Fate/DebiRion. (遥野みしん)
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魔術師たち 
1.召喚


閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)……」

 

 シャンデリアの灯りの照らす大部屋に、少し鼻にかかる少女の声が満ちていく。

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 ぽたぽたと垂れていく自らの血に少女は何を考えているだろう。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 吹き荒れる風に金色のツインテールを揺らし、傲岸不遜な笑みを浮かべて少女は言い放つ。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 

 言い終わるのと同時に少女の心臓がどくんと鳴った。少女は思わず拳を握り込んだ。

 

「これはきちゃ! 成功よ、成功。絶っ対成功!」

 

 少女の興奮に応えるように、屋敷が鳴動し始める。揺れるシャンデリアの明かりに合わせて部屋の中の光と影が踊る。本棚から本が落ち始めて、ついには本棚が次々と倒れていった。

 

「ちょっ、ばか、やりすぎ――」

 

 少女の言い終わるかどうかというところで魔法陣の中央に、ぼんっ、と小さな白い煙が上がり、振動は止まって辺りは一気に静かになった。

 

 果たして、少女の見つめる先、魔法陣の中央には角の生えた黒いコアラ……のような小さな生き物が座っていた。少女はあっけらかんとして言う。

 

「え……お前、何?」

 

 その小さな生き物は今やっと少女に気づいたらしい。大きな黄色い瞳を何度か瞬きさせて言った。

 

「いかいのとびらが、ひらかれた……ふふふっ。ボクは異界からやってきた悪魔、でびでび・でびるだよ~」

 

 口をぽかんと開けて何も言えない少女をよそに、でびでび・でびるは辺りを見回し、すぐそこに置いてあった立派な酒瓶を見つけて目を輝かせた。

 

「オマエ、いいもん持ってんじゃねえか!」

「あ、ちょっ……!」

 

 少女の静止の声も間に合わず、でびでび・でびるは酒瓶を片手に持つと、その注ぎ口に口をつけてグイッと傾けた。

 ごきゅっごきゅっと嚥下の音が続き、でびでび・でびるはついに一息で酒を飲み干してしまった。

 

「ぷはーっ! うまい! なかなか上等なもんを用意したねぇ。ところで小娘はなんていうの~?」

 

 少女はぷるぷると拳を震わせて、顔を上げて言った。

 

「鷹宮ですけど⁉ たかみやリオン! え、なんで飲んだの? お前なんで飲んじゃったのっ⁉」

「そりゃオマエ……そこに酒があったから」

「ふざっけんな! 人のもん勝手に飲むなよぉ!」

「えぇ……だって、そこにあったから、てっきりぼくのかと思うじゃん!」

「ちげーよっ! これは召喚するはずだった伝説の鬼の……」

 

 そこで少女、鷹宮リオンはため息をつき、床に手を着いてくずおれた。

 

「終わった。私の聖杯戦争……終わった」

 

 でびでび・でびるがその小さな羽を動かして、漂うように鷹宮リオンの傍まで寄ると、その肩にポンと手を置いた。

 

「まあ元気出せよ小娘、生きてればいいことあるって」

 

 鷹宮リオンは床に手を着いたままぎろりと目だけを動かしてでびでび・でびるの方を見た。

 

「あーでびでび? とか言ったっけ? アンタ、強いの?」

「ぼくぅ? うーん……いや、全っ然強くないけど」

「知ってた」

 

 鷹宮リオンはあまりの気だるさにごろんと寝転がってしまった。

 

   〇

 

「待って! 待ってくれ兄さん! 話せばわかる。話せばわかるって!」

 

 ところ変わってパソコンのモニターが青白い光を放つ薄暗い部屋。ジャージを着た白髪の青年は追い詰められていた。

 

「余は貴様の兄などではない! なぜだ、なぜ余を呼び出した⁉」

 

 こんなもので……! と黒と金を基調にした貴族のような衣服を纏う男の手には、先の尖った一本の白い歯があった。男はそれを握り潰して灰にして見せる。

 

「いや、なんでそんな怒ってんだよ。どうどうどう、落ち着いてほら、俺の目見える? 敵意のない目だよー。ほらほら、ちゃんと見てくれって!」

 

 と青年は目をかっと見開いたが、男はそれを鼻で笑い、言った。

 

「余と同じ、化け物の瞳だ」

「なんでそうなるのぉー!」

 

 青年の後ずさるその背後、ピコン、とチャットの通知音がした。

 

「あ、ちょっと待ってくれ兄さん、たぶん(かなえ)からだわ」

「貴様と通じている者か。よかろう。言葉を交わすといい。貴様もろとも切り刻んでくれる」

「っはー、なんでこうなったかなー」

 

 青年はため息をついてチャットを確認する。

 

叶「どう葛葉。召喚成功した?」

 

 青年、葛葉(くずは)はチャットに返信せずに、迷わず通話ボタンを押した。

 通話は当然のようにワンコールで繋がった。

 

「お前いちいちかけてくんなって言ったじゃん。もう、今忙しいんだけど」

 

 ハスキーな青年の声が面倒くさそうに応答する。

 

「かなえ助けて! 今殺されかけてる」

「あー、まだそこかあ。じゃあ引き続き説得頑張って」

「いや説明! 俺わけもわからず死んじゃうよ?」

 

「ほう、貴様は何も知らない。であれば首領はそやつというわけか」

 

 やべ。葛葉は呟くと、こほん、と咳払いして男に向き直る。

 

「あーそのですね。そうといえばそうなんですけど、そうでないといえばそうでない……みたいな」

「仲間をかばうか。面白い」

 

 なんも面白くねーよ! 葛葉は振り返ると慌ててチャットにメッセージを打ち込む。

 

葛葉「かなえもうお前のせいにしていい?」

 

「ばかばか、お前、やめろって!」

「じゃ、お助けプリーズ」

「うぜぇー。まあいいけどね。ちょっとサーヴァントに名前聞いてみて」

 

 葛葉は振り返って男に尋ねる。

 

「あの……お名前とか、聞いてもよろしいでしょうかぁ」

「ふん、言いたくないな」

 

 男は意地悪く口角を釣り上げる。

 

「ッスゥー……言いたくないって」

「は?」

「は?」

 

  背後からの視線が鋭くなっていくのを感じ、葛葉は背中に汗をかきながら訴えた。

 

「だいたい、お前が歯一本で最強の吸血鬼が守ってくれるって言ったんじゃねーか。俺殺されかけてんだけど! なあどうしてくれんのお前これ」

「ご愁傷様」

 

 カチーン……葛葉の方針は決まった。

 

「話があるなら俺のところに来い……とこいつが言ってますがあのよろしいですか?」

「はっ! それはずいぶんと男らしいこと。よい、許す。案内せよ」

「よっし! んじゃ行きますかぁ!」

 

「お前っ、何勝手なこと言って……!」

 

 葛葉は通話を切ると外出の準備を整え始めた。



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2.交渉

 教会のドアを開けると、そこには眼鏡をかけた若い神父が立っていた。神父は教会に入ってきた二人組を見て小さくため息をついた。

 

「はぁ……マジか」

 

 葛葉は着慣らしたジャージで厭らしい笑みを浮かべ、どっかどっかと足音を立てて歩いて来る。

 その後ろの貴族のような長髪長身の男がサーヴァントだろう。その目は怒りに満ちており、まだ一言もしゃべっていない叶のことを憎んでいるようだった。

 

 なにはともあれ、叶は言葉を切り出すしかない。生き残るために。

 

「ようこそいらっしゃいました。冬木教会の神父を務める(かなえ)と言います。今回の聖杯戦争では監督役の任をいただいております。お二方とも、どうぞお見知りおきを」

 

 葛葉がふっと鼻で笑った。

 

「ね? どう思います、これ?」

 

 そうして叶を指差す。サーヴァントの男はゆっくりと頷いて、

 

「なるほど、巨悪だな」

 

 衝撃の一言に叶は思わず吹き出した。

 

「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。僕は今まで真摯に主の教えを探求してきました。巨悪だなんてそんな、ありえません」

「ほう、この真に迫った困惑ぶり。よっぽど、嘘をつきなれているのだな」

 

 サーヴァントは笑いもせず、不快なものを見るように叶を見つめた。

 この男には通じない……。叶は悟るとすぐに作戦を切り替える。

 

「わかりました。わかりましたから、そんなに睨み付けないでください。ところで貴方は……クラスだけでも教えていただけないでしょうか?」

「貴様は知っていると思っていたのだが……?」

 

 サーヴァントと叶の視線が一瞬交錯する。

 

「バーサーカーですね。ではバーサーカー、貴方は葛葉(くずは)から何を聞きましたか? 僕が補足できることもあるかもしれませんので」

 

「葛葉……この吸血鬼か。こ奴は貴様の指示で召喚したといっている。余は慈悲ある君主……そうありたいと思う。怪物となった今でもだ。余の力を求める者があればどこへでも赴こう。共に戦う者の願いに己の願いを賭けよう。だがこ奴は吸血鬼の牙を使って余を呼び出した。こ奴が必要としたのは余ではなく、醜い怪物の力なのだ……!」

 

 叶はバーサーカーの言葉をしっかり受け止めているというように目を瞑ると、軽く俯き、頭を下げた。

 

「それは失礼しました。確かに召喚の触媒は僕の指示です。しかしそれは友を思ってのこと。吸血鬼である葛葉と最も相性がいいのは吸血鬼であると思ったのです」

 

「いやお前……よせよ、人前で」

 

 葛葉は照れて頭をかいたが、バーサーカーはじっと叶から目を逸らさないでいた。叶は続ける。

 

「そして、バーサーカー、貴方が吸血鬼をそこまで嫌っているとは思っていませんでした。本当に、深く、深くお詫びいたします」

 

「ん? でもさっきまだそこかって……」

 

 首を傾げた葛葉を叶は血走った目で睨みつけた。葛葉は察して黙り込む。

 

「こほん、自分に出来ることなら何だってします。だからどうか……どうか……」

 

 叶の膝が床に着く。ゆっくりと前のめりになって両手も着き、その頭が床に着いた。叶は土下座をして叫んだ。

 

「だからお願いです。僕の友である葛葉を助けてやってください!」

 

 叶は垂れた前髪の隙間からバーサーカーの顔を覗き込む。バーサーカーは冷静に叶を見下ろしているようにも見えるが、しかし叶にはわかった。

 

 効いてる……! 叶は畳みかける。

 

「お願いです。葛葉は死にかけの僕の命を救ってくれた、介抱までしてくれた。これまでずっと教会の弾圧や他の吸血鬼の派閥からお互いを守り合い、寄り添い合って生きてきた! この世における僕の唯一の友であり、僕の唯一の居場所なんです! どうかお願いします、葛葉の力になってやってください!」

 

 そこで叶は頭を強く床に擦りつけた。そして叶のアイコンタクトを受けて葛葉もまた叶の隣に膝を着き、土下座をした。

 

「俺からも頼む! 俺は何も知らないままアンタを召喚しちまった。これは俺の聖杯戦争なのに、ろくに知ろうとも思わなかった。責任は俺にもある。なあ頼むよ、叶を殺さないでやってくれ!」

 

 この通り! と葛葉は床に強く額を打ち付けた。バーサーカーはそれを呆然として見ていた。葛葉の額から血が滴っていたのだ。

 

(痛ってぇー! 叶やばい、血が……血が……)

(バカお前、聞こえたらどうすんだ……ww)

 

「顔を上げよ」

 

 バーサーカーの声に二人はゆっくりと顔を上げた。バーサーカーは一言、二人に告げた。

 

「余は、二人を赦そう」

 

 二人は一瞬何も言えずにお互いの顔を見交わしたが、叶はすぐに切り替えて言う。

 

「ありがとうございます!」

 

 葛葉も後に続く。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

「よい。しかし……ふふっ、ふっはははは! 叶と言ったか、貴様は聖堂教会の神父であろう? それが吸血鬼を唯一の友とはな! この教会も十字架は全て見た目だけで中で折られているな? よっぽど罰に当たりたいと見える……くふ、ふはははははは!」

 

 バーサーカーは笑うのに疲れると、踵を返して言った。

 

「余は夜風に当たる。貴様らは今後の策でも練っているといい」

 

 そうして、教会から出ていった……。

 

 二人は神妙な顔でバーサーカーの背を見守っていたが、教会の扉が閉まり、バーサーカーの気配が遠ざかったのを感じると、二人して仰向けに寝転んだ。

 

「死ぬかと思ったー」

 と叶。

 

「いや、お前三回くらい死んでない?」

 と葛葉はからかった。

 

「そのうち一回はお前に殺されてるわ。何あれ? 凄いこと言いそうになってたよね?」

「すまん……」

 

 二人はじっと見つめ合い、やがてどちらからともなく笑い出した。

 

「まあいいけど別に。結果オーライ?」

「恩に着るわ」

「ところで」

 と叶は思いだしたかのように言った。

 

「お前透明化して座ってろよ。面白いもん見れるよ」

「へー、そりゃあ……楽しみだ」

 

 

「はぁー……ナニコレ?」

「いや、ナニコレと言われましても……」

 

 鷹宮リオンは目を細めてじっとでびでび・でびるを見つめるが、諦めて首を横に振った。

 

「クラスもステータスもなんっにも見えやしない。アンタ何者?」

「だからボクは~、魔界の悪魔、でびでび……」

「いやそれはもういいって」

 

 名乗りを中断されて悪魔はしょぼんと肩を落とした。

 

「どうすんのこれ? 私たち、聖杯戦争勝ち抜けるの?」

「え、何? 小娘戦争すんの……こわ」

「お前ぇも戦うんだよ! ああ~もう! どうしてくれんの! 私の聖杯戦争の完璧なビジョンがっ! お父様にも準備万端って言ったのに~」

「戦争はよくない。辞退しよう」

「無理! 絶っっっっ対無理!  皆にも聖杯約束してるし、今さら後には引けないって」

「そっか。小娘、強く生きろよ」

「だからお前ぇも戦うんだって!」

 

 鷹宮は自分の手の甲に浮き出る紋章を見つめてため息をついた。令呪はちゃんとあるから、やはりこの悪魔もサーヴァントではあるのだろう。ただ、命令してもほとんど何も出来なさそうではあるが……。

 

「でび。お前、何ができるの? そんなんでもサーヴァントなんだし、直接攻撃は出来なくても妨害の魔術とか使えるんじゃない?」

 

 悪魔だし……と鷹宮は付け足した。

 

「いや……無理だね。魔術とかめんどくせ」

 

 鷹宮は思わず舌打ちして拳を握り締めた。

 

「このヤロウ! もう我慢ならねえよ、ぶっ殺してやる!」

「うわ、ちょ、何する小娘! やめろ!」

 

ーーーーーーー

 

「あの、魔術よりもいい方法がございまして……」

 

 顔を腫らした悪魔が正座して申し出る。

 

「なに? 言ってごらん」

 

 顔を背けた鷹宮の顔はひっかき傷でいっぱいだった。

 

「自分、悪魔なんですけど、悪魔は信仰する人間が増えれば増えるほど強く……なるんですねぇ」

「へぇ。どうするつもり? あたしになんかできることあるー?」

 

 と鷹宮はスマホを弄りながら聞いた。

 

「いやもうちょっと興味持ってよ。信仰されれば強いんだよ? ボク悪魔なんだよ⁉」

「でも信仰って、信仰されないと何の力も使えないんでしょ? 力が無きゃ信仰なんてされなくない?」

「いや……」

 

 そこで悪魔はパタパタと羽を動かして漂って見せる。

 

「飛べるし……」

 

 鷹宮は悪魔を無視し、スマホをポケットに入れて立ち上がった。

 

「よし、教会行こっか」

「ボクを払う気⁉」

「ちげえよ! サーヴァントを召喚できたから、聖杯戦争に参加しますって宣言するの」

「なんだ死ぬ気かぁ。よかった」

「死なねえよ! でも聖杯戦争に参加するのは決定事項!」

「あー、そう。いってらっしゃい」

「お前ぇも行くんだよ!」

「いやだぁ~‼」

 

 鷹宮は悪魔の襟首を鷲掴みすると、屋敷の外へ踏み出した。



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3.教会へ

 教会の門の前、街灯の下で黒い衣服を纏う男は影のようだ。鷹宮が急に止まったので、悪魔は鷹宮の背中にぶつかった。

 

「何すんだよ小娘!」

「静かに。あいつ、サーヴァントよ」

 

 悪魔はそこで初めて男の方に目をやった。男のまっすぐな背すじ、丈の長い上着と、そして白く長い髪を風に揺らしている様には気品が感じられて……。

 

「小娘、短い間だったけど楽しかったぜ。お前に貰った酒の味は忘れない」

「お前が勝手に飲んだだけだろ!」

 

 しまった! 敵の前でツッコミを……!

 

 鷹宮は慌てて男の方に向き直るが、男は微動だにせず、こちらをじっと見つめていた。

 

「そう警戒するな。教会に来る者を襲いはしない」

 

 そう言って男は道を譲るように脇にそれた。

 

「あ、どうも~……失礼しま~す」

「なんで小声なわけ?」

 

 いそいそと男の横を通り過ぎようとする鷹宮を見て、今度は悪魔がツッコむ。通り過ぎる瞬間、男がちらりと鷹宮の方を見て言った。

 

「あの神父はかなりの食わせ物だ。信じない方がよいぞ」

 

 え……?

 鷹宮は振り返るが、男は教会から離れるように歩き出していた。

 

―――――――

 

「ちょっと待ってよ、だって教会だよ⁉ ボク悪魔だよ⁉ 入ったら……入ったら……あれ?」

「どしたん?」

「普通に入れそう」

 

 何が面白いのか、悪魔は教会の敷地に出たり入ったりを繰り返した。

 

「あー、かなかなが何かしたのかもね。悪魔だって言ってあるし」

 

 鷹宮は悪魔を無視して教会の扉を開く。信者たちの座る長椅子が奥に向かって並び、その先には真っ白な十字架が掲げられていた。

 

「こんばんは」

 

 と教会の中に若い男の声が響く。男は神父のようで、最前列の席に座っていたらしい。立ち上がると、振り返って二人に挨拶をした。

 

「おお! この中にも入れる、すげぇ‼」

 

 と悪魔はやはり教会の中に出入りを繰り返した。

 

「恥ずかしいからやめろって」

 

 鷹宮が止めようとするが、悪魔は鷹宮の手をすり抜けて止まらない。

 

「だってさぁ、生まれてからずっと入れなかった場所に今初めて入れたんだよ? 感動だってするよ」

「ふふっ、気に入ってもらえてよかった」

 

 と男が赤い絨毯を歩いて来る。

 

「あ、かなかな~、ごきげんよう」

「鷹宮さん、ごきげんよう。そちらの方が悪魔のでびでび・でびるさんですね?」

「そうだよ~。いやぁ教会って綺麗だねぇ。そのうち僕の像も飾らせてあげる」

「いえ、それは結構です……ああ、僕は叶といいます。この教会の神父であり、今回の聖杯戦争の監督役を任されています。どうぞよろしく」

「ああ、よろしくな!」

 

「それでは、まあ、どこの席でもいいのでおかけください。お話をしましょうか」

 

 叶の勧めに従って二人は席に着く。叶はその席から少し離れたところに立って話をするようだ。

 

「とりあえず、こちらから知らせなくてはいけないことをお知らせします。聖杯戦争は既に始まっている。聖杯戦争の参加者は出揃っています。

 

セイバー

 

アーチャー

 

ランサー

 

ライダー

 

キャスター

 

アサシン

 

バーサーカー

 

教会は七騎の召喚を確認し、七人のマスターを確認しています」

 

「うそ……」

 

 鷹宮は顔を青くし、椅子から崩れ落ちそうになった。

 

「嘘ではありません。教会に申請に来られてない方もいらっしゃいますが、誠に勝手ながらこちらの方で確認させていただきました」

「私の聖杯戦争、終わってた……」

 

 今度こそ鷹宮は崩れ落ちた。

 

「小娘、元気出せよ」

 

 鷹宮の背中にパタパタと小さな悪魔が降り立つ。叶はその様を見て思わず吹き出した。

 

「ええそうですよ。元気を出して。まだ終わったわけではありません。鷹宮さん、あなたの手には令呪が刻まれているではないですか」

 

 ハッと鷹宮は自分の手の甲をまじまじと見つめた。

 

「そうよね! サーヴァントがどんなに酷かろうと、令呪があれば正式なマスターよね⁉」

「おい小娘」

「その通り。イレギュラーではありますが、召喚が行われ、召喚者の手に令呪が刻まれた以上、それは聖杯が必要としてのこと。鷹宮リオンさん、教会は貴方を正式なマスターと認め、聖杯戦争への参加を要請したいと思います」

 

 もちろん、でびちゃんもね。と叶は付け足した。

 

「でびちゃん⁉」

「ぷっウケる。私もそう呼ぼ……いやそんなのはどうでもよくてですね? え、なんて言った今。私たち、聖杯戦争に出れるの?」

 

 叶は微笑み頷いた。

 

「ええそれはもう。他の参加者たち全員を降して聖杯を手にしていただいて構いませんよ」

「やったぁ! さっすがかなかな! よかったね、でびちゃん。私たち戦えるよ~」

 

 と鷹宮は悪魔に抱き着く。首が締まっているらしく、悪魔はどんどん青ざめていく。

 

「いやボク、戦え……うぇっぷ、」

「さて、こちらの方でお知らせしなくてはいけないことはそれだけですが、鷹宮さんの方で何か聞きたいことはありますか?」

「うーん、そうですねえ」

 

 と悪魔を抱いたまま鷹宮は考える。

 

「聖杯に選ばれたって考えると再召喚は出来ないっぽいし、あ、でびちゃんのクラスとかって、かなかなわかったりする?」

「それは難しいかもしれません。令呪を使ってみてもいいですが、様子を見るにでびちゃん自身も何も知らなそうですし……やっぱり、戦うのに支障が出ますか?」

 

 その通りです! と鷹宮は即答しそうになるが、悪魔に袖を引っ張られた。

 鷹宮の脳裏に悪魔の言葉が蘇ってきた。悪魔は信仰されて強くなる。人々をどうやって悪魔信仰に目覚めさせればいいか、そんなことを教会の神父に聞くわけにはいかなかった。

 

「いや、そういうわけじゃ……ありませんけど?」

 

 と鷹宮と悪魔は同時に目を逸らした。

 

「よろしければ肩入れにならい範囲で……」

 

 叶が気を遣って切り出そうとするが、鷹宮は慌ててそれを制止した。

 

「いやいやいや、大丈夫です、ほんと! まあ今は若干厳しいかもしれないけど、道は見えてるっていうか……ねえでびちゃん?」

「そそそそうだよ小娘。今はまぁ、アレだけど、僕たちは戦えるようにはなるよ」

 

 二人の狼狽ぶりに叶は首を傾げた。

 

「そうですか。まあ、関与しなければそちらの方がいいことに間違いはないでしょう。質問が無ければ今日はお開きとしますか。それでは、お二方にご武運を」

 

   〇

 

 鷹宮リオンとでびでび・でびるが去っていくのを見守ると、叶はどっかと席に腰を下ろした。

 

「今は強くないけど強くなる方法がある。それは聖職者の前では言いづらいこと……人を殺してその魂を貪り喰らう、みたいな感じかなぁ?」

 

 叶が呟くと、その横に座っていた葛葉が姿を現して言った。

 

「いや、違うんじゃね? もっと平和でくだらない、それでいて難易度だけはやたらと高いとか、そんな条件と俺は見た」

 

 うーん、と二人は唸って考える。叶は横目で葛葉を見やり、言った。

 

「まあ、やるなら今じゃない、葛葉?」

 

 葛葉も叶をちらりと見ると、ため息をついて席に深くもたれた。

 

「いや、初狩りは流石に引くわ。ゲームじゃねえし」

「えー、ゲームじゃないからこそじゃん。あいつら絶対意味わかんない方法で強くなっちゃって後々面倒になるタイプだよ」

「はぁ、そうなんだろうなー。わかるんだけど気が乗らないっつーか……いや、俺がやらなくても誰かやるって」

 

 ふーん、と叶は手を組み頷いた。

 

「ああそれ正解だわ。ちょうどすぐ近くに一組、サーヴァントとマスターの反応がある。鷹宮さんとでびちゃんも終わりだね」

「はあ?」

 

 舌打ちすると、葛葉は立ち上がった。

 

「どこ行くの、葛葉? 戦闘が終わるまで待ってた方がいいんじゃない?」

「だぁー、目覚め悪ぃって。それに、初狩りするようなカスの顔は拝んどかねーと」

 

 葛葉は教会の出口に向けて歩き出す。

 

「きっと高くつくよ」

「黙ってろ叶。さっきも言ったけど、聖杯戦争に参加したのは俺の意思だから。俺が決める」

 

 教会を出ていく葛葉の背に叶はそっと呟いた。

 

「しょうがないね、まったく。ご武運を、と」



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4.急襲

 教会を出た鷹宮リオンとでびでび・でびるを妙に掠れた女の声が呼び止めた。

 

「はっはっはっ……! お前らそこで止まれ。ストップ、ストップだぁ!」

 

 二人が声のした方を見ると、メイド服にヘルメット姿の女が木陰から姿を現した。

 

「お前らどう見ても弱そうだなぁ?」

「なんだお前‼」

 

 思わず悪魔がツッコむ。二人が自分の格好にドン引きしているのに気づき、女は地団駄を踏みだした。

 

「これは変装だよ! 変装!  私の趣味じゃねーから! そこんとこよろしく!」

 

 そして女は二人に向けてビシッと手で示し、

 

「人殺しとかよくないし、気絶くらいで調節してお願いしますっ。やっちゃってください!」

 

 木陰からもう一人、男が現れる。髪をオールバックにし、マントを靡かせる紳士然とした男だったが、その顔には薄ら寒い笑みが浮かんでいた。

 

 男は威風堂々とした振る舞いで二人の前に歩み出ると、軽く礼をした。

 

「諸君、ご機嫌いかがかな? こんないい夜に君たちと出遭えたのも、全てはマスターが屑であるため。どうか私を恨まないでいただきたい」

 

 鷹宮は唾を飲むと、一歩前に歩み出て礼を返した。

 

「あら、これはどうもご丁寧に。戦争ですので覚悟はできております。恨みなんかいたしません」

「これは素晴らしい。どのような覚悟とも生涯無縁な私のマスターとは大違いだ。今からでも私のマスターになっていただきたい」

「てめぇ、聞こえてんだよこらぁ!」

 

 とまた女が地団駄を踏む。

 

「おっと、あんまり愚痴ると令呪を使われてしまうのでね。そろそろ始めるとしよう。弱者を一方的に急襲するのも醜いことではあるが、人類の繫栄の裏側には常に醜いものがあった。この醜さに目を背けず、最善を尽くすことこそ天才である私の役割と心得る。さあ、心の準備はできたかな? 立派なマスター、そして小さな小さなサーヴァントよ」

 

 男は空へ手を掲げる。その瞬間、轟音を上げて雷が男の手に落ちた。

 鷹宮は信じられないというように目を見張った。急に集まり出した雷雲の下、男の体には青白い光がめまぐるしく走っている。

 

「ふむ」

 

 男はそこにあった木へと指を向けた。すると指先から雷が迸り、轟音と共に木は黒焦げになってしまった。

 

「逃げるっきゃない!」

 

 鷹宮は一目散に駆け出した。

 

「待ってよ小娘!」

 

 悪魔もその背を追いかける。

 

「逃げるか。とても合理的で共感できる……残念だ」

 

 男が指先を二人の背に向けたそのとき、鷹宮が振り返って何かを投げつけた。

 

 男の注視するそれは赤い宝石だった。キラキラと光りながら空中に放られたそれは、ゆっくりと弧を描きながら男のマスターの方に向かっている。男の目は宝石の内側に宿る小さな炎を見抜いた。

 

「ぬん!」

 

 男の指先から放たれたビームのような太い雷が宝石を吹き飛ばし、次の瞬間、遠くで起こった爆発が空気を揺らした。

 

「いやあぶな。何してんねん! 私味方だってぇ! わかる? 目ぇついてるぅ?」

 

 何も分かっていないマスターの言い草に男は思わず目頭を揉んだ。

 

「全く。勘弁してくれたまえ……」

 

―――――――

 

「ここまでこれば大丈夫よね?」

 

 鷹宮は辺りを見回すと、歩調を緩めて歩き出した。

 

「なんだったんだろ、さっきの? メイド服? 男の方はキャスターかしら」

「二人とも変人だったのは間違いないね」

 

 悪魔は疲れたのか鷹宮の肩に手を置いて宙を浮きながら引っ張られるままになっている。

 

「えー、男の方は割とイケメンだったじゃん」

「いや、趣味悪いって。あれ絶対歪んでるよ。ボクが保証する」

「なに、歪みぶりを?」

「うん……」

 

 鷹宮は悪魔のあまりにあんまりな言葉にくすりと笑った。

 

「でもまっすぐな目をしてたと思うけどなー」

「そうそれ! あまりに純粋過ぎて異常ってやつ! あいつ絶対友達いないよ……」

「悪口やめろって。もう……服も汚れちゃったし何か買って帰ろうかしら。でびちゃんもなんかいる?」

「んー……酒」

「あっそう」

 

 二人はしばし黙り込んで夜道を歩いていく。

 

「あの男の人、でびちゃんの言うことが本当なら、出会えるといいな」

「だれにー?」

「自分を理解してもらえる人……友だち? まあマスターがあんなじゃ難しいかな」

「小娘、お前けっこうロマンチストなんだな」

「偽善者なだけですっ。ロマンチストなんかじゃありませんー」

 

 そこで二人は歩みを止めた。木陰から先ほどの女が姿を現したからだ。女は木に手を着き、ぜえぜえと息を荒げていた。その服は汚れていて、ヘルメットにはひびが入っていた。

 

「あのヤロウ、最後まで運んでくれなかった……!」

 

 女は疲れたのか腰を折って木にもたれかかり、ついには座り込んだ。

 

「え、攻撃していいかしら?」

「駄目に決まってんだろ! こっちは一生懸命お前たちを追いかけたんだぞ! くそぉ、あいつどこ行ったぁ?」

「ここにいるとも。我がマスターよ」

 

 男は女の背後から現れ、女を守るようにして二人に立ちふさがった。

 

「先ほどはしてやられたが、同じ失敗はしないさ。なんせ私は天才だからな! ふっはっはっはっは!」

 

 雷を辺りに撒き散らしながら大笑いする男をよそに、鷹宮リオンは少しずつ後退する。

 

「これ、やばいかもね……」

「小娘……」

 

 二人はじりじりと距離を取っているが、男の意識は二人から外れていなかった。二人が背を向けて駆け出した瞬間、先ほどの雷が二人を捉えるだろう。鷹宮は手のひらに握り込んだ宝石を見つめるが、警戒したサーヴァントに通用するとは思えなかった。

 

「やるっきゃない、か」

 

 鷹宮は一か八か、手の中の宝石を投げようと振りかぶる。男の手がゆっくりと持ち上がり、鷹宮の方に向けられる。

 

 もう引き返せない! 鷹宮は宝石を投げ放つ。そして、男の手から光が放たれる。その瞬間、鷹宮の視界は赤い壁に塞がれた。

 

「は……え?」

 

 壁は雷を防いで役目を終え、ぼろぼろと崩れていった。その向こうに見えたのは、先ほど教会の門の前に立っていた黒い衣服を纏う男だった。

 

「はいちゅうもぉーく」

 

 と次には若い男の声。あの女の背後にジャージの青年が立っていた。青年は女のヘルメットの上から首元に腕を回して固定し、もう片方の手で拳銃を突き付ける。

 

「えー、マスター殺されたくなかったら戦闘やめろや。俺からはそんだけ」

「戦うのをやめて、それでどうする? どうしたいのだ?」

 

 男は薄笑いを顔に張り付けて指先をジャージの男へと向けた。

 

「ちょっ待って! アーチャーやめて! 死にたくない、死にたくないよ……!」

 

 女が手を前に出してサーヴァントである男を制止する。アーチャー、とばらされたからか、男は舌打ちした。

 

「っへぇ~、アーチャーなんだ。てっきりキャスターかと思ったわ。いやぁ、勘違いを訂正してくれてさんきゅー」

 

 と青年は銃口でこつこつと女のヘルメットを叩く、女はそのたびに肩を跳ね上げた。

 

「アーチャー引いてっ! お願いだから!」

 

 ハッと女は何かを思い出したのか、片手を上げた。その手の甲に刻まれた令呪が赤い光を放ち出す……。

 

「わかったとも! 今宵はやめにするとしよう!」

 

 そうして男はジャージの青年に向けていた手を下ろした。

 

「おっ賢い! んじゃ、帰ればー?」

 

 ジャージの青年は道を譲るように脇に立つと、どうぞどうぞーと手で道を示した。

 

「くぅ~、覚えてろよぉ……」

 

 ヘルメットにメイド服を着た女は青年を睨みながらじりじりと後ずさっていく。

 

 一方、アーチャーである男は青年にも、また鷹宮たちにも見向きもせずに歩いていき、女を追い越すとその襟を掴んで女を引きずるようにして歩いていった。

 



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5.遭遇

「って感じでみんな酷いんですよぉ、アーチャーも全然味方って感じがしないし、途中変なのに銃で脅されるし、もう散々! こんなん嫌やぁ!」

 

 バーのカウンターでメイド服の女、椎名唯華(しいなゆいか)は泣いていた。同じくメイド服を着た緑髪の大男であるバーのマスターは、椎名を哀れんだのか、グラスをことりと椎名の前に置いた。

 

「ありがとう、やっぱあてぃしの味方はリーダーだけなんだよなあ」

 

 しみじみとグラスを眺め、椎名はグラスに口をつけた。

 

「って、これただの水なんですけどぉ⁉  リーダー、いろいろ入れるの忘れてるよぉ!」

「だってお前、お代払わねえし」

「お金より大切なものがあるでしょう!」

「ない」

「ひどいよ……」

 

 目をウルウルとさせた椎名は助けを求めて辺りを見回した。

 

 右、アーチャー、こいつはマスターに水を飲ませて自分ではカクテルを飲むいけ好かないクソヤロウだ。

 

 左、こちらには赤毛の少年が座っている。少年は俯き、グラスに注がれたミルクをじっと見つめていた。

 

「あっくん、あっくん聞いて!」

 

 椎名は即座に赤毛の少年ににじり寄った。

 

「おっとっと……聞くよ、聞くから落ち着いて、ね?」

 

 少年は身を乗り出した椎名の体に触れないよう体を反らしつつ言った。

 

「聞かなくていいぞ」

 

 バーのマスターが言う。

 

「ああ、聞かない方がいい。その女は少しでも自分の話を聞いてくれる優しい者がいれば、その者を仲間だと勘違いしてつけあがる。自分が失敗すれば容赦なく仲間のせいにするのだろうな」

 

 アーチャーはぐっとグラスをあおった。

 

「いい? あっくんはこんな冷酷な大人になっちゃだめだからね」

 

 生温かい目で椎名は少年の頭を撫でたが、これは流石にやんわりと振り払われた。

 

「どの口が言うか貴様! 『教会見張って弱そうなやつがいたら襲っちゃいますかぁ!』と言ったのを忘れたか!」

「え……そんなこと言うたっけ?」

 

 椎名は首を傾げた。アーチャーは雷を宿した拳を握り締め、無表情で席を立ちあがる。

 

「まあまあ。けどみんな、独断専行とはいえ、収穫はあったと思うけどな」

「私のクラスがばれたが?」

「いやぁ、でもまあ、二組と交戦して無傷で帰れたんでしょ? 僕たちが繋がってることも向こうは知らないし、悪くないと思うんだけど……」

「そうだそうだ! 椎名さんはよくやったよ!」

 

 と椎名が拳を上げて主張する。

 

「貴様は永遠に黙っていろ」

 

 しゅんと肩を落とす椎名を鼻で笑いはしたものの、アーチャーは少年の言葉を認めていた。ため息をついてまた席に着くと、グラスの酒を飲み干す。

 

「リーダー、もう一杯頼む。舌の痺れるようなものを」

「はいよ。あんま呑み過ぎんなよ」

「わかっているとも。酔いつぶれれば天才も凡人と変わらない。天才であるがゆえに私はサーヴァントなのだから、凡人になるわけにはいかないだろう?」

 

 バーのマスターはカクテルを作っていく、そのさなかに視線を少し上げて、アーチャーに尋ねた。

 

「アーチャー、あんたの雷を防いだサーヴァントについて、もう少し聞いていいかな?」

「うむ。立ち居振る舞いからして貴族だろう、武人の風もある。クラスの推察は出来ぬが、戦うとすれば、そうだな。遠距離攻撃の手段も持ち合わせているようだが、離れていれば私の相手ではないだろう」

 

「へぇー、ひょっとして王様かな」

 

 話に入るようにして少年がアーチャーの隣に腰掛けた。

 

「かもしれんな」

「会って話をしてみたいなー」

 

 そう言いつつ少年の視線はバーのマスターの方へ移った。

 

「わかったわかった。話を聞く限り向こうのマスターも手強そうだし? 私たちが四人、向こうが二人の状況を作れば少しくらい話をしてもいいんじゃねーの?」

「リーダーも臆病だね」

 

 少年は笑う。バーのマスターもほほ笑みを返した。

 

「そこは椎名と同じだよ。やりたいこともたくさんあるし、今の生活も気に入ってるとこあっからさあ、死にたくないんだよね……まあ、死にたくないなら聖杯戦争に参加すんなって話かもしんないけど」

 

「うん、私と同じだぁ!」

 

 椎名が腕を組んで頷く。その様子にアーチャーは舌打ちし、少年は声を上げて笑った。

 

 〇

 

 童顔の青年と少女は見つめ合っていた。お互いの姿を忘れないように、しかし忘れないということが不可能であるとも知っている、そんな憂鬱を宿した瞳で。

 

 二人は同時に回想し、確信を強めたに違いない。

 

「僕たちは」

「私たちは」

 

 やはり出遭うべくして出遭ったのだと。

 

 童顔の青年が手のひらから流れる血をなめとって魔法陣の中央へ歩いていく。青年の歩む先には一冊の本が浮いていた。

 

 青年が手を伸ばし、本に触れようとしたとき、ひとりでに本が開く。風と共にページが次々と捲られていき、開かれたページが淡く光り出した。

 

 そして、その光の中からロリータファッションの少女がぽんっ、と投げ出されるように現れた。少女は浮かぶ本をキャッチすると、少年に向き直り、言った。

 

「こんにちはマスター。あたしはアリス。クラスはキャスター。よろしくね」

 

 青年はキラキラした目で返した。

 

「こんにちはアリスちゃん! 僕はましろ。ましろ(めめ)。気軽にましろって呼んでね!」



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6.一夜明けて

 窓から射しこんだ朝焼けが少女の寝顔にそっとかかる。腹の上に悪魔を乗せて、うなされていた少女の顔もようやく安らいだ。

 少女の目覚めまでもう間もなく――。

 

 鷹宮リオンは目を覚ましてもしばらくは起き上がらず、じき鳴った目覚ましをどこか遠くに聞いていた。

 

 目覚ましが鳴り終え、辺りが静けさに満ちたとき、ようやく鷹宮リオンは体を起こした。お腹の上の悪魔を払いのけ(「酷くね⁉」)、ベッドから足を下ろして立ち上がる。寝ぼけ眼で洗面へ歩いていって顔を洗う。鷹宮リオンは鏡を見た。

 

 隈はない。顔色も悪くない。体は重かったが、きっと問題は無いのだろう。両手を上げてぐっと伸びをすると、体が少し楽になった気がする。太陽に当たれば気力も戻ってくるだろう。

 

「よし!」

 

 と呟き、朝食を摂りにリビングへ向かう。

 

「あらでびちゃん、おはよう」

 

 目をこすりながら漂ってくる悪魔に鷹宮は挨拶する。

 

「おはようじゃねーよ! ショックと痛みでしばらく起き上がれんかったわ……」

「何があったの?」

 

 鷹宮の反応に悪魔は目を丸くする。

 

「お前……嘘だろ?」

「へ?」

 

 今度は鷹宮が目を丸くする番だった。

 

「はぁ、もういいよ。ボクが間違ってた。もう二度とあそこでは寝ねえ」

「あはは、解決できたならよかったじゃん」

「よくねえけど……ところで小娘、その服は制服って言うんだろ? 学校に行くのか?」

「もちろん。聖杯戦争が終わっても人生は続いてくんだから」

「うへぇ、人間は大変なんだな。じゃあボクはもうひと眠りしてくるわ」

「待ちな!」

 

 あくびをして寝室へ漂っていく悪魔の襟首を鷹宮の手が鷲掴みにした。

 

「でびちゃんは信仰を集めるのです。強くなんないとなんにもできないんだから」

「あー……まあ、考えとく」

 

 目を逸らした悪魔に鷹宮は触れそうなほど顔を近づけると、にこやかな笑みを浮かべて言う。

 

「よろしく頼むわね」

 

―――――――

 

 教室に入った鷹宮の視線はいつも、窓際で頬杖をつき、外を眺める生徒の姿に吸い寄せられる。

 緑がかった髪を後ろで三つ編みに束ねた生徒はスラックスを履いた足を居心地悪そうに組み替えた。

 

(みどり)さん、ごきげんよう」

 

 鷹宮が声をかけると、緑と呼ばれた生徒は重い隈にどんよりとした瞳で鷹宮を認めた。

 

「ああ鷹宮、おはよう」

「眠そうじゃない。また夜更かし?」

「うん、ちょっとね」

 

 緑の痛々しい微笑みに鷹宮は息が詰まりそうになる。緑がどうして悩んでいるのか、鷹宮には見当がついていた。

 今まで通り放っておくのが正解だ、と鷹宮はわかっているつもりだったのだが……今まで触れることを避けてきたはずなのに、この日はつい、聞いてしまった。

 

「ひょっとしてなんだけど、緑さんが最近悩んでるのって、笹木さんと椎名さんのことだったりする?」

 

 緑はアッ、と間の抜けた顔をした。きっと身近にいる鷹宮に話を聞くことが盲点だったのだろう。緑は興奮を抑えるような口調で切り出す。

 

「う、うん。実はそうなんだ。二人ともずっと連絡つかないし、先生は家庭の事情の一点張り。こんなの絶対におかしいと思うんだ」

「そうねー。でも、先生が問題にしてないのなら大丈夫なんじゃないの? 家庭の事情ってことは二人のご両親も容認されてるみたいですし……?」

「そうかもしれない……でも、そうじゃないかもしれない」

「どうしてそう思うの?」

 

 柔らかい口調で聞かれ、緑は迷いながらも答えた。

 

「わからない。あの二人の家、ちょっとおかしいんだ。空気の流れが鈍いっていうか、親も言動がなんか変だし……いや、これは悪口のつもりで言ってるんじゃないよ」

「ふふ、前から思ってたけど、緑さんって霊感みたいなものがあるのかもね」

「……僕は真面目に話をしたいんだけど」

「わかってる」

 

 鷹宮はくすりと笑って緑を見つめ、本題に入ることにした。

 

「それでね、私がこんな話をしたのも、昨日の夜、椎名さんを見かけたからなの」

「え、本当? どこで?」

 

 緑は立ち上がって鷹宮にすがるように歩み寄る。鷹宮がそのぶん後ろに下がると緑は不安そうに瞳を潤ませ、冷静になって鷹宮の答えを待った。

 

「駅の方かな~。気合の入ったファッションでかっこいい男の人と一緒にいたわね。話しかけられたくなさそうだったけど、向こうが気付いちゃって……誰にも言わんといて! って。だからね、緑さん、心配しなくてもいいと思うよ。きっと笹木さんも似たようなものっていうか、男二人女二人でなんかやってんじゃない? 下世話な話だし、あんまり話したくなかったんだけど……」

 

 と鷹宮は笑ったが、あまり上手く笑えなかったので鷹宮は笑ったことを後悔した。一方、緑は茫然としていた。

 

「あはは……そうなんだ。二人は楽しくやってるんだ……じゃあ、僕が心配するのもおかしいのかな」

「そーだよ。心配するだけ時間の無駄! 緑さんもあんな奴らのためじゃなくて自分のために自分の時間を使った方がいいって!」

 

 緑は鷹宮の言葉をゆっくり咀嚼して飲み込むように俯いていたが、顔を上げた緑の表情は軽やかになっていた。そして数秒、鷹宮の顔を見つめ、何かに気づいた様に視線をさ迷わせると、ほほ笑んでいった。

 

「ひょっとして僕は、鷹宮に心配をかけていたのかもしれない。本当にごめんね」

「あ、謝らなくていいよ。友だちでしょ」

 

 自分で言ったのにも関わらず、鷹宮は恥ずかしさのあまり顔を逸らした。

 

  〇

 

「あのこれ……ディナー、です」

 

 笹木咲(ささきさく)はコンビニで買ったカットキャベツにレトルトのハンバーグを乗せたもの、そしてメロンパンを二つ、皿に並べて男に差し出した。

 

 男は眼下に並ぶご馳走を見て喉を鳴らし、フォークをとって静かに食事を始めた。

 

 自分の皿には手を着けず、笹木は男を見守っている……。そんな中で、男はハンバークを齧って嚥下すると、フォークを置いて天を仰ぎ、言う。

 

「ローマ……」

 

 男の目から一筋の涙が流れ落ちる。笹木はカチコチの笑みを浮かべて言った。

 

「あ、よかったです、ハイ……」

「どうした? 愛しい我が子よ。お前も早く食らうべきだ。ローマが冷めてしまう」

「うす、食べます……食べます、ハイ」

 

 笹木もまたフォークをとって皿に手を付け始める。ハンバーグのたれをキャベツに絡め、無表情でシャキシャキと口の中で鳴らす……が……

 

(なんやこれ、全然会話できん! ランサーじゃなくてバーサーカーやろこんなん! つーかなんでこいつサーヴァントのくせにご飯食べてんの? なんやローマて。なんや我が子て。ローマが冷めるってなに……?)

