「チリさんチリさん」「何や言うてみぃ」 (フローライト)
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地面に宿り木の種ひとつ
支部にあげてるのをこっちにもドン
コガネ弁難しくない?
チャンピオンランク。
パルデア地方特有のバトルプロに与えられるランクだ。これの取得には、8つのジムバッジの入手、チャンピオンテストの合格が必須となる。
これを取り仕切るのが、パルデアのポケモンリーグ。
最近、そのチャンピオンランクに至った少年が一人。彼はパルデア地方に外からやってきた者であり、グレープアカデミーの転入生だ。
彼が来て、アカデミーには良い変化に恵まれている。
しかし、リーグの多忙さは変わらない。残酷な事実、仕事の量は減らないし、課外授業もあってさらに増量。
此方にも良い変化が来てくれないものか、そんなことを四天王の一人───チリは考えていた。
「……だー、あかんあかん、今日はもうやめや」
眼鏡を外し、眉間を揉む。
アカデミーが課外授業に入ったこともあり、以前よりテスト受験者が増えた。
記念にと思って来た者。強さだけはある者。単なる浮かれ馬鹿…どんな者であっても、受験者である以上リーグは誠実に対応しなければならない。
かちゃり、とキーボードを押す。
とりあえずの保存手順。
眼鏡をしまい、席を立ち荷物をまとめる。
時刻は夜7時、夕飯は外で済ませよう。
一度伸びをする。長時間の座り仕事のせいで、体は最早楽器だ。バキバキと乾いた音を鳴らす。
スマホを開き、タクシーを手配。
行き先はチャンプルシティ。宝食堂で適当に食べよう。そう考えながら、タクシーに乗り込んだ。
「あ、チリさん」
「おおー、自分久しぶりやな」
彼女は宝食堂で見知った顔と会う。
アカデミーの制服に身を包んだ少年、ハルトは入店したチリに気付いて手を振る。
チリも同じように手を振りかえし、彼の座る席へと足を進めた。
「せっかくやし、相席ええか?」
「大丈夫ですよー」
少年の手元にはメニューが一枚。どうやら、注文はまだらしい。チリはもう一枚あったメニュー表を手に取り、しばしそれを眺める。
宝食堂が取り扱う料理は、カントーやジョウトなど東側のものが多い。出汁を使うものが殆どで、薄味なものも珍しくない。とは言え、濃い味の料理もしっかりとある。
「自分、何頼むん?」
「天そば、ゴーヤチャンプルー、やきおにぎり、筍の煮付
それで食後に最中入りぜんざい…かなぁ」
「よう食うなぁ…にしてもチョイス渋いやっちゃ、苦いの平気なん?」
「ゴーヤチャンプルーのほろにがなゴーヤと、ダシのしみた豆腐と卵のまろやかさの組み合わせが好きなので」
饒舌に語る少年の目はキラキラとしていた。どうやら、年相応に食べることは好きらしい。
空腹を感じていたチリにとって、具体的な食の言葉は食欲のスイッチを押すには十分だった。
「……あかん、食いたなって来たな。チリちゃんもゴーヤチャンプルーにしよかな〜、あとは…からしむすび」
「からしむすび…辛くないですかあれ」
「なんや辛いの苦手なんか! 自分ちゃんと子どもらしい舌しとって安心したわ」
カラカラと笑うチリとは対象的に、ハルトは少し顔をむくれさせる。どうやら、気にはしていたらしい。
むくれた顔のまま、ハルトは口を開く。
「辛いのは苦手じゃないです。
ツンとするのが苦手なだけです」
「ああっと、笑ってもうて堪忍な。ちゃんとかわいいとこあって安心したもんでつい」
「わざと言ってませんかもう」
「あかんナシ! 今のナシ!」
子どもらしい、かわいい。年頃の男であれば、それなりに気にするワードだ。危うく拗ねるところではあったが、慌てて撤回されたせいか、そこまでには至らなかった。
疲労のせいか、失言が多い。そう自覚してから、チリはため息を吐く。不甲斐なさ半分、後悔半分だ。
「…やっぱりリーグって大変なんですか?」
「んぁ、ああ。せやなぁ、この時期はどうにもなぁ。チリちゃんは普段の事務に追加で面接と実技が入るやさかい、忙しくて叶わんわ…。
…もしリーグに興味あるなら慎重に選びぃ、知っとるやろうけどウチのトップええ人やけど容赦ないでホンマ」
「目が濁ってますよチリさん」
