モブトレーナーのボクが伝説ポケモン使うのはやっぱりマズイですか? (そりだす)
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1

 

 ――かつて、ある地方に史上最年少でチャンピオンとなった少年がいた。

 

 突如現れたその少年は各地にあるジムを次々と破り、その勢いのままポケモンリーグへと殴り込んだ。

 彼の進撃を止めるべく、四天王と呼ばれる凄腕のポケモントレーナー達が立ち塞がったが、皆為す術なく倒されていった。

 

 最後の砦として、リーグチャンピオンが彼と相対したが、その実力差にまるで歯が立たず、ポケモン一体によりチャンピオンのポケモン六体全て倒されることとなる。

 

 ……その圧倒的な強さと凄まじい力を持つポケモンを従える姿を見た者は、皆一様に言葉を失い、その後感嘆の声を漏らした。

 

 その後、彼はリーグチャンピオンとして君臨することとなる。

 しかし、彼の強さは留まることを知らず、チャンピオン奪還のため挑戦する者達を容赦なく叩き潰した。

 そして、その時に打ち立てた連続無敗記録は未だに破られていない。

 

 だが、それだけではない。

 公にはされていないが、世界は滅亡の危機を迎えていた。

 その時、彼は世界の危機へと一人立ち向かい、世界の終焉すら救ってみせたのだ。

 

 本来であれば世界の歴史に名を残し、永遠に語り継がれるほどの偉大な功績であったが、彼はそれを拒んだ。

 

 そして、世界を救ったその直後、その少年は突然チャンピオンを含む全ての肩書きを捨て去り、表舞台から姿を消した――。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

『たくさんの自然、豊かな土地が広がるパルデア地方、ここにはポケットモンスター……ちぢめてポケモンと呼ばれる不思議な生き物が数多く暮らしています』

 

『ポケモンたちは海や空、町の中などいたるところに住んでいて、私たち人間は彼らと助け合い生活しています』

 

『グレープアカデミーではそんなポケモンのことをもっと深く知るために、色んな地方から人が集まり、皆で学びあったり、ポケモントレーナーとしてポケモンを戦わせともに成長したり、さまざまな授業内容で生徒の可能性を引き出します』

 

『ここは仲間とポケモンと新しい自分に出会える場所……グレープアカデミーへの入学を心よりお待ちしています――』

 

「――グレープアカデミーか……」

 

 家財道具と共にトラックの荷台で揺られている少年は、これから通うことになるアカデミーのパンフレットを眺めながら、新天地での学園生活に思いを馳せる。

 

 学校の雰囲気はどうなのか、友達は出来るか、勉強についていけるか……転校生特有の様々な不安が、少年の頭の中をグルグルと巡る。

 

 少年は引越しは初めてではなかったが、自分がこれから世界的に有名な名門校であるグレープアカデミーに通うことに、少なからず緊張しているのだ。

 

 ただ、少年は前にいた地方では勉学だけでなく、様々な場所を旅をしていた。

 その旅の中で文字通り、言葉では言い表せないほど非常にたくさんの、そして深い経験をしてきた。

 それに比べれば小さな問題なのだが、やはり自分の気持ちに嘘はつけない。

 

「そろそろ到着する頃かな……?」

 

 手首に着けた腕時計にちらりと視線を落とし、現在時刻を確認する。

 

「それじゃあ、早く準備を終わらせないと」

 

 少年はトラックの荷台に積まれている『ゴーリキー引越社』と印字されたダンボールを引っ張り出し、自分の荷物の整理を終わらせる。

 

 その荷物には、これまでの旅の中で出会い、共に戦ってきたポケモン達のモンスターボールが含まれている。

 

「みんな……もしかしたら、また助けてもらわなきゃいけない時が来るかもしれない。出来る限り、ボク一人で頑張ってみるけど、万が一の時は力を貸してね……」

 

 一つひとつのモンスターボールを丁寧に掴んで、数秒ほど眺めた後に大切そうにカバンへと入れていく。

 

 準備が終わってしばらくすると、トラックはキキッというブレーキ音を響かせた後、ゆっくりと停車した。

 

「……よし、ここから新しい生活が始まるんだ。平穏な学園生活を送れるように、気合を入れて頑張ろう」

 

 少年はむんと軽くガッツポーズを決めた後、荷台のリヤドアを開け、外へと飛び出した!

 

 

◆◆◆◆

 

 

「――ベリル、荷物はちゃんと持った?忘れ物はない?」

 

「うん、大丈夫」

 

 ベリルと呼ばれた少年は、ごそごそとカバンの中身を確認しながら言った。

 

「制服も似合ってるわ。……まあ、これまでの旅に比べれば心配はないんだけど……。あっ、ほら、ちょうどテレビでアカデミーの特集してるわよ」

 

 母が指差したテレビからは、軽快な音楽とともに見た事のある建物の映像が流れている。

 

「みなさん、こんにちは〜!やってまいりました、『あの町どの道』のコーナー!今日は学園都市『テーブルシティ』と『グレープアカデミー』について取り上げていきたいと思います〜!――」

 

 テレビにはこれからベリルが通うことになるアカデミーと、その町の様子が写し出されていた。

 それに加え、アカデミー内の設備や授業風景まで流れ、生徒のイキイキと、そして楽しそうな様子が、ベリルの胸を高鳴らせる。

  

 今から自分がこの場所で学ぶことが出来るのかと考えると、ワクワクが止まらない。

 そんなことを考えながらテレビを見つめていると、母が軽く微笑んだ。

 

「……ふふっ、なんだかあなたが旅に出た日の事を思い出しちゃった。あの時も、今みたいに目をキラキラさせてた」

 

「そ、そう?」

 

 母から思わぬ話を聞き、ベリルは照れた様子で頭を掻く。

 

「……身体には気をつけてね。たまには帰ってきて、元気な顔を見せなさいね」

 

 母の目には子供が成長した嬉しさや寂しさが入り混じったような、そんな優しさに溢れていた。

 

「大丈夫だよ、もう旅に出るわけじゃないし。大変な目に遭うことだって、今後はないだろうから」

 

 そんな母の心配がやけに照れくさくて、ベリルは少し強がった様子を見せた。

 

「……それじゃあ、そろそろ出発するね!」

 

 そういって玄関から外と向かい、前の地方から持ってきた折りたたみ自転車をカバンから取り出した。

 その自転車に跨り、母に一言挨拶をする。

 

「行ってきます!」

 

「気をつけてね!」

 

 そうして、ベリルはペダルを踏みしめてゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。

 

 

 ……そうして、出発してからしばらくして。

 ベリルと同じ制服を身に着けた学生達と何度かすれ違った。その度にベリルは彼らの姿を思わず目で追ってしまう。

 同じアカデミーの生徒というのもあるが、それ以外にベリルにとってものすごく気になる点があったからだ。

 

「みんな……なんだか得体の知れない自転車型のポケモンに乗ってる……」

 

 思わぬ形で文化の違いを実感した瞬間だった。

 



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2

 

 自転車をかっ飛ばして、ようやくテーブルシティへと辿り着いたベリル。

 

 すれ違う学生が自転車型のポケモンに乗って登校していたのには初め度肝を抜かれたが、到着する頃にはさすがに見慣れてあまり目を奪われることもなくなった。

 

 町の入口へと到着したベリルは自転車を折りたたんでカバンへと仕舞い、徒歩でアカデミーへと向かっていく。

 

 実際に自分の目で見たテーブルシティは、まさに学園都市の名に相応しく、都市の奥にそびえ立つアカデミーのインパクトが非常に強い。

 店の並びも学生のニーズに沿ったものが多く、そのどれもが活況を呈している。

 

 そんな街中を抜けた先には、アカデミーへと続く長い長いふたつの階段が待ち構えていた。

 

「うわぁ、これを登らなきゃいけないのか……」

 

 困惑した表情を隠そうともせず、本音を口から漏らしながら階段を見上げる。

 しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。

 ベリルは気合いを入れ直し、ゆっくりと階段を登り始めた。

 

 しばらく登ったところで、ふたつの長い階段のうち、ようやく一つ目の階段を登り終えた。

 

「ふぅ、ようやく半分か」

 

 登ってきた階段とそこから見える景色に小さな達成感を感じていると、どこかから揉めているような声が聞こえる。

 

「なんだ?」

 

 声のする方へ向かうベリル。

 そこにはヘルメットを被る男女の学生が、丸眼鏡をかけた学生に詰め寄るところだった。

 

「――こちとら勧誘ノルマあるんだからさっさと『スター団』に入りなさいよ!」

 

「えと……困ったな……」

 

 途中からしか話が聞こえなかったが、どうやら丸眼鏡の学生がしつこく勧誘を受けているようだ。

 ただならぬ雰囲気と周囲に自分以外がいないこと、そして『○○団』のフレーズに反応し、ベリルは思わず考えるよりも先に体が動いた。

 

「――ん?スター団に何か用!?入団希望なら後でね!今お話し中なのでね!」

 

 思わず彼らの間に割り込んでしまったベリル。行動してから(絶対もっと他にいい方法があっただろ!)と己の行動の浅はかを後悔する。

 

「あたしら泣く子も笑うスター団。君は知ってるよね?」

 

 ヘルメットを被った女子生徒が問いかけてくる。

 その時、ベリルの頭の中では様々な記憶がフラッシュバックし、最悪の想像がよぎる。

 ……返答次第では、今後の学園生活が大きく変わるかもしれない。

 だが、それを分かっていてもここで知らないフリをすることはベリルにはできなかった。

 

「その『スター団』というのは……もしかして、世界征服をしようとしたり、世界をめちゃくちゃにしようとしたり、理想の世界の創造のため今ある世界を破壊しようとしたりすることを目的にしてる組織?」

 

 もうこれ以上ないというくらいド直球に尋ねる。

 

「は……はあ!?そんなこと、するわけないでしょ!?」

 

「おいこいつ目がヤベーよ、完全に据わってるじゃん」

 

「絶対にないとは言いきれないかなって。中には慈善団体だったり一流企業の皮を被った組織が、実はとんでもないことを企んでたなんて話はいくらでもあるからさ」

 

「いやいや、いくらでもはないでしょ。もうなんなのよキミまで……せっかくスター団に入ったのに、こんな扱い底辺じゃん」

 

「ナメられっぱなしだと団の面目丸つぶれ!勝負するっきゃなくなくない?」

 

「そりゃそうね!あんたは最初のメガネを見はってて!ナマイキな新顔ちゃんはあたしがお星さまにさせちゃうわ!」

 

 なんだか唐突にポケモンバトルをしなければいけないような展開になってきた。

 だが、正直こんな街中でバトルなんて絶対にできない。もしバトルをすれば、きっと色々大変なことになるだろう。

 そう考えたベリルはおずおずと話し始めた。

 

「申し訳ないけど、あの……ボク、ポケモン持ってなくてさ……何とかここは話し合いで穏便に済ませられないかな……?」

 

 とりあえず『ポケモンを持っていない』と嘘をついて、どうにかバトルだけは避けられないかと望みを託す。しかし……

 

「いーや、ダメだね!もしバトルできないってんなら、君たちは今日からスター団の一員になってもらう――」

 

「――それなら僕が相手になるよ」

 

 声がした方を振り向く。

 そこにはこれまで見てきた自転車型ポケモンとはだいぶ違った見た目をしているポケモンに乗った、ベリルと同じ制服を身に着けた少年がいた。

 そのポケモンをボールへと仕舞った少年はこちらに歩み寄る。

 そんな彼にここは甘えることにした。

  

「……申し訳ないけれど、お願いしてもいいかな」

 

「もちろん!」

 

 そうして代わりにバトルを引き受けてくれたその少年は強かった。

 ところどころぎこちない部分はあったが、ポケモンに対する的確な指示と、状況分析力は素晴らしいものを感じ取れた。

 彼は間違いなくポケモントレーナーとしての才能がある。見た者を惹き付ける何かが彼の中にあった。

 

 あっという間に相手のポケモンを倒し、スター団の女子生徒は驚愕の表情を浮かべる。

 

「あたしがお星さまになっちゃった!?……なんなのこの新顔ちゃん、マジ強いんだけど……」

 

「後輩がやられた……!?こうなったら先輩であるオレが相手をするしかないのか……!?」

 

 少年は確かに強いが、それでも連戦はかなり厳しいだろう。いったいどうすればいいのかと考えていると、階段の上から誰かが駆け下りてきた。

 

「ちょっとちょっと!何やってんのー!」

 

「ゲッ、生徒会長」

「めんどくさいヤツに見つかっちまった……」

 

 スター団の二人の表情が一気に引き攣る。

 

「もう!ダメだよ!ハルト!ポケモン勝負するならわ た し と!……でしょ!?」

 

 そう言った生徒会長はニコニコと何故か嬉しそうに少年……ハルトの顔を見る。

 しかし、そのハルトは至って冷静な顔でツッコミを入れる。

 

「いやいやいや、そうじゃないでしょ。ほら、ネモ見てみなよ。今、スター団とかいう人達に絡まれてたところなんだよ」

 

「本当だ、よく見たらスター団!また強引な勧誘してる!」

 

「あ、はい、どうも」

 

「……なるほどね!本来なら生徒会長としてこの騒ぎを収めるべきなんだろうけど、せっかくだからハルトが超・マル秘アイテムで解決しちゃえ!」

 

「……これって、まさか」

 

 ハルトは手渡された物に心当たりがあるようで、少し驚いたような、嬉しさも入り混じったような表情で、手の中の物をまじまじと見つめている。

 それはベリルにとって初めて見る物だった。

 

「テラスタルオーブを持ってると戦闘中にポケモンにテラスタルできるんだ。ハルトのホゲータは、ほのおタイプにテラスタルしそう!」

 

「これもらうのって本当は専用の授業受けないとだけど、わたしが推薦しといたから!ものは試し!戦いながら使い方知っていこーっ!」

 

 生徒会長であるネモから『テラスタル』という聞いたこともない単語がベリルの耳に聞こえてくる。

 ここへ来て、まだ自分の知らないものがあったのだなという喜びと、自分という存在がいかに無知なのかというちっぽけさを痛感させられた。

 

 だが、なにより、まずは一度見てみたい……!

 

 内心、ワクワクしながら様子をうかがう。

 

「あれ?この流れはテラスタルのお試しにされる感じですか……?」

 

 スター団の男子生徒は困惑した表情で訊いた。誰がどうみてもこれからお試しにされる感じだが、あえて何も言わない。

 

「いやならわたしと勝負だよ」

 

「……ぐぬぬぅ、新顔のほうならまだ勝つチャンスはある!」

 

「それじゃ位置について!勝負開始ー!」

 

 ネモの合図を受けて、両者ともポケモンを繰り出しバトルが始まる。

 

 ハルトは今もらったばかりのテラスタルオーブを空へと掲げた。すると、まるで結晶のようにキラキラと光る物質がオーブに取り込まれていく。

 そして、そのオーブを自分のポケモンに投げると、ホゲータというポケモンは結晶に包まれる。それが砕け、中から現れたホゲータの頭部には先程まではなかった結晶が光り輝いていた。

 

 その状態で繰り出されるほのおタイプの攻撃は、さっきのバトルで見た威力を大きく超えている。

 

 ――当然、バトルもハルトの圧勝に終わった。

 

「さっすがハルト!テラスタルもいい感じ!」

 

 ネモは満足そうに頷いた。

 一方、完敗したスター団の二人は、

 

「そ、それじゃ僕はこれで!お疲れさまでスター!」

「あたしもこのへんで!お疲れさまでスター!」

 

 ものすごく個性的な捨て台詞を残し、スタコラサッサとどこかへ走って逃げていった。

 

「……なんだったんだ、いったい」

 

 思わずベリルが呟いた。それにネモが答える。

 

「スター団はいわゆるやんちゃな生徒の集まりなんだ。出席率も低いし、集団で暴走してるし、先生たちも頭をかかえてるみたい」

 

 確かにやんちゃな生徒たちも問題があるのだろうが、反社会的組織じゃないだけマシだなと、学生にしてはえらく達観したものの見方をベリルは口には出さずに思っていた。

 そんな時。

 

「……あの!!」

 

 振り向くと、先ほど絡まれていた丸眼鏡の学生が何か言いたげな目でこちらを見ていた。

 しばらくモジモジとした後、

 

「えと、ありがと……ございます」

 

「……先、行くんで」

 

 それだけ言うと丸眼鏡の学生は逃げるように階段を駆け上っていった。

 その後ろ姿をポカンと見ていたが、自分もお礼を言わなければいけないことを思い出し、2人に向き直った。

 

「……あっと、ボクもお礼を言わなきゃ!ボクの名前はベリル!君はハルト君……でいいのかな?本当に助かったよ、ありがとう。君がきてくれなかったらどうなっていたか……」

 

「気にしないで!困ったときはお互い様だよ!」

 

「ハルト、えらい!人助けしてたんだね!あんま見ない顔……もしかしてベリルも転入生?」

 

 ネモに尋ねられたベリルはこくりと頷く。

 

「え、えぇそうです。実は今日から転入することになってて……あと、会長さん、さっきはありがとうございました」

 

「会長さんだなんてやめてよー!そんな堅苦しいのはナシナシ!わたしのことはネモでいいよー!」

 

「それと、ハルトも今日からアカデミーに転入するんだ!今の様子を見ると二人ともすぐに仲良くなれそう!……とすると、あの子も転入生かな?イーブイのバッグもっふもふ」

 

 そう言うとネモは階段の方を向き、軽く屈伸運動を行う。

 完全にベリルの頭から階段のことが忘れ去られていたが、ネモの行動を見て意識が階段に戻された。

 

「さて!いざこざも解決したし、いよいよ学校へ向かいますか!地獄の階段……がんばってのぼろっ!」

 

 そう言うやいなやネモは颯爽と階段を駆け上っていき、あっという間に見えなくなった。

 残されたベリルとハルトは顔を見合せ、苦笑いを浮かべたのだった。

 

 



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3

 

 転入前にスター団とのゴタゴタがあったものの、ベリルは無事にグレープアカデミーへと入学することができた。

 

 そして、肝心のクラスはというと、ハルトやネモと同じ1ーAになった。正直、全く知らない人ばかりのクラスになることが心配であったが、こうして少しでも顔見知りがいるのはとても心強い。

 それに加え、ハルトもベリルと同じく今日から転入だったことも安心感が増した理由の一つだ。

 なにより、クラスのみんながハルト含めベリルのことを暖かく迎え入れてくれたのが嬉しかった。

 

 とりあえず、学園生活のスタートダッシュをつまずかないでスムーズに行うことができた。

 

 それから数日が経過し、ベリルは校長室へと来ていた。

 椅子に腰掛けた校長のクラベルは、心配したような表情でベリルを見つめる。

 

「……本当に一般の学生と一緒でいいのですか?あなたほどの実力であれば――」

 

「――いえ、みんなと一緒でいいです。というよりも、みんなと一緒がいいです」

 

 ベリルはクラベルの口から何かとんでもない発言が飛び出そうな気配を感じたので、食い気味に断った。

 

「それに……不相応な肩書きなんてあってもろくな事にならないですから」

 

 そう語るベリルの目には光がなく、真っ直ぐにクラベルを見ているはずなのに、彼の目はどこか遠くを見つめているようだった。

 その様子を見たクラベルは、しばしの沈黙の後深く頷いた。

 

「……分かりました。ですが、気持ちが変わりましたらいつでも言ってください」

 

「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」

 

 ベリルは一礼すると校長室を後にする。

 そうして扉を出たところで、ちょうどハルトと鉢合わせになった。

 

「あれ、ベリル?どうしたの?校長室から出てきたみたいだけど何かあった?」

 

「いや、その……転入手続きでちょっと確認したいことがあってさ。けど、その用事もたった今終わったよ。それよりも、ハルトはどうしてここに?」

 

「うーん……それがね、すぐに来てくださいとしか言われてないから、用件はまだ分からないんだ」

 

「そっか……今ならクラベル先生も大丈夫そうだよ。次の授業はバトル学だっけ?僕は先に行ってるから遅れないようにね!」

 

「うん、分かった!ありがとう!」

 

 ハルトはニコリと笑うと、校長室の扉をノックし「失礼します」と中へと入っていった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「――以上で、本日の『バトル学』の座学は終わるぞ!……ムム、今日は時間があるな。それでは体で体験してもらおう!」

 

 バトル学担当のキハダ先生は時間を見ながら、そう言った。

 いつもは座学で授業時間が終わるのだが、今日はかなり時間が残っている。

 

「えっ!今から戦るんですか!!」

 

 ネモのすごく嬉しそうな声がグラウンドに響いた。

 

「ああ!戦るぞ!……うーん」

 

 キハダ先生は生徒達の方をキョロキョロと見回す。少し考えるような素振りを見せた後、一度大きく頷いた。

 

 「よし、転入生!……って、転入生は二人だったな。ちょうどいい、転入生二人!今からバトルだ!」

 

「ボクとベリルですか?……分かりました」

 

 ハルトは一瞬困惑した様子を見せたが、すぐに頷いた。

 しかし、ベリルは視線を泳がせる。

 

「先生、すみません……あの、僕ポケモン持ってないので……」

 

「そうか!だが心配するな!アカデミーにはレンタルポケモンがいる!好きなポケモンを一体選べ!」

 

 そう言って先生は6つのモンスターボールの入ったボックスを取り出して、ベリルの前へと差し出した。

 

「……分かりました、それじゃあ僕はこの子で」

 

 ベリルは躊躇するような仕草を見せたが、結局ひとつのモンスターボールを受け取った。

 

「よし!準備できたな!試合は1VS1のガチンコ勝負とする!それではバトル始め!」

 

「いけ!アチゲータ!」

 

 先生の掛け声を合図にハルトはポケモンを繰り出した。

 そのポケモンは以前に見た時と姿や体の大きさが変わっていた。

 この短い期間で進化したのかとベリルは冷静に分析する。すなわち、それだけバトルを行い、たくさんの経験を積んだということ。

 そして、アチゲータとハルトの目を見る。

 

 彼らの目には、お互いへの厚い信頼と目の前の勝利を信じて疑わない、そんな気持ちが溢れ出ているようだった。

 

 ――ゾクリとベリルの胸の奥で何かがざわめく。

 

 そんな目をした相手に真剣に向かわないのは、あまりにも失礼だ。

 そして、力を貸してくれるこのポケモンにも。

 

 ベリルはひとつ、深く息を吐いて真っ直ぐに相手を見る。

 

「――任せたよ、マリルリ」

 

 ベリルは握り締めたボールをバトルコートへと投げた。

 そうして現れたマリルリに、カバンから取り出した木の実を渡す。

 

「よろしくね、マリルリ。……これ、体力が減ったと思ったら食べていいからね」

 

 マリルリは木の実を仕舞い、こくりと頷いた。

 

「……よし!待たせたね!行くよ、ハルト!」

 

「もちろん!手加減はしないよ!」

 

 両者、バトルの準備が整った。

 そんな彼らの周囲には、クラスメイト達がワクワクした目で今か今かとバトルが始まるのを待っている。

 

 ベリルは少し懐かしさを感じながら、ついにポケモンへと指示を出した。



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4

 

 ついに、ベリルとハルトによる1VS1のポケモンバトルが始まった。

 両者、睨み合いから始まったが、先に動いたのはベリルだった。

 

「――それじゃあ僕から行かせてもらうね!マリルリ!『はらだいこ』!」

 

 早々にベリルが仕掛ける。

 指示を受けたマリルリはポンポンと軽快なリズムで、自らの腹部を叩く。

 一見、隙だらけに見える動きだったが、ハルトは動かない。

 

 おそらく『はらだいこ』を実際に見たのは、今回が初めてなのだろう。

 その技を繰り出す事で起きる技の効果を理解していなかったため、下手に動かず様子を見る判断を下した。

 

 初見の技や行動を警戒し、様子を見る。普通であれば、その決断は間違っていない。

 

 ――しかし、相手の行動理由が読めないというのは、ポケモンバトルにおいて致命的なハンデとなる。

 

 結果、マリルリの『はらだいこ』を止めることはおろか、戦闘前に持たせた『オボンのみ』という木の実を食べる時間まで与えてしまった。

 

 ネモがソワソワしながらベリルに視線を向けてくる。その意味が分かったベリルは、ネモに向かってコクリと小さく頷いた。

 

 今このタイミング、そして対戦相手のベリルへ確認を取るということは、真剣勝負の妨害をしないように、情報の重要さを理解した上での行動だ。

 きっと、彼女なりに気を遣ってくれたのだろう。

 

 ベリルからの合図を見たネモはハルトに向かって声をかける。

 

「ハルト!『はらだいこ』って技はね!体力をものすごく消費する代わりに、攻撃力が最大まで上がる大技だよ!」

 

「ええ!?そんな技があるの!……でも体力を消費するなら今が攻め時……?違う、マリルリははらだいこの後に木の実を食べていた……とすれば体力は戻っている……?」

 

 ベリルは鳥肌が立つのを感じた。

 ハルトは敵の動きが読めないながらも、しっかりと行動一つひとつを確認、記憶していた。

 さらに、行動の意味を理解した今、その知識を活かしたフィールド全体の状況分析も的確だった。

 

「ハルトは凄いね……君は間違いなく、これからもっと強くなるんだろう……それなら――」

 

 ベリルの視線に鋭さが増し、その目に宿る眼光が一瞬、鈍く光った。

 

「――君のためにも、負けられないな」

 

「マリルリ、『アクアジェット』」

 

「アチゲータ!『かえんほうしゃ』だ!」

 

 両者、ほぼ同時に技を繰り出した。

 お互いの技が真正面からぶつかり合う形となり、凄まじい衝撃と水蒸気が周囲に襲いかかる。

 一瞬、拮抗するかに思われたが、マリルリのアクアジェットの威力が全く落ちていない。

 それどころか、徐々に威力を増しており、なんと『かえんほうしゃ』を引き裂きながら、アチゲータへと突っ込んでいく。

 

「なっ――!」

 

 もはやその勢いを止めることなどできず、『アクアジェット』はアチゲータに直撃した。

 そのまま、壁に激突し、砂煙が舞う。

 

 しばらくして、その砂煙が晴れると中から真っ直ぐに立ったマリルリと、壁にもたれて動かないアチゲータの姿が見えた。

 

「……これで終わりかな」

 

 ベリルが小さく呟いた。

 ポケモン同士のタイプや技などの相性も悪く、ましてマリルリは最強の強化技『はらだいこ』で攻撃力が限界まで上昇している。

 

 耐えられるわけがない。

 

 この場にいるほとんどの者がそう思った。

 しかし……。

 

「……まだだ」

 

 ハルトの声がバトルコートに木霊する。

 

「まだ……終わっていないッ!アチゲータッ!!」

 

 ハルトの呼びかけに応えるように、アチゲータはフラフラの体を起こす。

 

 有り得ない。

 マリルリの、あの攻撃を耐えられるわけがない。

 耐えられるわけが、なかった。

 だが、今こうしてアチゲータは立っている。

 ボロボロの、今にも倒れそうな体で。

 

 それは、トレーナーとポケモンの絆が生んだ奇跡と言わざるを得ない。

 

「――すごい……ッ!」

 

 思わず目を見開き、口元に笑みを浮かべるベリル。

 だが、それだけでは終わらなかった。

 

「それは……まさか」

 

「アチゲータッ!『テラスタル』だッ!」

 

 ハルトが取り出したのは、以前スター団とのバトルで見せたテラスタルオーブだった。

 

 ハルトはアチゲータへ向かってテラスタルオーブを投げた。

 アチゲータの全身が結晶に包まれ、中からほのおテラスタルしたアチゲータが現れた。

 

「負けない……ッ!アチゲータは絶対に負けないッ!!いけッ!『かえんほうしゃ』ッッ!!」

 

 その瞬間、アチゲータから先ほどのとは比べ物にならない威力のかえんほうしゃが繰り出された。

 

 ベリルの体は細かく震えている。

 恐怖ではない。これは歓喜だ。

 歓喜のあまり、鳥肌と武者震いが止まらないのだ。

 これほどまでに熱く、燃える戦いをしたのはいったいいつ以来だろう。

 ベリルはそんなことを頭の片隅で思い出しながら、マリルリへと指示を出す。

 

「マリルリ!『アクアジェット』ッ!」

 

 マリルリは先程と同様、真正面から突っ込んでいく。

 

 テラスタルした際の威力は確かに強力だ。

 だが、どのくらい威力が上がるのか、ベリルはスター団とのバトルで直接見ており、そして覚えている。

 

 それを鑑みれば、今のマリルリが突破することは可能だと考えたのだ。

 

 しかし、いざぶつかってみるとその威力は拮抗……いや、若干ではあるがアチゲータが押しているではないか。

 

 この時、ベリルは自分が犯した致命的なミスに気が付いた。

 

「特性……『もうか』が発動したのか……ッ!」

 

『もうか』とは一部のポケモンが持つ、ピンチになるとほのおタイプの技の威力が大きく上昇するという特性だ。

 

 負ける。

 

 ベリルは瞬間的に悟った。

 だが、負けたくない。

 しかし、頭の中に浮かぶ可能性全てが数手先には敗北が待ち構えている。

 どうすれば勝てる、どうすれば負けない。

 グルグルと思考を巡らせていると、マリルリが一瞬、こちらを見た。

 

 その目はまだ、勝ちを諦めてはいなかった。

 

 ベリルとマリルリの視線が、お互いの眼に重なる。

 それは、ほんの一瞬であったが、彼らにはそれで十分だった。

 

「――えっ!」

「――ッ!」

 

 ネモとキハダ先生が驚愕の表情を浮かべる。

 

 その瞬間、マリルリは大きく動きを変えた。

 その動きは力と力のぶつかり合いから、かえんほうしゃを受け流す動きになった。

 本来であらば、一撃で倒すことができる技をただの接近する手段に切り替えたのだ。

 

 ベリルが、声を出して指示は出していない。

 

 急に変則的な動きをされたアチゲータとハルトは、その動きに全く対応できない。

 アクアジェットの速度を活かして一瞬で懐まで潜り込んだマリルリは、全身にまとった水のベールを振り解き、その力を右手へと集中させた。

 

「――『アクアブレイク』ッッ!!」

 

 ベリルの指示とほぼ同時、その右手から繰り出された一撃はアチゲータの胴体を打ち抜いた。

 



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5

 

 

「――そこまでッ!アチゲータ戦闘不能により、勝者ベリル!」

 

 キハダ先生の声がグラウンドに響き渡った。

 しかし、グラウンドはしんと静まり、クラスメイト達は呆然とハルトとベリルを見つめている。

 

 アチゲータとマリルリが熱いバトルを繰り広げたことで、その迫力や緊張感が伝わったというのもあると思う。

 

 だが、明らかにそれだけで静まり返ったこの空気にはならない。

 

 すぐに空気の異変を感じ取ったベリル。

 冷静に考えれば当然だろう。

 ポケモンを持っていない奴が借りたポケモンをいきなり使いこなし、ましてテラスタルした相手に勝ってみせたのだ。

 驚くなという方が無理だろう。

 

 一瞬、負けてもいないのに目の前がまっくらになりかけるが、なんとかこの状況を打開しようと混乱する頭を働かせる。

 

「……せ、先生から貸してもらったポケモン、すごく強かったー!最後は自分で判断して動いてくれたし!アチゲータもあのアクアジェットを耐えたのも凄いし、かえんほうしゃもすごい威力だった!……ハルト、ありがとう。いい勝負だったよ」

 

「……うん!ボクとアチゲータもまたひとつ強くなれたよ!ありがとう!」

 

 お互いが歩み寄り、固く握手を交わす。

 それを見たクラスメイト達はようやく、緊張の糸が切れたように動き出した。

 

「アチゲータもマリルリもすげーよ!俺、見てて鳥肌立っちまった!」

「ハルト!ベリル!今度バトル教えてー!」

 

