緑礬の錬金術師 (ONE DICE TWENTY)
しおりを挟む

一応、原作開始前の話達
一応、知りあっといたっていう話


 ──クセルクセス。

 今はまだ無いアメストリスと、かなーり東の方にあるシンの狭間。周囲を砂漠に囲まれた暑い暑いあつーい国……に、いた。

 俺が。

 

「はぁ」

 

 いや、溜め息も出ようというものだ。

 錬金術がそこそこに発達したこの国は、こんな砂漠のど真ん中にありながら素晴らしいまでの発展を見せている。オアシスであることも勿論要素として加えられているけれど、やっぱり錬金術の発展が何よりものファクターだ。

 そしてそれは、この国がもう少しで禁忌の扉に飲み込まれんとする盛者必衰の表れでもある……のかもしれない。

 

「あー……真面目に」

 

 真面目に、どうしようか、と。

 何度も溜息を吐く。

 クセルクセス。周囲を砂漠に囲まれた大国。

 

 ちょうど、本当についさっき──見覚えのある少年が腕に包帯を巻いて帰ってくるのを見てしまった。

 金髪金眼。真なる人を表す「金」の、その象徴、由来とさえ言われた特徴。

 

 奴隷二十三号。

 後の名を──ヴァン・ホーエンハイム。

 

 あと少しでこの国は「フラスコの中の小人(ホムンクルス)」によって賢者の石と化され、住まう者すべての命はたった二人のものとなる。

 だから、逃げるべきだ。

 賢者の石となるのはクセルクセスの国、その範囲内のみ。 

 だから、逃げるべきなのだ。

 ホーエンハイムが主人に認められ、錬金術師として一人前になるまでにはもう少しかかる。その間に逃げて──逃げて。

 思い入れなんかこれっぽちもないクセルクセスを見殺しにして、逃げるべきだ。

 抗いようもないだろう。こっそりあの家に忍び込んでフラスコを割る、くらいしかあの「フラスコの中の小人(ホムンクルス)」を殺す術が思い浮かばない。

 

 妙案である。

 すぐさま実行しよう。

 そして逃げよう。

 

「……それができりゃ、苦労しないって」

 

 ちゃりん、と金属音が鳴る。

 がちゃり、と金属音が響く。

 足先を見れば、そこに当然とばかりに存在する鉄の足枷。手にもまた枷が嵌められていて、指先を合わせることだってできやしない。

 

 うん、まぁ、罪人なんだ俺。

 奴隷二十三号よりもさらに下──クセルクセスで罪を働いて、フツーに捕まった罪人。

 死罪ではない。ただ終身刑に近い。

 少なくともホーエンハイムが一人前になるまではずっと牢の中──だし、"その日"が来ると誰に伝えたとて譫妄と笑われておしまいだろう。

 

「果たして……俺がいる意味如何や」

「おい、さっきからうるさいぞ。妄想も独り言も今に始まった話じゃないが、少しくらい静かにすることを覚えろ」

「へーい」

 

 見張りの番人。名は知らない。

 こいつもいずれ賢者の石の材料になるだろう。その前に死んでおけば楽な話ではあるが。

 

 

 

 

 罪人──とて、いつまでも牢暮らしではないらしい。

 数年経った頃だろうか、牢から出され、灌漑工事へと駆り出された。

 といっても手枷足枷は外されていない。外されていないまま、足枷を大きくされて、ずりずり引っ張って線をつけていく……そんな作業工程に組み込まれたわけだ。

 こーれ国土錬成陣作ってます。いやー、もうそんな時期か。早いねー。俺全部知ってるのになーんもしてないやハハハ。

 

 ずりずり、ごりごりと引っ張って行く。

 早すぎても怒られるし遅すぎても怒られる。俺以外にも罪人はいるから、それらと隊列が乱れても怒られる。水分補給なしだから、中には耐えきれずにぶっ倒れる奴もいるけれど──そういうのにくれる目は存在しない。

 一日の作業が終わるまでそれがずぅっと続く。 

 悲しいかな、錬金術師になった、けれどまだ年若いホーエンハイムは中央の裕福層にいる。こんな奴隷仕事やってる奴と出会うはずもない。フラスコの中の小人もまた同じ。

 

 ごーりごり、ごーりごり。

 

「……やらせている私が言うのもなんだが、貴様疲れないのか?」

「疲れてフラついたら鞭が飛んでくるんだ、だったら疲れない方が得ってモンでショ」

「それはそうだが……そういう話ではないような」

 

 一人、また一人と倒れて行って、尚。

 俺は倒れない。フラつきもしない。水を求めて喘ぎもしない。

 言われた通りに、言われた通りの場所を歩いて、クセルクセスの地に……この国を囲う円を描いていく。

 

 正確に、一寸の誤差のない、完璧な円を。

 

 

 

 

「──ここに、歳を取らない罪人がいると聞いたが、お前か?」

 

 クセルクセスの外側にある集落が何者かに襲われ、村人が惨殺される、という事件が巻き起こる渦中に、その邂逅は起こった。

 奥深く。すでに見張り番もいなくなった、同じ牢に入れられていた者も老い死んだ中、ただ一人──若いままに生き残った罪人。

 

 俺の罪状はただ一つ。

 クセルクセス王の命に背いたこと。その口を一切割らなかったこと。

 

 即ち。

 

「ああ、俺だ。初めまして、ヴァン・ホーエンハイム。そしてフラスコの中の小人。王が不老不死となる前に出会えて心より嬉しく思うよ」

 

 不老不死になる方法について、一切を話さず殺され──そのままケロっと生き返った一般クセルクセスの民。

  

 俺は、そういう感じの、ただそれだけの能力を持つ一般転生者君である。

 

 

++ * ++

 

 

 さて──。

 

 全身に鎖やら何やら、とかく拘束するものをつけられ、手足には杭を打たれて動けなくされている俺に、ヴァン・ホーエンハイムはしっかりと動揺した。

 既に原作のヴァン・ホーエンハイムっぽい見た目になってきている。それくらいの時が経ったのだ。

 その間、結局俺は何もせず、何もできずにずっと罪人だった。奴隷にして働かせたら何をやらかすかわからないと、灌漑工事を終えた後はずっと牢の中。飲まず食わずで平気だとわかってからは本気で放置され、今に至ると。

 

「不老不死? 不老不死……オマエが?」

「信じられないか、フラスコの中の小人。まぁそうだろうな。俺の見た目はもう完璧なまでに一般クセルクセス人だし。でもほら、両手足に杭を打ち込まれて、床一面にこれだけの血を流しているのに、俺は死んでいない。加えて、俺がここに閉じ込められたのは五年くらい前だ。その間一切の飲食をしていない」

 

 残酷であると思ったのだろう、わなわなと震えているヴァン・ホーエンハイムとは裏腹に、腕を出して咢……というか体の底面に手を当てて、一つ目を細目にして「ほぅ……?」と声を漏らすはフラスコの中の小人。

 疑わしい。顔にそう書いてある。

 そりゃそうだろう。彼の知識を以てしても、不老不死など作れはしない。超長寿再生者は作れても、完璧な不老不死など存在しないことをフラスコの中の小人は知っている。

 

「これほどまでに不自由で、これほどまでに縛られているオマエが、不老不死などという自由の象徴たる特徴を得ているとはにわかには信じ難いな」

「まぁ、本当に死なないかどうかは本当に死ぬ前にしかわからないから、不老、だけにしておいてもいいぞ。無論、そうしたところで死にはしないんだけど」

 

 最初は普通の民だった。

 けれど歳を取らないことを誰ぞかに密告され、クセルクセス王の前に突き出され、その秘密を明かせ、と迫られた。

 まー断った。断ったら打ち首である。

 打ち首にされても生き返ったら、取り押さえられて獄中へ……と。

 

 酷い話だよ、まったくね。

 

「どういう……これは、どういうことだ。こんな少年に……人はここまで酷い行いができるものなのか」

「ヴァン・ホーエンハイム。もし俺に同情してくれるのならば、この枷と杭を壊してはくれないだろうか。なぁフラスコの中の小人。儀式に不純物は入れたくないだろう。俺という異物があるせいで中心がズレたら、なんて考えたらぞっとしない──そうじゃないか?」

「確かに一理ある。オマエが本当に不老不死だというのならば、ただそれだけで"記号"になってしまう。よし、ホーエンハイム。彼の枷を外してやるといい。その代わりに、とっとと国外へ去ってくれるとありがたいのだがね?」

「もちろんだとも。俺はこの国に愛着というものがない。枷が外れたら、すぐにでも出ていくことを約束する」

 

 惨状ではある。

 手足の杭以外にも、俺を縫い留め、殺さんとする様々がこの身体にぶっ刺さっている。

 どうしたら死ぬのか。何故死なないのか。死なないのなら、再生の瞬間をどうにか収められないか──と、数々の実験に晒された痂疲だ。血は固まり、乾き、肉さえもこそげ落ちたままになっているから、かさぶたと呼べるかどうかは怪しいけれど。

 

 ホーエンハイムが──足の杭に手をかける。

 力で引き抜こうとしたのだろう。だけど、それは叶わない。深く、深く、奥深く。骨の髄にまで突き刺さり、返しまでつけられたソレは、力ではどうにもできないだろう。

 

「っ……待っていろ、今形を変えてやるから……」

 

 言って、その場に錬成陣を描いていくホーエンハイム。

 それをつまらなそうに眺めるフラスコの中の小人。

 

「しかし、オマエは何なのだろう。不老不死などというものが自然に発生するわけがない。オマエは何らかの目的で作り上げられた実験生物だろうか。それともオマエ自身が己に錬金術を施し、不老不死となったのだろうか」

「さてねぇ。案外、カミサマの気まぐれ、って奴かもよ?」

「ほう! "神"の気まぐれか。それはそれは、大それた予測を立てたものじゃあないか。それともなんだ? 気まぐれだとして、オマエという個人は"神"に見初められるだけの価値があると──そう言いたいのかね?」

 

 知ってて踏み抜きに行った逆鱗は、まっくろくろすけの口角をさらに上げるに終わる。

 神。神だ。

 神を取り込まんとするこの正体不明生物にとって、不老不死などというものがこんななんでもない奴にホイと渡されるのが気に入らないのだろう。あるいはとても気になるのかもしれない。俺というファクターを通せば、神なりし者に干渉できるのかもしれないのだから、気になるのも仕方がない。

 

 パチ、っと。

 青い光が迸る。一瞬のことだ。

 けれど、本当にたったそれだけで、本当にたった一瞬のことだけで──俺を縫い留めていた杭が、俺に巻き付いていた鎖という鎖が、そして俺の身体にぶっ刺さっていた拷問器具や実験道具の数々が溶け落ちる。

 

 直後、じゅるりと音を立てて塞がる傷口。

 

「!」

「……今のは」

 

 決してホムンクルス……フラスコの中の小人(ホムンクルス)ではなく、後に彼が作るホムンクルスのソレとは違う、あるいはこのすぐ後に彼らが成る朽ちぬ身体とは全く違う再生。

 錬金術特有の青い光も賢者の石に類する赤い光も発されない、それはあるいは時間をかけて傷が塞がっていく様子を早回しにしたかのような光景。

 

「ンンッ……ぐ、ぅぅう……ぁあ、久しぶりの自由! あぁあ……伸びが気持ちいいなぁ、いや、いや、その前に──うん、ありがとうホーエンハイム! この借りはいつか必ず返すよ!」

 

 埃臭い地下牢を出る。

 走って、制止の声も無視して。

 

 さて、はて、久方ぶりの地上は、外は──。

 

「……おやまぁ、何故に臨戦態勢?」

「──ッち、見られたか。消せ!」

 

 馬に乗った一個小隊。

 あ、コレもしかして、五つ目の血の紋を刻んだ帰りの部隊ですか。

 

「ハ──逃走一択!」

 

 フフーフ、何年動いてなくたって衰えていない俺の足に追いつけるかな!

 

 

 追いつかれて首を刎ねられました。

 いや馬にはかなわんよ、フツーに。

 

 

++ * ++

 

 

 とまぁ、そんな感じが俺の生い立ち。

 

 あとはクセルクセスの滅びを見届けて、シンへ行ったりなんだりして錬金術も錬丹術も学んで──生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて。

 怪しまれたら移動して、疑われたら移動して。

 

 

「1835年10月──第一次南部国境戦。ここがPeriodだ……ってね」

 

 高い所に上って、双眼鏡でその戦いを見下ろしながら呟く。

 馬鹿と煙は高いところが好きなのだ。え、つまりホークアイ中尉は馬鹿ってこと? なんてこというんだ。彼女まだ生まれてないんだぞ!

 

 と。

 

「あれ、何用? 邪魔するつもりはないんだけど」

「邪魔するつもりが無いのなら、この国でうろちょろしないでいただきたい。アナタはいるだけで"記号"になり得る──邪魔なんですよ」

「そりゃあ酷いってもんだよ、傲慢(プライド)。ま、いいじゃないいいじゃない。これからよーやく激動の時代が始まるんだ、少しくらい観光させてよ」

「……コレを見て観光とは、良い趣味をお持ちのようだ」

「そっちに言われちゃおしまいだぁ」

 

 行くつもりだ。

 見るつもりだ。

 せっかく不老不死で、せっかくこの世界に来たのだから──この世で起きるすべてを直に見たいと、そう思うのはなんらおかしなことではないだろう。

 リヴィエア事変も現地で見た。カメロン内乱も現地で見た。ソープマン事件は遠くからリアタイしたし、ウェルズリ事件もちゃんと近くにいた。

 そしてこの第一次南部国境戦を経て、次は……あ、グリードがフラスコの中の小人から離反した後くらいの時期じゃん。

 

「もう飽いたのですか?」

「ああうん。西部でビールが飲みたくなってさ。ちょっと行ってくるよ」

「その容姿でアルコールを出してくれる店があるんですか?」

「盗み飲むに決まってんじゃーん」

 

 高い所だ。

 そこから飛び降りれば、当然足がぐしゃっとなる。

 ぐしゃっとなって──すぐに治る。

 

 あまりにも脆く、けれど変わらない。

 

 給金欲しさに取った資格と、その時付けられた二つ名は。

 

「本当に、手を出したりして邪魔だけはしないように」

「あいよん」

 

 緑礬。

 俺は、緑礬の錬金術師である。

 

 ……まだ一回も錬金術使うトコ見せてないけどね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、知りあっといたって話の二個目

 ダブリス。

 アメストリス南部にある町で、カウロイ湖という観光名所が有名……というかそれで成り立ってるみたいな場所。特に栄えた商店街とか娯楽施設なんかがあるわけではなく、ホントの本気でカウロイ湖+真ん中のヨック島だけの町だけど、その美しさはアメストリス随一。

 ただまぁホントにそれだけ、ってわけじゃなくて、その豊かな自然、土壌から来る畜産業も盛んだから、住民の暮らしは贅沢! って程じゃないにしても豊かだ。

 

 そんなダブリスを歩く。

 ちなみに今は1835年。原作開始の80年前くらいだね。だからエルリック兄弟は勿論イズミ・ハーネットやマスタング大佐も生まれてはいない。なんならキング・ブラッドレイも。

 ちょっと前に南部国境戦があったばかりだから少しピリついた空気が流れている……とはいえ、ダブリスは結構内側の町。サウスシティほどじゃあない。

 

 だからってワケじゃないけど、ガッツリ「異人さん」な見た目の俺でもそこまで奇異の目で見られたりはしない。

 金髪金眼はクセルクセスの民の特徴なんだ、許してちょんまげ。

 

「──……と」

 

 今、すれ違った小柄な男。

 流石に時期的にビドーじゃないとは思うけど、明らかに人間以外の匂いがした。つまるところ──合成獣(キメラ)だ。

 キメラ。

 まー、読んで字のごとくな存在だけど、国で合法なのは動物と動物の掛け合わせだけ。それはつまり動物実験として処理されるから良いのであって、人間使っちゃうと殺人罪とか諸々入ってくるからダメよって話ね。

 裏で主導してるのが軍だからどの口がって話だけど。

 今は時期的に南部国境戦が終わった後だから、死者、怪我人、そして難民と……軍にとって都合のいい「身元の判明し難い人間」が大勢いるってワケでさ。

 

 フラスコの中の小人の主目的からは外れるだろうけど、まーまー管理のなってない実験体はわんさかいるだろうさ。

 

 ……さて。

 デビルズネストの方向の所在地もわからなければ、そもそもグリードが今デビルズネストにいるかさえわからないって状況だ。

 だったらばアイツを尾行していくのが手っ取り早い……んだけど。

 

「……」

 

 はて、俺ここじゃあまだ何にもしてないはずなんだがね。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()──ってのは、どういう了見かって話。

 

 

 

 

 

 簡単な錬成陣を用いて壁を作り、路地を封鎖する。

 この辺が袋小路になっていることはさっき確認済み。まぁダブリスって高い家々がないから頑張れば上方向へ逃亡が可能なのがネックだけど、とりあえずはこれでいいだろう。

 振り向けば、特に逃げ出す気配の無いフードの人影が一つ。

 誘いこまれたことに気付いていないか、それとも初めからそのつもりだったか。そうだったら悪いことしたな。途中頑張って撒こうとして無駄に時間を使ってしまった。

 

「そいで、アンタ。何用よ」

「……」

 

 ここには俺とソイツの二人しかいない。

 背丈的にグリードではなく、匂いも気配もキメラじゃあない。マジでただの人間だ。

 

「何用でもなくついてきただけってオチなら、やめてくんね? 今ピリピリしてるからさ、罪にでも問われんじゃないかってビクビクしち、」

 

 がぅん、と。

 サイレンサーもつけていない、素のままの銃が火を噴いた。

 大きく仰け反り、倒れる体。

 

「……悪く思うなよ」

「いや悪く思うだろ」

「!」

 

 もちろん撃たれたのは俺だし、仰け反って倒れたのも俺。

 銃弾避けるとか無理だから。どんだけ生きて、どんだけ修行したってフツーに無理だから。

 ただまぁ威力の高い銃でよかったよ。ちゃんと貫通してくれたから、フツーに再生できた。

 銃弾って体内に残ると面倒くさいんだよね。その場合は錬金術でどーにかすんだけどさ。

 

「ッ……やはり化け物か!」

 

 三発。

 こいつも国境戦上がりか知らんが、正確無比な銃撃が俺の身体を穿つ。頭部、心臓、左肺。

 でも来るとわかっていたら踏ん張れる。避けれはしないけど、踏ん張って倒れないくらいの頑張りは見せられる。

 しっかし、やはりってなんだやはり、って。

 あらかじめ俺の事知ってた? にしては最初の一撃でフツーに去ろうとしてたけど。

 よくわからん。よくわからんが、そうバカスカ撃たれると……別に問題ないんだけど、飛び散ってる血液量がそれはもう海。血の海だ。

 ここ結構普通に住宅地よ? これで俺もコイツも去ったら未解決猟奇殺人事件よ?

 

 だからまー、止める。

 一歩、また一歩と近づいて。

 ソイツが逃げようとするのなら、ポケットから取り出した黒曜石の粒五つを投げて、行き先の地面に簡易錬丹陣を作成。分解を起こして転ばせる。

 ソイツ……フードが脱げて、口ひげ豊かな男だと判明したソイツが、観念したようにこちらを真っ向に見据える。

 

 うーん、知らん顔。

 原作に出てきてない奴だ。誰だアンタ。いやまー今原作開始の80年前とかだからそら知らん顔ばっかなんだけどさ。

 知らんし、知らんから聞くか。

 

「もう一度聞くけど、何用だったんだアンタ。誰なん?」

「……最近、ダブリスのゴロツキ共を殺す、攫うなどして減らして行っている"怪物"がいる。俺はそれを殺すために雇われた殺し屋だ」

「ほーん。で、俺がその怪物だと」

「違うのなら、俺が撃った弾丸でおとなしく倒れていろ」

 

 ごもっとも。

 まぁ、化け物さ。でも俺再生するしか能のない一般転生クセルクセスの民なんだけどな。

 ゴロツキ殺したり攫ったりとか、そんな「私的な正義」みたいな行いするタイプじゃないヨー。

 

「……」

「……」

「……どうした。早く殺せ」

「え、なして?」

「当然だろう。俺はお前を狙ってきた殺し屋だぞ。俺が生きている限り、お前は常に命を狙われる。ならば俺を殺すのが、」

「いやでも俺死なんし。あと俺その怪物じゃないし。勘違いで殺しちゃったけどごめんね、くらい言ってくれたら悪くも思わんし」

 

 なんか覚悟の決まりきった目のとこ悪いけれど。

 俺は別に、誰も殺す気はない。相手が人間だろうがキメラだろうがホムンクルスだろうが何だろうが。

 だって殺人って罪じゃん?

 

「アンタが俺じゃない誰かを狙ってきた殺し屋で、でもアンタじゃ俺を殺せないのだとなれば、前払いか後払いかは知らんが依頼主との契約は不履行、破棄される。それで終わりじゃん? アンタだってどんだけ撃ってもどんだけかっさばいても死なない化け物を殺し続ける趣味はないでしょ。今回の話はハイリスクローリターンだった、ってことで手打ちにしようぜ。依頼主からなんか言われるってんなら、逃げちまえばいい。追っ手を殺せる腕はあるだろう、アンタ」

「……」

 

 ということで、作り上げた壁を戻す。

 足を絡めとっていた地面を元の硬さに戻す。

 

 目的は知れた。だから俺の目的も達成した。

 これで終わり、である。

 

 なんぞ考えているのだろう、一切動く気のない殺し屋君。まぁ考えることは良いことだ。その時間を奪うほど、俺は時間に困っていない。

 

 なんで、腰をついている彼の横を通り過ぎ、またダブリスの町へ戻ろうとして。

 

 銃声と、金属音と。

 そして人体がぐしゃ、と潰れる音が、ほぼ同時に響き渡った。

 

「酷い話だ。今アンタがめちゃくちゃ良い話で終わらせようとしたってのによ、コイツ、まだアンタを撃つつもりだったみたいだぜ?」

 

 振り返れば。まぁ振り返るまでもないんだけど。ものっそい氣の流れで誰かはわかっているんだけど。

 ちゃんと振り返って……一つ頷いた。

 

「ちなみに殺した理由は?」

「あん? そりゃあ、コイツのターゲットが俺だったからだよ。コイツが生きている限り、俺の命が脅かされ続けるってんなら、コイツを殺すしか無ぇだろ?」

 

 そこにいたのは、手を黒色に染めた兄ちゃん。全体的にトゲトゲしたファッションと髪型の──つまりまぁ、グリードその人だ。グリリンじゃない方ね。最初のグリード。

 硬化。体内の炭素を集めて行うそれは、「最強の盾」と呼ばれる硬さを誇り、その上で最強の矛に成り得る……まぁシンプル強い能力を持った人造人間(ホムンクルス)だ。プラスして再生するから、単純俺の上位互換だよね。

 

「俺はグリードってモンだ。アンタ、名は?」

「緑礬の錬金術師、とそう呼ばれているかな」

「なんだ国家錬金術師かよ。つか、二つ名なんざ聞いちゃいねぇよ。名前だ名前。あるだろ?」

 

 名前。

 名前はまぁ、あるけど。

 長いからなぁ……適当に、そうだな。

 

「ヴァルネラ。呼ばれることは滅多に無いけどね」

「そうかよ、じゃあアンタ──ちょいと話をしようぜ。命と身体についての、有意義な話をよ」

「いいけど場所変えない?」

 

 血だまりだし、殺し屋君が銃声鳴らしまくったからそろそろ憲兵くるよ。

 

 

** + **

 

 

 連れていかれたのは──デビルズネストだった。

 わぁ、80年前からちゃんとあるんだ。

 

「酒は?」

「呂律が回らなくなるタイプ」

「じゃあ話し合いにゃ向かねえな」

 

 地下室へは向かわず、普通にテーブルについて、いくらかを注文する。

 フツーに酒場。ただ立地が悪いからね、客は俺達しかいない。人払いした可能性はあるけど。

 

「単刀直入に聞くぜ。アンタだろ、ヴァルネラ。"お父様"が言ってた真人……永遠の命を持つ者ってのは」

「え、フラスコの中の小人が俺の話なんかしたの?」

「お、その反応は当たりってことでいいんだな?」

「いやいーけど、……そんな、珍しいというか……つか覚えてたんだ。いや覚えてるか。邪魔には思ってるだろうし」

「ハハハ! まさにそうだ、その話で出たんだよ。"計画"を邪魔する者、邪魔になりかねない者。人柱探すために国家錬金術師制度を作ったってのに、それに真っ先に申請してきたこの国にいてほしくない奴代表……みたいに言ってたぜ、お父様は」

 

 おお、めっちゃ嫌われてる。

 でもまぁそうだろうな。クセルクセスにさえいてほしくなかったんだ。それの大きい版をやろうとしてるアメストリスにだっていてほしくないだろうさ。

 国家錬金術師も、人柱にならないとわかっている上で金払わなきゃいけなくなるんだもん、要らないよな。まぁ金払うのフラスコの中の小人じゃないけど。

 

「ん、一応質問の答えは返すけど、そうだよ。俺が不老不死の一般市民さ」

「どこで手に入れた。どうやって手に入れた?」

「やだなぁ、クセルクセス王にもフラスコの中の小人にも答えなかったことを、アンタに答えるわけないじゃないか」

「何と交換なら答える。対価が必要なんだろ? アンタも錬金術師……等価交換って奴だ」

 

 まだ若いからかな。

 ちょっとがっつき気味のグリード。うん、新鮮。

 

 彼の欲す……彼の強欲が欲すのは、全て。

 その中でも、何を積んだって何を集めたって手に入らないもの──永遠の命。

 実現例が目の前にいたら、そりゃあ気も逸る。

 

「じゃあ聞き返すけどさ、グリード。アンタなら、永遠の命を手に入れる、手に入れられる情報を前に、アンタは何を差し出す? 等価交換だ。グリード。お前にとって、永遠の命と等価である対価とは何だろうか」

「……ホムンクルスの製造方法は」

「勿論、知っている」

「だよなぁ。お父様と旧知な時点で……つーことは、賢者の石の作成方法も」

「知ってる。というか、ホムンクルスの製造方法も賢者の石の作成方法も、永遠の命の対価にならないと思うけど? どっちも劣化品じゃん」

「ああ、俺も言いながらそう思ってた」

 

 力では来ない。

 千日手になるのが目に見えているというのもあるだろうけど、グリードは結構クレバーに行きたい派だからだろう。一番上の兄ちゃんであるプライドとかが割とこう……力イズパワーなところあるからな。邪魔なら殺せばいい、お腹が空いたら食べればいい。グラトニー食べる前からそうだったんだから、筋金入りだ。

 グリードは考える。考えている。

 自身の欲す永遠の命。それと等価であり、自身が差し出せるもの。

 

 そんなものは。

 

「──無ぇな」

「あったらそれで満足してるんじゃね?」

「違いねえ。……が、保留だ」

「おお」

「思いついたら提示する。それまでこの取引は保留にさせてくれ。どんだけ思いつかなくとも、永遠の命の手法を永遠に取り逃すってのは惜しいからよ」

 

 たしかし。もとい確かに。

 保留。いい言葉だ。

 

「そいじゃま、俺はこれで。また……80年後くらいにダブリス寄るからさ、そん時までに答え出てるとありがたいかな」

「えらく具体的だな……」

「これでも計画的に行動してるからネー」

 

 おーし。

 お父様から離反したグリードに会う、達成!

 

 

** + **

 

 

 流石に、だ。

 流石にキング・ブラッドレイ誕生の瞬間に立ち会う……とかは無理。セントラルの研究所に侵入しないといけなくなるし、国家錬金術師といえどそんな権力は無い。

 

 だからまたフラフラする。

 次に起きることは、リゼンブール……エルリック兄弟の出身地でのあれこれだけど、あそこ田舎も田舎だからなーんもなさ過ぎて飽きるんだよな。

 あと俺ホーエンハイムより若い見た目で且つ年取らないからさ、老人が何年たっても老人ならまだ言い訳はできるけれど、少年が何年経っても少年は無理がある。

 

 なんで行く場所は──そう、イシュヴァールの地である。

 原作開始時点で軍部が封鎖していて行けなくっている場所である他、内乱が起これば当然行けなくなる……というかワンチャン俺も呼び出されて殲滅しなきゃいけなくなる手前、観光するなら今しかない。

 何故ワンチャンなのかって、俺の二つ名にある「緑礬」からわかる通り、あんまし戦闘には向かない錬金術を使うからだ。え、わかんない? はは。

 

 そんなこんなでやってきましたイシュヴァールの地。

 いやもー、それはもう向けられる奇異の目線。アメストリス人より更に特異な見た目だからね、金髪金眼って。

 そうでなくともイシュヴァール人とアメストリス人……というかアメストリス軍部は水面下での敵対関係にあるんだ、良く思われていなくとも仕方がない。

 

 が、そんなことは俺に関係ない。

 流石にイシュヴァラの聖地へズンズカ進もうとしたら止められたけれど、それ以外の場所は自由に見て良いらしく、奇異の視線に晒されながらも十分に観光した。

 

 ……短いって、いや、だってマジでなんもないんだよイシュヴァールの地。

 そりゃ修行僧ばっかになるわけだ。荒野と荒れ地と枯れ木と枯草しかない。

 クセルクセスも砂しかない場所だったけど、あそこはオアシスあったからなぁ。錬金術も教えに背くから使ってないとなると、ホントの本気でなんもない場所なんだろう。

 

 イシュヴァラ神もさぁ、レト神くらいの施し上げなよ。あっち偽物だけど。

 

「時に、旅人殿」

「あ、うん。はい?」

 

 前を歩いていたイシュヴァール人の女性が声をかけてくる。

 ……うーん、この声どっかで……。

 

「どんな目的でこの地に来られたのですか?」

「観光……かなぁ」

「観光。……それで、楽しめましたか?」

「あー、いや。楽しめはしたけど、もう帰ろっかなって思ってるよ」

「ふふふ、でしょうな。この地へ観光など……奇特にも程がある」

 

 ……あー!

 わかった、あれだ!

 シャンだ! クセルクセス遺跡にいた婆さん! 思い出してみれば面影も……ある、よう、な。

 今は年若い女性だけど、コレが、アレに。80年もたてば当たり前とはいえ。

 え、ってことはあの時点で100歳超えてね? ヒュウ、長寿長寿。

 

「それにしても……お若い見た目ですが、随分と鍛えているようで」

「いやここの武僧には到底及ばないけど」

「それは当然ですが、その年の時分でそこまで鍛え上げているのは誇ってよいことですよ」

 

 俺の見た目。

 ホーエンハイムも動揺していたように、俺の見た目はかなり年若い少年だ。エドと同じくらい、というかもう少し幼いくらい。

 だからこの年で国家錬金術師ってのも驚かれたし、あ、やべ、とか思ったけどエドの最年少国家錬金術師の称号奪っちゃったし、今言われたように格闘技や投擲技術の練度が褒められたりもする。

 ホントはもっともーっと生きてますよ、って言ったら多分失望に変わることだろう。つまり、「そんだけ生きててそれだけしかできないのかよ」と。

 

 ……ほぼほぼシンの技術だからなぁ俺の戦闘技能って。

 

「ありがとう、とは言っておこうかな」

「ふふ……あとはそう、年上を敬う心を身に着けたのなら、あなたはあるいは、イシュヴァラの懐に抱かれることも夢ではないでしょう」

 

 ああうん。

 宗教勧誘だったのね。気付かなかったわ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、知りあっといたって話の三個目

この「一応、知りあっといた」シリーズは「原作開始前」って意味です。


 俺は不老不死である。

 であるので、列車は使わない。……何が"であるので"かっていうと、つまり、時間は死ぬほどあるから時間短縮のための列車はノーサンキューって話だ。この広大なアメストリスの地を、徒歩で行く。だから当然すさまじい時間がかかる。

 ダブリスからイシュヴァールの地への時間もかなりかかったし、そっから色々寄り道して、よーやくイーストシティに辿り着いた頃には年単位の月日が経っていた。

 

 イーストシティ。

 まー、普通の町だ。東方司令部が置かれていること、それに伴う軍の練兵場があるくらいで、他は住宅街。列車が通っているから駅こそ絢爛なれど、他はマジでフツーの町。

 

 カウロイ湖がアメストリス随一の観光地だったように、アメストリスって広いくせに見て回る所は結構少なめなんだよなー、とか考えながら、それでも存在する観光スポットに到着する。

 

 スチーム時計。

 ……まぁ、何? この世界じゃないどこぞのデッカイDoな時計塔よかさらにしょっぱいけれど、忠犬ハヤテ号前だと考えれば特に目くじらを立てることもない。

 待ち人は……いないので。

 そのままスルーしようとして──目を疑った。

 

 え、ん?

 

「──これは、これは。最年少国家錬金術師として名高い君に会えるとは、思ってもみなかったよ」

 

 そこにいたのは。

 

「ブラッドレイ大尉……なんで東部に、っつかなんでこんなところに?」

 

 キング・ブラッドレイその人だったのだから。

 

 

 

 さて、少しばかりの歴史の話である。

 そもそも国家錬金術師制度ってのはキング・ブラッドレイが大総統に就任してから作られた制度だ。原作ではね。国のトップをラースにすることで、ようやく念願の独裁政権が完成したから、というべきか。

 制定されたのはブラッドレイが大総統に就任した1894年。つまり、まだ1876年である現在には存在しないはずの制度。その上で俺は、1835年の第一次南部国境戦の時点で国家錬金術師になっていた。なれていた。

 若干……どころじゃないズレだ。

 俺の存在がフラスコの中の小人に計画を早めるような影響を与えてしまったのか、それとも別の要因か。だから、原作にはいなかった国家錬金術師も少しばかり増えてしまっている。どうせ原作開始時点ではよぼよぼ老人だろうからあんまし影響しないだろうけれど、イシュヴァール殲滅戦はより凄惨なものになりかねないだろうなぁ、とは思う。

 もし。

 もしもそれが、傷の男(スカー)を殺しかねん未来につながるのなら……ワンチャン守りに走るか?

 

 というわけで、そんなこともあってか、本来「キング・ブラッドレイ」という名の人間として最終投入されるに過ぎなかったはずの彼が、こうしてちゃんと軍人やってるのである。まだあの金歯医者のもとにいてもおかしくない年齢の……弱冠21歳なブラッドレイ青年が。

 そんでもって、当然彼は憤怒(ラース)なので、俺の事も知っているっていう次第で。

 

「どうかね、この後ティータイムでも」

「別にいいけど、アンタなんか用あってイーストシティにいるんじゃないの? それともアレ? 東方司令部の場所わかんないとか」

「はっはっは。君は随分と私を馬鹿にしているようだな」

「民間人の憩いの場にフラフラ出張ってくる軍人に対する感想なんてこれくらいだよ」

 

 血の紋を刻む必要が無いからだろう、最近は流血沙汰になるような事件は無く、周囲の民族国家の併合、吸収の際にゴタゴタはあれど、前ほどのピリついた雰囲気は感じられない。

 それでも街中に軍人がいたらぎょっとするのが民間人の素直な意見だ。憲兵ならいて当たり前だからいいんだけどね。

 

「少し、深く聞きたいことがある。ついてきたまえ」

「ああはい。奢りで?」

「……食事に困らない程度の給金は出されているはずだが?」

「他人の金で食う飯が一番美味いって知らない?」

 

 ちなみに少し前にリゼンブールでピナコが結婚しているけど、それには立ち合いに行かなかった。

 前も言ったけど俺は少年状態でずーっと容姿が変わらないからね、こういう大きい街中だったら気にも留められないだろうけれど、ああいう田舎に行くと深く記憶されちゃって次行ったときの行動が面倒になる。

 あとはまぁ、ホーエンハイムが既にいる、ってのもあるか。

 別に会いたくないわけじゃないし、会って困ることもないんだけど、彼が画策しているだろうカウンター錬成陣──現時点で画策しているかはわからないけれど──においても俺ってば邪魔だ。

 錬金術と錬丹術を学んだからこそわかる。

 いやホント、"不老不死"って邪魔ね。綺麗な円に綺麗な錬成陣書いたとして、"不老不死"って記号はそこにだばーっと墨汁落とすようなモンだ。美しい数学式を絶対に解けないゴミに変える。

 フラスコの中の小人からしても、ホーエンハイムからしても、他、なんかでっかいことやろうとしてる錬金術師の全てからしても──俺は邪魔なのである。

 

「どうかしたのかね?」

「ああいや……見られてんなー、と」

「はっはっは、流石に気付くか。あの者達もまだまだ甘いな。が、君が悪いのだぞ?」

「え、俺?」

「そう何年も何年も変わらぬ姿を惜しげもなく見せつけて、興味を持たない者がいると思うかね? 緑礬の名だけ知っている地方の者たちならともかく、私や中央の軍人からすれば、君という存在は不可思議と可能性の塊なのだよ」

「それくらいそっちの力で隠せないの?」

「私達が君を庇うメリットが無い。君がこの国に居づらくなって、この国を出て行ってくれた方がありがたいのだからな」

「ん-。まぁ、じゃあ、適当にフードとか被るよ。それである程度は隠せるだろ」

 

 懸念事項がピッタリはまってしまったわけだ。

 そうだよなぁ、軍属になったんだから、写真とかも登録されるわけだし、その上であの日立ち会ったやつとか知り合ったやつとか……もう40年近く経ってんのにずっと子供はヤバいか。

 でもなぁ、俺ホムンクルスじゃないから見た目の操作とかできないんだよね。マジでただ再生するだけの不老不死クセルクセスの民だからさ。一般人なんだよ俺。

 

「さて、ここだ」

「……オサレなサテンに連れてってくれる、と思った俺が馬鹿だったか」

「何、軍部の食堂とて中々に美味な食事を提供してくれるものだぞ?」

 

 そういうわけで、東方司令部でお茶会である。

 

 

 

「それで、聞きたいことって?」

 

 食事はまぁ、美味しかったよ。

 ブラッドレイがあんまりにも綺麗な所作で食べるもんだから、ちょいと背筋が伸びたけど。とはいえそこまで綺麗に食ってるのは彼だけで、他はガツガツ行ったりかっこんだりだった。原作じゃ知らん軍人ばかりだけど、あぁ、確かに、会ったことあるっていうかすれ違ったことのある軍人ばかりだ。

 監視もしたいけど腹も減るってか。

 

「あの日。私が生まれる前のあの日、君が傲慢(プライド)に言った言葉についてだ」

「え、おいおい。いいのかよこんな公の場で。誰が聞いてるかも知んねーのに」

「話し声が聞こえる距離は把握しているし、盗聴器の類はあらかじめ調べてある。問題は無い」

「ほーん……。で、何? 俺が言った言葉?」

「"激動の時代"」

 

 あっ。

 ……い、いや。

 

「あー、まぁ言ったけど。それが何?」

「君が何故我々の"計画"について知っているのか、君が何故我々の全てを知っているのか。それについては関知しない。"お父様"曰く『不老不死が全知でも何らおかしくはないだろう』とのことでな、そこについてはどうでもよい」

「いやそりゃ買いかぶりだけど」

「だが、そんな君の発した"激動の時代"……これが何を意味するのか」

「そりゃ、そのまんまだよ。刻むつもりなんだろ?」

()()()()()()()()()()()()も知っているのだろう?」

 

 ……いやぁ、失言だったか。

 これは、つまり確信を与えたってことかね。

 

 そっか、そうだよな。

 さしものフラスコの中の小人といえど、人間の出生までコントロールできるわけでもなし。ましてやそれが人柱になるかもわからないんだ。当たり前だけど。

 ロイ・マスタングを強制的に人柱にしたのは外法。全部アレでいいなら初めから外部の錬金術師を……真理を見た錬金術師を監視下に置く、なんて面倒な事やってない。

 

 けど、フラスコの中の小人は俺の言葉で確信した。

 プライドから齎された「激動の時代」という言葉は、血の紋を刻み付けることだけでなく、人柱足り得る人材が生まれ出でてくる時代が来るのだと……日食が起きるその日までに、すべてが揃うのだと。

 妙に信頼されてるトコあるからな、俺。邪険に扱われている割に。

 

「誰だね? あるいは、どこで生まれる?」

「さてねぇ。そこまでわかってんなら、常に目でも光らせとけばいいさ。ブラッドレイ、アンタはレールの上を突っ走るだけだけど、他は自由にできるんだから」

「つまり──君の行くところ全てを調べ上げればいいと、そういうことかね?」

「いやぁ、案外逆かもよ? 行かない場所を調べた方がいいかも」

「……」

「……」

 

 どーするよ。

 どーするよこれで、リゼンブールに軍の駐屯地とか置かれたら。

 でかい事故も起きてないのに突然子供の手足が吹っ飛んで機械鎧になったり、未だ技術の確立されていない全身機械鎧が出てきたりしたら、疑われるどころじゃ済まないじゃん。そのまま連れてかれる可能性も無きにしも非ずだし、そうでなくちゃんと原作開始時点まで持っていけたとしても、その後兄弟が得られる情報は全てがダミーになるだろう。

 そうなったら原作破壊どころじゃない。いや別に原作通りの展開になってほしいとか思ってないんだけど、あんまり崩れられるとコントロールが難しくなるからできるだけその通りに進んでほしいんだよな。

 国家錬金術師制度のあたりはもう無理なんだけど。

 

 ふむ。

 ……うん。

 

「まぁ、好きにすると良いさ。ちなむと、これから行こうと思ってるのはリオール、クレタ側の国境線、ペンドルトン、んでブリッグズ山だ」

「……そうかね」

「安心しなって。何度も言ってるけど、邪魔するつもりはサラサラないんだ。アイツがさらなる命を得ようが、"カミ"を手にしようが、俺に関わる話じゃない。もし錬成陣の発動に邪魔だってんなら一時的な国外退去もするよ、自主的に。けどそれまでは許してくれよ。こんだけ広い国で、こんだけ見るモンがあって、それを外から眺めてろ、なんてのは流石に酷い話だろ?」

 

 ついさっき見るモンない国だ、とか思ってたのは内緒。

 

「──君を組み込まんとしているのだとしても、かね?」

「え?」

「いや、なんでもない。実に有意義な昼食だった。君に言われた通り、これからの時代をよく見ていることにしよう。それでは、私は先に失礼するよ。昼過ぎから予定があるのでね」

 

 え。

 え?

 

 ……あ、何?

 "不老不死"って記号、有効活用しようとしてる感じ?

 

 

** + **

 

 

 ブリッグズ山に来た。

 はっはっは、言った順番の通りに行くとは言ってないだろう!

 

 ……いやね、そもそもの話よ。 

 例えばあと少しで生まれるイズミ・ハーネット、そしてトリシャ・エルリック。

 その誕生に立ち会ったとして、なんになるよ。何のかかわりもない旅人さんがさ、いきなりやってきて産気づいた妊婦さんの出産の場に立ち会わせてくださいでも何にも手伝えません! とか。邪魔過ぎるだろ。錬金術師じゃなくても邪魔だわ。

 

 というような考えが巡りに巡った結果、原作主要人物の誕生の瞬間に立ち会う! っていうタスクを全部消して、ブラッドレイとかグリードとかみたいな、主要人物の若いころに出会う! って方向に切り替えた。

 その方がホムンクルス達も絞り難いだろう。即ち、人柱候補を。

 

 さて──まぁ、話を変えると、俺は再生する一般クセルクセスの民である。

 国家錬金術師制度が制定されてすぐの頃の甘い審査とはいえど、誰が見ても、と言える程度の錬金術は使えよう。

 が、身体はマージで一般人だ。

 北のブリッグズ。その前の北方司令部でさえ、うん、かなりエグい。

 

 ブラッドレイに言われて着るようにしたフード付きコートがなーんの意味もなさない。もうガッチガチに凍り付いていく身体を、感覚のなくなった部分からぱっぱか切り落として再生して、そうやって突き進む。

 原作のスロウスよろしく気付かないうちに脳まで凍ったら、とかおそろしおそろしなんでね。それでも死なないけど。

 

 とはいえ。

 とはいえ、である。

 俺がどんだけ平気でも。飲食が要らず、寒さも耐えりゃいいと思っていて疲れ知らずで再生能力持ちだとしても──周囲からそれがどう映るか。

 闇雲に、現地人の言葉も聞かずにブリッグズ山に突っ込んでいった10歳くらいの子供。

 

 まー確保される。つか保護される。

 いくらブリッグズが「弱肉強食」を体現していても、それとおんなじくらいには情に厚いのがここの民だ。

 旅人で、一瞬知り合っただけとはいえ、それだけで十分な縁だったらしい。

 

 ブリザードの中を足だの腕だのを切り落として進んでいたら、急に隣にかまくらがぼこっと出来上がったではないか。

 かまくら。スノードームである。

 そしてなんか無駄にいい感じのドアができて、ぱかっと開いたそこには。

 

「おー、ホントにおるとはのう。さすが兄ちゃん、その歳でも目だけは良いのう」

「なんじゃ、疑っておったのかシルバ。ふん、儂の目はたとえ吹雪の中であろうと千里先のアリの糞まで見逃さんと言ったじゃろう」

 

 ……えーと。 

 爺さん二人。ああでもなんか見覚えあるような。

 

「とと、そんなことより。ほれ、お主。こちらに来い。この中は暖かいぞ?」

「……え、俺?」

「お主以外誰がおるんじゃ。それともなんじゃ、足が凍って動けないか? ……いや、怪我をしておるのか? 微かじゃが、血が……」

「血の匂いがするのぅ。坊主、それが返り血でないのなら、そのコートの内側は血だらけではないか?」

 

 ああ、いや。

 正解ではある。いや困ってたんだよね。血ってこんな簡単に凍るんだーって。手足切り落とす時に一瞬だけ飛び散る血液がコートやら服やらについて凍って、それが起点になってまた全身に凍傷が広がって……っていう負のスパイラルを起こしていた。

 もう全裸になるかな、とか考えていた頃にこれだ。危ない、ギリギリだった。

 

「坊主、こっちに手を伸ばせるか?」

「……あーっと、いいよ、大丈夫。俺は」

「ええいうるさいのう、年長者の厚意はありがたく受け取るもんじゃ!」

 

 ひょい、と。

 ほとんど完全に凍り付いていた俺の足を、けれど折ることも傷つけることもなく雪の中から掬い出し、そのままかまくらの中に引き込む老人。兄ちゃんと呼ばれていた方だ。

 あ、このかまくら錬金術でできてんのか。なるほど、上手い……上手く組んである。そんでもって、町の方にまで繋がった雪のトンネル。これも錬金術で作ってあんな。

 

「……言わんこっちゃない。シルバ、湯を出せ湯を。熱すぎてはいかん、ぬるま湯くらいのじゃ」

「任せろ兄ちゃん、そして坊主、動くなよ。下手に動けば足を失うぞ」

 

 慣れているのだろう。

 シルバと呼ばれている弟の方とその兄……老人兄弟は、俺の足の凍傷を完璧な連携で手当てし始めた。

 別に切り落とせば健康な足が生えてくるんだけど、まぁ、まぁ。

 

「お主、よくここまで生きてこれたのー。コートの血といい服の血痕といい、熊にでも遭ったか?」

「軽装が過ぎるわい。奇跡じゃぞ奇跡。こんな装備で冬山に入って生きていられるなぞ……」

「ああいや、でも俺一応錬金術師だからさ。ある程度はいけんのよ」

「錬金術師? なんと、同業じゃったか」

「ああやっぱりそっちの爺さんが錬金術師なんだ。このかまくら、めちゃくちゃ綺麗な球形してるし、練度高い錬金術師って感じで参考になるよ」

「ほっほーぅ……見る目があるのう、坊主!」

 

 ……シルバ・スタイナーか!

 んで今俺の足の手当してくれてるのがゴルド・スタイナーだ。アレ、イズミの修行時代、勘違いから「一は全、全は一」を伝えた格闘家と錬金術師の兄弟!

 シルバの方は既に死んじゃってたから気付かなかったけど、そうだ、この爺さんは脱ぐと凄い系格闘家爺さんだ。一か月ナイフ一本でブリッグズ山を生き延びる、なんて無理難題をイズミに課した人。

 そしてその教えはしっかりと弟子に継がれている……。

 

「しかし、錬金術師なら儂の程とは言わないまでも、こうしてかまくらを作ってブリザードをやり過ごす、という手もあったんじゃないかの?」

「ああいや、俺の錬金術はちょいと特殊でね。生体錬成に寄ってるから、あんまし得意じゃねーのよ、建造物作るのは」

 

 単純壁作るとかならできるけどね。

 エドワードみたいに変な意匠をプラスして建造物を作るとか直すとかは不得意だ。

 

「生体錬成……成程、それでか」

「ん、何が?」

「お主の服じゃよ。明らかに内部から飛び散った血痕が数多くみられる。これは返り血でなく、己で切り離した皮膚や肉の痕跡じゃろ。お主、凍傷になった瞬間にそこを切り離して、生体錬成で修復して……を繰り返してここまで来たな?」

 

 おお、中らずと雖も遠からず。

 そして怖い顔してる。

 

「……まったく、子供はもう少し身体を大事にせい。なんでもかんでも錬金術頼りになってしまえば、なんでもかんでも錬金術で解決しようと思うようになってしまうぞ」

「シルバ、湯の追加じゃ。……坊主、お主それなりに鍛えておるようじゃが、それなり止まりじゃのぅ。もし熊や狼に遭遇していたら、どうするつもりだったんじゃ?」

「逃げたかねぇ。別に食事に困ってるわけでもないんだ、殺すほど熊だの狼だのに憎悪があるわけでもない」

「奴らは追ってくるぞ。奴らこそ血に飢えた存在。獣が臆病なのは、餌が潤沢にある環境においてのみじゃからの。それを……錬金術で治せるからと高を括って逃げ回ってみろ。いずれ捕まり、食われ、しかし治し……また食われ。奴らにとって尽きぬ食糧庫になる未来しか見えぬ」

 

 まぁ。

 そうなったら、そうなってない方から再生するから大丈夫なんだけど。

 いやはや正論だね。特に獣に人間の味覚えさせるのはダメだし。そうやって人間の味覚えた獣は人里に降りてくるからな、迷惑かけちまう。

 

 反省しよう、ちゃんと。

 

「爺さん、良かったらこの雪のトンネル作る錬成陣教えてくれよ。原理だけでもいいからさ」

「……仕方がないのぅ。儂も老い先短い身。そろそろ後継者が必要だと思っとったんじゃ」

「ああいや、弟子になる気は」

 

 でも待てよ?

 イズミ・ハーネットがここに来るのが18年後とか17年後とかそんくらいで、それまでにあることっつったら……ブラッドレイの大総統就任とホーエンハイム、トリシャの結婚くらいなんだよな。

 どうせもうすぐシルバが死ぬことはわかっているし、シン以外の……アメストリス式の格闘術を習うって意味も込めて、この兄弟に師事するのはアリな気がする。

 

 観光は、まぁ、イシュヴァール殲滅戦後でも結構時間あるしな。

 

「……弟子になる気はないけど、泊めてくれるってんなら厚意に与ろうかな。ブリッグズの北壁を見たらノースシティに直帰する予定だったし」

「見てどうする気だったんじゃ。あそこ、ブリッグズ兵くらいしかおらんぞ」

「観光だよ観光」

「……奇特な奴じゃの」

 

 何より、そろそろ動くんじゃないかと思わせておいて──十年ちょいブリッグズから全く動かないとか、ホムンクルス達も想像してないだろうし。

 容姿?

 ……生体錬成の成果ってことで! まぁほら、エドもずっとチビだったわけだし、ね?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、告げといたって話

ちゃんと転生者らしいことしていくぅ!!


 街の墓地にあるものとは違う、勝手に建てさせてもらった墓標。

 そこにユキツバキの花束……に模した造花を供える。墓前に椿は最悪の組み合わせなんだけどね。だからこそこの造花は「決して衰えぬ」という意味を込めていたりして……とかなんとか。

 

 たかだか15年。

 俺がこの世界に放り出されてからの年月を考えれば、一瞬にも等しい時間。

 

「中々、面白かったよ、シルバの爺さん」

「寂しくなるのぅ」

「……おいおい、ゴルドの爺さん。アンタもう87歳なんだから、こんな雪山の深くまで入ってきちゃダメだろう。クマかオオカミの餌になるのが関の山だ」

 

 振り返るとそこには、同じく15年を共にした格闘家爺さんが佇んでいた。

 

「はん、儂はまだまだ現役じゃわい」

「そうかい。じゃあ、もう少し……そうだな、あと20年くらいは生きてくれ。それまで生きてたら、また会いに来るからさ」

 

 コートを羽織る。フードを被る。

 

「世話になった。15年……短い間だったけど、ちゃんといい思い出になったよ」

「短い、のぅ。フ……そうじゃの。坊主にとってはそうなんじゃろう。……ヴァルネラ。最後に一つだけ良いかの?」

「ん? あぁ、若さの秘訣? そりゃ教えらんねーんだわ」

「誰もそんなこと聞いとらんわ」

 

 珍しく、本当に珍しく晴天なブリッグズ山。

 吹雪も降雪もないなんて果たして何年ぶりか。いいね、門出の祝いって奴だ。

 

「お主に終わりは──お主が安らかに眠ることのできる日は」

「来ないよ。だから楽しむんじゃないか」

「……そうか。それは、悲しいことか?」

「さてね。でも、自分が楽しく思おうと思えばどんなもんでも楽しくなるってもんでさ。それは悲しみも同じこと。悲しく思わなけりゃ悲しくならないんだから、悲しく思わない方が得ってモンでショ」

 

 だから俺はマイナス思考にはならない。

 つーかまだまだ見てないモンばっかだし。真面目に。シンだって全土回るのにどんだけかかったか。アメストリスだってまだまだ見ていない場所だらけだ。それが五年や十年で目まぐるしく変わっていくんだ、面白くないはずがない。

 さらに言えば、今のこの世界って産業革命直後のイギリスとかその辺の文明だ。それが段々と近代化していって、その中に錬金術が組み込まれて行って。当然前世の"現代"よりもっと多彩な文明、文化が生まれるだろうし、その先にまた全く別の世界が広がることがあるだろうし。

 

 それを飽きろって、無茶言うよ。

 "約束の日"が過ぎ去ったとて、俺は死なない。終わらない。

 なら未来に展望を持つのは当然だろうに。

 

「いや、そうか。いや、良い。良い。心配だったんじゃ。儂の……儂らの大切な()が、世界に悲観していては、あまりに心苦しいからの。楽しいのならば、儂も笑って送り出せる」

「孫って。アンタにゃ実の孫がいるだろ。つか、もうわかってんだろ? 俺は爺さんらよりずっと──」

「ふん、坊主には全くと言っていいほど"貫禄"というモンが無いからの、年上面したいのなら、少しは貫禄つけてから来い」

 

 そりゃ、まぁ無理だわ。

 俺はずーっとこのチャラいままだからさ。

 

「ああ、また来るよ。じゃあな、ゴルド・スタイナー」

「言って意味のあることかはわからんが、達者での、ヴァルネラ」

「ん。あ、そうだ。歯切れ悪いけどさ。俺のホントの名前、クロードって言うんだ。ヴァルネラは自分でつけたあだ名」

「歯切れも悪いし今更じゃし……が、わかった、わかった。──達者での、クロード。お主の旅路に幸多からんことを」

「ああ、じゃあな!」

 

 うん、本当に。

 良い15年間だった。

 

 

** + **

 

 

 ブリッグズ山を東南東方面に下っていく。

 列車は使わないし、相も変わらず雪国仕様の服装じゃないから何度か現地人に止められたけど、「この服装で来る場所じゃなかったって反省して下山してるんですよ~」で大体乗り切れた。

 今は1894年。もうそろブラッドレイが大総統に就任する時期で、前後はわからないけれどホーエンハイムとトリシャ・エルリックが出会う時期でもある。

 こっからはまーリオールへ立ち寄って、一回セントラルに戻り、そのままクレタとの国境まで突っ切って、今度はまた北上してペンドルトンの国境へ……っていうぐちゃぐちゃなルートを描くつもりでいる。ホムンクルス達も俺がとうとう動き出したってんで目を光らせているだろうからな、余計攪乱してやるのさ。

 

 とはいえ、己がタスクとして設定した各主要人物の若い頃に出会う、というものの達成を考えるに、どうしても無理な……体の足りない部分が出てくる。軍部の連中はイシュヴァール殲滅戦で会えるだろうけど、じゃあ逆に殲滅戦に出てこなかったメンツはどうかってったら厳しいし、軍人じゃないのはもっと厳しい。

 

 別に。

 別に、ブラッドレイに語った言葉をそのまま実行する必要が無い、ってのもわかってる。

 あの時上げたのは奴らがこれから血の紋を刻む場所だ。挑発の意味を込めて話したその場所は、だからといってなんか観光スポットがあるわけでもない。

 それに、あんまりアイツらにとっての主要スポットばかりを回っていると、逆に行ってない場所に目をつけられかねん。

 いい具合にグラデーションしていくのがベストと考える。

 

 なら。

 

「変わらず目的地はリオール、っと……」

「なんだ、君の事だから一目散に私の元へ来て就任祝いをくれると踏んでいたのだがね」

 

 気付いてはいた。だから口に出したんだし。

 だけど声をかけてくるとは思ってなかった。つかこういうのプライドとかエンヴィーにやらせりゃいいのに。盗聴なんか十八番だろアイツら。

 

「まぁ、異例の若さでの就任おめっとさん。キング・ブラッドレイ大総統殿?」

「うむ。ついては君に聞きたいことがあるのだがね」

「なんだ、また奢ってくれんの? いーよ、奢ってくれるんなら行く行く。軽々しくついていくよ」

「残念ながら此度はそれほどの時間が無い。大総統になってから仕事が山積みでな、本来ならばこう易々と抜け出して良いものではないのだよ」

「だろうね」

 

 ここがセントラルからどんだけ離れてると思ってんだ。

 まぁ若きブラッドレイだ。ホムンクルスとしての身体能力もフルに使って突っ走ってきたんだろうけど、そいつはやっぱり結構な無茶だと思う。

 そこまでして俺に聞きたいこと。

 

 ……なんか俺他に失言したっけ?

 

「ゴルド・スタイナー」

「ああ、いいよ。あれただの格闘家の爺さんだから。錬金術はレの字もわかんないよ」

「……いい、とは?」

「監視するのも攫うのも好きにしなよ、ってこと。それとも何? 俺にとっての人質になるとでも思った?」

 

 15年、世話になった。

 雪を扱う錬金術について、また熱を操作する錬金術についての知識が増えた。

 悪路での戦闘、体格差のある相手、人間以外との戦闘についての知識を貰った。彼らは俺を最後まで孫のように扱い、見た目が変わらない俺を気味悪がることなく接してくれた。

 

 無論、感謝の心はある。

 けれどそれが俺の行動を縛るかって言ったらそんなことはない。

 

「加えて言うと、あの爺さんは俺に庇われるのとか絶対嫌がるってのもあるかな。はは、あの爺さん、御年87にしてまだ熊とか素手で狩ってくるんだぜ? プライド高いんだよ、自分の実力に対して、どこまでもな」

「……元気な老人だな」

「このままいけばアンタもそうなるだろ?」

 

 はん、クセルクセスの民を当然のように見殺しにした俺をなめるなよ。

 これまで刻まれてきた血の紋を「リアタイする」なんて言葉で片付けてきた俺に真っ当な良識があると、本当に思ってんのか。

 ないっちゅーの。原作で起きた事件、くらいにしか思っとらんわ。

 

「君に人間性というものを少しでも期待した我々が愚かだったようだな」

「おいおい、ホムンクルスがそれを問うのかよ」

「違いないな」

 

 ブラッドレイが──帽子に手をかける。

 話は終わった、とばかりに踵を返して。

 

「おー」

 

 とす、と。

 簡単な音。簡単に突き破る音が胸のあたりから響く。

 

「なんだ、今更。アレか、俺の血でも採取しようって魂胆か?」

「察しが良いな」

「ああ、そいじゃタイミングが悪い。丁度心臓には()()()()()()()()()んだ」

「──!」

 

 俺の身体を突き破った剣。それが、それの血液がついたところから、肉片の付着したところから──次々と、花が散るように崩れ落ちていく。

 常人には見えないだろうが、彼の目には見えていることだろう。

 結晶だ。浸透するように、浸食するように、血が、肉が結晶化して、それの付着した刀身をも結晶化させて──そのままボロボロと崩れていく。

 

 風化していく。

 

「……全く、これを"生体錬成"などと、良く言ったものだ」

「生体錬成だよ、ちゃんと。シンの技術を汲んだ遠隔錬成と、俺が不老不死であることを利用した"血の媒介"をフル活用した錬金術だ。ははは、錬金術に詳しくない軍人ばかりの審査は甘っちょろかったよ、ホント」

 

 そうして閉じる。

 傷口が。風化した剣はその柄までを残し、まるでぽっきりと折れたかのように、あるいは元からそういうオブジェクトであったかのように存在している。

 ブラッドレイはソレをポイ、と捨てて。

 

「"お父様"がお前の血を欲しておる。これより先、私以外のホムンクルス達もその血を狙ってくるだろう。あるいはその身ごと確保するやもしれんがな」

「アイツが欲しいのは"カミ"であって永遠の命じゃなかったと思うんだけどなぁ。その辺はグリードの分野だろ」

()()()()()。さらばだ、緑礬の錬金術師」

 

 ブラッドレイの姿が掻き消える。

 いや、掻き消えたように見えただけだ。ただ彼は、爆速ダッシュをしたってだけだから。

 

 それより……なんだ。

 伝えはした? そいやこの前の「君を組み込まんとしているのだとしても」といい、なんでアイツ俺にヒント与えるようなことを。

 

 ふむ。

 

 セントラル行くのやめよっかな。

 

 

** + **

 

 

 リオールには何にもなかった。

 そういえばリオールにレト教が流行し始めたのって1911年……原作開始のちょっと前くらいなんだよね。だからあそこには何もなく、ちょっと頑張って探したけどロゼも見つからず。そんでもって、ユースウェルにも行ったけど、ヨキもいなかった。ヨキに関しては会いたいかどうかっつったら微妙なトコなんだけど、よくよく考えたら今アイツまだ十代そこらの若者だろうし、いなくて当然。

 

 そこで俺は考えたわけだ。

 

 果たして今行ける場所で、"若い頃に出会う"が達成できる人物って具体的に誰だろう、と。

 軍部なら、たとえばグラマン中将やらレイブン中将やらはいる。が、どこにいるかはわからない。アームストロング家の面々はまだ若いから軍人になっているかどうかわからん時期だし、それはマスタング大佐達も同じ。つか士官学校にいるんじゃないかな、多分だけど。

 既に軍属……国家錬金術師として認められている俺は士官学校にゃ入学できないし、するつもりもない。

 ほいじゃま「焔の錬金術師」殿、とか考えたけどあの人話通じるかわからんのがなぁ、とかあーだーこーだ。

 

 そうして──俺は、結論に辿り着く。

 

「……」

 

 ドサッ、と。

 彼は持っていた書物を取り落とした。ボサボサの毛がさらにボサボサに見える……眼鏡も真っ白に曇って見えるくらいの、なんか、デフォルメ絵感を出して。

 その尋常ではない様子に彼の妻が彼を心配するけれど、残念ながら彼の再起動にまではまだまだ時間がかかりそうだった。

 

 ので。

 

「よぉ、ホーエンハイム。久しぶりだな、元気してたか?」

 

 如何にも彼の知り合いですよ、風の挨拶で──この場を乗り切ることにした。

 

 

 

 

 ホーエンハイムの旧知と知って、おもてなしをしてくれようとしたトリシャ・エルリックを止めて、ホーエンハイムと部屋の中に入る。

 いやぁいいねリゼンブール。人目を気にする必要が無い。だだっ広いから。

 ……リゼンブールなんていう片田舎に行ったら俺が覚えられるから行かない、とか言ったな! あれは……ホントだけど、今フード被ってるからいいんだ!

 

「……久しぶり、なんてもんじゃないだろう……お前は、本当に」

「不老不死なのか、って? ああ、そうだよ。あの時お前らに語った言葉に噓偽りは一つもない」

「その体の中心に、赤い石があったりはしないのか?」

「しないね。お前らみたいな紛い物とは違うのよ、この永遠は」

 

 たかだか53万の命を使っただけで再生できなくなるなんて、永遠とは程遠い。不老不死とは程遠い。

 

「何をしに来た……って、あ。そういえば名前、聞いてなかったな」

「ヴァルネラ。今はそう名乗ってる」

「……クセルクセス人の名前じゃないな、それ」

「あだ名だよ。俺が俺につけたあだ名」

 

 俺がここに来た理由。

 それは勿論、死ぬ前にトリシャ・エルリックに会っておきたかった、ってのもあるけれど。

 

「フラスコの中の小人を覚えているな?」

「当然だ。ひと時たりとも忘れたことは無い」

「アイツがな、最近俺の血を求めているらしいんだ。あるいは俺そのものを」

「何?」

 

 相談しに来た──のである。

 ヴァン・ホーエンハイム。彼は賢者の石について、そして門を開く陣についてだけを一心に研究する錬金術師だ。

 俺も錬金術師になれはしたけど、扱う内容が違い過ぎてしょーじきわからん部分が大きい。

 

 ならば適任は、っつったらね。

 

「俺は"不老不死"だ。それは紛う方なき事実。そしてその記号は、それを必要とする陣とは何だと思う?」

「……まず、血は"魂の情報"だ。それを欲しがったということは、アイツはお前の魂に目をつけている可能性が高い」

「ああ、その辺はわかってるよ。俺も一応錬金術修めたんでね」

 

 生物は魂、精神、肉体で構成され、精神は魂と肉体を繋ぎ止めるための識別票みたいなもんだと認識している。賢者の石を注入されて自我を失うのは、一つの肉体に複数の魂が入ったせいで精神の接続先が混乱するからだ。精神ってのは拡張子しか識別してくれないから、魂ファイル内に複数が入ることを想定していないっていう。

 そして、魂と肉体は魂の方に比重が置かれている。

 魂さえ無事なら肉体は「取り戻せる」し、「治る」。逆に肉体から魂を探るってのはどーにも難しいらしい。違うものに縫い付ければ簡単に乖離しかけるし、簡単に侵入も許してしまう。

 

 そんな魂の情報をフラスコの中の小人が欲している。

 となれば。

 

「まさか、フラスコを入れ替えるつもりか?」

「ああ、そういうこと? なんだっけアイツ、今お前の皮被ってんだっけ。それを俺に、って? はは、んなことしたって不老不死にゃなれやしないんだけどな」

「それをした後に、お前の魂をアイツが取り込んだら、どうなる?」

 

 ふむ。

 まぁ、パーツごとにはなるけれど、俺と融合するようなものか。

 俺の中にアイツが入り、俺を追い出し、追い出した俺をアイツが飲み込む。

 それで、アイツは不老不死の身体を、そして魂をも手に入れる……って?

 

「今パッと思いついたのはこれくらいだ……だが、フラスコの中の小人(アイツ)のことだ。他の、もっと悪辣な考えを張り巡らせているかもしれない」

「……」

 

 少し。

 少しばかり、考えを巡らせる。

 今パッと思いついたことだ。計画性なんて欠片もない、できれば原作通りになってほしいとか言った俺を真っ向から否定するような考え。

 

「──1904年。この年は、中頃辺りから病が流行り始める」

「……いきなりなんだ。1904年? 未来も未来じゃないか」

「流行り病の波はリゼンブールにまで来て──さっきの女性、トリシャと言ったか。あの人も罹患する」

 

 ペンが。

 何か図式を走らせていたホーエンハイムの手から、ペンがポトりと落ちる。

 

「何を、言っている」

「いやなに、フラスコの中の小人が計画を変更するというのなら、俺だって方針を変えてもいいだろうと思ってね。──罹患したトリシャ・エルリックは、その年の内に──死、」

 

 拳が来た。

 避けない。避けずに殴られる。

 おーおー、もうそこまでアツアツなのか。いいね、だったら俺も楽しいことがしたくなる。

 

「錬金術は万能じゃない。怪我を治すことのできる錬金術は、けれど病は治せない。生体錬成ではなく医術の領域だからだ。毒とかならいけるけどね」

「……それが、なんだ」

「看取れよ、ホーエンハイム。時間が無いのは知っているし、お前の使命感も理解している。だから──()()()()()()()()()()

「! ──ぐ、ぅ!?」

 

 突き刺す。

 その腹……ホーエンハイムの腹部に、腕を突っ込む。

 すぐさま修復せんとするホーエンハイムの組織は、けれど不老不死を前に首を垂れる。無理だと理解し、諦め、血を流す。魂を流す。

 

 それを幾らか受け取って、小瓶に詰めて。

 

「懐かしの見張り番の奴ら、灌漑工事の監督役たち、罪人を拷問する係……名前さえ憶えちゃいないが、はは、なんだ、久しぶりだな、とは言っておくか?」

「待て……返せ、彼らは……」

「わかってるわかってる。だから、遠い所は任せな。ペンドルトンとか、クレタとか、お前の足じゃ遠すぎるだろ? その分浮いた時間を有意義に使えよ、奴隷二十三号。時間に縛られているのはフラスコの中にいるのと一緒だ──って言われなかったか?」

 

 それは、ささやかばかりの原作改変だ。

 あるいはホーエンハイムが流行り病を治してしまうかもしれないが──そうなったらまぁ、そうなったら。別にエルリック兄弟が人柱にならなくたっていい。例えばほら、ハンベルガング家に仕えてるジュドウさんとかさ、マルコーとかさ。

 結構いるんだ、人柱候補。

 もしかしたら、ホーエンハイムが病に対処できず、トリシャはそのまま死ぬのかもしれない。だけど看取れはするだろう。兄弟と一緒に、悲嘆に暮れながら愛した妻を見送るといい。その後旅に出たって遅くはない。

 遅くはならないように、今から俺が動く。

 

「これは礼だぜ、ホーエンハイム。あの日、俺を自由にしてくれた礼だ。等価交換さ。俺に自由をくれたお前に、自由をやる。その後すぐに縛られるのだとしても──最期くらいは、自由を謳歌しろ」

「……どんな病が流行る。今からでも遅くはないだろう。10年もあれば、治療薬くらい──」

「それは教えない。お前が俺にくれたのは自由であって知識じゃない。等価交換だ。自由と知識は等価足り得ない」

 

 決まりきった死と等価に交換できるものなどありはしない。

 あるとしたら、愛情とかかね? なーんて。

 

「んじゃ、俺はそろそろ行くよ、ホーエンハイム。久しぶりに会えて良かった。そんじゃーな」

 

 待て、という声はかからなかった。

 俯いたままのホーエンハイムに後ろ手を振って部屋を出る。

 

 出て、お盆にお茶を乗せたトリシャ・エルリックにばったり出会った。

 

「あら、もうお帰りなんですか?」

「ああうん、言いたいことは言ったし、再会も祝えたからね。お気遣いありがとう」

「いえいえ……あの人の友人なんて、あんまりにも珍しかったので、驚いてしまいましたが……良いご友人がいたようで、私も嬉しいです」

 

 友人。

 ……ちなみにホーエンハイムと出会ったのこれが二回目ね。ハハッ、それで友人なら、万国共通全員友人だな。

 

「ああ、俺からしても良い友人だ。それじゃ」

 

 言って、今度こそエルリック家を去る。

 

 ま、あっちが友人なんて位高いモンに思ってくれてるかは知らんがね。

 フラスコの中の小人とおんなじで邪魔者にしか思ってないんでねーの。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、それくらいはやるって話

また転生者らしいことをしていくぅ!


 国家錬金術師制度が厳しくなった。

 ブラッドレイが大総統に就任してすぐのことだ。それまでは国家錬金術師とは名ばかりで、軍属というよりは「国家資格を持っている錬金術師」という色合いの強かったそれが、完全なる軍の狗として扱われるようになった。

 伴い、原作にもあったような、一年に一回の研究レポートの提出が義務化。

 提出できなければ国家資格が剥奪され、研究資金も取り上げられる。

 この制度はまぁ定期的に錬金術師をセントラルに来させて、監視と観察と、人柱候補足り得るかどうかの判断をするところが主目的なんだろう。

 その点、俺にはクリティカルヒットだ。フラスコの中の小人が俺の血を狙っているというのなら、やっぱり中央には近づきたくない。またホーエンハイムの代わりに錬成陣を刻みに行く必要があるから、旅をする際今までのような五年十年をかけた道程が辿れない。

 外周へ行って、すぐにセントラルに帰って、また外周へ……なんて繰り返すのはちょっと馬鹿らしい。

 

 ので。

 

「おー……速い速い。いやぁ、文明の利器って奴?」

 

 またまた前言を撤回し、俺は今列車に乗っている。

 不老不死だから時間短縮をするようなものは使わない、と言ったな。考えが変わった!!

 

 そんなこんなでクレタ国境線の帰り。アメストリスを巨大な円と見た場合、賢者の石作成に必要な錬成陣もカウンター錬成陣も、南方を底辺とした五角形を描いている。

 第一次南部国境戦はアエルゴとのもの。これは右側の頂点。そしてエドワードが国家資格を取得する1911年10月に起こる第二次南部国境戦がアメストリスの左下、クレタとの戦いだ。

 だから、というわけでもないんだけど、まぁピリピリしていた。かなーりピリピリした空気を感じ取りながら、クセルクセスの民を置いてきた。あ、ちゃんと「対話済み」の奴貰ってきたからな、協力してくれない、ということは無いと思うぞ。

 

 さしもの俺も、俺の馬鹿な行動のせいで戦争ガー、なんてことに成ったらちょっとくらいは罪悪感を覚える。だからクレタとの国境の観光は程ほどに、列車に乗ってセントラル方面に帰っている最中なのだ。

 ……ブラッドレイが隣国に喧嘩売りまくってるからな。イシュヴァールの方もピリピリ度合いが半端じゃないし、もう観光なんて言ってる場合じゃない。そこかしこで戦争ムードが立ち込めているとでもいうべきか。

 確かジャン・ハボックやロイ・マスタング、マース・ヒューズはこういう戦争の空気を感じ取って軍に入ろうと思ったんだっけか。そのトップが主導してるわけではあるんだけど。

 

 ピットランドからリクスウェルポスト、そのままフィズリーへと繋がる列車の中で──ふと、二つ分の氣を感じ取る。

 リヴィ橋のあたりだ。そこにいる。つまりそう、ホムンクルスが、二人。

 ブラッドレイの奴じゃない。グリードでもプライドでもない。

 

 ……これは。

 

「ほんとにいいの?」

()()()()()()()()()()()

 

 瞬間だった。

 一瞬だった。

 線路の上を走っていた列車が、その線路ごと、中の乗客も車掌も何もかもを巻き込んで──消える。

 消滅する。

 

 した。

 

「……っぶな。おいおい、いいのかよそういうことして。アンタら俺の血が欲しいんじゃねえの? それやったら、二度と取り出せなくなっちまうだろ」

「あれ? 全部食べたと思ったのに……うーん、もういっかい!」

 

 二度目。

 もう一度放たれるソレに、今度は自らあたりに行く。ただし当たるのは今しがた錬金術を施した部分だけだ。

 肉がこそげ落ちる。骨にまで達したそれは、まるで空間ごと切り取られたかのように消滅し──ぐじゅる、なんて音を立てて再生する。

 

 そして、持っていかれた方は。

 

「グラトニー、よく狙って。もう一度よ、心臓と頭を飲み込むの」

「はぁ~い」

「あー、やっぱ発動しないか。飲み込むつったって異空間に飛ばしてるようなモンだもんな。となると俺にできることは少なくて、」

 

 ごっ、と。

 直撃する。全身がその空気砲のようなものに飲まれ、消滅する。

 

 そこにはもう、列車も、線路も、フードの錬金術師も──何も残っていなかった。

 

「食べれた!」

「ええ、偉いわグラトニー。それじゃ、お父様のところへ帰りましょう」

「うん!」

 

 片や女性。妖艶な空気を纏う彼女は、異様に太った子供を引き連れて、荒野の向こうへ去っていく。

 ぼよんぼよんと跳ねて移動するソレが、その震動が感じ取れなくなって──ようやく。

 

 じゅるり、ぐるり、グギガラリ。

 水音と肉の発達する音、骨が重なり骨格となる音。

 あるいは魂を乗せないダミー人形を錬成する時に聞く音ではあるのだろうか。けれど決して──決して人間であるとは言えない過程を経て、そこに、その場所に、ぎゅるりじゅるりと再生する。

 

 俺が。

 

「いやぁ、見境なしにもほどがある。が、俺の不老不死を舐め過ぎだな。核がある方からしか再生できない人造人間(出来損ない)とは格が違うのだよ格が」

 

 耳が残されていたら、そこから。

 指がちぎれていたら、そこから。

 髪が抜かれていたら──そこから。

 

 俺は再生する。死なない。俺は完全な不老不死であるけれど、それは副産物だ。何度も言っていることだ。俺は再生能力持ちなだけの一般クセルクセスの民だと。

 

 そんでまぁ、俺じゃなくなった方は、俺じゃないんだから、俺じゃなくなる。

 グラトニー。奴の疑似・真理の扉の中には、俺ではない肉片と血液が多量に零れ落ちていることだろう。あちらに頭があろうが心臓があろうが関係ない。あっちはもう俺じゃないから再生しないし、不老不死でもない。

 

 綺麗に真っ二つに斬られたら、なりたい方で再生する。

 細切れに分割されたら、再生したいところから再生する。

 

 そして──喜べエドワード・エルリック。お前が原作通りグラトニーに飲み込まれるかは知らないが、もし飲み込まれたら足場が死ぬほど増えていることだろう。心臓に施された錬成陣は強力だからな、かなりの範囲を結晶の足場にしてくれるだろうさ。まぁめちゃくちゃ崩れやすいんだけど。

 

 しかし。

 

 フラスコの中の小人にとって、疑似・真理の扉は失敗作……ゴミ箱程度でしかなかったと思うんだがな。

 俺の血を採取するために投入するには些か暴力的すぎる。そんでもって、何故ゴミ箱にしかならないかって取り出せないからだ。原作でエドワードがやったように正規の真理の扉を潜るくらいでしか帰ってくることのできない亜空間。

 そんな場所に俺を堕として、果たしてどうするつもりだったのか。

 取り出す手段でも開発したのか?

 

「……だから変えるの嫌だったんだよなぁ」

 

 予測がつきづらい。コントロールがしづらい。

 適当に木々から衣服を作りつつ考える。歩きながら、リヴィ橋の根元……ホムンクルスの気配を感じ取った場所まで歩く。そこに荷物とか放り投げたからな。いやぁ、予めホーエンハイムから預かった魂たちを避難させておいてよかった。もしあれごとグラトニーに飲み込まれていたらと思うと可哀想で仕方がない。

 エドワード・エルリックに頭を下げて、「もし疑似・真理の扉に行くことあったら血の入った小瓶を取ってきてほしいんだ!」って頼み込むところだった。まだ生まれてすらいないけど。

 

 にしても、だ。

 フラスコの中の小人が不老不死を手に入れんとしている。俺に成り代わろうとしている、とホーエンハイムは言っていた。パッと思いついた意見がそれだ、と。

 だけど、ブラッドレイは確かに「組み込まんとしている」と言ったのだ。

 それってつまり、やっぱりフラスコの中の小人(ホムンクルス)が不老不死になるのではなく、不老不死を利用して"カミ"になんらかの干渉をしようとしていると考えた方がしっくりくる。

 

 うーん。

 わっかんねぇなぁ。

 

 1897年9月。

 来年にはイズミ・ハーネットが……いや、もうイズミ・カーティスとなっているだろう彼女が人体錬成に失敗する年。あぁあとロックベル夫妻の結婚する年でもある。

 そろそろだ。

 そろそろすべてが動き出す。"激動の時代"が始まりつつある。

 

 懸念事項はあんまり増やしたくなかったけど、まぁ、俺だって方針を変えたんだ。

 謎は謎として、解けない謎を傍らに置くことを楽しむとしよう。

 

 それがたとえ自分の首を絞める真綿となっても、ほら俺不老不死だし!

 

 

** + **

 

 

 最近、"生体錬成の権威"と呼ばれることが多くなった。

 いやそれ勘のいいガキ嫌いおじさんのものだろ、ってツッコミはごもっともなんだけど、昔も昔から存在し、生体錬成の第一人者みたいな扱いを受け、いつまでもいつまでも若々しくあり続ける……というのは、まぁ、そこそこに目立つわけで。

 顔をフードで隠していたって動きは機敏なソレだし、声も一切嗄れない。周囲の軍人や錬金術師が次第に老いさらばえていく中で、いつまでもいつまでも元気いっぱいなヴァルネラ君なのだ。その秘密が俺の錬金術にあると睨むものが出るのも致し方の無いことだろう。

 

 実際、国家錬金術師制度が厳しくなってから、査定に提出しているレポートは生体錬成のものばかりだ。シンの錬丹術をも汲んだ新たな形の医学とでもいうべきソレは、アメストリスの生体錬成技術に大きな成長を遂げさせたことだろう。

 アレなんだよね。

 俺ほら、自分で人体実験できるから、他の奴より進み早いんだよね。動物実験だってやっぱり「人間と違う部分がある」ってトコがネックになる。その点俺は、治るだけで特に人間と違う要素のない身体をしているものだから、杉田玄白もとい解体新書よろしく、傷や病巣に対して詳細かつ効果的な生体錬成のレポートを書き上げられるわけだ。

 

 ホーエンハイムには病は生体錬成ではなく医術の領域だ、なんて言ったけどな。

 罹患部位を見極め、切り離すことを生体錬成と呼ぶのなら、医術の領域にも侵犯できるわけだ。

 そしてそれを正常に治せるのなら──言うことは無し。

 

「──頼む、この通りだ」

 

 そんな折である。 

 だから、"生体錬成の権威"とか呼ばれ始めて、プラスして医術にも精通していると思われ始めた頃。

 俺が旅行きがちな、セントラル空けがちな錬金術師と知っていたのか、それとも偶然か。

 セントラルを始発で出た列車の中に、二人はいた。

 

「この通りだも何も……まずどっかで降車しようか。目立つのは良くないだろ、お互いにさ」

 

 明らか体調悪そうなイズミ・カーティスを背負ったシグ・カーティスに、出会ったのである。

 

 

 

 

 セントラルとダブリスの間、機械鎧の聖地と名高いラッシュバレーで降車した俺達は、適当な酒場に入った。子供の俺を見てシグ・カーティスらに店主のキツい目が飛んだけど、そこは最近支給されたこの銀時計君を見せれば一発だ。

 もーっと嫌な顔を向けられながら、ノンアルジュースを注文する。いやぁ、この二人だって飲めないだろ、今は。じゃあなんで酒場に入ったんだって、酒場か機械鎧ショップくらいしかないからねラッシュバレーって。

 俺はこの身体の性質上機械鎧に世話になることは一生ないし、国家錬金術師は錬金術を軍事国家に売って生計を立てている奴ら、みたいな理由で嫌われている。特に錬金術を利用している機械鎧とその技師からはかなり嫌われている。民間錬金術師は好かれているみたいだけど。

 

「で、結局アンタ誰よ」

「俺はシグ・カーティスという。こっちは妻のイズミだ。……緑礬の錬金術師。この通りだ、頼む」

「とりあえず話は聞くけど、なんで俺が俺だってわかった?」

「その背丈で黒いフードを目深に被った錬金術師は、緑礬の錬金術師しか知らない」

 

 ……フードの色変えよ。赤……は被るから、青……も、青の団と被ってヤだな。

 白は汚れるよなぁ。特に血で。どうすっかな。

 

「そんで、妻を治してほしい、ね」

「ああ……俺に支払えるものならば、なんでも用意する」

「そう? じゃあ命だ。子供の命が一つあれば、そっちの女性を治せるよ」

 

 空間に罅が入ったような音が聞こえた。

 勿論幻聴だ。幻覚だ。

 けれど達人クラスの格闘家二人の殺気は、俺と、あと酒場にいたすべての人間にそう思わせるほどの圧があった。

 

「隠し事は無しにしようぜ、シグ・カーティス。アンタ……じゃないな。アンタは錬金術師じゃない。そっちの病気って偽ってる方だ。イズミ・カーティス。アンタだろう、禁忌を犯したのは」

「……」

「人体錬成。内臓が対価ってことは、ソレが生み出すために必要なものだったからだ。等価として見られたか、赤子が」

「……アンタは」

「はは、真理って奴の言い分は決まってコレなんだ。『それはできないよ、でも代わりにこれを見せてあげよう、勿論対価は頂くよ』──そんなに優しい口調じゃあないけどな」

 

 人体錬成が何故失敗するか。

 答えは簡単、できないからだ。失敗してるんじゃなくて、できない。この世界というフラスコの中にいる限り、この世界の生物はフラスコ内の法則に縛られる。あるいはできる世界もあるのだろう。死者を蘇らせるレイズデッドとかリザレクションとか、魔法で織り成される世界も存在するのだろう。

 が、この世界の魔法は錬金術なんて面倒くさいしがらみに囲まれた技術で、その技術では必ず果てに辿り着く。その外側に死者の蘇生は存在するのだから、どれだけ手を伸ばしたって掴み得ない。フラスコの中の小人はフラスコから出たら死んでしまうのだから。

 

「と、ここまでそれっぽく振舞ったけどね。生憎俺はカミサマを気取るつもりはないし、知識マウントを取るつもりもない。いいよ、治してあげよう。なんなら失った臓器を補填してあげることもできる。どうする、錬金術師。その体、困るだろう。痛いだろう。苦しいだろう。──普通の人間と同じにまで戻してあげるよ、何の対価もなしに」

 

 俺はそれができる。

 臓器移植だって錬丹術を使えばお手の物だ。臓器の整形だってできる。

 ならば、俺という健康体からあちらさんの身体に合うよう臓器を整形し、それを移植する──なんて荒業も何の問題もなくできてしまう。

 俺じゃなくなった臓器は不老不死にはならないけど、だからこそ人間には馴染むだろう。

 

「タダだ、イズミ・カーティス。私欲で禁忌を犯し、罰せられ、罪を浴びたお前の傷を、俺がタダで治してやる──どうする? 治療を受けるか?」

 

 イズミ・カーティスの答えは。

 

 

 ──拳、だった。

 

「さっきから……ぐだぐだ、ぐだぐだと……うるさい! カミサマを気取る気がないとか、マウントを取るつもりがないとか言っておきながら、ずっとずっと上から目線で、だってのにそんな覇気の無い声で……うっさい!」

 

 覇気のない声は関係ないじゃーん。

 ……貫禄ってどうやったらつくんですかね、ゴルドの爺さん。

 

「錬金術師の基本のキは等価交換! 対価の無い施しなんて受けて堪るもんですかって──ごぶっ」

「イズミ!?」

 

 まぁ、最初からだーいぶ調子悪そうだったのに、いきなり動いていきなり叫ぶんだもんな。

 そらそーなるわ。

 

 なんだっけ、内臓失って、ほとんど処置もせずにいるから、血の巡りが最悪なんだっけ?

 いやいや、俺じゃなくても生体錬成に長けた医者に診せなよ。マルコー医師クラスは流石に無理にしても、そこそこいるよ?

 まぁ女性錬金術師がかなり少ないから腹部を……おそらく失っているだろう子宮とかその辺を見せるってのは抵抗あるのかもしんないけどさ。

 

「イズミ。イズミ! 大丈夫か、イズミ……」

「アンタ、も……余計なことは、しないで……いい、から……っ」

 

 あーあー、酒場のテーブルが血まみれだ。

 とりあえずその吐き出された血を花の形に作り替えて、お掃除をする。うーん不格好。やっぱ俺こういう造形系の錬金術苦手だわ。

 

「うーん、じゃあ後払いでいいよ。おんなじ約束をダブリスのホム……トゲトゲ兄ちゃんともしてるんだ。あ、同じじゃないか、似たような約束を、かな」

「なに、を……」

「シグ・カーティス。彼女を運んで。あ、店主。お代はここにおいとくぜぃ」

 

 施術はそれなりにショッキングな映像だから、流石にこんな公の場じゃやらない。

 飲んでもいないジュースの代金をテーブルに置いて、店を出て。

 

 適当な裏路地に入ったら、錬金術だ。

 作るのは超簡易な箱。閉じ込められたことにシグ・カーティスが身構えるような姿勢を取るが、もう遅い。

 年一の査定帰りだからね。色々薬品を持っていたんだ。その中の一つ、気体で、吸引する際に生物へ強烈な弛緩効果を齎すものを充満させる。俺は息止めてるから大丈夫。

 

 巨体故にだろう、少しばかり効きが悪かったけれど、まぁ象でも眠らせるレベルのヤバい薬だ。ちゃんと効いてくれたようで何より。銭形警部は秒で起きるらしいけど、彼は銭形警部じゃないから大丈夫。

 

「シグ……どうした……の」

「今からアンタの腹を弄るからな、イズミ・カーティス。その絵面はとてもショッキングだ──とても誰かに見せられるものではない。アンタも早く呼吸をして、眠っておいた方が楽だぜ?」

「いらない、って……言ってるだろう……!」

「"好意の押し売り"って言葉知ってる? 無理矢理貸し作っといて、後で返してもらうんだよ。そうやって自分に都合のいい人間を作っていくってワケ」

 

 イズミ・カーティスに、試験管から直接弛緩剤を嗅がせる。

 それでも意思の力で意識を保とうとする彼女の体内に、同じものを生成して。

 

 俺は、自分の腹を掻っ捌いた。

 

「──……な、に、……を」

「え、まだ意識あんの? ヤバすぎだろ。早く寝なよ、マジでグロいからさ。あ、あと予め謝っておく。子宮とかは無理。俺持ってねーからさ」

 

 それに、それこそが本当の対価だろうから。

 他はおまけで持ってかれたんだよ、多分。

 

 おなじことをイズミにもする。

 もう痛覚はないようで、ビクリとも跳ねない彼女の身体。その中身を調べ、俺の中から同じものを選出、それぞれを移植していく。彼女の身体に合うよう整形して、彼女の身体に沿うよう錬丹術で治し作り替えて。

 臓器移植を素手で行っていく。

 

 流石に。

 流石に寝たらしい。寝たのか気絶したのかは定かではないけれど、うん、それがいいさ。

 

 子供にトラウマ持ってるような人が、見た目子供な奴から臓器を移植してもらうシーン、なんて……そんな最悪の悪夢、見ない方が良いだろうからさ。

 

「等価交換だからな。あとで返してよ、思いついたらでいいからさ」

 

 彼女の腹を生体錬成で塞ぎ。

 俺の臓器と腹が再生で治り。

 

 はい、完成。

 血の巡りも格段に良くなったはずだ。で、あとは換気孔つけて。ドア作って。

 

「まぁ何? 一応妹弟子になるわけじゃん? ──そういう義理は大切にするのサ、少しくらいはね」

 

 そんじゃま、16年後までごきげんよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、知りあっといたって話の四個目と、三つめ

終盤、また転生者らしいことしてる! 偉い!


 1900年になった。

 新年祝い……という文化はあんまりないアメストリスだけど、個人的な吉報はいくつか。

 一つは、無事エドワード・エルリックが生まれたっぽい、ということ。わざわざ見に行ったりはしていないし、誰ぞから聞いたわけでもないんだけど、リゼンブール自体が田舎だから、子供が生まれたことに対する噂の広まり方は凄い。すごいはやい。

 そしてウィンリィ・ロックベルもまた生まれたのだろう。駅でおばちゃんが話してた。あの子は美人になるわ~みたいなの。

 

 そんでもってもう一つが──。

 

「あなたが緑礬の錬金術師……失礼ですが、想像していたよりお若いんですね」

「ちなみにどんなん想像してたワケ?」

「あ、いえ……その」

「もっともっと老人だと思ってたわけだ。ま、国家錬金術師歴65年だからな、フツーに考えたらそーなる」

 

 ロイ・マスタング。

 今はいないが、さっきまではマース・ヒューズもいた。まだ会ってはいないがリザ・ホークアイ、ジャン・ハボックなどの「東方司令部の面々」もどこかにいるのだろう。

 やはり出生はコントロールできないというべきか。原作に無い要素が増えようと、減ろうと、誰と誰が結婚し、誰と誰が離別し、誰が生まれてくるかは運命通りになる。

 

「が、俺は生体錬成が得意でね。若返りもできちゃうのサ」

「若返り……ええ、そのように聞いています。噂では……あなたは"不老不死である"なんて話も」

「不老不死! へぇ、それ誰が言ってた? ああいや、いいや。誰でも言ってることだろうし。ただまぁ、不老かもしんないけど、不死かどうかはわからないんじゃない? ほら、死んでみないことには死なないかってわからないわけだしさ」

 

 不老不死。

 まぁ、軍上層部が漏らした噂だろう。奴らにとっては喉から手が出る程欲しいものだろうし。今年の査定は「生体錬成でアンチエイジング!」って表題にしたし。一回突き返されかけたけど、内容がちゃんとしたものだったので認可された。

 ま、具体的にどうやるか、は書いていない。ただ「俺はそれができる」とは書いた。

 

「ちなみに聞くけどさ、ロイ・マスタング」

「はい?」

「不老不死が簡単に手に入る──って言われたら、どうするよ、君」

 

 意味深レイブン中将ムーブ!

 ただ、意識調査でもある。俺という完成された不老不死が存在している以上、若き軍人たるマスタング君がどこぞからからの圧力を受けていないとは限らない。そういうのロイ・マスタングは酷く嫌うだろうけれど、とりあえず地位を手に入れるまでは歯を食いしばってでも命令を聞くタイプだろうし。

 ロイ・マスタングは「そうですね」と一呼吸置いて。

 

「心から──お断りしますかね。死んでも不老不死などというものになろうとは思いませんので」

「へぇ、まぁ、君がそうなのはいいけどさ。誰か──たとえば友人に、さっきいたマース・ヒューズ君にプレゼントってのはどうかな。それも嫌?」

「アイツが不老不死の化け物か何かに成り果てたら、ボロ炭になるまで焼いて、暖炉にくべて、一生コキ使ってやりますよ」

「唐突に、突然に明日、いや今日の夜にでも彼が死んだとして、納得できるかい?」

「軍人ですから。それくらい覚悟しています」

 

 ほんとかなぁ。

 ……っていう"お父様"というよりはフラスコの中にいた頃の小人ムーブはこの辺でやめておこう。

 

 俺は別に、マース・ヒューズが死ぬことについてどうとも思っていない。

 救いたいとも死んでほしいとも思っていない。

 ただたとえば、あの時エドワード・エルリックがマース・ヒューズに第五研究所地下の錬成陣を見せなかったらどうなっていたか、とか。

 調べものを複数人でやっていたらどうなっていたか、とか。

 些細な変化で彼の命は浮き沈みするのだろうことは想像できる。だから、あるいは、とは。

 

「それに、アイツも嫌がると思います」

「へぇ?」

「はい。アイツ、一途なタイプですからね。恋人とか嫁さんとかできたら、自分が不老不死であることに耐えられなくなって発狂するかと」

 

 不老不死に耐えられない。

 ……ホーエンハイムも、ほとんどそうだった。あるいはアルフォンス・エルリックもそうだったか。

 眠れない。アルフォンスの言った「一人の夜はもう嫌だ」という台詞は、ホーエンハイムの「先に逝かれるのは寂しい」と同等の意味だ。

 

 そんなんじゃあ、不老不死向いてないよ。やめたほうがいい。

 

「それじゃ、精々俺の世話にならないよう頑張れ」

「というと……?」

「瀕死の重傷でも治せるからサ、俺。たとえば戦争になって、怪我する兵士の全てを万全の状態にして戦地に返したら、地獄が出来上がるだろ? 敵にとっては屍兵。味方にとっては終わらない戦いの始まりだ。そーならんように、怪我をせず、する前に相手を殲滅するよう頑張れ」

 

 まるで、近々そういう戦いがあるかのような発言と共に。

 

「俺はそういう火力とか殲滅力みたいな錬金術苦手だからさ」

「……よくわかりませんが、要約して激励と受け取ってよろしいのでしょうか」

「"年寄りは話が長い"ってか? はは、俺をジジイ扱いしたのはお前が初めてだよ、ロイ・マスタング」

「いえそんなつもりは」

 

 いやぁ、良いね。

 借りイチだ。いつか等価交換しに行くから待っててな。

 

 身に覚えのない借用契約が存在している、なんて詐欺、今更珍しくもないだろう?

 

 

** + **

 

 

 1901年。

 イシュヴァールの内乱が起きた。きっかけは軍人がイシュヴァール人の子供を誤射したこと。

 原作通り、エンヴィーが化けてやったんだろう。結果、併合されながらも元よりアメストリス軍と水面下での対立関係にあったイシュヴァール人らの怒りが爆発し、凄惨なりし地獄をその地に刻み込んでいく。

 

 まだ国家錬金術師は投入されていない。

 中央軍が出張ってきての内乱鎮圧は、その中央軍が足を引っ張ったりなんだりで長期化。イシュヴァールの武僧が強いのもあって、激戦も激戦が続いている。今も、だ。

 これに加えてアエルゴからも支援が来てさらに長引いて、東部全域までもが戦火に包まれて、ようやくの国家錬金術師投入。

 だから殲滅戦自体は1908年。いやホント、粘りに粘ったっつーかなんつーか。

 その傍らで行われていた人体実験、賢者の石の錬成にこそ主目的があったから長引かせたってのもあるんだろうけど……この辺、ちょいとな。

 

「先ほどからずっと南東……イシュヴァールの地を向いていますが、戦地に興味がおありで?」

「そっちこそ、さっきからニヤニヤニヤニヤと。アンタは合法的に人間を爆破できる環境が羨ましいだけだろうけどさ」

「おお、よくお分かりですね。さすがは緑礬の錬金術師。人体のことだけでなく、心理にまで精通していらっしゃるとは」

「俺じゃなくてもアンタの顔見りゃ誰だってわかるよ、紅蓮の錬金術師」

 

 まだだ。

 まだ投入されていない。俺の横に立つゾルフ・J・キンブリーも、俺も。

 だけど、キンブリーはもう今か今かとうずうずしているのがわかる。そしてそれは、()()()()()()()()()()()

 原作より国家錬金術師が多い。それはキンブリーのような狂人も多く孕んでいるということだ。あ、錬金術師は大抵狂人って前提でね?

 兵器という技術方面に錬金術の発達したアメストリスにおいて、錬金術とは戦う道具である、と考える錬金術師の多いこと多いこと。完全なる研究者の錬金術師なんて数えるほどしかいない。その中でも国家錬金術師はその全てが戦闘能力を有している。いや、戦闘能力を有しているからオマケで国家資格を取らせた、というべきなんだろうけど。

 

 兵器を作ってきた錬金術が生んだ人間兵器が錬金術師だ。

 その力を早く揮ってみたいと……そういう狂気的な考えを持つ奴は少なからずいる。ゾルフ・J・キンブリーがとりわけである、というだけの話。

 

「で、俺に用って何? わざわざ呼び出してまでさ」

「ああいえ、不老不死であると噂されているあなたに、聞いてみたいことがあったんですよ」

「またその噂か。噂広まりすぎだろ。誰か故意に広めてんな? ブラッドレイか?」

「大総統の名をそう軽々しく……やはり相当な年数を生きている様子」

 

 いやいいんだけどね。

 不老不死であることは事実だし、調べられても殺されてもこっちに何の損失もない。

 けどまぁ、動きづらくはなるよね。

 どこ行っても「あ、あの人不老不死なんだって~ウケる~」みたいな目線向けられるワケでしょ? そりゃめんど……くもないか。

 別にいいわな、そうであっても。

 

「国家錬金術師は人間兵器。軍事国家において軍事の面で使われるための資格制度です。戦い、殺し、敵を殲滅するための道具──ですが、あなたの錬金術は人の命を助けることに傾倒しているように感じます。"生体錬成の権威"。噂では失った手足でさえ生やすことができる、とか」

「それマジでただの噂ね。やったことない」

「ああそうですか。ではそれはそれとして。……貴方、結局どちらなんですか? "兵器"か"医者"か──それとも、不老不死であるだけの単なる"怪物"か」

 

 ……そういえば、そうか。

 ブラッドレイにぶっ刺されたのを除いて、俺ってば俺の二つ名たる緑礬を一切披露していないワケで。

 そうなってくると、緑礬の錬金術師の代名詞といえば生体錬成! になってくるわけだ。65年間、ずっとそうだったわけだ。

 確かに。

 国家錬金術師らしくないというか、ただの医者だねコレ。いやまぁ戦闘力皆無の国家錬金術師もいるけどさ、あくまで俺は戦闘もできるって登録にはしてあるんだわサ。

 

 ふむ。

 ゾルフ・J・キンブリーじゃ口が堅すぎて微妙だけど、ここいらでそれっぽいことしておく?

 

「紅蓮の錬金術師。アンタ造形系の錬金術得意?」

「まぁ、基本的なことはできますよ。美しくないのであまり使いませんが」

「おっけー」

 

 じゃあ、と。

 手首に噛み付き、橈側動脈を犬歯で破る。

 どろっと出てくる血液。それを近くのテーブルに擦り付けた──その瞬間。

 

「……これは」

 

 まるで潮が引くように、血液の付着した個所からサラサラと風化していくテーブル。

 地面に落ちたそれは人間が足を動かす程度の風圧で巻き上げられ、そのままどこぞへと飛んでいく。

 

 その間、俺はといえばわざわざメモ帳を取り出して、生体錬成の陣が書かれたページを一枚千切り、傷口に当てて治すというポーズを行っておく。再生は錬金術特有の光が出ないからね。バチバチしとかないと。

 

「緑礬の錬金術師。一応、人間兵器だ」

「……そのようで。ですがこの錬金術では、単身戦地に突っ込んで爆発四散するくらいしか使い道がないのでは?」

「審査員にロクな錬金術師のいない65年前の国家資格試験は甘っちょろかったよん」

「……まぁ、貴方には既に数々の功績がありますから、取り上げられることはないでしょうが……」

 

 そういう意味では、彼の錬金術とは非常に相性が良かったりする。

 戦場で俺を爆破すればいい。クラスター爆弾だ。飛び散った血肉からあらゆるものが風化していくタイプの。

 ただそれには俺が不老不死であるという確信と、俺自身と彼が迎合する必要がある。

 

 そしてそれは。

 

「……貴方とは気が合いそうにないですね。貴方からは……どうにも、生命の力熱(ねつ)というものが感じられない」

「老い先短いってか?」

「輝きが無い。貴方は最早死んでいるに等しい。今の錬金術は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と見ましたが……貴方、それをしている時に死を一瞬でも感じましたか?」

「おお、そこまで見抜くか。流石だ国家錬金術師。そんでもって答えはNOだ。俺は今まで生きてきて、死を隣に感じた事なんか一回もない」

 

 絶対に叶わない。

 

 だって俺に信念とか無いし。

 

「んじゃ、そのテーブル元通りに直しといてくれな~。俺造形する錬金術苦手なんだよ。あ、爆発物にはするなよ」

「しませんよそんなこと。私を何だと思ってるんですか」

「爆弾魔」

 

 んじゃな、と。

 手をひらひら振って、その場を去る。

 

 どうせすぐに自覚するさ。自分の本質くらい。

 

 

 

 

 何度も言っているけれど、俺は基本セントラルにいない。

 根無し草でふらふら世界を巡っている。ホーエンハイムから奪ったクセルクセスの民は既に打ち込み終わっているし、別に熱心に研究することもないし。年一の査定さえ忘れないようにしながらふらふらふらふらしているから、当然誰とも会わない期間というものが生まれる。

 

 ……そういう時に限ってグラトニーが食いに来たりラストが刺しに来たりするんだけど、今回は違った。

 

 ニューオープティン。

 原作ではあんまり触れられなかった東部の町で、例によって何もない場所……なんだけど。

 

「なんだなんだ、襲撃されるようなことした覚えはないぞ!?」

 

 夜の事だ。

 適当に宿取って適当に今日も一日お疲れさん、なんて目を瞑っていたら、急に頭に狙撃を受けた。いや急じゃない狙撃ってなんだよって言われたらその通りなんだけど。

 夜。誰もが寝静まった、とはいえないくらいの夜。0時過ぎとかそんくらい。

 だってのに、そんな──まだ民間人も酒飲んでくだまいてるかもしれないくらいの時間帯に、その襲撃はあった。

 

 急いで宿屋を飛び出してみれば、軍用犬らしき犬の群れと、武装した集団。

 

 そしてそいつらは──躊躇なく銃弾を乱射してくるではないか。

 

 俺は不老不死だ。再生能力持ちだ。

 だから避けなくても問題はない。

 

 ないけどフツーに住宅街である。

 たとえば今目の前で流れ弾によって老婆が撃ち殺されようと赤子が死のうと何を感じるでもないけど、「うわ今俺迷惑かけてんなー」くらいは思う。思うから宿を飛び出て、近くの林へと逃げ込む。

 

 さて、考える時間ができたので考えよう。

 これはなんだ?

 誰の差し金だ。不老不死が欲しい軍の上層部か、それともフラスコの中の小人か?

 まずフラスコの中の小人説は無し。使うならホムンクルス使うだろうし。じゃあ軍上層部か。いやだとして、こんな目立つことするか? 今なお俺を探している犬とか明らか軍用犬だし、武装集団も軍服こそ着ちゃいないが多分軍人だ。憲兵にでも取り押さえられたらすぐにわかる。

 

 そもそも俺がこの程度じゃ死なないことくらい周知の事実だろうに。不老不死だと知らなくても、銃弾程度じゃ死なないのは証明している。それくらいは開示している。

 それを、今になっての……って考えると、もしや俺を知らない層とかか?

 ……いやいや、そんな若いのがこんな頭数揃えられるかよ。

 

 なんだ? マジでわからん。 

 

「いたぞ、木の上だ! 撃て、撃て!」

「げ」

 

 バレた。

 樹上に行って匂いを生体錬成で消してたんだけど、なんだ、錬成の光でも見られたか。

 

 一斉掃射が行われる。

 着弾の衝撃であっち行ったりこっち行ったりする身体は蜂の巣になり、そのまま地面へべちゃっと落ちる。

 

 いや、いや。

 

「ねぇ何なん? この程度で死ぬと本気で思ってやって、」

 

 顔に銃弾。上あごから先がぶっちぎられて、言葉が止まる。

 

「思ってやってんにょ、うわ、何喋らせないようにぃ、さへっ」

「撃て、撃て! 全弾使え! グレネードもだ! あらゆる火力を以て対象を殲滅しろ!」

「死ね化け物! 死ね、死ね!!」

 

 マージで殺しに来てんな。

 なんだろ、アレか? 本気で軍部に巣食う怪物、みたいに見られて正義感のある将校とかに目えつけられたとか? 責任は全て私が負うから、どうかあの化け物を討伐してくれ……! みたいな。

 ありそう。

 アメストリス軍、割と独断で兵動かせるからな。

 ブラッドレイが独裁政治してるくせに罰則が緩いから恐怖政治になってないんだよ。だから「忠実な無能」とか「忠実だけど正義の心強すぎ君」とか「一切忠誠心無いけど超善人」とかが生まれる。

 

 全部ブラッドレイのせいってことでFA。フルメタルアルケミストじゃないよ。

 

「や……やった、か?」

「やってないよん」

「ひ、ひィっ!?」

 

 つからるど。

 

 見事なまでのフラグを口にした若者の真横で再生する。

 錬金術を使わない再生だ。だから光なんて出ない。

 

「なぁ、なぁよ。誰の命令だ。誰の命令で俺を殺しに来た。ああ、喋れないか。なら対価をやろう。そうだな、お前だけは助けてやる。だから話してくれ。な?」

「ば──化け物! 化け物!」

「ちょ、ショットガンなんてどこに背負って!」

 

 バラバラになる。つか、あーあー。無理な姿勢で撃つから右肘ボロボロじゃんか。

 治してやろうか? 対価は貰うけど。

 

 とか。

 

 言ってる雰囲気じゃねーなぁ。

 

「人殺しはさぁ、俺もしたくはないんだよ。殺すメリットがないからさ。見殺しにはするよ、結構な。……それで提案なんだけどさ」

 

 撃たれながら。バラバラに引き千切られながら。焼かれながら刺されながら切り刻まれながら──話す。ここにいる全員に向かって語り掛ける。

 軍用犬らはもう逃げている。俺がさっき再生した時くらいからかな、目の前の生物が生物としてやべぇのに気付いたんだろう。賢い犬だ。そして賢くない人々だ。

 

「お前らじゃ俺は殺せない。でもお上の命令は絶対。──じゃ、逃げちまおうぜ。殺せませんでした、っつってお上に殺されるんなら、俺に殺されたってことにして逃げよう。それが一番丸い」

 

 いつか、ダブリスの殺し屋にも出した提案。

 その言葉を聞いて──さっき脅かした一番若い兵が。

 

「父さんを──殺した、仇が、目の前にいるのに……今更退けるかよ」

 

 復讐の炎の灯った目で、銃を構える。

 

 他もそうだ。 

 ああ、気付いてみれば本当だ。若い兵士ばかりじゃないか。年寄りが全然いない。

 

「緑礬の錬金術師! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! イシュヴァールの地に赴いた兵士五十余名を食らった罪を、その恨みを、今ここで晴らす!!」

「返せ、返せよ! 戦争で死んだことなんてわかってる! だから、だけど、せめて遺体だけは……!」

「死ね、死ね、死ね──!」

 

 あいつら!

 賢者の石生成に使うための兵士とか、人体実験用に連れ去ったから"なかったこと"にしたい兵士の所在、その全てを俺に押し付けやがったな!?

 それで、もしかしてアレか?

 こいつら中途半端に生かしたら、こいつらもそれ行きか?

 

「──等価交換だ」

 

 別にそれはいいけど。

 そうでなくなってもいいよな、って。思った。

 

 彼らの目は復讐に燃えている。

 彼らは止まらない。死ぬまで止まらない。俺は死なないから、彼らが死ぬまで止まらない。

 

「お前たちの未来(これから)過去(これまで)──どっちを俺に差し出す?」

 

 Head or Tails.

 頭か尻尾か、表か裏か、未来か過去か。

 どちらかしか選べないのだとしたら。

 

「これからを掴むために! お前をここで殺すんだ!」

「おっけー、支払うのは過去、ね」

 

 姿を消す。

 シンの武術だ。別に消えたわけじゃないけれど、消えたようには見えただろう。

 そうして、身を低くして──まず最初の一人。

 

「ぁ──?」

 

 次。その次。その次の次。

 この場にいる全員の背後を取り、暗闇からその顔を掴み、バチバチと錬金光を走らせていく。

 誰もが倒れ、誰もが「ぁー」と声にならない声を出して、誰もが、誰もが誰もが誰もが誰もが。

 

 最後の一人になるまで、すべてが。

 

「……な、なんだ。何が起きた! 報告しろ! おい!?」

 

 そもそも、だ。

 錬金術に特別性、特異性がなくとも、錬金術師は兵器足り得る。

 傷の男(スカー)がそうであったように、エルリック兄弟だってそうだな。アイツらは真理見てるからズルっちゃズルだけど、錬成するものに特別なものはない。

 だから俺の錬金術も、ゾルフ・J・キンブリーやロイ・マスタングのような殲滅力のないものであっても関係がない。

 身体能力と技術。地形の利用法、歩法、関節の極め方。シンで習ったもの、スタイナー兄弟から教わったもの。その他諸々込みで緑礬の錬金術師である。

 

「緑礬の錬金術師……そいつがどういう奴か、聞いたことはなかったのか?」

「ひ、ま、まだ生きて……!」

「"生体錬成の権威"なんだと。だから、結晶化させたり風化させたりなんて荒っぽいことしなくても、生体錬成のみで色々できんだよ」

 

 顔を、掴む。

 一足で懐に潜り込んで、一息で銃の間合いから外れて。

 

「……!」

「顔を作り替えて、身体を作り替えて──記憶を作り替えて。脳だって生体錬成の一部さ。繊細な作りだから触りたくないって奴がほとんどで研究は中々進まないけどな、()()()()()()()()()

「ば、ばけも」

「お前らはこれからを手に入れるためにこれまでを差し出した。──忘れなよ、今までの全て。そして手に入れろ。新しい生を。これも一応、等価交換だぜ?」

 

 もがく。もがく。暴れる。暴れる。

 青年は、若者は、じたばたと手足を動かして、俺の腕や顔を何度も何度も殴って。

 

「恨みつらみなんて感情、持ってるだけ辛いんだからさ、忘れちゃいなよ。その方が楽だぜ」

 

 最後には涙を流して。

 

 

 

 

「この方がより酷い結果になる……とは考えなかったのかね?」

「出自不明の記憶喪失の若者三十人ちょい。どこの病院でも手を余し、セントラルの病院に預けられて、結果的に人体実験に、ってか?」

「そうだ。彼らは彼らとして生き、苦しみ、我々に恨みを抱いて死ぬ……その方が今よりは"マシ"だと、そうは思わないかね?」

「結果が同じなら、意思決定能力がない方が良いだろ。それともなんだ、お前さんの時みたいに仲間が一人、また一人と"不適合"になっていくのを見て、己への恐怖に震えて過ごさせる方が良いってか?」

「この場で殺してやれば良い、と言っているのだ」

 

 散らばった荷物を拾って、衣類を作って。

 暗闇の中、目だけが赤く光っている御老人とお話する。

 

「ヤだよ。なんで俺が命を奪わにゃならん」

「他者を殺す覚悟が無いか、不老不死」

「そーじゃないよ。奪ったら返さなきゃいけないだろ? でも命奪ったら返す先がなくなるだろ? この世界は等価交換なんだから、それは法則に反することになる。ところで大総統、規則は何のために存在すると思う? 何故守らなければならない?」

「……規則に守ってもらうためだ。そういうものを敷かなければ、人間は私欲を抑えられぬ」

「法則も同じなのさ。もっと概念的だけどね」

 

 よっこいしょ、と立ち上がって。

 血だらけになった森に「あちゃー」と後頭部を掻いて。

 

「法則を守っておけば、法則に縛られておけば──法則が守ってくれる。法則はフラスコなんだよ。俺もお前も、現時点においてはフラスコの中の小人だ。そして法則が守ってくれなくなったら、その外に出てしまったら──」

「そうなれば……その時は、お前も死ぬのかね、不老不死」

「いいや、お前は死ぬけど俺は死なない。不老不死だから」

 

 深緑色に色を変えてみたフードを被り直して──振り返り、人差し指を伸ばす。

 

 見開かれる目。人差し指の先に剣先がちょうど当たって、E.T...もとい。 

 またも結晶化し、風化していくその剣は、彼の油断の証である。

 

 

「最強の眼。そろそろ老眼なんじゃない?」

 

 

 トスッ、と投げナイフが額にぶっ刺さった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、大きな花を咲かせてみたって話と、四つめ

もうすぐで原作!


 夏。

 1904年の夏。

 そこに、その日のある家の、書斎の中に、一人、一人、鬼気迫る表情の男がいた。

 10年前に聞かされた「決まりきった運命」。それを変えるために、男は専門外ながらもずっと動いていた。長くを生きた。永くを生きてきた。だから色々なところに伝手はあったし、一緒になって考えてくれる存在も多くはなくともいた。

 だから、でも。でも、それでも──流行り病、としか聞かされていないモノに対しての策など、汎用的なものしか立てられない。アンテナを常に伸ばし、何が流行るのか、何が来るのか、どういうものなのか。

 尽くした。全力だ。男はただひたすらに命を救わんと動いて、動いて。

 

 だから、蔑ろにしたようにも見えただろう。

 当然ではあるのだ。勿論。

 なんせ彼の子供はまだ5歳と4歳。誰が頼ろうか。むしろその心配を、葛藤を悟らせまいと、「今忙しいから出て行きなさい」と諭すのに、なんの不思議があろうか。

 研究だ。勉強だ。

 後悔しただろう。彼の生きてきた500年の内、100年でも医療に、医術に使っていれば、と。

 

 やってくる。やってきた。

 感染症の対策はしていた。万全過ぎるほどにしていた。

 だというのに彼女は、男の妻は病に罹患した。ゾッとする程予定調和に、恐ろしいほど運命通りに。

 あるいは必然であったのかもしれない。なんせそうならないための対価を支払っていない。必定の死の等価に値する対価を誰も支払っていない。

 

 病。病だ。

 どこが悪いのか、どこが罹患しているのか。切り離して再生させる、という手法も取れたのだろう。今や"生体錬成の権威"などと呼ばれている彼の施術に倣うこともまた。

 けれど、けれど。

 ああ、踏ん切りがつかなかった。まだ治せるはずだと何度も何度も、何度も何度も──悩んで。

 

 子供の目にはどう映っただろうか。

 母親が大変な時期だというのに、書斎に籠って籠って籠り続けている男は、父親は。

 彼らの母親が諭しても、他の誰が慰めても、その姿は悪に映ったに違いない。

 

 だって、彼女は悲しんでいたから。そう口には出さなかったけれど、誰が見ても、どうみても──彼女は彼に、彼の隣で最期を過ごしたかったのだろうから。

 

 そうして、ああ、やってくるのだ。

 昼間は晴れた空だったのに、夜中は雨で、暗くて。

 子供らの祖母代わりが焦った声で男を呼びつけた頃には──もう。

 

「トリシャ……ああ、トリシャ。ダメなのか、そんな、もう……あぁ、トリシャ」

「……約束、守れなくて……ごめんなさい。先に逝きます……ありがとう、あなた」

「トリシャ!」

 

 1904年の夏。

 トリシャ・エルリックは病に倒れ、亡くなった。男、ヴァン・ホーエンハイムは「間に合わなかった、間に合わなかった」とぶつぶつ呟き、塞ぎ込み、とても正気であるようには見えない状態となる。

 そして──彼女の葬儀が終わった後、彼は姿を消した。

 子供である兄弟にも、祖母代わりであり、飲み仲間でもあるピナコにも何も告げず、ある夜の日に姿を消した。

 

 これが事の顛末。

 事前に運命を知らされていた男の、けれど何もできなかった男の末路。

 

 そして、これもまた。

 放置された研究書物や学術書やらから、子供らが生体錬成に──否、人体錬成に興味を持つのも、また必定であると言えたのである。

 

 

** + **

 

 

 次々と運ばれてくる患者を治療する。

 単なる打撲に始まり、骨折や裂傷、内臓破裂に四肢欠損。無論、四肢欠損は復元したり生やしたりするのではなく、機械鎧が付けられる程度にまで治す、というレベルの治療だが。

 1906年。まだ殲滅戦の始まっていない時期でありながら、俺は勝手に戦地に赴いていた。

 

「ヴァルネラ先生! また患者です、今回は酷いですよ……」

「ああうん。その辺においといて。止血はしてある?」

「はい! ああ、こっちの方々はもう?」

「持って行っていいよ。戦線復帰に関しちゃちゃんと意思決定を聞けよ?」

「もちろんです!」

 

 考えたのだ。

 ニューオープティンでの一件から、どうしてああも簡単に彼らが俺を外道の錬金術師であると思いこんだのか。

 簡単だ。俺が怪しくて、俺が怪しくて、俺が怪しいからだ。やってることが不透明過ぎた。軍部にこそ査定という点で功績は伝わっているだろうけれど、民間人にとってはそうではない。そして民間人から軍人になったばかりの者からしたら、71年前から国家錬金術師やってるやべぇ爺さんなのに子供、っていう真っ先に疑うべき存在になっているのである。

 別にそれでもよかったんだ。襲撃されようが何されようが、俺にはあんまり関係ないし。

 でも──こっちのが面白そうではあったから、理由付けに使った。

 

 というのも、イシュヴァールの内乱ってめっちゃ長いのである。

 1901年から1908年まで。プラス殲滅戦で、1909年に終結。その間エルリック兄弟の周りで起きることって、トリシャ・エルリックの死とホーエンハイムの門出、あと彼らの飼ってる犬が彼らを庇って機械鎧化する、ってそんくらいしかない。

 そして世界の動きは、驚くことになーんにもない。イシュヴァールの内乱と、アエルゴからの支援。それしかないのだ。

 それしかないんだったらそこにいた方がよくね? っていう。

 

 メスを指先の上でくるくる回転させながら、患者の容体を見る。

 イシュヴァール人に銃火器の類はない。武僧と呼ばれる超人格闘集団がいるだけだ。だというのに8年もかかるのは中央軍が足引っ張るからなのだけど、それにしても強い。

 患者。運ばれてきた3人は、明らかに首が逝ってる奴、肋骨が折れて肺に刺さってゼーヒューしてる奴、最後の一人は……口が破れて、片目潰れて、胃と腎臓が破裂して……ってなんだこりゃ。タコ殴りにでもされたのか?

 

 アメストリス軍は銃火器で武装している。

 それを乗り越えてのコレである。まぁ殲滅戦に乗り切る気持ちもわからんでもないだろう。傷の男(スカー)だって一般イシュヴァール武僧だったのに、分解の錬金術オンリーであそこまで立ち回っていたんだ。一般クセルクセス人より数千倍恐ろしいと感じるのは無理もない。

 

 さて、ここでの治療は流石に普通の生体錬成を使っている。

 再生補填の奴は一般看護師たちに見せるにゃヤバすぎるからな。だからできることも少ないんだけど、少ないなりに多いというか、普通の錬金医師たちよりかは色々できるというか。

 

 首の骨を正常な形に戻し、伸び千切れかけていた神経も元に戻す。

 肋骨をもとの形に戻し、肺の穴を塞ぎ、入り込んでいた血液なんかも除去する。

 破れた口を癒合させ、潰れた眼球は除去し、胃と腎臓は復元して、ハイ終わり。

 

 眼球を復元させる錬金術はまだ発表していないから、できないことにしている。内臓破裂は一昨年査定に出しちゃったから言い訳がきかん。

 ああ、ちなみにイズミ・カーティスのケースとは違う。アレは完全に持っていかれているので俺から移植する必要があったけれど、ここの兵士は破裂したり潰れたりしてるだけなので何とかなるってスンポーだ。

 

「先生! 次の人です!」

「あいよん」

 

 この行為が何になるか、って。

 そりゃ、更なる地獄を生み出す結果にしかならないだろう。

 

 隣国アエルゴはこの戦いを長期化させ、アメストリス軍を疲弊させたい。中央軍も戦いを長期化させ、賢者の石の研究のための時間を稼ぎたい。イシュヴァール人は負けるわけには行かない。何も知らない兵士たちは国を守るために命を投じる。

 今この場において、この内乱を「早く終わらせたい」と思っているのが、最も力の無い何も知らない兵士たちだけなんだ。

 そりゃ終わらん終わらん。

 そこへ俺が、そういう義勇に満ちた彼らを何度も何度も戦場に立ち直れるようサポートしているんだ。

 そりゃ終わらん終わらん。

 

 そそそ。

 

「で? アンタ何してんの? 今更正義感にでも駆られたってワケ?」

 

 運ばれてきた患者は一人だった。

 ソイツがいきなり口を開いて、軽薄な態度で話しかけてきたではないか。

 いや氣でわかってたんだけどね。

 

「俺がそういうのに突き動かされるタイプだと思う?」

「いや全然? だから聞いてんじゃんか。今回ラースは流石に動けないってんで僕が視察に来させられるハメになってさぁ、こっちもメーワクしてんだよね」

「そりゃ重畳。エンヴィー、お前せっかく嫉妬として生まれてきたんだから、もっと苦労した方が良いよ。そうすりゃ楽してる奴らにどんどん嫉妬できる」

「わざわざ下に行ってまで嫉妬する趣味はないかなぁ」

 

 エンヴィー。

 ホムンクルスの一人で、姿形を自在に変えることのできる能力を持つ。男になったり女になったり子供になったり老人になったり、勿論人間以外にだってなれる。

 

 いいなぁ!

 俺もそういう能力欲しかったなぁ!!

 

「よいしょ……っと。って、うわ。スゲー、こいつらもうまた戦えるレベルまで治されてんじゃん。あっはっは、流石は緑礬の錬金術師。どんな怪我でもアンタの手にかかりゃ健常者にまで戻れる……殺しても殺しても蘇ってくる不死の軍団の出来上がりだぁ」

「死んだら無理だな、流石に」

「またまたぁ、アンタ自身が不老不死なんだ、死者を蘇らせる方法だって知ってんじゃないの~?」

 

 まだ指先でくるくるしていたメスを上に投げてからつかみ取り、何の気なしに自らの首を掻っ切る。

 普通なら即死だ。出血多量で失血死、じゃない。頸椎にまで届くレベルの斬撃は、様々な神経や筋肉を断ち切ってしまっている。

 

 それが、ぐじゅり、と音を立てて治る。再生する。

 

「今、何かエネルギーが動いたように見えたか?」

「うわ普通に喋り始めるんだ。こっちは今めちゃくちゃドン引きしてたんだけど。話してる最中に自分の首掻っ切る奴いる? フツー」

「俺の不老不死は錬金術関係ないってことだよ。錬金術どころか、何のエネルギーも動いていない。ただ俺が俺であるから俺は不老不死なんだ。それを他人に適用させろって、無茶言うなよ」

 

 噴き出した血液はどこぞへ付着する前に結晶化し、サラサラと舞っていく。

 

「ふーん? でもさ、そうは言うけどさぁ、あるだろ? なぁ、死者を蘇らせる錬金術が。アンタならどこ持ってかれたって再生できるんだから、やり得じゃんか。他の奴らと違って何回やってもリスクがない。ノーリスクハイリターン──そうだろ?」

「ホントにそうだったら一番にやって手合わせ錬成習得してるよ。知らないのかエンヴィー、俺ちゃんと体内に錬成陣書いてるんだぞ。馬鹿お前、合掌して錬金術使えたら超楽だろやれんならとっくにやっとるわ」

「ホントかなぁ~? ホントはできるけど見せたくないからやってないだけじゃないの? それこそ、たとえばコイツの左目。治せるんだろ、ホ・ン・トは」

「治せるなぁ。でもまだ発表してないから治せん」

「そうそれ! それそれ! 人体錬成もそうなんじゃないの?」

 

 しつけー。

 できたらやってるって言ってるだろ。

 俺がそんなにも頑なに楽な方法を選ばないマンだとでも思ってるのか。

 ……いや確かに、便利な列車や自動車が発明されて尚徒歩を選んだ時間短縮嫌い不老不死マンだったけども! 

 

「差し出せないんだよ」

「どゆこと?」

「そろそろ他の患者来るからちいっとは答えをくれてやるけどな。俺は差し出せない。不老不死だから。たとえ真理の扉を開いたとして、代価が支払えない。真理の扉でさえ俺の身体を持っていくことはできない。俺を殺すことはできない。俺の肉体を、あるいは概念におけるどこぞかを奪うということは、俺という不老不死を崩すことと同義だ。真理の扉はそれが行えない。だから人体錬成はそもそも発動せず、俺は真理を見ることもできず、俺の身体は代価にはなり得ない。対価としても使えない」

 

 等価交換だ。

 通常時、真理は「それはできないよ、代わりにこれを見せてあげよう、勿論対価は貰っていくよ」で相手の身体を奪う。絶望を与えるために奪う。

 が、俺に対しては「君からは対価が貰えない。だからこれを見せることもできない。勿論それもできない」で終わり。順序が逆だけど、そういう意味で俺は人体錬成を行えない。人体錬成の陣を描いても発動自体しないんだ。

 錬金術という技術、というフラスコの中にいる限り、その法則が俺を縛る。

 

「ほら、そろそろ行った行った。次の患者が来るぞ」

「……アンタさぁ、やけに真理の扉に詳しいけど……行ったことあんの?」

「行ったことはあるさ。当然だろ」

 

 ハガレン世界に来たんだ、一回は行くだろフツー。

 

「は? いや、そんなあっけらかんと、」

「ほら出てった出てった! これ以上話を続けるなら──ほれ」

 

 舌を噛み千切る。

 それをプッとエンヴィーの足元に飛ばせば──瞬間、彼の立っている床だけがほのかな緑色の結晶に姿を変える。

 同時、しゃらん、じゃらりと結晶が風化し。

 

「ちょ──どんだけ深く、オイ覚えと──」

 

 彼は、奈落の底へ落ちて行った。

 

 

「ヴァルネラ先生? 大丈夫ですか? 患者さん暴れてたり……」

「ああ、鎮静剤打って寝かせたから大丈夫。……しっかし、そろそろ時間かねぇ」

「はい……日も落ちて来ましたし、落ち着いてくれるといいのですが……」

 

 看護師と他愛無い会話をする。

 ちなみにこの看護師の名前は……えーと。

 

 まぁ。

 

「君もちゃんと休眠を取りなよ? "医者の不養生"なんて言葉もあるけど、俺は絶対不養生にゃならんからさ、なるとしたら"看護師の不養生"だ。俺は睡眠不足までは治せんからそのつもりで」

「ふふふ、お気遣いありがとうございます。ですが……私達よりも、ずっとずっとつらい戦いをしている兵士さんたちを思えば、休んでなんかいられませんから」

「微熱とはいえ体調ちょい悪なの透けてるから休めっつってんだけど?」

「あ……そう、ですか。そうですね。緑礬の錬金術師先生に病気の嘘なんて、無駄でした。ありがとうございます、休んできます」

「おう」

 

 どーしてこう。

 なんつーか、ひたむきな奴らばっかだよね、この世界の住民。

 楽しようと考えてる奴でも、最後の最後にゃ意地見せたり妄執見せたりさぁ。

 

 もっと楽に生きようぜー。その方が楽だぜ人生。

 続きの無い一瞬くらい、楽に、簡単にサ。

 

 

 

 

 

 そしてとうとう、1908年がやってきた。

 俺は一応、軍部に進言したりしてたんだけどね。もっと早めにやらん? って。もっと早めに殲滅戦やった方が楽に終わるよ? って。

 全部却下されたけど。

 ま、予定調和である。ブラッドレイがその重い腰を上げたんだ、表向きは。

 大総統令3066号。イシュヴァール殲滅戦の始まりである。

 

 そうして投入される国家錬金術師。

 原作よりかなり多い国家錬金術師は、けれど結構な数が老人だ。ロイ・マスタングやゾルフ・J・キンブリーに類する「若くて動けて殲滅力のある錬金術師」はかなり少ない。ただ戦場という、人間をどう扱ってもいい場所に来たくて来た、言ってしまえば研究をしに来た錬金術師ばかりだった。

 

 だから、というか当然、というか。

 この7年間を耐えに耐えてきたイシュヴァールの武僧相手に──そんな老人、歯が立つわけもなく。

 俺が治せる範囲外。つまり即死な感じでプチプチと潰されていく様は、なんつーか哀れというか愚かというか。

 ここまで研究に研究を重ねてきた頭脳。野心家、狂人とはいえいずれ文明に大いなる発展を齎したであろう頭脳頭脳頭脳……が、ぐしゃ、ぷち、めきょ、と。潰され殺され片付けられていく様を見て、まぁ溜め息くらいは吐いていいだろう。

 

 イシュヴァール人側も少し困惑していたくらいだ。 

 国家錬金術師の投入、なんていうからにはもっと凄惨な地獄が広がるかと思っていたのに、蓋を開けてみればこんなんばっか。

 

 ……そうなれば当然、イシュヴァール人たちが活気づく。

 アメストリス軍の切り札はこの程度だと、アメストリス軍はもう手札が無いと──声高らかにイシュヴァラの神を讃え、より強固に、より堅固になっていく。

 

 そこに。

 

「あああ……あああ、あああ! 良い、良い、良いですよあなた達! 生命の音だ生命の輝く音だ──そして」

 

 紅蓮が走る。

 家屋があった。集会場だったのだろう、他と比べて少しばかり大きな家屋。武僧が何人もいたそこが、それが、その家自体が──爆発物になったと、誰が気づけただろうか。

 紅蓮が走る。

 石で作られた階段。石で作られた壁。石で作られた広場。なんて変換しやすい材質か。複雑なものを使用していない伝統的な作りの家々は、あまりにも簡単に爆発物へと変わる。

 

 紅蓮が走る。

 紅蓮が走る。

 紅蓮が走る──。

 

「恐怖と憎悪と、絶望の怨嗟」

 

 ニタリと、ニヤり、と、紅蓮に嗤う悪魔が一人。

 

 

 

 

 傷の男(スカー)は必要だ。あるいは傷の男(スカー)の兄がいれば問題はないけど、あの人武僧じゃないっぽいのでやっぱり傷の男(スカー)がいい。

 彼の兄が導き出したカウンター錬成陣。ホーエンハイムの辿り着いたカウンター錬成陣。寸分違わぬその二つは、傷の男(スカー)の兄がさらに上を行く。

 廃品回収よろしくフラスコの中の小人の国土錬成陣を取り込んだ形の国土錬成陣を作り上げる──なんて、凡人には思いつかないだろう。あれは紛う方なき天才で、それを刻み込まれた彼の腕は何物にも代え難い。

 

 ああ、そうそう。

 邪魔するつもりはない、とか言ったけど、いや?

 全然、フツーに邪魔するつもりあるよ。

 

 だって散々お前の子供たちに殺されたからなぁ、等価交換しないとズルだろう。

 俺に何の損失が無くたって、俺にとって死が本当になんでもないものであったって。

 

 お前が俺を狙ったという事実だけで十分だ。

 だから俺もお前を狙い返す。等価交換だ、これもまた。

 

「ってなワケで、困るんだぁ、お前に死なれると」

 

 国家錬金術師たちが暴れている。

 ゾルフ・J・キンブリーに始まり、ロイ・マスタング、バスク・グラン、暴れちゃいないけどアレックス・ルイ・アームストロング。

 普通の兵士もだ。リザ・ホークアイもマース・ヒューズも、一般兵も誰も彼も。

 その中に一人、深緑色のフード被った子供が歩いてたって誰も気にしない。いや、気にする余裕が無い。「あれ? あそこにいるのはもしかして緑礬のウワアア」が関の山だ。

 

 ざわめき、どよめき。うめき声。

 イシュヴァール人、アメストリス人問わず負傷者を受け入れる医療テント……ではなく、傷の男(スカー)の家。彼の家族の住む家。まだ武僧を率いて出てきていない、彼の兄に逃亡を促していない段階。だから当然、彼の兄の研究結果はまだその手の中にある。

 大惨事だった。紅蓮の錬金術師によって爆破された地面は、その周囲の全てを巻き込んで消し炭にした。ボロ炭にした。粉々にした。

 

 ──が。

 

「あれ? 結構生きてんな。なんだ、一人だけで充分なんだけど、ま、ついでか」

「何が、ついでなんですか?」

「医者の本分って奴だよ、キンブリー」

 

 爆発。

 俺の足元にまで届いたソレは、しかし寸前にて風化する。

 キンブリーの錬金術では俺の緑礬を爆発物に変換できなかったのだ。

 

 生体錬成を用い、一人、また一人とその命を掬い上げていく。俯いているからだろう、キンブリーの声は酷く高い所から聞こえる。見下ろしているようでアレだけど、馬鹿と煙は高い所に上るってつまりホークアイはってこれ二度ネタね。

 どのような怪我を負っていようと関係ない。どのような症状だろうと関係ない。

 治せるんだから治す。理由はいつだって単純だ。

 

「いつか──貴方に問いましたね。貴方は"兵器"か、"医者"か、"怪物"か。貴方は"兵器"だと答えたはず」

「そーだな。俺は人間兵器だと思うよ、ちゃんと」

「では何故です? 彼らは敵で、貴方はこちら側の兵器。その兵器が何故、彼らを助けているのでしょう」

「簡単なことだ。簡単なことだよゾルフ・J・キンブリー」

 

 誰かが起き上がった音がした。

 誰かが歯を食いしばった音が聞こえた。

 

 ──誰かが、瓦礫で。

 俺の頭蓋を殴った音が聞こえた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。俺は人間兵器で、医者で──化け物だ」

 

 ぐじゅる、という音と共に、殴られた後頭部が再生する。

 息を呑む音が複数。キンブリーも、俺が治した者達からも。

 

「……不老不死! まさか、本当だったとは──」

「やぁイシュヴァール諸君。死の淵から帰ってきてすぐで悪いけど、とっとと逃げてくんね? あの巨壁にゃ俺が穴あけといたからさ、通れるようになってる。国家錬金術師は全部ここで足止めする。狙撃手もだ。それでも怪我したら、また治してやる。そうそう、それと」

 

 発砲音。

 誰だろうか。正確な狙撃があった。頭蓋、脳を貫いた銃弾に、一瞬グラつく身体は──しかし倒れない。

 

「そこのメガネの君。君は希望だ。だから、ちゃんと生きるように。生きて生きて、思い出したらでいいからさ、その時になったら俺を助けてくれ。等価交換だよ」

「……ッ!」

 

 走り出すイシュヴァール人たち。

 俺の言うことを聞いてくれたのか、こんな化け物同士の戦いに付き合ってられないと思ったのか。

 

 どちらにせよ、予定外な人数を助けてしまったな。というか傷の男(スカー)の兄って生き残っていいのか? エルリック兄弟の研究無駄にならね? だって格上だぞあのメガーネ。

 

「逃がしません!」

「行かせませーん」

 

 爆発が、全て途中で止まる。

 途中でシャラシャラと結晶になる。狙撃。銃撃。つんのめったり倒れそうになったりして、けれど踏ん張る。

 俺の眼前での爆発。

 焼かれ、めくれ上がった肌は、その煙が晴れる前に再生し終わる。

 

「……いいんですか? 軍法会議モノですよ」

「あっはっは、そのために大総統令が下る前からここにいたんじゃないか。知ってるか? 俺に下された命は戦場の負傷兵の治療──国家錬金術師としての責務なんざ俺に課されちゃいねぇのよ」

「それでも、イシュヴァール人を庇う姿が私含め複数人に目撃されています。国家錬金術師の資格剝奪に留まれば良いですね」

「大丈夫大丈夫。俺、ブラッドレイとマブだから」

 

 撃たれ、爆破され、削がれて撒き散らした血が──青い光を放つ。

 それは錬丹術の光。

 

 これでもかと飛び散った血が放つ錬成光は、とうとう攻撃に出るのか、と思わせるのに十分だったらしい。

 キンブリーが手を合わせ、錬金術を使う。

 

 だからそこに向かって、一歩踏み込んだ。

 

「しまっ──」

「えー、今日の天気。硝煙時々銃弾の雨、のち──血の雨!」

 

 どしゃあ、と。

 それはもう、完膚なきまでに爆発四散する俺の身体。

 血液や肉片は周囲の建物、道路、そして持ち上げられた壁の全てに付着し。

 

「それが晴れたら、緑礬の花が咲くでしょう~なんちて」

 

 その全てから結晶が侵食。すぐさま風化するそれは、イシュヴァラの地に深い深い谷を作り上げる結果となった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、大体整ったって話

 イシュヴァール殲滅戦は終了した。

 流石にやっぱり原作よりも早い段階で。だからというかなんというか、フツーに適当な予定調和に巻き込まれて死ぬと思っていたロックベル夫妻が生き残ってしまったのは誤算オブ誤算。

 別に生き残ったって構わない……んだけど、また未来が想像し難くなったなぁという印象。

 傷の男(スカー)傷の男(スカー)の兄、武僧の幾人かも生き残ったっぽい。確認はしていない。死体が見つからなかったってだけだ。ちょい怖なのは、俺が爆発四散した場所が傷の男(スカー)の家だったということ。

 もし研究書物を持ちだせていなかったら──まぁ、他の賢い連中と仲良くしてくれや、って感じで。

 

 ま、そんなこんなでかなり早期に終わった殲滅戦は、だからこそ多くの犠牲があった。特に国家錬金術師の。そして、それに巻き込まれた一般兵の。

 キンブリーに言われた通り軍法会議モノな行いをした俺だけど、あれだけ綺麗に爆発四散してその後すぐにアメストリス軍のテントへ帰ってきたものだから、化け物扱いは勿論恐怖の的だし視認されただけで嘔吐されるしで大変大変。

 が──()()()()()()()()と判断したのだろう。

 内乱が始まってからずっと付き合いのある看護師たちが兵士の輪から俺を連れ出し、「負傷者がいっぱいいるんです! お願いしますヴァルネラ先生!」と頼み込んできた。

 

 はいはいおっけー、って感じで生体錬成を使いまくること四日くらいかな。

 四肢欠損や眼球破裂こそ残れど、他は全て健常、ってレベルにまで兵士を復活させたあたりで──ブラッドレイが来た。

 ブラッドレイ。キング・ブラッドレイである。

 どよめきもざわめきも当然だ。国のトップが護衛もつけずに出張ってきたのだから。あ、いや、護衛はいたけど遥か後方だった。

 

 そうして開口一番が。

 

「何か、申し開きはあるかね?」

「資格剥奪は好きにしな。その代わり年一の査定は来なくなるぜぃ?」

 

 瞬間、俺の手足は四本の刀によって壁に縫い留められていた。

 早業だ。まぁこれくらいなら抜け出せるんだけど、別に抜け出す理由もなし。大人しく縫い留められておく。

 抵抗する気がないとわかったのだろう、ブラッドレイも小さく、本当に小さく溜め息を吐いて、その辺にいた適当な錬金術師に声をかけ、俺の拘束を命令。

 名前も知らない錬金術師君は俺が縫い留められている壁ごと切り離し、全身を鋼鉄のワイヤーでぐるぐる巻きにして、引き車の上に乗せて。

 

 一言、誰にも聞こえない、誰に聞かせる気も無かったのだろう声で、「ごめんなさい」とか言って。

 

 それが俺のイシュヴァール殲滅戦における最後。

 いやー、このぐるぐる巻き。

 クセルクセスで罪人扱いされた時以来だ。懐かしいねぇ。

 

 

 

 で、だよ。

 

「よぉ、久しぶりだなフラスコの中の小人」

「久しいな罪人。オマエはいつ見ても縛られているな。不老不死という自由であり完璧な存在でありながら、何故そうも縛られることを好む」

「これが縛られてるように見えんのか? 何なら今すぐにでもこの拘束解いて逃げてやってもいいんだぜ?」

 

 連れてこられたのは査問会議や牢獄ではなく、セントラル地下。つまりフラスコの中の小人のいる場所だった。

 そこに、磔のままゴトン、と置かれて、ひっさびさの対面だ。

 

「老いたなぁ、フラスコの中の小人」

「……そうだな。たかが容れ物ではあるが、オマエに比べたら老いたのだろう。そういうオマエはやはり老いぬか。朽ち果てさえもせぬか」

「そりゃそうだ。不老不死だぜ?」

 

 既にブラッドレイの軍刀は抜け落ちている。

 鋼鉄のワイヤーもまた、内側から風化が始まっている。ま、その前に後ろの壁が崩れるだろうけど。

 

「アメストリスが広がるたびに覆う範囲も増えるんだ、賢者の石が足りなくなるか」

「……補充の算段は整っている。否、補充ではなく、不完全な賢者の石ではなく──真なる石を、真なる存在になるための算段だ。罪人。オマエと同じ、真人になるための」

「ああ、知ってるよ。血の紋による国土錬成陣だろ?」

「……ああ」

 

 ん。

 今、なんか間があったな。他にも何か隠してる、か?

 そいや結局コイツが俺の血を狙ってた理由ってなんだったんだ。今とか大チャンスじゃねーの?

 

「罪人。長い付き合いだ。そろそろ名を教えてほしいものだな」

「あん? 伝わってんだろ、ヴァルネラだよ」

「本来の名ではないだろう、それは。私はオマエの名が知りたいのだ。オマエがこの世に生まれ出でるために授かった名を」

 

 ……うーん。

 教えたのゴルドの爺さんだけだからなぁ。いや別に隠してるわけでもないんだけど、なんでフラスコの中の小人なんかに、って思っちゃうよな。

 

「等価交換だ、フラスコの中の小人。俺の名前と等価たるモンを寄越せ。そしたら教えてやるよ」

「此度の命令違反を無かったものとする、ではどうだ?」

「そんなもんが等価になるかよ。命令違反があった事実は俺を揺るがすか?」

「ではオマエに対する各種噂の緘口令などはどうだ」

「おいおいフラスコの中の小人。自分でわかってる間違いを俺に正させるなよ。お前ならわかるはずだろう、何が等価で、何が等価でないのか。それとも、名前じゃないもんが欲しいのか? 俺の存在。俺の魂の情報。不老不死。完璧なる存在。そうだよな、俺が持ってるモンで、お前が欲しいモンはたくさんある」

「確かにオマエは私から見ても魅力的だが、今はオマエの名を知りたい。ふぅむ、そうだな……では、こういうのはどうだろうか」

 

 フラスコの中の小人が、それを提示する。

 それは。

 それは……ああ。

 

「いいよ、少し足りないけどな。それで交換してやる。──クロードだ」

「クロード……? ……まさかオマエ、アントワーヌでもあるのか?」

「はは、パラケルススを知っていたお前だ、当然辿り着くか」

「ナルホドナルホド……それならばオマエが不老不死である理由にも納得が行くし、私の知識にオマエを殺す術がないことも頷ける」

 

 得心のいったようで何より。

 そいじゃま、そろそろ。

 ざらりとなった鋼鉄のワイヤーから抜け出して、磔状態から解放される。

 

「なんだ、わざわざ壊さずとも私が解放してやったのに」

「要らないよ。返せない施しは受けないようにしてるんだ。等価交換の法則を大事にするタチでね。だから」

「ああ、わかっている。必ず支払うさ。必ず、な」

 

 含みあるなぁ。

 それさ、頭に「私が"カミ"を手に入れたら」とか「すべてが終わった暁には」とかついてない? それあれよ? 「倍にして返すから今貸してくれ!」ってギャンブルの金せびるのと一緒だよ?