どよん、とした赤混じりの瞳。少年はそれを気の毒そうに見る。同時に、言い淀むように口を閉口する。餌を出されたコイキングのようにはくはくと。
何処となく愛嬌を感じるが、何か言いたいことがあるのだろうとチリは察っし、彼女は少年に「どうしたん?」とさり気なく言葉を促す。
「…いや、ちょっと言おうか迷ってて」
「なんや言うてみぃ」
「今のチリさんの顔色フリージオみたいで死にそう」
「いてこますぞ」
「あたっ」
ぴん、とチリの指がハルトの額で弾かれた。
ちなみに、チリの顔色は本当に蒼白かった。
しばらく話してる中、二人が頼んだ料理が来た。箸をそれぞれ手に取り、二人揃って手を合わせて礼をする。
湯気立つ品々は、食欲を刺激する香りを放つ。互いに腹の虫を鳴らしたが、指摘する間もなく、二人は揃って料理を口に運んだ。
しばらく、無音の食事が続く。
皿と皿がぶつかる音。箸がガラスに擦れる音。時折漏れる息の音は、満足げなくもの。
そんな調子で食事が進む中、はたと気付いたようにチリは独り言をこぼした。
「…人と夕飯食うのは、久しぶりやな」
忙しいとポケモン達と食べる時間もない。夜も深ければ、彼らもボールの中やベッドの上で穏やかに眠る。
必然、一人で食事を済ませる機会も多くなる。
こうして誰かと向かい合って食事を取るなんて久しぶりだ…他地方の四天王もこれほど多忙なのだろうか、恐らく湯気のせいで滲んだ視界のままに彼女は思考する。
「…ちゃんとご飯食べてます?」
ハルトがそう尋ねる。あどけない顔立ちは、怪訝に歪んでいた。自分はオカンか、と内心で突っ込みつつチリは返す。
「時間帯はさておき、3食きっちり摂っとるで」
「…うーん」
煮え切らない返事のまま、食事が進む。
しかし何やら考え込むハルトを見て、気を使わせてしまっただろうかとチリは思う。
そうこうしてるうちに、運ばれた皿が空になった。それでも少年の顔は悩んだままだったが、ともかく二人は会計を済ませる。
そして店から出た時、チリのスマロトムが震え出す。画面に映るメッセージには「申請が来ています」とだけ書かれていた。
「自分これ…」
「ん、僕の連絡先とアカウントです…一人で食べるより、二人で食べた方が美味しいですし! ちゃんとした時間に食べないと体を壊すって習いましたし…迷惑じゃなかったら、誘ったりとか…したりされたり…」
遠慮がちな声色。迷惑でないかどうか。それを伺うようなぎこちなさ。可愛げのあるそれに、一切の邪な気持ちは感じられない。
一人より二人。体を壊さないかどうか。
飾り気のない優しさと、拙い知識から出された行動。なんとも微笑ましいが、同時に弱ったなと。
多忙で弱り目、疲れ切った時にこれはダメだ。顔を手のひらで隠しながら、長く息を吐く。
「…子どもは夜ちゃんと寝ないと大きくなれへんで?」
「あ、それはやだ」
チリは膝をかすかに折り、幼い目を見る。
急なことに驚いたのか、少年は固まる。
───打算とか、ホントにないんやろなぁ。
「…顔近くないです?」
「なんや照れとんの?」
「べっつにぃ…」
───ま、リーグ関係者ってことで…。
細い指が液晶を走り、申請を受諾する。
少年のバッグからも電子音が鳴った。
同時に、彼の顔は晴れやかなものに。
「ありがたくもらっとくわ、おおきに」
しかし、チリは苦く笑った。
不甲斐ないと思ったのだ。自分よりも年下の男の子にこうも気を使われてしまうとは、と。
彼女は小さく口の中で「気ぃつけんとなぁ」と呟く。今日の夕餉で心が休まったのも事実だったからだ。
「どうしました?」
「ん?……ああ、なんでもあらへんよ」
不思議そうな様子の少年に笑いかけながら、彼女はスマホの画面を見つめていた。
新たにリストへ登録された『ハルト』の文字を指でかすかに撫でてから、彼女はスマホをしまう。
「自分、これからどないするんや?」
「今日はもう寮に帰ろうかと。明日もやりたいことは沢山あるので!」
「ほぉん、そらええことやな……ほんなら途中まで送ってくわ。夜も遅いし」
「え、大丈夫ですよ! 僕女の子じゃないんですから!」
「幾らチャンピオンでもこんな暗い中一人で帰らせたらトレーナー以前に大人失格やっちゅうねん。まぁタクシーでひとっ飛びやし、別にええやろ」
