東京喰種re:chord (辰己)
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001:ヒトよ地を踏み締めよ

_____竜戦から四十二年が過ぎた東京

 

 

__________第一TSCアカデミー旧研究棟3-C号室

 

 

_______________12時15分 昼休み

 

 

部室棟として利用されている旧校舎に今日も放送が入る。

もっぱら呼び出しにしか使われないそれがジィコジィコと雑音混じりに鳴り響いた。

 

『今から名前を呼ぶ訓練生は至急校長室まで来るように。香戸(かど)一等訓練生、日述(ひのべ)一等訓練生、____』

 

研究室の床に直に布団を引き惰眠を貪っていた布饅頭がもぞりとねじれ、また沈静する。

 

『____月山(つきやま)二等訓練生は至急校長室まで。続けて全訓練生に告ぐ、今名前を呼んだメンバーの逃亡幇助又は隠匿を試みた者は、竜遺児対策保安法第31条についてのレポートの提出を校長権限で申しつける。

なお情報提供に褒賞はないが、訓体(*体術訓練)の教科担任である黒磐上等からは“三人のうち一人でも捕縛の上で校長室まで連れてきた者がいれば中間試験の一〇本組み手を免除する”とのお達しだ。

以上』

 

ブツリと旧式のスピーカーが落ちる音が響き、放送が終わった。

 

「報酬で釣った人海戦術とは汚ないぞ宇井コーチョー!」

志選(シエル)、端子回収」

「ウィ!万全だよ」

「もう11人こっち来てるし!みんな暇か!」

 

寝起きながら溌剌とした少女の声がリノリウムの床に反響する中で、蹴り飛ばされた掛け布団が宙を舞う。寝ぼけ眼の青年はタブレットから充電コードを引き抜いて薄手のポーチに素早く仕舞い込む。志選と呼ばれた見目麗しい少年が白衣のポケットに薄型の記録端子を詰めるのを確認するが早いか、ふんわりと床に落ちた布団が萎むよりも早く三人は部屋を飛び出した。

驚くほど身軽に棟内を駆け抜け、階段の吹き抜けに飛び込む。左右の手すりを交互に蹴って勢いを殺し、ガラス張りの昇降口から外を見れば11人からさらに増えた訓練生が詰めかけていた。

 

「回り込めー!」

「退路を塞ぐんだ!」

「中間実技回避‼︎」

「神妙にお縄につけ!」

「縄は古過ぎんだろ」

「なぁ31条って何だっけ?」

「バッカ、お前中間の対策法捨ててんのかよ。この前ニュースになってただろ、旧24区地下及び竜の卵管への侵入にはTSC上等保安官の同行が義務付けられんの。竜遺児の進化が著しくなってるから」

「だいぶヒトに近い見た目になってきたもんなぁ…流石に見間違うほどじゃないにしろ」

「つーかあの三人何したの。竜管に不法侵入?」

「それだけで校長があんだけブチ切れるかな?」

「いや、十分すぎるほどの問題行動だからなそれだけでも」

「あ、逃げた」

「フェンス越えやがった!」

 

当の三人といえばハチドリの如き勢いでフェンスをよじ登り逃走の真っ最中である。しかし、

 

「あっ」

 

軽快に重力に逆らった体躯が旧校を取り巻くフェンスを乗り越えて着地した瞬間、軽い爆発が足元で起こる。

 

「ぎゃ」

 

先陣切って逃げていた少女の着地点に埋められていたのは、彼らが改良した赫子の探知に引っかからないRc抑制噴霧式地雷であった。勢いよく踏み抜いた少女とそれに続いていた二人はもうもうと立ち込める薬剤の霧に包まれ脱力した。が、速度こそ人並みに落ちたがさらに走って逃走を図る。

 

「今ならいけるんじゃね」

「外行け外!」

「囲め囲め!」

「あっ校長」

 

一瞬沸き立った聴衆が鎮静化し始める。

雑木林に隠れていた校長_____宇井郡(ういこおり)が地雷の爆風で白髪をかきあげながら皺の刻まれた目元を細めていた。

 

「調査結果を全て自白から一〇〇本組み手か、一〇〇本組み手をしてから白状させられるの、どっちがいい?」

 

なおこの校長、元CCG特等捜査官なだけあってやると言ったらその日のうちに一〇〇本取るまで終われませんを始めるので何も冗談では済まない。そして三人に手加減をする者もいない。いつも首席のあん畜生どもに合法的に組み合って運が良ければ勝ち星をもぎ取れるかもしれないラッキーチャンスなので。

 

「おすすめは合同稽古での一〇〇本だが」

「今すぐゲロりますので睡眠不足の今はご勘弁下さいませんでしょうか宇井コーチョー殿」

 

速やかにホールドアップ、からの全力で頭を下げながらタブレットとデータチップを差し出したものの、反省文一〇枚を申しつけられた。「うわぁ」と不満のため息を漏らした少女に巻き込まれて二〇枚増えた反省文用の紙を貰いに校長室まで出向き、びっしり埋めて提出したそれらが全て報告書だったため翌朝再び校長室まで呼び出されるのだった。

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

 

 

人物紹介

名前:香戸(かど)伊鶴(いづる)(Kado Izulu)(17)♀

家族:祖父が伊丙系半人間(故人)、祖母が人間、父親不明の天然半喰種

所属:第一TSCアカデミー3年一等訓練生

赫子:羽赫

赫眼:右目

 

名前:日述(ひのべ)芹杜(せりと)(Hinobe Serito)(18)♂

家族:純喰種の孤児だが先天性赫包欠損であり三歳の時に伊鶴の赫包を移植されている

所属:第一TSCアカデミー3年一等訓練生

赫子:羽赫

赫眼:両目

 

名前:月山(つきやま)志選(しえる)(Tsukiyama Sielu)(17)♂

家族:祖父が月山習、祖母はちえ、母は一花(旧姓金木)の天然の半喰種同士のハーフ

所属:第一TSCアカデミー2年二等訓練生

赫子:羽赫、甲赫

赫眼:左目

 

 

 

 



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002:

 

 第一TSCアカデミー、本校舎学長室の床に正座をする三人の少年少女の前にはそれぞれ二〇枚の直筆反省文_____ではなく、反省文用のプリントに隅から隅までびっしりと記入された、再招集の原因である報告書が置かれている。