 クラスメイトが二人に駆け寄り、それぞれ感嘆や称賛の声をかける。

 

「キミたち!興奮する気持ちは分かるが、静粛に!……転入生!キミたちのバトルは実に見事だった!思わず、見ているわたしも熱くなってしまったほどだ!この調子で引き続き押忍押忍だ!」

 

 先生がそう締め括ったタイミングで、授業時間の終わりのチャイムが鳴った。

 

「ムム!もう時間か……それでは解散だ!おのおの元気に過ごしてくれ!」

 

 

◆◆◆◆

 

 

「ふぅ……久しぶりのバトルでなんだか疲れちゃった……」

 

 ベリルは少し疲れた様子で廊下を歩いている。

 しかし、不思議とその足取りは軽やかだ。

 

 確かに、ポケモンバトル自体が久々だったので、少なからず疲労はある。

 だが、その疲労の中に、負けないくらい強い爽快感も感じていた。

 絶対に負けたくないという気持ちが胸の奥から湧き上がり、本気でバトルができたことが理由だろう。

 この気持ちは、きっと勝っても負けても感じていたに違いない。

 そんなことを考えながら、フワフワした気持ちのまま歩いていると。

 

「ベリルー!」

 

「あっ、ネモ!」

 

 廊下の向こう側からネモが手を振りながら駆け寄ってきた。

 

「ねえ!さっきのポケモン勝負!すごかったね!見ててすっごくワクワクしたし、わたしもベリルと戦りたくなっちゃった!……それに、あんなすごいものが間近で見れるなんてわたし驚いちゃった!」

 

 ベリルはすごいものと言われ、一瞬違和感を感じたが、当然バトルの話だろうと理解し、うんうんと頷いた。

 

「……ん?ああ、確かに!キハダ先生もあんなに強いポケモン貸してくれるなんて、僕も驚いたよ!技構成とか色々と――」

 

「――違うよ!わたしが驚いたのはベリルにだよー!」

 

 ニコニコと笑って首を横に振るネモ。

 

 しかし、ベリルはその意味が分からない。

 自分は何もしていない。ただ、ポケモンに指示を出していただけ。頑張ったのはマリルリだ。

 驚かれるようなことは何もしていないはずだ。

 

「僕?僕は何も――」

 

「――だって、さっきの試合の最後、ポケモンにアイコンタクトで指示出してたでしょ?」

 

「――――」

 

 思わず言葉を失うベリル。

 

 ネモの言う通り、テラスタルしたアチゲータのかえんほうしゃとアクアジェットがぶつかりあった時、ほんの一瞬だがマリルリとアイコンタクトを取った。

 しかし、あんな一瞬では普通の人は絶対に気づかないと思っていた。

 

 ネモは邪気のない笑顔を浮かべながら語る。

 

「他の地方のチャンピオンに、アイコンタクトで指示する人がいるのは知ってたし、バトルの中継も見たことはあったの」

 

 ベリルの手足から急速に血の気が引いていく。

 冷たくなっていく手足とは裏腹に、鼓動は激しさを増し、胸と顔が火照り熱くなっていく。

 

 ネモは話を続ける。

 

「でもね、アイコンタクトを直接見るのは初めてだったからすごく驚いたし、そんな事できる子が同じアカデミーの、しかも同じクラスにいるんだって思ったらワクワクしちゃったんだ!」

 

 先ほどのポケモンバトルの時と同じくらいに、思考を回転させようとするが上手く考えがまとまらない。

 そんな状態で思いついた言い訳を、手を必要以上にワチャワチャと動かしながら話す。

 

「た、たまたまマリルリと目が合ってね、なんかこう、たまたまビビッ!ときたんだ!そこからマリルリがすごい動きでアチゲータを倒してくれたんだよね。僕も驚いたよ!そもそも、僕バトルの経験ほとんどないし!」

 

 ベリルはたまたまであることを連呼し、あれは狙ってやったんじゃないよ、偶然だよという主張を繰り返す。

 だが、今度はネモの別の地雷を思い切り踏み抜いてしまう。

 

「えっ!!!ポケモン勝負、ほぼ初めてなの!?すごいすごい!ベリル、絶対ポケモン勝負の才能あるよ!」

 

 しまった!と思った時にはもう遅い。

 ネモの話は加速度的にドンドンと進んでいく。

 

 その結果、近々宝探しの課外授業が始まるのだが、そこでベリルはポケモンを捕まえることになった。

 そして、そのポケモン達を鍛えた後、ネモと本気のポケモンバトルをすることとなったのだ。

 

 もちろん、何か理由をつけて断ろうとしたが、『はい』以外の返事は受け付けないぐらいの勢いに押し切られてしまった。

 

 その約束を取り付けたネモは「楽しみだね!」と言い残し、嬉しそうな笑顔を浮かべながら去っていった。

 

 「……なんだか、疲れちゃったな……」

 

 さっきまでの軽やかな足取りとはどこへ行ったのか、今のベリルはフラフラとおぼつかない足取りで自分の部屋へと帰っていった。

 



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6

 

 ハルトとのポケモン勝負から数日が経過した今日、いよいよ宝探しと称した課外授業が始まる。

 

 グラウンドに集合するようにとのアナウンスを受けて集まったベリル達は、校長であるクラベル先生から宝探し始まりの挨拶を聞いていた。

 

 その挨拶は、パルデア地方を冒険することで自分の知らない土地や人々、そしてポケモンに出会い、見聞を深めてほしい……というものだった。

 

 自分の目で見て考え、触れることで知ることが出来る。そして、自分だけの宝物を見つける……。

 

 その話を聞いた者は、皆一様に目をキラキラと輝かせ、これから待っている冒険に胸を躍らせていた。

 

「――それでは宝探し開始!……いってらっしゃい!」

 

 クラベル先生の挨拶を聞き終えた生徒たちは、冒険の旅へと飛び出していった!

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ……ベリルもその勢いのままアカデミーを出たところまでは良かったが、ここから何をすればいいのか分からないことに気付く。

 

 もちろん、自分の行きたいと思ったところにはどこにでも行くことができるし、やりたいと思ったことは何でもできる。

 ……ただ、自由すぎるというものは、逆に動きにくかったりもするのだ。

 

 何か目標があればそれを成し遂げるため動くことができるのだが……。

 だが、それを考え、見つける過程も学びのひとつなのだろう。

 

 そんな状態でエントランス入口の芝生の辺りをウロウロしながらどうしようかと考えていると、見知った顔が見えたので駆け寄ってみる。

 

「ハルトー!ネモー!」

 

 ベリルに気が付いた二人は、笑顔で手を振ってくれた。

 

「おっ、ベリル!宝探し!始まったねー!!」

 

「だね!……ただ、宝探しって言われても何をしたらいいか分かんなくて……」

 

「実はボクもあんまり分からないんだよね……」

 

 ベリルとハルトは互いに困惑した様子で顔を合わせ、それを見ながらネモがうんうんと頷く。

 

「初めてだもんね!歩きながら教えるよ!」

 

 そう言ってネモは歩き出し、二人はその後ろをついて行く。

 ゆっくりと階段を下りながら、話を続ける。

 

「グレープアカデミーのメインイベント、宝探しはね……宝探しとは言っても本当に宝があるわけじゃなくて、パルデア地方を自由に冒険していろんなことを体験すればいいの!」

 

「ジムに挑戦したり、こまってる人を助けたり……本当にお宝を探しちゃうのもアリ!普段学校の中じゃ学べないこといっぱい学べるよ!」

 

「そっか……本当に何でもいいんだね〜。それだけ選択肢が多いと何をしていいか迷っちゃうな」

 

「あはは!たしかにね!けど、何をしようかなって考えてる時間も楽しいよね!」

 

 そんな話をしているうちに、あっという間に長かったはずのあの階段を下り切ってしまっていた。

 

「勝負の機会もたくさんで、わたし的には最高のイベント!宝探し中に再開したらハルトとベリルとも戦わせてよね!」

 

 ネモはニッコリと笑いかける。

 ハルトは「もちろん!」と頷いたが、一方ベリルはやや表情を曇らせて曖昧な返事に終始した。

 

「そうだ!スマホのマップアプリ!行きたいところを設定できるんだ!この前登録したジムの場所!目的地に登録してみたら?」

 

 ネモからの提案を受けて、スマホを取り出したその時だった。

 

「――生徒会長ネモ!抜けがけとは卑怯だな!」

 

「うわっペパー!?」

 

 階段から下りてきたのは長髪の少年だ。

 

「抜けがけって人聞きが悪いな!ジムをオススメしてるだけ!何するか決めるのは自分自身だもん!」

 

「ハルトはオレとヌシポケモンを探してスパイスちょろまかすんだ。チャンピオンなってるヒマないぜ。秘伝スパイスを守るヌシのすみか!一緒に行くんだもんな!」

 

「ちょっと!ズルい!ハルトに変なこと教えないでよ!」

 

「はぁ!?誘ってるだけで決めるのはハルト自身だろ?」

 

「ふんぬー!」

 

 お互い、睨み合いながらも殺伐とした雰囲気はない。

 ふんわりとした空気感を感じ取ったベリルは、フニャリと笑いながら交互に見る。

 

「二人とも、仲がいいんだねぇ……」

 

「「仲良くないっ!」」

 

 そういう息ピッタリなところとか特に……と、喉元まで出かかったがベリルはギリギリで堪えた。

 と、ここで長髪の少年はようやく面識のないベリルの存在に気がついたようだ。

 

「……ん?アンタ、よく見たら見たことない顔だな……」

 

「あっ、挨拶が遅くなっちゃったね!僕の名前はベリル!ハルトと同じ転入生なんだ、これからよろしくね!」

 

「ベリル……?ああ!ハルトと同じくらいアカデミーで噂になってるバトルつよつよちゃんか!オレの名前はペパーってんだ!よろしくな!」

 

「……ん?ちょっと待っ――」

 

 ――ロトロトロトロト……

 

 ……今、ベリルの耳に聞き流せない発言が飛び込んできたが、タイミングよく着信が入ってきたため、サラリと流される。

 

「ん?ハルト、スマホ鳴ってんぞ」

 

「……誰からだろ?とりあえず、出てみるね」

 

 ハルトはスマホの応答ボタンを押した。

 

「やあハルト、カシオペアだ。以前伝えていたスターダスト大作戦についてだ」

 

 唐突によく分からない話が始まったが、少し席を外した方がいいのだろうかとオロオロするベリルをよそに、ドッシリと構えて動かない二人。

 

 話を聞くために残っているというよりは、この電話が終わったら相手より先に勧誘を再開したいという意志をヒシヒシと感じる。

 その様子を見たベリルは苦笑を浮かべながら、二人と同じく電話が終わるのを待つことにした。

 

 その間も、電話の相手は淡々と説明を続けている。

 

「スター団には5つの組がありアジトもそれぞれ分かれている。ハルトにはそこへ向かい、組のボス5名を倒してほしいのだ」

 

 要は、あのスター団がわんさかいる複数の本拠地に単身乗り込み、そこのボスを倒して組織を潰してこい……ということだ。

 えらく物騒な話だなと思うと同時、それに巻き込まれるハルトの身に危険が生じる可能性があるのではと脳裏をよぎる。

 

 その組織が人々やポケモン……その全てに危害を加える思想を持っていないとは断言できない。

 

 もし、可能性が少しでもあるのならば、取り返しがつかなくなる前に対処しなければならないだろう……。

 

 思慮するベリルのその眼から、ほんの一瞬ではあるが、光が消失したことをこの場の誰も気付くことは無かった。

 

 そして、ネモとペパーに流れる空気も少し緊迫感が漂い、その表情が硬くなったのを感じた。

 

「したっぱ軍団が邪魔してくるだろうが、わたしも遠くからサポートさせてもらう。ボスたちは組の名前となっているポケモンタイプの使い手だが……あなたならきっと大丈夫だろう。というわけで、勝手ながらアジトの場所を登録しておく」

 

 スマホがピピピと音を鳴らし、どうやら本当に遠隔操作か何かで位置を登録したらしい。

 

「ボスを倒すたびにたんまりと報酬を差し上げよう」

 

 ……報酬だとか言いたいことだけ言ってきて、ハルトの安全のことは何も考えていないのか?

 

 ベリルは拳を握り、我慢の限界に達したその時、ネモが先に口を開いた。

 

「いや、いきなり誰なの!?スター団って不良で危ないし!ハルトには関係ないよ!」

 

「そうだそうだ!コイツはオレと一緒にすげえ食材を探すんだよ!」

 

 ……ペパー、君はもう少しだけ本音と建前を覚えた方がいいよ……。ちょっとはハルトを心配してあげて……。

 あまりにも自分の願望モロ出しすぎるペパーに、ベリルは苦笑を浮かべそうになる。

 

 ただ裏を返せば、それだけハルトを評価してるとも取れないことはないが……。

 ペパーの真っ直ぐな瞳を見ていると、よく分からなくなる。

 

「決めるのはハルト自身……だったかな?ネモ、ペパー」

 

「なんで名前……!」

 

 ベリルの名前だけ呼ばれなかったことはさておき、ベリルはかなり警戒感を強めていた。

 

 というのも、カシオペアが連絡してきてから、そのフレーズは一度も使っていなかったはずだ。

 

 ……一体どうやって、そしてどこまで話を聞かれていたのだろうか。

 

 加えて、この流れで名前を出すことで、相手にどれほどこちらの情報を握られているのか分からないという脅迫にも似た行動により、強い警戒の感情を抱かせる。

 

 皆、息を飲んで電話の相手の出方を伺う。

 すると、相手もここが引き際だと察したのだろう。

 

「ハルト……あなたの活躍を楽しみにしているよ」

 

 それだけ言い残すと、一方的に通信を切られてしまった。

 

「なんだったんだよ……」

 

「ハルト……友達多いのはいいけど、危ないことに深入りしすぎないでね」

 

「う、うん……」

 

 さっきより雰囲気が重たくなってしまい、皆俯き気味になってしまったが、ネモがパンと一回手を叩いて笑いかける。

 

「さあて気をとりなおして!冒険の始まりをしよーっ!わたしは出会ったポケモントレーナーと、かたっぱしから勝負していく!」

 

「最強を追い求めてれば、その経験が自分だけの宝になるはず!とりあえず、もう一度ジム行って新しいポケモン鍛えよっかな!ジムの建物写真、送っとくね!」

 

 そう言うと、ネモがベリルとハルトのスマホにジムの外観写真を送ってくれた。

 

「いろいろ口出しちゃったけど、決めるのは自分だから!行きたいところに行って、やりたいことをやっちゃえ!」

 

「自分だけの宝……ねぇ。オレの場合はマ……秘伝スパイスに決まってる!スパイス見つけたら、うーんとうまいサンドウィッチ!作って食わせてやるからな!」

 

 そう言ってサムズアップするペパー。

 次の瞬間、ハルトの手持ちからモトトカゲに少し似た雰囲気を持つポケモンが飛び出してきた。

 

「げっ、なんで出てくんだよ!」

 

「あはは!サンドウィッチって言葉に反応したのかな!?」

 

「オマエにはやらねー……」

 

 しかめっ面をするペパーに、ネモは鈴を転がすような笑い声をあげる。

 そのポケモンはハルトの身長に合わせて屈み、体をスリスリと近付ける。

 

「はやく行きたいみたい?ハルトに乗れって言ってる?」

 

「ミライドン……よし!それじゃお願いしようかな」

 

 ハルトがミライドンと呼ばれたポケモンに跨ると、その身体が変形しまるで本当の自転車やバイクのような姿になった。

 

「おー!変形した!やっぱりモトトカゲっぽい……!ミライドンと一緒ならどこにだって行けそうだね!」

 

「フン……どうだかな」

 

「おぉ!ミライドンって言うんだ!見た目も変形するのもカッコイイね!」

 

 目をキラキラと輝かせるベリルに、ハルトは首を傾げながら訊いてくる。

 

「ベリルはライドポケモン、持ってないの?」

 

「僕にはこれがあるからね!」

 

 そう言ってカバンの中から、明らかにサイズオーバーな折りたたみ自転車がズオオッと取り出された。

 

 絶句する三人。

 

「そ、それは……?」

 

「これ?昔から使ってる自転車なんだ!靴もランニングシューズだし!一応、冒険の準備は万端だよ!やっぱり冒険に出るのなら、これらは必需品だよね〜!」

 

「……やる気まんまんちゃんなのはいいんだが……カバンと自転車の大きさが合ってないんだけど……どこに入ってたんだ?もしかして、四次元ポケ――」

 

「まあまあ!細かいことは気にしないで!」

 

 細かかったか……?というペパーの困惑した呟きは華麗にスルーするベリル。

 

「ま、まあいいか!ヌシポケモン探すなら東門から出るといいぜ!ベリルも一緒に来いよ!」

 

「ハルトとベリルはジムに行くから西門から出発がオススメだよ!東門は迷いやすいし!」

 

「フンッ!先行ってっぞ!さっさと追いついてこいよな!」

 

「わたしもジム行こっ!またね!ハルト!ベリル!」

 

 怒涛の勢いで話をして、嵐のように去っていった二人。

 

 目をぱちくりとさせたハルトとベリルは、しばし互いの顔を見合っていたが、二人同時にぷっと吹き出すとそのまま声を上げて笑い出した。

 

 

 ――冒険の始まる日がやってきた!




 ここまで読んでいただきありがとうございます!遅くなってしまいましたが、近いうちにタイトルにもあります伝説ポケモンを出していきたいと思っています。引き続き応援よろしくお願いします!


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7

 

 ベリルは一人、山々に囲まれた道を黙々と歩く。

 その向かう先には、スター団のあく組が拠点を構えているという。

 

 どれほどの規模なのか、どれほどの設備があるのか、そして一体何を目的としているのか等、詳細な情報については未だ不確かな部分が多い。

 ただの不良の集まりだという話から、極端なものでは危険思想の集団またはその下部組織……なんて話まで聞こえてきた。

 

 ……実際、ベリルが過去に対峙した組織の中には、地元の不良グループを利用して裏の仕事をさせていた、というものもあった。

 一方、自分たちの組織はポケモン保護の慈善団体を騙り、世間からは正義の象徴として敬われていた。

 そして、驚くことになんと自称慈善団体の下っ端の多くは、その闇の部分を全く把握していなかったのだ。

 彼らは自分たちの行いを正義と信じて疑わなかった。

 

 ……当然だろう。

 実際、彼らは表の……弱い者を救うという素晴らしい仕事を、一生懸命頑張っていたのだから。

 

 下っ端が上の真の目的を知らされず動いていることなど、ざらにあった。

 

 言ってしまえば、彼らも被害者だ。

 そんな彼らに話を聞いても、事態の把握・解決には至らない。であれば、どうするか。

 

 最も確実な方法は直接、上の奴に話を聞くことだ。

 

 今回、ベリルがスター団に向かっているのは、それが理由だった。

 

 しかし、万が一のことも考え、完全に素顔を晒すことは躊躇してしまう。

 そこでベリルは、パルデア地方に来るまでの長い冒険で身に着けていた白い帽子を、カバンから取り出して深く被った。

 ……その帽子を選んだのは、きっとこれまで一緒に苦難を乗り越えてきた故のゲン担ぎという意味合いもあったのだろう。

 

 そうして歩いていくと、やがてスター団の拠点と思わしきバリケードが見えてきた。

 

 入口の前にいた見張りの二人が、ベリルに気が付いたらしく近寄ってきた。二人は男女のスター団のようだ。

 女子生徒の方がまるでチンピラのような威圧的な態度で、肩を揺らしながら歩いてくる。

 片や男子生徒は、何故こんな組織に所属しているのか分からないほど優しげな雰囲気を漂わせていた。

  

「はいはい!ストップ!」

 

 肩を揺らしながら近づいてきたスター団の女子生徒が、手を大きく広げ道を塞いできた。

 

「この先ボクたちスター団あく組……通称チーム・セギンのアジトです」

 

 男子生徒は穏やかな口調で話す。

 

「そそ、不法侵入とかさ勘弁してほしいわけ!」

 

 一方、女子生徒はズボンのポケットに手を突っ込みながら、ベリルにガンを飛ばしてくる。

 そんな様子に冷ややかな視線を向けるベリル……そして、何故か男子生徒まで同じような目で彼女を見ていた。

 同じ組織の仲間なのではないのか?と一瞬違和感を感じたが、あえて何も触れないことにした。

 男子生徒は視線をベリルに戻すと、困ったように頬を軽く掻く。

 

「……ごめんね、帰ってくれないなら追い返さないといけないんだよ」

 

「いや、僕は君たちのボスにちょっと聞きたいことがあって……。少しだけでも会わせてもらうことって出来ないかな?」

 

 その時、女子生徒がベリルの顔を覗き込むような仕草を見せた。ベリルは帽子を深く被り直し、あまり顔を見られないようにする。

 

「あれーもしかしてだけどアンタ、ハルト?スター団にケンカ売って指名手配中なヤツだったり?」

 

 動揺が顔に出そうになる。

 喧嘩を売った?指名手配中?……ハルトはこんな奴らに、本当に目を付けられてしまっているのか。

 もし、本当にとんでもない組織だったら……。

 ベリルの背筋に冷たいものが走った。

 

 とりあえず、ここはハルトではないことを伝える必要がある。

 だが、ベリルの名前を出すと後々動きづらくなってくる可能性がある。

 一瞬だけ考え、ここは本名を出さないことにした。

 

「僕は……ルベウス。ハルトなんて人は知らないよ。それに、僕はスター団を攻撃しようなんて思ってない。話を聞かせてほしい、それだけなんだ」

 

「……ただ、今この子が言ったように、スター団全体に宣戦布告を受けてて、みんなかなりピリピリしてるんだ。……お願いだから帰ってくれないかな?」

 

「そっ!センパイの言う通り!アンタが何者でも帰んな!さもなくばアタシに負けていきなよ!」

 

 ……だが、もう引き下がれない。

 やるしかないのか。

 だけど、本当はやりたくない。

 

 だけどきっと、ここで動かなかったことで万が一の事態が起きた時、僕はまた、後悔することになる。

 

「……………………」

 

 俯き沈黙するベリルの様子を見た女子生徒は、それを怯えていると受け取り、さらにまくし立てる。

 

「ま、私たちを倒しても仲間はまだいるからね!仲間全員を倒せれば、ボスに会わせてやってもいいけどね!」

 

 しかし、ベリルは俯いたまま動かない。

 やがて、小さな声で呟き始める。

 

「……実は僕、平常心を装ってるけど結構余裕がないんだ。君たちとは本当に戦いたくない。……ただ、邪魔をするというのなら――」

 

 そう言うと、カバンからモンスターボールをひとつ、そっと取り出す。

 その手は細かく震えており、震える唇をぐっと強く噛んでいる。

 そして、気持ちを落ち着けるためだろう、一度、息を小さく吐き出した。

 

「――ごめんね」

 

 謝罪の言葉をポツリと口にした後、彼の目から確かに光が消えた。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 ――ハルトはスター団のあく組へと向かっていた。

 その隣には、特徴的なリーゼントヘアーのネルケもいる。

 

 彼はカシオペアという人物と連絡を取っていた時、ぜひ自分も参加させて欲しいと突然名乗り出てきた。

 カシオペアは抵抗があったようだが、人数は一人でも多い方がいいと、急遽協力することになったのだ。

 

「もうすぐだな」

 

 歩きながらネルケは言った。

 

「え、えぇそうですね……あれ?あそこがスター団の拠点……ですよね?」

 

「ああ、そうだろうな……ッ!」

 

 ハルトの指差すその先を見て、目を見開き息を呑んだ。

 

「様子が……おかしい」

 

 ハルトの呟きがやけに響いた気がした。

 

 二人の視線の先にある、人の気配を感じない拠点からは、いくつもの煙が立ち昇っていた。

 

 



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8

 

 

「一体……何が起きているんだ……!」

 

 ネルケがスター団のアジトに視線を向けながら、困惑した様子で呟いた。

 

「……あっ、ネルケさん!あそこに人が!」

 

 ハルトは入口の前に立っている、スター団の下っ端と思われる二人を指差した。

 ハルトとネルケは急いで彼らの近くへと駆け寄る。

 

「あんたら大丈夫か!?」

 

 ネルケはその二人に話しかけるが、下っ端の女子はモンスターボールを構えた姿勢、もう一人の男子は直立不動のまま返事はない。

 見たところ、目立った怪我や傷はないようだ。

 しかし……。

 

「か、体が……動かせない……!」

 

「わ、私も……」

 

 苦しげに顔を歪めながら、スター団の男子生徒と女子生徒が振り絞るように声を出した。

 ただ事ではないと確信したハルト。

 

「何があったの!?」

 

 ハルトの問いかけに、男子生徒は途切れ途切れながらも答える。

 

「突然……知らない奴がアジトに乗り込んできて……そいつのポケモンが……俺たちにサイコキネシスを……!」

 

 それを聞いたハルトとネルケは絶句する。

 ポケモンの技を生身の人間に使用するなど、あまりにも危険な行為であり普通では考えられない。

 今回のスター団を襲撃した人物が、いかに凶暴かつ邪悪であるか……考えれば考えるほど悪い想像が頭をよぎる。

 

「生身の人間にポケモンの技をかけるなんて……!そいつとそのポケモンはどこに!?」

 

「アジトのバリケード……壊して、中に……!」

 

 その言葉を受けて、ようやく彼らの背後にあるバリケードで封鎖されたアジトの入口に意識を向けた。

 そして、再び言葉を失った。

 

 その入口はもはや原型を留めていなかったのだ。

 本来であれば、そのバリケードは多少の攻撃には耐えることができる強度はあったのかもしれない。

 だが、紙のように引きちぎられたバリケードは、まるで歩く動線を確保するかのように、雑に左右に押し分けられていた。

 

 原型を留めていないほど破壊された状態を見て、ハルトは思わず後退りする。

 

 これまでの道中、様々な野生のポケモンや人々と出会い、たくさんのポケモンバトルを行ってきた。

 とはいえ、まだ全てのポケモンを見たわけではない上、経験だってまだまだ不足している。

 

 ――しかし、そんなハルトでも、普通のポケモンの力では、絶対にこんな事はできないということは分かる。

 

「恐らく、そのポケモンを倒さない限り、彼らにかけられたサイコキネシスを解くことは出来ないだろうな」

 

 ネルケが冷静に、落ち着いた口調でそう語る。

 それにはハルトも同じ意見だ。技を行使している元凶を叩き、倒さなければ彼らにかけられた拘束を解くことは出来ないはずだ。

 

 と、そんな時だった。

 

 ロトロトロトロト……

 

 スマホから着信音が鳴る。

 不気味なほどに静まり返ったこの場所では、いつもよりその音がやけに響いて聞こえた。

 ハルトはその電話に出る。

 相手はカシオペアからだった。

 

「ハルト、ネルケ。状況が変わった。どうやら私たち以外にも、スター団を狙う者が現れたようだ」

 

 一体どうやってその情報を掴んだのか、あるいはこの場所が見えるところにでもいるのかは分からないが、既に現在の状況を把握しているようだ。

 

「……そこで、先程の依頼と矛盾してしまうが、ひとつお願いがある」

 

 そう言ったカシオペアは数秒ほど沈黙した後、静かに話し始める。

 

「――頼む、もし誰かが傷つけられそうな状況であれば助けてあげてほしい……。私はこんな形で、スター団の解散は望んではいない」

 

 通話状況の電波の影響かもしれないが、その声が少し震えて聞こえた。

 

 カシオペアの抱えている事情は分からない。

 今の頼みも、きっと様々な事を考えた上で出したものなのだろう。

 

 ……正直、このカシオペアという人物は信用に足るのか判断できるほどの材料がない。そもそも、不良組織を倒して欲しいと頼んでくる時点で怪しい部分はある。 

 だが、困っている人を助けることに理由などいらない。

 

 ハルトは胸をドン!と叩き、大きく頷いた。

 

「もちろん!言われなくてもそうするよ!」

 

 それを見たネルケもニコリと笑い、同じく頷く。

 

「ああ、俺も同じだぜ」

 

「……感謝する」

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「これは……」

 

 スター団あく組のアジトの惨状を目の当たりにしたネルケが呆然とした様子で呟く。

 

 アジト内部にあるテントや自動販売機等の様々なものが、見るも無惨なほどに破壊されていた。

 加えて、あちこちにクレーターのように、地面や岩壁がえぐられている。かなり激しい戦闘でも行ったのだろうか。

 

 そして、先ほどの二人と同じように、ほとんどの団員が、モンスターボールを握った状態で固まっていた。

 恐らく、彼らもポケモンを繰り出そうとした瞬間に、サイコキネシスをかけられたのだろう。

 しかも、驚くことにその人数は十人では利かない。

 正確な数は分からないが、恐らく三十人以上はいるだろう。

 

 だが、不幸中の幸いとも言うべきか、誰一人として怪我はしていないようだ。

 

「これだけの人を同時に……!?」

 

 何か、人智を超越した強大な力を持つ何かが、間違いなくここにいる。

 

 そして、アジト内で最も大きな建物がある方向から、これまで生きてきて感じたことがないほどの凄まじいプレッシャーを感じる。

 

 あの場所に、いる。

 

 そう確信した。

 しかし、その計り知れないプレッシャーは、ハルトの思考と肉体の連携を妨げる。

 

 ……早く元凶を止めなければ、被害はさらに増える一方だとは分かっている。一刻も早く止めなければならない。

 だが、体が言うことを聞かないのだ。

 足を前へ踏み出そうとすると、震えて上手く進めない。呼吸はドンドン浅く、短くなっていく。

 

 これほどの力を持つ化け物に、果たして自分は勝てるのか?……そもそも、勝負になるかも分からない。もしかしたら、自分も危険な目に遭うかもしれない……。

 

 考えないようにしていた悪い想像が、次々と浮かび上がり頭の中を埋め尽くしていく。

 

 そうして押し潰されそうになったその時、ハルトは自分の両頬を思い切り叩き、痛みと気合いでプレッシャーを跳ね除ける。

 

「今、ボクがやらなきゃ誰がやるんだ……!」

 

 ハルトはビリビリと肌を刺すほどのプレッシャーが放たれている方向へ、一歩一歩踏み締めながら進んでいく――。

 

 

 

 建物に辿り着くと、やや離れたところでまさにスター団あく組のボスと今回の襲撃を行ったと思われる人物が睨み合い、一触即発の状態だった。

 

 あく組のボスは見上げるほど巨大な乗り物の一番上に立ち、今回の襲撃者を見下ろしている。

 

 一方の襲撃者は、その後ろ姿しか見えなかったが、ハルトと年齢もそれほど変わらない少年のようだ。

 さらに驚くことに、その襲撃者である少年はアカデミーの制服を身に着けていた。

 

 そして、その次に特徴的な襲撃者の『白い髪』がハルトの目に留まる。

 アカデミーの中で過ごしていた間、白い髪の生徒は一度も見た事がなかった。ただ、ハルトはこの前転入してきたということもあり、全校生徒と面識があるわけではない。

 とすれば、ハルトとまだ出会ったことのない人物である可能性が非常に高いと、そう結論付けられるのも仕方の無いことであった。

 

 だが、注目すべきはそれだけではない。

 襲撃者の隣には、これまで見た事のないポケモンが佇んでいた。

 

 そのポケモンは二足歩行で、遠目から見れば人間に近いシルエットをしているが、紫色の長い尻尾と細長い四肢、そして純白の体色という、人間とは明らかに……そして、これまで出会ったポケモンのどれとも特徴が一致しない。

 

 その一人と一匹が並んでそこに立っているだけで、言葉で表すことのできない威圧感を感じる。

 

 ――と、ここで襲撃者が少し離れた後ろにいるハルトの存在に気が付いたようで、肩越しではあったが横目でチラリと振り返った。

 その瞬間、二人の視線がぶつかる。

 