「うぇ、は、はい……」
「よし決まりや。ほな行こか」
ハルトは気恥ずかしさと申し訳なさで縮こまっていたが、チリは構わず歩き出す。
その背中はどこか楽しげにも見えた。
「あ、ちょっと思ったんですけど」
「なんや?」
「もしかしたらチリさんって〝これ終わったら食べよう〟を何回も繰り返したりとかしてますか?」
「おっかしいな自分エスパータイプなん?」
ハルト…デフォルトネーム主人公。セルクルジムの写真とかで食べるの好きそうだなぁって思った。というか甘いのが好きなのかも?学生らしいね。
チリ…あらゆる者を夢勢にはたきおとす、割と主人公のことを買ってるよね私そういう(年上が年下に「やるやん」してるの)だいすき
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出会い頭にりんごさん
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グレープ・アカデミー校内。
学生寮廊下。
今は早朝故に、人の出入りも極端に少ない。今や在りし日の、古城としての姿だ。
穏やかな静謐。爽やかな時間。そんな厳かな雰囲気を、明朗な笑い声が吹っ飛ばした。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
「なはははっ! 今自分すごい顔しとるで!」
笑い声と同時に、笑い声の元であるチリの緑髪も揺れた。そんな彼女の側には、リンゴが満載のカゴを背負うドンファンがいる。
ドンファンの目は呆れたようなものであり、それはチリに向けられていた。
「なん、なんっ、ですか、ぁ! これぇ!!」
ぎゅう、と目を瞑って少年ことハルトは言う。いかにチャンピオンといえども、子どもらしい反応はしっかり存在するらしい。
彼の手には一口齧られたリンゴがあった。どうやら酸味がかなり強かったのか、ハルトは若干むせてすらいた。
そんな彼においしいみずを渡しつつ、チリは笑いを噛み殺しながら説明する。
「ハッサクさんが実家からもろたらしくてな、そのお裾分けにもろたんや。どうにも、酸っぱいのと甘いのが混ざっとるみたいでなぁ」
「…っ、…っ…で、僕は大当たりを引いた?」
「堪忍な。綺麗な流れやったからつい笑てもうた」
「…もう!」
少年はボトルを片手に、拗ね顔を披露する。
流石にまずいと思ったのか、苦笑しつつチリは両手を合わせて片目を瞑る。
割とあっさり拗ね顔は治った。
「…でも、これだけ酸っぱいりんご、どうするんですか? 全部カジッチュに食べてもらうのは無理でしょうし」
「せやなぁ、見分け方くらい聞いとくべき───っと、渡りに船やな。ハッサクさんから見分け方来よったわ」
鳴ったスマホロトムを見るチリ。
気になるのかハルトもその画面を覗き込み、それを察してかチリは若干膝を折った。
二人の頭は同じ高さで、同じ画面を見る。
ハッサクから来たメッセージは、やたらと感嘆符が多く、ハルトの頭の中では「アヴァンギャルド!!!!!」なジムリーダーがよぎる。
朝に思い出すには濃いので、すぐド忘れした。
「すっぱいりんごは、あまいりんごと比べて青い…、確かに自分が持っとるの青いやんな」
「なるほど…あの、結構多くないです?」
「半分近うあんねんでこれ、どうしたらええかなぁ」
先の反応からして、そのまま食べるのは難しい。
すっぱいものが好きなポケモンにあげるのもいいが、量がどうにも多い。酸味に飽きられてしまいそうだ。
貰った手前、腐らせてしまうのも申し訳ない。
どうしたものか、と悩むチリとハルト。
しばし悩む時間があったが、先に案を思いついたのはハルトの方だったらしい。
少年は自室の扉を開く。
そして自分の寮部屋を指差して、妙案とばかりに明るい声で言った。
「料理教室の時間です!」
「はい?」
ハルトの部屋、台所。
「つじぎり!」
「───ッ!」
持ち主の要望通り、スパパパパァ!! と三つほどあったリンゴが一瞬で小分けにされた。
その早業は、一対の腕によるもの。
刃の様な緑色のそれは、エルレイドというポケモンの代表的な特徴だろう。