 

「ほう、これはそうして食べるのか。なんと、あまりにローマ……!」

(もう嫌ぁ……椎名助けて)

 

 笹木も男と同じように天を仰ぐと、その目から一筋涙を零す。男はそれを見て不敵に笑うのであった。



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7.御伽噺より

 たったったっ……と半ば焼け落ちた寺の廊下をアリスは走る。邪魔な柱をふわりと飛び越えて、薄明かりの漏れる部屋にアリスは転がり込んだ。

 

 この部屋だけは整頓され、煤の匂いもしない。アリスは視線をさ迷わせると、探していた人の背中を見つけて駆け寄った。

 

「ましろましろー、何か面白いお話してよ!」

 

 ましろはふりかえると、目線の高さをアリスに合わせるように屈んで言う。

 

「アリスちゃん、前にも言ったけど、僕には子どもの楽しめるお話なんて思いつけないよ?」

「えー、なんかお話してよ! じゃないと死んじゃう、死んじゃうよぉ」

 

 アリスは寝転がると、その場でごろごろと床を転がり始める。

 

「うーん、困ったな。お寺なんだし一冊くらい本でも絵本でもありそうなもんだけど」

「焦げたお経しかなかった!」

「そっかぁー、うーん……あ、一個いいのを思い出した」

「え、どんなの⁉」

「ふふふ、じゃあそこの座布団に座って」

 

 言われてすぐにアリスは座布団に飛び乗った。

 

「いいこだね……じゃあ明かりを消して、と」

 

 そこでパッと明かりが消えた。アリスはびくりと身を震わせて辺りを見回したが、幸いにもすだれの隙間から部屋の中に僅かに光が入るので、真っ暗にはならなかった。

 

 急に物音がしたのでアリスが息をのんで正面を向くと、いつの間にか目の前にましろがしゃがみ込んでいた。ましろはすぐ近くにいるのに顔を伏せているせいか表情がほとんど見えない。

 

 ましろはゆっくりと口の前に人差し指をあてて、

 

「しー……」

 

 静寂が部屋の中に訪れる。遠くの木の軋みや風の音がいやに甲高く聞こえるにつれ、部屋の中はどんどん暗くなっていってるような気がした。すだれから射しこんでくる光は変わらない。

 

 外に出れば、さっき見た長閑な景色がそこに広がっているのがアリスには信じられなかった。

 アリスはここから出たいと思う、しかしどうしたわけか声が出せず、体が金縛りに掛かったように動かない。

 

 そこで、ようやくましろは言葉を発した。

 

「いいかい、アリスちゃん。僕が今からする話は怖い話だよ」

 

 ましろの顔は相変わらず見えなかったが、その口元が逆さの月みたいに吊り上がったのをアリスは見た。

 

「これは、僕の友達から聞いた話なんだけど――」

 

ーーーーーーー

 

「とまあ、友だちがそれを知ったところで話は終わりなんだけど……アリスちゃん?」

 

 ましろはすだれをとって部屋の中に陽を取り込む。見ると、アリスは魂が抜けた様に口をぽっかりと開けて天井を見つめていた。

 

「あー、アリスちゃんごめん、怖かった?」

 

 だが、アリスは反応しない。ましろはにやりと笑うとアリスの耳元で囁いた。

 

「ぽ ぽ ぽ ぽ ぽ ぽ」

 

「きゃぁぁぁぁぁ‼」

 

 アリスが両手を振り回しながら飛び上がる。

 

「酷い、酷いよぉ!」

「あぁごめん! まさかこんなに効くとは」

 

 アリスは泣きそうな顔で座布団を部屋の隅までずるずると引きずると、そこに座布団を置いてぺたんと座り込んだ。

 

「あ、座布団持ってくのね……」

 

 とましろは苦笑する。

 

「ふん、いいもん! 私には不思議の国があるんだから」

「ごめんごめん、お詫びにもう一つお話してあげるから、こっちにおいでよ」

 

 ましろの言葉にアリスは一瞬目を輝かせたが、思い直して後ずさった。

 

「怖い話?」

「今度のは怖くないよ。冗談みたいなふざけた話。そんな話がめちゃくちゃ分厚い立派な本に載ってたんだから、おかしいよね?」

「立派な本なのにふざけた話がのってるの? なにそれ、ちょっと気になる」

 

 アリスはもう一度座布団を持ってましろのすぐ隣に置くと、ましろに身を寄せるように座った。じゃあ話すね、とましろが聞くと、アリスは「うん」と頷いた。

 

「昔々あるところに、学級委員長の女の子がいました……」

 

 アリスは聞き間違いかと思ってましろを見つめたが、ましろは淡々と語り続けた。

 

 〇

 

「へー、チャイカはその委員長に憧れたんだ」

 

 バーのカウンターに腰掛けた少年がグラスの中でミルクを揺らす。なんでこいつミルクゆらしてんの……とそれを怪訝な目で見つめるバーのマスター、花畑(はなばたけ)チャイカは「その通り」と肯定した。

 

「自分のやりたいことをやって人を笑顔にさせる、委員長の生き方は私の人生を変えた」

 

 チャイカは磨いたグラスを明かりに透かす。光はグラスの中に丸みを帯びたまま鋭く引き延ばされていった。

 

「私だけじゃない、委員長の生き方はたくさんの人間に希望を与えたはず。協会はチルドレンなんて呼んで警戒してるみたいだけど、協会にだって委員長の信奉者はごまんといるもの。彼女の生き方はそれだけ鮮烈だった」

「ふーん、じゃあ、委員長にとってはその物語は悲劇だったかな?」

 

 チャイカはグラスをホルダーにセットすると次のグラスを手に取ってじっと見つめた。

 

「さあね。結局根っこのところはガキだったし……自分のしたことについて後悔してる、なんてこともあるかもね」

「チャイカも、後悔するかもよ?」

 

 少年が挑発するように言うと、チャイカは首を横に振って笑った。

 

「それはない。確かに委員長みたいに人を笑顔にできるようになりたいと思ってる。けれど、それは勝ったらの話。今は私が生きる上で大切な仲間を守れればそれでいい」

 

 少年に聞かせるのと同時に、自分に言い聞かせているようなチャイカを見て、少年は意外そうにしながらもようやく腑に落ちたようだった。

 

「そうか。だからチャイカは強いんだ」

「強くなんかないね。辛いことから逃げ出してるだけ」

「ううん、素直なりに頑張ってると思うよ。将来僕の臣下にほしいくらい」

「将来か、そういやライダー、お前の願いは受肉だけっか? 何するつもり?」

「世界征服!」

 

 少年、ライダーは即答する。

 

「まずは世界を見て回りたい。ホント、便利になったよね。何処でも行ける、何処のことだって知れる。僕の世界は恐ろしく広がったよ! 僕は世界を実際に見て、確かめて、その価値に存分に焦がれてどうしようもなくなってから、征服するのさ」

 

 チャイカは呆れるように笑って言った。

 

「善政を敷いてくれよ」

「ふふ、任せてよ。そのために今勉強してるんだから」



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8.配信者!

「何してるの、あなたたち……?」

 

 自室に戻った鷹宮が見たのは、見覚えのないパソコンの前に座る悪魔、でびでび・でびると吸血鬼の葛葉だった。

 

「あ、お邪魔してます……えーっと……ッスゥー……天気いいっすね」

「そうですね。そんなことはどうでもいいです」

「はい」

「どうしてあなたがここにいらっしゃるの? 同盟を組んだとはいえ事前に連絡もなく家に上がり込むなんて失礼じゃないです⁉」

 

 そこで鷹宮の袖を悪魔が引いた。悪魔は胸を張って言った。

 

「小娘、ボクだよ! ボクが入れたたたたたっ痛いって小娘!」

「乙女の部屋に勝手に殿方を入れないでくださる⁉」

「姦しいな」

 

 いつの間に鷹宮の背後に立っていたバーサーカーが鷹宮を見下ろして言った。

 

「我々がここにいるのもその悪魔の要請に応えてのこと。そして悪魔の望みは己の強化。悪魔が強くなることを貴様も望んでいるのだろう? で、あるならば我々がここにいるのは貴様の望みでもあるというわけだ」

 

「そ、そうかもしれませんけど……」

「それに、同盟相手が強くなくては我々も困るのだ……」

 

 これを言われては鷹宮は何も言えなかった。一方的に窮地を救ってもらい、恩を返すすべもない。同盟とは名ばかりの実質的な保護だった。

 

「いや、俺も悪かったよ。よくよく考えると女の部屋に本人の許可なく立ち入るとか、どうかしてたわ。悪かったな」

 

 真摯な態度の葛葉に鷹宮も落としどころを見つけてほっとする。

 

「わかりました。必要があってここに居るのはわかりましたから。それで、何してらしたの?」

「えへん、それはボクから説明しよう! 悪魔が強くなるには信仰がいる! 信仰を集めるには力がいる! でもボクは力が使えないだろ? じゃあどうするか、例えば、ボクの姿は威厳たっぷりで力に満ち溢れている……」

 

 ここで葛葉が「諸説……」と口を挟んだが悪魔は無視して続けた。

 

「でもボクが人前に出ていくのはちょっとなんかよくないらしいじゃん! そこで、ハイテクインターネットの力を利用してボクのこの力強い雄姿と! 悪魔的な精神で! 世界中の皆をボクに陶酔させてやるんだ!」

 

 鷹宮は無言で葛葉を見つめた。葛葉は弁解する。

 

「いや、わかるけども! 言いたいことはわかるよ? でも実際姿はUMAなわけだし、なんか人気出るかもしんねえって……思うじゃん?」

「ねえよ! ……失礼。ありませんわ、そんなこと」

 

 もっともだ、と葛葉は苦笑する。それでも、と前置きして葛葉は話し出した。

 

「信仰を集めるためには人間と接触できなきゃいけないわけよ。路地裏で一人一人説得していくか? それでねずみ講みたく人が増えてくにしても、サーヴァント並みの力を得るのに何十年かかるんだ? それよりかは一発逆転、有名配信者になる方が可能性はあるんじゃないのか? 今生きている人間が百万人、でびでび・でびるに心を奪われる……そうなれば最低限戦うことはできると思うんだけどなぁ。それとも別の方法……外道にでもなっちまうか、なあ?」

 

 葛葉の言葉に鷹宮は唸るしかなかった。苦々しく悪魔の方を見ると、悪魔は親指らしき指を立てて言った。

 

「安心しろ小娘、ボクは大丈夫だ!」

「はぁ~……もうあんたの好きにすれば?」

「よし、小娘の許可ももらったし、計画を先に進めよう、吸血鬼!」

「はいよ。ところで鷹宮……リオンさん? だっけ。あんたも配信に協力すると考えていいのか?」

「ええ、それはもちろん。でびるが強くなるのでしたら協力しますとも!」

「そうか。だったら引き合わせたい奴らがいるんだけど……」

 

ーーーーーーー

 

「こんにちは、頭のひまわりがチャームポイントの本間(ほんま)ひまわりです!」

「あー、社築(やしろきずく)です。よろしくお願いします」

 

 画面に映し出された二人組を見て鷹宮は葛葉に言い放った。

 

「なんですか? こいつら」

「「こいつら⁉」」

「あ、失礼。この人たちはいったいどういった方々でおありで?」

「ああ、俺の知り合いの配信者だよ。俺自身は配信しねえけど、ゲームを通して知り合う機会はあってな。配信者として色々教えてくれるだろうから、あとのことはこの二人に聞けよ。じゃあな、俺は帰る」

 

「ちょっと、葛葉さん……!」

 

 鷹宮が止める間もなく、葛葉はサーヴァントを引き連れて部屋から出ていき、そのまま家からも出ていってしまった。

 

 画面に映るスーツ姿の男性、社築が咳払いをする

 

「えー、鷹宮くんとでびるくんだったね。今度動画配信者としてデビューしたいのは君たち二人組ということで間違いはないかな?」

 

 ん? と鷹宮は目を白黒させる。

 

「うんそう! 間違いないよ!」

 

 え? 鷹宮は目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「よっしゃ! じゃあひまたちが知ってることは教えてあげるよ! 任せとき、二人とも可愛いからみんな注目間違いなしだよ!」

 

 頭にヒマワリを乗せた女子高生、本間ひまわりがどんと胸を叩く。

 

 鷹宮はぽかんと口を開けたまま悪魔と画面上の二人の間で何度も視線を交差させ、ハッと我に返って叫んだ。

 

「聞いてないんですけど‼」



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9.真夜中の訪問者

 夜遅く、笹木咲は目を覚ました。チャイムが鳴らされたからだった。

 

「誰え、こんな時間に……?」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら這うような体で玄関までたどり着き、扉を開けようとしたとき、背後から呼び止められた。

 

「待つがよい。ローマとはローマに仇なす敵すらも愛し、包み込むのだ。その覚悟がお前にあるか」

 

(うわっ出やがった‼)

 

 笹木は廊下から歩み出て来た男を見て急速に目覚めていく。嫌な気分が大半だったが、男は赤い大樹のような巨槍を携えている。警戒しているのだろうか……?

 

 笹木は冷静になると、扉から距離を置いてインターホンのモニターを睨みつけた。

 

「うわぁあああ!」

 

 思わず悲鳴をあげ、笹木は後ろに倒れ込んだ。

 

 モニターにはガン開きにされた黄色の瞳が瞬きもせずにぐいぐいとカメラににじり寄り、こちらを覗き込もうとしているのが映し出されていた。

 

「さぁ~さ~きさ~ん……あ~そび~ましょ~」

 

 妙に高い声で言うと、それはモニターから離れ、肩にかけていたスコップを下ろしてガツンと地面に打ち付けた。

 

「あ~そび~ましょ~!」

 

 楽しそうな少女の声も聞こえてくる。

 

「ラ、ランサー……こいつらアカン奴なんちゃう?」

「邪悪な魔力を放ってはいる。だが忘れてはならない。我も汝もローマであることを」

 

 男、ランサーは相変わらず不敵に笑うのみ。

 なんっにもわからん! 笹木の頭は爆発寸前だった。逃げる? 戦う? 勝てる? いや、あの相手ではどんな戦いになるか想像もつかない……。

 

「あれえ、いないのかな。いる気がするんだけどなあ。うーん、綺麗な家だし、綺麗なままにしときたかったんだけど……仕方ないか」

 

 その声のあとで魔力が家の前で急速に高まったのを感じ、慌てて笹木は玄関の扉を開けた。

 

「ちょ、ウチの家に何する気⁉」

 

 扉の前にはスコップを肩にかける男だか女だかよくわからない黒髪の青年、そして本を携えたゴスロリ姿の少女がいた。

 

「あ、笹木さん! なんだいるじゃん」

「お前、なんでここにいる? あ、結界は……?」

 

 喋りながら思い至り、笹木は庭の向こうに目をやった。

 

 本来であれば悪意ある者、そして魔力の波長の合わないものを通さない結界が、どろどろに溶けて地面へと流れ落ちていくのが見えた。笹木は驚愕し、目の前にいる人物を改めて注視する。

 

 あのスコップ……嫌な魔力を感じる。あいつの目も変だ。あっちの子供がマスター? くそっ、わからん!

 

「結界? ああ結界! あれね、食べちゃった」

 

 と目の前の人物はぺろりと舌を出して見せた。

 

「お前、何者や」

 

 どすを効かせた声で笹木が言うが、その人物はにっこりと笑って答えた。

 

「ぼく? ぼくはね、ましろっていうんだ。以後お見知りおきを。笹木さん」

 

 ましろが優雅な(?)お辞儀を披露している合間にも、笹木はランサーに念を飛ばす。

 

(ランサー、聞こえる?)

 

 ランサーは声に出さずに答えた。

 

(ああ、聞こえているとも。お前の言葉にローマは従う。ローマの言葉をお前は発する……)

(いや意味が……じゃなくて、アイツに背中を見せるのは怖い。なんとか情報を集めつつ、防衛か放棄か、戦況を見ながら決めよ。とにかく私たちが生き残ることを優先させて!)

 

「ああ、愛しき我が子よ。信じるがよい。お前のローマ、それ自身を」

 

 そう言うと、ランサーは突然ましろに向けてとびかかった。

 

「いやお前何しとんねん!」

 

 笹木が思わずツッコんだ。そんなことも関係なく、ランサーは声を立てて笑いながら槍を振りかぶる。

 

「はっはっは! 見よ! これこそがローマへと至る輝き!」

 

 ましろの後ろに控えた少女が手に持った本を開く。それを後ろ手で制し、ましろは口角を吊り上げて笑った。

 

「ランサー、やめ……」

 

 笹木の声は間に合わず、ランサーの槍は横薙ぎにましろの体を切り裂いた。

 

「え……」

 

 少女の声がぽつんと辺りに響く。

 

 その場にはましろの下半身だけが立っていた。遅れて、少女の前にどさりと何かが落ちてくる。

 

「いやっ……そんな……」

 

 少女は肩を震わせながら口許を抑えた。

 

 ましろの上半身は地面の上に投げ出され、血は断面からどくどくと流れ出す。その顔には切り裂かれる前に浮かべていた笑顔が冷たくなって浮かび、開いた口の隙間から舌がだらりと垂れていた。

 

「ランサー!」

 

 笹木が安堵してランサーに駆け寄ろうとするが、それをランサーは手で制した。笹木は困惑しながらもましろの死体を凝視する……。

 

「あ、バレてる?」

 

 笹木は耳を疑った。聞こえてはいけない人間の声。ましろの手が動き出し、おっかしいな~と頭を掻いた。

 

「な……⁉ そんなアホな」

 

 笹木の眼前で、ましろの上半身は二本の手で立ち上がる。

 

 ましろは先ほどまでの固まった笑いが嘘のようににっこり笑うと、てけてけと体を傾けながら走り出し、茫然と立ち尽くしたままの笹木に迫った。

 

「ひ、ひいぃぃぃぃぃ‼ ランサー! ランサー!」

 

 笹木の必死の叫びに応え、ましろの行く手にランサーが立ちふさがる。ましろはおっとっと、と急ブレーキをかけて止まった。

 

「そんな怖がらないでよ、笹木さん。ちょっと驚かせたかっただけなんだ」

 

 ましろはそう言うと、ぴょんと跳ねて方向転換し、少女の方に向き直った。

 

「やあアリスちゃん、ごめんごめん。心配した?」

 

 少女は涙を拭うと、怒ったように頬を膨らませた。

 

「心配なんかしてない! ましろのバカ……」

 

「あっはっは、ごめんよ。まあまあ気を取り直して。次の遊びをしようか」

 

 ましろの言葉に少女の顔がパッと明るくなった。

 

「それはいいわ! 次は何して遊ぶの?」

「次は……ぼくの華麗なるカードタクティクスをお見せしようかな」

「タクティ……? あ、そういうことね。お手並み拝見と行こうかしら」

 

 少女が頷き、本を開くと、本の中から顔と手足の付いたトランプ兵たちが次々と抜け出てきて隊列を組み、剣を構えた。

 そして、最後にやってきたJの四人組の担ぐ玉座にましろはてけてけ駆け寄ると、玉座に飛び乗った。

 

「はあ疲れた。この日のために腕を鍛えておいてよかったよ」

 

 そう言いながらましろは玉座の上でトランプの兵士が拾ったスコップを受け取った。

 

「笹木さん、待たせてごめんね。今度はちゃんと戦うから、僕みたいに真っ二つにならないよう、気を付けてね!」

 

 ましろは瞳孔を開いたままの笑顔で冗談を言うと、スコップを振るい、トランプ兵たちに突撃の指示を出した。



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10.トランプ遊び

「スペードのエース、前へ。ハートの3から9までは回り込んで」

 

 ましろの言葉に応えて粛々と動くトランプ兵たち。囲まれているランサーは表情一つ変えないまま、出てくる相手全てに付き合って槍を打ち合わせている

 

「スペードのエースは交代。準備してたダイアの2,3,4,出ろ!」

 

 ましろの言葉によって満身創痍のスペードのエースが撤退し、ダイアの三枚がランサーの前に進み出る。悔しいが、笹木に出来ることは何もなかった。

 

(ランサー、もういいよ。うちはここを引き払う)

(お前の居場所こそ常にローマ……! ローマは何処であっても栄える定めに満ちているのだ)

 

 ランサーは笹木に応えるように槍を掲げる。戦況は不利に見えた。今もダイアたちがランサーに槍を突き刺そうと迫り、ランサーがそれを槍で薙ぎ払おうとしたが、ダイアたちの動きはフェイント。槍を透かしたダイアたちは一斉に三方向に散らばってランサーにとびかかる。

 

「ランサー!」

「案ずるな」

 

 ランサーはダイアの一枚に向けて槍を構えて突進し、強引に押し込んで退路を作った。隙のできたダイアにランサーは槍を突き刺そうとするが、ダイアの後ろからハートの奴らが槍を突き出して邪魔をする。ランサーはそれを弾くと、辺りのダイアを警戒するように槍を構えなおした。

 

 何とか危機は逃れた形だ。だが、すぐに三枚のダイアたちはまた何かを仕掛けようとじりじりと距離を詰めてくる。

 

「クローバーの7から10までは準備して。回り込んでるハートの部隊はもっと圧をかけろ!」

 

 笹木にとって絶望的な指示がましろからとぶ。ランサーの後ろに陣取るハートたちが槍を構えて距離を詰めてくる。それでも彼らはランサーの槍の届く距離には入ろうとしない、ぎりぎりの距離を保ちながら隙を伺っているのだ。恐らく、先ほどのような逃げ道はもう無くなったと考えてもいいだろう。

 

「そろそろ頃合いか」

 

 ランサーが呟く。ましろはこてんと首を傾けた。

 

「逃げるつもり?」

「我々はみなローマへと通じる道を歩むのみ……」

「ローマ? え、なんでローマ⁉ 君はローマ皇帝か何かなの?」

「あ、ストップ。お前ふざけんな。その口を閉じろ。令呪使うぞ」

 

 笹木がランサーに向けて脅すように言うと、ランサーは振り返って何とも言えぬ表情をした。

 

「そんな表情をしても無駄だぞ。今後敵の前でローマ禁止な」

 

 笹木が取り合わずに言うと、ランサーはがっくりと項垂れた。

 

「此の世は無情……ローマにもその無情さはあったのだ、しかし、人の温もりもまた……」

「ええいうるさい! やれランサー」

 

 その言葉に反応したランサーが槍を地面に突き刺すと、緑色の光が波紋のように広がっていった。

 

「なんだ、この光……後退、後退だ!」

 

 慌てて玉座を下がらせようとしたましろだったが、遅いと判断したらしい。玉座から飛び降りると、忙しなく腕を動かしアリスの元まで大慌てて退避した。果たして、その行動はすぐに正解だったとわかる。

 

 ましろの方へ走っていた玉座を担ぐ四枚のJたちが、地面から突如として湧き上がった森に呑まれてしまった。

 

「うわ、やばぁ……」

 

 ましろは呟き爪を噛む。アリスは目を丸くして森を見つめていた。

 

 森の中から戦闘の音が聞こえてきたが、もはや先ほどのように指示は出来なかった。魔力反応からトランプ兵たちが次々と倒されているらしいことがましろとアリスには感知できるだけだ。

 やがて、森の中からランサーだけが歩いて来る。

 

「ずるいずるい、こんなのずるだぁ!」

「そうだー! ずるいぞー!」

 

 ぴょんぴょん跳ねて抗議するましろと、ましろを真似てその場で跳ねるアリス、笹木は森の中に隠れたまま大声で笑いたてた。

 

「お前ら馬鹿じゃねーの!」

「な、聞こえたよ⁉ 馬鹿だって!」

「ああ言ったよ。悔しかったら追いかけてきな。ま、どーせ無理だろうけどな。ひゃっひゃっひゃっ」

 

 悔しがるましろと爆笑する笹木、ランサーはこほんと咳払いをした。

 

「ましろ……か。お前には才能がある。私がお前に見たあの輝きこそまさしくローマのもの! どうだ、お前もローマ市民にならないか?」

 

 そうしてランサーはましろに手を差し出した。わざわざ上半身だけのましろに合わせ、膝を着いて。ましろはきょとんとした様子で自らに差し出された厳つい手を見上げていたが、くすりと笑って頭を下げた。

 

「お誘いは嬉しいけど、ごめん。実はぼく、笹木さんのことをけっこう意識しててさぁ。敵というか、よき敵でありたいと思ってるんだ」

「はぁ⁉ うちはお前のことなんかなんも知らないんですけど!」

 

 森の中から即座に入るツッコミにましろは苦笑した。

 

「まあ、覚えてないよねぇ。でもまあそういうことだから、ごめんね。ぼくはローマの仲間になれないや」

 

 ましろの答えを聞いて、ランサーは差し伸べていた手を下ろす。

 

「なるほど。その言葉にすらローマは息づいている、か……お前はそれでよいのかもしれぬ」

 

 ましろが首を傾げ、アリスと顔を見合わせている間に、ランサーは堂々と踵を返して森の方へ歩いていく。ランサーが消えた森には風が吹き、木々が揺れて音を鳴らした。その森の音が形を作って人の声を作るように、ランサーの声は聞こえてきた。

 

「生きていれば再び相まみえよう。そこでお前のローマを私に見せよ」

 

 言い終わると同時に風はぴたりとやんだ。ましろたちは苦笑するばかりだった。

 

「じゃあ、下半身は埋めようかな」

 

 そう言ってましろはスコップで地面を掘り始めた。

 

「え、じゃあましろの下半身はどうなるの?」

 

 不安そうにアリスが尋ねる。

 

「いや、大丈夫、ちゃんと生えてくるよ」

「えー、ここから生えてくるの? 気もちわる……」

 

 ましろの断面を凝視し出したアリスにましろは思わず吹き出した。

 

「ちがうよ。生えてくるのは上半身だって。僕の上半身に下半身は生えないよ」

「え……」

 

 アリスは今まさにましろの掘った穴に落とされた下半身を見つめた。ましろは鼻歌を歌いながら下半身に土をかけていく。

 

「じゃ、じゃあ、今私が話してるましろの上半身はどうなるの……?」

 

 アリスの質問にましろはスコップの手を止めた。

 

「アリスちゃん、世の中には知らない方がいいことだってあるんだよ……」

 

 瞳孔を開いたまま優しく言ったましろにアリスは何度も必死に頷くしかなかった。

 



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11.はいしんのれんしゅうちゅう~

「えー、ボクたちの目的はー……なんだっけ?」

 

「まったくでび様ったらいけませんわ。でび様の目的は自らを崇拝する人間を増やし、力をつけること。そんなこともお忘れになるなんて、脳みそまでコアラになってしまったんでしょうか」

 

「おお、そうだったそうだった。では小娘、締めを頼む」

 

「嫌です……じゃなくて、視聴者の皆様、でび様を崇拝ください。でび様の力が増せば数々の奇跡を起こすことができます。皆様の心に秘めた願いすら叶えることが出来るでしょう。でびちゃ……様は慈悲深い悪魔です。今はただのコアラですが、力を着ければ皆様の不幸を決して放ってはおきません。皆様の運命をあの作り物の神から奪い返し、きっと良い方向に導いてくださるに違いありません」

 

「ん? ん~……うん。その通りだ! みんな、チャンネル登録をよろしく頼むぞ~、じゃあな~」

 

 カメラの前でしばらく笑っていた二人だったが、その顔は次第に固まっていき、どちらからともなくスッと無表情になった。

 

「お疲れ様ー! でびるもリオンちゃんもよく頑張ってるよ。すっごくいい感じ!」

 

 画面に映った本間ひまわりの顔を二人はじっとりと見つめる。次いで、二人の視線は何も言わずに社築の方に移る。社築は躊躇いながらも口に出した。

 

「いや、やばいだろ……」

 

 二人はため息をついて、肩をがっくりと落とした。

 

ーーーーーーー

 

「まあ、ちょっと緊張しすぎやね。もっと肩の力を抜いてる方が視聴者さんも見やすいと思う」

「ふむふむ」

 

 本間ひまわりの言葉を聞いて悪魔はメモ帳に何かを書き込む。鷹宮がそのメモを覗き込むと、それはとぐろを巻いたうんちの落書きでしかなかった。

 

「っつーか鷹宮のあれ何? 信者プレイ? めちゃくちゃ下手だぞ。慣れてないの丸見えだから」

 

 社築の指摘に鷹宮はウっと唸った。

 

「それは、だって仕方ないじゃないですか。畏怖されるような悪魔でなきゃ……」

「いや、まずお前が畏怖してねーだろ。コアラって完全にぼろ出してんじゃん」

「あ、小娘! あのときは気づかなかったけどよくもボクをコアラって呼んだな!」

 

 悪魔が突っかかるように鷹宮の顔の前を飛ぶ。鷹宮はそれを払いのけて応戦した。

 

「うるせえよ! どっからどう見ても角の生えたコアラじゃねーか!」

「言ったなー! 今日こそはボクの恐ろしさを思い知らせてやる!」

「おう上等だよ、かかってきな!」

 

 そうして殴り合いを始めた二人をよそに、ひまわりと社はため息をつく。

 

「まあ、最後の方はアカン宗教みたいやったし、方針を見直した方がいいのかな」

「うーん、SNSで告知もして、デビュー配信ももうすぐだっていうのに、これはそろそろまずいか……?」

「カメラが回ってないときは見てて面白いんだけど……お!」

「ああ、なるほど」

「へえ、やしきずも気づいた?」

「まあな。それならなんとかなんじゃねーの?」

 

泥沼と化しつつある二人の争いを、ひまりと社はパソコン越しに生温かい目で見守った。

 

 

「大変や大変や大変や!」

 

 バーの扉を勢いよく開けて入ってきた椎名は、全く椎名の方を見ようともせず談笑している花畑チャイカと赤髪の少年、ライダーを見て、地団駄を踏んだ。

 

「大変やっつてんだろが!」

「あー、わかったわかった。落ち着いて話してみ? ほら、いつものだ」

 

 チャイカがグラスをカウンターに置く。椎名は頬を膨らませつつもグラスを取って一気に喉に流し込んだ。

 

「ぷはぁっ、って、ただの水やないか!」

「だからいつものっていってんじゃん……」

 

 拗ねた様にチャイカはそっぽを向いて呟いた。

 

「まあ、今回ばかりはマスターの話を聞いてやってほしい」

 

 遅れてバーに入ってきたアーチャーは優雅に腰掛けると、チャイカからカクテルの入ったグラスを受け取った。椎名はアーチャーをキッと睨む。

 

「それで、大変なことってなんだったの?」

 

 ライダーが尋ねると、椎名は気を取り直して言った。

 

「笹木の家が襲撃された」

 

 チャイカは目を見開いて立ち尽くした。赤髪の少年はへえ、と意味深な笑みを浮かべる。

 

「何がなんだかさっぱり! 辺り一帯森になってるし、家は焼け落ちてるし。笹木、やばいんかな……」

 

 項垂れた椎名に、バーの空気は重くなった。

 

「森ねえ……森はたぶん笹木さんのサーヴァントかな。まあ、笹木さんはともかく、サーヴァントがあの人だよ? あの人に限ってマスターをやらせはしないさ」

 

 ライダーが慰めるように椎名に笑いかける。アーチャーも続けて、

 

「ふむ。確かにかの王が遅れを取るとなるとよほどのこと。そんな想定はしたくもないがな」

 

「だいたいさあ、結界はどうなったの? リーダーたちの勧誘がしつこくてどんどん堅牢になってったあの結界、最後の方は僕とアーチャー二人係でも時間がかかりそうなものだったけど」

 

 ライダーはアーチャーの方を見ながら言う。アーチャーは首を横に振る。

 

「結界は……わからない。溶け落ちた跡はあったが、いったいどうしてあんなことになったのか。天才の私にもさっぱりだ」

 

「くそっ、私たちがもっと勧誘していれば……!」

 

 チャイカがカウンターに拳を叩き付けた。椎名も感極まって立ち上がる。

 

「確かに! 結界がもっと固くなって破られなかったかも。くそぅ、私たちの責任かー!」

 

「あっはっは……まあでもアーチャー、どうしてそうなったかはわからない……けど、誰がやったかはわかってるよね?」

 

 笑うライダーにアーチャーは腕を組んで答えた。

 

「もちろんだとも」

「な、二人とも知ってんの?」

 

 アーチャーは頷いた。

 

「これほど邪な魔力は世界を見渡しても多くはあるまい」

「だね。リーダーだって気づいてたでしょ」

 

 少年の言葉に椎名は思わず吹き出した。

 

「そんなまさか。だってリーダーだよ? リーダーが魔力なんてまともに感知できるわけ……」

「いや、知ってたよ」

「嘘やん」

「悔しかったらお前ももっと精進するんだな」

 

 悔し涙を流し突っ伏す椎名を置いて、三人は話を続けた。

 

「危なそうだし、理由もなきゃ近寄りたくねえなって思ってたんだけど」

「それもそうだ。でも、笹木さんを襲撃したんだ。ぼくたちも挨拶くらいはした方がいいんじゃないかな」

「私も同意見だ。笹木女史には少々借りがある」

「えぇ、お前らやる気なの……まあ、二対一ならなんとかなるかな」

「なに⁉ 仇討ち? お礼参り? 行こう行こう! 敵はどこにいるん?」

 

 椎名が勢いよく体を起こしてまくしたてる。チャイカは何も言わずに地図をカウンターに広げた。

 

「山の上の寺……いや、今はもうないんだっけか。柳洞寺跡、ここだな」

 

 地図上のチャイカの指差した地点に四人の視線は集まった。

 



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12.柳洞寺跡

「あ、あ……、アーチャーに命じるっ、この階段が終わるまであてぃしをおぶへぇあ!」

 

 何か口走ろうとした椎名唯華の口をアーチャーが慌てて塞ぎ、ついでに首を絞めつけた。

 

「おい、冗談じゃないぞ。なぜ私のマスターはこれほどまでに愚かなのだ⁉」

「運がいいんだよ、運が」

 

 軽装のライダーはにっこり笑うとアーチャーの前に躍り出て、階段をとんとん拍子に上がっていく。

 

「くそ、元気いいなあいつ……」

 

 花畑チャイカは遠ざかっていくライダーの背を見上げ、額の汗を拭った。

 

 一行は山の中腹にある柳洞寺参道の石段を上がっていた。

 太陽は照り、椎名は重そうなスポーツバッグを肩にかけている。おぶってもらいたい気持ちはわかるけど……そう思いつつもチャイカは椎名から目を逸らした。

 

「椎名さーん、見てきたけど、もう少し行けばこの階段も終わりだよ」

 

 先に上を見てきたらしい、階段を駆け下りてきたライダーが椎名を鼓舞する。

 

「ナイス、ライダーナイスゥ!」

 

 椎名はアーチャーから解放されて息も絶え絶えだったが、その目にも再び光が宿った。

 

「ほら、バッグは僕が持ってあげるから、もうちょっと頑張って!」

 

 とライダーは椎名の肩からスポーツバッグを受け取った。

 

「うん、がんばるわぁ! もうほんっとライダー神! 天才!」

「なに、天才だと……⁉」

 

 アーチャーが目を疑うように椎名を睨む。

 

「だってそうやん。女の子が疲れてんのがわからんのは天才ちゃうよ、ただのアホw」

 

 椎名が吹き出すように笑って見せると、アーチャーは石のように固まってその場から動かなくなった。

 

「おお、門が見えたじゃねえかよ」

 

 チャイカの声を皮切りに、一同はペースを上げ階段を上がった。

 

 一同を出迎えた寺の門は上の屋根が半ば焼け落ちていて、残った柱も椎名の背丈よりも低いところで折れていた。

 

 椎名は門の前で立ち止ると、焦げついた屋根を見上げてじっと動かなくなる。それを他の三人は不思議そうに見守っていた。

 

「そういやお前霊能者だっけ? その設定まだ生きてたのか」

 

 チャイカがどうでも良さそうに言った。

 

「は? ちゃんと霊能者ですけど‼」

「でもこの山の魔力には気づかなかったじゃん」

 

 ……(-_-)

 

「あ、椎名さんまたその顔してる」

 

 ライダーが通り過ぎざま椎名を一刺しして門を跨いでいく。

 

「ふん、いい気味だ」

 

 アーチャーは酷く下卑た笑みを浮かべて椎名の横を通り過ぎていった……。

 

―――――――

 

 門を抜けると見えてきたのはまさしく廃墟と化した寺だった。

 

「こりゃあ、入るのは危険だな」

 

 チャイカの言うことももっともだった。

 目の前に建っている巨大な寺は柱があちこち折れていて、無事な柱も黒く焦げているのが見える。崩落しかかっている屋根が未だに持ちこたえていることが奇跡に思えた。

 

「ふっふっふ! こんなこともあろうかと」

 

 一同の注目を集め、椎名は肩にかけたスポーツバッグから空気の入っていない風船を四つ取り出した。

 

「これ、魔力を込めながら膨らませて!」

 

 そう言って椎名は三人に風船を配り始めた。

 

「はい、ライダー」

「え、うん」

 

「はいアーチャー」

「……」

 

「はいリーダー」

「なんか私のだけでかくないか?」

 

 困惑しながらも三人は風船を膨らませ始める。

 

 ライダーとアーチャーの風船はピンク色でバスケットボールほどの大きさになった。

 

「なにこれ、椎名さんそっくりでかわいい!」

 

 首を傾げてライダーは膨らんだそれをむんずと掴む。

 風船はぷっくりと膨らんだ椎名唯華の顔に短い手足が直接くっついているようなデザインだった。

 ライダーがその顔を左右から潰すように押し込むと、風船は手足をばたつかせながら苦悶の表情を浮かべ、キュー、キュー、と甲高い声で泣き喚く

 

「ちょ、やめて! おもちぃなをいじめんといて!」

「生きてるんだ⁉ すごいな~」

 

 ライダーはほっぺたをぷにぷにと弄る。褒められたおもちぃなはどや顔しながらライダーに好き放題されていた。

 

「魔術による疑似生命体か、なるほど我がマスターにしてはよくやる……」

 

 一方、アーチャーは自身が作ったおもちぃなと対面し、にらみ合っていた。

 

 おもちぃなは(-_-)んな顔でずっとアーチャーの顔を見ていたが、じきにふっと鼻で笑って顔を逸らした。

 

「こいつ、今私の顔を見て笑ったぞ! 許さん、破裂させてくれる!」

 

 アーチャーの手のひらは雷を纏い、その手がおもちぃなに向けられる……!

 

「やめてぇ! おもちぃなは悪くない。おもちぃなは私のコピー人格だから、悪いのはあてぃし! 例えこの子が屑だとしても、この子に罪はないよぉ!」

 

「ならば貴様ごと貫くまで。受けるがいい、我が静かなる雷(静電気)を!」

 

 アーチャーの紫電がその指先から走る。椎名はとっさに目を瞑ったが、いつまでたっても覚悟した衝撃は来なかった。

 

「いや、お前ら人が必死こいて風船膨らませてんのに何やってんだよ……」

 

 呆れたようなチャイカの声。

 椎名が目を開けると、目の前には黒いシルクハットがふわふわ浮かんでいた。

 

 シルクハットはくるりと翻り、その持ち主の頭にかぶさった。髪の色も服の色も左右で白黒に分かれている不思議な少女は帽子を押さえて笑う。

 

「こんれーな! お久しぶりです、椎名先輩!」

 

「うわぁ、こんれーな夜見! へーい!」

 

「椎名先輩、へーい! ついでにリーダーも……へーい!」

 

「……へーい……」

 

 ヨルミと呼ばれた少女が椎名、そしてチャイカとハイタッチを交わすのをアーチャーは怪訝な目で見つめた。

 

「……マスター、そこの淑女は?」

「ああ、これは夜見だよ。ほら夜見、挨拶して」

 

「こんれーな! ……じゃなくて、こんにちは! 私はアイドルマジシャンの夜見(よるみ)れなです。椎名さんとチャイカさんは昔所属してた組織の先輩方なのです。どうぞよろしく!」

 

「なるほど、協力者というわけか。私はアーチャー、神の雷を人の世にもたらした偉大なる天才だ。よろしく頼む」

 

 夜見はそれを聞いて首を傾げた。

 

「雷……電気? 電気、電気、電気……あ、わかりましたよぉ、エジソンさんですね⁉」

 

「なん……だと……‼」

 

 アーチャーは愕然とした表情で膝を着く。

 

「ぷぷー、間違われてやんのーw」と椎名に茶々を入れられた怒りで復活したが、その足元は頼りなく、ふらつきながも夜見に歩み寄ると、じろじろと眺めまわし、言った。

 

「失礼、ミス夜見。肌に触れても?」

「え、いいですけど……」

 

 夜見が答えると、アーチャーはその頬に手を伸ばし、優しく触れたと思えばにゅっと摘み、ぐいっと引っ張った。

 

「ひゃ、ぃいだだだだ!」

「おっと、すまない! 申し訳ないことをした」

 

 アーチャーはパッと手を放す。

 

「絶対わざとやろ!」

 

 椎名がツッコむ。夜見は頬をさすりながら言った。

 

「いやあ、まあ別に痛くないんですけどね」

 

「痛くない、か。君はおもちぃなとは違って疑似生命体ではないようだ。素材もかなり特殊なものを使っているようだが、遠隔で操っているのか?」

 

「その通りです! ちなみに本人は今マジックの公演中ですよ! この会話は脳みその隅っこの方でしています。マジックが失敗したら椎名先輩のせいですからね?」

 

「いや、そこはマジックに集中しろや……」

 

 椎名の言葉に夜見は照れたように笑った。

 

「なるほど。このおもちぃなも君のマジックか。確かに。凡庸なる我がマスターにこのようなものが作れるはずがないからな……ふっはっはっはっはっは‼」

 

「いや何がおかしいねん」

 

「まあまあ、落ち着いて」

 

 静かにこぶしを握り締めた椎名をライダーがなだめた。

 

「それで、椎名さん。夜見さんとおもちぃなを斥候にするってこといいの?」

 

 椎名は当然のことのように答えた。

 

「え、そりゃこいつら生贄……じゃなくて危険な場所の探索に持ってこいやし」

 

 ピー! ピー、ピー! おもちぃなたちが危機を感じ取ったのか椎名から逃げるように夜見の背に隠れ、抗議の声を上げる。

 

「ちょ、駄目ですよぉ~、あなたたちも私もそういう役割なんですから……まったくぅ、疑似人格も困ったものですね、誰に似たんだか」

 

「え、夜見?」

 

「あら、いけないいけない。とにかく、斥候は我々にお任せあれ! 行きますよ、おもちぃなさんたち!」

 

 ピー! とおもちぃなたちは短い手で敬礼して夜見についていった。



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13.お茶会(静)

「チャイカさんお茶いる?」

「ああ、いただこう」

 

 椎名はバッグの中から水筒と紙コップを取り出すと、コップにお茶を注いでみんなに配り始めた。

 五人は柳洞寺中庭に面した縁側に腰掛けていた。

 

「なんか眠くなってきたな……」

 

 お茶を啜る椎名の目がゆっくりと閉じられていく。

 

 肌に触れる空気は冷たいものの、その日は風もなく、柔らかな陽射しが降り注いでいた。

 

「ここ、一応敵地なんだけどなあ」

 

 とライダーは苦笑する。笑いながらも茶を啜る。

 

「結構な、お点前じゃないか」

 

 と花畑チャイカは茶を味わっている。

 

「なかなか風流な庭であったが……」

 

 アーチャーが名残惜しげに言った。

 

「えぁ~」

 

 中庭の中央では寺の木材を集めて火が焚かれていた。

 そこにおもちぃなたちが怪しげな魔術礼装を次々と放り込んでいる。

 しめ縄が火を囲うように張られ、縄には椎名が実家から持ってきたという(ふだ)がセロハンテープでぺたぺた張り付けられていた。

 

「私はここで誰か死ぬかもって思ってたんだけど……」

 

 炎を見つめながら、チャイカは不安を吐露する。

 

「え、遠足じゃないのぉ?」

「ばかやろ、笹木はどうした」

 

 椎名のブラックジョークかと思ってツッコんだ花畑だったが、椎名の顔を見て態度を一変させる。

 

「なんだその顔は。まさか忘れていたのか」

 

 椎名はサッと目を逸らした。

 

「いや、階段とかきつくて、それで休めるところがあったから……」

 

「えぁ~」

 

 周囲に助けを求めた椎名は初めてそこにいた夜見に気づいた。

 

「あ、あれ夜見ぃ、ここにいていいの?」

「えぁ? ええ。おもちぃなさんたちと視覚を共有しているので大丈夫ですよぉ。魔術礼装の山はまだ半分も無くなっていません。いくつか貰っていいですか⁉」

 

 椎名とチャイカは顔を見合わせる。

 

「いいんじゃね?」

「いや駄目だろ」

 

 軽いノリで言った椎名にチャイカは真顔で答えた。

 

「おーい、そこのおもちぃな、こっち来てぇ」

 

 椎名は炎に礼装をくべようとしていたおもちぃなを呼びつけた。おもちぃなの抱えていたものは干からびてミイラ化した腕だった。

 

「これ何に使うんやろ……アーチャー分かる?」

「ふうむ、生体電気は感じないが、この物体の含有する魔力の量は中々の物だ。食せば大量の魔力が得られるのではないかな?」

「はぁ、天才が聞いて呆れるわ……」

 

 椎名はアーチャーを哀れむような瞳で見つめた。アーチャーはため息をつく。

 

「マスターに相応しい使用法だと思ったのだが……」

「これ、触ったらやばい奴?」

「いや、魔力は内に閉じこもっている。表面を触るだけなら問題なかろう」

 

 アーチャーの答えを聞いて椎名は干からびた腕に手を伸ばした。

 すると、腕は突然動き出して椎名の手を強く払った。

 

「は?」

 

 何が起こったかわからず椎名は払われた手を見つめた。やがて腕の方に視線を戻すと、腕はゆっくりと動きだし、椎名に向かってそっと中指を立てた。

 

「燃やせ! おもちぃな燃やしてぇ! そんなもん燃やしちまえ!」

「やめてくだいよぉ先輩―」

 

 激昂(げっこう)した椎名を夜見が止めに入る。

 

「ほら、見てくださいよ、こうやって、白い手袋をはめれば……ほら! 私の新しい助手の誕生です!」

 

 夜見がお披露目したのはマスターハンドみたく勝手に動く白い腕だった。腕は夜見の握手に応じて仲良しげに握手していたが、椎名の視線に気づいてすぐ椎名の方に向き直り、ぴんと中指を立てた。

 

「このやろっ、もう我慢できひん!」

 

 椎名は夜見から腕をぶん取ると、腕と揉み合いになりながらも助走をつけ、思いっきり炎の中に投げ込んだ。

 

「えぁ~……」

 

 途方に暮れる夜見とは反対に、椎名はせいせいとした顔で汗を袖で拭った。

 

「それにしても、さっきから運ばれてくる礼装、みんな趣味が悪いものばっかだね」

 

 縁側で足をぶらぶらさせながらライダーが言った。

 

「ふぅむ、興味深くはあるが嫌悪感も凄まじい。これは魔術の洗練された体系ではない。もっと原始的で暴力的、死の匂いのするものばかりである。そら、今運ばれていった木箱も恐らく人を呪い殺している礼装……いや、呪具の類であろう」

 

 それを横で聞いていたチャイカはげっそりとした顔で茶を啜った。

 

「こんなん集めてるのってよっぽどやばい奴でしょぅ? ほんっと、空き巣でよかったわ……」

 

 するとライダーは耳を疑うようにチャイカを見た。

 

「えぇ、もったいないよ。こんなものばっか集めてる人がどんな人なのか、僕は知りたいけどなあ」

 

「未来の王よ、人の上に立つのなら不要な冒険はほどほどにしておくがいい」

 

 アーチャーが笑って諫めると、ライダーも肩を落としながらも笑った。

 

「だよねー……」

 

―――――――

 

 夕方になり、ようやく仕事を終えたらしい、おもちぃなたちは中庭に整列した。それを見て夜見が立ち上がる。

 

「みんなご苦労様ー。椎名さんたちも。あと残ってる礼装はおもちぃな越しに触れても危険なものばかりですので、このお寺ごと完全焼却するのがいいと思いますっ!」

 

「よし、それでは私が」

 

 と立ち上がったアーチャーを夜見が押しとどめた。

 

「いえいえ、大丈夫ですよぉ。ここは私にお任せあれ」

 

 夜見が後ろ足を引いて妙に気取ったお辞儀をしたので、最初は譲る気のなかったアーチャーも半笑いで貴方がやればいいと手で示した。

 

「はい! それではみなさん、お寺の正面に参りましょう! 夜見のマジックショーならぬ、魔術ショー‼ 呪われた礼装も浄化間違いなし! 恐らく今世紀最初で最後ですよー?」

 

 椎名とライダーは目を輝かせながら、チャイカとアーチャーは苦笑しながら、夜見の後についていく。

 



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14.マジックショー!

