・・」

 

 目に見えて小刻みに震える彼に、しかして同情心はない。

 社会に生きてる以上、人間誰しもやってはいけないことぐらい、自制して然るべきだ。

 ちょっとやそっとの事なら何も言わないが、実害が出うる彼の言動や行為は看過出来ない。

 必要とあれば、実力行使もやむなしである。

 こちとら施設で思春期真っ盛りな子供達と、毎日の様に向き合ってきたんだ。

 

 

・・・・・先生といい彼といい、入学初日からこれか。

 

 もうなんか色々な意味でドタバタすぎるスタート。

 未だ測定は残っていると言うのに、なんだか別の意味でダウンしそうだった。

 

 

 

 

 

 

 生徒全員が気合を入れ、つつがなく進行される測定に満足しながら、相澤消太は一人の生徒を見据えていた。

 

・・・・・衛宮士郎――今の所、目立った箇所は無いか。

 

 入試終了後、合格者が決定する前に、同僚にして先輩であるミッドナイトからの頼み事。

 十年前の事件で異常なまでの正義感と自己犠牲を見せた少年、衛宮士郎の厳重な監視・監督。

 

 彼が見る限り、現状では目立った問題もなく、測定では自身の個性に適さない種目でも、創意工夫を凝らす事によってそれぞれ悪くない記録を叩き出している。

 入試の際に見せた実力と前情報通り、かなり優秀な生徒だといえるだろう。

 心構えとしても、現段階で相当に強固な精神性を持っている。もっとも、この点に関しては利点であると同時に、相澤にとっての懸念点でもある。

 

 そもそもの話、彼がこんな頼まれごとを引き受けるに至った理由は、まさしくこの精神性が原因だ。

 彼がこの三年間でしっかりと学び、ミッドナイトや相澤が危惧するような生き方をしない様になってくれれば、それがベスト。

 だがそれを果たせないと言うのなら、彼の在り方はそのまま除籍処分の理由ともなり得る。

 

・・・・・他人の為にしか生きられず、他人の喜びでしか笑えない、ね・・・・・。

 

 相澤もプロヒーローとしてやってきて、それなりに長い。

 ヒーロー活動を行なっている以上、ヴィランとの対峙をはじめとして緊急事態には、もう何度も遭遇している。

 それと同時に、他のプロヒーローとも協力して事にあたることはよくあることだった。

 そういう事を続けていくうち、彼も色々な人間に出会った。

 

 ヒーローである以上、皆、誰かの為に身を投げ出せる者ばかりだ。

 同時に、守るべき市民を庇った結果、命を落とす者も・・・・・少なくはなかった。

 そういう事が起きるたびに、遺族や親しい者が涙し、癒えない傷を負っていく。

 そんな光景を見る度に、相澤は何もできなかった無力感や、残された人達の悲しみに打ち震える姿に胸を締め付けられる。

 

 ヒーローは、ヒーローであるが故に、必ず生還しなくてはならない。

 それは、プロヒーローとなる者の誰もが、それまでの道程で教え伝えられている事だ。

 ヒーローは市民の安全を守ると同時、彼ら彼女らの心の平穏を守ることも仕事の一つ。

 ならばこそ、自らの死で人々の心に痛みを残すことなど許されない。

 

「お前がそういう風になれるのか、この三年間できっちり見極めてやる」

 

 眼光は鋭く、衛宮士郎をはじめ生徒一人一人を、相澤は注意深く観察する。

 己が受け持った生徒達。

 彼らがどうか、各々の夢を明るい、未来の中で叶えられる様に。

 

 




 どうも、前回・前々回であの巨大ロボの動力とかってどうなってんの、と悩んでいたなんでさです。
 
 まず最初にヒロアカファンの皆様方に謝りたいことが二つ。
 まず第一に、本来二十人が定員のヒーロー科を、士郎を突っ込んだことで二十一名にしてしまったこと。
 そして、自分、1-Aの席順が五十音順である事を知らず、士郎の席を思いっきり適当に一番端っこにしてしまったことです。
 定員に関してはその後の成績次第で普通科からも編入するとの事だったので、まあさして問題ないかなと。
 席に関しましては、話の流れとか繋ぎやすさとか考慮して、後は個人的に漫画とかで転校生とかが一番後ろの窓際に座ってるイメージだったので、本来いない士郎をそのポジションに収めました。
 もしかしたら違和感感じるかもしれませんが、どうかしょうがねーな、て感じでお見逃しください。
 
 後、初めての邂逅といい、途中の描写といい、なんか八百万にフラグが建ってるような気がしないでもないですが、今のところ恋愛的なフラグは建っておりません。あくまで、士郎にとっては、なぜか好ましく感じる人間で、八百万にとっては強く印象の残る同級生というだけです。

 前回の投稿から今日まで、何だか凄まじい勢いでお気に入り登録が増えていき、何でこんなにいきなり!?などと驚いておりますが、突発的な思いつきから始めた拙作が、こうも皆様に楽しんで頂けて、作者としても嬉しい限りです。

 今回から士郎が本格的に雄英に入学し、1-Aの生徒達と関わっていくことになりますが、既に色々と本来の士郎との差異が出つつ、決して完全な別物ではない、というのがチラホラ出ていますが、本番となるのはまだ先。
 果たしてその差異がどう影響するのか、彼と雄英生達がどう関わっていくのか、今後の展開にどうかご期待ください

 それではまた、次回のお話で。



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今できる全力を

 どうも、なんでさです。
 読者の皆様方、いつもお読み頂きありがとうございます。
 
 実はとある読者の方から、何やら拙作がランキングとやらに載っていると、感想欄でお教えいただきまして。「そういえば、右上の方にランキングってあったな」などと、利用から6年越しに気付き、そちらを見てみればなんとびっくり、拙作のタイトルが第4位で掲載されており、一時は3位にまで上がっておりました。
 
 それまで碌に触った事もなく、いったいどういった仕組みなのかは分かりませんが、おそらく拙作を多くの読者の方にお読みいただけたが故、そしてヒロアカと衛宮士郎という二つの掛け合わせが齎した結果と考えております。
 
 ヒロアカ、そして衛宮士郎をと言うキャラクターに出会わせてくれたFate/stay nightの原作者のお二人、そして何より拙作をご評価頂きました読者の皆様に感謝いたします。
 未熟者に過分なご評価、誠に有難うございます。

 これ以降も、この評価に恥じぬよう、そして自分が想い描く物語を完成させられるよう執筆を続けていきたいと思います。
 読者の皆様も、これからも長い目でお付き合いくだされば幸いです。

 それでは、前置きが長くなりましたが第5話目、どうぞお楽しみください。


 50m走を終えた後も、測定は滞りなく進む。

 途中、性欲の権化のようなクラスメイトからイチャモンをつけられたが、それもとりあえずは後だ。

 

・・・・・まあ、アイツに関しては要注意人物、ということで。

 

 一応、あの場はやり過ごしたが、女性にモテたいが為だけに雄英に来たとまで豪語する彼が、あの程度の警告で懲りるはずもない。

 そもそもの話、そんな理由だけで雄英の入試に挑み、あまつさえ見事に合格できるほどの人物なのだ。

 果たして彼が優秀なのか、本当にエロスの力のみでやってきたというのか。

 いずれにせよ、侮っていいものではない。

 

・・・・・とにかく、今は気を切り替えていこう。

 

 忘れてはならないのが、ここは雄英だということだ。

 気もそぞろなまま乗り越えらるほど緩い試練を、雄英が課すはずがない。

 色々と頭の痛くなる同級生を一時忘れ、目の前の測定に集中する。

 

 既に握力測定を終え、次は第三種目となる立ち幅跳び。

 俺の個性でもなんとか応用が効かせられる二種目のうちの一つだ。

 ここで出来る限り点数を稼いでおく必要がある。

 

・・・・・さて、今回守るべき最低限のルールは・・・・・

 

 一応は様式の定められた測定。

 破ってはならない原則というものは、当然ながら存在する。

 50m走ならフライングをしてはいけない、レーンをはみ出してはいけない等が該当する。

 その上で、どこまでなら応用を効かせてもいいのか。

 

・・・・・助走は無し、“体の一部”が接地した時点で、そこが記録になる。

 

 他にも細かな決まりはあるが、取り敢えず注意すべき点はこの二つだろう。

 これらを考慮した上で、俺が取れる選択は――

 

「・・・・・よし、いくか!」

 

 順番が回り、いよいよ俺の番となった。

 踏み切り線に立ち、自身にとっての理想的な結果をシミュレートする。

 方法としては、不可能ではない。最終的に必要なのは、俺自身の能力だ。

 

「投影開始<トレース・オン>」

 

 始動コードを打ち込み、思い描いた設計図を展開させる。

 

「・・・・・これだけあれば、十分か」

 

 これから挑む測定に用意したのは、身の丈を優に越える長大な槍。

 俺の技量ではまともに扱うことさえ出来ない物だが、今回はそう仰々しく振るう必要は無いのだ。

 

「ふッ――!」

 

 息を吐き、投影した槍の穂先を大地へと打ち込む。

 一度の刺突で完璧に抉り貫いた手応えを感じ、そのまま倒れ込むように前のめりに。

 できる限り勢いを付け、

 

「・・・・・っ、ぉお――!」

 

 地面に突き刺さったままの槍を軸に、槍の全長を生かし、天へと跳び上がる。

 棒高跳びの要領で体を押し出し、そのまま勢いを殺さず、前方へと飛び込んだ。

 

「っ・・・・・つぅ」

 

 ほぼ高高度からの落下染みたダイブというだけあって、着地時には受け身を取りつつ全身で転がって、その勢いを可能な限り殺した。

 それでも着地の衝撃は相殺しきれず、砂の上を転がったこともあって、痛みと少々の擦り傷、それから体操着が砂まみれという三重苦に見舞われた。

 少しばかり血は出たが、大した量でもないし、多少の無茶は覚悟の上だ。

 

「それよりも、早速新品の服汚しちまった・・・・・」

 

 個人的には痛みや傷よりも、そっちの方が大変だった。

 こうまでした甲斐あって、記録としては悪くない数値は残せた。それでも、これはなかなかにキツい。

 砂汚れっていうのは案外落ちにくい。

 油汚れみたいに洗剤で溶けないし、繊維の奥に砂が入り込んでなかなかしつこいのだ。

 この手の汚れを落とすには、手揉みも含めて根気強く洗濯するしかない。

 まだ入学初日というのに、こうもはやく汚す事になるとは、偏に己の未熟さ故か。

 

「おーい、衛宮くん!」

「飯田くん?」

 

 呼び声に反応してみれば、既に立ち幅跳びを終えていた飯田くんが何やら走り寄ってきていた。

 

「どうかしたのか?」

「いや、どうもこうも凄い勢いで転がり込んでたから、無事か確かめに来たんだ。見たところ、血が出てるみたいだが――」

 

 傷口を覗き込む彼は少し心配げな顔をしている。

 初対面の時点で真面目な人だとは思っていたけど、まさかわざわざ様子を見に来てくれるとは。

 ヒーロー科の人間は、つくづく良い人たちの集まりだ、と感動を覚える。

 

「心配させて悪い。でも、出血はたかが知れてるし、運動してればこれぐらいの傷はよくあることだよ。まあ、服が汚れたのはちょっと気になるけど」

「大事ないなら構わないんだ。・・・・・しかし、傷を無視して汚れの方を心配するのか・・・・・」

「いや、砂汚れって結構面倒だぞ。洗っても洗っても、なかなか落ちきらないんだよ」

 

 こういうの、実際にやってみないと、その苦労は分からないもんだ。

 施設のわんぱく坊主達も、言ってもなかなか聞かなかった。

 一度、自分達で汚した服を彼ら自身に汚れが落ちるまで洗わせる、という荒治療をやってからは、無闇に汚すことも無くなった。

 きっと、洗濯がどれほど面倒なことか分かり、その上でもう二度とやらされたくないと思ったんだろう。

 

「もしかして、衛宮くんは自分で洗濯をしているのか?」

「ん?・・・・・ああ、洗濯だけといわず、大抵の家事はやってるぞ」

「なんと――!」

 

 おお、なんて感じで如何にもな驚き方をする飯田くん。

 まあ、掃除だけ、とか。料理は、とか。特定の家事をやってる学生は珍しくないだろうが、家事全般こなしてる奴はなかなか稀だろう。

 子供の時分は、やはり親に任せるのが自然な流れだろうし。

 

「――もしや、朝言っていた早起きの原因はそれか?」

「そうだな。朝飯の準備したり、下の子達を起こしたり、その他色々とやる事が多いから、必然的に朝は早くなる」

「それは、なんというか、すごいな・・・・・」

 

 飯田くんの驚きに、なにやら別な色が混じった気がするが、気にしないようにする。

 というより、なんて思われてるのかなんとなく分かる・・・・・分かってしまう。

 

・・・・・中一ぶりだなぁ、この反応。

 

 かつて中学で同級生と交流した際、こういった反応はよく見てきた。

 言いたいことは分かるし、彼らの言い分も分かるのだが、それにしたって気分のいい捉えられ方ではないのだ。

 なんで、今は知らんぷりする。

 実際に言われたら、その時はその時だ。

 

「――そういえば、飯田くんは測定、どうなかんじなんだ?」

「あ、ああ。今のところはまずまず、といったところだな。50m走は独壇場みたいな種目だったが、握力はあまり振るわなかった。立ち幅跳びはそれなりにというところだな。そっちはどうだった」

「握力は俺も素の身体能力での挑戦だから、全体的に見るとそんなにいい成績は残せてないな。50m走はそれなりにやれたと思う。立ち幅跳びはご覧の有り様」

 

 個性柄、お互いに得手不得手がはっきり分かれている。

 飯田くんの個性は『エンジン』らしく、脚力を活かせる種目は概ね良好な数値を残せるだろう。

 ただ、それ以外となると応用が効きにくい。

 ボール投げ、上体起こし、それから長座体前屈は、彼が如何に工夫できるかだろう。

 

「まあでも、種目の半分は脚力を活かせるものだし、飯田くんならまず確実に俺よりは上になるだろ」

「それは勿論だ。自分に有利なフィールドで簡単に上回られては、俺は己が情けなくなる」

「はは・・・・・」

 

 彼の言うことはもっともだが、そこまで大袈裟に捉えなくてもいいとは思う。

 まだまだ始まったばかり、自身に未熟な点があるのなら、これからの三年間でそれを埋めていけばいいだけだ。

 加えて、彼も多くの鍛錬を培っているのだろうし、そう易々と負けはしないだろう。

 

「さて。立ち話もこれぐらいにして、次の準備でもしとこう。四つ目は確か、反復横跳びだったよな」

「ああ。俺としても、ここで力を発揮しておきたいところだ」

 

 お互いの健闘を祈りつつ、それぞれの準備に取り掛かる。

 次の反復横跳びでは、飯田くんと違って俺は大して実力を発揮できない。

 というより、残る種目で大きな記録を狙えそうなのは、後はソフトボール投げぐらいだ。

 だから、それ以外で俺がやれる準備なんてのは、軽いストレッチ程度だ。

 

・・・・・今のところ、それでも最下位にはなりそうにないけど・・・・・

 

 存外、皆もこの個性把握テストに苦戦しているのだ。

 一部の汎用性の高い個性持ちや、そもそも素の身体能力が桁外れに高い連中は、大抵の種目はそつなくこなしてるけど、それ以外は良くも悪くも得意不得意が出ている。

 それに安心して油断する気など微塵もないが、わかっているクラスメイト達の個性や身体能力を見る限り、ぶっちぎりで最下位になる事は無いはずだ。

 

・・・・・というよりも、現状で一番まずいのは“彼”なんだよな。

 

 視線を巡らすと、すぐに目についた、緑色のもっさり頭。

 なんだか深い山の木々を思い起こしそうな頭髪が目印の同級生――緑谷出久。

 

 既に三つの種目が測定を終了し、次は折り返しとなる四種目だ。

 50m走、握力測定、立ち幅跳び。

 それら三つの測定で、彼は個性を使っていない。

 三種も行えば、一度くらいは個性を活用しても良さそうなのに、その気配はまるでない。

 どの測定にしても、今のところ彼は純粋な身体能力のみで挑んでいる。

 

 無個性ではないだろう。そう言うには、彼の身体能力はそれなりには鍛えている程度のもので、常人の範疇を出ない。

 少なくとも、彼の身体能力のみでは雄英の厳しい入試を超えられはしないだろう。

 個性を有していることはまず間違いない。

 ここまで使わなかったのはたまたま相性が悪く、ここから他の種目で巻き返すつもりなのか。

 

・・・・・どう見たって、そういう感じには思えないんだよなぁ。

 

 次で半分とはいえ、まだまだ始まったばかりだ。

 ここまでの記録が振るわずとも、いくらでも挽回のチャンスはある。にもかかわらず、彼の表情は必死そのもので、顔色はいっそ青褪めていると言えるほどに悪い。

 相澤先生の話を真に受けているのと、現状に一切の余裕が無い事の証左だ。

 このままでは、遅かれ早かれ潰れてしまいそうだ。

 

・・・・・流石に、ほっとけないか。

 

 或いは余計な心配で、まだどうにかできる秘策があるのかもしれない。

 けれど。血色の悪い顔で、種目を経るごとに表情を歪ませ苦しんで――それでも、諦めずに食いついている。

 決して力強くはない。どんな苦境も乗り越えてやるのだと、そんな風に言える心意気はない。

 ただ、それでも諦めたくないと。こんなところで立ち止まりたくないのだと――そう、死に物狂いで挑みかかるその姿が、眩しく思えた。

 

――だから、というわけではないけど。

 

 杞憂であればそれでいい。

 彼がまだやれるのだというのなら、ただ要らぬお節介焼いたのだと、俺が詫びればいい。

 それでも、本当に彼が追い詰められているのだとしたら。

 

・・・・・あんな風に頑張れるやつと、初日に別れるのことになるのは嫌だな。

 

 実に自分勝手な理由で動いてる、とは自覚してる。

 けど、せっかく一緒のクラスになれて、彼自身も必死の思いでここまで来ているのだ。

 それがこんなつまらない所で終わってしまうなど、それこそ見過ごせない。

 

「――よ。調子はどうだ?」

「え――!?あ、あの、えっと・・・・・」

 

 息を整える緑谷に歩み寄り、出来るだけ気さくに話しかける。

 彼が登校してきた時、少しだけ人見知りの気があるのが見て取れたから、彼が緊張してしまわないようにしたつもりだったが、やはりいきなり声をかけられて、驚いたようだった。

 こういう時、己の無愛想さを呪いたくなる。

 

「悪い、驚かすつもりはなくて、ただ、話がしたかっただけなんだ」

「えっと、そ、そうなんだ・・・・・」

 

 一拍おいて落ち着いたのか、普通に会話できるぐらいには、こっちを受け入れてくれたみたいだ。

 

「緑谷っていうんだろ?朝、飯田くんと話してるの聞こえてたから」

「う、うん、そう。緑谷出久っていうんだ」

「俺は衛宮士郎だ。よろしく頼む」

 

 手を差し出し、彼の反応を待つ。

 彼もすぐにその意味を理解してくれたのか、おずおずといった感じで握りしめてくれる。

 

「うん。よろしく、衛宮くん」

 

 手を握り返す時、さっきまで追い詰められていたような表情が、ほんの僅かだが和らいだ。

 それに内心でホッとしつつ、軽く握りしめた互いの手を解す。

 

「そ、それで衛宮くんは、どうして僕のところに・・・・・?」

「あー、いや。さっき言ったみたいに、ちょっと話に来ただけだから、そんなに構えなくていいぞ」

 

 そうなの、と怪訝そうな顔をする緑谷。

 まさか、お前が心配で見に来ました、なんて言えない。

 そんなこと言ったら、余計に恐縮するか、もっと驚かれるかの二択だ。

 

「それより緑谷。ちゃんと水分取ってるか?さっきから見てると、顔色が良くないぞ」

「え!?・・・・・いや、飲み物は持ってきてないけど、大丈夫、だよ」

「馬鹿。春先とはいえ、お天道さんの下で運動してるんだから、汗ぐらいかくだろ。――ほら、俺ので悪いけど、今のうちに飲んどけ」

 

 あたふたと手を振って取り繕う緑谷を無視し、少々強引に持参したスポーツドリンクを渡す。

 気分が悪かったり、精神的に参ってる時は、とりあえず水分をとって落ち着くに限る。

 押し付けられた緑谷も断ろうとしていたが、俺が梃子でも動かないもんだから、根負けして大人しく受け取った。

 

「・・・・・えっと。じゃあ、いただきます」

「ああ。遠慮せずに飲んでくれ」

 

 ボトルを傾け、ゆっくりと中身を飲み下していく。

 数秒、同じ姿勢のまま飲み続け、しばらくしたら満足したのか、プハー、なんてお決まりの声を発する。

 

「ありがとう。――少し落ち着いたよ」

「どういたしまして。緑谷もこれからは自前で用意しといた方がいいぞ。こういうの、これからもあるだろうし」

 

 ボトルをしまい、一言だけお小言を。

 これから徐々に気温は上がっていく。

 運動着着てグラウンドに出るよう指示されてるんだから、運動するのは分かりきっている。

 この歳になって、日差しにやられて体調不良など起こしたくはない。

 

「――それでさ。最初の話に戻るんだけど、緑谷は今のところ、調子はどうだ?」

「うっ・・・・・」

 

 緑谷は嫌なことを思い出した、みたいな顔をし、また顔色が悪くなり始める。

 一旦、忘れ気味になってたけど、まあ現状が変わらないのは事実だしな。

 

「その様子だと、今のところは厳しそうか。個性は使えないのか?」

「・・・・・うん。個性自体は使えるんだけど、今の僕じゃほとんど制御できなくって、細かな調整もできないから、反動で体を壊しちゃうんだ」

「・・・・・・・・・・」

 

 妙な話だ。

 個性は生まれついてのもので、その成長と共に体に馴染んでいき、当人もまた徐々に制御を覚える。

 これまでおよそ十六年。

 それだけの歳月があれば、たとえ全く個性を使わなかったとしても、それは彼の体に馴染んだものであるはずだ。

 それが全くと言っていいほど制御不能など、まずあり得ない。

 

「何か、事情があるのか・・・・・?」

「え、っと。僕、去年まで“無個性”だと思ってて、それが、たまたまあるってわかって、その・・・・・」

 

 自分の個性について、緑谷は言い淀んでいる。

 何か言いたくないことでもあるのか、言えない事情でもあるのか。

 別に、ここで緑谷の個性について聞き出したいわけじゃないし、ただおかしな事があるのだと、不思議に思っただけだ。

 彼が言いたくないのなら、特に聞く気もない。それに、

 

・・・・・人に言えない個性、って言うのなら、俺も同じだしな。

 

 自分自身、個性についてみだりに公言できない身だ。

 役所に提出する個性登録だって、お偉いさんの意向も汲んでただの創造型の個性としか記入していない。

 だから、緑谷にとって、それが触れてほしくない秘部なら、あえて踏み込む必要はない。

 

「――そうか、それは難儀だな。しかし、どうにかできないのか、それは」

「・・・・・うん。今の僕には、“0か100“しかできなくて、一度でも使えばその時点で・・・・・」

「・・・・・・・・ふむ」

 

 難儀なものとは言ったが、そこまで両極端とは。

 確かにそれなら、無闇に個性を使うわけにもいくまい。

 大方、入試ではその一回こっきりの切り札を使い、見事に結果を残してみせたのだろう。

 傷の方も、雄英に勤めているというリカバリーガールが治癒した、というところか。

 

 だがそれでは、この個性把握テストで結果を残すのは厳しいだろう。

 最後の最後に自傷覚悟という手もあるが、生憎最終種目は長座体前屈。

 反動と言うあたり、増強型だろう緑谷の個性は対して活かせない。

 このままいけば、最下位は確実。

 

・・・・・どうしたもんかなぁ。

 

 いっそのこと、相澤先生の発言は最下位が除籍という意味ではない、と伝えるか。

 いや、アレはあくまで俺の推論であって、確実に大丈夫とは言い切れない。

 もしこれで安心してしまった緑谷が、ろくな結果を出せないまま、“見込み無し”と判断されてしまっては元も子もない。

 そうなると、俺にできることは・・・・・

 

「――なあ、緑谷。俺の個性について、少しだけ話していいか?」

「えっと、全然大丈夫だけど・・・・・」

 

 緑谷は戸惑いつつも、了承の返事をしてくれた。

 では、お許しも出たことだし、ほんの僅かばかりの助力となれる事を祈って。

 

 

「俺の個性、“投影”っていうんだけどさ。簡単に言えば物を生み出す能力で、特に刀剣の類に特化してる」

「・・・・・・・」

 

 緑谷は静かに話を聞いている。

 俺の意図が分からないからか、ただ邪魔をしないようにしてくれているだけか――それとも、何かを見つけようとしているのか。

 

「便利そうな個性に思われるんだけどさ、実際には相当、扱いが難しい代物なんだ――それこそ、制御を誤れば命を落とすほどに」

「っ・・・・・!?命って、衛宮くんそれは――」

「心配しなくても、今はちゃんと扱えてるし、失敗して死ぬなんてことは無いよ」

「そ、それならよかった・・・・・」

 

 いきなり飛び出してきた、死という存在に驚いた様子だが、今は何ともないので、問題はないと安心させる。

 こちらを慮ってくれるのはありがたいが、今はできれば自分の事に注力してもらいたい。

 

「それで続きなんだが。今言ったみたいに、俺の個性は制御するのにも命懸けでさ。昔は苦労したし、個性の訓練をする度に何度も死にかけた」

「っ・・・・・」

 

 かつての経験を聞き、緑谷が息を呑むのが分かる。

 おそらく、叫びそうにでもなったのを、咄嗟に止めてくれたんだろう。

 それに感謝しつつ、話を続ける

 

「そんな風だったから、俺はある時から、一つの指針を立てたんだ」

「指針・・・・・?」

「ああ。自分が何をするのか、どうやって行使するのか。まあ、目的設定みたいなものだな」

 

 その頃からだろう。

 俺が、徐々に自らの個性を扱えるようになったのは。

 

「常に命懸け。少しでも雑念が入れば失敗する――だから、自分の中から自己というものを悉く排して、自分をただ一つの目的の為に稼働する機械のようにした」

 

 衛宮士郎の個性とは、詰まるところ心の戦い。

 如何に自らを律し、強固な精神を保てるかが全てだった。

 だから、心が揺れれば個性は行使できず、鈍な精神では刃が容易くこの身を切り裂く。

 

「たった一つ、決して譲れないモノを心の中心に据えて、それを果たす為にはどうすればいいのか。その工程を、徹底的に突き詰める」

「たった一つ、決して譲れないモノ・・・・・」

 

 その、“炉心”ともいうべきものを常に目指すことで、最適な方法を模索し続けられる。

 逆を言えば、それを失った衛宮士郎は、ガラクタも同然なのだ。

 

「そういうのは、緑谷の中にもあるんだと思う。それが何かは人それぞれだけど。重要なのは、そのために自分をどうやって運用するか、だと思ってる」

「・・・・・自分自身の、運用方法」

 

 独り言のように反芻する、緑谷。

 ブツブツと何事かを呟き、考えに没頭していってるのが分かる。

 それはさっきまで、必死にもがき苦しんでいた顔とは違う――明確に、為すべき事を見つけたやつの貌だ。

 

・・・・・ちょっとは、役に立てたかな。

 

 もしかしたら、緑谷は自力で答えを見つけていたのかもしれない。

 それでも、俺の話なんかで力になれて、彼が自分の夢を追っていけるのなら、それはとても喜ばしいことだ。

 

「・・・・・俺も、そろそろ次の番が回ってくる頃だ。長話に付き合わせて悪かったな。そっちも頑張れよ」

「あっ、待って、衛宮くん・・・・・!」

 

 呼び止める声に足を止め、もう一度緑谷と向き合う。

 彼はしばらく、クシャクシャと表情を変えて、百面相していたけど、やがって意を結したように顔を上げ、真っ直ぐに俺を見つめ返す。

 そこにはもう、さっきまでの弱った顔はなく、恐れながらも立ち向かおうとする、“強い”貌があった。

 

「僕も、絶対残れるように頑張るから――だから、衛宮くんも頑張って!」

「――ああ。俺も、こんな所で躓く気は無い」

 

 ギュッと拳を握り締め、シンプルながら精一杯の声援を送ってくれる緑谷。

 それに対し、こちらも強く誓いを抱いて、己が理想を貫くのだと示してみせる。

 結果はどうなるかは分からない。

 ただ、これだけは確かだ。

 

――緑谷出久は、強い人間だ。

 

 

 

 

 

 

 自分の番も終わり、反復横跳びは可も不可もなく完了した。

 個性を活かして出来るだけいい結果を残したいものだが、現段階における衛宮士郎の個性では、あまり有用な手は無かった。

 逆に、あのエロの化身のような生徒――峰田実というらしい――は、反発作用でもあるのか、自らの頭髪を捥いで(直ぐに新しいのが生えていた)左右に積み重ねることで、その反動で凄まじい回数を稼いでいた。

 やはり雄英に合格しただけあって、エロ魔人なだけ、というわけではないようだった。

 

・・・・・次は、いよいよソフトボール投げか。

 

 俺が考えられる限り、ここが最後の稼ぎどころだ。

 ダントツでクラストップ・・・・・なんていうのは、まあ不可能だが、それでも相応の結果は残してみせる。

 爆豪みたいに、700m弱は無理だが、せめて近づくことはできるはずだ。

 

・・・・・次の人は確か、朝に緑谷と話してた子か。

 

 ボブカットにした茶髪と、丸みを帯びた愛嬌のある顔立ちが人好きのしそうな女子。

 ちらっと視線を向ければ、既にサークルに立ち投球準備にかかっている。

 彼女も確か、さほど大きな記録を残していない人物の一人だった。

 どんな個性を持っているのか判然としなかったが、ここでその実態が分かるか。

 

・・・・・雄英にまで届いた人たちの個性・・・・・知っておけば、いずれ何かの役に立つ筈だ。

 

 情報とは、ただ知っているだけでも大きな意味を持つ。

 誰が何を出来るのか、どうやって為すのか。そういうのは知れば知るほど、自分の力になる。

 敵であれば対抗策を、味方であれば連携の強化を。

 情報はあればあるほど、それだけ自分が取れる択が増える。

 

・・・・・いやそれにしても、かなりリラックスしてるな。

 

 これからそのボールを遠くにまで投げ飛ばそうというのに、彼女はあまり気を張ってはいない。

 のほほん、とした感じでいかにも自然体だ。

 その余裕のある顔から、おそらくは相当に自信があるのだろうが、とても大きな数値を叩き出せそうな雰囲気は感じない。

 それどころ、あんな体勢では碌に飛ばす事も出来ないはずだが・・・・・

 

「てーい!」

 

 とても可愛らしい掛け声と共に、全く腰の入っていないピッチングを行う。

 思った通り、全く勢いの無いヘロヘロとした急速で・・・・・って、ちょっと待て。

 

「あれでなんで飛んでく・・・・・というか、どこまで行くんだよ!?」

 

 上下にブレっブレの波打った軌道を描いて、今にも着弾しそうな癖に、そんな様子一切見せず延々と上昇していく。

 投げた本人は、おー、とでも聞こえてきそうな顔で、ボールの行く末を見守っている。

 そして、実際に出た記録は――

 

「――∞!?」

 

 いったいどこまで飛んでいったのか。

 正確な数値を記録できる特注のボールが、計測不能と判断した結果。

 おそらくは、今なお空の彼方まで進んでいるのだろう。

 

・・・・・まさか、成層圏越えた、なんて言わないよな。

 

 流石にそこまでとは考えたくないが、∞という記録は伊達ではない。

 加えて、今の様子からして彼女の個性は対象に浮力を付与するか、或いは重力そのものに干渉しているかのどちらか。

 特に、対象の重力そのものを無<ゼロ>にする個性であれば、障害にぶつかるまでその進行は止まらないはずだ。

 

「今更ながら、とんでもないな。ヒーロー科・・・・・・」

 

 当然といえばそこまでだが、流石に全国から選りすぐりの学生が集められただけあって、誰も彼も百人といない逸材ばかりだ。

 こうまですごい人達の中にいると、少々気後れしてしまうが、それぐらいでめげるほど柔じゃない。

 

「次だ。――衛宮士郎、円に立て」

 

 相澤先生からの指示を受け、ボールを手にサークル内に移動する。

 これまでの種目違って、このソフトボール投げはかなりルールが緩い。何せ、円から出なければそれでいいのだ。

 俺自身、大した動作を必要ともしていない。

 ここがおそらく、衛宮士郎にとっての勝負所だ。

 

「投影開始<トレース・オン>」

 

 自己に埋没し、記憶の海より引き出すは、使い慣れた黒の大弓。

 色々と考えはしたが、何かを射出するという行為においては、俺にとってこれが最も性に合っている。

 

・・・・・そのまま矢に刺す、なんてことも考えたけど。

 

 初めから矢の先端にボールを突き刺してしまえば、普段の要領通りでやれる。

 ただその場合、どうしてもボールに傷を付けてしまう。相澤先生は最初の時点で壊すな、と言っていたのだ、それを破るわけにもいかない。

 そうなると、直接ボールを打ち出す他ない。

 

「なあなあ、あれって弓だよな」

「まさか、あれで飛ばすんか・・・・・?」

 

 投影した弓を目にして、見学しているクラスメイト達がにわかに沸き立つ。

 おそらく、普段から見慣れない物であるが故に、物珍しいのだろう。

 だが、今はそちらを気にしている暇は無い。

 

・・・・・チャンスは二回か。

 

 それだけあれば、初の試みを試すには十分だ。

 

「――――ふぅ」

 

 息を吐き、矢として放つボールを弦に添える。

 そのまま、一拍置いて――

 

「・・・・・あれ?あんまとんでない?」

 

 周囲から、ザワザワと戸惑った声が聞こえる。

 当然だ。わざわざ弓を使って飛ばしたというのに、普通に投げるのと大した変わらない飛距離でしかないのだから。

 これでは、期待はずれも良いとこだろう。

 

――もっとも、本番はここからだ。

 

 第一投は、完全に捨て球。

 慣れない作業だから、どうしても感覚を掴んでおきたかった。

 故に、衛宮士郎の真骨頂は、これより試される。

 

「――投影開始<トレース・オン>」

 

 既に生み出していた弓を無に返し、再度投影を行う。

 だが、今度の弓はそれよりさらに長大。普段使い慣れたそれに比べれば、二回りは大きい。

 それに合わせて、弦の張りもより強くしてある。

 それこそ、己の膂力ではなんとか引き絞る事ができる、程のもの。

 

「――相澤先生」

「・・・・・何だ?」

 

 弓を投影した後、先生の一応の確認をしておく。

 より遠くまで飛ばすには、どうしても必要な工程なのだ。

 

「ちょっと、地面に穴を開けることになるんですけど、いいですか?」

「・・・・・好きにしろ。ただし、開けた穴は自分で埋めろ」

「ありがとうございます」

 

 正式にお許しも出たところで、今度こそ本番。

 これだけの剛弓、ただ引くだけでは碌に扱えもしない。

 だからより安定するように、弓の端を地面に埋め突き立て、弓そのものを固定する。

 

「――よし」

 

 弓は真っ直ぐに突き立てるのではなく、斜め上を向くように固定し、自身も片脚で跪く様に構える。

 弓本体は形状を変え、中央に射出口を備えてある。これならば、より安定した射が可能だ。

 

「――――――」

 

 深く息を吸い込み、己が目指す遥か彼方を見据える。

 これより射を終えるまで、衛宮士郎は外界より切り離される。

 周囲の喧騒は消え、木々の掠れも、風の音さえも聞こえない、完全なる無音。

 

 軌道は弧を描くように、放物線を目指す。

 引き絞る腕はかけられる負荷に悲鳴を上げ、筋繊維が徐々に千切れていくのが分かる。

 その痛みの全てを無視し、

 

――残心。

 

「――――」

 

 矢とした球は思い描いた通りの軌道を描き、遥か遠方で着弾。――いや、それ以上。

 途中、上空で風をうまく捉えたのか、想定より少し先に届いた。

 

「――ん?」

 

 弓を虚空へと消し、記録を確認しようと思って後ろを振り返ると、何故か皆して固まっている。

 なにやら眼を見開いている者いれば、大口開けてるやつもいる。

 いったい何に対してそんな顔してるのかは分からないが、各々目と喉の乾燥には気を付けてほしい。

 

「先生。記録はどうでしたか」

「・・・・・ああ。600.5mだ。地面を埋めて、次のやつと替われ」

「分かりました」

 

 記録を教えてもらい、最初の条件通りに掘った穴を埋めて次にバトンタッチする。

 試みとしては初だった為、形になるかは不安であったが、二投与えられていたのが幸いした。

 後は、残る種目を全力でやりきるだけだ。

 

・・・・・それにしても、なんか静か過ぎないか。

 

 バトンタッチした、男子生徒――確か、尾白くんだった。

 彼は既に測定に入っているので別として、なんだか周りが妙に閑散としている。

 今までの彼らの様子からして、話し声のひとつやふたつは聞こえてきてもおかしくなさそうだが、そういった気配はない。

 ただ、皆の輪に戻ったあたりから、チラホラ視線を感じるのが気になる。

 

「――衛宮くん、少しいいか?」

「ん・・・・・?」

 

 すでに測定を終えた者同士の飯田くんに呼びかけられた。

 なにやら複雑な表情をしているが、いったいどうしたのか。

 

「どうしたんだ?」

「一つ聞きたいんだが、君の個性は創造系、で合っていたよな?」

「ああ。見たまんまだぞ」

 

 朝初めて出会った時も、軽い触りは彼にも教えている。

 測定中も、何度かその様子は見ているはずだ。

 なのにここでまた同じ事を聞いてくるというのは、いったいどういう了見なのか。

 

「・・・・・いや、それならさっきの感覚はいったいなんだったのか、と気になったんだ」

「感覚・・・・・?」

 

 出てきた言葉に、全く理解が及ばない。

 おそらく、俺の行動に何か感じる物があったんだろうが、生憎俺の個性は基本的に物を創造するだけだ。

 間違っても、他人の感覚器官に影響を及ぼす様な力は無い。

 

「何と言えばいいのか、俺としても言語しずらいんだが・・・・・君が弓を引いていた時、まるで呑み込まれた様な、圧倒されたかの様な感じがしたんだ」

「・・・・・ああ、そういうことか」

 

 飯田くんの言葉を聞き、ようやく言っている意味が分かった。

 なるほど。それは確かに、経験してみないと正体の分からない感覚だろう。

 

「あいにく個性でもなんでもない、ただ雰囲気に感化されただけだよ」

「雰囲気・・・・・?いや、そんな馬鹿な」

「テレビで弓道の大会の様子とか見た事ないか?ああいうのって、本質的には無心である事が肝だからさ、とにかく無我を目指すんだ」

 

 弓道とは究極、自己の廃絶が目標だ。

 如何に我を消し去り、どれだけ静かな心でいられるか。弓道が目指すのは、完全な無我の境地。

 そんな話を、幼い頃にどこだったかで聞いて、それが自身の個性と通ずるものがあると感じ、それ以来弓を引き始めた。

 

 徹底的な自己の排他は、それだけで一個の極小の世界を形創る。

 己以外何もなく、余分な思念は一つもない無音の世界。

 そしてそれは、時によっては周囲をも巻き込むことがある。

 自己以外の不純物は、それ故に同化するように、当人の意識に影響される。

 弓の世界では、そういった極地に至った人が僅かながらに存在するらしい。

 

「まあ、言ってみれば場酔い、所謂プラシーボ効果だ。少し他人の気配に当てられただけで、何も実害は無いよ」

「それはそうだろうが・・・・・それに、君の言ってる事が正しければ、君はそういった達人と同等ということじゃないか」

「――まさか。俺なんかまだまだ半人前だよ。今回、飯田くん達が影響を受けたのは、今まで触れた事のない初めての感覚だったからで、俺はそんな境地には達してないさ」

 

 弓の腕には少々自信はあるが、それは結局のところ、個性鍛錬の副産物でしかない。

 無心でなければ死に直結するほど扱いづらい個性の制御を鍛えた結果、この年にしては異様に早く無我でいられるというだけで、本当にその道を極めた一流には到底及ばない。

 

「・・・・・そうか。まだ分からない部分もあるが、さっきの感覚の正体は理解した。測定終わりに邪魔して済まなかった」

「こんなことぐらい、全然問題ないぞ」

 

 飯田くんはようやく納得したのか、ひとまず俺の話を受け入れた。

 まあ、こういうのは実際に関わってみないと分からないものだから、戸惑うのも無理はない。

 もしかしたら、他のクラスメイトにも同じ事聞かれるかもしれないな。その時は、出来るだけ分かりやすく説明できる様にしておこう。

 

・・・・・結構、回ったな。

 

 飯田くんと話してるうち、にかなりの人数が測定を済ませていた。

 皆それぞれ、己の持ち味を活かして臨んでいる。

 そして、次の生徒は――

 

・・・・・遂にか、緑谷。

 

 目立つ緑色の髪が、歩き出す彼に合わせて揺れる。

 まだ色々と葛藤していそうな顔だが、少なくともその眼に宿った色は、決して諦めのそれではない。

 

「・・・・・」

「あっ・・・・・」

 

 サークルに歩み出そうとする緑谷、ふと目が合った。

 何か言った方がいいかとも一瞬、考えたが、おそらく余計な言葉は不要だ。

 なら、俺が今やれることおといえば、

 

・・・・・見せつけてやれ、緑谷。

 

 声援は心の中に留めて。

 声はなく、ただやってやれ、という意を込めて、軽く腕を上げサムズアップ。

 

「っ・・・・・!」

 

 こちらの意図を察したのか、彼もまた同じ様に指を突き立てる。

 そこにさっきまでの迷いはなく、今度こそ決意を固めた人間の顔があった。

 

 彼がどんな秘策を思いついたのかは分からない。

 ただ、あんな風に前を向いている人間が、ただの無謀で動いているはずもない。

 そして、何より予感があるのだ。

 

――緑谷出久は、これよりとんでもないことをやってのけると。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・」

 

 いよいよ順番が回ってきて、その白い円の中に立つ。

 与えられたチャンスは二回。その二度のうちに、大きな記録を残さなくてはいけない。

 

・・・・・残る種目は三つ。それぞれの特徴を考えて、多分ここがラストチャンス。

 

 自らが与えられ”受け継いだ個性“。

 今までこの体の中に無かった力は、使えば容易くこの命を危ぶめるほど、途方もなく強大なモノ。

 

 この力を発揮する為、いろんな事を考えた。

 考えて考えて考えて・・・・・繰り返し何度も考えて、その度に方法は頭の中に浮かんで――その殆どを打ち消す。

 そんな事を何度も繰り返し、それでも光明が見えてこなかった。

 今この瞬間も、自らが望む通りに力を調節出来る術は思いつかない。けど・・・・・

 

――重要なのは、そのためにどうやって自分を運用するか、だと思ってる。

 

 自分とは事情も背景も全く異なるクラスメイト。

 扱う力もまた別物で――そのためのリスクが、どうしようもなく近しかった。

 幼い頃から何度も死にかけて、その度に体を酷使してきたと、彼は言った。

 それでも。そんな扱いずらい個性を磨き続け、ここまでやってきた。

 

・・・・・とても、強い人だ。

 

 僕が子供の頃なんか、何にも取り柄がなくて、ただ憧れた人の影を追って、意地悪だけどとてもすごい幼馴染の後をついて回るだけだった。

 いつか、自分も彼らのように成れたらと、ただ憧れていただけの日々。

 そんな時にはもう、彼は自分の命をかけて自らの力に向き合っていた。

 当時の僕にはきっと、とても真似できないだろう。

 

――そういうのは、緑谷の中にもあるんだと思う。

 

 そんな強い人が、自らに定めた、たった一つの決して譲れないモノ。

 それと同じモノが、僕の中にもあるのだと言ってくれた。

 その時が初めての会話で、彼は僕が何に憧れているのか、何を背負っているのかなんて、何一つ知りもしない――それでも、僕ならきっとやれるだろうと、そう思ってくれていた。

 

・・・・・ああ。

 

 これが、二度目だった。

 昔から力が無くて、“個性”も出なくて、ただ憧れた人達を見上げていただけの僕を。

 何も持っていなかった僕を、それでも信じてくれたのは、彼が二人目だった。

 

・・・・・だったら、応えないと。

 

 “あの人が”僕を選んでくれたのを。彼が僕を信じてくれたのを。

 生まれてこれまで、ほとんど向けられてこなかったこの信頼を、決して裏切りたくはない。

 

「――――っ!」

 

 覚悟を決めて、今度こそ投球に移る。

 全力で力を使って、それで行動不能になるのは論外だ。

 未だに力は制御しきれない。望んだ出力に調整するなど、到底できない。

 

・・・・・けど、それなら・・・・・!

 

 今の緑谷出久には、決して成し得ない。使った瞬間、体が壊れる。

 しかし、だからこそ。

 今のままではいけない。憧れたヒーローになんて、成れっこない。

 彼や多くの人が長い時間をかけて自分を鍛えてきたというのなら、僕はその何倍も頑張らないといけない。

 

・・・・・今の自分にできる全力で、僕にできることをッ!!!

 

 この身に宿った力を全力で――ただ、“一指のみ”に集中して――

 

・・・・・SMASH――ッッッ!!!!

 

 ボールは、遥か彼方まで飛んでいく。

 遠く遠く、肉眼では見えないほど遠く。

 今までの自分では到底不可能な――けれど、今の自分ができる全力の結果。

 

「・・・・・っ」

 

 痛みが頭を埋め尽くしそうになる。

 人差し指は赤黒く腫れ上がり、筋繊維は軒並み断裂、骨も当然無事ではない。

 それでも、

 

「まだ、動けるっ・・・・・!」

 

 誰に言うでもない確認。

 力は調整できない、体を壊す力を全力で行使した。

 それでも、この体は動かせる。

 まだこれから先、やりきれる!

 

「705.3m・・・・・本来ならもう一投だが、その様子じゃ難しいだろう。記録としても十分だ。戻っていいぞ」

「・・・・・は、いっ!」

 

 痛みに堪えながら、なんとか先生に返答し、その場を動く。

 歩く度に、その振動が指に響く。けれど、ここでめげてちゃ次の測定には移れない。

 早く戻って、少しでも痛みを引くようにしないと。

 

「・・・・・あ」

 

 その途中で、衛宮くんと目が合った。

 少し無愛想で、笑顔は見た事ないけど、真っ直ぐに僕を見据えている。

 

「――――」

 

 彼は無言のまま、僕に向かって片手を上げる。

 さっきと同じ。ただ、こうなると思っていた、と。

 そんな言葉が、聞こえたような気がした。

 

「――――」

 

 だから僕も、彼に無言で手を上げる。

 この仕草で、どれだけの想いが彼に伝わるかは分からないけど。それでも僕は、君が信じてくれた様にやれたのだと。

 痛みに歪んで、とても綺麗な顔だとは言えないけど。

 

――憧れたヒーローの様に、笑顔でその期待に応えた。

 

 

 

 

 

 

「デク、テメェどう言うわけだっ!!!」

「・・・・・なっ!?」

 

 こちらに戻ってくる緑谷に向けて、爆豪がこれまでにない激情で襲い掛かろうとする。

 全く前兆も予兆もない行動に一瞬、反応が遅れた。

 

・・・・・まずいっ!

 

 彼が何に対して憤っているのか分からないが、指を負傷した緑谷に攻撃させるわけにはいかない。

 一歩遅れたが、今からでも妨害は間に合う。

 

・・・・・あいつの横合いから、進行方向を遮る形で木刀を射出する!

 

「投影<トレース>――」

「――そこまでだ」

 

 自らの個性を行使する直前、一人の男が既に動いていた。

 

「・・・・・っ、んだ、これ・・・・・っ!」

「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだ捕縛武器だ。――暴れるなよ、個性消してあるからな」

「・・・・・っ!?」

 

 相澤先生が首元にマフラーのように巻いていた布に、その体を絡め取られ全く身動きが取れないでいる爆豪。

 おまけに、個性を消したという、その発言・・・・・

 

・・・・・抹消ヒーロー、イレイザーヘッド。話だけは聞いたことがある。

 

 プロヒーローの中には、一眼見ただけで対象の”個性を消し去る個性“を有する者がいると、ほんの僅かに聞いたことがあった。

 それがまさか、ここ雄英に勤める教員の一人だったとは。

 

・・・・・個性を消す個性・・・・・確かに、俺たち一年坊にはうってつけか。

 

 良くも悪くも、未だ未熟な駆け出し。

 個性絡みで何か不測の事態が起こっても、彼がいれば瞬く間に制圧が可能だ。

 彼が1-Aに充てられている理由は、おそらくそういうことだろう。

 

「あまり個性を使わせてくれるな――俺は、ドライアイなんだっ」

 

・・・・・もったいな!

 

 見ただけで相手の能力を封じるという、強力無比な力を有しながら、その利点が長時間使用できないとは。

 なんとも惜しい話だ。

 

 それから、相澤先生は次は無いと爆豪に告げ、この場はひとまずおさまった。

 緑谷もこちらに戻ってくる。

 

・・・・・それにしても。

 

 測定後、こちらが上げた腕に対し、痛みに苦しみながらも笑みを浮かべてこちらに応えた。

 掲げられたその手の一指は、ひどく腫れ上がって痛々しい。

 おそらく、あれでは歩いているだけで激痛に苛まれているだろう。

 それでもあんな風に笑えるのは、やはり彼の中に大切なナニカがあり、それに恥じないように生きているからか。

 最初に予想したように、やはり緑谷出久は強い人間だった。

 

・・・・・なんにせよ、あのままってわけにもいかないか。

 

 見ているだけでこっちまで痛くなりそうなあの指を、このまま放置しておくわけにはいかない。

 測定はまだ続くのだ。下手に動かして悪化でもしたら、それこそあいつの頑張りが無駄になる。

 

「お疲れ、緑谷。早速だけど、ちょっと手、出せ」

「え・・・・・?」

 

 待機場所に戻ってきた緑谷に対し、向こうが何か言う前に、そっとその手を取る。

 

・・・・・これはまた、かなり酷いな。

 

 無生物以外への解析は少し難しいのだが、そんなことも言ってられない。

 なんとか指の状況を解析し、その状態を把握する。

 

・・・・・指先から第二関節までの腫れ、中は筋繊維の断裂に内出血、おまけに骨もおじゃんだな。

 

 最初に緑谷が語った情報と、先ほどのボール投げの様子から、緑谷の個性はやはり規格外の超パワーといったところだろう。

 あれだけの出力、指の一本であそこまで飛距離を稼げるほどの威力だ、その反動は計り知れない。

 

「・・・・・緑谷、力抜いて自然にしてくれ。応急処置だけど、ひとまず固定する」

「う、うん・・・・・」

 

 緑谷は大人しくこちらの指示に従ってくれる。

 軽く曲げられた指に、投影した固定材で挟み込み、それを緩まないようにしっかりと包帯で巻きつける。

 

「・・・・・っ」

「――よし。急拵えで悪いが、ひとまずこれで耐えてくれ。終わったらすぐに保健室に行けよ」

「うん、ありがとう」

 

 処置を終えたので緑谷の手を解放する。

 彼は少し手を動かしたりして、調子を確かめている。

 

「どうだ、少しはマシになったか?」

「・・・・・うん。さっきよりは全然痛くないよ。ほんとにありがとう、衛宮くん」

「いや、俺が勝手にやったことだから、そんなに気にしなくていいよ」

 

 緑谷は見たところ、少し無茶をするきらいがある。

 あのまま測定などさせては、碌な記録も残せないだろう。

 俺としては、ここ一番で頑張れた彼が半端にこのテストを終えてしまうのは、どうにも我慢ならなかっただけの事だ。

 

「ううん、もちろん()()もそうなんだけどさ。さっき、衛宮くんがアドバイスしてくれたから、僕も自分の力を出せたんだ。だから――」

「ストップだ。生憎、何もしてないのに礼を受け取る主義はない。あれはお前が自力で手にした結果だよ。俺がいようがいまいが、お前はきっと、自分の中で解答を見つけてた筈だ」

 

 何を言おうとしたのかは知らないが、その言葉の方向性は大体察せられる。

 しかし、いま言ったようにこの結果は緑谷自身の力で成し遂げたもの。そのことで無関係な俺に礼など、それこそこいつ自身に向かって失礼だ。

 

「い、いやでもね!」

「でももへったくれもあるか。自分で掴み取った事なんだから、ちゃんと自分を誇ってやれってんだ、この馬鹿」

「馬鹿・・・・・!?」

 

 当然である。

 指一本お釈迦になるような事しといて、その成果を他人のおかげなんて言おうとしてる奴は、正真正銘のばかもんだ。

 そんなの、本人が認めても俺が認めない。

 

「いいから、今はとりあえず自分の体を労っとけ。まだテストだって終わってないんだ。すぐに次の測定始まるぞ」

「・・・・・うん。確かにその通りだ」

 

 俺の言葉にひとまず折れたのか、それともこれからの測定をどうするか考えてるのか。

 どっちにしろ、まだやるべきことはある。

 俺にしろ緑谷にしろ、油断してる暇なんて微塵もないのだ。

 

「ほら、そろそろ移動だ。俺たちもさっさと行こう」

 

 移動を促すつもりで、軽く緑谷の肩を叩く・・・・・ことはできないから、撫でるように添えるだけにして、先に進む。

 残る種目、緑谷に施した応急処置で、彼が何とか最後まで耐えてくれるといいのだが。

 

 

 

 

 

 

 全員分のソフトボール投げの計測を終えたあたりで、相澤は思わず溜息を吐きそうになった。

 原因は主に二人。

 一人は、衛宮士郎。

 その特異さと精神的な危うさから、同僚から様子を見ておくように頼まれた人物。

 そしてもう一人は、

 

・・・・・緑谷出久、まさかこうなるとは。

 

 先日の入試において、撃破ポイントゼロでありながら、救助ポイントのみで合格をもぎ取った異色の生徒。

 以前の映像では、その個性の制御も碌にできずに、肉体に致命的な反動を受けていた事から、今回のテストで相澤が真っ先に除籍候補者としてマークしていた。

 能力としても心構えとしても、“まだ”緑谷出久はヒーローに成り得ない人物だった。

 

・・・・・それが、ああも変わるか。

 

 ソフトボール投げまでは、はっきり言ってひどいモノだった。

 個性を使えずに測定を行なっているから当然、数値は低かった。ただそれ以上に、焦って追い詰められて行き詰まってるその心が、相澤にはどうしても見過ごせなかった。

 この段階で、彼は緑谷に見切りをつけるつもりだった。

 だが、反復横跳びを始める辺りから、その顔にそれまでになかった熱が篭った。

 

・・・・・衛宮士郎との関わりで、何かを掴んだか。

 

 立ち幅跳びを終えたところで、両者が接触していたのは知っている。

 その会話内容までは把握していないが、あれをきっかけに緑谷が吹っ切れたのは間違いない。

 事実、彼はソフトボール投げで個性を使用しながらも、行動不能になることは無かった。

 全身バラバラにしてしまうほどの強力なパワーを、指一本のみで行使する。

 最小限の被害で、最大限の利益。

 それは以前までの彼には、どうあっても為し得ないことだった。

 

・・・・・恨みますよ、“先輩”・・・・・

 

 表情にはおくびにも出さず、物憂れげな顔で依頼をしてきたミッドナイトに愚痴を吐く。

 同じ年に、同じくらい目の離せない問題児が、二人も揃ってしまった。

 通常の教師としての職務を果たしながら、この二人に対して常に気を張らなくてはならない。

 相澤としては実に頭の痛い話だった。

 

 もしミッドナイトからの頼みを聞いていなければ、こんな事で悩むことは無かったかもしれない。

 と、彼は考えているのだが。

 いずれにしろ二人とも彼が受け持った生徒。教師として、生徒ひとりひとりに真摯に向き合おうとする彼は、結局のところいずれはこの問題にぶち当たることに変わりはないのである。

 そんな事実など全く考えず、これからの教育方針について、彼は心中でさらに深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

「んじゃあ、結果発表だ」

 

 全種目の測定がつつがなく終了し、いよいよその評価が開示される時が来た。

 あれから俺は、残った種目を個性を使わず出来る限りの全力で乗りきった。

 結果としてはどの種目も、同年代の全国の平均的な数値よりは大きく上回っている――が、ここはヒーロー科なので、当然ながらクラス全体で見れば並かそれ以下だ。

 俺としては、自分の力を出し切ったので、特に不満はない。

 テストも大した問題もなく終わって、結果としても上々だろう。

 

・・・・・流石に、八百万の弾けっぷりには驚いたが。

 

 時は少し遡って、持久走測定時。

 測定が始まって、直後のことだった。

 凄まじい爆音が聞こえ、その方向を思わず見やった。

 そちらで待機していたのは、八百万だったのだが・・・・・

 

『マジか・・・・・』

 

 その時に目にしたのは、確かに八百万だった。

 しかし、そこにはエンジンを蒸し爆音を轟かせながら疾走する()()()に乗った彼女の姿があった。

 

・・・・・確かに創造の個性、って言ってたけどさ・・・・・。

 

 何でもアリとはいえ、それにしたって度肝を抜かれる。

 まさか体力測定の種目で、自身の身体能力を一切活かさず、完全に文明の利器に頼るとは。

 

・・・・・ていうか、八百万の個性はあんな物まで創れるのか。

 

 どこか近しい性質の個性持ち同士だと思っていたが、まさかこうまでかけ離れているとは。

 あんなの、俺の頭ではどうやったってイメージしきれない。

 当の八百万本人は測定終了後、いかにもやってやりましたわ!みたいな顔してこちらに小さく手を振ってたし。

 

・・・・・八百万よ、その姿には微笑ましいものを感じるが、俺はお前とお前の個性のぶっ飛び具合に恐れを抱いている。

 

 ちなみにだが。

 持久走での成績一位は当然、八百万だった。

 

――以上、回想終了。

 

 途中、色々とおかしなこともあったが、それでも概ね無事に終了した。

 後は結果がどうなっているか――そして、除籍の話がどうなっているのか、だ。

 

「トータルは単純に各種目の評点を合計した数だ。口頭ではなく、一括で開示する」

 

 相澤先生がそう言った後、彼の持つ端末から、空中にデカデカと結果が投影された。

 合否通知と同じ、凄まじくハイテクだ。

 

・・・・・一位は八百万、流石だな。緑谷は・・・・・

 

 八百万の結果に得心しつつ、自分の順位はさほど気にならないので、緑谷がどうなったのかを探す。

 ボール投げの後、すぐに応急処置はしたから、痛みは多少マシになっていたはず。あとはあいつ次第だが・・・・・

 

・・・・・あった。順位は十九位・・・・・見事最下位回避だな。

 

 ソフトボール投げで指を痛めた後も、挫けずに全力を出しきった賜物だろう。

 これでひとまず、最下位による除籍という名目は躱せた。

 

・・・・・あとは、相澤先生がどう出るか・・・・・

 

 おそらく、なんらかの発表があるはずだと、先生を見つめる。

 そして、その予想が正しいのだと証明するかのように、彼は口を開く。

 

「――ちなみにだが、除籍の話は“嘘”な」

「「「・・・・・・・へ?」」」

 

 ちょっと忘れ物した、ぐらいの気軽さで。

 まるで重みを持たせず、意地の悪い笑みを浮かべてその真意を語る。

 

「君らの個性を最大限引き出すための、“合理的虚偽”」

「「「はぁああああああああああ!?」」」

 

 グラウンドいっぱいに、クラスメイト達の絶叫が響き渡る。

 そばで耳を塞ぐ間も無く叩きつけられたため、めちゃくちゃ痛い。

 

「よ、よがっだぁ・・・・・」

 

 先生の発言を受けて、最下位だった峰田がヘナヘナと脱力している。

 そらまあ、先生の話を信じてたなら、さっきの結果発表は死刑宣告そのものだったんだから、ああもなるだろう。

 

・・・・・しかし、合理的虚偽ね。

 

 相澤先生の話がどこまで本当だったのか。俺の推測は当たっていたのか。

 真実は、”彼のみぞ知る“といったところか。

 

・・・・・いずれにせよ、初日から脱落者が出る、なんて事にならなくて良かった。

 

 ヒーロー科での試練は、まだまだ始まったばかり。

 今日でこそ全員が無事に残れたわけだが、いつまたこんな事をやり始めるか分からない。

 またそのうち、似たような事をやらかす可能性は、いくらでもあるのだ。

 彼らにせよ、俺にせよ、今日残れた事実に安堵している暇など、ありはしないのだろう。

 

・・・・・まあ、それはそれとして。

 

 それでも、この雄英の洗礼とも言うべき試練を乗り越えたやつを労わる時間ぐらいは残っているはずだ。

 ここで何かしてやれることはないけど、今日一番頑張ったやつが保健室に向かう前に、一言労いの言葉をかける。

 それくらいの余暇は、きっと許されるだろう。

 

 




 どうも、緑谷くんの描写に四苦八苦したなんでさです。
 
 今回のお話では以前からの続きとなりますが、その中で最も苦しめられたのが緑谷くんでした。
 作者はFate及び型月にはそれなりにドップリと使っておりますが、ヒロアカは新参も新参。まだまだ知らないことも多々あり、衛宮士郎に対する解像度に比べれば、緑谷くんに対する理解度は浅いと言わざるを得ません。
 それでもアニメやネットでの情報から、作者が認識するこの時点における緑谷出久、は描写できたと思います。
 もしかしたら、ヒロアカファンの方には違和感ありますでしょうが、どうかこういうものと受け取っていただければありがたいです。
 勿論、感想欄などで違和感などをお書きになってもらっても構いません。むしろ足りない理解力が補われるので、作者としても大歓迎です。

 最後に補足といたしまして、今回の個性把握テストで緑谷くんが最下位になっていなかったのは、士郎が指の負傷に簡易的に処置を施したがため、とお考えください。
 アニメを見てると、緑谷くんは単純な身体能力では相応に高いものがあるように見えたので、傷さえ響かなければ、もうちょっとマシになっていたんじゃないか、という作者の想像の結果です。

 今回にて遂に邂逅を果たした正義の味方とヒーローの雛型達、今後の展開で二人がどう影響しあっていくのか、これからのお話をお待ちください。


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紅い背中

 全く予想外に始まった個性把握テストという名の洗礼を受け、これを乗り切った俺含むヒーロー科1-A。

 初っ端から波乱の幕開けとなったわけだが、ひとまず大きな出来事もなく、各々が書類をまとめ帰路についたり、クラスメイトと新たな交友を持ったりとその過ごし方はさまざまだ。

 かくいう俺もその中の一人で、八百万に加え、今朝知り合った級友数人と今日のテストなどについて雑談――というよりは質問会の様相を呈していた。

 

「なあ衛宮、さっきのあれ。思いっきりぶっ飛んで地面転がるなんて、なかなか根性あるぜ!」

「本当はもうちょっと綺麗に着地したかったんだけどな。それに、俺としてはほぼ個性なしで九位だった切島の方が驚きだ」

 

 切島鋭児郎。

 いかにも熱血男児といった風体の人物で、話しているとその人柄の良さが窺える、実に気持ちのいい性格の人物だ。

 

「弓矢もすごかったよー!なんていうか、構えた瞬間にシン・・・・・てなってさ!エミヤん何だったのあれ!?」

「あれはただの雰囲気で――」

 

 こちらは芦戸三奈。

 ピンク一色の頭髪と表皮、頭部に生えた二本の触覚じみた角が目を引く女子。

 奇抜にすぎる容姿ではあるが、周囲を盛り上げるムードメーカー的な性格から、既に多くのクラスメイトと交友を持っている。

 これまで、俺の周囲にいなかったタイプであり、なかなかに新鮮だ。

 流石に、出会って早速あだ名を付けられるとは思わなかったが。おまけに妙に耳に馴染む語感で、俺もなんだかんだ受け入れている。

 

「入試の時も弓使ってたよね。ビルの屋上からめっちゃ狙撃してたし。習い事とかしてたの?」

「いや、そういうのはしてなかったな。個性制御の一環で手を出したのが始まりだよ」

 

 最後に、耳郎響香。

 ボブカットの黒髪に、イヤホンのプラグのようになった耳たぶが特徴的な、小柄な女子だ。

 出会った時に気付いたのだが、入試の時にあのロボの前から釣り上げたのが彼女だった。

 今朝会った時にその事についてお礼を言われたが、当時の彼女は別段、脚を負傷したり気絶していたわけでもなかったから、俺がいなくとも自力で切り抜けていただろう。

 

「個性って言えばさ、衛宮って創造系の個性だよな?」

「ああ。一応、おおむねはそんな感じだな」

「いや、すげー偶然だと思ってさ。同じクラスに似た様な個性のやつが揃うって」

 

 それは確かに、大した偶然だろう。

 俺自身、創造系の個性に出会った事は、今日まで一度も無かった。

 

「ええ、本当に。今朝、お互いの個性について話した時は、とても驚きましたわ」

 

 隣の席で話を聞いていた八百万が頷く。

 俺も彼女と同じく、雄英入学初日に初めて出会ったクラスメイトと同系の個性だったとは思いもしなかった。

 

「タイプはおんなじみたいだけどさ、実際、二人の個性ってどう違うの?」

「あ、ウチもそれ気になってた」

「そういえば、細かな違いは私もまだ聞いていませんでした」

 

 なんだか、途中から俺への質問会になってきた気がするな。

 初めはそれこそ他愛無い世間話みたいなもんだったのに、いつからこんな感じになった。

 

・・・・・というか、あんまり喋らない方が良いよなぁ。

 

 当然というか今更というか、俺の個性が特殊なものであることは、基本的に秘密だ。

 その方が危険も無く、なおかつ周囲に余計な波風を立てなくて済む。

 

 プロヒーローや警察、その他いろいろなお偉いさんは、俺に箝口令を敷くことはなかった。

 ただこの情報が漏れた場合、余計な混乱や騒動が起こり得るから、出来れば無闇に喧伝はしないで欲しい、と。

 口止めらしい頼みは、それぐらいのものだった。

 この個性が極めて異常な存在であるのは事実だが、これは結局の所、どこまでいっても個性でしかないのだ。

 最初は色々と議論されたようだが、それを無闇矢鱈と情報封鎖するのは、この個性社会において有意な事ではない、という判断に最終的に落ち着いたらしい。

 

 なんで、口にしても構わないと言えば構わないのだ。

 それを敢えて口を噤んでるのは、やはり無闇に騒ぎを起こしたくないから。

 ヒーロー科にまで至った彼らが、容易く動揺したり、安易に秘密を漏らすとは欠片も思っていない。

 ただ、人の口に戸は立てられないもので、意図せぬうちに誰かに話してしまう可能性もゼロではない。

 だからここは、当たり障りの無い情報を伝えておくのが得策だろう。

 

「俺もそこまで専門的な事は言えないけど、大きいのはやっぱり、方向性の違いかな」

「方向性?」

 

 聞き返す芦戸に、ああ、と頷き返す。

 実際には、もっと色々な差異があるんだろうが、この話だけでも説得力は十分なはずだ。

 

「聞いた話とか、テストの時に見た感じ、八百万は大抵の物は造れるんじゃないか?」

「ええ。対象の構造を分子レベルで理解している必要がありますが、それさえ出来ればおおよそは創造できるはずです」

 

 サラッと言うが、実際とんでもない話だ。

 この世にごまんとある無生物を、その分子構造に至るまで記憶・把握しているなど、いったい彼女の頭脳はどれほど発達しているのか。何より、自らの個性を活かすためにどれだけの知識を積み重ねてきたのか。

 雄英に合格したとはいえ、元々の頭の出来が良くない俺には想像もできない苦難があったのだろう。

 

「俺の場合、そこまで万能じゃない。八百万みたいにいろんな物の構造を記憶して、イメージ出来ないっていうのもあるけど、それ以上に俺の個性は刀剣に特化してる」

「ああ。確かに、テストの時も鎖の付いた剣とか、めちゃくちゃ長い槍とか使ってたな」

「そういえば、あのデカいのを止める時も剣飛ばしてたね・・・・・あれ?よく考えたら、なんで剣が飛んでくの?」

「それはもう、そういう個性だからとしか言いようがないな」

 

 俺としても、何でそんな力まで備わってるのか分からない。

 方法はともかく、最初から出来てしまったものだから、原因とかは不明だ。

 

「話を戻すけど、俺の場合、創造の元になるのは設計図で、対象の構造が分からなかったり、設計図に対する理解が低いと、見た目だけのハリボテしか造れない。そして、対象が剣やそれに類するものほど精度も上がっていくんだ」

「・・・・・衛宮さんの言う通り、確かに私の個性とではベクトルが違いますわね」

「八百万が万能なら、衛宮のは攻撃特化、て感じだな」

 

 切島の評価はあながち間違っていない。

 八百万が幅広く様々な状況に対処出来るのに対し、俺の個性はその性質上、他者を害する事の方が向いている。

 多少の応用は効かせられるが、根本的に攻撃以外の用途には向いていない。

 

「そんな訳だからさ、俺としてはいろんな状況で人を助けられる八百万の個性がちょっと羨ましい」

 

 誰よりも苦しむ人を救わねばならないこの身が、その実、救助という行為にとことん向いていない。

 瓦礫撤去など、やれる事自体はゼロではない。

 けど、自らの個性の本質を考えれば、外敵の排除が最も有意義な使用法だろう。

 

 別に、それならそれで構わない。

 災害救助は、あくまで起きた事象に対する処置。

 だがヴィラン退治は、初めから倒すべき敵をを想定しているから、事が起きる前に、被害が出る前に防ぐことができる。

 この身が救助に向かぬというのなら、戦いを本分とし、外敵の排除に己を使えばいい。

 この力は、そのためにあるのだ。

 

・・・・・ただ、だからこそ八百万のような個性に羨望を抱くことはある。

 彼女のような個性であれば、災害救助にもヴィランからの防衛にも対応できる。

 俺とは違って、彼女は多くの人に愛されるヒーローになるのだろう。

 

「・・・・・っと。俺もそろそろ帰るよ。皆、また明日」

「おう、じゃあな」

「また明日!」

 

 あまり長いこと居座るのも良くないだろう。

 彼らからも挨拶を返されたところで帰路につく。

 今日は入学初日という以外にも、新天地に根を張らねばならない日でもある。

 既に諸々の作業・準備は終わっている。あとは、これまで通りの生活に近づける様に、細かなところで調整していく。

 

・・・・・身の回りの物はあらかた揃えてるし、他に必要な物は・・・・・

 

 やたらに長い廊下を歩きながら、頭の中でリストを思い浮かべる。

 今日は初日ということもあるし、余裕を持って買い物なんかができるだろう。

 果たして近くにスーパーなんかはあっただろうか。

 

「衛宮さん!」

「八百万?」

 

 自分を呼びかける声と、パタパタという小走りな足音が後ろから聞こえ、足を止める。

 

「どうした、何か忘れ事でもあったか」

「少し、あなたと二人でお話ししたいことがあったので」

 

 いくらか急いできた様子の八百万が、真剣な表情でこちらを見据えている。

 

「二人で、か・・・・・」

 

 わざわざあの場で話さず、こうして後を追ってまで話したいこと。

 彼女にとって、皆の前で話せない話題、というよりは――

 

「歩きながらでいいか?」

「え?ええ、構いませんけど・・・・・」

 

 了承を得たのでまたこの長い廊下を、今度は八百万を伴って進む。

 八百万が言い淀むのは分かる。

 誰にも聞かれぬようにと、こうして教室を出た後に話しかけてきたのだ。

 彼女としては、どこか適当に人のいない場所で話すつもりだったのだろう。もしくは、学生らしく茶店にでも入って腰を落ち着けて臨む気だったのかもしれない。

 それを人に聞かれてしまいそうな廊下でするというのは、困る事ではないのか、と考えている。

 無論困るのは彼女ではなく――俺の方だ。

 

「話ってのは、俺の個性の事だろ」

「っ!、気づいていらしたのですか・・・・・?」

「まあ、な。こうして俺が皆と別れて話しかけてきた上に、内緒話なのに歩いて話すのを許したり。そっちにとっての秘密じゃないのは確実だし、消去法で考えたらそうなった」

「・・・・・ええ、その通りですわ」

 

 彼女は驚いた様子で肯定する。

 しかし、そんなに難しい考えじゃない。

 彼女にとっての秘密であれば、こうも雑な会話にはならない筈だ。

 

「それに、八百万からしてみればさっきの話は納得できない部分もあったんだろ?同系統の個性だしな。違和感感じても不思議じゃない」

 

 実際、色々と穴のある話だった。

 創造系の個性でない人間には、パッとしない話かもしれないが、分かる人間が聞けばすぐにその綻びに気付く。

 材料は何を使っているのか、とか。どうしてノータイムで創造できるのか、とか。

 

「けど、俺が皆の前で話さないから、何か事情があるのかと思って、周りに誰もいない時に来てくれたんだよな」

「・・・・・百点満点の答えですわ」

 

 やはりというべきか、再度確認したというべきか。

 彼女にしろ他の皆にしろ、本当に優しくて良い人たちばっかりだ。

 さっきまで一緒にいた切島や芦戸なんかも、こんな無愛想な男に親しくしてくれるし。テストの時、飯田くんは転げ回った俺の所に来て心配してくれたし。

 昔から思う事だが、どうも俺は人との出会いに恵まれているらしい。

 誰も彼も、俺なんか似つかわしくないほど、心根の優しい人達だ。

 

「・・・・・悪いな、わざわざ気を遣わせて」

「いえ、そんな!私が気になって聴きに来てしまっただけのことですから・・・・・」

 

 ただ気になっただけなら、別にその場で聞いてもよかったはずだ。

 それでも敢えてそうせず、こうして俺が皆と離れたタイミングを見計らって話しかけに来てくれた。

 それは間違いなく、彼女の善性だろう。謙遜する必要など、どこにも無い。

 だがまあ、本人がそれでいいと言うのなら、今は触れないでおこう。

 

「それで、個性についてなんだけど。まあ、お察しの通り、あんまり喧伝出来ない事情はある」

「・・・・・やっぱり、そうでしたのね。どうして話せないのか、理由は聞いても?」

「色々と騒ぎの種になる、っていうのが理由になるかな。俺の個性はちょっと普通じゃなくてさ。どうしても話せないっていうわけではないけど、極力は人に教えないようにしてるんだ」

「それだけ聞ければ十分です。私もこれ以上、無粋な詮索はいたしませんから」

「すまん。そうしてくれると助かる」

 

 そういって、八百万は自ら引き下がってくれた。

 必要な事とはいえ、こうして彼女の願いを無碍にするのは、心苦しいものがあった。

 彼女がこちらを慮ってそうしてくれたのなら、頭の下がる思いだ。

 

「けど、少しだけ残念ですわね・・・・・」

「・・・・・ほんとにごめん」

 

 まさか、彼女がそうまで俺の個性に興味を抱いていたとは。

 こんな風に落ち込まれるなら、必ず他言しない事を条件に話してもよかったかもしれない。

 

「ああ、いえ。そういう事ではなくて。・・・・・ただ、近しい個性同士、切磋琢磨しあいながら、色々と話せると思って、少し嬉しかったんですの」

 

 照れた様に笑う八百万に、なるほど、そういうことかと納得する、

 方向性が同じ個性であれば、それだけ通ずるものもあるだろう。

 話が合ったり、互いの技量を比べあったり。

 同族意識・・・・・とは少し違うのかもしれないが、そういったある種の共感を期待していたのかもしれない。

 

「そういう事なら、俺もちょっとは話せると思うぞ。詳しい話はあんまりできないけど、感覚とか使い方とか、そういうのならいくらでも付き合うよ」

「そ、そうですかっ!でしたら今度、今の生活が落ち着いたら、ゆっくりお茶でも飲みながら一緒にお話しましょう!」

 

 俺の返答に、八百万は少々勢いづた返答を返した。

 ポワポワしているというか、後ろに小花でも咲いてそうな雰囲気で、喜びを隠しきれていない。

 今まで自分と似た個性がいなかった故か、多少でも話のわかる奴に会えたのが嬉しかったのだろう。

 

「おう。俺でよければいくらでも付き合うよ」

 

 そんな風に喜ぶ彼女に応えない訳もなく、二言は無いと宣言する。

 果たして、詳細を伏せながらどれだけ話せるかは分からないが、出来うる限り彼女が満足できるよう、今のうちに考えておこう。

 

「そういえば、引き留めた私が言うのもなんですけれど、時間は大丈夫でしょうか?ご実家は遠くにあるんでしたわよね」

 

 八百万は思い出したように、そんなことを言った。

 今朝出会った時に、彼女には地元がどこかは話してあった。

 ただ――

 

「ああ、問題ない。というより、今はこっちに越してきてるんだ」

「こちらに?」

「ほら、地元からここまでじゃ時間がかかり過ぎるから。正直、成績を維持したまま前の生活を続ける自信がなかった。だから、今はこっちで一人暮らししてる」

「まあ。そうでしたの」

 

 本当は寮制度でもあれば良かったんだが、雄英には備わっていなかった。

 その代わりと言ってはなんだが、雄英周辺のアパートやマンションの家賃は、他の土地に比べてかなり低い所が多かった。

 人気の高校や大学周辺の賃貸は、遠方から一人暮らしで通う学生に向けて低料金で提供している場所もあるらしいが、この辺りは更に安価だ。

 こういうのは、このご時世のヒーロー人気から来る待遇なのだろう、とは思う。

 

「だから、時間の事はそんなに気にしなくていいんだ」

 

 こちらに越してきたのは入学直前の事で、バタバタしていたのもあって、まだ必要な物もあるし、周辺の地理も把握していない。

 この後はそれらを兼ねて、近くに買い物に行く予定ではあるが、そこまで切羽詰まっているわけでもない。

 こうしてクラスメイトと話す時間くらいは、いくらでも都合がつく。

 

「よかった・・・・・。もしやご迷惑だったのではと心配しましたが、安心しました」

 

 八百万はホッとしたように息を吐く。

 彼女にしては、自身の興味故に引き留めた俺が不都合であったなら、と考えたのだろう。

 もっとも、仮にそうであったのなら、そう伝えるので安心してほしい。

 

 その後、彼女と他愛無い世間話をした後、校門で別れることになった。

 彼女の登下校は車での送迎だったようで、近くに黒塗りのいかにもな高級車が停まっていた時は驚いた。

 彼女の実家について詳しくは聞いていなかったが、品のある振る舞いといい、丁寧な口調といい、どうやら本物のお嬢様だったようだ。

 

「それでは衛宮さん、また明日」

「ああ。また明日」

 

 車内から窓越しに別れを告げる彼女に、こちらも手を振って返す。

 排気ガスを吐いて遠ざかっていく車を見送って、俺も自分の用を済ませに行く。

 今日はやる事が多いが、まずするべきは――近くのスーパーの品定めからだ。

 

 

 

 

 

 

「新一年生達の様子はどうだった?」

 

 雄英高校職員室。

 新入生達の入学初日となる今日、各教員はこれからの授業などに向けて、忙しく準備していた。

 ヒーロー科はその特殊性もあって、特に多くの雑務をこなさねばならない。

 こと1-A担任である相澤に関しては、休憩時間に周りが食事に行ってる間も、合理性を重視してゼリー食料を一息に飲み干し仕事に戻っていた。

 そんな彼にとって、いま最も腹立たしいのは、特に用も無いのに意味も無く絡まれる事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・なんです?」

 

 たっぷり十秒ほどかけて、相澤はミッドナイトに反応した。

 それはもう、本気で嫌そうな顔で。

 それこそ、直前まで無視でも決め込もうか、と半分本気で考えていたくらいには。

 

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」

「この時期はただでさえ忙しいのに、どこかの誰かさんが厄介ごと押し付けてきたせいで、いつも以上に頭抱えてんですよ」

「・・・・・その様子じゃ、もう問題発生?」

 

 厄介ごと、というのが何を指しているのか、その点は彼女も重々理解している。

 相澤がこうも忙しないのは、それが原因かと彼女は考えた。

 

「いえ、そっちは今のところは何も」

「あら?」

 

 相澤からのまさかの返事に、当てが外れたミッドナイトは、じゃあ何があったの、と首を傾げる。

 彼女はてっきり、あの少年がいきなり無茶をやらかしたのかと思っていたのだ。

 

「入学初日にそう何人も無茶やらかされちゃ、こっちが堪りませんよ」

「その言い分だと、別にもう一人、大変な生徒がいたようね」

「ええ。やつと同じぐらいとびっきりなのが」

「・・・・・わーお」

 

 相澤の言い分に、流石のミッドナイトも顔を引き攣らせた。

 かつて助けた少年、その歪な在り方を彼女はその目に焼き付けている。おそらくは、この世に二人といないだろうと。そう言えるほどに特異な存在だった。

 その点については相澤も多少なりとも理解しており――その彼が、例の少年に並びうると感じるほど、異質な生徒。

 

「その、なんていうか、ごめん・・・・・」

 

 これについて、ミッドナイトにとって完全に想定外であり、とんでもない重荷を押し付けてしまったと、今更ながらに罪悪感が湧いてきた。

 彼女からすれば、少しだけ気をつけていてくれれば、それでよかったのだ。

 雄英にいる間なら、どんなに無茶をしようと、それをいくらでも把握し、制御できるから。

 だが、気を配るべき生徒が一人ではなくもう一人いたのなら、話は別だ。

 人数が増えた分、その苦労も難度も上がる・・・・・どころではない。

 単に労力が増加するのは当然、この二人が揃った事での化学反応がどんなものになるか、全くもって想像できないのだ。

 相互に干渉し、影響しあった結果、より一層悪化してしまっては元も子もない。

 

「・・・・・どの道、こっちの受け持ちな事に変わりは無いし、いまさら言ったところでどうにもなりませんよ――ただ、最初に約束したみたいに、きっちり見張っておく、ていうのは難しくなりそうです」

 

 いつどこで、どんな事をしでかすか分からない問題児が二人。その上、特の字が付くほど濃い面子が集まったクラス。それら全てをコントロールするのは、信条とか責務とか以前に難しい事だった。

 ヒーローとは常に困難を超えていくものだが、これはちょっと違うだろう、と相澤は心の中で愚痴る。

 

「俺も力は尽くしますがね、流石に手に余る部分はある。そのあたり、そっちに任せますから」

「ええ。元々、彼のことは私も気にかけておくつもりだったし、依頼した手前、投げ出さないわよ」

 

 お願いしますよ、と締めくくって、相澤はミッドナイトから視線を切った。

 これで話は終わり、という事だろう。

 彼女としても、初日の様子が気になってイジリに来ただけなので、これ以上邪魔をする気も無く、大人しく退散する。

 

・・・・・さて、どうしたものかしら。

 

 相澤に任せろと言ったミッドナイトだったが、その実、具体的な考えは無かった。

 そもそもの話、担任でもなく一科目だけの授業時間でしか1-Aと関わりのない彼女は、彼との接点が薄い。

 時間を見て彼女から接触することは可能だが、教師としての仕事や彼の都合などを考えると、そう頻繁に会いに行くわけにもいかないだろう。

 第一、彼と接触して何をどうするのか。

 直接、その生き方を改めるように諌めたところで、はいそうですか、と聞く人間でもなし。個人的な指導を装って近づこうにも、ミッドナイトのスタイルは彼に活かせる要素は少ない。

 独力で解決するには、吃驚するぐらい八方塞がりだった。

 

「・・・・・やっぱり、“彼”に頼るしかないか」

 

 彼女は最終的に、一人の人物に協力を願い出ることにした。

 相澤に任せろと言った手前、こうも早々に他に頼るのは少し気が引けたが、何より彼を正しい道に導くのが先決だ。

 そのためなら、多少の恥は被るつもりでいる。

 一人の教師としては度を越した入れ込み具合かもしれないが、ミッドナイトは心底、自らの意思で地獄に進む衛宮士郎を引き上げたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 時刻は十二時。

 日は落ちきり、都心でもないこの土地は、既に街の明かりも疎になってる。

 借りている一室の近くは、民家ばかりというのもあって、周囲には光源が少ない。それ故、微かな月の光がよく見え、窓から入り込んだそれが室内を照らす。

 

「――投影開始<トレース・オン>」

 

 座禅を組み、自己の精神を一つごとに専念させる。

 精神統一では足りない。自身のうちから余分な自我を排し、完全な無我に至る。

 生み出す刀剣を選定し、その設計図を記憶の海から浚い、必要な材質を充溢させる。

 僅かでも気が緩めば、それが命取りになる作業。しかし、もう十年近くは繰り返してきた鍛錬だ。以前のように、一人で血反吐を吐く事もない。

 それでも、僅かでも鈍るのを嫌って、こうして毎日同じ様に没頭する。

 

「・・・・・ふぅ」

 

 短く息を吐き、手の中に収まる剣をかかげる。

 両刃の長い刀身、厚みを持たせることで斬り伏せるより、叩き割る事を旨とした剣。

 十一世紀ごろにヨーロッパで発展したといわれる、ロングソード。

 固有の銘は無く、無骨なまでの頑強さを備えただけの、ありふれた一振り。

 

 それを、床に敷いた布の上に置く。

 これで既に五本目。入試やテストの時に比べ、いま行うそれは一つ一つの工程に時間をかけ、ゆっくりと投影をしている。

 精度にしろ完成度にしろ、どっちのやり方でも大差はない。長く訓練を続けてきたためか、どんな状況でも最も適した精神に切り替え、瞬時に望んだ物を創造できるようになった。

 だが、こうやって一つ一つの過程を少しずつ実践していく事で、より自身を鍛えることが出来る。

 

 ヒーロー科に在籍する以上、これから先、より厳しい試練が待ち受けている。

 日々の鍛錬は、欠かしていいものではない。

 雄英での三年間は、明日からいよいよ本番を迎える。

 いったい、どんな苦難を与えられるのか不明だが、それが容易いものであるはずがない。

 

・・・・・誰も彼も、すごいやつばかりだった。

 

 才能の無い衛宮士郎では、僅かな油断で直ぐに置いていかれるだろう。

 別に、他人に追い抜かされて置き去りにされるのは構わない。それはただ、自身より向こうが優れているだけのこと。

 だが、研鑽を怠って無様を晒す様な真似は、自分が許せない。

 俺の個性が心をカタチにするものであるなら、俺は他の何より、俺自身に負けられない。

 

 そのためには、いまのままでは駄目なのだ。

 現状の投影では、限界は見えている。このまま行っても、俺はいずれ行き止まる。

 何故なら、俺の個性は能力として既に完成されている。

 精度も、速度も、それらを実現する心の保ち方も。

 未だに続ける鍛錬は、偏に現状を維持し、弱まることのないようにするため。

 既に頭打ちなのだ、この個性は。

 どうやっても、これ以上の伸び代はない。

 

・・・・・でも、穴自体はある。それを埋める術も。

 

 上には伸ばせない。それなら、横に向かって伸ばせないか。

 個性そのものを極限まで強化するのではなく、あくまで手札を増やす。戦術に幅を持たせることで、結果として力の向上に結びつける。

 もとより才能の無い人間。一つの事を極めるのではなく、多彩な術を以って凌駕する。

 それがおそらく、衛宮士郎の取れる、数少ない選択だ。

 

・・・・・そのためには、もっと深く潜り込まないと。

 

 俺の中には多くの設計図が、数え切ることも不可能なほどのそれが記録されている。

 けれど、その中の幾つかに俺は触れることが出来ないでいる。

 その設計図を利用するだけの力が無いのか、対象に対する理解が及ばないのか、俺が認識しない要素が存在するのか。

 

 十年かけてこの個性を使い物になるよう鍛えあげてきた。だが、思い出せない記憶故に、俺は未だに多くの剣の真髄を引き出せていない。

 その本来の力がどういうものか、それはまるでわからない。だが、感じるのだ。

 これは違う、まだ足りない、と。

 俺が知らずのうちに好んで使用していた、白黒の双剣ですら、おそらくは完全ではない。

 その不完全さ、見えない穴を埋めることが出来たなら、衛宮士郎は更に多くを救えるようになる。

 

「その為にも、あまり夜更かしはしないようにしないとな」

 

 明日に響くから、というわけではない。

 必要なのは眠り――そして、それに伴って発生する夢だ。

 俺は眠る時、ほとんど夢を見ない。

 代わりに見る光景はある程度決まっていて、それら以外の夢が立ち入ったことは一度も無い。

 

 もしこれらが、忘れ去った過去の記憶であり、夢がそれらを掘り起こす整理作業なのだとしたら。

 或いは、夢を通して知れるかもしれない。この個性の最奥を。

 

「投影破棄<トレース・カット>」

 

 投影した刀剣を光に還し、後片付けをする。

 今宵の鍛錬はこれで十分。

 後は、望む夢を見れることを祈って床につくだけだ。

 

「・・・・・・・・」

 

 カーテンを閉めるため、窓に近づく。

 硝子越しに見える光景は、未だ見慣れぬ街並み。ほとんど知らない土地での、初となる一人暮らし。

 これから長い間、十年間一緒に過ごしてきた人達と、離れる事になる。

 だが、本当に不思議な事なのだが。

 

――それを寂しいと感じることが、ただの一度も無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 それは、いつ見た光景か。

 雑音とノイズに塗れた、見慣れぬ洋館の広間。

 その中にあってなお、鮮明に映る紅い背。

 

「――いい■。お前は■う者ではなく、■■出■者にすぎん」

 

「余分■■など考え■■。おま■に出■■事は一つ■■だろう。■らば、その■つを極め■みろ」

 

 そう言って残った人物は、果たして誰だったのか。

 

「――忘れるな。イメージするものは――」

 

 その先に続いた言葉は、果たして、何だったのだろうか――。

 

 

 

 

 

 

「――くん・・・・・衛宮くん!」

「う、っお。どうした、緑谷」

「どうしたって、それはこっちの台詞だよ。さっきから上の空で、呼んでも反応が無かったんだよ」

 

 箸を片手に、こちらを覗き込む緑谷の顔が映る。

 気遣わしげなその顔を、目にしたところで、周囲の喧騒が耳に入ってきた。

 

・・・・・そういえば、食堂だったな、ここは。

 

 楽しげに雑談する生徒の声に、失われていた音が戻ってきたような錯覚を覚える。

 午前の授業を終えた後、緑谷に誘われて一緒に昼飯食べにきたんだった。

 

「・・・・・悪い。ちょっと考え事してた」

 

 こちらを案じる緑谷に謝罪し、自分も持参した弁当の包みを開く。

 夢見が悪かったのが原因か、ふと気づけば、昨夜見た光景を思い返していた。

 

「びっくりしたー。衛宮くん、なんか調子悪いんかなって、心配したよ」

「麗日も、気を遣わせてすまん」

 

 安心したー、と言って朗らかに笑う、まんまる顔の女子。

 先日のテストで無限というとんでもない数値を叩き出した、同じクラスの麗日お茶子。

 常軌を逸した記録を残した彼女だが、その性格はその名の通り麗かといった言葉がよく似合う、純朴な暖かなお日様のような人物だ。

 

「何か悩み事があるなら、俺たちに相談してくれ。午後からはいよいよヒーロー基礎学も始まるし、変に抱え込まない方がいい」

 

 一緒に食堂に来ていたもう一人の人物である飯田くんが、そんな事を言ってくれる。

 けど、これは悩みというようなものでもなく、そもそも他人がどうにか出来るものでもない。

 

「いや、本当に何も無いよ。少しだけ夢見が悪かっただけだから」

 

 飯田くんの好意を丁重に断りつつ、自分も弁当に箸をつける。

 施設で漬けていたものを持ってきた梅を乗せた白米、だし巻き卵、旬の菜の花を使ったお浸し、焼きたけのこ、キャベツとベーコンの炒め物、ニンニクと生姜を効かせた唐揚げ。

 春先ということもあり、メニューは旬の野菜が満載だ。特に新キャベツは値段も安く、甘味も強くて美味いから、シンプルな炒め物がよく合う。

 

「あれ?衛宮くんお弁当なんやね」

「ほんとだ。学食あるのに、なんで?」

 

 雄英は一流の教育機関ということもあって、その学食も一級だ。

 クックヒーロー『ランチラッシュ』が手がけるメニューの数々は、味もさることながら栄養バランスも絶妙、かつ安価であるというのは雄英に在籍する人間にとっては当たり前の常識らしい。

 ただ、

 

「安いって言っても、昼食の度に毎日利用してちゃ出費も嵩むだろ。だから、時間が無い時以外は自前で作ってくるつもりなんだ」

 

 学食で昼食をワンコインやそれ以下で提供されているなら、それは確かに驚異的な安さだろう。それでも、一食数百円を繰り返していれば、費用も馬鹿にならない。

 その点、自炊してれば出費は抑えられるし、余った材料やら料理やらは夕食にでも回せる。

 財布に余裕があるわけでもなし、節約は常に心がけている。

 

「そういえば、衛宮くんは自分で家事全般をこなしていたな・・・・・となると、それはいわゆる、お手製弁当というやつか」

「うそ!衛宮くん料理できるの!?」

「まあ、昔からの習慣で。ついでに言うと、通学時間を考えて今はこっちで一人暮らししてるから、財布も余裕がない」

「すごー・・・・・」

 

 麗日さんが信じられないものでも見るような目を向けてくるが、そんなふうに見られると流石に少し傷つくのでできればやめて欲しい。

 当の彼女は、一男子生徒が作った弁当が物珍しいのか、まじまじと見つめている。

 

「よく見ると、お弁当の中身も美味しそう」

「よければ、一口摘むか?」

「え、いいの!?」

 

 そんなに気になるなら、と弁当箱を差し出す。

 中学の頃も、同級生から何度か集られたし、その時からそうなる事を警戒して弁当は多めに作ってる。

 まあ、途中からあんまりにも持ってかれるんで、昼は屋上に逃げるようになったが。

 

「ランチラッシュみたいに一流の料理ってわけにはいかないけど、それでもよければ」

「それじゃ、お言葉に甘えまして・・・・・」

 

 麗日は断りを入れてから、卵焼きを一切れ持っていく。

 箸で摘んだそれをすぐに口に運ばず、いろいろな角度で観察する様は、少し可笑しく見えた。

 しばらくそうやって満足したのか、十秒ほどかけてようやく口に入れた。

 

「ん〜〜〜!おいしい!たまごふわふわ!」

 

 麗日は二、三度咀嚼した後、見てるこっちまで釣られそうな笑みを浮かべて、飲み込んだ一品をそう評した。

 プロには到底及ばぬそれだが、自分の作った物で誰かが笑顔になってくれるなら、それは何より嬉しいことだ。

 

「衛宮くん、この卵焼き、何でこんなにふわふわしてるの!」

「ああ、それは水だな。卵を溶くときに、殻の半分くらいの水を入れると、ふんわり仕上がるんだ」

「へぇー」

 

 だし巻き卵を上手く仕上げるのはなかなか難しいので、彼女の評価は素直に喜ばしい。

 昔はこの食感をなかなか出せずに苦労したものだ。

 

「量はあるから、二人も気になるなら適当に持っていってくれ」

「じ、じゃあ、いただきます」

「俺も有り難く頂戴しよう」

 

 緑谷と飯田くんにも弁当を向ける。

 それぞれ、緑谷は唐揚げを、飯田くんはたけのこを持っていった。

 

「麗日さんの言う通りだ。とっても美味しいよ!」

「シンプルながら風味深い・・・・・同じ学生が作ったものとは思えないな」

 

 唐揚げは施設でも子供たちに人気だったメニューで、かなり作り慣れているので万が一にも抜かりはない。たけのこは、ご近所さんに挨拶に伺った際、たまたま生のものを頂いたので、折角ならと素材の活きる一品にしてみた。