無邪気に「イェーイ!」とハイタッチをするエルレイドとハルト。その光景を尻目に、チリは切り分けられたリンゴを見て、目を見開いた。
りんごは皮剥きまでしっかり行われていた。あのエルレイドはどんな素早さをしているのか、感心すら覚える。
「ありがと、早くに起こしちゃってごめんね」
少年は、エルレイドの腕を拭いてからボールに戻す。そして棚から道具や材料を取り出した。
りんご。砂糖。水。鍋。レモン。思いの外、簡単な準備にチリはやや面食らう。
「何作るん?」
「コンポート! です!」
こんぽぉと、と反芻での返答。
エプロンを身につけ、これから作るものの軽い説明をする。
「ようは砂糖水煮です。瓶詰めにすれば一週間は保ちますし、アイスクリームとか、生クリームとかと合わせると美味しいんですよ?」
「はぁー…今そんなおしゃれなもん習うん? チリちゃんの時とは大違いやなぁ」
「チリさんの時だと何習ったんです?」
「シンオウのイモモチ」
「あ、教科書に載ってました」
切れたリンゴが水に浸るよう鍋へ。
砂糖とレモン汁も加えて、何度か混ぜる。
そこに弱火をかけて、透き通るまで待つ。
「これで、20分も経てば完成です」
「意外と簡単なもんやな。これなら忙しい時でも作れそうやわ。覚えやすいのも助かるでほんま」
「アレンジも豊富ですしね!」
ふふん、得意げに笑うあどけない顔。
お菓子作りは、彼の数少ない趣味の一つか。
それとも料理自体が好きなのか。
ともかく、楽しげに鼻歌を歌う少年の横顔に、チリは微笑ましさを覚える。
くつくつと温かな音がする。
透き通り始める黄色い果肉。朝日を浴びる砂糖の溶けた水は湖面のように。
ひどく優しい時間。テラスタルのように光を通したリンゴ。微かに揺れゆく鍋を、木のヘラで二度三度回す少年。
その光景を目にしながら、良い朝だなとぼんやりし出した頭でチリは思考する。
「……チリさん?」
しかし、ハルトの声で我に帰る。どうやら、思いの外呆然としていた時間は長かったらしい。
「っ、えっと、なんやったっけ?」
「もうすぐ出来ますよ。もう朝は食べました? まだなら、味見がてら朝ごはんにしようかと」
「ええの? まだ食べてへんし、折角やからお言葉に甘えて頂こかなぁ」
「じゃあ、少し待っていてください。先に食器だけ出してもらっていいですか?」
「あいさー」
言われた通りに皿を出していく。
その間もハルトは手際よく朝食の支度を進める。てきぱきとした動きからして、料理はよくするのだろう。
そしてさほど時間はかからず、あっという間にテーブルの上に朝食が並んだ。
パンケーキと焼きベーコン、サラダに加えて、先に作ったコンポートだ。
コンポートは円形に並んでいる。
皮と果実の色で、りんごが再現されていた。
トッピングのホイップクリームは目のように。添えられたミントからして、何のポケモンがモチーフになったのかわかりやすい。
「凝ってみました、カジッチュ風盛り付け」
「おおぉ……めっちゃおしゃれやんかこれ……わざわざ作ってもろて悪いなぁ」
「一人で食べるより、皆で食べた方が楽しいですし全然問題なしです! 一人で食べたいときもまぁまぁありますけど、テスト明けとか」
「目ぇ濁っとるで」
チリはりんごのコンポートを舌に乗せる。
瞬間、口の中に広がる甘味と酸味。みずみずしく、サクリとした柔らかな歯ごたえ。
しっとりとした果物の風味と香りと甘みがたまらない。
「んん~…! うまい……!」
「良かった、ちょっと不安だっので」
ハルトもまた、コンポートを口に運ぶ。
あのりんご特有の酸っぱさが、砂糖のおかげで緩和され、上品な味わいになっている。
この分なら、あの大量のリンゴを使い切ることも夢じゃないだろう。
そう思えば、少年は内心で安堵した。
「…そういや自分、ガラル地方の話しっとる?」
カジッチュを模したコンポートを食べ進める中で、ふと思い出したかのようにチリが言った。
唐突な話題に一瞬きょとんとするも、すぐに少年は反応する。
「…あまり」
「さよか、いやちょっとおもろい話があってな」
チリはそこで悪戯っ子のように笑う。少年はすぐに「ああ、揶揄う時の笑顔だこれ」と気づいた。
ただ───、
「向こうじゃ好きな人にカジッチュ送ると、その人と結ばれるらしいって噂があるらしいで」