 日は落ち、辺りは暗くなった。夜見は一同の顔に視線をめぐらすと、にっこりと笑って宣言する。

 

「それでは開幕します!」

 

「fooooo!」

「アララララララーイ!」

 

 椎名とライダーが勢いよく拍手するのに対し、チャイカとアーチャーは多少付き合うような拍手ではあったが、夜見はまんざらでもなさそうだ。

 

「あちらをご覧ください!」

 

 夜見が手で示すと、屋根の上にスポットライトが七つ当てられた。スポットライトの下にはシルクハットを被るおもちぃなたちが立っている。

 そこで太鼓が大きく打ち鳴らされ、ソロの金管楽器が面白おかしなメロディを奏で始めた。

 

 おもちぃなたちはメロディに合わせてシルクハットを隣に放り投げては隣からとんでくるシルクハットを頭でキャッチして被っていく。さらにはおもちぃな自身が横にぴょんと跳ねては隣のスポットライトに移動していく。

 

 それぞれ距離のあるスポットライトだったが、まるですぐ隣にあるようにテンポよくシルクハットが飛び交い、おもちぃなが現れるので、椎名とチャイカは大喜びで手を叩いた。

 

「何あれ! 端っこはどうなっとるん?」

「ふっ、馬鹿だな、ワープに決まってるだろ……」

 

 椎名とチャイカの会話を聞いていたアーチャーが口を開こうとしたが、ライダーがそれを止めた。

 

「楽しければいいんだよ」

「まあ、そうだな。無粋であったか」

 

 四人が気分よく屋根を見上げているのを見て、夜見はふふんと鼻を鳴らした。

 

「ここからですよ!」

 

 夜見がシルクハットからステッキを取り出すと、ステッキを空に向かって放り投げた。すると、それに合わせておもちぃなたちも一斉にシルクハットを空に放り投げる。

 宙へ舞ったシルクハットはその高さが頂点に達した瞬間、花火のように鮮やかな大爆発を起こし、落ちていく火花はそれぞれ七色の光を放ちながら寺の屋根に降り注いだ。

 

 夜見はステッキをキャッチすると、オーケストラの指揮者みたくステッキを振り上げる。そこで再び太鼓が打ち鳴らされ、幾つもの金管楽器が一斉に大音声を吹き鳴らす。奏でられるのは先ほどの面白おかしなメロディだったが、今度は迫力があるせいか先ほどよりも荘重な音楽に聞こえてくる。

 

 火花から生じた七色の炎は古寺を焼け落しながら夜見の指揮に合わせて混じりあい、新たな色の炎をその内側に次々と生み出していった。

 

 夜見がステッキを振り上げると、七色の炎の七羽のハトが寺の屋根から飛び立ち、急降下して寺に落ちる。水柱が立つように七色の炎が上がる。

 形のない炎は大小様々な鳥の姿を結んでは一瞬で解けていく。一同は聞こえてくるオーケストラを演奏する奇妙奇天烈な楽団員たちすらもいつのまにか炎の中に見ていたほどだった……。

 

「ぐぬぬぬぬ⁉」

 

 と唸りながら夜見がステッキをぐるぐる大きく回すと、炎がだんだん中心に集まってきて巨大な竜巻を形成し始める。

 渦の中から様々な色の炎で出来た幻想生物が現れては声を上げ、また渦の中へ戻っていく。ペガサスに不死鳥、龍、背中に鉄の土台を乗せた翼竜、三つ首の犬が入り乱れる竜巻の暴風に一同は目を細めた。

 

 金管楽器の音や太鼓の連打も入り乱れ、一つの轟音の中に融け合っていく。

 

 そのさなか、椎名は渦の中に卵を垣間見る。

 

「フィナーレです!」

 

 夜見が叫ぶ。七色の炎の竜巻は不安定に膨れ上がり、中心にさらに新たな渦を巻き始めていたが、その中心の渦が外の竜巻を食い破るように広がると、まるで風船が割れるような音と共に渦の中の卵が弾け飛んだ。

 

 竜巻は一瞬にして掻き消え、後には辺り一帯、七色の火の粉が降り注いだ。

 

「うわわわわっ」

 

 と椎名は目を瞑るが、降り注ぐ火の粉は温かかった。椎名は戸惑いながらも降ってくる火の粉を手で受けると、火の粉は一瞬の柔らかい光を放って消えていった。

 ライダー、アーチャー、チャイカもまた手を伸ばし、手の中に消えていく炎を見つめるのだった。

 

「ご観覧ありがとうございます。夜見の魔術ショー、これにて閉幕~。皆様、忘れ物のないようお気をつけてお帰り下さい」

 

 未だ火の粉の降り注ぐ中、夜見は深々と頭を下げた。

 

「ありがとうな夜見、元気出たわぁ!」

「最高のショー、ありがとうやで……!」

 

 椎名とチャイカが手を振り、あっさりと踵を返す。 ニコニコと手を振り返す夜見の前に、次いでライダーとアーチャーが立った。

 

「夜見さん、僕がこの聖杯戦争を勝ち抜いたら迎えにいくよ。リーダーも椎名さんも夜見さんも、三人とも僕の世界征服には必要な人材だ」

「ふっはっはっはっは! 笑わせてくれる! ミス夜見の才能は私の助手になってこそ真に輝くというもの。器量のある王であるならばその程度の判断はつくと思うのだが?」

 

 並び立った二人はあくまでも夜見の方を向いたまま朗らかな笑みを浮かべている。

 

「ふーん。言いたいことはあるけど、今は言わないよ。どちらが正しいかはいずれわかるときがくるからね」

「ああ、そのとおり。さすがにある程度は賢いようだ」

 

 夜見は困ったような笑みを浮かべて言った。

 

「えぁー……どちらも、応援してますから、あははは……」

 

 サーヴァント二人はそれを聞くと、満足そうにマントを翻して去っていく。門をくぐって階段を降りていく四人の後ろ姿を見下ろし、夜見は息を吐いた。

 

「さて、と」

 

 夜見は俯くと、足元の石ころを蹴飛ばし、振り返った。

 

 まだ七色の炎は静かに燃えていたが、寺はほとんど原型も残っていない。炎は全て夜見の腰よりも低い場所で燃えていた。

 

 夜見はまだ燃えている寺の方へと歩きだす。かろうじて見て取れる中庭へ続く通路を、足元で弱弱しく燃える炎を踏み越えるように進んでいく。

 

 燃える中庭には二つの人影があった。

 黒髪に黄色い瞳の青年。そしてゴスロリ姿の少女だ。二人は夜見を拍手で出迎えた。

 

「いいショーだったよ?」

「うん、楽しかった!」

 

 青年と少女は偽りのない笑みを見せるのだが、夜見は表情一つ変えずに答える。

 

「貴方たちも浄化させるつもりで頑張ったんですけどねー……」

「あっはっは! それは無理だよ。僕たちにはまだやり残したことがたくさんあるんだもん」

「ええ、私たちにはまだやりたいことがあるの。だから、浄化はされたくないわ」

「はぁ、したくてもできませんよぉ。ていうか礼装、どれだけ残ってるんですか?」

「あー、でも七割くらいは燃やされちゃったし、けっこう痛手だったかも」

「うんうん、私のお友達も燃やされちゃった♪」

 

 そう言って少女はその場でくるりと回り、スカートを翻す。

 

「それは許せないよねえ。でもまあ、燃やされたって言っても……」

 

 青年はにやにや笑いながら見覚えのある木箱を地面に置いた。

 

「嘘……」

「やだなあ、普通の霊能者にこれが燃やせるわけないじゃん!」

「そうよ、私のお友達はとっても意志が強い子たちなの、今も私に囁いてる。熱い、痛い、苦しい、憎い、て」

 

 夜見は目を瞑ると、覚悟を決めて切り出した。

 

「私に、何をしてほしいんですか?」

「簡単だよ、この箱は寂しがり屋さんだからね。ぎゅう~っと抱きしめてあげて欲しいんだ」

 

 夜見は目を見開き、その箱を見下ろした。なんてことはない。単なる古い木箱だ。だが、よく見るとカタカタと震えているように見える。夜見は後ずさった。上蓋が開き、隙間からたくさんの目が夜見を怨嗟の目で見つめた、そんな幻を見たからだった。

 

「実験みたいなものかな。完結した模擬人格のおもちぃな? と違って、君はその風船と直接繋がってる。たぶん効果が出ると思うんだけど……ちょっと試してみたくない? 大丈夫だよ。距離もあるし、触れたくらいじゃ死にはしないと思うな。たぶんね」

 

 夜見は平静を装って青年に話しかける。

 

「わかりましたよぉ。ところでお聞きしたいのですが、私のショーは面白かったんですよね?」

「うん。滅茶苦茶面白かった。またいつか見に行くよ」

「ましろ、ずるいわ! 私も見に行きたい!」

 

 ましろ……その名を小さく呟き、夜見は笑うことしかできなかった。

 

「でしたら、観覧料をいただきたいなぁー……なんて!」

「ふーん、何を支払えばいいの? 言うだけ言ってみてよ」

 

 青年はポケットに手を突っ込んで聞いた。夜見は答える。

 

「それは、未来に貴方たちが椎名先輩とチャイカ先輩を傷つける可能性、および苦しめる可能性です。観覧料で釣り合わなければ私の命で支払います。ですからどうか、あの二人を殺さず、そして呪わないでください……!」

 

 頭を下げた夜見を二人は不思議そうに見つめるも、すぐに夜見に歩み寄ってその肩を叩いた。

 

「おっけー。僕はあの二人を傷つけることはしないし呪いにもかけないよ。まあ、向こうから突っかかってきたら……それでもなるべくマスターは狙わないようにする。アリスちゃんもいい?」

「わかった。ましろがそういうなら仕方ないわ」

 

 聞き分けのいい二人に夜見はほっとして、そして、箱へと手を伸ばす。

 夜見には箱の隙間から薄白い手が弱弱しく伸びてくるのが見えていた。その手は誰かに握って欲しそうにしながらも、まるで拒絶されるのを恐れているかのように震えている。

 

「大丈夫、あなたたちは悪くないんですよ……」

 

 言い聞かせるように夜見は囁く。先ほどから木々のざわめきに混じって聞こえていた子供の泣き声がさらに姦しくなり、夜見は耳を塞ぐ代わりに固く目を閉ざす。

 

 たが、実際に夜見の手を握ったのは、人形のように乾いた少女の手だった。

 

「ナイス、アリスちゃん!」

 

 そう言って青年、ましろは箱を再びどこかへと閉まった。ぽかんと立ち尽くす夜見にましろは笑いかけた。

 

「冗談だよ、冗談。女の子にそんな酷い真似しないよ」

「そうよ、冗談。許してほしいわ」

 

 夜見は無表情に二人を見つめて瞬きした後、唐突に満面の笑みを浮かべた。

 

「……」

「あれ、おーい。何も言わなくなっちゃった」

「笑ってる。でもなんか怖いわ⁉」

 

 近づいてきてじろじろと人の顔を眺める二人に舌打ちし、夜見は口を開く。

 

「ましろさんましろさん、約束の方、よろしくお願いしますよ」

「え、ああうん、お疲れ様。えっと、いつかショーを見に行くよ、その時まで長生きしてね」

「私も行くからねー!」

 

 手を振る二人に深々とお辞儀し、夜見は言った。

 

「では、勝手ながらアンコールを。最後のマジックをお楽しみください」

 

「「へ?」」

 

 スポットライトの光が七つ。火の海と化した中庭に落とされる。一つは夜見を照らし、他の六つはましろとアリスを囲むように立つ六人のおもちぃなを照らし出した。

 

「これやばっ⁉」

 

 ましろが咄嗟にアリスを庇うような動きを見せるが、もう遅い。

 

 夜見はにっこりと笑いながら術式を起動する。恐らく、こんなものは単なる嫌がらせにしかならないだろう。でも今はそれで十分だった。二人が慌てふためく様、それを見られただけで十分気は晴れるのだから。

 

「またいつかお会いしましょう」

 

 ショーを閉めるお約束のセリフだったが、ましろははっきりと夜見を見ながら返事をした。

 

「うん、またね」

 

 柳洞寺の中庭に七色の巨大な火柱が巻き起こる……。



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15.女子高生たち

 教室に入ってすぐ、鷹宮はクラスメイトたちの間に漂う緊張を感じ取り、自分の席を見て足を止めた。窓際に目を向けると緑は来ていないようで、少しだけほっとする。

 鷹宮は再び歩き出すと、席には着かずにその横に立ち、机に突っ伏して寝ている椎名唯華の肩をとんと叩いた。

 

「ん……まだ眠いわ。あと五十分」

「椎名さん」

「やめて。声掛けんといて。まだ眠いってちょっと。頼む、昼休みまでは寝かせてくれ……」

 

 そう言って再び静かな寝息を立てる椎名。鷹宮は椎名の髪から覗く小さな耳をぐいっと引っ張った。

 

「え、いたい……」

 

 哀愁漂う顔でゆっくりと身を起こした椎名が見たのは、笑顔で目許をぴくぴくさせている鷹宮だった。

 

「椎名さん、そこ私の席なんですけど」

「あ、そうなん? 久しぶりに来たら席替えしてたから空いてる席に座ったんよ。しっかし、うわぁ、リオンさん、お久しぶりっす!」

 

 いえーい! と椎名はハイタッチしようと手を向けるが、鷹宮の両手は背中で組まれたまま動かなかった。

 

「久しぶり? 最近会いませんでしたこと?」

「え? あ、あぁ、確かに会った。会った、ような……会ってないような……」

「はぁ?」

 

 椎名に一度殺されかけている鷹宮は笑顔を崩さずに椎名の目をじっと見つめるが、椎名はぷいと顔を逸らした。

 

「まあなに。ここではあれやから、場所移そうか」

 

 鷹宮から逃げるように席を立った椎名。

 

「まあ、椎名さんはこんな感じだったっけ」

 

 と勝手に納得し、鷹宮も後に続いた。

 

―――――――

 

 屋上。朝のホームルームの時間とあって誰もいないそこは、静かに話をするのにちょうどいい場所だった。

 

 椎名は屋上に出るとさっそく地べたにぺたんと座り、お弁当を広げた。

 

「いやなんでだよ!」

 

 ツッコんだ鷹宮に椎名はのほほんとした顔で答えて

 

「やっぱ早弁なんだよなぁ。最近徹夜続きだから、朝ごはん抜かんとホームルームに間に合わへんくて」

 

 そうして呆れる鷹宮の前で手を合わせ、お弁当を食べ始める椎名。鷹宮は少しの間待っていたが、食べ終わるまで待つのも馬鹿らしいと本題に入った。

 

「それで椎名さん、なんで学校に来たわけ?」

「あむあむあむ……ん、それを言うならリオンさんはなんで学校来てん?」

「そりゃ将来のためでしょ。政治家の娘のエリート魔術師が高校中退なんて草も生えませんわ」

「わからん。聖杯ゲットで大金が手に入ったら、もう稼ぐ必要ないやん。え、まさか根源信者ぁ?」

「いえ、いえいえいえ……!」

 

 眠たげな椎名の視線を振り切るように、鷹宮は首を横に振った。

 

「私が欲しいのは充実した時間と、それに伴って送られる他人からの称賛、名誉です。あ、あとは、身を挺して私を守ってくれる見た目と中身の完璧な殿方さえいれば……」

 

 急にもじもじしだした鷹宮を胡散臭げに見つめて椎名はお弁当のお米を口いっぱいに頬張りむしゃむしゃ咀嚼する。

 

「って聞いてます⁉」

「あむあむ……んぅ、いや、何を聞かせたいねん。まあええわ、そんなの。それよりもあたしは、リオンさんが知っておいた方がいいことを知らせようと思ってわざわざ学校に来たんすよ」

「知らせたいこと?」

「そうそう」

 

 そうして椎名はゆっくりと口の中の物を飲み込むと、椎名にしては真面目な顔で言い放った。

 

「笹木の家が襲撃された」

 

 いったい誰が……? そう聞きそうになった鷹宮は一度口をつぐみ、深呼吸して尋ねた。

 

「笹木さんは、無事なの?」

「さあ? 家は炎上して今は跡形もないし、なんでか周囲一帯森になってるし、笹木は見つからんし……ひょっとすると死んでんとちゃう?」

「そんなこと……!」

 

 思わず険しい顔を浮かべた鷹宮だったが、眠たげな椎名の顔にどこか悲壮なものを見て、怒りを鎮める。

 

 そうだ、椎名さんは笹木さんの一番の親友、自分以上に傷ついてるに違いないのに、私が取り乱したってどうしようもない……。

 

「あたしの言いたいことわかる?」

 

 椎名の気怠い瞳は途端に重くなって、鷹宮の顔を覗き込んでくる。

 

「要はな、リオンさんはこの聖杯戦争、辞退すべきじゃない?」

「……唐突に何? 意味わかんないんですけど」

「わからん? 笹木のサーヴァントは古代ローマ建国の伝説的な王様。それが遅れを取ったんや。リオンさんのあのふわふわしたサーヴァントじゃ勝てっこないわ。それに、あたしとあたしの同盟相手のマスターとで笹木を襲撃したマスターに報復にも行った。マスターとサーヴァントは留守やったけど、家の中には人が何人も死んでるようなやばい礼装がごろごろ転がってたからなぁ。リオンさん、そんな雑魚サーヴァント連れてたら、むごく殺されちゃいますよぉ?」

 

 何も言えないでいる鷹宮を見て、椎名は続けた。

 

「なに、気にする必要ないですって。今回は運がなかった。リオンさんは魔術師としてはあたしより上かもしれんけど、サーヴァントがあれじゃ仕方ない。あんなん無理ゲーやって。あたしだったら速攻教会で保護で、そんでもって寝るもん」

「そう。よーくわかったわ」

 

 俯き、鷹宮が言う。

 

「え、わかってもらえた⁉」

 

 今まで自分の話を素直に聞いてくれた人がいなかったからだろう。椎名は意外なほど、パッと顔を明るくした。それに応えるように鷹宮もほほ笑んだ

 

「ええ、椎名さんは私を心配してくれてたってわけね」

「は、はあ? どこをどう聞いたらそうなるん」

「だって私が惨く殺されてれほしくないんでしょ?」

「それはそう。でも違うやん。違うんすよ。あーもう、どう言ったらいいのかなあ⁉」

 

 うわー! と椎名は頭を抱え込む。

 

「大丈夫。私と私のサーヴァントは最高のコンビだし、これからすっごく強くなれる。だから、椎名さんにはもうちょっとだけ見守っててほしいかな」

 

 少しだけ上目遣いで言ってみた鷹宮だったが、椎名は即答する。

 

「見るだけならええけど、守るのは嫌やな」

「あっそう」

「はぁ、まあ言うべきことは言ったし、あたしはもう帰る」

「あ、ちょっと待って」

 

 と屋上から出ていこうとした椎名を鷹宮は呼び止める。

 

「緑さんが心配してたから、会って少し話してあげてよ」

 

 なんてことはなく鷹宮は言ったのだが、椎名の反応は意外なものだった。

 

「緑……緑仙さんか。緑、ねえ……。どうでもええわ、あんなの」

  

 聞き間違いかと耳を疑う鷹宮を置いて、椎名は屋上から出ていった。



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16.初配信!

「初配信だ……」

「お、おう」

 

 頭を抱える鷹宮に対し、でびでび・でびるはそれよりも多少冷静だった。

 

「やばいよ、このボタンを押したらもう……」

「いや小娘、なんでボクより緊張してんの?」

「待って、まだ押さないで! 心の準備が……あー⁉」

 

 無慈悲にも悪魔の人差し指はボタンをしっかりと押し込んだ。

 

「待てって! てめえクソコアラ! まだ心の準備が出来てねえって言ってんだろぉ!」

 

 これが動画配信アカウント・でびリオンチャンネルの第一声だった。

 

ーーーーーーー

 

「やっちまった……」

 

 部屋の隅で体育座りする鷹宮リオンを置いて、悪魔はパソコンに向き合っていた。

 

「うん、心の準備なんかしてないうちに配信開始しちゃうよ~ん作戦は大成功みたいやね。snsの反応も上々やし、いい滑り出しだよ!」

「ああ、鷹宮が縮こまってる間はでびるとリスナーに翻弄されつつも、行き過ぎるとキレてまたすぐに縮こまる、この繰り返しでバランスが取れてたんだろうな。鷹宮も次からはもう少し強く出ても自然に受け入れてもらえると思うぞ」

 

 本間ひまわりと社築が慰めるも、鷹宮は壁から離れなかった。

 

「小娘、コメント欄を見てみろよ。お前、可愛いって言われてるぞ?」

「へ?」

 

 鷹宮は悪魔が見せるスマホの画面を疑うように凝視する。確かにそこにはたくさんの人たちが鷹宮リオンの容姿や言動を褒めるようなコメントが書き込まれていた。

 

「私が、可愛い……?」

「あれ、配信中にも可愛いってみんな言ってたよ? リオンちゃん見てなかったの?」

 

 ひまわりの言葉に鷹宮はハッとする。確かに流れていた。あれはそういう意味だったのか……。不思議な感覚だった。会ったこともない、顔も性別もわからない、知らない人たちが自分に好意的な言葉をかけてくれるのだ。

 

 鷹宮は無言で動画に寄せられたコメントを確認していく。自分のことを称賛するコメントが目に入るたび、胸の奥が高鳴った。ふと、動画の再生数を確認した。おおよそ三万回……、チャンネル登録者数は六百人。

 

「これだけいれば……でびる、何かできるようになるんじゃ⁉」

「ああ、そうか! ちょっと待ってろよ」

 

 と悪魔は目を瞑って俯いた。きっと自分の身体や状態の変化を探っているのだろう。

 

「よし、見てろよ小娘!」

 

 目を開けた悪魔が人差し指を立て、目を細めてそこに集中するようなしぐさを見せる……。

 ひまわりと社も静かに見守る中、ボッと音を立てて悪魔の人差し指に小さな炎が灯った。

 

「うわ! でびちゃんすごい!」

「ああ、葛葉から聞いてはいたが、まさか本当だったとはな」

 

 ひまわりと社も感心したように炎に見入る。そんな中、鷹宮だけは冷静だった。

 

「本間さん、社さん、またもう一度配信してこれを見ていただければもっと人が集まりますか?」

 

 うーん……と二人は唸る。

 

「俺は一度単発で録った動画を出すのがいいと思う。そのあと生配信で披露、みたいな」

「ひまもそれがいいと思うな。まだ無名なんだし、限られた時間の配信中に人が滅茶苦茶増えるって考えにくいかも。一回一回大事にしていかんとね」

 

 鷹宮は納得して頷いた。

 

「わかりました。それでは単発の動画を用意しましょう。皆さんがたくさん見てくれたおかげで悪魔の力が強まり、こんなことが出来るようになりましたって」

「お、いいねえ。その動画、俺のアカウントで宣伝しちゃおうかな」

「あ、ひまもするよー!」

「おまえら……」

 

 悪魔は感極まって涙ぐんだ。

 

「ありがとうございます。それでは早速動画製作に取り掛かりますので、またしばらく失礼させていただきます」

「おう、動画楽しみにしてる」

「上手く行ったらひまたちの願いもかなえてねー!」

「おう、任せとけ!」

 

 悪魔が手を振り、画面から二人は姿を消した。とたんに静かになった部屋の中で、二人は感動に打ち震えていた。

 

「行けるよ! 私たち行ける!」

 

 突然鷹宮が悪魔に抱き着いた。

 

「へっへっへ、ボクには最初から……小娘⁉ 苦しい! 死ぬ、死ぬぅ……うっ」

 

   ○

 

「おっ、あいつらの初配信伸びてんじゃーん?」

 

 淡い光を発するパソコンのモニターの前で、葛葉はにたにた笑っていた。

 

「どれ、余にも見せるがいい」

 

 葛葉の背後から現れる影、バーサーカーは葛葉のゲーミングチェアを横にずらしてパソコンの前に立った。

 

「ほう、この一瞬だけ見てもわかる。自分本来のペースを失ってはいるが、だからこそ少女の性格の一面が強く表れて、外から見えやすくなっている」

「兄さん、あんたそういう趣味が……ととっ、回すな回すな!」

 

 葛葉の茶々を無言で捌き、バーサーカーは動画を見続ける。

 

「なるほど。微弱ではあるがあの悪魔の元に魔力が集まり出している。それも人間やサーヴァントでは扱えない類のものだ。あの少女の作戦は機能しているようだ」

「ほ~ん、じゃあもうちょっとすれば一緒に戦えんのか」

「このままいけば恐らく、な……」

「はー、そんじゃ、俺も魔力を蓄えに行きますかぁ、と」

 

 少し嫌そうに外出の準備をする葛葉をバーサーカーは黙って目で追う。葛葉はやがてその視線に気づくと、作業の手を停めて聞く。

 

「兄さん、ひょっとして気にしてんのか?」

「……貴様はそれで納得しているのか?」

「仕方ないだろ? 兄さん呪いが強すぎるんだよ。俺の場合はチャームしていい夢を見せてやるついでに血をもらう。相手も健康な人間のまま生きていけんだから、ウィンウィンなわけよ。片っ端から吸血鬼化してったら聖杯戦争も成り立たねえよ」

 

 聖杯戦争が成り立たない……バーサーカーはそうは思わなかった。むしろ人間の血を積極的に吸って吸血鬼を増やしていけば、国を征服することだってできる。

 そして、国を征服すれば結果的に聖杯戦争にだって勝利できるだろう。そんなことを考えそうな人間は幾らでもいるというのに。バーサーカーの目の前にいるこの若き吸血鬼は……。

 

「兄さんもパックでいいなら血は幾らでもあるんだし、俺が強くなれば兄さんに送れる魔力量も増えるだろ? 俺は俺にできることをやるしかねえって」

 

 バーサーカーは無言で立ち尽くす。

 

 葛葉は吸血鬼だったが、人に迷惑もかけず、人の世に上手く溶け込んでいる。

 

バーサーカーは知った。こんな力でも、人の世で暮らしていけるのだ。今や吸血鬼はバーサーカーにとって全面的に嫌悪する対象ではなかった。そうであるなら、これは吸血鬼という種の問題ではない。自分の問題だ……。

 

 バーサーカーの表情が緩んだのをきっかけに、葛葉は荷物を整えて部屋から出ていった。

 



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VSさんばか 
17.麻婆豆腐と包帯男


●Live 1666人が視聴中……

「ふっふっふ……お前たちご苦労! 先に上げた動画がたくさん再生されたおかげで、またボクの力は強くなった! 見るがいい!」

 

 そうして悪魔は三本の黒い爪の先端に順々に火を灯していく。チャット欄は悪魔を崇拝するコメントが溢れ返った。

 

「どれどれ、コメントの方も読んでいくぞ! えー、これで三人ぶんの煙草に同時に火が点せますね、でび様素晴らしいです! だってさぁ。えっへん、やっとボクの素晴らしさに気が付いたか! 崇拝ご苦労! お前の煙草にもいつか火を点してやるからな!」

「でび……る様、その、大変申し上げにくいのですが……」

 

 気まずそうな鷹宮の声にチャット欄では笑いが起こる。それと同時に冗談半分ではあったが鷹宮を諫めるようなコメントも流れていた。

 

「あ、言わない方がいいこともある……そうですね。そうかもしれません」

「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「いえ、三人もの煙草に一度に火を点せるなんて、本当にでびるさまは素晴らしいお方と私も思っていたんです。あ、ほら見てください、視聴者数が先ほどの倍になってます。登録者数は千人を超えました!」

「いや、話変えたよな? 小娘、なぜ視線を逸らす? お前、前から思ってたけど、ボクのこと馬鹿にして――」

「でっ、ででででび様⁉ 今なら小さな願い事なら叶えて上げられるのではないでしょうか。崇拝者たちにコメントを書き込んでもらって、それを配信中に叶えて差し上げたら、きっともっと崇拝する人も出てくると思います……!」

 

 悪魔はぐっぱぐっぱと手を開いたり握ったりして体調を確かめるようなしぐさを見せると、気分よく頷いて言った。

 

「それは確かに! よし、みんなコメントに願いを書き込め! 小さいものなら本当に叶えてやれるかもしれん!」

 

 鷹宮がほっと息を着いたので笑いの反応が一瞬見えたが、じきにチャット欄は願い事のコメントで埋め尽くされた。

 

「お、小娘、これはどうだ? この紅の子豚って奴、ギャルのパンティーが欲しいみたいだ! 軽い願いだし、こんなんなら三枚でも四枚でも……」

「それは駄目です」

「え、でも」

「駄目なものは駄目です! それよりもこちらの方はどうでしょう。麻婆神父さんのお願い、激辛麻婆豆腐。おいしそうです」

「それいいな! 想像したら涎が出てきた。よし、そいつと俺たちで一緒に喰うか!」

「あ、その手があったかぁ! ではなくて、ええ、配信中に突然麻婆豆腐が現れれば、視聴者様たちもでびる様のお力をまた一歩認められるに違いありません」

 

 と早速鷹宮は配信画面に映るように白いテーブルを用意した。

 

「よし、準備は整ったみたいだな。画面の向こうの麻婆も準備したか? いくぞ~。いでよ、激辛麻婆豆腐‼」

 

 悪魔が両手を広げると、テーブル上にマグマのように赤く煮えたぎった二人分の麻婆豆腐が現れた。

 

「ちょ、なんですかこれ⁉ 失礼ですけど、これは本当に人間が食べていい食べ物なんですか⁉」

 

 鼻から脳の奥までを刺激する刺激臭に咳き込みながら、鷹宮は後ずさっていく。

 

「えー、こちら、地球上のおいしい麻婆豆腐の中ではさんばんめくらいに辛い奴でございます」

 

 妙に畏まった演技で場をつなごうとする悪魔だったが、チャット欄は驚愕と疑心、麻婆豆腐への恐怖で混乱に陥っていた。そこにさらに悪魔の声が拍車をかける。

 

「ちなみに二番目に辛いのは……小娘、すげえ! 近所にあるわ!」

「馬鹿、住所はやめろって!」

 

 日本の辛い麻婆豆腐情報が飛び交うチャット欄に冷や汗を流す鷹宮、悪魔は思い出したかのように呼び掛ける。

 

「麻婆神父~、麻婆は届いたか~?」

 

 視聴者たちが気を利かせたのか、コメントが一時的に減る。そこに麻婆神父のコメントが流れた。

 

「届きました。素晴らしい色彩! 素晴らしい香気! 冷める前に早くいただきましょう!」

「いや、冷める前にってこれ、冷めないと……」

「みんな、スプーンはもったか?」

 

 デビルの言葉に返事するように麻婆神父のスプーンの絵文字が流れた。それが面白かったのか、たくさんのスプーンの絵文字が流れ出す。

 

「お前ぇら食わねえだろ! くそ、どうして私がこんな……いいよ食ってやるよもう!」

 

 鷹宮はスプーンを握り締めた。悪魔も神妙な面お持ちでスプーンを構える。

 

「では、手を合わせて……」

「「いただきます!」」

 

 鷹宮の記憶はそこで途切れている……。

 

―――――――

 

 冬木教会、ずらりと並ぶ席にただ一人寝転がって、神父はスマホの画面を眺めていた。

 

「これ、やばいよなあ……」

 

 神父は苦笑する。画面では金髪の少女と悪魔が唇をたらこのように腫らしながら必死になって麻婆豆腐を食べる動画が流れていた。

 

 カツ、カツ、カツ……と教会に足音が響く。

 

「おーい、かなかないる~?」

 

 神父、叶が体を起こすと、全身包帯に包まれて松葉杖を突く奇妙な男が立っていた。

 

「あー……どちら様でしょうか?」

「ましろだよ⁉ いや、絶対わかってるよね?」

 

 強く訴える包帯の人物の瞳は確かに黄色く輝いていて、叶の知っているましろのものと一致する。叶は誤魔化すように笑って尋ねる。

 

「ましろさんでしたか。失礼、一瞬誰だかわかりませんでした。どうしてそのようなお怪我を?」

「それがさあ、観客を燃やしてショーと称するとんでもないマジシャンがいてね……いや、っていうか何見てるの⁉ 僕にも見せて」

「嫌です」

 

 スマホをポケットにしまい、叶は立ち上がった。

 

「ましろさん、今日はどうされましたか?」

「やぁね、実は、お願いしたいことがあって」

 

 気まずそうにうつむき包帯の中の指をもじもじとさせるましろ。なんていいタイミング! 叶は手を叩いて喜びたかったが、それを堪えて慎重に話を続けた。

 

「森はもう嫌ですよ」

「あはは、ごめんね……いや、あの森は僕悪くないよ⁉」

「へぇ、どうだか……」

 

 叶はポケットに手を突っ込むと通路に出て、ましろと向かい合った。ましろは何かを話したそうにしていたが、叶の言葉も待っているようだったので、叶はどうぞ、と先を促した。

 

「いいかな。えっと、お願いっていうのは、僕たちはあの森でいろいろやりたいことがあるんだ」

「それはどのような? 何か目立つことでも?」

「うん、まあ……」

 

 ここでましろは言葉を濁した。叶はましろの真意を探ろうと目を凝らしてみるが、ましろの瞳は叶の姿を捉えながらも、どこか遠くに向けられているようだった。

 

「そんな一週間とかやるわけじゃないよ? 一瞬、ほんの数日だけすごく目立っちゃうかなー……ってね?」

 

 凄く目立つ、か……。叶はましろの全身にさっと視線をめぐらす。

 包帯に包まれた表面は確かに痛々しいが、恐らくそれより酷いのは中身、火傷を負った皮膚一枚の下。骨に筋肉に神経、内臓までも、ツギハギのぐちゃぐちゃだ。ましろが何を犠牲にしながら戦っているかは一目瞭然だっった。何が彼をそこまでさせるのか……。

 

 ましろは叶の返答を待っている。あまり待たせても訝しまれる。それに、叶としてもじろじろ観察されるのは好きではなかった。

 

「そうですね、細かく追及するのはよしましょう。そもそも聖杯戦争に動きがあるのは喜ぶべきこと。あの森ですが、今は笹木さんの遺した結界を再構築し改良を施したもので住民の目からは守られています。ですので、森を拡げたり、壊したりしなければ、あの森で何をしようとも私どもが何とかして見せましょう」 

 

 本当は、結界は座標的なものであり、よほどのことでもなければ叶が何かをする必要もないのだが……。

 

「ほんと⁉ いやぁ、ありがと。僕たちにはどうしても必要なことだったから」

「それはよかった! では、その代わりといってはなんですが、実は私の方でもお願いしたいことがあるのです……」



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18.コラボ~‼

●Live 30012人が視聴中……

「みんな~、今日はコラボだよー!」

 

 本間ひまわりの言葉にチャット欄は湧き上がる。社築が澄ましたように立っているので鷹宮と悪魔も黙って立っていたが、内心は恐れ慄いていた。

 

「どうしようでびちゃん、三万人が見てる……」

「おおお落ち着け小娘! まずは深呼吸だ。そしてそのあとはスクアット、それからはカレーライスだ!」

「お前が落ち着け!」

 

 二人がそうしている間にもひまわりは司会を進めていた。

 

「いやあ、私たちデビュー配信からでび様のファンでして、それで今回ブレイクしたお二人とコラボできたらなって思っていたので嬉しいです! それではお二人に自己紹介をお願いしたいのですが……ええぇぇぇ‼」

 

 司会のひまわりがマイクを向けたとき、二人はカレーライスを食べていた。

 

「ちょ、なんでカレー食べてるんですか⁉」

 

 ひまわりの困惑に鷹宮は咀嚼を止めず答えた。

 

「このば……でびる様が私の緊張を和らげようと出して下さいましたので。お二人のぶんもありますよ」

「え、あ、うん。今用意するね」

 

 悪魔が腕を振ると、社とひまわりの前にカレーとスプーンがぽんと現れ、カシャンと置かれた。社とひまわりは顔を見合わせる。

 

「ちょうど腹も減ってたし、俺は助かるわ」

 

 そう言って社はスプーンを取った。

 

「ええ、配信中ですよ⁉」

「いや、ひまわりさあ、コメントを見てみろよ」

 

 社に促されてひまわりがコメントに目を通すと、そこにはスプーンの絵文字が大量に流れていた。

 

「みんなぁ……うぅ、じつはひまもお腹すいてたんだよねぇ。いただきます!」

 

 悪魔の出したカレーがよほどうまかったのか、四人はしばしの間無言でカレーライスを食べ続けた。

 

 

 

「「やっちまった……」」

 

 部屋の隅で体育座りする社とひまわりに、鷹宮と悪魔は首を傾げた。

 

「え、みんな楽しんでたじゃないですか。何が駄目だったんです?」

「そうだよ、お前たちの願いも叶えてやって、喜んでいたじゃないか!」

 

 社はぎぎぎっと首だけを動かして振り向き、淀んだ瞳で言った。

 

「いやぁ、冷静になるとカレーを無言で食い続けた五分ちょっと、あれはやばい。ヤバすぎる」

 

 社は言い終えると深いため息をつく。ひまわりもため息をついていった。

 

「もう駄目だぁ、配信者失格だよ~……」

 

 でもでも、と悪魔が端末に映る画面を指差した。

 

「コメントは美味しそうってみんな言ってるけど」

「そんな馬鹿な。俺たちはその美味しさを伝える努力が出来なかった……」

 

 社は自分で言いながらさらにショックを受けたようで、その背中は丸くなる一方だった。

 

「美味しそうに食べればいいんじゃないの?」

 と鷹宮。

 

「それは……そうかも?」

「おいひまわり!」

 

 反論しようとしたひまわりが納得しかかり、社は配信者として俺が最後の砦だ、と自分の心を奮い立たせっるが、それもひまわりの次の一言で陥落することになる。

 

「ねえやしきず。私たち、リオンちゃんとでびちゃんにそのままが良いって言ったばかりなのに……」

「っつ……!」

 

 社は葛藤するように天井を仰ぐ。だが、考えても視聴者の心の中はわからない。いや、コメントに掛かれた美味しそうという言葉、あれを疑う理由はないはずだ……。社は一応の答えを得、納得する。

 

「自然にあのリアクションが出た。だったらあのときはアレが最善だったんだ。そう信じるしかないのか」

「そうだよ! あの配信は大成功だよ。それに、私たちの願いも叶えて貰えたしね」

 

 そう言ってひまわりは視線を部屋の隅にやる。そこにはゲームセンターにあるような音ゲーの筐体があった。

 

「ああ、俺は最新の音ゲーの筐体。ひまわりは……」

「この世で一番おいしいラーメン!」

 

 とひまわりはテーブルの上のスープまで飲み尽くされた空のどんぶりを示して見せた。

 

「まさかカレーの直後にラーメンとはな」

「うん、お腹すいてたから……」

 

 恥ずかしそうにお腹を押さえるひまわりに社は呆れながらも笑ってしまう。

 

「しっかし、配信ってわかんねーよな」

 悪魔は嘆息する。

 

「一人がゲームすっごいやってんのを一人がラーメン喰いながら見てるだけなのに、みんな喜んでた」

「配信……俺も未だによくわからん」

「ああうん。ひまもよくわかんないね」

 

 四人は声を上げて笑った。そんな中悪魔だけは端末を抱えたまま、まるで端末の向こうに誰かがいるように、一緒に笑っているような反応に見え、社は尋ねる。

 

「でび様、その、さっきからどうしてその端末を持ってるんです?」

「だってこいつらといる方が楽しいじゃん?」

 

 悪魔の見せた端末の画面には四人の姿が映り、画面端のチャット欄はすごいスピードで流れていく。

 社は猛スピードで悪魔ににじり寄り、言った。

 

「でび様、まだ教えていなかったようなので今教えましょう、配信の切り忘れは個人情報の流出にもつながるので、配信者は最も避けなくてはいけない事態なのです……!」

「な、なんだってー!」

「なに? 切り忘れ? まだ繋がってる? みんなーバイバーイ、おつひま!」

「ご、ごきげんよ~、あははは……」



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19.路地裏

 冬木大橋の欄干の上に男が一人降り立った。その際に浮いて胸元から出てきた十字架を胸に収めると、男は月のない夜空を見上げた。

 

「ふむ、私が最後のようだ。この街の魔力濃度は少し高すぎる。凶暴な女たちだ、恐らくマスターを食い荒らしにかかるだろうが……これは上手くいかないかもしれぬな」

 

 男はにやりと笑うと、橋から飛び降りた。

 

   〇

 

 街は夜に賑わいを見せる。葛葉が目で追ってしまうのも、たいがいは賑わいに貢献するような若い男性や女性であって、街の喧噪に背を向けるような仕事帰りのサラリーマンの血はどうも吸いたいと思えなかった。

 

「いや、今回は血を吸うわけじゃねえんだけど……」

「けど、なんだ? 貴様が覚悟を持って引き受けたことだろう?」

 

 葛葉の影が蠢き、葛葉の耳元で囁くように声が語り掛ける。

 

「それはそうだけど……なんつーか嫌な予感っていうの? この魔力もさっきから隠す気ねえじゃん。誘ってるよな、これ」

「当然、そうであろうな。用心するがいい」

「はあ……じゃ、いい加減行きますか」

 

 葛葉の視線の先には帽子を被った赤髪の女性が歩いている。女性は観光客なのか、高いビルや道行く人々に目移りしながら道路を行ったり来たりしていた。その様は忙しない人の流れの中であからさまに浮いている。

 

 葛葉はまっすぐにその女性の元へ進んでいくと、耳元で「ちょっと来い」と囁き、手を引いて路地裏へと入った。無抵抗な女性に違和感を覚えながらも、女性を壁に押しやると、手を壁について逃げ道を塞ぐ。

 

「よお、なんでここに連れてこられたかはわかるな?」

 

 低い声で言って、葛葉は相手の顔をよく見るために帽子をとる。

 

 帽子を取った女の顔が赤らんでいた。

 

「どうしてって、その、ナンパ……ですよね?」

 

 葛葉は無言で壁につけていた手を離した。なるべく距離を取ろうと後ずさったが、狭い路地裏だったので壁に勢いよく衝突する。それを痛がる間もなく葛葉は人通りのある方に向けて早歩きを開始した。

 

「ちょっとぉ! ちょっと待ってください! LINEも電話番号も住所もディスコードIDも聞き忘れてますよ⁉」

 

「やめろ、俺に触るな……! LINEも電話番号も住所もディスコードIDも聞き忘れてねえ! 何なら今家の用事を思い出したって。頼む帰らせてくれ!」

 

 葛葉の懇願虚しく、葛葉の細身の体は女性の腕一本にずるずると引きずられて路地裏の奥へと戻される。女性は葛葉を開放すると、手を胸の前に組んで瞳を輝かせて言った。

 

「さあ、これで落ち着いて話が出来ますね。まず何の話から始めましょう」

「いや、話は……」

「まずはやっぱり、今後の二人の将来について……ですかね?」

「……」

「でもやめて! 私にはもう愛しの彼がいるの! そんなに欲しがられても、アンジュはアナタの物には……あれ?」

 

 その女性、アンジュが辺りを見回しても、路地裏にはアンジュ一人しかいなかった。

 

 葛葉は吸血鬼の翼を使って空へと逃げ出していた。

 

「くそっ、あいつやべえって! 全然人の話聞かねーし。あーもう、叶になんて報告すればいいんだぁ……! 兄さん? 兄さんいる? どっか行っちまったのか?」

「素敵な翼ですね」

 

 背後から聞こえたその声に戦慄しながら振り返ると、先ほどの女性が何もない空中を足の踏み場にして葛葉のすぐ後ろに迫っていた。

 

「うわぁぁぁ‼」

 

 葛葉は悲鳴を上げながらペースを上げるが、女性は涼しい顔でついて来る。

 

 女性は決めポーズなのか片手を顔の前に掲げていった。

 

「さあ自己紹介からいきましょう? 私はヘルエスタ史上最高の天才美少女錬金術師こと、アンジュ・カトリーナ。それで……あなたのお名前は?」

「い、言いたくねえ!」

「待って! 言わなくてもいいわ。目を見ればわかるもの。……葛葉さん、ですね? そんなに私の血が吸いたいのでしたら、構いませんよ? 永遠を生きる孤高の二人……あると思います!」

「ねえよ!」

 

 葛葉は息を切らしてビルの屋上に降り立った。アンジュもまるで浮遊しているかのように音もなく降り立つ。

 

「っつーかあんた、彼氏いるって言ってなかったか? なんでそんなにぐいぐい来れんだよ⁉」

「禁断の愛とは蜜の味がするもの……わかりますよね?」

「わかりたくねえ!」

 

 葛葉は頭をかきむしると、深呼吸して自分を落ち着かせる。

 

「あんた、魔術協会だか聖堂教会だかの送り込んできた刺客ってことでいいんだな?」

「ええ、その通り。私は魔術協会側なんですけど、直轄ではないので。まあ、割と吸血鬼に理解があるほうでは……ありますよ?」

「その情報いらねえよ。ったく、もうなんか全部面倒くさいわ」

 

 葛葉が髪をかき上げて目を瞑る。そして、開かれた葛葉の目は赤く光っていた。

 

「俺に従え!」

 

 葛葉の言葉と共に、アンジュの瞳が赤く染まっていく。アンジュは立ったまま全身を震わせるが、瞳だけは葛葉の赤い瞳と繋がっているかのように一点を見つめ続けている。やがて、力が抜けた様にアンジュの首がかくんと垂れ下がった。

 

「はい、貴方に従います」

 

 再び首をもたげてぼそぼそ発されたアンジュの声には力がなく、まるで自分の意思ではないようだった。

 

「よし、こっちに来い。叶に引き渡す前に俺も聞きたいことがある」

 

 アンジュはよろよろと頼りない足取りで葛葉の方に近づいていく。

 

「そこで止まれ」

 

 葛葉はスマホのメモを見ながら興味なさげに言ったが、そこでアンジュの足がもつれた。アンジュは受け身も取らずに地面に倒れていく。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 地面に衝突する間際、アンジュの体は滑り込んだ葛葉の手に受け止められた。アンジュは赤い瞳で葛葉を見つめて言った。

 

「もちろん、大丈夫。私はアナタのアンジュですよ、永遠にね……」

 

 一瞬だが、アンジュの赤い瞳に幾何学的な魔術式が浮かび上がる。葛葉はアンジュを支えていた手をパッと放した。

 

「ぐはぁっ!」

 

 結果、アンジュは地面に頭をぶつけた。アンジュはしばらくは後頭部を押さえてごろごろと転がっていたが、やがて起き上がり涙目で言った。

 

「そういうのが好みなの⁉ いいわ……上等よ。アナタの全てを私にぶつけて!」

 

 両手を広げたアンジュから葛葉は思わず視線を逸らす。慈愛に満ちた瞳で鼻を啜るアンジュの姿が痛々しかったからだ。

 

「こんな茶番、俺には向いてねえのによ」

 

 葛葉は困ったようにそっぽを向き、上着の内ポケットに手を突っ込んだ。そして、

 

「初めから、こうすりゃよかったわ」

 

 葛葉は一転して、冷めた表情でアンジュに銃口を向けた。



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20.錬金術師

 バーに入ってきた女性を見てライダーが立ち上がった。

 女性はスカートに氷をあしらった制服を纏い、真っ白な長い髪の内側に深い水色のインナーカラーを覗かせている。そして、女性は帯刀していた。

 

「ストップ。座ってて大丈夫。お前も座ったらどうだ? リゼ・ヘルエスタ」

 

 花畑チャイカはライダーを座らせ、新しいミルクを出す。無言で席に座った女性、リゼ・ヘルエスタにもミルクを出した。

 

 リゼは出されたミルクを不服そうに見つめたあとで、チャイカの方に視線を移して言った。

 

「それで、聖杯戦争の首尾はいかがですか、兄上」

 

 高い声ではあったが、清潔で品のある声だった。だが、ライダーは飲んでいたミルクを噴き出した。

 

「え、兄上⁉」

「いや、血の繋がりはねえよ。小さいころ面倒を見てた時期があっただけだ」

 

 チャイカの説明にライダーは納得したのか、また落ち着いてミルクを飲み始めた。

 

「聖杯戦争か。大した動きはない。わかってるだけでは笹木が行方不明になったくらいか」

「笹木さんですか。お仲間だったのでは?」

「いや、それがあいつ、私たちと組むの滅茶苦茶嫌みたいで……反抗期なのかなぁ」

「はぁ、笹木さんらしいと言えば笹木さんらしいですけど」

「あとは、つい最近、その笹木をやった奴の家を荒らしてきた」

「家を? なぜ?」

「ちょうど留守だったんだよ。それで魔術礼装がたんまりあったから全部燃やしてきた。戦力はだいぶ削げたと思うね」

「なるほど、そういうことですか。流石ですね。スラム街に毒を撒いた兄上の策を思い出します」

「いや、あれは……⁉」

「うん、それだけ聞くと最低だけど……すごい気になるね!」

 

 目を輝かせるライダーにでこぴんを決め、チャイカは話を逸らしにかかる。

 

「それよりお前の方こそ首尾はどうだ? なかなかうまくやっていると聞いているが」

 

 リゼはミルクの注がれたグラスに小さく口をつけ、答えた。

 

「ええ、ヘルエスタ王国の上層部は私の根回しで完全にチルドレンと化しました。それを隠しつつ、魔術協会と聖堂教会の懸け橋となるべく奔走しているところです。やがては両組織にチルドレンを増やしていく作戦も機能するでしょう」

「すごいじゃないか。だが、そのためにここの調査にも抜擢されたというわけか」

 

 気を遣われたリゼは少し気まずそうに視線を逸らす。

 

「そうですね。調査と言っても期待されているのは聖杯戦争の妨害ですから……まあ、威力偵察ですね。都合のいいようにやらせていただきますとも」

 

 リゼは笑って言い切ると、グラスのミルクを一気に飲み干した。

 

「私はいいですけど、他のメンツはやる気満々だったので、椎名さんにはくれぐれも家から出ないようお伝えしていただければと思います」

「おう、伝えとくわ」

 

 とさっそくチャイカはポケットから携帯を取り出した。

 

「ところでこのあと叶さんの教会を急襲する予定なんですけど、行かない方がいいですかね?」

「行かない方がいい」

「行かない方がいいね」

 

 チャイカとライダーはほとんど同時に断言した

 

   〇

 

 夜のビルの屋上で銃声が何度も鳴り響く。街行く人たちは驚いて空を見上げるが、そこにはすでに何もない。人々の中には首を傾げてまた歩き出す者もいれば、音を銃の物と知って警察に通報する者もいる。

 

 だが、銃を撃った当人であるところの葛葉には全てどうでもいいことだった。

 

 葛葉はまっすぐツッコんでくるアンジュに発砲する。アンジュがそれを右手で払うと、金属音と共に銃弾は弾かれてしまう。

 

「あの腕……義手か?」

 

 葛葉は冷静にアンジュを観察する。アンジュの薄い手袋からわかる右手の輪郭は明らかに硬質で、もう片方のいかにも女性らしい左手とは正反対だった。アンジュはそのまま右手を伸ばして葛葉を捉えようとするが、葛葉は翼を拡げてアンジュの頭上を飛び越える。すれ違いざま、葛葉は三度発砲した。

 

(これは防げねーだろ……?)