 

 ──ま、返せなかったら取り立てに行くけどさ。

 

「あ、そうそう。お前俺の血欲しいんだっけ? なら今やるからさ、もうホムンクルスけしかけるのやめてくんね?」

「それについてはもう随分と前に要らなくなった。……が、要らなくなったと子供達に伝えるのを忘れていたな」

「……」

「ふむ。ここでまた等価交換を持ちだされ、陣に無駄な傷をつけられても面倒だ。ほら、これで許してくれ」

 

 ぽいっ、と。

 放り投げられるは──赤い石。人差し指の第一関節くらいの大きさのソレは、紛う方なき。

 

「要らねー」

 

 生体錬成を用い、指先の破壊と再生を連続して行う。

 それにより見る見るうちに罅の入っていく赤い石。そうして、一分と経たない内にソレは消費され尽くした。

 

「オマエが要らなかろうと、伝え忘れていたことに対する対価はそれで十分だろう?」

「ああ、そうだな。俺はちゃんと対価を受け取って、要らなくなったから消しただけ。これで等価交換は成立だ」

 

 赤きティンクトゥラなんていつ使うんだよ。

 また爆発四散した時俺の体内からぽろっと賢者の石が出てきてみろ、人造人間(ホムンクルス)なんじゃないかって疑われるだろ。

 俺はれっきとした不老不死であって、人造人間(ホムンクルス)じゃないんだ、なんて説明一般人に通じると思ってんのか。

 

「フラスコの中の小人」

「なんだ、まだ何か用か?」

「──帰り道を教えろ。でないと壊していくぞ」

 

 案内は、ブラッドレイがしてくれた。

 

 

** + **

 

 

 フラスコの中の小人の間からの帰り道。

 並んで歩く俺達にぎょっとする兵士の多いこと多いこと。はてさて、彼らの中で俺はどんな扱いになっているのやら。

 

「流石の私達でも、お前のやったことの全てをもみ消すことはできん」

「だろうなぁ。めちゃくちゃ見られてたし」

「よって相応の罰が必要だ。──が、困ったことに嘆願書が届いていてな」

「嘆願書?」

 

 なんだ、それこそもみ消しゃいいのに。

 

「お前に助けられた負傷兵、お前を手伝った看護師、お前の生体錬成を間近で見た錬金医師。他、殲滅戦に加わる前から戦地にいたほとんどの兵士がお前の罪の緩和を願っている。理由は様々だが、一番多いのは"もったいない"という声だな」

「ほーん」

「"生体錬成の権威"。お前の手でしか救えない患者がごまんといる。お前の頭脳でしか発展できない科学が数えきれんほどある。イシュヴァールの民を庇い、逃がした、という事実は外道のそれでなく、ヴァルネラ医師の本懐が医者だったがためと──本当に多くの兵士、医療関係者から声が届いた」

 

 ……なんか無駄に慕われてんな。

 だけど、そりゃ殲滅戦以前から内乱抑えてた兵士だけだろ。

 殲滅戦に加わって、最前線にいて。

 ゾルフ・J・キンブリーに敵対した俺を見た兵士は。

 

「おかしなこともあるものだ」

「なんだ、全員喋れなかったか」

「言の葉の先を取るな。……そうだ。狙撃兵も一般兵も、イシュヴァールの民を庇い逃がしたお前についての詳細を尋ねた瞬間、顔を蒼褪め、震え頭を抱えて動けなくなった。嘔吐をするものも多くいたし、あり得ないあり得ないと連呼する者もいた。……詳細を話すことのできた兵士は一人とていなかったよ」

 

 トラウマである。

 まー、化け物だからな。そんでもってキンブリーに関しちゃそっちの手のモンになったからなかったことになったと。

 しかし、狙撃兵も、っつったな。

 えー、リザ・ホークアイに会いに行ったら対面の瞬間吐かれるのかな。そりゃヤだなー。

 

「嘆願書と証拠不十分。そして数々の功績とアメストリスへの貢献度。これらから、お前の罪は──」

 

 

 

 

「……へー、結構でけぇ家」

 

 俺の罪状。

 様々な緩和と軍への協力を対価に、国家錬金術師の称号剥奪は無しに。投獄も無し。

 ただ、条件として。

 

「とうとう俺が持ち家を、ねぇ」

 

 根無し草で旅をするのを止め、拠点を持つこと。

 具体的にはセントラル内に用意された邸宅に住み着き、そこで暮らすこと。別に申請すれば旅行に行くのは構わないし、増築・改築も思うままで良い、とのことで。

 

 温情も温情だ。

 が、まぁフラスコの中の小人との等価交換は終えているからな。

 これ以上俺に何かを課したり俺から何かを奪ったりしたら、相応の何かが奪われるとでも思ったんじゃないかね。

 

 ということで、いきなり一国一城の主になったわけだ。

 

 しっかし。

 気のせいでなければ……というかほぼ確で。

 

 ここ、ショウ・タッカーの邸宅……だよなぁ。

 玄関の作りとか内部とか、蔵書に関しちゃ今ゼロだからアレだけど、庭の感じとか……うん。場所こそイーストシティでなくセントラルだけど……。

 

 こーれ成り代わりましたかね?

 ふむ。

 ニーナとアレキサンダーの悲劇が起こらないことによる影響。まぁ、エルリック兄弟が自分たちをちっぽけな存在だと認識しない程度か。

 はは、良識を問うならどっちなんだろうね。

 愛犬と不完全に合成され、殺される他ない結末か。

 そもそもこの世に生まれ出でない、という結論か。

 どっちが幸せで、どっちが不幸か──なんて。

 

「俺は好きだぜ、勘の良いガキ。話が早いしな」

 

 なんて呟いて。

 それを供養の言葉にさせてもらおう。

 

 

 

 んで、です。

 まぁ家を貰ったんだ、じゃあ改造するよな。

 でも何度も言っているように造形系の錬金術が苦手なヴァルネラ君。こういう家にしたい! という構想はあっても自分でやるとどーしても不格好になる。

 フツーに大工に頼むのも手……というか本棚やら何やらの部分は既に本職に任せている。問題は研究設備の方だ。

 造形が得意な錬金術師って誰だろうって考えると、真っ先に出てくるのはエルリック兄弟。

 でも彼らはまだ子供で。つかそろそろイズミ・カーティスに弟子入りしてる時期だから結構大事な時期で。

 次に考えつくのはアレックス・ルイ・アームストロング。

 だけどあの人に頼むとなんか無駄にマッチョメンなレリーフが作られそうで嫌。

 

 じゃあ次は──。

 

「それで、その矛先が私に向いたと。……正直な感想を言わせてもらいますと、馬鹿ですか?」

「おいおいひでーなロイ・マスタング。ちゃんと金は払っただろうがよー、前払いで」

「突然"昨日緑礬の錬金術師から大規模な入金がありましたが、お心当たりはありますか?"と銀行員に問われることは前払いとは言いませんが」

「じゃあいいよ他の錬金術師に頼むから。金は迷惑料でいいよ貰っとけ貰っとけ若造」

「……いえ、既にここへ来た以上依頼を承ったのと同じ。仕事はしますよ」

 

 ロイ・マスタング。

 どうしてもというか当然のように焔の錬金術に目が行きがちだけど、素の錬金術もバリバリ素養のあるこの人。

 野心家ではあるが口はそこそこ堅く、変に畏まらないで言いたいことはズバズバ言う。

 隣にいて気の置けないタイプだ。あっちはそーでもないんだろうけど。

 

「んじゃこれ、作ってほしいモンリストアップしといたから、頼むわ」

「……テーブルとか台座とか、この程度なら自分でできるでしょう」

「だから俺生体錬成特化なんだよ。いやまぁ昔はできてたんだけど、ずっと使ってなかったら練度が落ちたっていうか、……とにかく不格好になるんだよ。バランス悪かったり、妙に脆かったり」

「はぁ。……もはや伝説となりつつある緑礬の錬金術師が聞いて呆れますね」

 

 ぶつぶつ文句を言いながら、作業に取り掛かってくれるロイ・マスタング。

 紙に錬成陣を画いてはそれを用いて家具を作り、また別のところに行って研究設備を作り。

 素材は俺が用意した。まぁそこは当然だ。

 

 ……いやホント、日に日に、年々できなくなっていっている。造形系の錬成。

 これ別に奪われてるとかそういうんじゃなくて、マジで使わないから練度が落ちて行っているだけだ。毎日毎日生体錬成生体錬成の奴がいつ造形するんだよ。たまにメスが刃こぼれした時に直すくらいだわ。

 

「あなたも……殲滅戦に、参加したそうですね」

「俺はもとから戦地で医者やってたよ」

「ああ、そうでしたか。……噂、広まってますよ」

「なんの?」

「化け物を見た。怪物を見た。緑礬の錬金術師は人間じゃない──とかなんとか」

「へぇ。その噂聞いてどう思ったよ、焔の錬金術師」

「くだらないとは思いましたね。だからなんだ、と」

「へぇ! ……と、すまん。予想外でつい大声出しちまった」

 

 マース・ヒューズが不老不死の怪物になったらボロ炭にする、とまで言っていたのに、俺はいいのか? あ、いや、アレは二人の友情あってこそか。二人が仲がいいからこその、だよな。

 俺は仲良くないからね!!

 

「あなたは……国家錬金術師でありながら、あの戦場で多くの命を救った。掬い上げた。たくさんの兵士から聞きましたよ。痛みもなく、苦しみもなく、あまりの早業で恐怖する間もなく──気付けば怪我がなくなっていた、と」

「なんかその言い方だと俺が違法な手段使ってるみたいじゃん」

「いえ、表現を間違えました。ですから、感謝していると。痛みは精神を折ります。苦痛が長引けば長引く程兵は疲弊します。けれどあなたの施術ではそれがない。だからアメストリスを守るために戦えた、戦い続けることができた、と」

「"内乱を長引かせた張本人だ"──とか、言われなかったか?」

「そんなこという奴はいませんよ。……あなたが本当に不老不死かどうかは知りませんが、あなたのように怪我や死を恐れない、すぐに治療できる存在と違って、一般兵にとって怪我も死も恐ろしいものです。それを跳ね除けてくれる存在を、そう簡単に悪と見ることはできないでしょう」

 

 はん。

 善人め。好印象なんざ百あったって悪印象の一つで覆るんだ。泥の混じったワインは泥水なんだよ。

 

 が、まぁ。

 あんまり悪ぶるのも面白くない。自虐ネタは適度にしないとウザいだけだからな。

 

「羨ましくなったか?」

「──……」

「お前、見るからに義憤から軍人になったタイプだもんな。国家錬金術師になったのだって、アメストリスを、その民を守るため。だってのになってすぐの大仕事がコレだ。併合された民族とはいえ、同じアメストリス人を焔で焼き尽くす仕事」

「……」

 

 ギリ、と。奥歯を食いしばる音が聞こえる。

 その手がわなわなと震えているのがわかる。

 

「味方を守った場面、あったか? 戦えない奴らを、老人を、子供を、そういう奴らを焼き焦がしていただけで、決して夢見たヒーローのような存在ではなく、ただの、単なる、どこまでも──殺人者でしかなかったって」

 

 ドン、と。 

 今しがた作られたばかりのテーブルに拳を打ち付けるマスタング。おいおいそれ俺の家具なんだからやめてくれよ。壊したら作り直しな。まぁ煽ったの俺だから罅くらいなら自分で直すけど。

 

「ヴァルネラ医師」

「なんだ、ロイ・マスタング」

「あなたが……身を挺してまで、イシュヴァール人を庇った理由はなんですか。自軍に敵対してまで彼らを逃がした理由はなんですか」

「要否」

 

 簡潔に答える。

 人を殺す理由も、人を救う理由も、いつだって単純だ。理由なんていくつかあっても、その一つ一つは酷く単純なものでしかない。

 

「要否……? 必要だったから、ということですか?」

「ああ、そうだ。あのイシュヴァール人には生きててもらわなきゃいけない。ま、今はわからんだろうし、わかる必要もない。わかったところで何にもならんからな」

「その……理由が、無ければ。あなたは、イシュヴァール人を見捨てていましたか」

 

 ほう。

 ……ふむ。

 

「ああ、そうだな。別に救う意思もない。何かかかわりがあるわけでもない。それともなんだ、ロイ・マスタング。もしかしてお前の眼には、俺が視界に入る命全てを救いたい──なんて夢物語を口にするような奴に見えているのか?」

「……少なくとも、殲滅戦以前にいた兵士たちは、あなたをそのように語っていました」

「はは、人の語る誰かの美談なんざ美化に美化を重ねたモンだってそろそろ分かれよ。噂通りの人物なんてこの世にゃいないし、評判通りの奴なんか大体裏の顔持ってるよ」

 

 ……まぁ、それにしたってこの世界は善人が多いが。

 クセルクセス王とか軍上層部くらいじゃないか? 俺が出会った中で、己の保身しか考えてなかった奴って。

 

「幻滅したか?」

「そう、ですね。いえ、あなたに、ではなく……あなたに焦がれていた己を滅しました。あなたは戦場にて命を救い続ける聖人君子などではなく、一介の錬金術師だった、と」

「それを幻滅したっつーんだよ。……ま、安心しな、ロイ・マスタング」

「何が、でしょうか」

 

 反省である。

 

「ちょっと煽りすぎた。お前をそこまで悪い気分にさせる気は無かったんだ。だから、等価交換だ。お礼にするのはなんだが、お前が怪我したり、お前の周囲の奴が大怪我したりした時はウチに来な。程度にも寄るが、治してやるよ。あ、死者は無理だからな」

「……当然です。人体錬成は禁忌ですよ、ヴァルネラ医師」

「できてもやらねーっつってんだよ。できないけど」

「はぁ」

「だから、なに? 他人の言葉をカッコつけて使うけどさ。死んでなきゃ治してやるから、死なせんなよ」

 

 ゴートゥーヘヴンはキャンセルです、ってな。

 

 そこで会話は途切れる。

 何か思うところがあったのか、それとも信用していないのか。

 

 あるいは、殲滅戦があるって示唆してすぐに殲滅戦が起きたからな。

 近々身近な人が怪我するかもしれない、とか真面目に考えてるのかもしれない。

 

 いや、いや。

 真面目だねぇ。錬金術も真面目だ。何あの綺麗な家具。角度も直線もあんまりにも綺麗。俺のガッタガタのそれとは違う、完璧に練られた錬金術だ。

 ガラスやアルミなんかの研究設備も一切の撓みなく作っている。几帳面だし、仕事熱心だし。

 コイツ軍人やってるより民間で錬金術師やってた方が絶対幸せになったって。なんで焔の錬金術習いに行ったんだよ別のいっぱいあっただろ。

 

 ……コイツに俺の生体錬成の知識授けたら、どうなるんだろう。

 攻守万能なさいきょー錬金術師になるんじゃないか?

 

「なぁ」

「はい、依頼分は全て作り終えました。完璧な自負はありますが、一応触って確かめてみてください」

「……ん。流石だな、エリート」

「あなたに言われちゃ形無しですよ」

 

 どうやら、運命はその未来を望まないらしい。

 俺はこういうすれ違い行き違い、その場で言えなかったこととか全部大事にするんだ。ロイ・マスタング。彼と俺の縁はこの程度が限界ってこったな。

 

「おう、完璧だ。またほしくなったら頼むかもしれないけど、そん時は」

「この連絡先にお願いします。急な入金は心臓に悪いので」

「あいよん」

 

 よーし言ったそばから縁の限界突破。

 ロイ・マスタングの電番ゲットだぜ!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一応、原作開始前って話

次の話から原作開始です。


 アイザック・マクドゥーガル。

 元国家錬金術師にして現在は反体制派の一人。原作じゃちょろっと名前が出ただけ、FAではガッツリ戦闘の描写が為された武闘派錬金術師の一人。

 コイツが今どこまで掴んでいるかは知らないが、調べれば調べるほどに憎悪が溜まっていっているのだろう、その表情は復讐者のソレだった。

 

「氷結の錬金術師、アイザック・マクドゥーガル……で間違いないな?」

「……深緑色のフード付きコート。子供のような背丈。軽薄そうな声。……お前が緑礬の錬金術師ヴァルネラか」

 

 え、軽薄そうな声とかまで噂になってんの。酷くない?

 貫禄が無いだの覇気がないだのまではわかるけど、軽薄そうな声はもう罵倒じゃん。

 

「それで、最早伝説に謳われし緑礬の錬金術師殿が俺に何の用だ」

「ん-。俺からは特に用とか無いんだけど、要約すると"開ける気無いなら邪魔すんな"ってさ」

「何が言いたいか──わからん、な!」

 

 氷が走る。昨日雨だったからな、そこかしこに水たまりがあった。

 それを伝って、アイザックから四筋の氷が俺に殺到する。殺到して、俺が特に避けたりしないもんだから、普通に足が凍り付く。

 

「ハ! やはり見た目が子供でも中身はジジイ──避け切れなかったか!」

「俺からの用事は二つ。一つは今告げた事。伝言だな。もう一つはお前をセントラルへ入れないこと。これからたくさんの錬成陣をセントラル内に刻むつもりなんだろ? 事故防止は未然に防ぐのが第一ってな、アイツに言われるのすげぇ違和感あったけど」

「な……にを言っている? 状況が理解できていないのか?」

 

 膝を前に進ませる。

 体を前傾にする。

 そうすれば当然、びきびきと。ぎちぎちと音を立てて──足が折れ千切れる。

 

「等価交換だ、アイザック・マクドゥーガル」

「……!」

 

 だが、それも一瞬の事。

 血管は管だ。故に円を描いている。そこに綿密なまでに施された錬成陣が組織を作る。

 血管は血液を循環させるものだ。故にそれは大きな流れの縮小版であり、他の部位からの遠隔錬成を可能とする。

 血管は拡縮を繰り返すものだ。故に描かれた陣は短い間に二度姿を変え、組織創造と部位修復をほぼ同時に行える。

 

 ま、再生すればいい話なんだけど。

 

「お前がセントラルに入らなければ、俺はお前を見逃す。お前を入れないことが条件だからな。だが、お前がセントラルに入るというのなら、俺はお前から通行料を貰わなければならん。別に番人でもなんでもない俺だけど、大総統直々の命だ、従わないわけにはいかないだろう?」

「大総統……ブラッドレイ。そうか、そうか! つまり貴様も──貴様も奴らの仲間か!」

「お前が仲間じゃなくなったんだよ、アイザック・マクドゥーガル」

 

 絶対わざとだと思う。

 なーにが「民の命を脅かさんとしているテロリストから"通行料"を貰って来てくれ」だ。俺はカミでも真理の扉でもないっつーの。

 

「ならば話が早い! 戦場の神医ヴァルネラ! お前だけは違うと──そう祈っていたが、故に足止めで終わらせるつもりだったが! お前がそちら側だというのなら、俺はお前の敵だ!」

「えー、戦場の神医ってなにー」

「あの殲滅戦を生き残った兵士たちがお前に付けたあだ名だよ! だが──結局はただの、耄碌爺だったというわけだ!」

 

 空気中の水分を凝結させてつくられたサーベル。

 それを片手に突っ込んでくるアイザック・マクドゥーガル。もう片方の手にも錬金術が仕込まれていて、あれに触れると今度は体内の水が沸騰してドーンだ。

 もったいない。

 それこそ生体錬成の域だ。体内の水分を自在に操作できるのなら、やれることだってたくさんあっただろうに。

 

 でも、彼の身体はもう、セントラルの市境を跨いだ。

 

「もう一度いうよ。等価交換だ、アイザック・マクドゥーガル」

「遅い!」

 

 氷のサーベルが俺の顔に突き刺さる。

 簡単に貫通したソレは──だけど、やっぱり、俺にとって、なんでもなくて。

 

 ニヤりとしたアイザック・マクドゥーガルの表情が次第に恐怖へと変じていくのを見ながら、彼の顔に手を伸ばす。

 流石は武闘派、すぐに危険を察知して逃げようとしたのだろう。だけどできなかった。

 氷のサーベルが、自身の手にまでその範囲を広げていたから。

 

 熱を操作する錬金術。

 俺も昔習ってたんだよ。

 

「噂は、噂は、噂は噂ではなかったのか、そうか、緑礬の錬金術師──人間ではないというあの噂は、やはり、やはり──」

「ああ、直前まで噂は噂だって思ってくれてたんだ。ありがとう、お前、良い奴だよ」

 

 錬金術が発動する。

 青い光がアイザック・マクドゥーガルの顔の付近で輝き走り──彼は四肢から力を失った。否、意識を失ったのだ。

 

 ズルリと落ちる彼の身体。伴い抜ける……というか俺の身体を切り裂きながら抜けるサーベル。再生する俺。

 んじゃま、縛って、と。

 

「殺さなかったのかね」

「お前それ俺に何度言わせんの? 命を奪うメリットがないし、奪ったら返さなきゃいけないだろっつってんじゃん」

「だがそれ以前に此奴はお前に攻撃を与えた。攻撃されたから仕返す、というのも等価交換であろう?」

「俺が攻撃されることと、した奴が命を落とすこと。等価になるはずないだろ、そんなん」

 

 いくらでも再生する奴のどこを斬ったってソイツが命を落とすに値する攻撃には成り得ねえだろ。

 なるとしたら普通の人間同士だけだ。復讐の連鎖。命を奪ったから、代価として誰かに命を差し出す。その命を貰ったから、また別の誰かに命を渡す。

 終わりがないことこそ欠点だが、それは等価交換。俺は止めない。

 

「……セントラルへの入場料が今までの記憶全ての消去、か。それは等価なのかね?」

「いや、俺を狙おうと思って狙ってきたアレらと一緒にすんなって。消してないよ記憶なんか。今ソイツから俺が奪ったのは意識だけだ。テロリストがセントラルに入るのに一日だけ意識を失う。妥当な通行料だろ。一日経ったら自動で返せるしな」

「……」

「なんだよそのきょとんとした顔は」

 

 こちとら"生体錬成の権威"さんだぞ。

 人間の意識を一時的に奪うとかお茶の子さいさいだわ。……まぁ近づく必要はあるし、アルフォンス・エルリックみたいなのには効かないんですけどね?

 

「いや、そうか。そういえば私が君に下した命は"伝言"と"捕縛"であったな」

「いまさら何言ってんだよ。とうとうボケたか?」

「はっはっは、このアメストリス広しといえど、私をボケ老人扱いできるのはお前だけだ」

 

 言って。

 一刀のもと、アイザック・マクドゥーガルを切り伏せた。

 

「国民の安全を脅かすテロリストだ。殺さない理由があるかね?」

「じゃあ最初から捕縛じゃなくて殺害で依頼しろよ」

「殺害で依頼していたらお前は動かなかっただろう」

「なんだ俺のことよくわかってんじゃん」

「はっはっは、長い付き合いだからな」

 

 抜かりはないというかなんというか。

 俺が手を挟む余地もない──つまり、今の一撃で完全に絶命している。死んだ人間は生き返らせられない。いやぁ、手際の良いこって。

 

「ああ、彼の血を止めてはくれないか、緑礬の錬金術師」

「死人に止血を? ……ああ担いで運ぶとき汚れるからってか、大総統」

「対価はこれで十分だろう?」

 

 言って投げ渡されるのは、先ほどアイザック・マクドゥーガルを切り伏せた時に落ちた赤い石。

 ……親子揃って、っていうのかね?

 

「要らねーっつの」

 

 アイザック・マクドゥーガルの止血を行ったあと、その赤い石を握り締め、破壊と再生を以て消滅させる。

 

 まったくさぁ。

 

「俺はゴミ箱じゃねーっての……っていねーし」

 

 シンで培った氣を探る技術があれど、単純走力で一瞬でいなくなられたら気づけない。あの爺さん身体はちゃんと年老いてるはずなのに、まだまだ現役だねぇホント。

 

 ……ま、これで年一の査定がスルーでおっけーになるってんだから、安い仕事だったよ。

 

 

** + **

 

 

 さて──1911年11月。

 イシュヴァールの内乱終結から二年後。人々の心の傷は癒えたとは言えないものの、次第に活気を取り戻しつつあったアメストリス。そしてそれは軍も同じで、軍拡が進むその中で、ある風が──新しい風が舞い込んだ。

 実に76年ぶり。

 76年ぶりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()──というのだ。

 

 そうなってくると……まぁ、ギャラリーが。

 原作の100倍はいるんじゃねーかってくらいのギャラリーが。勿論ブラッドレイもいるし、何故か呼ばれた俺もいる。子供を推薦したロイ・マスタングもいる。

 

「それでは、試験を始めたまえ」

 

 大の大人二人に連れられやってきたのは──金髪金眼の少年。

 右腕の機械鎧。足音からしてやはり左足も機械鎧。

 

 おいおいホーエンハイム。折角教えてやったのに何にも活かせなかったのかよ。

 

 彼は一度合掌し、手を地面に当てて──槍を作る。綺麗な槍だ。造形系の錬金術。その極致にあると言っても過言ではないだろう。錬成陣無しの錬成も、錬成速度も申し分なし。

 槍を作り上げた少年は──そのまま走り出し、ブラッドレイへ突き進む。

 

 その槍をブラッドレイが斬って、おしまい。

 まぁ原作通りだ。 

 原作通りだけど……なんだ、なんだ。そうなるようにとは心のどこかで期待してたけどさぁ、お前。俺を自由にしてくれた対価に未来を教えて、自由になる時間をやったってのにさぁ。

 

 いやいーよ、トリシャ・エルリックが死ぬところまでは。どうせ代価を支払えなかっただけだろうから。

 けどさぁ、自分の子供が人体錬成を行っちまうのを──止められなかった、って。

 もしかして原作通り失踪してたりする? はは、そりゃ……なんつーか、罪悪感あるな、少しは。

 多分本来より更にキてるだろ、アイツ。馬鹿がよ、知ってるのに、知ってたのに止められなくて、失敗体験が積み重なって……失意の果てにどっかで倒れてねーだろーなアイツ。

 

 えー、親愛なるクセルクセスの民よ。

 慰め頼んだ。優しくしてやってくれ、そいつ愛された経験が少ないんだわ。

 

「行くぞ、ヴァルネラ」

「……へーい」

 

 なんか大総統の付き人みたいになってるけど違うからね。

 一緒に来たから一緒に帰るだけだからね。

 

 彼。少年。

 

 エドワード・エルリック。

 俺をただの審査員の一人だと思っていたか、軍人の何かだと思っていたか。軍服も着てないフードマンを疑いもせず興味も向けず、見向きもしない彼に──長らくを待った"激動"の最潮を感じる。

 

「ブラッドレイ」

「なんだね」

「今、楽しいか?」

「若くて有望な芽が軍に来たのだ。楽しくないはずがなかろう」

「にしちゃぁシケた面だけどな」

「……」

 

 感じているのだろう。

 終わりの日が近いことを。

 そう──だってもし、フラスコの中の小人が門を開き、カミサマを抑え込み、真なる存在になったら。

 人間の寿命しか持たないラースも、"キング・ブラッドレイ"も、どちらも終わりだ。一度フラスコの中の小人の中に戻されて、もう一度、今度は他のホムンクルスと同じく再生する身体を持って作り直されることだろう。

 そうなれば勿論記憶はノイズの嵐に消えるし、何よりこの国は──消える。

 

 キング・ブラッドレイは最終投入された大詰め。

 逆に言えば大詰め以外の存在意義を持たないホムンクルスでもある、というわけで。

 

「ヴァルネラ医院では若返りは受け付けてねーからな」

「医院を拓いたのかね?」

「金にゃ困ってないから商売なんざしないよ」

「ふむ。私も寄る年波には困っているが、若返りたいとまでは思っていないな。老い(これ)も、私の一部だ。──永遠に取ることのできないお前と違ってな」

「そうかい」

 

 分かれ道。

 彼は大総統府へ向かい、俺はフツーに帰る。

 

「じゃあな、ブラッドレイ。養生しろよ」

「いつになくこちらを気に掛けるな。やはりあの少年が人柱だと気付いているか、緑礬」

「たりめーだろ手合わせ錬成俺だってしたいわ真理見れねーから無理だけど」

「はっはっは、お前が嫉妬するとは中々だな。では、私も彼の動向を注意深く見ているとしよう。それだけ価値のあるものなのだろうからな」

 

 そう言って、ブラッドレイは手を振って去っていく。

 

 ……無駄に警戒させたか?

 

 まいっか。

 どうせ殺されやしないよ人柱だもん。……怪我はするかもだけど、その時は……今の対価として、一回くらいは治療してやらぁよ。

 

 

 

 

 エリシア・ヒューズが生まれた。

 

 いや。

 いや、本来俺が関わることでも気に掛けることでも、なんなら言及することでもないんだが……呼ばれちゃったからな。

 

 マース・ヒューズに。

 イシュヴァール殲滅戦以降顔を合わせてさえいなかった彼に、「この祝いの席に来てくれませんか」って。

 

 なんで断る理由もないからはるばるイーストシティにまで来た……んだけど。

 

「……」

「ばぁ~べろべろばぁ~! エリシアた~ん、おとうちゃまですよ~!」

「だぁああ!!」

 

 ……場違い感パねぇ。

 祝いの席っていうからパーティ形式にしてんのかと思ったら、マジで生まれたことを祝いに来る場所だった。

 

 えぇ。えぇ、お前、ここで俺に何しろと。

 ロイ・マスタングに助けを求める視線を送る……と、彼は口の端を上げて歯を光らせ、サムズアップを送ってきた。今度胃腸薬と称して屁の止まらなくなる薬をあげよう彼のデート前に。

 他、マース・ヒューズの友達らしい若い軍人も、俺の方を見て……あ、これ誰だかわかってないヤーツだ。そりゃそうだよな、東方司令部なんかずーっと行ってなかったから、俺の姿見て緑礬の錬金術師と繋げられる奴なんかいねーわ。

 

 えぇ……。

 とか困ってる間に、俺の番が来た。

 番って何っていうと、つまり一人一人エリシア・ヒューズに挨拶……というか祝いの言葉をかけていく、っていう謎儀式だ。アメストリスの謎は深い。

 

「だぁ……?」

「えっと、あなたは……?」

「グレイシア、エリシア。彼はヴァルネラ医師。セントラルではとても有名なお医者さんでな、俺も……世話になった人だから、今回特別に来てもらったんだ」

「そうだったんですか。セントラルから……すみません、遠路はるばる来ていただいて」

 

 屈んでエリシア・ヒューズと目線を合わせる。俺が低身長だからって、まぁ流石にな。

 

「いえ、構いませんよ。マース・ヒューズ……ヒューズ大尉は頭の回転が速く、私と共に行った作戦においても途轍もない功績を残してくれました。そんな彼の娘さんが生まれたのならば、こうして駆けつけるのも苦ではありません」

 

 今言った言葉全部嘘ね。あ、苦ではない、以外嘘ね。

 作戦を一緒にしたのって殲滅戦だけだし、そこでは顔合わせてないし、途轍もない功績って何か知らないし。

 実際、視界の端でロイ・マスタングが噴き出して、マース・ヒューズは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。……いや、これ、ロイ・マスタングが噴き出したのは言った内容に対してじゃなく俺の口調に対してだな?

 

「だぁああ」

「ええ、そうですね。……それくらいはしましょう」

「だぁっ、だぁっ」

「ああいえ、私、こんなナリですが子供ではないので」

「だぅ?」

「はい。ですが、……その代価が、等価と認められたら、ですかね」

「ぁぅい!」

「それでは私はこれで。失礼しますよ」

 

 立ち上がる。

 

 呆気に取られているマース・ヒューズ、グレイシア・ヒューズに一礼し、ヒューズ邸を出た。

 

 出て、適当に歩いて、路地裏に入って。

 一応ポーズで、両手を上げる。

 

「……ヴァルネラ医師。"生体錬成の権威"。その力は脳に……患者のトラウマや恐怖症といった意識の部分にまで作用するとまで言われる神医」

「"功罪相半ばする"って言葉知ってるかい、ロイ・マスタング。あぁいや、今のお前に言っても意味ないか」

 

 背後には、()()()をつけたロイ・マスタングが。

 

 そして前方には──。

 

「……はっ、……っはぁ……」

「そんでもって随分と体調悪そうだなぁリザ・ホークアイ。いいのかい、狙撃兵がこんなとこに出てきて。それともアレか、スコープ越しに俺を覗くのはまだ怖いか?」

「っ……!」

 

 二丁拳銃を構えたリザ・ホークアイ。

 あれ、この構図だと俺の立ち位置エンヴィーじゃね?

 

「ヒューズの娘と会話していたように見えましたが……何かしたのですか?」

「してないしてない。会話したフリだよ。当然だろ?」

「あなたはそれを当然としないことができるから問うているのです」

 

 ……。

 ふむ。

 

 そうか。じゃあ、まぁ、少しだけ開示するのもアリか。

 だからこれは、ホーエンハイムの中にいた魂たちを見分けることのできた理由の一つ。理由の一つっていうか、他にちゃんとした理由があって、その副産物で、って感じだけど。

 

「俺は意識と会話ができる。意識だけの存在と意思の疎通が図れる」

「……! それは……あなたの錬金術がゆえ、ですか」

「俺が俺だから、だね。ああ、つっても言語で何かが伝わってくるわけじゃないよ? 何をしたい、何をしてほしい、苦しい、楽しい、怒っている、嫌だ……とかその程度だ」

 

 嘘だ。もっとくっきりと見える。

 当然だ。だって俺自身がそうだから。

 

「それで……彼女と、どんな話を?」

「"嘘を吐いた対価を払え"だってさ。いやはや、噓つきは泥棒の始まりとかいうけど、等価交換に縛られる以上は泥棒なんてできねぇんだ、ちゃんと返すしかないわな」

「……赤子がそんなことを言うようには思えませんが」

「ん? あぁ、だから、彼女の中の真、」

「あ! いた! おいロイ! お前の抜け癖は昔からだけど、今じゃなくたっていいだろ!」

 

 ここまでだな。

 運命は言葉を遮ることを選んだ。これ以上の情報は渡せない。

 

 マース・ヒューズに絡まれているロイ・マスタングを後目に、ゆっくりと歩き出す。

 その際、リザ・ホークアイとすれ違って。

 

「トラウマ。よっぽどだったら消してやるけど、どうするね?」

「ッ!」

「あっはっは、冗談冗談。記憶ってのは大事なモンだ。意思決定能力があるうちは手放さないことをお勧めするよ。それがどんなに凄惨で、思い出すことさえつらいモンでもな……って刻み付けた俺が言うのは違うか」

 

 ま、吐かれなかっただけマシってことで。

 

「ヒューズ大尉! すまんが俺はこれで失礼! 午後に急患が入る予定なんでな、急いで帰らせてもらう!」

「あ、はい。……ん? 急患が入る予定……?」

 

 結局、なんでマース・ヒューズが俺を呼んだのかは聞きそびれたけど。

 中々ないからなー、赤子に触れる機会って。

 

 それなりに新鮮だったよ。

 

 

** + **

 

 

 

「マージで急患が入るとは……」

 

 家に帰ってきてすぐのこと。

 セントラル病院から連絡があって、すぐに来てください先生にしか治せないんですみたいなこと言われたから行って。

 

 そこには、鉄血の錬金術師、バスク・グラン准将が。

 彼の顔、身体、腕……と様々な部位がぐちゃぐちゃになっていて、且つ穴だったりなんだりが開いていて。

 意識はない。だけど応急処置が上手いな。内乱当時の看護師がいるな?

 

「ヴァルネラ先生、何か手伝えることは」

「ちょっと大規模な生体錬成やるから出てってくれない? んで術後、めちゃくちゃ喉乾いてると思うし腹も減ってるはずだから、病人食の用意。あと点滴ね」

「はい!」

 

 人払いを済ませて。

 

 少々傷を見聞する。

 

「……おっかしいな」

 

 おかしかった。

 だってこの傷は、錬金術によるものだ。

 それも再構築前……分解の。

 

 つまり、原作における傷の男(スカー)のやる分解、その被害である。

  

 が、傷の男(スカー)も、傷の男(スカー)の兄も生きているはずだ。あれからそれとなく死体を探しているけれど見つかっていないし、氣も感じ取れていない。

 なんなら両腕も綺麗なままだから移植もされていないだろうし、額の傷もついていないので傷の男(スカー)にさえなっていないはず。

 

 じゃあ、誰が。他のイシュヴァール人?

 ……確かにイシュヴァール人の仕業ではあるのかもしれない。俺に逃がされた武僧ら数名、原作の通りクセルクセスへと逃げていた人々なんかは、フツーにアメストリス人を憎んでいるだろうし。国家錬金術師を殺したいとも思っているだろうし。

 ただ、この分解の錬金術を使えるのは……格闘術と共にコレを使えるのは、傷の男(スカー)だけ……のはず。傷の男(スカー)の兄は武僧じゃない研究者で、他の武僧は錬金術からっきしだし。

 

「うーん。まぁとりあえず治すか」

 

 治す。

 分解された状態の傷は実は治しやすい。錬金術の基礎、理解、分解、再構築の分解段階で止めているだけなこの錬金術は、生体錬成においては日常茶飯事な光景だ。俺もよく肉体の分解するし。

 生体錬成で分解した皮膚や肉、内臓や骨は、同じく生体錬成で再構築できる。また錬丹術を使えば元の流れを汲み取る……つまり、再構築ではなく再生、あるいは治癒とでもいうべきことが行える。生体錬成とフツーの錬金術の違いは相手が人体であり、引き延ばしたり他から持ってきたりすると二次被害が起きる、って点だけど……。

 

 まぁ、そこは俺。

 肉を補充するのも内臓を補填するのも筋肉を移植するのも血液を弄って血液型合わせて輸血するのも。

 

 なーんだってできる。なんせ資源は無限だからね!

 眼球破裂の復元もできるって公言しちゃったので治せちゃう。ただ世界中から隻眼の奴らが集まってきても面倒なので、「潰れた眼球が手元にあり、それが腐ってなかったら」にした。そうしないとまずブラッドレイの眼治せって言われるだろうしな。アイツ眼あるから無理だっちゅーに。

 

 あ、四肢欠損についてはまだ無理にしてある。

 俺の手足千切ってくっつけて、筋肉とか神経とか全部作り変えて……もできなくはないんだけど、それはどう頑張っても生体錬成としてのレポート提出ができない。

 ちぎれた手足がその場にあって、それをくっつけるならできる、とは言ってあるけど、とうの昔に失った手足を生やせってのが無理難題なのは軍も理解してくれたようで、「流石に無理か」と言われて終わった。ブラッドレイはできるだろうに、とか思ってんだろうけど。

 

 そんなことつらつら考えてる内に治療完了だ。

 五体満足のバスク・グラン准将。ただし肝臓に機能低下の兆しあり。ここまで完璧に再現させてもらった。肝機能障害だね。お酒、もう少し控えるよーに。俺は生活習慣病とか酒、タバコの飲みすぎ、ドラッグのやり過ぎにおける治療はしないよ。それは等価交換で自分たちが得たものだからネ。

 

「はーい治ったよー」

「流石ですヴァルネラ先生! ほら、あなた達、言ったでしょう一時間かからず終わるって!」

「い……いや、あの怪我は、集中治療室で一日かけても治るか治らないかの……それ以前に命を繋げられたこと自体」

「はいはいはいはい点滴通りますよどいてくださーい。あ、ヴァルネラ先生、グラン准将の意識は」

「戻ってないけど疲労で寝てるだけだから、点滴だけしといて。あ、あとアルコール性肝炎が見られたから、目覚めて病院食食わせて、そろそろ退院だ、って頃に伝えて絶望させといて」

「了解しました!」

 

 うん。

 やはりイシュヴァール内乱帰りの看護師は手際が良い。そして話も通じやすい。余計なことは聞かないししない。

 医院をひらくつもりはサラッサラないけど、フラスコの中の小人の目論見が破綻したらマルコー医師とかにこいつら紹介しようかな。あとノックス医師とかに。ああそういや彼、医者やってんだろうか。検死医になったかどうかも知らないんだけど。

 

 ……俺が気にすることでもないか!

 頑張れ准将、ああ、俺はアルコール性肝炎で早死にしたっていいと思うぞ。大好きなお酒に溺れた等価交換だからな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作開始
第1話 降り立つ真人


 ウチは一応、新聞というものを取るようにしている。

 でないと情報が入ってこないからな。フラスコの中の小人のように各地を見て回ってる"目"がいるわけでもなし、ラジオだけじゃあ不足しがちな遠方の地の情報集めに新聞はもってこいなのだ。

 

 そして、だから知っていた。

 マース・ヒューズの家に呼ばれた時くらいかなー。リオールでレト教というものが流行り始めていたことを。

 まぁ特に何もしなかったんだけど。

 恋人を喪って神に縋るのも、神に縋って金を払って安堵を得るのも、別段何の違法性もない等価交換だ。神の御業とやらで死者が蘇る、なんてのは絶対にあり得ない話だし、それが不可能だとしても何かに縋らなければ生きていけない人間なんてごまんといる。

 教祖が金儲けや自尊心を高めるためのシステムにしか思っていないとしても、自分の足で立てない弱い奴には必要な添え木であると言えるだろう。

 

 で、その次。

 エドワード・エルリックとロイ・マスタングの対決。

 これねー。見に行きたかったんだけどねー。

 バスク・グランの一件から頻繁に、とは言わないまでも連続して起こり続けている「国家錬金術師殺し」が起きちゃって、生体錬成に呼ばれて行けなかったんだよね。

 ちなみに被害者はジョリオ・コマンチ。原作じゃ独楽みたいになって戦ってた人だけど、当イシュヴァール内乱では足を失わなかった──俺が治しちゃったから普通に五体満足。五体満足のまま「国家錬金術師殺し」に負けてぐちゃぼろになって運ばれて、また俺が治したって感じ。

 

 1911年から1914年──つまり今年に至るまで、ずーっとその「国家錬金術師殺し」の後始末に追われている。馬鹿正直に分解の錬金術でしか殺さないモンだから治しやすくていいけど、どうせならまとめてやってくれないかね。

 おかげでブリッグズ山踏破再チャレンジとか計画してたのが全部パァになった。原作開始前までにオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将に会っておきたかったんだけどなぁ。

 

 さて、この「国家錬金術師殺し」。

 バスク・グランやジョリオ・コマンチ、他イシュヴァール殲滅戦に出張ってきて生き残った国家錬金術師らの談によると、どうにも複数人いるらしい。

 筋骨隆々な男だとか細身マッチョメンだとか、背丈は低かっただの高かっただの様々。ただし全員共通して言うのが「褐色の肌、赤い眼をしていた」と、「両腕に入れ墨があった」である。

 

 こーれ武僧全員傷の男(スカー)スタイルです。

 さしもの俺もっべーとは思ったねっべーっぱねーとは。

 

 正直な話、イシュヴァールの武僧は錬金術無しで完全武装のアメストリス人の30倍くらい強い。刃物相手の立ち回り方、銃を持つ相手への間合いの取り方、複数人と戦い生き残る術……とか。挙げたらキリがないほど戦闘に特化した存在だ。

 そこに傷の男(スカー)兄の分解と再構成の錬金術が加わってるとなると、手が付けられん。

 

 ただ民間人に被害を齎す気は一切無いようで、今のところ国家錬金術師以外被害に遭っていない。それも殲滅戦に出た国家錬金術師だけだ。その後なった奴とかなってたけど出てきてない奴とかは狙われてすらいない。

 ブレインがいる、と思わせるに十分な行動。そしてそのブレインとは、やはり。

 

「……ウチにゃ来ないのはなんでかね。来たら一発解決なんだが」

 

 戦闘になったって話し合いで済んだって、なんで今それやってんのかとやりたいことは何なのかを聞きだせりゃ一気に進むと思うんだけど、なーんでかウチには来ないんだよね彼ら。俺がフツーに夜の街ほっつき歩いてても寄ってこない。

 たまに監視するように尾行されることはあるんだけど、アクションはしてこない。

 なんつーか、踏ん切りがつかないでいる……みたいに感じなくもないんだけど。

 

「イーストシティ、ねぇ」

 

 原作を観光する、という意味合いではエドワード・エルリックの旅についていくのが正解だろう。

 だけど人間関係ってそう上手くいかなくて。何も開示せずについていったらルート変更するのは目に見えてて。

 今多分、リオールでレト教の真実を暴いている真っ最中とかだろうけど……ユースウェルに先回りするのは流石にかぁ?

 

 どの道エドワード・エルリック達はウチに来る、とは思うんだよな。

 一応調べちゃいるけど、やっぱりセントラルにもイーストシティにもショウ・タッカーなる国家錬金術師は登録されていない。なんなら民間の錬金術師でも聞いたことが無いレベルだ。

 多分マジに一般人として生きているんだと思われる。

 ……となれば、やはり"生体錬成の権威"ことこのヴァルネラのもとを訪ねてくる……とは思うんだけど、如何せん現状が原作と違い過ぎるのがネック。

 

 傷の男(スカー)になってない名もなき男たちは殲滅戦に参加した国家錬金術師しか狙わない。そうなると、エドワード・エルリックは狙われない……いや、あれはロイ・マスタングを狙ったんだったか?

 ふむ。

 となると……万が一ロイ・マスタングが大怪我をした時、ちょうど俺がいたらラッキーだよな。盛大に怪しまれるだろうことは置いといて。

 

 いいじゃん、理由付けできたじゃん。

 

 申請は……申請はなぁ、しなくちゃいけないんだけど、まぁ「申請すればいい」だけだからな。

 受理されなきゃいけないとは言われていない。今までは受理されてから行っていたけれど、そこの契約は「申請をすること」だけだ。今まで待っていたからっていつまでも待つと思うなよって話。

 

 よし。

 それじゃあイーストシティへ!

 

 

** + **

 

 

 列車に乗ってやってきたイーストシティは大雨に見舞われていた。

 おお、やっぱり、という感想を抱きながら、彼らがいるだろう場所に急ぐ。ショウ・タッカーの事件が無くともソレは起きるって可能性は高いからな。

 

 あんまり使わないので忘れられがちだけど、俺ってばシンの武術も修めている。悪路を素早く走る走法とか雨でも滑らずに走る足の付け方とか、色々知っているんだこれでも。

 ……まぁランファンとかフー爺さんに類する「刺客」って感じの速さは出ないんだけど。あ、森とか夜とか、隠れられる場所、時間なら話は別ね。

 

 イーストシティの時計塔。懐かしいね、観光スポットだからって一度行った場所だ。だから覚えている。

 そこに、ゴム毬のような挙動を取りながら屋根と屋根の上を飛び跳ねて──雨に打たれ、俯いている二人の前に降り立つ。フードの先を指でつまみ、同じくコートの先も手繰り寄せて、ヒーロー着地だ。膝に多大なる負担がかかるので一般人はやめような!

 

 俯き、自嘲するように笑っていた金髪金眼の少年が驚いたように顔を上げる。

 ……ん? あれ? こいつらなんで落ち込んでるんだ? ショウ・タッカーの事件が無かったんなら、錬金術を疑う理由もないだろうに。リオールとユースウェルでなんかあった?

 

「な……」

「何!?」

 

 おお、アルフォンス・エルリックの声初めて聴いたけど、やっぱ変な感じだな。

 錬成陣からどーやって声出してんだろうな。俺その辺詳しくないから後でじっくり調べたさはある。いや、意識だけの状態、魂だけの状態でも声は出せるんだよ。だけどそれをするためには大気を振動させるための媒介となるものが必要でさ。あ、だから鎧が媒介になってるのか。なるほど、それで反響するみたいな声に──。

 

「子供!? 兄さんより小さい……」

「ナニモンだ、てめェ」

 

 エドワード・エルリックが機械鎧の表面を刃に作り替える。

 それ、いいのかね。原作見てた時から思ってたけど、精密機械の表面引き延ばすってフツーにヤベーことやってるけど。そこだけ余分に厚み持たせてるとしてもヤベー応力かかって神経がっべーわっぱねーわになりそうだけど。

 ……その辺込みで、ウィンリィ・ロックベルの腕が良いのかね?

 

「ロイ・マスタングがどこにいるか知らないか?」

「……大佐に何の用だ。っつか名を名乗れ名を!」

「ふむ。そういやお前ら狙われないんだからここにきても意味無かったな。すまん、邪魔した」

「はぁ!? って、待て! 狙われるってどういう……大佐が誰かに狙われてんのか!?」

 

 そうじゃんそうじゃん。

 新聞読みながら考え事してたからすっかり失念してたけど、別にコイツら狙われないんだからこいつらの目の前に降り立つこと無かったじゃん。

 で、狙われるとしたらロイ・マスタングで、彼は東方司令部にいて……うーん、流石にイシュヴァールの武僧たちも東方司令部に突っ込むことは無いと思うんだけど。

 

「待て、オイ待てこのチビ! 豆粒ドチビ! こら、待てっつってんだろ!!」

「兄さん、その挑発で待つのは兄さんだけだと思うよ!」

 

 ついてこられる速度で走っているとはいえ、良くついてこられるな。

 今の今まで落ち込んでたんじゃないのか? テンション乱高下しすぎだろ。血糖値スパイク大丈夫か?

 

 しかし……さっきのさっきまで考えていたことを失念してた、ってのは、俺にしちゃあり得んレベルのミスだな。

 脳裏メモに入れておこう。

 

 東方司令部。

 その門に辿り着く。

 

 いた。そこに、いた。

 ……全然、フツーに車に乗ろうとしている怪我なんか欠片もしていないロイ・マスタングが。

 

「え……ヴァルネラ医師? 何故ここに……」

「ありゃ、まだ無事か。つくづくタイミングの悪い」

「それはどういう──まさか、ヴァルネラ医師は"国家錬金術師殺し"について何か知っているのですか?」

「知らんワケないだろ。誰が治療してると思ってんだ」

「そういう話では──」

 

 バヂッという音ともに光が走る。

 

 一瞬雷かと錯覚したけれど、違う。

 青い錬金光。

 これは分解の錬金術だ。

 

「俺は武闘派じゃないんだがね」

 

 一息で車に乗りかけている姿勢のロイ・マスタングへと近づき、その肩に足を乗せる。

 それはもう軍服にべったりとついた泥。これにロイ・マスタングが抗議の声を上げようとして、ようやく気付いたのだろう。

 

 高く──向かいの建物の屋上から降ってくる褐色肌の男に。

 

 その手が纏う分解の錬金術に、真正面からぶつかる。

 治す。分解と同じ速度で生体錬成を使う。原作でフラスコの中の小人がエネルギーの相殺をやっていたけれど、まぁ似たようなものではあると言えるだろう。

 激しい光。相反する錬金術がぶつかった時の反発は衝撃波を生み、俺と、そして武僧を互いに弾き飛ばした。

 

 武僧、だ。

 傷の男(スカー)じゃない。傷が無いだけじゃなく、顔つきが違う。完全に、言っちゃ悪いがただの武僧だ。

 けれどその両腕には入れ墨──分解と再構築の陣が彫られている。

 

「……緑礬の錬金術師。私達はお前に向ける敵意を持たない。どうか退いてはくれないだろうか」

「コイツに向ける敵意は?」

「数多の同胞を殺し尽くした者に、殺意を向けない我らではない」

「そうかい。じゃあ良いことを教えてやるよ。──お前らが頑張って殺して回った国家錬金術師な。全部俺が治療しちまった。今も生きてるぜ、奴らは」

「!」

 

 ま、知らないのも無理はない。

 未だ入院している奴も少なくはないし、死んだ、あるいは再起不能になった、ということにして細々と生きている奴らばかりだ。バスク・グランとかも錬金術師の養成に身を傾けたからな。

 少しずつ、少しずつ。

 遅々としてでも進んでいると思っていた復讐が──全て水泡に帰していたと知れば。

 

「……私たちはお前を殺したくはない!」

「んじゃ今回の襲撃は諦めな。ロイ・マスタング殺しは俺のいないところでやれ」

「ちょ、何言って」

「それは、できない。焔の錬金術師がその焔を使えない状況にある──またとない機会だ。今ここで殺さない限り、この先此奴を殺す機会は訪れないだろう!」

 

 傷の男(スカー)と違って冷静さのある武僧だ。それでいて信念もある。いや傷の男(スカー)にないとは言ってないよ? でも彼原作じゃ復讐者の極致だったから、声を荒げること多かったじゃん。

 そういう意味で言ってるのであって他意はない。

 

「──だぁまって聞いてりゃ、何言ってんだてめぇら!!」

 

 地面が隆起する。それらは棘となり、あるいは拳の形をした石となり、武僧と俺を攻撃する。 

 

 え、なんで俺まで。

 避けるけど。あ、あっちはあっちで分解した。

 

「大佐! ケガない!?」

「鋼のに、アルフォンス……何故ここに? いや、そんなことはどうでもいい。逃げろ、君らの勝てる相手ではない」

「だったら大佐も一緒に!」

 

 アルフォンス・エルリックの言葉に、しかしロイ・マスタングは首を振る。

 そして、目線だけをチラりと……すぐ近くの鐘楼へと向けた。

 

 狙撃。リザ・ホークアイか。

 まぁ確かに武僧とて人間だ。スナイパーライフルの弾速にゃ反応できないだろうし、リザ・ホークアイの腕なら外すこともないだろう。

 

 ここに俺がいなければ──かね?

 

「……わかった。ここは退く」

「おん? なんだ、物分かりの良い……いや」

 

 あれは……インカム? おいおい、いつの間にそんな技術取り入れるようになったんだよ。

 つか、アレしてるってことは、どっかに傷の男(スカー)兄がいる、か?

 

「動くな! 貴様は完全に包囲されている!」

 

 突然ロイ・マスタングが声を荒げる。

 その声と共に、周囲からわらわらと出てくる軍人。手には銃。

 

 地面を壊して地下水道に逃げるか。

 それとも何か別の──。

 

「え……?」

 

 音は背後から聞こえた。

 ガシャン、ガラガラと崩れる音だ。伴い、エドワード・エルリックの息を呑む音。

 

「何……?」

 

 そしてそれを為した下手人も困惑の声を零す。

 まぁ、そうだろう。

 鎧壊して中身も、と思ったら中が空っぽだったんだから、そういう声にもなる。

 

 崩れたのはアルフォンス・エルリック。

 定着の錬成陣には影響ないだろうけど、結構な範囲持ってかれたな。

 

「すまん、助かった!」

 

 当然のようにそっちへ注目が行くんだ。

 武僧への警戒はおろそかになる。その隙をついて武僧が建物を駆け登り離脱。そしてアルフォンス・エルリックをぶっ壊したやつも──その顔に傷こそなけれど、あの顔は紛う方なき傷の男(スカー)。そいつもまた踵を返し、降りしきる雨の中に消えて行った。

 

 ふむ。

 被害はアルフォンス・エルリックの鎧のみ、か。

 

 ……上々だけど、俺出張ってくる必要なかった上に、こーれ。

 

「──ヴァルネラ医師。詳しいお話を聞かせていただけますよね?」

 

 まぁ、そーなる。

 

 

 

 

 さて、東方司令部。

 ロイ・マスタングの部下の面々と、エルリック兄弟。さらにはアレックス・ルイ・アームストロングがいて、そんで俺。

 構図はまー、尋問だわな。

 

「あなたは言いました。"なんだ、まだ無事か"と。ヴァルネラ医師、あなたは私が襲撃されるのを知っていましたね?」

「次に狙われるとしたらお前だろうな、とは思ってたよ」

「それはどのようにして推測を? 彼らと面識があるようでしたが──彼らはテロリストです。そういった者たちと繋がりがあるとするのならば、私はあなたを中央へ告発しなければならない。詳しいお話をお聞かせください」

 

 ロイ・マスタングの口調は硬い。

 概ね今彼が語った通りだ。「国家錬金術師殺し」……というか「国家錬金術師殺し集団」はテロリスト。連続殺人未遂犯でもある。その被害者を救い続けてきた医者が、犯人たちと繋がりがあった……なんてスキャンダルなんてレベルじゃない。内通だ。マッチポンプだ。

 そうであるとは思いたくない、という意思が伝わってくるのがロイ・マスタングの善性を物語っているんだが。

 

「面識があるのは当然だろう。俺が逃がした奴らだ。が、仲間じゃない。というか殲滅戦以来だよ、再会したのは」

「……あの戦いであなたが故意に逃がしたというイシュヴァール人、ですか」

「言い方が甘いな。アメストリス軍に敵対してまで逃がしたイシュヴァール人、だ」

「戦場の神医ヴァルネラ……やはりその噂は本当でしたか」

 

 なんぞ尾鰭がつきまくっている「戦場の神医」における汚点とされる部分。

 その心が優しすぎたあまり、敵を守り、治癒し、逃がしてしまった……とか言われてる噂。

 優しすぎたあまりで毎回噴く。

 

「なー、大佐。少佐も。話がよくわかんねーんだけどさ、このチビそんな有名なの?」

「……戦場の神医ヴァルネラ。あるいは緑礬の錬金術師ヴァルネラ医師。"生体錬成の権威"とも呼ばれている方だ。ほら、君が国家資格を取った時、"次セントラルに来たら紹介する"と約束しただろう」

「ヴァルネラって……あの?」

「恐らくはその"あの"だ」

 

 エドワード・エルリックは中空に目線を向けて、それを下ろして俺を見て。

 もっかい中空に視線を向けて。

 

「まだガキじゃねーか。ヴァルネラっつったら80年前とかから国家錬金術師やってる爺さんだろ」

「ゆえに"生体錬成の権威"だ、鋼の。御年が幾歳であるかは知らんがな、少なくとも80年、いや100年以上を生きて、今なおこの姿である、ということがどういうことかわからん君でもないだろう」

「……いや、ありえねーだろ……」

 

 ところで俺はまだフードを取っていない。

 すごく今更な話なんだけど、俺ってクセルクセス人なんだよね。だから金髪金眼なんだよね。

 顔立ちこそ全然であるとはいえ、その特徴持ってるアメストリス人ってホーエンハイムの子供であるエルリック兄弟かフラスコの中の小人しかいないんだよね。

 

 俺ェ!

 

「話を戻します、ヴァルネラ医師」

「戻すも何も、終わっただろ。アイツらは俺が逃がしたイシュヴァール人、内通はしてない。これで終わりだ」

 

 それで終われないから、みーんな硬い顔してんだろうけど。

 

 一番の問題がまだ解決してないんだ。

 

「……では、聞きますが、ヴァルネラ医師」

()()()()()()()()()()()()()()──か?」

「っ……そうです。あなたの居住地はセントラルだ。元は旅好きであったとは聞いていますが、セントラルに居を構えてからはそのほとんどをセントラル市内で過ごしている。そんなあなたが何故、今日、このピンポイントな時間にイーストシティに……私の近くにいたのか。ご説明願いたい」

「ん、大佐。ソイツ最初に俺達の方に来て"ロイ・マスタングがどこにいるか知らないか"って聞いてきたぜ?」

「君に? ……どうしてですか、ヴァルネラ医師。何故彼が私の居場所を知っていると思ったんですか」

 

 ふむ。

 まぁ怪しまれるのも疑われるのも告発されるのもどうでもいいんだがな。

 ホーエンハイム関連とイシュヴァール関連は俺が掻き乱したようなもんだ。その辺が気にならないと言ったらウソになる。

 特にイシュヴァールの武僧は……俺が国家錬金術師を治していると知ったら、どう行動してくるかわからん。

 

「何故って、鋼の錬金術師を国家錬金術師に推薦したのはお前だろう、ロイ・マスタング。そこの仲が良いと考察するのにそれほど不思議があるか?」

「彼の前に現れた理由は?」

「イーストシティの特徴的な建造物は駅かあのスチーム時計くらいだからな。そこから全体を見渡して騒動が起こっていそうな場所を見つけようとした」

「……まだ最初の質問に答えてもらっていませんよ。何故あなたがイーストシティに来ていたのか──」

 

 うん。

 今俺も一生懸命考えてたんだよ。言い訳を。

 他の行動の怪しさは今みたいに打ち消す理由付けが見つかったんだけど、俺がイーストシティに来た理由だけどーやっても思いつかない。

 だって来る理由ねーもん。

 ……ブラッドレイに言われて、とか言うか? ワンチャン有りだな。俺とブラッドレイがマブなのはある程度の階級の軍人には知れ渡っている話だし。なんでって、頻繁にアイツが俺を呼びだしてくるから。七割くらい蹴ってるけど。

 

 よし。

 良い理由思いついた。

 

「別件だ」

「……詳しく、と言いました」

「告発してくれてもかまわない。どうせブラッドレイで止まるからな」

「それは」

 

 つまり、ブラッドレイ直々の別件で動いている、と言外に言っているようなもの。

 

 言ってないけどねそんなこと!

 

 ……ただ、実は別件があるのは本当だったりする。

 というのも、あのイシュヴァール殲滅戦の最中、あんなに早く終わったにもかかわらず、ティム・マルコーが原作通り失踪しているというのだ。その捜索を、「医者の横のつながりで情報が入ってきたら知らせてくれ」みたいに言われている。

 あの殲滅戦で賢者の石作る実験なんてほとんどできなかったと思うんだけどね。それくらい早く終わらせた自信あるし。

 

「……わかりました。これ以上はもう聞きません」

「え、いいのかよ大」

「ですが」

 

 ロイ・マスタングが、いつにない──今まで一度も俺に見せたことのない冷たい眼で、俺を見下ろす。

 

「あなたがアメストリスの敵になるというのなら、なっていたというのなら──私はあなたを容赦なく灼きます」

「いーよ。お前さんの火力じゃ俺を殺し切ることはできないから」

「──はぁ、そういう意味で言ったのではないのですが」

「なんならアームストロング少佐も加わるか? 鋼の錬金術師も。あぁ、部下の奴らもいいぞ。全員でかかりゃ足止めくらいはできるだろうし」

「い、いえ吾輩は……それに、あなたとはマトモにやりあうな、と姉上から……」

「え、アームストロング少将が? ……おかしいな、俺面識無いんだけど」

「ヴァルネラ医師。大佐たちはこう言ってますけど、さっき大佐を救ってくれたこと、俺達は感謝してんですよ。アンタがあのイシュヴァール人を止めてくれてなかったら、大佐は車ごとお陀仏だったかもしれないんで」

「あーっと、確かハイマンス・ブレダ少尉だったか?」

「とと、すんません、名乗りもせずに。というか、なんで俺の名を?」

「アメストリス軍肥満者・肥満予備軍リストに載ってたからなぁ。あと覚えてないかもしれないけど実は一度会ってる」

「え……そりゃ失礼を」

 

 流れるように弛緩した空気についていけていない様子のエルリック兄弟。

 東方司令部の面々とは一瞬だけ顔を合わせているんだよな。最初にロイ・マスタングと問答した時に。

 顔を合わせている、っていうか一瞬チラ見しただけだけど。

 

「マース・ヒューズ中佐は娘さんの誕生パーティぶり。んでヴァトー・ファルマン、ケイン・フュリー、ジャン・ハボック……であってるよな? すまん、階級までは覚えてねえや。ああんで、リザ・ホークアイ中尉、ね」

「……なんで中尉の階級だけ覚えてんですか。もしかして狙って……」

「彼女はほら、俺にトラウマ持ってるから」

「え、何したんスか。ホークアイ中尉がトラウマ持つほどって……相当スよ?」

「ちょっと目の前でパァンしたらビビられちゃって」

「パァン?」

 

 警戒が解けたわけでも、疑いが晴れたわけでもない。

 ただこれ以上ギスギスしてても仕方がないと互いに判断しただけだ。んで部下はそれに乗っかっただけ。

 

 そんで、じゃあ、まぁ。

 

「それで? この"生体錬成の権威"に紹介するって、何の話で、だったんだ、ロイ・マスタング」

「ああ、それは──」

 

 これで、あまりにも自然な流れで合流成功ってワケ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 揺り巡る動乱

 全部知っている顛末をロイ・マスタングから聞いて。

 

「喪った手足と弟の身体、ねぇ。まぁ、治せるっちゃ治せるが」

「な……ほ、本当か?」

「……ヴァルネラ医師。私はあなたの論文や著書を数多く読んでいますが、手足が残っていなければ治せない、という記述を多く見た覚えがあります。それとも……ごく最近できるようになったのですか?」

「治せるっちゃ治せる、だ。違法な手段を使えば、って感じだよ」

「それは、どういう」

「適当な犯罪者とかから手足ぶった切って組織作り替えて接合すればいい。簡単な話だ」

「──」

 

 ま、俺の身体でできるなら他人の身体でもできる。

 拒絶反応は結構あるだろうから何回か試さないといけないだろうけど、日数かけてじっくり検査してデータ取ってやりゃそれも少なくて済む。

 

「そんで弟の方は……まぁ、肉人形でも作ってそこに魂定着させるとか? ああスマンな、秒で大言壮語を覆すけど、弟の方は俺の分野じゃねーや。怪我を治すとかの領域じゃねーだろソレ」

「……だ、そうだ。鋼の。それで満足できるか?」

「できるわけねぇだろ。どこぞの誰かの手足貰ってこの先のうのうと生きてけってか。ハ、そんなのごめんだね!」

 

 だろうな。

 それでこそだエドワード・エルリック。いやぁ、エドワード・エルリックやその周囲の人間の言動を見聞きするたびに心の中のゾルフ・J・キンブリーが「それがエドワード・エルリックです!」とか「あなたはエドワード・エルリックをわかっていない!」とか言ってくる。別に魂取り込んでないけど。

 

「ヴァルネラ医師。そういうことで、すみませんが紹介の件は無しに……」

「そもそも紹介されてないからいいよそんなん」

「……大佐。さっきからずっとコイツに下手に出てるけど、コイツそんな偉いのか?」

「年上を敬うのは当然だろう鋼の」

「年上、ねぇ。ホントは爺ちゃんが緑礬の錬金術師で、お前はそれを継いだ息子、あるいは孫とかなんじゃねぇの?」

 

 ほう。

 ……その設定で生きてきた方が楽だったかもしれん。今更だけど。

 

「まぁ、そう思うのも構わないぞ、エドワード・エルリック。錬金術師の年齢なんざどうでもいい、実力があればなんでもいい。その証明はお前自身がしているんだからな」

「そりゃ……確かに」

「あ……あの、ヴァルネラさん。一つお願いがあるんですけど、いいですか?」

「ん? なんだ、アルフォンス・エルリック」

 

 あんまり話の輪に入ってきていなかったアルフォンス・エルリックからお願い。

 なんだろう。あとバランスやばそうだねその身体。分解された範囲ヤバみ溢れてんじゃん。

 

「その……不躾ですごく悪いんですけど、そのフードの下の顔を見せてくれませんか?」

「アル? どうしたんだ? なんでそんなこと……」

「ヴァルネラ医師のフードの下、か。そういえば……私も見たことが無いな」

「はぁ? 大佐、アンタ結構長い付き合いなんじゃねーのかよ」

「長い付き合いだからこそ余計な詮索はしない。そういう関係もあるのだ、鋼の」

 

 俺の素顔を見たい、と。

 ……勘鋭いなオイ。

 

「理由を問うても?」

「ヴァルネラさん、金髪ですよね。フードの端から見えてる。それに、さっき雨の中僕たちの前に降り立った時……見間違えてなければ、金の眼をしていたように見えたんです。それで」

「オレ達と同じ特徴……?」

 

 目ざといな。つか俺のミスかこれ。

 よく見てるな。俯いていたくせに。あ、だからか? 水たまりで反射したか?

 

「見せるのはいいけど、リザ・ホークアイ中尉を下がらせた方が良いと思うぜ」

「中尉を? 何故ですか?」

「俺の顔見たら吐くだろ、流石に」

「……ヴァルネラ医師。あなたがどれほど……その、美しくない顔をしていても、中尉はそれで嘔吐するような人間じゃ──」

「いえ、すみません大佐。私は……少し出させてもらいます。申し訳ありません」

「中尉?」

 

 許可も得ずに、と言った様子で出て行ったリザ・ホークアイ。ロイ・マスタングがヴァトー・ファルマンとハイマンス・ブレダに目配せをし、彼女を追いかけさせる。

 まー流石にな。

 フード被ってる俺との対峙だけでも息が荒くなってたんだ。

 じゃあ、あの時の……爆発四散した時の顔見たらぜーんぶ思い出すだろ。

 

「ヴァルネラ。アンタが見せたくないってんなら見せなくてもいいぜ。こればかりはアルが不躾過ぎた。ずっとそのフード被って顔隠してるっつーことは、見せるのが憚られるってことだ。そこを強制するつもりはこっちにゃ無え」

「あの、ごめんなさい。僕、そんなつもりじゃ……」

「だから見せるのはいいんだって」

 

 フードを取る。

 出てくるのは、金髪金眼の少年。エルリック兄弟やホーエンハイムの顔立ちとは違うけれど、クセルクセス人の特徴をしっかり持った10歳くらいの男の子。

 

「金髪金眼……なるほど、鋼のと同じ特徴ですね。もしかして同郷ですか?」

「いんや、リゼンブール出身じゃないよ、俺は。俺と同郷なのは」

「──もしかして、ホーエンハイム……か?」

 

 わなわなと震えるような声で。

 怒りと、苛立ちと、悔しさのようなものが入り混じる表情で。

 

 んー?

 

「ああ、そうだ。俺はヴァン・ホーエンハイムと同郷だよ。だから、なんだ。改めて初めましての自己紹介でもしておこうか。俺はヴァルネラ。緑礬の錬金術師と呼ばれている。よろしくな、ホーエンハイムの息子たち」

「やめろ」

 

 冷たい声だった。

 底冷えするような声だ。

 本当に嫌だ、という意思が伝わってくる。そう呼ばれるのが苦痛でたまらない、という意思が。

 

 おいおいホーエンハイム。

 これ原作以上に嫌われてねーか?

 

「っ! ……すまねぇ、アンタには関係ないことだった。けど、オレ達は……ソイツの名を聞くと、冷静じゃいられなくなる。頭に血が上る」

「……ヴァルネラさん。あの、父さんの居場所を知っていたりは」

「しないねぇ。俺が知りたいくらいだ。アイツ今どこで何してんだか」

「そう、ですか」

 

 さーて。

 トリシャ・エルリックを救えなかったゴミ親父、とかに思われてる程度ならいいんだけど。

 それ以上となると……はは、関係性修復までは生体錬成の範囲外だぜ?

 

「あんな奴のことはどうでもいい。それで、思ったよりブ男じゃなかったけど、アンタなんでホークアイ中尉にそんなに嫌われてんだ? 何したんだよ」

「それは私も聞きたい。彼女がああも拒否反応を起こすことは滅多にありませんので」

「殲滅戦。これ以上の言葉は必要か、ロイ・マスタング」

「……必要でしょう。それだけでは……いえ、まさか……」

 

 おう、頭のいい奴は適当に意味深ワード言っておけば自分で考えて自分で納得してくれるから助かる。

 問題は、頭良いけど判断材料が少ない奴だ。

 

「大佐はなんかわかったみたいだけど、オレ達は何にもわかんねーよ」

「まーまーエドワード。軍人はな、色々あるんだよ。思い出したくない過去とか、考えるだけで苦しくなっちまう現実とかがな」

 

 聞き出すまで退かない、といった風だったエドワード・エルリックの前に仲裁の手を入れてきたのは、マース・ヒューズ。

 彼のその目はしっかりと荒んでいて、けれど無理矢理に笑顔を作っていて。

 さらに背後、アームストロング少佐も難しい顔をしていて。

 

 殲滅戦にトラウマ持ってる奴多いなこの支部。

 

「今度話してやるから、な?」

「……ぜってーだからな」

「おう! そんで、ヴァルネラ医師。改めてお久しぶりです」

「久しぶりだなぁ。娘は三歳になったんだったか?」

「はい。すくすく育ってますよ。こっちが驚かされるほどにね」

 

 今の今まであった緊張感のある、というかギスギスした雰囲気が一蹴される。

 いやぁ、ホント。マース・ヒューズはムードメイカーだねぇ。

 

「医師はこの後どちらに行く予定で?」

「……色々話した後で非常に気まずいんだけどな。リゼンブールだ」

「はぁ!? てめっ、何しに来る気だよ! リゼンブールでなんかしようってんなら許さねえぞ!?」

「さっき言っただろ、別件だよ別件。東部に出たって情報入ったから遠路はるばる汽車ポッポってワケ」

「兄さん」

「……ああ、そうだな」

 

 ついていく、っていうのが不自然なら、自分から行っちゃえ作戦。

 どーせティム・マルコーはあの辺鄙な場所にいるんだろうし。

 

「大佐」

「なんだ、鋼の」

「オレ達もリゼンブールに行く。アルの鎧が引き延ばすにゃ無理なレベルで壊されててさ、その素材を取りに行くつもりだ」

「そうか。怪しいヴァルネラ医師を監視する目的ではないのだな?」

「こっちは元々決めてたこと。んでそれはさっき追加されたタスクだ」

 

 おー、堂々と。

 これぞエドワード・エルリック。隠し事は極力しない、陰湿っぽいことするなら目の前でやる。

 うんうん。

 

「いいか、アンタ。"生体錬成の権威"だか"戦場の神医"だか知らねえが、リゼンブールで何かコトを起こしてみろ、地獄の果てまで追っかけて、地獄の炎で焼きながらギタギタのメタメタにしてやるからな!」

「してもいいぞ。そんなんじゃ死なないから」

「……ヴァルネラ医師。今のは彼の意思表明というか比喩表現であって……」

「はは、わかってるよロイ・マスタング。俺そんな冗談通じない性格じゃないだろ?」

「冗談を冗談と受け止めた上で真に受けて場を混乱させる性格ではあるでしょうね……」

 

 おお、よくわかってんじゃん。

 大総統なれるよお前。

 

「ところで、アルフォンス・エルリック、エドワード・エルリック。俺からも一つ聞いていいか? 等価交換って奴だ」

「あ? なんだよ」

「なんですか?」

 

 話がまとまってきたので、一番聞きたかったことを聞く。

 

「お前らさ、俺が降り立った時、なんか落ち込んでたじゃん。なんかあったん? 悩みなら聞くぜ、人生経験豊富だからよ」

「……それは」

「……」

 

 ずぅーん。

 こーれ地雷です。踏み抜きましたねこれ。

 え、マジで何があった。ニーナとアレキサンダーとぜんまいねずみのキメラでも見たか?

 

 口を開けないでいるエルリック兄弟を見かねてだろう、マース・ヒューズが理由を教えてくれた。

 

「リオールで暴動があったんですよ。あったっつか、現在も。東方司令部も結構な人数入れて鎮圧してるんですけど、中々収まってなくて。もうそろ中央軍まで出て来そうな勢いで」

「……暴動? リオールで? ……なんで?」

「それがコイツらの落ち込んでる理由って奴でして。リオールで流行ってたレト教っつー新興宗教の教祖がペテン師だったってことが公表されて、その怒りから住民とレト教の教徒が衝突、そっから流血沙汰に……ってんで」

 

 早い。

 リオールの暴動はもう少し後だったはずだ。……ホムンクルス達が計画を早めた?

 いや、まぁ、確かに血の紋はいつ刻んでもいいものだから、早いに越したことは無い。

 

「それがなんでこいつらの落ち込む理由に?」

「教祖がペテンだって暴いたのがこいつらなんですよ。それで……」

「救った、つか、善意でやったつもりだった。……けど」

「結果的に僕たちの行動で多くの人が怪我をして、死んで……」

「あーね」

 

 確かに原因が自分たちにあるって考えるわなそりゃ。

 

「それで……僕たち、リオールで仲良くなった女の子がいたんです。でもその子はレト教の子で」

「まだ情報が錯綜してるから決定した話じゃないんですがね。──()()()()()()()()()()()()()、らしいんですわ」

「オレ達の行動が、あいつを……ロゼを立ち直らせるでも、前を向かせるでもなく……殺す結果になっちまった」

「言っておくがまだ完全な情報じゃねぇぞ、エドワード。今は混戦してんだ、偽りの情報が入ってくることもある」

「ああ、わかってる……。わかってますよ、ヒューズ中佐」

 

 ロゼが死んだ、か。

 ニーナとアレキサンダーの代価がソレ、ってか? 流石に無理矢理だな。

 

「それと、これは二人には内緒にしてほしいんですが」

「ん?」

 

 マース・ヒューズが俺に近づき、小声でそれを伝える。

 

「ユースウェルで大規模な崩落事故がありまして。炭鉱夫らが生き埋め状態で……予断を許さない状況です」

「……俺が行った方が良いか?」

「もし行ってくれるのならありがたいですけど、用があるんじゃ」

「別に、ユースウェルだって東部だからな。そっちにいるやもしれん」

「別件というのは人探しなんですか? ならウチも協力……とは行かないですよね。大総統直々の令でしたっけ」

「まぁ、そんなところ」

 

 おいおいおいおい。

 色々起きてんな。これエドワード・エルリックについて行って観光する、なんて言ってる場合じゃなくなってんぞ。

 

 別に。

 別に誰が死んだところで俺はどうとも思わない──が、ユースウェルは、なんだ? あんなところに血の紋刻んでも国土錬成陣の邪魔になるだけだ。つか血の紋は憎悪のエネルギーが刻み付けられることで起こるもの。炭鉱の崩落事故じゃ血の紋にゃならない。

 つーことはただの事故?

 それにしちゃあ、だけど。

 

「さっきからコソコソと、何話してんだよ」

「オトナの話、って奴だよ」

「子ども扱いすんなっての」

 

 ティム・マルコーの件も気になりはしている。

 あの人が行方をくらましたのは賢者の石の人体実験の凄惨さが良心の呵責を掻き立てたからだ。けれど当イシュヴァール殲滅戦ではそう何度も作れるほどの時間は取れなかったはず。

 まぁ一回でもやればトラウマになるのもわからんでもないけど、本当にそれだけか?

 

 どうする。

 どうする?

 自分らしくなく人道を貫いてユースウェルに行くか。ブラッドレイの指示に従いティム・マルコーを探しに行くか。ぜーんぶ無視してリゼンブールに行くか。

 リゼンブールに行くならティム・マルコーも探せるから、一石二鳥ではある、か。

 メリットデメリットで考えたらリゼンブールへ行くのがベストだな。

 

 よし。

 

「事情が変わった。エドワード・エルリック。すまんが俺はリゼンブールには行かない」

「……はぁ? え、いや別にオレ達は構わねぇけど」

「アームストロング少佐。手間でなければ、アルフォンス・エルリックの身体を運ぶ手伝いをしてやってくれないか? その鎧、流石に子供一人じゃ運べないだろう」

「委細承知。吾輩に任されよ──と、言いたいところなのですがな」

「ん、なんだ。どうした、お前らしくもない、しおらしい様子で」

 

 アームストロング少佐は、その毛をふにゃりと曲げて。

 

「"国家錬金術師殺し"……それも、殲滅戦に出た国家錬金術師を狙って殺す例の集団。あれは……恐らく吾輩を狙ってくることでしょう。それにエドワード・エルリック達を巻き込むわけには行きません」

「あー」

 

 そっか。

 そこが原作と違うの忘れてた。

 

「大丈夫! 少佐が狙われたらオレが守ってやるから!」

「……それに、彼はまだ子供です。あまり危険に晒すわけには行きませぬ」

「そこはどうでもいいだろ。国家錬金術師の資格取った時点で生き死にと切ったはったは覚悟済みだろうし。それより、エドワード・エルリック。気になってんだろ? "国家錬金術師殺し"たちが使っていた錬金術」

「……ああ。分解の錬金術。だけど、あの入れ墨は……ちょいと引っかかってる」

 

 あ。

 良いこと思いついた。

 

「"国家錬金術師殺し"じゃ長いからさ、これから奴らのことこう呼ぼうぜ。"刺青の男(スカー)"ってさ」

「ふむ。ヴァルネラ医師のセンスはともかく、わかりやすくていいですね」

 

 よーし。

 これで呼びやすくなった。

 

「……承知しました。ではエドワード・エルリック。吾輩はアルフォンス・エルリックをリゼンブールにまで運び、そちらは吾輩と共に刺青の男(スカー)を撃退する。その契約で良いですな?」

「ああ、頼むぜ、アームストロング少佐」

「すみません、よろしくお願いします」

 

 よーし。よーし。よーし。

 これで完全に話はまとまっただろう。フードを被り直す。

 

「んじゃ、お先に失礼するよ。多分一刻も早く行った方が良い状況だろうしな」

「すんません、こっちの事情に」

「東方司令部全体へのツケってことで。あとでなんか等価交換してくれりゃそれでチャラだ」

 

 立ち上がり──窓を開け、そこから飛び降りる。

 背後でざわつく音が聞こえる。ま、ここ東方司令部の最上階だからな。

 

 そんで、当然着地の瞬間足がぐちゃってなるんだけど、一瞬で再生して走り出す。流石にこの遠さなら再生の音は聞こえないだろうし、「いやナニモンなんだよアイツ……」で大体片付くだろうから。

 

 さぁて向かうはユースウェル。

 鬼も蛇も出ないと楽なんだけどねぇ。

 

 

** + **

 

 

 イーストシティからリゼンブールへ向かう汽車の中。

 そこに二人はいた。

 巨体、アレックス・ルイ・アームストロングと、巨体がいるせいで際立つドチビ、エドワード・エルリックである。

 

「少佐。改めて聞くんだけど、あのヴァルネラってのはなんなんだ?」

「何、と言われましても。あの時マスタング大佐が話した通りの人物ですな。生体錬成の権威、戦場の神医、緑礬の錬金術師。様々な二つ名を持つ最早伝説に等しき錬金術師」

「アレが?」

「彼の生体錬成を一度でも見れば、お主も敬う気持ちが起こるであろう」

「敬う気持ち、ねぇ」

 

 エドワード・エルリックにとって、突如現れたあの子供の印象は「怪しい」オンリーだった。

 怪しい。怪しくて怪しい。どうみても嘘を吐いているし、どう聞いても本当のことを喋っていない。さらには嫌いを通り越して憎ささえある父親と同郷で、自分と同じ国家錬金術師。

 既に焼き払った家ゆえ確認はできないが、よくよく思い返してみれば著者がヴァルネラとされた学術書が何冊かあった気もする。

 怪しい。

 100年以上生きていてあの若さ。生体錬成の権威だからといっても程というものがある。あと貫禄が無い。100歳の貫禄も覇気もない軽薄な奴。

 

 それがヴァルネラへの印象。

 

「そんなに凄いの、アイツの生体錬成」

「凄い、などというレベルではない。眼球や内臓が破裂していようが四肢が千切れていようが胴に穴が開いていようが瞬く間に治してしまうその技術はまさに神業! 80年にわたる国家錬金術師歴の中で政府に提出した数々の生体錬成に関する発見、研究結果は近代医学を飛躍的に発展させ、多くのアメストリス人を死地から掬い上げた存在!」

「……とてもそんな奴には見えなかったけどなぁ。なんつーか、全部打算で動いてて、必要とあらば友人でも簡単に切り捨てる……そういう冷酷さのある目だった」

 

 客もまばらな汽車の中。

 頬杖をついて外を見るエドワードには、アームストロングの語る美談が美化され尾鰭に尾鰭がついたものにしか聞こえない。

 

「そんで、そんなアイツが逃がした敵が、今やテロリストになって国中の国家錬金術師を殺しまわってると。ハ、甘っちょろいやり方だね。オレだったら──って、少佐?」

「……少なくとも、だ。エドワード・エルリック」

 

 アームストロングは突然神妙な顔を作り、言う。

 

「少なくとも、あの戦いに参加した兵士の中で……彼にそのような侮蔑を向ける者は一人とていないだろう。いや、ある一人はそうかもしれないが、それ以外は……彼を揶揄できるほど、自身を正当化できてはおらぬ」

「……イシュヴァール殲滅戦、って奴か。少佐も参加してたんだ」

「ああ……酷い、戦いだった」

 

 多くは語らない。

 エドワードもそれ以上を詮索しない。

 

 ただ。

 

「……少しは、知ってるつもりだ。幼馴染の両親が内乱で医者やってて……無事に帰っては来たけど、酷く憔悴してた」

「そうか。……あの場で人を救い続けていた者も、やはりいたのであるな」

 

 イシュヴァールの内乱、そして殲滅戦。

 それが東部在住の者に残した爪痕は大きい。

 

 黙り込むエドワード。対し、本でも読んでいなければあまり暗い雰囲気には耐えられないのがアレックス・ルイ・アームストロングだ。

 明るい話題を探し、そうして一つ思いつく。

 

「その、幼馴染というのは──エドワード・エルリックの恋人か?」

「はぁ!? ばっ、ちげっ、つかいきなり何聞いてんだおっさん!」

「ほう。ほほう。その反応……ほうほう」

「うわウゼェ……! 大佐もウザいけど少佐も結構ウゼェ……」

「安心しろエドワード・エルリック! 吾輩の口は硬い──誰にも喋らん」

「嘘こけぜってー少佐の口軽いだろ! だぁ、大佐に弄られる未来が見える!」

 

 アームストロングは頷く。

 暗い雰囲気は拭い去られ、和気藹々とした空気になった。

 これでこそ長い汽車旅も続けられるというもの。彼はほくほく顔で所持品の本を取り出し、ギャーギャー騒ぎ立てている豆粒ドチビの横で読書を始めるのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 搔い潜る思案と、五つめ

 ユースウェル。

 アメストリス最東端に位置するこの街は、炭鉱夫の街でもある。アメストリスの東側全域に広がる大砂漠からアメストリスを守る山岳地帯は、盾でありながら鉱脈の山という一粒で二度おいしい仕様。

 以前は悪質な経営者ことヨキが苦難を敷いていたようだけど、そこにエルリック兄弟が来て笑い話にも等しいやり方で経営書をもぎ取り、炭鉱夫に売りつけて、めでたしめでたし。

 

 の、はずだった。

 

「っと……おわ」

 

 到着してすぐにわかる惨事。

 崩落事故のあったらしい炭鉱からは煙が出ていて、その周辺には辛くも引っ張り出されたらしい炭鉱夫たちが大量の血を流して苦痛に喘いでいた。

 ……が、憎悪はやはりない。血の紋にはなり得ない。

 

「──え、そのお姿は……緑礬の錬金術師殿!? ど、どうしてここに……」

「憲兵か。丁度良かった。東方司令部から要請を受けてきた。状態の酷い者から俺のところに持ってこい。ああ、待て、少し離れろ」

 

 久しぶりに取り出すはメモ帳。

 その中の一枚を取り出して、破く。破いて放り投げて、それを足で踏んづける。

 

 瞬間発生する錬金術。

 煙の晴れたそこには──なんとも簡素な小屋が建っていた。

 

 ……良かった。倒壊の危険性のあるような不格好豆腐ハウスにならなくて。いや、苦手だ苦手だって言ってらんない場合があるからな。暇なときにちゃんと発動するレベルの造形系錬成陣をメモっておいてるんだよ。

 それでもたまにダメなことあるから滅多に使わないけど。

 

「おお……」

「看護経験のある者にさっきの事を伝えてくれ。そんで、担架がありゃ一番だけど、この際土車でもいい。一度水で洗って綺麗にしたものに患者を入れて運んで来い。人間が抱えるのはリスクが高すぎる」

「りょ、了解であります!」

 

 数が多いな。

 生体錬成は複数人をまとめて一気に、というのができない。人体組成が人間単一で同じだとしても、どこにどの細胞があるか、骨があるか筋肉があるかなんかは一人一人で完全に違う。それを一気にやろうものならもっと大惨事になる。

 

 しゃーないな。

 

「命の危険がある者だけ俺が診る。その他は医者に任せる! 安心しろ、生き埋めになってる奴ら助けてきた後で完全に治療してやるから、それまでの辛抱だ!」

「ヴァルネラ医師! 運んできました!」

「行動が早いな出世するぞお前!」

 

 簡易の小屋。手術台とかは要らないので、砂や土を取り除いた綺麗な床に布を敷いて患者を寝かせる。

 

 落石で肺が潰れている。心臓にも肋骨が掠めている。だけどこれなら一瞬だ。

 

「次!」

「か、彼はもう助からないのですか!?」

「もう治したから次っつってんだよ!」

「な──……」

「行動遅いなやっぱお前出世しねーわ。おーい外の! 次の奴運んで来い。んでコイツもってけ」

 

 次の患者──は、オイオイこっちの方がやべーじゃねーか。

 両足が完全につぶれている。その上、背骨やってんな。こりゃ流石に治すときちょいと痛むぞ。あー、麻酔なぁ。イズミ・カーティスに使ったような劇薬は常備してないんだよな。

 

「痛むぞ。頑張れるか?」

「へ……へへ、命が、助かんなら……もうなんでもいいですよ」

「そうか」

 

 生体錬成。

 患者の足を一度完全に分解し、再構成する。その痛み、想像だにしていなかったのだろう。

 炭鉱夫は「ぎっ!?」とだけ声を上げると、ぶくぶくと泡を吹いて気絶した。まぁそっちのがいいか。これからそうしよう。意識奪っちゃえばいいんだ。

 似た手法で背骨も治す。で、口の泡も除去する。こういうの気絶した時残しとくと窒息するからな。

 

「次」

「お願いします!」

 

 おお、早い。

 三人目でもう慣れたか。いいね、やっぱり炭鉱在住は効率がいい。

 

 患者……砂を大量に飲んでいて、背中には爆発痕と大火傷、頭部挫傷……あ? 爆発痕?

 

 処置をしながら考える。すでに意識は無かったから気絶はさせない。

 なんだ爆発痕って。……炭鉱崩落は、故意によるものってことか?

 

 だとすると生き埋めになってる奴らがあぶねぇな。が、炭鉱を崩して何になる。大量殺戮をしたいだけってわけじゃないだろう。

 いや、アメストリスで起こるすべての事件にホムンクルスが関わっている、とは流石の俺も思っちゃいないけど、ここまでの規模となるとやはり誰かの何かしらの意図が絡んでいると思えて仕方がない。

 

「次」

 

 ヨキ……は、ないか。あの小心者が復讐とはいえこんな大惨事引き起こせるかよ。

 そもそも爆薬をどこで手に入れたって話ではある……が、ラッシュバレーとかで結構簡単に手に入るんだよな。危なすぎる。

 

「次」

 

 この炭鉱に恨みを持つ者。

 いないだろ。ヨキ以外。気のいい奴らばっかだぞ。

 

「次」

「次」

 

 なんにせよ、さっきの爆発痕のあった奴と、今も生き埋めになってる奴らから事情を聴けば一発解決かな。

 そのためにもうやむやにされん内に助け出さなきゃならん。

 

「次」

「次」

「次だ。おい、次」

 

 ──来なくなった。

 なんだ? 外で何かあったのか?

 

 警戒ゼロで小屋の外に出る──と。

 

「止まってください! あなたはまだ動ける状態じゃ……」

「気持ちはありがたいが、息子が中にいるんだ! 少しでもいい、瓦礫を退かして……」

 

 とか。

 

「夢、か?」

「いいえ。奇跡ですよ。……あなたは治ったんです」

「ならば……儂の班の者達は」

「……それは、まだ」

「な、らば……助けに、行かんと……」

「だめですよ! 肺に穴が開いていたんですよ? それを……」

「奇跡とは皆で分かち合うもの。儂一人が受け取ったところで何も嬉しくはない……心配は、感謝する」

 

 とか。

 

 俺が治す際に意識奪ったやつはともかく、そうでないのは怪我した体を引きずって、あるいは快癒せども意識朦朧な状態ででもと身体を揺らして、崩落した炭鉱へ向かおうとしている。

 ……せっかく治したんだから無駄死にはやめてほしいんだがな。それにまだ対価を貰っていない。未払いで冥府に逃亡とか、許さんぞ。

 

「ん……? こど、も……」

 

 疑問を持つ前に、だ。

 顔を掴んで生体錬成を発動し、意識を奪っていく。

 ニューオープティンの森でやったのと同じだ。記憶は奪わないが。

 

 ふらついた大人数十人程度なんてことはない。

 一気に制圧して──向けられる恐怖の目に気付く。

 

「意識を奪っただけだから、適当に寝かせておいて。俺はアレどうにかしに行くから」

「は……はい」

 

 問題があるとすれば──どうにかできるかどうか、の方だ。

 

 

 

 

 俺の錬金術である緑礬は、知っての通り触れた個所から侵食するような形で対象を緑礬に変え、風化させる。

 それを今炭鉱の入り口で積み重なっている落石に使ってみろ。

 下の石が崩れたらバランスが変わって上の石が……って具合に、さらに大きな崩落を招きかねん。

 侵食速度を上げたらいい、というそこの君。

 できてたら苦労はしない。

 そう、俺の緑礬の弱点は侵食速度が一定以上にならない、ということだ。

 媒介が俺の血液や血肉だから、俺がそれを俺であると認識し続ける限り緑礬は発動し続けるんだけど、たとえばイシュヴァールでやったように谷を作るのなら地中深くまで落ちていく血液を意識し続ける必要があるし、速度は普通に重力任せなので上げられない。

 

 まぁ十分強いんだけど、こういう場面では活きないのである。

 

 ──いや、まてよ?

 

「憲兵、爆薬の類はあるか?」

「ば、爆薬ですか? まさか落石を吹き飛ばすつもりじゃ……ダメです、中に人間がいる状態でそんなものを使えば、」

「人間と一緒にするなよ憲兵。こちとら国家錬金術師、人間兵器だぞ。爆薬を普通に爆薬として使うワケないだろ」

「……で、ですよね。……そ、そう。そうですよね。それならこちらに発破用のものが。先ほど一人の炭鉱夫に調べておいてくれと言われたものです。特に異常はなかったのですが……」

「ん、ありがとう。そんじゃ離れててくれる? 巻き込むと危ないから」

「りょ、了解であります!」

 

 キョドりすぎだろ。

 ……顔、覚えた。気になるよな。なんで崩落現場の近くうろついてたんだろうな。

 

 では、これもさておこう。

 

 俺が何をやるか、なんてわかり切ったことを説明する必要はない。

 

 爆薬を体に括り付けてー。

 BOMB!

 

 

 

 バランスを崩す間もなく風化して崩れた落石達。

 その中に、彼らがいた。

 

 顔面蒼白、唇は紫。

 チアノーゼか。酸欠だったんだな。

 

「助けに来た。外の奴らも全員生きている。あとはお前らが生きて帰るだけだ。──歩ける奴はいるか?」

「たす、け……?」

「そうだ。よし、じゃあお前から──」

 

 蒼白顔の炭鉱夫の口が動く。

 

 い、え、お。

 逃げろ。

 

 ──瞬間、俺の足元が大量の光を放ち──爆発した。

 

 

++ * ++

 

 

 炭鉱の中は、凄惨な有様だった。

 千切れ、折れ、潰れた肉塊が壁に張り付いている。それらは悉くが焼けていて、つまりもう無理だとわかる。

 

「おや、前の時のようにすべてを結晶化する、ということはしないんですね」

「したら崩落でかくなるだろ馬鹿か」

 

 俺の──じゃない。

 俺はもう再生している。だからこれは、生き残っていた炭鉱夫のものだ。

 

 もう無理だ。死んでいる。

 これじゃあ俺は治せない。

 

「上官殺しで捕まったって聞いてたけど?」

「ええ。ですが、今世間を騒がせているテロリスト"国家錬金術師殺し"がイシュヴァール人の集団であるとわかりましたので、お上が特別措置として釈放してくれたのですよ。条件は一つ。テロリストの全てを殺し切ること」

「で、それがユースウェルの炭鉱爆破とどう繋がるんだ?」

「いえ何、ここでイシュヴァール人の子供が匿われている、という話を小耳にはさんだもので。それを住民に問いますと、知らないの一点張り。不審に思ってこの炭鉱周辺を監視していれば、やはりいましたね、イシュヴァール人が。褐色肌に赤目の子供」

「テロリストは大の大人だっただろう。子供を狙う理由はあんのかよ」

「子供でも大人でもイシュヴァール人ですよ。()()()殲滅戦があったのです。同胞を殺した恨みとして、アメストリス人全体に恨みを抱えていてもおかしくはない。小さな子供でも、ね」

 

 それは正しい。

 実際そうであるイシュヴァール人はいるのだろう。殲滅戦当時は子供で、命からがら逃げ延びたけど、復讐心だけが育って青年になった──そういうイシュヴァール人が。

 

「テロリストを殺すことが条件であるのなら、テロリストの芽も潰しておくのがサービスというものではありませんか?」

「ま、否定はしないよ。人間の恨みつらみってのは莫大なエネルギーだ。憎悪と憎悪の連鎖はその地に残留するくらいには強い」

「おや、意外ですね。貴方は幽霊の類は信じない方だと思っていましたが」

「実際見たことあるからなぁ。信じるも信じないもないっつーか」

 

 背後から足音。複数人だ。

 爆発音を聞きつけて駆けつけてきたのだろう。

 

 メモ帳を取り出そうとした──その瞬間。

 俺の横を爆破の筋が走って、再度入り口が崩落した。崩落させられた。

 

「確か貴方は造形する錬金術を苦手としていたはず。これで如何でしょう?」

「なに? やけに気が利くじゃん。投獄されて真人間に目覚めた?」

「真なるヒトにそう言われると、中々嬉しいものがありますね」

 

 真っ暗になった炭鉱内。

 その中で──妖しく光る、赤い石。わお、もう貰ってんのか。あの大きさ、殲滅戦で使ってたやつじゃないな。

 

 身を屈め、一気に間合いに入る。

 そしてその腹に手を当て──俺の腕が、破裂する。

 

「ッ!」

「おお、怖い怖い。そう──貴方、ただの医者に見えて、実はとても速く動けるのだとか。闇討ちや奇襲もお手の物。生体錬成は治すだけでなく壊すことにも使用でき、特に危険なものは記憶操作──合ってますか、この情報」

「合ってるよ。ブラッドレイに貰ったのか?」

「まさか。むしろ彼には睨まれましたよ。"アレは私の獲物だ。アレに止めを刺すのは私だ。横取りをするなよ、人間"とね」

「ワオ熱烈に愛されてんな俺」

 

 ブラッドレイにそんな力熱があったなんて。

 えー、距離置こ。

 

「まぁ情報源が誰かなんてどうでもいいや。そんで、それを知ったお前さんはどうすんの? それで俺を殺せるワケ?」

「フフ、おかしなことを言いますね。私の仕事はテロリストであるイシュヴァール人を殺すこと。貴方をどうこうすることは仕事に含まれていません」

「だったらさっきの爆発と腕の破裂はなんだったんだよ」

「降りかかる火の粉は払う、というだけですよ」

「百歩譲って腕の破裂はそれでいいとして、最初のはなんだよ」

「私が潜伏していた穴が貴方に踏まれそうになったので爆破しました。正当防衛でしょう」

「人間地雷かお前」

「お互い様では?」

 

 破裂した腕をぐじゅりと再生させる。

 

「隠さないのですね」

「誰も見てねぇし、見てんのは俺が不老不死だと知ってるお前だけ。ならなんでカモフラージュの生体錬成を使う必要があるんだよ」

「……不老不死。不老不死。……私達錬金術師が一度は夢見る真なるヒト。雌雄同体の龍。尾を食らう蛇。太陽の記号──呼び名は様々ありますが、世界が始まって以来誰も成し遂げたことのない神秘」

「なんだ、興味あるか? なってみたいかよ、紅蓮の錬金術師」

「死んでもお断りしますよ。そんな美しくないものに自身がなるということは、毎日毎日、自らが美しくないことを自覚しながら生き続けなければならないということ。それが終わらないなど、私にとってはそちらの方が地獄です」

 

 舌を噛み千切り、プッと飛ばす。

 それが地面に当たる前に地面ごと爆破された。

 

「破裂ばかりだな。爆裂は使わないのか?」

「貴方がこっそり岩と岩の間を錬金術で穴埋めしたというのに、ですか?」

「なんだよ気付いてたのか」

「ええ、遠隔で錬成ができる、というのも教えられましたから」

 

 ま、ブラッドレイじゃなくても知ってることだろう。

 報告もしてただろうし。

 

「それでも時間の問題じゃないか? この密室でいつまで呼吸が保つよ」

「そうですねぇ、保って四時間くらいじゃないでしょうか。普通なら」

 

 言いながら、それ……賢者の石を見せてくる。

 その周囲から出ている気体は……あー、そういう使い方もできるのね。贅沢な酸素ボンベだなオイ。

 

「で、耐久勝負するか? お前さん、イシュヴァール人殺しに行かないといけねえんだろ?」

「そうですね。仕事を疎かにするのは私の信条に反しますから、貴方との決着はまた次の機会に、ということでお願いできますか?」

「ああ、いいよ。ただ気をつけなよ。イシュヴァール人、お前が思ってる千倍強いから」

「でしたら貴方もお気を付けください。──着々と、計画は進行しているようなので」

「何の、」

 

 話、まで言えなかった。

 何故って──俺の身体が大爆発を起こしたから。……いつの間に。

 

 ガラガラと崩れていく炭鉱の奥で、手を振って別れを告げてくる彼に、こちらもバラバラになった手を振る。

 流石にそこまではできないと思っていたのだろう、ギョッとした顔にニヤりと笑みを投げて──ぐじゅり、と再生した。

 

「りょ──緑礬の錬金術師殿! 大丈夫です……ひっ!?」

「お前か。キンブリー中に引き入れたの」

「あ、い、いや、ちが、脅されて」

 

 さっきのキョドり憲兵。

 彼の顔を掴んで、意識を奪う。まったくさぁ、脅された程度で……いや怯むか。相手紅蓮の錬金術師だし。むしろ立ち向かえる奴のが稀有だわ。お前フツーだよフツー。

 

 さて、後片付けだ。

 飛び散った血肉を結晶に変えて風化させる。

 そんで、中で生き埋めになってた人達は……しゃーない、作るか。流石に爆散してました~、じゃ色々都合がつかないだろうし。

 大丈夫大丈夫。全員覚えてる。顔も体つきも声も。だから喉の作りもね。

 あ、これは人体錬成じゃなくて生体錬成ね。魂も精神もない肉人形。原作でもロイ・マスタングがやってたやつ。

 

 計三十人分。

 ……なんらかの手段で後ろのが掘り起こされた時が面倒だな。少し緑礬で崩しておくか。再起不能なレベルに。

 

 しかし。

 しっかしイシュヴァール人討伐、ねぇ。

 分解と再構成の使えるイシュヴァールの武僧相手に、彼らの最大の敵と言っても過言ではないアイツが行って……果たして無事でいられるかどうか。

 

 しーらね。

 

 

 

** + **

 

 

 

 それはエドワードとアームストロングがリゼンブールへ向かう汽車に乗っていた時のことだ。

 突然アームストロングが窓から身を乗り出して駅構内を歩いて行った男性に声をかけた。「あなたはマルコー医師ではないか」と。

 問われた男性は一目散に逃亡。エドワードとアームストロングはこれを追いかけ、彼がこの街で「マウロ」という名の町医者をやっていることを知る。

 そうして聞き込み調査を重ねた結果、彼らは「マウロ」の家に辿り着く。

 

 マウロ。本名をティム・マルコー。かつてイシュヴァールの内乱において錬金医師として投入され──しかしその全ての時間を全く違う研究に使わされていた男性。

 その研究が。

 

「賢者の石……」

 

 そう、錬金術の効果を底上げどころか何段階も上げる石、賢者の石。

 ティム・マルコーが研究していた石がその名を持っていた。軍上層部に命じられ、悍ましい実験と共に賢者の石を作る実験を戦地でしていたのが、このティム・マルコーだ。

 

 しかし、軍上層部には誤算があった。

 もっと出るはずだった素材が早々に尽きてしまったのだ。とある錬金術師によって、素材としては使えない状態にまで復元されてしまったがために。

 ゆえに焦った上層部はマルコーに石の研究を急がせた。少ない材料でも作ることができないか、材料を何かで代替できないか。手を変え品を変え命令を出してくる上層部にマルコーは人形のように従った。そこに意思など介在しない。そこに意思があっては良心の呵責で狂ってしまう。だからマルコーは、言われるがままに研究をし続け──そして。

 

「そして……?」

「とうとう"材料"が底を突いた。すると、どうだ。軍上層部は、今度は……私達研究チームから、"材料"を奪おうとしてきたんだ」

「その"材料"ってのは……」

「すまないがそれは教えられない。あの研究は禁忌にしなければならない。私はその命令を拒否した。そしてその夜にはそこを去った。身の危険を感じたからね」

 

 ゆえに逃げて、逃げて、この街に身を隠したのだとマルコーは語った。

 話はそれで終わり。賢者の石の材料も製法もマルコーは話さない。

 

 ただ──。

 

「ヴァルネラ、ってのは……アンタよりすげぇのか、マルコーさん」

「っ! ……ヴァルネラ医師か。そうだな、彼は凄い。私などよりも……遥かに」

「なら、アイツなら賢者の石の製法を知ってるかもしれねえ、ってことでいいんだよな」

「……それはわからない。だが……軍上層部はヴァルネラ医師を酷く酷く嫌っていた。その名を聞くだけで顔をゆがめるほどに」

「それって……」

 

 その意味をマルコーは知っている。ただ、それだけではないようにも思っている。

 少なくともあの地で"材料"が底を突いたのは紛う方なきヴァルネラ医師のせいだ。あるいは、おかげ、かもしれないが。

 ただ、それ以上に、もっと根深い怨恨が彼と上層部にはあるように──マルコーは感じていた。

 

 だからそれは、一般的には"口を滑らせた"というのかもしれない。

 

「ある……ある将校が、こんなことを言っていたよ。"緑礬の錬金術師さえ手に入れられたのならば、賢者の石の研究などしなくていいのだがな"、と……」

「それは、彼が賢者の石の代替品になる、ということですか?」

「……そこまではわからない。ただ彼は軍においては真人とされているか……いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

 忘れられるはずがないだろう、という三人の心の中のツッコミ。

 そしてそれ以降、ティム・マルコーは口をつぐんでしまった。材料も製法も研究資料の在り処も口を割らない。彼が持つ不完全な賢者の石も渡さない。

 

 ゆえ、エドワードとアームストロング、そして彼に担がれたアルフォンス・エルリックは駅への帰還を余儀なくされた。

 ティム・マルコーは見送りに来ることもなく──エドワードたちは、当初の目的地であるリゼンブールへ向かう──。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 知る得る視野

 

 リゼンブールは田舎も田舎だ。田舎になったのは東部の内乱の影響もあるとはいえ、元よりイシュヴァールの地に近かったここは田舎になる運命にあったと言えるだろう。

 そこに帰郷して、エドワードは真っ先に幼馴染の家に向かう。

 リゼンブール唯一の町医者夫婦と、ラッシュバレーにも劣らない機械鎧技師のいる家──幼馴染、ウィンリィ・ロックベルの家へ。

 

 ロックベル家。

 イシュヴァールの内乱後、ロックベル夫妻はこのリゼンブールの地で改めて町医者を開業した。

 ピナコ・ロックベルの機械鎧に関する知識も合わさり、このリゼンブールにおける苦痛の全てを取り除き得る場所──なんて言われる程にはあらゆる傷病に対応できる家になっている。

 あるいは奇病や流行り病にまで対応しているのは、一種の悔恨でもあったのかもしれない。イシュヴァールの内乱に出て行ったことは後悔していない──とはいえ、その間に最も懇意にしていた家族の母親が病で亡くなってしまったこと。

 決して悪いことではなかったはずだ。イシュヴァールの地で医療行為をすることは。

 だけど。

 だけど──。

 

「ヴァルネラ医師、か。……その名は、僕たちにとっても……重い名であり、苦しい名かな」

 

 アルフォンスの鎧を直すための素材調達。そのためだけに来たはずのリゼンブールは、ピナコ・ロックベルの眼によって見抜かれた微量の成長……身長が本当に微かの微かに伸びたことで合わなくなった左足の機械鎧の調整のため、想定以上の時間を取られる次第となった。

 また、一応の右腕のメンテナンスもする、ということで右腕も強だ……取り外され、エドワードは錬金術が使えない状況に。

 

 だから、暇だった。

 暇だったので──ウィンリィの両親であり、リゼンブール唯一の町医者たるユーリとサラに、その名を聞きに行くことにしたのである。

 

「えーと、どこだったかな。……あった。これと、これと……これとこれ」

「なに、本?」

「ヴァルネラ医師の著書だよ。少し専門的な内容だけど、エドワード君なら理解できるんじゃないかな」

「え、ヴァルネラって錬金術師だろ? ユーリさんこそ、生体錬成の内容なんか理解できんの?」

「あはは、確かに彼は錬金医師だけど、彼の発見や彼の論文は生体錬成という"近道"を使わずとも同じ結果に辿り着けるものばかりなんだ。現代医学の観点じゃない、どこか別の視点から見たかのような気付き、そして手法と証拠。彼は生体錬成を使わずに行う方法も書いてくれているからね。普通の医者にとっても彼の著書は重大な参考書になるんだよ」

 

 渡された本をペラパラとめくっていくエドワード。

 生体錬成。それは内臓に関する著書だったけれど、なるほど確かに腕はあるようだ、という印象を受けた。錬成陣も惜しげもなく公開していて、錬金術師の基本たる「研究内容は隠すもの」という概念をぶち壊している。

 ただ彼の錬成陣は基本的な記号ばかりだ。特別なものがない。市販されている教本の記号をそのまま、あるいは少しだけアレンジして使って、ただその式が素晴らしく美しいものである、といった内容。

 エドワードは、まるで答えが先にわかっていて、その後で式を当てはめたようだ、と感じた。

 

「こっちは火傷などの細胞死滅について、これは……癌細胞の早期発見と切除? できんの?」

「早期発見なら僕らでもできる。切除に関しては早期も早期なら、だけど、末期であってもヴァルネラ医師はできるそうだよ」

「へぇ……」

「近代医学の父……どころか、未来の医学を見せられているような気分になる。彼の著書は大体がそういうものだ」

 

 そう、これでもかというほどヴァルネラを持ち上げるように語るユーリ・ロックベル。

 だというのに彼の顔は硬い。厳しい。苦虫を嚙み潰したように、あるいは何かを後悔するように渋い。

 

「で、ユーリさんはなんでそんな顔してんの? アイツになんかされたのか?」

「……直接何かをされた、ということはないよ。ただ」

「ただ?」

「彼の……生体錬成を用いた処置は、あまりにも完璧だ。僕らが付け入る隙もないくらいに。イシュヴァールの内乱当時、初めは凄い医者が来たものだとサラと喜んだことを覚えている。これで怪我人は、死者は一気に減るぞ、と」

「ああ、7年続いた内乱の割に死傷者はかなり少なかったって聞いたな」

「アメストリス軍の死傷者は、ね」

 

 ヴァルネラはアメストリス軍のテントにいた。

 故に顔を合わせることがなく、故に見せつけられる結果となる。

 彼の治癒に与った者は、誰も苦しい顔をしていなかったのだ。治療されることで苦痛が和らげど、やはり傷というものは残る。痛みは尾を引き、苦しみは日を追うごとに広がっていく。

 死傷者が増える一方であったあの戦場において、止血するしかない、鎮痛剤を打つしかない、それも切れて、包帯を巻くしかない──そんな状況に陥るたびに、聞こえてしまう。聞いてしまう。

 

「"苦しい、苦しい、ああ、こんな苦しいならいっそのこと──"なんてうわ言がね。勿論そういう人たちも意識がはっきりした後は命を拾ってくれてありがとう、なんて言ってはくれるんだけど……」

「治療された後に死んだ方がマシだった、とか。贅沢な文句にしか聞こえないけどなぁ」

「エドワード君は……強いからね。そういうことも言えるのかもしれない。でも、世界中全ての人間が君のように強いわけじゃない。いいや、そうである人間の方が少ない。僕たち医者は強い人間も弱い人間もどちらも治すことを信念にしているけれど、心までは治せない。心を治すには原因の根絶が必要で、それが怪我によるものだとすれば、その怪我を完治させることのみが心の治癒法になるのだから……って、あぁ、すまない。ちょっと熱くなってしまった」

「いや……こっちこそ、軽々しく知ったような口利いた。そうだよな。世界の全員がオレってわけじゃないんだ。オレ基準に全部を考えたら……絶対どっかでズレが生じる」

 

 誰もが立ち直り、誰もが前を向けるわけではない。

 エドワードのような幼さで、あれほどの地獄を経験して、それでも尚と前を向き続けられる人間は極僅かだ。

 そうではないから。 

 そうではなかったから、リオールの住民は怒りをぶつける先を見つけることができず、暴動なんてものを起こしてしまった。

 そうではなかったから、今もなおイシュヴァール殲滅戦の記憶を傷として刻み込んでいる人間が多くいる。

 

「んで、ヴァルネラの患者はそういうのが出ないと」

「ああ。流石に四肢の欠損なんかは治せない様子だったけどね。彼に治療された軍人に話を聞く機会があって、治療後の経過を話してもらったら、"痛みもなければ疼きもない。幻痛さえ無いのだから、これほど腕のいい医者はいない"と言っていた。施術も意識を失っている間の一瞬で終わっていて、流石に手足を失った空虚感こそ残れど、苦痛には至らない、と」

「……そりゃ、相当だな」

 

 エドワードにもわかる話だ。

 彼とて手足を失っている。否、持ってかれている。

 その後、それこそ目の前の夫妻に治療してもらったとはいえ、今でも手足の切断部が痛むことはあるし、何か人体錬成に関わる事象を目にした時は疼きが来る。機械鎧との接合部が痛むのは当然だと思っているし、その苦痛は自らが罪を犯した代償だと理解しているから世界を呪うことなどないが、もしそれが完全に無かったらと考えると──。

 

 エドワードは頭を振る。

 戦場で責務を全うし、手足を失った兵士。逃げ遅れて戦火に巻き込まれた非戦闘員。戦い抜いたイシュヴァール人。彼らの傷とエドワードの手足は違う。

 禁忌とされていると知っていて、知っているのに罪を犯して、その代償に持っていかれたもの。それを「なかったら」なんて考えること自体が烏滸がましい。

 

「ヴァルネラ医師に、会ったのかい?」

「あぁ、イーストシティでね。なんか……クソ程怪しい奴だったし、軍人みんながアイツをすげーすげー言っててムカついた。……ムカついたけど、こんだけ功績残してりゃそーなるか、って今納得した」

「あははは……そうなのか。僕らはヴァルネラ医師本人に会ったことは無いから……あ、いや、見たことは……あるかもしれないな」

「かも、ってどういうこと?」

「エドワード君はあまりいい気をしない話だと思うんだけどね。昔、彼がこの地に訪ねてきたことがあったんだよ。その時は……そう、黒いフードを被っていたと思う。それで彼は、君の家に入っていった」

「……ホーエンハイムか。それ、何年頃?」

「確か、ブラッドレイ大総統が就任した年だから……1894年だね」

「当然、母さんも生きてた頃、か」

 

 ちょうど20年前だ。

 エドワードが生まれる前のリゼンブール。憎ささえあるホーエンハイムと──心からもっと一緒にいたかった母親、トリシャ・エルリック。

 そんな時にあのヴァルネラが何の用でここを、ホーエンハイムを訪れたのか。

 

「ん-。調べようにも家燃やしちまったからなー」

「何を話したのかまではわからないけれど、その時からホーエンハイムさんは医術に興味を持ったようだったよ。僕の家にも医学書を貸してくれないか、とか言ってきたのを覚えてる。あと母さんに機械鎧の神経接続方法を聞いていたりしたかな?」

「医術。まぁヴァルネラが訪ねてきて、そういう話してそれに興味を持ったってんなら普通の反応か」

「うん。僕が覚えているのはこれくらいかな。母さんならもう少し詳しく知っているかもしれない。あとで聞いてみるといい」

「ん。ありがとな、ユーリさん。イシュヴァールのこととか、つらかっただろうに話してくれて。色々、というか狭かった視野が少し広がった気がする」

「大したことはしていないよ。それに僕らは、イシュヴァールの内乱のことをつらかった記憶には分類してないよ。死力を尽くした。確かに僕たちの治療は完ぺきじゃなかったかもしれないけれど、それでも──僕らの手で救えた命は、あったんだから」

 

 そう、ユーリ・ロックベルは締めくくる。

 エドワードは。

 

「ダメだな、オレ。どーにも……聞きかじったことを全部知った気になって、全部自分の中で結論付けて終わったことにする傾向がある」

「……」

「ん、ユーリさん? オレ今なんか馬鹿な事言った?」

「いや……エドワード君は本当に賢い子だね。そういう風に自分を客観的に見て自戒ができるのは、君の年頃じゃ一握りもいないと思うよ」

「あー、まぁ、実年齢がどうかは知らねえけど、聞いた話じゃオレより百万倍すげーことしてるらしいオレよりチビな奴がいるって知っちまったからなー。オレも頑張んないと」

 

 最年少国家錬金術師記録は彼が何故か10歳として登録されていたので、抜かれている。

 最年長国家錬金術師記録では彼は80年となっている。

 本当に、心の底からよくわからない奴だ、と思いながらも、エドワードは視覚情報的にヴァルネラを「オレよりチビな奴」として認識している。

 

 故の一念発起である。

 

「うし、そろそろ鍛冶場のおっさんたちのところにアルの材料取りに行く時間だ」

「一人で大丈夫かい? 右腕無くて左足スペアで……」

「……大丈夫大丈夫! なんとかするさ!」

 

 なんとかならなかったので、アームストロング少佐を呼ぶ結果になった。

 

 

** + **

 

 

 ユースウェルのアレコレを片付けて、そのままリゼンブールへ向かうためにまた汽車の旅。

 猛ダッシュして斜めの直線距離突っ走るって手もなくはないんだけど、俺の出せる最高速度と各駅停車の汽車の速度比較したらフツーにどー考えても汽車が勝る。エンヴィーの変身能力くれよ。馬になるって俺。

 

 ユースウェルからニューオープティン、ニューオープティンから乗り換えでイーストシティへ行って、そっからリゼンブールへ乗り換えて……ってやって、ようやくたどり着ける田舎町。

 懐かしいねー、なんて思いながらガタンゴトンを聞いていれば、一人の女性が向かいの席に座ってきた。

 真っ黒なドレス。深いスリット。煽情的な露出。長い髪。

 

「サシで会うのは初めてだな」

「そうねぇ、何度か顔を合わせはしたし、命も狙ったけれど……話すのは初めて。改めて……私はラスト。人造人間(ホムンクルス)よ」

「ヴァルネラ。不老不死だ」

 

 溜め息。

 俺じゃない。いや俺だって吐きたいけど。

 

「アナタ、もう少し愛想良くしたらどう? 素材は良いのに、勿体ない」

「肉体年齢10歳が愛想良くしたってもらえんのは飴玉くらいだろ」

「そういうところを言っているのだけど」

 

 コレが20代のイケメン甘々フェイスだったらそういう態度も考えたけどね。

 子供じゃ大人ぶってるが関の山だ。まぁ今の態度だって大人ぶってるように見えるんだろうけど。

 

「で、何用よ。折角の汽車旅を邪魔されたくないんだけど。それともまたどっかの橋にグラトニーが待機してたりする?」

「いいえ。今回は別件よ。アナタに伝えていたでしょう、"ティム・マルコーを探してほしい"という依頼。アレ、もう取り消しでいいわ」

「見つけたのか」

「ええ。辺境の地で町医者なんてものをしていたわ。ふふ、そんなことをしても彼が賢者の石を作っていた事実は消えないというのに、ね」

 

 あちゃー。

 間に合わなかったか。ラストが来る前に、と思ってたんだけど、そういえばそもそもラストはエドワード・エルリックを監視してたんだっけ? そいじゃあ無理だ。俺がユースウェルを選んだのが運の尽きか。

 原作通り肩ぶっ刺されてキリと町一個人質に取られたんかな。

 あの時ラストが街一つが地図から消えることになる、とか言ってたけど、そこまでデカい事件をこの段階で起こしちゃうの多分マズいからマジの虚勢だよな。ワンチャンあのへんな場所に血の紋刻まれるとかになりかねんし。そうなったら失態もいい所だぞ。

 

「そんだけ?」

「ええ、それだけ」

「……大変だねぇホムンクルスも。使いっぱしりはエンヴィーかプライドにやらせりゃいいじゃん。高速移動できるんだし」

「プライドは、そういうことやらないでしょうね。エンヴィーは別件に掛かり切りで手が離せないのよ」

「別件。キンブリー釈放したのとなんか関係あんの?」

「あら、耳が早いわね。……いえ、もしかしてユースウェルに行ってきたのかしら?」

「そうだけど、なんだあの炭鉱爆破はマジでキンブリーの独断かよ」

「当然でしょう。アナタも知っている通り、"目的"のためにはアメストリス人が必要なのだから、その日までに大量殺戮なんてしようものなら総量が減ってしまうじゃない。町一つ程度、されど町一つよ。私たちは別に、大勢の命を殺したくて計画を進めているわけじゃない」

「ほーん。言われてみりゃ確かにそうだな」

 

 アメストリスの人口は約5000万。

 勿論ユースウェル一つが消えたところでそんなに、かもしれないけれど、その調子でどんどん殺してったら最終的にフラスコの中の小人が"カミ"を抑える際の量が足りなくなる、なんてことが起こり得る。

 そうか。

 一つ知見を得たな。別にコイツらは大量殺戮を望んでいるわけじゃない。血の紋以外では、だが。

 

 ふーむ。

 

「等価交換だ、ラスト」

「……何が、かしら」

「そう身構えるなよ。俺が貰ったから、なんか返すって言ってんの。なんか欲しい情報とかある? 俺結構なんでも知ってるよ」

「……」

 

 言えば、ラストはポカンとした表情になる。

 知識の対価は知識だ。金は結構持ってるけど、それを等価とするにはちと微妙。不老不死に新たな知見を植え付ける、なんて偉業は同じく莫大なる知識で返されるべきだろう。

 

「無いなら保留でもいいけど」

「そう、ね。……今は思いつかないわ」

「そうかい。ちなみにこっちからお前にやれる情報が一個あるんだけど、それでいいならそれで終わりにするぞ」

「……なら、それを貰うわ。貴方が等価としたものなら、信頼できる……」

 

 まぁ、簡単な話だ。

 

「お前、そのまま人間舐め腐ってると死ぬぞ。近い内に」

「……それは、確定事項かしら」

「まさか。未来はどう足掻いても確定しない。運命というものは存在するが、それは巨大にして無造作な流れでしかない。大河の中で魚が方向転換しようが何かにぶち当たって死のうが大河には関係ないだろう? 同じだ。お前がこのまま泳いでいけば死ぬ。お前が馬鹿にした奴に殺される」

「殺される、ね。この最強の矛を持つ人造人間(ホムンクルス)が?」

「おいおい、じゃあその最強の矛で俺を殺せるかよホムンクルス。お前の慕うフラスコの中の小人にお前の最強は通じるかよ」

 

 ガタンゴトンと、汽車が線路を乗り越え続ける音が響く。 

 それほどの沈黙だ。

 考えているのだろう。可能性を。自身を殺し得る者。自身が馬鹿にしている者。

 

 不老不死に新たな知見を植え付けた。それはこの身の行く末を変じさせる大偉業。

 なればそれを与えた者に、その死の未来を回避させんとする情報を与えることに何の不思議があろうか。

 

「どうすればそれを回避できるか、は教えてくれないのね」

「は? 今言っただろ。お前がそのまま人間舐め腐ってると死ぬ、だ」

「それを止めればいい、と」

「それを止めて尚死の未来を選んだんなら知らねーけどな」

「なるほど」

 

 無数にある道、無数にある航路。

 魚さんは大変だ。どのラインを泳いでいけば死なないのかを見極めないといけない。情報が増えりゃ川の水は澄んでいくけれど、視野を狭めりゃ濁流になっていく。

 

 俺は何にぶつかっても関係ないからいーけど。

 

「参考にするわ。それじゃ」

「おん。……つかお前、リゼンブール行きの汽車からイーストシティに帰る途中だったんじゃねーの? 乗ってる汽車逆じゃね?」

「さっき汽車がすれ違った時にあなたが見えたから飛び乗ったのよ。この献身を評価してほしいものねぇ」

「そいつはご苦労さん。使いっぱしりは大変だねえ」

「……貴方がセントラル市内にいてくれたら、ラースが使いになってくれるから楽なのだけど」

「ああやっぱブラッドレイってパシリなんだ」

 

 改めて、それじゃ、といって去っていくラスト。

 ちなみにどこ行く気なんだろう、と思ったら、適当に開いてた窓から身を出して、そのまま消えて行った。

 

 ……次の汽車来たらまた飛び乗るのかな?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 掛け違う真相

 リゼンブールへようやく到着した。

 まぁティム・マルコーに会っても言えること無いしな。肩の傷治してやるくらいだけど、流石に自分で治せるだろうし。

 いやぁ。

 いやぁ、いいね。久しぶりの田舎だ。

 

「ん-じゃま、エルリック家……はもう無いから、ロックベル家に──」

 

 

 

「え、帰った?」

「あはは……入れ違いですね。エドワード君たちなら、今朝の始発に乗ってイーストシティに帰りましたよ」

「マジか」

 

 始発か。それなら俺がわからないのも納得。すれ違った汽車ならアルフォンス・エルリック独特の氣でわかるけど、始発汽車はすれ違いさえしてないからわからんわからん。

 えー。

 えー。

 ティム・マルコーから研究資料の在り処聞いたりしたのかなぁ。ラスト、図書館燃やすんだろうか。

 おいおい後手後手もいい所だぞ。

 

「あの……あなたはヴァルネラ医師、ですよね。緑礬の錬金術師の……」

「ん、あぁそうだぞ。そういうアンタはユーリ・ロックベルだな。さっきいたのはサラ・ロックベル」

「な……何故自分たちの名を」

「殲滅戦出ててお前らの名前知らん奴いねーだろ。前線も前線なんなあぶねーとこで良く治療なんかし続けたよ。素直に称賛するわ」

「そんな……いえ、ありがとうございます。そうだ、少し上がっていってくれませんか? お話したいことがいくつかあって」

 

 こ、これはっ!

 田舎に行くと割合ある「少し上がっていって(夕方くらいまで)」のパターン!?

 生憎とそんな時間は……あるけど。ロックベル夫妻が俺に何を話したいのか気に……なるな。あと結局鉢合わせなかったピナコ・ロックベルとかウィンリィ・ロックベルにも会いたいな。

 

 お?

 断る理由なくね? 確かエルリック兄弟がティム・マルコーの研究日誌解読するのって10日くらいかかってたよな。シェスカが見つからないって可能性もあるし、ラストがもっと手際よくやってる可能性もある。

 

 ……10日の猶予デカいな。

 

「まぁ、いいよ。特に予定もないし。ただ錬金術の話は勘弁な。あんまりペラペラ口外するもんじゃねーんだわ」

「あはは……問題ないですよ。ロックベル家に錬金術を理解できる人いませんから」

「ん? そうなん? でも機械鎧技師いるだろ?」

「あ、はい。いますが……」

「機械鎧も錬金術ちょっと使ってんだぜアレ。ん-、ちょうどいい機会だ。現代の機械鎧って外側、つまり手足とかが主流じゃん? けど、俺今度内側……心臓含む内臓の機械鎧、ペースメーカーとか他の内臓の代替となれるもんを作れないか試してみようと思ってんだよね。それも稼働したまま外部からメンテナンス可能な奴。その辺の話しようぜ、医学の話交えながら」

「ぜ……ぜひ! 母も喜びますよ! あ、ウチでは母と娘が機械鎧技師で」

「俺も機械鎧そのものはからっきしだからなー、ここで見聞を広めたい」

 

 という風に。

 いや、いや。

 盛り上がっちゃってさ。

 

 それなりの時間をリゼンブールで過ごしたよね。

 

 

** + **

 

 

 セントラルは国立中央図書館。

 そこにエルリック兄弟はいた。

 

「えーと、ヴァルネラヴァルネラ……あ? うげ、この棚全部ヴァルネラかよ!」

「兄さん兄さん。ここ図書館だよ。大声はダメだよ」

「わーってるわーってる。……はぁ!? 次の棚も……その次まで!」

「兄さん……あ、ごめんなさい。強く言って聞かせますので、本当にごめんなさい」

 

 リゼンブールの鍛冶師たちから譲り受けた鎧の素材。それにより、引き延ばすこともせず完全な姿へと戻ったアルフォンスは、ギャーギャー言いながら図書館の棚を見て回る兄に溜め息を吐く。吐けない体だけど、わざわざ「はぁ」と言った。

 周囲の目が痛いのだ。

 ここは国立中央図書館。

 当然、利用客も多い。軍人や憲兵、一般人や民間の錬金術師まで様々な人間が本を読んでいる。静かに。

 

 突如現れた豆粒ドチビ……なんてアルフォンスは思っていないけれど、静かな図書館に突如現れた騒ぎ立てる子供はさぞかし迷惑だろうなぁと肩身の狭くなる思いだった。

 

 そんな凹凸激しい彼らに声をかけてくる者。

 

「お? なんだお前さんら、勉強か?」

「あれ、ヒューズ中佐?」

「よぅ。イーストシティで別れて以来だな」

 

 マース・ヒューズ中佐。軍法会議所勤務のメガネをかけた美人嫁持ち子持ちのおじさんである。

 

 

 

「上からの命令で突然の釈放……そういうこともあるんだなー」

「過去にもないことは無かったんだがな、ちょいと気になるレベルの速度で出されたもんだから、こっちもてんやわんやでよ。俺はここの分館に殲滅戦の時の記録を取り出しに来たってワケ」

「殲滅戦。……中佐も参加してたんだっけ」

「あぁ、俺はほとんど後方支援だったけどな」

 

 座りながら本の読めるスペースで、エルリック兄弟とヒューズがそれぞれに必要な本を読み漁る。読みながら会話できるのは前提で。

 

「うげぇ……」

「なんだ、エドワード。そんなにグロいこと書いてあんのか?」

「いや、グロさとかじゃなくて……」

「多分兄さんはイライラしてるだけだと思います。ヴァルネラさんのイメージに反して、著書があまりにも完璧なので」

「あー、そいや東方司令部でもお前さんらヴァルネラ医師のこと嫌ってたもんなぁ」

「僕は嫌ってないですけど、兄さんが」

 

 無論、アルフォンスとて少しは「怪しい」と思っていたりはするのだけど、それを通り越して「お医者さんはすごい」という純粋な気持ちが彼の中にあるために、「怪しい」が表に出てくることはない。

 実際にすごいのだ。

 人体錬成の際に手足を"持ってかれた"兄を前に、隣の家の医者夫妻は迅速なまでの処置をしてくれた。何から何に至るまでが完璧な連携を取っていて、おかげでエドワードの命は助かった。「お医者さんはすごい」。その知識量は錬金術師にだって勝るとも劣らないだろうことを、アルフォンスは知っている。

 

「で? お前らなんでヴァルネラ医師の著書なんか漁ってるんだ? 医者でも志すのか?」

「……ちょいと危険な話過ぎて中佐には教えらんねえ」

「お、なんだ違法行為か。賭博はほどほどにしておけよ? 国営の奴だけにしとけ、その方が安全だ」

「ちげーよ」

 

 ティム・マルコーの発言が正しいのであれば、賢者の石の研究をさせていたのは軍上層部。それも殲滅戦への命令決定権を持つような……将官クラスである可能性が高い。そんな者が発していた「緑礬の錬金術師さえ手に入れることができれば賢者の石の研究などしなくていい」という発言と、それなのに軍上層部がヴァルネラを嫌っているという事実。

 二つを掛け合わせ、辿り着く真実は──流石にまだ無いけれど、これはあまり言いふらさない方が良い情報だ、ということはわかる。

 

 特に軍人相手には危険だ。

 ソイツがその将校に繋がっている可能性は勿論の事、その事実を知ったから、という理由で口封じが為される危険性もある。

 マース・ヒューズはまだ中佐。階級的には高い方ではあるとはいえ、油断はできない。

 

「ヴァルネラ医師のことで危険、ねぇ。……そうだ、お前らこんな噂知ってるか? 俺は全く以て信じてない噂なんだけどよ」

「信じてねーのかよ」

「ハハハ、全くな。荒唐無稽もいい所だからなぁ」

「で、何。その噂って」

「──緑礬の錬金術師は不老不死である」

 

 不老不死。

 錬金術においては神と同等か少し下とされるもの。太陽の記号や雌雄同体の龍、尾を食らう蛇などで表される、錬金術師の、いや人間という存在が一度は夢見る"富"。

 そんなものが、ヴァルネラ。

 

「馬鹿馬鹿しい」

「だろ? だから信じてないんだよ俺は」

「でも、確かにヴァルネラさん若いですよね。若いって言うか兄さんより年下に見えるっていうか。でも国家錬金術師歴は80年、なんでしたっけ」

「あぁ、そうだ。俺が士官学校入った時も、軍人なった時も、殲滅戦参加した時もあの姿だった。幾らか歳を取ったら若返る、とかじゃねぇ。ずっとずっとあの姿のままだ」

「そりゃ……」

 

 もはやバケモンだろ、という言葉をエドワードは飲み込む。

 少し前に自戒したばかりだ。良く知りもしないのに知ったような口を聞いて、あるいは傷つけてしまったかもしれない人が二人いる。

 

「もはや化け物、ってか?」

「いやオレ言わないようにしてたのに」

「ははは、いいんだよ。多分軍人なら誰もが思ってる。俺もロイもな。でも普通に付き合いがあるし、俺なんか娘が生まれた時のパーティに呼んだ。なんでかわかるか?」

 

 化け物と思っている相手を自らの懐に入れる。警戒もせず、恐怖もせず。

 それが何故か。

 

「アイツが凄腕の医者だから……とか?」

「ちょ、オイオイ。俺がそんな打算まみれに見えるのか? そうじゃなくて、あの人笑わないんだよ。自嘲気味だったり偽悪的にだったりで笑うことはあっても、嬉しそうに、楽しそうに笑ってるとこを見たことが無かった。だから呼んでみたんだ。幸せのお裾分けって奴さ」

「それは……素敵な考えですね。ヴァルネラさんはそれで笑ってくれたんですか?」

「ああ。ちょっと困ったように、ではあったけどな。そういう風にさ、こんだけすげぇことしてくれてる人なのに、心から笑ってくれないなんて寂しいだろ? まぁロイがこの理由かどうかはわかんねぇけど、一般兵の中にゃこういう理由ですれ違ったら挨拶したり、食事に誘ったりする奴も多いんだぜ」

「……笑わない、ねぇ」

 

 余計化け物染みたが、とか。

 誰も思ってない。

 

「ああ、そうそう。そういや俺の娘の誕生パーティな。あの人、すげえことして帰ってったんだよ」

「すごいこと?」

「何をしたと思う? 生まれたばかりの赤ん坊に目線の高さ合わせて、その場にいた誰もが驚くことだ」

 

 突然のクイズに兄弟は考える。

 ヒントの少ないクイズだけど、ヴァルネラを思い浮かべてポクポクポク。

 

「首切って生体錬成でくっつけて驚かせた、とか……」

「べろべろばぁ、ってしながら舌を長ーく伸ばしたとかですか?」

「お前らあの人のことなんだと思ってんだ?」

 

 それはもう生粋の化け物である。

 

「会話したんだよ。娘と」

「……ん? 誕生()パーティで、だから……初めての言葉がヴァルネラとの会話だったってこと?」

「いいや、誕生パーティだ。生まれたお祝いだよ。俺の娘エリシアは0歳で、多分俺がパパだってことさえわかってないような時分だ」

「そんな赤子と……会話を?」

「そ。中には会話したフリしただけだ、っていう奴もいたけど、ヴァルネラ医師は生体錬成の応用で他者の精神を診断することもできる。あの人ならもしかしたら本当に……ってな。すげぇだろ? ……って、どうしたエドワード。アルフォンスも」

 

 精神を診断、会話。

 天才という言葉を恣にする二人の脳内に、今まで拾ってきた数多くのワードが駆け巡る。

 一般人であるヒューズだからこそのこのワードチョイスだ。これをもし錬金術風に言うのなら──。

 

「あの人は……魂を認知して、会話ができる?」

「まさか、マルコーさんの言ってた"人から奪う材料"って……」

 

 ヴァルネラは軍上層部から嫌われている。もしそれが、言うことを聞かないからだとしたら。

 ヴァルネラは魂を認知し、会話し、あるいは操作までできる。

 ティム・マルコーの参加していた実験は軍上層部からの命令で行われていて、ある"材料"をもとに賢者の石を作るものだった。

 材料が底を突いたあと、マルコー達研究チームから──つまり人間から材料を抽出しようとした。だからマルコーは逃げた。

 

 ある錬金術師のせいで底を突いた実験材料。

 戦場で死地にある者を治癒し続けたヴァルネラ。軍上層部は非道な実験を表沙汰にはしたくないはずで、なら目をつけるのが戦地の死体であると考えるのはなんらおかしなことではない。

 

 様々な思考が、バラバラな思考が二人の頭を巡り、そして辿り着く。

 

「賢者の石の材料は……ヒトの魂か?」

「おわ、なんだよいきなり。いきなり黙ったかと思えばいきなり意味深な顔して……なんだ? 賢者の石? 魂?」

「いや、中佐は聞かなかったことにしてくれ。あ、そうだ。娘さんとヴァルネラが話した時の会話内容って覚えてるか?」

「聞かなかったことって……まぁわかったけどよ。で、会話内容ね。覚えてるよ。印象的だったからな」

 

 エドワード達はヒューズから聞かされたソレを書き留める。

 ──"ええ、そうですね。……それくらいはしましょう"。

 ──"ああいえ、私、こんなナリですが子供ではないので"。

 ──"はい。ですが、……その代価が、等価と認められたら、ですかね"。

 

「こんだけ?」

「こんだけだ。なんだ、期待外れだったか?」

「いや……」

 

 賢者の石の材料がヒトの魂である。

 このピースと、ヴァルネラが魂と会話できる、というピースは別のパズルのものであるという印象を受けたエドワード。

 覚えていて損はない。だけど今調べていることには嵌らない。

 ただやはり、代価、等価というワードは錬金術関連のものだ。会話していたフリなどではなく、ヴァルネラはエリシアの魂を認め、それと会話していた可能性が高い。

 

「ありがとな、中佐。ためになった」

「おお、そうかい。ソイツは重畳だ。……っと、ちょいと長居しすぎたな。俺の調べ物が長引くと他の奴らの残業が増えちまうんで、俺はここらで失礼するよ。お前らも、風邪ひかない程度に頑張れよ」

「おう、改めてありがとな中佐」

 

 マース・ヒューズが去っていく。

 エドワード達との会話の最中に目的の記録を見つけていたのだろう。卒がなく、頭の回転の速い人だと二人は痛感する。

 

「兄さん。次、彼に会ったら」

「ああ。とっ捕まえて拷問だ」

「そこはせめて尋問って言おうよ……」

 

 手をワキワキさせ、頭の一本角もとい髪を稲妻のような形に変形させるエドワード。その表情は悪鬼羅刹。とても正義を為すような人物には見えない。初めから正義の味方ではないのだが。

 

「……と、まぁ無駄かもしんねーけど、アイツの書いた精神や脳に関する著書も漁っておくか」

「だね。……どうする? 鎧とか無機物への魂の定着方法とか書いてあったら」

「膝蹴り追加だな」

「あはは……」

 

 兄弟はまた、巨大な図書館の奥へと消えて行ったのだった。

 

 

** + **

 

 

 それなりの時間をリゼンブールで過ごし過ぎたよね。

 いやぁ、気のいい家族! そんで手料理!