「…………ッ!!」

 

 ハルトはその人物の眼を見た瞬間、全身が硬直したように動かなくなり、呼吸すらまともに行えなくなった。

 決して、サイコキネシスをかけられたわけではない。

 ただ、襲撃者の持つ凄まじいまでの迫力に気圧されたのだ。

 

 襲撃者のその瞳には一片の慈愛など含まれていない、本来あるべき光を完全に失っていた。

 

 その眼の奥にあるのは、目の前の敵を討ち滅ぼさんとする敵意や殺意といった強い、強い負の感情であった。

 

 それほど強く、そして邪悪な感情の込められた視線を向けられるのはハルトにとって初めてのことだ。

 

 ……人間というのは、ここまで冷酷な眼をすることが出来るのかと、上手く酸素が回らない頭でふと思う。

 人間は精神が極限状態を迎えると、自己防衛のために思考から原因を遮断したり、逃避したりするという。

 今、ハルトの脳内でもこれに近い状態が起こっていた。

 

 手足は細かく震え、呼吸すら上手くできず、視界の端から徐々に暗転し始める。

 

 ハルトにとっては数分、それ以上の時間に感じられたが、実際目が合ってからほんの数秒程度の出来事だ。

 

 一方の襲撃者は慌てた様子で正面に向き直ると、瞬きほどの一瞬のうちに隣にいたポケモンと同時に姿を消した。

 どうやら、テレポートを使用して撤退したようだ。

 

 突如として襲撃者の姿が消えた状況が一瞬飲み込めなかったが、危機的状況を脱したのだと理解した。

 そうして、ハルト含めこの場にいた全員が緊張から解き放たれ一気に脱力し、その場にへたりこんだ。

 



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9

 

 襲撃者は一瞬で皆の前から姿を消した。

 安堵の表情を浮かべる皆とは対称的に、ネルケは困惑の表情を濃くする。

 

「あれは……まさか『ミュウツー』……?」

 

 聞いたことのないポケモンの名前が、ネルケの口からポツリとこぼれる。

 

「知ってるんですか?」

 

 ハルトの問いかけに、ネルケはゆっくりと頷いた。

 

「『ミュウツー』とは、研究者の間でいわゆる都市伝説のような噂話として語られています。どこかの組織が幻と呼ばれるポケモン『ミュウ』の遺伝子から人工的に作り出されたポケモンだと……。しかし、ミュウツーはあまりの凶暴性に生み出された研究所を破壊し、逃げ出したとか……」

 

 ここまで話したところで、ネルケは自分の話した内容は有り得ないと自分自身を否定するように、ふるふると首を横に振った。

 

「ですが、本当に生み出されたという実在した証拠もなく、そもそもミュウ自体が本当にいるのかも分かっていない以上、噂話や都市伝説の域を出ません。私もそんな眉唾な話は信じていませんでした……今、あのポケモンを見るまでは」

 

 ネルケが息を飲むのが分かった。

 

「……あまりにも似ているのです。かつて目撃された情報を基に作成された姿に」

 

「ですが、ある時からパッタリと目撃情報はなくなり、結局は何か別のポケモンと見間違えたのではと結論付けられましたが……捕獲されていたのであれば色々と合点が行きます。しかし、それほど凶暴なポケモンを仲間にすることなど、本当に可能なのでしょうか……」

 

 ここまで話したところで、ネルケは何かを思い出したかのようにハッと顔を上げる。

 

「……コホン、それじゃあその辺については俺の方でもう少し詳しく調べてみるとしよう」

 

 何かを誤魔化すように咳払いをし、頭のリーゼントを整えるネルケを見て、ハルトは「校長先生……今更キャラ戻しても、もう遅いです」と喉元まで出かかったが、さすがにそれは言えなかった。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 ベリルは少し離れた平原の丘に、ミュウツーのテレポートで移動していた。

 

「ふぅ……ありがとう、ミュウツー。それでさ、早速お願いなんだけど……」

 

(……まだ何かあるのか)

 

 ジロリと睨みながら、テレパシーで直接ベリルの頭の中に語りかけてくるミュウツー。

 そんな様子に苦笑いを浮かべながら、ベリルは話す。

 

「こっそりハルト達のことを見ていてほしいんだ。大丈夫だろうとは思うけど、念の為にね」

 

 ミュウツーはしばらく沈黙した後、はぁと大きなため息を残してテレポートで消えていった。

 

 一人になったベリルはひとつ息を吐くと、被っていた白い帽子をカバンへと仕舞う。

 

 ……まさか、あんなに早くハルトが来るとは思っていなかった。そして、一瞬ではあるが彼と目が合ってしまった時は本当に焦った。

 しかし、帽子を深く被っていたことと肩越しに横目で視線が合っただけなので、幸いにも顔はほとんど見られていないはずだ。

 

 加えて、ハルトの後ろにアカデミーでは見たことのない人物がいたことも思い出す。制服を身に着けていたことから生徒であることは間違いないだろうが……。

 一体、彼は何者なのだろう。

 なんだか、どこかで見たことがある気がするのだが……きっと気のせいに違いない。

 

 そんなことよりも、とベリルは腕を組んで、先程までの状況を整理する。

 

 

 ――まず、ベリルはピーニャと名乗ったあく組のボスから『これ以上、団員を傷つけないでほしい』という条件のもと、話を聞くことができた。

 

 ベリルからすれば、これは想定外の提案だった。

 というのも、ベリルは最初から、団員もポケモンも傷付けるつもりはなかった。

 実際、そのために団員がポケモンを繰り出す前に、サイコキネシスでその動きを止めたのだ。

 

 もし、最初から本当にやる気であれば――。

 

 そこまで考えたところで、ベリルは静かに首を振る。

 思考が少し暴力的になってしまっているようだ。

 胸の内に溜まるドロドロとした悪感情を、深く呼吸することで奥底へと抑え込む。

 

 結果としては、ほとんど脅迫のようになってしまったが、誰も傷付けずに効率良く話を聞くのならこの方法しか無かった。

 

 そして、ピーニャは物怖じすることもなく、隠すことは何もないといった様子で、色々なことを教えてくれた。

 

 スター団のトップは『マジボス』と呼ばれる人物で、その人物が組織を結成したこと。

 

 ピーニャは元々、アカデミーの生徒会長を務めていたというが、彼が掲げた規律が厳格すぎるが故に会長の職を追われ、アカデミーでの居場所を失った。

 そんなところをマジボスからスター団への勧誘を受けて、加入したのだという。

 

 しかし、そのマジボスはおよそ一年半前くらいから現在に至るまで消息を絶っており、団員の誰もその行方を知らないという。

 

 マジボスというスター団全体のトップが長らく不在でありながら、未だ組織が存続している理由を訊いた。

 

 曰く、彼らはマジボスが帰ってくる時を待っているのだという。

 

 続けていればまた戻ってきてくれるかも……と、ピーニャは寂しげに呟いていた。

 しかし、マジボスは消息を絶つ直前に組織を解散させたがっていたという。

 

 ここまで話を聞いたベリルは、ピーニャの話に嘘はないと結論付けた。

 

 実は彼の話を聞きながら、ミュウツーにピーニャの思考を読んでもらい、真偽を確認していたのだ。

 

 もちろん、ピーニャと話をしていて、彼の理知的で誠実な人柄が伝わってきた部分、彼が初めに見せた仲間を気にかける様子も理由のひとつとしてある。

 

 だが、彼一人の話だけを鵜呑みにして、組織全体が無害であると判断するのは時期尚早だ。

 あくまでも、彼の話に嘘はないということが分かっただけで、スター団という組織全体を信用することはまだ出来ない。

 

 とはいえ、ここで知り得た情報は非常に大きかった。今回手に入れた情報から、様々な可能性を検討することができる。

 

 

 その様々な可能性が思い浮かぶ中、ベリルは思考を巡らせる。

 

 ――実はピーニャとの話には続きがあった。

 

 それは『ボスは売られたケンカは必ず買わなければならない。そして、買ったケンカで負ければボスを引退しなければならない』

 ……そう定められたスター団の掟があるのだという。

 カシオペアはこの掟のことを、十中八九把握していたと思われる。なぜなら、その掟を前提とした作戦だからだ。

 最初、スター団のボスを倒すことに何の意味があるのか分からなかった。だが、その掟の存在を知り、カシオペアの狙いがようやく分かった。

 ボスが引退すれば組織はまとまりを失い、残された団員達は烏合の衆となり、やがては自然消滅するだろう。

 

 なぜ、カシオペアがその掟を知っているのかも疑問のひとつだが。

 

 組織を解散させたがっていたマジボス、そしてスター団の掟を利用し組織を潰そうと企てているカシオペア……。

 

 どうしても、その二人を切り離して考えることが出来ない。

 

 マジボスは、なぜ姿を隠したのか。

 

 カシオペアはスター団が存在すると何か不都合があるのか……あるいは恨みを抱いているのか?

 

 そして、気になる点はもうひとつ。

 以前、ハルトに対してカシオペアは報酬を大量に与えると言った。

 ……それほどの豊富な資金は、一体どこから出てきているのだろうか。

 

 ここで、ベリルはあるひとつの最悪の可能性が浮かび上がる。

 

 それは、パルデア地方に拠点を置こうとしているスター団とは別の組織が動いているのではないか、というものだ。

 

 それを前提に考えれば、様々な疑問点が繋がっていき、辻褄が合う。

 

 とすれば、敵対勢力になるスター団の弱体化を図り、その後現在のスター団アジトをそのままパルデア地方の活動拠点とするつもりか。

 

 だが、あれだけ設備を破壊すれば、万が一スター団が本当に悪の組織だったとしても、あるいは別組織が乗っ取ったとしても、あの拠点から何か作戦等の行動を取ることは難しくなったはずだ。

 

 ……実際、ベリルが過去に対峙した悪の組織の中には、目的達成の為ならば手段を選ばない者達がいた。

 

 まさか、あの組織がまた――。

 

 ……考えれば考えるほど、どんどんと悪い方向へと向かってしまう。

 だが、分からないことをいくら考えても想像の域は出ない。

 これ以上思考を巡らせても、時間ばかりが無駄に過ぎ去るだけだ。

 

 ベリルは無意識に握りしめていた拳の力を解き、この場にはいないミュウツーへと話しかける。

 

「ミュウツー、そっちはどう?僕が移動した後で何か変化はあった?」

 

(……特にない)

 

 つっけんどんな受け答えが、頭の中に流れ込んでくる。

 

「……そっか」

 

 ミュウツーの態度は素っ気ないが、任せておけばどんな事態も対応してくれるという信頼があった。

 

 ――ここでカシオペアを逃すわけにはいかない。

 

 この人物が鍵になるのは間違いない。

 

 もし自分が下手に動くことで、これ以上警戒させてしまえば姿を消されてしまい、手掛かりを完全に失ってしまう。

 自分が表立って動くのは得策ではないだろう。

 そのためには、スター団の各ボスを倒すのはハルトに動いてもらわなければならない。

 

 だがそれは、ハルトの身を危険に晒してしまう可能性がある。

 先ほどはミュウツーの力も借りた上で危険性が低いと判断し撤退したが、まだスター団を信用したわけではない。

 

 唇を強く噛んでしばらく考え込んでいたが、ベリルは覚悟を決めた表情の顔を上げた。

 

「ミュウツー……君には、これからハルトを守ってあげてほしいんだ。もしも、その命に危険が迫った時は、どんな手段を使っても守ってあげてくれ」

 

(……お前はどうするつもりだ)

 

「僕はただのモブトレーナー。君たちの力を借りなきゃ何も出来ない一般人だよ。なるべく、もう表立って動くことはしないつもり」

 

(そうか……分かった。また連絡する)

 

 ミュウツーはそう言い残し、ベリルとのテレパシーの繋がりを切った。

 

 ベリルは遠くの平原を見つめながら考える。

 

 これからは表立って動くことはできないが、ハルトにばかり責任を押し付け、何もしないわけにはいかない。

 今後は陰ながら動いていくつもりだ。

 とはいえ、すぐにスター団の別拠点に向かうのは得策ではないだろう。

 

 まずは、ここからすぐ近くにあるカラフシティへと向かうことにしよう。

 ベリルはスマホを見て、目的地の場所を確認する。

 

 この距離であれば自転車を使うまでもない。

 ランニングシューズの紐を結び直し、カラフシティへと走り出した。

 

 



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10

 

 カラフシティへと辿り着いたベリルは、街の中を物思いにふけながらゆっくりとした足取りで歩く。今、歩いている通りには他の人影は見えない。

 

 この街は人々の居住地域や店舗が川から引いた水路を挟んで、ロースト砂漠に隣接しているという、他の街とは一風変わった雰囲気を持つ。

 

 街の中を流れる水は非常に澄んでおり、そのせせらぐ音と美しい景色に癒されるとパルデア地方でも有数の観光名所である。

 ただ、砂漠が隣接している関係から、砂嵐が発生するとカラフシティにもその被害が及んでしまう点がやや評価を下げてしまっている部分はある。

 だが、『砂漠の中にある水の街』という他の都市や地方には無い特徴が評価されているのもまた事実だった。

 

 ――しかし、今のベリルはそんな街の風景を眺める余裕はなかった。

 今、彼の頭の中はスター団のことで埋め尽くされていた。

 

 ……最後に考えた『他の地方の組織が絡んでいる』という可能性はあくまでも、今把握している点と点を繋ぎ合わせて想像できうる想定の中で最悪の場合だ。

 本当にその通りになる可能性は低いのかもしれない。ベリルとしても想定こそすれ、本当にそのようなことが起こっては欲しくない。だが……。

 

 その瞬間、ベリルの脳裏に過去の体験がフラッシュバックする。

 次々と脳裏に浮かぶ目を背けたくなる過去の光景に、思わずぎゅっと目を瞑るがどうしても瞼の裏から消えてくれない。

 呼吸は次第に荒くなり、冷や汗が全身から吹き出し、身体も震え始める。

 もはや過呼吸寸前のベリルであったが、突如後ろから飛び込んできた呼びかけによって、そのフラッシュバックは遮られた。

 

「ベリルー!」

 

「……ハルト」

 

 その顔に笑顔を浮かべながら手を振って駆け寄ってくるハルトに、悟られまいと微笑みながら小さく手を振り返すベリル。

 しかし、ハルトは敏感にも普段との違和感を感じ取った。

 

「……どうしたの?すごく顔色悪いけど大丈夫?元気もないみたいだし……何かあったの?」

 

 非常に心配そうな表情を浮かべ、ベリルの様子を伺うハルト。それに対し、ベリルは心配をかけないようにするため適当な嘘をつく。

 

「う、うん……実はランニングシューズを履いて走ったら楽しくなっちゃって……それでちょっと走りすぎちゃったみたい……少し休めば大丈夫だよ、心配させちゃってごめんね」

 

「いやいや!全然気にしなくていいよ!……それじゃあ、とりあえずそこのベンチで休もうか」

 

 ハルトが指差した先にあるベンチにしばらくの間腰掛けて、乱れた呼吸を落ち着かせる。

 

「ふぅ……だいぶ落ち着いたよ」

 

「それはよかった!はいこれ、おいしいみず。水分もしっかり摂らないとね」

 

 ハルトはカバンの中をゴソゴソと探り、中から一本のボトルを取り出した。

 

「あ、ありがとう……」

 

 ベリルはハルトからおいしいみずのボトルを受け取り、喉を鳴らしながら飲む。

 購入したばかりなのか、水は程よく冷えており喉を通り抜ける清涼感と共に気持ちも落ち着いてくる。

 ハルトはその横顔を見ながら、ベリルに尋ねる。

 

「……それでさ、飲みながら聞いてほしいんだけど。ベリルは『ルベウス』っていう名前の人を知ってる?ボクらと同じアカデミーの生徒らしいんだけど」

 

 思ってもみない質問に動揺し、思わず飲んでいたおいしいみずが気管に入りそうになり、ベリルは盛大にむせってしまった。

 

 大丈夫?とハルトに背中をさすられながら、ベリルは苦しげに答える。

 

「……僕は、ちょっと知らないな」

 

「そっか……。その子は『白い髪』が特徴だから、もしも宝探しの途中で白い髪の子や『ルベウス』って名前の子を見つけたらボクに教えてくれると嬉しいな!」

 

 白い髪と言われて、ベリルは一瞬困惑した。

 というのも、ベリルの髪色は黒であり、例え遠くから見たとしても白髪に間違えるとは考えにくい。

 だが、あの時の自分の格好を思い出したベリルは、ハルトの間違いの原因にすぐにピンと来た。

 恐らく、ハルトはあの白い帽子を白い髪と間違えているのだ、と。

 

 実際、過去にも帽子を髪と間違われたことがあった。

 かつて幼馴染だった少女と久々に再会した時も、髪を白く脱色しているのか!?と非常に驚かれた記憶がある。

 

 ……本来であれば懐かしさを感じる幸せな記憶だが、その記憶と先ほどのフラッシュバックがどうしても切り離せない。

 ふたつの映像が重なっていく毎に、それに連動して再び呼吸の間隔が短くなってくる。

 

 様子がおかしいベリルに対して、ハルトから心配そうな声がかかる。

 

「……ベリル、本当に大丈夫?無理はしないでね」

 

「う、うん。大丈夫だよ、ありがとう……。ところで、ハルトが探してるそのルベウスって子……何かしたの?」

 

「……実はね」

 

 若干の躊躇いの後、ハルトはスター団あく組で起きたことを語ってくれた。

 ルベウスと名乗った少年が、ポケモンを使ってスター団の団員に攻撃したのだと。

 ひと通りの説明を終えると、ハルトは何かを考えているのか腕を組み、黙り込んでしまった

 

「…………」

 

 ベリルは沈黙するしかなかった。

 

 人に対してポケモンで攻撃するなんて酷い奴だ、もし、怪我人や死者が出てしまったらどうするつもりだ……そう言われても仕方がない。

 褒められるようなことではないのは、ベリルが一番分かっていた。だから、何を言われても受け止める覚悟はできていた。

 

「――けどね、僕も色々考えたんだ」

 

 ハルトが話し始める。

 

「きっとルベウスくんには、そうせざるを得ない事情があったんだよ。だから、僕はあの子に会って話を聞きたいんだ。もし困ってることがあるのなら力になりたいと思ってる」

 

 思わずベリルは目を見開いて、ハルトの顔を見つめる。その横顔はどこか悲しげだった。

 

「……けどね、もしあの子にまた会えて、僕が協力することになったとしても、今のボク達ではほとんど力になれないと思う。……実際に彼とポケモンを目の前にして、圧倒的な実力差が伝わってきたんだ」

 

 そう言いながら、ハルトはモンスターボールを優しく撫でる。

 

「そのために、もっとぬしポケモンと戦ったり、ジムでポケモンと自分を鍛えなくちゃ!」

 

 ハルトは気合いが入った様子で、ベンチから勢いよく立ち上がる。

 ベリルはその姿をベンチに腰掛けたまま力なく見上げる。

 

「……そうだね」

 

「そうだ、実は今ジムに行ったら『マリナードタウンに向かったジムリーダーに財布を届けてほしい』って、おつかい頼まれちゃって……もしよければベリルも一緒に行かない?」

 

 ハルトはきっと心配して誘ってくれたのだろう。

 だが、ベリルはゆっくりと首を横に振った。

 

「……ごめん、ちょっとやる事があって……。また今度、一緒に行こう」

 

「そっか!じゃあまた今度だね!……よし、それじゃあ僕はそろそろマリナードタウンに行こうかな!」

 

 カバンを背負い直し、すぐにでも出発しそうなハルトに、ベリルは気になっていたことを尋ねる。

 

「……ところで、砂漠を抜けるなら『ゴーゴーゴーグル』は持ってる?」

 

「え?」

 

「ほら、ゴーグルだよ。砂漠に入るなら必要じゃない?だって今、すごい砂嵐だよ?」

 

 砂漠の方向を指差すと、その先では砂が激しく舞い上がり前方もよく見えないような状況だった。

 しかし、ハルトはなんともないという表情でベリルに笑いかける。

 

「ああ、このくらいなら全然大丈夫!心配してくれてありがとう!……逆にこういう天気の方が、珍しくて強いポケモンがいるかも!……こうしちゃいられない!」

 

「ちょっと待って、ボクのゴーグル貸すから――」

 

 ベリルがカバンからゴーグルを取り出した時には、もう既に砂嵐の中をライドポケモンに跨り、ズンガズンガと突き進んでいた。

 

 そんなアカデミーの某会長を彷彿とさせる猪突猛進なハルトに、思わず絶句するベリル。

 その後ろ姿は砂嵐によって、あっという間に見えなくなってしまった。

 

 ハルトを見送ったベリルは苦笑を浮かべながらポツリと呟いた。

 

「……たくましすぎない?」

 

 



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11

 

 ハルトは今、マリナードタウンにいるジムリーダーの忘れ物を届け終わり、ジム戦のためカラフシティに戻っている途中である。

 

「ハイダイさんに財布、渡せてよかったな〜!何とか競りにも間に合ったし!」

 

 先ほど通った道を今度は戻りながら、ゆっくりと歩いていく。

 さっきは急いでいたため、あまり周囲の探索やこの辺りに生息しているポケモンの観察などができなかった。

 その分、行きで出来なかったことをじっくりやっていこうと気合いを入れた。

 

 そうして、ロースト砂漠に足を踏み入れたハルト。

 先ほどは砂嵐で周囲がよく見えなかったが、今はあれほど吹き荒れていた砂嵐も止み、眼前には草木ひとつも生えていない砂の海がどこまでも続いていた。

 

 しばらく探索を続けていると、鞄の中から突然聞き覚えのある音が聞こえてきた。

 

 ロトロトロトロト……

 

 スマホロトムは着信音を鳴らしながら、鞄から飛び出してくる。

 目の前に出てきたスマホロトムの画面を確認すると、どうやら電話の相手はペパーのようだ。

 ハルトはポチッと応答ボタンを押した。

 

「よう、ハルト!今どこだ?」

 

 開口一番、現在地を聞かれるとは思っていなかったハルトは少し慌てながら答える。

 

「い、今?今はロースト砂漠にいるよ!」

 

「おっ、そうなのか!俺もロースト砂漠にいるんだ。電話したのも、今から砂漠に来てくれないか?って言うためだったんだが、その手間が省けたぜ!」

 

「何かあったの?」

 

「……実は、この砂漠のどっかに土震のヌシがいるらしい」

 

「土震のヌシ?」

 

「あぁ、オマエも砂漠にいるなら地面が揺れてるのが分かるだろ?」

 

 立ち止まったハルトはじっと周囲の様子を伺う。

 すると、ペパーの言った通り、地面が不規則に細かく揺れているのに気が付いた。

 

「……本当だ。言われてみれば、確かに揺れてるね」

 

「今気がついたのか?……ったく、ハルトは鈍感ちゃんだな!」

 

 ペパーはそう言った後、ふぅと少し疲れたようなため息をついた。

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

「さっきからちょいちょい地面が揺れて気分悪くてよ……悪いけどオレはちょい休んでからヌシ探し再開させてもらうぜ……」

 

「うん、分かった!無理しなくていいからね!」

 

「おう、ありがとな。……それじゃ」

 

 そうして、ペパーの通信は切れたスマホロトムはカバンへと戻っていった。

 

 ジムリーダーに挑戦する前ではあるが、ぬしポケモンという強力な相手と戦うのは、手持ちポケモンを鍛える絶好の機会だ。

 是非とも戦ってみたいが、しかし……。

 ハルトは砂漠を見回した後、唸りながら腕を組む。

 

「とは言ったものの……土震のヌシ、この広い砂漠の中で見つけられるのかな――」

 

 考え込むハルトがふと前へ視線を向けると、見上げるほどの巨大な物体が凄まじいスピードで転がっていくのが見えた。

 その物体が転がる度に地面は細かく揺れており、その揺れは歩きながらでも感じ取ることが出来るほどだ。

 

 思わず絶句しながら、その転がっている物体を目で追うハルト。

 

「……もしかして、あれ?」

 

 ポケモンというにはその身にまとう雰囲気はあまりにも荒々しく、加えてその大きさもこれまで出会ったポケモンと比較しても規格外だ。

 

 呆然としているうちに、あっという間に見えなくなったぬしポケモンと思われる物体。

 ハッと我に返ったハルトは慌ててミライドンの背に乗り、その後を追いかけた――。

 

◆◆◆

 

 

 「――ようやく追いついた……」

 

 転がるぬしポケモンの近くまで辿り着いたハルトは、改めてその巨大な身体から放たれる威圧感に驚かされる。

 ぬしポケモンもハルトの存在に気が付いたらしく、その動きを止めて振り返った。

 

「……このポケモンは……ドンファン?というか……本当にポケモンなの?」

 

 その姿はどことなくドンファンを彷彿とさせるフォルムをしているが、部位ごとに見ていくと別の存在であることが分かる。

 四肢は生物のそれではなく、機械化された形状をしておりその体表は金属光沢を放っている。

 中でもその顔、生命体に付属されていることはまずないであろう液晶画面のようなものが取り付けられ、そこに吊り上がった真っ赤な目が映し出されている。

 おおよそ、ポケモン……そもそも生命体とは呼べないような特徴を持った存在に、困惑の表情を浮かべるハルト。

 しかし、そんな事など関係ないとばかりに、そのぬしポケモンはハルトに対して身構える。

 

「ウィ・ルドン・ファー!!」

 

 大きな咆哮を轟かせるそのヌシから、他の野生ポケモンからは向けられることのない感情を感じ取った。

 それは、スター団のアジトで出会ったあの少年……ルベウスから感じた敵意や殺意といった感情そのものだった。

 

 これまで出会ってきたポケモンとは明らかに一線を画す存在であることを確信した時、スマホロトムが再び着信を知らせる音を鳴らした。

 

 電話の相手はフトゥー博士であった。

 

「ハロー、ハルト。こちらフトゥーだ。テツノワダチは本来、パルデアの大穴のポケモン。くれぐれも注意して対処してくれ」

 

 フトゥー博士は感情を感じさせない抑揚のない声でそれだけ言うと、通信を終了させた。

 

「テツノワダチ……やっぱりポケモンなんだ……。けど、パルデアの大穴のポケモンって……?」

 

 頭の中にいくつもの疑問符が浮かび上がる。

 しかし、今はのんびり考えている暇はない。

 すぐに頭からそれらの疑問を締め出し、目の前の脅威へ思考を切替える。

 

 テツノワダチはこちらをまっすぐに見据えたまま、剥き出しの殺意を思い切りぶつけてくる。

 

 思わず怯んでしまい後退りしそうになるが、ハルトは首を横に振った。

 

「ここで逃げちゃダメだ……あの子の力になるのなら、こんなところで逃げていられない!」

 

 ハルトの脳裏をよぎったのは、あの時見たルベウスの後ろ姿だ。

 彼を見た時に感じた、押し潰されるほどの邪悪な感情。……だが、その後ろ姿はどこか悲しげに見えてならなかった。

 言葉ではうまく表現することができない……まるで誰かに助けを求めているような、そんな必死なまでの悲哀の感情が、ほんの一瞬垣間見えた気がした。

 あれからしばらく経つが、その時の彼の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。

 それに、自分と同じくらいの少年が、どうしてあれほど憎悪に満ちた眼をしなければいけないのか。

 それほどまでの何かがあったのだと考えるだけで、胸が締め付けられる思いがした。

 

「僕は……僕たちはもっと強くなるッ!」

 

 自分の胸の中心を強く握り締め、決意の込められた強い眼で真っ直ぐにぬしポケモンを見つめる。

 そして、手持ちのモンスターボールからポケモンを繰り出した――。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「――はあっ、はぁ……!ようやく追い詰めた……!」

 

 テツノワダチとバトルをしたハルトは、あと少しというところで逃げられてしまった。

 だがしかし、ミライドンに乗ってすぐに転がって逃げるテツノワダチの後を追いかけ、今ようやく岩壁まで追い込むことに成功した。

 

 しかし、少し違和感を感じていた。

 というのも、この場所に追い込んだというより、テツノワダチが自らこの場所に逃げ込んだように感じたからだ。

 

 だが、状況的に有利なのはこちらであることに変わりはない。後は油断なく――。

 

 そう考えた瞬間、テツノワダチは岩壁へと激しく攻撃し始めた。その攻撃により、岩壁は破壊され衝撃波が巻き起こり、目を開けないほどの土煙がもうもうと舞い上がる。

 

 薄目を開けるのがやっとの状態だったのと、その巨体に隠れてハッキリとは見えないが、岩壁に開いた穴に顔を突っ込み、ヌシのテツノワダチは何かを食べ始めた……!

 

 その時、後ろから誰かが駆け寄ってくる音とハルトを呼ぶ声が聞こえてくる。

 振り返ると、そこにはちょうどペパーが息を切らして近づいてくるところだった。

 

「ハルト!ヌシ見つけたみたいだな!」

 

 満面の笑みを浮かべるペパーだったが、テツノワダチの姿を目を凝らして見た瞬間、その表情が曇った。

 

「アイツが土震のヌシ……!?えっと……アレって……ポケモンなのか!?」

 

 ペパーもハルトと同じ感想を抱いたらしく、その表情から困惑が隠し切れていない。

 土煙も収まってきて、その姿の全体が見えるようになるほど困惑の色は濃くなっていった。

 

「分からない……。分からないけど、僕もあれがポケモンだとは思えない……」

 

 そう答えながら、目線はずっとテツノワダチに固定したまま動かさない。

 目を離した瞬間、どんな行動を取ってくるか全く想像がつかない上、得体の知れない何かを食べ始めてからテツノワダチが放つ気配が明らかに変わったからだ。

 

「なんか食って一段と元気になってそうだな……」

 

「だね……やっぱりぬしポケモンは一筋縄ではいかないね。……けど、僕たちならきっと大丈夫!」

 

 ハルトはペパーにニコッと笑いかける。

 それにペパーもニヤリと笑い返し、大きく頷いた。

 

「あぁ、ハルト!……踏んばりどころだぜ!」

 

 2人は身構え、迫りくるテツノワダチを迎え撃つため、それぞれモンスターボールを取り出した。

 

 ――今、まさにポケモンバトルが始まろうとしているこの瞬間。

 そのはるか上空……冷徹な眼差しで彼らを見下ろし傍観する白い影の存在があることに、まだ誰も気が付いてはいない。

 

 



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12

 

 砂漠のぬしポケモンであるテツノワダチと対峙するハルトとペパー。

 先にポケモンを繰り出したのはペパーだった。

 

「このへんで捕まえたスコヴィラン!ピリッとホットに活躍してくれ!」

 

 バトルへと繰り出されたスコヴィランはペパーの鼓舞に応えるように、赤と緑の双頭がそれぞれ雄叫びを上げる。

 ハルトもそれに続いて、ポケモンを繰り出そうとした時、テツノワダチとの先程のバトルを思い出す。

 

 ――テツノワダチは初めて見るポケモンのため、どのようなタイプを持ち合わせているか分かっていない。

 相手のタイプが読めないというのは、こちらにとっては大きな不利となる。

 というのも、相手に合わせた作戦を立てることが困難となるからだ。

 そのため、刻一刻と変化する戦闘の中でポケモン達の一挙手一投足を感じ取り、それらの状況に応じて瞬時に有効な対処や作戦を考え、行動に移さなければいけなくなる。

  

 バトルにおいて、自分と相手のポケモンのタイプ相性は最も重要であり、バトルの勝敗はそこで決まると言っても過言ではない。

 

 先ほどのテツノワダチとの戦闘、手持ちのポケモンを何体か繰り出して様子を見ると、ほのおタイプの技を受けた時に異様に嫌がる素振りを見せていた。

 それを踏まえながら、さらにテツノワダチの体表等の特徴から考えてみると、恐らくはがねタイプであろうと結論付けた。

 

 であれば、バトルに出すのはこのポケモンしかいない。

 

「――頼むよっ、アチゲータ!」

 

 ハルトはそう言いながらモンスターボールを投げ、アチゲータを繰り出した――!

