Fate/DebiRion. (平安しのう)
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魔術師たち 
1.召喚


閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)……」

 

 シャンデリアの灯りの照らす大部屋に、少し鼻にかかる少女の声が満ちていく。

 

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 ぽたぽたと垂れていく自らの血に少女は何を考えているだろう。

 

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 吹き荒れる風に金色のツインテールを揺らし、傲岸不遜な笑みを浮かべて少女は言い放つ。

 

 

「汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 

 言い終わるのと同時に少女の心臓がどくんと鳴った。少女は思わず拳を握り込んだ。

 

「これはきちゃ! 成功よ、成功。絶っ対成功!」

 

 少女の興奮に応えるように、屋敷が鳴動し始める。揺れるシャンデリアの明かりに合わせて部屋の中の光と影が踊る。本棚から本が落ち始めて、ついには本棚が次々と倒れていった。

 

「ちょっ、ばか、やりすぎ――」

 

 少女の言い終わるかどうかというところで魔法陣の中央に、ぼんっ、と小さな白い煙が上がり、振動は止まって辺りは一気に静かになった。

 

 果たして、少女の見つめる先、魔法陣の中央には角の生えた黒いコアラ……のような小さな生き物が座っていた。少女はあっけらかんとして言う。

 

「え……お前、何?」

 

 その小さな生き物は今やっと少女に気づいたらしい。大きな黄色い瞳を何度か瞬きさせて言った。

 

「いかいのとびらが、ひらかれた……ふふふっ。ボクは異界からやってきた悪魔、でびでび・でびるだよ~」

 

 口をぽかんと開けて何も言えない少女をよそに、でびでび・でびるは辺りを見回し、すぐそこに置いてあった立派な酒瓶を見つけて目を輝かせた。

 

「オマエ、いいもん持ってんじゃねえか!」

「あ、ちょっ……!」

 

 少女の静止の声も間に合わず、でびでび・でびるは酒瓶を片手に持つと、その注ぎ口に口をつけてグイッと傾けた。

 ごきゅっごきゅっと嚥下の音が続き、でびでび・でびるはついに一息で酒を飲み干してしまった。

 

「ぷはーっ! うまい! なかなか上等なもんを用意したねぇ。ところで小娘はなんていうの~?」

 

 少女はぷるぷると拳を震わせて、顔を上げて言った。

 

「鷹宮ですけど⁉ たかみやリオン! え、なんで飲んだの? お前なんで飲んじゃったのっ⁉」

「そりゃオマエ……そこに酒があったから」

「ふざっけんな! 人のもん勝手に飲むなよぉ!」

「えぇ……だって、そこにあったから、てっきりぼくのかと思うじゃん!」

「ちげーよっ! これは召喚するはずだった伝説の鬼の……」

 

 そこで少女、鷹宮リオンはため息をつき、床に手を着いてくずおれた。

 

「終わった。私の聖杯戦争……終わった」

 

 でびでび・でびるがその小さな羽を動かして、漂うように鷹宮リオンの傍まで寄ると、その肩にポンと手を置いた。

 

「まあ元気出せよ小娘、生きてればいいことあるって」

 

 鷹宮リオンは床に手を着いたままぎろりと目だけを動かしてでびでび・でびるの方を見た。

 

「あーでびでび? とか言ったっけ? アンタ、強いの?」

「ぼくぅ? うーん……いや、全っ然強くないけど」

「知ってた」

 

 鷹宮リオンはあまりの気だるさにごろんと寝転がってしまった。

 

   〇

 

「待って! 待ってくれ兄さん! 話せばわかる。話せばわかるって!」

 

 ところ変わってパソコンのモニターが青白い光を放つ薄暗い部屋。ジャージを着た白髪の青年は追い詰められていた。

 

「余は貴様の兄などではない! なぜだ、なぜ余を呼び出した⁉」

 

 こんなもので……! と黒と金を基調にした貴族のような衣服を纏う男の手には、先の尖った一本の白い歯があった。男はそれを握り潰して灰にして見せる。

 

「いや、なんでそんな怒ってんだよ。どうどうどう、落ち着いてほら、俺の目見える? 敵意のない目だよー。ほらほら、ちゃんと見てくれって!」

 

 と青年は目をかっと見開いたが、男はそれを鼻で笑い、言った。

 

「余と同じ、化け物の瞳だ」

「なんでそうなるのぉー!」

 

 青年の後ずさるその背後、ピコン、とチャットの通知音がした。

 

「あ、ちょっと待ってくれ兄さん、たぶん(かなえ)からだわ」

「貴様と通じている者か。よかろう。言葉を交わすといい。貴様もろとも切り刻んでくれる」

「っはー、なんでこうなったかなー」

 

 青年はため息をついてチャットを確認する。

 

叶「どう葛葉。召喚成功した?」

 

 青年、葛葉(くずは)はチャットに返信せずに、迷わず通話ボタンを押した。

 通話は当然のようにワンコールで繋がった。

 

「お前いちいちかけてくんなって言ったじゃん。もう、今忙しいんだけど」

 

 ハスキーな青年の声が面倒くさそうに応答する。

 

「かなえ助けて! 今殺されかけてる」

「あー、まだそこかあ。じゃあ引き続き説得頑張って」

「いや説明! 俺わけもわからず死んじゃうよ?」

 

「ほう、貴様は何も知らない。であれば首領はそやつというわけか」

 

 やべ。葛葉は呟くと、こほん、と咳払いして男に向き直る。

 

「あーそのですね。そうといえばそうなんですけど、そうでないといえばそうでない……みたいな」

「仲間をかばうか。面白い」

 

 なんも面白くねーよ! 葛葉は振り返ると慌ててチャットにメッセージを打ち込む。

 

葛葉「かなえもうお前のせいにしていい?」

 

「ばかばか、お前、やめろって!」

「じゃ、お助けプリーズ」

「うぜぇー。まあいいけどね。ちょっとサーヴァントに名前聞いてみて」

 

 葛葉は振り返って男に尋ねる。

 

「あの……お名前とか、聞いてもよろしいでしょうかぁ」

「ふん、言いたくないな」

 

 男は意地悪く口角を釣り上げる。

 

「ッスゥー……言いたくないって」

「は?」

「は?」

 

  背後からの視線が鋭くなっていくのを感じ、葛葉は背中に汗をかきながら訴えた。

 

「だいたい、お前が歯一本で最強の吸血鬼が守ってくれるって言ったんじゃねーか。俺殺されかけてんだけど! なあどうしてくれんのお前これ」

「ご愁傷様」

 

 カチーン……葛葉の方針は決まった。

 

「話があるなら俺のところに来い……とこいつが言ってますがあのよろしいですか?」

「はっ! それはずいぶんと男らしいこと。よい、許す。案内せよ」

「よっし! んじゃ行きますかぁ!」

「お前っ、何勝手なこと言って……!」

 

 葛葉は通話を切ると外出の準備を整え始めた。



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2.交渉

 教会のドアを開けると、そこには眼鏡をかけた若い神父が立っていた。神父は教会に入ってきた二人組を見て小さくため息をついた。

 

「はぁ……マジか」

 

 葛葉は着慣らしたジャージで厭らしい笑みを浮かべ、どっかどっかと足音を立てて歩いて来る。

 その後ろの貴族のような長髪長身の男がサーヴァントだろう。その目は怒りに満ちており、まだ一言もしゃべっていない叶のことを憎んでいるようだった。

 

 なにはともあれ、叶は言葉を切り出すしかない。生き残るために。

 

「ようこそいらっしゃいました。冬木教会の神父を務める(かなえ)と言います。今回の聖杯戦争では監督役の任をいただいております。お二方とも、どうぞお見知りおきを」

 

 葛葉がふっと鼻で笑った。

 

「ね? どう思います、これ?」

 

 そうして叶を指差す。サーヴァントの男はゆっくりと頷いて、

 

「なるほど、巨悪だな」

 

 衝撃の一言に叶は思わず吹き出した。

 

「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕は今まで真摯に主の教えを探求してきました。巨悪だなんてそんな、ありえません」

「ほう、この真に迫った困惑ぶり。よっぽど、嘘をつきなれているのだな」

 

 サーヴァントは笑いもせず、不快なものを見るように叶を見つめた。

 この男には通じない……。叶は悟るとすぐに作戦を切り替える。

 

「わかりました。わかりましたから、そんなに睨み付けないでください。ところで貴方は……クラスだけでも教えていただけないでしょうか?」

「貴様は知っていると思っていたのだが……?」

 

 サーヴァントと叶の視線が一瞬交錯する。

 

「バーサーカーですね。ではバーサーカー、貴方は葛葉(くずは)から何を聞きましたか? 僕が補足できることもあるかもしれませんので」

 

「葛葉……この吸血鬼か。こ奴は貴様の指示で召喚したといっている。余は慈悲ある君主……そうありたいと思う。怪物となった今でもだ。余の力を求める者があればどこへでも赴こう。共に戦う者の願いに己の願いを賭けよう。だがこ奴は吸血鬼の牙を使って余を呼び出した。こ奴が必要としたのは余ではなく、醜い怪物の力なのだ……!」

 

 叶はバーサーカーの言葉をしっかり受け止めているというように目を瞑ると、軽く俯き、頭を下げた。

 

「それは失礼しました。確かに召喚の触媒は僕の指示です。しかしそれは友を思ってのこと。吸血鬼である葛葉と最も相性がいいのは吸血鬼であると思ったのです」

 

「いやお前……よせよ、人前で」

 

 葛葉は照れて頭をかいたが、バーサーカーはじっと叶から目を逸らさないでいた。叶は続ける。

 

「そして、バーサーカー、貴方が吸血鬼をそこまで嫌っているとは思っていませんでした。本当に、深く、深くお詫びいたします」

 

「ん? でもさっきまだそこかって……」

 

 首を傾げた葛葉を叶は血走った目で睨みつけた。葛葉は察して黙り込む。

 

「こほん、自分に出来ることなら何だってします。だからどうか……どうか……」

 

 叶の膝が床に着く。ゆっくりと前のめりになって両手も着き、その頭が床に着いた。叶は土下座をして叫んだ。

 

「だからお願いです。僕の友である葛葉を助けてやってください!」

 

 叶は垂れた前髪の隙間からバーサーカーの顔を覗き込む。バーサーカーは冷静に叶を見下ろしているようにも見えるが、しかし叶にはわかった。効いてる……! 叶は畳みかける。

 

「お願いです。葛葉は死にかけの僕の命を救ってくれた、介抱までしてくれた。これまでずっと教会の弾圧や他の吸血鬼の派閥からお互いを守り合い、寄り添い合ってきました。この世における僕の唯一の友であり、僕の唯一の居場所なんです! どうかお願いします、葛葉の力になってください!」

 

 そこで叶は頭を強く床に擦りつけた。そして叶のアイコンタクトを受けて葛葉もまた叶の隣に膝を着き、土下座をした。

 

「俺からも頼む! 俺は何も知らないままアンタを召喚しちまった。これは俺の聖杯戦争なのに、ろくに知ろうとも思わなかった。責任は俺にもある。なあ頼むよ、叶を殺さないでやってくれ!」

 

 この通り! と葛葉は床に強く額を打ち付けた。バーサーカーはそれを呆然として見ていた。葛葉の額から血が滴っていたのだ。

 

(痛ってぇー! 叶やばい、血が……血が……)

(ww馬鹿お前、聞こえたらどうすんだw)

 

「顔を上げよ」

 

 バーサーカーの声に二人はゆっくりと顔を上げた。バーサーカーは一言、二人に告げた。

 

「余は、二人を赦そう」

 

 二人は一瞬何も言えずにお互いの顔を見交わしたが、叶はすぐに切り替えて言う。

 

「ありがとうございます!」

 

 葛葉も後に続く。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

「よい。しかし……ふふっ、ふっはははは! 叶と言ったか、貴様は聖堂教会の神父であろう? それが吸血鬼を唯一の友とはな! この教会も十字架は全て見た目だけで中で折られているな? よっぽど罰に当たりたいと見える……くふ、ふはははははは!」

 

 バーサーカーは笑うのに疲れると、踵を返して言った。

 

「余は夜風に当たる。貴様らは今後の策でも練っているといい」

 

 そうして、教会から出ていった……。

 

 二人は神妙な顔でバーサーカーの背を見守っていたが、教会の扉が閉まり、バーサーカーの気配が遠ざかったのを感じると、二人して仰向けに寝転んだ。

 

「死ぬかと思ったー」

 と叶。

 

「いや、お前三回くらい死んでない?」

 と葛葉はからかった。

 

「そのうち一回はお前に殺されてるわ。何あれ? 凄いこと言いそうになってたよね?」

「すまん……」

 

 二人はじっと見つめ合い、やがてどちらからともなく笑い出した。

 

「まあいいけど別に。結果オーライ?」

「恩に着るわ」

「ところで」

 と叶は思いだしたかのように言った。

 

「お前透明化して座ってろよ。面白いもん見れるよ」

「へー、そりゃあ……楽しみだ」

 

 

「はぁー……ナニコレ?」

「いや、ナニコレと言われましても……」

 

 鷹宮リオンは目を細めてじっとでびでび・でびるを見つめるが、諦めて首を横に振った。

 

「クラスもステータスもなんっにも見えやしない。アンタ何者?」

「だからボクは~、魔界の悪魔、でびでび……」

「いやそれはもういいって」

 

 名乗りを中断されて悪魔はしょぼんと肩を落とした。

 

「どうすんのこれ? 私たち、聖杯戦争勝ち抜けるの?」

「え、何? 小娘戦争すんの……こわ」

「お前ぇも戦うんだよ! ああ~もう! どうしてくれんの! 私の聖杯戦争の完璧なビジョンがっ! お父様にも準備万端って言ったのに~」

「戦争はよくない。辞退しよう」

「無理! 絶っっっっ対無理!  皆にも聖杯約束してるし、今さら後には引けないって」

「そっか。小娘、強く生きろよ」

「だからお前ぇも戦うんだって!」

 

 鷹宮は自分の手の甲に浮き出る紋章を見つめてため息をついた。令呪はちゃんとあるから、やはりこの悪魔もサーヴァントではあるのだろう。ただ、命令してもほとんど何も出来なさそうではあるが……。

 

「でび。お前、何ができるの? そんなんでもサーヴァントなんだし、直接攻撃は出来なくても妨害の魔術とか使えるんじゃない?」

 

 悪魔だし……と鷹宮は付け足した。

 

「いや……無理だね。魔術とかめんどくせ」

 

 鷹宮は思わず舌打ちして拳を握り締めた。

 

「このヤロウ! もう我慢ならねえよ、ぶっ殺してやる!」

「うわ、ちょ、何する小娘! やめろ!」

 

ーーーーーーー

 

「あの、魔術よりもいい方法がございまして……」

 

 顔を腫らした悪魔が正座して申し出る。

 

「なに? 言ってごらん」

 

 顔を背けた鷹宮の顔はひっかき傷でいっぱいだった。

 

「自分、悪魔なんですけど、悪魔は信仰する人間が増えれば増えるほど強く……なるんですねぇ」

「へぇ。どうするつもり? あたしになんかできることあるー?」

 

 と鷹宮はスマホを弄りながら聞いた。

 

「いやもうちょっと興味持ってよ。信仰されれば強いんだよ? ボク悪魔なんだよ⁉」

「でも信仰って、信仰されないと何の力も使えないんでしょ? 力が無きゃ信仰なんてされなくない?」

「いや……」

 

 そこで悪魔はパタパタと羽を動かして漂って見せる。

 

「飛べるし……」

 

 鷹宮は悪魔を無視し、スマホをポケットに入れて立ち上がった。

 

「よし、教会行こっか」

「ボクを払う気⁉」

「ちげえよ! サーヴァントを召喚できたから、聖杯戦争に参加しますって宣言するの」

「なんだ死ぬ気かぁ。よかった」

「死なねえよ! でも聖杯戦争に参加するのは決定事項!」

「あー、そう。いってらっしゃい」

「お前ぇも行くんだよ!」

「いやだぁ~‼」

 

 鷹宮は悪魔の襟首を鷲掴みすると、屋敷の外へ踏み出した。



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3.教会へ

 教会の門の前、街灯の下で黒い衣服を纏う男は影のようだ。鷹宮が急に止まったので、悪魔は鷹宮の背中にぶつかった。

 

「何すんだよ小娘!」

「静かに。あいつ、サーヴァントよ」

 

 悪魔はそこで初めて男の方に目をやった。男のまっすぐな背すじ、丈の長い上着と、そして白く長い髪を風に揺らしている様には気品が感じられて……。

 

「小娘、短い間だったけど楽しかったぜ。お前に貰った酒の味は忘れない」

「お前が勝手に飲んだだけだろ!」

 

 しまった! 敵の前でツッコミを……!

 

 鷹宮は慌てて男の方に向き直るが、男は微動だにせず、こちらをじっと見つめていた。

 

「そう警戒するな。教会に来る者を襲いはしない」

 

 そう言って男は道を譲るように脇にそれた。

 

「あ、どうも~……失礼しま~す」

「なんで小声なわけ?」

 

 いそいそと男の横を通り過ぎようとする鷹宮を見て、今度は悪魔がツッコむ。通り過ぎる瞬間、男がちらりと鷹宮の方を見て言った。

 

「あの神父はかなりの食わせ物だ。信じない方がよいぞ」

 

 え……?

 鷹宮は振り返るが、男は教会から離れるように歩き出していた。

 

―――――――

 

「ちょっと待ってよ、だって教会だよ⁉ ボク悪魔だよ⁉ 入ったら……入ったら……あれ?」

「どしたん?」

「普通に入れそう」

 

 何が面白いのか、悪魔は教会の敷地に出たり入ったりを繰り返した。

 

「あー、かなかなが何かしたのかもね。悪魔だって言ってあるし」

 

 鷹宮は悪魔を無視して教会の扉を開く。信者たちの座る長椅子が奥に向かって並び、その先には真っ白な十字架が掲げられていた。

 

「こんばんは」

 

 と教会の中に若い男の声が響く。男は神父のようで、最前列の席に座っていたらしい。立ち上がると、振り返って二人に挨拶をした。

 

「おお! この中にも入れる、すげぇ‼」

 

 と悪魔はやはり教会の中に出入りを繰り返した。

 

「恥ずかしいからやめろって」

 

 鷹宮が止めようとするが、悪魔は鷹宮の手をすり抜けて止まらない。

 

「だってさぁ、生まれてからずっと入れなかった場所に今初めて入れたんだよ? 感動だってするよ」

「ふふっ、気に入ってもらえてよかった」

 

 と男が赤い絨毯を歩いて来る。

 

「あ、かなかな~、ごきげんよう」

「鷹宮さん、ごきげんよう。そちらの方が悪魔のでびでび・でびるさんですね?」

「そうだよ~。いやぁ教会って綺麗だねぇ。そのうち僕の像も飾らせてあげる」

「いえ、それは結構です……ああ、僕は叶といいます。この教会の神父であり、今回の聖杯戦争の監督役を任されています。どうぞよろしく」

「ああ、よろしくな!」

 

「それでは、まあ、どこの席でもいいのでおかけください。お話をしましょうか」

 

 叶の勧めに従って二人は席に着く。叶はその席から少し離れたところに立って話をするようだ。

 

「とりあえず、こちらから知らせなくてはいけないことをお知らせします。聖杯戦争は既に始まっている。聖杯戦争の参加者は出揃っています。

 

セイバー

 

アーチャー

 

ランサー

 

ライダー

 

キャスター

 

アサシン

 

バーサーカー

 

教会は七騎の召喚を確認し、七人のマスターを確認しています」

 

「うそ……」

 

 鷹宮は顔を青くし、椅子から崩れ落ちそうになった。

 

「嘘ではありません。教会に申請に来られてない方もいらっしゃいますが、誠に勝手ながらこちらの方で確認させていただきました」

「私の聖杯戦争、終わってた……」

 

 今度こそ鷹宮は崩れ落ちた。

 

「小娘、元気出せよ」

 

 鷹宮の背中にパタパタと小さな悪魔が降り立つ。叶はその様を見て思わず吹き出した。

 

「ええそうですよ。元気を出して。まだ終わったわけではありません。鷹宮さん、あなたの手には令呪が刻まれているではないですか」

 

 ハッと鷹宮は自分の手の甲をまじまじと見つめた。

 

「そうよね! サーヴァントがどんなに酷かろうと、令呪があれば正式なマスターよね⁉」

「おい小娘」

「その通り。イレギュラーではありますが、召喚が行われ、召喚者の手に令呪が刻まれた以上、それは聖杯が必要としてのこと。鷹宮リオンさん、教会は貴方を正式なマスターと認め、聖杯戦争への参加を要請したいと思います」

 もちろん、でびちゃんもね。と叶は付け足した。

 

「でびちゃん⁉」

「ぷっウケる。私もそう呼ぼ……いやそんなのはどうでもよくてですね? え、なんて言った今。私たち、聖杯戦争に出れるの?」

 

 叶は微笑み頷いた。

 

「ええそれはもう。他の参加者たち全員を降して聖杯を手にしていただいて構いませんよ」

「やったぁ! さっすがかなかな! よかったね、でびちゃん。私たち戦えるよ~」

 

 と鷹宮は悪魔に抱き着く。首が締まっているらしく、悪魔はどんどん青ざめていく。

 

「いやボク、戦え……うぇっぷ、」

「さて、こちらの方でお知らせしなくてはいけないことはそれだけですが、鷹宮さんの方で何か聞きたいことはありますか?」

「うーん、そうですねえ」

 

 と悪魔を抱いたまま鷹宮は考える。

 

「聖杯に選ばれたって考えると再召喚は出来ないっぽいし、あ、でびちゃんのクラスとかって、かなかなわかったりする?」

「それは難しいかもしれません。令呪を使ってみてもいいですが、様子を見るにでびちゃん自身も何も知らなそうですし……やっぱり、戦うのに支障が出ますか?」

 

 その通りです! と鷹宮は即答しそうになるが、悪魔に袖を引っ張られた。

 鷹宮の脳裏に悪魔の言葉が蘇ってきた。悪魔は信仰されて強くなる。人々をどうやって悪魔信仰に目覚めさせればいいか、そんなことを教会の神父に聞くわけにはいかなかった。

 

「いや、そういうわけじゃ……ありませんけど?」

 

 と鷹宮と悪魔は同時に目を逸らした。

 

「よろしければ肩入れにならい範囲で……」

 

 叶が気を遣って切り出そうとするが、鷹宮は慌ててそれを制止した。

 

「いやいやいや、大丈夫です、ほんと! まあ今は若干厳しいかもしれないけど、道は見えてるっていうか……ねえでびちゃん?」

「そそそそうだよ小娘。今はまぁ、アレだけど、僕たちは戦えるようにはなるよ」

 

 二人の狼狽ぶりに叶は首を傾げた。

 

「そうですか。まあ、関与しなければそちらの方がいいことに間違いはないでしょう。質問が無ければ今日はお開きとしますか。それでは、お二方にご武運を」

 

   〇

 

 鷹宮リオンとでびでび・でびるが去っていくのを見守ると、叶はどっかと席に腰を下ろした。

 

「今は強くないけど強くなる方法がある。それは聖職者の前では言いづらいこと……人を殺してその魂を貪り喰らう、みたいな感じかなぁ?」

 

 叶が呟くと、その横に座っていた葛葉が姿を現して言った。

 

「いや、違うんじゃね? もっと平和でくだらない、それでいて難易度だけはやたらと高いとか、そんな条件と俺は見た」

 

 うーん、と二人は唸って考える。叶は横目で葛葉を見やり、言った。

 

「まあ、やるなら今じゃない、葛葉?」

 

 葛葉も叶をちらりと見ると、ため息をついて席に深くもたれた。

 

「いや、初狩りは流石に引くわ。ゲームじゃねえし」

「えー、ゲームじゃないからこそじゃん。あいつら絶対意味わかんない方法で強くなっちゃって後々面倒になるタイプだよ」

「はぁ、そうなんだろうなー。わかるんだけど気が乗らないっつーか……いや、俺がやらなくても誰かやるって」

 

 ふーん、と叶は手を組み頷いた。

 

「ああそれ正解だわ。ちょうどすぐ近くに一組、サーヴァントとマスターの反応がある。鷹宮さんとでびちゃんも終わりだね」

「はあ?」

 舌打ちすると、葛葉は立ち上がった。

 

「どこ行くの、葛葉? 戦闘が終わるまで待ってた方がいいんじゃない?」

「だぁー、目覚め悪ぃって。それに、初狩りするようなカスの顔は拝んどかねーと」

 

 葛葉は教会の出口に向けて歩き出す。

 

「きっと高くつくよ」

「黙ってろ叶。さっきも言ったけど、聖杯戦争に参加したのは俺の意思だから。俺が決める」

 

 教会を出ていく葛葉の背に叶はそっと呟いた。

 

「しょうがないね、まったく。ご武運を、と」



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4.急襲

 教会を出た鷹宮リオンとでびでび・でびるを妙に掠れた女の声が呼び止めた。

 

「はっはっはっ……! お前らそこで止まれ。ストップ、ストップだぁ!」

 

 二人が声のした方を見ると、メイド服にヘルメット姿の女が木陰から姿を現した。

 

「お前らどう見ても弱そうだなぁ?」

「なんだお前‼」

 

 思わず悪魔がツッコむ。二人が自分の格好にドン引きしているのに気づき、女は地団駄を踏みだした。

 

「これは変装だよ! 変装!  私の趣味じゃねーから! そこんとこよろしく!」

 

 そして女は二人に向けてビシッと手で示し、

 

「人殺しとかよくないし、気絶くらいで調節してお願いしますっ。やっちゃってください!」

 

 木陰からもう一人、男が現れる。髪をオールバックにし、マントを靡かせる紳士然とした男だったが、その顔には薄ら寒い笑みが浮かんでいた。

 

 男は威風堂々とした振る舞いで二人の前に歩み出ると、軽く礼をした。

 

「諸君、ご機嫌いかがかな? こんないい夜に君たちと出遭えたのも、全てはマスターが屑であるため。どうか私を恨まないでいただきたい」

 

 鷹宮は唾を飲むと、一歩前に歩み出て礼を返した。

 

「あら、これはどうもご丁寧に。戦争ですので覚悟はできております。恨みなんかいたしません」

「これは素晴らしい。どのような覚悟とも生涯無縁な私のマスターとは大違いだ。今からでも私のマスターになっていただきたい」

「てめぇ、聞こえてんだよこらぁ!」

 

 とまた女が地団駄を踏む。

 

「おっと、あんまり愚痴ると令呪を使われてしまうのでね。そろそろ始めるとしよう。弱者を一方的に急襲するのも醜いことではあるが、人類の繫栄の裏側には常に醜いものがあった。この醜さに目を背けず、最善を尽くすことこそ天才である私の役割と心得る。さあ、心の準備はできたかな? 立派なマスター、そして小さな小さなサーヴァントよ」

 

 男は空へ手を掲げる。その瞬間、轟音を上げて雷が男の手に落ちた。

 鷹宮は信じられないというように目を見張った。急に集まり出した雷雲の下、男の体には青白い光がめまぐるしく走っている。

 

「ふむ」

 

 男はそこにあった木へと指を向けた。すると指先から雷が迸り、木を黒焦げにしてしまった。

 

「逃げるっきゃない!」

 

 鷹宮は一目散に駆け出した。

 

「待ってよ小娘!」

 

 悪魔もその背を追いかける。

 

「逃げるか。とても合理的で共感できる……残念だ」

 

 男が指先を二人の背に向けたそのとき、鷹宮が振り返って何かを投げつけた。

 

 男の注視するそれは赤い宝石だった。キラキラと光りながら空中に放られたそれは、ゆっくりと弧を描きながら男のマスターの方に向かっている。男の目は宝石の内側に宿る小さな炎を見抜いた。

 

「ぬん!」

 

 男の指先から放たれたビームのような太い雷が宝石を吹き飛ばし、次の瞬間、遠くで起こった爆発が空気を揺らした。

 

「いやあぶな。何してんねん! 私味方だってぇ! わかる? 目ぇついてるぅ?」

 

 何も分かっていないマスターの言い草に男は思わず目頭を揉んだ。

 

「全く。勘弁してくれたまえ……」

 

―――――――

 

「ここまでこれば大丈夫よね?」

 

 鷹宮は辺りを見回すと、歩調を緩めて歩き出した。

 

「なんだったんだろ、さっきの? メイド服? 男の方はキャスターかしら」

「二人とも変人だったのは間違いないね」

 

 悪魔は疲れたのか鷹宮の肩に手を置いて宙を浮きながら引っ張られるままになっている。

 

「えー、男の方は割とイケメンだったじゃん」

「いや、趣味悪いって。あれ絶対歪んでるよ。ボクが保証する」

「なに、歪みぶりを?」

「うん……」

 

 鷹宮は悪魔のあまりにあんまりな言葉にくすりと笑った。

 

「でもまっすぐな目をしてたと思うけどなー」

「そうそれ! あまりに純粋過ぎて異常ってやつ! あいつ絶対友達いないよ……」

「悪口やめろって。もう……服も汚れちゃったし何か買って帰ろうかしら。でびちゃんもなんかいる?」

「んー……酒」

「あっそう」

 

 二人はしばし黙り込んで夜道を歩いていく。

 

「あの男の人、でびちゃんの言うことが本当なら、出会えるといいな」

「だれにー?」

「自分を理解してもらえる人……友だち? まあマスターがあんなじゃ難しいかな」

「小娘、お前けっこうロマンチストなんだな」

「偽善者なだけですっ。ロマンチストなんかじゃありませんー」

 

 そこで二人は歩みを止めた。木陰から先ほどの女が姿を現したからだ。女は木に手を着き、ぜえぜえと息を荒げていた。その服は汚れていて、ヘルメットにはひびが入っていた。

 

「あのヤロウ、最後まで運んでくれなかった……!」

 

 女は疲れたのか腰を折って木にもたれかかり、ついには座り込んだ。

 

「え、攻撃していいかしら?」

「駄目に決まってんだろ! こっちは一生懸命お前たちを追いかけたんだぞ! くそぉ、あいつどこ行ったぁ?」

「ここにいるとも。我がマスターよ」

 

 男は女の背後から現れ、女を守るようにして二人に立ちふさがった。

 

「先ほどはしてやられたが、同じ失敗はしないさ。なんせ私は天才だからな! ふっはっはっはっは!」

 

 雷を辺りに撒き散らしながら大笑いする男をよそに、鷹宮リオンは少しずつ後退する。

 

「これ、やばいかもね……」

「小娘……」

 

 二人はじりじりと距離を取っているが、男の意識は二人から外れていなかった。二人が背を向けて駆け出した瞬間、先ほどの雷が二人を捉えるだろう。鷹宮は手のひらに握り込んだ宝石を見つめるが、警戒したサーヴァントに通用するとは思えなかった。

 

「やるっきゃない、か」

 

 鷹宮は一か八か、手の中の宝石を投げようと振りかぶる。男の手がゆっくりと持ち上がり、鷹宮の方に向けられる。

 

 もう引き返せない! 鷹宮は宝石を投げ放つ。そして、男の手から光が放たれる。その瞬間、鷹宮の視界は赤い壁に塞がれた。

 

「は……え?」

 

 壁は雷を防いで役目を終え、ぼろぼろと崩れていった。その向こうに見えたのは、先ほど教会の門の前に立っていた黒い衣服を纏う男だった。

 

「はいちゅうもぉーく」

 

 と次には若い男の声。あの女の背後にジャージの青年が立っていた。青年は女のヘルメットの上から首元に腕を回して固定し、もう片方の手で拳銃を突き付ける。

 

「えー、マスター殺されたくなかったら戦闘やめろや。俺からはそんだけ」

「戦うのをやめて、それでどうする? どうしたいのだ?」

 

 男は薄笑いを顔に張り付けて指先をジャージの男へと向けた。

 

「ちょっ待って! アーチャーやめて! 死にたくない、死にたくないよ……!」

 

 女が手を前に出してサーヴァントである男を制止する。アーチャー、とばらされたからか、男は舌打ちした。

 

「っへぇ~、アーチャーなんだ。てっきりキャスターかと思ったわ。いやぁ、勘違いを訂正してくれてさんきゅー」

 

 と青年は銃口でこつこつと女のヘルメットを叩く、女はそのたびに肩を跳ね上げた。

 

「アーチャー引いてっ! お願いだから!」

 

 ハッと女は何かを思い出したのか、片手を上げた。その手の甲に刻まれた令呪が赤い光を放ち出す……。

 

「わかったとも! 今宵はやめにするとしよう!」

 

 そうして男はジャージの青年に向けていた手を下ろした。

 

「おっ賢い! んじゃ、帰ればー?」

 

 ジャージの青年は道を譲るように脇に立つと、どうぞどうぞーと手で道を示した。

 

「くぅ~、覚えてろよぉ……」

 

 ヘルメットにメイド服を着た女は青年を睨みながらじりじりと後ずさっていく。

 

 一方、アーチャーである男は青年にも、また鷹宮たちにも見向きもせずに歩いていき、女を追い越すとその襟を掴んで女を引きずるようにして歩いていった。

 



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5.遭遇

「って感じでみんな酷いんですよぉ、アーチャーも全然味方って感じがしないし、途中変なのに銃で脅されるし、もう散々! こんなん嫌やぁ!」

 

 バーのカウンターでメイド服の女、椎名唯華(しいなゆいか)は泣いていた。同じくメイド服を着た緑髪の大男であるバーのマスターは、椎名を哀れんだのか、グラスをことりと椎名の前に置いた。

 

「ありがとう、やっぱあてぃしの味方はリーダーだけなんだよなあ」

 

 しみじみとグラスを眺め、椎名はグラスに口をつけた。

 

「って、これただの水なんですけどぉ⁉  リーダー、いろいろ入れるの忘れてるよぉ!」

「だってお前、お代払わねえし」

「お金より大切なものがあるでしょう!」

「ない」

「ひどいよ……」

 

 目をウルウルとさせた椎名は助けを求めて辺りを見回した。

 

 右、アーチャー、こいつはマスターに水を飲ませて自分ではカクテルを飲むいけ好かないクソヤロウだ。

 

 左、こちらには赤毛の少年が座っている。少年は俯き、グラスに注がれたミルクをじっと見つめていた。

 

「あっくん、あっくん聞いて!」

 

 椎名は即座に赤毛の少年ににじり寄った。

 

「おっとっと……聞くよ、聞くから落ち着いて、ね?」

 

 少年は身を乗り出した椎名の体に触れないよう体を反らしつつ言った。

 

「聞かなくていいぞ」

 

 バーのマスターが言う。

 

「ああ、聞かない方がいい。その女は少しでも自分の話を聞いてくれる優しい者がいれば、その者を仲間だと勘違いしてつけあがる。自分が失敗すれば容赦なく仲間のせいにするのだろうな」

 

 アーチャーはぐっとグラスをあおった。

 

「いい? あっくんはこんな冷酷な大人になっちゃだめだからね」

 

 生温かい目で椎名は少年の頭を撫でたが、これは流石にやんわりと振り払われた。

 

「どの口が言うか貴様! 『教会見張って弱そうなやつがいたら襲っちゃいますかぁ!』と言ったのを忘れたか!」

「え……そんなこと言うたっけ?」

 

 椎名は首を傾げた。アーチャーは雷を宿した拳を握り締め、無表情で席を立ちあがる。

 

「まあまあ。けどみんな、独断専行とはいえ、収穫はあったと思うけどな」

「私のクラスがばれたが?」

「いやぁ、でもまあ、二組と交戦して無傷で帰れたんでしょ? 僕たちが繋がってることも向こうは知らないし、悪くないと思うんだけど……」

「そうだそうだ! 椎名さんはよくやったよ!」

 

 と椎名が拳を上げて主張する。

 

「貴様は永遠に黙っていろ」

 

 しゅんと肩を落とす椎名を鼻で笑いはしたものの、アーチャーは少年の言葉を認めていた。ため息をついてまた席に着くと、グラスの酒を飲み干す。

 

「リーダー、もう一杯頼む。舌の痺れるようなものを」

「はいよ。あんま呑み過ぎんなよ」

「わかっているとも。酔いつぶれれば天才も凡人と変わらない。天才であるがゆえに私はサーヴァントなのだから、凡人になるわけにはいかないだろう?」

 

 バーのマスターはカクテルを作っていく、そのさなかに視線を少し上げて、アーチャーに尋ねた。

 

「アーチャー、あんたの雷を防いだサーヴァントについて、もう少し聞いていいかな?」

「うむ。立ち居振る舞いからして貴族だろう、武人の風もある。クラスの推察は出来ぬが、戦うとすれば、そうだな。遠距離攻撃の手段も持ち合わせているようだが、離れていれば私の相手ではないだろう」

 

「へぇー、ひょっとして王様かな」

 

 話に入るようにして少年がアーチャーの隣に腰掛けた。

 

「かもしれんな」

「会って話をしてみたいなー」

 

 そう言いつつ少年の視線はバーのマスターの方へ移った。

 

「わかったわかった。話を聞く限り向こうのマスターも手強そうだし? 私たちが四人、向こうが二人の状況を作れば少しくらい話をしてもいいんじゃねーの?」

「リーダーも臆病だね」

 

 少年は笑う。バーのマスターもほほ笑みを返した。

 

「そこは椎名と同じだよ。やりたいこともたくさんあるし、今の生活も気に入ってるとこあっからさあ、死にたくないんだよね……まあ、死にたくないなら聖杯戦争に参加すんなって話かもしんないけど」

 

「うん、私と同じだぁ!」

 

 椎名が腕を組んで頷く。その様子にアーチャーは舌打ちし、少年は声を上げて笑った。

 

 〇

 

 童顔の青年と少女は見つめ合っていた。お互いの姿を忘れないように、しかし忘れないということが不可能であるとも知っている、そんな憂鬱を宿した瞳で。

 

 二人は同時に回想し、確信を強めたに違いない。

 

「僕たちは」

「私たちは」

 

 やはり出遭うべくして出遭ったのだと。

 

 童顔の青年が手のひらから流れる血をなめとって魔法陣の中央へ歩いていく。青年の歩む先には一冊の本が浮いていた。

 

 青年が手を伸ばし、本に触れようとしたとき、ひとりでに本が開く。風と共にページが次々と捲られていき、開かれたページが淡く光り出した。

 

 そして、その光の中からロリータファッションの少女がぽんっ、と投げ出されるように現れた。少女は浮かぶ本をキャッチすると、少年に向き直り、言った。

 

「こんにちはマスター。あたしはアリス。クラスはキャスター。よろしくね」

 

 青年はキラキラした目で返した。

 

「こんにちはアリスちゃん! 僕はましろ。ましろ(めめ)。気軽にましろって呼んでね!」



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6.一夜明けて

 窓から射しこんだ朝焼けが少女の寝顔にそっとかかる。腹の上に悪魔を乗せて、うなされていた少女の顔もようやく安らいだ。

 少女の目覚めまでもう間もなく――。

 

 鷹宮リオンは目を覚ましてもしばらくは起き上がらず、じき鳴った目覚ましをどこか遠くに聞いていた。

 

 目覚ましが鳴り終え、辺りが静けさに満ちたとき、ようやく鷹宮リオンは体を起こした。お腹の上の悪魔を払いのけ(「酷くね⁉」)、ベッドから足を下ろして立ち上がる。寝ぼけ眼で洗面へ歩いて行って顔を洗う。鷹宮リオンは鏡を見た。

 

 隈はない。顔色も悪くない。体は重かったが、きっと問題は無いのだろう。両手を上げてぐっと伸びをすると、体が少し楽になった気がする。太陽に当たれば気力も戻ってくるだろう。

 

「よし!」

 

 と呟き、朝食を摂りにリビングへ向かう。

 

「あらでびちゃん、おはよう」

 

 目をこすりながら漂ってくる悪魔に鷹宮は挨拶する。

 

「おはようじゃねーよ! ショックと痛みでしばらく起き上がれんかったわ……」

「何があったの?」

 