 俺ってば不老不死だから食事必要ないわけよ。俺自身が美味いモン好きだから全然フツーに外食するけど、自炊はほぼやってなくて、さらにはこういう家庭料理とか食べる気なくて。

 うめーわ。

 フツーにうめーわ。サラ・ロックベルの料理もピナコ・ロックベルの料理もうめーわ。

 医学、機械鎧、生体錬成談義もかなり盛り上がった。体内に埋め込むなら別に鎧にしなくていい、外部からメンテナンスするなら肉体との癒合部分の鎮痛をどうするか、生体錬成の仕組み、どうして医者になろうとしたのか、機械鎧の良さ、機械鎧の可能性。

 ピナコ・ロックベルから「もしアンタが四肢のどっか落としたら機械鎧の一本くらい無料でつけてやるよ」と言われる程度までには仲良くなった。絶対お世話にならないんだけど。

 

 そんな感じで後ろ髪を引かれながらの帰還。

 行き先はイーストシティ。もう他から報告上がってるだろうけど、そういえば俺炭鉱崩落事件の報告なーんもしてなかったじゃんって思い出したのである。

 

「ん? 崩落事故? ……ああ一週間前の。いや、流石に遅すぎでしょう。道草食ってたってレベルじゃないですよ」

「スマン。だからアレだ。俺を調査に行かせた等価がこの大遅刻で」

「チャラになるって自分で思ってます?」

「思ってないから謝ってる」

 

 ロイ・マスタング。

 なんか……イライラしてる。ふむ。

 

 腕がいつもより上がっていない。足も背筋もぐったりしている。倦怠感強めか。ストレスもあるな。イライラしているし、血圧も上がっている。こめかみを揉んでいるのは俺に呆れているからではなく頭痛だな。あ、机の上のペン落とした。注意力散漫。

 

「お前今寝不足だな、ロイ・マスタング」

「……だからなんですか」

「原因は……そうか、刺青の男(スカー)か。俺がいない間に何件あった?」

「アナタは……。はぁ、まぁいいです。国家錬金術師殺しは起きてませんよ。イーストシティには私しか殲滅戦に参加した国家錬金術師はいないので。ですが、この街の地下にある古代の下水道、それが地上に露出している付近で大きな爆発がありまして。そこに血まみれの刺青の男(スカー)の服が。恐らく何者かと戦闘したものと思われます」

「誰か殲滅戦に参加してた国家錬金術師が入ってるって話はないのか」

「ないですね。だから困ってんですよウチも。誰か殺されているかもしれない。今度こそ民間の誰かかもしれない。今のところ国家錬金術師しか狙っていないからといって、いつその矛先が民間人に向くかはわかりません。アルフォンスだって関係のない民間人だったのに壊されたことを考えるに、仲間を救うためならなりふり構わない可能性が高い」

 

 確かに。

 もしアルフォンス・エルリックが中身空っぽじゃなかったら、あの時殺されていたやもしれない。殲滅戦に参加していない、国家錬金術師でもないアルフォンス・エルリックが。

 

 ただ、俺的には爆発って言葉と刺青の男(スカー)って言葉でなんとなく想像はついているんだが、原作でも爆発してたから微妙なんだよな。

 つまり、グラトニーと戦ったのかキンブリーと戦ったのかわかんないっていう。

 

「悩みの種を増やすようで悪いが、一応共有しておく。ゾルフ・J・キンブリーが出所している」

「……な、あの紅蓮の錬金術師が?」

刺青の男(スカー)たちがイシュヴァール人の集団だってわかったから、やり残しを全員殺し切ることを条件とした出所だとよ」

「あの男が市街を出歩いているということですか……?」

「やべーだろ? んで、炭鉱崩落の犯人もキンブリーだ。炭鉱夫たちがイシュヴァール人の子供を匿っていたから爆破したんだとさ」

「……!」

 

 ゾルフ・J・キンブリーの狂気は殲滅戦に参加した兵士ならば誰もが知っていることだろう。

 たとえ担当地区が違えど、必ず耳に入ってくる──爆弾狂。

 

 それが街中にいて、何なら東部にいて。

 イシュヴァール人を殺すためなら周囲を巻き込んでまで爆破の錬金術を使用する、など。

 

「……っ、次から次へと頭痛の種を……!」

「ユースウェルは生き埋めになった三十余名プラスそのイシュヴァール人の子供が死亡。それ以外は生きてる。全員治した。キンブリーの行方はわからんが、イシュヴァール人の多く住む場所に行くとしたら」

貧民街(スラム)か!?」

「と、俺は睨んでる。どこのスラムかは微妙だが、イーストシティ周辺のどれかであるのは間違いないだろう。ただ困ったことに」

「キンブリーの行動は軍の命令によるもの……憲兵では止められんか」

「そ。さらに言えば、憲兵だの一般兵士だのに"スラムのイシュヴァール人の避難誘導して"つってもやる気出す奴いねーだろ」

 

 一応今のところ大惨事は起きていない。

 ゾルフ・J・キンブリーはあくまで自らの矜持のもと動く狂人だ。その感性、その価値観が常人と違うから狂人とされているだけで、彼の矜持から見たら理性的な行動をしているとさえ言える。

 スラムを爆破することは彼の矜持には合わなかったか。それとも余計なことをしている余裕がないだけか。

 

 ホムンクルス側としても余計な場所に余計な血の紋刻まれても困るはずだから、注意を促したって可能性もあるな。vsキンブリーじゃ細々と暮らすイシュヴァール人でさえ憎悪を募らせてもおかしくはないから。

 

「ロイ・マスタング。俺はセントラルに帰る予定だが──まぁ、今言ったように報告が遅れた対価が必要だ。お前らの要請を受けた対価は今度俺からのなんか要請を受けてもらうことでチャラにするとして、今回の件に関する対価はとっとと支払っておきたい。入れ子構造の等価交換はダルいからな」

「要約すると一件だけなら何か手伝ってくれる、と」

「"年寄りは話が長い"。また言われたなぁ」

「だから言ってませんってそんなこと」

 

 考える。

 ロイ・マスタングは考える。俺に任せるべき案件がどれか。俺をぶつけるべき相手はどれか。

 "生体錬成の権威"、"戦場の神医"、"緑礬の錬金術師"。何を申し付けるにも十分な肩書きが揃っている。

 

 さて、彼の答えは。

 

「──刺青の男(スカー)です」

「ほう。キンブリーではなく、か」

「ええ。何故なら彼らは貴方が逃がした存在。貴方が撒いた種だ。私は貴方のあの行いを否定しない……どころか称賛さえしていた。けれどあの時貴方はあの行動を"要否"故と答えた」

「そうだな。それでお前は俺に幻滅した」

「イシュヴァール人を逃がし、テロリストにするという行為が貴方の言う"要否"だったのですか、ヴァルネラ医師」

 

 ……。

 まぁ、ふん。そうか。いいとこ突くな。

 

「違うな」

「では、彼らを正しい軌道に戻すのも要否──違いますか?」

 

 正しい軌道、なんてものを決めるのは俺じゃあないとは思うが。

 確かにそうだ。俺があの時彼らを逃がしたのは傷の男(スカー)兄を助けるため。あの頭脳さえあれば他はどうでもよかった。

 しかしそれが今アメストリスの脅威となっていて、それを潰すための戦力(キンブリー)までもが民間人の脅威となっているのならば。

 

「いいぜ。イシュヴァール人のテロリスト集団刺青の男(スカー)を探し出し、そしてそれをまとめて居るだろう奴も探し出して、話を付ける。奴らが分解と再構築の腕を持っていようが関係ない。都合よく俺は生体錬成のスペシャリストだ。奴らの天敵だろう」

「……キンブリーの動きはこちらでも探ってみます」

「いや、危ない橋は渡るな。つか刺青の男(スカー)は複数人なんだ、キンブリーに気を取られて刺青の男(スカー)に背後から、なんてこともあり得る。お前はここでふんぞり返ってな、次期大総統」

「──は? 次期、え? 何を」

「悪い、クチガスベッタ。そんじゃあな。事が進んだらここに帰ってくるか手紙を出すよ」

 

 いつかのように、またぴょーいと窓から出る。

 ぐしゃっとなる足を瞬時に再生させて走り出す。

 

 向かうは貧民街(スラム)

 今回ばかりはゆっくりでなく急いで行こう。リゼンブールでゆっくりしすぎたしな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 満を持す言葉

 コトは案外早くに進んだ。

 つーのも、前も述べた通り俺たまに尾行されてたんだよね。セントラル市内でも。

 んでそれがイーストシティになったらさらに多くなって。 

 

 流石に武僧の背後取れる程俺の武術は卓越してないんで、フツーに声を掛けたらフツーに出てきてくれた。

 傷の男(スカー)ではないにせよ、両腕に入れ墨を持つイシュヴァール人の武僧。

 んでアンタらのブレインと話がしたい、と言ったら、アジトを晒すわけには行かないから目隠しをした上で連れて行くってんで「いーぜー」つって付いてきたワケだけど。

 

「……」

「流石にアウェイか」

「……この空気でそんなことを口走れるのは、流石に尊敬の念しか出ないよ」

 

 両腕に分解と再構築の錬成陣を施した、施してなくても超絶強いイシュヴァールの武僧約20人。

 パワーインフレもいい所だ。俺が逃がしたやつせいぜい10人以下だったから、後々合流した奴らも含まれてんな。

 

 そこへ思った通りの素直な感想を口に出せば、その奥から一人の青年が出てきた。

 メガネをかけた、他の武僧よりはひょろっこい青年。

 

「久しぶりだな」

「そうだね。久しぶりだ──あの時君に命を救ってもらって以来だ」

「名は……無さそうだな。イシュヴァラの教えに背き、復讐に身を焦がした以上名は捨てたか?」

「驚いたな。私たちの教義まで知っているとは、博識だ、天才だとは聞いていたけれど……そこまでか」

「いや、前に行ったことがあるだけだよ、イシュヴァールに。そこで勧誘みたいなのを受けた。シャン、つったかな。あの姉さん。今は婆さんだろうけど」

 

 名前を出せば、流石に動揺する面々。

 今はクセルクセスの遺跡に隠れ住んでるはずだけど、何かしらの手段で連絡とってると見た。

 

「やはり……君はその若さで博識なのではなく、私たちが想像している以上の歳を取っている……そうだね?」

「ああ。お前らと会った時も、シャンの姉さんと会った時も、500年前も、この先未来永劫も──俺はこの姿だろうよ」

「……不老不死」

「そうだ。どうだ、どんな気持ちだイシュヴァールの武僧。お前らの命を救ったやつが、イシュヴァラの教えに背くどころか常軌を逸した化け物だったと知った、今のお前らの心境は」

「変わらん。お前が我々の命を救い、逃し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはたとえお前がアメストリス人であれそうでない民族であれ、人間であれ化け物であれ、我らイシュヴァールの民はお前に畏敬の念を尽くす」

「それに──化け物というのなら、我らもそうだ。今もなおイシュヴァラの教えを守り、清貧に生きる赤い眼の同胞もいる中で、我々は復讐という目的のために教義を捨てた。あらゆるものを破壊する腕。あらゆるものを作り出す腕。これらを持つ我らを化け物と呼ばずして何とする」

 

 あー、覚悟キマってるから煽りが効かねえや。

 一般武僧も傷の男(スカー)……傷無いからこう呼ぶのも変なんだけど、傷の男(スカー)も、その兄も。

 信念は捨てていない。けれど復讐を止めることはできない。

 そういう顔をしている。

 

「──が、すまんな。俺はアメストリス人っつかアメストリス軍人だ。一応な。だから、国内でのテロリズムは止めにゃならん」

「……だろうね。君がロイ・マスタングを庇った時点で……いや、君もこの国の国家錬金術師である時点で、そうなることは予想できていた」

「お前らを逃がしたのは俺だ。けど俺はテロリストを育てるためにお前らを逃がしたんじゃない。俺がお前らを逃がしたことで、誰ぞかが死ぬというのなら──俺はお前らを止めなければならない」

「そうかい。やはりアメストリス軍は、私達の行いを君の罪として扱ってきたか。……確かに君に恩義を感じている私達は、君にそういった泥を塗るのは避けたいところだ」

 

 義と情に厚い。

 それは変わっていないらしい。

 

 ──だが。

 

「けれど、申し訳ない。私達にも消えない炎がある。今でも思い出す──貫かれ、潰され、弾け飛んでいく同胞を。見るからに戦えない者も、足を引きずる者も、老婆も子供も……すべてが国家錬金術師に砕かれた。それを忘れる、ということは……できない」

「だろうな。つか、そりゃ正常だよ。復讐心は悪感情に捉えられがちだがな、自らの心の整理、精神の安定を図るための薪としてみたら、これほどわかりやすく信じやすいものはない。むしろ変に良識持って良心の呵責で心身ともにボロボロになってく方が哀れだ。お前らくらい燃えて燃えて燃え尽きている方がよっぽど健康的だろうよ」

「……私たちを止めに来たんじゃなかったのかい?」

 

 無理だろう。

 あんな殲滅戦があって、それを忘れろ、なんて。我慢しろ、なんて。耐え忍べ、なんて。

 忘れなくてもいいから今は耐え忍べ──とはイシュヴァールの、傷の男(スカー)の師父が言っていたけれど、まー無理だ。愛が強ければ強いほど無理だ。俺みたいなちゃらんぽらんなら大丈夫だろうけど、イシュヴァール人は仲間意識超強いからな。絶対無理。

 

「俺は話を付けに来ただけだ。今言ったように、俺は不老不死の医者。お前らがどれだけ国家錬金術師を狙おうと、その全てを死の淵から救い出してやる。たとえ心臓が止まっていても、たとえ脳がぐちゃぐちゃに破壊されていても引き戻す。俺はそれができる」

 

 時間と条件に依るけど。

 流石に一日経った後の死体、とかだと大体切れてるから無理。

 

「お前らは復讐心で国家錬金術師を殺して回ってるんだろう? でも全部俺が治す。全部だ。全員俺が治して、今奴らは安全地帯でぬくぬく過ごしている。国家錬金術師は金があるからな、老後も安泰さ」

「……つまり私たちは君を殺さなければ復讐を果たせない。しかし君は」

「そう、不老不死だ。試しに俺を分解してみるか? 殴るでもいい、その辺の建材を体にぶっ刺すでもいい。心臓を止める、脳を破壊する、首を斬る腹を斬る全身をバラバラにする──何をしてくれても構わん。その程度じゃ俺は死なないからな」

 

 生唾を飲む音が聞こえる。

 これを虚勢だと思うような考えの浅い奴はここにはいない。俺が本気だと、誰もが感じ取れている。

 

「どうする、イシュヴァール人。俺という存在がいる限りお前らの復讐は無為に終わる。俺という存在は永遠に消えてなくならない。どうするイシュヴァール人。お前らの怒りはどこへぶつける。お前らの憎しみはどこへぶつける。お前らの恨みは──」

「カンタンでしょう。私にぶつければいい」

 

 俺の身体が、またも爆発四散した。

 

 

 

 

 渦を巻くように、ぐるりと、ぎゅるりと再生する。

 飛び散った破片からクセルクセス時代くらいの簡単な衣服を作り、溜息を一つ。

 

「まさか自分から出てくるとは。お前、基本的に遠距離からドンチャンする錬金術師だろ。いいのか、こんな至近距離まで来て」

「おや、まさか私の心配ですか? イシュヴァール人の心配ではなく?」

「邪魔だからどっか行けって言外に言ってんだよ。俺いまコイツらとお話し中なの」

「それは失礼を。ただ私も仕事中なので」

 

 地面を蹴る音。風が吹いた、としか思えない何かが俺の横を通り抜けた。二つ。

 それらは余裕綽々と帽子の鍔を押さえていたゾルフ・J・キンブリーに一瞬で肉薄し──。

 

「ハイ残念」

 

 彼の立っていた壁が、全て爆発した。

 衝撃で二人の武僧の両腕が千切れ飛ぶ。

 

「! 散開しろ、柱の影へ!」

 

 傷の男(スカー)兄が指示を飛ばす。彼自身は傷の男(スカー)が担いで持っていく。

 

「自身の弱点の克服くらいしますよ。イシュヴァールの武僧の強さは身に染みてわかっていますからね。あらかじめ自身の周囲に反応式地雷(リアクティブマイン)を仕込んでおく。これくらいはしますよ、あなた達を相手にするのなら」

「今意識を失うのと、痛み我慢してまだ戦えるようになるの、どっちがいい」

「……頼む」

「おぅけぃ」

 

 ゾルフ・J・キンブリーを無視して吹き飛ばされた二人の武僧のもとへ行く。

 幸いにして腕は千切れただけだ。だからそれを材料に腕を錬成し直し、元の位置にくっつける。

 一瞬の施術は、しかし凄まじい苦痛を伴ったことだろう。脂汗は酷く、口の端を噛み千切ったのか血が出ている。

 それでも、彼は立ち上がり、柱の背に身を隠した。

 もう一人にも同じ施術をして──やはり、それでも。

 

「……なるほど、貴方はテロリスト側につく、と。そうなると分が悪いですね。戦場の神医ヴァルネラ。その治療速度は瞬きをする間と同じ、とさえ言われている。爆破しようとも殺そうとも、瞬時に治されてはこちらばかりが疲弊する、ですか」

「俺は東方司令部の命令で"イシュヴァール人と話をつけてくる"ってのに動いてんだわ。んでテロリストはお前だろキンブリー」

「はて、私の何がテロリストなんでしょうか」

 

 俺は正義の味方ではない。

 俺は軍属だが軍人を志したわけではない。

 誰を守るとか、誰を死なせないとか、そういう心で動いているわけじゃない。

 

 打算だ。

 要否だ。

 俺にあるものは。だから──火に油を注ぐことも、時としては必要と考える。

 

「ユースウェルの崩落事故。未来のテロリストの芽としてイシュヴァール人の子供を殺す──そのために民間人も多く巻き込んだ。必要な犠牲なんて俗な言葉使うなよ? お前程の腕があり、お前程の綿密さがあれば、子供一人だけを狙うことだってできたはずだ。──しなかったよな、お前」

「ま──待て、緑礬の錬金術師! 何の話だ、それは」

「ふむ。まぁ確かに貴方の言う通りです。出所してすぐで浮かれていた部分はあったのでしょう。認めます。……そうですね。イシュヴァール人のテロリストを殺せ、という命令ならば、それ以外を殺すのは美しくない。確かに一理ある」

「それで? ここに来るまでに何人殺したんだ。無辜の、可能性という名のテロリストと、民間人は」

「イシュヴァール人は4人。民間人は……数え漏れがないのなら、24人。ユースウェルの炭鉱夫を含めるなら54人ですか。確かにこれは無駄が多すぎる」

 

 何かが割れたような音がする。

 空間だ。空間が割れた。それは勿論錯覚だけど、いつか感じたカーティス夫妻の放ったものと同じ──圧。

 即ち殺気がこの場に満ちる。

 

「反省しましょう。貴方に言われなければ私は美しくない行為を重ね続けるところだった。──迅速に、確実に、イシュヴァール人だけを殺す。礼を言いますよ、緑礬の錬金術師殿」

「そんなお前にクイズだ、キンブリー」

「……貴方、空気が読めないとよく言われませんか?」

「よく言われる。んじゃ第一問! ──ここどーこだ」

 

 ここ。

 俺が目隠しされて連れてこられた場所。距離的にはイーストシティを出ていないこの場所は、果たしてどこなのか。

 人目に付かないだけじゃない。人が寄り付かず、そして無意識的に焔の錬金術師が行こうとしない場所。

 

「クイズになっていませんよ、それ。私は貴方のように連れてこられたのではなく自らここを見つけた。ですからここは──」

「そう、ガスホルダーだ。老朽化で使われなくなった方の、な」

「ええ、ですからここにはガスも満ちていない。私が至近距離で爆発を起こしても、引火することは──」

 

 それはまた、一瞬のこと。

 青い錬成反応と共に作り上げられるは壁。キンブリーが爆破した壁が再度構築されていく。ただ錬成速度が遅かったからだろう、巻き込まれるより先に、彼はこちらへ──建物の中へ入ってくる。

 こつん、と。

 一歩、地面に足を突いて──鼻をヒクつかせた。

 

「──ッ!」

「お生憎様だキンブリー。お前が相手にしてきたどれとも違う。勉強しただけで世界の真相に辿り着くレベルの天才がこっちにゃいてなぁ──あとはまぁ、お前の周りの気体だけ俺が分解し続けとけばよかったんだ」

「この硫黄の臭いは」

「紅蓮の錬金術師の特性をわかってる奴がなーんで柱の陰に隠れたのかわかるか。お前の錬金術を考えりゃ、柱爆破されたら終わりだって」

 

 のによ、まで言い切れなかった。

 余計な事──他の部分に穴をあけられるなどで逃げられる可能性を恐れたためだろう。

 彼らは瞬時に判断し、瞬時に行動し、瞬時に俺を囮にした。俺の不死性を信じたから。

 

 さぁ──災害レベルの大爆発が起きる。

 

 柱の陰に隠れたのなんて気休めだ。再構築の腕でシェルターを作れるかどうかはソイツ次第。だが、教えに背いてでもこいつだけは、こいつだけは殺さねばならないと、ああ、それこそが殺気だ。

 むやみやたらにまき散らすものじゃあない。憎しみと怨恨の籠った必ず殺すという圧が、それこそが──。

 

 

 

 

 

「と、いうのが顛末だ。ロイ・マスタング」

「……遺体は?」

「全部弾け飛んだ。俺もものっそい火傷負ったが治した」

「ちなみにこちらはその爆発のせいで都市ガスが一時的に全停止。イーストシティ全域でガスの供給に問題が生じる結果となっています」

「おう悪いな。キンブリー強いわ。イシュヴァール人説得するのにも時間かかったし」

「……イシュヴァール人は説得し、国家錬金術師殺しを止めさせて、ゾルフ・J・キンブリーは殺した……で、合っているんですよね?」

「殺したのは俺じゃないけど、そうだな」

「……」

 

 東方司令部。

 俺の上げた報告書を隅から隅までじっくり眺めるロイ・マスタング。

 

 ところどころに嘘が散りばめてあるけど、俺の不老不死とかの件を隠しているだけだから、概ね事実だ。

 爆発の後イシュヴァール人……刺青の男(スカー)達とも話を付けたし、俺の目視通りならゾルフ・J・キンブリーは死んだ。炎に巻かれ、自らの愛した爆発に巻かれ、消し炭になった。

 ただ遺体は確認できてないからもしかしたら、って感じ。アイツ賢者の石持ってるし。

 

「イシュヴァール人とはどのように話を?」

「お前らの復讐は意味がない。俺がいる限り。そしてイシュヴァール人は恩義により俺を殺せない。故に復讐をするのなら俺が死んでからにする、ってよ」

「……ヴァルネラ医師。あなたいつ死ぬんですか?」

「さぁ?」

「ペテン師ですね……」

 

 これも嘘。

 傷の男(スカー)兄とはある約定を交わし、その間行動を控えてもらうことにした。さらにホムンクルスのことをゲロっておいたので、もし彼らが邪魔に思われて襲われる結果になってもバチバチにやりあってくれるだろうことが期待できる。

 

「まぁ、これで刺青の男(スカー)とキンブリーの2件を片付けてもらった、ということで、大遅刻の方もチャラでいいですよ」

「おお太っ腹じゃん」

「それで? ここまでの会話で何回嘘吐きました?」

「イシュヴァール関連は大体嘘だな。ただ国家錬金術師殺しが当分起きないのはホントだよ」

 

 大きな……大きな大きなため息。

 なんだよ、俺の事そんなによくわかってんなら、覚悟くらいしとけよ。

 

「んじゃ、俺はセントラルに帰るよ。イーストシティっつか東部も結構面白かったけど、やっぱセントラルが一番だわ」

「……意外ですね。貴方にそんな帰属意識があったとは思いませんでした」

「んぁー、帰属意識っつか……なんかな、イーストシティ。落ち着かないというか()()()()んだよな」

「ふわつく?」

「……んにゃ、なんでもない。じゃあな、ロイ・マスタング。寝不足で過労死だけはやめとけよ」

「ああ……はは、心に留めておきますよ」

 

 そいじゃま、達者で。

 

 

 

 汽車の中。

 ちょいと考える。俺は記憶力が良い。良いってレベルじゃない。全て覚えている。

 その俺が、エルリック兄弟の前に現れる時「失念していた」。

 そして俺ともあろうものがキンブリーの遺体を「確認し損ねた」。

 んでもってこのふわふわした感じ。

 

 なんだ。イーストシティになんかあるのか、俺。

 

「……そりゃまぁ、それはそれで面白いが」

 

 フラスコの中の小人がなんか画策してんなら、それもまた良いだろう。

 ただアイツ俺との等価交換忘れてないだろうな。等価交換の入れ子構造はダルいんだぞ本当に。

 

「しかし」

 

 思い返す。

 傷の男(スカー)兄との会話を。あ、俺達が彼らを刺青の男(スカー)たちと呼んでいることに関しては、「名を捨てた私たちをどう呼ぼうと勝手だ」で済んだ。

 

「いやホント、頭のいい奴っているもんだわ」

 

 ロイ・マスタングもそうだけど、一を聞いたら十を返す奴。んで傷の男(スカー)兄はその千倍返してくる。

 一を聞いて十を理解し、百を構築して千を脳内で試行、その後万を聞き返してくる。

 っべーわ。まじっべーアレ。正直俺なんか比じゃない。アレに勝てる奴いねーだろ。俺は知識量で勝ってるからなんとかなってるけど、同じステージに立ってて敵だったら、と思うとゾッとするね。

 

 良かったよ。

 復讐の件はともかく、ホムンクルス関連を聞いて真っ先に出てきた彼の言葉が良識あるものでさ。

 

 とまぁ、イシュヴァール人はこんな感じ。

 

 今度はエルリック兄弟だけど……えーと、そろそろティム・マルコーの研究書解読したあたりかな? 原作の日数的には。

 んで第五研究所行って色々怪我してマース・ヒューズが色々気付いて死んで。

 アルフォンスがバリー・ザ・チョッパーに色々言われて兄不信になったりウィンリィ・ロックベルが来たり。

 そんで……ああ、ダブリス行くのか。ラッシュバレー行くついでに。

 ダブリス。

 グリードは答えを見つけられたのかねぇ。

 

 不老不死の等価を。

 

 

** + **

 

 

 夜。

 マース・ヒューズは一人、国立中央図書館の分館にいた。

 調べ物だ。

 内容は緑礬の錬金術師について。エルリック兄弟が調べていたもの……ではなく、彼の記録に関するもの。

 公式記録に残されたヴァルネラ医師の最初の登場は1814年6月。子供の汽車置き去りに関する資料、というものに纏められた中に、彼の名があった。凡そ100年前だ。

 その次が国家錬金術師試験で、すぐ後に第一次南部国境線にも姿を現している。

 

「……だからどうした、って話ではあるんだが」

 

 仮に本当に不老不死だったとして、だからどうした、とは思う。

 けれど気になることがあって、ヒューズは資料を探し続ける。

 きっかけは東方司令部に行ったときの事だ。彼は、あの時気分を悪くして司令室を出たリザ・ホークアイから少しだけ詳しい話を聞いていた。

 

 曰く──彼は確実に死んだはずだった、と。

 

 1814年。ダブリスの街中で大量の血痕。鑑定の結果、緑礬の錬金術師ヴァルネラのものであると判明。

 1894年。リヴィ橋の川下で子供の足と見られるものが発見される。鑑定の結果、ヴァルネラ医師のものであると判明。曰く「悪い悪いこれ実験用」とのこと。

 1900年。ニューオープティン近くの森で、大量の血痕。鑑定の結果、ヴァルネラ医師のものであると判明。その後彼にこれを問い詰めると、「外で生体錬成やってたらヘマこいただけだよ」と話した。

 1908年。イシュヴァール殲滅戦。刻まれた深い谷はヴァルネラ医師の錬金術によるものらしかったが、その場にいた兵士は誰も詳細を語らなかった。その上で、リザ・ホークアイの「確実に死んだ」という発言。

 そして今年、つい先日──ユースウェルの崩落事故。詳細不明。ただ、崩落したはずの落石が跡形もなく消えていた、という奇妙な報告は上がっている。

 

「──よぉ、マース・ヒューズ中佐」

「……! っと、驚かせないでくださいよ、ヴァルネラ医師」

「あっはっは! いや何、調べ物が捗ってるみたいだからさぁ、ちょっと手伝いに来たんだよね」

「ああいえ、今終わりましたよ」

「そう? じゃあ」

 

 チャキ、と。

 ヴァルネラが、ヒューズに銃を向ける。

 

 飲み込む生唾は中々喉を下りない。

 

「冗談はよしてくださいよ、ヴァルネラ医師」

「冗談じゃないさ。マース・ヒューズ中佐、アンタ気付いちゃいけないことに気付いちゃったんだわ。ずっとずっとひた隠しにしてきた秘中の秘にね」

 

 ヒューズは投げナイフを手に取ろうとして、やめる。

 悪手だ。生体錬成の権威にその行為が何の意味を為そうか。

 

「ダメだよ、マース・ヒューズ中佐。そういうことは気づかないでおかないと。馬鹿でいた方が楽に長生きできるよ?」

「……こちとら嫁と娘が家で待ってんだ。アンタみたいに独り身ならそれもいいかもしれませんがね、俺は頭回して国を守らなきゃ全部が台無しになる!」

 

 金属音。

 それは何か、金具のようなものが外れた音。

 

「あん? 何をして──」

「それに、ヴァルネラ医師が──アンタみたいに簡単に笑うなら!」

 

 ヒューズは体当たりをかます。

 目の前のダレカではない。国立図書館第一分館の本棚に、だ。

 本来その程度ではビクともしないはずの書架が、その基部を押されたことでぐらりと──ヒューズたちの方へ倒れてくるのがわかった。

 

「おいおいそんなことしたらアンタも潰され──ガッ!?」

「そんな簡単なことはねぇんだ。……クソ、悪夢か、こりゃ」

 

 予め逃げる準備をしていたヒューズは通路へと転がりながら抜け出し、その最中ダレカの両目にナイフを投げる。それは正確無比に着弾し、ソイツの両目を潰した。

 

 と、いうのに、だ。

 

 倒れた本棚は人間の身体で耐えきれる重さではない。

 ナイフは刺さった。想像を絶する痛みであることに間違いはない。

 

 だというのに。

 

「く、そ……デスクワーク一辺倒のおっさんじゃねぇのかよ……!」

「オイオイ……そんなとこまでヴァルネラ医師と一緒なのか……勘弁してくれ、俺は錬金術なんてどう対処したらいいかわかんねぇんだぞ……」

 

 バチバチと音を立てて、ダレカが再生する。

 本棚の直撃を受けて折れたはずの首も、ナイフの刺さった目も。

 "生体錬成の権威"。錬金術の素養のない者からすれば、その違いはわからなかっただろう。

 

「チョーシ乗りやがって……殺してやるよ、オッサン!」

「俺はまだ29だッ! は、う、ぉ!?」

 

 向けられたのは銃──ではなかった。

 腕。ヴァルネラ医師の腕が、蛇かなにかのように伸び、ヒューズを掠める。

 それが着弾した背後の壁は粉々に砕け落ち──その威力はもう察するまでもない。

 

 更には、自身の上にあった書架を持ち上げるダレカ。

 

「……ヴァルネラ医師の真似すんなら、せめてその範疇でいろよ……」

「ハ! 誰があんなのの真似なんかするかよ!」

 

 投擲される。巨大な書架が、ヒューズに向かって落ちてくる。

 逃げ場。左右か、前後か。引き絞られているのは右腕。ならば左か。それはフェイクで、左か。

 それとも。

 

「上も、左右も──全部だよ!」

 

 書架が落ちる。

 右を選んだヒューズに蛇のような腕が襲い掛かる。威力はさっきの通りだ。落ちてくる書架だって人間を潰すには容易だ。

 

 だからもう。

 

「く、そったれ……!」

 

 

 

 

 

「──等価交換だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 命を救う代価

 言葉を発せども時間は止まらない。

 蛇のように伸びきったエンヴィーの左腕は、右を選択したマース・ヒューズの右肩をごっそりと削ぐ。そして落ちてくるは書架。アメストリスの本という本が詰まった書架がヒューズの足を捉え、潰す。何の慈悲もなく、何の奇跡もなく。

 書架の落ちた角度も悪かった。面ではなく辺を下部に落ちてきた書架は、潰した脚を切断する。肉を、骨を。容易だ。それほどの重さがある。

 

「が──ぎ、ぃ……!」

 

 声にならない声だろう。

 即死ではないことがどれほどつらいか。エンヴィーに削がれた右肩は骨の内部までもが露出しているし、両足は千切れている。

 だけど死んでいない。

 だけど死んでいないのだ。

 

「は……ハハハ! なんだ、なんだ! カッコつけて登場して、護ってやんないのかよ! できただろ、お前の緑礬ならさぁ! このエンヴィー様の腕を結晶化させるのも、この本棚をサラッサラに風化させるのも! なのに見てるだけ! 見てるだけ! あっはっは、やっぱ不老不死は一味違うね。人間味が欠片もない!」

「馬鹿言え、その書架に詰まってる本にどんだけの価値があると思ってんだ。原本が全部残ってる確証があんなら俺も消したけど、無い奴だってある。それを消せるかよ。本は歴史だぞ」

「……え、それ本気で言ってるワケ? 今さ、アンタの目の前の、アンタの足元でマース・ヒューズが苦痛に喘いでるんだぜ? そのヒューズに聞こえる距離で、今アンタ"マース・ヒューズより本の方が大事だ"って言ったんだけど、それ理解してるゥ?」

「当たり前だろ。なんだ、誰かの前で、あるいは誰かの前でなかったら、その物の価値が変わるか、人造人間(ホムンクルス)。そりゃ随分と感情豊かなことだな」

 

 メモ帳を取り出して、造形系・持上と書かれたものを発動する。

 途端、図書館の床から物を包み込むような手が造形され、書架を押し上げた。

 

 んで、エンヴィーの腕を分解する。

 

「いっっったいなぁ、オイ……」

「等価交換だ、エンヴィー。お前は俺の姿を模した。なんならこの分館に入る前から俺の姿だった。目撃者複数。なぁ、俺に罪を着せようとしたな」

「……だから何さ。アンタは別に気にしないだろ」

「気にしないなぁ。俺の名が地に落ちても俺はどうでもいい。だけど、お前が俺の姿を模したことは事実だ」

 

 血液が広がっていく。

 エリシア・ヒューズについた嘘。その代価。

 ……止血程度だな。全身治す程のものじゃない。銃創くらい小さなものだったら全身治す等価にもなったかもしれないが、これほど大きいとアレじゃ足りん。

 

「エンヴィー」

「な……なんだよ。なんだよ、何が言いたいんだよ!」

「俺たちの記憶はどこにあると思う?」

「──は?」

 

 きょとん、とするエンヴィー。

 

「どこだと思う? 記憶を蓄積している部分は」

「……ハ、何、クイズ? 時間稼ぎ? あぁそうか、もしかして誰か応援が来るのかなぁ! そうだよね、アンタの錬金術ってピーキーすぎて、こーんな大切な本がたくさんある場所じゃ使えないよねぇ!」

 

 記憶のある場所。

 エンヴィーから伸びてきた腕を避けずに食らう。顔の半分が削げ落ちたまま、話す。

 

「俺もお前も脳を吹っ飛ばされたって元に戻る。では蓄積された記憶はどこにある。記憶をため込んだ状態で脳も復活するのか、それとも全く別の場所に保管されているのか。人造人間(ホムンクルス)だったら賢者の石かな、エンヴィー」

「チッ……アンタ、まともな痛覚ないワケ? 痛がる素振りも見せないんじゃ面白くない……」

「答えはNOだ。俺もお前も、脳に記憶や知識をため込んでいるわけではない。じゃあどこにあると思う、エンヴィー。今試してみろ。思い出すという行為をして、自分がどこにアクセスしているのか感じてみろ」

 

 脂汗を浮かべたままのマース・ヒューズは何も言わない。

 意識を失うことができないのか、決して失うまいと保っているのか。

 

「どーでもいいよそんなこと。覚えてるから覚えてる。それだけだろ」

「答えは魂だ。霊魂でもいい。俺もお前も、肉体を損失したとて記憶は失われない。魂に記憶が蓄積されているから、肉体がどうなろうと関係ない。──ではここで更なる問題」

「チッ……ていうか、なんでこのエンヴィー様がこいつにムキになってんのサ。コイツは殺せないなんてハナからわかってるんだから、殺すべきはそこで虫みたいに喘いでいる──」

「姿を偽ることの対価は、なんであるべきだと思う?」

「マース・ヒューズだよねぇ!」

 

 エンヴィーの腕が伸びる。瀕死のマース・ヒューズに。

 

 そしてそれが、その腕が、彼の頭蓋を叩き潰した。

 

「──簡単だ。偽りには偽りで返す。これで等価交換だ、エンヴィー」

「……!?」

 

 頭蓋が潰れた途端、サラサラと緑礬になって撒き上がっていくマース・ヒューズの体。

 苦痛に喘ぐ彼はもう存在しない。床に広がっていた血液さえ消え去っている。

 あるのは持ち上げられた書架だけだ。

 

「……苦しんでるから殺してやったマース・ヒューズを緑礬で人形みたいに模してそこにおいてたってこと? いつの間にすり替えた?」

「うん? 何を言ってるんだ。だから、偽りを返したんじゃないか」

「さっきから……意味の分からない話ばかりでイラつくなぁ。もっとわかりやすい言葉を吐けない──ッ?」

 

 エンヴィーは気づいただろうか。

 今自分が立っている場所に。

 

 石の床。レリーフの彫られた門。円と二重五角形の陣。

 

「は……あ? 第五研究所!? いつの間に……」

「残念ながら俺は、お前ら人造人間(ホムンクルス)のようなトクベツな力を持たない不老不死だ。なんにでもなれる変身能力も、最強の矛も盾も眼も速さも、あらゆるものを飲み込む扉も、影も。不老不死なだけの一般人なんだよ」

「……一回一般人の意味調べ直してきなよ。で? その一般人が、どんな手法を使えばこの距離を一瞬で移動できるわけ?」

「だから、偽りだよ」

 

 たくさんのパイプがある部屋。

 それが繋がる先にいるのは──フラスコの中の小人。彼はこちらを一瞥することさえせず、ただ座っている。

 どこまでも広がる草原。見渡す限り山と草原しかなく、人工物は見当たらない。

 吹雪の荒ぶ冬山。巨壁を目指せども、手足は次第に凍り付いていく。

 

「……幻覚、って奴か」

「まぁ、そうだ。最上級の嘘だな。人間なら脳を弄れば簡単に幻覚を見せることができるが、お前らはそうじゃない。魂に干渉する必要がある。しかし魂に干渉するとなると生体錬成の域じゃあない。人体錬成、あるいは門、あるいは真理に纏ろう領域だ。俺は"生体錬成の権威"。そう呼ばれている」

「……」

「が、スマンな。これ別につけられたあだ名であって俺の真骨頂じゃねぇんだわ。勿論生体錬成も得意だぜ。多分アメストリスの誰よりもな。ただ俺は、俺が俺であるという理由だけで、ソイツの魂が見える。ソイツの魂に干渉できる」

 

 そこは真っ白な空間。

 天地の継ぎ目の見えぬそこに、エンヴィーはいた。小さな体。醜い芋虫のような身体で、そこにいた。

 彼の眼には、目の前には──輪郭が黒の靄で覆われた自分が見えていることだろう。

 けれどそこに扉はない。帰り道の扉も、あちら側にいくための扉もない。

 

「……」

 

 腕を伸ばした状態で固まったエンヴィー。

 その腕の先には、マース・ヒューズが横たわっている。

 あと数㎜。そんなところで止まった腕は、けれどマース・ヒューズには届かない。

 

「……死んだ、んです、かね」

「いや全然? 今俺の顔掠めた腕に色々投与してイザナミっただけだよ。魂に干渉できるのはホントだけど、干渉つったって話ができる程度だからなぁ。そいつを弄ってどうにかできたら俺はもう不老不死でもなんでもないカミサマかなんかだよ。今やったのはドギツイ劇薬で幻覚見せて、ドギツイドラッグでアッパーにまで押し上げて、ドヤバイ合成錬金薬物で全身に弛緩効果と硬直効果を同時投与してるだけ。ちなみに全部違法薬物ね」

「……よく、わかんねぇ、です」

「で、もう一個嘘。俺は違うけど、人造人間(ホムンクルス)の記憶はフツーに脳にあるよ。ただ原動力が賢者の石だから、脳を吹き飛ばされてる最中でも喋れるし、記憶もできる。補助メモリーってワケ。だから今からそれを弄る。マース・ヒューズ。お前が可能性に気付かなかった──気付く前のところまで」

 

 やったことはとても簡単だ。

 エンヴィーは腕を伸ばしたあと引き戻すクセがある。だから伸びきった腕に薬品投与すればそれを引き戻す際に体の中へそれを浸透させることができる。アッパー系で攻撃をそれ一辺倒にして俺に集中させ、何度か薬品を投与。

 その前の分解の時に人造人間(ホムンクルス)の身体を巻き込む形で作った薬物で幻覚作用を引き起こし、アッパー系がダウンに変化してきたあたりで弛緩剤と硬直剤を同時に投与すれば完成。体は重く、脳だけは興奮し、幻覚を見ながら動けない──立派な廃人だ。

 まぁ人造人間(ホムンクルス)だから時間経過で元に戻っちゃうんだけど。

 

 さて、エンヴィーの顔を掴み、脳をこちゃこちゃしていく。

 賢者の石に記録されたモノと、肉体の記憶に齟齬が出るように。流石だねフラスコの中の小人。人を見下しているクセに、人造人間(ホムンクルス)の構造は人間とほぼ同一だ。脳が弄りやすくて助かるよ。

 

「おぅけぃ。んで、だ。マース・ヒューズ」

「なん……ですかい」

「清算と行こう。俺は昔、お前の娘に嘘を吐いた。お前の娘の前で嘘を吐いた、という方が正しいか。それを咎められてね、対価として()()()()()()()()()()()()

 

 マース・ヒューズの前に屈みこんで、目線を合わせる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。──俺が等価交換に縛られているのは、その方が楽だからだ。対価は与えすぎても奪い過ぎてもいけない。必要以上のものを渡したら魂に、肉体に、精神に傷がつく。必要に満たないものを奪ったら余剰が出てソイツの運にブレが生じる。故の等価交換だ──が」

 

 分解の錬金術で自身の胸を分解する。

 簡単に心臓にまで達した穴は、脈打つソレさえも分解し、俺を貫通する。

 

 それも一瞬で再生した。ぐじゅる、と。

 

「この通り俺は不老不死だ。等価ではない交換で変ずる部分がない。──よって、エリシア・ヒューズとの等価交換により、俺は今日一度だけ等価ではない交換を行う。俺が俺自身に決めたことに対し嘘を吐き、欺く」

「……つまる、ところ……ぼったくっても許されるってことで?」

「ははっ! "年寄りは話が長い"。やっぱりお前ら親友だな、マース・ヒューズ」

 

 彼の身体に手を当てる。

 削ぎ落された右肩が瞬時に盛り上がり、修復された。

 切断された両足が一瞬ブレたかと思えば、繋がった。血液はどこにもなく、マース・ヒューズも「信じられない」という顔で自身の両手足をみて、先ほどまでかいていたはずの脂汗を拭い取る。

 本の下から抜け出て立ち上がる彼の身体に傷は一切ない。

 

「"生体錬成の権威"……」

「それと同時に」

 

 マース・ヒューズの顔を掴む。

 ぎょっとした目でこちらを見る彼に、囁くように言葉を零す。

 

「知は力だが、力持つ者こそが知を持つべきだ。何故なら力無き者は知も自らも守れない」

「……アンタに、アンタに伝えなきゃならねえんだ。この国に、おかしなものが──」

「知ってるよ。その上で放置している。俺が害されるということと、俺がそいつらの企みを阻止することは等価にはならないからな」

 

 生体錬成。

 さてどこまで消すべきか。

 えーと。

 あん?

 ……アレ、エルリック兄弟ティム・マルコーの研究書貰ってないの? だから第五研究所にも行ってないし、アルフォンスの悩み、エドワードの悩みも解消されてないままダブリスへ?

 オイオイオイオイ。なんで渡さなかったんだよティム・マルコー!

 

「っと」

 

 崩れ落ちるマース・ヒューズの身体を受け止める。

 とりあえず彼が分館で受刑者の釈放記録を探したところまで記憶を戻させてもらった。エルリック兄弟との会話から俺を連想したのなら、そこはカットだ。

 

 んで担ぐ……も、うん。

 背が足りないな。いいや、引き摺って行こう。とと、危ない危ない。持ち上げてた床を戻して、書架は……ま、いいだろ。

 怪奇! 夜のうちに勝手に動いていた書架! で。監視カメラはハナから切ってある。

 

「ちょっと」

「あぁラスト。丁度良かった。エンヴィー連れてってくれ。賢者の石がドラッグ類を有害と認定して分解するまでもうちょっと時間がかかる。ああ、マース・ヒューズの記憶は消したから」

「それで私たちが彼から手を退くと?」

「退かないのか?」

「……いいえ。貴方との全面戦争は分が悪いわ。ただ、一つお願いがあるのよね」

「対価次第」

「いえ……エンヴィーはあれでいてとても重いから、持っていけ、と言われてもね。気付け薬とかないのかしら」

 

 ふむ。

 

「ちなみに言うとない。所持してるだけでお縄な薬物使ったからな。つか、グラトニーに引っ張らせろよ」

「今いないのよ」

「ほーん。じゃあ」

 

 舌を噛み千切る。

 それをエンヴィーの足元にプッとやって──彼は、奈落の底へと落ちて行った。

 メモ帳から造形系・修復、引延の錬成陣を取り出し、床を修復。

 

「回収はプライドとかに任せりゃいいだろ」

「貴方、後処理が雑って言われないかしら?」

「よく言われる」

 

 さて、お帰りだ。

 引きずるのは流石にヤバいので土車を錬成してそれで運んでいく。

 ……車椅子でも俺には難しい造形なんだよ!!

 

 

 

 

 玄関のドアベルを鳴らせば、一瞬で扉が開いた。

 そこにいたのは憔悴した顔のグレイシア・ヒューズ。

 

「あなたっ……あ……あの、時の?」

「どうも、緑礬の錬金術師ヴァルネラです。ちょいと図書館でぶっ倒れてたの見つけたんで届けに来ました。多分過労ですね」

「……本当に、ありがとうございます」

「一応栄養剤その他諸々打っといたので大丈夫だとは思いますが、なんかあったらお電話ください。そんじゃ」

 

 できれば俺がマース・ヒューズと接触しなかった、ってことにした方が良い。

 記憶というのは難しいもので、忘れさせることはできても消すことはできない。封じる、が正しいか。箪笥の奥の奥の奥底にしまい込んで、他の記憶で見えなくする。それしかできない。完全な記憶喪失をやるなら脳の一部を破壊しないとダメだろう。

 そしてそんだけ厳重にしまったものも、ちょっとしたきっかけで顔を出す可能性がある。

 だから、ダメだ。

 もう一度思い出して、もう一度調べ上げたら。

 もう一度、今度は誰かと共有しようとしたら。

 

「お兄ちゃん、だれ?」

「あ、エリシア……起きちゃったのね」

「ぁ、ぱぱだー」

 

 エリシア・ヒューズを見る。

 その奥。

 彼女の魂。否、もっと奥。

 

「俺はヴァルネラ。あるいはクロード=ルイ・アントワーヌ……いや、君じゃまだ覚えられないか」

「……むー」

「代価は足りた。君の差し出したものは、君の大切なものを助ける未来を手繰り寄せた。俺が吐いた嘘は一つだけ──本当は全部、等価交換だったんだから」

 

 真白の空間。どこまでも真白の、天地の境目のない空間。

 ()()()()()()()

 ただ、黒い靄を纏ったエリシア・ヒューズが、嬉しそうに、元気そうにこちらに手を振っていた。

 

「あ、あの……?」

「ああ、すみません。錬金術師なんて職業やってると、ついつい難しい言葉を吐いてしまって。今日も軍人さんに言われたばっかですよ、"年寄りは話が長い"って」

「はぁ……」

「ん、すんません。会うの二回目な奴の自虐ネタとかどー対応したらいいかわかんないですよね。それじゃ、俺はこれで失礼します。お大事に」

 

 今度こそ去る。

 幸せでありなよ。今幸せであるならさ。

 

 

** + **

 

 

 で、だよ。

 今夜汽車に乗ってダブリスに向かってるんだけど、これどーなの?

 

 マース・ヒューズの記憶を盗み見た感じ、エルリック兄弟はなーんでか賢者の石の材料についてまでは辿り着いていたけれど、第五研究所へは行っていない。だからそのあたりで起きるイベントガン無視。

 ダブリスっていうかラッシュバレーに行く理由も「エルリック兄弟が強くなりたいから」、ではなく俺との「医学、機械鎧、生体錬成談義で盛り上がって新しい機械鎧に挑戦したくなったから」になっている。

 大丈夫かぁ、これ。

 エドワード・エルリックが疑似・真理の扉に飲まれた時、外に出る方法を思いつく根底理由が第五研究所の賢者の石の錬成陣だ。

 それを見てないとなると……ワンチャン出れずにおしまい☆ もあり得るぞ。

 

 っべーだろそれは。

 そーなったら。

 ……そーなったら、まぁ、刺青の男(スカー)達と傷の男(スカー)兄と国土錬成陣上書きしてフラスコの中の小人の企みつぶせば……お? それでよくね?

 アイツらの復讐対象は国家錬金術師であってアメストリス人じゃない。それは傷の男(スカー)兄の言葉が示してくれている。

 

 ……おん。

 まいっかー。

 

 

 

 そんな感じで夜汽車に揺られている時だった。

 ラッシュバレーには一切興味ないので降りずにいるつもりだったのが……悪かったのかなぁ。俺悪くはないと思うんだけど。

 

「な……あ、アンタ」

「イズミ!」

 

 ……この二人の中央旅行ってもっと前じゃなかったっけ?

 この辺なー、10日だの一週間だのなんだの、日数が曖昧でよくわかんねーんだよな。

 つか、この二人がいるってことは、どっかにホーエンハイムも……いない、ねぇ。氣が見つからん。

 

 オイオイオイオイ大丈夫かアイツ。マジで失意ってんじゃね。失意って行き倒れてもう嫌になってたりしないだろうな。俺が打ち込んだ分以外はアイツがやってくれないとカウンター錬成陣発動しないぞ?

 

「まーまー座れよカーティス夫妻。俺別に何もしねーって。んで錬金術なんざ使おうモンなら汽車の中ぐちゃぐちゃになるだろ?」

「イズミ、座ろう。大丈夫だ、大丈夫だから」

「……っ」

 

 あれぇ、俺なんでそんなに警戒されてる?

 いや確かにショッキングな手術したけどさ。まぁ押し売りではあったけどさ。

 あ、あれか。あとで返せ、って言ったから、何か奪われると思ってんのか?

 

 俺そんな悪徳業者じゃないってー。

 

「あれから調子はどうよ」

「……」

「ああ……吐血することも、倒れることもなくなった。あの時は……感謝の言葉も言えなかったが、心の底から感謝して」

「あんた! ……そいつに頭なんか下げなくていい」

「だがイズミ、今日の今日まで平穏無事に生活できていることは……事実だ」

「だとしても、ソイツは人間じゃない。化け物だ。加えて国家錬金術師……軍の狗さ。頭なんて下げる必要は」

「ありがとう。心の底から感謝している」

「おう」

 

 ま、シグ・カーティスは先に眠ったからな。

 イズミ・カーティスより知っている情報が少ない。だから純粋に施術に感謝してんだろう。

 

 逆にイズミ・カーティスは、俺が腹ァ掻っ捌いたところまで見てるからな。自分の中にあるモンが元俺の臓器だって気付いてて、気付いたままずーっと生活してきたわけだ。違和感はないようにしたけど、それでも感じるものはあったんじゃないかね。

 

「……」

「……」

「……」

 

 険悪な雰囲気におろおろし始めるシグ・カーティス。

 コイツ熊みたいな体格だけど性格ウサギだよな。

 

「エドワード・エルリック」

「……ッ!」

「と、アルフォンス・エルリック。という兄弟を知っているか?」

 

 エンヴィーもだけど、うん。

 煽り甲斐のある相手は良いな。望んでもいない情報を零してくれたりするから。

 

「……」

「おいおい、そんな警戒すんなって。別に取って食いやしないよ」

「……緑礬の錬金術師、ヴァルネラ」

「お、よーやく喋ってくれる気になったか」

 

 車輪が線路を乗り越える音が響く。

 眼光が鋭い。

 

「アンタ──不老不死っていうのは、本当かい?」

「噂広まり過ぎだろ。んで本当だ。腹掻っ捌いて臓器取り出したって死なないよ」

「その、不老不死」

 

 茶々を入れたのにガン無視された。

 イズミ・カーティスは──鋭い眼光で、嘘は許さない、という声で。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ほーぉ。

 いいね。今まで誰も突いてこなかったところを突いてくる。

 

 だから、真実を答えよう。

 

「いいや、違う。だが……俺がこの世界に生まれ出でた時、俺の意思の介在しないところで犠牲になった奴はいるはずだ」

「それは、どういう……」

「俺は元から不老不死だよ、イズミ・カーティス。ただ……そうだな。巡ることを死と捉えるのなら、一時的には一度死んだのかもしれない」

 

 汽車が減速する。

 ダブリスに到着するのだ。

 

「そう警戒しなくても、無理に取り立てたりしないよ。気が向いたら返してくれって言っただろ?」

 

 大丈夫大丈夫。

 俺は無害だからねー。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 永き命の解答

主人公に新たな技が……?


「兄者」

 

 静かなコンテナに声が沈む。

 大きな声でもないのに、彼の声は、月明かりのみで作業をしていた男の耳朶を強く打った。

 

「寝ないのか。……体に障るぞ」

「少し、な。先日彼に貰った情報を私なりに裏打ち、精査してみたんだ。人造人間(ホムンクルス)、それを司る存在、私がこの国に感じていた違和感、他国との錬成反応の違い……。私たちを救ってくれた彼だが、彼もまた国家錬金術師。それに彼は……私を、私だけを見て生きろと言って来ていた。あの時の彼がどんな思いであったとしても恩人は恩人だけど、何か隠しているのは間違いない。そう思ってな」

「そうか。それで、どうだった」

「残念ながら」

 

 男は幾枚かの紙を見せる。

 陣と記号、数字、いくつもの矢印といくつものチェックマークの描かれたソレは、残念ながら男の弟が見ても理解できるものではない。

 

「──全て、正しかった」

「……そうか」

「こうなってくると、少し哀れでさえある。国家錬金術師は私とて憎い。だが、その制度も、この国の成り立ちも……すべてが利用されるためだけに生み出されたものだ。錬金術師が地に陣を描くように、意のままに生み出され、設置され、回されてきた。アメストリス人も国家錬金術師も……そして、私達でさえも」

「そうか」

 

 イシュヴァラの(かいな)に抱かれぬ者だけ、ではない。

 地の神イシュヴァラさえも利用せしめんとしたこの巨大な錬成陣は、今なお構築が進められている最中だ。

 

「このままいけば、多くが犠牲になる。この地にいるアメストリス人だけじゃない。この地にいるイシュヴァールの民も、血の薄まった者も、私たちのために動こうとしてくれた人も、動いてくれた……あの夫妻のような人たちも、皆」

「ならば、壊す必要があるな」

「ああ。果てを作る者があるのなら、それを壊し、続かせる。これは私たちにしかできないことだ」

 

 揺れる。コンテナが揺れる。

 ガタンゴトンと、線路と線路の継ぎ目を乗り越えるたびに揺れる。

 

「ならばなおの事休め兄者。──ブリッグズの寒さは、俺達には堪える」

「ははは、武僧としてあらゆる悪環境にも耐えたお前がそういうのなら、納得するとしよう。……明日は必ず戦いになる。──殺さず壊す。その勇気はあるかな?」

「無論だ、兄者。ただ壊し、ただ殺す者では国家錬金術師と変わらぬ畜生だ。……罪なき者に手をかけ、その命を奪うには……俺は生かされ過ぎたからな」

「おい、お前らうるさいぞ。早く眠れ」

「……らしいから、寝ようか」

「むぅ……そもそも俺は兄者に寝ろと言いに来た側なのだが」

「いいから寝ろ! 寝れないだろう!」

 

 揺れる。揺れる。

 復讐の炎は分火した。延焼した。

 国家錬金術師に復讐するという心は変わっていない。だが──それを統御し、けしかけた者の企みを壊し、その者をも殺すという炎が彼らの中に芽生えていた。

 たとえそれが、"緑礬"の注いだ油によるものであるとわかっていても──。

 

 刺青の男(スカー)と呼ばれた男たちは、アメストリスの最北。

 厳寒たる自然の要塞、ブリッグズの雪山へと向かう。

 

 

** + **

 

 

 ダブリスで降りて、カーティス夫妻とは別れた。というかあっちが離れてった。

 しかし嫌われたもんだ。まぁ押し売りも良い所だったからなぁ。

 

 さて、しかしどうしたもんか。

 これ多分というか確実にエルリック兄弟追い抜いてるんだよね。いや先回りする、ってのがそもそもの目的だったから良い……とは、いえ。

 

「お、らァ!」

「ふん!」

「セャア!」

 

 うーむ。ま、来る頃だろうとは思っていたけれど、そう来るか。

 しかも知ってる顔ばかり。どうすっかなー。毎回毎回思うことだけど、衣服切られるのダルいんだよな。妙に紳士的というか下半身はほぼ狙わないでいてくれてるのはありがたいけど、フードがさー。

 

 ぐじゅり。

 

「うぉっ!?」

「ム……まだだ。ふんっ」

「チ、速すぎだろ……グリードさんでもこんな速くは」

「いや、グリードはアレ演出で遅くしてるだけだろ。その方が恐怖掻き立てるから」

「喋ッ……いやいや、口どころか顔ぶっ飛んでんだぞ!?」

 

 ドルチェット。ロア。

 人語を喋る合成獣──どころか、動物の能力を手に入れた人間。

 俺原作の時から思ってたけど、この技術別に良いと思うんだよな。成功率が低い、って部分だけがいただけないけど、もっと確実なものにしたら、んでこいつらの寿命が人間相当であれば、普通に「進化」じゃん。

 

 水音を立てて顔が再生する。

 

「よう、キメラ諸君。グリードの遣いだろ? なんだよアイツ、待ちきれなくなったのか」

 

 80年も待ったんだもんな。

 答えが出ているなら、待ち遠しいさな、そりゃ。

 

 

 

 

「おー、ホントに不老不死! 親父殿の言うことを信じてなかったわけじゃねぇが、ホントのホントに見た目が変わってねえ。その上で聞いてるぜ。爆発四散したり、爆散したり、ぐちゃぐちゃにされたりほぼ消滅したり! がっはっは、だってのに今こうして五体満足で……いやぁ、マジモンだなお前」

「そういうお前さんは、人とつるむようになったか。友達か?」

「いや、仲間だ」

 

 そうなんだよな。

 グリリンになる前、つまり初期グリードってもう"答え"を手に入れているんだよな。まぁ早々と手に入れちゃったから他のものも欲しくなった、ってだけなんだろうけど。

 

「で、だ。取引は忘れてねぇよな、不老不死」

「勿論。というか楽しみにしてたんだ。永遠の命の等価。どんな結論を出したよ、人造人間(ホムンクルス)

「──勿論だ。……が!」

 

 が?

 

「お前ら上行ってろ! 宴だ!」

「へーい」

「っしゃー!」

 

 ……おん?

 

「がっはっは、何が何だか、って顔だな。おいおい、80年ぶりの再会だぜ? ──再会を祝って宴すんのは当たり前だろ」

「おー……俺と? 別に俺とお前友達でもなんでもないじゃん」

「再会には! 祝宴がつきもの! 覚えておきなぁ、不老不死」

「まぁ付き合うけどさ」

「……ところでお前食ったり飲んだりはできるんだよな? 不老不死なんだ、生命活動止まってるとかは」

「ああ、できるよ。排泄もしなけりゃ細胞も変わんないけど、俺が美味いモン好きだから胃に食ったモン分解する錬成陣刻んでる。どんだけ食ってもどんだけ飲んでも腹いっぱいにゃならん」

「良いじゃねえか! んじゃ夜まで、いや朝まで飲み明かそうぜ! んでアレだ。俺もこの80年あったこと話すからよ、お前の80年も聞かせてくれよ。さぞかし色々あったんだろ? どんなのでもいい、聞きてえ」

 

 ふむ。

 なんかちょっと珍しいな。フラスコの中の小人以来じゃないか?

 向こうから等価交換持ちかけられたのって。

 

「デビルズネストの食糧庫空にしちまうが、いいのか?」

「今さっき食材の業者に発注いれたんだ。追加はどんどん来るぜ」

「いいねぇ、南部の食事は胃もたれしないから好きなんだ。──上、行くか」

「がっはっは、やっぱノリ良いなアンタ!」

 

 いやだって、こんなノリ良い集団に囲まれたらそりゃ良くもなる。

 もう聞こえてくるもんな。上から。

 どんちゃん騒ぎっつーか、喧嘩とか喧騒に近い大騒ぎが。

 

「ああ、グリード。一個だけ」

「あン? あぁ嫌いなモンでもあんのか?」

「不老不死の欠点だよ。俺酔えないからさ、──素面で暴れさせてもらう」

「がっはっは! 奇遇だな、俺も一瞬しか酔えねえんだ。親父殿も、そういうとこ融通利かせてくれりゃいいのにな」

 

 グリードは、ちょっとだけ寂しそうに言う。

 仲間と盛り上がりたい。ほうほう。ならばよかろう──。

 

「……お前さ、硬化できる以外は人間と一緒だよな?」

「ん? あぁ、そうだが」

「これやるよ。こないだエンヴィーに薬盛った時の研究副産物。人造人間(ホムンクルス)専用、脳が上手く機能しなくなるクスリだ」

「名前からしてやべぇドラッグにしか聞こえねえが」

「やべぇドラッグに決まってんだろ。大丈夫大丈夫、人造人間(ホムンクルス)は薬物が体内に残り続けることは無いからさ」

 

 酔い止めならぬ酔い進め薬だ。俺には効かん。あと危ないから人間にも効かない。

 ……合成獣(キメラ)は実験してないけど、効かない。はずだ。

 

「ま、試しに服薬()んでみろよ。明日とかでいいから、宴が終わったら投与()んだ感想聞かせてくれ」

「……研究者がよ」

「あっはっは、錬金術師も医者も研究者なら、俺は二乗ってな」

 

 グリードは──ソレを一気に吞み込んで。

 

 

 

「……あ?」

「おお、起きたかグリード。すまんな、俺造形する錬金術苦手でさ。とりあえず怪我だのなんだのは全部治癒したけど、酒場はボロボロだわ。修繕費は俺の預金から出してやるから、そんな落ち込まなくていいぜ」

「いや……あ? ん? 俺は……」

「あ、何? お前酒飲むと記憶無くすタイプ? おいおい先に言えよ。──じゃあお前の痴態は俺と合成獣(キメラ)たちだけの秘密な」

 

 昼、である。

 カーティス夫妻と別れて、グリードに出会って、宴をして、朝になって誰も起きなくて夜になっての、朝を過ぎて──昼。

 ほぼ、丸々二日経ってる。

 いやー、やっぱ酔えないのだけは不老不死のよくない所だわ。俺素面がチャラいから酔ってる奴にも付き合えるんだけど、酔っぱらって気持ちよく眠る、ができねーのがなー。

 

「つつ……う、あったま痛ってぇ……」

「飲みすぎたし……寝すぎた……」

「あぁ、グリードの旦那ァ……アンタその一発芸面白すぎるって……ふぁぁ」

 

 他の奴らも死屍累々。

 動物混じってるからかな、酒が妙に効きやすい。いや動物の全てがアルコールに弱いわけじゃないけど、なんかあんだろ。知らん。俺合成獣(キメラ)の研究者じゃないし。

 

「……で、なんでお前さんはまだ食ってんだ?」

「馬鹿お前、途中からみんな酒しか飲まなくなったから勿体ねえんで料理は全部頂いてんだよ。いやマジで、サワークリームが良いわ。あとこの……なに? ヒラメ? いやヒラメなわけねーよなどーみても淡水魚だし。……よくわからんけどこの魚うめぇ。なに? これ」

「ん-? あぁ、そりゃカウロイレインズチャアだな。釣りやってるとよく釣れるぜ」

「ほー。こっちは?」

「いや俺別に魚博士じゃないんだが……おいマーテル! お前料理ある程度できるだろ、これなんだかわかるか?」

「ドルチェット……二日酔いの頭にアンタの声響きすぎ……」

「これは、シンカルプだな」

「外来種か。へぇ、誰かが持ち込んだのかな」

 

 わいわいがやがや。

 みんな起きてきて、また思い思いに料理を食べたり、なんなら再度飲み始める奴まで出てきた。

 

 ……いや今回は俺が出すっつったけど、こいつら普段の収入とかどーしてんだろ。

 

「あー、盛り上がってるトコ悪ィがよ。ヴァルネラ。ちょいと一旦下行こうぜ。取引の件だ」

「待てよ。これ食い終わってからだ。ち、タルタルソースかけたのは失敗か。味が強すぎる……全部タルタルの味になるからなタルタルソースって」

 

 なおこの世界にタタール人はいないのでタルタルソースなんて名前じゃないのはあんまり関係ないことである。

 

 口をへの字に曲げたグリードのためにも、少しだけ急ぎ目に食べて。

 

 よーやくの──答え合わせの時間である。

 

 

 

 

「まず、だ。ヴァルネラ」

「おん」

「俺は永遠の命と等価たるモンを見つけてねぇ!」

「……おん?」

 

 開口一番、そんなことを告げられた。

 

 え、それだとこの話終わりだけど。

 

「が!」

「が?」

「……まー、無い頭で80年間色々考えてみたんだ。ちぃと聞いてくれや」

「おお、いいぞ。違ったら違うって言うし、合ってたら合ってるっていうから」

 

 突然始まった問答というか講義。

 グリードは後頭部をポリポリ掻きながら、首をかしげながら、目を瞑りながら……少し言いづらそうに、一つ目を言う。

 

「まず……アンタを乗っ取る、だ」

「へえ」

「俺達の生まれはアンタも知っている通り、親父殿から抽出された感情と賢者の石が核となり、肉体を形作った。……が、やり方は他にもあってな。生きた人間に俺達を流し込む、でも人造人間(ホムンクルス)は作れるんだよ」

「あぁ、知っている」

「知ってんのかよ。……で! だから、今の俺をアンタに流し込めば、不老不死が手に入る……と、最初に考えた」

「おお」

「が、無理だな。あくまで俺は俺が不老不死を手に入れることを望んでいる。俺が不老不死に手に入れられることは望んじゃいねぇ。そんで、その程度のことでアンタの自我が消えんならそれは不老不死じゃねぇ、ただの頑丈なだけの身体だ」

「正解だ、人造人間(ホムンクルス)。俺に賢者の石を入れても何の意味もない。なんなら俺は体内に入った賢者の石だけから錬成エネルギーを消費して砕き切ることもできる。自殺行為だよ」

 

 もし、フラスコの中の小人が俺の中に入ってこようとしているのなら、そうするつもりだった。昔ホーエンハイムに相談しに行った時の仮説の奴な。

 あの時ホーエンハイムは俺の魂を一度追い出す、みたいなことを言っていたけれど、それは無理だ。

 俺は魂と精神の方が結びつきが強い。肉体はなんならおまけみたいなもんだ。そこを切り離すことは不可能。

 

「んで次。永遠の命になれる情報の対価が何なのかを頭まっさらにして考えた時、そりゃ永遠の命になれる情報が対価だろう、と思いついた」

「ほう」

「──が、それが何かはわからなかった」

「……」

「時間か、空間か。とかく形あるものは必ず風化する。俺達人造人間(ホムンクルス)でさえそうだ。体内の賢者の石が尽きれば寿命が来る。……嫉妬(エンヴィー)のアホだけはどうか知らねえがな。アイツは……他人を吸収できる。ある意味半永久的な不死だ」

「んなこたないよ。アイツは魂を補充できるだけで、賢者の石を修復できるわけじゃない。この辺専門な話だから簡単な例を挙げるけど、賢者の石ってのは謂わばコップなのさ。その中に魂というエネルギーが入ってる。中身を使い切ったらコップは割れるし、使い切らなくてもコップが割れたらおしまい。何故ならコップはフラスコだから。フラスコの外に出てしまったら、フラスコの中のものは存在を保てなくなる」

「結局専門的な話になってるぜ、爺さん」

「……いいね、ジジイ呼ばわりは面白い」

 

 中々いないからなあ。

 

「話を戻すぜ。だからまぁ、この世全てのものには寿命があるんだと気付いた。それを超越しているのが、時間と空間だ。時間は永遠に流れ続け、空間は永遠に存在し続ける。このどちらかなら永遠の命と等価なんじゃないかと思った」

「それは間違いだ、グリード。時間は永遠に流れ続けるわけじゃないし、空間は永遠に存在し続けるわけじゃない。どちらにも終わりが来る」

「……俺は"ンなもん俺の持ってるものじゃねえし、差し出せねえからボツにした"って言おうとしたんだけどな。そうか、そもそもが間違いか」

 

 宇宙は永遠には続かない。時空には限りがある。

 俺はそれを知っている。

 

「となると、最後に残った可能性はたった一つだった。強欲(俺様)だ」

「お前の命か?」

「いいや。俺は強欲だ。永遠に永遠に欲し続ける。俺が俺である限り、俺はあらゆるものを欲し続ける。親父殿から切り離された強欲()という感情こそが永遠の性質を持っている。そう、考えた」

「成程。確かに感情に限りはない。源がある限りどろどろと溢れ出てくるものだ」

「が!」

「が?」

 

 グリードは、自分の胸に親指を突き立てて、言う。

 

「ソイツは無しだ。永遠の命を得る代わりに俺が俺でなくなるのなら意味はない。俺は強欲あってこその俺であり、強欲を明け渡した俺は俺じゃなくなる。つまり」

 

 胸、じゃないか。

 突き立てているのは、心だろう。

 

「永遠の命と等価であるモンは俺にとって一番大切なモンだから、この取引はナシだ、不老不死。対価は大事なモンじゃねぇといけねぇだろうが、一番大事なモンを渡しちまったら意味がねぇ。その上で考えた」

「ほう。まだあるのか」

「そうさ。俺にとって"永遠の命"は一番欲しいものかどうか、を考えたのさ」

 

 グリードは。

 ニタり、と笑って。

 

「そんなことはなかった。欲しい欲しい、欲しい欲しい。俺様はあらゆるモンが欲しい。そこに優劣は無いと思っていたが──たとえば、永遠の命とアイツらを天秤にかけた時、どっちも欲しいと思うはずの俺の心は、アイツらに傾いた。その程度の欲しさでしかないってことだ。永遠の命は勿論欲しいが、一番じゃねえ。だから、一番大事なモンと交換するには釣り合わねえ。()()()()()()()()()()()

 

 今俺の心の中では真理君が「正解だ錬金術師!」って言ってる。

 

 不老不死。

 錬金術師なら、いいや人間なら一度は夢見る"富"。人造人間(ホムンクルス)達の感情とて人間のそれと大差ない。不老不死と聞いて、誰しもが「便利」だとか「羨ましい」だとか「手に入れたい」と思うその強欲の中──。

 

 強欲の名を持つこの男は、不老不死には「そこまで価値がない」と言い切ったのだ。

 

「グリード」

「なんだよ」

「遥か未来。あるいは別の世界。少なくともこの年代には生まれ出でない者が提唱する論理に、人間の人格というものは九つの種別に分類される、という考え方がある」

「あー。だぁから、メンドクセー話は無しで」

「強欲、グリード。お前は今、その分類において美徳とされる"価値観の克服"を成し遂げた。そうだ、それこそが──」

 

 俺の胸から、二振りの刀が突き出る。

 

「な、んだ!?」

「オイオイ、お早い到着が過ぎるだろ。俺宴してるからもうちょい待ってって手紙出したよな?」

「二日待つのは十分"もうちょい"だろう」

 

 その刀がサラサラと結晶化していっても、また次の刀が突き刺さる。

 何本持ってきたんだよ。

 

「悪いグリード時間切れだ。コイツあれ、キング・ブラッドレイ。もとい憤怒(ラース)。お前らんとこの末っ子だ」

「出来の悪い兄を持つと弟は苦労するものだ。私はお前を回収しに来たのだよ、強欲(グリード)君」

「……はぁ。とうとう親父殿からの差し金が来たってことかよ。で? なんでアンタはソイツぶっ刺してんだ? 狙いは俺じゃねえのかよ」

「別に故意に刺したわけではない。お前を狙って投げた刀がたまたま射線上にいた障害物に突き刺さった。それだけだ」

「やっぱお前老眼だろ。もう5m先も見えないんじゃね?」

 

 突き刺さるモノ全てを結晶化し、壊していく。

 が……時間の問題だな。

 

 緑礬の錬金術師の弱点その1は前述べた通り、結晶化の速度が一定以上上げられないことにある。

 んでその2は。

 

「グリード。上の奴ら連れて逃げな、軍が雪崩れ込んでくるぞ」

「……そうさせてもらうつもりではあったがよ。アンタはどうする気だ」

「俺は死なねえからどーとでもなる。等価交換だ、グリード。祝宴感謝する。再会を祝う宴に感謝されても、って思うだろうけど、俺に取っちゃいい思い出の一つになった。──良い思い出の等価は良い思い出でなけりゃな」

 

 俺が普段使う生体錬成と違って、体内に仕込んである緑礬の錬金術は全部手書きだ。

 つまり、その部位を傷つけられてしまえば、あるいは一度発動して組織が組み変わってしまえば発動しなくなる。

 在庫切れになっちゃうんだコレが。俺の再生は無限だけど、緑礬は無限じゃないのサー。

 

「……俺が、自分の手にした"(えにし)"を見捨てて逃げろ、ってか」

「不老不死だ。またどっかで会える」

「俺は強欲だぞ。わかってんのかアンタ」

「強欲ならもっと仲間を大事にしろ。もっと生を大事にしろ。お前パフォーマンスで殺されてみる奴やってるけど、あんなのしてたらすぐに賢者の石尽きるぞ」

 

 胸から一本、刀が突き出る。

 ──そしてそれは、結晶化しない。

 

「逃げろよ強欲(グリード)。んで考えろ。途中まで考えたんだろ! 一番大事なモンが何か! 一番だ! 欲しいモンで、一番目に来るのが何か考えて──答えが出たら、また会おう!」

「あぁ、わーったよ! だが不老不死、宴の対価が救命だぁ? 等価交換を謳うならもっと裁量はっきりしな! 俺はこれが等価だなんて思ってねえぞ! また今度会ったらもっかい宴だ!」

 

 グリードが上への階段を昇っていく。そしてすぐにドタドタと大人数が走り回る音が聞こえた。

 

「つーわけだブラッドレイ」

 

 思いっきり軸足に力を込めて回れ右。

 体の中心に刀がぶっ刺さってんだから、当然輪切りになる。

 肩から下、腕の残っている方で上半身を掴んで。

 

「食らえ! 即席命名、テケテケ砲!」

 

 ぶん、投げる!

 

 投げられた胸から上の身体は血液と肉片を周囲にまき散らしながら飛んでいき──当然、その全てから"緑礬"の侵食を開始させる。

 

「また……迷惑な」

「えー、天気予報天気予報。南部はダブリス、西の工場地帯! 晴れ時々……」

 

 結晶は瞬く間に広がり、周辺に巨大な穴を作り上げる。

 侵食はまだまだ止まらず、ゆえに、だから、つまり。

 

「──地面に大穴が開くでしょう」

 

 シンクホールだ。

 上の連中が逃げたことは氣で確認済み。

 その範囲はデビルズネストをぽっかり飲み込む程度。ごめんな店主。

 

「……天気予報を名乗るなら、せめて空の情報にしてほしいものだな」

 

 その眼で侵食されない部分を見切ったのだろう、穴の側面にぶら下がったブラッドレイが言う。

 うるせ。鹿注意報みたいなモンだよ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作9巻~
第9話 魂を見る医師


少しずつ、少しずつ……


 ウィンリィ・ロックベルをラッシュバレーに置き、エルリック兄弟はダブリスへとやってきた。

 自分たちが禁忌を犯したことも勿論憂鬱の種ではあった──が、それ以上に二人は落ち込んでいた。失意の底にあった。

 

 ラッシュバレーで起きた、ある家族の一幕。

 先に来ていたウィンリィ・ロックベルとは街中で落ちあい、向かったのは山の上。無愛想でありながら超優秀な職人ドミニクのいる家に来て、そのトラブルに見舞われた。

 そこの家族の母親が産気づいたのだ。

 両親が医者であるとはいえうろ覚えの知識しかないウィンリィが、妊婦から赤子を取り出す──自らの死よりも恐ろしい時間。無力だった。エルリック兄弟にできることは何もなく、ただ「カミに祈りを捧げ」ることしかできず。

 

 なんとか無事生まれた子供と──。

 裏腹に、()()()()()()()()を本来の医者に任せ、その家を後にしたのだ。

 何かできたのではないか。何か手伝えたのではないか。

 錬金術で、何か、何か。

 

 医療設備の整っていない場での出産。ウィンリィ・ロックベルはよくやった方だ。否、目覚しい貢献をした。彼女がいなければ、最悪赤子も母親も命を落としていたことだろう。

 それは多分、幼馴染として誇らしいこと。

 だけど。

 だから。

 

 緊急で医療チームに搬送されていった母親を見送り、拳を硬く硬く握りしめながら、ウィンリィ・ロックベルはある決断をエドワード達に話す。

 それは本当に先日の事。エドワード達と入れ違いになって来たヴァルネラとウィンリィの両親が話し、盛り上がっていた"医療用機械鎧"なる存在の構想。医者の両親を持ち、機械鎧技師でもあるウィンリィだからこそ作り上げられるだろうソレは、けれど圧倒的に知識不足なのだという。

 だから修行がしたいと。

 エドワードもアルフォンスも応援した。人の命を救う機械鎧など聞いたことが無い。この軍需景気においては機械鎧など全て兵器で、戦うための道具。その概念を覆すもの。

 

 勿論アンタの腕の改良も忘れないからね、なんて言葉と共にガーフィールという機械鎧技師へ弟子入りしたウィンリィを見送って、エルリック兄弟は。

 

 ──無力だった。

 夢。自分たちの身体を取り戻すこと。

 それは自分たちのための夢。否、目的だ。

 

 前に進んでいる気がしていた。

 けれど違う。今エルリック兄弟がやっているのは、過去を取り戻す行為に過ぎない。

 

 前に進んでいたのは、ウィンリィだけだ。

 それを痛感して、彼女といる時だけは空元気を見せて、別れてからはずっと俯いていて。

 

 ダブリスについてからも、久しぶりに会う人たちと顔を合わせても──それが晴れることはなく。

 

「──なんだいおまえ達。軍の狗に成り下がったことを叱ってやろうと思ったら……そんな雰囲気でもなさそうだね」

師匠(せんせい)……」

「はぁ。……何があったか話しな。しおらしさなんて捨てて、とっとといつものクソ生意気なおまえ達に戻ってくれ」

 

 そうして、エドワード達は自らの師匠──イズミ・カーティスに最近あったことを打ち明けるのだった。

 

 

 

 全てを話した。

 だからつまり──人体錬成のことも含めて、全て。

 

 わかっていたのだろう。どこか気付いていたのだろう。イズミ・カーティスは両手を組んで額に手を当てたまま、一言も発そうとはしない。

 丸形テーブルを挟んで二人、メイスンとシグが段々おろおろし始める。だって沈黙が長すぎるから。

 

「……おまえ達、セントラルにいたんだろう?」

「あ……はい」

「なら、ヴァルネラって医者に会わなかったかい。深緑色のコートを着た、子供みたいな奴だ」

「はい、会いました」

「んじゃソイツに頼めば治してくれるよ。失った腕も足も。どうせ最初はできないって言うだろうけど──アルの身体も」

 

 その、言葉に。

 エドワードが拳をギリ、と握りしめる。

 

「断りました。とても……受けいれられない手法での治療だったので」

「なんとしてでも取り戻したい、さっきそう言ったと思ったけど」

「取り戻したい、です。オレもアルも、自分の身体は取り戻します。誰かのものを貰うんじゃなく……!」

 

 そこまで聞いて、目を見開いたのはイズミ……ではなく、シグだった。

 ようやくわかったのだ。ようやく気付いたのだ。

 

 何故あそこまでイズミがあの"治療"を拒んだのか。

 

「……イズミ。イズミ。すまない、俺は」

「大丈夫だよ、あんた。あんたに悪意が無いのはわかっているし、私を純粋に想ってくれてたのも伝わってる。だから、大丈夫」

師匠(せんせい)?」

 

 イズミは自らの腹に触れる。

 吐血をすることはなくなった。気絶することも、失血で倒れることもなくなった。

 子供は二度と作れない体ではあるが──健康だった。

 

 禁忌を犯し、罰を浴び、代価を持っていかれたはずなのに、だ。

 

「……食事前でよかった。メイスン」

「あぁ、はい。……その、何度も言いますけど、俺は"そう"は思ってないんで」

「ありがとう。その言葉だけで救われた気がするよ」

 

 メイスンが席を外す。

 シグはともかく、ここに錬金術師が三人だけになった。

 

 なれば。

 

「……師匠(せんせい)も、手を合わせるだけで……錬成できますよね」

「ああ」

「見たんですか。……アレを」

「見たよ。見て、持っていかれた。内臓のあちこちをね」

「そんな……大丈夫なんですか? い、今すぐにでも横になった方が……」

「バカ。おまえ達の修行をつけている時、私が一回でも死にかけるようなことがあったかい?」

「……なかった、です。あ、でも時たま……お腹を押さえて、具合悪そうにしているのは見た……気がします」

「なんだ、案外目ざといね」

 

 イズミは大きく息を吸って、吐く。

 思いつめた顔をしているシグの──その背中をぶっ叩いて。

 

「治してもらったよ。緑礬の錬金術師ヴァルネラに。内臓を貰った」

「もらっ……そんなことが」

「できる。できたらしい。私には到底無理だけど、アレにはできた」

「……誰の、内臓なんですか。今先生の……中にあるものは」

「だから、アレの内臓だよ。──ヴァルネラは自らの腹を切り裂いて、その中から取り出した臓器を私に移植した。目が覚めた時にはアレはいなくなっていて、私の内臓もほとんどがあって、縫い跡さえなかった」

 

 意識を奪う薬品を嗅がされたというのに、鮮明に残っている。

 イズミの脳裏に──もし、順調に育っていれば、同じくらいの歳になっていたはずの子供が自らの腹を斬り、そこから臓器を取り出していく様を。それを錬成反応を散らしながら作り替え、イズミの腹へ入れていく様を。

 朦朧としていた意識はどこまでが現実でどこまでが妄想なのかをわからなくさせてくれる──はずなのに、イズミの意識ははっきりとしていた。痛みは完全になかったし、違和感さえなかったのに、意識だけは、まるで幽体離脱でもしたかのように、はっきり、はっきりと。

 

 取り出した臓器がぐじゅりと音を立てて再生する様子も。

 体形や体質の違うイズミに合わせ、凄まじい速度の生体錬成で内臓を作り替えていく様子も。

 

 最後にその腹を閉じて──施術を見下ろすような角度に視点を持っていた、夢なのか妄想なのかわからないイズミへ、彼がほほ笑んだのも。

 

 覚えているのだ。

 すべて。

 

「……緑礬の錬金術師は不老不死である」

「アル!」

「それは?」

「中央で……聞いた、噂です。僕たち、その時は馬鹿馬鹿しいって流したんですけど……」

 

 生きていたら、あれくらいの歳だった。

 その子供から、内臓を貰って健康を得た。

 ヴァルネラ。ヴァルネラ。緑礬の錬金術師ヴァルネラ。

 戦場の神医と謳われ、生体錬成の権威とも謳われる──少年。

 

「もしかしたらヴァルネラさんは、魂と会話ができるのかもしれない、って話になって」

 

 幽体離脱のような経験をしていたイズミ。 

 その状態の彼女に笑いかけてきたヴァルネラ。

 

「それで?」

「僕……人体錬成をした瞬間の記憶が無いんです。僕も兄さんと一緒に真理を見たはずなのに」

「それで、その記憶をヴァルネラに戻してもらいたい、と」

「はい。……その、師匠(せんせい)は何を払って、その……持っていかれたものを貰ったんですか?」

 

 イズミは、再度腹をさする。

 痛くもない。苦しくもない。

 ただ──考えるたびに、思い出すたびに、吐き気がする。

 

「何も」

「何も?」

「無償で……そんなことを?」

「ただ、いつか返してくれたらいい、とだけ言ってね。先日も彼に会ったけれど、特に何かを奪われることもなかったよ」

 

 それは。

 あまりに都合がよすぎる。

 錬金術の基本原則が等価交換であることに倣い、錬金術師も等価交換を基に動くことが多い。

 

 疑うな、という方が無理だ。

 内臓の補填などという神業をやってのけて、代価はあとでいい、なんて。

 

「喪った記憶の代価は、なんだと思いますか」

「アル、別にあんな奴頼らなくたって」

「……ダメなんだよ、兄さん。──僕は今、一番弱い。一番何もできない。ウィンリィみたいな度胸もないし、兄さんみたいな覚悟もない。精神面でも戦闘力でも僕は一番弱い。ならせめて、僕の全身が代価になったっていう真理の記憶くらいは取り戻さないと──僕には、何もない!」

 

 あるいは。

 本来であれば第五研究所で、その後の病院で解消されていたはずのストレスが、ようやく、溜まりにたまったものがようやく、ようやくここでタガを外したのだろう。

 ラッシュバレーでの無力感。リオールの暴動の引き金を引いた自分たち。代表的な二つはこれだけど、他にももっともっとたくさんある。

 手合わせ錬成で激しい戦いを繰り広げ、血だらけになっていく兄を見て。

 どれだけ練度を上げても錬成陣を描く速度は合掌には敵わない。それができる、兄と師匠。代償は同じものを持っていかれたはずなのに──自分だけ、自分だけ、忘れている、なんて理由で、自分だけできない。

 

「もし、叶うのなら──」

「はい呼ばれて飛び出てびよよよーん」

「ッ!」

 

 一気に臨戦態勢になる四人。

 はしたないことに、テーブルの上に土足で少年が降り立ったのだ。

 

「な……ヴァルネラ!? どっから……」

「どっからっつーと微妙だな。屋根からというか窓からというか。俺もう帰るからさ。用あるなら今言ってくんない?」

 

 ヴァルネラ。

 彼の衣服には、所々に血液が散っている。

 

「僕の記憶を戻して!」

「ちょ、おい、アル!」

「……あ、そうか。マーテルもうどっか行っちゃったから……あー、いいよ。いいけど」

 

 今の今で話していたことだ。

 何を要求されるのか。緊張が走る。否、そもそもタイミングが良すぎる。怪しい。怪しい。怪しい──。

 

「──代価は後で良いよ。つーことで、ほい。あ、やべ。んじゃ!」

 

 プッ、と。

 彼は口の端を歯で切って、それを飛ばす。

 血。一滴とさえ呼ばない量のソレは、アルフォンスの鎧の隙間に入り込み──。

 

 

** + **

 

 

 追われている。

 追われている。

 

 誰って。

 

「待テ、ブシュダイレン!」

「おいおい若の護衛は良いのかよ。多分その辺で行き倒れてんぜ~?」

「ふん、そちらにはそちらの者がついておル!」

「あぁそうかい!」

 

 迫りくる苦無を右手で受け止める。というか受け止めきれないのでサクッと切られる。きられたまま仰け反って、空中で身動きのできないでいるソイツの足裏に膝蹴りを入れてやれば、思わぬ加速がソイツを襲う。

 が、ソイツも手練れ。身を屈めて身体を回転させ抵抗を作り、吹き飛ばされるのを防いだ。

 

 ぐじゅる、と手のひらから上が再生する。

 

「──やはリ、不死なル者!」

「はいそーですよ」

「ブシュダイレン!」

「はいそれもそうですよ、っと」

 

 顔にぶっ刺さった苦無──は、なんか手榴弾がぶら下がっている。

 

 住宅街って言葉知ってる?

 

 一応できるだけ高く飛んで、上半身を吹っ飛ばされる。

 爆炎の中で再生。塵芥から衣服を作って、またヒーロー着地。

 

「ぬぅ、やはリ単純な攻撃は意味を成さぬカ」

「ああ、毒とかも効かないよ俺。催涙弾とかもね。閃光弾も効かないかなー」

「ええイ面倒ナ。とっとと不死の法を吐け、ブシュダイレン!」

「おいおい、時の皇帝にだって吐かなかったモンをヤオ家の付き人なんかに話すわけないだろ。せめて皇帝連れて来いよ。話すかどうかはともかく」

「その皇帝に若様がなる為ニ貴様が必要なのダ!」

「前も言われたよそれ。そんで連れていかれて喋らなかったら首切られたよ。クセルクセスとおんなじことしてるよなシンって」

 

 まぁその時は既に錬金術修めてたから抜け出せたけど。

 落ちた首の方から再生したらめっちゃ驚いてたの懐かしい。

 

「不老不死の法、ブシュダイレン! この手に捕らえるまデ逃がさヌ!」

 

 そのまま朝まで追いかけっこした。

 

 

 

 流石のシン出身も人間。それも爺さんとあらば疲労が来る。

 対して不老不死マンは疲れないのでずっと走れる。速度的には負けているのでズバズバ斬られているんだけど、全く以て意味のない行為なのでやっぱりフー爺さんばかりが疲れていく。

 

 こうして逃げ果せた次第……だけど。

 

 いやねー、色々原作を捻じ曲げてきた自覚はあるけど、これ結構じゃない?

 

 シン組の狙ってる不老不死の法が賢者の石ではなくブシュダイレン……つまり俺である、ということ。

 ブシュダイレンってのはシンでの俺のあだ名ね。不老不死、に似た意味があったはず。

 

 いや確かにそうなのだ。

 原作においては、彼らは不老不死の法を求めてきたものの、それがなんなのかわかっていなかった。わかっていないながらに調査を進め、まず人造人間(ホムンクルス)を、そして賢者の石が目的のものであると知り、最終的にはそれを欲するようになる。

 

 が。

 いるんだよね、最初から。

 不老不死。

 

 そう……昔シンに行った時も、錬丹術習うだけ習って武術もある程度習って、結構な年月が過ぎたある日、そのお世話になってた部族の人から「お主まさか不老不死か?」って言われて「おん」って返したらやんややんや、皇帝のもとまで連れていかれて……ってあとはお察しなんだけど。

 だから、その頃から俺の存在は認知されていて。

 ずっと俺は探されていたみたいで、近年になってようやくアメストリスにいるってわかったんだとさ。誰が教えたんだろうねぇ。

 

 で、来たのがご存じグリリンの下の方、リン・ヤオ率いる二人と、誰も率いていない極貧部族メイ・チャンになる……わけだけど。

 

 そういえば傷の男(スカー)兄にお願いして刺青の男(スカー)達は全員ブリッグズ山行ってもらってるから、メイ・チャンワンチャン死なないか? 行き倒れて。

 

 ……。

 いやまぁ助けようにもどこのスラムかわかんないし、助けたら助けたでブシュダイレン! って命狙われるんだろうし、助けるメリットがなーんにも無いように思うんだけど……どうなんだろう。

 

 ほぼあり得ない話だけど、もしコトが原作通りに進んだ場合、マストとなるのはリン・ヤオの方ではなくメイ・チャンの方だ。言っちゃなんだけどリン・ヤオは単純戦力でしかなく、グリードが死んでいないので弱体化食らったようなもの。

 対してメイ・チャンは錬丹術の達人というアドバンテージがあり、もし原作の決戦のような状況になったとき、あの精度で遠隔錬成を使える彼女がいるのはかなり強い──が。

 

 ……別に良くないか。

 密入国者だし。わざわざ足運んで助けるほどの何かがあるわけでも──。

 

「あら? あなたは確か……夫の」

「ん? ……え、グレイシアさん? なんでラッシュバレーに」

「ラッシュバレー……? いえ、ここはセントラルですよ。ふふ、今の言葉だけ聞くと、まるで迷子の子供のようですね」

 

 ……マジやん。

 おいあの爺さんダブリスからセントラルまでずっと追いかけてきてたのかよ。執念在り過ぎだろフルマラソン出ろ。

 

「あの……先日はどうもありがとうございました」

「ああいえ、別に。どうでしたヒューズ中佐は。過労死してませんか」

「あの日の記憶が一切ない、とは言っていましたけど、今は元気ですよ」

「そりゃよかった」

「それと……」

 

 グレイシア・ヒューズが──深々と俺に頭を下げる。

 おいおい目立つって目立つって。

 

「すみません、あの時は……ちゃんとしたお礼も言えなくて。もしかしたら、夫の命の恩人となっていたかもしれないのに」

「ん? っと……それは、どういう?」

「ああいえ、ですから、最近の夫は少し働きすぎといいますか、根を詰めているようで、あまり休んでいないみたいなんです。その……過労で倒れていた日の事をどうしても思い出したいみたいで、ずっとペンを走らせていたりして」

 

 ……ソイツは、ヤバいな。

 マース・ヒューズの記憶を封じた時にも述べたけど、記憶って言うのは結構簡単に思い出せちゃうもんだ。思い出せないときはイライラするほどに思い出せないんだけど、何かしらのきっかけがあったら思い出せてしまう。

 たとえば──俺を見る、とか。

 あるいは、マース・ヒューズの足をぶった切ったあの書架を見る、とか。それだけで。

 

 もし彼に記憶が戻ったら。

 

 ……流石に二度目はないぞ。俺も別に、マース・ヒューズに生きてほしいと思っているわけじゃないからな。

 

 あー。

 そろそろロイ・マスタングが中央に栄転して来る頃じゃないっけ。

 軍法会議所メンバーを引き抜き……ってのは難しいかぁ。流石になぁ。しかも大佐と中佐だからなぁ。あー、まー、なるようになるんじゃねぇ?

 

「あの……お願いがあるんです」

「ん、はい。なんですかね」

「貴方はお医者様……なんですよね? 失礼ながらどこの病院に勤めていらっしゃるのかは存じ上げないのですが……」

「ああはい、まぁ個人医ですよ。だからでっかい病院とかないです」

「……夫を診てもらうことは、できますか?」

 

 そう来るよなぁ。

 だって最初にマース・ヒューズがグレイシア・ヒューズに俺を紹介した時の言葉が「セントラルじゃ有名なお医者さん」だもんなぁ。

 でも俺と会ったら……うーむ。

 

「構いませんが……その、下世話な話、私は個人医なので……」

「お金は払います。ただ、どうも今の夫は見ていられなくて。お願いします、ヴァルネラさん」

 

 ぐあー、そうか軍法会議所は給料良いんだった。

 プランA、金取るぜげっへっへ作戦は失敗。プランBは無し。

 

「……わかりました。ただ予約の関係上少しスケジュール調整をさせてください。あ、これウチの電話番号です」

「ありがとうございます! あぁじゃあ、これがうちので……」

「それじゃまた後日連絡しますね」

「重ねて、本当にありがとうございます!」

 

 うん。

 さて──ロイ・マスタングに電話するか!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 盗み映る記録

 ロイ・マスタングがセントラルに来た。

 東方司令部の面々を連れて、だ。そしてそこには。

 

「あのなぁロイ。軍法会議所の人間を中に入れるってことは、お前さんがいつもやってる口八丁手八丁ができなくなるってことだぞ?」

「なぁに、そこは君と私の仲だろう」

「俺に不正を見逃せってか? こちとら妻子がいるんだ、首切られるようなことはやんねぇからな!」

「ははは、そもそも何故私が不正に手を染める前提なんだヒューズ。私は至って品行方正な模範的アメストリス軍人だとも」

「……」

「中尉、なんだその目は」

「いえ。大佐が模範的アメストリス軍人だというのなら、軍の七割は聖人君子か何かなのだろうな、と思ったまでです」

 

 ──みたいな会話を、盗聴する。

 俺がロイ・マスタングに電話でしたお願い。ちゃんと聞き届けてくれたらしい。まぁ認可したのがどこの部署かは知らんが、どっかしらの息がかかっているのはまず間違いないだろう。本来ならば絶対にあり得ない異動だからな。

 

「それはともかく、だ。マース・ヒューズ中佐」

「あ? なんだよ畏まって」

「早速だが命令だ──仮眠室で寝て来い。隈、隠せていないぞ」

「……断る」

「上官命令だ。幸いにして刺青の男(スカー)の目撃情報は完全に消え、ここセントラルにおいても大きな事件は起きていない。なんなら既にハボックはナンパに出ている」

「……お前まさか、俺を休ませるためだけに俺を隊に入れたんじゃねえだろうな」

「そんな私欲で、しかも私にとって一センズも利益にならないことで権力を使うと本当に思っているのかねマース・ヒューズ中佐」

「……ち、わーったよ。ご厚意感謝します、つってな」

 

 よーし。

 マース・ヒューズに言うこと聞かせるにはロイ・マスタングが一番! その逆も然りだけど。ああどうだろう、ロイ・マスタングへの一番はリザ・ホークアイかもしれない。甲乙はつけ難いな。

 

 ばたん、とマース・ヒューズが部屋を出た音。氣もしっかり離れて行っている。

 そこにホムンクルス等々が近づく様子もなし。

 

「で? 大佐、なんでヒューズ中佐を? いやあの人俺も好きだから良いッスけど、結構無理を通したんじゃ?」

「要否だ、ブレダ少尉」

「要否?」

「必要だったからこうした。それだけだ」

「……なるほど。俺らにも話せないくらいのお偉いさんからの、ってことですかい。んじゃもう聞きませんよ」

「ああ。私は何も言っていないがな」

 

 先日、ロイ・マスタングに電話をした。

 ただ一言──"マース・ヒューズが上に狙われている"と。

 それだけ言って切った。当然ロイ・マスタングくんからのお問い合わせがジリジリとかかりまくってきたけど、ガン無視。まーた近づいてきてるフー爺さんの氣を察知して逃げ回って、今ここにいる。

 

 詳細は話していない。

 何故なら、恐ろしいことに気付いてしまったからだ。

 そう──現状、ロイ・マスタングもエルリック兄弟も、人造人間(ホムンクルス)という言葉にさえ辿り着いていない、ということに。

 

 第五研究所に行っていないのでラスト、エンヴィーに会っていない、デビルズネストに行っていないのでグリードに会っていない、まぁ多分グラトニーにも会っていない。

 いやラースことブラッドレイには会ってるっちゃ会ってるけど人造人間(ホムンクルス)だとは思っていない。

 

 多分というかほぼ確実にウロボロスの入れ墨も知らない。

 ただ、賢者の石が人の魂を原料にしている、ということだけを知っている状態。

 エルリック兄弟が知らないだけならまだいいんだけど、軍人側もほぼ誰も真相に辿り着いていない……足をかけてすらいないのがヤバすぎる。

 

 ので、マース・ヒューズだ。

 彼は記憶を思い出しつつある。多分なんらかのきっかけで思い出せてしまう。

 そうなったとき、ホムンクルス達はマース・ヒューズを狙い直すだろう。もし現段階でロイ・マスタング組に国土錬成陣に気付かれてしまえば、焔の錬金術師の最大火力でスロウスが作ってる円を薙ぎ払ってぶっ壊す、とかもできそうだし。

 しかしそこに、彼を囲うようにロイ・マスタング達がいれば、十分な盾になる。

 マース・ヒューズが夜遅くまで調べものをするのなら、必ず誰かが連れ添ってくれるはずだ。あの面々面倒見良いから。そして何かに気付き、隠している素振りを見せようものならロイ・マスタングが必ず暴く。暴いて共有してしまえばマース・ヒューズのみを狙う理由もなくなる。

 

 どうだろう、俺は軍略とか戦略とか一切習ってこなかったけど、結構良い線行ってるんじゃないだろうか。

 

 窓が開く。

 

「で、皆出て行きましたが……どういうことか説明してくれるんですか?」

「え、しないよ? 経過観察に来ただけだし。ただ、そうだな。アドバイスだ。セントラルの軍人は誰も信用するな。基本的に怪しいと思え」

「……貴方は昔から上層部と仲が悪かったと記憶していますが、それ関係ですか」

「それ関係でもあり、それはあんまり関係なかったり。ただ──お前には借りがある。ロイ・マスタング。等価交換はまだ済んでいない。うまく使えよ、俺を」

「どういう……はぁ、行ったか。全く、毎度毎度嵐かあの人は……」

 

 確かに行った。離れた。

 けど盗聴器はまだ機能して……おや。

 

「こっちには機械関係のスペシャリストがいるんですから、気が付かないわけないでしょう。プライバシー保護の観点から潰させてもらいま」

 

 ぐしゃ。

 ……。

 これで等価交換な。お前にマース・ヒューズを押し付けたことと、俺が買った盗聴器踏みつぶしたこと。

 造形の錬金術が苦手な俺にとって、壊れた機械に対する苦手意識がどんだけあるかお前わかってないだろう。つかもう買わねえ。設置も設定も大分時間かかったし。へん、俺は不老不死だからナチュラルを生きるんだよネイチャーをな!

 

 

** + **

 

 

「──見つけタ! ブシュダイレン!」

「若、単純な物理攻撃は効きまセン、切り刻んだ後に鉄網などデ……」

「やってもいいけど別んとこから再生するから関係ないよ」

 

 街中を、ではなく屋根の上から上を伝っていたら、リン・ヤオとフー爺さんと遭遇した。

 氣は……三つ。屋内に一人潜んでいる。

 

 なんで街中を行かなかったって、こいつら所構わず襲ってくるから周囲にものっそい迷惑がかかるのだ。前も述べたけど、目の前で少女の首が飛ぼうが赤子が弾けようが何とも思わない俺だけど、「あー今俺超迷惑だなー」くらいは思う。

 それを避けての屋根上だ。

 ついでに言うと屋根上って案外遮蔽物少ないから戦いやすい、というのもある。

 

「ヤオ家近代当主か」

「そうダ。そういうお前はブシュダイレンだナ? 遥か昔のシンにおいて、皇帝に不老不死の法を授けることなく消えた不老不死の精。──俺達は別にお前を殺そうとしているわけじゃない。ただ近代の皇帝に会ってほしいだけダ」

「そこの爺さん殺そうとしてきたけど」

「フン! 殺しても死なんだろウ」

 

 そうなんだけどさ。

 ふむ。氣が真下にまで来たな。これはあれか。

 

「突然一歩進んでみる」

「!」

 

 突然一歩進んでみれば、今まで俺の足があったところから突き出た腕が空を切ってくれた。

 

「何!?」

「……ランファンの隠形を見破るか。やはリ、一筋縄ではいかなそうだナ」

「ですナ」

 

 臨戦態勢になった二人。

 いやー。

 シン組、本当にどうしようかなぁって。悩みの種過ぎる。

 

「……つかさ、ちょっといいか?」

「なんダ、ブシュダイレン」

「俺年明けて少しくらいまで予定入ってるからアレだけど、それ終わったら全然いいよ、シンについて行っても」

「……」

「……」

「行ったことあるし。あれ、ロン家ってまだある? あの時の騒動で潰れちった?」

「……前々前代の皇帝がロン家の者ダ」

「へえ! じゃあ結構続いたんだ。今は?」

「普通に……そこそこの力はあるガ、安泰とは程遠いナ」

「ん-、まぁあの頃の奴らは誰も生きてないだろうけど、どういう風に景色が変わったのかとかもみたいし。いいよ、こっちでやること終わったらついてってやる。だから殺すのナシにしてくんね? ダルい」

 

 沈黙である。

 この中で一番付き合いの長い──といってもトマトゼリーしただけの間柄だが──フー爺さん以外の二人は呆気に取られているようだ。ランファンなんかまだ腕だけしか見えてないし。

 

 不老不死の法。

 教えるかどうかは代価次第だけど、持ち帰るというかついてきてほしいってんなら全然行くよな。こっちでのアレコレ終わったらまたやることなくなるから観光タイムに入るわけだし。

 

「本当ニ……いいのカ?」

「おん。おめでとう当代ヤオ家当主。次の皇帝はお前だ」

「……」

 

 まだ信じられないのか。

 ポカンと呆けたままのリン・ヤオ。まー口約束だと信じられんか。だけどなー、俺ってば不老不死だから担保になるものないんだよね。大事な物とかもないし。

 

「そうと決まれバ、その"こっちでやること"とやらヲ早めに終わらせてしまいたいものだナ」

「あー、月日が関係するから早めに終わらせるとかないのよ。季節行事っつーか」

「成程。シンにも季節に関する行事は沢山あル。それらを動かすことはできない……若、ここはひとまず」

「あ……あぁ。そ、そうカ。俺は……皇帝ニ」

 

 流石の俺も日食の時期をズラす、とか無理だから。それができるのはもうカミサマだから。

 なんで来年の「来るべき日」まで待ってもらわないと。そんで、それが終わってからだな、シン旅行は。シン旅行終わったらアエルゴとかドラクマも行ってみたいなー。なんか昔ドラクマ行ったら密入国者の取り締まり強すぎて一瞬でバレて追っかけまわされて終わったからなぁ。

 あとはクレタか。クレタは実は一回も行ったこと無いんだよな。何があるのかもよく知らん。楽しみではある。

 それに、原作では触れられなかった、アメストリスからかなり離れたところにある国々も。錬金術の発達はほとんどしていないクセに、建設技術だけで103メートルとかまで高さ出してる建造物とかあるらしい。あ、そういやブレダ少尉がシンのさらに向こうに島国があるとかも言ってたなぁ。

 

 うん。

 当然だけど、この1914年、1915年で世界が終わるでもないんだ。

 こういう展望は心をワクワクさせるよね。今度こそ汽車も航空機も船も使わない完全徒歩&泳ぎでの観光をするとしよう。

 

「決まりダ」

「あ、うん? 何が?」

「我々はお前についていク。お前に何があっても事だガ、他のシンの者がアメストリス入りしているとの情報もあル。それらの手に渡る可能性も否定できなイ」

「ってわけだ、ブシュダイレン! 世話になル!」

「そして、いつまでそうしているつもりだランファン。出てきて挨拶をしろ」

「あ……」

 

 えーと。

 つまり?

 

「改めて! リン・ヤオだ。当代ヤオ家当主、シン国皇帝第十二子になル」

「リン様に仕えるフーだ。好きに呼べ、ブシュダイレン。リン様が最優先なのハ当然だガ、何かあれバお前も守ろウ」

「同じくリン様に仕えるランファンだ。よろしく頼ム、ブシュダイレン」

 

 おーん。

 

「とりあえず、ブシュダイレンはシン国でのあだ名だからやめようぜ。本名じゃないけど、この国じゃヴァルネラって名乗ってんだ。そっちで呼んでくれ」

「おう! ……なんで本名名乗ってないんダ?」

「長いからだよ」

 

 そういう次第で。

 ヤオ家一行がパーティに加入した! テーテレテッテッテッテー!

 

 

** + **

 

 

 

 砂漠だ。

 ここは……どこだろう。砂漠に……錬成陣が描かれている。吹けば飛んじゃうような砂の上に、壺からインクみたいなのを垂らして。

 遠くにあるのは、王宮? どこの?

 

「おい、準備は良いか錬金術師!」

「へぇへぇちょいと待ってくだせぇ。今結構複雑な作業してんですか、ら!」

「早くしろ──王に見つかれば、ただじゃ済まされんぞ!」

 

 兄さんや僕と同じ、金髪金眼の人たちがたくさんいる。いいや、たくさんどころじゃない。全員がそうだ。男の人も女の人も、お爺さんも……みんな金髪金眼。

 じゃあここは、父さんと……そしてヴァルネラさんの故郷?

 

「お、お、お! 来た来た来た! こりゃ──アタリですよ旦那たち!」

「ほう、そうか! ──では、やれ!」

「よしきた!」

 

 錬成陣の上に、誰かが縛られて寝かされている。

 白い服。金髪金眼は一緒だけど、誰も彼もが……怪我をしている。

 五角形の陣。まさか、これは。

 

 錬金術師だろう男が、丸く結び目を作って結った自分の髪と──ケースのようなものに入れられた、誰かの目をそこに置く。

 円を結った髪。錬金術においては「復活」、「通行証」、「生命」などの意味を持つ記号。

 眼球。錬金術においては「全知」、「存在」、「予言」などの意味を持つ記号。

 

 本当に直前まで錬金術師の男はそれを隠し持っていて、こっそり置いたんだ。

 

「お? お、おお……おおおお!」

「こ──れは、本当に大丈夫なんだろうな、錬金術師!」

「そりゃもう! 死者の蘇生がダメで、人体の再錬成に意味が無くて、だったら──ソイツを別人に作り替える錬成こそがアタリ!」

 

 激しい錬成反応。錬成陣からは黒い腕みたいなものが出てきて、そして中心に、巨大な目が開く。

 アレが錬金術?

 ……いいや、僕は……僕も、これを見たことがある。似たもの、という方が正しいけれど、そうだ、僕は真理で、あそこでこれを。

 

「ほ──本当にだ、大丈夫なんだろうな錬金術師!!」

「大丈夫ですよォ──あっしはね」

「何!?」

「げっへっへ、知りゃせんか、錬金術の原料は円の中心になけりゃならない。原料こそが構築式を経てエネルギーを消費して形を変える。材質を変える。変質する! それが錬金術だ。──アンタらみてぇな馬鹿がいる場所ってのは、エネルギーを保持するための転換点でしかねぇんだわ」

 

 砂塵が巻き上がる。

 それでも錬成陣は消えないし。

 ──中心の錬金術師以外、周囲全員が分解されていくのも終わらない。

 

「お──おおお、おおおお!?」

「これで、あっしが不老不死だ! これで、これで、これで──!」

 

 空。太陽。

 太陽は直上にある。錬金術師がその手を太陽に伸ばし、その目を焼かれてもなお求め続けた先に──()()()()()

 

「なんっ……いや、あれが、あれこそがあっしを不老不死にしてくれるもの!」

 

 もう、周囲の人間に力はない。

 息絶えている。それがわかる。

 

 生きているのは男と。

 

「──あのさ、呼び寄せるならもう少しマトモな扉潜らせてくんない?」

 

 べちゃべちゃと。

 ぐちゃぐちゃと。

 扉から、黒い手のようなものがウネウネと動く扉から降ってきたのは──肉片と骨片と、大量の血液。

 それが錬金術師の男に降り注いで。

 

「は、……え?」

「等価交換だよ、錬金術師。呼び出したモンとあんまりにも釣り合ってないけど、俺が扉を通ったんだ。お前も扉を通らなきゃな?」

「──ひ、ひぃぃいっ!?」

 

 空の扉が伸びる。

 その奥にある太陽はまだギラギラと輝いていて──だというのに、扉から伸びた手が、手は、無数の手は光を通さない。漆黒を超えて真黒。何もかもを吸い込む黒に、錬金術師の男は引きずり込まれていく。嫌だ嫌だと叫んでも、苦しい苦しいと叫んでも──誰も助けてくれはしない。

 だって彼の周囲にいた命は、全て彼が呑んでしまったのだから。

 

 そうして──扉は彼を収容して、しずかに、けれど荘厳にしまっていく。

 太陽は燦燦と輝き。

 しまり切った扉は、次第にスゥと消えて行った。

 

 砂に撒き散らされた血肉は、ぐじゅる、ぐじゅるりと音を立てて──。

 

「うわ暑ッ! 暑っていうか熱っ! おいおいどこだよここ……ワーオ、クセルクセスじゃん。マジけ?」

 

 少年となる。

 

 ああ──太陽が不老不死を指す記号となったのは、いつからだったのか。

 太陽の門。太陽の扉。

 

 そこから放り出された、ちょーっと特異な少年。

 彼が、こっちを……僕を見て。

 

「いや、いや全くさぁ、不老不死だからって雑に扱っていいわけじゃないんだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「──!!」

 

 

 

「アル! アル! アルフォンス!!」

「……兄、さん?」

「よかった……良かった、起きたか。クッソ、あのヴァルネラの野郎! やっぱし今度会ったらホントにタダじゃおかねぇ……!」

 

 そこは。

 ダブリスの、師匠(せんせい)の家。

 

 みんながみんな、心配そうに僕のことを見ている。

 

「ふぅ、起きたかい。良かったよかった」

「良くないです! つかアル! お前なぁ、なんちゅー危ないことしてんだ! あのヴァルネラって野郎は得体が知れないんだぞ!? それに、その血印はお前の魂を繋ぎ止めるための楔! もしそれに何かあったら……」

「兄さん」

「まだ話は終わってねぇ! いいかアル、オレは」

「真理を見た時の記憶、思い出したよ」

「!」

 

 手を合わせて。

 自分の腕、血印のある部位に干渉しない鎧に対し、力を使う。

 伸びてくるのは──兄さんのと同じ、薄いブレード。

 

「……思い出したか。まぁ、じゃあ、結果オーライ……とでも言うと思ったか! ぜってーもっと安全な方法があった! 焦る気持ちはわかるっつか、わかってやれなかったオレが悪い! 九悪い! けど相談もせずにあんな奴を頼ったお前も一悪い! だから──」

「それで、クセルクセスも見たんだ」

「おま……は? クセルクセス?」

「クセルクセスって……あのクセルクセスかい? かつて栄華を誇ったものの、一夜にして滅んだっておとぎ話の」

「はい、師匠(せんせい)。僕は真理を見た記憶と一緒に、クセルクセスで起きた一部始終を見ました」

 

 アレが誰の視点だったのかはわからない。

 少なくとも彼の視点ではないだろう。でも、その場にいた誰の視点でもないように思う。

 

 あるいは──世界の。

 

「一部始終? 何の一部始終だ?」

「多分、ですけど……人が生まれる瞬間」

「出産ってことか?」

「ううん、違う。……錬金術によって、人が生まれる瞬間」

 

 ──それは。

 師匠(せんせい)も兄さんも沈黙する。

 だから、変に説明しないで、あの時聞いた言葉をそのまま繰り返す。

 

「死者の蘇生でもなく、人間を人間に作り直すのでもなく──その人間を、別の人間に錬成する錬金術」

「ソイツは……でも、どうやって」

「どうやってかは、わからない。アレがクセルクセスのどこだったのかも……ああ、でも、少しはわかる、かも」

「そんで? その錬金術は成功したのか?」

「……うん。多分」

「多分ってなんだよ」

「だからわかんないんだよ。多分、普通の人間を普通の人間に作り替えても成功はしないんだと思う。ああもぐちゃぐちゃになって生きてられる人間はいないだろうから。でも」

 

 思い出されるは水音。

 ぐじゅり、ぐじゅるり。

 生体錬成の反応ではない、確実に何か──チガウモノの発する音。

 

「まさか、錬成されたのはヴァルネラ……なのかい?」

「はい、多分、そうです。……さっき見た一部始終が正しいなら、ヴァルネラ医師は」

 

 扉を潜ってこの世界に来た──扉の向こうの住民、だと思います。

 

 また、沈黙。

 ……そうだよね。こんな荒唐無稽な話……。

 

「っし、じゃあ行ってみっか!」

「い……行く? 行くってどこに……」

「はぁ? だから、クセルクセス遺跡だよ! 国が滅んだって建物はまだ残ってる。そんなら、アルが見たっていう儀式場もどっかに残ってるかもしれねえ。儀式場に錬成陣があったら最高だ。そっから解読もできる。人を別人に作り替えるってのは眉唾だが、アルの記憶を引き戻したヴァルネラを呼びよせた、ってのは気になるからな!」

「……ぼ、僕も行く!」

「いや当たり前だろ。なんでオレがアルを置いていくんだよ。手合わせ錬成できるようになったんだろ? ほら、砂漠で死ぬほど暑かったら二人ででけェ城でも作ろうぜ。そんで休み休み行けば砂漠越えも難しい話じゃねぇだろ?」

 

 その顔は、いつか……本当に昔。

 母さんが生きてた頃に、初めて錬金術を使った……使って、母さんを驚かせようって言った時の幼い兄さんとそっくりで。

 

「砂漠越えか。なら、馬を一頭持っていけ。乗るにしろ荷物を載せるにしろ、役に立つ」

「イズミ、俺の伝手に馬を安く買えるところがある」

「私も……気休め程度だけど、砂漠にいる動植物の図鑑を貸してあげるよ。砂漠ってのは案外危険生物もいるからね、植物なんかは身を護るために毒を持ってることも多いんだ」

「ありがとうございます、師匠(せんせい)!」

「それと、メイスン!」

「へい!」

「ハンの連絡先まだ持ってるかい? 出入国コーディネーターの」

「あぁありますよ! 連絡しときますね!」

「頼んだよ」

「うす!」

 

 ──こうして。

 

 僕と兄さんは、ハン、という人に連れられ──クセルクセス遺跡に行くことになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 信じ頼る代償

今までが、上手く行き過ぎていただけ。


 貧民街(スラム)

 人口約5000万人のアメストリスは、その軍拡が、そして他国への侵略行為が目立ちすぎて、東の砂漠以外の全ての国と小競り合っている現状にある。

 どれほど長閑な街にも戦火は忍び寄ってくるし、そうでなくとも荒くれ者が入ってきて治安を下げていくことが多い。

 

 けれど、そうではない……どこへいくこともなく、誰かの権利を侵害することもなく。

 ただ生きていたいから、で集った民たちが、こうして各地に──主に東部、南部の各地に貧民街(スラム)を作り上げているのだ。

 

 そこに、グリード達はいた。

 グリード、ドルチェット、マーテル、ロア。

 大人数で行動すれば足が着くと、ダブリスを出てすぐに相性の良い合成獣(キメラ)ごとの班に分かれたデビルズネストの面々。

 彼らは各地に隠れ潜み、グリードが出す"合図"に従ってまたどこかに集まることを約束している。

 

「とは言ったものの、どーするよこれから」

「根城は地の底、元からとはいえ追われる毎日。たらふく食った後にスラム街たぁオレ達もヤキが回ったもんですね」

「元からだろう」

「……別行動になっちまったあいつらは大丈夫かねぇ、ったく」

「心配しすぎですよ、グリードさん。あいつらは生存にかけちゃ随一の動物混じってんだ。必ずまた会えますって」

「そう信じるしかねぇよなぁ」

 

 スラムにはイシュヴァールの民が多い。

 ──が、偏見も、特別視も、何もない。だってグリードたちの方が変だから。

 蛇の合成獣(キメラ)、犬の合成獣(キメラ)、牛の合成獣(キメラ)人造人間(ホムンクルス)

 肌と目の色が違うだけの人間の何を恐れろというのか。

 

「へぇ、こんなもん売ってんだな」

「お、兄ちゃんなんか買ってくか?」

「買ってってもいいけどよ、俺様今手持ちほとんど無いぜ?」

「もしかしてぼったくられるとでも思ってる? あはは、ないない! ここのバザールは"自分には不要だけど他人にとっては役に立つもの"を共有しあう場所なんだ。お金はほとんど飾りだよ」

「ホーォ」

 

 日用品からよくわからないオブジェ、歴史を感じ……させなくもないコイン。

 生憎と目利きに強い者がいないからわからないけれど、少なくとも詐欺のある場所ではなさそうだ、と感じることはできただろう。

 

「コレは?」

「ん? どれだい?」

「コレだよ。兄ちゃん、爽やかな顔して人身売買かい?」

「──え、うわっ!? ひ、人!? 死んでない!?」

「マーテル」

「はいはい」

 

 少女だ。

 異装の少女が、バザールの商品の横で、うつぶせに倒れていた。

 

「……行き倒れ、栄養失調症のケがあるわ。店主、水と、何か消化に良いもの……スープとかない?」

「あるある、今すぐ持ってくるよ!」

 

 

 

 そんな感じで。

 

「この度、行き倒れていたところ、助けていただき本当にありがとうございましタ! 私、シン国から来ました、メイ・チャンっていいまス!」

 

 なんか懐かれたグリード一行である。

 

「シンってお前……国交断絶してたはずだが」

「あ、はい。だからその、密入国になりまス!」

「元気に言うことじゃねぇだろ!」

「東の砂漠を越えてきたってこと? ……ありえない。考えただけで干からびるわ」

 

 少女はメイ・チャンと名乗った。

 そして、メイはある人を探しにこのアメストリスまではるばるやってきたという。

 

「人探しか。あー、確かにそりゃ憲兵には聞きづれぇわな。聞いた瞬間お縄だ」

「そうなんでス……ブシュダイレンという方なのでスが……」

「ぶしゅ……なんて?」

「ブシュダイレンでス。不朽矮人(朽ちることなき小さな人)を意味しまス」

「朽ちることなきって、グリードさんのことか?」

「エ?」

 

 ロアがハンマーを振り被る。

 も、グリードが制止をかけた。汚れるし、勿体ないからだ。

 

「グリードさん、ブシュダイレンなんでスか!?」

「俺が小さな人に見えるか?」

「……見えないでス」

「で、メイ。お前さんさ、そのブシュダイレンにあってどうしたいんだ?」

 

 ドルチェットがメイに目線の高さを合わせて問う。

 こういうところは気遣いできるのに、普段がねぇ、なんてマーテルは思っていない。

 

「あ、ハイ。ブシュダイレンは不老不死ですかラ、その法を聞いて国に持ち帰ろうと思いまス!」

 

 瞬間、流れる沈黙。

 どこか気まずそうに後頭部を掻くグリードと、舌を出して目をパチパチさせるドルチェット。無言のロア。溜息を吐くマーテル。

 

「あー、ちなみにどーやって聞き出すつもりだ」

「"ブシュダイレンはご馳走を振舞うと割と何でも話してくれる"というのがチャン家に伝わっている伝説でしテ……今の私は無一文、私の部族もあまりお金は無いでスが、一緒にシン国へ帰り、できる限りのおもてなしをば、と思っていまス!」

 

 それを聞いて、グリード達はこそこそ話のタイムに入る。

 

「なぁドルチェット。もしかしてそれで聞き出せた可能性、あるか?」

「グリードさん覚えてないと思いますけど、こっちが話すとあっちも同じだけ話してくれる、みたいな人だったんで、可能性はそこそこあるかと……」

「あ、つか勿体ねぇ! 俺記憶飛んでるせいであいつの80年何にも聞けてねえ!」

「というか、美味しいものは振舞ったでしょ。それでも聞き出せなかったんなら……」

「いや、それがよ。俺が80年考えた結果、そこまで要らねぇって思ったから、自分から断ったんだよ……マズったかコレ」

「えぇっ、グリードさんそのためにずっと待ってたんじゃなかったんですか!?」

「うむ」

「うわ割とフツーに聞き出せたくさいな。今度会ったら飯奢って聞き出すか?」

「今度会ったら宴なんでしょ。そしたらまたグリードさんは酔って……」

「だからありゃ薬のせいだって」

 

 割とカッコよく、割と景気よく、それでいて豪快に、強欲として素晴らしいまでの答えを出したグリード。

 だけど、彼は強欲である。

 故に、「別に一番欲しいモンじゃないけど貰えるなら全然貰う」というスタンスは何も変わっていない。もしこの密入国者の言う通り「美味しいモン振舞えば割と何でも話してくれる」という伝説が真であるなら、次こそは……と画策するのもグリードらしい姿であると言えるだろう。

 

「あノ……?」

「よし決めた。嬢ちゃん、俺達と一緒に来い。そのブシュダイレンに心当たりがあんだよ」

「ほ、ホントですカ!?」

「今どこにいるかってのは……ちとわかんねぇが、再会の約束はしてある。必ず会えるはずだ」

「基本はセントラルにいるんじゃないですか? あの人セントラルの医者でしょ?」

「だな。んじゃ次の目的地はセントラルだ。──人相書きとか出てねぇよな?」

「多分」

「……出てたら今捕まってんじゃないですか?」

「そういえばさっきのバザールで私たちを見てこそこそしてたのがいたけど……」

 

 マーテルの言葉が早いか、その音が早いか。

 チャキ、という銃を構える時特有の音が周囲から響く。

 

「手を上げろ! お前たちは包囲されている!」

「おー……通報された、ってことか」

「どうしますか、グリードさん。この程度の人数なら一瞬で片付けられますよ」

「あんまり目立ちたくはねぇからな、秒でやるぞ」

「っしゃぁ!」

 

 さて──ここに。 

 THE・荒くれ者な集団+か弱き少女+成長できなかったパンダのパーティが完成したのである。ヨキなんてどこにもいない。

 

 

** + **

 

 

 

「どうしたのラスト。いかないの?」

「……どうしようかしらね」

 

 マース・ヒューズの抹殺。

 ヴァルネラ曰く「記憶を消した」らしい彼は、しかし最近になって明らかに異常な様子と共に、たくさんの調べ物を行っている。

 まだ、記憶は戻っていないようだが──それが時間の問題である、なんて一目瞭然だった。

 ただの一般兵だ。殺すなら、殺せばいい。

 

 でも、ラストの脳裏に過る。

 

「"お前、そのまま人間舐め腐ってると死ぬぞ。近い内に"……ね」

「ラスト?」

「いいえ……なんでもないわ」

 

 中央に異動してきたロイ・マスタング。その部下であるジャン・ハボックと、ラストは恋仲を演じている。あちらからナンパしてきたのだから、これ幸いにとのっかった次第だ。

 目下最大の障害はロイ・マスタングだけど、最も殺すべきはマース・ヒューズ。片方に気付かれたのだから、もう片方にだって気付く可能性は高い。

 

 ──"お前が馬鹿にした奴に殺される"。

 

 馬鹿にした奴、など。

 人造人間(ホムンクルス)に人間を見下していない者がいるかどうか。ああ、100年程前に離反したグリードや、人間に注入される形でできたラースはどうかわからないが──少なくともラストは、人間を見下している。馬鹿にしている。

 だから、絞れない。

 誰に殺されるか。あの医者が、何を予言したのか。

 

「ラストぉ、おでお腹空いたよ~」

「……そうね。じゃあ、行きましょうか」

「やったぁ!」

 

 マース・ヒューズを殺す。

 グラトニーに派手に追い掛け回させて、一息吐いたマース・ヒューズを壁裏から殺す。

 馬鹿にしない。油断しない。

 ラストの持つ最強の矛を最大限に生かした戦闘法で、可能性の芽を摘み取る。

 

 今日までにたくさんの下調べをした。馬鹿にするな、舐め腐るなという助言のもと、行き当たりばったりな作戦をやめて、窮地に陥ったマース・ヒューズがどのような行動を取るかまで作戦立てた。

 

 ロイ・マスタングの中央栄転祝い。

 セントラルのあるレストランで開かれる祝い事の──終わり際。

 全員が散り散りになっていく時を狙う。酒が入り、食事は胃を重くさせ、普段のパフォーマンスなんて一切出せないその時を狙って。

 

「いい? グラトニー。焔の錬金術師は殺しちゃダメ。その他は良いけど、最優先はマース・ヒューズよ。あの顎鬚メガネの男」

「おとこかぁ。おんなのこ食べたいなぁ」

「マース・ヒューズを食べた後なら、もう一人くらい食べてもいいから──行けるかしら?」

「うん! じゃあ、いってきまぁーす!!」

 

 ぼよん、とグラトニーの巨体が跳ねる。

 セントラルの鐘楼。陽の落ちてきた時間帯に、まずはその足となるマース・ヒューズの車を潰す。

 

 グラトニーが着地したその衝撃だけでひしゃげる車体。中には誰もいない。

 もう一度彼が跳躍を行えば、車は大きな音を立てて爆発、炎上した。

 

 それを聞きつけて出てくる面々。

 ロイ・マスタングを始めとするリスト通りの人間と──マース・ヒューズ。

 

「いた、メガネのおとこ──たべる!」

 

 なおロイ・マスタングの部下にメガネの男はもう一人いるが、グラトニーが顎鬚のキーワードを覚えてくれているかどうかはわからない。覚えていなくても問題ないが、あまり時間をかけると自分たちの存在が露呈してしまいかねない。

 短期決戦でマース・ヒューズを殺す。

 

「だから──ここ!」

 

 まず一つ目。

 壁裏からの闇討ちを行うには、彼らを散開させる必要がある。

 グラトニーをけしかけるだけでは彼らが結託し、むしろ固まってしまう可能性があるため、散開しなければならない状態で、且つグラトニーにも対処しなければならない状態を作り出さなければならない。

 

 そのためのラストだ。

 最強の矛──指から伸びる貫通力の高い攻撃は、"貫通力が高いこと"よりも"伸縮自在であること"が非常に有効的である。

 つまり。

 

「──っ、……!」

 

 狙撃、のつもりだった。

 まっすぐ伸びる爪は寸分違わず太った男……ハイマンス・ブレダの肩を貫く。その予定だった。

 

 けれど、狙撃し返されて仰け反ってしまった。

 誰が狙撃を、なんて問うまでもない。こちらが高地、位置も割れていなかったはずなのに、危険を察知した瞬間に狙撃ポイントを探すような者など、狙撃手(スナイパー)くらいだ。

 

 すぐさま鐘楼を飛び降りるラスト。

 その行動は正解だったと言えるだろう。なんせ次の瞬間、鐘楼の鐘が炎に巻かれたのだから。

 焔の錬金術師、ロイ・マスタング。彼の射程距離は見える範囲全てだ。分が悪いなんてものじゃない。

 

 一つ目の予定が崩れた──からといって、無論次の、その次の策は用意してある。

 

 だけど、それは予想外だった。

 鐘楼から降りたその先で、腹部に熱。

 銃弾などの痛みではない。それは。

 

「……ほウ、劣化ブシュダイレンとは聞いていたガ、治りも遅いナ」

 

 刃。

 真っ黒な装束に仮面をつけた何者かがラストの左腹を切り裂いたのだ。

 

「あなたは……何かしら?」

「フン、お前のような者に"何"などト蔑まれル筋合いは無イ」

 

 声は老人。

 ならば不意を打つ暗殺者の類。それならばこちらに分があると──ラストは踏み込みかけて、やめた。

 

「……どうしタ、怖気づいたカ?」

「一つ、質問があるのだけど」

「なんダ」

 

 見たことのない異装。

 ドラクマのそれでも、アエルゴのそれでもない。クレタとも違うとなれば──シンか。

 

「あっち……ロイ・マスタングとマース・ヒューズの方にも、応援が行っていたりするのかしら」

「答える義理はなイ」

 

 だろうな、と思った。

 だからラストは──。

 

「ム!? 逃げるカ!?」

 

 その老人から、離れるようにして駆けだした。

 

 

 

 

「どこへ逃げてモ無駄ダ! その氣、気色の悪さが追いやすサを高めているからナ!」

 

 追いかけっこが続いている。

 どこへ逃げても、どこへ隠れても、その老人は追ってくる。刃、時折爆発物。

 先ほど踏み込まなかったのは正解だった。

 

 達人クラス。なめてかかれば、瞬時に何度も殺されて死ぬだろう。

 

 それがどうしたというのか。人造人間(自分たち)に劣る人間の、何を恐れる。

 ──"そのまま人間舐め腐ってると死ぬぞ"。

 

「ッ、うるさい、本当に……!」

 

 響く。響く。

 脳裏に響く。

 

 ラストはプライドの次に誕生した人造人間(ホムンクルス)だ。

 だから、長く、長い間人間の営みを見てきた。見てきた上で、見上げる価値のないモノだと認識している。ラストの経験が人間を馬鹿にしているのだ。人造人間(ホムンクルス)だから、ではない。今まで見てきた人間が愚かだったから、その経験則に基づいて、舐め腐っている。

 それを否定するということは、ラストが産み落とされてからの今までを否定することと同じだ。

 

 だから、振り返れ。

 振り向き、この調子に乗った老人に死を与えろ。

 あるいは走りながらでもいい、指を伸ばし、仮面を貫いて額に穴をあけろ。

 

 それができるはずだ。

 

「逃げるだけカ!」

「生憎だけど……私、アナタみたいな枯れ木と踊る趣味はないのよね」

 

 異変は伝わっていた。

 グラトニーが暴れているはずなのに、大きな音がほとんどしていない。あたりで起こるのは火柱ばかりで、悲鳴も上がっていない。

 

 失敗した、と見るべきだろう。

 グラトニーが、そして己も。マース・ヒューズの抹殺はおろか、自分たちが狩られる側になっていると。

 

「──私とグラトニーが()()()時間を稼げるかしら」

「はっはっは、良いのかね、いつも言っていた人造人間(ホムンクルス)の矜持は」

「ええ。誇りは目的に勝るものではないから」

「そうか」

 

 すれ違う。

 こちらも老人──でありながら、いつも一言多いラストたちの末弟。

 

「よかろう。私は不審な人影から婦女を護る──それだけのこと」

「ええ。夫人に街で浮気しているところを見かけた、と伝えておくわ」

「ふん、早く行かなければ──連れ去られるぞ」

「!」

 

 ラストは、その爪を伸ばして建物の側面を昇り、グラトニーを探す。

 下で響き始める剣戟の音。軍刀と苦無、そのどちらに分があるかなどわかりきっているが、果たして。

 

「……いない。これは、本当に……? ッ!」

 

 狙撃。

 そのまま立っていないで身を屈める。

 

 読まれているのだ。

 グラトニーの動きが無くなれば、ラストが高い所からグラトニーを探すだろうことまで。

 先ほどの老人の位置も予測されていたのかもしれない。登る建物まで推測されていたとすれば──完全に負けだ。

 

「……必ず取り返しにいくわ」

 

 これ以上できることはない。

 グラトニーの捜索をしようとすれば、敵の思うつぼ。

 

 立てば狙撃。下では激戦。

 なら、ラストがとる手は──。

 

「はしたないけれ、ど!」

 

 自らの胸に、手を突っ込み、その賢者の石をぶちぶちと引き抜いて、サイドスローでの投擲。

 狙撃されない死角を通る赤い石は、空中にいる間に彼女の身を形成。

 

 これにより、彼女は"人間"から逃げることに成功したのである。

 

 

** + **

 

 

「……どうだ、中尉」

「目標、ロストしました。どのような手段かはわかりませんが、逃げたものと思われます」

「フュリー曹長、そちらはどうだ」

 

 ──"見当たりません。恐らく完全に撃退できたものと思われます"

 

「そうか。……ふぅ。……まったく、再生する化け物は一人で充分だというのに」

「えー酷いなオマエ。本人の目の前でそういうこと言う?」

「別に誰とは言ってませんよ、ヴァルネラ医師。……しかし上に狙われている、という医師の助言が無ければ、狙撃を許しているところでした。ありがとうございます」

「いやそういう意味で言ったんじゃ……」

 

 そう!

 俺である。

 

 いや、いや。

 ヤオ家一行と合流を果たした以上、俺にも戦力というものができたわけで。

 ほら、俺ってば錬金術も再生能力も、言ってしまえば受け身の能力じゃん?

 だからフラスコの中の小人に狙われたから等価交換でやり返す、とか言っておきながら、イシュヴァールの地での大爆発くらいしかやってこなかったんだよね。

 錬金術を改良すればいいじゃん、って話ではあるんだけど、いやそこまでの熱量があるかって言ったら微妙。キンブリーに言われた通り、俺には力熱というものが本当に欠けているようで、ホムンクルス全員殺したいか、って言われたらNOだし、フラスコの中の小人の企みを阻止したいか、って聞かれたらNOだし、主要人物で死ぬ人全員救いたいか、って問われたらNOだし。

 じゃあ何がYESなんだよ、って自問自答してみたら──これが驚くことに、無かったんだわね。

 おん。

 

「しかし、人造人間(ホムンクルス)……ですか、コレが」

暴食(グラトニー)という。あんま挑発したりすんなよ? ワンチャンこいつが一番やべーからな」

「へぇ、どうやべーんですかい?」

「食われると一生帰ってこれない異世界に飛ばされる」

「そりゃ……やべーっすね」

「だろ?」

 

 だからいつも通りっていうかこの辺の時期特にやることねーよな、ホーエンハイム帰ってくるくらいだけどアイツ帰ってくんのかな、とか考えながら家でゴロゴロしてたら、ヤオ家の三人が揃って「なんダこの氣ハ!」って立ち上がるじゃないか。 

 あー、原作の色々飛ばしてるとはいえ確かにグラトニーとラストを釣り出す時期だな、って思って、けどロイ・マスタングは人造人間(ホムンクルス)という言葉自体知らないはずだよなぁ、とか思いながらヤオ家三人に人造人間(ホムンクルス)のことゲロったら、なんか怒られた。

 

 曰く、知っていて、止められる力があるのに、どうして動こうとしない、だの。知り合いが殺されるかもしれないとわかっていながら何故そうも平静でいられる、とか。

 しまいにゃ「やはり不老不死は怠惰を極めるカ! あぁ、こんなモノを欲すル皇帝の気持ちが理解できなイ!」とか。

 

 おーん。

 ……いや、言われてみれば……確かになぁ。とは。

 マース・ヒューズが狙われている。ロイ・マスタングが死ぬかもしれない。リザ・ホークアイが食われるかもしれない。ジャン・ハボックが下半身不随になるかもしれない。その他面々が大怪我をするかもしれない。

 ……これを聞いて心が動かない自分に、でもそういうもんだしなぁ、という感想しか沸いてこなくて。

 

「しかし、大捕り物でしたね。ヴァルネラ医師、なんですかあの二人は。明らかにアメストリス人じゃありませんが」

「居候。ちなみに言うと三人」

「密入国者を庇うとなると、それなりの罪が発生しますよ」

「大丈夫ブラッドレイで止まるから」

「……アンタが大総統とマブっての、本当だったんスね」

 

 まぁでも、行くことは止めないよ、って言ったら行った。

 原作のヤオ家の三人ってこんなに正義感高かったっけ、ってずーっと考えてたんだけど、よーやっとわかってきた。

 つまり、原作では正義感というか良識が働く場面はあったけれど、最優先事項が不老不死の法だったから、そっちにばかりフォーカスが向いていた。

 しかし今回のヤオ家は既に俺という不老不死の法を手に入れているため、他に気を回す余裕がある。しかも今すぐに連れ帰る、ではなくかなり滞在する予定になるとわかっているから、町の治安も気になる。若様のために。

 

 そんなところに人造人間(ホムンクルス)、それも人を食らう奴の登場である。

 

「ジャン・ハボック。お前、今日デートだっただろ」

「え! い、いや……まぁそうでしたけど、流石に大佐の祝会なら出ますよ。ただ飯食えるし」

「おお、ヴァルネラ医師。もしかしてようやくソウイウことに興味が?」

「馬鹿言え、忠告だよ忠告。"その日は上司の祝会があるから、ごめんな"なんて言ったんだろ? その日を狙えって」

 

 ヤオ家は猛ダッシュでウチを出てって、まぁ、なに?

 あそこまで言われて……も心は動かないし、あんなにまで言われて……もどこ吹く風ではあったけれど。

 

 ……特に理由付けとかできないまま、ちょみっとだけもやっとしながらそのレストランに行ってみれば、目の前の車にグラトニーが落ちてきたではありませんか、って次第だ。

 あとはもう特に語るべくもない。みんな酒入ってたし腹も膨れてたみたいだけど、リン・ヤオとランファンのコンビがグラトニーを翻弄して、原作でエドワード・エルリックに要求してたように鋼鉄ワイヤー出せって言われたから出して、グラトニーを縛り上げて終わり。マース・ヒューズはレストラン内で縛られてた。曰く、余計なことしないように、らしい。

 フー爺さんはラストの方行ったみたいだけど、まぁラストが俺の忠告聞き入れてりゃ危ないかもしれん。聞き入れてなけりゃ楽勝じゃないかな。

 

 しかし、グラトニー捕まえるのはいいけど、マジでどうする気なんだろ。

 連れて帰る? 俺いるのに?

 

 俺ちょいと怖いんだよな。グラトニーそばに置いとくの。いつ激昂して疑似・真理の扉開いてくるかわかんないじゃん。

 アレまぁ俺は別にいいけど他の奴絶対守れないし「等価交換だ」って言う前に持ってかれるの目に見えてるからある意味鬼門。

 

「──遅く、なりまし、タ」

「ん。おお、お帰り──」

「フー!?」

「爺様!?」

 

 そそろそろ頃合いを見て帰ろっかなー、とか思っていた時だった。

 

 べしゃ、という音と共に──血だらけで、息も絶え絶えな様子の、右腕一本を失ったフー爺さんが帰って来たのは。

 すぐに臨戦態勢になるロイ・マスタングと部下の面々。

 しかし周囲には誰もいない。

 

 ……この綺麗な切り口は、ブラッドレイかー。

 そりゃ負けるわ。よー逃げ帰って来れたよ。

 

「フー、しっかりしろ!」

「……申し訳なイ、若様……敗北、なド」

「ヴァルネラ医師。周りは見ておきますから、治療を」

「対価は?」

「対価? ……その老人はあなたの家の居候なのではないのですか?」

「え、いやそうだけど」

 

 沈黙。

 その中に、荒い呼気だけが響く。

 

「……アウェイか、この空気。流石に」

「治せるのカ?」

「ああうん。なんなら腕も治せるよ。拾って来てくれてたらもっと簡単だったけど」

「頼ム! 対価がいるというのなラ、俺が払ウ!」

 

 リン・ヤオが膝をつき、頭の上で合掌し、その頭を下げる。

 シン国の、まぁ最上級の頼みみたいなポーズだ。

 

 そこまで言うなら。

 

「それじゃあその腕だな。リン・ヤオ。お前の右腕を斬って寄越せ」

「──な」

「ああ、ランファンでもいいぞ。どっちでもいい」

 

 別に俺のを斬って与えてもいいんだけど。

 それをしたら、もっと対価が払えなくなるだろう、こいつら。

 

 行動が早かったのは、ランファンだった。

 腰の苦無を抜き、その刃先を自らの右腕、その付け根へ──。

 

「っとぉ! ギリセーフ!」

「──! 何故止めル! このままでは爺様が死んでしまウ! ならば、腕の一本なド!」

 

 それを止めたのはジャン・ハボック。

 おー、苦無握ったらだめだぞ。手のひらから血が出てる。

 

「……ヴァルネラ医師。どういうことですか?」

「何がだ?」

 

 冷たい声だった。

 ロイ・マスタングは、何かを思い出すように、その問いを俺にかける。

 

「何故そんなにも、彼らには冷たいのでしょうか」

「冷たい? 俺が?」

「ええ。私の中で、あなたは等価交換を押し付けてくる割にはお人好し──という印象がありましたが」

「いやだから、俺が人を救うのは要否だって言ってんじゃん。必要ある奴は救うし守るよ。そのあと対価は貰うけど。でも必要ない人間は対価貰ってからじゃないと救わないよ。そこまで俺情熱的じゃねーもん」

 

 言えば。

 ロイ・マスタングは──ギリ、と奥歯を噛み締めて。

 

「では! あの時の貸しを使わせていただきます。私の周囲の者が大怪我をした場合には治療してくださると──そう言ったはずです。彼を治してください」

「……おいおい、いいのかよ。お前さん、こいつの名前も知らねえだろ? その対価はそっちの、お前の部下のために、」

「対価は事前に払いました──私の願いは聞き届けられませんか?」

 

 その目は、本気だった。

 あとで上手く言い包めて違ったことにするとか、使ってなかったことにする、とかじゃない。

 ロイ・マスタング。こいつは俺の生体錬成がどれほどの効果を有するかを知っている。どれほどの死地にあっても助けることができると知っている。

 そんな、ある意味「一回だけなら無茶してもいいよ券」みたいなモンを、今日会ったばかりのフー爺さんに使うというのだ。

 

 意味が分からん。

 が、まぁ対価は支払われている。で、俺は治すと言った。

 

「ランファン。その苦無俺に寄越せ」

「……何をするつもりダ」

「何ってフー爺さん治すんだよ。ほれ早くしないと、失血死するぞ」

 

 急かせば、ランファンは苦無をこちらに放ってくる。

 あーあー、やっぱり血がついてら。ジャン・ハボック、今は隠してるけど掌ざっくり行ってんなこりゃ。

 

 とか思いながら、自分の右腕を切断した。

 

「!?」

「──!」

「な、ぁ──」

「……ッ」

 

 ん? 何この空気。

 いやジャン・ハボック達はわかるよ? 見たことないだろうし。リザ・ホークアイのキツそうな感じもわかる。トラウマ刺激だよねごめんね。

 でもロイ・マスタングとヤオ家は何に驚いてんだ?

 

 ……あれ、ロイ・マスタングって俺が不老不死なの知らなかったっけ? 

 

 えー……まぁ別にいいか。

 で、ヤオ家はヤオ家で何驚いてんだよ。ブシュダイレンって呼んできたくせによ。というかリン・ヤオに至っては俺のこと切ってきただろーが。

 

 ぐじゅる、と水音を立てて、右腕が生える。あとで錬成陣刻み直さなきゃなぁ。

 

「……ブシュダイレン」

「だからそうだって。あー、フー爺さん。かなり痛いから頑張って意識保つのやめな。意識失ってた方が楽だぞ」

「いイ、気にするナ」

「そこ強がるとこじゃないけどなぁ」

 

 生体錬成。

 全身の傷を塞ぐのは単純な錬丹術でいいけど、腕を作り替えてつなぐのは俺特有の生体錬成だ。

 当然神経とか触るからめっちゃ痛い。

 のに、脂汗かいて、けれど叫びもしないフー爺さん。……まぁいいけどさ。

 

 そうして、錬成反応の青い光が消える頃には──。

 

「治っ、た……?」

「爺様、爺様!」

 

 この通り、五体満足なフー爺さん、と。

 

 んで。

 ……アウェイな空気、と。

 

 あれぇ、俺さ、ずーっとずーっと俺がどういうスタンスなのか、とかロイ・マスタングとかには言ってきてたよな?

 なんで今更こんなに引かれてんだ?

 

「あー、まぁ、もう敵は来ないだろ。氣でやべーのいたら教えてやれよ、お前さんら。んじゃ俺帰るから。……なんかごめんな? 多分俺が空気読めてねーわ」

 

 追ってくるやつは、いなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 悔い求む家族

まるでバランスを取るような話

(注:設定が旧アニに似ている、という方。ご指摘通り、作者も確かに似てるな、って思いましたが旧アニ全く関係ないです。バリバリ失念しててそういう設定になってるだけなので、旧アニを絡めた考察などはお控えください)


 いつも通りっつーか、特に何かあるわけでもなくフツーに家で過ごしていた時のことだ。

 ちなみにヤオ家は一緒に住んでいない。一緒に住んでいないだけで多分どっかにいると思う。折角のブシュダイレンだからな、逃すとは思えない。

 

 だからまぁ、一人だったんだけど。

 

 ウチのドアベルを鳴らす音があった。

 いや、いや、これが珍しいのよ。確かに緑礬の錬金術師がここに住んでるってことは周知の事実だから一般人が不治の病を治してほしくて来る、ってことは無いことは無かったんだよ過去。一応ね。

 でも敷居が高いというか、"生体錬成の権威"だの"戦場の神医"だのの名が売れ過ぎた事、そもそも別に医院を拓いているわけじゃないことも相俟って、ウチのドアベルを鳴らす奴はひじょーに少ない。少なかった。

 

 それが、鳴って、氣で大体わかったけど一応聞きはする。

 

「どちら様?」

「私だ、ヴァルネラ」

「どんな風の吹き回し? いつもみたいにどっかからか入ってきて刀ぶっ刺して連れ去ればいーじゃん」

「今日はそうもいかんのだ。外出する準備をしてついてこい」

「おーん?」

 

 キング・ブラッドレイ。

 彼が、なんかフツーに訪ねてきたのだった。

 

 

 

 そんで今、どえらい高級レストランに俺はいる。

 

「あー、初めまして、ブラッドレイ夫人。と、セリム坊ちゃん」

「はっはっは、セリムがどうしても会ってみたいと珍しく我儘を言ったのでな。大総統権限を用いて連れてきた」

「もう、あなたは……。ごめんなさいね、ヴァルネラさん。予定などは大丈夫でしたか?」

「特にはないですよ。ただ家にいきなり大総統来るのは心臓に悪いので、今度は軍部の別の奴とか寄越してください」

「はっはっは、お前は私でも来ない限り呼び出しに応じんだろう?」

「……まぁそうだけどさ」

 

 ブラッドレイ夫人、セリム、ブラッドレイ──との、会食。

 実質人造人間(ホムンクルス)側に呼びつけられたようなモンだと思うんだけど、夫人の手前フツーの家族らしく振舞ってるこいつらに、まぁ、一応合わせてやる。

 いやね、別に金に困ってるわけじゃないんだけど、こういう高級レストラン来ないし、何より──。

 

「人の金で食べる飯が一番美味い、のだろう?」

「……わかってんじゃん、お前」

「はっはっは、一度言われたことは忘れんよ」

 

 そう耳打ちしてくるブラッドレイに、溜息も出ない。

 

 わーいタダ飯だぁ!