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ――バトルが始まってからかなりの時間が経過したが、未だ勝負に決着はつかず熾烈を極めた。

 

 ハルトはそのバトルの中で、テツノワダチの動きが1戦目の時と明らかに変わっていることに気が付いた。

 

 恐らく、岩壁を壊した際に食べていた何か……スパイスと思われる物を食べたことが、今のパワーアップの原因だろう。

 

 先程までとは比べ物にならないほど攻撃一つひとつの威力や鋭さが増し、そしてなにより攻撃の見境が全く無くなっているのだ。

 まるで目に入るものがすべて敵であるような、その巨体から繰り出される手当たり次第の攻撃……。

 

 ぬしポケモンがパワーアップするのは、これまで何度か他のぬしポケモンとバトルした際にもあった。

 ……しかし、攻撃の対象にトレーナーであるハルトとペパーも含まれていたことは今まで一度もなかった。

 

「うおっ!コイツ、オレたちにも攻撃してくるのか!?ハルト!巻き込まれないように注意しながら戦うぞ!」 

 

「うん!分かった!」

 

 顎を伝っていく汗を拭いながら、ハルトはそう応えた。

 

 ……気性が荒く、好戦的なポケモンはこれまでにも出会ったことがある。

 縄張りから追い出すためや力試しのため、単にバトルが好きな者……その理由は様々だった。

 

 しかし、これほどまでに明確に殺意をポケモンとトレーナーに対し、ぶつけてくるポケモンは今まで一度も出会ったことがない。

 一歩間違えば、致命傷を負わされる可能性もあり、生命に関わる。

 

 そしてハルトはもうひとつ、手持ちのポケモン……アチゲータを筆頭に、全体的にレベルが足りていないということをバトルの中で痛感した。

 

 ペパーの援護もあるおかげで何とか戦えてはいるが、攻撃や素早さ等の能力がテツノワダチに全く届いていないのだ。

 

 繰り出される攻撃を躱すのもやっとであり、こちらから攻撃しても思ったようにダメージを与えることが出来ていない。

 当然、そんなギリギリの戦いをしていれば、スタミナの消耗も激しく、先にアチゲータの限界が来るであろうとは想像に難くない。

 

 そして、その限界は既にそこまで来ていた。

 

 肩で息をするアチゲータを見て、ハルトは悲しげな表情を浮かべながら下唇を噛んだ。

 

「……ごめん、アチゲータ。僕がしっかり考えてなかったから――」

 

 テツノワダチから意識が逸れたのは、ほんの一瞬……。

 だが、その一瞬の隙は今、この場では絶対に作ってはいけなかった。

 それに気が付いたのは、ペパーの鬼気迫る叫びが耳に飛び込んでからであった。

 

「――ハルトーーッ!!」

 

 ペパーの叫び声で我に返ったが、その時にはすぐ目の前にまでテツノワダチの巨体が、こうそくスピンを繰り出しながら迫ってきているところだった。

 

 アチゲータとスコヴィランがフォローに入れる時間は無く、他のポケモンを繰り出す余裕もない。

 眼前に迫り来る圧倒時な質量を持つ巨大な鉄の塊……もし、これと自分がぶつかれば助からないであろうことは容易に想像がついた。

 

 ――死ぬ。

 

 明確に死を意識した瞬間、自分以外の世界の動きが急激に遅くなる。

 

 高速回転するテツノワダチの動きもスローになって見えるが、既に躱すことのできる距離ではない。

 必死に打開策を見つけようとするが、この状況を打開できる有効な方法は何一つ思いつかない。

 

 既に手を伸ばせば触れてしまいそうなほどの距離まで接近したテツノワダチ。

 

 もうダメだと、諦めの感情がハルトを覆い尽くす。

 同時に、死への恐怖が一気に込み上げたハルトは無駄とは分かっていながらも思わず顔を腕で覆い、目を瞑る。

 

 ……しかし、いつまでもテツノワダチの攻撃が届くことはなく、ハルトは恐る恐る目を開ける。

 そして、足元からゆっくりと視線を上げていく。

 

 すると、目の前には紫の尻尾と純白の身体を持ったポケモンが、鈍い光を放つテツノワダチを片手で展開したバリアーで受け止めていた。

 

 まるでハルトの事を身を呈して守ってくれているかのように、目の前に立ち塞がる姿を見たハルトは、無意識にその名が口から零れた。

 

「……ミュウツー?」

 

 



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13

 

「……ミュウツー?」

 

 ハルトの小さな呟きは、テツノワダチの攻撃をバリアーを張って防いでいるミュウツーの背に向けられた。

 

 しかし、ミュウツーはハルトに一瞥もくれず、真っ直ぐに眼前の敵を見定める。

 

 その身体からは、以前スター団で会った時にも感じたビリビリと肌を刺すようなプレッシャーを感じた。 

 以前はそのプレッシャーを前にした時、緊張のあまり体が硬直してしまっていたが、今は全く問題ない。

 むしろ、その存在が自分に背を向け、生命の脅かす脅威から守ってくれていることに凄まじい安心感を感じていた。

 ……しかし、何故突如目の前に現れ、そして守ってくれているのか。状況は全く読めないが、まず最優先はテツノワダチをどうするかだ。

 

 バリアーを張り、テツノワダチのこうそくスピンを受け止めているが、その回転は今もなお止まることなく、むしろ徐々に回転を上げている。

 そして、バリアーと衝突し続けている間、まるでドリルで穴を開けるため削っているかのような金属音と、激しい火花が舞い散る。 

 

 だが、ミュウツーもそれを黙って見ているわけではない。

 バリアーを展開するため突き出した手とは反対の手を、テツノワダチへと向ける。

 その瞬間、先程まであれほど激しく回転していた身体はピタリと止まり、その巨体はいとも容易く空中へと浮かび上がった。

 

 ミュウツーのサイコキネシス……その凄まじいまでの出力に、抵抗しようと身をよじろうとするテツノワダチの動きを完全に封じた。

 

 バリアーを解いたミュウツーは、そちらに使っていた力も全てサイコキネシスへと回したのだろう。テツノワダチが浮かんでいる高度がさらに増し、かなりの高さまで浮かび上がった。

 

 もはや身動きひとつ取る事が出来ないテツノワダチは、ミュウツーの手首を下げる動作と同時、その高さから一瞬で地面へと叩きつけられた。

 

 その瞬間、激しく舞い上がる砂埃と立っていられないほどの揺れがこの場の全てに襲いかかる。

 

「ぐわあっ!いったい何が起こってるんだ!?」

 

 ペパーは状況が飲み込めないようで、しゃがんで体勢を崩さないように注意しながら困惑の声を上げている。

 しかし、ミュウツーに見入ったままのハルトの耳に、その声は届いていなかった。

 

 ……普通であれば、今の一撃で決着がついたと思ってしまうが、ミュウツーは未だ立ち込める砂煙に視線を向けたまま微動だにしない。

 今の攻撃では倒しきれないとまるで分かっているかのようだった。

 

 その数秒後、咆哮を轟かせる事で砂煙を吹き飛ばしたテツノワダチが姿を現した。

 その目には、先程よりも色濃く殺意の感情が現れており、完全にミュウツーを敵とみなしたようである。

 

 その眼には既にミュウツー以外は映っていないようで、ハルトやペパー達には目もくれず、真っ直ぐにミュウツーへと突進していく。

 

 ――しかし、その実力差は圧倒的であった。

 

 今度はバリアーなどは張らず、なんと片手1本を突き出してその突進を真正面から受け止めたのだ。

 あの巨体が本気で踏ん張り、どれだけ地面を蹴り上げても、対する純白の華奢な肉体は微動だにしない。

 そのうち、再び宙へと浮かび上がったその巨体は岩壁へと叩きつけられる。

 

 再度、立ち込める砂煙と襲いくる衝撃波。 

 

 その砂煙がゆっくりと晴れていくと、その中から限界が近いであろうテツノワダチがフラフラと顔を出した。

 

 あれだけの攻撃を喰らいながらも、まだ立ち上がり敵へと向かっていく姿、そしてその目には未だ光がギラリと鈍い光を放っていた。

 

 レベルの違うバトルに、ハルトとペパーは言葉を失いその場に立ち尽くす。

 

 テツノワダチは間違いなく強い。

 恐らく、二対一のあのバトルを続けていれば、遅かれ早かれこちら側が負けていただろう。

 

 だが、そのポケモンを持ってしても、全く歯が立たない存在が目の前にいる……。

 

 どれだけ先へと進んでも先が全く見えてこない、深淵という名のトンネルをひたすら歩いている感覚に陥ったハルトは、呆然と見つめる他なかった。

 

 テツノワダチは全ての力を出し切るつもりなのか、これまでで最も大きな咆哮を上げ、ミュウツーへと突っ込んでいく。

 その速度も一番だが、地面を伝って伝わってくる激しい振動……あまりの力強さにしゃがんでいるだけでやっとというほど、全身全霊でぶつかっていくエネルギーを感じる。

 

 それに対し、ミュウツーも両手を突き出し、目の前に巨大な漆黒の球体を作り出す。

 恐らくはシャドーボールだと思われるが、他のポケモンが使用するものとは明らかに次元が違っていた。

 その球体からは、離れたところにいても身体が勝手に震えてしまうほどの恐怖かつ莫大なエネルギーが放たれていた。

 

 その強大すぎる力と力は、ついに衝突し、周辺の地形を変えかねない激しい爆発を引き起こした――。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「――……い!おい、ハルト!」

 

 名前を呼ばれながら身体を揺さぶられたハルトは、意識を取り戻した。

 やや混濁する思考のまま、周囲をキョロキョロと見回す。

 

「……あれ、僕……」

 

 自分の中にある最後の記憶を引っ張り出し、状況を整理する。

 

「あぁ、もう大丈夫だ。あのポケモンが俺たちを守ってくれたんだ!」

 

 そう言ってペパーが指差した上空には、ミュウツーが冷徹な眼差しで、地面に横たわったテツノワダチを見下ろしていた。

 

 ……結果を見ると、ミュウツーは土震のヌシであるテツノワダチを相手に、一切のダメージを負うこともなく完全な勝利を収めた。

 

 その圧倒的な実力に畏怖の感情を覚えながらも、ハルトは慌てて立ち上がり、ミュウツーの傍へと駆け寄った。

 そして、ミュウツーを見上げながら、ニコリと微笑み深々とお辞儀した。

 

「あの……ありがとう。僕たちを助けてくれて。君がいなかったら、きっと僕たちは無事では済まなかったと思う」

 

 それは心の底からの感謝の言葉だった。

 きっと無事では済まないどころか、この場の全員の生命が危なかったはずだ。そんな状況を救ってくれたミュウツーには、いくら感謝してもし足りない。

 

 ミュウツーはほんの一瞬、目を見開いてこちらを一瞥すると、すぐにテレポートで姿を消した。

 

 そのまま晴天の青空を見上げながら、様々な感情がないまぜになったハルトはポツリと呟く。

 

「……ミュウツー。キミはいったい……」

 

 

◆◆◆◆

 

 

「――うん、分かった。しばらくしたらボクも向かってみる。……裏で何かが起こっていないとも言い切れないからね。自分の目で確かめてみることにするよ。後、ハルト達を守ってくれてありがとう。やっぱり任せて正解だったよ」

 

 ニッコリと笑いながら、顔の見えないミュウツーへと感謝の言葉を述べた。これにミュウツーからの応答は無い。

 きっと照れているのだろうと、そのまま流していく。 

 そして、ミュウツーから土震のヌシについての報告を受けたベリルは、とりあえず聞いた話から様々な可能性を検討する。

 

 ……他のポケモンやトレーナーに対し、そこまで強い敵意や殺意といった感情を向けるポケモンはまず普通ではない。

 

 考えられる可能性は、悪の組織が行ったポケモンに対する実験による弊害か、あるいはそもそもこの世界とは別の世界から現れたポケモンか。

 

 実は今挙げたふたつの可能性……どちらも過去に前例があり、ベリルはこのどちらの状況にも出くわしたことがあった。

 

 仮にそのふたつのどちらかだとして、これまでの経験から行くと、最も恐ろしい結末を迎える可能性があるのは――。

 

(あぁ……それと、もうひとつ話がある……)

 

「――うん?話?」

 

 ミュウツーからの話で思考が遮られたが、別に問題はない。むしろ、最悪の想像を考えずに済んだことで、束の間心の平穏が保たれたというものだ。

 そんなことを考えながら、ミュウツーからの返答を待つ。しかし、待ってもその答えが聞こえてこない。

 珍しくミュウツーが発言を躊躇しているのが伝わってきた。

 

「どうしたの?どんなことでもいいから、感じたことをそのまま言ってみて」

 

 ベリルは穏やかな口調でそう語り掛けた。それを聞いたミュウツーは、意を決したように話し始めた。

 

(……あのポケモン……あれはこの世界にとって、異質な存在だ。……恐らく『この世界のポケモンではない』)

 

『この世界のポケモンではない』と、そう聞いた瞬間、先程中断した最悪の想像の続きが頭の中で流れ出した。

 

「もしも、ウルトラビースト……アイツらか、アイツらよりもとんでもない存在だったら――」

 

 ベリルはギリッと歯を噛み締め、ランニングシューズの紐を固く締め直し、すぐさま話のあった場所に向かって走り出した。

 



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14

 

 ベリルは急いでミュウツーから聞いた場所へと駆け足で向かう。

 しかし、砂の大地に足を取られてしまうことと断続的に起こる地震のため踏ん張りが利かず、思ったように前に進むことが出来ない。

 それに装着したゴーグルにより視界が狭まったもどかしさも相まって、ベリルは下唇を噛んだ。

 気持ちが焦れば焦るほど、嫌な想像が何度も頭の中をよぎった。

 

 ――これまで、ミュウツーが他のポケモンに対し『異質』や『この世界のポケモンではない』などと表現したことはほとんどない。……それは、ミュウツー自身の出生も理由のひとつなのかもしれないが、一番の理由はそう表現せざるを得ないポケモンに出会わなかったことだろう。

 

 だが、そのミュウツーも過去に一度だけ、明確に『別世界のポケモン』と表現した相手がいた。

 

 それが、ウルトラビースト(UB)。

 

 UBはウルトラホールと呼ばれる、この世界と別次元の異世界とを繋ぐ空間から出現した、まさに別世界のポケモンである。

 彼らは従来のポケモンよりも非常に攻撃的であり、時折他のポケモンやその場にいる人間に対しても無差別に攻撃するほどであった。

 加えて、それぞれが持っている能力や特性も極めて異質なもので、そのあまりの危険性から国際警察と呼ばれる組織が動いたほどである。

 

 もしも、この地方でもUB……あるいは、それに準ずる別の何かが現れたのだとすれば、多くの人々が危険にさらされることとなる。

 

「早く……早く行かなくちゃ……」

 

 空回りする歩みに歯痒さを感じながら、ベリルはその足を止めることなく前へと進む。

 

 ――そうして、ミュウツーから話があった場所へと辿り着いた。

 

 ベリルは目の前に飛び込んできた光景に思わず言葉を失い、ゆっくりとゴーグルを外した。

 そこには、周囲の断崖を上回るほど巨大なポケモンが猛り狂っていた。

 その大きさは、世界最大のポケモンであるホエルオーと同等かそれ以上だろうかというほどだ。

 

 ……ベリルは知らなかったが、この時のテツノワダチの体長はハルトたちが戦った時の倍以上の大きさにまでなっていた。

 

 その姿は、もはや小さな山が歩いていると言っても過言ではない。

 その巨体が一歩踏み出すだけで、立っていることすら困難なほどの激しい揺れが起こる。

 土震のヌシたる所以の地面の揺れも、ここまでくると最早『歩く天災』と形容する他ない。

 

「これは……ポケモンなのか……?」

 

 その明らかに異常な巨躯はもちろんだが、その生命の要素が全くない機械のような姿かたちは今まで出会ったどのポケモンにも該当しない。強いて言えば、ドンファンと呼ばれるポケモンにどことなくシルエットが似ている気がする程度だ。既存のポケモンに、目の前のポケモンと同じ姿をした個体は存在しないはず。

 

 ベリルは目の前のポケモンの正体について思考を巡らそうとするが、そんな隙など与えないと言わんばかりに身体を丸め、ベリルが来た方向とは逆方向に向かって転がりだした。

 そのポケモンの進行方向に何があったかを思い出したベリルの顔から一気に血の気が引く。

 

 その先にはマリナードタウンがある。

 その町は大きな港と大型市場があることで有名であり、競りのために他の町や地方から訪れる客も多く、住民や民家の数も他の町と比較してもかなり多いとアカデミーの授業で学んだことがある。

 ……もしもこんなものが突っ込めば、町はそれこそ大災害に見舞われたものと同程度の被害に及ぶだろう。

 

 そちらに行かせてはいけないと考えたベリルは、咄嗟に指笛を鳴らして注意を引こうとする。

 指笛の甲高い音は断崖にぶつかり、木霊として周囲一帯に響き渡った。

 

 瞬間、ポケモンの動きはピタリと止まり、ゆっくりとベリルの方向に振り向いた。

 目が合うと、ポケモンは耳をつんざく咆哮を轟かせ、その巨躯を丸めてすさまじい速度で迫ってくる。完全に敵として認識されたようだ。

 

 ……普通の人間であれば、そのあまりの光景に恐怖して逃げ出すことはおろか、腰が抜けて立っていることもままならないだろう。

 

 しかし、そんな状況に直面してもベリルは一切の動揺を見せない。

 まっすぐに眼前の敵を見やり、接敵までの残り僅かな時間を使って対象を見定める。

 

 そのまま目線を逸らずに、ベリルはカバンからモンスターボールをひとつ取り出した。

 ボールを手にしたベリルの瞳は先ほどまでの穏やかな光が消失し、ただ目の前の障害を薙ぎ倒さんとする冷徹な眼になっていた。

 

 「さあ、任せたよ――」

 

 そう呟いたベリルの声には、感情は一切込められていなかった。

 

 ◆◆◆◆

 

 ハッコウシティの大型モニター前。

 そこでは普段は通り過ぎる大勢の通行人が足を止め、流れるニュースを食い入るように見つめていた。

 

「――それでは次のニュースです。昨日、ロースト砂漠に正体不明の超大型ポケモンが現れたとの情報が相次いで寄せられました。マリナードタウンからそのポケモンを見たという方の情報から、超大型ポケモンの体長はホエルオーを上回るのではないかとされており――」

 

 アナウンサーは超大型ポケモンの特徴について簡単に触れた後、こちらが本題と言わんばかりに声のトーンを少し上げ、話を続けた。

 

「――そしてほぼ同時刻、全世界で観測史上最大の異常な豪雨を観測しました。豪雨はすぐに収まったものの、この異常気象と今回の超大型ポケモンの出現に関連があるのか、現在ポケモンリーグ等各機関が調査を行っています」

 

「専門家の方をお呼びしています。お天気研究所所長のバールさん、よろしくお願いします」

 

 司会者が名前を読み上げるとカメラが切り替わり、白衣を着た40代ほどの男性が映し出される。

 バールと紹介された男性は軽く会釈すると、司会者に早速異常気象についての感想を尋ねられた。

 それに対し、バールはフリップボードなどを用いながら話始めた。

 

「この異常なまでの豪雨を引き起こした雨雲は、パルデア地方を中心としてあっという間に世界中に広がり、各地で観測史上最大の降水量を記録しました。……これだけでも、気象学上絶対に有り得ない事象なのですが……」

 

 徐々に声が震え始めるバール。

 

「実はこの豪雨が止む直前、ほんの数分程度のごく短い時間に、瞬間的に降水量が跳ね上がったんです。もしその数分間の降水量が、数時間降り続いていたとすれば……データ上……あくまでデータ上ですが――」

 

 バールは次の言葉を躊躇する。

 その沈黙に、テレビを見つめる人々は息を吞み、次の言葉を静かに待つ。

 数秒沈黙した後ようやく意を決したバールは、ひとつ深呼吸をすると唇を震わせながらポツリと呟いた。

 

 「――世界は海の底に沈んでいたでしょうね」

 



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15

 

 土震のヌシであるテツノワダチとの戦いから数日が経過した。

 様々なテレビやインターネットでは『超大型ポケモン』と『世界を滅ぼすほどの豪雨』の話題が連日のように取り上げられ、その勢いは収まるどころか日に日に増しているように感じる。

 しかし、その正体についてはいまだ明らかになっておらず、取り上げられている話はどれも信憑性に欠けており憶測の域を出ていない。

 

 ――世間がそのふたつの話題に夢中になっている時、ベリルは宝探しの旅を一旦中断してテーブルシティのアカデミーに戻っていた。

 

 今日の授業が終わったベリルは複数の教科書などを脇に抱え、生徒たちが行き交う賑やかな廊下を通り自室へと向かう。

 そうして歩いて聞こえてくる言葉は、どれもあの話題に関連した単語ばかりだ。

 ベリルは顔をやや俯かせ、その人々の横を早足で通り過ぎる。

 

 急いで自室まで戻ったベリルは脇に抱えていた教科書をゆっくりと机の上に置き、ふうとひとつため息をついた。

 

 最近はアカデミー中がずっとこの調子だ。

 ……だが、気持ちは分からないでもない。

 学生にとって『正体不明の未知のポケモン』なんていう謎だらけのワードは好奇心がくすぐられ、強い関心を持つのは仕方ないのだろう。

 そうだ、誰も悪意は持っていない。だがもし、このニュースを見て悪の組織が動き出したら――

 

 ベリルはここまで考えたところで、首を横に振る。

 

 ……また考えすぎてしまう。周囲の話を耳にする度、意識しないようにはしていたが、やはり無意識のうちに神経を使ってしまっていたようだ。

 

 しかし、何もせずにいるとどうしても考えてしまう。そこでベリルはアカデミーの課題をして気持ちを切り替えることにした。

 ベリルは学習机の前に置かれている椅子に腰掛け、先ほど置いた教科書と授業で出された課題のテキストを広げる。

 その時だ。

 

 ロトロトロトロト……

 

 カバンの中に仕舞いっ放しにしていたスマホロトムが着信音を鳴らしながら飛び出してきた。

 画面に表示されている名前を確認しようとするが、その画面には『非通知』としか表示されていない。

 非通知発信で電話をかけてくる相手には心当たりがなかったベリルは、しばらく電話を取るか取らないか悩んだが、万が一緊急の連絡だった場合も考えて一旦取ることとした。

 もし、間違い電話やいたずらだった場合はすぐに切ればいい。

 そう考えたベリルは応答ボタンを押した。

 

「……もしもし」

 

 恐る恐る電話を取るが、電話の向こうから応答はない。

 数秒待ったが、変わらず返答がなかったため単なるいたずら電話だと判断したベリルは、さっさと電話を切ろうとした。

 その時、向こうから声が聞こえてくる。

 

「――やぁ、『ルベウス』……いや、ベリルと呼んだ方がいいのかな?君と話すのは今回が初めてだね。はじめまして、私はカシオペア」

 

 あまりの衝撃に一瞬言葉を詰まらせる。

 まさか向こうから直接こちらに接触してくるとは予想していなかった。

 さらに、カシオペアはすでにこちらの正体にも気づいているようだ。

 電話の声は加工され、相手が男性か女性かも分からない。

 だが、こういうときほどこちらの動揺が悟られないように、冷静に対応しなければならない。

 

「……カシオペア?ああ、確か宝探し初日の時にハルトのスマホに連絡してきていた人だね。……ボクに何か用かな?」

 

 実際、表立ってカシオペアと関わるのは今回が初めてだ。こちらが一方的に状況を把握していることは知られてはならない。

 それにカシオペアがどの程度分かった上で接触してきているのかも掴めない今、迂闊なことを口走らないように注意を払いながら答えていく。

 それに対し、カシオペアはフッと笑う。

 

「――いや、以前のスター団へのカチコミに随分協力してもらったと思ってね。今回はそのお礼も兼ねての連絡だよ」

 

「……なんのこと?ボクは全く身に覚えがないかな。その『ルベウス』とかいう人と、ボクを間違えているんじゃないの?」

 

「隠さなくてもいい。……この前の豪雨、あれも君だろう?確か、伝説の『超古代ポケモン』と呼ばれるポケモンの一体が持つ能力だったはず。まさか、たった一人の子どもが世界を滅ぼしかねないポケモンを持っているなんて、今の世間が知ったら大変なことになってしまうね」

 

 予想もしていなかった話が飛び出し、ベリルは思わず息を呑む。

 知られているとしても、せいぜいスター団のカチコミまでだと思っていた。それがまさか、手持ちポケモンの正体……その能力まで把握されているとは。

 しかし、カシオペアはどうやってその情報まで辿り着いたのか。今の話を知る者は、ごく一部の限られた人間しかいないはずだ。

 そしてカシオペアの今の発言、間違いなくこちらの動きを封じるための脅しだ。

 ギリっと歯軋りしたベリルは、これ以上とぼけるのは得策ではないと判断し、すぐに頭を切り替える。

 

「――何が目的だ」

 

「君のことは色々調べさせてもらった。まさか別の地方の元チャンピオンが、このアカデミーにいるなんて最初は驚いたよ」

 

 ベリルの問いかけにカシオペアは答えず、淡々と話を続ける。

 すると、今まで何も写っていなかったスマホロトムの画面が突然切り替わる。

 そこにはベリルがチャンピオンとなった時の映像や、チャンピオンとして防衛戦を繰り広げている様子が映し出されていた。

 

「……ッ!」

 

 ベリルの表情に焦りが見えた。

 

 「史上最年少かつ最多勝利記録を持っている、歴代各地方チャンピオンの中でもトップクラスの実力者……しかし、君については未だ謎が多い。出回っている情報もほとんどない。だったらと、ポケモンリーグのサーバーから君の情報を探ろうとしたんだが、どういうわけか厳重なプロテクトに阻まれてしまってね。……ポケモンリーグが一個人の情報を最重要機密事項とするなんて、普通では考えられない。――普通、ではね」

 

「…………」

 

「――数々の悪の組織を壊滅させ、世界を守ってきたんだってね。私たちの知らないところで世界は何度も滅亡の危機に瀕し、その度に君に救われてきたわけだ。……確かに、こんな情報は迂闊に外に漏らすわけにいかない。最重要機密事項扱いも納得したよ」

 

「そんな話をするためにわざわざ連絡してきたのか?……端的に言え」

 

 もはやベリルの声に普段の面影は微塵も感じられない。

 聞いた者の背筋を凍り付かせるほどの冷酷さと敵意が声色から伝わってくる。

 しかし、カシオペアはそんなことなど意にも介さず、問いに答える。

 

「数々の悪の組織を壊滅させてきたようだが、今回の計画に君の出る幕はない。大人しく手を引け」

 

 思わぬ話にベリルは困惑を隠すことができない。もし、本当にスター団を壊滅させるのなら人手は一人でも多い方がいいはずだ。まして、敵対する悪の組織であればそれこそ手段は選ばず潰しに行くはずだとベリルは考えていた。

 

「……カシオペア、お前の狙いはスター団の壊滅だったはず。……お前は一体何者だ?何を企んでいる?」

 

「私の正体などどうでもいい。企みも今は言う必要はない。ただ、君の存在がこの計画には不要だった……それだけだ」

 

「………………」

 

 この話にベリルが沈黙していると、何か抵抗を考えていると思ったのかカシオペアが話を始めた。

 

「あまり余計なことは考えないでほしい。――君が悪の組織を憎悪する気持ちも分かる。この世界で最も大切なものをふたつも奪われたら、きっと私も君と同じことをしていただろう」

 

「……何が言いたい?」

 

 カシオペアの話に思わず無意識に聞き返してしまう。

 自分でもなぜ反応したのか分からない。しかし、問いかけの声を発した後、この話に反応してしまったことに対し激しい後悔がベリルを襲った。しかし、一度出た言葉は飲み込むことは出来ない。

 

「その辺りからだったかな?君の様子が一変したというのは。まあそれも無理はないだろう。だって――」

 

 ベリルの脳内には過去の映像がフラッシュバックする。

 その映像はカシオペアから紡ぎ出される一言毎に鮮明になっていく。もはやまともに言葉が耳に入ってこない。呼吸も徐々に浅く速くなっていく。

 だが、カシオペアの話は尚も続く。

 そして、ある言葉が彼の耳に飛び込んできた時、視界に入るもの全てが赤に染まった。

 

「君の相棒だったポケモンと、友人だった彼女を――」

 

「――やめろッッ!!!」

 

 ベリルは思わず立ち上がり、これまで出したこともないほど大きな怒鳴り声を上げていた。

 自分が出した声にハッと我に返ったベリルは、荒れた呼吸を整えようと胸を抑えようとしてある違和感を感じた。

 その手は固く拳が握られ、あまりの力に真っ白に血の気が引いた拳は細かく震えながら血が滴っている。

 

「……話が逸れた。スター団はキミが考えるような悪の組織ではない。君はスター団が何故結成されたのか、知っているのか?組織結成の背景を知れば、きっと君の見方も変わるだろう。それも知らずに悪と断定するのは、些か時期尚早だと思うがね」

 

 カシオペアはそう言い残すと、プツリと通信を切った。

 

 一人残されたベリルはしばらくの間、茫然とその場に立ち尽くす。

 やがて、椅子に力無く座り込んだ。

 そうして、様々な感情で揺れ動く瞳をゆっくりと瞼の奥へと仕舞い込む。 

 

 ――その瞼の裏に映るのは、かつてのパートナーポケモンとの出会い……そして、バンダナを頭に巻いた少女の天真爛漫な満面の笑顔だった。

 



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16

 

 ハルトは土震のヌシと戦ったその後も、各地のジム攻略や他の ぬしポケモン、そしてスター団への挑戦を続けていた。

 スター団については、残るアジトはあとひとつ。

 今は最後のアジトへと向かっている途中だ。

 ハルトはそうして一歩一歩ゆっくりと歩きながら、少し前の記憶を遡っていた――。

 

 ◆◆◆◆

 

 ――ふたつ目のアジトへ挑戦する時、ハルトの頭の中はこれから行われるであろう激しいバトルより、ルベウスのことでいっぱいであった。

 次に会った時こそちゃんと話を聞いて何か力になりたい……そんな思いを胸に向かったスター団アジトで、カシオペアから以前と同じようにスマホロトムに連絡が入る。

 ハルトは思わずルベウスについて尋ねた。

 カシオペアなら何か知っているのではないかと考えたのだ。

 しかし、しばしの沈黙の後にカシオペアから返ってきたのは「もうルベウスは現れないだろう」という一言だけだった。

 なぜそこまで言い切れるのか、ハルトには全く分からなかった。

 理由を訊いてみても明確な答えは返ってこなかったが、カシオペアの言う通りそれ以降スター団アジトに挑んでも、ルベウスが姿を見せることはなかった。

 

 だが、ルベウスが現れなかったことで、スター団のボス達から様々な話を直接聞くことができた。

 

 その話を聞いたことで、これまでハルトが持っていた『ただの不良生徒の集まりなのだろう』というスター団に対するイメージが大きく変わった。

 実はスター団とは、元はアカデミー内でいじめられていた生徒達がいじめっ子に対抗するため……そして、いじめをやめさせることで平和なアカデミーを取り戻そうとマジボスを中心に結成された組織なのだという。

 

 その理想を実現するために考え、そして実行されたのが『スター大作戦』。

 いじめっ子達を呼び出していじめをやめるように訴える、もしも抵抗されても傷付くことを恐れずに立ち向かう……それほどの強い覚悟を持って彼らは作戦の計画立案、実行に踏み切った。

 