カツンカツンと硬いものがぶつかる軽い音が反響し、その無言の威圧にじりじりと三人の身が縮まっていくようである。

ボールペンでデスクを小突いていた宇井は、入室するが早いか自主的に正座をした三人にどう説教をすべきか考えあぐねていた。

何せこの三人、やらかすことは多いものの基本的に優秀であり訓練にも学問にも意欲的な模範生なのだ。報告書が書き終わっていないからと逃亡することは多いが後から完璧なものを上げてくる。

が、校長として説教の一つ二つしなければ対応したとはいえないため罪状を読み上げることから始めることにした。

 

「昨日の呼び出しは竜管を通じたコクリア地下への侵入だったな。で、出してきたこれは反省文か?」

「報告書です」

「許可は取りました」

「引率もいました。法には触れてません」

「記録上はな‼︎ギリッギリ触れてないよな。

しかしあれを引率付きとは呼んでたまるか馬鹿ども。同行した郷田上等保安官の指示も聞かずにズカズカ進んだ挙句申告した経路とは違う道に進み…」

「迷子です」

 

しれっと反論してくる少女を睨みつける。

 

「探知系の羽赫持ちが何を言う。コクリア跡地地下へ侵入、あろうことか掘り返すだと?」

「まだ掘ってません、未遂です」

 

アサガオの花のように開き高度な空間認識を可能とする羽赫を持つ半喰種の少女、香戸伊鶴。喰種の両親から生まれるものの赫包が生まれつき欠損しており、香戸の赫包を移植されることで通常の生活を送っている日述芹杜。共同戦線初代代表月山習の孫息子であり月山家の令息、月山志選。これ以上ない探索向きの二人と、いざとなれば甲赫で強制突破が可能な一人の組み合わせで迷子などあり得ない。

 

「何を掘り出すつもりだった?コクリア地下なら有馬貴将の遺体か、“梟”のクインケか。とっくに竜に吸収されているに決まっているだろう。

まぁ現在の正確な地図とRc値の測定結果…それから閉塞卵管の発見は成果と呼べる。保安官になってから正式に調査班に移動願いを出せ。

反省文の書き直しはもういい。

謹慎…させるとまた研究に没頭し始めるだろうから放課後に用を申しつけることにする。

授業に行きなさい」

 

宇井が退室を促すと、青紫の髪の少年___志選が右手を挙げて発言した。

 

「もう少しお時間を頂けますか学長」

「何だ、月山二等」

「情報漏洩を危惧し先日の報告書には記載しなかったのですが、コクリアの地下でSSレート半赫者【オウル】らしきものを発見しました」

 

宇井の目が見開かれるのを確認し、ここからが本題だとばかりに志選が取り出したデータチップを受け取った芹杜がタブレットに入れ起動させる。

 

「オウル、だと?」

「はい。半分ほど取り込まれていましたが現在も僅かに奥へ真っ直ぐ潜るような動きをしていました。こちらが採取した細胞とTSCが保存しているオウルの情報の称号結果です。やや変質していますが同一人物だと考えて間違いないかと。

オウルは同一の赫子を使用したクインケ“梟”に向かっていると推測し香戸一等訓練生と日述一等訓練生が探知したところ、その地点から116mから118mの辺りに閉塞卵管らしき空間がありました。竜戦での地盤沈下から計算すると、丁度祖父母から聞いた処分場の前の“花畑”があった空間だと考えられます」

「…………」

「さらにもう一つ。潜っている間に討伐した竜遺児の遺伝子配列にほぼ一致する人物が出ました。四十三年前にコクリアで死んだ喰種です。

顔の照合はまだですがおそらく酷似するものと。

侵入してきた者に喰らいつく程度の命令しか与えられていないようでした。しかし、言葉を発していました」

「言語を解する竜遺児だと、何故それを先に報告しない‼︎郷田上等保安官も、」

 

怒りの滲む悲鳴に伊鶴が付け加える。

 

「人間の聴覚ではまず聞き取れない大きさだったし、言語というより前後の脈絡のない記憶の反芻に近かった。

交戦、討伐した9体の竜遺児は“全て同じ遺伝子情報”を持ってたわ」

 

一呼吸間を置き、図書館から引っ張ってきた竜遺児の進化過程をまとめたファイルを軽く叩いて締め括った。

 

「おそらく竜遺児は、竜が喰らったヒトの情報を少しずつ反映…コピーペーストすることで短期間で進化を遂げてる。今は劣化品でも最悪の場合、完全な肉持つ死者の影法師が生み出される可能性がある。それこそ何体もね」

「まさか_________旧多の言った蘇りというのは!いや、しかしそんな……」

「宇井ガクチョーは、私たちが勝てると思う?喰種の再生能力と筋力を持った有馬貴将に。記憶が完全じゃなくても身体能力の再現と量産はそう難しくないはずだよ」

 

こてりと首を倒して付け加えられた説明に項垂れる。

 

「…無理だ。勝てるわけがない」

「ですよね。以上のことからコクリア地下付近閉塞卵管への正式な調査隊の派遣と早期の竜遺児討伐を要請します。

訓練生の立場ならまず学長に話を通すのが早いでしょう?」

 

いくら優秀とはいえただの訓練生個人に発言権はないに等しい。人と共存できなかった純種の喰種の両親から生まれ、先天性赫包欠損により栄養を溜め込めないためTSC本部の前に置いて行かれた芹杜、身内は老いた祖母と入院中の母のみで父親はバンクを使っていたため不明という伊鶴にコネクションはない。志選は明確な根拠を示した上で両親を説得すれば議題の一つに挙げてもらえる可能性があるがそれでは遅い。

しかし訓練生のやらかしたことなら再発を防ぐという名目で迅速に調査が入れられる。

 

「関連の報告書とデータがこちらです」

 