 

「なんかアレだね。確かに、めっちゃ洗練されてるってわけではないけど、優しい味というか、馴染むというか」

「うん。何ていうか、家庭的?っていうのかな。そんな感じがする」

「料理は上手いし、家事は一人でこなす。家計を気にして節約する。なんというか、これは――」

 

 麗日と緑谷が、そんな風に感想を伝えてくる。

 そう言ってくれるのはありがたいが、この後に思い起こされるであろう言葉を思うと、あまり喜べない。

 

「「「お母さんみたいだ」」」

「・・・・・・・・・・・」

 

 三人揃って、全く同じ感想を口にされた。

 あまりにも聞き慣れた、できれば二度と聞きたくない称号だった。

 個性把握テストの時から飯田くんには言われそうだな、とは思っていたが、まさかさらに二人も加わるとは。

 

「あれ、衛宮くんなんか落ち込んでる・・・・・?」

「・・・・・いや、大丈夫だ。あとみんな、できればお母さんはやめてくれ」

「う、うん。分かった」

 

 俺の嘆願に、緑谷はじめ三人とも間髪入れずに頷いてくれる。

 やはり我がクラスは良い人たちばかりだ。中学では、このネタで一ヶ月はイジられた。

 

「でも、料理かぁ。ウチも一人暮らししてるけど、自炊とかやったことないんだよね。やっぱり、出来た方がいいんかな」

 

 意外なところで、思わぬ情報をしる。

 確かに、喋りに訛りがあるとは思っていたが、麗日も上京してきた口か。

 そういうことなら、自炊は出来る方がいいのは間違いない。ただ、

 

「料理にしろ掃除にしろ、出来るに越した事はないけど、一朝一夕に出来るものでもないからな。慣れてないんなら、無理に挑戦しない方がいい」

「やっぱそうかぁ・・・・・」

 

 ガックシ、と項垂れる姿が、妙に哀愁を誘う。

 どうにかしてあげたいが、こればっかりは日々の積み重ねなので、どうする事もできない。

 

「もしそういうのに挑戦しようって思うなら、まずは何か一つだけを練習してみるっていうのが一番確実じゃないかな」

「はい先生!具体的には何をすればいいでしょうか!」

 

 いや、先生て。

 そんなに大層なもんじゃないし、教えられる事もありきたりなものなので、そんなに持ち上げないでほしい。

 あと、ここが食堂である事を思い出して欲しい。突然の行動に、チラホラ周りの視線が刺さってる。

 

「麗日が普段、どれぐらい家事をやってるか分からないから何ともいえないけど。例えば、服とか小物を小分けして決まった位置に収納できるようになるとか、小まめに部屋の掃除をするとか」

「ふむふむ」

「料理とかなら、最初から難しいのじゃなくて、目玉焼きとか炒め物とか、簡単な料理にチャレンジしてみるといいんじゃないか」

「なるほど・・・・・」

 

 携帯端末に聞いたことを書き込む様子は、真面目そのもの。

 どこまでやる気なのかは分からないが、気合があるのはいいことだ。

 

「後はまあ、ネットなんかにそういう情報はいくらでもあるだろうし、分からないことがあればその都度調べればいいと思う」

「・・・・・うん、分かんない事で一杯だけど、頑張ってみるよ!」

「おう。頑張れ」

 

 ぐっと拳を握り込み意気込む姿は、かっこいいというより和やかだ。

 丸っこい顔と人好きのする雰囲気が、出た棘の角を丸くしているんだろう。

 こういうのも、ある種の人徳だろうか。

 

 その後もしばらく談笑が続き、昼休みの終わりが近づいたところでお開きとなった。

 今回の事は、お互いをより深く知り合ういい機会になった。

 この関係が、将来それぞれの道を進んだ後も続けばいい、と。

 そう強く思った時間だった。

 

 

 

 

 

 

 昼休みも終わり、生徒は腹が満たされた事による満腹感と、それに伴って襲い来る睡魔と戦いながら、午後の授業に臨む。

 不幸にも座学に当たり、窓際の席であったならうたた寝免れないだろう。

 だが、ことヒーロー科に限って言えば、そのような事にはならない。

 

「――わーたーしーがー!!」

 

 ドアの外から聞こえる、現代日本では誰しもが知るであろう台詞。

 あらゆる窮地に現れ、その手で多くの人を救い上げてきた“平和の象徴”が――

 

「普通にドアから来た!!!」

 

――なんともお茶目に台詞を変えて、その姿を表した。

 

・・・・・こうして実物を見るのは初めてだな。

 

 “画風”が違う、と称されるほど威厳に満ちた顔は、しかし常に人々に安心を与える快活な笑みを浮かべ。屈強な肉体は、その背に何人もの人を同時に背負って救い出せるほど。

 かつて、ただの一人で数千の人々を救い出すという偉業を成し遂げ、以後も危機があれば真っ先に現れ、何人もの人々を救ってきた。

 彼がいるだけで必ず救われるのだと人々に希望を与え、悪事を成す者には決して逃れ得ぬ破滅を与えてきた。

 おそらくは、現代のこのヒーロー社会を招くことに()()()()()()()、大きな転換点の一つ。

 

・・・・・いや、よそう。

 

 彼という平和の象徴に思うところはある。

 だがそれは、あくまで俺個人の思想の話。

 彼に対して責めるべき点はなく、彼がその手で多くの人の命と笑顔を守ってきたのは紛れもない事実。それ故に彼は人々から愛され、惜しみない賞賛を受けている。

 それは、ここにいるクラスメイトも同様だ。

 彼が現れた。ただそれだけで室内が沸き立った。

 その反応だけで、彼がどれほど偉大かが知れる。

 

「私の担当はヒーロー基礎学。ヒーローの素地を作る為、様々な訓練を行う科目だ!」

 

 教壇に立ったオールマイトは、自らが担う教科を簡潔に告げた。

 このヒーロー基礎学こそが、ヒーロー科と他の科を分ける、最大の要因だ。

 

 ヒーロー科は午前と午後で、その授業形態がまるで違ってくる。

 午前は通常の学生同様、国語や数学、英語といった高校生が当然に身につけるべき必修科目を行う。

 如何に雄英とはいえ、ここは紛れもなく高等学校なのだ。それらを履修していなければ当然、卒業資格は与えられない。

 必死の思いでヒーロー科に合格したのに、通常の単位不足で留年なんて、笑い話にもならない。

 

 そして、それらとは打って変わって午後に行われるのが『ヒーロー基礎学』

 オールマイトが言ったように、ヒーローを育成する為に設けられる、特殊なカリキュラム。

 プロヒーローに求められる技能、知識、経験などを実技演習をはじめとした訓練で培い、生徒達がヒーローとなる為の土台作りを行う科目だ。

 ヒーローを育成する専門の科である事もあって、このヒーロー基礎学の単位数は最も多い。

 

「早速だが、君たちに今日やってもらうのは――コレ!戦闘訓練!!!」

 

 BATTLE、と刻まれたプレートを片手に、オールマイトが高らかに宣言する。

 プロのヒーローを目指す以上、個性を悪用し犯罪を犯すヴィランとの遭遇、戦闘は避けては通れない。

 恐怖に怯える人々を救う為、ヒーローには当然ながら戦闘能力が求められる。

 各人で進む方向性の違いはあれど、戦う力は高ければ高いほどいい。

 

・・・・・ようやく、か。

 

 幼い頃から、誰かを守る為にこの力を使わねばならないと思ってきた。

 傷つける事しか能が無い個性。それを有用に、有意義に利用する手段は、悪党との戦い以外に無かった。

 公の場での個性使用が資格性である以上、そのルールは守らねばならない。

 だが、たとえそうだと分かっていても、いてもたってもいられなかった。

 それが、この日を以ってようやく、その道に足を踏み入れる。

 

「そしてソレに伴って――こちら!」

 

 オールマイトが力強く指差した先、窓側の壁が一部駆動し、その内側が顕になる。

 そこはある種のロッカーになっていて、おそらくは各生徒の学籍番号が刻まれたケースが収められている。

 

「入学前に送ってもらった、それぞれの個性届と要望に沿って誂えた――君達の戦闘服<コスチューム>だ!!」

 

 オールマイトの言葉に、クラス中がいろめき立つ。

 入学前、学校側に自身の個性や身体情報、自己の要望を送る事で、雄英専属のサポート会社が、それに合わせた戦闘装束を用意してくれるというシステム。

 ヒーローを目指すなら、それに見合った身なりは必要不可欠だろう。

 それを早い段階で形にできるのは、願ってもない事だ。

 

「各自、着替えたらグラウンドβに集合!!」

 

 

 

 

 自らが纏う戦闘装束。

 その形を定めた決定的な要因は、やはりあの夢だ。

 赤く、紅く、赭く。夕陽よりも、血よりも鮮烈な、その背中。

 たまに見る夢の中で、幾度もその姿を見てきた。

 それがあまりにも馴染み深く感じ、その背が倒れる未来を思い浮かべられぬほど、その姿は不屈を感じさせた。

 

 肩から露出した黒の軽鎧、それに合わせるような同色の革製のズボン、足元は金属で補強した厚底のブーツ。

 そして何より、見た者の目に鮮明に刻まれる、上下に分かれた紅い外套。

 自身がいつか、ヒーローとして纏う装束があるのなら、これこそが衛宮士郎にとって相応しいのだとイメージしてきた。

 

 耐火性・耐水性に優れ、要望通りであるのなら防刃・防弾性も確かなはずだ。

 ズボンには幾つか、投影した武具を留める為のベルトが仕込んである。

 上半身は、剣による近接戦闘、弓を用いての遠距離戦のどちらにも不備のないよう、可動域を確保している。

 衛宮士郎が理想とする戦闘スタイル、それをイメージ通りに行うのに適した装束だ。

 

「格好から入るってのも、大切な事なんだぜ、少年少女!」

 

 通路を抜けた先で、俺たちを待ち受けていたオールマイト。

 その第一声を、確かにそうだ、と賛同する自分がいる。

 到達点の見えない道程は、ただの徒労だ。己が進む道、それを明確にイメージして初めて、その道行きが定まる。

 コレもまた、その明確なイメージの一つ。故に――

 

「――その衣装を纏い、自覚するのだ」

 

 自らが理想とする在り方を示す、その姿。

 それを、こうして以って纏った以上。

 

「今日から自分は――ヒーローなのだと!!!」

 

 この時を以ってこの身は、倒れることのない“正義の味方だ”。

 

 




 どうも、一話が長くなったので二分割で投稿したなんでさです。
 
 今回、個性把握テスト終わりから、屋内対人戦闘訓練の終わりまで執筆したのですが、一話に纏めるには長く、タイトル的にも二つに分けた方が綺麗に収まりました。
 
 そしてこれは全く関係ない事ですが、本作を執筆していると、何故だか分からないことに、気がつけば士郎と八百万を絡ませている。別にこの段階でくっつけようとか思ってもいないし、もっと色々な生徒とも会話させたいのに、いつの間にかこの二人を絡ませている。何故だ、ウゴゴ・・・・・


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氷ついた迷宮

 前話後書きにて記載しましたように、2話連続投稿となっております。前話「紅い背中」が、前回更新からの続きとなっておりますので、そちらからご覧ください。


 

 グラウンドβで執り行われる戦闘訓練。

 それは屋内戦を想定した、生徒同士のぶつかり合いだった。

 

 二人一組のチームを組み、それぞれヒーロー側<アタッカー>とヴィラン側<ディフェンダー>に分かれて戦う訓練形式。

 ヴィラン側は指定された建物に籠城し、核兵器の機動準備中という設定。そしてヒーロ側はこれを阻止する為、敵アジトに潜入するというルールだ。

 双方、相手メンバー全員の捕縛が共通の勝利条件。そして各側は、仮装の核を確保か、制限時間まで核兵器を防衛するのがそれぞれのもう一つの勝利要件となる。

 

 第一回の訓練としては複雑だが、各々の基礎能力を測るための実践形式ということだ。

 

 チーム選定はクジ引きで決定される。

 なので、俺も箱に手を伸ばそうとしたんだが――

 

「――おっと。言い忘れていたが、人数の関係上、衛宮少年はしばらく待機だ」

「は・・・・・?」

 

 あまりにも突拍子もない発言すぎて、思わず間の抜けた声を出してしまった。

 それはまあ、キリの悪い人数だとは思っていたが、それにしたって何故除外されるのか。

 

「理由は二つだ。一つ目は先に言ったように人数の問題。そしてもう一つは――お楽しみというやつさ!!!」

「は・・・・・?」

 

 再度、思考が停止する。

 いったい彼は何を言っているんだろう。お楽しみとはどう言う意味か。

 校長。雄英は、差別も特別扱いもしないのではなかったか。

 

 色々と不平不満を感じつつも、大人しく試合を観戦した。

 第一試合から私情で爆豪が暴走し、それに応えた緑谷が腕を壊したり、轟がその規格外の個性で建物ごと氷漬けにしたりと、要所要所で目に付く場面はあったが、概ね滞りなく終了した。

 それぞれの講評も完了し、いよいよもって俺を省いた理由を求める時間になった。

 

「オールマイト!なんで衛宮だけ待機だったんですか!」

 

 切島の質問を切片に、他のクラスメイトもざわつく。

 実際、異例の対応であった事は間違いない。

 オールマイトには、是非とも納得のいく説明をしてもらいたい。

 

「一番大きいのはやはり人数の問題だ。そしてもう一つは――最も成績の良かったペアと、ヴィラン側として対戦してもらうためさ!!」

「はい・・・・・?」

 

 またしても理解が及ばず、間抜け面を晒してしまう。

 言わんとする事は分かる。

 あぶれてしまう生徒にも、きっちり授業を受けさせるための措置という事だろう。問題は、

 

「ち、ちょっと待ってください!やれと言うならやりますけど、せめてなんで俺が選ばれたのかぐらいは教えてください!」

 

 対戦相手が成績最優秀者である理由はなんとなく分かる。

 全員、既に一回は対戦を終えている。体力や情報アドバンテージなどを考慮すると、一番余裕のあるペアをぶつけるというのは、そうおかしな話じゃない。

 だが、単に人数的な問題であるなら俺以外でもよかったはずだ。

 轟や八百万などは推薦入学である事から、特別扱いされる理由はわかる。先日の個性把握テストでも、この二人はツートップだった。

 爆豪なんかも、その個性の強力さや本人のバトルセンスを考えれば、候補としては十分な筈。

 にもかかわらず、何故あえて俺を選んだのか。

 

「無論、君が最も適していると考えたからさ!いずれ皆も知る事になると思うが、衛宮少年は一般入試の実技における成績最優秀者なんだ」

 

 オールマイトの発言に、周囲がざわめいた。

 俺も、頭を抱えたい気分だった。

 

・・・・・あれかぁ。

 

 今まで完全に忘れていたが、先日合否通知を受け取った際、確かに根津校長がそんな事を言っていた気がする。

 細かい数値まで記憶していないが、実技は俺がぶっちぎりで一位だったとかなんとか。

 結果さえあれば自分の評価はさほど気にもならないため、全く記憶していなかった

 なるほど、その道理であれば俺にもお鉢が回ってくる可能性は十分にある。ただ、

 

・・・・・なんか、爆豪あたりからめちゃくちゃ睨まれてないか・・・・・?

 

 この二日間で知れた僅かな情報しかないが、爆豪勝己という人間は自尊心が高く、それに見合って向上心も高い。

 より高く、常に上へ。

 彼の横柄な態度は、翻って自己の価値をより上位のものとせんとする心意気からだ。

 その彼の前で、先日の入試において自らより優れた成績だった者が明示されたら、彼の闘争心に火を着けても不思議ではない。

 

・・・・・それにしたって、そこまで敵意向けなくても・・・・・。

 

 ただの入試の、おまけに相手は意思の無いロボット。

 隠し評価こそあったものの、それ以外ではその時の時運や相性でどうとでも変動するものでしかない。

 あの時の成績が俺の方が上だったからといって、それが俺が爆豪より優れている理由にはならない。

 彼が、そこまで俺を目の敵にする理由は無い筈だ。

 

「・・・・・とりあえず、お話は分かりました。それで、対戦相手と、俺のパートナーはどうなるんです?」

 

 指名されてしまった以上、いつまでもごねていても仕方ない。

 どの道、授業は受けなくてはならないし、俺も時間を無駄に浪費するつもりは毛頭ない。

 この中で最も優秀だったペアと訓練できるというのなら、それは願ってもない事だ。

 

「まず、君の対戦相手となるペアだが――轟少年・障子少年のペアだ!!」

 

 なるほど、轟・障子ペアか。

 今回の訓練を通して、最も強烈な印象を残したのはこの二人だ。

 轟による、その絶大な威力を誇る凍結の個性及び絶妙なコントロールは、相手に一切の抵抗をさせず無力化させる。

 そしてそれをより緻密に実行可能とさせるのは、相方である障子の索敵あってこそ。

 異形型の個性を持つ彼は、肩から左右二本ずつ、計四本の触手を有し、その先端に自らの体の一部を複製するようだ。

 先程の試合では耳部を複製していた事から、それはビル内の微細な音を聞き取るほど鋭敏なのだろう。

 

 この二人の相性の良さもあって、最初の試合ではものの数秒でヴィラン側を無力化し、すぐさま核の確保まで至った。

 戦う相手としては、申し分のないペアだ。

 勝ち負けはさておき、得られるものは多いだろう。

 

「そして君と組むパートナーだが、一番最後という事と相手が成績最優秀ペアである点を考慮して、この二人以外から君が選んでくれ!」

 

 それはまた、なんとも都合の良い話だ。

 相手が如何に成績が最も優秀なペアとはいえ、情報アドバンテージという点においてこちらは圧倒的優位に立っている。

 体力に関しては、彼らの第一試合の顛末から相当な余裕はあるだろうが、それでもこちらが有利な事には変わりない。

 いっそ、二対一ぐらいの方が塩梅としてはトントンだったのではないか。

 

・・・・・まあ、選ばせてくれるって言うんなら、ありがたくそうさせてもらおう。

 

 俺とて彼らに勝つ気でいる。

 情報や体力面で有利とはいえ、それに胡座をかく気もなし。半端な姿勢で訓練に臨むほど、楽観的ではない。

 勝つ為の手段は、選び得るものはなんでも利用する。

 

「それじゃ、遠慮なく――」

 

 

 

 

「――それで、何で私を選んだんです?」

「そりゃ勿論、勝つためだよ」

 

 指名させてもらった八百万を伴ってビルに踏み込み、渡された見取り図を片手にその構造を想起する。

 よくある廃ビル、或いは工事中の建物といった感じで、内部には程よく小部屋があり、そちらは廃材やら建築素材やらが放置されている。

 屋内戦をする分には、いい塩梅の配置といったところだろう。

 こちらがヴィラン側である事も考慮すれば、勝ちの目は十分ある。

 

「いえ、ですからそうではなくてっ。何故、私だったのかを聞いているんですっ!!」

 

 背後からの叫びにも似た問いに反応し、彼女へと振り返る。

 語気の強さからも分かる通り、彼女が現状に対して強い疑問や不満を抱えているのはよく分かる。

 

「いきなり指名されたと思ったら、特に説明も無くここまで連れて来て。まさかとは思いますが、顔見知りだったから選んだ、とは言いませんわよね!!」

 

 無論違う。

 そんな安易な理由でパートナーを選ぶほど酔狂でもなければ、俺は自分に自信があるわけでもない。

 とはいえ、ここまで碌に説明もせず付き合わせたのは事実。

 彼女の怒りを、理不尽と言う気はない。

 

「さっきも言ったけど、勝つ為に八百万を選んだ。真剣に、お前となら勝てると思って指名した。ここまで黙ってたのは、向こうに無闇に情報を渡したくなかったからだ」

「・・・・・嘘は、ありませんわよね?」

「当然だ。皆、それぞれ強みはあるけど、今回のルールでなら、八百万が一番あの二人と相性がいい」

 

 故に、パートナーとして来てもらったと。

 彼女に真っ直ぐ向き合う事で、その意志を伝える。

 

「・・・・・・・・」

 

 しばし無言のまま、彼女は俺を見据えていた。

 そして検分が終わったのか、一度眼を閉じ深く息を吐いた彼女は、改めてこちらと向き合った。

 その眼に宿るのは、確かな闘志。

 

「――では、作戦をお教えくださいますか、衛宮さん?」

 

 

 

 

 

 

「――時間だ」

 

 オールマイトからの開始宣言を受け、轟焦凍と障子目蔵はビルへと足を踏み入れた。

 先にビルに入った衛宮士郎と八百万百は、既に準備を整えている事だろう。

 

・・・・・しかし、何で八百万を選んだ。

 

 轟焦凍にとって、衛宮士郎は謎の多い人物だ。

 先日の個性把握テストでは上位十名には並んでいたものの、その結果はさほど目覚ましいものはない。

 増強型や異形型でもない以上、身体能力・機能は通常の人間の範疇を超えない。

 その個性もまた、利便性は高いもののそれほど高性能というものでもない。同じ創造型の個性というなら、相方として指名された八百万の方がよほど上等だろう。

 

 しかし、テストで見せた弓による射と、一般入試での最優秀者であるという事実は見過ごせない。

 彼の中で、衛宮士郎はパッとした印象の無い人物だが、その反面、残した記録は無視し難いものがある。

 自身の中での評価と現実のそれが噛み合わずに矛盾する。

 

 その上、ビルごと凍結させうる自身の個性を把握した上で八百万を指名した不可解さも、ある種の不気味さを感じさせる。

 八百万のスタイルであれば、個性で創造した物でトラップを仕掛けるというのがセオリーだろう。

 だがそんなものは、一緒くたに全て凍らせてしまえば機能しなくなる。その時点で、直接的な戦闘能力に秀でない八百万は大きくその戦力を減じさせる。

 仮に、衛宮士郎がこの1-Aでもトップクラスの実力者だと仮定して、そんな男がこの事実に気づかないのか、という疑問が拭えない。

 

・・・・・関係ねぇ。どっちにしろ、やる事は一つだ。

 

 依然、相手の思惑は不明だが、その作戦ごと上から捩じ伏せれば、そんなものは意味を成さない。

 何か仕掛けがあるとしても、相応の弱体化は望めるだろう。

 

「どうだ。あいつらの位置、把握できるか?」

「――五階の広間に一人。もう一人は・・・・・すまない、なんとも言えない」

「・・・・・そうか」

 

 轟にとって、ここで二人とも見つけられるのがベストではあるが、その点は向こうも対策をしているという事。

 既に彼らは戦闘時の様子を知られている。相応の準備をするのは当然だろう。

 

「今度も一気に凍らす。外で待ってろ」

 

 素気なく告げ、轟は通路を進む。

 広間に一人で陣取ってる以上、そこに仮想核が配置されていると見ていい。

 ならそこだけ威力を弱めて、相手の無力化に十分なだけの出力で凍結させる。

 もう一人は、障子がもう一度索敵し道中で見つけるか、或いは無視して核を確保してしまえば楽だろう。

 いずれにせよ、この一手で決着であり――

 

「がっ・・・・・!?」

「・・・・!?――障子!」

 

 背後から聞こえた呻きに、必然的にその方向を確認せざるをえなくなる。

 振り返った先では、いましがたビルを出たばかりの障子が蹲っていた。

 

「おいっ、どうした!」

 

 捨て置く事もできず、入り口まで駆け寄り確認しようとする。

 

「来るな、轟・・・・・!」

「・・・・・っ!」

 

 静止の言葉に、踏み留まる。

 

「――やられた。外に出て少し振り返った瞬間、屋上から狙い撃たれた」

 

 そう言う障子の額は、ほんのり赤みがかっており、近くには矢が五本転がっている

 矢の数から考えて、額以外も撃ち抜かれたということか。

 何より驚くべきは、彼の体に確保テープがかかっている事だった。

 

「ほぼ同時に五本、うち二本は後端にテープを取り付けて、俺を挟み込むように撃ち込まれた」

 

 それが事実なら、彼は障子が外に出てほんの少し振り返った一瞬を正確に狙い撃った事になる。

 それが仮に、初めから待ち受けていたが故の奇襲なのだとしても、ほんの僅かな刹那に弓矢でテープを巻き付けるほどの技量は、驚嘆に値する。

 

「加えて、撃ち抜かれたのは眉間、頸動脈、心臓。どれも人体の急所だ。鏃は無かったから傷は無い。ただ――」

 

 実戦なら死んでいた。

 言外に、障子はそう言っている。

 今回の訓練では、仮想核の確保か相手チーム全員の捕獲が勝利条件となっている。

 気絶しても、制限時間内に動けるのなら、ルールとしては続行可能だ。しかし――

 

「訓練とはいえ、確実に絶命する攻撃を受けた――済まない、俺はここまでだ」

 

 訓練であるが故に、その容態は現実のそれに則ったものであるべきだ。

 彼らの中に、致命傷からでも蘇生可能な個性を有する者がいたのなら話は別だが、このペアにそういった人間はいない。

 相手がヴィランとしての設定である事を鑑みても、致死レベルの攻撃を受けたのなら、その時点で命を落としたも同然だ。

 仮に、確保テープを巻き付けられていなかったとしても、障子はその時点でリタイアを申し出ただろう。

 

「・・・・・やってくれるな、衛宮」

 

 障子の決定を受け入れ、再び一人で進む。

 どちらにせよ、初めからする事に変わりはない。

 このペアにおいて、障子目蔵の役割は相手の位置などを把握する索敵要員。それを果たした時点で、彼の仕事は終わっている。

 後は、障子の様に邪魔を受けないうちに、このビルを凍結させる。

 

「――今度は、こっちの番だ」

 

 今度こそ発揮された轟の個性は壁を、床を、天井を伝って瞬く間に広がり、ものの数秒でビル全体を凍らせた。

 

――『半冷半燃』

 

 それが轟焦凍が有した、規格外の個性だった。

 右半身は冷気を、左半身は炎熱を操り、それぞれがその属性に合った現象を引き起こす。

 右半身の力を使えば氷を操り、ビル一棟を一瞬で丸ごと氷漬けにするほどの冷気を発することができる。

 この力を用いて、彼は一度目の試合を相手に抵抗させる事なく完封していた。

 学生である事を考慮しても、能力としての高さは既にプロレベルの実力を兼ね備えているのが彼だ。

 

・・・・・さあ、どう来る。

 

 障子が脱落するというアクシデントはあれど、流れとしては第一試合と大して変わりない。

 であれば、彼らもまた同じようにその動きを封じられ、無念にその顔を歪めているのだろうか。

 

・・・・・んなわけねぇよな。

 

 相手の思惑も実力も未知数のままだが、この一手で制圧出来たと楽観できるほど、容易な相手でないのは確かだ。

 前回の試合内容から、障子が孤立する事を見越して撃破した衛宮士郎が、凍結に対して何の策も持たない筈がない。

 加えて、彼の相方は八百万。無数の無生物を創造する彼女なら、こちらの凍結を無効化する術を有していてもおかしくはなく、その頭脳も明晰である事は察せられる。

 

 この一手は精々、相手を弱体化させた程度が関の山。

 ここから先、相手からの反撃が襲ってくる筈。

 故に轟は、慎重にその歩を進めた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 みしり、と薄氷を踏み破る音が耳に届く。

 ビル全体、氷に支配された無音の世界。

 吐き出す息の些細な音ですら、大きく感じられる。

 

「・・・・・・・・・・・なんだ?」

 

 カ、カ、カ、と。

 断続的に、不規則に響く硬質な音。

 静寂に満ちた通路であったから気付けた。

 それは、徐々に轟に近づいており――

 

「・・・・・!?」

 

 咄嗟の反応で身を翻した事が、彼を救った。

 謎の物体が、通路を高速で跳ね回りながら、轟目がけて襲い掛かってきた。

 僅かでも反応が遅れていれば、間違いなくそれは彼を捉えていた

 

「・・・・・っ!」

 

 いったい何が、轟がそう考える間も無く、同じ存在が迫っている。

 それも、更に数を増やしていた。数にして同時に三つ。

 どれひとつとして同じ軌道は描かず、ランダムなルートで向かってくる。

 回避は、困難。

 

「・・・・・っ、何だってんだっ!」

 

 不規則な軌道に戸惑い、回避ではなく防御を選択。

 右半身より、自身を覆うようにドーム状に氷壁を生み出し即興の盾とする。

 ガ、ガ、ガ、と三度音が続き、氷壁にその物体が突き刺さった。

 

「これは、矢か・・・・・?」

 

 氷に囚えた事で、その正体をようやく知る。

 そこにはドームを貫通し、半ばで停止した三本の矢があった。だが、その形状は通常の矢のように、直棒ではない。

 薄く引き伸ばした細い板に捻りを加えたような、しなりを持った矢。

 そのしなり故か、突き立った矢の後ろ側は、未だ衝撃によって振動している。

 それが意味するところを理解して――

 

「弓で跳弾でもしたっていうのかよ・・・・・」

 

 俄には信じがたい事実だった。

 だが現実として、これらの矢は通路を跳ね回りながら轟へと迫ってきた。

 矢の形状からしても、その考えは間違っていないだろう。

 いったいどれほどの技量があれば、このような絶技を実現できるというのか。

 こと弓による射という一点において、衛宮士郎は常人を遥かに凌駕した地点にいる。

 

・・・・・そもそも、こっちは見えてねえだろ。

 

 再度襲いかかる矢を防ぎ、その仕組みに頭を悩ます。

 衛宮士郎がどこに陣取っているのか、障子がいない今、それを知る術は轟には無い。

 だが少なくとも、目視できる範囲でいない事は確実だ。

 それで、どうやってあの不規則かつ正確な射撃を行なっているのか、それが分からず――

 

「――いや、そもそも狙ってないのか・・・・・?」

 

 どの矢も明確に自身に向かって飛んできた為、それが精密な狙撃によるものと轟は考えた。

 だが、その考えが間違っていたとしたら――?

 

・・・・・矢はどれも、入り口に向かってきた。てことは――

 

 精密なのではなく、あえて雑な狙いで放つ事で、確実に軌道に巻き込む射撃をした。

 そう考えれば、目視せずとも彼を捉えられている現状に説明が付く。

 依然、その技量が隔絶したものである事には変わりないが、少なくとも遠方から常にその動きを把握している、などという理不尽はあり得ないはずだ。

 

・・・・・だったら、一気に押し切る!

 

 決定すると同時、すぐさま走り出す。

 既に残り時間十分をきっている。

 受けに回って慎重に進んでいては、矢が飛んでくる頻度からして、確実に時間切れになる。

 ならば強引にでも走り抜け、最速で仮想核を確保する。

 

・・・・・道中、襲いかかってくる矢は反射でその都度迎撃していけばいい。

 

 矢の威力は既に知れている。

 その進行方向に踏み込む瞬間、氷で受ければそれで――

 

「――ーっ!?、つぅ・・・・・」

 

 その疾走は、彼の意志によらずに早くも阻まれた。

 通路を駆け抜け、曲がり角を曲がった直後に、彼は盛大に転倒した。

 転けた際の衝撃で舌を噛んだりしなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 いったい何故、このような無様を晒す事になったのか。

 倒れ込んだ姿勢のまま、足元にその元凶を見る。

 

・・・・・凍りついた、箱・・・・・?

 

 精々、高さ10cmかそこらしかない小箱。

 走っている時に足に触れたとしても、そのまま蹴飛ばしてしまいそうなそれはしかし、ビルごと覆い尽くす氷によって、凍りつき完全に固定されていた。

 轟は、その凍結した箱に足を取られ転倒したのだ。

 

・・・・・こっちの個性を利用されたっ・・・・・!

 

 対策は練ってきていると思っていた。自身の戦い方に対応してくるだろうと考えていた。

 だが、こんな形で自身の個性を逆手にとられるなど、彼は考えもしなかった。

 

・・・・・それ以前に、こんなちゃちな罠、普段ならかかりもしねえ・・・・・!

 

 これでもう、轟は当初の速戦即決を続行できない。

 彼がどれだけ急ぎたくとも、こんなトラップがあとどれだけ仕掛けられているか分からない。

 走りながらそれらを警戒し、なおかつ飛んでくる矢に対応しなくてはならない。

 

「衛宮、士郎・・・・・!」

 

 忸怩たる想いに呻きながら、未だ姿すら掴めぬ対戦相手の名を口にする。

 その間にも、矢は無情にも襲い掛かり、倒れたまま迎撃を余儀なくされる。

 刻限は、徐々に近づいている。

 

――仮想核<ターゲット>は、未だ遠い。

 

 

 

 

 

 

・・・・・予想以上、というべきか。

 

 生徒達と共にモニタールームで対戦を観察するオールマイトは、衛宮士郎という人間の実力の程に、いま一度驚きを感じていた。

 

 そもそも今回、わざわざ彼一人を残して成績最優秀ペアに当てたのは、未だ実態の分からないその力を試すためだった。

 原理も原因も不明な特異な個性。

 それをただ一人でここまで鍛え上げた衛宮士郎が、どれほどの実力を有するのか。

 調査という観点からも、教育方針の模索という視点からも、現状における彼の力を把握したい。

 それが、衛宮士郎に対する雄英としての本音だった。

 

 轟・障子ペアという強敵を前に、その個性を如何に運用し、彼らに立ち向かうのか。

 轟焦凍という人間は個性及びその練度が一年生としては非常に高く、試金石にはうってつけだった。

 

 だがその思惑は、ものの見事に裏切られている。

 雄英が知りたいのは、あくまで衛宮士郎が保有する個性としての力だ。

 だが彼は、その個性を最大限生かして彼らに立ち向かうのではなく、あくまで戦略的な――盤面上での勝利を重視した立ち回りをしている。

 

「何つーか、もはや狡いとかそういうの通り越してえげつねーな、衛宮のやり方」

「情報が割れてたとはいえ、あの轟ちゃんをここまで手玉に取るなんて・・・・・」

 

 対戦を観戦する生徒達が、引き攣った顔でそうこぼした。

 他の者も同じ意見なのか、多くの生徒が頷いたり、口々に見解を述べている。

 

 一度目の轟・障子ペアの対戦内容を踏まえ、屋外に退去した障子を瞬く間に無力化。

 轟がビルを凍結させるもこれを回避し、ビル内の上階から一階入り口に向かって弓矢で跳弾を行うという、離れ業までやってのけた。

 このペアが最初に残した印象が強かった分、二人を終始、翻弄する衛宮士郎の戦略及び戦術は、強烈に映る。

 その上、轟の個性を利用したトラップまで仕掛ける始末。

 

・・・・・こういう作戦を思いつくのも大したものだが、人の心理をよく理解している。

 

 真っ先に相方を行動不能にし、矢による攻撃で足止めし、轟をその場に釘付けにした。

 この時点で既に五分が経過しており、身動きを封じられている轟は少なからず焦っていた。

 それ故、防御を止め攻撃に転じる事で勝利しようとしたのだ。

 その、焦りと勝機を見出し一歩を踏み出した意識の隙を突き、転倒などという古風な方法で罠にかけた。これで轟は出鼻を挫かれ、さらには以後も同様のトラップを警戒せざるをえなくなった。

 

 人間、急いでいる時、焦っている時ほど注意が散漫になる。

 普段であれば回避できる危険も、逸る思考のままでは見えなくなる。

 事実、曲がり角を曲がって少し先に設置されたトラップに、轟は気付きもしなかった。

 あの状況で彼が速戦即決に出ると分かった上で、この戦法を実践したのだ。

 

 入試の段階で既に高い実力を有している事は分かっていた。

 だがここに来て、その戦略・戦術眼においても、目を見張るものがあると理解させられる。

 いったいどんな鍛錬を積んでくれば、この年齢でここまで俯瞰した戦いを行えるというのか。

 No. 1ヒーローたるオールマイトをしても、衛宮士郎の戦い方は異常に映った。

 

「あいつが仕掛けた罠って、この先まだまだあるんだよなぁ」

 

 当たり前だが、ここまで思考して戦略を練る衛宮士郎が、最初の罠一つで満足するはずもなく。

 轟の個性を逆手に取った罠や、それに対策した上で設置された仕掛けも配置されている。

 そのどれも、容易に踏破できるものではない。

 

・・・・・結果が出る前に、こういう考えをすべきではないんだろうが・・・・・。

 

 公正に、公平に評価し、どちらに対しても贔屓目などない。

 だがその上で、オールマイトは確信していた。

 今回の対戦、勝利するのは間違いなく衛宮・八百万ペアだと。

 

 

 

 

 

 

「三階通路、階段近くですわ」

「――了解」

 

 “監視カメラ”から見える情報を伝え、それを受けた衛宮さんが矢を放つ。

 ほぼ同時に三本が射出され、飛び跳ねながら通路の奥へ消えていくのを見送る。

 もう、何本の矢を放ったのか。

 訓練開始からここまで彼は姿勢をまるでブレさせず、確実に轟さんを消耗させている。

 

「三階東廊下、“氷のカーテン”近く」

 

 彼が私の指示を受け、今度は角度を調節して放つ。

 これは、こちらが仕掛けた罠をすり抜けさせるための措置。

 せっかく用意した罠を自ら台無しにしてしまっては、元も子もない。

 

・・・・・しかし、恐ろしいほどの戦略眼ですわね、

 

 弓の技量もさる事ながら、相手の個性はおろか、この建物まで利用した戦法は、自分にもすぐに思い至れる事は無かった。

 転倒を狙って最初に仕掛けた罠など、ほんの序の口。

 通路に彼の刀剣や私が創造した金属製のポールなど様々な物を立てかけ、その上にあったスプリンクラーを誤作動させる事で、轟さんが凍結させた際に氷の壁となる様にした。

 それは下にあった通せんぼを巻き込んで凍ったため、骨子を持った事でより頑強になり、その上排除しようにも下手にやると、凍結から解除された物が雪崩れ込むという徹底ぶり。

 隙間も彼の矢がすり抜ける程度の間しかなく、人間が通り抜けるのは不可能。

 

 途中の小部屋はいくつか内側から完全にドアを押さえ、咄嗟の退避も許さない。

 たまに開く物もあるが、そちらは各階の通路に点在させているのと同様、”無線“の監視カメラで監視している。

 飛び込めば最後、衛宮さんが刀剣をそこに生み出し射出できるようにしている。

 

 他にも通路を脆くした簡易的な落とし穴や、各所に張られたワイヤートラップなどetc.etc.・・・・・

 このビルはいま、ちょっとしたトラップ地獄と化している。

 

 轟さんの個性を利用し、彼の心理を逆手に取り、短時間で効率的に建物の至る所にブービートラップを仕掛ける。

 私とて、雄英に入学するため、そしてトップヒーローになるための研鑽は欠かしていない。

 そういった兵法や戦法も学んでいる。自身の頭脳から、戦いにおいてそれらを駆使した行動が出来ると、自負していた。

 けれど、衛宮さんのそれは私に比べ、より現実的・実践的であり、現段階では戦略性、戦術性ともに彼の方が上手だ。

 加えて、彼の技量と個性も、それに磨きをかけている。

 

・・・・・油断はできませんが、おそらくこの階までは来られないでしょうね。

 

 既に時間は一分を切っている。

 現段階で三階の途中では、残り時間内にここまで来るのは物理的に不可能だろう。

 もう勝利はほぼ確定。何もせずともタイムアップとなる。――それでも、彼は手を緩めない。

 弓を構え、矢を番え、ここからは見えるはずのない轟さんを、今も視界に収めているかのように真っ直ぐと前を見据えている。

 個性把握テストの時と同じ。一切の音が消え、この場が彼に支配された様な錯覚。

 

・・・・・しばらく一緒にいると言うのに、慣れませんわね。

 

 もう十四分以上になるが、いまだにこの感覚は消え去らない。

 まるで、周囲一帯が本当に衛宮さんという存在に呑み込まれ、書き換えられたかのように思えてしまう。

 彼は錯覚だと言うし、私もそれに異論はないが、そうと分かった上で、この雰囲気に圧倒される。

 

 これは彼の凄まじい集中力が生み出す、一種の力場のようなモノなのかもしれない。

 こうまで射に専心を向けられる彼が、その矢を外す未来が見えない。

 きっと彼の中では、相手が回避したり防いだりする事も、全て見えている結果でしかないのかもしれない。

 

『タイムアーーップ!!勝者、ヴィランチーム!!!』

 

 制限時間が過ぎ、オールマイト先生の宣言が響き渡った。

 結局、轟さんは四階に足を踏み入れることなく終わったようだ。

 訓練は勝利で終わったが、私は彼の戦いが衝撃的に過ぎて、勝利の余韻をそれが上回っている。

 喜びは、あまり湧いてこなかった。

 

「お疲れ様。お前がいてくれたおかげで勝てたよ、八百万」

「・・・・・いえ、こちらこそ」

 

 創造した弓を消した衛宮さんは伸びをし、その体を解している。

 その顔は普段の無愛想なものに戻り、さっきまでの無機質な表情は鳴りを潜めている。

 

 彼は、私がパートナーだったから勝てた、と言ってくれた。

 その言葉は嬉しいし、自身が大いに作戦に貢献できたと理解している。

 初めに彼が言ったように、今回のルールでは確かに私達は轟さんのペアと相性が良かったのかもしれない。

 

 しかしそれ以上に、衛宮さんの力が大きく作用していた事実には変わりない。

 私だけでは、ここまで使った創造物全てを有用に扱う事は出来なかったかもしれない。

 おまけに道中で轟さんを常に消耗させることができたのは、彼の常軌を逸した弓の腕前によるもの。

 私では、こうはいかない。

 

「さ、俺たちもさっさと戻ろう」

「・・・・・そうですわね」

 

 衛宮さんの後をつき、講評を行う部屋へと戻る。

 その途中、頭を占めるのは彼の戦い方、そして似た個性でありながらこうまでかけ離れている、それぞれの能力の違い。

 彼は、自らの個性が特殊だと言った。その事については聞かなかったし、訓練前も彼が出来ることの説明も、短時間だった為にあまり聞けなかった。

 戦いにおいて彼との間に違いがあるというのなら、それこそが最も大きな要因なのか。

 

・・・・・短絡的な考え方ですわね。

 

 個性も特殊なら、戦いがそれに伴って特殊であるとは限らない。

 相手の思考、場の特性を理解し、利用し、決して相手の土俵には乗らない。

 その戦い方は個性から来るものではなく、彼自身が身につけたものだ。

 同型の個性でありながら存在する差異は、ただ別の人間であるというだけでしかない。

 しかし、だからこそ。

 

――彼にはいったい、どんな光景が見えているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

「四人とも、お疲れ様!早速だが、講評のお時間だ!!」

 

 訓練を終え、モニタールームに戻ってきた俺たちをオールマイトが明るく迎え入れる。

 轟はともかく、こちらの疲労などたかが知れているが。ただ、八百万は個性の性質上、使い過ぎると消耗するから、後でその辺りは確認しておこう。

 

「今回の訓練、他の皆とは大きく条件の異なるものではあったがその分、見るべき点も多々あった。何か意見のある子は手を挙げてくれ!!」

 

 オールマイトが生徒達に向けて挙手を促す。

 俺としては、あまりにも皆のやり方とかけ離れすぎて、若干浮いているのでは、と恐々としている。

 

「はい、先生」

 

 投げかけられた問いに真っ先に答えたのは、大きなまん丸い目が印象的な女子。

 確か・・・・・蛙吹さん、だったか。

 

「衛宮ちゃんは、轟ちゃんの個性と戦い方を把握した上で、それを常に逆手に取った戦法を選んでいたわ。上手く自分とパートナーの個性を利用して、時間稼ぎをしていた。そのおかげで、轟ちゃんは制限時間一杯まで足止めを喰らうことになっていたわ」

 

 分かりきった事ではあったが、こうして目の前で堂々と自分の訓練の様子を評価されると言うのは、良くも悪くも気恥ずかしいものがあるな。

 俺自身は、八百万の協力のおかげで、出来ることはやりきったと考えている。

 それが彼らの目にどう映っているかは分からないが、せめて恥ずかしがらずに胸は張っておこう。

 

「轟対策っていうなら、八百万、仕掛けた罠とかになに撒いてたんだ?」

 

 今度は切島が、八百万に向かって問いかけた。

 こちらでは映像しか見えないし、見た目からでは分からないのも仕方ない。

 

「融雪剤、もしくは凍結防止剤と呼ばれるものです。轟さんが初手でビルを凍らせてくるのは、分かりきっていましたから」

「カメラとか動作させたい罠の類は、あらかじめ氷がすぐ溶けるように細工をしてもらったんだ」

 

 わざわざ彼らの戦法を見させてもらった上で訓練を行ったのだ。

 それを活用せず無策で挑むのは、却って彼らに失礼だろう。

 だからこそ、徹底的に彼らの強みを潰し、利用する戦い方を選んだ。

 こっちがヴィラン側というのなら、拠点に罠を仕掛けておくのは当然だしな。

 

「勿論、それらも大事だが、衛宮少年が今回の訓練で重視したのはもう一点あるぞ!」

 

 生徒達の意見を肯定しつつ、皆にさらに踏み込んだ思考を促す。

 それを最初に気づいたのは、飯田くんだった。

 

「・・・・・衛宮くんはおそらく、轟くんの心理状況を考慮した上で、罠を仕掛けていたように思えます・・・・・轟くん、ひとつ聞いていいか」

「――なんだ?」

 

 飯田くんが何かを確認しようと、轟に声をかける。

 聞かれた本人は、やや間があったものの、素直に応じた。

 

「君は、仮想の核が何処にあると考えていたんだい?」

「五階の大部屋だと考えてたが・・・・・」

 

 それはそうだろうな。

 訓練開始時点で八百万にはそこで待機してもらっていたし、俺も障子を無力化した後は、直ぐにそっちに合流し、部屋に面した通路から狙撃してたし。

 だから、彼がそこに核があると“誤解”するのは自然な事だ。

 むしろ、そうでなくては困る。

 

「やはりか。・・・・・轟くん、仮想核は五階ではなく、四階の角部屋にあったんだ」

「・・・・・!」

 

 驚いた顔で、轟がこっちを見てくる。

 ここまでの訓練の様子や、俺たちの個性なんかを考えたら、目標の前で待ち構えていると考えるのが普通だろう。

 当然、障子はこっちの大まかな位置を把握してくるはずだから、そこに核があると考える。

 こっちとしては、まさしく()()が狙いだった。

 

「核が最上階にあり、そこで二人が防衛しているという先入観。そこを衝いて、あえて誤認させる様な動きをしていた。常に相手の思考や行動を予測した上で、彼らは作戦を展開していた様に思えます」

 

 衛宮士郎には、大それた力はない。

 弓に関しては相応に自信があるが、それ以外はからっきしだ。

 身体能力は人間の範疇を出ず、長く鍛え上げてきた剣の腕は、どこまでいっても凡人の域を出ない二流だ。

 そんな俺が轟みたいな奴に勝つには、自分たちの力だけでなく、その場の全てを利用し尽くさねばならない。

 訓練場の特性、相手の性質、行動パターン。碌な付き合いのない彼らではあるが、前もって戦い方を見れたことが幸いした。

 それがなければ、おそらく最初の一手で大きな痛手を被っていた。

 

「最初の罠なんかもそうだが、相手の能力のみならず、その思考や性格を予測するというのは、戦いにおいて重要なファクターだ。如何に強い力を持っていても、どう動くかを知られていては、容易に対策されてしまうからね!!」

 

 飯田くんの見解に、満足そうに頷き、講釈を述べるオールマイト。

 トップヒーローである彼も、そういった予測や対策に苦しめられてきたのだろうか。

 常に不敵な笑みで人々を励まし、ヴィランたちを恐怖に陥れてきたNo. 1ヒーロー。

 その大きな背は倒れる事なく、敗北や失敗など、まるで知らないようにも思える。

 

・・・・・けど、だからこそ、見せないようにしているだけかもしれないな。

 

 確かに彼は偉大だ。

 その力も、在り方も、常人には到底辿り着けない領域に在る。

 だが、それに比例して彼が背負おうとするものは多い。――いや、“多すぎる”。

 

 自らを平和の象徴と定義し、偶像として人々を照らす。その過程で、ただの一つも取りこぼさずにここまでやって来たなど、俺は思わない。

 犠牲は確実に存在し、しかし自らがシンボルであるからこそ、それを悟らせてはいけない。

 彼が真実、心の底からのヒーローであるというのなら。その隠さねばならない影に、どれほどの傷を負っているのか。

 未熟者の俺には、到底計り知れない事だ。

 

「皆、今回の訓練ではそれぞれ得るものも多かったはずだ。内容も初回にしては随分良かった。今日、学んだ事をしっかりと反省し、今後に活かしてくれ!!」

「はい――っ!!」

 

 そう言って締め括ったオールマイトは、負傷して保健室に運ばれた緑谷に講評を聞かせに行くと告げて、俺たちの前から立ち去った。

 その際、やたら猛スピードで走って行ったのが気になったが。何か、急がねばならない理由でもあるのだろうか。

 まあ、気にしてもしかたないか。

 いまはとりあえず、八百万の体調だけ確認してから、さっさと着替えて教室に戻ろう。

 

 




 全話で言いました通り、二話続いての投稿です。

 前々からヒロアカを見ていて思ったのですが、轟は個性の制御及び運用については突出するものがありますが、当人の戦闘技能や応用力なんかは低いんでしょうかね。
 個性柄、少々大雑把な面があったり、近接格闘能力は低く、自らの個性が効きづらい相手にはとことん苦戦するような印象を受けます。
 今回のお話では、そういった点を士郎に衝かれることになりました。もっとも、先に彼らの戦いを見ていなければ、士郎も大いに苦戦しましたが。

 拙作も、そろそろUSJ襲撃が近づいてきましたが、作者としましても描くのが楽しみなポイントです。
 その際には、是非とも衛宮士郎の勇姿(ズタボロ)をお見逃しなく。


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綻びの前触れ

 みなさんこんにちわ、なんでさです。

 前回更新時二話連続投稿したんですが、アクセス解析等からそれに気づかず、二話目のみをご覧にあっている方がいる可能性があります。
 前話前書きでも後にお知らせいたしましたが、こちらでもご連絡させて頂きます。
 もしお暇があれば、大7話『凍りついた迷宮』の前の第6話『紅い背中』もご覧ください。


「・・・・・・・・」

「難しい顔してるわね」

 

 自身のデスクで記録映像を確認する相澤に、ミッドナイトが声をかけた。

 ここ最近、衛宮士郎という要観察対象についての情報共有のため、この二人が会話する姿がよく見られていた。

 そして今回、その事について話すというのであれば、彼女はいいタイミングでやってきた。

 

「・・・・・これ、どう思います」

「んー?」

 

 相澤は体を傾け、自身がそれまで視聴していた映像をミッドナイトに見せる。

 そこに映っているのは、1-Aが行った第一回目のヒーロー基礎学の訓練内容。その中でも、ある対戦カードにフィーチャーしたものだった。

 

「これ、士郎くんの訓練映像よね・・・・・どういう状況?」

「対戦相手のうちの生徒の個性利用した上で、ビル丸ごと罠尽くし、てところです」

「・・・・・エグいわね」

 

 一連の流れを確認したミッドナイトが、思わずといった様子で呻く。

 相澤が言った通り、そこにはビル全体を罠で埋め尽くし、対戦相手を一方的に翻弄する衛宮士郎と、そのパートナーである八百万百の姿が映っていた。

 

「今の段階で実戦レベルのトラップ仕掛けられる奴なんて稀ですが、重要なのはそこじゃない」

「ええ、分かってる・・・・・彼の弓、よね」

「“あの話”、スナイプに通してんでしょう?」

 

 ミッドナイトと相澤は、衛宮士郎に対しある提案を持ちかけるつもりであった。

 より正しく言えば、衛宮士郎に直接伝えるのは彼らの同僚だが。

 それは、あまりにも危うく、自ら死地に飛び込んでしまう彼がその命を落としてしまわないよう、少しでもその捨て身を抑制する為の策であった。

 

「実際に見てもらわないことには何とも言えないけど、入試の時に見せた腕前と、この跳弾を考えれば、受け入れてくれると思うわ」

「あとは、あいつが受け入れるかどうかですが・・・・・」

 

 問題なのは、結局のところ、この話を受けるも受けないも彼次第というところだ。

 この提案に、彼がノー、と言ってしまえばそれで終わり。

 話自体も、一年生にやらせるには随分性急な事ではある。

 

「いずれにせよ、早い段階で手は打っておかないと。手遅れになってからじゃ遅いから」

「・・・・・ええ、分かってますよ」

 

 現状、彼らにとって必要なのは、如何に衛宮士郎が価値を認められる提案をできるか、この一点に尽きる。

 衛宮士郎は容易くその身を投げ打ち、その命を燃やせる人間だが、同時に必要なモノ、必要な行為は容認する人間でもある。

 今回の訓練で無闇に正面対決をするのではなく、冷徹に策を練った事から、それは確実だ。

 この話が、彼にとって一考に値するものであったなら、彼は必ず聞き入れる、

 

「データは後で共有しときますんで、必要ならそっちで確認してください」

「ええ、お願い」

 

 相澤はそれで話を切った。

 衛宮士郎への対応も急務だが、彼には他にもさらに見るべき生徒がいる。

 彼にばかりかまけていられるほど、彼は余裕を持ってはいない。

 ミッドナイトもまた、自分の仕事に戻る。

 いま衛宮士郎を最も気にかけている人物は彼女だが、彼女も相澤と同じように忙しい人間だ。

 

 おおよその状況は確認し、条件としても悪くはない。

 今の彼女にできる事は無く、またすべき事も無い。

 あとは、彼らがどう結論を下すのか、それを待つだけだ。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 呼吸を静かに、余分な雑念は取り払う。

 自身が一つの装置になったかの様に、ただ静かに己の内面を見つめる。

 深く、深く、深く、深海よりなお深く、自己に埋没する。

 

「――――」

 

 そこは、どこまでも広がる海だ。空白の五年間に得ていたモノ、これまでの衛宮士郎が培ってきたモノ、それらが積み重なって蓄積された、記憶の海。

 広がりは際限なく、俺自身の過去でありながら、俺の認識を超えてどこまでも続いていく。

 

「――――――」

 

 そこに、手を差し込む。

 記憶のイドより、沈殿し、ただ雑多に底に散乱した記録に手を伸ばす。

 けれど掴み取れるものは無く、掬った端から指の隙間から零れ落ちていくような錯覚。

 

 サラサラ、サラサラと。

 

 カタチはあるのに、それらは掴めるほど確かな存在ではない――或いは、この身がそうだと認識できていないだけか。

 望んだ記録は方々へ散り、またそれを拾い直そうとする、その繰り返し。

 

 延々と続けても、効果はまるで現れない。

 まだ、足りない。俺自身が、触れることが出来るほど、アレらを理解していない。

 深度も、強度も、あれらの記録に触れるには、届かず――

 

「衛宮、寝不足か?」

 

――そこで、潜航は途切れる。

 

 意識を浮上させ、自身に語りかけた声に応答する。

 開けた視界に、目の覚めるような赤髪が見える――切島か。

 

「――いや、睡眠はちゃんと取れてる。ちょっと瞑想してただけだ」

「そうか。けど、そろそろ相澤先生も来る頃だから、目バッチリ開いといた方がいいぞ」

「ああ。忠告助かる」

 

 自分の席に戻っていく彼を見送って、俺自身も完全に意識を戻す。

 久しぶりにあの光景を見てから、夢を見る以外に記憶を探る方法はないかと考えた。

 そうして行き着いたのが、この瞑想。

 

 普段、個性を用いて投影を行う際、自らの深部へと埋没していく工程。それを個性を用いず、ただ潜り込む感覚のみを残し、記憶を探っている。

 が、その甲斐もなく、記録を見つけるどころか、面影に触れることしか叶わない。

 分かりきった事だったが、俺はいまだにこれらの本質を理解できないでいるのだ。

 

「いつまで喋ってんだ、さっさと席着け」

 

 ガララ、と音がすると同時、相澤先生が姿を現し、未だ談笑していた生徒数人を一喝する。

 初めて見た時と変わらず草臥れた格好で、ここ最近は黄色の寝袋はいよいよトレードマーク染みてきている。

 合理性を重視した結果のスタイルらしいが、常時あの嵩張る寝袋を持ち歩いているのが、本当に合理的なのかは疑問が残るところだ。

 

「昨日の訓練、お疲れ。映像と成績、確認させてもらったが・・・・・爆豪」

 

 覇気の無い声で爆豪が呼ばれる。

 何故なのか・・・・・は、考えるまでもない。

 

「もうガキみたいな真似するな。能力あるんだから」

「・・・・・わぁってるよ」

 

 先の戦闘訓練で、爆豪は緑谷に対し異常なまでの執着を見せ、執拗に痛めつけていた。

 確保テープを巻ける状況で、あえてそうせず攻撃を続けたことから、彼の行動が私怨の類いによるものであった事は明らかだった。

 

 ただ、それが間違った事であったのは当然に理解しているのか、相澤先生の指摘に、爆豪も渋々ながらぶっきらぼうに答えた。

 多少の反発はあるものと思ったが、やはり芯の部分では冷静らしい。

 先生も、彼の力そのものは認めた上での発言だったから、余計に素直だったのかもしれない。

 

「んで、緑谷は・・・・・・また腕壊して終了か」

「・・・・・っ」

 

 次いで名を呼ばれた緑谷が、ビクッ、と身を震わせたのが見える。

 個性把握テストの時や、話だけは聞いている入試の際も、彼はそうやって前に進んできた。

 だが、その度に誰かに助けられて回復するを繰り返していては、この先も同じようにはやっていけないだろう。

 

「個性の制御、早めにできるようになれよ。いつまでもぶっ壊れては助けられての繰り返し、では通させんからな」

 

 厳しい言葉だが、確かに今のままではヒーローとしてやっていけない。

 人を救う職業のヒーローが、その度に自滅していては元も子もない。

 助けられる側も心配やら不安やらで一杯になるだろう。誰にとっても幸せな話ではない。

 

「しかしまぁ、それさえ出来ればやれる事は多い。――焦れよ、緑谷」

「・・・・・!、はいっ!!」

 

 咎めながらも、最後には激励。受けた緑谷も士気を上げている。

 

 前々から思っていた事だが、この先生は容貌やら言動やら行動やらで、ひどく恐ろしい人物に誤認してしまうが、見るべきところはきっちり見ている人だ。

 厳しい言葉は生徒の成長を願ってのこと。理不尽とも思える行動は生徒の未来を想ってのこと。

 そして、食らいつき、乗り越えようとする生徒達の特徴や行動をよく観察し、理解している。

 容姿に関しては当人の感性だが、きっと、彼は生徒に対し真摯に向き合える教師なんだろう。

 

 彼の個性といい、スタンスといい。流石は雄英、まさしく適材適所。

 彼ほど新入生に充てるのに向いている人物もいまい。

 

「――最後に、衛宮士郎」

「・・・・・へ?」

 

 え、いま呼ばれたの俺か?

 思わず惚けた声を出してしまったが、乾き気味の相澤先生の目は間違いなくこっちに向けられている。

 

・・・・・なんか、まずいことやったか?

 

 爆豪のように私情で行動したわけでもなく、緑谷みたいに自傷で大怪我負った訳でもない。

 この場で名指しされるほどの失態をやらかしただろうか?

 

「訓練で何か問題でもありましたか・・・・・?」

「・・・・・いや。訓練内容そのものに問題は無い。状況に適した戦略、相手戦力の把握・対策、どれも見事だった。――ただ、戦法が少々、実戦的に過ぎる。もう少し、自分の個性を活かした立ち回りを意識しろ」

「・・・・・分かりました」

 

 何か問題をやらかしたかとおっかなびっくりだったが、そういう話ではなくてよかった。

 評価そのものも、意外に高いものがあった。

 

・・・・・しかし、個性を重視した立ち回りか・・・・・。

 

 それは確かに、盲点だった。

 あの訓練における状況や、対戦相手である二人の力量を考慮した結果、あれが最も低リスクかつ高確率で勝利できる戦法だった。

 しかし、ここは雄英高校ヒーロー科。

 現代におけるヒーロー社会の花形であり象徴である存在が個性だというのなら、それを伸ばさず活かさないやり方は、あまり歓迎されないのだろう。

 ヒーロー科の多くは個性を伸ばす授業をしていると聞くし、今回もそういう話ということか。

 

・・・・・ただ、伸び代そのものは、さほど無いんだよなぁ。

 

 自身の個性と才能については、俺自身がよく知っている。

 この力はこれ以上、大きく伸びはしない。個性の制御も既にほぼ天井まで到達している。

 通常の方法では、個性の成長は望めないのだ。

 そうでもなければ、隙を見つけては無我になる様な事、する必要も無い。

 

 とはいえ、このやり方が雄英の、ひいてはヒーロー科の方針にそぐわないというのなら、それに見合った態度は示しておくべきだろう。

 或いは、俺には思いもつかない進展を、彼らが示してくれるかもしれない。

 無論、この鍛錬は続けるが、かといってそれにのみ固執する気も無い。

 

「さて。前置きが長くなったが、本題に入るぞ。今日はこれから君らに――」

 

 教室に緊張が走る。

 “自由な校風”を謳う雄英高校。1-A生徒一同、その尋常ならざる体質は初日に十二分に思い知らされた。

 真偽の分からぬ除籍処分に、苛烈な戦闘訓練。

 他の学校の、通常の科では味わえぬ洗礼を味わい、次は何を課してくるのかと、皆一様に身構えて――

 

「――学級委員長を決めてもらう」

 

 溜めて発言された内容は、実に当然かつありふれた議題だった。

 

・・・・・いやまあ、無い方がおかしいけど。

 

 当たり前だが、1-Aもまた、本質的には普通のそれと同じく高校生の一クラスだ。

 クラスの円滑な運営などを実現するため、学級委員という仕事が与えられるのは、何も不自然ではない。

 が、それにしても――

 

「委員長・・・・・!俺やりたいです!!」

「それ、ウチもやりたいっす」

「リーダーやるやるー!!」

「オイラのマニフェストは、女子全員膝上30cm!!!」

 

 凄まじいやる気である。

 見た感じ、クラスメイトの九割は立候補している。

 学級委員など、普通に考えればクラスの雑務を処理したり、事あるごとに担任からのお願い事を受けたりなど、兎にも角にも面倒な仕事、というのが共通認識だろう。

 相応に頭の良さも求められるし、人望のない人間には務まらない。

 だから、学級委員なんてやりたがるのは、意識の高い物好きな人間、というのが常だと思う。

 

 しかし、ことヒーロー科に限っては事情が異なってくる。

 そもそも、ここに集まった生徒達は大抵、上昇志向が強い。ヒーロー科の、しかも全国トップクラスの雄英を志望する時点で、常に上を目指そうとする心意気を持っている。

 それはヒーロー志望者においては、トップヒーローを志すという事だ。

 トップに立つ者として、他の人間を牽引する統率性やカリスマ性は備えていて然るべきである。そういった上に立つ人間としての素地は、学生の時分に培うモノ。

 そのための手段が、学級委員長の様なまとめ役の役職というわけだ。

 

 そういった意味では、この反応も当たり前のものなのだろう。

 我が強くとても集団の長には向いていなさそうな爆豪はもとより、あの気が弱く自己主張を控える緑谷ですら、遠慮がちとはいえ立候補している。

 流石は雄英生、その気骨の程は他の常人を遥かに上回ってる。

 

・・・・・それはそれとして、学級委員長に服装規定を改定する権利はないぞ、峰田。

 

 いったい学級委員長を何だと思っているのか。

 そんな力、生徒会長どころか先生にだってないぞ。

 せめて教育委員会あたりに働きかけねば話にならないだろう。

 

「――衛宮さんは、立候補なさらないんですか?」

「え・・・・・?」

 

 心中でツッコミを入れている時に、八百万から思わぬお声がけを受ける。

 俺に対し立候補の意思を確認してくる事はもちろん、彼女がそんな事を聞いてくるは思わなかった。

 

「まさか。俺はそういうの向いてないし、そもそも上に立つような器じゃないよ」

 

 心の底から、100%の本心だ。

 はっきり言って、俺には集団を導くリーダーシップも無ければ、誰彼好かれる求心力も無い。

 頭の出来も良くないし、他を牽引する立場なんて、それこそ“場違い”と言うものだ。

 そういうのは、出来るやつがやるのが一番良い。

 

「こういう仕事はさ、八百万や飯田くんみたいに、真面目で物事を広く見れて、皆を纏められる人間がやった方が良い。俺なんかはお呼びじゃない」

「そう、ですか・・・・・」

 

 俺の答えに何か思う事でもあったのか、少し八百万の元気が無いように見えた。

 そもそも、下学上達、一意専心を志す彼女が、こんな絶好の機会に真っ先に手を挙げず、俺なんかに声をかけている事の方がおかしいのだ。

 まさかとは思うが――

 

「八百万。もしかして具合でも悪いのか・・・・・?」

「え・・・・・?い、いえ。至って健康そのものですが・・・・・」

「・・・・・あれ?」

 

 なんだか気落ちしている様な雰囲気だったから、調子が悪いのかと思ったが、勘違いだったか。

 普段に比べて様子が変に感じたから、そういう訳だと思っていたんだが。

 当の本人は、おかしな事を言いますね、なんて顔してるし。

 

「まあ、俺の早とちりなら全然良いんだけど・・・・・本当に大丈夫なんだよな?」

「――ええ。何も問題ありません。ご心配いただき、ありがとうございます」

 

 そう言って柔らかに微笑むので、一瞬ドキリとしながらも、彼女の言い分に納得する。

 実際に彼女がどう感じているのか、それは当人にしかわからない事だが、八百万が問題ないと言うのなら、そういう事にしておこう。

 もし本当に体調を崩してなら、その時は問答無用で保健室に担ぎ込んでやればいいだけだ。

 

・・・・・しかし、皆まだやってるのか。

 

 八百万と少し話している間も、誰が委員長をするのかの騒ぎは続いていた。

 そろそろ先生が止めたりしそうなもんだが、見た感じ特に干渉する気はなさそうだ。自分達で決めろ、という事か。

 そんなに決まらないなら、多数決でもやればいいと思うんだが――

 

「静粛にしたまえ――!!!」

「「「・・・・・・・・・・!」」」

 

 騒々しい室内に響く、鶴の一声。

 席より立ち上がり、その高い身長も相まって皆を圧したのは、飯田くんだった。

 

「――他を牽引する責任重大な仕事だぞ。やりたい者がやれる事ではなく、皆からの信頼あってこそ務まる聖務!」

 

 教室を見回しクラスメイトひとりひとりと目を合わせながら、至って真っ当な考えを語っている。

 少しばかり大袈裟に捉えているようには感じるが、言っていることは至極当然だ。

 

「民主主義に則り、全員で真のリーダーを決めるというのなら――これは、投票で決めるべき議案!!!」

 

 力強く力説する飯田くん。

 そらまあ、委員長決めなんて普通は多数決か投票で選出するものだろう。

 ここが雄英でもなければ、こうも慌ただしくはならない。

 

・・・・・そう言う割には、すごい聳え立ってるけどな、君の腕。

 

 投票を提案したあたりから、速攻で挙手してた。

 それはもう、普段から背筋ピンの、腕もきっちり伸ばす彼であってなお、限界まで張り詰めたかの如く天を指す程の真っ直ぐさだ。

 自分もやりたいんだろうけど、生来の真面目さと公平を重んじる性格が仇になったようだ。

 まあ、公平な方法を提案する事と、自らそれに乗っかる事は別に矛盾はしないな。

 

「何でわざわざ発案したんだよ」

「日も浅いのに信頼もクソもないわ、飯田ちゃん」

「そんなんみんな自分に入れらぁ」

 

 上鳴、蛙吹さん、切島の順で飯田くんにツッコむ。

 特に蛙吹さんは言葉に容赦がないというか、身も蓋も無い事を言ってる。

 言いたい事も分からないでもないが、彼も何か考えがあってのことだろうし、もう少し手心を加えてあげてほしい。

 

「だからこそだ!付き合いの短いこの段階で、複数票を獲得した者がこそが相応しいと、俺は思う!」

 

 飯田くんはクラスのダメ出しにもめげない。

 確かにそれは逆転の発想だ。信頼が無いからこそ、人徳や能力の有無が如実に表れる、と。

 その考えでいけば、確かに日の浅さは問題にならない。それこそ適者と不適者を分けるための前提条件となるのだから。

 

「先生!そういう事でどうでしょうか!?」

「時間内に決めてくれるなら、なんだっていいよ」

 

 威勢の良い飯田くんの質問に、相澤先生は投げやり気味に答える。

 この話自体に興味が無いのか、それともあくまで生徒達の自主性を尊重しているのか。

 どうあれ、先生のお許しが出た事で、委員長決めは投票によって行われることになった。

 なお、自分に票を入れるのもアリらしい。

 

・・・・・とはいえ結局、俺としては二択なわけだが。

 

 まず、自分に入れるというのは、初めから論外だ。

 さんざん自分は向いていないと八百万に力説したんだ。当然である。

 そして、1-Aの全クラスメイトの性格やら何やらを考えると、やはり残るのは二人だけだった。

 八百万か、飯田くんか。選択肢はこの二つだ。

 

 正直、どっちに入れても甲乙付け難い。

 八百万は頭の回転も早いし、発想に柔軟さがある。彼女の気質も、前に立って引っ張っていくのは性に合っているだろう。

 対する飯田くんは、真面目さと公平さが前に出ており、この濃い面子に引けを取らず、真正面からクラスメイトと向き合う実直さがある。

 正直、どっちがなっても申し分ないのだが・・・・・まあ、やはりこちらか。

 

 投票する人物の名前を記し、集計結果を待つ。

 そして出た結果は――

 

・・・・・八百万が二票、緑谷が三票・・・・・何故か俺にも一票入ってるな。

 

 意味不明に投じられた俺への票はさておき。

 ほとんどが自分に票を入れる中、複数票を獲得したのはこの二人だった。

 しかし、最多獲得者が緑谷とは。

 誰が入れたかはなんとなく察しがつく。緑谷の入学してからの交友関係を思い浮かべれば、投票者は麗日と飯田くん以外いないだろう。

 自分も委員長をやりたいのに、その上で他人を推すあたり、飯田くんもなかなか難儀な性格だ。

 

 俺としては八百万か彼のどちらかが相応しいと考えていたが、まあ結果は結果だ。

 大人しく、ガッチガチの緑谷がクラスをどう運営していくか、これからの采配に期待しよう。

 

 

 

 

 

 

 学級委員長決めというイベントこそあったものの、それ以外は至って通常通りだった。

 午前の授業が終わり、さあ昼飯だ、と弁当片手に席を立つ。

 昨日は緑谷達に誘われて食堂に向かったが、今日はどこで食べるか。

 雄英の敷地はだだっ広いがその分、それなりに自由に使える場所は多い。屋上こそ無いものの、芝生のある広場もある。

 まだ敷地内を把握してないっていうのも含めて、母校の観察がてらその辺りで広げるのもいいかもしれない。

 

「衛宮さん、これからお昼ですか?」

 

 と、隣の席から声をかけられる。

 

「ああ。雄英の探索ついでにどこか良さげな場所で食おうかと思って」

「でしたら、私もご一緒してよろしいでしょうか。先日お話ししていた件や昨日の戦闘訓練も含めて、衛宮さんに相談したいことがありますの」

 

 先日の件、というと互いの個性について話す、という約束の事だろう。

 昨日の戦闘訓練については、互いに振り返ろう、という意図か?

 どっちにしろ、外に行くから聞かれると困る話をするには都合がいい。

 

「分かった。それなら一緒に行こうか。俺は弁当だけど、八百万はどうする?」

「私も今日は衛宮さんと同じなので大丈夫です」

 

 そういって、薄桃の包みに包まれた弁当箱を掲げる八百万。

 女子らしく愛らしい見た目だが、それに反して箱の大きさはなかなかのものだ。それこそちょっとした重箱くらいある。

 八百万はスタイルがいいから少食なのかと思ったが、案外燃費がいいんだろうか。

 

「りょーかい。なら早速行こう」

「ええ」

 

 食べる量は個々人次第なので、気にはなったが特に追求せず教室を出る。

 出る時、若干二名から視線を感じたが、まあ気にしない方がいいだろう。触らぬ神に祟り無しである。

 場所を見つけないといけないし、あまり悠長にもしてられない。

 

・・・・・しかし、長いな。

 

 今日で雄英に来て三日となる。

 引越しによる生活環境の変化、全国屈指のエリート校故の高水準の授業。どちらも完全に適応してきたとはいえないが、それなりに慣れてきたと思う。

 ただ、この異様に長い廊下には、まだまだ慣れそうにない。

 これだけ長大だと、ただ廊下を歩いているというだけで足腰が鍛えられそうだ。

 そんな益体もない事を考えていた時、ふと思い出した事があった。

 

「そういえば、今朝の委員長決め、惜しかったな。あと一票、誰かが入れてくれてれば八百万もトップで並んでたのに」

 

 個人的に彼女が委員長に相応しいと考えていたから、あの結果は少なからず残念に思っている。

 

「・・・・・いえ。あれには私の票は入っていませんから」

「え!?じゃあ八百万、他のやつに入れたのか!?」

 

 それは、正直全く予想していなかった。

 彼女の気質を考えれば、間違いなく自推してくると思っていたんだが。

 

「何でまたそんな事を・・・・・ていうか、誰に入れたんだ?」

 

 彼女が推薦するほど、他に委員長に向いている人物がいただろうか。

 ありそうなのは飯田くんくらいのものだが、彼は一票も獲得してなかったからそれは無い。

 

「・・・・・あなたです」

「へ・・・・・?」

「私の票は、あなたに入れました。衛宮さん」

「・・・・・・・・・・俺!?」

 

 固まる事五秒程。本気で驚いた。

 飯田くんあたりならまだしも、なんだって俺みたいなやつに・・・・・

 投票前に、あれほど向いていないと言ったのに、何を考えて俺に投票したんだ。

 

「あの時――」

「え・・・・・?」

「あの時、衛宮さんは物事を広く見て処理できる人間が相応しいと仰いました」

 

 確かに、彼女が俺に立候補の意思を確認した時、俺が彼女に対してそう言った。

 リーダーになる人間っていうのはえてしてそうした力に長けているべきだと考えたから。

 だからこそ俺は彼女を推したのだが、それが何をどうやったら、俺への一票に繋がるのか。

 

「先日の戦闘訓練、衛宮さんは多くの要素を考慮した上で、私ではすぐに思いつかなかった作戦を実行しました。だから、衛宮さんなら委員長をよりよく務められるのではないか、と・・・・・」

「それで、俺の方が向いてる、と」

 

 とりあえず彼女の考えは分かったが、それとこれとは別、としか言いようがない。

 俺のは、敵を打倒する、という目的に対してのみ働く戦略だ。到底、学級委員長みたいな、皆を良い方向に導いていくような能力では、断じてない。

 戦いにおいてどれだけ先読みが出来たところで、日常における物事への対応が、同じ様に出来るわけがない。

 そのあたり、彼女なら分かっていそうなものなんだがな。

 

「朝にも言ったけど、俺には人を引っ張っていくような能力は無い。そういうのは、こいつについていけば大丈夫、なんて安心を感じる様なやつじゃないと駄目だと俺は思う。そもそも、戦略性と先導力はまた別のものだろ?」

「それは・・・・・ええ、その通りです」

 

 やはり、その点は彼女も分かっているのか、俺の話をすんなり受け入れている。

 その上でなお、俺を選んだというのは、いったい何故なのか。

 

・・・・・まさか、あの訓練で自信が揺らいでる、なんて言わないよな?

 

 彼女に限ってそういうことはないと思っていたんだが・・・・・いや、それも勝手な憶測か。

 彼女が、芯のある強い人間である事は間違いない。けど、彼女も人の子、ちょっとした事をきっかけに落ち込む事など、普通に考えればいくらでもあるだろう。

 加えて、彼女はその頭脳から作戦立案については相応の自負があった。

 それがあの訓練でいくらか上回られた事で、少し気弱になっている、ということか。

 

「――八百万。昨日も言ったけどさ、お前がいなきゃあの作戦は立てられなかったし、お前がいてくれたから轟達に勝てたんだ」

 

 彼女には何度か言っている事だ。

 あくまであの戦法は彼女の存在を前提にしたもの。そうでもなければ、あの轟をああまで抑える事は出来なかった。

 罠に使用するものだけじゃなく、相手の行動を監視する為の措置。氷を溶かす措置なんか、俺は全く思いつかなかった。

 彼女がいてこそ、あの圧勝とも言える勝利が実現したんだ。

 

「それにさ。八百万は俺に投票したっていうけど、逆に八百万が獲得した票のうち、一票は俺が入れたものだ」

「そう、だったんですか・・・・・?」

「ああ。俺は確かに広い視野が必要って言ったけど、そういうのは目の前の事に対するものだけじゃなく、八百万みたいにいろんな分野に精通して、それぞれの状況に則した行動ができるやつっていう意味でもある」

 

 彼女がその個性を伸ばすため、長い間培ってきた知識。

 戦闘に関するものに留まらず、多くの事象にまつわるそれを、彼女はその頭に叩き込んできた。

 戦う事しか能が無い人間と、いかなる状況にも対応できる頭脳を持った者。どちらが集団の長に相応しいか、考えるまでもない。

 

「だから、うちのクラスで八百万が一番、委員長に相応しいと俺は思ってる」

「衛宮さん・・・・・」

「それに、八百万が自分で入れてないって事は、他にももう一人、お前が相応しいって考えてる奴がいるって事だ。そんな八百万より俺の方が向いてるなんて、それこそありえない」

 

 それが結論だ。

 俺を選んだのは八百万だけで、彼女を選んだ人間が二人はいる。

 その事実だけで、どっちがリーダーをやるのに最適な人間かハッキリしてる。

 とはいえ・・・・・

 

「・・・・・まあ、こんな話してなんだけど、どっちにしろ委員長は緑谷だし」

「そういえば、そうでしたわね・・・・・」

 

 お互いどっちが相応しいか、なんて言い合ってたが、それとは関係なく結果はもう出ている。

 既に終わった話なんだから、そう思い悩む必要の無い話題なんだ。

 

「――なんだか、色々と考えていたのが馬鹿らしくなってきましたわ」

 

 吹っ切れたように笑い、八百万はそう言った。

 真面目に考えていた彼女の悩みを馬鹿みたいなものだとは思わないが、今の話で彼女が自分の中でけりを付けられたのなら、それに越した事はない。

 

「まあ、八百万がとりあえず折り合いをつけられたんなら良かった」

 

 これから外に出て昼飯なんだ。いつまでも暗い気持ちのままじゃ、せっかくの弁当の味も落ちてしまう。

 食事は明るい気持ちで頂くに限る。

 

「・・・・・ん?」

 

 少し暗くなっていた八百万も気分を切り替え、階段付近まで来た時。

 前方から見覚えのある人物が来ていた。

 

「なあ。アレって、“スナイプ”じゃないか?」

「え?・・・・・本当ですわね。どうして一年生の校舎に・・・・・」

 

 プロヒーロー『スナイプ』。

 ガスマスクの様な仮面に、テンガロンハットを被った、西部劇に登場するガンマンのような風体の男。その容姿に違わず、特殊な形状のリボルバー拳銃を用いるヒーローだ。

 その彼が、見たところ俺たちに向かって歩いてきている。

 この雄英においては、彼はヒーロー科三年生の担任と聞いていたが・・・・・

 

「ヒーロー科一年A組の衛宮士郎は、君だな」

「ええ。俺であってますけど・・・・・」

 

 目の前まで来た彼は初めから俺が目的だったようだ。

 三年の担任に目を付けられるような事をした覚えは無いんだが、いったい何の用なのか。

 

「君と話したい事があるんだ。今、少しいいか?」

「えっと・・・・・」

 

 チラ、と隣の八百万を見やる。

 彼女はこちらに気を遣ってくれたのか、少し戸惑いながらも軽く頷いた。

 

「少しだけなら、俺は大丈夫です」

「ありがとう。君も、すまないな。そう長くはかからないから、待っててやってくれ」

 

 そう八百万にも断りを入れ、彼は俺を伴って少し離れた位置まで移動した。

 それほど長い話にはならない様だが、わざわざ二人になったあたり、あまり人には聞かせられない類の話なんだろうか。

 

「入試の時と、それから先日君達が行った戦闘訓練の様子を見せてもらった。実に見事な射撃術だったよ」

「はぁ・・・・・」

 

 いきなりの話題に、気の抜けた返事しか返せない。

 俺の弓の話をしているんだろうが、こう突飛だと、褒め言葉でも素直に喜べない。

 そもそも、何の目的があって、そんな話をしに来たのか。

 

「君の弓、威力や精度、射程はどれほどなんだ?」

「えっと、威力は番える矢によってコンクリくらいなら余裕を持って抜けます。精度は多分2、3kmまでなら精密に狙えますけど・・・・・あの、どういう用件なんですか?」

 

 彼の意図が分からず、堪えきれず質問する。

 わざわざ昼休みに担当でもない一年生の校舎に来て、おまけに名指しで俺を呼んで、何の目的か知らないが弓の腕前まで聞いてくる。

 こちらとしても、困惑せずにはいられない。

 いい加減、どういう用事があるのかぐらいは教えてほしい。

 

「――率直に言おう。俺は君を、個人的に鍛えたいと思ってる」

「個人的にって、それは・・・・・」

「射撃――いや、弓を使ってるから、射と言うべきか。ともかく、君の腕前はプロから見ても目を見張るものがある。それをいまから重点的に伸ばせば、いずれは最高峰の狙撃手になるはずだ」

「・・・・・」

 

 正直に言って、彼の話について行けていない自分がいる。

 光るモノがあるから今のうちから磨こう、というのは分かる。鍛錬を積むのは、早ければ早いほどより多くのものを得られる。

 しかし、何故いまなのか。

 

「仰ってることは分かりますけど、少し性急すぎませんか?二年生や、入って半年くらいならともかく、俺はまだ入学三日目ですよ?」

 

 そもそも、現状では自身にどんなスタイルが合っているのかの模索以前に、基礎的な技能や知識を身に付ける段階のはずだ。

 その下地が無いうちは、自らの方向性なんて決められるはずがない。

 スナイプ先生の提案は、時期尚早に過ぎるものだ。

 

「だからこそだ。他の者が自身のスタイルを確立する前の段階から、明確な方向性を持って訓練を重ねれば、それだけ他者との差がつけられるし、仕上がりもさらに磨きをかけられる」

 

 彼の言い分自体は間違いでは無いし、俺もいくらか頷く部分もある。

 そもそも、プロのヒーローが直々に個人指導を申し出てくれることなど、如何に雄英といえど、滅多に無い事だろう。

 こちらとしても、目をかけてくれるのは本当に光栄だ。けど――

 

「お気持ちはありがたいです。けど、せっかくの申し出ですが――」

 

 今回はお断りします。

 そう、スナイプ先生に言おうとした、直前。

 

『セキュリティ3が突破されました 生徒の皆さんは 速やかに屋外に避難してください』

「っ・・・・・!」

 

 けたたましいサイレン音を耳にすると同時、両の手に使い慣れた双剣を生み出す。

 その時に弁当を落とす事になったが、そんな事は気にしていられない。

 何を理由に流れる警報かは知らないが、機械音声によるアナウンスの内容からして、なんらかの危険が迫っている事を意味していると思われる。

 

「先生、この警報は!?」

「雄英内部への侵入者を知らせるものだ!」

 

 俺の問いに答えたスナイプ先生の手には、既に彼の愛銃が握られている。

 何者かの仕業かは分からないが、厳重なセキュリティが敷かれている雄英に侵入するなど、並大抵ではない。

 いったい誰がそんな事をしたかは気になるところだが、今は――

 

「八百万っ――!」

「衛宮さん、スナイプ先生!」

 

 俺たちが話を出来るように離れて待ってくれていた八百万に駆け寄る。

 彼女は、突然の事態に対し動揺は見られるが、おおむね平静を保っている。

 

「八百万、雄英内に侵入者だ」

「侵入者って・・・・・この雄英にですか!?」

 

 信じられないといった様子の八百万だが、彼女には悪いが今は少し無視させてもらう。

 侵入者というのなら、この廊下から見えるかもしれない。

 同じ事を考えているのか、スナイプ先生も窓ガラスから外の様子を覗いている。

 一歩遅れて、俺も外を見て――

 

「あれって、朝から張ってたマスコミか・・・・・?」

 

 窓から見えたのは、大挙として押し寄せるマスコミの一団だった。

 今年から雄英に教師として赴任する事になったオールマイトを直撃しようと、この二日ほど多くの報道陣が雄英周辺で機会を窺っていたのは知っている。

 しかし、彼がどこにも顔を出さない事と、“雄英バリア”と呼ばれる、許可の無い者を徹底的に入れないようにするセキュリティのおかげで、彼らはまったく取材をできていなかった。

 そんな彼らが、いったいどうやってセキュリティを突破し、敷地内に侵入できたというのか。

 

「・・・・・とりあえず、その剣はもう消しておけ。避難の必要も無いだろう」

 

 そう言ってスナイプ先生は、愛銃を手の中で何度か回した後ホルスターに収めた。

 それに倣って、俺も投影した双剣を破棄する。

 警報の原因がマスコミの暴走というのなら、無闇に外に出てはそれこそ厄介な事になる。

 大人しく校舎内で待っておけば、そのうち警報も止むだろう。

 

「・・・・・こう騒がしいと、ゆっくり話も出来ないな。さっきの件は、また後日に答えを聞かせてくれ」

 

 そう言って背を向けるスナイプ先生。

 俺が熟考を重ねられるように、という措置なのだろうが、生憎と俺にその猶予は必要無い。

 

「――いえ。さっきも言いかけましたが、その話はお断りします」

 

 立ち去る背に、ハッキリと答える。

 それに反応し、彼が立ち止まり振り返った。

 仮面の下の顔がどんな表情をしているのか、判別はつかない。

 

「・・・・・理由を聞いてもいいか?」

「そう大したものじゃないですよ。俺はただ、射撃のみのスタイルで通す気が無いだけですから」

 

 そもそも俺の弓は、あくまで個性を制御する過程で習得したものに過ぎない。

 弓道における精神性の極意が、命懸けの綱渡りを渡り切るために、自我を排するという工程に通ずるものがあったから手を出した。経緯としてはそれだけで、純粋な狙撃手とは言えない。

 俺の本分はあくまで、投影を用いた距離を選ばないスタイルだ。

 それを崩してまで弓に専念するメリットが、俺には無い。

 

「・・・・・分かった。今はそれで納得しておこう。でも、心変わりしたならいつでも言ってくれ」

「はい。もしそうなったら、その時はお願いします」

 

 今度こそ、立ち去るスナイプを見送る。

 互いに折り合いを付け、ここでの話は終わりになる。

 彼の申し出はありがたいが、今はまだ、焦って自分を型に嵌める段階ではない。

 今後に可能性を残す、程度で十分だ。

 

「衛宮さん、スナイプ先生は何のご用でいらしたんです・・・・・?」

「どうも、俺の弓を見込んで個人指導の提案に来たらしい」

「まさか衛宮さん、さっきのはその話を断っていたんですか!?」

「まあ、そうなる。申し出はありがたいんだけど、目指してるものが違うからさ」

 

 八百万の驚きも分からないでもないが、性に合わないものは仕方ない。望んでもない事柄に時間を割くなど、それこそ無駄骨というものだ。

 俺の個性や戦い方を考えれば、一つごとに専念するのはマイナスだ。

 

「そういう事でしたら、確かに仕方ありませんけど、せっかくのお誘い、勿体ないですわね・・・・・」

「しょうがないさ。今回は縁が無かったんだ――それより、時間ももう少ないし、今日は大人しく食堂で食べちまおう」

 

 スナイプ先生との話や、マスコミの侵入騒ぎもあり、随分時間を取られてしまった。

 最初に言っていた様に、場所を探して風に当たりながら、なんてのはもう出来ない。必然、八百万との話も周りに人がいる間は無理だ。

 残念ではあるが、何も今日が唯一の機会という訳でもなし。

 また後日、日を改めるとしよう。

 

 

 

 

 

 

「俺だ。頼まれてた事なんだが――ーああ。ものの見事にフラれたよ」

 

 持ちかけた提案を断られ、自身が担当する三年生の校舎に向かうスナイプ。

 その道すがら、彼はある人物に通信をかけていた。

 彼がこうして一年生の校舎に足を運び、わざわざ一生徒に入れ込むような話をすることになった、そもそもの原因。

 

「――――」

「あまり驚いてないな。端からこうなると思ってのか?」

 

 電話口の相手は、この結果に対し何ら疑問を抱いていないようだった。

 スナイプに依頼をしておきながら、それが実現しないと、そう分かっていたかのように。

 

「――――ー」

「別にそれは構わない。――ただまあ、こうしてわざわざ出向いたんだ。そう平坦な反応をされるとな」

「――――」

「いや、こっちも折を見てまた接触する気だ。乗りかかった船だしな。最後まで粘るよ」

 

 今回は、衛宮士郎から色良い返事は貰えなかった。

 だが、彼が卒業するまでに時間はまだある。スナイプにとって、早いうちに話を進めたかったのは事実だが、それは必ずしもこのタイミングでなくてもいいのだ。

 遅くとも、彼が二年生の中頃までなら、最低限の時間は残されていると考えている。

 

「礼はいい。これについては俺自身も興味がある。既に常人には辿り着けない地点にいる彼が、これからどこまで伸びるのか」

「――――」

「或いは、“彼女”をも超える射手になるかもしれん。自分が指導した生徒がそうなったら、俺としても鼻が高い」

 

 射撃戦を主とするスナイプだが、彼はある人物に射手としての力量で大きく下回っている。――いや、彼だけではない。

 この日本において、これ以上の狙撃手はいないと言われるほど、その能力は突出している。

 だが、今年になってその者を超え得る逸材が、ここ雄英へと入学した。

 

 スナイプがこうして自ら出向いたのは同僚からの依頼故だが、それ以前に、彼もまた、入試の時から衛宮士郎に目を付けていたのだ。

 だから、スナイプが頼みを受けた動機の半分は同僚のよしみだが、もう半分は当人の期待からくるものだった。

 

「楽しみだよ。彼がいずれ、日本中にその名を轟かせるのが」

 

 通話を終え、自身の仕事に戻る。

 これからどうやって彼を説得するか、そう考えながら、胸の内に期待を抱いて。

 

 

 




 ここ最近、雄英の全体像が気になって仕方ないなんでさです。

 本作を執筆するにあたり、雄英敷地内がどんな構図になっているのか、またその配置はどういうものか、そういった情報を調べたのですが、これがまあなかなか出てきません。
 アニメとか見返しても、なかなか分かりづらく、仕方なしに勝手に補完・肉付けしております。

 今後、こんな場所ねーよ、みたいな事があれば、感想欄等にて遠慮なくご指摘ください。


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始動する悪性

 

 マスコミ騒動より一週間。

 予期せぬ敷地内への侵入こそあったものの、それから特に異常らしい異常は無い。雄英側からの連絡はなく、学内のセキュリティを強化した、という話だけが通達された。

 本当にただのセキュリティ上の問題だったのか、それとも何者かの策謀だったのか。

 変わった事といえば、先週行われた学級委員長決めで見事、委員長になった緑谷が、その任を飯田くんに譲ったくらいだ。

 それ以外は至って平穏で、学園からの沙汰が無い以上、俺達学生は日々の学業に勤しむ他ない。

 

 学業といっても、教室で机について教師の話をお行儀良く暗記するだけが勉強じゃない。

 生徒が各々、自主的に語り合い、切磋琢磨する事もまた重要な学びだろう。

 

「・・・・・つまり、設計図を想起した時点で下準備は終わっている、ということですか?」

「ああ。そうなる」

 

 弁当を突きつつ、八百万の問いに短く肯定する。

 先週、残念ながら流れてしまった八百万との約束だが、なかなか都合が合わず、一週間後となる今日まで引き延ばされてしまった。

 互いに他の約束やクラスメイトからの誘いも無く、こうして芝生の上で弁当を広げてる。

 

「どういう素材で出来てるのか、どういう構造で成り立ってるのか、そういった記録が記された設計図を頭に思い浮かべる。現実に生み出すのに必要な素材の充填は一瞬だから、八百万に比べれば創造が早くなるんだ」

「そう聞いていると、設計図というよりは、金型に流し込んでいるように感じますわね」

 

 面白い表現だ、と思った。

 確かに、投影に至るまで装填される設計図は、いわば中身の無い骨組みのようなものだ。

 それを実用に耐えうる現物にする為に、設計図に適した素材が必要になる。

 それを流し込み、と表すのは、言い得て妙だ。

 

「一歩誤れば命に関わるほどのリスク、と仰っていましたけど、具体的にはどう危険なんですか?」

 

・・・・・恐れ知らずというか、肝が据わっているというか。

 

 単なる好奇心や知識欲なんだろうけど、八百万は変なところで図太い。

 遠慮が無いというわけではないのだが、少し察しが悪いのかもしれない。わざわざボカした表現をしたのにそこを突いてくるのは、できれば勘弁して欲しい。

 

「なんというか、反動で血反吐を吐くというか・・・・・全身隈なく、内側から刃で串刺しになる」

「え・・・・・?」

 

 ポカン、とした八百万の表情は、なかなかに新鮮だった。

 いつもキリッとした顔してるから、小さく口を開け惚けている姿はあまり記憶に無い。

 普段の凛然とした態度も相まって、今の彼女は愛らしく思える。

 

・・・・・まあ、嵐の前の静けさみたいなもんだが。

 

 色白で血色のいい肌は、気のせいでは片付けられぬほど青ざめ、口はワナワナと震えている。

 自分が何を聞いたのか、それを理解して・・・・・

 

「え、衛宮さんっ!全身がく、串刺しって、あなた大丈夫なんですか!?」

「言いたい事は分からんでもないが、一旦落ち着けー」

 

 掴みかかってきそうな勢いで、俺を問い詰める八百万。

 が、俺たちの間には広げた弁当があり、そもそもここは外で、少なからず人通りはある。できれば心を鎮めて、あまり暴れないで欲しい。

 

「そうは言いますけど、こんな話を聞いて落ち着いていられませんわ!」

「いやな、気持ちは分かるけど、もうそんな事にはならないから、そんなに気にしなくても大丈夫だぞ」

 

 血だるまになってたのは最初の一、二年くらいで、それ以降は暴れ出す刃の量も減っていった。

 無傷で扱えるようになるまでは五年かかったが、少なくとも死にかける事は無くなった。

 もっとも、そうなるまで傷が絶える事は無かったが、その治療費は俺の個性を調べたい国の人間が研究費を兼ねて捻出していたので、施設に迷惑をかけずに済んだのは不幸中の幸いだった。

 

「・・・・・本当に、もう大丈夫なんですね?」

「おう。俺がわざと制御を手放したりでもしない限り、もうそんな事にはならない」

 

 "そういう結果"を、引き起こそうと思えば、いつでも引き起こす事は出来る。

 けどそんなもの日常では必要無いし、俺も好き好んでハリネズミみたくなりたい訳じゃない。

 仮に、自らの意思でそんな事をする時が来たのなら、それは――

 

「あなたが無事なのなら構いませんが・・・・・けれど、そのリスクはどうにもできないのですか?」

「残念ながら。こいつがある事が、俺の個性の前提みたいなもんだから。無くしたり、訓練でどうにか出来る類のものでもないんだ」

 

 空想やイメージを形にする力自体は俺の肉体に宿るもののようだけど、より確かな投影を為す設計図や中身は、俺の精神に宿る正体不明の保管場所から来ている、という事らしい。

 その辺りの複雑な話までは俺には分からないが、少なくともその学者の話に対して、俺も感覚的に間違っていないと感じてるから、きっとそれが正解なんだろう。

 この話は少し踏み込んだものだから八百万に教えることは出来ないが、聡い彼女はその辺は察して、自己補完してくれる。

 