 鷹宮の反応に悪魔は目を丸くする。

 

「お前……嘘だろ?」

「へ?」

 

 今度は鷹宮が目を丸くする番だった。

 

「はぁ、もういいよ。ボクが間違ってた。もう二度とあそこでは寝ねえ」

「あはは、解決できたならよかったじゃん」

「よくねえけど……ところで小娘、その服は制服って言うんだろ? 学校に行くのか?」

「もちろん。聖杯戦争が終わっても人生は続いてくんだから」

「うへぇ、人間は大変なんだな。じゃあボクはもうひと眠りしてくるわ」

「待ちな!」

 

 あくびをして寝室へ漂っていく悪魔の襟首を鷹宮の手が鷲掴みにした。

 

「でびちゃんは信仰を集めるのです。強くなんないとなんにもできないんだから」

「あー……まあ、考えとく」

 

 目を逸らした悪魔に鷹宮は触れそうなほど顔を近づけると、にこやかな笑みを浮かべて言う。

 

「よろしく頼むわね」

 

―――――――

 

 教室に入った鷹宮の視線はいつも、窓際で頬杖をつき、外を眺める生徒の姿に吸い寄せられる。

 緑がかった髪を後ろで三つ編みに束ねた生徒はスラックスを履いた足を居心地悪そうに組み替えた。

 

(みどり)さん、ごきげんよう」

 

 鷹宮が声をかけると、緑と呼ばれた生徒は重い隈にどんよりとした瞳で鷹宮を認めた。

 

「ああ鷹宮、おはよう」

「眠そうじゃない。また夜更かし?」

「うん、ちょっとね」

 

 緑の痛々しい微笑みに鷹宮は息が詰まりそうになる。緑がどうして悩んでいるのか、鷹宮には見当がついていた。

 今まで通り放っておくのが正解だ、と鷹宮はわかっているつもりだったのだが……今まで触れることを避けてきたはずなのに、この日はつい、聞いてしまった。

 

「ひょっとしてなんだけど、緑さんが最近悩んでるのって、笹木さんと椎名さんのことだったりする?」

 

 緑はアッ、と間の抜けた顔をした。きっと身近にいる鷹宮に話を聞くことが盲点だったのだろう。緑は興奮を抑えるような口調で切り出す。

 

「う、うん。実はそうなんだ。二人ともずっと連絡つかないし、先生は家庭の事情の一点張り。こんなの絶対におかしいと思うんだ」

「そうねー。でも、先生が問題にしてないのなら大丈夫なんじゃないの? 家庭の事情ってことは二人のご両親も容認されてるみたいですし……?」

「そうかもしれない……でも、そうじゃないかもしれない」

「どうしてそう思うの?」

 

 柔らかい口調で聞かれ、緑は迷いながらも答えた。

 

「わからない。あの二人の家、ちょっとおかしいんだ。空気の流れが鈍いっていうか、親も言動がなんか変だし……いや、これは悪口のつもりで言ってるんじゃないよ」

「ふふ、前から思ってたけど、緑さんって霊感みたいなものがあるのかもね」

「……僕は真面目に話をしたいんだけど」

「わかってる」

 

 鷹宮はくすりと笑って緑を見つめ、本題に入ることにした。

 

「それでね、私がこんな話をしたのも、昨日の夜、椎名さんを見かけたからなの」

「え、本当? どこで?」

 

 緑は立ち上がって鷹宮にすがるように歩み寄る。鷹宮がそのぶん後ろに下がると緑は不安そうに瞳を潤ませ、冷静になって鷹宮の答えを待った。

 

「駅の方かな~。気合の入ったファッションでかっこいい男の人と一緒にいたわね。話しかけられたくなさそうだったけど、向こうが気付いちゃって……誰にも言わんといて! って。だからね、緑さん、心配しなくてもいいと思うよ。きっと笹木さんも似たようなものっていうか、男二人女二人でなんかやってんじゃない? 下世話な話だし、あんまり話したくなかったんだけど……」

 

 と鷹宮は笑ったが、あまり上手く笑えなかったので鷹宮は笑ったことを後悔した。一方、緑は茫然としていた。

 

「あはは……そうなんだ。二人は楽しくやってるんだ……じゃあ、僕が心配するのもおかしいのかな」

「そーだよ。心配するだけ時間の無駄! 緑さんもあんな奴らのためじゃなくて自分のために自分の時間を使った方がいいって!」

 

 緑は鷹宮の言葉をゆっくり咀嚼して飲み込むように俯いていたが、顔を上げた緑の表情は軽やかになっていた。そして数秒、鷹宮の顔を見つめ、何かに気づいた様に視線をさ迷わせると、ほほ笑んでいった。

 

「ひょっとして僕は、鷹宮に心配をかけていたのかもしれない。本当にごめんね」

「あ、謝らなくていいよ。友だちでしょ」

 

 自分で言ったのにも関わらず、鷹宮は恥ずかしさのあまり顔を逸らした。

 

  〇

 

「あのこれ……ディナー、です」

 

 笹木咲(ささきさく)はコンビニで買ったカットキャベツにレトルトのハンバーグを乗せたもの、そしてメロンパンを二つ、皿に並べて男に差し出した。

 

 男は眼下に並ぶご馳走を見て喉を鳴らし、フォークをとって静かに食事を始めた。

 

 自分の皿には手を着けず、笹木は男を見守っている……。そんな中で、男はハンバークを齧って嚥下すると、フォークを置いて天を仰ぎ、言う。

 

「ローマ……」

 

 男の目から一筋の涙が流れ落ちる。笹木はカチコチの笑みを浮かべて言った。

 

「あ、よかったです、ハイ……」

「どうした? 愛しい我が子よ。お前も早く食らうべきだ。ローマが冷めてしまう」

「うす、食べます……食べます、ハイ」

 

 笹木もまたフォークをとって皿に手を付け始める。ハンバーグのたれをキャベツに絡め、無表情でシャキシャキと口の中で鳴らす……が……

 

(なんやこれ、全然会話できん! ランサーじゃなくてバーサーカーやろこんなん! つーかなんでこいつサーヴァントのくせにご飯食べてんの? なんやローマて。なんや我が子て。ローマが冷めるってなに……?)

 

「ほう、これはそうして食べるのか。なんと、あまりにローマ……!」

(もう嫌ぁ……椎名助けて)

 

 笹木も男と同じように天を仰ぐと、その目から一筋涙を零す。男はそれを見て不敵に笑うのであった。



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7.御伽噺より

 たったったっ……と半ば焼け落ちた寺の廊下をアリスは走る。邪魔な柱をふわりと飛び越えて、薄明かりの漏れる部屋にアリスは転がり込んだ。

 

 この部屋だけは整頓され、煤の匂いもしない。アリスは視線をさ迷わせると、探していた人の背中を見つけて駆け寄った。

 

「ましろましろー、何か面白いお話してよ!」

 

 ましろはふりかえると、目線の高さをアリスに合わせるように屈んで言う。

 

「アリスちゃん、前にも言ったけど、僕には子どもの楽しめるお話なんて思いつけないよ?」

「えー、なんかお話してよ! じゃないと死んじゃう、死んじゃうよぉ」

 

 アリスは寝転がると、その場でごろごろと床を転がり始める。

 

「うーん、困ったな。お寺なんだし一冊くらい本でも絵本でもありそうなもんだけど」

「焦げたお経しかなかった!」

「そっかぁー、うーん……あ、一個いいのを思い出した」

「え、どんなの⁉」

「ふふふ、じゃあそこの座布団に座って」

 

 言われてすぐにアリスは座布団に飛び乗った。

 

「いいこだね……じゃあ明かりを消して、と」

 

 そこでパッと明かりが消えた。アリスはびくりと身を震わせて辺りを見回したが、幸いにもすだれの隙間から部屋の中に僅かに光が入るので、真っ暗にはならなかった。

 

 急に物音がしたのでアリスが息をのんで正面を向くと、いつの間にか目の前にましろがしゃがみ込んでいた。ましろはすぐ近くにいるのに顔を伏せているせいか表情がほとんど見えない。

 

 ましろはゆっくりと口の前に人差し指をあてて、

 

「しー……」

 

 静寂が部屋の中に訪れる。遠くの木の軋みや風の音がいやに甲高く聞こえるにつれ、部屋の中はどんどん暗くなっていってるような気がした。すだれから射しこんでくる光は変わらない。

 

 外に出れば、さっき見た長閑な景色がそこに広がっているのがアリスには信じられなかった。

 アリスはここから出たいと思う、しかしどうしたわけか声が出せず、体が金縛りに掛かったように動かない。

 

 そこで、ようやくましろは言葉を発した。

 

「いいかい、アリスちゃん。僕が今からする話は怖い話だよ」

 

 ましろの顔は相変わらず見えなかったが、その口元が逆さの月みたいに吊り上がったのをアリスは見た。

 

「これは、僕の友達から聞いた話なんだけど――」

 

 

「とまあ、友だちがそれを知ったところで話は終わりなんだけど……アリスちゃん?」

 

 ましろはすだれをとって部屋の中に陽を取り込む。見ると、アリスは魂が抜けた様に口をぽっかりと開けて天井を見つめていた。

 

「あー、アリスちゃんごめん、怖かった?」

 

 だが、アリスは反応しない。ましろはにやりと笑うとアリスの耳元で囁いた。

 

「ぽ ぽ ぽ ぽ ぽ ぽ」

 

「きゃぁぁぁぁぁ‼」

 アリスが両手を振り回しながら飛び上がる。

 

「酷い、酷いよぉ!」

「あぁごめん! まさかこんなに効くとは」

 

 アリスは泣きそうな顔で座布団を部屋の隅までずるずると引きずると、そこに座布団を置いてぺたんと座り込んだ。

 

「あ、座布団持ってくのね……」

 とましろは苦笑する。

 

「ふん、いいもん! 私には不思議の国があるんだから」

「ごめんごめん、お詫びにもう一つお話してあげるから、こっちにおいでよ」

 

 ましろの言葉にアリスは一瞬目を輝かせたが、思い直して後ずさった。

 

「怖い話?」

「今度のは怖くないよ。冗談みたいなふざけた話。そんな話がめちゃくちゃ分厚い立派な本に載ってたんだから、おかしいよね?」

「立派な本なのにふざけた話がのってるの? なにそれ、ちょっと気になる」

 

 アリスはもう一度座布団を持ってましろのすぐ隣に置くと、ましろに身を寄せるように座った。じゃあ話すね、とましろが聞くと、アリスは「うん」と頷いた。

 

「昔々あるところに、学級委員の女の子がいました……」

 

 アリスは聞き間違いかと思ってましろを見つめたが、ましろは淡々と語り続けた。

 

 〇

 

「へー、チャイカはその委員長に憧れたんだ」

 

 バーのカウンターに腰掛けた少年がグラスの中でミルクを揺らす。なんでこいつミルクゆらしてんの……とそれを怪訝な目で見つめるバーのマスター、花畑(はなばたけ)チャイカは「その通り」と肯定した。

 

「自分のやりたいことをやって人を笑顔にさせる、委員長の生き方は私の人生を変えた」

 

 チャイカは磨いたグラスを明かりに透かす。光はグラスの中に丸みを帯びたまま鋭く引き延ばされていった。

 

「私だけじゃない、委員長の生き方はたくさんの人間に希望を与えたはず。協会はチルドレンなんて呼んで警戒してるみたいだけど、協会にだって委員長の信奉者はごまんといるもの。彼女の生き方はそれだけ鮮烈だった」

「ふーん、じゃあ、委員長にとってはその物語は悲劇だったかな?」

 

 チャイカはグラスをホルダーにセットすると次のグラスを手に取ってじっと見つめた。

 

「さあ? 結局根は高校生なんだし、自分のしたことについて後悔してる、なんてこともあるかもね」

「チャイカも、後悔するかもよ?」

 

 少年が挑発するように言うと、チャイカは首を横に振って笑った。

 

「それはない。確かに委員長みたいに人を笑顔にできるようになりたいと思ってる。けれど、それは勝ったらの話。今は私が生きる上で大切な仲間を守れればそれでいい」

 

 少年に聞かせるのと同時に、自分に言い聞かせているようなチャイカを見て、少年は意外そうにしながらもようやく腑に落ちたようだった。

 

「そうか。だからチャイカは強いんだ」

「強くなんかないね。辛いことから逃げ出してるだけ」

「ううん、素直なりに頑張ってると思うよ。将来僕の臣下にほしいくらい」

「将来か、そういやライダー、お前の願いは受肉だけっか? 何するつもり?」

「世界征服!」

 

 少年、ライダーは即答する。

 

「まずは世界を見て回りたい。ホント、便利になったよね。何処でも行ける、何処のことだって知れる。僕の世界は恐ろしく広がったよ! 僕は世界を実際に見て、確かめて、その価値に存分に焦がれてどうしようもなくなってから、征服するのさ」

 

 チャイカは呆れるように笑って言った。

 

「善政を敷いてくれよ」

「ふふ、任せてよ。そのために今勉強してるんだから」



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8.配信者!

「何してるの、あなたたち……?」

 

 自室に戻った鷹宮が見たのは、見覚えのないパソコンの前に座る悪魔、でびでび・でびると吸血鬼の葛葉だった。

 

「あ、お邪魔してます……えーっと……ッスゥー……天気いいっすね」

「そうですね。そんなことはどうでもいいです」

「ああ……ハイ」

「どうしてあなたがここにいらっしゃるの? 同盟を組んだとはいえ事前に連絡もなく家に上がり込むなんて失礼じゃないです⁉」

 

 そこで鷹宮の袖を悪魔が引いた。悪魔は胸を張って言った。

 

「小娘、ボクだよ! ボクが入れたたたたたっ痛いって小娘!」

「乙女の部屋に勝手に殿方を入れないでくださる⁉」

「姦しいな」

 

 いつの間に鷹宮の背後に立っていたバーサーカーが鷹宮を見下ろして言った。

 

「我々がここにいるのもその悪魔の要請に応えてのこと。そして悪魔の望みは己の強化。悪魔が強くなることを貴様も望んでいるのだろう? で、あるならば我々がここにいるのは貴様の望みでもあるというわけだ」

 

「そ、そうかもしれませんけど……」

「それに、同盟相手が強くなくては我々も困るのだ……」

 

 これを言われては鷹宮は何も言えなかった。一方的に窮地を救ってもらい、恩を返すすべもない。同盟とは名ばかりの実質的な保護だった。

 

「いや、俺も悪かったよ。よくよく考えると女の部屋に本人の許可なく立ち入るとか、どうかしてたわ。悪かったな」

 

 真摯な態度の葛葉に鷹宮も落としどころを見つけてほっとする。

 

「わかりました。必要があってここに居るのはわかりましたから。それで、何をしていたの?」

「えへん、それはボクから説明しよう! 悪魔が強くなるには信仰がいる! 信仰を集めるには力がいる! でもボクは力が使えないだろ? じゃあどうするか、例えば、ボクの姿は威厳たっぷりで力に満ち溢れている……」

 

 ここで葛葉が「諸説……」と口を挟んだが悪魔は無視して続けた。

 

「でもボクが人前に出ていくのはちょっとなんかよくないらしいじゃん! そこで、ハイテクインターネットの力を利用してボクのこの力強い雄姿と! 悪魔的な精神で! 世界中の皆をボクに陶酔させてやるんだ!」

 

 鷹宮は無言で葛葉を見つめた。葛葉は弁解する。

 

「いや、わかるけども! 言いたいことはわかるよ? でも実際姿はUMAなわけだし、なんか人気出るかもしんねえって……思うじゃん?」

「ねえよ! ……失礼。ありませんわ、そんなこと」

 

 もっともだ、と葛葉は苦笑する。それでも、と前置きして葛葉は話し出した。

 

「信仰を集めるためには人間と接触できなきゃいけないわけよ。路地裏で一人一人説得していくか? それでねずみ講みたく人が増えてくにしても、サーバント並みの力を得るのに何十年かかるんだ? それよりかは一発逆転、有名配信者になる方が可能性はあるんじゃないのか? 今生きている人間が百万人、でびでび・でびるに心を奪われる……そうなれば最低限戦うことはできると思うんだけどなぁ。それとも別の方法……外道にでもなっちまうか、なあ?」

 

 葛葉の言葉に鷹宮は唸るしかなかった。苦々しく悪魔の方を見ると、悪魔は親指らしき指を立てて言った。

 

「安心しろ小娘、ボクは大丈夫だ!」

「はぁ~……もうあんたの好きにすれば?」

「よし、小娘の許可ももらったし、計画を先に進めよう、吸血鬼!」

「はいよ。ところで鷹宮……リオンさん? だっけ。あんたも配信に協力すると考えていいのか?」

「ええ、それはもちろん。でびるが強くなるのでしたら協力しますとも!」

「そうか。だったら引き合わせたい奴らがいるんだけど……」

 

ーーーーーーー

 

「こんにちは、頭のひまわりがチャームポイントの本間(ほんま)ひまわりです!」

「あー、社築(やしろきずく)です。よろしくお願いします」

 

 画面に映し出された二人組を見て鷹宮は葛葉に言い放った。

 

「なんですか? こいつら」

「「こいつら⁉」」

「あ、失礼。この人たちはいったいどういった方々でおありで?」

「ああ、俺の知り合いの配信者だよ。俺自身は配信しねえけど、ゲームを通して知り合う機会はあってな。配信者として色々教えてくれるだろうから、あとのことはこの二人に聞けよ。じゃあな、俺は帰る」

 

「ちょっと、葛葉さん……!」

 

 鷹宮が止める間もなく、葛葉はサーヴァントを引き連れて部屋から出ていき、そのまま家からも出ていってしまった。

 

 画面に映るスーツ姿の男性、社築が咳払いをする

 

「えー、鷹宮くんとでびるくんだったね。今度動画配信者としてデビューしたいのは君たち二人組ということで間違いはないかな?」

 

 ん? と鷹宮は目を白黒させる。

 

「うんそう! 間違いないよ!」

 

 え? 鷹宮は目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「よっしゃ! じゃあひまたちが知ってることは教えてあげるよ! 任せとき、二人とも可愛いからみんな注目間違いなしだよ!」

 

 頭にヒマワリを乗せた女子高生、本間ひまわりがどんと胸を叩く。

 

 鷹宮はぽかんと口を開けたまま悪魔と画面上の二人の間で何度も視線を交差させ、ハッと我に返って叫んだ。

 

「聞いてないんですけど‼」



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9.真夜中の訪問者

 夜遅く、笹木咲は目を覚ました。チャイムが鳴らされたからだった。

 

「誰え、こんな時間に……?」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら這うような体で玄関までたどり着き、扉を開けようとしたとき、背後から呼び止められた。

 

「待つがよい。ローマとはローマに仇なす敵すらも愛し、包み込むのだ。その覚悟がお前にあるか」

 

(うわっ出やがった‼)

 

 笹木は廊下から歩み出て来た男を見て急速に目覚めていく。嫌な気分が大半だったが、男は赤い大樹のような巨槍を携えている。警戒しているのだろうか……?

 

 笹木は冷静になると、扉から距離を置いてインターホンのモニターを睨みつけた。

 

「うわぁあああ!」

 

 思わず悲鳴をあげ、笹木は後ろに倒れ込んだ。

 

 モニターにはガン開きにされた黄色の瞳が瞬きもせずにぐいぐいとカメラににじり寄り、こちらを覗き込もうとしているのが映し出されていた。

 

「さぁ~さ~きさ~ん……あ~そび~ましょ~」

 

 妙に高い声で言うと、それはモニターから離れ、肩にかけていたスコップを下ろしてガツンと地面に打ち付けた。

 

「あ~そび~ましょ~!」

 楽しそうな少女の声も聞こえてくる。

 

「ラ、ランサー……こいつらアカン奴なんちゃう?」

「邪悪な魔力を放ってはいる。だが忘れてはならない。我も汝もローマであることを」

 

 男、ランサーは相変わらず不敵に笑うのみ。

 なんっにもわからん! 笹木の頭は爆発寸前だった。逃げる? 戦う? 勝てる? いや、あの相手ではどんな戦いになるか想像もつかない……。

 

「あれえ、いないのかな。いる気がするんだけどなあ。うーん、綺麗な家だし、綺麗なままにしときたかったんだけど……仕方ないか」

 

 その声のあとで魔力が家の前で急速に高まったのを感じ、慌てて笹木は玄関の扉を開けた。

 

「ちょ、ウチの家に何する気⁉」

 

 扉の前にはスコップを肩にかける男だか女だかよくわからない黒髪の青年、そして本を携えたゴスロリ姿の少女がいた。

 

「あ、笹木さん! なんだいるじゃん」

「お前、なんでここにいる? あ、結界は……?」

 

 喋りながら思い至り、笹木は庭の向こうに目をやった。

 

 本来であれば悪意ある者、そして魔力の波長の合わないものを通さない結界が、どろどろと融けて地面へと流れ落ちていくのが見えた。笹木は驚愕し、目の前にいる人物を改めて注視する。

 

 あのスコップ……嫌な魔力を感じる。あいつの目も変だ。あっちの子供がマスター? くそっ、わからん!

 

「結界? ああ結界! あれね、食べちゃった」

 と目の前の人物はぺろりと舌を出して見せた。

 

「お前、何者や」

 どすを効かせるような声で笹木が言うが、その人物はにっこりと笑って答えた。

 

「ぼく? ぼくはね、ましろっていうんだ。以後お見知りおきを。笹木さん」

 

 ましろが優雅な(?)お辞儀を披露している合間にも、笹木はランサーに念を飛ばす。

 

(ランサー、聞こえる?)

 

 ランサーは声に出さずに答えた。

 

(ああ、聞こえているとも。お前の言葉にローマは従う。ローマの言葉をお前は発する……)

(いや意味が……じゃなくて、アイツに背中を見せるのは怖い。なんとか情報を集めつつ、防衛か放棄か、戦況を見ながら決めよう。とにかく私たちが生き残ることを優先させて!)

 

「ああ、愛しき我が子よ。信じるがよい。お前のローマ、それ自身を」

 

 そう言うと、ランサーは突然ましろに向けてとびかかった。

 

「いやお前何しとんねん!」

 

 笹木が思わずツッコんだ。そんなことも関係なく、ランサーは声を立てて笑いながら槍を振りかぶる。

 

「はっはっは! 見よ! これこそがローマへと至る輝き!」

 

 ましろの後ろに控えた少女が手に持った本を開く。それを後ろ手で制し、ましろは口角を吊り上げて笑った。

 

「ランサー、やめ……」

 

 笹木の声は間に合わず、ランサーの槍は横薙ぎにましろの体を切り裂いた。

 

「え……」

 

 少女の声がぽつんと辺りに響く。

 

 その場にはましろの下半身だけが立っていた。遅れて、少女の前にどさりと何かが落ちてくる。

 

「いやっ……そんな……」

 

 少女は肩を震わせながら口許を抑えた。

 

 ましろの上半身は地面の上に投げ出され、血は断面からどくどくと流れ出す。その顔には切り裂かれる前に浮かべていた笑顔が冷たくなって浮かび、開いた口の隙間から舌がだらりと垂れていた。

 

「ランサー!」

 

 笹木が安堵してランサーに駆け寄ろうとするが、それをランサーは手で制した。笹木は困惑しながらもましろの死体を凝視する……。

 

「あ、バレてる?」

 

 笹木は耳を疑った。聞こえてはいけない人間の声。ましろの手が動き出し、おっかしいな~と頭を掻いた。

 

「な……⁉ そんなアホな」

 

 笹木の眼前で、ましろの上半身は二本の手で立ち上がる。

 

 ましろは先ほどまでの固まった笑いが嘘のようににっこり笑うと、てけてけと体を傾かせながら走り出し、茫然と立ち尽くしたままの笹木に迫った。

 

「ひ、ひいぃぃぃぃぃ‼ ランサー! ランサー!」

 

 笹木の必死の叫びに応え、ましろの行く手にランサーが立ちふさがる。ましろはおっとっと、と急ブレーキをかけて止まった。

 

「そんな怖がらないでよ、笹木さん。ちょっと驚かせたかっただけなんだ」

 

 ましろはそう言うと、ぴょんと跳ねて方向転換し、少女の方に向き直った。

 

「やあアリスちゃん、ごめんごめん。心配した?」

 

 少女は涙を拭うと、怒ったように頬を膨らませた。

 

「心配なんかしてない! ましろのバカ……」

 

「あっはっは、ごめんよ。まあまあ気を取り直して。次の遊びをしようか」

 

 ましろの言葉に少女の顔がパッと明るくなった。

 

「それはいいわ! 次は何して遊ぶの?」

 

「次は……僕の華麗なカードタクティクスをお見せしようかな」

「タクティ……? あ、そういうことね。お手並み拝見と行こうかしら」

 

 少女が頷き、本を開くと、本の中から顔と手足の付いたトランプ兵たちが次々と抜け出てきて隊列を組み、剣を構えた。

 そして、最後にやってきたJの四人組の担ぐ玉座にましろはてけてけ駆け寄ると、玉座に飛び乗った。

 

「はあ疲れた。この日のために腕を鍛えておいてよかったよ」

 

 そう言いながらましろは玉座の上でトランプの兵士が拾ったスコップを受け取った。

 

「笹木さん、待たせてごめんね。今度はちゃんと戦うから、ぼくみたいに真っ二つにならないよう、気を付けてね!」

 

 ましろは瞳孔を開いたままの笑顔で冗談を言うと、スコップを振るい、トランプ兵たちに突撃の指示を出した。

 



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10.トランプ遊び

「スペードのエース、前へ。ハートの3から9までは回り込んで」

 

 ましろの言葉に応えて粛々と動くトランプ兵たち。囲まれているランサーは表情一つ変えないまま、出てくる相手全てに付き合って槍を打ち合わせている

 

「スペードのエースは交代。準備してたダイアの2,3,4,出ろ!」

 

 ましろの言葉によって満身創痍のスペードのエースが撤退し、ダイアの三枚がランサーの前に進み出る。悔しいが、笹木に出来ることは何もなかった。

 

(ランサー、もういいよ。うちはここを引き払う)

(お前の居場所こそ常にローマ……! ローマは何処であっても栄える定めに満ちているのだ)

 

 ランサーは笹木に応えるように槍を掲げる。戦況は不利に見えた。今もダイアたちがランサーに槍を突き刺そうと迫り、ランサーがそれを槍で薙ぎ払おうとしたが、ダイアたちの動きはフェイント。槍を透かしたダイアたちは一斉に三方向に散らばってランサーにとびかかる。

 

「ランサー!」

「案ずるな」

 

 ランサーはダイアの一枚に向けて槍を構えて突進し、強引に押し込んで退路を作った。隙のできたダイアにランサーは槍を突き刺そうとするが、ダイアの後ろからハートの奴らが槍を突き出して邪魔をする。ランサーはそれを弾くと、辺りのダイアを警戒するように槍を構えなおした。

 

 何とか危機は逃れた形だ。だが、すぐに三枚のダイアたちはまた何かを仕掛けようとじりじりと距離を詰めてくる。

 

「クローバーの7から10までは準備して。回り込んでるハートの部隊はもっと圧をかけろ!」

 

 笹木にとって絶望的な指示がましろからとぶ。ランサーの後ろに陣取るハートたちが槍を構えて距離を詰めてくる。それでも彼らはランサーの槍の届く距離には入ろうとしない、ぎりぎりの距離を保ちながら隙を伺っているのだ。恐らく、先ほどのような逃げ道はもう無くなったと考えてもいいだろう。

 

「そろそろ頃合いか」

 ランサーが呟く。ましろはこてんと首を傾けた。

 

「逃げるつもり?」

「我々はみなローマへと通じる道を歩むのみ……」

「ローマ? え、なんでローマ⁉ 君はローマ皇帝か何かなの?」

「あ、ストップ。お前ふざけんな。その口を閉じろ。令呪使うぞ」

 

 笹木がランサーに向けて脅すように言うと、ランサーは振り返って何とも言えぬ表情をした。

 

「そんな表情をしても無駄だぞ。今後敵の前でローマ禁止な」

 笹木が取り合わずに言うと、ランサーはがっくりと項垂れた。

 

「此の世は無情……ローマにもその無情さはあったのだ、しかし、人の温もりもまた……」

「ええいうるさい! やれランサー」

 

 その言葉に反応したランサーが槍を地面に突き刺すと、緑色の光が波紋のように広がっていった。

 

「なんだ、この光……後退、後退だ!」

 

 慌てて玉座を下がらせようとしたましろだったが、遅いと判断したらしい。玉座から飛び降りると、忙しなく腕を動かしアリスの元まで大慌てて退避した。果たして、その行動はすぐに正解だったとわかる。

 

 ましろの方へ走っていた玉座を担ぐ四枚のJたちが、地面から突如として湧き上がった森に呑まれてしまった。

 

「うわ、やばぁ……」

 ましろは呟き爪を噛む。アリスは目を丸くして森を見つめていた。

 

 森の中から戦闘の音が聞こえてきたが、もはや先ほどのように指示は出来なかった。魔力反応からトランプ兵たちが次々と倒されているらしいことがましろとアリスには感知できるだけだ。

 やがて、森の中からランサーだけが歩いて来る。

 

「ずるいずるい、こんなのずるだぁ!」

「そうだー! ずるいぞー!」

 

 ぴょんぴょん跳ねて抗議するましろと、ましろを真似てその場で跳ねるアリス、笹木は森の中に隠れたまま大声で笑いたてた。

 

「お前ら馬鹿じゃねーの!」

「な、聞こえたよ⁉ 馬鹿だって!」

「ああ言ったよ。悔しかったら追いかけてきな。ま、どーせ無理だろうけどな。ひゃっひゃっひゃっ」

 

 悔しがるましろと爆笑する笹木、ランサーはこほんと咳払いをした。

 

「ましろ……か。お前には才能がある。私がお前に見たあの輝きこそまさしくローマのもの! どうだ、お前もローマ市民にならないか?」

 

 そうしてランサーはましろに手を差し出した。わざわざ上半身だけのましろに合わせ、膝を着いて。ましろはきょとんとした様子で自らに差し出された厳つい手を見上げていたが、くすりと笑って頭を下げた。

 

「お誘いは嬉しいけど、ごめん。実はぼく、笹木さんのことをけっこう意識しててさぁ。敵というか、よき敵でありたいと思ってるんだ」

「はぁ⁉ うちはお前のことなんかなんも知らないんですけど!」

 

 森の中から即座に入るツッコミにましろは苦笑した。

 

「まあ、覚えてないよねぇ。でもまあそういうことだから、ごめんね。ぼくはローマの仲間になれないや」

 

 ましろの答えを聞いて、ランサーは差し伸べていた手を下ろす。

 

「なるほど。その言葉にすらローマは息づいている、か……お前はそれでよいのかもしれぬ」

 

 ましろが首を傾げ、アリスと顔を見合わせている間に、ランサーは堂々と踵を返して森の方へ歩いていく。ランサーが消えた森には風が吹き、木々が揺れて音を鳴らした。その森の音が形を作って人の声を作るように、ランサーの声は聞こえてきた。

 

「生きていれば再び相まみえよう。そこでお前のローマを私に見せよ」

 

 言い終わると同時に風はぴたりとやんだ。ましろたちは苦笑するばかりだった。

 

「じゃあ、下半身は埋めようかな」

 そう言ってましろはスコップで地面を掘り始めた。

 

「え、じゃあましろの下半身はどうなるの?」

 不安そうにアリスが尋ねる。

 

「いや、大丈夫、ちゃんと生えてくるよ」

「えー、ここから生えてくるの? 気もちわる……」

 

 ましろの断面を凝視し出したアリスにましろは思わず吹き出した。

 

「ちがうよ。生えてくるのは上半身だって。僕の上半身に下半身は生えないよ」

「え……」

 

 アリスは今まさにましろの掘った穴に落とされた下半身を見つめた。ましろは鼻歌を歌いながら下半身に土をかけていく。

 

「じゃ、じゃあ、今私が話してるましろの上半身はどうなるの……?」

 

 アリスの質問にましろはスコップの手を止めた。

 

「アリスちゃん、世の中には知らない方がいいことだってあるんだよ……」

 

 瞳孔を開いたまま優しく言ったましろにアリスは何度も必死に頷くしかなかった。

 



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11.はいしんのれんしゅうちゅう~

「えー、ボクたちの目的はー……なんだっけ?」

 

「まったくでび様ったらいけませんわ。でび様の目的は自らを崇拝する人間を増やし、力をつけること。そんなこともお忘れになるなんて、脳みそまでコアラになってしまったんでしょうか」

 

「おお、そうだったそうだった。では小娘、締めを頼む」

 

「嫌です……じゃなくて、視聴者の皆様、でび様を崇拝ください。でび様の力が増せば数々の奇跡を起こすことができます。皆様の心に秘めた願いすら叶えることが出来るでしょう。でびちゃ……様は慈悲深い悪魔です。今はただのコアラですが、力を着ければ皆様の不幸を決して放ってはおきません。皆様の運命をあの作り物の神から奪い返し、きっと良い方向に導いてくださるに違いありません」

 

「ん? ん~……うん。その通りだ! みんな、チャンネル登録をよろしく頼むぞ~、じゃあな~」

 

 カメラの前でしばらく笑っていた二人だったが、その顔は次第に固まっていき、どちらからともなくスッと無表情になった。

 

「お疲れ様ー! でびるもリオンちゃんもよく頑張ってるよ。すっごくいい感じ!」

 

 画面に映った本間ひまわりの顔を二人はじっとりと見つめる。次いで、二人の視線は何も言わずに社築の方に移る。社築は躊躇いながらも口に出した。

 

「いや、やばいだろ……」

 

 二人はため息をついて、肩をがっくりと落とした。

 

ーーーーーーー

 

「まあ、ちょっと緊張しすぎやね。もっと肩の力を抜いてる方が視聴者さんも見やすいと思う」

「ふむふむ」

 

 本間ひまわりの言葉を聞いて悪魔はメモ帳に何かを書き込む。鷹宮がそのメモを覗き込むと、それはとぐろを巻いたうんちの落書きでしかなかった。

 

「っつーか鷹宮のあれ何? 信者プレイ? めちゃくちゃ下手だぞ。慣れてないの丸見えだから」

 

 社築の指摘に鷹宮はウっと唸った。

 

「それは、だって仕方ないじゃないですか。畏怖されるような悪魔でなきゃ……」

「いや、まずお前が畏怖してねーだろ。コアラって完全にぼろ出してんじゃん」

「あ、小娘! あのときは気づかなかったけどよくもボクをコアラって呼んだな!」

 

 悪魔が突っかかるように鷹宮の顔の前を飛ぶ。鷹宮はそれを払いのけて応戦した。

 

「うるせえよ! どっからどう見ても角の生えたコアラじゃねーか!」

「言ったなー! 今日こそはボクの恐ろしさを思い知らせてやる!」

「おう上等だよ、かかってきな!」

 

 そうして殴り合いを始めた二人をよそに、ひまわりと社はため息をつく。

 

「まあ、最後の方はアカン宗教みたいやったし、方針を見直した方がいいのかな」

「うーん、SNSで告知もして、デビュー配信ももうすぐだっていうのに、これはそろそろまずいか……?」

「カメラが回ってないときは見てて面白いんだけど……お!」

「ああ、なるほど」

「へえ、やしきずも気づいた?」

「まあな。それならなんとかなんじゃねーの?」

 

泥沼と化しつつある二人の争いを、ひまりと社はパソコン越しに生温かい目で見守った。

 

 

「大変や大変や大変や!」

 

 バーの扉を勢いよく開けて入ってきた椎名は、全く椎名の方を見ようともせず談笑している花畑チャイカと赤髪の少年、ライダーを見て、地団駄を踏んだ。

 

「大変やっつてんだろが!」

「あー、わかったわかった。落ち着いて話してみ? ほら、いつものだ」

 

 チャイカがグラスをカウンターに置く。椎名は頬を膨らませつつもグラスを取って一気に喉に流し込んだ。

 

「ぷはぁっ、って、ただの水やないか!」

「だからいつものっていってんじゃん……」

 

 拗ねた様にチャイカはそっぽを向いて呟いた。

 

「まあ、今回ばかりはマスターの話を聞いてやってほしい」

 

 遅れてバーに入ってきたアーチャーは優雅に腰掛けると、チャイカからカクテルの入ったグラスを受け取った。椎名はアーチャーをキッと睨む。

 

「それで、大変なことってなんだったの?」

 

 ライダーが尋ねると、椎名は気を取り直して言った。

 

「笹木の家が襲撃された」

 

 チャイカは目を見開いて立ち尽くした。赤髪の少年はへえ、と意味深な笑みを浮かべる。

 

「何がなんだかさっぱり! 辺り一帯森になってるし、家は焼け落ちてるし。笹木、やばいんかな……」

 

 項垂れた椎名に、バーの空気は重くなった。

 

「森ねえ……森はたぶん笹木さんのサーヴァントかな。まあ、笹木さんはともかく、サーヴァントがあの人だよ? あの人に限ってマスターをやらせはしないさ」

 

 ライダーが慰めるように椎名に笑いかける。アーチャーも続けて、

 

「ふむ。確かにかの王が遅れを取るとなるとよほどのこと。そんな想定はしたくもないがな」

 

「だいたいさあ、結界はどうなったの? リーダーたちの勧誘がしつこくてどんどん堅牢になってったあの結界、最後の方は僕とアーチャー二人係でも時間がかかりそうなものだったけど」

 

 ライダーはアーチャーの方を見ながら言う。アーチャーは首を横に振る。

 

「結界は……わからない。溶け落ちた跡はあったが、いったいどうしてあんなことになったのか。天才の私にもさっぱりだ」

 

「くそっ、私たちがもっと勧誘していれば……!」

 

 チャイカがカウンターに拳を叩き付けた。椎名も感極まって立ち上がる。

 

「確かに! 結界がもっと固くなって破られなかったかも。くそぅ、私たちの責任かー!」

 

「あっはっは……まあでもアーチャー、どうしてそうなったかはわからない……けど、誰がやったかはわかってるよね?」

 

 笑うライダーにアーチャーは腕を組んで答えた。

 

「もちろんだとも」

「な、二人とも知ってんの?」

 

 アーチャーは頷いた。

 

「これほど邪な魔力は世界を見渡しても多くはあるまい」

「だね。リーダーだって気づいてたでしょ」

 

 少年の言葉に椎名は思わず吹き出した。

 

「そんなまさか。だってリーダーだよ? リーダーが魔力なんてまともに感知できるわけ……」

「いや、知ってたよ」

「嘘やん」

「悔しかったらお前ももっと精進するんだな」

 

 悔し涙を流し突っ伏す椎名を置いて、三人は話を続けた。

 

「危なそうだし、理由もなきゃ近寄りたくねえなって思ってたんだけど」

「それもそうだ。でも、笹木さんを襲撃したんだ。ぼくたちも挨拶くらいはした方がいいんじゃないかな」

「私も同意見だ。笹木女史には少々借りがある」

「えぇ、お前らやる気なの……まあ、二対一ならなんとかなるかな」

「なに⁉ 仇討ち? お礼参り? 行こう行こう! 敵はどこにいるん?」

 

 椎名が勢いよく体を起こしてまくしたてる。チャイカは何も言わずに地図をカウンターに広げた。

 

「山の上の寺……いや、今はもうないんだっけか。柳洞寺跡、ここだな」

 

 地図上のチャイカの指差した地点に四人の視線は集まった。

 



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12.柳洞寺跡

「あ、あ……、アーチャーに命じるっ、この階段が終わるまであてぃしをおぶへぇあ!」

 

 何か口走ろうとした椎名唯華の口をアーチャーが慌てて塞ぎ、ついでに首を絞めつけた。

 

「おい、冗談じゃないぞ。なぜ私のマスターはこれほどまでに愚かなのだ⁉」

「運がいいんだよ、運が」

 

 軽装のライダーはにっこり笑うとアーチャーの前に躍り出て、階段をとんとん拍子に上がっていく。

 

「くそ、元気いいなあいつ……」

 

 花畑チャイカは遠ざかっていくライダーの背を見上げ、額の汗を拭った。

 

 一行は山の中腹にある柳洞寺参道の石段を上がっていた。

 太陽は照り、椎名は重そうなスポーツバッグを肩にかけている。おぶってもらいたい気持ちはわかるけど……そう思いつつもチャイカは椎名から目を逸らした。

 

「椎名さーん、見てきたけど、もう少し行けばこの階段も終わりだよ」

 

 先に上を見てきたらしい、階段を駆け下りてきたライダーが椎名を鼓舞する。

 

「ナイス、ライダーナイスゥ!」

 

 椎名はアーチャーから解放されて息も絶え絶えだったが、その目にも再び光が宿った。

 

「ほら、バッグは僕が持ってあげるから、もうちょっと頑張って!」

 

 とライダーは椎名の肩からスポーツバッグを受け取った。

 

「うん、がんばるわぁ! もうほんっとライダー神! 天才!」

「なに、天才だと……⁉」

 

 アーチャーが目を疑うように椎名を睨む。

 

「だってそうやん。女の子が疲れてんのがわからんのは天才ちゃうよ、ただのアホw」

 

 椎名が吹き出すように笑って見せると、アーチャーは石のように固まってその場から動かなくなった。

 

「おお、門が見えたじゃねえかよ」

 

 チャイカの声を皮切りに、一同はペースを上げ階段を上がった。

 

 一同を出迎えた寺の門は上の屋根が半ば焼け落ちていて、残った柱も椎名の背丈よりも低いところで折れていた。

 

 椎名は門の前で一度立ち止ると、深々とお辞儀をしてから門の敷居を跨ぐ。それを他の三人は不思議そうに見守った。

 

「そういやお前霊能者だっけ? その設定まだ生きてたのか」

 

 チャイカがどうでも良さそうに言った。

 

「は? ちゃんと霊能者ですけど‼」

「でもこの山の魔力には気づかなかったじゃん」

 

 ……(-_-)

 

「あ、椎名さんまたその顔してる」

 

 ライダーが通り過ぎざま椎名を一刺しして門を跨いでいく。

 

「ふん、いい気味だ」

 

 アーチャーは酷く下卑た笑みを浮かべて椎名の横を通り過ぎていった……。

 

―――――――

 

 門を抜けると見えてきたのはまさしく廃墟と化した寺だった。

 

「こりゃあ、入るのは危険だな」

 

 チャイカの言うことももっともだった。

 目の前に建っている巨大な寺は柱があちこち折れていて、無事な柱も黒く焦げているのが見える。崩落しかかっている屋根が未だに持ちこたえていることが奇跡に思えた。

 

「ふっふっふ! こんなこともあろうかと」

 

 一同の注目を集め、椎名は肩にかけたスポーツバッグから空気の入っていない風船を四つ取り出した。

 

「これ、魔力を込めながら膨らませて!」

 

 そう言って椎名は三人に風船を配り始めた。

 

「はい、ライダー」

「え、うん」

 

「はいアーチャー」

「……」

 

「はいリーダー」

「なんか私のだけでかくないか?」

 

 困惑しながらも三人は風船を膨らませ始める。

 

 ライダーとアーチャーの風船はピンク色でバスケットボールほどの大きさになった。

 

「なにこれ、椎名さんそっくりでかわいい!」

 

 首を傾げてライダーは膨らんだそれをむんずと掴む。

 風船はぷっくりと膨らんだ椎名唯華の顔に短い手足が直接くっついているようなデザインだった。

 ライダーがその顔を左右から潰すように押し込むと、風船は手足をばたつかせながら苦悶の表情を浮かべ、キュー、キュー、と甲高い声で泣き喚く

 

「ちょ、やめて! おもちぃなをいじめんといて!」

「生きてるんだ⁉ すごいな~」

 

 ライダーはほっぺたをぷにぷにと弄る。褒められたおもちぃなはどや顔しながらライダーに好き放題されていた。

 

「魔術による疑似生命体か、なるほど我がマスターにしてはよくやる……」

 

 一方、アーチャーは自身が作ったおもちぃなと対面し、にらみ合っていた。

 

 おもちぃなは(-_-)んな顔でずっとアーチャーの顔を見ていたが、じきにふっと鼻で笑って顔を逸らした。

 

「こいつ、今私の顔を見て笑ったぞ! 許さん、破裂させてくれる!」

 

 アーチャーの手のひらは雷を纏い、その手がおもちぃなに向けられる……!