 

 アンジュの頭上から腕や太ももを狙った三発の弾丸は、前に手を伸ばしたまま頭上の葛葉を目で追うアンジュの体制からして防げないはずだった。だが、弾丸はアンジュの体に触れる直前に、やはり金属音と共に掻き消えてしまった。

 

「なに⁉」

 

 葛葉は目を疑った。消えた弾丸がアンジュの足元に三つ、くしゃくしゃになって転がされたのだ。

 

「何が起こったか、わかっていないようですね。教えて欲しいですか?」

 

 得意げに笑うアンジュに葛葉は舌打ちした。

 

「いらねえ」

「そんなに頼むのでしたら仕方ないですねぇ。私と葛葉さんだけの秘密ですからね!」

「……もうそれでいいわ」

 

 アンジュは両手を頭上に伸ばした。その手は何か大きいものをなぞるように、輪郭を象っているようにも見えるが、依然と変わらず葛葉の目には何も映っていない。アンジュは何かを抱き寄せて、それを自分の肩に大事そうにのせた……そんな風に見えるのだが。

 

「おや、見えていませんか? それではこういうのはどうでしょう」

 

 アンジュが懐から水晶玉を取り出すと、それを真上に放り投げた。水晶玉はアンジュの頭上で光り輝くと、弾けて辺り一帯に水気の多い霧を吐き出した。

 

「何がしたい……そうか、そういうことかよ」

 

 霧の水滴でアンジュの周りを取り巻く巨体が徐々に浮き上がってくる。それは人の形をしてはいたが、身体は岩のようにごつごつした部分とスライムのように柔らかい部分が混ぜこぜになっていた。そしてその頂点にくっついている頭部だけは、目や鼻の輪郭だけ見ても整った男性の顔であることがわかる。アンジュはその男の顔を肩に抱き寄せていたのだ。

 

「ふっ、見えたようですね……私の彼氏が!」

 

 葛葉は口をぽかんと開けたまま言葉を失った。

 

「言っておきますけどね、葛葉さん。私の心と体はすでにひろの物、そこいらの男が簡単に奪えるものではなくてよ!」

「……」

「何か言ったらどうですか? 私のひろを打倒しなければアンジュは手に入りませんよ?」

「あ、ッスゥー……あの帰っていいですかぁ?」

 

 アンジュの笑顔にひびの入った音がした。

 

「ひろ! あの男がナンパしてきた! 私の体が魅力的だって! 涎を垂らして! 獣のような荒い息で……!」

「はぁ⁉ ちょ、ひろさん、違うんすよ。というかあの、ひろさんの彼女さんマジヤバくないすか? 絶対別れた方がひろさんのためになりますって!」

「ほら聞いた⁉ ああやってウチらの仲を裂こうとしてる!」

「ん~~違う、違うんです! そうではなくてですね⁉」

 

 さらに言い訳を続けようとした葛葉の前に巨体は音を立てて降り立ち、いかにもイケメンっぽい爽やかなボイスで言った。

 

「確かに。お前の言うことは正しい」

「ひろぉ⁉」

 

 膝から崩れ落ちるアンジュ。葛葉は勝機を見出し手を揉みながら馴れ馴れしく近づこうとするも……。

 

「ですよね! だったら……」

「だが、俺はアンジュの全てを愛している。アンジュを悲しませたくはない……」

 

 葛葉は理解できず、首を傾げた。

 

「それはつまり……」

「お前に恨みはないが、もう少しだけ踊ってもらおうか」

 

 ひろが咆哮し、大岩のような腕を葛葉に振るう。

 

「うわっと!」

 

 それを間一髪でよけ、翼を広げて空へと逃げる葛葉。振り返ると、ひろは光り輝く翼を背中に生やし、アンジュをお姫様抱っこして追いかけてきていた。

 

「兄さん、いないのか⁉ 本当にやべえ、俺一人じゃあの彼氏には勝てねえ!」

 

 葛葉は辺りを見回す。空中だったが、葛葉には影が出来ていた。葛葉はそこにバーサーカーがいると確信して呼び掛ける。

 

「兄さん、死ぬ! 俺死ぬって!」

「なんだ、騒々しい……」

 

 葛葉の足元の影から顔だけ覗かせ、バーサーカーは迷惑そうに葛葉を見つめる。

 

「兄さん、後ろ後ろ!」

 

 バーサーカーは辺りを見回し、背後に迫るひろとアンジュを視界にとらえると、ほう、と感心するように息を着いた。

 

「錬金術師か。余の時代にも少しはいたが、あの境地に到達した者はそうはいまい」

「見ただけでわかるのか」

「ああ、あの化け物は身体こそ現実の素材を使っているが、魂は思念の色が強い。よっぽど思い込みの激しい性格でないと普通あそこまでの格にはならんな」

「よっし、んじゃ逃げるのはここまでだ!」

 

 葛葉は反転し、ビルの屋上に立つ。その陰からバーサーカーが姿を現し、槍を構える。

 

「へえ、それが噂に聞くサーヴァントですか。私のひろと同じくらいイケメンですね。果たしてどちらが強いのか、気になりませんか?」

 

 アンジュはひろに下ろしてもらうと、ひろから距離を取る。緊張感が高まり、葛葉は銃を取る。その緊張感に水を差すようにアンジュは言った。

 

「ただし、言っておきますけど……」

「ああ? なんだよ」

「ひろを殺されたら私はショックのあまり死んでしまいますので、もしあれだったら加減してもろて……」

 

 葛葉は気まずそうにバーサーカーを見る。

 

「とかなんか舐めたこと言ってますけど、どうしますかぁ、兄さーん?」

「……善処しよう」

「だってよ、兄さんに感謝すんだな! おらいくぞ!」



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21.代償

 ひろが唸り声をあげて前進し、大岩のような腕を振るう。バーサーカーは強靭な身体能力で躱していくが、誘導されていたらしい、いつの間にか屋上の縁に追い詰められていた。

 

 ひろは勝利を確信し、笑い声を夜空に響かせ巨大な拳を振り下ろした。

 

 轟音が鳴り響く。ビルの屋上はその一撃で陥没し、数多の破片が舞い上がった。葛葉は瓦礫の間を飛び移りながら頭上を仰ぐ。バーサーカーが翼を広げて空に立つ一方、ひろはスライム状の触手を分裂させてアンジュを包み込み、光り輝く翼で舞い上がってバーサーカーに対峙する。

 

 葛葉もまた翼を拡げてバーサーカーの元に赴こうとするが、考え直してビルの陥没を免れた部分に落ち着くことにした。

 

 そして、その判断は正解だった。怒号を上げたひろの体は膨れ上がり、岩のような腕はどんどん巨大化しながらすさまじいスピードでバーサーカーに迫る。バーサーカーは固い腕を槍で受け流しながら下へと潜り込むが、そこをスライム状の腕が分裂しながら捉えようとする。バーサーカーは槍で柔らかな腕を切り刻みながらひろの本体へ進もうと考えたようだったが、頭上にあったひろの巨大な腕がそのまま落ちてくる。バーサーカーは目を見開き、槍を大きく旋回させる。

 

 硬質な音の中に液体を含んだ柔らかなものの傷つく音がした。ひろの硬い腕を食い破って、暗い輝きを放つ杭が次々と生え出でたのだ。杭は旋回する槍の軌道に沿って広がっていき、ついには腕を内部から崩壊させた。腕を失い、悲鳴を上げながらもひろの体は巨大化を続けていく……。

 

 葛葉の掴まっていたビルのフェンスが軋む。葛葉が見上げると、飛び降りてきたらしいアンジュがフェンスの上部に右手を引っ掛けていて、体を引き上げたところだった。アンジュはフェンスの上に腰を下ろすと、葛葉を見下ろしてほほ笑んだ。

 

「おまたせ、待った?」

「お前、あれどうすんだよ」

 

 葛葉が指差した先では、先ほどよりもさらに大きな腕を引っ提げたひろが暴れまわっていた。アンジュはふざけているのか、動き回るひろをカメラの画角に収めるように、指で作った四角形の中に収めようとしていた。

 

「うーん、そうですね。今ひろは自分の身体に触れるもの全てを魔力に変換し、体を大きくするためのエネルギーとして使ってるみたいなんですけど、この理屈で言うと本当にどこまでも大きくなれるかも……?」

「な⁉ とめろや!」

「いえいえ、そんな一方的な戦いではないですよ? 身体が大きくなれば表面積も大きくなって作られるエネルギーも増えるとはいえ、その体を動かすエネルギーにはすぐに見合わなくなる。そうなったときが私たちの負け、ですかね」

 

 アンジュの言うとおりだった。バーサーカーもわかっていたのか、のらりくらりとした消極的な立ち回りを続けている。ひろは叫びながら巨大化を続けるが、動きは鈍くなる一方であり、切り落とされた部位も回復は遅くなっていく。

 

「終いだな」

 

 バーサーカーが告げる。ひろは絶叫し触手と化した幾本もの腕を一斉にバーサーカーに向けたが、バーサーカーはそれを片っ端から切り刻んでまっすぐにひろへと飛んでいく。

 

「そこまでにしてもらえますか」

 

 その渦中にアンジュはバーサーカーの前に両手を広げて立った。バーサーカーは興ざめするようにアンジュを見たが、じきに苦笑して槍を下ろした。

 

「余は構わんが、そちらの大男の方ではまだ戦う意思があるようだ」

 

 アンジュは振り返る。ひろは全身を震わせ、今にも突進しようとしているようだ。その目はありありと戦意が見て取れた。アンジュはひろへと歩み寄り、その体に触れる。

 

「ひろ、もういいんだよ」

「駄目だ! まだ俺は、俺の強さを証明できていないっ。俺はお前の恋人だ、お前のことを誰よりも知っているんだ! こんな弱い俺ではアンジュを繋ぎ留めておくことができない……!」

 

 涙を流して再び戦おうとするひろに、アンジュは思わずはにかんでしまう。

 

「ああ、不安なんだね。わかるよ。あなたが思ってくれてるのはすごくわかる」

 

 そう言ってアンジュがひろを抱き寄せると、それに応えるようにひろの巨体は崩壊し、アンジュの両腕は等身大に残されたひろの体を包み込んでいた。

 

「私はそれで満足するから、あなたも私の満足で満足してほしい……駄目かな?」

 

 ひろは恥ずかしいのか、顔を背け、小さく頷いた。静かに涙を流すひろの頭をアンジュが抱き寄せる。

 

 葛葉の目はアンジュの右手にくぎ付けになった。ひろの頭を優しく包むその右手は、銀色に輝いている……義手。

 

 アンジュはひろと抱き合ったまま振り返り、葛葉とバーサーカーの方を見た。

 

「と、いうことで。私の任務は威力偵察だったけど、十分やれたよね?」

「ああ、あんたは十分やったよ」

 

 葛葉は疲れた顔で頷いた。バーサーカーも肯定するような表情を浮かべていた。

 

「それはよかった。じゃあ私たちは帰るとしますか。私たちに限ってもうこの聖杯戦争の妨害行為はしないと誓いましょう。葛葉さん、そしてヴラド・ツェペシュ……さん? 私たちのことを見逃してくれて本当にありがとう。また、どこかでお会いしましょう」

 

 アンジュが言い終わるのと同時にひろは背中の翼を巨大化させ、上空へと舞い上がっていった。

 

 残された二人はどっと疲れが押し寄せてきたのか一緒に俯く。葛葉が顔を上げ、バーサーカーの翼を見て言った。

 

「兄さん、その翼かっけーな」

 

 バーサーカーは相変わらず疲れた表情で葛葉を見て、言葉を返す。

 

「ふん、お前ならそう言ってくれると思っていたよ」



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22.獣耳の刺客

 鷹宮と悪魔は町はずれの森へ来ていた。二人は一緒に鼻歌を歌い、上機嫌で森の中を進んでいく。

 

「おい小娘、この辺りでいいんじゃないか?」

「そ? じゃ、この辺にしますかぁ」

 

 二人は立ち止ると、辺りに誰もいないことを確認し、用意していた人よけの礼装を木々に取り付けていった。

 

「よし、じゃあボクから……」

「いや私からだね!」

 

 鷹宮が手を前に突き出して念じると、地面に赤い魔法陣が現れ、魔法陣の底から金色の鎌が浮き上がってきて鷹宮の手に収まった。

 

「すげぇ、なにその鎌、かっけえ!」

「えっへっへ……っていうかでびちゃん知らないの? これでびちゃんの力でしょ?」

「え、そうなの? ボク知らないけど……」

 

 鷹宮は鎌を見つめてうーんと首をひねる。

 

「ひまわりさんとやしきずとのコラボの後に出せるようになったから、悪魔の力が強くなったおかげだと思うんだけど……まだ悪魔についてわからないことばかりね」

「へえ、まあいいや。そんなことより何か斬ってみようぜ! この木なんかどうだ?」

 

 悪魔が指差したのは二人の頭上まで立派に枝葉を拡げた大木だった。

 

「馬鹿野郎っ、こんなんギガシスターだよ! 村の斧じゃ無理に決まってんだろ……!」

「ええ、じゃあそれとか」

 

 今度は今にも折れそうな細い木だったので、鷹宮はこれなら……と木の前に立って鎌を振るった。

 

「あれ?」

 

 鷹宮が訝しむのも無理はない。何の抵抗もなくスッと鎌の刃は木を通り抜け、依然として木は立っているのだ。

 

「あれ? ふんふん! ふんぬ! ……あれ?」

 

 鷹宮は何度も鎌を振るったが、やはり鎌は木をすり抜けて、木はそのままの形を保ち続けていた。

 

「使えねー‼」

 

 鷹宮が鎌を放り投げようとしたとき、どこかから制止の声があがった。

 

「アハァー! そんなアホなことしていいのぉ?」

 

「誰だ! 姿を現せ!」

 

 鷹宮が言うと、正面の少し離れた木からひょっこりと女が顔を覗かせる。

 その瞳は片方が赤で片方が黄色のオッドアイ。そして、女の頭部には獣の耳が生えていた。

 

 今、木の影から姿を現した女はどこか和風の喫茶店の店員みたく、あまり派手でない着物を身にまとっていた。女は浮遊する髪留めに留められた両房の後ろ髪を宙に漂わせながら歩いて来る。

 

 女は鷹宮が鎌を振るった木に近づくと、その華奢な指で木に触れた。

 

「おわぁっ!」

「えぇ⁉」

 

 二人は驚きのあまり声を上げる。木は女が触れただけでバラバラになって倒れてしまったのだった。

 

「何を驚いてんの。リオンはんがそれで切ったんだよ?」

「え、私?」

「うん。この切れ味、物理的な鋭さじゃないね。魔術やと思うんやけど、魔力の匂いは全くしない。なんでやろう……?」

 

 と女は木の切り口を指でなぞり、くんくんと匂いを嗅いだ。

 

「なんで、私の名前を知ってらっしゃるの……?」

「配信見たから?」

 

 何か変なことを言ったかと違和感を目に浮かべている女に、鷹宮は改めて自分が配信者であることを意識させられた。

 

「そ、そうでした……動画見ていただいてありがとうございます……」

 

 鷹宮が頭を下げると、女の方も切り替えて悪魔の方に顔を向ける。

 

「それで、そちらの悪魔がでびる様? なんや願いを叶えられるんやって?」

「あ、はい、そうですけど……」

 

 悪魔はたじたじと後ずさりながら答える。

 

(お前、なんでそんなビビってんだよ)

(小娘、逃げるぞ。あいつは人間じゃない……!)

 

「え?」

 

 鷹宮は女の方を見ると、すでに女の顔には先ほどまでの穏和な笑みはなく、そこには嗜虐的な笑みが浮かんでいた。

 

「でびでび・でびる? あんたはどうして召喚されたの? いったいどうして? 悪魔が聖なる杯に何をお願いしようって?」

 

 女の雰囲気が変わったのを感じたのだろう。悪魔は息の詰まりそうな声で答える。

 

「そ、そこに酒があったから……」

「酒? 酒で悪魔が? そんなアホな。つくならもっとましな嘘ついた方がええよ?」

「ッスー……すみません」

「え、なんで目を逸らすの? まさかホンマに? 聖杯への願いは……?」

「まだ考えてないですね……えー、崇拝してくださる皆様が楽しめる方向で検討しておりますが、いかんせん勝ち抜けるかどうか。今日を生きるのにも不安な弱小悪魔なものでして……」

 

「でびちゃん、それは卑屈過ぎでしょ」

 

 鷹宮がツッコむと、悪魔は「確かに!」と謎の同意を示す。

 

「ああ、わかった。それで力をためるために配信してるんやね。配信で言ってたことそのまんまなんや。はぁー、ホンマ……ふざけてんな」

 

 鷹宮の視界で女の姿がぶれた……そう思った時には鷹宮は首に手をかけられ、木に叩きつけられていた。くらくらとする視界の中で、鷹宮は自分をせせら笑う女の二つの髪留めを見た。髪留めはまん丸な目をした犬の形をしていたが、それらは子供がはしゃいでいるかのように鷹宮の視界を好き勝手漂っていた。

 隣を見ると、悪魔も同じように首を掴まれて木に抑えつけられていた。

 

「なんでお前みたいなやつがこっちに来たの? それで、お前みたいなのをその女は必要としたんやって? 意味わからんのやけど」

「ぐ、にゅう、お前は、どうしてこっちに、来たんだ……!」

 

 悪魔が絞り出すような声で聞いた。女は冷めた目で悪魔を見下ろし、答える。

 

「友だちのため。それ以上でもそれ以下でもあらへん」

 

 女はきりきりと首を絞める力を強めていく。鷹宮の意識は木にたたきつけられた痛みと首を絞められている苦しさで滅茶苦茶になっていた。

 

「覚えとき? アンタらを殺した者の名は戌亥(いぬい)とこ。恨んでもええけど恨みを持つのは悪人の始まりやから、恨まんほうがええよ。地獄に墜ちたくないのなら……」

 

 鷹宮の意識は遠ざかる。今まで見ていた世界から遠ざかっていく。自分の意識が暗く、温かな揺蕩いの中に呑まれていくのを自覚しながら、鷹宮は手を伸ばした。

 遠くに映るスクリーンのようになってしまった自分の視界へと。

 

 きゅっと、余りにあっけなく伸ばした手は握られる。鷹宮の意識は急速に浮上し、目の前で自分を見つめる黄色い瞳を捉えた。

 

「手、握ってみたけどまだ苦しそうだね」

 

 それは容姿を見ても男なのか女なのかわからない。声を聞いても男なのか女なのかわからない。手に持ってるスコップは? 頭に着けてるのは安全ピン? 全てが謎だった。ただ、鷹宮には理解できた。

 

 今はこれにすがるしかないと。

 

「おっけー、わかってるって。じゃあ、こうしようかな」

 

 そうして謎の人物が指を鳴らした瞬間、首に掛かっていた力が消え、息苦しさが消えた。

 鷹宮は膝を着き、咳き込みながら肺に空気を取り込む。隣では悪魔も同じように喘いでいるのが見える。

 

「アンタ、なに?」

 

 戌亥が牙をむき出して尋ねる。謎の人物はどうでも良さそうに言った。

 

「そんなことより、苦しくないの?」

「は? 何言って――」

 

 戌亥は驚愕する。戌亥の腕が戌亥の意思に反して勝手に動き、戌亥の首を絞め上げていたのだ。

 

「そこの女の子、今だ!」

「へ?」

「鎌だよ、鎌!」

 

 ハッとして、鷹宮は落ちていた鎌を拾い上げる。体中がずきずきと痛み、頭も重かったが、それでも鎌を一振りするだけの力はあった。

 

 鷹宮は無我夢中で戌亥に迫り、鎌を振りぬいた。



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23.地獄絵

「そう言えば、最近夜見さんとお会いしましたよ」

 

 リゼ・ヘルエスタはおかわりのミルクを仰いで笑った。

 

「そうか。夜見は元気か?」

 

 チャイカは興味なさげに聞くが、リゼの隣に座るライダーは夜見と聞いてガタっと席を立ち、身を乗り出した。

 

「ええ、今は加賀美インダストリアル? とかいう日本の玩具メーカー主催のマジックショーで世界中を巡回しているみたいですね。本人も不満なくやれているみたいですし、化学部門に友だちが出来たと言っていました」

 

「そいつはいいことだな」

「うん、とてもいいことだ」

 

 チャイカとライダーがのほほんとした顔で頷く。

 

「そうですか。私は、兄上と椎名さんと夜見さんの三人が、もう少しだけレジスタンス活動してくれていたら、と思ってしまいます」

 

 過去のことを思い出させたのではないかと恐る恐るリゼはチャイカの顔色を伺うが、それは杞憂だった。チャイカは何の気もなく話を続ける。

 

「うむ、いやだがしかし、椎名はともかく、私はチルドレンとして聖杯戦争に参加しているのだから、今もレジスタンスだ。そして夜見はつい先日私を手伝った。これはつまり夜見もレジスタンス活動をしたということ! 夜見は未だにレジスタンスのメンバーなのだ!」

「はぁ、本人が聞いたら怒りそうですが」

「いや、苦笑しながら許してくれるさ」

 

 さも当然とチャイカが言うが、ライダーもそれに同意した。

 

「僕も一日の付き合いだけど、許してくれると思うな」

「ほらな、大王もこう言っている。お前は大王の人を見る目を疑っているのか?」

「いえ、そんなこともないんですけど……まあいいです」

 

 そうして、リゼは席を立ち、店を出ようとするが、扉を開けると、何かを思い出したかのように振り返っていった。

 

「そうそう、夜見さんからの言伝です。あのお寺に住んでいたマスターはましろだ、絶対に手を出すな、と」

 

   〇

 戌亥の髪留めが二つ、犬の目が青く光り輝いていた。

 

「がぅるるるぅぁぁあああ!」

 

 歯を食いしばり、戌亥は両手を自分の喉から離し、そのまま強引に呪縛をほどく。息を切らして膝に手を着くも、焦ったように自分の身体のあちこちを触りだした。

 

「あれ……切れて、ない……?」

 

 これを聞いていた一同は目を疑った。ましろはクレーマーばりに鷹宮に詰めかける。

 

「ちょっとちょっと君ぃ、それって切れない鎌なの?」

「いや、そんなことは無い、はずなんですけど……」

 

 鷹宮は困惑し、自分の手の中にある鎌を見つめるばかり。その間にも戌亥は息を整えて、ましろの方に好戦的な笑みを向ける。

 

「そうか、思い出したわ。あんたましろやろ? 知ってんで」

「ぼくのこと、知ってるの?」

「禁術を求めて世界中の魔術組織を渡り歩くお尋ね者。有名な賞金首やね」

「ましろ、すごいわ!」

「まいったな。えへへ……」

 

 少女はそんな調子でましろをおだて続け、ましろはそれに照れ続ける。鷹宮と悪魔はドン引きしていたが、戌亥は唇を釣り上げて獰猛な牙を見せる。

 

「なんでそれがこんな辺境の国にいるのかわからんけど、ちょうどええわ」

 

「小娘、ここを離れよう!」

「え、でも……」

 

 鷹宮はためらい、悪魔に手を引かれながら後ろ髪惹かれるようにましろと戌亥を振り返った。鷹宮は目を見張る。目視できるほどの濃密な魔力が戌亥の周囲を取り巻き始めていた。

 

「アンタ相手なら、多少は本気出してもええかな」

 

 戌亥はそう言って目を瞑る。その両髪を留めていた髪留めがふわりと浮き上がると、戌亥の体も地面を離れて浮き上がる。辺りに響き渡るのは獣の吠える声だった。二つの髪留めの犬が吠えているのだ。嬉しさと興奮の入り混じる咆哮は森中に轟いていたが、やがてその声は二つから三つに増える。戌亥の顔を獣の黒毛が覆い、さらにその体は巨大化し始め、纏っていた和服も毛の中に呑み込まれた。

 

 その場にいたサーヴァントもマスターもみな頭上を仰いだ。

 

 獣となった戌亥の頭が木のてっぺんに届くかと思う頃に、戌亥の頭の左右に浮かんでいた二つの髪留めもまた、獣の顔に変身し、その頭部と肩口を繋ぐように、艶やかな毛並の首が紡ぎ出されていく……。

 

「ケルベロス……」

 

 口笛を吹いてましろがその名を呟いた。

 

「小娘……!」

 

 呆然とする鷹宮の手を引いて逃げようとする悪魔だったが、戌亥の頭の一つがそれを捉えた。

 

「逃がさへん」

 

 真ん中の頭が言うと、両脇の頭が口を大きく開けて炎を吐き出した。炎は木々を燃やしながら輪を描き、鷹宮たちを逃さないよう周囲をぐるりと一周する。

 

 炎はそれ以上は燃え広がらず、森の木々よりも高く燃え続ける……。

 

「これ……」

 

 と悪魔がそうっと手を伸ばすが、

 

「バカ、やめろって!」

 

 鷹宮がその頭をはたいて止める。

 何か手はないかと鷹宮は周囲を見回して、手を振っているましろが目に入った。

 

「きみきみ、こっちにおいでよ」

 

 二人は訝しみながらもましろの方へとぼとぼ歩いていった。

 

「じゃあ、僕から離れないようにね」

 

 そう言うと、ましろはケルベロスとなった戌亥に対峙する。

 

「本当にいいの、ましろ」

 

 少女、アリスが心配するように聞いたが、ましろは笑って答えた。

 

「うん。今日はお腹いっぱい食べてきたから、大丈夫だよ!」

「そう、わかった」

 

 アリスもはもうそれ以上は言わずに正面を向いた。アリスは持っていた本を開くと、何か詩のような言葉をつらつらと述べ始める。

 

 アリスの言葉はすぐに本から聞こえてくる轟音に呑まれて聞こえなくなったが、それでもアリスは詠み続け、轟音は大きくなっていく。そして、詠み終えたアリスは本を頭上に向けて開いた。

 

 戌亥は見た。

 本に書かれていた文字がページから抜け出して中空を自由に泳いでいるのを。

 その文字たちを飲み込みながら大きくなっていった渦を。

 文字がすべて消えても、渦はそこにあり続けた。

 その渦から、突然、血にまみれた巨大な腕が伸びてくる……! 

 腕はしっかりと地面を鷲掴みにすると、肩を出し、禍々しい角の生えた頭部を覗かせる。

 感情を感じさせない真っ白な穴として開かれた瞳。

 怪物はもう片方の腕を、渦を千切るような勢いで引っ張り出し、両手で地面を掴んで残りの体を引きずり出した。

 

「なに、これ……」

 

 鷹宮がぽつりと零した言葉を拾うものはいなかった。

 

 アリスはましろと手を繋ぐ。二人は繋がれた手を戌亥の方に向けて言った。

 

「「やっちゃえ、ジャバウォック!」」

 

 ジャバウォックは空に向かって咆哮すると、戌亥に向けてゆっくりと手のひらを拡げた。

 

(何かくる……!)

 

 そう判断した戌亥はジャバウォックの側面に回り込もうと走り出す。そして、ジャバウォックの手のひらが光った瞬間、戌亥は弾かれたように大きく横に飛ぶ。

 

 手のひらから放たれた凄まじい衝撃波が森の木々を倒していき、余波の暴風が鷹宮と悪魔をも襲う。鷹宮は悪魔を抱えてましろの影でただ丸くなっていた。

 

 一方、難を逃れた戌亥もその暴風を受け、飛ばされないように地面に身を低くする。

 そこをジャバウォックは狙った。

 

 ジャバウォックは飛び上がると、その真赤な翼で滑空し、戌亥に殴り掛かる。戌亥は身を捩ってなんとかそれを躱すと、二つの頭で両側からジャバウォックの腕に食らいついた。

 残った頭で相手の頭を焼き尽くそうと、口を大きく開けて火を噴き出す。ジャバウォックは噛まれていない方の手を突き出し、手のひらを拡げる。戌亥の炎はそこでせき止められた。

 

 炎の奔流は四方へ流れ、地面へ落ちる炎はマグマとなって森を押し流していく。

 

 鷹宮は何もできなかった。ただ泣きそうな顔で悪魔を抱きしめるだけだ。悪魔も今度ばかりは文句も言わずじっとしていた。

 鷹宮たちの周囲にもマグマは流れてきたが、一定のところでそれは止まる。おそらく、ましろが何かしているのだと思うが……。

 

 戌亥が炎を吐き終えてすぐさまジャバウォックが戌亥の頭に殴り掛かったので、戌亥は頭を下げてそれを躱したが、ジャバウォックは噛まれていた腕を戌亥の体ごと力任せに振り回した。

 

 振り回されながらも、戌亥の二つの頭はジャバウォックの腕を離さず、さらにもう一つの頭が翼に食らいつき、食い破った。たまらずジャバウォックは地響きのような呻き声をあげ、戌亥の胴を殴りつける。

 

 それでようやく戌亥はジャバウォックの腕から離れた。殴られた勢いそのままに戌亥は空中で一回転してマグマの中に着地する。

 

 戌亥の頭の内の一つが血を吐き、ジャバウォックを睨みつけるが、残り二つの頭は心配そうにそれを見つめていた。

 

 一方、ジャバウォックは片手を力なく垂らし、翼は片方が裂かれていた。

 

 両者は動きをとめて睨み合う。戌亥は威嚇するように三つの頭を下げて唸り、ジャバウォックはそれが見えているのかいないのか、何の表情もなく片手をゆっくりと持ち上げる。そして、その手のひらが赤く光った瞬間、戌亥もまた三つの頭をもたげてそれぞれ別の色の炎を噴いた。

 

 ジャバウォックの衝撃波と戌亥の炎がぶつかった。力の奔流は内へと向かって収縮し、一瞬辺りが静かになったと思うと、一気に広がって連鎖的に大爆発を起こす。

 

 戌亥もジャバウォックもその中に呑まれ、鷹宮の視界は白く染まった。

 

 

「もう調査はいいんじゃない?」

 

 白い闇の中で妙にはっきりとましろの呼び掛ける声が聞こえた。次には戌亥がそれを鼻で笑った声も。

 

「何を言うてるの? 勝負はこれからやろ?」

 

 鷹宮の視界はぼやけていたが、目を擦ると、戌亥の体は少し線が細くなり、全身から黒い煙が立ち上っていた。

 一方、ジャバウォックは身体の表面に煤がつき、ところどころ体の表面が欠けているように見えた。

 

「でもさあ……見ててごらん」

 

 ましろがにやりと笑うと、ジャバウォックの翼がガラスの割れるような音と共に治っていく、そして、腕から流れていた血も乾いていき、剥がれ落ちる。

 ジャバウォックは回復した腕を軽く回すと両腕を組み、翼をはためかせて空へと舞い上がった。

 

「んなアホな……」

 

 戌亥は頭上を見上げて呟いた。頭の内の二つがくぅ~ん……と喉を鳴らし、しっぽが垂れ下がっていく。

 

「ねえねえ、僕の名前も、サーヴァントの名前もたぶんわかったよね? それと、目的の悪魔についても確認できたんでしょ? 調査は十分! 怒られないって」

「……せやろか」

「そうだよそうだよ。それにぼくももう戦いたくないなって」

「そうか……ま、まあ、そこまで言うならしゃーないな」

 

 言い聞かせるように三つの頭がお互いに頷き合い、その姿はどんどん小さくなっていく。左右に二つ付いていた頭は髪留めに戻り、最後に黒い毛が耳と髪の毛まで後退してその真っ白な頬が露になった。

 

「ふぅ、死ぬかと思った」

 

 と戌亥は笑う。ジャバウォックはいつの間にか消えていた。

 

「まいど! 調査にご協力感謝! それとそこの悪魔も、さっきはちょっと言い過ぎたんかな、ごめんね!」

 

「違う……」

 

 悪魔が低い声で呟く。「うん?」と戌亥は言葉を促すように首を傾ける。悪魔は俯き、感情を抑え、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言った。

 

「ボクが……ボクたちが、いずれ叶える願いは、ふざけてなんかない……!」

 

 戌亥はそれを聞くと意外そうに目を丸くするが、何度か軽く頷いて言う。

 

「ほーん。ま、それはアンタらがこれからの戦いで証明していけばええんちゃう?」

 

 戌亥は悪魔が自分の言葉を聞いたのを見届けると、サッと悪魔からみんなの方へ向き直り、頭を下げて礼をした。

 

「まあ色々あったけど、同郷とも会えてよかったわ、みんなありがとう。 ……ほなまた。たぶん、もう遭わへんけど」

 

 そう言い残し、戌亥は森の奥へと消えていった。

 

「……あたしたち」

「……ボクたち」

 

「「助かったんだー!」」

 

 鷹宮と悪魔は自分が生き残ったことが信じられないというように泣きながら抱き合った。

 しかしそれも束の間、少女アリスの声が二人の耳に入ってくる。

 

「ましろ! 大丈夫? ましろ!」

 

 二人がそちらを見ると、ましろが倒れていた。二人はつい駆け寄ったが、出来ることなど何もない。

 

「アリス、ちゃん……?」

 

 あまりにもか細いましろの声。ましろの伸ばした手をアリスが取る。鷹宮と悪魔は息をのんだ。ましろの腕はミイラのように干からびていたのだ。

 

「腕のストックは、まだあったかな?」

「ええ、家に帰ればまだたくさんあるわ。だからもう少しだけ頑張って」

「なら、なんとかなる、か。あぁ、君たちも無事でよかった。君たちの配信、僕はけっこう好きなんだ……」

 

 一瞬、鷹宮たちは何を言われているのかわからなかった。自分たちを助けてくれた相手ではあったが、その後のこともあって今は恐ろしいとしか思えない、そんな相手が急に倒れ、自分たちの配信を褒めてくれたのだ。嬉しさを感じる暇もなかった。

 

 アリスは本を開いてトランプ兵たちを呼び出し、トランプ兵の一人を担架として使い、そこにましろを寝かせる。

 

「ましろ、あなたはとても頑張ってるわ。だから今日はもう休んで……。おつかれさま」

 

 そう言ってアリスは指示を出し、トランプ兵にましろを運ばせる。

 

 鷹宮と悪魔は運ばれていくましろを無言で見送った。



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24.神父たち

 冬木教会に尊大な足音が響く。それは敬虔な、厳かな足どりでありながら、神をも恐れぬ足取りでもある。

 

 叶は説教をする講壇に立ち、静かに足音の主が近づいてくるのを待った。足音は講壇の前で止まる……。

 

 叶はほほ笑んでいった。

 

「ようこそ御出でなさいました。長旅はいかがでしたか? 何の用意もありませんが、出来るだけのおもてなしはいたしましょう。御身に主の安らぎのあらんことを。言峰神父」

 

「これはこれは、馬鹿げたことを言うものだ。君の言う主とは一体誰のことだね? 叶神父?」

 

 その男、言峰綺礼は叶の背後に掲げられた十字架を見て、鼻で笑った。

 

「それにしても、だ。血迷ったのか? 悪魔が好き放題暴れては神秘の隠匿も何もあったものではない。叶神父、まさか全てを知ったうえで許しているわけではあるまい?」

 

「許すも何も! 悪魔はああいう生き物です。ああいう生き物を此度の聖杯は必要としたのです。人類が後天的に魔術だの、魔法だのと名付けたアレを自分の力として当たり前のように使う彼を、人間如きがいったいどのような権限を持って止められるというのでしょうか……」

 

 馬鹿にするような調子で言った言峰に対し、叶は真面目に話す気すらないようだった。

 

「この様子では結果は見えているが、一応決まりなのでね。聞かせてもらおうか、叶神父。貴殿の担当する聖杯戦争に関連して発覚したあらゆる問題について、魔術協会、及び聖堂教会から調査命令が出ている。調査に協力する気はあるかね?」

 

 言峰は遅れて丸められた書状を講壇に放る。叶はその書状を見もせずに答えた。

 

「話が早くて助かります。ではこちらからも誤解の無きよう、率直に言わせていただきましょう。お帰り下さい、言峰神父。あなたにお話しすることはもう何もありません」

「……理由は?」

「必要ですか?」

 

 叶は講壇の上に手を組み、言峰は丈の長い上着のポケットに手を突っ込み、両者は張り付けたような笑顔でじりじりと睨み合う。

 

 先に目を逸らしたのは言峰だった。

 

「ふっ、よかろう。私は誠実なのでね。君の態度、そしてこの教会の現状について、しっかりと報告しようじゃないか。恐らく私は再びこの地を訪れることになるだろうな。期待したまえ、叶神父」

 

 踵を返して後ろ手に手を振った言峰を、叶は笑みを絶やさず見送った。言峰が教会の通路の半ばまで到達したとき、教会の扉が開かれる。

 

「かなかないるー? 時間通りに来たよー」

 

 言峰は立ち止る。振り返って叶の笑みを認めると、お返しとばかりに笑って見せた。幾分、憎しみの混じった笑みではあったが。

 

 教会の扉から入ってきた者は二人、一人は緑がかった髪を後ろで三つ編みにしてまとめ、チャイナ服を着ている若い人物。

 

 そしてもう一人はその後ろにそっと立つ、同じくチャイナ服を着てサングラスをかけた白髪の老人だった。若い人物の方が進み出ていった。

 

「やあ言峰神父、初めまして。僕は深緑の緑にベガルタ仙台の仙とかいて緑仙。りゅーしぇんっていいます。いやあ、あなたのお話を聞いてからずっとお会いしたいと思ってたんだ」

 

 よろしく、と言って差し出された手を言峰はちらりと見下ろすが、すぐに意識を危険な人物の方に戻す。

 

「あー、あのお爺ちゃんがそんなに気になる? それはまあ後のお楽しみってことで。今は僕だけを見て欲しいんだよね」

 

 そう言って緑仙は差し出した手を握り込み、そのまま言峰の喉に刺すように突き出した。言峰はとっさに一歩下がり、緑仙の手首をつかむ。

 

「ほいきた!」

 

 緑仙は掴まれた手を相手の手ごと引き下げ、がら空きになった顔に向けて上段蹴りを見舞う。が、言峰の顔はすでにそこにはなかった。

 

「え?」

 

 と思わず漏らす緑仙。言峰は深く腰を落として蹴りをよけたのだった。蹴り足を慌てて引き戻す緑仙に向かい、言峰は地を這うような低さのまま、体全体を押し出して体当たりを喰らわせる。

 

 腕でガードして直撃は避けた緑仙だったが、ふっとばされて老人の足元に転がった。

 

「今のやり取りを見てもわかる通り、奴の方が格上だぞ? わかっているのか?」

 

 老人が緑仙を見下ろして言った。緑仙は大の字に寝転んだまま拗ねた様に言う。

 

「なんだよ、いいじゃん別に。危なくなったらお爺ちゃんが助けてくれるんだからさ」

 

 それを聞いて老人は盛大にため息をついた。

 

「これだから最近の若いもんは……」

 

「よいしょっと」

 

 掛け声とともに緑仙ははね起きる。そのワクワクしたような瞳を見て、言峰は首を傾げた。

 

「わからないな。そこの老人なら私に勝てるのだから、彼に任せればいいのでは? 君は何のために戦っている?」

「気になるからさ。あなたの使う体術が」

「なるほど。それではじっくりと味わうがいい……」

 

 拳を握り言峰は堂々と緑仙の方へ歩いていく。緑仙は構えたまま距離を見計らい、言峰が笑みを浮かべて攻撃の届く範囲に入った瞬間、ボクシングのジャブのような突きを連続で放つ。

 

 言峰はそれらを、ときには首をひょいと動かすだけで、ときには半身を切り、ときには手で払い、全て軽くあしらう。

 

 緑仙は当たらないと判断し、やや深めに踏み込んで突きを出す。が、言峰は半歩下がっただけでよけた。

 

「この……!」

 

 緑仙がそれを追いかけようとさらに地面を強く蹴ろうとした瞬間、言峰の体が低く、地面に沈み込む。緑仙にはその意味が分からなかったが、本能的な危機感に従って踏み込むのを止め、構えなおした。

 

「来ない、か……。なるほど。勘は働くらしい」

 

 称えるように構えを解いた言峰だったが、緑仙は構えたままじっと言峰を待っていた。

 

「よかろう、今度はこちらから当てにいくとしよう」

 

 言い終わるや否や言峰は身を沈め、たった一歩で緑仙の懐まで踏み込んでくる。その勢いそのまま、言峰は拳を突き出した。

 

 緑仙は最初、それを手で払い落そうとした。が、言峰の拳は重く、緑仙が全体重をかけても拳は直進を止めなかった。

 

 拳が腹をえぐる間際に、緑仙は相手が動かないならと無理やり自分の身体を捩じって拳を躱した。

 

 だが、拳について来るように、言峰の体が、その先端にあった肘が、緑仙のちょうど心臓辺りに迫っていた。

 これにも緑仙は反応し、なんとか仰け反って躱そうとするも、ぎりぎりで間に合わなかった。

 

 言峰の肘撃ちが緑仙の左肩をかすめる……。

 

「うわっ、わっ、わっ、わっ!」

 

 と緑仙は回転しながら吹き飛ばされ、再び老人の足元に転がった。

 

「痛ったぁ……」

 

 起き上がらずに肩を押さえる緑仙。老人はしゃがみ込み、緑仙の左肩を指で押す。

 

「痛だだだだ!」

 

 緑仙は喚くが、それを押さえつけて老人は冷静に言った。

 

「砕かれたな。そのぶんでは肩だけの問題ではあるまい。選手交代、ということでよろしいか? 緑仙?」

「ええ、そうなの? じゃ、あとは任せたぁ~」

 

 老人は立ち上がると、振り返っていった。

 

「どれ、少しは楽しめるといいがな」

 

 老人は長い袖をまくりながら一歩一歩言峰の方へ近づいていく。言峰は薄笑いを浮かべながらも思わず生唾を飲んだ。

 

「その足取り、高名な武術家とお見受けするが、一体どこの武術かな。中国の物であれば多少は知っているつもりだが」

 

「ハッ! いかにも。お前は知っているだろうさ。まあなに、ゆっくり、楽しもうじゃないか……」

 

 二人は構えさえとらず、至近距離で笑い合っていた。



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25.八極

 最初に動いたのは言峰だった。肘で老人の顎を下からかち上げようとしたが、これは僅かに身を反らしただけで躱された。

 続いて肘を引く動作からねじ込むようにみぞおちを狙った突きを放つ。老人はそれを上からそっと触れ、払い落とす。

 

「!」

 

 いや、払い落とすなどと生易しいものではなかった。腕を取られた言峰の体は強かに地面に叩きつけられた。

 

「まずは一本」

 

 言峰を見下ろし、老人は腕を後ろに組んで言った。

 

 言峰は起き上がりざまに距離を取り、困惑する心を静めて構える。老人に動きはない。動きはないが、先ほどの緑仙と自分との間にあった力量よりもさらにかけ離れた力の差を感じていた。

 

 老人はいつでも自分を殺すことが出来るだろう。だが、調査団の一員である自分を殺せば大問題になる。それを叶神父が許すはずがない。恐らく拷問か契約、あるいは記憶の改竄などで自分の手綱を握りたいはずだ。で、あるならば……。

 

「学ばせていただくとしよう!」

 

 大きく踏み込もうとした言峰の出足を、いつの間にかそこにいた老人はひょいと足を上げて挫いた。それだけで言峰の前の足はバランスを崩し、前へ出ようとしていた体全体のエネルギーが行き場を失い、あわや転倒という勢いで言峰は膝と手を地面に着く。

 

 起き上がりざま焦点を再び老人に合わせようとしたとき、顔のすぐ目の前まで迫っていた老人の大きな手のひらが言峰の視界を覆った。

 

「二本目」

 

 と笑って老人は言峰の胸を足で軽く蹴る。言峰は吹っ飛ばされ、受け身を取りながら体の勢いを殺していく。

 

「くっ!」

 

 素早く起き上がって拳を腰に構えた言峰だったが、前方に老人はいなかった。背後から、言峰の両肩に手が置かれた。

 

「いつまでも同じ場所にはいないぞ?」

 

 振り返りざまに肘をぶつけようとした言峰だったが、老人の方が早かった。老人は言峰の肩を掴むと、そのまま後ろに引き倒した。受け身も取れずに地面に転がされ、苦悶の声を上げた言峰の顔に向けて、老人が足を振り上げていた。

 

 言峰の額から冷や汗が滴っていった。言峰の顔のすぐ横の地面を老人の足は踏み砕いていた。震脚にも劣らぬ大きな音が言峰の耳に響く。

 

「三本目だ」

 

 老人は静かに笑う。何事も無かったかのようにすたすたと歩いて距離を取った老人を憎々しげに睨み、言峰はゆっくりと起き上がった。

 

「そう怒るな。どれ、いい加減わしの正体もお披露目しようじゃないか」

 

 そう言って老人は深く腰を沈める。言峰もまた、その構えに違和感を抱きながらも、迎撃するために腰を深く落とす。

 

「一撃だ。お前は一撃で何もかもを知るだろう。そして何もかも、わからなくなる……」

 

 言峰の視界で、老人の体が一瞬ぶれたように見えた。言峰は地面を蹴り、素早く後退する。

 

「足りんな」

 

 と老人は言峰のすぐ目の前まで踏み込んで言った。

 

「距離が全然足りていない。この期に及んで様子見などとは烏滸がましい、安全圏までもっと全力で逃げなければ……死んでしまうぞ!」

 

「まさかそんな、もしや、貴方は……!」

 

 それはもはや拳の届く距離だった。老人の拳がまっすぐに、予定調和ですらあるかのように言峰の胸に向かって進んでくる……。

 

 激しい金属音が鳴った。言峰の体に触れたのは拳ではなかった。

 

 白い髪……? 

