葉月葉一は観ている (急須。)
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悪魔が町にやってきた

 この町の空気は素敵だ、と彼は思った。

 

 1999年3月初頭。杜王町駅に到着した列車から、彼は人波に巻き込まれながら降車した。

 

「この時間は帰宅ラッシュか。しまったな」

 

 右も左も歩く人々はみなピシリと決めたビジネススーツを着て、携帯電話を首で支えながら焦るように歩いている。うっすら夕焼けに照らされて見える表情はみな少し老け込んで見えた。

 

 彼はそんなサラリーマンたちを憐れむように横目で見ると、そそくさとタクシー乗り場へと向かった。

 

「お客さん、どちらまで?」

 

「杜王グランドホテルまでよろしくたのむよ。この時間にタクシーを拾えるとは運が良かったようだな」

 

「ハイハイ、杜王グランドホテルですねッ。お客さん観光ですかい? アッ、シートベルトお願いしますよォ~」

 

 運転手は慣れた様子で小気味よく言葉を並べるが、彼の方を見向きもしない。

 

「いや……しばらくはここに腰を落ち着けるつもりだ。少し訳アリでね」

 

「アリャ! それじゃああんまり詮索しないほうが良さそうですねェーッ」

 

「フフ」

 

 彼は微笑を浮かべると、人の血ほどに赤くなった夕焼けを見つめた。

 

「お互いのためにも、ね」

 

 

「それじゃあ、お気をつけて。近頃良くないニュースを聞くことも多くなってきましたし、くれぐれも、ねッ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「自分の後ろに座ってたお客さんに何かあったら、寝覚め悪いですから」

 

 タクシーのドアを開けて降り立ったホテル前の道路には、踏み固められて硬くなった雪があちらこちらに溶け残っていた。まだ3月の初頭ということもあり、夜の冷え込みは依然として容赦がない。彼は白い溜息を漏らすと、コートの懐から徐ろに新聞の切れ端を取り出した。見出しには「杜王町の行方不明者 ここ数ヶ月で倍以上に」と太字で書かれている。

 

「良くないニュース……ね」

 

 杜王町。

 

 M県S市のベッドタウンとして栄えるこの町。その起源は侍の別荘地があった避暑地であり、今では観光地として年間に約20~30万ほどの観光客を迎えている。1994年の国勢調査によれば人口は58,713人。何の変哲もない、ただの素敵な町だ。

 

 ただ……一つの点を除いて。

 

「『行方不明者数、既に全国平均の約4倍』か。それも、ここ最近さらに加速的に増加して、もうすぐ5倍にまで届きそうな勢いだ」

 

「ハハ、そうです、その話です~ッ。ここらで働く人間としちゃあ、こんな薄気味悪い話もないですよォ」

 

 何かが……この町で起こっている。

 

 そう考えるものは少なくなかったが、今の今までその原因は明るみに出ることはなかった。今もきっとその恐ろしい何かは、静かに影に隠れて眠っているのだろう。

 

「お客さんひょっとして、それが気になってこの町に? やめといたほうがいいですよォ、こういうのって大体、それこそミステリー小説なんかじゃあ興味本位で調査した人が真っ先に! って展開、ありがちですし~ッ」

 

「おや? わたしの詮索はしないんじゃあなかったんですか」

 

「オッと、これは失礼」

 

「……」

 

 彼は少し考え込むようにしてから、持っていた新聞の切れ端を小さく畳むと、運転手の胸ポケットへゆっくりと差し込んだ。

 

「オッ? えーと……お客さん? 一体何をなさるんで……」

 

「人には自分と共通した特徴を持つ者、あるいは類似した能力を持つ者と無意識に惹かれあう力がある。『類は友を呼ぶ』なんて言ったりもするが……根も葉もないことだと思う者もいるだろう。だが……それは実際に人の出会いを導き出す、紛れもない事実なのだ」

 

「……?」

 

 彼は運転手に顔を近づけると、真顔で問い詰めるようにして話を続けた。

 