 

「やめてぇ! おもちぃなは悪くない。おもちぃなは私のコピー人格だから、悪いのはあてぃし! 例えこの子が屑だとしても、この子に罪はないよぉ!」

 

「ならば貴様ごと貫くまで。受けるがいい、我が静かなる雷(静電気)を!」

 

 アーチャーの紫電がその指先から走る。椎名はとっさに目を瞑ったが、いつまでたっても覚悟した衝撃は来なかった。

 

「いや、お前ら人が必死こいて風船膨らませてんのに何やってんだよ……」

 

 呆れたようなチャイカの声。

 椎名が目を開けると、目の前には黒いシルクハットがふわふわ浮かんでいた。

 

 シルクハットはくるりと翻り、その持ち主の頭にかぶさった。髪の色も服の色も左右で白黒に分かれている不思議な少女は帽子を押さえて笑う。

 

「こんれーな! お久しぶりです、椎名先輩!」

 

「うわぁ、こんれーな夜見! へーい!」

 

「椎名先輩、へーい! ついでにリーダーも……へーい!」

 

「……へーい……」

 

 ヨルミと呼ばれた少女が椎名、そしてチャイカとハイタッチを交わすのをアーチャーは怪訝な目で見つめた。

 

「……マスター、そこの淑女は?」

「ああ、これは夜見だよ。ほら夜見、挨拶して」

 

「こんれーな! ……じゃなくて、こんにちは! 私はアイドルマジシャンの夜見(よるみ)れなです。椎名さんとチャイカさんは昔所属してた組織の先輩方なのです。どうぞよろしく!」

 

「なるほど、協力者というわけか。私はアーチャー、神の雷を人の世にもたらした偉大なる天才だ。よろしく頼む」

 

 夜見はそれを聞いて首を傾げた。

 

「雷……電気? 電気、電気、電気……あ、わかりましたよぉ、エジソンさんですね⁉」

 

「なん……だと……‼」

 

 アーチャーは愕然とした表情で膝を着く。

 

「ぷぷー、間違われてやんのーw」と椎名に茶々を入れられた怒りで復活したが、その足元は頼りなく、ふらつきながも夜見に歩み寄ると、じろじろと眺めまわし、言った。

 

「失礼、ミス夜見。肌に触れても?」

「え、いいですけど……」

 

 夜見が答えると、アーチャーはその頬に手を伸ばし、優しく触れたと思えばにゅっと摘み、ぐいっと引っ張った。

 

「ひゃ、ぃいだだだだ!」

「おっと、すまない! 申し訳ないことをした」

 

 アーチャーはパッと手を放す。

 

「絶対わざとやろ!」

 

 椎名がツッコむ。夜見は頬をさすりながら言った。

 

「いやあ、まあ別に痛くないんですけどね」

 

「痛くない、か。君はおもちぃなとは違って疑似生命体ではないようだ。素材もかなり特殊なものを使っているようだが、遠隔で操っているのか?」

 

「その通りです! ちなみに本人は今マジックの公演中ですよ! この会話は脳みその隅っこの方でしています。マジックが失敗したら椎名先輩のせいですからね?」

 

「いや、そこはマジックに集中しろや……」

 

 椎名の言葉に夜見は照れたように笑った。

 

「なるほど。このおもちぃなも君のマジックか。確かに。凡庸なる我がマスターにこのようなものが作れるはずがないからな……ふっはっはっはっはっは‼」

 

「いや何がおかしいねん」

 

「まあまあ、落ち着いて」

 静かにこぶしを握り締めた椎名をライダーがなだめた。

 

「それで、椎名さん。夜見さんとおもちぃなを斥候にするってこといいの?」

 

 椎名は当然のことのように答えた。

「え、そりゃこいつら生贄……じゃなくて危険な場所の探索に持ってこいやし」

 

 ピー! ピー、ピー! おもちぃなたちが危機を感じ取ったのか椎名から逃げるように夜見の背に隠れ、抗議の声を上げる。

 

「ちょ、駄目ですよぉ~、あなたたちも私もそういう役割なんですから……まったくぅ、疑似人格も困ったものですね、誰に似たんだか」

 

「え、夜見?」

 

「あら、いけないいけない。とにかく、斥候は我々にお任せあれ! 行きますよ、おもちぃなさんたち!」

 

 ピー! とおもちぃなたちは短い手で敬礼して夜見についていった。



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13.お茶会(静)

「チャイカさんお茶いる?」

「ああ、いただこう」

 

 椎名はバッグの中から水筒と紙コップを取り出すと、コップにお茶を注いでみんなに配り始めた。

 五人は柳洞寺中庭に面した縁側に腰掛けていた。

 

「なんか眠くなってきたな……」

 

 お茶を啜る椎名の目がゆっくりと閉じられていく。

 

 肌に触れる空気は冷たいものの、その日は風もなく、柔らかな陽射しが降り注いでいた。

 

「ここ、一応敵地なんだけどなあ」

 

 とライダーは苦笑する。笑いながらも茶を啜る。

 

「結構な、お点前じゃないか」

 

 と花畑チャイカは茶を味わっている。

 

「なかなか風流な庭であったが……」

 

 アーチャーが名残惜しげに言った。

 

「えぁ~」

 

 中庭の中央では寺の木材を集めて火が焚かれていた。

 そこにおもちぃなたちが怪しげな魔術礼装を次々と放り込んでいる。

 しめ縄が火を囲うように張られ、縄には椎名が実家から持ってきたという(ふだ)がセロハンテープでぺたぺた張り付けられていた。

 

「私はここで誰か死ぬかもって思ってたんだけど……」

 

 炎を見つめながら、チャイカは不安を吐露する。

 

「え、遠足じゃないのぉ?」

「ばかやろ、笹木はどうした」

 

 椎名のブラックジョークかと思ってツッコんだ花畑だったが、椎名の顔を見て態度を一変させる。

 

「なんだその顔は。まさか忘れていたのか」

 

 椎名はサッと目を逸らした。

 

「いや、階段とかきつくて、それで休めるところがあったから……」

 

「えぁ~」

 

 周囲に助けを求めた椎名は初めてそこにいた夜見に気づいた。

 

「あ、あれ夜見ぃ、ここにいていいの?」

「えぁ? ええ。おもちぃなさんたちと視覚を共有しているので大丈夫ですよぉ。魔術礼装の山はまだ半分も無くなっていません。いくつか貰っていいですか⁉」

 

 椎名とチャイカは顔を見合わせる。

 

「いいんじゃね?」

「いや駄目だろ」

 

 軽いノリで言った椎名にチャイカは真顔で答えた。

 

「おーい、そこのおもちぃな、こっち来てぇ」

 

 椎名は炎に礼装をくべようとしていたおもちぃなを呼びつけた。おもちぃなの抱えていたものは干からびてミイラ化した腕だった。

 

「これ何に使うんやろ……アーチャー分かる?」

「ふうむ、生体電気は感じないが、この物体の含有する魔力の量は中々の物だ。食せば大量の魔力が得られるのではないかな?」

「はぁ、天才が聞いて呆れるわ……」

 

 椎名はアーチャーを哀れむような瞳で見つめた。アーチャーはため息をつく。

 

「マスターに相応しい使用法だと思ったのだが……」

「これ、触ったらやばい奴?」

「いや、魔力は内に閉じこもっている。表面を触るだけなら問題なかろう」

 

 アーチャーの答えを聞いて椎名は干からびた腕に手を伸ばした。

 すると、腕は突然動き出して椎名の手を強く払った。

 

「は?」

 

 何が起こったかわからず椎名は払われた手を見つめた。やがて腕の方に視線を戻すと、腕はゆっくりと動きだし、椎名に向かってそっと中指を立てた。

 

「燃やせ! おもちぃな燃やしてぇ! そんなもん燃やしちまえ!」

「やめてくだいよぉ先輩―」

 

 激昂(げっこう)した椎名を夜見が止めに入る。

 

「ほら、見てくださいよ、こうやって、白い手袋をはめれば……ほら! 私の新しい助手の誕生です!」

 

 夜見がお披露目したのはマスターハンドみたく勝手に動く白い腕だった。腕は夜見の握手に応じて仲良しげに握手していたが、椎名の視線に気づいてすぐ椎名の方に向き直り、ぴんと中指を立てた。

 

「このやろっ、もう我慢できひん!」

 

 椎名は夜見から腕をぶん取ると、腕と揉み合いになりながらも助走をつけ、思いっきり炎の中に投げ込んだ。

 

「えぁ~……」

 

 途方に暮れる夜見とは反対に、椎名はせいせいとした顔で汗を袖で拭った。

 

「それにしても、さっきから運ばれてくる礼装、みんな趣味が悪いものばっかだね」

 

 縁側で足をぶらぶらさせながらライダーが言った。

 

「ふぅむ、興味深くはあるが嫌悪感も凄まじい。これは魔術の洗練された体系ではない。もっと原始的で暴力的、死の匂いのするものばかりである。そら、今運ばれていった木箱も恐らく人を呪い殺している礼装……いや、呪具の類であろう」

 

 それを横で聞いていたチャイカはげっそりとした顔で茶を啜った。

 

「こんなん集めてるのってよっぽどやばい奴でしょぅ? ほんっと、空き巣でよかったわ……」

 

 するとライダーは耳を疑うようにチャイカを見た。

 

「えぇ、もったいないよ。こんなものばっか集めてる人がどんな人なのか、僕は知りたいけどなあ」

 

「未来の王よ、人の上に立つのなら不要な冒険はほどほどにしておくがいい」

 

 アーチャーが笑って諫めると、ライダーも肩を落としながらも笑った。

 

「だよねー……」

 

―――――――

 

 夕方になり、ようやく仕事を終えたらしい、おもちぃなたちは中庭に整列した。それを見て夜見が立ち上がる。

 

「みんなご苦労様ー。椎名さんたちも。あと残ってる礼装はおもちぃな越しに触れても危険なものばかりですので、このお寺ごと完全焼却するのがいいと思いますっ!」

 

「よし、それでは私が」

 

 と立ち上がったアーチャーを夜見が押しとどめた。

 

「いえいえ、大丈夫ですよぉ。ここは私にお任せあれ」

 

 夜見が後ろ足を引いて妙に気取ったお辞儀をしたので、最初は譲る気のなかったアーチャーも半笑いで貴方がやればいいと手で示した。

 

「はい! それではみなさん、お寺の正面に参りましょう! 夜見のマジックショーならぬ、魔術ショー‼ 呪われた礼装も浄化間違いなし! 恐らく今世紀最初で最後ですよー?」

 

 椎名とライダーは目を輝かせながら、チャイカとアーチャーは苦笑しながら、夜見の後についていく。

 



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14.マジックショー!

 日は落ち、辺りは暗くなった。夜見は一同の顔に視線をめぐらすと、にっこりと笑って宣言する。

 

「それでは開幕します!」

 

「fooooo!」

「アララララララーイ!」

 

 椎名とライダーが勢いよく拍手するのに対し、チャイカとアーチャーは多少付き合うような拍手ではあったが、夜見はまんざらでもなさそうだ。

 

「あちらをご覧ください!」

 

 夜見が手で示すと、屋根の上にスポットライトが七つ当てられた。スポットライトの下にはシルクハットを被るおもちぃなたちが立っている。

 そこで太鼓が大きく打ち鳴らされ、ソロの金管楽器が面白おかしなメロディを奏で始めた。

 

 おもちぃなたちはメロディに合わせてシルクハットを隣に放り投げては隣からとんでくるシルクハットを頭でキャッチして被っていく。さらにはおもちぃな自身が横にぴょんと跳ねては隣のスポットライトに移動していく。

 

 それぞれ距離のあるスポットライトだったが、まるですぐ隣にあるようにテンポよくシルクハットが飛び交い、おもちぃなが現れるので、椎名とチャイカは大喜びで手を叩いた。

 

「何あれ! 端っこはどうなっとるん?」

「ふっ、馬鹿だな、ワープに決まってるだろ……」

 

 椎名とチャイカの会話を聞いていたアーチャーが口を開こうとしたが、ライダーがそれを止めた。

 

「楽しければいいんだよ」

「まあ、そうだな。無粋であったか」

 

 四人が気分よく屋根を見上げているのを見て、夜見はふふんと鼻を鳴らした。

 

「ここからですよ!」

 

 夜見がシルクハットからステッキを取り出すと、ステッキを空に向かって放り投げた。すると、それに合わせておもちぃなたちも一斉にシルクハットを空に放り投げる。

 宙へ舞ったシルクハットはその高さが頂点に達した瞬間、花火のように鮮やかな大爆発を起こし、落ちていく火花はそれぞれ七色の光を放ちながら寺の屋根に降り注いだ。

 

 夜見はステッキをキャッチすると、オーケストラの指揮者みたくステッキを振り上げる。そこで再び太鼓が打ち鳴らされ、幾つもの金管楽器が一斉に大音声を吹き鳴らす。奏でられるのは先ほどの面白おかしなメロディだったが、今度は迫力があるせいか先ほどよりも荘重な音楽に聞こえてくる。

 

 火花から生じた七色の炎は古寺を焼け落しながら夜見の指揮に合わせて混じりあい、新たな色の炎をその内側に次々と生み出していった。

 

 夜見がステッキを振り上げると、七色の炎の七羽のハトが寺の屋根から飛び立ち、急降下して寺に落ちる。水柱が立つように七色の炎が上がる。

 形のない炎は大小様々な鳥の姿を結んでは一瞬で解けていく。一同は聞こえてくるオーケストラを演奏する奇妙奇天烈な楽団員たちすらもいつのまにか炎の中に見ていたほどだった……。

 

「ぐぬぬぬぬ⁉」

 

 と唸りながら夜見がステッキをぐるぐる大きく回すと、炎がだんだん中心に集まってきて巨大な竜巻を形成し始める。

 渦の中から様々な色の炎で出来た幻想生物が現れては声を上げ、また渦の中へ戻っていく。ペガサスに不死鳥、龍、背中に鉄の土台を乗せた翼竜、三つ首の犬が入り乱れる竜巻の暴風に一同は目を細めた。

 

 金管楽器の音や太鼓の連打も入り乱れ、一つの轟音の中に融け合っていく。

 

 そのさなか、椎名は渦の中に卵を垣間見る。

 

「フィナーレです!」

 

 夜見が叫ぶ。七色の炎の竜巻は不安定に膨れ上がり、中心にさらに新たな渦を巻き始めていたが、その中心の渦が外の竜巻を食い破るように広がると、まるで風船が割れるような音と共に渦の中の卵が弾け飛んだ。

 

 竜巻は一瞬にして掻き消え、後には辺り一帯、七色の火の粉が降り注いだ。

 

「うわわわわっ」

 

 と椎名は目を瞑るが、降り注ぐ火の粉は温かかった。椎名は戸惑いながらも降ってくる火の粉を手で受けると、火の粉は一瞬の柔らかい光を放って消えていった。

 ライダー、アーチャー、チャイカもまた手を伸ばし、手の中に消えていく炎を見つめるのだった。

 

「ご観覧ありがとうございます。夜見の魔術ショー、これにて閉幕~。皆様、忘れ物のないようお気をつけてお帰り下さい」

 

 未だ火の粉の降り注ぐ中、夜見は深々と頭を下げた。

 

「ありがとうな夜見、元気出たわぁ!」

「最高のショー、ありがとうやで……!」

 

 椎名とチャイカが手を振り、あっさりと踵を返す。 ニコニコと手を振り返す夜見の前に、次いでライダーとアーチャーが立った。

 

「夜見さん、僕がこの聖杯戦争を勝ち抜いたら迎えにいくよ。リーダーも椎名さんも夜見さんも、三人とも僕の世界征服には必要な人材だ」

「ふっはっはっはっは! 笑わせてくれる! ミス夜見の才能は私の助手になってこそ真に輝くというもの。器量のある王であるならばその程度の判断はつくと思うのだが?」

 

 並び立った二人はあくまでも夜見の方を向いたまま朗らかな笑みを浮かべている。

 

「ふーん。言いたいことはあるけど、今は言わないよ。どちらが正しいかはいずれわかるときがくるさ」

「ああ、そのとおり。さすがにある程度は賢いようだ」

 

 夜見は困ったような笑みを浮かべて言った。

 

「えぁー……どちらも、応援してますから、あははは……」

 

 サーヴァント二人はそれを聞くと、満足そうにマントを翻して去っていく。門をくぐって階段を降りていく四人の後ろ姿を見下ろし、夜見は息を吐いた。

 

「さて、と」

 

 夜見は俯くと、足元の石ころを蹴飛ばし、振り返った。

 

 まだ七色の炎は静かに燃えていたが、寺はほとんど原型も残っていない。炎は全て夜見の腰よりも低い場所で燃えていた。

 

 夜見はまだ燃えている寺の方へと歩きだす。かろうじて見て取れる中庭へ続く通路を、足元で弱弱しく燃える炎を踏み越えるように進んでいく。

 

 燃える中庭には二つの人影があった。

 黒髪に黄色い瞳の青年。そしてゴスロリ姿の少女だ。二人は夜見を拍手で出迎えた。

 

「いいショーだったよ?」

「うん、楽しかった!」

 

 青年と少女は偽りのない笑みを見せるのだが、夜見は表情一つ変えずに答える。

 

「貴方たちも浄化させるつもりで頑張ったんですけどねー……」

「あっはっは! それは無理だよ。僕たちにはまだやり残したことがたくさんあるんだもん」

「ええ、私たちにはまだやりたいことがあるの。だから、浄化はされたくないわ」

「はぁ、したくてもできませんよぉ。ていうか礼装、どれだけ残ってるんですか?」

「あー、でも七割くらいは燃やされちゃったし、けっこう痛手だったかも」

「うんうん、私のお友達も燃やされちゃった♪」

 

 そう言って少女はその場でくるりと回り、スカートを翻す。

 

「それは許せないよねえ。でもまあ、燃やされたって言っても……」

 

 青年はにやにや笑いながら見覚えのある木箱を地面に置いた。

 

「嘘……」

「やだなあ、普通の霊能者にこれが燃やせるわけないじゃん!」

「そうよ、私のお友達はとっても意志が強い子たちなの、今も私に囁いてる。熱い、痛い、苦しい、憎い、て」

 

 夜見は目を瞑ると、覚悟を決めて切り出した。

 

「私に、何をしてほしいんですか?」

「簡単だよ、この箱は寂しがり屋さんだからね。ぎゅう~っと抱きしめてあげて欲しいんだ」

 

 夜見は目を見開き、その箱を見下ろした。なんてことはない。単なる古い木箱だ。だが、よく見るとカタカタと震えているように見える。夜見は後ずさった。上蓋が開き、隙間からたくさんの目が夜見を怨嗟の目で見つめた、そんな幻を見たからだった。

 

「実験みたいなものかな。完結した模擬人格のおもちぃな? と違って、君はその風船と直接繋がってる。たぶん効果が出ると思うんだけど……ちょっと試してみたくない? 大丈夫だよ。距離もあるし、触れたくらいじゃ死にはしないと思うな。たぶんね」

 

 夜見は平静を装って青年に話しかける。

 

「わかりましたよぉ。ところでお聞きしたいのですが、私のショーは面白かったんですよね?」

「うん。滅茶苦茶面白かった。またいつか見に行くよ」

「ましろ、ずるいわ! 私も見に行きたい!」

 

 ましろ……その名を小さく呟き、夜見は笑うことしかできなかった。

 

「でしたら、観覧料をいただきたいなぁー……なんて!」

「ふーん、何を支払えばいいの? 言うだけ言ってみてよ」

 

 青年はポケットに手を突っ込んで聞いた。夜見は答える。

 

「それは、未来に貴方たちが椎名先輩とチャイカ先輩を傷つける可能性、および苦しめる可能性です。観覧料で釣り合わなければ私の命で支払います。ですからどうか、あの二人を殺さず、そして呪わないでください……!」

 

 頭を下げた夜見を二人は不思議そうに見つめるも、すぐに夜見に歩み寄ってその肩を叩いた。

 

「おっけー。僕はあの二人を傷つけることはしないし呪いにもかけないよ。まあ、向こうから突っかかってきたら……それでもなるべくマスターは狙わないようにする。アリスちゃんもいい?」

「わかった。ましろがそういうなら仕方ないわ」

 

 聞き分けのいい二人に夜見はほっとして、そして、箱へと手を伸ばす。

 夜見には箱の隙間から薄白い手が弱弱しく伸びてくるのが見えていた。その手は誰かに握って欲しそうにしながらも、まるで拒絶されるのを恐れているかのように震えている。

 

「大丈夫、あなたたちは悪くないんですよ……」

 

 言い聞かせるように夜見は囁く。先ほどから木々のざわめきに混じって聞こえていた子供の泣き声がさらに姦しくなり、夜見は耳を塞ぐ代わりに固く目を閉ざす。

 

 たが、実際に夜見の手を握ったのは、人形のように乾いた少女の手だった。

 

「ナイス、アリスちゃん!」

 

 そう言って青年、ましろは箱を再びどこかへと閉まった。ぽかんと立ち尽くす夜見にましろは笑いかけた。

 

「冗談だよ、冗談。女の子にそんな酷い真似しないよ」

「そうよ、冗談。許してほしいわ」

 

 夜見は無表情に二人を見つめて瞬きした後、唐突に満面の笑みを浮かべた。

 

「……」

「あれ、おーい。何も言わなくなっちゃった」

「笑ってる。でもなんか怖いわ⁉」

 

 近づいてきてじろじろと人の顔を眺める二人に舌打ちし、夜見は口を開く。

 

「ましろさんましろさん、約束の方、よろしくお願いしますよ」

「え、ああうん、お疲れ様。えっと、いつかショーを見に行くよ、その時まで長生きしてね」

「私も行くからねー!」

 

 手を振る二人に深々とお辞儀し、夜見は言った。

 

「では、勝手ながらアンコールを。最後のマジックをお楽しみください」

 

「「へ?」」

 

 スポットライトの光が七つ。火の海と化した中庭に落とされる。一つは夜見を照らし、他の六つはましろとアリスを囲むように立つ六人のおもちぃなを照らし出した。

 

「これやばっ⁉」

 

 ましろが咄嗟にアリスを庇うような動きを見せるが、もう遅い。

 

 夜見はにっこりと笑いながら術式を起動する。恐らく、こんなものは単なる嫌がらせにしかならないだろう。でも今はそれで十分だった。二人が慌てふためく様、それを見られただけで十分気は晴れるのだから。

 

「またいつかお会いしましょう」

 

 ショーを閉めるお約束のセリフだったが、ましろははっきりと夜見を見ながら返事をした。

 

「うん、またね」

 

 柳洞寺の中庭に七色の巨大な火柱が巻き起こる……。



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15.女子高生たち

 教室に入ってすぐ、鷹宮はクラスメイトたちの間に漂う緊張を感じ取り、そして自分の席を見て足を止めた。窓際に目を向けると緑は来ていないようで、少しだけほっとする。

 鷹宮は再び歩き出すと、席には着かずにその横に立ち、机に突っ伏して寝ている椎名唯華の肩をとんと叩いた。

 

「ん……まだ眠いわ。あと五十分」

「椎名さん」

「やめて。声掛けんといて。まだ眠いってちょっと。頼む、昼休みまでは寝かせてくれ……」

 

 そう言って再び静かな寝息を立てる椎名。鷹宮は椎名の髪から覗く小さな耳をぐいっと引っ張った。

 

「え、いたい……」

 

 哀愁漂う顔でゆっくりと身を起こした椎名が見たのは、笑顔で目許をぴくぴくさせている鷹宮だった。

 

「椎名さん、そこ私の席なんですけど」

「あ、そうなん? 久しぶりに来たら席替えしてたから空いてる席に座ったんよ。しっかし、うわぁ、リオンさん、お久しぶりっす!」

 

 いえーい! と椎名はハイタッチしようと手を向けるが、鷹宮の両手は背中で組まれたまま動かなかった。

 

「久しぶり? 最近会いませんでしたこと?」

「え? あ、あぁ、確かに会った。会った、ような……会ってないような……」

「はぁ?」

 

 椎名に一度殺されかけている鷹宮は笑顔を崩さずに椎名の目をじっと見つめるが、椎名はぷいと顔を逸らした。

 

「まあなに。ここではあれやから、場所移そうか」

 

 鷹宮から逃げるように席を立った椎名。

 

「まあ、椎名さんはこんな感じだったっけ」

 

 と勝手に納得し、鷹宮も後に続いた。

 

―――――――

 

 屋上。朝のホームルームの時間とあって誰もいないそこは、静かに話をするのにちょうどいい場所だった。

 

 椎名は屋上に出るとさっそく地べたにぺたんと座り、お弁当を広げた。

 

「いやなんでだよ!」

 

 ツッコんだ鷹宮に椎名はのほほんとした顔で答えて

 

「やっぱ早弁なんだよなぁ。最近徹夜続きだから、朝ごはん抜かんとホームルームに間に合わへんくて」

 

 そうして呆れる鷹宮の前で手を合わせ、お弁当を食べ始める椎名。鷹宮は少しの間待っていたが、食べ終わるまで待つのも馬鹿らしいと本題に入った。

 

「それで椎名さん、なんで学校に来たわけ?」

「あむあむあむ……ん、それを言うならリオンさんはなんで学校来てん?」

「そりゃ将来のためでしょ。政治家の娘のエリート魔術師が高校中退なんて草も生えませんわ」

「わからん。聖杯ゲットで大金が手に入ったら、もう稼ぐ必要ないやん。え、まさか根源信者ぁ?」

「いえ、いえいえいえ……!」

 

 眠たげな椎名の視線を振り切るように、鷹宮は首を横に振った。

 

「私が欲しいのは充実した時間と、それに伴って送られる他人からの称賛、名誉です。あ、あとは、身を挺して私を守ってくれる見た目と中身の完璧な殿方さえいれば……」

 

 急にもじもじしだした鷹宮を胡散臭げに見つめて椎名はお弁当のお米を口いっぱいに頬張りむしゃむしゃ咀嚼する。

 

「って聞いてます⁉」

「あむあむ……んぅ、いや、何を聞かせたいねん。まあええわ、そんなの。それよりもあたしは、リオンさんが知っておいた方がいいことを知らせようと思ってわざわざ学校に来たんすよ」

「知らせたいこと?」

「そうそう」

 

 そうして椎名はゆっくりと口の中の物を飲み込むと、椎名にしては真面目な顔で言い放った。

 

「笹木の家が襲撃された」

 

 いったい誰が……? そう聞きそうになった鷹宮は一度口をつぐみ、深呼吸して尋ねた。

 

「笹木さんは、無事なの?」

「さあ? 家は炎上して今は跡形もないし、なんでか周囲一帯森になってるし、笹木は見つからんし……ひょっとすると死んでんとちゃう?」

「そんなこと……!」

 

 思わず険しい顔を浮かべた鷹宮だったが、眠たげな椎名の顔にどこか悲壮なものを見て、怒りを鎮める。

 

 そうだ、椎名さんは笹木さんの一番の親友、自分以上に傷ついてるに違いないのに、私が取り乱したってどうしようもない……。

 

「あたしの言いたいことわかる?」

 

 椎名の気怠い瞳は途端に重くなって、鷹宮の顔を覗き込んでくる。

 

「要はな、リオンさんはこの聖杯戦争、辞退すべきじゃない?」

「……唐突に何? 意味わかんないんですけど」

「わからん? 笹木のサーヴァントは古代ローマ建国の伝説的な王様。それが遅れを取ったんや。リオンさんのあのふわふわしたサーヴァントじゃ勝てっこないわ。それに、あたしとあたしの同盟相手のマスターとで笹木を襲撃したマスターに報復にも行った。マスターとサーヴァントは留守やったけど、家の中には人が何人も死んでるようなやばい礼装がごろごろ転がってたからなぁ。リオンさん、そんな雑魚サーヴァント連れてたら、むごく殺されちゃいますよぉ?」

 

 何も言えないでいる鷹宮を見て、椎名は続けた。

 

「なに、気にする必要ないですって。今回は運がなかった。リオンさんは魔術師としてはあたしより上かもしれんけど、サーヴァントがあれじゃ仕方ない。あんなん無理ゲーやって。あたしだったら即刻教会で保護で、そんでもって寝るもん」

「そう。よーくわかったわ」

 

 俯き、鷹宮が言う。

 

「え、わかってもらえた⁉」

 

 今まで自分の話を素直に聞いてくれた人がいなかったからだろう。椎名は意外なほど、パッと顔を明るくした。それに応えるように鷹宮もほほ笑んだ

 

「ええ、椎名さんは私を心配してくれてたってわけね」

「は、はあ? どこをどう聞いたらそうなるん」

「だって私が惨く殺されてれほしくないんでしょ?」

「それはそう。でも違うやん。違うんすよ。あーもう、どう言ったらいいのかなあ⁉」

 

 うわー! と椎名は頭を抱え込む。

 

「大丈夫。私と私のサーヴァントは最高のコンビだし、これからすっごく強くなれる。だから、椎名さんにはもうちょっとだけ見守っててほしいかな」

 

 少しだけ上目遣いで言ってみた鷹宮だったが、椎名は即答する。

 

「見るだけならええけど、守るのは嫌やな」

「あっそう」

「はぁ、まあ言うべきことは言ったし、あたしはもう帰る」

「あ、ちょっと待って」

 

 と屋上から出ていこうとした椎名を鷹宮は呼び止める。

 

「緑さんが心配してたから、会って少し話してあげてよ」

 

 なんてことはなく鷹宮は言ったのだが、椎名の反応は意外なものだった。

 

「緑……緑仙さんか。緑、ねえ……。どうでもええわ、あんなの」

  

 聞き間違いかと耳を疑う鷹宮を置いて、椎名は屋上から出ていった。



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16.初配信!