 そしてスター大作戦決行当日。

 作戦は途中までは上手く行っていた。……だが、途中で予想外の事態が起きた。

 取り囲まれたいじめっ子達は自分がしてきたことと同じことをされるのではないか……きっとそんなことを考えたのだろう、謝罪の言葉を残すことなくその場から逃げ出したのだ。

 だが、それだけではなくいじめっ子全員が、アカデミーを自主退学しスター団の前から完全に逃げたのである。

 

 結果を見れば、スター団の勝利だろう。

 しかし、生徒の集団退学というもはや当事者間だけでは片付けられないほど大きな問題となってしまった。当然、このままではスター団員にもこの問題の火の粉が飛ぶかもしれない。

 そこでマジボスは、他の団員の責任も全て自分が被ることで仲間たちを守ったのだった。

 

 ……しかし、事態はそれだけで終わらなかった。

 なんと、この件のアカデミーの教頭が隠蔽工作を行い、スター団を含めた今回の事件のすべての情報を削除したのだ。無論、教頭は厳しく罰せられた。

 しかし、当時の校長は『この問題に気付けなかった我々教師にも責任はある』と事態を重く受け止め、自分を含む全ての教師陣を全員退職させたのだ。

 そうして、今のクラベル校長をはじめとした教師陣になったのだという。

 

 ……だが、当時はよほど混乱していたのであろう。後継の教師たちに対し、スター団等の情報の引継ぎが全く行われていなかったという。

 つまり、アカデミー内に当時の状況を把握している者は、作戦に関わったスター団員や一部の生徒以外誰もいなくなってしまったのだ。

 さらに、噂とは人から人へと伝播する毎に事実は歪曲した形で伝えられていく。

 結果、いじめをなくすために戦ったスター団が、いじめやトラブルの原因であったと語られることになる。

 

 そして、マジボスを失った彼らは、統率を失い今や噂通りの不良の集団同然になってしまった……。

 

 ……きっと、いじめっ子たちが自分たちの過去の行いを真に反省していれば、謝罪の言葉が出たのだろうが、彼らは報復を恐れ自分の身可愛さに逃げ出した。

 

 結果、スター団は振り上げた拳を下ろす機会を完全に失ってしまった。

 

 ……きっと、そこで一言でも謝罪の言葉があれば、結果はまた違っていたかもしれない。

 

 だが、スター団のおかげで今の平和なアカデミーが存在している。それは紛れもない事実だ。

 そんな彼らが今、長い欠席等のため退学の危機に瀕している。これまではさほど大きな問題とは思ってこなかったが、事情を知ってしまった今、それではあまりにも彼らが報われない。

 ならば、多少強引な方法を使ってもアカデミーに戻ってほしい……もし、自分がマジボスだったらそんなことを考えてしまうかもと一瞬頭をよぎった。

 そういえば、この『スターダスト大作戦』を立案したカシオペアは、当初スター団の元関係者と名乗っていた。

 そこまで考えたところで、この時のハルトはまさかねと首を軽く横に振り、それ以上は深く考えることは無かった――。

 

 ――そんな時、ジム戦を終えて建物の外へと出ると、丁度ジム巡りを行っていたネモに出会った。

 彼女はアカデミーの生徒会長兼パルデア地方でトップクラスの実力を持つチャンピオンランクのひとりだ。

 ……ルベウスもハルト達と同じアカデミーの制服を身に着けていた。

 もしかしたら、あれだけバトルが強い生徒のことであれば、ネモは何か知っているのではないかと考えたのだ。

 

 まずは挨拶がてら一試合戦った後、早速聞いてみることにした。

 

「ねぇ、ネモ……『ルベウス』って人の名前、聞いたことある?」

 

 そう尋ねた瞬間、ネモは途端に目を輝かせて顔をグッと近づけてくる。

 

「えっ!もちろん知ってるよー!ポケモン勝負好きなら大体の人は知ってると思うよ!」

 

 予想以上の反応に思わず息を呑むハルト。

 

「……その人ってどんな人なの?」

 

「ルベウスさんはね、別の地方でチャンピオンだった人なんだ!わたし、あの人の試合中継は全部録画してるよ!」

 

「チャンピオン……」

 

 ハルトは思わず口に出す。

 だが、そう言われて自然と納得がいった。

 

 ……ポケモンは、自分が力不足とみなしたトレーナーの言う事は決して聞かないという。

 よく言われているのが、他のトレーナーと交換したポケモンは早く強くなることができるが、あまりにもトレーナーと実力に差がついてしまうと指示を無視するようになる、というものだ。

 もし仮にあのポケモンが、人からもらったポケモンだったとすれば、それはルベウスが主人として認められるほどの実力の持ち主であることの裏返しとなる。

 自分で捕まえ、育てたのであれば尚更その実力の証明となるはずだ。

 

 あれだけの強さを持ち、そしてそのポケモンを指示にしっかりと従わせ、使いこなしている様は確かにチャンピオンの名にふさわしいといえるだろう。

 

 だが、ひとつ疑問がある。

 

「そんなに有名な人がアカデミーにいるのに、話が全く聞こえてこないのは何でなんだろう……?」

 

 自分の思考の中だけに留めようとしたのだが、頭が混乱しているせいなのか思わず言葉を漏らしてしまった。

 これを聞き逃さなかったネモは、またずずいと顔を寄せてくる。

 

「このアカデミーにって……生徒でってこと!?それって本当!?すごいすごい!」

 

「ネ、ネモも知らなかったんだね……。ただ、まだ確定じゃないよ。ルベウスを名乗っている偽物の可能性もあるわけだから」

 

 ハルトはネモの圧力にたじろぎながらそう答える。

 

「そっか!でも、もし本物なら1回でいいから戦りたいなぁ……」

 

 ネモがいつもの通り何だか物騒なことを言い始めたが、ハルトは気にせず話を続ける。

 

「それでさ……ルベウスの手持ちにミュウツーってポケモンはいる?」

 

 ハルトの問いかけにネモはすぐさま首を横に振った。

 

「ううん、ミュウツーなんて名前のポケモンは使ってなかったはずだよ。そもそも、あの人の手持ちは一匹しか見たことがないかな。……でも、そういえばいつからだったかは思い出せないんだけど、その一匹もぱったり出てこなくなったっけ」

 

 ネモは顎に手を置き、うーんと考え込みながらそう言った。

 

「手持ちが出ない……?それでどうやってポケモン勝負をするの?」

 

 これは純粋な疑問だった。

 ハルトにとってのチャンピオンとは、自らが育て上げた強力なポケモン達の中からどんな状況、どんなポケモンにも対応できるようにタイプ相性などを考慮しながら、最善のパーティを組み上げる……それら全てが一流であるからこそチャンピオンという最強の肩書きを得ることができるものだと思っていた。

 

 ネモは「そういう反応になるよね」とうんうんと頷きながら、話をしてくれた。

 

「ルベウスさんはね、ポケモンリーグからレンタルしたポケモンでバトルするんだよ!……もちろん、公式戦のレンタルポケモンはみんな強いよ、技とかも様々な戦術に対応できるように調整されているからね。けどね、当たり前だけどレンタルポケモンだと、これまで一緒に戦ってきた手持ちのポケモンより連携とか呼吸はうまく取れないんだ。そんな理由もあって、みんな自分のポケモンを使うんだけど――」

 

 ネモは嬉しそうに笑いながら話を続ける。

 

「――彼の凄いところは、そのレンタルポケモンと完璧に連携を取ることができるんだよ!中でもポケモンと心を通わせて、アイコンタクトで意思疎通ができるのは多分彼しかいないんじゃないかな!」

 

 それを聞いたハルトは何か引っかかるような表情を見せた。

 今の話と同じような状況が、過去にどこかであった気がする。

 どうやら考えることはネモも同じだったようで、あっと声を出し手をポンと叩く。

 

「そういえば、このアカデミーでもアイコンタクトを使ってる子がいるんだよ!けど、本人は偶然だって言ってたけど――」

 

 ここまで聞いたところで、ハッとした表情でハルトが静かに訊く。

 

「……まさか、その子っていうのは――」

 

 ◆◆◆◆

 

 ――そうしているうちに、最後のスター団アジトが見えてきた。

 

 ハルトは自分の両頬を叩き、これまでの思考を切り替えると同時に気合を入れ直す。

 そうだ、全てを解決するためには戦って勝つしかない。覚悟を決めたハルトは、目の前に迫ってきたスター団かくとう組のアジトへと向かった。

 

 かくとう組のボスであるビワは、スター団全体で最もポケモン勝負が強いという情報を受け、ハルトは万全の状態で挑んだ。

 実際、彼女はこれまでバトルしてきた誰よりも強かった。

 もしも万全でなければ……一瞬でも気を緩めたら、勝敗は容易く相手へと傾いていただろう。

 しかし、そんな一進一退のかつてない激闘を乗り越え、ハルトはギリギリのところでボスのビワを倒すことができた。

 これにより、現在スター団の各アジトからボスが全員いなくなったことになる。

 

 カシオペアから立案された『スターダスト大作戦』もとうとう終わりへと近づいている。

 後は、ひとり残されたマジボスを倒せば完遂となった時、そのカシオペアから連絡が入り衝撃の事実が明かされた。

 

 それは、自分こそ『スター団』を結成し、各組のボスを束ねる存在である『マジボス』だということ。

 

「団のみんなは仲間でわたしのかけがえのない宝だった。だが、今のスター団はみんなを不幸にするだけ……。だから、諦めがつくよう掟に従って解散させたいんだ」

 

 カシオペア……改めマジボスは悲しげな声で絞り出すようにそう呟いた。

 

「ハルト……夜に学校のグラウンドで待つ」

 

 そう言い残すとマジボスはぷつりと通信を切った。

 ……マジボスはまず間違いなく、そこで全ての決着を付けるつもりだろう。

 だが、本当にこれで終わっていいのだろうか……。マジボスが考えているであろう結末を迎えたとして、果たして幸せになる者などいるのだろうか。

 答えの出ない問いをハルトは頭の中でグルグルと考える。

 

 ――だが、そんな状態ながらも彼の瞳には優しく、そして強い意志が確かに宿っていた。

 



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17

すみません、投稿遅くなりました。


 

 ハルトはしんと静まり返った夜のグラウンドへと足を踏み入れた。

 グラウンドの中心へゆっくりと一歩を踏み出す毎に、足音が周囲にやけに反響する。

 普段は生徒の賑やかな声で溢れている分、物音ひとつしないこの状況が余計に不気味に感じる。

 ……いや、これから起こるであろうことを考えるとこれは嵐の前の静けさなのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、ハルトは前へと進む。

 

『――夜に学校のグラウンドで待つ』

 

 ……ハルトがここに来た理由、それは今回の黒幕であるマジボスからこう言われて呼び出されたからに他ならない。

 

 それに加え、最後のスター団アジトのボスを倒した際に、衝撃の事実が告げられた。

 それは、スター団を壊滅させるために今回のスターダスト大作戦を企てたカシオペア……そして、そのスター団を結成したマジボスはなんと同一人物である、というのだ。

 

 なぜ自分が結成したスター団を、自らの手で解散させようとするのか。

 様々な疑問がハルトの脳裏に浮かんだが、それに対する答えをマジボスはこう語っていた。

 

 『今のスター団は皆を不幸にするだけ。掟に従って解散させたい』と。

 

 ……これを聞いたハルトは、これまで聞いてきた話などから理由を推察する。

 

 実際、スター団の団員達は各アジトのボスを筆頭に長い間、学校へ登校しておらず、このまま続くようであれば、スター団員は退学になってしまうと聞いたことがある。

 

 つまり、マジボスは彼らを守るため、大切なスター団を倒さなければならなかった。

 そして、最後には自らも戦い勝敗を決することで、全ての決着をつけるつもりだったのだろう。

 

 ……しかし、仲間を救うためとはいえ、様々な葛藤があったに違いない。その時のマジボスの気持ちを考えるだけで、ハルトは胸が締め付けられる思いがした。

  

 だが、ハルトは自分の中で揺れる様々な感情を押さえつけ、こちらも全身全霊で臨まなければならないと覚悟を決める。

 

 ――そうして、グラウンドの中心へと辿り着いた。 

 

 しかし、そこには誰もおらず、周囲を見回してみるが人の姿は見当たらない。

 ……逃げた、とは考えにくい。

 恐らく、何処かから周囲を警戒しているのだろう。異常がないことを確認すれば、きっとその姿を現すはずだ。

 ハルトは慌てず、その場から動かずにその時が来るのを待つ。

 すると、しばらくしてハルトの予想通りこの静寂は途切れることとなる。

 

「――ハルト……」

 

 不意に自分の名を呼ぶ声が背後から聞こえてきた。

 ハルトはゆっくりと振り向くと、そこにはフードを深くまで被った人物がひとり立っていた。

 

 ……顔はフードに隠れ、よく見えない。そのため相手の顔色を窺い、感情等を読み取ることができなかった。

 しかし、あの服装……そして、背負ったイーブイを模したリュック……。そのどれもハルトには見覚えがあった。だが、まだ断定はできない。

 ハルトは混乱しかける頭を冷静に保ち、静かに見据える。

 

「……来てくれたか」

 

 一瞬の沈黙の後、その人物は静かに呟いた。

 それに対しハルトは頷き、微かに微笑む。

 

「もちろん。……ここで逃げ出してしまったら、あなたのこれまでの覚悟が全部無駄になってしまうからね」

 

 そう言ったハルトの眼は、一切ブレることなく真っ直ぐにその人物を見つめている。

 

「そうか……そんなあなたにこのまま正体を隠していては失礼にあたるな」

 

 そういうとその人物は深く被ったフードに手を掛け、その勢いのままバッと脱いだ。

 

 そのフードの向こうには、これまでのスターダスト大作戦で補給班として何度も出会った少女……丸眼鏡と赤と青の髪色が特徴的なボタンがいた。

 

 服装や所持品等で予想はしていたが、やはり少なからず衝撃を受けたハルトは思わず息を呑む。

 

「……ッ!」

 

 そんなハルトの様子を見たマジボス……いや、ボタンは不敵にニヤリと笑って見せた。

 

「フッ……驚愕しただろう。わたしこそがマジボス……そしてカシオペアの正体だ」

 

 確かに、あまりに予想外の出来事に驚愕した。そして、突然のことに困惑もしている。

 だが、分からないことばかりではない。カシオペアの正体が判明したことで、合点が行った点もある。

 

「……そっか、どうして僕が選ばれたのかずっと疑問だったんだ。その理由もなんとなくだけど分かったよ」

 

「恐らく、あなたの考えている通りだ。わたしは学校前でしたっぱを倒したあなたの強さを見てスターダスト大作戦を思いついたのだ」

 

 ボタンは続ける。

 

「わたしの力さえあればLPなど湯水の如く増やせる。報酬があれば乗ってくると思ってな。……補給班としてずっと動向を見張っていたぞ」 

 

 そう語るボタンは浮かべていた不敵な笑みを曇らせる。

  

「あとはわたしを打ち負かせばスター団は完璧に終わる。……そのために動いてもらった。だが同時に、スター団を終わらせたくない気持ちもある!やすやすと負けるわけにはいかない!」

 

「最後の勝負……準備はできているか?」

 

 そう問いかけられたハルトは、力強くゆっくりと頷いた。

 

「……感謝する」

 

 そしてお互い、ポケットからモンスターボールをひとつ取り出した。

 今まさに最後の勝負が始まる……そんな空気が張り詰める中、ネルケが軽快な足音と共にやってくる。

 

「すまない待たせたな。タイム先生の反省文が……いや、準備に手間取ってな」

 

「もしかして、その声はネルケか?」

 

 ボタンは少し困惑したような声を出した。

 ハルトは一瞬、なぜそんな声を出すのか分からなかったが、よくよく思い返すとこうして面と向かってボタンとネルケが話をするのは今回が初めてであった。

 これまではスマホロトムを介して、互いの顔を見ることなく会話をしていたのを思い出した。

 

「ボタ……やはり、いやあんたが……カシオペアだったのか」

 

「ああそうだ。ネルケにも一仕事頼もうか。これから起こることを動画で撮影してもらうぞ、勝敗を全団員に通達するからな」

 

 そう言ってボタンは取り出したスマホロトムを指差し、それをネルケへと渡した。

 受け取ったネルケは、そのスマホとボタンの顔を交互に見やる。

 しかし、ボタンの表情は既に覚悟を決めた者の顔となっている。その目を見ればもはやこれ以上の言葉は意味を成さないことは明白であった。

 ネルケはこくりと頷いた。

 

「あ、ああ分かった……」

 

 ネルケのその言葉を聞くと、ボタンはハルトに向き直り、先ほど出したモンスターボールを構え直す。

 

「……あらためて名乗っておこうか。わたしがスター団マジボス、カシオペア――」

 

 そこまで言ったところで、ボタンはその目を閉じて一度呼吸を整える。

 

 ……きっと直前になり様々な感情、考えが彼女の脳内を渦巻いているのだろう。

 だが、次にその目が開いた時、瞳の奥に余計な感情や迷いなどは微塵も残っていなかった。

 

「――ではなくボタン!」

 

 力強く名乗りを上げたボタンは、真っ直ぐにハルトを見る。

 眼前の敵を倒すことだけ考えている純粋な瞳を見て、ハルトも再度、覚悟を決めた。

 

「マジボスの力の前に頭を垂れてひれ伏すがいい!!」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 勝負は一進一退の攻防戦となった。

 ボタンが持つイーブイ進化系で統一されたパーティは、タイプの組み合わせやトレーナーとの連携が非常に高いレベルでまとまっており、攻防の駆け引きの最中に僅かな隙も一切見逃さずに攻めてくる。

 だが、ハルトとポケモン達も負けてはいない。

 同じように隙を付いて攻撃を仕掛け、隙を中々見せないようであれば変則的な攻撃を行い、敵のリズムを徐々に狂わせていく。そうして生まれた好機を確実に掴むことで、試合の流れは徐々にハルト側へ傾いていった。

 

 やがて、ボタンが6匹目に繰り出したポケモンがハルトのポケモンの一撃を受け、地面へと倒れ込んだ。

 

「これで……終わり」

 

 倒れたポケモンをモンスターボールへと戻し、ボタンはゆっくりと目を閉じる。

 

「終わったよ、みんな……」

 

 力無く呟いたボタンの声は、再び静寂を取り戻したグラウンドへと溶けて消えた。

 彼女はしばらくすると目を開き、その顔に寂しさや安堵が入り混じったような複雑な表情を浮かべながら2人を見る。

 

「ありがと……ハルト……ネルケ……」

 

「ボタン……」

 

「たしかに……見届けたぜ」

 

「……これで、うちもスター団も終わ――」

 

 ボタンが俯きながらそう言いかけた時、横からネルケが言葉を挟んだ。

 

「待ってくだ……くれないか?改めて確認したいことがある」

 

「確認?」

 

 ボタンは顔を上げ、不思議そうな目でネルケを見る。

 

「――マジボスであるあんたが何故、スターダスト大作戦を企てた?」

 

 それは当然浮かぶ疑問だった。

 状況等から予想することはできても、それはあくまでも推察。実際にボタンから今回の作戦決行に至った動機を聞いた訳では無い。

 ボタンは顔をやや俯かせながら、静かに口を開く。

 

「……解散しようって言ったのに誰も団やめないから……」

 

「マジボスが命令しても?」

 

「お願いはしても命令はしない。……そういう団の掟だし」

 

「掟……ボスたちも掟を大事にしていた」

 

 ネルケが思い出したように呟いた。

 それにボタンはこくりと頷く。

 

「だから掟を使って団を解散させようと思った」

 

「掟で決められた理由ならみんなスター団をやめると?」

 

「そう……掟にのっとって戦わなきゃダメだった」

 

「それでスターダスト大作戦を……。カシオペア……最後にひとつ聞かせてくれ。あんたにとってスター団……団の仲間たちはどういう存在なんだ?」

 

 そう問いかけられたボタンは長い長い沈黙の後、振り絞るようにポツリと呟いた。

 

「……大事な……宝物だよ」

 

 この返答を聞いたネルケはにっこりと微笑み、満足そうに頷いた。

 

「よろしい、よくわかりましたボタンさん」

 

 突然雰囲気や話し方など様子が変わったネルケ、その変わりようにボタンは困惑を隠せない。

 

「……はっ?」

 

「私からボタンさんにお話ししたいことがあるのです」

 

「え、しゃべり方どうした!?急に怖……」

 

「……そうですね、まずは正体を明かしましょう。……ハッ!」

 

 ネルケはそう言って、着ていたジャケットを勢いよく脱ぎ捨てる。

 そして、ネルケの本当の正体を見たボタンは目を見開いて驚愕の声を上げた。

 

「こっ……校長ーッ!?」

 

 そこには、あの一瞬でどのような手品を使ったのか、いつもの服装や髪型に戻ったクラベル校長がいた。

 

「カシオペアがボタンさんならば、ネルケはクラベルだったのです」

 

「……いや、なんで!?」

 

「スター団の皆さんときちんとお話しするためです。教師と生徒……まして校長が相手では皆さんの本音が聞けないと思ったからです」

 

「だからって、えー……変装までする!?ズラのチョイスも意味わからん……」

 

 そこは触れないであげて……、そんなハルトの思いはボタンには届かない。

 

 しかし、困惑を隠せないボタンはハルトに「お前は知っていたのか?」と言いたそうな視線を向けてくる。

 それに対し、苦笑を浮かべながら小さく頷く。

 

 ……正直、最初に会った時から気づいてはいたけど……。

 一瞬、こんな言葉が口から出そうになったが、これは自分の胸にだけ仕舞っておくことにした。

 

◆◆◆◆

  

 ――実はグラウンドに向かう直前、ハルトはネルケに呼び出され、そこで直接ネルケの正体はクラベル校長であることを聞いた。

 

 それと同時、なんとカシオペアの正体はクラベルだったと名乗り、決着をつけるべくポケモン勝負を挑まれる。

 

 だが、実際はカシオペアの正体にいち早く気がついたクラベルが『勝った方がカシオペアを止めるべき』と考え、勝負を挑んだのだと後で聞かされた。

 

 ……そのせいでタイム先生に見つかったクラベルは「生徒に何をしてるんですか!」と反省文を書かされることになるのだが。

 

 その時、クラベルはこうも言っていた。

 本当は戦わせなくない、あの子の悲しみをあなたに背負わせたくなかった。

 しかしカシオペアの決意は本物であり、一般的な生徒では太刀打ち出来ないだろう。

 だからこそあなたに勝負を挑ませていただいた。

 あなたの深い優しさならあの子を救えるかもしれない。

 

 そして、クラベルはハルトに対し「カシオペアに勝ってください」と深く頭を下げた。

 

 生徒にとって最善の選択を選ぶためなら、人に……それも一生徒に対し頭を下げることも厭わないクラベルの姿に強く心を打たれた。

 

 だが、この場に来た時からハルトの気持ちはすでに決まっている。

 

「――分かりました。ボクがカシオペアを止めます」

 

 ハルトはその目に宿る覚悟をさらに強くし、力強く頷いた。

 

 ◆◆◆◆

 

「……コホン、そろそろいいでしょうか。皆さんいらしてください」

 

 クラベルの咳払いに、現実へと引き戻されたハルト。

 グラウンドの入口に顔を振り向いたクラベルにつられて、ボタンとハルトもそちらの方向を向く。

 そうして現れた人物達を見て、ボタンは驚愕と困惑が入り混じった表情で見つめる。

 

 そこに現れたのは、スター団の各拠点でボスとしてハルトと戦った5人であった。

 

「久しぶりだな、マジボス!」

「久しぶりってか初めましてだろ?本当の名前も今知ったしさ」

「初めて見るマジボスのご尊顔。誠に眼福でござるな」

「えーと、本名ボタンだっけ?元気にしてたの?」

「やっと会えたね……すっごく心配してたんだよ……」

 

「……ピーちゃん、メロちゃん、シュウメイ、オルくん、ビワ姉……」

 

 ボタンはそれぞれのボス達の顔を、懐かしさや寂しさ……そして、スター団を解散させようとした後ろめたさなど、様々な感情が込められた視線を向ける。

 そんな彼女に、5人は優しさに満ちた笑顔を向けた後、何かを確認するように互いに目配せをして、ボタンに向き直る。

 

「じゃあ、せーので……」

 

 ピーニャの合図を受けると、5人同時に、今となっては見慣れたポーズを取る。

 

『お疲れさまでスター!!』

 

 ……きっとそれはこれまでスター団の団員達のことを第一に考え、行動してくれたボタンへの感謝を伝えるために考えた、スター団にとって最大限の表現方法だったに違いない。

 それを見たボタンは、泣きそうな顔でスター団の5人を見回し、ゆっくりと目を伏せた。

 

「さてボタンさん、そしてボスの皆さん。アカデミーを代表し、スター団に申し上げます」

 

 クラベルはそう言うと、ボタン達に深く頭を下げた。

 

「――本当に申し訳ございませんでした」

 

「……え?」

 

「アカデミー校長クラベル、一生の不覚です……」

 

「……え?え?」

 

 困惑を隠せないボタンはきょろきょろと視線を泳がせる。

 ボス達も突然のことに目を見開いたまま固まっていた。

 頭を上げたクラベルは、彼らに慈愛の満ちた眼差しを向けながら話し始めた。

 

「スター団結成の理由……活躍はボスの皆さんに聞きました。私が赴任してから見ていたいじめのないアカデミーの姿は……あなたがたの悲しみと怒り……勇気が勝ち取っていたということを」

 

 ここで一呼吸置いたクラベルは話を続ける。

 

「……結論から言います。スター団への解散要望およびボスの皆さんへの退学勧告は……ただちに撤回いたします!」

 

「つまり、それってさ……」

 

 確認しようとするピーニャの声がわずかに震えている。

 

「ええ!スター団の解散はもはや必要ありません!!」

 

 クラベルからハッキリと「解散は必要ない」と聞いた彼らは、喜びを爆発させてボタンの下に駆け寄る。

 

「やったあー!ボタンちゃん!これからもみんな一緒だよ!」

 

「恐悦至極でござる!」

 

 ビワとシュウメイが言葉をかけるが、ボタンの表情は暗く俯いたままだ。

 

「で、でも……うち、みんなを裏切って……」

 

「スターダスト大作戦のこと?クラベル校長から聞いたよ」

 

「団にこだわって退学しそうなボクらを心配しての行動だろ?」

 

「普通に解散って言われても、ハイそうですかってオレらじゃねえし」

 

「我らを思うボタン殿の心中察するに余りある……」

 

「心配させてごめんね。わたしたち、もう大丈夫」

 

「だ!だとしても――」 

 

 ボタンが何かを言いかけた時、その次の言葉が遮られる。

 

「――だめだ」

 

 まるで地の底から響いてくるような低く暗い声が、この広いグラウンドにやけに響く。

 瞬間、この場の全員の動きがまるで時が止まったかのようにピタリと止まった。

 

 同時に、周囲に凍て付くような空気が張り詰め、全員の表情が緊張により強張る。

 

 今の声、そしてこの気配を放つ者がどこにいるか、もはや周囲を見回さなくとも分かる。

 皆、ゆっくりと気配が突き刺してくる方向を振り向く。

 そこでこの気配を放つ者の姿を見た彼らは、再び身体を硬直させる。

 

 そこにいた白い帽子を被った少年……その佇まいはまるで幽鬼のようであった。

 夜のグラウンドということもあり、照明だけが周囲を照らす明かりであり、当然だが昼間よりは光源は少ない。

 そして、その照明に照らされ陰影が付いた姿や少年が纏う雰囲気は、おおよそこの世の者とは思えなかった。

 

 硬直したまま誰一人声を発せず、身動きも取れない中、その少年はゆらりゆらりと音もなく近づいてくる。

 

 ……確かに、初見でこれほどまでの威圧感を向けられてしまったら、おそらく動けなかっただろう。

 だが、ハルトは以前にも同じような経験をしている。そして、その時に相対した相手も……同じだった。

 

「――ルベウス」

 

 ハルトは一歩前に出る。

 今度こそ、彼を止める……そして、彼の力になりたい。

 そんな思いも裏腹に、ルベウスの眼にはハルトやボス達の姿は欠片も写っていない。

 

 彼の濁った瞳に写るのは、苦しげな表情で目を伏せるボタンただ一人の姿だけだった。

 



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没・18

こちらは没となった18話です。正式な18話については、この次となりますので本編を読みたい方は飛ばしていただければと思います。
そして、この没18話ですが、消さずにこのまま残しておきます。もしかしたら、こんな世界線もあったのかなーくらいの感覚で読んでいただければ幸いです。


 

 「……ルベウス」

 

 ハルトが彼の名前を呼ぶも、ルベウスの耳には届いていないのか一切反応がない。

 帽子を深く被っていることと照明の当たり方の関係で、その表情ははっきりとは分からない。

 しかし、以前スター団あく組で会った時よりも明らかに目の輝きや覇気が感じられず、それこそ何かに囚われた亡霊のようだった。

 ルベウスは空虚な瞳でボタンを見ながら、うわ言のように何かをブツブツと呟いている。

 

「ボクが……守らなくちゃ……」

 

「……ルベウスの様子がおかしい。いったい何が起きているんだ……」

 

 明らかに正気とは思えないルベウスの様子に、ハルトは思わず言葉を漏らした。

 それを受けたボタンは、拳を握り締めながら表情を歪める。

 

「……ごめん、多分うちがあの人のトラウマを抉っちゃったせいだと思う……」

 

「どうしてそんなことを……」

 

 クラベルが困惑した様子で訊いた。しかし、それに対する弁明や説明はなく、目を伏せたまま重たい沈黙が続くのみであった。

 そのまま沈黙が続くかと思われたが、ボタンはゆっくりと顔を上げ、静かに口を開いた。

 

「……これはうちの問題。こんなことになったのはうちの責任だから、これ以上みんなを巻き込むわけにはいかない」

 

 そう語るボタンの目には先ほどまでと同じ、強い覚悟が刻み込まれていた。

 そうして、ポケットからモンスターボールを取り出し、ルベウスに向かって歩き始める。

 

 ハルトはそんなボタンを見て、もしかしたら彼女はこうなることが分かっていたのかもしれない……と感じた。

 おそらくルベウスに対しボタンは秘密裏に接触し、何かしらの交渉をおこなったのだろう。その理由は間違いなく、以前ルベウスがあく組に襲撃をかけた関係に違いない。

 そして、その結果としてハルトが次のアジトへ向かった際に聞いた『もうルベウスは現れないだろう』へと繋がった。

 ……しかし、それは最悪な形で破られてしまったわけだが。

 これまでの過去のボタン……カシオペアの行動や言動から鑑みるに、きっと彼女はこう考えたのだろう。

 

 ……仲間が傷つけられるくらいなら自分一人でその罪を被って、自分だけが傷つけばいい……。

 

 彼女はスター大作戦の時も、スター団員の処分を免除してもらう代わりに一人で全ての責任を取っていた。

 ……大切な仲間を守るために。

 

 ――だが、そんなボタンを守るように、スター団のボスたち5人が前へと歩み出る。

 

「み、みんな……なにしてるの?」

 

 自分に背を向け立ちふさぐ彼らに、ボタンは目を見開きながら震える声で訊く。

 その問いかけに5人はルベウスから視線を逸らさず、優しく語り掛けるように答える。

 

「ボクらはもうマジボスに守ってもらってばかりじゃないよ」

 

「一人で抱え込もうとするんじゃねえよ……仲間だろうが」

 

「我らはきっとこの時のため、強くなったのかもしれませぬな」

 

「オレらを差し置いてマジボスと戦おうなんて生意気だね」

 

「今度こそわたしたちが戦って、大切な宝を守る番だよ」

 

 彼らはまっすぐにルベウスを見据え、彼を見るその眼には怯えは一切ない。

 