 

 疑問に思う間もなく、言峰は先ほどとは比較にならないほど遠くまで、それこそ教会の扉を破って外まで吹っ飛ばされた。

 

「痛たたー……あ、大丈夫ですか、言峰神父?」

 

 呆然とする言峰の前で、白い髪の少女が起き上がり、言峰に手を差し伸べた。言峰はその手を取って起き上がる。

 

「貴方は、ヘルエスタの……大丈夫なのか?」

 

「ええ」

 

  少女、リゼ・ヘルエスタはその手に握られた宝石のように青く輝く大剣を掲げた。

 

「そうか、それが噂に聞く……」

 

「ええ、ヘルエスタセイバー。代々ヘルエスタ家に受け継がれる聖剣です。まあ、かの御仁がその気で打ち込んでいたらどうなるかわかったもんじゃないですけどね」

 

 リゼは謙遜するように笑うが、剣にはひび一つ入っていない。精緻な工匠と精密に流れる多量の魔力に言峰は目を奪われた。

 

「これはいけない。早くここから離脱しなくては」

 

 言峰はリゼを連れて森の中へ素早く逃げ込んだ。あのサーヴァントが追えばすぐに捕まるだろうが、どうやらその気はないようだ。言峰は視界の縁で、老人が腕を後ろに組んで、サングラス越しにこちらを傍観しているのを見た。

 

   〇

 

「ねえ、逃してよかったのー?」

 

 寝転がって天井を見つめながら、緑仙は叶に聞く。叶は笑顔で頷いた。

 

「はい。あの方向に逃げたのなら心配はいりません。緑仙さん、今日はありがとうございます。あの神父が何度も転がされたのを見れて僕はとても嬉しいです」

 

「僕は何度も転がされたんだけどなあ……」

 

 緑仙は頭を掻いた。

 

「お主が弱いのが悪い。格上だとはわかっていたのだ。当然覚悟もしていよう」

 

「っはぁー、これだから正論爺さんは困るよね」

 

「戯言はそれくらいでよいな? では、帰るとしよう」

 

 老人は砕かれた方の緑仙の腕を掴むと、宙に放るようにして背におぶる。

 

「痛でぇえええ!」

 

 緑仙があげた悲鳴を涼しげに聞き流し、老人は教会を去った。

 



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26.聖女の足音

「この先に二人を待機させてますから」

 

 とリゼが先行し、言峰が案内される形で二人は墓地の脇道を走っていた。

 

「皇女殿下、そちらの調査はいかがでしたか?」

 

 言峰が尋ねる。リゼは振り返らずに答えた。

 

「そうですね、私たちはそれぞれ聖杯戦争に参戦しているメンバーの情報を集め、特に問題のありそうなメンバーと接触、調査を行いました。私はかつてのレジスタンスのメンバー二人、アンジュは吸血鬼、戌亥は例の動画の悪魔と、さらに賞金首のましろの情報を持ち帰ることに成功しました」

 

「ほう、さすがは皇国のさんばか、評判通りのご活躍です。しかし、なんと馬鹿げた聖杯戦争か! それであるならば魔術協会と聖堂教会も惜しまず戦力を提供してくれるでしょう」

 

 言峰はくつくつと笑う。

 

 さんばかはヘルエスタ皇国第二皇女、リゼ・ヘルエスタ率いるヘルエスタ皇国の実動ユニットだ。リーダーのリゼをはじめ、隻腕の錬金術師アンジュ・カトリーナと地獄の門番戌亥とこの三人がメンバーである。さんばかの由来は謎だが、今では見た目の華やかさとメンバー間のとぼけた発言が一人歩きし、文字通り三人のバカという意味で使っている輩も多くみられる。

 

 言峰神父はもちろんバカにはしていないはずだが、言峰の言葉にはどこか含みがあり、リゼは眉を顰めざるを得なかった。そんなリゼに言峰はそっと囁いた。

 

「皇女殿下、敵がすぐ近くにいるようです。あとから追いかけますので先にお進みください」

 

 言峰は立ち止ると、周囲を警戒するように構える。リゼはそれを見て頷いたが、言峰の言葉に従うことなく、その場に立ち続けた。

 

「どうしましたか? 皇女殿下、何かあるのでしたら……なるほど」

 

 リゼの浮かべた笑みはいたずらが上手くいった子供のそれであり、平静であれば可愛げのある物だったのだろう。だが、言峰からしてみれば可愛げがある分腹立たしい、少女は自分の運命を最初から知っていて、今まで自分と話をしていたのだ。

 

 カツ、カツ、カツ……。

 

 墓地の方から重厚な、しかし軽やかな足音が聞こえてくる。

 

「言峰神父、お久しぶりです」

 

 落ち着いた声音ではあったが、その中にもどこか朗らかさを感じさせる女性の声が墓地に響く。この声は……言峰は冷や汗を垂らして言った。

 

「シスター・クレア……! 異教徒め。やはり、あのとき異端審問にかけておけば……」

 

「あはは……あのときはご迷惑をおかけしました」

 

 言峰が睨むのもどこ吹く風、修道服を纏った女、シスター・クレアはぺこりとお辞儀をした。

 

「クレアさん!」

 

 リゼは言峰にかまわず手を振る。しかもクレアはそれに答えて笑顔で手を振って見せた。まるで俗世界の若い女たちが昨日ぶりの再開を喜ぶような、そんな、言峰を無視したやり取り……。言峰は知らず知らず拳を固く握っていた。

 

「なぜだ……皇女殿下、なぜ私を助けた? 先ほどの老人に私がやられればそちらの目標は達成していたはず。いったいなぜこのような茶番を……?」

 

「あらぁ、たくさんの人を弄んできた神父様が、自分が弄ばれるとなるとそうまで慌てますか」

 

 にっこりと笑って挑発するクレア。言峰は絞り出すような声で言う。

 

「私の慌てふためく様を見て愉悦でもする性分だったか?」

 

「いえいえ。私はそこまで人に興味を持てませんよ、貴方と違って……。本来の叶さんの作戦では貴方は教会で倒されていたはずでした。ですのでこれは私のわがままを叶さんに聞いてもらった結果です」   

 

 静かに、クレアの顔から笑みが引いていき、消え去った。

 

「叶さんは言いました。この世は弱肉強食のゲーム、弱者の救われる世界を作るためにはまず勝たなくてはいけない。もちろんこれは間違った方法です。できるのなら正しい方法で世界を変えてゆきたい……」

 

 そして、決然と拳を胸の前で握り、クレアは言った。

 

「でも、私は力不足でした。誰も傷つけない方法で誰も傷つかない世界を作ることはできない。この世界で何かを為すには力がいるし、力を得るにはまず誰かを押し退けないと。かといって何もしなければ弱者は虐げられるのだから、何もしないわけにはいかない。私はこの、人を傷つけるゲームに参加して勝ちたいと思った。だからひとまずは、このゲームを外から破壊しようとする、誠実な神父であるところの貴方の記憶の忘却を持って、私はゲームの舞台に上がらせていただこうと思うのです」

 

「君は、全く変わっていないな……」

 

 幾分称賛を含んだ言葉であったが、言峰はじりじりと距離を取り始めていた。

 

「セイバー」

 

 クレアは呼び掛ける。言峰の背後に立つ人物に対して……!

 

「何!」

 

 振り向きざまに黒鍵を構える言峰。が、その黒鍵は少女の振り下ろした剣によって半ばから折られてしまう。動揺する言峰の前に金色の髪を靡かせる騎士の少女が立つ。少女は青いドレスの上に鎧をまとい、手には目に見えない剣を持っているようだった。

 

「くっ、君は、どこかで……」

 

 突然頭を押さえてふらつく言峰に向けて、少女、セイバーは見えない剣を構え、一歩踏み出した。

 

「待て! 最後に言いたいことがある!」

 

 言峰がそれを制止し、膝を着いた。セイバーはクレアの方を伺い、クレアが頷くと、その剣を下ろす。

 

「なんですか? ああ、この調査関連の記憶は全て私たちに都合のいいものになります。ヘルエスタの調査団ともしっかりと話を合わせています。それ以外のあなたの記憶については一切触れないことを私が保証しましょう」

 

 とクレアは言峰を安心させるようにほほ笑んだ。

 

「レジスタンス……ではない、まさかチルドレンの繋がりか……? いや、今はそんなことなどどうでもよいのだ!」

 

 叫ぶ言峰の妙な気迫に押され、クレアはそのほほ笑みを若干引き攣らせる。

 

「で、では言峰神父、言いたいこととは一体……?」

 

 言峰は言った。

 

「でびリオンのサインだ! ヘルエスタ経由で私宛に届けさせてほしい!」

 

 しん、と辺りが静まった。リゼとクレアの視線の間には、お前何か言ってやれよ、という小競り合いがあったが、それはクレアが目を伏せたことで決着する。

 

「……承知しました。でびちゃんと鷹宮さんのサインはリゼさんが責任を持ってあなたに届けると誓いましょう」

 

「え、私ですか? こんなくだらないことのために皇女の責任を⁉」

 

 戸惑うリゼをキッと言峰が睨む。

 

「初めて……麻婆を共に喰らった仲間なのだ」

 

「仲間……ですか」

 

 とてもどうでもよさそうにクレアが繰り返す。

 

「そうだ。私の生涯で唯一無二の親友ともいえよう。拷問じみた苦痛に秘められし快楽を彼らとは共有しあえた……! あれこそ、私の人生でたった一瞬だけ訪れた、至極まっとうな楽しい時間だったのだ……」

 

「あーそうなんですねー」(クレアさん、さっさとやっちゃってください)

 

「わ、わかりました。セイバー!」

 

 セイバーは先ほどとは違って幾分気の抜けた顔ではあったが、その透明な剣を哀れな聖職者に向けて振り下ろした。



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27.それぞれの夜

 緑仙を背負う老人が家の玄関の扉を開けると、リビングの方で「おかえり~」と少女の声がする。

 老人がリビングの方に進んでいくと、そこにはソファに寝転がりながらゲームをする笹木の姿があった。老人は笹木の横に緑仙を横たえさせる。

 

「おん? 緑どうしたの~? 肩押さえて、汗めっちゃすごいやん」

「笹木ぃ~、緑仙って呼んでって言ってんじゃん。っていうか肩痛い……ナオシテ、ナオシテ」

「ちょ、待ってて。今いいところやから。あ、ちょ、嘘やそんな、まだ生きてるまだ生きてる……あぁぁぁぁあっ‼」

「いやうるさ!」

 

 耳元で叫ばれた緑仙はたまらずごろんと背を向ける。

 

「はあ? このヌズハって奴煽りやがった! 許せねえよな⁉」

「いや、ちょっと……」

「ウチを煽った奴がどうなるか、思い知らせてやっかんなぁぁ!」

 

 肩を押さえて天井を仰ぐ緑仙は、耐えるしかないか、と深呼吸をし始める。そんな緑仙を哀れに思いながらも、老人は庭の方へと向かった。

 

 庭では笹木のサーヴァント、ランサーが槍を振り回していた。縁側に座った老人に気づき、ランサーは槍を止めて老人に話しかけた。

 

「老武術家よ、其方の目から見て我が槍はどうであるか? 今日もローマの輝きが零れ出ていよう……!」

 

 まさか話しかけられるとは思っていなかったらしい、老人は眉をひそめて答える。

 

「あー……そうだな。お主の槍の一振りにはしっかりとお主の人生が刻まれておるよ、ローマ……か」

「その通り。(ローマ)こそがローマ! さすがである。其方も槍を握る者と見た。其方のローマもいつか見てみたいものだ」

 

 にやりと笑うランサーに対し、老人はどこかぎこちない作り笑いを浮かべるのだった。

 

 

「この味方のりりむって奴もやばい! 何言ってるか全然わからん!」

「笹木……はぁ、はぁ、僕の声、聞こえてる……?」

 

 一方こちらは何も変わらない。笹木がヌズハに打ち勝ち、煽って勝ち逃げするまであと一時間と少し……。

 

   〇

 

 鷹宮と悪魔が帰宅し、携帯を見るとひまわりからメールが届いていた。

 

「今日は配信しないのー(*’▽’)」

 

 携帯を置いて、鷹宮はベッドに身を投げ出した。悪魔はここ数日の間に作られた自分のための小さなベッドにいそいそと潜り込む。

 窓から射しこむ月明りから逃げるように、二人はベッドの上でそれぞれ壁へと身を寄せた。

 

「私たち、この先やっていけるのかな……」

 

 鷹宮がぽつりとつぶやくが、悪魔は答えられず、部屋の沈黙は深まるばかりだった。鷹宮はうつぶせになり、枕に顔を押しつける。悪魔はちらりと鷹宮を見ると、気まずそうにしながらも、弱弱しく切り出した。

 

「なあ、ごめんな。お前は魔術師として優秀で、相棒がちゃんとしたサーヴァントだったならもっと何もかもうまくいってたのに……」

 

 そこで悪魔は言葉に詰まってしまう。鷹宮は枕から僅かに顔を上げて悪魔の方を見る。

 

「でびちゃん、そんなこと考えてたんだ」

「え、うんまあ……」

 

 恥ずかしくなって悪魔は顔を背ける。鷹宮はほほ笑んで言った。

 

「私も同じこと考えてた。悪いのはでびちゃんじゃなくて、私かも……。今回のことでわかった。私、聖杯戦争を舐めてた。思っちゃったんだ、こんな化け物たちと戦えるわけないって。でも、英雄たちの活躍する世界って、きっとああいうのものじゃない? こんな私じゃどんなサーヴァントと組んだって怖気づいて足を引っ張っちゃう。勝てるわけない」

「小娘……」

 

 今度は鷹宮が恥ずかしくなったのか、悪魔から顔を背ける形で仰向けになり、天井を見つめ始める。月の光と、街の光、それらは混ざり合って波となり、天井にゆらゆらとリズムを作り出していた。

 

「小娘、お前はよくやったよ。ボクのために身を挺して、時間もたくさん使って……でも、ボクはお前に何も返せてない。ボクじゃお前を聖杯戦争に勝たせてやれる気がしないんだ」

「でびちゃんもよく頑張ったわよ。順調に出来ることが増えていって、ちょっとだけ希望を持ったんだもん、私。このまま強くなっていったら、ひょっとしたらって」

「……ボクもそうだ。お前とならやれるかもってちょっと思った」

 

 鷹宮と悪魔はお互いの目を見合ってくすりと笑いあった。悪魔はベッドの上で立ち上がり、鷹宮に呼び掛ける。

 

「なあ小娘、楽しい話をしようよ。きっと僕たちはまだやれる。だからいつまでもこんな沈んでちゃ駄目だ」

「そうよね。楽しい話、楽しい話……でびちゃん、、配信は好き?」

「うん、配信は楽しい! 皆が一緒に楽しんでくれてるとボクももっと楽しくなれるからな!」

「そう。じゃあ、配信でしよっか、楽しい話」

 

 鷹宮は起き上がると、再びスマホを手に取り、放っておいたメールに返信する。相手は待っていたかのようにすぐ返事を返してきたので、鷹宮は思わず笑ってしまった。

 

 鷹宮は悪魔が横に来るのを待ってパソコンの電源を入れた。

 



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28.教会での話

 鷹宮と悪魔は重たい扉をそっと閉めて、足音を立てないよう気を付けながら教会の奥へと進んでいく。

 二人の見据える壇上ではシスターが膝を着いて神に祈りを捧げていた。

 

 二人が壇の下まで来ると、シスターは二人の気配に気づいたように顔を上げる。

 

「あら、いつでも声をかけてくださってよかったのに。お気遣いありがとうございます」

「あ、いえ。私たち待ってますので……」

 

 鷹宮は遠慮するが、シスターは立ち上がり、二人の前に降りてきた。

 

「人を待たせてお祈りに耽るなどありえません。神様も待たせてる人に対して気まずいでしょう?」

「気まずい……のか?」

 

 と、これには鷹宮と悪魔も首を傾げる。

 

「初めまして、シスター・クレアと申します。鷹宮リオンさんとでびでび・でびるさんですね。叶さんから聞いていますよ」

「ボクたちはその叶って奴に用があったんだけど」

「ふふ、叶さんは今日は来られません。もしお二人の来られたご用件が先日の襲撃事件のことでしたら、私もある程度は知っているのでお話できると思います」

 

 二人は戸惑いながらも、じゃあ、まあ……と促されるままに話し出した。

 

――――――

 

「そうですね……。襲撃者は魔術協会と聖堂教会合同の調査団です。ましろさんはたぶん、叶さんの差し金ですね。他にも有力なマスターさんたちに調査団の撃退を依頼していたと思います」

「え、そうなの⁉ ボクたちのところには依頼きてない……」

「バカ! 私たちが弱いからだろ!」

 

 ツッコむ鷹宮だが、自分で自分の言葉に傷ついたらしく、スン……と項垂れた。

 

「それで、なんで調査団なんか来たわけ~?」

 

 悪魔のその質問にクレアは困ったように笑う。

 

「それはですね……えっと」

 

 ちら、ちら、とクレアは悪魔の顔を見る。

 

「あ、そういえばあのましろって奴、指名手配犯って言ってたし、なんか関係あったのかも」

 

 鷹宮が思い出して、ぽんと手を打った。

 

「そうそれ! それです! 他にもこの聖杯戦争では、両組織にとって非常に問題のある方々が……こほん、参加してますので、それを調査しに来たみたいですね」

「うわ、やっぱり皆おっかないんですね」

「恐ろしいねぇ……」

 

 二人は納得したように頷き合うが、クレアは少し引っ掛かりを覚えたようだった。

 

「そうでしょうか……」

 

 シスターが異を唱えたのが意外だったのだろう。鷹宮と悪魔は目を丸くしたが、クレアは穏和な表情で、諭すように言った。

 

「私は彼らに会ったことがあります。彼らは生きるため、夢のため、大事な人のため、皆各々厳しい現実に立ち向かうことのできる人たちです。彼らはその目的のために、ときには過激な手段に出ることもあるのでしょう。けれど私は、彼らが彼らなりに最善を尽くしているに違いないと、そう思う。その一点においてとても彼らを信頼しているのです。あまり言いづらいことではありますが、他の大多数の人たちより、です」

 

 クレアは伏し目がちに二人を見たが、二人は揃って別の場所を見つめていた。隠す気もないのだろう。クレアの右手甲には血のように赤い令呪が刻まれていた。

 

「よく、わかりました……」

 

 少し沈んだ声で鷹宮は頷いた。

 

「考えてみれば当たり前ですけど、みんなそれぞれ事情があるかもしれないのに、それを何も知らない私がおっかないだなんて、一言で片づけるのは、違いますよね……」

 

 ごめんなさい、と鷹宮は頭を下げた。悪魔がそれに倣って頭を下げたのを見て、クレアはくすりと吹き出す。

 

「いえいえ、そんな。謝らなくっても。ただ、少しだけ……少しだけ、心にとどめておいて欲しかっただけなんです」

 

 クレアが鷹宮たちを安心させるようにほほ笑む。そんなクレアに心苦しく思いながらも、鷹宮は切り出した。

 

「やっぱり、その、クレアさんも……」

「はい! そうですよ」

 

 既に鷹宮の視線に気づきつつも、クレアは笑顔で肯定した。

 

「ボクたちを、殺すの……?」

 

 悪魔が躊躇うように発したあまりに直球な問いにも、クレアはただほほ笑んで、丁寧に応答した。

 

「はい、もちろん。それでも、矛盾するみたいで申し訳ないのですけれど、私は貴方たちの幸せを願っております」

 

 皆おっかない、と自分で言いつつも、鷹宮は心の中で、ひょっとするとあのましろが特別におかしくておっかないだけで、他のマスターたちはあれに比べれば多少はましなんかじゃないか、聖杯戦争にそこまで悲観的になる必要はないんじゃないかと思っていた。しかし、そうではないのだとクレアを見て思い知らされる。こんなの明らかに異常だ。

 

 教会を出る直前、鷹宮は一度振り返った。

 

 明るい窓を背負う十字架の前に佇むのは、彫刻された聖人の像ではなかったか。

 ほほ笑むシスター・クレアの姿は、どこか哀しげに見えてしまうほど、浮世離れした美しさを湛えていた。



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ハートの女王のお城
29.招待状


「ようやく完成したね」

 

「ええ。白兎も使いに出したわ。あとはおもてなしの準備だけ」

 

「そっか……あのさ、力不足でごめんね。今の僕の力じゃこれが限界みたいだ」

 

「十分よ。これがあの子の大好きだった世界の……」

 

 急にしおらしくどこか遠い場所を見つめだしたアリスを見て、ましろは伺うように呼び掛ける。

 

「アリスちゃん、どうしたの?」

 

「ううん、なんでもないわ。あなたも、もう立ってるのも辛いはずよ。早く中に入って温かいベッドに横になりましょう」

 

「いや、そんなわけにはいかないよ。だってこんなでっかいお城だよ? しっかり隅々まで探検しないと!」

 

「もう、ましろったら……でも、そうね。私も早く中を見たくてうずうずしてる」

 

 二人は目の前にそびえる大きな城を見上げた。城はトランプをあしらって赤と黒で彩られていた。窓にはシャンデリアの灯りにシルエットが次々と浮かんでは消えていく。すでにパーティーが行われているに違いなかった。

 二人は手を繋ぎ、開かれた城門をくぐって中へと歩いていった。

 

   〇

 

 メイド服を纏った二足歩行する小犬が戌亥にケーキを持ってきた。戌亥はその犬をじっと見つめ、ため息をつく。メイド服を着た犬は戌亥がどうしてため息をついたのかわかっていないようだったが、犬の顔には絆創膏が張ってあったのだ。戌亥が優しく撫でてやると、犬は少しくすぐったそうにしながらも、戌亥の手を嬉しそうに受け入れていた。

 

「じゃ、次は私が歌おうかな」

 

 戌亥とこはそう言うと、カウンターの上のマイクを握った。

 

「え?」

 

 何が起きたかわかっていないようなアンジュの視線を受け、戌亥もまた首を傾げた。

 

「ん?」

 

「えぇ⁉」

 

「ほにゅ?」

 

 あくまでシラを切ろうとする戌亥に対し、アンジュはついにカウンターに拳を叩きつけて立ち上がる。

 

「おい! それ私が入れた曲だぞ!」

 

「アハァー! ンジュはん、私の十八番入れてくれてありがとうな!」

 

「くぅ~っ、どういたしまして‼」

 

 尻尾を振って喜んで見せた戌亥にほっこりし、アンジュは勢いよく着席した。その横では空になったグラスを差し出してリゼが言う。

 

「兄上、カクテルをもう一杯!」

 

 グラスを受け取ったバーのマスター、花畑チャイカはペットボトルからグラスに水を注ぎ入れ、そのままリゼに差し出す。

 

「あれ、兄上、今ペットボトルの水がそのまま……」

 

「はっはっは、何言ってんだよ。ちゃんとシャカシャカもしたじゃないか。この一瞬で全部忘れちまうなんて、酔い過ぎだぞ~? このこの♪」

 

「そう、ですね……少し酔っているのかも」

 

 そういって小さな喉をこくこく鳴らしてリゼはグラスの水を飲む。

 

「ぷはーっ! 舌がひりひりとして気持ちいい! 兄上、もう一杯!」

 

「ったく、しょうがないなぁ……あん?」

 

 再びペットボトルを用意するチャイカだったが、チャイカの元にメイド服を着た小犬がてこてこと歩いてきた。小犬の手元には小さなほうきが握られていた。

 

「ああ、もう終わっちゃったの? どこかの誰かさんと違って偉いな、お前は。じゃあ次は窓の桟の埃をお願いできる? 終わったらご褒美出しちゃおっかな」

 

 それを聞いて少林寺犬は大喜びで窓に向かって駆けていく。

 

 少し離れたテーブルでは、どこかの誰かさんが与えられたほうきを傍らに置き、ふんぞり返ってジュースを飲んでいた。

 

「さんばか……とか言うたっけ? あいつら、いつまでおんねん……」

 

 椎名唯華は姦しく騒ぐ三人を睨み、グラスに注がれたミルクをあおぐ。

 

「バーの大人びた雰囲気がぶち壊しやわ、ほんま」

 

「はっはっはっはっ! これは傑作だ! 貴様にそんなものを感じられる感性があるとはな!」

 

 アーチャーが高笑いしてグラスを傾ける。

 

「何がおかしいねん!」

 

「すべてだ、貴様の言葉のすべてがおかしい!」

 

 激しく火花を散らす二人の間に赤髪の少年、ライダーが割り込んだ。

 

「ちょっとちょっとー、戌亥さんの歌が聞こえないじゃないかー」

 

 その瞬間、バーに溢れ返っていた人の声は全て静まり返る。カラオケのメロディだけが無機質に流れていた。

 

「え、ちょっとみんな、どうしたの……?」

 

 ライダーが周囲の様子を探ると、みんな店の入り口の扉を見て固まっていた。ライダーもまた扉を見て、驚愕する。

 

 店の扉は開いていたが、そこには誰も立っていない、と思いきや、扉の足元にスーツを着た白兎が人間のように二本の足で立っていた。

 白兎の後ろで扉が閉まり、掛けてあった鈴が空疎に鳴り響いた。

 

「えーっと……んんっ、すみませ~ん、本日貸し切りとなってまして~」

 

 花畑チャイカがぎこちない笑みで対応すると、白兎は懐から金色の懐中時計を確認して言う。

 

「時間がない!」

 

 はい? と辺りに緊張が走る。

 

「くそ、時間がない! このままでは死んでしまう! ああ、こんなことを喋っている間にもまた十秒も生きる時間が!」

 

 くそ! くそ! くそ! とその場でぴょんぴょん飛び跳ねながら地団駄を踏む白兎に一同は唖然となった。見られているのに気付き、白うさぎは急に居住まいを正し始めた。

 

「花畑チャイカ殿、並びに椎名唯華殿、お手紙をお持ちしました」

 

 そう言って白兎はカウンターの前まで歩いてくると、ぴょんっとジャンプして自分の身長よりも高いカウンターの上に二通の手紙を置いた。

 

 誰も、何も言えないうちに白兎は踵を返して店の出口へと向かう。扉から出ていく手前で白兎は振り返り、「時間がないので、今日の日はまたいつか!」と言った。

 

 再び扉が閉まり、鈴が鳴る……。

 

「兄上、手紙を」

 

「お、おう……椎名も来いよ」

 

 チャイカに呼ばれて椎名がカウンターに来る。椎名だけではない。手紙が気になるのか皆が手紙を見ようと円になって覗き込んでいた。チャイカは緊張した面持ちで、椎名唯華は明後日の方を向きながらぺりぺりと、手紙の封を切った。

 

「なるほど」

 とチャイカは言った。

 

「なるほど」

 と椎名。

 

「なるほど」

 

「なるほど」

 となぜかみんな理解した風に頷いていく。

 

「で、どうしますか、兄上」

 

 リゼの言葉にチャイカは頬を掻き、悩ましげに応えた。

 

「俺は行きたいね。正直俺たちには隠れてるマスターやサーヴァントを必死こいて探して殺していくような、そんな真似はできないだろう? これもまあ、いい機会じゃないか? なあ椎名」

 

 聞かれた椎名はあくびをかみ殺しながら答えた。

 

「う~ん、罠じゃね?」

 

「つっっ! そうだけども!」

 

「通常であるなら罠であると言いたいが……」

 

 アーチャーはどこか煮え切らない顔だ。そんな中で、ライダーはぶぜんとした表情で言った。

 

「僕は罠じゃないと思うな―」

 

「ほう、なぜそう思うのだ?」

 

「だってこの魔力、あのお寺の礼装の人だよ。会ったことはないし、良い人でもないんだろうけど、それでもこうして自分で整えた舞台なんだ。自分に一方的に有利な形で使い捨てたりはしないさ」

 

 ま、よっぽど極悪な人物でもなければね、とライダーは付け足す。

 

「なるほど。わかるといえばわかるが……」

 

 アーチャーは腕を組み、考え込む。

 

「ああ、そか。よく見たらましろはんの」

 

「「え‼」」

 

 リゼとアンジュが戌亥を注視する。

 

「いやな、けっこう本気でかかったけどやられてしまったわ……」

 

 戌亥の言葉にリゼとアンジュは愕然となった。

 

「そんな……つよつよケルベロスモードで?」

 

 リゼが確認するように聞き、戌亥は頷いた。

 

「うん」

 

「本当に? 本当にあのつよつよケルベロスモードを使ったんですか⁉」

 

「ああ、うるさいうるさい‼」

 

 問い詰めてくるアンジュの顔を払って戌亥はカラオケに曲を入力しにかかった。

 

「誤魔化すのか! くっそー、私も歌ってやる、デュエットしてやっからな!」

 

 と、マイク握ったアンジュを信じられないというような目で見つめ、戌亥は言った。

 

「え、いや、やめて……」

 

「え」

 

「え」

 

 沈黙のうちに見つめ合う二人を見て、リゼがニカッと笑い、言う。

 

「ねえねえねえ! 三人で歌おうよ!」

 

 マイクを握ったリゼを見て、戌亥はほっとしたように胸をなでおろし、

 

「ああ、そんなら。ンジュはんも準備できてる?」

 

「え、いや、うん……え?」

 

 どこか釈然としない表情のアンジュだったが、カラオケの曲が始まってすぐにその表情は解けていく。

 

 楽しそうに歌う三人を遠目に見ながら椎名は言った。

 

「つまり、どういうこと? ましろはん、いい奴ってこと?」

 

「なんでだよ」

 

 チャイカがツッコんで、椎名はこてんと首を傾げた。

 



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30.トレーニングとおしゃべりと

 緑仙は庭に出てもしばらくは練習する気になれず、手首を回しながらだらだらと歩いてみたり、突っ立てみたりして時間を潰していた。

 思い出すのは言峰との戦いのことだった。悔しいとは思う。けれど実力の差に危機感は全く抱けなかった。負けるとわかっていた戦いだ……戦いですらない。

 

 たぶん、自分は遊び感覚だった……だから負けた? そうなのか? いや、本気でやっても勝てやしない……勝てないはずだ。

 

 考えているうち、緑仙の手は自然と動き出していた。言峰の拳が迫り、それを上から抑える……だけど、これは抑えられなかった。じゃあ、これは通じない……本当にそうだろうか。何も正面からぶつかるわけじゃない、まっすぐ来る力を上から逸らすだけなのだから、人間の拳一つ抑えられないはずがない。

 

 確信から、緑仙は何度も動作を繰り返す。受けの動作、後退し、相手を引き込みながら向かってくる拳を上から抑える。

 

 安全圏までもっと全力で逃げなければ……死んでしまうぞ! 

 

 脳内にギンギンと響く声。そうだ、決められた動作だからといって型通りに退がっているのもよくないのかもしれない。死ぬ気で、退がらないと。そして死ぬ気で抑える……!

 

 ある瞬間、これだ、と思う。体は抵抗感もなく滑らかに動き、手足がそれぞれ収まるべき場所に収まる……それでいて力強さも出てる、気がする。

 

 緑仙は構えを解き、その場に立ち尽くした。

 

 考えざるを得なかった。これならあの突きにだって……。

 

「そんなに悔しかったか?」

 

 縁側から声を掛けられ、振り返った。そこには白髪の老人、サーヴァントのアサシンが座っていた。

 

「はぁ? 悔しくないし。っていうかいつからいたの?」

「っは! 相変わらず可愛くない。なあに、人の鍛錬をこそこそ盗み見るような真似はせん。最初から最後まで、堂々とここで腰かけて見ていたとも」

 

 こいつ、殴ってやろうか……? そう思う緑仙だったが、恐らくこの老人にだけは通用しないだろう。緑仙は握った拳を弱弱しく解いた。

 

「あのさ、言っておくけど、これは遊びみたいなもんだから」

「そうだろうなあ。先のお前の戦い方を見ればわかるよ。体も、心も、第一線で戦う武術家のものではない」

 

 言われて、緑仙は自虐するように俯いて笑った。

 

「だが、遊びとはいえお前は拳法家の端くれだ。これまでの人生、たくさんの物を背負ってきたのだろうが、お前はその荷物の中から拳法を捨て去らなかった」

「別に何も、背負ってなんか」

「ふん、そうか。まあ、たくさんの物を背負っている気でいるよりかは、そちらの方がいいのかもな」

  

 アサシンは自分で言って納得した素振りで縁側を去ろうとする。それを、

 

「あのさ」

 

 と緑仙は呼び止めた。

 

「それで、どうなの?」

「どう、とは?」

 

 ぴんと来ていない様子のアサシンを見て、緑仙は気まずそうに顔を逸らして言った。

 

「僕の……拳法の型だよ」

「なるほど。わしはようやくお前と言う人間を理解できた気がするぞ」

 

 朗らかな顔でアサシンは言う。

 

「はあ、何言って」

「良い」

「……え」

 

 ゆっくりと、言い聞かせるようにアサシンは言った。

 

「最後のはだいぶ良かった。自分でもわかっているのだろう? わしの言葉が必要か?」

 

 そうして、アサシンは縁側を去っていく。緑仙はしばらく庭に佇んでいた。

 

―――

 

 緑仙がシャワーを浴びてリビングに出ると、そこに笹木とランサー、アサシンがテーブルを囲んで深刻そうな顔をしていた。

 

「なになに、どうしちゃったの、みんな?」

 

 すると、笹木が興奮して顔を上げた。

 

「緑仙、信じてもらえないかもしれんけど、今な、喋る兎が来て、この手紙を届けてくれたの」

「喋る兎……?」

 

 釈然としないながらも、緑仙も席についてテーブルに広げてあった二通の手紙に目をやった。手紙は緑仙と笹木宛で、自分宛の物も封は勝手に切られたらしい。恐らく勝手に封を切ったであろう相手に目をやると、笹木はほげぇーっと間の抜けた顔で緑仙を見ていたので、緑仙は憎むに憎めず、まあいいけど……と手紙の内容に目を通す。

 

「笹木は、どうするの?」

「うちは行くよ! この手紙を出したやつにはちょっと借りがあってさ。ぶっとばさなきゃ気が済まないんだ。ね、ランサー」

「道は全てローマに通ず」

 

 ランサーは不敵に笑った。緑仙は悩ましげに考えて、

 

「あれですかね。いずれそいつとはどこかでぶつかるときが来るけど、今がその時と焦る必要はない、的な……?」

「え、緑仙わかるの~?」

「いや、テキトー言ってる可能性ある」

「その解釈でいいと思うが」

 

 アサシンも肯定する。ランサーは満足したように胸を張っているので恐らく問題はないのだろうが……。キリがないので緑仙は話を戻すことにした。

 

「そういえば、鷹宮もなんか聖杯戦争参加してたと思うんだよね。このお誘いが罠だとしても、三人で組めばなんとかならないかな」

「え~、リオンちゃん参戦してんの⁉ 初耳なんですけど!」

「うん、あとあれ、さくゆいもあるじゃん」

 

 思い出したかのように緑仙が言ってみるが、笹木は妙に渋い無表情で首を横に振る。

 

「さくゆいはないよ」

「え、あるじゃん」

「いや、さくゆいはない」

「なんでー。椎名と組めれば耳長ゴリラもついてくるからお得じゃん」

「あー、チャイちゃん……いやでも正直、さくゆいはない」

「そこをなんとか!」

「ないです」

「マジかー……」

 

 緑仙は諦めて肩を落とした。

 

「しかしこの手紙によれば今のところ誰も脱落していないのだろう? こたびの聖杯戦争のマスターたちはみな、危機管理能力が高いか、あるいは臆病だということだ。それがこのような場に集まるか?」

 

 アサシンが腕組みして言った。緑仙と笹木は唸る。

 

「うちは行きたいけどな。お城でパーティ、美味しいお料理」

「それなんだよなあ……」

「おぬしら、正気か?」

 

 理解できないものを見る目で二人を見るアサシンに対し、ランサーはそれもローマと納得しているようだった。

 

「ましろだっけ? そのマスターは誰かと組んでるかな?」

 

 緑仙の疑問に笹木は答えて

 

「さあ、組んでないと思うけどな。強いて言うなら……」

 

 二人はましろの名前の横に署名された名前をじっと見つめた。「叶」と、その名前と印はこの手紙が罠でないことを証明するかのように記してあるが、二人の反応と言えば芳しくないようだった。

 

「だってかなかなだし……」

「かなかなだもん、絶対なんかやってるよ」

 

 うーん……と二人して悩む中、アサシンにはもう二人の出す答えが見えていた。

 

「二人でゆっくり考えて決めるといい。わしは庭で暇を潰しているよ」

 

 そう言ってアサシンは席を立った。一方、同じく答えが見えているランサーの方は、悩む二人を我が子のように愛おしげに見守っていた。



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31.お城へ

【聖杯戦争が始まって一週間以上経つっていうのに、だーれも脱落していない。聖杯戦争は全く進んでいない。これはどういうことだろう、マスターやサーヴァントに願望を叶える意欲がないのか? それとも他のマスターたちが潰し合うのを狙っているのか、みんながみんな? なんて臆病な! いや、いやいやいや、そんなことはないだろう。僕はこう思うんだ。きっと、色んな偶然が重なって、めぐりあわせも悪く、機会を捉えかねているんだろう、ってね。じゃあ、僕がその機会を作ろう! 僕のサーヴァントがみんなのために立派なお城を作ってくれた。ここでパーティーを開こうと思う。美味しい料理にお菓子もたくさん用意している。個室のベッドに温泉もあって宿泊もできる。是非ともマスターたちには参加してもらいたい。この城を舞台に他のマスターと戦うもよし、語り合うもよし、とにかく他のマスターと接触する機会としてこの場を活用してもらいたいんだ。もちろん、情報収集だけして戦いたくないマスターには僕が護衛を用意する。この場が公平な場であることを証明するものとして、この聖杯戦争の監督役、冬木教会の叶神父のサインもいただいた。だからどうか、マスターのみんな、この城に集ってほしい。皆を信じてお城で待ってるよ。 ましろ】

 

「うわ、本当にお城がある……」

 

 驚愕と言うよりかはドン引き、頬を引き攣らせる鷹宮の見上げた先には大きな城があった。

 

「小娘~、あっちに門があった」

 

 と視界の悪い森の中で空から全体像を見てきた悪魔が鷹宮の肩に降りてくる。

 

「おっけー」

 

 二人は城の側面を回り込んで正面に向かった。

 ハートのオブジェの掲げられた門は開かれていて、門の横には服をめかし込んだ白兎が立っていた。

 

「あ、あのときの!」

 

 と悪魔が指差し、鷹宮が慌ててその指を下げさせる。白兎は気にせず笑った。

 

「あのときは申し訳ない。貴重な時間が過ぎることに耐えられないタチでして。ええ、では決まりですので、お手紙を確認させてもらえますかな」

 

 鷹宮は持ってきた手紙を渡す。

 

「けっこうでございます。それでは良きお時間を」

 

 白兎は頭を下げて二人を見送った。

 

「あいつ、キャラ変わってねえか?」

 

 悪魔が振り返ったが、ちょうどそのとき白兎は懐から金の懐中時計を取り出し、ぼそぼそと呟いていたところだった。

 

「遅い、遅い……後一人だというのに一体何をしているのだ……パーティーに遅刻する気なのか? それは困る、困る、私の時間が……」

 

「あ、あんま変わってねえわ」

 

「まあそうそう変わんないでしょ」

 

 二人は会話しながら城へと続く庭の小道を進んでいく。開かれた城の入り口にはトランプ兵が槍を持って立っていたが、鷹宮と悪魔を見ると一礼して通してくれた。

 エントランスは赤い絨毯が敷かれ、シャンデリアの蠟燭の炎で適度な明るさが保たれていた。

 

「うわぁ……」

 

「これすごいね」

 

 二人はシャンデリアを見上げる。正面の両側から降りてくる真っ白な螺旋階段の奥に大広間へと続く扉があり、鷹宮たちを確認したトランプ兵がその扉を開いた。

 

 聞こえてくるのはピアノと哀しげな歌声。海の中を模した水色のライトが壁や天井までを彩っていた。ステージの方を見ると、スーツを着たグリフォンがピアノを弾き、同じくスーツを着たウミガメがマイクの前で歌っていた。

 

 きっとウミガメが歌っているからライトで海みたいな雰囲気にしたんだろう、と鷹宮は謎の納得を得る。

 

 部屋には料理の並ぶ大きな丸テーブルがいくつも並び、会場にいるマスターやサーヴァント、そして仮面をかぶって着飾っている人々に二足歩行の動物たちは、自由に席を移動してものを食べたり、人と話したりできるようだった。

 

「おい、早くタッパーに詰めるんだ!」

 

「いや、リーダー気が早いって。一泊して明日も食べればいいんだよ!」

 

「そうか! よし、では我々はなるべく粘ってたくさん食べるぞ!」

 

「うっす、任せてください!」

 

 視界の隅ではしゃいでいるメイド服を着た怪しげな巨漢と女子高生を見なかったことにして、鷹宮は手を振っている緑の方に歩いていった。

 

「やあ鷹宮、待ってたよ」

 

 緑は学生服ではない、前掛けのあるチャイナ服を着て足を組んでいる。学校での緑とはまるで雰囲気が違った。

 緑の横には白髪の老人のサーヴァントがあり、鷹宮が目をやると会釈をしてきたので 鷹宮も会釈を返した。

 

「緑さん、聖杯戦争に参加してたんだ……」

 

「うんまあね。強い望みがあるわけじゃないんだけど、何の因果でって感じかな」

 

「へぇ、まあ色々ありますよね」

 

 と鷹宮が視線を逸らした先では、制服の上にパンダ柄の上着を着こみ、パンダの耳の付いたフードを深くかぶった女子高生の姿があった。

 

「ってあれ、笹木さん?」

 

 鷹宮が気付くと、その女、笹木咲はちょうど食べていた恵方巻を喉に詰まらせたらしく、げほげほと周りに米粒を撒き散らしながらせき込んだ。

 

「あ~、リオン、ちゃん……お久しぶり、です」

 

「ええ、お久しぶり。二人、組んでたんだ」

 

「あー、たまたまだよ、たまたま」

 

「ふ~ん、そう……」

 

 鷹宮は緑仙の言葉を信じるつもりもなく、どうでもいいことのように受け流す。色々、あるのだろう……それ以上踏み込む必要も感じない。

 

 鷹宮はちらと笹木の横にいる戦士風の大柄な男に目をやる。彼はニヤニヤ笑いながら一心にパフェに食らいついていた。トランプの給仕たちが慌ただしく空いたグラスを下げては次のパフェを持ってくる。あれは王冠……王様? あの背中に背負ってるのは剣……槍? っていうか筋肉すごぉ! ……鷹宮にそれ以上観察できることは無かった。

 

「ねえ、鷹宮の肩に乗ってるそれって、あの動画に出てた、悪魔のでびでび・でびる?」

 

 と緑仙が尋ねる。

 

「え、ええ。そうですけど……」

 

 鷹宮は悪魔を肩から降ろそうとするが、悪魔はその手を振り払って自分の翼でテーブルに降り立った。

 

「えー、こほん。魔界の悪魔にして動画配信者、でびでび・でびる! よろしかったらチャンネル登録を頼むぞ」

 

 と悪魔は胸を張ったあとぺこりと頭を下げる。

 

「え、もうしてるよ」

 

 緑仙は携帯を取り出しチャンネル登録の証を見せた。悪魔は度肝を抜かれた様に仰け反るが、改めて胸を張り、感謝を告げる。

 

「おお……崇拝ご苦労!」

 

 緑仙はなんてことも無いように続けて言う。

 

「たまに投げ銭もするよ」

 

 これに鷹宮は吹き出した。

 

「うっそでしょ……献金感謝!」

 

「あー、うちも今から登録しよかな」

 

 と笹木は携帯を取り出して操作し始める……。

 

「あのー、すいませ~ん」

 

「うんしてして。今めっちゃ熱いから! でびリオンチャンネル。笹木さんの願いも運が良ければ叶うかも?」

 

 と鷹宮が勧めるが、笹木はそれに顔をしかめる。

 

「なにそれ、怪し。変な宗教みたい~」

 

「うっ!」

 

「ぐさっ!」

 

 動画のコメントでちょくちょく見る言葉も目の前で言われると刺さるらしい、鷹宮と悪魔は胸を押さえて俯いた。

 

「ッスゥー……あの、聞こえてない……ですよね」

 

 その声はようやく鷹宮に届いた。鷹宮が振り返ると、そこには貴族のような二人組が立っていた。どちらも白髪で黒と金を基調にした服装だったが、片方は華やかな若い王子という出で立ちであり、もう片方は落ち着いた雰囲気の王だった。

 

 サーヴァントを見てわかったが、鷹宮は最初、その王子のような男が葛葉であると思わなかった。

 

「ちょ、葛葉くん⁉ え、いつものジャージは?」

 

「いや、パーティーにジャージはマズいだろ……あと葛葉さんな?」

 

 と葛葉は頬をかく。

 

 ふと鷹宮が緑仙と笹木の方を見ると、二人は目を丸くして葛葉と鷹宮の間で視線を往復させていた。

 

「あ、えっと……こちら、わたしと同盟を組んでる葛葉くんとそのサーヴァントです」

 

「うん、葛葉さんな。あ、どうもぉ~、えーっと。鷹宮さんと同盟組んでます。葛葉って言いますぅ。席、座ってもいいですか?」

 

「どうぞ」

 

 緑仙が空いている席を勧めたので、葛葉とそのサーヴァントは席に着いた。

 

「え、ちょっと待って? この席にいるマスターって今4人?」

 

 笹木が席にいる面々を見渡して確認するように言った。

 

「2,3、4……うん、4人いるみたいだけど……ああ、そういうこと?」

 

 緑仙が納得したように笑う。それで意味が分かったのか、葛葉もつられて笑い、離れたテーブル席のマスター二人組を挑発するようにちらちらと見始める。

 

「え、なに どういうこと?」 

 

 鷹宮が悪魔に聞くが、悪魔は料理に夢中だった。手でがっつきそうなものだったが、しっかりとナプキンを着けてフォークとナイフでステーキを食す様はどこかこだわりのある美食家のようで鷹宮はしばらく目を奪われる。

 

 見兼ねた葛葉のサーヴァント、バーサーカーに呼び掛けられて我に返った。

 

「よいか? このテーブルに集まったマスターは4人、パーティの主催者を除けば、残るマスターは二人。つまり、もう派閥も敗者も決定したということだ」

 

 バーサーカーの示した方に目を向けると、そこにはぐぬぬぬぬ……! と声が聞こえそうなほどあからさまに歯噛みして、こちらを睨んでいる離れた席のマスター二人組がいた。

 



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32.開会式

「リーダー、これ……やばいです!」

 

「待て、焦るな椎名。マスターはもう一人いる! 奴ならば私たちのチームに入ってくれる……はず」

 

「はずぅ? もう終わりや! 4対2なんて無理だよぉ」

 

「いいか、気持ちで負けるんじゃない、弱さを見せれば奴らはすぐにでも隙と見て襲い掛かってくるだろう。メンチだ。メンチを切り続けるんだ! ほら、こころなしかチャイナ服の美少女が今怖気づいたんじゃないか?」

 

「ッスゥー……リーダー違います。ドン引きしてるだけですあれ!」

 

「なん……だと……!」

 

「くっ、あたしらだけじゃメンチが足りない……! アーチャー!」

 

「断る」

 

「ライダーも!」

 

「僕もいやかな」

 

「「そんな……」」

 

ーーーーーーー

 

「あれ、なんか向こう側の二人、メンチが弱くなってる。っていうか若干肩落としてない? 今ならやれるんちゃう?」

 

 笹木が離れたテーブルのマスター二人組を指差し言った。

 

「僕はパス。もうちょっと料理食べたいし」

 

 と緑仙は隣の席から持ってきたチョココロネにかぶりつく。鷹宮もまた、緑仙が持ってきたドーナツを手に取って無言でパクパク食べ始める。葛葉は自宅から持ってきたらしい漫画を開き、顔を上げるそぶりも見せない。

 

 状況は停滞し、その場の空気が弛緩しかけたとき、会場内の照明が落とされ、辺りは真っ暗になった。

 

 カシャン、と音がして、舞台上にスポットライトが当てられた。

 その光の中には真っ黒なゴシックドレスを纏う少女が立っていた。少女はマイクの前に進み出て言った。

 

「えー、みなさん、今日はあつまってくれてありがとうございます。主催者ましろのサーヴァント、アリスと言います。ましろはただいま身動きが取れずこの場に来ることが出来ないのですが……」

 

 アリスがそこまで話したとき、会場のマスターたちからヤジが飛んだ。

 

「ふざけるなー! 主催者が姿を現さないとはどういうつもりだー!」

 

「そうだぁー! 我々は危険を冒してここにいるんだぞぉー!」

 

「うわっ、えっ……や、ヤジやめてください! せいしゅくに! せいしゅくに!」

 

 あたふたしながらヤジをおさめようとするアリスだったが、そう簡単にはいかないようだった。

 

「嫌だね! 我々は騒ぎ続ける!」

 

「そうだぁ! 我々の口を閉ざしたければ、もっと美味しいご飯を! もっと高級なスイーツを持ってくるんだぁー!」

 

「わかりました、わかりましたからせいしゅくに!」

 

「ああ、できちゃうの? なんだよ、言ってみるもんだな」

 

「話早くて助かるわぁほんま」

 

 そうして花畑チャイカと椎名唯華は今まで拳を振り上げていたのを一転してすっと席に着いた。

 

「なにあいつら……」

 