 

 

** + **

 

 

「と……和やかな食事を楽しんでいるようです、若」

「だが……あの女性以外の二人はホムンクルスという奴……だよな?」

「氣は確かにそうですが……ヴァルネラがそれを知らないはずもありませんし、おそらくは唯一の人間である女性の手前、話を合わせているものかと」

「……」

 

 そんな、高級レストランの屋上。

 色々負い目を感じたり色々考えることがあったりしてちょっと距離を置いていたらいきなりやって来たやべー氣を持つ、なんなら先日フーを瀕死にまで追い込んだやべー奴にヴァルネラを持ってかれて焦って追跡してきた結果もう一人のヤベー奴と無害な初老の女性となんか会食してるヴァルネラを見て色々考察している──ヤオ家の三人。

 

 負い目。

 負い目があった。

 

 フーが右腕をさする。

 

「痛むのか?」

「……全く、ですな。斬られる前と全く変わらない。右腕だけ調子が良いわけでも、違和感があるわけでもない。多少あのブシュダイレンのことを調べましたが、アメストリスにおいては戦場の神医などと呼ばれている様子。得心の行く錬丹術であると言えましょう」

「腕を……あんな子供の」

「若様、アレは恐らく500年以上を生きる化け物です。そう気に病まず……」

「だが、ランファン。此度の件でブシュダイレン……ヴァルネラから施しを受けたのは事実だ。シンの者は盟約を必ず守り、恩をそれ以上の恩で返す。此度彼に付いてきてもらう、という約定を交わし、彼は快くそれを了承してくれた。……こちらが一方的に襲い掛かっていたにもかかわらず、だ。その上で自らの身を犠牲にした治療を施され……この恩を返さないバカがどこにいる。俺はそんな、尽くされたことを歯牙にもかけないような皇帝になるつもりはないぞ」

 

 ブシュダイレン。

 シンに伝わる伝説、不老不死の小人。

 西の賢者と同一の特徴を持ち、首を切り落としても死なず、何百年と姿の変わらない不死の妖精。

 

 その、本物。

 

「……子供じゃないのはわかってる。俺達が想像してる以上の化け物なのも理解している。だが……俺は」

「若様……」

「ほほ、若。そう悩むことではありませぬ。儂は彼に命を救われた身。それを若様は恩に感じてくださっている。そして彼は儂らにとって、ヤオ家にとって大切な不老不死の法。大事な物がより大事になった──というだけでしょう」

「……そう、だな」

「どの道ここへは長期滞在する予定。そして、ブシュダイレンといえばこの伝説も有名でしょう。"美味なる馳走を振舞えば、摩訶不思議なる話を授けてくれる"──」

「それは、御伽噺じゃないのか?」

「実際のブシュダイレン……ヴァルネラも美味なるものが好きなように見えますぞ?」

 

 レストラン内部を見る三人。

 それはもう、何か新しいものを食べるたびにうんうんと深く頷きながら味わっている彼の姿。

 

「……ランファン」

「は、はい。なんでしょう若様」

「──料理は、できるか?」

 

 シン国の人間は負い目を負い目のままにはしておかない。

 恩義には恩義を。施しには報いを。

 ならば、あの熱も氣も存在しない、石や木にさえ似た存在の言う唯一の好きな物。それを返すのもまた恩義。

 

「……若様、儂はシンへと一度帰還し、料理書の類を持ってこようかと」

「おお、それは良いな。……んじゃ俺は、この国の隠れた名店探しをするかぁ」

「え、いや、あの」

「若……我々にはこの国における金銭の類がほとんどないことをお忘れですか?」

「そこはヴァルネラに借りる!」

「……恩義が積み重なりますな。ならばランファン、しっかり腕を磨き、良い料理を振舞うのだぞ」

「え、いえ、ですから、爺様? 私はヤオ家に仕える人間として戦闘技能をこそ磨いてきましたが」

「良いかランファン。若が皇帝になった時、若が口にするものに毒が混じっていてはいかん。そこでお前が常日頃料理を振舞う存在となっておけば、若を守ることができる。若が皇帝になって終わり、ではないのだ。そこからも若を常お守りするのならば──あとはわかるな?」

「……はい、爺様」

 

 フーは思う。

 交渉事などは孫には向かんな、と。

 

「そうと決まれば若、儂は一度シンに戻ります。──ホムンクルスなる劣化ブシュダイレンにはお気を付けを」

「ああ、お前も救われた命、大事にしろよ」

「承知」

 

 こうして、ヤオ家の今後の方針が決定したのだった。

 

 

** + **

 

 

 クセルクセスの遺跡。

 アメストリスとシンの間に跨る大砂漠。

 その北側中心部に位置するこの遺跡は、時間の影響によって風化が進み、柱や建造物などの全てが崩れかけている。それでも残るものがあるのは、この国の伝説──「一夜にして滅んだ」というものに関係しているのだろうか。

 

「ふぅ、やっと着いたな」

「いや全くだ。なんだったんだあの巨大なワームは……」

「あんなもの初めて見た……師匠(せんせい)、危険生物はホントにいたよ……」

 

 エドワード・エルリック、アルフォンス・エルリック。

 そして出入国コーディネーター……つまり密入出国に関するちょーっと違法な事のスペシャリスト、ハン。

 三人はようやくクセルクセス遺跡に辿り着いた。予定ならあと二日ほど早く着くはずだったのに、途中で超巨大なミミズに襲われ、戦ったり逃げたりなんだりしたせいで遅れたのだ。

 

「……すげぇ」

「うん……」

「それじゃ、私はこの建物の中で待っている。その調べ物とやらが終わったらここに集合だ。いいな?」

「はい。ありがとうございます」

 

 そうしてハンと別れた二人。

 アルフォンスの見た儀式場はクセルクセス遺跡の中心部から離れた所にあったらしいので、とりあえずは。

 

「一番高い所に行く! これで大体見えるからな!」

「兄さん、何と煙は高い所が好きなんだっけ」

「うるせっ!」

 

 一番高い場所──といっても、崩れかけているクセルクセス遺跡だ。

 それを壊さないように、あくまでしっかりしている建造物の中で一番高い所に上って。

 

 上って。

 

「……!」

「兄さん? 何か見つけた?」

「……」

 

 エドワードは、ある方向に目をやって──固まった

 それは、そこは、崩れかけた王宮の内部。

 

 何か陣の敷かれた──しかし壊れているそれらは、ほとんどが読み取れない。

 そこに。その中心に。

 

「……ホーエン、ハイム?」

 

 記憶にある通りの金髪。記憶にある通りの顔。

 ただ、膝をついて、中空を見上げて……動かない。

 

 まるで、死んでいるかのように。

 

「っ、アル! あの建物だ! あの中行くぞ、ついてこい!」

「え、ちょっと待ってよ兄さん! いきなりなんなのさ!」

 

 エドワードは飛び降り、アルフォンスはガシャガシャと音を立てて走り出す。

 砂漠、砂の上。それが次第に石段になっていって──水も増えてきて。

 

 日陰に入る。屋内だ。

 中は入り組んでいるのか、どこからあそこに向かえばいいかわからない。

 

 それでも、もうがむしゃらだ。

 がむしゃらに駆けずり回って、その遺跡のほとんどの部屋に辿り着いて。

 

 ようやく、来た。

 

 儀式場。ところどころが崩落したそこの、中心。いや、中心から少しずれた場所に──彼はいた。

 

「え……父さん?」

「ホーエンハイム……」

 

 くたびれたコート。よれた頭髪。

 金髪金眼。そうだ、その特徴は。

 

「おい、ホーエンハイム! てめっ、まさか死んでんじゃねぇだろうな!」

 

 アルフォンスはようやく思い至る。 

 自分たちの父、ヴァン・ホーエンハイム。

 そして彼と同郷を名乗るヴァルネラ。

 

 その故郷がどこなのか。

 

「おい! 返事しろ、返事しろよホーエンハイム! オイって──この、こんなとこで干からびてんじゃねぇ!」

 

 エドワードが、ホーエンハイムをぶん殴る。

 ぶっ飛ばす勢いで。機械鎧の方で。

 だからぶっ飛んだホーエンハイムは──ようやく気付いた、とでもいうかのように、間抜けた声を上げた。

 

「……エドワードに……誰だ?」

「僕だよ、父さん」

「アルフォンス……? ……大きくなったなぁ」

「大きくなったなぁ、だァ!? いきなり父親面かてめェ」

「いやだって俺お前たちの父親だし……。ああ、酷いな。殴ったのか、今」

 

 まるで幽鬼のようだった。

 まるで死んでいるようだった。

 

 ホーエンハイムは──ふらりと立ち上がり、コートの砂を落とす。

 

「……アルフォンス。今、何年だ?」

「え? 1914年だけど……」

「1914年……そうか。あれから10年も経ったのか……」

 

 その言葉が、昔を懐かしむものじゃないことくらい、二人にはわかっていた。

 

「……まさか、てめぇ……母さんが死んでから、ずっとここにいたのか……?」

「10年って……そんな」

「ああ……そうだよ。俺は結局、誰も救えない奴だったみたいだからな」

 

 ヴァン・ホーエンハイム。

 彼は力なく、そんなことを宣った。

 

 

 

 エドワードではすぐに苛立ってしまって話にならないため、アルフォンスがホーエンハイムと話す。

 今すぐにでも死んでしまいそうな彼に、彼が食いつきそうな話題を振る。

 

「そうか……10年。トリシャ、ごめんな、間に合わなかった……俺は」

「と、父さん。僕たちね、ここにヴァルネラさんの事を調べにきたんだ!」

「……ヴァルネラ?」

「うん。父さんと同郷ってあの人言ってたけど……ヴァルネラさんも父さんも、クセルクセス人……なんだよね?」

 

 あり得ないことだ。

 何故なら、クセルクセスは大昔に滅んでいる。そこ出身を名乗るということは、つまり。

 

「……凄いなぁ。もうそんなところまで辿り着いたのか」

「そういうってことは、本当に」

「ああ。俺もヴァルネラも……大昔に滅んだ国、ここ、クセルクセスの出身だよ」

「……つまり、父さんも……不老不死、なの?」

 

 その問いに、ホーエンハイムは笑う。

 

「ははは……そうだな。不老不死……いや、不老かもしれないが、不死ではない。俺も……いつかは死ぬ。それが今でなかっただけだ」

「そう、なんだ」

「不老不死なんて言っても、何ができるってわけじゃない。……母さん一人救えなかった。結局俺は、何もできない奴なんだよ」

 

 それだけ言ってまた落ち込み始めたホーエンハイム。

 

 彼の頬に膝蹴りが入る。

 エドワードだ。勿論機械鎧の方での膝蹴り。

 

「だぁ、うっせぇよさっきから! 何もできないだの救えないだの! そうだよ、アンタは何もできなかった奴だ! 母さんの傍にいなかった、いてくれなかったやつだ! よくわかってんじゃねえか!」

「さっきから……酷いな、エドワード。父親を……殴ったり、蹴ったり」

「るっせぇんだよずーっとウジウジウジウジウジウジウジウジと! 死にたいなら勝手に死ね!」

「だから勝手に死のうとしてたんじゃないか……後から来たのはおまえ達だろう……」

「んじゃ死ぬ前に情報吐いてから死ね!」

「情報?」

「ヴァルネラだよヴァルネラ! アルがヴァルネラが生まれる瞬間を見たって言うんだ。曰くクセルクセスの外側のどっかに儀式場があって、そっから堕ちてきたっ、て……な、なんだよ近いな」

 

 エドワードが話している最中に、ずんと彼に詰め寄るホーエンハイム。

 その目には、今まで無かった生気が宿っている。

 

「ヴァルネラが生まれる瞬間、というのは本当か、アルフォンス」

「あ、うん……誰の記憶かはわからないけど、見たよ」

「記憶? ……どうしたんだ、アルフォンス。その身体。それに、エドワードも……右手と左足が無い」

 

 今、ようやく気付いた、というように。

 否、本当にようやく気付いたのだろう。ホーエンハイムは──少しの間考えて、言葉に詰まっている二人が話し出すより先に、それを言う。

 

「人体錬成を行ったのか」

「っ」

「……」

「そうか……。そうか、トリシャか……」

 

 沈黙が流れる。

 ホーエンハイムはため息もつかない。ただ考えるだけ。

 

 その様子に我慢できなくなったのは、二人の方。というかエドワードの方。

 

「……失敗して、持ってかれた。そんだけだよ」

「人体錬成は成功しない。……俺が置いて行った本にも、それくらいは書いてあったはずだが」

「ああそうだよ、だから馬鹿だったんだ。オレ達は。あの頃のオレ達は、オレ達ならできるって盲目的に信じ込んで……母さんを錬成した。でも……」

「……"人体錬成は成功しない。必ず失敗する。フラスコの中にいる俺達じゃ、フラスコの外に手を伸ばすことはできない"。……お前たちがなにを錬成したのかは知らないが、トリシャの墓に入れるなよ。……他の墓を作ってやれ」

「──は? 何を……どういうことだ」

 

 確かにアレを母親だとは思えない。エドワード・エルリックの記憶にある()()は、おおよそ人間とは言えなかった。

 だけど、でも、動いていて、それで──なにを、とは。

 どういうことだ。

 

「それより、ヴァルネラだ。アルフォンス、その記憶とやらの中で、何か特徴的なものを見なかったか?」

「え……あ……、……遠くの方に、クセルクセスの王宮があったのは、見たよ」

「太陽はどこにあった?」

「太陽? 太陽は……真上、だったはず」

「風は? 砂塵はどの方向へ舞っていた? あぁ、王宮を仮に北と見て、だ」

「……西、かな」

 

 生気がどんどん戻っていく。

 その目に、その顔に。

 

「とすると……」

「おい、ホーエンハイム、だからどういうことだって、」

「お前たちが錬成したモノはトリシャじゃない。人体錬成はそもそもが行えない。アレは死者を蘇生するための錬金術じゃなく、真理の扉を開き、見るための錬金術だ。その代価がお前の手足で、アルの身体だった。──これ以上何か聞きたいことはあるか?」

「……そんな」

 

 冷たい。

 子に向ける目ではない。そして、包み隠さずに話されたその内容も、子らが到底受け入れられるものでもない。

 

「となると、あの辺か……」

 

 なんて言って歩き出すホーエンハイム。

 受け入れられずとも、いや受け入れられないからこそ、エドワードとアルフォンスも追従する。追いかける。

 

「どういうことだ、どういうことだよ、あれが……アレが母さんじゃない、って!」

「言ったとおりだ。人体錬成はそもそもができない。成功も失敗もない。できないんだ、この世界にいる限り。故に真理は違う結果──真理を見せてくる。代価は奪われるが、死者蘇生に並ぶ程の偉大なる記録をな」

「兄さん。僕の記憶が確かなら、僕はあの時……母さんだと思っていたモノの中から、兄さんを見ていた。だから、多分」

「……魂はアルのもので、肉体は……別の何かだった、とでもいうのか……?」

「そもそも……トリシャの葬儀は、共に出ただろう。彼女の遺体は、その骨は、まだあそこにある。……新しく作れるはずがない」

 

 エドワードもアルフォンスも、頭の回転は速い。

 だからわかってしまう。その通りだ、ということに。

 今すぐリゼンブールに帰ってあの時埋めたモノを確認しなければ証明こそできないが──だからこそ、どんどん次のことに気が回る。気付いてしまう。

 

「ホーエンハイム、お前、どこまで……何を知ってやがる。……いや待て、そういえばお前、ずっと"間に合わなかった"って……まさか、母さんが死ぬことを知ってたのか!?」

「……」

「そんな、未来予知なんて……」

「……未来予知じゃない。教えられたんだ」

 

 苦虫を嚙み潰したように、ホーエンハイムは。

 

「誰に、って」

「ここまで来てわからんおまえ達じゃないだろう」

「ヴァルネラさんが……母さんの死を?」

「ああ、教えられた。……トリシャが死ぬ、10年前のことだ。10年も前から教えられていて……俺は、彼女を救えなかったのゴフッ!?」

 

 兄弟の前を歩いていたホーエンハイムがさらに前にぶっ飛ぶ。

 

「次救えなかったっつったら背骨に膝蹴り入れるからな!」

「兄さん、兄さん。もう入れてるよ」

 

 そんな──再会した親子は、クセルクセスの遺跡の中心部から少しだけ離れた"儀式場"へと向かう。

 何故ホーエンハイムが生気を取り戻したのか。ヴァルネラの目的は何なのか。そこに何があるのか。

 

 彼は一体、何を考えているのか──。

 

 

** + **

 

 

「まだ、食べるのかね」

「ああそろそろ閉店? じゃあもうちょい待って。あ、あれですよ。全然帰ってもらっても。お金も全然、俺自身金結構あるんで、こっから先は俺自分で支払うんで」

「……言わなければわからないか」

「話があるんだろ? でも俺食ってっからさ」

「……」

 

 それは高級レストランでの一幕──。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 血の中の晶城

めちゃくちゃ久しぶりのあの人の登場


 街のはずれ。

 森に近いとある空き家。

 

 そこに、彼らはいた。

 

「こりゃ……また、こりゃ、なんだ?」

人造人間(ホムンクルス)。……暴食(グラトニー)、というそうだ」

「人造人間に、暴食ねぇ。つーことは、こんなんが最低七体いるってことか?」

「そうではないと信じたいがな」

 

 鋼鉄ワイヤー、セメント、その他数々の"固めるモノ"で縛りに縛った化け物。

 人造人間(ホムンクルス)暴食(グラトニー)

 

「で、なんだよ共犯者。俺に何しろってんだ」

「こいつをどうにか調べたい。アイデアをくれ」

「……んなこと言われてもな。そもそも何を調べるんだよ」

「製法、原理、どこが製造しているのか──なんでもいい。わかることは全て知りたい」

 

 ノックス鑑定医。 

 死体からその死因や凶器、身元などを鑑定する医者。彼を連れてきたのがロイ・マスタングであり──。

 

「ヤ! 初めましテ、俺はリン・ヤオ。シンの者ダ」

「……ランファン」

「おい……どっからどう見ても密入国者なんだが……?」

「ああ。だが協力者だ」

 

 フーが帰った中で、まぁ色々とあってついてきたのがリン・ヤオとランファンである。

 

「この化け物の生け捕りに協力してくれた。その上、この化け物の気配を感知できるらしい。護衛兼戦力……で、シンとの内々の繋がり。仲良くしない手はないだろう」

「大総統の座乗っ取る気満々かよ」

「もちろんだとも。それで、できそうか、ノックス医」

「……お前さん、確かヴァルネラと仲良かっただろ。なんであっちに頼まねえ。あっちのが俺なんかより腕も速度も数段上だ」

「それは……」

 

 当然だ。当然、ノックスも知っている。彼もイシュヴァールの戦役に参戦していたのだから。

 検死医──として運ばれてきて、そこで、奇跡を見た。

 生体錬成の権威。噂には聞いていたし、その功績も実際すごいもの。著書を購入したことさえあるが、実物を見るのは初めてだった。

 その時は後学のためにと彼の施術を間近で見て、驚いた。

 

 まだ子供。子供にしか見えない。

 だというのに、その手際の良さたるや。生体錬成に関してはノックスのわからない領域だが、それ以外の医療技術も卓越している。そして、なにより、なにより、だ。

 

 彼は瀕死の患者を診て、普通の人間であれば思う「死にそうだ」から「早く助けないと」とか、「この人は無理かもしれない」から「体力を温存しよう」とか──患者一人一人に対する感情のブレが一切ない。

 必ず助ける。必ず助かる。

 自分が施術をするのだから、死ぬこと自体があり得ない──そんな表情で、ヴァルネラは処置をし続ける。

 自身の実力を微塵も疑っておらず、また患者の状態に何の恐れも抱いていない。

 格上だった。検死医として──非人道的行為に手を染めかけていることよりも、ただ、ただ、その奇跡を眺め続けて──いつしかノックスの心は折れていた。

 

 失意のまま、医者を止めようかとさえ思ったノックスを救ったのは──彼の帰りを心から待っていてくれた、妻。そして息子。

 家族だ。

 

「……いいよ、聞きやしねぇよ。話さないってことは、話したくねえってことだろ。へいへい、事情を知らねえおっさんはセコセコ働きますってな……」

「すまん」

「すまなイ」

「おーおー謝るならはじめっから説明してから連れてきてくれ」

「……説明せずにつれてきたのカ?」

「いや、その、時間が無いと思った……というか説明はしただろう!」

「あーされたされた。"とても人間とは思えん奴がいる。そいつを調べてほしい"とは言われたな」

 

 空風が吹く。

 ロイ・マスタング。彼は今、確実にアウェイだった。

 

「大佐、周辺域の人払い、警戒用ブービートラップの設置完了しまし……た?」

「ああ中尉さン。鳴子はちゃんとつけられたカ?」

「ええ、単純な仕組みながら、強力ね、あれ。ありがとう」

「協力者なのだかラ、当然ダ」

 

 リザ・ホークアイ中尉が帰ってきても、彼女とランファンがちょっと仲良くなっても、ノックスの嫌味はチクチクチクチクと終わらない。

 終わらなかった。

 

 終わらず。

 

「うー……ウー……」

 

 彼に、そろそろ限界、というものが訪れる。

 お腹が空いているのだ。

 どこぞの誰かが美味しいモノ食べまくってる中で、もう、お腹が空いて仕方がないのだ。

 

 そこへ、二人である。

 二人も美味しそうな女の子が来て、彼の理性(?)のタガが外れない理由が無かった。

 

「おなが、ずいだ──ッ!!」

 

 一瞬。

 一瞬である。本当に一瞬で、消えた。

 

 ノックスの目の前から──四人が。

 リン・ヤオ。ランファン。ロイ・マスタング。リザ・ホークアイ。

 

 綺麗さっぱり、地面を抉って。

 

「……は?」

「オ、オオオ゛……オオオオ゛!」

 

 化け物が雄叫びを上げる。

 下あごから下がぱっくりと開き、何か動物の牙のようなものが生え揃い、そして中心には目がある──黒い空間がある──何か。鋼鉄ワイヤー、セメントはまだ取れ切っていない。だからこそ余計にヤバさが伝わる。

 

 ノックスはイシュヴァール戦役に参加した身ではあるが、ただの医者である。

 ただの医者でしかない。戦闘などできるはずもない。

 

 ましてや、こんな化け物相手に。

 

「タベモノ……ダベモ゛ノ゛……!」

「ちょ、おいおいおい、ロイ! こういう奴はお前が相手するんじゃねえのか! 護衛ってのはどうなった、ブービートラップってなんだったんだよ!」

「ダベボボオオオォォオオオ!!」

 

 また、何かが通り過ぎる。

 それによって車が一台消滅した。

 

 悟る。ノックスは、これが運の尽きなのだと。

 これが、こんな末路が、イシュヴァール人にあのような行いをした自分たちへの罰なのだと。

 

 悟って、天を仰ぎ見て。

 その、上から、上空からすっ飛んでくる五人に気が付いた。

 

「──オイオイ、暴走してんじゃねぇか暴食(グラトニー)。だーからコイツ危ねぇんだよな。ったく、ラストもプライドも何やってんだか。確か焔の錬金術師って人柱候補じゃなかったかねぇ、いいのかよ、食っちまって」

「グリードさン! それ、なんですカ!?」

「化け物だよ。俺と同じ、な!」

 

 トゲトゲ頭の男。

 それが化け物を組み伏せたと思えば、さらにはその巨体を思いっきり蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされた先には大男。無言で構えたハンマーを振り下ろし、次いで真っ白な服を着た男が手に持つ軍刀で化け物を切り裂いた。

 

「……何が、起きて」

「ロア、ドルチェット! ちっと離れな! 嬢ちゃん!」

「はいでス!」

 

 バチバチと赤い光を立てて治ろうとする──再生しようとする化け物の身体に、苦無が五本刺さる。そしてもう一つ、トゲトゲ頭の男の腕にも同じ形の苦無が五本。

 

「準備完了でス! 硬化してくださイグリードさン!」

「がっはっは、連携も良くなってきたじゃねぇか──どうだぁ、弟。初めてだろ?」

「オ……オオ、オオオ?」

 

 刺さった場所から、何か──黒いものが、化け物の身体を覆っていくのが見えた。

 

「"最強の盾"になる感覚。じっくり味わっておけよ、兄弟」

 

 そうして、固まる。

 セメントよりも硬いそれ。

 

「……なんなんだよ、一体」

「同感。私も同じ感想よ」

「うひぃ!?」

 

 もう何が何だかわからないと言った様子のノックス。その頬を、ひんやりと冷たい手が撫でた。

 

 

** + **

 

 

 

 目を開ける。

 

 ここは。

 

「……つつ……うっ!?」

「起きましたか、大佐」

「あ、ああ。中尉……何が……何が起きた? ここはどこだ? 酷い臭いだな……」

 

 ロイ・マスタングは、目を開けて周囲を見渡す。

 ここはどこだろう。

 見渡す限りの黒と赤。

 悪臭。

 

 とりあえずもう一度、今度は注意深く周囲を見渡してみて。

 

「……いや本当にどこかわからん」

「私にもわかりません。ざっと周囲を見てみましたが……あまり離れすぎるのは良くないと思い、そこまで遠くへは行けていません。また、無線通信も繋がりません」

「そうか……情報はない、と」

「今ヤオ家の二人が何か目印となるものが無いかを探しに行ってくれています。大佐、周囲のものに適当に火をつけて、ある程度の陣地を固められますか?」

「いいだろう」

 

 パチンパチンパチン、と指を鳴らす。

 

「……血で、濡れているな」

「つまり今無能ですか大佐」

「待て、焦るな予備が」

 

 ──無論、それも濡れていた。

 

「……何か描くものがあれば……ああ、あそこの岩でいい。あれに焔の錬成陣を刻もう。火花程度でも散らせたら、それで火は焚ける」

「良かったです。大佐が発火布がないと何もできない無能じゃなくて」

「中尉、何かやけに私にアタリが強くないか?」

「いえそんなことは」

 

 なんやかんやして、一応火は焚けた──ものの。

 

 一面の赤。二人にはわかる。それが血液であると。

 そして、自身らが立っている場所も──固まった血液だと。

 中尉が銃を上空に撃てど、着弾音はおろか反響音さえしない空間。

 

「待て待て待て待て! 広すぎるだろう! アメストリスのどこにこんな広い穴がある!?」

「……?」

 

 岩に刻んだ焔の錬成陣。そこに出した炎で乾かした発火布を用い、もう適当にパチンパチンパチンパチンパチンパチンと炎を出してみるロイ。

 ──が、何も起きない。

 怖ろしいことに、酸素が減ることもない。

 

 と、そこへ。

 

「おーイ何やってるんダ。花火カ?」

「すまなイ、収穫はなかっタ」

 

 ヤオ家の二人が帰ってくる。

 二人とも、自分の武器こそ持っているが、それ以外に何も持っていない。

 

 つまるところ。

 

「いやぁ、どこダ、こコ!」

「わかりませンが、果てしなく広い空間であることだけハ……」

「そして果てしなく悪趣味な空間であることもわかるな! これだけの量の血液……一体何人殺している」

 

 情報は、ゼロだった。

 

「……?」

 

 そんな中で、ホークアイだけが先ほどから首を傾げている。

 彼女の様子に気付いたのだろう、ロイが彼女に声をかけ「ちょっと黙っていてください。音を聞いているので」なかった。

 

 一秒、二秒と、ホークアイは耳を澄ませる。

 狙撃手の耳だ。その狙撃の腕から鷹の目と称される彼女だが、当然のように耳だって良い。

 

 そしてその耳は、確実に捉えた。

 

「あちらです。あっちから、微かに反響音が聞こえました」

「……弾丸のかね?」

「はい」

「そうか、少しは希望があるということだな」

 

 壁がある。

 なれば、この空間には限りがあるということだ。

 

 全員が心の奥底で思っていた──この空間には果てが無いのではないか、という恐れがこれで払拭された。

 

「……そういえバ、あのノックスという医者ハ見ていないガ、大丈夫だろうカ」

「恐らくは……でしかないな。ここがどこなのかわからない以上は」

「位置関係を考えると、俺と大佐、ランファンとホークアイ中尉はほぼ直線上にいタ。それが原因なんじゃないカ?」

「なんだ、あの空き家の前で直線上に並ぶと異空間に飛ばされる……そんな魔法のようなことがあるとでも?」

「実際起こってるんだかラ、そう思うしかなくないカ」

 

 歩く。

 血液故に足を取られやすく、重たい。けれどそれに音を上げる者はここにはいない。

 

 いや、いた。

 

「……面倒だな。はぁ、鋼の程便利ではないが……」

 

 等と言いながら、周囲、突き刺さっている鉄板のようなものに何かを焦がし描いていくロイ。

 それは錬成陣。けれど焔の錬金術とはまるで違う紋様。

 

「それハ?」

「いや何、私も別に、焔の錬金術だけしか使えんわけではない、ということだ」

 

 ぽちゃ、と血液の海に落ちた鉄板を、ロイが踏みつける。

 瞬間、ざばぁ、なんて音を立てながら、血液の海に鉄橋が掛けられる。まっすぐで、足が等間隔で、手すりまでついた鉄橋。

 そう、ロイ・マスタングは普通の錬金術においても超エリートなのである。

 

「おー」

「……国家錬金術師の力とやらカ」

「それだけではないさ。ここは鉄が腐るほどある。だから存分に使わせてもらった、というだけのこと。あぁだが走るなよ、途中までしか作ってない。途中まで行ったらまた私が作る」

 

 地面がふかふかの血と血液だまりからただの鉄に成れば、疲労はかなり軽減される。

 

「それで中尉。反響音が聞こえたのはあとどれくらい先かね」

「概算ですが、あと1km先かと」

「おオ、すぐだナ!」

「……遠いな。自動車でも作るか?」

「燃料はどうするのですか?」

「……オ?」

 

 タイミングよく、である。

 

 そんなことをくっちゃべっている四人の、その鉄橋の真横に──自動車が落ちてきた。

 流石に無傷とは言わないまでも、ある程度使える状態で。

 

「中尉。こういうの、天は我に味方した、というのだろうな」

「大佐、変な事言っていないでとっとと引き上げて直してください。それと鉄橋の道幅も変えて。これ、私たちが乗ってきた車ですよ」

「はぁ……最近の君は本当に冷たい。最初の頃が懐かしいよ中尉。あの頃はマスタングさん、なんて呼んでくれていったのに……」

「軍人と一般人でしたので当然では?」

「そういう所だと言っているのだ!」

 

 なんか喧嘩しながら、なんか騒ぎながら──傍目から見たらいちゃつきながら、鉄橋の道幅を変更したり、自動車を直したりしているアメストリス軍人組の一方で、シン国がヤオ家組。

 

「ランファン。今、落ちてきたよな。出現の瞬間は見えたか?」

「いえ、若様。見えませんでした。ですが、そこまで高空ではないはずです」

 

 聞かせる気がないのでシン国の言葉で。

 

「入口があるならそこから出られるはずだ。が……上空にある、というわけでもなさそうだな」

「自動車が落ちて、あの程度の破損で済むのであれば……私たちが視認できる距離に入り口があってもおかしくはありません」

「だよなぁ」

 

 それに、と。

 周囲。落ちている岩や壁の類を見るランファン。

 

「私たちも無事で済むとは思えません。外壁の類が壊れてすらいないところを見るに、入り口らしい入り口はなく、ちょうどこの血だまりから少し上の高さくらいの場所に現れる……としか」

「ファンタジーだな」

「すみません。ですがそれしか考えつかず」

「いや、怒っているわけじゃない。……錬丹術の使えない俺にとって錬丹術師はファンタジーの使い手だった。この国に来て、錬金術もそうだと感じた。……が、コレはそのどちらでもない、技術も原理もへったくれも無さそうなファンタジーだな、と思ったんだ」

「……ですね」

 

 クラクションが鳴る。

 

「そこの二人、置いていくぞ!」

「乗ってください。これで、かなりの疲労軽減が見込めるはずです」

「あア、かたじけなイ。行くぞ、ランファン」

「はい」

 

 元の形、元の機構にまで戻された普通自動車。

 運転するのはホークアイだ。もしもまたあの化け物が襲ってきた時、より火力の高い方が手ぶらな方が良い、という考えのもと。

 

 その後部座席にヤオ家二人も乗って、出発する。

 速度は出し過ぎない。途中までしか作られていない鉄橋を進んでは作り、進んでは作りを繰り返していく。

 

 何度繰り返しただろうか。

 たかだか1kmといえど、周りの景色がほとんど変わらないとなると、進んでいる気がしなくて気が滅入る。

 

「……あ?」

「……ん?」

 

 そうして、そうして、ようやく何かが見えてきた。

 何か──巨大なもの。

 

 シルエットは、例えるのならば。

 

「……城?」

「城、ですね」

 

 城だった。

 随分とメルヘンな城。

 

 近づいてみれば、それはもうキラキラと輝く──ファンシーでメルヘンな色合いのお城。

 

 悪臭立ち込める悪趣味な空間。果てのわからないそこに、そんなものがでん! と建っていたのである。

 

「……何がいると思う、中尉」

「もう気付いているんじゃないですか、大佐」

「そういう君は、随分と気分が悪そうだ」

「前にも話したように、イシュヴァール戦役で見たモノのせいで私はあの人が苦手なんです」

 

 悟った、という様子の二人に対し、何かわからないのはヤオ家の二人だ。

 わからないまま──城の門が開いていくのをみた。

 

 ぎぃぃ、とか、ごごご、とかじゃなくて……さらさらさらと崩れ壊れていく門。

 

「ハ?」

「お、おいおい遅いっつか今いつなのか知らねーけどやっと来たかよリン・ヤオとエドとエンヴィー……いー……ん?」

 

 現れたのは──金髪金眼の少年。

 

 ヴァルネラだった。

 

 

 

 とりあえずの事情を話すロイ達。

 ヴァルネラはほー、とかへー、とか適当な相槌を打ちながら、最後にはポン、と手のひらを打って。

 

「あぶねーなオイ。ロイ・マスタングがいなかったらマジで一生ここから出られなかったぞ。運良いなお前ら!」

 

 なんて快活に笑う。

 

「そういうということは、あなたはここがどこなのかわかっているのですか?」

「おん。ここは人造人間(ホムンクルス)暴食(グラトニー)の中。正確には、人造人間(ホムンクルス)の親玉たるフラスコの中の小人が作った疑似・真理の扉って奴だ」

「疑似……」

「真理の扉?」

「うん、まー聞き馴染みねーよな。なんつーの? アレだよ、錬金術とか錬丹術の深奥がすべて詰まった巻物を強制的に読まされる場所っつーか、この世とあの世の狭間というか、魂がある場所というかなんというか。まー説明難しいんだけど、錬金術使わんお前らは絶対行かないから知らなくていいと思うわ」

「……鋼のが見たという場所、ですか」

 

 この中で錬金術に造詣が深いのはロイだけだ。

 他の三人にはあまり理解の出来る話ではない。

 

「それデ、あんたはなんでここにいるんダ? 今は大総統と食事中じゃなかったのカ?」

「は? 俺がブラッドレイと? ……あっはっは、なんだそりゃ。外の俺そんなことしてんのか。おもしろ」

「外の……俺?」

 

 わけのわからないワードがたくさん出てくる。

 訳が分からないんだろうなぁ、と思いながらヴァルネラもしゃべっている。

 

「いやさ、まぁ俺が俺じゃなくなった時点で俺は俺じゃないから再生しなくても良かったんだけどさ、こんだけ体残ってんならもーちょい色々遊べるな、って思って、残ってみた。ああ、大丈夫大丈夫、俺は一個の空間に一人しか存在できないから、どの道俺が外に出ることはないし、そもそも人体錬成できないからあの道は通れない。つまるところ俺は一生このごみ箱で過ごさないといけないってわけ」

「……あの、ヴァルネラ医師。欠片程度でも良いので、我々にわかる言葉を吐いていただけると」

「俺も飲まれたんだよ、昔。お前らが戦っただろう暴食(グラトニー)って化け物にな。んで、外の俺は毛先とかから再生した。俺はこっちで朽ちるつもりだったけど気の迷いで再生した。あんだすたん?」

「再生、とは?」

「え、だから俺不老不死だからさ。お前らは知ってるよな?」

「あア。ブシュダイレン。不老不死ダ」

「そういうこと。なんだよ、外の俺はまだ明かしてないのか。信用されてないんじゃねえの?」

 

 軽快に、快活に。

 どちらかといえば、マスタングが知っている方の──等価交換を押し付けてくる割にお人好しな医者、という印象の方に当てはまるこのヴァルネラは、けれど。

 

「で、どうするよ。ロイ・マスタング。ここから出るには代価が必要だぜ? ──ちなみに俺は払えないから、そのつもりで!」

 

 サラサラと緑と黄いろの城が崩れていく。

 緑礬だ。これは全て緑礬でできている。積もり、崩れ、積もり、崩れ。

 その城の前で、さも当然であるかのように犠牲を要すと説明する姿は、外のヴァルネラと完全に重なるものだった。

 

「さぁどうする、ロイ・マスタング。誰かを犠牲にするか、自分を犠牲にするか──第三の選択肢をつかみ取るか」

 

 怪物は、ニヤニヤ笑って。

 

「正念場だぜ、20年も待ったんだ。楽しませてくれよ、国家錬金術師」

 

 まるで何かの番人かのように。




(12/28修正)計算ミスです。80年→20年


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 目を覆う謝礼

作者の勘違い&計算ミスで前話80年とか言ってたところ20年でした。
修正済みです。


 完全に独立した異空間。現実と真理の狭間。出口も出る方法もない。ただ死を待つしかない場所。

 ただし、唯一の脱出方法は、正規の真理の扉を開き、そこから出ることで現実に帰ること──。

 

「……くそ、これも……無理か」

 

 ヴァルネラからその情報を齎されてからずっと、ロイ・マスタングは何かを考えていた。

 無論脱出方法だ。それも、全員無傷での。

 

 代価を払う。

 つまり、人間を人間に錬成し直す。リザ・ホークアイをリザ・ホークアイに、リン・ヤオをリン・ヤオに、ランファンをランファンに錬成し直せば良い。そうすれば人体錬成は発生し、死者蘇生ではないから法則がそれを認可、人体錬成という名を借りた真理の閲覧が術者にもたらされ、その代価を術者が払う。

 それが一つ目の脱出方法。

 

 もう一つが、誰かを犠牲にすることで疑似賢者の石を作り、増幅器としてのそれを使って上記を行う。この場合増幅器から先に消費されるため術者は代価を支払うことなく現実に帰ることができるし、疑似賢者の石にならなかった者も帰ることができる。

 

「……誰が、そんなことを……! 考えろ、考えろ……できるはずだ、何か、方法が……!」

 

 はじめ、その二つの方法を聞いた時、真っ先に手を上げたのはランファンだった。

 曰く、「自分が最も必要ないから」と。それを聞いたリンは酷く怒ったし、ロイもリザも彼女を叱った。その後「それを言うなら私も」なんて言い出したリザもロイが叱り飛ばしたが。

 

 必要のない人間などいない。

 人間の存在価値に優劣などない。

 

 ゆえに一つ目の方法をロイが選ぼうとしたら、今度は全員に止められた。

 エドワード・エルリックが左足を犠牲に真理を見た。それだけで済むのなら、あるいは外のヴァルネラがなんとかしてくれるかもしれない。

 だけど、同じく真理を見たアルフォンスの例を考えるに代価はランダムだ。

 もし、全身をとなれば、それは犠牲と何ら変わりがない。怪我程度、欠損程度なんて覚悟で挑むものじゃない。ちなみに「そうやって思い上がった奴は大体全身持ってかれるか頭持ってかれるぜー」なんて軽い口調でヴァルネラが言ったものだから、余計に全員が全員で止めた。

 

 だから、考えているのだ。

 上記の二つではない、別の方法を。

 

「……ヴァルネラ医師」

「おー、なんか考えついたか。ちなみに医者になった覚えはないが」

「私がそうでないと呼びづらいので我慢してください。ヴァルネラ医師、貴方の身体は無限に再生する……ということでしたが、あっていますか」

「合ってるよ」

「そのエネルギーはどこから? 治癒力を最大限に高めているのだとして、莫大なエネルギーが必要なはず」

「いや、エネルギーとかないない。俺は俺である限り不老不死だ。うーん、例えばだけどさ、ロイ・マスタング」

 

 大きな石板。それに、ヴァルネラは血文字を書いていく。

 

「錬金術の発生において、まず必要なものってなんだ」

「……錬金術の講義ですか? 私に?」

「いいからいいから」

「……まず、円です。円が無ければ何も始まらず、円があって錬金術は錬金術足り得る。故に錬成陣は全てが円形です」

「おお、優等生だな」

 

 おさらい。 

 それに何の意味があるのか。

 

「円には必ず中心点がある。円周上から中心点へ向かって上昇力が集中し、それを均一に高めることで力の循環を起こし、統一点として機能させる」

「そうですね。ですから、円に乱れがあったり歪みがあったりすると、錬金術は上手く発動しません。この円をどれだけ素早く描けるかは錬金術師の基礎としてのトレーニングであり課題です」

「じゃあ構築式はどうだ。構築式はどんなものだろう」

「……構築式は、物質の構成と錬成課程を示したものになります。中心に置いた原料に向かい作用する構築式は、当然円形の式であることを念頭に置かなければなりません。そしてすべての構築式を正しく配列できたとしても、術者によって錬成結果は異なります。術者の技量によってはその構築式を完全に理解できていなかったり、あるいはそれ以上を知っていたりするからです」

「おーおー、聞いてないところまで。エリートだねぇ」

 

 褒められてもそこまで嬉しくない。

 何故ならヴァルネラは最年少国家錬金術師であり最長国家錬金術師記録を毎年更新し続けている者。そしてあの生体錬成だ。ジャンルもベクトルも違うけれど、錬成速度の一点においてヴァルネラはロイに勝る。それはそのまま思考力にも繋がり──。

 

「んじゃ、発動はどうだ、ロイ・マスタング」

「発動?」

「錬成陣を敷いたあと、術者は錬金術を発動させる。どういう仕組みを取る?」

「仕組みと言われましても。錬成陣に思念を送り、発動させます。それ以外にありますか?」

「それだよそれ。思念。思念はなんだ、ロイ・マスタング」

 

 思念。

 思念とは何か、と問われて、簡単でしょう、と答えようとして。

 詰まった。

 

「思念。感情。なんだ、それは。それはエネルギーか? 脳の働きが生み出すエネルギー。確かにそうだろう。だが、失血寸前だろうが脳に問題があろうが酸欠で意識不明になる直前だろうが錬金術は使える。()()()()()()()()、ロイ・マスタング」

「……思念」

「まぁ別に俺の身体思念とか関係ないんだけど」

「じゃあなんだったんですか今の問答は」

「いやだから、世界にはそういうものがあるってことだヨ。俺の身体はエネルギーの消費、増減なしに再生する。ただまぁ質量保存の法則は生きているからな、俺が再生するたびに、宇宙のどっかの何かが消えてるはずだ」

「……宇宙のどっかの何か、とは」

「さぁ?」

 

 適当だった。

 ロイが真面目に質問し、真面目に受け答えをしたのが馬鹿らしくなるくらい、適当だった。

 

「あの……一つ、いいかしら」

「ん、いいよ、リザ・ホークアイ。なんか気分悪そうだけど。あぁ、イシュヴァール殲滅戦で大量の血を見たトラウマとか刺激されてる? はは、気にすんなって。ここにある血は……いやまぁ大半人間のものだけど、割合豚とか牛とかのも混ざってるよ」

「……今の話を聞く限り、貴方の再生にはどこかの何かしらの物を消費する必要がある」

「ああ順序が違う。俺が再生するから質量保存の法則が作用して勝手にどっかで物が減る、だ」

「なら」

 

 リザは──震えながら。

 その言葉を口にすることさえ気分が悪いと思いながら、言う。

 

「今ここで貴方を殺し続けたら──どうなるのかしら」

「……ま、どんだけかかるかはわからんが、いずれは()()()かもしれないな」

「ダメだ、中尉。都合よく"宇宙のどっかの何か"が消えてくれるならばいいが、突然私たちの身体の一部が消失する可能性もある。そんなリスクは背負えない」

「……そう、ですか。そうですね。……この手法を取らなくて良かったと、心から安堵している自分がいます」

 

 見た目は10歳くらいの子供。

 それを殺し続ける手段、など。

 

「なら逆はどうダ?」

「逆?」

「あア。アンタの身体は再生し続けル。つまり無限ダ。それでこの空間を埋め尽くすってのハ」

「中尉の案と何が違う。ランダムな消失のリスクは避けられんし、埋め尽くすというのなら埋め尽くす過程で私達も潰れかねん」

「……お、オウ。すまなイ、余計なことを言っタ」

「む……いや、こちらこそすまない。気が立っていた。感情をうまく制御できていない……これは私が悪い」

 

 ああでもないこうでもない。

 議論は続く。

 

「緑礬は? この緑礬の侵食は谷をも作るほどだ。これを使えば、果てまで」

「あー、疑似・真理の扉と無限対決しろって? 良いけどマジで無限に続くと思うよ。お前らの寿命より長く」

「やはりどこかに出口があるはずダ。入り口があるのに出口がないのはおかしイ。次何かが入って来た時、そこに集中砲火を加えてこじ開けるのはどうダ」

「次のグラトニーの暴走を待って、どこに現れるともわからんそれをどーやってか事前に察知して、そこをどーやってかこじ開けろって?」

「……無理カ」

 

 考えて、考えて、考え抜いて。

 

 ふと、ある考えに辿り着いた。

 

「……そういえばヴァルネラ。アンタはその真理の扉とやらヲ潜れないと言っていたナ」

「おう。俺は代価にならんからな」

「だが、ここにいル」

 

 リンだ。あれだけ頭を悩ませていたロイでもなく、トラウマから気分を悪くしていたリザでもなく、ちょっと脳筋気味な解決策をポンポン出していたランファンでもなく、リンがそれに辿り着く。

 

「そうだな。俺はここにいる」

「おかしいだろウ。ここが疑似・真理の扉という場所なのだとしテ、そこへ出入りするためには錬金術を介す必要があるはずダ。そしてそれがあのグラトニーという怪物の力なんだろウ? 飲み込まれた覚えなどないガ、あの怪物には対象を疑似・真理の扉に閉じ込める──転移させる力があっテ、俺達もアンタもそれに飲み込まれタ」

 

 ロイの中で、何かがカチりと嵌る。

 笑みを深めるのはヴァルネラだ。

 

「つまるところアンタは現実と真理の扉のある空間そのものハ行き来できル。できル上で対価にならズ、真理を見ることもできなイ。扉を開くことができないかラ」

 

 要するに。

 

「──ヴァルネラ医師。貴方は人体錬成以外の方法で真理の扉を開ける方法を知っているのですか?」

「あ、そっち行くか。うーん。……60点だ、錬金術師」

 

 及第点は超えていた。

 

 

 

 

「つまり、貴方は答えを知っていて、それが第三の選択肢になることもわかっていて、けれど教えてはくれない、と」

「代価を払え。そしたら教えてやる。いやさ、俺はてっきり今の問答でお前が答えに辿り着くんじゃないかって期待してたんだよ。そしたらなんだ、結局"あなたは知っているんじゃないですか答えを"って……がっかりだよロイ・マスタング」

 

 ロイが発火布を、リザが銃を、リンとランファンが得物を構える。

 

「ん、なんだ。力尽くで聞き出そうって? やめときなよ、俺に痛みは通用しないよ」

「問います、ヴァルネラ医師」

「おう」

「──貴方は何者だ。どうしてそんなことを知っている。まるで番人のように我々の前に立ちふさがり、まるで天秤のように我々に選択を迫り──やっていることが人間ではない、あるいは神のようなものとさえ思える行動だ。そして、なにより」

 

 城が崩れる。

 緑礬がすべて崩れていく。

 

「貴方は何故、私たちの名を知っている。貴方の記憶においては──私たちはまだ出会ってすらいないはず。貴方が本当に1894年にグラトニーに飲み込まれた存在であるというのなら、です」

「ああ何? もしかして疑ってんの? 実は俺が外の俺と繋がってて、俺は単なる端末で、お前たちを使って何かをしようとしているんじゃないか──みたいな」

 

 巨大な水晶の城は風化し、そして彼を中心に、今度は足元の血が水晶となっていく。 

 

「あっはっは、ないない。俺はただお前らのこと知ってるだけだよ。なんせ俺は──」

「ア!」

 

 誰かが大きい声を出した。

 誰だろうか。

 

 今大切なところなんだから静かにしててくれ、というロイの願いはどこ吹く風に、その発声元が割れる。

 

 ランファンだ。

 

「どうしタ、ランファン」

「若様、思い出しましタ。ずっと考えていたのでス。──確かシンに、血液のみで作ル料理があったナ、ト」

「料理?」

 

 食いつきは早かった。

 ヴァルネラは──今まで出していた「なんか知ってそうな黒幕ムーブ」の一切をやめて、ランファンに詰め寄る。

 

「もしかしてランファンお前、ミーシュエガオを作れるのか?」

「ぶ、ブシュダイレン、近イ」

「みーしゅ、えがお? とはなんだ、中尉」

「私に聞かれましても」

「……ミーシュエガオは、まぁ、なんというカ……俺達の国でたまに食べル、血液で作る料理ダ。本来は動物の血で作るんだガ、確かに人間の血でも作れないことは無いナ。猟奇的だガ」

「血で作る……」

「……料理?」

 

 アメストリス人にとってはあまりなじみのないもの。

 だけど、ヴァルネラは知っていた。食べたことがあるのだ、昔。シンで。

 

 けど、作り方は知らなかったし、仮に知っていても試さなかっただろう。彼にそこまでの情熱はない。

 

「ブシュダイレン。あなタは、馳走を振舞えバ話をしてくれル……あの御伽噺ハ本当カ?」

「──良いだろう、代価として認めてやる。なに、この世界から出るのって実は結構簡単なんだよ。真理について詳しくない奴は大体遠回りに遠回りを重ねて無駄な浪費をしまくるんだけど、えーとな、じゃあまず錬成陣を」

 

 あまりにシームレスに話し始めるヴァルネラに、ロイが急いでメモを取る。

 

 人体錬成の陣。五角に四角を重ねた陣は、ロイも初めて見るもの。

 さらにそこへ、六芒星が敷かれていく。

 

「あぁランファン、ミーシュエガオはその辺に作っておいといてくれ」

「いや、ミーシュエガオは冷蔵を要するかラ、時間がかかル」

「ロイ・マスタング」

「私の身体は一つしかないんだが……」

「……じゃあいいや、レシピだけ書いといて。ああシン語もわかるよ、シン語でいい」

「そうだったのカ。いや、当たり前カ。ブシュダイレンはシンに来ていたのだかラ」

 

 それなりに大き目の錬成陣。

 血液で描かれたそれには、雌雄同体の龍が所々に描かれている。不老不死の記号だ。

 

「真理の扉を開くには鍵が必要なんだ」

「鍵、ですか」

「そ。その鍵ってのは血液のこと。神の構築式の詰まった高エネルギー体が人間の血液なんだよ。だからこの陣は、構築式で構築式を描いているようなもの。シンプルな陣で複雑なことを為せるのが優秀な術者の証とはいえ、複雑極まる陣ならさらに複雑な行いを為せるのもお前は知っているな?」

「ええ、まぁ。あとは、術者の想像力の助けにもなりますからね」

「おう。だから俺の緑礬も結構強力な錬金術なんだが、それはいいとして、っと」

 

 描き終わる。

 ロイが分析するに、これはやはり人体錬成の陣だ。人体をそのまま人体に作り直す陣。最初に聞いたものと同じ。

 違うのは、所々に散りばめられた不老不死の記号。

 それらは六つの線で繋がり合い、複雑かつ奇妙な形を作っている。

 

「ロイ・マスタング。術者はお前だ。だから今から言うことを理解しろ」

「はい」

「まず、現実の世界をフラスコだと考えろ。考えたな? よし、そうしたら、ここはフラスコの中にもう一つフラスコがあるものだと考えろ。考えたな? つまり、フラスコの中のフラスコから出るには、出入り口を探せばいい。が、この出入口には返しがついていて内側からは出られないと来た。ならばどうする」

「……内側から、フラスコの中のフラスコに穴をあける……でしょうか」

「おお、それができるならそれが一番だ。今やれ。できないだろ? じゃあ別解だ」

「う」

 

 急いでいる。

 何か急いでいる。これは。

 

「……新たな料理を食べたいあまり、私への教授を疎かにするのはやめていただきたい」

「あバレた?」

「どうせ調理には時間がかかるらしいではないですか。なら、こちらの話をできるだけゆっくりと……」

 

 そこまで言って、ロイはふとあることに気付いた。

 顔を上げる。

 

「ヴァルネラ医師」

「じゃあ続き行くぞ」

「ヴァルネラ医師」

「おん?」

「あなたは、どうするのですか?」

 

 今、当然のようにスルーしていたけれど。

 彼は。

 

「どうするって何が?」

「ですから、これからです」

「これから? ミーシュエガオ食うけど」

「そうではない。これからです。それを食べた後、どうするかと聞いています」

「いやわかんねーよ。食べた後も食べるかもだし、食べずにゴロゴロするかもだし」

「だから、そうではなく──!!」

 

 話が嚙み合わない。

 伝わらない。

 何故って。

 

「──オレ達がいなくなった後、アンタはどうなるカ、と聞いていル。そうだロ、マスタング大佐」

「え、いや、フツーにここに居続けるけど。ん? 何? 他になんか方法ある?」

 

 わかりきっていたことを、わかりきっているだろう? と聞く。

 

「あなたを、犠牲にしろ、と?」

「え? え? 待って、待った待った。何悔しそうな顔してんだよロイ・マスタング。犠牲とかじゃねーって。俺は飲み込まれた時に面白そうだからって意識保っただけの不老不死なわけで、外の俺には会ってんだろ? 別にどっちが本物とかないけど、俺はこっちで生き続けるし、あっちはあっちで生き続ける。何が違うよ。ほれ、言ってみ?」

「……この、何もない、誰もいない牢獄のような場所で生きることと、外の世界で生きることが──等価だとでも!?」

 

 その激昂とさえ取れる問いに。

 

「おん。等価だろ、フツーに」

 

 揺れない。

 ヴァルネラは、不老不死は、何も揺れずに言う。

 石がどこに置かれていても石であるように。

 木がどこで生えていても木であるように。

 そこに「楽しくない」とか「無為である」とか「つまらない」とか──あるべくしてある感情が無い。

 

 力熱(ねつ)が無い。

 

「そう……です、か」

「そうだよ。ほれ、集中しろ? お前の理解がお前の生死を分ける。こいつら三人とお前の命はお前さんのその両肩にかかってんだ、俺なんか見てないで集中しろ、ロイ・マスタング」

 

 わかった。

 わかってしまった。

 

 先日の治療の時、何事でもないかのように腕を切り落とし、移植したことも。

 イシュヴァール殲滅戦で身を挺してまでイシュヴァール人を逃がしたことも。

 戦場において、あらゆる場において奇跡と称される生体錬成を用いることも。

 

 すべてが、等価。 

 彼にとって──彼の偉業、彼の非業、彼の結末に、その心を波立たせるものが一つもない。

 

 なんて。 

 なんて──。

 

「おい、わかったか? 聞いてんのか、ロイ・マスタング」

「……ええ、理解しました。全て」

「そうかい。じゃあ行けるよ。犠牲も無しに、ここから出られる。神の構築式が詰まった高エネルギー体、存分に使っていけ。こんなすげぇモンをゴミ箱なんかに放り込んだフラスコの中の小人(おろかもの)を驚かせてやれ、人間」

 

 全員が集まる。

 

 そしてロイが、錬成陣に思念を送り込む。

 輝きだす陣。黒いうねうねとした手が出てきて、そこにぎょろりと目が開いた。

 

「……信頼してるゾ、錬金術師……!」

「大佐、お先に失礼します」

「う、グ……!」

 

 輝く錬成陣。

 ほかの皆は飲み込まれた。扉に分解されるようにして、いなくなった。

 

 けれど、その目に足を突っ込んでいるというのに、ヴァルネラに変化は一切ない。 

 ズ、ズズと飲み込まれていくロイが彼を見ても──やはり。

 

 その感情に揺らぎなど。

 

「おいおい、割り切れないのかよ、ロイ・マスタング。なんだ、外の俺はそこまでお前と仲良くなったのか? あっはっは、そりゃ勘違いだ。……と、言いたいところだがな」

 

 分解されていく。変換されていく。

 ぼやけていく視界で、ヴァルネラが──地面に手を突いたロイに目線を合わせるように。

 

 気のせいでなければ、苦笑いをしているような。

 

「もし──本当にお前が俺の心を動かしたというのなら、それは偉業となる。そして、お前がそこまで俺に感情を向けているということ自体が代価となる。──俺が返す代価になるって話さ」

 

 視界が白く染まる──。

 

 

 

** + **

 

 

 

「そんなワケがないだろう。大量の血液程度が通行料に? それならば世界全土に真理を見た奴が溢れかえっているだろうさ」

「──!」

 

 白。

 どこまでも、白。天地の境目が無く、ただ自分の影だけが落ちる世界。

 

 ロイが目を開けた時、ソイツはいた。

 黒い靄に囲まれた、あるいはそれが無ければ輪郭さえ見ることのできない何か。

 シルエットは──ロイに似ている。いやそのものだ。背丈も、そして声も、立ち姿も。

 

「お前は……誰だ」

「私は……そうだな。お前たちが"世界"と呼ぶ存在。あるいは"宇宙"。あるいは"神"、あるいは"真理"。あるいは"全"。あるいは"一"。そして、私は"おまえ"だ。ロイ・マスタング」

「……お前が真理か。ならばお前を見れば、鋼ののように手を合わせるだけで錬金術が使えるようになるのか?」

「お前には無理だ。少なくとも今はな。お前が真理を見ないよう、目隠しをした存在がいる。小賢しい真似だが、確かに見ていない者から代価を取ることはできない」

「目隠し?」

 

 確かに、そうだった。

 ロイは真理を見ていない。気付けばここにいた。エドワードの証言が正しいのならば、この世全ての、生命誕生の全てを見せられるはずだ。それが無かった。

 

「さぁ、とっとと元の世界に帰ると良い。つまらん話だが、私からお前にすることなど何もないし、お前から私に求めるものも何もない。本当にくだらない真似をしてくれる。いつもいつも、だ」

「待て、さっきから何の話をして──」

「おまえの後ろにいる奴の話だよ、ロイ・マスタング」

 

 黒い手が伸びる。

 気色の悪い手が、ロイの身体を引っ張り、引き摺り、この世界から排出していく。

 否、元の世界へ返していくのだ。お前のいるべきはここではないと──あちらこそが然るべき場だと。

 

 そしてその手は、誰かを素通りする。誰かを貫通する。

 ロイは引っ張る癖に、ロイの後ろにいて、今となりに来た誰かには干渉しない。

 

 引く。引く。

 赤子の手のように小さく、泥のように生暖かく、べたべたと張り付いて取れない何か。

 

「待て、おい、待て! 待てと言っている! 何故だ! お前は──何故私を助けた! お前は、あなたは、あなたを──私は、恐れたと、いう、のに」

 

 手を伸ばしても、届かない。

 睨みつけても見えはしない。

 声を荒げても──返事はない。

 

 助けてもらった恩があった。等価交換などと嘯いて、それでも感じる人の好さがあった。

 けれど覆された。一度は腕で、そして此度はその身で。

 だからロイは、彼を──恐れてしまっていた。ああ、そうだ。哀み、恐れ、理解ができないと……まるで化け物を見るかのような目で、彼を見てしまっていた。

 

 けれど彼は、なんでもないかのように、フツーに、テキトーに、ちゃらんぽらんに手を振って。

 

「あっはっは、ロイ。ロイ・マスタング。お前がもうここには来ないことを祈っている。ここはなーんにもねーからなー。この祈りでチャラだぜ、ロイ・マスタング。──お前が俺の幸福を願ったことへの対価だ。これとさっきの目隠し(サービス)を等価とし、ゼロにする」

「全く、賢しいにも程がある。外に出たいとは思わないのかね?」

「ずぇんずぇん。はン、悲しいと思わなけりゃ悲しくないんだよ、"真理"。んで楽しいと思えば楽しいんだ。昔から言ってるだろ?」

 

 誰かと誰かの会話が遠くなっていく。

 もう、抵抗する力もない。起きない。

 

 真っ暗な闇の中に放り出されて──ロイは。

 

「私は──貴方の心を動かすほどの国を作るぞ! いつまでも、いつまでも、そう余裕でいられると思うなよ、不老不死!!」

 

 彼は、現実に帰還した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 親と子と連合

ようやく色々


「おい、待て! 待てってば、おいホーエンハイム!」

 

 砂漠を行く。

 ズカズカ行く。正直な話、生身のないアルフォンスと違ってエドワードに普通の砂漠はキツい。機械鎧が熱を持つから接合部が火傷しそうになるし、単純に汗もかく。熱も籠る。専用の外套で身を覆っていても、暑いものは暑い。

 けれどホーエンハイムがズカズカ歩いていくから見失うわけにもいかない。

 

「兄さん、砂でせめてトンネルとか……」

「砂岩は……崩れるかもしれねえから怖いんだが、四の五の言ってらんねえか!」

 

 手合わせ錬成。

 兄弟で行うそれは、なんだかアンバランスなデザインになりながらも、全く同一の錬成速度で砂岩の廊下を生成する。

 

「うっし!」

「兄さん、父さんあっち!」

「おう! 追っかけるぞ!」

「あと悪いニュースがあるよ兄さん!!」

「なんだアル!!」

「後ろの方からどんどん崩れて行ってる!」

「──走れ!」

 

 とかなんとかやって、結局結構な時間がかかって。

 

 でも、見失わずに辿り着けた。

 そこは。

 

「アルフォンス。ここだな?」

「あ……うん、ここだ。ここから見える遺跡の角度も……一緒だ」

 

 儀式場──には、見えない。

 

「何にもない……?」

「いや、砂で埋まっているだけだ。このあたりの砂は流動が激しい。手分けして吹き飛ばすぞ」

「……吹き飛ばしたら、儀式場も吹っ飛ぶんじゃねえのかよ」

「吹き飛ばされた程度で壊れるものを錬成陣に使うわけがないだろう。アルフォンスが見たというインクは恐らく砂を固めるためのもの。この砂塵に沈んだどこかに、固まった砂でできた錬成陣が埋まっているはずだ」

 

 兄弟は目を合わせる。

 そして同時に手を合わせ──。

 

「んじゃ──砂嵐でいいな!」

「砂を巻き上げるのはいいけど、ちゃんと落とすところ考えなきゃだよ兄さん」

「……アルフォンス、血印に砂が付着しないように守っておけよ」

「あ、そうだった。ありがとう父さん!」

 

 父。兄弟。

 今はまだ何も噛み合っていない三人だけど、全員が全員凄腕の錬金術師である。

 

 だから、なんとかなった、という話で。

 

 ──ソレが露出するのに、あまり時間はかからなかった。

 

 

 

「なん……だこれ。人骨に……」

「この死体自体は陣には関係ないな。いや、魂だけ抜き取られて死んだ肉体と言ったところか。賢者の石生成に使われた人間が、そのまま放置されただけだろう」

「だけって……」

「それよりも、これだ」

「……これ、何?」

「黒い……液体?」

 

 ホーエンハイムが発掘したのは、骨のような皿に入れられた鉄の板と、小瓶。

 その小瓶には真っ黒な液体が入っていて。

 

「……昔話だ。昔、クセルクセスでとある錬金術が使用された。術師が自身に付加する形で作らんとしたものは"大いなる叡智"。……結果から言えば、失敗だった。不老不死、永遠の命、死者蘇生の法。──あらゆる叡智を己に植え付けようとした錬金術師は、その思い上がりから"頭を持っていかれて"死亡した」

「……持っていかれた、か。それはやっぱり、真理に……か?」

「そうだ。お前の左足。アルフォンスの肉体。真理が代価として持っていくものはランダムに思われがちだが、その実"ソイツの未来において、願いにおいて、もっとも重大なもの"が代価となる」

「僕にとって……」

「大いなる叡智を求めた術師は頭部を代価に持っていかれた。だが、劣化品とはいえ"大いなる叡智の欠片"とでもいうべきものがこの地に取り出された」

 

 それがフラスコの中の小人(ホムンクルス)だ、とホーエンハイムは続ける。

 

「ホムンクルス……」

「なんだ、まだ会ったことないのか。……別に会っても会わなくても変わらん奴だが」

「……」

 

 "大いなる叡智の欠片"。即ち"真理"のごくごく一部は、奴隷の血を取り込んだことで自我を得た。否、自我を得たというよりは、誕生した、というべきだろう。

 何故なら彼だけは生命としての"扉"を持っているのだから。

 

「だが──同じような実験を行っていた術者がその前にもいたんだ。こちらは"不老不死"。不老不死を呼び出し、己に付加し、己を作り直そうとした。そんな大バカ者がな」

「自分を作り直す、なんて……成功するの?」

「何も付け加えずにやるなら成功する。人体を同じ人体として錬成し直すのなら、特に問題なくな。無論通行料は必要だが。……わかっていると思うが、その儀式場がここで、呼び寄せられた不老不死がヴァルネラだ」

「……でも、僕の見た記録では」

「ああ、ぐちゃぐちゃになっていたんだろう? さっき言った通り、付加する人体錬成は基本成功しないんだよ。唯一同じもの……賢者の石を自らに錬成する場合のみいけるがな。あれは魂の凝縮エネルギーだ。魂を持つモノに魂をぶち込んでも、他の余計な要素よりかは拒絶反応は起きない。そいつが自我を保てるかどうかは別の話だが」

 

 鉄板についた砂を落とすホーエンハイム。

 刻まれた文字列は、名前だろうもの。

 

「術者に"不老不死"を付加することはできなかった。代わりに不老不死(ヴァルネラ)がこの世に呼び出され、術者は代価としてその全身を持っていかれた」

「……じゃあ、なんだ。アイツはクセルクセスの錬金術師を犠牲にしてこの世界に来て……で、何しようとしてるんだよ」

「別に故意に犠牲にしたわけじゃないだろう。特に理由もなく呼び出されて……アレは特にすることもないんじゃないか? 俺にトリシャの死を教えたのだって、フラスコの中の小人への意趣返しだろうし」

「何をすることもない、って……」

「じゃあ何を急いでお前はここに来たんだよ、ホーエンハイム。ヴァルネラのなんかが必要で、そうじゃなくてもヴァルネラのしようとしてること防ぐために調べたかった、とかじゃねえのか」

 

 エドワードがムスっとした表情で問う。

 エドワードとしてはこの錬成陣を調べ、アルフォンスの精神や魂に関する情報を得たかった。……が、これはそういう類のものではないと一目でわかった。

 人体錬成の陣のアレンジ。そういうものでしかない。無論時代考証をするなら、エドワード達が描いたものの方がアレンジなのだろうが。

 

「俺が知りたかったのは、その術師が不老不死を呼び出すために使った記号の方だ。──この十年、ずっと調べていた。あの頃の俺が調べなかった、手を出そうともしなかったクセルクセスの深奥──この国で何故ああまで錬金術が発達したのか。あれほど聡明だった王は何故不老不死を欲したのか。生きること、死ぬことにどれほどの価値があるのか」

 

 ぽい、と投げられた鉄板。

 そこに書かれた文字は。

 

「クロード=ルイ・アントワーヌ・デクレスト・ド・サン=ジェルマン……?」

「なんだこの長ぇ名前は。どこのお貴族様だっての」

「それがヴァルネラの本名だ。が、そっちは俺たちにはあまり関係がない」

「これが……? って関係ねえのかよ!」

 

 ホーエンハイムは──スラりと立ち上がる。

 その目、その出で立ちに、先ほど王の間で呆けていた誰かの影は見つからない。

 

「父さん、聞いてもいい?」

「なんだ、アルフォンス」

「さっきはなんであんなぽけーっとしてたの?」

「……はじめの三年で、大体のことは調べ尽くした。その後の三年で、机上の空論やアイツ……フラスコの中の小人(ホムンクルス)がやろうとしていることに対するカウンターを考えた。残りの二年で足りないピースに気付き、それを探し回っていた……が、見つからなかった。呆けていたんじゃない。困っていたんだ」

「いーや、呆けてたね。間に合わなかっただの救えなかっただのずっと言ってたじゃねえか」

 

 嫌味を含んだエドワードの言葉に──目的を達したらしいホーエンハイムは、ようやく彼に向き直る。

 

「……仕方がないだろう。トリシャを……彼女が罹る病さえわかっていれば、あるいは俺が生体錬成の権威と呼ばれる程に凄腕の錬金術師なら、彼女を救えたかもしれないんだ。何かを考え、何かを為すために行動している間はそれに集中できるが、ああいう時間が生まれると……どうしても思い出してしまう」

 

 その、悲しそうな顔に。

 何故かエドワードの口から、罵倒の言葉が出てこない。

 

 代わりに。

 

「……知ってた、んだよな」

「トリシャの死、か?」

「ああ。……母さんが死ぬって。病にかかる、って」

「知っていた。教えられていた。何の病かは……アイツ、代価を払われてないとか言って、教えてくれなかったが」

「……ホーエンハイム。アンタが……母さんの大変な時、ずっとずっと書斎にいたのは、なんでだ」

 

 わかっている。

 答えがわかっている問いをする。エドワードは、もう。

 ただ意固地になっているだけなのだ。ずっと嫌っていたものを、真実を知っただけで好きになれ、なんて。人間の感情はそう単純なものじゃない。嫌いという感情は残り続けるし、憎いという感情も染みつき続ける。

 何年恨んだことだろう。幾年悔やんだことだろう。

 エドワード・エルリックを構成する要素の一つに、既にホーエンハイムへの怨み、というものが刻まれてしまっている。

 

「……トリシャの病を治す術を見つけるため、だよ」

「やっぱり……そう、なんだね」

「ああ。だが、ダメだった。その死を教えられて、10年もあって……今知った通り、俺は何百年も生きていて、錬金術の凡そを知っていて。それでも──変えられなかった」

「なんでオレ達に相談しなかったんだよ」

「はは、できると思うか? あの時のお前たちは4歳と5歳。それにまだ錬金術も知らなかった。そんな子供に──まだトリシャが元気な時期に、"もうすぐ母さんは必ず死ぬ病気に罹るんだよ"、なんて──言えると、思うか?」

 

 言えない。

 言えるわけがない。たとえ未来を知っていても、死を告げる運命など誰に話せるものでもない。家族以外なら必ず気を遣う。遣わせてしまう。家族に話せば──どれほどのショックだろう。そして、トリシャ本人にも。

 ならば秘して、治す術を見つけて、誰も知られぬ内に治療してしまうのが一番だ。それができてこその錬金術だ。

 

 その苦痛くらい、覚悟くらい、悔恨くらい。

 ──理解できないエルリック兄弟じゃあ、ない。

 

 ああ、そうだ。

 簡単だ。簡単な事だったのだ。

 

「弱い……んだな、アンタ」

「……弱い、か」

「それに、脆い……。ここにいた時、アンタに家族はいなかったのか? 両親とか、兄弟とか」

「いなかったなぁ。師匠や主人はいたけど……家族はいなかった」

 

 外套の下。

 ポケットに手を突っ込んで、寂しい背中で。

 

「いなかったよ」

 

 誰も。

 だから欲したのだ。

 

 弱い。脆い。

 同じく家族のいないのだろう彼より、あまりにも。

 不老不死を得るには、あまりにも向いてなさすぎる精神。

 

「……ホーエンハイム。ちょっとこっち来い」

「いいけど、また背中蹴るんじゃないだろうな」

「蹴らねえよ。蹴るとしても機械鎧じゃない方にしてやる」

「それでも痛いんだけど……」

 

 言いながら、でもホーエンハイムは従う。

 エドワードの方へ寄って。

 

「アル。アルもこっち来い。こっち来て、ちょっとしゃがめ。ホーエンハイム、アンタもだよ」

「えー。兄さんがジャンプすればいいじゃん」

「そうだな、エドワード。円陣か何かを組むつもりなんだろうが、お前がジャンプすればいい」

「い・い・か・ら・か・が・め・!」

 

 背の高い二人に、声を荒げるエドワード。

 

 そして別に、円陣なんか組むつもりは一切ない。

 屈んだアルフォンス、ホーエンハイムの──後頭部をガッとつかんで。

 

 ガン! と。

 頭突きをかました。

 

「~~~~っ!」

「……何やってるの兄さん」

「……何やってるんだエドワード」

 

 当然、一番ダメージを受けるのはエドワードである。

 生身の無い鎧であるアルフォンスは言わずもがな、ホーエンハイムも再生する程のダメージではない。

 もんどりうって、ひっくり返って、額を抑えて砂の上をゴロッゴロ転がるエドワード。

 

「っ、てぇえ!」

「そりゃ痛いだろう……。どれ、診せてみろ。小さい傷くらいなら治せる……」

「うるせっ! 治すんじゃねえ」

「だが、傷になるぞ。この鎧硬いんだよ」

「いいんだよ傷になって」

「ウィンリィがまた心配するよ兄さん」

「ぅ……い、いいんだよ! これは……なんつーか、オレなりのケジメだから」

 

 アルフォンスの頭の上にも、ホーエンハイムの頭の上にもクエスチョンマークが浮かんでいる。

 それを見て、エドワードは口を尖らせて……目を逸らして。

 

「この痛みを思い出すたびに、ホーエンハイム。アンタのその、なんつうか、寂しそう……つか、悲しそう、つか、……そのキモい面を思い出す! これで……こうすれば、蹴ったり殴ったりの衝動も抑えられる!」

「そこまでしないと抑えられないんだ……」

「抑えられるかよ! だってコイツは、違う、だから、だって──だって、母さんは、コイツに、本当はコイツに、ホーエンハイムに!」

 

 フラッシュバックする、母親の顔。

 いつも笑顔だった。つらそうな時でも、エドワード達に見せる顔は笑顔だった。

 

「……オレ達じゃない。ホーエンハイムに、ホントは、ずっと一緒に……いて欲しかった、って……それくらい、なんでわかって……クソ……」

「……そうだね。そこに関しては、僕も同じ気持ち。父さんがさっき言ったこと、わかる。僕だって兄さんがもうすぐ死んじゃうって聞かされたら焦る。それが病気で、治せるかもしれないものって言われたら……錬金術とか、自分の身体を取り戻すとか全部放り投げて、医学の勉強をするよ。生体錬成でなんとかなるなら、ヴァルネラさんにだって師事する。なんとしてでもね。だけど」

 

 だけど。

 だけど、だ。

 

「母さんと一緒にいる時間。もう少し、本当にもう少しだけでいいから……分けてあげて欲しかった。もう言っても仕方のないことだって僕も兄さんもわかってるけど、それでも言いたい。母さんと、一緒にいてあげてほしかった」

 

 エドワードの歪曲し、屈折し、捻じれに捻じれた想い。

 アルフォンスのまっすぐでまっすぐで、どこまでもまっすぐな言葉。

 

「……ああ。俺が後悔するべきは、間に合わなかった事でも、救えなかったことでもなく……そっちだよな」

 

 深く、頷いたのだった。

 

 

 

 

 で、である。

 

「全く……いきなり遺跡から爆走して出てったと思ったら、一人増えてるって……はい、イシュヴァールの皆さんに感謝すること。いいね? ああ、ごめんなさいね、次一頭余分に持ってくるから」

「ああ、良い、良い。ホーエンハイムさんには随分と世話になったからの。彼のために馬を譲るのは、イシュヴァラの教義にある恩返しのようなものじゃ」

「ホーエンハイム、お前何してたんだ?」

「何って……この遺跡の同居人として、砂漠の生き物を狩って分けたり、綺麗な水を精製したり……それくらいだ」

「へぇ」

 

 三人がクセルクセス遺跡に帰るなり、そこそこの人数のイシュヴァール人に取り囲まれた。

 エルリック兄弟が構えを取るのも束の間、ホーエンハイムがへにょへにょ歩いて行って、どうやら代表らしい老婆と会話。

 何か驚かれたのも束の間に、ぽんぽんと肩を叩かれ、その背中を他のイシュヴァール人からバシバシと叩かれ。

 

 どうやらここを出ることを告げたらしかった。

 イシュヴァール戦役でこのクセルクセス遺跡に逃げ延びた人々も驚いただろう。まさか人がいるなんて。ホーエンハイムもそれなりに驚いただろう。まさか人が来るなんて。

 そんな微妙な関係から始まった同居生活は、けれど特に衝突が起きることもなく、そしてひとたび会話という交流が始まれば──なんと彼らの恩人、ロックベル夫妻の隣人だというではないか。

 さらに言えばイシュヴァール人の多くを逃がしたヴァルネラ医師の知り合いでもあり、と。

 

 仲良くならないはずもなく。

 

「ホーエンハイム殿の息子らよ。彼を頼むぞ!」

「え、シャンさん何を」

「彼は……やることが無い時、突然ぶつぶつと誰かと喋りはじめ、かと思えばトリシャトリシャと呟き始め、今度は頭を床や壁に打ち付けはじめと、手に負えん! 常日頃から目的を与え続けること! 良いな!」

「……兄さん、これってもしかして、"父さんの飼い方"かな」

「だな。同居人っつーか飼われてただけなんじゃねぇかコイツ」

「酷いな……」

 

 それでも。

 

「また、会おう、ホーエンハイム殿──くれぐれも、玉砕覚悟などというものを持つでないぞ!」

「……ええ。シャンさんも、お元気で」

 

 兄弟は顔を見合わせる。

 どうやらこの父親、クセルクセスでの十年間──何もしていなかったわけじゃなかったらしい。

 

「出発するぞ──次あのワームの類が現れたら、頼むよ!」

「任せろ! 今度こそぎったんぎったんのねったんねったんにしてやるぜ!」

 

 出入国コーディネーターのハンに連れられて。

 兄弟は、父親と共にアメストリスへ帰る──。

 

 

** + **

 

 

「寒いな」

「寒い」

「……さすがは武僧、とは思うけど、そこまで肌を晒して大丈夫なものなのか?」

「む? だから寒いと言っているぞ、兄者」

 

 ところ変わって──ブリッグズ山。

 その巨壁と呼ばれるブリッグズ要塞に、その見張り台に三人はいた。

 

 左から、両腕刺青の褐色赤目の筋骨隆々男、がっつり寒冷地装備を着込んだ褐色赤目のひょろひょろ男、寒冷地装備を着込んだ褐色赤目のしっかりと鍛えてある男。

 刺青の男(スカー)の一人、彼の兄、そしてこのブリッグズ要塞に配備されているクォーターイシュヴァール人のマイルズである。

 

「本当に来るのか?」

「あぁ、来るよ。今朝、軌道上で観測を行った仲間が微弱な振動を感知している。円は確実に掘られている」

「……人造人間(ホムンクルス)、か」

 

 ブリッグズ要塞へとやってきた刺青の男(スカー)たちは、まず戦闘を行った。

 当然だろう。セントラル、イーストシティで騒がれている国家錬金術師殺しと特徴が同じ過ぎた。だからブリッグズ兵と戦闘を行い──しかし、誰も殺さず。

 これも当然だ。ここに国家錬金術師はおらず、そもそもが協力を求めるために来た。

 殺してしまっては意味が無い。怪我も本当はさせたくなかったが、ブリッグズ兵も強かった。だからやむを得ず、ということが何度かあった。

 既に刺青の男(スカー)兄の錬丹術によって治療済みだが──戦闘の結果は引き分けと言えるだろう。

 

 ブリッグズ側の将、アームストロング少将が出てきたのだ。

 刺青の男(スカー)達から殺意が感じられない、何用だ、と。

 

 そこから──紆余曲折はあったものの、すべてを話し、話を付けることができた。

 ブリッグズ-刺青の男(スカー)連合軍。

 

 今日。

 いろいろな準備をした後の、今日だ。

 

 来るとされている化け物を、殺す。

 あのガスホルダーでヴァルネラから提示された可能性において、脅威となるのは二つの人造人間(ホムンクルス)

 

 一つは怠惰(スロウス)

 最速の人造人間(ホムンクルス)であり、その巨体、硬度、パワーは戦車を紙くずのように潰す程。それでいて再生能力を持ち、相当数殺さなければ死なない。

 もう一つは傲慢(プライド)

 明るい所にはあまり出てこない、掘られているトンネルに入らない限り手を出してこない──とはいえ、もし戦闘になった場合、どうしようもないから逃げろ、とまで言われている人造人間(ホムンクルス)。ただし対抗策は授けられている。

 

 刺青の男(スカー)兄はブレインだ。ここから各地に配備された仲間に指示を飛ばす。

 その横にいる彼の弟は兄の護衛で、マイルズはブリッグズ側との通信役。

 

「──来た!」

 

 目の前。

 三人の視線の先で、大爆発が起こる。

 それは地下、トンネルの行き先に仕込んだ爆薬。周辺に住民がいないことは確認済みで、今日この辺りで演習をするから近づかないように、とも言ってある場所。

 そこで起きた爆発は、一撃だけなら紅蓮の錬金術師のそれにも勝る威力。

 

「今だ、引き摺り出せ」

 

 マイルズが指示を飛ばす。

 ごぅん、なんて音が響いて首を振るのは──クレーン車だ。爆発の起きた場所に先端を伸ばし、フォークグラップルでソレを確実につかむ。

 急がなければ傲慢(プライド)が来る。そのために演習は欠かさなかった。故にスムーズにこれを持ち上げ、外に出す。

 

「……成程、巨体だ」

「兄者」

「ああ。第一班行ってくれ。東側のブリッグズ兵の射線上には入らないようにな!」

 

 雪の中、ブリッグズ山岳兵の使う真白の装備を纏っていた刺青の男(スカー)達が出現する。

 それらは恐るべき速度で雪上を走り、今しがた吊り上げられた化け物に手を当て──分解する。一気に体の二分の一を持っていかれた化け物、怠惰(スロウス)。その名に相応しく、特に大きなリアクションもせずに──再生する。

 

「一班は離脱しろ。二班、槍による腹部の集中攻撃だ。硬い皮膚に穴を。開けたらすぐに崩してくれ。ブリッグズ兵の砲弾が来る」

 

 通信は続く。

 分解の右腕と再構築の左腕。

 それらを自在に使いこなし、且つ目で追うこともできない程の俊敏さとタフネスを併せ持つ武僧。

 

 あのオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将をして「正面切ってぶつかり合うのはもう避けたい」と言わせた程だ。

 

 石槍がスロウスの腹に突き刺さる。刺さった瞬間には槍は崩れていて──穴の穿たれたそこに。

 

「ってぇー!!」

 

 轟音。

 ブリッグズが誇る戦車部隊。その砲塔から放たれた砲弾は、回転しながらスロウスの肉を破り貫いていく。

 

「鉤縄放て!」

「一班はもう一度接近、三班はブリッグズ兵が襲われないよう見守っておいてくれ!」

「──地下観測班から入電だ。何か影のようなものが来ている!」

「早いな。全班一度撤退しろ! トンネルの上からできるだけ離れるんだ!」

 

 刺青の男(スカー)兄の指示から、二秒と経たない内にそれは起こる。

 影だ。未だ爆炎立ち昇るそこから、目のついた影の化け物が這い出てきたではないか。

 

 それは素早く周囲を見渡し、怠惰(スロウス)を見つけるなりその身体に巻き付き──トンネル内部に引きずり込んでいく。

 

「今だ、射出しろ!」

 

 ブリッグズの巨壁。

 その上に並んだブリッグズ兵──その全員が持っているのは、グレネードランチャー。合図とともに全員が射撃し、特徴的な形のグレネードが射出される。

 気持ち上めの放物線を描いて打ち出されたソレは──スロウスを巻き取った影の周囲で爆発する。

 

 光に。

 

 蒸発するようにして消える影。

 雪という天然の鏡は光をさらに増幅し、単なるフラッシュグレネードでも効果的なところを、更なる効力を以て対抗策とする。

 が、これは本体へダメージが行くわけではない、とヴァルネラから聞かされている。だから時間稼ぎだ。

 

「影が復活する前に、また先ほどの工程を繰り返すんだ! 撤退の指示はする!」

「地下観測班、見逃すなよ! こちら全員の命はお前らにかかっている! ひいてはアメストリス全土の民の命がかかっていると思え!」

「砲弾、装填完了! ってぇー!!」

 

 連携は完璧だ。

 少将と刺青の男(スカー)兄が手を結んでから、何度も何度も演習を繰り返した。

 だから、巨壁にほど近い所に住んでいる住民は「今日の演習は気合入っとるの~」とか思っているかもしれない。

 

「削れ削れ! 再生せども、奴は必ず尽きる、死に果てる怪物に過ぎん!」

「ならば殺せ! この世は人間のもの──人造人間(ホムンクルス)には机上の空論へと帰っていただけ!」

「行け、押せ! そして油断するなよ、仲間の死こそ最大の損失と知れ!」

 

 これで殺せない生物などいないだろう。あの不老不死以外。

 押して、押して、押して押して。

 

 果てに──。

 

 

「──全く。死地から蘇っての初仕事が要塞の爆破とは──良いものを用意してくれる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 敵と戦の開闢

全員が全員、そうであるわけではない。


 ブリッグズ要塞の爆発──。

 

 それは誰も予見していなかったこと。爆薬が漏れたか、戦車が誤射したか。

 否、あり得ない。ブリッグズも武僧もミスなどしない。何より、そうだ、その爆発は、紅蓮は、それが誰なのか、どういうものなのかを──彼らは知っているのだから。

 

「──紅蓮の錬金術師!」

「っ、国家錬金術師か! だが、何故……」

「ありえん、紅蓮は爆発に飲まれて死んだはずだぞ!?」

 

 だが、そこにいる。

 だが、ここにいる。

 

 絶望の怨敵、多くの非戦闘員を殺し、殺し、殺し、殺し、殺した国家錬金術師が──そこにいる。

 

「マズい、奴にとって建物は──」

 

 刺青の男(スカー)兄が言葉を紡ぐ前に、二度目の爆発が起きる。

 どこに仕掛けられているとか、どこなら逃げられるとか──そういうものはない。

 紅蓮の錬金術師。その錬金術の最たる部分は、理解したあらゆる物質を爆発物に変換することができる点にある。

 どれほど硬い巨壁だろうと、どれほど複雑な機構の戦車だろうと関係が無い。

 爆発、爆発、爆発。

 爆弾狂のキンブリー。

 

 だが、だが、である。

 

「一班、予定の繰り上げだ──氷壁を上げろ!」

 

 分解と再構成。

 錬金術への理解が深ければ深いほど、両腕に施された刺青は変幻自在な錬金術を起こし得る。

 イシュヴァラ神より賜った大地を自ら作り替える蛮行。全てに背いてでもすべてを成し遂げると覚悟を決めた武僧たちにとって、必要とあらばアメストリスの座学にも手を出す。理解、分解、再構成。理解、再生。錬金術、錬丹術、あらゆる座学を修めた上で、その信念のもと彼らはここにいる。

 

 ゆえに、個々の力が国家錬金術師のそれに届かずとも、統一された意思のもとに行う錬金術は、その"氷壁"は、アイザック・マクドゥーガルの錬成速度にも勝るとも劣らないものとなる。

 

 無論、そんな氷壁など瞬時に爆破され──るから、第一班と名指された武僧は壁を作り続ける。

 ここはブリッグズ。極寒の地。

 材料など──腐るほどあるのだから。

 

「一班以外は引き続き怠惰(スロウス)傲慢(プライド)への対処を! マイルズさん、要塞内は」

「気にするな。こちらのことはこちらでやる。そして、あの程度の爆発ではこの巨壁は崩れない。幸い戦車は無事だ。──それに、あの人が動いているからな」

「……わかった」

 

 爆発音は続く。怪物は尚も動こうとしている。影が伸びてきては蒸発する。

 均衡を崩すのは、果たして。

 

 

** + **

 

 

 ゾルフ・J・キンブリーがそこから飛び退くことができたのは、かの戦役を経験していたがためだろう。あるいは浴びるようにしていたからか。

 

 殺気──殺意なる圧。

 イシュヴァール人からの、武僧からのそれをワインのように浴びて飲んでいたキンブリーにとって、その攻撃には殺意が乗り過ぎていると言えたことだろう。

 

「──避けたか」

「これは、これは。オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将、そして……バッカニア大尉、でしたかな?」

「ほう? 俺の名も知っているとは、中々勤勉だな」

「ええ、まぁ。別に要らなかったのですが、ご丁寧にも要注意人物リストに名が挙げられていたので、頭の片隅程度には入れていましたよ」

 

 ブリッグズ要塞──西方。

 巨大なるブリッグズ山に、三人はいた。キンブリーは山の斜面から要塞を爆破していたのだ。

 

「それで? 何用でしょうか」

「ほう、それがわからん貴様でもあるまい。国家錬金術師が爆弾狂のキンブリー」

「わかりませんとも。私は軍に命令されたテロリスト……国家錬金術師殺しを追って、ようやくその足取りを掴み、このブリッグズまでやってきた。そしてその調査に違わず複数の武僧を発見した──よってこれを殺さんとするために、攻撃を開始した。私がやっているのはテロリストの鎮圧です。用が無いのなら邪魔しないでいただきたい」

「遺言はそれでいいな?」

 

 ヒュ、と。 

 雪によって覆い隠された剣がキンブリーを襲う。

 キンブリーは多少動けるとは言っても基本は遠距離型の錬金術師だ。完全なる近接戦闘タイプのオリヴィエとやりあうには分が悪い──。

 

 ので。

 

 それを叩き落す存在があった。

 オリヴィエの剣を横合いから叩き落し、キンブリーを守った者。

 

「な……に?」

「なんだと!?」

 

 特徴的な髪型。寒冷地仕様の軍服。

 そして、巨大な機械鎧。

 

「ふん……俺に妨害されるとは、腕が落ちたかよ、少将」

 

 バッカニアが、そこにいた。

 

「ハッ!」

「なにっ!?」

 

 そこにいたけれど、お構いなしにオリヴィエは斬りかかる。

 一振り、二振り、三振りまでして──その機械鎧を、ざっくりと切り落とした。断面は金属ではなく、何か気色の悪い肉のようなもの。

 

「フン、やはりな。偽物め、受けの技術がバッカニアの技量に足りておらんようだな?」

「……躊躇が無いのは嬉しいような、嬉しくないような」

 

 切り落とされた機械鎧は──バチバチと音を立てて、赤い錬成反応を残しながら再生する。

 今度は機械鎧でなく、人間の腕に。残っていた半分もまた、人間の……否、ヒトガタに収まっていく。

 

「痛って~……おいおいなんだよあの女。仲間に対して一切の躊躇が無いんだけど!?」

「ああ言ってませんでしたね。彼女はオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将。弱肉強食を体現するような方なので、たとえ相手が敵だろうが部下だろうが弱かったら悪いで終わりです。なので彼女の部下に化けるのは得策ではありませんよ」

「……お前さぁ、今助けてやったのと、ほぼほぼ完ぺきな焼死体ジョータイから助けてやったの、わかってる?」

「ええわかっていますとも。私が雪に仕込んでいた地雷を踏ませられずに終わったこと、そして私を焼死体状態からここまで復活させたのは別にあなたではないこと。全て理解していますよ」

「だぁあっ、うざい! だからコイツと組むの嫌だったんだよ! つーか、どう考えても過剰戦力過ぎない?」

 

 バッカニアだったモノ。

 それは、髪の長い、中性的な少年へと変貌した。真白のコートを羽織るキンブリーと言い争いをしていれども、その二人が同じ陣営であることははっきりしている。

 

「──化け物の手を取るか、ゾルフ・J・キンブリー」

「先にテロリストの手を取ったのはそちらでしょう? オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将」

 

 それで言葉は終わりだ。

 ここより先に「行くぞ」だとか「合わせろ」だとか──合図さえ必要ない。

 

「オオオオオオ!」

 

 先に動いたのはバッカニア。その機械鎧は"クロコダイル"の名を持つ通り、一対の鍵爪にチェーンソーが組み込まれた形をしている。凡そ人間の手とは違う形状のソレを、けれど自在に操り──狙うはキンブリーだ。

 

「おっと、私を狙ってきますか。しかし残念、そこには」

「爆弾があんだろ? ハハハ! 知ってるよ!」

「っ!?」

 

 爆発する。

 確実に踏んだ。バッカニアはキンブリーの仕込んだ地雷を確実に踏み、踏み抜いて彼へと肉薄する。

 豪快な駆動音。それは既のことでキンブリーの翳した手の前に止まり、触れられる直前で後退。チ、と舌打ちを吐いた。

 

「……私の錬金術をよく理解している方がいらっしゃるようで」

「まぁな。こちとら理論の類はよくわからんが、対処法対策法攻略法、全て"今"伝えられたよ。まったく、あの頭脳にゃさしもの俺も頭が下がる」

「今……国家錬金術師殺しのブレインですか。全く、本当に余計なものを逃がしてくれた……!」

 

 紅蓮の錬金術師。ゾルフ・J・キンブリー。 

 その錬金術の発動条件、発動モーション、弱点、短所長所。

 無線を通してバッカニアとオリヴィエに伝えられた簡潔且つわかりやすく覚えやすい攻略法は、二人の脳内に確りと刻まれた。

 

 掌を合わせるモーションがなければ錬金術は発動しない。爆破するものに触れていなければ爆発は起こらないが、遠距離からの場合連鎖的な爆発で攻撃してくる場合もある。あくまで周囲のものを爆発物に変換する錬金術であり、爆弾や地雷を作る錬金術ではない──など。

 紅蓮の錬金術師対策に調べたこと、そして実際に彼の錬金術を自身で再現してみて、できることとできないことを知り尽くした──"天才"。机上だけですべてを把握する安楽椅子探偵にも似たその頭脳は、キンブリーの行動パターンさえも彼らに伝えている。

 

 危うくなれば至近距離での爆発も辞さない。

 人体へは錬成が使えない。

 やった事例はないが、衣服にもできる可能性があるので注意。

 

 そして。

 

「やべっ、おいキンブリー、避けろ!」

「……こちらの邪魔をしないでいただきたいものですね」

 

 普通の人間ならば避けなければならないような──落石や倒木に対しては、己の錬金術で対処しようとする。

 彼は両手を合わせなければ錬金術を使うことができず。

 ならば故意に倒木や落石を狙うか、仲間に倒させて──その隙を狙えば。

 

 

「──そう来ると踏んでいましたよ!」

「我らがな」

 

 

 爆発する。

 周囲全土、雪も木もバッカニアもオリヴィエも中性的な少年も、そして自分自身さえも巻き込んだ大爆発。

 そんなものを雪山の斜面で起こせば、当然雪崩が起きる。

 爆発に飲まれ、雪崩にも飲まれたら生存確率など絶望的だ。だというに、キンブリーは笑って、笑って。

 

 だから、聞こえなかっただろう。

 ぱしゅん、なんて小さな音は。いや、少年──エンヴィーは聞き馴染みがあったかもしれない。

 

 サイレンサーの発砲音、なんて。

 

 

 

 

 

「っ、ふぅ……無事か、バッカニア」

「へい。──っとぉ!?」

「む、本物のバッカニアだな。力の受け流し方に慣れがある」

「いやアンタ、一応雪崩から生還した部下に対して真っ先にやることが攻撃って……」

「敵に味方に成りすますことのできる者がいるのだ。当然の対応だろう」

「へいへい。んでアンタは本物のオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将ですよ……こんなこと当然のようにしてくるやつアンタ以外みたことないんで」

 

 オリヴィエは純粋な身体能力と経験則──雪崩に飲み込まれたことが何回もある──だが、バッカニアのそれは機械鎧の排気によるところが大きい。彼の機械鎧は巨大であり、その肩口からそこそこの熱量を放出していて、これによって凍傷から身を守っている他、雪を溶かす意味合いも含まれる。

 それでも雪崩から助かったのは奇跡的だ。刺青の男(スカー)兄からも「正直危険度が高すぎる案だから、本当の最終手段でしか使わないでくれ」と言われていたもの。バッカニアとオリヴィエは最初のアイコンタクト一つでそれの実行を決めていた。

 

「──ぶっはぁ! ……オイオイオイオイオイ、マジの雪崩じゃんか……で、そっちのお二人さんは生きてて、キンブリー……おいキンブリー!? マジかよまたアイツ瀕死だったりするのか?」

「いや、キンブリーならここにいるぞ。ほれ、返してやろう」

 

 言って。

 バッカニアが、ひょい、と。ポイ、と。

 

 ──その機械鎧に挟んでいたキンブリーをエンヴィーに投げ渡す。

 その胴は、腹は。

 今にも千切れそうなくらい──切断されていて。

 

「結局瀕死じゃんか!」

「仕方が無かろう。バッカニアの腕は内部がチェーンソーなのだ。雪崩から奴を救う手前、奴を掴めばどうしてもそういう結果になる」

「そういうことだな!」

「……うひぃ、これだから極地で頭キマった奴は嫌なんだよ……」

 

 さて、と。

 オリヴィエが、バッカニアが──雪を払って立ち上がり、得物をエンヴィーに向ける。

 

「終わりだ化け物。直にあちらも終わりが来る。最後に問うて置こうか──何故このブリッグズを狙った?」

「最後? 最後って何さ、もしかして僕がここで終わる、と──で、も?」

 

 あまりにも綺麗な太刀筋だったからだろう。 

 エンヴィーは、顔を斬られながらもニヤニヤと喋り。

 

「──混合燃料お持ちしました!」

「よし、ぶちまけろ!」

 

 いつの間にか集結していたブリッグズ兵たちに、それ……寒冷地仕様の混合燃料をぶちまけられる。

 斬られたまま、再生もしないまま、追いつかないまま。

 

 エンヴィーは──凍り付いた。

 

 

 瞬間、爆発が起きる。

 

 

「なっ──」

「どういうことだ、バッカニア!」

「どういうこともなにも、確かにありゃ死んで……無い!?」

 

 死んでいたはずだった。

 胴体を両脇から削ぎ斬られて生きている人間がどこにいようか。

 

 けれど彼は、キンブリーは、そのコートを真っ赤に染めながらも生きている。生きて。

 

「いえ──確かに死にかけましたよ。流石はブリッグズ兵。大尉といえど侮れませんね。ですが……こちらの戦力が私達だけとは一言も言っていないでしょう?」

「……っ」

 

 いる。

 彼の後ろに、ブリッグズ山岳警備隊の装備を着た、けれど山岳警備隊の者ではない誰かが。

 

 その手に、赤い石を持って。

 

「っ、賢者の石!」

「はい。まぁ私が使うのも良かったのですがね、敵がこれだけ用意していて、さらには天才なる人物もいる。これは火力の私が持つより医者である彼に持ってもらった方が得策でしょう。そして」

 

 賢者の石。これも対策リストにあった物質。

 だが、これが相手の手にある場合、対策などよりも先に撤退を選べと──そうする他ないと。

 

「……あのさ、キンブリー。……もうちょっと良い助け方無かったワケ?」

「今回ばかりはあなたの油断でしょう人造人間(ホムンクルス)エンヴィー。オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将は不意打ち上等会話の最中でもなんでもなく斬りかかってくる方だとわかっていたはず。それを失念して切断され、あまつさえ凍らされるなど……その辺どうなんですか、人造人間(ホムンクルス)の矜持は」

「矜持ぃ? そんなものこのエンヴィー様にあるかよ。そういうのはそういうのがないと自己を保てない奴が持つ物だ。あ、これ傲慢(プライド)の奴には言うなよ?」

「聞こえていますよ」

「どわっ!?」

 

 そう、雪崩が起きたのだ。

 ブリッグズ山からその麓に向かって。

 

 だから当然その場所は、例のトンネルのほど近い場所であってもおかしくなく。

 

「──ち、バッカニア! 退くぞ!」

「んじゃ、これでも食らいな!」

 

 バッカニアが腰に付けていたものを投擲する。

 これも刺青の男(スカー)兄から共有されていたこと。

 

 "護身用に最低一本は閃光弾を携行すること"。

 

「っ、また閃光弾! 面倒な──」

「おいおい雪の上で閃光弾とか普通の人間失明するだろ!」

「閃光弾は爆音があまりないので私は好きじゃないですねぇ」

「……」

 

 こうして──オリヴィエ、バッカニアは撤退に成功した。

 

 

 

 

 ものの、である。

 

「今帰った! 状況を報告しろ、マイルズ少佐!」

「砲弾はまだありますが、兵にかなりの負傷者が」

「何? なぜだ、細心の注意を払えと言ったはずだが」

「紅蓮による爆破の落石、および構造的な耐久不足による落下。そして──」

 

 轟音が鳴り響く。

 爆発音ではない。

 

「めんどくせぇ……」

 

 ブリッグズ要塞。その壁と、一階のほとんどにへこみができている。

 誰が思うだろうか。巨大なクレーターが如きそれが、単一個人による体当たりの結果である、など。

 

「一階から退散しろ、戦車なんてまた作り直せばいい! 奴と平面上で戦うな!」

「ぐ……くそ、分解の方を千切られた」

「止血はする! ……すまない、私には彼ほどの腕が無い。くっつけるには相応の時間を要する。今はこれで我慢してくれ」

「あぁ……いや、十分だ。……あとは死兵として動かせ」

「……っ」

 

 そしてその体当たりは、戦車を紙屑のように潰し、逃げ遅れた武僧の、少し引っかかった程度の腕を破壊する。

 

「……少将、そちらは」

「化け物が増えた。他人に成り代わることのできる化け物だ。ただし、姿かたちを似せられるだけで記憶や技量は本人とは一致しない。そして紅蓮と、もう一人医療に特化した錬金術師を傍に置いている。そいつは賢者の石を使っていて、胴体が千切れかけた瀕死の人間でも短時間で蘇らせることができる」

「賢者の石に、……その能力は、恐らく嫉妬(エンヴィー)という人造人間(ホムンクルス)だな」

「さらには傲慢(プライド)の影も出てきた。奴らは雪崩の果てにいる。だが、その矛先がいつこちらを向くかは──」

 

 マイルズも、刺青の男(スカー)兄も、オリヴィエも。

 歯噛みする。これだけの戦力を揃え、これだけの演習をして──けれど破壊されている。

 

 侮ったのだ。人造人間(ホムンクルス)というものを。敵の戦力を。

 

 ──苦難はまだ続く。

 

「緊急! 緊急! 北のドラクマより、開戦宣言アリ! 繰り返す、北のドラクマより、開戦宣言アリ!」

「な……」

「狙いすましたかのようなタイミングだな……」

「……マズい。もし今ここでこの要塞を守り切れたとしても、ドラクマとの戦争が始まってしまえば、血の紋が刻まれてしまう!」

「奴らは保険、というわけか。どこまでも……人間を見下している」

 

 過剰戦力のはずだった。

 アメストリス全土においても最強と名高いブリッグズ兵と、個人個人が最強であろう刺青の男(スカー)達の連合軍。

 それが今、窮地に立たされている。

 

 こちらの勝利条件は複雑だ。

 ブリッグズ兵、武僧を殺させない。トンネルを掘らせない。人造人間(ホムンクルス)、及び紅蓮の錬金術師を撃退、ないしは殺す。そして──ドラクマの兵士も殺さない。

 

「ち、最後が無理過ぎる。殺し合いは避けられんぞ!」

「どの道起きていたことだ! 総員配置に──」

「いや、待った」

 

 止めた。

 混乱が起きようとしていた、戦争が起きようとしていたこの地には──しかしまだ、いる。

 希望が。

 たった一人で過剰戦力と言えてしまうだろう天才がいる。

 

「第一班、まだ余力はあるか? ……ああ、頼む。ドラクマ側だ。山を利用して氷壁を上げてくれ。欠員が出たら他の班からも補充を。生体錬成を少しでも理解できた者は仲間の手当に」

「っ、そうか。聞こえるか? ブリッグズ兵は戦車の組み立てだ。ただし一階は使うな二階でやれ」

「──ああ、そうだ。最後の手段を使う。これが上手くいくかは……私でさえ微妙なところだが、本当にどうしようもなくなったら怠惰(スロウス)に穴へと帰ってもらえ」

 

 戦いは、まだ続く。

 

 

** + **

 

 

「あー、仲間が飲まれた、ねぇ……そりゃご愁傷様っつーかなんつーか」

「どうにかできないのか……?」

「いやまぁどうにかしてやりたいのは山々なんだが、コイツ、グラトニーっていうんだけどよ。コイツの腹は異空間に繋がってんだわ。異空間。意味わかんねえよな。がっはっは、俺も意味はよくわかってねえ。が、まぁこことは違う空間でな。で、入ったら出られないんだわ。だから助けてやれねえ」

 

 セントラルのはずれ、空き家前。

 そこにいる六人──と一匹。

 

 グリード一行とメイ・チャン、シャオメイ、そしてノックス。

 彼らは"最強の盾"と化したグラトニーの横で焚火を囲んで、マシュマロを焼いて食べていた。魚とかじゃない理由は特にない。手持ちにあったから、それだけだ。

 

「……ロイは、助からないのか」

「助かった事例を俺様は見たことが無え。ま、大人しく諦めな。アンタだけでも助かったのは御の字だろ」

「あの……ヴァルネラに診せても、無理、か?」

 

 その名を聞いて。

 当然、全員が反応する。だって彼を探しに来たのだから。

 

「ヴァルネラ! なんだオッサン、アイツの知り合いか?」

「ブシュダイレン! やはりセントラルにいるという話は本当でしタ!」

「おお、捨てる神あれば拾う神ありってのはこういうことだよな」

「うむ」

「私たちが人助けとか正直どうかと思ってたけど……見返りがあるならまぁ悪くはないか」

 

 一気に食いつかれて辟易するノックス。

 

「い、いや知り合いって程じゃない。だが、所在は知っている。……どうなんだ。このグラトニーってのをヴァルネラに診せたら、ロイの奴は……他の奴らも、助かる可能性はあるのか」

()()()()()()()()()()()()()()()()。がっはっは、久しく言ってなかったが、コイツは俺の口癖でな。グラトニーに飲み込まれた奴が帰ってくるなんてことはあり得ない。だからこそ、グラトニーに飲み込まれた奴が帰ってくる可能性はある。──が!」

「が?」

「俺様は勿論、ここにいる全員がそれを行うことはできねぇ。あぁ、一応聞くがメイの嬢ちゃん、できるか?」

「無理ですネ!」

「そういうこった。俺達もヴァルネラに用があってダブリスから遥々セントラルまで来たんだ。このままアンタも入れてアイツのトコに向かうのも悪くはねぇ」

 

 んじゃ、と。

 グリードはロアに目配せする。

 

 ロアはうむ、と頷き──前衛的なオブジェになっているグラトニーを担ぎ上げた。

 

「行くか」

「いや、行くかって……このままセントラルへ入る気か? 目立つどころの騒ぎじゃないぞ!」

「……そうか?」

「まぁ、割と。グリードさん目立ちますし」

「うむ」

「いやどう考えても抱えてるアレの方でしょ。せめて布被せるとか」

「ああ!」

 

 マーテルは思う。

 こいつらはやっぱり馬鹿なんだな、と。

 

「このでけぇのを隠せる布とかねぇか、オッサン」

「……この家の中に、医療用のシーツがある。それで十分だろう」

「お、いいねぇ」

 

 そんなこんなで。

 何か巨大な白いものを担ぐ大男と、真っ白な道着を着た犬っぽい男と、トゲトゲ頭の見るからやばそうな男と、平々凡々なくたびれた中年男性と、しなやかな体をした女と、か弱き少女と大きくなれなかったパンダのパーティーが完成した。

 

「……大所帯に感じんな、なんか」

「ま、一時の付き合いだしいいんじゃない?」

 

 グリード一行は、セントラルはヴァルネラの家へ向かう──。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 飯と情と菓子

転生者といえばハーレム


 食べた。

 あー食べた。

 

 そんでもって今、暗がりに連行されてるナウである。

 

「何用? 飯奢ってくれたからある程度聞き分け良いぜ今の俺」

「用は二つです、不老不死。それと、質問が一つ」

「おん」

「まず一つ目。これ以上地形を壊すのはやめていただきたい。埋める側の身にもなれと一部から不満の声が上がっています」

「ちなみにそれ何ンヴィー?」

「二つ目です。貴方が最初に我々に告げた言葉、"激動の時代"。そしてラストに与えた死の宣告。その他、国家錬金術師に早期になったこと、イシュヴァール戦役で大総統令を無視できる位置に初めからいたこと、突然外出申請を出してイーストシティに向かったことなどから──貴方は未来を知っているのではないか、という疑惑……いえ、確信が持たれています」

「おん」

「その上で言います。()()()()()()()()()()()()()()、不老不死。貴方は私たちの敵で、お父様の目的を阻害せんと動く者か。貴方はただの傍観者で、あくまで人間の営みを眺めていたいだけか。それとも貴方はこちら側か」

「……その要求は受けられんなぁ」

「秘匿する、と?」

「代価を払えよ、傲慢(プライド)。俺が立場を固定するのは、流石に美味い飯程度じゃ等価とは見做せない」

「……」

 

 風に舞う木の葉に対して「その場に留まっていろ!」って言ってるようなものだ。

 留まっているには労力がいる。代価がいる。ましてやどこか、決められた場所に行け、なんて。

 

「要求するだけか、人造人間(ホムンクルス)。さてはお前、俺の性格わかってねぇな? そこでだブラッドレイ。お前ならどうする? お前なら俺にどう言うことを聞かせる?」

「お前を利用しようとはするやもしれんが、お前の行動を制限するなど無理だ。何故ならお前には大切なものがない。お前という存在には起点が無い。何者も、何物でさえもお前を縛ることはできず、故にお前の気紛れを利用する他利用価値が無い」

「おー、流石。付き合い長いだけあるな」

「……本当に、仲が良いですねあなた達は。憤怒(ラース)。以前私は君に"人間に近づきすぎた"と言いましたが、撤回します。君は単純に他者と仲良くなる術に恵まれているだけのようです」

「はっはっは、セリムは友達が少ないからな!」

「食べますよ?」

 

 ……おお。

 力関係も年齢も真逆だけど、親子っつーか。

 弄れるだけのアレソレはあんのな。

 

「で、質問っていうのは?」

「……個人的な事なので、憤怒(ラース)は捌けてください」

「ほほう? なんだ、好きな女の子でもできたかセリム」

「あまり調子に乗らないことです。貴方の身体はただの人間でしかないことをお忘れなく」

「はっはっは、照れるでない。わかったわかった、私は先に行っているとしよう」

 

 楽しんでんなぁアイツ。

 で。

 

 なんだろうか、俺に聞きたいことって。

 ブラッドレイに聞かれたくないことって。

 

「質問はただ一つです。──貴方はこの身体を治すことはできますか?」

「できるよ。容れ物でもどんだけ頑丈でも一応生体だろ、それ。ああ金属でできてんなら逆に無理だけど」

「はい、生体です。……そうですか、できるのですね」

「何、そろそろ耐久限界? 5年とかだっけ、お前が容れ物変えてんの」

「貴方からの質問は受け付けていません。代価を払えとも言われなかったので用件及び質問はこれで終わりです。あとから請求するのは無しですよ」

「ん? 立場の話はいいのか?」

憤怒(ラース)に任せます。どうも貴方は私と相容れないようなので」

「そうかい。そんじゃま、ブリッグズとの戦い頑張れよ~」

「なっ!?」

 

 飛び降りる。

 どこからって、高級レストランの窓から。

 

 いや俺氣わかるからさ。食事中から影伸ばしてブリッグズ方面に行かせてたのもわかるよ。

 

 さて、はて。

 いやー食べた食べた。

 

「……で、なんでお前いるわけ?」

「妻からな。自分たちのことは護衛に任せて、お友達との語らいをしてきなさい、などと言われ、送り出された」

「おお尻に敷かれとる」

 

 首が斬られる。

 すぐにくっつく。

 

「夜とはいえ往来だぞここ」

「どうせ見えんよ。私が刀を抜いたことも、鞘に収めたことも、お前の首が斬れてくっついたことも」

「まーそうだけど、血とか……おおすげぇ、飛んでねぇ」

「刀身に血液を付着させずに斬る術も心得ておる」

 

 何その無駄技術。

 ああでもちょっと裏路地入って斬ってきて帰ってきても証拠が無い、みたいにできるのか? 流石にルミノール反応は出るだろ。

 

「……何話すよ。なんかある?」

「私からは何もないな」

「俺も。……夫人とは仲良いの?」

「わからん。他と比較したことが無いのでな」

「そりゃそうか。俺も……誰と誰が仲良いかとか、よくわかんねーわな」

「それにしては多くの人間と絡んでいるように見えるがな」

「群れの中にいるだけだよ。この前もなんかよーわからんことでドン引きされた。未だに理由がわかってないあたり、俺はやっぱり空気読めないんだと思うわ。KYKY」

 

 私服のブラッドレイだから、軍服の時よりは騒ぎにはならない……んだけど、やっぱり、流石に特徴的な眼帯と顔でざわつきは纏わりついてきている。

 

「私が目立っているのではなくお前が目立っているのだぞ、ヴァルネラ」

「まぁこんなチビがこの時間にいたら目立つか」

「それも……あるが。……お前は、自身がそこそこ慕われている、という自覚さえもないか」

「おん? 慕われている? ……なして? つかどういう経緯で?」

 

 セントラルの夜は明るい。

 自動車が結構走っているし、電気つけっぱの家や店が数多くある。

 東京とかそういうヤバい明かりには届かずとも、航空写真で見たらセントラルは輝いていることだろう。

 

「イシュヴァール戦役に参加した兵士の多くはセントラルに住んでいる。何かしらで功績を為し、階級の上がった者が多いからな」

「逃げた奴は地方に左遷されるから、って言った方がよくないか」

「それもある。……そして、セントラルで軍人を続けるような兵士は──中々どうして勇猛でな。イシュヴァール戦役含め、どこかしらでお前の世話になったことがあるそうだ。私の聞いた兵士は、だがな」

「へぇ。そりゃ確率偏ってるだけだろ。俺の事なんか知らない奴も多いだろうさ、この国の人口5000万だぜ?」

「奇跡の生還を果たした兵士はその家族に話すのだよ。戦場の神医の話をな」

「無視かよ」

 

 ……それで、慕われてると。

 まぁ別にいいよ慕ってても慕ってなくても。家に突撃してくるとかなら話は別だけど、あんまし関係ないし。

 

 横断歩道を渡る。

 渡れば、もうすぐ俺の家だ。

 

「ブラッドレイ」

「なんだ」

「定められた寿命か、満足の行く死か、──コイントスに左右されるような悪路か。どれを選ぶ」

「……この身はそもそもレールの上を行く身。争う相手は間引かれ、言われた通りの令を下し、示された方向だけを向く者よ」

()()()()()()()()

 

 ポケットから500センズを取り出し、ピン、と弾く。

 落ちてくるソレを掴んで。

 

「Heads or Tails」

「……お前、私に"最強の眼"があることを忘れてはいないかね?」

「いいからいいから」

「表面だ。雄の龍。力強きモノ、正の流れを示すモノ、また、"理論化"の幻視体験を表す記号でもある」

「へぇ、じゃやっぱお前見る目ないよ」

 

 手を開けば──そこには500センズが。

 500と書かれた、裏面のコインがあった。

 

「……拳の中でひっくり返したか」

「そう見えたか?」

「……いや、見えなかった」

「ああ、ひっくり返してねぇもん」

 

 少しの間。

 考えているのだろう。どういうトリックか。

 錬成反応の光は無かったから作り替えてはいない。そもそも俺にそんな細かい造形はできない。

 ではどのようにして、この最強の眼の前で、表裏をひっくり返したか。

 

 溜め息と共に、刀が振られる。

 ぽーんと飛ぶ俺の手首。そこからぐちょっと出てくる500センズ。

 

 騒ぎになる前に拾って自分の右手にくっつけて、生体錬成を発動させる。

 

「何が楽しい」

「死ぬよ、お前。もうすぐ」

「──……そうか。知っていたことだ」

 

 まぁ、そうさな。

 前も述べたけど、コイツは大詰め用。大詰めが終われば処分されておかしくないし、そもそも大詰めに合うように寿命も調整されていることだろう。

 

傲慢(プライド)は相変わらずだった。色欲(ラスト)は目的のために矜持を曲げた。強欲(グリード)は矜持も信念も貫き通した。暴食(グラトニー)は縋り乞い泣いた。怠惰(スロウス)は今尚命令に従い続けている」

「……」

憤怒(ラース)。お前はどれの二番煎じを辿る気だ。なぁ、ブラッドレイ。キング・ブラッドレイ。お前に我はないのか」

「欲の無いお前に問われてもな」

「わかってんだろ。フラスコの中の小人は感情を切り離し、自らの分身を作り出したと()()()()()()()。あっはっは、相変わらずだ、アイツは。──どうだ、憤怒。憤怒よ。お前の中に憤怒は流れ込んできたか? なぁ」

 

 家の前で、振り返る。

 なんか電気ついてんな。ヤオ家が帰って来たか?

 

 まぁいい。

 振り返って、なんぞ、()()()()難しい顔をしているブラッドレイに──問う。

 

「俺は貰った情は忘れないぞ、ブラッドレイ」

「そうか。勝手にしたまえ」

「おう」

 

 んじゃーなー、とか言って、別れる。

 等価交換だ。貰ったモンは必ず返す。

 

 

 

 

「よぅ、よーやく帰って来たか。ったく待ちくたびれたぜ」

「あれ、グリードにデビルズネストの面々に……ノックス医? と」

「初めましテ! 私、メイ・チャンと申しまス! あなたがブシュダイレンですネ?」

「そうだけど……何このメンツ。グリード」

「おいおい、再会したら宴、だろ?」

「待て待て待て待て! 先にこっちだ! ──神医ヴァルネラ。無理を承知で頼みがある!」

 

 まってまって。

 なになに。

 誰が何したいか順番に言って。

 

「いいぜ、オレ達の用は後で。嬢ちゃんもいいだろ?」

「あ、はイ。わかりましタ」

 

 何故グリードとメイ・チャンが共にいるのかも気になりはする──が。

 

 額擦り付けて、つまり土下座の恰好で俺になんか頼んでるノックスの方だ。

 

「頼みって何。アンタが頭下げるってことは、医療関連? 完全な死体になってなきゃ治せるよ」

「……見てもらった方が早い」

「おうロア、ドルチェット! シーツ取ってやんな!」

 

 ばさり。

 そう取られたシーツの下から現れたのは──。

 

「げ、グラトニーじゃん。しかも暴走してないか」

「おお、グラトニーの暴走状態まで知ってんのか。相変わらず博識だねぇ。だが、がっはっは、この錬丹術使いの嬢ちゃんと俺様の合わせ技で、弟はこの通りの有様さ。動きゃしねぇよ」

「……硬化してる?」

「はイ! 遠隔錬成ト、グリードさんの硬化の合体技でス!」

 

 へぇ。

 そういうことできるんだ。面白。

 

「で、頼みっつーのは」

「……この化け物に、ロイが食われた。ロイだけじゃねえ、ロイの部下のホークアイ、あとリン・ヤオっつー奴とランファンって奴もだ。……正直俺には意味がわからねぇんだが、い……ぃ。……い、医者として、これを見過ごすわけにはいかない。が……俺の腕じゃどうにもならねえ。だから、頼む! ──ロイ達を救ってやってくれ!」

 

 ふむ。

 

「代価は払えるのか、アンタ」

「……払えねえ。俺にはもう、何も残っちゃいねぇ」

「ほーん。ちなみにグリード、お前は?」

「いやぁ、流石に通りすがりのオッサンのために俺の賢者の石をやるってのは無理があるだろ」

「おん。そりゃそうだ」

「因むと通りすがったのは私達でス」

 

 代価は払えない。何も持っていないから。

 だけど、"共犯者"とその仲間を助けたい。医者だから。

 けれど、技術が足りない。知識が足りない。

 

 で、呑まれたのがロイ・マスタングとリザ・ホークアイとリン・ヤオとランファンね。

 ……まぁノックスから代価貰わなくてもやるけど。対価は後でこいつらからもらえばいいだろ。

 

「いいよ」

「……オイオイ、代価ナシの善行とか、お前らしくないんじゃねぇか?」

「ナシじゃないさ。出てきた連中からもらう」

「あー、そういう」

 

 さて、じゃあどうするかなーとか考えながら。

 グラトニーのオブジェに、触れる。

 

 その瞬間だった。

 

 最強の盾で覆われているはずのグラトニー。その表面にピシ、ピシ、ピシリと罅が入り──激しい爆発音と共に弾ける。

 飛び散る破片。マーテルに向かうものはドルチェットが、メイ・チャンはグリードが、ノックスはロアがそれぞれ守る形となった……のはいいけど、それはもう、それはもう血だらけだ。

 ウチが。

 

 罅は収まらない。

 が、最強の盾ゆえだろう。中々入っていかないそれ。

 

 仕方がないので指を一本噛み千切って、その断面で円を描く。人が通れる大きさくらいのやつ。通り抜けフ~プ~。

 

 するとその部分が緑礬化──直後、その穴からドバドバと血肉が、そして──人が放出され始めた。

 おーおーおー。

 

「……もうちょっとやり方無かったのかよ」

「これは俺のせいじゃねーって」

 

 出てきたのは、リン・ヤオ、ランファン、リザ・ホークアイ。……そして、ロイ・マスタング。

 

 おお、依頼達成。だけど俺別に何もしてないから代価取れないな、こりゃ。

 

「は……はは、やっぱり、敵いやしねぇか。戦場の神医……」

 

 とりあえず飛び散った肉片一個一個に緑礬を……めんどくさ。あとでロイ・マスタングに焼いてもらった方が早くねえか。

 

「あ、グリード。蓋、蓋」

「ん? おお。嬢ちゃん、もっかい合わせ技だ」

「はいでス」

 

 グラトニーの身体に刺さる苦無。グリードの右腕を囲う苦無。

 グリードが硬化を始めると、錬丹陣の円に入った部分から硬化が止まり、代わりにグラトニーの体が硬化していく。

 成程、グリードの硬化っていう錬成反応を氣の流れに乗せて別の物に作用させてるのか。

 やっぱ錬丹術は面白い。錬金術程特色が色濃く分かれない代わりに、こういう色々な応用が利きまくる。俺も使えはするけど遠隔錬成だけだからなぁ。

 

「……こっち二人は気を失ってるな。真理の扉の再錬成に耐えられなかったか。まぁキモいからなアレ」

「行ったことあんのか?」

「もち。あー、ノックスさん? この二人の身体洗ってベッドに寝かせてきてくれねぇ? あぁいや、そうか、男女って分けた方がいいんだっけ。じゃあマーテル、こっちの二人を頼む」

「りょーかい。ロア、洗うのは私がやるから、足持つだけ持って。ドルチェット、アンタはこのオジサンの手伝いね」

「へいへい、っと。うひぃ、くっせぇなぁ」

 

 手際が良い。

 ああそうか、元軍人ズなんだっけこいつら。

 

 シャワーも……水出るかな。俺使ったこと無いんだけど。

 

 

 そんな感じで、四人が出て行って。

 

「で、グリード。なんでセントラルに?」

「俺の用は後でもいいからよ。この嬢ちゃんの話を聞いてやってくれ」

「お前強欲(グリード)のくせに我先に我先にって感じじゃないのホント大人だよな」

「まぁ生きてきた年数が違わあな。がっはっは、それ言ったらアンタはどんだけって話だが」

 

 ホントだよ。

 そんでもって俺全然自分のこと大人だとか思ってないよ。我先にでもないけど。

 

「それでス。ブシュダイレン。あなたはブシュダイレンですよネ?」

「おう。俺が不朽矮人(ブシュダイレン)だよ。チャン家の皇女だな? つかチャン家は代々変わんねーな。顔も体格も」

「お、おお。シン語がいけるのですね。ありがとうございます。それで、不躾なお願いなんですけど」

「すまんが先約がいるんだよね。ヤオ家に先に誘われててさ。ついてきてほしい、って奴だろ?」

「あ……はい、そう、です」

「流石の俺も先約を大事にするよ。──ただし」

「ただし、美味しいものを振舞えば、こっちについてくれる──ですよネ?」

「あっはっは、なんだよよくわかってんじゃねーか。チャン家。昔行ったよ。あの黒砂糖が入ったクルミ砕いて入れてあるお汁粉めちゃくちゃ美味しかったんだわ。懐かしいな」

「あ! それ、私も小さい頃よく食べてました!」

「今でも小さいだろうよ」

「それは貴方もです!」

 

 わかる。

 ──コイツ、食について話せる。

 

 いや、いや。それもそのはずだ。

 だってチャン家っていったらド貧乏なクセに腹ペコで、めちゃくちゃ味覚に優れている一族。美味い菓子がいっぱいあって、押しに弱い一族!!

 

「あー、何言ってるかわかんねぇが、盛り上がってるみたいだな?」

「あ、ごめんなさイ。こちらの言語を話せる方だとは思わズ……」

「ああいいぜ、別に。この部屋の現状じゃ宴って雰囲気でもねぇし、話ならいつでもできる。がっはっは、つーわけで、俺はちょいとセントラルの夜街をフラつきに……」

「ああやめとけやめとけ。さっきそこに憤怒(ラース)いたし、フツーに傲慢(プライド)もいる。大事なモンは自分で守れっつったろグリード。俺はあいつらの事守んねぇぞ」

 

 別に、マーテルもドルチェットもロアも要否で言えば否の方だ。

 わざわざ守る価値が見つからん。

 

「……そうかい。んじゃー……寝とくわ」

「寝室どこ使ってもいいぞ。俺どこも使ってないから」

「あいよ」

 

 階段を上がっていくグリード。

 なんかしおらしいけど、なんかあったんかな。あのグリードがしおらしくなるとか珍しいにも程がある。

 

「そ……それで、ですね」

「おう」

「もし私と共に来てくだされば──チャン家総動員で、ブシュダイレンに料理のおもてなしを、と考えています」

「……チャン家総動員ということは、あの時は食えなかった"秘蔵のレシピ"なるものを握ってるおばばも出てくるのか?」

「おお、チャン家の秘密まで知っているとは……。そして、答えははいです! 全力でおもてなしします! 食べ放題です!」

「よし乗っ」

「待ったぁ!!」

 

 そんなんついていかないはずないじゃん、と思いながら了承の声を上げようとしたら、シャワー室の方からずぶ濡れのリン・ヤオが出てきた。髪拭けよ。

 

「む!? あなたは──ヤオ家の皇子! さっき見た時と名前を聞いた時にもしや、とは思いましたが──やはりブシュダイレンを懐柔していましたか!」

「懐柔しているのはそっちだろう! ブシュダイレンをはじめに見つけたのも勧誘したのもこちらが先だ!」

「へぇ、そうですか。ですが、ヤオ家に有名な料理人がいるという話は聞いたことがありませんね。その点! チャン家は! 美味の宝庫!!」

「だが貧乏だろう! さっき食べ放題とか言っていたが、食材が尽きるまでの話! このブシュダイレンは大食いも大食いだぞ、チャン家に耐えられるわけがない!」

「失礼な。確かに私の一族は貧乏ですが、自らの土地で畜産や農業を行っています。他人の部族をまるで倉庫にしか食材が無い考えなしのように言わないでください!」

「──それはすまなかったと素直に謝ってやる。だが、ブシュダイレン。良いことを教えてやる──今フーがシンに料理書を取りに行っている。そしてランファンがシンの料理を作れる! ──この意味がわかるな?」

「え、今日からランファンが飯作るってこと? 別にいいよ無理しなくて」

「無理じゃない。これはフーを治療してくれたことに対する恩義だ。そして、俺達に付いてきてくれる恩義……いや代価でもある! 既にアンタは俺達に治療という代価を払っている! だから、俺達から返される代価を受け取る義務が生まれる! 違うか!?」

 

 ……おお。

 錬金術師でもないのに、良い理解してるな。

 既に貰っているから、上げる義務があり、だからこそ俺も貰わなければならない。

 それは確かに等価交換の原則に則っている。

 

「リザ・ホークアイ。こういうのを"引く手数多"というんだ。覚えておけ」

「いえ、今シャワーを浴びてきたばかりである上に、シン語が一切わからないので全く意味がわかりません」

 

 そうだった。

 

 とまぁ、ギャーギャーギャーギャーシン国組が俺を取り合っていると──バァン! とドアを開けて、シャワーを浴びたらしいロイ・マスタングが、なんかめっちゃ怖い顔でツカツカツカツカ歩いてきて、めっちゃ詰め寄ってきて。

 なんなら胸倉掴まれて、引き寄せられて。

 

「貴方はどこの国にも渡すつもりはない! 私の作る素晴らしき国で、毎日心を揺り動かして過ごすと良い!」

「お、おお」

「待テ、大佐! それは約束と違ウ! ブシュダイレンの一時的な渡航許可はくれルっていう約束だったじゃないカ!」

「アメストリス国軍の方ですカ!? 私にもブシュダイレンの渡航許可をくださイ!」

「いやお前が貰ってどうするんだよ」

 

 しかし。

 ──これは、ハーレムって奴では?

 

 ロイ・マスタングがなんであんなに怒ってんのかは知らないけど、ヤンギレという文化もある。……いや、多分だけど腕切ったのが空気読めてなかっただけなのはわかってるよ。あれだよな? 体の治療だけすれば良かったのに、俺が腕まで治しちゃったから怒ってるんだよな?

 しかし……まぁ、謝らなくてもいいか。ロイ・マスタングが俺を嫌ってようがあんまり関係ないし。

 

 ギャーギャー騒いでいるのにロイ・マスタングが加わって、さらにうるさくなって。

 

 そんな三人を見るのは──疲れた顔のノックス。

 いや、見てんのは俺か?

 

 

 

「……人の気持ちも知らねえで、呑気な顔してやがる」

「俺の事?」

「どわっ!? き……聞こえてたのか。すまねえ、口に出すべきじゃなかった」

「ああいいよいいよ。医者にとって俺が異端なのは理解してるし。でも、アンタ良い人だね」

「は?」

「アンタには家族がいる。だから命は差し出せない。アンタは医者だ。だから手足は差し出せない。人を救うための手足は差し出せない。視力もそうだ。医者として必要なものだから、差し出せない。──自分には差し出せるものが何もない。それでも助けてほしい。代価は払えないけれど、友人を、呑まれてしまった無辜の人々を──どうか助けてほしい」

「……」

「聞こえてたよ。あっはっは、口で偽悪的なのは俺も一緒だけどね、そこまで偏屈で純粋な願いは久しぶりに見た。アンタは医者だよ、紛う方なき医者だ」

 

 だから、良い物を魅せてくれた対価を。

 

「過去も、嫉妬も、焦がれも憧れも。何もアンタの足を引っ張っちゃいないよ。アンタの肩を掴んでるのは家族だ。お疲れさん、ってな。でもアンタはまだ医者だ。だから、多少肩が重かろうが、後ろ髪を引かれようが、患者を診ないと気が済まない。治さないと気が済まない。辛い顔も苦しい顔も見たくないんだろう?」

「……おれ、は」

「はは、叫んでるよ、魂が。──医者、続けなよ。俺に焦がれてんなら、俺が背中を押してやる。あっはっは、俺はお前さんの思ってるような奴じゃねーけどな」

 

 ただし、だ。

 

「タバコとコーヒーは程々にしなよ。早死にしちゃうぜ、人間。アンタは不老不死じゃないんだからさ」 

 

 さーて、飛び散った血肉のお片づけをしますかねーっと。

 

 

 ……つーかさ。

 つーか、エドワード・エルリックはなーにしてん?

 アルフォンス・エルリックもだけど。ダブリスで一瞬邂逅したっきりじゃん。なに? もう全部諦めてどっか外国に旅行してたりするの?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作18巻~
第18話 凍壁の血戦


転生者らしいことをする!


 永い、長い悪夢が続いている。

 イシュヴァール戦役から始まったこの悪夢は、ある時を境に途切れ──ある時を境にまた始まった。

 

 悪夢。

 悪夢だ。

 

「ああもう、っとにウザったるいな!」

「ええ……これだけの戦力を投入して尚も崩せないとは、流石はブリッグズの巨壁……!」

 

 体が千切れかかっていようと、心臓が露出していようと、全身の骨がバラバラに砕けていようと──治せる。治せてしまう。かつて見た神医の如く、たんなる錬金術師である己が──夢のように簡単に。

 赤い石。完全なる物質。

 この悍ましき増幅器は錬金術の出力を大幅に底上げし、本来はできない──できてはならない領域にまで足を突っ込むことができる。

 

 目の前で白いスーツを赤に染める彼は、いったい何度死んでいることだろう。

 その出血量だけで人間の致死量を超える。だというのに彼は死んでいない。先ほど胴体が泣き別れしかけたのに、死んでいない。災害クラスの爆発に見舞われ全身に大火傷を負ったのに、死んでいない。

 全て、すべて──己が治したから。

 

「……痛みにも、随分と慣れてきましたね。ではお願いしますよ、マルコー医師」

 

 分解され、千切れかけた腕を治療する。

 賢者の石の赤い揺らめき。それが何なのかを知っている己にとっては、怨恨の声にしか聞こえない。

 

「ったく、血の紋刻むのも上手く行かないわスロウスの穴掘りも途中で止まってるわ……的確過ぎんだろ!」

「こちらの手は完全にバレていて、ブリッグズが要であることも理解している。その上で用意してきた様々をこちらが砕いても、瞬時に更なる上を用意できる頭脳。まったく、神は二物を与えず、などといいますが、二物どころか」

 

 己は医者だ。

 だから患者を治すのは正常だ。

 だが、だが──こちらの陣営にいることは正常か、

 

 人間を滅ぼさんとする人造人間(ホムンクルス)と、そちら側に着いた狂人の味方をすることは。

 

「──ヘンな気起こすなよマルコー。あの街がどうなってもいいのかい?」

「な、何もしていないだろう!」

「そうだねぇ、何もしていない。そうさ、アンタは何も考えなくていい。ただ賢者の石を用い、治療をするだけの装置だ。脳を使う必要自体がない。──覚えときなよ」

 

 ドクター・マルコー。ティム・マルコー。

 そんな名前の医者など、もうどこにもいやしない。

 

 ここにいるのはただ。

 ここで使役されているのはただ──主人に噛み付くことさえできない、一匹の。

 

 

** + **

 

 

 遅くはある。

 何がって、刺青の男(スカー)兄からの連絡が。

 

 俺と刺青の男(スカー)兄はある約定を交わした。内容は簡単だ。

 

 ──"復讐は否定しないけどちょっと今それどころじゃないから色々片付けてからそれ進めてくんね?"

 

 国家錬金術師殺し。

 別に良いんだわ、要否の面じゃ。バスク・グランを殺そうがコマンチの爺さん殺そうが、俺は止めない。が、今んとこ俺が軍属で、医者としての給料、及び国家錬金術師としての給金という名の代価を貰ってしまっているがために治しているに過ぎない。

 そこを絶対死なせない! なんて熱量は俺にゃない。

 だから別に守る気はないよ、と伝えて、けど今それどころじゃないんだわ、とも伝えて。

 人造人間(ホムンクルス)、国土錬成陣、血の紋。その他必要そうな情報全部刺青の男(スカー)兄に丸投げしたら、あとはトントンだった。

 

 フラスコの中の小人の作戦に必要な要の地、血の紋を刻む地はあと三つ。

 うち一つは既に始まっている第二次南部国境戦で、他がペンドルトン国境戦とブリッグズ国境戦。

 正直第二次南部国境戦はもう刻まれかけているようなものなので、集中すべきはクレタとの国境であるペンドルトンと、ドラクマの国境であるブリッグズ。

 この双方に血の紋を刻ませさえしなければ、フラスコの中の小人の国土錬成陣はそもそもが発動しない。しなければカウンター錬成陣も必要ないし、この国から賢者の石のフィルターを取り除く国土錬成陣は血の紋以外の方法で刻めばいいので問題なし。

 

 それを念頭に置き、さらには円──スロウスが今せっせかせっせか掘っている円も止められるのなら止めてやればいいと言った。円の完成を待つ必要などどこにもなく、ブリッグズ砦に至る前の段階で止めてやればいい。

 錬成陣の円は最も重要なファクターだ。いびつでなければないほど効果を発揮し、繋がった円なればこそ中心点を統一点にできる。

 もし繋がっていない円で錬金術を発動させようモノなら──まぁ発動自体はできなくはないんだけど、不安定なものになることは間違いない。

 

 だが、フラスコの中の小人はそれを良しとしないだろう。

 アイツは割と完璧主義者だ。全然、焦ったり足りなかったりしたらその辺のもので埋め合わせるくらいの柔軟性は持っているけれど、それはそれとして計画は遂行させたい。邪魔なものは排除しておきたい。危機管理意識が高いんだわな。行動が伴っていないだけで。

 

 だから、円の完成を阻害しようとすれば、血の紋の完成を阻害しようとすれば──必ずそこに戦力を集中させてくる。

 そこで刺青の男(スカー)達、刺青の男(スカー)兄、そしてアメストリス国軍最強のブリッグズ兵だ。ここが手を組めば大体の敵は打ち破れるだろう。

 スロウス一体ならヘーキヘーキ、あ、でもプライドには気を付けてね。

 ──そう送り出して。

 

「……来ねえな」

「何がだ?」

「手紙。安定したら一報入れてくれって頼んだんだけど、やっぱプライドが暴れてんのかなー」

 

 まだ、スロウスを殺した、という報せは届いていない。

 刺青の男(スカー)兄が負けるとか武僧集団が負けるとか、ブリッグズがどうにかなるとか……そういうのは一切想定してなかったんだけど、もしそうなった場合ちとマズい。

 負けた時点で血の紋は刻まれるだろう。ブリッグズ兵だってただの人間、憎悪を持たないのは無理だ。

 そして至宝クラスの天才が失われる。要否で言えば要も要な人間が。また、言い方は悪いけど雑兵を率いるリーダーのカリスマを持つアームストロング少将を失うのもかなりの痛手。

 

 あの食事会の時、プライドの影がブリッグズ方面に急行したのを見逃したのはやっぱり悪手だったかあ。

 

 よし。

 

「グリード、留守頼むわ」

「あ? どっか行くのかよ」

「おん。ついてくるか?」

「……いや、良い」

「なんだ、こっち来た時からそうだったけど、妙にしおらしいなお前」

「がっはっは、しおらしい? 俺が? ……そう感じるなら、何かあったんだろうよ」

「そうけ」

 

 何かあって、何か悩むのはまぁいいことなんじゃないだろうか。

 悩んでも進むしかない奴もいるわけだし。

 

「どこかに行くのカ?」

「ああ別に他国にわたるとかじゃないから安心してくれ。ロイ・マスタング、メイ・チャンと一緒に、俺の行き先でも口論しておきな。俺は旅は一人旅のが好きなんだ」

「……わかっタ」

 

 因むと、グリードがここに来た理由は「飯振舞えば永遠の命を得る方法を教えてくれる可能性があったから」。アホかい、とか思った。だから、クセルクセス王にもシン皇帝にも教えてこなかったんだって。そこまで価値の無いものって判断したんじゃないのかよって言ったら「貰えるモンは貰う。強欲だからな」らしい。

 で、それを断ってから、けれどフツーにウチで暮らしている。

 ウチデカいからなー。空き部屋ばかりだから何にも問題ない。ドルチェット、マーテル、ロアも一緒だ。つーのも奴ら軍に顔割れてるってんで、身を隠す場所があると安心とかなんとか。結局似た理由でヤオ家も戻ってきて、大所帯になった。あ、メイ・チャンもいる。

 

 シン国組はブシュダイレン、つまり俺がなんとしてでも必要で、その俺が来年の「その日」まではアメストリスにいるよ、って言ってるものだから、これ以上やることないんだろうね。

 

 ってなわけで、俺はブリッグズ行きを決めた。

 ロイ・マスタングも流石にセントラルから離れることはできないのでついては来なかったし、その部下も以下同文。まー心配なのはグラトニーがまだオブジェ状態で、ラストが取り返しに来かねないこと……だったけど、シン国組っていう感知装置とグリードっていうフツーに過剰戦力がいるので大丈夫だろう。

 グリードがロイ・マスタングを守る理由がないのはまぁそうなんだけど、一応メイ・チャンに言伝として「グリードが俺の真似して周囲の人間を見捨てようとしたら"代価を払え。家賃"って言えばいいよ」とは言ってある。

 

 そもそもグラトニーのオブジェが俺の家にあるからラストはこっちに来ると思うので保険でしかないが、マース・ヒューズがまだ思い出す可能性もゼロじゃないからな。

 これら大所帯な面々の中で、要否で言えばロイ・マスタングのみが要だ。他はどうでもいい。だからそこはグリードに守ってもらえるとありがたい。俺分身できないし。

 

 そんな感じでセントラルを離れ、ちょっとぶりのノースシティへ向かう汽車に乗る。

 あ、旅行申請はしたよ。また受理を待たずに、だけど。

 

 汽車の旅。

 ……は、本当に何もなかったので割愛する。久しぶりに本当に何もなかった。ホーエンハイムと流石にそろそろ出会ったりしねぇ? とか、またラストが来たりして、とか。

 なーんもなかったね。

 

 

 

 そうして──ノースシティに辿り着いて。

 

「おや、坊ちゃん。一人かい? お母さんお父さんは?」

「ああ俺はこういうもので」

「……国家錬金術師! この年で……凄いのねぇ!」

 

 なんて久しぶりなやり取りをしつつ、なんとなくの現状を把握した。

 演習。

 ブリッグズ軍の演習が三日以上続いていて近づけもしない、のだとか。

 駅でライターを買う。最初渋られたけど銀時計見せれば一発である。銀時計つええええ。

 

 やっぱりプライドか。

 スロウス単体が三日も戦い続けられるわけがない。アイツ飽き性なんだから。

 だからプライドが暴れているに違いないと、さっきのおばちゃん含む一般市民を近づけさせないためだろう配置されたブリッグズ山岳警備隊をやり過ごしつつブリッグズの巨壁に近づいて行って──。

 

「おー」

 

 ま、流石の俺も驚きの声が出る。

 

 そこにあったのは氷柱。六枚の氷壁によってブリッグズ要塞を囲んだ何か、が鎮座していたのだから。

 すわアイザック・マクドゥーガルかとも思ったけれど、ちゃんとあの時死んでたしなぁ。

 

 とりま氷壁の一部を緑礬化させて内部に入り、ブリッグズ要塞を目指す。

 

「フンッ──なに?」

「お」

 

 目指す。目指そう、と思った瞬間胴体が泣き別れした。

 着替えが面倒なので再生ではなくくっつけて生体錬成する。

 

「また……再生する化け物か……とも思ったが、違うな」

「いやまぁ再生する一般人だから違うよ」

「一般人は再生せん。──深緑色のコートに金髪金眼。緑礬の錬金術師ヴァルネラだな?」

「おん。で、アンタはオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将だね。初めまして」

「初めまして。早速だがお前には負傷者の治療を行ってもらう。──見ての通り、死屍累々でな」

 

 初めまして、と出した手はちゃんと握り返してくれるあたりが礼儀作法なってるよな、とか。

 そういえばこの人俺の事知ってたっぽいけどなんでなんだろう、とか。

 

 色々置いといて──ああ、死屍累々だ。

 

 氷壁の外からじゃほとんど見えなかったけど、血、血、血、血、血──。

 倒れているのはほとんどがブリッグズ兵だけど、中にはイシュヴァールの武僧もいる。

 

「少将、アンタも腹斬られてるっぽいけどソレはいいの?」

「ほう、服の上からでも気付くか」

「ああいいや、隠したいならそれでいい。治してくれと頼まれてないものまで治す気はないよ。一部例外を除くけど」

「いや、治してくれ。先ほどから動きづらくてかなわん」

 

 ただざっくり斬られているだけの傷だったので、服の上から生体錬成をかける。

 患部に触れないと治せないようじゃ内臓手術とかダルいからね。遠隔錬成の応用でこういうのはできるよ。

 

「……成程、本物か」

「状況は? っていうか刺青の男(スカー)達とはちゃんと協力できてる?」

「できているからこうも戦闘が長引いている」

「そんだけ強いってわけだ、敵が」

「強さはそれほどでもないがな、厄介だ」

 

 その時、物凄い轟音がした。

 左上空……氷壁の一枚に何かが着弾したのだ。

 

 砲弾……じゃ、ない。

 

怠惰(スロウス)? なんだアイツ、水平方向以外にも行けたのか」

「途中で獲得した。あの影の化け物……プライドといったか。奴がスロウスに巻き付いた後から、明らかに動きが違う。今までは水平方向の突進だけだったのが、ああして縦横無尽に飛び回るようになった。ブリッグズ(こちら)の砲門もそれでほぼ潰されてな、この氷壁が無ければドラクマの奴らに侵入を許していたかもしれん」

「ドラクマ? ……お、ホントだ。ドラクマの兵士来てんじゃん。誰が呼んだんだ?」

「ふん、奴らは常に虎視眈々と我らの隙を窺っている。呼ぶも何もなかろう」

 

 キンブリーかと思ったけど、アイツは死んでるはず──とか思った瞬間、ブリッグズ要塞の壁面で爆発が起きる。

 Oh...あれは。

 

「敵はスロウス、プライドだけではない。紅蓮の錬金術師、そして変幻自在に姿を変える人造人間(ホムンクルス)、さらには……お前には及ばんだろうが、賢者の石を用いて奴らを治癒する錬金術師」

「大所帯じゃん」

「歓迎パーティーを開く程ブリッグズは開放的ではないのだがな」

刺青の男(スカー)兄はどこにいる?」

「さぁな。どこかにはいるだろう。混戦状態故各々の位置はわからん。だがあの男が早々に死ぬとも思えん」

「俺もそう思ってる。俺にとってはあの人のみがマストで、次点で少将、アンタかな」

「……何の話だ」

「他は死んでもいいって話」

 

 言えば、少将はその剣で俺の肩口を刺し貫く。

 冷たい瞳だ。ああそういえばこの人仲間想いなんだったっけ。口には出さんタイプだけど。

 

 そのまま剣を振られ、べしっと氷壁にぶち当てられた。

 再生する傷口。ああ錬成反応だしとこ一応。

 

「私の前でつまらん冗談はよせ、緑礬の錬金術師。次に吐けば、その首叩き切る」

「斬ってもいいよ死なないし。──で? 俺にやってほしいのは負傷者の治療だけでいいわけ?」

「……他に何ができる?」

「そりゃ、敵を倒すーとかさ。国家錬金術師だぜ、俺」

「できるのか?」

「できると思う?」

「無駄な時間を過ごさせるな。できるできないに関係なく、お前の特筆すべき能力はその生体錬成だ。医者を戦わせるなど兵法として悪手も悪手。そういう話はここにいる全員を五体満足で復活させてから言え」

「五体満足は流石に代価が必要かな。あと、死んでるのは無理だよ。死者蘇生はできない」

「代価だと?」

「そう、代価」

 

 悲鳴が上がる。

 怒号が響く。

 

 スロウスの突進と、時折砦から突き出る影の化け物に、爆発。

 武僧の分解の錬成反応も見えるし、再構成の突起物も見えはするけれど──すごいな、現場が見えていないのに劣勢だとわかる。

 

 首の左側に剣。

 おお、見えなかった。ブラッドレイの剣に似てるな。躊躇の全くない剣だ。

 

「ブリッグズの兵士も、イシュヴァールの武僧も、今は志を共にする仲間だ。──それを救うのに、代価を欲するか、国家錬金術師」

「当然」

「……──」

 

 見定めるような目。

 

「いいだろう、ブリッグズをくれてやる」

「──うん?」

 

 その答えに、今度は俺が聞き返す。

 今まで俺に聞き返してくる人が多かったけれど──こればかりは、俺が聞き返してしまった。

 

 なんて?

 

「ブリッグズだ。この地、この巨壁、私を含めた兵士──屈強なる部下たちの全て。その命、その魂、その心──あらゆるものを貴様にくれてやる。だから治せ。癒せ。我らにまた戦い得る力を施せ、国家錬金術師」

 

 言葉。

 強い強い言葉だ。何の迷いもない、すべての意思が詰まった言葉。

 

 ああ、この人は錬金術師じゃない。

 等価交換が全く分かっていない。

 

 代価は等価だからこそ代価なんだ。

 ここで倒れている兵士を五体満足に復活させること、に対する代価が──この地の全て、だって?