「そんなわけだからさ、マジボス、ハルトくん、校長――手、出さないでくれるかな?」

 

 ピーニャが普段と変わらない穏やかな口調で、だが拒否できないほど強い意志を感じさせる話し方でそう言った。

 そこまで言われて彼らの決意を踏みにじることになりかねない。ここはもやは頷き、彼らを信じて見守ることしかできない。

 ハルトは静かに頷く。

 それに続き、クラベルも苦渋の表情を浮かべながら頷いた。

 

「……分かりました。ですが、万が一生命を脅かす状況と判断した場合、全力で止めに入ります」

 

 そして、ボタンは自分のせいでこうなってしまったという罪悪感や敵がいかに強大であるかを知っているが故の不安、そして5人の熱い気持ちを受け取り、仲間からここまで思われていたのかという嬉しさ等の様々な感情が混ざり合った、言葉で言い表すことのできない複雑な表情で彼らの背中を見つめる。

 しかし、ひとつ息を吐いた後、ボタンの表情から負の感情は消え去っていた。

 

「みんな……うちはみんなを信じてる」

 

 ――この時の彼らにとって、きっとこれ以上力がみなぎる言葉は他に存在しなかったに違いない。

 

 5人は一斉にポケモンを繰り出した。ポケモンたちはまるでトレーナーたちの意思が宿ったように、その目に鋭い光をぎらつかせ咆哮を上げる。

 

 ルベウスはそんな彼らの様子をいまだ濁った瞳で見つめたまま、ゆらりとモンスターボールを取り出し、そのまま流れるように真上へと放る。

 

 ……彼が以前、使用していたのは『ミュウツー』と呼ばれる圧倒的なまでの超能力を使いこなし、最強と呼ばれる伝説のポケモンだった。その実力を間近で2回見る機会のあったハルトは、その戦いぶりを思い出すと背中を冷たいものが伝っていく。

 あれほどの戦闘能力を持っているのだ、きっと彼の手持ちの中ではミュウツーが最も強いポケモンのはずだ。であれば、繰り出してくるポケモンはミュウツー以外には考えられない。

 

 ――そう考えていたハルトだったが、予想は大きく外れることとなる。

 

 ルベウスのモンスターボールから放たれた眩い光に皆、視線が一瞬遮られた。

 すぐに視線を戻すが、彼らの目にはつい数秒前まではいなかった信じられない存在が飛び込んできた。

 

「なんだ……このポケモン……」

 

 それは誰の呟きだったか、今となっては分からない。だが、この場の全員の意思はその言葉に詰められていた。

 

 目の前に現れたポケモンは、これまで見たこともない巨大なドラゴンポケモンだった。

 その全身は引き込まれるような深いエメラルドグリーンに輝き、その身体には黄色の不思議な模様が刻まれている。

 鋭い爪の付いた前足を向けながらとぐろを巻いた状態で空中に浮かんでおり、その状態のままハルト達を見下ろすその迫力や神々しさに思わず誰もが言葉を失い、その姿に惹き付けられる。

 

「――あれは『レックウザ』。グラードン、カイオーガに並ぶ伝説の超古代ポケモンがなぜ……!?」

 

 クラベルが驚愕に満ちた声を上げる。

 レックウザと呼ばれたポケモンは、目の前の敵意をむき出しにした5体のポケモンと5人のトレーナーをゆっくりと見回すと、さきほどの5体のポケモンを遥かに超える威圧感を放つ咆哮をグラウンド一帯に轟かせる。

 その一声で空気が、地面が、ここにあるもの全てが呼応するかのように激しく震える。

 加えて、見た者を突き刺すような冷徹な瞳から凄まじいプレッシャーが放たれ、普通のポケモンや人であれば恐怖でまともに動くこともできないだろう。

 

 しかし、今の彼らとそのポケモンたちの眼には恐怖の感情は微塵もない。

 そこには強く輝く絆の光が宿っているのみだった。

 

 



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18

遅くなりました。18話を書き直し、改めて投稿します!内容は全く違うものになっており、今後の本編はこちらで進んでいくことになります。よろしくお願いします。


 

「――ルベウス」

 

 ハルトは静かにその名を呼ぶ。

 しかし、ルベウスはその呼びかけには何も答えず、濁った瞳でボタンを真っ直ぐに見つめたまま、なおも幽鬼のような足取りで近づいてくる。

 今の彼には、半端な言葉では届かないであろうことは明らかだ。

 

 そんな状態のルベウスを前にしたハルトは一瞬躊躇う様子を見せた後、意を決したような表情で再度呼びかける。

 

「……ねぇ、『ベリル』……君なんだろう?どうしてこんなことを……?」

 

「――――」

 

 ベリルの名前を出した瞬間、彼の歩みがピタリと止まる。その表情は俯き、こちらから伺うことはできない。

 彼の正体はおそらくベリルで間違いない、だが、どうか違っていてほしい……そんな複雑な感情をずっと抱いていたハルトは、この状況も相まってその悶々とする気持ちがついに限界に達した。

 それに、今ここで尋ねなければなにか取り返しのつかない事態になりそうな予感がしたことも理由のひとつである。

 

 ハルトはルベウスの口から、ベリルではないと否定する発言が出ることに僅かな望みを託して彼の名を呼んだ。単なる思い違いならそれで構わない、ただ、ここではっきりさせなければ次の一歩へ踏み出せない。

 そして、たとえその正体が誰であっても助けてあげたいという当初の気持ちに変わりはない。

 

 そんな気持ちを抱え、ルベウスの様子を見ていたハルト。

 ルベウスの顔がゆっくりと上がり、その表情が月明りと照明に照らされる。

 その表情はまるで仮面を張り付けているかのような、感情がすっぽりと抜け落ちたものであった。

 しかし、そこで初めてルベウスの瞳だけがその心情を表すかのように揺れ動き、その瞳はゆっくりとハルトへと向けられる。

 

「……そうか、そいつに聞いたのか」

 

 ルベウスは一瞬ボタンをちらりと見て、実質ハルトが訊いた内容を肯定したとも取ることができる問いを投げかける。

 それに対し、ハルトは首を横に振る。

 

「違うよ、僕は自分でいろいろ調べたんだ。……そうしてルベウスについて調べていくにつれて、徐々にそう思い始めたんだ」

 

 そのまま話を続ける。

 

「確信した理由はいくつかあるんだけど、ルベウスが過去の公式戦で見せた戦い方とベリルと僕が授業でバトルしたときの戦い方があまりに似ていたのがひとつかな。……実は、僕はバトルの最中は全然気づかなかったんだけど、ネモが教えてくれたんだ。ポケモンとの『アイコンタクト』を通じた意思疎通は各地方のチャンピオンクラスのトレーナーでもまずできないって……まして、それがレンタルポケモンならなおさらだってね」

 

「そして、なによりも君のそのランニングシューズだよ」

 

 ハルトがそう言うと、この場にいる全員の視線がルベウスの足元に集まる。

 その靴はきっと様々な冒険を共に乗り越えてきたのだろうと分かるほど使い込まれた、ボロボロのランニングシューズだ。

 

「その靴、ベリルも同じものを履いていたんだよ。そして、過去のルベウスも……。けど、それだけじゃ根拠としては薄いと思っていたんだけど、調べるとどうやらその靴はデボンコーポレーションという会社が製造したけど商品化されなかったんだってね。……だとすれば、世界に一つしかない靴をどうして二人が履いている状況が生まれるんだろうって素朴な疑問だよ」

 

「…………そっか、靴までは気が回らなかったよ。けど、ばれちゃったのならしょうがないね」

 

 長い沈黙の後、ルベウスがぽつりと呟くように言った。

 そして、深く被った白い帽子に手を伸ばし、ゆっくりと取る。

 

「……やっぱり、そうだったんだね……ベリル」

 

 帽子を取ったことではっきりとその顔を見ることができた。

 結果、ハルトの予想していた通り、その顔は見慣れた友……ベリルで間違いなかった。

 分かってはいたが、改めてその事実を突きつけられると頭が真っ白になってしまう。

 

 ルベウスは……いや、ベリルは帽子をカバンに仕舞いつつ、今度はそのカバンからゆらりとモンスターボールを取り出し、そのまま流れるように真上へと放る。

 

 ……彼が以前、使用していたのは『ミュウツー』と呼ばれる圧倒的なまでの超能力を使いこなす、最強と呼ばれる伝説のポケモンだった。

 その実力を間近で2回見る機会のあったハルトは、その戦いぶりを思い出すと背中を冷たいものが伝っていく。

 

 あれほどの戦闘能力を持っているのだ、きっと彼の手持ちの中ではミュウツーが最も強いポケモンのはずだ。

 であれば、繰り出してくるポケモンはミュウツー以外には考えられない。

 

 ――そう考えていたハルトだったが、予想は大きく外れることとなる。

 

 ルベウスのモンスターボールから放たれた眩い光に皆、視線が一瞬遮られた。

 すぐに視線を戻すが、彼らの目にはつい数秒前まではいなかった信じられない存在が飛び込んできた。

 

「なんだ……このポケモン……」

 

 それは誰の呟きだったか、今となっては分からない。だが、この場の全員の意思はその言葉に詰められていた。

 

 目の前に現れたポケモンは、これまで見たこともない巨大なドラゴンポケモンだった。

 その全身は引き込まれるような深いエメラルドグリーンに輝き、その身体には黄色の不思議な模様が刻まれている。

 鋭い爪の付いた前足を向けながらとぐろを巻いた状態で空中に浮かんでおり、その状態のままハルト達を見下ろす迫力や神々しさに思わず誰もが言葉を失い、その姿に惹き付けられる。

 

「――あれは『レックウザ』……ッ!?グラードン、カイオーガに並ぶ伝説の超古代ポケモンがなぜ……!?」

 

 クラベルが驚愕に満ちた声を上げる。

 レックウザと呼ばれたポケモンは、敵意をむき出しにした眼でゆっくりと見回すと、威圧感を放つ咆哮をグラウンド一帯に轟かせる。

 その一声で空気が、地面が、ここにあるもの全てが呼応するかのように激しく震える。

 加えて、見た者を突き刺すような冷徹な瞳から凄まじいプレッシャーが放たれ、普通のポケモンや人であれば恐怖でまともに動くこともできないだろう。

 

 ――このポケモンは、他の生命とは明らかに格が違う。

 

 その場にいるだけで命の序列を容赦なく突き付けてくる。そして、この感覚は以前ミュウツーと相対した時に感じた感覚と酷似していた。

 まさか、ミュウツーと同等のポケモンがもう一体いるなんて。……いや、もしかしたら他にも同格、それ以上の存在が控えている可能性も充分に考えられる。

 

 誰しもが圧倒的な実力差の前に立ち竦んでしまうそんな絶望的な状況の中、ハルトは一歩前へと踏み出す。

 

「ベリル……どうして……?」

 

 そう尋ねるハルトの声と身体は細かく震えていた。それはポケモンを前にしての恐怖なのか、友の苦しみに気づけなかった己への怒りなのか。

 ベリルはそんなハルトの様子を見つめ、しばしの沈黙の後、ぽつりと呟いた。

 

「――ボクはね、人やポケモンを平気で傷つけて殺すような奴らが心の底から憎いんだ」

 

 ベリルは続ける。

 

「ボクはこれまで様々な地方を旅して色々な人やポケモンに出会ってきた。するとね、各地方には必ず歪んだ欲望や野望を抱いている組織がいるんだ。それこそ、ポケモンを道具のように扱ったり、実験に使ったり……中には人やポケモンの命を軽んじているとしか思えない奴らもいた。……しかも、ひとつやふたつじゃないよ」

 

「……そんな」

 

「その度にボクたちは……ボクは、そんな組織を何度も壊滅させてきた。そして、このパルデア地方にも徒党を組んで人やポケモンに危害を加えかねない組織がある……。理由はこれで十分だと思うけどね」

 

「お、オレたちはそんなことはしない!」

「オルティガ殿!ここは落ち着かれよ!」

 

 我慢できないといった様子で、スター団のボスのひとりであるオルティガが反抗的な目つきでベリルを睨みながら食って掛かる。

 そんなオルティガを周囲のボスたちは抑えてと諭しながらも、眼前のベリルからは目を逸らさない。

 だが、ベリルは一瞬視線を動かした程度でほとんど気にも留めず、話を続ける。

 

「もし仮に今はただの不良生徒の集まりに過ぎないとしても、今後を考えれば十分危険な組織になりうる可能性はある。あるいは、別のもっと危険な組織に利用されるか……ボクは後者の方が可能性は高い気がするけどね」

 

 そういったベリルは何かを思い出しているように、遠くを見るような眼で語る。

 

「だから……だから、見定めなくちゃいけない。そして、もしも本当にその可能性があるのであれば、今ここで、おかしな考えを持たないように徹底的に潰さなくちゃいけないんだ」

 

 しかし、そんなベリルの前にクラベルが生徒たちを守るように立ち塞がる。

 その表情はこれまで見たことがないほどに険しく、そして悲しげだった。

 

「……ベリルさんの事情は分かりました。ですが、彼らはあなたが考えるような者たちではありません。それに、今のあなたは誰が傷ついても構わないという目をしている。そこには私たちだけではなく、おそらくあなた自身も含まれている……違いますか?」

 

 この問いかけに何も答えないベリル。

 

「そのままではベリルさん、あなたも彼らも不幸になるだけです。……ですが、そうはさせません。このアカデミー校長として、あなたを止めます」

 

 そう言いながらクラベルは、ジャケットに身に着けているモンスターボールをひとつ取り外して構える。

 これまで見たことがないような表情でベリルを見つめるクラベル。その全身から立ち昇るその気迫は凄まじく、ベリルやレックウザのプレッシャーに引けを取らない。今まさに二人の対決が始まりそうなところであったが、それはボタンの声に遮られる。

 

「ま、待って……!」

 

 声を絞り出したボタンは拳を握り締めながら、辛そうに表情を歪める。

 

「……ベリルは悪くない、うちがベリルに疑われて当然のことをしたから、こんなことに……」

 

「それはいったいどういうことですか……?」

 

 クラベルは困惑した様子でそう訊いた。それに対し、ボタンは震える声でゆっくりと答えていく。

 

「人の過去……それもすごく辛い過去にズケズケと入り込んでトラウマを抉っただけじゃなく、それを利用して脅すような真似を……。言葉ひとつで人がどれだけ苦しみ傷つくか、うちが一番分かってたはずなのに……」

 

 ボタンは一歩前へと踏み出し、深く頭を下げた。

 

「――本当にごめんなさい」

 

 ここでハルトはこれまでの様々な点と点が繋がっていくのを感じた。

 

「ボタン……君は、スター団のみんなを守るために、ベリルの襲撃を止めようとしたんだね……?」

 

 ――スター団あく組襲撃の際、まるで藁にも縋るような声色で、誰かが傷つけられそうなら助けてあげてとハルトに伝えた彼女。

 きっと誰よりも先に、すぐにでも駆けつけたかったはずなのに、それができなかった彼女は今の自分にできることは何かをたくさん考え、悩んだに違いない。

 その結果が、今言った通りベリルのトラウマを利用して襲撃をやめさせることだったのだろう。

 

 しかし、ボタンは暗い表情のまま顔を俯かせる。

 

「そ、そんなのただの言い訳……ベリルを傷つけたことに変わりないし。もっと冷静になればきっと良い方法があったはずなのに、それなのに……」

 

 俯くボタンの様子を見たベリルは瞳が大きく揺れ、誰が見ても動揺しているのは明らかだった。

 きっとこれまでの状況や話から、ベリルの中での『スター団=悪の組織』の固定観念が崩れかけているのだろう。

 

「……もう分からない。いったい何が正しくて何が間違っているのか、ボクにはもう分からないよ。スター団は……スター団は……」

 

 うわ言のようにスター団と繰り返すベリルに、ここまで黙って話を聞いていたメロコが徐に口を開いた。

 

「……さっきから黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって」

 

 そういったメロコはまっすぐベリルに鋭い視線を送る。

 

「確かに、ボタンの選んだ方法は間違ってる。人の弱みに付け込んで脅すなんざ卑怯者のすることだ!……でもよ、オレらはこいつが人の痛みの分かる奴だって知ってる。……そんなこいつが薄汚ぇ方法を取らざるを得ないところまで、お前は追い詰めたんじゃねぇのか」

 

 メロコは普段の荒々しい言葉遣いではあったが、その口調は比較的落ち着いたものであった。だが、乱れそうな感情を必死に押さえつけているのだろう、その声は微かに震えていた。

 その声色の変化にいち早く気付いたビワが「メロちゃん……」と名前を呼び、その肩にそっと触れる。

 メロコはすぐにビワへ視線を向け、大丈夫と小さく頷いた。

 それを確認したビワは、ベリルに視線を戻し優しく語りかける。

 

「……詳しくは分からないけれど、ベリルくんは悪の組織たちと何度も戦ってきて、きっとその中ですごく辛い経験や思いをしてきたんだよね。だから、ボタンちゃんやわたしたちがこれまでと同じような敵なんじゃないかと不安に思ってるんでしょ?……でもね、スター団はベリルくんが考えているような悪の組織じゃないよ?……アカデミーの風紀を乱してしまっていた部分はあるけど、これからはみんなで協力してそういうのもなくしていくし、それにわたしたちも――」

 

 ここまで話したところでビワは顔を俯かせると、しばしの沈黙の後、言葉を詰まらせながら涙声で呟く。

 

「――人もポケモンも、これ以上誰も傷ついてほしくないよ……」

 

 この言葉を聞いた瞬間、ベリルはその目を大きく見開いた。

 先ほどまで光のなかったその眼に、わずかだが輝きが蘇る。

 ハルトはゆっくりとベリルに近づき、そっと手を差し伸べる。

 

「ベリル……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけみんなを信じてみない?そうすればきっと、これまで見えなかったものが見えてくると思うんだ。……大丈夫、隣には僕もいるから」

 

 それを受けたベリルは差し出された手のひらを見つめ、長い静寂がこの広いグラウンドを包み込む。

 しばらくして、ベリルは細かく震える手を伸ばして差し出された手を掴もうとするが、手と手が触れかけたその瞬間、何かを思い出したかのようにハッとしたその手を引っ込める。

 

「――だめだッ!……だめなんだよ、信じてもきっとまた裏切られる。馬鹿なボクが馬鹿みたいに簡単に信じて、大切なものが奪われるくらいなら、最初から信じちゃ……いけないんだ……ッ!」

 

 今にも泣きそうな顔で引っ込めた手のひらを見つめながら、悲痛な声を上げた。

 一体君の過去にどれほどのことがあったんだ……。ハルトは忌まわしき過去の呪縛から抜け出せずに苦しみ悶えるベリルを見て、思わずそんな言葉が喉元まで上がってくる。彼はこのまま行けば、きっと死ぬ時まで同じように苦しみ続けるのだろう。

 ……それでは、あまりにも救いがなさすぎるではないか。

 ハルトは下唇を強く噛締め、己の無力を呪った。

 

 一方のベリルは当初の目的を思い出したように、空虚に満ちた瞳をボタンへと向ける。

 

「そうだ……さあ……マジボス、決着をつけよう。ボクがスター団を倒すんだ……」

 

 右手を空へかざすと、これまでベリルの上空で沈黙していたレックウザが凄まじい咆哮を轟かせ、グラウンドの地面近くまで降りてくる。

 しかし、そのレックウザをまっすぐに見据えたクラベルは再度、モンスターボールを構えた。

 

「させません。生徒を守るのが教師の務め。傷つけない、傷つけさせない。どうしてもというなら私が相手になります」

 

 だが、そんなクラベルの横に並び立つ者がひとり。はっとした様子で振り返ったクラベルが見ると、そこにいたのはスター団あく組のピーニャであった。

 

「待ちなよ……マジボスの前にボクが相手っしょ」

 

「ピーニャさん、下がってください」

 

 厳しい口調でそう伝えるクラベル。しかし、ピーニャは身体の向きはレックウザへ向けたまま視線だけをクラベルへと動かす。

 

「校長。校長はきっともう分かってらっしゃると思いますが、ここで彼と戦わなければきっと誰も救うことができなくなってしまいます」

 

「ですが……」

 

「……危害は加えない」

 

 ベリルのその眼に嘘はない。

 クラベルもここで戦わなければ彼を止められず、結果、救うことができなくなってしまうだろうとは感じていた。加えて、もし仮に自分が戦ったとして、彼を救うほどの心情の変化をもたらすことができるのか。

 そして、ベリルの今の発言。これは先ほどまでの彼ならきっと言わなかったであろう発言であり、彼の中で何かが確実に変わっている証拠でもあった。

 短い時間の中で彼は何度も思慮を重ね、そしてついに決断を下した。

 

「……分かりました。ですが、真に危険と判断した場合はどんな方法を使っても止めます。そしてもうひとつ……これから私は教師として恥ずかしいお願いをします。――どうか、ベリルさんを救ってあげてください」

 

 後ろを振り返ったクラベルは、皆に対し深く頭を下げた。

 これを受けた皆は覚悟を決めたように深く頷く。

 だが、その直後ハルトはピーニャから肩をポンと叩かれる。

 

「――悪いんだけど、ハルトくんはそこで見ていてくれないか?君にはこの勝負の見届け人になってほしいんだ」

 

 ハルトとて、ここで空気が読めないほど馬鹿ではない。これ以上、余計な言葉を重ねる必要はないであろう。

 

「……うん、分かった」

 

 頷くハルトの横をボタンが通り、皆の前へと立つ。

 

「ごめん、みんな。これはうちとベリルの戦いだから――」

 

 ここまで言いかけたところで、ボタンの言葉はベリルによって途中で遮られてしまった。

 

「――悪いけど、6人がかりでも勝負になるとは思えない。……いいから、まとめてかかってきなよ。それに勝てばスター団は文字通り、完全敗北。解散せざるを得ないはず。……これで、終わりにしよう」

 

 この状況を知らない者が聞いたら無謀以外の何物でもないと感じるであろう提案を受け、6人全員の表情が更に強張る。

 その表情には、一人に対して複数名で挑むことに対する罪悪感、そして、ベリルも話した通り6人で勝てるのかという不安等の感情が滲み出ていた。

 

「……分かった。……けど、スター団はどんな勝負にも手を抜かない!戦うからには絶対に勝つ!」

 

 ボタンの声にボスたちは互いに顔を合わせ、こくりと頷いた。

 

「ベリルくん、君には以前酷い目に遭わせられてるからね……今度こそ、永遠にチルアウトさせてやるよ!」

 

「……爆ぜろや」

 

「シュウメイ!推して参る!!」

 

「今回は……オレたちは負けるわけにはいかない!」

 

「全身全霊で……あなたを倒す!」

 

 5人のボスは目の前に立ちはだかる壁を超えるため、そして、スター団というみんなの居場所を守るため、各々のポケモンを繰り出す。

 そして、最後にボタンがポケットからモンスターボールを取り出した。

 その手に握り締めたモンスターボールに祈りを捧げるように、額にボールを当て、目を閉じる。

 

「――ベリル、うちはこれで償い切れるとは思ってない。けど、あなたに対して今のうちができうる最大限の償いを……」

 

 そうして、場には6体目となるボタンのポケモンが繰り出された。

 

 6対1……。数で見れば後者が圧倒的に不利だ。だが、それは一般的な基準に当てはめた場合に限る。

 そして、その1体はそんな一般の基準などには到底収まらない、次元の違う存在である。

 

 ベリルはさっきまで濁り切っていたその眼に、これまでにないほど鋭く輝く光をぎらつかせる。

 

「――もちろん、ボクだって手は抜かない。こっちも本気で行くよ」

 

 そう呟くと、ベリルは徐に制服の片腕の袖を捲った。

 

 すると、これまで見えなかった手首にはパルデア地方では見慣れない、不思議なバングルが装着されているのが見える。

 そのバングルにはキラキラと美しく輝く宝石のような石が埋め込まれているようだ。

 

 ベリルはそのバングルを身に着けた腕を前へと突き出し、もう片方の手でバングルに触れた。

 

 次の瞬間、嵐の前の静けさと言わんばかりに静まり返ったグラウンドに、異様な突風が巻き起こると同時、全員の背筋に冷たいものが走る。

 そして、ベリルのぞくりとさせられる抑揚のない声が、この空間全体に響き渡った。

 

 

「――『メガシンカ』」



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19

 だいぶ期間が空いてしまいまして申し訳ありません。
 仕事の関係で多忙であったことに加え、執筆する手が進まず今まで休んでおりました。
 また、投稿を続ける中で様々なご意見をいただき、物語の構成などを考えることの難しさを痛感致しました。
 本来であれば物語を収束に向かわせたいところではありますが、当初考えていた作品構成ではまだ中盤、ポケモンSVの原作でもスターダストストリートは中盤に位置し、最後のエピソードが控えております。
 今後も様々な厳しいご意見をいただくとは思いますが、何とか折れずに最後までは書き切ってやろうと思っています。
 今後とも応援よろしくお願いいたします。


 

 

「――『メガシンカ』」

 

 呼吸することすら忘れてしまいそうな緊張感が張り詰めた静寂の中、ベリルの発した一言がグラウンドに響き渡る。

 直後、ベリルが手首に身に付けているバングルに嵌め込まれた不思議な石が光を放ち始めた。

 その光に呼応するようにレックウザの全身も輝き始め、ふたつの眩い光はひとつに交わる。

 

 そして、直視できないほどの閃光に包まれると同時、衝撃波かと錯覚してしまうほどの強烈な突風がこの場にいる全員に襲いかかった。

 

 目を開けるのも困難なほどの激しい閃光と暴風により、皆、思わずその眼を閉じる。

 ハルトも皆と同様に、咄嗟に腕で顔を覆いながら眼を閉じてしまったが、今この状況で周囲が見えないことの危険性が脳裏をよぎり、すぐさま眼を開く。

 眼を開くまでにかかった時間は、せいぜい数秒といったところか。

 

 ――しかし、そのほんの僅かな時間の間に、レックウザの姿は先程までと一変していた。

 

 見上げるほどの巨躯を誇った体長は、あれから更に倍近くまで巨大化しており、その巨体から放たれる圧倒的なまでの威圧感は先程までの比ではない。

 下顎は何物も貫く槍が如き鋭さの形状となり、その下顎と頭部から伸びる龍髭のような形状の器官が、吹き荒れる暴風に靡(なび)いている。

 

 そして、レックウザの形態が変わるまでは、不気味なまでに停滞していた空気の流れが、形態が変わると同時に、上空から地上へとまるで叩きつけるような乱気流が吹き荒れた。

 ……その乱気流はまるで、レックウザを護るかのように吹き荒れており、空でだけでなく、まるで大地や海……この世界の自然そのものが敵となったかのような絶望感を感じながら、改めて目の前の存在の大きさを知る。

 

 きっとこの場にいる者全員が、同じ感情を抱いているだろう。 

 だからといって、彼らの目が絶望に染まることは無かった。

 6人は互いに目配せをして、タイミングを計り同時に攻撃の指示を出す。

 ポケモン達もトレーナーの指示に従い、ほぼ同時に激しい攻撃を繰り出した。

 

 しかし、レックウザは襲い来る攻撃をものともしていない。

 様々な方向から放たれ飛び交う攻撃を優雅さすら感じる動きで、長い身体を器用に操り、全て紙一重の間合いで躱していく。

 その姿はまるで舞っているようであった。

 

 ……だが、ここでレックウザの動きにほんの僅かな違和感を感じたハルトは、目を凝らしてその一挙手一投足を観察する。

 そして、すぐにその違和感の正体に気が付いた。

 

 レックウザは、舞うように躱しているのではない。

 

 ――『舞いながら』攻撃を躱しているのだ。

  

 「まさか『龍の舞』を回避に……ッ!?」

 

 以前もベリルは技を応用し、本来とは異なる別の用途に使ってみせる柔軟な発想を、ハルトとのバトルで見せつけたことがあった。

 

 ……あの時はマリルリの『アクアジェット』を攻撃ではなく、その速度を生かして敵へ接近するたの術として使ってみせ、そのまま更に強力な技である『アクアブレイク』へ繋げてみせた。

 

 今回も同様だ。

 本来、龍の舞と呼ばれる技の効果としては、舞ったポケモンの攻撃と素早さを上昇させる技だ。

 決して回避行動を前提とした技ではない。

 

 それを、今回は龍の舞という補助技を用いて、敵からの無数の攻撃をただ躱すだけでなく、自らの能力をも上昇させる術とした……。

 

 非常に合理的な技の応用に驚かされたが、何より最も驚愕したのは……ベリルはバトルが始まってから、一言もレックウザに指示を出していない事だ。

 

 何も指示を出していないにも関わらず、レックウザがこれだけ的確な判断を下せるのか。これこそ、伝説と呼ばれるポケモンの実力なのか……。

 一瞬、そう思いかけたが、過去のバトルでもアイコンタクトでポケモンに指示を出していたという話を思い出す。

 

 そう、恐らく指示は出しているのだろう。……目と目、心と心で。

 以前のレンタルポケモンとは違い、レックウザはベリルの手持ちである。

 きっとこれまで困難が伴う長い旅を共に乗り越えてきたことで培われた絶対の信頼、そして固く結ばれた絆があるのだろう。

 

 そして、レックウザはその信頼に応えんと、眼前に立ちはだかる彼らを全力で迎え撃つ――。

 

 宙にとぐろを巻き、敵を見下ろしていたレックウザはゆっくりとその身をかがめ、地を這うような体勢をとる。

 

 その瞬間、レックウザの姿がブレたように見えたと同時に、吹き飛ばされてしまうほどの衝撃波がこの場の皆に襲いかかった。

 

 ハルトは体勢を崩し、思わずその場にしゃがみこむ。 

  

 衝撃波によって土煙が舞い上がり、周囲の様子が霞んで見えないが、ハルトは目を凝らしてポケモンたちがいた前方を見る。

 

 すると、徐々に土煙は落ち着き、視界が戻っていく。 

 そうして土煙が晴れた視界の中、最初に目に入ったのは6体のポケモン全てが戦闘不能となり、地面に倒れている姿だった。

 

 ――何が起こったのか分からない。

 

 ただ、唯一分かっているのは、レックウザが攻撃を仕掛けたということだけだ。 

 

「あの技は……『神速』……?」

 

 呆然と光景を見つめるクラベルが呟きを漏らす。

『神速』とは、相手のポケモンが技を繰り出すより先に攻撃をする、先制技の中でもトップクラスの威力を誇る技である。

 ハルトもこれまでの旅の中で、神速を使用するポケモンに出会ったことがあった。目にも止まらぬ速度で攻撃されるため、対策等も立てにくく苦戦したことが印象に残っていた。

 

 だが、今の神速はもはやこれまで見てきた技との次元が違う。

 

 文字通り、刹那の一瞬に繰り出された一撃……それだけで6体のポケモンが同時に倒された。

 

 だが、能力が上昇したというだけで、たった一撃で6体ものポケモンを倒すことなど、たとえ伝説と呼ばれるポケモンでも可能なのか。

 そんな僅かな疑問が脳裏を掠めたその時、レックウザの首元に体表の輝きとは異なる、物質特有の光を反射するような輝きが一瞬見えた。

 

 ――その首元にあったのは『いのちのたま』と呼ばれる道具だった。

 

 その効果は攻撃の威力を上昇させる代わりに、代償としてポケモンの体力を消費するという戦闘に特化した捨て身の道具だ。 

  

 ――メガシンカと呼ばれる形態変化による身体能力の大幅強化、龍の舞による能力の向上、そしていのちのたまの効果による攻撃力の増加……。

 

「――強すぎる」

 

 無意識にハルトの口から、その言葉が漏れ出た。それは、心の底からの呟きだった。

 