 遠くで見ていた鷹宮は不審なものを見る目つきで二人を見ていたが、笹木は平然とマシュマロを口へ放っていう。

 

「あいつらはああいう生き物やから、いちいち気に留めん方がええよ~」

 

「こほん、ましろはこの場に来ることが出来ないのですが、中継がつながっていますので、スクリーンにご注目下さい」

 

 仕切り直したアリスが舞台からはけると、その背後にあった白いスクリーンに映像が投射された。

 

 スクリーンにはぶかぶかの囚人服で手足を椅子に固定された兎の仮面の男が映されていた。画面は薄暗く、椅子に取り付けられた小さな照明が男の不気味な仮面を浮かび上がらせ、床に大きな影を作り出していた。

 会場のマスターたちが男の言葉を静かに待つ中、男は少し籠ってはいるが、女性のような高い声でしゃべり出す。

 

「やあみんな。僕はましろ。訳あってここから動けないんだけど……」

 

 ましろがそこまで話したとき、会場のマスターたちからヤジが飛んだ。

 

「ふざけるなー! 主催者が姿を現さないとはどういうつもりだー!」

 

「そうだぁー! 我々は危険を冒してここにいるんだぞぉー!」

 

「自分だけ安全な場所でうちらを見て楽しもうだなんて、許されていいはずがない! 居場所を公表すべきだぁ!」

 

 再び立ち上がった二人に加え、今度は笹木咲も酷い剣幕でヤジを飛ばす。

 

「えぇ……」

 

 鷹宮は立ち上がった笹木を見上げてドン引きし、アリスは「一人増えた!?」とショックを受ける。

 

「えぇ! ちょっと待ってよ。僕は本当にここから動けないから、居場所を公表したら詰みなんだけど⁉」

 

 ましろは抗議するように椅子に縛られた手足をバタバタと揺すって見せる。笹木はましろの言葉を聞いてにやりと笑った。

 

「ふ~ん、ああそう。お前、この城のどっかには居るんやろな?」

 

「うん? それはそうだけど……」

 

「わかったやよ……」

 

 そういって笹木は椅子を引いて席を離れ、クックッと笑いながら会場を出ようとする。ランサーはチョコフォンデュに浸したマシュマロ串を真っ白な歯で引き抜きながら一息に呑み込むと、席を立って笹木の後に続いた。

 

 笹木はホールから出ていきざまに振り返ると、スクリーンに映るましろに向かって喉を掻っ切るしぐさを見せつけ、

 

「見つけ出して引きずり出して、ぶっっっっ殺す」

 

それだけ言って去っていく。

 

「うわぁ……ここ来ちゃうのか。こわ……」

 

 ましろは顔を青ざめさせて苦笑するが、しんとなった会場のマスターたちを見ると切り替えて言った。

 

「あー、そうそう、僕さ、このお城を作るのに魔力を使い切っちゃって。この椅子も仮面も魔力を回復させるアイテムなんだけど、実は今もお城の維持で魔力の消費と回復がいたちごっこでさぁ……動けなくなっちゃった☆」

 

 ましろはアハハハハハ……と大笑いするが、それに付き合って笑うマスターはおらず、会場にはさらに静寂が募っていく。

 

「まあでも、今出ていったマスターを見る限りはちょうどいいゲームバランスになったのかな? 僕はみんなの前に姿を表せないけど、ちゃんとこのお城にいて、それでいて動けずにいる。みんなはお城を探索して僕を探すのもよし、他のマスターと戦ってみるのもよし。このホールでパーティーはずっと続くから、好きに参加するのもいいよ。宿泊用の部屋も用意してるから、休みたくなったら巡回してるトランプ兵に声かけてよ」

 

 じゃ、楽しんでってねー。と手首を固定されたまま器用に手のひらを振ってましろの映像は終わった。

 

「あ、えっと。あたしから補足させていただくと、本当にお手紙の通りで、今回はマスター同士の接触を図る機会として私たちの陣営はこのお城を提供させていただきました。マスターさんたちにはこのお城で何をしていただいても構いません。お城には遊技場や図書館、広いお庭に温泉など、様々な施設がありますが、自由に利用していただけます。あ、あと、戦闘の意思のないマスターさんには護衛をお付けしますので、私やトランプ兵さんたちに声をかけてください。それでは失礼します」

 

 アリスはメモをポケットにしまうと、そそくさと舞台から退場していった。カシャン、と音がして、会場には明かりが戻り、いつの間にか舞台脇に並んでいた楽団がしっとりした音楽を奏で始めた。

 

「え、どうすんの?」

 

 少し唐突ではあったが、鷹宮は緑仙に尋ねる。

 

「どうって?」

 

 緑仙は思い当たる節がない様子で聞き返す。

 

「笹木さん、行っちゃったけど。仲間なんでしょ?」

 

「うーん、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」

 

「いや何言ってんだよ。仲間なんだろ、早く追いかけてやれよ」

 

 なぜか渋った緑仙に葛葉が冗談めかしたように言った。

 

「えー、でも」

 

 緑仙は気まずそうにアサシンを見る。

 

「仲間だと思うのなら追いかければいい……いちいちわしを見るな」

 

 アサシンに言われて緑仙は参ってしまったかのように肩を落とした。

 

「わかった、わかったよ。もう」

 

 緑仙は立ち上がり、席を離れようとするが、その前に鷹宮に向けていった。

 

「じゃあ僕は行くけど、鷹宮も来る?」

 

 鷹宮はちらりと葛葉の方を見る。葛葉は、好きにしろとでもいうように肩をすくめる。鷹宮は一度口をつぐみ、にこにこと笑みを浮かべて言う。

 

「いやぁ~私たちは護衛を頼もうかなって」

 

「ふーん。じゃ、またあとで」

 

 でびるもねと手を振って、緑仙とアサシンは会場を後にした。

 

「はぁ~、なんでこうなっちまったかなあ……」

 

 葛葉がため息をつき、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 

「マスター四人で協力すりゃ、二人は確実に落とせたのに。あの笹木って奴、ほんっと……」

 

「まあまあ。葛葉君はこのあとどうするつもり?」

 

「あん? そうだな。勿体ねーけど、こうなったらそれぞれで動くしかねえだろ。」

 

「オッケー。じゃ、あたしらはその辺で遊んでるわ~」

 

「「おい」」

 

 声を揃えてツッコむ葛葉とでびる。鷹宮は茶化すように笑った。

 

「ジョークです、ジョーク。私たちは護衛を付けて大人しくしてるから、葛葉君は存分に暴れてよ」

 

 拍子抜けしそうなほどさっぱりとした言い様に、葛葉はため息をついた。

 

「護衛を付けてるとはいえサーヴァント数人がかりだと話になんねー。気を付けてくれよ?」

 

「わかってるって。でび行こ」

 

「あ、ちょっと……もうちょっと……」

 

 そこに在った料理を慌てて口へと詰め込む悪魔の足を引っ張って、鷹宮は席を立つ。

 

 一方、離れた席では……。

 

「俺たちも自由にするか」

 

「そうっすね」

 

「俺ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「了解です。あたしはここで食べてるんで」

 

 花畑チャイカは席を立つ。チャイカを見上げてライダーは言った。

 

「僕もついていくかい?」

 

「ああ、頼む」

 

 そうして二人は会場を後にする。残された椎名はアーチャーに話しかけた。

 

「アーチャー、どうしようなこれ」

 

「何がだ?」

 

「向こうもここに残ってるのは一組やろ? バトルになるんちゃう?」

 

「そうか? 私にはそうは見えないが」

 

「え?」

 

 そのタイミングで椎名は向こうの席を見たが、先ほどまで一組残っていたはずの葛葉とバーサーカーはどこにもいなかった。

 

 知り合いのいないパーティー会場に一人とか……。

 

「寂しいな……」

 

 椎名唯華はテーブルに突っ伏した。



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33.城内ツアー

「トイレは~っと」

 

 華やかな明かりが照らす廊下を花畑チャイカは進んでいく。その後ろにはライダーが興味深そうに辺りを見回しながらついてきていた。

 

「このお城、少し明るすぎるけど、いい趣味してる」

 

 ライダーの言葉にチャイカは同意する。絨毯や明かり、明かりに伴って落ちる影に窓など、あちこちにトランプの意匠があしらわれている。色も白と黒、そしてハートの赤でメリハリが効いており、モダンな印象がありながらもどこかおとぎ話めいた空間だ。廊下の角に置かれている青や紫などの壺はほどよいアクセントになっていて目に映える。

 

 チャイカは足を止めた。扉もなく、部屋の中が外から見て取れる部屋はいくつもあったが、その部屋にはチャイカの気を引くものがあったのだ。

 抑制の利いた照明、無駄な調度品のない広い部屋をチャイカはゆったりと足を進める。

 

「うーん、いいねえ」

 

 チャイカはそこにあったバーカウンターにつつと指を走らせる。指の先には埃もついておらず、カウンターは綺麗に磨かれているようだった。

 チャイカはカウンターの向こうに回ると、グラスにワインクーラー、小型の冷蔵庫の中身を確認し、カウンターチェアでぐるぐる回って遊ぶライダーにさっそくミルクを注いだ。

 

「いや、僕お酒飲めるって言ってるじゃないか!」

 

「ばっかお前、その体は未成年だろ。事情は分かるけど、うちは健全でやってるんでね」

 

「ちぇっ、けちだな」

 

 そう言ってミルクをあおるライダーに満足し、顔を落としかけたチャイカの視界にふっと黒い影が落ちる。

 

「あー、お客様、オーダーの方はお決まりですか?」

 

 チャイカがグラスを用意しながら尋ねると、新しく席に着いた二人組は言った。

 

「ん~、そうですねえ……んんっ、いや、こういうお店初めてだから迷っちゃうなあ! あー、よし、決めたわ。そんじゃ、マスターの血を一人前。んで」

 

「サーヴァントの血を一人前。新鮮なものがよいぞ……」

 

 そこには貴族のような出で立ちの二人組、葛葉とそのサーヴァント、バ―サーカーが座っていた。

 

 

「あたし窓際~」

 

「あ、ずるいぞ! 僕だって窓際がいい!」

 

 連れられた部屋に入ると、二人はほとんど同時に走り出したが、鷹宮リオンの方が少し早かった。鷹宮は窓際のベッドにダイブし、それが自分だけのテリトリーであることを示すように大の字になった。

 

「くっそー。でも別にいいもん。こっちのベッドだってふかふかだもん……」

 

 悪魔は部屋にもう一つあったベッドの方に飛び込むと、ベッドの上で二三度はねてみせた。

 

「ちょ、やめろって。埃が舞うだろ!」

 

「このベッドめっちゃ弾む! 小娘もやってみろって!」

 

「はぁ、何言っての? 弾むたってそんな……え、めちゃ弾む! すげえ!」

 

 ベッドの上で跳ね回る二人に恐る恐る近づいていく影が一つ。手足の生えたまんまるの卵に服を着せたような男、ハンプティ・ダンプティはコホンと咳払いをして、

 

「……えーっと、護衛の都合もありますので、お二人のこの後の予定を伺ってもいいですかな?」

 

 鷹宮はベッドの上で弾みながら答えた。

 

「あー、そうねえ。私はまだ疲れてないし、なんかしたいかなー」

 

「このお城を探検しようぜ!」

 

「それ! っていうか、わかったかもしんない。ひょっとするとさ、このお城で動画を作るのが正解なんじゃないか?」

 

「それだ!」

 

 早速撮影用のカメラを用意する二人。ハンプティ・ダンプティは戸惑いながらも尋ねる。

 

「撮影、するのですか……?」

 

「ええ。あ、許可が必要でした?」

 

 手を止めた鷹宮に、ハンプティ・ダンプティは慌てて耳元に手を当てた。

 

「そうですね、アリス様に聞いてみましょうか……あ、面白そうだからオッケーだそうです。えっと、撮影の準備をしっかりしてから廊下に出るようにとのことですね。それでは私の方は一度外に出ていましょうか」

 

「え! 気が利くじゃん」

 

「ではなー」

 

 手を振る悪魔に一礼し、ハンプティ・ダンプティは部屋を出ていった。

 

――――――

 

 カメラを手に部屋を出た鷹宮とでびるを迎えたのは、アリス、そしてアリスと手をつないでいる王冠を被った背の高い女性の影だった。

 

「護衛は私が引き継ぐわ。よろしくね」

 

 とアリスは笑う。だが、鷹宮とでびるの目は女性の影にくぎ付けだった。

 

 女性は表情も、纏っているらしいドレスの柄すらわからなかったが、その目の奥に浮かぶ、赤い、薄暗いハートだけが二人をじっと見つめている。

 

「でびリオンチャンネルさん、実はましろだけじゃなくて、あたしもあなたたちのファンなのよ。あなたたちにこのお城を撮影していただけるなんて、なんて光栄なんでしょう! 案内は私に任せて! 絶対に撮影の邪魔はさせないわ!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「あざっす……」

 

 鷹宮とでびるは仰々しくなって頭を下げた。

 

「それではどこから案内しましょう。動画的にはパーティー会場? 二人がまだ見てないなら図書館とかお庭とか。裁判の見学もいいし、あ、お城の地下は迷路になってるから、誰が一番最初に抜けられるか競争するのも面白そう!」

 

「えーと……どうしようかな」

 

 鷹宮が苦笑してでびるを見ると、でびるは顔に影を作ってアリスに注文する。

 

「おすすめで」

 

 アリスはうん! と頷いた。

 

「わかったわ! このお城の魅力を隅々まで見せてあげる!」

 

 アリスは二人にかまわず歩き出したが、ちょっと行くと振り返って聞いてくる。

 

「もう撮影は始めてる?」

 

「あ、します。今からします」

 

 鷹宮が手に持った撮影用カメラを回すと、レンズの先でアリスは笑った。

 

「よろしくね」



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34.芋虫ハウス

 隠し通路を抜けて地下へと降りた笹木の顔は一転し、げんなりとしたものになった。

 

「だっっっっっる!」

 

 笹木の前にはずらりと並ぶトランプ兵たちの壁からなる迷路が広がっていた。遅れてやってきたランサーに笹木は言った。

 

「え、これに付き合わなきゃアカンの……? っていうかこんな迷路の壁、ぶち破りながら進めばよくない? ランサー、ちょっと蹴ってみて」

 

「よいのか?」

 

「よい!」

 

「しかし、あまりに可哀そ——」

 

「ランサー、やれ」

 

「……」

 

 ランサーは迷路の外壁に近づいていくと、トランプ兵の一枚を蹴りつけた。完全にヤクザキックであったが、その強靭な体幹によって背筋がまっすぐに保たれており、下品さや野蛮さは一切感じられない高貴なヤクザキックであった。

 

「おおー!」

 

 笹木が声を上げる。トランプ兵はランサーの蹴りで吹き飛ばされた。そして予想外にも、トランプ兵は飛ばされた先に立っていた別のトランプ兵を巻き込むように倒れ、それがまた別のトランプ兵を巻き込み……と、ドミノ倒しのように迷路の壁を構成するトランプ兵たちが倒れていく。

 トランプ兵が倒れ、ぶつかる音が完全に鳴りやんだ時には、迷路を貫通するまっすぐな一本道が出来上がっていた。

 

「よしランサー、その調子で全部ぶっ壊せ! やってしまえ!」

 

 笹木が命じると、ランサーは次々とヤクザキックを繰り出し、トランプ兵は綺麗にパタパタと倒れていく。

 

《ちょっとちょっとー! なーにしてるのさー!》

 

 足元からましろの声が聞こえてきたので、笹木は驚いて跳ね退いた。雑草が生えている中に小さな白い花々が咲いている……? いや、そうではない。白い花と見えたものは全て小さなスピーカーだった。

 

《僕とアリスちゃんとで徹夜で考えて作ったのにー。ちゃんと楽しんでよー!》

 

「いやだね☆」

 

《なんだって⁉》

 

「だってめんどくさいんだもーん」

 

《くっそー。人の苦労をぉ……》

 

「えっへっへ。人が時間をかけて作ったものを一瞬で壊すのが一番楽しい」

 

《くずだね⁉》

 

「いや、ぺらぺらの紙で迷路を作ったお前が全部悪い。ウチはできることをやっただけ~」

 

《うっ、くぅ……。そう、なるのかな……》

 

 悔しそうに唸ったましろに笹木は言う。

 

「うんそうだよ、お前が全部悪いよ。じゃ、またあとで会おうナ」

 

 そして、笹木は足元のスピーカーを踏み潰す。笹木が顔を上げたとき、すでに目の前に迷路はなく、人間大のトランプが散らばる草原が広がっているだけだった。

 

 草原の中央に一軒家が建っている。笹木はランサーと目配せし、共に家の方へと歩いていった。

 

 扉にトラップは……ない。笹木は確信し、ノブを回して家に入る。家の中には巨大な芋虫が鎮座していた。芋虫は笹木たちに気づいて顔を上げると、深い、深いため息をついた。

 

「もう駄目だ……お終いだ……」

「なになに、どーしたの? うちが話聞くよ?」

 

 笹木がさして興味も無さそうに近づいていくと、芋虫は今にも泣き出しそうな調子で言った。

 

「そこの机を見てくれ……」

 

 芋虫の視線を追うと、机の上には煙の充満するシーシャが置いてあった。そして、芋虫の足元には小瓶が転がっていた。なるほど、と笹木は納得する。

 

「お前、何か変なもん飲んで大きくなっちゃったんだ。それで身動き取れなくなって、シーシャ吸えなくなっちゃったんだー。ぷーくすくすww だっさw」

 

「や、やめてくれよ。小瓶に私を飲んでって頼まれたんだ。俺は基本的にいい奴なんだよ」

 

 顔を赤くした芋虫に、笹木は満足してからかうのを止めた。

 

「っていうか、あんたら誰?」

 

 今更のように芋虫が尋ねる。

 

「あん? ウチは笹木やよ。そんでこっちの筋肉がランサー」

 

「ローマ……!」

 

「ローマ……⁉ な、そうか。マスターとサーヴァント! 僕の敵ってわけか」

 

「んー? んん。たぶんそうやね。でも別に戦う必要ないやん、それ」

 

 笹木が指差した通り、芋虫の体は家の中にすっぽりと納まって身動きが取れないでいる。

 

「なにを!」

 

 と芋虫は短い足でシュッシュッ! とジャブを放って見せるが、そのとき肘が家の柱にあたり、家が小さくだが揺れた。その拍子に本棚から本が落ち、机の角に当たる。机が揺れ、シーシャの容器が揺れ……。

 

(」゚ロ゚)」

 

 芋虫は真っ青な顔でそれを見守っていたが、シーシャの容器がなんとか倒れずに机の上に留まったのを見ると、ホッと胸をなでおろした。

 

「ほらな、無理なんやって。ウチと戦うにはシーシャを諦めるしかないんや」

 

「そうか。じゃあ戦うのは無理だな」

 

「いや決断早いな。ちょっとは迷えよ」

 

 早々に戦いの方を諦めた芋虫に笹木はツッコむが、芋虫の中でもうその話は終わったことのようだった。

 

「ところで、マスターはお前一人だけ? 誰とも一緒に行動してないの?」

 

「あー……一人おったけど、ウチが飛び出したせいで離れちゃった……今頃探してるかもしれん」

 

「ふーん、友だち?」

 

「もちのろんです! りゅーしぇん優しいし」

 

「へえ、他には友だちいないの? 優しくない友だちとか」

 

「友だちは優しいもんじゃね……? まあ、なんでかエンが切れない変なのもおるけどな」

 

「へえ、それは素晴らしいね。他には?」

 

「え? あ、あとランサーもいるし……」

 

 そうしてランサーを見た笹木だが、ランサーは固く首を横に振った。

 

「笹木よ。お前と私はローマで繋がる、いわば家族のようなもの。ローマの民はみな家族。そしてローマでないものなどこの世に存在しない。つまり、家族でないものなど存在しない……!」

 

 そう言い切ったランサーに笹木は目を白黒させる。

 

「え、ランサー、うちのパパなん……?」

 

「なるほどなるほど。いやあ、羨ましいなあ。僕は友だちが一人もいないからね。しかし優しい、ねえ……ひょっとするとさ、その君に優しい友だちは、君のことを友達だと思ってないかも」

 

「はぁ? なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんですかあ?」

 

「だって君は人に優しくなさそうじゃないか。そんな君に優しくするなんて怪しさ満点だよ」

 

「いや……うち、身内には優しさ満点やから……」

 

 急にどもりだした笹木を見て芋虫は勝ち誇るように鼻で笑って言う。

 

「じゃあ今度聞いてみればいいさ。君は僕の何なんだ? ってね」

 

「はぁああああ⁉」

 

 笹木はぶちぎれて机を蹴った。すると、つんざくような音とともに硝子が砕け、無情にも固い床の上にシーシャの液体はぶちまけられた……。

 

(」゚ロ゚)」

 

 芋虫は真っ白になって固まった。その目から静かに雫が零れ落ちる。

 

「笹木よ」

 

 笹木をたしなめるようにランサーが言う。

 

「弁舌家に惑わされるな。相手はお前のことなど何も知らぬ」

 

「……わかってる」

 

 笹木はフードを目深に被り、うつむくと、踵を返す。扉を開けてそのまましおらしく出ていったと思いきや、扉からにゅっと顔だけを出してきて、

 

「ぺっ! ふん!」

 

 床に唾を吐き、バタンと扉を閉めた……。

 



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35.サーヴァント戦

「よし、ここは正々堂々サーヴァント戦といこうじゃねえか」

 

 葛葉はそう言って勢いよく席を立つと、バーサーカーを伴ってカウンターを離れていった。

 

 どうするの? 頬杖をついてライダーが笑いかけてくる。

 くそっ、こいつ楽しんでやがる……! チャイカは纏まりそうにない思考を放棄した。

 

「こうなったらやるしかないのか……」

 

 カウンターの向こうから出てきたチャイカ、そして後に続くライダーの前に、葛葉とバーサーカーが並び立つ……!

 

「頼むぜ、兄さん!」

「ああ……」

 

 葛葉の声に応じて敵のサーヴァントが地を蹴り、一瞬で距離を詰めてその銀色の槍を振るう。

 花畑チャイカに向けて。

 

「のぅわっ!」

 

 チャイカは予想だにもしない一撃を仰け反ることで何とか躱すと、そのまま後ろにごろごろと転がって距離を取った。チャイカは息を整えながらも困惑する。

 

 なんだ? なんで攻撃された? 正々堂々のサーヴァント戦は一体どこへ……? 

 

 その疑問に答える様に、相手の葛葉がサーヴァントに呼び掛ける。

 

「兄さん、気を付けてくれよ。見た目からしてやばい英霊だ」

「わかっているとも」

 

 相手のサーヴァントは油断など絶対にしないと言うようにその鋭い眼光をチャイカに向ける。 

 

「なっ⁉ おい、ちょっと待ってくれよ……!」

 

 ギャグか? ギャグシーンなのか? みんなで俺を嵌めようってのか? 

 背後を見るとライダーは苦笑してはいる……ように見えたが違う、腹を抱えて笑うのを必死に我慢してやがる……!

 

「そんな! 違う……! 聞いてくれぇ!」

 

 チャイカの懇願に興を削がれたような顔をして葛葉が耳を貸す。

 

「違うって、何がだよ?」

 

「いいかよく聞け。私はサーヴァントじゃない、マスターなんだ!」

 

 はぁ? 葛葉とバーサーカーはチャイカの言葉が理解できないというように真顔になり、次いで馬鹿にするようにくっくっと笑いたてる。そのタイミングはぴったりと揃っていて、兄弟のようですらあった。

 

「騙されるわけねーだろ。そこのいたいけなマスターをサーヴァントと戦わせるつもりか? さてはお前ぇ、相当な悪人か?」

 

「違う……俺は……!」

 

「準備はいいか? 女装したエルフの大男よ」

 

 低く、底冷えするようなサーヴァントの声にチャイカは震えあがる。チャイカは助けを求めてライダーの方を見たが、ライダーはグッと親指を立てただけだった。

 

「くそぅ! やってやる……やってやるよぉ!」

 

 またもや思考を放棄した花畑チャイカはファイティングポーズを取り、今度は自分から相手のサーヴァントに向かっていく。

 

「おら喰らえ! 花畑チャイカパァンチ!」

 

 花畑チャイカは連続で拳を振るう。が、そのどれもがかすりさえしない。時には槍で防がれ時には轟音が響き渡るも敵の構えはびくともしない。なんならチャイカの拳の方が痛いくらいだった。そして拳よりも、チャイカが想像より弱かったせいなのか、敵があからさまに萎えていくのがわかり、チャイカの心は傷ついていった。

 

 こんなものか、とついに敵のサーヴァントが反撃に転じる……。

 

「ぐはああああああああ‼」

 

 振るわれた槍に衝突し、チャイカはぐるんぐるんと転がりながらライダーの足元まで吹っ飛ばされる。

 チャイカの姿は余りに痛ましい、その一撃でチャイカのメイド服はびりびりに破れ、黒いロングソックスも破れて艶のある肌が(あらわ)になっていた。

 

「あー、チャイカ、大丈夫……?」

 

 ライダーは目を覆いながらも顔を赤くし、指の隙間から丸い瞳を覗かせる。チャイカは震えながら腕を持ち上げ、親指をぐっと立てると、

 

「アイルビーバック……」

 

 そう呟いて腕がぽてんと床に落ちた。

 

「あ、なんだ。余裕そうだね」

 

 ライダーはほっと息を吐くと、倒れたチャイカの前に進み出た。

 

「おいおいなんだよ、まだガキじゃねえか」

 

 葛葉は挑発するように言い捨てる。ライダーは特に反論もせずに一言、愛馬の名前を呼んだ。己の宝具にもなっている、その名前を。

 

始まりの蹂躙制覇(ブケファラス)……!」

 

 数多の雷とともに蹄の音を響かせ、虚空より巨大な黒馬が現れ出る。ライダーは黒馬の首のあたりを一撫でしてやると、その背にまたがった。

 

「さて、名乗りを邪魔する小うるさいリーダーも倒してくれたことだし、堂々と名乗ろうじゃないか!」

 

 ライダーは腰に差した剣を引き抜いて告げる。

 

「我が名はアレクサンドロス三世。大神ゼウスの子にして東方世界と西方世界を結びつけし大王である。汝、名を名乗るがいい。我の前に立ちふさがる気概があるというのなら……!」

 

 ライダー、アレキサンダーは剣を正面に掲げた裏で、なんてね、と舌を出して誰とも知らずにはにかむ。果たして、名乗りの効果はてき面だった。

 

「おい、アレクサンドロスって俺でも聞いたことあるぞ……ゼウスって、あのゼウスか⁉ これはやばいんじゃねーのか……!」

 

 苦渋の面持ちで後ずさる葛葉。バーサーカーはそれを見て無理もないというように目を瞑る。

 

「東方……か」

 

「おや、東方は嫌いかい?」

 

 バーサーカーが表情をわずかに曇らせたのを見逃さずにアレキサンダーが問う。バーサーカーは静かに笑った。

 

「まさか。東方は好きだ。そして西方も大好きだとも。人間は東西に分かれたところで何も変わらぬ。みな自分のことばかり考えて人の足を引っ張り合う……蠅のように小うるさい屑ばかりだ……‼」

 

 バーサーカーがその槍を床に突き刺すと、床から無数の黒杭が生えながらアレキサンダーに向けて進んでいく。

 

「ブケファラス!」

 

 アレクサンダーが合図すると、愛馬ブケファラスは前足を浮かせ、震わせ、反動をつけて思い切り前足を床に叩きつける。すると雷がブケファラスの蹄から四方に広がっていき、黒杭を粉々に砕いていった。バーサーカーはそれにも驚かずに落ち着いた調子で言う。

 

「余はヴラド三世。ワラキアの君主にして人より忌み嫌われし吸血鬼」

 

「吸血鬼?」 

 

 素っ頓狂に聞き返したアレキサンダーに、バーサーカーヴラドは左様と答える。

 

「吸血鬼、すなわち人の血を啜る怪物なり……ならばこそ、東であろうが西であろうが、血の通った人間(くず)は大好きだとも」

 

 そうして、ヴラドは自嘲半分に笑いながらも鋭い牙を剥き出しにし、その翼を広げて宙へと舞い上がった。

 

「こりゃあ、訳ありっぽいなあ……」

 

 頭上のヴラドを見上げるアレキサンダーは苦笑して頬を掻いた。



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36.地下迷路

 オレンジ色の明かりが点々と灯る廊下を四人は進んていく。廊下の片側に並ぶ縦長の窓には明るい室内ばかりが映っていた。外はもう夜だった。

 

「どこを案内しようかしら」

 

 先ほどからアリスは手を繋いで隣を歩く女王と何やら相談をしているようなのだが、女王が何も言わないのでアリスの一人芝居のようだ。

 

「わかるわ。確かにそれも大事よね。そうなると、やっぱりパーティー会場から始めるべきね」

 

 くすくすと一人で笑うアリス。女王の影のドレスは床の上を音もなく滑り、無言でついていく鷹宮とでびるにのしかかる空気をさらに重くした。そんな二人に救世主が現れる。廊下の向こうから足音が聞こえてくる。足音の主は角を曲がって鷹宮たちの前に姿を現した。

 

「あ、鷹宮―!」

 

 向こうからパタパタと駆けてくるのは中華服を纏う少年とも少女ともつかない鷹宮のクラスメイト、緑仙だった。

 

「動画の収録?」

 

 と緑仙が鷹宮の手に持ったカメラを指差す。

 

「そうそう。大丈夫、緑さんの顔にはちゃんとモザイク入れとくから」

 

「いや、編集でカットしてよ……ところで笹木見なかった?」

 

「笹木さん? あー、見てませんね」

 

「そっか~」

 

 緑仙はやれやれと項垂れる。

 

「え、ひょっとしてですけど、さっき追いかけてから追いついてなかったり……」

 

「そうなんだよ。笹木は見つからないし、サーヴァントはどっか行っちゃうし、もう散々だぁ……」

 

「護衛をお付けしましょうか?」

 

 心配そうに申し出るアリスに、緑仙は軽く笑って手を振った。

 

「いらないいらない。もしもの時は令呪使うし」

 

 うん、だから大丈夫だよ、僕はもう行くね。そう言って緑仙は走っていってしまった。

 

 

 アリスが案内した部屋は白黒のタイルが敷き詰められた薄暗い部屋だった。ただ、床の中心の真っ暗な穴に向かって周りのタイルが捻じれているように見える。

 

「これ騙し絵って奴でしょ? なかなかオシャレじゃん~」

 

 悪魔を肩に乗せた鷹宮は躊躇なく穴の方へと歩いていく。

 

「そうなのかぁ? どっからどう見ても本物の穴なのに、絵ってすげえんだな……」

 

「そうよ。芸術はすごいの! ほらでびちゃん、見ててごらん」

 

 そうして鷹宮は穴を踏みつけるように足を出し、

 

「……」

 

「おい、どうしたんだ、黙り込んで」

 

「あーでびちゃん、初めに言っとくわ」

 

 ごめんね。

 

 てへぺろ、と舌を出した鷹宮から離脱しようと悪魔は羽根を拡げて飛び立とうとする。が、その足を鷹宮が捕まえる。

 

「やだ、ちょっ離せぇ! 嫌だよ小娘、ボクを巻き込むなぁ!」

 

「何言ってんの、マスターとサーヴァントは一心同体なんだよぉ! おーほっほっほ!」

 

 高笑いと悲鳴を響かせながらでびリオンは穴へ落ちていった。

 

「み、醜いものを見たわ……」

 

 アリスは困惑し、しかし首を傾けて考える。

 

「いえ、でもマスターとサーヴァントは一心同体っていうのは綺麗かも。じゃあ、美しいものをみてしまったのかしら? ね、どう思う?」

 

 アリスはハートの女王に尋ねるが、女王は何も言わなかった。

 

 

〇地下迷路

 

 長い滑り台から吐き出されたでびリオンが目にしたのは、大きなトランプの散らばった草原、草原の中央に建つ一軒の家だった。

 

「うふふふ、凄いでしょ? この地下迷路はあたしとましろが一晩かけて考えた……考えた……」

 

 後から滑り台を降りてきたアリスは現実を受け入れらないかのように何度も目を擦り、ついにはその目に涙が浮かばせた。アリスが辺りを見回すとスピーカーの花は全て踏み潰されていた。

 

「あ、いけない、芋虫さんが……!」

 

 涙する間もなくアリスは芋虫を心配して草原中央の家へと走った。そのあとを女王が歩いていく。

 

「さすがに、か」

 

 鷹宮もまたカメラを止めてアリスを追いかける。アリスはすぐに家の中から出てきた。でびリオンは目を疑う。アリスの手の上で青い芋虫が泣いていた。

 

「うわーん、うわーん、もうだめだ、お終いだー……!」

 

「芋虫さん、落ち着いて。いったいどうしちゃったの?」

 

 アリスが心配そうに聞く。芋虫は涙声で答えた。

 

「僕がシーシャを吸ってないとこの世界から遅れてしまう! 一度遅れればもう追いつけない……世界は僕たちのことを置いて行って、そのうち忘れてしまうんだ。僕のせいで……いや、俺だったかな、どっちでもいいけど、でも私たちみんな、みんなみんなみーんな戻ってこない世界を待ち惚けることになる……」

 

「芋虫さん、シーシャは? シーシャはもうないの?」

 

 芋虫の会話に付き合ってられないとアリスは質問してみるが、芋虫は完全に自分の世界に入っているようだった。

 

「君だって忘れられる。誰からも忘れられる。耳を澄ましたって風の音しか聞こえないよ⁉ ああ、薄ら寒い、薄ら寒いよぅ……」

 

「私に出来ることはないの?」

 

「無いよ‼」

 

 突然、芋虫は声を張り上げた。

 

「調子に乗るなよ偽物め! ひょっとすると、お前が俺を生み出したのかもしれない。ひょっとすると、君がいなきゃ僕は存在できないのかもしれない。でも僕が誰だろうと、僕が生きる限りはお前に関係なく生きているんだ! 俺が君と話す時だって常に君とは関係なく話す。だから僕の生活に権力を振るわないでくれ! お前は僕とは関係がない。これっぽちも、僕たちは関係のない関係なのさ」

 

 何を言われたのか理解しきれずに呆然とするアリスに、芋虫は冷たく言い放つ。

 

「下ろしてくれよ。君の手は僕の体より冷たいから体温が変わっちゃうだろ」

 

 アリスは芋虫を下ろした。芋虫は振り返りもせず草原の方へ這っていく。

 

「あー……でび、何か話しかけてあげなよ」

 

「え、ボクぅ? ボクはちょっと今お腹の調子が悪いというか……」

 

 アリスの後ろ姿に声をかけようとするでびリオンだったが、アリスは突然振り返ると、笑顔で二人に言った。

 

「さあ、次へ行きましょう!」

 

 アリスは女王と手を繋ぐと家から離れていった。

 鷹宮とでびるは違和感を覚えながらもアリスについていくしかないのだった。



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37.お茶会(狂)

 教会の鐘が鳴った。ベッドに寝転がっている少年は虚ろな目を窓の方に向けるが、高さが合わず、その瞳には空以外には映らない。外では低い鐘の音に混じって少年と同じ年頃の子供たちの声が聞こえていた。

 

 きっと、少年は窓から子供たちを見たかったのだと思う。少年の手が震えながらゆっくりと持ち上がる。だが、手は半ばまで持ち上がったところで力をなくして落下する。その手は柔らかな手に受け止められ、包み込まれた。

 

 少年の目がゆっくりと動き、傍らに座っていたシスターに向いた。シスターは両手で包んだ小さな手を見下ろす。呪いに蝕まれて血肉を奪われ、変色している手を。

 シスターは少年の視線に気づいて顔を上げた。

 

 少年は枯れそうな声を細い管から絞り出す。

 

「もう、だめそうだ」

 

 シスターは冷静になろうとするかのように一度目を瞑ると、にっこりと笑って見せる。

 

「何馬鹿なこと言ってるんですか~、もう。心が後ろ向きだと体に悪い影響が出てしまいますよ。ほら、呼吸も楽そうですし、治療が効いているのでは?」

「違う」

 

 少年は感情のない言葉で切って捨てる。

 

「俺は負けた。生きるのが辛くて諦めた。闘うのを止めて病魔に体を明け渡したら、すぐにあちこちの感覚がなくなって、その部分が死んでいった。その代わり、息だけは楽になった。これからもっと楽になって、楽になっていって、あとは、もう、楽になるだけ……」

 

 シスターの顔の上で不自然に固まっていた笑いが消え去った。それを見て少年は笑った。

 

「疲れてるね」

「あなたほどではありません」

「ううん、シスターさんの方が、疲れてる」

 

 シスターは黙って少年の言葉を待つ。少年は乾いた唇を開き、そこから少しづつ言葉を零していく。

 

「強くなりたかった。強くなって、生きることの理不尽に苦しむ、俺と同じ子どもたちを、助けてやれるような……そんな、正義の味方に憧れてた……」

 

 でも、と少年は少し湿った声で言う。

 

「俺は諦めた。弱かったんだ。結局、俺は弱かった……苦しんで生きて死ぬ、ただの一人の、かわいそうな、弱い人間に過ぎなかった」

 

 少年の顔がくしゃりと歪み、もはや大きく開くことの出来ない口からは切れ切れの息が漏れ出るが、涙はもう枯れていた。

 

 少年はそこで呼吸を整えて、シスターを見る。シスターは少年の目に言い知れぬ恐怖を覚え、一歩後ずさった。

 

「シスター・クレア。あなたは強い。俺よりも、時計塔の連中なんかよりもずっとずっと」

「やめてください」

「嘘じゃないよ。視えるからわかるんだ。俺や他の子どもたちで好き勝手してた魔術師は強大だった。でも、あんなクソヤローよりもあなたは強いんだ」

 

 シスターは目を伏せ、一歩後ずさった分を恥ずかしく思い、取り消すように一歩前に出て元の位置に戻る。そんなシスターを見て、少年は言った。

 

「あのとき、あなたに助けてもらえて、本当に良かった」

 

 

 

 握っていた少年の手を置いて、シスター・クレアは部屋を出た。

 

 部屋の外で壁にもたれて待っていた叶が声をかけた。

 

「終わりましたか」

「はい」

 

 クレアは頷く。そして叶の方を見もせずに尋ねた。

 

「ましろさんですが、彼一人で大丈夫でしょうか」

「ええ、全滅だってありえなくはないでしょうね。僕の知る限り最凶の魔術師ですよ、彼は」

「あらぁ、けれどそれだと困りませんか? お友達の葛葉さんがやられてしまうのでは?」

 

 叶は薄い笑みを浮かべて背中を壁から離して立ち上がると、クレアの前に立つ。二人は睨む合うように互いの目を見合う。叶は言った。

 

「シスター・クレア。それはあなたが心配することではありませんよ」

「そうですか。それは失礼しました」

 

 クレアは顔に浮かびかけていた笑みを落とすかのように目を伏せると、叶の横を通り過ぎて、廊下の向こうへ歩き去った。

 

 

 

 

〇パーティー会場

 

 先ほどのような丸テーブルは縁に寄せられ、代わりに大きな横長の食卓が会場のど真ん中に鎮座している。会場にいる仮面をかぶった生き物たちのほとんどは食卓の周りを取り巻くように立ち話をし、食卓には僅かに三人だけが座っていた。

 

 右には古臭い帽子を被った痩せ男、左には二足歩行の人型の兎、そして真ん中に座る三人目は……。

 

 鷹宮はカメラ片手にその人物に近づいていくと、肩を叩いて尋ねた。

 

「えっと、なにしてんの?」

 

 ばっとふり返った人物はパーティー用の口髭サングラスをかけていた椎名唯華だった。

 

「なにって、見てわからん? お茶会」

 

 椎名はまるでワイングラスでも持つかのようにティーカップを手に持ってグッとカップをあおると、ごくごくと喉を鳴らして豪快に紅茶を飲んだ。

 

「ぷはーっ。いいお点前!」

 

 椎名が音を立ててカップを置くと、隣に座っていた男と兎が拍手する。

 

「汚点だ汚点だ!」

 

「汚点前が過ぎる!」

 

 その様を見てでびるは表情を失くし

 

「あー、中々のお点前でございますね……」

 

 意味の分からないことを言って去ろうとしたが、これは鷹宮が足を掴んで引き留めた。

 

「あの……」

 

 と帽子を被った痩せ男の服の裾をアリスが引く。

 

「あなた、ひょっとして帽子屋さん?」

 

 アリスはキラキラした目で尋ねる。男はうーんと悩み、悩んだ末にこう答えた。

 

「私が誰かは思い出せないな。帽子屋と言われれば帽子屋な気もする。でもそれは今の私を何も解決してくれないからね……」

 

「そんな……」

 

 アリスは落ち込むが、気を取り直して兎の方に呼び掛けた。

 

「あなたは、あなたは三月兎さんよね?」

 

 兎は答える。

 

「知らないなそんなの! だいたい、僕って兎なのかい? 三月⁉ 生まれる前から三月かい⁉」

 

 どんよりとした空気がアリスたちの周囲を覆った。それを敏感に察知した痩せ男はアリスを元気づけるようにその肩をぽんと叩いた。

 

「私が誰かなんて、本当は悩む必要が無いんだよ。大事なのはお茶会すること。だって、お茶会している間は私たちはみなお茶会する者でいられるのだから」

 

「そうだそうだーお茶会だー!」

 

 椎名が笑顔で拳を振り上げる。

 

「椎名さん……?」

 

 違和感に気づいた鷹宮の呼び掛けに、椎名は首を傾けた。

 

「リオンさん……だっけ。あれ? いや、それよりも、今あたしのことなんて呼んだぁ?」

 

 これはもう、明らかにおかしい。鷹宮は椎名の瞳を凝視し魔術の痕跡を見つけようとするも、上手く見つからない。いつも通りの眠たげな瞳にしか見えなかった。それとも……。

 

「私もおかしくなってる……?」

 

 魔術の影響が椎名に見られないのは、見る側である私が既に魔術の影響下に置かれているから……? っていうか、私って誰だっけ。椎名は今、私のことを何て呼んだ? 隣でふわふわ浮いてるこいつはでびでび・でびる。椎名についてもわかる。

 

「椎名さん、サーヴァントはどうしちゃったの?」

「あ、それならわかるよぉ~。あいつは付き合ってられんって言って出て行った。部屋で寝てるわ、たぶん」

 

 ほら、冷静に質問だってできるのに、どうして自分の名前は……。鷹宮は頭を押さえてなんとか考えようとするも、思考がまとまらない。こんなの、絶対おかしいのに。

 

「大丈夫……?」

 

 ふと見るとアリスが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 

「うん、大丈夫。心配しなくていいから」

 

 気丈に微笑んで見せる鷹宮に、アリスは素直にほほ笑みを返す。だが、鷹宮は見てしまう。アリスの肩越しに、ハートの女王の薄暗いハートの瞳が少しだけ歪んだ。

 

 今、笑った……? 