「初配信だ……」

「お、おう」

 

 頭を抱える鷹宮に対し、でびでび・でびるはそれよりも多少冷静だった。

 

「やばいよ、このボタンを押したらもう……」

「いや小娘、なんでボクより緊張してんの?」

「待って、まだ押さないで! 心の準備が……あー⁉」

 

 無慈悲にも悪魔の人差し指はボタンをしっかりと押し込んだ。

 

「待てって! てめえクソコアラ! まだ心の準備が出来てねえって言ってんだろぉ!」

 

 これが動画配信アカウント・でびリオンチャンネルの第一声だった。

 

ーーーーーーー

 

「やっちまった……」

 

 部屋の隅で体育座りする鷹宮リオンを置いて、悪魔はパソコンに向き合っていた。

 

「うん、心の準備なんかしてないうちに配信開始しちゃうよ~ん作戦は大成功みたいやね。snsの反応も上々やし、いい滑り出しだよ!」

「ああ、鷹宮が縮こまってる間はでびるとリスナーに翻弄されつつも、行き過ぎるとキレてまたすぐに縮こまる、この繰り返しでバランスが取れてたんだろうな。鷹宮も次からはもう少し強く出ても自然に受け入れてもらえると思うぞ」

 

 本間ひまわりと社築が慰めるも、鷹宮は壁から離れなかった。

 

「小娘、コメント欄を見てみろよ。お前、可愛いって言われてるぞ?」

「へ?」

 

 鷹宮は悪魔が見せるスマホの画面を疑うように凝視する。確かにそこにはたくさんの人たちが鷹宮リオンの容姿や言動を褒めるようなコメントが書き込まれていた。

 

「私が、可愛い……?」

「あれ、配信中にも可愛いってみんな言ってたよ? リオンちゃん見てなかったの?」

 

 ひまわりの言葉に鷹宮はハッとする。確かに流れていた。あれはそういう意味だったのか……。不思議な感覚だった。会ったこともない、顔も性別もわからない、知らない人たちが自分に好意的な言葉をかけてくれるのだ。

 

 鷹宮は無言で動画に寄せられたコメントを確認していく。自分のことを称賛するコメントが目に入るたび、胸の奥が高鳴った。ふと、動画の再生数を確認した。おおよそ三万回……、チャンネル登録者数は六百人。

 

「これだけいれば……でびる、何かできるようになるんじゃ⁉」

「ああ、そうか! ちょっと待ってろよ」

 

 と悪魔は目を瞑って俯いた。きっと自分の身体や状態の変化を探っているのだろう。

 

「よし、見てろよ小娘!」

 

 目を開けた悪魔が人差し指を立て、目を細めてそこに集中するようなしぐさを見せる……。

 ひまわりと社も静かに見守る中、ボッと音を立てて悪魔の人差し指に小さな炎が灯った。

 

「うわ! でびちゃんすごい!」

「ああ、葛葉から聞いてはいたが、まさか本当だったとはな」

 

 ひまわりと社も感心したように炎に見入る。そんな中、鷹宮だけは冷静だった。

 

「本間さん、社さん、またもう一度配信してこれを見ていただければもっと人が集まりますか?」

 

 うーん……と二人は唸る。

 

「俺は一度単発で録った動画を出すのがいいと思う。そのあと生配信で披露、みたいな」

「ひまもそれがいいと思うな。まだ無名なんだし、限られた時間の配信中に人が滅茶苦茶増えるって考えにくいかも。一回一回大事にしていかんとね」

 

 鷹宮は納得して頷いた。

 

「わかりました。それでは単発の動画を用意しましょう。皆さんがたくさん見てくれたおかげで悪魔の力が強まり、こんなことが出来るようになりましたって」

「お、いいねえ。その動画、俺のアカウントで宣伝しちゃおうかな」

「あ、ヒマもするよー!」

「おまえら……」

 

 悪魔は感極まって涙ぐんだ。

 

「ありがとうございます。それでは早速動画製作に取り掛かりますので、またしばらく失礼させていただきます」

「おう、動画楽しみにしてる」

「上手く行ったらヒマたちの願いもかなえてねー!」

「おう、任せとけ!」

 

 悪魔が手を振り、画面から二人は姿を消した。とたんに静かになった部屋の中で、二人は感動に打ち震えていた。

 

「行けるよ! 私たち行ける!」

 

 突然鷹宮が悪魔に抱き着いた。

 

「へっへっへ、ボクには最初から……小娘⁉ 苦しい! 死ぬ、死ぬぅ……うっ」

 

   ○

 

「おっ、あいつらの初配信伸びてんじゃーん?」

 

 淡い光を発するパソコンのモニターの前で、葛葉はにたにた笑っていた。

 

「どれ、余にも見せるがいい」

 

 葛葉の背後から現れる影、バーサーカーは葛葉のゲーミングチェアを横にずらしてパソコンの前に立った。

 

「ほう、この一瞬だけ見てもわかる。自分本来のペースを失ってはいるが、だからこそ少女の性格の一面が強く表れて、外から見えやすくなっている」

「兄さん、あんたそういう趣味が……ととっ、回すな回すな!」

 

 葛葉の茶々を無言で捌き、バーサーカーは動画を見続ける。

 

「なるほど。微弱ではあるがあの悪魔の元に魔力が集まり出している。それも人間やサーヴァントでは扱えない類のものだ。あの少女の作戦は機能しているようだ」

「ほ~ん、じゃあもうちょっとすれば一緒に戦えんのか」

「このままいけば恐らく、な……」

「はー、そんじゃ、俺も魔力を蓄えに行きますかぁ、と」

 

 少し嫌そうに外出の準備をする葛葉をバーサーカーは黙って目で追う。葛葉はやがてその視線に気づくと、作業の手を停めて聞く。

 

「兄さん、ひょっとして気にしてんのか?」

「……貴様はそれで納得しているのか?」

「仕方ないだろ? 兄さん呪いが強すぎるんだよ。俺の場合はチャームしていい夢を見せてやるついでに血をもらう。相手も健康な人間のまま生きていけんだから、ウィンウィンなわけよ。片っ端から吸血鬼化してったら聖杯戦争も成り立たねえよ」

 

 聖杯戦争が成り立たない……バーサーカーはそうは思わなかった。むしろ人間の血を積極的に吸って吸血鬼を増やしていけば、国を征服することだってできる。

 そして、国を征服すれば結果的に聖杯戦争にだって勝利できるだろう。そんなことを考えそうな人間は幾らでもいるというのに。バーサーカーの目の前にいるこの若き吸血鬼は……。

 

「兄さんもパックでいいなら血は幾らでもあるんだし、俺が強くなれば兄さんに送れる魔力量も増えるだろ? 俺は俺にできることをやるしかねえって」

 

 バーサーカーは無言で立ち尽くす。

 

 葛葉は吸血鬼だったが、人に迷惑もかけず、人の世に上手く溶け込んでいる。

 

バーサーカーは知った。こんな力でも、人の世で暮らしていけるのだ。今や吸血鬼はバーサーカーにとって全面的に嫌悪する対象ではなかった。そうであるなら、これは吸血鬼という種の問題ではない。自分の問題だ……。

 

 バーサーカーの表情が緩んだのをきっかけに、葛葉は荷物を整えて部屋から出ていった。

 



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VSさんばか 
17.麻婆豆腐と包帯男


●Live 1666人が視聴中……

「ふっふっふ……お前たちご苦労! 先に上げた動画がたくさん再生されたおかげで、またボクの力は強くなった! 見るがいい!」

 

 そうして悪魔は三本の黒い爪の先端に順々に火を灯していく。チャット欄は悪魔を崇拝するコメントが溢れ返った。

 

「どれどれ、コメントの方も読んでいくぞ! えー、これで三人ぶんの煙草に同時に火が点せますね、でび様素晴らしいです! だってさぁ。えっへん、やっとボクの素晴らしさに気が付いたか! 崇拝ご苦労! お前の煙草にもいつか火を点してやるからな!」

「でび……る様、その、大変申し上げにくいのですが……」

 

 気まずそうな鷹宮の声にチャット欄では笑いが起こる。それと同時に冗談半分ではあったが鷹宮を諫めるようなコメントも流れていた。

 

「あ、言わない方がいいこともある……そうですね。そうかもしれません」

「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「いえ、三人もの煙草に一度に火を点せるなんて、本当にでびるさまは素晴らしいお方と私も思っていたんです。あ、ほら見てください、視聴者数が先ほどの倍になってます。登録者数は千人を超えました!」

「いや、話変えたよな? 小娘、なぜ視線を逸らす? お前、前から思ってたけど、ボクのこと馬鹿にして――」

「でっ、ででででび様⁉ 今なら小さな願い事なら叶えて上げられるのではないでしょうか。崇拝者たちにコメントを書き込んでもらって、それを配信中に叶えて差し上げたら、きっともっと崇拝する人も出てくると思います……!」

 

 悪魔はぐっぱぐっぱと手を開いたり握ったりして体調を確かめるようなしぐさを見せると、気分よく頷いて言った。

 

「それは確かに! よし、みんなコメントに願いを書き込め! 小さいものなら本当に叶えてやれるかもしれん!」

 

 鷹宮がほっと息を着いたので笑いの反応が一瞬見えたが、じきにチャット欄は願い事のコメントで埋め尽くされた。

 

「お、小娘、これはどうだ? この紅の子豚って奴、ギャルのパンティーが欲しいみたいだ! 軽い願いだし、こんなんなら三枚でも四枚でも……」

「それは駄目です」

「え、でも」

「駄目なものは駄目です! それよりもこちらの方はどうでしょう。麻婆神父さんのお願い、激辛麻婆豆腐。おいしそうです」

「それいいな! 想像したら涎が出てきた。よし、そいつと俺たちで一緒に喰うか!」

「あ、その手があったかぁ! ではなくて、ええ、配信中に突然麻婆豆腐が現れれば、視聴者様たちもでびる様のお力をまた一歩認められるに違いありません」

 

 と早速鷹宮は配信画面に映るように白いテーブルを用意した。

 

「よし、準備は整ったみたいだな。画面の向こうの麻婆も準備したか? いくぞ~。いでよ、激辛麻婆豆腐‼」

 

 悪魔が両手を広げると、テーブル上にマグマのように赤く煮えたぎった二人分の麻婆豆腐が現れた。

 

「ちょ、なんですかこれ⁉ 失礼ですけど、これは本当に人間が食べていい食べ物なんですか⁉」

 

 鼻から脳の奥までを刺激する刺激臭に咳き込みながら、鷹宮は後ずさっていく。

 

「えー、こちら、地球上のおいしい麻婆豆腐の中ではさんばんめくらいに辛い奴でございます」

 

 妙に畏まった演技で場をつなごうとする悪魔だったが、チャット欄は驚愕と疑心、麻婆豆腐への恐怖で混乱に陥っていた。そこにさらに悪魔の声が拍車をかける。

 

「ちなみに二番目に辛いのは……小娘、すげえ! 近所にあるわ!」

「馬鹿、住所はやめろって!」

 

 日本の辛い麻婆豆腐情報が飛び交うチャット欄に冷や汗を流す鷹宮、悪魔は思い出したかのように呼び掛ける。

 

「麻婆神父~、麻婆は届いたか~?」

 

 視聴者たちが気を利かせたのか、コメントが一時的に減る。そこに麻婆神父のコメントが流れた。

 

「届きました。素晴らしい色彩! 素晴らしい香気! 冷める前に早くいただきましょう!」

「いや、冷める前にってこれ、冷めないと……」

「みんな、スプーンはもったか?」

 

 デビルの言葉に返事するように麻婆神父のスプーンの絵文字が流れた。それが面白かったのか、たくさんのスプーンの絵文字が流れ出す。

 

「お前ぇら食わねえだろ! くそ、どうして私がこんな……いいよ食ってやるよもう!」

 

 鷹宮はスプーンを握り締めた。悪魔も神妙な面お持ちでスプーンを構える。

 

「では、手を合わせて……」

「「いただきます!」」

 

 鷹宮の記憶はそこで途切れている……。

 

―――――――

 

 冬木教会、ずらりと並ぶ席にただ一人寝転がって、神父はスマホの画面を眺めていた。

 

「これ、やばいよなあ……」

 

 神父は苦笑する。画面では金髪の少女と悪魔が唇をたらこのように腫らしながら必死になって麻婆豆腐を食べる動画が流れていた。

 

 カツ、カツ、カツ……と教会に足音が響く。

 

「おーい、かなかないる~?」

 

 神父、叶が体を起こすと、全身包帯に包まれて松葉杖を突く奇妙な男が立っていた。

 

「あー……どちら様でしょうか?」

「ましろだよ⁉ いや、絶対わかってるよね?」

 

 強く訴える包帯の人物の瞳は確かに黄色く輝いていて、叶の知っているましろのものと一致する。叶は誤魔化すように笑って尋ねる。

 

「ましろさんでしたか。失礼、一瞬誰だかわかりませんでした。どうしてそのようなお怪我を?」

「それがさあ、観客を燃やしてショーと称するとんでもないマジシャンがいてね……いや、っていうか何見てるの⁉ 僕にも見せて」

「嫌です」

 

 スマホをポケットにしまい、叶は立ち上がった。

 

「ましろくん、今日はどうされましたか?」

「やぁね、実は、お願いしたいことがあって」

 

 気まずそうにうつむき包帯の中の指をもじもじとさせるましろ。なんていいタイミング! 叶は手を叩いて喜びたかったが、それを堪えて慎重に話を続けた。

 

「森はもう嫌ですよ」

「あはは、ごめんね……いや、あの森は僕悪くないよ⁉」

「へぇ、どうだか……」

 

 叶はポケットに手を突っ込むと通路に出て、ましろと向かい合った。ましろは何かを話したそうにしていたが、叶の言葉も待っているようだったので、叶はどうぞ、と先を促した。

 

「いいかな。えっと、お願いっていうのは、僕たちはあの森でいろいろやりたいことがあるんだ」

「それはどのような? 何か目立つことでも?」

「うん、まあ……」

 

 ここでましろは言葉を濁した。叶はましろの真意を探ろうと目を凝らしてみるが、ましろの瞳は叶の姿を捉えながらも、どこか遠くに向けられているようだった。

 

「そんな一週間とかやるわけじゃないよ? 一瞬、ほんの数日だけすごく目立っちゃうかなー……ってね?」

 

 凄く目立つ、か……。叶はましろの全身にさっと視線をめぐらす。

 包帯に包まれた表面は確かに痛々しいが、恐らくそれより酷いのは中身、火傷を負った皮膚一枚の下。骨に筋肉に神経、内臓までも、ツギハギのぐちゃぐちゃだ。ましろが何を犠牲にしながら戦っているかは一目瞭然だっった。何が彼をそこまでさせるのか……。

 

 ましろは叶の返答を待っている。あまり待たせても訝しまれる。それに、叶としてもじろじろ観察されるのは好きではなかった。

 

「そうですね、細かく追及するのはよしましょう。そもそも聖杯戦争に動きがあるのは喜ぶべきこと。あの森ですが、今は笹木さんの遺した結界を再構築し改良を施したもので住民の目からは守られています。ですので、森を拡げたり、壊したりしなければ、あの森で何をしようとも私どもが何とかして見せましょう」 

 

 本当は、結界は座標的なものであり、よほどのことでもなければ叶が何かをする必要もないのだが……。

 

「ほんと⁉ いやぁ、ありがと。僕たちにはどうしても必要なことだったから」

「それはよかった! そして、その代わりと言ってなんですが、実は私の方でもお願いしたいことがあるのです……」



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18.コラボ~‼

●Live 30012人が視聴中……

「みんな~、今日はコラボだよー!」

 

 本間ひまわりの言葉にチャット欄は湧き上がる。社築が澄ましたように立っているので鷹宮と悪魔も黙って立っていたが、内心は恐れ慄いていた。

 

「どうしようでびちゃん、三万人が見てる……」

「おおお落ち着け小娘! まずは深呼吸だ。そしてそのあとはスクアット、それからはカレーライスだ!」

「お前が落ち着け!」

 

 二人がそうしている間にもひまわりは司会を進めていた。

 

「いやあ、私たちデビュー配信からでび様のファンでして、それで今回ブレイクしたお二人とコラボできたらなって思っていたので嬉しいです! それではお二人に自己紹介をお願いしたいのですが……ええぇぇぇ‼」

 

 司会のひまわりがマイクを向けたとき、二人はカレーライスを食べていた。

 

「ちょ、なんでカレー食べてるんですか⁉」

 

 ひまわりの困惑に鷹宮は咀嚼を止めず答えた。

 

「このば……でびる様が私の緊張を和らげようと出して下さいましたので。お二人のぶんもありますよ」

「え、あ、うん。今用意するね」

 

 悪魔が腕を振ると、社とひまわりの前にカレーとスプーンがぽんと現れ、カシャンと置かれた。社とひまわりは顔を見合わせる。

 

「ちょうど腹も減ってたし、俺は助かるわ」

 

 そう言って社はスプーンを取った。

 

「ええ、配信中ですよ⁉」

「いや、ひまわりさあ、コメントを見てみろよ」

 

 社に促されてひまわりがコメントに目を通すと、そこにはスプーンの絵文字が大量に流れていた。

 

「みんなぁ……うぅ、じつはひまもお腹すいてたんだよねぇ。いただきます!」

 

 悪魔の出したカレーがよほどうまかったのか、四人はしばしの間無言でカレーライスを食べ続けた。

 

 

 

「「やっちまった……」」

 

 部屋の隅で体育座りする社とひまわりに、鷹宮と悪魔は首を傾げた。

 

「え、みんな楽しんでたじゃないですか。何が駄目だったんです?」

「そうだよ、お前たちの願いも叶えてやって、喜んでいたじゃないか!」

 

 社はぎぎぎっと首だけを動かして振り向き、淀んだ瞳で言った。

 

「いやぁ、冷静になるとカレーを無言で食い続けた五分ちょっと、あれはやばい。ヤバすぎる」

 

 社は言い終えると深いため息をつく。ひまわりもため息をついていった。

 

「もう駄目だぁ、配信者失格だよ~……」

 

 でもでも、と悪魔が端末に映る画面を指差した。

 

「コメントは美味しそうってみんな言ってるけど」

「そんな馬鹿な。俺たちはその美味しさを伝える努力が出来なかった……」

 

 社は自分で言いながらさらにショックを受けたようで、その背中は丸くなる一方だった。

 

「美味しそうに食べればいいんじゃないの?」

 と鷹宮。

 

「それは……そうかも?」

「おいひまわり!」

 

 反論しようとしたひまわりが納得しかかり、社は配信者として俺が最後の砦だ、と自分の心を奮い立たせっるが、それもひまわりの次の一言で陥落することになる。

 

「ねえやしきず。私たち、リオンちゃんとでびちゃんにそのままが良いって言ったばかりなのに……」

「っつ……!」

 

 社は葛藤するように天井を仰ぐ。だが、考えても視聴者の心の中はわからない。いや、コメントに掛かれた美味しそうという言葉、あれを疑う理由はないはずだ……。社は一応の答えを得、納得する。

 

「自然にあのリアクションが出た。だったらあのときはアレが最善だったんだ。そう信じるしかないのか」

「そうだよ! あの配信は大成功だよ。それに、私たちの願いも叶えて貰えたしね」

 

 そう言ってひまわりは視線を部屋の隅にやる。そこにはゲームセンターにあるような音ゲーの筐体があった。

 

「ああ、サービス終了したアプリの復活。ひまわりは……」

「この世で一番おいしいラーメン!」

 

 とひまわりはテーブルの上のスープまで飲み尽くされた空のどんぶりを示して見せた。

 

「まさかカレーの直後にラーメンとはな」

「うん、お腹すいてたから……」

 

 恥ずかしそうにお腹を押さえるひまわりに社は呆れながらも笑ってしまう。

 

「しっかし、配信ってわかんねーよな」

 悪魔は嘆息する。

 

「一人がゲームすっごいやってんのを一人がラーメン喰いながら見てるだけなのに、みんな喜んでた」

「配信……俺も未だによくわからん」

「ああうん。ひまもよくわかんないね」

 

 四人は声を上げて笑った。そんな中悪魔だけは端末を抱えたまま、まるで端末の向こうに誰かがいるように、一緒に笑っているような反応に見え、社は尋ねる。

 

「でび様、その、さっきからどうしてその端末を持ってるんです?」

「だってこいつらといる方が楽しいじゃん?」

 

 悪魔の見せた端末の画面には四人の姿が映り、画面端のチャット欄はすごいスピードで流れていく。

 社は猛スピードで悪魔ににじり寄り、言った。

 

「でび様、まだ教えていなかったようなので今教えましょう、配信の切り忘れは個人情報の流出にもつながるので、配信者は最も避けなくてはいけない事態なのです……!」

「な、なんだってー!」

「なに? 切り忘れ? まだ繋がってる? みんなーバイバーイ、おつひま!」

「ご、ごきげんよ~、あははは……」



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19.愛染

 冬木大橋の欄干の上に男が一人降り立った。その際に浮いて胸元から出てきた十字架を胸に収めると、男は月のない夜空を見上げた。

 

「ふむ、私が最後のようだ。この街の魔力濃度は少し高すぎる。凶暴な女たちだ、恐らくマスターを食い荒らしにかかるだろうが……これは上手くいかないかもしれぬな」

 

 男はにやりと笑うと、橋から飛び降りた。

 

   〇

 

 街は夜に賑わいを見せる。葛葉が目で追ってしまうのも、たいがいは賑わいに貢献するような若い男性や女性であって、街の喧噪に背を向けるような仕事帰りのサラリーマンの血はどうも吸いたいと思えなかった。

 

「いや、今回は血を吸うわけじゃねえんだけど……」

「けど、なんだ? 貴様が覚悟を持って引き受けたことだろう?」

 

 葛葉の影が蠢き、葛葉の耳元で囁くように声が語り掛ける。

 

「それはそうだけど……なんつーか嫌な予感っていうの? この魔力もさっきから隠す気ねえじゃん。誘ってるよな、これ」

「当然、そうであろうな。用心するがいい」

「はあ……じゃ、いい加減行きますか」

 

 葛葉の視線の先には帽子を被った赤髪の女性が歩いている。女性は観光客なのか、高いビルや道行く人々に目移りしながら道路を行ったり来たりしていた。その様は忙しない人の流れの中であからさまに浮いている。

 

 葛葉はまっすぐにその女性の元へ進んでいくと、耳元で「ちょっと来い」と囁き、手を引いて路地裏へと入った。無抵抗な女性に違和感を覚えながらも、女性を壁に押しやると、手を壁について逃げ道を塞ぐ。

 

「よお、なんでここに連れてこられたかはわかるな?」

 

 低い声で言って、葛葉は相手の顔をよく見るために帽子をとる。

 

 帽子を取った女の顔が赤らんでいた。

 

「どうしてって、その、ナンパ……ですよね?」

 

 葛葉は無言で壁につけていた手を離した。なるべく距離を取ろうと後ずさったが、狭い路地裏だったので壁に勢いよく衝突する。それを痛がる間もなく葛葉は人通りのある方に向けて早歩きを開始した。

 

「ちょっとぉ! ちょっと待ってください! LINEも電話番号も住所もディスコードIDも聞き忘れてますよ⁉」

 

「やめろ、俺に触るな……LINEも電話番号も住所もディスコードIDも聞き忘れてねえ! 何なら今家の用事を思い出したって。頼む帰らせてくれ!」

 

 葛葉の懇願虚しく、葛葉の細身の体は女性の腕一本にずるずると引きずられて路地裏の奥へと戻される。女性は葛葉を開放すると、手を胸の前に組んで瞳を輝かせて言った。

 

「さあ、これで落ち着いて話が出来ますね。まず何の話から始めましょう」

「いや、話は……」

「まずはやっぱり、今後の二人の将来について……ですかね?」

「……」

「でもやめて! 私にはもう愛しの彼がいるの! そんなに欲しがられても、アンジュはアナタの物には……あれ?」

 

 その女性、アンジュが辺りを見回しても、路地裏にはアンジュ一人しかいなかった。

 

 葛葉は吸血鬼の翼を使って空へと逃げ出していた。

 

「くそっ、あいつやべえって! 全然人の話聞かねーし。あーもう、叶になんて報告すればいいんだぁ……! 兄さん? 兄さんいる? どっか行っちまったのか?」

「素敵な翼ですね」

 

 背後から聞こえたその声に戦慄しながら振り返ると、先ほどの女性が何もない空中を足の踏み場にして葛葉のすぐ後ろに迫っていた。

 

「うわぁぁぁ‼」

 

 葛葉は悲鳴を上げながらペースを上げるが、女性は涼しい顔でついて来る。

 

 女性は決めポーズなのか片手を顔の前に掲げていった。

 

「さあ自己紹介からいきましょう? 私はヘルエスタ史上最高の天才美少女錬金術師こと、アンジュ・カトリーナ。それで……あなたのお名前は?」

「い、言いたくねえ!」

「待って! 言わなくてもいいわ。目を見ればわかるもの。……葛葉さん、ですね? そんなに私の血が吸いたいのでしたら、構いませんよ? 永遠を生きる孤高の二人……あると思います!」

「ねえよ!」

 

 葛葉は息を切らしてビルの屋上に降り立った。アンジュもまるで浮遊しているかのように音もなく降り立つ。

 

「っつーかあんた、彼氏いるって言ってなかったか? なんでそんなにぐいぐい来れんだよ⁉」

「禁断の愛とは蜜の味がするもの……わかりますよね?」

「わかりたくねえ!」

 

 葛葉は頭をかきむしると、深呼吸して自分を落ち着かせる。

 

「あんた、魔術協会だか聖堂教会だかの送り込んできた刺客ってことでいいんだな?」

「ええ、その通り。私は魔術協会側なんですけど、直轄ではないので。まあ、割と吸血鬼に理解があるほうでは……ありますよ?」

「その情報いらねえよ。ったく、もうなんか全部面倒くさいわ」

 

 葛葉が髪をかき上げて目を瞑る。そして、開かれた葛葉の目は赤く光っていた。

 

「俺に従え!」

 

 葛葉の言葉と共に、アンジュの瞳が赤く染まっていく。アンジュは立ったまま全身を震わせるが、瞳だけは葛葉の赤い瞳と繋がっているかのように一点を見つめ続けている。やがて、力が抜けた様にアンジュの首がかくんと垂れ下がった。

 

「はい、貴方に従います」

 

 再び首をもたげてぼそぼそ発されたアンジュの声には力がなく、まるで自分の意思ではないようだった。

 

「よし、こっちに来い。叶に引き渡す前に俺も聞きたいことがある」

 

 アンジュはよろよろと頼りない足取りで葛葉の方に近づいていく。

 

「そこで止まれ」

 

 葛葉はスマホのメモを見ながら興味なさげに言ったが、そこでアンジュの足がもつれた。アンジュは受け身も取らずに地面に倒れていく。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 地面に衝突する間際、アンジュの体は滑り込んだ葛葉の手に受け止められた。アンジュは赤い瞳で葛葉を見つめて言った。

 

「もちろん、大丈夫。私はアナタのアンジュですよ、永遠にね……」

 

 一瞬だが、アンジュの赤い瞳に幾何学的な魔術式が浮かび上がる。葛葉はアンジュを支えていた手をパッと放した。

 

「ぐはぁっ!」

 

 結果、アンジュは地面に頭をぶつけた。アンジュはしばらくは後頭部を押さえてごろごろと転がっていたが、やがて起き上がり涙目で言った。

 

「そういうのが好みなの⁉ いいわ……上等よ。アナタの全てを私にぶつけて!」

 

 両手を広げたアンジュから葛葉は思わず視線を逸らす。慈愛に満ちた瞳で鼻を啜るアンジュの姿が痛々しかったからだ。

 

「こんな茶番、俺には向いてねえのによ」

 

 葛葉は困ったようにそっぽを向き、上着の内ポケットに手を突っ込んだ。そして、

 

「初めから、こうすりゃよかったわ」

 

 葛葉は一転して、冷めた表情でアンジュに銃口を向けた。



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20.錬金術師

 バーに入ってきた女性を見てライダーが立ち上がった。

 女性はスカートに氷をあしらった制服を纏い、真っ白な長い髪の内側に深い水色のインナーカラーを覗かせている。そして、女性は帯刀していた。

 

「ストップ。座ってて大丈夫。お前も座ったらどうだ? リゼ・ヘルエスタ」

 

 花畑チャイカはライダーを座らせ、新しいミルクを出す。無言で席に座った女性、リゼ・ヘルエスタにもミルクを出した。

 

 リゼは出されたミルクを不服そうに見つめたあとで、チャイカの方に視線を移して言った。

 

「それで、聖杯戦争の首尾はいかがですか、兄上」

 

 高い声ではあったが、清潔で品のある声だった。だが、ライダーは飲んでいたミルクを噴き出した。

 

「え、兄上⁉」

「いや、血の繋がりはねえよ。小さいころ面倒を見てた時期があっただけだ」

 

 チャイカの説明にライダーは納得したのか、また落ち着いてミルクを飲み始めた。

 

「聖杯戦争か。大した動きはない。わかってるだけでは笹木が行方不明になったくらいか」

「笹木さんですか。お仲間だったのでは?」

「いや、それがあいつ、私たちと組むの滅茶苦茶嫌みたいで……反抗期なのかなぁ」

「はぁ、笹木さんらしいと言えば笹木さんらしいですけど」

「あとは、つい最近、その笹木をやった奴の家を荒らしてきた」

「家を? なぜ?」

「ちょうど留守だったんだよ。それで魔術礼装がたんまりあったから全部燃やしてきた。戦力はだいぶ削げたと思うね」

「なるほど、そういうことですか。流石ですね。スラム街に毒を撒いた兄上の策を思い出します」

「いや、あれは……⁉」

「うん、それだけ聞くと最低だけど……すごい気になるね!」

 

 目を輝かせるライダーにでこぴんを決め、チャイカは話を逸らしにかかる。

 

「それよりお前の方こそ首尾はどうだ? なかなかうまくやっていると聞いているが」

 

 リゼはミルクの注がれたグラスに小さく口をつけ、答えた。

 

「ええ、ヘルエスタ王国の上層部は私の根回しで完全にチルドレンと化しました。それを隠しつつ、魔術協会と聖堂教会の懸け橋となるべく奔走しているところです。やがては両組織にチルドレンを増やしていく作戦も機能するでしょう」

「すごいじゃないか。だが、そのためにここの調査にも抜擢されたというわけか」

 

 気を遣われたリゼは少し気まずそうに視線を逸らす。

 

「そうですね。調査と言っても期待されているのは聖杯戦争の妨害ですから……まあ、威力偵察ですね。都合のいいようにやらせていただきますとも」

 

 リゼは笑って言い切ると、グラスのミルクを一気に飲み干した。

 

「私はいいですけど、他のメンツはやる気満々だったので、椎名さんにはくれぐれも家から出ないようお伝えしていただければと思います」

「おう、伝えとくわ」

 さっそくチャイカは携帯で椎名に連絡する。

「ところでこのあと叶さんの教会を急襲する予定なんですけど、行かない方がいいですかね?」

「行かない方がいい」

「行かない方がいいね」

 

 チャイカとライダーはほとんど同時に断言した

 

   〇

 

 夜のビルの屋上で銃声が何度も鳴り響く。街行く人たちは驚いて空を見上げるが、そこにはすでに何もない。人々の中には首を傾げてまた歩き出す者もいれば、音を銃の物と知って警察に通報する者もいる。

 

 だが、銃を撃った当人であるところの葛葉には全てどうでもいいことだった。

 

 葛葉はまっすぐツッコんでくるアンジュに発砲する。アンジュがそれを右手で払うと、金属音と共に銃弾は弾かれてしまう。

 

「あの腕……義手か?」

 

 葛葉は冷静にアンジュを観察する。アンジュの薄い手袋からわかる右手の輪郭は明らかに硬質で、もう片方のいかにも女性らしい左手とは正反対だった。アンジュはそのまま右手を伸ばして葛葉を捉えようとするが、葛葉は翼を拡げてアンジュの頭上を飛び越える。すれ違いざま、葛葉は三度発砲した。

 

(これは防げねーだろ……?)

 

 アンジュの頭上から腕や太ももを狙った三発の弾丸は、前に手を伸ばしたまま頭上の葛葉を目で追うアンジュの体制からして防げないはずだった。だが、弾丸はアンジュの体に触れる直前に、やはり金属音と共に掻き消えてしまった。

 

「なに⁉」

 

 葛葉は目を疑った。消えた弾丸がアンジュの足元に三つ、くしゃくしゃになって転がされたのだ。

 

「何が起こったか、わかっていないようですね。教えて欲しいですか?」

 

 得意げに笑うアンジュに葛葉は舌打ちした。

 

「いらねえ」

「そんなに頼むのでしたら仕方ないですねぇ。私と葛葉さんだけの秘密ですからね!」

「……もうそれでいいわ」

 

 アンジュは両手を頭上に伸ばした。その手は何か大きいものをなぞるように、輪郭を象っているようにも見えるが、依然と変わらず葛葉の目には何も映っていない。アンジュは何かを抱き寄せて、それを自分の肩に大事そうにのせた……そんな風に見えるのだが。

 

「おや、見えていませんか? それではこういうのはどうでしょう」

 

 アンジュが懐から水晶玉を取り出すと、それを真上に放り投げた。水晶玉はアンジュの頭上で光り輝くと、弾けて辺り一帯に水気の多い霧を吐き出した。

 

「何がしたい……そうか、そういうことかよ」

 

 霧の水滴でアンジュの周りを取り巻く巨体が徐々に浮き上がってくる。それは人の形をしてはいたが、身体は岩のようにごつごつした部分とスライムのように柔らかい部分が混ぜこぜになっていた。そしてその頂点にくっついている頭部だけは、目や鼻の輪郭だけ見ても整った男性の顔であることがわかる。アンジュはその男の顔を肩に抱き寄せていたのだ。

 

「ふっ、見えたようですね……私の彼氏が!」

 

 葛葉は口をぽかんと開けたまま言葉を失った。

 

「言っておきますけどね、葛葉さん。私の心と体はすでにひろの物、そこいらの男が簡単に奪えるものではなくてよ!」

「……」

「何か言ったらどうですか? 私のひろを打倒しなければアンジュは手に入りませんよ?」

「あ、ッスゥー……あの帰っていいですかぁ?」

 

 アンジュの笑顔にひびの入った音がした。

 

「ひろ! あの男がナンパしてきた! 私の体が魅力的だって! 涎を垂らして! 獣のような荒い息で……!」

「はぁ⁉ ちょ、ひろさん、違うんすよ。というかあの、ひろさんの彼女さんマジヤバくないすか? 絶対別れた方がひろさんのためになりますって!」

「ほら聞いた⁉ ああやってウチらの仲を裂こうとしてる!」

「ん~~違う、違うんです! そうではなくてですね⁉」

 

 さらに言い訳を続けようとした葛葉の前に巨体は音を立てて降り立ち、いかにもイケメンっぽい爽やかなボイスで言った。

 

「確かに。お前の言うことは正しい」

「ひろぉ⁉」

 

 膝から崩れ落ちるアンジュ。葛葉は勝機を見出し手を揉みながら馴れ馴れしく近づこうとするも……。

 

「ですよね! だったら……」

「だが、俺はアンジュの全てを愛している。アンジュを悲しませたくはない……」

 

 葛葉は理解できず、首を傾げた。

 

「それはつまり……」

「お前に恨みはないが、もう少しだけ踊ってもらおうか」

 

 ひろが咆哮し、大岩のような腕を葛葉に振るう。

 

「うわっと!」

 

 それを間一髪でよけ、翼を広げて空へと逃げる葛葉。振り返ると、ひろは光り輝く翼を背中に生やし、アンジュをお姫様抱っこして追いかけてきていた。

 

「兄さん、いないのか⁉ 本当にやべえ、俺一人じゃあの彼氏には勝てねえ!」

 

 葛葉は辺りを見回す。空中だったが、葛葉には影が出来ていた。葛葉はそこにバーサーカーがいると確信して呼び掛ける。

 

「兄さん、死ぬ! 俺死ぬって!」

「なんだ、騒々しい……」

 

 葛葉の足元の影から顔だけ覗かせ、バーサーカーは迷惑そうに葛葉を見つめる。

 

「兄さん、後ろ後ろ!」

 

 バーサーカーは辺りを見回し、背後に迫るひろとアンジュを視界にとらえると、ほう、と感心するように息を着いた。

 

「錬金術師か。余の時代にも少しはいたが、あの境地に到達した者はそうはいまい」

「見ただけでわかるのか」

「ああ、あの化け物は身体こそ現実の素材を使っているが、魂は思念の色が強い。よっぽど思い込みの激しい性格でないと普通あそこまでの格にはならんな」

「よっし、んじゃ逃げるのはここまでだ!」

 

 葛葉は反転し、ビルの屋上に立つ。その陰からバーサーカーが姿を現し、槍を構える。

 

「へえ、それが噂に聞くサーヴァントですか。私のひろと同じくらいイケメンですね。果たしてどちらが強いのか、気になりませんか?」

 

 アンジュはひろに下ろしてもらうと、ひろから距離を取る。緊張感が高まり、葛葉は銃を取る。その緊張感に水を差すようにアンジュは言った。

 

「ただし、言っておきますけど……」

「ああ? なんだよ」

「ひろを殺されたら私はショックのあまり死んでしまいますので、もしあれだったら加減してもろて……」

 

 葛葉は気まずそうにバーサーカーを見る。

 

「とかなんか舐めたこと言ってますけど、どうしますかぁ、兄さーん?」

「……善処しよう」

「だってよ、兄さんに感謝すんだな! おらいくぞ!」



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21.ふたり

 ひろが唸り声をあげて前進し、大岩のような腕を振るう。バーサーカーは強靭な身体能力で躱していくが、誘導されていたらしい、いつの間にか屋上の縁に追い詰められていた。

 

 ひろは勝利を確信し、笑い声を夜空に響かせ巨大な拳を振り下ろした。

 

 轟音が鳴り響く。ビルの屋上はその一撃で陥没し、数多の破片が舞い上がった。葛葉は瓦礫の間を飛び移りながら頭上を仰ぐ。バーサーカーが翼を広げて空に立つ一方、ひろはスライム状の触手を分裂させてアンジュを包み込み、光り輝く翼で舞い上がってバーサーカーに対峙する。

 

 葛葉もまた翼を拡げてバーサーカーの元に赴こうとするが、考え直してビルの陥没を免れた部分に落ち着くことにした。

 

 そして、その判断は正解だった。怒号を上げたひろの体は膨れ上がり、岩のような腕はどんどん巨大化しながらすさまじいスピードでバーサーカーに迫る。バーサーカーは固い腕を槍で受け流しながら下へと潜り込むが、そこをスライム状の腕が分裂しながら捉えようとする。バーサーカーは槍で柔らかな腕を切り刻みながらひろの本体へ進もうと考えたようだったが、頭上にあったひろの巨大な腕がそのまま落ちてくる。バーサーカーは目を見開き、槍を大きく旋回させる。

 

 硬質な音の中に液体を含んだ柔らかなものの傷つく音がした。ひろの硬い腕を食い破って、暗い輝きを放つ杭が次々と生え出でたのだ。杭は旋回する槍の軌道に沿って広がっていき、ついには腕を内部から崩壊させた。腕を失い、悲鳴を上げながらもひろの体は巨大化を続けていく……。

 

 葛葉の掴まっていたビルのフェンスが軋む。葛葉が見上げると、飛び降りてきたらしいアンジュがフェンスの上部に右手を引っ掛けていて、体を引き上げたところだった。アンジュはフェンスの上に腰を下ろすと、葛葉を見下ろしてほほ笑んだ。

 

「おまたせ、待った?」

「お前、あれどうすんだよ」

 

 葛葉が指差した先では先ほどよりもさらに大きな腕を引っ提げたひろが暴れまわっていた。アンジュはふざけているのか、動き回るひろをカメラの画角に収めるように、指で作った四角形の中に収めようとしていた。

 

「うーん、そうですね。今ひろは自分の身体に触れるもの全てを魔力に変換し、体を大きくするためのエネルギーとして使ってるみたいなんですけど、この理屈で言うと本当にどこまでも大きくなれるかも……?」

「な⁉ とめろや!」

「いえいえ、そんな一方的な戦いではないですよ? 身体が大きくなれば表面積も大きくなって作られるエネルギーも増えるとはいえ、その体を動かすエネルギーにはすぐに見合わなくなる。そうなったときが私たちの負け、ですかね」

 

 アンジュの言うとおりだった。バーサーカーもわかっていたのか、のらりくらりとした消極的な立ち回りを続けている。ひろは叫びながら巨大化を続けるが、動きは鈍くなる一方であり、切り落とされた部位も回復は遅くなっていく。

 

「終いだな」

 

 バーサーカーが告げる。ひろは絶叫し触手と化した幾本もの腕を一斉にバーサーカーに向けたが、バーサーカーはそれを片っ端から切り刻んでまっすぐにひろへと飛んでいく。

 

「そこまでにしてもらえますか」

 

 その渦中にアンジュはバーサーカーの前に両手を広げて立った。バーサーカーは興ざめするようにアンジュを見たが、じきに苦笑して槍を下ろした。

 

「余は構わんが、そちらの大男の方ではまだ戦う意思があるようだ」

 

 アンジュは振り返る。ひろは全身を震わせ、今にも突進しようとしているようだ。その目はありありと戦意が見て取れた。アンジュはひろへと歩み寄り、その体に触れる。

 

「ひろ、もういいんだよ」

「駄目だ! まだ俺は、俺の強さを証明できていないっ。俺はお前の恋人だ、お前のことを誰よりも知っているんだ! こんな弱い俺ではアンジュを繋ぎ留めておくことができない……!」

 

 涙を流して再び戦おうとするひろに、アンジュは思わずはにかんでしまう。

 

「ああ、不安なんだね。わかるよ。あなたが思ってくれてるのはすごくわかる」

 

 そう言ってアンジュがひろを抱き寄せると、それに応えるようにひろの巨体は崩壊し、アンジュの両腕は等身大に残されたひろの体を包み込んでいた。

 

「私はそれで満足するから、あなたも私の満足で満足してほしい……駄目かな?」

 

 ひろは恥ずかしいのか、顔を背け、小さく頷いた。静かに涙を流すひろの頭をアンジュが抱き寄せる。

 

 葛葉の目はアンジュの右手にくぎ付けになった。ひろの頭を優しく包むその右手は、銀色に輝いている……義手。

 

 アンジュはひろと抱き合ったまま振り返り、葛葉とバーサーカーの方を見た。

 

「と、いうことで。私の任務は威力偵察だったけど、十分やれたよね?」

「ああ、あんたは十分やったよ」

 

 葛葉は疲れた顔で頷いた。バーサーカーも肯定するような表情を浮かべていた。

 

「それはよかった。じゃあ私たちは帰るとしますか。私たちに限ってもうこの聖杯戦争の妨害行為はしないと誓いましょう。葛葉さん、そしてヴラド・ツェペシュ……さん? 私たちのことを見逃してくれて本当にありがとう。また、どこかでお会いしましょう」

 

 アンジュが言い終わるのと同時にひろは背中の翼を巨大化させ、上空へと舞い上がっていった。

 

 残された二人はどっと疲れが押し寄せてきたのか一緒に俯く。葛葉が顔を上げ、バーサーカーの翼を見て言った。

 

「兄さん、その翼かっけーな」

 

 バーサーカーは相変わらず疲れた表情で葛葉を見て、言葉を返す。

 

「ふん、お前ならそう言ってくれると思っていたよ」



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22.獣耳の刺客

 鷹宮と悪魔は町はずれの森へ来ていた。二人は一緒に鼻歌を歌い、上機嫌で森の中を進んでいく。

 

「おい小娘、この辺りでいいんじゃないか?」

「そ? じゃ、この辺にしますかぁ」

 

 二人は立ち止ると、辺りに誰もいないことを確認し、用意していた人よけの礼装を木々に取り付けていった。

 

「よし、じゃあボクから……」

「いや私からだね!」

 

 鷹宮が手を前に突き出して念じると、地面に赤い魔法陣が現れ、魔法陣の底から金色の鎌が浮き上がってきて鷹宮の手に収まった。

 

「すげぇ、なにその鎌、かっけえ!」

「えっへっへ……っていうかでびちゃん知らないの? これでびちゃんの力でしょ?」

「え、そうなの? ボク知らないけど……」

 

 鷹宮は鎌を見つめてうーんと首をひねる。

 

「ひまわりさんとやしきずとのコラボの後に出せるようになったから、悪魔の力が強くなったおかげだと思うんだけど……まだ悪魔についてわからないことばかりね」

「へえ、まあいいや。そんなことより何か斬ってみようぜ! この木なんかどうだ?」

 

 悪魔が指差したのは二人の頭上まで立派に枝葉を拡げた大木だった。

 

「馬鹿野郎っ、こんなんギガシスターだよ! 村の斧じゃ無理に決まってんだろ……!」

「ええ、じゃあそれとか」

 

 今度は今にも折れそうな細い木だったので、鷹宮はこれなら……と木の前に立って鎌を振るった。

 

「あれ?」

 

 鷹宮が訝しむのも無理はない。何の抵抗もなくスッと鎌の刃は木を通り抜け、依然として木は立っているのだ。

 

「あれ? ふんふん! ふんぬ! ……あれ?」

 

 鷹宮は何度も鎌を振るったが、やはり鎌は木をすり抜けて、木はそのままの形を保ち続けていた。

 

「使えねー‼」

 

 鷹宮が鎌を放り投げようとしたとき、どこかから制止の声があがった。

 

「アハァー! そんなアホなことしていいのぉ?」

 

「誰だ! 姿を現せ!」

 

 鷹宮が言うと、正面の少し離れた木からひょっこりと女が顔を覗かせる。

 その瞳は片方が赤で片方が黄色のオッドアイ。そして、女の頭部には獣の耳が生えていた。

 今、木の影から姿を現した女はどこか和風の喫茶店の店員みたく、あまり派手でない着物を身にまとい、関西弁で小言を呟きながら歩いて来る。

 

 女は鷹宮が鎌を振るった木に近づくと、その華奢な指で木に触れた。

 

「おわぁっ!」

「えぇ⁉」

 

 二人は驚きのあまり声を上げる。木は女が触れただけでバラバラになって倒れてしまったのだった。

 

「何を驚いてんの。リオンはんがそれで切ったんだよ?」

「え、私?」

「うん。この切れ味、物理的な鋭さじゃないね。魔術やと思うんやけど、魔力の匂いは全くしない。なんでやろう……?」

 

 と女は木の切り口を指でなぞり、くんくんと匂いを嗅いだ。

 

「なんで、私の名前を知ってらっしゃるの……?」

「配信見たから?」

 

 何か変なことを言ったかと違和感を目に浮かべている女に、鷹宮は改めて自分が配信者であることを意識させられた。

 

「そ、そうでした……動画見ていただいてありがとうございます……」

 

 鷹宮が頭を下げると、女の方も切り替えて悪魔の方に顔を向ける。

 

「それで、そちらの悪魔がでびる様? なんや願いを叶えられるんやって?」

「あ、はい、そうですけど……」

 

 悪魔はたじたじと後ずさりながら答える。

 

(お前、なんでそんなビビってんだよ)

(小娘、逃げるぞ。あいつは人間じゃない……!)