「それほど扱いの難しい要素なら、やはりそれこそが衛宮さんの個性の強み、なのでしょうか」

「・・・・・いや、そうとも言えない」

「と、言いますと?」

「確かに、中身が無いと俺の個性はまともな力も出せない。けどそれ以上に、俺のイメージが明確である事が一番肝要なんだ。対象への理解が深いほど、心に雑念が無いほど、イメージは鮮明になる」

 

 むしろ、それこそが本質と言っていい。

 自らの精神を力にする、自分の心をカタチにする。それこそが、衛宮士郎に許された力だ。

 より明瞭に、より頑強に、生み出す対象のイメージが強固であればあるほど、幻想は確かなものとなり、現実を斬り裂く力となる。

 

――イメージするのは、常に――

 

「八百万は、そういうのは無いか?」

「どう、でしょう。明確な構造の把握、というのなら近しいものはありますが、衛宮さんの言うイメージの重要性は私とは少々、趣が違うかと」

 

 なるほど。

 一度その構造を理解すれば、一定のイメージで、質の変わらない物を想像できる、ということか。

 

「その辺の違いは、俺と八百万の生み出すモノが、根本的には別物だからだろうな」

「確か、一度見たものを記憶し複製する、という事でしたわね」

「ああ。八百万が構造を理解する事でゼロから創造するのに対して、俺はあくまで記録した物を真似ているに過ぎない。だから、イメージがブレれば本物から遠ざかってく」

 

 そうなれば、投影物はどこまでも力を失っていく。それどころか、骨子が疎かになれば、実用にすら耐えられないハリボテが出来上がる。

 それが八百万との、決定的な違いだ。

 構造さえ理解していればどんな物でも創造できる八百万と、初めから決まった形がある故、そこから外れてしまえば粗悪品しか生み出せない俺。

 外観上、似ているとも思える俺たちの個性はその実、全くの別物だ。

 

「だから、鮮明なイメージってのは俺にとって一番、手を抜けない行程なんだ。それに、ハッキリとしたイメージをできるなら、それは他の事にも応用できる」

「他の事、ですか・・・・・?」

 

 はて、と小さく首を傾げる八百万。

 言っている意味は理解しているんだろうけど、有用かつその具体的な例が思い浮かばないのかもしれない。

 

「この前受けた、第一回の戦闘訓練が良い例だと思うんだけど。あの時も、相手の思考や行動を、それに対応する罠を明確にイメージする事で完封できただろ?」

 

 ちょうど一週間前のあの日、午後から行われた最初のヒーロー基礎学。

 そこで課せられた屋内対人戦闘訓練において、俺と彼女は徹底的に対戦相手を封じ込めた。

 あらかじめ得ていた情報を前提に、相手がどう動くのか、こちらの手にどういった考えをするのか。それらを予測し、イメージする事で、その先の未来を確かなものとする。

 

「それと同じでさ、もしこれから目の前で起きる出来事を正確にイメージできたなら――その全てに対して最適な行動ができる、って思わないか?」

「それは・・・・・確かに、論理的には不可能ではありませんし、私もそういった戦いの組み立て方は心がけています。けど、実際に100%戦況を読むなんて事は、実質的に不可能です」

 

 八百万の言い分はもっともだ。

 人の心は複雑で、それこそたった数分しない内に変わる事だってある。

 それを、刻一刻と変化していく戦況に合わせて予測し続けるなど、まともな人間に出来る芸当じゃない。けど――

 

「もちろん、全部が全部、こっちの思惑通りってわけにはいかない。けど、事前に相手の能力や性格、周りの環境を把握した上でなら、現実に迫る事は出来る」

 

 前提として、実に多くの情報を要する事は否めない。

 戦いなら、相手の戦力をその能力のみならず、性格や思考、それらを踏まえた相手の戦法も含めて把握している必要がある。

 情報が多ければ多いほど、それに対応する術のイメージが明確であるほど、予測は精度を増す。無論、周辺状況に関しても同様だ。

 

「ですが、そんな未来予知のような予測、ただ情報があるだけでは成立しません。もっと実践的な・・・・・そう、経験が必要なはずです」

「そうだな。情報を持ってるだけじゃ、ただの記録にしかならない。それを生かす術は、どうやったって記憶が必要になる」

 

 記憶は、自己の経験から生まれる。

 ただデータを収集しただけじゃ、記録が蓄積されるだけで、有用に扱うノウハウが無い。

 事前の情報を、予測を、確たる現実として実践するには、絶対的に経験が必要なのだ。

 その記憶が無ければ、俺の言っている事は絵に描いた餅でしかない。

 

「だから、その経験を代替する為にいろんなモノを見て、その状況を自分に置き換えて想像してきた。ヒーローとヴィランが戦う実際の様子とかな」

 

 言ってみれば、疑似体験<ヴァーチャル・リアリティ>だ。

 自分には積めない経験を、他者のそれを記憶し、繰り返しイメージする事で擬似的に自身のものとする。

 誰がどんな風に戦い、如何なる選択をするのか、周辺の状況はどういったものだったか。記憶し、一連の流れを分析し、それをリプレイし続ける。

 そうする事で、自己の理解を深め、類似する事態に対する適応性を高める。

 いずれヒーローとして、正義の味方として戦う日の為に、幼少の頃から、個性制御とはまた別に続けてきたイメージによる鍛錬だ。

 

「だからこそ、それを支えるイメージが、俺にとっては一番重要な事なんだ」

 

 なんだかんだ言いつつ、話はここに帰ってくる。

 投影を確かなものとする為にも、戦いを予測する為にも、このイメージが如何に強固であるかが鍵を握っているのだ。

 そも、才の無い衛宮士郎が戦って勝利する為には、それぐらいしか方法が無いのだ。

 

「・・・・・やはり、私と衛宮さんでは、イメージに対する傾向度が違うようです。個性行使は別として、私には他人の経験を自身に当て嵌めたイメージトレーニングなど、出来そうもありません」

「そこは単に年季の、後は伸ばしてきたベクトルの違いだな。俺がそうやってイメージトレーニングしてきた分、八百万は膨大な知識を蓄えてきた」

 

 より長く経験を積んできた人間の方が、その分野で上手なのは当然だろう。

 現状ではイメージという事柄で八百万が俺より劣るのと同じ様に、俺は知識や知恵という点において彼女の足元にも及ばない。

 そして、俺と彼女を分ける絶対的な差は、もう一つ。

 

「それにさ。俺のやってるイメージなんて、やろうと思えば誰でもできる事なんだ」

「誰にでもって・・・・・・そう簡単なものではないでしょう」

「確かに簡単ではないな。けどさ、これに特別な才能は必要じゃない。結局のところ、時間と経験さえあれば誰だって再現できる類のモノなんだ」

 

 例えば、スポーツで置き換えればいいかもしれない。

 サッカーのPKでは、キーパーはどこにボールが蹴り込まれるか、予測しながらゴールを守る。

 もちろん、そこには当人の反射神経や身体能力も含まれているが、全くの考え無しで動く事はないはずだ。

 

「そういうのは、才能どうこうよりも、積み重ねてきた鍛錬の量と経験がものを言う。けど八百万みたいに、大量の無機物を原子レベルで把握するなんていうのは、常人の頭じゃどうやったってできない」

 

 もし、誰も彼もがそんな事を実現できるレベルの頭脳を持ち、そして日々欠かさずそれらの記憶ができるとすれば、この国は今頃、科学者みたいな連中で溢れかえっている。

 素質にせよやる気にせよ、常人にはできないそれを可能にするのが、才能というものだ。

 

「俺と八百万の一番の違いはそこだろうな。俺にはお前みたいな才能は無いから、凡庸な手段しか取れない」

「・・・・・・・・・・」

 

 凡人か、才人か。凡夫か、天賦か。

 それが両者を分ける、決定的な差だ。

 才能が有ったから、彼女は自分の個性をとことんまで突き止めた。

 才能が無かったから、俺は吸収できるものはなんでも取り込んできた。

 本質はともかく、結果としては類似する効果の個性を互いに持ちながら、その運用法や戦法に差が生まれるのはそのためだ。

 

「八百万の疑問に対して俺が考えられるのは、これぐらいだな。他に何か聞きたい事とかあるか?」

 

 知識欲の強い八百万が、個性の使い方や戦い方なんかを一緒に話そう、と提案してきたのが、そもそもの始まりだ。

 その約束は入学初日にしていたものだし、俺もできる限り付き合うと言った。

 足りない頭で思いつく限りの考えは話したが、果たして分かりやすく伝えられただろうか。

 

「・・・・・いえ。以前からの疑問は解消されましたわ」

「それなら、いいんだけど・・・・・」

 

 疑問は無くなったと言う割には、彼女の表情は少し硬いように感じるのだが。

 まだ聞きたい事でもあるのかと勘繰るが、彼女がそんな事でわざわざ自分を偽る必要も無い。

 単に、ここまでの話を振り返って吟味しているだけだろう。

 数秒後、ある程度納得を得たのか、彼女は普段通りの顔に戻っていた。

 

「今回していただいたお話、有意義かつ私に通ずるものもありました。今後も、もしよろしければ、実践も含めて私にお付き合いいただけますか?」

「もちろん喜んで。むしろ、こっちこそお願いしたいくらいだ。八百万みたいに色んな事に気づけるやつと話してると、自分では気づけない事に気づけるから、俺としても助かってる」

 

 八百万との話は、俺自身も得るものが多い。

 単純な知識だけでなく、頭脳明晰な彼女は細かいところまで、よく目がつく。

 俺には無い視点で、物事を鋭く観察できる彼女の指摘は、それまでにない見地を見せてくれる。

 

「ええ。お互いに切磋琢磨していきましょう」

「ああ。よろしく頼む」

 

 まだまだ話せる事はあるが、もう弁当は空になったし、そろそろ午後の授業も近づいてきている。

 全ての疑問や話題をここで話し尽くさないといけないわけでもない。

 互いに名残惜しさを感じつつ、今日のところはこれぐらいにしておこう。

 

 

 

 

 

 

「今日のヒーロー基礎学は災害・水難なんでもござれのレスキュー訓練だ」

 

 教壇に立つ相澤先生は、気怠げな表情で今日の授業内容を告げた。

 それを聞いたクラスメイトの皆は、それぞれ違った反応を見せている。

 救助訓練そのものへの難度の高さに辟易する奴もいれば、レスキュー活動こそヒーローの本懐だと気合を入れる奴もいる。

 俺も、不向きな個性ではあるが、人命を救うための訓練という事で、身が引き締まる思いだ。

 しかし、それ以上に気がかりな事がある。

 

 今日の授業は、相澤先生とオールマイト、そしてもう一人の三人体制で行うとの事だ。その時の言い回しからして、その人数が特例的なものであることは察せられた。

 おそらく、先週の騒動が原因だろう。

 

・・・・・やっぱり、ただのアクシデントじゃない、か。

 

 徹底して情報を秘匿していたから、あれが偶然起きた事故だなんて考えちゃいなかった。

 それでも今までは確証を持てなかったけど、相澤先生の発言でそれが確信に変わった。

 あれは間違いなく、人為的に引き起こされたものだ。

 

・・・・・問題は、何の目的であんな事をしたのかだけど。

 

 ただのイタズラにしては、度が過ぎている。

 高度なセキュリティが敷かれる雄英に、大量のマスコミを侵入させるなんていう大仰な真似が、ただの愉快犯に出来るはずもない。

 けど同時に、雄英への害意があったのだとしたら、その後の経過が静かすぎる。

 事件発生から今日まで、一切の反応が無いのは不自然としか言いようがない。

 仮に下手人に狙いがあるのだとしたら、ここまで何も無かったのは、単に条件が合わなかったが故か。

 

・・・・・もしそうなら、この警戒も頷ける。

 

 何を目的としているのか。何故、ここまで沈黙を保っているのか。

 それが判明しない以上、いつどのタイミングで、何が起きるかわからない。

 有事に備え人員を増やした、と考えるのが自然だろう。

 その警戒に、No. 1ヒーローを含むっていうのは、少々戦力過剰な気もするが。

 

「訓練の性質上、コスチュームの着用は各自の判断に任せる。訓練場は少し離れた場所にあるからバスで移動する――以上、準備開始」

 

 連絡事項を簡潔に言い切り、相澤先生は先に教室を離れて行った。

 合理性を重視する彼らしい、実に迅速な行動である。

 

・・・・・それにしても、訓練場をわざわざ外に建ててるのか。

 

 自分の戦闘装束を持って移動しつつ、これから向かう訓練場に想いを馳せる。

 入試時点で雄英の規模大きさには仰天していたが、この上さらに外に施設を設けているとは。

 その訓練場とやらも、わざわざ広大な敷地の外に建設しているんだから、相当にデカいんだろう。

 流石は全国屈指のエリート校と言えばいいのか、それとも無駄に壮大だと思えばいいのか、なかなかに悩みどころではある。

 

 

 

 

 更衣室で着替えを済ませた後、校舎外で集合する。バスは既に到着しているようだけど、全員が揃っているか確認されるまで少しの間、待機しておく必要があるようだ。

 その間、暇を潰すがてら、クラスメイトのコスチューム着用状況を確認する。

 今回の訓練ではコスチューム着用の選択は各自の自由と言っていたが、見たところ概ねは着ているようだ・・・・・って。

 

・・・・・またか。

 

 ここ最近、お馴染みと()()()()()()()光景に微かな頭痛を覚え、溜め息を吐く。

 

・・・・・投影開始<トレース・オン>

 

 心中で始動キーを回し、個性を行使。

 生み出したるは柔軟かつしなりを持つ、白色で扇状の一振り。

 それを振りかぶり、標的の側頭部目掛けて素早く振り落とし――

 

「あたぁーーっ!?」

 

 スパン!!と良い音とともに、いましがた視姦に勤しんでいたセクハラ大王の頭をはたいた。

 しばかれた当の本人はと言うと、実に恨みがましい目でこちらを見上げている。

 

「何すんじゃい衛宮ぁ!!」

「そりゃこっちの台詞だ、たわけ」

 

 いきなり殴られたら怒るのは当然だが、それ以前に毎度、女子への視線があからさま過ぎる。

 というより、その女子からの苦情を何度も受けているのに、まるで聞き入れずに続けているのは、いったいどういう了見なのか。

 

「お前なぁ。いい加減にしとけよ、ほんとに」

 

 入学から一週間、峰田のこういった行為は、既に両手で数えられぬ程になっている。

 最初の方こそ女子達も気の所為かと流していたが、ここ最近はもう完全に把握しているらしく、セクハラされた当人からの反抗も何度かあった。

 それでもなお一切改める気は無く、今日もこうして本能に従っている。果たしてその欲求はどこから湧いてくるのか、甚だ疑問である。

 

「なんだよ、ちょっと見てただけで、何もしてないだろ!?」

「鼻の下伸ばして瞬きもせず凝視してたら、それは立派にセクハラだ」

 

 そうでもなければ、窃視なんていう言葉は生まれない。

 何人かの女子のコスチュームは、いささか煽情的なものもあり、体のラインが目に見えて分かりやすいやつもいる。

 そんな姿をじっと見て、何の下心もありません、なんて言い分を通すには、普段の態度が足を引っ張りすぎている。

 

「そもそも、女子にモテたいって言う奴が、相手に不快な想いさせてどうするんだよ」

「ハッ、何を言うかと思えば!お前にはオイラみたいな連中の心情なんて、分かんねーよ!!」

「分かってたまるか」

 

 何をどうひねたら、好かれたい相手に嫌われる様な行動を繰り返すのか。

 そんな心理、分かるわけないし、それ以上に理解したくもない。

 昔から鈍感だ、にぶちんだなんて言われてるが、そんな異常にすぎる精神してるほど、俺は特殊ではないはずだ。

 

「だいたいお前、何なんだよ、それは」

 

 不貞腐れた顔で、俺の手にある物を指差す峰田。

 今しがた、その本分を遺憾なく全うし終えた、ツッコミ特化武装。

 

「何って――見ての通り、ハリセンだが。そんなに痛くなかっただろ?」

 

 パン、と軽く手のひらに打ち込んで、その威力を確かめる。

 うむ。大した痛みは与えず、それでいて心地良い音を鳴らす、いい出来である。

 

「お前、そんなの今まで使ってなかっただろ」

「そっちが痛くないように、て持ち出したツッコミ道具だよ」

 

 彼に対しては初日に容赦しないと言ったが、別段痛めつけようだなんて思っちゃいない。

 が、それはそれとして、そういう事をするなら、俺が徹底的に妨害するつもりではある。

 その二つのを滞りなく達成する為の措置がコレだ。

 

「くそぅ、こんなところでも無駄に気遣い見せやがってぇ!」

「無駄って言うな、無駄って」

 

 不必要にダメージを負わないように配慮しただけで、何故そこまで恨まれるのか。

 この出来の良さを実現するの、なかなか苦労したんだぞ。

 わざわざ自分の頭で程度を確かめた逸品だ、そう無碍にしないで欲しい。

 

「1-A、集合――!!」

 

 ピー!というホイッスルの音が鳴り響き、飯田くんの号令がかかる。

 人数を確認し終えたのか、いよいよ乗車ということか。

 それはそうと、彼はあの笛を常に持ち歩いているのか?

 

「衛宮ッ――!俺は絶対に、諦めないからなぁ!!」

 

 捨て台詞を吐いて、我らがエロ魔神はバスへと先に向かう。

 今の場面だけ切り取れば、少年漫画顔負けの情熱を感じるが、やろうとしてる事はただのセクハラなんで、色々と台無しだ。

 

「悪い奴じゃないんだがなぁ・・・・・」

 

 エロが関わらなければ、至って普通の生徒の一人なのだ。

 それが、何故か性欲が絡むと、歯止めが効かなくなる。

 もはや、思考して行動しているんじゃなく、反射で動いているのではなかろうか。

 あまりにも欲求に素直すぎるから、あれはもうそういう生態なのでは、と相当に失礼な考えまで浮かんでしまう。

 早いうちにあの素行は改善しないと、ヒーローになる前に性犯罪者として警察のご厄介になってしまいそうだ。

 

・・・・・そうはならない様に、同校の人間なうちは目を光らせておかないとな。

 

 目を付けられてる本人からしたらいい迷惑でしかないだろうけど、俺としてもクラスメイトの中から犯罪者が出て欲しくはないのである。

 だから、できれば彼には大人しく受け入れるか、行動を改めるかしてもらいたい。

 そう切に願い、俺もバスに乗車する。

 

 

 

 

 

 

 最後尾の座席でバスに揺られながら、窓の外を眺める。

 視界の大半には街路樹が映り込むが、遠方には巨大なドームが見える。多分、あそこが目的地だろう。

 予想通り、相当な規模だ。

 あれだけの敷地で行うんだから、さぞかし高度な訓練を行うんだろう。

 俺としても、気合を入れて臨まねばならない・・・・・のだが。

 

・・・・・流石に、食後にこの揺れはクルものがあるな。

 

 腹が膨れて血糖値が上がっている事で、図らずも眠気が強くなっている。

 おまけにこの車内の振動、かなり凶悪なコンボだ。

 このままでは目的地に着く前に、うっかりうたた寝してしまいそうだ。

 そんな無様は晒さないよう軽く頬を叩き、頭を働かせるように、意識的にクラスメイトの会話に耳を傾ける。

 

「あなたの個性、オールマイトに似てる」

 

 どうやら、緑谷の個性の話題で盛り上がっているようだ。

 蛙吹さんが彼の個性を、そう評していた

 ソフトボール投げで、指一本であの飛距離を叩き出したことや、先週の戦闘訓練でビル一棟に直上に風穴開けたこと、そして後から聞いたところ、入試のあの巨大ロボを殴り飛ばしたこと。

 それらを考えれば、単純な威力ならオールマイトに匹敵するものがある。

 もっとも、その反動や個性に適応していない体を考えれば、全くの同じというわけではないが。

 

「しっかし、シンプルな増強型はいいなあ。派手で出来る事が多い!」

 

 この台詞は切島か。

 確かに、純粋に優れた身体能力というのは、ただそれだけで必殺の武器となる。

 現状、その制御が出来ていない事を差し引いても、緑谷の個性は非常に強力だ。

 そうした個性を持つ人間の方が、人気も出やすい。

 

 対して肉体を“硬化”させる個性の切島だが、能力は優秀なものの応用幅が狭い事は否めない。

 とはいえ、一芸に特化した力というのは、下手に手札が多いだけのやつよりよほど強大だ。

 練度や運用法によっては、十分にトップを狙える個性ではあるだろう。

 実際、現時点でのトップ10ヒーローの中には、そういった人物もいたはずだ。

 

「まあでも、派手で強いっつったら、やっぱ轟と爆豪だな」

 

 次いで名が上がったのは、1-Aのツートップ。

 “半冷半燃”と“爆破”。

 ともに威力も見た目も一線を画す二人の個性は確かに強力であり、プロとして台頭すれば、その人気も高いものになることは予想出来る。

 もっとも、爆豪の場合はあの唯我独尊な性格をどうにかしないと、親しまれる前に小さなお子さん達を泣かせることになるだろうけど。

 

「派手で強いって言うなら、衛宮もいい線行ってるんじゃない?」

「・・・・・!」

 

 思わぬところで出てきた自分の名前に驚き、発言者を見る。

 視線を向けた先、特徴的な耳たぶの片方を、イヤホンとして音楽プレイヤーに差し込んだ耳郎と、バチリ、と目が合う。

 聞こえた声と方向からして、俺の名前を出したのは彼女らしい。

 

 なんだってまた、俺の名前なんかが出てきたのか・・・・・いや、そういえば彼女とは同じ試験会場だったな。

 あの大型ロボを停止させた場面も見ていたはずだし、なんなら一、二度、個性の話もしたな。

 刀剣を創造して射出する、というのは確かに側から見ればいくらか派手に映るんだろう。

 それが果たして、強いのかどうかは、なんとも言えないが。

 

「爆豪ちゃんはキレてばっかりだから、人気出なさそ」

「エミヤんもちょーっと無愛想かなー?」

 

 現代におけるヒーローという職が、国家の法によって成り立っているのと同時に、人々からの信頼によって維持されているという側面もある。

 そのため、プロヒーローというのはある種、人気商売と捉えられる。

 だから、人相や人格っていうのは、一つのステータスにもなりうる。

 

・・・・・それにしても、蛙吹さんの直球具合は相変わらずか。

 

 精神的にしっかりしているのか、彼女は案外、思った事をそのまま口にする。

 その大半はおおむね的を射ているから反論し難いが、言われる当人にしてみれば、多少なりとも刺さるものがある。

 爆豪も、蛙吹さんの指摘通りに、彼女に対して怒り心頭だし。

 対して、芦戸もよくよくどストレートだが、こっちは発言に一切の悪意や咎めを感じない分、相手によっては蛙吹さんとはまた違った効き方をする。

 俺としても愛想の無さについては自覚しているし、特に言うべきことは無く、ただ苦笑して返すだけだ。もっとも・・・・

 

・・・・・あんまりそういうのは、考えてないんだけどな。

 

 ヒーローには人気が不可欠だと理解しているが、俺にはソレは必要じゃ無い。

 名声が欲しいわけでも、賞賛を受けたい訳でもない。トップヒーローになりたいのでもない。

 ただ、誰かを救うためにこの命を使うのにより適した職があったから、それを目指しただけだ。

 

 雄英に来たのも、ここが最も己を強くできると考えたから。

 他の皆みたいに、俺には大それた競争心や上昇志向は無い。

 そもそも、俺が競うべきは他人ではなく――

 

「もうすぐ到着だ。いい加減にしとけお前ら」

「・・・・・っ」

 

 相澤先生の叱咤に、ハッとする。

 いま一瞬、意識が変な方向に飛んでいたような気がしたが・・・・・

 

・・・・・睡魔に負けたか・・・・・?

 

 眠気で意識がボー、としていると、碌も働かない。

 さっきのも、そういう類のものだったのか。

 何とも言い難い感覚に違和感を覚えるが、さりとて何かできるわけでもない。

 じきに到着だというし、妙な錯覚の事など忘れて大人しく待つとしよう。

 

 

 

 

 

 

「すっげ――ー!!USJかよっ!?」

 

 目的地に到着し、訓練場の中に入った直後、皆一様に驚愕した。

 感嘆の声を上げる切島に、俺も賛同の念を抱く。

 某テーマパークに似ているかはさておき、巨大なドームの中には目に見えるだけで、何らかの災害現場を模した六箇所の設備があり、その一つ一つが都市の一角に匹敵する規模だ。

 なるほど、これだけの面積であれば、雄英の敷地外に建設するのも頷けるというものだ。

 

「待っていましたよ、皆さん」

 

 訓練場となるドーム内部の全容に驚く俺たちの前に、一人の人物が現れる。

 全身、宇宙服のようなスーツで身を包んだ、性別不詳の人物。

 災害救助の分野で特に目覚ましい活躍を見せる、スペースヒーロー『13号』だ。

 

「ここは、水難事故・土砂災害・火災・etc、あらゆる事故や災害を想定して、僕が設計した演習場――その名もウソ(U)災害(S)事故(J)ルーム!!」

 

 声高に、施設の名を告げる13号。

 本当に某テーマパークと同じ略称とは思わなかったが、それを直感で言い当てた切島に対する驚きの方が強かった。

 というよりも、そのネーミングは色々と大丈夫なんだろうか。商標的に。

 

「13号。オールマイトはまだ来てないのか?」

「先輩、それが――」

 

 ポーズまで決めてこのUSJを紹介していた13号に、相澤先生が何やら話しかける。

 対する13号は、あまり聞かれるとまずいのか、こっそり小声で話している。

 もう一人の監督役であるオールマイトが、まだ到着していないのが原因だろうが、なにやらトラブルでもあったのだろうか。

 

「――仕方ない。始めるか」

 

 しばらく話し込んだ後、問題は無いと判断したのか、改めて開始を宣言し、脇に外れる相澤先生。

 ここの設計者だという13号がわざわざ来ている以上、彼、彼女?・・・・・が、主となって教鞭を取るのだろう。

 

「えー、始める前にお小言を一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ・・・・・」

 

 徐々に増えていくお小言やらに、いったいどれほどの注意事項が有るのか、クラス一同恐々としつつ辟易しそうになる。

 というより、そこまで増えていけばもはや小言ではなく、一つの説教話でなかろうか。

 

「皆さんご存知の方もいると思いますが、僕の個性は“ブラックホール”。どんなものでも吸い込んで、塵にしてしまいます」

 

 知っている。

 ブラックホールという、人智の及ばぬ宇宙<ソラ>の現象を引き起こし、さまざまな災害現場でその力を奮ってきた。

 その威力は名に恥じず、いかなる障害も粉微塵にし、避難し遅れた人達は自らの元に引き寄せる事で、災害から救い出してきた。

 だが、同時に。

 

「――しかし、この個性は簡単に人を殺せる力です」

 

 13号は至って真剣に、いまさら口にするまでもない事実を告げる。

 その力が、本来なら人類が遠のいて久しい果ての世界で起きる現象であるのなら、その黒洞の前ではあらゆる命が芥になる。

 そしてそれは、13号に限った話ではない。

 

「皆の中にも、そういった個性を持つ子はいると思います。現行の社会は、個性の使用を資格制にする事で規制し、一見、成り立っているようには見えます」

 

 それは、かねてより何度も繰り返し議論されてきた議題だ。

 個性という現象が発現した黎明期、荒廃した社会を立て直す過程で生まれた現行制度。

 それは確かな効果を発揮して今に至るが、決して穴が無いわけではない。

 

「しかし同時に、個々人が容易に人を殺せる行きすぎた力を持っている、という事を忘れないでください」

 

 俺自身を始め、個人が容易く、一瞬の意思決定で他者を害し、秩序に穴を開けられる社会。

 個性発現前の規範では収まりきらない、個々の善性と自制心がより強く求められる時代なのだ。

 

「これまでの訓練で、自身の力が秘める可能性を知り、それを人に向ける危うさを体験したと思います」

 

 それが、あの急に過ぎるテストや訓練の真意だったのか。

 俺たち生徒の力量を測るのみならず、ヒーローを目指す者としての心構えを身に付けさせるための、素地を作るための下準備。

 それ故の、厳しい洗礼という事か。

 

「この授業では心機一転、人命のためにどう個性を活用するかを学んでいきましょう――君たちの力は人を傷つける為ではなく、助ける為に在るのだと、心得て帰ってくださいな」

 

 言われるまでもない事だ。

 この命の全ては人々の幸福の為に。生まれ持った異端は無辜の人々を傷付ける者を退ける為に。

 それは、ヒーローとして当然の在り方だ。

 力の危険性、その運用方法――そんな心構えは、とっくの昔に済んでいる。

 

「私からの話は以上です。ご清聴、ありがとうございました」

 

 13号は恭しく一礼し、話を締め括った。

 以前から聞いていた通り、紳士的な人物のようだ。

 その姿と話の内容に感銘を受け、クラスメイトの多くが13号に拍手や称賛の声を送っている。

 

「よーし。そんじゃまずは――」

 

 その喧騒を止める意味もあったのか、相澤先生が指示を出そうとし――その直後、照明が落ちた。

 

・・・・・何があった・・・・・?

 

 明かりは消えたが、完全な闇の世界になったわけではない。

 ドームの外壁は太陽光を通しているのか、少々暗くなった程度で、活動に支障は無い。

 だが、突然のこの異常。特例的な体制もあって、ただの事故とは思え――

 

・・・・・待て。あの黒い靄は、何だ・・・・・?

 

 現在いる出入口付近よりずっと向こう。ドームの中方付近にある噴水の前に、黒い霧が円を描いて宙に浮かんでいる。

 その形状、浮かぶ黒輪はまるで何かの門<ゲート>のように見え――

 

・・・・・――っ!

 

 その予感が間違っていないのだと告げる様に、黒い霧の中から、一人の男が顔を覗かせた。

 自らの顔面にデフォルメされた手の形の飾りを取り付けた、異様な人物。

 それが、あまりにも悍ましいものに見えて――

 

・・・・・投影開始<トレース・オン>ッ――!!

 

 全身に行き渡る警鐘に従い、僅かな間も無く個性を行使し、弓矢を構える。

 狙いは真っ直ぐに、手の男を狙っている。

 

「え、衛宮くん?いったい何を・・・・・」

 

 誰かが俺の行動に疑問の声を上げるが、そちらに構っていられない。

 黒い霧の中からは続々と物々しい集団が現れている。

 連中が誰なのか、何を目的とした集団なのか、ハッキリと断定は出来ない。

 しかし、その上で。あれらが何者なのか理解する自分がいる――アレは、ヴィランだ。

 

「――相澤先生。いつでも撃てます」

 

 端的に、必要最低限の言葉を告げる。

 対する相手は、こちらの行動に驚いていたものの、すぐに表情を改め、険しい顔を向けてくる。

 

「馬鹿を言うなっ!さっさと下がって、他の連中と固まって動くな!!」

「けど――」

「お前はまだただの学生だ。“昔”に何があろうと、お前らにヴィランの相手をさせるわけにはいかん!」

「っ・・・・・!」

 

 相澤先生の言い分は、確かに正しい。

 如何にここが私有地であり、個性の使用に制限が無くとも、本物のヴィランを相手に学生が率先して戦って良い道理などない。

 現状、自身や他の人間に差し迫った脅威は無く、また連中がどう出るかも分からない。

 ここで手を出すのは、時期尚早に過ぎる・・・・・それは、事実だ。

 

「・・・・・分かり、ました」

 

 自らの葛藤を収め、弓を下ろす。

 けど、いつ何が起きてもいいように、投影は破棄せず残す。

 

「先生っ、侵入者用センサーは!?」

「もちろん、ありますが・・・・・」

 

 焦りの浮かんだ表情で、八百万が13号に問う。

 これだけの施設、雄英本校舎を考えれば、その手のセキュリティが無い筈が無い。

 にもかかわらず、それが発動しないという事は――

 

「現れたのはここだけか、学校全体か――なんにせよ、センサーが反応しねぇなら、向こうに()()()()()ができる奴がいるってことだ」

 

 至極冷静に、轟が現状を分析する。

 流石に推薦入学で合格してきただけあって、大半のクラスメイトと違って、緊急事態に対しても動揺は無い。

 

「セキュリティを妨害し、こっちのスケジュールを把握した上で、閉鎖空間にいるタイミングを狙って来た以上、計画的な行動なのは間違いない」

 

 彼の分析に次ぐ形で、補足を入れる。

 あの人数を率い、組織的かつ計画的に動いてる以上、ただの暴動であるはずがない。

 

「――ああ。連中、馬鹿だが阿呆じゃねぇ。これは何らかの目的があって、用意周到に画策された奇襲だ」

 

 轟の言葉に、クラスの皆に緊張が走る。

 如何にヒーロー志望とはいえ、現状では全員、能力があるだけの学生だ。

 いずれ対峙するとはいえ、本物のヴィランの出現に、心が揺れないやつの方が稀だ。

 

「13号、避難開始。学校に電話試せ。センサーの対策も頭にあるヴィランだ。電波系の奴が妨害してる可能性がある――上鳴、お前も個性で連絡試せ!」

 

 相澤先生は端的に指示を下し、一歩前へ踏み出す。

 その手は彼の得物である捕縛布に添えられ、ゴーグルは既に下ろされている――イレイザーヘッドの、戦闘態勢だ。

 

「先生は、一人で戦うんですか・・・・・!?」

 

 その姿を見咎めた緑谷が、悲痛な叫びで訴える。

 無理も無い。彼の戦闘スタイルは長期戦や対多戦闘には向かず、正面戦闘は彼の本分ではない。

 現状は、その不利条件の全てが揃っている。彼が単独で戦うのは無謀だろう。

 

「先生。俺の弓なら、援護はできます」

 

 生徒を正面きってヴィランと戦わせられないというのなら、せめて手助けくらいはできる筈だ。

 彼が如何にプロのヒーローとはいえ、あの数を相手にするのは流石に骨が折れるだろう。

 純粋な実力なら、あそこにいる連中がどれだけ束になっても、大半は彼に及ばないだろう。それでも、百を超えるその波濤が二波、三波と襲い続ければ、いつかは限界が来る。

 俺なら、その負担を少しでも減らせる。

 

「言ったはずだ。お前らに戦わせるつもりは無い――それにな、一芸だけじゃヒーローは務まらん」

 

 だが、そんな困難などまるで意にも介さず、彼は確かな足取りで進む。

 この程度の苦難、容易に乗り越えてみせると、その背で語るように。

 

「――任せた、13号」

 

 そう残し、相澤先生はヴィランの大群目掛けて疾走する。

 止める間も無い。

 かれは瞬く間に階下へ降り、欠片の恐れも見せず、正面から突っ込んでいく。

 

・・・・・強い。

 

 視線の先で戦う相澤先生の――イレイザーヘッドの実力を、改めて思い知る。

 迎撃しようとしたヴィランは、個性を発動出来ずに、捕縛布に囚われ瞬く間に無力化された。彼の“抹消”で消せない異形型は、純粋な格闘技能で制圧された。

 集団に遅れを取るどころか、有利に戦いを運んでいる。

 対多戦闘は不向きと思われた彼はその実、それこそを最も得意とする戦闘技法を確立しているようだ。

 あの様子では、確かにヴィランどもに遅れをとる事はないだろうが――

 

・・・・・後ろの三人は、間違いなく“別格”だ。

 

 出現時、先頭にいた手の男。

 黒いゲート――おそらく“ワープ”の個性持ちであろう、黒い靄で構成されたかのようなヴィラン。

 そして、脳味噌が剥き出しになった、黒い異形の巨漢。

 あの三人は、まず間違いなく主犯格だ。

 奴らが加わったら、どうなるか分からない。

 

「緑谷くん、衛宮くん、早く避難を!」

「っ・・・・・!」

 

 飯田くんの声に従い、13号の後を追う。

 本当なら、今もここに残って戦いたい。彼の手助けをしなければならないと思っている。

 けど、ここに俺がいては、イレイザーヘッドの足を引っ張る事になる。

 背後に護るべき生徒がいる以上、彼は十全には動けない。逆にそれさえ無ければ、戦うにしろ逃げるにしろ、彼は自由に動ける。

 自身の雑念を拳に力を込める事で握り潰し、足を動かす。

 出口はもうすぐそこで――

 

「ッ――――!!」

 

 脚に急制動をかけ、残していた矢を、前を走る皆を避ける軌道で前方に放つ。

 数にして三射。

 俺が現状で一息に放てる限度。それを出口前に見える黒点目掛けて射る。

 だが、それは――

 

「――危ない危ない。いきなり矢を撃ち込んでくるとは、随分な挨拶ですね」

 

 放った三本は、黒い霧に呑まれて彼方へと消えていった。

 それを成したのは、あの黒い靄のヴィラン。

 あとほんの少しで出口に辿り着く、といったところで奴が立ち塞がった。

 やはり、ワープの個性か。それであれば、どこからだろうと一息でこちらにまでやって来れる。

 それを失念していた、こちらの落ち度か。

 

「初めまして。忌々しきヒーローと、その卵たち。我々は“ヴィラン連合“」

 

 一瞬前のことなどまるで意に介さず、奴は自分達の名を明かす。

 ヴィラン連合。これまで大取り締まられてきた大多数のヴィランが個人のそれであったのに対し、こいつらは徒党を組んで行動している。

 加えて、その計画性の高さは、連中の中に厄介な軍師なり指導者なりがいる事を示している。

 決して、名前負けなチンピラの集まりじゃない。

 

「僭越ながら、この度ヒーローの巣窟、雄英高校にお邪魔させて頂いたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでしたが――この場にいない事から察するに、何か変更があったのでしょう」

 

 告げられた目的に、戦慄が走る。

 “オールマイトを殺す”。

 それが実現可能か否かは、さして重要じゃない。

 問題は、ここまで緻密な計画を立ててそれを実行に移せる連中が、ただの無策で強行するはずが無く――少なくとも、それを為し得ると思えるだけの手札を、こいつらが有しているということ。

 

・・・・・ここで無力化できるか。

 

 この連中と、クラスの皆を戦わせるわけにはいかない。

 どいつがその切り札なのか不明な以上、下手に連中と接触させるわけにはいかない。

 このヴィラン、不自然な現象のような外見だが、おそらく実体はある。

 そうでもなければ、矢を躱す必要も無ければ、揺らめく霧の中に見える、防具の様な物を纏える道理が無い。

 

「まあ、それとは関係無く。私の役目は、これ」

「・・・・・っ!」

 

 しかし、こちらが思考するその一瞬の隙に、奴は動く。

 新たに番え放とうとする矢は、今からでは間に合わない。

 こちらを包み込むように、広がる黒い霧。それがワープさせるゲートなのだと理解して、

 

「――散らして、嬲り殺す」

 

 爆豪と切島が飛び込んだのが見えたが、それより早く霧が到達する。

 俺もまた、退避しきれない。

 真っ黒に染まる視界。聞こえる悲鳴――皆の姿が、見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

「ここは・・・・・」

 

 視界が晴れた先、見えたのは激しい風雨が打ちつけられるビル街。

 吹き付ける雨風と、悪天候故の暗さで分かりづらいが、空にはあるはずもない天井が見える。

 ワープという個性上、絶死の秘境にでも送られるのかと思ったが、この様子ではおそらく、現在地はUSJ内部にある施設のうちの一つ、なおかつドーム状の設備の中だろう。

 俺がこうしてここに飛ばされてる以上、他のクラスメイトも同じように、USJ内の何処かに転送されたと見える。問題は、あのヴィランが言っていた台詞だが・・・・・

 

「おうお前ら!お待ちかねの獲物が来たぜぇ!?」

 

 周囲を見れば、その意味は察せられる。

 わざわざ待ち伏せていたのか、大量のヴィラン達が俺を取り囲んでいる。

 その顔に下卑た笑みを浮かべ、これからそうするつもりであろう一方的な暴虐を夢想し、暴力の喜悦に酔っていると分かる。

 分散させた上で一方的に殺し尽くすと言っていたが、これは驚いた――連中の見通しの甘さに、だが。

 

・・・・・()()()()の連中で、雄英のヒーロー科を虐殺できるつもりだったのか?

 

 どいつもこいつも、獲物を前に気を抜いて、ダラダラと喋くってる。

 腰すら入れずにダラけた立ち方は、とても戦闘行為をしようとする者には見えない。

 ヴィランなどと呼んではみたが、こいつらはそうごたいそうなもんじゃない。そこらにたむろして、市民やヒーローを威嚇するのが関の山の――ただのゴロツキだ。

 

・・・・・つまり、そういうことかよ。

 

 こいつらはただ時間稼ぎと露払いをさせられているだけの捨て駒。

 本命はやはり、あの三人。

 オールマイトを殺すと、そう断言できる切り札<ジョーカー>は、あいつらが持っている。

 

・・・・・なら、長居は無用だ。

 

 この場にどれだけの戦力が充てられているのか、何人のクラスメイトが同じエリアに送られているのか。

 それらを現状、確認してる暇は無い。

 けど誰が送られていようと、うちのクラスにこんな木っ端に遅れを取るような奴はいない。たとえ自分の何十倍の数がいようと、それらを倒すなり捌くなりするだけの実力が、皆にはある。

 

 でも、相澤先生は違う。

 彼が対集団戦を得意としていようと、彼の個性と体質上、多数を相手取った長期戦は不利だ。

 加えてあそこには、手の男と化け物じみたヴィランがいる。

 仮に、連中が純粋な戦闘力でオールマイトを殺せるほどの力を有しているのなら、彼一人では荷が重すぎる。

 現状における最優先事項は、この連中を一刻も早く行動不能にし、彼の援護に行く事。

 こんな三下を相手に時間を取られているほど余裕は無い。

 

・・・・・数は二十四。うち七人は異形型か。

 

 360度、視線を巡らし敵戦力を把握する。

 これであれば、消耗はある程度抑えられるか。

 

「おいどうした小僧!びびって声も出ねえか!?」

 

 品の無い大笑いが聞こえるが、どうでもいい。

 そもそも、もう終わる。

 

・・・・・全投影、待機<バレット・クリア>。

 

 自身を中心に、四方八方へ向けて装填する剣弾――その数七十以上。

 

「な、なんだありゃぁ!?」

 

 何の前触れも無く、突然宙に現れた剣群に、状況を理解しいまさらのように敵が慌て出す。――その全てが、遅すぎる。

 

・・・・・凍結解除<フリーズアウト>、全投影連続層写<ソードバレルフルオープン>。

 

 心中で発した号令の下、剣群は一斉に射出される。

 回避を試みる者、防御を行う者、全て織り込み済みで放った。故に誰一人として逃さず、縫い止めている。

 頑丈そうな異形型の連中には、特に鋭く重い剣をくれてやった。

 

 縫い止められた連中が、口々に悲鳴を上げる。

 元々、そこらのチンピラ連中の集まりなんだろう。

 剣という、他者の殺傷のみを目的として存在する武器を目にし、そしてそれが自らに向けられ、傷つけていく様は、恐怖以外の何物でも無いだろう。

 暫くは、混乱と痛みで激しく動けないはずだ。もっとも――

 

「大人しくしとけ。致命傷は避けたけど、少しでも動いたら、どうなるか分からないからな」

 

 雨音に紛れながら、地面に括り付けられた連中の息を呑む音が聞こえる。

 脅しではない。端的に、事実を言ったまで。

 放ち穿った剣弾は、どれもこれも心臓をはじめとした主要な内臓を避けている。しかしそれは、ほんの数ミリのズレで切り裂かれてしまうほど、僅かな隙間しかない。

 連中が少しでも身じろぎすれば、その瞬間に体内はズタズタになり、流れ出た血で洪水になる。

 

 少々、過激な処置ではあるが、この数を相手に速攻で行動不能にできるほど、俺の技量は高くない。これが、現状で最善最速の方法だった。

 そもそも、率先して命を奪う気は無いが、他者の生命を害する為に集まった連中だ。――いかな俺とて、容赦はしない。

 

・・・・・周囲に残敵は無し。

 

 今の一手で、俺の周りにいた敵は、全員きっちり捕らえた。撃ち漏らしは無い。

 なら、ここでの用は終わった。

 

――さあ、相澤先生に合流しよう。

 

 

 




 どうも、この頃、本作の士郎が全然、剣を使っていない事に気づき始めたなんでさです。

 執筆開始当初は、こんな風になるとは思ってなかったんです。ちょこちょこ弓引かせて、双剣を手に突っ込む、みたいな士郎を想像してたんです。それがなんか知らんうちに、弓でめちゃくちゃ目立ちまくるという、作者も意図してなかった展開になっています。いやほんと、何でこうなった?
 入試と個性把握テストは良いとして、戦闘訓練でまで弓多用してるのはどうなのか。それもこれも、某漫画家の方が描いた、特異点Fコミカライズのせいだ。

 なんか、最新話でも矢と剣弾飛ばすしかしてないうちの士郎くんですが、次回からはようやくお馴染みの双剣も使ってくので、どうか気長にお待ちください。


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I pray draw blade

読者の皆様方、新年あけましておめでとうございます。なんでさです。

 去年の12月上旬から始動した拙作ですが、作者の予想を遥かに上回って、多くの方々に楽しんでもらえました。未熟な作者にお付き合い頂いた皆様に、改めて感謝の言葉を記させて頂きます。
 拙作をお読み頂き、まことにありがとうございます。

 本当なら、大晦日に最後の投稿をし、そこで改めてお礼申し上げたかったのですが、なかなか締まらずに新年を迎えてしまいました。
 その分と申しますか、かねてより考えていた第一の山場となるUSJ編となっておりますので、作者としましてもなかなかに満足のいく内容となっております。一話で完結にまでは至ってはおりませんので、次回も含めてお楽しみ頂ければ幸いです。

 それでは皆様、今年も拙作をよろしくお願いします。

※追記。
 
 こちらの手違いで、最新話が途中で途切れた状態で投稿されておりました。初見の方には関係ありませんが、もしもう一度ご覧になるお方がいらっしゃれば、もう一度途中からお読み頂ければと思います。


――目の前の光景は緑谷出久にとって、悪夢ともいうべきものだった。

 

 当然ではあるが、1-Aの生徒の多くは、まだ力があるだけの学生だ。

 皆、胸に強く願うモノを抱えて雄英へとやって来たが、その多くは実態の無い空想だ。

 見えているものも少なければ、その範囲も狭い。今の彼らは、憧れや願望だけが先行した子供でしかない。

 

――故に、理解していない。

 

 自分達が目指すモノ、やがて成りたいと願う存在。

 それが向き合い、戦っているモノとは如何なるものなのか。

 この社会で真実、“ヴィラン”と称される者達の在り方を、彼らは分かっていなかった。

 

「相澤、先、生・・・・・」

 

 目の前で、自らを指導する教師でありプロヒーローである相澤が、嬲られている。

 猫が鼠を弄ぶより残酷に、子供が蟻を潰すより執拗に。押さえつけ、叩きつけ、潰されていく。

 出血は至る所から、血の海が徐々に広がっていく。

 その惨状が、たった一人の人間が齎すものでしかないのだと、受け入れられない。

 

 手助けができると思っていた。不利な戦いを強いられる担任の負担を、僅かでも減らせないかと考えて来た。

 ワープで飛ばされ、待ち伏せしていた無数の敵を一掃する事に成功してしまったから、自分達も微かながら戦力になれるのだと、根拠の無い無い過信を抱いた。

 

――違った。

 

 生き残れたのは運が良かったから。相手の出方も杜撰であれば、共に飛ばされたクラスメイトの相性も良かったから、うまく制圧できただけの事だった。

 それは紛れもなく彼らの力ではあるが、運という不確定な要素が、多分に混じった結果でもある。

 だからこそ、この事態に何も出来ない。

 助けたい。力にならなければ。そう願う心にしかし、肉体はついてこない。

 仮に動いたところで、いったいどうするというのか。

 

――助けになる?そもそも自分達の存在自体が、彼の足を引っ張ってるのに?

 

――力になる?プロヒーローを一方的に蹂躙する怪物相手に、どう手助けする?

 

 純然たる力の前に、緑谷出久という存在はあまりにも矮小だ。

 コントロールも効かない個性では足を引っ張ることしかできず、練り上げた策は圧倒的な暴力の前には無為と化す。

 たとえここで彼らが出ていったとしても、死体が三つ増えるだけだ。

 相澤は、彼ら生徒を守る為に敢えて苦境に立った。ならばこそ、ここで無謀を冒すは、彼の決意に対する裏切りだ。

 彼らにその選択は出来ず、またすべきでもない。

 

 彼らは無限の可能性を秘めた金の卵ではあるが、未だただの学生だ。

 この窮地を笑って覆せる力など存在しない。

 ヒーローではない彼らでは、決して危難を覆す事はできず――

 

「止めろ、テメェーーーッ!!」

 

 瞬間、咆哮が轟く。

 その音だけで圧せられそうな声。魂の奥底から絞り上げたかのような叫び。

 声の主すらその赫怒で燃やし尽くしてしまいそうな怒号がどこから来たのか、緑谷達が振り返ろうとしたその刹那、視界の端に光条が走り――

 

――剣群が、怪物を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 身体中に流れる血という血が沸騰するような感覚。

 全身が煮えたぎって、抑えようも無い激情がこの身を突き動かす。

 

 ドームを出て、急ぎ早に中央広場を目指した。

 生徒を逃す為に一人残って戦う相澤先生、その手伝いをするだけのつもりだった。

 己は未だ学生で、率先して戦いに身を投じていい道理などないのだと。

 

――そんな思考は、その光景を見た瞬間に消し飛んだ。

 

 全身から血を流し、黒い怪物にその体を少しずつ破壊されていく、凄惨な状況。

 刻一刻と命の灯火を小さくしていく自らの担任の姿に、当初想定していた悠長な考えなど、すぐに捨て去った。

 

「止めろ、テメェーーーッ!!」

 

 叫び上げる声は、全霊で制止を告げる。

 だが、そんなもので止まるはずもなく、敵はひたすらに獲物を痛めつける。

 

・・・・・ッ!!

 

 視界が赤く感じる。

 この行動の結果、その暴威が自身に向けられることなど、まるで意にも介さない。

 こうなるまで間に合わなかった己の不甲斐なさと、ただ他者への害意のみで駆動する生き物に、怒りが際限なく湧き出す。

 理性は残らず焼け落ち、思考はただ敵を排除する術を選出する。

 

・・・・・凍結解除<フリーズアウト>――ッ!!

 

 瞬時のうちに個性を行使、大小無数の剣群を射出する。通常のサイズの物を先生が制圧しきれなかった手下へ、全長2m以上の物を相澤先生を押さえつけるヴィランめがけて射出した。

 周りのチンピラは、碌に反応も出来ず磔にされた。さっきの様な細密なコントロールをしている暇は無かったが、今は行動力を封じられればそれでいい。

 だがあの怪物のような男は、攻撃に対応するどころか未だにこちらを見てすらなく、剣弾に吹き飛ばされる直前まで相澤先生を嬲っていた。

 そうまで彼を殺したいのかと、その残虐性にはらわたが煮えくり返るが、その隙だらけの状態でこちらの攻撃を躱せるはずもない。

 剣群は、狙い違わず命中し、先生とヴィランを引き離した。

 その間隙を縫って、相澤先生を庇う様に、二人のヴィランに立ち塞がる。同時に、

 

「緑谷ーー!!」

 

 しばらく前から様子を窺っていたであろうクラスメイト達に呼びかける。

 緑谷、峰田、蛙吹。広場が見えた時点で、彼らの姿は確認していた。

 おそらく、彼らも相澤先生のサポートをするつもりで来たのだろう。しかし、敵との力量差にただ見ていることしかできなかった。

 その判断は、間違っていない。

 プロのヒーローを一方的に蹂躙するヴィラン相手に立ち向かうなど無謀だ。そんな事、相澤先生も望むまい。

 けど、今この瞬間は、その体に鞭打つ時だ。

 

 ヴィランを前に視線を逸らす事はできず、彼らと目を合わせる事なく、ただその名を呼ぶことしかできなかった。

 どうか、意図を察してくれと願って、力を込めて叫んだだけ。

 だが、彼らはそれで理解してくれたのか、確かにこちらに向かって動く気配を感じた。

 

「いきなり出てきて、これ以上見逃すと思ってんのかよ――“脳無”」

 

 それを咎めた手の男は、串刺されたヴィランに向かって呼びかけた。

 致命に近い傷をを受けたはずの人間に、いったい何を――

 

「っ・・・・・!?凍結解除<フリーズアウト>ッ!」

 

 驚愕する間も無く、個性を行使。今度は5m以上の巨大な剣を一本、巨体のヴィランに向かって射出した。

 本来なら、死体に鞭打つような無意味な行動。それが、確かな意味を持ってしまっている。

 

・・・・・どういう事だ・・・・・?

 

 放った大剣は、目の前で受け止められた。それを成したのは、あの怪物のようなヴィラン。

 信じ難い光景だった。

 全身剣で貫き、確かに行動不能にしたと思った男――それが刃を振り落とし、無傷で動いた。

 こちらの目の錯覚だったのか、剣に貫かれ、そこにあるべき傷跡が欠片も見当たらない。

 それ以前に、初めから通用してなかったとでもいうのか。

 個性の有無も分からず、相澤先生に抵抗すらさせず制圧していた事実も踏まえ、ひどく薄気味の悪いモノに見える。

 

・・・・・ひとまず、相澤先生は保護してくれた。

 

 背後で人の動く音が聞こえ、それが徐々に遠ざかっていく。

 何かしら言われるかもしれないと思ったが、ありがたい事に何も言わずに離れてくれた。

 正直、この得体の知れない二人組から、一瞬たりとも意識を外したくない。

 

「――鬱陶しいなぁ・・・・・ガキがしゃしゃり出んなよ」

 

 こちらの警戒など知らずに、手の男は静かに、しかし癇癪染みた苛立ちを見せる。

 敵が相澤先生の制圧か――もしくは、殺害を狙っていたなら、それを二度も妨害した俺は、さぞ邪魔くさい存在だろう。

 もしそうなら、それは実に――好都合。

 

「でしゃばりはお互い様だろ――人任せで碌に動かない木偶の棒が、イキがるなよ」

 

 挑発というには、あまりに稚拙な罵倒。売り言葉に買い言葉レベルの、程度の低い発言だ。

 それでも、少しでもこいつらの怒りを買わなければいけない。

 さっきみたいに、俺を無視して相澤先生と緑谷達を狙われ続けたら、何度も防げる自信は無い。

 標的を俺のみに絞らせ、この場に釘づけにする。

 彼らを生きてこの場から離脱させるには、それしか方法が無い。

 

「―――ハ」

 

 俺の言葉をどう受け取ったのか。

 手の男は短く、息を吐くように嗤った。

 

「それで煽ってるつもりか?俺たちを引き止めて、アイツらを逃したいのか?」

 

 クツクツと。小さく肩を揺らして男が笑う。

 手の男はこちらの思考を読み、その狙いを把握している。

 ならばこれは嘲りの笑いか――いや。それ以上に感じるのは、シンプルに怒り。

 

「――いいぜ。そんなに死にたいんなら、まずはお前の死に様を、あいつらにみせてやろう!」

 

 喜びとも、憤慨とも取れぬ曖昧な叫びで、俺を殺すと宣言する手の男。

 正しく俺の目的を知りながら、敢えてそれに乗る所業。その真意は、間違いなく“憂さ晴らし”。

 このヴィランは、実益より、己の癇癪を治める事を選んだ。

 とても、緻密な計画を立てられるような、理性的な人間には思えない。だが、

 

・・・・・これで、先生達は逃がせる。

 

 空の両手に使い慣れた双剣を生み出し構える。

 こちらの思惑に乗ってきた以上、ここより衝突は免れない。

 一人が来るのか、それとも同時にか。

 いずれにせよ、プロヒーローを倒せるほどのヴィランを相手取ることになる。

 油断はできない。加減もできない――文字通り、この命を賭して殿を務める。

 

「さあ、お前にコイツが止められるかな、ヒーロー気取り!?」

 

 男は狂喜の声を上げ、俺に怪人の様なヴィランを――脳無と呼んだそれをけしかける。

 ただ一言、やれ、と。

 指示と言うには、あまりに短いその一語を受けた怪人は、緩慢にその身を動かし――瞬間、爆ぜた。

 

「・・・・・っ!?」

 

 無様に、地面を横っ飛びに転がり、飛び込んできたヴィランをやり過ごす。

 姿勢を整えた先で見えたのは、拳を地面に埋め込んだ脳無の姿。

 普通の人間には到底出し得ない超怪力で、奴はアスファルトの地面をひしゃげさせた。

 

 そして膂力も脅威的なら、同時に速度も常軌を逸している。

 驚愕に身を固めなかったのは、運が良かったからか。

 爆発でも起きたかのような踏み込みを認識した瞬間、僅かな間も無く脳無が、拳を振りかぶって迫っていた。

 それを見失わず、あまつさえ回避できたのは、偏に生まれついての目の良さ故。

 動体視力も含め、数キロ先まで鮮明に移す俺の常人離れした視力の良さは、異常なほどの速度を有するヴィランの姿を、確かに捉えていた。だが、

 

・・・・・こうも差があるのかよっ・・・・・!

 

 純粋に、シンプルに、無情なまでに。持ち合わせた身体能力が違い過ぎる。

 目で見えている動きに、こちらの対応が追いつかない。

 敵の一撃が到達するその瀬戸際、辛うじて間に合う程度だ。

 それほどまでに、俺と奴のスペックに差がある。

 

「っ・・・・・!」

「―――――!!」

 

 避けられたとみるや、脳無は再度、襲いかかってくる。

 繰り出されるのは、殴打、殴打、殴打。ひたすらに、こちらを粉砕せんとする拳の連撃だ。

 何一つ技巧は無く、ただ馬鹿の一つ覚えみたいに、力任せな連撃を繰り返すだけ。

 そんな稚拙な戦法が、こちらの命を容易く狩れる脅威を持つ。

 一撃でも受ければ、その時点で致命。

 防御の上からでも容易く崩され、殴り飛ばされる。

 

「っ・・・・・、ぉおッ――!!」

 

 ならば、決して真正面から受け止めるな。

 能力に差があるというのなら、それに合わせた対応をしろ。動きは速くとも、動作は”早く“ない。

 ならば、その無駄だらけの動きを見切れ。

 躱せるものは躱し、避けられない拳は受け流せ――!

 

「――――!!」

「づぅ・・・・・っ!」

 

 全身を侵す疼痛と痺れに、抑えきれず苦悶が漏れる。

 脳無による攻撃への対応は、全て避けるか受け流すかの二択しか選んでいない。

 それが一番確実であり、最も長く時間を稼げる。

 だというのに、まともに受けていないはずの拳によるダメージが、着々と蓄積されていく。

 

・・・・・馬鹿力にも程があるだろっ!

 

 あまりに膂力が強すぎる。

 受け流そうとして、その衝撃で痺れるのは分かる。そもそも、完全に威力を流しきれない上に、一撃一撃が速すぎて、完全に受け流す前に拳を振り切られている。

 拳を躱そうとし、完全に叶わずダメージを負うというのなら、それも理解できる。こいつの攻撃なら、微かに触れ掠っただけで、十分に痛手になる。

 だが、完全に避けきったのに、拳が通り過ぎた後に体が軋むとは、いったいどういうわけだ。

 ただ衝撃だけで、こちらを削っていっているとでもいうのか。

 それを否定できる材料が、まるで思いつかない。

 

「どうしたヒーロー気取り、動きが鈍ってるぞ。余裕がなくなってきたんじゃないか?」

 

 明確に嘲りの意志を乗せ、こちらを小馬鹿にする手の男。

 こちらが言葉を返せぬ事など分かっているだろうに、そうと理解した上で俺の無様を嘲笑う。

 それに反発するほどの暇も余裕も無く――

 

「しまっ――」

「―――――!!!」

 

 言葉は続かない。

 ほんの僅か手の男に反応した一瞬で、より力の込められた大振りが叩き込まれた。

 

「――――」

 

 苦悶の声すら出ない。

 腹どころか、胴体ごと持っていくかのような一撃。

 呼吸は止まり、口内に鉄の味が充満する。耳に届いた小枝が折れたような音は、聞き間違いであってほしい。

 

「がっ・・・・・」

 

 吹き飛んだ体が、背中から地面に落ち、勢いのまま転がされる。

 およそ人生で経験したことの無い体験に、うまく思考が回らない。

 殴られた。ただそれだけで、人体が宙を滑り飛んだ。

 馬鹿げた筋力の持ち主とは分かっていたが、こうも人間離れしているのか。

 本来なら致命の一撃。それでも死なずに済んだのは、咄嗟に差し込んだ双剣を交差して拳を遮ったから。

 それが間に合ってなければ、この体にはとっくに風穴が開いていた。

 

 もっとも、その守りも最低限の効果しかない。

 突き刺さった拳は、守りに回した双剣を当たり前のように砕いた。

 拮抗は僅かな間だけ。二正面から衝突した結果、剣はガラスでも割れるみたいに呆気なく散った。

 おまけに障害など無かったかのように叩き込まれた拳は、こちらの肋を叩き折っている。

 二本か、三本か。未だかつて肋骨の骨折など経験がないから、どれほどの負傷なのかは分からない。

 ただ少なくとも、折れた骨が内臓に突き刺さってる、なんて事にはなってない。何年も全身串刺しになっていたんだ、それくらいは分かる。

 

「――――ごふ」

 

 ビチャ、と赤い液体を地面に撒き散らす。

 骨が刺さってはおらずとも、大きな痛手である事には変わりない。

 先の拳は、それだけでこちらに損傷を与えている。胃から出血し、殴られた事による吐き気によって、胃液と共に流れ出た血液が逆流した。

 激しく動けば、それだけ傷は広がるだろう。

 

・・・・・どうする・・・・・。

 

 脳無は、今のを有効打と考えてか、その歩みは遅い。

 体はまだ動く。戦闘行為も、不可能ではない。

 だが、あの怪人相手に大立ち回りを演じられるほど、余裕は無い。

 万全の状態ですら徐々に消耗させられていったんだ。今の状態で接近戦など、数合と保たない。

 

・・・・・もっと、強い武器が必要だ。

 

 今の衛宮士郎では、あのヴィランを打倒する術が無い。

 純粋な身体能力で遥かに差をつけられ、それを覆すほどの技量も無い。

 剣群の射出も、さっきの結果から確実じゃなく、そもそもあのスピードの生き物に、正面から放って直撃できると思うほど、俺は自惚れていない。

 この状況を覆すには、スペック差も技量不足も覆す、強靭な武器が要る。

 奴の力に耐えられ、なおかつ決定的な傷を与えられる武器。

 

・・・・・けど、そんな武器は無い。

 

 自分の力は、ある程度は理解してる。今の俺に、やつを打倒できるような武器は無い。

 有効な手札を用意できない以上、このまま続けても待っているのは死だけだ。

・・・・・別に、それは構わない。

 正義の味方を目指した時から――或いは、衛宮士郎として在る時から、とっくにこの命の使い道は決めてあった。

 誰かを守る為に戦いを選択した以上、初めから命を捨てる覚悟はできている。

 

――だから、本当に怖いのは、自分の死なんかじゃなくて。

 

 こいつらは、俺という邪魔者を排除した後、きっと緑谷達を追うだろう。瀕死の相澤先生の目を無理矢理に開け、彼の眼の前で、彼の生徒達を無惨に殺すだろう。残った他の生徒達も見つけ出し、その命を踏み躙るのだろう。

 先生を殺し、クラスメイトを殺し、目に映る平穏を殺し尽くし――オールマイトが来るまで、破壊の限りを尽くす。

 その未来こそが、俺は怖い。

 

 日々を穏やかに生き、ささやかな幸いを享受する人々。その一員であり、またそれを守ろうとして集まった良き人達と、その指導者。

 彼らという平和の形が無意味に壊され、鮮やかな思い出が冷たい鉄の残骸のように朽ちていく。

 そんな光景が実現してしまう事が恐ろしく――それを防げない己は、何より許せない。

 

 自身の生存に然して執着は無い。だが、己の未熟故に他の誰かが傷付き――ましてや命を落とす事など、断じて認められない。

 そうならない様に鍛錬を重ね、その為に生きてきた。

 いまここでその全てを出し尽くし、目の前の困難を覆せねば、これまでの時間は何の価値があったというのか。

 

・・・・・けど、俺に手が無いのは事実だ。

 

 接近戦では倒すどころか、反撃を加える事すら出来ない。

 弓も剣群も、決定打になり得ない――そもそも、そんな隙を晒してくれるかすら分からない。

 確実に無力化できる手段もない以上、俺という障害はあまりに小さい。

 第一、()()()()はずの剣を破壊する敵を相手に、近接でどう対応すると――

 

・・・・・折れない、はず・・・・・?

 

 当然のように胸中で浮かんだ考えに、思わず疑問を抱く。

 何を以って、折れないなどと思ったのか。

 この世の全ては有限で、如何なる存在もやがては朽ちる。許容値以上の負荷に耐えかねて、砕け散るものなどいくらでも存在する。

 脳無という、規格外の筋力を誇るヴィランの力を真っ向から受けて、それでも無事だなどと、それこそありえない。

 だというのに、なぜ俺はあの双剣が折れるはずはないと、そう考えたのか。

 

――事実だからだ。

 

 不思議と、懐疑はすぐに収まった。

 確かに、この世に不滅の剣など存在せず、奴の一撃はそれだけで砲弾染みたものがあった。

 だがそれ以上に、あの双剣はそれにも耐えうる強度がある筈なのだと、そう無意識のうちに信じ込む自分がいる。

 しかし、それなら何故、あの剣は砕けてしまったのか。

 

――()()()()()()からだ。

 

 そう、足りていない。

 記憶が、要素が、年月が。

 本来、あの双剣に宿るべき多くのモノが抜け落ちているからだ。

 だから折れるし、こうも容易く砕けた。

 あの双剣は、もっと頑丈な筈だ。あの剣は、より鋭い筈だ――“干将・莫耶”は、もっと色んな事ができた筈だ。

 

・・・・・足りてないのは、俺が再現しきれていないからだ。

 

 以前から理解していた、存在としての欠落。

 これまでそうと理解していながら、何が掴めていないのかまでは判然としなかった。

 だが今は、その不足分がハッキリと判る。

 今までのような、漠然とした欠落感では無い。明確に、どこが埋まっていないのか、それを把握できる。

 

――後は、その穴を埋めるだけだ。

 

 あの剣は、こんなやつの一撃で砕けるような物じゃない。壊れない筈の剣が壊れたのは、想定に綻びがあったから。

 ならばその想定を、今度こそ完全にしろ。

 記録を探せ。真髄を見つけ出せ。本来の姿を追想<トレース>しろ。

 奥へ、奥へ、奥へ。自分すら認識できていない最奥へと踏み入り、失った過去を覗き込め――!

 

「――――」

 

 未だに記憶は戻らず、過去の情景はノイズに塗れて、僅かな途切れも無い。

 かつて記録したはずの無数の刀剣も同じ。どこが埋まっていないのか分かっても、その意味を理解できねば再現できない。

 

・・・・・ならば、想像<イメージ>しろ。

 

 情報の嵐に飛び込み、本当の姿を想起しろ。足りない部分は、他のもので補え。

 あの双剣は、衛宮士郎にとって”使い慣れた“物だった。それならできるはずだ。

 他の物ならいざ知らず、衛宮士郎が多くの剣の中から、愛用とするほど慣れ親しんだ武器なら、その記憶は他より必ず強い。

 

「――――――」

 

 頭が割れるように痛む。

 今の衛宮士郎からは失われているモノを、無理に掘り起こそうとする反動だ。

 それは触れられるモノでは無いのだと、脳が全霊で停止を促している。

 酷くなる頭痛は、その現れだ。

 この行為を続ける限り、痛みは治らず、より強まっていく。

 

――その雑念を、ただ意志のみで捩じ伏せる。

 

「――――――――――」

 

 守りを旨とした剣術。

 二対は、共にあって加護を与える。

 軌跡は曲線を描き。

 重ねる投影。

 

――陰陽は、共に抱く。

 

「――――」

 

 見つけた。

 かつての衛宮士郎が、真に愛剣として用いたその在り方を、今度こそ探し当てた。

 記憶は真っ暗な海で千々になって、未だに思い出せる過去は無い――それでも、この二振りだけは、確かに取り戻した。

 

「――投影<トレース>、開始<オン>」

 

 自らの血肉に等しい言霊を紡ぎ、幻想を確かな実像として結ぶ。

 両の手に感じる確かな重み。長く振るってきた、衛宮士郎が最も重用する双剣――その馴染みが、今は一層深く感じられる。

 

「――――!!」

 

 こちらの個性行使を脅威と受け取ったのか。

 脳無は、直前の鈍重な動きからは想像もできないほど、機敏になって俺に向かってくる。

 一歩毎に地を揺らすようなその疾走は、俺では決して並べない領域にある。

 その差を埋める術は、衛宮士郎には無い。まともにぶつかれば俺が一方的に砕かれるだろう。

 

――故に、この一手でその全てを覆す。

 

「――――ッ!!」

 

 走る怪物めがけ、夫婦剣を投擲する。

 高速で飛翔する刃は、それだけで必殺たりうる。

 常人では躱せぬ、巻き込まれればその時点で両断される必死の回廊だ。

 

「――――!」

 

 だがそれは、突進する片手間に払われた。

 両の腕でこじ開けるように、内から弾かれる双剣。大きく軌道を変更され、二刀はやつの後方へ流れていく。

 投じた死門は力ずくで破られ、俺への道は開け放たれた。

 二秒後、あの巨拳はこの身に届く。だが――

 

「――凍結解除<フリーズアウト>」

 

 待機させていた設計図を展開。空の両手に、再度同じ双剣を生み出し、黒い巨躯を迎え撃つ。

 回避はできない。一秒後に到達する拳を躱すだけの速度は、俺には無い。防御はできない。一振りで命を粉砕しうる拳を防ぐなど、それこそ自滅。

 絶体絶命、絶死の激突。

 

――だからこそ、この一瞬が勝機となる。

 

 もとより、才の無い俺に選択できる術は、これしか無い。

 絶対の勝利。揺るがぬ必殺。

 敵がそう確信したその刹那にこそ、衛宮士郎は、唯一活路を見出せる。

 自ら踏み込み、手にする二刀が狙うは敵の脚部――そして、()()()()が両腕を捉える。

 

・・・・・干将・莫耶、その性質は――

 

「うぉおおおおおおおおおおおーーーーーっ!!!!」

 

 風切り音が重なり、振るわれる刃と飛来する刃が共鳴する。

 前方と後方、二極より攻める二組は、その拳が届くよりなお速く。

 致死の一撃を打ち崩し――その四肢を斬り飛ばした。

 

――両雄、共ニ命ヲ別ツ<ワレラトモニ、テンヲイダカズ>  

 

 

 

 

 

 

「おい、マジかよ・・・・・?」

 

 小さく漏れ出た呟きに、一緒にいた者が反応することはなかった。

 声が小さかったから、誰も聞き取れなかったわけではない。

 如何に音量が小さいといえ、彼らの距離はせいぜい50cmかそこらしか無い。その距離の音を聞き逃すほど、彼らの耳部は鈍くはない。

 ならば、その発言が煩わしく、意図的に無視したのかといえば、それも違う。

 そんな心持ちの人間だったなら、彼らはヒーロー科には来ていない。

 

 では何故、誰一人として反応しないのか。

 理由は単純――彼らもまた、目にした光景が信じられないからだ。

 

「――――」

 

 傷ついた相澤と彼ら三人を守るため、ただ一人ヴィランに立ち向かった少年。

 その戦況は、あまりに劣勢であった。

 戦い始めた瞬間から、ろくに攻勢にも転じられず、常に防戦を強いられていた。

 

 当然だ。

 余裕が無かったとはいえ、プロヒーローが抵抗らしい抵抗もできずに、叩きのめされた化け物。

 そんなヴィランと真っ向からぶつかり合うなど、自殺行為も甚だしい。

 遠巻きに見るしかない彼らが、傷つく少年の姿に何度、その胸を締め付けられたか。

 ヴィランの拳が叩き込まれた瞬間など、飛び出しそうになったほどだ。

 

 それでも、彼らがその衝動に従わず、こうして離れたままなのは、その背中を見たから。

 血を吐き出し、よろめきながら立ち上がる彼はあまりに痛々しく――それ以上に、赤い背中は不屈を感じさせた。

 絶対に敵うはずなどない強敵を前に、諦めるどころか恐れも見せず、あまつさえ、受けた傷に苦しむ素振りすら見せない。

 力は矮小なまま、絶対に諦めるものかと心だけは決して屈さず、勝機を探して立ち上がる。

 その姿は、言いようもないほど、彼らが目指す理想――正義の味方<ヒーロー>だった。

 

 そうして彼は、勝利した。

 それまで使用していた双剣に、それまで見せていなかった能力を宿して、敵の行動能力を完全に奪い去った。

 初めからそういう機能があったのか、それとも土壇場で新たな力を得たのか。

 真実がどうなのか、その実態は分からない。

 

 だが重要なのはそんな事ではなく。

 彼が決して諦めず、その果てに圧倒的な格上を下し、勝ったという事。

 方法こそ些か過激ではあったものの、その事実こそが重要なのだ。

 

「――緑谷ちゃん。今なら、わたしたちも」

 

 敗北と死を予感させたヴィランは倒れ、動くことすらままならない。

 もう一人のヴィランも危険な存在ではあるが、巨躯の怪物ほどの脅威は無い。取り巻きも、最初に放たれた剣の弾幕で一人残らず制圧された。

 ここで彼に加勢し、一気に畳み掛ければ、主犯格を押さえることも不可能ではない。

 唯一懸念すべきワープのヴィランがこの場にいない今こそ、敵を捕らえる絶好の機会ではないか。

 

「うん。僕たちも士郎くんと――」

 

 一緒に戦おう。

 そう言おうとした言葉は、不自然に途切れた。

 開いた口は徐々に震え、顔面も少しずつ青褪めていく。

 この場の誰もが似通った反応を見せ、少し前とはまるで性質の違う無言になる。

 

――視線の先に、あり得ないモノを見た。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 頭上を、手足を失って達磨になった脳無が飛んでいく。

 大地を掴む脚部が存在しない以上、それまで維持していた速度を殺せないのは当然だ。

 勢いのまま滑空し、背後に落ちる音が聞こえる。

 それでようやく、自分は勝ったのだと確信できた。

 

「――――――」

 

 掴み取った。切り開いた。勝利した。勝てぬ筈の敵を、間違いなく打倒した。

 さっきの様な、通じているか否かも分からないような状況ではない。

 両腕と両脚、人型である限り、活動に必須である部位を確実に両断した。

 命には至らずとも、その駆動は完全に停止している。やつが如何に化け物染みていようと、四肢が無い限り暴れる事はできない。

 

「――ここまでだ。お前達の本命は、無力化した」

 

 疲労と高揚で逸る心臓を抑えようと努めながら、事の成り行きを見据えていた手の男に、右の莫耶を突きつける。

 プロヒーローを無傷で打倒する力量、正面から相対して感じた力から、あの脳無とやらがこいつらの切り札である事は――オールマイト殺しの要である事は分かった。

 

 奴の膂力、速度、耐久力。いずれも間違いなくオールマイトに並ぶものがある。

 あれだけの身体能力なら、確かに彼の命にも届きうる。

 単独で彼を殺す事も不可能では無いだろうし、靄のヴィランの個性を用いれば、頑強な体躯を強制的に断ち切る事もできるかもしれない。或いは、目の前の男が()()()で彼の存在を崩すのか。

 いずれにせよ、もう実現することのないIFだが。

 

「――驚いたな。脳無が子供に傷をつけられるなんて」

 

 ボリボリと首を掻いてそう漏らす男の声には、本当に驚愕の色が混じっている。

 あの怪人が真実、対オールマイトの切り札であったなら、それを生徒に制圧されるなど、夢にも思わなかっただろう。

 俺とて、その思いは変わらない。

 俺みたいな、傑出した能力も持たないただの学生が、あんな化け物を倒せるはずがない。

 あのまま打ち合いが続いていたなら、俺はとっくの昔に死んでる。

 

・・・・・()()()の真価を引き出せたから、たった一度の勝負に賭けた。

 

 手の男も、脳無も――俺以外の誰も知らぬ、二刀一対の宝剣が宿す力。

 “在る筈の無い機能”を備えた双剣の能力が未知であったからこそ、あの一手を選べた。

 その結果、こうして俺は立っていて、脳無は地面に伏せている。

 もはや、ヴィラン連合を名乗るこの集団に勝機は無い。オールマイト殺しが果たせない以上、彼らの作戦は失敗だ。

 

・・・・・なのに、何でこうも落ち着いてるんだ。

 

 標的は未だ現れず、手の内を晒し、作戦の要を封じられ、更には生徒相手とはいえ、仲間と分かれ敵地のど真ん中で孤立無縁の状態。

 はっきり言って、やつにとって現状は詰みに等しい。

 なのに、そんな様子が見受けられない。

 学生に脳無という切り札を破られた驚きこそ見られるものの、そこには焦りや怒り、さっき見せた子供染みた苛立ちすらない。

 至って自然体。今ここで捕えられ、犯罪者として逮捕されるかもしれないというのに、男はどこまでも落ち着き払った態度のままだ。

 その余裕は、どこから来るというのか。

 

「直に本校の方も異変に気付く。これ以上抵抗したって、逃げられやしないぞ」

 

 不安を悟らせぬよう、努めて平静に投降を促す。

 他にどんな切り札を残しているかは知らないが、形勢はこちらに有利だ。

 脳無という、超絶した能力を有するヴィランがいない以上、残りの二人はいくらか手強いだけの、打倒可能な敵に過ぎない。

 二人によって連携されれば厳しいが、こいつ一人だけなら、あの手にさえ注意すれば、傷を負った俺一人でも抑えられる。

 倒す必要は無い。本校の教員達が異常を察知し、こちらに来るまでの時間を稼げば十分で――

 

「――ヒーロー気取り、お前は一つ、勘違いしてる」

「勘違いだと・・・・・?」

「ああ。俺たちはまだ、ゲームオーバーになってない」

 

 成年とは思えぬ子供のような物言いだが、同時に、こんな作戦を実行できるだけの要領はある人間だ。

 そのチグハグさが、余計にこの男を不気味に思わせていた。そんな男が、未だ勝負は終わっていないのだと告げる。

 出どころのわからない自信に、言い知れぬ不安を感じる。

 奴が言っているのが、オールマイト殺しを指している事は分かる。

 問題は、そのカードがどんなモノなのか、という事だ。

 

「本命は抑えた、か。確かに、脳無は俺たちにとっての切り札さ。対平和の象徴として弄られた“改人”だ――ああ。それは間違っちゃいないさ」

 

 脳無に対する俺の認識は正しいのだと、奴は大袈裟な仕草で語る。

 半ば確信していた事実故、驚きは無い。そんな事より気になるのは、奴こそが対オールマイトのカードと認めながら、それを失った現状に何の痛痒も見せていない事。

 やつにまだ脳無以外の手段があるというのならまだ納得は出来たが、男の言い分は全くの逆。

 事ここに至って、俺は目の前の男が、まるで理解できなくなった。

 これほど大掛かりな奇襲を仕掛けたというのに、その目的を果たせぬ現状に、何も感じないというのか。

 

「脳無が本命なのは事実だ――でも、あいつを抑えたってのは、大きな間違いだぜ?」

「おまえ、いったい何を――」

 

 言っているのか。

 手の男の言葉に、そう疑問を返そうとした時――耳に異音が届く。

 グチュグチュと、生肉を捏ねくり回し、引き延ばしていくような、そんな音。

 それが何の音なのか――理解するより先に、体が動いた。

 

「っ・・・・・!」

 

 最初に脳無の突進を避けた時と同じように、右方へ真横に飛び込んだ。

 受け身も後の体勢も考慮しない、後先考えない回避行動。

 

――それが、命を救った。

 

 コンマ数秒としないうち、今までいた場所に、黒々とした大きな物体が突き刺さった。

 その衝撃だけでこちらを揺らがすほどの、強烈な速度。鼓膜を破りかねないほど破砕音が、耳朶を揺らす。

 その物体によって地面は砕かれ、無数の亀裂が方々に走っている。

 それを為したモノ、その正体を目にし――己が眼を一時、疑った。

 

「――なんで、こいつが」

 

 それは、脚だった。

 生き物が持つ、人型に見られる構造の脚部。

 人間らしからぬ真っ黒な肌、子供の胴回りほどもありそうな、太いそれ。

 その持ち主たる存在は、少し前に、この手で確かにその四肢を斬り飛ばした筈のヴィラン――

 

「――脳無」

 

 口から漏れ出た名に、口にした俺自身が動揺する。

 自らが相対し、そして斬り捨てた筈のヴィランが、そこには立っていた。

 その姿は、異様の一言に尽きた。

 奴との交差で落とした筈の四肢――その一部である脚が、何事も無かったかの様に生えている。

 失った腕はそのまま、痛みに悶えることすらなく、ある筈のない脚で、立っている。

 

「”超再生“の個性。オールマイトの100%に耐えられるように与えられた力の一つさ!」

 

 男の言葉をその身で裏付けるかのように、脳無は俺の眼の前で、斬られた腕を再生した。

 体内から太すぎる腕骨と、膨大な肉を生み出し、それがみるみるうちに腕へと変換されていく。

 見ているこっちからすれば、目の前でモンスターパニックが目の前で現実に起こっているかのような思いだ。

 こんな悍ましい光景を直視して平然としてられるほど、俺のメンタルは図太くはない。

 

「こいつをどうにかしたいなら、手足を落とすぐらいじゃ話にならない。肉片一つ残さず消し飛ばすぐらいじゃないとなぁ!」

 

 告げられたのは、俺にとってはあまりに絶望的な事実だった。

 脳無という脅威が皆を傷つけることがないように、その四肢を奪い、動きを封じた。

 だが、やつがその気になれば、俺の妨害など無視して彼らを殺しに行けるというのなら、こいつを抑える術が俺には無い。

 

 殺す事が出来たなら、まだ可能性はあった。俺の個性であれば、他者の殺傷など容易だ。

 その行動を咎められ、結果として雄英から追放されたり、犯罪者として牢に入れられるとしても、ここにいるクラスメイトや先生を残らず殺される可能性を残すよりよっぽどマシだ。

 だが、人間にはあり得ない速度で損傷を回復させる者に、どう致命傷を与えるというのか。

 

・・・・・頭を潰せば、もしかしたら殺せるか・・・・・?

 

 異様な風体の中、さらに目立つ中身が剥き出しになった頭部。

 弱点と考えるにはあまりに安直だが、それ以外に思いつくものはない。

 手の男を信じるなら、心臓や鳩尾、頸動脈みたいな、通常の急所は適用されないだろう。そうでもなければ、さっきみたいな発言をするとは思えない。

 その上で、そうだと思える部位は頭しかなく、その真偽を確かめていられるほど、余裕も無い。

 

 男がただ一度、その指揮棒を振るえば、その瞬間に脳無は俺に、或いは他の誰かに襲いかかる。

 もう俺は、奴を押しとどめていられるほどの力が無い。傷を押して、全力を尽くして挑めば――なんて話じゃない。

 純然たる事実として、俺はもうあいつの身体能力に食い下がれない。

 奴が戦闘機並みの速度を持つ戦車だとしたら、こっちは駆動系のイカれた自走砲だ。

 攻撃手段はあっても相手に当てられず、おまけに与えた損傷は間を置かず修復される。

 敵を防ぐどころか、障害にだってなりやしない。

 

 できることといえば、限界まで装填した剣弾で、奴らの進行を遅らせる事ぐらい。

 数百も剣群があれば、二人を包囲してしばし閉じ込める事はできる。

 脳無はともかく、手の男の能力では防げはしない。脳無の方も、奴を守るためその身を挺さざるを得ないだろう。

 射出間隔を調整し、倒れるまで剣弾を装填し続ければ、おそらく一分以上は保つ筈だ。

 

 だが、力を使い果たした時点で包囲は瓦解する。もしくは、負傷を覚悟して脳無に突っ込まれれば、俺は対処できない。

 その時点で、包囲は瓦解し、奴等を阻むものは無くなる。

 

 この方法ははっきり言って、最終手段だ。

 留めた時間で皆が逃げきれない以上、ただ最悪の未来を先延ばしにするに過ぎない。

 せめて、こいつらと戦える増援が、もうすぐ来るという確信が無ければ――

 

「“死柄木弔”」

「・・・・・っ!」

 

 手の男の横に、唐突に黒い靄が生まれた。

 それは一瞬の間に寄り集まり形を成し、そこにはあのワープのヴィランがいた。

 俺たちを飛ばした後、捉え損ねたクラスメイトと13号と相対していたのは視認したが、やつの能力を考えれば一瞬でこちらに現れてもおかしくはない。しかし――

 

・・・・・ここで合流しちまうのかよっ・・・・・!

 

 現状は、起こり得た可能性の中で最も悪い部類だ。

 あいつがいる限り、こいつらを足止めできる時間は極端に短くなる。

 あの個性であれば、俺の剣群を悉くどこかに飛ばせる。そうなれば包囲は緩み、突破も容易になるだろう。

 リミットは――およそ二十秒。

 それだけあれば、包囲を踏み越え、俺を仕留めるには十分だろう。

 形勢は、完全に逆転した。

 詰みとなり、断崖に立たされたのは、俺になり――

 

「――黒霧。13号は仕留めたのか?」

「行動不能には出来ました・・・・・が、何人かは散らし損ね――生徒に一人、逃げられました」

「――――は?」

 

 聞こえた会話に、顔を跳ね上げる。

 13号に動くことすらできない程の重症を負わせた、その事実も見過ごせないが。

 それ以上に、注視すべき点は、

 

――生徒が一人逃げた。

 

 それが事実だというのなら、離脱したのは間違いなく飯田くんだろう。

 ワープのヴィラン――黒霧と呼ばれた男による分散を躱し、なおかつこいつを振り切って逃げおおせられるのは彼しかいない。

 エンジンという、速度において1-A随一の彼ならそれを成し、かつ短時間で救援を要請できる。

 

 もう少しで、オールマイトやプロヒーローが来る。

 そうなれば、こいつらをここに留めておければ、確実に捕らえられる。

 オールマイト一人なら苦戦は必至だろう。だが、他のプロも加われば、均衡は一気に傾く。おそらく、奴らもそれを理解しているからこそ、このUSJに訪れるタイミングを狙った。

 時間さえ稼げれば、こちらの勝利は確実だ。

 

「・・・・はあー・・・・・黒霧おまえ――お前がワープゲートじゃなきゃ、ここで粉々にしたよっ!」

 

 “死柄木”と呼ばれた男は、仲間の失態に怒気を撒き散らす。

 自身の首を掻きむしる仕草は、癖のように時たまやっていたそれとは違う。込められた力の強さは、そのまま奴の憤慨具合を示している。

 俺に対して抱いた顰蹙など、これに比べれば幼子のそれと大差ない。

 だがいま奴が仲間に向けるそれは、ただひたすらにおどろおどろしい、純然たる殺意だ。気に食わぬモノ全て巻き込んで、残さず壊し尽くすと示すような禍々しさ。

 向けられる黒霧は、生きた心地がしないだろう。

 

「流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない。ゲームオーバーだ。あーあ。()()()ゲームオーバーだ・・・・・帰ろっか」

 

 帰る。

 目的を放棄し、撤退する。それは正しい判断だろう。

 そう遠くないうちに、数十人のプロヒーローを引き連れた、オールマイトがやってくる。

 包囲されれば、連中に勝ち目は無い。

 無駄に長居して、ヒーロー達に捕捉されては元も子もない――しかし、そんな事よりも。

 奴は今、なんて言った。

 

・・・・・今回、だと・・・・・?

 

 それは、いずれオールマイト殺しを、もう一度果たそうとするということか。

 目的が果たせておらず、自らも逃げおおせたなら、それは自然な考えだろう。

 思考としては真っ当で、組織としては常道だ。だが――

 

・・・・・また、誰かを傷つけるのか――?

 

 相澤先生の体を徹底的に壊して、13号に動くこともできない傷を与えて、1-Aの皆の命を脅かそうとして。

 そこにただ、平穏に生きるだけの人々を脅かして、これまで多くの人々を救い上げてきた英雄<ヒーロー>を殺すと、そう言うのか。

 

・・・・・ふざけるな。

 

 そんな事、許せない。そんな暴挙、見逃せない。

 ヒーローが来るまで、じゃない。痛み分けで次の機会に、でもない。そんな悠長な考えじゃ、話にならない。

 ・・・・・こいつらは、いま。ここで。完全に、仕留めなければならない。

 逃せば、また同じ事をする。生かせば、それだけで他者を脅かす。

 決して、生かして帰してはならない。

 

 だが、どうやってそれを果たす。

 今の俺では、こいつらを倒すどころか、足止めする事すらままならないというのに。

 そもそも、ただの剣では、再生する脳無を殺せないのではなかったか。

 

――ナラ、倒セルモノヲ、殺セル武器ヲ、用意スレバイイ。

 

 ・・・・・そうだ。俺の扱う個性とは、そういうモノではなかったか。

 己には無いモノを、己では至れぬ力を、自らの心を以って織りなす。現実には存在しない筈の幻想を紡ぎ、確かなカタチとして結ぶ。

 それこそが、衛宮士郎に許された力の本質ではなかったか。

 

 衛宮士郎に与えられたモノは、あまりに小さい。

 この雄英に、ヒーロー科に来て、それを強く痛感する。

 緑谷のような類い稀な出力は発揮しえず、轟や爆豪のような突出した才は持ちえず、八百万のような並外れた頭脳も無い。

 初めから、衛宮士郎にそんな事はできない。

 

――お前は戦う者ではなく、生み出す者にすぎん。

 

 時たま夢に見るあの紅い騎士は、何と言っていた。俺に向けられたあの言葉は、無意味なものではなかった筈だ。

 途切れ途切れにしか聞き取れないその声を、何度も掴み取ろうとしたのは何故か。

 それは、意識するまでもなく、己にとって必要なものだと、理解していたからではないか――?

 

――忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。

 

 思い至れば、当たり前の事でしかない。

 力の無い衛宮士郎に唯一許されたのが、生み出す能力だと言うのなら。

 

――イメージしろ。

 

 現実で敵わない敵だというのなら、空想の中で勝て。

 勝てない存在なら、勝てるモノを幻想しろ。

 己の力が信じられないというのなら、あらゆる困難を乗り越える、最強の自分を想像しろ。

 精神を鍛え上げ、心を叩き上げ、信念という炉に火を灯せ。

 敵を騙し、己すら欺き、理想を叶える贋作を創造する。

 衛宮士郎には、それが出来る筈だ。

 

――もとよりこの身は、ただそれだけに特化した――

 

「――投影重装<トレース・フラクタル>」

 

 かつて口にした事もない言霊は、まるで慣れきったように、自然に紡がれた。

 ただの投影では届かない。

 奴らの命にも、これより生み出す“剣”にも、この手を届かせられない。

 故に、自己を記憶の海へ広げる。際限なく拡大し、方々に四散し、果てのない世界の隅々まで蔓延し、自我が曖昧になるほど浸透する。

 記憶を探るのに己が邪魔だというのなら、それを徹底的に廃し希釈しろ。

 意識のイドより、その一手を手繰り寄せ。

 

「――――!!」

 

 どこかで誰かが喚く声が聞こえるが、そんなものはどうでもいい。

 雑念で作業を乱したが最後、この試みは完膚なきまでに叩き潰される。

 凡庸な剣では絶死に至らない。

 脳無も、死柄木も、黒霧も一撃の元に消し去る絶対的な火力と、ワープという障害を撒き散らせる一刀が必要だ。

 

「ぎ―――!」

 

 ぎちり、と体が鳴った。

 これより生み出そうとするのは、本来なら今の衛宮士郎には手が出せないモノだ。それを無理矢理に再現しようとする以上、その代償は自身の肉体を侵す。

 響いた異音は、決して聞き間違いではない。

 必要以上の埋没に釣られ、剣の素となる幻想が、現実となって現れた。金属が擦れ合う音は真実、この体のうちから鳴っている。

 刃が現実なら、この骨身が切り裂かれた感覚も錯覚ではない。

 数は少なくとも、体内で不規則に蠢く刃はそこかしこを無遠慮に切り裂いていく。久しく感じていなかった痛みに、しかしかつてのそれに比べれば穏やかな方だ。

 

「・・・・・っ!」

 

 肉体は、成し得ない暴挙を果たそうとする試みに絶叫を上げている。

 それは、僅かでも生きながらえようとする、生物として当然に有する本能だ。

 目に見えた危機、判りきった異常に、進んで飛び込む生き物はいない。もし、そんな自傷・自死紛いの行動を選んだなら、体が拒絶反応を起こすのは当然だ。

 苦痛を遠のけ、一秒後の生存を望む体は、ここで止まれと停止命令を鳴らす。

 まだ生きていたいのなら立ち止まれ、さもなければ、この命は――そう悲鳴を上げ続ける。

 その煩わしい警告<アラート>を、力ずくで叩き出す。

 零れ落ちそうな弱音を、全力で噛み殺した。

 

「―――――」

 

 意識が、表層へと回帰する。ひどく永い時間を経た様に感じて――実際は、十秒と過ぎていない。

 その短くも引き延ばされた遡行の中、砂嵐に満ちた世界から、その存在を確かに引き上げた。

 黄金の鍔と蒼銀の柄に彩られた、美しい装飾を持ったそれは――しかし何より、その刀身こそが眼を惹いた。

 およそ剣とは思えぬほど、捻れに捻れた螺旋を描く刀身。その様は、刀剣というよりむしろ穿孔機<ドリル>の様だ。

 立ち塞がる者、通り道に立ち入ったモノ全てを抉り穿つ、穿通形状。

 これこそ、衛宮士郎が求めた必殺に他ならない。

 

 だが、それの何と不出来な事か。

 構成する材質は不純物と欠落で満ちている。骨子の想定も粗雑なら、その創造理念すら曖昧。

 当然の結果だ。今の自分から失われているものを、力づくで再現した。

 穴だらけの記憶から、この剣の存在だけを無理やり引き剥がしたなら、そこにあった記録が不完全なのは明白だろう。

 

 本来宿していた筈の性能は悉く欠け落ちて、残ったのはせいぜい二割程度の力だけ。

 ――それでも、そんな粗悪品ですら、奴らを消し飛ばすには、十分にお釣りがくる。

 

「――――――ッッッ!!!」

 

 黒塗りの巨躯が、爆音を轟かせてこちらに向かって来る。奴自身の判断か、残り二人の本能が警鐘を鳴らしたのか。

 いずれにせよ、奴らはこの一振りに脅威を感じ、全霊で俺を叩き潰そうとしている。

 それはどこまでも正しい行動で――ひたすらに、動き始めるのが遅かった。

 

「偽・螺<カラド――」

 

 黒弓に“剣を矢”として番え、最後の一音を唱える。

 その剣が宿した力――その真髄を引き出すための喚起。

 この一節を以って、“貴き幻想”はその真の姿を曝け出す。

 

「黒霧ぃーーーーっ!!」」

「――ボルグ>旋剣」

 

 眼前にワープホールが生まれるが無意味。

 高速で射出された螺旋剣は、立ち塞がる障害の全てを貫き――()()すら穿って突き進む。

 黒い靄は、文字通りのものとなって散り、矢は止まる事なく突き進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 告げられた銘とその意味を、理解できる者はいない。

 ヴィラン達はおろか、射手たる彼すら、完全な把握には至ってない。

 

――カラドボルグ。

 

 古い古い物語、神話という織物<スクロール>に息づく、実在すら疑わしい御伽噺。

 ケルト神話、その中でも『アルスターサイクル』と呼ばれる物語群に、この剣は登場する。

 アイルランドが誇る英雄の一人、偉大なる戦士フェルグス。

 その彼が担った魔剣として伝わり、伝承においては、振るわれたカラドボルグから放たれた剣光が、三つの丘を斬り裂いたと伝えられている。

 

 その破壊力、土地の地形すら破壊する絶大な威力は、しかして怒りに任せて放って乱雑な一撃にしかすぎなかった。

 本来のカラドボルグとは、島一つの地盤ごと攪拌しうるほどの、広域殲滅兵器だ。

 崩落に巻き込まれれば、残骸はおろか、肉片すら残らない。

 無尽に伸びる螺旋の虹霓。それこそが、カラドボルグの真の姿。

 

 だが、衛宮士郎は、その剣に異なる形を見出した。

 放つ一射は大地を破ること叶わず、地形を変形させること能わず。ただ真っ直ぐに、無駄な破壊をせず、その射線上にある障害全てを穿ち抉る一撃を生み出した。

 それが、空間すら削り取って進む、音すら越える不可避の一矢。

 それ故に、“偽・螺旋剣”。

 硬い稲妻を意味する名を体として表した武装である。

 

 不完全な投影では、威力も速度も本来の基準には到底至らない。

 それでも、彼の放った一撃は、人間三人を死に至らしめるには十分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 過ぎ去った後に、形を保っているものは無い。

 生き物も人工物も等しく失せて、地面はその暴虐の一端を語るかのように、荒々しくも整然と抉り取られた。

 後に残ったのは、ただひたすらに静寂。

 それまでの波乱が嘘だったように、音の無い世界が生まれている。

 

――敵の姿も、同じく消え失せた。

 

「――投影破棄<トレース・カット>」

 

 螺旋剣を、射出から五秒も経たないうちに消し去った。

 あの一射の威力は尋常ではない。たとえ標的を仕留めた後も、変わらず飛んでいく。

 こうして存在を破棄しなければ、ドームを食い破り、山や街までをも薙ぎ払うだろう。

 

「っ・・・・・!」

 

 がくり、と足が崩れかける。

 身の丈を超えた力の行使に、肉体がエンストしかけている。

 敵との衝突によって蓄積されてダメージは大きい。体内で暴れかけた刃による自傷も、決して無視できないものだ。

 何より大きいのは、右腕が完全に使い物にならなくなっている事だ。感覚はあるが、自分の意思じゃピクリ、とも動かない。

 プラン、と括られていないロープみたいに揺れる腕は、盾代わりにすら使えやしない。

 ただの疲労や傷が原因なのか、それとも使えないはずの力を使った代償なのか。

 いずれにせよ、戦力としての俺の価値は大きく下がってる。

 

「・・・・まだ、倒れるな」

 

 たとえそうであったとしても、まだ休むわけにはいかない。

 主犯らしき三人は仕留めたが、未だ敵はこのUSJ内部に残っている。奴ら全員を無力化しない限り、戦いは終わらない。

 脅威度合いから優先順位を決め、真っ先にこちらに来たが、だからといって他の皆を放っておいていい訳がない。

 

 果たすべきを果たしたのなら、できる限り彼らの助けに向かわなければ。

 うちのクラスがそこらのゴロツキに遅れをとるとは思わないが、如何せん多勢に無勢だ。

 体はとっくにガタがきて、まともに動くかも怪しいが、剣群で援護ぐらいはまだできるはず。

 

「衛宮くん・・・・・っ!!」

 

 離れた場所から、誰かが俺を呼んでんいる。

 あれは・・・・・緑谷か。

 酷使し続けた肉体に比例して、意識も常よりふわついてる。

 呼び声の主が誰なのかすら、直ぐに判断できなかった。

 あんなに大きな声で呼ばれたのに気づかないとは、思ってる以上に重傷だ・・・・・いや、それ以前に。

 緑谷は何で――あんなに必死な表情を浮かべているんだ?