 

 疑心に囚われた鷹宮を置いて、お茶会はどんどん進行していく。

 

「さあ、隣の席へずれよう!」

 

 痩せ男の合図で拍手が巻き起こり、お茶会の三人は隣の席へずれる。が、

 

「いや、これお前の飲みかけじゃねえか!」

 

 椎名が鼠の浸かったカップを見てテーブルに拳を叩きつけた。兎はたしなめる様に

 

「元僕の席に座るのだから、そうなるに決まっているでしょ。まあ嫌な席があるのは仕方がない。そんなときには席をズレればいいんです」

 

 そう言って兎はカップを一口すすると隣の席に移る。

 

「いやだから飲むなって。あてぃしが飲む前に飲むな!」

 

 怒りのあまり立ち上がった椎名に痩せ男が優しく言って聞かせた。

 

「では仕方ない。逆向きに席をずらしましょうか。それで解決するはずです」

 

 痩せ男は啜っていたカップを皿の上に置くと、隣の席にズレた。

 

「さあどうぞ、こちらへ」

 

「てめえ、いかれてんのか?」

 

「いえいえ、お茶会とはお茶を飲むもの。お茶を飲まなければ席をずらす意味だってないでしょう」

 

 まったく……と呆れたように肩をすくめた痩せ男を、椎名は口髭サングラス越しに強く睨みつける。

 

「いいですか。元私の席の貴方は紛れもなく新しい私なのです。自分のお茶を飲んでおかしいことなど何もない! ね、そうでしょう?」

 

 呆気にとられたように痩せ男の顔を見つめる椎名を置いて、痩せ男は紅茶の並々注がれたティーカップを手に持った。

 

「さあ、では皆さんもご一緒に。お茶を飲みマs——」

 

「うっせえはげ! 席変われよ! あてぃしが先頭に座るんだぁ!」

 

 椎名が痩せ男に掴みかかる。紅茶が零れ、取り巻いていた人々はどよめき、兎は無視してお茶を飲もうとして椎名に殴られる。喧噪はどんどん広がりつつあった。

 

「もう行こうぜ」

 

「うん」

 

 悪魔の言葉に鷹宮は頷く。

 

「ほら、アリスちゃんも」

 

 鷹宮の言葉はアリスに届いていなかった。アリスはお茶会を前にして、悲壮な顔で立ち尽くしていた。ハートの女王に手を引っ張られるまで鷹宮の視線に気づかなかったほどだ。

 

「あら、ごめんなさい。ぼーっとしてたみたい」

 

「うん、そうだね。でびちゃんとここはもういいんじゃないかって話してて」

 

「ああ、そう……そうね。確かにここはもういいわ。時間的にも次を最後にしましょう。そうよ、きっと次は楽しくなるわ!」

 

 アリスの浮かべた痛々しい笑みに鷹宮は「うん」とだけ言った。



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38.女王裁判

〇裁判所

 

 でびリオンが案内された場所は裁判所だった。左右には弁護士の席と検事の席、証人の席が向かい合うようにして展開し、壇上には裁判官の席が並ぶ。そしてそれよりさらに高いところに玉座があった。

 

 厳粛な雰囲気に息をのむでびリオンを見て機嫌を直したらしい、アリスはくるっと振り返って言う。

 

「じゃーん。裁判所よ」

 

「裁判所って何~」

 

 と尋ねるでびる。アリスはにっこり笑って答えた。

 

「首をはねる場所よ」

 

「え、こわ……」

 

「ね、私裁判をやってみたいわ。女王様もそうよね?」

 

 アリスはいいでしょ? と女王にねだる。女王はアリスを見下ろすと、ゆっくりと玉座を仰ぎ見、そのまま玉座の方へ歩いていく。

 

 女王が玉座に座った。

 

「やった! ありがとう、女王様。 私は裁判官になる! でびリオンチャンネルさんには書記官をお願いしたいわ」

 

「えぇ……わかりました、けど」

 

 嬉しそうなアリスに何も言えず、ずるずると書記官の席に並ぶでびリオン。アリス以外の裁判官、そして弁護士や検事、他の書記官たち諸動物が裁判所に入ってきて席を埋めていく。

 

「おや、こんにちは」

 

 と鷹宮の隣にはハンプティ・ダンプティが着席した。

 少し遅れて傍聴席も埋まり出すと、辺りは賑やかになってきた。

 

 女王は玉座に座し、じっと裁判の舞台を見下ろした。そして胸のポケットからトランプのカードを一枚取り出して、すっと机の上に伏せた。

 何かと思って鷹宮が目を凝らすと、伏せられたトランプのカードは一瞬の内に手足を生やし、真っ赤なドレスを纏う。それはハートのクイーン。小さなトランプの、ハートの女王だった。

 玉座に座したハートの女王の前で、トランプのハートの女王は耳が痛くなるような声で話し出した。

 

「開廷だ! 開廷! 裁判を開廷する! 被告人を連れてこい!」

 

 女王の言葉に伴って白兎が青い衣服を纏う女性を被告人の席へと連れてくる。

 

 おや? と鷹宮は眉を上げる。女性はもう立派な大人だった。けれど、あの服はまるで……。

 鷹宮は聞きたいことがたくさんあってアリスの方をみたが、アリスは鷹宮の視線には気づかない。冷や汗を流し、知らず知らず呼吸を荒くして席を立ちあがっていた。

 

「被告人アリス、ここに!」

 

 女王の呼び出しを受け、白兎が女性を女王の前に引き出した。

 

「よろしい。被告人アリスよ、お前はなぜここに連れてこられたか、わかっているかな?」

 

 アリス、と呼ばれた女性は辺りを見回し、一言。

 

「わかりません。あの、たぶん人違いだと思うんですけど……」

 

 女性はわけがわからないというように怯えている。そして、なんでトランプが喋ってるの……? と一言。

 

「そう、それだぁ! アリス、ただのトランプは喋らない! そうだな? そうだろ? えぇ?」

 

 女性の一言を聞き洩らさず、女王は鬼の首を取ったかのような勢いで問いかける。

 

「ええ、そうですけれど……」

 

「よし! 聞いたか皆の衆、この者は以前私たちをただのトランプと言った。だが今この者はただのトランプが喋らないことを認めた。そして私たちは喋るトランプ! 私たちはただのトランプでないのに、この女は私たちをただのトランプと侮辱した。つまりこの女、アリスは噓つきなのだ!」

 

 女王の言葉に会場がひどく騒ついた。まるで嘘つきがこの世界にいることがショックでたまらないといった風に傍聴席の人々は傷つき、バタンと倒れ、女性を非難した。

 

「人を責めるにしても過激なのは嫌ですね、まったく」

 

 ハンプティ・ダンプティが囁いてきたので、鷹宮はそうですね、と愛想笑いする。

 

 女王はカン、カン、と必死に自分の体よりも大きい木槌を鳴らして声高に告げた。

 

「判決! 被告人アリス。汝を汝の身が負う詐称、及び、侮辱、及び国家転覆の罪において死刑とする。閉廷!」

 

 終わった、と会場の空気が弛緩し、人々は各々好き勝手に話し出して席を立ち始める。

 

「さあ、死刑執行は速やかに。処刑人よ、この女の首を刎ねぇい!」

 

 女王の言葉に反応して緊張感が戻ってくる。剣を携えたトランプ兵が未だに状況についていけてない女性に迫る。

 

「はあ、気分が悪い。私はここでお(いとま)しますよ」

 

 ハンプティ・ダンプティは席を立った。

 

「貴方は、これでいの?」

 

 鷹宮が責めるように問うが、ハンプティ・ダンプティは軽やかに笑って言った。

 

「私には女王に逆らう勇気がありませんから。でも、アリス様は最後まで諦めないんでしょうね」

 

 どうか、最後までそばにいてあげてください、そう言うとハンプティ・ダンプティはお辞儀して会場を後にした。

 そして裁判官の席からは案の定、アリスが声を上げていた。

 

「ちょっと待って、そんなのおかしいわ。ただの逆恨みよ! だってそんなの……そんなの、あんまりじゃない!」

 

「……裁判官、発言は挙手を」

 

 冷静な女王を睨み、アリスは手を挙げる。

 

「発言を許可する」

 

 促され、アリスは喋り出す。

 

「女王様、判決の撤回を求めます。確かにアリスの言葉は女王様を傷つけたのかもしれません。けれどアリスだってそのとき首を斬られそうで必死だったはずです。女王様が立派な大人であるのなら、子どもの言ったことをいつまでも気にするべきではないと思います」

 

 女王はそれを聞いて腕を組み、よくわかったと言っているかのように頷いた。

 

「へぇ、そうか。アリスよ、そう言っているが、どうだ? お前は必死だったらしいぞ。必死だったなら覚えているな? あのときのことを」

 

 女王が意地悪く見つめる先で、女性は視線をさ迷わせ、首を横に振った。

 

「だめ、何も思い出せないわ」

 

「で、あろうな。わかっていたさ。お前はあのとき私たちを殺したが、私たちを殺したお前は既にお前によって殺されたのだ。聞けい、皆の衆! この女に殺人罪を付加し、死刑! 即刻首を刎ねるべし!」

 

「待ってってば!」

 

 再びアリスが立ち上がる。

 

「あれは子供の言葉よ、意味なんてないわ」

 

「だったらひとまずお前の言葉を聞く必要はないねえ」

 

「そんな、私は違う! 子供だけど、でも子供じゃなくて……!」

 

「ふーん、お前も嘘つきかい、まあいい。なんせ、私は人を子供扱いしないからね」

 

 女王は机の上に深く座り、何かを思い出すように天井を見上げると、ゆっくりと話し出した。

 

「そうさ、私は子ども扱いしない。人を子ども扱いするような奴は許せないんだ。私が子供のころだ、王である私の父様に対して部下が裏切りをたくらんでるのを盗み聞いてしまってね。私は機を見計らい、父様の前でそいつを糾弾した。首を刎ねるべきです、ってね。でも父様も母様も私を見て悲しそうな顔をするんだ。それで裏切り者が言うのさ。『大丈夫です、私は気にしていませんよ。なんせ、子どもの言うことですから……。』それから間もなく父様も母様も裏切り者に殺されちまった。私はすぐに兵を挙げて裏切り者を捕らえ、首を刎ねてやったわ(わかってたことだから準備もできたのさ)。そのとき子どもの私の言うことを信じてついてきた将軍を私は王にしてやった。子供の私の言葉を信じてくれた兵士たちをみんな取り立ててやった。皆言っていたさ。『王女様の言うとおりだ!』『王女様は正しかった!』」

 

 気持ちよく話す女王の前にふわふわと黒い何かが漂ってくる。女王は首を傾げた。

 

「ねえねえ、お前についてきた将軍って、それ、そいつが王になりたかっただけじゃないの?」

 

 女王は我に返る。女王の前に漂ってきたのはでびでび・でびるだった。でびるは続けて言う。

 

「可哀そうに。子どものお前は出世の道具にされたんだねえ。その時のお前は気づいてなかったみたいだけど、そいつが本当に信じていたなら……人に忠誠を誓えるような良い将軍だったなら、お前の両親が殺されるのも止められたんじゃねーか? いや、むしろそう仕向けてたってことは? あぁ、お前を慕う奴ら、自分の欲望のために誰も何も言わなかったんだ。ふふふ、人間の欲望って汚いねぇ。ホントお前ってかわいそむっ!」

 

 手遅れなのはわかっていたが、鷹宮リオンはでびるの口を塞いだ。

 

「あ、すみませ~ん、うちの悪魔が。ほんと、あの躾けておくんで……続けてください! おほほほほ……」

 

 でびるを抱えて書記官の席に戻っていく鷹宮を女王は何も言えずに見つめていた。やがて、あちこちから視線を感じ辺りを見回すと、うっと唸る。会場の皆が哀れみの視線を向けていたのだった。終いには死刑の女にすら哀れまれている。これには女王も耐えられなかった。

 

「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」

 

「何も言ってないわ」

 

 とアリス。女王はアリスを睨む。

 

「うるさい! みんな目がうるさすぎる! いいかい、私の言うことが正しいんだよ! 正しい私の言うことを聞いたあいつらは正しいはずなんだ! だから取りあげないでおくれ、私の――」

 

 女王の言葉は続かなった。女王は……ハートのクイーンのトランプは、玉座に座す影のようなハートの女王の拳の下でくしゃくしゃに潰れていた。

 

 ハートの女王は玉座から立ち上がると、裁判官の席も被告人の席もすり抜けてすーっと裁判所から出て行った。

 

 がたん、と椅子を倒し、遅れてアリスが席を立った。

 

「どうしたの……?」

 

 鷹宮が尋ねると、アリスは青ざめた顔で言った。

 

「キングがやられたわ」



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39.串刺し公

 城内は轟音に包まれていた。メキメキ、バキバキと破壊の音が響き渡る。繰り返される振動のさなか、ライダー、アレキサンダーとマスターの花畑チャイカを乗せ、黒馬ブケファラスは疾走する。ブケファラスの逞しい身体を突き刺そうと床から次々と黒杭が突き出てくるが、ブケファラスは未来が見えているかのようにそれを巧みに躱していく。

 

 ブケファラスは壁に向かって突進すると、前足を振り上げて壁を破壊し、そのまま次の部屋へ。先ほどから何度もこうして城の壁を破壊する疾走を続けているので、最初は「壁がっ、ぶつかる!」「やめろ、破片がっ、やめろってえ!」「やめてくださいお願いしますっ!」と叫んでいたチャイカも真っ白になってしまった。

 

「ねえチャイカ!」

 

 突然アレキサンダーが振り返って声を張り上げる。前からの風に赤い髪を乱しながらも、その顔は楽しそうだった。

 

「……なんだよ」

「死ぬ気で反撃すれば勝てるかもしれないけど、どうする?」

「やめろよマジで」

「えー、でも、このまま逃げていてもこの城には敵の方が多いんだよ? 一応これでも椎名さんのいる方に向かおうとはしてるんだけど、相手もわかっててそっちの方面は警戒してるみたい! ねえどうしよっか?」

 

 頬を赤く染めて嬉しそうに聞くアレキサンダーに花畑チャイカは頭が痛くなった。

 

「現状維持……」

「あり得ないね」

「くっそぅ、じゃあギリギリまで現状維持っていうのはどうだ?」

「はぁ、チキンだなあ、チャイカは」

「うるせえよ!」

「オッケー、じゃあそれでいこう。戦いは何が起こるかわからないしね」

 

 そうだ、何が起こるかはわからない。あちこちから聞こえてくるこの轟音は……絶え間のないこの振動は……僕らの巻き起こす破壊とは別に、何か大きなことが起こっているに違いない! 向こうもそれはわかっているはずなのに。

 まったく、呆れちゃうね……。アレキサンダーはきゅっと手綱を握りなおす。

 

「作戦は決まったかな? アレキサンダー少年よ」

 

 声に反応してアレキサンダーが背後をちらと確認した先、吸血鬼二人組が羽根を生やして天井付近を飛んでいるのが見えた。ヴラドは嗜虐的な笑みを浮かべて今も黒杭を操作し、ブケファラスを捉えようとしていた。

 

「まあね。貴方を倒す作戦が決まったところさ!」

「ハッ、そうであろうな。貴殿は余とは違い、何もかもを持っていた。余は大国の間で翻弄され続けたが、貴殿は大国を飲み込んだ。死後怪物とされた余とは違い、貴殿の配下たちは死んだ貴殿を神のように崇め立てた!」

「みんな自分の欲のためさ! 自分が正当な後継者だとアピールするために僕の物語を利用したんだ。僕の眼から見たって、人間はそんなもんだよ!」

「黙れ! 余にはそのような配下もいなかった。余にはこれしか……余の生涯には、この、血塗られた杭しか残らなかったのだ……!」

 

 ヴラドの固く握られた拳から血が滴れ落ちる。ヴラドは牙を剥いて叫んだ。

 

血塗れ王鬼(カズィクル・ベイ)!!」

 

 流れ出る血液を握り込み、ヴラドが手を振るった。すると刎ねた血液から鋭く走り出したどす黒い杭が、空中で増殖しながらもの凄い速さでブケファラスの背に迫る。

 

「チャイカ、あれを見ちゃだめだ!」

 

 アレキサンダーの忠告はチャイカには届かなかった。チャイカは全身を悪寒に襲われ、唇を震わせながらも黒杭から目を離せないでいた。

 

(なんだあれは……! あんな禍々しいものがこの世にあっていいのか? 聞こえてくるこれは、悲鳴……? うっすらと見えているあれは……あれは……)

 

「あ、あぁあああああ……」

 

 チャイカの口から声にならない声が漏れ出る。最初、数が多すぎて虫が蠢いてみえた。だが、よく見てみると、無数に生えている杭の一本一本に人間が串刺しにされていた。みな苦しそうに悶え、体を震わせる。痛みからか、体のどこかを動かさずにはいられないのに、その体は貫く杭で止められて、うねうねした歪な動きしかできないでいるのだ。

 

「ここは、地獄、か……?」

「チャイカ! くっ、これまずいなあ」

 

 流石のアレキサンダーもこれには緊張を走らせ、何か手はないかと周囲に気を配る。そのアレキサンダーの前方から、後ろの杭と挟み撃ちするかのように樹木が壁を押し流し、なだれ込んできた。

 

 この樹は……!

 

 アレキサンダーは手綱を退いて馬を急停止させると、叫んだ。

 

「ブケファラス、跳べ!」

 

 ブケファラスはいななき、前から迫る樹木を飛び越えて壁に着地すると、そのまま天井を突き破って上の階へ跳び上がった。

 そこでアレキサンダーが目にしたのは、夜の闇だった。部屋の中央に渦巻いていた闇は一息に広がると、アレキサンダーとチャイカを。そしてそれを見上げていたヴラドと葛葉を呑み込んだ。

 

   〇

 

 部屋に帰った鷹宮とでびるは、ベッドを通り過ぎて、そのまま窓を開けてバルコニーへ出た。吹く風に髪を押さえ、鷹宮は遠くの街の光に目をやった。

 自分でも気づいていなかったが、城の中に居て体が火照っていたらしい。冷たい風が肌に心地よかった。

 

「でび、風で飛んでかないわよね?」

「はぁ? 飛んでかないよ! 僕を何だと思ってるんだ?」

 

 肩の上でぷりぷりと怒り出したでびでび・でびるに鷹宮はくすりと笑った。

 

「ところでさ、この森なんだけど……」

 

 でびるが言いかけて、鷹宮は頷いた。

 

「あたしにも見えてるよ」

「そっか」

 

 でびるは口をつぐむ。二人の眼下に広がる森はオーロラのような光を空に向けて放っている。鷹宮はカメラを向けてみるものの、レンズ越しでは光が映らないことに気づくと、遠くの街の光だけを映して満足することにした。

 

「これ、絶対ヤバいやつだよね……」

「そうかもね。あたしはもう疲れたし、全部明日でいいや」

 

 そう言うと、鷹宮は踵を返して部屋へと戻った。でびるはしばらくは眼下の森を睨んでいたが、じきに気にするのを止めて部屋へふよふよと漂っていった。

 

 バルコニーの窓は静かに閉ざされた。



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40.チェシャ猫の間

 その部屋では暖炉に薪が焚かれていた。

 

 ソファが二つテーブルを挟んで並んでおり、テーブルにはプレイ途中のチェスがほったらかしにされている。暖炉のマントルピースの上には鏡が掛けられていて、鏡の横に白黒の縞の猫が体を横たえていた。

 

「絶対、この部屋が怪しいんやけどな……」

 

 部屋に入った笹木はそこらを見回しながらソファに座った。

 

「なんかわかる? ランサー」

 

 笹木は向かいのソファに座ったランサーに問いかける。ランサーはゆっくりと暖炉の方を向き、その上の猫を見て、言った。

 

「あの猫……ローマか?」

「あ、もういいっす。聞いたウチが馬鹿でした」

 

 笹木は項垂れてテーブルの上のチェスに目を落とす。白が優勢だ。

 

「ポーン……じゃなくてクイーンか」

 

 笹木は相手の盤面に深く食い込んだ白のポーン、もとい、クイーンを持つと、黒のクイーンを弾き、そのマスに白のクイーンを置く。

 

「チェックメイト」

 

 と言ってはみたものの、何も起こりはしない。笹木はため息をついて投げ出すようにソファに深く腰掛けた。

 

「猫ちゃ~ん、お前の飼い主、一体どこにおるの……?」

 

 本気で聞いたわけではないだろうが、笹木は猫に問いかけた。猫はあくびをして寝返りを打っただけだった。笹木は黙り込み、言葉を、変化や切っ掛けを探すが、何も見つからない。

 この部屋、温かいな……と笹木は思う。パチパチと焚かれる薪は時間の感覚を鈍らせ、夜の窓は暗い鏡となって明るい室内を映し出していた。

 

 ふと、笹木は顔を上げて猫の方を見た。猫がおもむろに立ち上がって歩き出し、鏡の前で立ち止まったのだ。そして何事も無かったかのように鏡を通り過ぎる。要は鏡を挟んで反対側に移動しただけだった。だが、笹木は鏡を見て目を見開く。

 

 鏡には猫の両目と口と髭だけがこびり付いたように残っていた。よく見ると口は人間の赤い唇で、太い白い歯が生えそろっている。その口が大きく開き、声を発する――!

 

「あは、あは、あはははははははははは!」

 

 笹木は思わず立ち上がった。見ると、ランサーが笹木を見上げていた。

 

「魅せられていたか? それもよかろう」

 

 ランサーの言葉に唾をのみ、猫の方に目をやった。猫は確かに移動していたが、しかし……。笹木はソファを離れ、鏡の方にゆっくりと移動する。

 

「罠かもしれぬ。気を付けよ」

 

 わかっている。ランサーの言葉を肝に銘じ、笹木は鏡をじっと見つめた。鏡は銀のフレームで、その上部には王冠を被りマントを羽織る王の横顔を象った装飾が為されていた。重たく、冷たい銀の色のせいで、王の顔は冷酷に見える……。

 笹木は何の異変も見つからないことに目を細め、鏡の表面にそっと触れようとした……そのときだった。指が鏡の中に沈み込んだ。

 

「うわっ!」

 

 笹木は驚いて指を引っこ抜く。鏡には波紋が立ち、そのつややかな表面が揺れている。だが、その揺らぎの中心に笹木は見た。いや、目が合ったと、そう感じただけだったが。

 

「見つけたやよぉ……!」

 

 瞳をキラキラさせて笹木は鏡に手を伸ばす。そこで、ランサーが声を上げた。

 

「待て、笹木よ」

 

 鏡へ伸ばした手が止まる。その刹那、鏡の前を素早く剣が振り抜かれた。

 

「は?」

 

 と目をぱちぱちさせる笹木。本能的に引っ込めた手を見ると、手は未だそこにくっついたままだった。そのまま顔を上げて鏡を見ると、鏡の上部、横を向いていたはずの王の顔が正面を向いていた。そして、ぐにゃりと王の顔が、鏡のフレーム全体が歪みだし、渦を巻きながらゆっくりと鏡から外れ、その輪郭を大きくしながら笹木の方へと近づいてくる。

 

「ちょっと待ってくれ、そんなん嘘や……」

 

 笹木は後ずさり、尻もちをつく。それを見下ろして、銀の王はニタニタと笑いながら剣を振り下ろそうとした。笹木は目を瞑る。

 いくら待っても痛みは来なかった。笹木が目を開けると、銀の王は剣を振り上げた姿勢で何やら悶えているように全身を震わせていた。

 

「あっ!」

 

 笹木は王の胸から血にまみれた腕が生えていることに気づく。王はカタカタと剣を震わせながら自分の背後にいる人物に向けて攻撃をしかけようとするが、その瞬間に腕は王の胴体を横に引き裂いた。

 笹木は息をのむ。王の剣は王の手から離れ、床に音を立てて落ち、すぐに溶け出して銀色の液体になってしまった。そして、次には王の体がそうなっていった。

 笹木は唇を震わせて、銀色と赤色で汚れた床を見下ろしていた。

 

 笹木は顔を上げる。汚れた床を挟んでそこに立つ人物は汚れを踏みつけて笹木の前に立った。チャイナ服を纏い、サングラスをかけた老人、アサシンだった。

 

「ふむ、咄嗟にやってしまったが、不要だったかな?」

「いや、全然そんなことないっす。本当に助かったっす。ありがとうお爺ちゃん。っていうか、え? どこから現れたの?」

「ずっとお主の隣におったが」

「いや、いなかったじゃん。瞬間移動したって!」

 

 不正を疑う笹木にやれやれとアサシンは首を振った。

 

「よいか? 武術の理の基本は相手に合わせること。つまり、相手と一体になることなのだ。これを突き詰めれば空気と一体になることもできるというもの……」

「いや、無理やって……」

「そうか? そういえば、そちらの御仁はずっとワシに気づいておったようだが」

 

 振られたランサーは首を肩をすくめて

 

「いや、私は隠れていることに気づけなかった」

 

 謝罪したランサーにアサシンはサングラスの裏で目を瞬かせる。

 

「なるほど、嫌みではない、か。道理でマスターの危機にも動かないわけだ。ワシに譲ったのだな」

「うむ。貴殿は既にローマである。ローマを見紛うことなど、この(ローマ)にはあり得ぬこと」

「……ワシが、ローマ……?」

 

 複雑そうな顔で思い悩み始めたアサシンに、笹木はため息をついた。

 

「はいはい、ローマにマジカル八極拳ね。了解了解」

 

 笹木は話に区切りを付け、改めて鏡に向き直った。

 

「そんで、お爺ちゃんはうちらと来るの?」

 

 アサシンは首を横に振った。

 

「いや、すまないがワシはいかないでおくよ。まだ、やることがあるのでな……」

 

 アサシンが目で示した先で、黒い影が部屋に音もなく入ってきた。ドレスを着て頭に王冠を載せているような影は、水溜まりのような黒い影を地面に撒きながらこちらに進んでくる。その目は赤黒く、ハート形の光を放ってはいたものの、同時に光は血の涙のように影の顔を滴っていた。

 

「そっかぁ。残念やけど、しゃーない。またな、お爺ちゃん」

「おう、後ほど合流するとしよう」

 

 アサシンは袖をまくると影の方に歩みを進める。それを見て笹木もランサーと目配せし、鏡の中へと手を伸ばした。



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41.誰かの為の物語

 アリスがその部屋に入った時、すでにトランプ兵たちは軒並み倒され、部屋の中央ではアサシンとハートの女王の戦闘が繰り広げられていた。

 

 ハートの女王が影の剣を振るうもそれらは全て紙一重で躱されている。アサシンは手を抜いており、相手の全てを引き出そうとじわじわ追い詰めているようだ。アサシンは部屋に入ってきたアリスに気づいたようだったが、あからさまに無視をした。アリスはむっとしながらも鏡の方へ駆け寄る。

 

 足元で溶けている王の姿に愕然としながらも、アリスは鏡に視線を戻し、ハッとする。鏡に映った自分の衣装が白くなっていたからだ。顔もよく見ると、その目許は柔らかく、明るい力強さを持った光が瞳の中に宿っている。

 

 これじゃあまるで、あの子の……。

 

 立ち尽くすアリスの前で、鏡はさらに変容を見せる。鏡に映るアリスの顔の皮膚がどんどんくすみ、腐り、剥けていく。皮膚の下から現れたのは、色の剥落したマネキンのようなそれだった。

 

「あははは、あはははははっ、ははっ、あっははは!」

 

 突如として巻き起こった嘲るような笑いにアリスはびくりと肩を震わせた。

 

「ちぇしゃ、あなたまで……。わかったわよ、あなたたちの言いたいことは……」

 

 アリスは目を伏せ、笑いから逃がれるように鏡の中へと入っていった。

 

―――――――

 

 暗闇の中に波紋が広がり、アリスは鏡の中へと降り立った。見ると、ましろの姿は暗闇の中に浮かんだ小さな灯りのようにそこにあった。笹木咲の姿もまた……。

 

 あれ……? 敵のサーヴァントは? ましろの防衛は? アリスが周囲の状況を探ろうとしたその時、激しい金属音がアリスの背後で鳴り響き、アリスは振り返る。

 

 アリスが目にしたのは、ランサーが双子をその大樹のような槍で薙ぎ払う光景だった。

 

「ましろ!」

 

 アリスは慌ててましろに駆け寄った。一方、笹木は余裕綽々で敵のサーヴァントとマスターの合流を傍観する。

 

「ましろ、大丈夫?」

「いやぁ、かなりヤバいね。大ピンチ。ふふ、あははははっ、はは……」

 

 枯れた声で笑うましろにアリスはいっそう危機感を募らせる。

 

「どうにか手はないの?」

 

 アリスが尋ねると、横から笑い声がして、笹木が口を挟む。

 

「ないない。あるわけないってそんなの。そいつが動けないのって魔力が無いからでしょ? 魔力がないのに逆転する手立てなんてあるわけないだろ?」

 

 嫌みな口調で笹木はましろとの距離を詰めていく。アリスはましろを守るように笹木の前に立ちふさがるが、笹木の言うとおり、もう手は思いつかなかった。だが、ましろは言った。

 

「バンダースナッチを呼ぼう」

 

 アリスは驚愕してましろを振り返る。ましろは穏やかな顔で笑っているだけだった。

 

「だめよ、あなたの身がもたないわ」

「もうそれしかないよ。それに、僕にはまだ、心臓がある」

 

 一瞬、アリスは理解できずに呆然とした。アリスは首を横に振った。

 

「……! だめ、絶対だめ!」

「大丈夫さ、心臓ならお願いすればまた貰えるよ。これまでも何回か貰ったことがあるんだ」

 

 あはは……と笑うましろの言葉が嘘かどうか、アリスは見極めようと見つめるが、こうした心理戦でアリスがましろに勝てるわけも無かった。アリスは苦々しくも詩を唱え始める……。

 

 アリスの本は閉じたまま。本は虹色の光を発する。辺りの空間が次々と切り裂かれ、破片があちこちで飛び散った。空間に、爪痕が残っていく。

 

 そして、笹木を切り裂こうとする巨大な爪が異空から現れる。笹木に動揺はない。ランサーがその巨大な槍で爪を受け止めてくれることを疑わなかったからだ。次の瞬間、ランサーは槍で爪を受け止め、その膂力を持って自分よりも大きな爪を軽々と弾き飛ばして見せた。

 

 爪の持ち主は癇癪を起こしたのか、啼いた。人を不安にさせるような金属質の啼き声が部屋中をものすごいスピードで駆け巡る。もっとも、ランサーは動じず、笹木は不快そうに耳を塞ぐだけだったが。

 

 ついに爪の持ち主は姿を現す気になったらしい。ランサーの手前の空間が切り裂かれると、その隙間から鋭い爪を生やした大きな腕が二本現れて、空間の隙間を押し広げようとする。

 まだその体が通れるほど大きくはないが、怪物のけばけばしい顔が空間の切れ目に見えた……しかし、もう笹木は決断していた。

 

「ランサー、今がチャンス。そんでもって、終わらせる! ここが勝負所やよ!」

 

 笹木はランサーに手をかざして言った。

 

「令呪を持って命ずる! ぜんぶ……ぜんぶ、ぶっ壊せ!」

 

「受け入れよ。破壊がローマであるのなら、再生もまたローマであるに違いのないことを」

 

 ランサーがその槍を振り上げて叫ぶ。

 

「見るがいい! すべて、すべて、我が槍にこそ通ず――『すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)』‼」

 

 アリスは見た。ランサーの持つ槍が震え出し、生き物のように蠢き、その形から溢れて巨大な樹木が次々と伸び始め、バンダースナッチの切り開こうとしていたちっぽけな穴を飲み込んでしまったのを。

 樹木は成長を止めず、上に、下に、横に、空間をぐいぐいと押し広げ、ついには――

 

 パリンッ!

 

 鏡の割れる音が聞こえた。

 

 閉ざされた暗闇は粉々に砕け散り、周囲は城の中の風景に戻された。しかし、樹木は成長を止めない。そのまま天井を突き破って上の階へと伸び、部屋からも溢れ出て廊下を侵食し始めた

 空間が撓む。城が揺れている……!

 

「ましろ、お城が……」

 

 生長する樹木を見上げながら、アリスは呆然と呟いた。ふとましろの方を見ると、ましろはもっとひどい状況だった。

 

「どうする……どうすればいい……! 何ができる……だめだ……いや駄目じゃない! 何かできることがあるはずだ……何か、何か、何か、何か……」

 

 目や口や鼻から血を垂れ流し、赤く染まった爪を噛みながらぶつぶつと呟くましろにアリスは何を言えばいいのかわからない。ましろはまだ諦めていない。けれど、私にはもう……。

 半ば、悲壮に浸り始めたアリスは、場違いなほど朗らかな笑い声を聞いて顔を上げる。

 

 周囲に人などいない。辺りには樹木が蔓延り、自分たちもこのままでは呑まれて圧し潰されてしまうだろう。いや、もう逃げ道も無い、か……。絶望に陥っていくアリスをよそに、笑い声はなおも響く。

 誰……⁉ アリスは周囲を見回した。チェシャ猫ではない。もっと嫌みがない、あまりにも自然な人の笑いは、四方八方から聞こえてくる。

 

「あ……」

 

 アリスは気づいた。それは樹木から聞こえてくるのだ。

 

 大樹をよく見てみると、まるで自分が過去に経験したことを思い出すみたいに、ローマの民の生きた時間がアリスの脳裏に再生される。

 

 戦乱はあった。醜い欲望もあった。けれどそれ以上に強く響くのは笑い声だ。人類史上最も幸福な時代とも称されたその時代に生きる人々の声。豊かさを誇り、繁栄を誇り、調和を持って他者を慈しむ。

 

 ローマの人々がローマ人としての自分に誇りを持って歴史を紡いでいく様に、アリスは目を奪われ、立ち尽くす。

 

 なんて、美しいのかしら……。

 

 そうして見続けたばかりに、見てしまったのだろう。あちこちで次第に大きくなっていった欲望の渦が調和を打ち壊した。戦乱に次ぐ戦乱。自壊し、バラバラになって滅んでいくローマの姿を。あの栄華が、あの人々の幸せが……失われる。あのローマですら、失くなってしまう……!

 

 列車の音が遠ざかっていく……アリスはましろが話してくれたお話を思い出して、泣いた。泣きながら、ましろの方へと歩み寄った。

 

「ましろ、もういいわ」

「もういいって、そんな! このお城はアリスちゃんの夢なんでしょ? 大丈夫だよ。まだ……まだ僕には、奥の手がある……!」 

 

 ましろがやつれた笑みをうかべながら屋根を壊そうとする樹木へ向けて手を伸ばす。

 

「おいおい、もうやめとけってぇ~。それ以上頑張ったらマジで闇に落ちるで?」

 

 笹木が挑発する。やれるものならやってみろと煽っているかのように。ましろは嫌な汗を流しながらも見せつけるように涼しげな顔で笑って見せた。

 

「ふふっ、僕は元から闇に落ちているさ……」

 

 ましろの黄色い眼の中心に浮かぶ黒い瞳孔から、どす黒い魚の影が幾匹も湧き出し、泳ぎ始めたのをアリスは見逃さなかった。

 

「やめて!」

 

 アリスはましろの手にしがみついた。

 

「もういいの。私はこの御伽噺から追い出された。ううん、御伽噺って、そういうものなのかもしれない……」

 

 アリスが努めて朗らかに笑って見せると、ましろはきょとんとした顔で問いかける。

 

「どういうこと?」

「ましろ、ずっとだましててごめんなさい。私はアリスじゃないの。私の、本当の真名はナーサリー・ライム。子供部屋で生まれた読み物たちの総称、あるいはその守護者……みたいなものかしら」

 

 セリフの最期が自嘲気味になってしまうのを止められず、アリスは自分で歯噛みする。だが、ましろは嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「そうかぁ。そうだったんだ。それはとっても素敵だね」

 

 アリスは息をのみ、涙が出るのを堪えて言った。

 

「そうよ。ナーサリー・ライムは素敵なの……ふふっ、ましろ、私のお願いは叶えられた。次はあなたの番」

「どうするつもり?」

「あのねましろ、あなたのしてくれた話の中で、一つだけ好きなのがあったの。今なら……できると思う」

 

 アリスの腕の中で本がカタカタと、どこかに引っ張られているかのように揺れ動く。引っ張っているのはましろの体の奥底、既に失くなっている心臓の空白から漏れ出ている奇妙な魔力だった。恐らくましろが元気な間は抑えられていたのだろう。アリス以外に契約している何かの魔力か、あるいは何らかの呪いの代償か。

 

 どちらにしても、アリスはこの魔力に身を任せるだけで良かった。

 

「そっかあ」

 

 ましろは今までの思い詰めた表情から一転して、少し軽くなった表情で木々の濁流に侵略されつつあるお城をぐるりと眺めた。

 

「綺麗なお城だったんだけどな……」

「仕方ないわよ。でも、ありがとう」

「複雑だけど、じゃあ、お願いしてもいいのかな?」

「ええ、喜んで!」

 

 アリスは本を開くと、朗々とした声で謳いあげる。

 

降りる駅 降りる駅

空っぽ電車を見送って

延びた線路も見送って

夜空よ さあ 瓦礫を覆え。

虚無よ さっさと 人の夢を轢いていけ。

いつまでいよう 終点を告げる声すらも 

あなたの声にしか聞こえない。

 

 

 詠唱しながら、アリスはましろと視線を交わす。

 

 ましろ、どうしてあなたが私のマスターなのか、ずっと考えてた。あなたは童話みたいに残酷で、童話とは程遠く、その存在は怖かった。

 

 物語のアリスはきっと、自分の夢見た一瞬のキャラクターを、世界を、忘れてしまうでしょう。子供部屋の守護者としての私の声も、きっといつか忘れ去られる。じゃあ、忘れ去られた者たちはどこへ行くの? そう考えていたら、遠ざかっていく電車の音が聞こえたの。

 

 ましろの瞳には、何もない。でも、今だけは通じ合っているとアリスは思う。ずっと通じ合ってはいなかったのに、今だけはましろの全てが理解できた。ましろもまた、私の全てを理解してくれていると感じていた。

 

 そうよ、ましろ。ここに、私とあなたの見る夢は重なった……! さあ、選び取って! 語り直しましょう! 私たちに相応しい『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』を!

 

 ……ましろ、私があなたのサーヴァントでよかったわ。

 

 詠唱を終えたアリスは告げる。

 

「きさらぎ駅」

 



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「     」
42.列車に揺られる夢を見た


 線路の上を、二人は歩く。星空の下、手を繋いで。弱く、虚ろな足取りで。

 

 一人は男だった。たぶん。その体の表面は風が吹くたびさらさら砂のように削れていく。しかしその瞳は見開かれ、線路の延びていく地平線へと惹きつけられていた。

 

 対してもう一人は男か女かもわからない。長身の人影が被った薄布は水面のように夜空の星々を映し出す。ひらひら揺れるその布の中に夜空はめまぐるしく流れていく。

 

 トンネルが、二人の前にぽっかりと口を開けていた。

 

 二人は同時にトンネルへと足を踏み出そうとしたが、その背後で何かが倒れこむような音がして、二人は足を止めた。

 

 長身の人影は振り返ると、思わず息をのんだ。そこにいたのは卵男ハンプティ・ダンプティだったが、その衣服は焼けただれ、目鼻口はすでにその形を保てずに卵の殻の表面で滲んだ汚れと化していた。ハンプティ・ダンプティは線路の上を這って、人影の、枝のように伸びる肢を掴んだ。

 

「私はもう、アリスじゃない……」

 

 そう言ってもハンプティ・ダンプティは聞き入れず、呻き声を上げながら肢につかまっていた。人影のうろたえを感じ取り、男はきっぱりと言った。

 

「アリスちゃん、ここから先は僕だけでいい」

「え……?」

「その子を見てみなよ」

 

 言われて、アリスは足元へ視線を落とす。今や目も口もなく、声すら失ってただの卵と化しつつあるそれは、震える手でもってアリスの足に縋りつく。自分という存在を失ってなおアリスを求めるその必死さに、アリスは半ば恐怖しながら問いかける。

 

「何があなたをそこまでさせるの……? いえ、その前に、私は城を回収して魔力に変換した。当然城の一部として召喚していたハートの女王にトランプ兵たち、白うさぎなんかも全部。なのにどうしてあなたはそこに居るの?」

 

 短くなりつつある手足でアリスにしがみつくハンプティ・ダンプティはもう声を発することもできない。その体はだんだん小さくなっていく。アリスの胸には痛々しさが突き刺さるばかりだった。

 

 ハンプティ・ダンプティを、というよりかはアリスを助けるために、男がアリスの疑問に答えた。

 

「彼はハンプティ・ダンプティ、まだ卵なんだよ。卵はまだ生まれていない。卵はまだ何者でもない。卵はまだ彼ではない。彼はまだ彼ですらない彼なんだ」

 

 困惑するアリスに、男は柔らかくほほ笑む。

 

「だからさ、やがて生まれる彼らには、君が必要だ」

 

 アリスはその一言で肩を震わせ、手足を失って地面へと落下し始めた卵をさっと掬い上げると、両手で大事に包み込み、その胸に抱いた。

 

「じゃあ、ここまでだね」

 

 アリスを置いて、男はトンネルの方へ向き直った。

 

「ましろ、一人で大丈夫なの?」

「大丈夫」

 

 ましろは笑って言った。

 

「一瞬だけど、分かり合えた。生まれて初めて、誰かと分かり合えた……!」

 

 ましろはトンネルの中へ歩き出す。もう振り返ることは無い。

 トンネルの中でましろの影が膨張し、明滅する。

 

「やっぱり、あなたはそっち側なのね……」

  

 卵を抱いて、アリスも笑った。

 

   〇

 

 とん、とん……、とん、とん……、胸を叩く音がする。懐かしい、と思う。私はこれを聞いたことがある。

 

 しばらく聞き流しているうちにその音はだんだん大きくなっていって、太鼓の音であることが分かってくる。笛の音や、薄い金属の打ち鳴らされる音が遅れて聞こえるようになって、私はようやくそれが祭囃子であることを思い出した。

 

 そうなると、耳をふさがないといけない。いつまた名前を呼ばれるか、わからないから……。

 

 椎名! 椎名ー!

 

 電車の走行音が鼓膜を震わせた。揺れて、隣りの肩がとん、とぶつかってきて、椎名唯華は目を開いた。

 

 久しぶりに聞いてはいけない声を聞いてしまった気がする。窓から射しこむ夕陽に目を細めつつ、椎名は車内を見回した。

 

 向かいの席には……笹木咲。隣で眠るランサーの巨槍に体をあずけて穏やかな寝息を立てている。こいつのこんな顔、もう何年も見てなかったかも……。椎名はまじまじと笹木の顔を見つめた後、視線を横に滑らせる。

 

 笹木の横には緑仙が眠っていた。椅子に深く腰掛け、頭がかくんと前に落ちている。その姿はどこか不健康な印象を抱かせる。繊細な奴だったから、疲れているのだろう。

 それとは対照的に緑仙のサーヴァントは眠っているにもかかわらず、席にもたれることもなく、背筋をまっすぐにして腕を組んでいる。椎名が見つめていると眉が片方ピクリと動いたので、椎名は視線を横へ逃した。

 

 みんな眠って揺られている。葛葉とそのサーヴァントはお互い頭をもたせ掛け合って眠り、鷹宮リオンはその小さなサーヴァントを膝の上に大事そうに抱えて眠り、サーヴァントの方も信頼しているのか身を預けているように見える。そして花畑チャイカも椎名の隣、ライダーの膝枕で眠っている。一方ライダーは寝苦しそうにうなされていた。

 

 隣と肩が触れ合った。アーチャー……私のサーヴァント。私にはもったいない、本物の天才。私の願いは俗物だけど、こいつの願いは本物だ。本当に世界を救えるかもしれない。

 アーチャー、二コラ・テスラは死んだように眠っている。こいつは晩年全てを失い、ホテルのベッドで一人死んでいたのを発見されたらしい。そのときも、こんなに安らかな顔をしていたのだろうか。

 

 やがて、電車は駅に着いた。空気の音と共に扉が開くが、それだけだ。誰も目覚めやしなかった。椎名は再び目蓋が重くなっていくのを感じていた。

 夕陽の中で光る手すりや荷物置きの銀色が眩しい、光の中に並んだ影は死んだように動かなかった。早く目を閉じたいと思った。

 

 そのとき、一人立ち上がる者がいた。椎名の閉ざされかけた視界に足が映り込む。ふらふらとした足取りでそれは電車を降りたようだった。椎名は我知らず声にもならない声を絞り出す。

 

 笹木……ごめんね。



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43果ての駅

 ねえ、早く行きましょう。

 

 その声はすぐ耳元で聞こえた。見ると、奇妙な田園風景の中、浴衣を着た女の子が鷹宮の手を握っていた。

 

 どうしたの、もうお祭りは始まってるじゃありませんか。

 

 お祭り? 確かに祭囃子は遠くから聞こえてくるけれど……。鷹宮の困惑が伝わったのか、女の子は首を傾げた。

 

 繊細な黒髪に大きな黒い瞳。薄幸な美しさを漂わせる彼女は、鷹宮の目の前にいていい人物ではなかった。

 

 ある夏の日、彼女は危険な魔術に失敗して死んだ。親が半ば無理やりやらせたのだろうと鷹宮の父は言っていた。野心のある貧しい魔術師の家系では稀にあることだ、と。しかし、鷹宮は未だに割り切ることができないでいた。

 

 女は問いかける。

 

 行きたく、ありませんか……?

 

 行きたくない……。鷹宮は頷いてしまいたかった。だが、それをすると彼女は傷つくだろう。それに、予感もあった。ここで彼女の誘いを断れば、彼女にはもう二度と会えない……。

 

 女はじっと鷹宮の目を覗き込んで、笑う。

 

 相変わらず、優しいんですね。

 

 女は鷹宮の手を離すと、自分の胸の前で両手を組み、ふっとほほ笑む。

 

 そんなリオン様を、いつまでもお慕いしております。

 

―――――――

 

 パッと目を開いた鷹宮リオンが見たものは、遠ざかっていく電車の光だった。

 

 田舎の、夜の無人駅。温度のない風が田んぼの影を揺らしていく。頭上を仰ぎ見ると異様な数の星々が瞬いている。

 

「おい小娘、大丈夫なのか? ぼーっとしていたみたいだが」

 

 鷹宮の視界を遮るようにふらふらとでびでび・でびるが顔の前に現れ出る。

 

「うん、大丈夫……だと思う。でびちゃんは大丈夫?」

「うん? ボクは大丈夫だよ! ほらこの通り!」

 

 そういってぐっと腕に力を入れるでびる。ふさふさの毛で柔らかそうな腕がぷるぷる震えている。

 

「そんなことより小娘、あっちで集まって話してるみたいだぞ」

 

 でびるの言う通り、駅の中央ではマスターとサーヴァントが集まって話をしているようだった。

 

「へえ。つまり、ここは世界の果てってこと?」

「ある意味では、そうなのだろうな」

 

 そっか……。とライダーは頭の後ろで手を組み、夜の田園風景を一瞥する。

 

「ふうむ。興味深い、興味深いぞ、これは!」

 

 アーチャーは空を見渡すと、何やらモニターの付いた機械を取り出して、データの収集を始めてしまう。

 

「わからぬ。余にはわからぬ。なぜ事態を打開しようと考えない? この空間からどうして脱出するか、協力して考えようとは思わぬのか?」

 

  バーサーカーがやる気のないサーヴァント二基を睨んだ。花畑もちょうどいいと後に続く。

 

「そうだぁ、余にはわからぬぅ。ライダーよ、なぜ事態を打開しようとしないのだぁ?」

「それは余の真似か? 面白い。刺すぞ?」

「あっ、いや、これは元々の持ちネタ……」

 

 途中で無駄っぽいなと思いながらもサーヴァントや他のマスターたちの会話に耳を澄ませつつ、鷹宮は突っ立って空を見ている葛葉の方へと駆け寄った。

 

「葛葉くん、何か気づいた?」

 

 話しかけられた葛葉はびくりと仰け反り、気まずそうに目を逸らした。

 

「いや、あの……天気いいなあって……」

「あ、そう。それで、ここってどこ?」

「わかんねー。一応、駅の名前っぽいのはそこに書かれてっけど――」

 

 葛葉の指差した方を見て、鷹宮は納得する。

 

「確かに。これじゃ何もわかんないわぁ」

 

 ベンチの横の立て看板にはこう書かれていた。

 

「縺阪繧迪ォ?」

 

―――――――

 

「もういい、こんな気味の悪いところにいられるか! 俺たちは帰るぞ、ライダー!」

「えー、もう帰るの?」

 

 話がまとまらなかったらしい、花畑チャイカはさっそうと駅の改札の方に向かおうとした。

 

「リーダー、駅から出るん……?」

 

 そんな中、椎名はただ一人ベンチに腰掛け、眠そうな目で空を見ながらそう言った。

 

「椎名さん、駅から出たら困るの?」

 

 花畑チャイカではなく、ライダーが尋ねる。椎名は口を開くのも面倒くさそうに、眠い声で答えた。

 

「んー、なんていうか、この疑似的に作られた世界はこの駅以外は不安定なんすよ。この世界はある場所へ向かう大きな流れの中を、今も流されてってる。作られた世界の方はここで待ってれば魔力切れかなんかで崩壊するんじゃないですかね。でも、そのときにうちらが駅から出ていたら……不安定な場所に行って、うちら自身も不安定な存在になってしまっていたら……」

 

 ライダーはふふーん、と鼻にかけて笑った。

 

「この世界の断片と一緒に流されてしまう……ってこと?」

「そういうことです。ね? ここで待ってたほうがいいですって」

 

 椎名はあくびをして、ベンチに深く腰掛けなおした。

 

「ある場所へ流されてる……ねえ、どこなのかな」

「ええ? たぶんですけど」

 

 そこで椎名は何を思ってか両手の甲をだらんとさせて短く舌を出し、言った。

 

「本物の……あの世?」



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44.兄弟

「ここはローマ……」

 

 ランサーは線路に槍を打ち付ける。空はランサーの体を圧し潰そうとするかのように重たく、それでいて他人事めいた空虚な騒々しさに満ちていた。

 

 この道は何処へ繋がっているのか。線路の延びていく先、夜の暗さに果てなど見えず、淡々とした無意味はどこまでも紡がれていく。ランサーは振り返り、待った。

 

 やがて狼の鳴き声が聞こえてきた。足音もなく現れたのは、空に届くかとも思える巨大な狼の影。しかし、その影はランサーのすぐ目の前に姿を現す段になって人の形をとる。

 

 古代の衣装を纏う男。決して華美ではないが、洗練された装飾を身に着け、細身でありながら筋肉の浮き出た体つきに、理知の顔を備え持つ王の姿。

 

「ロムス……か。」

 

 それはランサー、ロムルスの弟、ロムスだった。ロムスは黙ってロムルスの前に立つと、三日月のように口の両端を釣り上げ、一気に話し出した。

 

「へえ、兄さん覚えていてくれたんだ。さすが偉大な王様は違うねぇ。俺を殺した後ずいぶん忙しそうだったし、もう忘れられたもんだと思ってたんだけど」

 

 ロムルスの反応が好ましかったのか、ロムスは軽い笑みを浮かべた。

 

「いやあ、それにしても兄さんはすごいなあ。もし兄さんがごねたりせず、正当に俺が王にでもなっていたら、ローマなんて大国にはならなかったさ。結果から見れば兄さんが王になって正解だった。兄さんが俺を殺したのは正しかったわけだ……ふふふっ、あっはっはっはっはっは!」

 

 まるでこの世界全てが一緒になって笑っているようなけたたましい笑い声に、顔をしかめそうになるのを抑え、ロムルスはいった。

 

「すまなかった」

 

 その言葉を聞いて、今まで余裕のあった弟ロムスの顔が豹変する。

 

「すまなかった、だと……!」

 

 ロムルスは自分の言葉に偽りはないというように重く顔を伏せた。

 

「ふざけるな……なぜ謝る……俺の死はローマにとって必要だったんだろ? ローマは永遠、なら俺の死も永遠なんだろ? なあ、そうなんだろう? なあ!」

 

 ロムルスは首を横に振った。

 

「結果を頭上から見下ろしたのならば、お前の死は必要であったのかもしれぬ。だが、お前の生も必要だったのかもしれなかった……」

「……何が言いたい?」

 

 ロムルスは弟、ロムスの目をまっすぐに見据えていった。

 

(ローマ)は兄として、弟であるロムスを必要としたのだ」

 

 時が止まったようにロムスは立ち尽くす。その顔には絶望、羞恥、怒りが順々に表れるが、最後に浮かんだのは、呆れたような、あきらめにも似た表情だった。

 

「ロムスよ、お前のことを悔やまなかった日などない。許せとは言わぬ。だが、我らが兄弟として再び互いを認め合う道はないか」

 

 そうして、ロムルスは手を差し出す。ロムスはじっとその手を見下ろしたが、視線をロムルスの顔に戻して言った。

 

「無いな。無い。俺を殺した結果(れきし)の上をアンタは歩いたんだよ。死んだ程度でまた手を取り合えるなんて甘すぎる。そういえば、兄さんはいつも甘かったな。でも、俺にだけは厳しかった。ああそうか、兄さん、わかったよ。俺は、ローマじゃなったんだ……」

 

 ロムスの言葉に呼応してか、二人の周囲に強い風が吹き荒れる。夜の闇の中ですら浮く黒色の風が。ロムルスは目を細めながらも言った。

 

「否である! ロムスよ、お前はローマだ!」

「何を言うか! ローマを家族の否定から始めたのはアンタだろうが!」

 

 ロムスが顔を背けて手を払うと、黒い風が甲高い笑い声をあげながらロムルスを吹き飛ばした。膝を着くロムルスを見て、ロムスは声を立てて笑った

 

「ふっはっはっはっは‼ ざまあないな。そうだ兄さん、俺とまた兄弟としてやり直したいんだったか? じゃあ、座なんて場所にいないで、こっちに来いよ」

 

 今度はロムスが手を差し出した。黒い風がそこでは粘ついてまとわりつき、ロムスの手は黒く染まっていた。

 ロムルスは立ち上がると、ロムスの方へと歩み寄り、差し出された手を取ろうとしてその手を伸ばす。その迷いのなさにロムスは焦った。冷や汗を流し、自分から差し出した手を引っ込めるところですらあった。が、ロムルスの手は寸前でピタリと停止した。

 

 息をするのも忘れていたロムスは我に返り、ロムルスを挑発する。

 

「どうした? やっぱり自分の身は大事か? 弟などには捧げられないってか?」

 

 ロムルスは踵を返すと、空を眺め、槍を固く握りしめた。

 

「この身は、ロムス、お前に捧げよう。だが、未だ私にはマスターがいる」

 

 槍に集まる魔力を見て取り、ロムスはロムルスの意図を察した。

 

「……無理だ。無理に決まっている。今更お前に出来ることなんて何もない! ここをよく見ろ。 訴えられることもない生に倦んだ他者の喘ぎ。無意味へ追いやられた苦楽を煮詰め、引き延ばされていく金属のレール。忘れられた神々を忘れられた民たちが祀り上げ、生命無き田園は影と化して風に弄られるばかり。全ては無意味を意味する記号! 記号! 記号! この場所がローマだとでも?」

 

 ロムルスは静かに頷いた。

 

「お前の言うことは正しいのかもしれぬ」

 

 ロムルスは槍を重々しく持ち上げると、線路の彼方へと掲げた。

 

「だが、そのような美しい場があってもよい」

「はぁ?」

「ロムスよ、お前にはわからぬか? この場に充溢するローマ……地上に居場所を失いながらも、人の胸の奥底に生き永らえていたロマンが」

「ロマン……だと?」

「そうだ。そしてこの場所は再び私をお前の前に立たせてくれた。たとえ一時の幻とはいえ、あまりに、美しい場所である……」

 

 ついていけないとばかりにロムスは苦笑し、ロムルスに背を向けた。

 

「結局、どこまでいっても兄さんは兄さんか……」

 

 ロムルスの槍に集まった爆発的な魔力が線路上に満ちる深い夜を震わせた。

 

 ササキよ、すまない。お前の破天荒、お前の優しさはローマそのものであり、それはまさしく私の命を賭すに値するものであった。お前を勝たせてやりたかった。だが、もはや敵わぬ。

 

 ロムルスはまるでこの星空の上に本当の神がいるとでもいうように、その神に捧げるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「全てはローマである。神々よ、この場を見よ。ここは忘れられた地であるがゆえに強く、人の夢を惹きつける。虚無の嘲笑も、終わらぬ夜の巡りし時間も、時間の中に忘れ去られし者たちでさえも……人の意思に従い何度でも呼び起こされるであろう。そう、無意味などではない……!」

 

 ロムルスは自分を笑う夜空に微笑みかけた。

 

「誰が認めなくとも、私がこの場をローマと呼ぼう。私のこの嘆願(めいれい)を聞き届けよ!」

 

 ましろよ、お前のローマ、見せてもらったぞ。

 

 ロムルスは力強く槍を地面に突き立てた。

 

「見るがいい。我が槍、即ち、ローマが此処に在る事を……!『すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)』‼」

 

 地面に突き刺さった槍は溶け落ち、地面の一点に吸い込まれた。夜空から雨のように笑い声が沸いたが、その声はすぐに降り止んだ。地面から芽が出てきたからだった。

 

 芽は急速に成長して痩せ細った木になると、七つの真赤な木の実を地面に落とした。ここから、木の実の落ちた地面が盛り上がり、噴き出るかのように七つの巨大な樹が空に向かってぐんぐんと伸びていく。七つの樹は絡まり合うかのようにして一本の大樹になると、遠く星々の浮かぶ夜空を砕き、突き刺さった。

 

 樹の突き刺さった空の隙間からは、夜空の欠片と共に、太陽のような柔らかな光が漏れだしたのが見えた。

 

「……これでよい」

 

 ロムルスは踵を返すと、自分の槍であった大樹から離れ、ロムスの方へと歩み寄った。

 

「行こう、弟よ。私はそちらの世界は不慣れである故、すまないが導いてくれぬか」

 

 少し照れたように笑った兄を見て、弟はあとずさった。

 

「よせ、やめろ。冗談じゃない」

 

 ロムルスは歩みを止める。

 

「いいか。冗談の通じないアンタのためにわざわざ言うが、こっちに誘ったのは座の英霊としての責任を背負うアンタがそれを投げ出したりしないと信頼していたからだ。それをよくもまあ……」

 

 頭痛を抑えるように額に手をやったロムスは首を横に振り、固く言う。

 

「さっきも言ったように俺とアンタは決別した。ずっと、ずっと変わることは無いんだよ。永劫にな」

「そうか……」

「ああそうだ。しかし……そんな顔をさせるので精いっぱいだとは。わざわざ出向いたのに残念だ」

 

 そうして、ロムスは自分の役目が終わったというようにロムルスから距離を取る。ロムルスが思わず手を伸ばしたのを見て、ふんと鼻で笑った。

 

「そう落ち込むなよ。俺は兄さんが苦しんでいるのを知りながらさらに苦しめてやろうとここに現れた。ああ、我ながら笑えてくる。なんて器の小さいこと! だからさ……まったくもって、兄さんの方がローマの王に相応しかったんだよ」

 

 今度のは馬鹿にしたわけではない、兄を、自分を認める感情に気づいたロムルスは顔を上げた。

 

「そうか……」

「ああ、そうだ。もう二度と俺の顔を見ないよう、ローマの神に祈るんだな」

「いや、再びお前が現れれば……今度こそは、ローマはお前と共に歩む道を選ぶだろう」

「いらねえって」

 

 後ろ手に手を振り、ロムスの姿は線路の果てに消え去った。

 

 一人残されたロムルスもまた……。



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45.星空の下の祭囃子

 突然に広がった夜空、周囲の田園風景に頭がついていかないながらも、緑仙は駆け出した。視線の先では線路にか細い足音を響かせ、笹木咲はふらふらと歩いている。

 

「笹木! ねえ、笹木!」

 

 呼び掛けても反応すらしてくれない。こんなのは絶対におかしかった。強引にでも止めるべきなのだが、手を伸ばして笹木の背に触れようとした瞬間、緑仙の手は固まった。

 緑仙は立ち止って自分の手のひらを見つめ、冷や汗を垂らす。

 

 笹木に触れようとしたとき、指先にかすめたこれは、魔力だった……確かに、魔力ではある。でも魔術じゃない。どう表現したらいいのかわからない。なんというか、これは……。

 

 憑かれてる?