だから完璧な報告書の完成のために逃亡し、反省文にカモフラージュの報告書を書き連ねたのだ。初めから宇井を確実に動かすためだけの逃亡だった。

未だ全て解明されていない竜の最深部から吐き出されているであろう進化した竜遺児の討伐、オウルと未稼働の閉塞卵管の発見、竜遺児進化の根幹の解明に踏み込む調査結果。

危険地区で念入りに採取、調査してきた記録は値千金以上の価値をもたらした。

一つ前の成果である来年度から卵管付近に完備される予定の、竜遺児に感知されないRc抑制剤地雷の開発を上回る。間違いなく名誉なことであり、訓練生の独断でさえなければ準特等保安官への昇格さえ一考される案件だ。

しかしあまりにも、

 

___________彼らは急いている。

 

緊急性の高い案件に気がついてしまったから?それにしたって卒業までのあと一年が待てないほどのものでもない。

早く確実な結果を出そうと躍起になっているようにも見受けられた。

 

「お前たちは、どうしてそこまで急ぐ。大人は、其れ程までに頼りないか」

 

平和になったはずなのだ。少なくとも宇井が青年期から成人期の始めを過ごした時代とは比べ物にならないほど平穏だ。人材が潤沢とは言い難いものの、未成年を捜査官として登用し手柄を焦らせることはせずに済んでいる。

何がそこまで子供達を焦らせているのか、宇井には分からなかった。思い当たるのは娘を産んで以来入院中だという伊鶴の母親くらいのものだが、国からの補助とTSCからの補助金があるため治療が中断されるほどではないはずだ。

 

「ガクチョーはさ、」

 

黒に近いダークブロンドの前髪を指に絡ませ伊鶴は呟く。

 

「自分が何なのかって考えたことない?」

「敬語を使え。

自分が何者なのかなんて、何度も考えた。“自分は一体何をしているんだろう”、なんて絶望したことは数えきれないな」

 

敬愛した上司にも、愛おしかった同僚にも選ばれなかった過去に何度歯噛みしたことか。

 

「いや、そういうのじゃなくてもっと生物的に。

どういう経緯で生まれた生命体なのか、みたいな」

「人類学と喰種学なら研究室に行くべきだと思うが?」

「うん、まぁそうなんですけど。

ほら、私って父親分かんないじゃないですか。母さんが短命な祖父に孫を抱かせるためにバンク使って産んだのが私ですし」

 

香戸伊鶴の祖父は伊丙系の半人間であり、人間の祖母との間に伊鶴の母を設けている。その子である伊鶴は羽赫の半喰種だ。

 

「バンクの記録に不備があったか、凍結の際に入れ替わったか、先祖返りかだと推測されているそうだな。しかし混血の珍しくない今ではそう目立ったものでは…」

「センチメンタルなお年頃なんですよ」

「それと竜管探索に何の関係がある」

「竜遺児なんてものがポコポコ生まれるあれを解明できたら、自分が何なのか分かるんじゃないか____________なぁんて。

 

机上の空論にも劣る御伽噺です」

 

曖昧に締めくくると、にこりと微笑み肩をすくめる。

 

「とにかく、この報告書は本部に持っていく。暫くは内密の案件になるからくれぐれも他言は無用だ」

「はぁい」

「ウィ!弁えているとも」

「分かりました」

 

勿論!と言わんばかりの元気な返事に嫌な予感を覚え、さらに念を押して畳み掛ける。

 

「頼むから大人しくしていてくれ、データのコピーもするな。

調査班に推薦くらいはしてやるから勝手に動くなよ。

以上。一限に遅れずに教室に戻るように」

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

 

 

「___うん、今学校終わったとこ。今日セリと一緒に行っていい?

はぁい、お土産持ってく。

じゃ後でね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_______エト(・・)さん」




ちょっと詰め詰め…小説難しい…


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003:

 

 

 左腕で抱き抱えた内ビニールの紙袋の中には珈琲豆、右手に吊り下げたレジ袋には温かみのある手書きプリントのロゴが踊り、もう一つの袋では無機質な栄養ドリンクがかちゃかちゃとぶつかり合って音を立てる。

アカデミーの制服から私服に着替え、肌寒い風から体温を庇うコートを羽織った伊鶴と芹杜は、黙々と地下の肉壁を開閉しては降っていく。

竜の胎の中はいつも暗く、気温はさほど外と変わらないにも関わらず音の吸い込まれるような雰囲気は寒々しさを増している。

 

「ねぇ、セリ」

「何だ」

 

 ティッシュボックスやら服やらの生活用品の袋を左右にぶら下げた芹杜は端的に問い返した。別に不機嫌なわけではなくこの青年はいつもこうである。

元々誰にでも愛想がある方ではないが、赫包を移植されてから十五年間最も近い他人として過ごしてきた伊鶴に対しては一層遠慮がない。

 

 

______先天性赫包欠損。喰種を喰種たらしめる器官であるそれを、芹杜は持たずに生まれてきた。半人間や人間とは違い味覚や体質は完全に喰種のものなのでRc細胞の摂取が不可欠になる。しかしそれを貯め込む赫包がないうえに吸収効率も最悪、喰種のため人間のようにカロリーを貯め込める体でもない。慢性的なエネルギー欠乏症状によりまともな生活はおくれなかった。

竜戦後に始まった食糧の配給で人間を食べずとも生きられるようになった喰種でも、人と共存できず互助会を形成した者もいる。芹杜の両親はそれに属していた喰種だ。

両親はTSC本部の前に生まれて数日の芹杜を捨てた。

 当初病院側は赫包移植を受けさせれば良いと考えていたがそれも難航した。赫包がない、つまり赫子のタイプが分からないのだ。羽赫であった場合天敵である甲赫の赫包を移植してしまえば拒絶反応どころか即死もあり得る。血液検査にもかけたが、ドナー候補のいずれにも適合せず、どの赫包にも拒絶反応が強く出る可能性が高かった。互助会を通じて産みの両親の赫包を調べたが、それすら適合しなかった。

先天性赫包欠損の前例はなく、あったとしても生まれて数日で餓死してしまうため記録は残らない。原因も不明、病棟で春の七草から名付けられた芹杜は3歳まで点滴を抜けたことがなかった。

 

 偶然母親の見舞いに来ていた幼少の伊鶴は赫包が二つあり、芹杜と歳が近いこともあって検査を受けた。「二つあるから一つあげれるならあげたい」という子供同士の優しさから藁にもすがる気持ちで調べたところ、高い適合率を叩き出した。