 

「え?」

 

 鷹宮は女の方を見ると、すでに女の顔には先ほどまでの穏和な笑みはなく、そこには嗜虐的な笑みが浮かんでいた。

 

「でびでび・でびる? あんたはどうして召喚されたの? いったいどうして? 悪魔が聖なる杯に何をお願いしようって?」

 

 女の雰囲気が変わったのを感じたのだろう。悪魔は息の詰まりそうな声で答える。

 

「そ、そこに酒があったから……」

「酒? 酒で悪魔が? そんなアホな。つくならもっとましな嘘ついた方がええよ?」

「ッスー……すみません」

「え、なんで目を逸らすの? まさかホンマに? 聖杯への願いは……?」

「まだ考えてないですね……えー、崇拝してくださる皆様が楽しめる方向で検討しておりますが、いかんせん勝ち抜けるかどうか。今日を生きるのにも不安な弱小悪魔なものでして……」

 

「でびちゃん、それは卑屈過ぎでしょ」

 

 鷹宮がツッコむと、悪魔は「確かに!」と謎の同意を示す。

 

「ああ、わかった。それで力をためるために配信してるんやね。配信で言ってたことそのまんまなんや。はぁー、ホンマ……ふざけてんな」

 

 鷹宮の視界で女の姿がぶれた……そう思った時には鷹宮は首に手をかけられ、木に叩きつけられていた。くらくらとする視界の中で、女は鷹宮をせせら笑っているようだった。隣を見ると悪魔も同じように首を掴まれて木に抑えつけられている。

 

「なんでお前みたいなやつがこっちに来たの? それで、お前みたいなのをその女は必要としたんやって? 意味わからんのやけど」

「ぐ、にゅう、お前は、どうしてこっちに、来たんだ……!」

 

 悪魔が絞り出すような声で聞いた。女は冷めた目で悪魔を見下ろし、答える。

 

「友だちのため。それ以上でもそれ以下でもあらへん」

 

 女はきりきりと首を絞める力を強めていく。鷹宮の意識は木にたたきつけられた痛みと首を絞められている苦しさで滅茶苦茶になっていた。

 

「覚えとき? アンタらを殺した者の名は戌亥(いぬい)とこ。恨んでもええけど恨みを持つのは悪人の始まりやから、恨まんほうがええよ。地獄に墜ちたくないのなら……」

 

 鷹宮の意識は遠ざかる。今まで見ていた世界から遠ざかっていく。自分の意識が暗く、温かな揺蕩いの中に呑まれていくのを自覚しながら、鷹宮は手を伸ばした。

 遠くに映るスクリーンのようになってしまった自分の視界へと。

 

 きゅっと、余りにあっけなく伸ばした手は握られる。鷹宮の意識は急速に浮上し、目の前で自分を見つめる黄色い瞳を捉えた。

 

「手、握ってみたけどまだ苦しそうだね」

 

 それは容姿を見ても男なのか女なのかわからない。声を聞いても男なのか女なのかわからない。手に持ってるスコップは? 頭に着けてるのは安全ピン? 全てが謎だった。ただ、鷹宮には理解できた。

 

 今はこれにすがるしかないと。

 

「おっけー、わかってるって。じゃあ、こうしようかな」

 

 そうして謎の人物が指を鳴らした瞬間、首に掛かっていた力が消え、息苦しさが消えた。

 鷹宮は膝を着き、咳き込みながら肺に空気を取り込む。隣では悪魔も同じように喘いでいるのが見える。

 

「アンタ、なに?」

 

 戌亥が牙をむき出して尋ねる。謎の人物はどうでも良さそうに言った。

 

「そんなことより、苦しくないの?」

「は? 何言って――」

 

 戌亥は驚愕する。戌亥の腕が戌亥の意思に反して勝手に動き、戌亥の首を絞め上げていたのだ。

 

「そこの女の子、今だ!」

「へ?」

「鎌だよ、鎌!」

 

 ハッとして、鷹宮は落ちていた鎌を拾い上げる。体中がずきずきと痛み、頭も重かったが、それでも鎌を一振りするだけの力はあった。

 

 鷹宮は無我夢中で戌亥に迫り、鎌を振りぬいた。



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23.地獄絵

「そう言えば、最近夜見さんとお会いしましたよ」

 

 リゼ・ヘルエスタはおかわりのミルクを仰いで笑った。

 

「そうか。夜見は元気か?」

 

 チャイカは興味なさげに聞くが、リゼの隣に座るライダーは夜見と聞いてガタっと席を立ち、身を乗り出した。

 

「ええ、今は加賀美インダストリアル? とかいう日本の玩具メーカー主催のマジックショーで世界中を巡回しているみたいですね。本人も不満なくやれているみたいですし、化学部門に友だちが出来たと言っていました」

 

「そいつはいいことだな」

「うん、とてもいいことだ」

 

 チャイカとライダーがのほほんとした顔で頷く。

 

「そうですか。私は、兄上と椎名さんと夜見さんの三人が、もう少しだけレジスタンス活動してくれていたら、と思ってしまいます」

 

 過去のことを思い出させたのではないかと恐る恐るリゼはチャイカの顔色を伺うが、それは杞憂だった。チャイカは何の気もなく話を続ける。

 

「うむ、いやだがしかし、椎名はともかく、私はチルドレンとして聖杯戦争に参加しているのだから、今もレジスタンスだ。そして夜見はつい先日私を手伝った。これはつまり夜見もレジスタンス活動をしたということ! 夜見は未だにレジスタンスのメンバーなのだ!」

「はぁ、本人が聞いたら怒りそうですが」

「いや、苦笑しながら許してくれるさ」

 

 さも当然とチャイカが言うが、ライダーもそれに同意した。

 

「僕も一日の付き合いだけど、許してくれると思うな」

「ほらな、大王もこう言っている。お前は大王の人を見る目を疑っているのか?」

「いえ、そんなこともないんですけど……まあいいです」

 

 そうして、リゼは席を立ち、店を出ようとするが、扉を開けると、何かを思い出したかのように振り返っていった。

 

「そうそう、夜見さんからの言伝です。あのお寺に住んでいたマスターはましろだ、絶対に手を出すな、と」

 

   〇

 

「がぅるるるぅぁぁあああ!」

 

 歯を食いしばり、戌亥は両手を自分の喉から離し、そのまま強引に呪縛をほどく。息を切らして膝に手を着くも、焦ったように自分の身体のあちこちを触りだした。

 

「あれ……切れて、ない……?」

 

 これを聞いていた一同も目を疑った。ましろはクレーマーばりに鷹宮に詰めかける。

 

「ちょっとちょっと君ぃ、それって切れない鎌なの?」

「いや、そんなことは無い、はずなんですけど……」

 

 鷹宮は困惑し、自分の手の中にある鎌を見つめるばかり。その間にも戌亥は息を整えて、ましろの方に好戦的な笑みを向ける。

 

「そうか、思い出したわ。あんたましろやろ? 知ってんで」

「ぼくのこと、知ってるの?」

「禁術を求めて世界中の魔術組織を渡り歩くお尋ね者。有名な賞金首やね」

「ましろ、すごいわ!」

「まいったな。えへへ……」

 

 少女はそんな調子でましろをおだて続け、ましろはそれに照れ続ける。鷹宮と悪魔はドン引きしていたが、戌亥は唇を釣り上げて獰猛な牙を見せる。

 

「なんでそれがこんな辺境の国にいるのかわからんけど、ちょうどええわ」

 

「小娘、ここを離れよう!」

「え、でも……」

 

 鷹宮はためらい、悪魔に手を引かれながら後ろ髪惹かれるようにましろと戌亥を振り返った。鷹宮は目を見張る。目視できるほどの濃密な魔力が戌亥の周囲を取り巻き始めていた。

 

「アンタ相手なら、多少は本気出してもええかな」

 

 戌亥はそう言って目を瞑る。すると、戌亥の顔を獣の黒毛が覆い、さらにその体は巨大化し始め、纏っていた和服も毛の中に呑み込まれた。

 その場にいたサーヴァントもマスターもみな頭上を仰ぐ。

 

 獣となった戌亥の頭が木のてっぺんに届くかと思う頃に、その肩口から隠されていたかのように二つ目の首と三つ目の首が生えてきて、それぞれ目の色の異なる狗の頭を頂いた。

 

「ケルベロス……」

 

 口笛を吹いてましろがその名を呟いた。

 

「小娘……!」

 

 呆然とする鷹宮の手を引いて逃げようとする悪魔だったが、戌亥の頭の一つがそれを捉えた。

 

「逃がさへん」

 

 真ん中の頭が言うと、両脇の頭が口を大きく開けて炎を吐き出した。炎は木々を燃やしながら輪を描き、鷹宮たちを逃さないよう周囲をぐるりと一周する。

 

 炎はそれ以上は燃え広がらず、森の木々よりも高く燃え続ける……。

 

「これ……」

 

 と悪魔がそうっと手を伸ばすが、

 

「バカ、やめろって!」

 

 鷹宮がその頭をはたいて止める。

 何か手はないかと鷹宮は周囲を見回して、手を振っているましろが目に入った。

 

「きみきみ、こっちにおいでよ」

 

 二人は訝しみながらもましろの方へとぼとぼ歩いていった。

 

「じゃあ、僕から離れないようにね」

 

 そう言うと、ましろはケルベロスとなった戌亥に対峙する。

 

「本当にいいの、ましろ」

 

 少女、アリスが心配するように聞いたが、ましろは笑って答えた。

 

「うん。今日はお腹いっぱい食べてきたから、大丈夫だよ!」

「そう、わかった」

 

 アリスもはもうそれ以上は言わずに正面を向いた。アリスは持っていた本を開くと、何か詩のような言葉をつらつらと述べ始める。

 

 アリスの言葉はすぐに本から聞こえてくる轟音に呑まれて聞こえなくなったが、それでもアリスは詠み続け、轟音は大きくなっていく。そして、詠み終えたアリスは本を頭上に向けて開いた。

 

 戌亥は見た。

 本に書かれていた文字がページから抜け出して中空を自由に泳いでいるのを。

 その文字たちを飲み込みながら大きくなっていった渦を。

 文字がすべて消えても、渦はそこにあり続けた。

 その渦から、突然、血にまみれた巨大な腕が伸びてくる……! 

 腕はしっかりと地面を鷲掴みにすると、肩を出し、禍々しい角の生えた頭部を覗かせる。

 感情を感じさせない真っ白な穴として開かれた瞳。

 怪物はもう片方の腕を、渦を千切るような勢いで引っ張り出し、両手で地面を掴んで残りの体を引きずり出した。

 

「なに、これ……」

 

 鷹宮がぽつりと零した言葉を拾うものはいなかった。

 

 アリスはましろと手を繋ぐ。二人は繋がれた手を戌亥の方に向けて言った。

 

「「やっちゃえ、ジャバウォック!」」

 

 ジャバウォックは空に向かって咆哮すると、戌亥に向けてゆっくりと手のひらを拡げた。

 

(何かくる……!)

 

 そう判断した戌亥はジャバウォックの側面に回り込もうと走り出す。そして、ジャバウォックの手のひらが光った瞬間、戌亥は弾かれたように大きく横に飛ぶ。

 

 手のひらから放たれた凄まじい衝撃波が森の木々を倒していき、余波の暴風が鷹宮と悪魔をも襲う。鷹宮は悪魔を抱えてましろの影でただ丸くなっていた。

 

 一方、難を逃れた戌亥もその暴風を受け、飛ばされないように地面に身を低くする。

 そこをジャバウォックは狙った。

 

 ジャバウォックは飛び上がると、その真赤な翼で滑空し、戌亥に殴り掛かる。戌亥は身を捩ってなんとかそれを躱すと、二つの頭で両側からジャバウォックの腕に食らいついた。

 残った頭で相手の頭を焼き尽くそうと、口を大きく開けて火を噴き出す。ジャバウォックは噛まれていない方の手を突き出し、手のひらを拡げる。戌亥の炎はそこでせき止められた。

 

 炎の奔流は四方へ流れ、地面へ落ちる炎はマグマとなって森を押し流していく。

 

 鷹宮は何もできなかった。ただ泣きそうな顔で悪魔を抱きしめるだけだ。悪魔も今度ばかりは文句も言わずじっとしていた。

 鷹宮たちの周囲にもマグマは流れてきたが、一定のところでそれは止まる。おそらく、ましろが何かしているのだと思うが……。

 

 戌亥が炎を吐き終えてすぐさまジャバウォックが戌亥の頭に殴り掛かったので、戌亥は頭を下げてそれを躱したが、ジャバウォックは噛まれていた腕を戌亥の体ごと力任せに振り回した。

 

 振り回されながらも、戌亥の二つの頭はジャバウォックの腕を離さず、さらにもう一つの頭が翼に食らいつき、食い破った。たまらずジャバウォックは地響きのような呻き声をあげ、戌亥の胴を殴りつける。

 

 それでようやく戌亥はジャバウォックの腕から離れた。殴られた勢いそのままに戌亥は空中で一回転してマグマの中に着地する。

 

 戌亥の頭の内の一つが血を吐き、ジャバウォックを睨みつけるが、残り二つの頭は心配そうにそれを見つめていた。

 

 一方、ジャバウォックは片手を力なく垂らし、翼は片方が裂かれていた。

 

 両者は動きをとめて睨み合う。戌亥は威嚇するように三つの頭を下げて唸り、ジャバウォックはそれが見えているのかいないのか、何の表情もなく片手をゆっくりと持ち上げる。そして、その手のひらが赤く光った瞬間、戌亥もまた三つの頭をもたげてそれぞれ別の色の炎を噴いた。

 

 ジャバウォックの衝撃波と戌亥の炎がぶつかった。力の奔流は内へと向かって収縮し、一瞬辺りが静かになったと思うと、一気に広がって連鎖的に大爆発を起こす。

 

 戌亥もジャバウォックもその中に呑まれ、鷹宮の視界は白く染まった。

 

 

「もう調査はいいんじゃない?」

 

 白い闇の中で妙にはっきりとましろの呼び掛ける声が聞こえた。次には戌亥がそれを鼻で笑った声も。

 

「何を言うてるの? 勝負はこれからやろ?」

 

 鷹宮の視界はぼやけていたが、目を擦ると、戌亥の体は少し線が細くなり、全身から黒い煙が立ち上っていた。

 一方、ジャバウォックは身体の表面に煤がつき、ところどころ体の表面が欠けているように見えた。

 

「でもさあ……見ててごらん」

 

 ましろがにやりと笑うと、ジャバウォックの翼がガラスの割れるような音と共に治っていく、そして、腕から流れていた血も乾いていき、剥がれ落ちる。

 ジャバウォックは回復した腕を軽く回すと両腕を組み、翼をはためかせて空へと舞い上がった。

 

「んなアホな……」

 

 戌亥は頭上を見上げて呟いた。頭の内の二つがくぅ~ん……と喉を鳴らし、しっぽが垂れ下がっていく。

 

「ねえねえ、僕の名前も、サーヴァントの名前もたぶんわかったよね? それと、目的の悪魔についても確認できたんでしょ? 調査は十分! 怒られないって」

「……せやろか」

「そうだよそうだよ。それにぼくももう戦いたくないなって」

「そうか……ま、まあ、そこまで言うならしゃーないな」

 

 言い聞かせるように三つの頭がお互いに頷き合い、その姿はどんどん小さくなっていく。左右に二つ付いていた頭は消え、最後に黒い毛が耳と髪の毛まで後退してその真っ白な頬が露になった。

 

「ふぅ、死ぬかと思った」

 

 と戌亥は笑う。ジャバウォックはいつの間にか消えていた。

 

「まいど! 調査にご協力感謝! それとそこの悪魔も、さっきはちょっと言い過ぎたな、ごめんね!」

 

「許さない……」

 

 悪魔が低い声で呟いたが、戌亥は意に介さなかった。

 

「うん、ありがとぅ! ほなまた。たぶん、もう遭わへんけど」

 

 そう言って戌亥は森の奥へと消えていった。

 

「……あたしたち」

「……ボクたち」

 

「「助かったんだー!」」

 

 鷹宮と悪魔は自分が生き残ったことが信じられないというように泣きながら抱き合った。

 しかしそれも束の間、少女アリスの声が二人の耳に入ってくる。

 

「ましろ! 大丈夫? ましろ!」

 

 二人がそちらを見ると、ましろが倒れていた。二人はつい駆け寄ったが、出来ることなど何もない。

 

「アリス、ちゃん……?」

 

 あまりにもか細いましろの声。ましろの伸ばした手をアリスが取る。鷹宮と悪魔は息をのんだ。ましろの腕はミイラのように干からびていたのだ。

 

「腕のストックは、まだあったかな?」

「ええ、家に帰ればまだたくさんあるわ。だからもう少しだけ頑張って」

「なら、なんとかなる、か。あぁ、君たちも無事でよかった。君たちの配信、僕はけっこう好きなんだ……」

 

 一瞬、鷹宮たちは何を言われているのかわからなかった。自分たちを助けてくれた相手ではあったが、その後のこともあって今は恐ろしいとしか思えない、そんな相手が急に倒れ、自分たちの配信を褒めてくれたのだ。嬉しさを感じる暇もなかった。

 

 アリスは本を開いてトランプ兵たちを呼び出し、トランプ兵の一人を担架として使い、そこにましろを寝かせる。

 

「ましろ、あなたはとても頑張ってるわ。だから今日はもう休んで……おつかれさま」

 

 そう言ってアリスは指示を出し、トランプ兵にましろを運ばせる。

 

 鷹宮と悪魔は運ばれていくましろを無言で見送った。



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24.神父たち

 冬木教会に尊大な足音が響く。それは敬虔な、厳かな足どりでありながら、神をも恐れぬ足取りでもある。

 

 叶は説教をする講壇に立ち、静かに足音の主が近づいてくるのを待った。足音は講壇の前で止まる……。

 

 叶はほほ笑んでいった。

 

「ようこそ御出でなさいました。長旅はいかがでしたか? 何の用意もありませんが、出来るだけのおもてなしはいたしましょう。御身に主の安らぎのあらんことを。言峰神父」

 

「これはこれは、馬鹿げたことを言うものだ。君の言う主とは一体誰のことだね? 叶神父?」

 

 その男、言峰綺礼は叶の背後に掲げられた十字架を見て、鼻で笑った。

 

「それにしても、だ。血迷ったのか? 悪魔が好き放題暴れては神秘の隠匿も何もあったものではない。叶神父、まさか全てを知ったうえで許しているわけではあるまい?」

 

「許すも何も! 悪魔はああいう生き物です。ああいう生き物を此度の聖杯は必要としたのです。人類が後天的に魔術だの、魔法だのと名付けたアレを自分の力として当たり前のように使う彼を、人間如きがいったいどのような権限を持って止められるというのでしょうか……」

 

 馬鹿にするような調子で言った言峰に対し、叶は真面目に話す気すらないようだった。

 

「この様子では結果は見えているが、一応決まりなのでね。聞かせてもらおうか、叶神父。貴殿の担当する聖杯戦争に関連して発覚したあらゆる問題について、魔術協会、及び聖堂教会から調査命令が出ている。調査に協力する気はあるかね?」

 

 言峰は遅れて丸められた書状を講壇に放る。叶はその書状を見もせずに答えた。

 

「話が早くて助かります。ではこちらからも誤解の無きよう、率直に言わせていただきましょう。お帰り下さい、言峰神父。あなたにお話しすることはもう何もありません」

「……理由は?」

「必要ですか?」

 

 叶は講壇の上に手を組み、言峰は丈の長い上着のポケットに手を突っ込み、両者は張り付けたような笑顔でじりじりと睨み合う。

 

 先に目を逸らしたのは言峰だった。

 

「ふっ、よかろう。私は誠実なのでね。君の態度、そしてこの教会の現状について、しっかりと報告しようじゃないか。恐らく私は再びこの地を訪れることになるだろうな。期待したまえ、叶神父」

 

 踵を返して後ろ手に手を振った言峰を、叶は笑みを絶やさず見送った。言峰が教会の通路の半ばまで到達したとき、教会の扉が開かれる。

 

「かなかないるー? 時間通りに来たよー」

 

 言峰は立ち止る。振り返って叶の笑みを認めると、お返しとばかりに笑って見せた。幾分、憎しみの混じった笑みではあったが。

 

 教会の扉から入ってきた者は二人、一人は緑がかった髪を後ろで三つ編みにしてまとめ、チャイナ服を着ている若い人物。

 

 そしてもう一人はその後ろにそっと立つ、同じくチャイナ服を着てサングラスをかけた白髪の老人だった。若い人物の方が進み出ていった。

 

「やあ言峰神父、初めまして。僕は深緑の緑にベガルタ仙台の仙とかいて緑仙。りゅーしぇんっていいます。いやあ、あなたのお話を聞いてからずっとお会いしたいと思ってたんだ」

 

 よろしく、と言って差し出された手を言峰はちらりと見下ろすが、すぐに意識を危険な人物の方に戻す。

 

「あー、あのお爺ちゃんがそんなに気になる? それはまあ後のお楽しみってことで。今は僕だけを見て欲しいんだよね」

 

 そう言って緑仙は差し出した手を握り込み、そのまま言峰の喉に刺すように突き出した。言峰はとっさに一歩下がり、緑仙の手首をつかむ。

 

「ほいきた!」

 

 緑仙は掴まれた手を相手の手ごと引き下げ、がら空きになった顔に向けて上段蹴りを見舞う。が、言峰の顔はすでにそこにはなかった。

 

「え?」

 

 と思わず漏らす緑仙。言峰は深く腰を落として蹴りをよけたのだった。蹴り足を慌てて引き戻す緑仙に向かい、言峰は地を這うような低さのまま、体全体を押し出して体当たりを喰らわせる。

 

 腕でガードして直撃は避けた緑仙だったが、ふっとばされて老人の足元に転がった。

 

「今のやり取りを見てもわかる通り、奴の方が格上だぞ? わかっているのか?」

 

 老人が緑仙を見下ろして言った。緑仙は大の字に寝転んだまま拗ねた様に言う。

 

「なんだよ、いいじゃん別に。危なくなったらお爺ちゃんが助けてくれるんだからさ」

 

 それを聞いて老人は盛大にため息をついた。

 

「これだから最近の若いもんは……」

 

「よいしょっと」

 

 掛け声とともに緑仙ははね起きる。そのワクワクしたような瞳を見て、言峰は首を傾げた。

 

「わからないな。そこの老人なら私に勝てるのだから、彼に任せればいいのでは? 君は何のために戦っている?」

「気になるからさ。あなたの使う体術が」

「なるほど。それではじっくりと味わうがいい……」

 

 拳を握り言峰は堂々と緑仙の方へ歩いていく。緑仙は構えたまま距離を見計らい、言峰が笑みを浮かべて攻撃の届く範囲に入った瞬間、ボクシングのジャブのような突きを連続で放つ。

 

 言峰はそれらを、ときには首をひょいと動かすだけで、ときには半身を切り、ときには手で払い、全て軽くあしらう。

 

 緑仙は当たらないと判断し、やや深めに踏み込んで突きを出す。が、言峰は半歩下がっただけでよけた。

 

「この……!」

 

 緑仙がそれを追いかけようとさらに地面を強く蹴ろうとした瞬間、言峰の体が低く、地面に沈み込む。緑仙にはその意味が分からなかったが、本能的な危機感に従って踏み込むのを止め、構えなおした。

 

「来ない、か……。なるほど。勘は働くらしい」

 

 称えるように構えを解いた言峰だったが、緑仙は構えたままじっと言峰を待っていた。

 

「よかろう、今度はこちらから当てにいくとしよう」

 

 言い終わるや否や言峰は身を沈め、たった一歩で緑仙の懐まで踏み込んでくる。その勢いそのまま、言峰は拳を突き出した。

 

 緑仙は最初、それを手で払い落そうとした。が、言峰の拳は重く、緑仙が全体重をかけても拳は直進を止めなかった。

 

 拳が腹をえぐる間際に、緑仙は相手が動かないならと無理やり自分の身体を捩じって拳を躱した。

 

 だが、拳について来るように、言峰の体が、その先端にあった肘が、緑仙のちょうど心臓辺りに迫っていた。

 これにも緑仙は反応し、なんとか仰け反って躱そうとするも、ぎりぎりで間に合わなかった。

 

 言峰の肘撃ちが緑仙の左肩をかすめる……。

 

「うわっ、わっ、わっ、わっ!」

 

 と緑仙は回転しながら吹き飛ばされ、再び老人の足元に転がった。

 

「痛ったぁ……」

 

 起き上がらずに肩を押さえる緑仙。老人はしゃがみ込み、緑仙の左肩を指で押す。

 

「痛だだだだ!」

 

 緑仙は喚くが、それを押さえつけて老人は冷静に言った。

 

「砕かれたな。そのぶんでは肩だけの問題ではあるまい。選手交代、ということでよろしいか? 緑仙?」

「ええ、そうなの? じゃ、あとは任せたぁ~」

 

 老人は立ち上がると、振り返っていった。

 

「どれ、少しは楽しめるといいがな」

 

 老人は長い袖をまくりながら一歩一歩言峰の方へ近づいていく。言峰は薄笑いを浮かべながらも思わず生唾を飲んだ。

 

「その足取り、高名な武術家とお見受けするが、一体どこの武術かな。中国の物であれば多少は知っているつもりだが」

 

「ハッ! いかにも。お前は知っているだろうさ。まあなに、ゆっくり、楽しもうじゃないか……」

 

 二人は構えさえとらず、至近距離で笑い合っていた。



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25.八極

 最初に動いたのは言峰だった。肘で老人の顎を下からかち上げようとしたが、これは僅かに身を反らしただけで躱された。

 続いて肘を引く動作からねじ込むようにみぞおちを狙った突きを放つ。老人はそれを上からそっと触れ、払い落とす。

 

「!」

 

 いや、払い落とすなどと生易しいものではなかった。腕を取られた言峰の体は強かに地面に叩きつけられた。

 

「まずは一本」

 

 言峰を見下ろし、老人は腕を後ろに組んで言った。

 

 言峰は起き上がりざまに距離を取り、困惑する心を静めて構える。老人に動きはない。動きはないが、先ほどの緑仙と自分との間にあった力量よりもさらにかけ離れた力の差を感じていた。

 

 老人はいつでも自分を殺すことが出来るだろう。だが、調査団の一員である自分を殺せば大問題になる。それを叶神父が許すはずがない。恐らく拷問か契約、あるいは記憶の改竄などで自分の手綱を握りたいはずだ。で、あるならば……。

 

「学ばせていただくとしよう!」

 

 大きく踏み込もうとした言峰の出足を、いつの間にかそこにいた老人はひょいと足を上げて挫いた。それだけで言峰の前の足はバランスを崩し、前へ出ようとしていた体全体のエネルギーが行き場を失い、あわや転倒という勢いで言峰は膝と手を地面に着く。

 

 起き上がりざま焦点を再び老人に合わせようとしたとき、顔のすぐ目の前まで迫っていた老人の大きな手のひらが言峰の視界を覆った。

 

「二本目」

 

 と笑って老人は言峰の胸を足で軽く蹴る。言峰は吹っ飛ばされ、受け身を取りながら体の勢いを殺していく。

 

「くっ!」

 

 素早く起き上がって拳を腰に構えた言峰だったが、前方に老人はいなかった。背後から、言峰の両肩に手が置かれた。

 

「いつまでも同じ場所にはいないぞ?」

 

 振り返りざまに肘をぶつけようとした言峰だったが、老人の方が早かった。老人は言峰の肩を掴むと、そのまま後ろに引き倒した。受け身も取れずに地面に転がされ、苦悶の声を上げた言峰の顔に向けて、老人が足を振り上げていた。

 

 言峰の額から冷や汗が滴っていった。言峰の顔のすぐ横の地面を老人の足は踏み砕いていた。震脚にも劣らぬ大きな音が言峰の耳に響く。

 

「三本目だ」

 

 老人は静かに笑う。何事も無かったかのようにすたすたと歩いて距離を取った老人を憎々しげに睨み、言峰はゆっくりと起き上がった。

 

「そう怒るな。どれ、いい加減わしの正体もお披露目しようじゃないか」

 

 そう言って老人は深く腰を沈める。言峰もまた、その構えに違和感を抱きながらも、迎撃するために腰を深く落とす。

 

「一撃だ。お前は一撃で何もかもを知るだろう。そして何もかも、わからなくなる……」

 

 言峰の視界で、老人の体が一瞬ぶれたように見えた。言峰は地面を蹴り、素早く後退する。

 

「足りんな」

 

 と老人は言峰のすぐ目の前まで踏み込んで言った。

 

「距離が全然足りていない。この期に及んで様子見などとは烏滸がましい、安全圏までもっと全力で逃げなければ……死んでしまうぞ!」

 

「まさかそんな、もしや、貴方は……!」

 

 それはもはや拳の届く距離だった。老人の拳がまっすぐに、予定調和ですらあるかのように言峰の胸に向かって進んでくる……。

 

 激しい金属音が鳴った。言峰の体に触れたのは拳ではなかった。

 

 白い髪……? 

 

 疑問に思う間もなく、言峰は先ほどとは比較にならないほど遠くまで、それこそ教会の扉を破って外まで吹っ飛ばされた。

 

「痛たたー……あ、大丈夫ですか、言峰神父?」

 

 呆然とする言峰の前で、白い髪の少女が起き上がり、言峰に手を差し伸べた。言峰はその手を取って起き上がる。

 

「貴方は、ヘルエスタの……大丈夫なのか?」

 

「ええ」

 

  少女、リゼ・ヘルエスタはその手に握られた宝石のように青く輝く大剣を掲げた。

 

「そうか、それが噂に聞く……」

 

「ええ、ヘルエスタセイバー。代々ヘルエスタ家に受け継がれる聖剣です。まあ、かの御仁がその気で打ち込んでいたらどうなるかわかったもんじゃないですけどね」

 

 リゼは謙遜するように笑うが、剣にはひび一つ入っていない。精緻な工匠と精密に流れる多量の魔力に言峰は目を奪われた。

 

「これはいけない。早くここから離脱しなくては」

 

 言峰はリゼを連れて森の中へ素早く逃げ込んだ。あのサーヴァントが追えばすぐに捕まるだろうが、どうやらその気はないようだ。言峰は視界の縁で、老人が腕を後ろに組んで、サングラス越しにこちらを傍観しているのを見た。

 

   〇

 

「ねえ、逃してよかったのー?」

 

 寝転がって天井を見つめながら、緑仙は叶に聞く。叶は笑顔で頷いた。

 

「はい。あの方向に逃げたのなら心配はいりません。緑仙さん、今日はありがとうございます。あの神父が何度も転がされたのを見れて僕はとても嬉しいです」

 

「僕は何度も転がされたんだけどなあ……」

 

 緑仙は頭を掻いた。

 

「お主が弱いのが悪い。格上だとはわかっていたのだ。当然覚悟もしていよう」

 

「っはぁー、これだから正論爺さんは困るよね」

 

「戯言はそれくらいでよいな? では、帰るとしよう」

 

 老人は砕かれた方の緑仙の腕を掴むと、宙に放るようにして背におぶる。

 

「痛でぇえええ!」

 

 緑仙があげた悲鳴を涼しげに聞き流し、老人は教会を去った。

 



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26.聖女の足音

「この先に二人を待機させてますから」

 

 とリゼが先行し、言峰が案内される形で二人は墓地の脇道を走っていた。

 

「皇女殿下、そちらの調査はいかがでしたか?」

 

 言峰が尋ねる。リゼは振り返らずに答えた。

 

「そうですね、私たちはそれぞれ聖杯戦争に参戦しているメンバーの情報を集め、特に問題のありそうなメンバーと接触、調査を行いました。私はかつてのレジスタンスのメンバー二人、アンジュは吸血鬼、戌亥は例の動画の悪魔と、さらに賞金首のましろの情報を持ち帰ることに成功しました」

 

「ほう、さすがは皇国のさんばか、評判通りのご活躍です。しかし、なんと馬鹿げた聖杯戦争か! それであるならば魔術協会と聖堂教会も惜しまず戦力を提供してくれるでしょう」

 

 言峰はくつくつと笑う。

 

 さんばかはヘルエスタ皇国第二皇女、リゼ・ヘルエスタ率いるヘルエスタ皇国の実動ユニットだ。リーダーのリゼをはじめ、隻腕の錬金術師アンジュ・カトリーナと地獄の門番戌亥とこの三人がメンバーである。さんばかの由来は謎だが、今では見た目の華やかさとメンバー間のとぼけた発言が一人歩きし、文字通り三人のバカという意味で使っている輩も多くみられる。

 

 言峰神父はもちろんバカにはしていないはずだが、言峰の言葉にはどこか含みがあり、リゼは眉を顰めざるを得なかった。そんなリゼに言峰はそっと囁いた。

 

「皇女殿下、敵がすぐ近くにいるようです。あとから追いかけますので先にお進みください」

 

 言峰は立ち止ると、周囲を警戒するように構える。リゼはそれを見て頷いたが、言峰の言葉に従うことなく、その場に立ち続けた。

 

「どうしましたか? 皇女殿下、何かあるのでしたら……なるほど」

 

 リゼの浮かべた笑みはいたずらが上手くいった子供のそれであり、平静であれば可愛げのある物だったのだろう。だが、言峰からしてみれば可愛げがある分腹立たしい、少女は自分の運命を最初から知っていて、今まで自分と話をしていたのだ。

 

 カツ、カツ、カツ……。

 

 墓地の方から重厚な、しかし軽やかな足音が聞こえてくる。

 

「言峰神父、お久しぶりです」

 

 落ち着いた声音ではあったが、その中にもどこか朗らかさを感じさせる女性の声が墓地に響く。この声は……言峰は冷や汗を垂らして言った。

 

「シスター・クレア……! 異教徒め。やはり、あのとき異端審問にかけておけば……」

 

「あはは……あのときはご迷惑をおかけしました」

 

 言峰が睨むのもどこ吹く風、修道服を纏った女、シスター・クレアはぺこりとお辞儀をした。

 

「クレアさん!」

 

 リゼは言峰にかまわず手を振る。しかもクレアはそれに答えて笑顔で手を振って見せた。まるで俗世界の若い女たちが昨日ぶりの再開を喜ぶような、そんな、言峰を無視したやり取り……。言峰は知らず知らず拳を固く握っていた。

 

「なぜだ……皇女殿下、なぜ私を助けた? 先ほどの老人に私がやられればそちらの目標は達成していたはず。いったいなぜこのような茶番を……?」

 

「あらぁ、たくさんの人を弄んできた神父様が、自分が弄ばれるとなるとそうまで慌てますか」

 

 にっこりと笑って挑発するクレア。言峰は絞り出すような声で言う。

 

「私の慌てふためく様を見て愉悦でもする性分だったか?」

 

「いえいえ。私はそこまで人に興味を持てませんよ、貴方と違って……。本来の叶さんの作戦では貴方は教会で倒されていたはずでした。ですのでこれは私のわがままを叶さんに聞いてもらった結果です」   

 

 静かに、クレアの顔から笑みが引いていき、消え去った。

 

「叶さんは言いました。この世は弱肉強食のゲーム、弱者の救われる世界を作るためにはまず勝たなくてはいけない。もちろんこれは間違った方法です。できるのなら正しい方法で世界を変えてゆきたい……」

 

 そして、決然と拳を胸の前で握り、クレアは言った。

 

「でも、私は力不足でした。誰も傷つけない方法で誰も傷つかない世界を作ることはできない。この世界で何かを為すには力がいるし、力を得るにはまず誰かを押し退けないと。かといって何もしなければ弱者は虐げられるのだから、何もしないわけにはいかない。私はこの、人を傷つけるゲームに参加して勝ちたいと思った。だからひとまずは、このゲームを外から破壊しようとする、誠実な神父であるところの貴方の記憶の忘却を持って、私はゲームの舞台に上がらせていただこうと思うのです」

 

「君は、全く変わっていないな……」

 

 幾分称賛を含んだ言葉であったが、言峰はじりじりと距離を取り始めていた。

 

「セイバー」

 

 クレアは呼び掛ける。言峰の背後に立つ人物に対して……!