「ましてやもっと特殊なものなら尚更だ、例えば『予知能力』だとか『念力』だとか『催眠術』だとか……。本物かどうかはさておいても引き付けあう力はもっとずっと更にッ! ネオジム磁石なんかじゃあ比較にならないぐらい何倍もの強さで引き寄せあうだろう……」

 

「エ~と? お客さん? 新聞は取ってないですけど、仕事柄よく情報は入ってくるんで大丈夫ですよォ~。ポケットのコレ! 気遣いのつもりなら結構ですから……」

 

「あなたには何一つ理解できないことだろうが……増えているのは()()()()()()()()()()()()! わたしはそれに引き寄せられてここに来たのだッ!! そこに答えがあるッ! わたしが欲するものが……この町にあるのだッ!」

 

 そう叫ぶと、彼は急に冷めた顔つきになった。冷ややかな目で運転手を見つめると、胸ポケットに入れた新聞をていねいに取り出した。

 

「……いや、すまない。わたしは何かとつい話し過ぎてしまう()()があるんだ。あなたこそ帰り道は気を付けたまえよ。夜道は危ないからね」

 

「……」

 

 運転手はただ茫然として何も語らなかった。タクシーはゆっくりとエンジンをかけると、そのまま何事もなかったかのように走り去った。

 

「さて……さっさとチェックインを済ませてしまうかな」

 

 

 ホテルの中はさすがに暖かく、彼の肌にびっしりと立っていた鳥肌が溶けるように落ち着いていった。内装はとても綺麗で整っており、ホテルとしての評判が高いことも頷ける。

 

「いらっしゃいませ。ご予約済みの方でしょうか」

 

「あぁ、そうだ……」

 

 フロントのスタッフに彼はゆっくりと愛想笑いした。帽子の脇から漏れた眼光が一瞬、妙に怪しく光って見えた。

 

「葉月葉一だ。よろしくたのむよ」




誰かこの作品を覚えていてくれる人がいたなら、それほど私にとって嬉しいことはありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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彼の名は葉月葉一

 1999年5月下旬。

 杜王町を照らす陽射しが徐々に強さを見せてきた頃。

 

 一人の男が、寂れたビルの二階に足を運ぶ。

 

 扉の横に、少し粗雑に取り付けられた「葉月探偵事務所」の看板が目を引いた。

 

「ここで……合ってるんだよな」

 

 男は恐る恐る、インターホンに指を伸ばす。無機質な電子音が、薄暗いビル内にこだまする。

 

「あのぅ……ごめん下さいーッ」 

 

 返事はない。確かにインターホンは鳴らしたはずだが、特に中で誰かが動くような音も聞こえない。

 

「留守……かな」

 

 念のため、もう一度インターホンを鳴らした。

 

 やはり返事はない。

 

「……だめか。こんな事、警察じゃ絶対相手なんかしてくれないのに……」

 

 男は肩を落とした。彼の手元には大切そうに、一枚の写真が握られている。

 

「優子……」

 

 男は項垂れながら、コツン、と階段を一歩降りた。

 

 少し沈黙があった。

 

 男の表情はひどく険しかった。目には涙さえ浮かんで見えた。

 

「も、もう一度押してみよう。ひょっとして、寝てたかもしれないし」

 

 男は決意と不安を同時に顔に浮かべながら、コツン、と階段を一歩上がる。

 

 目の前に張り付いた扉の様相は、何故だか先程と比べて妙に不気味に見えた。

 

 震える指が、再びインターホンへ向かう。

 

「最高だ、あなたは」

 

「え?」

 

 突如、ドアが開く。

 ぬるりと腕が伸び、男の腕をむんずと掴んだ。

 

「一回ではダメなんだ。二回は惜しい、実に惜しい。必ず『三回』がいい」

 

 ドアから覗く暗闇が徐々に薄明るくなって広がっていく。その中からちらり、と眼光が真っ直ぐに浮かび上がった。

 

「やれ落とし物の捜索だの、不倫調査だの、フザけた依頼の多いことだ。全く辟易するとは思わないかね、えぇ? 私はそんな依頼を受けるためにわざわざこの町に来て探偵などやっていないのだよ……」

 

 男の頬に脂汗が滲む。

 喉の奥に物を詰まらせたように、しばらく息が出来なかった。

 