 ……レックウザとその他のポケモンでは、素の能力でも圧倒できるであろうほどに実力差がありすぎる。

 にも関わらず、ベリルはその実力に奢ることをせず一切の油断をすることなく、最善策を講じてくる。

 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというが、目の前の存在は獅子とは比べ物にならないほど生命としてのレベルが違う。

 

 スター団各リーダーの頬を汗が伝っていく。

 

 レックウザとベリルの突き刺すような冷徹な瞳が、真っ直ぐに眼前の彼らを倒さんと捉えて離さなかった。



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20

 

 ――とうとう、ベリルとスター団ボス達のバトルが始まった。

 

 当初、実力者同士の激しい戦闘が繰り広げられるかと思われていたが、バトルが始まると文字通り一瞬で、スター団の6体のポケモンが倒されることとなる。

 

 その後もバトルは続いていき、ついに彼らの手持ちの5体目となるポケモン達が、再び強力な一撃によって同時に薙ぎ払われた。

 

「――そんな」

 

 バトルが始まってすぐに突きつけられた、圧倒的なまでの実力差……。

 しかし、その見立てですらまだ甘かったのだと、バトルを継続するにつれて明らかになっていく。

 

 まず、レックウザへ攻撃を繰り出す隙が全くないのだ。その全てを見透かしたような、凍てつく瞳はまっすぐにポケモン達を捉え、一切の油断を感じさせない。

 それに、仮に攻撃を繰り出すことができたとしても、全て紙一重で躱されてしまう上、龍の舞を行うためむしろレックウザの能力を大幅に向上させることとなる。

 そして、そこから繰り出されるレックウザの攻撃は、どんなポケモンも一撃で倒すほどの威力を誇り、加えてその攻撃範囲は場にいる6体全てに同時に当たるほどの広さがある。

 

 ……結果として、1体目のポケモン達が倒されてから、まだそれほど時間は経っていないにも関わらず、あっという間にボスたち6人の手持ちはそれぞれ残り1匹となり、場は最終局面を迎えていた。

 

 6人がポケモンをモンスターボールに戻す様子を眺めながら、もう終わりなのか……と、ベリルは言い様のない虚しさを覚える。

 

 ――バトルが始まる前、彼らの様子を見ていたベリルの心の中に、言葉では表現することのできない感情をほんの一瞬だが感じる瞬間があった。

 

 悪の組織や悪になりかねない組織を壊滅させなければならないという目的……もちろん、その意識もある。

 だが、目の前にいるスター団の彼らなら、どんな事があろうと間違った方向には進まないのではないか……そんな考えが次第に思考を埋めていく。

 

 そして、その思考が強まれば強まるほど、分厚く覆われていたベリルの心の氷が少しずつ溶けていくのを、確かに感じた。

 

 ――自分自身が感じたその思い……果たして、それが正しいのか、間違っているのか……もはやベリル自身にも判断をつけることが難しくなったその真偽を見定めるべく、バトルを挑んだのだ。

 

 しかし、スター団側それぞれ手持ちポケモン残り1体まで追い詰める場面まで来たが、ベリルの疑問が解消されることは無かった――。

 

 無意識に顔を俯かせていたベリルは、思考の海から切り替えて、この戦いを終わらせるべくゆっくりと顔を上げる。

 

 目の前の彼らから、手持ち最後となる6体目のポケモン達が繰り出されたことを確認したベリルは、黒く濁った瞳でアイコンタクトを用いてレックウザに指示を出そうとする。

 

「もう終わらせよう……」

 

 その時、レックウザを挟んだ向こう側にいるスター団のボス達6人と、そのポケモン達の眼に視線が吸い寄せられる。

 

 ――あの眼には、見覚えがあった。

 

 トレーナー達のその眼は――何よりも、人やポケモン……仲間を大切にしていた、他人の幸せを何よりも願い続け、最期まで大切なものを守ろうと立ち向かった、ある少女と同じ眼だ。

 

 そして、ポケモン達はそんなトレーナーを一切の疑念もなく、心の底から信じている。

 

 ……これまで出会った悪の組織のポケモン達は皆、瞳の奥を見ると感情を微塵も感じさせない、そんな空虚な瞳をしていた。

 それは、どれだけ外面を取り繕っても、隠すことのできるものではない。

 ただ、自分に命令してくるトレーナーの指示に従うことのみを強いられたポケモン達……。

 

 そんな操り人形のようなポケモン達とは、スター団のポケモン達は明らかに違っていた。

 トレーナーを信頼し、互いに助け合いながら、万が一の時には自らの命も厭わないほどの覚悟が伝わってくる。

 

 ……『スター団は悪である』という思考で凝り固まってしまったことによって、視野が極端に狭くなり、本来見なければいけない部分が見えていなかったことに、ベリルはようやく気が付いた。 

 

 ――そして、互いを支え合う彼らにベリルは、いなくなった者達の面影を重ね合わせていた。

 

「あ……あぁ……」

 

 彼らからまっすぐに向けられる瞳から、目を離すことが出来ない。

 呼吸が上手くできずに途切れ途切れの吐息が漏れる。震える手足の感覚は消失し、その場に立ち尽くすだけで精一杯だ。

 

 そのベリルの様子はすぐに周囲に伝わり、レックウザが困惑したような雰囲気で、チラリとベリルに視線を向ける。

 

 レックウザが明確にスター団から視線を逸らしたのは、バトルが始まってから、この1回が最初であった。

 

 集中力が極限まで研ぎ澄まされた彼らとそのポケモン達は、恐らく二度とないであろうその僅かな隙を見逃さなかった。

 

「――今だッ!!」

 

 トレーナーの指示とポケモンの行動が重なる。

 ベリルのようなアイコンタクトではなく、互いの意識が極限状態の集中力によってシンクロした。

 それは一朝一夕で出来るものでは無い。これまで積み重ねてきた絆と共にしてきた時間があったからこそ、この状況で可能となったのだ。

 

 それぞれ、自身が持つ最も強力な技をレックウザへ向けて全力で放った。

 ポケモン達の技に、躊躇や迷いは一切感じない。

 

「――ッ!……レックウザ、『ガリョウテンセイ』ッッッ!!」

 

 動揺により一瞬、反応が遅れた様子を見せたベリルだが、すぐに指示を出す。聞いたこともない技名がベリルの口から飛び出した。

 同時にレックウザの全身から凄まじい闘気が放たれる。そのあまりのエネルギーによって、周囲の空間が歪んで見えるほどだ。

 レックウザはそのまま前方の目標へと、まるで流星の如き速度で突撃する。

 

 強力な技とレックウザが真正面からぶつかり合い、爆風と衝撃波がグラウンドだけでなく校舎全体を激しく振動させた。

 

 凄まじい威力を持った技同士が衝突したことにより、辺り一帯を包み込む爆煙が舞い上がる。

 

 次第に、舞い上がった煙が晴れ、バトルコートの状況が見えてくる。

 バトルコートには、クレーターのように大きく地面が抉れた痕が刻まれ、その衝突の激しさを物語っていた。

 そして、激闘の跡が残るその場に立っていたのは――レックウザ、ただ一体のみであった。

 

 レックウザの勝利の咆哮が轟き、その後メガシンカによる形態の変化が解ける。

 

「――倒せなかった……」

 

 呆然とする者、その場に崩れ落ち膝をつく者……。

 

 ベリルとレックウザのあまりにも圧倒的な実力を前に、彼らはどうすることも出来なかった。

  

 結果……たった一人、たった一体でスター団のボスを全員、そして同時に倒してしまった。

 つまり、当初の約束であればスター団はこれをもって解散となる。

 

 ここで、ベリルはスター団のボス達にゆっくりと歩み寄ろうとするが、その間にクラベルは無言で、スター団を庇うように立ちはだかる。

 

 しかし、ベリルの表情を見たクラベルは、目を見開いて驚きの感情とどこか安堵したような表情を浮かべ、身体を横にずらし目の前から退いた。

 

 ――なぜなら、今のベリルの表情は先程までの感情が欠落したような無表情や敵意などの負の感情を全く感じさせない、いつもの穏やかな顔に戻っていたからだった。

 

 ベリルに視線を向けるボス達を、どこか懐かしい友人を見るようにその目を細めて、ゆっくり見回す。

 

「……戦ってみて、君たちスター団の気持ち、ひしひしと感じたよ。ボクは……過去に囚われてすぎてしまって、今ある大事なものが見えてなかった……」

  

「このパルデア地方には……世界征服や人とポケモン達を混乱に陥れようとしたり、今の世界をめちゃくちゃにするような事を考えているような奴は、最初からいなかったんだね……」

 

 絞り出すような声が、静まり返ったグラウンドに溶け、消えていく。

 

「心のどこかでは分かっていたと思う、君たちは悪い人たちじゃないって。だけど、あと一歩信じられなかった。……ボクの心が弱かったせいだ」

 

 ベリルは俯いて、微かに肩を震わせながら固く拳を握りしめる。そんなベリルの様子を見たボタンは、首を横に振る。

  

「そんなことない……ウチが……心を傷つけて、疑われても仕方のないことをしたから……!」

 

「違うよ。ボクが最初にスター団のあく組の人達を傷付けたから、君が動かざるを得なかったんだろう?……それで、許してもらえるかは分からないけど……スター団の人達を傷つけたこと、直接謝りたいんだ」

  

 ここでスター団の皆が困惑した様子で顔を見合わせる。

 

 すると、ここまで静かに聞いていたスター団のピーニャが、話し始めた。

 

「ボクらは悪の組織と疑われるようなこともしてしまっていたし、実際色んな人にたくさん迷惑もかけていたことも事実だからさ。気にする必要は無いよ」

 

「……それに、君は誰も傷つけていないじゃんか。今になって思えば、あの時にサイコキネシスを使ったのは、誰も傷つけないためだったんでしょ?もし、君みたいな強い人が最初からやる気だったら、あんな方法は取らないはずだからさ」

 

 それに続いてボタンも話始める。

 

「むしろ謝らないといけないのはこっち……本当にごめんなさい……」

 

「ボクの方こそごめん……」 

 

 気持ちが込められた言葉には、時として強い思いが宿るという。それは、今この瞬間も例外ではなかった。

 彼らからたくさんの暖かい感情を向けられたことにより、ベリルの心に残っていた僅かな氷塊は完全に溶け、そして消えていった。

 

 

 ――そして、ここまで静かに見守ってくれていたハルトに歩み寄る。

 

「ハルト……本当にごめん。関係のない君まで巻き込んでしまって……」

 

 肩を落としてそう伝えるベリル、

 きっとこれまで正体を言わずにいたことや負の感情を向けてしまったこと等が罪悪感となっているのだろう。

 しかし、ハルトは肩をポンポンと優しく叩く。

 

「気にしなくていいよ!だって、僕たち友達でしょ?友達が困ってたら助けてあげたいって思うのは普通だよ!何かあった時は僕に言ってよ!全力で助けるからさ!」

 

 そう言って、ニカッと人懐っこい笑みを浮かべる。が、すぐに気まずそうな笑みへと変わり、「まぁ今回、僕は何も出来なかったけど……」と、ポリポリと頬を搔いた。

 そんなハルトにベリルは首を横に振る。

 

「そんなことないよ。今こうしていられるのはハルトのおかげだよ」

 

 そう伝えられニコリと微笑むハルトに、ベリルも笑いかけながら静かに話す。

  

「――最後に……最後にもう一度だけ、信じてみることにするよ。世界には悪い人ばかりじゃないんだって。……ポケモンも、人も平和に過ごすことのできる場所があって、それを願う人々がこの世界にはいるんだって」

 




これでスターダストストリート編は終わりになります。次に幕間を1話挟んで、最終章となるザ・ホームウェイ編に入っていきます。
引き続きよろしくお願いします!


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21 幕間

幕間ということで、ややコメディっぽくしていたり、地の文が一人称だったりと、雰囲気をちょっと変えてみました。


 

 ベリルとスター団との確執も解消、お互いに和解したあの日からしばらくして。

 

 今日予定していた授業も終わり、これから何をしようかと考えながらこの学園名物のやたらと長い階段をゆっくりと下る。

 下りても下りても中々終わりが見えてこない、この長い階段……。

 学園の寮に住んでいる生徒は、この階段を上り下りすることなく学園内の各教室に向かうことができる。

 しかし、自宅から通学している生徒は毎朝、そして下校する時は毎回通らなければいけない道だ。

 これが春や秋など、気温や気候が穏やかで落ち着いている時期なら、毎回しんどいなぁくらいで済むだろう。

 

 だが、これが冬……特に夏になった時、その牙を剥いてくる。

 夏の日差しがさんさんと照りつける中、一向に終わりが見えてこない階段を教科書などが入ったリュックを背負って黙々と上らなければならない。

 思わずどこぞの修行僧か?と言いたくなるような苦行を、通学生の彼らは毎日行っているのだ。

 なんまんだぶなんまんだぶと、以前テレビで聞きかじっただけの念仏を唱えながら、手をこすり合わせて彼らに捧げる。

 他の町にも高低差がある場所はあるが、そういった場所は昇降機を設置していることもある。

 パルデア地方の中心であるこの街には何故ないのだろうか……。

 

 そんな余計なことを考えながら階段を下っていると、学園前にあるバトルコートの近くにあるベンチに腰掛けながら、街の様子をぼうっと眺めているベリルの姿を見かけた。

 だが、以前のような、どうすればいいか分からずに思いつめたような雰囲気ではない。

 平和で賑やかな街の様子を、実際に目で見て耳で聞いて……五感でじっくり感じているような、そんな風に見えた。

 そんなリラックスしているところを邪魔するのはまずいかなと、一瞬声を掛けるのを躊躇う気持ちも出たがせっかく見かけたのだ、声くらい掛けても問題はないだろう。

 

「ベリルー!」

 

 僕は階段を下りている途中でベリルの名前を呼んだ。

 思ったよりも大きい声が出たせいもあってか、僕やベリルの周囲にいる他の生徒たちの視線も集めてしまった。

 ちょっと羞恥心を感じながらも、ベリルとやや距離があったがそんなことは気にせず、僕はベリルに向かってブンブンと手を振る。

 こちらに気が付いたベリルはハッとした表情を見せた後、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら控えめに手を振り返した。

 

 ベリルと会ってする話は他愛もないことばかりだ。やれ授業が思ったよりも難しいだの、この地方の人たちは目が合ってもバトルを挑んでこないだの(一名を除く)と。

 目が合っただけで勝負を挑まれるなんて、ネモ……じゃなくて、好戦的なバトルジャンキーの溢れかえるところもあるんだななんて思いながら、その後もお互いにやらかした失敗談やポケモンの育成論、笑い話も交わしていく。

 傍から見れば、授業終わりにだべっているごく普通の友達同士にしか見えないだろう。まあ、実際その通りなので特に何も言うことはないが、あの騒動前に比べると本当に平和になったな~としみじみと感じる。

 

 そして、話題はあのポケモンの話になる。

 

「そういえばさ、ベリル。前にミュウツーってポケモン使ってたよね」

 

 ミュウツーの名前を出した瞬間、ベリルの顔がわずかに強張るのが分かった。

 

「……だね。……ミュウツーはすごくいい奴なんだ。……だから、前のことは全部ボクの指示で――」

 

「――そう!ミュウツーって本当に優しくてかっこいいよね~!実は僕、ミュウツーに助けられたことがあるんだ!その時、ペパーも一緒でさ。ミュウツーは僕たち二人の命の恩人なんだ!それでね、出来ればでいいんだけど直接お礼が言いたいなと思ってて……」

 

 ポカンとした顔で僕の顔を見つめてくるベリル。

 

「え?どうしたの?……そんなに見つめられたらなんだか照れちゃうなぁ」

 

 えへへとあほっぽい笑いを浮かべながら、自分の頭を撫でる。

 しかし、冷静に考えてみると笑っている場合ではないことに気づく。

 なんだろう、何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。それに、僕が話を切ってしまったがベリルは何かを言いかけていた気がする。

 もしかしたら、その言いかけていたことがすごく大切な話だったのかも。そもそも、人が話している途中でいきなり割って入るのはいくら友達とはいえ相手に対してあまりにも失礼だった。

 

 もしかして僕、やっちゃったかもしれない。

 

「あ、あの……ベリル。その、ごめん……話してる途中だったのに割って入っちゃって……それに――」

 

 すぐに謝罪の言葉を述べようとするが、泳いでいた視線をベリルに向けた。

 そして、その顔を見て思わず言葉を飲み込んでしまう。

 

 なぜなら、ベリルの目から涙が頬を伝っていたからだ。

 

「……そうなんだよ。ハルトの言う通り、あいつは優しくてかっこよくて、本当にいい奴なんだ……。ハルト、ありがとう……」

 

 そう言ってベリルは嬉しそうに笑った。

 どうして泣いているのか、なぜ笑いかけてくれたのか、なんでお礼を言われたのか、いろいろ状況が分からないし、むしろお礼を言いたいのは僕の方だし……。

 残念ながら、キーのみを装備していなかったハルトの脳内は混乱状態となっていた。

 

 訳が分からないよ……とは思いながらも、きっと僕の発言がベリルにとっては何かとても大切なことだったのだろう。

 それだけは伝わった僕はとりあえず、ニヘッと笑いながらベリルにサムズアップした。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 その後、なんとミュウツーに会わせてもらえることになった。

 しかし、多くの人々が行き交う街中ではちょっと……とのことだったので、僕らは街から少し離れた草原へと向かった。

 

 到着した草原は通行人もほとんど来ないが、周囲も開けていて近くには川も流れている、すごく景色のいい場所だった。今度、みんなを誘ってピクニックにでも来よう。

 

 さて、そんな絶景の中、僕はベリルがミュウツーを出してくれるのをワクワクしながら待つ。

 

 「それじゃあ、今からミュウツーを呼ぶね」

 

 ……ん?呼ぶ?モンスターボールに入っているのではないのか?

 

 そんな疑問も浮かんだが、ミュウツーに会えるのならそんなことは些細なことだ。

 ベリルは何かを念じるように目を瞑る。どうやらテレパシーか何かで話しているようだ。

 そして、それからしばらくして僕とベリルの間に、純白の身体を持つミュウツーがテレポートで現れた。

 

 片手に食べかけのサンドイッチを持ちながら、もっしゃもっしゃと口いっぱいに頬張り、咀嚼しているミュウツーが。

 

 ……あれ?ベリル、間違えてヨクバリス呼んじゃったのかな?

 

 思わずそんなすっとぼけたことを言いたくなるくらい、頬がパンパンに膨らんだミュウツー。……ミュウツーに頬袋ってありましたっけ?

 完全にお食事の真っ最中に呼び出されてしまった様子のミュウツーに、さすがに困惑する表情を隠しきれない僕。

 

 ベリルも一瞬見開いた目が丸くなっていたが、すぐに真ん丸お目目はジト目となり、ミュウツーが手に持った食べかけサンドイッチを指差す。

 

「……なにそれ」

 

(……これはサンドイッチだ)

 

 これはミュウツーの声だろうか。脳内にテレパシーか何かで直接言葉……というよりも、意思が流れ込んでくる。

 この返答にベリルは首を横に振る。

 

「そうだけどそうじゃない。食事中なんて一言も言ってなかったじゃん。……それに、そのサンドイッチは誰に貰ったの?」

 

(ペパーだ。あいつのサンドイッチは美味い)

 

 ……以前助けてもらった時はすごくクールそうに見えたのだが、話しているところを聞くとなんだかえらくマイペースなようである。

 けど、僕もペパーのサンドイッチは何度も食べているが、あれは本当に美味しい。一度食べれば病みつきになってしまうほどだ。だから、まあしょうがないしょうがない。

 というか、いつの間にペパーと友好関係を築いていたのか。これで案外コミュ力は高いのかもしれない。

 

「……ペパーには後で僕の方からお礼を言っておくよ。それより、実はミュウツーと話したいって人がいるんだ」

 

「こうして顔を合わせて話をするのは初めてだよね。僕の名前はハルト。……実は君にずっとお礼が言いたかったんだ。君は覚えているか分からないけど、以前砂漠で僕とペパーが巨大なポケモンに襲われた時に助けてもらったんだ。もし、あの時助けてくれなかったら僕たちはきっと無事じゃ済まなかったと思う」

 

「助けてくれて、本当にありがとう」

 

(……気にするな)

 

 それだけ言い残すと、ミュウツーはくるりと後ろを向いて、来た時と同じようにテレポートを使って一瞬で消えた。

 

「ぶっきらぼうな奴でごめんね……?けど、あいつすごく嬉しそうな顔してたよ」

 

 そういってニッコリ笑うベリル。

 それを聞いて、嫌われているわけではなかったと分かって安心した。

 そして、もうひとつ。ペパーと言われて大事なことを思い出した。

 

「ベリル……実はひとつ、お願いがあるんだ」

 

「お願い?」

 

 ベリルは首を傾げる。

 

「実はフトゥー博士に頼まれた物を届けにエリアゼロに行くことになったんだけど……ベリルも一緒にきてくれないかな?」

 

「エリアゼロか……危険な場所だって聞いたことがあるけど……」

 

「そうなんだ、おそらくこのパルデア地方で一番危ないところかもしれない。だからね、二人だけじゃ流石に心配だから一緒に行ってくれる仲間を探してるんだ。……もちろん、無理にとは言わないよ。凶暴なポケモンもたくさんいるって博士も言っていたし」

 

「……友達が困っていたら助けるのは当たり前、でしょ?ボクも一緒に行くよ。何か力になれることもあるかもしれないしさ」

 

 そう言って微笑みながら僕の肩をポンと叩く。

 

「……本当にいいの?」

 

「まだハルトには、あの時の恩返しもできていなかったしさ。それに、友達が困っていたら助けるのは普通だって教えてくれたのはハルトじゃないか」

 

「ありがとう……よろしくね、ベリル!」

 

 そうして、僕とベリルは固い握手を交わしたのだった。

 

 

 ――そして、僕たちはエリアゼロの最深部へ向かうことになる。

 

 だけどまさか、あんな事態になるなんて、この時は全く考えてもいなかった――。

 

 



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22

すみません、前回からだいぶ期間が空いてしまいました。
これからちょっとずつペースを戻していきます!


 

 

 ――パルデア地方のほぼ中央に位置するパルデアの大穴。

 

 その最深部へと向かうためのトンネルは、普段は物々しいバリケードによって封鎖されている。

 しかし今回、フトゥー博士から直々の依頼ということもあり、アカデミーやポケモンリーグ等から特別にパルデアの大穴へと立ち入ることを許可された。

 ……本来は例え博士からの頼みだったとしても許可が下りることはまずないのだろうが、同行するメンバーを伝えると何処も渋い顔はしながら最後は首を縦に振ったのだという。

  

 ――あまり広いとは言えないトンネルの中を、ハルトとペパーはゆっくりと歩みを進め、二人の足音のみが反響する。

 ひとつの足音は未知の場所へと向かうことへの期待からなのか、軽やかなものだ。

 ただ、もうひとつの足音はそれとは反対に、まるで身体が前へ進むことを拒否しているかのようにとても重たいものであった。

 

 これから向かう目的地への期待と不安が入り混じる中、トンネルの出口が近づいてきた。

 

 トンネルを抜けた先に佇む奇怪な形状の建物を指差しながら、ペパーは徐に口を開く。

 

「――アレがゼロゲートだ。パルデアの大穴ん中……エリアゼロを観測する施設、ゼロゲートの中から大穴に降りんだ」

 

「ほえ〜、何だか何とも言えない雰囲気があるね」

 

 ハルトはゼロゲートを見上げながら、目をパチパチさせた。

 しかし、ペパーはハルトのそんな呟きが聞こえていないのか、正面を見据えたまま言葉を続ける。

 

「そーいやオマエがつれてるアイツ……ミライドンってエリアゼロが生まれた場所?なんだとさ。もしかすっと故郷に帰れるの嬉しかったりしてな。……ま、どうでもいいけどよ」

 

「オレが呼んだふたりはゼロゲートで待ってるはずだぜ。……行くとするか」

 

「う、うん……」

 

 そう言いながら、ペパーはゼロゲートの入口に向かって歩き出した。

 

 ◆◆◆◆

 

 ……建物の中は、得体の知れない機械があちこちに設置されており、何かしらの周期性を持っているように怪しげな光をチカチカと点滅させていた。

 そんな機械達が所狭しと並んでいるが、それでもそこそこの広さは確保されており、ちょっとしたホールのようになっている。

 しかし、建物の中は何故か薄暗く、機械から放たれる僅かな光や非常灯くらいしか光源がない。

 

「おわっ!なんか暗っ……」

 

 ペパーも同様の感想を抱いたらしく、中に入るや否やそう漏らした。

 

「そうだね。これじゃ周りもあんまり見えないや……ん?」

 

 ここでハルトは前方からこちらに向かって歩いてくる人影を見つけた。

 顔はこの暗さでよく見えないが、鉄で出来た床を踏みしめる足音を響かせながら、その人物は近づいてくる。

 

 ようやく見える距離まで近づいてきたその人物は立ち止まり、聞き慣れた声で挨拶してきた。

 

「やほ!ハルト!」

 

「ネモ!来てくれたんだ!」

 

 パルデアの大穴に挑戦する緊張や誰かが近づいてくる不安から強ばっていた表情が、彼女の顔を見て言葉を交わしたことで一気に破顔する。

 

「ペパーから強いポケモンがわんさかいるって聞いてさ!」

 

 小さな子どものように目をキラキラさせ、ソワソワと落ち着かない様子でネモは言った。

 そんなネモを見ながら、ペパーは肩を竦める。

 

「すげーポケモンと戦えるって教えたら秒で来た。学校では小うるさいだけだけど、頼りになりそうだな」

 

「おー?戦(や)るか!?」

 

 ポキポキと指の節を鳴らしながら、ペパーに凄んでみせるネモ。

 こんな場所でも相変わらず、いつも通りのネモとペパーのやり取りが繰り広げられることに、緊張がほぐれていく。

 

「っていうか暗いよ!すげーポケモンどこにいるの!?」

 

 いつもの声色でキョロキョロとしきりに周囲を見回しているネモを見て、ペパーも首を傾げた

 

「確かに変だな……前来た時は電気ついてたんだけど……」

 

 そう言って3人揃って周囲をキョロキョロと見回していると、突如建物全体に大きな起動音が鳴り響き、施設内を照らす照明が一斉に点灯した。

 

「ついた!」

 

 感嘆符の付いた声をネモが上げた。

 

「なんで?」

 

 ハルト達は何もしていないのに、先程まで消えていた照明が突如点灯したのだ。何が起きたか分からないと言った表情で、天井の照明を見つめるペパー。

 

「う……うちがやった」

 

 困惑するハルト達だったが、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきたことにより、そちらに視線を向ける。

 

 そこには以前のスターダストストリートにて、ハルトとぶつかりあったボタンが立っていた。

 しかし、あの出来事がきっかけでハルトにとっては今やネモとペパーに並ぶ気心の知れた友人である。

 

「ボタン!」

 

「なんかオートで省電力モードになってたっぽい」

 

 当のボタンは若干、視線を泳がせながらそう語る。

 

「ハッキングして強制的に解除……」

 

 ボタンが何かを言いかけた時、ネモがボタンの顔を指差しながら声を上げた。

 

「あー!イーブイバッグがもっふもふの!!」

 

「もふ……?えと、名前、ボタン……」

 

「話すのは初めまして!わたし、ネモ!クラスは1-A!機械得意なんだね!ポケモン勝負は好き!?」

 

 再び目を輝かせ、モンスターボールを両手で握りしめながらネモはボタンに詰め寄っていく。

 

「うぐ、グイグイ来るし……」

 

 ボタンは頬を若干引きつらせながら、1歩後ずさる。

 そんな平和な光景を眺めながら、ハルトとペパーは話す。

 

「ボタンも呼んでたんだね!」

 

「あぁ、ハイテクに強いヤツ、校長から紹介してもらった。ハルトの助けになるって声かけたら秒で来た」 

 

 すると、その話が聞こえたのかボタンは真剣な表情でこちらに向き直った。

 

「冒険とかガラじゃないけど……ハルトに借り返さなきゃ。約束は果たす」

 

「ボタン……ありがとう。君がいればすごく心強いよ」

  

「意外と硬派なヤツ」

 

 感心したような表情でペパーは言葉を漏らした。

 その後、3人の顔を見渡すとコホンと咳払いした。

 

「改めてオレはペパーだ!好きなものはマフィティフと料理で……」

 

 と、ペパーが自己紹介を始めるや否や、施設内のスピーカーから以前も聞いたことのある声が聞こえてくる。

 

『生体認証確認中……生体認証確認中……』

 

「ハロー、ハルト。待っていたぞ。優秀な仲間を集めて来てくれたようだな」

 

 人間味を感じさせない淡々とした口調が響く。

 

「いや、どちら様なん」

 

 その声を聞いて訝しげに眉をひそめるボタン。

 それに対し、ペパーは若干躊躇するような様子を見せたが、徐に口を開く。

 

「オレの父ちゃん……多分」

 

「え!フトゥー博士!?」

 

 ネモは目をパチクリさせ、驚きの声を上げた。

 

「学籍番号805C001、ネモ。学籍番号803B121、ボタン。来てくれて感謝する」

 

「博士!お会いできて光栄です!まだ会えてないですけど!」

 

「えと……うちらのこと話したん?」

 

「んなわけあるかよ……」

 

 困惑した様子の2人は顔を見合わせている。

 しかし、フトゥー博士は何も答えず淡々と話を進めていく。 

 

「キミたちにはまず、パルデアの大穴に入ってきてほしい。右手に見えるエレベーターから、下の部屋に降りられる」

 

 降りる方法について事務的な口調で説明を終えると、これ以上話すことはないといったようにスピーカーは静かになった。

 沈黙が流れる。

 

「――あのさ……父ちゃん!」

 

 表情に緊張の色を滲ませたペパーが、意を決したように声を発した。

 

「……先へと進んでくれ」

 

 だが、それに対する答えは帰ってくることはなかった。

 

「…………」

 

「え、仲悪いん?」

 

「うーん……?」

 

 気まずい沈黙が周囲を包み、ペパー以外の3人が困惑した様子で視線を泳がせる。

 その泳いだ視線は自然と先ほどフトゥー博士が話したエレベーターの扉へと集まる。

 だがここでハルトが控えめに手を挙げながら、申し訳なさそうに話し始めた。

 

「ご、ごめん。みんな準備は出来てると思うけど、ちょっとだけ待ってくれないかな。実は僕も1人だけ声を掛けてる人がいるんだ……」

 

 そう話している最中、ハルトの背中側にあった出入口の自動ドアが突然開いた。

 全員が今開いたドアへ振り返り、視線を向ける。

 外から太陽の眩しい光が差し込み、思わず目を細めるが誰かがゆっくりと施設内へと入ってきたのが分かった。

 

 今ここに入ってくるのは、後1人しか考えられない。

 

 ハルトは嬉しそうに表情を輝かせ、その人物の顔を見ようとした。

 

 ――そして、ピタッと硬直した。

 

 おそらくこの時、ハルト以外の3人についても状況が理解出来ず硬直していたに違いない。

 

「……宇宙人?」

 

 ボタンの絞り出すような呟きが聞こえる。

 ……確かに、目の前の人物を一言で表すならその表現が近いかもしれない。 

 というのも、今目の前にいる人物は宇宙服のような見たこともない服装を身に着けているのだ。そのせいで表情を読み取ることも出来ない。

 だが、中の人物はそんなことには気付いていないらしく、頭部全体を覆うヘルメットを被っているのに頭を搔く仕草をした。

 

「ごめん、遅くなっちゃった!中々防護スーツが見つからなくてさ!まさか、また着る機会が来るとは思わなかったよ〜!」

 

 防護服の中からくぐもった笑い声が聞こえてくる。

 しかし、困惑を隠しきれないハルト達は目を真ん丸にして、見つめたまま固まっている。

 そんな様子を見た宇宙服の人物は、何かに気づいたのかハッとした様子を見せた後、しょんぼりと肩を落とした。

 