 

「やめてくれよ、そういうこと」

「なんだ、これでもダメか、戦場の神医」

「違う違う」

 

 溜め息だ。

 等価交換は両辺が等価でなければならない。

 ゆえに、提示した代価に対し──大きすぎる値を入れてきたのなら。

 

「貰い過ぎになるとこっちがたくさん働かなきゃいけないんだからさぁ、その辺のルールっつかマナーは守ってもらわないと」

 

 さぁ、話している時間も惜しいだろう。 

 跳ぶ。飛ぶように跳ぶ。

 

 そして今、まさに今スロウスの突進に潰されそうになっていたブリッグズ兵に手を当てる。

 目の前で人体の潰れる音を聞きながら、スロウスと壁の間からソイツを引きずり出して、生体錬成。欠損はない。頭部も無事だ。背骨が軽く逝ってるから整形。

 

「あれ……白い兵士……殺した、はず」

「が──ぁ、あ? なんだ、今の感覚……俺は確かに死んで」

 

 さてはて、このブリッグズの全てと等価になる働きは、あとどれくらいかねぇ。

 

 ブリッグズ兵をぽいっと巨壁の上に投げて、次の患者のところに行く。スロウスは無視だ。戦えって言われなかったし。

 

「チクショウ、こんな、ところで……!」

「死ねないよなぁ。じゃあ生き返るしかない。まぁ死者蘇生はできないんだけどサ」

「う!?」

 

 足が千切れていた兵士。幸い近い所に千切れた足があったので、一旦分解(バラ)して再構成。血を補充してはい終わり。

 

「刃物を持て! 影の化け物は刃物や鉄で弾ける! だが、腹を見せるなよ、そこから噛み千切られるぞ!」

「ええ、背中も見せない方が良いですよ」

「──ギ」

「と、両断された直後にくっつけると一瞬で治るんだわ。時間がたってたり不純物が入ってるとちょいとダルくなるんだけどね」

「ガ──ぁ、あ? は?」

 

 ちょうどプライドに斬られていたブリッグズ兵の胴体を空中で繋げて治す。

 んでどうせなんで彼の持っていた刃物を一本貰い、一部の砕けている要塞を利用して太陽光を刃で反射、プライドに照射する。

 

「……ああお前、これじゃ全く効かないんだ」

「ふざけているのですか? そして、何故ここに?」

「代価が支払われたから」

「……またそれですか。ならばこちらからも大量の賃金を払いますので出て行ってくださいませんか?」

「金じゃアームストロング少将の払った代価とは釣り合わんなぁ」

「なんですか。じゃあ食事ですか」

「あっはっは、なんだお前学習できるじゃん。でもダメだよ、そりゃ。嗜好品とじゃあ釣り合わん」

「彼女は何を支払ったんですか?」

「教えて欲しいなら代価を払えよ、人造人間(ホムンクルス)

「……いえ。もう面倒になりました」

 

 プライドが──その大口を開く。

 ここの廊下全てを埋め尽くすほどの影が。足元も天井も、何もかもに伸びて、口と目を開いて。

 

「食べてしまえば関係ありませんから」

「グラトニーでも食いきれなかったモンをお前が食いきれんの?」

「あはは、僕は一番上の兄ですよ。弟ができなかったからといって、兄ができないとは限らないでしょう」

「一理ある」

 

 ばくん、と閉じる。

 

 その影に寄りかかって、もう死んでいるブリッグズ兵の衣服の一部から自分の衣服を錬成した。

 

「!?」

「密封性が足りないよ、お前のは。とまぁ、お前さんと遊んでるのも平時ならいいんだけど、今俺バイト中でさ。支払われた分の仕事はしないといけないんだよね。だから」

 

 錬成反応を迸らせながら、閉じていた拳を開く。

 そこから出てきたのは何かの小さな粒。

 

 プライドの影、目の部分に付着したソレは。

 

「……もしかして目潰しのつもりですか? 私の目や口を人間のものと同じ構造だとでも思っている、」

「はい、ライター」

 

 瞬間、激しい光を放つ粒たち。ただのアルミニウムである。

 はっはっは、俺は一応緑礬の錬金術師つってな、物質変換が得意な錬金術師なんだわ。造形できないけど。

 粒状アルミニウム作るくらいワケないサ。他の燃焼物質も作ったろか、なんなら花火も行けるぞこんなとこで爆発させたら大惨事も良い所だけど。

 

 と、まぁだから、戦うのもアリっちゃアリなんだけど、俺は今医者で。

 

 廊下で死んだように蹲っている奴の、死んでいない奴を治していく。一部ちゃんと時間をかけないと治らん奴がいるのでそういうのは運ぶ。ずるずる引っ張って。

 フ、チビを舐めるなよ。担ぎ上げても引き摺ることになるぞ──!

 

「馬鹿、そういうのは大人を頼れチビ!」

「お前だなさっき助けてくれたのは! 感謝するぞガキ! だが仲間を引きずるな余計に怪我をする!」

「錬金術師だな!? こちらの仲間でいいんだよな!」

 

 ふと負傷兵が軽くなったと思えば、横にはさっき治したばかりのブリッグズ兵が。

 彼らは俺が引き摺っていた怪我の深い負傷兵を担ぎ、俺と共にプライドから逃げる。

 

 ……。

 

「比較的安全な場所はあるか?」

「ない。この砦は既にどこも危険だ。あの影の化け物も、紅蓮も、スロウスも……人間が集まってると、狙いすましたかのようにそこを狙ってくる。分散してるのが一番安全だ」

「そうか、じゃあお前、どれくらい走り続けられる?」

「この足が折れるまでだ」

「おぅけぃ、折れたら治してやるから走り続けろ。攻撃も全部避けろ。反撃は考えるな。他の奴らは傷の深い負傷兵を片っ端から担いで持ってこい」

「──信じるぞ!」

 

 さて、初めてではあるが、できないことはないだろう。

 走りながらの、並走しながらの手術。生体錬成。

 

 ほかの錬金術より精密性が問われるこの作業を、爆走しながら、並走しながら、時に攻撃をよけながら時に階段を上下しながら行う。

 

 そうして治し終われば、ソイツも戦力に追加だ。戦いはしない。死んでいない仲間を拾い上げて逃げ回り、また治して──を繰り返す。

 

「緑礬、コイツも頼、」

「ばかもーんそいつはエンヴィーだ」

 

 蹴っ飛ばして砦から放り出す。

 負傷兵に成りすましてるのマジでタチ悪いな。

 

「緑礬の錬金術師!」

「この嬉しそうな声は」

「ええ、私ですよ──貴方たちによって死地に送られ、けれど戻ってまいりました。それでは──」

「見つけたぞ、紅蓮の錬金術師!!」

 

 白スーツをぶち飛ばすのは、ボロッボロの熊。

 もとい、バッカニアだ。

 

「……貴方、無粋ですよ」

「ははは、生憎と中央の礼儀作法には疎いものでな!」

「大尉! 出血量が……」

「ふん! このバッカニア、あの女豹より先にくたばるものかよ!」

 

 静かに迫り来ていた連鎖爆破を緑礬で踏みつぶす。

 

「バッカニア大尉だな。お前、ブリッグズ兵何人運べる?」

「六人は運んでやる。それがどうした」

「じゃあ運べ。お前に運ばせた方が効率が良い。キンブリーは任せるぞ」

「ああ」

 

 すれ違う。

 褐色赤目の男達。俺が来たことをどこかからか知ったのだろう、合流しようとしていたのはわかっていた。武僧側にも負傷者がいるはずだからな。

 

「今まで運んでたやつは全員バッカニアに預けろ! そんで、また負傷兵を担いで──あー、どっか広い部屋はないのかこの砦」

「作戦会議室がある! 広さは一番だ! 安全性は保障しないがな!」

「それでいい。そこに運べ。全部治してやる」

 

 まずバッカニアの身体を治す。

 ……おいおい、タフ過ぎるだろ。この失血量、並の人間ならぶっ倒れてんぞ。

 腹に錐揉みしたみたいな貫通痕……プライドか。それに、爆発の火傷痕、切れ味の悪そうな刃物による傷。

 特に左手がヤバいか。右手の機械鎧さえあれば戦えると踏んだんだろうが、こりゃ切断したほうが早いな。

 

「痛みに耐えろ。一瞬だ。激痛だが」

「問題ない!」

 

 瞬間、斬る。

 左腕を付け根から。

 その左腕を手の中で分解、再構成し、また付け根にくっつける。

 

 その間たったの0.6秒──。

 ……まぁ麻酔も弛緩剤も何もしていないから、フツーに腕切られる痛みが襲うんだけど。あと神経くっつける時に神経も触るからその痛みが。

 

「──、……問題ない!」

「んじゃ運んでくれ。順に治していく」

 

 額の脂汗は見なかったことにしよう。

 

 さぁさ、国家錬金術師がワンマンアーミーと言われる所以を久しぶりに見せつけるとしようじゃないか。

 

 俺一人の投入で戦局は大きく転ぼうさ。イシュヴァール以来の本気モードだ。

 なんせ、ブリッグズの全てが代価だからな!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 開戦の討滅

上り調子の対価は勿論


 あらかた治した。

 未だ運ばれてくる兵はいるが、少なくとも外に、雪の上に落ちて身動き取れずにいる、みたいな兵士はいなくなった。

 ただし、全員じゃない。何故ならまだ敵が全員健在だから。

 

 すごいのは、ブリッグズ兵が勇猛であるというところか。

 折れない。

 どれほど重傷を負い、凄絶な怪我で運ばれてきても、治ればまた戦いに行くと言うのだ。

 

 折れない。折れない。

 屈強、堅牢、不屈。

 

 対して敵──人造人間(ホムンクルス)達も攻撃の手を休める気配が無い。あまり殺せていないから、というのも大きいだろう。原作でやっていたようにスロウスに有効なダメージを与え続けているならともかく、六角形の氷壁の中を縦横無尽に移動するスロウス相手じゃ攻撃を与えることもままならない。

 ブリッグズ兵が殺せているのはエンヴィーくらいだけど、コイツも何に化けているかは彼らで判断できない以上手を出しづらく、俺が教える頃には離脱している。

 

 キンブリーは……キンブリーはよくわからん。

 さっきから明らか致命傷食らってるんだけど、一旦姿を隠したと思ったら全快して戻ってきている。

 

 賢者の石を持った医者がいる、と聞いてはいるものの、ソイツの姿も見えない。

 

刺青の男(スカー)兄、そっちの状況は?」

「負傷者は先ほどので最後だ。だが、紅蓮の錬金術師の動きが明らかにおかしい。人間業ではないというか……」

「だよな。俺もそー思ってた」

 

 刺青の男(スカー)兄とは合流した。

 作戦会議室に武僧のガード二枚置いて中に集中治療室を作成。そこそこ猟奇的なのは理解しているけれど、壁一面と床天井を()()()()()ことでゾルフ・J・キンブリー対策を実施。アイツの錬金術が人間そのものを爆破できないのはわかってるからな。

 

「とりあえずプライドが邪魔過ぎる。閃光弾を自作できる武僧は何人いる?」

「材料次第だが、三人」

「よし、ソイツらにありったけの材料持たせてそのスロウスが出てきた穴ってとこに向かわせてくれ。プライドの影は全部繋がってる。根本ブチ切れば問題ない」

「成程。──ああ、行ってくれ」

 

 インカムだの無線機だの、色々な技術を取り入れているらしい刺青の男(スカー)兄。

 そのおかげで武僧たちの動きはスムーズだ。

 

 ブリッグズ兵は砦内の放送での行動が主だったためだろう、今はあまり統率が取れているとは言えないが、個々の結束力が強い。そして恐らく違う隊員だとしても、瞬時に連携できるという長所がある。こーりゃ強いわ。

 

「緑礬。錬金術に地点Aから地点Bに瞬間的に移動するようなものはあるか?」

「あるにはあるけどそんなん発動したら俺がわかる」

「だが……明らかに奴はそれをしている。神出鬼没が過ぎる」

 

 そんで、アームストロング少将も合流した。

 最高戦力がここに集まっていることはあんまり良いことじゃないのですぐにみんな出ていく予定だけど、認識のすり合わせは必要だ。

 

「多分、本物のキンブリーが致命傷を負った時に出てくる方はエンヴィーだ。それで時間を稼いで、本物の方をどっかで治療している」

「……となると、致命傷を与えた後に何が何でもくらいついて追うべきか」

「それができたらそれでいいのだがな。奴が撤退するとき必ず影……プライドが近くにいる」

「そのプライドは今からイシュヴァールの武僧が断つよ。だから」

「……次で決めろ、ということか」

 

 アームストロング少将が作戦会議室を出ていく。

 追従するのはブリッグズ兵。そうだな、彼らは彼女について行った方が効率よく動けるだろう。

 

刺青の男(スカー)兄、聞くまでもないが」

「ああ。この六角形には意味がある。ただ、円がまだできていない」

「凸レンズは?」

「……それをやれるのは技量的に私くらいか」

「残念ながら俺は造形無理。一番ヤバいのはスロウスだな。いいよ、俺が相手する」

「君は治療をするべきだ。それができる者がここにはいな過ぎる」

「お前さんがレンズ作り終わったらまた治しに戻ってくればいい話だ。そうだろ?」

「……──考えている暇はなさそうだ。それでいこう」

 

 ううんスムーズ。

 余計な言葉が無い。主語もない。でも通じる。

 

 頭良い奴との会話は楽でいいわ。俺が喋んなくていいもん。

 

「兄者。俺は紅蓮を殺しに行く」

「ああ、アームストロング少将について行ってくれ。我らの手が必要な場合も多々あるだろうからな」

「承知した。──緑礬」

「ん?」

「兄者を頼む」

 

 ……少し、キョトンとしてしまった。

 彼は知らないことだけど、傷の男(スカー)からそれを言われると……なんか、面白いな。

 

「いいけど、そっちはもう殺し損ねるとかナシで」

「わかっている」

 

 死んだ人間が蘇ってくるとかマジ勘弁。

 そこだけは覆らない法則なんだからさ。大人しく死んどけよゾルフ・J・キンブリー。

 

「私たちも行こうか。君、負傷兵の管理を頼めるか。私とヴァルネラは少し外で戦ってくるから──」

「誰も中に入れるな、患者の頬は一度抓ってエンヴィーかどうか確認しろ、運んできた奴もそうだ、ですよね?」

「ああ、頼むよ」

 

 ……なんかホントにエンヴィーの確認方法が……いや、なんでもない。

 エンヴィーが食事するだけで賢者の石回復するような奴に……は、なってるな。いやいや。

 

 

 

 

 で、である。

 

「大口叩いたものの、そもそもスロウスが俺を狙ってくれないといけないんだよな」

 

 背後の壁。氷壁にとっかかりを錬成しながら登る刺青の男(スカー)兄。

 そこへ行かせないように、すべてを俺が止める、と。

 

「──珍しいですね、緑礬の錬金術師ヴァルネラ。貴方が前線に出てくるとは思いません、」

「うるせぇお前はお呼びじゃねーんだわ」

 

 またアルミニウムの粉をかけて燃焼させる。

 いっちょ前に瞼らしきものをしかめているプライドに、更なる試練が襲い掛かる。

 

 カッ、と。

 遠くの方で莫大な光が上がり──プライドの身体が潮の引くように消えていくではないか。

 

「……要らぬ助言を!」

「お前の相手は後で、だ」

「く、そ……!」

 

 ジュッと消えるプライド。

 その瞬間、ブリッグズの巨壁が右方で大きな爆発が起きる。恐らくアームストロング少将とキンブリーが衝突したのだろう。あとは彼らが武僧の閃光弾祭りが尽きる前に奴を仕留めて、その医者とやらも仕留めてくれるのを願うばかりだ。

 

「──チビの錬金術師、ころす」

「ほう! プライド、そりゃいい置き土産だ!」

 

 スロウスの行動を操っていたのは恐らくプライドで、そのプライドが消え際にスロウスに耳打ちしたんだろう。

 一番の邪魔者は不老不死のヒーラーだ、つってな。

 

 左腕を前に突き出す。

 瞬間、半身持ってかれた。

 

 ──流石に生体錬成で誤魔化せる量じゃないので、フツーに再生する。

 そんでもって、緑礬発動。

 

「……あ? うで……かた……消え……?」

「生体を緑礬化できないなんて俺言ったかよって」

 

 ドン、と。

 上半身が全て持っていかれる。

 

「消えても……べつに……いいか。めんどくせー……考えんの……」

「──同意見だ」

 

 下半身が潰される。

 再生するのはさっき持っていかれてブリッグズの巨壁にすりつぶされるように付着した上半身。

 コイツの体当たりは疑似・真理の扉と違って消滅するわけじゃないからな。

 

 相性は最悪さ。

 まぁ人造人間(ホムンクルス)の持ってる能力って、疑似・真理の扉以外俺との相性って大体最悪なんだけど。

 

「えー……治んの……か」

「あぁ、不老不死なんで」

「めんどくせぇ……」

 

 すり潰される。

 再生したそばから、何回も何回も巨壁に打ち付けられて、ぐしゃぐしゃにされる。

 

 ならば今度は下半身からだ。

 氷壁にぶち当たった下半身から──再生したのを、踏みつぶされた。そのまま地団太を踏むようにしてぐしゃぐしゃにされる。

 

 ぐじゅる、ぐじゅり。

 

「あっはっは、面倒くさいだろう。不老不死はな、相手にすると面倒くさいんだ」

「……めんどくせぇ。他ころす……」

「あぁだが残念、お前さんの足は緑礬に成っちまってて脆いんだわ」

 

 崩れ落ちるスロウス。

 俺の血にそんな迂闊に触れちゃぁなあ。

 

 ……しかし、遅いな。

 キンブリーまだ倒せないのか? 俺の体内錬成陣ももうそろ尽きるぞ。面制圧に弱いな俺こう考えると。

 

「めんどく、せぇ……もういいや……めんどくせぇし、プライド……いねぇし。ちょっとやすむ……」

「──!!」

 

 再生する。

 死体から衣服を錬成し──驚きを送る。

 

 寝転がって、動く気を見せなくなったスロウスに。

 

「お前……もしかして不老不死の医者と対峙したことあんのか?」

「……うるせぇ。ねみぃ……」

「正解だよ。不老不死の医者で、攻撃方法がカウンターしかない奴とタイマンするときにどういう立ち回りすればいいかって、そりゃそうやって寝っ転がるのが一番だ。お前さんの身体に俺は攻撃を通せず、だがお前さんがいつ動くかわからんから俺もこっから離れるわけには行かない。なんだスロウスお前、頭脳タイプだったのか?」

「うるせぇ……寝るから……しずかにしろ……」

「え、何? お前静かじゃないと寝れないタイプ? あぁそっか、今までずっと地下で寝て掘って寝てだったもんな。こんなうるさいとこ初めてか。そいじゃま残念だけど、もう少し踊ってもらうわ」

「うる、へぇ……?」

 

 うるさい、と。

 口を開いたスロウスの口に、腕を突っ込む。

 そんでそれを上顎側に──ぼきっと。

 

 発動する緑礬。再生する腕。

 ハハハハ、カウンターしかできない俺だけどな、こういう戦い方はできんのサ!

 

「──錬金術師!! 射線開けろ──!!」

「ん? ああいいよ、勝手に避けるから撃て。好きに撃て」

「りょーぉかい! ってぇ!!」

 

 俺が確認した限り、全機潰されていたはずの戦車。それが一機出てきて、その砲塔から砲弾を発射する。

 狙いは正確だ。

 俺の緑礬が侵食した顔面に突き刺さる砲弾。物凄く仰け反るスロウス。

 

「ブリッグズ兵、どうしたよその戦車!」

「壊れたのバラして使えるパーツ取り出して組み立てたんだよ! いつ暴発するかわからん! 暴発したら俺達を治してくれ!」

「はは、りょーかい!」

 

 おいおい、原作崩壊もいい所だがな──コレ、いけるなぁ。

 

「なぁオイ怠惰(スロウス)! なぁ、なぁ。なんでお前、フラスコの中の小人の命令聞いてるんだ?」

「あぁ……? ……めんどくせぇ……考えるの、も……」

 

 二発目の砲弾は腹にぶっ刺さる──が、止まる。

 単純威力じゃコイツは貫けない。

 

「お前からさ、何かしたいとか、言ったことあるか? 寝たい、休みたい、やりたくない──なんでもいい。プライド相手じゃねぇぞ、フラスコの中の小人相手にだ!」

「……うるせぇ……思い出すのも……だりぃ、だりぃ……」

「ないだろ。だって言えば」

「うるせぇ……お前の声……頭の奥の……その奥に響いて……うる、せぇ……」

 

 響くだろう。

 反響するだろう。

 何もない空間。扉さえもない空間。白い、白い、けれど──狭い空間。

 

 そこがお前たちの最期だ。人造人間(ホムンクルス)可能性に満ちた(限りない空間に)()あるモノと違って、お前たちには果てしかない。

 なぁ、怠惰(スロウス)。停滞を望むモノよ。

 

「ってぇ!!」

 

 俺に構わず撃てと言ったのに、俺を避けて通る砲弾の射線上に自ら入る。

 自ら入り、身体をぐちゃぐちゃにされながら──スロウスに着弾する。

 

「ぁあ……?」

「お前が怖いのは、喪失だ。分断だ。ダルくとも繋がりがあり、面倒くさくとも家族がいる。お前の怠惰は愛情であり、お前の美徳はその行動力であり──」

「うるせぇ……離れろ……」

「お前が求むるは、安心だ。人造人間(ホムンクルス)、怠惰のスロウス」

「……もう……めんどくせぇって……」

 

 スロウスは俺の首を掴み、べきべきと剥がしていく。

 だからまぁ、魚の骨を取るみたいに。

 

 ──そんな時だ。

 ふと、影が差した。まだ昼間だというのに、空を何かが覆ったのだ。

 

「あ……?」

「流石だな。寸分違わず。性格出てるよ」

 

 光。

 光が落ちる。

 

 集約せんとしていた光はしかし途中で止まり──だからこそ、円を描く。

 ブリッグズ上空にできた氷のレンズだ。刺青の男(スカー)兄が作り上げたそれは、完璧な位置から陽光を地に降ろし──円をファクターにし、氷壁という名の構築式が六角を取ってそこにブリッグズの巨壁を囲んだ錬成陣を作り上げる。

 

「お……ぁ……?」

「っ、これは……やっべぇ!」

「なんだこれは!」

 

 円に六角形を刻んだだけの錬成陣。

 六角形。それもヘキサグラムではなくヘキサゴンの方だ。六芒星だったら地水火風の意味合いを拾えたんだけど、単なる六角形だと拾える意味が限られてくる。

 

 どろり、と。

 目に見える範囲で──氷壁が。

 否──雪という雪が全て──解けていく。水になっていく。

 その量、大量。

 

 ブリッグズ山の表面にあった雪も、ブリッグズの巨壁周辺にあった雪も、氷壁も、すべてが全て水になる。

 六角形。

 それは「戻す」というただそれだけの記号。本来は錬成陣の各所に散りばめたり、他の構築式と共に使うものだけど──今回は緊急だったし、これでここまでの結果出せるのが刺青の男(スカー)兄のすごい所ってことで。

 

 さて、起きるのは大洪水である。

 どちらにも、だ。

 ブリッグズ山の中腹から中腹へかかるようにして建てられている巨壁。それを覆っていた氷壁と雪が解けたのだから──アメストリス側へは、スロウスが来た方向へ。そしてドラクマ側にも突然の大洪水が。

 兵は流され銃器は湿気って、何よりその場所は血の紋じゃない!

 

「う……ぉ……流され……」

「さぁ問題だ、お前はこのまま元々掘っていた穴の中へ帰る。大量の水と共にな。そうなるとどうなると思う?」

「……しらねぇ」

 

 離脱する。

 濁流はスロウスの身体を押し流し、綺麗に穴へとホールインワン。勿論閃光弾を使ってプライドを牽制していた武僧も退避している。

 

「う……つめて……」

 

 急ぎだ。

 だから自分の血を使って、腕や足、腹などの出来る限りの場所に緑礬の錬金術を描いていく。

 そんでまた穴に入ってーっと。

 

「穴……そうだ……ほら、ねぇ……と」

「ああ大丈夫、俺が掘ってやるよ、スロウス。疲れただろ?」

「……なんだ……じゃあ……俺は、もう……いらねえのか……」

「ああ、お前はもう要らない。だから安心して──」

 

 混合燃料程の速度ではないが、確実に凍っていくスロウス。

 もう掘らなくていいと、座り込み、凍り付くことを気にも留めないスロウス。

 

 超高速で迫る影の刃が、俺をズタズタに切り裂いて──穴の入り口で閃光弾が破裂する。

 たとえどんなことがあろうと、影の刃が見えたら閃光弾を放つ。武僧が言い含められていたこと。

 俺が中にいようと、だ。

 

「せめて一緒に散ってやるよ」

「──嘘……指摘すんのも、めんどうくせえ」

「あっはっは、バレた?」

 

 結晶化していく。

 凍り付いた俺とスロウスが、緑礬になっていく。そうして、そのままサラサラと、サラサラと。

 

「あぁ……まぁ……どうでも……いい、か……」

 

 黒と緑と黄色は、風に吹かれて消えた。

 

 

** + **

 

 

 作戦会議室。

 

「当然のように生きているか、貴様。穴の底で化け物と心中したと聞いていたが?」

「まだ代価を返し終わってないのに死ぬわけないじゃん。元から死なないし」

「そうか。それで、報告をしろ」

「スロウスは死んだよ。プライドはしばらく来られないはず。氷の壁が塞いでるのもそうだけど、アイツがもっと嫌がるモンを置いてきた」

「……そうか」

「キンブリーは?」

「殺した──はずなのだがな。首を斬れども、心臓を突けども、ダメだ。必ず復活する。錬金術師、聞くが──」

「死者蘇生はあり得ないよ。だから少将、アンタが殺したのはエンヴィーなんじゃ」

「だが奴は紅蓮の錬金術を使ってきた。爆破だ」

「えー」

 

 ……えー?

 

 まさか俺みたいに? あっはっは、そりゃないんだけども。

 つーか俺みたいにならずとも、本当に不死性を獲得したんなら一旦下がったりせず一生そこにいるだろ。だからなんかタネはある。

 

「賢者の石を持った医者ってのは?」

「殺せはしなかったが、部下が人相を見たのでな。書かせた」

 

 そこに書かれていた顔は。

 

「……あー、ティム・マルコーか」

「知り合いか?」

「うんにゃ。ただまぁ、イシュヴァール戦役に参加した国家錬金術師だよ。それも、イシュヴァール人を使って人体実験をするために来たタイプの」

 

 ピシ、と空気が割れる。

 

「……火に油を注ぐ才能に恵まれているな。……とにかく、恥じ入るべきことに、我らはその二人を逃した。殺した回数は34回。斬首14回、両断12回、心臓を突き刺し、貫いて体外にまで出したのが8回だ」

「それでも死ななかった、と」

「ああ」

 

 うーん。

 何かタネがあるのは間違いないだろうけど、ちょいとわからんな。

 ティム・マルコーがずっと一緒にいるのが何かのトリックなんだろうけど……。賢者の石ありきでも、そこまでの頻度を五体満足で、となると、俺みたいに移植とか必要になってくる。

 が、流石にそりゃできんはずだから……ふむ。

 

「エンヴィーは?」

「知らん。紅蓮の錬金術師の身代わりになって出てくるかと思ったが、そういうことは無かった。お前が察知できるのではなかったか?」

「こっちにも引っかかってないよ。……逃げた、と見るのが一番かね」

「他人に成り代わることのできる人造人間(ホムンクルス)。恐らく最も厄介だろう。何か、お前がいない場合における対策法はないか?」

「あー。斬りかかって死んだら仲間。死ななかったらエンヴィーってのはどう?」

「よし、それで行こう」

「待て待て待て待て待て!!」

 

 ブリッグズ兵から総ツッコミを受ける。

 

 ははーん。

 

「さてはお前ら、誰かがエンヴィーだな」

「ちげーよ!」

「お前わかるんだろ!?」

「あぁホントだ、違う」

 

 でも。

 

「実際コレが一番良い方法なんだわ。前も言った通り、技量はないからさ、アイツ。強さはあるけど。だから斬りかかって受け止められて、どっちも技量を確かめて高かったら本物、くらいにするしかないよ」

「よし、それで行くぞ」

「……これだから脳筋共は、ぁ」

 

 ……うん、何もなかった。

 

「ドラクマは?」

「殲滅した。血の紋なる場所とは違う場所でな」

「ん、おっけー。こっちの損害は?」

「ブリッグズ兵は40人は死んだな。武僧はどうだ?」

「こっちは2人だ。人造人間(ホムンクルス)。全部が全部あんなに強いのかい?」

「プライド以外は弱いのが揃った方だよ。突進オンリーのスロウスと変身できるだけのエンヴィー。プライドはフツーに最強クラスだからアイツ単体で見たら善戦したほうだけど、前者二人相手にこの連合軍でこの結果は惨敗だね」

 

 原作じゃ最終的にカーティス夫妻の助けがあったとはいえ、ほとんどアームストロング家の二人で殺し切ったようなものだ。

 それを死者40人って。

 つーか武僧は1人でブリッグズ兵20人分なのね。つっよ。そんな単純計算じゃないのはわかってるけどさ。

 

「──そろそろ良いだろう、ヴァルネラ」

「ん?」

「私と君は約定を交わしている。そしてここブリッグズは君のものになったと聞く」

「おん」

「ならば、話してくれ。私たちが殺すべき敵。それがどこにいるか。──もうこの場に、君を裏切る者はいない。違うか?」

 

 あー。

 これも……慎重に言葉選ばないとダメな奴だ。

 考えろー。KYは治せる。うん。

 

「まず、初めに言うと、別に裏切りを恐れて話さなかったわけじゃない」

「……では何故? 何故途中までしか話してくれなかった?」

「意味が無いからだ」

「……」

「黒幕の名を口にし、どこにいるかを話していたら──刺青の男(スカー)兄。アンタはブリッグズになんか行かず、そこに向かっていっただろう。復讐の炎を滾らせて、血の紋を刻ませない、円を作らせない、なんて回りくどいことをせずに大本を叩けばいいと──アンタらしくない直情的な思考で」

「……否定は、しない」

「だから言わなかった」

 

 ……まぁ、理由はもう一つあるんだが。

 この集団であっても、万全状態のブラッドレイに勝てる気がしない──って至極単純な理由が。

 

「つまり、私たちを信用できなかった。そういうことだね」

「そうだな。逆にあるか? お前らを俺がそこまで信頼する理由」

「君が逃がした相手だから……は、通じないか」

「通じねえよ。むしろ逃がした相手がテロリストになってるなんて誤算もいい所だろ」

「──だが、君は私を名指しで逃がした。私を希望だと称して。それは何故だ」

 

 うーん。

 わからん。ここで答えに詰まるよりは、素直に言った方が良い気がする。

 

「要否だ」

「必要だと判断したから、か」

「ああ。実際に必要だっただろう。お前の頭脳は凡そアメストリス全土、いや世界全てをしても敵う者のいない稀有なものだ。判断材料さえ揃えばすべての解を導き出せる頭脳。それが殺されんとしているのをどうして止めない」

「……そこまで褒められると面映ゆいが、どうしてそこまで私を買っている? 君と出会ったことは無かったはずだ」

 

 まぁそこに辿り着くわな。

 そんで、その答えは簡単だ。

 

「俺には未来が見える」

 

 ザンッ、と。

 右腕が斬られる。

 

 斬ったのはアームストロング少将。

 

「──見えていないようだが」

「見えてるよ」

 

 ぐじゅりと再生させる。

 それが生体錬成によるものでないことはもうわかるだろう。何しろ、アームストロング少将の右手にはまだ、10歳少年の右腕が掴まれているのだから。

 人造人間(ホムンクルス)のように炭化する気配もなく、ずっと。

 

「取るに足らない攻撃は避ける必要ないだろ?」

「ほう。我が剣が取るに足らないか。流石はブリッグズの所有者、発言の格が違う」

「そうだけど。所有物のクセに所有者を疑うとか、もしかして不良品?」

「……フン、くだらん煽りあいに興味は無い。続けろ」

 

 そっちが始めたんじゃーん、とか言うとブラッドレイの二の舞になる。

 ヴァルネラ、おぼえた!

 

「それじゃ、まぁ、計画の全容を話そうか。本当に大事な部分は教えないけどね」

「──良いだろう。そこはこちらで考える。以降も君に協力するかどうかを含めて、だ」

 

 さぁて、フラスコの中の小人。

 血の紋を刻めなかったどころか、円も途中で終わってしまったけれど──どう出る?

 俺の知らないことをしてくれるんだろう。イーストシティの件とか、キンブリーの件とか。

 それとも、もっと。もっとか?

 もっと──思いもよらないような……俺が錬金術になることだ、くらいの予想外を。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 死者の闊歩

死者が少ない代価は


 東部の街リオール。

 暴動の鎮圧されたここに、黒いローブを被ってなんだかこそこそとしている豆粒ドチビが一人──。

 

 暴動の痕跡……建物が壊れていたり、大勢の争った形跡のあるそこかしこ。加えて壊し砕かれた太陽神レトの銅像に何か思うところがあるのか、それらを見上げて呆けて、憲兵に睨まれてまた逃げるを繰り返す豆粒ドチビ。

 彼はいくらかの路地を経由した後、もう見るからに明らかな「隠れ家です」感ある廃屋に帰ってきて──大きくため息を吐いた。

 

「だぁ……こそこそすんのは性に合わねぇなぁ」

「ごめんね兄さん。兄さんにだけ調査を任せたりして……」

「あー? 別に、っつかお前の身体で調査なんか行ったら一発でバレるだろ」

「バレてもいいだろう別に……むしろ国家錬金術師なんだ、憲兵からの聞き込みもできるようになる……」

「……色々あんだよこっちにも!」

 

 廃屋にいたのは二人。

 鋼の──鋼でできた錬金術師アルフォンス・エルリックと、その父ヴァン・ホーエンハイム。

 なればこの豆粒ドチビは、勿論エドワード・エルリックである。その黒いローブをはぎ取って、疲労を露に藁の上に寝転がる。

 

 彼ら、エルリック兄弟にとってリオールは自らの罪の象徴たる街だ。

 当然ホーエンハイムに「立ち寄る」と言われて渋ったし、了承した後でも苦手意識を持っている。特に自分が鋼の錬金術師だとわかったら──「レト教の真実を暴いた張本人である鋼の錬金術師である」とバレたら、どうなるか。

 それを想像すると、どうも顔を明かせないのだ。

 

「それで、エドワード。何か収穫はあったか?」

「……ホーエンハイム」

「なんだ」

「その……アンタ、"ゾンビ"って……信じるか?」

 

 沈黙。

 

 沈黙だ。

 アルフォンスを含め、廃屋に沈黙が流れる。

 

「エドワード……。俺もつらい。アルフォンスもつらい。だがトリシャは」

「そういう話じゃねえよ!」

「兄さん、死者は蘇らないって納得したばっかりじゃないか」

「だからそういう話じゃねぇって!」

「じゃあどういう話なんだ」

「……だから、錬金術的に……俺の知らねえ錬金術の手法的に、ゾンビってのは作成可能なのかどうかって……ことだ。この国の錬金術は勉強してるつもりだが、クセルクセスのとか、他国のは知らねえからな。その辺はアンタの知識に頼るしかねぇ」

 

 不満そうに。

 けれど、致し方ない、というように。

 エドワードは問う。その態度は、複雑な思いこそ詰まっていれど──真剣だった。

 

「……ゾンビ。動く死体。リビングデッド。スァンシー。呼び名は古今東西様々だが、一貫して"死人が再度動き出す"という部分は変わらない。グール、なんていう死体ですらない不死の怪物もいるが、エドワード。お前が聞いたのはゾンビだったんだな?」

「聞いたっつか……見た、っつぅか」

「見たの? ゾンビを?」

「オレだって、オレだって信じられねえんだけどよ。見たし、いたし、聞いた。だから聞いてんだ。ホーエンハイム。アンタの知識にゾンビはあるか?」

 

 問い。

 あるいは生徒が教師に質問するような。

 

「ない、とは言わない。たとえば俺がそうだ……。既に死んだはずの身に、無数の魂が宿って動いている。……それに、アルフォンスも似たようなものだろう」

「あ……」

「てめっ、そういうこと」

「物のたとえだ。アルフォンスは死んでいないから厳密には違う。だが、死人の……たとえ死ぬ前の魂を剥がして、鎧だのなんだのにはっつけたら、ゾンビと言えなくもない」

「……鎧じゃなく、ちゃんと肉体があった場合は?」

「その場合は……死者の魂でなければ可能だ。別人とか……」

「明らかに生前の奴と同じ言動だった場合は?」

「……」

 

 今度こそホーエンハイムの言葉が詰まる。

 だってそこを何か証明できるのなら、死者蘇生はできないという絶対法則を──覆せるのなら。

 

 一度振り切ったはずの悔恨が、また、また、過去が、過去が彼らに手を伸ばしてくる。

 

「兄さん。その……生前と同じ言動だった、っていうのは」

「ああ──ロゼだ。死んだ、って聞いてたけど……生きてた。……死んだって最初の報告が間違いだったんなら良い。それでいいんだけど……気のせいじゃなければ、したんだよ」

「……腐臭、か?」

「ああ。女性に対して言うことじゃねえのはわかってるけど、人間の腐った臭いだった。香水とかで誤魔化していたけど……アレは」

 

 死体だと、思う。

 まで……エドワードは、しりすぼみになって言う。

 

「にわかには信じがたいな」

「……だよなぁ。だからオレも信じてもらえるとは」

「だが、信じるさ。エドワード、お前の言った言葉だ」

「──」

「僕も信じるよ、兄さん。……それで、そうだとして、兄さんはどうしたいの?」

 

 本当にアレが、ロゼが、その他大勢の人々がゾンビだったとして。

 エドワードはどうしたいか。

 

「……決まってる。死者は死者だ。……蘇っちまったら、法則が乱れる。だから」

「殺す──かしら」

「!?」

 

 瞬時に藁上から、椅子から飛びのくエルリック兄弟。対し、呑気に座ったまま白湯を飲んでいるのはホーエンハイムだ。

 声。女性の声。聞いたことのない声。

 

「驚かないのね」

「まぁ、お前らのお膝元でこれだけエドワードが動いたんだ。尾行されていると考える方が自然だろう」

「そう、つまらないオトコ」

 

 廃屋──そこへ入ってきたのは、妖艶な女性。

 全身の黒いその女性。名は。

 

「ラスト。人造人間(ホムンクルス)だ」

「ホムンクルス……じゃあこの人が、父さんの言っていた"大いなる叡智の欠片"……?」

「あ、いや、そっちじゃない。人造人間の方のホムンクルスだ」

「人造人間!? そんな、あれは机上の空論じゃ!」

「あら酷いボウヤね。実物が目の前にいるっていうのに」

「……人造人間(ホムンクルス)なんざ今更驚かねえよ。ホーエンハイムがゾンビなんだ、どっちもどっちだろ」

「父親をゾンビ扱いとは、酷いな……」

「てめーで言ったんだろーがっ!」

 

 その、コントともとれるやり取りに、ラストは眉ひとつ動かさない。

 

「殺す、と言ったわね。そのゾンビを」

「いや別にホーエンハイムを殺すつもりは」

「このリオールの街に溢れかえっているゾンビを、殺す、と」

「……やっぱりゾンビなんだな。そう認めるんだな」

「ええ、認めるわ。だって私たちが作ったのだもの」

 

 次の瞬間、金属音が鳴っていた。

 エドだ。

 彼が機械鎧の手甲を刃物に錬成し、ラストに斬りかかったのだ。

 が──。

 

「……なんだその指」

「ただの指よ? ──なんでも貫ける指」

「っ!」

 

 バックステップ。

 飛び跳ねるように退いたエドワードに、ラストはその人差し指を向けて。

 

「ラスト。何か話しに来たんだろう。遊んでいる暇があるのか?」

「……このボウヤから斬りかかってきたのだけど……まぁいいわ。そうね、用件だけ。この町にいるゾンビだけど……いろんな推測は全てハズレ。魂は()()()()()よ。──殺すなら、勝手にするといいわ。それじゃ」

 

 踵を返し、廃屋を出ていくラスト。

 

 追える者は──いない。

 

「……本当に生き返った……ってのか?」

「……」

「兄さん……」

 

 だとしたら、それを殺す、ということは。

 その、本人を──。

 

 

 そして、このゾンビ騒動は──リオールだけでなく。

 

 

 

 イーストシティはある住宅。

 その家のドアベルが鳴った──来客予定の無い昼頃に。

 何かと思って住民が出ると。そこには。

 

「……ぇ」

「ただいま、ジェミー」

 

 ──イシュヴァール戦役で死亡したはずの、夫の姿が。

 

 死んだはず。だから亡霊だと。

 住民、女性、その夫の妻たる彼女が後退りをすると、夫の男性は「あはは……」と困ったように笑い、後頭部を掻く。

 その仕草、その表情は──どう見ても彼女の夫の、幼馴染としてずっと過ごしてきた最愛の人そのもので。

 

「ど……う、して」

「驚くのも無理はない。けど、軍がね。イシュヴァール戦役で死んだ俺の身体を、ずっと保管してくれていたんだ。そして──先日、奇跡が起きた」

「き、せき?」

「ジェミーも知ってるだろ? 緑礬の錬金術師。戦場の神医ヴァルネラ。彼があるレポートを軍に提出したんだよ。ようやく──ようやく、長年の研究が実を結んだ、と言ってね」

 

 その報告書。

 年一の査定に出したソレが。

 

「──死者蘇生の錬金術」

「うそ……」

「ホントさ。ただし俺みたいに身体が全部無事な奴に限るみたいだけど、緑礬の錬金術師は成し遂げた。年単位も前に死んだ俺の肉体に、俺の魂を取り戻して、ああ勿論肉体も治して──こうして蘇らせてくれた」

 

 女性が、一歩、また一歩と男性に近づいていく。

 

 そうして──抱き留められた。

 男性が豹変することもなければ、何かおかしなところもない。

 

「俺だけじゃない。あの戦役で死んだ奴らは、みんな帰ってきてる。軍が他の事件で死んだ人々も逐次蘇らせていくそうだよ。そしてアメストリスは、死の無い国になるんだ、ってさ」

「ホントに……ホントに、もういなくならないのよね?」

「ああ。本当にもういなくならない。──会ったことがあるわけじゃないが、緑礬の錬金術師には本当に感謝しないとだな。……俺も、こうしてまたジェミーを抱き留められるとは思っていなかった」

「──私もよ、コルド」

 

 死んだ人間が還ってくる。

 その事例は──リオール、イーストシティ。否、あらゆる場所で起こって──その全ての場所で、誰もが涙を流して言う。

 

 緑礬の錬金術師の名を讃えて。

 

 

** + **

 

 

「どう思うよ、シンの次期皇帝」

「……死んだ人間は蘇らなイ。これは絶対ダ」

「だが……増えたよなぁ、人間」

 

 セントラルはヴァルネラの家。

 その最上階で、グリードとリンが話す。

 窓から見えるセントラルの光景は、明らかに活気のあるもの。今までの単純に二倍、あるいは三倍。

 

 カップル、親子連れは勿論、初老の親を車椅子に乗せて押す子供や、その逆──子供を肩車して歩く親など。

 

 それが、溢れている。

 

「お前らの言う氣って奴はどうなんだ」

「……氣は、普通なんダ。グリード、アンタやグラトニーのようにあり得なイ数の魂が中にいるとかじゃなク、一人に一人分の魂しかなイ。つまリ、普通の人間と同じということダ」

「へぇ」

 

 あり得ない。

 ──なんてことは、あり得ない。それは勿論グリードの口癖だ。だが、これは。

 

「いえ、氣は確かにそうでスガ、流れには違いがありまス!」

「流れ?」

「はイ。錬丹術の使えないヤオ家にはわからないことでしょうガ、私のような錬丹術師はあらゆるものの流れを読みまス。自然が循環しているようニ、大地には脈……龍脈が存在シ、そしてそれは人間にもありまス。血液が循環するコト、脳から来た伝達信号が神経を流れ、神経が感じ取った信号が脳に戻る流レ、呼吸、筋肉の収縮……数えだしたらキリがありませんガ、とにかくあらゆるものには流れがあるんでス」

「で、それが連中には無えと」

「はイ。完全に止まった──死体にしか見えないものガ、ああもにこやかに人々と歩いている様子ハ、正直見ていて気持ちが悪イです」

 

 グリードもリンも、そしてメイ・チャンも見る。

 賑やかで活気のあるセントラルを。

 

「一匹殺してみるか?」

「……普段なら止めますガ、スァンシーは私たちが見分けられますのデ、ありかト」

「俺も……同意見ダ。殺して死ぬならいいガ、もしまた蘇るのなラ、気味が悪いどころの騒ぎじゃなイ」

 

 割合良識ある方に分類されるリンとメイでさえ、グリードの言葉に賛意する。

 ちょいと調子が狂うなぁ、なんて思いつつ、グリードは。

 

「気をつけろよ? これやったのはヴァルネラだって話だ──どうせ軍の嘘なんだろうが、もし本当だったら──がっはっは、アイツを敵に回すってことになる」

「ウ……」

「比喩なく不滅の軍団が出来上がる。──そんでもって、ソイツがあるいは、永遠の命の法ってか」

「……」

 

 死者蘇生を成し遂げた緑礬の錬金術師。

 その功績は瞬く間にアメストリスに広がる。全土でないのは、その恩恵を受けているのがセントラル周辺と東部の一部地域のみであるからだろう。ただし軍はいずれこれを全土に広げると宣言していて、今はただ人手が足りないだけだ、と公表している。

 

 ゆくゆくは──死の無い国、アメストリスへ、と。

 

「がっはっは、まー精々ビビってなぁションベンガキが。──無ぇよ、不滅の存在自体がフツーはあり得ねえ。んで、あり得ねえことがあり得なかった例が奴だ。そう簡単に増えてたまるかよ」

 

 言葉でどう言っても──街は活気づいたままだった。

 

 

 

 

 中央、ロイ・マスタングに割り当てられた司令室。

 

「……中尉。顔色が悪いな」

「大佐こそ。割れた陶磁器の破片のような顔色ですよ」

「どんなだ」

 

 空気はやはり重かった。

 彼らはイシュヴァール戦役経験者である。であるから──当然、あの時死んでいった仲間を覚えている。

 ヴァルネラが治癒したのはあくまで即死していない兵士のみであり、死んだソレを治せるわけではなかった。だから、覚えている。少ないからこそ、余計に覚えているのだ。顔も、声も、どういう性格かも──全て。

 

「まるで悪夢だな」

「グラトニーの腹に飲み込まれた時よりはマシではないでしょうか」

「……どっちもどっちだ」

 

 今、リザ以外の部下はそれぞれが調査に出かけている。

 知り合いを含む「死んだはずの人々」。それが本物かどうか──怪しい点は一つもないのか。

 

「……君には、酷な話だが」

「大佐にとってもそうでしょう」

「知っているか、流石に」

「レベッカから電話が来ましたよ、朝一に」

 

 ああ──気分も悪くなろう。

 

「イシュヴァール人まで、か」

「……」

 

 生き返ったのは何もアメストリスの兵士だけではない。

 あの時殺した、殺すしかなかったイシュヴァール人までもが蘇り──イシュヴァールの地に再度根を下ろしたというのだ。

 喜べは、しない。

 今でも脳裏に張り付く悲鳴。怒号。

 それが、それが。

 それが──夢から覚めても、なんて。

 

「ヴァルネラ医師め……それはしないとあれだけ言っていたというのに」

「それなのですが、大佐。数日前に、ヴァルネラ医師からの外出申請が軍に出されています。彼の行動はセントラル内部では自由ですが、イシュヴァール戦役における命令違反の罪緩和の条件で制限されていて、この外出申請を行わなければ彼はセントラルを出ることができません」

「……それで、出ているのか」

「いえ、受理されませんでした。ただ──ブリッグズへ行く、という申請であった所までは掴めています」

「ブリッグズ……そういえばそんなことを言っていたような。戯言だと聞き流したが……」

 

 この時期にブリッグズへ行くなど正気の沙汰ではない。

 それを。

 

「ロイ!」

「ヒューズ。帰ったか」

「帰ったか。じゃねぇ、これを見ろ!」

 

 二人のもとに、血相を変えて帰って来たのはマース・ヒューズ。

 彼は幾らかの資料を胸に抱え、それをロイ・マスタングの机に降ろす。

 

 地図と資料。その詳細。

 

 何事かと彼の様子をコーヒーなんて飲みながら眺めていたロイも、地図に書かれた文字と図柄を見て血相を変える。

 

「……ヒューズ、お前錬金術はできない……よな?」

「ああ。だが、できなくともこれが何か意味のあるものだってことくらいはわかる」

 

 それはアメストリス建国時から今までに起きた大きな事件。それを線で繋いだもの。

 また、その作戦に関わった軍がどこなのか、作戦命令を出したのが誰なのかが事細かに書かれたもの。

 

 何より、この五角形の陣は──疑似・真理の扉なる場所で見た、ヴァルネラの描いた人体錬成の陣だ。

 

「……もし、この円が既に敷かれているものとすれば……いや、もっと大事なのは交点。マテリアルの交点は……ペンドルトンとブリッグズか」

「まさか、ヴァルネラ医師は……」

「ああ、止めに行った、と考えるのが妥当だろう」

「だがそんだけじゃねぇんだ、ロイ。この上に、さらにある」

 

 ヒューズは──頭痛を抑えるように頭を抱えながら、アメストリスの地図の上にもう一つのカタチを描いていく。

 1814年、ダブリス。1894年、リヴィ橋。1900年、ニューオープティン。1908年、イシュヴァール。1914年、ユースウェル。

 これらを線で繋ぐと──。

 

「……いびつだな。これでは意味は拾えん……これがどうかしたのか?」

「ヴァルネラ医師が確認された場所だよ。大量の血痕と共にな」

「──待て、1894年のリヴィ橋だと?」

「ああ」

「ここで同じ年代に……確か未解決事件が発生していなかったか? 錬金術の暴走だのと言われていた奴だ」

「俺も気になって調べた。1894年のリヴィ橋で、汽車の車両が中頃から最後尾まで綺麗さっぱり消える、っつー怪事件が起きてる。乗ってた乗客は勿論、線路まで消えちまったって事件がな」

「……大佐」

 

 人も、物も。

 綺麗さっぱり消える事象。──ロイ達は、つい最近体験したばかりだ。

 

 そして、あそこにいた彼も、20年間ここにいる、と。

 

「もし。もしもリヴィ橋の件が別件だとしたら」

 

 新しく地図を取り出して、そこに図形を描いていくロイ。

 ダブリスとニューオープティン、イシュヴァールを結び、三角形を。

 六芒星を描くために、ユースウェルからセントラルへ線を伸ばし、それに対応するためにサウスシティ近辺の街レイゼンに線を。

 

 そうすると──中心に、イーストシティを含む六角形ができる。

 六角形。それは「戻す」という意味を持つ錬金術記号。

 

「俺はコイツを忘れていた。忘れさせられていた。他ならんヴァルネラ医師に」

「忘れさせられていた?」

「ああ……化け物と戦った時だ。確か、エンヴィーと呼ばれていた化け物。人造人間(ホムンクルス)とか呼ばれてたっけな。それと、悪夢みてぇな戦いをして……その後、記憶を封印された」

「エンヴィー。嫉妬か。暴食(グラトニー)を考えると、納得の行くネーミングだ」

 

 となれば。

 

「ヒューズ。今日から単独行動を禁止にする。記憶を取り戻したというのなら、いつどこで襲われてもおかしくはない」

「……ロイ」

「なんだ」

「もし俺が──今噂になってる、"生き返った死人"になった時は」

「ああ、有無も言わさず焼いてやる。グレイシアさん達に一生恨まれてでもな。だがその前に死ぬな」

「……ああ、わかってる」

 

 アメストリスの全国土を使った錬成陣と、イーストシティ周辺に敷かれたヴァルネラに纏ろう錬成陣。

 これらが発動した時、何が起きるのか。その想像は容易ではない。容易ではないが──。

 

「まずいな。中尉、すぐに全員を呼び戻してくれ」

「もうやってます。──ですが、ハボック大尉、ブレダ少尉と連絡がつかず……」

「なんだと?」

「フュリー曹長はほど近い場所にいたようで全速力で帰ってくるそうです。ファルマン准尉は図書館にいたのでできるだけ軍施設を辿って帰ってくると」

 

 動き出している。

 何かが。いや、もうすでに、とんと昔から──誰かが動いていた。

 

 それがもうすぐ完成しようとしているのだ。

 

「ヴァルネラ医師へは繋がらないか?」

「中央に掛け合っていますが……」

「上で止められている可能性もあるな。……中尉達はここを出るな。フュリーとファルマンが帰ってきても、すぐには気を許すなよ。……問題ないとは思うが、ヒューズにもだ」

「オイオイ、と言いてえところだが、そうした方が良い。あのエンヴィーとかいう奴は誰にでも成りすますことができてた。誰かが本当は、って可能性は十分ある」

「それだけじゃない。ゾンビかもしれない、ということだ。未だ生き返った者が生きている者に危害を加えた、という例は報告されていないが──万一は常に考えなければ」

 

 仲間を信用できない。

 信用してはならない。

 ロイとてそんな状況はお断りだが──。

 

「私はハボックとブレダを迎えに行ってくる。いいか、私が戻ってくるときは二人を連れて帰ってくる時だけだ。それ以外の……つまり、一人で帰って来た時は容赦なく私を撃て、中尉、ヒューズ」

「はい」

「わーってるよ」

 

 自らに割り当てられた司令室を出ていくロイ。

 ──彼は。

 

「まったく……もうすぐ私の物になる国で、ふざけたことをしている奴がいるようだな」

 

 炎を滾らせて。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 聖者の後進

 

 全身に錬成陣を刻み直して、準備完了。

 

「じゃあ、作戦通りに」

「ああ。君に言うべきではないと思うが、気を付けろよ」

「あっはっは、気を付けても気をつけなくても変わんねーからなぁ」

 

 刺青の男(スカー)達とはここで別れる。

 彼らはセントラルへ向かい、俺はペンドルトンへ行く。

 

 まーこれでもう完全に敵対したようなもんだ。

 別に俺は誘われたらまた一緒に食事するくらいのスタンスではあるけれど、さしものプライドももう俺の事は敵だと思っているだろう。

 ブラッドレイは……わからんが。

 

「ブリッグズの守りは任せろ。ドラクマは血の紋なる場所では殺さんし、また穴が掘られんとするものなら何をしてでも止める」

「任せた」

「不老不死の所有物になったのだからな、私たちもそうでなければ」

 

 ということでアームストロング少将ともお別れ。まぁ中央への招聘が来ていないし、ドラクマの脅威もあるからな。

 ちなみにブリッグズ要塞は全部刺青の男(スカー)兄が直した。俺がやったらボッコボコになる自信がある。

 

 よってまた一人旅──とはならなかった。

 

 なんと。

 

「……なんだ」

「いや……いいのかなぁ、って」

「何がだ?」

「アンタの兄は武僧じゃないでしょ。一緒に居なくて大丈夫?」

 

 刺青の男(スカー)……というか、原作における傷の男(スカー)がついてくることになったのである。

 

「そろそろ兄離れをしろと言われた」

「あー」

 

 まぁ、べったりだったもんね。

 

「呼び名が無いと面倒だから刺青の男(スカー)って呼ぶけど、大丈夫?」

「問題ない。呼び名などなんでもいい」

「おう。んじゃ──」

 

 腕を広げて銃弾を受け止める。

 全然受け止められんけど骨に当たって止まったそれが、再生によってボロボロと排出されていく。

 

 そんなことをしている間に刺青の男(スカー)が俺の横を通り抜けて、分解だ。

 相手は──お。

 

「これは……」

合成獣(キメラ)だね。アメストリス国軍が秘密裏に使っている合成獣(キメラ)部隊だ」

「……これも錬金術の」

「まー悪い部分と見るか良い部分と見るかは人それぞれでしょ。俺は良いと思うけどね。鳥になって空を飛んでみたい、なんて幼子なら誰もが持つ夢だ」

「空も飛べず、腕も使えぬ醜悪なものが出来上がる未来しか見えんが」

「そこは術師の力量次第だろうけど」

 

 刺青の男(スカー)が今しがた分解で殺した合成獣(キメラ)

 ……馬と人間のキメラかな? 原作には出てこなかったけど、もし持久力と速力をいい感じにミックスできてたのなら……ん?

 

 衝撃があった。

 自分の腹部を見ると、何故か剣が刺さっている。ブラッドレイ……じゃあ、ない。こんな雑には刺さない。じゃあ刺青の男(スカー)? まさか、イシュヴァール人は義を守る。

 なら誰か、って。

 

「ハ、ハハ……ホントだ、本当に……俺は、永遠の命を──」

「ふん!」

 

 喋り始めたソレに、刺青の男(スカー)が再度の分解を入れる。

 大量の血液を振りまいて仰け反るキメラ。

 

 そう、キメラだ。今殺されたはずのキメラが──今度は仰け反るだけに終わって。

 

「痛くない! 痛くない痛くない──ひ、ひひひ!」

 

 刺青の男(スカー)がこちらを見てくる。

 これも錬金術の良い所、か?

 俺に聞かれても。

 

 頭部が血だらけどころじゃない、頭蓋も脳漿も飛び散って明らかやべーことになってる男が、ひひひとかはははとか笑いながら──俺達に向かってくる様子は、さながらゾンビだ。

 流石に効かないとあっては連発しないのだろう、刺青の男(スカー)が少し下がる。

 

 ふむ。

 

 舌先を噛み千切り、ソイツに向かってプッと吐く。あ、腹はもう再生してるよ。

 

 着弾した舌は緑礬の花を咲かせ、一瞬にしてソイツの身体を風化させる。

 ……舌先程度じゃ風穴開ける止まりだな。

 

「ひひひっ、永遠の命! 永遠の命だ! ──死ね、死ね!!」

 

 そんで止まらない、と。

 

「殺し方はわかるか、緑礬」

「殺さなくてもいいでしょ。足壊して放置しておけば?」

「なるほど」

 

 分解の錬金術。

 それにより足がこれでもかってほどに分解され、歩けなくなったキメラ男。

 

 あとは放置だ。運が良ければサウスシティの憲兵が見つけてくれるんじゃないかな。

 

「なんだ、アレは」

「単純に考えればゾンビだよね」

「ゾンビ……」

「死んでいるから死なない怪物、って奴。……だけど、ふむ。ちょっと妙だったな」

 

 魂はあったけど、結びついていなかった。

 なんだアレは。見たことのないものだ。

 フラスコの中の小人の新たな作戦だとすれば、切り替えの早さにスタンディングオベーションだ。しないけど。

 

「前方、20人ほどの集団」

「野盗?」

「恰好はな。だが、全員首が折れている、目が無い、などの特徴がある」

「ワオ、そりゃ特徴的だ」

 

 流石イシュヴァールの武僧、目が良い。

 

「俺に攻撃手段はないよ。特に死人に対してはね」

「聞いている。だから俺がついている」

「それじゃ、あの人数全部いける?」

「いけずとも問題ない」

「ん? うぇ」

 

 首根っこを掴まれる。

 掴まれて──ぶん投げられた。

 

 ものっそい腕力だ。そんで、遠くにいた野盗が全部こっちに来るのが見えた。

 狙いは俺、と。

 

 そのまま落ちて。

 当然、ぐちゃあ! ってなって。

 

「乱暴すぎるだろ」

「お前の利用方法はこれが一番効率的だ」

「精神キマりすぎだろこえーよイシュヴァールの武僧」

 

 ──緑礬が咲く。

 落下地点。人間が高い所から落ちたのだ。落ちる角度にも寄るけれど、落ちる側がいい感じに調節すればそこは血だまりになる。

 血だまりになったらば、そこへ突入してくる野盗の全てを風化させられる、と。

 

 こえーよ。

 

「明らかに俺狙いだったな」

「そうだな。死者に嫌われるようなことをしたか、緑礬」

「まぁ瀕死者は助けてきたけど、死者は見捨ててきたからなぁ。ソレじゃね?」

「……なるほど」

 

 その後も。

 明らかゾンビっぽいのが現れるたび、刺青の男(スカー)は俺の頭を千切って「新しい顔よ!」をやったり、腕を取って投げ槍みたいにしたり、また俺ごとぶん投げて……扱い雑ゥ!

 

 おいおい、今まで俺の不老不死と緑礬の発動条件を知った奴はいくらかいたけど、ここまで効率よくっていうか武器みたいに扱う奴に出会ったのは初めてだよ!

 

「使えるのだ。使わぬ方が勿体ないだろう」

「そうだけども!」

 

 そんな風にその辺全部血みどろにしながらペンドルトンへ着いた。

 

 着いて。

 

「……」

「……こりゃ」

 

 ペンドルトン。クレタとの国境線にあり、ここもまた常日頃から血の絶えない場所……ではあるけれど。

 

 戦いはほとんど起きていない。

 普通より深く掘られた塹壕でヨタヨタ歩くアメストリス軍と、クレタ軍の死体。

 

 時折飛んでくる銃弾はアメストリス軍人に当たる──も、彼らはすぐに復活し、撃ち返す。クレタ軍の士気はダダ下がりで、アメストリス軍は……士気も何も、って感じだな。

 

 とりあえずここはもうだめだ。

 血の紋が刻まれている。クレタ軍の憎悪が染みついている。無駄骨だった。

 

「──ブリッグズで同じことが起きている可能性は無いか」

「うわ。あるわ」

 

 踵を返す。

 出戻りになるが、俺と刺青の男(スカー)はブリッグズへ向かう。

 

 

 

 案の定、ブリッグズ要塞では戦いが──起きていなかった。

 

「来たか。来るだろうとは思っていたが」

「少将。ゾンビは?」

「全員牢にぶち込んである。イシュヴァールの武僧もな」

「申し訳なさそうにする必要はない。イシュヴァラの(かいな)に抱かれた者が自ら戻ってくるなど、あってはならないことだ」

「ふん、そいつらも同じことを言って、自ら首を切り落としたさ。それでも動いていたので牢に入れたが」

 

 あー。

 首落としても動いてるってことは、脳で考えて動いてるわけじゃねーなコレ。まぁ刺青の男(スカー)に頭破壊されても動いてた時点でわかってたことではあるけれど。

 となると。

 

「牢はどこだ」

「貴様らがゾンビではないという保障は?」

「体のどこ吹き飛ばしてくれてもいいよ」

「……ふん、貴様では判断のしようがない。いい、ついてこい」

 

 少将についていく。

 ちなみに少将はゾンビじゃない。あー、つか流れでわかるなコレ。俺みたいに自然物の流れでも、ゾンビみたいな妙なトコで止まってるでもない、人間はずーっとぐるぐるしてるもんな。わかりやすいわ。

 ってことはメイ・チャンが感知器に使えるな。ヤオ家はわからん。氣だけじゃ無理だぞコレは。

 

「一応聞くけど、何があった?」

「昨夜、奴らを埋葬した墓地で物音がしてな。見に行ってみれば、死んだはずのブリッグズ兵と死んだはずのイシュヴァールの武僧が戦闘を行っていた。当然ながら武僧の圧勝だった──が、それだけでは終わらない。私たちが来たことを察した武僧は状況を説明し、後は頼むと言い残して自らの首を切り落とした」

「だからキマりすぎだろ武僧」

「問題はブリッグズ兵だ。私達とて無為に蘇ろうものなら首を落としてでも死ぬ。生きている者に迷惑をかけるなど、ブリッグズの恥だからだ。──だが、奴らは正気には見えなかった。何かを求めるように我らの元へ縋りつかんとし──撃たれ、切り裂かれ、叩き潰された」

 

 違いはアメストリス人かどうか……いや、アメストリスは多民族国家だ。ブリッグズ兵の人種が全部同じってことはない。

 単純に武僧側の精神がヤバすぎなだけか?

 

「お前たちは何故戻って来た?」

「行く先々でゾンビの襲撃にあって、なんとかペンドルトンに辿り着いたらゾンビの群れ。クレタはみんなビビってて、十二分に血の紋刻まれてたから帰って来た。ブリッグズでも同じこと起きてたらやべーなーって。まぁ杞憂だったけど」

「成程。ペンドルトンは軟弱だったと、そういうことだな」

「ソダネ」

 

 ブリッグズが堅牢すぎるだけです。

 

 そんな雑談をしているうちに、牢へと辿り着いた。

 ここがエドワード・エルリック達が監禁されてた牢か。

 

「ぁー……」

「う……ぅー」

「あぁ……永遠の命……永遠の命だぁ……」

 

 完全にゾンビだな。

 だけど牢を破るほどの腕力はないか。

 

 んでこっちは、武僧。

 首が無いまま……座禅しとる。なんなんだ。

 

()()()()、緑礬」

「……というと?」

「この状態は明らかに正常ではない。異常だ。つまり私はこれを、死者がかかる病のようなものだと判断した。治療ができるかと聞いている。戦場の神医、どうだ?」

 

 的確だね、一々さ、言葉が。

 

「消滅させることは、治療と見做せるか、少将」

「無論だ。意志とは別に動かされているのならば、消えることで解放されるものもあるだろう」

 

 そうかい。

 

 んじゃ、と。

 手前、牢の格子に縋りつき、大きく口を開けている奴に目をつける。

 手の甲に緑礬の錬成陣を大きく書いて、ソイツの口に突っ込んで。

 後は自分で手首を切り離せば──ざぁっと。

 

 俺は命を奪わない。返せないから。

 奪うほどの熱量が無いのもあるけど、やっぱり返せないから、が一番の理由だ。

 

 だけど──まぁ。

 

 空に飛んでいきたいと願う風船の紐をほどいてやるのは、命を奪う対価になるだろう。

 

「ん?」

 

 完全に消滅させたブリッグズ兵。

 その中から──鉄板が一枚落ちた。

 

 名前の書かれた鉄板。裏面には……おお、魂定着の錬成陣じゃん。アルフォンス・エルリックのものとは違う。どっちかというとスライサー兄弟とかバリー・ザ・チョッパーに刻まれていたものに似ている。

 つか、気のせいじゃなければまだ「あーうー」言ってるなこの鉄板。

 

「これ、今の奴の名前で合ってる?」

「ああ。合っている」

 

 確認が取れたので叩き割る。

 

「んじゃ他の奴も成仏させてやるかぁ」

「成仏?」

「……あー、シン語。R.I.P.だよ」

「ほう、意外に多才だな」

 

 まぁこれでも長く生きてるからね、と。

 

 全員消す。

 ……スロウスの時から思ってたけど、これ攻撃方法としては微妙なんだよな。いちいち腕の中の錬成陣書き直さないといけないのダルすぎ。

 

 で、やっぱり全員の中から出てきた鉄のネームプレートと魂定着の錬成陣。

 イシュヴァールの武僧の方も同じことやって、同じ名前と錬成陣、と。武僧の名前なんかよく調べたな。

 

「名前、合ってる?」

「……ああ。捨てたはずの名を刻まれるなど……屈辱でしかないが」

「こちらも、全員分確認した」

 

 確認したので、割る。鉄板と言えどこの薄さなら非力一般人ヴァルネラくんでも割れる。てこの原理ってすげー!

 

 さて──まぁこれで犯人は絞れた。

 何故って、スライサー兄弟やバリー・ザ・チョッパーがいたのは第五研究所。かつてそこで働いていたのがティム・マルコーで、キンブリーの不死性も似た理由だろうことが窺える。

 

「兄者が心配だ」

「そういうとこだろ、兄者離れできてないって」

「……」

「が、セントラルが心配なのはわかる。少将」

「ああ、わかっている。こちらで死者を出さぬこと、不審者は全て捕らえること、加えてノースシティの警備も出そう。ドラクマの侵攻も勿論止める」

「キャパ足りる?」

「足りんな、流石に。故、ブリッグズ兵をさらに鍛え上げる。一人一人が将として闊歩できる程に」

「おん。頑張れ」

 

 まぁ、下手人がティム・マルコーだとしても、ペンドルトン周辺とこっちと、あっちこっちで起きてる。多分セントラル含む全土で起きてんだろ。

 そう考えるとティム・マルコー一人じゃ無理だ。もっといると見た。

 だから、これまたやっぱり当然に、真犯人はフラスコの中の小人だろう。

 

 国土錬成陣止められたからってゾンビ騒ぎはちょいとネタ切れ感あるけど、さてはて。

 

「時間が惜しい。行くぞ、緑礬」

「ああ」

 

 そんなわけで。

 俺達は一足遅れでセントラルへ向かう──。

 

 

** + **

 

 

 

 暴動によって破壊され、見る影もなくなったレト教の聖堂。

 そこに忍び込む影が三つ。

 エルリック兄弟とホーエンハイムだ。

 

「なんでお前まで……」

「こと魂の事に関しては俺の方が詳しいからな」

「そーだけど……」

 

 相変わらずいがみ合っている……というか一方的に敵視している兄に苦笑いしながら、けれど注意深く周囲を警戒するアルフォンス。

 

 ああ──けれど、警戒するまでもなく見つけた。

 

 皮肉だろうか。

 太陽神レトの像が砕かれ、天井も崩れ落ち──だからこそ月明かりが入り込み、"彼女"をその光が照らしている。

 砕けた像に祈りを捧げる少女。

 

「──ロゼ」

「ほら。──生き返ったわ。死んだ人間が」

 

 少女は、祈りを捧げた格好のまま、零す。

 そうだ。彼女は恋人を生き返らせたくてレト教に入信し、その全てを捧げてきた。エルリック兄弟がレト教の真実を、教主コーネロの真実を暴くまで──盲目的に。

 けれどそれは嘘で。賢者の石も不完全なもので。

 

 兄弟がかけた慰めの言葉は──けれど、リオールで起きた暴動という大波に浚われて、消えた。

 

 死んだのだ。

 彼女は。

 

「錬金術の基本は等価交換。死んだ人間は生き返らない。失敗しても代償として体が持っていかれる──嘘ばっかり。()()()()()()()()()()()()()()()()

「──!」

 

 息を呑むエドワード。

 いや、呑み込めていない。何かが引っかかるようにして、呑み込めない。

 

「それは──嘘じゃないよ、ロゼ。死んだ人間は本当に」

「じゃあ、私は何!?」

 

 諭す声色のアルフォンスに、ロゼは被せるようにして叫ぶ。

 祈りの手は崩さないまま、祈りの恰好は崩さないまま。目を瞑り、壊れた太陽神に頭を垂れたままに。

 

「私は──死んだ。死んだのよ、アルフォンス君」

「……」

「大勢の人にね、寄ってたかって、殴られて、斬られて……銃でも撃たれたわ。松明で顔を、身体を、石で、鉄の棒で、みんなみんな、レト教はペテン師だったって、騙されたって、良くも騙したなって、自分たちを利用する気しかなかったんだって──お前も、そうなんだろう、って」

 

 震える声で、月光のもとロゼは言う。

 死んだ記憶。死んだ時の記憶。

 

 そこまであって──エルリック兄弟は彼女を、偽物だと断定できるのか。

 

「最終的にレト教のみんなは、絞首刑になった。知ってる? 絞首刑。首を吊って、晒し者にして殺すの。残酷に。もう誰も抵抗できなかった。できない程痛めつけられていた。誰も手を差し伸べてはくれなかった。私たちも……私達だって、信じてたのに。信じていなかった人たちが、たくさん、たくさん、たくさん──私の死を望んだわ。そうして、ギリギリと首の縄が締まって行って、呼吸ができなくなっていって、頭がね、冷えていくの。急に、ひゅぅって。それで、身体が動かなくなって、苦しくて辛くて、もう嫌だって思って、でもまだ死ねなくて──」

 

 そうして。

 

「ようやく、ようやく死ねた、って。そう思った時に、私は光を見たわ」

「……光?」

「そう。どこかへ私を連れて行ってくれるような光。手を伸ばして、差し伸べてくれて、だから私はその手を取ったの。──そこで眠りに就いたわ」

 

 ロゼが、顔を上げる。

 その顔は幸せに満ちていた。今までの苦悩の、苦しみの言葉とは裏腹に、否、まるで今は救われたからと──そう語るように。

 

「そして、起きたら、生き返っていたのよ。──貴方達みたいな()()()()とは違う。私を起こしてくれた人がいたの。その人はこう言ってくれた。──"ようやく君を起こすことができた"、って」

「……それは、どんな奴だ。コーネロか?」

「いいえ。その人はね、顔はわからなかったわ。フードを深く被っていたから。でも、優しい声だった。起きて間もない私に、ゆっくりしていていい、記憶は無理に思い出さなくていい、って。そして、"それじゃあ私は他の人を起こしてくるから、ゆっくりしていなさい"って」

「そのフードの色は?」

「色? ……確か、深緑色だったわ。それが何?」

 

 思い浮かぶ人物は──。

 

「お嬢さん」

「え?」

 

 と、その時、ずっと黙っていたホーエンハイムが声を上げた。

 ロゼは目を瞑っていたからわからなかったのだろう。エルリック兄弟以外に今の"告白"を聞かれていたことに驚いたのか、目を真ん丸にしてホーエンハイムを見ている。

 

「お嬢さん」

「あ……ええと、どちら様、かしら?」

「この兄弟の父親だよ。ホーエンハイムという」

「……そう。ホーエンハイムさん」

 

 エルリック兄弟の父親と聞いて、ロゼの眼が薄く細まる。

 彼女にとってペテン師もいいところな兄弟の父親だ。その対応も仕方がない。

 

 しかし。

 

「──すまなかった」

「え?」

「は?」

 

 ホーエンハイムは、ロゼに深々と頭を下げる。

 その行為に、ロゼも、そしてエルリック兄弟も驚きの声を上げた。

 

「愚息達が貴女に余りにも酷いことを言ったらしい。父親の俺から謝らせてくれ」

「ちょ、どういうんべっ!?」

「黙っていなさい、エドワード。お前は冷静じゃない。アルフォンスもだ。自分の犯した罪に向き直り、少しばかり反省していなさい」

 

 有無を言わさない様子と──普段のホーエンハイムなら絶対に言わない台詞から、アルフォンスは何かを悟る。

 悟れていない、未だ暴れようとするエドワードの口をホーエンハイムより引き継いで塞ぎ、少し下がる。下がった。

 

「この通りだ。──許してほしい。アイツらは……まだ14なんだ。ガキなんだよ。自分の事も満足にできないくせに、他人の世話を焼きたがって、そういう風に空回りする。……すまなかった」

「い……いえ、こちらこそ……お父さんの前で、息子さんたちをこんな風に言ってごめんなさい。そう……本当は、もう別に恨んでなんかいないの……いないんです。だって私はこうして蘇ったから。彼らの言葉が本当じゃなくて、人は蘇るんだって証明されて……だからもう、いいんです」

「……それでもあなたを傷つけた。あなたの心を傷つけた」

「いいえ。心ももう大丈夫。だから、頭を上げてください、ホーエンハイムさん」

 

 言われ、顔を上げるホーエンハイム。

 ゆっくり、ゆっくりだ。ゆっくりと顔を上げ──ロゼの身体を見て。

 

「これか」

「え?」

 

 なんでもないかのように、その右手を彼女の胸に突き刺した。

 胸。胸骨柄のあたりだ。首の根元。

 

 ホーエンハイムが手を引き抜けば──その手には、一枚の鉄板。

 

「な──何してんだテメェ!」

「父さん、何してッ!?」

「え……え? 私……あれ、私、倒れて……?」

「!!」

 

 激高し、ホーエンハイムに殴りかかろうとした二人。

 けれど聞こえた声にとどまった。

 

 声だ。

 少しくぐもった、反響したような声。

 

 ホーエンハイムが掲げ、月光に照らしている鉄の板。

 角度上ファミリーネームは見えなかったけれど、エドの眼にはROSEの文字が映っていた。

 

「アルフォンスと同じだよ」

「……っ」

「まさか、それに……そんな小さなものに、魂を?」

「どう、なっているの? これは、どうして……私は、倒れた私を見て……」

 

 文字のある面を裏返せば、そこには錬成陣。

 エドワードがアルフォンスに使ったものとは違うけれど、それは確実に魂を定着させるためのもので。

 

「お嬢さん。()()()聞きたい。そのフードの医者っていうのは、ヴァルネラって名前だったのかな?」

「ああ、そう。そうよ、みんなも感謝していたわ。ヴァルネラ様、ヴァルネラ様って」

「そうか。ありがとう」

 

 割る。

 ホーエンハイムは──冷酷に、無情に、その錬成陣を割った。

 

 声が消える。

 その意味が分からない兄弟ではない。

 

「な──ん、で」

「悪質だな。死ぬ直前に魂を剥がし、どこぞかに定着させて保管。肉体が死んだ後、この鉄板を介して魂を定着させる。血印の中の鉄分と鉄板、そして体内の鉄を連鎖反応させることでまるで生き返ったように見せる、か。心臓が止まっているのは目に見えていたし、エドワードの言う通り腐臭もあった。肉体が死んでいるのは確実だから、次第に腐り果てていくだけだ。肉の人形に魂を乗せているようなもんだな」

「て、めぇ、は……」

「利点は痛みを感じないこと。脳が生きているわけではないから、神経信号の一切を無視できる。欠点は同じか。生物的活動はほとんどできない。だから気付いていたんじゃないか? このお嬢さんも、町の人々も。"自分は人間として生き返ったのではなく、死体として動いているだけだ"、って」

 

 淡々と説明するホーエンハイムに──エドワードは我慢ができなくなったのだろう。

 アルフォンスの拘束を振り解き、本気の殴りをホーエンハイムに入れ。

 

「!」

「……エドワード」

 

 ようとした。

 入れられなかった。

 ホーエンハイムがその拳を掴んだからだ。

 

「俺の敵は、こういうことを平気でしてくるやつだ」

「っ……だからって!」

「殺すと決めたのなら、迷うなよ。ゾンビがいるのはおかしい。死んだ人間が生きているのはおかしい。──だから殺す。そう決めただろ。なら迷うな、エドワード。たとえ生前の記憶を持ち、たとえ生前の言動を倣ったとしても、死人だ。それともなんだ、エドワード。今のお嬢さんを──アルフォンスのような形で生き長らえさせるつもりだったのか?」

 

 目を、見開く。

 顔を上げて。

 弟を見る。

 

 知っている。

 彼が今の身体をどんなに悔いているか。どんなに──悲しく思っているか。

 眠れない体を。痛みもない。みんなと食事もできない。

 体温を感じ取ることも、感触を確かめることさえできないその身体を。

 

「……こっちを見るのはズルだよ、兄さん」

「……すまねぇ」

「でも今、僕も同じ気持ち。父さんに"なんで"って言おうとしてたけど……他の人にもこの身体を押し付けるのは、嫌かな」

「ああ……」

 

 知っている。

 弟もまた──兄が後悔していることを、知っている。

 

「さて、そろそろここを離れないと、憲兵たちに殺人の容疑をかけられるぞ」

「……他の奴らはどうすんだ。暴動で死んで、けれど生き返った奴らは」

「一人一人やってたら時間がなくなる。仕組みはわかったんだ、あとは大本を叩きに行けばいいだろう」

 

 倒れたロゼの身体に月明かりが差す。

 

「フラスコの中の小人だよ。これだけの派手をやってるんだ。計画に支障が出たと見た。"その日"を待つ前に、ぶっ叩いてやるさ」

「ヴァルネラじゃねぇのか?」

「ふん、アイツがこんなことをやる意味がない。お前たちはアイツの熱量の無さを舐め過ぎだ。アレは干渉しなければ路傍の石や花と何も変わらん」

 

 誰も見ていない中で、その身体から──光が、天へと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 強欲の慟哭

 セントラルへ近づくにつれ、ゾンビも増えてきた。

 増えてきた──けど。

 

「……」

「長閑だな」

「……ああ」

 

 戦闘のせの字もない。争いのあの字もない。

 ゾンビと人間のカップル、ゾンビと人間の親子。人間と人間の子がゾンビ──というように、それらがあまりにも自然に社会になじんでいて、さらには襲っても来ない。

 また、時たま俺の姿を見たゾンビが「ヴァルネラ様?」とか「ヴァルネラ医師、本当にありがとうございます!」とか言ってくるものだから……別にどうとも感じないんだけど。

 

「死者に好かれるようなことでもしたか?」

「さぁね。瀕死者は治したら放置だったけど、死者はある程度弔ってきたからとかじゃない?」

「……成程」

 

 そのまま刺青の男(スカー)と共にセントラルへ入って──そのゾンビの多さにげんなりしながら、家に戻って。

 

「……誰もいないのは流石に珍しいな」

「なんだ、家族でもいるのか?」

「いや……居候がいっぱいいたんだけど」

 

 グリード一行、ヤオ家面々。グラトニーのオブジェもないし、かといって何か物が壊されているということもない。連れ去られたとかではない……のかな?

 

刺青の男(スカー)兄との無線は?」

「繋がらん。妨害されているな」

「そこはそうなのか」

 

 通信妨害自体は起きている。

 とすれば、まぁ、悪意ある何かが跋扈しているのは間違いない。

 

「何をしている」

「ん、何って?」

「何故くつろいでいるのかと聞いている」

「いやだって、ここ俺の家だし」

「……居候とやらを探しには行かないのか?」

「必要ないでしょ。死んでたら死んでた、じゃない? 俺に何かできることある?」

「……そうか。俺は兄者を探しに行く」

「おう。じゃあな」

 

 別に。

 ウチの居候に要否の要たる人間はいなかった。辛うじてメイ・チャンくらいか? 流れの感知器として。

 もしデビルズネストの面々が死んでいても、グリードがどーなっていても、リン・ヤオがどうなっていても、グリリンになっていても。

 

 まぁ、別に。

 そこまで気にすることじゃない。

 

 俺がセントラルへこうも急いで帰ってきた理由は、あくまでセントラルで混乱が……ブリッグズで起きていたような争いが起きていないか心配したためだ。それによってロイ・マスタングやエルリック兄弟がどうにかなったらヤバかったから。

 けど、こんなにも平和で、なんなら出ていく前よりも活気づいているというのなら、じゃあいいじゃん、となっている。街が賑やかなことに目くじらを立てるほど俺心狭くないからさ。まぁ流れが止まったゾンビがうようよいるのはちょっと慣れないけど、次第に慣れて行けばいい。

 

 時間は腐るほどある。ゾンビだけにってな!

 

 ……。

 俺"氷結"の錬金術師なれるかもしれない。

 

「ヴァルネラ医師……帰られたのですね?」

「おん?」

「すみません、予約もとらずに……」

 

 もうゆったーりしてたところに、一人の軍人がやってきた。

 ゾンビだ。が、特に襲ってきたりしない。フツーに家に入ってきて、フツーに俺の前に来て。

 あ、俺鍵かけない派だから入ってくるのは全然良いからね。

 

「すみません、腕、取れてしまって……くっつけてくださいませんか?」

 

 だけどそんな治療を頼まれるとは思っていなかったなぁ、って。

 

 

** + **

 

 

「え、大佐戻ってきてねぇの?」

「ええ……。大佐だけじゃないわ。ハボック大尉、ブレダ少尉も行方不明のままよ」

「……そんなに」

 

 エルリック兄弟とホーエンハイムがセントラルに到着してすぐのことだ。

 どうみても人の多いセントラルに辟易しながら、少しでも情報を、と考えてマスタングへ電話をつないでもらおうとしていた──そんな時。

 エドワード君、と。自動車のウィンドウが開いて、中からオフモードのリザ・ホークアイが話しかけてきた。そして「ここは人が多すぎるから、乗って」なんていう彼女に三人でついて行って──辿り着いたのは、破壊痕の新しい郊外の空き家。

 そこにはヒューズ中佐、ファルマン准尉、フュリー曹長が。

 主にフュリー曹長のおかげで通信傍受と監視体制の整ったほぼほぼ軍施設のような内装になっているこの空き家で、一週間。

 ロイ・マスタングの帰還を待っている、と。

 

「……なんで中央から出てきたんだ?」

「大佐が出て行ってすぐのことよ。一人の将校が私たちを訪ねてきたの。レイブン中将、と言ってわかるかしら」

「あー……わかるような、わからないような。で、その中将がなんて言ってきたんだ?」

「──"永遠の命に興味は無いか、君達"と」

「うわ胡散臭ぇー……」

 

 永遠の命。

 それと、現状。繋がらないはずもない。

 

「大佐の言葉もあったから、私たちはそれを断った。そうしたら、レイブン中将は少しだけ雰囲気を変えて、"そうか"とだけ言って去って──そのすぐあと、私たちは何者かに襲われた」

「何者か?」

「深緑色のローブを纏う何者か、よ。急所に何発か当てたけれど、倒れなかった。……恐らくは」

「やっぱり、ゾンビか」

「ええ、多分」

 

 人を襲うゾンビ。

 というよりは、完全に使役されているように聞こえる。軍用犬のようなものだとすれば厄介だ。統率の取れた死なない人間の軍隊など──誰も倒せやしない。

 

「オレ達は、そのゾンビを生み出してんだろう奴をぶっ飛ばしにきたんだ」

「それが誰かわかるの?」

「……ああ。わかる」

 

 エドワードはホーエンハイムを見る。

 先ほどから顔色一つ変えず、フュリーの作った傍受設備で何かを聞いている彼。

 

「ソイツが全部の元凶だ。だからソイツをぶっ飛ばしちまえば」

「ゾンビは、消える?」

「……う」

 

 それは、考えていたことではあった。

 フラスコの中の小人を放置しておけば無限にゾンビが作られる。故に黒幕たるソイツを止めるべきだ。この考えにこそ賛意したエドワードだったけれど、ではその後は、を考えると──胸が苦しくなる。

 一人一人殺していくべきか。

 それとも何か──勝手に死ぬのか。

 

 どちらにせよ、アメストリスの人々の心には深い傷が残ることだろう。

 死者との別れを二度も、なんて。

 

「いえ、ごめんなさい。これ以上増えないだけでもありがたいわ。ただ、私達としては」

「ああ、大佐だろ。ったくあのバカ大佐、何してんだか」

 

 ロイ・マスタング。

 彼は火力だ。彼の扱う錬金術の話ではない。否その話ではあるけれど、そういう話ではない。

 

 エルリック兄弟に無い殲滅力。それは焔の錬金術師でこそ。

 もし、ゾンビが物量でせめて来た時、エドワード達だけでは時間を食い過ぎる。その点ロイの焔なら──。

 

「……なぁ中尉」

「"大佐はゾンビを焼けるのか"、かしら」

「……。ああ。大佐も、中尉も……イシュヴァールでトラウマ持ってるんだろ。……どうなんだ」

「私は問題ないわ。相手がイシュヴァール人でもアメストリス人でも人造人間(ホムンクルス)でも撃ち抜ける。敵なら、ね。……極々一部の相手にだけはまだ拒否反応が出るけれど」

「そっか」

「そしてそれは大佐も同じだと思うわ。でも、やっぱり私も大佐も、敵なら、という言葉が鍵となる。……アメストリス人の、こちらを襲う素振りもない──過去に死んだ味方を撃て、というのは」

 

 それがどれほど酷な話か。

 

「エドワード。ちょいと口を挟むが、良いか?」

「ん、ああ。いいけど」

 

 エドワードとリザが話しているそこに割って入って来たのはヒューズだ。

 苦い顔をしたヒューズ。

 

「正直な、俺もロイも中尉も、つか准尉も曹長も軍人だ。──敵じゃなくとも、害になるなら撃つ。そうしねぇと自分たちの家族が危うくなるんだ。躊躇するつもりはねぇ。だが」

 

 ヒューズが見るのは、エドワードとアルフォンスだ。

 

「お前ら、そうじゃねえだろ」

「……どういう」

「どういうこと、じゃねえよ。お前ら軍人じゃねえだろ。……お前ら黒幕とかいう奴のところにいくつもりなんだろ? でも絶対道中にゾンビの集団がいるはずだ。道を塞いでる。……ゾンビの奴らは見た目じゃ見分けがつかねえ。お前らそれを殺していくんだ。わかってんのか?」

「ああ、わかって」

「わかってねえだろ。喋らない奴だけじゃねえぞ。普通に、昔話をしながら銃を向けてくるやつもいる。世間話とか、挨拶とか。本人はまるでなんでもねぇことしてるかのように振舞わされて、けど襲ってくるって奴もいんだよ。──殺せるのか、そういうのを」

 

 そう言う、ということは、それに遭遇した、ということでもあり。

 エドワードがリザに、ファルマンに、フュリーに目を向ければ──彼ら彼女らは揃って目を逸らす。

 

 ホーエンハイムは。

 

「当然、あるだろうな。その方が殺しづらい。──無いとは思うが、俺もトリシャが出てきたら、手を止める自信がある。……他の……セントラルの人間は、知り合いなんてほとんどいないから、どうとでもなるが」

「母さんが……」

「肉体をどうにか再構築し、彼女の魂を誰かが繋ぎ止めていたらあり得ない話じゃないんだ。……俺はあり得ないと信じているが、もしこの計画がもっともっと昔から進められていたら──あるいは」

 

 それを、殺せるのか。

 

 兄弟の脳裏に浮かぶ母の笑顔。

 苦しそうで、けれど愛情を感じられる彼女の顔。

 

「何が言いたいんだよ……ホーエンハイム。ヒューズ中佐も」

「降りろ、と言っている。やっぱりお前には無理だよ、エドワード。お前は……覚悟が足りない。割り切れていないんだろう? ゾンビと人を。人間というものの境界線がまだちゃんと引けてないんだ。こういう、つらくて苦しいことは、大人や軍人に任せて……」

「ただ、見てろっていうのか……?」

「見ているのはつらい。待っているのはつらいさ。俺も……後方支援だったからな。よくわかる。だがよ、エド。殺すのはもっとつらいぞ。お前さん、人間殺したことねぇだろ。──相手は人間の形をしているんだ。殺せるのか?」

「……っ!」

 

 人間を殺す。

 ああ、そうだ。それはまだ経験したことが無い。エルリック兄弟は、人の命を奪ったことが無い。

 あの母親ではないナニカでさえ、違ったのだ。中に入っていたのはアルフォンスだった。だから誰も、誰の命も奪っていない。

 奪ったとするのならば──彼らが暴き、彼らが白日の下に真実を晒したレト教の。

 

「ヒューズさん。父さん。……はっきり言ってください」

「……」

「戦場で、あるいは敵の前で……迷ってしまうかもしれない僕たちは、()()()()()

()()。邪魔で、足手纏いだ。戦場に居たら最悪の部類のな」

 

 言い淀むことなく言う。

 ヒューズは、まっすぐに言う。

 

「……言っときますけど、アンタもですよ。ホーエンハイムさん、っつったか」

「俺も?」

「そのトリシャって人が出てきたら躊躇するんでしょう。つーか、そもそも軍人じゃねえんだ、アンタだって」

「……俺は、化け物だからな。常識は通じない」

「化け物?」

「俺はヴァルネラと同郷だ、と言えば伝わるかな、軍人さん」

「!」

 

 そういえば、と。 

 ヒューズも、ホークアイも彼を見る。彼の特徴を見る。

 金髪金眼。そしてその遺伝子はエドワードにも引き継がれていて。

 

「……アンタも、あの医者先生ばりにとんでもねぇってか」

「ああ、そうだ。だから戦える」

 

 ホーエンハイムはエルリック兄弟を見る。

 

「すまないな」

「!」

「あのままリオールにいたら、お前たちは耐えきれなくなっていたと思った。だから連れてきた。だが、セントラルがこの状況なら……リオールの方が、まだマシだったかもしれないな」

「……そんな」

「すまない。やはり俺は、子供の心がわからないらしい。……すまないが、軍人さんたち。こいつらを頼んでもいいかな」

「一人で行く気ってか」

「君たちはその大佐という人を待たなくてはならないんだろう? でも俺にはその人を待つ理由がない。だから、その待っている間だけでいいから、こいつらを頼むよ。俺がいなくなったら、また意地張って危ないことしそうだからさ」

 

 力なく微笑むホーエンハイム。

 

 その顔に、その声色に、今更子ども扱いするな、と声に出そうとして、けれど出なかった。

 エドワードは。

 声が出せない。何か別のものがつっかえていて、「さて、そろそろ行くか」なんて言いながら出ていく彼を止められない。

 

 ──そうでないアルフォンスでさえ、同じだった。

 

「それじゃ」

「……ええ、責任を持ってお子さんをお預かりしますよ」

「ああ、あんた達なら安心できる」

 

 そうして、空き家から、一人が減った。

 

 

** + **

 

 

 セントラル市内は地下水道。

 そこを歩く輩……もといグリード一行。

 

 ゾンビよりも合成獣(キメラ)……人間と、ではなく動物と動物を掛け合わせたものが多く放たれているそこを無双しながら通っていく彼らの前に、一つの人影が現れた。

 

「グリードさん!」

「あん? ……おお、ビドーじゃねえか。なんだ、ウルチ達もセントラルに入ったのか?」

「ええ、外があんなになっちまってやすから、セントラルに逃げ込んだんですけど……セントラルもこのありさまで」

 

 そう、デビルズネストで斥候役を務めていたトカゲの合成獣(キメラ)ビドーである。

 そもそもデビルズネストの面々はそれぞれの特性ごとにいくつかの班に分かれて活動していて、ビドー含むウルチなどの爬虫類合成獣(キメラ)は南部での情報収集に努めていたはず。

 グリードが出す合図に従って合流するという予定ではあったが──我慢できなかった、という者も多いのだろう。

 

「ぐ、グリードさン!」

「ああわかってるわかってる。だがちょいと待ってな」

 

 焦った声でグリードに声をかけるのはメイ・チャン。

 だけど、その内容を言わせない内にグリードが彼女の言葉を遮った。

 

「他の奴らも地下に?」

「ええ、オレ達にゃこういうじめっとしたところが住みやすいですからね」

「だが、危ねぇだろ。こんだけ凶暴な合成獣(キメラ)がいちゃよ」

「いえまぁ、いい感じの小部屋がありまして。水路点検用のものだとは思うんですがね、長年使われてなかったらしいそれをアジトに改造したんでさぁ」

「中々やるじゃねえか」

「いえ、いえ、それほどでもないですよ、へへ」

 

 だから、ついてきてください、と。

 アジトに。

 そう案内するビドーに──彼らも、彼女らも、何も言わない。

 一人だけあわあわしているメイ・チャンも、ロアが担いで連れて行く。

 

 ビドーに案内される方向へ向かえば向かうほど、合成獣(キメラ)が少なくなっていく。住みやすい場所を探した、というのは本当らしい。じめじめした空気は、マーテルにとっても馴染み深いものだ。

 

 ──ああ、けれど。

 

「ここか」

「はい、ここでさぁ」

 

 確かに、点検用と見られる小部屋。マンホールのすぐ近くにあって、錠前もついている。

 

 その前でビドーは立ち止まった。

 

「──どうかしたか、ビドー」

「……ホントは、怖いとは、言っておきます。オレだって……オレ達だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──また死ぬなんて、怖いって、それだけは、それだけは、言っておきます」

「おう」

「へへ、へへへ……でも、オレ達は──仲間ですから。ね。だから。だから──」

「わかってるよ、ビドー」

 

 ビドーの身体が──より、トカゲに近くなる。

 普段からトカゲ寄りであるから滅多にしない、トカゲ的特徴の顕著化。

 

「怖いです。怖いです、グリードさん。──でもオレ、──アンタの仲間じゃなくなる方が、もっと怖えーみたいで」

 

 彼は、にこり、と笑って。

 ──グリードにとびかかる。その爪は鋭く、その牙は小さくとも凶暴で、そして素早くしなやかな体は。

 

「わかってるよ」

 

 "最強の盾"によって、屠られる。

 血はもうほとんど吹き出ない。体は元からボロボロに近かった。

 ()()なった時の損壊具合が酷かったのだろう、そしてロクに治されもせず、実験体として蘇らせられ──放逐された。あるいは逃げ出したのか。

 

「グリード、さん。もっとだ。もっと、バラバラに、してくれ」

「……これでもダメか」

「へへ、ああ、ダメだ。オレは……へへ、アンタの仲間でいたい。アンタを敵と思いたくない。うるさいんだ。ずっと頭の中で、うるさいんだ。永遠の命だの、ずるいだの、ストックだの、わからねえ、ずっとずっとうるさいんだ。──頭じゃない。もっと胸の、首の根元。そのあたりだ。頼むよ、頼むよグリードさ、」

 

 ザク、と。

 的確に、彼が貫き砕いたのは──鉄の板。

 BIDOの文字が刻まれたそれごと"最強の盾"は砕いた。砕き割った。

 

 それが最後。

 もう、彼の声はしなくなって。

 そして彼の身体の中から、ちゃりん、と。

 

 鍵が一本落ちた。飲み込んでいたのだろう。

 誰にも──グリード以外には開けさせないように。

 

 鍵は、小部屋の錠前と合致し。

 開いたそこには──。

 

「……嬢ちゃん。全員か?」

「……はいでス。全員、流れがありませン」

「そうか。……そうかよ」

 

 少し前、しおらしい、と言われた。

 グリードは自ら「何かあった」と答えた。

 

 あったのだ。

 グリードが流した「合図」。──それに応えたデビルズネストの面々は、ゼロだった。

 

「……グリードさん。つらいなら俺がやりましょうか」

「がっはっは、なんだドルチェット。いっちょまえに俺を気遣ってんのかよ」

「気遣いますよ。……アンタは俺達を、仲間を大事にしてくれる。アンタが化け物かどうかなんて関係ない。アンタが俺達を大事に思ってくれてんだから、俺達だってアンタを大事に思う。そんなアンタが……つらそうな顔してたら、その代わりになってやりてぇって思いますよ」

「……」

 

 小部屋の中。

 そこには、手錠や鎖、あらゆるもので拘束された爬虫類の合成獣(キメラ)達がいた。デビルズネストの面々だ。

 皆涎を垂らし、皆自傷をものともせずに暴れ──皆、入って来たグリードを見て。

 

「グリードさん……はは、あはは、グリードさん。グリードさんだぁ……ほら、グリードさん! オレ達も、アンタと同じだ、同じ、永遠の命になれましたよ! グリードさん──グリードさん、だから、だから、だからさぁ!」

 

 ごりゅ、と。

 首が取れる。転がり、グリードの足元まで来たのはウルチの首。

 でもそんなものは気にしないとばかりに、首の取れたウルチの体が叫びたてる。

 

「だから──アンタずりぃよ。アンタもさぁ、マーテルも、ロアもドルチェットも、あぁ!? なんでお前ら生きてんだよ。おい、なぁ、お前らなんで死んでねえんだ……生き返った方が得だぜ、なぁ、オイ!」

「永遠の命だ──永遠の命! 死なねえ、死ぬことはねえ! 何も飲まずとも、食わずとも、死なねえ便利な体だ! ひゃひゃ、腕が取れても指が折れても痛くも痒くもねえ!」

「最高だ──最高だよ、グリードさん。アンタずっとそんな最高の気分味わってたんだなぁ。──なぁ、こっち来いよ、三人とも。グリードさんもだ。アンタのそれ、永遠じゃないんだろ? 尽きる果てがあるんだろ? なぁ、なぁ! ……死んで、楽になろうぜ。この身体は──楽だぞ、ずっと」

 

 泣いているのか、怒っているのか。

 狂っているのは間違いなくとも、何か、何かを伝えようとしている。彼らは、だから、"仲間"は。

 

「嬢ちゃん。一つ、聞きてえ」

「はイ」

「全員、胸んトコか? ビドーとおんなじ、首の根元」

「恐らくそうでス。他の部位には流れがないのニ、そこだけ源泉のようナ何かがありまス」

「ありがとうよ。それだけわかりゃ十分だ」

 

 グリードは硬化する。爪だけじゃない、全身だ。

 醜男になるからと嫌っていた全身硬化。そして彼の隣で、ドルチェットが刀を、ロアがハンマーを構えた。マーテルまでもが、金槌のようなものを掲げている。

 

「あん? なんだ、お前ら。俺は代われ、なんて言ってねぇぞ」

「仲間を想う気持ちは一緒だ、グリードさん」

「うむ」

「ええ」

 

 "仲間"。

 グリードが永遠の命と天秤にかけたもの。

 

 ああ、ならば。

 

「がっはっは──ああ、変わっちまっても、変わり果てちまっても──仲間だと思ってるぜ、俺は!」

「俺らだって!」

 

 屠る。

 殺す。

 殺されたのだろう、その痕跡がある。それを覆い隠すように鏖殺する。鉄板も含め、すべてを切り裂き全てを潰す。

 

「恨むぜ、親父殿──俺様のモンに手ェ出したんだ。ぶっ殺される覚悟はできてんだろうなぁ、ァア!?」

 

 その力熱(ねつ)は。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 持碁の鯨幕

 治せって言われたから消滅させたら、行方不明者の最期の目撃情報だのなんだので憲兵に事情聴取された次の日のことである。

 というか、なんならその夜のこと。

 ──長蛇の列、という言葉は知っていても、見て実感するのは初めてだった。って程に長い列が俺の家の前にずらーり。

 

 ダルいので逃げるよねそりゃ。

 

 聞けば「ヴァルネラ医師」、「ヴァルネラ様」、「生き返らせてくれたヴァルネラ様に感謝を」とか……俺を讃える声の群れ。

 取れた腕をくっつけてくれとか、胃をまた使えるようにしてくれとか、落ちた目を作ってほしいとか。

 知らん知らん。"生体錬成の権威"って呼ばれたのをそのままにしてたのがいけなかったのはわかったからもうやめてくれーとか思いつつ、別にやめてくれって主張するほどでもないか、とか思って家を出たのも束の間。

 

 別に俺は飲まず食わずでいいし、寝なくてもいいし、雨風を防げなくてもいいから、浮浪者になるのもアリだな、いやこの場合浮浪児か? とかどーでもいいこと考えながらアメストリスの路地裏歩いていたら、ガチ浮浪者の皆さんに襲われた。

 寄越せ寄越せ永遠の命、ズルイ、お前のなら、お前が……と、錯乱している御様子だったので建物を三角飛びに昇って放置。全員ゾンビだったけど、まぁ別にいいんじゃない? 存在していること自体は。

 

 そんな感じで、その日暮らしの屋根暮らしが始まった。

 屋根は良い──。

 誰も来ないし、空は広いし、風も強いし、雨も激しく当たるし。でもすぐ乾く日光サンサンだから。

 

 刺青の男(スカー)兄含むイシュヴァールの武僧の行方、ロイ・マスタングやマース・ヒューズの所在、ブラッドレイやプライドの所在、グリードとかヤオ家とかの居候の行方。

 なーんもわからんが、まぁいっか、って空を見上げてたら──トス、と。

 

 チョップが俺の額を捉えた。

 

「やっと見つけた……」

「……おお、ホーエンハイムじゃん。元気してたかよ」

「ふざけるのも大概に……ああ、いや。良い。お前に期待する方が馬鹿、だもんな」

「あっはっは、よくわかってるじゃねぇか」

 

 ホーエンハイムだった。

 なんだかくたびれた様子の彼は、どうやら俺を探していたようで。

 

 ただ俺の気配って氣も流れも自然物とほぼ一緒だから、探し様がなかったりする。森の中からフツーの木を一本見つけろ、みたいな。

 んでもって氣も流れも感じ取れないホーエンハイムが探すなら、フツーに高い所から見渡すしかなくって。でも俺今高い所に居て。

 

 うーん、この。

 

「セントラルにはいつ頃から?」

「昨日だよ。アイツのところに向かう前、お前に返してもらうものがあったのを思い出してな」

「……俺なんかお前から借りたっけ?」

 

 俺は等価交換を忘れない。

 借りたものは絶対返す。けど、借りた覚えが無い。

 

「トリシャの死を俺に告げてくる前。お前、相談をしてきただろう、俺に」

「おん」

「その恩返しを貰っていない」

「……ほーぉ」

 

 まぁ、確かに言った。

 そっちの錬金術はホーエンハイムの方が詳しいから、と。

 その代価は、確かに支払っていない。トリシャ・エルリックの死を告げたのはあくまでフラスコの中の小人への仕返しだし。

 

 ほう。

 借金取り立てか。

 

「何を望む?」

「一緒に来い。フラスコの中の小人を相手取るには、都合のいい"盾"が必要だ。それも、無限に再生する奴がな」

「……あの頃の純粋ホーエンハイムはどこへ行ってしまったのやら。凄惨な拷問を受けていた俺を見て見るからに動揺していたヴァン君はいなくなっちゃったのかねぇ」

「ああ、いなくなった。今の俺は父親なんだよ。──子供を守らなきゃならないんだ。四の五の言ってる暇はない」

 

 強い眼。

 へぇ、ホーエンハイム。お前そんな目できたのか。

 

 意志の硬い目だ。

 

 人間の、目。

 

「相談の代価が肉盾たぁちょいと暴利が過ぎねえ?」

「お前を解放し、自由を与えた代価が、俺とトリシャの過ごせる僅かな時間、というのは釣り合っていないだろう」

「ほーぉ。それを減らしても、だ。他者を盾に自分は安全圏にいるってのを契らせるにゃちと足りなくねえか?」

「お前、シンに初めて行った時、俺の特徴を持っているから、という理由で信用を得ただろう?」

「──へぇ、知ってんだ。いいね、あと一押しくれ。俺は今気分が良い」

 

 代価。

 俺を動かす代価。

 熱量の無い奴に、フラスコの中の小人を止めさせる──アイツのところに直接殴り込みに行かせる代価をどう継ぎ接ぐのか。

 

「ブリッグズ。お前、暴れたそうだな」

「耳が早いねぇ。どっから漏れたんだか」

「今のはカマかけだよ。やっぱりお前がアイツの作戦を妨害したんだな。だからアイツはこんな派手な手段に出た」

「……ちぇ。それで?」

「俺から奪っていったクセルクセスの人々。──アイツの国土錬成陣が発動しないのなら、奪われ損だ。──返せよ彼らを」

「……お前のためを思って持って行ってやったってのにさ。お前、結局トリシャ・エルリック救えないしよ、10年間姿くらますしよ。あっはっは、裏目も裏目だ」

 

 起き上がる。

 

「成立だ、錬金術師。お前に借りた分の代価、キッチリ働いてやる」

「じゃあ、すぐにでも行くぞ。地上が死に溢れていく様を、俺はもう見たくはない」

「おぅけぇぃ」

 

 さて。

 まーたバイトの時間だよ。今度はレンタルビデオの超過分を払う感じだけどサ。

 

 

 

 

 さて、敵はゾンビだけである。

 人間が混じっていないのは良いことだ。返す必要が無い。

 アメストリス内、数多くのゾンビを見逃していた俺だけど、それはやる気の問題であって、彼らを生命と認めたが故の等価交換不履行を恐れて、じゃない。

 

「お前、攻撃的な錬金術は使えないんじゃなかったのか?」

「あん? いやこれ医療行為だよ。戦場でさ、銃創なんてしこたま見るんだわ。それ摘出すんのに緑礬なんか使うわけねーだろ。全分解だって無駄だよ無駄。だから」

 

 斬る。

 道具は、イシュヴァール戦役時代に使っていたメス。剣だのなんだのの心得はないんでね。シンの武術も徒手空拳しか知らん。

 

「切開用のメス。これで斬れるモンなんか皮膚と筋肉のちょっとくらいだけどさ、十分だろ?」

 

 すれ違いざまに鎖骨からメスを入れて、鉄板の内側の錬成陣をクイッてやって消す。そんだけだ。

 馬鹿正直に全部の鉄板が後ろ……名前を後ろにして向いているから、錬成陣も消しやすくて消しやすくて。なんだろうね、識別番号的なアレで埋め込んだのかね。

 

「にしてもさぁ、ホーエンハイム」

「なんだ?」

「ちょいとさ、フラスコの中の小人っぽくねぇ、とは思わねえか、この状況」

「そうか? アイツは追い詰められたら効率が良くなるタイプだ。その上で雑になる」

「そーじゃなくてさ、俺の名を騙ったり、人間一人一人の名前を刻み付けたり、だよ。アイツにとって人間は下等生物だってのに、なんだ、やけに認めてねえ? 俺の名を騙れば民衆の心が掴める、安心させられる。計画が失敗しても俺のせいにできる。──でもそもそもアイツ表舞台に出てねえんだから、んな必要ないワケよ」

「……ふむ」

「んで、ネームプレート。ドッグタグでもいいけどさ。アイツが人間一人一人の名前調べると思うか? あっはっは、アイツ、エルリック兄弟がお前の息子だってことも知らないんだぜ? ファミリーネームが違うから、ってだけで。あんなわかりやすい特徴持ってんのにさ」

「じゃあなんだ。お前は、この件の黒幕がアイツじゃないと思ってるのか?」

「いや?」

 

 サクサク斬って、サクサク魂を放して行く。

 まーフツーに俺の方が遅くて噛み付かれたりもするし、刺されたり撃たれたりもするけど、それが何って感じ。緑礬は使わない。使ったら中央司令部が陥没しかねんし。

 

 ちなみに噛まれてもゾンビウイルスみたいなのは入ってこなかった。パンデミックにはありがちなのにネ。

 

「これを企てたのは勿論フラスコの中の小人だろうけど、中間……実行した奴との間にアイツのモンじゃない思惑が絡まってそうだな、って話さ。特に人間の、永遠の命を欲する一同。永遠の命製作委員会みたいなやつが」

「……」

 

 だって、単純に面倒くさい。

 人間一人一人を認識して、そいつらを蘇らせるって行為も、そうだと喧伝する行為も。

 どーせ生きた人間から魂引っぺがして肉体殺してからその死体に定着、っていうクソ面倒なプロセス取ってるんだろうけど、フラスコの中の小人はそういう面倒な事やる奴じゃないっつーか。

 国土錬成陣だって、やりようならいくらでもあったはずなんだ。勿論水面下で動いていたことを細かいと表現するのならそうかもしれないけど、スロウスの穴掘りとかもっとあっただろ。つかプライドがやりゃいいじゃんって思う。アイツ掘削能力あるし。

 他、国家錬金術師の監視システムも杜撰だし、人柱も結局その日までに集まってなかったし、傷の男(スカー)兄だって偶然殺せただけだし。把握できてないし。

 

 アイツ面倒くさがりだし、人間見下してるから「人間がそこまでできる」とは思ってないんだよ。

 だから見通しの甘い計画もバリバリ通す。困るのは下請け……人造人間(ホムンクルス)達なんだけど。

 

 んで、今回のアレソレは、魂をうんぬんはアイツのやりそうなこととして、他の準備があんまりにも面倒くさい。

 ゾンビに関しては国内の流血沙汰事件、つまり血の紋に関係した場所のゾンビばかりなあたり、中央軍に手引きしてたやつがいたんだろう。それくらいはわかる。つかそれくらいまでしか同感できんというか。

 中央軍を動かす、まではアイツの「面倒くさくない」の範囲内だろうけど、中央軍に死ぬ奴一人一人の名前と錬成陣刻んだ鉄板を仕込ませる、はパーペキ「面倒くさい」の範囲だ。

 俺だったら絶対やんない。いやまぁ俺は上記全部やんないけど。

 

「それでも、大本を断てばそれで終わりだろう」

「それはそう。あ、ホーエンハイム。二歩下がりな」

「む」

 

 瞬間、ぶち破られる壁。

 大量の土煙と共に出てきたのは──全身ツルツル炭素人間。

 

「──見つけたぜぇ、親父殿ォ!」

「え、おいちょ、ま」

「俺のモンに手ェ出したらどうなるかくらいわかってんだろ、なぁ!?」

「別人別人! 似てるけど別人! というかアイツが俺に似てるんだが」

「あぁ!? ……ああ? ……随分と見ない間になよっとしたじゃねぇか、親父殿。なんだ、イメチェンか?」

「だから別人! ……俺はフラスコの中の小人じゃないよ」

 

 グリードだ。

 ……仲間はいない様子だけど。

 

「ようグリード。無事でなにより。ドルチェット達は?」

「……なーにが無事で何より、だ。心配なんざ欠片もしてなかっただろう、テメェ」

「あっはっは、当たり前じゃん。俺にそんな熱量あると思ってんの?」

「がっはっは、ねえな。テメェがここにいること自体驚きだ!」

 

 それにゃ俺も同意。

 こういう最終決戦みたいなのはどっか遠い所で眺めてるのが俺だと思ってたんだけどね。

 

「──本当に別人らしいな、オッサン。すまねえ、他人の空似って奴だ。許してくれや」

「いや、他人ではないんだけど……まぁわかってくれたならいいや」

「おう。それで、ドルチェット達はアレだ。……なんつーか、仲間の無念を晴らしに行ってる。ゾンビ共を感知できる嬢ちゃんがついてるから平気だよ」

「なるほろ。ほんじゃま、行こうか。不死身三人組だ。敵も永遠の命を名乗ってる群れだけどサ」

「お前と一緒にされてもな……俺は尽きる命だよ」

「がっはっは、俺も尽きる命だ。オッサンよりは長いだろうがな!」

 

 さて、まぁ。

 盾追加ってことで。

 

 

 

 

 当然だけど、敵なんかいなかった。

 敵なし。無敵。

 人造人間(ホムンクルス)の妨害が入らなかったのがデカい。つーかなんで邪魔しに来ないんだ真面目に。お前らのとーちゃんの危機だぞ。

 ゾンビしかいないってお前、守る気ないだろ。

 

「──来たか」

「ああ、来た。──久しいな、フラスコの中の小人」

「俺はイシュヴァール戦役ぶりか。よぅ、フラスコの中の小人」

「ざっと100年ぶりか、親父殿。元気してたかよ」

 

 フラスコの中の小人は──明らかに窶れていた。

 痩せているし、老けている。

 ……。

 

「ふむ……ホーエンハイム。オマエ、あとどれくらい生きる?」

「さてな。お前よりは長く、だが──もう永く生きるつもりはないよ」

「そうか……。グリード。お前はどうだ」

「がっはっは、随分とわかり切ったことを聞くじゃねえか親父殿。アンタよりは長く生きるだろうよ。なんせアンタはここで死ぬんだからなぁ!」

「ふむ……そして、クロード。オマエには聞く必要もない」

「オイオイ仲間はずれかよ。聞いてくれても良かったぜ?」

「私にはあまり時間が無いんだ。時間を無駄にしたくない」

 

 ……時間が無い。時間を無駄にしたくない。

 フラスコの中の小人が?

 

 同じ疑問をホーエンハイムも持ったらしい。一瞬彼と視線が交わる。

 

「……海に水を垂らすようなものか。全く、どうしてオマエ達は命を大事にしないのだ……」

「おお、親父殿の口から最も出なさそうな言葉が出た」

「グリード。聞いたぞ。オマエ、パフォーマンスとして死んでみたりしているそうじゃないか……嘆かわしい。勿体ないと思わないのかね?」

「……お、おう。だから、コイツにそれ言われて、やめるようにはしたが……いやそんな話をしに来たんじゃねえよ!」

 

 確かに、少ない。

 生憎と原作時点でのコイツの魂の総量はわからない。直接見れたわけじゃないから。

 でも、だとしても、明らかに少ない。フラスコの中の小人の命は──あと幾許か。なんなら、今年の冬も越せないくらいの。

 

「つまり、なんだ。やはりヴァルネラの中に入る気か、フラスコの中の小人」

「……それも考えはしたがな。クロードの中に入り込んだとて、私がクロードに消費される未来しか見えんのだ。支配するどころかされ返す……無為に消費されて私はまた扉のムコウ。笑えない話だ……」

「おお、大正解。入ってきたら一瞬で使い切るつもりだったよ。俺の事よくわかってんじゃん。大総統なれるよお前」

「……お前のどうでもいい冗談も、昔ならば笑い飛ばせたものを。せめてホーエンハイム、オマエがもう少し魂をため込んでいてくれたら……オマエに乗り移れたのだがなぁ」

 

 フラスコの中の小人は、ずっと。

 溜め息を吐いて、嫌だ嫌だと……まるで、本物の老人のように。

 迫りくる死に、死期に。

 

「──だから、んなことはどうでもいい。俺は俺のモンに手ェ出したアンタを許さねえ。俺は強欲だからなぁ!」

「父を殺すか? グリード」

「あぁ、俺は強欲だからな──父殺しの称号も欲しいのさ!」

「……ホーエンハイム。私が憎いか? それとも、何か守りたいものでもできたか……。いつか言っていたな、家庭がどうのと」

「ああ。俺の大事なものを、お前に壊させるわけにはいかない。──ここで絶たせてもらうぞ、フラスコの中の小人」

「クロード……お前は……まぁ、いいか。どうせグリードかホーエンハイムか、どちらかの代価で動いているのだろうし」

「おん。正解」

「……はぁ」

 

 嫌だ嫌だ、と。

 フラスコの中の小人は──よっこいしょ、って感じに立ち上がって。

 

「いいだろう。相手をしてやろう、我が息子と血を分けた半身と……ええと、何の関係もない不老不死。まぁ、私の、長い生の──最期を締めくくる光景としては、壮観なものだろうよ」

 

 瞬間、ノーモーションで無数の槍が錬成された。

 射出されるそれら──は、グリードが盾になることで解決。あ、俺は別に避けてないよ。バリバリ食らってる。グリードを盾にしたのはホーエンハイムだ。アイツ、一瞬で俺程度じゃ盾にならないって判断してグリードに鞍替えしやがった。

 

「ハン、効かないねぇ、親父殿がくれた"最強の盾"のおかげでなぁ!」

「最強の盾、ねぇ。炭素が集中しているだけなんだ。分解されたら終わりだろうに……まぁ、こうして遠距離戦をしている分には最強を名乗れるか」

「あぁ?」

「過去の過ちを嘆いているだけだ。気にするな、我が息子」

 

 槍の雨。 

 絨毯爆撃もたるや、というほどの衝撃の中、けれどグリードの盾は壊れない。それの影に隠れたホーエンハイムもまた同じ。

 

 ぐじゅりと再生する。

 

「オイオイ、いいのか? そんなに力を使って。寿命を減らすだけだぞ」

「だから嫌だと初めから言っているだろう……。オマエ達のような再生する者を相手するのは骨が折れるのだ。私の寿命を心配するというのなら、とっととこの場から去ってくれると嬉しいのだがなぁ」

「そりゃ、できねぇ相談だな!」

 

 グリードが前に出る。

 槍の威力が自身の硬化になんらダメージを与えないレベルだと判断したためだろう、前に出て、槍を全身にくらいながらも一歩、また一歩と前進していく。

 困ったのはホーエンハイムだ。すぐに錬金術で壁を作ったようだけど、一回死んだなアレは。

 

「がっはっは、どうしたどうしたァ! 親父殿、以前の感じが全然ねぇなぁ! この程度なら──」

 

 ザク、と。

 グリードの手、最強の盾による最硬の斬撃がフラスコの中の小人を捉える。

 

 思いっきり吹き飛ばされるフラスコの中の小人。壁にぶち当たって止まった彼の頭部は、バチバチと音を鳴らしながら再生していく……けれど、遅い。それに……さらに減った。一度生き返るためにもかなりのエネルギーを消費しなければならないってことは、もう器に限界が来ているってことだ。

 

「まだまだァ!」

「う……ぐ……」

 

 追撃。

 ノーモーション錬成で迎撃しようとしても、やはり威力が足りない。速度が足りない。

 グリードの盾を破れずに、何度も、何度も何度も死ぬフラスコの中の小人。

 

「いいのか、ホーエンハイム」

「……何が」

「殺されちまうぞ、フツーに。グリードの連撃で十分だ。アレだけでフラスコの中の小人の中の魂は尽きる。──手、出さなくていいのか。お前の動機に、復讐は欠片もないのか?」

「……昔ならあったかもしれない。だけど今はない。俺は守るためにここにいる。……アイツが生み出した奴にアイツが殺されるというのなら、俺は黙って見守るだけだ」

「そうかい」

 

 そんなホーエンハイムと違って、グリードの拳には、攻撃には、恨みが、怨恨が詰まっている。

 さっき「俺のモンに手ェ出した」とか言ってたな。

 

 ……死んだのか、デビルズネストの奴ら。それも、ゾンビ関連で、と見た。

 

「グリード!」

「あァ!? なんだよ、止めんのか、不老不死!」

「違う違う。──あと40人だ。フラスコの中の小人の中の魂」

「……言わずとも良いことを。そんなことを言えば、グリードは私を甚振るじゃあないか」

「あっはっは、まぁ代価だよ、フラスコの中の小人。んじゃ、俺はもう帰るよ。これで借金返済だ。いいな、ホーエンハイム」

「……あぁ」

 

 がっはっは、がっはっはと。

 鬼のような、悪魔のような。

 

 声が、声が──響く。なくように、叫ぶように。

 

 仲間の死を嘆くように。

 

 声は──俺が地下道を出るまで、ずっとずっと続いていた。

 

 

** + **

 

 

 で、まぁ当然だけど、ゾンビは消えてない。

 フラスコの中の小人は死んだんじゃないかな。グリードもホーエンハイムもそこは抜からんだろうし。その後を知らんから何とも言えんけど。

 

 でもゾンビは消えてない。当然だわな。アイツらが生きてる……というか動いている原因って魂定着の錬成陣だし。フラスコの中の小人の生死はなーんにも関係ないし。

 だから、俺は今日も屋根暮らしだ。まだまだ死霊の患者が多いこと多いこと。腕取れたくらい自分でくっつけろよ、とか思わないでもない。痛み感じないんだから自分で縫えるだろ。

 

 ……しかし。

 まぁ、気になることは残った。

 

 なんでフラスコの中の小人があんなに消耗していたのか、とか。

 人造人間(ホムンクルス)達はどこ行ったねん、とか。

 だからエルリック兄弟はどこ行ったんだよ、とか。

 

 ……おーん。

 探しに行くほどの……やる気はないなぁ。特に今、地上歩くのダルいし。

 

 ま、ゾンビは次第に腐り果てるだろう。今は冬だからアレだけど、あったかくなるにつれて腐って、病気が蔓延して、アメストリス人もかなり死んで……隣国とかに攻め入られて。ブラッドレイかロイ・マスタングか、あとはグラマン中将とか? が大総統になって、上手くやるか下手こくか知らんけど、どーにかして。

 んじゃ俺はシンでも行くか、それとも一応「約束の日」を待つか。

 

 なんにせよ──鋼の錬金術師、完ってことでいいのかね?

 

 


 

 

 

 

「まったく……こんなところにいたのか。探したぞ、ヴァルネラ」

「おー」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作乖離~
第24話 識者の戯れ


 昼下がり。

 昼下がりだ。人の増えたセントラルはがやがやと騒がしく賑やかで、未だ、なんとか平穏の保てているここで──大きな爆発音がした。

 人々は探すだろう。どこだ、と。どこから爆発音が鳴ったのかと。

 そしてすぐにでも気付くはずだ。

 

 ──大総統府。

 アメストリス軍中央司令部の大総統府から、煙が上がっている。

 国民が思い至るのはテロだ。この国は他国から、そして併合した民族からの反感を買っている。可能性があるとかではなく買っている。だから、いつテロが起きてもおかしくはないという不安定なバランスに成り立っている。

 だから、けれど、軍も優秀だ。すぐに鎮圧してくれるだろうという信頼があり、国民らは自らの家に戻ろうとして──大総統府から吹き飛ばされてくる「ソレ」を目にすることだろう。

 

 深緑色のローブ。

 子供のような体格。

 

 未だ混乱の起きていないセントラルにおいては大恩のある()が飛ばされてきたのだ。

 

 ()は中央広場にある噴水へと激突し──大総統府より飛んできたもう一つと衝突する。

 もう一つ。

 砂煙が晴れて、両者が露になる。

 人類史に名を刻むほどの医学者にして錬金術師である()と相対するのは。

 

「──キング・ブラッドレイ大総統!?」

 

 だった。

 誰が叫んだかはわからない。あまりにも多くが見ていたから。

 だけど、その人は紛う方なき大総統だった。そして彼──吹き飛ばされてきた方もまた、確実に緑礬の錬金術師ヴァルネラ医師だった。

 つまるところ。

 

「なんだ!? 何が起きてる!」

「何故二人が戦っている!?」

 

 そうだ。戦っている。

 キング・ブラッドレイは軍刀で。

 ヴァルネラ医師はメスで。

 

 その鬼気迫る表情は──民間人をしても、本物の殺意と呼べるもの。

 

「大総統閣下、どうなされたので」

「下がっていろ! この者は──この者は、禁忌を犯した! なんとしてでも私が処罰せねばならん!」

「ハ、禁忌!? 面白いことを言うじゃないかブラッドレイ! 目の前に可能性があったから試した──科学者として、研究者として当然のことだ! 今まで俺の研究成果に縋ってきておいて、今更そんな言葉で俺を切り捨てるか偽善者め!」

 

 来年には60歳になろうというキング・ブラッドレイの衰えぬ身体能力。

 実年齢は100を超えると噂されているヴァルネラの的確な対処能力。

 

 だが、けれど、しかし。

 本職が研究者であるヴァルネラより、武勲で大総統にまで上り詰めたキング・ブラッドレイの方が武を比べるのなら分がある。

 体勢も悪いのだろう。

 吹き飛ばされたままの姿勢で、しかもメスなんて武器でさえないもので戦うヴァルネラが次第に押されていくのは時間の問題だった。

 

 そして──。

 

「ハハハハ! 焦るか、ブラッドレイ! そうだよなぁ、当然だ!」

「ッ」

 

 一刀、一振り。

 高笑いするヴァルネラの首を、キング・ブラッドレイの軍刀が刎ねる。

 

 ……悲鳴が上がる。当然だろう。 

 民間人には何があったかわからないが、たとえどんな大罪人であろうと目の前で人が死んだら──殺されたら恐ろしいものだ。どんなに無いとわかっていても、その刃が自分に向くかもしれないのだから。否、あるいは純粋に人死にに対して、だったのかもしれないが。

 

 けれど彼ら彼女らが悲鳴を上げるのはまだ早かった。

 

 首が飛ぶ。首が落ちる。

 ごとんと重い音を立てて落ちたソレは、落ちたはずのそれは──そこにまだ首があるのにもかかわらず、()()()()

 ぐじゅり、と音を立てて、首が生える。

 

「は……え?」

「うそ……」

 

 確実だった。確実にヴァルネラの首は刎ねられた。

 けれど、戻った。一瞬でだ。

 今彼ら彼女らの横にいる、あるいは自分自身であるような、施術を受けて生き返った──とかではない。

 

 今、この場で、緑礬の錬金術師は頭部を再生させた。

 

「アメストリス国民よ! 見よ! これがこの男の正体だ! これが、こんなものが──この男が自らのために研究し、開発した永遠の命の正体だ!!」

 

 斬る。斬る。斬る。

 激昂し、さらに早くなったブラッドレイの攻撃に対応しきれなくなったヴァルネラはどんどん斬られていく。腕も首も、胸も腹も。めった刺しにされて、ズタズタに切り裂かれて。

 

 尚も。

 

「効かないなぁブラッドレイ……ハハハ、永遠の命だぞ? 効くわけがない──そのあたりにいる()()()と違ってなぁ!」

 

 今度はヴァルネラがキング・ブラッドレイを吹き飛ばす番だった。

 老骨の腹に蹴りを入れ、子供とは思えぬ怪力で彼を蹴り飛ばす。

 

 そうして立ち上がり、周囲を見渡しながら大きく手を広げた。

 

「劣化品……とは、どういう、ことですか?」

 

 一人が。

 勇気ある一人が、ヴァルネラに声をかける。彼は"生き返った者"だった。

 

「愚鈍だな、実験動物。簡単だ、わかるだろう? 俺が80年の月日を費やして作った研究成果。その副産物がお前達だ。国家錬金術師の名を借りて研究したよ、たくさん、沢山な──ハハハハ! そして、たかだか20万人で辿り着けた。理想の身体だ。傷ついても瞬時に治り、頭を吹き飛ばされようが心臓を貫かれようが死ぬことのない永遠の命」

 

 感慨深い、というようにヴァルネラは息を大きく吸って、吐いて。

 

「不老不死だ。俺は今、不老不死を手に入れた。──礼を言うよ、不老不死ではない劣化品諸君。君たちから得た実験結果のおかげで、俺は一歩先のステージに進めた。──俺が与えたあと幾許かの命、精々楽しむと良い」

 

 そう、告げる。

 

 肉迫する。

 復帰したキング・ブラッドレイがヴァルネラに──けれど彼の軍刀はメスの一本で止められて。

 

「しつこいよブラッドレイ。お前には俺は殺せない。いいや、誰にも俺は殺せない。──不老不死なんだから」

「それでも、貴様という化け物を国に置いておくわけにはいかん!」

 

 戦闘はまた、激化する──。

 

 

** + **

 

 

 左わき腹を狙ってきた軍刀。あばら骨に逸れても良いように水平にされたその刀身を、膝と肘で挟んで折る。

 流石に面食らったらしい。俺がそういう武術を見せることがなかったからだろう。

 さて、言わなきゃいけないことは全部言った。だからぶっちゃけここで終わってブラッドレイにぶっ飛ばされて終わり、でもいいんだけど──不完全燃焼ではあったからな。

 

「遊ぼうぜ、ブラッドレイ。俺もちっとは体動かさねえと面白くない」

「莫迦者。耳の良い者がいたらどうする気だ」

「あっはっは、大丈夫大丈夫。音に関しちゃ大気操作のスペシャリストがこの場を支配してんだ、上手くやってくれるよ」

「……まったく、理解に苦しむよマスタング君。好き好んでお前に付きまとおうとするとは」

 

 ブラッドレイの刀の在庫は五本。その内の一本を完全に折った──けれど、ぶっちゃけ刀って折ったところで攻撃力そんなに落ちないんだよね。

 リーチが減るだけで、刺突力やせん断力はあんまり変わっていない。勿論短くなった分力は余計に籠めないといけなくなるけど。

 

「しかし、まぁ、確かに。最近はこうも体を動かすことは無かったからな──少しばかり心の踊っている私がいるのは事実だ」

「あっはっは、戦闘狂め。お前と一緒にすんじゃねえよ、こちとら近接戦闘なんざ何百年ぶりだわ。ゾンビの群れをカウントしなきゃぁ、な!」

 

 縦の斬撃に対しては腕で対応する。どうしても膂力負けするからな。そのまま斬ってもらって再生したほうが早い。

 そうして斬られた腕で、地面に円を描く。円の中には四角、四隅に三角三つずつ。

 

「!」

「へぇ、良く避けるな! 流石は"最強の眼"だ」

「……二回ほど老眼だと馬鹿にされた覚えがあるのだがな。それにしても」

 

 錬成陣から生み出されたのは棘だ。かなり歪な棘。だけど先端がちゃんと鋭利だから、もしこれの直撃を食らえば体に風穴があいていたことだろう。

 ちなみに意味は四角形で円柱の形成、上面の回転、全体の引延、硬度の補強の四要素を補填しつつ、三角形でアームストロング家の錬成陣の汲み取り……大地と力と己を表している。三つ必要なのは俺が造形下手だから。ティム・マルコーとかは一つで良かったからね。練度の差って奴。

 

「攻撃的な錬金術。ようやく使うようになったのか」

「実用性に欠けるから微妙だけどな。つーか戦場に出くわしたところで戦うかどうかは別の話だし」

「私とのこれは?」

「こんなん遊びだろ?」

「ほう、ならばもう少し上げてみるとするか」

 

 蹴り上げられる。

 軍刀の一本を自らの背にある鞘にしまっていくブラッドレイ。けれどその柄は握ったまま。つまるところ、居合切りによる満月大根切り……もとい両断をする気なのだろう。

 

 普通なら避けない。普段なら避けない。両断されても特に関係ないから。

 だけどこれは遊びだ。演舞だ。

 ならば、できうる限り対処してやるのも面白いだろう。

 

 左の掌に五指を当て、ぐるりと回して円を描く。一本の指でやるより早く描けるこれは、さらに指を閉じることで五本の線を刻めるお得仕様。各所に刻むのはKa(幽体)P(医術)Om(名前)Ba(心理)Di(分散)

 

 それを発動させつつ、自身の額から腹にかけてまでに錬成陣を刻んだ手を滑らせる。

 

「ぬ!?」

 

 本来であれば最後の文字はGaだ。ガモニムス、聖王の婚姻は錬金術的に言えば結合を意味し、つまり精神と名前、心を治療する、という意味を発揮する。その反転、ディアジギオ……離縁、離別、別れを刻み込んだ。

 生憎と俺の精神も名前も心もこの程度の生体錬成じゃ引き裂かれない。だから余剰効果として「引き裂く」という結果だけが残り、それが肉体に作用する──とかいう、ぶっちゃけ遠回りも遠回りな錬金術。多分他の錬金術師ならそのまま「二分する」みたいな記号を持ってこれると思う。

 

 で、まぁ要約すると頭から腹までぱっくり裂けるってコト。

 降り注ぐは血のシャワー。流石に緑礬は使わないけれど、目を頼りにするブラッドレイに対して目つぶしは有効な手段だ。

 

「く……ふん!」

 

 けれど、それでもブラッドレイはタイミングだけで俺を両断してきた。

 やるねぇ。見えていないのに的確だ。

 

 だけど、斬られる前に自ら切れたのには意味がある。

 

 ぐじゅり、という音は、ブラッドレイの首筋から。

 そこに付着した皮膚の一片から再生したのだ。あっちの身体は囮。

 

「獲った──」

 

 俺はメスを取る。死にゆく身体から落ちてきたメスを。

 強制肩車みたいな状態になって、俺は、ブラッドレイの首筋にメスを突き立て──。

 

「っ!?」

 

 られなかった。

 

 焔に灼かれたから。

 二連、三連と続く小規模な爆発と炎は、俺をブラッドレイから引き剥がす。

 

「……助かったよ、マスタング大佐」

「いえ。御身がご無事でなによりです」

 

 それでも。

 それでも関係ないとばかりに再生する俺に、今度は地面から生えてきたグーが突き刺さる。

 

「おお、アームストロング少佐か」

「オレ達もいるんですがね」

「ム? ……ああ、小さすぎて見えなかった。エドワード・エルリック君、久しいね」

「──」

「兄さん、抑えて抑えて。相手は大総統だよ。一番偉い人だよ」

 

 さて。

 吹き飛ばされてあげるべきだ。これは茶番なのだから。でももうちょっと、もうちょっとと──アレックス・ルイ・アームストロングの作り出した鉄の拳からずり落ちて、再生する。

 

 肩についた土を払い、再度立ち上がり──こちらに軍刀を向けるブラッドレイ。

 その横で発火布をぴしっと付け直すロイ・マスタングと、なんかポーズとってるマッチョメン。

 

 そして──強い眼でこちらを見る少年二人。

 

 沈黙。にらみ合い。

 

 耐えきれなくなったのは、民衆だった。

 

「ヴァ──ヴァルネラ医師! どういう、どういうことですか!?」

「私たちが実験動物ってなに!?」

「幾ばくも無い命とは……ご説明ください、神医ヴァルネラ!」

「そのままの意味だよ、化け物」

「!」

 

 間髪入れずに答える。考えている素振りさえ見せない。

 当然の事だよ、という風に言う。

 

「気付いているんだろう? 自分たちが人間として蘇ったわけじゃないことくらい」

「……!」

「え……!?」

「食事は喉を通らない。抱き着かれても温もりを感じられない。感覚もない。汗もかかなければ疲労もない。──夢のような永遠の命は、まるで夢の中のように実感がない。痛み、衝撃、苦しみ、感触。生きていれば必ず直面するこの世界に対するフィードバックが欠片もない──その身体」

「そ……れ、は。いずれ戻ると、あなたが言ったんじゃないですか、ヴァルネラ医師!」

「今ないモノがいつか戻るはずがないだろう。今まで何を見て生きてきたんだ? 木偶の坊め」

 

 そん、な、と言って。

 ゾンビの男性が膝をつく。

 

 ──その衝撃で、彼の膝がボロッと折れて、取れた。

 

「あ……え? 俺の足……」

「ハハハハ、メンテナンス不足だな。肉体なんだ、腐るに決まっている。防腐処置をしなければ体はボロボロに崩れ落ちていくだろうよ。なぁ、気付かないよなぁ、自分じゃあ。なんせ臭いを感じ取れない。味もわからない! なまじっか目が見えているだけに周囲も勘違いするよなぁ──生き返ってからまだ、生き返った実感がわいたことが一度もない、なんて、周囲からはわからないもんな!」

「……お」

「ん?」

「俺を、俺をこんなにして!!」

 

 男性は急に立ち上がる。片足で、つまりもう片方の足が潰れることも気にせずに、俺に詰め寄り、俺の胸倉を掴み──涙を流す機能なんて活きていないから、ただ悔しそうに顔をゆがめて。ああ表情は作れるんだったか。

 微妙なとここだわるな。

 

「何がしたかったんだ! アンタは、アンタは人類史に名を残す、医学の神じゃないのかよ……ッ!」

「だから、お望み通り人類は救っている。人類の心も最近治療したぞ。死者をもう一度蘇らせるという形で、未練ある者、無念を残す者と再会させた。どれほどの人間の心が癒えたことか。俺の研究の副産物として得られた恩恵がそれなら、これほど良いものはない」

「俺達の感情は無視かよ!」

「当然だろう。死人の感情になど興味は無い。ハハハ、それともなんだ。死んで尚も心配してほしいのか、ゾンビ。死んだ後にまで遺した者の心に傷をつけたいか? 引きずり、引き摺り、引き摺って引きずって、あるいは後を追うようなことまでしてほしい、カ──」

 

 最後まで言えなかった。

 頭蓋に拳が突き刺さったからだ。

 

 機械鎧の、拳。

 

 エドワード・エルリック。

 

「もういい」

「……ハハ、何を怒っているんだよエドワード・エルリック。医学に代表されるように、人類の進歩は無数の人体実験の賜物だろ? いつか俺の不老不死(これ)も、全人類に適用できるかもしれないんだ──なぁ、そのための礎なんだよ、彼らは」

「もういいです、ヴァルネラさん」

「……甘ちゃんめ。綺麗ごとばかりの──」

「口を閉じろと言っている。ヴァルネラ」

 

 口腔が火に包まれる。ロイ・マスタングの焔の錬金術だ。

 おー、おもしろ。

 それでも起き上がろうとしたら、今度は眼球が。成程エンヴィーが嫌がるわけだ。

 

「わからんなぁ……わかってくれない理由が、まった、く──」

 

 その後も。

 俺が消し炭になるまで──ロイ・マスタングの攻撃は続いた。

 

 続いたのだった。

 

 

 

** + **

 

 

 

 大総統府の廊下を歩く複数人。

 内一人──飛びぬけて身長の低い豆粒ドチビことエドワード・エルリックは、これでもかというほどに「不満です」という態度を隠さずノッシノッシと歩いていた。

 

「機嫌を直せ、鋼の。私だって良い気分ではないのだ。だが、必要なパフォーマンスだった」

「あんな悪趣味なヒーローごっこが必要なパフォーマンスだぁ? もっとやり様あっただろ!」

「そうは言うがな、エドワード・エルリック。この国に蔓延してしまった病ともいえるゾンビ……彼らの定めはもう決まっておる。それによって再び起こるであろう悲しみをどうにか軽減すべく画策されたのが今回の計画なのだ」

「わかってますよ……僕も兄さんも、理解はしてるんです。でも納得行かないっていうか……」

「はっはっは、若者だな。とはいえ私もすべてに納得が行っているわけではない。私とてヴァルネラの友人なのだ。彼一人を悪者に国民の心を一つにする、など……面白い話ではないのだよ」

 

 中央司令部、大総統の執務室に入っていく国家錬金術師たち。プラスアルフォンス。

 

 部屋に入り──まずやったのは、監視カメラや盗聴器の類が無いかのチェック。

 無かった。

 そしてカーテンを閉めて。

 

 机の上に、人差し指の第一関節までを置く。

 

「……これが、ヴァルネラの」

「本当に……生き返る、んですよね?」

 

 答えは沈黙だ。

 エルリック兄弟の疑問に、けれど答えられない。何故なら誰も彼の不老不死の仕組みを知らず、付き合いの長いブラッドレイでさえここまで長い時間ヴァルネラが再生しなかったところを見たことが無いからだ。

 

 緊張が走る。

 指は。

 

 ──動かない。

 

「……おい、まさか──アイツ嘘吐いたんじゃねえだろうな」

「嘘、というと?」

「わかんねぇ大佐じゃねえだろ。──オレ達に本気でやらせるために、嘘吐いて──」

「いや俺そこまで善人じゃないよ」

 

 パカァと。

 天井の一部が開き、金髪金眼の少年が降りてくる。いつもの深緑色のローブ──ではなく、真っ白な、法衣とも取れるローブを着て。

 

「ハロー、ん? どうした、空気が葬儀だが」

「……ヴァルネラ。お前、打ち合わせの時にこの指から再生すると言っていたように記憶しているのだが、アレは嘘かね?」

「おん。バリバリ嘘」

「……嘘を吐いた理由は?」

「理由? ……ワンチャンこのまま逃げられるかな、とか思ったのはある。ダルいし。でもまだ支払ってもらってない代価がいくつかあるの思い出して、外で再生してフツーに戻って来た。よう、エドワード・エルリック。あのタイミングでのパンチは最高だったぜ。俺アレ以上何言っていいか考えてたもん」

 

 ケラケラと笑うヴァルネラは──まぁ、空気が読めないので。

 部屋の中のボルテージが上がっていることになど気づけないだろう。

 

 特に豆粒ミジンコドチビなんかは、最早人の形ではない悪鬼羅刹のようなデフォルメ感を醸し出しながら怒り狂っているのだけど、それにさえヴァルネラは気付かず──神妙な顔を作る。

 

「さて──話し合いの時間と行こうじゃねえか、若人」

 

 中央司令部内で、殴る蹴るなどの暴行、斬る刺す突く焼くなどの殺人未遂がどーたらこーたらとか。

 被害者に怪我が無かったので誰も何の罪にも問われなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 刹那の訪れ

 つまるところ、茶番である。

 

 フラスコの中の小人を殺したとて、ゾンビはいなくならない。俺の見立てではゾンビの保存期間は一か月くらい。死体にしちゃ長い方だ。フツーは二日三日で腐り果てるからな。

 元々防腐剤の類が塗布されていたのだと思われるけれど、こうやって放逐されてからはそれがなくなって、結果ボロボロと崩れるようになった身体で俺に治療を求めに来ている、と。

 

 冬は越せないんじゃないかなー、なんて零したら、混乱を避けるために一芝居打たなくてはな、とのことで。

 

 順を追って話せば、まぁブラッドレイだ。ブラッドレイが屋根暮らしのヴァルネッティをしていた俺を見つけ出し、まず中央司令部へ。なんとそこには難しい顔をしたロイ・マスタング君が。すわブラッドレイがホムンクルスである関連で脅されているのかと思ったら、どうもそうではないっぽい。

 その後ちょっと待ってたらアレックス・ルイ・アームストロングとエルリック兄弟まで現れたではないか。

 

 それが冒頭に繋がる、と。

 

「これで、ゾンビ諸君に自分たちの命には限りがあることが周知された。その周囲の人間にも彼らの苦悩が伝わったことだろう。最期の時までを、今度こそは戦争などではなく、ちゃんとした別れで終わらせることができる」

「……それはスゲー良いことだと思いますけどー、なんでこのチビを悪者にしなきゃいけなかったワケ?」

「ちょ、兄さん。大総統だよ大総統、一番偉い人だよ!」

「はっはっは、構わんよ。若者はそれくらいで十分だ。それで、ヴァルネラを悪者にしなければいけなかった理由は単純。敵がヴァルネラを悪者にしようとしていたから、だ」

「……」

 

 そう、敵──。

 フラスコの中の小人とは別の思惑で動いているのか、はたまたこれさえもフラスコの中の小人の計画の内なのかは知らないけど、此度の設定ではブラッドレイと俺には共通の敵がいて、それに対抗するために仲間を集めたい、みたいな感じ。アレだね、ブラッドレイの正体がわからなかった時の気の良いおじさんムーブ。

 で、その敵とやら。

 おそらくは軍上層部の誰かが俺に罪を被せようとしていたのは確実だった。俺がああやって堂々と宣言せずとも、当然彼らゾンビの身体は腐り落ちていただろう。そうなっていた時、「永遠の命とはなんだったんですか」と神医ヴァルネラに苦情が殺到するのは目に見えていて、さらにはそれが殺意やら何やらに変わるのも時間の問題。

 敵はそれを読んで俺の名を名乗ったはずだし、俺がそういう状態に陥ることで得られる何かが敵にはあったんだろう。

 

 だから、もっと早めに悪者になって計画を狂わせちゃえ☆ 作戦だ。

 それも敵が想定している以上の悪者──俺が「ソンナコトシテナイヨー、タスケテヨー」って逃げて泣き寝入りしている間に軍側として発表する予定だったのだろう俺の罪状を、もうこれでもかってほどにグレードアップして、尚且つ俺が超悪い奴な感じで演技して。

 あ、勿論モデルはショウ・タッカーですよ。いやぁ勘の良いガキは嫌いだよって言える場面が無かったのが惜しいね!

 

「無論、これにより緑礬の錬金術師ヴァルネラは国家資格を剥奪、家も家財も押収……というよりは財産の全てを押収される。が、別に困らんだろうお前」

「おん。ウチ何にもないよ。居候が物置いてたくらいで、あと一般的な生体錬金術師の家にある研究道具くらいじゃない? 銀行に預けてあるお金は、俺が生きていく上で必要ないものだし。国庫にしちゃいなよ。そこそこ莫大ではあるからさ」

「……」

「納得が行かない、という顔だな鋼の。私も同じだ」

「……そうは言うけど、大佐はもっと前から知ってたんだろ? ホークアイ中尉達ずーっと大佐のこと待ってたぜ。行ってやらなくていいの?」

「む? 中尉とは通信で会話済みだぞ。フュリーが早々に回線機構を作り上げてくれてな。大総統にも、完全な緘口令を敷けるのならば、という条件のもと話していいと言われている」

 

 もうなんとも言えない顔というか、スライムみたいになるエドワード・エルリック。

 アレかな? ホーエンハイムがいない間お留守番してて、リザ・ホークアイからイシュヴァールの昔話とか、ロイ・マスタングのアレソレとか色々聞いててセンチメンタルになってたのかな?

 

「……ハボック大尉とブレダ少尉は?」

「それについては後で話そう。鋼の、今は私事を話す場ではない。ああ無事ではあるから安心しろ」

「……へーい」

 

 おほん、とブラッドレイが咳ばらいをする。

 

「改めて──諸君。敵が誰なのかは未だわからず、その所在、目的も曖昧なままとはいえ、少なくともここに一致団結したことは納得してくれるだろうか」

「はい。私はこの国を使って何かをしようとしている連中を許せませんので──大総統閣下に従います」

「吾輩もまた、アームストロング家故に。そして姉上がヴァルネラ殿に世話になったと聞き、さらに、さらに忠誠を!」

「オレ達も、とりあえずこのゾンビ騒ぎなんて悪趣味なことやってる連中はボッコボコにしてぇから、それでいいよ」

「僕も同じです」

 

 一致団結というか利害の一致だよね、とか。

 余計なことは口に出さない。あれ? 今俺空気読めてね?