「『三度』鳴らそうとしてくれたってことはとどのつまり深刻な依頼だってわけだ。だから私は待った。君は一瞬迷ったようだがこの指をインターホンに向けてくれた。嬉しいじゃあないか……もっとも事件レベルの依頼じゃあなきゃ私は請け負わんがね」

 

「な……何なんですかーッ! いるなら返事して下さいよォーッ! というか、腕! 早く離して下さいよッ!」

 

「あぁ……すまない。久しく君のような依頼者がいなかったものでね。つい興奮してしまった。さ! さっさと入りたまえ。コーヒーを準備してあげようじゃあないか」

 

 男は狼狽える暇もなく事務所に足を踏み入れた。

 心に一瞬の抵抗があったが、本能的な、自分でも得体の知れぬところで、彼の奇妙な魔力に惹きつけられてしまったようだった。

 

 事務所の中は想像よりもずっと明るく、そこに座る彼は豹変したように落ち着きを払っていた。その姿はまさしく誰もが頭に思い描く「探偵」像そのままで、目にした男はようやく緊張の糸が切れたのか、その場にへたりと座り込んでしまった。

 

「オイオイ、私の部屋のソファは何も飾りもののインテリアってわけじゃあないんだ。座るならそこに座りたまえよ」

 

「あ……ハイ、すみません」

 

 男はやっとのことで立ち上がり、ソファに腰を沈めた。出されたコーヒーは少し薄かったが、やたらうまくて直ぐに飲み干してしまった。

 

「いい飲みっぷりだね。淹れた甲斐がある。何分後君がゲップするかがとても気になるが……」

 

「あはは、つい美味しくて。えと……」

 

「葉月。葉月葉一だ。名乗るのが遅れてすまなかったな。年齢は30歳、趣味はトランプ、その中でもソリティアが好きだ。一人の時間をいつも埋めてくれる。特技はポーカーのイカサマ、一度海外でマフィア相手にやらかして危うく死にかけたがね」

 

「あぁ、ハイ……」

 

 葉一は自分のカップを見せつけるようにゆっくりと持ち上げると、取手に指を入れた。

 

「ところで……君もこのカップをこうやって持っていたかな、持っていたね。この持ち方、持ちやすいからね……『そう持ってくれ』って形もしてる。でも、これはマナー違反なんだよ」

 

「えっ? あッ、ハイ、そうなんですか」

 

 男は思わず動揺した。その様子を見て、満足気に葉一は爆笑した。

 

「あははははっ! そう、知らなかったろう! 世のマナーなんてそんなもんだ。知っているか、知らないか。その差ぐらいだ。普段過ごしているだけなら必要のないマナーだってある」

 

「まぁ……」

 

「でもそんなマナーにも必ず存在する『理由がある』んだ。必ず物事には『理由』があり『答え』がある。誰も気にしたことも、知ろうとしたこともない影に隠れたその『答え』……。それが私の求めるものなのだ。だから私は探偵になった。様々な人々に根ざす謎を……依頼者に連れて来てもらう為に」

 

 葉一は机に乗り出して、男に顔を近づけた。ギラつく目が、男の顔中の皮膚を刺激する。

 

「はじめは楽しかった……。不倫調査だって、失せ物探しだって、素行調査だって、人の色々な面を見る事ができて実に充実していた。でも……回数を重ねればそれらは似通ったものになる。当然の摂理だ、ひどく退屈になったよ。そんな時だった……私が、この町の事を知ったのはッ」

 

「こ、怖いです……葉月さん。一旦落ち着いて……」

 

「『行方不明者数全国平均の五倍』だぞッ!!」

 

 葉一は机を叩いて叫んだ。

 

「なんて刺激的なフレーズなんだッ! 私は……この町に強い引力を感じたッ! この町で何が起こっているのか……私はそのすべてを知りたいッ! そう思ってこの町に来たのだッ!」

 

 先程の衝撃で飛び散ったコーヒーが、声量で小さく揺れている。男はただ黙って聞き入るしかなかった。

 