「…………あ、ご、ごめん。遅れてきたのにヘラヘラしてるのはあまりにも失礼だったね……」

 

「いや、そこじゃねぇ」

 

「ベリル……その格好は何?」

 

 ハルトは困惑しながら訊いた。

 それに対し、ベリルはポカンとした様子で答える。

 

「え?だってパルデアの大穴ってすごく危険なところって聞いたから……もしかして、周囲に溶岩が流れてたり、深海に潜ったりするのかなとか……」

 

「いや、溶岩は流れてないし深海にも潜らないぞ」

 

「あるいは防護スーツを着ないと生きていけないくらいの極限の環境なのかなとか……」

 

「大丈夫だ、最深部まで生身で行けるらしい。というか、父ちゃんはそこにいるし」

 

「……そっか……」

 

 しばしの無言の後、ベリルは徐に防護服を脱ぎ出し、それをカバンの中にギュウギュウに仕舞い込んだ。

 明らかにカバンの容量を大幅に超える質量のものが、みるみる中へと吸い込まれていく光景を目の当たりにしながら、ハルト達は静かに待った。

 

「……お待たせしちゃってごめんね」

 

 そう言ってベリルは少し寂しそうに笑った。

 

 ……まさかとは思うが、今言ったような場所に本気で行こうとしていたのだろうか。というか、まるで行ったことがあるような口ぶりだったが……。

 

 とんでもないパンドラの箱を開いてしまう気がして、ハルトはこれ以上考えるのをやめた。



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23

 

 こうしてハルト達5人は、ゼロゲートよりミライドンの滑空によってパルデアの大穴の中へと向かった。

 

 大穴と地上を分かつように立ち込める厚い霧を抜けると、そこには緑豊かな大地と透き通る小川や滝が流れ、ポケモン達も静かに暮らしている豊かな自然が広がっていた。

 その光景を見る限り、普通では立ち入ることすら許されない危険地帯であるとは思えない。

 そんな地面へと降り立ったハルト達は周囲を見回している。

 好奇心に駆られた視線を周囲に向けている者がいる中、ペパーだけは複雑な感情を浮かべていた。

 

「……また、来ちまったな」

 

 それもそのはず、以前パルデアの大穴に来た時、相棒であり家族同然のマフティフが大怪我を負ってしまい、長い間歩くことさえできないほどに衰弱してしまっていた。きっとその時の記憶が蘇ったのだろう。

 その近くでグッタリした様子の2人もいた。

 

「ハア……ハア……途中、2回は死んだ……」

 

「そりゃ後ろ向きはキツイよ……ていうか、なんでボクだけミライドンのタイヤにしがみついての滑空だったんだろ……」

 

 まぁ、楽しかったからいいかと呟くベリルに青白い顔色のボタン。

 そんな中、ミライドンが何かに怯えたような様子を見せる。

 

「……ミライドン、どうしたの?」

 

 優しく撫でながら問いかけるハルトだったが、細かく震えるミライドンはとうとう自らモンスターボールの中へと戻っていってしまった。

 

「自分からボールに戻ってった?」

 

「どうせ腹でも減ってんだろ」

 

 その様子を見ていたボタンが不思議そうな声を上げるが、それに対しペパーはやや冷たい態度を見せた。

 

「そうだといいんだけど……」

 

 新しい場所での冒険はこれからというところでこれは、幸先があまり良いとはお世辞にも言えないが、この場の仲間たちであればそんな状況も跳ね飛ばせるだろう。

 そんなことを考えていると、ペパーは何かを探しているかのように周囲をキョロキョロと見回し始める。

 

「…………そういや生徒会長は!?」

 

「え、いないし。まさか……」

 

 ついさっきまでは確実にいたネモの姿がいつの間にか見えなくなっている。

 今のところ目に見える危険はないようだし、あのネモの事なので危険な場所には行かないだろうが、場所が場所なだけに皆の中に最悪の状況が脳裏をよぎる。

 

「い、急いで探しに行かないと……」

 

「……いや、どうやら大丈夫そうだよ」

 

 ハルトの発言にベリルは慌てる様子もなくそう言った。皆はベリルが見つめる視線の先を見る。と、同時に聞き覚えのある声が聞こえてきた。 

 

「ねー!ねー!みんなー!」

 

 キラキラした瞳と満面の笑みを浮かべたネモは、やや離れたところからこちらに駆け寄ってくる。

 呆気に取られる4人に、ネモが興奮した様子で話す。

 

「エリアゼロすっごいの!はやく行こーっ!」

 

 どうやら我慢しきれず一人で周囲を見て回ってきたらしい。

 ピョンピョンと跳ねながらこの先を指差しているネモに、すっかり毒気を抜かれた皆が顔を見合わせ、顔を綻ばせる。

 

「……特性マイペースなん?」

 

「生体認証確認中……5名共、コンディションオールクリア。バイタルは正常な数値です」

 

 ボタンが安堵のため息と一緒に呟いた直後、フトゥー博士の声で機械的なアナウンスがスマホロトムから響いてきた。

 皆の視線がスマホロトムに集まると、そこから再びフトゥー博士の声が聞こえてくる。

 

「無事に降下できたようだな」

 

「ハッ!ずいぶんと快適な着地だったぜ!」

 

「それはよかった。現在可能な降下方法は難易度が高いため心配していたのだ」

 

 ペパーが皮肉たっぷりに言った発言は、まるで全く聞いていないかのように真正面から返される。

 分かっているが敢えてそう答えたのか、あるいはそもそも今のが嫌味だと分かっていないのか……どちらにせよこの思いもよらないカウンターに困惑しているペパーは首を傾げる。

 

「イヤミ通じてないし」

 

「ははは……」

 

 ボタンとベリルもそんなやり取りを見て、やや戸惑った様子でぼそりと呟いたり半笑いを浮かべた。 

 

「ご心配ありがとうございます!」

 

 ネモだけは真正面から来た言葉をそのまま受け取り、丁寧に感謝の言葉を述べた。

 やはりアカデミーの生徒会長を務める人物は、礼節がしっかり身に付いているのだなと、屈託のない笑顔を浮かべるネモの横顔を見ながらハルトは思う。

 

 しかし、博士はそれらに触れることも無く淡々と話を進めていく。

 

「これから最深部……ボクの待つゼロラボを目指してもらうわけだが……その扉は外部から4つのロックがかかっており、ボクでは解除できない」

 

「4つのロック……」

 

 博士の発言をボタンが眉間を抑えながら小声で復唱する。

 

「キミたちには途中に建造されている観測ユニットを4か所めぐってもらう。その施設でロックを解除しながら進んできてほしい」

 

 スマホロトムにはその観測ユニットと呼ばれる建物の写真が表示されている。建造されてからかなりの年月が経過しているのだろうか、元は真っ白だったと思われる壁には無数の蔦が絡みついている。 

 

「では、健闘を祈る」

 

 博士はそれだけ伝えると連絡を切り、スマホロトムはハルトのポケットへと戻っていった。 

 

「4つのロックかー!ゲームみたいで楽しそう!」

 

 再びテンションが跳ね上がるネモ。

 

「だねー!ボクも久々の冒険でワクワクが止まらないよ!」

 

 ベリルも興奮しているらしく、楽しそうに周囲を見ながらソワソワと落ち着きがなくなってきた。

 

「それじゃあエリアゼロの奥底目指していざ出発っ!」

 

 ネモの掛け声を受け、5人はエリアゼロの最深部を目指して歩き始めた――。

 

◆◆◆◆

 

 ――それから、観測ユニットを巡っていく道中で、様々なポケモン達と出会った。

 ほとんどはこれまで見たことのあるポケモンだったが、中には地上にいるポケモンと近い外見を持っているにも関わらず、その気性は非常に荒く図鑑にも表示されないという、明らかに異質なポケモンも存在していた。

 

 当然、5人はその異質さを感じ取っていた。

 そして、あのポケモンはバイオレットブックに記載されているエリアゼロの怪物なのではないかと、ペパーが話したその時だった。

 再びスマホロトムが着信音を鳴らし、皆の前に飛び出した。その画面に映るのはフトゥー博士だ。

 

 そうして、通信してきた博士から衝撃の事実が伝えられる。

 

 それは、エリアゼロ内に生息している一部の生物は、この世界のポケモンではない――今よりはるか未来のポケモンなのだという。

 

「未来のポケモン……!?」

 

「えー! すごすぎ!」

 

「いやいやいや、無理があるし……」

 

 三者三様の反応を見せる彼らに、フトゥー博士は続ける。

 

「ボクがいるゼロラボにタイムマシンが存在しており、未来のポケモンを呼びだしているのだ」

 

 ただ事実を並べているだけと言わんばかりに、淡々とそう語る博士。

 驚愕の表情を浮かべるハルトやネモ、ボタンの横で、他の2人は険しい顔でスマホロトムに映る博士を睨む。

 

「父ちゃ……オマエは何のためにオレたちをエリアゼロに呼んだ?」

 

「割り込むようで申し訳ないんだけど、ボクも聞きたいな。……あなたは、それを使って何をしようとしてるんですか」

 

 ペパーとベリルの2人とも、普段より低い声色でフトゥー博士に問いかける。その声には有無を言わせぬ迫力があり、他の3人は思わず言葉を飲み込んだ。

 

「ペパー、ベリル、それは……可能であれば直接話させてくれ。実物を見せながら説明できれば理解もしやすいはずだ」

 

 フトゥー博士は若干、言葉を途切れさせながら言った――。

 

 

――その後、今いる観測ユニットのロックを解除した5人は、にわかには信じがたい話を聞き、かなり困惑しながらもそれぞれの意見を語る。

 

「違う時代のポケモンと戦えるなんて最高じゃん!エリアゼロ、来てよかった!」

 

「タイムマシンとか一気にSF感増してきた」

 

 ネモとボタンはまるでどこかの物語のような状況に置かれていることを知り、だいぶ興奮しているようだ。

 もちろん、ハルトも見たこともないポケモンやボタンが言ったSFのような体験が出来ることに胸が躍っているのは事実だった。

 

 しかし、これまで見たこともないほど考え込むペパーと、血の気が引いた真っ白な顔で機械を見つめるベリル。この2人を見ると徐々に不安が波のように押し寄せてくる。

 

 皆から少し離れたところで、ペパーは腕を組みながら、先ほどのフトゥー博士とのやり取りを思い出していた。

 

「アイツ……誰だ?」

 

 まるで自分自身に問いかけるようなペパーの小さな呟きは、幸か不幸か誰の耳にも届くことなく、再び思考を巡らせた。

 

 そして、ハルトは先程と比べると明らかに様子がおかしいベリルの肩を叩き、心配そうに声を掛ける。

 

「べ、ベリル……大丈夫?」

 

「……うん、大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけだから」

 

 そう言ってベリルは軽く微笑み、観測ユニットの奥に向かい乱雑に積み重ねられていた書類に目を落とす。

 

 ……しかし、笑顔で隠された瞳の奥には、以前スター団との争いの中で見せた時と同じかそれ以上の闇が広がっていたことを、この時は誰も気がつくことが出来なかった。 

 



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24

 

 

 ――あれから、ハルト達は全ての観測ユニットを巡り、最深部まで辿り着くことが出来た。

 

 しかし、その道中は順調に進んだわけではない。

 博士の言っていた『未来のポケモン』の襲撃が地下に進むほどに頻度を増し、5人で協力しながら何とか退けてきたのだ。

 その中には以前、砂漠で遭遇したドンファンによく似たポケモンと同じ種類もいた。どうやら、あのポケモンも未来のポケモンのようだ。

 これであれほどの強大な力を持っていた理由が分かると同時、もしこのポケモン達が同じようにパルデアの大穴を抜け出した時、地上にどれほどの被害が出るのかを考えゾッとした。

 

 それ以外に、ミライドンがモトトカゲの未来の姿であることも博士から告げられた。ミライドンの種族は、今ハルトの元にいる個体ともう一体の計2体が、未来より転送されたという。

 もし家族なら再会させてあげたいという全員の意向もあり、ゼロラボへと向かう目的がひとつ増えた。

 

 

 ――そして、いよいよ最深部のゼロラボ入口へと辿り着く。

 

「ここが……エリアゼロの最深部か!?」

 

「到着ー!財宝伝説、確かめちゃう!?」

 

「あれって教科書に書いてるだけっしょ」

 

 それぞれが周囲を眺めながら、思い思いの感想を口にする。しばらくして、スマホロトムが着信音を鳴らしながらポケットから飛び出てきた。

 画面に映るのはフトゥー博士だ。

 

「ハロー、子供たち。よくぞ辿り着いた。キミたちの目の前にある建物こそがゼロラボだ」

 

「博士がいるとこですね!」

 

 ネモが画面のフトゥー博士に反応する。

 そう、ここが最終地点。

 この建物の中にフトゥー博士がいるのだ。

 と、ここで話を聞きながらゼロラボを見ていたボタンが声を上げる。

 

「結晶体に取り込まれてる……!?」

 

「本当だ……」

 

 てっきり結晶体の内部に建設されているのだと思っていたが、よく見ると確かに結晶体に取り込まれ、建物自体が結晶体そのものとなっている。

 

「エリアゼロ内部の結晶体は、不思議なエネルギーを持つ。生物の能力を変化させたり、機械の機能上昇にも効果がある。ポケモンがテラスタル化するのも同じエネルギーなのだ」

 

「……つまり、この建物もテラスタルしてるってことか?」

 

 ペパーは頭の上に『?』を浮かべながら首を傾げた。

 

「……ペパー、ちょっと黙ってて。…………テラスタルオーブは、エリアゼロの結晶体で出来てるってこと……すよね」

 

 これにボタンは眉間に皺を寄せ、腕を組みながらしばらく考え込んだ後、こう言った。 

 このボタンの発言に、思わず全員が驚愕の表情を浮かべる。

 これにフトゥー博士はこくりと頷く。

 

「……一部の者しか知らないがね」

 

 ハルト達は思わず自分のポケットにあるテラスタルオーブを取り出し、まじまじと見つめた。……確かに、ポケモンをテラスタルさせる際に現れる結晶やその輝きは、今目の前にある結晶体と全く同じだ。

 まさか普段から使っていたものと、パルデアの大穴にこんな関係があったとは知らなかった彼らだったが、フトゥー博士は話を続ける。

 

「4つのロックを解除したなら、ゼロラボのゲートを開けるだろう。だが、ゲートを開けば中にいる危険なポケモンたちが一気に外へと飛び出してしまう」

 

 危険なポケモン……つまり、未来からやってきたポケモン達の事だろう。しかし、この道中何度も戦ってきたが、ポケモン一体を相手にするのでも簡単には行かなかった。

 それが一度に、それも大量に現れればさすがのハルト達でも苦戦を強いられるだろう。

 

「……大丈夫でしょうか」

 

「……キミたち5人なら乗り越えられるはずだ」

 

 ハルトが思わず呟いたその言葉に、フトゥー博士は静かな、それでいて優しい声色でそう言った。

 4人もハルトの目を真っ直ぐに見つめ、微笑みながら力強く頷く。

 

「しっかりと準備してからゲートを開いてほしい」

 

 そう言い残すと、スマホロトムの通信は切れた。

 一瞬、静寂が周囲を包む。

 だが、ベリルがその静寂を破る。

 

「……いよいよだね」

 

「どんな相手でもハルトとわたしがいれば大丈夫!」

 

「ははー、心強いっす」

 

 ベリルがゼロラボを見つめたまま呟いたそれに、ネモは目をテラスタルのようにキラキラと輝かせながら言った。そんなネモを見て、ペパーは少しおどけてみせた。

 

 ……そんな彼らのおかげで雰囲気は元に戻り、ハルトの表情もだいぶ柔らかくなった。

 

「よし、それじゃ開けるよ――」

 

「――ちょっと待ったー!」

 

 ゼロラボの扉を開けようと、入口前の機械に触れようとした瞬間、ペパーからストップの声がかかる。

 

「えー、何?いよいよってときに……」

 

 いい感じの流れをぶった切られたネモはぶーと唇を尖らせる。

 

「ヤバいポケモンが出てくるなら、ミライドンもいたほうがいいんじゃねえか?」

 

「確かに、入り江のほら穴でのミライドンなら心強い!あの戦いっぷり、見たい!」

 

 ペパーの提案にネモはポンと手を叩き、こくこくと頷く。しかし、それにボタンとベリルはその案にあまり乗り気ではないらしく、うーんと唸り首を捻った。

 

「えー、でも……。エリアゼロ来てからライドするんも嫌がってるし……。ってか、バトルフォルムになれんのでしょ?」

 

「ボクも同じかな……ミライドンが嫌がってるのにも何か理由がありそうだしね」

 

 だが、ペパーは首を横に振る。 

 

「アイツは本当は強いんだ。秘伝スパイス食ってたし、ここぞってときは戦うだろ!それに、エリアゼロはアイツがしばらく暮らしてた場所だし……。ボールから出しとけば家族も見つけてくれるかもだぜ?」

 

「ペパーにしては一理あるよね!」

 

「ううーん、そうなんかなぁ……」

 

「まあ……確かになぁ……」

 

 結局、ネモとペパーの2人の意見が採用される形でミライドンを呼び出すこととなったが、確かにモンスターボールから出していないと近寄ってこないのは間違いないだろう。

 それに、この現状では未来のポケモンに対抗する方法はひとつでも多い方がいい。

 

「ハルト!ミライドン出しちゃえ!……大丈夫だって!ミライドンが戦えなくってもわたしが守るから!ね!」

 

 流石、この地方最強のチャンピオンであるネモが言うと説得力が凄い。これほど心強い存在も中々いないだろう。

 

「うん、分かったよ。それじゃ……出てきて!ミライドン!」

 

 ハルトはモンスターボールからミライドンを繰り出した。

 やや戸惑った様子を見せるミライドンだったが、取り乱しているわけではないようだ。 

 

「おっしゃ!ハルト!ミライドンボールに続いて、ラボのゲートもオープンだ!」

 

「うん!それじゃ開けるよ!」

 

 そう言って、これまでの観測ユニット同様に機械を操作しロックを解除する。すると、ゼロラボからけたたましい音量の警報が周囲に鳴り響きながら、ゆっくりと扉が開き始めた。

 

 ハルト達はその様子を固唾を飲んで見つめていると、突然後ろから何者かが飛んできて着地したような地響きや音、風を感じた。

 

 慌てて振り向くと、そこにはハルトが持っているミライドンよりも大きく、バトルフォルム状態のもう一体のミライドンがいた。

 

「家族が会いにきてくれた!?」

 

「おお……マジか!」

 

 まさかこんなに早く外へ出した効果があるとは思っていなかったが、何はともあれミライドンの家族が見つかったのなら良かったとハルト達は思う。

 

 しかし、その野生のミライドンはハルト達を見回すと、威嚇するかのように大きな咆哮を上げた。

 特に、ハルトのミライドンを敵対視しているようで唸り声を上げながらゆっくりと近付いてくる。

 

 それに怯えてしまっているのか、ネモやベリルの後ろに隠れようとする。2人はハルトのミライドンの頭や頬を優しく撫でて落ち着かせようとするが、あまり効果はないようだ。

 

 なおも野生のミライドンは接近を続け、とうとう目と鼻の先まで来てしまった。そして、見て分かった。

 そのミライドンの目や態度に優しさなどは皆無であること。

 ただ、自分の縄張りへと踏み込んだ、眼前の邪魔者を排除しようとするだけの、冷徹無比な見下した視線が突き刺さる。

 

「いや……なんか変――」

 

 ボタンが感じ取った違和感を口にした次の瞬間、野生のミライドンは殺気を剥き出しにしながらこちらに向かって手を振り上げた。

 

「――ッ!」

 

 このポケモンは、これまで出会った未来のポケモン達と比べても明らかに異質だ。

 まるで敵対心と戦闘本能の塊のような、互いを理解し合い絆を紡ぐことなど到底叶わないと、理性より先に生存本能が拒否反応を示してしまった。

  

 そして、このポケモン……かなり強い。

 立ち居振る舞いもそうだが、接触する直前まで殺気を含む気配を完全に殺し、ハルト達の死角から一気に背後に降り立つことで対応させる隙を与えない。

 そこから不意打ちへと繋げることもできたのだろうが、敵の戦力を把握するまでは無闇に敵対行為を取らない辺り、戦闘経験も相当なものだろう。

 

 ミライドンと同じ種族だから家族かもしれないと油断してしまった、その一瞬の隙がハルトの行動を1拍遅らせることとなった。 

 そんな相手に与えてしまった一瞬の隙は、即座に致命傷へと繋がってしまう。もし、この場にハルトだけであればそうなっていたに違いない。

 

 ――だが、ミライドンが手を振りあげると同時、ベリルとネモが皆を守るように1歩前へと歩み出ていた。

 

 ベリルもネモもミライドンから一切視線を逸らさず、真っ直ぐに見つめる。

 1秒にも満たない時間の睨み合いの後、野生のミライドンは何かの気配を感じたかのように周囲をゆっくり見回す。

 その際にゼロラボの入口が開いているのが目に入ったミライドンは、途端にハルト達への興味を失ったらしく、ハルト達の横を通り抜けゼロラボの中へと入っていった。

 

 その後ろ姿を見送ったハルト達。

 姿が見えなくなると、ネモは少し困惑したような表情を見せる。

 

「なんか……感動の再会?意外とあっさりだったね?」

 

「いや、どう見ても!違うでしょ!!バチバチカチこみ!一歩手前!だったから!!」

 

「え!そうだったの!?」

 

 いつも通りの明るい声色のまま驚いたような様子を見せながらも、ネモはいつの間にか手にしていたモンスターボールをポケットへと静かにしまい込んだ。やはり、ネモもあのミライドンの危険性は無意識かもしれないが感じていたのだろう。

 

「ミライドンもほら、おびえちゃってる……。仲間じゃないのかも?」

 

「そうだね……さっきもボクたちに攻撃しようとしてたみたいだし……。仲良くなるのはちょっと難しそうだね」

 

「アイツ、なーんかヤな感じだったな……。えっと……おい!気にしなくていいぞ!オマエがバトルフォルムになれればあんなヤツ……!」

 

 ペパーの言葉を受けてしょんぼりと項垂れるミライドン。それを見たペパーは自分が失言してしまったことに気づいたようで、すぐに謝罪の言葉を口にした。

 

「あ、すまん……」

 

「……ミライドン、大丈夫さ。君は強いよ、だって君はあの子が持っていないものをちゃんと持ってるからね」

 

 ベリルはミライドンを優しく撫でながら、語りかけるように言った。確信に満ちたその声は、まるで聞いた者を心の底から安堵させる特別な力が宿っているようだった。

 

「……そういえば、博士が言ってた危険なポケモンってもう1匹のミライドンのこと?」

 

「えーっと?博士、中から出てくるって言ってなかった?」

 

 ネモが思い出したように訊いた声に、ボタンが首を傾げながら答えた。

 つまり、フトゥー博士が話していたのはあのミライドンの事ではなく……。

 

「中から……」

 

 全員が強ばった表情で恐る恐るゼロラボの入口へと視線を向ける。すると、遠くからだんだんと地響きが近づいてくるのが分かった。

 

「まさか……」

 

 誰が呟いたか分からなかったが、恐らくそのまさかが着実に迫り来る。

 

 そして――。

 

ドドドドドドド……!

 

「うおおおおー!?」

 

 ペパーが驚きのあまり、咆哮のような叫び声を上げた。

 ……だが、それも仕方ないだろう。

 ゼロラボから現れた未来のポケモン達は、10体や20体どころではない。絶え間なく溢れ続けるポケモン達の流れは止まることなく、恐らく全部で100体は超えてくるだろう。

 この道中で見た種類もいれば、今初めて見たポケモンも少なくない。しかし、共通しているのがどのポケモンも非常に殺気立っており、一体一体が凄まじい力を持っていることが分かった。

 

 そうしているうちに、あっという間に周囲を完全に囲まれてしまった。もはやネズミ1匹逃げ出す隙間がないほどひしめき合う未来のポケモン達。

 

「囲まれちゃった!」

 

 明らかに絶体絶命の状況だと言うのに、ネモの声にはどこか楽しんでいるような感情が見え隠れしている。

 

「明らかに……友好的じゃねえよな」

 

「いや、数多すぎ!全部、未来のポケモン!?」

 

「これ、結構マジでヤバイちゃんなんじゃ……」

 

 周囲のポケモンを見回しながら、ペパーは一歩後退りした。

 ペパーの言う通り、逃げ場のないこの状況は相当危機的状況である。それは他の仲間たちの強ばった表情を見ても明らかだ。

 しかし、ネモだけはこの状況を楽しんでいるような笑みを見せる。

 

「わたしの出番!待ってました!ハルト!力を合わせて戦っちゃうよ!」

 

「……分かった!ネモがいれば心強いよ!僕も全力で頑張るね!」

 

 ハルトも覚悟を決めたようで、ネモに向かって大きく頷くとポケットからモンスターボールを取り出し、ポケモンを繰り出した!

 

 ネモとハルト……この2人のチャンピオン同士の連携は凄まじく、互いがそれぞれの弱点や足りない部分を補いながら、効率よくバトルを進めていく。

 ペパーやボタンも既にモンスターボールを手にしているが、この2人の完璧な連携の間に入る事が出来ず、構えたまま様子を伺っている。

 

「いいね、強いねー!手ごたえある!」

 

「頼もしいけどなんかムカつく~!」

 

 ポケモンに指示を出しながら、ネモは心の底から楽しそうに笑い、それにボタンも信頼しきった笑顔を向けながら言った。

 ……しかし、ポケモンの数は一向に減らない。むしろ、ゼロラボから現れるポケモンが先程よりも増えているようだ。

 多対一の状況が続けば、先に限界が来るのは間違いなくハルト達だろう。それに、今目の前にいる敵だけを倒せばいいとも限らない。今後、さらに強大な敵が現れないとも言い切れないからだ。

 とすれば、ここでの消耗は最小限に抑えることが最適解に違いない。

 

「……ネモ、ハルト。ここはボクに任せてくれないかな?ちょっと試してみたいこともあるんだ」

 

 1歩前に出てバトルしていたネモとハルトの背に、ベリルは静かに訊いた。

 それを聞いた瞬間、ネモはグルンと勢いよく振り向いて目をキラキラと輝かせる。

 

「いいよー!ベリルが自分のポケモンでバトルするの!わたし初めて見る!すっごく楽しみー!」

 

 だが、これに不安げな表情を見せるのはペパーだ。 

 

「……ベリル、お前バトル出来んのか?しかも、この数相手にだぜ?……生半可な気持ちじゃポケモンや皆を傷付けることになっちまうぞ」

 

 確かに、ペパーやネモの前で自分のポケモンでバトルしている所を見せたことはなかった。彼らにとってベリルの実力は未知数である。

 ましてや、ペパーはかつて未来のポケモンの攻撃により相棒のマフィティフが大怪我してしまった経緯があり、その不確定要素に頼る事に不安を感じているのだろう。

 しかしその時、ボタンとハルトが声を上げる。

 

「ベリルがこう言うなら大丈夫っしょ、実力はうちが保証する」

 

「僕もボタンに賛成だな。ベリルは強いよ……多分、この場の誰よりも」

 

 確信していると言わんばかりの2人の真剣な表情に、驚いた様子を見せるペパーとネモ。

 何より現在のパルデア地方チャンピオンランク最強のハルトが「この場の誰よりも強い」と断言したことが、2人を最も驚かせた。

 

「ありがとう。けど大丈夫、みんなの命が掛かってるんだ。生半可な気持ちはこれっぽっちも無いし、出し惜しみはしないよ。最初から本気で行く――」

 

 ベリルはポケットからひとつのモンスターボールを取り出す。

 すると、先程までの優しげな柔らかい眼が一変し、以前見た時と似た、立ちはだかるもの全てを一切の容赦無く薙ぎ払わんとするような、そんな形相となる。

 だが、今回は見た者をゾッとさせるような恐ろしさだけではなく、皆を守らんとする強く優しい決意を感じ取れた。

 

 ……しかし、何度見てもその表情や放つ雰囲気は普段のベリルとは完全に別人である。

 ハルトとボタンは以前にも何度か見ているため、気圧されてしまうようなことは無かったが、この状態のベリルを見るのが初めてだったネモとペパーは、彼の全身から迸る迫力に息を呑むのが分かった。

 ベリルは握り締めたモンスターボールをジッと見つめた後、そのモンスターボールを上に向かって軽く放る。

 

「――頼むよ、『カイオーガ』」

 

 その声が周囲に響く。

 眩い光とともにボールの中から現れた『カイオーガ』と呼ばれたポケモンは、この場にいる誰もこれまで見たことがなかった。

 その全身は海のような深い青色の体表をしており、所々赤い不思議な模様が刻まれている。胴体は全体的に丸みを帯びた形をしており、その横腹の辺りから大きなヒレが左右それぞれに付いていた。

 

 ハルトは以前にも一度、同じような模様をその身体に持つポケモンを見たことがあった。

 そう、確かあのポケモンやそれと同等の力を持つポケモンはこう呼ばれていた――。

 

「――超古代ポケモン」

 

 ハルトは思わず口に出した。

 太古の昔よりこの地球上に存在し、その存在は伝説とされている、世界すら滅ぼしかねない強大な力を持つ存在……。

 このポケモンは一体どんなバトルをするのか、そんなことを考えていた時、ハルト達の顔に冷たいものが落ちてきた。

 

「……雨?」

 

 ここはパルデアの大穴、その洞窟の最深部だ。雨なんて降るはずがない。

 しかし、ここから見える洞窟の天井には全てを飲み込まんばかりに黒雲が禍々しい渦を巻いている。

 もはや、目の前にいるこの存在の前には自然の理は通用しないらしい。

 

 雨が降り始め、雨は次第にその強さを増していく。 

 カイオーガが放つ圧倒的な存在感と威圧感により、周囲が静まり返る。

 

 だが、これだけでは終わらない。

 

「――『ゲンシカイキ』」

 

 ベリルはカバンから藍色に輝く珠を取り出すと、それをカイオーガに向けてかざした。

 すると、カイオーガの全身がみるみる藍色の宝石のような物質に包まれていく。直ぐにその全身が覆われてしまったが、直後、『α(アルファ)』のような記号が全体に大きく浮かび上がり、全体を覆う石は砕け散った。

 

 再度、姿を見せたカイオーガは、先程までとは全く別の生命体では無いかというほど、身体から放たれるエネルギーが膨れ上がり、またその姿も大きな変貌を遂げていた。

 

 先程まででも充分巨大だったその身体は、更に一回り以上巨大になっている。

 身体の深い青色は更にその濃さを増して深い藍色のように見え、それ以外の部位は半透明の状態となり、身体の内側が橙に淡く光り、より神秘的で壮麗な姿となった。

 変わった部分はそれだけではない。

 降り続いていた豪雨がさらに勢いを増し、まるで世界が沈んでしまうのではないかと思ってしまうほどの強烈な雨が襲いかかった。

 

「な……なんなんだ、コレ……こんなの、次元が違うじゃんか……」

 

「すごい雨……!立ってるのもやっとだよ!これをポケモンが起こしているなんてすごい!」

 

 ネモとペパーが驚愕の表情を浮かべながら言ったその言葉は、吹き荒ぶ雨のせいなのだろうか……ベリルに届いていないようで反応はなかった。

 

 吹き荒れる豪雨の中、ベリルは無言であるものを手に取り、そのまま前へと突き出す。

 それを見たハルトは目を見開き、思わず声を出した。

 

「ベリル、まさか――」

 

 ベリルがカバンから取り出したのは、見覚えのある球体――それこそ、ついさっき話に上がったあのアイテムだった。

 

「――それは……『テラスタルオーブ』……!」

   

 



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