「ッ、えほっ、ごほっ!?」
彼の予想外の方向から来たせいで、少年は盛大にむせたのだが。
口の中に何もないのが幸いだろう。
しかし、それを見越して、彼女はこんなことを言ってきたのかもしれないが。
「いきなり変なこと言わないでくださいよ!!」
「なははは! 何やかわいい反応するやん!」
「あー!もー! 何か今日チリさん意地悪!」
「すまんすまん! 朝からええ反応するからついなぁ」
カラカラと笑い声が響く。賑やかな朝だ。味わうのは、生クリームと合わさった上等な甘味。
カジッチュの目を模したミントの葉もあって、後味も爽やかだ。
その賑やかさが〝悪うないな〟という、小さ言葉が隠した。
それが、噂か
「…そういやチリちゃん、普通に自分の寮部屋に上がっとるけど大丈夫なん?」
「オモダカさん普通に入ってたので多分」
「何しとんねんトップ」
エルレイド…A252、S252・とくせい:きれあじ。テラスタイプはあくで持ち物はこだわりスカーフ。ドラパルトを逃さない。
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地面に芽生えた悪だくみ
アカデミー学生寮 ハルトの部屋。
「チリさんチリさん」
耳に幾つものピアス、結んだ緑の長髪、ホルスターサスペンダー、赤混じりの瞳、凛々しい顔立ち。
特長に事欠かない女性ことチリは、困り顔を浮かべて額に手をやっていた。
彼女の目の前には、あどけない少年がいる。
髪も染めず、刺青もしていない。普通を絵に描いたような彼は、可愛げのある顔を真剣にして、チリを見ている。
チリは困ったように一度〝ハルト〟と名前を呼ぶが、それでも彼の目は変わらない。
「空けてください」
「勘弁してくれへん…?」
少年の手には、ピアッサーが握られていた。
薬局ならばどこでも手に入るものだ。人の体に穴を開けるそれは、とっくに開封済みである。
ピアッサーの持ち手を突き出されたチリは、手で顔を覆いながら疑問をぶつける。
「そもそも何で急にピアスなん? お洒落するにしても段階刻むもんやろ、ピアスやでピアス」
「チリさんのピアスがかっこいいと思ったからです」
「普段なら嬉しいねんけどな〜〜…」
ひとつ、重たいため息。
別にピアスを悪く言っているわけではない。ただ、体に治らない穴を開ける───傷をつけることが前提のアクセサリーだ。軽々しく耳にズドンとやってしまうのはいかがなものか、というのがチリの考えである。
ただまぁ、開けたなら開けたで楽しんでほしくもあるのだが。
「…親御さんはこのこと知っとる?」
「〝開けるなら経験があって、信頼出来る人に開けてもらいなさい〟って言われました」
「それで選んでもろたのは素直に喜んでええんかこれ…」
チリは苦く笑って、ピアッサーを受け取る。
そして手の中で一度回した。
「…一回、空撃ちすんで」
「へ?」
ばちん! と乾いた音が鳴る。それとほぼ同時に、ころりと落ちる銀の塊。本来なら耳を貫いて固定されるもの。
今回は通すものがなかったため、その役目を果たすことはなかったが、しかし目の当たりにする少年を驚かすには十分だったらしい。
「うわぁっ!?」
「えらい音鳴るな最近のは…でもこれで分かるやろ? 割と痛いし危ないねん。自分、それでも開けるか?」
「〜〜〜〜…ッ…あけ、ま、す…!」
「…ほんまに大丈夫なんかそれは」
怯えてはいるが、引きはしない。この辺り、エリアゼロに突っ込めたメンタルの原型なのかもしれない。
怯えながらも、はっきりと「開ける」という少年の顔は、少し面白いくらいに表情が滅茶苦茶だ。
つい笑ってしまう口元を抑えつつ、チリはハルトの額を軽く押す。咄嗟のことでバランスを崩した矮躯は、呆気なく寝台に座らせられた。
からから、と机前の椅子を引く音。チリはベッド前まで動かしたそれに座り、左手で少年の顔を軽く抑える。
少年が震えているのはその時に分かった。彼女はそれに気づき、椅子から身を起こして寝台の方へ身を乗り出す。
頬に置いていた手は肩へ。カウントダウンを口ずさむ。
「行くで? さぁん、にぃ───」
不意打ちのために。
ばちん!と乾いた音が鳴る。消えない穴が開く。
びくり、と少年の体が揺れた。