 

「ヴァルネラ、お前は?」

「お前が払う代価次第」

「……いいだろう。ではまず、君達に一つ開示しておかねばならないことがある」

 

 全員の──俺以外の皆の頭の上に、クエスチョンマークが浮かぶ。

 

 ブラッドレイの秘密。

 それは、勿論。

 

「私は人造人間(ホムンクルス)だ。といっても、肉体はただの人間だがね」

 

 言いながら眼帯を取るブラッドレイ。

 その左目に浮かぶ、ウロボロスのマーク。

 

「……っ!」

人造人間(ホムンクルス)──暴食(グラトニー)嫉妬(エンヴィー)と同じ!?」

「あのラストって姉ちゃんも確かそうだったよな」

「うん。そしてそもそも、父さんが言ってた全部の黒幕……フラスコの中の小人、という人も」

 

 全部の黒幕、ねぇ。

 はてさてだなぁ、まだ。

 

「そうだな。私は憤怒。ラース、と呼ばれている。……が、君達に敵対するつもりは毛頭ない」

「それを、信じろと?」

「信じないのならそれで結構。ちなみに私は2秒もあれば君達を殺し切れるが、どうかね? ああそこの不老不死はカウントせずに」

「……それは脅しか? 大総統閣下殿」

「いや、信じて欲しいということだ。君達を殺すことが目的に含まれているのならとっくにやっている」

「利用価値があるから残している、という可能性は?」

「無論ある。だから信じる信じないは君達に任せる。ただ君達にわかってほしいのは、私が武勲で大総統にまで上り詰めたといえど結局は60を越える老人──などではなく、君達よりはるかに強く、戦力として期待できる、ということだ」

「ちなみにそれは俺が保証する。刺青の男(スカー)達全員でコイツに襲い掛かっても勝てるかどうかわかんないくらいには強いよブラッドレイは」

 

 だから俺刺青の男(スカー)兄にフラスコの中の小人の居場所教えなかったんだし。

 ぜってー無理だね。フー爺さんとバッカニア大尉の死闘、グリリンからの傷、列車爆破からの生存とそっからの全力ダッシュ、戦車とか潰したりなんだりをやった上で、両腕刺青傷の男(スカー)と互角以上、最後日光の反射がなければ全然傷の男(スカー)の負けあっただろうし。

 どんだけつえーんだよこの爺さん本気で。

 

「ま、いいや。アンタはめちゃんこ強い! んで、オレ達を殺す気はない! それだけだな?」

「ああ、それだけだ」

「オーケーだ、大総統閣下殿。そんで、ヴァルネラじゃねえけど、これからの話をしようじゃねえか。ゾンビになった民間人にはその"限り"を伝えることができた。これをやったら、その敵とやらはどう動くと思ってんだ、アンタらは」

「……恐らくだが、偽のヴァルネラとやらが表舞台に出てくるものと思われる。こちらのヴァルネラがこうも悪者になった以上、あちらでヴァルネラを名乗る何者かも悪事をやりやすくなるだろうからな」

「ああそうそれ。言い忘れてたわ」

 

 話の腰を折るな、という視線が突き刺さる。

 いやしょうがないじゃん言い忘れてんだから。

 

「名前。ヴァルネラじゃなくてクロードでいいよ。元からヴァルネラは偽名でさ。本名はクロードなんだよね。あっちのヴァルネラとかこっちのヴァルネラとか偽とか本物とか、ダルいだろ?」

「……慣れませんが、いいでしょう。どの道その姿のあなたをヴァルネラ医師などと呼ぶと混乱が起きそうだ」

 

 この真っ白な法衣の金髪金眼少年を、ってか。

 

「……クロード=ルイ・アントワーヌ・デクレスト・ド・サン=ジェルマン……だったか」

「おん? なんで俺のフルネーム知ってんの、エドワード・エルリック」

「……。……ホーエンハイムから聞いた」

「……ああ俺が生まれた場所に行ったのか。つーことは何、もしかしてホーエンハイムずっとクセルクセスにいたの? あぁなるほどなー」

 

 だから会わなかったのか。

 ……何してたんだよ十年間も。あそこなんもねーだろ。

 

「クロード……なんですと?」

「クロードだけでいい。長いからすぐに覚えられないんで名乗らないんだよ普段。はい、話の腰今治したから、続けてくれブラッドレイ」

「……お前は。まぁ良い。では続けよう。つまり、アメストリスのどこかでヴァルネラがまた悪事を犯すはずだ。そこを叩き、ヴァルネラを名乗る何者かと、ゾンビ化の技術を取り押さえる。出来得るのなら黒幕にまで辿り着きたい所だが……すべての黒幕と呼ばれていた我が父は死んだ。私の兄弟に殺されてな。故、あまり深追いはしないように。危険すぎるゆえな」

 

 つまるところ、待ちの姿勢である。

 が。

 

 それができないのがここに一人。

 

「しつもーん」

「なんだねエドワード・エルリック君」

「アンタの他の人造人間(ホムンクルス)はどうしてんだ? 敵対してくる可能性は?」

「十分にある。特に暴食(グラトニー)傲慢(プライド)嫉妬(エンヴィー)と呼ばれる人造人間(ホムンクルス)は危険だ。グラトニーは理性的でなく、プライドとエンヴィーは人間を見下している。出くわしたら何かをしてくることは確実だろう」

「他のは?」

色欲(ラスト)はわからんな。理性的で話し合いもできるタイプだが……如何せん、私が腹を割って話そうとするたびに"夫人に言いつけるわよ"などと言われて逃げられてしまっていた」

「ああ。まぁ傍から見たら浮気ですね」

「姉弟なのだがな。そして強欲(グリード)は大丈夫だろう。ヴァ……クロードと共に行動していたこともあった上、そもそも奴は人間を見下していない。理性的な会話が可能で、取引もできる。むやみに命を奪うことに快楽も抱いていない」

「それだけ聞くと、ただの人間と同じですね」

「……はっはっは、……ああ、そうだな」

 

 感慨深く、少しだけ、ぼそりと。

 人間から人造人間(ホムンクルス)になった存在として、思う所はあるんだろう。

 

「おや、グラトニー、プライド、エンヴィー、ラスト、グリード……そして閣下がラースと。七つの大罪を冠するのならば、あと一人……スロウスにあたる者がいるのではないですかな?」

怠惰(スロウス)は死んだ。そこの不老不死に殺されてな」

「まー、いい機会だったからな。殺したよ」

「……」

「……」

「アレックス・ルイ・アームストロング」

「……なんですかな、クロード殿」

「今これ俺空気読めてなかったか?」

「失礼ながら……かなり、かと」

「おーん……これよくやるんだよな。マジで。別に治したいとかじゃないんだけど、空気冷えっ冷えになるのは迷惑じゃん? やっぱ俺喋らん方が良いかねこれ」

「ううむ。クロード殿。一つ助言をいたしますと、吾輩たち人間は生物の生死については敏感でして……たとえ人造人間(ホムンクルス)であっても、殺した、という発言は、その」

「あー、なーほーね? おっけーおっけー。ちょいやり直すわ」

 

 言い直す。

 

「まー、いい機会だったからな。消滅させた」

「話を進めるぞ。"お父様"……フラスコの中の小人と君達が呼ぶ我らが父がいなくなった今、人造人間(ホムンクルス)を取り纏める存在がいなくなってしまった。つまり、規律戒律が解かれてしまったのだよ。よって私には彼ら彼女らがどこにいるかわからないし、何をしているかも把握できていない。ゆえ、十分気を付けて欲しい、としか言えない」

「わかりました。十分に気をつけます。……ですがもし、襲われたのであれば」

「殺していい。私を含め、人類の害となるのなら、迷わず殺せ。ただ油断はするな? 奴らは狡猾で強靭だ。クロード程ではないが再生もする」

「りょーかい。気を付けるよ」

 

 ええとあとは、と。

 言葉を探すターンが挟まって。

 

 そうだ、とブラッドレイが手を打つ。

 

「ロイ・マスタング君」

「はい。……はい?」

「君を次期大総統として推薦する。周囲にも話は通しておくから、準備しておくように」

「……はい?」

「他、聞きたいことがある者はいるかね?」

「別に待ちの姿勢じゃなくとも、ガンガンに聞き込み調査してバンバン叩きまくっても良いんだよな?」

「勿論良いが、目立ちすぎてヴァルネラを名乗る者達が引っ込んでしまわぬようにだけ気を付けてくれたまえ」

「りょーかいっと。んじゃアル、善は急げだ、まずはラッシュバレーに行くぞ。あああと大佐! 次期大総統就任おめっとさん!」

「え、ちょっと待ってよ兄さん! あ、大佐。次期大総統就任決定おめでとうございます。それと、ハボックさんとブレダさんのことは、信頼してます!」

 

 まぁまだ決定したわけじゃないけど、ブラッドレイの発言力は強大だろう。

 決まったようなもんだ。

 

 それに、彼は"悪の錬金術師を倒した正義の錬金術師"──ヒーローになったわけだからな。

 国民人気は高いぜぇ?

 

「それでは吾輩も失礼しますぞ。ところでクロード殿、姉上とはその、良い空気になったりは」

「してないねぇ。つーか見た目の歳の差エグすぎだろ。俺と婚姻結んだら少将の方がバッシング食らうぞ。あと俺もう今何の功績もない一般10歳だし」

「む、むぅ……しかし姉上もそろそろ結婚適齢期……を過ぎつつありまして……」

「ならばマスタング君などどうだね? 次期大総統だ」

「いえ、マスタング大佐には心に決めた人がおります。それはできませぬ」

「な、黙って聞いていればアームストロング少佐! 誰の事だそれは!」

「……それでは失礼いたしますぞ!」

「逃げるな!」

 

 まぁリザ・ホークアイなんだろうけど、なんか言ってたよな。

 くっついちゃったら、大佐と中尉の関係でいられないから云々、みたいなこと。

 

 大総統になりゃ解決だな!

 

「……はあ。では私も失礼します。大総統、次は、こういうことはもう少し前から……そしてああいう騒がしいののいないところでお願いしますよ」

「次はないだろう。なんせ君が大総統になるのだから、一般市民の私から大総統たる君に耳打ちすることなどなくなる」

「……わかりましたわかりました。謹んでお受けいたします──それと」

 

 ロイ・マスタングは、俺を見て。

 

「まだ何も終わっていない。まだ何も解決していない。──クロード医師。そう簡単に逃げられると思わないでください。逃げるというのなら、私は地の底まで追っていく所存です」

「地の果てじゃないんだ」

「地の果てだとあなた泳いで行くでしょう」

「それはそう」

 

 地獄は行き止まりってか。

 

「では、失礼いたします」

「うむ。気を付けてな」

 

 ロイ・マスタングも、去る。

 

 つーことで。

 

「──さて、ようやく本題か、ブラッドレイ」

「ああ」

 

 

** + **

 

 

 

「まず三文芝居の代価……は、楽しかったからいいや」

「ほう? いいのかね?」

「どうせお前も用意してないだろ」

「ああ、していないな」

 

 長机の上に座り、膝を組んで話す。行儀が悪い──結構!

 

「フラスコの中の小人はどうした」

「知っての通り死した……はずなのだがな」

「歯切れが悪いな」

「正直私にもわからんのだ。お前の報告が確かならば、"お父様"は余程消耗していた。だがあの方がそこまで消耗する理由がわからん」

「まぁ、だよな。ゾンビの中にクセルクセス人なんかいなかったし」

 

 全員、アメストリスの人々だった。

 これでクセルクセス人がいたらアイツの中から使ってる、が通らなくもないんだけど、アメストリス人の魂を取り込む、ってのは「約束の日」までやってなかったはずだから、恐らく違う。

 

 そして。

 

「お前その言い方……出家したか?」

「少し前に、言われたよ。傲慢(プライド)から──"憤怒(ラース)。貴方は人間に近づき過ぎ、その思考、在り方までもが人間になってしまいました。よって本日付けで貴方を私達の兄弟から外します"と」

「解雇通告じゃん」

「なんとでも言え。……その後"お父様"のいる場所に行こうとしても、プライドの影が塞ぐばかりだった。攻撃はしてこなかったがな、アレは斬れん。ので帰った」

「パーペキに離縁宣言されてんじゃん」

 

 フラスコの中の小人がいなくなって、人造人間(ホムンクルス)が仲違いを始めた?

 ……しっくりこねぇな。

 

 そもそもなんだっけ。

 あれほど強大な力を持つ人造人間(ホムンクルス)達が負けた理由って、早期も早期にラストが死んじゃったから、みたいなのを見た気がする。グラトニーからもエンヴィーからも好かれていたラスト。生まれた時期も早く、カリスマもあった彼女が、此度においては生きている。

 それが……鍵、だとは思うんだけど。

 

「結局ゾンビ騒動はお前らの仕業なんじゃねぇの?」

「知らぬ。私が彼らと袂を別った後にゾンビ騒動は起きている。私は関与しておらん」

「ほーん。セリムは?」

「沈黙だ。家族でいる時はいつものようにセリムを演じ、二人でいる時は完全な沈黙。取り付く島もないわ」

「嫌われてんなー完全に」

 

 破門……じゃないけど、いやマジで解雇だな。

 グリードとラース解雇って大丈夫か人造人間(ホムンクルス)。戦力大幅ダウンだぞ。グリードは元からだけど。

 

「どう思う?」

「ゾンビ騒動についてかね?」

「ああ。俺は一応フラスコの中の小人の計画の一部だとは思っている。けど、軍上層部の不老不死を欲する奴らも噛んでると考えている」

「私も概ね同意見だ。……マスタング君に引き継ぐ前に、膿は全て吐き出しておきたいところだが」

「へぇ、なんだよ殊勝だな。そんないきなり人間側に付くのかお前」

「生まれた時から足元にレールがあった。その上を歩くだけの人生だった。──それが、突然レールがなくなって、好きな場所に行けと言われたのだ。何かを成し遂げてみたい、と思うのは普通ではないかね?」

 

 へー。

 いいじゃん。それだぜ、ブラッドレイ。

 俺に無いもの。だから普通じゃなくて、ちゃんと特別なんだよ。言ってやんねーけど。

 

「錬金術師としてはどう見る?」

「……人間ってのはさ、勝手に移動する生き物だ」

「……」

「帰巣本能っつーか帰郷本能とでも言い換えたらいいかね? 寂しくなったり、久しぶりに来たり、あるいは──永い眠りから覚めたりして、自分の居場所がわからなくなったりしたら──人間は勝手に移動するんだよ」

「勝手に移動する……」

 

 自分の意思じゃない。

 自分の意思だと思っている奴が過半数だろうけど、違う。

 

 中にはいるんだ。寂しいと思ったらその場で仲間を作って安堵を埋められる奴が。  

 中にはいるんだ。居場所がなくなったら、自らで居場所を作れるような強い奴が。

 

 でも、大体が弱い奴だから、大体は帰る。

 もうそこに家族がいなくとも、友達がいなくとも、故郷が、家が更地になっていても。

 懐かしいという感情が暖かいから、それを求めて移動する。

 

「大総統令3066号。イシュヴァール殲滅戦。──あん時に徴兵した兵士は、どんだけいた?」

「……」

「ああ、人数はいいや。だから──北部、西部、南部から来た兵士はどんだけいたか、って話」

「相当数、だな」

「じゃあそいつらがさ、今、セントラルの病院で目覚めたら──どこへ行くだろう」

 

 セントラルに家族がいる奴は良い。

 そこで幸せを学べる。再認識して、最後には砕け散る。

 

 そうではない奴は、そうなる前に、時間切れが来る前に、と。

 

「向かうよな。それぞれの家に。勝手に移動してくれる。勝手に線を描いてくれる。──円は実は要らないんだわ。天体が勝手に作ってくれるから。あとはそこに、必要な分の記号と文字があれば錬金術は発動する」

 

 日食によって落ちる月の本影。

 その存在を知っていたのがホーエンハイムだけ、なんてワケないんだ。

 フラスコの中の小人だって十分に考えつく可能性があった。だってアイツだってそれを、影の方じゃないとしても、日食そのものを狙っていたのだから。

 

「死んで良いんだよ。腐っていいんだ。そうすれば勝手に刻まれるから。──人間が、大勢の人間が、うじゃうじゃいる人間が、勝手に錬成陣を刻んでくれる。巨大な国土錬成陣を、だ。人造人間(ホムンクルス)を使うことなく、な。まぁ重要な記号は洗脳して操ったかもしれんが」

「……我らを不要と断じたか、父は」

「そこは知らん。アイツ家族欲しがってたし、不要になったんじゃなくて惜しくなったのかもしれん。俺がスロウス殺した時に、寂しくなったのかもしれん。そこはアイツに聞けよ、家族だろ」

「聞く前に死んでしまった」

「はン、アイツが何にも為せず、あんな風に諦め良く死ぬかよ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だと喚いて泣き叫んで、手を伸ばして何かに縋って頼む頼むと誰かにせがんで──そうやって死んでいくのがフラスコの中の小人だ」

「つまりお前は、父は死んでいないと……そう言うのかね?」

「じゃあお前は、アルフォンス・エルリックは死んでいると、そう罵倒するのか?」

「……質問の意図がわからんな。回答を控えさせてもらおう」

 

 なぁに、俺はそう思っている、そう考えているって話だ。

 

「っと、じゃあそろそろ俺は行くよ、ブラッドレイ」

「どこへ行くというのかね。この国にはもうお前の居場所などないぞ」

「ローブの色変えたから大丈夫大丈夫。──ああ、そうだ。最後に一つ。全然また来るつもりだし、何が最後なんだ、一つでさえないではないか、ってツッコミは全く受け付けないけど、最後に一つ言っておくことがある。ブラッドレイ」

「なんだ」

 

 夕暮れの空を背景に、ってのは、中々乙で良いな。

 

「憤怒。お前の恐怖は悪であることだろう。お前は憤怒だからこそ、善良でありたい。怒りは善良の側でこそ最も昂るものだからな。善良で高潔でありたいんだよ、お前は」

「……わかったような口を利くものだ」

「お前は今、不安な状態にある。何故って今、お前の中はぐちゃぐちゃだからだ。敷かれたレールの上を走るだけ、というだけでしかなかったお前の世界観に、突然レールの無い世界が現れた。今お前が成し遂げてみたいと思ったことは偽善だろうか。今の今まで敵対していた者に手を伸ばすのは、その背を押すのは──邪悪だろうか。怖いだろう、ブラッドレイ。悩むだろう、キング・ブラッドレイ」

 

 わかったような口。

 何様。

 おーおー、全部言え全部言え。あっはっは、俺の方が長く生きてる。それだけで理由なんか十分だ。

 

「好きに生きろよ、ブラッドレイ。静穏に長く生きることも、うだるような熱と共に駆け抜けることも、どちらも人間にしかできない特権だ。──化け物の心は凪いでるぜー、一生な」

 

 仰向けになって。

 窓から、落ちる。布から血を抜く錬成陣をメモ帳から取り出してーっと。

 

「んじゃ、俺に対しての責任感とか罪悪感とか要らねーからな!」

 

 ぐちゃ、っと潰れて。

 ぐじゅり、と再生して。

 パキパキと血を抜いて。

 

 てるてる坊主こと真っ白ローブなクロード君のアメストリス観光の始まり始まりである!

 

 なお、セントラル市民にはソッコーバレかけたのでセントラルにはあんまり近づかないものとする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 兄弟の謂れ

 機械鎧のメッカ、ラッシュバレー。

 エルリック兄弟の幼馴染であり、エドワードの機械鎧技師を務めるウィンリィ・ロックベルが現在修行中であるこの街へ、彼ら兄弟は足を運んでいた。

 偽ヴァルネラを探し出し、ぶっ叩く──という大総統より下された命令、もとい目標は忘れていないが、ホーエンハイムの件とゾンビ騒動から少しばかり時を置いてしまっていた彼女の元へ来た──来たかった、というのが本音であるのだろう。

 

 ラッシュバレーはアトリエGarfiel。技師の名を冠する機械鎧ショップ。

 ウィンリィの師匠である彼の元へ訪れ、彼女の行方を聞いたエドとアルは──愕然とする。

 

「え!? ドミニクさんのところへ?」

「そうよぉ。随分と前に、アタシから教えることはな~んにもなくなっちゃって。天才だとか秀才だとかって言葉も勿論似合うけどぉ~……どこか鬼気迫る感じで、ちょっと心配だったわねぇ」

「それで、今もウィンリィはドミニクさんのところで修行している感じですか?」

「彼が門前払いしてなければ、だケド。あたしとドミニクは別に頻繁に連絡し合う仲、ってわけじゃないからねぇ」

 

 ドミニク。

 にわか景気の谷と呼ばれるほど機械鎧ショップの多いこのラッシュバレーにおいて、それを求める客から遠く離れた崖の上に住む機械鎧技師。

 兄弟の祖母代わりでもあるピナコ・ロックベルの知り合いである他、その凄腕からウィンリィが一度師事をお願いしようとして、ばっさり断られた相手でもある。

 

 そんな彼のところに、ウィンリィが。

 

「……ありがとう、ガーフィールさん。ちょっくら行ってくるわ!」

「ええ、もし修行が行き詰っていたりしたら、アナタのガッツで持ち上げてあげてチョーダイね? あの子、一度詰まるととことん詰まってくタイプだ・し」

「ああ知ってるよ!」

 

 そう、笑顔で。

 かつて渡った山々と谷と橋と云々を越え──着いた先。辿り着いた、ドミニクの家で。

 

 二人は直面することになる。

 今アメストリス全土で起こっている──問題に。

 兄弟はまた──今度は父親がいないときに。

 

 

 

 

 

 

 錬金術を用いて少しばかりのショートカットを図りながら、二人はラッシュバレーで最も高い所にある機械鎧技師の家にやってきた。

 

 やってきて、感じ取る。

 その暗い──悲嘆の雰囲気を。

 

「兄さん」

「わかってる」

 

 近づく。

 近づけば近づく程、静かなのが分かる。

 

 機械鎧技師の家、職人の職場というのは基本的にうるさい。機械鎧は鋼鉄やその他金属をフレームとしているから、形成には必ずと言っていいほど鉄を打つ。鍛冶場がどれだけうるさいか、など説明するまでもないだろう。

 けれど、静かだった。

 誰もいない、ということはない。人の気配はある。

 

 だけど。

 

「……」

 

 逆に、近づいてくるエルリック兄弟の気配に気づいたのだろう。

 ドアが開き、中から人影が出てきた。

 

「リドルさん」

「ああ……誰かと思えば君達か。そうか、ウィンリィちゃんを探しに来たんだね?」

 

 リドル・レコルト。

 兄弟がここに訪れた時に立ち会った奇跡──出産したサテラ・レコルトの夫であり、彼もまた機械鎧技師である。

 けれど、だけど。

 前はにこやかだったリドルの顔も、今は暗い。

 

「ウィンリィちゃんは中で親父の整備を手伝ってるよ。呼んでくるかい?」

「あ……お願いします」

 

 上がって、ではなく。

 呼んでくる。

 

 些細な違いでも、兄弟は感じ取った。中に入ってほしくない──そういう、本当に秘された拒絶の思いを。

 

 そうして、少しばかりの時間を待って。

 出てきたウィンリィは──俯いていて。一歩だろうか、二歩だろうか。

 兄弟が近づいたのか、ウィンリィが近づいたのかさえもわからない。

 

 気付いた時には彼女はエドワードに抱き着いていて。

 泣きついていて。

 

 三人はレコルト家から少し離れた丘陵の窪みに腰を落ち着けて、少しずつ話を始める。

 近況報告、というよりは。

 

 ──サテラ・レコルトについて、だ。

 

「サテラさんね。最近まで入院してたの」

「あ……」

「うん。エド達が旅立つ前、病院に運ばれたきり、ずっと」

 

 エルリック兄弟がダブリスへ行く前に、サテラは緊急搬送された。

 出産時の母体は激しく体力を消耗するし、出血もする。だから稀に母子のどちらかが衰弱するケースがある。サテラの場合はそれで、生まれてきた子供は健康だったけれど、サテラは意識を失うまでに衰弱してしまっていた。

 ウィンリィの対処は完璧だった。素人にしてはよくやったどころか、産婦人科の先生が褒める程の処置だった。ただ、運が悪かっただけ。

 冬に入る前の時期だったのも悪かったのだろう。渇き、少しばかり寒くなっていた空気がサテラの体力を奪い、そして。

 

「で、でも入院してた、ってことは、最近帰って来た……んだよね?」

「……うん」

「良かった……兄さん?」

 

 エドワードは。

 爪を噛んで、怖い顔をして。

 悔しそうに泣きそうに、苦しそうにつらそうに。

 

 言う。

 

「クソ……そういうことかよ」

「に……兄さん?」

 

 レコルト家を見て、ウィンリィを見る。

 

「……サテラさん。帰ってきてから……様子がおかしくはなかったか?」

「……ようやく赤ちゃんを抱けたのに、"温もりが感じられない"って泣いてた。みんなで囲う食事も"味がしない"って……食事の時には言わなかったけど、後で震えながら、あたしに話してくれた」

 

 そこまで聞けば、アルフォンスだってわかる。

 だって自分がそうだから。

 

「夜が長い、って。眠れない、って。……アルがその身体になった時も、言ってたよね」

「うん……一人の夜は、長い」

「赤ちゃんが夜泣きするから都合がいい、とか……サテラさんは無理に笑ってたけど。やっぱり、赤ちゃんを触った感触もないのは悲しい、って」

 

 エドワード達は知っている。

 それがなんなのか。立ち会ってきたばかりだ。それを調査するために動いている。

 自分たちの身体を取り戻すための旅。

 だけど──同時に。

 

「死んだ、のか」

「……わかんない。サテラさんもそうは言わなかったし、お医者さんの方を訪ねたけど、明言はしてくれなかった」

「っ!」

 

 今アメストリス全土で起こっている騒動。 

 緑礬の錬金術師ヴァルネラが巻き起こした奇跡──悪夢。

 死んだ人間を蘇らせるという禁忌の業。医者の領分も錬金術師の領分も超えたこの行いは、その実更なる業を積んだ上に成り立つものだった。

 

 リオールではロゼが。

 セントラルでも、数多くの市民が、その事実を知って、聞いて、わからされて。

 

 あれだけ賑やかだったセントラルは今、とても静かだ。

 誰もが、どの家庭もが時間を使っている。話し合い、思い出づくり、あるいはどうにか延命できないかと医者を訪ね、首を振られ。

 

 件の緑礬の錬金術師ヴァルネラは、不老不死を謳ったくせに、やはりそれさえも紛い物。焔の錬金術師によって消し炭にされ、そのまま帰ってくることはなかった。

 

 だから──怒りの矛先もないまま、愛する人の死を恐れなくてはならない。

 セントラルはこういう状況で。

 

 それよりも情報の遅い地方は──あるいは、自分がゾンビかもわからないままに、ということなのだろう。

 

 サテラ・レコルトも。

 

「ねぇ、エド」

 

 縋るように。

 縋りつくように。

 

「なんとかならないの? 私、サテラさんのあんな顔……もう見たくないよ……」

 

 エドワードは──。

 

 

 

 

 その夜だ。

 ラッシュバレーの山奥。何もないそこに、二人はいた。

 

 晴天、晴天。月の良く見える晴れ空は、だからこそ無心になれてしまう。

 兄弟はそこに寝転がって、月を、星空を見ていた。

 

「……"アルもそうなんだよな"、はナシだよ、兄さん」

「わかってる。今更確認なんか取らなくたって、お前がずっと悩んでるのくらい知ってるよ」

「そっか。僕も知ってるよ。兄さんが、僕をこの身体にしたことを悔やんでいて、僕に恨まれてるんじゃないかー、とか思ってるってこと」

「……恨んじゃいないことも、今はもうわかってる」

 

 エドワードは月に手を伸ばす。

 機械鎧の腕。銀に輝くその腕は、彼が持っていかれた代価だ。

 だけど、禁忌を犯した罪の証たる左足と違って──こちらは弟の魂を取り戻した腕。

 

 それを罪だのと罵ることがどれほど弟を傷つけるかも知っていた。

 だって彼は──アルフォンスは、これだけは、誇りに思ってくれているのだから。

 

「無力だなぁ、オレ達。ここへ来ると毎回そう思わされるぜ」

「……そうだね。サテラさんの出産のときも、今回も。……僕たちには何にもできない」

 

 錬金術。天才。鋼の錬金術師。真理。

 一体それは何だったんだと思うほど──今、無力だ。

 

「こういう時、ヴァルネラさん……クロードさんなら違ったのかな」

「どうだろうなぁ。死んだ人間は蘇らねえ。ソイツを一番わかってるのが、アイツなんじゃねぇの? アイツ自身がそれを覆しているようなもんだけどさ」

「あはは……。不老不死。永遠の命、か」

 

 見た目少年の──ホーエンハイム曰く、「俺以上を生きる何か」。

 軽薄で覇気のない、本気というものが欠片も感じられないあの少年ならば──戦場の神医とさえ謳われたあの少年ならば、この状況をどうにかできるのか。

 

 言っておいて、アルフォンスは。

 聞かれてもやはり、エドワードは。

 

 できないだろう、と感じた。

 

「少なくとも錬金術じゃ、死んだ人間は蘇らせられねえ。……いいや、この世界にある限り、かな」

「"全"は"一"、"一"は"全"、だね。この世界の一個である僕らは、この世界に縛られる」

「この世界の絶対法則なんだ。死者は蘇らない。別にクロードも死んでるわけじゃねえんじゃねえかな。ただ──あり得ないくらい、再生能力が高いだけ。もし本当に、完全に死んだら、クロードだって蘇りはしない。ただ不死だから死なない」

 

 エドワードは自らの額を触る。

 ホーエンハイムに治癒されなくとも、塞がりつつある傷。生物の傷は自然と治癒するものだ。腕と足を失った時のそれも、ロックベル夫妻に手当をしてもらったとはいえ、自然治癒は働いた。

 生きているということだ。多分。

 治ろうとする。元に戻ろうとする。勿論それができない状況、病気、傷は沢山あるのだろうけれど──元に戻ろうとはしているのだろう。

 

 そして、死者達も。

 

「死んだ、か」

「……うん」

「……キッツいなぁ」

 

 覚えている。

 クロードが大総統と茶番をした時、彼に詰め寄った男性を。

 自身の足が崩れ落ちたことに、崩れ落ちてから気づいた彼を。

 

 痛みが無いのだ。

 クロードによれば、感覚が無い。温かみも感じられず、食事もできない。

 

「僕も、ゾンビなのかな」

「……否定してほしいか、アル」

「あはは。どうだろうね。……父さんのおかげで、僕は体を取り戻せることがわかった。僕の身体は生きている。僕の魂はここにある。……僕と彼らは、そこが少しだけ違う」

「生きた魂に、生きた肉体。それを繋げる精神。……だけど、生きた魂と死んだ肉体は結びつかない。……彼らは体を取り戻せない。精神が彼らを結んでくれない」

 

 それは彼らが錬金術師だからこそたどり着ける概念だ。

 普通の人間は、身体さえ治せばいいのだと勘違いする。腐ったのなら取り換えればいい。壊れたのなら直せばいい。

 魂を知らない。精神を知らない。肉体を知らない。

 勿論エドワード達だって全てを理解しているわけではないけれど、それが絶対にできないことくらいはわかる。

 

「なぁ、アル」

「なぁに、兄さん」

「オレ達に何ができると思う?」

「うーん、そうだなぁ。まず、戦闘は……多分大総統と大佐とかの方が強いでしょ?」

「いきなり挫けさせるんじゃねえよ。……医療技術はクロードが段違いに上だ。錬金術そのものも、ホーエンハイムに劣ってる。なんならアームストロング少佐にだって勝ててねぇだろ、多分」

「そもそも師匠(せんせい)に勝てないからなぁ。……あ、卑怯さとかは?」

「あぁ、ズル賢さなら負けねぇか。……勝ってもあんま嬉しかねぇが」

「機械鎧の整備はウィンリィに勝てないし、鍛冶の技術は……そもそも無いね、僕らには」

 

 星空は広い。

 ここは山の上だから、遮るものがなくて、だから余計に広い。

 満天、とはこういう時に使う言葉だろう。

 

「オレ達は、何にもない。何にもできねえ」

「うん」

「じゃあ敵はどうだ。人造人間(ホムンクルス)とかいうの。あぁブラッドレイのオッサンはなしで」

「まだラストさんにしか会ったこと無いからわからないけど、少なくとも僕たちよりはすごくて強いんじゃない?」

「だなぁ。人造人間(ホムンクルス)って言葉自体が強そうだ」

「あはは、何それ」

 

 言葉はマイナスなのに、二人には──少しずつ笑顔が増えていく。

 何故だろう。今、とても。

 

「偽ヴァルネラさん。ただの人間なのかな」

「錬金術師ではあるんじゃねえの? んで多分一人じゃない、複数人だ。じゃねえと20万人のネームプレートなんざ作ってらんねえよ」

「工場があるんじゃない?」

「工場があるとして、どーやって20万人の名前作るんだよ。一々型を鋳造すんのか?」

「あ。……確かに。じゃあ全部手作りなのかな」

「大変な作業だろうなぁ」

「僕だったら気が遠くなりそう」

「じゃあそこも負けてるか」

 

 今、とても──エルリック兄弟は前向きだった。

 何故だろう。何故だろう。

 

 何故って。

 

「んじゃ今どん底だ。アル。アルフォンス」

「そうだね、兄さん。今僕ら、どん底だ。この世界の誰よりも下にいる」

「なら這い上がるしかねぇよな。上しかないなら──あとは昇るだけだ。はは、真理なんてモンを見たせいで勘違いしてたぜ。オレは、オレ達は何にもできねえガキなんだ。錬金術は使えるけど、使えるだけ。必要な時に必要なモンを作り出せるわけでもないし、誰かが困ってる時に手を差し伸べることもできない」

「うん。僕らはずっと自分ばっかり見てて、周囲を見れてなかった。下には誰もいなくて、みーんな上か前にいる。追いつかないと、置いて行かれちゃうね」

 

 エドワード達は──「っし」と起き上がる。

 起き上がって。

 

 そこに、サテラがいることに、ようやく気付いた。

 

「っ……」

「ふふ……ごめんなさい。あなた達兄弟の一念発起、勝手に聞いちゃって」

 

 一気にバツの悪い顔になるエドワードに、けれどサテラは優しく笑う。

 その顔に──憂いはない。

 

「あ、その……」

「ありがとう、二人とも。あなた達の今の会話を聞いて、私もようやく吹っ切れることができたみたい。ごめんなさいね、ウィンリィちゃんに……弱音を吐いちゃって。そのせいで彼女、酷く悩んでいたみたいで……優しい子ね、本当に」

「……うん。ウィンリィは、本当に優しい」

 

 風が吹く。

 山風だ。それは強く強く──あるいはどこぞの不老不死の言う"天命"に近いものだったにも関わらず、兄弟ははっきりと聞いた。

 

「死のうと、思っているの」

「……なんでかは、聞いておきたい」

「止めないの?」

「わかんねぇから聞きたいんだ。……死者が死に帰るのを、止めていいか。オレにはわかんねえ」

 

 エドワードが俯いて言えば。

 サテラはにこりと笑う。

 

「凄いのね。その歳で、そこまで考えて。私がそのくらいの歳だった時は……リドルにスパナを投げて遊んでいたわ」

「ウィンリィと同タイプだ……」

「う、頭の傷がッ」

 

 クスクスと笑いながら、サテラは続ける。

 

「ウィンリィちゃんにはね、誤魔化したけど……私、覚えているの。──自分が死んだ夜のこと」

「……!」

「静かな夜だった。お義父さんも夫も、ちょうど来てくれていたパニーニャも帰って、お医者さんもいない一人の時間になって──その時、雷が鳴って。それが最期だった。私ったら、雷に驚いて死んでしまったみたい」

「……雷」

「ええ、そう。雨も降っていなかったのにね。でもね、不思議なことに、私は死んだ自分を少しの間見ていたの。幽霊になってて……けれど、見回りにきた看護師さんがすぐに私に気付いてくれて、名前を呼ばれた時には、意識を失っていたわ。それで、起きてみたら」

「……生き返っていた」

「ええ、そう」

 

 二人は似たような話を聞いたことがある。あった。

 それは二人の師匠の話。そしてロゼの話でもある。自分を見下ろす霊魂状態。そして光。

 

 この要素だけで、二人の顔を難しくさせるには十二分だった。

 

「でも……この身体は、苦しいの」

「苦しい……どこか痛むんですか?」

「いいえ。どころか痛みは全くなくて。転んで膝をすりむいても、ドアに手を挟んでも……何にも感じない」

「……」

「……」

「そうじゃなくて──心が苦しいの。自分の赤ちゃんを抱いて、体温が感じられなかった時。夫と抱き合って、抱きしめられた感触が無かった時。お義父さんの仕事を手伝って、火を熱く感じられなかった時。……そういう時に、苦しくなった。ああ、私の居場所はここじゃないんだ、って、強く、強く」

 

 エドワードは見る。

 アルフォンスが拳を握り締めていることを。その拳が震えていることを。

 奥歯を噛み締めて、見る。

 

「呼吸ができないの。ふふふ、息ができなくて苦しい、じゃないのよ。──息を吸って、吐く。それができないの。喋れているのに、深呼吸ができない。真似事はできるのよ? でもそれは人間の真似事だ、って──どうしても、自分自身が冷めた目で見ていて」

「……ダメ、ですか。人間の真似事じゃ」

「アル……?」

「ダメ、かな。少なくとも私はダメだった。私は、こんな山奥に住んでいるのに、自然を感じられない。たくさんの家族と一緒にいるのに、家族を感じられない。こんな綺麗な世界に生きているのに──」

「世界を、感じられない」

 

 アルフォンスが言の葉の先を取る。

 そして、しっかり立ち上がって──サテラの前に行く。前に行って、跪いて。

 

「どう……したの?」

「サテラさん」

「……」

「少しだけ事情は違うけど……僕も、そうなんです」

「どういう」

 

 アルフォンスが鎧の兜を取る。

 取って見せる。

 

 中身を。

 空っぽの中身を。

 

「……え」

「僕には身体が無い。錬金術で兄さんが魂をこの鎧に縫い留めてくれているから、辛うじて世界に在れるだけの存在だ。感触もない。眠れない。暖かさも感じない。風の息吹も、暑さも、水の冷たさも、息苦しさも何もない」

 

 空洞だ。

 夜だからさらに、真っ暗闇の空洞。

 

「でも僕は、死にたいとは思わない!」

「……」

「僕は兄さんと一緒にどうにかして体を取り戻す。そういう目標があります。夢があります。でも、だから死にたいと思わないわけじゃない。──僕は兄さんと一緒にこの世界にいたい。僕はウィンリィが作る新しい機械鎧を見てみたい。兄さんが、ウィンリィが幸せになって、父さん達も、ううん、僕が知り合った人すべてが──生きていく世界に、僕もいたい。だから、死にたくない!」

 

 アルフォンスは兜を戻す。

 戻して言う。

 

「だからお願いします。お願いだから、お願いだから」

「──お願いだから、死のうと思ってる、なんて言わないでくれ」

 

 声は。

 アルフォンスのものじゃなかった。

 

 目元に涙の痕を残しながら、サテラの後ろに現れたのはリドルだ。

 無理矢理拭い去ったのだろう。けれどまた、溢れてきている。

 

「ごめん。君の悩みに気付けなかった。僕は君が帰って来たことが嬉しくて、喜んで──パーティにしようなんて言って、君が暗い顔をしていたから、元気づけようと毎日毎日君といろんなことをしようとして」

 

 けれど。

 

「それは──君にとって、苦痛だった」

「そんなことは」

「感触が無い。そんなこと知らなかった。味がわからない。知らなかった。知ろうともしなかった。──知ろうとしたら、してたら、わかってたはずだ。ラッシュバレーには君以外にも"還って来た人達"が大勢いる。少しでも聞けばよかった。気を付けるべきこととか、悩みとか。でも僕は、僕が嬉しいことにかまけて──君を蔑ろにした」

 

 寄って、リドルはサテラを抱きしめる。

 その感触が無いと、体温がわからないと聞いた上で抱きしめる。

 潰れないように、けれど強く。

 

「でも、お願いだから──死ぬなんて言わないでくれ。自ら死ぬなんて、嫌だ。僕は君を失いたくない。今から酷いことを言う。今から呪いの言葉を言う。聞いてくれるかい、サテラ」

「……なに、あなた」

「僕は君に死んでほしくない。いなくなってほしくない。──君が苦しくても、君が世界から疎外感を覚えていても──僕は最期の最期まで、君と一緒に居たい。僕は君が好きだ。僕は家族が大好きだ。──お願いだ、サテラ。死なないでくれ。君の苦痛をわかった上で、僕はサテラを愛している」

 

 そうして、だから、当然のように二人はキスを。

 

「夜中にやかましい。近所迷惑だ」

 

 できなかった。

 リドルの側頭にスパナが突き刺さったからだ。

 

「お、お義父さん!?」

「近所って、ここ山奥、アイタ!?」

「──仕方ねえことは仕方ねえ。どうしようもねぇこともどうしようもねぇ。だが、少なくとも自分が生んだモンの行方くらい、最後まで見届けてやれ。最後まで見届けられないんだとしても、最後になるまで見届けてやれよ。母親の在り方なんざ知らねえが、職人の家に嫁いだんだ。それくらい覚悟しておけ」

 

 それだけ言って。

 ふん、と鼻を鳴らしながら、ドミニクは踵を返す。

 

 その目じりには、しっかりと。

 

「……あなた」

「さ、遮られたけど。サテラ、だから僕は」

「帰りましょう。今誰も赤ちゃんを見ていないなんて、あっちゃいけないことだもの」

「……」

「なぁに? もう一度スパナ欲しい?」

「欲しくない! ……うん、帰ろうか。あぁ、エドワード君たちも寒いから──って、アレ?」

 

 リドルは周囲を見渡す。

 そういえば途中から、エルリック兄弟の姿が見えなくなっていた。

 

「ありがとう」

「え?」

「いいえ、なんでもないわ。ほら、赤ちゃんが泣いているかも。お義父さんじゃ絶対あやせないから、早く戻らないと」

「……うん。帰ろうか」

 

 帰っていく。

 二人は、無愛想な父の背を追い、自らの生んだ命のもとへ。

 

 

 

 そんな「明らかに良いムード」に耐えきれなくなった初心な少年二人は、稜線を切った反対側で息を潜めていた。もうキスのあたりで無理だった。というか自分たちがいて良い雰囲気じゃないと頭のアンテナで察したので逃げるように隠れた。

 

「……ありがとう、だってさ。オレ達なんかしたっけ」

「何にも。僕も似た体だからって見せつけただけかな」

「……でもできることはあったなぁ」

「ね」

 

 どん底にいて、誰にも、何にも勝てなくて。

 なんでもない子供二人。

 

 でも──なにもできないことはない。

 

 

 そしてそれは、さらにさらに隠れた場所で、全部を聞いていた少女も同じ。

 

 

 

 

 

「新しい腕?」

「ええ。ここでの修行中にね、作ってみたの。足はまだだけど……」

「へー。……今着けられるのか?」

「着けてくれるの?」

「たりめーだろ。オレはお前を信頼してんだ。お前が下手な仕事しないことくらいわかってる。新作でも……新作だからこそ、すげーもん作るってな」

「……うん!」

 

 そんな。

 幼馴染の──兄と、どちらも明言はしていないけれど、絶対両想いな二人を見て。

 

 ああ、やっぱりこの世界にまだいたい、と思う弟の図であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 自照の縺れ

 それはゾンビ騒動が始まってすぐのこと。

 行方知れずとなったハボックとブレダを探しに出たロイのもとに、一通の手紙が届いた。

 届いたと言っても郵便受けに、ではない。スリか錬金術か、はたまた別の手段か──いつの間にか彼の軍服に入っていたのだ。手紙が。

 

 手紙。

 それはハボックから出されたもの。

 

 内容は、電話番号のみ。

 当然のように怪しみつつ、ロイは公衆電話からその番号に電話をかける。

 

「ハボックか?」

 

 ハボックをハボックと呼ばずに暗号名で呼ぶ手もあったが、仮にハボックが敵の手に落ちている場合、それが透けてしまう──もしくはそこから全ての名がわかってしまう場合がある。

 だから、そのまま呼んだ。

 呼んだら。

 

 ──"あー、大佐。すんません今動けないんですけど、一応人造人間(ホムンクルス)を捕まえたんで指定の場所に来てもらえませんか"

 ──"アラ? 捕まえられた、の間違いじゃなくて?"

 ──"いやまぁこっちにも体裁ってモンが──あ、ちょ、どこ触って、"

 

 どんがらがっしゃん。

 

 ──"えー、そう、場所、場所。"セントラル西部にある『オーシャンビュー』ってマンションで"

「マンション? 少尉、何故マンションなどにいる?」

 ──"そういうことはもっと正確に言わないとダメでしょ、ハボック……ここは私の家。私がアナタを連れ込んだ家で、アナタが鼻の下を伸ばしてついてきた部屋"

 ──"いやだからソラリス! こっちにも体裁が──"

 ──"私は人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)。大佐さん、ハボック少尉を返してほしくば、このマンションの東棟、二階の一番右の部屋に来ること。──勿論罠だから、相応の覚悟をしておきなさい"

「……人造人間(ホムンクルス)暴食(グラトニー)というのと同じ、か」

 ──"ええ、そうよ"

「ブレダはどうした。共に行動していたんじゃ──」

 ──"ふぅ、人が増えたせいで並んでて並んでて……ほい、少尉、ソラリスさん。飯買ってきましたよー……と、電話中でしたか。こりゃ失礼"

 ──"……そういうことよ"

 

 どういうことだ、と問う前に電話は切れて、それ以降繋がらなかった。

 

 ロイは。

 

 

 

 ダァン、と扉を開けて、発火布を突きつけながら──がっくりと肩を落とす。

 一応、ちゃんと、罠だと思ってきたのだ。あのやりとりは無理矢理やらされている演技で、本当の本当に捕まっているものだと。

 

 まさかオードブルを囲んでいるなどと欠片も思わなかった。ハボックと、ブレダと、見知らぬ女性が。

 

「あら、いらっしゃいマスタング大佐。初めまして……人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)よ」

「大佐、寒い寒い。ドア閉めて」

「すんません大佐。こっちも結構込み入ってて。心配してくれた……んですよね?」

「心配していた。が、今その心配は焼き切れた」

 

 何とは言わないが大きかった。

 色欲の名を冠するだけあって。大きくて扇情的で、大きかった。何とは言わないが。

 

 そんな美女と三人、何故かオードブルを囲ってくつろいでいる。

 二人の手足に枷の類はないし、どれだけ匂っても腐臭はしない。

 

「罠だと思え、というのは?」

「そういわないと貴方のようなオトコは来ないと思ってね。本気度をできるだけ上げないと──でしょう?」

「……私の事をよくわかっているようだ」

「彼らから聞いたのよ。貴方の人物像」

 

 キッと二人を睨むロイ。

 目を逸らす二人。

 

「それで、用件はなんだ人造人間(ホムンクルス)

「……何故こんなに敵意があるのかわかる?」

「いやぁ、大佐いつも悪ぶってますけどめちゃくちゃ正義の人なんで、アメストリスがゾンビに溢れてるってだけで怒り心頭なん……ちょ、耳を食むな!」

「はぁ。またイチャイチャして……大佐、オレの身にもなってくださいよ。ハボがこの人の家について行って、オレは尾行して張ってたんですけどね、"そんなところにずっといたら寒いでしょう。何もしないから上がっていいわよ"って言われて最大限警戒して入ったら、パンツ一丁でベッドに寝てるハボがいて」

「……」

「一線は越えてないス! 信じてください大佐!」

「そんなことで睨んでいるわけじゃない!」

 

 つまり。

 まぁ。

 

 二人は無事なのだ、と。

 

 ロイは大きく溜息を吐く。張っていた肩肘を少しだけ緩め、けれどやはり警戒は解かずにラストを見る。

 

「それで、用件は何だ人造人間(ホムンクルス)

「せめて名前で呼んでくれないかしら」

「……それで、用件はなんだラスト」

「素直ねぇ」

 

 だってそうしないと話さないからだろう、という言葉を飲み込んで、ロイは耐える。忍ぶ。

 

「用件はいくつかあるのだけど、重要度は昇順と降順どちらがいいかしら」

「降順だ」

「じゃあ、まず一番の用件。──協力してほしいの。ゾンビの──失敗作の処理に」

 

 思わず反射で指を擦りそうになったロイは、けれどラストの前に躍り出たハボックに止まる。

 必死な顔で、そしていつだかの──ランファンの苦無を握り締めて止めた時の傷が見えて、だから本気で庇っていることが伝わって。

 

「……聞くだけ聞いてやる」

「まず一つ、勘違いを正させてもらうけれど、このゾンビ騒動に私はかかわっていない」

「私は、か。人造人間(ホムンクルス)は?」

「わからないわ。少し前からお父様……私達人造人間(ホムンクルス)を作り出した方が、私達との連絡の一切を絶った。連絡も、面会も、すべてをね。そのせいで私たちはバラバラになっていて、その最中にゾンビ騒動が起きている」

「……前々から指示していたのではないのかね? これだけの規模だ、どれほどの錬金術が使えたとしても、数十年前から仕込みは必要だと思うが」

「私は関わっていなかったわ。正確に言うと、関わろうとするたびに妨害を受けていた」

「妨害?」

 

 ラストはええ、と続ける。

 

「私達の誰か、あるいはお父様が指示をして作っていたのは確実。だけど、私がその研究所へ立ち入ろうとするたびに用事が入るか、兄弟が割って入ってきて近寄らせてもらえなかった」

「その研究所とはどこだ。第一から第五があるぞ」

「……」

「答えろ、人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)

 

 口を閉じたラストに、再び発火布を握り締めるロイ。

 

 ハボックもブレダも──息を呑む。

 そして。

 

「第一から第五。そのどれでもないわ」

「……なんだと? では……まさかセントラル軍病院か?」

「いいえ。ただ、あそこのトップには息がかかっていたようだけど」

 

 他に人間の研究ができるような広い場所など。

 軍施設で、

 

「……!」

「気付いた、かしら。多くの人間の名を簡単に手に入れることのできる場所。民間人は無理だから、直接出向く必要があったみたいだけど──特にイシュヴァール戦役なんかではその必要が無かった、とある場所」

 

 そこはその性質故に疑われず。

 そこは所属する者故に目も向けられず。

 そこは──だから。

 

「軍法会議所だと……!?」

「正解。あぁ、けれど安心してほしいのは、貴方の大事なマース・ヒューズ中佐は関わっていないわ。関わっていたのなら、私やエンヴィーが彼を狙いに行く必要がないもの」

「……」

「そんなに怖い顔しないでくれるかしら。さっきも言った通り、私はこの件にあまり深く関われてはいないのよ」

「その、深く関われていない奴が、何故私にゾンビの処理などを頼む。まるで自分の不始末を隠さんとするかのような頼みだぞ、それは」

「ええ、それも正解。少しでも人間に気を許した私が馬鹿だったわ。隙を見て入り込んで、アソビのつもりでからかって油断して、殺されて逃げられた。──何の言い訳もできない不始末よ」

 

 殺されて。

 グラトニーなる怪物もそうだった。シンの二人と協力しなければ、あの再生し続ける怪物は倒せなかっただろう。

 殺されても再生する人造人間(ホムンクルス)。ただしその再生速度がヴァルネラに敵うことはなく。

 

「何故、私に協力を要請する」

「貴方が一番強いから」

「何故そのゾンビを始末しようとする? 逃げられたところで、人造人間(ホムンクルス)たる貴女には何の関係もないはずだ。ただ人間が大勢犠牲になるだけ──違うか?」

「……これは昔、緑礬の錬金術師にも言ったのだけどね。別に私たちは大量殺戮をしたいわけではないの。人間を殺して回りたいだけなら、この不死性を用いて無防備且つ無抵抗であろう田舎町でも狙って暴れまわるわ。でも、そんなことをしても何もならない」

「あのグラトニーという怪物は見境ないようだったが」

「彼は幼いもの。仕方がないわ」

「幼い……確かに言動はそうだったか」

「まぁあなた達よりは遥かに年上だけれど。あの子は、そうね。110歳くらいかしら」

「……それで幼いのか。まったく、人造人間(ホムンクルス)という奴は……」

 

 来年で60歳になる老人もいるけれど、とは。

 口に出さないラスト。

 

「……だが、人間に敵対しているのは事実だろう」

「そうね。相容れない種族だとは思っているわ」

「ソラリス……」

「ハボ、今は黙っとけ」

「ならばやはり同じだ。大量殺戮をしたくないとしても、見知らぬ人間が死ぬことに対しては無関心でいいはず。何故気にする。貴女にとっては無辜の民だろうと目標の誰であろうと、一括りに人間だろう」

「……」

 

 言っていて、言葉にしておいて吐き気がするけれど。

 ロイはあくまで客観的に見て言う。疑問を突き付ける。

 

「……"お前、そのまま人間舐め腐ってると死ぬぞ"」

「なに?」

「"お前が馬鹿にした奴に殺される"……誰の言葉だと思うかしら」

「そう聞くということは、ヴァルネラか」

「ええ、そう。人間を舐め腐って、馬鹿にしてからかっていたら、殺されて逃げられたわ。……そしてこれが最後だとは思えない。彼の言う"死"が、私達人造人間(ホムンクルス)にとってのたった一度の死と等価だとは……到底思えない」

「"死にたくないから協力してくれ、助けてくれ"──そういうことかね、人造人間(ホムンクルス)

「ええ、そ──」

 

 一瞬だった。

 一瞬で、ハボックもブレダも声を上げる間もなくラストの舌が燃え上がる。

 

 悲鳴と共に大きく仰け反り、バチバチと音を立てながら再生するラストに──ロイは告げる。

 

「くだらんことをペラペラというものだ。これで舌の根は乾いただろう。……今の今までヒューズの命を狙い、その仲間が一度はヒューズを殺しかけた。グラトニーは私と私の部下と、盟約を結んだ二人を掃き溜めに押し込んだ。……それを無視して"助けてください"だと?」

「……!」

「馬鹿にするのもいい加減にしろよ、人造人間(ホムンクルス)。鋼のや少佐ならいざ知らず、私は一時の情に流される程甘くはないぞ」

 

 ロイは、発火布を外さない。

 どころか燃え上がる炎を隠そうともせずに──憎しみの眼をラストに向けて、言う。

 

 無理だ。

 彼に協力を取り付けるのは。ラストはそう判断した。判断できた。

 それくらいの殺意の籠った目だったから。

 

 だから、「じゃあいいわ」という諦めを口にしようとした。

 口にしようとして、口を開いたから、そこに火種が伝ってきて──。

 

「っ……!」

「チ、何をするハボック! 私の錬金術の威力は知っているだろう、当たったらタダじゃ済まんぞ!」

 

 それを、全身でハボックが庇う。

 ぎりぎりのところで逸れた火種は彼らの背後の窓を割り砕き、寒空の空気が部屋に流れ込んでくる。

 

 それでも。

 それでも、ロイの頭が冷えることはない。

 

「どけ、ハボック少尉! ──ソイツは敵だ! 目を覚ませ!」

「悪ィけど、嫌ス! ソラリスは俺が守るんで──やんなら俺ごとやってください!」

「ソラリスというのも偽名だ。ラストと名乗っただろう。お前がセントラルへ来てからできた彼女、というのがこの人造人間(ホムンクルス)なのだろうが、ここに至るまでの全てはまやかしだ! お前を懐柔し、こちらの行動を筒抜けにさせるためのものだ──ヴァルネラも言っていただろう! あの日の祝会の日程をバラしたのはお前だと!」

「……!」

「利用されていたんだ、ハボック! 目を覚ませ、そして離れろ! 背中から刺されでもしたらどうする、相手は人造人間(ホムンクルス)だ──体内に刃物を隠し持つことだってできるかもしれない!」

「……すんません、大佐。──嫌っす。殺されんのが、ソラリスみてぇな美女なら──それでいい。でも、目の前で殺される美女を見殺しにすんのは、無理だ。俺が壊れちまいます」

 

 けど、頭が冷えていないのはハボックも同じだった。

 ロイの言うことは正解なのだ。ラスト。その能力は"最強の矛"──人間の身体程度、容易く貫けるソレ。もし今ラストが十指を全て矛にしてハボックを突き刺したら。ハボックを斬り割いたら。

 簡単に、ハボックが後悔する間もなく彼を殺し得るだろう。あるいはほど近い場所にいるブレダでさえも。

 

 相手が人造人間(ホムンクルス)だとわかっていて、こうも密着するのは悪手中の悪手。さらにはその本人が「人間とは相容れない」と言っているのだから、そこに「愛」などというものが存在しないこともわかりきっている。

 

 わかりきっていて、無理だった。

 怪物でもなんでも。

 美女だから、だけだ。ハボックの行動理由など。たとえ本当に刺し貫かれ、罵倒され、下半身不随になっても──どれほど涙を流し、悔やみ、つらい思いをしても。

 

 もしそれが油断でなく、美女を救うための行動の結果であれば、ハボックは後悔しないだろう。

 

「ッ……」

「く……どけ、ジャン・ハボック少尉!!」

「んじゃオレは、ハボが退けるようにしますよ」

 

 ばしゃ、と。

 横合いから──ブレダがコップの水をかけた。

 ロイの発火布に。

 

「……!」

「すんません。これでオレら死んでも罪悪感覚えないでください。オレらがバカやって女に騙されて死んだ。悔やんでも良いですし罵ってくれてもいいですけど、アンタのせいじゃない。オレたちのせいだ」

「すんません大佐。──命令に背きます。俺は、ソラリスを」

「もういい!!」

 

 もう良かった。

 部下二人に離反されたことが余程響いたのか。

 

 あるいは──自分の中の何かを曲げたのか。

 

「……そのゾンビとやらはどこにいる。ついてこなくていい。場所だけ教えろ。灼いてくる。──無念を背負うのも軍人の仕事だ」

「正確な場所はわからないわ。ただ、目撃情報によれば──北部。ノースシティの手前あたりだった」

「ノースシティか。……ハボック」

「……はい」

「さっきの命令に背く発言は聞かなかったことにする。ブレダ、先ほどお前が私に水をかけたのは、手が滑ったからだな?」

「……ま、そうですね。アンタがそうしたいなら、そうですわ」

 

 見る。 

 人造人間(ホムンクルス)と共にいる部下を。

 

「……窓の修理代はハボックの口座に入れておく。邪魔をしたな」

 

 

 これが。

 帰り道、突然現れたキング・ブラッドレイに「ロイ・マスタング君、話があるのでついてきてはくれないか」と言われ、人造人間(ホムンクルス)と接触し、けれど殺さなかったことがもうバレたのかと戦々恐々として、物凄く難しい顔で大総統執務室に座っていたロイの、初日の行動である。

 なおすぐに誤解は解け、ホークアイ中尉に口止めの件と共に報告。「エドワード君にもダメですか」という問いに「ダメだ」と答え、そこからは特に何もしていなかった──とか。

 

 まぁ。

 ドコゾーノ・エルリックが聞いたら「なにしてんだよ……」と呆れられそうな彼の一週間であった。

 

 

** + **

 

 

 キング・ブラッドレイが人造人間(ホムンクルス)とわかり、偽ヴァルネラを探すために各々が一度散り散りになったその日夕方。

 ノースシティへ向かう道。

 そこに四人がいた。

 

「何故……ついてきたのかね? 私は一人で行くと言ったはずだが」

「どこにいるとは言ったけれど、ゾンビの特徴は話していなかったでしょう。誰かわからない者を殺せるのかしら、大佐さん」

「ならば今言え」

「言葉には出しづらいのよ」

 

 四人。

 ロイ、ハボック、ブレダ。

 そして、ラスト。異色である。

 

「……ハボック、ブレダ。お前たちはなんだ」

「そりゃ大佐の護衛ですよ。ホークアイ中尉から"本当はついていきたいけれど、セントラルを守らなければいけないから今回だけは任せるわ。今回だけよ"って念を押されたんでね。ついでにソラリスとの北部デートっす」

「ハボだけじゃ不安なんで、オレも。ハボがラストさんに現を抜かしてる間はオレが大佐を守りますよ」

「……私の錬金術は味方がいなければいない程最大火力を出せるのだが」

「えぇ、大佐って雨に濡れるだけでも無能になるのに、戦場に味方がいるだけで弱体化するんスか?」

「……挑発は効かんし好かん。はぁ……もういい。ラスト、あなたの得意レンジは?」

「中近距離ね。遠距離は狙いが甘くなるわ」

「ほら私と相性が悪い。中尉のような完全遠距離タイプ以外私とは合わさらんのだ」

「中尉に付いてきてほしかった、ってことスか?」

「その髪全部焼いてやろうか?」

 

 (つつ)き過ぎには要注意──と。

 

「これが終わったら私は軍法会議所に乗り込む。もう一度聞くぞ、ラスト」

「何かしら」

「お前達人造人間(ホムンクルス)はもうヒューズを狙っていない。これは本当だな?」

「ええ。狙う理由がなくなったもの。それに、彼を狙って、もし殺しでもしたら──貴方私たちを根絶やしにするまで止まらなくなるでしょう」

「当然だ。……ヒューズ以外でもそうだが」

「焔の錬金術師と全面戦争するには分が悪いのよ。知っての通り、グリードとラースがいないのだもの」

「……成程。確かにだ……ラースが貴女達の側にいたら、話は違ったかもしれないな」

 

 その武功を直に見たわけではないが、軍内部に伝わるブラッドレイ伝説は尽きぬほどにある。

 どれもが眉唾モノ──空中に放り投げたリンゴを軍刀一本でリンゴジュースにできる、など──だが、もし、もしも本当だったら。

 

「とにかく、無駄話は終わりだ。行くぞ」

「ええ、行きましょう」

「はい!」

「へーい」

 

 というような理由で、この四人がセントラルを離れる次第となった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 思考の痺れ

明日(1/5)は更新できないので三回目の更新です。

この世界は/等価交換。


 アメストリス北部。

 ノースシティに差し掛かる前の何もない荒れ地──。

 

 そこに、ソレはあった。

 

「……ラスト」

「何かしら」

「逃げ出したのは合成獣(キメラ)のゾンビ……であっていたな?」

「ええ、そうよ」

 

 ロイの視線の先。

 ソレ。地面のへこみ。いわば足跡だ。

 

 足跡が、あった。

 

「何の合成獣(キメラ)だ」

「それが、私にもさっぱり。辛うじてわかるのは人間と爬虫類の合成獣(キメラ)である、ということだけ」

「何故分かった?」

「髪の毛が生えていたのよ。頭に」

「……」

 

 足跡は、大きなイチョウ型。

 五指に開いた扇形。ロイの記憶にあるどの爬虫類とも噛み合わない──辛うじてワニに似ているか似ていないかの中間くらいのその形は、けれどロイが寝転がって尚有り余る大きさをしている。

 それが、北部へ向かっていくつも。

 

「成程……軍は凄まじい化け物を作り出したらしい。人造人間(ホムンクルス)が負けるわけだ」

「……情けないことに、とは言っておきましょうか」

  

 合成獣(キメラ)はまだ実験段階の域を出ていない。 

 それがロイの認識だった。けれど、恐らく明かされていないだけで、相当な──動物実験で行ってよい段階以上にまで達しているのだろう。

 あるいは人と動物の合成獣(キメラ)、だけではない。

 エドワード・エルリックによれば、レト教の司祭であったコーネロも羽の生えた獅子なる合成獣(キメラ)を使役していたという。明らかに体格のあっていない翼で、しかしそれは飛んだ、と。

 

 つまるところ、たとえば空想上の生き物のようなものまで作り出せている可能性が高い。

 それと人間を掛け合わせ──もし、人間の知恵を持ったら。

 さらにそれが、痛みを感じないゾンビにでもなったら。

 

 最悪を考えて──人間に恨みを抱いていたら。

 

「……討伐は正解か」

「ええ。貴方にしか頼めないことだったわ」

「図に乗るなよ人造人間(ホムンクルス)。頼まれた覚えも頼られた覚えもない。私は化け物の目撃情報を聞き、それを討滅しに向かっているに過ぎん。まるでもう仲間になったかのような振る舞いは慎め、不愉快だ」

 

 言うだけ言って、振り返りもせずにロイは進んでいく。

 足跡の向かう方向へ。

 

 

 そうして──すぐに、見えてきた。

 

「……あれ、が」

 

 全体は緑色。若草色とでも表現すべきその体色に、確かに人間のような髪の生えた──八つ脚で尾のある、爬虫類のようなナニカ。

 人間が混じっているのは確実だ。だが。

 だが、アレはなんだというのか。

 何が──何を混ぜたら、アレになる。何をしたら、あんな巨大で、醜悪になる。

 

 合成獣(キメラ)はロイに気付いていない。

 だから、気付かれないよう身を屈めて、隙を窺う。窺えたら良かった。

 

 合成獣(キメラ)が何をしていたのか。

 何故──立ち止まっていたのか。

 

 当然だ。考えてみれば当然だった。生物が、動物が、道端で立ち止まる理由などいくつかしかない。

 外敵を探しているか、獲物を探しているか。

 

 ──獲物を捕食しているか、の。

 

「チィ!」

 

 ロイは瞬時にソレを灼く。

 全身を灼熱に溺れさせ、食われていたものから遠ざける。

 

「ぎゃああああああ!?」

「……ッ、悲鳴まで人間らしいとは、つくづく殺しづらい……悪趣味極まるな!」

 

 炎。炎。炎だ。

 合成獣(キメラ)に動物の本能が残っているのならば火を怖がるはずだと、できるだけ顔面付近に炎を出して、ソレから。

 

 ──もう助からないだろうニンゲンから、化け物を離していく。

 炎を食らうたびに、悲鳴と、「イヤダ」とか「ヤメテ」とか──意味が分かっているのか、わかっていないのか、あるいはその部分だけ「人間」が生きているのか──とかく、ロイの心を削ぎ落とす懇願を垂らす合成獣(キメラ)

 

 ぼこぼこと音を立てて──首筋から、人間の顔が、「やめて」と。「もうやめてくれ」と。「ころしてくれ」と。

 

「……っいったい何を混ぜたらこんな化け物が出来上がるというのだ! いや、何人……ヒトも動物も、どれほどを犠牲にしてコレを作り上げた! こんな、こんな──」

 

 どれほど焼いても、どれほど焦がしても。

 化け物は倒れない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()──。

 

「……」

 

 ロイが。

 ロイが、振り返った時には──もう遅かった。

 

 すべてが。

 

 

 

 

「ぷっ……アハハハハ! あぁ、もうダメだ。もう我慢できないよ……アハハハ!」

 

 高らかに響く笑い声。

 哄笑。それはロイの目の前の合成獣(キメラ)……化け物から鳴る音だった。

 明らかな人語。だというのに、ロイの耳はそれを処理しきれない。

 

「いやぁ、囮役ってのも中々オツなもんだね。むざむざ殺されるようなモンだから最初はイヤだったけど、僕が哀れな人体実験の被害者だって思ってくれてるせいか、手加減手加減手加減! なんだよアレ、顔の前でポン! ってなる奴! ハハハっ、あんなの本物の獣だって驚きやしないよ!」

 

 膝をつくロイ。

 当然だろう。

 彼の眼には──あり得ない物が映っていたのだから。

 

「……ハボック。……ブレダ?」

「……は、ぼ……ぶ……」

「おい、ハボック……どこだ。ブレダ少尉……」

「しょ、い……こだ……は、く?」

 

 ロイの言葉を繰り返す。

 ロイの言葉を繰り返す。

 ロイの言葉を繰り返すだけの──カタマリ。

 

「囮役お疲れ様、エンヴィー。ごめんなさい、無駄に石を使わせてしまって」

「大佐殿のこぉんな顔が見れたんだからラッキーだよ。だからチャラでいい。にしても、まさか本気で信じてたのかな、ラストのこと。──頼んだ覚えも頼った覚えもないのに、まるで仲間を守るかのように一番前に立ってさぁ!」

 

 手が、四本あった。

 足が、四本あった。金髪と茶髪。様々なところから生えていて、口が二つ、目が、四つ、ぐるりと動いていて。

 

「で、これでいいんだっけ。この大佐は殺さない──だよね?」

「ええ、そう。彼は人柱候補だから」

「ちなみにあの肉団子は?」

「貴重な研究結果だけど、もう用済み。あんなのでも構わないなら吸収してもいいわよ」

「ハハハッ、カンベンしてよ。あんなの食うのはグラトニーだけだろ」

「……まぁ、否定はしないわ」

 

 生きていた。

 生きているけれど。

 生きているだけだった。

 

「……ハボック。ブレダ。どこだ。どうして」

()()()()()()()()()

「!」

 

 朗々と──化け物が口にする。

 あまりにも猟奇的な言葉を。

 

「盲点だっただろ。ま、だってやる意味がない。人間に動物の能力を獲得させる、動物に人間の知性を獲得させる。動物と動物を掛け合わせていいとこどりをした生物を誕生させる──こいつらは全部メリットのあることだから、研究されてきた。禁止されてたって関係ないさ。人間は目の前のキョーミから逃げられない」

「けれど、人間と人間の合成獣(キメラ)は誰もやってこなかったわ。意味が無いから。それをしたところで、得られるものがないから」

「でもさぁ、誰もやってないなら、やってみたくなるってもんだよねぇ!」

 

 言葉が耳を通り抜ける。

 ロイの耳には、ただ、ロイの言葉を繰り返す目の前のカタマリの声しか入っていない。

 

 それを知ってか知らずか、化け物は話し続ける。

 

「イイコト教えてあげるよ、ロイ・マスタング。──そいつらを元に戻すには、人体錬成を行えばいい」

「……」

「魂は混ざりあわない。だから魂を一旦真理の扉の中へと隔離して、肉体を切り離して──そうやってから魂を元に戻せば完了だ。カンタンだろ、錬金術師なら」

「……」

「ああでも、真理の扉を通るには通行料が必要なんだっけ? ──まぁいいよね、部下想いのロイ・マスタング大佐なら──それくらい払えるよねぇ」

 

 高笑いは、響かない。

 人体錬成の陣。ロイの頭の中にはそれがある。その答えを知っている。

 人を人に錬成し直す陣を、ちょうど知っている。

 

「あ、そうそう。ハボック少尉へつながる電話番号。アレなんでアンタのポッケに入ってたと思う?」

「……なら、魂の情報を……二分し……」

「アンタさぁ、セントラルをすっげぇ怖い顔で歩いてる時──こーんな顔とすれ違わなかった?」

 

 化け物の身体が縮む。

 縮んで、人くらいのサイズになって。

 そうして上げた顔は──どこにでもいそうな男性。普通の髪色、普通の衣服。普通の背丈の、普通の男性。

 すれ違ったとしても、すれ違わなかったとしても、意識にも記憶にも残らないようなダレカ。

 

「ハハハッ、注意力散漫だ! なんだよいつの間にかポケットに電話番号が入っていた、って! なワケねーじゃん! ハハハハ、想像力の欠如って奴だよコレ!」

「エンヴィー、それくらいでいいわ。──もう彼は、準備を始めているから」

「えー、まだまだ煽れる要素いっぱいあんのに……。ま、さっきのラストみたいに手痛いしっぺ返し……舌だのなんだのを燃やされても困るし、撤収するかぁ」

 

 肉塊に。

 カタマリに。

 それを中心とするように──ロイは、円を描いていく。五角形に四角形を重ねた陣は、彼の使っていたもの。

 

 人を人に錬成し直すためのその陣は、決して人間を蘇らせるためのソレではない。

 

「あ、でも最後に一つだけ。──ハイマンス・ブレダに化けてたのはこのエンヴィー様だよ。部下に自分の武器を使い物にならなくされて、怒りもしないのはどうかと思うよ?」

「うるさいな」

「い゛!?」

 

 火種が飛ぶ。

 右手で錬成陣を描いている最中だというのに、その炎は正確にエンヴィーとラストを捉え──()()()()

 

「おや、ようやく出番ですか。まったく……一度死んだ身を何度も何度も起こさないで頂きたいものです。一度どころか、ですが。全くもって美しくない……」

「……」

「それで、今回の相手は……もしや、焔の錬金術師ですか?」

「そ……そうだ。あの二人が去るまでの間……ほ、焔の錬金術師の攻撃を防ぐんだ、ゾルフ・J・キンブリー!」

「……使役。まったく、賢者の石の力は素晴らしい。──意に沿わぬことでさえ、それを目的だと勘違いさせる力を有すとは。動物実験を散々やっていたようですが、私で完成ですか?」

 

 炎と爆炎が衝突する。

 ロイの焔の錬金術は、空気中の塵などを媒介に火種を走らせ、酸素濃度を操って巨大な火炎にする、というプロセスを取る。

 対し、キンブリーの紅蓮は対象物を爆発物に変換する、というシンプルなものだ。

 だが──そこに賢者の石が加わるのならば、話は別で。

 

「ティム・マルコー医師。此度もお願いしますよ」

「……わかっている。わかっている……!」

 

 爆発する。

 ロイが走らせた火種が、酸素に辿り着く前に爆発物に変換され、中途半端な場所で爆発が起きる。

 

 かつてイシュヴァール殲滅戦において猛威を振るった二つの錬金術。

 焔と紅蓮。

 その衝突は──次の瞬間を以て、凄絶になる。

 

 弾幕だろう。

 突然昼間になったかのように、周囲で爆炎が弾け続ける。

 ロイの勝利条件は火種を通すこと。キンブリーの敗北条件もまた火種を通すこと。

 

 故に、その意思が伴っていなかろうと──キンブリーはかつてないほどの全力を出す。

 その上で、舌を巻いた。

 

「……片手間でコレとは。流石は焔の錬金術師──正直私とは格が違いますね」

「も、もうすぐだ。もうすぐだから耐えてくれキンブリー!」

「……ティム・マルコー医師。うるさいですよ。今私は、彼の苦悩と絶望を味わいながらその妨害をしているのです。自由意志が利かないのですから、これくらいの嗜好は楽しませていただかなければ流石に不自由が過ぎます」

「う……す、すまない」

「そこで普通に謝るのがアナタの美徳であり残念なところですね」

 

 そうして。

 

 爆炎が止む。

 

 人造人間(ホムンクルス)二人が姿を消し──ロイ・マスタングが、その陣を描き終えたのだ。

 

「……撤退だ」

「まったく、人の死体を玩具の、よう、に──」

 

 ガクン、と糸の切れたように倒れるキンブリー。

 その身体を、特徴と言うものが失われた真白の老人たちが運んでいく。ティム・マルコーも、だ。そして、どこに隠れていたか──金歯の光る老人も。

 

 だから。

 

 だから……その場には、ロイと、カタマリだけが残された。

 

 

** + **

 

 

「……信じきれなかった。それだけだ」

 

 呟く。

 失意を零す。

 

「ハボックならば、そんなことはしないと。ブレダならば──何かヒントは残すと。女に絆され、軍を裏切るようなことはしないと。……信じてやれなかった。ただそれだけの話だ」

 

 悔恨。懺悔。

 誰に聞かせるものでもない。

 

 寒空の下、ロイは──その陣へ、ゆっくりと手を当てる。

 

 人体錬成を行えば、代償が持っていかれる。

 エドワード・エルリックならば足を、アルフォンス・エルリックならば全身を。さらにアルフォンス・エルリックの魂を錬成した時は、エドワード・エルリックの手が持っていかれた。

 

 ならば、信じきれなかった部下を戻すために。

 あの場でおかしいと気付けなかった自らの過ちをかき消すために。

 

 ロイは──何を持っていかれるのか。

 

「……なんでもいいさ。それで、二人が……戻るなら」

 

 その手に。

 すべての思いを。

 

 

** + **

 

 

「よう、ロイ・マスタング。何泣いてんだ、仰向けで」

「……」

 

 なんか道端で死んでる奴いるじゃーんとか思って近づいたらロイ・マスタングだった。

 仰向けで、ダバダバ涙流して。

 

 ──その手に二枚の鉄板を握り締めて。

 

「……ジャン・ハボックに、ハイマンス・ブレダ。……マジ?」

「……」

 

 返事はない。

 ……うせやん。いやまぁ別に要らないけど、うせやん。

 

 え、死んだ……っつかゾンビ化したの? いつ?

 無事だ、とか言ってなかったっけロイ・マスタング。

 

「……すんません、大佐。記憶が……飛んでて」

「オレもだ。……どうなったんですか、オレ達は。地面しか見えねえ」

 

 そりゃそうだ。

 ロイ・マスタングが仰向けに倒れていて、その鉄板を地面に当てているのだから。

 

「……クロード」

「おん」

「代価は、なんだ」

「何の?」

「……二人の身体が欲しい。私では……分離させて、取り返すので精一杯だった」

 

 ほん。

 ……ほーん?

 

「無理だな」

「っ……何故、ですか」

「ん-、肉体と魂は精神で繋がっている。今、ジャン・ハボックとハイマンス・ブレダの魂を繋げているのはその血印……それが精神の代替となっている。肉体は鉄板な。──けど、お前も知っての通り、本来肉体を表す記号っつーのは石なんだよ。鉱石であることを利用して拡張し、無理矢理適応させている。鉄と鉄分の連鎖反応でな」

 

 だから、アルフォンス・エルリック含め、いつか拒絶反応が出る。

 無理になる。誤認させているだけなんだ。いつか魂が、この身体は肉体ではないとはっきり認識するようになる。

 

「肉体を作るのは簡単だ。だが本人を作るとなると難しい。接続先が無いんだよ、肉人形って。パズルのピースさ。精神は両辺が尖ってる。魂と肉体はへこんでる。それぞれ一つの精神にしかハマらない。魂の方は形を変えやすい分ある程度の許容があるけれど、肉体は固定されているから無理」

 

 他にも語れる理由はいーっぱいあるけど。

 簡単に言えば。

 

「簡単に言えば、ハイマンス・ブレダとジャン・ハボックの肉体は死んだ。完全に死んだ。──それを作れって、オイオイ、死者蘇生はできねーって何度も言ってるだろ?」

「……そう、ですか」

「ま、優秀な方だろ。お前ひとりで二人も魂引っ張って来れた。エドワード・エルリックは一人しか無理だったのに、だ。んでもって四肢を失っていない……と、思ったが」

 

 触って、わかった。

 ああ。

 

「等価交換かぁ。下半身不随に加え、視力も失ったか。あっはっは、治してやろうか?」

「……もし、ここで──お願いしますと言った場合。私はあなたに何を奪われるのですか」

「今は何も。でも、すべてが終わったら取り立てに行くよ。お前の一番大事なものを。代価として、な」

 

 しかし。

 ……なるほど。血印そのものの形である程度の操作ができるらしいな。アレか、アルフォンス・エルリックの血印にプライドが干渉したようなものか。その応用……というよりは、こっちが本来の使い方か?

 これは……あー、アレだ。金歯医者。アレの錬成陣だ。描いてあることがそっくり。つまり偽ヴァルネラはアイツか? まだわかんないけど。

 

「ヴァルネラ医師」

「おん? ……おお、なんだジャン・ハボック」

「──俺の魂を代価にしたら、大佐の足は治るんスか」

「……」

「……馬鹿を言え。それでは、何のために……私がお前を取り戻したというのだ」

「だから聞いてんですよ。何のために俺なんか錬成したんだ。アンタ、大総統になるんじゃなかったのか」

「……ハボの言う通りですよ。オレ達なんかのために自分犠牲にして……それじゃあ何の意味も」

 

 うわぁ、って思った。

 いや俺は空気読めてない奴だからアレだけど、アレだよね? 

 この二人も今空気読めてないよね? 俺合ってるよね?

 

「意味はある!」

「……っ」

「あるに……決まっているだろう……! 私は、お前たちを……私は」

 

 下半身不随で目が見えない。

 フツーに考えりゃ退役だなー。次期大総統の話もおじゃんだ。

 

 しかし、何があったんだか。

 ここでアレか、ゾンビ軍団とかと戦って、両方が死にかけて……いや、元々ゾンビで、裏切ったとか? わっかんねーけど、まぁ何にせよ──うん。

 要否で言えば、別にハイマンス・ブレダもジャン・ハボックも要らねーんだわな。

 

「ロイ・マスタング。良い話と悪い話、どっちが聞きたい? どっちかしか聞けねえなら、だ」

「……誰にとって、ですか」

「あっはっは、用心深いな。──世界的に見て、じゃねぇ? 常識から考えて、でもいいぜ」

「……ならば、悪い話を」

「おうけぃ」

 

 ロイ・マスタングの手から、鉄板を奪う。

 

「お、うわ、視界が……」

「あれ、白い……?」

 

 んで、ロイ・マスタングのポッケから国家錬金術師の証、銀時計を取り出してー、鎖の部分を切断!

 

 それを二つの鉄板に融合!

 さらにそれを、ロイ・マスタングの首にかける、と。

 

「……何を」

「ハイマンス・ブレダ。お前今何が見える?」

「え……空と、何故か真っ白いローブを着たヴァルネラ医師ですけど」

「ジャン・ハボックは?」

「地面スけど」

「ほい。じゃあこれがお前の目な、ロイ・マスタング」

 

 やったな。

 前後が見えるようになったぞ!

 

「……ふざけてますか」

「いや、全然。こっからが悪い話だ」

 

 指をさす。

 ハイマンス・ブレダの鉄板を。

 

「──魂はここにある。いいか、ハイマンス・ブレダ。ジャン・ハボックもだ。お前達──罪悪感を覚えているのなら、お前達がロイ・マスタングの目となれ。前後左右、お前達二人を合わせて360度の視界が存在する」

「あぁ、確かに……良く見える」

「そんで、下半身不随に関しては、治せるが治さん。代価は後で良いと言っているのに治してほしくなさそうなんでな。だから適当な機械鎧技師に車椅子でも作ってもらえ」

「……そう、ですね」

「いいか、魂はここにある。──二つある。が、どう頑張っても魂と鉄板では拒絶反応が出る。絶対だ。絶対にいつか、ハイマンス・ブレダとジャン・ハボックの魂はここを離れ、天へと旅立つ。絶対にだ」

「っ……」

 

 本来ならこんな延命許されちゃならないんだ。

 無論等価交換は行われているから、真理は許したんだろうけど。

 

「だから──その直前。お前たちがこの鉄板から弾きだされる直前に、お前たちの魂を代価としてロイ・マスタングの下半身不随、あるいは視力を戻す」

「そりゃ……」

「悪い話だ。ルールの穴だ。死にゆく魂でも魂は魂だから──代価になる。真理にはウザがられるだろうけど、正式な等価交換だ」

 

 法の抜け穴、規則破り。

 死ぬ直前でも命は命、なんて──まぁ、当然だよな。

 

「……待ってください、クロード」

「おん?」

「貴方に代価として持っていかれる二人の魂は、どうなるのですか」

「……余計なことに気付くなぁ、エリートは」

 

 なんだよ。

 聞かれなければ言わないつもりだったのに。

 

「永遠だよ」

「永遠……」

「痛くもなく、苦しくもなく、感覚もなく感触もなく、呼吸もできず腹も空かず渇水もせず温度もわからないまま、永遠を過ごす。意識だけとなって永遠を過ごす。真白で、真白で、真白で──ただ真っ白な空間で、永遠に、永遠に、永遠を過ごす。──俺が生きている限り、だ」

「ならばその取引はナシだ。……安らかに眠ることのできない未来を部下に約束させるわけにはいきません」

「残念ながらお前に決定権はないんだよ、ロイ・マスタング。代価を差し出すのはハイマンス・ブレダとジャン・ハボックだからな。──さて、どうだ二人とも。死の直前、命尽きるそれまでをロイ・マスタングの目として機能し、役目を終えたらロイ・マスタングの失ったものの代価となる。どうだ、この等価交換。受けるか?」

 

 問いに。

 

「そんなんでいいなら、勿論です」

「何が起きたかさっぱりだが……どうやら死ぬほど迷惑かけたみたいなんで、それくらいは」

 

 二人は、頷いた。

 

 ただ一人。 

 ロイ・マスタングだけが、「やめろ、やめろ」と。

 

 それは悪魔との契約だぞ、と。

 

「失敬な。不老不死だよ。今の俺は一般10歳だぞ」

 

 ──そんな、一幕。

 

 

** + **

 

 

「っつー顛末。どうよ、ラストを理性的な会話のできる人造人間(ホムンクルス)と称した身としては」

「……申し訳なさが際立つな」

「今や焔の錬金術師は車椅子生活。ホントは目が見えてないけど、首飾りから直接耳に響く二人の声で敵の位置を把握するだけの──案外前より強い錬金術師になっている」

「……」

 

 アメストリス北部。

 ロイ・マスタングが人体錬成を使ったその場所で、ブラッドレイと話す。

 

「目的は何だと思う?」

「まるで答えがわかっている、というような声色だな」

「あっはっは、まぁね」

 

 目的。

 人造人間(ホムンクルス)のエンヴィー、ラストは散り散りになんかなっていなかった。恐らくはプライドともフツーに連携を取り合っている。

 そして、何らかの目的でロイ・マスタングをここに呼び出し、何かしら意味のある場所で人体錬成を行わせ、ついでに彼を人柱にした。

 

 これで一応揃ったわけだ。人柱が。

 エルリック兄弟、イズミ・カーティス、ロイ・マスタング、ホーエンハイム。

 

 フラスコの中の小人は今いない様子だけど、こんな早期に揃ってしまって。 

 残された子供たちは、まだ何かをやろうとしている。

 

「疑いの目が向くぞ」

「……だろうな」

「同じ手段で裏をかこうとしている、としか見えねぇもんな、今のお前」

「裏などかかずともよいと宣言したのだがな」

 

 ブラッドレイを孤立させるためにやったんだとしたら、これほど効果的なものはない。

 悪の錬金術師ヴァルネラを退治した焔の錬金術師マスタングは英雄でありヒーローだ。そんな彼が明らかな重傷を負って帰ってきて──隠しきれない敵意を大総統に向けている、となれば。

 

 大総統の方に何かがあるんじゃないか、と考える者も多く出てくるだろう。

 そしてフラスコの中の小人がいなくなった今、軍上層部としてもブラッドレイの存在は邪魔で。

 

「膿を追い出す前に、膿として追い出されそうじゃん、お前」

「……ままならんものだな、人生というのは」

「貫禄と含蓄のある言葉に見えて、マジで初体験だもんなぁ、楽しそうでなによりだよ」

 

 ブラッドレイは──こつん、と。

 杖を突く。

 

「──クロード」

「おん」

「これより私は──人造人間(ホムンクルス)を一掃し、その計画を阻止せんとするために動こうと思う」

「おん」

「故、力を貸せ、クロード」

「いいけど、代価は?」

「ない。お前にくれてやるものなど何もない。……それで、お前は私にどんな力を貸してくれる?」

 

 ふむ。だったら。

 

「なーんにも。お前に貸してやる力なんか一つもないよ。──んじゃ、一緒に潰すかぁ、フラスコの中の小人の秘中の秘!」

「……信じるぞ、不老不死」

「好きに裏切れよ人造人間(ホムンクルス)

 

 実害だ。

 此度、初めての、目に見える形での実害だ。

 なんせブラッドレイが次期大総統に推したロイ・マスタングを狙ってきたのだ。ブラッドレイがそうすると宣言したすぐ後に。

 

 それは最早宣戦布告に同じ。

 だから、と。

 

 ──ブラッドレイは、憤怒している。

 

 いいねぇ。残り少ない命、燃やし尽くしていこうじゃんか。

 なんて。

 

 最近なんかちょっとブラッドレイの保護者気取りなの、気をつけないと。

 後方腕組み親面は気持ち悪いんだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 履行の恐れ

今回はほのぼの。


 そして、ついにその日がやってくる。

 いや、その日自体は既に各所で起きていたのだろう。それでもその日は、"その日"と後に称される程には──同時過ぎた。

 

「坊主、こんなとこで何してんだ? ……そりゃ、絵か? へぇー、中々上手いじゃねーか」

「おっちゃんこそ何……ああ屋根直してんだ。もしかして俺邪魔?」

「ははっ、別にいいよ。っとと、消臭剤はつけてるが、俺くせぇだろ。大丈夫か坊主」

「大丈夫大丈夫。そういうってことは、おっちゃんゾンビなんだ」

「まーなー。だから、それを生かして高所作業だ。怪我しても縫い合わせりゃくっつくんだ、落ちたら大怪我するやつよかいいだろ?」

 

 なんて、ニカッと笑う──誰か。

 名前は当然知らないし、興味もない。屋根の補修に来たらしい三十代くらいの男性は、トンテンカンと槌を叩く。

 

「坊主は絵を売って生活してるとかか?」

「まさか。俺の絵なんて売れないよ」

「じゃあなんでこんなとこで絵なんか描いてる。やることねーのか?」

「カメラが高価だからだよ」

「だったらなおさら働いて金かせぎゃいいじゃねーか。それで買えよーっと」

「ん-、ほら。カメラって撮ったら魂吸われるっていうじゃん?」

「……オイオイ、坊主の歳でそんな迷信信じてるやついねーって」

「あっはっは──まぁ、そういうこともあるのさ。俺がここに居んのは単純な理由だよ、おっちゃん」

 

 朝日が──昇る。

 水気は随分抜けたらしい。当然だ。心臓と言うポンプが機能していないのだから、足に溜まる水を組み上げることはできない。それは勿論血も同じ。

 様々な手法で保たせられた方だ。様々な手段で、既存の医者が、その見たこともない症状──ゾンビに対し、あの手この手を尽くした。錬金医師もそうだし、錬金術師もそうだったのだろう。

 

 だけど、早々に匙を投げたのは錬金術の知識がある者。これは己の力量では無理だと。

 そして──医者も、言われた通りの処置はしつつも、無理だと悟っていたことだろう。

 

「見納めって奴さ。──この先も人類は増える。ここでガッと減ったって関係ない。アイツはまぁ、それを勿体ないと感じたらしいけれど」

「何言ってんだぁ、坊主ぅ」

 

 屋根の補修のために足を曲げていた。

 だから、その彼の足が、ぼろりと崩れる。ゾンビの大敵は腐ることでも火でもなく──乾くことだ。

 水。渇水。水を飲むという習慣が作れないゾンビは、自分が思っているよりも乾いている。

 入る罅も、いつの間にか無くしていた指も、その乾きが起こす当然の事象。そして同時に──あるものとの接点も無くす。

 

「……あ?」

「おっちゃん。ここで俺に出会えたのは天命みてーなもんだよ。これから先、死よりもつらく苦しいことが起こる。そしてアンタみたいに人気のない場所にきちまった奴は──この先、「約束の日」までそうであり続けなければならない。それは──まぁ、苦痛なんだろう」

「坊主? すまん、目を落としたみてぇだ。気持ち悪いとは思うが、ちょっと拾ってくれないか。──空ばかりが見えて作業にならねえ」

 

 魂は本人の構築式たる血液と反応し、血印としてそこに名を縛る。

 血中の鉄分は鉄板と反応し、血印を精神、鉄板を肉体と誤認することでそこに定着する。アルフォンス・エルリックやバリー・ザ・チョッパー、スライサー兄弟が例だ。

 そして、その鉄板を肉体に埋め込むことで──肉体内の血液、鉄分と連鎖反応を起こし、死体でありながらまるで本人の肉体のように動かすことができる。死体にもまだ神の構築式が残っているからこそできることだ。

 

 だからもし、それが抜けきったら。

 

「坊主?」

「幸運に思えよ、人間。これは珍しいことなんだよ。絵を褒められた程度を代価に命を奪うなんて──フツーなら絶対にやらねえ。けどまぁ、渦中の栗を拾う……おん? 字が違うか。まぁいいや。災禍の中にあってアンタは前を向いていた。その代価に、俺がアンタを逃がすっつーのは悪い話じゃねえ」

「……坊主ぅぅ……お前、俺の眼なんか持ち上げて……返してくれよ、ぉ……」

 

 悲鳴が上がる。

 すすり泣く声が上がる。

 医者連中もわかっていたんだろう。ある程度のタイムリミットが。だから昨夜、最後のお別れ会をして。

 

 朝日が昇ると共に、来た。

 

「あれぇ……? お前の顔、どっかで」

「せめて、陽光にでも包まれて逝け。その方が暖かいだろう」

 

 鉄板の端に指の腹を擦り付けて血を出し、鉄板をまるごと緑礬の花に包む。

 俺の絵を褒めた代価だ。喜んで受けとってくれ。

 

 悲鳴だ。

 あるいは非業か。

 

 横を歩いていた者が、子供が、仕事をしていた奴が。

 一斉に倒れて、動かなくなった。タイムリミット。時間切れ。

 

 緑礬の錬金術師ヴァルネラが蒔いた夢のような悪夢の終わり。

 

 この日、アメストリス全土において──すべてのゾンビが、活動を終了した。

 

 

 

 

 セントラルはあるマンション。

 見た目七階まであるのに階段もエレベーターも六階までしかない不思議な不思議なマンション。

 その七階に何があるのか。 

 

 当然、俺達の隠れ家となっている。

 

「よーっす、戻ったよ。流石に一か月も経つとこの姿でも中々ばれねーな」

「……」

「……」

「何してん」

「……イシュヴァラに祈っていたんだ。たとえ異教徒なる魂でも、その(かいな)が抱いてくれるように、と」

 

 ブラッドレイの決意表明から、けれど一緒に動くのは目立ち過ぎるので、ブラッドレイは軍における不透明な研究所や施設の洗い出しを、俺はまーいつも通り各地を巡って探りを、って感じになった。

 その間ロイ・マスタングはジャン・ハボックとハイマンス・ブレダの目を用いた焔の錬金術の練習、及びリザ・ホークアイらと合流して事情を説明、ロイ・マスタングの世話をマスタング隊全員でやって、だから片時も離れないことで互いを信用できるようにする、という荒業を選択。

 男女が云々はまぁあるだろうが、あいつら軍人だからな。そういうこともあるさ。特にイシュヴァール戦役じゃんなこと言ってらんなかったし。

 

 アレックス・ルイ・アームストロング……つーかアームストロング家は"帰還者扶助の会"なるものを設立。オリヴィエ・ミラ・アームストロングこそブリッグズを離れられなかったものの、アームストロング家の資金力と何よりカリスマもあって、身寄りのないゾンビや家族に拒絶されたゾンビ、また自ら離れてきたゾンビらを住まわせるための住居を建設。

 今さっきそこのゾンビが全員活動終了したのも確認してきたけど、まーその悪臭腐臭を撒き散らすことなく……撒き散らしても同族ならわからない、という特性利用で、ちったぁ泡沫の夢くらいは見れたんでねーの。

 

 んで──エルリック兄弟だ。 

 アイツらの動向のほとんどを俺は知らない。ホーエンハイムの行方もわかっていない。

 だけどほとんど……つまり欠片程度は知っていて、そのうちの一つが。

 

「グラトニーの討伐、ねぇ」

「……エルリック兄弟か」

「おん。本当だとしたら功績なんだけど、伝えてきたのがプライドなのがなんとも」

 

 いやさぁ、前も述べたけど、別に俺はどっちに付くとかはないのよ。

 ブラッドレイと一緒に人造人間(ホムンクルス)を、フラスコの中の小人の秘中の秘とやらを潰すかぁ! なんて言っておいてアレだけどさ、別に仲悪くする気はないわけね。

 

 だからといって日向ぼっこしてる時にいきなり影で包んできて耳元で「エルリック兄弟にグラトニーがやられました。共有だけしておきます」とか言われたらびっくりするって。

 しかも詳細は不明。どこでやったのか、どうやってやったのかわからないまま。原作みたいにプライドがグラトニー食ったのかもわからんときた。

 

「ああ、そうそう。ほいこれ」

「……助かるよ。すまないな、私達は……余計に目立つようになってしまったようで」

「まー、イシュヴァール人は死にまくったからな。ゾンビと見紛われるのも仕方がないし、だからこそそうではないとわかった時に騒ぎになるのもしゃーない」

 

 そう、刺青の男(スカー)達だ。

 俺と一緒にこのアジトに隠れ潜んでいる彼らは、けれど中々外に出ることができない。

 イシュヴァール人のゾンビが東部に溢れている。そして彼らは──復讐心に燃えている。武僧らが言葉に詰まるほどに、だ。

 民間人のイシュヴァール人であればあるほど、強く、強く、強い憎しみを以て東部を彷徨い歩いている。錬金術師や一般兵、そしてアメストリス人のゾンビ兵もこの鎮圧に参加しているけれど、泥仕合もいい所だ。

 

 そんな光景を見て、けれど──武僧たちの憎しみが大きくなることは無かったらしい。

 

「……一度イシュヴァラの(かいな)に抱かれた以上、この地に戻り、復讐を為すというのは……私たちの教義に反している。たとえ見た目が程近くとも、赤い眼の同胞であっても……私たちがアレを同胞(はらから)と認めることはできない」

「その魂が本物であっても、か」

「ブリッグズの同胞はそうでありながら自ら首を切り落とした。……勿論武僧でない者に同じ事をしろというのが間違っているのはわかっているが、死して教義まで捨てることは……ありえない」

 

 とのことで。

 さしずめ薄めのイシュヴァール戦役の再来といったところか。

 少しずつ減ってきていたイシュヴァール人への偏見もまた増えたし、イシュヴァール人による被害も増えた。殲滅戦を起こしたのがこちらだけに、ゾンビの掃討に躊躇いを見せる兵士もいたとかなんとか。そんなこんなでイシュヴァール人は超目立つから食事の類を俺が買ってきている。金? ブラッドレイブラッドレイ。

 

 で、そんな戦場で──そこで活躍したのが、我らがロイ・マスタングである。

 

 また、だ。

 

 車椅子で戦場に出てきたロイ・マスタングは、容赦なくゾンビを焼いた。

 忌み嫌われ、恨まれ、憎まれ──それでも、と。ロイ・マスタングはジャン・ハボックとハイマンス・ブレダの報告を聞きながら正確な位置に炎を叩き込み──その中の鉄板を叩き壊し、焼き溶かし、拭い去った。

 今の今まで倒れることの無かったゾンビ兵がロイ・マスタングの炎で動かなくなったのだから、当然。

 

 焔の錬金術師は──巷では浄火の錬金術師、なんて呼ばれるようにもなったのだとか。

 それをネタに本人をからかいに行ったら一言目が「帰ってください」で帰らなかったら「帰れ」って言われてそれでも残ろうとしたら燃やされた上にリザ・ホークアイに撃たれた。

 なにもそこまでしなくとも~。

 

「ロイ・マスタング、か」

「憎しみが消えちまったか」

「……どうなのだろうな。あるはずだ。あの時の憎しみは私たちの中にあるはずだ。──だが、教義に背き、戦えない者をも襲う同胞を見て……私を含め、身を乗り出してそれを止めんとする者もいた。それくらいには……私たちはあのゾンビをして"敵対者"だと認識した」

「ま、アメストリス人でさえ戦えない者は殺さないのが信条だったしな、お前ら。アルフォンス・エルリックはぶっ壊したが」

「中身が無いことはわかっていたからな。弟には伝えきれていなかったが。……わからない、というのが事実だ。今。ロイ・マスタングは私達イシュヴァール人を殺した。数多くを殺した。けれど、狂ってしまった同胞を、その醜態をこれ以上晒させることなくイシュヴァラのもとへと送ってくれた。……わからないさ。もう。一つだけわかるのは」

 

 刺青の男(スカー)兄が中央司令部の方を見る。

 

「彼に、私達への感情などなかった、ということだ。……いや、罪悪感はあったのかもしれない。ただ彼の全ては国防のためにあり、彼は守るために私たちを灼いた。……これ以外はわからないし、わかりたくないというべきだろうな」

 

 国家錬金術師、ロイ・マスタング。

 彼に対しての殺意が──揺らいでいる。

 

「まぁそりゃ勝手にしてくれって感じだがよ。ほれこいつも。──アメストリスのセントラルから上半分におけるゾンビの配置、帰路、経路図だ。いやー、久しぶりに苦労ってモンをしたよ。子供の身体は良いことと悪いことが半々だわ。ま、解析は任せた。いいんだよな?」

「勿論だ。──代価も、理解している」

「おん。じゃあ俺また出かけてくるから」

「ああ」

 

 俺もある程度気付いちゃいたが、いち早く気付いていたのはやっぱりコイツだった。

 刺青の男(スカー)兄。俺と再会するなり、「ゾンビの辿った足跡とドラクマの地図が欲しい」だもん。ドラクマの地図とかどーやって手に入れんねん、とか思ってたけど、ブリッグズ要塞にあった。戦利品だそうで。……国境争いで死体から得たモンを「戦利品」扱いはどうなんだろうと思ったけど、バッカニア大尉がそう言うんだから仕方がない。

 

 あ、ちなみにブリッグズは俺のものになったから、ゴルド・スタイナーにあげた。20年来のプレゼントって奴だ。ちなみに再会はまだしていない。オリヴィエ・ミラ・アームストロングから「お前のものになったのだから~」って話が出た瞬間に譲渡の話もしただけ。

 観光客は所持品少ない方が楽なのサ。

 

 

 そんなこんなが近況。

 グリードらデビルズネストの面々は、その過半数が死んだ。ゾンビになってた上に、血印による洗脳、誤認の実験体にさせられたらしい。メイ・チャンはグリード一行にもう完全に馴染んでいて、アイツ目的忘れてんじゃねーかとか思わないでもないけど、曰く「ブシュダイレンは黒い小人……今のブシュダイレンは白いので、色味で言えばグリードさんの方がそれっぽいでしょう!」だってさ。確かに炭素ツルツルマンの時は黒い。

 

 ヤオ家はフツーに俺の近くにいる。

 けど近づいては来ない。フー爺さんも帰って来たっぽいんだけど近づいてこない。何かを探っているのか、そもそもそんなに関わる気が無いのか。

 俺がブラッドレイとつるんでるのもあるだろうな。フー爺さん瀕死にさせたのブラッドレイだし。

 

 

 んで俺が今何してるかっつーと。

 

「──あー、なっつい。本当に」

 

 クセルクセス遺跡。

 数百年も昔に一夜で滅びた伝説の国にして──故郷!

 

 なんにもねーから帰る気なんて起きなかったけど、ホーエンハイムが行方不明なあたりいるんじゃね? って思って来た。あ、リゼンブールは確認済みね。原作みたいに墓前で死んでんじゃねーかと思ったけどいなかった。

 ちなみにリゼンブールにはエルリック兄弟も来ていたらしい。ウィンリィ・ロックベルは修行中だとか。

 

 ここ、ロックベル夫妻のもとにも「ゾンビの治療依頼」が来ていたらしいけれど、なんと夫妻は全て断ったんだとか。あのロックベル夫妻が治療を断るなんて、まさかこの二人ゾンビか! とか思ったけど違った。

 ただ、「医者としてこれ以上治せるものはない」と──ただそれだけ。

 

 ま、いいんじゃないかな。

 リゼンブールの町医者だ、評判が落ちようがなんだろうが関係ない。田舎だから。

 ただ何故か、そう断って以降ロックベル夫妻のもとで働きたいという看護師が増えたとかなんとか。募集もしていないのに。

 誰だそんな奇特な奴、って思ってチラって覗いたら知ってる看護師連中だったので逃げた。

 悪の錬金術師ヴァルネラはもう死んだのヨ。

 

 

 で、クセルクセスだ。

 話がそれるのはもういい。クセルクセスクセルクセスクセルクセス。クセルクセスクセルクセス。

 

「……砂漠で白ローブって、メジェドみたいだな俺。小さいし」

 

 一歩、また一歩と歩いていくたびに思う。

 この暑さ。砂。崩れかかった建物。水。

 

 ──懐かしさ無いネ~。

 当然である。俺はクセルクセスのちょっと遠い所で生まれてからそのあとほっとんどを牢で過ごしていたのだ。クセルクセスの観光なんかしてないのである!!

 

「今するは逆にアリ」

 

 ホーエンハイム探しも兼ねてるけど、観光中に見つかんなかったらいないでいいだろ。

 

 ということで、クセルクセス観光が始まった。

 

 取り囲まれた。

 

「……驚いた。お主……あの時イシュヴァールの地に来た者か」

「ああ、そうだよ。アンタは確かシャンだったな。はは、姉ちゃんから婆さんに様変わりだ」

「80年を経てそうならない人間がいるか!」

「いるよーここに」

 

 不老不死だけど人間だヨ。

 

「シャン様、お知り合い……ですか?」

「……昔の話じゃ。アメストリスの侵略がそこまで過激ではなかった頃にイシュヴァールの地を訪れた奇特な旅人じゃな」

「あっはっは、そうそう。今行けなくなっちゃったからさー、今度行けるようになったら聖地にも行ってみたいよね」

「ならんわ! ……本当に何も変わっとらんようじゃな。すわ奴の孫かとも思ったが……」

「シャン様、ですが彼は……」

 

 お?

 おお。その反応は。

 

「彼は、恐らく神医ヴァルネラです。ローブの色こそ違いますが、金髪に金の瞳で……ほぼ間違いないかと」

「……なんじゃと? また人違いではないのか?」

「いえ、彼はホーエンハイム殿のように背丈が高くはないので……恐らく。顔も、彼の息子とは違いますし」

 

 おお。

 そっか、ゾンビは乾くと道半ばでぶっ倒れるから、クセルクセス遺跡にはたどり着けなかったのか。

 だからゾンビ騒動が伝わっていないんだここには。そんでもってイシュヴァール戦役時代のイシュヴァール人ばかりだから、悪の錬金術師ヴァルネラではなく、戦場の神医ヴァルネラで止まってるんだ知識が。

 これは……ジェネギャ? いやガラパゴス化か?

 

「──貴方は、神医ヴァルネラであっていますか?」

「あってるよ」

「で──では、お願いがあります。治してほしい方がいて」

「おん?」

 

 と、まぁ。

 そういうわけで、やっぱりっつーかなんつーか。

 

 クセルクセス遺跡が奥の奥。奥の奥の奥の奥で──三角座りして動かなくなったホーエンハイムを見つけるのである。

 ぶつぶつぶつぶつ、「終わった」「フラスコの中の小人は死んだ」「俺は?」「死ねない」「死なない」「みんなを無駄にはできない」「ゾンビ」「すまない」「すまない」「みんなを無駄にした」「トリシャ」「すまない」「エドワード」「アルフォンス」「終わったよ」「でも何も終わっていない」「どうしたらいい」「あとはどうしたらいい」「俺はまた無為の時間を」「誰か」「誰か」──「俺を殺してくれ」って。

 

「──代価を寄越せ、錬金術師。そうしたら殺してやるよ」

 

 だから、彼の目の前に降り立ってやった。

 真白の法衣を靡かせ、金糸の髪とアンバーの瞳を光らせる──子供。はっはっは、俺ってば天使みたいじゃね? 見た目の特徴オンリーで言えば。翼でも生やすか。緑礬で。

 

「が、終わってねーんだわホーエンハイム。もう少し付き合いな」

 

 彼に手を差し伸べ──。

 

 顎から手を通し、襟元を掴んで、背負い、投げる!

 

「魚にもうすぐ死ぬから方向性変えた方が良いって言ったら最凶になっちまってなー。こっちも戦力増強しないとヤバいのさ。俺役に立たねえからな!」

「……ヴァルネラか。放っておいてくれ、もう。俺は……」

「あれ話聞いてた?」

「お前の声は……軽薄過ぎて、耳を通り抜けるんだ……そのくせうるさいから、雑音にしか聞こえない……」

 

 酷過ぎる。

 え、みんなそう思ってたのか!? 今まで出会ったやつもしかして全員そう思ってたの!?

 

 ……まぁいいけども。

 そりゃ貫禄ないって言われるわけだよ。

 

「いいから。このままだと──天気予報にフラスコの中の小人が加わっちまうぜぃ」

「……意味が分からん」

 

 もうすぐ年が明ける。

 さぁさ、準備をしよう。色々な、な?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 大いなる天命のうねり

「大佐。大佐。マスタング大佐?」

「む……ああ、すまない。眠ってしまっていたようだ」

「ったく、大佐休むってことを覚えてくださいよ。アンタがそれだと、俺達まで休めなくなる」

 

 ロイはふと顔を上げる。

 口の端には湿り気。危ない。もうすぐで涎を垂らしているところだった。

 

 部屋の中を見渡せば、全員が揃っている。

 リザ・ホークアイ中尉、ヴァトー・ファルマン准尉、ケイン・フュリー曹長、ハイマンス・ブレダ少尉とジャン・ハボック少尉。そして親友のマース・ヒューズ……中佐。

 全員がビシッと立って、己の命令を待っている。

 そうだ、そうだ。

 

 確か今から、己は。

 次期大総統としての挨拶を──式典に出かけるのだったか。

 

 立ち上がる。

 けれど、おや、どうしたことだろうか。

 立ち上がれない。

 

「……もしや足が痺れているのですか大佐」

「そのようだ。……おいハボック、突くな! やめろ!」

「へっへっへ、今の大佐は動けないんだ、やりたい放題って──」

 

 立ち上がれない。

 足が動かない。

 目がかすむ。

 ぼやける。

 

 ああ──何故もっと馬鹿になれないのか。気付かなければいいのに。この幸せな毎日の中で、ずっと、一生を過ごせたら──どれほどよかったか。

 

「──オイオイ、また来たのかよロイ・マスタング。折角祈ってやったのによ」

「今度は言い訳は効かんぞ。オマエは"真理"を見た。オマエは世界を知った。──その代価、貰い受ける」

「それと、残念だが肉体は返せねーんだわ。それもうムコウ行ってっからさ。騙されたなぁロイ・マスタング。見事に」

 

 自身にあてがわれた部屋が真白の彼方へと消えていく。

 リザ・ホークアイも、ヴァトー・ファルマンも、ケイン・フュリーも。

 

 残ったものは、目の前の──真っ白な自分と、巨大な扉と。

 その扉に背を預ける"彼"と。

 

 "彼"がムコウ、と指さしたところにいる──。

 

「ハボック! ブレダ!」

 

 走る。

 そこにいた。いたのだ。ハボックはたばこを片手に、顔だけ振り返って、それを真上に投げ捨てて。

 ブレダもまた、吸っていたたばこを口から離し、大きく白煙を吐いてから、それを投げ捨てて。

 

 何故か、何故か、ロイのいる方向とは逆の──"ムコウガワ"へ歩いていく。手を振って、まるでもう今生の別れかのように。

 追いつけない。彼我の距離はどんどん広がっていく。

 

「無理だよ、ロイ・マスタング。そもそもお前らは混線自体してねーんだ、追いつくどころかあっちにすらいけない。アレは俺がいるから見えてる幻みたいなもんだよ」

「それでも、それが真実だとしても、私が諦める理由にはならない! 私は──私は」

「お前は面白いことを言うな、ロイ・マスタング」

 

 目の前に顔があった。

 いつの間にか──走り、二人に追いつかんとするロイの目の前に、真っ白な彼がいた。

 

「お前だろう、二人がああなった原因は。カタマリ、ああそうだな。だが魂は分離していた。あんな状態でも肉体は本人のものだった。だから、何か代価を払い──現世のコイツにでも頼めば良かったんだ。人体錬成などせずに、神医などと呼ばれたコイツに肉体の分離を、生体錬成を頼めば良かった。──だというのにお前は自らを過信し、自らが払えるものならば"なんでもいい"と──"どうなってもいい"、"どうでもいい"と思い上がり、ここへ来た」

 

 それは後悔だった。

 ロイがずっとしている後悔。少し待てばよかったのではないかと。あるいはあのカタマリとなった二人を連れて、クロードのもとへ駈け込めば良かったのではないかと。

 二人の魂は既に剥がされてしまっていたけれど──ゾンビとしてでも、肉体を取り戻してやることはできたのではないか、と。動くことすらままならないアクセサリに身を窶すのではなく、せめて自らの意思で動き、自らの意思で最期を決められる体に戻せたのではないかと。

 

「それに、なにより──二人に個別で調査へ向かうよう命令したのはオマエだ、ロイ・マスタング」

 

 そうだ。ゾンビ騒動が大規模になる前。ゾンビというものがあると知った直後。せめてツーマンセルを組ませるべきだった。いやフォーマンセルか。

 隊とは支え合ってこそ力を発揮するというのに、ロイは二人を"信じる"などという言葉を用い、ほったらかして──敵の付け入る隙にさせてしまった。

 

「ロイ・マスタング。お前だ、お前なんだよ。諦めるも何も、お前が二人をこんな風にしたんだ。ああ、お前は見えていないのだったか──ほら、特別に見せてやろう。今二人がどんな姿か。お前が今どんな姿なのか」

 

 車椅子に乗り、耳へ直接繋がる機械鎧らしきものをつけた己。

 その根には二人の名前があり。

 

「焔の錬金術師。最高最強の錬金術を習得し、なんでもできる気になったか、愚か者め。数多くを殺し、異空間をも乗り越え、地位を手に入れ、すべてが上手く行くとでも勘違いしたか、道化め。──ロイ・マスタング。忘れるな、お前は──単なる大量殺人者でしかなく、外道でしかないということを、ゆめ忘れるな。──次にそれを忘れた時、今度はオマエの全てを頂くぞ──」

「ん-、全部言われちったか。んじゃ、俺から言えることは一つ! わかってると思うけど──」

 

 引っ張る。

 もうブレダもハボックも見えない。そして真白の己も、"彼"も遠ざかっていく。

 

 ロイが、ロイ自身があの黒い手に引っ張られているからだ。

 

「これ夢だから! あんま気にすんなよ!」

「……あまり台無しになることを言うな」

「えー? 何の代価も無しに真理に来ることができたって勘違いされる方がアレだろ?」

「確かに……そうだが」

 

 

 

 

「大佐。大佐! マスタング大佐!」

「そろそろ流石にやべー時間ですよ、大佐。ブレダ、時計見えるか?」

「ああ、18時だ。ほらほら、アンタが帰らないとみんな帰れねえんですから」

 

 声に──起きる。

 耳元で響く声は、毎日聞いているもの。

 

 目を開けても。

 真っ暗だ。何も見えない。

 

「ん、起きた」

「どうですかい大佐。ハボの声は目覚ましとして最良でしょう。オレも何度うるせぇと思ったことか」

 

 足も動きはしない。

 走ることなどできない。

 

 ロイは一つ溜息を吐いた。

 吐いて。

 

「悪夢を見た」

「へぇ、そりゃどんな?」

「……クロードが出てきた」

「あー。そいつは、疲れそうだ」

 

 あっはっは、なんて笑う二人に、ロイもようやく優しい溜め息が出る。

 そうだ。まだ二人はここにいる。まだ二人は生きている。

 

 だって、アルフォンス・エルリックは生きているのだから──彼らとて。

 

「あ、そうだ大佐。なんか荷物が届いてましたよ。俺じゃ角度的に見えねえんですけど」

「荷物?」

「ちなみにオレも見えねえですね。大佐、気を付けてください。アンタの死角は真上だ。オレもハボも見えない場所」

「ああ……そうだな、気をつけよう。しかし、どこにあるんだその荷物とやらは」

 

 ロイの眼は見えない。

 だから、荷物なんてものが届いても困るだけだ。

 

「え? そこにあるでしょ」

「目の前っすよ目の前──顔を上げた、目の前」

 

 顔上げて。

 そこに──にくの、カタマリが。

 

 

「ッ!!」

「わ、びっくりした……大丈夫ですか大佐。うなされてましたけど……って、汗びっしょりだ」

「フュリーか。……ここは、夢ではないな?」

「え? はい。……え、ホントは夢とか怖い話ですか?」

「今それを経験した。……疲れているらしい。水を一杯貰えるか」

「あ、はい。持ってきます」

 

 酷い悪夢だ。

 相変わらず下半身は動かず、目も見えない。

 耳は……。

 

「ブレダ? ハボック?」

「ん、なんすか?」

「そう心配そうな声出さなくてもまだ死んでませんよ。つーかオレ達が死んでたらアンタの身体は元に戻るんだ。逆にいえばアンタの身体が戻ってないってことはオレ達は死んでないってことでしょう。あのヴァルネラ、じゃねえ、クロード医師がそういう約束破らねえってアンタも知ってるでしょ」

「……そうか。そうだな」

 

 励まされ、慰められ。

 フュリー曹長が持ってきた水を一気に飲んで──いつもの調子に戻る。

 いつもの調子、といっても……あの、余裕綽々でキザったらしかった頃の"いつも"ではなく──鬼のような、幽鬼のような顔に。

 

「戦況は?」

「それが、ゾンビは全滅で」

「……全滅?」

「味方を含め、ゾンビとされていた存在は全てが活動終了した、と。……今中尉と准尉がツーマンセルで周囲の警戒をしてくれています」

 

 ここはイーストシティの北東、アリビルという村。

 イシュヴァールの地から大量に出てきたイシュヴァール人のゾンビは東部に拡散し、各所で生者を襲った。生者……否、アメストリス人を、だ。その殲滅にロイは出てきていたが──。

 

「鉄板は?」

「今軍が回収中ですよ。……中央軍の無線を今傍受してるんですけど、どうもこのゾンビの活動終了はアメストリス全土で起きてるみたいですね」

「ナチュラルに味方の回線を傍受するのはやめたまえ、フュリー曹長」

「あれ、味方だと思ってるんですか」

「……思ってはいないが。まぁ、いい。私の出番がなくなったというのなら、帰投しよう。各員にそう伝えてくれ」

「え、命令待たなくていんですか?」

「大総統より"すまなかった。今君に送れる言葉はそれだけだ。此度の事が落ち着いたら話し合いたい。応じてくれるかね?"とのお誘いを受けている。──これを遮ることのできる命令など存在しないだろう」

「……了解しました。皆さんに伝えてきます」

 

 アリビルからセントラルへ繋がる汽車はない。

 ので、乗り換えに乗り換えを重ね、イーストシティからまた乗り換えて行く必要がある。

 早く出られるならそれに越したことはないのだ。

 

「……ブレダ、ハボック」

「へい」

「なんですかい」

「お前達……上は見えるか。真上だ」

「あぁ、見えますよ。その辺の調整はアンタの耳に繋がってる機械鎧作ってくれた技師が融通利かせてくれましてね。まぁ大佐の足元だけは見えませんが、マジの全方位見えます」

「オレがいれば、だろ」

「大佐が"お前達"って言ったんだ。主語は俺達でいいだろ」

 

 結局は夢だ。

 ロイが知らない以上の情報は出ない。そういうことだろう。

 

「あ、中尉……と准尉。曹長も。お帰りス」

「ええ、ただいま。……どうかしたの? 大佐、顔色が土だけど」

「土とはなんだ土とは。……少し悪夢を見ただけだ。クロードが出てくる悪夢をな」

「あー」

「あー」

 

 顔を動かす。

 見えない視界は、しかしカタマリなんて映さない。

 

「帰るぞ。大総統と、今後についてを話す。ついてこい」

「言われずとも」

 

 これが、まず。

 一つ目の──うねり。

 

 

 

** + **

 

 

 

 新聞を読むグリード。

 そのあまりの似合わなさに、後ろでドルチェットが噴き出しそうになっているとかは言わなくていいことだろう。

 

「浄火の錬金術師ロイ・マスタング、ついにゾンビの完全掃討に成功する……ねぇ」

「たまたまゾンビの全滅と重なっただけだけど、民衆の目にはそう見えるみたいね」

「英雄か……なぁロア。俺様英雄って言葉似合うと思うか?」

「う……む」

「間があったな」

「間があったわね」

「……グリードさんは英雄ってよりそれに倒される側なんじゃ」

「だよなぁ。俺もそう思う」

 

 彼は強欲である。

 フラスコの中の小人をボコして殺した後、ドルチェット達と合流、やることもなくなったので各地を放浪していたところ、ラッシュバレーに程近いセノタイムという村が大量のゾンビに襲われている場面に遭遇。正義の味方を気取るつもりはないが、見過ごすのもまぁ気分が良くないということで殲滅したら、お礼に家までくれたのでそこを拠点にした。

 南部最北端の地ではあるが気候はダブリスにほど近く、料理もダブリスと似通っていたためにこれを気に入り、時折襲い来るゾンビから村を守っていたら、結構な日にちが経っていた。

 そんな次第。

 

「ただいま戻りましタ」

「ん、おお。戻ったか嬢ちゃん。どうだった?」

「はイ、やはりゾンビと呼ばれていたものは全ていなくなっていまス。ただし、ゾンビに埋め込まれていた鉄板は地面に置き去りにされていテ……どうやらまだそれに魂が残ったままのようでス」

「……ひでぇ話だな。じゃあそいつらずっとそこにいんのか」

「クロードさんの話によれバ、拒絶反応が出るまデ、だそうですガ……それでも長い間雨風に晒されながラ、動けない日々を過ごすのだと思いまス……」

 

 ドルチェットとマーテルとロアは互いに互いを見る。

 そして。

 

「ああ、行ってきていいぜ」

「まだなんも言ってねえですよ」

「お前らが元軍人で、欠片程度の良識が残っちまってることも知ってるし、それを捨てようと努力してんのも知ってる。でも無理だ。軍人になる時点で守りてえとか救いてえとか、すげぇもん抱えてたんだろ? そんなお前らが、何のかかわりもない奴だとしても、ただ拾うだけで救いに成んならそれくらいは……とかって考えるのくらいわかんだよ」

「グリードさん……」

「ほれ、行ってこい。強欲(俺様)の下に居続けるんなら、お前らもそろそろ強欲にならねえとなぁ」

「……うむ。行ってこよう」

「あ、では私モ」

「嬢ちゃんはこっちだ」

「エ!?」

 

 三人が出ていく。

 良識ねェ、なんて悪ぶりながら、今まで読んでいた新聞を投げ捨てたグリードは、顎だけでメイを対面に座らせた。

 

「どう見る。俺はこんな体だが、錬金術はからっきしだ」

「私もでス」

「まぁまぁ、錬丹術師としての意見だよ。……こんだけのゾンビを作った理由と、今後起きるかもしれねえこと。何が思いつく?」

「……まず、ゾンビを作った理由でスが……恐らくは各地に魂を配置するためでショウ」

「配置……錬金術の記号、ってやつか」

「はイ。ゾンビにした理由は勝手に動いてくれるかラ。あるいは誰かが運んでくれるかラ。それぞれの故郷に帰ろうとすルゾンビたちは、その"魂定着の陣"が描かれた鉄板を各地に運ビ、そして一斉に活動終了しまス」

「なるほど。決められた時間、決められた場所にその"魂定着の陣"とやらが落ちるわけだ」

「無論、今のドルチェットさんたちのようニ、回収する人も多くいるでしょウ。それを込みで──それでもいイという計算でやっているのだとしたラ」

「流石に無理だな。アメストリス全土駆け巡ったって全部の陣を消すのは無理だ」

「はイ。……もし、この国で何かが起こるのなら……これが予兆なら。錬成陣の描陣までは、既に終わってしまっていると考えた方がいいでス」

 

 つまり──後は発動するだけ、と。

 

「発動者は誰だと思う? あぁ、俺達人造人間(ホムンクルス)は錬金術は使えねえぞ」

「この鉄板を作った者、あるいは彼らが御している何者か。あるいは──」

「"親父殿"、か」

「……死んだ人間は蘇りませン。けど、今回の騒動を見るト」

「何かしらの手段で"親父殿"の魂がどっかにいて、俺が殺したのは肉体だけ、ってか?」

「わかりませン。私はその"親父殿"サンを見ていないのデ」

「……チ、殺す前に嬢ちゃんに見せるべきだったな。……今から嬢ちゃんをセントラルに連れてくってのはアリか。親父殿のいた場所だ、痕跡くらいはあんだろ」

 

 そこへ、当然というかなんというか。

 

「オレらも一緒に行きますよ、グリードさん!」

「うむ」

「わーってるわーってる。つか誰が置いてくかよ。仲間だろ」

 

 だから、これが。

 二つ目のうねり。

 

 

** + **

 

 

 そして三つ目は、当然。

 

「っし、行くかぁ!」

 

 フラメルの十字架を背負い、赤いコートを羽織る少年。

 巨大な鎧がその隣に立ち。

 反対側に、スリッパの主婦が立つ。

 

 その後ろには──熊。のような主婦の夫。

 

「……兄さん兄さん。やっぱり僕が真ん中の方がバランス良くない?」

「いや、私が真ん中でアルとあんたが両脇、エドは……まぁその辺にいればいいだろう」

「扱い雑ゥ!」

 

 この四人である。

 

 

 

 

 さて、時は少し遡る。いやかなりかもしれない。かなり遡って、ゾンビ騒動が流行り、エルリック兄弟がラッシュバレーでレコルト家の悲嘆を見た後の話だ。

 その後彼らはリゼンブールに向かい、ピナコやロックベル夫妻の安全を確認。その後向かった先が、ダブリスだった。

 

 ダブリス。

 そう、師匠のもとへ行ったのだ。

 

「……そうかい。まったく、人の死を弄ぶ連中ばっかだねぇ、この世界は」

「……はい」

 

 そうして、師匠……彼女、イズミ・カーティスに体験したことを話した。

 話して。

 

「幸いにして、なんていうべきじゃないのはわかってるが……私の前に子供が出てくることはなかったよ」

「オレ達の母さんも、出て来ませんでした」

「……突き付けられた気分ではあったさ。今いるゾンビっていうのは、生きた人間から魂を剥がして、それを死体にくっつけた存在だと私は踏んでいる。つまり」

「完全に死んだ人間は絶対に戻らない……ですよね」

「ああ。ま、そうじゃなかったらアメストリス建国から500年くらいの死骸全員が起き上がってパンッパンになっちまってただろうからね」

「考えるだけで恐ろしいですね、それは……」

 

 故に。

 トリシャ・エルリックも、名をつける予定だったカーティス夫妻の子も。

 確実に死んでいると──裏付けされたわけだ。わかっていたことだったけれど。

 遠回しに突き付けられて、少しだけ揺らいだ。

 

「そういえば、ヴァルネラが国家資格剥奪されたそうじゃないか。今回のゾンビ騒動で」

「あ……はい。これを起こしたのがヴァルネラ医師で……」

「ああいや、そういう嘘は良いんだ。……成程、こんな内々にあっても話せないってことは、軍……それも将官クラスから口止めを受けているね?」

「……う」

「まさか、大総統キング・ブラッドレイかい?」

「あ、いやー」

 

 ──なお、これはイズミ・カーティスの推理力がズバ抜けている、とかではない。無論錬金術師故頭は良いのだが、もうこれは本当に単純にエドワード達がわかりやすいだけだ。二人がごまかしをするときどうするかも知っているし、対象を下げて誤魔化す場合と上げて誤魔化す場合の区別まで声色でわかる。

 

「参ったね」

「ええと、何がですか?」

「アイツが国家錬金術師なら、いつか訴えてやろうと思ってたんだ。年若い女の同意も得ずに服をはだけさせ、中を弄った──ってね。少年の姿で油断させた、とかも加えてやろうと思ってた」

「……えーと」

「が、国家錬金術師じゃなくなっちまうと足取りが辿れない。それに縛りが無いから簡単に逃げられてしまう……何かないものかね、アイツを縛っておけるもの。人と人とのしがらみでも物理的な拘束でもいいんだが」

 

 まだ。

 まだ恨んでいるらしかった。

 

 とまぁ、そんな折である。

 

「……ん?」

「む」

 

 どすん、どすん、と。

 何か大きなものが跳ねる音。それは少しずつ近づいてきていて──同時に悲鳴も上がっている。

 この閑静なダブリスで悲鳴が上がれば位置くらいすぐに特定できる。

 

 どすん、どすん、と。

 どすん、どすん、どすん、と。

 ──それは、程近い場所で止まった。止まって。

 

「ちょ、うわ!? 何してるんだ!」

「ッ、メイスン!?」

 

 様子を窺おうと待機していたら、悲鳴が上がったのだ。

 今度は知り合いの、だから、肉屋の従業員のメイスンから。

 

 すぐに外に出る四人。

 

「……!」

「コイツ、大佐が戦ったっていう……!?」

 

 顔の半分を黒いもので固められ、目にはセメントが入り込んでいて。

 けれど、鼻と口と──いや、巨大な──真理の扉を彷彿とさせる目のようなものがついた裂け目を持った、化け物。

 

 それが肉を貪り食っていた。

 商品だ。だからメイスンがその化け物を殴ろうとするのは当然だった。

 

「ジャマ゛、ずるなぁぁああ゛あ゛!」

「──え」

 

 飛ぶ。

 いや、消える。

 メイスンの棍棒が、その握り手だけを残して、綺麗さっぱりと。そして、家の屋根も。

 

「肉、にぐ……にぐ……、……おんな゛の゛、にく゛ゥ」

「メイスン、下がりな! ソイツはダメだ、アンタに相手できる奴じゃない!」

「お゛ん゛な゛ぁ゛!!」

 

 この場における女性は一人だけ。

 商品の肉を貪り食っていた化け物は、女性──イズミに狙いを変える。

 

師匠(せんせい)!」

「あんた、メイスンと、近隣住民へ避難勧告! ゾンビが暴れてるとでも言えばいいよ! んでエドとアル! ──西の工業地帯に誘い込むから、援護!」

「はい!」

 

 化け物の腹の裂け目が開く。

 それを見極め、イズミが大きく横に転がった。

 

 直後、地面に大穴が開く。

 

「──この化け物との距離が5mくらいで半径4mほどの範囲が消滅する。範囲はあの裂け目の眼の部分から放射状に広がってるから、彼我の距離が離れたら離れるほど広くなって危険!」

 

 つまり──。

 

「踏み込んで、」

師匠(せんせい)、あぶねぇッ!」

 

 グーだ。

 エドワードの作った拳がソレにあたる。

 

 ソレ──何か、真っ黒な影のようなもの。

 

「チ……邪魔しないでくれますか。守ってあげようと思ったんですよ?」

「んな鋭利極まりねぇ歯ァ付けといて守るも何もねえだろ! なんだお前ら!」

「に゛ぐううううう!!」

 

 消滅する。

 イズミは避けたが──影の一部が。

 

「……兄を食らうとは、暴食(グラトニー)。随分偉くなりましたね」

「にぐ……よ、ごせ゛ぇぇええ!」

「長期間の絶食により理性が完全に飛びましたか。……やはりダメですね。人柱三人を食らい殺そうとするのも、身の隠匿もせずに跳ね回るのも理解ができない……。幼い幼いとは言いますが、110年の時があって何が幼いだ。まったく、ラストにはこれから教育というものも担当してもらう必要が」

「にぐうううううううううぅぅぁあああ!!」

 

 また、イズミを狙った見えない攻撃。

 それはぶつぶつ言葉を発していた影の化け物の顔らしき部分を捉え、消し飛ばす。

 

「──決めました。暴食(グラトニー)、君は私が食べます」

「よごぜ、肉、にぐ、にぐ……おん゛な゛のに゛く゛ぅぅうう!」

「さっき言ったことは忘れろエド! こいつ、理性が無さそうに見えて範囲を絞れる! 速度での反応は無理だがあくまでこいつが向いている方向にしか来ない! 正面に立つな、わかったね!?」

「この状況で冷静すぎんだろあの人……」

「言ってる場合じゃないよ、兄さん! ──ごめんなさいシグさん、ちょっと使います!」

 

 アルフォンスが掴んだのは、商品棚の肉。ステーキ用のそれの端っこを掴んで、回転をかけての投擲──それは見事なコントロールで化け物こと暴食(グラトニー)の鼻先を掠め、影の化け物にべちゃっと張り付く。

 

「ォォォオオオオオ!!」

「……いくら食べられたところでさしたる問題にはなりませんが、うざったらしいですね」

 

 口が開く。

 グラトニーの、ではなく影の化け物の、だ。

 

 それはグラトニーの腹を掴み──放り投げて一呑みで終わらせようとして。

 

「口を閉じな!」

 

 両脇から挟み込むようにして作られた石の手により不発に。さらには、グラトニーの攻撃で地面ごと消し飛ばされる。

 

「……何故グラトニーの味方を?」

「何言ってんだい。アンタらどっちもが化け物だろう」

「ああ……まぁそうですが。まったく、人間は括るのが好きですね。無論、括りにするのならば彼、アルフォンス・エルリックも化け物に入れるべきだと思いますが」

「ンだと!?」

「そうでしょう。中身が空洞の鎧。骨格も無ければ繋がってさえいない部分もある。目には怪しい光が灯り、眼球もないのに周囲が見えている。──これが化け物でなくてなんですか」

「にぃぃぃいいいいぐぅうぅうううううううう!」

「……うるさいですね。君がいるとお話の一つもできません。早く食べられてくれませんか?」

 

 グラトニーの裂け目が──エドワードを向く。

 急な方向転換だった。今の今までイズミだけを狙っていたから、油断していた。

 

「肉!」

「人柱は食べてはいけません」

「邪魔するな……プライドオオオオオオ!!」

「……!」

 

 何層にも重なった影がエドワードに向かう攻撃を防ぐ。

 かなりえぐり取られたようではあったが、防ぐことはできたらしい。それくらいの強度がある、ということだ。

 

「君、私が傲慢(プライド)だと……兄だとわかった上でそうしているのですか。──暴走しているのなら仕方がない、と見逃す案も考えていましたが、気が変わりました」

 

 ビチビチと。

 ギチギチと。

 

 それは暗闇から現れる。街灯を伝い、屋根を伝い、道路を伝い──空を覆い。

 一瞬にして、イズミとエルリック兄弟をも縛る。

 

「っ、ぐ!?」

「くそ……硬い!」

「ええ、硬いです。ので暴れないでください。怪我をされても治す者が今いないので」

「チ……く、しょう……!」

「あの、だから暴れないでください。今回は君たち人間に何かしに来たわけじゃないんです。先ほどイズミ・カーティスに当たりそうになったのは、あくまでグラトニーの攻撃から守るため。信じてください……と言って無理なのはわかりますが、……いえ、いいです。とっととグラトニーを食べて、私は退散します」

 

 ぐるりと、影がグラトニーへ巻き付く。

 連発。全てを消し飛ばすその攻撃をグラトニーが連発せども、無理だった。消し飛ばしても消し飛ばしても──影の方が、多い。

 

「最期に一つだけ聞いておきましょう、グラトニー。──どうしてラストのもとを離れたのですか? 君は彼女を慕っていたはず」

「……だって」

 

 濁音入り混じる声とは──違う。

 裂け目は開いたままだが、声はその幼いものに戻って。

 

「……ラスト、優しくなくなっちゃった。もう、おでも、エンヴィーも……道具みたいにしか、おもってない」

「それは、当然では? 私たちは本当の家族ではないのですから」

「ううん、前はやさしかった! でも、それを、そ゛れ゛を──がえだ、かえた、変えた変えた変えた──あいツ゛が!」

 

 最大限、とはこれをいうのだろう。

 裂け目はぐるりと、ぎょろりと開き、グラトニーの身体を覆いつくすにまで至る。

 あの裂け目の外の牙が範囲を決めているのであれば──身体を覆い尽くしたら。

 

 全方位に──。

 

「これは……まずい」

「ゆ゛るざんそ゛……ゆ゛る゛さ゛ん゛ぞ、クロ゛ォォォオオト゛ォォオオオオオ゛!!」

「そこまでですよ。──さようなら、暴食(グラトニー)

 

 ザクッと。

 グラトニーの身体が切れる。半分ではない。ぶつ切り、細切れ。

 影は影ゆえに合わさってもぶつからず、その斬撃は全方位よりグラトニーに集中する。一瞬にしてすり潰されたグラトニーは、けれど復活しようとする。賢者の石より──その赤い石より。

 

「なんだい、あれは」

「……あれが、人造人間(ホムンクルス)

 

 真っ黒な空間で。 

 赤きティンクトゥラが、命の、魂の輝きを放ち、その肉体を再生せんと脈動し。

 

「もし、次に生まれることがあれば、もう少し賢く生きるように。──兄からの助言です」

 

 その石ごと飲み込まれ、包み込まれ、砕き割られ。

 

 消えた。

 ──消えた。

 

 

 

 

 影が解ける。

 

「……」

「では、弟が失礼しました。人柱の皆さんは──怪我などしないようにお願いします」

「ま、待て……アンタはなんなんだ。お前は……」

「ああ、私も人造人間(ホムンクルス)ですよ。名を傲慢(プライド)

「人間には……どうやっても見えないが」

「あはは、人間らしい体がセントラルにいますからね。こちらの身体は……説明が難しいですが、まぁそういうことです。それでは」

 

 言って、影が引いていく。

 目と口だけの化け物は、影の化け物は。

 

 ──もう、いない。

 

「……よし、エドワード」

「なんですか、師匠(せんせい)

「とりあえずこの惨状をどうにかしようか。朝までに直すよ!」

 

 惨状。

 ぽっかり空いた深い穴。消し飛ばされた屋根。商品棚もぐちゃぐちゃで、街灯も折れている部分がある。

 

「そういえば、シグさん達は大丈夫だったのかな……」

「大丈夫大丈夫。メイスンも大丈夫。だから──働く!」

「……へーい」

 

 三人が、手を合わせる。

 真理を見た錬金術師三人。その威力、精度、影響範囲はすさまじい。こんな補修など一瞬だろう。

 

 だけど。

 

「手も足も出なかった」

「ああ。……世の中は広い、とか言ってる場合じゃないんだろう?」

「はい……あ、じゃなくて」

「セントラルに本体がいる、っつってたな。ご丁寧によ」

 

 この三人──アルフォンスを含めて──負けず嫌いである。

 

「行くか、セントラル」

「でも……いいの? 捜索は」

「セントラルにいると睨んでる!」

 

 各人事情があったとはいえ──誰も偽ヴァルネラを探すことなく、その全員がセントラルへ戻る。

 

「エド。私達もついて行かせてもらう。文句は言わせないよ」

「……ちなみに理由とかは」

「色々あるが──どうにも嫌な予感がする。そんだけさ」

 

 本来であれば、身体が弱いから、という理由で行く気を起こさなかった彼女も。

 健康体であるが故に、拳をバチンとぶち当ててて。

 

 

 

 そうして、そうして。

 ゾンビ騒動が終息した後が、冒頭となるわけである。

 

「──鋼の錬金術師一行、出発!」

「あの、師匠(せんせい)

「ん?」

「やっぱり遠出なので、スリッパはちょっと……」

「……やっぱりかい?」

「イズミ。旅行用の靴は買ったはずだ」

「ちなみに師匠(せんせい)、オレもスリッパの人の隣歩くの嫌です」

「お前はうるさいよデザインセンス地の底のクセに」

 

 これが、三つ目のうねり。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 深きなる真意の前触れ

 暖かい火がパチパチと音を立てて燃えている。

 暖炉。そこで向かい合う──のではなく、ソファに座る女性と、その女性の膝に座る少年。

 ブラッドレイ夫人。そして彼女の子たるセリム・ブラッドレイだ。

 

「セリム……まだあの人のこと、許せませんか?」

「あれは、お父さんが悪いんです。……お父さんが謝ってくるまで許しません……!」

 

 喧嘩……をしているらしかった。

 セリムと、その父。キング・ブラッドレイは。

 いつの日からか二人は会話をしなくなり、顔を突き合わせてもお互いに知らんぷり。

 ただ。

 

「ふふふ……あの人が話しかけようとするたび、耳を塞いで逃げてしまうのはあなたの方ではありませんか」

「それは……」

「あの人の、お父さんの頑固さは、私が一番よく知っています。一度こうと決めたら梃子でも動かない。私も良く、あの人とぶつかり合いましたよ」

「お母さんが?」

「ええ。……でも、いつだってあの人は、国の事を、家族の事を第一に考えてくれていました。自分の事、自分のために、という理由で私と喧嘩することはなかった……それが少し寂しくて、拗ねてしまったこともありますけどね」

 

 夫人は柔らかく、そして微笑ましそうに言う。

 

「会話をしなければ、喧嘩はずーっと続きますよ、セリム。もし……あなたが、少しでもお父さんとの喧嘩をやめたい、と思う心があるのなら……一度、大声を出してもいいから、話し合ってみてほしいの」

「……」

「本当にどうしようもなくなる前に、大喧嘩をして……そうしたら、スッキリすると思うわ」

「……軍人さんに聞きました。お母さんは昔、お父さんを思いっきりビンタした、って」

「あら……あら、ふふふ。誰かしら、それを言ったのは」

「お母さんは話し合いだけじゃ解決できなかったんですか?」

「……若い頃は、そうだったかもしれませんね。あの人の若い頃は……今よりもっと、もっと頑固で……」

 

 懐かしい思い出を、目の前に浮かべているように。

 遠くを見て。

 

「でも、今なら大丈夫。セリム、あなたは賢い子だけど、我儘をあまり言ったことが無いし、私達と喧嘩をしたこともないでしょう? ──あの人が悪いと、そう思うのなら……思いっきりいってやりなさい。大丈夫、意外でしょうけど、お父さんは捲し立てられると弱るんですよ?」

「……わかりました。次にお父さんと顔を合わせたら、外にも聞こえちゃうくらいの大喧嘩をしたいと思います!」

「ええ、その意気よ、セリム」

 

 光が揺れる。暖炉の灯が揺れる。

 それが作る影は大きく、揺れて、化け物のようになって──消える。

 

 今はただ、団欒を。

 

 

** + **

 

 

 ──中央司令部。

 

 そこに──錚々たる顔ぶれが集まっていた。

 

 大総統、キング・ブラッドレイ。彼の横にいるのは真白のローブを着た子供、クロード。

 国軍大佐、ロイ・マスタング。車椅子の彼の横にはリザ・ホークアイが立ち、また、その耳には機械鎧が引かれている。

 

 そして──その対面に座るのは。

 

 国家錬金術師殺し、通称刺青の男(スカー)。ブレインとされる細身の男と、最も高い戦闘力を誇ると言われる筋骨隆々の男。

 さらにはデビルズネストというダブリスの酒場にいたゴロツキ……でもある人造人間(ホムンクルス)グリード。メイ・チャンをフラスコの中の小人のもとへ連れて行こうとしたら、プライドの影に阻まれ仕方なく憤怒(ラース)を訪ねてきた次第。

 そしてそして。

 

 密入国者、メイ・チャンとヤオ家一行。

 

「……錚々たるっていうか、カオスの間違いじゃないか? 俺、一般人なんだけど……」

 

 最後にホーエンハイム。

 場に満ち溢れる殺気に若干引き気味である。

 

「改めて。本日は招集に応じて──」

「あぁ、堅苦しい挨拶はいらねぇだろ。それよかそこの大佐サンが何か言いたげだぜ?」

「……マスタング君」

 

 ブラッドレイの言葉をグリードが遮り、軽薄に指をさすのはロイ・マスタング。

 彼の眼は──鬼に等しい。

 

「キング・ブラッドレイ。そして今の声の男。──貴方達は人造人間(ホムンクルス)だ」

「……そうだな」

「あぁそうだ」

()()()()()()()

 

 はっきりと、言い切った。

 どちらかというと不和を嫌う方のホーエンハイムの胃が痛くなるくらい──空気が重くなる。

 

「がっはっは──その目と、足。んで部下二人だったか。俺達の姉ちゃんと弟にしてやられたそうじゃねぇか」

「……」

「そうだ。だから貴様らが信用できん。人間ではない貴様らが我々の味方をする理由がわからん」

「あん? 勘違いすんな、味方をする気は無ぇよ」

「ならばここで殺し合うか、人造人間(ホムンクルス)

 

 一触即発。

 どちらかと言えば常識的な会話ができる方の括りに入れられていたロイ・マスタングが、今や狂戦士だ。それも致し方のないこととはいえ──あのクロードでさえ、何も言わずに舌を出し、変顔をしているほど。それがどれほどかはわからない。

 

「26人だ」

「……何の数字だ」

「仲間だよ。──全員、軍の実験体で、合成獣(キメラ)だった」

「!」

 

 ロイ・マスタングは目が見えていないからわからないだろう。

 けれど、だとしても、と。

 グリードは威圧するような顔で、言葉を垂らす。

 

「全員、殺された。軍にな。ゾンビ化に伴う血印の効果実験とやらだ。一昨日軍法会議所でボヤ騒ぎがあっただろ。ありゃ俺達だ。地下から襲撃して、研究データ全部パクってやった。それが、コイツだ」

 

 バサバサとテーブルにそれを投げるグリード。

 

「中尉」

「はい。私には錬金術はわかりませんが……恐らく本物です。軍の印鑑やサインが見受けられます」

「これは……」

「近づくな、刺青の男(スカー)。──お前達も当然に信用ができない」

「……う」

 

 手合わせ錬成を獲得した今、ロイ・マスタングは発火布をつけていなくとも焔の錬金術が使える。

 理解さえすれば、紅蓮だろうが豪腕だろうが──あるいは緑礬だろうが。

 

 なんだってできるだろう。

 それくらい、彼の頭脳は秀でている。

 

「信用できないのは俺達も同じダ、ブラッドレイ」

「……密入国者がそれを言うのかね?」

「クロード。なんでアンタこいつとつるんでル! ──フーを切り刻んだのはコイツだロウ!」

「その時は敵だった。今は違う。──これ以上の説明が必要かね?」

「俺はクロードに聞いていル!!」

「んじゃ俺の事はブラッドレイに聞いてくれ」

「……っ!」

 

 ここにも確執があった。

 密入国者、ヤオ家の面々。彼らはブラッドレイが信用できない。

 

「……あの時の老人のことか」

「あ……あア。あの時ハ世話になっタ。俺達はアンタのことも恩人だと思っていル。その……シンは錬丹術に長けた国ダ。この戦いが終わった後、もしアンタの足や目が治らなかったラ……俺達もアンタの治療に付き合ウ。それくらいの恩は返させてくレ」

「……すまないが、信用ができない。今は……シンの皇子。あなたとて無理だ。他国の者というだけで、疑わしい。それも正式な手続きを踏んでいないとあらば」

「ウ……」

 

 が。

 

「おいおいロイ・マスタング。ちょいと狂犬になり過ぎだよ。刺青の男(スカー)達は俺が呼んだんだ、その資料は目の見えねえお前じゃなくて、刺青の男(スカー)に渡せ。ヤオ家は……まぁいいよ疑っても」