血縁関係もない赤の他人が何故偶然にもぴったりと適合したのか。

今だに理由は不明だがそれ以来芹杜は無類の健康優良児として生活している。

 

「私ら、魂の双子なんだってさ」

「またエトの与太話か」

「小説家なんて与太話書いてなんぼでしょ。

双子って好きで双子に産まれるわけじゃないのに出会っちゃう同類なんだってよ」

「自分もそう思ってる、って?」

 

赫眼を出さずとも赤い虹彩に見下ろされた黒目が泳ぎ、手元のビニール袋が音を立てた。

 

「多分、同類はセリだけだなってさ」

「そうだな。お前の単独行動をしょうがねぇなで済ませられるのは俺くらいのもんだしな」

「うーん辛辣。じゃあ何でいつも手伝ってくれるの?」

「それこそ同類だからだろ。

志選は…変人なだけかもしれないが」

「あーあれはなぁ」

 

思い出されるのは美食を追い求めるあまり、Rc細胞の完全制御を会得するべく初対面の伊鶴と芹杜に弟子入りしてきた顔だけは紅顔の美少年である。

半喰種といえど元々Rc細胞を完全に制御して人間の食事を摂れる個体は数えるほどだ。六月特等保安官や金木一花の前例もあるため不可能ではないが難しいとされる。

しかし伊鶴は生まれつきそれができた。半人間の血を引く母親との相性なのか、母胎が通常の食事をしている間はRc細胞を抑制し、Rcl(レセル)調整食品(*Rc細胞を多量に含む食品の総称)を摂取している間は喰種として栄養を摂っていた。生まれ出てからもそれは変わらない。芹杜は赫包移植を受けてから味覚が多少変化し、それをきっかけに制御できるようになった。

 月山志選は美食家と呼ばれた喰種の祖父の血筋を感じさせる食道楽であり、Rcl調整食品ではない普通の人間の食事に手を出すべくRc細胞の完全制御を求めていた。

半年に渡る調教…ならぬ訓練の末に会得してしまった気合いはまさに変態以外の何ものでもない。

 

「めちゃくちゃでかい恩を売っちゃったよね」

 

訓練が厳し過ぎた反動なのか、志選は二人にそれはもう懐いた。協力は惜しまないという発言を違えず、元々の研究好きもあって今では暴走気味なほどだ。

なお今日は祖母の月命日で落ち込んでいる祖父に夕食を振る舞うから、と帰宅している。

 

 のっぺりとした肉壁を開くとクインケ鋼製の扉が現れる。虹彩と静脈の認証を終え、人力では開閉の難しい分厚さの扉を軽々と開ければ、ごろりと仰向けに寝ていた全裸の少女と目が合う。

 

「服、どこやったの。エトさん」

「赫子のリハビリのために脱いだ。もう着る元気がない。

お腹空いた。ご飯ちょうだいママ〜」

 

戯れつくように伸ばされた手を握った伊鶴が芹杜を見上げて戯ける。

 

「だってよママ」

「俺かよ。お前が持ってんだろ」

「コップ出して」

 

ビニールの中の栄養ドリンクがコップに移されるのを見てにひ、と笑いながら寝返りを打つのは10歳前後の少女だ。

名前は芳村(よしむら)愛支(えと)、ペンネームでいうなら高槻(たかつき)(せん)。50年近く前に一世を風靡した若き天才文筆家であり、アオギリの木を作ったSSSレートの半喰種。

 

「起きて」

「怠い」

 

脇の下に手を突っ込んで椅子に座らせ、ストローをさしたコップを渡せば吸い上げ始める。

 

「こればっかりは何度飲んでも慣れないな。Rc保有液薄めてめちゃくちゃ甘くしたみたいな味がする」

「不味くはないだろ」

「まぁちょっとクセがあるってレベルだけど」

「エトさん、かれーパン食べる?」

 

パン屋のビニール袋を見せると、活力が戻ったのか元気に答えた。

 

「食べる〜!クスリ早くちょうだい」

「はい」

 

カプセル剤を噛み砕いて吸収すると、手渡されるが早いか開封したカレーパンにかぶりつく。リスのように頬が膨らみ、咀嚼しながら楽しげに足を揺らす。

 

「ふぁれーふぁんおか…カレーパンとか、昔じゃ香辛料ドバドバだし揚げ物だしで食えたもんじゃなかったけどこんな味なんだねぇ。これ、人間が食べてるのと同じなんでしょ?」

「うん。まだRclだと再現しきれない味もあるし。もう少し安くなると外食とかで気軽に胃薬使えるんだろうけど、まだまだかな」




語彙補足

【第一TSCアカデミー】
20年前に新校舎が建ったため旧校舎と二箇所ある
宇井学長は若い頃ここの教頭だった

【Rcl調整食品】
Rcl(レセル)はCal(カロリー)とは別の熱量単位
人間の味覚だとやや苦く感じ、Ros(Rc過剰分泌症)の発症確率が少し上がるが喰種の子を妊娠中の妊婦が食べる分には問題がない
現在も味の改良が続いている
喰種向けの食糧の総称としても使われる

【胃薬】
喰種に必要なのはカロリーではなくレセルであり、通常の食事では効率が悪過ぎるため進化の過程で不味く感じ、体調不良に繋がるようになった
効果はRc抑制と吸収抑制なので味は美味しく感じられても喰種にとって栄養にはほぼならない
人間の子を妊娠している喰種の妊婦が人間の食事を摂るために使う(保険適応)
食の娯楽としての普段使いには高い(一錠2000円くらい)


なお以上の設定は全て自家製である


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004:

お気に入り2名ありがとうございます。更新頑張ります


 

 

 竜戦の直前、旧多二福の息がかかったピエロにより半死半生のまま遠隔操作されていた隻眼の梟は、死体を回収されることなく竜に飲み込まれた。仮に生きていたとしても赫者にまで至ったエトの体は完全に喰種に寄り、とっくに人間の食事を受け付けなくなっていた。

 何がどうして現在進行形で幼くなった姿でカレーパンに大はしゃぎしているのか。

 