「もともとこの世界には人間の備えた叡智を軽々と超えるような事件が数多く存在している。故にその力によって脅かされ、侵されたものに対し人間は実に無力だ。警察が対応できる範囲などたかが知れている。だから私は探偵として、彼らが対処し得なかった事件の()()()()()()()()()()()()()わけだ」

 

「は……はァ。でも、そんなに上手くいくもんですかねーッ」

 

「その通り……現実は非情だ。私の元に飛び込むのは他の町と大差ない退屈な依頼ばかり。結局いまの今まで私が受けた依頼の中で、私の好奇心を満足させてくれたのは()()()()1()()2()()()()()

 

「多分……みんな諦めてるんですよ。この町じゃ失踪事件なんて腐るほど起きてる、運が悪かったんだーって……」

 

「馬鹿かァァーーッ?!」

 

 突然葉一は立ち上がると、拳を握りしめて男を思い切り殴った。男の体は軽くふっ飛び、勢いよくソファーから転げ落ちた。

 

「ぶへらァッ?!」

 

()()()だとッ?! ふざけるなッ! 今すぐそんな馬鹿に会って頬を二、三回ひっぱたいて『野グソほどの価値もない諦めなんてさっさとトイレに流して依頼しに来いドチンポ野郎』と伝えて来いッ!! そんなくだらない理由でこの私が……葉月葉一が居留守まで使わされることになったっていうのかッ、冗談じゃあないぞォォォーーッ!!」

 

「な……なんで殴ったんですかーーッ!? ぼくは今! 依頼しに来てるじゃあないですかッ!!」

 

「あぁ……すまない、つい」

 

 葉一は男を抱え起こすと、顔の血を拭った。相当強く殴ったようで、しばらく鼻血が止まらなかった。

 

「んぐ……それで、依頼なんですが」

 

 男は口の中が腫れてしまったのか、喋り辛そうに話している。

 

「あなたの言っていた、人捜しですよ。ぼくの……その、恋人を探して欲しくて」

 

「……ほう。それであんなに焦っていたのか。だが、ただ単にフラれただけなんじゃあないのか?気の毒だが、恋人が飛んで別の男とランデブーなんて、経験上幾つも見てきた」

 

 葉一は手でハートを作ると、真っ二つに割る真似をした。男の表情は変わらなかった。

 

「違うんです、その……こんな事言っても、誰も信じてくれなかったんですが」

 

「フフ、ものは試しだ、言ってみるといい」

 

 男は数秒黙り込むと、苦いものを飲んだかのように渋い顔をしながら、うっすら口を開けて声を発した。

 

「消えたんです。ぼくの、目の前で」

 

「……ほう?」

 

「少し、説明すると長くなるのですが」

 

「構わん。むしろこと細く詳しく解説してくれたまえ」

 

 葉一は嬉しそうに口角を上げた。待ち侘びた餌をやっと食せる犬のように、純粋に輝く瞳で男を見つめている。

 

「複雑怪奇な事件、事象、現象であればあるほど、私の好奇心は刺激されるというものだ。君の依頼が私を満たし得るものかどうか……ここで見定めさせてもらうよ」




今回もご覧いただきありがとうございました。
次の更新はもう少し早くなるよう善処しますね。


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密室の謎をあばけ! その1

「さて、どうぞ話してくれたまえ」

 

 男は息を飲んだ。

 葉一の放つ妙な緊張感が、男の心臓を襲う。

 

「エ~と、もう一週間ほど前の事になりますが……何の気なしに、出かけてたんです。亀有デパートに、買い物しに」

 

 男は言葉を詰まらせ気味に、ゆっくりと話し出した。

 

「買い物の途中にたまたま、彼女を……優子を見かけたんです。そしたら、知らない男と一緒にいて。僕……不安になって、後をつけたんです」

 

「やっぱり浮気されてるんじゃあないか。オイ、そんなことを依頼されるために、私は君を招き入れたわけじゃあないんだが……」

 

「優子はそんなことする人じゃあありませんッ!!」

 

 男は突然怒鳴った。さすがの葉一も、狼狽えずにはいられなかった。

 

「わかったわかった、からかってすまなかったが、何も怒鳴ることないじゃあないか。逆鱗にふれてしまったかね?」

 