「おイ!?」

「お言葉ですが、クロード医師。──貴方も信用に値しません」

「へぇ? なんぞ先日、俺のためにすんばらしい国を作るだのなんだの言ってた覚えがあるが」

刺青の男(スカー)人造人間(ホムンクルス)、ゾンビ化、永遠の命……今のところ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。──それに、私の部下を殺したラストという人造人間(ホムンクルス)は、あなたから助言を受けたと言っていました。どういうご関係で?」

「旧知。アイツも長く生きてる。俺も長く生きてる。そんだけだよ」

「……ここではっきりさせてください。クロード医師」

「おん? つーかもう医者やってねーけどな俺」

 

 周囲に放たれていたヘイト、殺気が──全てクロードに向く。ヤオ家に向いていたそれまでも、だ。

 けれど、素知らぬ顔で。どこ吹く風で。

 

「貴方は一体何年生きている。貴方はそもそも何者だ?」

 

 そんな──純粋で、けれど、誰もが知らない問いをかけた。

 

「代価を払えよ、ロイ・マスタング。俺から何かを奪うならな」

「貴方を信用すること。それが代価です」

「おおっと、つまり俺がここで話さなければお前さんからの信用は得られない、ってことかぁ」

「ちなみにだが俺達からもだ、だ。なげぇ付き合いだが、アンタの正体はなんにもわかってねぇからなぁ。ここらで知っておくのはアリだろ」

「……便乗させてもらう形になるけれど、私達も同じだ。人造人間(ホムンクルス)までもが正体を明かしている中で、いつまでも正体不明でいられると……落ち着かない」

 

 グリード、刺青の男(スカー)兄が続く。

 その一斉掃射にクロードはブラッドレイを見るけれど、助け舟はなし。当然ホーエンハイムも無理。

 

「あー。まぁいいや。んじゃ要らねえや、お前らの信用」

「……ならば出て行ってくださいますか。信用の出来ない者に聞かせる話ではないでしょう」

「がっはっは、マジかよ! なんだ、正体バラすの嫌なのかよ! ──暴いてみたくなるじゃねえか!」

「……やはり、完全な味方ではないのか」

 

 散々な言われように──まぁ、と。

 

「生きてる年数くらいはいいよ。ん-、まぁ()()()()()四千年くらい? ──んじゃ、お邪魔な不老不死はとっとと退散しますかね」

 

 窓を開ける。クロードが窓を開けると、そこから冬の冷たい風が入る。

 

「んじゃ」

「まぁ待てクロード」

「のわ」

 

 フツーに、これからブリーフィングだというのに、「んじゃいらねーや」と出て行こうとした彼を止めたのは、ブラッドレイだった。

 彼のローブを引っ張って、部屋の中に引き戻す。

 

「今ので十分だろう、マスタング君」

「……どういう意味ですか」

「生きている年数と、正体。明かしただろう此奴は」

「前者しか教えてもらっていませんが」

「"邪魔な不老不死"。──これがこの者の正体だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「ああ……君は人造人間(ホムンクルス)の……憤怒(ラース)だったか。ああ、コイツをよくわかっているな」

「ヴァン・ホーエンハイム。"お父様"の半身。……あなたに認めてもらえるのならば、誇ることも出来よう」

 

 4000年生きている邪魔な不老不死。

 それがヴァルネラ、あるいはクロードの正体。

 

 ──耐えきれなかったのは、勿論グリードだった。笑う。そして「だろうなぁ」とか「知ってたっつの」とか──まぁ、笑う。

 

「笑い話ではない! そんなふざけた言葉で──」

「マスタング君──()()()()()()()()、我々は構わないのだよ」

「!」

「君を呼びつけたのは、私のラストに関する説明不足による不始末と、その件で大きな被害を被った君への補填のつもりだった。──だが、知っての通り敵は狡猾で強大な人造人間(ホムンクルス)。仲間内でいがみ合うことの源となるのであれば、君は不要だ」

「ただしロイ・マスタング。お前の復讐対象二人は俺らが殺すZE☆、ってことな!」

「おいクロード、火に油を注ぐなって……」

 

 ギリ、と奥歯を噛み締める音が響く。

 

「……申し訳ない。……気が立っていた。これから……同じ敵を倒す者に対する態度ではなかった」

「んがっはっは、別に俺は良いと思うがなぁ。なんせにっくき人造人間(ホムンクルス)の兄弟だ! ──言っとくがよ、憤怒(ラース)。俺は仲間に手をかけた奴を許すつもりはねぇぞ」

「ああ、好きにしろ」

 

 では、これより。

 ようやく、本当にようやく──会議が始まる。

 

 

 

 

 まず話し始めたのは刺青の男(スカー)兄だ。

 

「これを見て欲しい。ロイ・マスタングは……」

「構わない。部下が記憶する。中尉」

「はい。……これは、円、ですか?」

「そうだ」

 

 刺青の男(スカー)兄がその場の全員に見せてきたのは、アメストリスの全体図。加え、ドラクマとクレタの地図だった。

 そこには円が描かれている。しかし、セントラルからは少しずれた円。

 

「国土錬成陣。だが、これは」

「ああ。本来はここに刻まれるはずだったドラクマの血の紋。だが、それが北にズレたんだ」

 

 それは地図で見れば小さな差異。

 だけど、巨大な円への影響力を考えたら──大きな差異。

 

「これを受けて、おそらく敵はいくつかの血の紋を放棄した。あれらを使うと正円を結べなくなるからだ」

 

 円は錬金術の大切なファクターだ。

 それが正円に近ければ近いほど効果は強大になる。

 

「北のドラクマ、西のペンドルトン、南西のウェルズリ、南のサウスシティ、南東のカメロン、東のリオール。──放棄された紋を除き、これを繋げると──六芒星が完成する」

「六角形もなー」

 

 放棄された血の紋は1799年のソープマン事件、1558年のリヴィエラ事変。そして。

 

「そんな……イシュヴァールの地も、放棄したと……?」

「私達とて……信じたくはなかったさ。鷹の眼。だが、こう考えるのがもっとも()()()()()()()

 

 あれほどの戦いがあって。

 あれほどの憎しみあいがあって。

 

 それを無に帰したと。

 意味の無かった戦いにしたと。何よりもそれを信じたくないだろうイシュヴァール人たる彼が、それを言い切ったのだ。

 

「六芒星は地水火風、即ち万象を示す。六角形は自然化、即ち"元に戻す"という効果を孕む。そして今、アメストリス全土にはゾンビ騒動による産物──魂が定着した鉄板が散逸している」

「範囲内の万象を元に戻す。──特に錬金術の効果をな」

「……魂を剥がす気か?」

 

 それにより何が起きるか。

 唯一答えを知る──知っていそうなクロードは、ニヤニヤするばかり。

 

「錬金術の効果を……元に戻す。オイオイ、まさかとは思うが」

「そうだ。君達二人も例外ではないだろう。人造人間(ホムンクルス)、グリード、ラース」

「……ブレダとハボックも、か」

 

 だとしたら。

 だとしたら、余計にわからない。

 

「それは敵の人造人間(ホムンクルス)も同じなんじゃないのカ?」

「まぁ、おんなじ親父殿から生まれてるからな。ラストもエンヴィーもプライドも……俺様たちがもとに戻るってんなら、アイツらだって戻るだろうよ」

「元に戻すものを元に戻す効果ならどうだ」

「元に戻すものを元に戻す?」

「ヒューズが見つけてくれた。イーストシティ周辺に張られた、これと全く同じ形の錬成陣だ。こちらに円はないが、何らかの方法でそれが作られていた場合……この中心部にいるものは、国土錬成陣の影響を受けない可能性はないか?」

「……クロード」

「おん?」

「君の体の仕組みに、不老不死に──錬金術は関係あるか?」

「ないよ。今やってみりゃいい。俺のどこを斬ったってぶっ殺したって、錬成反応は出ない」

「ああ、まぁ、そういやそうだな。アンタの再生は俺達のモンとは勝手が違う。つーことは、この錬成でアンタは元に戻らないのか」

「元に戻るも何も、俺これが元だし。ただ一個助言するなら──別に血で描いたってチョークで描いたって、錬成陣は錬成陣だ。血で描くと効果は激増するから、ってだけの話でさ」

 

 そしてもう一つ。

 クロードが言わないことが、もう一つ。

 

 言わないでおこう、と思っていたのだろう。口をつぐんだままだった。

 だが、触れるものがいた。

 

「あ、あの……一つ良いですカ?」

 

 メイ・チャンだ。

 クロードはちょろ、と舌を出す。

 

「なにかな」

「私には錬丹術の知識しカありませんガ……たとえ円の中身が不均一でモ、錬丹術は発動しまス。錬金術はどうでしょうカ」

「……そうだな。効果は薄れるが、発動はする。一瞬だけでいいなら円は外側のもので十分だろう」

「つーか、それを使わねえ可能性もあると思うぜ、俺は」

「なに?」

「俺は違うがな、人造人間(ホムンクルス)の基本理念っつーのは"お父様"第一なんだよ。がっはっは、つまりあの親父殿が死の前に何かを命令していて、そのために人造人間(アイツラ)が動いてるっていうんなら」

「我が身を顧みることなく決行する可能性は高いだろうな」

「……つーわけだ」

 

 別にホントの家族ってわけでもねーしな、とはグリードの談。

 

「それで、結局円はどうなったんダ? お前たちが止めたんじゃないのカ?」

「ああ、地下のはな」

「それ以外に何かあるのカ?」

「月影だろう。日食の……この惑星に落ちる月の本影。それを円に使う気だ」

「お、正解だよロイ・マスタング。だから、本来発動する予定だった国土錬成陣より遅れるはずだ。この錬成陣の発動はな。皆既日食が起きる直後じゃねぇ、起きてから、月の影が移動したその瞬間だ」

 

 だから、あるいは──原作でブラッドレイが負けた瞬間になるんじゃねーかな、なんて。

 クロードは嗤う。面白そうに、おかしそうに──何の感情もなく。

 

「この円は巨大だ。中心はここだろうが、どこで何が起きるかはまだわからん。──つーわけで、ロイ・マスタング。一つ聞いておくことがある」

「……なんですか、クロード医師」

「お前、どっちを殺したい?」

 

 ひゅう、と。

 冷たい風が入る。先ほどクロードが出て行こうとしたときの窓が開けっ放しだったのだ。

 

「お前の復讐対象は二人だ。エンヴィーとラスト。──だが、恐らく二人が共にいることはない。二人とも別々の場所にいるだろう。プライドはセントラルから離れないと思うけどな」

「……どちらも殺しますが、何か」

「それが無理だから言っているんだよ、錬金術師。オマエが片方やって片方も、ってもたついてる間に全部が進んじまう可能性のが高い。どっちかだ。どっちか一つだ。どっちかしか殺せねえなら、どっちを選ぶよ、焔の錬金術師」

 

 迫る。迫る。

 ここにいる誰もが知らない──ロイ・マスタングしかわからないダレカを真似た口調で、迫る。

 

「オマエの部下を殺しただろうラストか、オマエを誘き出して散々煽ったエンヴィーか! それとも──オマエの部下に細工をし、合成までした錬金術師か。どれだ。誰を殺したい、ロイ・マスタング!」

「……」

「そこまでです」

 

 チャキ、と。

 ロイの前で、そしてクロードの眉間の近くで音が鳴った。

 

「オイオイ、リザ・ホークアイ。話し合いの場で銃を抜くとか正気か?」

「私は大佐の護衛です。──貴方という危険人物をこれ以上近づけるわけには行きません」

「──ロイ・マスタング。随分と入れこまれているみたいだが──いいのか?」

 

 まだ、迫る。

 銃なんか気にしないとばかりに。

 

「何がですか、クロード医師」

「今お前は目が見えない。今お前は足が使えない。──もし、リザ・ホークアイに何かあった時──お前はすぐに駆けつけることができない」

「大佐の足手纏いになることはしません」

「何が言いたいのですか、クロード医師」

「いいのか、って聞いてんだよ。あとで返してくれりゃいいから、今治してやるぞ、ってさ」

「……あなたは、やけにそれに拘りますね」

「あっはっは、その方が俺に都合がいいからな」

 

 クロードは──リザの手を掴む。

 早業だった。何の前兆もなく手を動かし、それを掴み、自らのこめかみに当てて──引き金を引かせた。

 

 ぱぁん、と乾いた音がして、その頭蓋が弾け飛ぶ。

 

「……!」

「オイオイ、汚れんだろ。アンタ俺には勿体ねえとか言っておいて、自分はやんのかよ」

「そりゃやるさ」

 

 ぐじゅる、と。

 再生する。頭蓋が──水音と共に。脳が吹き飛ばされているのに、彼はしゃべる。

 

「俺に勿体ないとかねーもん。──ま、作戦決行前までに決めておけよ、ロイ・マスタング。どっちを殺したいか。どっちがより憎いか。どっちが──お前の敵か」

「待つまでもありません。ラストです。エンヴィーは囮でしかなかった。あの雑音のような軽口は、けれど幼稚だ。聞くに堪えないし、聞くに値しない。ですが、ラストは別です」

「おっけー。んじゃグリード、刺青の男(スカー)、んでヤオ家とメイ・チャン。プラス俺! が! エンヴィーな」

「……プライドはどうするのかね?」

「んなもんお前が片付けろよブラッドレイ」

「……いいだろう」

 

 初めから思うところはあったのだろう。

 キング・ブラッドレイは特に反論もなく頷く。

 頷かなかったのは意外にもグリードだった。

 

「俺はアイツとはやんねぇよ。それよか、さっき言ったな。合成獣(キメラ)を作った錬金術師、って」

「おお、耳聡いなグリード」

「人が悪いなアンタ。誰か見当ついてんなら教えてくれよ。──ソイツが俺様の敵だ」

 

 ふむ、と一度考えて。

 

「いいよ。つっても、特徴らしい特徴はないよ。金歯の医者。顔は四角い。そんだけ」

「……もっと、ねぇのか。人相書きとか」

「俺の絵で良ければあとであげるよ」

「おう。それでいい」

 

 そして、いつからか場を仕切っていたクロードが最後に指さしたのは、勿論。

 

「んで、ホーエンハイム」

「……わかっているさ。傘、だろう?」

「おん。手が空かねえならエルリック兄弟にも手伝ってもらいな」

「ああ……頭を下げて、お願いするとするさ」

 

 待つ必要はないが、保険は必要だ。

 故に、ホーエンハイムはそれを作りに動く。

 

 その間に。

 

「俺とシンの人間は人造人間(ホムンクルス)の居場所がある程度わかる。なんで、アレだ、やっぱヤオ家の面々はロイ・マスタングにつけ。メイ・チャンはグリードと行くんだろ?」

「あ、はいでス」

「……恩もある。大佐サンが許してくれるのなラ、俺達も手を貸そウ」

「……四の五の言ってられんか」

「つーわけで、刺青の男(スカー)達。ついてきな」

「まるで、居場所はわかっている、とでも言いたげだが……」

「ああ、わかってるよ。ラストもエンヴィーもプライドも。なんなら、金歯の医者も。──教えてほしかったら代価を払いな。それが嫌なら自分で見つけなよ、人間」

 

 それだけ言って──出ていくクロード。追従する刺青の男(スカー)達。

 

 そんな彼の背を見て、ブラッドレイがポツりと呟く。

 

「……今日はやけに人間を嫌っていたように見えたが……何があったか知っている者はいるかね?」

 

 答えはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 煌きたる爆熱の色彩り

 交差するのは影だった。 

 影──人影と、巨大な影。

 疾走する人影は地を駆け、壁を駆け、天井をも駆けて──ソレに肉薄する。

 対し、影は人影を絡めとらんと殺到し、鋭利な口と鋭利な体で斬撃を放つ。響くのは金属音だ。

 

「ッ……中々」

「そちらこそ、老体で随分と激しく動き回るものです」

 

 喧嘩。

 大喧嘩だった。

 

 セリムが──つまり、傲慢(プライド)が仮初の母より得た知見。

 

 意見がぶつかり合った時は、大喧嘩をするべき。仮初ではあるものの母親の言う意見だ。そこに中々の正当性があるものと見て、傲慢(プライド)憤怒(ラース)との"話し合い"をすることにした。

 

 中々に、初めての経験だ。 

 自らの本体ともいえる影に普通の靴で乗られることも、特別な鉱石を使っているわけでもない軍刀に攻撃が弾かれる経験も──自らの攻撃、その全てが見極められ、避けられるという経験も。

 今まではなかった。同じ人造人間(ホムンクルス)を相手にしていても無かったことだ。

 

 ほら、今だって。

 

「ふ──」

「……!」

 

 踏み込まれた。

 極至近距離まで。影が追いつかず、そのまま容れ物である身体が切り上げを顎に食らって打ち上げられた。

 

「……やはり頑丈だな、()()()

「渾身の一撃でも僕を壊せないとは、老い過ぎましたね、()()()()

 

 本来であれば傲慢(プライド)憤怒(ラース)と呼び合っているが──今回は親子喧嘩だ。

 初めこそラースと呼ぶ姿勢を崩さなかったプライドも、ラースがセリムセリムと呼んでくるから、面倒になってお父さんに変えた、という経緯はあれど。

 他者に話すときの父上でもなく、憤怒でもなく、家族でいる時の呼び名を使うのは。

 

「しかし……傷つきますね」

「はっはっは、なんだ、傷はついているのか?」

「そっちじゃありませんよ。……お父さん、君に傷ひとつ付けられないことに傷ついているんです」

 

 自身の身体を影にくわえさせて、上からブラッドレイを見下ろして。

 彼の身に一切の傷が無いことに溜め息を吐く。

 

 最古の人造人間(ホムンクルス)と、最新の人造人間(ホムンクルス)

 性能に差があるわけではないはずなんですけどね、なんて肩を竦めて。

 

「では、そろそろ本気で行くとしましょうか。──お父さん」

「来い、セリム。そうして、父に聞かせてくれ。お前が何をそんなにも怒っているのかをな」

「……あなたが私に参ったと言わせたら、考えてあげます、よ!」

 

 ほぼ無限に湧き出る影と戦うは一人の人間。来年で60になる老人。

 けれど──ああ、その戦いは。

 

 どこにも悲壮感というものが見当たらなかった。

 

 

** + **

 

 

 ヤバい。

 

「やばいやばいやばいやばい……僕にあてる集団じゃないだろアレ! ああいうのこそ憤怒(ラース)が対処すべき、って、うわ!?」

 

 ヤバかった。

 エンヴィー。それが彼の名であるが、そんなことどうでもいいくらいヤバかった。

 

 走って、走って、走って逃げまくらなければ──人体を分解するスペシャリスト達が、彼をバラバラに分解しに来る。だから逃げる。けれどそれだけではない。突然壁が出来上がっていたり、突然穴が開いたり。

 錬金術師を相手にするときと同じ面倒くささがちゃんとある。

 

 イシュヴァールの武僧。

 刺青の男(スカー)と呼ばれる者達。

 

「このエンヴィー様は雑魚狩り専門だって、もうわかってるだろ!? 采配! 采配ミスだって!」

 

 エンヴィー。

 その変身能力から暗殺に向いている彼だが──平地で、普通の人間とは到底思えない武僧相手の大立ち回りは──ぶっちゃけ無理である。

 もし巨体たる本体になったとて、ヒットアンドアウェイで分解されて終わるだろう。動物になって逃げても何故か位置がバレるし、腹を括って応戦しようものならまたぐちゃぐちゃにされる。

 運よく抜け出せたからよかったものの、次に捕まったら終わりだと魂が叫んでいる。

 

「ズル! ズルだろ! フツウ一対一だろ!? なんだよ18人って!」

「お前らの賢者の石何千何万人分なんだ、そっちのがズルだろ」

「うるさいな! つか、並走して来るなよお前は本当に結局なんなんだよ!」

 

 そんな──逃げるエンヴィーの横を走るは、クロード。

 エンヴィーの隠れ潜んでいた場所に辿り着く前に、ポツりとある言葉を漏らした存在でもある。

 

 ──"あ、そうそう。イシュヴァール戦役の発端、アメストリス軍将校が子供を撃ったやつね。アレエンヴィーだよ。あんな奴軍人リストに載ってないし"。

 

 焚きつけられた、とわかっていても。

 その怒りを抑えることはできなかったのだろう。復讐者たちは──その人造人間(ホムンクルス)を確実に殺すと決めた。

 

 武僧の一人がエンヴィーにとびかかる。

 分解の腕。それは──直前に()()()()()エンヴィーに避けられ、さらにはその腹に腕を突き刺される。

 

「チョーシ乗ってんじゃ──ぎゃああああああ!?」

「同胞よ。先に行く。また共に、イシュヴァラの腕に抱かれよう──」

 

 その、腹に突き刺さった腕を掴んで、分解と再構築を短期間に繰り返す。これもまたクロードが刺青の男(スカー)達にもたらした技術。彼がかつていくつか貰った賢者の石に対して行っていたように、分解と再構築を短期間で繰り返し、そのエネルギーをごっそり奪い取る手法。

 

「ク、ソが! クソ人間が──死ぬのが怖くないのかよ!」

「あっはっは、どうだよエンヴィー。ああいう手合いは不老不死よか怖いだろ。俺も恐い!」

 

 死なない存在と、死ぬのが怖くない存在。

 前者の意味が分からない奴はともかく、後者はエンヴィーにとって手玉に取りやすい手合いだったはずだった。「死ぬことくらい覚悟している」という奴ほどちょっとしたことで揺らぎやすい。

 あのロイ・マスタングなんて本当にいい例だ。鬼気迫る表情が一瞬にして呆けるさまは最高だった。アレの女だというリザ・ホークアイに、今度はもっとエゲつないことをしたらどうなるのだろうと──楽しみで楽しみで仕方がない。

 

 仕方がなかったのに。

 

「こ、んなところで──死んでたまるか! おいマルコー!」

「っ!」

 

 何もやみくもに逃げていたわけではない。

 目的地があったのだ。彼──ティム・マルコーの位置に向かうために。

 

「き、キンブリー!」

「はぁ……今度はイシュヴァールの武僧ですか。それも、私を殺した面子じゃないですか……そろそろネクロマンサーの真似事をやめてみる気はありませんか、ティム・マルコー医師。時間外労働が過ぎますよ」

「え、あ……」

「マルコー! いいからあいつらをやれ!」

「……本当に……美しくない。死んだ人間を蘇らせるのも、死んだ人間が光を掴むのも、死にゆく定めにある者が死者を用いて生を掴まんとするのも──人間を見下しているくせに、人間に助けを乞う人造人間(ホムンクルス)も……何もかも」

 

 ぶつくさ文句を言いながら──地面より這い出たゾルフ・J・キンブリーが紅蓮を引き起こす。

 その傍らにいるのは賢者の石を持ったティム・マルコー。「へっ」と笑い、エンヴィーは茂みへと姿を隠す。

 

「紅蓮の錬金術師──!」

「ああ、分解ですか。しかし残念、今の私の身体、ほぼ粘土のようなものなので、人体破壊は効きませんよ。まったく、私の肉体損壊を治癒しきれなくなったからと言って、こんなもので補強するとは……」

「ガ──」

 

 分解。

 腕がキンブリーに当たれども、血が噴き出ることは無い。

 そのまま武僧はキンブリーに腹を触れられ──爆発四散した。

 

 衣服だ。

 衣服が爆発物に変換されたのだ。

 

「……緑礬の錬金術師ヴァルネラ。アナタ、見ているだけですか。治さなくていいので?」

「ん? なんで治す必要があるんだよ」

「ふむ……成程、特に必要はありませんね。申し訳ない、起きたばかりで寝ぼけていたようです」

「あー、低血圧?」

「フ、低血圧どころか、血など巡っていませんよ。この土人形に私が張り付いていられるのは、賢者の石の力ですから」

 

 連鎖的に爆発が起こる。

 地面も、壁も、エンヴィーが逃げ込んだ茂みも──すべてが爆発し、破裂する。

 勿論隣で話していたクロードも爆発四散するも、すぐに再生した。

 

「……ね?」

「へぇ、粘土に賢者の石流して血液みたいにしてんのか。よく考えつくな。そんでもって、魂定着の陣は常にティム・マルコーが操ってるから自由意志は利かない、と。今の全方位爆破もティム・マルコーだけは避けてて……いや器用なもんだよ」

「お褒めに与り恐悦至極……と言いたいところですが、そろそろ飽きて来ました。アナタ、緑礬とかいうあらゆるものを結晶化する錬金術を使いましたね。アレで私を殺してくださいませんか?」

「ん-、武僧が全員散ったら考えてやるよ」

「そうですか……。はぁ」

 

 本当の本当に嫌だ、というような溜息を吐くキンブリー。

 彼の美学、美醜観念において──今の自分はあまりにも美しくない。ので、とっとと死んでしまいたい。

 それを許さないのがティム・マルコーで、命令しているのが人造人間(ホムンクルス)で。

 

 ……せめてティム・マルコー医師の考えで動かされているのならやる気も出ましたが、彼はただ街一つを人質として取られているだけ。敵を殺すことに意思はなく、怯えながら命令するだけ……と。

 

 なんて。

 溜め息もでようというものである。

 美しくないし面白くないし楽しみもない。それでいて眠れず働かされ続け、目的が達されたら意識を奪われて。

 これがブラック企業という奴ですか、なんて独り言ちる。

 

 ゾルフ・J・キンブリーは死んでいる。

 ──正確に言えば、此度アメストリス全土に巻き起こったゾンビ騒動と同じ。あるいは走りとでもいうべき存在だ。

 武僧、及び緑礬の錬金術師ヴァルネラとの戦いによって焼死体一歩手前まで行ったキンブリーは、その魂を剥がされ、死亡した肉体を綺麗な状態まで戻された上で、この中に入った。

 他のゾンビと違うのは構造と使役。放逐されたゾンビと違って使役者たるティム・マルコー医師がいることと、その肉体に賢者の石が流れ続けていること。

 これにより錬金術の威力や射程が上がり、さらには使役されていながらも高度な思考、会話ができる──という、嬉しいのか嬉しくないのかよくわからない仕様になっている。成り立っている。

 

 文字通りの粘土細工。そこに生死の音はなく、悲鳴ですらない賢者の石が流れるだけの容れ物。

 分解されようが貫かれようが元に戻る。痛みはない。あるように誤認させられていた頃もあったが、邪魔になるだけだと判断されて消された。体の感触もないままに動き続けるゴーレムだ。

 

「時に、緑礬の錬金術師。アナタ、不老不死でしたね」

「ん? おう」

「私、この身体になってから生の実感というものがありません。刺されても分解されても千切れても直る──人造人間(ホムンクルス)のように痛がる素振りさえできないとなると、まるで透明にでもなったかのような気分です」

「あー。まぁ慣れない内はちょっとキモいかもな」

「ということは、アナタもそういう気分ではあるのですか?」

「いやぁ、俺はホラ、不老不死だから。人形とは違うよ。フツーに痛いしフツーに苦しい。けどまぁ、痛いって思わなければ痛くないし、苦しいって思わなければ苦しくない。なら苦痛に思わない方が得ってモンでショ」

「つまり──痛いと思えば痛く思えると」

「おん。ちょい頑張ってみ? 心なんて案外力業でどーにかなるもんだぜ?」

 

 会話──とは裏腹に、壮絶にして凄絶、凄惨な光景が広がっている。

 最強かに思われた刺青の男(スカー)達。だが、相手が痛みさえ感じない不死の粘土細工となると話が違ってくる。

 隙が無いのだ。本人は全く別のところに意識を割いているのに、戦闘に余念がない。

 

「……無理ですね。私には難しい……」

「おーん……あー、お前さ、それ欲しいか? あー、だから、痛覚」

「できるのなら。これがないと、戦闘に臨場感がありませんので」

「そうか。んじゃ、代価は」

「では、私の魂を。この戦闘、私が勝つにせよ負けるにせよ──アナタに魂を差し出します。ですからどうか、ひと時ばかりの力熱(ねつ)を」

「おう、ノータイムで魂差し出す奴はブリッグズの少将以来だ。んじゃま」

 

 クロードがキンブリーの胸骨に手を当てる。

 発動するのは生体錬成だ。胸、首元に手を突き入れて行われるその蛮行は、けれど彼の腕が抜き放たれた時──キンブリーの眼に光を宿らせていた。

 

「ああ──ああ、ああ! これです、これですよ! 痛み──私の身体が悲鳴を上げている。血液の代わりに通る賢者の石が痛みを発している。損壊した肉体が軋む……叫ぶ! そして、そして──なんと懐かしきか、心臓の音。なんと美しきか、怨嗟の声! ──この世界で最も醜きアナタに、畏敬と、感謝の念を。そして」

 

 大爆発だ。

 すべてを巻き込む爆発は、キンブリーの足元で起こり──それはあらゆるものを巻き込む。

 避けるとか外すとか、ない。

 

 だから当然、ティム・マルコーも。

 

「肌の焼ける感覚、音。肉のこそげ落ちる音──忌むべき声、復讐の炎。イシュヴァールの亡霊よ、私を見なさい。私を、私だけを見なさい──私こそがあなた達の命を奪った……もっとも多くを奪った者!」

 

 勿論キンブリーだって無傷じゃない。

 だから、それがいい、と。

 

 彼は声高らかに笑う。

 

「さぁ──向かって来てください。私を殺すために! 私を滅するために──世界を救うために!!」

 

 言われずともだった。

 言われなくともだった。

 

 爆発を避けることさえしない。足をもがれようと、片腕に成ろうと、刺青の男(スカー)達は突撃し、突撃し、突撃する。

 刺青の男(スカー)達は──自らを顧みず、キンブリーにその腕を当てて、分解を、分解を、分解を実行する。その身が爆ぜようともお構いなしに、だ。

 

 

「──ならば、ここで死なないのは──流石に美しくないでしょう!」

 

 

 故に。

 

 最後にキンブリー自身が自らの頭に手を当てて、直後彼の身体から光が漏れ出でる。

 それは彼の身体が粘土細工であればこそ。

 

 自らの全てを爆発物に変えて──。

 

 

 

** + **

 

 

 

「というわけだ、ティム・マルコー」

「……戦場の神医ヴァルネラ、か」

「キンブリーの魂は貰った。だからあの人形はもう動かない。よってお前の契約は破棄され──お前が必死に守らんとしていた村は地図の上から消されるだろう」

「……」

 

 まだ、まだ終わっていないと、エンヴィーを追いかけて行った刺青の男(スカー)達。

 残ったあと6人が。あっはっは、いやぁ大健闘だよキンブリー。

 

「……と思ったら、なるほど。アンタもゾンビなのか」

「と……とっくの、昔にな……」

「エドワード・エルリックが来たあとか?」

「! ……まさか、全て知っていたのか?」

 

 まぁ、簡単な話だ。

 俺のせいで十分な"生きた人間"が確保できなくなった軍上層部が何をするか、何を考えるか。

 

 節約だ。

 賢者の石の製法。それは人造人間(ホムンクルス)達によって確立されている。そのノウハウを貰って、貰ったうえで──効率化を図る。

 何百人もの人間を賢者の石にする、など効率が悪すぎる。だからもっと少ない人数で、そして──できるのなら、一人から何回も採れたら最高だと。

 

 そういう考えに至るのもおかしくはない。

 

「そうしてお前たちはまず、魂の切り分けについて研究させられた」

「あ……あぁ、そうだ。一人の魂を切り刻む研究。先に合成獣(キメラ)という研究があった。……それは二つの魂を一つに錬成する錬金術で、これの逆を一人の人間に適用させれば、魂を二分できるのではないかと考えた」

「が、失敗した。なんでかって、合成獣(キメラ)の魂は一コじゃなかったから。重なることと融合することは違う。お前ら人間には魂が見えないから、合成獣(キメラ)の時点で成功したと思い込んでいたんだ。翼の生えた獅子、炎を纏う馬、砂に潜む巨大ミミズ。そして合成獣(キメラ)の軍人。こいつらはまるで人間が動物の魂を吸収したかのように映ったことだろうが、違った。動物の魂は重なっていた、あるいは隅に縮こまっていただけで、消えても融合してもいなかった──」

 

 爆発によって。

 

 ごろり、と転がった──ティム・マルコーの首。

 それがまだ、喋っている。

 

「だから、アプローチを変えたんだ。……果たして人の魂とは、どこに宿るのか。心臓か、脳か、目か、手か、──それとも全身か。それを調べるために私たちは被検体を切り刻んだ」

「結果、どこにあった?」

「……全身だったよ。だから私たちは、被検体を切り分けて使うことにした。それが最も効率が良かったんだ」

 

 でも、それでも。

 戦場の神医ヴァルネラのせいで、どんどん材料が減っていく。

 

「効果が薄くとも賢者の石。どうでもよかったんだ、増幅器としての能力なんて。賢者の石さえ作れたらあとはどうでもよかった。だから──上は私達研究チームの手足も切り刻もうとしてきたよ。……すぐに私は逃げたが、果たして皆がどうなったのかを私は知らない」

「単純に人間を五分の一にして作って一人分の賢者の石。腕一本で五分の一賢者の石を作るノウハウを手に入れたわけだ」

「……そうだ。そしてそれは、意外なことに軍上層部に……いや、今にして思えば、人造人間(ホムンクルス)に好評だった。そ、そこからだ……すべてが狂い出したのは」

 

 逃げて、町医者をやっている最中に軍人に見つかって──人造人間(ホムンクルス)にも見つかった。

 エドワードらに話をした直後。

 

 そうして打ち込まれるは研究結果。

 名前の彫られた鉄板。

 それはつまり、魂を乗せるに必要な人間の最小単位。

 

「名前は、これがその者であることを指すために必要だった。──残された研究チームは、指や手足、眼球を失いながらも指示に従い続け……最初の被験者として、私を指定したそうだ。逃げた私をな……」

「ちなみにその研究チームは?」

「……これだよ」

 

 そう言って──首の無い身体が見せてくるのは、プレパラートとどっこいどっこいくらいの薄さの赤い板。

 削りに削られ、研究も出来なくなった時点で賢者の石の材料にされたか。

 

「一度使えば割れて壊れる。……戦場の神医ヴァルネラ。私はもうすぐ死ぬ。だからその前にお願いしたいんだ」

「代価次第だな」

「……イシュヴァールの地。かつてアメストリス軍がテントを張っていた場所の地下深くに、実験場がある。そこは放棄されたままになっている……気休めなのはわかっているが──」

「供養してくれ、って?」

「ああ」

「……俺は葬儀屋じゃねーんだけど」

「だが、不老不死だろう。……多くの死を、看取って来たんじゃないのか?」

 

 ……まぁ、俺達がドラクマの血の紋をズラしたせいで、イシュヴァールの無念が本当の無念となったんだ。少しくらいのサービス残業はしてやるかぁ。

 キンブリーの身体に触れる。ティム・マルコーの身体に触れる。

 

 そして、中の賢者の石を一気に使い切る。

 

「……代価は……情報、だ」

「おん?」

「お前を騙った……金歯の、医者。──降らせる、気」

「ああ、わかってるよ。気付いてる」

「なら──あんしんして」

 

 倒れる。

 倒れた。

 

 ……さて、あとはエンヴィーがどーなったか、かねぇ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 老わねば等価たる価値

命の価値に優劣はない/そんなことはない。
ならばこの等価交換は/成り立たない。


 六人。

 ──たった六人が、一斉に顔を突き合わせる。

 

「……見失った、か」

「少し急き過ぎた。通信が届いていない。一度戻るべきだ」

「だが、それで逃げられては元も子もない。クロード殿を待てばいい」

 

 追い詰めたはずだった。

 武僧はどれほど暗い茂みでも、どれほど鬱蒼とした森の中でも敵を見逃さない。

 故にあらゆる動物に変身して逃げ回るエンヴィーを追い詰めに追い詰め、六方向からの挟み撃ちにて仕留める──その予定だった。

 

 だが、いない。

 鳥に変化したわけでもない。草木石になっているわけでもない。

 

 これは。

 

「……我らの、誰か、か」

「成程どこまでも……」

 

 そう考えるのが当然だ。

 エンヴィーは変身能力に長けた人造人間(ホムンクルス)。追い詰めている間に武僧を一人殺し、それに成り代わって、何ぞ知らぬ顔でこの場に現れた可能性は十分にある。

 

 通信が届かなくなっている今、ブレインたる彼の助言もない。

 であれば膠着状態に陥るしかない。

 

 ──常人であれば。

 

 合図はなかった。

 五人が同時に踏み込み──そして残った一人に蹴りを入れる。

 

「!? ──ッ、なんで!」

「踏み込まなかったからだ。互いの誰かが敵であるのならば、己以外が敵と同じ。それを殺さんとしたというのに、お前は動かなかった。故に目標を変更した」

「そんな合図、無かっただろ!?」

「不要だ。我ら復讐者。既にイシュヴァラの(かいな)に抱かれし同胞ではなく、いつ死のうとも、いつ殺そうとも同じこと。であれば」

 

 錬成反応が迸る。

 分解の腕。五人のそれは──確実にエンヴィーを取り囲み。

 

「死ね、人造人間(ホムンクルス)

 

 ここに。

 

 

 

 

「兄者、何をしている?」

「……ゾルフ・J・キンブリーの死体を検分していた。少し気になることがあってな」

「そうか」

 

 何をしているかは聞いても、気になることは聞きはしない。

 そんな相変わらずの弟に苦笑しつつ、刺青の男(スカー)兄と呼ばれる男はそれを観察する。

 

 ──賢者の石。

 

 銃弾の形に加工されたソレは、キンブリーの体内を流れていたものとは別に埋め込まれていたものだ。

 いつ撃ち込まれたのか──何の意味があったのか。

 

「兄者」

「どうした?」

「調べ終えたのならば、それを壊したい。……見ていて不快だ」

「ああ……そうだな」

 

 刺青の男(スカー)兄はその朱き銃弾を抓み、自らの弟に渡す。

 

「──!」

 

 違和感はあった。

 投げ渡せばいいものを──何故、手渡しで、と。

 

 けれどその言葉を口にする前に。

 

「ぐ、ぉぉおおお!?」

「──ひひっ、良い悲鳴出すじゃん。油断してたねぇ……やっぱり仲間は仲間でも、血縁関係があると騙しやすくて良い!!」

 

 弟──傷の男(スカー)と呼ばれるはずだった男の右腕が、肩口からざっくりと切り落とされる。

 超至近距離から腕部を巨大な刃に変形させ、質量によるゴリ押しで千切り切ったのだ。

 

 バックステップで距離を離すも、右肩からは大量の血がどばどばと溢れ出る。

 

「アハハハハ! いやぁキンブリーはいい仕事をしたよ! お前ら武僧は厄介極まりないけど、各個撃破すれば結局人間と変わらない!」

「……兄者は、どうした」

「どうしたと思う? ──ヒヒ、そんな怖い顔するなよ。お前らが散々僕にやってきたことだろ? ──なぁ!」

 

 蹴り。しかも傷口を狙ったソレは、咄嗟に右に転がった刺青の男(スカー)に避けられ──るも、足先を伸ばすことでこれを対処。さらにはミートテンダライザーを思わせる形に変化した足裏が傷口をさらに抉り潰す。

 

「──ぅ、ぐ」

「ああ……良いぜ、その顔。それだよそれ……それを待ってたんだ。ったく、イシュヴァラの教えだか何だか知らないけど、頭イっちゃってる奴らと戦うよりずっと楽しいよ……ハハハっ」

 

 失血。

 その出血量に、刺青の男(スカー)は瞬時の判断を下した。

 

 起こる錬成反応は。

 

「ぐ……ふ、ぅ……」

「……周囲の皮膚を引っ張って止血した? オイオイ、激痛も激痛だろそんなの。さっきのテーセー。やっぱ頭イってんのは変わらないや」

 

 けれど、出血を止めたところでダメージは大きい。

 残る再構築の左腕だけでこの人造人間(ホムンクルス)を相手にしなければならない。

 

 それは。

 

「……他の者は、どうした。全員貴様のような奴に殺される程弱くはないはずだが」

「ナニソレ。もしかしてチョーハツのつもり? ハハハッ、意味ないって。──このエンヴィー様に負けた奴らを引き合いに出されても、笑い話でしかない」

「負けた……」

「ああ、負けた。簡単だったよ。オマエも、アイツラも。結局は腕の攻撃だけが火力になる。確実に殺すってなれば必ず分解の右腕を使う。こんだけ見せられて殺されたらそれくらいわかる。──だったら、その他を拘束すればいいだけだ。こういう風に」

「っ、ぅ……」

 

 エンヴィーはファイティングポーズを取り──瞬間、()()()()()()()()()()()()()刺青の男(スカー)に攻撃する。

 間一髪で避けた刺青の男(スカー)も、荒い息が絶えない。

 

「別に人間の身体に拘る必要はないんだ。全身からこーやって肉の塊を出して縛り上げて背骨折ればそれで終わり。ホンット脆いよねアンタら人間って」

 

 うねうねと身体のいたるところから暗緑色の手を生やすエンヴィー。元より彼は八本足であり、それらを自在に、同時に、全く別の動きをさせるよう操るのは苦でも何でもない。

 やらなかっただけだ。

 理由などない。やらないだけ。やらなかっただけ。

 

「人数がいりゃ確かに厄介だったし、あの人数に囲まれたらこのエンヴィー様だってヤバかったかもしれないけどさぁ、ダメだろ、格上相手にバラけちゃ。コイツはそんなことも教えてくれなかったのかい?」

 

 コイツ、と。 

 顔だけをまた刺青の男(スカー)兄に変えて、指をさして。

 

「俺が雑魚狩り専門だ、とかって言ったから油断しただろ。アハハハッ、こういうの"術中に嵌る"っていうんだっけ? 雑魚狩りしかしてこなかったから弱いって──そう思ったんだろ!」

 

 エンヴィーは──その身体を膨らませていく。

 巨大に。巨体に。

 暗緑色の肌と八本足。長い尾。助けを求める魂はポコポコと湧き出て、人間のような髪を残すワニが如き頭部が形成される。

 

「雑魚狩り専門は本当だけどさぁ──お前ら、自分がザコだって思わなかったワケぇ?」

「……何がどう、人造"人間"(ホムンクルス)なのか……製作者に問いたい姿だな」

 

 化け物だった。

 紛う方なき化け物。静かな森に現れたソイツは、あまりに醜悪で、あまりに──憐れな。

 

()()()()()だ。──潰してやるよ、イシュヴァール人!」

「……参る」

 

 それは、絶望を通り越した戦い。

 

 勝負はほぼ一撃でついたようなものだった。

 地面に手を当ててスパイクを作り出した刺青の男(スカー)に対し、エンヴィーが行ったのはただ尻尾を振り回しただけ。

 土や石程度の構成物でしかないスパイクをガラガラとぶち壊し、尾を確実に刺青の男(スカー)へと当てる。片腕では防御も防御にならない。どれほど鍛えた体とて、その質量差は天と地ほどもあり──少しでも衝撃を減らさんと後ろに跳んだ程度では、ダメージを殺し切れなかった。

 

 振り切られた尾は刺青の男(スカー)を吹き飛ばし、樹木へと叩きつける。

 

「──!」

「アッハ、今骨を砕いた感触があったねぇ……ほんっと、愚か愚か。愚か過ぎて溜め息が出る。──この男とかね」

 

 エンヴィーがその体表から──ある男の上半身だけを出す。

 それは。彼は。

 

「き、さま……!」

「アハハハっ、ジョーダン、ジョーダンだって。殺してないよ。殺す価値もない。あれはブレインで、アンタら手足がいないと何にもできない存在だろ? わざわざあの不老不死の不興を買ってまでやることじゃあない」

 

 冗談だ、と言いながらも、その体表からは刺青の男(スカー)達が絶望の表情と共に這い出てきて、刺青の男(スカー)に、男に助けを乞う。苦しい、苦しいと。解放してくれと。

 

 怒り、だった。

 復讐心。それを滾らせて、その満身創痍な体で──意志の力のみで、立ち上がる。

 

「へぇ、まだやる気なんだ。そういうトコが愚かなんだよね。考えてもみなよ。僕はこの通り巨体で、お前は小さいんだ。ならあの不老不死のところまで逃げればいい。そうして、代価だっけ? なんか差し出したら助けてくれるんだろ? 腕も生やしてくれるかもしれない」

「……敵からの情けは受けん」

「情けじゃないさ。シゴクトーゼンの事を言ってるだけだ。逃がしてやるってわけじゃない。ただ、片腕しかない今の状態じゃアンタは俺に絶対勝てない。このエンヴィー様の尾に当たっただけでそんなボロボロになっててさぁ、どう勝つつもりなんだよ。だったら尻尾巻いて一旦退いて、少しでも可能性のある方を取った方がいいってそれだけだろ? ゴーリテキな話だよ、ゴーリテキな」

 

 それでも、刺青の男(スカー)は構えを取る。

 

 エンヴィーはそれを眺めて──つまらなそうに溜め息を吐いた。

 

「あっそぅ。じゃあ死ねば?」

 

 地面が割れる。

 いつの間にか──いつの間にかエンヴィーが地面に潜らせていた尾。それが刺青の男(スカー)の前に出現したのだ。

 振り回すでも叩きつけるでもなく、突き刺すように。

 

 錬金術は間に合わない。防御もできない。

 蓄積したダメージはもう立ち続けることさえ難しい程。

 

「イシュヴァラの神よ」

 

 突き出る尾に腕を突き出し、それが紙のようにぐしゃりと潰れるのを見ながら、刺青の男(スカー)は祈る。

 

「──どうか、兄者に」

 

 言葉は──最期までは。

 

 

 

 

「片付いた……のか?」

「ん-」

 

 通信妨害が入っていた。

 届かなくなったのではなく、妨害されていたのだ。

 

 故にクロードと共に森を探索していた刺青の男(スカー)兄は、森の中で響いていた轟音が止んだことに気付いた。

 音のしていた方向。

 少し開けた場所。

 

 ──そこに一人。

 

 片腕を失い、血だらけとなった刺青の男(スカー)が立っていた。

 意識がないのか、立っているだけで精いっぱいなのか。

 

 フラつき、時折ガクガクと震えながらも──立っては、いる。

 

「……流石だな。生きていてくれたか」

「あー、そりゃ残念」

 

 近寄ろうとした刺青の男(スカー)兄をクロードが制止する。

 何故、という疑問を刺青の男(スカー)兄が出す前に、彼より先にそれを呈する者がいた。

 

「ちょ、オイなんでだよ。アンタどっちの味方ってわけでもないんだろ? だから手ぇ出してこなかった。なのにソイツは助けるのかよ!」

「当然だろ。要否と等価交換でしか俺は動いてねーんだよ」

「……まさか」

 

 刺青の男(スカー)からは……彼の弟からは絶対に出ない口調、言葉に、すぐに気づく。

 バチバチと音を立てて消えていく血液。褐色の肌。赤い眼。

 

 それらは色白の少年へと変貌を果たし──そして、刺青の男(スカー)兄へ何かが投げられた。

 

「返すよ。ソレ、アンタの弟の持ち物だ。ああ、持ち主はすり潰しちゃったから、その辺のシミにでもなってんじゃない?」

 

 腕。

 ──破壊の腕。分解の右腕。

 大きさも形も。

 

 それが誰のものか──わからない彼ではない。

 

「……そうか」

「アレェ? なんだよ、もっと絶望しろよ。肉親が、身内が死んだんだぜ? もっとあるだろ! 泣き叫ぶとかさぁ。特にアンタは戦えないブレインで、アンタの手足になってたやつらが全員死んだんだ──アンタが戦い方を教えて無かったから! ハハッ、あいつら誰一人逃げなかったよ。形勢を立て直すって言葉を知らないみたいにさ!」

「そうか」

 

 刺青の男(スカー)兄はその腕に触れ、之を分解する。

 びしゃり、と血が落ちた。

 

「えぇ、唯一の形見をそんなにしちゃうんだ……理解できねー。ソレしか残ってなかったのに、ソレも消したら、もう何にもないぜ? あ、こういうことはできるけど、欲しかったりする?」

 

 言いながら──その手を刺青の男(スカー)の首へと変化させるエンヴィー。

 自らその手首を切り落とし、放り投げる。

 

 刺青の男(スカー)兄の前に転がって来たソレが、今度は彼が触れる前にじゅぐじゅぐと醜悪な肉塊となって崩れ落ちた。

 

「……」

「ヒヒッ、今ちょっと反応したね。やっぱ感情はあるんだ──我慢してるだけ。ホントは怒り狂いたいんだろ。ホントは泣き叫びたいんだろ? 同じ部族つったって他人は他人だ。けど、ソイツだけは唯一の肉親だもんなぁ!」

「……クロード」

「おん?」

 

 煽りを無視して。

 刺青の男(スカー)兄は──隣の不老不死に話しかける。

 

「君にとって、私は要否の上における要──だったな」

「まぁ、そうだな。軍に逆らってでも助けるくらいにゃ希望だって思ってるよ」

「そうか」

 

 ならば、と。

 刺青の男(スカー)兄は、エンヴィーに向かって歩き出す。

 

「来た来た来たァ! どうする? 殴る? 蹴る? そのヒョロヒョロの身体でこのエンヴィー様を分解するか、貫くか──なぁ、どうするんだよイシュヴァール人!」

「良いのかい、クロード」

「……あー」

 

 あくまでエンヴィーは無視して、刺青の男(スカー)兄はクロードに話しかける。

 

 意図を理解したらしい。クロードは後頭部を掻いて、溜息を吐いた。

 

「このエンヴィー様を無視してんじゃねぇよ人間!」

 

 腕が、腕先が刃物のようになり、伸びる。

 二本。二つ。

 挟み込むような動きの、蛇のようなそれが刺青の男(スカー)兄に向かい──。

 

「そうやって使われるのはあんまし好きじゃないんだけど、まぁ、いいよ。今回だけな」

「わかっているさ。──すまないな」

 

 叩き、落とされる。

 

「──ハ!」

 

 ハ、ハ、ハハハハ、と。

 笑う。

 腕を引き戻したエンヴィーが、腹を抱えて笑う。

 

「なんだよそれ──なんだよそれ! もしかして、アンタが出るっての!? 今の今まで全部見殺しにしておいて、ソイツだけは守るって!?」

「おお全部言ってくれるじゃん。楽でいいな、お前」

「緑礬の錬金術師! 攻撃されないと錬金術を発動できないアンタに、何が」

 

 踏み込み。 

 それはエンヴィーの瞬きのタイミング。人間と似た構造にされているが故の隙。

 

 縮地。

 

「抜いといてよかったよ。お前との戦闘記憶」

 

 顔を掴み、発動するは生体錬成。 

 ──否、だから、ここでだけは彼らに倣って。

 

「ギ──ァアアアア!?」

「医療分解だ。あっはっは、なぁエンヴィー。武僧の分解ってのは、人体破壊……人体なら必ずあるだろう要素を理解して分解する、いわば汎用的なダメージしか与えられねぇもんでさ。それでも十分強いんだけど──たとえば」

 

 バチバチと音を立てて再生するエンヴィーの、左目に人差し指が、刺さる直前で止まる。

 寸止めだ。眼球、それが映し出すは、指の腹に描かれた錬成陣。

 

 一瞬、一瞬だけ触れた。

 眼球に──瞬間。

 

「ッ!? ぁ……なん、がっ」

「視神経だけを分解した。どうだ、どういう痛みだ、嫉妬(エンヴィー)

 

 つんのめり、もんどり打つエンヴィー。しゃがみ込んでその顔を掴み、今しがた視神経を分解した方の眼に親指と人差し指を入れていく。

 

 ぞぶり、と。

 突き破って入ったそれは、エンヴィーの眼球を引き千切るものもなく抜き取る。

 

 ざらりとした感触。あり得ない。ありえなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて──あり得るはずがない。

 

 エンヴィーは思わず自らの眼を触る。今しがた再生したはずの眼は、当然、ちゃんとある。そこにある。

 ならば彼の手にあるものは、とクロードを見て、そこに来た拳にぶん殴られた。

 

「……ンだよ、今のは……」

「え、手品だよ。手品っつか、誤認を利用した遊び? 自分の眼球触られてるみたいで面白かっただろ」

「狂ってるだろお前……」

 

 もう眼球に感触はない。

 何故かまだクロードの手にある眼球は。

 

「ぐしゃっと潰すと」

「ぎ、アぁあ!?」

 

 潰された方の眼に激痛が走り、エンヴィーは崩れ落ちた。

 思わず抑えた目は──けれど再生自体が起こらない。何故なら、潰れていないから。

 

「おいおい、何やってんだよ。遠隔で臓器潰すとかそんな魔法みたいなことできるわけないだろ」

「……だったら、この痛みはなんなんだ!」

「幻覚痛って奴だよ。目の前で見せられて、お前の脳が勘違いしちゃってるだけだ」

 

 あっはっは、なんて笑うクロード。

 面白そうに、可笑しそうに──何の感情もなく笑いを零す。

 

「顔を分解するより、首を分解した方が効率よく賢者の石を減らせそうだな」

「っ、後ろ!?」

 

 後ろだった。

 いつの間にかいた刺青の男(スカー)兄が、エンヴィーの首を掴み──分解を発動させる。

 

 けれどそれはいつもの痛みだ。仰け反るようなそれじゃない。だからすぐに再生し、刺青の男(スカー)兄を殺さんと巨腕を振って。

 

 ぶちん、と千切れた自らの腕に──その肩に手を乗せる不老不死に。

 

「──メンド」

 

 激情ではなかった。激昂しなかった。

 いつものエンヴィーであれば何をしてでも刺青の男(スカー)兄を殺さんとしただろう。

 

 だけど、どれほど殺しても意味のない存在が彼を守るとあれば話は違う。 

 これ以上の感情は不要だ。

 彼は冷静にこれを判断し、瞬間大きく跳躍する。

 

「お、逃げるか」

「……落とせるかい、クロード」

「ソイツは要否じゃねぇからな。代価を寄越せよ」

 

 空中で腕を再生させ、そのまま鳥へ変身し──その場を去る。

 どの道目的は達成したのだ。

 

 留まる理由は一つもない。

 

「……どうせ、あと少しの命だ。精々楽しめばいいさ、人間」

 

 言葉を一つ落として。

 

 エンヴィーは二人から逃げることに成功した。

 

 

** + **

 

 

 舌を巻く、というのはこういうことを言うのだろう。

 

 セントラルの地下で戦いを始めてから六時間は経過したことだろうか。

 ──その間、傷一つ無い自らの弟。あるいは偽装の父。

 手加減などしていない。確実にその身を刺し貫くつもりでいる。けれど、当たらない。──当たらない。

 

「ですが、そろそろ渇水や空腹が来ているのでは? その身体は人間──疲労には勝てないでしょう、お父さん」

「そうだな。そろそろ家に帰ってやらねば心配されるだろうぞ、セリム」

「……確かにそれはそうですね。ですが、今ばかりは母上の心配より──こちらの方が楽しい自分がいます」

「楽しい。そうか」

 

 長らく最強だった。

 長らく一番だった。

 

 お父様に作られた「はじまりのホムンクルス」。

 その身はお父様の中身に寄せられ、その能力は後に生まれた兄弟と比べても桁の外れたもの。

 人間だろうが動物だろうが切り裂く鋭利さも、アメストリス全土を覆いつくし得る影の範囲も、どれもが不足の無い強さ。

 

 それが。

 それが、今、たった一人の人間に──人造人間(ホムンクルス)の力を得ただけの人間に覆されようとしている。

 

 口角がつり上がって仕方がない。

 これほど戦闘狂だった覚えはないから、恐らく違う感情なのだろう。

 

 大喧嘩。

 成程、これは確かに"スッキリ"するかもしれない。

 

「もう一度問うておこうか、セリム」

「なんですか、お父さん」

「何故お前はそうも怒っていた? 今は随分と上機嫌になったようだが──私をあんなにも一方的に遮断したのは何故だ」

「……ああ、その話ですか」

 

 確かに。

 そろそろ母が夕飯を作っている時間だ。料理人の手によるそれではなく、母が作る手料理を食べる機会は案外少ない。

 

 もうすぐ──全てが終わる。

 それまでにあと何度食べられるか。

 

「いいでしょう。戦いながら、少しだけ話してあげますよ」

「そうか。はっはっは、これは、セリム。お前の心を少しでも解せた、と見てよいのだな?」

「……お父さん。君はそういう、相手が話す気を失くすような言動をやめたほうがいいと思いますよ」

 

 影でラースを襲いながら、まぁ、と。

 なんでもない話なのですがね、なんて言いながら──話し出す。

 

「私とお父さん、そしてお母さん……母上は、家族でした。噓偽りしかない家族。欺瞞に満ちた、仮初の家族」

「そうだな。実年齢においても兄弟関係においても真逆。血のつながりもない──嘘の家族だ」

「ですが、家族でした。私は君の息子を演じ、君は私の父を演じた。それは事実です」

「異論はない。続けなさい、セリム」

 

 あり得ないことだ。

 まだ軍刀の一本も切れていない。

 まだその身に土埃一つ付けられていない。対して此方は──しっかりと消耗している。閃光弾を使われたわけでも、影を絶たれたわけでもないのに、だ。

 この容れ物への攻撃だけで、壊れてしまいそうなほどにダメージを負っている。

 

「でも君は、私達家族を捨てました」

「……どういうことだ。今でも家族は続けているつもりだが?」

「ヴァルネラ。あるいはクロード。──彼の錬金術師に、君は"友情"を見出した。人造人間(ホムンクルス)が人間に友情を抱くなどあり得ない話ですが、彼は別枠だ。不老不死──それはある意味で、君と真逆の存在。敷かれたレールの上を走り、その寿命の使用用途が全て定められていた君は、自由というものが欠片もなかった。──お父様の意志により産み落とされた君を見て、私達兄弟は"窮屈そうだ"と思っていましたよ」

「ほう? 友情。自由。窮屈。どれもこれも、お前の口から聞けるとは思っていなかったぞセリム」

「──君は、いつの間にかそちらにいましたね」

 

 天井付近の影に乗り、彼を見下していたはずなのに──いつの間にか真横に来ていた彼の軍刀に弾き飛ばされる。

 ボロ、と。

 何かが剥がれ落ちる音が体の中で鳴った。

 

「つまり──なんだ、セリム。お前は……羨ましかったのかね? 私とクロードの関係が」

「あはは、君は本当に子ども心がわかりませんね。違いますよ。──私は思い通りにならない君が怖かった。思う通りに動かない君が恐ろしかった。だってそうでしょう、憤怒(ラース)。今、君が行っていることは──つい先ほどまで剣を向けていた相手に剣を貸し、その後ろ盾になるような行為は」

 

 ──傲慢そのもの、じゃないですか。

 

 言う。

 

「お父さん。知っていますか? 私達人造人間(ホムンクルス)は、元がある君と違って──お父様から切り離された感情でしかないのです。アイデンティティがそれしかない。故に私たちは互いにあまり干渉しませんでした。差別化を図り、より名に特化した存在にならんとした。……けれど、憤怒(ラース)を冠す君がそれを壊した」

 

 殴られた──肌が、再生しない。

 割れる。中身が露出する。

 

「私は傲慢です。お父さん。知っていますか、お父さん。傲慢である私が最も恐れるものがなんであるか」

「……舐められることかね?」

「不正解です。正解は」

 

 ──愛されていないこと。

 言う。言葉を、恥ずかしげもなく口にする。

 

 少しだけ目を見開く彼に、こちらも少しだけ笑みを落とす。

 

「産み落とされてから……360年程ですか。国土錬成陣を敷く以外の時間、割と自由な時間が多かったので、私は私について考えてみたのです。私が何を欲し、私は何を恐れ、私が何に惹かれているのか」

「殊勝なことだな」

「ええ。なんせ不老不死……この世界には既に、最も傲慢な名を名乗る者がいましたから、先ほど言ったアイデンティティが揺らいでしまいまして」

 

 不老不死。完璧なる存在。

 尾を食らう蛇では、雌雄同体の龍には勝てない。それは同一のものを指す記号でありながら、劣化品だ。永遠と完璧には何故か差があり、絶対と不滅には大きな隔たりが横たわる。

 

「愛されたかった。お父様に、でしょうね。彼は愛をくださいませんでしたから。……これを自覚してから、私は自覚的か無自覚的かはともかく、愛を求めるようになりました。あはは、勘違いしないでくださいね。恋愛の類の愛ではありませんよ。──家族の愛です。最強として、原初として、ほとんどの自由を与えられていた私は、けれどいつもいつも空虚だった。欠乏を感じていた」

「……傲慢(プライド)

「ですから、君という弟が生まれ──それが父親になると知った時、私は嬉しかったんです。無論君の前にも家族はいました。私はずっとずっとセリムでしたから。それでも彼らは私を知らず、私をセリムとしてしか見ない偽物。宛がわれた存在でしかなかった」

 

 故に、憤怒(ラース)と言う存在は。

 

「君は、私を愛していましたね。仮初で良かったのに、欺瞞で良かったのに──まるで本当の子供の様に私へ接した。こういった場でも私をからかったりしていたのがその証拠です。君は母上がいるから、という理由だけでなく、私を子供として見て、君は父親であろうとした」

 

 ようやく手に入れた、嘘だらけの──本当の家族。

 

「だというのに。君はあの不老不死に──自分がまるで真理の天秤を司る番人のような振る舞いをする傲慢極まりない者に現を抜かした。いいですか、お父さん。私は君とあの不老不死の関係を羨んでいるわけではありません」

 

 止まる。

 軍刀が。……これ以上やれば、容れ物が壊れてしまうから。

 

 ……負け、ですね。

 

「私は怒っているのですよ、憤怒(ラース)。君が家族より友を優先したことをね」

「そうか。……そうか」

「さて、では一応"参りました"と言っておきましょう。体力的にはまだまだ戦えますが、容れ物が保たない。……しかし困りましたね。流石にこの状態で母上の前に出て行けば、心配されるどころでは済まなそうだ」

「はっはっは。ならば、セリム。今の話をした上で呼ぶのは少しばかり心苦しくはあるがな」

 

 彼が手を叩く。

 数瞬の沈黙。

 

 その後、天井に大穴が開いた。

 

「お前さ、俺の事執事かなんかだと勘違いしてない?」

「しておらん。救急箱だとは思っているが」

「箱かよ」

 

 落ちてくる。

 真白のローブの、金髪金眼の少年。

 

 今──まさにコレの話を、コレとの付き合いに苦言を呈していたというのに、まったく……。

 

「あれ、傲慢(プライド)。どしたんその傷」

憤怒(ラース)と喧嘩しました。この傷を治すのに必要な代価はなんですか?」

「喧嘩? ……え、マジで喧嘩したんだ。あっはっは、冗談だったんだけど」

「お前に言われたからではない。それで、治すには何が必要だ、クロード」

 

 どうやら、憤怒(ラース)も喧嘩して来い、というような言葉の類を言われていたらしい。

 ……少し不満ですね。私の母上が特別である、とした方が気分が良いのですが。

 

「いや代価なんか要らねえよ」

「何?」

「なんですって?」

 

 憤怒(ラース)が軍刀を、私も影を際立たせます。

 偽物?

 

「オイオイ、お前ら俺の事なんだと思ってんだよ。──父親と息子が喧嘩して、息子が怪我して、今医者呼んだ。──それで代価なんざ要求するわけねーだろ。鬼か俺は」

「……お前は事あるごとに"代価を寄越せ"、"代価を寄越せ"と言ってくるイメージがあったが」

「私もです。たとえ重傷者、瀕死者相手でも代価代価代価と、等価交換を騙るように言葉を吐いていた覚えがありますが」

「まぁ、否定はしないよ。そういう側面も俺にはある。たださ」

 

 クロードは、自らの額を割り、剥ぎ取り、私の崩れた部分に押し付けて──生体錬成を発動する。

 その皮膚、肉は容れ物によく馴染み──何事もなかったかのように、()()

 

「俺は赤子には優しいんだよ。払えるモンなんかまだ何も持っていないくせに、覚悟と欲求だけは人一倍強くて、それでいて純粋だ」

「赤子など、この場にはいませんが」

「ん-? ……ま、そう思うんなら勝手にしろよ。んじゃーな。夫人に俺が治してくれたって言っといてくれていいぜ。ああでも今俺指名手配犯だったわ。今のナシで!」

 

 そんなことを言って、天井に空いた穴を塞ぎながら帰っていく不老不死。

 

 ……わかりませんね、何も。

 

「帰るか、セリム」

「……そうですね。お母さんが待っています」

 

 でも。

 どちらにせよ、なんにせよ──もうすぐ、すべてが終わる。

 

 この光景も──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日の更新が少し遅めになりそうなので今更新


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 抑ぎたる厳存のにごり

 そこは、地下道の水を溜めておく貯水槽らしき場所だった。

 アメストリス全土、特にセントラルやダブリスには顕著に表れている古代の遺跡。といってもロマン溢れる宝箱の眠る古代遺跡、というものではなく、単に機構が現代のものへと転用できるために残され使われている、というだけの遺跡群。

 そのうちの一つだ。アーチ状の天井を持つ廊下を抜けた先の、広間。

 

「待テ、一人いるゾ」

人造人間(ホムンクルス)か?」

「いヤ……氣がそうではなイ」

「ならば興味は──いや、誰であれこんなところにいるのならば殺しておくべきか」

 

 ヤオ家とマスタング隊。

 人造人間(ホムンクルス)を見分ける感知兼体術、近接戦闘のスペシャリスト。それを護衛に付けたロイ・マスタングは、最早オールレンジを支配下においているようなもの。

 それらが一切の油断をせずに警戒を続け、ここまで辿り着いた。

 

「大佐。……私の、見間違いでなければ、ですが」

「知り合いか、中尉」

「──アイザック・マクドゥーガル……氷結の錬金術師かと」

「なに?」

 

 この中で最も目の良いリザが伝える。

 そこに立つ人物の名を。

 

 だけど。

 

「それは……おかしいですよ、ホークアイ中尉。氷結の錬金術師は死にました。随分と前の話だ」

「勿論私も知っているわ。……けど、あの姿は間違いなく」

「狼狽えるな二人とも。ゾンビ、というだけだろう。今更誰が蘇っても驚く必要はない。首根の鉄板を壊せば死ぬ。違いはそれだけだ」

 

 アイザック・マクドゥーガル。

 氷結の錬金術師。元国家錬金術師でありながら反体制派となり、テロリストとなった男。

 少し前にセントラルへ潜入しようとして、それを阻止され、殺された。

 

 リザの記憶に間違いが無いのならば、その対処をしたのは──緑礬の錬金術師ヴァルネラ。クロードだ。

 

「ハボック、ブレダ。錬金術の起こりを見逃すなよ。そして位置は正確に報告しろ。全て私が潰す」

「了解ッス!」

「ええ、前は任せてください」

「中尉、ここからでいい。奴の定着陣を狙ってくれ。今までのゾンビと同じ場所にあるだろう」

「……承知」

「大佐サン、俺達は背後の警戒をすル。多分アンタらの連携に割り込むのはよした方がいいだろうからナ」

「……ああ」

 

 戦いの火蓋が落とされるのにそう時間はかからなかった。

 

 出現する氷柱。潤沢にある水を用いた、アイザック・マクドゥーガルの本領発揮。

 

「左上空30度、距離88! 数は27!」

「後続も錬成されてますぜ! 同じ場所に同じ数だ!」

「焼き払う。前に出るなよ、中尉、ヤオ家」

 

 火花が飛ぶ。

 それだけで──この地下に紅蓮が咲く。ゾルフ・J・キンブリーが今のロイを見たら、「差し上げますよこのような二つ名!」と手放しで賞賛するだろう程、殺意の詰まった焔。

 赤く、朱く、紅い炎は氷柱を焼き──そのまま、アイザック・マクドゥーガルまでもを焼き尽くす。距離も場所も報告されていないにもかかわらず、だ。

 錬金術師としての経験則だけで、術者がどこにいるのかを考えた。ただそれだけ。

 

「中尉、撃て」

「はい」

 

 発砲。火だるまになったところで定着陣の位置は変わらない。

 肉体を焼き尽くし、鉄板を溶かし尽くすより、銃撃の一発で砕いた方が早い。

 

 そしてこちらは鷹の眼──外すことはない。

 

「……対象、沈黙しました」

「そうか。では行くぞ。人造人間(ホムンクルス)を探す」

「お……おウ。凄まじイな……」

 

 もっと長引くかに思われた戦闘は、一瞬だった。

 焔の錬金術師。その名が示すは最強。たとえ相手が水だろうと氷だろうと関係はない。

 

「ヤオ家。どうだ、人造人間(ホムンクルス)の気配は」

「あア……もう少し地下ダ。移動していル」

「こちらから逃げている感じか?」

「いヤ、向かってきてはいなイだけダ。構造がよくわからないガ、時折……立ち止まっテ」

「ならば、直通を作った方が早いな。中尉、肩を貸してくれ」

「はい」

 

 車椅子から降りる。

 降りて、手を合わせ──床に、地下への直通経路を作り上げる。直下ではなく斜めに、だ。スロープのついた階段。目が見えていないとは思えない精巧な作り。自らの車椅子がちょうど通れる幅と、歩行者の全員が頭を打たない大きさ。

 

「ヤオ家は引き続き背後の警戒を頼む。ハボックはヤオ家を見張れ。ブレダは前方の注意を」

 

 車椅子に座り直し、それをリザが押して進む。

 地下深く、深淵へ──ゆっくり、ゆっくりと。

 

 

 

 そうして──辿り着く。

 これまた巨大な広場らしき場所にいた、人造人間(ホムンクルス)に。

 

「無粋ねぇ」

「黙れ」

 

 声が聞こえた。それだけで十分だった。

 位置を割り出し、燃やし尽くす。問答など無用とばかりに焔を放ったロイは、しかし舌打ちを残す。

 

 発動していない。火種が途中で殺されたのだ。

 

「……え」

「ンだと!?」

「どうした、報告をしろ」

 

 前を見るブレダとリザの驚愕。

 目の見えないロイは状況把握に二人の報告を聞くしかない。だから、ワンテンポ遅れた。

 

「大佐、アイザック・マクドゥーガルが」

「二人目……ッ、距離22、方向は」

「方向は要らん。全て焼けばいい」

 

 灼熱が走る。

 今度は発動した。発動し、対象を焼き尽くす焔。すかさずリザが二人目のアイザック・マクドゥーガルの鉄板を狙撃し、砕く。

 

「……やっぱり、ダメね。アイザック・マクドゥーガル本人ならもう少し上手く戦えたでしょうに……」

「どういう意味だ」

「あら、黙れと言ったり説明を要求したり。女を振り回す男は良いオトコじゃないわね」

 

 火種が飛ぶ。

 けれどまた、届く前に散る。

 

「こ──今度は二人、アイザック・マクドゥーガルです!」

「奥にも……数えきれない量がいます」

「……クローン、という奴か」

「いいえ。どれほど頑張っても既にいる人間のクローンは作れなかったわ。どれほど錬金術師が、研究者が手を尽くしてもね。だからこれは張りぼて。外見だけを寄せた人形。顔や体格まで合わせているのは正直研究者のこだわりが強いだけよ。必要なのは彼の錬成陣だけだもの」

 

 クローンをつくることはできない。

 ──どこぞの不老不死に言わせたのなら、「いや複製時に魂作るんだからそりゃ人体錬成じゃん科学でできるわけねーだろ」である。とかく、この世界においてはクローンというものを作ることは不可能。不可能である、と言う所までは辿り着いたのだ、この国の研究者たちは。

 

 故に。

 

「これはただの操り人形。ふふふ……なら、誰が動かしていると思うかしら、大佐さん」

「知らん。興味もない」

「ですって。本当につれないオトコね。……ああいう男はどう思うかしら、()()()()()()?」

「……何?」

 

 呼びかけられたアイザック・マクドゥーガルは、顔を上げる。

 顔を上げ。

 

「おお……本当に他者の身体だ。いや、錬金術はからっきしだが──そうだ、これもまた永遠の命の形の一つ」

「あら、聞いていなかったみたい」

 

 レイブン中将。錬金術師ではない軍人で、ロイの不在時、リザたちに怪しげな勧誘をしてきた将校。

 似ても似つかない。そもそもアイザック・マクドゥーガルはテロリストだ。それにそう声をかけ、彼もまたそれらしい反応をした理由は。

 

「緑礬の錬金術師ヴァルネラが、彼が最期に言った言葉。ゾンビたちは劣化品。アレ、本当よ。あなた達は緑礬の錬金術師をより悪く見せるためにそういう演技をさせたのでしょうけれど、偶然にも正解だった。ゾンビ化はある実験のための材料。ある実験を成功させるための試金石でしかなかった」

「ぐだぐだとよく回る口だな。聞いてもいないことを開示するのがそんなに快感か、色欲」

「当然でしょう。だってこれは時間稼ぎだもの」

 

 オ、オオ、と。

 何かが叫ぶ。誰かが叫ぶ。

 

「なんだ」

「話を続けましょうか。まぁ、簡単な実験よ。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()──それがあなた達の所属する軍の考えだした、稚拙な"永遠の命"の形だった」

「おイ……突然囲まれタぞ! 周囲、50はいル!」

「どこから出てきたカ……珍妙ナ」

「そして、錬金術のわからない素人なりにこう考えたの。"拒絶反応が起きて魂が肉体から離れた時、肉体がまだ生きていたらどうなるのか"。錬金術師達は難色を示したわ。まず魂の無い肉体が生き続けることは難しい。栄養補給の問題、安全の管理、その他たくさん……。けれど、それさえクリアすればできないこともない、という結論を出した」

 

 一行を囲うように現れたアイザック・マクドゥーガルの群れ。

 それらは三者三様の言葉を吐きながら、ロイ達に向かってくる。しっかりと錬金術を用いて、だ。

 

「ヤオ家、出なくていい。それより私に近づけ。中尉もだ」

「っ、分かっタ!」

 

 その、すべてを無に帰す──炎の柱。

 囂しく音を立てて燃え盛る炎は氷の全てを溶かし、アイザック・マクドゥーガルを近づけることもない。地下という閉所で使われたその錬金術は、けれど内部にいる者に酸素欠乏の被害を与えることはない。しっかりと空気を引っ張ってきているし、酸素も作り出している。

 

「ゾンビ化はお父様の指示ではあったけれど、その過程は全て軍御用達の錬金術師が考えたもの。死体へ魂を定着させ、それが剥がれた時どういう反応をするのか。どれほどの損壊具合であれば定着するのか。栄養はいるのか。腐敗は」

「……くだらん研究をするものだな」

「様々を経た結果──ついにそれは完成した。自身から一時的に魂を剥がし、それを賢者の石として錬成し、人形へ流し込んで乗っ取る──それを為し得る錬成陣。乗っ取られた人形、あるいは定着陣が壊れたのなら、魂は元の身体へと戻り──また新たな人形へ乗り移る」

 

 一人が、抜ける。

 炎の壁を。焼死体となりながらも──抜けて。

 

 リザに撃たれて死んだ。

 

 一人。いや、一人じゃない。

 自分の身体ではないのだから、炎を怖がる必要はない。だからと踏み込んで、焼かれて、撃たれ、斬られ、絶命する。

 その波は、段々、段々と大きく、強く。

 

「若くて鍛えてあって、錬金術も使える。そんな夢のような人形」

「錬金術の効果は知識に左右される。理解の薄いお偉方がアイザック・マクドゥーガルの氷結を勉強でもしたのか?」

「必要ないのよ。だって彼らの体内には賢者の石が流れているのだもの」

「……どれほど稚拙な術師でも、国家錬金術師相当になれる増幅器、か」

 

 人形故にリバウンドの心配もなく、初めから壊れる前提で作られているから無茶もできる。

 ()()()()をしたい年頃──日に日に体の動かなくなっていく老人たちにとっては、あまりにも都合のいい玩具。

 マンネリ化解消のための新たな人形としてゾルフ・J・キンブリーが用意されていた──が、すべてのデータを取り切る前に自爆した、なんて話はロイ達には関係の無いことだ。

 

「成程、魂の乗らない肉人形さえ作れたら、あとはそれでいいわけだ。人間の最小単位として作られた名前の彫られた鉄板。それを埋め込み、自らの魂を定着させることで、お偉方は遊戯感覚で他人を操り、戦える、と」

 

 ふざけるなよ、という言葉はロイ自らが放った炎によって葬り去られた。

 アイザック・マクドゥーガルの人形が出てくる通路。その全てに走る炎は、肉人形を作る錬成陣も、身を潜めていた錬金術師も──何もかもを焼いて、焼いて、焼いて行く。

 

「耄碌したものだな。アレらをお偉方と呼ぶこの舌さえも汚らわしい」

「……そこについては、同感よ」

 

 炎は。

 

 

** + **

 

 

 さて、ところ変わって金歯の医者なる錬金術師を探すグリード一行。

 中央司令部内にいる、ということまではわかったものの、それ以上がわからない。見た目ゴロツキも良いところなグリードを見て一般兵士らがこれを撃退にかかるものの、都度都度硬化することで銃弾を弾き、あとはドルチェットやロア、マーテルが兵士をシメて落とす。

 道行案内人は勿論メイ。だが。

 

「……ヘンでス。ヘンな感じガ……流れが、往復して……」

「それ、どこだ嬢ちゃん」

「上の方でス。いえ、上と下で往復している、というべきでしょウか……」

「馬鹿と煙は……あー、でも親父殿は一番下にいたしな」

「何の話、うェっ!?」

 

 言いながら、グリードはメイの首根っこを掴んで後ろに放る。

 

 そのまま硬化した肘でのガード。

 軍刀。

 

 ──明らかに一般兵と練度が違う。

 

「オイオイ、当たりっぽいぞお前ら! ……お前ら?」

「ケホッ……い、今の一瞬デ、分断されたみたいでス……」

「……あいつらの場所、わかるか?」

「三人共一緒にいらっしゃいまス……二人の人間から、逃げていル……?」

「一緒なら大丈夫だ。んじゃ嬢ちゃん、こいつら片付けて、金歯の医者っつーのもぶちのめしたあと、ドルチェット達を迎えに行くぞ」

「微力ながラ、お供しまス!」

 

 煌めきは一瞬。

 どちらを先に倒すのが効率良いか、は火を見るよりも明らかだ。

 

 メイ・チャン。錬丹術を使い、氣や流れを見ることのできるサポーター。

 だからそっちを先に殺し、凶悪で強大な人造人間(ホムンクルス)たる強欲(グリード)を全員でかかって殺す。その予定だったのだろう。

 

 蹴りが刺さる。

 硬化の施された蹴りは男の頸椎を的確に捉え、そのまま壁へ圧迫され──折られる。

 

「!」

「ヘッ……やっぱり蹴りの方が威力は高いな。シンプルだが、良い気付きだ」

「グリードさン!」

「応!」

 

 壁にめり込んだ男に対し、クナイが五本突き刺さる。

 同じくしてグリードの足元にもクナイが刺さり、その中心をグリードが踏んで硬化を始めれば、連動するようにして男の体表にも炭素が集まっていく。

 もう慣れた連携だ。

 メイ・チャンが道を作り、錬成反応を遠隔で通す。

 

「がっはっは──やり口を間違えたなぁ。俺様から仲間を奪うってのがどういうことか、ぶちのめしながら刷り込んでやるよ」

 

 今日、中央司令部に怪人が現れる。

 止める者は誰もいない。当然だ。中央司令部は、軍は、止める者を全て敵に回してしまったのだから。

 

 死ぬことを勿体ないと認識したグリードは油断をしない。

 敵の攻撃はしっかり防ぎ、隙あらばソードブレイクをする。彼の邪魔をしないようメイ・チャンは逃げまわり、けれど攻撃もサポートも着実にこなす。

 

 止まらない。

 止められない。足止めというものが二人には効かない。

 

 だから、早かった。

 

 そこに辿り着く時間は。

 

「……んだ、こりゃ」

「人でス。……けど、魂が……ない?」

「んじゃゾンビか?」

 

 ずらっと並んだ軍のお偉方。

 近づく者は誰であろうと切り殺す「ブラッドレイになれなかった者達」が守っていたはずの、大切で大切な──金歯医者にとっては至極どーでもいい肉体。

 

「肉体は生きていまスが、魂がないとなるト……」

「ま、なんでもいいだろ」

 

 ざく、ぶしゃあ。

 なんでもいい。なんてこともないかのように、一人を殺す。

 

「エ」

「眠ってるワケでもねぇが、意識はないか」

「ちょ、グリードさン!? 何しテ」

「……いいか、嬢ちゃん。ドルチェット達を攫ったやつと同じ奴が守ってた意識の無い体。──ンなもん俺様たちの敵のなんかしらの作戦に使うモンだ。それくらいわかんだろ?」

「わ、わかりまスが」

「逆に聞くが、どーするよ嬢ちゃん。こいつらが一斉に起き上がってまたゾンビにでもなったら。今度こそシンに伝わってるスァンシーだっけ? 食ったらソイツもゾンビになる、みてぇなのになるかもしれないんだぜ?」

 

 喋っている間に、どんどん。

 グリードは──殺していく。魂無き肉体を。

 

 メイ・チャンは、その目尻に涙を浮かべて。

 

「私は外に出ていまス。……異変があったらお伝えしまス!」

「おう。見たくねえモンを無理してみる必要はねえよ。特に嬢ちゃんみてぇな、良識寄りの奴はな」

 

 そんな、欠片程度の優しい言葉を背に、メイ・チャンは部屋を出た。

 

 出た、その直後──豪、という音と共に、今しがた出てきた扉が燃える。

 

「わ!?」

「……っぶねぇ、俺様も燃え尽きるところだったぜ……つか、オイオイ、まさか」

 

 身を屈め、腕を交差して反対側の扉を突き破って来たグリード。

 その身にもいくつか焦げ跡があって、音の発生源たる炎のすさまじさを語らせている。

 

 メイが、唾をのんで焼け落ちた扉を──その中を覗けば。

 

 地下から、地上。否まっすぐ中央司令部を突き抜ける程にまで──吹き抜け状態にするくらいまで、すべてが焼き尽くされた円柱形。

 底は暗くて見えない程に。その道中にあっただろう構造物の全てを消し飛ばして。

 

「なんか……ヤバすぎねぇか、アイツ」

「マスタングさん、ですよネ……?」

「ああ。なんつーか、元からやべぇ錬金術師なのは知ってたが……今、他の誰よりもやべェだろ」

 

 その容赦のなさも、冷徹さも。

 見た所奇跡的に被害者はいないようだが、もし一般兵が巻き込まれていたらどうしていたのか。

 

「……復讐の炎ハ、復讐を果たすことでしか消せませんかラ」

「復讐ねぇ」

 

 グリードは、心の中だけで零す。

 これは復讐というよりは、八つ当たりや癇癪の類だな、と。

 

「うし、んじゃ行くぞ嬢ちゃん。金歯の医者ってのを探さねぇと」

「ですが、この階にはもう誰もいないようでスよ?」

「……んじゃドルチェット達を拾って下だ」

「はい」

 

 グリードたちの金歯医者探しは続く──。

 

 

** + **

 

 

 それは、アイザック・マクドゥーガルを含めた()()を焼き尽くした直後のこと。

 

 ──"ロイ、ロイ! 聞こえるか!?"

「ヒューズか。どうした?」

 ──"上手く説明はできねぇが、()()()()()!"

「空?」

 

 今、ロイは地下にいる。

 空を見ることはできない。

 

「フフフ……どうするのかしら。空を見に行くか、今ここで私と戦うか」

「別に、貴様を一瞬で葬り去ってから戻ればいいだけの話」

 

 発火布が擦れる。 

 距離はもういらない。声のする方向に最大火力をぶち込む。それを隔てる人形は全て焼き尽くした。ならば、届くはずだ。

 

 はず、だった。

 

「ッ、なんだありゃ……」

「大佐、黒い……影のような化け物に防がれました!」

「影のような化け物とはなんだ。正確に報告してくれ、わからん」

 

 そう言われても、ブレダもリザもそれ以上の語彙を持たない。

 影のような化け物だった。

 ラストを守ったのは、影のような化け物だ。それ以外の言葉はない。

 

「あら、助けてくれるということは、納得はしたのね、傲慢(プライド)

「ええ、喧嘩は終わりました。よって──計画は最終段階へ移行します。色欲(ラスト)、君にここで死なれるわけにはいかない。焔の錬金術師との対決は君にとっても楽しみなものであったと思いますが、ここは退いてください」

「……そうね。少しばかり、楽しみだったかもしれないわ。けれど──矜持に目的が勝るのなら、娯楽にだって目的の方が勝るもの」

 

 何度も、何度も。

 ロイが炎を放つが、影のような化け物にはダメージが通らない。今の今まですべてを焼き尽くしていたロイが、唯一燃やせないナニカ。

 

人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)……影に包まれて消えていきます!」

「く……目の前にいるのだろう!? ブレダとハボックの仇が──それを、それを!!」

「……大佐サン。早く戻った方が良イ。何か……何かが」

 

 ひと際大きな炎が影にぶち当たる。

 けれど、無傷だ。傷と言う概念があるのかどうかも怪しい。リザが銃を連射しようと、やはり攻撃は通らない。

 

傲慢(プライド)……人造人間(ホムンクルス)の最後の一体か」

「ああ、はい。初めましてですね、人間の皆さん。これから起こることは、君達にとってはあまり心地の良いものではないでしょうが──お父様に任された最後の大詰め、私達の最後の大一番をどうぞお楽しみください」

「何の話を──」

「それでは、今日から"約束の日"までの約二か月間──命の余暇、猶予をごゆるりとお楽しみを」

 

 目礼。影についた目がその目を閉じて、それを礼として。

 

 ──消えた。

 化け物も、色欲(ラスト)も、何もかも。

 

 何もかもが、何もなかったかのように、消えた。

 

 

 

 

 ロイ達が地上へ戻ってきて──異変はすぐに伝わった。

 彼自身こそ目が見えないのでわからないことだが、他の全員がそれを理解したし、ロイも周囲から聞こえる声で把握した。

 

「空が……黒い……?」

 

 黒い。

 曇天ではない。真っ黒な、膜……ドームのようなもので覆われたかのような空。

 太陽は見えず、夜の帳が落ちたかのような暗さが辺りを包んでいる。

 

「マスタング大佐!」

「この声は、アームストロング少佐か。すまない、ついさっきまで私達は地下にいた。何が起きたか教えてもらえるだろうか」

「……何が起きたか、を正確に報告することは難しいです。ただ、セントラルの北……ノースシティの手前あたりから突如黒いインクのようなものが空へと上がり、中空で止まって……そこから、各地、セントラルを含めたあらゆるところから立ち昇った黒がそれに融合しました」

「セントラルの北。ノースシティの手前、か」

 

 そこはロイが人体錬成を行った場所。

 刺青の男(スカー)兄が、新たな中心だと言った場所なのだろうことはすぐにわかる。

 

「民衆は?」

「混乱の極致ですな。……ですが、吾輩を含めた中央軍、及び憲兵らと協力して安全確認、安全管理に努めている現状です。吾輩たち錬金術師は原因究明も行うつもりですが……如何せん範囲が広大すぎる上、この世の終わりだと言って暴動を起こす民までいる始末。人手が足りません」

 

 致し方の無いことではあったかもしれない。

 ゾンビ騒動がまずこの世の終わりのような光景で、それが一斉に活動終了したことも前に同じ。

 その後すぐに空が黒く染まるなど──錬金術を理解しない民にとってはワケのわからぬ話だろう。錬金術師にとっても、だが。

 

「とにかくまずはセントラル市民だ。安全を確保し、暴動を起こす者は速やかに鎮圧を」

「はい。マスタング大佐はどうなされますか?」

「……クロードを探す。奴ならば何かわかるかもしれない」

「承知いたしました。……マスタング大佐。()()()()()()()()()()

「っ……敵わないな、君には」

「いえ。それでは失礼いたしますぞ!」

 

 ロイの視界と同じくらい。

 アメストリスの空は、黒く、黒く染まっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 忌じくも懐裡のきしり

 少しばかり、いやまたまたかなり時間は戻って、ブリーフィングが終わってすぐのホーエンハイム。

 

 エルリック兄弟を頼る、とは言ったものの、素直に聞いてくれるかどうか……なんて心持ちで彼らを探す。

 大きな鎧を着た人を見かけませんでしたか、その隣の小さいのを知りませんか。

 聞き込めば聞き込むほど──面白いことがわかる。

 

 皆、言うのだ。

 ああ、彼らなら、前に一度ここに来たことがあるよ、と。それで、何かしらをやらかしたか、何かしらをやってのけたか、とかく色々なことを経験して、それを人々の記憶に刻み付けて──各地を放浪した形跡がある。

 なんだか。

 なんだか、誇らしい気分になれる旅。

 

 その旅は──。

 

「なぁああああにやってんだホーエンハイム!」

「ぐわっ」

 

 ……誇らしく思っていた息子からのドロップキックで終わる。

 

 

 

「エドのお父さん! へぇ……確かに似ている」

「初めまして。ヴァン・ホーエンハイムといいます。あなたはイズミ・カーティスさん……エドワード達の師匠になってくれた方ですね」

 

 むすっとした表情のエドワードはシグが掴まえておいて、焚火を囲んで談笑するのは保護者組。

 アルフォンスはそんな二人を見てなんだかほんわかしていて、ホーエンハイムの心の中の傷はもうどんどん癒えて行っていた。何でついた傷って、勿論さっきのパーフェクト胃痛ブリーフィングタイムである。

 

「……挨拶はもういいだろ。で、お前何してたんだよこんなところで」

「こらエド、父親に向かってお前とはなんだお前とは」

「ああ、いいんですいいんです。……父親らしいことは何もしてやれてませんから、そういう扱いでも仕方がない」

 

 自分が思っていたより優しい声が出る。

 エドワードがゾンビを殺すと息巻いてからは厳しく接してしまった。彼を置いていくときも同じ。彼を心配してのことだとしても、恐らく傷つけてしまっていたことだろう。

 それが──今、この困窮した状況にあって、初めて。

 何故かわだかまりが解けて行っているような……そんな感じがするのだ。

 

 重荷が、ないからかもしれない。

 

 刺青の男と呼ばれていたあのメガネの青年。彼がいればホーエンハイムよりも良い案が作られるだろう。錬金術の理解も深く、クロードとも協力関係を結べている。

 ロイ・マスタングという国軍大佐。多少危ういところもあるが、戦闘力はあの場で一、二を争う程。全力のホーエンハイムをして、恐らく削り切られるだろう自信がある。つれていた女性も良い眼をしていた。

 人造人間(ホムンクルス)強欲(グリード)憤怒(ラース)。あれらは言うまでもなく強い。フラスコの中の小人から生まれ出でた命でありながら、それに牙を、剣を向ける二つ。

 シンから来たという者達も手練れ。近接戦闘においては無類の強さを発揮することだろう。

 あと一人どうでもいい不老不死がいたけれど、あれはあんまり関係ないものとして。

 

 バラバラではあったけれど。

 あのメンバーなら、たとえホーエンハイムに何かあっても──成し遂げてくれる。そう思えるのだ。

 

「ホーエンハイム。なーにーしーてーんーだーよ」

「兄さん、そういうところが子供っぽいって言われる原因なんじゃ」

「あっはっは、アルはよくわかってるねぇ」

 

 そうだ。

 懐古に浸っている暇はない。ホーエンハイムにはホーエンハイムの、一応、任されたものがある。

 

「シグさんは……錬金術師ではない、ですね?」

「ああ」

「そうだね。ウチのは錬金術師じゃない。それがどうかしたのかい?」

「……できれば五人欲しかったが、四人でもできるものはある。……傘を作りたいんだ」

「傘?」

 

 ホーエンハイムは上を見上げる。

 曇天。

 

「雨が降る。もうすぐ……二か月後」

「なんだぁ、天気予報か?」

「雨って……何の雨? 父さん、もしかして血の雨とか言わないよね」

 

 アルフォンスの記憶に映し出されるは、クロードが出てきたときのアレ。

 びしゃびしゃと血肉が降り注ぎ、最終的に少年となったあの光景。

 

「似たようなものではある。傘は……こっちから昇るものを防ぎ、あっちから降るものを遮るんだ」

「要領を得ねえな。勿体ぶらずに何の話か言えよ」

「……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 伝える。

 事実を。

 

「……フラスコの中の小人、というのは?」

「この国をめちゃくちゃにしている張本人です。……いえ、めちゃくちゃにするためにこの国を作った、と言う方が正しいか。だから……つい最近までの全てが予定調和だった」

 

 流血を伴う事件。 

 国家錬金術師制度。

 国土錬成陣。

 

 あの不老不死がいながら、恙なく進んでいたすべての計画。

 

「ホーエンハイム、お前それを殺すためにオレ達を置いて行ったんじゃなかったのかよ。殺し損ねたのか?」

「確実に殺したさ。殺したのは俺じゃないが、死んだのは確実だった。……殺しちゃ、いけなかったと……今は思うがな」

「殺しちゃダメだった?」

 

 アルフォンスの問い返しに、ああ、と頷いて。

 

「奴の計画を早めてしまった。俺のミスだよ」

「……で? 結局オレ達を探してた理由はなんなんだよ」

「だから、傘を作るためだって……この地に降ってくるフラスコの中の小人を遮るための」

「遮って、どうすんだ。隣国に流すのか?」

「錬成陣……この計画における奴が指定した錬成陣の中心は、セントラルの北、ノースシティの手前あたりだ。そこから離せば離すほどアイツの意識は散逸する。傘を作り、アイツを中心に近づけないこと。それが俺達のやるべきことだ」

「……」

 

 説明をしても、不満そうなエドワード。

 

「一つ、質問いいかい?」

「ああ、どうぞ」

「錬金術は等価交換だ。──何かを作るなら、何かを失う。何かを得るのなら、何かを失う。そのフラスコの中の小人を防ぐことで得られる何かがあるのなら──当然」

「ああ……まぁ、使うのは俺の寿命だから、そこは考えなくていい」

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙が降りる。

 もしここにあの不老不死がいたら、「あ、やっぱ同郷じゃん!」とか言うのだろう。クセルクセス人は空気が読めないことにしないでほしい。

 

「あ、俺は人間じゃなく化け物で」

「すまないけど、私は降りさせてもらうよ」

「オレもー」

「ごめん、父さん。そういうのには協力できないや」

「……」

「いや、待った、待ってくれ。結構深刻で、結構大変な話なんだ。俺一人じゃできないから、協力が必要だ」

 

 頼むよ、頼むよと縋りついて、なんとか止まってもらって。

 

「材料の事は後で話すとして……まず何をやるかを聞いてほしい」

「……」

「父さん。最初の話と何も変わらなかったら、怒るからね」

 

 エドワードとイズミは無言。

 命を使う錬金術──など、二人にとっては逆鱗も良い所だ。

 

「わかった。わかったよ。……じゃあ、よく聞いてほしい。この作戦の要たる──コレについての話を」

 

 ホーエンハイムが取り出すは。

 

 黒い液体の入った、小瓶──。

 

 

** + **

 

 

 セントラル行ったり郊外へ行ったりあっちゃこっちゃした後、俺はラッシュバレーに足を運んでいた。

 ああ刺青の男(スカー)兄とは別れた。なんかやることあるらしい。まぁそういうこともあるだろう。

 

 んで、ラッシュバレーだ。

 しょうみ俺が自らここへ来るのはかなり珍しいことだと言えるだろう。だってここ何にもないし。

 機械鎧ショップはゾンビ騒動でさらに繫盛したらしく、その技術はかなり進んで、ちょっとオカシナ方向へ行ったりなんだりして、結局また戻ってきたりして。

 

 あんまし興味ない、って言ってたけど、さしもの俺も店頭にデカいロボット置いてあったら「おっちゃんコレ何?」くらいは聞く。未完成の全身無人機械鎧だって。神経信号が入力できないから動かないとか言ってた。本末転倒ってああいうこと言うんだろうね。

 

 流石に子供が一人歩いているっつーのは目立……たない。

 貧困者の多い街でもあるからなぁ、浮浪児はさして珍しくない。

 

「……お、マシンアームレスリングじゃん」

 

 ちょっと活気のある方に寄ってみたら、原作でもあったアレが開催されていた。

 チャンプらしいデカい男は知らん奴だけど、機械鎧の方は……知らんかったわ。俺機械鎧のブランドとか興味ないし。

 

「興味あるの?」

「ん……ないよ。俺機械鎧つけてないし」

「あ、ほんとだ。なんだ、機械鎧つけてないでラッシュバレー(ここ)にいるの、珍しいね」

 

 少女。

 つかパニーニャだ。スリをやめて高所作業の仕事に転向したらしい少女。スリの善悪如何に興味は無い。素人に抜かれるエドワード・エルリックの方が警戒心無さすぎ、としか思わん。

 

「あ、そうだ。ちょっと一緒に来てくれない?」

「……なして?」

「一日一善。あたしさ、ちょっと前にスリやってたんだけど、やめて今フツーに仕事してんだよね。けどこの足作ってくれた人が止める前の罪全部お天道様に返してこい、とかいって、一日一回なんかいいことしないといけなくてさ」

「ほお」

「身寄りの無さそうな子供を一人連れ帰って、ごはんを食べさせる! 良い善行だと思わない?」

 

 ……ふむ。

 目的からは少し外れるが、まぁいいだろう。別に、あと二か月あるんだ。ゆっくり行くか。

 

「んじゃ頼むよ。俺はクロード。アンタは?」

「うわ、ちょっと生意気そう。……って、あたしもこー見られてたんだろうなぁ。ああ、で。あたしはパニーニャ。よろしくね」

 

 結局行かなかったからな、レコルト家。

 こうやって後から行くのも中々面白いものだろう。

 

 

 

 

「ああ、パニーニャ。……と、その子は?」

「麓で見っけた。素手でマシンアームレスリングに参加しようとしてたから止めて、お金ないみたいだから連れてきた。ご飯一人分追加で!」

「素手でアレに? 無茶するなぁ……」

 

 勝手に設定作られたんですけど。

 お金ないのは本当とはいえ、そんな無茶やる子じゃないよ俺。悪いスライムじゃないよ。

 

「世話になるよ。クロードだ」

「おや、金髪金眼……あの子たちを思い出すなぁ。っと、僕はリドル。ここで機械鎧技師をやってる」

「あの子たちってのは、もしや鋼の錬金術師か?」

「ああ、知っているのかい?」

「親がね。同郷なんだ」

「へえ!」

 

 (エルリック兄弟の)親が(俺と)同郷なんだ。

 あっはっは。勘違いはした方が悪い。

 

「……」

「ん、どうしたんだい、キョロキョロして」

「いや……」

 

 おかしい。

 サテラ・レコルトの気配が無い。まだ生まれてすぐだろう赤子の気配はあるのに。

 

 ……ゾンビ騒動に巻き込まれて死んだか? こんな山奥にゾンビが来るとは思えんが。

 

「まだ……夕飯までは時間があるだろ? ちょっと風に当たってきたい。こんな山の上、中々来ること無いからな」

「ああ、それならパニーニャ。一緒に行ってあげなさい。危ない所も多いからね」

「はーい」

 

 ほーん……ドミニク・レコルトらしき氣と、ウィンリィ・ロックベルの氣は奥にある。……ウィンリィ・ロックベル? なんで? ガーフィールのとこで修行してんじゃないのか。ドミニク・レコルトが弟子入りを受け入れた?

 あー、出産のトコでやっぱなんかあったのか? 見に行くべきだったかなー流石に。医者として。

 

「こっちこっち。風を受けるなら、良いとこ知ってんだ」

「おん、今行くよ」

 

 多分、俺の知らないところでいろんな奴が死んでるんだろうなぁ。

 要否で言えば否だからまーいいんだけど、なんつーか。

 

 あー、だからエルリック兄弟が全然セントラルに来なかったのか? こういうところで立ち往生食らったりなんだりして……まわりまわって俺のせいまで……ないか。アイツらの選択か。

 母親のいない赤子、か。

 まぁパニーニャが姉代わりにはなるだろうが、そこそこなモンを背負うんだろうなぁ。

 

「ああ、あそこあそこ。ほら、椅子みたいになってる」

「ホントだ。削ったわけじゃなさそうなのに」

「そう、自然のベンチって奴」

 

 パニーニャに連れられきた場所。

 そこは確かに、ここら周辺でも最も高い場所でありながら、安全な平たさと腰を落ち着けることのできるでっぱりと……色々なものが揃った場所であると言えた。

 

 ここからなら、セントラルも見える。

 

「……セントラル出身?」

「ん?」

「ずっとあっち見てるじゃん」

「ああ、いや。俺はあっち……東部の出身だよ」

「へえ。じゃあここまでどーやってきたの?」

「歩いて」

「……距離とか、知ってる?」

 

 東のずっと先の東ではあるが、東部といえば東部ではあるだろう。

 

「そろそろかね」

「夕飯? まだまだだよ」

「ああ、いや──」

 

 どろり、と。

 青空が黒く染まっていく。悲鳴を上げて──見る者が見れば、人の顔をした黒が、天へと昇っていく。

 

 そしてそれは、レコルト家からも、一つ。

 

 ……ゾンビになっていた、ってことは、出産で死んだのか。

 いや……ああ、ビンゴってことだな。

 

「な、なにこれ……」

「アメストリス全土に刻まれた錬成陣の、準備段階かな。少しズレているから、一度上にあげて均等にする必要があった。まぁ大雑把なフラスコの中の小人がやりそうなことだ」

「夜になっちゃった……?」

「いや、光が遮られただけだ。これ農家の皆さんには大打撃だなぁ。ああそれと、時計は常に持っておくと良いよ。時間の感覚が狂うから」

 

 これは、混乱かなーしばらくは。

 まぁ都合はいい。混乱が深ければ深いほど、誰も俺を気に留めなくなる。

 

「戻ろう、クロード」

「ん」

 

 この状況で飯に与れるかはわからないが……って、待てよ?

 ウィンリィ・ロックベルがまだいるとなると──。

 

 

 

 

 逃げてきた。

 ワンチャンあるかな? って思ってレコルト家まで戻って、ウィンリィ・ロックベルと目があって「あ」ってなって、逃げてきた。流石にバレるだろ。

 フツーにあのブリーフィングメンバー以外には緑礬の錬金術師ヴァルネラがゾンビ騒動を起こしたって伝わってるだろうから、そりゃあもう不俱戴天の仇。そうでなくとも大混乱必至。ここで逃げちまえば、まぁウィンリィ・ロックベルは俺の正体を話さないだろう。話したら余計な混乱を招くとわかっているから。

 

 パニーニャには悪いことをしたか、流石に。

 ……今度なんか等価交換しにいこう。

 

 

 さて。

 

 俺がここ、ラッシュバレーに来た目的。

 原作じゃ名前さえ出てこなかった──存在の示唆しかされなかった病院とやらに、入る。

 

「……ちなみに聞くけど」

 

 構えられた銃を見て。 

 機械鎧内蔵の砲塔を見て。

 

「俺が来るのはわかってたワケ?」

「──いずれ調査が入るだろうとはわかっていた」

「ああ、調査だと思ってんだ。ソイツはちょっと違うな」

 

 発砲。病院のロビーで何やってんだって感じだけど、それはもう滅多撃ちにされる。ばかすかばかすか。

 

 それを、それの一切合切を無視して進む。

 

「……!」

 

 動揺が走る。

 体に穴が開こうと、腕が千切れ飛ぼうと、頭が蜂の巣になろうと。

 歩みは止まらない。

 

「まさか、ホムンクルスか!?」

「何故、私たちは貴方達の命令に従っただけなのに!」

「俺が人造人間(ホムンクルス)? あっはっは、そりゃ面白いよ。10点!」

 

 医者だろう男性。看護師だろう女性。患者──に見せかけた女性。

 

 全員、軍の、あるいは人造人間(ホムンクルス)の息がかかった者達。

 セントラルの病院にも複数いた。いや、今まで歩いてきた、訪れてきたすべての町、村の病院に。もう退職した奴も多かったけど、ラッシュバレーは死人が多めだからな。万が一のために残ってた連中も多かったと見た。

 軍上層部の息がかかった人間──アメストリス全土のそいつらが、鉄板を埋め込んだ人間。まー人造人間(ホムンクルス)はいつだって人手不足だからな。永遠の命をチラつかせて──あるいは一族郎党も、なんて言葉を使えば、心の弱い人間はイチコロだろう。

 

 抵抗は次第になくなっていく。

 弾切れか、それとも効かないと判断したか。

 

 あーあー、病院の待合室が血まみれだよ。

 

 そして見つけ出すのは、とある錬成陣。板状の岩に刻まれたソレには、べったりと血がついている。というか血で描いたっつーか。

 

「持っていくのか、それを」

「ん? まぁ、ああ。お前らには過ぎた代物だろ。──扉を開くための錬成陣、なんて」

 

 魂を表す顔を持つ太陽。それを食らう獅子。それらを取り囲む月と円、五角形。肉体を示す石板。中心に描かれた雌雄同体の龍は──本来、クセルクセスにあるものであれば、その頭上に神を示す言葉の逆さが描かれていた。

 が、コイツに描かれているのはもう一体の雌雄同体の龍。

 つまり、鏡合わせな雌雄同体の龍が頭を突き合わせている、ということ。

 

 錬金術的に言えば、「賢者の石を用いて神を地に堕としめる」を指していた本来の錬成陣から、「賢者の石を用いて完全なる存在を()()()()()」になる。

 神を不老不死で上書きする。あるいは不老不死を神で上書きする。どちらの意味に取るかは術者次第だ。

 

 さて、そうなったとき。

 当然不老不死は俺として──神は何になるのか。

 原作では「カミ」を抑え込んだと豪語したフラスコの中の小人だけど、あれは莫大なる高エネルギー体でしかない。神なんてモンじゃない。そもそも神の構築式も使っていないのに神を下ろせるわけがない。

 だが、驚くことに此度この地には俺という「神の代替品」として使える記号が存在する。そう、どの錬成陣においても邪魔にしかならない不老不死という記号が、唯一活きる錬金術。

 

 もし、「約束の日」に──俺があの中心にいたら。

 この黒の向こう側に、マジモンの神が現れる可能性は十二分にある。

 そしてそれをフラスコの中の小人が取り込める可能性も。

 

 扉を開き、扉同士の反発で強大な力を掴み取り、数多くの命を使って神を手中に収めんとする。

 

 そのデモンストレーションが、ゾンビ騒動だろう。いや、その後のキンブリー……粘土細工への魂定着もか。

 

 他者の身体に魂として定着する。

 不老不死の身体に魂として定着しても、使い切られるのが関の山。

 

 ならば、不老不死と同等の存在たる神の中になら──みたいな。

 

「……それやったら全部死ぬけどね」

 

 緑礬の花を咲かせる。

 結晶の粒になって消えていく石板。

 

 俺という概念の虚像を取り出すだけで、2500万。神に入り込み、それを乗っ取るのに2500万。

 否、だ。それじゃあ足りない。

 

 だからストックしたんだろう。勿体ない、ってさ。

 無為に死んで、扉へ還るはずだった魂を縫い付けて──「私が使うときまで死ぬな」って。

 

 あっはっは、どこまでも──。

 

「──楽しみだな。あいつらの奮闘含めて」

 

 成功するにせよ、失敗するにせよ、阻止されるにせよ成就するにせよ。

 

「さて、次の町へ行こうか。人間には過ぎたるモンだよ、これは」

 

 ガラスを殴って割って、血を出して緑礬を咲かせて。

 

 もうすぐだ。

 もうすぐ──全てが終わる。

 

 

 

 ……ワンチャン本当に全てが終わるなら、その前にアメストリス全土食い倒れ旅行はやっておくべきか? 俺食い倒れないし。あでも金がねぇ。うわ国家資格捨てるんじゃなかった! 今からセントラル戻ってブラッドレイに大金借りる? ……アリ寄りのアリだけど、それだと本来の目的が。

 うわミスったな。こんな最終局面になる前にやっておくべきだった。せめて南部。俺の味の好みが集中してる南部の食い倒れ旅行はやっておきたい。

 

 金……金。

 南部で知り合い……イズミ・カーティス、とか? 貸してくれるかなぁ……。

 

 まぁ、最悪。

 盗めばいいべ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 光機なる審判の躊躇い

ほのぼの回。
最終話までの中で、最後の、平和。


 わからないことをそのままにしておくのは中々に気分が悪い。

 結局、ロイ・マスタングはクロードを見つけることができなかった。できないまま新年を迎えた。

 

 ただ、アメストリスにもあった新年を祝う催し物の類は今年は開催されていない。当然だ。真っ黒な空が晴れない限り、夜とも朝とも昼とも言えない──まるで時間が止まったかのような数日間。

 あの時から──誰の時間も、進んでいない。

 クロード捜しも、ブレダとハボックの()()()()()()タイムリミットも、人造人間(ホムンクルス)探しも。グリードもまた金歯の医者を見つけられず──そのままずっと。

 1915年を迎えられた気分のしないままに、ずっと。

 

 ただ、不安の最中であるものの──珍しく平和な日々だった。

 無論暴動を起こす者はいたけれど、すぐに鎮圧されて。空が黒いこと以外は、ただの日々。

 

「……嵐の前の静けさ、ね」

「中尉。気持ちはわかるがあまり滅多なことを言うものではないぞ」

「すみません、大佐。気が抜けていました」

 

 真っ黒な空を見上げるのは二人。

 

「……オレら、死んでなくていいんすかね」

「ブレダ。……言わなくていいことも、言わないでくれ」

「……っすね。すんません」

 

 ブレダとハボック。二人じゃない。この二人も、いた。

 そして──それはおかしなことでもあった。

 

「どの道私には見えんが……まだ暗いか、空は」

「暗いっつか黒いっつか。絶対に自然現象じゃねえ黒だ」

「距離もわかりません。疑似・真理の扉でしたか、あそこは。あそこと似ているような、全く別であるような」

「銃弾は届くのか?」

「届いています。ただ、消滅している、としか」

「……質量保存の法則も無視か。つくづく……いや、まったく別のところに……?」

 

 アメストリス全土にあったゾンビ騒動の名残。

 各ゾンビに埋め込まれていた名前の刻まれた鉄板。それが、空が黒くなると同時に空へと昇って行った。

 

 一部を除いて、だ。

 それはマース・ヒューズの見つけた六角形。「元に戻す効果を元に戻す」錬成陣の内部にあった鉄板だけは、魂が出て行かなかった。ロイ・マスタングはギリギリその六角形の中にいて、だからブレダとハボックが「元に戻す」効果を受けずに残っている。

 

 ただそれが錬成陣の外に出ても同じかどうかはわからない。

 誰も──誰もそれを試せない。当然だろう。やり直しなど利かないのだから。

 

「鋼のを見たという報告はあったか?」

「いいえ。エルリック兄弟、ホーエンハイムさん、刺青の男(スカー)のリーダー。魂の錬金術について何か知見のありそうな方々はいずれも行方知れずです」

「……そうか」

「ただ、アームストロング少佐から先ほど通信が」

「少佐が? 何と言っていた」

 

 目が見えず、自分で歩くことも出来ないロイは、かつては頻繁にやっていたような自ら情報収集をする、ということができない。電話が鳴ってもすぐには取れず、報告書も資料も読めない。ブレダに読んでもらう、ハボックに報告してもらうしかできないのだ。

 故、やはりどうしても、何もかもの行動がワンテンポ遅れる。

 

「各地で盗みを働く白い妖精のようなものの目撃情報が報告されている、と……」

「……」

「……」

 

 沈黙。溜め息。

 怒りというものは維持をするのに非常に多くのエネルギーを必要とする。どんなに怒りっぽい人でもずっと怒っていることは難しく、体力をかなり消費する。それが元々良識ある、怒らないのが常である人ならば──。

 

「……憲兵に手配を出す。多少手荒な手段を使っても……いや手荒でいいからそれを捕まえて来いと発布しろ」

「はい」

 

 ロイは。

 その腹立たしさを──ああ、何度振り返っても、何度考えても苦しいのに。

 己の無力。己の考えの至らなさ。全てに苛立っているのに。

 

「──ふぅ……ああ」

「大佐。無理に怒らなくていいすよ」

「ははっ、だから言ったんだ。大佐には復讐者は似合わない、って」

 

 お前たちの事で悩んでいるんだ、と言いかけて、それも違うと飲み込んで。

 

「あのですね、大佐。こういう機会だから言わせてもらいますけど──俺ら、めちゃくちゃ後悔してるんです」

「……だろうな。全て私の責任だ。……取れもしない責任だが」

「違いますよ。最後まで聞いてくださいや。……後悔してる。記憶は飛んじまってて正確なことはわからねぇが、単独行動をしたか、あるいはブレダと一緒にいて敵わなかったか。どっちかだろう。──そん時死んどけば、アンタにこうも後悔を続けさせることは無かった」

「……それ以上を言うな」

「まーまー。毎回毎回止められるんで、今回くらい最後まで言わせてください。死んどけばよかったって、何度も何度も思ったんだ。俺達はアンタを支えたくてアンタの下にいた。それが重荷になっちまったら意味がない。──だけど、多分アンタは俺達がそこで死んでたって、俺達の事を背負い続けたでしょう」

 

 想像に易い。

 想像に、易かった。目が見えていても、足が動いていても、二人の事で頭がいっぱいになって、鬼のような顔でセントラルを歩き回っていただろう。

 

「だから、あそこで死んどけばよかったし、今生きててよかったって思うんすわ」

「矛盾しているぞ」

「まー、ハボは学がないんで許してやってください。ただオレも一緒スよ。タバコが吸えねえのが一番でかい後悔で、それ以外はまぁ、大佐に背負わせるものじゃない。多分ですけど、オレらがあそこで死んじまって、声も届けられなかったら──アンタは癇癪みたいに全部を燃やして、自分自身も燃やし尽くしてた。復讐っつーのはそういうもんだ」

「なんだブレダ、経験したことあんのか?」

「ねーよ。ただ、そういう奴は沢山見てきた。ハボも大佐もそうでしょう」

「……ああ」

 

 見てきた。

 あの国家錬金術師殺し──刺青の男(スカー)達だってそうだ。

 自身さえも焦がし尽くす炎に包まれた復讐者。自らの命どころか、周囲の命も、仲間の命さえも顧みなくなる怪物。

 

 あれは──少なくとも、軍人じゃない。 

 少なくとも、国を、誰かを守る存在じゃない。

 

「多分今、ここにオレ達がいなかったら、アンタはずーっとそうだった。多分ずーっと、燻ぶった火が消え切らねえまま、ずっとずっとおかしな思考で突き進んでた。あん時の……ブリーフィングの時の、一応利害の一致したメンバーが集まった時の大佐なんか見てらんなかったスよ。全員に敵意振りまいて、誰も信用できないから信用できる要素を出せって言って」

「あー、あの時の大佐はヤバかったな。ぶっちゃけ連中の方が和を乱しそうなメンツなのに、大佐が一番乱してた」

「……中尉も、そう思うかね」

「思わないと思いました?」

「いや……そうか」

 

 マスタングは車椅子に背を預け、天を仰ぎ見る。

 何も見えないが──そこに仲間を幻視する。

 

「だから、良かったと思ってますよ。──オレは今、アンタを止められる。声が出せるってだけでこんなにすげぇことができるんだ。焔の錬金術師、巷じゃ浄火の錬金術師でしたっけ? ははっ、そんなすげぇ人が上司で、そんなすげぇ人を止められる。大佐、この先どうなっても、多分オレ達は死ぬ。そりゃ絶対だ」

「もう死んでるんじゃなかったか?」

「……まぁ錬金術のことはわからねぇが、オレらは絶対アンタと一緒には歩んでいけない。だから……別に今すぐ死ぬってわけじゃないですけど、今言っときますよ」

「俺はアンタが大総統になって、この国を変えるところを(そら)から見ていたい。特等席で──アンタの国づくりを」

「先に言いやがったよコイツ」

 

 ぎゃいぎゃいと。

 二人の声はロイの耳にそのまま突き刺さるというのに、言い争いを始める二人。うるさかった。もう単純にうるさかった。

 

 うるさくて。

 

「……中尉」

「はい」

「今の私の顔は、どうだ。酷いか?」

 

 リザが、ロイの顔を覗き込む。

 その顔は。

 

「──それセクハラだぞ、ロイ」

 

 べちん、と。

 資料の束で、ぶっ叩かれた。

 

「……ヒューズ。今良い雰囲気だったのだが」

「ちなみに顔は酷いです。隈が深い上、すこし老けて見えます」

「老けっ!?」

 

 でも。

 何故か、見えた。苦笑している二人の顔が。いや、ブレダもハボックも、今はここにいないがファルマンやフュリーも──苦笑している姿が。

 

 溜め息をもう一度。大きく、大きく吐く。

 

「似合わないか。私に、老け顔は」

「いえ、人間いずれ老けるものですから。大佐がこのままだろうと元に戻ろうと、老けはするものかと」

「……中尉。容赦という言葉を知っているか?」

「いえ、存じ上げませんね」

「ちなみに俺も知らねえ。大佐にまでなって部下に迷惑かけすぎだろ。士官学生かお前は」

「士官学校からやり直すのは、手かもしれないな」

 

 口角を上げる。

 笑い方。ロイは覚えているだろうか。ちゃんと、できているだろうか。

 

「──すまなかった」

 

 声に出せば。

 

「よぅ、色男。久しぶりじゃねえか」

「お、下向いてくださいよ大佐。オレらにもキザな顔見せてくださいって」

 

 また、賑やかになる。

 今度は──本当に無理なく。

 

 

 さて、ここは一応東方司令部だったりする。というのも、セントラルは「元に戻す効果を元に戻す」錬成陣の端っこ過ぎて、万が一があり得たからだ。

 よって東方司令部に居を戻し、ハクロ少将に司令室を一つ分けてもらっての、これ。

 だから色々勝手知ったる部分があるし、なんならもう実家のようなもの。だから色々開けっ放しで、兵士なんかも顔パスで、だから、だから──。

 

 とか関係なく、ソイツは降りてきた。

 

 真白のローブ。金髪金眼の特徴。ニヤニヤした笑みを浮かべる10歳くらいの子供。

 ここは司令室である。天井はちゃんとある。ただ、冬でも換気意識が高くて、窓は開いていた。それが原因だろう。

 

 ソイツはフードの端を掴んで──ヒーロー着地で、ロイの前に降り立った。ロイは見えていないが。

 

「よぉ、色男。久しぶ」

「捕らえろ!」

「おっしゃ! 縄!」

「手錠をかけますね」

「えっ」

 

 何故憲兵でもないリザが手錠を常備していたのか。何故東方司令部に手軽に使える縄があるのか。

 そういうのは一切合切どうでもよく、とても効率的にとても良い連携で、その「各地の食べ物を盗み食いする白い妖精さん」は捕らえられた。

 

 

** + **

 

 

 人がせっかくの久々ヒーロー着地キメたら、なんか捕らえられたわ。

 

「どこへ行っていた、クロード」

「アメストリス全土」

「……何をしに?」

「色々食べに」

「何故」

「お前らが人造人間(ホムンクルス)達の計画止められなかったら半分くらいの確率でアメストリス人全員死ぬからな。今のうちに食べとかないとって」

 

 重大情報をポロっと零してみる。

 これは等価交換とかじゃなくて、この後ブリーフィングなりなんなりすれば絶対話すことだから。

 

「……色々聞きたいことがある」

「代価次第と言いたいところだが、俺さ、金無いからめっちゃ盗み食いしてきたんだよね。それの代金くれたら話すよある程度は」

「金額は?」

「これ」

「……結構ですね。とはいえそこまででもないので、大佐の貯金から払っておきます」

「まぁ……良いが」

 

 それくらいの金は持ってるだろうから、いい交換だろうこれは。うん。

 

「まず、上の膜とやらはなんだ。ドームだか黒いのだか」

「フラスコだよ。今アメストリスはフラスコの中にある現状だ。外界と隔絶された……つっても錬金術的に隔離されている、が正しいか」

「出る手段、入る手段は?」

「あるっちゃあるし、ないっちゃない」

「……代価は払ったのだ。言葉は正確に頼む」

「死んだら出られる。生きてる内は出られない」

「……成程」

 

 命の無いもの、生命判定を受けないものは素通りできる。光は通さないけど熱は通る。俺もコレについてはよくわからん。結界とか防御とか、そういうのに詳しい奴……アレだ、メイ・チャンとかは詳しいんじゃないか?

 少なくともアメストリスの錬金術はあんまりこういうことしないからなぁ。

 

「このフラスコには何の目的がある」

「そりゃ中のものを出さないためとか、中のものに何かを作用させる時、その効果を内々に留めるためとか、より効果的に効果を発揮するためとか」

「フラスコの利用目的など聞いていない」

「いやだから同じだよ。実験で使うフラスコと、このフラスコは同じ」

 

 定着させる力の無い魂は上に上がって、なんか俺の血で勝手に作りやがった「戻す」錬成陣の中にあるものはその効果を受け付けない。

 ……あの錬成陣は多分、もう一個目的があるんだろうけど、まぁ今は言及しなくていいだろう。

 

「他のメンバーの動向は?」

「他の奴らに聞けよ」

「……人造人間(ホムンクルス)はどこに?」

「ブラッドレイはフツーに大総統府にいるだろ。グリードはダブリスの酒場にいるよ。ネオ・デビルズネストって酒場」

「敵の人造人間(ホムンクルス)は?」

「知らね。この前エンヴィーがガゼルになってるのは見かけたけど。プライドとラストは適当などっかにいんじゃね?」

 

 まー。

 プライドの居場所は、アメストリス全土だし。セリムの居場所は大総統府だけど。

 ラストは本気でわからん。近くに来たら氣でわかるけど、アイツの居場所だけはマージで知らん。何やってんだろね今。

 

「今まで──私の前に姿を現さなかった理由は?」

「お前がピリピリしてたから。苛立ってる奴の前にわざわざ行くこたねーだろ」

「──そうか」

 

 小声で、ハイマンス・ブレダとジャン・ハボックが「言われてますよ」とか「ほらやっぱり」とか言ってる。

 

 うん。

 こいつらとか、マース・ヒューズとかが、何とかしたんだろう。

 憑き物が落ちたような顔をしている。前に刺青の男(スカー)達に「復讐は健康的だ」って言ったけど、復讐を無理矢理完遂すんのが健康的だとは思っていない。

 火が消えたなら。

 落ち着いて、失った感情を取り戻すことだって良いだろう。

 

「この錬成陣から出たら、ハボックとブレダはどうなる」

「天に召されるだろうな。ああだから、出るなら俺が等価交換屋さんしてやるよ。お前の視力と足、治してやる」

「……その話については、後で良い。それで……傲慢(プライド)の言っていた二か月後に何がある。何故その日でなければならない?」

「日蝕がある。意味は自分で考えな」

 

 よし。

 食べ歩き代金の等価はこれくらいだろう。

 

「ロイ・マスタング」

「……なんですか」

 

 元のキザ男になったロイ・マスタングに──万感の意を込めて言う。

 

 

「──金を貸してくれないか。あとで返す」

 

 

 貸してくれた。

 ……高くつきますよ、とは言われたけど。

 

 

** + **

 

 

 ところで、最近になってできた付き合いで、一番ウマが合うのは、なんとアレックス・ルイ・アームストロングだったりする。

 

 俺って空気読めないんだけど、読めないらしいんだけど、そんな空気読めない俺に対して怒るでもなく呆れるでもなく、正しい空気の読み方をこっそり教えてくれる彼。姉の方も怒るでもなく呆れるでもなく「そうか」って言っていい利用方法を考えてくるあたり、やっぱり姉弟だ。

 

 また、原作と違ってアームストロング家が小旅行に出かけていないこともあって、たまに家に呼ばれてご飯貰ったりしてる。等価交換にお礼しようとしたら「友と食事をすることにお礼など要りませぬ」とか言われて真面目に困ったりした。いや等価交換に縛られる必要のない俺だけど、基本的にはっつーか人相手には結構守ってる方ではある上、盗んだのでもない、友好的な相手に貰ったもの。

 ……お礼は要らない、って言われてもなぁ。 

 いやだって、アームストロング家も俺が緑礬の錬金術師ヴァルネラだと知った上で受け入れてくれていて、料理も貰って、それで何もいらないとか。

  

 ダメだろう。

 元生体錬成の権威で、ちょーっと色々なことを知ってるこのヴァルネラ君が無償の施しを受けるのは……こう、概念というか存在的に。

 

「つーわけなんだよブラッドレイ。なんかいい案ない?」

「……お前は。わかっているのかね? 私はお前にさえも怪しまれる立場にあることを」

「俺がお前の何を怪しむんだよ。好きに裏切れっつったろ?」

「……では、それをさておくにしても、だ」

 

 アームストロング家(ああいう手合い)はあんまり遭遇したことが無いんだ。善人の多いアメストリスだけど、アレは善意の塊過ぎて眩しいくらいで。

 だから聞く相手絶対間違ってるとは思うけど、こういう話して割合的確な答えくれるのコイツくらいだよな、って思ってブラッドレイを選んだ。

 

「君、私と敵対していること忘れていませんか?」

「してたか? お前らが勝手に敵対しただけだろ。俺はしてねーよ」

「……まぁ、構いませんが。母上には接触しないでくださいね。君は一応大犯罪者なのですから」

「はいほいへい」

 

 当然のようにプライド……セリムもいたけど、まぁ関係はない。

 

 何度も何度も言ってるけど俺は別にどっちが勝っても良いんだ。たとえ今お礼しようとしているアームストロング家が目の前で賢者の石にされても別にいいし、この二人が人間に打倒されても構わない。

 だったら付き合い方を変える必要もない。

 

「で、要らないと言われた礼をする方法か」

「おん。なんかある? 良い案」

「……わからん。私も自ら礼を送ったことなどほとんどない。スイカなどではダメなのかね?」

「そういう物は受け取ってくれないんだよ。俺も料理の対価は料理で、とか考えたけどさ。俺が料理作れないし、ランファンになんか料理覚えたか聞きに行ったらまだ人に振舞えるものではないとか言われたし。他の何を買っていくにしても、アームストロング家が手に入れられないモンで俺が手に入れられる料理なんざないし」

「ふむ」

 

 悩ましかった。

 いや、なまじっかあの家金持ちなんだよ。マジで。

 ゾンビのための集合住宅作って、それが無駄になっても金に困らない程度に金持ってんだよ。この国の美味珍味なんか全部知ってるんだよ。

 

 それでいてなんか大怪我してるとかもないし、家族全員美肌だし、怪力だし。

 俺があげられるモンが一個もない。

 

「……たまに思うのですが、お父さんも君も、馬鹿ですよね」

「ほう? 中々言うな、セリム。ではお前は何か考えつくというのかね?」

「また行けばいいんですよ。アームストロング少佐が友人を家に呼んで食卓を囲むこと。それがアームストロング家への礼となるのですから」

「……え、傲慢(プライド)。お前ってそんな人間理解度高かったっけ? もっと見下した感じじゃなかった?」

「見下していることと理解していないことは違いますよ、不老不死。今でも愚かだと思っていますし、道化だと思っています。くだらないことしかできない、くだらないことで争い、傷つき、どうでもいいことしか成し遂げられない烏合の衆だと。──ただ、良いサンプルケースではありますから」

 

 溜め息をついて、プライド……つーかセリムは。

 

「私も家族を演じるにあたって、子供の振舞い方を日々勉強しているのですよ。もうすぐ意味のなくなることであっても──母上とは、その最期までを家族として過ごしたいので」

「ほーん……」

「はっはっは、どうだクロード。これが"成長"というものだ。私たちは親子喧嘩を経て一歩前に進んだのだよ」

「お前進んでねーじゃん」

 

 顔が半分に切られる。

 おいおい血が飛び散るって流石に。

 

「私もセリムも──そしてラストやエンヴィーも進んでいるとも。グリードは……一歩どころではない程に進んだようだが」

「アイツはもう人間だろ。まぁ人間になることを進むと表現するかどうかまでは俺は判定しないけど」

「もうすぐだ。もうすぐ──全ての意味がなくなる。人の営みは失われ、"お父様"がこの地に降る。……それでも私が、私を含む人造人間(ホムンクルス)の成長を喜ぶのは何故か」

「お前は死ぬからだろ。計画の成否に関係なく、寿命で」

 

 だから、嬉しいんだ。

 誰も彼も──自身を追い抜いていく者達が、自身を糧に変わっていくことが。

 

 俺には無い感覚でありながら、本来はもっともっと経験値積んだ爺さんが持つような視点だろう。

 

「セリム。私が死んだ後、頼んだぞ」

「……だから、全て意味がなくなると言っているじゃないですか」

「お前たちの企みが阻止された場合の話をしている」

「阻止されたら私だっていなくなりますよ。君もね。──母上は、独りになるんです。だから今、少しでも……」

 

 おお。

 

 これ、俺退散した方が良いな。

 家族の団欒だ、コレ。もう答えは貰ったし──帰ろう。

 

「クロード」

「ん」

「……おかしな話だがな。()()()()()()()

「おかしな話だよそりゃ。答えも貰って礼も貰ったら、貰い過ぎだろ。等価交換だっつってんだろこっちは」

「はっはっは、そのまま等価交換の法則など壊れてしまえば良い。……次に会うときは、敵か、味方か」

「どっちでも変わんねえよ。またな、ブラッドレイ親子」

「……あまり来てほしくはありませんが。はい、また」

 

 1915年1月。

 それが──彼らとの、ほのぼのとした会話の、最後。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終章 -FEWMATERIAL ABOMINATION-
第37話 降り落つ巨獄


最終章です。


 原作のグリリンみたいにセントラル郊外のちょっとした小山に登って、木を掴んで街並みを見る。

 今日がその日。「約束の日」。日蝕の日。

 

 終ぞラストもエンヴィーも人前に現れることは無く、ブラッドレイ親子も動くことは無かった。

 皆が皆各々の"余暇"を楽しんで、あるいは恐怖して。

 

「──フラスコの中の小人よ。見世物となるか神となるか──それとも三文芝居に終わるか、だ」

 

 人間側の準備は済んでいる。

 和を乱す態度を取っていたことを謝罪し、各方面に協力を取り付けたロイ・マスタングの行動は迅速だった。時を同じくして刺青の男(スカー)兄、そしてホーエンハイムとエルリック兄弟にイズミ・カーティス。あとシグ・カーティスもそういった動きをしていて、彼らは自然と集い、自然と輪を構築した。

 誰か一人でも蟠りを生むやつがいれば簡単に離散するのが人間だし、誰か一人でも仲を取り持たんとするやつがいれば簡単にくっつくのも人間だ。

 

 彼らは持ち寄った事実と推測、計算からできることをやりつくした。

 やり尽くした上で──この日を待つしかない、という結論に至った。潰せなかったんだ。この「計画」を事前に潰す、というのができなかった。

 それほど優れた計画……というわけではなく、すべてが手遅れだった、と言う方が正しいかな。

 傲慢(プライド)が言うように、計画は最終段階にまで来ちゃってたってこと。

 

「等価交換のお時間、ってな」

 

 目を瞑り、手を放し。

 落ちる。

 

 さぁて──。

 

 

** + **

 

 

 日蝕の起こるその日。

 人々は──あまり変わらない日々を送っていた。仕方のないことではある。

 だって、変わらないのだ。ずっと暗い日常は、二か月も経てば慣れっこで。未だ神に祈りを見せるものの姿はあれど、ゾンビ騒動の時がそうであったように、彼らは「順応」をしていた。

 だから──気付く者は少なかっただろう。少なくとも最初から、は。

 空。

 いつもと変わらない空。

 

 それが、どこか──薄れて行っていることに。

 

「っ、始まったか」

「……そうか」

 

 ノースシティの手前。セントラルの北。

 ロイ・マスタングが人体錬成を行ったそこに、数名の人影があった。

 

 当人こと、ロイ・マスタング。リザ・ホークアイ。アレックス・ルイ・アームストロングに、なんとオリヴィエ・ミラ・アームストロング。曰く「アレを問い詰めたら北にいても中央にいてもあんまり関係ないよ、とのことなので来た」らしい。ブリッグズ兵は頭がいなくなっても動けるので問題ない。

 またグリードらデビルズネストの面々、メイ・チャンとヤオ家。そして刺青の男(スカー)らのブレイン──最早彼以外がいないので、ただ単に刺青の男(スカー)と呼ばれる男。

 

 最後に、キング・ブラッドレイ。

 

 エルリック兄弟らは「準備」のために中心からは離れていて、その他バスク・グランやジョリオ・コマンチと言った"事情を聴いて真っ先に手を上げた面々"もいたりする。ジョリオ・コマンチと刺青の男(スカー)の間で起きたひと悶着については語るべくもないだろう。一応、最も遠い所に配置されている。

 

「空が……晴れていく」

 

 黒膜が薄まっていく。

 分離するように、分解するように、結合を失うように。

 

 久方ぶりの陽光はアメストリス全土にどよめきと歓声を起こさせるに十分な要素だった。

 おお、おおお、おおおおと響き渡る轟音は──しかし、()()()()()()()()()()()()()、誰が一番に気付いたか。

 

 誰かが。

 誰かが、叫んでいる。

 

 どこのだれか。アメストリス全土に響く声など、誰がどう出すのか。

 

 答えは、空にあった。

 

 空──太陽に欠けが見え始めた頃合い。日蝕の始まったその瞬間から、うっすらと見え始めていた輪郭線。長方形のソレは、ロイとエルリック兄弟、イズミ・カーティス、そしてホーエンハイムのみが見たことのある──あの扉にそっくりで。

 

 そこから、おお、おおおと。

 ──まるで産声が如き歓喜が漏れ出しているのだ。

 

「鋼の。準備はできているか?」

 ──"万全! そっちこそ視力戻ったばっかだからってタイミングミスんなよ、大佐!"

 ──"大佐さん、こっちの傘はほぼ自動的に発動する。問題はそっちだ。絶対に妨害が入るから──"

「わかっています、ホーエンハイムさん。全力で撃退しますよ。──そのために、()()()()()()()()()から」

 

 しっかりと地を足で踏みしめる。

 己の目で、空を見る。

 

 ロイ・マスタング。その身体に二人の声を聴くための機械鎧は存在しない。

 あの騒がしい二人は──もう。

 

「"遺言はこれにします。──全力でぶちかましてくださいや、大佐ァ!"なんて言われたんだ。それに応えなくて、何が焔の錬金術師か」

「声真似、恐ろしく似てないですね」

「中尉? 今日くらいは少しでも士気を上げることを言うべきだと思うのだが」

「私なりのジョークです」

「……クロード医師が移ったのではないかね?」

 

 通信越しから聞こえるのは笑い声。

 

 ──"その調子なら大丈夫そうだな。大佐! 中尉も少佐も、死ぬのだけはやめてくれよ。オレはアンタらの葬式に出るのは御免だからな!"

「同じ言葉をそっくりそのまま返そう。そちらとて危険が無いわけではないことを忘れるなよ、鋼の。何よりそちらは、一人ずつなのだから」

 ──"わーってるって!"

 

 声は次第に地響きを伴う。

 音によって起きているもの──だけではないことを、この場にいる全員が知っている。

 黒膜が晴れたというのに、少しずつ暗くなる世界の中で。

 

「来るぞ!」

「来ル!」

 

 キング・ブラッドレイ。そしてリン・ヤオが叫ぶ。

 

 ギィ、と開く。開くのだ。開いた。薄い輪郭線でしかなかった扉が、透明な扉が、確かな厚みを持ってギィ、ギィと音を立てて開く。

 そこから這い出して来るのは黒い手。真理を知る者ならば、そして疑似・真理の扉に飲み込まれた者ならばよく知っているあの手が──けれど、凄まじい大きさのソレが這い出して来る。

 

 オオ、オオオ、ォォオオオオ!!