 話は三日前に遡る。

許可を(一応)得て竜管へ入った三人は早々に迷子を装って引率の保安官を撒き、オウルの遺体と未発見の閉塞卵管を観測することに成功した。元々伊鶴の立てた仮説を証明するための証拠集めが目的であり、実際に掘り起こす気はさらさらなかったのでそのまま来た道を帰ろうとした次の瞬間、足元の肉壁がパクリと割れた。

観測の精度を上げるために持ち込んだクインケで両手が塞がっていた伊鶴は無様にも滑落し臀部を強打した。

 人間よりは頑丈でも痛覚はそれなりにあるため、衝撃に呻きながらも伊鶴は赫子が感じとる空間の異様さに眉間に皺を寄せた。

ぬるりとした卵管特有の体液臭さ、そして膜に詰まっている竜遺児。感知した反響具合からほとんどが同じ形をしているが、一つだけやけに人間に近い個体が混じっているのに気がついた。

 

 それを見つけた時の伊鶴の表情を知る者はいない。ただ竜遺児を刺激する可能性をかなぐり捨てて一心不乱に卵膜を引き裂き、鼻を突く生ぐさい羊水に浸ったそれを冷たい空気の中に連れ出した。

芹杜の静止がなければその場で意識を覚醒させるために衝撃の一つも与えかねなかった。

 触診ではおおよそ人体と大差なく、容姿は多く見積もっても10歳、下手すれば7歳。ラッパのような末広がりの赫子を押し当てて内部を探れば赫包も存在する。内臓も過不足ない。体温は生まれたてのためかやや高いが心肺呼吸も問題ない。

 しかし人間でないことだけは確かだった。

クインケを入れていたアタッシュケースに小さい関節を曲げて詰め込み、呼吸可能な隙間だけ開けて地下の研究室へ隠す。また隠し通路を抜けて何事もなかったかのように保安官と合流した。

 

 その日のうちに血液検査や赫包の一部を採取し、TSCのコンピュータに保存されているCCG時代からの敵性喰種の記録と照合するべく志選が奮闘していると、それは意識を得た。

 

「おはよう、体の調子はどう?」

 

警戒を解くことなく微笑みかけた伊鶴をしばらくぽかんと見つめてから少女は手足の動きを確かめ、

 

「あぁ、うん、おはよう…でいいのかな」

 

意思持つ返答をした。人格が存在する。意識がある。おそらくは記憶まで。

 

「抑制剤を打たせてもらってる。暴れられると困るし。名前と年齢、ざっくりした履歴を答えてもらえる?」

「俺は日述芹杜、東京保安協会TSCアカデミー三年だ。こっちは香戸伊鶴」

 

草色の目が一瞬疑念に揺らぎ、考え込み始める。

 

東京保安協会(トーキョーホアンキョーカイ)?……いや、はや、こんな台詞を自分で言うことになるとは思いもしなかったね。

__________今は何年だ?」

「西暦二〇五八年、11月29日。CCGの瓦解から42年経ってる」

「隻眼の王はどうなった」

金木研(カネキケン)のこと?私たちが生まれる前に亡くなったけど…和修宗太、旧多(ふるた)二福(にむら)を討伐したのが彼だよ」

「ふ、ふふ、あの道化は死んだか」

「死にましたねぇ。

ところで名前を答えてくれません?」

「?私が誰か分かっていて起こしたんじゃないのかい?」

「竜の卵管にいたのを引っ張り出してきただけ」

「竜…そうか、うん。

私は、エト。芳村愛支だ。高槻泉の方が通じるかな」

「5年前に『王のビレイグ』の紙媒体が増版されてましたよ」

「嬉しいなぁ、サイン要る?」

「後でもらいます、全巻単行本で揃えてるので。

年齢は?」

「27だよ。少なくとも記憶にあるのはね。

なんか小さくなってるのだけは分からないけど」

「今のは何歳くらい?」

「14、いやもっと前か…?昔は定期的に身長を測るような生活はしてなかったからね」

「10歳前後?」

「まぁざっくりだとそうなる。

こっちが質問していい?」

「どうぞ。答えられる範囲なら」

 

へらりとした笑みを崩さない伊鶴にエトは問いかけた。

 

「君たちは()だ?

私の知る人間とも喰種とも違う匂いがする。強いて言うなら赫者に似た、それよりももっと窒息しそうに濃いどろついた匂いだ。

しかも二人とも。まるで24区の肉壁みたいだ」

 

鼻は悪くないつもりだよ、と片側がRc細胞に染まった目を細めると、目を合わせた二人はあっさり答えた。

 

「同じ匂いなのは私の赫包をセリに移植したからね。適合するドナーが私しかいなかったから」

「俺の産みの親は両方24区の喰種だ。飢えて壁を喰うのも珍しいことじゃなかったんだろう」

「あと私の祖父は和修の半人間だ。父親は不明だけど、喰種か、和修に連なる存在の可能性が高いそうだよ」

「お互い和修()に近しい先祖返り、というわけか」

「推定だけどね」

 

取り敢えず理解はするが納得しきってはいないぞと主張するように口を尖らせるエトだったが、その態度もまぬけにくぅー、と鳴った腹の虫で遮られた。

 

「お腹空いちゃった」

「生憎胃薬の持ち合わせはない。常備してある栄養ドリンクになるが構わないな」

「それって私ら用?」

「勿論。シェル、持ってきて」

 

観測室兼コンピュータ室にいる志選に壁のマイク越しに呼び掛ければすぐに処置室の扉が開く。6本セットのガラスボトルに入った薄桃色の栄養ドリンクを三箱重ねてトレンチに乗せている腕と指の力、そしてブレない体幹は賞賛に値する。安物のトレンチは格好つけの犠牲になったのだ。片っ端から開封しているのを興味深そうに鼻を動かすエトに、ストローマグが手渡される。

 

「何これ?」

「これなら倒しても溢れないだろう?作業しながらの水分補給に連日重宝しているよ。予備だが貴女用にすることにしよう」

「どうも…」

 

もう少し華奢なら美少女と見間違いそうな美少年がウインクと共に差し出したのが可愛らしい兎柄のストローマグというのがシュールだが、伊鶴らは気にも留めない。何故なら二人もマイストローマグに目がシャキッとするドリンクやら栄養剤やらを入れて咥えながら作業をするのが日常と化しているからだ。