 

「――逃げてぇっっ!!」

「緑谷・・・・・?」

 

 告げられた言葉に理解が追いつかず、呆けた声を出す。

 いったい彼が何を言っているのか、まるで分からなくて――

 

「――――え?」

 

 どしゃ、と地面を転がる。

 揺さぶられた後で、視界がはっきりしない。

 さっきまで、フラつきながらも確かに立っていて、こんな無様に倒れ込む事なんてなかったのに。

 なんで、こんな風に地べたに寝っ転がってるんだ・・・・・?

 

「が―――は」

 

 胸が苦しい。

 碌に息が吸えない。

 呼吸器に異常なんて無かったのに、そんな事が嘘だったみたいに呼吸がつっかえてる。

 

「―――ぁ」

 

 視界が赤くなる。

 額から血でも出たのか。眼球がべとりと色付き、目に見えるものが真っ赤に染まる。

 ――その中に。何故か、いるはずもない、黒い、生き物達が、い、て・・・・・

 

「なん、で・・・・・」

「――何でも何も、生きてるからだよ」

 

 見下ろす男は、どこまでも不気味で、悍ましい。

 デフォルメされた手の飾りを顔面に貼り付け、その指の隙間から、赤い目玉が倒れる俺を睨め付けている。

 平坦な声は、平静とも怒りともつかぬ響きを伴っていた。

 

――死柄木弔と、その共犯二人。

 

 確かに殺した筈の三人は、嘘みたいにピンピンして、俺の前に立っている。

 

「危なかったよ。あの攻撃、ワープゲートも崩すんだもん。黒霧が咄嗟に“俺たち”を飛ばしてなきゃ、とっくに死んでた」

 

 それはつまり。

 コイツらは、螺旋剣を転送させるのではなく――自分達そのものを移動させた、という事か。

 

――なんて、間抜け。

 

 黒霧に対する攻撃を、全てワープで飛ばされてたから、そちらにしか意識が向いていなかった。

 何も難しい事はない。飛ばせない攻撃なら、それが届く前に自ら移動してしまえばいい。

 そんな簡単な道理すら抜け落ちていた、己の馬鹿さ加減を呪いたくなる。

 

・・・・・ま、ずい。

 

 先の一撃で、体はまだ動かない。

 脳無が、横殴りで俺を殴り飛ばしたんだろう。

 いくらか頑丈な体とはいえ、さっき受けた衝撃は全くもって許容値を超えている。

 しばらくの間、俺には一切の抵抗ができず。

 

――こいつらが俺を殺すには、十秒とかからない。

 

「さっきのアレ、痛かったぜ?ワープで逃げようとしたのに、余波が身体中斬り刻みやがった――ヒーロー志望が、簡単に人を殺そうとするなよな」

 

 真っ当な言い分だが、それを口にする資格はお前らに無いだろう。

 そんな悪態を吐く余裕すら無い。

 

 見れば、死柄木は体の至る所から出血し、その負傷具合が分かる。黒霧も、靄に包まれている下の実体には、少なからず傷があるんだろう。ただ、脳無だけは、変わらず無傷だ。

 一撃で命を消し飛ばせねば、どんな状態からでも回復できるのがこいつだ。余波で受けた傷など、それこそ瞬きの間に修復したんだろう。

 今度こそ――完全に、手詰まりだ。

 

「お前は俺たちを殺そうとしたんだ――なら当然、お前も殺されるべきだろう?」

 

 死柄木の言葉に反応してか。

 ゆっくりと、脳無の腕が迫る。

 殴り潰そうとするような速度じゃない。ともすれば、優しくも見える慎重な手つき。

 

「安心しろよ。お前を殺したら、俺たちも今回は帰るさ。そろそろ、ヒーローどもが来る頃だしな」

 

 その巨大な手が、体を包み込む。

 ペットボトルでも持つみたいに、簡単に人間の胴体を持ち上げる怪力に、今更ながらにゾッとする。

 殺すと宣言して、この体勢になったという事は、つまり。

 

「――ゆっくりと。できる限り時間をかけて、お前を握りつぶす。自分の体が少しずつ潰れていくのを感じながら、くたばれ」

「――――」

 

 合図に従って、徐々に込められる力。万力すら及ばぬそれが、少しずつ体を圧迫していき――

 

「衛宮くんを、放せぇえええええ!!」

 

 悲痛なまでの叫びが、鼓膜を震わせる。直後――

 

「SMASH――――ッ!!!」

 

 凄まじい衝撃が、この身を粉砕する拳を遮った。

 

・・・・・緑、谷・・・・・?

 

 いつの間に動いたというのか。

 10m以上は離れていた緑谷が、強力にすぎる拳を、脳無へと叩き込んでいた。

 その四肢に、自壊した形跡は無い。

 土壇場でコントロールを習得したのか、自傷も負わず出力も抑えられていた。

 並の人間なら、今ので完全に戦闘不能になっている一撃。だが――

 

「え――?」

「――――」

 

 打ち込まれた脳無は、完全に不動。

 ギョロリ、と目を向けるだけで、何一つ反応も無い。

 確かに、化け物じみた敵だとは分かっていた。だが、調整をしていたとはいえ、あの緑谷の一撃を受け、無傷どころかたたらを踏む事もないなど、どういうカラクリだというのか。

 

「――邪魔するなよ。オールマイトマニア」

「っ・・・・・!?」

 

 驚愕と恐れに身を竦ませる緑谷に、脳無が拳を振りかぶる。

 ほとんどゼロ距離。

 脳無の拳速度であれば、緑谷の速度でも躱せない。

 コンマ数秒後、彼の体は真っ赤に潰れる。

 

・・・・・させ、るかよっ・・・・・!!

 

 脳無の初動そのものは並だ。

 ならば間に合う。

 奴が拳を振り切り、緑谷へと届かせる前にその一撃を遮れ――!

 

・・・・・投影開始<トレース・オン>・・・・・ッ!

 

「――――ッ!!」

「っ・・・・・!」

 

 緑谷と振るわれた大腕の間に、いま生み出せる限界の大盾を生み出す。

 数は六、厚さ1cmのそれはやはり、完全には止められない。

 一枚ずつ、少しだけ拮抗して破られた。

 

・・・・・けど、防いだ。

 

 残らず盾は破られたが、それでも強度も硬度も相応のものを選出した。

 奴の拳を止めるには至らなかったが、それが緑谷に直撃する未来は回避できた。

 

「――ほんと、筋金入りだな、ヒーロー気取り」

「ぐがっ・・・・・!」

 

 中断されていた粉砕が、一気に再開される。

 全身の至る所が圧迫され、そこかしこが軋んだ。

 

「―――うぶ」

 

 さっき負った傷がさらに開き、喉奥から迫り上がる血液を堪えきれず吹き出した。

 口内に充満する鉄臭さに辟易しそうだ。このまま窒息でもするんじゃないか、なんて呑気な考えが浮かぶ。

 

 右腕は、とっくに壊れている。

 もとから使い物にならなくなっていたそれが、さっき受けた殴打で完全に折れた。

 握り潰すまでもなく、この腕はただのデッドウェイトになっている。

 

「あの盾に回す分の余力があったならもう一度、脳無の腕を落とすぐらいはできただろうに。自分を捨てて得るものが、少しの延命なんて、割に合わないだろ」

 

 呆れたような言動には、しかし何の感情も込められていない。

 ただ淡々と評価しただけで、心底どうでもいいと、その平坦な声が示していた。

 

 ・・・・・薪が足されたみたいに、怒りが戻ってくる。

 こんな、人の死に何の感慨も抱かないような訳の分からない人間に、何で誰かが殺されないといけない。

 人の生き死にってのは、もっと重いモノの筈だ。こんな風に、路端の小石でも蹴るみたいに、無感動にやりとりされていいモノじゃない筈だ。

 目的があったんだろう、譲れないモノがあって襲撃なんて馬鹿な真似、決行したんだろうが。

 だったらせめて、奪うモノに対して眼を向けやがれっ・・・・・!

 

・・・・・そうだ。こんな、意味の分からない連中に・・・・・!

 

 殺されてやらない。殺されてなんかやらない。

 絶対に、俺は生きて、果たさなくちゃならないモノがあるんだから――!

 

「ぁ・・・・・あ、あぁあああああああーーっ!!!」

 

 動く箇所など無い。限界を迎えた体はとっくに、俺の自由にできるものじゃなくなっている。

 ――そんなのは、百も承知だ。

 だが、まだ死んでいない。完全な停止には、いまだに至っていない。

 五体満足で、個性だって僅かながらに使えて――この意思だって、まだやれると叫んでいる。

 ならば戦える。

 俺は、衛宮士郎は、正義の味方を張り続けられる――!

 

 込める力は全霊で。

 動かないモノを無理矢理に駆動させる。壊れたモノ、失ったモノなど後で直せばいい。

 今はただ、目の前の悪意を打倒する事に命を費やし――

 

「――脳無」

 

 しかし、そんな意志などまるで意にも介さず。

 悍ましい手の男は、無情に最後の判決を下し。

 

――鮮血が、宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

――駆け抜けたのは、膨大な力の奔流。

 

 唐突に出現し、瞬く間に周囲に伝播したそれは、何一つ正体の解らない代物だった。

 電力、火力、風力・・・・・いずれにも当てはまらない、全くの未知。

 浴びた者全員が、体の奥底から震え上がるような錯覚を覚えた。冷たいのでも、恐ろしいのでもなく――畏れた。

 震えは温度でも恐怖からでもなく、感動とも取れる畏敬故だった。

 

 USJ内部にいた者は皆少なからず影響を受けた。それこそ、ヒーロー科に留まらずヴィラン達ですら一瞬、その感覚に支配され足を止めた。

 誰もが停止する最中、そこからの復帰が早かったのは――やはり、ヒーロー科の生徒達だった。

 

「耳郎さんっ!」

「分かってる――ッ!!」

 

 八百万百と耳郎響香。

 両者の意思疎通は瞬時に成立し、共に飛ばされた二人は最短最速で行動に出た。

 目の前には、電気を操るヴィラン――そして、人質にされた上鳴電気。

 ヒーローの卵として、この僅かな隙を逃さず、彼女らは救出に動いた。

 

「つぁ・・・・・っ!」

 

 耳郎の個性、『イヤホン・ジャック』はその性質上、索敵や音響攻撃を可能とするが、プラグそのものの精度と速度、そして強度も高い能力を発揮する。

 硬質なイヤホンプラグの先端は、正確無比に上鳴を掴むヴィランの指を撃ち抜いた。

 ダメージとしては些細なもので、しかし意識外から襲ってきた鋭い痛みにヴィランの手が緩み、上鳴を取り落とす。

 

「いま――ッ!!」

 

 地面に落ちた上鳴の姿を見て、二人は一気に畳み掛ける。

 人質の解放が第一手。次ぐ二手は耳郎の指向性音波攻撃、三手は八百万による捕縛だ。

 大音量の爆音に晒されたヴィランは、碌な抵抗もできず八百万の拘束によって動きを封じられた。網にかかった魚の如く身動きが取れない上、上から極圧の絶縁シートで包まれれば、もはや個性による反抗すらできない。

 

 一連の救出劇に要した時間はおよそ五秒ほど。

 僅かなチャンスを見逃さず、人質にも傷を与えなかった、見事な手際であった。

 

「上鳴っ!怪我してない!?」

「ウェ〜イ・・・・・」

「・・・・・良かった、無事そうだね」

 

 取り返した上鳴に目立った外傷はなく、また目の前で見ていた限り何かされた様子も無かった。

 唯一の異常は変に崩れた表情と、言語機能にすら影響が及んでいるらしい、著しく低下した思考能力だが、それらは彼自身の問題なので現状は全くもってモーマンタイ、万事オッケーである。

 

「ねえ、さっきの変な感覚・・・・・あれ、何だと思う?」

「・・・・・何も情報がありませんし、まだなんとも。ただ――」

 

 彼女達にとっても、ヴィランにとっても、それは今まで感じたこともないような代物であった。

 それが物理的な現象によるものなのか、それとも個性による干渉だったのか。

 しかし八百万は――もっと言えば1-Aの生徒全員が最近、似たような経験をした。

 

「――もしかしたら“アレ”は、衛宮さんの手によるものかもしれません」

「衛宮の・・・・・?」

「ええ。全く同じモノとは言えませんが・・・・・さっきの感覚は、衛宮さんが弓を弾いた時に似ていたように感じました」

 

 個性把握テスト、対人戦闘訓練。

 八百万は二度、衛宮士郎が弓を構えた場面に立ち会っている。

 その時に感じたエネルギーでも精神干渉でもない、ただそう在るというだけで、その場にあるもの全てを支配下に置かれてしまった様な錯覚。

 さっきの感覚は、それと似た“感じ方”だった。

 

「ウチも衛宮が弓引いてるとこにいたけど、さっきのは、それとは全く別物だったように感じるけど・・・・・」

「ええ。単純に“種類”という事なら、耳郎さんの言う通りかと。ですが、実態の無い力場の様な感覚、という意味では、近しいモノがありました」

 

 出処、原因となった存在は、耳郎が言うように同一ではない。それは、おそらく間違いない。

 しかし、プロセスというべきか、フィーリングというべきか。ともかく、そういった点で二つは類似していた。

 

「無論、アレが衛宮さんが原因の現象だとは、まだ断言できません」

「・・・・・ま、いまんところ判断材料が無いからね」

 

 先の感覚が、必ずしも衛宮士郎に起因したものとは限らない。

 彼女らの知る限り、彼以外にそういった事ができそうな人物は、USJ内にいる面子の中にはいない。ただ、ヴィラン側にそんな人間が存在するか否かまでは、彼女達には判断できない。

 

・・・・・ですが、おそらく私の予想に間違いはないはず。

 

 情報は不足し、断定はできないと認めて、その上で八百万は衛宮士郎が原因と考えている。

 根拠となるものは何一つ存在せず、敢えてそういうものを挙げるとすれば、それは直感だ。

 

 論理的思考に拠らぬ、彼女らしからぬ論拠だ。おそらく、衛宮士郎に出会う前の彼であれば、一笑に付したであろう。

 だが彼女は、衛宮士郎の射という、単純な論理では説明できない感覚を体験している。

 非科学的である、という理由だけで自らの思考を狭める事はしなかった。

 

「――とにかく、私たちも下に戻りましょう。現状がどうなっているのか、把握しなければ」

「うん。先生や皆が心配だ。・・・・・それに、上鳴も何とかしないとね」

「ウェ、ウェ〜イ・・・・・」

 

 相変わらず上鳴はアホになったままだが、簡単な応答や、ゆっくりなら移動はできるようだ。最悪、ソリにでも乗っけて滑らせたらいいか、などと耳郎は考えている。

 

「とりあえず、どっかから見回せないか、確認してみよう」

 

 合流するにしても、現状がどうなっているかある程度把握していなければ、無闇に危険に飛び込む事になる。

 彼女達が飛ばされた場所は山岳エリア、その山頂。高度と見通しの良さであれば、USJの設備の中でも一、二を争うスポットだ。

 位置によっては、ドーム全体を見渡せる。

 斥候を行うには、うってつけであった。

 

「あそこからなら、下の様子が見えそうです!」

 

 崖に架かった橋を渡った先は、周囲に視界を遮る小山は無い。

 都合良く、他の場所がどうなっているか、把握出来た。

 

「え―――?」

 

――しかし、だからこそ。

 

 真っ先に身を乗り出し、断崖から全体を見渡した八百万は、他の二人より早くその光景を見る事になった。

 目が留まったのはドーム中心。

 相澤消太が――イレイザーヘッドが、ヴィラン制圧の為に飛び込んだ場所であり、いまや激戦の後を思わせる。

 大量の剣に貫かれ血を流し倒れ伏す手下達、その近くには三人のヴィランと、彼女のクラスメイトがいた。

 緑谷と蛙吹、峰田。そして、彼女が最も親しくしているクラスメイトもいて――

 

「・・・・・・・・なに、あれ」

 

 茫然と呟く声は、生気が薄く感じられた。

 声と一緒に魂まで抜け落ちてしまったような自失。

 普段の彼女であれば、絶対にならないような状態は、一つの光景によって引き起こされた。

 

「えみや、さん・・・・・?」

 

 呼んだ名前は、彼女が入学して初めて知り合ったクラスメイト。

 最初は変わった人だな、と感じたが、言葉を重ねるうち、それ以外の面も見えてきて。

 似た個性である事や、その戦い方に通ずるものと、学ぶ事もあり、議論を重ねた事もあった。

 その彼が、ドームの中心にいる。ヴィラン達の前にいる。

 

――その体が、眼も眩む赤と、鈍く光る銀色で覆われている。

 

 粘ついた赤は流れ出る命の素。硬質な銀は骨肉を断つ凶器。

 こんな遠目でも分かるくらいに――衛宮士郎は、死に体だった。

 

「ぁ・・・・・ああ、ぁああああああああ・・・・・!!!」

 

 少女の絶叫が、山頂より響く。

 悲痛で、嗚咽の混じったそれは震えて。血の気は失せ切って、元から白い肌はより蒼白に。

 目にした惨劇に彼女は、その心を欠いた。

 

 

 

 

 

 

 誰もが、その光景に声を失った。

 その身を擦り潰されそうになる衛宮士郎を救い出そうと、決死の覚悟で動いた緑谷出久や蛙吹梅雨たちも。その惨状を生み出そうとするヴィラン達も。離れた場所から、戦いの行く末を見守るしかなかったヒーロー科の面々も。

 その様子を目にしていた誰もが絶句した。

 

「――――なんだ、それ」

 

 死柄木弔が、理解の及ばぬ現象に、意図せず問いを零す。

 向けられたのは、今まさにその命を掌で転がされ、死の際にいた衛宮士郎。

 その体を拘束され、尋常ならざる怪力でトマトみたいに真っ赤に潰されそうになっていた彼はしかし、今や拘束を脱している。

 

「は―――ぁ、は――――」

 

 彼は至る所に傷を負い、右腕は骨が折れている。

 出血は全身に見られ、下手に動けば失血死しかねないほど。 

 全身血塗れで無事な所など殆どなく――それ以上に、目を離せぬ異常がある。

 

 彼の全身、至る箇所からまるで規則性もなく――無数の”刃“が生えていた。

 

「衛宮、くん・・・・・」

 

 緑谷の声は震えていた。

 彼は、加害者である脳無の次に近い距離で、その光景を見ていた。

 目の前で、クラスメイトの命が握り潰されそうになった、その直前。

 脳無の手が、内からバラバラに斬り裂かれ、同時に鮮血が零れ落ちた。

 

 彼は一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 だって、いきなりヴィランの手が四散したかと思えば、解放された衛宮士郎の体に剣のような物が突き立っていたのだ。

 ヴィランのものかと思われた血の全ては、彼から流れ出していたものだった。

 

 その現象がヴィランによるものとは思えなかった。

 衛宮士郎を圧死させると言っておいて、わざわざ刺殺に切り替える意味も無ければ、この場にそんな攻撃の出来るものはいない。

 何より、如何に再生するとはいえ、味方を傷つけてまで実行する理由がない。

 だからそれは、外部の干渉によって起こった現象ではなく――傷を負った本人に起因するものだった。

 

・・・・・体の中から、刃が・・・・・。

 

 生えている、と。

 緑谷がそう結論づけるのに、時間はかからなかった。

 衛宮士郎に突き立っている刃の全て、その切っ先を外に向けている。外敵が彼に対して行った攻撃なら、その矛先は内側に無くてはならない。

 それが外側に伸びているのなら、出処は必然、衛宮士郎の体内からという事になる。

 問題は、何でそんな現象が起きているのかという事だ。

 

・・・・・衛宮くんの個性は、創造系のはずじゃ・・・・・。

 

 彼の知る限り、衛宮士郎に体内から刃を生やす能力は無い。

 彼が偽っていたとすればそれは当てはまらないが、現に士郎は無数の刀剣などを生み出していた。

 それは間違いなく、彼の個性が齎していた結果の筈だ。

 こんな風に、体の中から刃を生み出すなんて事は――

 

・・・・・まさか、“あの話”は、この事だったのか・・・・・?

 

 入学初日、彼が衛宮士郎から聞いた、個性制御の話。

 当時、彼が語ったそれは、自らの個性を御する為に、命を賭けて臨まねばならないというものだった。

 それを聞いた緑谷は、その自殺まがいの苦行に驚きはしたものの深くは追求せず、ただそんな事を繰り返してきた、衛宮士郎の精神の頑強さに尊敬の念を抱いただけだった。

 だが、かつて彼が語った話の意味が、目の前にある光景を意味するなら。

 彼に向ける念は敬意を通り越し、戦慄になる。

 

・・・・・衛宮くんは、こんなのを訓練として何度も繰り返してきたのか・・・・・?

 

 出現した無数の刃は、彼自身から生まれながら、彼そのものを傷つけている。

 いったいどういう原理か、生えている刃はまるで生きているかのように蠢き、一本で幾つもの傷を作っていた。

 もとから重体だった体が、より丹念に傷つけられていく。

 

 それは衛宮士郎にとって、生きて味わう地獄だ。

 今も意識は落ちず、感覚はむしろ冴えている。

 そんな状態で体の中から切り刻まれるのは、自死を乞いかねないほどの責め苦だろう。

 およそ、人間には受け入れられない苦痛。

 

 それを、ただ苦しげに息を吐くだけで――悲鳴を上げることも、苦痛に呻くことさえない。

 普通なら、ありえない事だ。

 生きながらに、体の内から自らの命がすり減らされていくのを、恐怖せず耐えられる人間など、どこにいるというのか。

 これだけの忍耐はもはや、人間という生物の範疇を逸脱している。

 そもそも、痛みだけでショック死しかねない辛苦なのだ。それを受け続け立っていられるなど、異常と言う他ない。

 いや、それ以前に。

 

・・・・・何で、こんな“暴走”が起きてるんだ・・・・・。

 

 衛宮士郎は言っていた。個性の制御は習得した。二度と死にかける事は無いと。

 事実、今日という日まで、彼は自らの個性を完全に使いこなしていた。刃が生まれるどころか、自傷を負った事すらない。

 緑谷とは違う。

 彼は長い時間をかけて、その手綱を握った筈なのだ。

 

 だから、彼が制御に失敗して、この状態に陥る事はありえなくて――

 

・・・・・まさか、わざとなの・・・・・?

 

 真実、彼が自らの個性を過たず扱い切れているのなら。

 目の前の現象が、彼の落ち度でないというのなら。

 この状況は、彼が招いた、彼の意思に他ならない。

 

――何の為に。

 

 決まっている。戦うためだ。

 拘束から脱するだけなら、あそこまで自分を壊す必要はない。 

 彼はまだ、数度の投影を残している。脳無の腕から逃れたいなら、そのなけなしの余力を使えばいい。

 

 その上で、自らを刃に侵したのは、それが現状、戦うのに最も適しているからだ。

 もう、彼の体は碌に動かない。正確に剣を振う事も、弓を引く事も難しい。

 だから、全身に刃を生やして、肉体そのものを武装した。これであれば、投影に力を使う事も、剣を振るう事も必要ない。

 ただ、命という燃料を搾り出し、勢い任せに少しでも腕を振り回せれば、それが武器になる。

 折れた右腕など、揺れて邪魔だからか、肘あたりから指先まで、串を通すように生えた剣で固定されている。

 

――何故、そうまでして戦うのか。

 

 判りきっている。

 護る為だ。

 今この場にいる人間と、立ち去ろうとするヴィランが、未来で傷つけようとする誰か。

 その全てを、迫る悪意から守りきるために、今ここでヴィランを打ち果たそうとしている。

 ただその想いだけで、命ごと蝕む苦しみを、無理矢理に噛み砕いているのだ。

 

 息も絶え絶えで、一秒先には命を落としかねないほど。それでも倒れる事なく、敵を強く睨む。

 その在り様。

 真実、ヒーローと言われるべき姿を、緑谷出久は震えて見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「は――ぁ、は――――」

 

 息が苦しい。

 全身に酸素が足らなくて、空気を吸い込もうとする度に痛みが走る。あんまり苦しくって、この喉を潰したくなる。

 体を侵す刃は、俺がどんなに押さえつけようとしても、完全には制御できず、どれも遠慮なく見境なしに骨と内臓を刻んでいく。

 今も生き永らえているのは、少しでも刃を制御して、辛うじて致命傷を避けているから。

 かつて何度も経験した苦痛は、未だに慣れる事はない。少しでも気を抜けば、痛みに心が壊されそうだ。

 情けなく涙を流し、失禁しそうになるのを、奥歯を噛み締めてギリギリで堪える。この状況で、余計な水分の消費はできない。

 ほとんど崖に落ちる手前で、なんとか爪を突き立てている様な状態。

 

 ・・・・・それも、長くは保たない。

 とっくに死体同然の体。動ける時間は限られてる。

 おまけに、いつ刃がこの命を散らすか分かったもんじゃない。

 数秒後には、不細工な針山になっていてもおかしくはないんだから。

 だからいっそのこと、ここでオワッテしまえば、それはどんなに楽な事か――

 

・・・・・ふざけてんじゃねえぞ。

 

 弱音を吐く心に、体に刃を食い込ませる痛みで喝を入れる。

 何が、死ねば楽になるだ。

 そんなのは、ただの苦しみからの逃避に過ぎない。

 そんな無様を晒すために、こんな馬鹿な真似をしたわけじゃない。

 

 戦わなければならない。守らなければならない。

 目の前の悪意から、皆と、顔も知らない誰かが傷つけられるのを防がなくてはならない。

 その為に鍛えて、そう在れる様に雄英に来て、その為だけに、今日まで生きてきた。

 誰に強制されたでも、何に強いられたのでもなく。自分の意思で、ここまで来たんだ。

 

・・・・・なら、最後まで戦い抜け。

 

 無様でもいい。報酬も不要。人に石を投げられても構わない。

 どんなにみっともなく恥を晒したとしても、自ら決めた道なら最後まで貫け。

 己にだけは、絶対に負けるな。

 

・・・・・やれる筈だ。

 

 死に体のまま、刃に全身を貫かれて。

 それでも、こいつらと戦えるはずだ。

 打倒できずとも、捉える事や、ここに留まらせる事は出来る筈だ。

 

――それは一度、成し遂げているはずだ。

 

 記憶は無い。

 そういう事をしたのだという、自覚は無い。

 ただ人伝に聞いて、そんな過去があったのだと教えられただけ。

 情報が残っているだけで、俺自身はこれっぽっちも経験を覚えていない。

 それでも、俺は確かにやってのけたのだ。

 

・・・・・お前(オレ)は、(オマエ)だろう。

 

 たとえ記憶が無くても、俺が何一つ覚えていないのだとしても。

 かつての自分が、そういう行動に出たのなら。

 この肉体と心と意志は、同じモノの筈だ。

 

・・・・・だったら少しは、言うこと聞きやがれ――!!

 

 刃で鎧った体で一歩踏み出し、心中の咆哮を言葉に代えて。

 

「――体は■で出来ている」

  

――最後に唱えた韻は、果たして何を意味していたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴォ、という風の音。

 破滅を齎す悪は、誰もが吹き飛ばされていた。

 だが、それを為したのは緑谷出久でも、蛙吹梅雨や峰田実でも、ましてや衛宮士郎でもない。

 敵の意識にすら捉われず、その肉体を“殴り飛ばせる“人間など、たった一人しかいない。

 

「――もう大丈夫」

 

 その言葉を、誰もが知っている。日本はおろか、世界中の人間が、”彼“を知っている。

 あらゆる危機に現れて、どんな困難でも薙ぎ倒す男。

 彼が告げるその言葉こそ、人々を安心させる希望の証。

 その顔に、普段とはまるで違う”怒り“の表情を見せ。

 

「――私が来た!!!」

 

 数多の命を守り救いあげてきた平和の象徴、オールマイト。

 瞬く間にヴィランを殴り飛ばし、生徒の安全を確保した彼は、そう力強く宣言する。

 

――ここに、絶対にして不屈の、真なる英雄<ヒーロー>が登場した。

 

 




 どうも、fgoで新年早々、アルターエゴ・ラスプーチン・・・・・の皮を被った99%言峰を召喚したなんでさです。

 7章で出てきたからありえるかな、とは期待してましたが、まあ想像通りというか、想像以上に依代まんまでした。
 アナスタシアでラスプーチン成分抜けてたのは知ってましたが、よりによって本人の意識ほぼ残しで、おまけにアジダハーカというアンリマユ関係の神霊まで入ってて、もうこの世全ての悪絶好調で笑うしかない。

 個人的には、この依代配分は村正の時に持ってきて欲しかった、と少々残念に思うと同時、こっちの願望を別の形で叶えて実現してる感があって、実に言峰っぽい嫌がらせみたいで面白くもあります。

 さて、本作もいよいよUSJ編に突入し、本格的に衛宮士郎の戦いが始まりました。
 交戦開始から既にかなりとばしてるというか、フルスロットル気味ですが、まあ山場としてはここが第一関門というか、こっから先、USJ以上にキツい戦いって、オバホさんとこまで無いのですよね。
 なので、やり過ぎかな、とは思いつつ、調子に乗って相当ぶっ飛ばしております。

 次回ではおそらく、USJでの決着もつくので、そちらもお楽しみにしていただければ。


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剣の代償

 前回投稿時に手違いがあり、不完全な状態で投稿がなされていました。
 早めに気付き修正し、活動報告欄でもご報告させていただきましたが、もしまだご覧になっていない方がいらっしゃれば、追加分も併せてお読み頂ければと思います。

 


 

 子供達の声が、男の耳に響く。

 恐怖と安堵が混じった嗚咽に心底、己に怒りを抱く。

 どうして、自分はこうなるまで居なかったのか。どうして、彼らを守ってやれなかったのか。

 

 ・・・・・不甲斐ないにも程がある。

 

 理由は判りきっている。

 己が浅はかだったからだ。 

 既に無理の利く体ではないのに、いつまでも自覚を持たず、前と変わらぬままに振る舞った。

 困っている人、助けを求める人は放っておけない。苦難があれば真っ先に駆けつける――そんな生き方はもう長くは続けられないのだと、もっと早くに受け入れなければならなかった。 

 その事実と向き合わず、“活動限界”まで跳び回った。

 

――その結果がこれだ。

 

 邪悪は現れ、彼の後輩達は傷付き、子供達に恐ろしい思いをさせ――ひとりの生徒を、死の直前まで追い込んだ。

 彼は知っていた筈だ。その過去を、その在り方を。

 資料を渡され、後輩にもどうかよく見ていて欲しいと、頼まれた筈だ。

 何かあれば、真っ先に自分を犠牲にしてしまう、己と同じ――或いは、それ以上に危うい生徒なのだと、分かっていた筈なのだ。

 にもかかわらず、その事態を避けるどころか、己は居合わせなかった。

 

 己がいれば、こうはならなかった筈だ。

 誰かが傷つくことも、誰かを恐怖させることもなかった筈だ。

 本来なら自分はこの場所にいて、悪に狙われるのは自分だけだったというのに。

 そこにいなかった。ただそれだけで、惨劇は生まれた。

 

 彼らがどれだけ頑張ったのか――それを押し測ることすら烏滸がましい。

 その権利は、この場で戦った者のみが持てるものだろう。呑気に茶を啜っていた自分に、その資格は無い。

 どう取り繕おうと己はいるべき時にいなかった愚か者で、謝罪すら許されない身だ。

 

・・・・・しかし、だからこそ。この身はこれまで通りに在らねばならん。

 

 失態は失態のまま、補填する事など出来はしない。

 過去は変わらず、その償いをする術は彼には無い。

 一度起きた事は、どうあっても不変だ。

 罰はいずれ尽きるが、罪人にとって罪とは消えない存在である。

 

「――もう大丈夫」

 

 ならばこそ彼は――オールマイトは、誰より胸を張っていなければならない。

 己が落ち度で起きた惨状なら、その全てを覆し、今ある苦しみを取り除かねばならない。

 過ぎた事を悔やみ、己を罰する事など後でいくらでも出来る。

 己が不始末を許さず、彼らを救いたいと言うのなら、現在に目を向けろ。

 

「――私が来た!!!」

 

 口にする言葉は、呆れるほどいつも通りだ。

 被害が出た後に遅れて参じておきながら、この台詞を告げるのは恥知らずにすぎる。

 だが、どれだけ厚顔無恥であったとしても、彼はそうしなければならない。

 ただそこにいるだけで、皆に希望を与える存在。

 “平和の象徴”として、己が罪は彼らを救う事でしか贖えないのだから。

 

――さあ、困難を打ち破れ。

 

 

 

 

 

 

 場は、大きく動いた。

 誰もが傷つき、死は避けられないと思われた極限状態は、たった一人の人間によって覆された。

 

――“平和の象徴”、オールマイト。

 

 USJ内にいた雄英の人間にとって、最も待ち焦がれた救い手。

 大きなその背中は、多くの人々の記憶通りのもので、告げられた言葉も誰もが覚えているフレーズそのまま。これまでそうしてきたように、彼は悪の前に立ち塞がった。

 

「みんな、遅くなってすまない。ここから先は、私が引き受ける・・・・・!!」

 

 オールマイトは視線をヴィランに向けたまま、近くにいる生徒達に告げる。

 彼が生徒に対して言うべき事、言わなければならない事はもっと多くある。しかし結局のところ、それを告げたいと思うのは、彼自身の自己満足に過ぎない。

 故に、今はただやるべき事にのみ注力する。

 謝罪するのも、罵倒を受けるのも、全て終わってからにしなければならない。

 

「緑谷少年。蛙吹少女と一緒に、入口まで衛宮少年に付き添ってあげてくれ」

 

 現状、峰田がその小柄な体で必死で遠くまで運んだ相澤を除けば、この場で最も命の危険に晒されているのは士郎だ。

 ヴィランから受けたダメージ、自らの個性によって生まれた自傷。いずれも命に関わる損壊だ。

 下手に移動させるのもリスクが大きいが、ヴィランの前に放置する方がよほど危険だろう。

 本当なら、彼らに運んでもらうのが一番良いが、それも難しい。刃がただ生えているだけならそれも可能であったが、刃は生物の様に動いているのだ。

 下手に近づいては、逆に救護者に傷を与える事になる。

 現状、彼自身が自力で歩く他ない。もっとも――

 

「・・・・・い、や。まだ、俺も・・・・・戦え、る」

 

――彼が大人しく引き下がるかは、また別の話だが。

 

「だ、駄目だ、衛宮くん!これ以上無理したら本当に――」

「こんなの、どうって事、ない・・・・・っ!」

 

 ギリ、と刃が擦れ合う音を奏でながら、まだやれるのだと、彼は言う。

 

――無論、強がりだ。

 

 既に生きているのが不思議なほど、彼は自身の限界を超えている。

 口にする言葉はどれも途切れ途切れで、まともに喋ることすら苦しい。彼が僅かでも気を抜けば、刃は制御を離れて彼の命を食い破る。

 死に体そのものな状態を、大した事はないなどと、言える筈はない。

 だが、確かに彼の眼は未だ死んでおらず、灯った火は消えていない。

 冗談でもなく、虚勢ですらない。彼は本気で戦いを続けるつもりでいるのだ。

 

 悪は未だ斃れず、守るべきモノは今も背後にある。多くを背負ってきたオールマイトが、彼らの為に戦おうとしている。

 ならばこそ、彼が退く道理は無い。

 たった一人を残して逃げる事など、彼には許せない。

 

「衛宮少年、君はもう十分すぎるほどに頑張った!後は私に任せて、君も早く逃げるんだ!」

 

 当然、その不撓を見過ごすほど、オールマイトは愚かではない。

 たとえ、士郎がどれほど強い信念の下に行動しているのだとしても、目の前で生徒をむざむざ死なせるような教師はいない。

 そもそも、今この場で彼が死力を尽くさねばならない理由など、ただの一つも存在しないのだ。

 

「本来なら、教師である私がすべき事を君達に肩代わりさせてしまった・・・・・この上、更に命を張らせるわけいかない!」

 

 故に、後は任せろと。今から命を賭けるべきは、己なのだと。

 その声で、その背で告げて、避難を促す。

 

 他の者なら、その言葉を否定する事はないだろう。

 他人どころか、己の命すら危ぶまれる状況で、目の前にはどうあっても敵う事のない脅威がある。それを押しとどめる事の出来る人間も存在する。

 であれば、瀕死の人間などいるだけ邪魔というもの。

 そもそも、オールマイトという絶対的なカリスマ性と実力を兼ね備えた人間の言葉を跳ね除けられる人間など、それこそ皆無というものだ。

 

 しかし見方によっては――相手がオールマイトだからこそ、彼は退けないのかもしれない。

 

「――それは、違う。俺が・・・・・俺たちが、あんたに、()()()()()()()()()()

「――――――」

 

 数瞬、オールマイトの呼吸が止まった。

 士郎が言った言葉を理解出来なかったのではなく、むしろ、彼の言わんとする事を理解して――

 

「今まで、あんたばっかりに、苦しい事を、押し付けて・・・・・そう出来るからって、それに、寄りかかって・・・・・きた」

 

 平和の象徴。

 ただ一人の力で多くを救い、ただ一人の威光を以って平穏を保たせた。

 それは確かに、この上ない偉業だ。

 一個人の影響力で一国の犯罪率を抑えた例など古今東西、世界中を探しても存在しないだろう。

 他国の犯罪発生率が、軒並み20%を上回っているのに対し、日本だけが6%に抑えられている事実を鑑みても、彼という存在が如何に大きかったのか分かる。

 

――しかし、逆を言えば。

 

 ただ一人が維持する平穏とは、ただ一人に重荷を背負わせた社会という事に他ならない。

 オールマイトがどれだけ偉大で、どれだけ超絶な力を有していようと、彼もまた一人の人間であり、必ず限界は存在する。ただ、彼自身がそう見せない振る舞いをしていたから、誰もがその事実を忘れ、目を逸らしていただけ。

 平和の象徴という名の人柱に支えられ、この国は成り立っている。

 

――それは、何か違うと、心の中で叫ぶものがあった。

 

「誰かを、助けるだ、けなら、個人の範疇だ・・・・・けど、平和ってのは、そこ、に生きてる、皆で作る、モノ、だろ」

 

 オールマイトはこれまで多くの苦難に立ち向かい、その過程で数えきれないほどの傷を負ってきた筈だ――それこそ、人の身には抱えきれぬほどに。

 それは本来なら、何処かで誰かと分つべきものだったのだ。

 たとえ彼がそう生きると決めた時、そういうモノが無ければ進めない時代だったのだとしても。

 彼は、一人で背負うべきではなかった。

 

 士郎にとって、オールマイトを――“平和の象徴”を素直に受け入れられない理由はそれだ。

 遍く世界を照らす唯一の象徴<イコン>など、人がなっていい存在ではない。

 なのに、誰一人それを考えず、彼が振る舞うままに鵜呑みにして――その痛みに、誰も見向きもしないでいる。

 

――その孤独が、士郎にはたまらなく嫌だった。

 

 士郎に対し、オールマイトは言った。

 君は頑張ったのだ、と。

 それは事実だろう。彼の自身の命すら厭わない奮戦が無ければ、既に誰かが死んでいてもおかしくはなかった。

 しかし彼にそう告げるのなら、その言葉はオールマイトにも向けられなくてはならない筈だ。

 

「あんた、一人に・・・・・戦わせは、しない・・・・・っ」

「・・・・・・・・・・」

 

 一人で背負い切れぬほどのモノを背負い続けてきたオールマイトに、これ以上、負担を掛けたくはない。

 

 オールマイト殺しを目的にするこのヴィラン達は、ともすれば本当に成し得てしまうかもしれない力量がある。

 ここで何もせずに逃げだして、本当に彼が殺されてしまったら。

 そんな可能性を、士郎は見過ごす気は無かった。

 

「――ありがとう、衛宮少年。こんな不甲斐ない男を、そうまで慮ってくれて」

 

 そして。

 オールマイトにとって、士郎の言葉はひどく心を揺さぶるものだった。

 

 苦しむ人を救い、誰もが安心出来る希望の灯火・・・・・そういうモノになろうと決めた。

 実際に、彼は彼が望んだ通りの存在になって、母国の平穏を保ってきた。

 どんな時も笑顔で、押し寄せる悪に屈さない――ナチュラルボーン・ヒーローで在り続けた。

 ・・・・・ただ、それは多くを知らない、外観のみを見た者の捉え方だ。

 

 彼が戦ってきた人生の中で、救えなかったもの、取りこぼしてしまったものは幾つもある。

 その度に己を呪い、悔やむ事もあった。

 しかしそれを表に出しては、人々に安心を与えられない。悪に付け入る隙を与えてしまう。

 だから、恐れに歪む顔も、痛みに身を折りそうな姿も封じ込めた――平和の象徴という偶像になって、その影を隠した。

 

――だが、衛宮士郎という人間は、その実態を見誤らなかった。

 

 彼はオールマイトについて、特段に多くを知っているわけではない。

 ヒーロー志望として、彼の戦う姿や戦法を知りはしても、緑谷のように重度のオールマイトマニアというわけではない。

 彼の過去も、彼の事情も、何一つ知りはしない。

 当然、オールマイトの“秘密”など、彼が予想できるはずもない。

 

 それでも、理解していた。

 彼の生き方が尊いものであったとしても、その在り方はどこか歪なものなのだと。

 それはきっと、見過ごしてはいけないものなのだと、恐らくその魂が知っていた。

 

 だからこそ、彼の言葉はオールマイトに響いたし――何より、耳に痛かった。

 

 ・・・・・平和は、皆で作るもの、か。

 

 語るまでもない真理であり、決して己一人で平和が維持されているなどとは微塵も思っていないが――確かに、人を頼る事は出来ていなかったな、と自覚する。

 なにせ、まさしく今この状況こそ、そのせいで起きてしまった事態なのだから。

 

 今日、彼は出勤する途中、三件の事件・事故を解決してきた。

 彼がいたからこそ迅速に解決できたものもあったし、命を救われた市民もいる。

 しかしそれは――果たして本当に、彼が介入しなければ解決できないものだったのか。

 もし、彼が他のヒーロー達を信じ、彼らに任せていたなら。

 或いは、今回の襲撃による被害は、もっと小さなものだったかもしれない。

 

 ・・・・・意味の無い思考だ。過去は変わらないというのなら、仮定の話に何の意義がある。

 オールマイトが助けた人達か。ヒーロー科の面々と同僚達か。

 いずれも等価であり、天秤に掛けることはできない。

 どうあれ、いま目の前にある光景こそ不変の現実だ。

 いずれにせよ、彼がその責務を果たさねばならない事に変わりはない。

 

――それに、意外な事ではあるのだが。

 

 オールマイト自身、士郎の言葉に、どこか心が温かくなるものがあった。

 平和の象徴として生きてきて、救えた人に感謝される事は何度もあったが、逆にそれを重荷と捉えて心配するような人物は、ともすれば士郎が初めてかもしれない。

 彼と親しい人物の中には、彼を案じる者は何人もいたが、彼の在り方そのものに疑問を抱く者はいなかった。

 士郎の言葉を嬉しいと思っているのかはさておき。

 そんな風に案じてくれた子供に、これ以上情けない姿は見せたくないと、心の中でそう考える自分がいるのだ。

 

「しかし、だからこそ、ここは私に任せて欲しい!君の言う“皆”の一人として、君の頑張りに報いさせてくれ!!」

 

 士郎はここに至るまで、尋常ではない尽力を見せた。

 平和が皆で生み出すものというなら、各々が捧げる対価は等量であるべきだ。これ以上、彼を戦わせるというのなら、それこそ釣り合いが取れない。

 オールマイトが言う通り、今ここで戦うべきは士郎ではない。

 

 それを、しかし頑なに首を振る。

 

「駄目だ。アイツは・・・・・あの黒い奴は、アンタを殺す為に、()()()()、怪物だ・・・・・」

 

 徐々に声に安定が戻ってきたのか、少しずつ聞き取りやすくなってきた言葉で士郎は語る。

 

 もし彼が脳無の能力を知らなければ。或いは、オールマイトの言葉に従ったのかもしれない。

 だが、彼は知ってしまった。把握してしまった。

 脳無というヴィランの力を――その正体を。

 

「”超再生“と、おそらく衝撃の吸収、そしてあんた並みの身体能力を備えた奴は――意思の無い、”動く死体“なんだ」

「・・・・・!?」

 

 告げられた言葉に、オールマイトも、緑谷も驚愕した。

 

――動く死体。

 

 俄には信じ難い話だ。

 この超人社会、どんな超常現象を引き起こすか分からない個性で溢れかえってはいれど、死者を操るのではなく、生者の様に自立させる個性ないし技術など、あまりに現実離れしている。

 他の人間が言ったなら、それは一考する価値もない戯言だっただろう。

 

 しかし、この発言をしたのが衛宮士郎であるが故、オールマイトは即座に否定できなかった。

 個性の関係上、”解析“というプロセスを踏む士郎は、物質の構造把握を可能としている。その精度が高いものであり、かける時間によっては生物に適用される事も、オールマイトは知っている。

 その彼が断言したなら、それは一定の信憑性を有した事実と受け取っていい。

 

「いまここで、あんたを、手助けできるのは、俺しかいない・・・・・」

 

 プロの二人が倒れ、増援もオールマイト一人の今、彼の援護を出来るのは生徒達だけだ。

 この場にいるメンバーの中で、蛙吹と峰田は戦闘能力に乏しく、緑谷も個性制御を完全に習得したのか不明。

 そもそも、戦技能という点において彼らは士郎に及ばない上、敵の動きにすら対応できない。

 この三人よりも、深傷を負った士郎の方が戦力としては辛うじて上だった。

 

 だから、士郎はどうあっても退けない。

 如何にオールマイトとて、脳無に加えて二人の厄介なヴィランも同時に相手取るとなれば苦戦は免れない――いや、むしろ敗戦濃厚と言っていい。

 オールマイトを一人残して撤退する。それ即ち、彼を犠牲に生き延びると同義である。

 そも、他者を脅かす悪と戦う者が居るのに、それを横目に逃げる選択ができるほど、衛宮士郎という人間は物分かりの良い人間ではない。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 ここに至って、オールマイトは決断を迫られた。

 衛宮士郎がもはや自分の言葉程度では止まらない事を、彼は十分に理解している。

 このまま説得を試みても、無駄に時間を浪費するだけだ。

 ヴィラン達もそう長くは待ってくれない。

 オールマイトが初撃で死柄木の意識を刈り取った為にいまだに動きはないが、それも深く昏倒させるほどのものではなかった。

 直に目を覚まし、戦いの口火は再び切られる。

 

 故に、決めなければならない。

 この場における衛宮士郎――その処遇をどうするか。 

 選択肢は二つ。

 一つは、彼の援護を受け入れる。

 自分がヴィランと戦う間、その補助をさせ、制圧するまで限界まで戦ってもらう――論外だ。

 すでに致命、一秒後には息を止めてもおかしくはない風前の灯火である生徒に、これ以上の戦いを許すなど、人として認められざる選択だ。

 

 であれば必然、採れる選択はもう一つ。

 

「衛宮少年。その必要は無い。本当に私対策がされたヴィランだとしても、その全てを上回ればいいだけの事!心配しなくても、こんな連中に負けはしない――私は、平和の象徴なのだから!!」

 

 言って、オールマイトは誰の反応も待たず、ヴィランに向かって吶喊する。

 

 究極の頑固者と言って差し支えないほどに頑なな士郎を、戦いから遠ざける最後の方法――それは、徹底的な放置である。

 言っても聞かない。移動も難しい。とくれば、もはやこの場に残す他ない。

 ヴィランとの正面対決。その場に要救助者である彼を留める事は危険に過ぎるが、悠長な事を言ってられるほどの余裕は無かった。

 幸いにしてヴィランとの距離は10mは離れている。戦闘の余波で生徒達が傷つく事はまずない。

 

 ・・・・・ならば、彼らに被害が及ぶ前にケリをつける!

 

 持てる力の全てで、一秒でも早くヴィラン達を圧する。

 子供達に矛先を向かせず、衛宮士郎が介入する余地も残さず。

 それが、オールマイトが選んだ、この場における次善策であった。

 士郎自身の損傷具合から、彼が碌に動く事も出来ないだろうという考えと、士郎から得た敵の情報から、それが可能だと判断したのだ。

 

 その考えはきっと、現状に即した適切な選択なのだろう――だが彼は、今以って思い違いをしている事に気づいていなかった。

 この場で真に考慮すべきは状況ではなく、そこに並べられた条件<カード>なのだという事を。

 

 彼にとっての誤算は二つ。

 一つは、脳無というオールマイト対策と言われるヴィランの力量が、予想以上である事。

 そして、もう一つは。

 

――衛宮士郎の忍耐を、見誤った事だった。

 

 

 

 

 

 

 戦いは既に始まっている。

 俺達を守る為、戦いに巻き込まぬ為、彼はたった一人で三人のヴィランに挑みかかった。

 そう出来るっていう自信はあったんだろう。けどそれ以前に、生徒を危険に晒したくないから、俺達を出し抜くみたいに向かっていったんだ。

 

 実際、オールマイトは強い。

 この日本――或いは、全世界のヒーローの中でも頂点に位置すると思えるほど、その力は隔絶している。

 彼が平和の象徴と言われるのは、誇張でもなんでもない。

 その異次元の実力で、多くの事件・事故を解決してきた末、本当に彼がいるだけで全ての問題は解決するのだと、誰もが認識した結果だ。

 彼に対する信頼は、ただそうなのだという事実に過ぎない。

 『オールマイト』という、あらゆる苦難を捩じ伏せる、現象そのものとも言えるかもしれない。

 

 だが、いま目の前で起こっている戦いは、これまで何度も記録の中の映像を視て、脳内に焼き付けてきたオールマイトの実力のどれをも塗り潰す。

 繰り広げられる脳無との激突は、もはや立ち入る隙も無いほどに苛烈だ。

 彼は拳を一振りするたびに大気を攪拌させ、一歩踏み締める度に地面をひび割れさせる。

 

 あれはもう、人の形をした天災そのもの。それも指向性を持った、とびっきり精密なものだ。止めようと思って止められる類の存在じゃない。

 何者であれ、あの空間に立ち入れば秒と経たずに圧殺される。

 原型どころか、人間としての痕跡すら残らない挽肉に成り果てるだろう。

 あの戦いに割り込むっていうのなら、それこそ彼と同等の力を持っていないと不可能だ。

 この場にいる誰であれ、オールマイトをサポートする事はできない。

 

「衛宮くん、今はオールマイトを信じよう」

「緑谷・・・・・」

 

 俺の体から生える刃が辛うじて当たらない距離で、緑谷は撤退を促す。

 

「衛宮くんの気持ちは、僕にも分かる――でも、今の僕らじゃオールマイトの助けにはなれない・・・・・」

 

 それがオールマイトの指示であり、いま俺たちがすべき選択だと、緑谷は理解している。

 だから彼は、俺を護送<エスコート>する為に残った。

 ・・・・・けど、そう説得する彼の表情は、ひどく憂いを孕んでいる。

 

 きっと緑谷も案じているんだ。オールマイトの無事を。

 彼は離れながらも、相澤先生や俺があの三人と戦う様子を見ていた。連中の力量はよく理解しているんだろう。

 だから、もしかしたらオールマイトが敗北してしまうんじゃないかって、恐れてる。

 

 こいつはきっと、うちのクラスの中で一番のオールマイトファンだ。

 他の誰よりも彼の偉大さを知ってる。普通なら、オールマイトが負けるところなんて、想像もしないだろう。

 重度のマニアである緑谷なら尚の事だ。

 

――その緑谷が、オールマイトの勝利を疑っている。

 

 他の皆が無条件に安心してる中、こいつだけは彼の勝利を絶対のものと考えていない。

 誰よりもオールマイトという英雄の絶対性を信じながら、この場の誰よりも彼が地に伏す未来を見ている。

 

 本当は緑谷もオールマイトを手助けしたいんだ。

 けど俺がいるから、オールマイトに俺を頼まれたから、心中の葛藤を押し殺して、ここから離れる事を受け入れた。

 

 きっと、それが正しい。

 残ったところで、出来る事はほとんど無い。

 彼の代わりに脳無と戦うなんて、到底できっこない。今の体じゃ、弓で援護する事も不可能だ。

 オールマイトを信じて、俺たちは逃げるべきなんだろう――――本当にそうなのか?

 

 確かにオールマイトの力は絶対的で、俺たちが助ける余地なんて欠片も残っちゃいない。

 

 ・・・・・けど同時に、俺はあのヴィラン達の力も体感した。あいつらがどれだけ強大か、身を以って経験したんだ。

 だからこそ分かる。連中の戦力なら、オールマイトの命にも十分に届きうる、と。

 

 今まで彼が倒してきた敵みたいに、殴り飛ばせば倒れるような輩とは訳が違う。

 現に、戦いは今も続いている。

 オールマイトの拳は、繰り出される度に威力と速度を上げていっている――それはつまり、その連撃を受け続ける敵の生存を意味している。

 彼の力を真正面から受け止めて、徐々に上昇する力に対して、確実に付いていってるんだ。

 

 見ていれば誰だって分かる。

 今のオールマイトに余裕なんて残ってない。目の前の敵を倒すのに全霊を尽くしてるんだ。

 そんな彼が、残る二人のヴィンランまで相手にする余裕があるかのか――そんな余分、あるはずがない。

 

 敗北する。

 遠からず、彼はヴィラン達に打ち負かされる。一人で戦い続ける限り、彼に勝機は無い。

 相澤先生みたいにその体を破壊し尽くされ、目を逸らしたくなるような惨い死に様を晒して斃れる――その未来を、黙って見過ごすというのか。

 

「―――悪い、緑谷」

 

 一言だけ残して、二人のヴィランに向かって走る。

 刃同士が干渉してぎこちない事この上ないが、動けるならそれでいい。

 

「衛宮くん・・・・・!?」

 

 緑谷の驚く声が聞こえた。

 傍目に見れば瀕死の重体、傷と痛みで歩く事も出来なさそうな重傷者が変わらず走り出したら、そりゃあ驚く。

 実際、少しでも気を緩めたらもう動けなくなる。

 身体中そこかしこが痛いし、血だってかなり流してる。

 目の前の景色がひどくあやふやに見えて、自分が真っ直ぐ走れているかすら自信を持てない。

 ・・・・・でもな、緑谷。こんなのは、俺にとっちゃ慣れたものなんだ。

 

 刃で全身ズタボロになるのも、痛みだけで失神しそうになる感覚も全部、これまで何回も繰り返してきた事だから。

 だからこの自害しかねない苦痛にも耐えられるし、やるべき事もハッキリ判ってる。

 後はただ、その通りにこの体を使うだけだ。

 

「―――、――――!」

 

 死柄木と呼ばれていた男が金属音に気付いて、こちらを迎え撃とうと構えを取る。

 それでいい。お前らはオールマイトなんて放っておいて、こっちを見てればいいんだ。

 

「あぁあああああーーッ!!」

 

 あらん限りの力を込めて吼える。掛け声にもならない、ただ奥底から絞り出しただけの叫び。

 それだけのことが、こんなにもこの喉を苛む。

 声を出すために震わせたのが、その振動で刃を更に食い込ませる。

 

 ・・・・・無視しろ。今はその痛みに構っている余裕は無い。

 こうして、叫びでも上げてなければ、本当に意識が落ちてしまいそうなんだから。

 

「・・・・・、はぁあああーーッ!!!」

 

 仰反る勢い任せに腕を体ごと振り被り、戻す反動で右腕を振るう。

 折れて邪魔くさい右腕は、そのまま剣の様に刃で固定してる。

 こんな単純な動作でも、十分に武器になる。

 

「・・・・・、―――っ!!」

 

 けど、そんな稚拙な攻撃は簡単に躱された。

 奴が軽く後ろに飛び退いただけで、こっちの攻撃は届かなくなる。

 驚きは無い。

 右腕はこうなってからは円の攻撃しか出来ない。そんなとろくさい動き、子供だって避けれる。

 

 それでも構わない。

 要するに、こいつらと脳無の連携さえ阻害できればいいんだ。

 オールマイトが脳無を打倒するまで、こいつらを妨害できればそれで十分。

 それ以上の事は忘れろ。

 今はただ、時間を稼ぐ事に専念してればいい。

 

「―――!」

 

 敵が何か叫んでるが、それも正確には聞き取れない。

 視界と一緒だ。死にかけてる体は、外の情報をまともに収集する事も出来なくなってる。

 今の俺にハッキリ聞こえるものなんて、未だに止まらずに済んでいる心臓の音と、耳障りな金属音だけ。

 それ以外の音は、集中を乱す雑音でしかない。

 

「っ――――、ぁああ・・・・・・・!!」

 

 離された距離を踏み込み、辛うじて動かせる左腕を奴の手を狙って叩き込む。

 死柄木が危険なのは、あの手で触れたものを破壊する個性故だ。

 だったら、その力を発揮する手を()()()()()()()()()()()()

 全身が刃塗れの今なら、どこで触れても奴を斬り裂ける。

 

「――――ッ!!」

「・・・・・っ!」

 

 拳が到達する直前、俺と奴の間に黒い靄が生まれる。

 ワープホール。

 黒霧の個性。

 

「っ・・・・・!」

「――――!?」

 

 理解してすぐ、闇の中に飛び込む。

 下手に動きを止めれば、半端に腕を残してゲートを閉じられる。

 今の状態で左腕まで失えば、俺の戦力は大きく下がる。

 それならいっそ、全身で通過してしまえばいい。

 それに、これまでのやつの個性発動を思い返せば――

 

「・・・・・・・っ!」

 

 視界が一瞬、暗闇に染まる。

 上手く働かない頭で、こう暗いと眠気にやられそうだな、なんて埒外の考えが浮かぶ。

 それもまたアリだが・・・・・それはこの戦いが終わってからだ。

 

――さあ、ゲートを抜けて、奴の前へ。

 

「・・・・・ッ!」

「・・・・・!?」

 

 一瞬、外の光で眩む視界に見えたのは、黒霧の姿。

 やっぱり、思った通りだ。

 奴の個性、おそらく転送先さえ把握できれば何処にでも飛ばせるんだろうが、咄嗟に個性を使う分には手近な場所にしか繋げられない――だからこうして、()()()()なんかに出口を作ってる。

 この距離なら、たとえワープの個性でも、ゲートが開く前に打ち込める・・・・・!

 

「らぁっ・・・・・ッ!!」

「・・・・・っ!?」

 

 途中で遮られた左拳を、矛先を変えて今度こそ叩き込む。

 狙いは奴の鳩尾。

 一切の妨害を受けずに突き刺さった一撃は確かに奴に当たり、その体を殴り飛ばした。

 

 打ち込んだ拳には、血が纏わりついてる。

 俺の体から流れたもの――だけじゃない。

 この手に付着する内の何割かは返り血だ。最初に予想した通り、黒霧には実体があった。

 これなら、さっきの一撃は奴にとっては十分に痛手だった筈だ。

 暫くは、痛みと無理矢理に乱された呼吸で、動けないだろう。後は――

 

「――――ッ!!」

 

 後方から、死柄木がこちらに腕を突き出す。

 曖昧な視界じゃよく分からないが、何か怒っているように見える。

 それは仲間が傷つけられた事への憤りか。

 こんな、見た者に嫌悪を呼び起こすような雰囲気を纏う人間でも、一端に人間らしい心があるのか、とつまらない考えが浮かぶ。

 

「・・・・・っ!」

 

 奴の手が迫る。

 あの手に触れられるのは危うい。  

 死柄木の個性がどれだけ影響を及ぼすのか分からない以上、下手に喰らえない。

 

「っ・・・・・!」

 

 右脚を軸に左脚を引いて90度ほど転進、そのまま軽く後ろに仰反る。

 それに一瞬遅れて、胸元近くを奴の腕が通り過ぎていく。

 接触は回避できた。

 後は姿勢を戻し、その流れで胸やら腹やらから生えてる刃で、死柄木の手を斬って――

 

「うぉ・・・・・っ!?」

 

 思考を実現する直前、姿勢を崩して背後に倒れ込み、みっともなく尻餅をつく。

 一瞬、頭が混乱する。

 急に視界が下がって、同じ視線にあった死柄木を、今では見上げる形になってる。

 何が起きたのか――それを考える前に奴の手は追ってくる。

 

「っ・・・・・!」

「・・・・・・・・・・」

 

 手が届く前に腕を横薙ぎに払って、これ以上、近づけるなと威嚇する。

 奴も針鼠よろしく刃だらけの体を警戒してか、すぐに腕を引っ込めて後ろに退がる。

 その隙に立ち上がるも、頭の中には疑問は残るままだ。

 

 さっきはなんだって少し仰け反ったくらいで、あんな無様を晒したのか。

 普段から体は鍛えてるし、身体技能だって相応に高めてきた。

 少し不安定なだけの姿勢で倒れるような未熟者じゃない、それぐらいの自負はあったんだが――

 

 ・・・・・いや、何も不思議なことなんかじゃない。

 

 この状態に慣れすぎて、当たり前の事を忘れていた。

 既に動いてるのが不思議な体で、何度も無理を通してるんだ。それなら、どこかで歪みが生まれるのは当然だろう。

 普段、意識せずともこなせていた動作は、今では気を抜いただけで出来なくなっている。

 血を多く流したのもあって、平衡感覚を上手く保てていないんだ。加えて――

 

「っ・・・・・」

 

 肉体を呑み込む刃は、外から来るものじゃない。

 剣も刃も、俺自身が生み出してるもの。ならば、刃とはまさしく、己の血肉に等しい。

 体と刃は別個の存在ではなく、俺の体そのものだ。

 だから、剣が流れ出したらどうなるか――簡単だ、俺の体そのものが、徐々に剣と化していく。

 

 何も無いのにふらついた挙句に転んだのは、関節が硬化していたから。

 少しずつ硬くなる節々のせいで、挙動が固まっていたからだ。

 長く刃を生み出し続ければ、俺は物言わぬ剣に成り下がる。

 そうなる前に、決着を付けなければ。

 

「あぁあーーーーッ!!」

 

 自ら踏み込み、攻勢に出る。

 もはや、オールマイトが脳無を制圧するのを待つなんて、悠長な選択は取れない。

 黒霧が動きを止めている、この僅かな間隙に死柄木をどうにかする。

 それが出来なければ、生死以前に生き物として完全に終わる。

 

「――――」

「・・・・・っ!」

 

 けれど、そんな願望をあっさりと裏切って、死柄木は回避に専念している。

 その表情、ニヤついた気色の悪い笑みは明らかに俺を嘲っている。

 さっきまで俺に触れようとしてきたのに、今じゃ一切、攻撃してこない。

 

 ・・・・・野郎、こっちの事情に気づきやがった・・・・・!

 

 少しずつ精彩を欠いていく俺に、刃が溢れ出す事の影響を理解したんだ。

 だからこうして、避ける事を選んだ。

 こいつは待っているんだ。衛宮士郎という人間が動きを止め、ただの物に変貌するのを、笑いながら見物してる。

 

 ・・・・・ほんと、悪党<ヴィラン>の鑑みたいな奴だなっ・・・・・!

 

 心中で悪態を吐くも、現状は変わらない。

 こんな鈍い動きじゃ死柄木は捉えられない。

 

 固まってる関節がもどかしい。

 無理矢理に動かす腕は、錆びた鉄みたく滑らかさがない。

 ギャリギャリと音を鳴らして敵を追う様は、下手で不恰好な踊りにも見えるだろう。

 

 奴はそれを、滑稽そうに笑っている。

 全くもって腹立たしい。こちとら見せ物じゃねぇぞと・・・・・そんな文句を言う事も出来ない。

 

 奴の動きは、今の俺が羨ましくなってくるほど、実に人間らしい。

 滑らかな動作は僅かな引っ掛かりもない。

 俺の鈍重な動きは紙一重どころか、辞典一冊分は余裕を持って躱されてる。

 ギリギリで避けたら、刃に傷付けられるからだ。

 

 ・・・・・だったら。

 

「おぉお・・・・・!!」

「――――!」

 

 再び打ち込んだ拳は、十分な距離を空けて回避される。

 奴は愉快そうな笑みを浮かべて――直後、不思議そうに自分の腕を見る。

 真っ黒い服に覆われた腕、そこに滲んだ紅と、鈍い銀色。

 

「――――!?」

 

 奴が大きく飛び退き、苦悶の声を上げる。

 何でそんな事になってるか、さぞ不思議だろう。

 

 だが、奴が俺を侮らずにこっちの動きをよく見てれば、何が起きたのか気付けた筈だ。

 なにせ傷の原因になったのは、今まさにあしらわれた俺の腕なんだから。

 

 奴が拳や腕による近距離での攻撃を警戒してるなら、それ以外の攻撃をしてやればいい。

 だから、特定の部位の刃をあえて増加させ、その勢いで先にあった刃を押し出してやった。

 勢いよく現出した刃は、古いそれを外部に吹き飛ばす。

 射線上にあるものは、その刃に襲われる事になる。

 子供騙しもいいところなチャチな攻撃だったが、もはや俺が単調な攻撃しかできないと油断しきっていた奴は、滑稽なくらい簡単に傷を負った。

 

「・・・・・は―――っ、はぁ――――」

 

 もっとも、代償として更に刃が増える事にはなったが。

 体内で一気に異物が増えた痛みも、しっかり存在する。

 ほとんど自滅前提の反応装甲<リアクティブアーマー>みたいなもんだ。

 こんな戦法、そう何度も繰り返せるもんじゃない。

 

「――――っ!」

 

 震えた声でなにがしかを口にし、こちらを睨めつける死柄木。

 その顔には、俺への憤りがありありと浮かんでる。

 油断して警戒を怠ったお前の自業自得だと罵ってやりたいが、こっちの状況もよろしくない。

 今ので距離を潰した攻撃もできるんだって奴も理解した。同じ攻撃はもう二度と通じない。

 

 目を潰すか、手を斬り落とすか――或いは、首を斬りつけるか。

 いずれかが叶っていればまだやりようもあったが、それももう届かない願いだ。

 今の俺じゃ、接近戦で死柄木を捉える事は出来ない。

 残る投影もこの状況で通じるかどうか――

 

「っ・・・・・!?」 

 

 停滞した場を突然、凄まじい冷気が覆う。

 死柄木の横合いから地面を伝って氷が走る。

 奴はすんでのところで躱し、更に大きく距離を取った。

 明確にヴィランに向けて行使されたこの能力、この個性は――

 

「・・・・・轟、か」

 

 氷が向かってきた方向を見やる。

 視線を向けた先に、左右で二色に分かれた独特な頭髪が見えた。

 地面ごと氷結させてる轟は、その冷気を周囲に漂わせてる。

 よくよく見れば、今ので黒霧も狙った様で、こちらはきっちりと捉えていた。

 

「・・・・・・・」

 

 ふと、轟と視線が合う。

 彼の表情に一瞬、驚きの色が見えたが、すぐに鳴りを潜めた。

 それでいい、と思う。

 俺の姿か、この場の状況に対してかは分からない。いずれにせよ、すぐに現状を受け入れて敵に目を向けられるのは、流石の推薦入学組と言う他ない。

 

「――――ッ!!」

 

 ボンッ、という、耳がイカれはじめた俺ですら聞き取れる、耳をつんざく爆音。

 轟が現れてから少しの間も置かず、新たな闖入者がこの場に殴り込んできた。

 一人はその激しい音に恥じない爆発を死柄木に叩き込み、もう一人は庇う形で俺の前に立った。

 爆発を起こしてる方は分かりやすい。うちのクラスでああいうのが出来るは、爆豪だけだ。

 もう一人は誰だろう。

 さっきから視界すら定まらず、あやふやに見えていた景色が、この上さらに暗くなってる。

 

「お■、■丈■■衛■っ!」

 

 目の前の誰かが振り返り、刃も気にせず近づいて大きく声をかけてくる。

 切羽詰まった様子で、俺の身を案じてる、目も醒めるような赤い髪色の誰か――ああ、切島か。

 

「・・・・・悪い。さっきから、目と耳の、調子が悪くて、気付かなかった・・・・・」

 

 意識はまだハッキリしてる。

 ただ、五感の幾つかに異常がある。さっきまで、ほとんど呼吸も止まってた。 

 死体同然の体で戦い続けた代償――或いは、戦い続ける為に、敢えて機能を縮小したのか。

 

「■■■■■・・・・・い■■れ以■に、■■■は■■し■■だ■っ!?」

 

 切島の顔がより近づいて、彼の表情がよく分かる。

 本当に心配してくれているようで、こうまで動揺している彼は今まで見たことがない。

 うまく聞き取れなかったけど、今のはこの体の事を聞いていたらしい。

 俺の身勝手で彼に心労をかけるのは申し訳なく思うが、今は目の前の敵に注力してほしい。

 

「・・・・・気を付けろ。奴の個性には、手で触れたものを、破壊する力がある」

「そ■■■た■介■・・・・・って、■■!?」

 

 告げるべきを告げて、切島を避けて前へ出る。

 なし崩し的に流れが停滞したとはいえ、戦いはまだ続いている。ここで休んでいる暇など、一分たりともありはしない。

 

「待■■宮!■ん■■でま■■う■か!?」

 

 途切れ途切れの声が、尚も剣を執るのかと問いただす――無論だ。

 轟の凍結、爆豪の爆破、いずれも死柄木を捉えてはいない。増援が来たとはいえ、奴の戦闘能力を考えれば、逆に彼らが殺される可能性は大いに存在する。

 凍らされた黒霧も、その気になればあの拘束から脱することも不可能ではない筈だ。

 戦いの行く末は、未だ見えてこない。今は一人でも多くの戦力が必要なんだ。

 

 勝ちの目はある。

 死柄木と黒霧は、既に大きなダメージを受けている。

 螺旋剣の余波で受けた無数の切創、そこからの出血は決して少ないものではない。加えて、切島達が来るまでの戦闘で、あの二人にはそれぞれ手傷を負わせている。

 損傷としてはかなりのものだろう。

 

 俺だけなら、こちらの方が重傷だったからそれは大したアドバンテージにはならなかった。

 けど、こうして増援が現れた今、数の優位を考えれば奴らの負傷は明確に弱みとなる。

 ここで退かずに奴らを攻め続ける事が出来れば、形成をこちらに傾かせる事は出来る筈だ。

 

 ・・・・・まあ、こっちはこっちで連携が難しいが。

 

 轟は広範囲殲滅攻撃を得意とし、爆豪の間合いには迂闊に近寄れない。俺もまた、今の体で他人が側にいると、かえって傷付ける恐れがある。

 自分を含めて、これほど協力という言葉から程遠い面子もいないだろう。

 下手に立ち回れば、すぐに態勢は崩される。

 

 ・・・・・けど、やるしかない。

 

 俺達が失敗すれば、その分だけ被害が広がる可能性を高める事になる。

 この場の人間だけじゃなく、こいつらがいずれ傷つけるかもしれない誰か。

 こいつらを取り逃すという事は、その人達の命を危ぶめるという事だ。

 迷っている暇は無い。敗北も許されない。

 ヴィラン連合なる集団、ここで完全に壊滅させる事こそ、ヒーローを目指す者の責務だ。

 

「――――」

 

 落ちそうになる意識を何とか繋ぎ止め、敵を見据える。

 死柄木も、さっきまでの余裕そうな態度は失せている。手傷を負った状態で、ほぼ無傷の三人も合わせて相手にする以上、奴とて楽観的に構えられはしない。

 

 ここから先は互いに全霊。

 さっきまでの半端な戦いではなく、一切の加減も容赦も無い真っ向からのぶつかり合いとなる。

 片や、平和を壊し尽くす為。片や、平和を護る為。

 それぞれの願いを賭け、持てる力の全てで、敵対者の存在を否定し尽くす。

 停止寸前の全身に力を溜め込み、一秒先の激突に備えて――

 

 

 

――瞬間、世界が爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

 世界そのものが弾け飛んだのだと、その場の誰もが錯覚した。

 強きに過ぎる衝撃が四方へ飛散し、膨大な量の空気が一瞬の内に圧縮され、一息に撃ち出されたかの如き轟音が鳴り渡った。

 

 ヒーロー科生徒達も、ヴィラン連合の人間も、皆一様に音の出どころに視線を向けた。

 そこは、一つの戦いが繰り広げられていた場所だ。

 平和の象徴オールマイトと、異形の傀儡、脳無。

 二つの巨大な力がぶつかり合っていた地点であり、そこには当然、二つの影があるはずだった。

 だが今や、そこには一人の人間しかおらず――オールマイトがただ一人、拳を振り抜いた姿勢をゆっくりと解いていた。

 

 何が起きたのかは、一目瞭然だ――脳無を打ち破り、オールマイトが勝利した。

 

 彼の戦いが如何なるものであったか。

 それは死柄木達と対峙していた四人、そして中央広場を視認できない位置にいる者以外、このUSJ内にいる殆どの生徒達がその光景を目にした。

 しかし、その様子を正確に捉えられた者はいない。

 両者の戦いは苛烈であり、残像すら残さぬ速度で展開され、視認すら許されなかった。

 

 彼らに把握できたのは、二つだけ。

 拮抗していた両者の拳が、徐々にオールマイトの領域で埋められていった事。

 そして最後の瞬間、ただの一撃を以って、黒の巨躯がドームを突き破って空の彼方まで殴り飛ばされた事。

 これら二つだけが、彼らが認識できた事象だった。

 

 その力はまさしく、プロヒーロー達の頂点に相応しいものであり――

 

「やはり衰えたか、三百発も撃ってしまった。――全盛期なら、五発もあれば十分だったろうに」

 

――それですら、自身の黄金時代には程遠いと、彼は言う。

 

 オールマイトの発言に、ヴィランのみならず生徒達ですら、戦慄を抱かずにはいられなかった。

 

 己を殺す為に生まれ、己が力全てを封殺する能力を持った敵を、全て承知で更にその上から悉く捩じ伏せる。

 彼は一切の小細工を弄さず、純然たる膂力のみで脳無の許容値を上回った。

 超再生と衝撃吸収を完全に凌駕し、それらを無いものにしたのだ。

 常人はおろか、トップヒーロー達にも成し得るかどうか、という芸当だろう。

 

――それを、凋落し劣化しただけの拳でしかないと、そう言うのか。

 

「・・・・・何が衰えた、だ。俺の脳無をぶっ飛ばしやがった癖に・・・・・このチートが、全っ然、弱ってないじゃないか!!()()()、俺に嘘を教えたのか・・・・・!?」

 

 戦慄く声には、恐れと怒りがないまぜになって込もっている。

 些か幼稚な言葉選びではあるが、死柄木が口にした不正<チート>という言葉。そんな所感が出てくるのも無理からぬ事だ。

 

 オールマイトの力は、間違いなく一つの極地だ。

 果ての果てまで高められた、人類の最高到達点にして窮極。

 これまで無数の只人が仰ぎ見、手を届かせるために死に物狂いになり、しかして至ることの出来なかった地平。

 ――英雄と。まさしくそう呼ばれるに相応しい領域に、オールマイトは生きている。

 

「――――」

 

 が、それら畏怖の眼差しに、オールマイト本人は何一つ反応を見せない。残るヴィランに向ける意識すらそぞろであった。

 彼が気にかけていたのは、交戦前に退避を促し、しかし未だに戦い続けていた衛宮士郎だ。

 オールマイトは戦いながらも、彼が逃げていない事を把握していた。

 

 士郎がそこにいた事に対して彼自身、そう驚きは無かった。

 理性では彼が大人しく引き下がってくれる事を望みはしても、心の中ではそうはならないだろうと、半ば確信じみた予想を抱いていた。

 

 それ故の放置であり、速攻だった。

 これ以上、彼がその命を擦り減らす前に、目の前の敵を打ち倒す。

 この場をすぐさま治めて、士郎の救護を行うつもりだったのだ。

 

 だが、そんな考えはどこまでも甘いものだったのだと、骨の髄まで実感させられた。

 己の対策として、死体から造られた人造の怪物。

 真偽の程はともかく、その力は確かに恐ろしいものであり、ともすれば自らの命に届き得るものだったと、オールマイトは彼方に殴り飛ばした強敵を振り返る。

 

――そう、強すぎた。

 

 一瞬で片を付けるどころか、勝利すら危うい――そんな敵を相手にして、他の二人まで相手に出来るほど、()()オールマイトに余裕は無かった。

 士郎が更なる無理をして二人のヴィランを留めていたから勝てたようなもの。

 それが無ければ、危うかったのは彼の方だっただろう。

 すぐに終わらせて生徒を助けるのだと息巻きながら、実際にはその生徒に救われた形だ。

 

 あらかじめ脳無が有する能力を伝えられ、二人のヴィランを生徒が引き付けてくれたからこそ、何とか無傷で勝利できたものの、既に彼の消耗は激しい。

 余力はあれど、それを()()()()()()()()()

 彼が戦える時間はそう長くなく、手傷を負っているとはいえワープという厄介な能力を持つヴィランを含めた二人を瞬殺出来るほど、力が残っているわけでもない。

 

 ――三十秒だ。

 目の前の敵を打倒し、自らの秘め事も隠し通すことの出来るタイムリミット。

 この僅かな時間だけが、オールマイトに与えられた戦いに充てられる限界だ。

 一線を超えれば、あまりに多くのものが崩れ去ってしまう。

 今まで築き上げてきたもの。後進に託すまで張り通そうとしてきたもの。

 それら足掻きの悉くが、ここで瓦解する。

 

「―――さあ。次は君らの番だ」

「ひっ――――!?」

 

 故に、彼が判断を下すに至るまでの時間も、ごく短いものだった。

 生徒達へ抱く負い目も今は片隅に押し込み、残る敵を打倒すべく拳を構える。

 

 現状がどれほど拙いものか。対峙する敵が如何に降し難いか。失敗の結果、ナニが失われるか。

 それらリスクと負債を、彼は過たず理解しており――その全てを一時、忘却した。

 いずれにせよ、ここで眼前の困難を打ち壊せねば、その代価は己のみならず日本中の市民に背負わせるものになる。

 その様な結末を見過ごしていい道理など、微塵たりとも存在しない。

 

 恐れはある。迷いもある。

 だが、自らが守るべき、守りたいもののために、胸中に燻るそれら不安を無視する。

 

 目の前にはこれ以上無いほどの困難があり、残る時間も僅かなもの。

 だが、上等。

 覆し難い逆境、分が悪い賭け、そんなのは日常茶飯事だ。

 

――この程度の窮地、乗り越えられずして何が平和の象徴。

 

 ヒーローとは常に苦難<ピンチ>をぶち壊していくもの。

 どんな苦境に立たされようと、決して諦めてはならないのだ。

 

――Plus Ultra(さらに向こうへ)

 

 それこそが全てのヒーローが抱く、原点にして不屈の信念である。

 ヒーロー達の頂点たるオールマイトがその信条を貫けぬなど、あってはならない。

 残る敵を完膚無きまで打ちのめすべく、彼は全身に残る力の全てを張り巡らしていき――

 

「――ぉ、オォオオオオオオオオオ――――――――ッ!!!!!!」

 

――その一歩が踏み出される前に、黒い霧が中央広場を覆った。

 

「これは――っ!?」

 

 突然の事態、遮られる視界に足を止めたオールマイトを、責められる人間はいない。

 想像もしていなかった事象に対し、人間はどうしてもそちらに気を割いてしまう。

 それは予期せぬ危険を回避し、身構えようとする生物としての機能であり、これを押し止められる者はいない。

 瞬時のうちに行われる反射のようなものであり、想定外の現象を避けるべきだという、知恵持つ生物としての無意識下での反応だ。

 多くの緊急事態を経験してきたオールマイトといえど、その生き物としての性には逆らえない。

 

「拙い――っ!」

 

 だが、経験が多ければ多いほど、そこからの復帰は早くなる。

 目の前の霧がヴィランの個性、ワープを引き起こすための媒介であると、オールマイトが理解するのにそう時間はかからなかった。

 時間にして一秒あるか無いかという、その程度の停滞だ。

 判断を終えた彼は当然、すぐさま霧の中心部へと踏み込んでおり――

 

――その一瞬さえあれば、ヴィラン達が撤退を終えるには十分であった。

 

「っ・・・・・、やられたっ・・・・・!」

 

 到達した頃には既に手遅れだった。

 ヴィランの姿どころか、黒い霧すら全て晴れ、人のいた痕跡など欠片も残っていなかった。

 

――取り逃した。

 

 変えようもないその事実が、オールマイトの心に重くのしかかる。

 生徒や教師陣にこうまで被害を与えられて、出来たことが撃退だけなど、到底、容認できない。

 あまつさえ、脳無などという正真正銘の化け物を用意できる組織、その主犯格を捕らえ損ねた事は、この社会全体にとって大きすぎる失態だ。

 もしあれと同等の個体が街中にでも放たれたら・・・・・被害の規模など、考えるだけで恐ろしい。

 

 更に悪い事に、連中にはワープの個性がある。

 襲撃、逃走、雲隠れ・・・・・およそ移動という行為の全てを一瞬で終えられる奴らを再び捕捉し、その身柄を確保する事は困難を極めるだろう。

 

 あの時、無理矢理に拘束を脱して逃げ果せるだけの余力があのヴィランに残っていた事を見極められなかったのは、不覚と言うにはあまりに深刻な過誤だ。

 仮令、今後どこかで同様の存在による被害が発生したとき、その責任の在処は――

 

「おい待て、衛宮!その体でどこ行くつもりだよ・・・・・!?」

「っ・・・・・!!」

 

 自責から来る思考は、生徒の張り詰めた叫びによって中断させられた。

 切島鋭児郎が士郎の前に立って、何処かに向かおうとする彼を押しとどめている。

 死体同然の体で士郎が何をしようとしているのか――その答えを、オールマイトは容易に察する事が出来た。

 

「・・・・・戦いは、まだ終わってない――他の皆を、助けに行かないと・・・・・」

 

 オールマイトを除き、この場にいた誰もが唖然とし、士郎を凝視する。比較的、士郎と親しい緑谷や切島は勿論、他者に対し高圧的な爆豪や常に平静を保つ轟ですら息を呑んだ。

 主犯と思われる二人が逃げ、この一件は終息に向かうのだと、皆一様に気を緩めた。 

 各エリアに残敵はあり、散らされた仲間の安否が気遣われるが現状、その優先度は高くない。

 いまこの場で思案すべきは、誰よりも傷付いて死に瀕した衛宮士郎の救命である。

 百人に問えば、百人が同じ答えを返すだろう。

 

 だが、その案じられる士郎当人が、未だに闘志を失っていない。

 最も他者の助けを必要とする筈の彼が、まるでその事実を知らぬかのように、クラスメイトを助けようとしている。

 衛宮士郎の正気を疑わない生徒は、この場にはいなかった。

 一秒ごとに自壊していく肉体を認識しながら、命を磨り減らして救済という行為に執心する様は、いっそ狂的ですらある。

 

「っっっ、馬鹿な事言うな!お前、自分の状態を判ってんのか・・・・・っ!?」

 

 堪えきれないとばかりに、切島が語気を強める。

 その言葉の強さには、憤りや憂慮のみならず、彼自身の戸惑いも混じっていた。

 

 切島が知る衛宮士郎という人間は、他者を重んじる事の出来る人間だ。

 入学初日の個性把握テストで、士郎が指を負傷した緑谷の治療を行なっている姿を切島は見ている。その時はまだ幾つかの種目を残し、各々が余力を残しておくべき状況だった。

 何より、成績最下位は除籍処分などという脅しが効いていて、他人に気を掛けられる生徒はいなかっただろう。ましてや、その後の計測に支障が出ぬようにと、余力を削ってまで他人の手助けが出来る者は士郎以外にいなかった。

 それは、ヒーローを目指す者にとっては、何より重要な資質だろう。

 

 そして、入試における士郎の振る舞いも、耳郎響香から彼は伝え聞いている。

 付き合いは浅くとも、それらの過去は衛宮士郎の善性を確信できる根拠足りえ――

 

――想像を超えて、その献身は常軌を逸していた。

 

「今ここで助けなくちゃならないのは、お前自身だ!他の連中が心配なのは俺らも同じだけど、今はまず自分の事を考えろよ・・・・・!?」

 

 切島は、衛宮士郎という人間が解らなくなった。

 ヒーローを志す人間であったとしても、何故こうまで自分を捨てて他人を助けようとする事が出来るのか、それが不思議でならない。

 

 衛宮士郎には、切島のような身を守る特異な能力は無い。攻撃を受ければその分だけ傷を負うことになる。当然、内側から刃で斬り刻まれて無事でいられるはずがない。

 自らの行為が己の死に届きうると、それを理解した上で躊躇なく捨て身になれる矛盾。

 痛みを忌避する感情が無いのか。死への恐れは無いのか。そんな迷妄すら浮かんできて――

 

「衛宮さん・・・・・っ!」

 

 瞬間、少女の声が耳に届く。

 悲鳴じみた叫びの主は八百万百。六人が気付かない間に彼女は中央広場に駆け寄っていた。

 彼らには知る由もないが、広場の惨状を断崖から確認した八百万は数瞬、呆然とするも共に飛ばされた二人の制止も無視して、すぐさまここに向かって走り出していたのだ。

 山岳エリアの頂上付近からの下山に相応の時間を要し、ようやくここまで辿り着いたところだ。

 

「八百万っ!?」

 

 下山してきた少女に意識を取られ、他の五人同様に切島が振り向いた。このタイミングで現れたクラスメイトに、驚くなという方が無理な話である。

 しかし、士郎はその僅かな隙間を縫って、切島の脇をスルリと通り抜けていた。

 

「ばっ、お前いい加減に――」

 

 士郎の行動に気付き、その歩みを抑えるべく回り込もうとした切島の動きは半端に停止した。

 気付けば八百万が士郎の前に立ち塞がり、その行手を阻んでいる。

 それに伴って士郎もまた、動きを止めざるをえなかった。

 

「そこを退いてくれ、八百万・・・・・」

 

 辛うじて見える視覚情報と、数秒前に僅かに聞き取れた声から、目の前の人物が誰なのかを判断し、道を譲るように願う士郎。

 他クラスメイトの救援は、いまだに止めようとはしない。

 

「――――――」

 

 対する八百万は無言。

 士郎からかけられた言葉に反応はしない――いや、正確に言えば反応出来ないでいる。

 

 有り体に言って、彼女は言葉を失っていた。

 遠目から見ただけでは判らなかった衛宮士郎の容体。こうして正面から向き合う事で、初めてその細部を見せつけられたのだ。

 

 戦闘衣装がはだけて素肌が見える腹部には巨大に過ぎる打撲痕が有り、赤黒く腫れ上った痕が受けた衝撃の激しさを物語っている。

 内から生える刃が血を滴らせ蠢きながら士郎の体を斬り裂いていく様はさながら、体内に寄生した得体の知れない生き物が、宿主を喰い破って孵化しようとしている様にすら思えた。

 そんな状態でいれば、出血は当然に多量で、彼の顔面は蒼白そのもの。

 刃が出現したまま、多少なりとも傷口を塞いでいなければ、とっくに死んでいただろう。

 

 重傷などという言葉では到底治りきらず、この一週間で見慣れた少年の姿は見る影も無い。

 数時間前の彼との会話と、山頂で彼の大まかな容体を視認してある程度の覚悟が出来ていなければ、余りの惨状に彼女は耐えきれず嘔吐していたかもしれない。

 いや、正直に言えば近くに寄った事でより鮮明に嗅ぎ取れる濃すぎる鉄の匂いや、傷口から除く肉の断面の生々しさに、今でも胃の中身を吐き出してしまいそうになっているのだ。

 

 だが士郎本人はそんな事など知らぬとばかりに、生きている事が不自然なほどの体でどこかに行こうとしている。

 行き先が何処かなど知る由もなければ、考えも及ばない。

 気を取り乱し、混乱する彼女の頭は普段の理路整然とした思考回路とはほど遠いものだった。

 

 ・・・・・このまま死んでしまう・・・・・・・・・・誰が?――――衛宮さんが・・・・・?