 

「何!」

 

 振り向きざまに黒鍵を構える言峰。が、その黒鍵は少女の振り下ろした剣によって半ばから折られてしまう。動揺する言峰の前に金色の髪を靡かせる騎士の少女が立つ。少女は青いドレスの上に鎧をまとい、手には目に見えない剣を持っているようだった。

 

「くっ、君は、どこかで……」

 

 突然頭を押さえてふらつく言峰に向けて、少女、セイバーは見えない剣を構え、一歩踏み出した。

 

「待て! 最後に言いたいことがある!」

 

 言峰がそれを制止し、膝を着いた。セイバーはクレアの方を伺い、クレアが頷くと、その剣を下ろす。

 

「なんですか? ああ、この調査関連の記憶は全て私たちに都合のいいものになります。ヘルエスタの調査団ともしっかりと話を合わせています。それ以外のあなたの記憶については一切触れないことを私が保証しましょう」

 

 とクレアは言峰を安心させるようにほほ笑んだ。

 

「レジスタンス……ではない、まさかチルドレンの繋がりか……? いや、今はそんなことなどどうでもよいのだ!」

 

 叫ぶ言峰の妙な気迫に押され、クレアはそのほほ笑みを若干引き攣らせる。

 

「で、では言峰神父、言いたいこととは一体……?」

 

 言峰は言った。

 

「でびリオンのサインだ! ヘルエスタ経由で私宛に届けさせてほしい!」

 

 しん、と辺りが静まった。リゼとクレアの視線の間には、お前何か言ってやれよ、という小競り合いがあったが、それはクレアが目を伏せたことで決着する。

 

「……承知しました。でびちゃんと鷹宮さんのサインはリゼさんが責任を持ってあなたに届けると誓いましょう」

 

「え、私ですか? こんなくだらないことのために皇女の責任を⁉」

 

 戸惑うリゼをキッと言峰が睨む。

 

「初めて……麻婆を共に喰らった仲間なのだ」

 

「仲間……ですか」

 

 とてもどうでもよさそうにクレアが繰り返す。

 

「そうだ。私の生涯で唯一無二の親友ともいえよう。拷問じみた苦痛に秘められし快楽を彼らとは共有しあえた……! あれこそ、私の人生でたった一瞬だけ訪れた、至極まっとうな楽しい時間だったのだ……」

 

「あーそうなんですねー」(クレアさん、さっさとやっちゃってください)

 

「わ、わかりました。セイバー!」

 

 セイバーは先ほどとは違って幾分気の抜けた顔ではあったが、その透明な剣を哀れな聖職者に向けて振り下ろした。



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27.それぞれの夜

 緑仙を背負う老人が家の玄関の扉を開けると、リビングの方で「おかえり~」と少女の声がする。

 老人がリビングの方に進んでいくと、そこにはソファに寝転がりながらゲームをする笹木の姿があった。老人は笹木の横に緑仙を横たえさせる。

 

「おん? 緑どうしたの~? 肩押さえて、汗めっちゃすごいやん」

「笹木ぃ~、緑仙って呼んでって言ってんじゃん。っていうか肩痛い……ナオシテ、ナオシテ」

「ちょ、待ってて。今いいところやから。あ、ちょ、嘘やそんな、まだ生きてるまだ生きてる……あぁぁぁぁあっ‼」

「いやうるさ!」

 

 耳元で叫ばれた緑仙はたまらずごろんと背を向ける。

 

「はあ? このヌズハって奴煽りやがった! 許せねえよな⁉」

「いや、ちょっと……」

「ウチを煽った奴がどうなるか、思い知らせてやっかんなぁぁ!」

 

 肩を押さえて天井を仰ぐ緑仙は、耐えるしかないか、と深呼吸をし始める。そんな緑仙を哀れに思いながらも、老人は庭の方へと向かった。

 

 庭では笹木のサーヴァント、ランサーが槍を振り回していた。縁側に座った老人に気づき、ランサーは槍を止めて老人に話しかけた。

 

「老武術家よ、其方の目から見て我が槍はどうであるか? 今日もローマの輝きが零れ出ていよう……!」

 

 まさか話しかけられるとは思っていなかったらしい、老人は眉をひそめて答える。

 

「あー……そうだな。お主の槍の一振りにはしっかりとお主の人生が刻まれておるよ、ローマ……か」

「その通り。(ローマ)こそがローマ! さすがである。其方も槍を握る者と見た。其方のローマもいつか見てみたいものだ」

 

 にやりと笑うランサーに対し、老人はどこかぎこちない作り笑いを浮かべるのだった。

 

 

「この味方のりりむって奴もやばい! 何言ってるか全然わからん!」

「笹木……はぁ、はぁ、僕の声、聞こえてる……?」

 

 一方こちらは何も変わらない。笹木がヌズハに打ち勝ち、煽って勝ち逃げするまであと一時間と少し……。

 

   〇

 

 鷹宮と悪魔が帰宅し、携帯を見るとひまわりからメールが届いていた。

 

「今日は配信しないのー(*’▽’)」

 

 携帯を置いて、鷹宮はベッドに身を投げ出した。悪魔はここ数日の間に作られた自分のための小さなベッドにいそいそと潜り込む。

 窓から射しこむ月明りから逃げるように、二人はベッドの上でそれぞれ壁へと身を寄せた。

 

「私たち、この先やっていけるのかな……」

 

 鷹宮がぽつりとつぶやくが、悪魔は答えられず、部屋の沈黙は深まるばかりだった。鷹宮はうつぶせになり、枕に顔を押しつける。悪魔はちらりと鷹宮を見ると、気まずそうにしながらも、弱弱しく切り出した。

 

「なあ、ごめんな。お前は魔術師として優秀で、相棒がちゃんとしたサーヴァントだったならもっと何もかもうまくいってたのに……」

 

 そこで悪魔は言葉に詰まってしまう。鷹宮は枕から僅かに顔を上げて悪魔の方を見る。

 

「でびちゃん、そんなこと考えてたんだ」

「え、うんまあ……」

 

 恥ずかしくなって悪魔は顔を背ける。鷹宮はほほ笑んで言った。

 

「私も同じこと考えてた。悪いのはでびちゃんじゃなくて、私かも……。今回のことでわかった。私、聖杯戦争を舐めてた。思っちゃったんだ、こんな化け物たちと戦えるわけないって。でも、英雄たちの活躍する世界って、きっとああいうのものじゃない? こんな私じゃどんなサーヴァントと組んだって怖気づいて足を引っ張っちゃう。勝てるわけない」

「小娘……」

 

 今度は鷹宮が恥ずかしくなったのか、悪魔から顔を背ける形で仰向けになり、天井を見つめ始める。月の光と、街の光、それらは混ざり合って波となり、天井にゆらゆらとリズムを作り出していた。

 

「小娘、お前はよくやったよ。ボクのために身を挺して、時間もたくさん使って……でも、ボクはお前に何も返せてない。ボクじゃお前を聖杯戦争に勝たせてやれる気がしないんだ」

「でびちゃんもよく頑張ったわよ。順調に出来ることが増えていって、ちょっとだけ希望を持ったんだもん、私。このまま強くなっていったら、ひょっとしたらって」

「……ボクもそうだ。お前とならやれるかもってちょっと思った」

 

 鷹宮と悪魔はお互いの目を見合ってくすりと笑いあった。悪魔はベッドの上で立ち上がり、鷹宮に呼び掛ける。

 

「なあ小娘、楽しい話をしようよ。きっと僕たちはまだやれる。だからいつまでもこんな沈んでちゃ駄目だ」

「そうよね。楽しい話、楽しい話……でびちゃん、、配信は好き?」

「うん、配信は楽しい! 皆が一緒に楽しんでくれてるとボクももっと楽しくなれるからな!」

「そう。じゃあ、配信でしよっか、楽しい話」

 

 鷹宮は起き上がると、再びスマホを手に取り、放っておいたメールに返信する。相手は待っていたかのようにすぐ返事を返してきたので、鷹宮は思わず笑ってしまった。

 

 鷹宮は悪魔が横に来るのを待ってパソコンの電源を入れた。

 



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28.教会での話

 鷹宮と悪魔は重たい扉をそっと閉めて、足音を立てないよう気を付けながら教会の奥へと進んでいく。

 二人の見据える壇上ではシスターが膝を着いて神に祈りを捧げていた。

 

 二人が壇の下まで来ると、シスターは二人の気配に気づいたように顔を上げる。

 

「あら、いつでも声をかけてくださってよかったのに。お気遣いありがとうございます」

「あ、いえ。私たち待ってますので……」

 

 鷹宮は遠慮するが、シスターは立ち上がり、二人の前に降りてきた。

 

「人を待たせてお祈りに耽るなどありえません。神様も待たせてる人に対して気まずいでしょう?」

「気まずい……のか?」

 

 と、これには鷹宮と悪魔も首を傾げる。

 

「初めまして、シスター・クレアと申します。鷹宮リオンさんとでびでび・でびるさんですね。叶さんから聞いていますよ」

「ボクたちはその叶って奴に用があったんだけど」

「ふふ、叶さんは今日は来られません。もしお二人の来られたご用件が先日の襲撃事件のことでしたら、私もある程度は知っているのでお話できると思います」

 

 二人は戸惑いながらも、じゃあ、まあ……と促されるままに話し出した。

 

――――――

 

「そうですね……。襲撃者は魔術協会と聖堂教会合同の調査団です。ましろさんはたぶん、叶さんの差し金ですね。他にも有力なマスターさんたちに調査団の撃退を依頼していたと思います」

「え、そうなの⁉ ボクたちのところには依頼きてない……」

「バカ! 私たちが弱いからだろ!」

 

 ツッコむ鷹宮だが、自分で自分の言葉に傷ついたらしく、スン……と項垂れた。

 

「それで、なんで調査団なんか来たわけ~?」

 

 悪魔のその質問にクレアは困ったように笑う。

 

「それはですね……えっと」

 

 ちら、ちら、とクレアは悪魔の顔を見る。

 

「あ、そういえばあのましろって奴、指名手配犯って言ってたし、なんか関係あったのかも」

 

 鷹宮が思い出して、ぽんと手を打った。

 

「そうそれ! それです! 他にもこの聖杯戦争では、両組織にとって非常に問題のある方々が……こほん、参加してますので、それを調査しに来たみたいですね」

「うわ、やっぱり皆おっかないんですね」

「恐ろしいねぇ……」

 

 二人は納得したように頷き合うが、クレアは少し引っ掛かりを覚えたようだった。

 

「そうでしょうか……」

 

 シスターが異を唱えたのが意外だったのだろう。鷹宮と悪魔は目を丸くしたが、クレアは穏和な表情で、諭すように言った。

 

「私は彼らに会ったことがあります。彼らは生きるため、夢のため、大事な人のため、皆各々厳しい現実に立ち向かうことのできる人たちです。彼らはその目的のために、ときには過激な手段に出ることもあるのでしょう。けれど私は、彼らが彼らなりに最善を尽くしているに違いないと、そう思う。その一点においてとても彼らを信頼しているのです。あまり言いづらいことではありますが、他の大多数の人たちより、です」

 

 クレアは伏し目がちに二人を見たが、二人は揃って別の場所を見つめていた。隠す気もないのだろう。クレアの右手甲には血のように赤い令呪が刻まれていた。

 

「よく、わかりました……」

 

 少し沈んだ声で鷹宮は頷いた。

 

「考えてみれば当たり前ですけど、みんなそれぞれ事情があるかもしれないのに、それを何も知らない私がおっかないだなんて、一言で片づけるのは、違いますよね……」

 

 ごめんなさい、と鷹宮は頭を下げた。悪魔がそれに倣って頭を下げたのを見て、クレアはくすりと吹き出す。

 

「いえいえ、そんな。謝らなくっても。ただ、少しだけ……少しだけ、心にとどめておいて欲しかっただけなんです」

 

 クレアが鷹宮たちを安心させるようにほほ笑む。そんなクレアに心苦しく思いながらも、鷹宮は切り出した。

 

「やっぱり、その、クレアさんも……」

「はい! そうですよ」

 

 既に鷹宮の視線に気づきつつも、クレアは笑顔で肯定した。

 

「ボクたちを、殺すの……?」

 

 悪魔が躊躇うように発したあまりに直球な問いにも、クレアはただほほ笑んで、丁寧に応答した。

 

「はい、もちろん。それでも、矛盾するみたいで申し訳ないのですけれど、私は貴方たちの幸せを願っております」

 

 皆おっかない、と自分で言いつつも、鷹宮は心の中で、ひょっとするとあのましろが特別におかしくておっかないだけで、他のマスターたちはあれに比べれば多少はましなんかじゃないか、聖杯戦争にそこまで悲観的になる必要はないんじゃないかと思っていた。しかし、そうではないのだとクレアを見て思い知らされる。こんなの明らかに異常だ。

 

 教会を出る直前、鷹宮は一度振り返った。

 

 明るい窓を背負う十字架の前に佇むのは、彫刻された聖人の像ではなかったか。

 ほほ笑むシスター・クレアの姿は、どこか哀しげに見えてしまうほど、浮世離れした美しさを湛えていた。



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ハートの女王のお城
29.招待状


「ようやく完成したね」

 

「ええ。白兎も使いに出したわ。あとはおもてなしの準備だけ」

 

「そっか……あのさ、力不足でごめんね。今の僕の力じゃこれが限界みたいだ」

 

「十分よ。これがあの子の大好きだった世界の……」

 

 急にしおらしくどこか遠い場所を見つめだしたアリスを見て、ましろは伺うように呼び掛ける。

 

「アリスちゃん、どうしたの?」

 

「ううん、なんでもないわ。あなたも、もう立ってるのも辛いはずよ。早く中に入って温かいベッドに横になりましょう」

 

「いや、そんなわけにはいかないよ。だってこんなでっかいお城だよ? しっかり隅々まで探検しないと!」

 

「もう、ましろったら……でも、そうね。私も早く中を見たくてうずうずしてる」

 

 二人は目の前にそびえる大きな城を見上げた。城はトランプをあしらって赤と黒で彩られていた。窓にはシャンデリアの灯りにシルエットが次々と浮かんでは消えていく。すでにパーティーが行われているに違いなかった。

 二人は手を繋ぎ、開かれた城門をくぐって中へと歩いていった。

 

   〇

 

「じゃ、次は私が歌おうかな」

 

 戌亥とこはそう言うと、カウンターの上のマイクを握った。

 

「え?」

 

 何が起きたかわかっていないようなアンジュの視線を受け、戌亥もまた首を傾げた。

 

「ん?」

 

「えぇ⁉」

 

「ほにゅ?」

 

 あくまでシラを切ろうとする戌亥に対し、アンジュはついにカウンターに拳を叩きつけて立ち上がる。

 

「おい! それ私が入れた曲だぞ!」

 

「アハァー! ンジュはん、私の十八番入れてくれてありがとうな!」

 

「くぅ~っ、どういたしまして‼」

 

 尻尾を振って喜んで見せた戌亥にほっこりし、アンジュは勢いよく着席した。その横では空になったグラスを差し出してリゼが言う。

 

「兄上、カクテルをもう一杯!」

 

 グラスを受け取ったバーのおマスター、花畑チャイカは、ペットボトルからグラスに水を注ぎ入れ、そのままリゼに差し出す。

 

「あれ、兄上、今ペットボトルの水がそのまま……」

 

「はっはっは、何言ってんだよ。ちゃんとシャカシャカもしたじゃないか。この一瞬で全部忘れちまうなんて、酔い過ぎだぞ~、このこの♪」

 

「そう、ですね……少し酔っているのかも」

 

 そういって小さな喉をこくこくと鳴らしてリゼはグラスの水を飲む。

 

「ぷはーっ! 舌がひりひりとして気持ちいい! 兄上、もう一杯!」

 

「ったく、しょうがないなぁ」

 

 再びペットボトルを用意するチャイカ。それを少し離れたテーブル席から眺める三人組がいた。

 

「あいつら、いつまでおんねん……」

 

 椎名唯華は姦しく騒ぐさんばかを睨み、グラスに注がれたミルクをあおぐ。

 

「バーの大人びた雰囲気がぶち壊しやわ、ほんま」

 

「はっはっはっはっ! これは傑作だ! 貴様にそんなものを感じられる感性があるとはな!」

 

 アーチャーが高笑いしてグラスを傾ける。

 

「何がおかしいねん!」

 

「すべてだ、貴様の言葉のすべてがおかしい!」

 

 激しく火花を散らす二人の間に赤髪の少年、ライダーが割り込んだ。

 

「ちょっとちょっとー、戌亥さんの歌が聞こえないじゃないかー」

 

 その瞬間、バーに溢れ返っていた人の声は全て静まり返る。カラオケのメロディだけが無機質に流れていた。

 

「え、ちょっとみんな、どうしたの……?」

 

 ライダーが周囲の様子を探ると、みんな店の入り口の扉を見て固まっていた。ライダーもまた扉を見て、驚愕する。

 

 店の扉は開いていたが、そこには誰も立っていない、と思いきや、扉の足元にスーツを着た白兎が人間のように二本の足で立っていた。

 白兎の後ろで扉が閉まり、掛けてあった鈴が空疎に鳴り響いた。

 

「えーっと……んんっ、すみませ~ん、本日貸し切りとなってまして~」

 

 花畑チャイカがぎこちない笑みで対応すると、白兎は懐から金色の懐中時計を確認して言う。

 

「時間がない!」

 

 はい? と辺りに緊張が走る。

 

「くそ、時間がない! このままでは死んでしまう! ああ、こんなことを喋っている間にもまた十秒も生きる時間が!」

 

 くそ! くそ! くそ! とその場でぴょんぴょん飛び跳ねながら地団駄を踏む白兎に一同は唖然となった。見られているのに気付き、白うさぎは急に居住まいを正し始めた。

 

「花畑チャイカ殿、並びに椎名唯華殿、お手紙をお持ちしました」

 

 そう言って白兎はカウンターの前まで歩いてくると、ぴょんっとジャンプして自分の身長よりも高いカウンターの上に二通の手紙を置いた。

 

 誰も、何も言えないうちに白兎は踵を返して店の出口へと向かう。扉から出ていく手前で白兎は振り返り、「時間がないので、今日の日はまたいつか!」と言った。

 

 再び扉が閉まり、鈴が鳴る……。

 

「兄上、手紙を」

 

「お、おう……椎名も来いよ」

 

 チャイカに呼ばれて椎名がカウンターに来る。椎名だけではない。手紙が気になるのか皆が手紙を見ようと円になって覗き込んでいた。チャイカは緊張した面持ちで、椎名唯華は明後日の方を向きながらぺりぺりと、手紙の封を切った。

 

「なるほど」

 とチャイカは言った。

 

「なるほど」

 と椎名。

 

「なるほど」

 

「なるほど」

 となぜかみんな理解した風に頷いていく。

 

「で、どうしますか、兄上」

 

 リゼの言葉にチャイカは頬を掻き、悩ましげに応えた。

 

「俺は行きたいね。正直俺たちには隠れてるマスターやサーヴァントを必死こいて探して殺していくような、そんな真似はできないだろう? これもまあ、いい機会じゃないか? なあ椎名」

 

 聞かれた椎名はあくびをかみ殺しながら答えた。

 

「う~ん、罠じゃね?」

 

「つっっ! そうだけども!」

 

「通常であるなら罠であると言いたいが……」

 

 アーチャーはどこか煮え切らない顔だ。そんな中で、ライダーはぶぜんとした表情で言った。

 

「僕は罠じゃないと思うな―」

 

「ほう、なぜそう思うのだ?」

 

「だってこの魔力、あのお寺の礼装の人だよ。会ったことはないし、良い人でもないんだろうけど、それでもこうして自分で整えた舞台なんだ。自分に一方的に有利な形で使い捨てたりはしないさ」

 

 ま、よっぽど極悪な人物でもなければね、とライダーは付け足す。

 

「なるほど。わかるといえばわかるが……」

 

 アーチャーは腕を組み、考え込む。

 

「ああ、そか。よく見たらましろはんの」

 

「「え‼」」

 

 リゼとアンジュが戌亥を注視する。

 

「いやな、けっこう本気でかかったけどやられてしまったわ……」

 

 戌亥の言葉にリゼとアンジュは愕然となった。

 

「そんな……つよつよケルベロスモードで?」

 

 リゼが確認するように聞き、戌亥は頷いた。

 

「うん」

 

「本当に? 本当にあのつよつよケルベロスモードを使ったんですか⁉」

 

「ああ、うるさいうるさい‼」

 

 問い詰めてくるアンジュの顔を払って戌亥はカラオケに曲を入力しにかかった。

 

「誤魔化すのか! くっそー、私も歌ってやる、デュエットしてやっからな!」

 

 と、マイク握ったアンジュを信じられないというような目で見つめ、戌亥は言った。

 

「え、いや、やめて……」

 

「え」

 

「え」

 

 沈黙のうちに見つめ合う二人を見て、リゼがニカッと笑い、言う。

 

「ねえねえねえ! 三人で歌おうよ!」

 

 マイクを握ったリゼを見て、戌亥はほっとしたように胸をなでおろし、

 

「ああ、そんなら。ンジュはんも準備できてる?」

 

「え、いや、うん……え?」

 

 どこか釈然としない表情のアンジュだったが、カラオケの曲が始まってすぐにその表情は解けていく。

 

 楽しそうに歌う三人を遠目に見ながら椎名は言った。

 

「つまり、どういうこと? ましろはん、いい奴ってこと?」

 

「なんでだよ」

 

 チャイカがツッコんで、椎名はこてんと首を傾げた。

 



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30.トレーニングとおしゃべりと

 緑仙は庭に出てもしばらくは練習する気になれず、手首を回しながらだらだらと歩いてみたり、突っ立てみたりして時間を潰していた。

 思い出すのは言峰との戦いのことだった。悔しいとは思う。けれど実力の差に危機感は全く抱けなかった。負けるとわかっていた戦いだ……戦いですらない。

 

 たぶん、自分は遊び感覚だった……だから負けた? そうなのか? いや、本気でやっても勝てやしない……勝てないはずだ。

 

 考えているうち、緑仙の手は自然と動き出していた。言峰の拳が迫り、それを上から抑える……だけど、これは抑えられなかった。じゃあ、これは通じない……本当にそうだろうか。何も正面からぶつかるわけじゃない、まっすぐ来る力を上から逸らすだけなのだから、人間の拳一つ抑えられないはずがない。

 

 確信から、緑仙は何度も動作を繰り返す。受けの動作、後退し、相手を引き込みながら向かってくる拳を上から抑える。

 

 安全圏までもっと全力で逃げなければ……死んでしまうぞ! 

 

 脳内にギンギンと響く声。そうだ、決められた動作だからといって型通りに退がっているのもよくないのかもしれない。死ぬ気で、退がらないと。そして死ぬ気で抑える……!

 

 ある瞬間、これだ、と思う。体は抵抗感もなく滑らかに動き、手足がそれぞれ収まるべき場所に収まる……それでいて力強さも出てる、気がする。

 

 緑仙は構えを解き、その場に立ち尽くした。

 

 考えざるを得なかった。これならあの突きにだって……。

 

「そんなに悔しかったか?」

 

 縁側から声を掛けられ、振り返った。そこには白髪の老人、サーヴァントのアサシンが座っていた。

 

「はぁ? 悔しくないし。っていうかいつからいたの?」

「っは! 相変わらず可愛くない。なあに、人の鍛錬をこそこそ盗み見るような真似はせん。最初から最後まで、堂々とここで腰かけて見ていたとも」

 

 こいつ、殴ってやろうか……? そう思う緑仙だったが、恐らくこの老人にだけは通用しないだろう。緑仙は握った拳を弱弱しく解いた。

 

「あのさ、言っておくけど、これは遊びみたいなもんだから」

「そうだろうなあ。先のお前の戦い方を見ればわかるよ。体も、心も、第一線で戦う武術家のものではない」

 

 言われて、緑仙は自虐するように俯いて笑った。

 

「だが、遊びとはいえお前は拳法家の端くれだ。これまでの人生、たくさんの物を背負ってきたのだろうが、お前はその荷物の中から拳法を捨て去らなかった」

「別に何も、背負ってなんか」

「ふん、そうか。まあ、たくさんの物を背負っている気でいるよりかは、そちらの方がいいのかもな」

  

 アサシンは自分で言って納得した素振りで縁側を去ろうとする。それを、

 

「あのさ」

 

 と緑仙は呼び止めた。

 

「それで、どうなの?」

「どう、とは?」

 

 ぴんと来ていない様子のアサシンを見て、緑仙は気まずそうに顔を逸らして言った。

 

「僕の……拳法の型だよ」

「なるほど。わしはようやくお前と言う人間を理解できた気がするぞ」

 

 朗らかな顔でアサシンは言う。

 

「はあ、何言って」

「良い」

「……え」

 

 ゆっくりと、言い聞かせるようにアサシンは言った。

 

「最後のはだいぶ良かった。自分でもわかっているのだろう? わしの言葉が必要か?」

 

 そうして、アサシンは縁側を去っていく。緑仙はしばらく庭に佇んでいた。

 

―――

 

 緑仙がシャワーを浴びてリビングに出ると、そこに笹木とランサー、アサシンがテーブルを囲んで深刻そうな顔をしていた。

 

「なになに、どうしちゃったの、みんな?」

 

 すると、笹木が興奮して顔を上げた。

 

「緑仙、信じてもらえないかもしれんけど、今な、喋る兎が来て、この手紙を届けてくれたの」

「喋る兎……?」

 

 釈然としないながらも、緑仙も席についてテーブルに広げてあった二通の手紙に目をやった。手紙は緑仙と笹木宛で、自分宛の物も封は勝手に切られたらしい。恐らく勝手に封を切ったであろう相手に目をやると、笹木はほげぇーっと間の抜けた顔で緑仙を見ていたので、緑仙は憎むに憎めず、まあいいけど……と手紙の内容に目を通す。

 

「笹木は、どうするの?」

「うちは行くよ! この手紙を出したやつにはちょっと借りがあってさ。ぶっとばさなきゃ気が済まないんだ。ね、ランサー」

「道は全てローマに通ず」

 

 ランサーは不敵に笑った。緑仙は悩ましげに考えて、

 

「あれですかね。いずれそいつとはどこかでぶつかるときが来るけど、今がその時と焦る必要はない、的な……?」

「え、緑仙わかるの~?」

「いや、テキトー言ってる可能性ある」

「その解釈でいいと思うが」

 

 アサシンも肯定する。ランサーは満足したように胸を張っているので恐らく問題はないのだろうが……。キリがないので緑仙は話を戻すことにした。

 

「そういえば、鷹宮もなんか聖杯戦争参加してたと思うんだよね。このお誘いが罠だとしても、三人で組めばなんとかならないかな」

「え~、リオンちゃん参戦してんの⁉ 初耳なんですけど!」

「うん、あとあれ、さくゆいもあるじゃん」

 

 思い出したかのように緑仙が言ってみるが、笹木は妙に渋い無表情で首を横に振る。

 

「さくゆいはないよ」

「え、あるじゃん」

「いや、さくゆいはない」

「なんでー。椎名と組めれば耳長ゴリラもついてくるからお得じゃん」

「あー、チャイちゃん……いやでも正直、さくゆいはない」

「そこをなんとか!」

「ないです」

「マジかー……」

 

 緑仙は諦めて肩を落とした。

 

「しかしこの手紙によれば今のところ誰も脱落していないのだろう? こたびの聖杯戦争のマスターたちはみな、危機管理能力が高いか、あるいは臆病だということだ。それがこのような場に集まるか?」

 

 アサシンが腕組みして言った。緑仙と笹木は唸る。

 

「うちは行きたいけどな。お城でパーティ、美味しいお料理」

「それなんだよなあ……」

「おぬしら、正気か?」

 

 理解できないものを見る目で二人を見るアサシンに対し、ランサーはそれもローマと納得しているようだった。

 

「ましろだっけ? そのマスターは誰かと組んでるかな?」

 

 緑仙の疑問に笹木は答えて

 

「さあ、組んでないと思うけどな。強いて言うなら……」

 

 二人はましろの名前の横に署名された名前をじっと見つめた。「叶」と、その名前と印はこの手紙が罠でないことを証明するかのように記してあるが、二人の反応と言えば芳しくないようだった。

 

「だってかなかなだし……」

「かなかなだもん、絶対なんかやってるよ」

 

 うーん……と二人して悩む中、アサシンにはもう二人の出す答えが見えていた。

 

「二人でゆっくり考えて決めるといい。わしは庭で暇を潰しているよ」

 

 そう言ってアサシンは席を立った。一方、同じく答えが見えているランサーの方は、悩む二人を我が子のように愛おしげに見守っていた。



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31.お城へ

【聖杯戦争が始まって一週間以上経つっていうのに、だーれも脱落していない。聖杯戦争は全く進んでいない。これはどういうことだろう、マスターやサーヴァントに願望を叶える意欲がないのか? それとも他のマスターたちが潰し合うのを狙っているのか、みんながみんな? なんて臆病な! いや、いやいやいや、そんなことはないだろう。僕はこう思うんだ。きっと、色んな偶然が重なって、めぐりあわせも悪く、機会を捉えかねているんだろう、ってね。じゃあ、僕がその機会を作ろう! 僕のサーヴァントがみんなのために立派なお城を作ってくれた。ここでパーティーを開こうと思う。美味しい料理にお菓子もたくさん用意している。個室のベッドに温泉もあって宿泊もできる。是非ともマスターたちには参加してもらいたい。この城を舞台に他のマスターと戦うもよし、語り合うもよし、とにかく他のマスターと接触する機会としてこの場を活用してもらいたいんだ。もちろん、情報収集だけして戦いたくないマスターには僕が護衛を用意する。この場が公平な場であることを証明するものとして、この聖杯戦争の監督役、冬木教会の叶神父のサインもいただいた。だからどうか、マスターのみんな、この城に集ってほしい。皆を信じてお城で待ってるよ。 ましろ】

 

「うわ、本当にお城がある……」

 

 驚愕と言うよりかはドン引き、頬を引き攣らせる鷹宮の見上げた先には大きな城があった。

 

「小娘~、あっちに門があった」

 

 と視界の悪い森の中で空から全体像を見てきた悪魔が鷹宮の肩に降りてくる。

 

「おっけー」

 

 二人は城の側面を回り込んで正面に向かった。

 ハートのオブジェの掲げられた門は開かれていて、門の横には服をめかし込んだ白兎が立っていた。

 

「あ、あのときの!」

 

 と悪魔が指差し、鷹宮が慌ててその指を下げさせる。白兎は気にせず笑った。

 

「あのときは申し訳ない。貴重な時間が過ぎることに耐えられないタチでして。ええ、では決まりですので、お手紙を確認させてもらえますかな」

 

 鷹宮は持ってきた手紙を渡す。

 

「けっこうでございます。それでは良きお時間を」

 

 白兎は頭を下げて二人を見送った。

 

「あいつ、キャラ変わってねえか?」

 

 悪魔が振り返ったが、ちょうどそのとき白兎は懐から金の懐中時計を取り出し、ぼそぼそと呟いていたところだった。

 

「遅い、遅い……後一人だというのに一体何をしているのだ……パーティーに遅刻する気なのか? それは困る、困る、私の時間が……」

 

「あ、あんま変わってねえわ」

 

「まあそうそう変わんないでしょ」

 

 二人は会話しながら城へと続く庭の小道を進んでいく。開かれた城の入り口にはトランプ兵が槍を持って立っていたが、鷹宮と悪魔を見ると一礼して通してくれた。

 エントランスは赤い絨毯が敷かれ、シャンデリアの蠟燭の炎で適度な明るさが保たれていた。

 

「うわぁ……」

 

「これすごいね」

 

 二人はシャンデリアを見上げる。正面の両側から降りてくる真っ白な螺旋階段の奥に大広間へと続く扉があり、鷹宮たちを確認したトランプ兵がその扉を開いた。

 

 聞こえてくるのはピアノと哀しげな歌声。海の中を模した水色のライトが壁や天井までを彩っていた。ステージの方を見ると、スーツを着たグリフォンがピアノを弾き、同じくスーツを着たウミガメがマイクの前で歌っていた。

 

 きっとウミガメが歌っているからライトで海みたいな雰囲気にしたんだろう、と鷹宮は謎の納得を得る。

 

 部屋には料理の並ぶ大きな丸テーブルがいくつも並び、会場にいるマスターやサーヴァント、そして仮面をかぶって着飾っている人々に二足歩行の動物たちは、自由に席を移動してものを食べたり、人と話したりできるようだった。

 

「おい、早くタッパーに詰めるんだ!」

 

「いや、リーダー気が早いって。一泊して明日も食べればいいんだよ!」

 

「そうか! よし、では我々はなるべく粘ってたくさん食べるぞ!」

 

「うっす、任せてください!」

 

 視界の隅ではしゃいでいるメイド服を着た怪しげな巨漢と女子高生を見なかったことにして、鷹宮は手を振っている緑の方に歩いていった。

 

「やあ鷹宮、待ってたよ」

 

 緑は学生服ではない、前掛けのあるチャイナ服を着て足を組んでいる。学校での緑とはまるで雰囲気が違った。

 緑の横には白髪の老人のサーヴァントがあり、鷹宮が目をやると会釈をしてきたので 鷹宮も会釈を返した。

 

「緑さん、聖杯戦争に参加してたんだ……」

 

「うんまあね。強い望みがあるわけじゃないんだけど、何の因果でって感じかな」

 

「へぇ、まあ色々ありますよね」

 

 と鷹宮が視線を逸らした先では、制服の上にパンダ柄の上着を着こみ、パンダの耳の付いたフードを深くかぶった女子高生の姿があった。

 

「ってあれ、笹木さん?」

 

 鷹宮が気付くと、その女、笹木咲はちょうど食べていた恵方巻を喉に詰まらせたらしく、げほげほと周りに米粒を撒き散らしながらせき込んだ。

 

「あ~、リオン、ちゃん……お久しぶり、です」

 

「ええ、お久しぶり。二人、組んでたんだ」

 

「あー、たまたまだよ、たまたま」

 

「ふ~ん、そう……」

 

 鷹宮は緑仙の言葉を信じるつもりもなく、どうでもいいことのように受け流す。色々、あるのだろう……それ以上踏み込む必要も感じない。

 

 鷹宮はちらと笹木の横にいる戦士風の大柄な男に目をやる。彼はニヤニヤ笑いながら一心にパフェに食らいついていた。トランプの給仕たちが慌ただしく空いたグラスを下げては次のパフェを持ってくる。あれは王冠……王様? あの背中に背負ってるのは剣……槍? っていうか筋肉すごぉ! ……鷹宮にそれ以上観察できることは無かった。

 

「ねえ、鷹宮の肩に乗ってるそれって、あの動画に出てた、悪魔のでびでび・でびる?」

 

 と緑仙が尋ねる。

 

「え、ええ。そうですけど……」

 

 鷹宮は悪魔を肩から降ろそうとするが、悪魔はその手を振り払って自分の翼でテーブルに降り立った。

 

「えー、こほん。魔界の悪魔にして動画配信者、でびでび・でびる! よろしかったらチャンネル登録を頼むぞ」

 

 と悪魔は胸を張ったあとぺこりと頭を下げる。

 

「え、もうしてるよ」

 

 緑仙は携帯を取り出しチャンネル登録の証を見せた。悪魔は度肝を抜かれた様に仰け反るが、改めて胸を張り、感謝を告げる。

 

「おお……崇拝ご苦労!」

 

 緑仙はなんてことも無いように続けて言う。

 

「たまに投げ銭もするよ」

 

 これに鷹宮は吹き出した。

 

「うっそでしょ……献金感謝!」

 

「あー、うちも今から登録しよかな」

 

 と笹木は携帯を取り出して操作し始める……。

 

「あのー、すいませ~ん」

 

「うんしてして。今めっちゃ熱いから! でびリオンチャンネル。笹木さんの願いも運が良ければ叶うかも?」

 

 と鷹宮が勧めるが、笹木はそれに顔をしかめる。

 

「なにそれ、怪し。変な宗教みたい~」

 

「うっ!」

 

「ぐさっ!」

 

 動画のコメントでちょくちょく見る言葉も目の前で言われると刺さるらしい、鷹宮と悪魔は胸を押さえて俯いた。

 

「ッスゥー……あの、聞こえてない……ですよね」

 

 その声はようやく鷹宮に届いた。鷹宮が振り返ると、そこには貴族のような二人組が立っていた。どちらも白髪で黒と金を基調にした服装だったが、片方は華やかな若い王子という出で立ちであり、もう片方は落ち着いた雰囲気の王だった。

 

 サーヴァントを見てわかったが、鷹宮は最初、その王子のような男が葛葉であると思わなかった。

 

「ちょ、葛葉くん⁉ え、いつものジャージは?」

 

「いや、パーティーにジャージはマズいだろ……あと葛葉さんな?」

 

 と葛葉は頬をかく。

 

 ふと鷹宮が緑仙と笹木の方を見ると、二人は目を丸くして葛葉と鷹宮の間で視線を往復させていた。

 

「あ、えっと……こちら、わたしと同盟を組んでる葛葉くんとそのサーヴァントです」

 

「うん、葛葉さんな。あ、どうもぉ~、えーっと。鷹宮さんと同盟組んでます。葛葉って言いますぅ。席、座ってもいいですか?」

 

「どうぞ」

 

 緑仙が空いている席を勧めたので、葛葉とそのサーヴァントは席に着いた。

 

「え、ちょっと待って? この席にいるマスターって今4人?」

 

 笹木が席にいる面々を見渡して確認するように言った。

 

「2,3、4……うん、4人いるみたいだけど……ああ、そういうこと?」

 

 緑仙が納得したように笑う。それで意味が分かったのか、葛葉もつられて笑い、離れたテーブル席のマスター二人組を挑発するようにちらちらと見始める。

 

「え、なに どういうこと?」 

 

 鷹宮が悪魔に聞くが、悪魔は料理に夢中だった。手でがっつきそうなものだったが、しっかりとナプキンを着けてフォークとナイフでステーキを食す様はどこかこだわりのある美食家のようで鷹宮はしばらく目を奪われる。

 

 見兼ねた葛葉のサーヴァント、バーサーカーに呼び掛けられて我に返った。

 

「よいか? このテーブルに集まったマスターは4人、パーティの主催者を除けば、残るマスターは二人。つまり、もう派閥も敗者も決定したということだ」

 

 バーサーカーの示した方に目を向けると、そこにはぐぬぬぬぬ……! と声が聞こえそうなほどあからさまに歯噛みして、こちらを睨んでいる離れた席のマスター二人組がいた。

 



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32.マスター集結

「リーダー、これ……やばいです!」

 

「待て、焦るな椎名。マスターはもう一人いる! 奴ならば私たちのチームに入ってくれる……はず」

 

「はずぅ? もう終わりや! 4対2なんて無理だよぉ」

 

「いいか、気持ちで負けるんじゃない、弱さを見せれば奴らはすぐにでも隙と見て襲い掛かってくるだろう。メンチだ。メンチを切り続けるんだ! ほら、こころなしかチャイナ服の美少女が今怖気づいたんじゃないか?」

 

「ッスゥー……リーダー違います。ドン引きしてるだけですあれ!」

 

「なん……だと……!」

 

「くっ、あたしらだけじゃメンチが足りない……! アーチャー!」

 

「断る」

 

「ライダーも!」

 

「僕もいやかな」

 

「「そんな……」」

 

ーーーーーーー

 

「あれ、なんか向こう側の二人、メンチが弱くなってる。っていうか若干肩落としてない? 今ならやれるんちゃう?」

 

 笹木が離れたテーブルのマスター二人組を指差し言った。

 

「僕はパス。もうちょっと料理食べたいし」

 

 と緑仙は隣の席から持ってきたチョココロネにかぶりつく。鷹宮もまた、緑仙が持ってきたドーナツを手に取って無言でパクパク食べ始める。葛葉は自宅から持ってきたらしい漫画を開き、顔を上げるそぶりも見せない。

 

 状況は停滞し、その場の空気が弛緩しかけたとき、会場内の照明が落とされ、辺りは真っ暗になった。

 

 カシャン、と音がして、舞台上にスポットライトが当てられた。

 その光の中には真っ黒なゴシックドレスを纏う少女が立っていた。少女はマイクの前に進み出て言った。

 

「えー、みなさん、今日はあつまってくれてありがとうございます。主催者ましろのサーヴァント、アリスと言います。ましろはただいま身動きが取れずこの場に来ることが出来ないのですが……」

 

 アリスがそこまで話したとき、会場のマスターたちからヤジが飛んだ。

 

「ふざけるなー! 主催者が姿を現さないとはどういうつもりだー!」

 

「そうだぁー! 我々は危険を冒してここにいるんだぞぉー!」

 

「うわっ、えっ……や、ヤジやめてください! せいしゅくに! せいしゅくに!」

 

 あたふたしながらヤジをおさめようとするアリスだったが、そう簡単にはいかないようだった。

 

「嫌だね! 我々は騒ぎ続ける!」

 

「そうだぁ! 我々の口を閉ざしたければ、もっと美味しいご飯を! もっと高級なスイーツを持ってくるんだぁー!」

 

「わかりました、わかりましたからせいしゅくに!」

 

「ああ、できちゃうの? なんだよ、言ってみるもんだな」

 

「話早くて助かるわぁほんま」

 

 そうして花畑チャイカと椎名唯華は今まで拳を振り上げていたのを一転してすっと席に着いた。

 

「なにあいつら……」

 

 遠くで見ていた鷹宮は不審なものを見る目つきで二人を見ていたが、笹木は平然とマシュマロを口へ放っていう。

 

「あいつらはああいう生き物やから、いちいち気に留めん方がええよ~」

 

「こほん、ましろはこの場に来ることが出来ないのですが、中継がつながっていますので、スクリーンにご注目下さい」

 

 仕切り直したアリスが舞台からはけると、その背後にあった白いスクリーンに映像が投射された。

 

 スクリーンにはぶかぶかの囚人服で手足を椅子に固定された兎の仮面の男が映されていた。画面は薄暗く、椅子に取り付けられた小さな照明が男の不気味な仮面を照らし、床に大きな影を作り出していた。