取っ手が二つついているため、つい両手で握ってしまったエトが志選の顔から爪先まで眺め、如何にも困惑していますという表情で芹杜を見上げた。

 

「…志選がどうかしたのか」

「知人複数名の特徴がごちゃごちゃ混ざった見た目と匂いしてるから、視覚と嗅覚の差分が凄い」

 

思わず吹き出した伊鶴の手元が狂ってドリンクが少し溢れたのはご愛嬌である。




有馬さんお誕生日おめでとうございますと言いたい人生だった(12/20)


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005:

 

 

「美味しかった〜!ご馳走様。次はあんパンとか大福も食べてみたい」

「あんこ系ね」

「バターは要るか?」

「いる!」

 

ちゃっかりリクエストまで付け加えたエトに服を着せ直して退出した伊鶴はへらへらした笑みを消し、タブレットを開いた。隣を歩く志選に確認しながらデータの確認を始める。

 

「竜細胞抑制剤の量は?」

「20ml増やしたよ。血管内のチップも問題なく稼働している。1日分のデータから解析は済んだからチェックしておいてくれるかな」

「うん…五感はまぁ自己申告通り良い方、赫包は今のところ自前の一つのみ。

ただエネルギー切れが早いのだけが気になるな、リハビリに赫子を出しただけで空腹を感じるものか?」

「赫者だった名残で燃費が悪いのかもしれないね。もしくは、竜戦初期の頃の竜遺児のような短期活動型、竜から栄養を得る充電タイプなのかも。

未熟児だから、という可能性も捨てきれないよ。実際に意識のわりに幼い言動が多い」

 

タブレットのスクロールバーを長押ししながら流れ続ける活字を読み込み、下唇を軽く噛みながら考え込んでいたが、片手間に壁のパネルに暗証番号をいれて輸血パックを幾つか取り出した。

 

「飢えられると困るから“食事”に合わせてRc保有液を投与しよう。依存性の高いCRN(クレン)031番、並行してDRW(ドロー)008番を使う。抑制剤も追加」

「ウィ、僕からセリトに渡しておくよ」

「竜の端末…にしてはどうにも完成が早いような…やはりもう一度あの卵管付近を調査したいな。サンプルが少なすぎる」

「勝手に行かないでおくれよ、イヅル。また宇井学長の眉間に皺が増えてしまうし、僕も反省文は御免だからね」

 

肩をすくめヤダヤダと首を振る志選の仕草に、伊鶴はクスリと笑って眉間の皺を解いた。

 

「気をつけるよ」

「僕の所見でいいなら聞くかい?」

「是非聞かせてくれ」

 

青紫の虹彩を知的好奇心にきらきらと輝かせ、立体データに編集した計測結果を画面に表示して話し始める。

 

「オウルがいたことからキーパーソンはやはり“梟”だろうね。オウルとクインケにされた赫包だけではエトを守る梟の巣には足りない。竜に取り込まれた本体_______芳村功善が近くにあるはずだよ。

おそらくエトは黄金色の化石だね」

「黄金色の化石…ああ、外観を残した物質の置換か」

「イグザクトリー!肉体が先か魂が先かというのは散々論じられてきたが、肉体に引っ張られることもあるだろう。

形だけでも器があった。だからより早く、より忠実に再現された。

そう考えれば辻褄は合う。彼女は一体だけの、いわば予想外の試作品かな。

竜が本格的に影法師を量産し始めるまで猶予はあるはずさ」

 

喰種化施術で後世にまで名を知らしめた嘉納明博にとって予想外の試作品となった金木研のように、核が完成するまで猶予はあると慰める。

 

「イヅル、貴女の恐れることが本格的に起きるのは、きっともう何十年か先のことだ。24区の崩壊期が来れば竜も弱体化する。

それまでに僕たちは何としてでも竜の記憶野を破壊し影法師現象を阻止する。

月山の家名にかけて尽力を誓おう、我が麗しのブルーバード。だからそう笑みを曇らせないでおくれ」

「私は、志選が思うような存在じゃないよ」

「ノンプロブレム。

自身が思い、志すことが何より重要なのさ。

僕の世界を広げた貴女の大志を支えたいというこの心に偽りなど一つもないのだからね」

 

ウインクを決めながらブルーライトカットメガネをかけ直すと、「休めていないんじゃないかい?そういえば駅前に新しくできたカフェ、僕が出資と監修をしたんだ。お勧めはベイク・ド・ショコラケーキだから息抜きに行ってくるといい。明日は休みだし暇だろう?」とやや強引に伊鶴を頷かせた。

 

「でも二人だって疲れてるんじゃ」

「ではセリトとRc保有液の調整をしてくるよ。竜細胞抑制剤の補充だけしておいておくれ、終わった奴から帰ろう。Good night!」

 

白衣をはためかせて嵐のように立ち去っていく後ろ姿を見送り、伊鶴は疲労の抜けない頭で「若い頃は行動力の化身だったという志選の父方の祖父母の血のハイブリッドは流石だなぁ」「いや確かに引っ張り込んだのは私だけどもブレーキが要らない時は常にアクセル全開なタイプだとは気がつかなかったんだよ」と過去の自分に肩を叩かれるのを幻視した。

 

 

 

 




感想とか質問とか…モチベーションになるのでぜひ…オリジナル設定多いわりに話の中で解説しきれないところもあるので「ここ何」みたいなの聞いてほしいです


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006:

 

 

 

 翌日の午後1時、東京都23区某駅前の喫茶店のテラス席に伊鶴は腰を落ち着けていた。月と眼球模様が持ち手にあしらわれたこの店特注のカップを傾け、のんびりとブレンドコーヒーを味わう姿はベリーショートのヘアスタイルと切り揃えられた前髪も相まってかの映画女優のようだ。細い三つ編みをカチューシャ代わりに巻きつけたこめかみには一輪のリンドウのヘアピンが刺さっている。

穏やかに流れるシューベルトの菩提樹とともに吹く北風は、日向なこともあり涼しく感じられた。

土曜日のお昼というのは午前授業の終わった制服姿の高校生や子ども連れの家族、恋人、友人同士で大層賑わっている。

 

人間、人間、喰種、半喰種、人間、半人間、喰種、人間、半喰種_______

 