 

 彼女が理解出来たのはそれだけだった。

 衛宮士郎をこのまま放置し彼の思うままに行動させれば、彼は確実に絶命する。

 無数の刃に包まれたまま冷たい残骸となる。

 純然たるその事実はすんなりと八百万の頭に染み渡り――途端に、避けようもない未来に対する恐怖が湧き上がる。

 

 親しい人が息絶え、二度と言葉を交わすことも、共に過ごす事も出来なくなるという恐ろしさ。

 それが事故でも自然死でもなく、他者の暴威によって齎されるという非常。

 齢十五程度の少女に、その現実は到底受け入れられなかった。

 

「はっ―――は――――はぁっ――――」

 

 呼吸は乱れ、まともに息も吸えなくなっていく。

 周囲の音など、とうに意識から外れていた。

 

 どうすれば彼を救えるのか。どうすれば凄惨な未来の到来を回避出来るのか。

 碌に働かぬ頭でその方法を模索し、されども良策は思いつけずにいる。まるで、唐突に書物の並べ順を忘れてしまったかのように、知識が浮かんでこない。

 収集し、綺麗に腑分けし、分別したはずのそれらをどこに収めて、どう分けたのか。

 そんな管理者として記憶している当たり前の情報が見つけられないのだ。

 

 さもありなん。

 彼女の強みとは、冷静沈着な思考によって活かされる膨大な知恵である。

 目も覆いたくなる士郎の姿を見て半ば放心状態の彼女に、それまでの研鑽を活かせるほどの余暇は無い。

 

 数時間前の衛宮士郎が語ったのと同じだ。

 如何に知識を蓄え、脳内に情報を刻み込もうとも、自らの経験の伴わない記録はどこまでいっても記録止まりだ。自己という芯が無ければ、本の中の空想でしかない。

 冷静さを欠いた彼女に、これまで培ってきた知識を活用出来るはずもない。

 この瞬間、人の死を間近にした今、八百万百が誇る才智はその深遠さを発揮する事はなく――

 

――故に、彼女が衛宮士郎を救う為に選べた手法は至極、原始的なものであった。

 

「なっ――!?」

「っ・・・・・!?」

 

 成り行きを見守っていた五人も、八百万を前にした士郎も、驚愕に身を固めた。

 無残な少年の姿に慄き、絶望に打ちひしがれていたように見えた少女。

 彼女が士郎へと踏み込み――正面から彼に覆い被さるなど、いったい誰が予測出来よう。

 

「八百万・・・・・!?」

 

 誰よりも驚いたのは、他ならぬ士郎自身だ。

 彼女が自らの首に絡めるように両腕を回し全身を密着させてくるなど、考えもしなかった。

 その様は一見、互いの親愛を示す抱擁、男女が互いに抱きしめ合うラブロマンスのワンシーンにも見え――当然、これがそんな甘ったるい情景でない事は明白だった。

 

「馬鹿っ!何やってんだっ!?」

 

 ボヤけた意識は冷水を浴びせられたみたいに冴えて、少女の蛮行をすぐさま咎める。

 

 ――そう、蛮行だ。

 士郎の全身には無数の刃が生えている。それらが幻覚でもなければ玩具でも無い事は、彼女は承知している。刃が本物なら、触れるものを斬り裂く鋭さも現実だ。

 その士郎に隙間も無いほど密着するとなれば、触れる刃の数だけ負傷する事は避けられない。

 傷つく事が判りきっているというのに、それに自ら飛び込むような所業は、無謀という他ない。

 

「っっっ・・・・・!」

 

 八百万の口蓋から、声にならない悲鳴が漏れる。

 無数の刃によって、彼女の白い柔肌は容赦なく切り裂かれた。

 およそ、これまでの人生で経験した事のない類の痛みに、呻きを抑える事も叶わない。

 刃が肌を裂き、肉を抉り、骨すら貫通して体内に侵入する。

 互いの血と血が混ざり合うほどの傷口が、彼女の身体中に刻み込まれる。

 

 彼女にとって幸運だったのは、直前で士郎が彼女の意図に気づき、全力を尽くして刃の数々を制御した事だ。そのおかげで、刃による損傷はその面積を減じている。

 相手の意図は計りかねども、自分から大怪我を負おうとする級友の行動を黙って見過ごせるほど、士郎は薄情な人間ではない。

 

「八百万、早く離れろっ!」

 

 極力、刃が彼女を傷付けぬように操作したとはいえ、それも完全ではない。

 どうしても躱しきれなかった箇所はあり、それらは凶器としての性能を遺憾無く発揮している。

 全ての刃が勝手に動いている、という点も厄介さを増していた。

 それらは士郎の意思に拠らず蠢動し、動作範囲も移動頻度もまちまちだ。

 抑え込もうとして抑えきれるものではなく、避けた刃ですら八百万を傷つける恐れがある。

 

 そのため可能な限り早急に、士郎は八百万を自身から引き離さねばならない。

 しかし、意識はハッキリしても体が碌に言う事を聞かない事には変わりない。力を込めて抱き止める八百万を、無理矢理に引き剥がせるほどの余力は士郎には残っていなかった。

 それ以前に、この状況で下手に動けば余計に彼女の傷を悪化させる事になる。

 

 結果として、士郎に出来たのは僅かにみじろぎしながら、彼女を説得する事のみであった。

 その状況を察し、突然の事態に硬直していた切島や緑谷が八百万を引き剥がそうと動き――

 

「――嫌ですっ!何があろうと、絶対に貴方を離しませんっ!」

 

――悲痛なまでの拒否の叫びが、その動きを制した。

 

「私は、このままあなたを死なせる気は毛頭ございませんっ!!」

 

 何故、彼女が自傷を覚悟でこうも馬鹿げた行動に出たのか。

 それは偏に、衛宮士郎の存命を願っての事だ。

 士郎が目指す目的地も、その真意も彼女には分からない。

 だが不変の事実として、今の士郎をこのまま行かせれば遠からず彼が命を落とすという事だけは、否応なしに理解していた。

 故に、文字通り体を張って彼の動きを封じたのだ。

 八百万の思惑通り、士郎はその歩みを止めざるをえなくなった。

 

「あなたが止まるまで、私はずっとこうしていますっ!あなたがもう無理はしないとっ!そう約束してくれるまで、私はやめませんからっ!!」

 

 張り上げる声は震えを帯び、いつしか彼女の両目には涙が溢れていた。

 それは、肉体を貫く痛みによるものだけではない。

 彼女自身、もう感情の制御もできなくなっていて、色々と訳が分からなくなっている。

 ヒーローを目指す者としての責務とか、命懸けで戦い抜いた少年の献身に報いるとか、そういった高尚な理由は彼女の中には無い。

 あるのは、衛宮士郎という人間を死なせたくないのだと、ただそれだけの思いであった。

 

「八百万。これぐらい、俺は平気だ。だから早く離れろ・・・・・」

 

 傍から見ればそれは、度を越した痩せ我慢に映っただろう。或いは欺瞞か。

 生存はどうあっても絶望的で、瀕死という言葉ですら希望を感じるほどの状態だ。

 そんな人間が平気だなどと言っても、信じられるものではない。

 

 だがそれはやはり、彼以外が思う、第三者の所感だ。

 生死はともかくとして、衛宮士郎という人間は、誰かを救う為ならこの苦痛を無視できる。

 気が狂いそうなほどの痛みでも、体が徐々に熱を失っていく感覚も、それが必要な事ならその全てを噛み砕いて進める人間なのだ。

 

 士郎の発言は虚言でもなければ、他者を案じさせぬ為の強がりでもない。

 各エリアに散らばるクラスメイトを助ける為、彼は真実、命を蝕む絶痛を耐え切っている。

 

――だがそれは、八百万にとって到底看過できるものではなかった。

 

「っっっ、ふざけないでくださいっ!!こんなにも傷ついて、平気なはずないでしょう!?」

 

 耳元で一層強く張られた声は、聴覚が碌に働いていない士郎ですら、ハッキリと聞き取れた。

 そこに込められているのは、衛宮士郎に対する抑えようもない悲怒。

 

 今にもその鼓動が止まってしまいそうなのに。

 人には耐えられないような責め苦を、絶えず味わっているのに。

 それでもなお、自分は大丈夫なのだと、平然と宣う。

 

 苦しい筈なのに。痛いはずなのに。それでも彼は、自らの意思でそれを受け入れている。

 それはおそらく、尊い在り方なのだろう。

 他人の為に命を差し出し、欲もなければ迷いもなく、ひたすらに前へと走り出す。

 そんな生き方こそが、八百万をはじめとした、ヒーローを目指す者が、本当に志すべきカタチなのだろう。

 ――けれど、痛みも苦しみも、まるで当たり前のように許容してしまえるその在り方は、ひどく悲しいものに思えた。

 

 たとえ、それが何度も経験したものなのだとしても。

 たとえ、誰かを救う為に必要な事だったとしても。

 痛いのなら。苦しいのなら。

 その辛さを、声に出して欲しい。たった一人で耐える必要はないのだと。せめて、仲間の前では弱音を吐いていいのだと。

 頭ではなく、心で。

 彼にその事を伝えなければならないのだと、彼女は無意識にそう思っていた。

 

「お願いです・・・・・もうこれ以上、無理をしないでください・・・・・どうかお願いですから――」

 

――死なないでください、と。

 

 涙ぐんだ懇願は弱々しく、最後には消え入りそうな声で告げられた。

 目の前の現実はとっくに彼女の精神の許容値を超えている。

 溜まりに溜まった悲嘆は彼女の心をオーバーフローさせ、その表れかのように彼女はもう泣き声を上げることしか出来なくなっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 そして。

 士郎もまた戸惑いを隠せずにいた。

 八百万が何故、こうまで自分を案じるのか――その理由が、彼には判らないのだ。

 

 一週間だ。

 士郎と八百万、彼ら二人が出会ってまだ一週間しか経っていない。

 彼は考える。

 八百万にとって己は、ただ雄英で最初に出会い、たまたま似通った力を持っていただけの、クラスメイトの一人でしかない、と。

 何度か言葉を交わし、交友を深めてきたが、未だにその関係は浅いままだ。

 

 その彼女が、自ら大怪我を負ってまで自身を押しとどめ、あまつさえ涙まで流す。

 八百万もまたヒーローを目指す人間ではあるが、今の彼女を見れば、この行動の動機が極めて個人的な思考に依るものであることは察せられた。

 所詮は同じクラスにいるだけの、言ってしまえば()()()()()()()()である自分を、どうして身を挺してまで止めようとするのか。

 その根源が分からず、士郎は困惑していた。だが――

 

「・・・・・・・・・・分かった。お前の言う通りにする」

「―――っ!?」

 

 その言葉にいち早く反応したのは、やはり八百万だった。

 彼女は士郎からいくらか体を離し、視線を合わせる。

 

「本当ですか・・・・・?これ以上、もうどこにも行かないと、そう約束してくださいますか・・・・・?」

 

 嘘ではございませんよね、と。

 念押し、その言葉が偽りでない事を確認する。

 眉尻を下げ縋る様に問う姿は、それだけ士郎の言葉に不安を感じている事を示している。

 

 八百万がそんな反応を見せるのも当然で、士郎の決定を一言で信じられないのも無理は無い。

 こうまで惨い有様を晒して、それにもかかわらず何かをしようとしていた人間が、そう易々と考えを変えるとは思えないだろう。

 ましてや、説得に応じてくれるなどという楽観的な考えを、彼女は持ち合わせていなかった。

 

「――ああ、嘘はつかない。約束は守る」

 

 八百万にしてみれば、さぞ不思議な事だろう。

 彼女は気付かぬうちに、最も効果の高い方法で、士郎を引き留める事に成功していたのだ。

 

 奇しくも、士郎の考えを変えたのは、八百万の自傷も辞さない制止だった。

 凶器そのものな士郎に組み付き、産み出された刃によって幾つもの生傷を負い続ける。そしてそれを、彼が立ち止まるまで止めない、と彼女は言った。

 彼女の決意を曲げる事は出来ない、と士郎は判断した。

 であればそれは、士郎が説得に応じなければ、八百万も確実に絶命させてしまうという事に他ならない。

 

 士郎は、誰かの命を守る為ならどんな苦しみにも耐えるつもりでいる。

 だが当然、無闇に他者を道連れにする気は欠片も無い。

 他者の危機に大人しく出来ないという、ただの独りよがりのせいで被害をより大きくするような愚行を、何より士郎自身が許せなかった。

 

 士郎がその歩みを止めた理由は、苦痛に耐えきれなくなったのでも、八百万の行動に心打たれたのでもなく、ただ純粋に優先順位が入れ替わったというだけの事。

 危険な状態とはいえ、生存確率は高い他のクラスメイトと。

 放置すれば間違いなく命を落とす事になる八百万。 

 真っ先に救うべきモノを定め、その為に必要な行為を選択したに過ぎない。

 

「お前が良いって言うまで、俺はここを動かない――だから八百万。お前も俺から離れるんだ」

 

 とかく、士郎は八百万の要求を飲んだ。

 彼女だけでなく緑谷達含めた全員の前で、約束は守ると言い切った。

 それが他者の身を案じたが故の選択で、何の保証も無い口約束だとしても、明言した以上はそれを遵守するのが筋というものだ。

 

 そして八百万の知る限り、衛宮士郎は約束を違える人間ではない。

 ならば、それに倣って彼女も士郎の言葉を呑むべきだ。

 

「・・・・・・・・・・分かりました」

 

 五秒ほどの間を開けて、八百万は士郎からゆっくりと体を離した。

 ピチャ、と音を立てて赤い粘性の液体が二人の間で糸を引く。

 

「っ―――ふぅ―――」

 

 いまさらながら、八百万は刺し貫かれた痛みを強く自認する。

 士郎がいくらか刃を遠ざけたとはいえ、それでも大怪我である事には変わりない。

 上半身は特に傷が多く、流れ出る血が彼女の白い肌を真っ赤に彩っている。

 幸いにして、刃はどれも筋骨を断つばかりで、彼女の内臓を傷付けてはいなかった。

 接触によって負った傷そのものが、彼女の命を奪う事はない。

 

 とはいえ、そのままの状態でいれば出血多量は免れず、傷口からの感染症や化膿、果ては壊死の恐れもある。

 士郎に比べればマシな部類ではあるが、決して楽観できる訳ではない。

 

「まだ、“創造”に回せる余力はあるか?」

「・・・・・ええ。応急処置を済ませるくらいなら、なんとか」

「なら自分の治療に専念してくれ。俺はまだ耐えられるし、この様じゃ手当しても無駄だからな」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 こういう時、対応力や汎用性という点において、八百万の個性は他の追随を許さない。

 脂質からおよそほとんどの無生物を産み出すその能力は、その時々で必要な物資を自由に取り揃えられる。包帯から止血剤、注射器、その気になれば手術道具一式ですら何でもござれだ。

 平静を取り戻した今の彼女がそれらの運用を誤る事はない。

 

 士郎の発言に思う所のある八百万ではあったが、いくらか間を空けただけで何も言わなかった。

 

「すみませんが、どなたか手当を手伝っていただけませんか?」

 

 その代わりと言う様に、彼女はクラスメイトに手助けを求めた。

 負傷箇所は広範囲に渡り、至る所に点在している。出血量もばかにならない。

 一人で手当てを済ませるには少々、時間がかかり過ぎるだろう。

 

「そ、それなら僕がやるよっ!」 

「俺も手伝うぜ、八百万」

 

 緑谷と切島が真っ先に名乗りを挙げ、八百万の指示に従って傷を塞いでいく。

 同年代の女子と触れ合うという、健全な思春期真っ盛りの青少年には非常に気不味い行動ではあるが、事が事だけに、そんな浮ついた感情を二人が見せる事は無かった。

 

 三人が治療を行なっている間、轟と爆豪は周囲に視線を巡らせていた。

 主犯格は去れども、USJ内には未だ無数の悪党共が残っている。この無防備な状態を狙って襲ってくる者がいてもおかしくはない。

 それ故の警戒である。

 

 そして、残る一人は、

 

「衛宮少年。()()は、自力では治せないのかい?」

 

 応急処置を行う三人を横目に、オールマイトは問いかけた。

 本人を除けば、この場で士郎の個性について最も理解している人物はオールマイトだ。

 教師であり、生徒達を監督する立場にいる彼は、士郎も含めた自身が受け持つ生徒全員の情報を提示されている。

 無論、この刃の侵食に関しても知りえている。

 

 資料の記載を信じるのなら、衛宮士郎に発現している現象は個性制御の失敗、もしくは過剰行使による暴走によって引き起こされるものである。

 そして、これを鎮静化する術がここには無い事ももちろん承知している。

 しかし現実にこの光景を見せられては、そう易々と紙の上の文字を鵜呑みにする事はできないのも事実だった。

 

 この状態を落ち着かせる手立てはないか。それが不可能でも、せめて緩和は出来ないのか。

 オールマイトがそのような考えに至るのは、何ら不自然なことではない。

 他人からすれば、士郎はいつ命を落としてもおかしくない様に見える。

 出来る事、考えられる方法は可能な限り試すべきだろう。

 

「どうにもなりません。無理な行使をしましたし、もう俺の意思で戻せる段階じゃありませんから」

 

 しかし、返された答えは否であった。

 肉体の変容にまで至る暴走を自ら招いた結果だ。

 溢れ出した刃の数々は、とうに制御できるラインを越えている。落ち着かせようにも、僅かに揺り動かす程度が関の山だ。

 自らの意思で刃をどうにか出来るのなら、士郎はとっくの昔にそうしている。

 

「やはり、時間に任せるしかないか・・・・・」

「ええ。こうなると、自然に鎮まるのを待つしかないですね」

 

 自力での鎮静化が困難である以上、時間の流れで解決する他ない。

 これら刃も、一応は“個性”の枠組みに収まるモノだ。

 個性を発現するエネルギーが尽きていけば、それに伴って数を減らしていく。

 それまで士郎が生きていられるのか、という懸念もあるが、少なくとも彼はこれまでに何度も同じ経験をしてきて、その度に生還している。

 それらの経験則から

 

 「大丈夫です。これくらいなら問題は――」

 

 ありません、と彼は言い切ろうとし。

 

 

 

 

 

――ブツン、と何かが切れたような錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

「ぎ―――、――――がぁああああああああああああああっ!??」

「衛宮少年!?」

 

 唐突に挙げられた絶叫に、オールマイトのみならず広場にいた誰もが、出どころである士郎へと水を打った様に振り向く。

 視線の先では、瞳孔を限界まで見開き膝を突いて苦しむ彼の姿があった。

 

「衛宮さんっ!!」

「おい!しっかりしろ衛宮!!」

「衛宮くんっ!!」

「衛宮少年!気をしっかり保つんだ!」

 

 オールマイトや駆け寄った生徒達が士郎に声をかけるも、とても応答できそうな様子ではない。

 もがきながら苦痛に喘ぐその姿が、尋常なものではないのは明らかだった。

 

「あ、ああああ、が、あ――――!」

 

 漏れ出る苦悶は、衛宮士郎がその身に受ける痛みの凄絶さを物語る。

 

 全身を刃に刺し貫かれるという体験を思えば、それは本来、何ら不思議な事ではないだろう。

 ほんの小さな針が肌に刺さる事ですら、人によっては大の大人も耐え難い苦痛になる。

 それがより幅広に、より膨大に。

 身体中、無事な所を探す方が難しいほどに斬り裂かれては、耐えられるはずがない。

 

――だがそれは、その責め苦を受ける人間が衛宮士郎でなければの話だ。

 

 彼の体内に刃が蔓延りだしたのは、なにも今に始まった事ではない。

 自らの個性を意図的に暴走させてから数分間、ここに至るまでずっとその代償に耐えてきた。

 常人なら命と共に正気を投げ出していただろう。ヒーローですら、想像を絶する苦しみに介錯を乞うかもしれない。

 彼はその串刺地獄とでも形容せざるをえない苦行を、ただ意思のみで噛み殺していたのだ。

 

「ぐ、が―――ぁ、づぅぅぅ・・・・・!」 

 

 その彼が、今はみっともなく大口を開け、血混じりの唾液を垂れ流している。 

 開き切った瞳孔からは、乾き故か、それとも目に染みた血液故かも判らない涙が滲んでいた。

 

 それまでの落ち着き様が嘘のように、今の士郎は悲鳴を上げている。

 豹変とも言える突然の変容に、オールマイト達は動揺を隠せない。

 これまで悲鳴のひとつも上げなかった彼が何故、こうまで苦しんでいるのか、その原因を推測出来るほど、彼らは衛宮士郎について知っていなかった。

 

――いや、それ以前に。

 

 何故、衛宮士郎があれ程の痛酷を堪えていられたのか、その理由すら彼らは分かっていない。

 確かに、この現象は何度も経験したものであり、彼の痛みへの耐性が高い事も事実だ。

 だが彼も間違いなく一人の人間であり、痛みも感じれば苦しみを厭う生物の性も存在する。

 

 必要以上の苦痛に堪えるにはそれに見合った意義が必要だ。

 命を散らす苦難を受け入れるに足る理由が無ければ、己を奮い立たせる事など出来はしない。

 であれば、その意義とは、理由とは何なのか。

 

――無論、他者を救う事である。

 

 抗い難い災害に見舞われる誰か。理不尽な暴力に晒される無辜の人々。

 それらを護り通す為なら、衛宮士郎はどんな地獄にでも飛び込める。

 だから、刃で身体を刺し貫かれても稼働できる。

 必要とあらば、己の全ても投げ出すだろう。

 

――だが、逆を言えば。

 

 そういった意味が無ければ、彼の苦痛に対する許容値は常人よりは強固程度のものでしかない。

 だから、結論としては極単純なものではあるが。

 彼は同じ経験を繰り返してきたから堪えられていたのではなく――ただ、そうする必要があったから、平静を保ち続けていただけだった。

 

 それこそが、彼らが未だ理解していない、衛宮士郎の常軌を逸した忍耐の正体だ。

 ヴィラン連合を名乗る集団の首魁達が逃亡し、他生徒の援護をしてはならないという願いを受け入れた時点で、衛宮士郎から苦痛を耐え忍ぶ理由は失われていた。

 もう己の役割は無いのだと大人しく受け入れ――そうして、今になって漸く藻搔いているのだ。

 

 彼は痛みを感じない人間などではない。

 当たり前の事ではあるが、なまじ異質な忍耐を見せられたが為に、彼らはその事を思い出せないでいたのだ。

 

「――――――!!!」

 

 呻きはいつしか、声にならない獣の咆哮じみた叫びになっている。

 士郎自身、もう己自身を制御出来ず、その自覚も持てないでいる。思考は痛みによって塗りつぶされ、ほとんど自我を失っているのと変わらない。

 それ程までに、彼を襲う苦痛は激しいものだった。

 

 ――ただ、この侵食がこれまで通りなら、彼もここまで悲惨な姿にはなっていない。

 仮令、これが今までと全く同じ程度の痛みであったなら、僅かな応答は出来ただろう。

 意識は朧げながらも保たれ、獣の様な叫び声を上げることもなかった筈だ。

 

 だが、今回は違う。これまで起きてきた暴走とは、事情が違う。

 士郎はこの戦いで、身に余る力を行使した。

 例えそれが、記憶から失われているだけで本来は彼が自由に扱える筈の力だったとしても。

 今の衛宮士郎には御し得ない、全く未知のモノを取り出したのだ。

 

 今回と過去の最大の相違点はそこだ。

 これまではどれだけ膨大な刃を生み出してしまっても、それらは本質的には既知のモノだった。

 だから、無意識下で多少なりとも手綱を握れていたし、彼の体もある程度は順応していた。

 対して今回は、彼自身、よく理解していない力を引き出した。それも、()()()()()を踏まずに、ほとんど力づくで強引に引っ張り出したのだ。

 後の事を考えずに力を求めたが為、全く力の制御ができていない。

 

 例えるなら、限界以上に水道の蛇口を捻った様なものだ。

 明確に定められている上限を無理やり拡げ、中身を放出させる。当然、水量を調節するノズルは壊れ、自力で流れを止める事は出来ない。

 そうして流れ出たモノは普通の水ではなく、水道管ごと崩壊させていく劇薬の類だ。

 通り道は徐々に溶け落ち、いずれ破裂する。

 

 士郎が陥っている状況は、そういうものだ。

 自身が制御出来ない領域に手を出し、無理に中身を掴み出したがために氾濫が起き、それらは手綱を握らねば自らの肉体を壊すモノだった。

 

 警告は既に為されている。

 過剰な力の行使に対して起きた肉体の拒絶反応。あの痛みを無視した時点で、この結果は決まっていた。

 

 ――同時に、士郎も判っていた。

 どんな形で、どういった風に表れるのかまでは理解していなかったが、自らの選択が想像を絶するほどの地獄を齎すのだと、彼は初めから理解していた。

 その上で力を願った以上、これは当然の代価だ。

 身の丈に合わぬ力の代償は、己自身の破滅で。

 溜まりに溜まったツケは、その身で返すのみである。

 

――以上を以って、結論は断定される。

 

 この場の誰であれ、彼の苦痛を消し去る事はできない。

 オールマイトらには、その責め苦を拭う術が無く。当人は、痛み故に対策も練れない。

 熱は失せる。惨苦は続く。

 いずれ刃が尽きて消えるまで、衛宮士郎は生死の境を彷徨い続けるだろう。 

 

 

 

 

 

 

「――――っ、――――――!!!」

 

 意識が断線する。

 両の足で立って呼吸をする事が、隔絶した技術の様になってる。

 

 そのうち、立ってることも出来なくなって膝から崩れ落ちた。

 使い物にならなくなった足には力も入らず、小刻みに揺れて地面に吸い込まれてく。

 それでも、倒れる事は出来ない。

 そこら中に生えた刃が、地に伏せることも許してくれない。

 不恰好につっかえて、流れ出る赤黒い血が地面に水溜りを作ってく。

 

「・・・・・・・・・・・・っっっっ!!!」

 

 それが一層、自分の状況を思い知らせたのか。

 既に受け入れきれない痛みが、洪水みたいに勢いを増す。

 脳髄が白熱して、内側から別のナニカに食い散らかされていく錯覚。

 刃は無尽蔵に暴れ狂って、このカラダをコワシテいく。

 無事なところなんて無い。

 自ら飲んだ代償は、遠慮無く余す事なく肉と骨を裂いて砕く。

 

 首が痛い。

 

 腕が痛い。

 

 腹が痛い。

 

 脚が痛い。

 

 神経が痛い。

 

――誘爆していくよう。

 

 

 

 

 痛い。いたい。イたい。いタい。痛イ。イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ

イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ―――――

 

 

 

 

 ・・・・・でも。

 こんなに痛くて気がおかしくなりそうなのに、意識を失う事は出来ない。

 ショック死出来るほどの痛みだから、いつの間にか痛みも感じない・・・・・なんて、そんな都合の良い話は無い。

 

 半端に慣れてしまっているから、曲がりなりに耐えていられるから、本当に狂う事は出来ない。

 このまま刃が収まるまで、身悶えることも出来ないまま無間の如き地獄に苛まれる。

 

 それが、俺の選んだ、逃れ得ない末路で――

 

「・・・・・・・・・・・・・・、―――?」

 

 ふと、鼻腔をくすぐる香りに気付いた。

 痛みでほとんど意識も絶え絶えで、周囲(ソト)の事なんて、これっぽっちも分からないのに。

 その微かに甘い香りだけは、何故か感じ取れた。

 

 ・・・・・なんだろう。

 

 記憶に無いのに、ほんの少し覚えのある匂い。

 何処か懐かしくて・・・・・不思議と、散り散りになってる心まで落ち着いていくよう。

 

 ・・・・・あ、れ・・・・・?

 

 そこで、違和感を覚えた。

 この香りを嗅いでからだろうか。ほんの少しずつ、痛みが和らいでいる気がする。

 真っ白になった頭に、僅かに余白が戻ってきた。

 いや、というより・・・・・

 

 ・・・・・なんか、意識が・・・・・

 

 落ちかけているのか。

 電車に揺られた時みたいに。或いは、満腹になった午後に日差しに照らされたみたいに。

 景色が蕩けて、徐々に気が遠のいていくあの感じ。

 気の所為で済ますには、余りに心地良く――

 

 ・・・・・ね・・・・・、む・・・・・・・・・・・・・・

 

 今度こそ、“睡魔”に襲われる。

 それは、有無を言わせない無慈悲なものではなく、むしろ安心感を感じる。

 緩やかに。穏やかに。包み込むように。

 闇に染まりつつある世界に、抗う気も起きず。

 

 

――暖かな微睡みに安堵を覚えながら、意識は深く沈んでいった。

 

 

 

 




 どうも、前回から1ヶ月以上ぶりとなるなんでさです。

 執筆に手こずったのに加え、fgo2部7章の攻略に勤しんでいたのが大まかな原因です。
 6章に続き今回も奈須さん直々の執筆であったわけですが、やはり他のライターさんとは一線を画すというかTYPE-MOONという土俵の上では、当然ながら右に出る者はいないなと、改めて実感いたしました。
 

 最新話では死柄木たちが退き、USJ襲撃編は終結致しました。
 本作を始めるにあたり、初めの山場として、また1-A生徒達に衛宮士郎とは如何なる存在か、というのを刻み付ける第一手は、このUSJ編と決めていました。
 そのあたり、スタートとしてはなかなか悪くないのではないか、などと微かに自画自賛しておりますが・・・・・なんか八百万さんのヒロイン力の上昇が止まる事を知らないんですけど。
 針山士郎と他面子の会話辺りはもっとスムーズに済ませるつもりだったのに、気づいたら八百万さんがトンデモネークソ度胸見せつけてて作者ビックリ。あんな描写、一切予定に無かったのにいつの間にかああなってた。ナンダコレ?

 時にキャラクターとは書き手の手を飛び出すものとは聞きますが、これがそういうものなのか。お陰で、ある人物の登場シーン及び描写が丸々カットされましたとさ。

 士郎も士郎だよ。原作といいプリヤといい、気丈ながらも純真なお嬢様キャラを手当たり次第に落とすのはやめなさい。この小説はヒロアカ世界の正義と君の信念の相対をテーマにしてるんだから、気軽に18禁とかギャルゲー展開に持っていくんじゃあない。


 ・・・・・とまあ、駄文はここまでにいたしまして。
 
 fgoは金曜からバレンタインイベ始まるし、個人的に好きな崩壊3rdも周年記念が始まるので、次の投稿ももしかしたら間隔が開くかもしれませんが、どうか気長にお付き合いください。

 それでは、また次のお話で。


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ヒーローとは斯く在れ

 読者の皆様方、お久しぶりです。
 前回更新から約五ヶ月が経って気付けば七月になり、作者は「どうしてここまで長引いた」と頭を抱えております。
 実のところ、バイオ4リメイクと、崩壊スターレイルにのめり込んでたのが理由の大半な気はしますが・・・・・
 ともあれ、こうしてなんとか再投稿出来て良かったと、勝手に安堵しとります。


 西陽が傾き、世界が茜色に染まっている。

 四月も中旬となり、一日の日の長さは少しずつ伸びているが、とはいえ夕刻ともなれば夜闇の気配を感じ取れるだろう。

 カラスが鳴いて、商店街ではもうすぐ懐かしさを覚えるメロディが流れる頃合いだ。

 勉学に励んでいた学生達も、それぞれが文具を仕舞い午後の自由を謳歌しはじめる。

 学友達への挨拶もそこそこに早々に帰路につく者もいれば、部活動に精を出す少年少女もいるだろう。過ごし方こそ様々だが、大抵は教室を立ち去って各自の目的地に向かっていく。

 この時間、いつまでも教室に居残る生徒はほぼおらず無人であることが自然であり――それ故、人の気配が残っている時は相応の理由があるものだ。

 

「・・・・・・・・・」

「――――」

 

 雄英高校、ヒーロー科、一年A組教室。

 普段二十名以上の人間で賑わうこの場所は今、たった二人の人物に占有されていた。

 

 片や、男子学生。森林を思わせる緑色の毛髪が特徴的な少年だ。

 身につけたスカイグレーのブレザーが、彼が雄英在学生である事を示している。

 夕焼けに照らされた教室の中、彼は実に姿勢良く自らの席についている―――というより、姿勢が良すぎる。

 ビシッ! と伸びた背筋は曲げていないというより、直線以外の形になる事を知らないようで、背骨から鉄芯で無理矢理に固定しているかのようだ。姿勢と同じく彼の表情も強張っていて、一文字に結ばれた口は少年の力み具合を示している。

 

 その姿はおよそリラックス状態から最も程遠く――ぶっちゃけ、彼はめちゃくちゃ緊張してた。

 

「そう固くならないで。君の見聞きした事を、ゆっくりと話してくれればいい」

 

 対して、少年に向き合うのは彼とは対照的な、落ち着き払った長身の男性だ。

 歳の頃は三十代後半だろうか。真っ白なワイシャツの上から纏ったベージュのトレンチコートが印象的だった。

 

 席を挟んで正面に座る彼は、柔和な表情を浮かべて少年の緊張を解そうとする。

 優しげな雰囲気も相まって、好感の持てる人物だ。――もっとも、その彼こそまさに少年が石像の如く固まっている原因なのだが。

 

「は、はい。分かりました―――刑事さん」

 

 その少年が――緑谷出久が告げた言葉が、男の肩書を端的に現している。

 

――塚内直正。

 

 今回のヴィラン襲撃の調査で雄英を赴いた警官の一人で、位階は警部。

 警部とは本来、直接現場に出て捜査に携わる事のない階級だ。事件発生直後の臨場に赴く事はあっても、以降の聞き込みなどに関わることはない。

 しかし、この塚内は珍しく自らの足を使っての捜査を好んだ。

 彼がいま出久と向き合っているのも、自ら生徒達への事情聴取に携わっているからである。

 

 その慣例に囚われない行動力は、往年のサスペンスドラマに登場する昔ながらの刑事<デカ>を彷彿とさせた。トレードマークじみたトレンチコートとハットも、そのイメージ形成に一役買っている。

 

「早速だけど、襲撃が起きた当初の事から教えてくれるかい?」

 

 塚内はメモ帳とボールペンを手に、改めて聴取を開始する。

 

「えっと・・・・・まず最初にドーム内の照明が停止しました。最初は何か機材トラブルでもあったのかなって思ったんですけど、そのすぐ後に衛宮くん・・・・・あ、病院に運ばれた生徒の事なんですけど。その彼が突然弓を構えだしてて、向けてる先を見ると黒い靄の中から大量のヴィランが現れていました。それから―――」

 

 自らの記憶を振り返り、ひとつひとつ、確かめる様に少し前の出来事を語りだす。

 唐突にヴィランが現れたこと。ヴィランの個性によりクラスメイト達と散り散りにされたこと。転移させられた先で無数のヴィランと対峙し、級友と共に撃破したこと。相澤の援護に向かった先で、ヴィラン達の首魁と衛宮士郎が戦いを繰り広げたこと。

 要点を押さえて簡潔に纏められた話は、ものの数分で終わった。

 この間、塚内は話に水を差すこともなく、粛々とペンを動かし聴取内容を記入していたが、緑谷が話し終えたと見ると、いくつか質問していいか、と告げた。

 

「は、はいっ。もちろんです」

 

 無論、出久がこの要求を断る理由も無く、二つ返事で了承した。

 

「ありがとう。――聞きたいのは、ヴィラン連合を名乗った集団の中核と思われる例の三人組についてだ。彼らとまともに接触した生徒はほとんどいなくてね。教員を除けば、最も近くであの三人を観察できたのは、君と病院に運ばれた衛宮士郎くんだけだ」

 

 先の襲撃、死柄木弔、黒霧が逃亡した後、すぐに雄英に勤務するプロヒーローがUSJに到着し、ものの数分で残存するヴィランを制圧し終えた。

 捕縛者は総数七十二名。いずれも組織の中心からは程遠い末端の構成員であると、塚内は当たりを付けている。無論、詳しく調査し、一人一人の取り調べが完了するまでは断定出来ないが、彼は半ば確信している。

 

 理由は実に抽象的で、“覇気”を感じない、からだ。

 警部という肩書は決して伊達ではなく、彼はこれまでに多くの犯罪者を見てきた。その顔ぶれも境遇も様々でまさに玉石混淆なのだが、その中にもやはり、“格”というものがある。

 重大な犯罪を犯す者、残虐性の強い者ほど、対面した時に感じる気配は重く、暗い。

 そういったある種の圧力を、捕縛された者達は有してはいなかった。

 あれだけ大それた襲撃を実行できた組織の中核メンバーに、それぐらいの器が無いとは到底思えない。

 

 稀に、意図して自身の気配を隠し自らを悪党と悟らせない者もいるが、その手の人間からはまさに何も感じないものだ。今回のような半端な悪党ではなく、ただの善良な一般市民としか思えないような擬態をする。

 無論、捕らえた者の中にそんな芸当の出来そうな者もおらず、塚内は自身の直感を結論とした。

 

 しかしそうなってくると、ヴィラン連合なる組織を詳らかにする手掛かり――そこに至るまでの取っ掛かりすら存在しない事になる。

 今回の襲撃はあまりに突発的に起きた事件であり、犯行グループからの声明や犯行予告といった、犯人達の実態に繋がる前兆は無かった。

 彼ら警察が知り得るのはヴィラン達が名乗った名と、教員並びに生徒の体験だけだ。

 これら二種の情報だけが、犯人追跡の頼りとなる。

 

「今はとにかく情報が不足している。些細な事でもいい。気になったことがあれば言ってくれ」

 

 塚内はそう前置いて、改めて質問に入る。

 

「まずは、黒霧と名乗ったヴィランについて。姿は常に黒い靄に包まれていて判然としない、とは他の生徒から聞いたけど、逆に容姿以外の性格なんかはどうだった?」

 

 素性の知れないこの逃亡犯は、ヴィラン連合中心メンバーの内で生徒含めて接触した人数が比較的に多いヴィランだ。その容貌は多くの生徒が目撃している。

 そのため、塚内は出久からこの者の人格や他の者との関わりを聞き出したかった。

 

「あのヴィランは・・・・・、常にうやうやしい態度で、言葉遣いも丁寧なものでした。けど、根本的には残虐な性質なんだと思います。他人の命に、何の価値も感じていない様子でしたから」

 

 無数の悪党を引き連れて現れたかと思えば、13号と避難中だった生徒達の前に現れ、己達の目的は“平和の象徴”の殺害だと、温度を感じさせない声で平然と告げて。挙げ句、自らの役割は生徒を分散させて嬲り殺す事だと宣言した。

 言動、行動共に、命に対する尊重が欠片も見えない。アレは心底、他人というものに関心を抱いていない類の人間だろう。

 

「それと、これは僕の感覚になるんですけど・・・・・」

「構わない。直に対峙した君の所感はむしろ大歓迎だ」

 

 自信なさげに自らの顔色を伺う少年に、実直な刑事は微笑みを浮かべながら続きを促した。

 その肯定を受けて、出久もまた再び口を開く。

 

「黒霧は死柄木に対して常に下手だったんですけど、なんだかそれが、ただの部下って感じがしなくて・・・・・」

「ただの部下じゃない?」

「本当に、ただの直感なんですけど・・・・・その、なんていうか・・・・・従者、みたいに感じたんです」

 

 常に死柄木を敬う口調で、男が害されそうになると何より優先してその身を守ろうとして。

 その様が、単なる組織の上司と部下という関係には到底見えず、まるで主を守護する忠義者の様に思えたのだ。

 

「従者・・・・・例えば召使いとか、執事の様なものかい?」

「・・・・・もしくは、しもべ、でしょうか」

 

 ただ一つの役割に腐心する生物。唯一、主人の守護のみを目的として存在する命。

 それが、緑谷出久が抱いた、黒霧という人間の印象だ。 

 

「少なくとも黒霧は、死柄木を逃す為に力尽くで拘束を脱していくほどの執念を見せました」

 

 全身を凍結させられ、悉く熱を奪い去る氷に地面へと縛り付けられ、身じろぎの一つも叶わない身であった。なおかつ、腹には渾身の力で叩き込まれた無数の刃が残した刺創をも抱えていた。皮膚を剥がれ落としかねない霜に覆われ息も絶え絶えでありながら、そんな事にまるで憶えが無いかのように戒めを振り払い、裂帛の声を上げて膨大な黒霧(こくむ)の中に死柄木を連れて消えていった。

 一連の流れは瞬きの間の出来事で、それは目と鼻の先でまさに踏み込もうとしていたオールマイトですら間に合わぬほどに。

 あの死に物狂いさを、ただの上司相手に発揮できるとは、出久は思えなかった。

 

「・・・・・なるほど。連中の関係性は置いておいても、聞いた感じだと両者の間には明確な上下関係があるようだね」

 

 少年の話を飲み下し、しかし結論には至らない。

 出久の感性がどうであれ、やはり確証の無い仮定を早々に鵜呑みにするのはリスクが大きい。

 現状、この二人について断定できるのは、この一点のみだろう。

 

「ありがとう。黒霧の人物像については分かったよ。・・・・・次は例のワープについて。どういった性質の“個性”だったとか、何か印象に残ってる事はあるかい?」

 

 これ以上、出久から真新しい所感を引き出せそうにはない、と判断した塚内はまた別の側面から犯人に近づこうとする。

 

「性質、ですか?」

 

 問われて、黒霧と呼ばれたヴィランの“個性”の発動を思い返す。

 無数の人間の転移。秒も要さず展開されるゲート。人間のみならず物体まで通過させる。

 相対したヴィランが用いた能力を回顧し、脳内に列挙される特徴の数々。

 そのどれもが、まさしくワープという言葉に相応しいものであり、犯罪者の身に宿る事が非常に惜しまれる”個性“だと思い――

 

――ああ、そうか。トンネルなんだ。

 

 情報を整理する事で、改めて気付きを得る。

 それは、考えるまでもなく理解する前提だが、だからこそその在り方を定義づける特質だった。

 

「あのヴィランの“個性“は多分、“門”と“道”を造る事なんだと思います」

「門と道・・・・・いわゆる、ワームホールのタイプだね」

「はい」

 

 SF作品におけるワープ、或いは転移には、大別して二つの種類がある。

 一つは、対象を原子レベルで分解し、転送先で再構築するタイプ。

 もう一つは、出発点と到着点間の空間を繋げて、転送先に送るタイプ。

 

 前者は分解と再構築というプロセスを踏むことから即応性に欠ける。

 既に形がある肉体の構造を崩し、再度構築を行う以上、何らかの歪みが生まれる。そのズレは目眩や吐き気などという形で肉体に、神経に現れる。

 そのズレを抱えたまま、平時と変わらず行動できる人間はいないだろう。

 人間とはそれそのものが緻密な設計図であり、一つの世界だ。その全容を、人類は未だに把握しきれていない。無から有を創り出す事が出来ない様に、完全に理解できないものを、完璧に再現する事は出来ないのだ。

 

 しかし、後者にはその様な制約が無い。こちらは、ただ単に能動的な移動を行なっているに過ぎないからだ。

 点と点を特殊な空間で繋いで物理的な距離を極端に短縮するそれは、利用者に一切の変質を起こさず、ゲートを通れるモノなら理論上、あらゆる存在を通過させることができる。

 そこに特別な資質や条件は求められない。必要なのはただ通り道の規格に適応している事だけ。

 もっとも、通過するという行為そのものが一定の時間を要するため、純粋な転移速度で言えば前者に分があるのだが。

 

 とかく、黒霧の”個性“によるワープは、その特徴からして後者が当て嵌まると推測される。

 

「他の子も似た様な考えだったし、いま判明している特徴を考慮すれば、おそらくその可能性が高いだろうね」

 

 塚内も同様の推察を行なっていたようで、出久の考察に同意する。

 付け加えるならば、ワープゲートという性質故の欠点にまで彼の考えは及んでいるが、そちらは今のところ目の前の学生には関わりのない話だ。

 彼は自らの推論を頭の隅に押しやり、次の質問へと移った。

 

「なら次は、死柄木弔について。この男の人となり、性格、仕草。何でもいいから、さっきみたいに君が感じたことを率直に言って欲しい」

 

 今回の襲撃における主犯格と目され、黒霧が死に物狂いで逃した男。これから警察が最優先で追うことになるであろうヴィラン。

 こちらもまた黒霧と同等か、或いはそれ以上に得体が知れない。

 真っ先に目につくのが、顔面をはじめとした全身の至る所に取り付けられた“手”の装飾だ。黒霧に比べ“個性”による肉体の変化は見られず、容貌は純粋な人間のそれだが、却ってそれが不気味な出で立ちを際立たせていた。加えて、装飾故に表情はおろか人相すら把握できず、これからの捜査の難航具合は想像に難くない。塚内にとっては頭の痛い話である。

 

「僕とあのヴィランとの接触はあまり長いものではなかったので、ハッキリしたことは言えないんですけど――」

 

 目の前の刑事の内心の煩悶など露知らず、出久はそう前置いて話を続ける。

 

「あのヴィランはどこか曖昧というか、ちぐはぐな印象を受けました」

「というと?」

「あんな大胆で周到な計画を実行に移した人間の割には、言動や仕草が幼稚だったり、事が上手く進まないと簡単に癇癪を起こしたりして、どこか子供っぽさを感じました。・・・・・けど同時に、相澤先生――イレイザーヘッドの戦闘スタイルや個性の欠点を見抜いたり、妙に冴えてる部分もあって・・・・・」

「それが、矛盾しているように感じる、と?」

「・・・・・はい」

 

 ふむ、とひとつ頷きを入れ塚内は思案する。

 彼が出久に対する聴取に移る前、既に1-Aクラス全員の聞き込みは終えている。その際に得られた反応、語られた言葉は様々だが、主にヴィランに対する恐ろしさや気味悪さを主張する者が多かった。ごく一部、言葉通りの意味で“気色悪いヤツ”と評する生徒もいはしたが、それは特殊な部類の感想だろう。

 

 一方、出久が覚えた感覚は、他のそれよりさらに先に踏み込むものだ。死柄木の非情さ、酷薄さも憂慮すべきものではあるが、死柄木弔という人物のパーソナルに迫るには、それらだけでは足りない。個人の本質を掴むに肝要なのは、その言動・行動から対象の在り方を掴む事だ。その点で言えば、出久の齎した情報は取っ掛かりとして十分な証言である。

 

「あと、もう一つ気になることが」

「なんだい?」

 

 メモから視線を上げ、塚内は出久に視線を合わせる。少年の表情には、胸中の疑念がありありと浮かんでいた。

 

「理由までは分からないんですけど・・・・・死柄木は、オールマイトにひどく執着してたみたいなんです」

「――――」

 

 選ばれ、吐き出された言葉を吟味する。

 ただ一人の人間を標的とし、無数の人間を巻き込んでまで事を起こした精神性は確かに尋常ではない。が、しかし――

 

「執着、と言ったね。けど、オールマイトの殺害を目的としての襲撃なら、彼に固執するのはむしろ自然なことじゃないかい?」

 

 塚内の言葉に間違いは無い。妥当と言っていい。

 ヴィラン連合、或いは死柄木弔の狙いはオールマイトという平和の象徴を打ち壊すことだ。その為に練られた計画は周到という他なく、彼らの姿勢は本気そのものだった。

 だが、それを執着という言葉で括ることはない。目的とは、どうあれ果たす事を念頭に据えられるものだ。事の成否、難度に関わらずまずは達成を目指す。それだけは絶対だ。故に、彼らがオールマイトのみを標的として襲撃を決行したのなら、彼にこだわる事は自然な事だ。

 執着という言葉は、異常なまでの関心を他に寄せること。それ以外目に入らず、ただ一つの存在に囚われる、それだけの情念が無ければ執着という表現は見合わず――

 

「・・・・・・・・・・嗤ってたんです」

「え・・・・・?」

 

――独り言のような呟きが、その考えを両断する。

 

「オールマイトがあの場に現れて、死柄木たちの前に立ち塞がった瞬間からあの男は笑みを浮かべてて・・・・・・・・オールマイトに対して昏い感情を向けてるはずなのに、それでも愉しそうに嗤ってたんです」

 

 見据えた少年の眼が、戸惑うように揺れている事に塚内は気付く。それは、彼自身が彼の言葉をいまなお理解できずにいるためか。

 

 

 

――オールマイトとは、時代そのものだ。

 

 

 

 プロヒーローが飽和し、凡そ殆どのヴィランが迅速に制圧されるようになった現代では想像もつかないだろうが、ほんの三十年ほど前までこの日本という国は半ば無法地帯と化していた。

 人体に突然として現れた、“個性”という名の超常現象。それが齎した禍根は根深く、黎明期を越え人々がその存在を辛うじて受け入れてもなお、社会は依然として混迷を極めたままだった。

 “個性”を悪用する者は後を絶たず、ヒーローという存在は未だ秩序を護るほどの力を持たず、政府は日々積み重なる“個性”絡みの問題に追われ、新たな規範を敷く事も、ましてや新たな社会形態に順応する事もままならなかった。

 

 誰しもが怯えていた。誰しもが希望を持てなかった。

 いつ己が悪意に晒されるか、いつ社会は平穏を取り戻せるのか、そんな先の見えない憂慮と問いかけを繰り返し、せめて悪党に目をつけられないよう人々は俯いて暮らすしかない日々。

 そんな暗黒の時代が、かつての日本であり、またかつての世界だった。

 

――オールマイトが頭角を表したのは、そんな暗闇の真っ只中だった。

 

 かつて発生した大規模な災害、都市一つを丸ごと飲み込むかのような炎と瓦礫の中に、アメリカからの留学から帰国した直後の彼は迷うことなく飛び込んでいき、巻き込まれた市民を瞬く間に救い出していった。

 最終的に彼が救い出した被災者は千人以上、救助に費やした時間は二時間足らず――これが国内で公的な記録に記載される、オールマイト初のプロヒーロー活動である。

 

 その後数十年間語り続けられる伝説をデビューと同時に打ち立てた彼は、その勢いを減じる事なくヴィランおよび犯罪者の検挙に貢献した。一個人の悪党も、組織的な犯罪グループも等しく打ちのめされ投獄は途絶えず次々と。目に見えて犯罪者は街から消えていく。徐々になどという枕詞はつかない。本当に、一日あれば街の治安が復帰するほど。瀑布が砂や石塊を飲み込み押し流していくように、その勢いは怒涛のものだった。

 

 そして、それに反比例するように、それまで暗雲で覆われていると錯覚するほど荒みきっていた街は活力を取り戻し、人々は平和への希望を抱いた。

 地に向けられた視線はいつしか真っ直ぐに前を見据えて、表通りはそれこそが本来の姿だと誇示するように、人々の往来で溢れてていく。

 誰もが理解出来ただろう。時代の潮目が変わり始めたことに。そう感じ取った者の感性は正しく、それから三十年余りで日本は世界で最も犯罪発生率の低い国家となった。その偉業を成し、また国と人々を引っ張ったのは言うまでもなくオールマイトである。

 

 彼のデビューで、悪意は抑制された。彼の活躍で、人々は闘志を燃え上がらせた。

 まさしく時代の転換点にして呼び水。故に、断言できる。超常溢るる世界において、ヒーロー飽和社会を形成させるに至ったオールマイトこそが、この時代そのものなのだと。

 

 混迷する時代に、ただ一人の威名で以って秩序を齎したという逸話は決して見せかけの伽藍堂ではない。頑強な偶像には火が灯っている。決して消えず、如何なる困難にも屈さぬ不撓の魂。

 いま以って彼は市民にとって此方の平穏を維持する守護者であり、悪を為す者にとっては逃れ得ぬ破滅そのもの。相対すれば逃れられず、絶対的な力に圧倒されるが道理。たとえ対抗札を用意しようと、挑み掛かるとあれば相応の覚悟と気概が求められる。

 

――だというのに。

 

 彼がその眼で見た限りにおいて死柄木弔にそんな素振りは見られず、むしろ愉快げですらあった。表情こそふざけた飾りに遮られて見られはしなかったが、隙間から僅かに覗いていた吊り上がった口角は何よりの証左だ。

 社会の在り方すら変えた正真正銘の“大英雄”と対峙しようとする人間の面持ちには見えず、酔っぱらいの悪ふざけか、或いは破滅願望持ちだと言われる方がまだ信じられた。

 そもそも、オールマイトに進んで臨もうとすること自体が出久には理解不能な選択だ。

 

 ・・・・・ああいうのを、狂喜っていうのかな・・・・・

 

 常識的な思考、画一的な認識で死柄木弔を捉えるべきではないのかもしれない、と考える。

 明確な敵意を示して、垂れ流される殺意は本物で――なのに、長く夢見てきたオモチャを手にしたかのように喜んで。

 言動や振る舞い以上に、それらの感情は矛盾している。およそ常人の思考、真っ当な感性にはあり得ない、破綻した精神構造。あの時の死柄木弔は正しく狂人と呼んで差し支えない様相だった。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 出久の困惑をよそに塚内もまた、死柄木弔の不可解な態度を分析する。

 

 ・・・・・オールマイトに強い恨みを持つ人間・・・・・・・・いや、“それ”だけで説明するには些か苦しいか。

 

 怨恨、の二文字が塚内の脳内に浮かんだが、それも一瞬だった。

 他者の殺害を目的とする者の動機が恨みであっても何ら不思議ではないが、話を聞く限りそう単純な事でもないように思える。

 彼に陶酔するある種の熱狂的なファンの様な人物という線もないだろう。もしそうであったなら、オールマイトに向ける感情に敵意が混じることはない。たとえどれだけ偏執的で対象を害そうという意思があろうと、それが好意から来る行動であるのなら、敵対感情は生まれ得ない。そんな“不純物”が混じった時点で、それはただ敵意でしかなくなるのだから。

 

 ・・・・・ともあれ、まずはその辺りから洗っておくべきだろうな。

 

 確率としては低く、根はより複雑に絡み合っているのかもしれない。だが彼ら刑事の職務とはそういった細かな可能性を一つずつ潰していき、最後に真相へと至るものだ。“あり得る”という状況が存在する以上、それを精査し尽くさないわけにはいかない。

 

「ありがとう。とても参考になったよ。今の話は捜査にしっかりと活かさせてもらうから」

 

 実際のところ、今回得られた証言がどれだけ捜査に役立つかは不明――というより、いま聞いた所感だけであるのなら、確実に大勢には影響を及ぼさない。話の内容は抽象的で、警察という組織が指標とするにはやはり客観性に欠ける。

 無論、それら小さな違和感も確かな手掛かりである、と塚内個人は考えるが、全体を動かすには明確な根拠が必要なのだ。

 とはいえ、不快な記憶を思い起こしてくれた少年に、そんな捜査の実情を語れるはずもなく。結局、簡素な謝辞を述べるに留まる。

 

 次いで、話は先の黒霧と同様、死柄木弔の個性について移ったが、こちらは他の生徒から得られた証言以上のものは聞けず特筆すべき点も無かった。

 

「もっと注意深く観察していれば何か分かったかもしれませんけど・・・・・すみません、お役に立てなくて」

「いやいや、あんな状況で相手のことをつぶさに精査しろ、だなんて無理な話だよ。君が気に病むことなんか一つも無い。それに、あれだけ色んな印象を話してくれたんだ。感謝こそすれ、警察(わたしら)が文句を言う資格なんて無いさ」

 

 柔らかく笑んで、気にする必要は無い、と出久を励ます。

 瞳に見える感情の動きの少なさが少しばかり恐ろしく感じるが、その穏やかな声は少年の心の重荷を幾らか和らげ――

 

「――それじゃ、次の話に移ろう」

 

――その表情は、少しの間を開けたあと真剣なものになる。

 

 直前までの柔和さは無い。

 声色は硬く、瞳は険しい。表情は僅かながらに強張っているのが見て取れた。

 釣られ、出久も改めて居住まいを正し、塚内の言葉を待つ。

 

「最後はあの大男・・・・・脳無について聞かせてくれ」

 

 挙げられた名は、黒霧と同じく今回の襲撃において中核であったと目される人物。

 プロヒーロー及び生徒を一人ずつ瀕死に追いやった張本人であり、あろうことかオールマイトと真っ向から殴り合いを演じてみせた、正真正銘の怪物である。

 この男、オールマイトとの戦闘を経て、現在は警察によって身柄を確保されている。

 

「率直に聞こう。――君はアレを、どう感じた?」

 

 先の黒霧や死柄木に関する話と違い、今度の質問は曖昧な問いかけだった。

 一人の人間に感じる印象など、対峙した人間によって変わってくるものだ。人間の感性に一つとして同様のものがないというのなら、その差異は正しく千差万別、星の数と紛う程になる。

 警察という、純粋な事実と確たる証拠を以って真実を追求し、秩序を保つ事を意義とする組織にとって、一個人の所感はあまりにあやふやな証言だ。

 行方の知れぬ逃亡犯を追うならまだしも、既に拘留している犯罪者の調査にはあまり役立つものではないだろう。

 

「・・・・・あのヴィランは凄まじく強かったですし、躊躇いなく人を傷つける姿はとても恐ろしかたったです。でも――」

 

 一方、問われた出久は自らが感じた印象を伝えるも、途中で言葉を途切れさせる。

 ほんの二、三時間前に目にした光景は脳髄に焼きつき、記憶から消そうにも既に頭から離れなくなっていた。

 未だ鮮明なままの記憶は、直前の出来事の様に思い起こせる。

 

 自らの恩師にして、憧れのヒーローと渡り合う姿を見た。

 ぶつかり合い、互いの拳を打ちつけ合う様は、二つの巨大な山が意志を持って互いを飲み込もうとするかの様で。離れて傍観していた彼は、否定のしようもないほど圧倒された。

 

 黒塗りの巨躯が、自らの担任を嬲る姿を見た。

 現役で活動するプロのヒーローを一方的に蹂躙し、彼の抵抗をまるで児戯の様に感じさせる姿には、ただ恐怖するしかなかった。

 

 いずれの所感も正真正銘、緑谷出久が抱いた感情であり、決して偽りではない。

 あの時、彼は真実、ヴィランの在り方に恐怖し、これと戦うヒーローの姿に呑まれた。

 

――だが、されど。

 

「――でも、それ以上に。あのヴィランは、ひどく“異質”でした」

 

 俯きながら告げた言葉。それこそが緑谷出久が最終的に行き着いた、脳無というヴィランに対する認識だった。

 彼は言う――異質だった、と。

 

 

――その感情は畏怖ではない。それは、嫌悪だ。

   目にしたモノを、あってはならないと断じる、否定の意思だ。

 

 

――その感情は、恐怖ではない。それは、忌避だ。

  目の当たりにしたモノに決して近づきたくはないという、拒絶の想いだ。

 

 

 彼の心が。肉体が。魂が。

 あの化け物は、あってはならない存在だと、思考を巡らせるまでもなくそう断じていた。

 

 何故、それほどまでに強い嫌悪を覚えたのか。

 ただ犯罪者であるというだけなら、その行いに批難は向けても、相手の存在そのものを否定するような、そんな過剰な拒否反応を見せることはない。

 だが、出久は心の底から、脳無というヴィランに言いしれぬ不快感を感じた。それこそ、能無の行動全て、あり得るはずのない不自然な現象と思えてしまうほどに。

 いったい、ナニが彼をこうまで慄かせたのか――その答えは、数時間前に一人の人間によって明かされている。

 

「――意思の無い、“動く死体”、か」

 

 それは、一人の生徒によって齎された情報だった。

 無数の刀剣を記録し、複製する彼は、同時に物体の解析・構造把握も可能としている。主に対象となるのは無生物だが、ある程度の技術とコツさえあれば、それは生物にも適用出来た。

 その彼が告げた言葉こそ、出久をはじめ多くの生徒に忌避感を抱かせた根源――理解そのものを拒まざる得ない、悍ましい正体。

 

――曰く、脳無は意思の無い動く死体だ、と。

 

「事件当時の脳無の様子はある程度聞いている。自らは一言も話さず、一歩も歩かず、ただ死柄木の指示のみによって駆動していたとね」

 

 常に死柄木の側に控え、指示が与えられるまで微動だにしない。瞬きすら脳無は挟まなかった。

 言葉は、一言も発されていない。命令で誰かに襲いかかる時にあげられた身の毛もよだつ咆哮以外、声らしい声が聞こえる事は無かった。

 自律性の欠如、自意識の不存在、生物を生物たらしめる自我は皆無。その様は何処か機械的に、或いは人形めいて見えたという。

 

「脳無を間近で見た君はどうだい? 本当にヤツが死体だと思ったかい?」

「・・・・・分かりません。確かに、脳無が能動的に動く事はありませんでしたし、誰かの命令でしか動かない事を操り人形みたいに捉える事はできるとは思います。けど、それでヤツが・・・・・その、死体だって断言出来るかと言われれば・・・・・」

「そうか・・・・・」

 

 そもそも、情報が揃っていないのだ。ヴィラン連合がどの様にして成立した組織なのか、構成員は如何にして集ったのか、どうやって雄英の授業スケジュールを把握したのか。脳無にしても捕縛したばかりで、調査に乗り出してすらいない。

 事件はまだ終息したばかりだ。確証など、一つとして持てるはずがない。

 

 ・・・・・そう。確証は持てない。けど――

 

 断言は出来ないと。そう口にしながら、出久は脳無に対して異質さと同時に、どこか既視感を感じていた。それは道端で朽ちているカラスであったり、たまたまテレビで見たマグロの解体ショーであったり。

 そういった光景に、出久は近寄り難さを覚える。恣意的に遠ざける程ではないが、進んで視界に収めようとは思わない。叶うのなら目を逸らし、記憶には留めないようにする。

 

――それは、何故?

 

 自問し、答えを探る。原因は明白だった。

 それらは、“死”だからだ。

 命の終わり。肉体の崩落。精神の消失。魂の離散。生存という状態が終了し、思考する事も、希求する事も、実行する事も出来なくなる、どんな生き物でも辿る凋落。

 その姿はいつかの末路を示していて、物言わぬ死体は言えるはずもない言葉を告げている。

 

――いずれ自分<オマエ>も、同じようになるのだ、と。

 

 無論、実体の無い妄想だ。実際にそんな言葉が発せられているはずもない。

 ただの恐怖症(フォビア)と言われればそれまでで、人間にはよく見られる益体の無いシミュレーションだ。

 第一、出久が動物の死骸を見て常にこんな思考をしているわけではない。それらに対する忌避は無意識のもので、彼がこれまでの人生でこんな事に意識を割いた事は一度も無かった。

 不快な空想が、たまたま遭遇した未知の脅威と結び付いたに過ぎない。

 

――だが、もしもの話。

 

 脳無とそれらに類似性を見た結果、既視感を抱いたとしたのなら。

 それは、脳無がカレらと同じモノだと思ったからではないか――?

 

「・・・・・・・っ」

 

 身震いがした。吐き気のする想像に、顔の歪みを抑えられない。

 もしこの思考が事実を捉えていて、脳無の正体が告げられた通りのものなのだとすれば、それはどんなに悍ましい真実なのか。

 事の背後にいる人物の在り様を出久は想像出来ない。いや、想像したくない。

 いったいどれほどの悪人なら、こうも非道な産物を世に放てるというのか――?

 

「オールマイトのお陰で脳無は拘束できてる。ヤツの身元にしろ、複数の個性を持つ原因にしろ、その身体を調べればハッキリするだろう。それに、“彼“もそう遠くない内に意識を取り戻すはずだ。言葉の真意は、直接本人に確かめるよ」

 

 言って、塚内はペンとメモを懐に仕舞う。聴取が終了した合図だった。

 

「あ、あの! 一つ聞いてもいいですか?」

「ん? なんだい?」

「彼は――衛宮君は、大丈夫なんですか・・・・・?

 

 塚内が仕事を終えたと判断した出久は、事件が終息してからずっと気になっていた問いを投げかけた。

 今回の一件で、1-Aメンバーの中から出た、唯一の重傷者。生徒の身であるにもかかわらず、ヴィラン連合中核の三名に真っ向から立ち向かい、撃退に貢献した人物。

 自らのクラスメイトである衛宮士郎の安否を、出久は気にかけていた。

 

「・・・・・処置は終わった、と聞いている。ただ、傷が傷だけにまだ意識は戻らないそうだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 重苦しく返された情報に胸が痛んで、言葉を発する事も出来なかった。

 友人が意識を取り戻せないほどの傷を負った事もそうだが。

 

――何より、死戦を超えてヴィランに立ち向かおうとする彼を引き留められなかった己にこそ、憤りと情けなさを感じた。

 

 誰よりも友人のそばにいて、オールマイトに彼を逃してくれと託されたのに、離れていく手を掴めなかった。

 何故、彼を止められなかったのか。

 難しい事ではなかった筈だ。走り去ろうとする彼を追いその手を引っ張る。それだけのことではないか。平時ならいざ知らず、無数の刀疵と出血で足取りも覚束ない彼に追いつくことなど、造作も無いことだろう。死に行く衛宮士郎を延命させる為なら、刃で埋め尽くされた身体を羽交締めにしてでも押し留めるだけの勇気も、出久は持っている。

 ならば、そう出来なかったのは何故だ。容易い筈の行動を実行に移せなかったのは、どんな道理によるものだ。いや、そもそも――

 

 ・・・・・止められなかったんじゃない。()()()()()()()()

 

 瀕死の衛宮士郎が駆け出した時、追い縋って止めようとしなかったのは、そうしようという気が微かだったからだ。

 見捨てようと思ったわけではない。オールマイトの頼みを蹴るつもりでもなかった。――ただ、自身と彼の意思が限りなく近かったから、戦いに赴く彼の歩みを止められなかった。

 出久も衛宮士郎と同じ様に、オールマイト一人を残して逃げたくはないと、そう思っていたのだ。何より――

 

 ・・・・・衛宮くんが、()()()()を言うとは思わなかった。

 

 オールマイトが現れて、あの場にいた生徒は皆安堵したはずだ。どれだけ強力なヴィランであろうと、どんな窮地であろうと、彼なら絶対に覆してくれる、と。

 それが彼らの総意だ。それが世間の認識だ。これまでの彼の実績に見合った、人々の頌徳だ。

 

――だが、衛宮士郎は違った。

 

 オールマイトの勝利を、彼は信じていなかった。英雄を一人残して逃げ出す事を、彼は許さなかった。――今までオールマイトが背負い続けてきた期待にこそ、彼は憤っていた。

 

――俺が・・・・・俺たちが、あんたに、背負わせすぎてるんだ。

 

 それは、およそ十五年間生きてきた出久が、ただの一度も聞いたことのない所感だった。

 オールマイトを讃えない市民はほとんどいない。

 

 ――それだけの偉業を、彼は成してきた。

 

 オールマイトの身を案じるものは、少なからず存在する。

 

 ――殊更、彼の“秘密”を共有する者達は顕著だった。

 

 いずれかであれば共感出来た。どちらかであれば理解出来た。

 賞賛は日常のBGMで毎日、憂慮はテレビや雑誌の中の評論家たちが稀に。

 だが、オールマイトの力を讃えながら、彼の身を心配しながら――その上で、彼の在り方に疑問を呈する人間は、初めて見た。

 

 きっと、それが彼を止めなかった最大の要因だ。

 現代に生きる者であれば考えるはずもない疑問を口にする姿を見て驚き――僅かながらに同意する自分がいた。

 だから止めなかった。だから自身も逃げなかった。

 同じ想いを抱いた友人の行動を、その信念を、どうして止められようか。

 

 ・・・・・でも、そのせいで彼は・・・・・

 

 だが、リスクを承知で行かせたのなら当然、代償は課される。

 それを由と思えるほど、出久は毅然としてはいられない。自らの判断ミスで二人のクラスメイトが傷を負い、一人は死の淵まで進んでいった、その事実だけは変えようもない。

 罪悪感は、拭えそうにない。

 

「幸いにして、命そのものに別状はないらしい。かなり凄惨な姿だったけど、あれらの刃は、同時に自癒機能もあるようでね。出血多量で命を落とさなかったのはそれが原因だって聞いたよ」

「そう、なんですか・・・・・?」

 

 重く沈んだ心が、僅かばかり浮上する。

 体から飛び出していた刃の意味にも驚いたが、何より友人の生還は間違いないと聞かされ、その事に対する安堵はひとしおだった。

 

「ミッドナイトが真っ先に駆け付けたことは幸運だった。彼を眠らせて刃の発現を押さえていなければ、処置は遅れていただろう。それに――」

 

 一拍おいて、件の生徒が病院に運ばれて行った時の光景を思いだしながら、続きを口にする。

 

「君達の()()()()()()()()の付き添いも、迅速な治療に貢献してる。刃が消えずに残っている彼を一人が抱えて運んで、もう一人が道中でも止血や応急処置を絶やさなかった。救急車を待っていたら、或いは手遅れになっていたかもしれない」

 

 瀕死の重体となった衛宮士郎の幸運は二つ。

 以前、彼の暴走に遭遇しそれを治めたミッドナイトが他のプロヒーローと共に、ヴィラン撤退直後にUSJに到着した事。

 もう一つは、二人の生徒が付き添って、彼をより速く病院へ送るために尽力した事。

 彼自身の性質に加え、この二つの幸運が無ければ、彼の生死は危ういものになっていただろう。

 

「あまり無責任な事は言えないけど、現状聞いている話や私個人の経験からして、彼の復帰はきっとそう遅くはならないと思うよ」

「良かった――」

 

 刑事のお墨付きを受けて、出久もようやく安心した。

 確かに、友人の姿は酷いものだったが、またすぐにこれまでと変わらない姿で会えると聞いて、この一時は心の中の痞えが取り払われた。

 

「――さて。聴取はさっき終わったし、これ以上時間を取らせるのは申し訳ない。話はここまでにしよう」

「は、はい!」

 

 席を立った刑事に倣って、出久も立ち上がる。

 時刻は五時に差し掛かろうとしていた。塚内の言う通り、直に辺りも暗くなり始める。ヴィラン襲撃などという出来事に巻き込まれた身で、その上、帰りまで遅くなっては彼の親族に要らぬ心配をかける事になる。それは、ヒーロー志望だとか警察だとか以前に、家族を持つ人として褒められたことではない。

 

「また何か思い出したりすれば、君の担任経由ででも連絡してくれるとありがたい」

「分かりました。その時はまた連絡させてもらいます」

「うん。助かるよ――それでは、ご協力に感謝します、緑谷出久君。どうか気を付けてお帰りください」

 

 最後に、一人の警官としてそう締め括った塚内に頭を下げ、出久は帰途につく。

 入学一週間ほどでやっと見慣れてきた大きすぎる扉を潜り、教室を後にする。

 地平線に太陽が沈み行き、眩しいくらいの茜色と溶けるような藍色が混ざり合って、得も言われぬコントラストを生み出している。廊下は、その狭間とも言うべき境界の色で染まっていた。

 燃える炎と暗がり。出久の今の心境に酷似していた。

 

 ・・・・・もう二度と、こんな事を起こさない様に、早く()()()を――

 

 強く拳を握り締め、誓いを新たにする。

 悔恨は消えず、自身の過ちは変わらない。しかしだからこそ、その失敗を繰り返さぬ為、二度と目の前で友人を死に目に合わせぬ為――何より、約束を果たす為に。

 緑谷出久はいま一度、自らに()()()()()力に向き合う。

 

 

 

 

 

 

――はじめての白い光に目を細める。

 

 まぶしい、と思った。

 なんて事はない、目が覚めて光が目の中に入ってきただけの事。

 けれど、そんな当たり前のことが、生まれて初めての感覚みたいに思えた。

 きっとまぶしいという事がなんなのか、そもそも解っていなかったんだろう。

 

「ぁ――――え?」

 

 目が慣れてびっくりした。

 無理もないと思う。

 目を覚ましたら、知らない部屋の、知らないベッドの上に寝かされていたんだから。

 煌々と輝く蛍光灯に、真っ白で汚れの無い部屋。

 それが、■■■■が置かれた全く未知の――けれど、安心できる空間だった。

 

「・・・・・どこだろ、ここ」

 

 醒めきらない頭のまま、周りを見回す。

 白い部屋は広く、並べられたいくつものベッドの上には、いろんな人たちがいた。

 大人も、子供も。男の人も、女の人も。

 全員が怪我を負っていて、身体中のあちこちに包帯を巻かれている。

 

 ・・・・・けれど同時に、彼らは助かった人たちだ。

 誰もがあの■■から抜け出して、生き延びた人たち。

 この部屋に不吉な影は無くて、だからもう大丈夫なのだと、そう安堵する。

 

「――――」

 

 気が抜けて、ぼんやりと視線を泳がす。

 窓から見える外は平穏そのもので。

 

 

 

――濁りひとつない晴れ渡る青い空が、たまらなくキレイだった。

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 沈んでいた意識が浮上し、目を覚ます。

 薄く開いた視線の先、最初に見えたのは見知らぬ白い天井。

 二本組の直管蛍光灯が白く照らすそれは、俺の記憶には無いものだった。

 

 ・・・・・ここは・・・・・

 

 背には柔らかな感触。どうやら、ベッドにでも寝かされてるみたいだ。

 鼻腔に入り込む、微かに鼻をつく匂い・・・・・薬品特有の刺激臭。

 

 ・・・・・病院、か。

 

 驚きは無かった。

 確かに、目を覚ませば見知らぬ一室で眠っていたという、常なら混乱必至の状況な訳だが。

 しかし、こういった類の景色というのは、衛宮士郎にとっては馴染みのあるものだ。

 なにせ俺が覚えている限りで一番最初に見た風景で、それからも何度も厄介になった、知らないくせに見覚えのある天井なのだから。

 普段なら不快感を覚える突き刺すような薬品の匂いも、妙に懐かしく感じる。

 必然、自分がいる場所も、かつてと同じところなんだって、すんなりと確信した。

 

 ・・・・・似たような夢を見ていたな・・・・・。

 

 意識を取り戻す直前。

 夢想の光景は、知らない病院のベッドで目覚めるという、いま自分が置かれている状況に酷似していたものだった。

 

 いつ頃の記憶かは分からない。

 過去を失う前のものか、新しく生まれた後のものか。

 昔の出来事なんてどれも曖昧で、明瞭に思い出せる情景なんて案外少ないものだ。

 

 ・・・・・ただ、不思議な感覚ではあった。

 見ず知らずの場所にいて、どういう状況なのかもか全く理解出来てないのに、何故だか安堵しきっている自分がいる。

 そんな、なんとも可笑しな矛盾を孕んだ夢だった。

 

「――――?」

 

 ふと、右手に違和感を感じて思考を中断する。

 そこに不快さはない。

 包み込む様に触れるソレは、とても暖かく、柔らかな感触だった。

 目覚めてすぐは頭も体も覚醒し切ってなくて、いまいち全身の感覚もハッキリしてなかったから、気付くのに数秒遅れたみたいだ。

 

「・・・・・・・・・・っ」

 

 その正体不明の心地良さが何なのか確かめる為に首を動かそうとして――同時に走った鈍い痛みに、中止を余儀なくされた。

 やはり、まだ感覚がまともに機能してないみたいだ。

 首に鈍痛を感じて、それが首といわず全身にも感じ取れるんだって、ようやく把握した。

 おまけに尋常じゃないくらいダルくって、身動ぎする事すら億劫だった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 これはもう、どうやっても動かす気にはならないな、と早々に諦める。

 幸い、目を開けて視線を巡らせる程度の気力はあった。

 右手を包み込む違和感の正体を探る事ぐらい、目を動かすだけで事足りるだろう。

 眼球を揃って右下に向かわせ、今度こそ違和感の原因を視認する。

 その先に、見えたのは――

 

「ミッド、ナイト・・・・・?」

「――ええ。目を覚ましたみたいね、()()()()

 

 長く黒い髪に、整った顔立ち、蠱惑的なタイツのような装束に身を包んだ女性。

 

――プロヒーロー、ミッドナイト。

 

 俺の右手を両手で包みながら、彼女は優しげに微笑んでいた。

 

「えっ、と・・・・・・・・・・」

 

 脳の処理が追いつかず、言葉に詰まる。

 なんとなく、違和感の正体が誰かの手ではないか、とは考えていたけど。

 その人物をミッドナイトに紐づけるような想像力は、さすがに持ち合わせていない。

 何で彼女がここにいて、なんていうか、その・・・・・所謂つきっきりで看病してた、みたいな雰囲気を醸し出してるのか。

 そのあたりの事情やら経緯やら理由やら、これっぽっちも想像付かない。

 

 まずい。とてもマズイ。

 起き抜けでろくすっぽ頭も働いてなかったとはいえ、自分より一回り年上の女性である――しかも、世の男性陣を魅了して止まないミッドナイトの手の感触を、心地いいなどと感じてしまった。

 いやもう、正直いったい何がマズいのかもよく分かってないが。

 いずれにせよ、ナニかとんでもなく“イケナイ”経験をしてしまったのではないだろうか・・・・・!?

 

 ・・・・・イカン。なんか、顔が熱くなってきた・・・・・

 

 これはダメだ、色々と。

 こちとら高校入学したてのの健全な青少年なんだ。

 彼女みたいな絶世の美女と接触して、平静でいられるよな鋼の精神は持ち合わせちゃいない。

 冗談抜きで、俺の情緒とか羞恥心とかその他諸々のMP的な何かがガリガリと削れる音がする。

 

「眠る前に何があったか、思い出せる?」 

 

 俺の困惑やら気恥ずかしさやらには気付かず――或いは見て見ぬフリをしているのか。

 手は握り込んだまま、俺の顔を覗き込んで彼女は問いかけてくる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 柔らかい表情は変わらないが、声色は真剣なものだ。

 こっちも、いつまでも動揺していちゃ話も進まない。

 気を鎮めて、直前の記憶を掘り下げる。

 午後のヒーロー基礎学。USJでの災害救助訓練。襲撃。ヴィラン連合。

 

 ・・・・・大丈夫だ、掘り出した記憶に欠落は無い。 

 襲撃犯にまんまと逃げられた事も、力の過剰行使で串刺しになった事も、全部憶えてる。

 全身に生えていた刃が治って、こうしてどこかの病室に放り込まれてるって事は、ひとまず事件は収束したと見ていい。

 

 ・・・・・傷は・・・・・概ね塞がってるか。

 

 自分の体に“解析”をかけて、大まかな状態を掴む。

 表向きにも、体の方は大袈裟な処置はされていない。

 まともな治療で、あれだけの傷がすぐに塞がるはずもなし。大方、リカバリーガールあたりの世話になったんだろう。

 ミッドナイト以外の気配は無いから、今は席を外しているか、或いは既に帰った後か。

 もし彼女に助けられていたとしたら、体が動く様になればすぐにお礼に行かないと。

 

 ともかく、現状は把握した。

 今はまず、聞くべきことがある。

 

「先生や、クラスの皆は無事ですか・・・・・?」

 

 目線だけをミッドナイトに向けて、最優先事項を確認する。

 しっかりと彼女の疑問には答えるべきだし、聞きたい事は幾つもある。

 けれど、何よりもまず、その事を確かめなければいけない。

 

「――真っ先にその言葉が出てくるあたり、相変わらずね」

「え・・・・・?」

 

 懐かしむ様な、それでいて嬉しそうな、よく分からない表情をされた。

 てっきり、まずは質問に答えろ、とでも叱られると思ったのだが・・・・・

 

「なんでもないわ―――まず、あなたのクラスメイトだけど、何人か軽傷を負ったぐらいで全員無事よ」

「よかった・・・・・」

 

 ひとまず、級友たちが大きな怪我もなく、あの襲撃を乗り切れた事にほ、とする。

 彼らがチンピラ風情に遅れを取ると思ってはいないが、それでも不測の事態は起こり得る。

 こうして言葉で事実を伝えられるまでは、安心なんてできっこない。

 

 ・・・・・まあ、真っ先に脱落した俺が心配するのもおかしな話だが。

 

 情けない事に、俺は途中で完全に伸びちまってた。

 皆が必死で戦う中、呑気に気を失っていた人間が、無事に生き延びた連中を案じるなんてのは、お門違いかもしれない。

 

「それじゃあ、先生たちは――相澤先生と13号は、どうなったんですか・・・・・?」」

「・・・・・あの二人は手ひどくやられたみたいでね。13号は、自分の『ブラックホール』を相手のワープでそのまま返されて、背中から上腕にかけて、ひどい裂傷を負ってる。命に別状こそないけど、傷の深さからしてしばらくは大人しくさせとくべきでしょうね」

「ワープに・・・・・」

 

 黒霧と呼ばれたヴィランの、“13号は行動不能にした”、という言葉はこういう意味だったのか。

 13号はその個性で、災害現場でどんな障害も吸い込んで、被災者を救い出している。

 だが、それは向ける先を変えれば、当然人間も塵にしてしまえる力だ。

 そんな力を持って産まれたからこそ、13号は俺たちに個性を扱う事の危険性を教示し――それがこうして13号自身に還されたのは、皮肉というにはあまりに悪意に満ちた結末だ。

 

「イレイザーの方は両腕をやられた上に顔面も骨折してる。でもまあ、オールマイトとカチ合う様な奴に痛めつけられてこれなら、まだ軽い方だわ」

「・・・・・・・・」

「幸い、脳の方に異常は見られないし、これといった後遺症も無し。本人がその気なら多分、明日明後日にでも復帰してくると思う」

「そうですか・・・・・」

 

 ひとまず、誰かが命を落とす、なんて事態にならなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 そこだけは、素直に喜んでいい。

 

 ・・・・・一方で、受けた被害が軽かったとも、決して言えない。

 俺たち生徒は大した怪我も無く済んでるが、先生たちの傷は深い。

 日常生活に戻れるようになるのも、普通なら何ヶ月とかかるダメージだ。

 個性という超常の力で人体にはありえない速度での治療が可能になっているからこそ、早期の復帰を実現できるというだけ。

 彼らの苦痛は決して生半なものじゃない筈だ。

 

 ・・・・・俺たちを、守る為に・・・・・

 

 各家庭の親御さんから子供を預かっている以上、教員でありヒーローである彼らが生徒の安全を保障するのは当然の義務ではある。

 今回の一件も、まず彼らが矢面に立って、生徒を避難させるのは自然な流れだろう。

 だから、彼らに守られた事も、それで彼らが傷ついた事にも、何ら責任を感じるものではない。

 彼らは彼らの仕事をしただけであり、そこに疑問を挟む余地は、微塵も無いんだろう。

 

 ・・・・・確かに、その通りだろうさ。けど――

 

 そんな事実で潔く納得できるほど、自分が出来た人間じゃないってのは、よく分かってる。

 たとえ、彼らが自らの使命を果たす為に戦ったのだとしても、彼らが傷ついてしまった事を無関心に受け入れるなんて、絶対に出来ない。守られるべき生徒で、彼らの力には足元にも及ばないのだとしても、出来る事はあった筈だ。

 

 先生たちが、俺たちの避難を優先して行動する以上、自由に立ち回れない事は目に見えていた。

 その隙を、俺は埋められたはずなのに。彼らの負担を、減らせた筈なのに。・・・・・俺は、そうする事が出来なかった。

 

 もし、黒霧が立ち塞がった時、奴を制圧できていたなら。

 もっと早く、相澤先生の援護に向かえていれば。

 彼らの傷は浅かったかも・・・・・いやそもそも、傷つく事もなかったかもしれないというのに。

 

 ・・・・・なんて無様。

 

 己の無力さなど、言い訳にはならない。自身の立場など、免罪符にもならない。

 誰かを助ける選択をできたというのに、機会を掴めなかった。

 力不足だった、責任は無かった、そんな言葉で自分を騙くらかしたところで、守れたものを守れなかった事実に変わりはなく――

 

「――あなたいま、馬鹿な事考えてるわね」

「は・・・・・?」 

 

 突然の罵倒に、間の抜けた声しか出せない。

 そりゃ、頭の出来が良いとは口が裂けても言えないし、俺が馬鹿なのは昔っからだから、そう言われたところで特に反論なんて浮かばない。

 けど、何の脈絡もなく蔑まれると、こちらもどう返せばいいのか分からなくなる。

 当のミッドナイトはこっちの当惑なんてお構いなしに呆れ顔のまま口を開く。

 

「自分がもっと強ければ、もっと上手くやれてたら二人は傷つかなかった――大方、そんな事でも考えてたんでしょ?」

「・・・・・っ」

 

 ドキリ、と鼓動が跳ねる。

 思考を読まれた事も、それをただ視線を合わせていただけで実現してみせた事も。

 技術か、直感か。

 どちらであれ、こちらを驚愕させるには十分な読心だ。

 

「・・・・・よく、分かりましたね」

「職業柄、似たようなのは何人も見てきたから」

 

 “ああ、そういえば”、と妙に納得する。

 ヒーローと呼称される存在に相応しい在り方を貫こうとする人間なら、自身の未熟で誰かを傷つけてしまって、それを容認出来るはずもない。

 ミッドナイトはそういった人間を、正しく“山ほど”見てきたんだろう。

 そして、おそらくは彼女自身も――

 

「気持ちは分かるんだけどね。――それでも、人間には出来る事と出来ない事がある。自分の力が及ばない事なんて幾らでも存在する。たとえ、プロのヒーローだって、そこに変わりはないのよ。まだ子供のあなたなら尚更ね」

「・・・・・・・・・・」

 

 彼女の言いたい事は理解できる。

 所詮、人間なんて初めから不完全な生き物だ。自己の限界以上の行為を成せないのは当然で、各々の上限は生まれた時点で定められている。

 代償も無しにそれを覆す事はできず――払うモノを払ったとしても、思い通りの結果を得られるとは限らない。

 彼女の言う通り、今回の結末が、いまの俺に許された限界だったのかもしれない。

 

「私は、あなたは賢い子だと思ってる。自分に責任が無い事ぐらい、初めから分かってるんじゃない?」

「けど、それは・・・・・」

 

 責任が無いと言うのなら、そんなもの初めから何処にも存在しない。

 教師だ、生徒だ、ヒーローだ、一般人だ・・・・・そんなのは、あくまで社会に組み込まれた枠組みで、責任なんてものはそこに生きる人間が潤滑に世界を回すために刷り込んだ規則でしかない。

 生き物にとって、そんな余分な規範は初めから不要なモノだ。

 俺に責任が無かったっていうなら、彼らだって、自分の命を張ってまで俺たちを守らなきゃならない責任なんて無いだろう。

 

 でも俺は、それを言い訳にはしたくない。

 責任の所在が別にあるからといって、それを盾に己を許せば、いずれ同じような愚を犯す。

 

 俺自身の力不足だって同じ事だ。

 力が無いから諦めるのか。己には抗し得ない状況だから受け入れるのか。

 それなら、ヒーローとは何の為に存在するのか。

 許せない悪逆、抗い難い現実を撃ち破り、誰かを守る為に彼らは戦っている筈だ。

 歯を食いしばり、血を滲ませ、己がどんなに傷ついても、守りたいモノを守る為に立ち上がる――それこそが、真にヒーローと呼ばれる在り方な筈だ。

 

 俺がまだヒーローではないのだとしても。彼らとは違うモノを目指しているのだとしても。

 

「・・・・・それでも俺は、認めたくはないんです」

 

 己の無力も。

 

 目に映る理不尽も。

 

 誰かが傷つく事も。

 

 それが子供じみた我が侭で、的外れな自責だと言われても。

 人々の不幸を払えない己は、どうしても受け入れられなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ミッドナイトは無言。

 視線だけで見上げる彼女は目を細め、その表情は上手く言い表せないものだった。

 考え込んでいるのでも、悩んでいるのでもなく――何か、想いを馳せているような、そんな顔に見える。

 

「・・・・・そうね。確かに、ヒーローを目指してる人間が適正や責任で良し悪しを計ってちゃ、拾えるモノも拾えないわ」

 

 ややあって、彼女は表情を崩してそう言った。

 数秒前まで見せていた、あの言い様もない貌は、どこにもなかった。

 

「でも士郎くん、これだけは自信を持って。――あなたはあの時、確かに誰かを守れたんだって」

「・・・・・そんな事は、ないです。結局、俺は何もできてません」

 

 誰も守れてなどいない。

 相澤先生も13号も、既に勝敗を決していて、彼らを救うには俺は辿り着くのが遅まきに過ぎた。

 その上、緑谷を死線に踏み込ませ、俺の独りよがりで八百万を傷つけた。

 被害を大きくしただけで、俺が拾えたものなど、ただの一つもありはしない。

 

「――いいえ、ここだけは絶対に譲らない。あなた自身が認めなくても、私はあなたを認めるわ」

 

 なのに彼女は、そうではない、と言う。

 優しい微笑みを浮かべているけど、その瞳に揺らぎはない。

 

「あなたがいなければ、イレイザーの傷はもっと深刻だったかもしれない。あなたの奮闘が無ければ、誰かが命を落としてたかもしれない。あなたが立ち向かったから、守れたモノがあった。――その事実は、本当に誇れる事なのよ」

 

 だから、胸を張れ、と。

 力強い断定は、暖かな肯定に満ちている。

 彼女は心の底から、俺の行いには意味が有ったのだと、そう告げている。

 

「――――――」

 

 本当に、そうなんだろうか。

 俺の力なんてちっぽけなもので、敵を倒す事も出来ずに自滅しただけ。

 本当にヴィランを退けたのは、オールマイトだ。俺は所詮、彼が来るまでの時間を、ほんの少し稼いだに過ぎない。

 

 ・・・・・それでも。

 それでも、守れたモノもあったんだろうか。

 未熟で、唯一役立てる戦いで用を成さなかった俺でも、誰かの現在<イマ>を、守ることができたのか。

 

――もし、そうだったなら、それは――

 

「ただ、教師の指示を無視してヴィランと戦っちゃったのは、ちょっと不味かったわね」

「・・・・・すみません」

 

 不意打ち気味に漏らされたお小言に、力無く謝罪する。

 それについては、全くもって反論のしようがないのだ。

 黒霧に飛ばされた先でゴロツキどもを制圧したまでは良いとしても、そこから相澤先生の援護に向かったのは完全な命令違反。

 先生は俺たちを逃すために一人で残ったのに、これじゃ彼の選択を虚仮にするようなものだ。

 今回は運良く生き残れたものの、あれで死んでいたら相澤先生に対して申し訳なさすぎて、成仏しきれず地縛霊にでもなってたかもしれない。

 

「ま、そのあたりのお説教はそのうちイレイザーがするだろうし、私はこれ以上とやかくは言わないけど」

「は、はは・・・・・」

 

 クドクド、グサグサとお叱りをされる場面が容易に想像できて、乾いた笑みしか浮かばない。

 元々、身なりから恐ろしい気配を感じさせる相澤先生だが、ドライアイ故に充血した眼が一層、威圧感を増していて余計に恐ろしい。

 あの眼で鋭く睨まれると、何もないのに萎縮してしまいがち、というのは我らがヒーロー科1-Aでは共通の認識だったりする。

 

 ・・・・・同じ状況になったら同じ事をする、なんて言ったら日が暮れるまで“縛り上げ”られそうだ。

 

「ともあれ、皆の安否についてはいま言った通り。士郎くんに比べれば、誰も彼も断然マシよ」

「う・・・・・」

 

 いやまったく、我ながら恥ずかしい話なのだが。

 あれだけ他人を心配しておいて一番の重傷者は俺だってんだから、落語みたいなオチである。

 

 ・・・・・我ながら、精進が足りてない。

 

 まったくもって軟弱にも程がある。

 こんな事でヒーローを目指そうだなんて、ちゃんちゃらおかしい。

 退院したら、今まで以上に鍛え抜かないと。

 

「――さて、と。色々と話す事はまだあるけど、あなたの意識も戻った事だし、そろそろお医者さんを呼びに行くけど、他に聞いておきたい事とかある?」

「えっと・・・・・」

 

 そう言われて、少しばかり迷う。

 もちろん、聴きたい事はいくつもある。

 ただ、それが彼女を引き留めてまで、ここで今すぐ質問するべきものなのか。

 

 皆の安否は知れたし、今回の事件も一応は収束したと思っていい。

 俺の身体についてなんかは、これから医者からの説明を受ける事になるだろうから、ここで質問することでもない。

 今後の予定や学校への復帰みたいな細かな話は、それこそしっかり腰を据えて話すべきものだ。

 火急の要件も無し、差し当たって、この場で彼女に問う必要のある疑問は無いだろう。

 

 ・・・・・ああ、でも。

 

 そこまで考えて、今さらのように思い出した。

 質問というよりは、挨拶という事になるが。

 彼女に対して、個人的に言っておきたい事はあったのだ。

 

「質問じゃないんですけど、ミッドナイトに言いたい事があって」

「あら、何かしら?」

 

 それは本当なら、一番最初に言っておくべきだった事で。

 ずっと昔に、言いそびれてしまった言葉でもある。

 もっと早くに言えれば良かったのだが、この瞬間まで機会を逸し続けてしまった。

 この事で長いこと思い煩ってきたが、その煩悶も今日で終わりだ。

 

 これから告げるのはとてもありきたりな言葉で、ずっと溜め込んできた割に、まるで重みのないフレーズだろう。

 だからこそ、そこに宿す感情だけは褪せさせず。

 長く植えていた種を芽吹かせる様に――万感の思いを込めて、言葉を紡ぐ。

 

 

「お久しぶりです、ミッドナイト―――また助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数瞬、室内から人の声が途絶える。

 耳に入るのは、微かな衣擦れの音だけ。

 その停滞は、言葉の受け手の静止を意味する。

 

 受け手はミッドナイト。言葉は衛宮士郎から。

 聞く筈もないと思い込んでいた言葉に、彼女は半ば強制的に声を失わされていた。

 

「――――――私のこと、憶えてるの・・・・・?」

 

 沈黙する事、およそ五秒ほど。

 たっぷりと時間をかけて再起動した彼女は、短く問い返した。 

 それは、少年の記憶を確かめる発言で――もう十年も前になる過去へと遡るものだった。

 

 

 

 かつて、火に包まれる街の中で倒れ伏した少年を救い出した、一人の女がいた。

 その少年は全身を刃によって串刺され、意識を失ってもなお苦痛は彼を苛み続けた。

 女は自らの“個性”で少年を深く眠らせる事で痛みから解放した。

 程なくして少年は救助され、街から炎は消え失せた。

 

――ある冬の日の、とある昼下がりの出来事だった。

 

 その女と少年――ミッドナイトと衛宮士郎の関わりは、ほとんどその時限りのものだ。

 少年を救い出した後も彼女には果たすべき使命があって、彼もまた新たに人生を歩み始めなければならなかった。

 二人の関係はそこで途絶えていて、少年にとっては白昼夢のような刹那の出来事だったろう。

 

 当然、その子供が自分の事を覚えてるなんて、ミッドナイトは毛程も思わなかった。

 幼い時分の出来事なんて呆気なく忘れてしまうものだし、当時、様々な意味で慌ただしかった少年が、ほんの僅かに顔を合わせていただけの女の事をいつまでも覚えているなんて、あまりに現実離れした思考だった。

 

 あの邂逅を覚えているのは自分だけ。向こうからすれば、自分は特に関わりも面識も無い他人。

 幼い頃に自らを救ったヒーローがいたのだと、そう理解しているだけで、個人の事なんて記憶しているはずがない。

 そんな考えだったから、数奇な星の巡り合わせで、自身の勤め先である学び舎に入学してきた彼に、彼女の方から接触をする事はしなかった。

 

 ・・・・・ただ。

 本音では、少年と顔を合わせて話をしたかった。

 かつて助けた子供が成長して、自身の古巣でもある学園で奮闘する姿を間近で見たかった。

 悲惨な過去を過ぎた事と笑って話せて、あれから色んな出会いや選択があったのだと、互いに過去を懐かしむ――そんな出会いが訪れるのを、長いこと密かに楽しみにしていたのだ。――同時に、それが少年にとっては傍迷惑なだけの願望だと分かっていた。

 だから、この想いはいつまでも自分の胸の内に秘めていようと彼女は決めていて――

 

「忘れませんよ。十年前、記憶を失う前の俺をミッドナイトが助けてくれた事も。目覚めた時、そばで手を握っていてくれたことも」

 

――なのに、見下ろす少年は、何もかも憶えている、と笑っている。 

 

 相手への遠慮から、少年に干渉しすぎないように、と決め込んでいたのに。

 蓋を開けてみれば、そんな気後れが馬鹿馬鹿しくなるほど、彼の記憶は鮮明に残っていた。

 まるで手が届かないと思い込んでいた宝物が、実は意外な程身近なモノだったと知った様で。

 

 ・・・・・これはちょっと、ヤバいわ。 

 

 自身が浮かべている表情が、ぎこちないものになっている、と自覚する。

 だって、その言葉は色々と卑怯というものだ。

 久しぶりに会いたいな、などと思いつつも迷惑をかけないようにと数歩身をひいて、それでも昔と変わらない危うさに気を揉んだり、それはもう色んな感情でヤキモキしてたっていうのに、よりにもよってバッチリ憶えてましたとは。

 サプライズとは、受ける側からすれば常に予測のつかないものなんだなぁ、と強く実感する。

 

 おかげで、心の内はそれはもう盛大に乱れていた。

 奇襲じみた衝撃への驚きがあって。

 全くの無為であった一人芝居を恥じらう心があって。

 

――でも、それ以上に。

  憶えてくれていた事への嬉しさの方が、何倍も優っていた。

 

 驚愕も気恥ずかしさも、追いやってしまうほど。

 昂ぶりは抑えきれなくて、年甲斐もなく喜ぶ自分がいる。

 そんな風に、悲喜こもごもな心持ちだから、恥じらいに歪んだり、みっともなくニヤけそうになるのを堪えるのにも一苦労だった。

 

「てっきり忘れてると思ってた。一度、顔を合わせたらぐらいで、それっきり会うことも無かったのに。よく思い入れもない私の事を覚えてたわね」

 

 口早に告げられた言葉は、照れ隠しも兼ねていた。

 こうして声に出して平静を保っていなければ、様相が崩れてしまいそうなのだ。

 せめて、言葉の上では余裕を見せていたかった。

 

 とはいえ、それは紛れもなく本心からのもの。

 少年にとって己はちっぽけな存在でしかないと、そう自認しているのは事実だ。

 

「まさか。それこそ、ありえませんよ」

 

 しかし、真実は真逆である、と少年は語る。

 ほんの少し会っただけの、心の中に残る事もない他人――それは、ミッドナイトが勝手に決めつけていた自己評価だ。

 彼は、救われた恩を忘れていなかった。

 彼は、包まれた手の温もりを忘れてはいなかった。

 僅かな時間しかなかった彼女との関わりを、彼は確かに覚えていて――

 

「告白すると――俺がヒーローを目指したきっかけは、ミッドナイトなんです」

 

――それ以上に、彼女の存在は彼の道行に強く影を落としていた。

 

「私が、ヒーローを目指したきっかけ・・・・・?」

「はい。昔から誰かを助けられる生き方をしようって決めてて、けど最初はそれをどうやって叶えるか悩んでたんです」

 

 語られるのは、誰に告げるまでもない、長く秘されてきた彼の真実だ。

 迷いも躊躇いも無く、たった一人でもひたすらに理想へ邁進していけそうに思える、衛宮士郎の本当の憧れ<ハジマリ>。

 

 彼は施設に引き取られて物心つく頃には、人々を救える正義の味方になろうと決意していた。

 しかしそれは、ただ目的を明確にしただけだ。それをどうやって実現させるか、明確な手段が伴っていない。

 まだ幼かった彼は、如何に理想を叶えるか、その筋の通し方を決めあぐねていた。

 

 人を助けるというなら、何もヒーローに拘る必要はない。

 この時代でも警察という秩序の維持機構は健在で、災害が起きればレスキュー隊はヒーローと共に救助にあたる。傷病に侵されれば医者は必要不可欠だ。法律と現実の軋轢に苦しむ市民の為、弁護士はいつだって奔走している。