 会場のマスターたちが男の言葉を静かに待つ中、男は少し籠ってはいるが、女性のような高い声でしゃべり出す。

 

「やあみんな。僕はましろ。訳あってここから動けないんだけど……」

 

 ましろがそこまで話したとき、会場のマスターたちからヤジが飛んだ。

 

「ふざけるなー! 主催者が姿を現さないとはどういうつもりだー!」

 

「そうだぁー! 我々は危険を冒してここにいるんだぞぉー!」

 

「自分だけ安全な場所でうちらを見て楽しもうだなんて、許されていいはずがない! 居場所を公表すべきだぁ!」

 

 再び立ち上がった二人に加え、今度は笹木咲も酷い剣幕でヤジを飛ばす。

 

「えぇ……」

 

 鷹宮は立ち上がった笹木を見上げてドン引きし、アリスは「一人増えた!?」とショックを受ける。

 

「えぇ! ちょっと待ってよ。僕は本当にここから動けないから、居場所を公表したら詰みなんだけど⁉」

 

 ましろは抗議するように椅子に縛られた手足をバタバタと揺すって見せる。笹木はましろの言葉を聞いてにやりと笑った。

 

「ふ~ん、ああそう。お前、この城のどっかには居るんやろな?」

 

「うん? それはそうだけど……」

 

「わかったやよ……」

 

 そういって笹木は椅子を引いて席を離れ、クックッと笑いながら会場を出ようとする。ランサーはチョコフォンデュに浸したマシュマロ串を真っ白な歯で引き抜きながら一息に呑み込むと、席を立って笹木の後に続いた。

 

 笹木はホールから出ていきざまに振り返ると、スクリーンに映るましろに向かって喉を掻っ切るしぐさを見せつけ、

 

「見つけ出して引きずり出して、ぶっっっっ殺す」

 

それだけ言って去っていく。

 

「うわぁ……ここ来ちゃうのか。こわ……」

 

 ましろは顔を青ざめさせて苦笑するが、しんとなった会場のマスターたちを見ると切り替えて言った。

 

「あー、そうそう、僕さ、このお城を作るのに魔力を使い切っちゃって。この椅子も仮面も魔力を回復させるアイテムなんだけど、実は今もお城の維持で魔力の消費と回復がいたちごっこでさぁ……動けなくなっちゃった☆」

 

 ましろはアハハハハハ……と大笑いするが、それに付き合って笑うマスターはおらず、会場にはさらに静寂が募っていく。

 

「まあでも、今出ていったマスターを見る限りはちょうどいいゲームバランスになったのかな? 僕はみんなの前に姿を表せないけど、ちゃんとこのお城にいて、それでいて動けずにいる。みんなはお城を探索して僕を探すのもよし、他のマスターと戦ってみるのもよし。このホールでパーティーはずっと続くから、好きに参加するのもいいよ。宿泊用の部屋も用意してるから、休みたくなったら巡回してるトランプ兵に声かけてよ」

 

 じゃ、楽しんでってねー。と手首を固定されたまま器用に手のひらを振ってましろの映像は終わった。

 

「あ、えっと。あたしから補足させていただくと、本当にお手紙の通りで、今回はマスター同士の接触を図る機会として私たちの陣営はこのお城を提供させていただきました。マスターさんたちにはこのお城で何をしていただいても構いません。お城には遊技場や図書館、広いお庭に温泉など、様々な施設がありますが、自由に利用していただけます。あ、あと、戦闘の意思のないマスターさんには護衛をお付けしますので、私やトランプ兵さんたちに声をかけてください。それでは失礼します」

 

 アリスはメモをポケットにしまうと、そそくさと舞台から退場していった。カシャン、と音がして、会場には明かりが戻り、いつの間にか舞台脇に並んでいた楽団がしっとりした音楽を奏で始めた。

 

「え、どうすんの?」

 

 少し唐突ではあったが、鷹宮は緑仙に尋ねる。

 

「どうって?」

 

 緑仙は思い当たる節がない様子で聞き返す。

 

「笹木さん、行っちゃったけど。仲間なんでしょ?」

 

「うーん、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」

 

「いや何言ってんだよ。仲間なんだろ、早く追いかけてやれよ」

 

 なぜか渋った緑仙に葛葉が冗談めかしたように言った。

 

「えー、でも」

 

 緑仙は気まずそうにアサシンを見る。

 

「仲間だと思うのなら追いかければいい……いちいちわしを見るな」

 

 アサシンに言われて緑仙は参ってしまったかのように肩を落とした。

 

「わかった、わかったよ。もう」

 

 緑仙は立ち上がり、席を離れようとするが、その前に鷹宮に向けていった。

 

「じゃあ僕は行くけど、鷹宮も来る?」

 

 鷹宮はちらりと葛葉の方を見る。葛葉は、好きにしろとでもいうように肩をすくめる。鷹宮は一度口をつぐみ、にこにこと笑みを浮かべて言う。

 

「いやぁ~私たちは護衛を頼もうかなって」

 

「ふーん。じゃ、またあとで」

 

 でびるもねと手を振って、緑仙とアサシンは会場を後にした。

 

「はぁ~、なんでこうなっちまったかなあ……」

 

 葛葉がため息をつき、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 

「マスター四人で協力すりゃ、二人は確実に落とせたのに。あの笹木って奴、ほんっと……」

 

「まあまあ。葛葉君はこのあとどうするつもり?」

 

「あん? そうだな。勿体ねーけど、こうなったらそれぞれで動くしかねえだろ。」

 

「オッケー。じゃ、あたしらはその辺で遊んでるわ~」

 

「「おい」」

 

 声を揃えてツッコむ葛葉とでびる。鷹宮は茶化すように笑った。

 

「ジョークです、ジョーク。私たちは護衛を付けて大人しくしてるから、葛葉君は存分に暴れてよ」

 

 拍子抜けしそうなほどさっぱりとした言い様に、葛葉はため息をついた。

 

「護衛を付けてるとはいえサーヴァント数人がかりだと話になんねー。気を付けてくれよ?」

 

「わかってるって。でび行こ」

 

「あ、ちょっと……もうちょっと……」

 

 そこに在った料理を慌てて口へと詰め込む悪魔の足を引っ張って、鷹宮は席を立つ。

 

 一方、離れた席では……。

 

「俺たちも自由にするか」

 

「そうっすね」

 

「俺ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「了解です。あたしはここで食べてるんで」

 

 花畑チャイカは席を立つ。チャイカを見上げてライダーは言った。

 

「僕もついていくかい?」

 

「ああ、頼む」

 

 そうして二人は会場を後にする。残された椎名はアーチャーに話しかけた。

 

「アーチャー、どうしようなこれ」

 

「何がだ?」

 

「向こうもここに残ってるのは一組やろ? バトルになるんちゃう?」

 

「そうか? 私にはそうは見えないが」

 

「え?」

 

 そのタイミングで椎名は向こうの席を見たが、先ほどまで一組残っていたはずの葛葉とバーサーカーはどこにもいなかった。

 

 知り合いのいないパーティー会場に一人とか……。

 

「寂しいな……」

 

 椎名唯華はテーブルに突っ伏した。



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33.城内ツアー

「トイレは~っと」

 

 華やかな明かりが照らす廊下を花畑チャイカは進んでいく。その後ろにはライダーが興味深そうに辺りを見回しながらついてきていた。

 

「このお城、少し明るすぎるけど、いい趣味してる」

 

 ライダーの言葉にチャイカは同意する。絨毯や明かり、明かりに伴って落ちる影に窓など、あちこちにトランプの意匠があしらわれている。色も白と黒、そしてハートの赤でメリハリが効いており、モダンな印象がありながらもどこかおとぎ話めいた空間だ。廊下の角に置かれている青や紫などの壺はほどよいアクセントになっていて目に映える。

 

 チャイカは足を止めた。扉もなく、部屋の中が外から見て取れる部屋はいくつもあったが、その部屋にはチャイカの気を引くものがあったのだ。

 抑制の利いた照明、無駄な調度品のない広い部屋をチャイカはゆったりと足を進める。

 

「うーん、いいねえ」

 

 チャイカはそこにあったバーカウンターにつつと指を走らせる。指の先には埃もついておらず、カウンターは綺麗に磨かれているようだった。

 チャイカはカウンターの向こうに回ると、グラスにワインクーラー、小型の冷蔵庫の中身を確認し、カウンターチェアでぐるぐる回って遊ぶライダーにさっそくミルクを注いだ。

 

「いや、僕お酒飲めるって言ってるじゃないか!」

 

「ばっかお前、その体は未成年だろ。事情は分かるけど、うちは健全でやってるんでね」

 

「ちぇっ、けちだな」

 

 そう言ってミルクをあおるライダーに満足し、顔を落としかけたチャイカの視界にふっと黒い影が落ちる。

 

「あー、お客様、オーダーの方はお決まりですか?」

 

 チャイカがグラスを用意しながら尋ねると、新しく席に着いた二人組は言った。

 

「ん~、そうですねえ……んんっ、いや、こういうお店初めてだから迷っちゃうなあ! あー、よし、決めたわ。そんじゃ、マスターの血を一人前。んで」

 

「サーヴァントの血を一人前。新鮮なものがよいぞ……」

 

 そこには貴族のような出で立ちの二人組、葛葉とそのサーヴァント、バ―サーカーが座っていた。

 

 

「あたし窓際~」

 

「あ、ずるいぞ! 僕だって窓際がいい!」

 

 連れられた部屋に入ると、二人はほとんど同時に走り出したが、鷹宮リオンの方が少し早かった。鷹宮は窓際のベッドにダイブし、それが自分だけのテリトリーであることを示すように大の字になった。

 

「くっそー。でも別にいいもん。こっちのベッドだってふかふかだもん……」

 

 悪魔は部屋にもう一つあったベッドの方に飛び込むと、ベッドの上で二三度はねてみせた。

 

「ちょ、やめろって。埃が舞うだろ!」

 

「このベッドめっちゃ弾む! 小娘もやってみろって!」

 

「はぁ、何言っての? 弾むたってそんな……え、めちゃ弾む! すげえ!」

 

 ベッドの上で跳ね回る二人に恐る恐る近づいていく影が一つ。手足の生えたまんまるの卵に服を着せたような男、ハンプティ・ダンプティはコホンと咳払いをして、

 

「……えーっと、護衛の都合もありますので、お二人のこの後の予定を伺ってもいいですかな?」

 

 鷹宮はベッドの上で弾みながら答えた。

 

「あー、そうねえ。私はまだ疲れてないし、なんかしたいかなー」

 

「このお城を探検しようぜ!」

 

「それ! っていうか、わかったかもしんない。ひょっとするとさ、このお城で動画を作るのが正解なんじゃないか?」

 

「それだ!」

 

 早速撮影用のカメラを用意する二人。ハンプティ・ダンプティは戸惑いながらも尋ねる。

 

「撮影、するのですか……?」

 

「ええ。あ、許可が必要でした?」

 

 手を止めた鷹宮に、ハンプティ・ダンプティは慌てて耳元に手を当てた。

 

「そうですね、アリス様に聞いてみましょうか……あ、面白そうだからオッケーだそうです。えっと、撮影の準備をしっかりしてから廊下に出るようにとのことですね。それでは私の方は一度外に出ていましょうか」

 

「え! 気が利くじゃん」

 

「ではなー」

 

 手を振る悪魔に一礼し、ハンプティ・ダンプティは部屋を出ていった。

 

――――――

 

 カメラを手に部屋を出た鷹宮とでびるを迎えたのは、アリス、そしてアリスと手をつないでいる王冠を被った背の高い女性の影だった。

 

「護衛は私が引き継ぐわ。よろしくね」

 

 とアリスは笑う。だが、鷹宮とでびるの目は女性の影にくぎ付けだった。

 

 女性は表情も、纏っているらしいドレスの柄すらわからなかったが、その目の奥に浮かぶ、赤い、薄暗いハートだけが二人をじっと見つめている。

 

「でびリオンチャンネルさん、実はましろだけじゃなくて、あたしもあなたたちのファンなのよ。あなたたちにこのお城を撮影していただけるなんて、なんて光栄なんでしょう! 案内は私に任せて! 絶対に撮影の邪魔はさせないわ!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「あざっす……」

 

 鷹宮とでびるは仰々しくなって頭を下げた。

 

「それではどこから案内しましょう。動画的にはパーティー会場? 二人がまだ見てないなら図書館とかお庭とか。裁判の見学もいいし、あ、お城の地下は迷路になってるから、誰が一番最初に抜けられるか競争するのも面白そう!」

 

「えーと……どうしようかな」

 

 鷹宮が苦笑してでびるを見ると、でびるは顔に影を作ってアリスに注文する。

 

「おすすめで」

 

 アリスはうん! と頷いた。

 

「わかったわ! このお城の魅力を隅々まで見せてあげる!」

 

 アリスは二人にかまわず歩き出したが、ちょっと行くと振り返って聞いてくる。

 

「もう撮影は始めてる?」

 

「あ、します。今からします」

 

 鷹宮が手に持った撮影用カメラを回すと、レンズの先でアリスは笑った。

 

「よろしくね」



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34.芋虫ハウス

 隠し通路を抜けて地下へと降りた笹木の顔は一転し、げんなりとしたものになった。

 

「だっっっっっる!」

 

 笹木の前にはずらりと並ぶトランプ兵たちの壁からなる迷路が広がっていた。遅れてやってきたランサーに笹木は言った。

 

「え、これに付き合わなきゃアカンの……? っていうかこんな迷路の壁、ぶち破りながら進めばよくない? ランサー、ちょっと蹴ってみて」

 

「よいのか?」

 

「よい!」

 

「しかし、あまりに可哀そ——」

 

「ランサー、やれ」

 

「……」

 

 ランサーは迷路の外壁に近づいていくと、トランプ兵の一枚を蹴りつけた。完全にヤクザキックであったが、その強靭な体幹によって背筋がまっすぐに保たれており、下品さや野蛮さは一切感じられない高貴なヤクザキックであった。

 

「おおー!」

 

 笹木が声を上げる。トランプ兵はランサーの蹴りで吹き飛ばされた。そして予想外にも、トランプ兵は飛ばされた先に立っていた別のトランプ兵を巻き込むように倒れ、それがまた別のトランプ兵を巻き込み……と、ドミノ倒しのように迷路の壁を構成するトランプ兵たちが倒れていく。

 トランプ兵が倒れ、ぶつかる音が完全に鳴りやんだ時には、迷路を貫通するまっすぐな一本道が出来上がっていた。

 

「よしランサー、その調子で全部ぶっ壊せ! やってしまえ!」

 

 笹木が命じると、ランサーは次々とヤクザキックを繰り出し、トランプ兵は綺麗にパタパタと倒れていく。

 

《ちょっとちょっとー! なーにしてるのさー!》

 

 足元からましろの声が聞こえてきたので、笹木は驚いて跳ね退いた。雑草が生えている中に小さな白い花々が咲いている……? いや、そうではない。白い花と見えたものは全て小さなスピーカーだった。

 

《僕とアリスちゃんとで徹夜で考えて作ったのにー。ちゃんと楽しんでよー!》

 

「いやだね☆」

 

《なんだって⁉》

 

「だってめんどくさいんだもーん」

 

《くっそー。人の苦労をぉ……》

 

「えっへっへ。人が時間をかけて作ったものを一瞬で壊すのが一番楽しい」

 

《くずだね⁉》

 

「いや、ぺらぺらの紙で迷路を作ったお前が全部悪い。ウチはできることをやっただけ~」

 

《うっ、くぅ……。そう、なるのかな……》

 

 悔しそうに唸ったましろに笹木は言う。

 

「うんそうだよ、お前が全部悪いよ。じゃ、またあとで会おうナ」

 

 そして、笹木は足元のスピーカーを踏み潰す。笹木が顔を上げたとき、すでに目の前に迷路はなく、人間大のトランプが散らばる草原が広がっているだけだった。

 

 草原の中央に一軒家が建っている。笹木はランサーと目配せし、共に家の方へと歩いていった。

 

 扉にトラップは……ない。笹木は確信し、ノブを回して家に入る。家の中には巨大な芋虫が鎮座していた。芋虫は笹木たちに気づいて顔を上げると、深い、深いため息をついた。

 

「もう駄目だ……お終いだ……」

「なになに、どうしたん? うちが話聞くよ?」

 

 笹木がさして興味も無さそうに近づいていくと、芋虫は今にも泣き出しそうな調子で言った。

 

「そこの机を見てくれ……」

 

 芋虫の視線を追うと、机の上には煙の充満するシーシャが置いてあった。そして、芋虫の足元には小瓶が転がっていた。なるほど、と笹木は納得する。

 

「お前、何か変なもん飲んで大きくなっちゃったんだ。それで身動き取れなくなって、シーシャ吸えなくなっちゃったんだー。ぷーくすくすww だっさw」

 

「や、やめてくれよ。小瓶に私を飲んでって頼まれたんだ。俺は基本的にいい奴なんだよ」

 

 顔を赤くした芋虫に、笹木は満足してからかうのを止めた。

 

「っていうか、あんたら誰?」

 

 今更のように芋虫が尋ねる。

 

「あん? ウチは笹木やよ。そんでこっちの筋肉がランサー」

 

「ローマ……!」

 

「ローマ……⁉ な、そうか。マスターとサーヴァント! 僕の敵ってわけか」

 

「んー? んん。たぶんそうやね。でも別に戦う必要ないやん、それ」

 

 笹木が指差した通り、芋虫の体は家の中にすっぽりと納まって身動きが取れないでいる。

 

「なにを!」

 

 と芋虫は短い足でシュッシュッ! とジャブを放って見せるが、そのとき肘が家の柱にあたり、家が小さくだが揺れた。その拍子に本棚から本が落ち、机の角に当たる。机が揺れ、シーシャの容器が揺れ……。

 

(」゚ロ゚)」

 

 芋虫は真っ青な顔でそれを見守っていたが、シーシャの容器がなんとか倒れずに机の上に留まったのを見ると、ホッと胸をなでおろした。

 

「ほらな、無理なんやって。ウチと戦うにはシーシャを諦めるしかないんや」

 

「そうか。じゃあ戦うのは無理だな」

 

「いや決断早いな。ちょっとは迷えよ」

 

 早々に戦いの方を諦めた芋虫に笹木はツッコむが、芋虫の中でもうその話は終わったことのようだった。

 

「ところで、マスターはお前一人だけ? 誰とも一緒に行動してないの?」

 

「あー……一人おったけど、ウチが飛び出したせいで離れてしまったな。今頃探してるかもしれん」

 

「ふーん、友だち?」

 

「もちのろんです! りゅーしぇん優しいし」

 

「へえ、他には友だちいないの? 優しくない友だちとか」

 

「友だちは優しいもんじゃね……? まあ、なんでかエンが切れない変なのもおるけどな」

 

「へえ、それは素晴らしいね。他には?」

 

「え? あ、あとランサーもいるし……」

 

 そうしてランサーを見た笹木だが、ランサーは固く首を横に振った。

 

「笹木よ。お前と私はローマで繋がる、いわば家族のようなもの。ローマの民はみな家族。そしてローマでないものなどこの世に存在しない。つまり、家族でないものなど存在しない……!」

 

 そう言い切ったランサーに笹木は目を白黒させる。

 

「え、ランサー、うちのパパなん……?」

 

「なるほどなるほど。いやあ、羨ましいなあ。僕は友だちが一人もいないからね。しかし優しい、ねえ……ひょっとするとさ、その君に優しい友だちは、君のことを友達だと思ってないかも」

 

「はぁ? なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんですかあ?」

 

「だって君は人に優しくなさそうじゃないか。そんな君に優しくするなんて怪しさ満点だよ」

 

「いや……うち、身内には優しさ満点やから……」

 

 急にどもりだした笹木を見て芋虫は勝ち誇るように鼻で笑って言う。

 

「じゃあ今度聞いてみればいいさ。君は僕の何なんだ? ってね」

 

「はぁああああ⁉」

 

 笹木はぶちぎれて机を蹴った。すると、つんざくような音とともに硝子が砕け、無情にも固い床の上にシーシャの液体はぶちまけられた……。

 

(」゚ロ゚)」

 

 芋虫は真っ白になって固まった。その目から静かに雫が零れ落ちる。

 

「笹木よ」

 

 笹木をたしなめるようにランサーが言う。

 

「弁舌家に惑わされるな。相手はお前のことなど何も知らぬ」

 

「……わかってる」

 

 笹木はフードを目深に被り、うつむくと、踵を返す。扉を開けてそのまましおらしく出ていったと思いきや、扉からにゅっと顔だけを出してきて、

 

「ぺっ! ふん!」

 

 床に唾を吐き、バタンと扉を閉めた……。

 



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35.サーヴァント戦

「よし、ここは正々堂々サーヴァント戦といこうじゃねえか」

 

 葛葉はそう言って勢いよく席を立つと、バーサーカーを伴ってカウンターを離れていった。

 

 どうするの? 頬杖をついてライダーが笑いかけてくる。

 くそっ、こいつ楽しんでやがる……! チャイカは纏まりそうにない思考を放棄した。

 

「こうなったらやるしかないのか……」

 

 カウンターの向こうから出てきたチャイカ、そして後に続くライダーの前に、葛葉とバーサーカーが並び立つ……!

 

「頼むぜ、兄さん!」

 

「ああ……」

 

 葛葉の声に応じて敵のサーヴァントが地を蹴り、一瞬で距離を詰めてその銀色の槍を振るう。

 花畑チャイカに向けて。

 

「のぅわっ!」

 

 チャイカは予想だにもしない一撃を仰け反ることで何とか躱すと、そのまま後ろにごろごろと転がって距離を取った。チャイカは息を整えながらも困惑する。

 

 なんだ? なんで攻撃された? 正々堂々のサーヴァント戦は一体どこへ……? 

 

 その疑問に答える様に、相手の葛葉がサーヴァントに呼び掛ける。

 

「兄さん、気を付けてくれよ。見た目からしてやばい英霊だ」

 

「わかっているとも」

 

 相手のサーヴァントは油断など絶対にしないと言うようにその鋭い眼光をチャイカに向ける。 

 

「なっ⁉ おい、ちょっと待ってくれよ……!」

 

 ギャグか? ギャグシーンなのか? みんなで俺を嵌めようってのか? 

 背後を見るとライダーは苦笑してはいる……ように見えたが違う、腹を抱えて笑うのを必死に我慢してやがる……!

 

「そんな! 違う……! 聞いてくれぇ!」

 

 チャイカの懇願に興を削がれたような顔をして葛葉が耳を貸す。

 

「違うって、何がだよ?」

 

「いいかよく聞け。私はサーヴァントじゃない、マスターなんだ!」

 

 はぁ? 葛葉とバーサーカーはチャイカの言葉が理解できないというように真顔になり、次いで馬鹿にするようにくっくっと笑いたてる。そのタイミングはぴったりと揃っていて、兄弟のようだった。

 

「騙されるわけねーだろ。そこのいたいけなマスターをサーヴァントと戦わせるつもりか? さてはお前ぇ、相当な悪人か?」

 

「違う……俺は……!」

 

「準備はいいか? 女装したエルフの大男よ」

 

 低く、底冷えするようなサーヴァントの声にチャイカは震えあがった。チャイカは助けを求めてライダーの方を見たが、ライダーはグッと親指を立てただけだった。

 

「くそぅ! やってやる……やってやるよぉ!」

 

 またもや思考を放棄した花畑チャイカはファイティングポーズを取り、今度は自分から相手のサーヴァントに向かっていく。

 

「おら喰らえ! 花畑チャイカパァンチ!」

 

 花畑チャイカは連続で拳を振るう。が、そのどれもがかすりさえしない。時には槍で防がれ時には轟音が響き渡るも敵の構えはびくともしない。なんならチャイカの拳の方が痛いくらいだった。そして拳よりも、チャイカが想像より弱かったせいなのか敵があからさまに萎えていくのがわかり、チャイカの心は傷ついていった。

 

 こんなものか、とついに敵のサーヴァントが反撃に転じる……。

 

「ぐはああああああああ‼」

 

 振るわれた槍に衝突し、チャイカはぐるんぐるんと転がりながらライダーの足元まで吹っ飛ばされる。

 チャイカの姿は余りに痛ましい、その一撃でチャイカのメイド服はびりびりに破れ、黒いロングソックスも破れて艶のある肌が(あらわ)になっていた。

 

「あー、チャイカ、大丈夫……?」

 

 ライダーは目を覆いながらも顔を赤くし、指の隙間から丸い瞳を覗かせる。チャイカは震えながら腕を持ち上げ、親指をぐっと立てると、

 

「アイルビーバック……」

 

 そう呟いて腕がぽてんと床に落ちた。

 

「あ、なんだ。余裕そうだね」

 

 ライダーはほっと息を吐くと、倒れたチャイカの前に進み出た。

 

「おいおいなんだよ、まだガキじゃねえか」

 

 葛葉は挑発するように言い捨てる。ライダーは特に反論もせずに一言、愛馬の名前を呼んだ。己の宝具にもなっている、その名前を。

 

始まりの蹂躙制覇(ブケファラス)……!」

 

 数多の雷とともに蹄の音を響かせ、虚空より巨大な黒馬が現れ出る。ライダーは黒馬の首のあたりを一撫でしてやると、その背にまたがった。

 

「さて、名乗りを邪魔する小うるさいリーダーも倒してくれたことだし、堂々と名乗ろうじゃないか!」

 

 ライダーは腰に差した剣を引き抜いて告げる。

 

「我が名はアレクサンドロス三世。大神ゼウスの子にして東方世界と西方世界を結びつけし大王である。汝、名を名乗るがいい。我の前に立ちふさがる気概があるというのなら……!」

 

 ライダー、アレキサンダーは剣を正面に掲げた裏で、なんてね、と舌を出して誰とも知らずにはにかむ。果たして、名乗りの効果はてき面だった。

 

「おい、アレクサンドロスって俺でも聞いたことあるぞ……ゼウスって、あのゼウスか⁉ これはやばいんじゃねーのか……!」

 

 苦渋の面持ちで後ずさる葛葉。バーサーカーはそれを見て無理もないというように目を瞑る。

 

「東方……か」

 

「おや、東方は嫌いかい?」

 

 バーサーカーが表情をわずかに曇らせたのを見逃さずにアレキサンダーが問う。バーサーカーは静かに笑った。

 

「まさか。東方は好きだ。そして西方も大好きだとも。人間は東西に分かれたところで何も変わらぬ。みな自分のことばかり考えて人の足を引っ張り合う……蠅のように小うるさい屑ばかりだ……‼」

 

 バーサーカーがその槍を床に突き刺すと、床から無数の黒杭が生えながらアレキサンダーに向けて進んでいく。

 

「ブケファラス!」

 

 アレクサンダーが合図すると、愛馬ブケファラスは前足を浮かせ、震わせ、反動をつけて思い切り前足を床にたたきつける。すると雷がブケファラスの蹄から四方に広がっていき、黒杭を粉々に砕いていった。バーサーカーはそれにも驚かずに落ち着いた調子で言う。

 

「余はヴラド三世。ワラキアの君主にして人より忌み嫌われし吸血鬼」

 

「吸血鬼?」 

 

 素っ頓狂に聞き返したアレキサンダーに、バーサーカーヴラドは左様と答える。

 

「吸血鬼、すなわち人の血を啜る怪物なり……ならばこそ、東であろうが西であろうが、血の通った人間(くず)は大好きだとも」

 

 そうして、ヴラドは自嘲半分に笑いながらも鋭い牙を剥き出しにし、その翼を広げて宙へと舞い上がった。

 

「こりゃあ、訳ありっぽいなあ……」

 

 頭上のヴラドを見上げるアレキサンダーは苦笑して頬を掻いた。



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36.地下迷路

 オレンジ色の明かりが点々と灯る廊下を四人は進んていく。廊下の片側に並ぶ縦長の窓には明るい室内ばかりが映っていた。外はもう夜だった。

 

「どこを案内しようかしら」

 

 先ほどからアリスは手を繋いで隣を歩く女王と何やら相談をしているようなのだが、女王が何も言わないのでアリスの一人芝居のようだ。

 

「わかるわ。確かにそれも大事よね。そうなると、やっぱりパーティー会場から始めるべきね」

 

 くすくすと一人で笑うアリス。女王の影のドレスは床の上を音もなく滑り、無言でついていく鷹宮とでびるにのしかかる空気をさらに重くした。そんな二人に救世主が現れる。廊下の向こうから足音が聞こえてくる。足音の主は角を曲がって鷹宮たちの前に姿を現した。

 

「あ、鷹宮―!」

 

 向こうからパタパタと駆けてくるのは中華服を纏う少年とも少女ともつかない鷹宮のクラスメイト、緑仙だった。

 

「動画の収録?」

 

 と緑仙が鷹宮の手に持ったカメラを指差す。

 

「そうそう。大丈夫、緑さんの顔にはちゃんとモザイク入れとくから」

 

「いや、編集でカットしてよ……ところで笹木見なかった?」

 

「笹木さん? あー、見てませんね」

 

「そっか~」

 

 緑仙はやれやれと項垂れる。

 

「え、ひょっとしてですけど、さっき追いかけてから追いついてなかったり……」

 

「そうなんだよ。笹木は見つからないし、サーヴァントはどっか行っちゃうし、もう散々だぁ……」

 

「護衛をお付けしましょうか?」

 

 心配そうに申し出るアリスに、緑仙は軽く笑って手を振った。

 

「いらないいらない。もしもの時は令呪使うし」

 

 うん、だから大丈夫だよ、僕はもう行くね。そう言って緑仙は走っていってしまった。

 

 

 アリスが案内した部屋は白黒のタイルが敷き詰められた薄暗い部屋だった。ただ、床の中心の真っ暗な穴に向かって周りのタイルが捻じれているように見える。

 

「これ騙し絵って奴でしょ? なかなかオシャレじゃん~」

 

 悪魔を肩に乗せた鷹宮は躊躇なく穴の方へと歩いていく。

 

「そうなのかぁ? どっからどう見ても本物の穴なのに、絵ってすげえんだな……」

 

「そうよ。芸術はすごいの! ほらでびちゃん、見ててごらん」

 

 そうして鷹宮は穴を踏みつけるように足を出し、

 

「……」

 

「おい、どうしたんだ、黙り込んで」

 

「あーでびちゃん、初めに言っとくわ」

 

 ごめんね。

 

 てへぺろ、と舌を出した鷹宮から離脱しようと悪魔は羽根を拡げて飛び立とうとする。が、その足を鷹宮が捕まえる。

 

「やだ、ちょっ離せぇ! 嫌だよ小娘、ボクを巻き込むなぁ!」

 

「何言ってんの、マスターとサーヴァントは一心同体なんだよぉ! おーほっほっほ!」

 

 高笑いと悲鳴を響かせながらでびリオンは穴へ落ちていった。

 

「み、醜いものを見たわ……」

 

 アリスは困惑し、しかし首を傾けて考える。

 

「いえ、でもマスターとサーヴァントは一心同体っていうのは綺麗かも。じゃあ、美しいものをみてしまったのかしら? ね、どう思う?」

 

 アリスはハートの女王に尋ねるが、女王は何も言わなかった。

 

 

〇地下迷路

 

 長い滑り台から吐き出されたでびリオンが目にしたのは、大きなトランプの散らばった草原、草原の中央に建つ一軒の家だった。

 

「うふふふ、凄いでしょ? この地下迷路はあたしとましろが一晩かけて考えた……考えた……」

 

 後から滑り台を降りてきたアリスは現実を受け入れらないかのように何度も目を擦り、ついにはその目に涙が浮かばせた。アリスが辺りを見回すとスピーカーの花は全て踏み潰されていた。

 

「あ、いけない、芋虫さんが……!」

 

 涙する間もなくアリスは芋虫を心配して草原中央の家へと走った。そのあとを女王が歩いていく。

 

「さすがに、か」

 

 鷹宮もまたカメラを止めてアリスを追いかける。アリスはすぐに家の中から出てきた。でびリオンは目を疑う。アリスの手の上で青い芋虫が泣いていた。

 

「うわーん、うわーん、もうだめだ、お終いだー……!」

 

「芋虫さん、落ち着いて。いったいどうしちゃったの?」

 

 アリスが心配そうに聞く。芋虫は涙声で答えた。

 

「僕がシーシャを吸ってないとこの世界から遅れてしまう! 一度遅れればもう追いつけない……世界は僕たちのことを置いて行って、そのうち忘れてしまうんだ。僕のせいで……いや、俺だったかな、どっちでもいいけど、でも私たちみんな、みんなみんなみーんな戻ってこない世界を待ち惚けることになる……」

 

「芋虫さん、シーシャは? シーシャはもうないの?」

 

 芋虫の会話に付き合ってられないとアリスは質問してみるが、芋虫は完全に自分の世界に入っているようだった。

 

「君だって忘れられる。誰からも忘れられる。耳を澄ましたって風の音しか聞こえないよ⁉ ああ、薄ら寒い、薄ら寒いよぅ……」

 

「私に出来ることはないの?」

 

「無いよ‼」

 

 突然、芋虫は声を張り上げた。

 

「調子に乗るなよ偽物め! ひょっとすると、お前が俺を生み出したのかもしれない。ひょっとすると、君がいなきゃ僕は存在できないのかもしれない。でも僕が誰だろうと、僕が生きる限りはお前に関係なく生きているんだ! 俺が君と話す時だって常に君とは関係なく話す。だから僕の生活に権力を振るわないでくれ! お前は僕とは関係がない。これっぽちも、僕たちは関係のない関係なのさ」

 

 何を言われたのか理解しきれずに呆然とするアリスに、芋虫は冷たく言い放つ。

 

「下ろしてくれよ。君の手は僕の体より冷たいから体温が変わっちゃうだろ」

 

 アリスは芋虫を下ろした。芋虫は振り返りもせず草原の方へ這っていく。

 

「あー……でび、何か話しかけてあげなよ」

 

「え、ボクぅ? ボクはちょっと今お腹の調子が悪いというか……」

 

 アリスの後ろ姿に声をかけようとするでびリオンだったが、アリスは突然振り返ると、笑顔で二人に言った。

 

「さあ、次へ行きましょう!」

 

 アリスは女王と手を繋ぐと家から離れていった。

 鷹宮とでびるは違和感を覚えながらもアリスについていくしかないのだった。



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37.お茶会(狂)

「叶神父、そこをどいてください」

 

 シスター・クレアが強い口調で言うが、扉の前に立ちふさがる叶は飄々と答える。

 

「別にいいですよ。ましろさん主催のパーティーに行かないと言ってくれるのなら……」

 

「それは、できません」

 

「なら僕だってどけません」

 

 叶は笑って両手を広げた。肩をすくめているようにも見えるし、通さないという意思表示にも見える。そして、バカにしているようにも……。

 

「どうしてですか? あなたは私の覚悟をわかってくれているのでは? 叶さん、言いましたよね。ここで誰かが脱落する。ここで止まっていた歯車が動き出すって。どうして私だけが、その重要な場に立つことが出来ないのですか?」

 

 クレアの言葉に叶はどうしようかと天井を仰ぎ見、一瞬だけ笑ったかと思えばすぐに表情を消してクレアの方を見つめた。

 

「確かに。誰かが脱落するでしょう。でもそれはおそらく、死力を尽くした戦いの末に敗れた者が死ぬというのではない、理不尽な形で、何か大きな流れに引きずられるようにして起こった出来事としての死です。誰がそうなるかも、どのようにそうなるのかも想像ができない。でも、そうなるだろうという嫌な確信だけがある」

 

 そして、叶はクレアを脅すようににっこり笑った。

 

「クレアさん、お忘れですか。あなたは僕の願いも背負ってるんだ……あなたに何かあったら困るんだよ……!」

 

 クレアは叶の言葉にたじろぎ、一歩後ずさる、その背中が背後に立っていたセイバーに当たると、クレアはセイバーに助けを求めてか視線を向ける。だが、セイバーは言い出しづらそうにしながらも言った。

 

「クレア、私も反対です」

 

「な⁉ どうしてですか」

 

 予想外のセイバーの反対に動揺を隠せないクレア。セイバーは安心させるようにその肩に手を添え、体を支えてやる。

 

「クレア、私だって騎士だ。聖杯戦争の局面が決する場に立ち会いたいとは思う。でも、私が望むのは騎士同士、あるいは戦士同士、あるいは人間同士が、意思や意図をもって勝利に縋る栄光ある戦いだ。確かにあの男は言っていました。公平な場を用意する、安心してマスターやサーヴァントが交流できる場を作る、と。クレア、残念ですがあの男は嘘をついている。あれは何かを隠している。それが何かまでは私にもわからないが、叶神父は私たちを理不尽な形で敗退させうるものだという。もしも貴方が叶神父を信用するというのなら……それはもう、絶対に行くべきではない……」

 

 クレアはまだ煮え切らない様子で叶の方を見る。叶は今のセイバーの言葉が全てだというように目を閉じ顔を伏せた。クレアは力が抜けた様に息を吐くと、そこにあった長椅子に腰掛けた。

 

「わかりました。そういうことでしたら私は待ちましょう。迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

 叶はほっと胸を撫で下ろして言った。

 

「クレアさん、そしてセイバーも。お二人が己の覚悟を賭けた戦いに挑みたいのは私もわかっているのです。命を懸けて戦わなくてはならない局面は必ず来ます。ですから、今はどうか我慢してください。いずれ来るその時のために」

 

 クレアは「ええ」とだけ返し、セイバーは静かに頷いた。

 

 

〇パーティー会場

 

 先ほどのような丸テーブルは縁に寄せられ、代わりに大きな横長の食卓が会場のど真ん中に鎮座している。会場にいる仮面をかぶった生き物たちのほとんどは食卓の周りを取り巻くように立ち話をし、食卓には僅かに三人だけが座っていた。

 

 右には古臭い帽子を被った痩せ男、左には二足歩行の人型の兎、そして真ん中に座る三人目は……。

 

 鷹宮はカメラ片手にその人物に近づいていくと、肩を叩いて尋ねた。

 

「椎名さん……何してるの?」

 

 ばっとふり返った人物はパーティー用の口髭サングラスをかけていた椎名唯華だった。

 

「なにって、見てわからん? お茶会」

 

 椎名はまるでワイングラスでも持つかのようにティーカップを手に持ってグッとカップをあおると、ごくごくと喉を鳴らして豪快に紅茶を飲んだ。

 

「ぷはーっ。いいお点前!」

 

 椎名が音を立ててカップを置くと、隣に座っていた男と兎が拍手する。

 

「汚点だ汚点だ!」

 

「汚点前が過ぎる!」

 

 その様を見てでびるは表情を失くし

 

「あー、中々のお点前でございますね……」

 

 意味の分からないことを言って去ろうとしたが、これは鷹宮が足を掴んで引き留めた。

 

「あの……」

 

 と帽子を被った痩せ男の服の裾をアリスが引く。

 

「あなた、ひょっとして帽子屋さん?」

 

 アリスはキラキラした目で尋ねる。男はうーんと悩み、悩んだ末にこう答えた。

 

「私が誰かは思い出せないな。帽子屋と言われれば帽子屋な気もする。でもそれは今の私を何も解決してくれないからね……」

 

「そんな……」

 

 アリスは落ち込むが、気を取り直して兎の方に呼び掛けた。

 

「あなたは、あなたは三月兎さんよね?」

 

 兎は答える。

 

「知らないなそんなの! だいたい、僕って兎なのかい? 三月⁉ 生まれる前から三月かい⁉」

 

 どんよりとした空気がアリスたちの周囲を覆った。それを敏感に察知した痩せ男はアリスを元気づけるようにその肩をぽんと叩いた。

 

「私が誰かなんて、本当は悩む必要が無いんだよ。大事なのはお茶会すること。だって、お茶会している間は私たちはみなお茶会する者でいられるのだから」

 

「そうだそうだーお茶会だー!」

 

 椎名が笑顔で拳を振り上げる。

 

「椎名さん……?」

 

 違和感に気づいた鷹宮の呼び掛けに、椎名は首を傾けた。

 

「リオンさん……だっけ。あれ? いや、それよりも、あたしのこと椎名って呼んでたけど、椎名ってあたしのことぉ?」

 

 これはもう、明らかにおかしい。鷹宮は椎名の瞳を凝視し魔術の痕跡を見つけようとするも、上手く見つからない。いつも通りの眠たげな瞳にしか見えなかった。それとも……。

 

「私もおかしくなってる……?」

 

 魔術の影響が椎名に見られないのは、見る側である私が既に魔術の影響下に置かれているから……? っていうか、私って誰だっけ。リオンさん……? 隣でふわふわ浮いてるこいつはでびでび・でびる。椎名についてもわかる。

 

「椎名さん、サーヴァントはどうしちゃったの?」

 

「あ、それならわかるよぉ~。あいつは付き合ってられんって言って出て行った。部屋で寝てるわ、たぶん」

 

 ほら、冷静に質問だってできるのに、どうして自分の名前は……。鷹宮は頭を押さえてなんとか考えようとするも、思考がまとまらない。こんなの、絶対おかしいのに。

 

「大丈夫……?」

 

 ふと見るとアリスが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 

「うん、大丈夫。心配しなくていいから」

 

 気丈に微笑んで見せる鷹宮に、アリスは素直にほほ笑みを返す。だが、鷹宮は見てしまう。アリスの肩越しに、ハートの女王の薄暗いハートの瞳が少しだけ歪んだ。

 

 今、笑った……? 