一瞥するだけで匂う混じり続ける血。

娯楽としての食が増え、完全に同じものだけを食して生きることは叶わずとも飢えることのない飽食を主張するような賑やかな街並みが新しい種族の誕生を寿ぐ。TSC発足から数十年の月日が流れ、ヒト喰いの悪夢は過去になり、敵性喰種の情報を求める張り紙が風化したこの時世で人間と喰種はヒトとして手を取り合い竜遺児の殲滅を掲げている。

事実、第二世代と呼ばれる伊鶴たちの両親の世代から伊鶴たちの第三世代は半喰種、半人間が激増した。元々が奇跡の産物だったものが“食料”の開発で現実味を帯びたのだ。

西尾貴未博士やその後継達の奮闘が実を結んだ結果、和修が白日庭で作り出し送り込んできたよりもはるかに多い半人間と半喰種がアカデミーの門を叩くことになり、去年度の保安官の殉職率は1.42%を切った。他国からの亡命や犯罪組織の流入は警察との合同捜査になるためそちらの死亡率の方が高いくらいだ。

 なんと素晴らしい時代でしょう、と手放しに公言するには時間が足りていないにしても現状は平和である。

なおブレンドコーヒーと一緒に頼んだベイク・ド・ショコラケーキは志選がお勧めするだけあって人気なようでもう少しかかるらしい。

 

此処に幸あり(Hier findst du deine Ruh’!)、か」

 

街を行く母が手を繋いだ娘のマフラーを巻き直すために立ち止まり、微笑みかけてまた立ち上がる。それをぼんやり頬杖をついて眺めながら伊鶴は軽く目を閉じた。

 

「待ち合わせですか、お嬢さん」

 

その背中に少年のような、低くなりきらない柔らかな声がかけられる。

驚いてカチャンと無作法にカップをソーサーに降ろして振り返れば、杖をついた白髪混じりの初老____にはとても見えない男性が立っていた。

 

「いえ、一人です。貴方こそ待ち合わせですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴屋(すずや)竜将」

「ふふふ、元ですよ。今日はお墓参りでしたから。ごめんなさい、君が一人なのは珍しいなぁと思ったもので」

 

言われてみれば花の匂いが微かにするな、と思い至れば微笑ましいものを見るような視線をおくられ、きょとんと首を傾げて聞き返す。

 

「珍しい、でしょうか」

「本部でも三人のことはしょっちゅう噂になってますよ、宇井学長の愚痴の長いことと言ったらもう」

「ははは…もしかして竜将直々のお説教だったりは…」

 

流石に休日まで、しかも全保安官の尊敬を集め続ける鈴屋竜将に叱られるのは嫌なものがある。宇井学長?学長にはしょっちゅう怒られ済みなので今更ノーカンである。

上目遣いに様子を伺えば、目元に皺を寄せて笑われる。

 

「しませんよ、僕も今日はオフなので。でも、大人を頼らないのはわるい子ですねぇ」

「はぁい。

あ、よかったらこちらの席どうぞ」

「お邪魔しますよ。あぁくたびれた」

 

義足と杖の音をぎぃ、と鳴らして向かいに腰掛けた鈴屋の方へ軽く体を向け、耳を傾ける。

 

「昨日の会議が白熱して寝不足なんですよね。現場からも研究畑からも引っ張ってきての検証祭りでした」

「丸投げさせていただきました…というか、竜将も対策会議出てるんですね。前線から下がって長いでしょう」

「失礼な。出ますよ、そりゃ。

まぁ今年度で定年なので僕の関わる最後の仕事になりそうですが」

 

隠居まで秒読みですね、と頬杖をつく鈴屋は御歳六十五歳のはずだが小柄な体躯に元々の痩せ型もあって40手前がいいところだ。写真写りが異様に変わらないタイプである。

 

「そっちこそお母さんのお加減はどうです?」

「相も変わらずです。新しい竜細胞抑制剤でも細胞の自食現象を抑え切るには足りないみたいで点滴生活ですよ」

 

伊鶴の母は伊鶴を妊娠中から18年以上に渡って入院している。細胞が自食し合う、Rc細胞の自己治癒能力を持ってしても完治不可能な竜細胞由来と思わしき…まぁ原因不明の病だ。3年前からは記憶の欠落も見られ始めた。

 

「お喋りはしていますか」

「まぁ色々と…もっぱら日述や月山と馬鹿やった話をしてますね。最近は私が夕乍(ゆさ)竜将に似てきたってそればっかりで。母さん世代が小さい頃のTSC最強格の一人ですし、ファンなんだそうです」

 

父親が白日庭の伊丙の血筋なため一応親戚ではあるものの、今だに雲の上の人だ。とうに亡くなっているが母は変わらずファンのままである。しかも暗い濃紺の髪くらいしか似ていないので明らかな身内贔屓だ。

給仕されたケーキを受け取り、焼きたてのじゅわりと溶けたバターとチョコレート、添えられた生クリームに思わず「ほえぇ」と感嘆のため息をもらす。

 

「確かに似てますね」

「それを言ったら白日庭にルーツを持つ子は全員似てますよ」

「まぁ彼は君ほどじゃじゃ馬じゃなかったですが。

どっちかっていうと伊丙上等に似てますよ貴女」

「祖父が伊丙出身なので血縁的にはそっちの方が近いですね」

 

はふはふとケーキを頬張り舌鼓を打つ。

外はザクほろ、中はとろじゅわ、熱々のビターチョコレートに硬めの生クリームがよく合う。隠し味はブランデーとシナモンジンジャーだろう、寒い時期にぴったりだ。ブランデーは添えられたラズベリーと同じラズベリーブランデーだろう。流石は志選監修のお勧めだけはある完成度だ。

飲み下し、珈琲でラズベリーの甘酸っぱさを洗い流してから鈴屋に問う。

 

「竜将こそ、お墓参りは篠原元特等のところですか?」

「はい。お盆に行けなくていつにしようか考えていたら末のお孫さんに誘われたので」

「あぁ、篠原(あきら)…」

「そういえば同級生ですか」

「同じクラスですね。チキチキ捕縛RTA with学長を繰り広げたばかりです」

「僕が歳を取るわけですねぇ」

 

くすくすと笑う鈴屋はしみじみと呟きながらもどこか嬉しそうだった。

 