「い゛ッ…………っ」
涙と冷汗が滲む。両手がシーツをぎゅうと掴む。息が荒くなる。ほう、と大きな息をひとつ吐いて倒れ込む体を、チリは分かっていたかのように抱きとめた。
そのまま背を手のひらで、何度か落ち着かせるように、優しくぽんぽんと一定のリズムで叩き始める。
そして荒く短く呼吸する少年の耳に、穏やかな声色で彼女は囁く。
「痛いなぁ、ようわかる。でも泣き出さんかったのは意外やった。かっこええで」
「あ、はは…ッ…ありがとう、ござ、ます…っ」
チリに抱かれたままで、苦しそうな息をしていた少年だったが、やがて落ち着いたのか顔を上げる。
彼女の微笑みを見て、少年も笑う。痛みを残したまま笑顔を浮かべて、若干の震えと共にこう言った。
「チリさんからかっこいいって言われるの、とっても嬉しいです」
「……このまま撫で回してええ?」
どうしようもなく、いじらしい。少年の髪を既に撫で回しながら、緑髪の女性は笑みを深くした。
「おおー…ばっちりピアス…」
寝台に座るハルトの両耳で、銀色が揺れる。
小さなファーストピアス。別段、お洒落さもない無機質なものだが、それでも雰囲気は大いに変わるものだ。
未だ微かに痛むのか、それとも耳への違和感か、時折顔を顰めながらもテンションは上がっている。
「ほんとに穴空いてるんですね!」
「そういうもんやしなぁ。
にしても二回目は平気そうで安心したで」
「一回目は痛いというか、怖いとかの方がおっきかったので…腰が抜けたの、意外と初めてでした」
「ほんま、よう頑張ったな」
褒められて笑うハルトの髪を、ぐりぐりと撫で回すチリは、はたと気付いたような顔をする。
空いた手がポケットの中を探る。
そんなに時間がかからない内に、小さなポーチのようなものが出てきた。さらにそのポーチの中には、プラスチックのケースが一つ。
留め具に親指を立てて弾く。それだけで簡単に開いたケースの中には、一対のピアスが収まっている。
撫でる手を止め、ケースの中身を取り出した。
そしてハルトの手を取り、手のひらにそれを握らせる。
「はい、ご褒美と記念を兼ねてチリちゃんからのプレゼント〜。穴が安定してからつけなあかんで?」
三角形のピアス。
チリがつけているものと同じものだ。
それに気づいた少年は、顔を明るくする。
「いいんですか?」
「そんな嬉しそうな顔せんといてや。後でまたちゃんとしたもん贈るさかい、今はそれで堪忍な」
「でも嬉しいです、お揃いですし」
少年は受け取ったピアスを眺めながら笑う。
それが少し意外なのか、チリは少々面くらいながらスマホロトムを起動する。
開いたページはアクセサリー関係のサイト、その中のピアス一覧が載ったものだ。
彼女はハルトの隣に座り、ページを見せた。
「でも他のやつも付けるやろ?
今度買いに行かん? 色々教えたるわ」
「良いの? …あっ」
気の緩みか、ハルトの敬語が崩れた。彼自身もそれに後から気づき、慌てて両手で口を抑える。
チリはこれを見て、好機だと思った。
前から気づいていたが、油断したら敬語を忘れるほどには会話に気軽さができた。それが少し嬉しいし、どうせなら取っ払って欲しい。
…なるほど、どうやら思いの外、自身は少年との距離感を気にしていたようだ。
確かに礼儀は大事だが、いつまでも畏まられても肩が凝る。とは言っても、思ったことをそのまま馬鹿正直に言っても、遠慮されそうなことである。
この少年は、どうにも人が良すぎるのだから。
そう思った彼女は、カラカラと笑いながらこう言った。
「そんな気にせんでもええよ。むしろそっちの方が気楽でええ。よーし、今決めたわ、自分はこれからチリちゃんと話すんなら敬語禁止や」
「うぇえ!? そんな、急に言われましても!」
「はい早速マイナス1点やな」
「何の!?」
自分が一方的に決めたルール。狼狽える少年の姿が、どうにも面白おかしくてたまらない。つい揶揄いたくなってしまうし、事実揶揄っている。
ほどほどにしなくては、と思うが───どうにも〝彼〟の色んな顔が見てみたいと思うチリがいた。
アギャッス(気さくな挨拶)
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