 もうわからない者はいない。歓声などではない。これは産声で、これは人間の発するモノではない。

 

 空に開いた扉から今。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 手が見えた。

 そして、顔が見えた。真っ黒。真っ黒の身体に、たくさんの眼。口。およそ人間ではないそれは──けれどヒトの形をしている。ソレがアメストリスに降ってくる。落ちてくる。黒い手を伴い、黒い巨人が、叫び声を囂しく上げながら。

 

 その、手が。

 アメストリスに伸ばされた手が──中空で阻まれる。

 これが傘だ。四隅に配置された最高位の錬金術師が編む、錬丹術を組んだ防御陣。ホーエンハイムが基礎を作り上げ、メイ・チャンが伝授した現代の錬丹術、刺青の男(スカー)がアレンジと効率化まで図ったソレは、術者への最小限の負担で真黒の巨人の生誕を阻む。

 

「よし、傘は発動した。あとは──」

 

 揺らめき、煌めく。

 細剣を振ったのはアームストロング少将だ。ロイに向かって──その背に迫り来ていた刺突を弾く。

 

「っ……!」

「油断をするな、マスタング。また下半身不随になりたいのか?」

「いえ……助かりました」

 

 刺突。

 だから。

 

「あら……防がれるなんてね。人間は成功の瞬間にこそ最も油断するモノだと思っていたけれど……」

「成功だと? 何がだ。作戦の一段階目が進んだことを成功などとは言わん。順調であること程恐ろしいものはない。──人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)だな」

「ええ、そうよ。初めまして、ブリッグズの少将さん」

「マスタング。要るか?」

()()()。適材適所です。私の敵は──」

 

 それは超巨大質量。

 中心に集まっていたロイらを踏みつぶさんとする巨脚。

 

 対し、ロイが炎を、アレックスが巨大な拳を、そして刺青の男(スカー)もまた円柱を作り出して対抗する。

 拮抗は、一瞬。

 

「っ、離れろ!」

「くぅ、押し返せんか!」

 

 押し返せなかった。

 体表を焼く痛みは入っているはずだ。その足に突き刺さる高威力の錬金術も。

 けれど、そんなものはお構いなしとばかりに踏みつぶしてくる巨大な足。バチバチと音を立てて──さらにさらにと、大きくなる。大きくなる。

 ロイが以前見た若草色のソレとは違う。暗緑色の、刺青の男(スカー)らが相対したその姿こそが本物であり、その、上。

 

「……首が痛くなる程とは、聞いていないぞ……!」

「むぅ、成長期ですかな?」

「馬鹿言ってないで、来るぞ!」

 

 エンヴィー。

 体高はせいぜいが4~6mくらいだったはずだ。

 

 けれど今、ロイらの目の前にいるのは──15mはある巨大生物。

 

 あの大きさ以上にはなれないと踏んでいたが故の油断。

 この二か月、エンヴィーが何をしていたのか。それは至極簡単な話だった。

 

 質量の溜めこみ。色々な物に成り代わって食べて食べて食べて取り込んで取り込んで取り込んで。

 なんならどこぞの白い妖精の罪状の七割ほどがエンヴィーの仕業だったりするくらいには、人間の食糧を食い散らかして。野生動物を食べ散らかして。

 

「──高い視点ってのは、いいね。雑魚がより雑魚に見える」

 

 エンヴィーが、尾を振るう。

 ただそれだけで必殺の一撃だ。水平方向に逃げるのは無理だと判断し、高さを選択。地面からせり出す足場に乗って、間一髪にその尾を避けることに成功した。

 

「若!」

「おう! ランファン、合わせろ!」

「承知……!」

 

 巨体を駆け登っていくはヤオ家の三人。

 特にアメストリス人を噛まさないためシン語で話す彼らは、言語翻訳のリソースを使わない分さらに戦闘能力が高まる。

 暗緑色の体表。足をつければ沈み、あるいは赤子の手のようなものが足を掴まんとしてくるも──関係ない。

 疾風の名を恣にする三つの黒は、頂点──エンヴィーの顔にまで一瞬で辿り着き、各々の武器を突き立てる。

 

 も。

 

「ッ、硬い!?」

「ばぁーか。巨大になったら鈍重になるんだ、そういう欠点を補わないエンヴィー様じゃないんだよ」

「──まず」

 

 単なる頭突き。

 それは、どれほど鍛えているといってもただの人間に過ぎない三人には過ぎるダメージ。

 死も見えるその攻撃は。

 

「へぇ、お前硬くなれるようになったのか。いいじゃねぇか。俺様と勝負しようぜ、エンヴィー」

「!」

 

 どすん、と。

 エンヴィーの尾をぶった切る存在によって、助けられた。

 

「……強欲(グリード)

「あぁ、そうだ。昔っからちょいと思ってはいたんだよな。嫉妬(お前)強欲(俺様)。ちょいと似てんだよなぁ、アイデンティティっつーか、求めるモンが」

「完全に人間側な顔しやがって……そんなに堕落すんのが楽しいかよ」

「がっはっは、あぁ、楽しいさ。人造人間(ホムンクルス)の俺が、死を恐れるようになったくらいには、こっちは楽しいぜ、嫉妬(エンヴィー)

「それは退化っていうんだ──よ!」

 

 前足の振り下ろし。

 それを避けずに受けるグリード。踏みつぶされたかに思われた、次の瞬間。

 

「ッ──」

「ドルチェット、ロア! 思い切りやりやがれ!」

「おうさ!」

「ぐ、ぁああっ!?」

 

 仰け反る。

 15mの化け物が。

 

「んがっはっは! どうだよ兄弟! ──硬ェモン踏んだら痛ェって、知らなかったか?」

 

 やったことは単純だった。

 全身硬化したグリードが受け止めて、その肘をドルチェットとロアがぶっ叩く。

 つまり、人間で言う……画鋲を踏んだ、みたいなもの。

 

「笑ってないで、一旦逃げる!」

「おっとそうだった。んじゃあな、兄弟。足振り下ろす時は気をつけろよ、尖ったモンがあるかもしれねぇからなぁ!」

 

 マーテルの声掛けで、男三人はエンヴィーの攻撃範囲外に離脱する。

 合成獣(キメラ)とはいえ耐久力が低いのはデビルズネストの面々も同じだ。グリード自身は良くても、三人を守れない場合も多い。だから基本はヒットアンドアウェイの戦法を選択している。

 その隣に降り立つは、ヤオ家。

 

「すまなイ、助かっタ!」

「いいってことよ! だが気をつけろ、アイツはちゃんと強えぞ。舐めてかかるなよ、人間!」

「あア、もう油断はしなイ!」

 

 ──あるいは、唯一無二の相棒になるはずだった二人。

 それが並走して、そしてすぐに別れる。雑談をしている暇はない。

 

 遠方からの砲撃。バスク・グランだ。鉄血を二つ名に持つ彼の錬金術師は、重火器を瞬時に錬成する錬金術を使う。遠中距離において無類の強さを発揮する国家錬金術師。その反対からは巨大な円盤──チャクラムがエンヴィーに突き刺さる。

 勿論ロイやアレックス達とて負けてはいない。視力を取り戻したロイの凄まじい火力。アレックスの丁寧で且つ的確な攻撃。また刺青の男(スカー)の足場づくりや壁づくりなどがサポートを充実させ、ヒットアンドアウェイをしに帰って来たグリード達の重い一撃がエンヴィーを襲う。

 

 しかし。

 

「全っ然効かないから言うけどさぁ、アンタらの錬金術ってこんなもんだっけ? 特にマスタング大佐。攻撃に憎しみが籠ってなさ過ぎて、ハハッ、いつかの目の前でポンッてなる手品みたいだ。他の国家錬金術師も痒いとも思えない攻撃しかしてこないしさぁ……プライドが来る前に、僕が終わらせちゃうよ?」

 

 効いていない。強がっているわけじゃない。

 その厚い表皮がすべてを防いでいる。唯一効いたのはグリードの攻撃くらいだろう。

 

 巨体で、化け物の身体で、けれど人間のように溜め息を吐くエンヴィー。

 

 ──その首が、ごろりと落ちた。

 

「な──」

「ァ!?」

 

 錬成反応を立てながら再生していくエンヴィーの身体。突然のダメージは──いつの間にかそこに登っていた老人によるもの。

 

「後進が育ってきたことを喜びたかったのだがな。これではおちおち眠ることも出来ぬではないか」

「てっめ……憤怒(ラース)! つか、どうやって──お前の"最強"は眼だけだろ! 腕力も膂力も枯れ木みたいなそれの癖に、どうやって僕を斬った!?」

「何、鉄だろうと鋼だろうと斬り方さえ変えれば斬れるのだ。どれほど表皮が硬かろうとも、賢者の石以下の硬度であるならば斬れぬはずがないだろう。あとはどう斬るかを見極めればいいだけのこと」

「あー、言ってる意味はわかんねぇが、まぁアレだ。普通に攻撃通せねえなら、俺様たちが開けた穴に攻撃ぶち込めや。がっはっは、連携って奴だよ。すぐに再生しちまうから一瞬を狙えよ? あ、巻き込むんじゃねえぞ」

 

 言いながら、また。

 硬化したグリードの腕が、エンヴィーの足に突き刺さる。

 その彼をドルチェットが抱き上げて離脱すれば。

 

「助かる!」

「むぅぅう、これぞアームストロング家に伝わる──」

「それ以外の対抗策を練る。少し時間が欲しい」

「……それでは吾輩は護衛に徹させて頂く! マスタング大佐!」

「任せたまえ!」

 

 任されて。

 ロイは、少しだけ鬼面を被る。

 復讐に突き動かされることはもうしない。しないが──ラストとエンヴィーが仇であることに、何ら変わりはない。

 

 発火布を強く握り。

 

「さて、地獄を見せてやろう。少しでも人間の形をしていることを後悔する程にな」

 

 エンヴィーのお望み通りだ。

 焔の錬金術師が、最高最強の錬金術師が、ここに出る。

 

 

** + **

 

 

 少し離れた所でも戦いは起きていた。

 

「チ──リーチは無限か。厄介だな」

「無限ではないわ。そんなものに手を出せるほど私たちは驕っていないもの」

「物のたとえだ、人造人間(ホムンクルス)

 

 オリヴィエ・ミラ・アームストロングと人造人間(ホムンクルス)色欲(ラスト)

 さらには。

 

「……ふふ。顔が硬いわよ、中尉さん」

「何分、露出の多い女性は大佐の情操教育によろしくないので」

「なんだ、マスタングの情操教育はお前がしていたのか?」

「はい。大佐はよく女性に言い寄られる方ですが、立場上ハニートラップも多く」

「ふん、そんなものは引っかかる方が悪い。放っておけ」

「目の前攻撃きてまス!」

 

 リザ・ホークアイとメイ・チャン。

 あの巨大なエンヴィーと戦うには分が悪い三人が、そして小回りの利く三人がラストと対峙している。奇しくも女の戦いになったのは意図してのことではない。

 

「しかし、妙ですね」

「妙? 何がだ、ホークアイ」

「彼女は暗殺に特化した存在だと推測されていました。凄まじい貫通力を持つ指は、地面の下や壁の内側からの奇襲こそが本領発揮だと」

「ああ、先ほどマスタングを狙ったようにか」

「ええ。ですが、彼女は今私たちの前に出てきている。堂々と、です」

「……話されている私が言うことでもないとは思うけれど、そういう話は本人のいないところでやった方が良いと思うわ」

 

 確かに妙だった。

 人間を舐めていないはずのラストにしては、あまりに人間を舐めた行動だ。

 ただの人間である二人と、火力に劣るメイ・チャンならば問題ないと判断したのか。それならば。

 

「舐められたもの──」

「後ろ、何か来まス!」

「──ッ!」

 

 何かが来た。

 ナニカ──だから、あの地下で見た、影。

 

 影の化け物だ。

 

 流石ではあったのだろう。オリヴィエは瞬時に前に跳び。

 故に、時同じくして伸びたラストの爪を避けることができなかった。

 

「……っ」

「止血しまス!」

「……フッ。奴には劣るが、やはり医者がいるのは……ありがたいな」

 

 刺さる、そのぎりぎりで体をひねり、腕の皮一枚をざっくり裂かれたオリヴィエ。軍服の袖が剥がれ、左腕が肩からだらりと露になる。邪魔だ、とばかりに袖を斬って捨てるオリヴィエ。

 血は一瞬にしてメイ・チャンが止めた。生体錬成はお手の物。メイ・チャンは遠隔錬成に長けているが、シンのどこかにはアレと同じくらいの精度で生体錬成を使う者もいるだろう。

 

「面倒ね、その小さい子」

「気を付けてくださイ──囲まれていまス」

「シンの氣を探る技術でしたか。我々の気配がわかるとか。そういう割には、シン国では奇襲や暗殺の類が絶えないそうですね。何か隙があるのでは?」

「フフフ……それを探ってみるのも面白そうだけど──もうそろ、お父様も痺れを切らす頃でしょう?」

「ええ。ですから私は、傘とやらを作っている四人を狩ります。ラスト、()()()()()()()()()()()()()()

「その言葉、そっくりそのまま返すわ、傲慢(プライド)

 

 影の化け物が消える。否、地中に潜っていった、というべきだろう。

 本来であれば消えたと見せかけての奇襲を警戒したところだが、メイ・チャンが首を振ったのを境に、オリヴィエとリザがラストへの攻撃を再開する。

 

「しかし、器用な、ものだな! 私からの攻撃を捌きつつ──銃弾の全てを避け、あるいは斬って捨てるなど──剣客か、貴様」

「努力をしただけよ。私達には時間がたっぷりあったから……それに、忠告も受けていたのだから、それを忌避して、どうにか逃れようとすることは生物として当然でしょう?」

「ハッ、人造人間(ホムンクルス)が生物か。……錬金術師、そうなのか?」

「私は錬丹術師でス! そして、人造人間(ホムンクルス)が生物かどうかはわかりませン! ただ異様な数の気配──凄まじい数の魂がその方の中にあることは事実でス!」

 

 メイ・チャンは完全にサポートに徹している。というのも、彼女の苦無の速度ではラストにおいつけないのだ。

 五角形を作り出さなければ発動しない遠隔錬成は、その一本でも弾かれたら無為に終わる。いくら沢山持っているとはいえ有限である苦無だ。できるのならば回収できる形で使いたい。故、二人が怪我をした瞬間に治療し、自らが死んだり怪我をしたりしないようにする立ち回りを取っている。

 前衛として出ているオリヴィエは何を気にすることもなくラストと切り結んでいるが、二人の間で中距離を保っているリザは細心の注意を払いながら戦わねばならない。

 これが気心の知れた隊員ならばともかく、オリヴィエと組むのはこれが初。彼女がどう動くかわからない以上、攻め手を倦ねるケースが多い。

 

「努力か。──良い言葉だ。だが」

「ッ──」

「これで、一度。ふん、労力に見合わんな」

「いえ、三度です。──今、心臓と脳に撃ち込みました」

 

 人造人間(ホムンクルス)

 それを殺す方法は至って単純。

 

 殺し続けることが、唯一の殺害方法だ。

 

 これほどの時間をかけて、三度。

 

 人間たちに課せられた任務は二つ。

 一つは、人造人間(ホムンクルス)達を中心に行かせない。エンヴィーが既に一度踏んでいるが、それでも発動はしていない。刺青の男(スカー)の推測によれば何かを発動させる必要があるらしく、それさえ妨げれば計画は進行しないはずである、と。だから、この地に集った者達は戦っている。

 もう一つは傘の維持。降って来た"お父様"を防ぐ傘。たとえ人造人間(ホムンクルス)達が中心のそれを起動せずとも、"お父様"が中心に触れてしまえば終わりなのだという。

 

 だから、守らねばならないし、殺さねばならない。 

 殺し切らねば──いつ如何なる方法でその発動とやらをされるかわからないのだから。

 

「一応聞いておこうか。──あと何回だ」

「えト……」

「フフフ。特別に教えてあげましょうか。──たったの十七万回よ。節約しないといけないと気付くにはあまりに遅かったから、これしか残っていないの」

「そうか。たったそれだけか」

「ええ、たったこれだけ」

 

 再生が終わる。

 無傷の色欲(ラスト)と、止血はしているものの、少しずつ傷の増えてきたオリヴィエ。

 

「ホークアイ。私に構わず撃て。勝手に避ける」

「……了解しました」

「それと──出番だ。早く来い」

 

 声に、何かがぽーんと飛んでくる。

 真っ白い何か。

 

 それは。

 

「はいはい、一応俺が元ご主人様なんだけどね」

「もうブリッグズは私の手に戻った。そして、アームストロング家に礼がしたいそうじゃないか。──十分な代価だろう?」

「もう少し高みの見物しとくつもりだったけど、まぁ、いいだろ。ってことで」

 

 フードを取る。

 金髪金眼。ニヤついた笑みが軽薄さを生む、少年。

 

「……まさか出てくるとは思っていなかったわ。貴方、こっちの計画を知っているのでしょう?」

「おん、知ってるよ。俺がどういう記号になるのかも、お前らがやろうとしてることも、大体わかってる」

「わかっているのなら、出てくるべきではなかったと思うけれど」

「まぁそうだな。俺がいなければフラスコの中の小人の計画の成功率は格段に下がる。俺が中心から遠ければ遠いほど下がっていく。──でもまぁ、呼ばれたし。まだアームストロング家に代価返し終わってないし」

 

 否、白いローブまでもを脱ぎ去れば、その下にあるのは──どこぞの国の民族衣装らしきもの。ゆったりとした異装は白を基調としていて、イシュヴァールのものともアメストリスのどこのものとも似ても似つかない。

 見る者が見れば。というかホーエンハイムが見れば言うだろう。「懐かしい物着てるな……」と。

 

「つーわけで、お前さんを変えたっぽい俺が、お前さんを阻みに来たワケだけど、なんか感想ある?」

「──無いわ。やることは同じだもの」

「だよな!」

 

 さて──ようやく。

 人知を超えた戦いが、ここにも広げられる。

 

 傘はいつまで保つのか。

 傲慢(プライド)が狩りに行ったエルリック兄弟らの行方は。

 

 どれほどが落ち、どれほどが残るのか。

 

 希望となるのは──勿論、彼。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 繰り惑う遺志

 心を平静に保つ。

 心を平静に保つ。

 

「観測隊より入電! 影の化け物を確認した! 高速でこちらに向かっている!」

 

 心を平静に保つ。

 

「銃撃隊、陣を固めろ! 決して乱すな、決して崩すなよ!」

 

 心を平静に、保つ。

 

「敵は閃光弾に弱い! 無駄撃ちをせずに光らせ続けろ! いいな、方向を間違えるなよ!」

 

 心を、平静に、保つ。

 

「──忘れるな! 我々がすべきは敵を倒すことではない! 鋼の錬金術師を守ることだ! 考えるべきはそのことだ──グ、ギャ!?」

 

 心を……。

 

「指揮官!? な、地下から、どういうことだ! 対象は地下道しか通れないんじゃなかったのか!?」

「わからん! だが実際に今指揮官が地面から──ぁ」

「閃光弾を投げろ! 一度態勢を立て直せ!」

 

 保つ。

 

「保てる、わけねぇだろ! オイ、大丈夫かアンタら!」

 

 保てなかった。

 

 "傘"を維持するための錬成陣は酷く簡易なもの。円に四角形を描いただけのそれは、その交点に真理を見た錬金術師が入ることで凄まじいまでの効力を発揮する。つまりは、人柱として、だ。

 正方形自体もそこまでの大きさはなく、中心での戦闘音が聞こえるほどの距離でしかない。

 

 ただし、シンプルが故に制約が厳しい。

 一つは完全な正方形を保ち続けること。だからエルリック兄弟もイズミ・カーティスもホーエンハイムも動けない。中心で起きている戦いに参加することも出来ず、こうして自分たちを護衛してくれている軍人たちの援護にも向かえない。足元に描かれた半径1m程の錬成陣から一歩も出てはならない。一歩でも出たのなら、あるいは錬成陣が崩れたのなら。そして誰か一人でも死んだのなら──"傘"は崩れ、フラスコの中の小人が侵入する隙を与えてしまう。

 もう一つは錬金術を使わないこと。

 正確には"傘"を作るために使っている思考リソースを割かない、出力の一切を漏らさないことだ。

 錬丹術は大地の流れを読んで遠隔で術を発動させる技術。それを逆利用したものがこの"傘"で、つまり中心から遥か上空を起点に、流れがすべて外側へ分散するような錬丹術を組み上げた。アメストリスの上空で起きる錬成反応は全て外側に流れていく。

 フラスコの中の小人そのものが錬成反応の塊であるからこそできる"傘"だ。

 

 だから、エドワード・エルリックは心を平静に保ち、外部の事など一切気にしないでいなければならない。

 いなければ、いけなかった。

 

 でも。

 

「──っ」

 

 見てしまう。

 声で、ある程度はわかっていたけれど。

 

「……おい、大丈夫かよ……」

 

 血があった。

 血が流れていた。

 あちこちに、ある。

 

 死体が。

 四肢が。

 

 途切れることなく閃光弾を投げるだけ。

 ……そんな楽なことで傲慢(プライド)を止められるわけがない。

 

 そいつは、影の化け物は──今、虐殺を行っていた。

 

「っ……」

「出るな、エドワード・エルリック!!」

「!」

 

 銃火器が主流のアメストリスではあまり見ることはないが、キング・ブラッドレイを始めとするように、アメストリス式軍隊剣術の使い手はそれなりにいる。だから今、活躍しているのは彼らだった。普段あまり日の目を見ない彼らが、影を剣で弾くことで応戦している。

 防戦一方。そんな彼らが叫ぶのだ。

 

「俺達だって死にたくはない! だが、お前がそこを出たら、俺達の家族が、俺達も、アメストリスの全部が死ぬんだろ!?」

「気にするなとは言わねえ! 無理だろうからな! だが、頼むからあのデケェのを防いでくれ! 俺達にはできないことだ!」

「代わりに俺達は──この化け物を、アンタに近づけさせねーからよ!」

 

 言葉でそう言って、次の瞬間には絶命していく軍人たち。

 絶命だ。

 一切の容赦はない。影の化け物は人体をバターのように切り裂いて、エドワードに近づかんとする。どれほど剣で防ごうとも──否、防げば防ぐほど、数が増える。全部一つの化け物だから、閃光弾を投げれば一気に消滅させられるが、だからと言って尽きることは無い。

 

 対策していた地下道から。

 そしてそれだけではない、何か用水路の類でもあったのだろう、どこぞの地下から影が突き出て、突然人が死ぬ。

 

「……くそ!」

 

 泣きそうな顔だ、というだろう。

 誰が見ても、だ。エドワードは──目の前で死んでいく命に。それも、自分を守って死んでいく命に、何もできない。何もしてやれない。身を挺して庇うことも、得意の錬金術で防ぐことも。

 

 何もできない。

 

「無様ですね」

「!」

 

 そんな彼に、声がかかる。

 傲慢(プライド)だ。その影の内の一本が、エドワードの目の前に佇んでいた。

 

 まだ戦闘は起きている。その防御網を掻い潜ってか、一本がそこにいる。

 

「君の力。なんのために身に着けたんですか?」

「……うるせぇ。挑発(その手)には乗らねえぞ」

「私は君の事を知っていますよ、エドワード・エルリック。君の性格も、君の大事な人も、君の目的も」

「なん……何がいいてぇ」

「君はアレを見て我慢することなどできないでしょう。確かに今私は君を挑発していますが、私がこれをしなかったからといって、君はその錬成陣を出た。むしろ今こうして話している間の分止めてあげているとも言えますね」

「だから、何が言いてえんだてめェ」

 

 図星だった。

 今にも、出て行くところだった。

 兵士たちの懇願を聞いても、それでも──それが嫌で。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰かのために君は錬金術を覚え、強くなった。違いますか?」

「……お前、なんでそんなことまで……」

「君達もサンプルケースだった、というだけのことです。私はこの国における()の動向を常に見張っていましたので」

 

 傲慢(プライド)にとって、それは然程苦ではないこと。

 アメストリス全土に身を伸ばせる彼にとっては、何も。

 

 母を喜ばせたい一心で、母が笑ってくれるからという理由だけで錬金術を修め尽くした天才兄弟。注目しないわけがない。着目しないわけがない。()が訪れたというだけでも十分な理由で、況してや父親が自らの父の半身で。

 知らない方がおかしい。

 

「だから、全部知った上で言います。無様ですね、鋼の錬金術師」

「挑発には」

「挑発しますよ。──まぁ、見ていてください。貴方の手の届くところにある人々の命が、無為に、何の価値もなく消えていく様を。今さっき君に声をかけた彼らの名前、君は知らないでしょう。軍人さん、憲兵さん、兵士さん。君は基本的に彼らをそうとしか呼びませんからね」

「──っ」

「ちなみに私は彼らの名前、全て覚えていますよ。必要でしたから」

「必要……?」

 

 挑発だ。

 挑発でしかない。耳を貸す必要自体が無い。

 

 なのに、その次の言葉は、するりとエドワードの中に入って来た。

 

「ええ、必要です。よく挨拶をしましたからね。名前を覚えておくだけで評判が上がるんですよ。──セリム・ブラッドレイの」

「セリム……? なんで……大総統の息子の名前が、ここで出てくるんだよ」

人造人間(ホムンクルス)だからですよ」

「は、あ?」

人造人間(ホムンクルス)傲慢(プライド)。それがセリム・ブラッドレイの正体。つまり私です」

 

 おかしな話だった。

 だって、それなら。

 そんな重大なことならば。

 

 言っていた。あの二人は。

 傲慢(プライド)の所在はわからない、と。そう言っていたはずだ。

 

「嘘吐けよ……んなこと」

「あり得ない、ですか? フフ、弟の言葉を借りるのはなんだかおかしな話ですが、ここで突き付けてみるのも面白いでしょう。──あり得ないなんてことはあり得ません。現に私の父は人造人間(ホムンクルス)憤怒(ラース)なのですから──その子供が、しかも血縁関係の無い養子である私が、普通の子供なワケないじゃないですか」

「な──ら、ブラッドレイ夫人は……まさかエンヴィーか?」

「は?」

 

 あり得ないなんてことはあり得ない。

 そうだ。考えてみれば当然だ。キング・ブラッドレイが人造人間(ホムンクルス)ならば、その配偶者も子供も、人造人間(ホムンクルス)の息がかかっていておかしくはない。

 そしてそれを言わなかったあの二人は。

 

「っぷ、あははは!」

「……そんなにおかしいかよ。こんな簡単なことにも気付けなかった道化が、ってか?」

「ああ、いえ。想像したらおかしくなってしまって。すみません、今の君を笑ったわけではないですよ」

 

 素直な謝罪。無邪気な笑い。

 それに一瞬どぎまぎする。けれど、エドワードは頭を振るう。コイツは敵だ。今、今まさに兵士らの虐殺をしている敵。倒すべき、殺すべき敵。

 

「母上は普通の人間ですよ。流石に全員こちらが用意した人間となると、怪しむ者が大勢出てきてしまいますので」

「……じゃあ、騙してんのか。あんな……優しそうな人を」

「──……はい。そうなりますね」

 

 そこにあった間は。

 

「さて、これで挑発はおしまいです。どうでしたか?」

「……どうもこうも、ねぇよ」

「ああ、そうですか。やはり挑発の経験が少ないせいか、子供の演技より上手くできませんでしたね。次の相手にはもう少し上手くやってみます」

「次の……って」

「勿論、他の三人ですよ。君が一番挑発に乗りやすいと思って、初心者向けだと考えたのですが、中々難しいですね」

 

 影が引いていく。

 今。

 今、エドワードを殺せばそれでよかったのに、影は退いていく。

 何故って。

 もう、やることはやったからだ。

 

「最後に一つ──これは言っておきましょうか。行儀よく、ね」

 

 しっかりと植え付けた。

 しっかりと植わってしまった──疑念。

 

「ごちそうさまでした」

「──!」

 

 バッとエドワードが周囲を見れば。振り返れば。

 そこには、何もない丘陵地帯が広がっていた。

 

 四肢も、死体も、肉片も、血液さえない──何もない周囲。

 

「何もできないアナタは、そこで何もせずにじっとしていてください。──"傘"などというものを壊す前に、アナタたちは全滅しますから──そこでずっと、ずっと、心の平静を保っておくといいですよ、エドワード・エルリック」

 

 そして、影も。

 ──消えた。

 

「……ダメだ、考えるな」

 

 考えるな。

 可能性。何故言わなかったのか。何故作戦会議時に──いや、もっと前から知らせなかったのか。

 セリム・ブラッドレイが傲慢(プライド)。それがわかっていたら、打つ手なんていくらでもあったはずだ。そして、それが敵だというのなら。

 今まさに──数多の兵士の命を奪い、食らい尽くした者だというのなら。

 

「考えるな!」

 

 キング・ブラッドレイ。

 そしてクロードは──本当に味方か?

 

「……考えるな。考えるな。ダメだ。オレは……オレがここを動けば、全部が無駄になる。挑発だ。そもそもおかしいじゃないか、セリム・ブラッドレイは五歳の……養子で、血のつながりはなくて、利発で……いや、だから……アイツは知らないはずがない。違う、それじゃねえ。そっちに繋げるな。……考えろ。おかしい。おかしいと思え」

 

 上空。

 "傘"が少しずつ傾き始めていることに、エドワードは気づけない。

 

 錬金術は思念を送って発動するもの。

 ならばその思考が掻き乱された時。

 

「考えるな考えるな考えるな思考を止めろ……オレの役割を思い出せ、エドワード・エルリック!」

 

 今、中心部でみんなが戦っている。

 ここからでも見える。巨大な化け物が。

 皆の努力は、"傘"の崩壊で水泡に帰す。考えてはいけない。

 

 ──その時、無線が入った。

 隣の頂点を担う、ホーエンハイムからのもの。

 

 エドワードは、それに。

 

 

** + **

 

 

 打つ。打つ。打ち付ける。

 クロードのただの拳。膂力は人並み、筋力は多少。体は子供であるから重心は低く堅固、同じく子供であるから軽く浮きやすい。

 

 ただし触れたら、賢者の石のエネルギーをごっそりと持っていく拳。

 

「ふん、貴様中々動けるな。不老不死であることだけにかまけた堕落者ではなかったのか」

「アレェ、俺ブリッグズでもそこそこ戦ったよな? あの時は確かに医者としてだったけど、最後にはスロウス相手に大立ち回りしたはずだけど」

「見ておらんから、知らん!」

 

 斬撃というよりは剣撃だ。斬ることを目的としていないそれは色欲(ラスト)の爪を弾き、既のことでその首に刺さらんとしていた爪の軌道を逸らす。

 踏み込むはクロード。人間には絶対に無理な上体の捻りは、彼が不老不死であればこそ。自身をも傷つけるが故に禁止されるような武術における禁術も、再生する彼ならばノーリスクで行える。

 

 打ち付ける。

 手甲も剣もない。ただ──賢者の石を主源とする人造人間(ホムンクルス)には、特効にも等しい攻撃。

 

 対し、ラストは爪を下ろす。爪を薙ぐ。

 わかる。戦闘技術の経験はあちらが上だ。クロードもオリヴィエも、どちらもが違う理由で達人なのだろう。前者は年数で、後者は圧倒的な才能と努力で。

 それに対し、たかだか80年前から、しかも見様見真似で始めただけのラストの「努力」では対抗できない。一対一ならば話はまだ違っただろう。撃つことを迷う中衛との二対一でも適応できた。

 だが、この二対一は無理だ。

 なんせ互いが互いの攻撃で傷つくことを考慮していない。当たってしまっても関係の無い不老不死と、万が一当たってしまったら即座に治す生体錬成。オリヴィエもそれを承知で極至近距離での戦闘を行っているし、正直クロードの拳が当たった程度でどうにかなるオリヴィエの肉体ではない。

 

 分が悪い。

 ちゃんと分が悪い。ラストがそうなるために、様々なリスクを承知でオリヴィエが呼び出したのだと、理解できる。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「ハ──ははっ、なんだ、マジになって戦うのも中々に楽しいモンだな。300年前くらいのシンを思い出すよ。いきなり皇帝が首斬ってきてさ、あーこりゃもう居られないなって思って逃げた時、それはもう大乱闘になったもんだ。別に無視して逃げても良かったんだけどさ、ロン家の連中が"最終試験だ! 今までの教え、その代価を払え、ブシュダイレン!"とか言ってくるからついつい乗っかっちまって」

「老人の昔語り程聞くに堪えんものはないな」

「アンタ実は俺の事嫌いだろ」

 

 斬る。突く。

 ラストは中距離を得意とするタイプだ。彼女の持つ最強の矛はグリードのそれと似た特性があれど、彼女は防御ができない。硬化を使えない以上、自身に向かう攻撃もその矛で弾くしかない。しかしながらラストの腕は二本で、指は五指ずつのみ。

 多を制するには余りに足りない。

 

 だから、学びがあった。

 

「む……」

「ん?」

 

 ラストの長所はその爪の貫通力と伸縮性だ。

 指一本を普通の剣のように扱うこともできるが、爪、あるいは指の根元が女性のそれである以上、威力には期待できない。五指を束ねたところでそれは同じ。

 ならば参考にすべきは剣撃ではなく──突きの方。

 

「ほう……貴様、人造人間(ホムンクルス)でなければここでヘッドハンティングも吝かではなかったのだがな」

 

 オリヴィエがたまに行うそれ。

 的確に急所を狙い、ブレず、外さず、弱点となるはずの伸びきった腕は剣を持っていない方の手に持った小銃でカバーする、その動き。

 腕を伸ばさなければ突きができない人間より楽に攻撃ができる。伸縮自在だからすぐに別の行動に移れるし、同じ要領で銃撃のように扱うこともできる。

 

 取り入れない理由はない。それが鍛え上げられた剣術であるのならば、どれほど合理的でどれほど効率的かなど、考えるべくもなし。

 

「へぇ、なんでだ?」

「何が、かしら」

 

 その問いがオリヴィエでなくラストに向けられたものだとわかった理由は何だろうか。

 顔をこちらに向けているから、ではない。そんなもの戦闘中なら当然だ。

 

 ──声が優しいものだったから、かもしれない。

 

「もうすぐすべての意味がなくなる。全てが消える。上のアイツが降ってきたら、そりゃそうなるだろう。そんでそれはお前らも同じだ、人造人間(ホムンクルス)。アイツが降ってきたら、お前たちの今までの全てが意味なくなるんだ。感情の成長も、技術の学習も。何もかもが無に帰すとわかっていて──お前らはそれを成し遂げんとしているのに、なんでまだ学ぼうとするんだ、色欲(ラスト)

 

 切り結ぶ。打つ。突く。

 確実に、確実にラストの命は削れて行っている。最も注意すべきクロードの拳は極力避けているから減った量など雀の涙も良い所だが──それでも圧されている。

 当然だろう。相手は"生体錬成の権威"でもあるのだ。オリヴィエが負う傷は、メイ・チャンが施していた時よりもさらに早く治療される。一撃で命を奪うまでいかないと無理だと思わせるくらいの速度で。

 そしてそんな火力をラストは持っていない。

 

 今。

 ラストたちの動きを"視て"、尋常ではない速度で"慣れて"行っているリザ・ホークアイも参戦するのならば。今までは医療に徹していたメイ・チャンが攻撃に転ずるというのならば。

 押し切られるだろう。

 賢者の石を破壊するその拳に捉えられ、たかだか十七万の命は即座に消費されるのだろう。

 

「──恐いからよ」

 

 答えた。クロードの口角が上がる。ぐにゃりと、にやりと。

 けれどそれは愉悦ではなく、歓喜だ。彼は時たま、それを見せる。

 

「私は恐い。恐ろしい。死ぬことが──怖い」

「死ぬための計画を進めているってのにか!」

 

 咆えるような問い。

 答えが分かった上で、その問答を楽しむクロードの、悪い悪い顔。

 

「私の運命は私が決める。私が私の命をお父様のために使うこと──そこに何の躊躇いもないわ。当然でしょう。私たちはそのために産み落とされ、私たちはそのために今までを存在してきたのだから」

「篤い忠誠だな。それほど価値のある者なのか、そのお父様とやらは」

「父親よ? ──理由はただそれだけ。決意と覚悟の意味付けに、複雑な理由は必要かしら」

「いや──不要だ。家族か、十分な理由だったな」

 

 殺される。

 傷つけられる。

 それが怖い。死ぬことが怖い。何がおかしい。何が矛盾している。

 人造人間(ホムンクルス)だから、など何の理由にもならない。どうせ死ぬのだから、というのなら人間とて同じだろう。どうせすぐ死ぬくせに、最後の最後まで抗う人間と。

 

「私の命は私の意思で使うわ。──だから、貴方達に奪われないために私は成長する。学習する。私は今、死に行く恐怖に抗うために、矜持を踏み潰して……貴方達に勝つわ。目的を遂行するためにね」

「上等だ人造人間(ホムンクルス)。おい貴様、アームストロング家への礼は十分だ。──もう要らん。消えろ」

 

 ハ、と。

 その要求に更なる笑みを浮かべるクロード。

 

「いいのかよ、まだ十六万ちょい残ってるはずだぜ?」

「問題ない。貴様は代価を支払い終え、たった今不要になった。不要なものが戦場にいては邪魔だ。消えろ。そして──ホークアイ! と、そっちの!」

 

 バックステップ。

 言われるままにクロードが離脱する。そして入れ替わるようにリザが、メイ・チャンが。

 

「もう慣れたな──慣れていなくとも、多少の誤射ならば構わん! 共に戦え、マスタングの部下!」

「サポートに徹しマス。ブシュダイレン程とは行きまセンが、錬丹術師としテ最良の行イを」

「いいや、お前も戦え。私への治療など戦いが終わった後で良い。医者の心持ちでいるのならば戦場から出て行け」

「……! では、心置きなクやらせてもらいマス!」

 

 入る。

 戦場が元に戻った。人造人間(ホムンクルス)にとって最大の弱点ともいえた不老不死は消え、さらには色欲(ラスト)の決意まで固まってしまった。

 敵に塩を送ったどころの話ではない。それでも、オリヴィエとラストは()()()()()()、また、剣戟を響かせ始めた。

 互いの生存のために。互いの信念のために、だ。

 

 

 

 

 ──その、頭上。

 求め、喘ぎ、それを手に入れんと手を伸ばす黒の巨体。本来引き戻しにかかるはずの黒い手は役割を果たさず、これを防ぐ"傘"に、大きな衝撃を与える。

 殴ったのだ。殴っているのだ。黒い手が、巨人に手を貸すかのように。

 それによって、なのだろうか。別の理由か。"傘"がガクンと、傾いた。

 

 有効だと判断したか、黒は連打を始める。地響き。"傘"を打つ震動がここまで響いているのか──巨大地震をも思わせる震えが戦いの最中にある彼らを襲う。

 

 余裕がある人造人間(ホムンクルス)は少しだけ目を細めることだろう。

 どこかやるせないように。

 次に起こることがわかる、というかのように。

 

 ──計画は最終段階にあった。だから、たとえ邪魔をされようとも、何がどうなろうとも。

 たとえ"傘"が壊れずとも、人造人間(ホムンクルス)の誰かが消滅しようとも。

 

 ()()錬成陣が発動するのは──止められないのだと。




前書きが無い方が逆に不穏


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 揺り歩む甘言

一番怪しい奴が、一番怪しい。


 エドワード──では、無かった。

 既のことで踏みとどまった。思い起こされたのだ。彼が外に出たら、誰がどうなるのか。

 ラッシュバレーでの修行を終え、けれど自身では邪魔になるからと、背を押してくれた幼馴染の姿が。

 

 ……もう一つの理由として、あれほど言われていたクロードが、全員を騙して、なんて熱量を持っているとは思えない、という前提条件もあったが。

 

 同じくアルフォンスでもない。彼は少しばかりの幼い部分があれど、その意思は堅固。何よりプライドが然して彼に興味を持たなかったのも大きいだろう。また彼らの父であるホーエンハイムにも、プライドは興味を持たなかった。人情はあってもホーエンハイムは怪物の"側"だ。目の前でどれほどの兵を殺戮しても、悔しそうな顔はすれど動きはしない。

 怪物とはそういうものだ。激情と目的が別々のところにある。

 

 だから──傲慢(プライド)が狙ったのは、彼女だった。

 

 

 

「あんた、あんた! 返事をしな! ──返事をしてくれ!」

「解せませんね」

 

 地。

 に。

 地に──倒れ伏す、クマのような巨体。シグ・カーティス。その身から零れ落ちる赤は、既に相当量に達している。

 

 即死でなかったのは肉厚だったからだろう。

 けれど人間が死に至るには十分な傷。致命傷だった。

 既に軍人はいない。全て殺され、全て食われた。

 

「彼はただの人間でしょう? 何故戦場に連れてきたのですか? ──もしや、肉体の一つで人造人間(私達)に対抗できると──そう思っていましたか? 戦闘に特化した集団でさえも殺し尽くされたというのに」

「……」

「どれほど筋肉を鍛えていようと、銃弾は通ります。剣は入ります。それは人間の限界値ですから、当然に。──ところで、私の身体には厚みというものがありません。影ですからね。無論面の部分にはそれがありますから、剣などで弾かれることもままあるのですが──斬撃が防がれることはそうそうありません」

 

 ゆえに、と。

 倒れたシグの身体に、傲慢(プライド)()()()()入り込む。

 痙攣は、痛みによるものか。

 

「君の夫は死にます。これで動揺するようならば、覚悟が足りませんでしたね。人々が決死を遂げる場で、命を賭ける場で、君たち夫妻の覚悟はあまりにも()()()()だ。エルリック兄弟にはホーエンハイムという因縁がありますからまだわかりますが、君達は違う」

「あん、た……?」

「エルリック兄弟の師である。それだけだ。そして私に一度負けたから、でしたか。その程度の理由で出てきて、その程度の理由に妻が行くならば、なんて理由で付き合って。──やはり真理の扉を開ける……人体錬成を行うような人間は、行動から心の弱さが露呈しますね」

 

 これは挑発だ。

 だから、聞いていなくても聞いていてもどちらでもいい。これでイズミが激昂するのならば目的は達せられるし、それでもと錬成陣を出ないのであれば時間稼ぎが成功する。

 どちらに転んでも、関係が無い。

 

 ゆえに傲慢(プライド)は続ける。

 

「アメストリスは医療大国というわけではありませんから、流産はそれなりの確率で起こります。逆子も珍しくはありませんし、助産師もそう多くはいません。戦争の多さから看護師は多数いますが、血まみれの兵士を見たことはあっても産気づいた母親を見たことは無い、という看護師が過半数を占めるでしょう」

 

 あるいはシン国ならば違ったのかもしれませんが、なんてプライドは独り言ちようとして、むしろあの国は出産時こそ暗殺の狙い目でしょうから、また違う事情があるのでしょうね、なんて自己完結をする。

 

「いるのですよ、君以外にもたくさん。我が子を産めず、抱き留めることのできなかった母親は。あるいは生んだすぐ後に死してしまったり、母親自身の体力不足から子を置いて逝ってしまったり。経済的な理由、あるいは倫理観の欠如から生まれた子供が捨てられる、なんてケースも珍しくはありません」

 

 傲慢(プライド)は見てきた。

 色欲(ラスト)と同じだ。見てきて、見てきた上で見下している。愚かだと思っているし、道化だと思っている。知っているからこそ、理解しているからこそ、下等だと認識している。あるいは、憐憫も、だろうか。

 

「けれど君は、人体錬成に手を出した。知識があったから、技術があったから、は言い訳には使えませんよ。錬金術を習えば人体錬成が禁忌とされていることなど見習いでもわかる。禁忌だと知っていて手を出すのは"仕方のないこと"ではなく"甘えと心の弱さ"が原因です。君は受け入れられなかったからここにいる。イズミ・カーティス。君は覚悟が無かったから、ここにいる」

 

 そして、と続ける。

 

「そして──今、また。覚悟の甘さが、君の大切な人を失わせる」

 

 ぐるり、ずるり。

 影が貫く。厚みのない影が、シグの身体を少しずつ、丁寧に。その浅く荒い息は、彼がまだ生きている証拠であり。

 

「もしかして──"彼"のせいだ、とか思っていますか? 甘さへの罰であるはずの内臓を治し、代価も取らなかった彼。アレがいたせいで、君は"自身は恵まれているのだ"と勘違いしたとか──」

「そんなことはない!! そんな……そんな、甘っちょろい考えは、絶対にない」

「……そうですか。では、そこまで覚悟が決まっているのであれば──どうぞそこで耐えていてください。この世で最も大切な人が、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──光が、溢れる。

 

「使いましたね。──これで、傘は──ああ、けれど、どの道──」

 

 閃光弾だ。

 地面から生えるようにして作られたそれは、手を合わせたイズミによる錬成物。その光で影は消える。蒸発するように、存在を保てなくなる。

 

 錬金術を使ってはならない。

 シンプルな制約が、破られる。頭上で、傘が傾くのが分かった。

 

「──時間切れです、錬金術師」

 

 イズミがシグを抱き寄せんとするよりも、先に。

 

 すべてが黒に染まった。

 

 

** - **

 

 

 エドワードは無線機を取る。

 ホーエンハイムからの通信。エドワードの心が折れていないかを確認するためと思われたそれは、けれど全く別の話だった。

 

「なんだよホーエンハイ」

 ──"今すぐ錬金術で地面に大穴を開けろ! 土を掘り返すでもいい、今すぐにだ!"

 

 その剣幕に体が竦む。

 初めて聞く声だった。あのクセルクセスでの冷たい態度とも違う──本当に焦った声。

 

「どういう……説明しろ! ホーエンハイム!」

 ──"アイツめ、俺達の味方じゃなかったんだ! アイツが教えてきたのは半分だけだった! 気付くべきだった、何が傘だ、クソ、間に合わない!"

「説明しろっつってんだろ!?」

 

 地震。まただ。地響き、地鳴りだけに思われていたそれは、確実な震動を以てこの地を揺らしている。

 

 心、なしか。

 地面が、傾いてさえいるような──。

 

 ──"地下だ! 地下にも同じ、空と同じ錬成陣が作られている! これは半球じゃなくて、球体なんだよ!"

「だから、説明し……」

 

 エドワード・エルリックは14歳の子供だ。

 子供でありながら、真理を見て帰ってこられる天才だ。そもそも人体錬成に学術書だけで辿り着けることが普通ではない。

 感情制御は子供でも、思考は天才。天才的に回る。

 

「あれが……錬成陣だとしたら」

 

 

 

 

 中央での戦いは苛烈さを極めていた。

 キング・ブラッドレイ、グリードによる攻撃はエンヴィーへと的確なダメージを与えるも、エンヴィーからの抵抗も激しく、アレックス・ルイ・アームストロングやフー、リン・ヤオらに少なくないダメージが入っている。

 今ここに"生体錬成の権威"はおらず、シン国の錬丹術師も存在しない。

 

「……」

「どうした、エンヴィー。疲れたのかね?」

 

 このまま暴れ続けたら、少なくとも人間は潰し切れる。

 そんな段階で──エンヴィーは、暴れるのをやめた。やめて、空を見上げる。

 

「……終わりだよ、もう。わかるだろ? 太陽がそろそろ全部食われちまうんだ」

「それをただの自然現象として終わらせるために、私はここにいる」

「だから、それが無理だから言ってんだよ、憤怒(ラース)。──全部意味がなくなるんだ。俺達の遊びも、アンタらの抵抗も、虚しく──全部が無に帰す」

 

 地震。

 否、隆起までしている。大陸移動でも起きたのかと勘違いする程の揺れ。

 

 その視界に、彼らの視界に──べたり、と張り付く黒い手が見えた。

 

 べたり、べたりべたりべたりべたり。

 せっかく晴れた空がまた黒くなっていく。そして空を仰ぎ見て、ようやく気付くのだろう。

 なにか──文字のようなものが、未だ中空に刻まれ続けていることに。

 

「積方球体錬成陣。数学の話じゃないぜ? 僕だって理論だのなんだのを理解してるわけじゃないしね」

 

 誰もがつんのめるほどに、地が大きく揺れた。

 そのまま、這いつくばらなければならないほどに揺れは大きくなる。

 

「空に刻まれた魂で作られた文字。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──アメストリスの基本葬制は土葬である。

 故にイシュヴァール戦役でも、ゾンビ騒動でも、あらゆる場面において死した者は土葬された。埋められた。

 だからこそそれらは、人々の知らぬ間に土壌中を下降する。薄く、広く敷かれた賢者の石を纏い、アメストリスの地下へ地下へ、地下深くへと刻み付けられる。最下部は、より地下で死んだ粘土細工の賢者の石を。

 

「これをフラスコとし、どの角度から見ても意味を抽出できる、真理を内包する錬成陣が完成する」

 

 故の最終段階だ。

 別に良かったのだ。誰がどこにいても。誰がどこで何をしていても。

 黒い空を見上げるばかりで下に目をやらない人間を、人造人間(ホムンクルス)達は理解していたから。

 

 黒が。

 黒が、落ちる。

 

 黒が、満ちる。

 今まで大地に流していた錬成反応が、大地を伝ってこの球体を、アメストリス全土を覆う球体を染め尽くす。

 

「天気予報、天気予報。今日は黒い雨が降るでしょう。傘を持っていても危険です──何故なら、洪水警報もあとで出るんで」

 

 憤怒(ラース)の目の前。

 嫉妬(エンヴィー)の足元に降り立ったのは──金髪金眼の少年。

 

 真人。

 

「クロー……」

 

 そこは中心だった。

 エンヴィーが暴れていた場所。──あるいは、ずっと守っていた場所。

 

「チェックメイトだ。指し手は俺じゃねーけどな」

 

 黒。

 

 

** - **

 

 

 重い。

 苦しい。息ができない。

 

 黒はまるで水のようだった。黒い水のようで、けれど水とは決定的に違うのが、その重さだ。

 重い。体に圧し掛かる重さは体力を軽々奪い、この場にいる全員の膝を突かせる。

 

 ただ二人を除いて。

 

「どうした、人造人間(ホムンクルス)。動きから精彩が欠けてきたぞ」

「ふふ……アナタも、足元が覚束なくなっているわ」

 

 オリヴィエとラスト。

 リザもメイも這いつくばった中で、二人だけがまだ円舞に興じている。

 

 オリヴィエは左肩、右脇腹に貫通した穴が開いている。

 対してラストに怪我はない。怪我はないが──。ボロ、と。肌が、身体が、ボロボロと崩れつつあるのが見て取れた。

 

「なんだ、限界か?」

「……タイムリミットよ。お父様が──降誕するの。ああ、けれど──最期の最期まで、共に踊ってはくれないかしら」

「その崩れ行く身体で、か?」

「今尚アナタを殺し得る身体で、よ」

「──いいだろう」

 

 重いはずだ。

 苦しいはずだ。オリヴィエだって単なる人間。シグ・カーティスより細身で、武僧より筋肉質ではなく、鎧の類も身に付けてはいない。

 それでも──その剣は鋭い。

 ボロボロと錬成反応と共に崩れて行くラストに対し、何の躊躇もなく剣を振る。時間を経るにつれ速さのかけていくオリヴィエに対し、何の気後れもなく爪を薙ぐ。

 

 二人は。

 

「──!」

「……幕、引き、ね」

 

 崩れ落ちる。

 それは肉体を維持できなくなったラストが、だ。十七万の命は、未だ十六万を割るに至っていない。それでもこうやって崩れ去ったのは──。

 

「嘘を吐いていたわけではないわ……お父様が、私たちを回収するのよ。元はお父様の感情である私達を、一度自分の中に取り込む。──だから私たちは、消える」

「……ふん。貴様の父親への忠誠を私は否定はしないが……ロクでもない父親だな」

「ええ……世間からみたら、いいえ、人間から見たら……そう、なのでしょう」

 

 腰は砕けるように割れ、胸部が、腕が、身体の全てがザァと消滅していく。

 

 崩れ落ちる。

 ──だから、オリヴィエも。

 

 ラストの決死の一撃は、当たっていたのだ。

 心臓を狙ったそれは、僅かに逸れて──オリヴィエの身体の中心を貫いていた。それでも十分、致命傷だった。

 

「勝負がつかなかったのは──悔しいけれど。自分よりも良い女に殺されるのなら──それも悪くはないのでしょうね」

「何を言う。……貴様らの勝ちだろう、この状況は」

「ええ、そう。私がたとえあなた達の前に姿を現さずとも……私たちは、勝っていた。だから」

 

 ラストが手を伸ばす。

 その胸の中心にあった、宝石のような賢者の石が、ぐずぐずと溶けていくのを感じながら。

 

「私の最期が──アナタみたいな人間で、本当に良かった。さようなら、オリヴィエ・ミラ・アームストロング……」

「……嫌味にしか聞こえんな。ふん。……その嫌味、確と受け取った。後生覚えておくことにする」

 

 そう、消滅したラストを見送って。

 

 オリヴィエもまた、膝を突く。剣を突き立てて這いつくばることだけは防がんとするも、重く重くのしかかる黒は彼女の抵抗を許さない。

 血が噴き出る。体にいくつも穴が開いているのだ。そして中心の穴は、あまりにも。

 

 そんな彼女の足に触れる存在があった。

 

「……」

「治し、まス……じっと、していテ……くださイ」

 

 メイ・チャン。

 医者としてでなく、遠隔錬成を用いてラストと戦った同志。

 

「いや、いい」

「……今度ばかりハ、ダメでス……それは放っておいたラ、死ぬ傷でス」

()()()()()()()()

「え──」

 

 オリヴィエは。

 

「私は負けた。敗衄した将は潔く消えるべきだ。何、ブリッグズは頭がいなくとも動ける兵団。その一人一人が将となれるよう鍛え上げてきた。──ならば私は」

 

 大きく、血を吐いて。

 

「ならば私は──ブリッグズの峰より少し高い所から、奴らの働きを見届ける必要があるだろう」

 

 メイにはわかる。

 彼女は閾を越えた。──もう、助からない。

 

「代わりに弟を頼む。あの愚弟は、未だ何も成し遂げていない。──ここで死ぬには、まだ……いや。今のはナシだ」

「え、えっ?」

「奴は一人でなんとかできる。そうでなければ、戦場から逃げ帰ってもなおアームストロングを名乗るような男にはなるまい。──貴様のその力は、貴様や、マスタングの部下を守るために使ってやれ」

 

 言って、言い放って。

 ラストが消えた場所に、大きく身を下ろす。

 

 そうして、目を瞑って。

 

 そのまま。

 

 

 

 

 まるで首を垂れるかのように這いつくばる人間を見て、エンヴィーは溜息を吐いた。

 つまらない終幕だ。

 結局人間はその程度だった。お父様という圧倒的な力にひれ伏すしかない存在。ラストもプライドもなんだか余程人間が強い存在である、というかのように準備をしていたから、アテられてエンヴィーもかつてないほどの準備をしたというのに──コレだ。

 

 なぁんだ、と。

 そう思うのも致し方ことないだろう。

 

 黒は当然、エンヴィーの身体も溶かしていく。

 生まれた所に帰るだけだ。この巨大で醜悪な体も、この面倒な世界からも。なくなるし、いなくなる。

 

「なぁ、どんな気持ちなんだ? 人間に味方して、結局何にもできずに散っていくのってさ」

「オイオイ嫉妬(エンヴィー)。人間に煽り甲斐がなくなったからって、今度は俺達が標的ってか? がっはっは、良い性格してんなぁ!」

「……特に思うことなどない。結局は父の方が上手だった。それだけだろう。人間の味方とは、我ながら随分と血迷ったものだとは思うが。……敷かれたレールが突然無くなって、とりあえず何かをしてみたいと思った時──目の前にいたのが妻だった。それが原因だろうな」

「まったく……私は君を恨んでいますよ、憤怒(ラース)

「おお、傲慢(プライド)も来たか。勢揃い……じゃねえか。色欲(ラスト)は」

「先に逝きました。彼女は賢者の石の残数が少なかったので」

 

 中心にいる金髪金眼とか関係なく、人造人間(ホムンクルス)らが集合する。

 全員、その身を崩していて。

 それでもするのは世間話に近い。死ぬから何を恐れる、ではない。目的が達成されるから、あるいはそうなることを予見していたから──恐怖が無いだけだ。

 

「ってことは次は僕か、強欲(グリード)か……。ちぇ、そういう順番ならもう少し節約しておくべきだった」

「がっはっは、全くだ。俺様なんか何度無駄に死んだことかって話だよ。──つーわけだ、ドルチェット、マーテル、ロア。──すまねェな、先に逝く」

 

 残された三人は、声も出せない。

 単なる合成獣(キメラ)ではこの重圧の中、喉を振るわせることさえできないのだ。

 

 ただ、その言葉をしっかり聞いて。

 

 ざぁ、と彼が消滅したことを──理解した。

 

「あれ? つーか、賢者の石の量で言ったら憤怒(ラース)が一番じゃないとおかしくないか? お前、一個しかないんだろ?」

「確かにそうですね。憤怒(ラース)、君は何故消えていないのですか?」

「肉体は人間だからではないかね? お前たちは賢者の石を核にした人造のソレだが、私の肉体は人間のもの。崩しやすさで言えばお前たちの方が上だろう」

「あー、そういう。……んじゃ、先行くよ。お父様の気紛れでまた産み落とされたら、そん時はよろしく」

「記憶が引き継がれることはありません……ああ、もう行きましたか」

 

 エンヴィーは、自ら賢者の石を舌先に出して、それを崩して。

 伴い──15mもの巨体が、一瞬で塵と化す。

 

「……それで、傲慢(プライド)。お前は私の何を恨んでいるというのかね」

「それを言うには、ここには少し聞き手が多すぎます。──そこの不老不死。代価を払いますので、音の遮断を行うことはできますか?」

「ん~。まぁ、もういいんじゃね? どうせ全部死ぬんだし、どんだけ聞いてたって関係ないだろ。死に行くお前らの出せる代価が適当なものだとは思えないし」

「……それもそうですね」

 

 不老不死だけが、なんでもないかのように立っている重圧の底。

 深海を思わせる圧力が人間たちにかかり──その身を軋ませていく。

 

「君、何故母上を妻に選んだんですか?」

「……今更だな。何か不満があったのかね?」

「ええ、不満しかありません。何故──もっと嫌味な、誰からも嫌われるような女性にしなかったのですか?」

 

 ブラッドレイ夫人はキング・ブラッドレイ自らが選んだ妻だ。

 アレを妻に、と選んだ。愛恋ではない。キング・ブラッドレイ自身が選んだのだ。

 

「そんな者を母親にしたかったのか、セリム」

 

 ピクりと反応するのは、ロイやアレックスら軍人だ。

 その一切を気にせず、二人は会話をする。

 

「ええ。そういう母が良かった。厭味ったらしくて、好ける要素が一つも無くて──見殺しにしても、罪悪感の欠片も沸かないような、そんな人なら……ラストに変な忠告をさせることもなかったでしょう」

 

 言葉は、裏がある。

 だから憤怒(ラース)は、というよりブラッドレイは、笑うしかなかった。

 

 笑って、そこにいる不老不死にでも自慢がしたくなった。

 

「はっはっは、──どうだ、クロード。今の言葉の意味が分かるかね?」

「今の母上は嫌味の一つも言わない、好きになる所しかなくて、見殺しにするのが苦しくて苦しくて堪らないから、あの人を選んで欲しくなかった。恨んでいる、あんな素敵な人を母親にしたことを」

「うむ、正確な翻訳だな」

「……もう最後ですけど、食べますよ、あなたたち」

 

 嫌ってくれたらよかった。

 嫌いになれたらよかった。"品行方正なよい子"を演じたのは傲慢(プライド)だけど、それでもセリムを嫌うような、あるいは関心を持たないような──権力にしか興味の無い女性なら。今まで見てきた有象無象と同じ、自らの格を、立場を勘違いし、思い上がって過ぎたるを求めるような人間なら。

 どれほど、良かったか。

 どれほど──楽だったか。

 

 この黒は。

 お父様は、ここだけではない、アメストリス全土に降り注いでいる。溜まっている。

 当然、大総統府で二人の無事を祈り、待っている夫人も──溺れ、苦しんでいることだろう。

 

 それが。

 それが。

 それが──あまりにも、苦しい。

 

 心苦しい。

 

「恨みますよ──憤怒(ラース)。お父さん。君があの人を妻に選んだことを、私は一生、一生恨み続けます。たとえお父様のもと、生まれ変わることができたとしても──ずっと」

「はっはっは──ああ。私もアレも、セリム。お前のことを忘れはせんよ。──さらばだ、我が最愛の息子よ」

「……はい。さようなら、お父さん、お母さん」

 

 消える。

 あれだけの範囲にいた影の化け物も、そして地下にいた容れ物──セリムも。

 

 消えて、残った。

 二人だけが、残った。

 

「んじゃ、答え合わせの時間と行こうじゃねえの、ブラッドレイ」

「……なんだ、気付いていたのか。つくづく思い通りにならん奴だな」

「あっはっは、言っただろ。好きに裏切れ、ってよ。なぁ」

 

 

 一拍。

 

 

「──フラスコの中の小人よ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 溶け落つ牙城

それぞれの事情/打算/目的


「お前はキング・ブラッドレイだ。まずそれは変わらねえ。ブラッドレイ夫人を妻とし、セリム・ブラッドレイの父親。これも変わらねえ。別にお前の存在自体はなーんにも変わらねえ」

「そうだな。間違いはない」

 

 だが。

 

「お前、なんつってたっけ? "人造人間(ホムンクルス)を一掃し、その企みを阻止せんとするために動こうと思う"──だっけ」

「ああそうだとも。そしてそれは何も変わってはいない。嘘など一言も吐いておらん」

 

 故に、コイツはブラッドレイだ。

 フラスコの中の小人(アイツ)ではなく、ブラッドレイ。では何故俺がコイツをフラスコの中の小人と呼んだのかと言えば。

 

「言の葉の先を取るな、と何度も言っているはずだぞ、クロード。──これより私がフラスコの中の小人と……"お父様"となるのだ。そこで大人しく見ていろ、不老不死」

「あいよ」

 

 さて、ではコイツが語ろうともしないことについて、軽く触れておこうと思う。

 

 そもそもの話からだ。

 エンヴィーが呟いた積方球体錬成陣。これはフラスコの中の小人の発案。魂とその不純物で作り上げた半球は黒く目を引き、地中への意識を逸らす。地中の半球は賢者の石で動かして記号を作る。これで球体の錬成陣──どの角度から見ても、様々な意味を抽出することのできる錬成陣が完成する。

 人造人間(ホムンクルス)らが傘作りを妨害しなかったのも似た理由。

 勝手に四隅に行って、勝手に真ん中に人柱がばらけてくれるんだ。止める理由がない。

 月に開いた真理の扉から降ってくるフラスコの中の小人からしっかりと見える形で、積方球体錬成陣、及び十字に並んだ人柱があそこにいた。

 

 そして、本来は。

 

「何故──何故だ、何故だ憤怒(ラース)……何故ワタシの中に戻ってこない! オマエはワタシのものだ……ワタシの感情だ、憤怒(ラース)……!」

「あまり失望させないでいただきたい、父よ。──貴方は感情を切り離すことなどできてはいない。人間を見下し、傲岸不遜に振舞う傲慢さも、カミなどというものを欲さんとしていた強欲さも、自らがフラスコの中でしか生きられないことを嘆く嫉妬も、これほどの力を有しながらまだ満たされぬと感じる暴食も、支配されることを嫌い、自身は自身で完結していると嘯く邪淫も、他者に任せきりな怠惰も──そして、今あなたがしているカオ……我が名の冠する憤怒も」

 

 誰もが動かなくなった黒の中で、ブラッドレイだけが朗々と話す。

 話す相手は、再誕したフラスコの中の小人だ。巨大な水の塊のようなソイツに、講を垂れる。

 

「貴方は何一つ切り離せてはいない。ならば、ヴァン・ホーエンハイムではなく、()()()()()()()使()()()()()()()ところで、貴方は貴方だ。何も変わりはしない」

 

 そう。

 フラスコの中の小人の目的は、再誕。

 ヴァン・ホーエンハイムなどという出自の知れない一般人の血からではなく、俺という不老不死の血を媒介にこの世に()()()()()。血という神の構築式を用い、扉のムコウから取り出されたフラスコの中の小人ならではの再誕方法。

 

「オマエの眼は節穴か、憤怒(ラース)。現に、ワタシはフラスコの外にいる! これほどまでに巨大な体を手にいれ、真理の引力さえも味方につけた──このワタシが、以前のワタシと変わりないだと? そんなはずがないだろう!」

 

 べたべたと。べちゃべちゃと。

 真理の扉から伸びた黒い手は、未だにこの錬成陣……錬成球に手を伸ばしている。

 地鳴り、地響き。

 地面が隆起したように見えたのは錯覚ではない。

 

 ()()()()()()()()()のだ。

 

「では、あなたに何ができる。──何ができるようになった、と問うた方がよろしいか?」

「──では、死ね。憤怒(ラース)

 

 作り上げられるは、原作でも見た小型の太陽。それ引力どーなってんのとかいやたとえ作れてもこの距離だと熱で全部蒸発するだろとかの一切を無視した輝きが、ブラッドレイに向かって落とされる。

 

「クロード」

「おいしょー」

 

 ぶん投げる。

 腕を。

 

 それは小型太陽に直撃し──熱線となって誰もいない荒野に突き刺さる。

 熱を操る錬金術。俺の師たるシルバ・スタイナーより教わった錬金術の、攻撃転化だ。

 

「邪魔をするな、不老不死。これは親子の問題だ」

「親が子を殺すのを黙って見てろって、無茶言うよな」

「今更医者面かね? もうとっくに辞めたものと思っていたが」

「アレェ、なんで味方してやった奴にまで刺されてんの俺」

 

 話を戻そう。

 真理の扉から出てきた黒い手くんは、何もフラスコの中の小人の味方をしているわけではない。

 代価を──支払いを求めているだけだ。

 

 フラスコの中の小人の目論見通りに行っていたら、フラスコの中の小人がこの世に生まれ出でる代価として、アメストリスそのものを差し出していた。さらにその最中国土錬成陣が発動し、俺という存在から自らへ不老不死……という名の「神の代替品」を自らに上書きして、今度こそ本物になろうとしたわけだ。

 あの病院にあった石板の奴ね。

 

 だが、それを利用した奴がいた。

 

 ブラッドレイ。

 敷かれたレールが無くなった時から、他の人造人間(ホムンクルス)を一掃し、その企みを阻止し、フラスコの中の小人の秘中の秘を潰すことを画策していた。

 そしてすべての準備が揃った今、最も無垢な状態のフラスコの中の小人を取り込もうと……っつか成り代わろうとしている、が正しいか。

 

 さて、そろそろ日蝕が終わる。

 暗い世界が晴れていく。

 

 これによって発動するのは、ブリーフィングでも話した通り「元に戻す」効果を持つ錬成陣だ。

 

 本来のフラスコの中の小人の計画であれば、「カミ」を自らに上書きし、このアメストリスの大地から賢者の石を含むあらゆるものを自身に戻し、アメストリスと、そこに住まう人々を代価として扉に渡しての再誕──という流れだった。

 

 だがここにはまだブラッドレイがいる。

 

 今、「元に戻す」という効果が発動した場合、元に戻るのは何か。何が、どこへ戻るのか。

 

「お──オォォォオオオオ!?」

「兄弟はいない。そして、()()()()()()()()()、"()()()"」

 

 引きずり込まれる。

 元のフラスコの中の小人の中身、その過半数以上を一度扉の中に戻し、しかし帰って来た。方法はアルフォンス・エルリックとエドワード・エルリックの混線と同じ。魂で繋がった者がこの地にいるのだから、死んだわけではない、持っていかれた──持って行かせた──だけの魂が戻せないはずがない。

 この手段を用いてフラスコの中の小人は再誕し、だからこそ未だ消えていない元のフラスコの中の小人の魂に引きずり込まれる。

 これもアレだ、原作でグリリンの中のグリードがリン・ヤオよりもフラスコの中の小人に強く引っ張られたのとおんなじ理論。

 

「オマエは、オマエは人間だ! ワタシを御せるモノか! カミでもない、何十万の命も持っていないオマエの肉体如きで、今やカミをも上書きしたワタシを──ワタシを飲みこめるものか! 否、否だ! ──そのまま内側から破裂しろ、憤怒(ラース)! その血肉、余すところなく消滅させてくれる!」

 

 黒の巨人が、黒の海が。

 この球体の中にどっぷりと詰まったフラスコの中の小人という名の雨が、全てブラッドレイに吸い込まれていく。

 

 さて──俺がロイ・マスタングに言った、半分の確率。

 

 とりあえず真理の引く手は止まった。

 当然だ。かつてのクセルクセスで、扉のムコウからフラスコの中の小人を取り出すための実験が行われた。正確には"大いなる叡智"を引き出す実験。そのために使われたホーエンハイムの血が奴に人格を与えた。

 ──その裏側で、錬金術師が一人いなくなっている。

 これもまた当然だろう。生きた真理の断片、とでもいうべきものを呼び出したのだ。真理の代価が持っていかれる、なんてのは今更過ぎて説明の余地もない。

 

 そして今、同じことを、今度はフラスコの中の小人自らがやった。

 真理の断片たる己を俺の血を用いて呼び出し、代価として持っていかれるはずだったアメストリス。けれど呼び出したのではなく取り返したのだとすれば、それは等価交換でもなんでもない。

 売ったものを買い戻した、が一番わかりやすい概念か。買戻しの手数料だけが差っ引かれて、フラスコの中の小人は元に戻る。ブラッドレイという"元"に。

 

「アメストリスは代価にならん。あれは私のものであって、"お父様"のものではない。故に返せ、真理の扉よ。そして──持っていけ」

 

 ブラッドレイが眼帯を取る。

 その目から──ウロボロスの紋が消えていく。

 通行料だ。ブラッドレイは扉を潜っていないが、今しがた吸収したフラスコの中の小人が潜った分の対価を代わりに支払う必要が出たのだ。何故ならその潜ったフラスコの中の小人はブラッドレイの中の人造人間(ホムンクルス)たる部分と融合し、本人となったに等しいのだから。

 故に一新する。

 故に成り代わる。

 

 ブラッドレイは憤怒(ラース)を通行料として明け渡し、代わりにフラスコの中の小人を取り戻す。

 扉が──閉じる。黒い手はブラッドレイから赤黒いモノを奪っていき、そして。

 閉じて。

 

 閉じた。

 

 結果は。

 

 

 

「……フン……人間が、大それたことを考えるからそうなるのだ。まったく……こんな、単なる人間の身体……これでどうワタシを抑えようと思ったのか」

 

 結果は……まぁ、70点、ってところか。

 少しでも意識が残ってることを期待したんだがな。完全に食われたか、これは。グリリンみたいに中に残っててくれるとありがたいんだが。

 

 さぁて、じゃあクロード君お得意の時間稼ぎの時間だ。稼ぎ時だからな。

 

「なんだ、クロード=ルイ・アントワーヌ・デクレスト・ド・サン=ジェルマン。まさかとは思うが、憤怒(ラース)の敵討ちでもする気かな?」

「あっはっは、お前、俺にそんな力熱あると思ってんの?」

「では何故準備運動などしている。というかオマエに準備運動など必要ないだろう。凝り固まる筋肉などないクセに」

「それはそう」

 

 日蝕が終わるまで、あと四分ちょいくらいか。

 会話でどーにかできたら楽なんだけど、ま、そうもいかないわな。

 

「……何を以て、ワタシの前に立ちふさがる。クロード=ルイ・アントワーヌ・デクレスト・ド・サン=ジェルマン」

「一々フルネームで呼ぶなよなげーから。んで、立ちふさがるだろ。お前今アメストリスに何しに行こうとしたよ」

「賢者の石を作りに」

「素直だなぁ。美徳として誇っていいぜ」

 

 まぁ、一人分の賢者の石というか、ブラッドレイ一人の命じゃコイツは我慢できないだろう。

 別に扉のムコウから来たコイツが数多の命を持っているわけでもなし。今は一応フラスコの中の小人も加算して二人分かね。

 

 魂はまだぐちゃぐちゃしててよくわからんが……お。

 

「──流石に、堪えるな……これは」

「む……」

 

 走り出したブラッドレイ、つーかフラスコの中の小人の持つ剣に手のひらグサァして、柄ごと握って剣を止める。

 

「よぉ、おはようさん。刺青の男(スカー)兄」

「イシュヴァールの……ふむ、クロード。何故このような男を守る? オマエに守られる価値があるようには見えないが」

 

 俺が散々言ってる、要否の要。

 希望。

 

「──成程、事情は把握した。一応断っておくが──私はイシュヴァールの民だ。殲滅戦の令を出したのがブラッドレイであることは忘れていないな?」

「勿論だ。嫌なら逃げな。お前以外の要に頼む」

「成程、君が事あるごとに言っていた要否とはこれか」

 

 俺がずっと言っていた要否。

 実はめちゃくちゃ簡単なんだ、その判定基準。

 

「生憎と、魂の錬金術は門外漢でね──コイツとブラッドレイを交換する錬成陣を頼むわ。俺より頭が良くて、魂の錬金術に携わったことのある奴、つまり、今この時の俺に必要な奴!」

 

 軍刀を緑礬で風化させて、組技を仕掛ける。

 コイツがブラッドレイの身体に慣れる前に封じておきたい。ぶっちゃけ俺じゃ本気ブラッドレイに勝てん。いや、今この場にいる奴が何人束になったところで勝てはしないだろう。憤怒(ラース)の付随物たる最強の眼は無いから、列車爆破ならワンチャン……いやコイツ身体能力マジでお化けだからなぁ。

 そんな体をフラスコの中の小人が手に入れたとあらば──まぁ、あとはお察しである。

 

 ブラッドレイがフラスコの中の小人を抑え込めていたら、アメストリスは滅びない。

 ブラッドレイがフラスコの中の小人を抑え込めなかったら、アメストリスの民は多分全部賢者の石にされる。今度こそ、徹底的に、すべての芽を摘まれた上で。

 

 な、半々の確率だろ。

 

 確率を一から調べ直してこいという意見は受け付けん!

 

「む……?」

「ち、」

 

 組技仕掛けようとしたら距離を離された。

 素人もいいところな動きなのに、身体能力差で追いつけん。なんじゃそりゃ。コイツ人間の、60歳の爺さんだぞ。

 

「おお?」

「最悪別にブラッドレイは死んでてもいいんだけどな──コイツを残しておくのが、めんどい!」

 

 時折感嘆詞と疑問符を混ぜながら……着実に、確実に動きが良くなっていくフラスコの中の小人。

 気付いたのだろう。

 

 めちゃくちゃ動きやすい体に。

 

 ゴキッ、と。

 今時ヤンキーの皆様方でもやんないようなテレフォンパンチで、首の骨を折られる。

 ダメージは当然ないけど、なんであんなの避けられなかった。なんで折られるに至る。

 

 やっぱりコイツの最強は最強の眼じゃなくて身体能力なんだって! 賢者の石に適合した最強の肉体の持ち主なんだって!

 

「これは……中々。ふむ、そういう路線もアリだったか」

「つーかお前、俺への代価まだ払ってないだろ! 寄越せよ!」

「そう言われてもな。オマエ達の企みのせいで、今持ち合わせがない。おお、そうだ。すぐそこで賢者の石を作ってくるから少し待っていろ、クロード」

「んな小銭作ってくるからみたいに──ッ」

 

 斬られた。軍刀持ってることに気付いたか。

 肋骨を真一文字にぶった切るとかいう意味の分からん攻撃で、身体が両断される。

 

 丁度いい。

 

「食らえ、テケテケ砲!」

 

 瞬時に腕を再生させての上半身投擲。撒き散らされる血は触れただけで緑礬を咲かせる。別にブラッドレイが死んでもあの身体が死んでもどうでもいいんだ。あー、他に流れ弾あったらスマンな!

 

「……」

「壁っ!? って、ああそうか、コイツ普通に錬金術も……」

 

 おいおい、転生チートキャラかよ。

 真理見てて、今は賢者の石ないから手合わせ錬成使って来たけど、それでいてブラッドレイの身体能力だと? これで賢者の石で寿命問題クリアしたら最悪だぞオイ。

 

「──こなくそ!」

「む……」

 

 疾走するフラスコの中の小人をスパイクが襲う。飛ぶようにして避けたフラスコの中の小人を追撃するように、その小剣をぶつけようと──はい割り込みキック!

 

「接近戦はダメだ、エドワード・エルリック。賢者の石にされるぞ!」

「……結局アンタらが戦ってんのかよ。ああもう、傲慢(プライド)の甘言に踊らされた自分が馬鹿みたいだ……」

「何を悔やんでるのかは知らんがありゃブラッドレイじゃなくてフラスコの中の小人だ。セントラルへ入られたら目に付く一般人全部賢者の石にされるぞ。その後アメストリス全土を賢者の石にして、キング・ブラッドレイの身体能力を持つ不老長寿のノーモーション錬金術師の完成だ」

「言ってることは半分以上わかんねぇが、要はあのオッサンぶちのめしゃいいってことだろ!?」

「お前がそんなに脳筋馬鹿だったとは思っていなかったが今はそれで十分だ!」

 

 エドワード・エルリック。なんか悩んでたっぽいけど、なんか吹っ切れたっぽい。

 んで、アイツの錬金術はとても良い。遠距離攻撃ができる上で想像力も豊か。造形系の錬金術が苦手ってことはそういうのができないってことなんだよ俺。実は錬金術師としてはかなり弱いんだよ俺。

 つーことで、俺は近接戦闘だ。

 命を吸われる心配が無いんだ、俺が前に出るべきだろう。

 

「エドワード・エルリック! 切れ味良い剣くれ!」

「ンなもん自分で作れよ! アンタだって錬金術師だろ!」

「つくれねーから言ってんだよ! あとでなんか払うから! あるいは怪我したら治してやるから!」

「──言ったな。重傷者が一人いるんだ、その人を治してもらう。だから、ほら、よ!」

 

 手を合わせて、バチバチと錬成反応が出て、地面から趣味の悪い意匠の施された剣が出てくる。いやこれ真面目に凄いんだよな。脳内に意匠と剣の形状、刀身の材質、その他諸々──全部を"理解"して、周囲の鉱物類を"分解"して剣に"再構築"している。

 一瞬で、だ。

 手合わせ錬成ができるから、とかじゃない。マジの天才なんだよ国家錬金術師って。バスク・グランとかジョリオ・コマンチもそう。あり得ん思考速度してんの。

 

「その等価交換、受け取った!」

 

 ロン家で習った武術に剣を使うものは存在しない。

 ただ、腕力による拳じゃあブラッドレイボディに傷一つ付けられないと思っての選択だ。剣ってのは振り回すだけでも力に──。

 

「顔が、斬れ……ッ!」

「ああいやそれは大丈夫治るから。だけど剣も斬られちまったわ。ああ、等価交換はちゃんとするから安心していい。が……これは困ったな」

 

 ここはセントラルの北、ノースシティの手前。

 人口の多い方としてセントラルに向かってくれたからいいものの、そろそろ俺の足も限界だ。疲労とかじゃなくて、単純に走力差がヤバい。

 

「だぁっ、遅ぇ! こっち乗ってけ!」

 

 ほら怒られた。

 お前も歩幅狭いんだから同じだろ、とかどうでもいいこと言おうとしたけど、そもそも自分に言った可能性もあるな、と思い直す。

 ぐい、と引っ張られてソレ……土でできた掌みたいなのに乗って追い縋らんとする。

 

「あの爺さんどうなってんだ……錬成速度より速く走れるとか……」

「もっと高さをくれ。つか、俺を上空に殴り飛ばしてくれ」

「──思いっきりでいいんだな!?」

「ああ、殺す勢いでやれ。死なねえから」

 

 瞬間、ぶん殴られる。

 真下から突き出た拳。それは俺をぶっ飛ばし──いや、はや。

 

 傷の男(スカー)のあの容赦ない武器扱いがここで役に立つとは。

 

「えー、天気予報天気予報。これは防いでも無駄だぜ──血の雨、ところによって緑礬の花畑!」

 

 広範囲に降り注ぐは血の雨。マージで殺す気で殴ってくれたのは感謝だな。手加減されてたら逆にこうも破裂できなかった。

 さぁ、これなら──。

 

「ふむ。中々いい考えだが、やはりオマエは錬金術への造詣が浅いな」

 

 ぶわっ、と。

 ──原作でもあった、衝撃波らしきもの。何をどーやって錬金してんのか欠片もわからんけど、それによって血液の雨は吹き飛ばされる。

 

 おーん。

 ……やばいな。

 

 俺は今、「ブラッドレイと共にフラスコの中の小人の秘中の秘を潰す」という口約束──等価交換ですらないもののために、こんな熱量を持ってコイツを止めようとしている。

 前も言った通り、別に良いんだ。アメストリスが無くなったって、大勢が死んだって。

 で、どーにも俺じゃ勝てそうにない。

 んで賢者の石を作れば俺への代価は返してくれるというじゃないか。

 

 だったら……よくないか、って。

 今急激に冷めてきている自分がいる。

 

 やばいな。

 このまま行くと、フツーに諦めるぞ、俺。

 

「一回失敗したくらいで諦めてんじゃねえよ!」

「……おお」

 

 落ちてくる俺を無理矢理キャッチして。

 今度は掌ではなく、なんか趣味の悪い龍みたいなものに乗ってフラスコの中の小人へ追い縋るエドワード・エルリック。

 よくわかったな。俺が諦めかけてるって。

 

「だぁあ、熱量がどうのって言われてたけど、マジで何にもねえのかよ! なんかないのか、アンタが本気になれるもの! いねえのかよ、アメストリスに──友人とか、仲間とか、大切な奴とか家族とか!」

「いねーなー」

「答えんの早っ!? あー、じゃあ思い出の場所とか」

「ねーなー」

「あぁもうメンドクセェ! アンタの友人は大総統だろ! 誰がどう見てもそうだっただろうが! そいつが乗っ取られてて、なんとも思わねえのかよ!」

 

 ……あー、マブダチって奴?

 いやまぁ、言いはしたけど。

 友人ねぇ。別に、いつ死んでもおかしくなかったし。俺は死なねえから、いつかは必ず離別が来るし。それが早まったってだけだしなぁ。

 

 日蝕が終わるまであと二分半くらいか。

 

 ──その時、フラスコの中の小人の眼前で、爆炎が上がる。

 流石にか。流石に、と言った風に走るのを止め、振り向く小人。その膝に直撃しかけた銃弾を避けて……って、アイツほんとに最強の眼ないんだよな?

 

「大佐!」

「鋼の! クロード医師! 事情は聴いている──あれだけの大言壮語を吐いておいて、エンヴィーを倒せなかったからな! この辺りで活躍させてもらおう!」

「吾輩もいますぞ──そしてクロード医師! 代価は支払いますので、吾輩の勝手で! 姉上を治していただきたく!」

 

 その後にも、続く続く。

 人造人間(ホムンクルス)退治に集まっていた面々で、怪我が酷くない者が。あるいは酷くとも──アメストリスを守らんとする者が。一般兵までいるよ。

 どうかしてるだろ、流石に。無理無理。アレは。

 

「エドワード。そいつ、こっちに寄越せ。アルフォンスはそっちに」

「うん! 兄さん、行くよ!」

「お、おう。投げりゃ……いいのか?」

「取りこぼしても別にそいつは死なないからな……投げろ、エドワード」

 

 投げ渡される。 

 まぁ、そうだな。俺という荷物背負ってるより、エルリック兄弟で行った方がまだ勝率は高いだろう。

 

 で。

 

「なんだよホーエンハイム。怖い顔してんじゃん」

「嘘を吐いたな」

「嘘?」

「"傘が必要だ"と言っただろう、お前」

「必要だっただろう?」

「……だが、お前は地中の陣にも気付いていた」

「リソースの問題だよ。人柱足り得る錬金術師は五人しかいないんだ。地中もカバーするなら八人は欲しい。それともなんだ、あと三人に扉を開けてもらう、という提案をしていたか」

「……」

 

 怒りを向けてくるなら嫌味で返すよ。敵意を向けてくるなら皮肉で返すよ。

 等価交換だろう。

 

「──アレが、フラスコの中の小人なんだな?」

「そうだな。中にまだブラッドレイがいるが」

「……降り注ぐフラスコの中の小人を吸収してくれたのは、彼なんだよな」

「してくれた、っつーのはおかしな話だが、まぁそうだな。アイツにはアイツの打算があったから」

「十分だ」

 

 ホーエンハイムは──体内の賢者の石を用いて、錬成を行う。

 それは原作でプライドを閉じ込める時に使ったものに似た、地盤をひっくり返して壁とする巨大錬成。

 

「あの()は俺達を、俺の子供を助けてくれた。等価交換なら──あの人を助ける理由になる。俺の何を使ってでも」

 

 言って、ホーエンハイムは降りていく。

 俺を岩の錬成物にのっけたまま。

 

 ……日蝕が終わるまで、あと一分。

 

 何を、そんな熱くなっているんだ。

 

 あーあー、ヤオ家も来てら。あそこにいるのはデビルズネストか? そんで一般兵と……わかってんのかね、アイツ命を直接賢者の石にするような錬金術使うんだぞ。多少のタイムラグはあるが、不老不死でもねーのが近づいたら即死に等しいってのに。

 なにやってんだか。

 

 

「──まぁ、おかしな話ではあったのでしょう。ですが、思い出していただけると助かりますね。お父さんが君に与えすぎたこと。お父さんは壊れてしまえばいい、などといいましたし、君は別に真理の天秤を司る者でもないですが──それでも君が、等価交換を謳うなら」

「……」

 

 

 そこに、いたのは。

 頭になんか丸いのがついた、少しばかり幼い──。

 

「なんだよ。そんなに好きか、アイツのこと」

「いえ。ただ、彼がいなくなったと知ったら、母上が悲しむので」

 

 らしい。

 あっはっは、そりゃいい理由だ。

 

 等価交換も満たしている。何より俺は、そういう願いにゃ弱いんだ。

 

 

 それに、なんか勘違いされまくってるけど。

 

 別に俺は、アイツを倒すの諦めただけで──他は諦めてないぜ?

 

 

 ──日蝕が終わるまで、あと30秒。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 帰り待つ家族

※なお最終話ではない。


 ──"キング・ブラッドレイの身体を乗っ取ったフラスコの中の小人──つまり人造人間(ホムンクルス)の親玉がセントラルへ向かっている。目的は恐らく賢者の石の作成。このままいけば奴は元の力を取り戻し、次こそアメストリスは敵の手に落ちるだろう"。

 

 これが、黒い水──フラスコの中の小人が落ちてきたことで気を失っていた人々に説明された現状だった。刺青の男(スカー)。一度は、あるいは今も国家の敵であり、テロリストたるその男から零れる説明を、けれど誰も疑うことなく聞いて、信じて。

 

「……理解ができない、という顔だな」

「いエ、そこまでハ……ただどうしてでしょうカ、という疑念だけでス」

「それが、私にもわからないんだ。……復讐者になると決めた時。この国の安全を、無辜の民をも脅かすテロリストになると皆で決意した時、私の中には確かに復讐の炎があった」

 

 走り出した皆を送って、刺青の男(スカー)は図面を引いていく。

 その隣にいるのはメイ・チャンだ。重傷者の止血、応急手当を続けていて、彼女はフラスコの中の小人を追っていなかった。

 

「結局それは……ヴァルネラ、いやクロードと取引をしても、ブリッグズと同盟を組んでも変わらなかった。国家錬金術師。そしてキング・ブラッドレイ。私達はあれらを倒さねば、殺さねば──もう、人間には戻れないと。修羅の心持ちでいた。いた、はずだった」

「でモ今……いいエ、前に皆さんガ集まった時かラ、あなたのやっているコトは──まるデ、救世主を思わせまス。何よりあのブシュダイレンに頼られている事が……私達シンの人間にハ、考えられないことでス」

「……世界を救う、か」

 

 復讐者だ。だが、あの時──敵に利用され、操り人形となった紅蓮と、そして人造人間(ホムンクルス)によって同胞の全てを、唯一の肉親を失った時、彼の中に湧いた感情は「怒り」でも「憎しみ」でもなかった。

 だからといって「虚無」ではなく、「悲しみ」でもなく。

 ただ、「別の道があったのではないか」という──己を立ち返るような悔恨。復讐に身を焦がした時点で、死は決定づけられたものだった。ただ恩には恩を返すイシュヴァラの教義から、ひと時だけの休戦を……同一の敵を倒す、という話に乗って、その流れのままここまで来て。

 

 テロリストを育てるために逃がしたわけじゃない、と彼に言われた時、動揺してしまった自分がいた。いや、同胞達もそうだっただろう。

 だから、清算のつもりもあったのだ。今己らがしていることは。ブリッグズ兵と同盟を組み、仇敵と顔を合わせてまで人造人間(ホムンクルス)などというものを殺さんとするこの行為は、逃がされたことへの恩返しとしての、埋め合わせのつもりだった。

 そう頼まれたし、それを了承したのは勿論のこととして──だから。

 

「命を救われた対価は、命を救うことになるだろう。……けれど彼の命が救えない──救うに至り得ないものであるのならば」

 

 刺青の男(スカー)は自らの両腕を見る。

 施した錬成陣は、かつて自身が提起した「正の流れ」と「負の流れ」を汲んだもの。

 

「彼の友を救うことが、代価になるのだろう。……たとえその友が、憎むべき仇敵だとしても──憎しみより、恩の方が大きいと、自らが思いたいのであれば」

「……シンでは、あらゆるものに流れを見出しまス。大地の流れは龍脈とシ、生命の流れ、意識の流れ、人々の流れ、時代の流れ……すべてのものには流れがあリ、私達はその流れに流されていルだけだと」

「運命のようなもの、かな」

「はイ。そしテそれは、その場に留まって渦を作ルことはあってモ、遡ルことはありまセン。貴方が恩を覚エ、恩を返スという流レの中にいるのであれバ──」

 

 まだ、年端も行かない少女が。

 

「憎しみは留まル理由になれド、前に進まない理由にはならないかト」

「……やはり私も、書物だけでなく、本場で錬丹術を習うべきだな。この国の錬金術も、シンの錬丹術も……齧った程度ですべてを知った気になるのは、あまりに早すぎた」

刺青の男(スカー)サンの理解度は十分だと思いますけド……」

 

 いや、と言って。

 刺青の男(スカー)は一枚の紙を──アメストリス式錬成陣でも、シン式錬丹陣でも、クセルクセス式源流錬成陣でもない、奇妙な形の錬成陣の描かれた紙をメイに渡す。

 

「これハ?」

「私が復讐の全てを成し遂げ、死のうと思っていた時の……自決に使おうとしていた錬成陣だ」

「……」

「私たちはもう、イシュヴァラの(かいな)に抱かれることはできない。ならばせめて、肉体から魂を分離させ、地へ還らんと……そのままそれを死としようとした。今彼に必要なものは、これだろう」

「何故私に渡すのでスか?」

「君なら道をつけられる。今立ち上がったアレに、これをそのまま拡大することはできるか?」

「ならば、射出機を作る必要がありまス。私の肩ではあそこまデ──」

「もう、出来ている」

 

 用意が良い、なんてステージにない。

 すべてが準備万端なのだ。ただ唯一、彼にはまだ錬丹術の真髄──遠隔錬成ができない、というだけで。

 

「──問題ありませン。ですガ、発動させることは無理でス。この陣は、流れを汲んでいませんカラ」

「刻み付けるだけでいい。あとは彼がやるだろう。私が頼まれたのは錬成陣の作成であって、発動ではないからな」

「わかりましタ」

 

 世界がどちらに傾くか、など。

 刺青の男(スカー)はもう、興味が無い。かつてそれのために義憤を燃やし、国土錬成陣を利用した国土錬成陣を考えたこともあったが──それさえもどうでもいい。

 誰もいなくならない世界はもう作れないのだから。

 

「なんせ、正と負が──それを同時に内包することが、矛盾ではないと。そう体現する者がいるんだ。私だって、少しくらい矛盾しても──それは"人間"の内だろう」

 

 背を預ける。

 少しだけ休んで、また立ち上がればいい。

 さて──。

 

 

 

 

 

 ところで、錬金術の記号的には、太陽は魂を、月は精神を、そして石──即ち地球は肉体を表す。

 原作においてフラスコの中の小人は地球を一つの生命体として見て、その扉を開いていたけれど。

 

 この太陽と月、地球の関係を一つの生命体としてみることだって可能なわけだ。

 ……だからと言って、俺は扉を開けない。俺に人体錬成はできない。ただ魂に干渉できるだけの不老不死だ。あ、今のたとえがあるからって太陽に干渉できるわけじゃないぞ。そんなことできたら俺はとっくにソーラーレイ撃ってる。

 

 んでまぁ、俺が時間稼ぎをしていたのは、日蝕が終わるのを待つため。

 困るんだわな。

 

 月にいられると。

 

 激戦繰り広げてる皆々様方の前にヒーロー着地で飛び降りる。

 ホーエンハイムが作り出した土壁なんぞ、フラスコの中の小人には大して意味の無いもの。今奴の足を止めているのはロイ・マスタングの炎とエルリック兄弟の猛攻だ。あとの有象無象は知らん。意味があるのかないのか、銃弾なんか一発も通らないだろうに。

 

「あぁ!? 何しに来たんだよ今更!」

「──誰と、何を交換した。クロード」

 

 あらら、ホーエンハイムとエドワード・エルリックには随分と嫌われたなぁ。アルフォンス・エルリックは……あんまりこっちに構う余裕が無さそうだ。

 

「何をしに来た、クロード。ワタシは今そこそこ気が立っているぞ?」

「お話をしに来たんだよフラスコの中の小人」

「オマエと話した内容が益になった覚えが一度もないのだがな」

「そりゃお互い様だよ。そんで」

 

 一息。

 最強の眼があったころならまだしも、今のコイツは単なる超絶すんごいスーパー肉体を持った爺さんだ。シンの武術──というか大体の武術にあるだろう瞬きの瞬間に距離を詰める技術こと縮地は有効。

 

 肉迫し──ぶっ飛ばされる。

 まーた衝撃波だ。ホント何なんだよソレ。

 

「それで、なんだというのかね?」

「こう考えたことはないか。太陽が魂で月が精神、惑星が肉体を表すとしたときの話だ」

「今更、しかもワタシに向かって錬金術の講義かね? "時と場合を考える"、という言葉を知らぬらしい」

「釈迦がいねぇから説法できねーんだわ。まぁなんだ。肉体は作れる。肉人形なんざいくらでも作れる。精神は描ける。魂の定着錬成陣がそうだ。唯一作れないものが魂で、魂を作ることを人体錬成と呼ぶ」

「時間稼ぎか。くだらんな」

「じゃあ問題だ、フラスコの中の小人。お前、俺の血を使って再誕しただろう。──さて俺という存在は、魂と精神、精神と肉体──どちらの方の結びつきが強かっただろうか」

 

 ザンっと。

 ホーエンハイムが立ち上げた土の壁に、巨大な錬成陣が刻み付けられる。これは……メイ・チャンの遠隔錬成で、錬成陣を描画したのか。錬成陣の発動自体には至らないが、なるほどこういうことも。

 

「シンキングタイムはやらん。正解は魂と精神の方だ。肉体はおまけに過ぎない。──俺の血で再誕するってことは、俺の構築式を受け継ぐことに等しい」

「それが……どうした。既にワタシはカミで己を上書きしている。オマエの干渉など」

 

 ぐわん、と。

 何かがフラスコの中の小人を引っ張る。

 

「……?」

「不思議か? 不思議だろう。別に俺が干渉してるわけじゃねーからな。じゃあ何が干渉していると思う?」

 

 散々言ってる構築式とは何のことか。

 錬金術師ならすぐに答えられるだろう。構築式とは錬成陣のことだ、と。円に描く錬成陣。円をファクターにして発動する構築式。なれば血液という名の神の構築式も俺の構築式も、ある種の錬成陣であると言えるだろう。本来は逆なんだがそういうことにしておいたほうがおさまりが良い。

 どちらも血液が構築式である理由は簡単だ。これも前に述べたことだけど、不老不死と神は等号で結び得るから。どちらの意味でとるのも術者次第。まーだからっつって俺は神様でもなんでもないんだけどね。

 

「あっはっは、俺の血を使って再誕する──中々いい発想だが、やっぱりお前は不老不死に対しての造詣が浅いなァ!」

 

 踏ん張ったって無駄だ。

 月という名の精神が太陽()地球(肉体)の最短距離上から外れた今──最も結びつきの強い精神を太陽()は求める。

 

「お──オ、オ!?」

「ま、お前がセントラルで魂集めてたらちょっと危なかったんだよな。太陽()はお前を自らの精神と認めない可能性があった。他人のモンにまで手ェ出すほどがめつくないんだよ太陽ってのは」

 

 浮き上がる。

 フラスコの中の小人が、ブラッドレイの身体が。

 

「何故だ──オマエは、ワタシと同じはずだろう!? 何故お前は呼ばれない! 何故ワタシばかりが」

「おいおい、借り物の血でよく同じなんて言えるなぁ。俺の魂も俺の血も、俺のモンだよ。──カミでもなんでもないお前が御せるモンじゃねーのさ」

 

 だからまぁ。

 俺の血を取り込む、とか宣ってた時点で、ある程度の予見はしていた。不老不死は神の代替品になり得るんだ。そんなジョーカー、二つとあっちゃあいけない記号なのさ。

 

 太陽()が、フラスコの中の小人の中の血(精神)を──引っ張り上げる。

 この(肉体)よりも、結びつきが強いから。

 

「ホーエンハイム。アレ、発動できるか?」

「ああ。だが彼の身体は」

「しゃーなし、俺が抑えとくよ。頼んだぜ、俺に自由を与えた錬金術師」

「感謝の念なんて欠片もないくせに、こういうときだけ都合のいい……」

 

 ホーエンハイムが、メイ・チャンの刻んだ錬成陣を発動させる。

 魂の操作──正直ほとんど意味わからんが、刺青の男(スカー)兄が作り出したものならば信頼できる。そのための要否だし。

 

 んで俺の仕事は、ブラッドレイの身体を押さえておくこと。フラスコの中の小人にかかる引力で連れてかれかねんからな。流石にブラッドレイのスーパー超絶ミラクルチート超絶ウルトラ超絶ボディといえど、太陽に灼かれたら死ぬだろうし。

 

「よっと……おん?」

 

 浮き上がりつつあった彼の足を掴んで。

 

 ふわーっと……浮いていく身体。

 あ、そっか。俺子供だから全然無理だわ、押さえておくとか。

 

「何やってんだテメェ! アル、手ぇ貸してくれ!」

「うん……やっぱりすごいね。父さんと一緒で、手がかかる……!」

「おうクセルクセス人はみんな空気が読めなくてノープランで手がかかることにしたなアルフォンス・エルリック。正解だ!」

 

 クセルクセス王とかそうだったし。

 看守とか、見張り番とか。大体そうだったし。

 

「っ……おい、大佐! 少佐! 引っ張るの手伝ってくれ! アルとオレの重さでも──持ってかれる!」

「まぁ鋼のの重さは何の足しにもならんだろうからな。いやしかし、"大総統を引きずり落とす"という野望を抱いたことが幾度となくあったが、まさか物理的に引き摺り落とす日が来るとは」

「アームストロング家に伝わりしこの筋肉! まさに今こそ、この時こそ見せ所!!」

 

 そうして──出来上がるのは、大綱引き大会である。尾がいっぱいある獣を引っ張り出すアレかな?

 

 しかし、マズいことが一つ。

 俺さー、不老不死なんだけど、別に肉体の耐久力が高いわけじゃないんだよね。

 

 もう手首がギチギチ音を立てているし、肘の関節は外れている。ああ今肩も逝った。

 皮膚が裂ける。子供だからネー。こんな力に耐え得る設計ではないのネー。

 

「まだか、ホーエンハイム! そろそろ真面目にヤバいぞ! 割とマジで俺の身体が千切れる!」

「邪魔をするな、ホーエンハイム! 体さえ、身体さえあれば、たとえ宇宙空間に放り出されてもやり直せる──どうとでもなる!」

 

 マジで?

 それは想定外。ああでもそうか、別にコイツ自身は呼吸してるわけじゃないから、ブラッドレイの身体が生命活動を止めても関係ないのか。

 

 じゃあやっべ。

 真面目にやんないと、アレか。数百年後、数千年後とかに大宇宙錬金艦隊とか率いてこの星に来ることもあり得る感じか。

 それはそれで面白そうだが。

 ……別にそれでいいんじゃないか? どの道向こう数百年は帰ってこないだろ。その頃には要否の要たる奴らは全員死んでるだろうし、まぁ新しい要を見つけていても……いずれまた人間は現れるだろう。宇宙から飛来するコイツを迎撃する力熱(ねつ)は俺にゃない。

 

 ああ、けれど。

 ふと……必死の形相で俺を引っ張るエルリック兄弟を見た。

 

「エドワード・エルリック」

「ン……だ、よっ!」

「お前さぁ、これからどうするわけ? 肉体を取り戻すために旅してんじゃなかったの?」

「は──はぁ? こんな時に何言って」

「今さぁ、こんな大立ち回りして。でも得られるものなんか何もないだろ。ブラッドレイを引き戻して何になる。元敵だぞコイツ。寝返ったからお前ら側にいるだけで。ついでに言うともうすぐ死ぬ。寿命だな。──何をそんなに必死になって助けようとしてるんだ。エドワード・エルリック。アルフォンス・エルリックも」

 

 ビキッと。

 何かが──ブチ切れた音が聞こえた。手を合わせる音。

 エドワード・エルリックは自らの機械鎧を、そしてアルフォンス・エルリックも腕部の鎧に錬金術を発動させ──鎖とワイヤーを作る。

 そんでそれを、俺とブラッドレイに巻き付けた。

 

「さっきから聞いてりゃ──何が要否だ! 何が得られるモンだ! こちとら人間、そんな単純な損得勘定で動いちゃいねえんだよ!!」

「僕たちを助けようとしてくれた人を助けたいと思う。それがそんなに変ですか、クロードさん」

「オレ達の身体はいつかぜってぇ取り戻す! お前の助けは要らねえ! オレ達でなんとかする! だが、その前に!! ──オレはオレのやりてぇことをやる! 人助けなんかのために身を粉にするつもりはねぇ、ただ! 目の前で死なれると寝覚めが悪ぃから助ける! 人造人間(ホムンクルス)とか敵とか騙してたとかンなこた知ったこっちゃねえんだよ!」

 

 ふむ。

 ……体内に残った緑礬はあとわずか。生体錬成陣も流石にこの状況じゃ描けない。再生能力は再生する能力であって、筋力を強化したり耐久性能を上げる能力じゃない。

 どれほど熱を入れたって、どれほど怒られたって……無理なモンは無理だ。俺の身体はもう保たない。

 

 ──"君が等価交換を謳うのなら"

 

「そうだな。──ソイツは、いい考えだ。エドワード・エルリック」

 

 ブチッと。

 千切る。パージする。

 足を。

 

「は」

「え──?」

 

 そこから溢れ出た血が鎖やワイヤーを風化させ、それも千切って。

 

 一気に加速したブラッドレイの身体をよじ登って──顔のあたりに来る。

 

「よぉ、フラスコの中の小人」

「──諦めたか、不老不死!」

「いや? これもまた面白いって思っただけだよ」

 

 原作で、フラスコの中の小人に取り込まれて、ボロ炭へと硬化……というか炭化しようとしたグリード。

 あれを思い出す、ブラッドレイの口から出かかっているフラスコの中の小人を、むんず、と掴む。

 

「おい老眼。顎まで閉じれなくなったとか言わねえよな」

「──」

「ああそうかい。ま、老人の誤嚥はよくあることさなー。ゼリーでも詰まらせるんだ、こんな餅みてーなのはフツーに詰まるだろ」

 

 掴んで──引きずり出す。

 あっはっは、人格が顔という形で集中してるとか、直感的でいいな。

 

 ごぼっと吐き出される黒い水。ようやくホーエンハイムの、というか刺青の男(スカー)兄の錬金術が効いたらしい。効きが遅かったのは遠隔錬成だったこととホーエンハイムが自分で描いた錬成陣じゃないこと、そんでもってブラッドレイの身体能力故かね?

 けどなぁブラッドレイ。身体能力がやべーっつったって、老齢で無理にがぶ飲みなんかするからそんなことになるんだ。妻も、息子もいる身。帰りを待ってる奴がいんだから──身体は大事にしろ、っつってな。

 

「まさか、キサマ──ワタシを道連れにする気か!?」

「俺が、とは心外だなフラスコの中の小人。お前が俺を道連れにするんだよ。だが残念、俺は死なないんでね。太陽の寿命が来るまであの火の玉で過ごすのもアリだろう。お前が消滅しても、流石に太陽の引力からは抜け出せんだろうし」

 

 適当な距離でリリースできたらよかったんだけど、コイツ今巨大だからな。

 ワンチャン他の星に手をかけて、そっから戻ってくる可能性もある。だから、最期まで見届けてやんないと。

 

「生まれた所に帰る前に、生命の原初、太陽へと還ろうじゃあないか、フラスコの中の小人。水先案内人は任せろよ、慣れてるんだ、こういうの」

「やめろ──待て、離せ、待て! そ──そうだ、代価だ、オマエの名前の代価を渡しておらん! だから」

 

 ああそりゃ、勿論もらうけど。

 

「いいよ、後で。──ツケでもいいことで有名な等価交換屋さんだからな、俺は」

 

 

 

 立ち昇る。

 真っ黒な線が一本、太陽へと向かう。

 落ちてきた大総統の体は皆に受け止められ──太陽へ落ちていく二つは誰も彼もに見送られ。

 

 そうして。

 

 

 そうして──。

 

 

* * *

 

 

 扉があった。

 無地の扉。本来であればその者の生命図が描かれているはずの扉は、全くの無。

 そこにある扉は、ただの扉だった。

 

「なぜだ……」

 

 焼き尽くされた。

 あれほど眩しいものに。あれほど熱いものに。否、蒸発した、が正しいのだろう。

 痛みも熱さも感じる瞬間などなかった。それほどのものだったのだ。

 

「なぜ邪魔をする……おまえは何者なのだ……お前はなんなのだ、クロード!!」

「だぁから最初から言っているだろう。不老不死だよ」

「──!」

 

 いた。

 いないはずの存在が、いた。

 

 隣には、己に似た、輪郭の無いナニカ。

 

「なぜだ……なぜ私を阻む。不老不死であれど、神の代替品であれど……お前がそうも動き、私を止める理由にはならないはずだ。だというのに、なぜ!」

「おまえが棄てたからだ」

 

 ソレが答える。

 

「自ら生みだしたものを、棄てたからだ。感情を棄てるなどと嘯いて、作り上げた感情を持つモノを棄てた。そしてあろうことか、おまえは新たな存在になるために作り上げたモノたちを働かせた」

「何がおかしい! 私が作ったモノだ。私が作り上げたモノだ! 私のために働かせるのは当然だろう! それが道具というものだ!」

「ああ、そうだ。働かせることに不当はない。だが、棄てたのがいけなかった。所有するということは、責任を持つということだ。作り出すということは、作り出した責を担うということだ」

 

 だが、と。

 続けたのはソレではなく──クロード。

 

「だが、お前はそれを棄てたな。不法投棄って奴だよ。ははは、そんなことすりゃ当然罰せられるさ。が、まだその辺の法整備が整ってなくてな──だから、等価交換で手打ちとする」

 

 棄てたことに対する等価は。

 棄てられることだ。

 

「あの時、おまえは言ったなぁ。俺の名を聞いた時──"新たな世界に連れて行ってやる"と、お前は言った。正直足りないさ。だって俺は違う世界から来たんだから、二番煎じもいい所だ」

「……異なる歴史における、サン=ジェルマン伯爵をメインにした複合存在。それがお前だ、クロード。錬金術師であり、そして不老不死であり──あまりに近代であるためか神話における不死殺しの類にも遭遇しなかった怪人。お前は此方に呼び出される前より既に不老不死で、此方に呼び出された時、粉々にされて尚死ななかったのはそれが理由だ」

「おん。だーいぶ現代っ子に染まった自覚はあるぜ。自信もな」

「話が逸れ過ぎだ、クロード」

 

 だから、と。

 無理矢理に話を戻して、クロードは言う。

 

「取り立てに来た。だが、別の世界に連れて行けるほどの力がお前には無い。故」

 

 開く。

 ギィ、と。音を立てて─己の背にあった扉が開く。

 だが──あの黒い手は来ない。

 代わりに、押し出すような力が己の背を押す。

 

「こちらの世界に来てもらう。不思議だっただろう? 扉を開けたわけでもないのに、何故ここにいるのか。死んだのならここには来ないはずだからな。太陽に焼かれて死んだのなら、眠りという安寧を掴めたかもしれないが──そりゃ踏み倒しもいい所だ」

 

 だからお前には、新たな世界に来てもらう。

 この世界はお前を棄てたんだよ、フラスコの中の小人。

 

「待て──待て、おまえは、お前は何者だ! 不老不死だからなんだ! ここへ来る前から不老不死だから、だからなんだ! 何故お前はそちら側にいる! 真理の天秤のそばに立ち、まるで裁定者かのように──何様のつもりだ!」

「俺は鏡だよ。脆く壊れやすい鏡──ちなみにコイツはお前ね」

 

 その適当な紹介に、ソレは溜息を吐く。

 

「善意には善意を。誠意には誠意を。悪意には悪意を。害意には害意を。等価交換を謳いながら、コレのやっていることは反射と同じだ。錬金術における等価交換とは元の物質を別の物質に変換する際に等価でなければならない法則を指す」

「わたしは悪意など向けていない! 害意など欠片も持っていなかった! なのに」

「持っていただろう。利用してやろうという心。それが悪意でなくてなんだというのだ」

 

 良いものを見つけたと。

 組み込んでやろうと。計画に巻き込んでやろうと。

 

 十分だった。

 

「今からお前に、悪意を返そう。──じゃあな、フラスコの中の小人。意識だけの存在となり、未来永劫、何もない空間で過ごすといい──これが、新しい世界だ」

 

 飲み込まれる。

 どこかに。扉ではないどこかに。

 

 不老不死の、虚無の中に。

 

 声も言葉も、残せずに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 降り臨む真人

次回、最終話。


 ロイ・マスタングがアメストリスの大総統になった。

 功績は言わずもがな、その甘いフェイスとキザな態度は少しばかりの反感を買いつつも国民の多くに受け入れられ、多くの人々から祝われることとなる。

 前大総統の40歳での就任をさらに上回っての30歳就任。これに対し出るかと思われたお偉方の反対意見は、──彼らが消滅していたので出なかった、なんてことは国民に知らせることもできないため、ロイ・マスタングの根回しがあまりにも上手すぎた、という結果に落ち着いた。

 

 此度の戦いでは戦死者が多く出た上、ゾンビ騒動や黒膜などが重なって国民の不安が膨れに膨れてしまっている。マスタング政権においてはこれをどう対処するかが目下の課題となるだろう。また、黒膜の異常事態を見てか隣国の動きも激しく、ロイの目指す国造りに手を出すには少しばかりの時間を要するだろう。

 フラスコの中の小人との戦いが終わっても、変わらず世界には血が流れるのだと。

 けれど、それを少しでも減らさんと動く者たちがいて、手を取り合おうとする者がいるのも事実で。

 

 クーデターなどの暴力的手段でなく、円満な引継ぎのもと行われた政権交代は、果たしてアメストリスに何を齎すのか──。

 

 

「というわけで、マスタングさん……マスタング大総統は来られないらしい。仕事が山積みすぎるからな」「うへぇ、大佐を大総統って呼ばなきゃいけないのが本当に……むず痒い」

「おう、代わりに俺が大佐になったからな。これからはロイを呼ぶみてーに俺の事大佐って呼んでくれていいぜ」

 

 そこに、一団はいた。

 一団──戦力的に見れば一個師団を名乗れるレベルの人数と能力を持つ彼らは、ある錬金術師らの護衛である。

 

 ある錬金術師。

 というのはまぁ、ヴァン・ホーエンハイムとエルリック兄弟、そして刺青の男(スカー)、さらにはメイ・チャンであるのだが。

 

 ここはイーストシティ、東方司令部。

 別にマース・ヒューズが左遷になった、とかではなく、ここでしかできないことをするために彼らはここにいる。単純に東方司令部に開けられたロイ・マスタング用の部屋がまだ借用状態のままだったから、この部屋を使用、及び練兵場を貸し切るという暴挙……もとい職権乱用にでたわけだ。

 

「ムムム……」

「どうした? 何かわからないところがあるか?」

「あ……はイ。いえ、シンではあらゆるものに流れを見出スと説明したのハ私なのですガ……私たちの星から太陽まで直線で流れヲ抽出する、というのが難しク……」

「ああ、それならアイツの使っていた方法を使えばいい……太陽を魂とし、月を精神とし、惑星を肉体とする奴だ……あれなら、既存の法則で代用できる」

「おいホー……クソ親父! 確認するが、アイツは生きてんだよな?」

「何度目の確認だエドワード……。そうだよ、アイツは生きてる。太陽で蒸発と再生を繰り返しながら、適当に怠けているはずだ。──だから、引っ張り出せる」

 

 そう。

 ここに集まった者達は、彼を──クロードを取り戻すために錬金術を編んでいるのだ。

 アメストリス式錬金術、シン式錬丹術、クセルクセス式源流錬金術。それぞれのスペシャリストに加え、アレンジの天才刺青の男(スカー)

 恐らく、こと知識において右に出る者のいない者達が考えるのは、クロード召喚の錬成陣……ではなく。

 

「アイツは今、単純に太陽の引力に引っ張られて出てこられないだけだ。それさえどうにかすれば、アイツはどうにかして地球に帰ってくるだろう。……まぁ他の惑星の引力に捕まった場合はもうどうしようもないが」

「だから、引力をどうにかする、というよりは魚を釣るように彼に糸をつけて引っ張る感じにするべきだろうな。その間様々な障害があるだろうが、彼ならば問題ない」

「けド、それだと莫大なるエネルギーが必要でス。正直言っテ……その、たとえホーエンハイムさんの賢者の石を使ったとシテも、賄いきれない規模ノ」

「太陽の引力に勝つ、とか土台が無理だからなぁ」

「ちょっと兄さん、それをどうにかするために僕たちここにいるんだよ?」

「……わーってるわーってる」

 

 太陽の引力に勝つ。

 それが無理な事くらい、ここにいる誰もがわかっている。もし簡単なことなら、クロードとて自ら帰ってきているだろう。まあ別にいいか、となってゴロゴロしている可能性は大いにあるが。

 

 そして──協力者はもう一人。

 

「……」

師匠(せんせい)……あんまり根詰めると体に障りますよ」

「……いや、別に……あぁ、まぁ、そうだね。少し……落ち着くことにする」

 

 イズミ・カーティス。

 彼女もまたクロードを呼び戻そうとしている一人だった。

 

 その理由は──シグ・カーティスにある。

 

「……多分、私だけなんだろうね。こんな不純な動機で……アイツを呼び戻そうとしてんのは」

「あ、私はブシュダイレンをシンに連れ帰るために手伝っていまス」

「おいチャン家の! 聞こえてるぞ! ブシュダイレンを連れ帰るのはオレ達ダ!」

「でもあなた達ヤオ家は今無能じゃないでスか」

「むのっ……!?」

 

 シグ・カーティスの意識は、未だに戻っていない。

 意識不明の重体だ。彼を治してもらうための代価は、エドワードが払った。それを成立させるために彼女は知恵を回している。

 クロードを助けるためだとか、立役者だからとか、そういう理由ではない。

 

 まだ内臓(ナカミ)の代価も支払っていないというのに、弟子に代価を支払わせて、夫を治療してもらおう、などと……なんて考えるたび、思考がずんずんと負へ落ちて行く。

 

 そして。

 

「どうしたんですか? 錬金術師さん」

「……いや、なんでもないよ」

 

 セリム・ブラッドレイ。

 そう、ブラッドレイ親子もこの場にいるのだ。

 

 直接全てを聞いたわけではない。

 ただエドワードが、「セリムは……。……い、いや、なんでもないです……」なんて態度を取るものだから、察してしまっただけだ。

 

 この、目の前でにこにこしているだけの少年が。

 "そう"であることを。

 

 ──人々の確執は、まだ抜けきっていない。

 それは誰もがそうだ。刺青の男(スカー)もブラッドレイにはまだ思うところがあり、ロイや生き残った国家錬金術師らにも憎しみに似た感情がある。

 アルフォンス・エルリックもまだ体を取り戻していないし、エルリック兄弟とヴァン・ホーエンハイムとの関係も完全に改善されたとはいえない。ロイ・マスタングの悔やみも、アレックス・ルイ・アームストロングの姉に対する畏敬も。

 

 すべてがすべて平和で大団円なハッピーエンド、ではないのだ。

 

 その中で、果たして。

 彼を呼び出すことが……少しでも「正の流れ」へと繋がると、この場にいる誰もが信じている。

 

「心配するな、錬金術師」

「……ブラッドレイ、前大総統」

「アイツは約束を守る。たとえどれほど遅くなってもな。あれほど等価交換を謳っておいて、自身は未払いに終わることはない。そして──取り立ても同じだ。あとで取りに来ると言ったのだろう? ならば必ず来るぞ。拒否しても、な」

「あなたにそう念押されると、なんだかそうである気がしてきますね」

 

 無理矢理に笑うイズミ。

 その顔に、セリムは。

 

 

 

 さて、夜である。

 まだ錬成陣は完成していない。基礎は出来上がったが、肝心の中身が曖昧だ。何よりどうやってクロードを掴むのか、という問題が出てきて、そちらに集中してしまったのが大きいだろう。

 

 睡眠の必要が無いホーエンハイムだけが残って作業するそこに、一人、現れる者があった。

 

「……どうした。眠れないのか」

「眠りませんよ、私は。元から。今までは母上と共に眠ったふりをしていましたが」

 

 セリム。

 ──否、傲慢(プライド)だ。

 

 此度の戦いで最も多くを殺し、シグ・カーティスに重傷を負わせ、人造人間(ホムンクルス)側の計画のほとんどをその手のひらの上で練り転がした──ある意味での黒幕。

 フラスコの中の小人の「後は任せたぞ」という言葉に忠実に従い、すべてを完璧に熟して終えた、冷徹なる人造人間(ホムンクルス)

 

憤怒(ラース)はどうした」

「消えました。お父様に飲み込まれて。……私は、特別ですからね。少しばかり消化が遅かったようです。おかげで生き残ってしまいました」

「……まだ人間に敵対する気はあるのか?」

「ないですよ。意味がありません。……母上が死ぬまでは、セリムを続ける気です。ただ、この容れ物は微量しか成長させられないので……私としても、彼に帰ってきてもらう必要があります」

「なんだアイツ、人造人間(ホムンクルス)の容器まで作れるのか」

 

 月が大きい。

 だから影も大きい。

 

「……おかしな話をしてもいいでしょうか、ホーエンハイム」

「ああ」

「私達人造人間(ホムンクルス)は、お父様の感情を切り離す形で生まれました。憤怒(ラース)……いいえ、お父さん曰く切り離せてはいない、とのことですが、少なくとも生まれた直後の私の中にあった感情は傲慢だけだった」

「……」

 

 影が揺れる。

 紛う方なき、れっきとした──化け物がそこにいる。

 

「ただ……そこから、人間を観察することで、幾つかの感情を拾ってしまったのでしょうね。……今の私は──私という、傲慢(プライド)という存在からしたら、あり得ない感情を抱いている」

「それは?」

「……"私はここにいてはいけないものだ"。"私は殺されるべきだ"。"兄弟は皆いなくなったのに、私は何故ここにいる"。……つまりは」

「孤独。そして悔恨か。確かに傲慢(プライド)が抱く物としてはあり得ないな」

「はい」

 

 正反対の感情だった。

 そして、人間に抱くはずの無い感情でもあった。見下している人間に対して──罪悪感のようなものを抱くなんて、絶対にありえない。──はず、だった。

 

「……それで? 結局お前は何が言いたいんだ?」

「罪滅ぼしをするべきだ、と。そう思っています」

「罪滅ぼし、ねぇ。それは無理なんじゃないか? 皆の前でお前が傲慢(プライド)だと明かせば、流石に皆殺意を押さえられないだろう」

「はい。……私にはこれら錬成陣の詳しいことはわかりませんが、もうほとんど出来上がっているのでしょう?」

「……まぁ、な。刺青の男(スカー)と協議して、少し危ない橋を渡ることにした。それさえクリアすれば、あとは全部繋がる」

 

 危ない橋。

 そうしなければならない程に、太陽は強い。

 

「ではそこで、私の賢者の石を使いなさい」

「……そんなことをしたら、バレるぞ」

「勿論影の姿で行きますよ。あるいは地中を回り込むか。騒ぎにはなるでしょうが、発動の直前で現れることで軽減も図れるでしょう」

「もし、バレたら?」

「その時は潔く殺されますよ。一人で生き残っても仕方ありませんからね。……ああ、でも、母上が守ってくれて……しまいそうだ。もしあの人が身を挺して庇って来たら、私は潔く死ぬことができない……ふむ」

 

 その様子に。

 ホーエンハイムは、おかしくなって、笑ってしまった。

 

「……なんですか」

「いやなに、どこが化け物だ、と思ってな。……フラスコの中の小人も、本当に……子育てが下手だな。俺と同じだ」

 

 優しい目で。

 ぽんぽん、と……セリムの頭を撫でるホーエンハイム。

 

「その罪悪感は、罪滅ぼしを行ったところで薄れることはないぞ」

「わかっています。別に罪悪感を軽減するために罪滅ぼしをしようと思っているわけではありませんよ。どの道私は、父と母上が死んだ次の日くらいには、死ぬ予定ですから。ただ……父も母上も死んでしまった世界で、のうのうと生きていくつもりが私にはありませんので。その時に無為に使い尽くすくらいならば、今ここで使う方が有益でしょう」

 

 強い目だった。

 話している言葉は、なんならクロードのそれと同じ有益無益のそれなのに、そこには愛があった。

 

 嫌なのだと、わかる。

 愛を失うことがどれほど怖いことか。失ったことが無いからこそ、傲慢(プライド)は恐れている。自らを愛してくれる二存在がこの世を去ることに──ああ、彼は耐えられないのだろう。

 耐えたくないのだろう。

 

「……わかった。影で俺の影に接続しておけ。錬成反応は自分で上手く隠すといい」

「はい。どうぞ、上手く使ってください。此度の戦いで多くを得ましたからね」

「あんまりそういうこと言うもんじゃない……って、いないか。……はぁ、空気が読めない所はアイツの血統かね……」

 

 エルリック兄弟が聞いていたら「お前が言うな!」と怒鳴られるだろう言葉を吐いて。

 

 ホーエンハイムは、最後の詰めにかかる──。

 

 

 

 

 朝、というよりは昼。

 錬成陣は、完成していた。アメストリス、シン、クセルクセスの全ての知識と、刺青の男(スカー)の閃き、そしてエルリック兄弟の気付きなど、あらゆるものを詰め込んだ錬成陣。

 また、イーストシティ近辺に刻まれた「元に戻す」効果を持つ錬成陣も一瞬だけ使用する予定があるため、アルフォンス・エルリックはここで退場となった。もし魂定着の陣が「元に戻された」ら困るからだ。

 やっぱり早く身体取り戻さないとなぁ、なんてしょぼんとしつつ、アルフォンスと、そしてエドワードも付き添いで、イーストシティから去っていった。無論、彼らにもやることはある。この六角形の錬成陣を、外側から発動させる役目が。

 

 時刻はその汽車が六角形を出た頃合い。

 正午手前。

 

「──始めるぞ」

「はイ!」

 

 練兵場に描かれた巨大な錬成陣。

 その中心部にコトりと置かれるは──小瓶。真っ黒い液体が入った小瓶だ。

 

「ウ……」

「なんダその氣は……」

「あれ、説明してなかったっけ? これは不老不死だよ」

 

 そんな、間抜けた声でホーエンハイムは言う。

 

「不老不死……?」

「かつてクセルクセスにおいて、クロードを呼び出すために使われた流体だ。極小のマグヘマイト、マグネタイトを磁性を帯びさせながら過集中させて作り出されたもの。無論クロードの召喚……というよりは不老不死の上書き、なんてものは失敗に終わったわけだけど、少なくともクロードはこれを目印にこっちへ来た存在だ」

「つまり、アンカーになル?」

「理解が早いな」

 

 錬成陣は円から辿る構築式が中心へ向かうことで上昇力を得て、その統一点たる中心に効力を発揮させる技術である。

 

 彼を呼び戻すというのなら、何かアンカーとなるものが必要だった。

 そうでなければ、こちらが太陽に引っ張られてしまいかねないから。

 

「固定はしなくていいのカ?」

「これから物凄い力がアイツを引っ張る。だから、この小瓶もその力で圧し潰される。固定なんかしなくても、勝手に固定されるよ。……さて、そろそろ正午だな」

 

 地面に描かれた錬成陣。

 その端──円周上の四か所に立つ四人。メイ・チャン、イズミ、刺青の男(スカー)、ホーエンハイム。そして、ホーエンハイムの影にこっそりと接続してきた、細長い影。

 

「行くぞ!」

 

 発動する。

 ──瞬間、東方司令部の窓がすべて割れた。地鳴りと地響き。ブラッドレイらの護衛がすぐに三人の身を隠し、他の者達も構える。

 パチパチと音を立てて──ホーエンハイムの影を伝う赤い錬成反応。それに気付く者はいない。あまりに圧倒的で、あまりに神々しい天からの光に目を奪われているからだ。

 

 激しい風、激しい力。

 メイ・チャンは姿勢を低くし、吹き飛ばされないよう踏ん張る。

 

 ──も。

 

「きゃ、ぁあ──アっ!?」

「こ、の……円に入らなけれバ、いいんだよナ!?」

「踏ん張れ小娘! この、やはり錬丹術師は軟弱な者が多イ!」

「く……」

 

 吹き飛ばされるメイ・チャンを、後ろから支えるは──ヤオ家の三人。

 

「何故……」

「ブシュダイレンを連れ帰らねばならなイのは此方も同じダ! どちらに付くかハ彼次第とはイエ、まずは帰ってきてもらわネバ話にならン!」

「ランファン、フー! 後ろにボルトを打ち込メ! 練兵場の修理費ハ大佐サンにツケる!」

 

 その様子を見て、今まで見ているだけに徹していた軍人たちも、刺青の男(スカー)やイズミ、そしてホーエンハイムの後ろについて、彼らを支える。

 

「ありがたいが、円には入るなよ! 一瞬で潰されるぞ!」

「応!」

 

 これほどの力が発されていても、実はまだ太陽に作用してすらいない。太陽と地球の距離は149600000km。光速でも八分はかかる。

 その間この錬成陣を維持し続けると共に、術者が飛ばされないようにすること、そしてこのエネルギーを錬成陣から出さないこと。

 単なる衝撃波でも先ほどの被害が出たのだ。

 もし逃がせばどうなるか、など。

 

 ──そうなる前に、ホーエンハイムは錬成陣を破棄し、リバウンドを受けるつもりであったが。

 

 減っていく。

 目減りしていく。ホーエンハイムの中の賢者の石が。そんな彼の服の中……背中側を通って、襟首から出てきた黒い影が囁くように声を発す。

 

「何故使わないのですか。尽きますよ、君」

「……俺だってお前と同じなんだよ。本当はフラスコの中の小人相手に使うつもりだったが、残ってしまった。内側で"やれやれ"だの"だからお前は計画性に富まんと何度言ったら"とか"お前の息子たちはもう大丈夫だ"とか……余計な世話ばかり焼いてくるのも解放しないといけないしな」

「……」

「安心しろ、ちゃんと、使うときに使うから……それまで夫人たちを守っていろ」

「……そうですね」

 

 引いていく。

 影は──また、ホーエンハイムの影と繋がるだけに戻った。

 

  

 次第に強くなっていく圧力に。

 次第に広がっていく力の作用範囲に。

 ジリジリと押されつつある全員。

 

 その中で、刺青の男(スカー)がハッと顔を上げる。

 

「捉えた!」

「でかした!」

刺青の男(スカー)サン、共有くだサイ! 小瓶と固定接続しまス!」

「ああ!」

 

 力の中であろうと、流れがあれば錬丹術は通る。錬成陣の円周上に刺さった苦無を通り、メイのもとへその情報が入る。

 メイがその流れの先を変更し、小瓶へと固定。これでアンカーとの接続ができた。

 

 後は引っ張るだけだ。

 

 ──強い力。本当に強い力が錬成陣を叩く。

 ピシリ、という嫌な音が鳴ったのは気のせいではない。

 

 耐えられていないのだ。練兵場の地面が。

 

「……やはり人間は……どうしようもない」

 

 直後、錬成陣の下の地面が全て黒色に変わる。

 氣で、そして直感でわかる者はいただろう。目を閉じていて、口を閉じていても──そんなことはあり得ないのだから。

 

 それでも何も言わなかったのは、今この場で扱われている力がとんでもないものだとわかるからだ。

 もしこれが暴発したら。

 だから、騒げない。騒がない。錬金術師の集中に任せる。そうでなければ。そうでなければいけない。

 

「使いなさい、ホーエンハイム。私一人分を隔離した、生まれ落ちてからの私の全てを」

「……ああ」

 

 使う。

 

 遠いところ。東方司令部の屋上で──巧妙に隠されてはいるが、錬成反応が迸る。

 わかった、のかもしれない。

 ブラッドレイ夫人が膝の上にいるセリムの手を握る。決して彼女には見せない角度で──酷く顔をゆがめていたセリムを。

 賢者の石を他者に使用される、というのは、中々に耐え難い痛みだった。それでも悟られたくなくて、なんでもないかのように振舞っていた彼の手を、ぎゅ、と。

 

「……帰ってこい! クロード! そして、借りたものと貸したものを皆に返せ! 私もまだ返し終わっておらん──私の死に立ち会わぬつもりか、不老不死!!」

 

 大きな声だった。

 もうすぐ寿命の尽きる彼の声だった。

 

 看取れ、と。

 葬儀に出ろと。

 不老不死を名乗るのならば、それくらいはしろと、押し付ける。

 

 

 パスは刺青の男(スカー)とメイ・チャンが繋げた。

 後の詰めは、イズミとホーエンハイムだ。

 

 危ない橋。本来は刺青の男(スカー)が払おうとしていたそれを、自分が払うと言ったのがイズミだった。足りないのだ。プライドの賢者の石だけでも、足りない。

 

 イズミは──ゆっくり、ゆっくりと。

 その力の中に入る。気を抜けば圧し潰されてしまう力の奔流の中を、歩く。歩いて、中心に向かう。

 

 姿勢をまっすぐに。

 一切ぶれず、同化する。全となる。一を全に認識させない。流れの中にあり、流れに逆らうことなく佇む姿は、達人のそれだった。

 

「──代価を払う!」

 

 そして、叫ぶ。

 代価。代価だ。

 

 まだ取られていない代価を払う。

 内臓の代価を払う。

 

「私は──夫以外、いらない! あの人がいれば、それでいいと理解した! だから!」

 

 親指で、胸を指す。

 太陽に咆えて、それを宣言する。

 

「だから、持っていけ! そして、そのためにここまで来な、緑礬の錬金術師!」

 

 幻視する。

 真白の空間で、誰かが笑う。

 

 ──"残念ながら二番煎じ、インパクトの欠片もねーが……ま、代価は代価だろ。どうよ真理。この答、気に入ったか?"

 ──"気に入るはずがないだろう? そんなありきたりな解答、未熟者でも出せる結論だ。……だが、今回は私ではなくお前の判断だ、クロード。好きにしろ"

 ──"あっはっは、んじゃあ、まぁ"

 

 何かが、着弾する。

 何かだ。何かだ。

 イズミの目の前に、轟々と燃える何かが着弾した。

 

 それは断片でしかない。

 なにか、肌か、骨か。

 今すぐにでも燃え尽きそうな──炭化していくソレが。

 

「そこまで言うなら貰っていくけどさぁ。それだと失ったモノは取り戻せないぜ?」

「構わない。今いるあの人を、私は愛している」

 

 ぐじゅる、と音を立てて──再生する。

 あと一秒もあれば炭化しきっていただろう肉片から、少年が再生する。

 

「抑え込め!」

 

 彼を認識した瞬間、ホーエンハイムが叫ぶ。

 抑え込む。彼を、ではない。

 

 暴れ狂う錬成エネルギーを、だ。

 少しでも外に漏らせば破壊が齎されるだろうソレ。

 想像以上に大きい。想定外に強い。

 

 太陽の引力に勝った錬成エネルギーだ。

 それがはちきれんばかりに暴れ狂い。

 

 

「今だ、アル!」

「うん、行くよ兄さん!」

 

 

 外側。

 六角形の外側に出た二人の発動する錬成陣によって、「元に戻る」。

 

 暴れずに、拡散せずに──エネルギーが太陽へ直進するように上昇していく。

 

 この錬成陣は「神の代替品」であるクロードの血をこれでもかと使った錬成陣だ。故にその効果は太陽を凌駕する。本人にそんな力はなくとも、この錬成陣にはその力がある。

 

 だから。

 

 だから──。

 

 彼は。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話 それぞれの旅路のその途中

 煩雑に店が立ち並ぶ通りの一角。

 そこで大きく新聞……に似たものを広げる少年がいた。

 

「シンの次期皇帝はチャン家の皇女! 何代ぶりかの女王! いやぁ、ランファンの料理じゃダメだったか!」

「うるさイ。……ブシュダイレンが私の料理を気に入らなかッタのが悪イ。努力はしタ」

「へぇ、じゃあ今度食わせてくれよ」

「……構わなイ。代わりニお前はシン語を覚えロ」

「うっ……へいへい。まぁここに住むんだ、そろそろちゃんと覚えねえとなぁ」

 

 少年の対面に座るのは少女。

 いつもの忍び装束はどこへやら、この国における普通の衣服で、目の前の少年のからかいを受ける。

 

 そこへ、ドカッと料理を置いてきたのが──糸目の、ピクピクと青筋を痙攣させている青年。

 

「あのなぁエドワード。……今すっごく敏感な時期なんダ。俺たち以外の部族も出入りしテイテ、そんな場所のど真ん中でそんなこと叫ぶナ。誰に絡まれても知らんゾ」

「ひゃあ、暴力沙汰のプロ、ヤオ家の当主に絡まれてル~」

 

 口と舌を三角に尖らせて煽りまくる豆粒ドチビ。

 その彼の背後に編み笠を被った老人がやってきて──思いっきり、肘鉄を落とした。

 

「っでぇっ!?」

「若、書筒を預かってまいりました」

「書筒? 誰からだ?」

「チャン家の小娘……おっと、次期皇帝からです」

「ちょ、ちょいちょいちょい、俺の頭殴ったことは完全無視かよ!?」

「当然ダロウ。お前が悪イ」

 

 エドワード・エルリック。リン・ヤオ、フー、ランファン。

 彼らがいるのは──シン国。

 

 ヤオ家の故郷にして、エドワードにとっては初の国外である。

 

「……!」

「ん? どしたぁ、目ぇかっぴらいて」

「……エドワード。しっかり聞いてくレ」

「お……おう。どうした、改まって」

 

 フーから書筒を受け取ったリンが。

 声を震わせて──それを告げる。

 

「──ブシュダイレン、クロードが処刑されタ」

「……なん、で……」

「ランファン、フー! 支度をしろ! ──捕まえに行くぞ!」

「って、あぁそういうことかよ! 深刻な顔になったオレの表情筋返せ!」

 

 カバンを取って。

 物凄い速さで準備をしていくヤオ家の三人についていくエドワード。

 

 クロードが処刑された。

 ──つまり、逃げたということだ。これで「首を斬れば死ぬ」と思われたらチャン家の名が落ちるかもしれないし、捕まえて、あるいは交渉してもう一度皇帝のところに連れて行けばヤオ家の信頼が上がるかもしれない。

 まだメイ・チャンは次期皇帝でしかない。ほぼ確定したようなものだが、可能性はゼロではないのだ。

 

「ちょ、おいオレそんなぴょんぴょん跳ねられねーって、オイ待てよ!」

「今忙しい! 落ち着いたら迎えに来るから、それまで適当にぶらついてろ!」

「いや、まだシン語ほとんどわかんねーって……もういねーし」

 

 ぴょんぴょん跳ねて、建物の向こうに行ってしまった三人を見届けて。

 エドワードは、ドカッとその場に座る。

 

 そして……ダラダラと冷や汗を流しながら、立ち上がった。

 

「お客さん、お代」

「デスヨネ!」

 

 ダッシュである。

 だってエドワードはシンのお金を持っていないから。ヤオ家が奢ってくれる予定だったから。

 

 さて──始まるのは大逃走劇だ。

 錬丹術は浸透していても、錬金術はほとんど知られていないシンで、それはもう道やら建物やらをボッコボコにしていくエドワード。

 

 金髪金眼豆粒ドチビということもあって、新たな伝説が広まるのもそう遠くない話。

 赤いコートを着た──食い逃げ妖精の話が。

 

 

 

 

 

「兄さん、ちゃんとやれてるかなぁ」

「大丈夫でしょ。エドなら、どこでだってやってける」

「でも兄さん、シン語もほとんど覚えないで、お金もその日稼ぎで良いとか言って……絶対騒ぎ起こしてると思うんだ」

「まぁ、想像に難くないわね」

 

 ところ変わってアメストリスはリゼンブール。

 洗濯物を洗うのはアルフォンス。無論、まだ鎧。

 彼の背後で洗われた洗濯物を干すのはウィンリィ。

 

 結局のところ、エルリック兄弟の身体を戻す方法はわかっていない。

 答えを知っていそうな奴はいくらかいるけれど、自分たちで答えに辿り着くと決めた以上は頼らない。

 エドワードはシンへ行って錬丹術を学び、アルフォンスはアメストリスで文献を探す。というのも、鎧のままでシン国へ行けば、ブシュダイレン亜種として騒がれかねないからだ。

 

 互いに、二手に分かれて知識を探ることにしたのは、やはり錬丹術の可能性があまりに魅力的だったことが大きいだろう。

 遠隔で錬金術を発動させるその手法は、アルフォンスの肉体をどうにか引っ張って来られないか、という発想にも繋がった。

 

 それと。

 

「僕、実はまだクロードさんに代価を返してないんだよね」

「あぁ、記憶を戻してもらった、とかいう奴?」

「うん。……何か返せるものあるかなぁ、僕」

「なかったら作ればいいんじゃない? ……あ、そうだアル。あたし決めたの」

「決めた、って……何を?」

 

 洗濯物を干しながら。

 ウィンリィは──悲壮とか、後悔とか、そういうものの一切ない声で。

 

「医療用機械鎧の普及と、……町医者になるための勉強をする」

「……お医者さん?」

「そう。あ、勿論機械鎧技師も続けるわよ。でも……やっぱりお父さん達に憧れもあるし、あの時私に力があればって、そう思うし」

「ウィンリィ……」

「だから、私は医術を学ぶの。どっちもできたら、どっちの患者にも対応できるでしょ」

 

 だからそれは、後悔ではなく。

 決意、だ。

 

「……敵わないなぁ」

「もしアンタたちが体を取り戻せなかったら、あたしが作ったげるわ。全身機械鎧!」

「あはは……それは頼もしいけど、でも大丈夫。僕たちは絶対身体を取り戻すから」

 

 力強い声で言う。

 

「体を取り戻したら、クロードさんに代価を渡して……そっから先はわかんないや」

「いいんじゃない? あんまり遠くばっか見てると首が疲れるぞ、ってあたしもドミニクさんに言われたし」

「あはは、確かにね。……そうだね。小さな目標を……一つ一つやっていかなきゃ」

 

 のどかで、平和な──リゼンブールでの一幕。

 

 

 そして。

 

「……まだなんか書いてたのかい?」

「ん……まぁな。結局……まだ死ねてないんだ。だったら、いつかアイツらが必要とするかもしれないものを書いておくのもアリだろう」

「フン、今死んだらトリシャが驚くよ。"もう来たのか"って」

「……ああ。もう少し世話になるよ、ピナコ」

 

 彼も、また──まだ。

 

 

** + **

 

 

 ドカッと椅子に背を預け、ふぅ、と大きなため息を吐くは──ロイ・マスタング。

 アエルゴ、ドラクマ、クレタ。この三国からの干渉が最近激しくなっていて、それの対応に追われているのだ。

 黒膜を見たのだろう、「異常が起こっているようだから救援を送る」だの「災害に見舞われたようだから兵を送る」だの、腹の底が見え見えの声明を送ってくるものだから、それをどれほど冷静に丁寧に断るか、という部分でロイの手腕が求められる。

 相手も断られることが分かった上で言ってきているし、だからロイもそれを理解した上で言葉を選んで、だから相手もそれを理解した上で言葉を尽くして……というのをずーっとずーっとやり続けているのだ。

 

 疲れもする、というもので。

 

「よぉロイ。お疲れさん」

「……あのな、ヒューズ。今の私は大総統なのだ。そう気軽に……む」

「すみません、大総統。軍法会議所から大総統の調べ物についての回答を持ってこられた、とのことでしたので、私が通しました」

「中……大総統補佐。……いや、いい判断だ。そうだな、私がそれを頼んでいたんだったか……」

 

 色々言われたが。

 半ば無理矢理──周囲の応援もたくさんあって──大総統補佐に任命したリザ・ホークアイを「中尉」と呼べないこと、そして自身が大佐と呼ばれないことに、どうも、どーにも慣れない。

 

「……ヒューズ」

「ん?」

「私は……上手くやれているか?」

「……ロイ。お前なぁ」

 

 俯き気味に放ったその弱音。

 

 ガンッと。

 鈍器もいい所な資料で後頭部をぶっ叩かれ、そのまま額と鼻っ柱を机にぶつけるロイ。

 

「疲れてナーバスになってるのもわかる。だが、んなこと俺にわかるわけねーだろ。まだまだ渦中なんだ、何をどう評価したら"上手くやれてる"になんだよ。んで"上手くやれてない"としたら何やってんだよ」

「……すまん」

「そういう愚痴は大総統補佐に吐けっつーの」

 

 どうも。

 まだリザに弱音を見せるのは、どこか……恥ずかしい、というか。

 今のロイを見たら、ブレダとハボックが煽りに煽ってくることは間違いないのだが──まぁ。

 

「……うげぇ。見つめ合ってんじゃねーよ……ああ、早く帰りてえ。エリシアに会いてえなぁ~~~なぁ~~?」

「軍法会議所もお偉方の掃除があったんだ。勤務時間の改善もされたんじゃないのか?」

「逆だよ逆……お偉方が引き継ぎも何にもしないで殺されちまったんだ、毎日毎日やることだらけだ」

「そうか。……皆、忙しいか」

「そうだよ。ま、だからつってお前が我慢する必要はねぇけどな。どうだ、久しぶりに酒でも飲みに──」

「マース・ヒューズ大佐。──慎んでいただけると助かります」

「……おー怖。んじゃ俺は退散するぜ。ロイ、身体壊すなよ」

「ああ、お前もな」

 

 ヒューズが帰って。

 リザと二人きりになって。

 

「……中尉、じゃなかった」

「まだ慣れませんか大総統」

「君は慣れたのかね?」

「いえ、大総統と呼ぶたびに噴き出しそうになります」

「……馬鹿にしているじゃないか」

 

 溜め息。

 これは疲労から、ではない。

 

「……大総統の座について、わかったよ」

「自身の大言壮語具合についてですか」

「補佐。少しは容赦をだな」

「時期が悪かった、というのはありますね。ブラッドレイ前大総統が周囲に喧嘩売りまくった後の就任ですから、ヘイトが凄まじいです」

「……まったくだ。だが、少しでも隣国との緩衝に手を加えていかなければ……この国は変われない。クロード医師に喧嘩を売った手前、諦めるわけには行かんだろう」

「そうですか。では、そんな殊勝な心掛けの大総統にお手紙です」

「……今度はどこの国からだ」

 

 何も言わず、リザはそれを渡す。

 少しばかりの不信を抱きながらロイが封を取れば。

 

「──少し出てくる。すぐに戻る」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 

 

 

 

 

「──はい。会ってあげてください」

 

 息を切らせてそこへ辿り着いたロイは──見る。

 髪を真白にして、ただそこに横たわる老人の姿を。

 

「前大総統……」

「む……ふっふ、マスタング……大総統か。なんだ、私のためなんぞに、駆けつけたとでも?」

「当然でしょう。──色々なことがあった上で、私はあなたを尊敬しています。……もう、長くは……無いのですか?」

「ああ。……まぁ、寿命だ。……セリム。お母さんと一緒にいてあげなさい。家族の会話は……もう、十分しただろう」

「……わかりました。──君との会話。それなりに楽しかったです。──おやすみなさい、お父さん」

 

 言って、病室を去っていくセリムと。

 

 窓に、花が咲く。

 緑礬の花。

 

 だから、閉め切られていたはずのそこに穴があいて──するりと入ってくるのだ。

 

「よぉブラッドレイ。間に合ったか? お、ギリギリじゃん。あびねーあびねー」

「クロード医師。そういうということは、まさか延命治療を?」

「ん? いやしねーよそんなこと。頼まれたってやらん。そうじゃなくて、死に目に立ち会わねーと不老不死としてアレじゃん? まぁなんかマブダチっぽいしさ。あれ俺が言ったんだっけ?」

 

 どこまでも、この時に際しても、軽い奴。

 

「……はっはっは、クロード。……最期の頼みがある」

「代価次第だなー」

「ちょ、クロード医師! こういう場です、融通の一つくらい……」

 

 何を経ても。

 どんなことがあっても、変わらない。

 誰を前にしても、誰が死んでも。

 

「良い。……代価は、私の魂だ」

「ほん? お前その意味わかってんの?」

「ああ」

「……で、なんだよ。そこまででけェモン払うってことは、アレか? 夫人の護衛とか、セリムの育て親になれとかか」

 

 ブラッドレイ。

 その肺が、大きく大きく──息を吸う。

 膨らんだ肺から、ゆっくりと空気が抜けて。

 

()()()()()。──お前の旅路に、私も……」

「……代価と要求が同じと来たか。成程、考えたなぁブラッドレイ」

 

 肉体を、ではないことくらいわかる。

 ロイはそれを知っているから。

 

 魂を売り。

 その代価で──魂を閉じ込める、など。

 

 

 何かが漂うのをロイは見た。

 何か──美しいものだ。何か。

 

 何か、荘厳なものが、ある。

 

「問いをしよう、ブラッドレイ」

「……」

「お前は誰だ」

「……キング・ブラッドレイ──ですらない。それになろうと育てられ……憤怒に適合し、小人を食い、憤怒を棄て……小人に食われた。もはや誰でもない何者かだろう」

「お前は己を信じられるか」

「無論。──敷かれたレールの上であろうと、そうでない場であろうと──私は私だ。肩書を……なくし、兄弟も、無くし……それでも私は……ふっふっふ……私が選んできた道に、今、私はいる」

「お前は不老不死を、なんと罵る?」

「無何有、だろうな」

「じゃあ最後の質問だ」

 

 それは扉だった。

 太陽が如き扉。ロイが真理の扉で見たソレとは違うもの。

 

「寂しいか」

「……ああ、そうだな。もう少し……世界を、見ていたかったと……ふっふ……未練など、とうに切り捨てたと思ったのだが……なんだ、案外、私にも」

「そうか」

 

 消える。

 幻想的な何かが消える。遠のく。

 そして、クロードは──ブラッドレイの胸に手を置いた。

 

 置いて。

 

「──お前、向いてないよ。不老不死」

「……!」

「代価は受け取らない。お前も連れて行かない。──この地で死に、泣かれ、摂理に従い天に召せ」

 

 錬成反応が走る。

 一瞬だけ。

 

「……最期、ま、で……」

「俺はお前の命を奪うよ。──だからさ、返されに来いよ。いつか」

「おもい、通り──に」

 

 力尽きる。

 今、この場から、魂が抜けたのがわかった。なくなったのが、わかった。

 

「……クロード医師」

「あ、アメストリスって宗教的に転生の概念ないんだっけ? ……まぁいっか。んじゃあな、ロイ・マスタング。とっととリザ・ホークアイと番えよ。多分周りは見ててイライラしてるぜ~」

 

 言うだけ言って、クロードは去っていく。

 窓に開けた穴からするりと出ていく。

 

 止める暇もない。何かを宣言する間もない。

 

 ロイは──大きく溜息を吐いた。

 

 どうせ、今すぐに彼の心を射止めるような国にすることはできない。

 ならばいつでもいいのだろう。

 

 急ぐ必要はない。できる時にやればいい。

 

 上手くやれていたか、など。

 死ぬ前になってようやくわかるものなのだろうから。

 

「一応言っておくと、とっとと番え、は余計なお世話ですよ」

 

 窓に向かってそれだけ吐いて、ロイは部屋を出たのだった。

 

 

** + **

 

 

 50年後。

 

 ……とかって飛ばし過ぎるとロイ・マスタングが可哀想なので、2年くらい経ってからアメストリスに戻って来た。どこ行ってたかって、まぁ色々。

 シンには近寄らないで、ドラクマも無理そうだったのでやめて、アエルゴとクレタを行ったり来たり。ああそう、ゴルドの爺さんとはフツーに再会した。今度余計なモン押し付けてきたらただじゃおかんぞ、と怒られた。あ、ブリッグズの話ね。

 

 そうそうブリッグズといえば、オリヴィエ・ミラ・アームストロングは間に合わなかったんだよな。代価を支払います、と言われた後にホラ、太陽行っちゃったから。どうも致命傷オブ致命傷だったらしくて、すぐに亡くなったらしい。ラストと刺し違えたって話だ。

 だから今ブリッグズの巨壁は脆く──なってることはなく。

 一人一人が1/2オリヴィエ・ミラ・アームストロングくらいの強さになっているので、堅牢さはむしろ増している。どういう鍛錬したらそーなるんだよ。バッカニアはもう将軍いけるくらい強いし。

 

 シグ・カーティスは全快した。させた。

 エドワード・エルリックの剣の代価だからな。それより前の応急処置……メイ・チャンの錬丹術がかなり命をつないでいたみたいだ。

 ああそうそう、デビルズネストの三人は行方知れず。軍に戻るって話も出たみたいだけど、なんか三人で旅に出たとかなんとか。まぁなんとかやってるだろう。再会したら祝宴な。

 

 で、2年経ったアメストリスは。

 

「……なーんも変わらんな。空飛ぶ車とか開発されててほしかったんだけど」

「人間の技術力なんて早々代わり映えしませんよ。天才が一人出てくるくらいしないと」

「そんなもんか……まぁそうか。こっから90年以上経ってまーだ宇宙開発とか進んでなかったりしそうだしなぁ」

「宇宙開発ですか? それは、面白そうな響きですね」

「おん? 興味あんの?」

「多少は、ですよ。……知らない言葉が出てきたら、興味があるということにするようにしているんです。そうしなければ、君のように熱量の無い怪物になってしまいそうなので」

「ハナから怪物だろってオイ蹴るな」

 

 なーんにも変わってないアメストリス。

 セントラルもなーんも変わってない。いや街並みはちょっと変わったけど。

 

 だから他のとこいこうとしてたら、なんかついてきた。

 

「つか、いいのお前。夫人は?」

「昨年亡くなりました。私も死のうと思ったのですが、母上の遺言が"賢い子に育って、マスタング大総統を支えてあげてね"でしたので……後半は聞かなかったことにして、もう少し生きてみようかと」

「ふーん。……何、ついてくる気?」

「違いますよ。というか、今私がいなくなったというだけで人間たちはあんなに大騒ぎしているんですよ? その私が地方に現れたりしたら」

「俺が誘拐犯になるわけか」

「あはは、それは面白そうですね」

 

 なんだか。

 めちゃくちゃ吹っ切れたっぽいセリム。こいつはもうプライドとは呼べねーだろ。

 

「定期的に帰ってきてください。そして私の容れ物を成長させてください」

「えー」

「代価は何が良いですか?」

「定期的に帰ってくる、が嫌なんだけど」

「しかし、そうしてくれないと怪しまれますよ。私が」

「俺関係ないじゃん」

 

 いや、はや。

 なんつーか。

 

 ちゃんと親子だな、とか思ったりしてさ。

 

「ふむ。ではこういうのはどうでしょう。私、賢い子供な上に少しばかりの発言力がありますので、君の……緑礬の錬金術師ヴァルネラの信頼回復に努めます」

「いやいーよ別に」

「十数年はかかると思いますが、それによってあなたを国家錬金術師に戻します」

「だからいーって。国外いってる時国家錬金術師とか関係ないし」

「──アメストリスに寄った時はもう絶対にお金に困らない、というのは魅力的ではないですか? 君、未だにロイ・マスタングからお金を借りているようですし」

「ム」

「等価交換はどうしたんですか? 借りてばかりで返せていない金額、あるんじゃないですか? それに、ロイ・マスタングが退役した後はどうするつもりですか? まさか新しい方からお金をせしめるんですか?」

「せしめるって言い方やめろよ。ちゃんと俺は返してるよ。……まぁその場の等価交換ができてないのは認めるけど」

「いいんですか? 真理の天秤の番人を騙る君が、そんな調子で。──代価代価、口を開けば代価対価等価代価。そんな君が、お金の貸し借りにだけはルーズなんて……あってはいけないことですよね」

 

 逃げる。

 影に手足を拘束された。アルェー!? コイツまだこういうことできんのかよ! 賢者の石は自分の分以外使い切ったんじゃ。あ、別に影は賢者の石の残数関係ないのか。そういう能力だもんな!

 

「良いことを思いつきました。ここに誓約書がありますので、サインだけください。ああ私が操りますので大丈夫ですよ」

「それはサインとは呼ばねえ」

「お父さんは君を上手く使えていませんでしたから、子供である私は父親を反面教師にして、君を上手く利用するつもりです。私という存在の寿命がいつ来るかはわかりませんが、その時までどうぞよろしくお願いいたします」

 

 サインさせられる。

 おいおい緑礬の錬金術師ヴァルネラのサインなんて久しぶりに書いたわ。つーかよく覚えてたなよく知ってたな!

 

「ああそうそう、お父さんを作った医者を覚えていますか? 金歯の」

「いたねそんなん」

「彼は球体の錬成陣を発動させた張本人なのですが、お父さんがお父様の企みを阻止したことで彼にリバウンドが来まして」

「おん。死んだか」

「はい。ですが、お父さんになり切れなかった方々の生き残りが残ってしまって」

「食べたのか?」

「いえ、私設部隊にしました。この国の闇、とでもいうべき軍上層部が軒並み消滅したこともあって、命令をする存在がいなくなり、右往左往していたところを救ってあげた形ですね」

「お前性格変わり過ぎじゃね」

 

 なんかどんどん人間臭くなっていっている気がする。

 感情を獲得した……というか。

 無理にいろんな感情を詰め込まれて、傲慢以外を制御できなくなっている、というか。

 まさか?

 

「ああ、アメストリスに戻ってくるついでに他国の事情を話してください。世間話ですから代価はいりませんよね」

「茶菓子くらい用意しとけよ」

「わかりました。ロイ・マスタングが用意します。──では、これから末永くよろしくお願いしますね、緑礬の錬金術師」

「……金は勿論だが、だったらこっちからも要求がある」

「はい?」

「とっととロイ・マスタングとリザ・ホークアイをくっつけな。次か、その次に帰って来た時くっついてなかったら、この契約はナシだ。一方的に破棄させてもらう」

「……愚かな人間の、その中でも最たる愚かな部分である愛恋の成就を私に手助けさせるとは……お父さんの友であっただけあって、やはり性格が最低ですね」

「そっくりそのまま言葉を返すよ」

 

 いや、まったく。

 なんつーか。

 

 ま、コイツが死ぬまでくらい、付き合ってやるか。

 んでアメストリスが更地にでもなったら──()にでも。

 

 

 そんな感じで──不老不死と錬金術師と人造人間(ホムンクルス)の物語はちゃあんと幕を下ろしきれず、付き合いも人間関係も()()()()()()も子々孫々代々代々だらだらだらだら長引くのでした、ってトコで。

 

 おしまい!






こんな、脆く、広がりゆく世界が。
緑礬の錬金術師 fin.


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。