 彼らが生きる社会は複雑で、救いの形も一つではない。

 より多くの幸福を願って成った存在なら、どんな職であれ貴賎はない。

 各々の形が違えど、それぞれが抱えた願いは同質なのだから。

 

――だが、しかし。

 

 違いは無いと。ヒーローだけが絶対ではないと。

 それぞれの在り方に優劣は無いと理解しながら、それでもなおこの世界に足を踏み入れたのは、偏に過去の経験故だった。

 

 

 

 

 ――記憶を失う前、自分が何をしていたのかは覚えていない。

 己がどのような心持ちで爆弾魔に挑み、どう力を行使したのか。それらは、もはや衛宮士郎とは関係の無い過去だ。

 かつての功罪は、既に同じ名前を持つだけの、別人のものでしかない。

 

 ・・・・・ただ、痛かった事と、苦しかった事は覚えていた。

 明瞭な情景は思い出せずとも、その耐え難い苦痛の感覚は、体の奥底に刻み込まれている。

 きっと、誰の助けもなければ、幼かった心は苦痛に耐えきれずに壊れていた筈で、

 

――その苦しみを取り払ってくれた女の人がいた。

 

 ミッドナイトという名のその女性は、ヒーローと呼ばれる存在だった。

 世に蠢く悪意に立ち向かい、何人もの人々を救ってきた人物。

 彼女はそれまでそうしてきたように少年を救い、その生還を心の底から喜んでくれた。

 

 ・・・・・ああ、憶えてるとも。

 

 彼女が与えてくれたものは、一つとして忘れていない。忘れられるはずもない。

 痛みを忘れさせてくれた微かに甘い香りも。包帯まみれの手にも伝わってきた温かさも。目に涙を浮かべて、目覚めに安堵する嬉しそうな顔も。

 そのどれもが、今の衛宮士郎を形作る土台になった。

 

「面と向かって言うのは少し照れくさいんですけど――あの時、ミッドナイトに助けてもらったことや、あなたが浮かべていた笑みが忘れられなくって。いつか自分も、あなたみたいに生きられたらって、そう思ったんです」

 

 死んでいたはずの人間を、ただ一人助けてくれた人物。絶望の淵にいる人間の前に現れ、手を差し伸べる存在。

 かつて衛宮士郎を救ったその在り方は、正しく“正義の味方”そのものだった。

 だから、己の生き方を定めた時に思ったのだ。

 

――いつの日か、自分を助けだし多くを与えてくれた人と同じモノになろう、と。

 

 これまでミッドナイトが繰り返してきたように。 

 衛宮士郎は苦しむ人を救い、誰をも死なせないようにするヒーローになる。それこそが、自身の目指した理想に最も近しいのだと。彼女の姿を思い返して、子供心にそう考えたのだ。

 

 一度でも方向を定めたなら、もう迷う事はない。

 それからというもの、目指した目標に向けてひたすらに鍛錬を重ねてきた。

 自滅するしか用途の無い“個性”を武器として使えるまでに制御を習得して、理不尽な災禍に負けぬよう、技術を磨き知識を培ってきた。

 そうして今日まで生きてきた。

 これまでの積み重ねがどれだけ実を結んだのかは分からないが、少なくとも雄英に認められるまでには成長できたんだろう。

 

 衛宮士郎がこうして生き永らえているのも、ヒーローを目指そうと決心できたのも、彼女が十年前に俺へと手を差し伸べてくれたからだ。

 ミッドナイトとの関わりが無ければ、今の自分は無かった。

 

「――ホント、ヒーロー冥利に尽きるわね」

 

 そしてミッドナイトも、今度こそ笑みをこぼした。

 生徒の手前、だらしない顔は晒したくないと思いつつも、こうして直に敬愛を示されると、いつまでもお高く止まっていられなかった。

 もとより、生徒達のひたむきな心の在りようを好む彼女だ。こういう純粋な想いというものに彼女は弱い。

 

 ・・・・・それに、実のところを言えば。

 相手の存在が心に焼き付いていたのは、彼女も同じだった。

 十年前、死にかけながらも誰かを助けようとした少年。

 息も絶え絶えな有り様で、それでも己を顧みず、見ず知らずの家族を護ったその在り方。

 その時に抱いた戦慄は本物で、あんな悲惨な出来事は二度とあってはならないと今でも思う。

 

――しかし、同時に。

  あの時の光景に焦がれているのも、また事実だった。

 

 こんな感情は本来抱くべきではない。

 かつての惨状は間違いなく地獄そのもので、見下ろす少年に与えられた苦痛は、閻魔の沙汰もかくやというほどだった。

 それは本当なら嘆くべきもので、凄惨な彼の姿に同情はしても、感動を覚えるなど許されない。

 

 けれど、美しいと感じたのだ。

 他者の生存と引き換えに己の命を差し出すなど、あってはならない献身だと知っている。

 

――それでも、あれこそが本物のヒーローなのだと。

  あまりにも悲しく、尊い在り方に、彼女は見惚れたのだ。

 

「ありがとう、士郎くん。そう言ってくれると、プロとして誇らしい。それに、あなたが立派に成長してくれたことが、とっても嬉しいわ」

 

 そんな感傷はおくびにも出さず、ミッドナイトはそう告げる。

 一人の大人として、不幸な境遇にあった少年が健やかに育ったのは喜ばしい。

 衒いなく、心から祝福出来る事だ。

 

「――それはそれとして」

「あてっ」

 

 ペチン、とミッドナイトが士郎の額を叩くと、彼は痛みに小さく呻いた。

 威力の程は高が知れている。母親がやんちゃする幼子を嗜めるようなものだ。

 ただ、彼女の行動があまりに予想外だったから、士郎は目を丸くして下手人を見上げる。普段愛想のない表情は、いきなりの仕置きに対する驚きで染まっていた。

 

 対照的に、ミッドナイトの表情は厳しいものになっていた。

 怒りは感じられない。代わりに、咎める様な視線が士郎に突き刺さっている。

 

「士郎くん。また、“昔みたいに”無茶をしたみたいね」

 

 ”昔みたいに“、というのがいつの事を指してるのかは考えるまでもない。

 士郎が十年前の出来事を忘れていて、ミッドナイトとの出会いも憶えていなかったのなら、彼女はこの話を持ち出す気はなかった。

 だが曲がりなりにも記憶が残っていて、自身が何をしたのか、自覚は無くとも認識しているのなら話は別だ。

 

 この話をする以上、少しばかり時間がかかる事になる。

 目覚めてすぐの士郎には辛いものがあるかもしれないし、医者への報告もせねばならない。

 しかし、今を逃せば次に落ち着いて会話をできるのがいつになるか。いつまたヴィランの襲撃が行われるか分からない。そうでなくとも雄英のヒーロー科生徒は年中、学園から課される試練を乗り越えるのに多忙なのだ。

 彼女は、ここで言うべき事は言っておくべきだ、と判断した。

 

「それは・・・・・・・」

「再会できたのは本当に嬉しいんだけど・・・・・こんな病室で、傷だらけのあなたじゃなかったら、もっと良かったわ」

 

 ミッドナイトがイメージしていた再会のシチュエーションは、もっと穏やな情景だった。

 なんでもない昼下がりに道端でばったり出会って、散歩がてらに昔話に花を咲かせる。そんな、特別さも悲壮さも無い、ありふれた日常での邂逅を、彼女は望んでいたのだ。

 実際の光景は、そんな平穏さとは無縁なもので――十年前のあの日の様に、何より彼女が忌避した状況だった。

 

「無茶をするな、なんて台詞、私みたいな人間が言えた事じゃないけどさ。それでも、自分の命を端っから捨てるような真似はやめなさい」

 

 ミッドナイトは、ずっとその事を危惧していた。

 彼が雄英入試に現れた時からその可能性を考えて、後輩で彼の担任になる相澤に注視するよう頼み、同僚には彼が自己犠牲に走りづらくなるようなスタイルへ誘導するよう依頼したりと。

 入学一週間程度の新入生に対する注目としては、異様なほどの入れ込み具合だ。

 もっとも、衛宮士郎という人間の奉仕体質を考えれば、頭ごなしに否定できるものではないのも確かだった。

 

 成長と共に、彼の気質が変わっていれば良い、と彼女は心から願っていた。

 或いは、以前よりは緩和した程度でも良かったのだ。彼が自分の命を軽んじて、躊躇いもなく死地に飛び込んでいくような、そんな精神性が施設での生活で抑制されていたなら、それだけでも彼女は安心できた。

 ・・・・・だが、現実は懸念通りのもので。彼の性質は最悪のタイミングで発揮されてしまった。

 

「・・・・・そうでもしないと、勝てない相手だったから・・・・・」

「ヴィランがどんな連中だったか、私もある程度は聞いてる。学園の警備や教員側の私たちの不備であなたたちを危険に晒してしまった事は、本当に申し訳ないと思ってる」

 

 命を賭さねば抗えない様な敵だったのかもしれない。責められるべきは彼女ら雄英側の人間で、こんな説法めいた指導をする資格など、彼女にはないのかもしれない。

 少年に向けられるべきは礼賛のみが相応しく、他がために悪意へと立ち向かった彼の行動は、掛け値なしに尊いものだろう。

 それでも――

 

「――それでもね、こんな風に自分を粗末にするようなやり方は、駄目なのよ」

 

 絞り出したかのような声は、心の底から滲み出た悲嘆を感じさせた。

 その言葉は、ただの同情や倫理を語っているのではない。悼むような哀愁は、彼女自身の実体験からくる戒めだ。

 

――誰かを守って、死んだ者を見た。

 

 時にヴィラン。時に災害。

 向き合う災禍は種々なれど、呑まれた後の末路は変わらない。

 謂れのない暴威に晒され、無惨な骸を晒した同胞の姿は、脳裏に焼きついて離れない。

 

――現世を去った死者を悼んで咽び泣く声を聞いた。

 

 人の子ではないプロヒーローなどいない。如何に超常の力を得ようと、人間という生き物である事に、何ら変わりはない。誰もが皆、個々に大切な誰かがいる。

 無条件に愛情を注ぐ親族、将来を誓い合った愛し人、共に語らった友人。

 彼らが向ける親愛は双方向で――故にこそ、片割れを喪った嘆きは、あてもなく彷徨い続ける。

 潰れるほどに胸をかき抱いて、二度と取り戻せない幸いを想って悲しんだ誰かの叫喚が、いつまでも耳朶を叩いている。

 

「私たちプロヒーローは、常に死と隣り合わせで戦ってる。それこそ、一歩道を逸れれば呆気なく帰って来れなくなるような、そんな身近さよ」

 

 プロヒーローなら、遅かれ早かれ誰もが通る道だ。見え透いた事実であり、避けようもない現実でもある。断崖に手をかける誰かを引っ張り上げようというのなら、諸共に幽谷に堕ちる覚悟で臨まねばならない。

 命という名のコインを投げ入れ、多くのモノを求める。当たりを引けば、望んだ通りの未来を得られよう。ハズレを引けば、賭け金が戻る事はない。

 

 ――それが、命を救うという事だ。

 外的な脅威を前にした誰かを助けるには、同等の価値を捧げるしかない。

 死は誰にでも平等で、屈すれば無明の帳は容赦なく現世と幽世を別つ。

 死した者は昏い影を落とし、愛した誰かを残して逝く。

 苦しむ人を見たくないと。危機に瀕した誰かを救いたいと。そう願って奔走した者こそがまた新たな悲しみを生んでしまう。

 そんな悪循環は、往々にして起こりうるのだ。

 

「もちろん、それを承知でこういう世界に入ったし、この生き方を間違ってるとは思わない」

 

 自身もまたそういった人種の一人であり、いざとなれば自らを差し出す覚悟で活動している。

 なにより、己を犠牲にしてでも多くの人の幸福を願う、そんな在り方こそが眩い程に尊いのだと、彼女は知っている。 

 

 だから、否定しない。

 これまでの人生も、先にあの世に行ってしまった戦友達の選択も、正しいものだったと彼女は胸を張って言える。だが―― 

 

「――けどね。命を賭ける事と、生きる事を放棄する事は、全くの別物なの」

「・・・・・・・・・・・」

 

 結果のみを見れば、二つは同じ事のようにも思える。

 失敗の果てに命を失う事と、初めから自己の生還を度外視する事。

 どちらもある意味で捨て身であり、誤れば死に至るという点は変わりがない。

 

 しかし、ミッドナイトはそれらは断じて違うものなのだと、強く否定する。

 結末のみが重要なのではない。過程が異なれば、その選択の意味合いも、見える未来も変わってくるのだと。

 

「私たちヒーローはね、市民を守って、自分も無事に生還しなくちゃいけないの」

 

 無論、士郎も無意味に命を投げ捨てるほど、生に頓着が無いわけではない。

 死の冷たさと悲しさはよく知っている。終わりのない暗闇へ堕ちていく恐怖は一生つき纏って離れることはない。――なにより、様々な人の手で何度も助けられてきた命を、意味も無く粗末にする様な真似は彼自身が到底容認出来ない。

 

 だが、彼にとって何より認められないのは、やはり人々の不幸であり、究極的には彼らの死だ。

 だから、それを防ぐという目的があるのなら、後先を考慮しない捨て身も決して無意味なものにはならず――そんな生き方は、最悪の選択に他ならない。

 

 本来なら、彼にその事を教える役目は相澤が担うはずだった。

 衛宮士郎が雄英を卒業するまでの約三年間。その間にヒーローとしての心構えを教授し、それを徐々に身につけさせる。

 それが、当初ミッドナイトが思い描いていた構図であった。

 

 しかし、世界はそんな悠長な心持ちを許さなかったらしい。

 彼女がゆっくりでもいいと考えられたのは、差し迫った危険の無い学園内での教育に終始するが故だった。だが事もあろうに、その想定を嘲笑うかのようにヴィランの襲撃は起こり、士郎は再び己を投げ捨てて戦った。

 ヴィラン達が明確に雄英を――オールマイトを標的にして襲撃を仕掛けてきた以上、成功するまで同じ事を繰り返すのだろう。

 

 その度に、衛宮士郎は自らを犠牲に悪に立ち向かう。

 己の末路が死であろうと、彼はお構いなしだろう。

 

――そんな未来を、許していいはずがない。

 

「ヒーローは、皆の笑顔を守るモノでしょ?もし士郎くんが危険に飛び込んで死んでしまったら、あなたの“家族”はその事を一生悲しむ事になるんじゃない・・・・・?」

 

 問いかけは静かに投げかけられた。

 まるで、小さな子供に単純明快な道理を諭すように。

 

「どう・・・・・でしょうか・・・・・」

 

 士郎は自信なさげに、曖昧な言葉を吐き出す。

 言わんとする事には共感する。

 家族が、愛する人が亡くなって、涙しない者はいない。かけがえのない大切な存在であれば、長く共にいて健やかに生きていてほしいと願うのは、人として当然の思考だ。

 彼は、そこを疑ってかかるほど、斜に構えた性格をしていない。

 

「どう、て言うのは・・・・・」

「昔から、愛想も面白みもない人間でしたし、いつまでも他人行儀だった俺みたいなやつを、施設の人達がどう思っているか、あまり分からないんです」

 

 それなりに良好な関係で、十年間一緒に過ごしてきた。その自負はある。

 しかし、家族の様な、と言えるほど互いに心を許し合っていたかと聞かれれば、彼は疑問符を付けざるを得なかった。

 なにせ、愛想笑いも碌にしない可愛げのない小僧だ。大人に好かれるような子供ではないだろう、と考える。

 

 間違ってはならないが、彼が十年近く世話になった施設の運営は真っ当なもので、職員は入所した子どもたちに対して親身に接している。

 問題があるとすれば、むしろ士郎の方だ。

 十年間もひとつ屋根の下で一緒に過ごして、それでも、彼はその生活にいつまでも馴染めたような気がしなかった。

 施設で浮いてるわけでも、皆と不仲なわけでもない。

 ただ、自身を家族の一員であると、彼が未だに思えなかっただけの事だ。

 

 血の繋がり、というものに拘っているわけではない。

 そんなものがなくても、一緒に過ごして、互いを大切だと思いあえる絆があるのなら、それは家族そのものだ。彼は、他の子供たちが施設でそうなっていくのを、何度も見てきた。

 では何故、それが自身に当てはまらないのか。その答えを、彼は知らない。

 もし言える事があるとすれば、自分の帰る場所は別にあるような、そんな錯覚を抱いていることぐらいで――

 

「・・・・・なら、一人の人間として、ならどうかしら。彼らが善良な人間なら、顔見知りが悲惨な目に遭って、平然としていられる?」

 

 士郎の本音を聞き、ならば、とミッドナイトはアプローチを変える。

 家族云々に関してはこれ以上彼女が口出し出来る領分ではない。士郎の考えが的外れであれ真実であれ、その疑問を拭えるのは当人達しかいないのだから。

 だが、家族としての情ではなく、人情であれば話は変わってくる。

 

「それは・・・・・多分、少しは悲しんでくれるんじゃないかと」

 

 概ね予想通りの返答に、そうでしょうね、とミッドナイトは頷く。

 教師としての彼女が知る限り、施設での生活で彼らの間に軋轢は無く、入所先も特に目立った悪評が囁かれたこともない。

 それは、彼らは掛け値なしに善良であり、知人の死をさらり、と流すような薄情な人間でない事の証明になるだろう。

 士郎の命が脅かされたと知れば、彼らは例外なく悲しむ事になる筈だ。

 十年の月日には、それだけの重みがある。

 

「親しい人に涙を流させない為にも、最後まで自分の命も諦めてはいけない。それが、プロのヒーローというものよ」

 

 これは、心構えの話だ。

 敵が強大だとか、生存率の程とか、そういった論理的な問答ではない。

 初めから自己を犠牲にするなど以ての外。守るべきは命のみならず、市民の幸福も慮る。

 プロヒーローの在り方とは、斯くあるべし。

 その気構えを持てない者は、ヒーローには成れないのだと、彼女は説く。

 

「言ってる事は、分かります」

 

 誰もが幸福であってほしいと、その願いは万人に共通する理想だ。

 士郎も同じだ。

 幼い頃から、平穏な日常を眺めると、自然に笑みが溢れた。人々が楽しげに笑って暮らせているのが、とても嬉しかった。少しでも誰かの喜んでる姿が見たくて、色々な頼み事を聞きに行った。

 雄英の門戸を叩いたのも、正義の味方になろうとしているのも、そんな思いが高じてだ。

 ならばこそ、ミッドナイトの言葉に否定する箇所など存在せず――

 

「――でも、俺一人の命で大勢が助かるなら、その方がずっといいです」

 

 にもかかわらず、彼は正反対の言葉を吐き出す。

 反論には、僅かな逡巡も挟まなかった。見上げる瞳は揺るがず迷いは無い。

 

 確かに人々の幸福は大切だ。彼らの笑顔こそ、何より守りたい平和の形に相違ない。

 だがそれも、彼らが生きている事が前提の話だ。

 死者に、鼓動は無い。死者に、幸いは持ちえない。――死者は、恨みを残してさえくれない。

 

 死ねば、全て終わりなのだ。

 どんなに幸せであって欲しくても、どんなに笑顔でいて欲しくても、命の脈動が途絶えれば先は無い。

 彼らの幸福を守りたいというのなら、何より優先すべきは彼らの生存だ。 

 一人の人間の命で、より大勢の命が救えるのならば、勘定としてはお釣りが来る。

 

「それに。俺が死んだところで、そう大層に悲しむ人はあまりいないでしょうから」

 

 苦笑しながら、士郎はそう締め括った。

 込められた自嘲に謙遜は感じられない。

 他人にとっての自分の存在などその程度でしかないと、本気で思っている。

 きっと、養護施設の人間に対しても同じ考えを持っているのだろう。彼らが悲しむのは、人間として当たり前に持つ善性故で、衛宮士郎という個人を偲ぶものではないと。

 

 ・・・・・何を馬鹿な、とミッドナイトは半ば本気で怒りを抱く。

 衛宮士郎の利他性など今に始まった事ではないが、だからといって周囲の人間までもが彼を蔑ろにしているなど、ひどい思い込みだ。

 もし彼の言う通り、誰も彼を大切に思っていないというのなら、そもそも彼女はここにいない。

 この認識は、ここで改めておくべきだ。

 

 ・・・・・けど、ここで私の名前を出すのは、違うわよね。

 

 無論、士郎の死を悲しむのはミッドナイトとて同様だ。ヒーローとしての矜持や人間としての道徳など無くとも、彼女は一人の人間として、衛宮士郎を案じている。

 その事を彼に伝えれば、多少なりとも効果はあるかもしれない。

 しかし、そういった役目を担うのは、ヒーローの様な立場に明確な差異のある人間より、もっと相応しい人間がいる。 

 

「それ、八百万さんの前でも、同じ事を言えるの?」

「・・・・・・・・・・」

 

 問いかけは簡潔で、それ故に応答は容易な筈だ。

 しかし、士郎は決定的な証拠を突きつけられた犯罪者かの如く、押し黙った。

 ミッドナイトが何を思って、一週間程度の付き合いしかないクラスメイトの名前をここで出したのか――その意図を、士郎も理解している。

 

 数分前、彼女に気絶する前後の記憶を確認された際、彼は記憶に欠損は無いと言った。

 ここに来るまでの一日をどう過ごし、その最中に誰とどんなやり取りをし、その終わりに何が起こったのか。それら一日の軌跡を忘れていない。

 ならば、クラスメイトである八百万がどんな行動に出たか――彼は、過たず憶えているはずだ。

 

「自分が傷つくことも厭わず、あなたが無理しようとするのを止めた――彼女がなんでそんな事をしたのか、あなたはきっと、分かっていないんでしょうね」

 

 そうでなければ、先の発言は出てくるまい。

 他者の危険や傷には誰より敏感なくせに、自分に向けられる親愛にはとことん鈍い。

 

 彼女の気持ちを言ってしまうのは容易いが、それでは意味が無いし、言うべきでもない。

 彼女がした無謀の動機を伝えるのは、自身の役目ではない。それは、実際に彼を救おうとした本人の口から語られるべきだ。

 

――だから、ここで告げるべきは、一つだけ。

 

「士郎くんが自分をどう思っていようと、あなたの事を心の底から大切に思っている人は必ずいる。――そのことは、忘れないで」

 

 彼の在り方を、否定する事は出来ない。

 どんなに歪んだ生き方だとしても、結局は衛宮士郎という一人の人間の人生。教導することはしても、真に是正する権利は他の誰にも持ち得ない。――それでも、彼の身を我が事のように案じる人々が存在するのだと。その事実だけは、彼に伝えておかねばならなかった。 

 

「ひとまず、話はここまでよ。士郎くんは、少し休んでなさい」

 

 ミッドナイトはそう言ったきり、士郎の手を離し立ち上がる。

 今度こそ医者を呼びに行くのだろう。元々、彼の記憶の前後の確認が取れた時点で、そうするつもりだった。

 真っ白な引き戸に手をかけた彼女が、最後に振り返ったその先――

 

――冷たい病室の中。一人残った衛宮士郎が、瞳を閉じて思い悩む姿が目に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 随分、おかしなところに話が飛び火したな、というのが正直なところ。

 ただ生徒である俺の無事を確かめるだけの会話が、俺の願望で昔話になって、それがいつのまにか説教に変わってた。

 なんでそういう流れになったのか、いまいち釈然としないが、こちらに非があったのも確かである。

 だからまあ、俺なりにこうして自問してるわけなんだが・・・・・

 

 ・・・・・八百万の行動の意味、か。

 

 どこか責めるような視線が、いやに痛かった。

 俺だってその理由は知りたい。でも悩んで解れば、こうして苦悩はしない。

 元々、人の機微には疎い方だ。出会って間もない彼女の行動心理を、あの僅かなやり取りだけで察しろというのは、なかなかに酷ではなかろうか。

 

 ・・・・・無事、だとは思うけど・・・・・

 

 心に引っかかるという意味では、そっちの方が余程気がかりだった。

 彼女の真意がどうあれ、俺のせいで彼女を傷つけてしまったのは変えようもない現実だ。それを、彼女が勝手にやった事だなどと、責任を押し付けるつもりはない。

 そもそも、俺が醜態を晒さなければ彼女があんな風に傷つくこともなかったんだから。

 唯一、ミッドナイトが彼女について特段言及しなかったのが、救いと言えば救いか。

 

「いま、何時だろ・・・・・」

 

 なんとなしに視線をずらし、窓の外を見やる。

 長いこと意識を失ってたのか、あたりはすっかり暗くなって星がよく見える。

 山林と海に挟まれているとはいえ、雄英及び周辺の街は開発が進んでいる。だから、夜になったとしてもそうそう明かりが無くなることはない。・・・・・が、軒並み電気が落ちている様子を見るに、かなり遅い時間なんだろう。

 消灯時間もとっくに過ぎてるから、病室内の光源はヘッドライトの僅かな光だけだ。

 

「時計は・・・・・・・あるわけないか」

 

 病室には基本、時計は置かれない。どうしても必要なら、入院患者が家族なり友人なりに頼んで持ち込むしかない。

 どうして時計が設置されないのかって理由を知ってる患者はそういない筈だ。なんなら、関係者である医者や看護師も意外と知らなかったりする。

 前に“個性”の制御をポカって入院した時、面倒を見てくれた方々に実際に聞いてみたら、誰もハッキリ理解していなくて、返ってくる答えもバラバラだった。

 

 一人は、コストがかかるから、と言っていた。

 数十、数百とある病室全てに時計を一台ずつ配置してちゃ、そりゃあ出費も嵩むってもんだ。

 時計本体の費用に加えて、電池代やら修理費やら、更には設置したりズレを修正したりする時間を考えれば、余計な人件費もかかる。その癖、置いたところで満たせるのは、患者のささやかな願望のみ。兎にも角にも、無駄が多すぎるのだ。

 病院だって慈善事業でやってるわけじゃないし、無闇に金を出したくないってのはよく分かる。

 

 ある看護婦は、盗難を起こさないため、とも言っていた。

 世の中、ちょっとした小物程度なら持ち帰っても構わないだろう、なんて呑気に考える輩もいるらしく、そういった連中が盗んでくのを嫌って置いてないのだとか。

 昔、施設の子供の誕生日にバイキングに連れて行かれた時、用意されていた使い切りのバターやらを大量に持ち帰っていた奥様方を見たことがあるから、この考えもあながち否定できない。

 

 他にも、そもそも必要ないから、と言う人もいた。

 検温やらリハビリやら採血やら、患者が入院中に済ませるべき事の大半は、医者達の方から勝手にやりに来てくれる。 

 いちいち時間を把握したところで、患者の方からどうこうすることなんてまず無い。

 だったら、時間を確認する時計なんてあった所で、宝の持ち腐れだろう、という事だ。

 

 こんな感じで、聞いた話には一貫性が無いし、どの説もそれなりに納得できるものだった。

 だから最終的には、諸説ありっていう便利な謳い文句に落ち着くんだろう。

 

 ・・・・・ただ、個人的な考えを言うのなら、そもそも時間を確認する、という行為そのものが患者にとって悪影響なのではないか、と思う。

 時間ってのは、老若男女関係なく流れていく。超常現象がこの跋扈する超人社会においても、その法則は絶対だ。

 傷を負った彼らは、この白亜の城塞でそれを癒そうとやって来る。そこに、時間という普遍の摂理を突きつけてくる時計があっては、弱った心身を更に脆くしてしまう。

 

 カチコチ、カチコチと。

 古臭い秒針の音は、彼らに老いや不吉な未来の到来を想起させるだろう。

 だから時計は置いていないんじゃ、なんて何度も入退院を繰り返した俺は思うのだが――

 

「・・・・・そんな事、どうだっていいだろ」

 

 どん詰まった頭で、毒にも薬にもならない無益な思考が繰り返されてる。

 時計が置かれてない理由なんて、真剣に考えたってどうするというのか。そんなの推測したって何の意味も無いし、現在時刻を知る術が降って湧いてくるわけでもない。

 

 結局のところ、こんな益体も無い考察やら時間やらを気にしてるのは、答えの出てこない問題から逃避しているからだ。

 関わりも無い事柄に意識を向けて、投げられた問いから目を背けてる。

 不誠実な話だ。自分を心配してくれた人の気持ちが分からないからって、それを隅に押し込もうとしてる。

 

 ・・・・・でも、だからといってどうすればいいというのか。

 ヒーロー志望である、もしくはクラスメイトだから、ていう理由以外に八百万が俺を押し留めようとした訳なんて思いつかない。

 普通に考えたら、あり得る動機はその二つぐらいだろう。

 逆に、それ以外にどんな理由があれば、命を張ってまで俺みたいな人間を助けようとするのか。

 

 小学生に高校で初めて知る数式の回答を求めてるようなもんだ。

 他人の心の内を覗ける様な“個性”を持ってる奴ならまだしも、俺には彼女が何を思ってあんな無茶をしでかしたのか、知る由もない。

 

「・・・・・復帰できたら、直接聞くか」

 

 どっちみち、数日しないうちにまた学園で顔を合わせるのだ。

 焦って答えを出さずとも、本人の口から聞かせてもらえばいい。

 完全に思考放棄と言われても仕方ないが、どうにか勘弁してもらいたい。

 

 治療を受けはしたが、まだ万全にはほど遠いのだ。

 頭のてっぺんからつま先まで余さず痛むし、頭ん中は思いっきりかき混ぜられたみたいにぐらついてる。おかげで気分は悪いは吐き気もあるわで、とても考え事なんてしてられない。

 今はとにかく、泥のように眠りたい。

 

 ・・・・・まあ、それも医者がやってくるまではお預けなんだが。

 

 ミッドナイトたちが帰ってきたら、最低限の説明は聞かされるだろう。一度睡眠状態に入って、またすぐ起こされちゃ、眠気が散ってしまう。

 ここは諦めて、この不快感に耐えるとしよう。

 

 

 

 

 

 そうして。

 ミッドナイトが退室してから、体感で三分ほど。

 彼女が、白衣を纏った男を伴って戻ってきた。

 

「こんばんは、衛宮士郎くん。疲れているところを悪いけど、もう少し我慢してくれるかい?」

 

 見たまんま白衣のドクターな男は、挨拶もそこそこに簡易的な検査を始めた。脈拍測定、瞳孔反射のチェック、簡単な受け答えなど。

 検査を終え彼は『特に異常は無さそうだね』と呟き、次に俺の体がどうなったかの話に移した。

 

「君の傷ね、リカバリーガールに弱めの治癒をしてもらった後、刃での切創や刺創はこっちで傷口を縫い合わせてる」

 

 想像通りだが、やっぱりリカバリーガールの“個性”で治癒してもらったようだ。あれだけ切り傷、刺し傷で埋め尽くされた体だ、普通の外科手術では傷を塞ぎきる前に体力切れだろう。

 彼女の能力はあくまで自然治癒力の促進・活性化だから、一度に行使しすぎると対象は体力を消耗しすぎて逆に死ぬ恐れがある。だから彼女の治癒は瀕死から中等症まで持っていくにとどめて、後はここの医者たちがなんとかしてくれたらしい。

 まあ、あの負傷具合を思い返せば、それでもかなり“個性”に頼ってはいるが。

 

「リカバリーガールが驚いていたよ。君を治療した時、他の人じゃあり得ないくらいに治癒されたって。よほど強い生命力の持ち主なんだろう」

 

 そう言って、医者は笑う。

 体質なのか相性なのか、昔からこの手の“個性”はよく効いた。どういった方向性であれ、治癒の類であれば通常の数倍の効果が現れるらしい。

 そのおかげで何度も命を拾ってる。逆に、それが無ければ今までに何回死を迎えているか。

 こんな体に産んでくれた、顔も名前も覚えていない両親には感謝している。

 

「まだ完治したわけじゃないから、今日明日は安静にね。それと、しばらくはリカバリーガールの治癒で徐々に傷を治してもらうから。退院自体は大人しくしていれば明後日には出来ると思うよ」

「はい、分かりました・・・・・お手数をおかけしてすみません」

 

 頷く事は出来ないから、瞼を一度落とすことで、お辞儀の代わりにする。

 礼に欠ける所作だが、彼もこちらの心情を汲んでくれたようで、『お大事に』と告げて退室していった。

 俺とミッドナイトだけが、音の無い一室に残る。

 

「・・・・・そういうわけだから、今はゆっくり休んで。事件がどうなったかとかの詳しい話は明日してあげるから」

 

 穏やかに告げて、ミッドナイトは微笑んだ。

 少し前の会話で見せた怒りは一過性のものだったようで、今はその影もない。

 俺もいい加減、目を開けてるのも辛くなってきたから、お言葉に甘えよう。

 

「そうさせてもらいます。付き添ってもらってありがとうございました。ミッドナイトもお気を付けて」

 

 プロヒーロー、それもミッドナイトに夜道の注意なんて、仏さんに仏道を説くようなもんだが、それでも万が一ということもある。

 特に、ミッドナイトは絶世とも言えるその美貌を、セクシーという表現が可愛らしく思えるほど際どい装束で彩っている姿で、世の人々の記憶に残る人物だ。

 酔っ払いが魔が差してつい、なんて事もあるかもしれない。――もっとも、泣きを見ることになるのは高確率で手を出す側だろうが。

 ともかく、身の安全には気をつけて欲しいと思い、立ち去る彼女にそう言って――

 

「え?帰らないわよ。今日明日は私があなたに付き添う事になってるから」

「―――はい?」

 

 瞬間、脳が機能停止<フリーズ>。羅列された単語の意味を捉えかねる。

 

――帰らない。

 

――付き添い。

 

――今日明日は。

 

 一秒のち、再起動。

 告げられた言葉を咀嚼する。

 

――誰が――ミッドナイトが?

 

――誰に――俺に?

 

「つきっきりで看といてあげるから、安心して寝なさい」

「いや、待っ――づぁっ・・・・・!」

 

 ようやく飲み込んだ内容に仰天して、跳ね起きてしまったのが良くなかった。微動する事すら出来なかった体が、無理矢理な挙動で大絶叫を挙げている。

 ズキズキって感じの擬音じゃなく、こう、バキゴキ、みたいな?

 簡潔に言って、凄まじくイテーのデス。

 

「そんなにびっくりしなくてもいいでしょうに。――ほら、ちゃんと横になって」

「・・・・・っ、すみません」

 

 痛みで凝り固まった体をミッドナイトに支えられ、仰向けに戻る。

 ポフン、という柔らかいベッドの感触を背中に感じつつも、まだ話は終わっていない、と彼女に視線を向ける。

 

「そ、それより!ミッドナイトが俺の付き添いって、一体どういうことですか!?」

「どういう事って、言葉通りよ。保護者の方はそう簡単に来られないし、あなた未成年だし。一人で入院生活は結構大変でしょ?」

 

 だから私が保護者代わり、なんてあっけらかんと宣う我らが18禁ヒーロー。

 

 ・・・・・え、なに?俺が悪いのか、これは・・・・・?

 

 心底不思議そうな顔で、何を当たり前な、みたいな視線を向けられてもどうしようもない。

 あまりにも平然としてるから、こっちがおかしくて向こうが正しいのではないか、なんて思えてくる。そんな事あるわけないと思いたいが、こうも自然体でいられれば妙な疑問が鎌首をもたげてくる。

 

「・・・・・あの。お気持ちはありがたいんですけど、そこまで迷惑をかけるわけには・・・・・ミッドナイトも仕事があるだろうし・・・・・」

 

 日付が変わってないなら今は水曜日で、次は木曜日になる。当然、祝日でもなければ振替休日でもない、至っていつも通りの平日である。

 雄英も通常運営だし、ミッドナイトは教師なんだから出勤しなくちゃいけない。

 

 教職の多忙さはよくよく耳にする。教壇に立って講義を行うだけでなく、授業資料の作成に生徒達の心的な教育など、彼ら教師の役割は様々だ。

 深夜まで残って仕事をやっつける、なんて事はザラだっていう。

 そんな大変な職に就くミッドナイトの貴重な時間を、俺なんかの為に使わせては駄目だ。

 

「それなら大丈夫よ。特別に有給もらってきたから。校長も、私がいた方がいいだろうって、許してくれたわ」

 

 なるほど、有給か。

 それなら仕事の心配をする必要も無いし、丸一日潰したところで誰に憚られることもない。

 

 ・・・・って。

 

「いやいやいやっ、余計に駄目ですよ!? 大事な休みなんですから、ちゃんと自分の為に使ってください!」

 

 何がどう大丈夫だっていうのか。

 ただでさえ忙しい教師の、年に十日かそこらしかない貰えない自由な休日を、担任でもない一生徒の付き添いに消費するなんて、気前が良いどころの話ではない。

 彼女が俺に時間を割く必要は無いし、そうする理由もないはずだ。

 

「そうは言うけど、その体じゃ準備も何も出来ないじゃない」

「それはっ―――その通り、ですけど・・・・・」 

 

 反論しようとした言葉が、喉でつっかえる。困った事に、そこは否定出来ない。

 

 おおよそ二日間程度の入院とはいえ、着替えやら日用品やらは準備しないといけない。そういった身の回りのものは基本、患者側で用意するもんだから、突発的に厄介になる事になった俺には、どうしたって持ち込めない。

 衣服なんかは料金を払えば貸し出してくれるところもあるけど、それ以外ってなると難しい。

 病院としても、未成年者だけよりは保護者がいた方が何かとスムーズにやれるだろう。

 

 それに強がってみても、今のままじゃ俺一人でこなせることなんてほとんどない。一晩寝て、それでも碌に動けなかったら、飯を食う事すら出来ない。

 ミッドナイトが同伴してくれるっていうんなら大助かりだし、願ったり叶ったりではある。

 

・・・・・でもなぁ。

 

 その辺の諸々の事情を考慮しても、素直に頷き難いものがある。

 冷静に考えてみてほしい。俺は今年で十六になる男子高校生で、ミッドナイトは一回り以上年上になる女教師。

 そんな二人が同じ部屋で一夜を共にする・・・・・・・・字面から既に如何わしい気配を感じさせる。

 この状況はどう考えても危うい。主に、年齢制限(R指定)的な意味で。

 健全な青少年としましては、精神衛生上、実によろしくないわけでして、とても心穏やかに眠れそうにない。

 ここはやはり、丁重にお帰り頂くのが、双方の最善になるのではなかろーか。

 

「やっぱり、俺一人でも大丈夫ですから―――」

 

 気にせず帰宅してください。

 そう、彼女に言おうとして。

 

――なんか、変な音が聞こえてきた。

 

 言いかけた言葉を留めて、音の出所に視線を向ける。

 ミッドナイトの腕。

 手を掛けられる極薄のタイツ。

 破られる。めくれてく。

 ビリビリ。

 

「ちょっ、何やってんですか!?」

「いやね。士郎くんったら全然、諦めようとしないから、もうめんどくさいしいっそのこと強制的に眠って貰おうかなって」

「ひ、卑怯なっ・・・・・!」 

 

 トンデモねーこと言い出しやがるこの人。

 話がつかないからって、相手の生徒が反論する間もなく寝かそうとするなんて、教師のやる事じゃない!

 

「それでもヒーローですか!?見損ないましたよミッドナイト!!」 

「なに言ってるの。聞き分けの無いヴィラン相手に、呑気に駄弁ってるヒーローが何処にいるのよ」

「犯罪者扱い!?」

 

 付き添いを断るのがそんなに駄目な事なのか。

 有無を言わさず意識を奪われるほど、俺は悪い事をしたのか。

 もしそうだと言うのなら、この国の倫理観は破綻しているって断言できる。

 

「士郎くん。ヒーローってのはね、時に無慈悲なものなのよ」

「今はその時じゃないでしょう!?」

「誤差よ、誤差。―――それより、もう“個性”発動してるんだけど、そんなに勢い良く喋ってていいの?」

「だぁー!嵌められたぁ!」

 

 気付いた時には既に手遅れ。

 前後が曖昧になって目の前の景色が溶けていく様は、まさしく微睡みに落ちる前兆。

 夢の世界に直行、強制断崖絶壁ダイビングだ。命綱も、手頃な木もない。蹴り落とされたが最期、朝日が昇るまでは帰ってこれないのである。

 

 ・・・・・今夜の記憶、無くしてくんないかな・・・・・

 

 脱力しきった寝顔やら寝相やらを教師に見られるなんて拷問、是非とも遠慮願いたい。

 疲労で急に局所的な記憶障害とか起こってくれれば、明日、朝一番に羞恥で悶えずに済む。

 

 ・・・・・まあ、そんな限定的で都合の良い異常、起こるわけがない。

 どのみち、とっくに彼女の眠り香を吸い込んでるから、いまさらどうにもできない。

 というより、そもそもの消耗も相まって、もう目を開けてるのも辛い。さっさと寝たくて辛抱たまらないんだ。

 諦めて、溺れるような眠りに身を委ねるほかない。

 

 

 

――せめて、だらしない顔だけは見せない事を祈って、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 




 どうも、他のゲームに現を抜かした上に、概ね完成したところでいきなり前半パート付け足してさらに3ヶ月投稿先延ばしにしたなんでさです。

 今回の投稿、分かりやすく前後半になっているんですが、最初は病院で目覚める士郎パートだけで投稿の予定でした。ただ、それだと話として幅がなさすぎるというか、ほとんどワンシーンだけで一話ってのもどうなんだ? と思い始めたがために、ここまで遅くなりました。
 最終的に、こちらの方が作者個人としましては納得出来るものではあったのですが、改めて士郎以外のパートになるとアホほど時間かけるな、ということを再認識いたしました。
 果たして、以前の様なペースを多少なりとも取り戻せる様になるのか、なんとも自信の無い作者でございます。


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友になる

 前回投稿より二ヶ月近く。皆様はこの頃いかがお過ごしでしょうか。
 季節も夏真っ盛りということで、海水浴やキャンプなどの行楽にお出かけの方もいらっしゃるかもしれません。
 かくいう作者は、ほぼほぼゲームや動画視聴だけが娯楽となっております。ちょうど、fgoも夏イベとしてサバフェス2が開催されており、いつもの水着ガチャに胸踊りますが・・・・・いやぁ、毎度のことながらキツイです。
 周年石合わせてそれなりに引いてますが、星5は当然、星4もなかなかお呼び出来ない。現状、クロと鈴鹿、メリュ子の召喚に成功しましたが、バサトリア及び他妖精騎士はお越し頂けていないです。
 あらかじめ決めている課金限度額にはおよそ到達してるため、残る三騎――バサトリアと水着バゲさえ呼べれば満足なので、実質二騎は最終日9月1日の縁に賭けます。


 

「――しかしまぁ、とんでもない回復力よね、実際」

「何ですか、藪から棒に」

 

 ブレザーの袖に腕を通しながら、唐突な声に応じる。脈絡も無く投げられたパスは、呆れの色が滲んでいた。

 

「そりゃぁね、リカバリーガールも来てくれてはいたし、その手の“個性”と相性がいいとは聞いてたけどさ――」

 

 ネクタイを締め、歪んでたりしないか窓を見て確認・・・・・うん、身だしなみに乱れはない。

 この二週間と同じ、馴染みきらず制服に着られている自分の姿だ。

 

「あの怪我からたったの二日で登校っていうのは――流石にビックリだわ」

「それこそ、体の慣れですよ」

 

 着替えが整ったところで背後を振り返り、豊かな黒髪を一纏めにしたスーツ姿のミッドナイトと視線を合わせる。

 普段から目にする戦闘装束(コスチューム)とは違った出で立ちというなら、昨日のラフな私服姿も新鮮ではあったが、こっちはこっちで違った見え方というか、会社に一人はいそうなマドンナ的存在みたいだ。

 これが彼女の出勤スタイルで、あの過激でありながら露出は少ない(むしろそれがいかがわしさを増しているが)装束はヒーロー活動時と学校内で着用してるんだろう。俺としては変に目のやり場を気にしなくて済むんで、こういった格好をしてくれる方がありがたい。

 

「慣れって言うけど、風邪やらただの骨折じゃないし、免疫みたいな耐性が付くわけでもないでしょう?」

「まあ確かに、分かりやすくそういうのが出来てるって話ではないですね。ただ、何度も何度も同じこと繰り返してるうちに、体の方が死なないように変わっていったっていうか――要するに、ただの体力勝負です」

 

 そういうものなんだ、と漏らすミッドナイトに、そういうものです、とそっくり返す。

 実際、そのお陰でスクラップ一歩手前から二日間の養生と治癒だけで支障なく登校できるようになってる。怪我の功名というには過去の経験は恣意的なものだったが、ともあれ結果オーライというヤツだ。

 

「でも、本当に良かったの? あれだけの傷だったんだから、もう少し休んでもバチは当たらないわよ」

「むしろ、さっさと動かないと鈍りそうなんで。それに俺は非才の身ですから、遅れは作りたくないんです」

 

 さらなる休暇の申し出は、やんわりとお断りする。

 病院生活なんて育ち盛りの男児からすれば退屈極まる環境だし、四六時中寝っ転がっていてはすぐに体が脆くなる。せっかく正義の味方への一歩を踏み出せたのに、出だしから弱体化なんてしてたらいつまで経っても理想には届かない。

 

「入学したてなんだし、たったの数日でそう大きく取り残されることなんてないと思うけど・・・・・」

「まさか。うちのクラスメイトがどれだけ凄い連中かはこの二週間でよく知ってます。油断してたらすぐに追いつけなくなりますよ」

 

 学業は大して振るわないし、持って生まれた能力っていうなら俺なんか足元にも及ばない連中が何人もいる。彼らに勝れるものなんてごく僅かで、せいぜいがこれまで培ってきた戦闘技術ぐらいのもんだろう。

 胡座をかいてどっしり構えてられるのは、才能も努力も揃えた一握りの一流だけだ。そんな振る舞いが出来るほど、俺は超人染みてない。

 

「それより、こっちこそ無理を言ってすみません。朝イチで退院させてもらった上に、わざわざ車まで・・・・・」

「そんなの気にしないで。元々、あなたが怪我をしたのだって学園側(こっち)の責任だし、もっと学びたいっていう生徒の願いに応えるのは私達教師の役割だもの」

 

 綺麗に笑って、そう言ってくれるミッドナイトには頭が上がらない。

 本来ならもう二、三日は入院して、登校は来週からにした方がいいという提案を、俺の我が儘で二日間の短期入院で済ませてもらったのだ。医者には大分渋い顔されたし、昨日お見舞いに来て頂いた校長はじめ先生方にも説得された。

 それでも、もう体は大丈夫だから、とご納得してもらって、当日はミッドナイトに送ってもらう事と、登校後すぐにリカバリーガールの所に行くことを条件に許して貰えた。その時、ミッドナイトも幾らか援護してくれたのも助かった。

 ここまで良くしてもらって、申し訳ない事この上ない。

 

「――と。あんまりゆっくりしてると始業に間に合わないわね。支度できたなら、そろそろ行きましょうか」

「はい」

 

 鞄を持って、ミッドナイトと共にこの二日間世話になった病室を後にする。

 出た先の廊下では既に何人かの看護師や医師が忙しなく行ったり来たりしてて、毎度の事ながら彼らの多忙さには同情を禁じ得ない。薬より養生なんて言葉があるくらい、日々の摂生は重要なのだ。彼らを忙しくさせた者の一人として、せめて医者の不養生にはならない様に祈る。

 

 ロビーまで来ると、流石に閑散としていた。この時間の受付あたりの仕事は入院患者相手のそれより忙しなくないってのもあるけど、何より受付が始まらなければ診察希望者もいないわけで。日頃人の行き来が絶えない場所でこう物静かだと、妙に落ち着かなくなる。

 

「車回してくるから、しばらく待ってて」

 

 広々とした空間をなんとなしに見渡す俺を置いて、ミッドナイトは地下へと繋がるエレベーターに乗り込んだ。車は地下駐車場に停めてるらしい。

 退院手続きやらは既に済ませてくれているらしく、待っている間は必然的に何もすることが無くなる。とはいえ待ってる間、ぽけーっと突っ立てるのもアレだから出入り口近くのベンチに座って待っているとしよう。

 

 腰を下ろした時、合皮性特有の軋んだ音がいやに耳に付いた。椅子は見たところそう古いものでもなく、生地に罅やら亀裂やらも入っていない・・・・・が、その分シートに張りがあって、それが却って雑音を生んでいる。人の少ないこの空間では余計にそれを大きく感じた。

 

 ・・・・・そういや冷蔵庫の中身に賞味期限ギリギリのやつがあったな。

 

 隣のスペースに鞄を置いたところでこの二日間の入院による悪影響を今更ながらに思い出し、戦闘によるダメージとは関係なく頭が痛くなる。

 施設暮らしの以前までならたとえ数日留守にしようと支障はなかったけど、今は一人暮らしなのだ。不慮の事故に際して代わりに家事その他をやってくれる人などいない。手抜かりの負債は全て、自分で責任を負うのだ。

 

 ・・・・・それなりに上手くやれてるつもりだったけど、こんなところでボロが出るかぁ・・・・・・・・

 

 思わぬ発見だな、などと半ば現実逃避気味に乾き笑い。

 消費期限ではないから期限が来ても問題無く食べられはするが、変にアタってからでは手遅れだし、食材は新鮮なうちに頂くに限る。これからしばらくは“在庫処理”に勤しむことになるだろう。

 無理矢理品数増やして、弁当も普段の二割増で。クラスメイトにお裾分けさせてもらいたいところだが、流石に味が落ち始めてる物を勧めるのは気が引ける。諦めて一人で食い切るしかない。

 

「・・・・・お」

 

 今後の献立に頭を悩ませてる間に、一台のセダンが玄関前で停車しようとしていた。ドアウィンドウ越しにミッドナイトの姿が見えたし、あれが送迎車らしい。

 一々エンジンを再始動させるような手間は取らせない。荷物を持ってさっさと玄関を出る。

 駐車中の車に近づき二度、軽く窓をノック。音に気づいたミッドナイトがそのまま一時停止して、ドアロックが外された。

 

「お待たせ。さ、早く乗って」

「失礼します」

 

 一言断りを入れてから助手席に座り、シートベルトを閉める。鞄は汚れないように膝に乗せた。

 

「ベルトはちゃんと閉めた? じゃあ出すわよ」

 

 そう言ってミッドナイトはウィンカーを下ろし、しっかりと前方後方をチェックした後、緩やかに車を発進させる。流石に公務員というべきか、プロヒーローというべきか。危険性皆無の、ドライバーの鑑の様な運転だ。道に出てからも法定速度厳守で、危険運転なんて言葉からは程遠い。普段の攻め攻めな雰囲気からして、こういうのも刺激強めだったりするのかと少し恐々としてたけど、杞憂だったか。

 

 

 窓の外に視線をやると、街はとっくに活動を始めていて車道は多種多様な車で埋まっている。人の往来も活発で、中には同じ学生服を身に着けた奴も見えた。

 半ば強制されたとはいえ、同じ学生の身分で教師直々の迎えを受けている現状、彼らに対し少しばかり罪悪感を感じる。

 

「あ、そうそう。朝ごはんにおにぎり買ってるから、着く前に食べときなさい」

 

 赤信号で停車中、ミッドナイトからガサリ、とビニール袋を渡される。言われた通り、中身はコンビニでよく見るおにぎり二つとペットボトルのお茶が入っていた。具は鮭と梅干しという、日本人の心とも言うべき黄金の組み合わせだ。

 出立した時間が早かったのもあって、病院ではまだ朝食が提供されてなかった。途中で降ろしてもらって適当に買おうと思っていたんだが、まさか用意してもらってるとは。正直空きっ腹が結構辛かったんで大変ありがたい。

 

「ありがとうございます。お代は払いますから、後でレシート貰えますか」

「そんなに高いものでもないし、良いわよこのくらい」

「いや、でも・・・・・」 

「あなたいま、こっちで一人暮らしでしょ? そんなに余裕ある訳でもないだろうし、甘えられる時は甘えときなさい」

 

 中々、痛い所を突かれた。確かに、たったのおにぎり二つとボトル飲料一本はいえ、コンビニで買えば合わせて四、五百円はする。決して厚くはない財布の中身を思えば、普段はこんなもの買わない。しかも今は家にある食材もいくらか期限間際で、近々冷蔵庫の中身が寂しくなるのは確定だ。

 情けない話だけど、出来れば出費は抑えたいというのが嘘偽りない心境。

 

 ・・・・・仕方ない。

 

「・・・・・すみません。今回はお言葉に甘えさせてもらいます」

「ええ。遠慮しないで」

 

 こればっかりはどうしようもないと諦めて握り飯の包みを開いて中身を頬張る。 

 とはいえ、好意に甘えたまま終わる気は無い。後日、何らかの返礼はするつもりだ。

 

 ・・・・・焼き菓子・・・・・クッキーならまずハズレはないか。

 

 女性への贈り物に何が最適かなんて分からないし、あまり大袈裟なものを贈るのも違うだろう。となればちょっとした菓子あたりがやっぱり妥当か。菓子作りなら施設にいた時から下の子達のためにしょっちゅう作ってたから、そこらの既製品には負けないつもりだ。

 

 ・・・・・そうと決まれば、帰りに早速材料を買いに行くか。

 

 余計に財布が薄くなるが、こっちは生活どうこうの話とは関係なくやる事だし、この二日間付き添ってもらった恩もある。

 

 ・・・・・まあ、付き添いに関しては感謝4、羞恥心6位の割合なんだが。

 

 とかく、色々と良くしてもらったお礼はしないといけないので、出費の事は考えない。

 今は体が資本だからと食事にはそれなりの予算を充ててるが、生きてくだけならそう大層なものはいらないから、その分をお返しに回すとしよう。

 

 そんな事を考えてるうちにおにぎり二つは胃の中に消えていって、車も学園に到着するところだった。

 

「士郎くん。裏手に停めるから、そこから保健室に行ってくれる?」

「分かりました」

 

 正面なんぞに停めたら、登校してる全生徒の注目の的だ。入学したての一年坊と女教師が同じ車で登校なんて、よく考えなくても悪い噂の種になるのは免れない。

 いらぬ騒ぎを起こさぬよう、教師としては当然の配慮ということだろう。

 エンジンが停止したのを確認してシートベルトを外す。

 

「ミッドナイト、送ってもらってありがとうございました」

「どういたしまして。始業までは時間あるから、ちゃんとリカバリーガールのところに行くのよ」

「分かってますよ。――それじゃ、また授業で」

「ええ」  

 

 挨拶をしてから下車し、駐車場に向かってくミッドナイトを見送ってから、こっちも保健室へと足を向ける。少し校舎から離れた場所だから、ちょうどいい腹ごなしにもなるだろう。

 まだ本調子でもないことだし、せいぜい遅れない程度にのんびり行くとしよう。

 

 

 

 

 

 

 敷地外訓練施設でのヴィラン襲撃を受けて、雄英では一日の臨時休校が挟まれた。事の重大さに加え、事件に巻き込まれた生徒達の心的状況も考慮しての措置である。

 

 プロヒーロー育成機関、それも日本トップクラスの雄英が保有する訓練施設への侵入、近年稀に見る組織的犯行、オールマイトの殺害という犯行目的、教員達に重傷者が出た事など。前代未聞の事件はその日の内に各メディアで報道され、既にこの一件は日本全国に知れ渡っていた。

 襲撃から二日経った現在、マスコミ各位は早朝から、事件について生徒達に直接取材しようと雄英正面玄関で張り込んでいる。先日、オールマイトへの取材を狙っていた時もかくやという有様だ。付き纏われる生徒からすればたまったものではないだろう。

 

 一方、事件の渦中にいた1-A生徒達は各々が心の整理を済ませ、一応の落ち着きを取り戻している。臨時休校後も、欠席している者はいなかった。

 

「取材陣、朝っぱらからスゲー人数だったな。この前と同じくらいいたんじゃね?」

「もしかしたらそれ以上かもな。事件が事件なだけに、どこもいち早く取材しよって躍起になってるんだろ」

「アタシなんか玄関潜るまでにめっちゃもみくちゃにされたー」

「テレビでも大々的に取り上げてたし、注目度は凄いよね」 

 

 生徒達の話題のタネは専ら、ヴィラン襲撃による世間の反応具合であり、それについての雑談が大半を占めている。非日常後の煽りを受けた彼らではあるが、そこに不満や憂鬱さを見せる者はいない。流石はヒーローの卵達と言うべきか、大変な事件を経験した後でも彼らの気力は十分に見えた。――ただ、見る者が見れば、その空気に翳りが含まれている事に気付いただろう。

 

「・・・・・ねえ切島。衛宮、無事なんだよね・・・・・?」

 

 瞬間、教室から話し声が消えた。水面に落とされた礫に反応して魚が一斉に散っていく様に、室内はシン、と静まり返る。

 告げたのは耳郎響香だ。重苦しく、微かに震えを帯びた声だった。その様子が、問うた内容を知りたくも聞きたくないという二律背反から来るものであるのは皆が分かっていた。

 それはある意味で1-A生徒大多数の疑問であり、同じく彼らが避けていた話題でもあるからだ。

 

 先の一件で、生徒側から出た唯一の重傷者。ヴィランによって痛め付けられ、体内から無数の刃に刺し貫かれて、尚も戦い続けた彼らのクラスメイト。

 病院に運ばれた衛宮士郎の安否を、彼らは知らされずにいた。

 

「・・・・・正直、俺も分かんねぇ。でも、先生と病院に運んだ時には、少なくとも息はあった」

「そっか・・・・・」

 

 返答は期待したものではなかった。最悪ではないが、かと言って良好なものでもない。むしろ、一歩手前といったところだろう。

 彼らからすれば、当時の衛宮士郎にとって死は不可避のものに思えた。よしんば生き残ったとしても、二度とまともな生活には戻れないだろうとも。

 その事を知ってしまう事を恐れて、今まで誰一人として彼について触れることが出来ずにいた。

 

「そういう話は多分、八百万の方が詳しいんじゃないか」

「いや、それは・・・・・・・」

 

 切島の言葉に、しかし耳郎は戸惑いを見せた。

 無理もない。衛宮士郎の凄惨な姿に最も取り乱したのは、その八百万なのだから。

 黒霧という、ワープの個性を持つヴィランによって生徒がちりぢりにされた時、彼女らは同じエリアに飛ばされた。だから、傷付いた衛宮士郎に八百万がどれほどのショックを受けていたか、耳郎はその両目で見ている。

 当人にこの話を振って、精神的な傷をぶり返させたくなかったが為に、彼女は切島に問いかけたのだ。

 

「・・・・・私が車内で簡易的な処置をしていた段階で、刃の発生は収まりつつありました。ミッドナイト先生のお話からしても、一命は取り留めるかと」

 

 耳郎の心配を他所に、水を向けられた八百万は存外にハッキリと応答した。

 その表情や声が暗いものである事は一目瞭然であったが、想像していた程、深刻に追い込まれてはいないようだ。それは、生還は間違いないと、そう確信しているからか。

 

「・・・・・ただ、あれだけの傷ですと、体のどこかに障害が残る可能性は否めません」

「そんな・・・・・」

 

 もっともそれは、最低限命だけは保証されているということでしかない。

 ミッドナイトをして、先日の衛宮士郎の様子は未知のものであり、詳しい事情を話せずとも今後どうなるかは断定できないと、彼女は八百万に教えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 これ以上、何かを聞こうとする者はいなかった。耳郎も、彼女らの会話を静かに聞いていた面々も、更なる悪い知らせを耳にしようとは思えなかったのだ。

 

「・・・・・・・・?」

 

 その時、クラスの何人かが廊下からの足音を捉えた。ゆっくりとした足取りだ。どうやらこちらに向かってきているようだが、既にA組は重傷人の一命を除き、全員が登校済み。教員が来るにしてもまだ早い。となれば隣のクラスの人間か。

 そう考えているうちに足音は教室の前まで来て音は止み、扉は一秒とせずガララ、と開けられ――

 

「おはよ」

「――――は?」

 

 入室した人物を見た瞬間、誰かが間の抜けた声を漏らした。言葉と言うには余りに短く、簡潔に過ぎる一語。それは、当人の動揺具合を明示していた。そして、声にこそ出さなかったものの、恐らくは室内のほとんどの生徒は同じ心境にいただろう。

 誰も彼も、己の眼を信じられないでいる。白昼夢でも見ているのか、それとも幻覚にでも陥ったか。そう思ってしまうほど目の前の光景はあり得るはずがない。

 

「ど、どうしたんだよ、みんなしてじっと見て・・・・・・・・俺の顔に何か付いてるか?」

 

 されど、発された声が、ここは紛れもなく(うつつ)だと告げている。

 その赤銅色の髪も、琥珀色の瞳も、歳の割に幼なげな顔も、彼らが目にした通りのものであり、故に――

 

「え、え・・・・・・・・」

「え?」

「「「衛宮ぁぁぁぁ――――ッッ!!?」」」

「うおっ!?」

 

 内臓ごと口から飛ばしてそうな絶叫が、およそクラス全員の口から飛び出した。

 何人もの生徒が立ち上がって彼に詰め寄り、教室といわず廊下を突き抜けフロア全体を揺さぶるような大合唱。後に隣のB組から苦情がよこされる程の凄まじい声量であった。

 対して、そんな爆豪の爆発音も真っ青な叫び声の原因といえば、何故こんなクラス一丸となって、腹の底から力込めてさらには喉潰しそうな声量で自身の名を呼んだのか、何でクラスメイトが自身に詰め寄ってきているのか、これっぽっちも理解できず半歩後退って慄いていた。

 

 ――そう。病院で絶対安生で日常生活すら危ぶまれると思われていた人物が――衛宮士郎が、何事もなかったかの様に五体満足で彼らの前に立っている。

 

「何なんだ、人の顔見るなりいきなり叫んで。みんなしてなんか変だぞ」

「い、い、い、いや、お、おま・・・・・」

「呂律回ってないじゃないか上鳴。・・・・・・まさか、朝っぱらから一杯引っ掛けてきたなんて言うんじゃないだろうな」

「するかそんなこと!未成年だぞ! ・・・・・って、そうじゃなくて、何でいるんだよお前!?」

「平日の朝なんだから、登校して来たに決まってるだろ・・・・・」

 

 テンパった上鳴と士郎とが話すが、会話が全く噛み合ってない。相手の疑問に、何を当たり前のことを、と呆れているのが見て取れた。

 クラスメイトの心境など露と知らず、一体全体何をそんなに慌てふためいているのかと、この推定重傷人は首を傾げている始末。

 見兼ねた者達が、このままでは埒が明かぬと――というか単純に堪えきれず、次々に口を開き始める。

 

「そうじゃなくて、怪我はどうしたって言ってるんだよ!」

「体は!? トゲトゲはもう大丈夫なの!?」

「こんな普通に外出歩いて良いのか!?」

 

 砂藤、葉隠、瀬呂の順で質問がぶつけられる。

 上鳴より幾分冷静さを残す彼らの問いは、ほぼクラス全員の総意であった。

 

「どうしたって言われても、見ての通りとしか言えないんだが・・・・・ほんとにどうしたんだよ」

 

 必死の形相で、それこそ肩でも揺さぶってきそうな勢いのクラスメイトが明瞭な言葉で問いかけているのに、それでも士郎は彼らがこうも混乱している理由が分かっていなかった。

 その、あまりにも平時と変わらない様子に、士郎がとぼけているでもふざけているでもなく、本気で頭を捻っているのだと彼らは理解し――

 

「どうしたもこうしたも、みんなお前のこと心配してたに決まってんだろ――っ!!」

「え・・・・・?」

 

――もはや黙ってられぬと、切島がその答えを叩き付けた。

 

 これ以上ないくらいハッキリと。他の解釈の余地など欠片も残さない。

 彼ら彼女らの正真正銘の本音<メッセージ>。

 ただ相手の無事を願い再会を望む、どこまでも純粋な想いである。

 

「えっと・・・・・そう、なのか・・・・・?」

 

 こうまで言われ、士郎は初めてクラスメイトがこれほど慌ただしくしている理由を把握する。彼らの言葉を反芻し、表情には困惑が浮かぶが、数秒後には至極真剣な眼をしてクラスメイトに向き直った。

 

「その・・・・・色々と迷惑かけて、悪かった」

 

 己の失態で、彼らに要らぬ心労をかけていたと理解した士郎は、自身を囲むクラスメイトに向け、深々と頭を下げる。

 

「いやいやいや! 何でおまえが謝ってんだよ!? 別に何も悪いことしてねーから!」

 

 よもや謝罪されるなどとは夢にも思わなかったのか、皆慌てて頭を上げさせようとする。

 しかし、自身に非があると思った士郎はその体勢を崩さない。こうなった時、彼を動かすのは骨だった。

 どうしたものかと、皆が皆、互いに困った様に顔を見合わせる。

 

「――衛宮さん」

 

 皆があたふたとする中、士郎が登校してからしばし呆然としていた八百万が、力無い足取りで士郎を囲む輪にやって来ていた。

 彼の名を呼びかける語り口は静かなものだ。

 生徒達も、二日前に八百万の取った行動をおおよそ知っていたため、一歩引いて彼女に場所を譲った。

 

「・・・・・八百万」

 

 士郎もまた、今度こそ顔を上げて自らの名を呼ぶ少女を見据える。

 目に見える範囲で、彼女の体に傷らしい傷が見受けられない事に彼は安堵したが、直後に彼女の様子が妙である事に気づいた。

 彼の記憶の中で、八百万百という少女は常に凛としていて、培った知恵に見合った聡明さを持ち、自らの研鑽を誇れる人物だ。故に、彼女の顔はいつも自信に満ちており、どんな時でも堂々としていた。

 ・・・・・その揺るぎなさが、今この瞬間には影すら見えない。

 眉尻は下がっていて、目に力は無い。綺麗で色白の肌は幾らか荒れているように見え、目元には普段存在しない隈が微かに浮かんでいる。よく眠れていないのは明白だった。

 その原因が何なのか、理由は解らずとも認識している。

 

「俺が意識を失った後も色々と世話になったって聞いたよ。俺の独りよがりででおまえに傷を負わせた上に、後始末にまで付き合わせちまった。本当に――」

 

 すまなかった、と。

 改めて彼女に詫びるために、士郎は頭を下げようとして――

 

「・・・・・衛宮さん・・・・・・お身体は、もう大丈夫なのですね・・・・・・?」

「・・・・・え? あ、ああ。もう大丈夫だ。ほとんど快復してる」

 

 彼の動きは、八百万の言葉によって遮られた。

 声に力は込もっていなかったが、質問に対する答え以外は聞きたくはないと、そんな気配があった。だから、士郎もまずは素直に答えた。

 

「・・・・・・本当に? 決して、嘘ではありませんわよね・・・・・・?」

「嘘じゃないって。ほら、見た目通りどこも悪い所はない」 

 

 両手を広げて、傷は治った、と士郎は示す。

 そんな事をしても制服の下にある肉体がどうなっているのか判別できはしないが、少なくともマトモに立って歩いて、人と会話する事は出来ている。折れて不恰好に揺れていた腕も、機能は回復済み。自身の回復具合を示すには、こうするだけで十分だと彼は判断した。

 

「・・・・・・・・・・」

「や、八百万さん・・・・・・?」

 

 ・・・・・ただ、それだけでは不足だと思ったのか、八百万は実際に士郎の体に触れて本当に傷は無いのか無言で確認し始めた。

 唐突な接触に士郎は驚いて身を引こうとしたが、存外に強い力で掴まれ離脱は叶わなかった。いや、逃れようと思えば逃れられるのだが、こうしっかりと力が込められていると振り払うにも手荒になってしまう。それで誤って八百万に傷など負わせられない。

 

「・・・・・・・っ」

 

 そんな理由があるから、士郎は下手に暴れる事もできず、同年代の女生徒に体を触られる羞恥に顔を赤くしながら、大人しく彼女の“触診”が終わるのを待つしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・本当に、治ったのですね」

 

 およそ十秒ほどの時間をかけて、八百万は診察を終えた。

 士郎から離れ、彼の言葉が真実であると理解した彼女は一つ息をつき、

 

 

 

――糸が切れた様に、その場に頽れた。

 

 

 

「八百万っ!?」

 

 本当に突然だった。

 活力があったとは言えずとも、直前までは何らの異常も無く立っていた筈だった。

 その彼女は今、地べたにペタン、とへたり込んでいる。俯き気味の表情がどんなものかは、上からではよく見えない。

 

「おいどうした!どこか痛むのか!? それともこの前の傷が開いたか!?」

 

 ほとんど間髪入れず、士郎は八百万のそばへ寄り、膝をついて彼女の様子を見る。

 服の上からでは外傷の有無は判断できず、見える範囲の素肌にも傷らしい傷は無い。加えて、古傷が開いたにしろ別の何かにしろ、それなら血が滲んでいるべきだ。それが見当たらないという事は、外傷ではない。

 体表に何も無いというのなら、内側での問題か。はたまた面倒な病の類か。

 ともかく、士郎は彼女の容体を確かめる為、その身に触れ“解析”しようと手を伸ばし――

 

「・・・・・・・・・・た」

「すまん八百万、良く聞こえなかった、もっかい言ってくれ!」

 

 微かに聞こえた声に、“個性”の行使を中断する。

 か細く発言内容は不明瞭だったが、異変の原因を示すものだったのかもしれない。

 基本的に、彼が扱う“解析”は人体をはじめとした生物とは相性が悪く、他の物体に行うそれに比べて、さらなる時間を要する。無闇矢鱈と調べる事には向かず、一定の方向性を定めて精査する方が効率が良い。

 これが急を要する様な不調であれば、余計な時間はかけていられない。

 そのため、八百万の言葉を士郎は待った。

 

――ただ。これから彼女が告げるだろう言葉を、士郎以外の生徒は、何となく判っていた。

 

「・・・・・・・・・・った。本当に・・・・・・・無事で、良かった・・・・・・」

「え、と・・・・・八百、万・・・・・・・?」

 

 聞こえた。今度こそ、ハッキリとその声を捉えた。しかし、その発言の意図するところが、いまいち理解出来ない。

 てっきり、不調の根源を伝えているものと思っていたが、どうも脈絡が無い。

 言ってる内容からして、特に体調を崩したという事でもなかったのか。

 

「なあ、いったいどうし――」

 

 彼女が何を言いたいのか、その真意を問おうとした士郎の言葉は、不自然に止まった。

 それは、それ以上に無視できぬモノがあったから。

 八百万は今や俯いていた顔を上げて、半ば見上げる形で士郎を見ている。

 

――その両眼に、涙が溢れている。

 

 雫と言える様な粒ではない。川の様に流れ落ちていく、滂沱のそれである。

 後から後からとめどなく湧いてきて、いつまでも一筋の水流を作っている。

 彼女の顔も、お世辞にも綺麗とは言えない。泣き腫らしてくしゃくしゃになった表情は、普段の自信や凛然さの面影も残っていない。

 

――それでも。

  それでも、視線だけは真っ直ぐに、衛宮士郎を見つめていた。

 

「・・・・・あの時、少しでも出来ることがあればと、ミッドナイト先生について行って・・・・・・・刃が消えても血がなかなか止まらなくて・・・・・・・・もしかしたら、以前の様な生活は送れないかもしれないと聞かされて・・・・・・・・あなたの身に何かあればどうしようかと、ずっと不安で・・・・・・・・・・・」

 

 嗚咽まじりの声は飛び飛びで、前後を繋げるにも苦労する。文脈も整然とせず、小説の章題をそのまま繋げたみたいにバラバラ。吃逆で呼吸は苦しげに痞えていて、その度に少女の体は微かに揺れる。

 

「・・・・・・・本当に・・・・・本当に。――あなたが無事で、本当に良かった・・・・・・」

 

――けれど、それは悲嘆によるものではない。

 

 流れる涙も。

 震える声も。

 その源泉は、どちらも同じ。

 

――ただ、他者の無事を歓喜する心故。

 

 良かった、と。

 涙に濡れて、人前に晒すには気恥ずかしさが先立つ顔で――それすら霞む様な笑顔。

 

――いつかの日に、衛宮士郎が見た笑みに似た。

 

「何で、そこまで・・・・・・・」

 

 八百万百という少女の言葉を、その落涙の意味を理解して、それらは己に向けられる感情なのだと士郎は知った。

 彼女は痛いのでも、苦しいのでもなく、純粋に衛宮士郎がこうして戻ってこられた事に安堵し、脱力してしまったのだと。――故にこそ、当惑を隠せない。

 自らの身を憂いていた少女の想いが、どうしてここまで強いモノなのか、と。

 

「この前、言ったはずだろ? ああいう経験は何も初めてのことじゃないって。刃が暴れただけならそうそう死ぬことはない。こんな風に、おまえが思い悩む必要なんてなかったのに、どうして――」

 

 ――俺なんかを、心配していたんだ、と。

 胸中に湧く疑問。それは同時に、二日前に課された問いにも繋がっている。これらの核は同一のところにあり、その解答も同じモノな筈だ。

 衛宮士郎には、その答えは見つけられなかった。

 二日間の入院生活中、ふとした時に恩人から告げられた言葉が思い返され、その度に考えてはみたのだ。だが最後にはいつも“理由が無い”、という結論に終わる。

 

 そう、理由が無い。必要が無い。

 彼女が傷付いてまで士郎を引き留める理由も、その心が不安定になる程、彼を案じる必要も。

 立ち去る衛宮士郎を見過ごして、事件が終息した後は、さっさと気持ちを切り替えてしまえばよかったのに。

 一体何が、彼女にそこまでさせたというのか。

 

「どうして――?」

 

 問いかけた士郎の言葉を、八百万はそのまま反復した。

 どうして。何故。何を以って。

 彼女の心情や行動を支える理由。それが分からない、と彼は言う。

 

――しかし、その問い。

 

 不可解に思う彼の疑問にこそ、彼女は疑問する。

 何故なら、八百万にとってそれはひどく単純なものでしかない。そして、そんなモノに彼が思い至っていないという事実は、彼女の想像の範疇を超えていた。

 だから、問いに対する返答はごく短く――

 

「あなたが・・・・・衛宮さんが。私にとってかけがえのない――友人だからです」

 

 たった一言。たったの一単語。

 それだけのモノが、衛宮士郎が探していた、彼女の心を示す理由だった。

 

――友人。

 

 世にありふれた、人間であればおおよそは持つことになる、人間関係。

 個と個の絆を表す形。

 彼ら学生にとっては、最も身近な一つの概念。

 

――それを。

  衛宮士郎は、この瞬間まで思い浮かべる事が出来なかった。

 

「友、人――――?」

 

 耳にした言葉を、古ぼけたレコーダーの様に繰り返す。

 ともすればそれは、自らの聴力を疑ったが故の行動だったのかもしれない。聞き間違いではないか、と。そう確かめる様に。

 

「ええ、そうです」

 

 されど。

 捉えた音は、耳にした言葉は、微塵も誤っていないと、見上げる少女は断言する。

 

「あなたはこのクラスの仲間で、同じモノを志す同士で、共に語り合った友人です」

 

 もう一度、理解できる様に、ゆっくりと告げる。

 聞き間違えさせない。思い違いなどさせない。他に解釈する余地など与えない。

 こんな単純な想いを疑った友に、それこそ恨み節をぶつけるかの様に、彼女は言葉を重ねる。

 

「友人だから、あなたを助けたかった。友人だから、あなたの事が心配だった――それは、おかしな事ですか・・・・・?」

「いや・・・・・・」

 

 何処もおかしくはない。何も間違っていない。むしろ自然であると、そう言える。

 親しく付き合う友人という存在なら、その心を砕いても何らの不思議は無い。

 彼女が衛宮士郎を案じていた理由の候補として据えられてもいい筈だ。

 

 

――ならば、何故。

  その答えが、いつまでも顔を出さなかったのか。

 

 

「八百万だけじゃねえぞ。ダチが危ねぇ時、力を貸してやらねえ漢はいねえ!」

「切島・・・・・」

 

 見上げた先には、目も覚める様な赤い髪。

 士郎にとっては入学初日から交流のあったクラスメイトで、USJで死に体になっていた時に駆けつけてくれた一人で、朽ちかけた体を身を挺して運んでくれた恩人。

 彼の行動もまた、八百万と同じ理由によるものだったのだと、そう理解する。

 

「ま、俺みたいに何人かはまだ付き合いも浅くて、友人って言えるほどじゃないかもしれないけどさ。そこの二人だけじゃなく、緑谷や飯田とかとも仲良くしてたじゃん。そいつらの気持ちは察してやれよ」

「瀬呂はこんなん言ってるけど、ウチん中じゃ衛宮はもうとっくに友達だから。入試の時に助けられた恩もあるしさ」

 

 クラスメイトもまた、二人と同じだ。

 皆が皆、それぞれに衛宮士郎を案じ、彼に友誼を感じていた。

 

「・・・・・それともさ。エミヤんにとって、アタシたちは友達じゃなかったりするのかな?」

 

 芦戸が士郎のそばに屈んで、目を合わせて問いかける。

 親しくなっていると。そう思っていたのに、と。

 その表情が悲しげなものである事に気付いて、思わず自分を殴りそうになった。こうまで言ってくれるクラスメイトにこんな顔をさせている己がひどく腹立たしい。だが――

 

「・・・・・みんなを友達だと思ってた・・・・・と言えば嘘になる」

「そう、なんだ・・・・・」

 

 答えを聞き、目に涙を浮かべた芦戸に対して、罪悪感が強まる。士郎とて、本当はこんな風に悲しませたくない。

 しかし、士郎は自らの考えを取り繕いたくはなかった。彼らは包み隠さず各々の心情を吐露している。衛宮士郎という人間に正面から向き合っている。

 であれば、自らも正直に話すのが最低限の道義だろう。それに――

 

「――でもそれは、みんなを軽んじてるとか、どうでもいいって思ってた訳じゃない。――むしろ、逆なんだ」

「それって、どういう・・・・・・」

 

 友人だとは思っていなかった。士郎にとってそれは事実だ。

 彼らとの付き合いは浅く、重ねた時間はごく僅かなものでしかないと。

 故に、友と言えるとは思わず――同時に、その方向性は彼らが思うものとは少し違っている。

 

「みんなにとって俺は、たまたま同じクラスにいるだけのどうでもいい人間なんだって、そう思ってた」

 

 バツが悪そうに頬を掻いて、士郎はそう告げる。

 衛宮士郎という人間が、彼ら彼女らを疎んじているわけでも嫌っているわけでもない。クラスメイトに対する親しみはあり、常に敬意を抱いている。皆が皆、善き人たちであり、そんな彼らと共に競っていく生活に身の引き締まる思いを感じている。

 だが、それはあくまで彼が一方的に抱く好意であり、相手からの親愛を証明するものではない。

 彼は、自身がいかにつまらない人間であるかを自認し、およそ友人として据えるには面白みに欠けることを理解していた。

 クラスメイトにとってそんな自分は、長い一生の中で少しの間、同じ学舎で学ぶだけの関わりの薄い他人でしかないと、そんな風に決めつけていたのだが――

 

「それがまさか、友達扱いしてくれてるなんて――――正直、考えてもみなかった」 

 

 彼にとっては予想外であり、そんな仮定は思考にすら上がっていなかった。ありえない、と。否定に繋がる事すら無かったほど、可能性としては皆無だった。

 真空に突然、水が生まれる様なものだ。

 驚きは心の底からのもので、未だに彼らの言葉に頭が追いつかない。

 

「一緒にいて楽しい人間でもないだろ。何だって、そんな――」

 

 疑問は尽きない。

 理由は見当たらない。

 衛宮士郎という人間をそんな風に想ってくれているのは――それは、どうして――

 

「――色々と思うことはあるけどさ。これだけは、先に言わせて」

 

 涙を拭った芦戸が、衛宮士郎の瞳を見据える。

 どこか恐ろしさを感じさせる黒い眼球が、その中心にある鼈甲色の瞳が、今はとても優しげに微笑んでいて――

 

「アタシも含めて、エミヤんを心配してたクラスのみんなは、エミヤんのことどうでもいい人間だなんて、これっぽっちも思ってないよ」

 

 穏やかな笑みに反して、そう告げる口調は真面目なものだ。 

 普段の、元気よくはしゃいで周りの人間を自然と楽しませる様な、底抜けの明るさではなく。

 告げる言葉の全て、間違いなく真実だと真摯に伝える様な、そんな声だった。

 

「クラスの仲間ってのはもちろんそうだし、エミヤんがいいヤツなんだって事は、この二週間でみんなわかってるもん」

 

 芦戸三奈という少女は、一言で言えばムードメーカーだ。

 天真爛漫で常に明るく振るまって、誰とでも気安くなれる人物。大抵は集団の中心にいて、何人もの人間と友好な関係を築く。そういう生活を送っていれば、自然と知人の人となりは知れる。そうやって相手の事を理解するから、両者の交友も深まる。

 だからこそ、彼女はこのA組中で最もクラスメイトの性格や行動を知っており、それは士郎に対しても同様だ。

 

「入試の時に耳郎を助けた話とか、初日のテストで緑谷の指を手当てしてた事とか。――後、セクハラガードとかもね」

「いや、そこで出す話じゃないだろ!?」

 

 鋭く飛んできたツッコミに数瞬、芦戸は悪戯っぽく笑う。

 連ねた例は全て事実なため、下手人の抗議はスルーされた。

 

「そういうの、されてる側は感謝してるし、きっと喜んでると思う」

「・・・・・俺が勝手にやってるだけで、ありがたがる事じゃないぞ、それ」

 

 衛宮士郎にとってそれらはあくまで勝手な行動でしかなく、わざわざ記憶の隅に留めておくほどのものでもない。

 単に、そうしたい、そうすべきだと思った事をやっただけで、賞賛に能う様なものではなかった。

 

「そんな事ないって。助けられたら普通は嬉しいし、助けてくれた相手に優しくしたいのも、その人と仲良くなりたいのも、みんな一緒だと思う。少なくとも、アタシはそうだよ」

 

 現金って思われるかもしれないけど、と最後に芦戸は付け加えた。

 

 価値観の違いであり、経験の違いから来る相違でもある。

 士郎にとって、他者への献身は自然なものだ。人間が生物の機能として呼吸を行う様に、それは彼の生存に組み込まれている。

 

 対して芦戸は、何人もの人間と関わり、様々な経緯で様々な人物と友人になってきた。その中には、助け助けられを経て結ばれた友情もある。

 誰かの為になる、それは彼女に限らずこの場の全員に当て嵌まるほど、ごく身近な思考だ。しかし、かといってそれらの行動をありふれたものだと思うことはない。

 人と人との助け合い、支え合い、育まれる繋がり。それらの温かみを彼女は大事にしていた。

 

――そして、そういった気質は、彼女だけが持つものではない。

 

「僕も同じだよ、衛宮くん」

 

 掛かる声は芦戸とは反対から。

 芦戸に次ぐ形で、緑谷が士郎のそばに膝をついていた。

 

「初めて会った時にした話、覚えてる? あの時の僕は“個性”もろくに扱えず、結果が出せない事に凄く焦ってたよね」

 

 彼が語るのは、雄英に入学した初日の出来事。彼ら新入生が最初に与えられた洗礼の話。

 そして、衛宮士郎と緑谷出久の出会いの日でもある。

 

「そんな僕に君は話しかけて、競争相手だったのに手助けしてくれた。テストの結果、衛宮くんは僕の力だって言ってくれたけど、あの話を聞いたからきっかけを掴めたんだ」

 

 命すら砕きかねない出力を、指の一本のみで。

 それは、未だ力を御し得ない緑谷を考案した代替案だ。全身にまで自壊を及ぼす“個性”を、一指のみで行使する事により反動を最小限に留める。

 捨て身の策であり、苦渋の決断である事は否めない。それでも、一度の発動で死に直結しうる状態に比べれば、遥かな進歩だった。

 

 それは、彼自身が思索の果てに掴んだ成果であろう。だが同時に、衛宮士郎の言葉が有意なものであった事も間違いなく――或いは、彼らの邂逅が無ければ、その結果はもう少し後に訪れていたのかもしれない。

 

「衛宮くんにとっては、たいした事じゃなかったのかもしれない。けどあの時、君が僕に話しかけて、助けようとしてくれた事がすごく嬉しかった」

 

 緑谷出久にとって、その時の出来事にどの様な意味があるのか、士郎に推し量ることはできない。なにせ、出会ってからというもの、彼らはまともな昔語りをした事もない。

 

 ――けれど、打算も裏も無く、ただ善意のみで彼に関わろうとした士郎の行動は、少なからず緑谷には価値あるものだった。

 

「あの日、君がとても優しくて、強い人なんだって知って――だからって言うのも変だけど、僕はそんな君と――友達になりたいって、そう思ったんだ」

 

 士郎は、自らが行う他者への献身に、何らの特別さも認めていない。

 他者の不幸を認められず、誰かの平穏が崩れ去る事が我慢ならない。気に入らないものを否定し、望んだ形に是正しているだけでしかなく、感謝される謂れも無ければ賞賛される道理もない。それらは徹頭徹尾、彼の中で完結している。そこに、外部からの評価は不要なのだ。

 

 ――だが、たとえそうであったとしても、助けられた人間の気持ちまで変わることはない。

 受け入れるかはともかく、その想いまで否定する権利など彼には無いのだから。

 

「その・・・・・なんだ・・・・・ここまで言われて念押しするのも失礼かと思うんだが・・・・・・・俺なんかが友達で本当にいいのか・・・・・?」

 

 彼らの言葉を聞き、窺うように様子で確認する。

 これといった趣味も無ければ、流行りに敏感という訳でもなく、芦戸の様に周囲を盛り上げる事にも長けていない。普段から仏頂面晒してる様な人間を友として据えるのか。

 士郎は今なお、そこに疑問を抱いている。

 

「――つか衛宮、さっきから気になってたんだけど、ちょっとネガティヴ過ぎじゃね? 何でそんなに疑り深いわけ?」

「・・・・・そう見えるか?」

 

 ふと、しばし静観していた上鳴から、率直に過ぎる疑問が飛んできた。士郎の反応がよほどおかしく映ったのか、他にも何人かが上鳴の言葉に頷いている。

 

 だが確かに、妙と言えばといえば妙な話だ。

 A組生徒達の付き合いはおおよそ二週間になる。その間、彼らは互いを知り、付き合いはその分だけ増えた。

 無論、士郎とてその例に漏れない。雄英で最初に出会った八百万や、テストの際に知り合った緑谷をはじめ、何人かのクラスメイトと親しくなっている。その上で、彼らは士郎を友人として見ていると、そう言っているのだ。

 であれば、二つ返事で頷けばいいだけのこと。何故、くどい程に念を押すのか、彼らはそれが不思議で仕方なかった。

 

「・・・・・・・まあ一応、理由ならある」

 

 その疑問に対する明確な答えは存在する。

 士郎自身がある程度は自覚している事で、これまでの生活に起因するもの。

 クラスメイトの誰をも友人とは捉えず、彼らの親愛に微塵も気付かなかった原因。それは――

 

「・・・・・ちょっとばかし恥ずかしい話なんだが・・・・・実を言うと俺、今まで友達ができたこと無いんだ」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 常にちゃらけた上鳴には珍しく、実に抑揚の無い濁点でも付いていそうな低音の声だった。

 

「そ、そうなの、か。それはその、なんていうか・・・・・・・・・・・・すまん」

 

 挙動不審な様であっちこっち忙しなく見回した後、絞り出したかの様に一言。ついでに言えば、念仏を唱えている時にする様な合掌付きだ。

 端的に言って、凄まじく顔色を窺っている。

 

「マジか衛宮・・・・・」

「ちょっと変わったとこあるとは思ってたけど・・・・・」

「所謂、『ぼっち』てやつ・・・・・?」

 

 ボソボソ、ヒソヒソ、と。

 それまでのしおらしい雰囲気は何処へやら、士郎を囲んでいた面子が、割と遠慮無しに話しはじめた。本人を目の前に、言いたい放題である。

 

「盛り上がってるとこ悪いけど、そういう話じゃないから」

 

 言葉が足りなかった、と思いつつ、これ以上風評被害を広げられては敵わない、と士郎は焦って言い繕う。

 

「別に、一人だけ浮いてたとか、周りと話せなかったってわけじゃないんだ。同期の連中とは、それなりに仲良くはしてたぞ」

 

 士郎には、自閉症の気は無い。誰に対しても物怖じせず交流できるし、わざわざ人と距離を取ろうとするほど内気でもない。

 中学の昼休み、クラスメイトが弁当のおかずを集りに来るくらいには、同級生とは気安い関係だった。

 

「でも、さっき言ってたみたいに、決まった人間と特に親しくしたり、放課後に誰かと遊びに行く様な事はなかったな」

 

 このクラスでの生活と大差ない。

 授業やら何やら、必要な話はいくらでもするし、話しかけられれば雑談くらいには興じる。ただ、それ以上深い関係を築く事はなく、彼自身そうしようと思ったことも無かった。

 

「その、友達作ろうって思ったりした事、学校で一回もなかったの?」

「ああ。――生まれてこの方、一度もなかった」

「そんなに・・・・・?」

 

 耳郎の、信じられないものでも見る様な視線に苦笑しながら、士郎は過去を振り返る。

 施設に引き取られた時から理想を掲げて、ソレに近しい存在を目にしてきた。目標の輪郭は明晰で、ナニを積み上げるべきか、幼い時分でもよく理解していた。

 だからこそ、僅かでもソコに近づけるよう、自らに必要なものを取り込み続けた。それこそ、一日の大半を注ぎ込むほどに。

 

 一分一秒も無駄にはせず、真っ当な子供なら例外なく享受する余暇も投げ捨てて、ひたすら鍛錬の繰り返し。衛宮士郎にとって自由な時間とは、その殆どが自己を鍛え上げるためのものだった。

 そんな生活をしていれば、放課後に誰かと遊びに行く様な思考に行き着く筈もない。

 結果として、誰とでも付き合えるその性格に見合わず、一人の友人を得る事も無いまま、彼はこの歳まで生きてきた。

 

「そんな事だから、友人関係ってのがどういうものなのか、世間一般で言われてる事以外、俺にはよく分からないんだ」

 

 過去の事情などおくびにも出さず、自身の消極さの原因を語る。

 実体験というのは、士郎が何より重視するものの一つだ。知識とは実践を経て、情報とは経験を経て糧となる事を、彼はよく知っていた。

 きっと、衛宮士郎を友人として扱うのなら、様々な点で異質なものになるだろう。不慣れ故、妙な事を仕出かすかもしれない。

 友と言うには薄情で、彼らの気持ちも知らずにいて、きっと、これからも迷惑をかける。こんな人間とは、そこそこの付き合いで済ませる方が、彼らにとっては楽でいい。

 自己評価は変わらず、友人という存在には相応しくないと、今でもそう思ってる。

 

 

――でも、もし。

  もし、彼らがそれでも構わないと言うのなら。

 

 

 

 

 

 

 躊躇いが無くなった、と言えば嘘になるだろう。

 衛宮士郎という人間は、友人として相応しくない。

 経験が無いという以上に、友として彼らに何を齎せるか、俺には分からないままだ。

 

「俺は、そんなに立派なやつでもないし、みんなの友人として相応しい人間だとも思わない」

 

 これから口にしようとする言葉を、俺はきっと言うべきじゃない。相応しくないと自分で思うのなら、軽々しく受け入れるのはある種の侮辱というものだろう。

 

――けれど、その上で。

  こんな男を友人だと言ってくれる彼らに、応えたいと思う自分がいる。

 

「――それでも、こんな俺を友達だって、そう言ってくれるのなら――」

 

 色々と言葉を重ねられればいいのだが、なにぶん初めての経験で、気の利いた台詞の一つも浮かんでこない。

 心にある想いを表に出す、そんな単純な事が、今はひどく難しかった。

 

「俺の方から頼むよ」

 

 告げる言葉は簡素に。

 俺から言えることなんて、本当に些細なことしかないけど。――それでも、この気持ちを伝えたいと思う。

 

――だから、これが最初の一歩。

 

 誰かと深く関わることの無かった衛宮士郎が経験する、初めて<ハジマリ>の儀式。

 友情という名の繋がりを結ぶ契約。

 

「――どうか俺を、みんなの友達でいさせてくれ」

 

 今まで、誰とも経験することの無かった、ただそうしたいというだけの、無意味な関係。 

 それをこの瞬間、産まれて初めて、結ぼうとする。

 

「も、もちろんだよ! 衛宮くんと友達になれるなら、僕はすごく嬉しい!」

「アタシらは最初っからそのつもりだってば!」

 

 返答は瞬時に。告げられる内容も先と同様。

 最初から、彼らは各々の気持ちを言葉にしている。それが、一方の認識を知らぬ故のものだったとしても、彼らにとって衛宮士郎は既に友人なのだ。

 

「――――ああ、そうか」

 

 本当に、今更な話だった、と理解する。未知のものと、そう身構えていたのは己だけだった。

 衛宮士郎が何を言おうと、彼らはとっくに自分たちの気持ちを決めている。仮に俺自身が彼らを拒もうとも、そんな事は関係が無いのだろう。それなら――

 

「改めて、よろしく頼む」

 

 ただのクラスメイトから、友人として。

 ここでの生活が特に変わるわけじゃない。関係を表す言葉が違っても彼らとの関わり方はそのまま。これまで通り理想を追って、一日の殆どはその為に費やされる。みんなと過ごす時間はきっと据え置きのままだ。

 けど、それでいいのだろう。

 相手を縛る必要も、縛られる必要もない。ただ、互いを大切だと思え、ありのままの自分を相手に曝け出せるのなら。きっと、それだけで彼らは友人なのだから。そして――

 

「――八百万」

 

 呼びかけに反応して、この雄英で最初に出会った”友人“が、こちらを見つめる。

 泣き腫らして腫れぼったくなった瞼が胸に苦しい。だが、その瞳から目を逸してはならない。

 彼らとの関係を見つめ直したのなら。いま一度、衛宮士郎は彼女に向き合うべきだ。

 

「お前が俺をどう思ってくれてたか、気づけなくてすまなかった」

 

 昔から、よく鈍感だと言われていたが、正しくその通りだと、今になって思い知った。

 まだ少ない時間だけど、何度も一緒に話をしたクラスメイトの心を察してやれないばかりかこんな風に泣かせてしまって、情けないにも程がある。

 ()()()()()()()()()()()()って教えられたのに、まるで実践できてない。

 

 傷付いてまで助けようとしてくれて、俺の無事に涙を流して喜んでくれた少女。

 今更、彼女を傷付けてしまったことを取り繕うことは出来ないけれど。せめて、これ以上、その綺麗な顔を涙に濡らさない様に。

 

「それと、一番最初に言うべき事を忘れてた。――あの時、死にかけてた俺を助けてくれて、ありがとう。こういう手のかかる人間だけど、お前さえ良ければこれからも友達でいてやってくれ」

「――――――」

 

 微かに彼女の体が揺れ、潤んだ瞳が見開かれる。 ひどく驚いたみたいで、一瞬、言葉に詰まっていた。

 

 けれど、それもほんの少しの間のこと。

 耳にした言葉、それこそを求めていたという様、その顔に満面の笑みを浮かべ――

 

「はいっ・・・・・! これからもよろしくお願いします、衛宮さん!」

 

 見惚れるほど綺麗な笑顔で。まるで、そうする事が当然の様に。

 彼女はこんな俺を、友として温かく受け入れてくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――それはそれとして。エミヤんは色々と、アタシ達に説明すべきだと思うっ!」

「お、おう・・・・・」

 

 麗しき友情の一幕に感動するも束の間、芦戸は唐突にそう力説した。

 ビシ! と士郎を指差し『有耶無耶にはさせないぞ!』と言いたげな顔である。

 USJでの襲撃で、士郎の戦いを一部始終見ていた面々からすれば、疑問が出てくるのは当然と言えた。

 