「歳取るのって不思議な感じとかします?」

「そうですねぇ、30代後半くらいからは僕を引き受けてくれた時の篠原さんと同じくらいかと思うと感慨深かったですし。

こんな風だったのかなぁなんて感傷的になりがちだと不思議な気もしますが、悪い気はしません」

 

立ち上がると「ついでに」と声を潜める。

 

「再調査は一週間後です、遺書の更新を忘れずに。

あと西尾博士が調査に使ったクインケのデータが欲しいと言っていたので月曜日にでも持っていってあげてください」

 

調査に使ったクインケは探知に長けた羽赫である伊鶴の赫包から自作したものであり、蝙蝠傘に似た見た目から安直にコウモリ[1/3]と呼んでいる。

 

「了解です」

「それでは良い休日を〜」

 

立ち去る背中を眺め続けるのも気まずいので珈琲を啜りながら予定を立てる。

全休のつもりだったが、月曜にラボに持っていくのなら夕方から整備を始めなくては間に合わない。予定が詰まったにも関わらずケーキの残りを口に詰め込む手は軽い。

やっぱり忙しい方が自分は性に合ってるな、と冷めた珈琲を飲み干した。

 

 

 

 




什造の「わるい子」発言はビッグマダムの「いい子」との対比で、歳をとって丸くなって平穏を享受できるようになったからこそ「わるい子」と言えるようになった…って感じ
ちなみにアカデミー生には「あきら」とか「ゆう」「ゆうさく」「れい」「じゅうぞう」「きよこ」みたいな名前の子がちらほらいます


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007:

 

 

 

 いつの時代も作戦の前は騒がしく大詰めなものなのだろう。作戦開始1時間前のTSC本部のロビーの喧騒は止みそうにない。

 

「クインケ最終点検入ります!そこ、嫌がらない!」

「装備の不備がないか、もう一度丁寧に確認をしてください」

「なぁやっぱり24区のナァガラジのデータもいるって絶対」

「つっても今から閲覧許可なんて取れねぇだろ」

「今なら長官室に長官居るってよ」

「許可もぎってくらぁ」

「ついでにコクリア最深部の崩落予測も許可とってきて!」

「阿藤準特等ってば、またクインケ自己改造しましたね⁈もー、担当整備士呼ばなきゃ…」

「またブチ切れられますよ?」

「山頭二等と羽田二等、遺書が未更新だって事務方からメール来てるはずですよ!今確認してください」

「あっやべ見てなかった。そのままで」

「別に大したもん買ってないし内容そのままでいいや」

「ここ二年くらいずっとそれ言ってますよね」

 

いいから事務室に急ぐ!と急かされる二等保安官2名を視線で見送るのと入れ違いに担当の整備士が般若の形相で飛び込んできた。

 

「アドウのバカは何処に行った!今日という今日こそ許さんぞ、よくも毎回私のTO:lotにあんなクソダサ加工を‼︎」

 

あぁ可哀想に、こんなにされてしまってとクインケを憐れむ女性整備士に持ち主の阿藤準特等がいきり立つ。

 

「クソダサとか言うな!あと俺の愛刀はそんなトイレっぽい名前じゃなくてバルムンクだ!」

「TO:lot、トロット‼︎ハイアーマインドに並ぶ高火力の羽赫で一対多数が本領発揮の性能に相応しい名前だろうが、この竜殺し気取りめ」

「竜遺児倒すんだから竜殺しで縁起がいいだろうが」

「そもそもバルムンクは剣だろう。ビーム撃つ魔剣がお前の世界にはあるのか?」

 

はっ、と鼻で笑う整備士に一瞬怯むも反発する阿藤陣砦(あどうじんざ)27歳、実力も人望も備えた準特等保安官であるが何せゲームマニア(ジークフリート推し)であった。完治しなかった厨二病の成れの果てとも言う。

 

「剣がビーム撃っちゃ悪いのかよ。

あのな、俺はあんたの整備したクインケが一番使いやすいしギミックも完璧だと思ってる。正直尊敬してる」

 

いきなり真面目な声音になる阿藤に、何言ってんだこいつという顔をしつつもクインケの点検を始めた百々目木(どどめぎ)女史はギミックの微調整をしながら頷いた。

 

「…だろうね。中身は何にも弄られてない」

「最高の仕事に蛇足をするほどバカじゃない。

だが!外観のセンスが気に入らん!」

 

腕組みをして言い切った阿藤の顔の横にクインケ用のペンチが全力で突き出される。

 

「曲線美と強度を追求しつつ希望も聞いて何とかスタイリッシュにレイピア型に収めたあれの何が気に入らんのだ表出ろ貴様‼︎」

「だが断る‼︎」

「百々目木班、今すぐその余計な外殻をオーバーホールだ。この馬鹿は私が押さえる、やれ!」

「やめろ!

あああああ」

 

全速力で分解されていく、この整備士を怒髪天にすることでお馴染みの阿藤センスによるバルムンク()は小学生が自由帳に一生懸命描いた“おれのかんがえたちょーかっけーまけん”という感じの見た目をしている。朝の戦隊モノの武器のデザインは洗練されてきているのでそっちの方がまだ持ってて恥ずかしくない。ただし小学生や幼児にめちゃくちゃウケる。

綺麗にバラされピカピカに整備されたバルムンク…否TO:lotを目の前に膝を折って落ち込む阿藤準特等を尻目に整備班は次のクインケの整備に向かった。

 

 伊鶴たち三人はというと早朝からの作戦に備えて朝食代わりに糧食を啜りながら、作戦方の特等と膝を突き合わせて立体地図と睨めっこしていた。

 

「ここ。竜戦時に“カネキケン”を回収した時と“リゼ”を殺した後の崩壊期に似た波長が観測されました」

「一致指数は?」

「0.2から0.34です」

「崩壊期と見るには弱いな」

「必要以上に刺激を与えたり何かを摘出することは避けよう。細胞の採取にとどめるということで」

「それでいいか?」

「はい。少し気になったというだけなので。お時間いただきありがとうございました」

 

作戦開始まであと30分。

 




リアルが…忙しい…書き溜めつつ頑張りますのでどうぞゆるっと期待しててください


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