 

 疑心に囚われた鷹宮を置いて、お茶会はどんどん進行していく。

 

「さあ、隣の席へずれよう!」

 

 痩せ男の合図で拍手が巻き起こり、お茶会の三人は隣の席へずれる。が、

 

「いや、これお前の飲みかけじゃねえか!」

 

 椎名が鼠の浸かったカップを見てテーブルに拳を叩きつけた。兎はたしなめる様に

 

「元僕の席に座るのだから、そうなるに決まっているでしょ。まあ嫌な席があるのは仕方がない。そんなときには席をズレればいいんです」

 

 そう言って兎はカップを一口すすると隣の席に移る。

 

「いやだから飲むなって。あてぃしが飲む前に飲むな!」

 

 怒りのあまり立ち上がった椎名に痩せ男が優しく言って聞かせた。

 

「では仕方ない。逆向きに席をずらしましょうか。それで解決するはずです」

 

 痩せ男は啜っていたカップを皿の上に置くと、隣の席にズレた。

 

「さあどうぞ、こちらへ」

 

「てめえ、いかれてんのか?」

 

「いえいえ、お茶会とはお茶を飲むもの。お茶を飲まなければ席をずらす意味だってないでしょう」

 

 まったく……と呆れたように肩をすくめた痩せ男を、椎名は口髭サングラス越しに強く睨みつける。

 

「いいですか。元私の席の貴方は紛れもなく新しい私なのです。自分のお茶を飲んでおかしいことなど何もない! ね、そうでしょう?」

 

 呆気にとられたように痩せ男の顔を見つめる椎名を置いて、痩せ男は紅茶の並々注がれたティーカップを手に持った。

 

「さあ、では皆さんもご一緒に。お茶を飲みマs——」

 

「うっせえはげ! 席変われよ! あてぃしが先頭に座るんだぁ!」

 

 椎名が痩せ男に掴みかかる。紅茶が零れ、取り巻いていた人々はどよめき、兎は無視してお茶を飲もうとして椎名に殴られる。喧噪はどんどん広がりつつあった。

 

「もう行こうぜ」

 

「うん」

 

 悪魔の言葉に鷹宮は頷く。

 

「ほら、アリスちゃんも」

 

 鷹宮の言葉はアリスに届いていなかった。アリスはお茶会を前にして、悲壮な顔で立ち尽くしていた。ハートの女王に手を引っ張られるまで鷹宮の視線に気づかなかったほどだ。

 

「あら、ごめんなさい。ぼーっとしてたみたい」

 

「うん、そうだね。でびちゃんとここはもういいんじゃないかって話してて」

 

「ああ、そう……そうね。確かにここはもういいわ。時間的にも次を最後にしましょう。そうよ、きっと次は楽しくなるわ!」

 

 アリスの浮かべた痛々しい笑みに鷹宮は「うん」とだけ言った。



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38.女王裁判

〇裁判所

 

 でびリオンが案内された場所は裁判所だった。左右には弁護士の席と検事の席、証人の席が向かい合うようにして展開し、壇上には裁判官の席が並ぶ。そしてそれよりさらに高いところに玉座があった。

 

 厳粛な雰囲気に息をのむでびリオンを見て機嫌を直したらしい、アリスはくるっと振り返って言う。

 

「じゃーん。裁判所よ」

 

「裁判所って何~」

 

 と尋ねるでびる。アリスはにっこり笑って答えた。

 

「首をはねる場所よ」

 

「え、こわ……」

 

「ね、私裁判をやってみたいわ。女王様もそうよね?」

 

 アリスはいいでしょ? と女王にねだる。女王はアリスを見下ろすと、ゆっくりと玉座を仰ぎ見、そのまま玉座の方へ歩いていく。

 

 女王が玉座に座った。

 

「やった! ありがとう、女王様。 私は裁判官になる! でびリオンチャンネルさんには書記官をお願いしたいわ」

 

「えぇ……わかりました、けど」

 

 嬉しそうなアリスに何も言えず、ずるずると書記官の席に並ぶでびリオン。アリス以外の裁判官、そして弁護士や検事、他の書記官たち諸動物が裁判所に入ってきて席を埋めていく。

 

「おや、こんにちは」

 

 と鷹宮の隣にはハンプティ・ダンプティが着席した。

 少し遅れて傍聴席も埋まり出すと、辺りは賑やかになってきた。

 

 女王は玉座に座し、じっと裁判の舞台を見下ろした。そして胸のポケットからトランプのカードを一枚取り出して、すっと机の上に伏せた。

 何かと思って鷹宮が目を凝らすと、伏せられたトランプのカードは一瞬の内に手足を生やし、真っ赤なドレスを纏う。それはハートのクイーン。小さなトランプの、ハートの女王だった。

 玉座に座したハートの女王の前で、トランプのハートの女王は耳が痛くなるような声で話し出した。

 

「開廷だ! 開廷! 裁判を開廷する! 被告人を連れてこい!」

 

 女王の言葉に伴って白兎が青い衣服を纏う女性を被告人の席へと連れてくる。

 

 おや? と鷹宮は眉を上げる。女性はもう立派な大人だった。けれど、あの服はまるで……。

 鷹宮は聞きたいことがたくさんあってアリスの方をみたが、アリスは鷹宮の視線には気づかない。冷や汗を流し、知らず知らず呼吸を荒くして席を立ちあがっていた。

 

「被告人アリス、ここに!」

 

 女王の呼び出しを受け、白兎が女性を女王の前に引き出した。

 

「よろしい。被告人アリスよ、お前はなぜここに連れてこられたか、わかっているかな?」

 

 アリス、と呼ばれた女性は辺りを見回し、一言。

 

「わかりません。あの、たぶん人違いだと思うんですけど……」

 

 女性はわけがわからないというように怯えている。そして、なんでトランプが喋ってるの……? と一言。

 

「そう、それだぁ! アリス、ただのトランプは喋らない! そうだな? そうだろ? えぇ?」

 

 女性の一言を聞き洩らさず、女王は鬼の首を取ったかのような勢いで問いかける。

 

「ええ、そうですけれど……」

 

「よし! 聞いたか皆の衆、この者は以前私たちをただのトランプと言った。だが今この者はただのトランプが喋らないことを認めた。そして私たちは喋るトランプ! 私たちはただのトランプでないのに、この女は私たちをただのトランプと侮辱した。つまりこの女、アリスは噓つきなのだ!」

 

 女王の言葉に会場がひどく騒ついた。まるで嘘つきがこの世界にいることがショックでたまらないといった風に傍聴席の人々は傷つき、バタンと倒れ、女性を非難した。

 

「人を責めるにしても過激なのは嫌ですね、まったく」

 

 ハンプティ・ダンプティが囁いてきたので、鷹宮はそうですね、と愛想笑いする。

 

 女王はカン、カン、と必死に自分の体よりも大きい木槌を鳴らして声高に告げた。

 

「判決! 被告人アリス。汝を汝の身が負う詐称、及び、侮辱、及び国家転覆の罪において死刑とする。閉廷!」

 

 終わった、と会場の空気が弛緩し、人々は各々好き勝手に話し出して席を立ち始める。

 

「さあ、死刑執行は速やかに。処刑人よ、この女の首を刎ねぇい!」

 

 女王の言葉に反応して緊張感が戻ってくる。剣を携えたトランプ兵が未だに状況についていけてない女性に迫る。

 

「はあ、気分が悪い。私はここでお(いとま)しますよ」

 

 ハンプティ・ダンプティは席を立った。

 

「貴方は、これでいの?」

 

 鷹宮が責めるように問うが、ハンプティ・ダンプティは軽やかに笑って言った。

 

「私には女王に逆らう勇気がありませんから。でも、アリス様は最後まで諦めないんでしょうね」

 

 どうか、最後までそばにいてあげてください、そう言うとハンプティ・ダンプティはお辞儀して会場を後にした。

 そして裁判官の席からは案の定、アリスが声を上げていた。

 

「ちょっと待って、そんなのおかしいわ。ただの逆恨みよ! だってそんなの……そんなの、あんまりじゃない!」

 

「……裁判官、発言は挙手を」

 

 冷静な女王を睨み、アリスは手を挙げる。

 

「どうぞ」

 

 促され、アリスは喋り出す。

 

「女王様、判決の撤回を求めます。確かにアリスの言葉は女王様を傷つけたのかもしれません。けれどアリスだってそのとき首を斬られそうで必死だったはずです。女王様が立派な大人であるのなら、子どもの言ったことをいつまでも気にするべきではないと思います」

 

 女王はそれを聞いて腕を組み、よくわかったと言っているかのように頷いた。

 

「へぇ、そうか。アリスよ、そう言っているが、どうだ? お前は必死だったらしいぞ。必死だったなら覚えているな? あのときのことを」

 

 女王が意地悪く見つめる先で、女性は視線をさ迷わせ、首を横に振った。

 

「だめ、何も思い出せないわ」

 

「で、あろうな。わかっていたさ。お前はあのとき私たちを殺したが、私たちを殺したお前は既にお前によって殺されたのだ。聞けい、皆の衆! この女に殺人罪を付加し、死刑! 即刻首を刎ねるべし!」

 

「待ってってば!」

 

 再びアリスが立ち上がる。

 

「あれは子供の言葉よ、意味なんてないわ」

 

「だったらひとまずお前の言葉を聞く必要はないねえ」

 

「そんな、私は違う! 子供だけど、でも子供じゃなくて……!」

 

「ふーん、お前も嘘つきかい、まあいい。なんせ、私は人を子供扱いしないからね」

 

 女王は机の上に深く座り、何かを思い出すように天井を見上げると、ゆっくりと話し出した。

 

「そうさ、私は子ども扱いしない。人を子ども扱いするような奴は許せないんだ。私が子供のころだ、王である私の父様に対して部下が裏切りをたくらんでるのを盗み聞いてしまってね。私は機を見計らい、父様の前でそいつを糾弾した。首を刎ねるべきです、ってね。でも父様も母様も私を見て悲しそうな顔をするんだ。それで裏切り者が言うのさ。『大丈夫です、私は気にしていませんよ。なんせ、子どもの言うことですから……。』それから間もなく父様も母様も裏切り者に殺されちまった。私はすぐに兵を挙げて裏切り者を捕らえ、首を刎ねてやったわ(わかってたことだから準備もできたのさ)。そのとき子どもの私の言うことを信じてついてきた将軍を私は王にしてやった。子供の私の言葉を信じてくれた兵士たちをみんな取り立ててやった。皆言っていたさ。『王女様の言うとおりだ!』『王女様は正しかった!』」

 

 気持ちよく話す女王の前にふわふわと黒い何かが漂ってくる。女王は首を傾げた。

 

「ねえねえ、お前についてきた将軍って、それ、そいつが王になりたかっただけじゃないの?」

 

 女王は我に返る。女王の前に漂ってきたのはでびでび・でびるだった。でびるは続けて言う。

 

「可哀そうに。子どものお前は出世の道具にされたんだねえ。その時のお前は気づいてなかったみたいだけど、そいつが本当に信じていたなら……人に忠誠を誓えるような良い将軍だったなら、お前の両親が殺されるのも止められたんじゃねーか? いや、むしろそう仕向けてたってことは? あぁ、お前を慕う奴ら、自分の欲望のために誰も何も言わなかったんだ。ふふふ、人間の欲望って汚いねぇ。ホントお前ってかわいそむっ!」

 

 手遅れなのはわかっていたが、鷹宮リオンはでびるの口を塞いだ。

 

「あ、すみませ~ん、うちの悪魔が。ほんと、あの躾けておくんで……続けてください! おほほほほ……」

 

 でびるを抱えて書記官の席に戻っていく鷹宮を女王は何も言えずに見つめていた。やがて、あちこちから視線を感じ辺りを見回すと、うっと唸る。会場の皆が哀れみの視線を向けていたのだった。終いには死刑の女にすら哀れまれている。これには女王も耐えられなかった。

 

「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」

 

「何も言ってないわ」

 

 とアリス。女王はアリスを睨む。

 

「うるさい! みんな目がうるさすぎる! いいかい、私の言うことが正しいんだよ! 正しい私の言うことを聞いたあいつらは正しいはずなんだ! だから取りあげないでおくれ、私の――」

 

 女王の言葉は続かなった。女王は……ハートのクイーンのトランプは、玉座に座す影のようなハートの女王の拳の下でくしゃくしゃに潰れていた。

 

 ハートの女王は玉座から立ち上がると、裁判官の席も被告人の席もすり抜けてすーっと裁判所から出て行った。

 

 がたん、と椅子を倒し、遅れてアリスが席を立った。

 

「どうしたの……?」

 

 鷹宮が尋ねると、アリスは青ざめた顔で言った。

 

「キングがやられたわ」



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39.串刺し公

 城内は轟音に包まれていた。メキメキ、バキバキと破壊の音が響き渡る。繰り返される振動のさなか、ライダー、アレキサンダーとマスターの花畑チャイカを乗せ、黒馬ブケファラスは疾走する。ブケファラスの逞しい身体を突き刺そうと床から次々と黒杭が突き出てくるが、ブケファラスは未来が見えているかのようにそれを巧みに躱していく。

 

 ブケファラスは壁に向かって突進すると、前足を振り上げて壁を破壊し、そのまま次の部屋へ。先ほどから何度もこうして城の壁を破壊する疾走を続けているので、最初は「壁がっ、ぶつかる!」「やめろ、破片がっ、やめろってえ!」「やめてくださいお願いしますっ!」と叫んでいたチャイカも真っ白になってしまった。

 

「ねえチャイカ!」

 

 突然アレキサンダーが振り返って声を張り上げる。前からの風に赤い髪を乱しながらも、その顔は楽しそうだった。

 

「……なんだよ」

「死ぬ気で反撃すれば勝てるかもしれないけど、どうする?」

「やめろよマジで」

「えー、でも、このまま逃げていてもこの城には敵の方が多いんだよ? 一応これでも椎名さんのいる方に向かおうとはしてるんだけど、相手もわかっててそっちの方面は警戒してるみたい! ねえどうしよっか?」

 

 頬を赤く染めて嬉しそうに聞くアレキサンダーに花畑チャイカは頭が痛くなった。

 

「現状維持……」

「あり得ないね」

「くっそぅ、じゃあギリギリまで現状維持っていうのはどうだ?」

「はぁ、チキンだなあ、チャイカは」

「うるせえよ!」

「オッケー、じゃあそれでいこう。戦いは何が起こるかわからないしね」

 

 そうだ、何が起こるかはわからない。あちこちから聞こえてくるこの轟音は……絶え間のないこの振動は……僕らの巻き起こす破壊とは別に、何か大きなことが起こっているに違いない! 向こうもそれはわかっているはずなのに。

 まったく、呆れちゃうね……。アレキサンダーはきゅっと手綱を握りなおす。

 

「作戦は決まったかな? アレキサンダー少年よ」

 

 声に反応してアレキサンダーが背後をちらと確認した先、吸血鬼二人組が羽根を生やして天井付近を飛んでいるのが見えた。ヴラドは嗜虐的な笑みを浮かべて今も黒杭を操作し、ブケファラスを捉えようとしていた。

 

「まあね。貴方を倒す作戦が決まったところさ!」

「ハッ、そうであろうな。貴殿は余とは違い、何もかもを持っていた。余は大国の間で翻弄され続けたが、貴殿は大国を飲み込んだ。死後怪物とされた余とは違い、貴殿の配下たちは死んだ貴殿を神のように崇め立てた!」

「みんな自分の欲のためさ! 自分が正当な後継者だとアピールするために僕の物語を利用したんだ。僕の眼から見たって、人間はそんなもんだよ!」

「黙れ! 余にはそのような配下もいなかった。余にはこれしか……余の生涯には、この、血塗られた杭しか残らなかったのだ……!」

 

 ヴラドの固く握られた拳から血が滴れ落ちる。ヴラドは牙を剥いて叫んだ。

 

血塗れ王鬼(カズィクル・ベイ)!!」

 

 流れ出る血液を握り込み、ヴラドが手を振るった。すると刎ねた血液から鋭く走り出したどす黒い杭が、空中で増殖しながらもの凄い速さでブケファラスの背に迫る。

 

「チャイカ、あれを見ちゃだめだ!」

 

 アレキサンダーの忠告はチャイカには届かなかった。チャイカは全身を悪寒に襲われ、唇を震わせながらも黒杭から目を離せないでいた。

 

(なんだあれは……! あんな禍々しいものがこの世にあっていいのか? 聞こえてくるこれは、悲鳴……? うっすらと見えているあれは……あれは……)

 

「あ、あぁあああああ……」

 

 チャイカの口から声にならない声が漏れ出る。最初、数が多すぎて虫が蠢いてみえた。だが、よく見てみると、無数に生えている杭の一本一本に人間が串刺しにされていた。みな苦しそうに悶え、体を震わせる。痛みからか、体のどこかを動かさずにはいられないのに、その体は貫く杭で止められて、うねうねした歪な動きしかできないでいるのだ。

 

「ここは、地獄、か……?」

「チャイカ! くっ、これまずいなあ」

 

 流石のアレキサンダーもこれには緊張を走らせ、何か手はないかと周囲に気を配る。そのアレキサンダーの前方から、後ろの杭と挟み撃ちするかのように樹木が壁を押し流し、なだれ込んできた。

 

 この樹は……!

 

 アレキサンダーは手綱を退いて馬を急停止させると、叫んだ。

 

「ブケファラス、跳べ!」

 

 ブケファラスはいななき、前から迫る樹木を飛び越えて壁に着地すると、そのまま天井を突き破って上の階へ跳び上がった。

 そこでアレキサンダーが目にしたのは、夜の闇だった。部屋の中央に渦巻いていた闇は一息に広がると、アレキサンダーとチャイカを。そしてそれを見上げていたヴラドと葛葉を呑み込んだ。

 

   〇

 

 部屋に帰った鷹宮とでびるはベッドを通り過ぎてそのまま窓を開けてバルコニーへ出た。吹く風に髪を押さえ、鷹宮は遠くの街の光に目をやった。

 自分でも気づいていなかったが、城の中に居て体が火照っていたらしい。冷たい風が肌に心地よかった。

 

「でび、風で飛んでかないわよね?」

「はぁ? 飛んでかないよ! 僕を何だと思ってるんだ?」

 

 肩の上でぷりぷりと怒り出したでびでび・でびるに鷹宮はくすりと笑った。

 

「ところでさ、この森なんだけど……」

 

 でびるが言いかけて、鷹宮は頷いた。

 

「あたしにも見えてるよ」

「そっか」

 

 でびるは口をつぐむ。二人の眼下に広がる森はオーロラのような光を空に向けて放っている。鷹宮はカメラを向けてみるものの、レンズ越しでは光が映らないことに気づくと、遠くの街の光だけを映して満足することにした。

 

「これ、絶対ヤバいやつだよね……」

「そうかもね。あたしはもう疲れたし、全部明日でいいや」

 

 そう言うと、鷹宮は踵を返して部屋へと戻った。でびるはしばらくは眼下の森を睨んでいたが、じきに気にするのを止めて部屋へふよふよと漂っていった。

 

 バルコニーの窓は静かに閉ざされた。



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40.チェシャ猫の間

 その部屋では暖炉に薪が焚かれていた。

 

 ソファが二つテーブルを挟んで並んでおり、テーブルにはプレイ途中のチェスがほったらかしにされている。暖炉のマントルピースの上には鏡が壁から掛けられていて、鏡の横に白黒の縞の猫が体を横たえていた。

 

「絶対、この部屋が怪しいんやけどな……」

 

 部屋に入った笹木はそこらを見回しながらソファに座った。

 

「なんかわかる? ランサー」

 

 笹木は向かいのソファに座ったランサーに問いかける。ランサーはゆっくりと暖炉の方を向き、その上の猫を見て、言った。

 

「あの猫……ローマか?」

「あ、もういいっす。聞いたウチが馬鹿でした」

 

 笹木は項垂れてテーブルの上のチェスに目を落とす。白が優勢だ。

 

「ポーン……じゃなくてクイーンか」

 

 笹木は相手の盤面に深く食い込んだ白のポーン、もとい、クイーンを持つと、黒のクイーンを弾き、そのマスに白のクイーンを置く。

 

「チェックメイト」

 

 と言ってはみたものの、何も起こりはしない。笹木はため息をついて投げ出すようにソファに深く腰掛けた。

 

「猫ちゃ~ん、お前の飼い主、一体どこにおるの……?」

 

 本気で聞いたわけではないだろうが、笹木は猫に問いかけた。猫はあくびをして寝返りを打っただけだった。笹木は黙り込み、言葉を、変化や切っ掛けを探すが、何も見つからない。

 この部屋、温かいな……と笹木は思う。パチパチと焚かれる薪は時間の感覚を鈍らせ、夜の窓は暗い鏡となって明るい室内を映し出していた。

 

 ふと、笹木は顔を上げて猫の方を見た。猫がおもむろに立ち上がって歩き出し、鏡の前で立ち止まったのだ。そして何事も無かったかのように鏡を通り過ぎる。要は鏡を挟んで反対側に移動しただけだった。だが、笹木は鏡を見て目を見開く。

 

 鏡には猫の両目と口と髭だけがこびり付いたように残っていた。よく見ると口は人間のように赤い唇があり、太い白い歯が生えそろっている。その口が大きく開き、声を発する――!

 

「あは、あは、あはははははははははは!」

 

 笹木は思わず立ち上がった。見ると、ランサーが笹木を見上げていた。

 

「魅せられていたか? それもよかろう」

 

 ランサーの言葉に唾をのみ、猫の方に目をやった。猫は確かに移動していたが、しかし……。笹木はソファを離れ、鏡の方にゆっくりと移動する。

 

「罠かもしれぬ。気を付けよ」

 

 わかっている。ランサーの言葉を肝に銘じ、笹木は鏡をじっと見つめた。鏡は銀のフレームで、その上部には王冠を被り、マントを羽織る王の横顔を象った装飾が為されていた。重たく、冷たい銀の色のせいで、王の顔は冷酷に見える……。

 笹木は何の異変も見つからないことに目を細め、鏡の表面にそっと触れようとした……そのときだった。指が鏡の中に沈み込んだ。

 

「うわっ!」

 

 笹木は驚いて指を引っこ抜く。鏡には波紋が立ち、そのつややかな表面が揺れている。だが、その揺らぎの中心に笹木は見た。いや、目が合ったと、そう感じただけだったが。

 

「見つけたやよぉ……!」

 

 瞳をキラキラさせて笹木は鏡に手を伸ばす。そこで、ランサーが声を上げた。

 

「待て、笹木よ」

 

 鏡へ伸ばした手が止まる。その刹那、鏡の前を素早く剣が振り抜かれた。

 

「は?」

 

 と目をぱちぱちさせる笹木。本能的に引っ込めた手を見ると、手は未だそこにくっついたままだった。そのまま顔を上げて鏡を見ると、鏡の上部、横を向いていたはずの王の顔が正面を向いていた。そして、ぐにゃりと王の顔が、鏡のフレーム全体が歪みだし、渦を巻きながらゆっくりと鏡から外れ、その輪郭を大きくしながら笹木の方へと近づいてくる。

 

「ちょっと待ってくれ、そんなん嘘や……」

 

 笹木は後ずさり、尻もちをつく。それを見下ろして、銀の王はニタニタと笑いながら剣を振り下ろそうとした。笹木は目を瞑る。

 いくら待っても痛みは来なかった。笹木が目を開けると、銀の王は剣を振り上げた姿勢で何やら悶えているように全身を震わせていた。

 

「あっ!」

 

 笹木は王の胸から血にまみれた腕が生えていることに気づく。王はカタカタと剣を震わせながら自分の背後にいる人物に向けて攻撃をしかけようとするが、その瞬間に腕は王の胴体を横に引き裂いた。

 笹木は息をのむ。王の剣は王の手から離れ、床に音を立てて落ち、すぐに溶け出して銀色の液体になってしまった。そして、次には王の体がそうなっていった。

 笹木は唇を震わせて、銀色と赤色で汚れた床を見下ろしていた。

 

 笹木は顔を上げる。汚れた床を挟んでそこに立つ人物は汚れを踏みつけて笹木の前に立った。チャイナ服を纏い、サングラスをかけた老人、アサシンだった。

 

「ふむ、咄嗟にやってしまったが、不要だったかな?」

「いや、全然そんなことないっす。本当に助かったっす。ありがとうお爺ちゃん。っていうか、え? どこから現れたの?」

「ずっとお主の隣におったが」

「いや、いなかったじゃん。瞬間移動したって!」

 

 不正を疑う笹木にやれやれとアサシンは首を振った。

 

「よいか? 武術の理の基本は相手に合わせること。つまり、相手と一体になることなのだ。これを突き詰めれば空気と一体になることもできるというもの……」

「いや、無理やって……」

「そうか? そういえば、そちらの御仁はずっとワシに気づいておったようだが」

 

 振られたランサーは首を肩をすくめて

 

「いや、私は隠れていることに気づけなかった」

 

 謝罪したランサーにアサシンはサングラスの裏で目を瞬かせる。

 

「なるほど、嫌みではない、か。道理でマスターの危機にも動かないわけだ。ワシに譲ったのだな」

「うむ。貴殿は既にローマである。ローマを見紛うことなど、この(ローマ)にはあり得ぬこと」

「……ワシが、ローマ……?」

 

 複雑そうな顔で思い悩み始めたアサシンに、笹木はため息をついた。

 

「はいはい、ローマにマジカル八極拳ね。了解了解」

 

 笹木は話に区切りを付け、改めて鏡に向き直った。

 

「そんで、お爺ちゃんはうちらと来るの?」

 

 アサシンは首を横に振った。

 

「いや、すまないがワシはいかないでおくよ。まだ、やることがあるのでな……」

 

 アサシンが目で示した先で、黒い影が部屋に音もなく入ってきた。ドレスを着て頭に王冠を載せているような影は、水溜まりのような黒い影を地面に撒きながらこちらに進んでくる。その目は赤黒く、ハート形の光を放ってはいたものの、同時に光は血の涙のように影の顔を滴っていた。

 

「そっかぁ。残念やけど、しゃーない。またな、お爺ちゃん」

「おう、後ほど合流するとしよう」

 

 アサシンは袖をまくると影の方に歩みを進める。それを見て笹木もランサーと目配せし、鏡の中へと手を伸ばした。



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41.誰かの為の物語

 アリスがその部屋に入った時、すでにトランプ兵たちは軒並み倒され、部屋の中央ではアサシンとハートの女王の戦闘が繰り広げられていた。

 

 ハートの女王が影の剣を振るうもそれらは全て紙一重で躱されている。アサシンは手を抜いており、相手の全てを引き出そうとじわじわ追い詰めているようだ。アサシンは部屋に入ってきたアリスに気づいたようだったが、あからさまに無視をした。アリスはむっとしながらも鏡の方へ駆け寄る。

 

 足元で溶けている王の姿に愕然としながらも、アリスは鏡に視線を戻し、ハッとする。鏡に映った自分の衣装が白くなっていたからだ。顔もよく見ると、その目許は柔らかく、明るい力強さを持った光が瞳の中に宿っている。

 

 これじゃあまるで、あの子の……。

 

 立ち尽くすアリスの前で、鏡はさらに変容を見せる。鏡に映るアリスの顔の皮膚がどんどんくすみ、腐り、剥けていく。皮膚の下から現れたのは、色の剥落したマネキンのようなそれだった。

 

「あははは、あはははははっ、ははっ、あっははは!」

 

 突如として巻き起こった嘲るような笑いにアリスはびくりと肩を震わせた。

 

「ちぇしゃ、あなたまで……。わかったわよ、あなたたちの言いたいことは……」

 

 アリスは目を伏せ、笑いから逃がれるように鏡の中へと入っていた。

 

―――――――

 

 暗闇の中に波紋が広がり、アリスは鏡の中へと降り立った。見ると、ましろの姿は暗闇の中に浮かんだ小さな灯りのようにそこにあった。笹木咲の姿もまた……。

 

 あれ……? 敵のサーヴァントは? ましろの防衛は? アリスが周囲の状況を探ろうとしたその時、激しい金属音がアリスの背後で鳴り響き、アリスは振り返る。

 

 アリスが目にしたのは、ランサーが双子をその大樹のような槍で薙ぎ払う光景だった。

 

「ましろ!」

 

 アリスは慌ててましろに駆け寄った。一方、笹木は余裕綽々で敵のサーヴァントとマスターの合流を傍観する。

 

「ましろ、大丈夫?」

「いやぁ、かなりヤバいね。大ピンチ。ふふ、あははははっ、はは……」

 

 枯れそうな声で笑うましろにアリスはいっそう危機感を募らせる。

 

「どうにか手はないの?」

 

 アリスが尋ねると、横から笑い声がして、笹木が口を挟む。

 

「ないない。あるわけないってそんなの。そいつが動けないのって魔力が無いからでしょ? 魔力がないのに逆転する手立てなんてあるわけないだろ?」

 

 嫌みな口調で笹木はましろとの距離を詰めていく。アリスはましろを守るように笹木の前に立ちふさがるが、笹木の言うとおり、もう手は思いつかなかった。だが、ましろは言った。

 

「バンダースナッチを呼ぼう」

 

 アリスは驚愕してましろを振り返る。ましろは穏やかな顔で笑っているだけだった。

 

「だめよ、あなたの身がもたないわ」

「もうそれしかないよ。それに、僕にはまだ、心臓がある」

 

 一瞬、アリスは理解できずに呆然とした。アリスは首を横に振った。

 

「……! だめ、絶対だめ!」

「大丈夫さ、心臓ならお願いすればまた貰えるよ。これまでも何回か貰ったことがあるんだ」

 

 あっはっは……と笑うましろの言葉が嘘かどうか、アリスは見極めようと見つめるが、こうした心理戦でアリスがましろに勝てるわけも無かった。アリスは苦々しくも詩を唱え始める……。

 

 アリスの本は閉じたまま。本は虹色の光を発する。辺りの空間が次々と切り裂かれ、破片があちこちで飛び散った。空間に、爪痕が残っていく。

 

 そして、笹木を切り裂こうとする巨大な爪が異空から現れた。笹木に動揺はない。ランサーがその巨大な槍で爪を受け止めてくれることを疑わなかったからだ。次の瞬間、ランサーは槍で爪を受け止め、その膂力を持って自分よりも大きな爪を軽々と弾き飛ばして見せた。

 

 爪の持ち主は癇癪を起こしたのか、啼いた。人を不安にさせるような金属質の啼き声が部屋中をものすごいスピードで駆け巡る。もっとも、ランサーは動じず、笹木は不快そうに耳を塞ぐだけだったが。

 

 ついに爪の持ち主は姿を現す気になったらしい。ランサーの手前の空間が切り裂かれると、その隙間から鋭い爪を生やした大きな腕が二本現れて、空間の隙間を押し広げようとする。

 まだその体が通れるほど大きくはないが、怪物のけばけばしい顔が空間の切れ目に見えた……しかし、もう笹木は決断していた。

 

「ランサー、今がチャンス。そんでもって、終わらせる! ここが勝負所やよ!」

 

 笹木はランサーに手をかざして言った。

 

「令呪を持って命ずる! ぜんぶ……ぜんぶ、ぶっ壊せ!」

 

「受け入れよ。破壊がローマであるのなら、再生もまたローマであるに違いのないことを」

 

 ランサーがその槍を振り上げて叫ぶ。

 

「見るがいい! すべて、すべて、我が槍にこそ通ず――『すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)』‼」

 

 アリスは見た。ランサーの持つ槍が震え出し、生き物のように蠢き、その形から溢れて巨大な樹木が次々と伸び始め、バンダースナッチの切り開こうとしていたちっぽけな穴を飲み込んでしまったのを。

 樹木は成長を止めず、上に、下に、横に、空間をぐいぐいと押し広げ、ついには――

 

 パリンッ!

 

 鏡の割れる音が聞こえた。

 

 閉ざされた暗闇は粉々に砕け散り、周囲は城の中の風景に戻された。しかし、樹木は成長を止めない。そのまま天井を突き破って上の階へと伸び、部屋からも溢れ出て廊下を侵食し始めた

 空間が撓む。城が揺れている……!

 

「ましろ、お城が……」

 

 生長する樹木を見上げながら、アリスは呆然と呟いた。ふとましろの方を見ると、ましろはもっとひどい状況だった。

 

「どうする……どうすればいい……! 何ができる……だめだ……いや駄目じゃない! 何かできることがあるはずだ……何か、何か、何か、何か……」

 

 目や口や鼻から血を垂れ流し、赤く染まった爪を噛みながらぶつぶつと呟くましろにアリスは何も言えなくなる。ましろはまだ諦めていない。けれど、私にはもう……。

 半ば、悲壮に浸り始めたアリスは、場違いなほど朗らかな笑い声を聞いて顔を上げる。

 

 周囲に人などいない。辺りには樹木が蔓延り、自分たちもこのままでは呑まれて圧し潰されてしまうだろう。いや、もう逃げ道も無い、か……。絶望に陥っていくアリスをよそに、笑い声はなおも響く。

 誰……⁉ アリスは周囲を見回した。チェシャ猫ではない。もっと嫌みがない、あまりにも自然な人の笑いは、四方八方から聞こえてくる。

 

「あ……」

 

 アリスは気づいた。それは樹木から聞こえてくるのだ。

 

 大樹をよく見てみると、まるで自分が過去に経験したことを思い出すみたいに、ローマの民の生きた時間がアリスの脳裏に再生される。

 

 戦乱はあった。醜い欲望もあった。けれどそれ以上に強く響くのは笑い声だ。人類史上最も幸福な時代とも称されたその時代に生きる人々の声。豊かさを誇り、繁栄を誇り、調和を持って他者を慈しむ。

 

 ローマの人々がローマ人としての自分に誇りを持って歴史を紡いでいく様に、アリスは目を奪われ、立ち尽くす。

 

 なんて、美しいのかしら……。

 

 そうして見続けたばかりに、見てしまったのだろう。あちこちで次第に大きくなっていった欲望の渦が調和を打ち壊した。戦乱に次ぐ戦乱。自壊し、バラバラになって滅んでいくローマの姿を。あの栄華が、あの人々の幸せが……失われる。あのローマですら、失くなってしまう……!

 

 電車の音が遠ざかっていく……アリスはましろが話してくれたお話を思い出して、泣いた。泣きながら、ましろの方へと歩み寄った。

 

「ましろ、もういいわ」

「もういいって、そんな! このお城はアリスちゃんの夢なんでしょ? 大丈夫だよ。まだ……まだ僕には、奥の手がある……!」 

 

 ましろがやつれた笑みをうかべながら屋根を壊そうとする樹木へ向けて手を伸ばす。

 

「おいおい、もうやめとけってぇ~。それ以上頑張ったらマジで闇に落ちるで?」

 

 笹木が挑発する。やれるものならやってみろと煽っているかのように。ましろは嫌な汗を流しながらも見せつけるように涼しげな顔で笑って見せた。

 

「ふふっ、僕は元から闇に落ちているさ……」

 

 ましろの黄色い眼の中心に浮かぶ黒い瞳孔から、どす黒い魚の影が幾匹も湧き出し、泳ぎ始めたのをアリスは見逃さなかった。

 

「やめて!」

 

 アリスはましろの手にしがみついた。

 

「もういいの。私はこの御伽噺から追い出された。ううん、御伽噺って、そういうものなのかもしれない……」

 

 アリスが努めて朗らかに笑って見せると、ましろはきょとんとした顔で問いかける。

 

「どういうこと?」

「ましろ、ずっとだましててごめんなさい。私はアリスじゃないの。私の、本当の真名はナーサリー・ライム。子供部屋で生まれた読み物たちの総称、あるいはその守護者……みたいなものかしら」

 

 セリフの最期が自嘲気味になってしまうのを止められず、アリスは自分で歯噛みする。だが、ましろは嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「そうかぁ。そうだったんだ。それはとっても素敵だね」

 

 アリスは息をのみ、涙が出るのを堪えて言った。

 

「そうよ。ナーサリー・ライムは素敵なの……ふふっ、ましろ、私のお願いは叶えられた。次はあなたの番」

「どうするつもり?」

「あのねましろ、あなたのしてくれた話の中で、一つだけ好きなのがあったの。今なら……できると思う」

 

 アリスの腕の中で本がカタカタと、どこかに引っ張られているかのように揺れ動く。引っ張っているのはましろの体の奥底、既に失くなっている心臓の空白から漏れ出ている奇妙な魔力だった。恐らくましろが元気な間は抑えられていたのだろう。アリス以外に契約している何かの魔力か、あるいは何らかの呪いの代償か。

 

 どちらにしても、アリスはこの魔力に身を任せるだけで良かった。

 

「そっかあ」

 

 ましろは今までの思い詰めた表情から一転して、少し軽くなった表情で木々の濁流に侵略されつつあるお城をぐるりと眺めた。

 

「綺麗なお城だったんだけどな……」

「仕方ないわよ。でも、ありがとう」

「複雑だけど、じゃあ、お願いしてもいいのかな?」

「ええ、喜んで!」

 

 アリスは本を開くと、朗々とした声で謳いあげる。

 

降りる駅 降りる駅

空っぽ電車を見送って

延びた線路も見送って

夜空よ さあ 瓦礫を覆え。

虚無よ さっさと 人の夢を轢いていけ。

いつまでいよう 終点を告げる声すらも 

あなたの声にしか聞こえない

 

 

 詠唱しながら、アリスはましろと視線を交わす。

 

 ましろ、どうしてあなたが私のマスターなのか、ずっと考えてた。あなたは童話みたいに残酷で、童話とは程遠く、その存在は怖かった。

 

 物語のアリスはきっと、自分の夢見た一瞬のキャラクターを、世界を、忘れてしまうでしょう。子供部屋の守護者としての私の声も、きっといつか忘れ去られる。じゃあ、忘れ去られた者たちはどこへ行くの? そう考えていたら、遠ざかっていく電車の音が聞こえたの。

 

 ましろの瞳には、何もない。でも、今だけは通じ合っているとアリスは思う。ずっと通じ合ってはいなかったのに、今だけはましろの全てが理解できた。ましろもまた、私の全てを理解してくれていると感じていた。

 

 そうよ、ましろ。ここに、私とあなたの見る夢は重なった……! さあ、選び取って! 語り直しましょう! 私たちに相応しい『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』を!

 

 ……ましろ、私があなたのサーヴァントでよかったわ。

 

 詠唱を終えたアリスは告げる。

 

「きさらぎ駅」

 



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