「そのあたり、ヤオモモも知りたいでしょ!」

「え、ええ。まあ、気にならないと言えば嘘になりますが・・・・・・」

 

 流れる様に水を向けられたのは八百万。

 彼女もまた士郎の”個性“には前々から興味を示していたため、芦戸の言葉は否定出来ない。

 色々と台無しではあるが、ここまでクラスを騒がせた張本人である士郎は皆に対する罪悪感はあるため、あまり大きな声で口答えできなかった。

 

 ・・・・・当然と言えば当然だがなぁ・・・・・

 

 ただ、ここで枷になるのは彼の”個性“が抱える特殊性だ。

 様々な意味で混乱の種になりかねないその能力を大っぴらに口外することは、政府のお偉い方はじめ、色んなところから控える様に頼まれている。

 個人が有する“個性”であることを尊重して話す事そのものは禁じられていないが、極力控えておくに越したことはない。

 今までも人に話す時はボカした内容を伝えてきて、八百万からの質問もそれとなく躱したのだが――

 

 ・・・・・言いたくても、言えないんだよなぁ。

 

 言うべきか否かで言えば、もちろん否である。

 士郎個人の心情としては、迷惑や心配をかけた分、話したいと思う気持ちがある。

 だが、事はそう単純な話ではないのだ。外に漏れれば――それこそ、マスコミにでも知られれば、間違いなく面白おかしく書き立てられること請け合いである。そうなれば、面倒な取材の嵐に晒されるだけでなく、士郎の周囲の人間にも要らぬ影響が及ぶだろうし、世間も騒がしくなる。

 秘密が露見した場合の弊害は、彼自身に留まらないのだ。

 

 A組のメンバーが他人の秘密を暴露する様な厄介な趣味趣向を持ち合わせていない事は明白だが、その程度の条件で話せる秘密なら、そもそも隠したりしない。

 そのため、これまで通り違和感を覚えさせない程度に表面的な話をするのが一番だろう。

 

 ・・・・・ただ、それで納得してくれるか。・・・・・いや、無理だろうな。

 

 問題はそこだ。

 おそらく、これまでやってきた様な誤魔化し方では、間違いなく隠し通せない。

 何せ、彼らにはUSJにおける脳無との戦いを見られている。以前の様な本質を避けただけの説明では、同型の”個性“でなかろうと、すぐに違和感に気づくだろう。

 

 これが他の学校の、他の科の人間であったなら、まだ可能性はあった。

 しかし、ここは雄英。全国から選りすぐりの人間が集められた最高峰の学園。その上、ヒーロー科は特に偏差値が高い。それこそ、超難関進学校に比べても遜色ないほど。

 そんなところに合格した人間が、穴だらけのカバーストーリーに何の疑問も抱かないなどというのは、高慢にすぎる考え方であった。

 

 ・・・・・さて、どうしたもんかな。

 

 言わないのではなく、言いたくないのでもなく、あくまで言えない。

 真正面から挑むには、実に厄介な問題だ。

 うまい落とし所でも見つけられればいいのだが、生憎こういった事柄に対しては士郎の頭の回転はさほどよろしくなかった。

 他人の知恵を借りたい所だが、その時点で相手に事情を話す事になるのでそれは最終手段。何より、今この場における追求を躱せなければ、そんな模索をする余地もなく――

 

「――予鈴なってるぞ。さっさと席着け」

「「「・・・・・・・・っ!!!」」」

 

 ガララ、という扉を引く音とほぼ同時に聞こえた聞き慣れた声に、席を離れていた生徒全員が弾け飛ぶ様に自身の定位置へと戻る。

 一秒とかからぬ動きだしは、迅速という言葉が鈍く思えるほどの俊敏さであった。

 教室に入ってきた人物――相澤消太の厳しさ、恐ろしさを、A組一同はよく理解している。

 非合理を嫌う彼の前で、いつまでも時間を無駄にすることがどういう意味を持つか、この短い学園生活の中で把握していない者はいない。

 あの充血した眼に睨まれながら、初日の爆豪やUSJのチンピラ連中よろしく簀巻きにされるのは非常に心象が悪い。誰も好き好んで同級生から同情の目を向けられたくはないのだ。

 

「おはよう」

 

 改めて教壇に立った相澤の出立ちは普段とは違う。

 最も目につくのは、肩から包帯で吊るしギプスでしっかりと固定された両碗。食事にせよ仕事にせよ、およそ一人で熟すのは不可能だろう。

 歩く姿勢には違和感があり、襲撃時に受けたダメージが抜けきっていないことは明白だ。

 頭部にも包帯が巻かれていたが、そちらは腕部に比べれば些細なもので、気怠げな表情はいつもと変わりなく見える。

 が、いずれにせよ重体という言葉が当て嵌まるのは事実で、出勤するには些か性急すぎる。

 これで復帰するつもりなのかと、何人かの生徒は戦慄を抱くほどだった。

 

「先生! お身体の方はもうよろしいのですか!」

「俺の安否なんぞどうでもいい」

 

 皆を代表して、飯田が相澤の容体に言及するが、当の本人は語る価値なしと、バッサリ切り捨てた。

 

「そんなことより、今日は重大な知らせがある」

「「「・・・・・・・・・・っ!」」」

 

 相澤の言葉に、教室内が今度は別種の緊張を帯びる。

 彼の傷のほどは見ての通りのもので、彼ら学生からすれば無視し難いものだ。しかし、それを差し置いて然るべきという知らせとやらが一体どんなものか、身を固めるのも無理からぬ話だ。

 先日の事件絡みか、さらなるヴィランの襲撃かと、多くの生徒が相澤の次の言葉に身構え、

 

「――雄英体育祭が、迫ってる」

 

 鋭い眼光で、一語一語に重みを持たせる様な声で、相澤はそう宣言した。

 その内容、耳にした言葉の意味を、生徒達は理解し、

 

「「「クソ学校っぽいの来たあああ!!!」

 

 歓声が廊下にまで響き渡る。本日二度目の大合唱である。

 たかが学校行事に随分なはしゃぎようではあるが、こと今回は話が別だ。

 

――雄英体育祭。

 

 それは、この雄英で執り行われる体育祭であると同時に、現行日本で特に熱狂される一大イベントだ。

 かつて最も栄えたスポーツの祭典といえば、古代ギリシャにおいて神へ捧げる神事として催された競技祭に端を発するオリンピックであった。四年に一度だけ開催されたその大会は、各国から選出された代表選手が集い競い、世界中の市民が湧き立つほどの規模だった。

 しかし、”個性“という超常を殆どの人間が個々に保有する現代では、純然たる身体機能及び技能を競う競技祭は以前ほどの興奮を生むことはなくなり、次第に人々からの求心力は失われていった。

 

 そこで、オリンピックに取って変わる形で台頭したのが、この雄英体育祭だ。

 全国でも最難関のヒーロー育成機関である雄英においては、その学校行事も他とは一線を画すものとなる。

 選手となる生徒達は、全ての競技で個性の使用が許され、その苛烈さは生身でのそれを遥かに凌駕するものだ。殊に、この雄英に集うのは全国でも最高峰となる将来有望なヒーローの卵達。生徒達の応酬は、並のスポーツ観戦では到底味わえない刺激を与えてくれるだろう。

 

 

「ついこの間、ヴィランに襲撃されたばっかなのに、体育祭なんか開いて大丈夫なんですか?」

「人が多く集まるタイミングを狙って、またヴィラン達が侵入してくる危険があるんじゃ・・・・・・」

「生徒に重傷者が出たのに楽観的すぎる――なんて、マスコミに揶揄されたりしませんか?」

 

 相澤からの告知に盛り上がる生徒がいる反面、体育祭の決行に懐疑的な生徒も居る。

 ヴィランによる襲撃という緊急事態に直面し、実際にその脅威に晒された彼らからすれば、学園の決定は軽率に映った。

 

「お前らの疑問ももっともだが、学園としては敢えて開催することで、こちらの危機管理体制が盤石だと示す――という方針らしい。警備も例年の五倍に強化して、当日はプロヒーローを全国から集めるそうだ」

 

 体育祭をこうまで強行する理由の一つに、プロヒーローを育成する学園である雄英が、取り締まるべき相手であるヴィランの襲撃によって尻込みする姿勢は見せられない、という思惑がある。

 雄英は――延いてはヒーロー社会は堅固であり、決して悪には屈さぬと市民に示すと同時、ヴィラン達への示威も兼ねた対応だ。

 加えて、雄英体育祭は日本でも一、二を争うビッグイベントということもあって、当日は各メディアによる生中継や実況が全国に放送される上、観客として一般人の立ち入りも許可される。

 当然、この日だけで莫大な数の人間と資金が動き、そう容易く中止や延期できる様な規模でもないのだ。

 

「それと、マスコミどうこうって話だがな。衛宮の件は、メディアには出回ってない」

「出回ってないって、もう事件の報道は――いやでも、確かにニュースで生徒に重傷者が出たって話は無かった様な・・・・・」

 

 よくよく記憶を思い返し、相澤の発言が間違っていないと生徒達は気付く。 

 確かに彼の言う通り、先日の事件について記した各情報媒体では、衛宮士郎の名前はこれといって挙がっていない。

 ヒーロー科二十一名の内の一人として、他の生徒と一緒くたにされていた筈だ。

 

「でも、なんでそんなことになってるんですか?」

 

 普通に考えればあり得ない。

 何らかの事件が発生した際、加害者や被害者の氏名が秘されて報道される事はある。だが、被害者そのものの存在が公表されていないのは異常と言う他ない。

 それではまるで、初めからそんな事実は存在していなかったと報せる様なものだ。

 

「衛宮、お前はなんか知ってんのか」

 

 切島が士郎へ振り向く。

 この異質な状況の渦中にいる人間であれば、その真相を知っているかもしれないと思ったからだ。

 

「あー・・・・・そう、だな。まあ要するに――()()()()()()

「・・・・・何だ、それ?」

 

 歯切れ悪く言葉を濁していた士郎だったが、ややあってから片手を掲げ、わざとらしく拳を握り込んだ。ギュッと、押し込む様な動作だ。

 苦笑する士郎の行動がどういう意味を持つのか理解できず、問いかけた切島は再度、疑問符を浮かべる。

 

「・・・・・ちょっと待ってください。それって――()()()()()、という事ですか・・・・・?」

 

 隣の席で士郎の所作を観察していた八百万が、士郎が何を言わんとしているか察し、その表情が見る間に驚愕へと染まっていく。頭に浮かんだ想像を、的外れであってくれと、そう願う様に。

 

「・・・・・・・・・・」

「嘘でしょう・・・・・・・」

 

 八百万の言葉に、士郎は無言。ただ、その顔に浮かぶ曖昧な笑みが、彼女の予想を言外に肯定している。

 認め難い事実、受け入れ難い現実であると、呆然とした呟きが彼女の心象を物語っていた。

 

 

 士郎が行った所作の意味。それはつまるところ――”隠蔽“だ。

 ヴィランによる襲撃に際し、教員二名が重傷を負うもののこれを撃退。訓練中の生徒達も襲われるが全員軽傷で、重大な被害は発生していない。重傷者はあくまで教員のみで、生徒達は全員が無事だった。

 それが事件当時の全てだと全国に流布する。

 それが、最終的に下された雄英の判断だった。

 

「そんな・・・・・そんな事が許されていいのですか!?」

 

 自らの知らぬうちに何が行われたのか。その事実を知った生徒達は誰もが困惑し、懐疑し、義憤を抱いた。殊更、飯田の憤慨ぶりは目を見張る。

 椅子を転がり飛ばす様な勢いで立ち上がり、両の掌を力任せに机に叩きつけていた。吊り上げられた瞳は、相澤を正面から睨みつけている。もっとも、本人にその自覚は無い。ただ、学園の人道に悖る行いに対して激昂する彼の感情が、自然とその様にしているだけだ。

 

「お前の言う通り、本来なら許される事じゃない。だが、この件についてお前らは一つ勘違いしてる」

 

 生徒からの敵視とも言える視線を受け、しかし相澤は僅かたりとも動じることはない。

 至って平静に、飯田の――クラスの怒りを肯定する。

 それは、彼も同じ考えを持ち、しかし立場故に学園の決定には逆らえぬが故か。――否、そうではない。

 仮に相澤がこの件に関して不服を抱いているなら、これほど穏やかでいられるわけがない。表に出さずとも、内に渦巻く怒気が滲み出ている筈だ。

 その気配すらないというのなら、彼はこの対応に一切の不満を抱いておらず――何より、怒りを向ける相手がいなかった。

 

「隠蔽の話を持ちかけたのは、衛宮本人だ」

「なっ―――」

 

 数十秒前、隠蔽という不祥事を知った時の衝撃が霞むほどの動揺がA組生徒達の間に生まれる。

 雄英が真実を隠して公表したという事実だけでも理解し難いのに、隠蔽された側である筈の士郎本人がその首謀者だなどと、とても情報の咀嚼が追いつかない。

 クラスの視線は再度、士郎に集中する。

 

「相澤先生の言ってる事に間違いは無い。死にかけて病院に担ぎ込まれたことは隠してくれって、俺の方から学校に頼んだんだ」

「わ、わけわかんねぇ。そんな事して何の意味があるんだよ・・・・・?」

 

 相澤の発言は事実だと認める士郎に、今度こそ彼らの理解の範疇を越える。

 自身が死に瀕するほどの傷を負い、その事実をわざわざ公表せぬ様にする事にどんな意味があるのか、それを瞬時に察せる者はこの場にいなかった。

 

「意味ならある。俺の事が公になって、その事で学園が責任を追及されたりなんかしたら、それこそ体育祭に支障が出るだろ。下手な波風立てずに済むんなら、そっちの方がいい」

 

 答えは、まさしく生徒が不安視していた事であった。

 仮に今回の一件を受け、学園に何らかの制限や罰則が発生すれば、体育祭の開催も危ぶまれる。

 士郎は、そこを危惧していた。

 

「マジでそんな理由で・・・・・・?」

「そんな理由って言うけどな、アレってプロがスカウト目的で見に来るんだぞ? もし俺の所為でそれがパァになったら、みんなからプロの目に留まる絶好の機会を奪っちまう。そんなのは駄目だ」

 

 至って真面目な表情で、隠蔽を提案した動機を士郎は語る。

 彼の言う通り、雄英体育祭は全国で心待ちにされる祭典というだけでなく、プロのヒーローが将来有望な学生をスカウトする場という側面がある。

 

 現状、プロヒーローという職は、まず既にヒーロー事務所を構えているプロの下に、活動を補佐する職員――相棒<サイドキック>として所属する事から始まり、そこで経験や技能を磨き十分な実力や基盤を得た後、独立し自身の事務所を立ち上げる、という流れが定石(セオリー)となっている。

 

 基本的に、ヒーロー科に在籍する殆どの学生はほぼ無名の状態からサイドキックとして雇ってもらえる事務所を探す事になるが、雄英においてはこの体育祭という行事にプロの方から生徒の検分に訪れてくれる。

 将来の進路が早い段階で決まりうるというだけでなく、この場で大きな活躍を見せつければ、より力のある事務所から目をかけられる可能性があるのだ。

 

 プロを目指す者なら、この雄英体育祭は決して見逃せない、またとない機会(チャンス)。中止になど、絶対にさせてはならない行事である事は語るまでもないだろう。

 

「・・・・・衛宮の言いたい事は分かった・・・・・・・・・・・分かったけど、何だかなぁ〜〜〜〜」

 

 何か上手く飲み込めないものと格闘している様な様子で、上鳴が頭を抱える。

 士郎の真意を理解し、クラスの人間は皆、一応の納得を見せている。しかし、それでもなお受け入れきれない感情もあった。

 確かに雄英体育祭は自身らにとって非常に重要な行事の一つである。だが、果たしてそれは、友人の不幸を闇に葬ってまで行われるべきものなのか、と。

 ヒーローという、良くも悪くも誠実や正義の象徴の様な存在を目指す人間であるが故の葛藤だ。

 

「みんながモヤモヤするのも分かるけど、俺は何とも思ってないからな。そりゃ、普段なら聞屋の飯のタネになるのも吝かじゃないけど、今回に限っては時期が時期だ。俺も好き好んで悪目立ちしたい訳じゃないし、無意味な面倒を避けられるならそれに越した事はないだろ?」

「・・・・・まあ確かに、下手に名前が出たらその分、世間に騒がれる羽目になるかもしれないのか」

「俺としても、そういうのは出来れば避けたい。だから校長に頼み込んで、俺の事は隠してもらったんだ」

 

 何処の国でも、真実の追求のもと活動するマスメディアはその信念の実行に余念が無く、時に取材対象の事情などお構い無しに嗅ぎ回る。

 追ってる彼らと、出回る情報にはしゃぐ無関係な人間には何ら痛手は無いだろうが、探られている人間からすれば厄介極まりない。

 事件の一部を秘匿しようとした士郎の心情には、頷けるところがあるのは確かだった。

 

「――さて。話は逸れたが、衛宮の処遇と体育祭についてはいま話した通りだ」

 

 生徒が一定の落ち着きを取り戻したタイミングを見計らって、相澤は本題に戻る。

 

「いまさら言うまでもないだろうが、当日はトップヒーローも見学に来る。名のあるヒーローに見込まれれば、そのまま将来が拓ける可能性だってあるだろう」

 

 この雄英の門戸を叩いた者の多くが、常に頂点を目指す気概を持つ人間である事を相澤は知っている。

 こうして尻を叩いてやれば、それだけで闘志に火が点くであろう事も。

 

「体育祭は年に一回、卒業まで計三回だけの場だ。ヒーロー志す以上、()()()してる暇なんか無い――その気があるなら、準備は怠るな!!」

 

 そう、余所見をしている暇など無い。

 三年という極めて短い時間で、彼らはプロヒーローに相応しい力を身につけなければならない。それは純粋な戦闘能力に限らず、他のヒーローとの競合に打ち勝つ為の能力も含まれている。

 たとえ後ろ暗い現実があろうと、時にそれを呑み込む事も必要なのだ。特に、本人が気負ってすらいない事柄にいつまでも遠慮するなど、以ての外である。

 そして相澤の目論見通り、殆どの生徒がかけられた発破によって気力を漲らせている。これといった変化が見えないのは()()だけだ。

 

「HRはこれで終わりだ――と言いたいところだが――」

 

 予定されていた連絡事項は既に伝え終えた。この時間での相澤の仕事は完了したと言っていい。

 が、それとは別に――つい数分前に出てきた追加の注意事項があった。

 

「お前らに一つ言っておく。衛宮の“個性”は少々特殊で、無闇に喧伝出来ない事情がある。本人の意思で語られる分には構わんが、お前らから話すように強制するのは認められん」

 

 話しながら、相澤の視線が微妙に芦戸に向けられる。

 どうやら、廊下で生徒達の会話を耳にしていた様だ。担任として士郎の事情を知る彼から、クラスメイトからの追及を振り切りきれない士郎への助け舟だった。

 

「それから衛宮。放課後、俺の所に来るように。――話は以上だ。今度は予鈴までに席に戻っておけよ」

 

 言うだけ言って、相澤は教室を後にする。

 残った生徒達の間には、いくらかどよめきが生まれていた。

 

「“個性”が特殊って、どういう意味だ・・・・・?」

「さあ。あんまり大声で話せないような事みたいだったけど・・・・・」

「本人に聞きたいけど、先生が無理強いはするなって言ってたしなぁ」

 

 ざわざわ、がやがや、と会話が繰り広げられ。

 当然、疑問に対する解答を望む彼らではあるが、相澤からの通告故に騒ぎの元凶から話を聞く事は出来ない。

 士郎も内心、相澤からの思わぬ援護に胸を撫で下ろしつつ、やはり適当に笑って誤魔化している。

 

 

 

――結局のところ。

  授業が始まるまでの間、誰一人として本人に話を切り出すことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 昼休みになった。

 朝から色々とドタバタしてたから、病み上がりの身としては割と心身共に堪えてる。普段ならそう簡単にへこたれたりはしないけど、今は身体に栄養が足りてない。昨日まで病院生活だった事もあって丸一日まともな飯を喰ってないせいだ。

 さっきから、身体がカロリーを欲して鳴いてる様な気さえしている。

 登校するときにミッドナイトから渡された握り飯ですら、染み渡る様な美味さを感じた。

 

 完全復活を果たす為にも、今はエネルギーが必要だ。今日弁当は持参してないから、学食でそれなりにガッツリとした物を摂ろう。初のランチラッシュ手製の昼食だし、一人でゆっくりと味わって食事したい。

 四限目終わり、そんな風に計画を立てていた――――立てていたんだがなぁ・・・・・

 

「いやー、運良くこんだけの席空いてて助かったー。食堂はいっつも人いっぱいだし、上手く座れなかったらどうしようかと思ったよ」

「そん時はそん時で、八百万にテーブルとか造ってもらってくっ付ければイケたっしょ」

「いえ、流石にそこまでのスペースは――というより、勝手に席を増やすのはどうかと・・・・・・・」

 

 賑やかに会話するクラスメイトの声に額を押さえる。俺は一人で学食に来るつもりだったのに、気付けば十人近いグループが出来上がっていた。

 どうしてこんな事になったのか。それは、教室を出る直前までに遡る。

 

『――エミヤん、確保』

『確保』

『は?』 

 

 席を立って教室を出て行こうとしてたところ、いつの間にか芦戸と上鳴が背後に回り込んでいて、振り返る間もなく両脇を抱えられていた。ガッチリと固定された上に、行動が意味不明過ぎて抵抗しようという気すら起きなかったのは、今になって致命的だったと少し前の己を叱咤する。

 

 というか、何故にあそこまで流麗な動作で捕縛に移行できた、そもそもどのタイミングで打ち合わせしたんだ。俺の知ってる限り、お前ら二人とも四限目まで一度も話してなかったじゃないか。

 アイコンタクトなのか。以心伝心なのか。揃ってテレパシーに目覚めたとでもいうのか。

 

「衛宮、なに頼むんだ? 病み上がりだろうし、俺が代わりに取って来るぜ」

「・・・・・いや、いいよ。普通に過ごす分には問題ないから。後、注文は決まってない。・・・・・・拉致されたのがいきなりすぎて、そこまで気が回ってなかった」

 

 切島の提案を断り、改めて周りを見回す。

 目に映るのは九人のクラスメイト。八百万、切島、上鳴、耳郎、芦戸、蛙吹、峰田、麗日、飯田。彼らは俺を囲むような形で座り、何を食べるやら午後の講義はやらと、雑談に興じている。

 

 なんで上手い具合に逃げられなかったんだと、随分大所帯になった一団を見て、今更のように後悔が押し寄せてきた。

 第一、最初は芦戸と上鳴の二人だけだった筈だ。それが何をどうしたのか、教室を出る時には飯田と麗日以外は集まってて、その二人も道すがら合流してた。

 ドナドナされゆく俺の後から、気付かぬうちにゾロゾロとクラスメイトが付いてくる異様な様は、しばらく記憶から消せそうにない。

 

「・・・・・それで。みんなして俺を引き摺ってきた理由は何なんだ」

 

 カウンターで注文した料理を受け取って席に戻った後、もはや避けられぬと観念し、大人しく目的を聞く。

 

「エミヤん、なんか機嫌悪い?」

「・・・・・あのなぁ。こっちはいきなり拘束されたかと思えば、理由も説明されずに連れてこられたんだぞ。不機嫌とまではいかなくても、戸惑うくらいはするだろ――で。本当にどうしたんだよ」

 

 本当に酷い話だと思う。何処ぞの社会主義国の諜報員でもあるまいに、許可も得ず人を連れ去ろうというのは、あまりに非道ではなかろうか。

 今の心境を語れと言われれば、屠殺場に送られる家畜、或いは孤立無縁で捕えられた地球外生命体の気分そのものだ、と答えざるをえない。

 

「うんまあ、早い話、今朝の話の続きがしたかっただけなんだよね」

「今朝のって・・・・・俺の“個性”の事か?」

「そうそう。ほら、朝は途中で先生も来ちゃったから、最後まで話せなかったじゃん? だから、今度こそ最後まで話して貰おうって」

 

 俺を連行した下手人二人は、悪びれもせずに連行してきた目的を白状した。

 確かに、彼らの疑問には最後まで答えていなかったが、それは元から話すつもりのないことだ。こんな事をされても、こちらの気は変わらない。それ以前に――

 

「HRで相澤先生に釘刺された事、忘れたのか? 事情があるって言ってただろ。話したくても話せないんだ」

 

 芦戸からの追及を躱せず四苦八苦していた俺に届いた、思いもよらぬ援護。

 彼からの忠告を聞き、もう諦めたものと思っていたのだが、どうやら彼らの好奇心はそう簡単には無くならないらしい。

 

「俺たちもそこは分かってるし、強制しようとは思わねえよ? けどさ、せめて質問ぐらいはさせてくれよ」

「話したくない事なら言わなくていいし、無理には聞かないから。ね、お願いっ」

 

 パン、と手を合わせて芦戸はこちらを拝む。神社で神様相手にする様な礼拝に比べれば厳かさに欠けるが、少なくとも巫山戯ているような気配は感じない。

 ただ好奇心を満たしに来たにしては、えらく真剣な様子だ。

 

「他のみんなも同じ理由か?」

 

 芦戸達から視線を切り、他の面々に尋ねる。

 示し合わせた様に俺達と一緒に移動してたからまず間違いないと思うが、一応の確認だ。

 

「おっしゃる通り、私たちもお話をお伺いしたく、こうして同行させて頂きました」 

「・・・・・まあ、そうだろうな」

 

 別の用事だ、とでも言ってくれれば幾分、心が休まったが、現実がそう優しいモノな筈もなく、この場にいる全員が同じ目的で来ている。そうでもなけりゃ、普段からつるんでもない面子がこうも一塊になる事ないだろうし。

 

「でもなぁ、俺の“個性“についてと言われても、概ねはみんなが認識してる通りのもので、これといった情報なんて無いぞ」

 

 ”個性“について知られちゃ拙いのは、あくまでその成り立ちだ。“個性”という現象に対する現行の認識や常識を真っ向から無視する在り方が、騒ぎの元になり得るから秘匿しているだけ。

 実際の扱い方や現実に発現出来る効果に焦点を当てれば、類似例はいくらでもある。

 だから個性について話せと言われても、彼らが知っている以上の事なんて、実はあんまり無い。

 

「上鳴も言ってたけどよ、俺らも深いとこまで突っ込む気はねぇんだ」

「でも、もし衛宮ちゃんが許してくれるなら、一つだけ聞きたいの」

「一つだけ、ね・・・・・」

 

 わざわざ昼休みに集まって知りたい事がただの一つだけというのは、実に豪快な時間の使い方だ。仮に俺が断れば、まるっきり時間の無駄になるし、聞いて楽しい話でもないだろうに。

 その辺を考慮した上で、それでも聞きたいこと、ということか。

 

 ・・・・・どうするかな・・・・・・。

 

 緑谷が絶賛していたカツ丼を突つきながらみんなの要望を検討する。もし彼らが、俺の“個性”について根掘り葉掘り問い質すつもりだったなら思考も挟まず断っていた。

 けど、実際に聞きたいと言っているのはたったの一つ。それならこちらにも考慮の余地がある。

 

 なかなか上手いやり方だ。先生から言われた言葉から込み入った事情があると理解して、俺から話を聞き出すのは難しいとみんな悟った。そこで、引き出す情報を絞る事で自供のハードルを引き下げようとしている。

 それに、深入りするつもりはないとも言ってたから、俺が細部を秘して話しても聞いた内容だけで納得するんだろう。

 

 ・・・・・中身次第、か。

 

「・・・・・とりあえず、何を聞きたいのか言ってくれ。そこを教えてもらわないことには、こっちも判断できない」

 

 丼と一緒に頼んだうどんを啜った後で、その聞きたいこととやらの詳細を尋ねる。

 少々、軽率な判断だとは思うが、話せる内容を限定するなら問題はさほど無い。

 USJの件で余計な心配をかけてしまった負い目もある。俺も、話せる範囲でなら答えてやりたい。

 

「では、皆を代表して、俺から発言させてもらう」

 

 ス、と腕を伸ばして、天を衝くように挙手したのは飯田だった。

 譲られた形とはいえ、彼は我がクラスの学級委員長。進行やまとめ役なら、彼が適任か。

 

「俺たちがこうして集まった理由。それは――USJで君の身に起きた現象を、教えてもらう為だ」

「・・・・・やっぱりか」

 

 真剣な表情で告げられた言葉に、内心でため息をつく。

 内容そのものは半ば予想していたからあまり驚きはない。けど、それはやはり、聞いて欲しくない部分の一つだ。

 

 刃で磔になるあの状態を詳しく説明してしまえば、そこから疑問は連鎖していくだろう。そしていつかは、俺の“個性”の核心に辿り着く。

 それは突飛な発想かもしれないが、過去に一人の研究者は自力でその事実に辿り着いた。彼ら優秀なヒーロー志望が――特に、八百万のような人類というカテゴリでも最高峰の頭脳を持つ人間なら、同じ結論を導き出すかもしれない。

 

 だから、絶対に詳細は話せないし、客観的に考えても話すべきでない事は確実だ。

 第一、なんでみんなはそんな話を聞きたいのか。少なくとも、聞いていて気持ちのいい話ではないし、飯時に選ぶ類の話じゃない。

 

「一応、聞きたいんだが、何でアレを知りたいんだ。使ってる俺が言うのも変だけど、気分の良い話じゃないぞ」

 

 警告の意味合いも兼ねて、彼らがその問いを選んだ理由を聞く。

 ただの好奇心止まりなら、あんな血生臭いリスクは知らない方が良いし、俺もできることなら隠しておきたい。

 理由如何によっては、ここでこの話は終わりだ。

 

「んー、とね。実のところ、アレそのものをそこまで知りたいってわけじゃないんだよね」

「・・・・・何だ、それ。やってる事と矛盾してるぞ」

 

 芦戸の言葉に、思わず首を傾げる。

 俺が何で串刺しになったのか。その原因を知りたかったから、わざわざ俺を拉致してきたんじゃないのか。

 

「なんて言うか、さ。“個性”の秘密が気になるっていうより、どうしてああなっちゃったのかなって、そう思っただけなんだ」

「・・・・・? 同じ事じゃ無いのか?」 

 

 ますます、頭が混乱してきた。

 俺の隠し事を知りたいわけではないと言いながら、あの現象の正体を探ろうとしている。

 いったい全体、みんなは何が言いたいんだ。

 

「あの時のエミヤん、滅茶苦茶ピンチだったじゃん?」

 

 改めて話しはじめた芦戸。その声に、いつもの明るさが無い事に気づいた。

 笑みは浮かんでいるがどこか神妙なもので、それが今朝の芦戸と被って見える。

 

「いきなり体から剣みたいなのが生えて、ボロボロになってさ。エミヤんからしたらアレは不思議な事じゃなかったのかもしれないけど、見てるこっちは何が起きたのか分からないし――正直に言えば、アタシはすごく怖かった」

「怖かった・・・・・?」

 

 半ば独白の様に吐露された心情に、しかしいまいちピンとこない。

 それがどう話に繋がってくるのか、という疑問もあるが、いったい何を恐れたのか、そこが理解できなかった。

 あの時、傍目で見ても彼らに差し迫った脅威は無かったし、生えてきた刃がいきなり飛びかかっていくような事も無かった。ヴィランだってこっちで押さえてたから、彼らが恐怖心を持つような要素は無かった筈だ。

 

「・・・・・もしかして、あの姿が気味悪かったか? なら、不快な思いをさせて悪かった」

 

 思い付く限りであり得そうなのは、それくらいだった。

 全身に刃を生やし、血を滴らせながら動くヒトガタモドキは、確かに気色の悪い存在だろう。

 そこを指摘されているなら、俺に反論の余地は無い。

 

「違う違う、そういう事じゃないって」

「違うのか?」

 

 が、予測はあっさりと否定された。

 違うよ、と言う芦戸の顔には、どこか呆れたような苦笑が浮かんでいる。

 

「やっぱ分かってないかぁ。エミヤん、変なとこで鈍いし。――アタシが言いたいのはね。あの時、エミヤんが死んじゃうんかもしれなくって、それが怖かったてこと」

「俺が死ぬ事が、怖かったのか・・・・・?」

「・・・・・アタシ、これでも結構臆病でさ。ヴィランに襲われて先生が倒された時も不安だったけど、エミヤんがあんなになった時はもっと怖くて、思わず泣いちゃったんだよ?」

 

 気恥ずかしそうに頬を掻く芦戸を前に、やはり疑問が先に来る。

 死にかけの俺に、何を感じて恐ろしくなったのか。あの時の光景を見て、自身にも同じ結果が待っているのではないかと恐れた、なんていう様子でもない。

 ヴィラン相手ならまだしも、俺の死に恐れを抱く要素なんて、いったいどこに――

 

 ・・・・・・あ。

 

 ふと、今朝の出来事を思い出す。

 それは、一日の始まりにするには些か重い会話で。しかし、衛宮士郎にとっては何処か懐かしくも見知らぬ、初めての景色を見せた。

 あの時、登校してきた俺に、彼らは何と言ってくれたのか。

 

「つまり、芦戸が言いたいのは――」

「エミヤんが心配だから、もうあんな姿にさせない様に、エミヤんが何であんな事になったか知りたかったんだ」

「――――」

 

 芦戸から聞かされた答えに、言葉を失う。

 彼女の言葉が予想外だったから――じゃない。偏に、己の無自覚さに呆れたのだ。

 俺は、彼らの友人でいようと、みんなとの関係性を改めたばかりだっていうのに、いまだにその自覚が追いついていない。だから、芦戸が俺の死を恐れた理由をすぐには気付けなかった。

 普通、友人が死に目に遭ったならどう思うかなんて、いちいち考えるまでも無いだろうに。

 

「てゆーかー、今朝も似たような話をしたばっかなんだし、もうちょっと早く気づいてくれても良くない?」

「・・・・・芦戸の言う通り、もっと早く思い付くべきだった。察しの悪いヤツでごめん」

 

 不満そうな顔で批難されるが、全くもって反論のしようもない。

 彼女らは俺の身を案じてくれていたというのに、俺は呑気に昼の献立を考えていた。薄情者と、そう指さされても文句ひとつ言えない。

 

「・・・・・ん。いつまでも気づいてくれなかったのはちょっとショックだったけど、”友達“だから許してあげる。ねー、みんな?」

「別に、許すも何も無いけど・・・・・まあ、そんなに気にすんな」

「そうそう。ウチら、別に衛宮くんを責めるつもりなんて一切無いから!」

「・・・・・そう言ってくれると助かる」

 

 ニシシ、と悪戯っぽく笑う芦戸と、気にしていないと言ってくれるみんな。

 その優しさが、胸に温かかった。

 

「――分かった。あんまり詳しい説明は出来ないけど、あの状態が何だったのか、大まかな仕組みは話すよ」

「おお! ついに決心したの!?」

「元々絶対に話せない話ってわけじゃないし、みんなには心配かけたからな。詫びの印、だなんて言えないけど、最低限の疑問は解消するつもりだ」

 

 それが、彼らに心労をかけた俺が、果たすべき責任だと思うから。

 詳細は伏せたままだし、腑に落ちなくても無理やり呑み込んでもらう事になるけど、事の流れは教えてやれる。

 

「一応、今から話す内容は知りたい奴には教えてもらっても構わない。ただ、話に違和感を感じても、今はそういうモノなんだって納得して欲しい」

 

 説明に移る前に、そう前置いてみんなを見回し、全員が頷いたのを確認してから話を始める。

 

「まず初めに、あの現象の正体だけど――大雑把に言えば、あれは単なる自滅だ」

「自滅っていうと、緑谷くんみたいにか?」

「ああ。雑な見方をすればどっちも同じようなもんだな」

 

 分かりやすく例を出してくれた飯田くんに乗っかる形で肯定する。

 こう言う時、彼のような人物がいると話を進めやすい。

 比較対象として、緑谷は最も身近なサンプルだから、みんなも理解しやすいだろう。

 

「ただ、細部を見た時、俺と緑谷の自傷は少し事情が違ってくる」

「と、言うと?」」

「緑谷の自傷は、100%の出力に対して身体が追いついてないから起きるものらしい。けどそれは、身体さえ適合してしまえば起きる事はない」

 

 緑谷から聞いた話で、それまで”無個性“だった彼がある日を境に超怪力という”個性“を発現させたらしい。

 元からあったものにあの歳まで気付かなかったのか、それとも、本当に突然変異で新たに発生したのか。その辺りの事情は不明だし、俺も実態がどうかなんて興味は無い。

 問題は、その能力が緑谷に全く適合していなかったって事。当たり前だ。それまで存在にすら気付かず、一度として使った事も無いんだから、身体に馴染んでいるはずがない。

 彼の”個性“による肉体の自壊は、単に練度不足が原因だ。

 

「けど、俺は違う。体の強度は関係無くて、許容値や明確な限界も無い。体力の続く限り望めば望むだけ生み出せる。それこそ、一度に千以上の剣を産み出すことだって可能だ」

「千て、めちゃくちゃな数だな」

「ヤオモモ、創造型の“個性”ってそんなにいっぱい作れるの?」

「それぞれの“個性”が持つ性質や、創造する物質の質量によって変わるかと思いますが・・・・・・少なくとも、千単位の刀剣を全く同時に産み出すなんて芸当、通常ではまず不可能です。少なくとも、私に同じことは出来ません」

 

 確かに、他の創造型に比べて、単純な物量という観点で言えば、俺の投影は群を抜いている。素材にしているものと、ソレが来ている場所が、俺と彼らとでは全く違うからだ。

 他が自身の肉体にある要素、或いは周囲の物質から素材を確保しているのに対し、俺は自身の精神という、現実には無い場所から汲み上げている。今の所、その在庫に底は見受けられない。“無限”と、そう錯覚出来るほどに。

 それが、常軌を逸した物量を用意出来る理由。純粋に、扱える素材の量が違うのだ。

 

 そして、生成時間の差は工程の違い故だ。

 彼らは素材を組み合わせ入れ替えて、そうして望みの物を創り出す。けど俺の場合、設計図を想起し、それを展開させた時点でモノは完成している。

 早い話、工場で組み立てるか、3Dプリンターを使うかの違いみたいなものだ。

 

「でもさ、そんだけの量をリスク無しで扱えるんなら、何であんな風になっちまうんだよ。 そういうのって普通、キャパオーバーになるから起きるもんじゃねーの」

「峰田君の言う通り、緑谷君の様に出力するエネルギー量に左右されないなら、USJの時の様な自滅は起こらないはずだ」

「そりゃ、別の所に原因があるからな」

 

 まあ、汲み上げる素材の量次第で出てくる刃の数も変わってくるから、全くの無関係ってわけでも無いけど、その辺は割愛。

 

「俺がああなる理由だけど、要は手綱を握れてるかどうかの違いなんだ」

「手綱、ですか・・・・・?」

 

 はて、と不思議そうに首を傾げる八百万。

 他の連中はともかく、”創造“という類似点のある能力を有するからこそ、俺の表現にはしっくり来ないんだろう。

 

「ざっくり説明すると、俺の”個性“――投影を扱う為に必要な素材は俺自身の中にあって、その総数はさっきも話した通りかなりの量だ。俺は普段、その素材を必要な分だけ引き出して扱ってるんだが、扱いはそれなりに難しい。もしソレが制御を離れて内側で溢れれば――」

「その超過分が、体に刃として現れる――という事ですか」

 

 先の表現と合わせて瞬時に把握した八百万に頷いてみせる。

 彼女は自身の脂質を利用・変換して物質を生み出している。一度に扱える量は決まってるし、素材そのものが彼女を傷つける事はあり得ない。

 その差異があるから、さっきの表現にもすぐに理解が及ばなかったんだろう。

 

「なんか、分かったような分からないような・・・・・」

「俺たちの”個性“は創造型じゃねーし、いまいちイメージ湧かねぇ」

 

 八百万が一度の説明で理解を示したのに対し、モノを産み出すという行為そのものに馴染みがない面子は、今の話じゃ説明不足だったらしい。

 こればかりは生まれ持ってのものだから、仕方ないだろう。

 

「水道なんかを想像してくれたら分かりやすいと思う。蛇口を適切に捻れば適量の水を流せるけど、何も考えず力任せにしたら、流れ出る水も勢いを増すだろ?」

「あー。それならイメージしやすいかも」

 

 ぽん、と手を叩くという古典的な表現で、麗日はようやく得心がいった、と納得顔を見せる。

 他の連中も、今ので大体は理解してくれたらしい。

 

「という事は、USJでああなったのは、ヴィランとの戦いで”個性“を制御出来なくなったせいかしら?」

 

 人差し指をふにん、と唇に当て、蛙吹さんはあの時の流れを推測する。しかし――

 

「いや。俺が自滅したのにヴィランは関係無いよ。それに、予想外の出来事程度で制御を失敗するほど未熟ではないと思ってる」

「予想外程度って・・・・・普通、それでも十分な理由なんじゃ・・・・・ていうか、さっきああなる原因は”個性“が制御出来なくなったから、て言ってなかった?」

「正確に言えば、()()()()()()()()()()、だな。」

「・・・・・・・・・・・謎かけか?」

 

 上鳴がまた唸ってる。頭から煙が出てるように見えるが、そんなに難しい事だろうか。

 複雑な意味なんて無いし、至極単純な話なんだが。

 

「だからさ。制御出来なくなったんじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()

「んん? 自分から手放した? ・・・・・・・ちょっと待って。それって、まさか――」

「わざと、あの姿になったんですか・・・・・?」

「そういう事」

 

 耳郎と八百万は理解してくれたらしい。

 彼女達の言う通り、俺が死にかけたのはあくまで自分の選んだ事。ヴィランのせいでもないし、手抜かりがあったわけでもない。あの時の状況で、戦い抜く為にした選択だ。

 何一つとして、難しい話じゃなく――

 

「き、君はっ! ()がいない間に、なんて危険な真似をやってるんだ!?」

「信じらんねぇ! 自分でヤバくなるって分かってんのに、何であんな事してんの!?」

「ほんと何考えてたのエミヤん!?」

「そ、そんなに叫ばなくっても聞こえるから、落ち着けって」

 

 凄まじい剣幕で詰め寄られた。

 ばん! とテーブルに手をついて身を乗り出してるから、自然と距離が埋められてる。

 特に、両サイドの上鳴と飯田くん。顔が近い、近い。

 

「とにかく。みんな普通に座ってくれ。ほら、周りの視線もあるしさ」

「そ、そうだな。少し軽率だった」

 

 話に没頭して忘れてたのかもしれないけど、ここは学食だ。

 一年から三年まで、ヒーロー科に限らず他の科の生徒も利用してる。人の多さなんて言うまでもないし、あんまりうるさいと視線が集まってくる。

 彼らが何でこうも焦っているのか流石に今度は分かってはいるが、人に聞かせたい話でもないし、出来ればあまり目立ちたくはない。

 

「改めて聞くけどさ、衛宮は何で自分から制御を手放したの。そんな事したらどうなるか、自分で分かってたんでしょ? それなのに、どうして・・・・・・」

 

 立ち上がった面子が座り直したのを確認して、耳郎が話を仕切り直す。

 彼女が言う通り、一見すれば理解不能な行動だろう。

 瀕死になると分かっていながら、自ら制御を放棄するのは、自殺志願者と大差無い。けど――

 

「俺も出来ればしたくなかったさ。けど、あの時はああでもしないと戦えなかったから」

「確かに、衛宮くん結構追い詰められてたけど・・・・・・いや待って、戦う為にあんな事したん!? 生き残るためやなく!?」

「ああ。右腕は完全に使い物にならなくなってたし、武器を扱う余裕も碌に残ってなかったからな。だから全身刃尽くしにして、武装しようとしたんだ」

「マジで無茶苦茶だなぁお前! なんなんだよそのクソ度胸、怖すぎんだろ!? 緑谷でももうちょい躊躇うわっ!!

 

 麗日と峰田がえらく仰天してるが、これに関してはそんなに不思議がる事でもない。

 どの道、ああでもしないと握り潰されてたし、仮に投影で拘束から脱しても後が続かない。無論、ヴィランとの戦いに最適な方法を選んだ結果ではあるが、同時に生き延びるためでもあった。

 命を賭ける覚悟は初めから出来てるけど、俺だって意味も無く死んでやるつもりはない。

 

「まあとにかく、USJで起きた事の正体はこれで概ね話し終わった。これ以上は聞かれたら困るから、質問は無しで頼む。――お前の事だぞ、八百万」

 

 こじんまりとした説明会を締め括って、最後に八百万へ釘を刺しておく。

 もうなんか、いかにも質問したいです、みたいな顔でウズウズしてるの丸わかりだったからな。

 槍玉に挙げられた本人は、はう! なんて呻いて残念そうな顔をしてるが、俺にも事情というものがあるので大人しく諦めてもらおう。

 

「あはは。まあ仕方ないよヤオモモ。いつか話してくれるのを期待して、今回は諦めなー」

「そうそう。もしかしたら、そのうち口滑らしてくれるかもしれないしさ。元気出しなよ」

「出来ればそんな状況には陥りたくないがな・・・・・てか耳郎、お前は俺を何だと思ってるんだ」

 

 気落ちする副委員長を芦戸と耳郎が笑って励ましてるが、二人ともえらい言い草だ。

 自分から話すと決めるならまだしも、間違えてそんな話をするほど、俺はうっかりではない。

 第一、そんな大事なとこで間の抜けたことする奴は、俺みたいな見るからに平々凡々とした人間じゃなく――

 

 ・・・・・・あれ? いま、変な事考えてなかったか?

 

 気付かぬうちに、思考がおかしな方向に向かっていた。

 今の話のどこを取れば、うっかりをやらかす人間の特徴なんて考えに向かうのか。

 自分で思い浮かべておいてなんだが、まるで理解できない。

 

 ・・・・・なんか、背筋が寒くなってきたような・・・・・

 

 本当に唐突に寒気がしてきた。

 季節の変わり目で風邪でも引いたか。或いは、病み上がりの体が調子を崩してるのか。どっちにしろ本調子でないのは間違いない。

 さっきの変な思考も、それが原因だろう。うん、そういう事にしておこう。

 

「まあ何はともあれ、衛宮くんが無事に生還出来て良かった!」

「まったくだ。俺など、事件が終わってからというもの、四六時中君の安否が気になっていたんだぞ」

 

 無事を喜ぶ声を聞いて、改めて己がいかに未熟であるかを思い知る。ヴィランとの戦いをもっと上手く運べていたなら、彼らに無駄な不安を抱かせることもなかった。

 俺の心配などせずに割り切ってくれれば簡単な話なんだが、彼らという人間にそれは無理な頼みというものだろう。ヒーローを志し、人情や道徳を重んじる彼らが、知己の大事に平然としていられるわけがない。

 俺だって、もし知人が死にかけていれば居ても立っても居られなくなるのだから、人の事を言えたもんじゃないしな。

 

「飯田の気持ちも分かるよ。俺なんか、衛宮が今朝いきなり登校してくるまで、ぜってぇ死んでるって思って――」

「上鳴ちゃん。気持ちは分かるけど、縁起でもないこと言わないで」

「あー、蛙吹さん? 心配かけさせた俺が全面的に悪いから、舌で刺突を繰り出すのは勘弁してやってくれ。俺も大して気にしてないから」

 

 割と無神経な発言をする上鳴に、蛙吹さんの鋭い舌撃が突き刺さるが、状況が状況だったから嫌な未来を思い浮かべても仕方がない。

 

「そう言う衛宮ちゃんもよ。あの時、傷ついていくあなたを見て、私とっても辛かったわ。悪いと思うなら、お願いだからもうあんな事はしないで」

 

 舌を仕舞ってくれたのも束の間、今度はこっちに矛先が向けられた。

 よくよく思い出せば、緑谷と一緒に彼女もあの場に居たんだったな。なら、俺が串刺しになった瞬間もそれなりに近い位置から見ていたんだろう。

 そういう言い分――お願いが出てくるのも分かる。

 

――あぁ、でも。

 

「―――悪いけど、それは約束出来ない」

「え・・・・・?」

 

 蛙吹さんの目を見て、拒絶の意思を伝える。

 返答を受けた彼女の表情は、その瞬間に切り取られた様に固まっていた。

 

 今のは、どうしようもないくらい冷淡な発言だったと思う。彼女はただ、衛宮士郎という人間の身を案じてくれていただけなのに、それを俺は一秒とかけず無為にした。

 冷血漢と、そうなじられても仕方ないほど、人情を足蹴にした答えだった。

 

 無論、分かっているのだ。

 自分の所為で彼らの心に傷をつけた事も、その為にみんながどれだけ俺を案じてくれたかも、ちゃんと理解している。

 出来るのなら、俺の手でその瑕疵は埋めるべきだ。埋め合わせの頼み事も大抵は受け入れよう。

 

――それでも、いま告げられた願いにだけは、どうあっても頷けない。

 

「な、何でだよ! 衛宮も、さっきはやりたくてやったわけじゃないって言ってたじゃんか! そこは大人しく頷いとくとこだろ!?」

「そうだよ! どんだけリスクがあるか、衛宮が一番よく知ってるんでしょ! また同じ事があったら、今度は生き残れないかもしれないんだよ!?」

「確かに、そうだな」

 

 身を固めた蛙吹さんに代わって声を荒げたのは峰田と耳郎。

 無謀を咎めた嘆願を跳ね除けた俺に、半ば怒ったような顔で先の発言を取り消す様に迫る。

 ああ。二人の言葉は正しい。

 自死を乞いかねないほどの痛みも。全身が灼けついているのに末端から徐々に熱を失っていく感覚も。世界が暗く染まって深い闇にどこまでも堕ちていくかのような錯覚も。

 どれ一つとして味わいたくはない。避けて通れるものなら、俺はいくらでも手を尽くすだろう。

 

「でもそれは、他にやりようがあれば、の話だ」

 

 方法、選択肢、可能性。

 何だっていい。衛宮士郎に取り得る手段なら、何でも当てはまる。

 それがある内は、俺も身の振り方を選べよう。

 

「けど――」

 

――仮令、そこに分かれ道が無いとすれば。

 

「――あの時と同じような惨劇が目の前で繰り広げられて、そこから誰かを救い出す為にこの身体を差し出さなくちゃならないなら――俺は、迷わずその方法を選ぶ」

 

 静かに。しかしハッキリと、自らの意思を告げる。

 衛宮士郎には、苦しむ人を見過ごす事は出来ない。人々の日常を理不尽な悪意によって壊される事は、この身が引き裂かれるよりなお受け入れ難い苦痛だ。

 その地獄を覆せるというのなら、痛みも死も何ら恐ろしくはない。

 

――しかし、だからこそ。

 

「みんなの心配も分かってる。けどその上で、俺はまたいつか同じ様な事を繰り返す」

 

 それは、確定した未来だ。

 生涯、衛宮士郎がヒーローとして生きていく以上――正義の味方を目指していく以上、避けては通れない道程。

 人の世から争いが消える事はなく、悪意を溜め込んだ人間は呆気なく日常を奪っていく。真の平和はいま以って人智未踏の境地だ。

 それらとの戦いに、容易なものなどありはしない。

 予想はいつだって現実に上回られ、視野を広げるほどに理想との隔絶は埋め難くなっていく。

 

 衛宮士郎の力は、その障害を前にあまりにちっぽけだ。世界という名の壁を穿つには、それこそ世界にも屈さぬ英雄の如き力が求められる。

 そんなもの、ただの人間に持てるものじゃない。

 他の追随を許さぬ才を、一生を通して弛まず磨き上げ、常に己を凌駕する苦難に勝利し、さらには己が運命すら乗り越えた者にしか、その領域には踏み入れない。

 現代において真実、英雄と呼べる者は衛宮士郎が知る限りたった一人だけだ。

 

 当然、そんな地平を見る事は戦う者ですらない衛宮士郎には能わない。――しかし、それでもなお理想を求めるというのなら、分不相応な願いに見合った代価を積み上げる他ない。

 自身の命を担保にし、利用出来る全てを利用し尽くし、その果てに勝利を掴み取る。

 それが衛宮士郎の戦い、成し得る限界であり――故に、末路は決まっている。

 

「だから、俺がまたUSJの時みたいな事になっても、みんなが気にする必要は無い」

 

 彼らの忠告と懇願を聞きながら何一つ顧みず己を変えられない、筋金の入った大馬鹿者。

 そんな男の行く末に気を揉んだところで何になる。

 馬耳東風。忠言も右から左に流れていくのなら、彼らの思いやりも骨折り損でしかない。

 

 ・・・・・だから、無理な頼みと分かっていても、言っておかなければならなかった。

 少しでも、彼らの中で“衛宮士郎”という存在が軽いモノになる様に。その気遣いを、より多くの人に向けてくれる様に。

 生き方を変えられないこの身に、彼らの優しさは過ぎた浪費なのだ。

 だから、衛宮士郎の安否に気を割く必要などないと、頭の良い彼らならきっと理解してくれる筈で――

 

「ふざけないでください!!」

 

 

――だと言うのに。

 

 

――そう容易く頷いてくれるほど、俺の友人は物分かりのいい人間ではないらしい。

 

 

 

 

  

  

――この瞬間、八百万百の心を染めるのは怒りだけだった。

 

 友人の願いを聞き入れず、これからも自身を酷使するつもりでいる少年の請願はとても聞き入れられるものではない。

 彼が最後に放った言い分を耳にした時点で、忍耐という言葉はとっくにその意義を失っている。 

 

 ・・・・・気にする必要は無い、ですって?

 

 なんだそれは。

 ふざけているにも――馬鹿にしているにも程がある。

 こちらの想いは今朝に語った通りで、その意図を彼は過たず理解した筈だ。共に歩み支え合う存在として在ろうと、そう言ったのではなかったか。

 いったいどこの世界に、友の窮地に無関心でいられる人間がいようか。

 

「既にお伝えしたはずです。私たちは友人としてあなたが大切だから心配するのだと。それとも、ほんの数時間前の事をもうお忘れですか?」

 

 きっ、と彼を睨みながら言葉を紡ぐ。

 視線の強さは、そのまま想いの強さとイコールだ。

 どうでもいい人間だったなら、彼女は初めから衛宮士郎を気にかけてはいない。死を覚悟で彼を引き留めてなどいない。

 

 気にするな、などと。

 そんな言葉に頷ける程、半端な心持ちは持ち合わせていない。

 

「・・・・・勿論、忘れちゃいないさ。自分で言った事を今さら反故にする気はない」

 

 それはそうだろう、と分かりきった返答に内心で頷く。

 もしそんな記憶さえ残っていなかったなら、彼女は士郎の痴呆を疑っていた。

 直近の出来事であるということ以前に、アレだけ正面から思いの丈をぶつけ合った鮮烈な遣り取りを忘れる様な、無機質な人間だとは思っていないからだ。

 

 しかし、だからこそ腹立たしい。

 彼は、クラスメイトたちの想いを理解して。この場の誰一人として、傷つく彼の姿に平然としていられないと分かって。その上で、あの無神経な発言をしたのだ。

 

「覚えているのならどうして、気にする必要はない、などと言うのですか」

 

 彼は自身に向けられる想いを認識し、そして彼女らの語る道理を理解した。友の不幸を見て見ぬ振りは出来ないと、何より彼自身が賛同している。

 その彼が、今更になってその道理を否定する事は筋が通らない。

 いったい何故と、彼女が疑問を抱くのはごく自然と言えた。

 

「・・・・・さっき言った通りだよ。俺は自分の考えを――生き方を曲げられない。謂れもなく傷つけられる誰かを守れるのなら、どんな事だってする」

 

 決死である。

 背後の人々を守り抜く為、彼は全てを賭けねばならない。己の命はもとより、他人の力も、敵の思考をも利用し、あらゆる手を尽くして背後の人々を守り抜く。

 

 ・・・・・或いは、トップヒーローに比する才覚が備わっていれば、また違ったのかもしれない。

 オールマイトのように、独力で以って千の人々を死地から救い出せる様な力を得られるのなら、彼ももっと上手くやれたのだろう。

 だが現実には、彼が天より与えられた才は微々たるもので、特殊な個性はただ扱いが面倒なだけで、戦力としては凡庸止まり。

 それでも彼が自らの“個性”を武器として戦っていく限り、二日前の光景は何度でも繰り返されるだろう。

 

――しかし、だからこそ。

 

「俺はいざとなれば友達の心配も無視して戦う。――そんな奴を気遣っても、みんなの思いやりが無駄になるだけだ」

 

 衛宮士郎がその生き方を続ける限り、痛みと傷は絶えることなく、死の影は常に付き纏う。

 それを厭う事も、避ける事もしないのなら、彼を案じる想いはどこに行けばいいというのか。

 気にも留めず、一瞥するだけで受け止めようともしない。ならばそれはただの徒労で、報われる事のないイタミを積み重ねるだけだ。

 

――それなら、初めから気にしなければ、何も憂う必要はなくて――

 

「―――仰りたい事は、それだけですか」

 

――そんな論理に納得出来ない人間が、ここにいる。

 

 まなじりを強く絞り、八百万百は衛宮士郎を睨め付ける。

 この対話が、決して退いてはならない戦いかのように、隣に座る芦戸が気圧されるほどの気迫で臨んでいる。

 

「衛宮さんが必要だと判断して、リスクを承知であの状態すら利用するというのならそれは構いません。身を挺して人々を守るのはヒーローの務めでしょう」

 

 彼女が抱く怒りの矛先は衛宮士郎の捨て身に対してではない。

 かねてより滅私奉公の精神は尊ばれるものだ。前時代なら実践できる者はごく僅かだったが、このヒーロー飽和時代において自らを犠牲に他者を救う在り方は決して珍しいものではない。

 ヒーローと、ヒーローを目指す者なら誰もが持つ資質で、各々を分けるのはその程度だけだ。

 故に、八百万は彼の傷付く姿に胸の苦しみを覚えても、その選択を否定しようなどとは微塵も思っていない。加えて、

 

「それに、衛宮さんの人生ですもの。あなたの生き方に口出す権利、私にはございません」

 

 衛宮士郎の命は、衛宮士郎だけのもの。その事実は変えようがない。

 人間という生き物はどこまでいっても個によって完結するものだ。その道程でいかに他と関わり交わろうと、人生の終着点、死の瞬間は何者も一人となり、その間際に己の一生を誇れるよう人間は生きている。

 結局は他人でしかない八百万やA組の生徒達が、既に自身の生存理由を定めている彼の生き方に異議を唱えられよう筈もない。

 

「ですが――」

 

 八百万百は衛宮士郎の行動を由とし、その生き方を認めている。咎めるべきはなく、ヒーローを目指す者として正しいモノなのだと。

 彼の選択を尊重し、在り方を否定せず――それでもなお衛宮士郎の言葉を許せない、その理由。

 

「”そんな理由“であなたを心配するなと言うのでしたら―――私は、断固として拒否しますわ」

 

 衛宮士郎は言った。己を気遣う事は無駄でしかないと。

 確かにその通りだろう。意味を成さない行為、結果を生み出さない試みに価値など無い。無碍にすると分かりきっている事なら、わざわざそうする必要は無い。

 ああ、間違いではない。決して、間違いではないだろう。衛宮士郎が語った道理には、ただ一片の誤りは無く。

 

――だが、果たして彼女らはその様な損益で衛宮士郎の身を案じていたのだったか?

 

「私は、何かの義務であなたを引き留めたのでも、心配したのでもありません。ただ、友人として大切だから、そうしたまでです」

 

 たとえ、二週間足らずの付き合いであろうと関係無い。既に八百万の中で衛宮士郎という人間は決して無視できない存在となっている。

 失いたくないから、ただそうしたいから。

 彼女が士郎を案じる理由を支えるのは、たったそれだけの情念だ。

 

「それを、無駄だから止めろ、だなんて――虚仮にするにも程がありましてよ」

 

 冷ややかに――しかし、激情を湛えた声で彼女は告げた。

 衛宮士郎の生き方に文句は言わない、言えない。だが、友人の想いを損得勘定で括れる程度のものだと思われている事だけは、我慢ならなかった。

 

――故に、いま一度その認識を正す。

 

「未だにそんな履き違えをなさっているのでしたら、改めて言って差し上げますわ」

 

 一拍、呼吸を取り込み。

 目を逸らさず、目の前の友人を見据えて。

 

「私は、あなたの友人です。あなたが傷つき苦しんでいるのなら、この手を差し伸べます。過酷な戦いに臨むあなたの無事を願います」

 

 言葉は力強い。

 ただ想いを述べるという以上に。まるで、衛宮士郎という一人の人間に宣誓するかのように、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「たとえ、衛宮さん自身が拒んでも関係ありません。あなたがみなさんの頼みを聞けないのと同じように、私も私のしたいようにいたします。文句は、言わせませんわ」

 

 彼の生き方に意を唱えない代わりに、自らの決定にも口出させない。

 それが、八百万百の出した、衛宮士郎への答えだった。

 同時に――

 

「八百万に色々と言われちまったけど、俺だって同じ気持ちだぜ、衛宮。お前がどうしても無茶するってんなら、今度は俺が一緒に戦ってやる。あんな姿にはぜってぇさせねえ」

 

 ガギン、と硬質化させた拳を打ち鳴らし、切島が八百万に続く。

 今朝の一幕、衛宮士郎を友人だと八百万が言った時と同じように、彼はとうに伝えている想いをもう一度伝えた。

 

「・・・・・まいったな」

 

 彼らの宣言を受け止め、士郎は困った様に呟く。

 甘く視ていたわけではないが、彼らの決意の程を低く見積もっていた。

 

「もしかして、他のみんなも二人と同じ考えだったりするか?」

「当たり前だ。危険な目にあった時、心配するのが友達というものだろう。何より俺は学級委員長だ。クラスのメンバーの危難に黙ってなどいられない」

「そもそもウチらヒーロー志望だよ? 友達の不幸を流すような薄情な生き方は出来ないって」

 

 士郎の問いは間髪入れずに返答された。

 飯田と耳郎が肯定し、他のクラスメイトがそれに倣って頷く。

 全員が全員、彼の頼みを由とはしない。友人の無謀を見過ごせる人間など、ここには一人としていなかった。

 

「・・・・・その様子だと、みんな折れる気は無さそうだ」

 

 つくづく、己の見通しが甘かったと、士郎は実感する。

 少し考えれば分かっていたはずだ。彼ら未来のヒーローが、級友の無鉄砲にただ指を咥えて見ていることなどできるわけがない、と。

 目に見えるモノ――叶うのならば全ての人を救いたいと、そう願って雄英に来た己と同じ志を持つ彼らを相手に、放っておいてくれなんて願いが通ると思っていたのが間違いだった。

 

「――それなら、俺にできる事は一つだけだ」

 

 衛宮士郎の思惑など関係無い。彼らは自身の決意を曲げる事はない。

 この先、彼らの前で同じような目に遭ったなら、本当に全霊を尽くして共に戦おうとするだろう。優しい彼らは、俺のような人間の死に目でも、その心に深い悲しみを抱くのだろう。

 

――それを望まぬと、そう言うのなら。

 

「一層精進して、もうあんな事にはならないよう善処する―――いまは、それで勘弁してくれ」

 

 自分も彼らも引き下がれないと言うのなら、折衷案を見出すしかない。

 彼らが衛宮士郎に無駄な気を割かず、それでいて彼らを煩わせないようにする。その二つを叶えたいのなら、彼自身が誰にも迷惑をかけないほどの成果を出し続ければいい。

 容易な事ではなく、確約出来るほど確かな自信も無いが、その努力はしていく。

 難しい事ではない。いつもやっていた事をこれまで以上に必死で熟す、それだけの事だ。

 

「・・・・・まぁ、それが衛宮さんの“限界”でしょうね」

 

 士郎の言葉を聞き、不承不承といった様子で八百万は嘆息した。

 到底、納得できるものではないが、かといってこれ以上の()()は望めない。落とし所としてはこの辺りが妥当だと彼女も理解している。

 

「ええ。()()それで構いません。衛宮さんがどうしようもない頑固者だと、この数日で私も理解しましたから」

「・・・・・棘を感じる言い方だな」

「当たらずも遠からず。――少なくとも、半分は褒め言葉ですわ」

 

 少し不貞腐れた様子の士郎に、八百万はこともなげに返す。

 頑固者という評価にマイナスの意味を持たせているのは確かだが、同時に彼への尊敬にも近い賞賛が含まれている事も事実だ。

 

「俺に対する八百万の批評は置いとくとして。――とりあえず、みんなもそれでいいか?」

 

 不服ではあるが、斯様な言葉も致し方無しと言わざるを得ないほどの事を仕出かしたのは事実。

 自身への評価は甘んじて受け入れ、級友達ががこの選択に納得してくれるのかを問うた。

 

「無茶してる自覚はあるみたいだし、アタシはそれでいいかな。・・・・・・・ただ、ヤオモモ達みたいにあんまり重いことは言わないけど、エミヤんもほどほどにしときなよ」

「俺も特に言うことねーよ」

「私は、出来れば“次”なんて来ないように願うけどね」

 

 芦戸、上鳴、麗日が順に答えた。

 士郎の言葉にある程度の理解を示し、他クラスメイトも概ね同意している様子だ。

 

――ただ、一人を除いて。

 

「・・・・・・・・・本音を言えば、もう二度とあんな事はして欲しくないって、今でもそう思ってる」

 

 遅れて反応したのは蛙吹梅雨。言葉の節々に幾らかの抵抗が滲んでいる。

 憂いを帯びた瞳は変わらず、いま以って凄惨な未来への恐れは拭えていないようだった。

 

「でも、衛宮ちゃんの考えを否定できないのも、ヒーローが常に命懸けなのも、確かな事よ」

 

 だが、彼女とて理解している。

 自身に衛宮士郎の選択を覆す権利も無ければ、その“資格”も無い事を。

 あの時、死にかけていた少年に手を貸してやれなかった自分に、そんな事は許されない。

 

「――だから。私も同じ様に強くなる。“今度こそ“、一人で戦わせたりなんかしないわ」

 

 奇しくも、それは士郎が提示した決定と同じだった。

 止められないのなら自ら友人を守れるように。己が無力さを思い知った彼女の誓いである。

 

「・・・・・・・・・」

 

 クラスメイトの悔恨と決意に、士郎は口を噤んだ。

 そうしなければ、また同じ事を言いそうだったから。

 彼女が衛宮士郎の身勝手に負い目を感じる必要などこれっぽっちも無いのだと、そう言ってしまいそうになった口をすんでのところで閉ざし、出かかった言葉を飲み下した。

 イタチごっこを何度も繰り返すほど、彼は耄碌していない。――何より、どこまでも勝手を通す己こそ、誰かを否定する権利も資格も持たないのだと、そう自覚している。

 

「――ああ。俺も、出来る限り“善処”するよ」

 

 口から出たのは、そんな曖昧な心持ちを語るものだけだった。

 既に彼女の願いを真っ向から否定している以上、下手に言葉を弄するのも憚られた。それ故、こんな政治家めいた言い回ししかできない。

 だが、それもむべなるかな。彼が自らのユメを追い続ける限り、平穏無事など縁の無い話だ。

 前言通り、衛宮士郎は全てを賭して、これからも戦い続けるだろう。

 衛宮士郎の全ては、多くの人々の為に使い尽くすと。そう、決めてしまっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも、水着メリュ子のcute&coolにやられてるなんでさです。
 
 元から割と無法だった彼女が、夏の霊器でルーラー化し「私がルールだけど?」を地でいくスタイルで大変可愛く楽しげに振る舞っており、やはり夏の魔力は素晴らしいと痛感しております。バーゲストも今回のイベントでガウェインの名が無くとも、黒犬の呪いを克己し得たと明示されてとても嬉しい。モルガン及びヴァーヴァンシーには魅力を感じていないのですが、双方共に楽しそうにやってたのは良かったな、と思いましたね。


 以下、最新話に関して。


 最新話を端的に表すのなら、“士郎、友達を作る回”なのですが、作者は拙作の執筆にあたり、原作snにおける衛宮士郎と明確な違いを作っており、その一つが本話で明かされる、今まで友達0人、というものです。
 理想への手本と道筋が明確に、身直に、かつ大量に存在していたため、原作の彼よりも私的・人間的な要素が減じ、慎二や一成、その他の友人達のような存在を得ずに成長しています。
 なので、A組のメンバーが正真正銘、彼にとって初めての友人となりました。早い話、感想欄などで何度か明言してる、原作に対して本作士郎が相当に実力を付けている、という話を後押しする要素ですね。

 ちなみに、もう一つ大きな違いは事件後の記憶が一切無い点で、原作では火災後から本編に至るまで、家族とか住んでた場所とかの過去の記憶はちゃんと残ってるんですが、本作ではそれらが一切無くなっております。

 果たして、何でそんな差が生まれてるのか。後々明かされるのを気長にお待ち頂きながら、気が向けばその原因などを想像いただければと思います。
 
 


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未知なる神秘

 


 

 放課後、応接間の一室に衛宮士郎の姿はあった。

 腰掛ける備え付けのソファーは普段彼が座るような椅子に比べて遥かに上等で、柔らかく快適な座り心地にどうにも馴染めずにいた。

 

「――何で呼び出されたか、理由は分かってるか?」

 

 室内には、彼の他にもう一人。

 ヒーロー科一年A組担任教師、相澤消太が対面に座り自身が受け持つ生徒の応答を待っている。

 

「・・・・・・・・はい」

 

 背筋に冷たいものを感じながら、士郎は短く答える。

 放課後に呼び出しを食らっているのは説教の為だと、彼はよく分かっていた。何と答えるか、相澤もおおよそ予測していた。

 聞く必要もない問いかけは単に確認の為で――同時に、士郎を言外に咎める為の言葉だった。

 

「俺が先生の指示を無視して勝手な行動をした挙げ句、色んな方にご迷惑をおかけしたから、です・・・・・」

 

 先の一件で避難指示を受けたにもかかわらず、それを聞き入れずヴィランと戦い、その果てに教員や病院の人間の手を煩わせた。

 若気の至りで済ませるには度を越した身勝手であり、その勝手を指導者たる相澤が見過ごすはずもない。

 

「少しズレてはいるが・・・・・まあ、概ねその通りだ」

 

 返答に僅か齟齬を感じたようだが、相澤は士郎の言葉を肯定する。

 

「言うまでもないだろうが、お前はまだ学生の身で、”資格“未取得者だ。本来、ヴィラン相手に進んで戦って良い身分じゃない。――違うか?」

「・・・・・・いえ」

 

 彼から返す言葉は無かった。

 学生という身分なら、教師の言う事は基本的に聞くべきものだ。整列を求められれば素早く並び、教科書の内容を暗記しろと言われればマーカーを引く。

 学校生活において担任教師とは直属の上司のようなもの。理不尽なものでなければ、その指示は実行出来るよう努めなければならない。それが彼ら自身の身体を保護するためなら尚の事。 

 

 何より、彼ら生徒は”プロヒーロー免許“を有していない。

 資格を有さない者がプロの許可も無しに他者に対して“個性“を行使する事は違法行為だ。法治国家に属する以上、国が定めた規定は遵守する義務がある。

 

「例のワープヴィランに飛ばされた先で戦ったところまでは良い。避けようと思って避けれるものでもないし、正当防衛が認められる範疇だ。それについてはお前らを責めはしない。そもそもの話、俺たちがヴィランに一杯食わされてなきゃ、そんな真似させずに済んだ話だからな」

 

 だが、と相澤は一拍を置く。

 転移させられた先でヴィランと戦闘になった事に責められるところは無い。

 しかしそれは、あくまで転移先での戦闘だけで――

 

「広場に向かって例の三人と戦った事については擁護できん。ゴロツキ共を制圧した後、大人しく避難していれば大怪我もせずに済んだ。――ま、これに関しちゃお前に限った話じゃないがな」

「・・・・・・・・・」

 

 ヴィラン連合と名乗った集団の中枢、死柄木弔をはじめとする三名のヴィランに挑んだのは明らかに相澤の指示を無視した行動で、極めて無謀なものであった。

 彼以外にも担任の言葉に反し同じ様な行動を取った者もいたが、士郎ほど直接的な戦闘を行ってはおらず、他は皆五体満足で済んでいる。

 だから、呼び出されているのは彼だけなのだ。他の生徒がごく短時間の小競り合いや傍観に留まっていたのに対し、彼だけが本格的な戦闘行為を行なった。

 罪の比重が偏るのは当然だろう。

 

「何度も言うが、USJの一件でお前達にお咎めは無い。お前たち生徒を危険な目に遭わせてしまったのは、こちらの責任だ。――でもな、その辺を抜きにしても、お前達の行動が誉められるもんじゃなかったって事は理解しておけ」

「・・・・・はい」

 

 諭すような相澤に、士郎は神妙に頷く。

 USJにおける自身の行動に後悔は無いが、規則を無価値と断じるほど開き直ってはいない。

 仮に、先日の件で実際に罰せられたとしても、彼は処罰を甘んじて受け入れた。

 

――もっとも、それで改めようという気も、ほんの僅かなのだが。

 

「――ま、褒められた行動では無かったが、俺が助けられたのも事実だ」

 

 突き刺す様な鋭い気配が和らぎ、相澤は一度瞼を閉じた。

 二秒ほどそうした後、再び眼を見開き、それまで士郎が見たこともない真剣な表情を浮かべ――

 

「お前たちのこと――守ってやれなくて、済まなかった」

 

 そう言って自らの教え子に向け、頭を下げた。

 

「や、やめてください! 先生は俺たちを守る為に戦ってくれたんですし、“あんな”化け物じみたヴィランを相手にできる人間なんてそうそういませんよ!」

 

 担任の突然に過ぎる叩頭に、士郎は顔を青くする。

 道理で言えば然るべき謝罪だったが、今回に限って言えば文字通り“相手が悪過ぎた”。

 彼らが対峙した脳無というヴィランは誇張無しの怪物で、オールマイト以外に真っ向から戦い対抗できた者はいない。規格外そのものな存在であり、相対してなお生還できた事はただの偶然だ。

 相澤は間違いなく全霊で挑み――単に、相手の方がより強大であっただけのこと。

 

 本当なら、彼は逃げても良かった。

 敵との実力差は一見して明らか。勝敗は見えていて、敗北は死を意味する。

 生命の危機に直結する脅威を前にしては、プロヒーローであれ自己の生存を優先しても許されるべきだ。

 

――それでも、彼は戦い続けた。

 

 当時の戦いにおいて、彼はただの一度も撤退の二文字を思い浮かべた事はない。

 両腕を粉砕され、内臓に傷を負い、執拗に頭部を嬲られ続けて、なおも最後まで諦めず、瞳には闘志を灯したまま。

 自らの責務を果たし、護るべきモノを護るため、彼は己が命を賭した。

 最初から最後まで。彼というヒーローに恥入るところなど一つとして存在せず――そんな相澤を否定する真似を、たとえ本人であろうと彼は認めるわけにはいかなかった。

 

「先日の件は、禍根の残るようなものじゃ無かったし、みんなが無事に生き残れたのも先生方のおかげです。後生ですから、頭を上げてください」

「・・・・・何も、そこまで必死にならんでもいいだろう」

 

 謝罪する自身に対して、逆に頭を下げそうな勢いの士郎の気配に、さしもの相澤も顔を上げざるを得なかった。

 教師として生徒の安全を任されている彼からすれば、こんな言葉一つで許されるほど先日の事件は軽いものではないのだが、一番の被害を被った少年は必死の様で自身への謝意を拒んでいる。

 当の被害者本人にこうまで頼まれては、聞き入れない方が却って無礼だろう。

 

「ほんと、勘弁してください。ただでさえ病院で根津校長に頭を下げさせてるのに、相澤先生にまでそんな事されたら、明日からどんな顔して先生方に会えばいいんですか」

「合わせる顔がないのは俺たちの方なんだが・・・・・・まあいい。お前がそこまで言うなら、この話は終わりにしよう」

 

 早々に話を切り上げた相澤に、もういいのか、と士郎は拍子抜けする。もっとこってり絞られるものと身構えていたのだが、二、三のお小言で説教を済むとは思っていなかった。

 そもそも、不思議というなら罰則を与えなかった事も不思議なのだ。

 USJ襲撃による被害を防げなかった事を学園の責とするにしても、教師の指示を無視して勝手な戦闘行動を取った自分には、何かしらのペナルティはあるものと踏んでいた。

 良くて反省文、悪ければ退学、除籍や停学が妥当、といった具合に覚悟は済ませていた。

 それが、蓋を開けてみれば特にお咎め無しで、説教も最低限。随分、気を遣った処分だ。

 

「えっと・・・・・それじゃあ、俺への用事はこれで終わり、ですか・・・・・?」

  

 肩透かしもいいところな呼び出しだったが、それで構わないというなら願ったり叶ったり。

 士郎も、進んで叱られたいと思うほど、生真面目な性格はしていなかった。

 夕飯の支度やこの二日間放置していた部屋の掃除だってある。帰れるのなら、早急に帰宅したいというのが本音だ。

 

「いや。説教とは別に、実はもう一つ話がある」

 

 鞄に手をかけようとする士郎に、相澤は待ったをかける。 

 どうやら、説教だけでわざわざ放課後に残されたわけではないらしいが、これで終わりと考えていた士郎にとっては、思いもよらぬ返しだった。

 

「もう一つ、ですか・・・・・?」

「ああ。正味なところ、こっちが本題みたいなものでな。病み上がりに悪いが、もう少し付き合ってくれ」

「それは構いませんけど・・・・・・」

 

 いったい、何を話そうというのか。

 とりあえず、独断専行に対する叱責は終わり、一連の騒動に伴って発生した諸々については、昨日のうちに話を進めている。こうして呼び出されるほどの要件など、今の自身にはさらさらなく。

 

 ・・・・・なんて、な。

 

 彼は心中で肩を竦め、直前まで羅列していた“候補”を除外する。

 とぼけてみせたところで思い付く理由なんて一つしかない。襲撃の前と後で変わっている事で、彼の身に起きたモノ。その上で、呼び出されるほどの話の種といえば――

 

「話っていうのは、USJの広場前にある跡について、ですか?」

「・・・・・その様子だと、心当たりはあるようだな」

 

 話が早くて助かる、と。まったく助かっていそうのない難しい顔で、相澤は詳細を話し始める。

 

「今朝の事だ。校長から、広場の前にえらく妙な痕があると聞いて実際に見に行ってみたんだが・・・・・確かに、おかしな痕跡だった」

 

 早朝、負傷を押して復帰した相澤が挨拶もそこそこに手渡されたのが事件について纏められた資料で、彼の言う痕跡はその中でも一際目を惹くものだった。

 

「増強型が殴りつけたようには見えんし、かといった爆発があったと見るにも無理がある。――というよりも、あの場にいた誰であれ、その痕跡を残せそうになかった」

 

 どう表現すればいいのか、何よりどうやって作られたのか、相澤は見当をつけられないでいる。

 脳無の破壊によるものでも、オールマイトの尋常ならざる踏み込みによるものでも、戦闘の余波によるものでもない。雄英教員並びに生徒、さらには確認されているヴィラン達の“個性”では、およそ説明のつけられない不可解な傷跡。

 

「“抉られた”痕、とでも言えばいいのか。地面の一部が不自然に消失していたよ」

 

 直線で約10m、横幅およそ3m、深さ10cm程の規模で地面が削られていたのだ。

 窪んだ地面は巨大な生物が這いずった痕にも見えた。

 その痕跡を表現する言葉として相澤が選んだのは、消失の一語。

 

 

「更に奇妙なことに、その痕っていうのが随分と綺麗な抉れ方をしててな。触れてみると粗さが全く感じられない上に、外力が加えられた様子も無い。大昔のコミックに、地面だろうと岩だろうと簡単に掘り進む道具が登場してたが、まさにあんな感じだ」

 

 何らかの物体に外部から人力で力を加えて何かを壊せば、その痕は大抵歪なものになる。

 理由は単純で、与える力が均等ではないからだ。何の技術も経験も無い人間が、全く同等の膂力を出力する事は極めて難しい。人間は緻密に組み立てられた機械ではないし、脳内で如何に正確な計算式を組み立てようと、実行する肉体の行使は当人の感覚に大きく左右される。

 故に、USJに残されていた様な痕跡を作りたいのなら、コンピューターで制御された機械によるミクロ単位の精密な作業を行うしかない。――無論、これは純粋な人間の力のみで実現しようとした場合の話だ。

 

「今の時代、古今東西の不可思議な現象は“個性で”大概再現できる。だから、この可笑しな痕跡自体もそこまで不思議なものじゃない」

 

 “個性”という、いま以って全容の解明できない超常現象であれば、人力でこの痕跡を生み出すことも出来るのだろう。

 1-Aメンバーである芦戸三奈であれば、その肉体から生成する強力な酸を等量落とす事で類似した痕跡を残せる筈だ。同じく1-A生徒の青山優雅なら、腹部から照射するレーザーでより容易に同じ痕を刻み込めるだろう。

 しかし、問題は再現可能か否かという点ではなく――

 

「不可解なのは、コンクリートの強度をスプーンでゼリーでも掬うみたいに削るなんて芸当が出来る人間は、当時の現場にはいなかったって事だ」

 

 同じ結果を生み出せるかではなく、その時の状況でこの痕跡に結びつき得るかが焦点となる。

 そして相澤の言う通り、襲撃時に条件を満たしていた人物は存在しない。――つまり、本来なら生まれようがないのだ、この痕跡は。

 人力では再現できず、実現可能な”個性“の持ち主もおらず、

 

「――なのに。その痕跡を作ったのは衛宮―――お前だ、という生徒が何人もいる」

 

 あり得ない話だった。

 衛宮士郎の”個性“はあくまで刀剣を中心とした無生物の複製で、その特殊性を鑑みたとしても、件の痕跡を残せるとは到底考えられない。

 だが、広場で繰り広げられた戦いの顛末を見ていた生徒は皆、やったのは衛宮士郎だと言う。

 

「話によれば、お前がナニかを弓で放って、それが例の痕跡を残した、と。今のところ、全員の証言が一致している――いったいどういうことか、説明してもらえるか?」

 

 出来るはずのない人間が、起こし得ない現象を”個性“によって引き起こした。

 ヒーロー養成所として特に”個性“を伸ばすことを目的とする教育機関である雄英が、“個性“絡みのこの謎を放置出来るはずがない。

 故に、前置きこそ回りくどかったが、話はこの問いに帰着する。

 

――いったい、衛宮士郎(おまえ)はナニをしたのか、と。

 

 

 

 

 

 

 問いかける眼光の鋭さは、普段の三割増しといったところか。油断の無い眼が、虚偽も言い逃れも許さないと物語っている。

 この気配では、洗いざらい吐き出すまで返してくれそうもない。

 

 ・・・・・当たり前、か。

 

 自らが残した結果。

 あの時、衛宮士郎が何を成したのか、その異常性も含めて分かっている。

 全てを彼方へとやり過ごす霧を貫き、死なぬ怪物を葬る為に、俺は記憶の底からあの一振りを引き出した。

 不完全な記録で構成され、有るべきものはなく、有るべきでないものが混じる粗悪品だったが、要求を叶えてくれるだけの能力は備えていた。

 

――即ち、敵対者を肉片すら残さず消滅させる、絶対的破壊の一撃。

 

 あの剣の前ではどんな防備も役に立たない。如何なる抵抗も蹴散らして、二人の人間と一体のバケモノを殺し尽くす筈だった。

 仕損じたのは、単に俺自身が相手の対応を見誤っただけの事。

 

――だが、逆を言えば。

 

 アレは、中りさえすれば死なずの怪物をも屠る剣だという事で――そんな一撃、衛宮士郎には到底成し得るはずがないのだ。

 

「実のところを言えば――あの力について、俺自身もよく分かってないんです」

 

 ヨクワカラナイモノを、ヨクワカラナイまま行使した。

 事の顛末の真相は、そんな間抜けたものだ。

 不明な点だらけで、当時の自分が何をしたのか、断言できる事は少なく――それ故に度し難い。

 理解も無く、真髄も掴めずに剣を振るうなど、己の心を戦う相手と据える衛宮士郎には到底看過できない雑な体たらくだ。

 辛うじて実用に耐えうるレベルまで再現できたのは、不幸中の幸いだった。

 

「だから、詳しく説明しろと言われても、今の俺には出来ません」

「・・・・・だが、お前は現にやってみせた。何かしら、感じるものはあるんじゃないか?」

 

 不可能と主張する俺に先生は食い下がる。

 個性を肉体の延長と捉えるのなら、行動による実感は文字通り身に染みたものになる。新たな能力を開花させてもそれは元の“個性”から派生した形であり、大枠から外れない。

 その論でいけば、どんな力であれ一度でも発現させたなら一定の理解は生まれるはずで――それは、あながち間違ってない。

 

「・・・・・どんな原理で成り立っていて、本質が何処にあるかまではハッキリしません――けど、使ったモノの名前とその能力については、理解しています」

 

 世界に刻まれた真名と、その真髄。

 これらを理解していなかったなら、そもそもあの一振りを引き抜いてはいない。俺は当時の状況を打破する為の武器を求めて、それに応えられる力を行使した。

 必然、あの剣がどんな存在なのか、僅かであれ把握している。

 

「今の俺に話せるのはその二つだけです。・・・・・それでも、構いませんか?」

「構わない。それだけ知れればひとまず十分だ」

 

 要求に対して不十分な情報である事は間違いない。彼が――延いては雄英が知りたいのは、俺が何をしたかという以上に、どうやってその能力を用いたか、だろう。

 手段も重要ではあるが、それは本命ではない。

 真に謎を解明したいなら結果よりも成り立ちと本質こそが肝要だ。そこを紐解かない限り十全な理解には至らない。・・・・・いずれにせよ、現段階で提供できるのはいま言った二つだけなのだが。

 

「・・・・・剣の銘は、”カラドボルグ“。ケルト神話に描かれる、伝説の魔剣です」

「なに・・・・・?」

 

 アイルランドに伝わる、古い物語群<アルスター・サイクル>。

 神話に綴られたとある英雄が振るう一つの剣がある。硬い稲妻という意味を持ち、地平の果てまで無尽に延びる刀身で以って、三つの丘の頂を斬り裂くという伝説を残した。

 その一振りこそカラドボルグ。怪物の絶殺に用いた、英雄の象徴。

 

「・・・・・神話というのは、何かの比喩か?」

「いえ。単なる事実です」 

 

 胡乱げな視線を向ける先生は、いかにも困惑した表情を浮かべていた。

 それなりに歳を食って、真面目な話し合いに臨んでいる生徒がいきなり妄想癖を拗らせたような言葉を発すれば、怒りや呆れよりもまずは動揺が生まれるだろう。

 普段から”イタイ“発言を繰り返しているような人間なら話は別だが、俺は今日まで至って常識的な態度で生活してきた。

 こんな真面目な場で、巫山戯た真似をする人間だとは思われていないだろう、多分。

 だからこそ、彼はあの剣の出典をただの喩えと捉え――しかし、現実は言葉通りのものである。

 

「俺の”個性“は、刀剣をはじめ現実にある物を記録し複製するものです。形や材質、構成だけを真似るんじゃありません。何の目的で製造されたか、どんな技法で鍛錬されたか、どういった道程を経てきたか。――その剣が経験した記憶や記録ごと複製するんです。だから――」

「――だから、例の力は神話の剣を模した複製だと?」

「少なくとも、俺はそう認識してます」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 先生は口を閉ざし、考え込むそぶりを見せる。

 おそらく、俺の言葉を信じるか信じまいかを決めあぐねているのだろう。話の内容は荒唐無稽でも、“個性”が事実を保証している。俺も嘘は吐いていない。

 受け入れるにはあまりに胡散臭い話でも、虚偽と断じるだけの要素も不足している。

 少なくともこの話し合いでは、彼は提供された情報を前提としなくてはならない。

 

「・・・・・わかった。ひとまず、お前の言葉が事実だとして話を進めよう」

 

 暫く無音であった先生は、徐に口を開きそう言った。

 今は真偽の程より、実質的な効果の方が重要なのだろう。

 

「お前の言うとおり、そのカラドボルグ、というのが伝説上の武器だとして――ソレには、どんな能力が備わっている?」

「・・・・・前提として、俺が二日前に使ったのは、本来のカラドボルグに手を加えた改造品、だと思ってください」

 

 再度の問いに、あらかじめ注釈を加えておく。

 俺が引き出した彼の剣は、その構成がところどころ造り替えられた痕跡があった。おそらく、特定の性能に特化させるため以前の俺が見出した形状なのだろう。

 故に、アレは贋作であるという以上に、本来のカタチから逸脱している。

 その点については理解してもらわなければ、いらぬ誤解を生む。

 

「簡単に言うと、アレは空間ごと対象を穿つ徹甲弾です」

「・・・・・空間ごと、か」

「はい。射線上にある障害全てを空間もろとも貫くから、余波を受けた痕跡がその部分だけ消えたようになるんだと思います」

 

 影響範囲内にあるものは、自らが存在する領域ごと抉られる。

 そこには物理的な強度や硬度、耐久性も関係無い。どれほどの頑健さを誇る物質であろうと、空間というより上位の概念によって存在が許されているにすぎない。

 目には見えない、人間には虚空としか捉えられない世界の境界にして土台。

 あの一射を受けるという事は、この物理世界から消失するも同然なのだ。

 

「USJにいた連中が妙な感覚を覚えたと言っていたが、それもカラドボルグとやらが原因か?」

「妙な感覚、ですか?」

「何か、圧力のような、呑み込まれるような感覚だった、と聞いている」

「・・・・・ああ、なるほど」

 

 一瞬、妙な感覚と聞いて内心首を傾げたが、次ぐ先生の言葉で得心が行った。

 彼らにとっては、確かに不可思議な体験だったろう。おそらくそれは、彼らが今までに感じたこともないような気配だったんだから。ハッキリとしない曖昧な表現が出てきても、仕方のない事だ。

 

 ・・・・・でもこれ、先生にどう伝えればいいんだ・・・・・?