「あ……すみません。つい頭に血が上っちゃって」

 

 男はすぐ我に返ったようだったが、息は上がったままだ。

 

「ま、興味深い話が聞けるなら何も気にしないよ。さッ、話を続けてくれたまえ」

 

「……え、えぇ。それで……そのまま優子の家に入っていくのが見えたので、事情を聴こうと思って僕もすぐ家に入りました。合鍵は持っていたので。そしたら……」

 

「二人とも影も形もなかった、ということか?」

 

 男は黙って頷いた。

 

「最初は、どこか部屋にいるのかと思って探し回りました。でもどこにもいなかったんです。奇妙に思いましたよ。だって、部屋のどこを見ても、家の鍵はしっかりかかってるんですから……」

 

「なるほど。彼女の家は一軒家かい?」

 

「いえ、そんなに広くない賃貸のアパートです」

 

「ならすれ違いざまに家を出たとも考えづらいな。その程度の家の広さなら、玄関を出入りする音ぐらい部屋のどこでも聞こえる」

                 

 葉一はふと思い出したように立ち上がると、本棚に置いてあった推理小説を手に取った。表紙には「まだらの紐」と書いてある。

 

「あー、読んだことあるかい? 『まだらの紐』。かの有名な『アーサー・コナン・ドイル』執筆の推理小説さ。タイトルの翻訳センスのせいで謎が一個台無しになっているから私はあまり日本語版が好きじゃあないんだが……『ガストン・ルルー』の長編『黄色い部屋の秘密』なんかは傑作中の傑作だな。あちらはトリック自体はひどく拍子抜けだが、だからこそ傑作なのだ。心理トリック、というのだがね。人はみなシンプルな物事も、周囲の環境・状況・事態の影響を受けると、冷静に考えられず複雑に考えすぎてしまう。そういった人の心に付け込んだトリックというわけだ」

 

「な、なるほど。推理小説とか、ほとんど読んだことないんで良くわかりませんが……」

 

「単純なことだよ。例えば紙に『1+1=』なんて書いて手渡されたら、誰だって『2』って書いて返すだろう。でも『これは最大級のミステリーだ』とか『誰にも解けない難問』とか言われて渡されたらどうする? きっと『2』なんてシンプルな答えじゃないはずだ、想像もつかない答えのはずだ、といった調子に、思考はどんどん答えから遠ざかっていくのさ。でも結局どっちも答えは『2』なんだ、面白いだろう」

 

「あの……それで彼女が消えた件に関しては……」

 

 男は焦るように葉一に尋ねた。

 

「あのなァーッ、人の話は最後まで聞くものだぞッ。いいか? 君の彼女が消えた件は分類するなら所謂『密室事件』ってやつなんだ。だが大概の密室事件はさっき言ったような『心理トリック』に基づいたものが殆どなんだ。実は決定的に何か見落としているものがあったとか、盛大な勘違いだったとか」

 

「……なんですか、それ。優子の失踪が、僕の勘違いだったって言うんですか」

 

 男の瞳が、不安定に揺れ始める。

 

「その可能性は十分考えられる、って事だ。いざ現場に向かってみて、『ハイ勘違いでした』じゃあ、私もやってられないからね」

 

「僕が彼女を見逃すはずがないでしょうッ!! いい加減にしてください、僕は大真面目なんだーーッ!!」

 

 男は手元にあったコーヒーカップを葉一に向かって投げつけると、再び怒鳴り散らした。葉一の頬から、一筋の赤い線が伸びる。

 

「……なぁ君、焦りすぎだし何かとキレる()()があるなァ~ッ。私と君の関係は探偵と依頼者だ。私は仏じゃあないし君も神様じゃあない。今回は私の暴力の件があるからチャラにしてやるが、次やったら頭からゴミ箱に突っ込んでやるぞッ」

 

「す、すみません。どうしても不安で……夜もまともに眠れないんですッ」

 

 男の怯えるような表情を見て、葉一は深くため息をついた。そのまま割れたコーヒーカップの破片を拾い深く考え込むと、意味深ににやりと笑い、男の手を握って破片を手渡した。

 