 

 言語化は、まあ出来なくはない。ほとんど感性頼りのニュアンスしか言えないが、一応の説明は可能だ。

 ただ、個々人の感じ方次第で捉え方はどうとでも変わるし、あの剣の気配を感じ取った面々と同じ体験をして、それでも何一つ影響を自覚しない人間も中にはいるだろう。

 相澤先生がその手の人種だったなら、理解させるのは難しい。

 

「感じ方の話なんで、説明が難しいんですけど・・・・・そうですね、実際に見てもらった方が早いと思います」

 

 おそらく、これが一番手っ取り早い。

 剣が纏う気配を感じ取れるなら、実際に見て触れれば否応なく理解できるはずだ。

 それで何も感じないのなら、どんなに言葉で説明しようともむだだ。

 

「実際にって・・・・・大丈夫なのか? お前の異常な不調、その力を使ったからだと、ミッドナイトは推測してたが・・・・・」

「精度次第、ですね。前回も杜撰な出来でしたけど、今回は更に希薄な作りにするんで、多分大丈夫です」

 

 無謀な行使の上、正体の分からない力に手を出した結果、碌に制御も出来ず力に呑まれた。今までにない不調は、理解の及ばないモノを無理矢理に引き出したせいだ。

 けど今は、曲がりなりにも一度は投影に成功してその在りようも多少は理解できた。 

 ほんの僅かな力だけを再現し、構成の大部分を削ぎ落としたガワだけなら、リスク無しに投影できるだろう。

 

 ・・・・・やれる筈だ。

 

 刃に埋められた身体が脳裏を過ぎったが、それも一瞬の事。

 懐疑を押し留め、自己に埋没し“個性”を行使する。

 手を掛けるは未だ全容の見えない未知領域<アンノウン>。今の自分では、決して全て担う事を許されないチカラの奔流から、一滴の雫を掬い上げるために一指を差し入れる。

 融合炉に身一つで挑むようなものだ。僅かでも制御を誤れば原型も留めず死に絶える。

 慎重に、慎重に。己の背骨に焼けた鉄芯を通すかのように、身体中隅々までか細い神経を通すかのように。

 記憶の底より、彼の伝承を再現する。

 

「――――投影、完了<トレース・オフ>」

 

 両腕に感じる微かな重みに閉じていた瞳を開き手の中を見やる。

 そこに見えるは、金と蒼に彩られた柄が美しい一振りの剣。誰もが目を惹かれる特殊に過ぎる捻れた刀身は、記憶に新しい。

 ケルト神話が誇る勇士、フェルグス・マック・ロイが担った伝説の魔剣――その廉価版だ。

 

「・・・・・・随分、変わった形の剣だな。それが、例の――」

「偽・螺旋剣<カラドボルグ>。()()()()が、魔剣の本来の設計に手を加えて造ったものです」

「手に取ってみても構わないか?」

「どうぞ。好きなように検めてください」

 

 見た目に反して()()()()()剣を手渡す。

 自分の手から剣が離れても持っていた時と腕に感じる重みがほとんど変わらず、我ながら上手く()()()できたと、出来栄えに内心で頷く。

 

「これは・・・・・・・・・」

 

 検分に取り掛かる直前、受け取った剣を両手に収めた先生が息を呑んだ。

 普段、気怠げに細められている瞼は見開かれ、多くの不測の事態に対応してきたはずの彼が、僅かながらに動揺の色を滲ませている。

 その様子を見れば、彼がどちら側の人間かは明らかだった。

 

「・・・・・・衛宮。()()が、ウチの連中が言っていた感覚、なのか・・・・・・?」

「手を抜いた分、希薄にはなってますけど。多分こいつが原因だと思います」

 

 多分と前置いたのは、確信が持てないから。

 そもそも、俺は彼らの言う未知の感覚など感じなかったし、その根源がこの剣なのかどうか、判断ができない。

 よしんば、それがこの剣から発せられたものだったとして、それに共感する事も出来ない。

 俺は剣を生み出した側の人間で、一時的にとはいえ“担い手”としてアレを手にしていた。違和感を感じた彼らと違い、俺が感じたのは長年握り続けてきた得物を手にしたかの様な馴染み深さだ。

 だから、俺が彼らに示せるのは理解だけ。もし、担い手ならざる人間が発動された剣の真髄の余波を受けたなら、それを不可思議なモノだと捉えるだろうという、想像だけだ。

 

「コレは、いったいなんなんだ・・・・・・?」

 

 惹き込まれたように視線を剣から離せないまま、戸惑った声で先生が問いを零す。意図して声に出したというより、心中の疑問を解消出来ず無意識のうちに口にした様な感じだ。

 アレを直に触れて間近で視界に収めたなら、半ば我を失ってもおかしくはない。

 そして、そんな魔的ともいえる影響力を持っているからこそ、耐性も馴染みもない人間が、アレを長く持ち視界に収める事は危険極まりない。

 

「先生。ひとまずこっちを見てください。ソレも、俺が預かりますから」

 

 返答を待たず、ほとんどぶんどる形で先生から剣をひったくる。  

 限界まで削ぎ落としたとはいえ、先生の感性を確かめる為にある程度の再現はしてある。あんな粗悪品でも、まじまじと覗き込むのは彼の精神に悪い。

 

「今のは・・・・・」

「コイツが持つ()()みたいなモノに少しアテられたんです。いまくらいのなら実害は無いんで、心配いりません」

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 いくらか俯き気味だけど、声色は落ち着いてる。混乱からすぐさま平静を取り戻すのは、流石のプロか。

 もちろん、剣に魂を持っていかれる、なんて事にもなってない。

 

「・・・・・・他の連中の言ってた事が、なんとなく解ったよ」

「すみません。先に一言、言っておくべきでした。」

「いや、いい検証になった。今の感覚は、遠巻きに眺めてるだけでは分からんだろう」

「そ、そうですか」

 

 あっけらかんとした物言いに、流石に面食らう。

 先生は自覚してないんだろうけど、あのまま長時間放置してたら精神が塗り潰されてもおかしくはなかった。

 そんな体験を時短扱いとは、効率を重視する彼らしいといえばらしいけど、それにしたって合理に偏りすぎではないだろうか。

 剣の影響以前に変なところで人間性を失っていないか心配になる。

 

「――しかし。結局のところ、アレはどういう原理なんだ」

 

 我を取り戻したところで、先生が疑問を口にする。

 今ので謎の感覚の出処こそハッキリとしたが、その正体についてまで推察する事は流石のプロヒーローでも難しい――というより、不可能か。

 コレは、”個性”なんて超常現象に慣れきって科学技術を飛躍的に発展させた現代文明にあってなお、いまだ人智の及ばない“神秘”だ。

 相澤先生みたいな、所謂オカルトに無縁そうな人には特に縁遠い世界だろう。――とはいえ、これからそのほとんど無縁な世界を理解してもらわないといけないんだが。

 

「相澤先生は、初詣なんかには行ったりしますか?」

 

 馬鹿正直に原理を解説したって、先生にはしっくりとこないだろう。なんせ、具体性も無ければ科学的な理論も介在しない、五感よりも六感に訴えかける類のものだ。

 あれこれ言葉を増やして余計に混乱させるることはない。自分が思いつく限りの近しい例で説明するとしよう。

 

「なんだ、藪から棒に・・・・・・まあ、日本人だからな。学生の時分までは何度か参拝してたが」

「その時、境内で神聖さや厳かさを感じた事はありませんか?」

「仮にも宗教施設、多少は感化されることもある。・・・・・・それが、さっきの話に何か関係があるのか」

 

 あまりに唐突で突拍子も無い質問だったからか、先生が訝しげに聞き返してきたが、関係大有りだ。むしろ、それが本質と言ってもいい。

 

「その神聖さや厳かさをより色濃くしたのが、先生がこの剣から感じたモノです」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 相澤先生の眉間に皺が増える。今の説明では解りづらかっただろうか。

 あまり端折らず、もう少し具体的な言葉で説明した方がいいみたいだ。

 

「えっと、オーラなんて言われるものがあるんですけど、ご存知ですか?」

「流石に、それくらいは知ってる」

 

 聞いたこともない、なんて言われても困るから、ちゃんと知っていたようで助かった。

 その言葉の意味をイメージだけでも掴めているなら、説明はしやすい。

 

「ああいうのって、それが積み重ねてきた時間や歴史、持っている気配や見えないエネルギーが重みになって感じ取れるものなんです」

 

 先に挙げた例えは、一つの典型だ。

 神社とは文字通り神の棲まう社であり、その玉体が収められる場は神域と化す。神力は隅々まで行き渡り、境内にある物は小石一つでさえ神聖さを帯び、不浄の存在は赦されない。

 俗世と隔てる鳥居、主たる神が通る参道、信者が参る拝殿、信仰がひとところに集まる荘厳な本殿、それら全てが訪れた者に影響し、見えない心に畏れと敬いを生じさせるのだ。

 

「この剣も似たようなものです。内に秘めた力、培った年月、人々から向けられる信仰。そういうモノが合わさって、ある種の重圧になってるんです」

「・・・・・とんだオカルトだな。とてもじゃないが信じられん―――普段の俺なら、そう言ってるんだろうな」

 

 そう言った相澤先生はチラリ、と俺の手にある剣を見るも、すぐに視線をずらした。さっきみたいな放心状態になる事を厭ってだろう。

 

「・・・・・・脇に逸れたな。この話について、今はとりあえず置いておこう」

 

 おそらく、判断に窮したか。

 否定するには、理解が足りない。分析するにも、材料が足りない。考慮に値しないと、放置する事も出来ない。

 だから、保留。

 一人で消化するには余りにも突飛な現象を把握する時間が必要なんだろう。

 

「質問を続けるが、そのカラドボルグは以前から使える力だったのか?」

「いえ。あの瞬間までは使えませんでした・・・・・・正確に言えば、存在を把握していなかった、ですけど」

 

 使えたかと聞かれれば、確かに使えはしたのだろう。曲がりなりにも自分の中に記録されているものだ。やろうと思えばやってやれない事はない。

 しかし、アレは忘却してしまった記憶の中から探り当てたものだ。

 仮に、以前の衛宮士郎が完璧にあの剣を複製する事が出来たのだとしても、何もかも忘れて存在する事すら知りもしなかった俺には、どのみち扱える代物じゃなかった。

 

「把握していなかった・・・・・・それはつまり、お前は剣の力を知らなかったって事だな? 使えばどうなるか知らなかった――そういう事だな?」

 

 確認の言葉は、どこか願望が混じっているように聞こえた。

 そうなのだろう、という断定ではなく、そうであってくれ、という切願。

 けど、それは――

 

「いえ。引き出した時から――もっと言えば、アレを見つけた瞬間から、そのチカラがどんなものか、俺は理解していました」

 

 そうだ。俺は正しく認識していた。

 ソレが、空間をも抉り貫く事も、放てば常人の眼には捉えられない速度を出す事も、放置すれば力尽きるまで射線上の全てを破壊していく事も。

 能力も扱い方も、理解していたからこそ選んだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 返答を受けて、先生は暫く押し黙った。

 数十秒か、それとも一分ほどか。こうして向き合って会話をする場では不釣り合いなほど、長い沈黙だった。

 

「・・・・・理解していた、と。そう言ったな、衛宮」

 

 ややあって、先生は沈黙を破った。

 上げられた瞼の奥に見える眼は、心なしか鋭さを増していて――

 

「それならお前は、あの剣を使えばどんな結果を招くか――それも、理解していたのか?」 

「――――――」

 

――その眼光そのものな鋭さで、そう、衛宮士郎を問い詰めた。

 

「お前が使った剣の残した破壊痕は相当なものだ。戦車の主砲だってアレには及ばんだろう。ソレを――防ぐ事も避ける事もままならないそんな威力の一撃を人間相手に使えばどうなるか、それを解った上で使ったと、そういうんだな」

 

 彼はあくまで問いを明言しない。ただ事実を羅列し、俺の言葉を待っている。

 それは、俺に対する評価か。

 防ぐ手立ての無い絶大な火力を人に向ける――そんな火を見るより明らかな結果を望んで選びはしないと、そう捉えていたのかもしれない。

 或いは、そんなことにすら考えが回らないくらい視野の狭いやつだと思われていたのかも。

 いずれにせよ、俺が告げるべきは変わらず――

 

「あの一撃を放てば、あの三人の命を奪い得る、と。――この剣なら連中を()()()と、そう理解した上で使いました」

 

 足止めするでも、捕えるでも、気絶させるでもなく。その命を奪うために射った。

 逡巡や迷いは無かった。

 奴らを止めるにはそれしか無いと、奴らはここで殺さねばならないと。

 半分は客觀的な分析で、半分は直感で。自らの理性と本能は、共に同じ判断を下した。

 

「――お前は、自分が何を言っているか分かってるのか」

 

 底冷えしそうな声が発せられたのは、答えを口にした直後だった。

 

「自身の意思で、それもなんの権限もないただの学生が他者の命を害する――それは、明確な殺人行為だぞ」

 

 殺人。他者の命を奪い、その存在の全てを否定する行為。

 それがどれだけ愚かで罪深いものか、法治国家に生きる人間なら誰もが理解しているだろう。

 命を奪う行為は、何処の国でも最も嫌悪される重罪だ。盗みや傷害なんかとは程度が違う。それらはまだ補填が利く、やり直しができる。盗まれたものは取り返してやればいい。傷つけられた身体はいくらでも取り繕える。

 けど命が失われれば、それはもう二度と取り返しがつかない。どんなに身体を修復してやっても、どれだけの“個性”に縋ろうとも、命の灯火が消されればそれまでなのだから。

 だから、法的に違法だっていう以上に、人命ってものは何より尊重しなくてはならない。

 

――たとえそれが、人の命をなんとも思わないような外道下衆だったとしても、だ。

 

「脳無については、まだいい。何らかの方法で死体が動いているだけと判断していた以上、お前に殺意はなかったと判断できる。だが、それ以外の二人は間違いなく生きた人間だった。――それをお前は、殺そうとしたっていうのか」

 

 先生の眼は鋭いどころか、もはやこちらを睨みつけるものになっていた。

 自分が受け持つ生徒が発した言葉と思考を、決して認められないと弾劾するかのように、静かに怒りを湛えている。

 

「――はい。その通りです」

 

 返す言葉に震えはない。

 嘘偽り無く事実を伝えた。隠す必要もなければ、誤魔化す気も無かった。

 あの日、あの瞬間。俺は確かに、あの三人を殺そうとした。その事実に変わりは無い。

 

「・・・・・・・・・・何故だ」

 

 間を置いての問いは短く、それが何を意味するか分からなくて、次ぐ言葉を待つしかなかった。

 

「お前は、ヴィランだからといって無闇に命を奪うような真似はしないはずだ。実際、ドームと広場でお前が相手にした下っ端連中は重傷を負いはすれ、命に別状もなければ後遺症が残った奴もいない。――なのに、あの三人にだけは明確な殺意を向けた。奴らと他の連中で、何が違う?」

 

 確かに、あの三人以外は命まで奪おうとはしていない。死なない程度に串刺しにして自由を奪った程度。時間が無くて雑に蹴散らした奴らも殺さないようには狙いをつけた。

 今頃は全員、警察病院で元気に呻き声でも上げてるだろう。

 連中が中核の三人と違って容易い相手だったからそうできたというだけではあるけど、それはただ戦力差の話だ。

 俺が奴らを殺そうと決めたのは、あの男が口にした言葉にある。

 

「・・・・・あの時、死柄木は言ってました。()()()ゲームオーバーだって」

 

 それはつまり、奴らは諦める気など毛頭無いと言う事で――

 

「あいつらは、成功するまで同じ様な事を仕出かすつもりです。オールマイトを殺そうとして、その度に誰かを巻き添えにする。――そんな巫山戯た真似は見過ごせない」

 

 口にしながら、思わず拳に力が入る。

 奴らという脅威を野放しにするわけにはいかなかった。動機や思想、その見境の無さも無視出来ないけど、何より連中には脳無という化け物がいる。

 今回、オールマイト殺しの巻き添えを喰ったのは比較的人口が少なくさらには各々が一定の戦闘力を持つヒーロー科の人間だったが、次の決行が市民を巻き込まない保障なんて何処にも無い。

 プロが手も足も出ず、オールマイトも圧倒できない造られた殺戮人形。そんなものが街中に――それこそ、人口が集中する都市部に放たれたらどうなるか。・・・・・想像するだけでもゾッとする。

 脳無が人工的に生み出されたものなら、“量産“は不可能じゃない。最低でもアレと同等以上の個体を連中は複数保有していると考えるべきだ。それこそ、今度はもっと多くの脳無を引き連れてくる可能性だってある。

 

「・・・・・分かってる筈だぞ、衛宮。どれほど正しい道理があろうと、法の許しも権限も与えられていない人間に“ソレ” は認められん。俺たちみたいな人間にだって、その手は最終手段だ」

 

 さっき言っていた通りだ。

 国っていう集団に居座ってる以上、意図して人を殺した罪は極めて重い。

 たった一つしかない命というモノを奪う行為は、相手が誰であれ決して許されるものじゃない。

 

「もし本当に連中を仕留めていたら、その罪はお前自身の命で贖う事になっていたかもしれないんだぞ。目標を達成する前に人生を棒に振る気か?――二度と、下手な真似はするな」

 

 彼が口にした言葉は警告や諫言というより、忠告としての色合いが強いように聞こえた。

 下手な真似。

 それはつまり、法に触れる不心得を咎めてるんじゃなくて、そんな事で命を張る選択をした愚かしさを言ってるんだろう。

 

 ・・・・・確かに、命は惜しい。

 まだやるべき事も、叶えたい理想も、何一つ果たしていない。道半ばどころか、スタート地点にさえ立てず死ぬなんてのはまっぴらだ。でも――

 

「――いや。それは順序が違いますよ、先生」

「なに・・・・・・?」

 

 市民であれ悪党であれ、その命を他人が奪う事は許されず、法に反すればその罪は自身に還ってくる。

 その道理に揺るぎは無く、どんな理由があっても正当性は持ち得ない。――でも、そんなのは些細な事だ。

 あの場でヒーロー志望が――正義の味方を目指す者が真に憂慮し避けなくてはならない事は、法を遵守する事でも、自分の死でもない。

 

「あの時の俺が何より優先すべきだったのは、誰かが傷つけられる可能性を潰す事です。――俺に与えられる罰なんて、重要じゃありません」

 

 少し考えれば分かる事だ。

 奴らを逃せば、多くの人々が傷つく。奴らを殺せていたなら、あの三人と俺一人の命で、大勢の人間を脅威から守れる。

 単純な計算の話だ。市民も悪党も命の価値は同じだというなら、より多くを残せる選択をすべきだ。

 

「勿論、市民もヴィランも死なせずに終わらせるのが一番だって事は、よくわかってるんです。けど――」

 

 俺にもっと力があれば――それこそ、オールマイトのような絶対的な力があれば、誰一人死なせる事なく、争いを収めることも出来るのかもしれない。

 けれど、衛宮士郎の力なんてちっぽけなもので、強大な力を人々を苦しめるためだけに使うような人間には、加減なんてしてやれない。息の根を止める事でしか、人々を守る事はできない。

 それがひどく歪で、自分が最も嫌っている類の思考なのだとしても。奴らという悪<イチ>を切り捨て人々の平穏を守る事が、当時の俺に選び得た“次善”だった。だから――

 

「殺す事<ソレ>が、みんなを救う道に繋がるのなら――俺がこの手で、殺します」 

 

 改まって口にするまでもない。

 命を奪われる覚悟。命を奪う覚悟。命を背負う覚悟。――そんなものは信念なんて呼ぶべくもない、戦うと決めた人間なら最初から持っておくべき前提だ。

 剣を執った以上、そんな事実はとっくに受け入れている。

 

「法どうこうっていうのだって同じです。仮に奴らを殺せていたとして――それで警察に捕まえられて裁かれるっていうんなら、俺は大人しく罰を受けますよ」

 

 俺の行動や思考が、国家の治安に真っ向から喧嘩を売るものだっていう事も理解している。

 自分には何の権利も資格も無い。ヴィランが相手であろうと、彼らを傷つけ命を奪う事など許されない。そう理解した上で、尚も曲げられない。

 だからこそ、曲げられない以上はその責任は果たす。

 

「――その結果、殺した者の知人から恨まれ、守った人々から人殺しと後ろ指を指されてもか?」

 

 暫し沈黙していた先生が、見定めるような眼でそう問いかけた。

 それは、他者を殺すという行為には必ず付き纏う煩悶で、ヒーローも市民も問わず大抵の人は抱え込みたくない現実なんだろう。それが、他者を傷つけ、他者の命を奪うという事の重みで、

 

――故に、返答は一切の躊躇なく。

 

「――たとえ、世界中の人間に疎まれたとしても。俺は自分の信じる道を――“正義の味方”を、張り続けます」

 

 遠い昔に誓った理想は変わらず。かつて見た笑みは、今もこの胸に。

 どれだけ批判されようと、どれだけ罪を重ねようと、折れることなど出来はしない。

 一人でも多くの人を救う為に、衛宮士郎は最後まで剣を振るい続ける。

 

 

 

 

 

 

「待って、衛宮くん」

 

 夕暮れ時の校舎に、少年の声が響く。大きな声では無かったが、人の行き交いが途絶えた廊下では僅かな声量でもよく耳に届いた。

 

「あれ、緑谷か?」

 

 衛宮士郎は声の方向へと振り向き、その先にあった姿に驚く。

 相手は彼と同じ組のクラスメイトで、今日この日に友人となったばかりの緑谷出久だった。

 

「どうしたんだよ、こんな時間に。何か用事でもあったのか?」

 

 彼らが向き合う廊下は暗い。四月の中頃とはいえ、夕方にもなれば日は月とその位置を入れ替え始めている。

 授業は既に終わり、生徒はとっくに帰宅しているべき時間だ。おまけに、士郎は放課後に担任教師からの呼び出しを受けていて、話を終え彼が解放されたのは五時半過ぎた頃。

 そんな時間まで帰宅もせず校内に残っていたという事は、出久もまた何かしらの用があったと思われた。

 

「ううん。特に用事があったわけじゃなくて・・・・・むしろ、これからあるっていうか・・・・・・」

「?」

 

 ハッキリとしない物言いだった。

 出久が多少ばかり内気な性格である事を士郎も承知していたが、見知った相手に吃るほど根暗な人間でない事は士郎も知っている。

 いったい何が理由でこうなっているのか、彼には見当もつかなかったが、ともあれ。

 

「何が言いたいのか分からないけど、とりあえず用があるのは俺に対して、て事でいいか?」

「あ、うん。そうなんだ。衛宮くんに話があって・・・・・よくわかったね」

「わからいでか」

 

 何が言いたかったのか、何の用があるかまでは与り知らない事だが、何の用事も無く遅くまで残って彼に声をかけたのだ。九分九厘、用があるのは士郎に対してだろう。

 

「それで、どういう用件なんだ? 長いこと待たせてたみたいだし、急ぎの用か?」

 

 ちょっとした事なら、何も今日中に済ませる必要はない。明日、時間のある時にでも訪ねてくればいいい。それをわざわざ終業から一時間以上も待っていたのだ、それなりに急を要する内容なのだろう。

 

「えっと・・・・・実は、そこまで急いでるってわけじゃないんだ」

「急いでないって・・・・・それなら、なんでまた今日に拘ったんだ?」

 

 さぞ火急の用件なんだろうと思っていた士郎は頭を捻る。

 いつでも果たせる用事のために下校時刻を過ぎた校舎に残って、いつ来るかもわからないクラスメイトを待っていたなど、中々に異常だ。

 

「急いではないんだけど、なんていうか・・・・・その、出来ればすぐに話したくて・・・・・」

「・・・・・なるほど」

 

 必要に駆られてではなく、出久の個人的な感情で士郎と早急に話をしたかったらしい。だから、遅くなる事も承知で彼は士郎を待っていた。

 長時間拘束されていた人間をまたすぐに引き止めるのは配慮に欠けると言えるが、お目当てである当の本人は特に気にした様子もない。知りたい事をすぐに知れずにやきもきする気持ちは、士郎にも覚えがあった。

 今は彼もこれといった所用も無い。後一回、話に付き合う時間はある。ただ――

 

「話をするのは構わないけど、時間はいいのか? あんまり帰りが遅いと家の人も心配するだろ」

 

 一言二言で済むのなら問題は無いが、つい今しがた士郎が追えてきた説教のように一時間以上もかかれば家ではとっくに夕飯時だ。

 断りも入れず道草を食って帰りが遅くなれば、彼の母親が用意してくれるであろうせっかくの手料理も冷め切ってしまう。

 ご家族の許可も無しにそれは、流石に親不孝が過ぎるだろう。

 

「それなら大丈夫。家には遅くなるからって連絡してあるから」

「ん、そうか」

 

 基本、出久は真面目な性格の生徒だ。その辺りの根回しは抜かりないらしい。

 この分なら、彼の保護者に要らぬ心労をかける事はないだろう。もっとも、

 

「あらかじめ断りを入れてたって事は、それなりの長話みたいだな」

「どう、かな。そこまでは考えてなかったや」 

 

 士郎の確認に出久は苦笑するが、同時にその雰囲気はどこか真剣さを伺わせた。どうやら、その話というのは出久にとっては重要なものらしい。

 そうなると立ち話は不釣り合いだ。何処かに腰を据えて、落ち着いて話したほうがいいだろう。

 しかし、それを学校でやるわけにもいかない。既に授業時間を終えた生徒がいつまでも校内に残っていては迷惑になる。

 かといって街に出て適当な飲食店に入るには時間が悪い。この時間の間食は晩飯時の腹具合に影響する。となると――

 

「なら、話がてらうちで飯でも食っていくか? 俺のとこなら落ち着いて話せるし、時間も気兼ねしなくて済むぞ」

 

 諸々考慮した上で、士郎はそう提案していた。

 

 

 

 

 

 “個性”の保有が当然になりその性質が一つのステータスとなったこの時代、雄英に入学するまで出久は“無個性”であったが故に良好な人間関係を築けないまま人生を送ってきた。

 親しい友人など幼稚園以降できた試しもなく、幼馴染に当たる爆豪勝己はむしろ彼の劣等感を象徴するような人物だ。

 だから、友人の家にお邪魔する事など本当に久しぶりの事で、ましてや夕飯に誘われるなど初めての事だった。

 

 士郎の提案にテンパって半ば勢いで頷いてしまった出久は、士郎の後をついて彼の借りるアパートの部屋前に案内された。 

 それから五分ほど、二日間部屋を空けていたから軽く掃除してくると言った士郎を、改めて母親に連絡し事情を説明するなどして待っている。

 

 ・・・・・なんか、思わず頷いちゃったけど、ほんとに良かったのかな・・・・・。

 

 電話も終え友人の呼びかけを待つ出久は、いまさらながらにお招きに乗ってしまって良かったのか煩悶する。

 士郎が二日間もこの部屋に帰らなかったのは、偏にヴィランの襲撃時に負った傷による入院が原因で、話によれば退院は今朝早くの事だ。

 出久は、病み上がりな上に色々とドタバタしてる彼に要らぬ負担をかけてしまったのでは、と内心気が気ではなかった。

 

「悪い、待たせた。もう入っていいぞ」

「は、はいっ! お邪魔します!」 

 

 やっぱり、今からでも士郎に謝ってお暇しようか、などと考えてるうちに扉が開かれ、士郎が顔を出した。

 緊張気味な出久は、なんでもないはずの友人の登場に心臓を跳ね上がらせ、不自然なくらい気合のこもった返事で部屋に足を踏み入れる。

 室内はいかにもお値段低めなアパートの一室で、どこか古めかしく飾り気の無い部屋だった。

 

「急いでたからちょっと散らかってるかもしれないけど、適当に寛いでてくれ」

「あ、うん。それじゃ、お言葉に甘えて」

 

 士郎に促されるまま座布団の上に腰を下ろす。見たところ普段使いしている感じではなく、来客用か予備のものを引っ張り出してきたようだ。間違いなく先ほどの軽い掃除中に用意したものだろう。

 

 ・・・・・家事をやってるって聞いてたけど、すごいしっかりしてるなぁ。

 

 ネクタイを緩めながら、そんな事を考える。

 男子学生の一人暮らし部屋といえば散らかっているものというイメージを持っていたが、この部屋は隅々まで掃除が行き届いている。床に小物が散乱してもいなければ、ゴミが放置されてもいない。

 およそ不衛生という言葉とは永遠に縁が無さそうだ。――だからだろうか、出久は暫く部屋の中を見回しているうちに、ある違和感に気づいた。

 

 ・・・・・この部屋、もしかして物が少ない?

 

 机、テーブル、箪笥。

 その手の必需品を除けば、士郎自身の私物らしきものの影が一つも見当たらない。

 出久で言えば、彼の部屋にはオールマイト関連のグッズが至る所に飾られているが、この部屋の景色はその正反対。室内にある物は全て生活に必要な物で占められている。

 人が住む部屋にあって然るべき個々人の“色”というべきものがこの部屋には皆無だった。

 

 ・・・・・なんか、殺風景だな。

 

 この部屋に対する出久の忌憚ない感想だった。些か無神経な評価だが、それだけこの部屋は飾りっ気が無い。

 いくつか見て取れる生活感が無ければ、ここを倉庫だと説明されても出久は信じただろう。

 もっとも、その生活感ですらよく行き届いた手入れのせいで微かになっているのだが。

 

「粗茶ですが、どうぞ」

「ご、ご丁寧に、ありがとうございます」

 

 暫くの間、そわそわと落ち着き無く部屋の中を見回していたところ。ス、と丁寧に差し出されたお茶に、出久も釣られて堅苦しい返しをしてしまった。

 それがどうにもぎこちなかったからか、士郎はそんな出久の様子に苦笑する。

 

「緑谷はお客様の立場なんだから、そんなに畏まらなくてもいいんだぞ」

 

 そう言って士郎は盆を下げてまた台所に戻っていく。

 目の前には、湯気を立ち昇らせる湯呑み。ポツンと置かれたその中身は、透き通る淡い萌黄色の緑茶だった。

 

「えっと・・・・・いただきます」

 

 出久は数秒ほどその美しい色合いを眺めていたが、やがて意を決したように――何を覚悟したのかは分からないが――湯呑みを掴み茶を一口啜る。

 

「・・・・・っ!」

 

 淹れたばかりのお茶は温かく、しかし痛みを覚える様な熱さはない。渋みや苦味は感じられず、強く、しかし自然な甘味と旨みが口内を満たした。鼻に抜ける香りも爽やかでそれが実に心地いい。

 

「衛宮くん、このお茶、すごく美味しいよ!」

 

 一口飲み終え、ほぅ、と息を吐いたのも束の間、これまで飲んできた茶の味わいとのあまりの違いに、出久は思わず士郎へと感嘆を伝えていた。

 出久自身、お茶というものにそこまで強い拘りや知識があるわけではないが、だからこそこの一杯には感動を覚えた。

 

「それ、一番茶って言ってな。四月から五月くらいに摘まれるやつなんだけど、一年のうち最初に収穫される茶葉で特に甘味が強いんだ」

「へぇ。茶葉って収穫する時期ごとに種類があるんだね」

「季節ごとで芽の硬さとかも違うからな。当然、新しくて柔らかいやつほど甘くなる。で、一番茶はその名の通り、茶の芽が顔を出したばかりの一番やらかいものを使ってるってわけだ」

 

 茶葉は一年を通して四回ほどの収穫時期があり、その一度目となるのが四月から五月にあたる。

 甘味の素となるテアニンという成分は日光に当たることで苦味成分のカテキンに変化するのだが、一番茶は芽を出してすぐに茶摘みが始まるため日照時間が極めて短い。

 これによりテアニンがカテキンへと変化せず、甘み成分としてそのまま多く残されるのだ。

 

「一番茶の収穫が始まるのは大体四月の下旬くらいからなんだけど、今年は少し早かったらしい」

「気候とか天気とか、そういうのが良かったのかな」

 

 作物の収穫についてとんと知らぬ出久には、収穫時期が前後した理由をそう予想する。

 よく日光を浴びて、適度に水分を摂る。彼がすぐに思いつく植物の生育に関係しそうな要素はその二つしか無かった。

 

「・・・・・・・・ほぅ」

 

 湯呑みを傾け、ずず、とさらに一口。

 二口目だからといって一口目に比べて旨さが褪せることもなく、むしろ二度目だからこそより意識してその味わいをじっくりと楽しんでいた。

 

 ・・・・・緑茶って、こんなに美味しかったんだ。

 

 ハッキリと言って、今までの自分はお茶というものを見縊っていたのかもしれない、と出久は思い至る。

 飲食時に摂取する水分の多くはお茶だが、どれも大して変わらないと考えていた。違いがあるとすれば精々、緑茶か麦茶か、といった種類そのものだった。

 だがいま自身が飲むこれは、これまでの常識、茶に対する認識を真っ向から打ち崩すものだ。

 一番茶。最も早くに摘まれる茶葉。初物は味良く縁起がいいと言われるがなるほど、確かにこれは美味である。

 

 ・・・・・というより、味が違いすぎない?

 

 出された茶を飲み干し、内心で出された一杯をしきりに絶賛していた出久だったが、そこでふと、違和感に気づく。

 確かに、この茶は美味い。これまで一度も飲んだことがないくらいには美味い。その美味さの理由も、士郎の話を聞いて納得できた。しかしだ。今しがた聞いた説明なら、これまでの人生で自分がこれと同等の茶に巡り合っていたとしても不思議ではないのではないか。

 だって、そうだろう。これはただ、最初に収穫される茶葉というだけであって、決して希少な品種のものではない。なら、これまでに一度くらいは飲んでいたって不思議ではないのだが・・・・・

 

 ・・・・・待てよ。まさか、これ――

 

 思考の果てに、出久は一つの可能性に思い至り、台所の士郎へと向き直る。

 心なしか、その動作は錆びた機械のように固かった。

 

「・・・・・ねえ、衛宮くん。もしかしてこのお茶って、結構お高いやつじゃ・・・・・」

「ん?・・・・・そうだな。ブランドにもよるけど、一番茶自体基本的に高級品だし、()()も割といい値段してると思う」

「やっぱり・・・・・!?」

 

 見事に予想が的中し、出久は悲鳴じみた声を上げる。

 凄まじく美味い茶だとは思っていたが、そもそも常日頃飲むものとランクが違っていた。通りで美味いわけだと、慌てふためく頭の片隅で変に納得する。

 

「い、良いの!? そんな良い茶葉をこんな適当に出しちゃって、ほんとに良かったの!?」

 

 決して裕福な家庭とは言えない一般的な庶民の出である出久にとって、こうもあっさりと高級な品を消費する経験など皆無であった。

 まして、それが自分に振る舞われたとあっては、とても落ち着いてはいられない。

 

 ・・・・・ていうか、ぜんっぜん粗茶じゃないじゃないか!  

 

 こういうものは普通、並のものを出すのではないのか。いくら決まり文句とはいえ、これでは詐欺同然だ、などと、現在進行形で茶のお代わりを準備する友人に、よくわからない激情を内心でぶつけていた。

 

「良いんだよ。これ、貰い物だから。近所の人に、ご両親が茶農家の人がいて、毎年送ってくれるんだってさ」

「で、でも、せっかく良いお茶なんだから、僕なんかに出さないで、自分で飲んだ方が・・・・・」

「いや、逆だ。こんな高級なの普段から使わないから。こういうのは、今日みたいにお客さんが来た時なんかにに振る舞ったりするもんで、自分で消費するのは一回か二回で十分なんだよ」

 

 士郎はすっかり萎縮した出久の遠慮なんて気にもせず二杯目を注ぎ、挙げ句の果てに羊羹の載った皿を新たに投下した。

 

「ちょっ、衛宮くん!?」

「今うちにある来客用の茶菓子なんてこれしかないんだけど・・・・・もしかして羊羹苦手だったか? 」

「いやいやいや、そうじゃなくって!」

「大丈夫なら良いんだ。飯前だからほんとは良くないんだけど、せっかく良い茶なんだから茶菓子の一つでも無いと味気ないだろ?」

 

 出久の慌て様を知ってか知らずか――いや、この男、確実に分かった上で無視している。招いた客の動揺やら何やら、まるっきり相手にせず押し通す気である。

 オロオロとする緑谷を置いて、士郎は給仕を終えるや否やまたしてもさっさと台所へと戻っていった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 もはや抵抗は無駄と悟った出久は、のろのろと菓子楊枝で切り分けた羊羹を口に運ぶ。

 

 

 

――当然ではあるが、温かい緑茶と羊羹の組み合わせは、非常に美味であった

 

 

 

 

 

 

 出された茶と菓子を全て腹に納めてからというもの、出久は観念したかの様にこの状況を受け入れていた。あまり駄々を捏ねても、それはそれでもてなしてくれる友人に悪いと思ったからだ。

 本当は、士郎の手伝いをしようともしていたが、それもやはりお客様だから、と士郎自身に断られてしまった。今は台所から聞こえる調理の音を耳に入れつつテレビを見ている。 

 

『先日、ヴィランによる襲撃を受けた雄英高校ですが、例年通り体育祭を執り行う予定との事で――』

 

 適当にチャンネルを回した情報番組では、ちょうど二日前の一件と約二週間後に迫った体育祭について議論していた。

 学園の責任を追及する有識者がいる一方、意外にも登壇するコメンテーターの大半は体育祭の開催に肯定的だ。

 楽しみにされているという事もあるが、おそらくは襲撃での被害が僅かだった事が大きいのだろう。――もっともそれは、取り繕われた真実だが。

 

 ・・・・・もし、本当の事が知られていたら、どうなってたのかな・・・・・。

 

 報道では襲撃によって出た被害は施設の損壊と教員二名の重傷のみと語られているが、実際にはもう一人重傷者がいて、もっと言えばその人物は死の淵に立たされた。

 世間にその事実が露呈すれば、今からでも中止を、と叫ぶ声が上がるのだろうか。

 もしそうなれば、体育祭をチャンスの一つとして捉える学生には大きな痛手となる。

 

 ・・・・・衛宮くんが自分の事を隠すように頼んでくれたから、大きな波風も立たずに済んでる。

 

 それは、ヒーロー科の生徒にとっては僥倖とも言える行動だった。

 ヒーロー育成機関がヴィランの襲撃を許した挙句、生徒にまで被害を出していたと外部に知れれば、管理能力を疑問視され体育祭どころではなくなっていたかもしれない。

 出久にとってもそれは都合が悪かった。他の生徒以上に彼は体育祭で結果を出さねばならない()()がある。士郎のおかげで何事も無く晴れの舞台に立てる事を、彼ら生徒は感謝すべきなのだろう。

 しかし、それを素直に喜べないのも、また事実だった。

 

「・・・・・ねえ、衛宮くん。病み上がりって言ってたけど、衛宮くんは今度の体育祭、出れそう?」

 

 出久は直前の思考を頭の隅に追いやり、紛らわす様に士郎へと声をかけていた。

 そもそも、当人が問題無いと言っていた事。件の隠蔽についてあれこれ考えるのは、それこそ友人に対する侮辱になると思ったからだ。

 

「ん? そうだなぁ。日常生活にはもう支障ないし、もう二、三回リカバリーガールの所に通ったら完治するだろうから、体育祭には余裕で間に合うと思う」

 

 出久の内心になど気付きもせず、士郎は気負いなく自身の容体を語った。

 リカバリーガールの治療が如何程のものか、出久は身をもって理解している。彼女の手にかかれば復帰も早いだろう。・・・・・いささかダメージに対して回復のペースが早すぎる気がするが。

 ともあれ、一つ心配事が減った事には違いなかった。

 

「そっか。それなら良かった」

「・・・・・さて、どうかな。緑谷や他のみんなからすれば、ライバルが一人減った方が良かったんじゃないか?」

「へっ!?」

 

 安心した、と気を緩めた出久に、士郎は間髪入れず皮肉を返していた。

 流石にそんな台詞が飛んでくるとは思っていなかったのか、出久は目を剥く。

 

「そ、そんなことこれっぽっちも思ってないよ!?」

 

 立ち上がって慌てふためきながら、両手をワタワタと振って士郎の言葉を否定する。

 他の学校で行われる体育祭が基本的にクラスや学年、或いは紅白組での対抗であるのに対し、雄英のそれは形式が異なる。

 種目は毎年変わってくるが、第一、第二種目は上位進出の予選、第三種目が一対一のトーナメント形式。よってクラスも組も関係なく基本的には生徒同士のぶつかり合いだ。

 最も輝かしい栄冠を与えられるのは上位三名まで。功績を残すにしろ名を残すにしろ、最後まで勝ち残った方がいい事は言うまでもない。故に、母数が減ればそれだけ楽になるというのも事実。

 とはいえ、ライバルの出場そのものを厭うような、言ってみれば姑息な考えをする人間は、少なくとも彼らが在籍するクラスにはほぼいない。それは、出久とて例外ではない。

 

「確かに僕も優勝したいって思うけど、それは正々堂々と競い合った上での事だし、何より僕は――」

「――くく。いや、悪い。ちょっとした冗談だ。うちの連中がそんな小狡いこと考えてるなんて、思っちゃいないよ」

「―――へ?」

 

 慌てて言い繕おうとする出久の言葉を、士郎の笑い声が遮った。可笑しそうに、さっきのは悪ふざけだと、悪びれもせず言い放つ。

 

「じょ、じょうだん・・・・・?」

「まさか、真に受けるとは思わなかった。緑谷はもうちょい舌戦を鍛えたほうがいいな」

「・・・・・え、衛宮くんっ!!」

 

 よくも騙したな、という感情の乗った声に士郎は、ハッハッハ、とこれ見よがしに高笑いする。

 腹の黒さでは、出久の何歩先も行っている士郎であった。

 

「まったく、ひどいよ衛宮くん。これでも、結構気にしてたのに」

 

 揶揄われたと知った出久は座布団に腰を下ろし、彼にしては珍しく不貞腐れる。

 直前まで士郎のアレコレに葛藤していた分、不満も強かった。

 対する士郎もこれ以上弄っては本気で機嫌を損ねかねないと思ったのか、調理の手を止めてすまんすまんと手を合わせる。

 

「悪かったよ。ほんとは揶揄うつもりなんて無かったんだ。けど、緑谷があんな事を気にしてたもんだから、つい可笑しくなった」

「あんな事・・・・・?」

 

 謝る士郎の言葉にふと、妙な台詞が入っていて、出久は反射的に聞き返していた。

 あんな事、とは果たして何のことだろうか。

 

「多分だけど。緑谷、俺が大怪我したのを伏せた事を気にしてたんだろ?」

「・・・・・っ!?」

 

 士郎の返答に出久は一瞬、呼吸が止まった。

 彼の指摘は確かに、少し前の出久が気に病んでいた事だが、それは内心で処理したものだ。声に出してもいない心境を見抜かれ動揺を抑えられずにいる。

 

「な、なんでその事を・・・・・」

「ニュースがちょうど、そういう話してたからな。視線もチラチラ感じてたし緑谷も妙に複雑そうだったから、割と分かりやすかったぞ?」

 

 だから、そんな事をわざわざ気にしてるのがどうにも可笑しかった、と士郎は語る。

 士郎にとって、先の件はとうに終わったことの上、彼にとっても利がある話だった。別段、隠した所で困りはしないし、それを気に病む必要は皆無なのだ。

 

 一方、出久の方は様々な意味で驚きを隠せなかった。

 簡単に内心を悟られたこと、一瞥もせず自分に対する視線に気づいたこと、自分の感情を気配から察したこと。どれも、出久が声を失うには十分だった。

 

「ま、そういうの気にするところは、緑谷らしいっちゃらしいけど」

 

 そう言いながら、士郎は両手に皿を乗せて運んでくる。

 出久が気付かないうちに、調理は終わっていたらしい。炊事に疎い出久にはその内容までは分からなかったが、盛り付けられた料理は湯気が立ちどれも食欲をそそった。

 

「おまちどおさん」

 

 士郎が配膳し終えたところで、出久はあらためて食卓に上がった料理を見る。

 目につく品々は実に立派で、和食寄りのその献立はやはり男子高校生が作れるレベルではないな、と改めてその家事レベルの高さに舌を巻いた。

 

「さわらの蒸し焼きに長芋の豚巻き、それかられんこんとアスパラのじゃこ炒め。玉ねぎとレタスのサラダはこっちでドレッシングをかけてある。味噌汁の具はごぼうとにんじんだ。ああそれと、さわらには醤油ベースのネギだれを別で用意してるからお好みでどうぞ」

 

 説明されるメニューに、出久の脳は半ば追いつけずにいた。もっとシンプルに焼き魚とか、豚カツとか、そんな感じで来ると思っていたのだ。というより、料理のりの字も知らない出久に思い浮かぶレシピなど、オーソドックスなものしかない。

 料理に関してど素人どころかほぼ未経験の出久には、士郎の話した献立は情報量が多すぎた。

 

「さ。冷めないうちに頂いちゃってくれ」

「あ、うん。えっと、それじゃあいただきます」

 

 士郎に促されるまま、出久は箸に手を伸ばす。

 色々と驚きやら戸惑いやらあるが、彼も育ち盛りな学生。いい時間な上に台所から漂っていた香りに、実はかなり空腹を刺激されていた。

 もはや辛抱たまらんと言った様子で、炊き立ての白米が盛られた茶碗片手におかずへ手を伸ばす。最初の狙いはさわらだ。

 

「ん! この魚、身がふわっとしてて美味しい!」

 

 身に通した箸から硬さは感じない。ふっくらとした身はあっさり切り分けられ、かといって身崩れする事もない。皮は最初から剥がされていて、大き目の骨も取り除かれているから食べやすい。

 蒸し焼きにしているだけあって、魚の他にもしめじや小松菜も共に調理されていて、ただの焼き魚以上に手が込んでいるのは一目瞭然だ。

 味付けも絶妙で、調理工程から作った人物の食べる人間への細やかな気遣いを感じる。

 

「そりゃよかった。さわらは今の季節が旬だからな、今を逃すとしばらくは良いのが手に入らなくなる。・・・・・ああいや、旬の時期は東西で違うんだったか・・・・・」

 

 さてどうだったかな、と記憶を探る士郎を他所に、出久はもう一口さわらを口に放る。今度は小皿に盛られたネギだれを付けた。

 もともとさわら自体は淡白な味をしているから、ねぎの旨みが効いた濃い目のたれはよく合い米も進む。

 

 その後も次々に他のおかずへ箸を伸ばし、どの料理も出久を満足させたが、一番印象に残ったのは炒め物だ。

 れんこんとアスパラガスの組み合わせは、今まで体験したことがない。どちらも歯応えのある食材だからその食感が実に心地よかった。ちりめんじゃこの塩味もいいアクセントになっている。

 よくもこんな一品を思いつくものだと、出久は感心しきりだった。

 

「そういや、さっきの続きじゃないけどさ」

「んむ・・・・・?」 

「・・・・・すまん。飲み込んでからでいいぞ」

 

 しばらく箸を動かしていた士郎が、思い出したように話しかける。

 咀嚼していた出久はそこで動きを止めたから、どこか間の抜けた表情になっていたのは対面の士郎にしか分からなかった。

 ごくん、と口の中身を飲み下した出久は一息つき、あらためて士郎を見る。

 

「ふぅ・・・・・。それで、どうしたの衛宮くん?」

「さっき、体育祭の話をしてただろ? もうそんなに時間無いけど、緑谷はどうするのかなって」

「どう、ていうと・・・・・」

「もちろん、“個性”の事だ。制御、出来そうなのか?」

 

 まともに扱う事もままならない力を、友人がどう利用して迫る大舞台に臨もうとしているのか。士郎はその事を気にかけていた。

 正直に言って、今のままでは優勝を狙うどころか予選の時点で脱落してもおかしくはない。それも順位のせいではなく、自滅によってだ。

 

「・・・・・正直に言うと、まだ調整できそうにない、かな」

 

 一方、出久もその事については危惧していた。

 肉体の許容値を遥かに凌駕した膨大なエネルギー。それを完全に使いこなす試みはいくつも試しているが、いずれも上手く行った試しがない。

 

「USJの時は自壊せずに使えてたけど、それは?」 

 

 士郎が思い返すのは、先日の襲撃事件。

 死に瀕した彼を救い出す為、出久は自らの力を使った。その一瞬、その一度だけ、彼は反動無しで力を扱えていた。

 

「むしろ、あれがはじめてだったんだ。無意識にだったけど上手く力をセーブできて骨折もしなかったし、その理由もなんとなく掴んでる。・・・・・けど、それを自在に制御出来るかって言われると、まだ難しい、かな」

 

 士郎の疑問に答え、またそのきっかけについても彼は既に察していた。同時に、それはまだ本人の意思で左右できるものではない。故に、体育祭で力を発揮出来るという確信は持てずにいる。

 

「・・・・・入学初日にさ、“個性”の制御には苦労した、て言ってたよね?」

 

 難しい顔から一点、出久は思いついたようにそう問いかけていた。

 

「ああ。リスクそのものも今だって残ってる。その辺は、麗日あたりから聞いてるか」

「あ、うん。放課後に教えてもらった」

 

 問いに頷くと同時、士郎はその危険性は変わらないと補足する。

 その辺の事情については、出久も二人の友人を通じて承知していた。

 全力を出せば全身が砕け散る出久と比べても、なお死と間近な“個性”。それを幼い頃から鍛え上げ、その代償を何度も負ってきた友人の精神力、話を聞いた出久はその場で卒倒しかけたものだ。

 

―― しかし、だからこそ手本とするにはうってつけなのかもしれない。 

 

「それで、もしよかったら聞かせて欲しいんだ。衛宮くんが、具体的にどうやって“個性”を制御したのか」

 

 それは、かつての個性把握テストで教えられた心構え、気の持ちよう以上の事。思想ではなく、技法を問うている。

 無論、彼らの“個性”は細部を見ても大枠で捉えても、類似する箇所は殆ど存在しない。内包する危険性という意味ですら、その性質は異なるものだ。

 故に、厳密には士郎の経験がそのまま出久に活きる事はない。

 ただ、それでも何かの足しになるかもと、もしかするとなんらかのきっかけを得られるのではないかと、そう思っての問いだ。

 

「んー、具体的な方法というか、俺にとっての手引き書<ガイドライン>みたいなものは確かにある。――けど、それを緑谷の“個性”制御に活用するのは無理だ」

 

 返ってきた答えは、期待を外れて否定だった。

 出久の求める、士郎なりの方法を確立していると言いながら、それは決して出久の役には立たないという断定。

 

「い、いやっ。それは実際に聞いてみないと分からないんじゃないかな!?」

 

 にべもなさ過ぎる返答に、さしもの出久も食い下がる。

 もう、体育祭まで時間が無い。高校初の大舞台でなんとか結果を――叶うのならば優勝を勝ち取りたいと願う出久からすれば、どんな些細な話でも取り込めるものは取り込みたいのだ。

 ともすれば無様とも取れる必死な出久に、しかし士郎は首を振る。

 

「いや、これについては断言できる。そもそも俺が言ってる方法ってのは、あくまでモノを作る為の行程みたいなもんだ。言ってみれば工場での組み立てラインで、緑谷が知りたいのは原料の取り扱いそのものだろ」

 

 出久の要望を否と断じた理由を、士郎は例え話で説明する。

 仮に、彼ら二人を同じモノとして見たとしよう。両名とも扱いが困難な原料をそれぞれにエネルギーとして活用する技術を有している。問題は、その劇薬を如何に無害なまま用いるかという事。

 出久の場合、この前提条件をクリア出来れば、それがそのまま“個性”の調整を可能にする。対して士郎は、原料を無害化する所までは出久と同じだが、そこからさらに先の作業が必要となる。

 先ほど言っていた方法というのがこれにあたり、出久が助言を求めているのは、その前段階での事だ。

 

「そのガイドラインを緑谷に教えたところで無駄な知識になるだけだし、下手をすれば変な先入観を持たせて却って目標から遠ざける可能性だってある。だから、俺の方法を教えてはやれないし、教える気もない」

「・・・・・なら、衛宮くんが言う原料の扱い方ならどうかな。そっちなら、僕にも活かせるかもしれない」

 

 順序だって説明して断る士郎に、出久は尚も引き下がらない。

 仮に、前提条件が同じであるというのなら、そこには類似性、互換性があると考えるのは自然な事だろう。ただ、

 

「悪いけど、そっちに関してはこれといって特別な方法なんて無い。単に、ガキの頃から反動に構わず“個性”を使い続けて、最終的に感覚を掴んだってだけだからな」

「・・・・・そういえば、そうだった」

 

 今の今まで忘れてた、というように項垂れる出久。

 結局のところ、士郎が“個性“を制御するにあたってとった行動は、身体を壊しながらひたすらに反復する事だった。

 施設の庭で”個性“を使って、学校の授業で一人”個性“と向き合って、暇な時間に手慰みのように”個性“を発動して。

 何度、傷を負ったのかわからないし、何回、死にかけたかも覚えていない。それぐらい自身を省みず、死を厭わず、死に物狂いで鍛え続けた結果、ようやっと手綱を握ったというだけの事。

 だから、劇的に成長を促せるようなコツやノウハウなど、彼は端から持ち合わせていないのだ。

 

「緑谷がもっと小さい頃、それこそ小学生にもなってないような歳からなら、そういう闇雲なやり方も選択肢の一つに含めれたかもしれない。でも、今から体育祭に間に合わせるには、それじゃあ効率が悪すぎる」

「そう・・・・・だよね」

 

 アテが外れて意気消沈する出久。

 その様子からして、士郎からの助言にかなり期待していたのだろう。

 

「悪いな、力になれなくって」 

「・・・・・ううん。そもそも、衛宮くんの努力を盗み見るような事を考えてた僕が悪かったんだ。力の扱いは、ちゃんと自分の手で掴み取ってみせるよ」

 

 申し訳なさそうな士郎に、出久もまた頭を下げる。

 そもそも、たったの数週間で他人が十数年をかけて築き上げたものと同じ成果を得ようとしていたのが、土台無理な話なのだ。

 力とは、技術とは、継続することによって自らに根付くもの。きっかけ一つ、助言一つで身につく程度のものなど氷山の一角止まりだ。

 彼があくまで頂点を目指すのならば、彼自身が時間をかけて向き合っていくしかない。

 

「まあでも、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないか。少なくとも、問答無用でぶっ壊れてた時に比べれば、かなりの進歩だろ?」

 

 思い悩む出久に、士郎はそう声をかける。

 確かに、新たな見地を得る事は叶わなかったが、出久は既に曲がりなりにも力の調整に成功している。

 あとは、その経験を糧にして着実に歩を進めていけばいい。

 

「・・・・・うん。まだ全然だし、ほんの小さな一歩だけど。それでも確かな一歩だよ」

 

 励まされた出久は、しかしてその瞳に士郎を移さず、ただ自身の両手を見つめながら告げる。

 相手に答えるというよりは、自らに確認する様に、或いは意気込みを新たにする様に。

 士郎にもその気概は伝わっていた。新たに掴んだとっかかりを、死に物狂いでモノにしようとしている。藁にも縋る、なんて自棄じゃない。確かな目標を見据えて臨んでいる。

 ならば、士郎が案ずるべき事は何も無い。あとは友人の努力が実るように願い、それがより早いものになるよう、必要なら僅かばかりの助力をするだけだ。

 

「・・・・・そうだ。“個性”関連で力にはなれないけど、戦い方とか武器の扱いなら教えてやれるし、訓練も時間があればいくらでも付き合うぞ。もしお前が必要だって思うなら、いつでも声をかけてくれ」

「ほ、ほんとに!? 衛宮くんの戦い方は凄く上手いし、訓練にも付き合ってもらえるなら、すごく参考になるよ!」

 

 アドバイスをしてやれなかった代わりに出した士郎の提案に、出久は嬉しそうに笑い、ありがとう、礼を言う。

 出久の見た限りにおいて、A組で最も戦闘が巧いのは士郎だ。能力が高い生徒、単純に強い生徒は他にもいるが、こと戦闘技術という一点において、士郎はクラスでも随一だと思っている。

 

 それは、第一回目の戦闘訓練時に見た戦略性についてもそうなのだが、なにより出久がそう判断するのは、USJで見た脳無との戦いが理由だ。

 長年、ヒーローオタクとして過ごしてさまざまなヒーローとヴィランの対決を見た出久からしても、脳無はずば抜けて規格外だった。なんせやつは、この時代において最強の個人であるオールマイトと真正面から殴り合いを演じてみせたのだ、

 最強のヒーローと互角に戦えたヴィラン、罷り間違ってもヒーロー科に在籍して一ヶ月も経たないヒーローの卵が相手を出来る存在ではない。

 

 ――だが、その不可能を僅かな時間とはいえ、可能としたのが衛宮士郎だ。

 両手に白と黒の中華刀を握り、オールマイトですら軋ませる暴拳を捌き掻い潜ってみせた技量は、到底真似できるものではない。

 時間にすればほんの数分か、或いは一分程度の事だったのかもしれない。しかし、人間の限界を超えない身体能力で、オールマイト並みのパワーを誇る化け物とそれだけの時間撃ち合ったという事実は偉業というにふさわしいものだ。

 素の能力で劣る相手に喰らいつくには技量や頭脳戦で対抗する他なく、衛宮士郎がそのどちらも備えている事は疑いようもなかった。

 

「持ち上げてくれてるところ悪いけど、俺の技量なんてそこまで大したものじゃないぞ」

 

 興奮気味に喜んでいる出久に、士郎は苦笑しながら訂正した。

 訂正されたとうの出久は、それが士郎の謙虚さからくる謙遜だと思い笑って受け流したが、実際には士郎の戦闘技術そのものは二流の域を出ないものだ、ということをこの時の出久は知らない。

 

 

 

 それからも、食事をしながら他愛無い話が続く。

 一人暮らしはどうとか、体育祭に向けて一緒に特訓でもどうかとか。

 どれも当たり障りのない話題だったが、二人ともに初めてのシチュエーションだったから、存外に楽しんでいた。

 とはいえ、それも料理が残っている間の事。皿が空になってしまえば、その時間も終わりだ。

 

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったよ、衛宮くん」

「お粗末さまでした。喜んでもらえたなら何よりだ」

 

 手を合わせて食後の挨拶をする士郎を置いて、士郎はさっさと後片付けを始める。食器を引き、余った料理にラップをかけて、食後の茶を出す。洗い物はひとまず後回しにした。

 客人を放っておくわけにはいかないというのもそうだが、何より――

 

「――さて。落ち着いたところで、そろそろ本題に入ろうか」

 

 士郎は一口茶を口にした後、湯呑みを置いてそう切り出した。

 こうして夕飯に出久を招いた本来の目的、それは出久が士郎と話をする為だ。

 

「それで、俺に何が聞きたいんだ?」

 

 出久が何の話で士郎を呼び止めたのか、とうの士郎はまだ知らない。

 彼が知っているのは、その話は別に急を要するわけではなくて、けれど出久はすぐにでもその話をしたくて、それがちょっとした雑談程度の内容ではないということだけ。

 それ以外は聞いておらず、また聞こうとも思わなかった。言いたい事があるなら、本人の方から言ってくるだろう、と。

 

「・・・・・あの日、衛宮くんがオールマイトと話をしていた時からずっと気になってた事があるんだ」

 

 あの日、というのがいつの事かは聞くまでもない。

 出久の心には、その瞬間から決して放置できない疑問が、胸に残り続けている。

 

「衛宮くん、言ってたよね。君や僕、それに他のみんながオールマイトに背負わせ過ぎてるって」

 

 その時の光景が、言葉が、出久の脳にこびりついたまま離れない。

 絶対的な悪意を前に、ただ一人で挑もうとする平和の象徴に、彼は言っていた。あなたにばかり苦しい思いをさせて、いつまでも頼り続けてしまっていた、と。

 

「オールマイトがどれだけ凄いか、きっと僕らみたいなヒーロー科の人間は一般の人よりも知ってると思う。――それなのに、なんであんな風に考えられたのか、どうしてあんな事を思い付けたのか。それがずっと、不思議だったんだ」

 

 オールマイトという英雄<ヒーロー>の偉大さは分かりきっている。

 千人以上を救ったデビュー当時の救助活動、一国家の劇的な治安回復への貢献、以後も最前線で人々を救い続けその果てに得た平和の象徴という称号。

 どれも常人には実現どころか夢想することすら不可能。彼の全てが彼の絶対性を示している。

 どんなに強大なヴィランだろうと、どんなに凶悪な犯罪者だろうと、彼を斃す事は叶わない。

 世間の、世界の評価はきっとそんなところだ。誰も、オールマイトが破れる姿など想像出来ない。ましてや、彼の背負っているモノなど考えもしない。かつての出久がそうだったように。

 

――されど、ただ一人、絶対のヒーローに憤る者がいた。

 

「何故って聞かれても、俺もそんなに理屈っぽく考えてるわけではないからなぁ」

 

 出久の真剣な問いに、士郎は頭を掻く。

 彼は、返答に困っていた。何故なら、彼が投げかけられた問いは、彼にとって当たり前のことでしかなく――

 

「たった一人で、国の、世界の平和を背負い続けるなんて――そんなの、苦しいに決まってるだろ」

 

 何でもないことのように、ごく普通の常識を諭すように、士郎は語った。

 

「確かに、オールマイトは凄いさ。ヴィランと戦えばまず負けないし、人助けだって誰よりも速く熟す。あの人が笑ってないところなんて、見た事もない」

 

 それらは全て事実だ。これまでのオールマイトの生き方と在り方を額面通りに告げている。

 戦えば負け無し、救助活動は迅速、常に浮かぶ快活な笑みは人々からの人気の源。日本どころか、世界中の誰もが知っている彼の姿だ。だが――

 

「けど、あの人だって傷つく事はあるし、怪我をすれば痛みもする。窮地に陥った人間全てを常に救い出す事も出来ない。――俺には、オールマイトの笑顔は、自分の疵を隠す為の仮面にしかみえないんだ」

「――――――」

 

 士郎は、出久が息を呑んだ気配を感じた。

 出久のオールマイトマニアっぷりは士郎も知っている。彼からすれば、この話はひどく衝撃的なものなのかもしれない、と思い至る。

 しかし、質問された手前、半端なところでやめてしまうつもりはなかった。

 

「苦しみを抱え込んで、助けられなかった人達への罪悪感と後悔を溜め込んで――だっていうのに、その痛みを誰かに漏らす事も、涙する事も出来ないなんて、そんなの間違ってる」

 

 士郎は、オールマイトの絶対性を知りながら、それが完璧なものとは初めから思っていない。

 痛みは彼の肉体を蝕むはずだ。救えなかった人への悔恨は彼の心を引き裂くはずだ。人間として感じて当然の苦しさが、彼の中にも存在するはずだ、と。

 

「それなのに、誰も彼もオールマイトの背負ってるものなんて見向きもせず持て囃して、あの人も“自分”を殺してみんなの期待通りに振る舞って幻想<ユメ>を見せて――俺は、それがどうしようもなく、気に食わない」

 

 語り続ける士郎の声には、いつの間にか怒りが込もっていた。

 心底、世間とオールマイトの振る舞いが許せないと、抑えるつもりの感情が僅かに漏れて、それが言葉に乗っている。

 その、本心からの怒りを感じて、衛宮士郎がなぜあんな事を言っていたのか、出久はようやく気付いた。

 

「衛宮くんは最初から、“平和の象徴”っていうものが認められなかったんだね」

「――当たり前だろ。たとえ、あの人が人助けを好きでやってるとしても、死ぬまでずっと誰かの為に生き続けてその報いが一つもないなんて、俺には許せない」

 

 そう吐き捨てる士郎の仏頂面は、普段より険があった。話に拍車がかかって、上手く心を鎮められないのだろう。

 士郎はしばらく、無言でいた。

 

「・・・・・悪い。熱心なオールマイトファンの緑谷に聞かせる話じゃなかった」

 

 気を落ち着かせる事ができたのか、十秒ほど経った頃、士郎は出久にそう謝罪していた。

 他人に自身が好むモノを否定されていい顔をする人間などいない。自制の利かぬまま心情を吐露した事は悪手だったと反省する。

 

「・・・・・ううん、大丈夫。雄英に来る前ならともかく、今は僕も、オールマイトが色んなものを背負い過ぎてるって思ってるから」

 

 バツが悪そうな士郎に対して、出久は穏やかだった。

 自身が尊敬する、半ば信仰対象の域に達しているオールマイトを否定する様な考えを聞いたというのに、まるで気にしていない。それどころか、士郎の言葉に同意すらしている。

 予想に反した反応に、士郎は眼をぱちくりとさせて面喰らっていた。

 

「・・・・・意外だな。他の奴ならともかく、お前がそんな事言うなんて」

「雄英に来て、それまで見向きもしなかったことを、色々知ったから」

 

 昔は違ったよ、と出久は笑う。

 彼のオールマイトに対する崇拝に近い感情が、変わったわけではない。ただ、ヒーロー科に来てそれまでとは違う視野を得て、或いは未知の事実を知ってこうなったのかもしれない。

 そう理解した士郎は、なるほど、と頷きを一つ入れ、

 

「それは、オールマイトが弱ってる事を知ったからか?」

「――――――――え?」

 

――そう、緑谷出久が決して無視出来ない問いを投げかけた。

 

「――――衛宮くん。いま、なんて」

「オールマイトが弱ってるのを知ってるからかって聞いたんだ。その様子だと、知ってる――というより、本人から聞いたみたいだな」

「――――――――」

 

 時間が、凍りついたかのようだった。

 周りの音が聞こえなくって、体は一ミリたりとも動かせない。心臓の鼓動すら、止まったような錯覚に陥る。

 

――オールマイトが弱っている。

 

 友人が問いかけたそれは、本来なら絶対に彼の口から出て来るはずのないものだ。

 それは、知られていない情報だった。知られてはいけない事実だった。――絶対に、隠し通さなければならない真実だった。

 

「なんで、そのことを――」

 

 それを知っているのは、知って良いのは、限られた人間だけだ。一部のプロヒーロー、一握りの警察関係者――そして、“唯一”の生徒。

 それらの人間だけが知る事を許された、決して世に出してはならない平和の象徴の実態。

 それが、何故、何の関わりもない生徒に漏れてしまっているのか――

 

「――緑谷にはまだ言ってなかったんだけど、俺の“個性”――『投影』は、モノを複製する“個性”なんだ」

「―――――」

 

 辛うじて紡いだ言葉で、何故と問いかける出久に対し、士郎は唐突に自らの“個性”を語る。

 脈絡が無くて、今すぐにでも質問に答えて欲しいと思いながら、驚愕に心を乱された出久は自分の思い通りに口を動かすことが出来ず、ただ友人の話を聞くことしかできない。

 

「複製ってんだから、絶対もとになる原典<オリジナル>を知ってなくちゃならない。創造の”個性”を持ってる八百万なんかは、自力で知識を付けて構造とか材質を把握してるけど、俺は違う」

 

 言って、その手に黄色いゴーグルを造り出す。

 それは、出久もよく見知ったもので、絶対にこの場にあるはずがないもの。

 

「なんで、相澤先生のゴーグルを――」

「――普通、プロヒーローの装備品の設計図なんて教えてもらえるわけない。商売道具だし、下手に情報が漏れてヴィランに知られちゃマズイからな」

 

 プロのヒーローが纏う装束とは、素材一つとっても機密情報の塊だ。それぞれが個々のスタイルや能力に合わせて選別され、調整され、構成されている。

 持ち主であるヒーローと、そのコスチュームを開発したサポート会社以外、その情報は知りようがない。

 

「でも、俺は教えられずともそれを把握できる。“個性”の一部でな、一眼見るだけでいい。それだけで、贋作を造る為に必要な設計図、模倣する対象の構造を“解析”出来る」

 

 知るはずもないプロヒーローの装備品の設計図を把握し複製できたのは、その“解析”という能力故だ。一瞥、たった一度でも視界に収めれば、彼は大抵の物の構造を読み込む事が出来る。

 彼らA組の中でこの能力を知っているのは、一度だけ士郎と訓練でペアを組んだ八百万だけだ。

 

「それに、この能力はある程度生き物にも使えるんだ。人工物なんかに比べると難易度が上がるけど、大雑把な体調とか傷の有無を調べる事は簡単に出来る」

「じゃあ、オールマイトが弱ってる事を知ってたのって――」

「この“解析”で、あの人が酷い傷を負ってるって知ったからだ。USJで脳無を死体だって言ったのも、同じ理由だな」

 

 秘密を暴いた方法を知ると同時、僅かに出久の緊張が解ける。

 秘め事は過たず知られたのに、むしろ安堵した様な反応を示す出久を不審がった士郎だが、さほど気にせず話を進めた。

 

「どういう経緯かは知らないけど、緑谷はどこかでオールマイトにあの人が弱まってるって事を聞いて、なおかつその事は秘密にして欲しいって言われたんじゃないか?」

 

 秘密にしている理由を、士郎は容易に察することが出来た。

 “平和の象徴”を称するオールマイトが、悪党に付け入らせるような隙を公言するとは考えづらい。

 犯罪の活性化を避け、市民の不安を煽らぬ為、自らの負傷を隠したのだと、士郎は予想する。

 

「・・・・・衛宮くんの言う通りだよ。“ヘドロ事件”の時、ヴィランを捕まえに来てたオールマイトと出会って、たまたま傷の事を知ったんだ」

「ああ、そういえばあの事件に巻き込まれてたんだったな」

 

 士郎の言葉を肯定した出久に、士郎は道理で、と納得する。

 ヘドロ事件とは、今からおよそ一年前、とある街にヘドロで構成された身体を持ったヴィランが現れ、一人の子供を人質に取って暴れたというものだ。

 このヴィラン、他人の肉体に入り込んで操る事も可能だった様で、捕らわれた子供は人質であると同時に都合の良い操り人形でもあった。

 そして、巡り合わせとは奇妙なもので、その囚われた子供というのが当時中学生だった爆豪勝己で、出久は無謀にも彼を救い出そうと渦中に飛び込み、命を落としかけた彼らを救ったのがオールマイトだった。

 

「なるほど、オールマイトと妙に距離感が近いのはその時の縁か」

「えっ!? な、なにを急に!? そんな事、ないと思うけど!?」

「・・・・・なんでそこで慌てるんだ?」

 

 再び動揺を露わにした出久に、士郎は心底不思議そうに首を傾げる。

 

「前々から、緑谷を見るオールマイトの眼が他の生徒を見てる時より親しみが込もってるのは分かってたし、“個性”だって近しいんだから、師弟みたいな関係になってるんだろ?」

「い、いや、それは、なんと言いますか・・・・・」

「別に隠さなくていいよ。教師が生徒に眼をかけて個人的に指導したりなんてのは、そんなに珍しいもんじゃない。俺も前に、スナイプから声をかけられたし」 

 

 ヘドロ事件での縁や、出久が以前までは“無個性“だと思い込んでいた事を考慮すれば、”個性“の開花や雄英への挑戦はオールマイトとの接触がきっかけだと考えられる。

 加えて、出久の肉体がいまだに”個性“をギリギリ納めていられる程度の強度しかない事から、身体を作りはじめたのも入試の一年前かそこら程度。

 その短い期間の中であれだけの出力を誇る“個性”に耐えうる肉体へと鍛え上げるには、相当な努力が必要なだけでなく極めて効率的で専門的な訓練計画が必要な筈。

 トレーニングマニアでもなかったであろうただの中学生がそんな知識を有していたとは到底考えづらい。ならば、当時の出久には指導者がいて、その人物こそがヘドロ事件で知り合ったオールマイトなのではないか。

 出揃っている情報から、士郎がこういった予測に繋げるのは至極自然な事だった。

 

「緑谷が秘密にしときたいって言うなら、別に構わないんだけどな。オールマイトが生徒一人を贔屓してるって他の生徒に知られたら、それはそれで面倒だろうし」

 

 ヒーロー科でプロのヒーローに指導を受けることは、ヒーロー志望の学生にとっては憧れの一つ。雄英であれば、その価値は一際高いものだろう。

 ――だが、それでも不足だ。オールマイトからの個人指導に比べれば、比較しようもないほど霞んでしまう。全国最高峰のヒーロー育成機関の指導と秤にかけてなお、揺らぎもしないような輝きが彼にはある。

 その恩恵、仮に一身に受ける者がいると知れれば、周囲がどう思うか。

 嫉妬、嫌悪、憎悪、敵愾心。下手なやっかみを受けて恨まれても面白くない。

 

「・・・・・えっと、衛宮くん。できれば、いま言った事は誰にも言わないでくれないかな・・・・・?」

 

 既に確信を抱いている士郎にこれ以上言い訳した所で無駄と悟ったのか、出久は口を噤むように頼んだ。

 無論、士郎がその頼みを蹴る理由は無い。

 

「そこは分かってる。俺も、本人の了解も無く他人の秘密をバラしたりしない。ただ――」

 

 士郎は、間髪入れずに秘密は漏らさないと約束した。

 もとより口外するつもりなど毛頭なく、第一、出久とオールマイトの関係ならともかく、トップオブヒーローの弱体化など、社会への悪影響が大きすぎる。

 しかし、それ以外にも言うべき事があると、言葉を続ける。

 

「秘密にしておきたい事があるなら、もうちょい表情は抑えろ。あんな風に狼狽えてたら、隠せるものも隠せない」

「え、えぇ!?」

 

 士郎の忠告に叫んだ出久は心底意外そうな――というより、心外そうな顔を浮かべる。

 不意打ち気味にとはいえ、秘密を言い当てられただけで狼狽していては秘密も何も無いのだが、当人にその自覚は無かったようだ。

 

「そんなに分かりやすかった・・・・・?」

「お前には腹の探り合いは向かないって確信できるくらいには分かりやすかった。相手の台詞に驚くなとは言わないけど、せめて心の中で処理出来るようにはなっとかないと、いつかあっさりバレちまうぞ」

 

 容赦の無い言葉責めに、出久は目に見えて意気消沈していた。上手くやれていた自信があった訳でもないが、こうも酷評される程とまでは思っていなかったのだろう。

 長年、自らの“個性”を秘密として抱えてきた士郎からすれば、出久の普段からの態度は隠し事をしていると公言してるも同然だった、

 

「話っていうのは、これで終わりか? 学校の廊下でいきなり話がある、なんて言われた時は何の事かと思ったけど、まさかこういう用事とは思わなかった。・・・・・とにかく、秘密はちゃんと守るよ。これでも口は硬い方だから、そこは安心してくれていい」

 

 改めて秘密の遵守を確約し、いまだにショックから立ち直れない出久に構わず、士郎は茶を一口啜る。

 最初に出久に出したものと違い、至って普通の茶だ。一番茶のような濃い甘みはないが、緑茶特有の苦味と深みを味わえるこちらの方が士郎の好みにはあっていた。加えて、先ほどまで話に熱が入っていたから、乾いた喉に茶が染みた。

 このまましばらくまったりとしていたい、という欲も湧いてくるが、夜ももう遅い。

 いい加減、叱られた子犬みたいにしょんぼりする目の前の同級生を帰らせる時間だ。

 

「ほら、いつまでも落ち込んでないで。緑谷、電車通学だろ? 早めに帰らないと、帰宅ラッシュが辛くなってくるぞ」

 

 もうとっくに始まっているだろうけど、とは言わなかった。

 どっちみち、人に揉まれて心身ともに疲弊するのだ。今からその苦しみを想像させてやる事はない。

 

「そ、そうだね。あんまり遅いと、お母さんも心配するだろうし、そろそろお暇するよ」

 

 士郎に尻を叩かれて、出久もようやく復活する。事情は実家に連絡済みだが、かといってそう遅くまで出歩くわけにもいかない。  

 わざわざ夕食に招かれた用件も既に済んでいる。これ以上の長居は、それこそ蛇足だ。

 そうと決まれば動きは早い。立ち上がった出久はさっさと荷物を抱えて玄関に向かう。

 

「それじゃ、衛宮くん。お邪魔しました」

「おう。緑谷も気をつけてな」

 

 自身を見送る声を背に、出久は友人宅を後にした。来た時と違って、あたりはとっくに暗くなっている。

 人混みに混じって駅に向かう間、出久はさっきまでの話を思い返す。

 友人に秘密の()()が知れてしまった事をオールマイトにどう伝えるか。明日から体育祭に向けて友人と訓練をしようか。考えている事はあまり一貫性が無い。

 この一、二時間の間にあった事を思い返しながら、思いつく端から頭に浮かべていく。

 当然、それは友人に話しかけた本題にまで及び、

 

「――そういえば」

  

 だからだろうか、話を聞いている時には考えもしなかった事を思いついた。

 認められない、と友人が憤っていた平和の象徴。

 傷付きながら、誰にもその苦しみを見せず、誰にも頼らず戦うその在り方。

 

――それが、ヴィラン連合を相手取った友人の姿と、被る事に。

 

「・・・・・衛宮くんは、気づいているのかな」

 

 聞き遂げる相手のいない問いに答えが返ることはない。

 

――誰の耳にも止まらぬまま、出久の呟きは夜の闇に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 雄英高校・会議室。

 ここに今、この学園で教鞭を執る教員にして現役のプロヒーロー九名が集まっており、会議の始まりを待っていた。

 招集者は校長根津の隣に陣取るイレイザーヘッドこと相澤消太。彼の目の前には、銀色のアタッシュケースが鎮座し、デスクの上で異様な存在感を放っている。

 

「忙しい中、急に呼び立てて申し訳ない。急ぎ、共有しておきたい事項ができ、またご意見を伺いたくお集まりいただきました」 

 

 参加するメンバーを見回し、全員の準備が整ったと判断して相澤は会議を開始した。

 

「前置きはいいからよお、さっさと本題に入ろうぜ。俺はもう眠くなってきてんだ」 

「茶々を入れるな、マイク。余計に長引く」 

 

 参加者の一人、相澤の招集に対して真っ先に会議室へ到着したプレゼントマイクが、気だるげな様子でわざとらしく欠伸をしてみせる。

 他のメンバーを待っていた時間も相まって既に面倒になってきていたのか、同じく参加者のスナイプの諫言もどこ吹く風だ。

 

「そこの堪え性なしは放っておくとして――」

「おい待てコラ。放ってんじゃねえ」

「今回お話ししたいのは、昨日USJで発見された、例の異質な“痕跡”についてです」

 

 ぶー垂れる同期の男をスルーしつつ、相澤は議題を明かす。

 この場にいる全員、その痕跡については把握しており、相澤が何を言わんとするかを察した。

 

「衛宮くんが残したっていう、削ったみたいな痕の事ですよね。何か分かったんですか?」

「ああ。今日の授業後、説教ついでにあいつから話を聞いてきた」

 

 全身ずんぐりむっくりな防護服を纏う13号に相澤が頷く。

 

「まず最初に、うちの生徒が証言した通り下手人は衛宮で間違いありませんでした」

「痕跡が痕跡だから、ヴィランやオールマイトによるものかもと考えていたけど、やはり彼の仕業だったか。しかし、いったいどうやって・・・・・」

 

 ヒーロー科生徒の“個性”については、教員のほとんどが大雑把ながらに記憶している。

 殊更、今年度の入試一位通過者であり、さらには特殊な背景の衛宮士郎は、彼ら教員にとって最も記憶に残っている新入生だ。

 彼の“個性”はどんな事が出来るのか、この場の誰もが理解しており――その特殊さを以ってしても、件の痕跡には結びつかない。

 一体いかなる物を、剣を複製すれば、あれほど長大な抉り痕を残せるのか。

 

「衛宮があの痕跡を作った方法――というより、武器については、お手元の資料を拝見していただければ。簡単にですが、衛宮が話した内容を纏めてあります」

 

 相澤の説明を受け、彼以外の教師がデスクへと眼を向ける。そこには『投影物 “カラドボルグ”について』と銘打たれた用紙一枚だけが用意されていた。

 主題の一文を一見し、皆が首を傾げた。

 複数の教員を招集するほどの案件にしては資料が少なく、あまり見慣れない単語も彼らの疑問に拍車をかける。この一文で内容を把握する事はおろか、推察する事も不可能だろう。

 誰もが怪訝そうな顔を浮かべていて――その表情が、資料を読み進めるごとに強張っていく。

 

「――これは、何かの冗談で?」

 

 問いかける声は硬い。明らかに動揺が見て取れる。

 それは、確認した資料に対する驚愕から。内容に理解が及ばず、それを信じることも出来ない。

 故に、それを洒落だと判断するしかなかった――たとえ、相澤がそんな事をする人間ではないと知っていても。

 

「空間そのものを貫通する能力に、神話が出典の剣、おまけに正体不明の精神干渉。コミックの設定の間違いじゃないのかい?」

「お気持ちは察します。俺も全部が全部信じられたわけじゃありませんし。・・・・・ほんと、つまらない冗句と切り捨てられたなら楽なんですがね」

 

 記された情報に疑いを向ける同僚に相澤は憤る事はせず、その代わりと言うようにアタッシュケースの口を開き、その中に納めたモノを開示する。

 

「それは――」

「衛宮に頼んで、預からせてもらいました。資料に記載した剣を極端に劣化させたもの、だそうです」

 

 そこに鎮座するは、黄金の装飾の美しい蒼の柄を持つ、ドリルの様に捻れた刀身の剣。

 先の襲撃事件で衛宮士郎が用い、謎の破壊痕を残した原因と目されるものである。

 

「どうです、皆さん。感性次第らしいんですけど、あいつの言う通りならよほど鈍い人間でもない限り、多少は何かしら感じ取れるものがある筈なんですが」

 

 自身は決してキャリーケースの中は覗かず、剣を視界の端に映しもしない。開いたケースの蓋を押さえながら、何かあれば直ぐに閉じられる様に構えている。

 そのまま待つこと十数秒ほど、教師一同に変化が起き始めた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・っ?」

「これは・・・・・圧力、なのか・・・・・?」

「・・・・・あまり、気分の良いものではないな」

 

 戸惑うように、あるいは居心地が悪そうに。明確に輪郭を認識している者もいれば、微かに違和感を覚える程度の者もいるが、おおむね全員が何かを感じている事は確実だった。

 その反応を見れた時点で十分と相澤は判断し、静かにケースを閉じる。

 

「そこに記されている内容すべてを信じられなくとも、この剣が特殊な存在であるという事は納得できたでしょう」

「・・・・・そうね。今のを感じた後じゃあ、そこは認めざるを得ないわ」

 

 衛宮士郎の発言が事実であるとは断定できない。剣の能力も、その出典も、あくまで彼がそう言っているに過ぎない。本人一人だけが確信を抱いていたところで、明確な証拠を提示できなければ他人からの信用を得る事は不可能だ。・・・・・しかし、剣が見た目通りの単なる武器ではないという点において、先の異常性は彼らを納得させる証拠たり得た。

 

「理解を得られたところで、本題はここからです。衛宮が保存する武器についてどう受け止めるべきか。・・・・・本来なら、担任である俺が対処すべき話なんですが、なにぶん事が事だけに判断が難しい。出来れば、ここにいる全員の知恵をお借りしたい」

 

 預かった剣の異様さを知らしめたところで、相澤は急な召集の目的を語る。

 衛宮士郎の力を、それが生み出すモノを、自分一人では手に負えないと判断したが故に、他者の協力を求めた。

 それは、相澤にとっては望ましい選択ではなかった。あくまで自らが請け負う生徒の問題、それも“個性”に関する事柄。自分一人で解決するのが正しい道理というもの。

 自身の管轄で安易に他者を頼るのは、彼の矜持にそぐわない。――だが、独力で解決出来ない問題を抱え込み、生徒に正しく向き合えないのなら、それこそ彼の嫌う非合理。

 自分の出来る事は全力で。力の及ばない事は他を頼る。適材適所、役割分担はプロの基本だ。

 

「・・・・・正直なところ、俺も――いや、おそらく全員が同じ気持ちだろう。これらの話を事実と仮定したとして、それをどう扱えばいいかなんて、軽々に結論を出せるものじゃない」

「スナイプの言う通りだと思う。この“カラドボルグ”の能力や雰囲気は置いておくとして。本当に神話に登場する剣の複製なら、“個性”の範疇に収まる問題じゃないでしょう」

「これが事実だと断定できたなら、最低でも歴史学者はてんやわんやでしょうね」

 

 スナイプ、ミッドナイトが共に悩ましげに口を開く。

 この話があらゆる意味で常識を超えている事は言うまでもなく、考慮すべき事はいくらでもある。

 資料一枚渡されて、それで妙案が浮かぶ程度の話だったなら相澤も彼らを頼ったりはしない。

 

「無論、そこは俺も解ってます。今回は、あくまで情報の共有が第一。対応やら方針決めは、今後時間をかけて行いたい」

 

 相澤とて同僚達の反応は織り込み済みであり、落胆する事はない。

 彼らにこの事を認識してもらえれば、ひとまずはそれで十分だった。

 

「みんなして顰めっ面してるとこ悪いんだけどよぉ、俺にはイマイチ話が見えてこねえんだけど」

「・・・・・お前、そこまで巡りが悪いのか」

「いやいや、言ってる事はわかるのよ? ただ――」

 

 そんな中、プレゼントマイクだけは、周囲とは違う意味合いで疑問符を浮かべていた。

 彼は、皆が言わんとしている事を理解して、その上でそれらを重視していない。

 

「仮にここに書いてあることが全部真実だとして、それが何の問題になるってんだ? 将来有望なヒーロー志望が、頼もしい力を持ってるってだけのことじゃねぇか。剣のコピー元なんて明かさなけりゃいいし、バレたところで騒ぎたい奴は騒がせときゃいい話だろ?」

 

 身も蓋もない話だが、彼の言う事には一理ある。

 どんなに不可思議な力であれ、制御できるならそれはただ便利な道具だ。出所はさして重要ではない。

 彼らヒーローが考えるべきは、いかに効率良く確実に人々を守れるかであり、研究やら外野のガヤなど放っておけばいい。そんなもの、ヒーロー活動になんの関係も無い。

 

「馬鹿言うな。得体の知れない力ほど、厄介なものもない。何かしら対策は練っておくべきだろう」

「第一、問題はそれだけじゃないでしょう」

「それだけじゃないって・・・・・他に何があるんだよ」

 

 マイクの主張は間違っていないが、浅慮でもある。

 無用な混乱を招く事はヒーローとしても認められず、この力で生徒が身を滅ぼすかもしれない。――だがそれ以上に、考慮すべきがもう一つ欠けている。

 

「いい、マイク? この“剣”はね、昨日今日いきなり会得したんじゃなくて、彼が失った記憶の中から引っ張り上げてきたものなのよ。・・・・・その意味が、本当に分からないの?」

「なんだよ意味って。もったいぶらずに言ってくれよ」

「だからね、これが彼の中にずっとあったモノなら――それと同じようなモノが、まだ他にも保存されてるかもしれないってことよ」

 

 カラドボルグと呼ばれる剣を衛宮士郎が記録したのは、彼が記憶を失う以前のこと。

 何処にあったのか、何処で見たのか、出典にまつわる全てが謎に包まれている。――それは逆を言えば、神話に描かれる武器と同等以上の存在が無数に眠っている可能性を孕んでいるということでもある。

 現状、衛宮士郎が自己に保存する物の総数は不明。数えきれないという意味ではなく、本人が把握できない範囲があるという意味で。

 底は未知数であり、ともすれば無尽蔵なのかもしれない。ならばこそ、彼らの懸念は当然のものだろう。

 

――特異な力を持った、特殊な出自の武器が一つだけである保証など、どこにもないのだから。

 

「“個性”でしか実現できないような現象を引き起こす、物理法則を無視した力を秘めた武器――そんなものをいくつも有しているなら、それは一個人が複数の“個性”を保有しているのと同義だ」

「待てよ。いくらなんでもそれは――」

「ありえないと。考えすぎだと、そう思うか? ――やつは実際に、空間を抉る剣なんてものを複製してんだぞ。おまけに、あいつが分かっていることを全て話したかも、隠し事をしていないかも、どれだけ自分の能力を把握しているかも分からないんだ。深読みするに越した事はない」

 

 相澤の視線に竦められ、さしものプレゼントマイクも反論する気は起きなかった。

 それ以前に、彼も言葉とは裏腹に衛宮士郎の特異性を理解し始めている。否定の言葉は、彼自身がその可能性を認めたくないからだ。あまりに常軌を逸した可能性、それを容易に受け入れられるほど、彼の神経は図太くはなかった。

 

「――相澤くん、少し熱くなり過ぎているよ。みんなも一度落ち着こう」

 

 剣呑な気配が漂い始めた頃、それまで沈黙を保っていた根津が場を制した。

 険しい表情を浮かべていた教員たちが一転、小さな校長へと視線を向ける。

 

「校長、何かお考えが?」

「いや、正直に言えば僕も混乱している。まだ考えというほどのものは無いさ。君たちの戸惑いも理解できる。――ただね。事があまりにも特殊だから、みんな肝心なことを忘れてる」

「肝心なこと・・・・・?」

「僕たち教師が考えるべきは、衛宮君の“個性”にどう対応するかじゃなく、如何に彼の成長を手助けするか、ということさ」

 

 熱に浮かされて議論を重ねる教師達と違って根津は冷静だった。彼らと同じように混乱していると言いながら、特異な力の存在に心を乱してはいない。

 芯はぶれず、自らの信念と矜持に従っている。

 

「特異な力ではある。けど、これはあくまで彼の”個性“だ。危険視したり、抑え込もうとするものじゃない。僕たちは、この力を彼が正しく利用できるように導く術を見つける事に力を入れればいい」

「・・・・・確かに、仰る通りです」

 

 力は力であり、“個性”もまた“個性”でしかない。善し悪しなどなく、益か害か、扱う人間次第でどうにでも転ぶ。

 生徒がその分水嶺にて後悔の無い選択を果たせるよう道を示すことが、彼ら指導者の役割であり使命だ。それ以外の懸念は二の次、余分でしかない。

 

「では、衛宮の“個性”の詳細はこれまで通り我々は秘匿しつつ、やつがどこまでやれるかを探り、新たな力を思い出し次第その運用を指導する、という方針でいきます」

 

 そう纏めた相澤に、意義を唱える者はいない。

 根津の言葉を聞いた以上、それ以上の干渉は無用であると全員が判断した。

 

「今回は、ひとまずこの辺で十分でしょう。遅くに御足労いただき、ありがとうございました」

 

 最後に相澤が締め括り、会議はお開きとなった。

 教員は各自、会議室から退出していく。

 

「・・・・・・・・・・・?」

 

 その最中、相澤が自身に目配せしたのを、ミッドナイトは見逃さなかった。根津もその仕草に気付いてはいたが、彼は特に口を挟む事なく、他の教師と同じ様に離れていった。

 会議室に残されたのは、相澤とミッドナイトの二人だけ。

 

「・・・・・それで、何の用なのイレイザー。わざわざ他が出払うのを待ってたんだから、周りには聞かせたくない話なんでしょうし。――士郎くんのこと?」

「ええ、まあ。ミッドナイトさんには、話しておこうと思いまして」

 

 ミッドナイトは、相澤が無意味にこんな事をする人間ではないと知っている。

 彼がこうして自分一人に視線を遣ってきた以上、内密に済ませたい用件があるということ。そして、自身を引き留めたという事は、要件は衛宮士郎に関してであると見て間違いない。

 その考えが正しいと示すかのように、断定的な物言いに相澤が不平を溢すことはなかった。

 

「あなたは以前、衛宮を他人の為にしか生きられず、他人の幸福でしか笑えない人間だと言っていたでしょう」

「事実、彼はそういう風に生きている。でなければ、私たちがあれこれと手を回そうとすることもなかったわ」

 

 今年度の一年生が入学する以前、入試における二次試験の評価を下した後の出来事だ。

 ミッドナイトが相澤を呼び止め語った衛宮士郎の在り方。彼は、自らの存在意義を全て他者に置いていると、彼女はそう語った。

 

「そこを否定する気はありません。俺自身、あいつのそういう気質のおかげで後遺症も無く仕事できてますから―― ただ、そこに一つ補足を入れておこうかと思いまして」

 

 かつての言葉に否やはない。衛宮士郎そんな人間でなかったら、彼は二日間も病院に縛られる事はなかった。

 ミッドナイトの感性は正しいと、そう言える。――だが同時に、もう一つの異常性を、彼女は見落としていた。

 

「あいつは、衛宮士郎っていう人間は、既に命のやり取りをできてしまえる。おそらく、俺たちプロなんかよりもよっぽどシビアに、そして容易に」

「・・・・・まさか。彼はまだ高校生になったばかりの子供よ? そんな簡単に命を奪い合う覚悟ができるとは思えない」

 

 相澤の言葉に、ミッドナイトは否定を投げかけた。

 衛宮士郎だから、という理由ではない。単純に、これまで平穏に暮らしてきた学生が今の段階で殺し殺されを受け入れているなど、到底信じられるものではない。

 おそらく、彼女でなくとも、そう考えるだろう。

 

――本人と、一人を除いて。

 

「あいつ自身が言ってたんです。それで大勢が救えるなら、たとえ罪を犯す事になったとしても、自分の手で悪党を殺すと。――USJで例の剣を使ったことが、それを証明してます」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 他人の為にしか生きられないから。他人の幸福でしか笑えないから。

 だから、それらを理不尽に傷つける者に一切の容赦は無い。必要なら、命を奪う事も厭わない。

 ミッドナイトも、薄々は勘付いていたはずだ。カラドボルグという絶大な破壊力を持った剣を、その力を理解した上で人に向けた以上、彼はヴィランを絶命させるつもりで、矢を放ったのだと。

 

「あいつは、色んな意味で他の生徒とは一線を画す人間ですが・・・・・一番の違いは、誰よりも現実を見据えてる、というところです。人を救う事、生かす事がどれだけ難しいか理解していて、世界はままならないものだと知っている」

「それは・・・・・そうかもしれない。彼は、命を救う事に固執してるみたいだから」

「おそらく、衛宮は命の価値に差をつけないんでしょう。誰も彼も平等に扱って・・・・・だから、数で判断する。どちらも等価値なら、より多い方を残そうとするのは、当然の思考でしょう。――そんなやり方、やってる本人が一番苦しいだろうに」

 

 衛宮士郎が単に悪党の命を軽んじているだけなら、話がこうも拗れることはなかった。道徳と法律を説いて彼の認識を改めれば、それで済んだ話だ。

 

 ・・・・・だが、そうではない。

 衛宮士郎は、悪党だからといってその命を軽んじる事は決してしない。相澤は先の話し合いで、彼がむしろ悪党ですら救いたいと思っている節があると感じた。

 それは、ただ命に優劣をつけるよりなお酷な在り方だ。大のために小を切り捨てる判断をしながら、本人は切り捨てたモノへの慚愧に苦しむ。

 本当は誰も犠牲にしたくないくせに、いざとなれば誰よりも冷徹に、躊躇なく()()()()()ができてしまえる。

 その二律背反、救いたいモノと救えないモノの間で板挟みになりながら、衛宮士郎は死ぬまで同じ事を繰り返し続けるのだろう。

 

「きっと、あいつは折れませんよ。途中で自分の生き方を曲げる事はしない。指一本動かなくなって、死ぬ直前まで同じ事を繰り返すつもりなんですよ」

 

 衛宮士郎は、既に生きる目的を定めている――いや、おそらくは生まれた時から生存意義の定まっている人間だった。

 ただ、他者の生存と幸福の為に。それを守る事が生きる意味で、それこそが彼にとって何よりの幸福になる。己に還るものなど、初めから求めもしない。

 それが、衛宮士郎の一生。

 

「真っ当な人間が当たり前に手にする幸福も楽しみも、何もかもかなぐり捨てて、最期に本人は『満足のいく人生だった』、てくたばるつもりなんですよ――俺は、そんなやつの末路を認める気はありません」

 

 静かな宣言には、憤りが込もっていた。自らの教え子が突き進もうとする破滅を、決して受け入れはしないと、彼の瞳が語っている。

 

「・・・・・それは、あんたが彼の担任だから?」

「いいえ。俺個人が、やつをそうさせたくない。――十年前のあなたと、同じですよ」

「・・・・・そう」

 

 教師として以上に、一人の人間として。

 かつてのミッドナイトがヒーローとして以前に、一人の人間としてある少年の在り方に焦がれた様に、相澤もまた衛宮士郎の生き方を無視できない。

 何一つ残らない空虚な終着など、あの男には相応しくないと、そう確信するが故に。

 

「話はそれだけです。お時間を取らせてすみません」

「いえ、知らせてくれて助かった。私も、これからはもう少し積極的に彼の指導に関わるわ」

「・・・・・自分の仕事は疎かにせんでくださいよ」

「それくらいの分別はついてるわよ」

 

 だといいんですが、と言って会議室を去る相澤。その後に続きながら、ミッドナイトは衛宮士郎の行く末に想いを馳せる。

 

 相澤が語った可能性を、彼女も危惧してきた。だからこそ、彼女は雄英に入学した彼に気を回してきた。

 彼女をそうさせるのは、かつての彼が成した行動故だ。

 少年というべくもない幼い時分に、自己の命と引き換えに見知らぬ親子を守ろうとした。その気質今も変わらず、このままいけば彼はいずれ他者を救った果てに死を迎えるだろう。

 ・・・・・しかし、彼女が思い浮かべていたその瞬間は、決して孤独な最期ではない。

 仲間に、友に、救った誰かに惜しまれ、涙されながら息絶える。人を助けたが故に命を落とすなら、きっとそれが自然で相応しい終わりなはずだ。

 

 ――だが、衛宮士郎の在り方がもし本当に相澤が語った通りなのだとすれば、彼の死を嘆く人間は果たしてどれだけいるのだろうか。

 いかに市民を救おうと、その最中に捕えるべき犯罪者を死なせてしまえば、その時点で賞賛と同じだけの批難をもらう。

 大多数のヒーローなら、そんな事態にはならない。命を奪うにまで至らないということもあるが、何よりそうしなければならないようなヴィランが現れた時、彼らは他の者を頼る。そうでなくとも、敵わない相手と無理に戦おうとはしない。市民の避難後なら、命を張る必要は無いからだ。

 

 それがプロヒーローの取るべき行動であり――衛宮士郎は、決してその選択をしない。

 強力な力を持ったヴィランが根深い悪意を以って罪を犯し、それを取り逃すような事になってしまえば、生まれうる被害は甚大なものになる。

 その可能性を、彼は見過ごさない。たとえ死が免れないとしても、後の被害を生まぬ為に実力差など考慮せず挑みかかり、ヴィランの命を奪ってでも止めようとする。――USJの時と、同じように。

 

 その時、自らの命を失いながらヴィランを殺して人々を守った時、世間は彼をただ讃えはしない。ヴィランを死なせた責を問い、より適切な対応があったのではないかと探り、ヒーローとしての彼の在り方そのものが正しいのかを精査するだろう。

 それを間違いだとは言わない。どうあれ、人の命を奪う事は最も罪深い所業だ。 

 かといって、それがあの少年に相応しい応報だとは思えない。誰かの為に頑張った人間が、その死を純粋に悼まれないようなこと、あってはならないはずだ。

 ならば、自身はどうすればいいか。悲惨な結末を避ける為、彼女は何を為せばいいのか。

 

――これまで通り、他の教員と協働して衛宮士郎を鍛える?

 

 それも一つの手であり、重要な事だ。彼に、命を奪うまでもなくヴィランを制圧してしまえるだけの力量があれば、こんな煩悶に悩まされる事はない。

 だが、それはおそらく不可能だ。誰もがオールマイトのようになれるわけではない。先日の襲撃犯の一人、脳無の様な常軌を逸した難敵は、必ずどこかで現われる。

 如何に力を付けようと個人では覆せないモノはある。それはオールマイトですら例外ではない。

 だから、結論としてはありふれたものになるのだが、

 

 ・・・・・結局のところ、士郎くんが変わらないと、どうにもならない話なのよね・・・・・。

 

 力では限界がある。彼の心に、何らかの変化が無くてはならない。

 他者を救いたいと願いながら、それでも自身の命を惜しいと思える様な心境の変化。そういったものだけが、彼女の危惧する結末を回避できるのだろう。

 そして、そんな変化を齎せるモノがあるとすれば、それは――

 

 ・・・・・いえ、それは、いくらなんでも無責任過ぎるわね。

 

 かぶりを振って、彼女は思考を中断する。

 直前まで思い浮かべていた結論は、最も衛宮士郎を変えうる可能性があった。しかし、それを安易に由とするのは恥知らずだと、彼女自身が自覚している。妙案は浮かばず、焦燥は募るばかり。

 ハッキリとしていることがあるとすれば、一つ。

 

 

 

――ミッドナイトは、衛宮士郎を変える人間にはなれない。

 

 

 

 




 どうも、アーマードコア6にどハマりしていたなんでさです。

 自分、子供の頃から色んなゲームに手を出すタチではなく、基本的に好きなジャンルやシリーズのものだけプレイしていて、acシリーズの名前を知ったのも随分後のことだったんですが、ac6発売以降、youtubeなんかで色んな方のac6の配信を見て滅茶苦茶やりたくなり、それまで購入を見送っていたPS5ごと購入してしまいました。
 そのおかげというか、所為というか、とにかく時間が溶けまくりました。多分、2、3ヶ月の間はずっとテレビに齧り付いてac6プレイしてましたね。その間、ほとんどソシャゲも触れずでしたから、我ながら凄まじいのめり込みっぷりでした。
 過去作は媒体や当時の技術的に手は出そうと思いませんが、リマスターを発売して欲しいとは思います。acfaでハイスピードネクスト戦をやってみたいです。


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