「そこまで言うなら、わかった、信じるよ。ならその女性の失踪は『物理トリック』によるものになる。と言っても界隈じゃあ密室事件のトリックは()()()()()とまで言われているぐらいなんだ。見飽きたトリックを解決するのは些か気が引けるが、勘違いよりは十倍マシだろう。……ただ」

 

「……ただ?」

 

「……ただ。今回は殺人じゃあなくあくまで()()だから、その点ひょっとしたらまだ何か別の可能性があるかもしれないんだ」

 

「……別の可能性?」

 

「密室事件というのは、本来ありえない……不可能事件と呼ばれるものだ。だからこそその超常現象を現実足らしめるトリックが必ず必要となる。でも、それはあくまで小説での話。ここは杜王町。既に不可解な事件、失踪の多発している場所だ。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだよ」

 

 葉一は男の顔をじっと見つめ、至極嬉しそうに微笑んだ。

 

「その超常現象が、現実だという可能性さ」

 

「……え?」

 

「さっき言っただろう、私の求める謎は……この町に来た理由は『人智を越える、警察ですら手に余る事件』だと。君が出会ったその現象がもし……この町に溢れる奇妙な力によるものなら、私は全力でこの依頼に向き合いたい」

 

 言うなり突然、葉一は手のひらに乗せたコーヒーカップの破片を再び掴むと、男の喉元に勢いよく突きつけた。

 

「……だが気をつけたまえよ。これがもし……本当に君の『勘違い』だったなら。私のこの大きく膨らんだ期待を……虚しく萎ませるようなチンケな結末だったなら」

 

 男の皮膚から、静かに赤い汗が流れ落ちる。

 

「私は君を殺すかもしれないからね」

 

 男はただ唖然とするほかなかった。

 

 

 その後男は、依頼に必要な手続きや、書類を執筆していた。葉一は男から手渡された女性の写真を、窓から漏れる夕焼けに照らしながら眺めていた。

 

「へぇ……結構な美人じゃあないか。君が熱心になるのも分からんじゃあない。もっとも私は昔からこの性格だったから、女には興味なんて微塵もなかったがね。……それなりには()()()()

 

 男は何も言わなかった。

 

「……ところで、だ」

 

 葉一は持っていた写真を机に並べてみせた。

 

「この写真について、だが。正面向いたやつとかとか持ってないのかい。数枚あるがどれも角度が今一つだ。捜索に過度な支障があるわけじゃあないが、できれば正面の写真が欲しいね」

 

「あ……ごめんなさい、今現像してある写真はそれだけで……」

 

「恋人なのにそりゃあないだろう。二人で横並びで撮った、とかないのかい」

 

「……」

 

 男は黙り込んでしまった。葉一はまた「やっぱり浮気されてるんじゃあないか」と言いそうになるのをぐっと堪えて、男の書いた書類を覗き込んだ。

 

「あぁ、ここまで書いてくれればあとは大丈夫だ。空も赤焼けてきただろう、冷えぬうちに帰るといい」

 

「あ、ハイ……。では、どうかよろしくお願いしますッ」

 

 男は深々と頭を下げる。

 

「それと……先ほどは失礼を何度も申し訳ありませんでしたッ。報酬、嵩増ししておいて結構ですので」

 

「オイオイ、チャラだといったじゃあないか。もう気にしちゃいないから、さっさと帰りたまえよ」

 

「あ……ありがとうございますッ、失礼します」

 

 

 男が帰った後の事務所は、びっくりするほど静まり返っていた。葉一は机の上に散乱した書類を整えると、頬にできた一筋の傷をゆっくりと撫ぜた。

 

「しかしまぁ久しぶりに期待できそうな仕事だ。一か月ぶりじゃあないか? このワクワクする感覚を感じる日は……」

 

 独り言の後、葉一はゆっくりと伸びをする。

 

「さて……頃合いだ。観るとしよう」

 

 夕焼けの明かりに、見えない影がひとつ、増える。

 

「ドント・レット・ミー・ダウン」




今回もご覧いただきありがとうございました。
ようやっと話が動いていきます。

次回「密室の謎をあばけ! その2」

お楽しみに。


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