 

 顔を上げると、笹木の背はすでに遠くにあった。星は無数にあるが、月は出ておらず、少し離れただけで白いパーカーを羽織う笹木は暗い人影と化してしまう。

 

「あれ?」

 

 そこで緑仙は気づく。田園がどこまでも広がっているような田舎だから、こんなにも星がよく見えるのだろうと思っていた。

 しかし、これは変だ。星座が一つも見当たらない。夜空を舞う無数の塵のような星々は、明らかに意味のある配置であったものの、どれ一つとして緑仙の知っている星ではなかった。

 

 ハッ、と緑仙は息をのんだ。星の一つがまるで人の目蓋のように瞬きをして、こちらを見下ろしたように感じたからだった。

 

 緑仙は空を見回した。緑仙の視界にとらえられた星々は次々と瞬きをして、無感情に、無遠慮に緑仙を見下ろしていった。

 

(なんだよ、なんなんだよここは……!)

 

 緑仙は笹木を追いかけるが、今の笹木にはとにかく触れたくなかった。笹木の後ろを歩きながら、消極的に呼び掛けることしかできない。

 

 だが、そんな緑仙も強引に止めようかどうかいよいよ考えなくてはならなくなる。薄暗い山の影が線路の向こうに見えてきた頃、祭囃子が聞こえてきたのだ。

 

 夜空中に響く妙に乾いた祭囃子は胸の奥で痛みをもって響いてくる。その音は胸骨や心臓に染み入り、内側からどんどん溶かしていっているようだった。       

 

 すぐそばまで来ても暗い影が覆っている山に、その山よりもさらに暗いトンネルが二人を待ち構えていた。祭囃子は二人をあおっているかのように大音声で鳴り響いていた。

 

 やばい。このトンネルはやばい……やばいのに。

 笹木は止まってはくれなった。緑仙も、結局は笹木を追いかけてトンネルの中へ入っていった。

 

 どうしてか、ここに来てから色んなことを思い出す。緑仙は笹木の背を追いかけながら、そんなことを考えている場合ではないことを知りながら、考えてしまう。かつては自分もレジスタンスの中心人物として慕われていた。

 

 チャイカとは違って高尚な目的などなかったが、それでもなんとなくそこにいることが居心地のいい場所だった。なんとなくそこにいて、何となく毎日が楽しかった。

 

 椎名も似たようなものだったと思うが、自分には何か、こんな風に毎日を楽しむことに奇妙な罪悪感があった。それが椎名と自分の差だったのだろう。

 

 自分とみんなの関係とは何だったのか。自分は彼らにとって一体何だったのか。答えなど得られないと知っていても、堂々巡りに陥ってしまう。

 

 そんなことばかり考えているから、きっと、こうして距離が開いてしまった……。

 

 やがてトンネルを抜けると、そこは小高い丘のようだった。丘の下には奇妙な光を放つ町が広がっていて、その町からは無数の明かりが行列を作り、揺れながら丘の方へ続いているのが見えた。

 

 聞こえてくる祭囃子。あの町からも聞こえてくるが、緑仙たちの前方からも確かに聞こえてきた。緑仙は目を凝らす。魔力で身体能力を強化し、目に神経を集中させる……。

 

 見えた!

 

 提灯だろうか、幾つもの明かりが高さもバラバラに浮かんでいた。 

 

(マズい、マズいマズいマズい……!)

 

 緑仙は笹木に追いつこうと歩調を早める。この空の星々は緑仙の思考を見透かすようにせせら笑う。うざい。うるさい。みんな落ちてしまえばいいのに……。

 

 そんな折、緑仙の思考を断ち切るかのように笹木は言った。

 

「うん、早くあそぼ」

 

 緑仙は思わず笹木の手を取った。

 

「笹木、今、なんて……?」

 

 笹木は掴まれた手を不思議そうに見つめながら答えた。

 

「え? 早く遊ぼうって。この声、うちらと遊びたいみたい。寂しそうやし早く行ってあげたいな」

 

 緑仙は耳を澄ます。いや……いや、声など聞こえない。聞こえるのはけたたましい祭囃子だけだ。

 

「笹木、声なんか聞こえないよ」

「うん?」

「聞こえないって!」

「ああ、そう。じゃ、やっぱうちが行ってあげんとね」

 

 そう言って笹木は何事も無かったように前へ歩き出そうとする。緑仙は慌てて掴んでいる手を引っ張って笹木を振り向かせた。そして、思わず後ずさった。

 

 笹木の緑仙を見つめる酷く煩わしそうな目。今まで緑仙は人にそんな目で見られたことが無かった。というより、そんな目で見られることを恐れるように生きてきた……。緑仙は笹木を救いたいというよりも、その気まずい間を誤魔化すために言葉を接いだ

 

「たぶんなんだけど、その声は聞いちゃいけないものだ」

 

 笹木は何も言わなかった。緑仙は冷静な声音で続けた。

 

「その声は罠だよ。大丈夫だから、僕と一緒に帰ろう。こういうの、椎名が詳しいと思うから、きっと何とかなるよ」

 

 そこで笹木はキッと緑仙を睨みつけた。

 

「椎名ぁ……? うるさい……知らん……邪魔すんな……!」

「そんな、僕は笹木のことを――」

「あのさ」

 

 笹木が緑仙の言葉に割り込んで言う。

 

「お前、うちの何?」

 

 緑仙は答えられなかった。愕然とした表情のまま、その口元は何かを言いたそうに小さく開いては閉じてを繰り返す。無意識だろう、緑仙の手は笹木の手から滑り落ちた。

 

「ふん、やっぱりな……」

 

 軽く笑うと、少しだけ目を伏せて、笹木は歩き出す。

 

 笹木を迎えるのは大きな山車だった。山車の周りには提灯や楽器が浮かんでいるが、提灯はその持ち主の姿を決して照らし出すことは無く、ただ影だけがずらりと地面の上に居並んでいた。

 そして、山車を取り囲む大音声に、太鼓の音や笛の音、祭りを楽しむ人々の声などが、遠い記憶のように緑仙の頭の中で鳴き狂っていた。

 

 笹木が彼らの前に来ると、山車の正面に掛けられていた(すだれ)が開いた。

 

 笹木は目を輝かせ、両手を広げて走り出す。簾の中にいる人物を抱きしめたかったのかもしれない。だが、緑仙の目では簾の奥の間には誰もいない、あるとすれば赤い紐で結ばれた小さな黒い箱だけだった。

 

 緑仙は瞬きした。それを見間違いだと思って何度も目を凝らす。人の形をした影が、山車の屋根の上で足を組んで座っていた。影は不安定に明滅を繰り返しながら、にっこりと笑った……ように緑仙には見えた。

 

 そして、ふっと視線を落とした緑仙の目に飛び込んできたのは、ひとりでにするすると黒い箱を結ぶ赤い紐が解かれていく光景だった。

 

 箱が開かれる……!

 

 次の瞬間、幾本もの生白い手が笹木を迎えようと箱から這い出して来る。それに気づいた緑仙は

 

「あ……」

 

 と笹木の背に手を伸ばしたが、笹木の姿は白い手の渦の中に掻き消えた。 



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46.夢の欠片

 彼方で大樹は空を突き破った。

 それについて話しあっている最中にバーサーカーが振り返り、あらぬ方を見続けた。

 線路が伸びていく地平線。夜の世界の果てを。

 次いで、葛葉もそれに気づいて舌打ちする。

 

「どうしたのだ?」

 

 アーチャーが尋ねる。

 

「いや、何も」

 

 ヴラドは目を瞑る。一方葛葉は鼻で笑って答えた。

 

「おい、そいつの言ってたことは本当だったみたいだな」

 

 何も分かっていないような顔を浮かべる周囲に苛つき、葛葉は付け足した。

 

「脱出するかどうか揉めてたのも全部無駄だったんだよ。この世界はもう崩れる」

 

 なあ? と同意を求めた葛葉の視線の先には、ベンチの上で膝を抱え込んで丸くなる椎名の姿があった。

 椎名は顔を上げて「え、うん。まあ、な……」と明らかに聞いていなさそうな返事をする。しかし、椎名が顔を上げた際にその目から涙が零れたので、一同は静まった。

 

「おめえ、何で泣いて……」

 

言葉を中断して葛葉は再び線路の延びる先を見やった。

 

 世界の果てには暗闇があった。この世のどこを探しても見つけられないような暗さが息づくそこは、次の瞬間には一瞬の断末魔を上げて消え去った。あとに残された世界では振動と星々の細く鳴く声が入り乱れ、それも静まったかと思えば、太陽は昇り、この作られた世界はポリゴンの波と化して太陽から逃げ去るように畳まれていく。

 

 駅がのまれる寸前、葛葉は椎名から目を離せないでいた。いつの間にか立ち上がっていて、泣きながら太陽の方へ手を伸ばす椎名を。

 

   〇

 

 これは夢だ。

 

 瞬きを繰り返し、鷹宮リオンは確信する。ここには葛葉と叶がいた。シスター・クレアがいた。緑仙がいた。花畑チャイカと椎名唯華がいた。社築に本間ひまわり。他にも、知らないはずなのによく知っている何人もの人たちがスタジオに集まっていた。

 

 それだけの()()()()が集まって何をしているかというと、信じられないことに動画の配信だった。

 

 パタパタと鷹宮の前にでびでび・でびるが飛んでくる。

 

「うん? どうした小娘、体調が悪いのか?」

「いや、別に悪くないし。っていうかでび、これはアンタの見せてる夢?」

「へ?」

 

 でびるはぽかんと口を開けて鷹宮を見つめた。じきにその口はニッと笑いを浮かべ、しかし無表情な瞳は虹色の光を仄かに発しだした。

 

「うふふ~、そうだと言ったら?」

 

 セリフとは対照的な感情のない声音。鷹宮はため息をついた。

 

「別にぃ? いいんじゃない? みんな楽しそうにしてて」

 

 まあ、あまりに突拍子が無くて現実味がないけど。と鷹宮は付け足す。

 

 聖杯は欲しいけど、人を殺したいわけじゃない。戦う相手だとしても、誰かの敵にはなりたくない。でも、聖杯は一つしかないから、でびるか自分が殺されるか、あるいは他の誰かを自分たちが殺す。その覚悟はできていなくても、最後にはそうなるはずなのだ。他の皆もそうだろう。いや、椎名の話を聞くに私以外はもっと厳しい戦いを繰り広げてきたのかもしれない。そんな彼らがこんな風にみんなで配信するなんて……あまりにおかしくって笑えてしまう。

 

 葛葉と叶など向かい合って和やかに話をしているではないか。あの二人は誰かと対峙するとき、相手が自分に何かしてこないかと常に警戒していたはずだ。他者に対する根源的な恐れがあると鷹宮は見ていた。それが、あんなに裏表なく楽しそうにするところなど、想像もできない。

 

 ああ、本当にみんな楽しそうだ。やしきずとひまわりさんがはしゃいでいる。花畑チャイカと椎名が馬鹿をやってみんなに迷惑をかけている……。その一挙一動に配信を見ている視聴者さんたちの笑いの感情が加わっていった。

 

 鷹宮はみんなの輪に入ろうと歩き出していた。

 

「この夢をずっと見ていたい?」

 

 でびでび・でびるの問いかけに、鷹宮は振り返って答えた。

 

「覚めない夢なら見たかったかも」

 

 そうして、ありえない一時の夢を楽しむことにした。




ましろ爻(ましろめめ)
 ……子供のころに偶然から異界へ足を踏み入れて以来、異界の扉を探し続けている。自分の姿をした誰かを殺して成り代わった記憶があり、自分が何者なのか実際のところよくわかっていないが、それはともかくとして今を楽しむ享楽的な一面も持つ。とある神父の招きに応じて聖杯戦争に参加する。

アリス(ナーサリー・ライム)
……広義のおとぎ話の概念が子どもの夢の守り手として英霊化した存在。本来はマスターによってその姿や能力を変えるサーヴァントだが、ましろのことが理解できなかったために児童小説『不思議の国のアリス』の主人公、アリスを模した姿を取っていた。


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47.ランチタイム

 温かい。体中がポカポカする。ここにいさえすれば気怠い身体は浮遊感に包まれる。どんな重さだって嘘みたいに忘れられるのだ。

 

 いや、いや……今、こんなことを考えているのだから、結局は無駄か。

 

 椎名は頭上を見上げた。オレンジ色、夕陽だろうか。懐かしい……。ああ、ずっとこのままでいたいのに、もう苦しくなってきた。でも、この苦しみを乗り越えれば、きっと……きっと……は? なんでそうなんの?

 

 椎名は水面から顔を出した。灯篭の光がてらてらと映える温泉に椎名は一人きりで浸かっていた。体が一気に気怠くなる。考えなくてはいけない様々な問題が体の重さとなって思い出されたかのようだった。椎名はため息をつき、灯篭へと手を伸ばした。

 

「え?」

 

 椎名の体は困惑で固まった。灯篭は湯気の中で霞み、揺れながらも、穏やかな光を発していた。わからない。どうして手を伸ばしているのか。

 椎名はゆっくりと手を下ろし、下ろした手をじっと見つめた。特に魔力の形跡はなかった。

 

「のぼせてんのかな」

 

 椎名はお湯から上がろうと縁石に足をかけ、そして――

 

「に゛ゃ゛っ゛⁉」

 

 足を滑らせた。灯篭の光の照る水面へと背中から落ちる椎名。水しぶきが上がり、椎名は固く目を瞑ったが、ゆっくりと沈む体はどこまでいっても底に当たることは無かった。水面に上がることもできず、椎名は恐る恐る目を開けた。極彩色の魚が目の前を通った。

 

 は……?

 

 透き通るような青の中をたくさんの魚が泳いでいた。足元には珊瑚礁が広がり、色鮮やかな魚たちがそれぞれ生態系を築いているのが見て取れた。一方頭上では、ハンマーのような頭を持つサメが群れで泳いでいた。

 

 はぁ⁉ あ、っていうか、それよりも息が……⁉

 

「あばっ、あばばっ、あうあうああああ……あれ?」

 

 重い水を搔いていた自分の両手が急に軽くなる。肌に纏わりついていた冷たい質感は消えてなくなり、乾いた温かい空気がそれにとって代わった。

 

 そこは教室だった。しんと静まるなか、遅れて笑いが起こった。椎名は混乱しながらもえへへ……と笑って辺りを見回し、その中から笑っていない鷹宮と緑仙を見て、すっと笑顔を引っ込めた。

 

―――――――

 

 屋上に上がってみると天気が良く、風もなかったので眠たくなった。一人なら寝てたのに……。

 

 椎名はため息をついて焼きそばパンを袋から剥く。少し待ってみたが、誰も話し出さない。椎名は食べ始めた。焼きそばパンの端を齧り取ると、無言で咀嚼する。サッと上目で見ると鷹宮と緑仙も無言で弁当をつついていた。

 

 なんでこうなったかなあ……。

 

 椎名は咀嚼しながら真上の青空を見上げた。晴れてなかったらもっとうるさい教室で食べれたのに。それもこれもみんな……、

 

「ねえ」

 

 鷹宮が耐え切れないというように声を上げた。椎名は目線を少し下げてほとんど睨むように見つめるが、鷹宮は物おじしなかった。

 

「あたしらって、こんな風だったっけ?」

 

 ひと際重い沈黙がのしかかる。

 

「久しぶり……だからじゃないかな? 三人で集まるのはさ」

 

 緑仙が笑いながら言ったが、その顔はどこか苦しげに見えた。

 

「三人ねえ……」

 

 椎名はパンを口いっぱい頬張った。話をしたくなかった。

 

「緑さんは覚えてる? キャスターとそのマスターからの招待状のこと」

 

 鷹宮はそう言って綺麗に丸めて紐で留められた招待状を取り出した。

 

「うん、招待状は残ってるんだけどね……」

 

 一方緑仙の手にある招待状は四つに折って畳んであった。二人の視線が椎名に向けられ、椎名はパンを頬張ったことを後悔した。

 それでも慌てて食べるのは癪に障る。わざとゆっくり咀嚼して、ゆっくり飲み込んだあと、言った。

 

「なんも覚えてないんだよなあ」

 

 三人はそろってため息をついた。

 

「この招待状にあるましろって、誰か覚えてる?」

 

 鷹宮の問いに二人は首を横に振る。

 

「じゃあ、脱落したらしいランサーの陣営のことは?」

 

 これにも二人はなにも答えられなかった。

 

 あの夜、何かがあった。それが何かは誰にもわからない。ただ、残っていたサーヴァントとそのマスターたちで現状のすり合わせをしてみると、キャスターとランサーは脱落したらしい、そういうことになったはずだ。気にかかるのは、キャスター陣営とランサー陣営のサーヴァントや、マスターを誰も知らなかったことだ。そのときは誰も、何も言わなかった。

 誰もが無気力で、誰もが自分の帰る場所へと帰りたかったのだ。

 

「ねえ、本当に何も思い出せないの? 実はキャスター陣営とランサー陣営の共謀ってことは?」

「ないんじゃないかな」

「ないよ、そんなの」

 

 緑仙と椎名はほとんど同時に言う。椎名は意外に思って緑仙の方を見た。緑仙も椎名の方を見たが、緑仙は慌てて視線を逸らした。

 

「えっと、僕のサーヴァントが断言してるんだ。たぶん間違いないと思う」

「ふーん?」

 

 鷹宮に向けて緑仙が言うが、椎名はそれに割り込むようにわざとらしく相槌を打つ。一瞬二人の視線が交錯する。

 

「え、ちょっとなに? 二人とも何かあるの?」

 

 鷹宮が尋ねるが、二人はやはり、ほとんど同時に言う。

 

「いや、何もないよ鷹宮」

「さあ、あてぃしにはなにも?」

「そ、そうなの……? ならいいけど」

 

 明らかに二人はおかしかったものの、鷹宮はしぶしぶ頷いた。

 

「とにかく、私はこんなの耐えられない。失くした記憶は取り返さないと……!」

 

 俯く鷹宮、椎名が見るに相当ショックなようだ。たぶん、自分を構成する時間という単位に拘っているのだろう。椎名には毛ほども意味が見いだせない。

 

「僕の魔術とアサシンじゃ相性が悪いかも」

 

 と緑仙も俯いた。何でお前が俯く? 椎名は自分でも訳が分からず苛立つ。あんなのは明らかに演技だ。言っていることは本当なのだろうが。

 

 椎名は舌打ちするのを堪え、空を見上げた。

 

「あたしは……ううん、あたしのサーヴァントは何か動いてるみたいやけど……たぶん面倒くさくなるし、あたしは思い出したくないかな」

「面倒くさいって、椎名さん……」

「あー、いらんって。突っかかられるのも面倒くさいわ」

 

 椎名は立ち上がると、屋上の出口に向けて歩き出す。

 

「椎名さん、話はまだ……!」

 

 鷹宮が声を上げたが、椎名はそれを遮って言う。

 

「話なんかする必要あります? ないでしょ。敵なんだから」

 

 そうして椎名は屋上を出ると、薄暗い階段を一人降りていく。椎名は足を止めた。

 

 下の階までをすでに沈めた水が、じわじわとせり上がってきていた。

 

 そんなアホな……。

 

 椎名が固まっている間にも着々と水位を上げる水は、ついには椎名の足元を濡らした。椎名は咄嗟に踵を返して階段を上がろうとする。そして、踏み出した足は階段ではなく、温泉の縁の石を踏んでいた。

 

「え……?」

 

 勢いのまま温泉から上がる椎名。振り返ると、灯篭の明かりがゆらゆら揺れる水面から声が聞こえてくる。

 

 椎名……! 椎名……!

 

 椎名は壁によろけかかり、痛む頭を手で抑えた。

 

「これ、ほんまにあかんわ……」

 



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48.鳥居の列

 屋上で一人、椎名唯華は街を見下ろしていた。

 

 ここ数日、聖杯戦争に動きはない。といっても、椎名の中で聖杯への関心は薄くなっている。この世界には、私の世界には何かが足りない。何か、あったはずのものが欠けている。そんな感覚に一日中囚われ続け、存在しない声を聞く。

 

 しいなー! こっちこっち……!

 

 声のする方を見ると、声は街の中心にある駅の方から聞こえてくる。

 

 椎名は視線を駅から滑らせる。街の並びとは無関係に、駅の方から巨大な赤い鳥居が学校まで続いている。鳥居は学校の校舎ほどの高さがあり、あんなふうに立っていたら邪魔だろうに、誰も気に留めやしない。この鳥居もここ数日の椎名の悩みの種だった。椎名の行く先々に駅から鳥居の列が伸びてくるのだ。椎名を駅に誘っているかのように。

 

「やめろって」

 

 椎名は聞こえてくる声に背を向けるように屋上の柵にもたれかかる。と、いつの間にそこにいたのか、アーチャーが椎名を見つめていた。アーチャーは一歩一歩椎名の方に近づいて来る。その瞳は責めるような厳しさを称えていた。

 

「なんやねん。おどかすなよ」

「椎名くん」

「はぁ?」

 

 椎名くん? なにその呼び方。いつもは貴様だのお前だの言ってくるのに、いよいよあたしがおかしくなったんかな? アーチャーは責めるようなまなざしとは裏腹に、ゆっくりと言い聞かせるような口調で言ってきた。

 

「時間がない。私はそれを伝えにここに来た。といっても、これは君の提案だ。最終的には君の好きにするといい」

 

 それだけ言って姿が揺らいでいくアーチャーに椎名は慌てて尋ねた。

 

「ちょ、もっとはっきり言えって! あたしはどうすればいいんだよ!」

 

 アーチャーはふっと鼻で笑い、椎名を、いや、椎名の背後を指差して言い残す。

 

 そこまで愚図な君ではなかろう?

 

「くっそ! あいつ……かっこつけやがって……今度会ったら令呪で切腹させたる……」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら階段を降りていく椎名。

 椎名は舌打ちする。前と同じように下の階を浸しながら水が迫っていた。椎名は止まるのも煩わしいと意を決して水の中に足を踏み入れ、階段を降りていく。水は冷たくもないし重さもない。わずかな抵抗感と浮遊感。椎名が頭まで潜っても、呼吸はむしろ以前よりも楽だった。

 

「面倒くさい」

 

 階段の踊り場の窓が目に入ると。椎名は身を滑り込ませ、飛び降りる。だが、椎名の体は落ちることはなく、水の抵抗の中でゆっくりと降りていく。椎名は水を掻き、鳥居の方へと向かった。

 

 地面に足を付け、椎名は鳥居を見上げた。なんてことはない、でかいだけの普通の鳥居だ。鳥居の中央に結ばれた金色の鈴は水の中でくすんではいたが、水面から射しこんでくる陽の光に反射してチカチカ瞬いていた。

 

 椎名は鳥居へと足を踏み出した。

 椎名が鳥居をくぐるたびに世界はめまぐるしく変化した。大正時代や明治時代を思わせる建物に人の装い、移ろいゆく季節に早回しで繰り返される騒めき。朝と夜を繰り返しながら、世界からどんどん色が落ちていく。

 

 駅に着いた頃には鳥居も駅舎も何もかもモノクロと化していた。

 

 人が、いない……。

 

 無人の駅に足音を響かせ、椎名はホームに出る。奇妙だった。電車がそこにいて扉が開いているというのに、何の音もしない。音が無くなったというより、時間が止まってしまったかのよう。椎名が電車に乗り込むと、それを待っていたかのように扉は締まり、電車は走り出した。

 

 電車の中は無人だった。椎名は長い席の真ん中に座り、こつんと窓に頭をもたせ掛けた。

 

 電車はモノクロの街を抜けるとすぐにトンネルへ。このトンネルが長く、また、普通だったらトンネルの中で反響する音も全く聞こえてこないので、椎名は何度か自分の耳の方を疑って、指を突っ込んでみたり耳を引っ張ってみたりした。

 

 そのトンネルを抜けると、世界に色が戻っていた。

 

 椎名はパチパチと瞬きする。

 

 大きな窓から車内に差し込む夕日、後方へ流れ去る田園風景は金色に輝いていた。音もいつの間にか聞こえるようになっており、薄っぺらい電車の走行音が鳴り響いていた。

 

 上半分の開いた窓から冷ややかな風が入り込み、椎名の髪を吹きさらしていく。

 

 夕日に染まる車内で、椎名は何度も幻を見た。俯く椎名の視界には向かいに座っていた女の子の足が映り込んでいたのだが、女の子は突然立ち上がると、ふらつく足取りでどこかへ行ってしまうのだ。誰かはわからなかった。だが、女の子が出て行くたびに、椎名は罪悪感を覚えるのだ。

 

「はあ、やめろや」

 

 椎名が不快感もあらわに言うと、幻は見えなくなった。やがて、電車は甲高い音を立てて止まる。椎名は立ち上がると、電車から降りた。

 

 もうすぐ日が暮れる。最後の夕陽に照らされた立て看板には「きさらぎ」と書いてあった。

 

「綺麗になっちゃってまあ――」

 

 椎名は呆れてため息をつく。駅の向こうに水族館が見えていた。



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49.水族館へ

 夜になる。閉館した水族館を外から覗き込むと、すでに館内は消灯し、漂うような薄青色の光を放つ水槽だけが床に水の波紋を描いていた。

 

 入口のガラス扉が開いていたので、椎名唯華は堂々と入っていった。

 

「おやあ?」

 

 声を掛けられ、椎名はびくりと身を固める。

 

「すみませんお客様、当館はすでに閉館いたしましたので、また後日お越しください」

 

 受付の職員なのだろう。しかし、それにしては落ち着きのない声音だった。ゆるく巻かれたチェックのリボンは垂れ下がっていたし、ぎらぎらと輝く緑の瞳は無遠慮に椎名を見定めている。長く伸ばした赤い髪が暗い館内に溶け込んでいて、不思議なことにその末端は水の中にあるかのようにゆらゆらと揺れ動いて見えた。

 

「あの、人に会いに来たんですけど……」

 

 椎名の言葉を聞いて、その職員は喜色満面、あまりに明るい笑顔を見せる。

 

「それは素敵ですね! ふーん、そっか……。うん、たぶんあなたを待ってたんだろうね」

 

 職員は一人で納得したように頷くと、ゲートを開けて椎名を館内に導き入れた。

 

「あなたのお友達はずっと待ってるよ。どうぞ、ごゆっくり……」

 

 職員は深く頭を下げ、もう上げることは無かった。椎名が振り返っても、身じろぎせず、ただ館内の暗い闇と一体化してそこに在り続けた。

 

 

 受付を通り過ぎると一面の大水槽が椎名を出迎えた。椎名は水槽を見上げたが、水面は見えず、どこまでも淡い水の色が広がっているだけだった。また、下の方を覗き込んでも水槽の底は見えず、ぞっとするほど深い青が椎名の足元から続いている。

 その深い青の底から呻き声をあげながら、巨大魚の影はゆっくりと浮上して、椎名の前を通り過ぎた。 

 

 ああやってぐるぐる回っているのだろうか。ずっと、いつまでも……。

 

 椎名は水の層に霞んでいく影を見上げながら、胸の奥で冷たいものが広がっていくのを感じていた。

 

 しーな……! はよ来い!

 

「はいはい、今行くって」

 

 急に馴れ馴れしくなった自分を呼ぶ声に適当に返事をして、椎名は閉館後の水族館を歩いた。

 

 

 あの受付にいた職員をのぞけば館内で人と会うことはなかった。イルカなどの海獣の声に、水を掻いたとき混じり込む泡の音が、ときたまどこかから聞こえてくるくらいで、館内にほとんど音はない。

 上が開けた水槽を下から覗き込んでみると、水面は暗く、どうして水槽がこんなにも光を発しているのかわからなかった。

 

 ウミガメを通り過ぎ、クマノミなどの隠れるサンゴ礁の水槽を通り過ぎると、ちょうど水族館中央の大水槽に差し掛かる。

 

 大水槽には斜幕が引かれ、青い光が遮られて辺りは薄暗くなっていた。椎名は斜幕に触れ、斜幕を大きく揺らしながらゆっくりと水槽を回り込む。

 

 いた……!

 

 水槽の裏側には斜幕が引かれていなかった。薄青い光を放つ水槽の前には、学校の制服の上にパンダのフードのついたパーカーを羽織る少女、笹木咲が立っていた。

 

「あ、椎名……」

 

 笹木は椎名に気づくと、体の向きを変えて椎名を待った。

 

「……笹木」

 

 椎名は笹木の前まで来ると、水槽のアクリルにもたれかかり、首だけ振り返って水槽の中を見た。

 

 透明なクラゲたちの揺蕩う水槽の、その奥には巨大な樹が生えている。水槽の底を突き破って生え、水面から夜空に枝を広げているらしいその樹は、奇妙な柔らかい光を纏い、樹の光はふわりふわりと漂うクラゲたちの触手に伝播して広がっていた。

 

「ああ、これな」

 

 と笹木が説明する。

 

「うちのランサーがやってくれたの。ましろの受け売りやけど、うちらは死の世界の向こう側まで流されて、ずっとこっちに戻ってこれないはずだった。それをこの樹が世界に繋ぎとめてくれたんやって。うちの声が椎名に届いたのも、椎名がうちを辿ってここに来れたのも、全部これのお陰」

 

 笹木の樹を見る顔には切ない感情が表れていたが、そこには少しだけ誇らしさも見て取れ、椎名は安心した。

 

「そうか……やっぱ笹木、死んだんやな」

「うん、まあ」

 

 少し恥ずかしそうに俯く笹木。しかし次にはそのしんみりした空気を振り払うように顔を上げ、大きな息を吐く。

 

「あーあ、にしても、圧勝やと思ったんやけどな……」

 

 椎名は軽く笑って失敗したらしい友だちに尋ねた。

 

「なんで逆転されたん?」

「わからん。遊びたい、寂しい、って声が聞こえて。うちが遊んでやらんと、って声のする方へ歩いてったらいつの間にか死んじゃってた」

「そう、か……」

「でもさ、今考えるとうちが誰かと遊びたくて、寂しくて、つい声の誘いに乗っちゃったところもあるんだよね……。たぶんそこを相手がわかってて、上手く突かれたのかなって」

 うちもわかってなかったのにな、と笹木は笑った。

「それは……!」

 

 椎名は何かを言いたそうにした後、悔しそうな顔で頷き、諦めたように言った。

 

「そっか……相手も上手かったんや。しゃーないって、切り替えてこう」

「切り替える、か」

 

 笹木がほほ笑んで水槽を見つめる。その眼差しの意味を椎名はわかっていた。

 

 二人はお互いに口を閉ざした。

 

 笹木は、静かに水槽を見守っている。椎名は笹木と同じように水槽を見てはいたが、内心では焦っていた。

 

 この水族館に来てからどれくらいの時間が経った? 

 床や天井に揺蕩う水の波紋は変化し続けていて、それでいてずっと変わらないように見える。水槽の生き物が時間を教えてくれることは無い。この沈黙を続けてもいい。いや、続けたいと椎名は思っていた。けれど、アーチャーは言っていた。時間がない。もう、時間が無いのだ。

 

 椎名はゆっくりと笹木の方を見た。たった今、思いついたこと。たった今決めてしまったことを笹木に告げるために。

 

「笹木」

 

 笹木は椎名の方を見る。すでに別れを覚悟した瞳。

 

 お前が覚悟するための時間だったんか……! 

 

 椎名の胸に虚しさが込み上げてくるが、今はそんなことどうでもよかった。言わなきゃいけないことがあった。椎名は息を吸い、告げる。

 

「笹木、あたしと一緒に来い」

「へ?」

 

 笹木の間の抜けた声に椎名は少し元気づき、そして、水槽を指差して言った。

 

「たぶんやけど、あの木とテスラの発明が合わされば少しの間は現世に留まってられる」

「えぇ⁉ ちょ、何言ってんの⁉」

 

 慌てふためく笹木だったが、椎名は冗談でも何でもないという風に平然としていた。

 

「いや、え⁉ いやいや……っていうか、少しの間うちが現世に留まれるとして、それでどうなるって――」

「あたしが聖杯で笹木の体を用意したるわ」

 

 一瞬の静寂ののち、笹木が叫んだ。

 

「はぁあああ!!?」

 

 椎名はニッと笑う。

 

「どうだぁ、感激したか?」

「いや、っていうか椎名の願いは?」

「あたしの願い……確か大金やな。これからはあたしのぶんも笹木が一生稼いでくれ」

「たしかって、願い忘れてたの? いや、うちが稼ぐの⁉」

「当たり前やんそんなの。道理が通らんって」

 

 笹木はむむ……と顎に手を当てて少し考える素振りを見せるが、すぐに猛烈な勢いで首を横に振った。

 

「嫌だ! うちは働かない、働かないぞ!」

「じゃあ誰が働くねん、ったく。まあ、テスラが世界システムを作るらしいから、金の方は何とでもなるわ、たぶん」

 

 安心させるようにほほ笑む椎名を見て、笹木はまだ信じられないというように軽く俯き、空の笑い声を漏らした。

 

「あはははは……、まさか椎名がこんなこと言ってくれるとは。さくゆいはあったんやな」

「あるよ」

 

 椎名は茶化しもせずに断言する。

 

「さくゆいはある」

 

 呆然とする笹木に椎名は手を差し出した。

 

「笹木、一緒に行こう。木を回収して、ここを抜け出そう」

 

 笹木は瞳を潤ませ、椎名の手を取ろうと手を出しかけるが、固く目を瞑ってその手を下ろした。

 

「駄目だ……。椎名ごめん。うちはここで終わり」

「……どうしてなん?」

「さっきも言ったけど、この樹はうちらを世界に結び付けてる。うちがこの樹を持ちだしたら、ましろがあまりに可哀想なことになる……」

「……ええやん、別に」

「いやクズかて。今はそういうのええから」

 

 椎名は納得できないまま頷くしかなかった。笹木の表情はすでにやりきれなさを飲み込んいた。

 

「……そっか」

「うん」

「なんともならんか」

「……うん」

 

 笹木は小さく頷く。そのとき、水族館が振動し、水槽の中で光が明滅した。

 

「もう、限界みたいやね」

 

 小さく呟き、笹木は椎名の隣で水槽にもたれかかった。

 

「何が……」

 

 周囲を見回す椎名に笹木は告げる。

 

「ここはな、椎名。うちが見てる夢の世界。生きてる間、一番の友達とは一緒に行けなかった、水族館の夢」

「……すまんかった」

「もういいって」

 

 笹木は茶化すように笑う。笹木の椎名を見る目がどんどん柔らかくなっていく、そのことに椎名は危機感と焦りを抱いていた。

 

「そんでな、この夢を見てる間はうちは決して深くは眠れへんの。ここまで我慢してたけど、本体はもう夢を見ることもできないくらい眠いみたい」

「本体……この夢を見てる笹木がどこかにおるん?」

「あそこ」

 

 案の定、というべきか。笹木は水槽の奥の樹を示す。

 

「お前と駄弁るこんな夢がずっと続くのも面白いんやろうけどな……」

「いいよ。この夢をずっと見てればええやん! 頑張れよ!」

 

 無茶を言い出す椎名に笹木は思わず苦笑する。

 

「そうだ。そうだった。こんな楽しい夢をずっと見ていたかったから、聖杯が欲しかった」

 

 笹木の目から涙の雫が伝った。

 

「椎名、どうして楽しい瞬間って長続きせんのかな。心地のいい関係はどうしてすぐ壊れちゃうのかな。どうして何も思い通りにならないのかな……」

 

 椎名も笹木の言いたいことが分かり、思わず泣きだした。二人は誰もいない水族館でわんわん声を上げて泣いた。

 

「椎名、お願いがある」

 

 涙声のまま笹木が言う。

 

 椎名も涙を拭って笹木を見つめ、言葉を待った。笹木は鼻をすすり、大きく息を吐く。

 

「緑仙に酷いこと言っちゃった……ごめんって、うちが謝ってたって伝えておいてほしい」

「……わかった。他にはない? もう大丈夫?」

「うん……。もっと話したかったけど、最後に椎名の顔が見れただけでもよかった」

 

 そうして、笹木は椎名を軽く抱き寄せると、耳元で言った。

 

「さくゆいはある。頼むぞ椎名。お前だけは生きててくれ」

 

 椎名の体に触れていた笹木の体の重さが無くなった。

 ふわりと浮き上がった笹木の体は水槽へ引かれていく。その背中が、パンダのフードが水槽の表面に触れた瞬間、キリキリと硬質な音を立てながら水槽の表面のアクリルが歪み、笹木の体は水槽の向こう側へ沈んでいった。

 水の色にくすんだ笹木の体は、クラゲたちの長い触手に導かれて、水槽の奥へ遠ざかっていく。

 

「待って! 戻って来い笹木!」

 

 椎名も笹木を追って水槽へ突っ込んだ。硬質な音が椎名の耳元で鳴り響き、椎名の神経を搔き乱す。無機質な硬い流砂が椎名の体にまとわりつくが、次には冷ややかな水が椎名の体を包み込んでいた。

 

 なんやこれ、普通の水じゃない……! 冷たい……痛い……苦しい……! 笹木、こんなとこに居ちゃだめだよお……。

 

 椎名は必死に手を伸ばす。届かない。笹木は振り返りもしない。だが、椎名は意識を朦朧とさせながら、自分でも何を言っているかわからず、水泡に塗れながら叫ぶ。

 

「頼む、一万円あげるから!」

 

 水の中でその声はただの泡にしかならなかったろう。だが、笹木は振り返った。振り返って、くすりと笑った。

 

「ばか椎名」

 

 椎名は声を聞く。椎名の伸ばした手は小さくて温かな手に導かれ、そのまま暗い水面へと引っぱられていく……。

 

―――――――

 

「咲ちゃん‼」

 

 叫んで起き上がった椎名が見たのは天上から吊るされた電球だった。椎名は呼吸を荒くしたまま辺りを見回した。

 

 テスラの工房……薄暗い光を放つ機械がたくさん置いてある。そこで椎名は違和感に気づき、頭に装着されていた機械を取り外した。

 

「目覚めたかね?」

 

 工房の扉が開き、カップを持ってきたアーチャーが入ってくる。アーチャーは椎名にカップを渡して椎名の向かいの椅子に腰掛けた。カップの中は温かいコーヒーだった。椎名はそれを飲まずにカップを両掌で包み込み、コーヒーの暗い表面をぼーっと見下ろしていた。機を見てアーチャーが話しかける。

 

「咲……聞き覚えのある名だ」

 

 椎名はちらとアーチャーを見て、湯気を息でそっと吹き払う。

 

「ああ、全部思い出した。ランサーのマスター、笹木咲と向こうで会って話をした」

「そうか! いや、すまない。実験は成功のようだが、あまり喜ぶ雰囲気ではないようだ」

 

 この時初めて椎名はアーチャーの方に目を向けた。椎名の腰かける薄いベッドには椎名の外したヘッドギア型の機械があり、その機械からは幾本もの線が伸びていて、その線はモニター付きの大型機械へと続いている。

 

 あのモニターでずっと椎名の状態を見ていてくれたのだろう。それに、逃げそうになっていた私に忠告までしてくれた……。

 

「テスラ」

 

 名前で呼ばれ、不審に思いながら椎名の方を向いたアーチャーに、椎名が向けたのは涙混じりの笑みだった。

 

「本当に、ありがとう。テスラは間違いなく人類史上最高の天才だよ……!」

 

 一瞬言葉を失ったアーチャー、二コラ・テスラだったが、慌てて胸を張った。

 

「ふん、霊界との交信理論自体は生前に完成させていたのだ。サーヴァントとなった今なら容易いことだとも。だが……」

 

 そこでテスラは椎名の笑みに応えるかのように柔らかなほほ笑みを浮かべた。

 

「そんな実験が成功し、実証されることは無かっただろう。君のような霊能者でない限りは……」

「それってどういう……」

「ああ、感謝するのはこちらの方だ。おかしな話だが、未だに私の本当の理解者は人類史上君しかいない」

 

 テスラは胸の前に手を持って来て、頭を深く下げる。敬礼……椎名は苦笑すると、テスラの前に手を差し出した。

 

 テスラは戸惑いながら顔を上げる。椎名は軽やかに笑って言った。

 

「これくらいがいいよ、うちらの関係は」

 

 テスラも笑い、椎名の手を取った。




笹木咲(ささきさく)
 ……結界と治癒に秀でる元名門魔術師。椎名唯華と花畑チャイカの策謀によってレジスタンスに引き抜かれた。が、レジスタンスの解体に伴い行方不明に。

ロムルス
 ……捨てられた双子の兄弟はすくすくと育ち、やがては人々の支持を得、国を築くことになる。どちらが国の王に相応しいかで兄弟は争い、勝利した兄はローマの王となった。


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メメント・にじレジ
50.雨の屋上


 屋上には雨が降りしきっていた。

 

 緑仙は赤の唐傘を肩に引っ掛け、フェンスを背にして立っていた。制服ではなく、お気に入りのチャイナ服。浅く羽織った上着が肩から垂れ落ちそうになるのを気にもせず、空を見上げていた。

 

「なあ」

 

 屋上には誰の姿も無かったので、それは空への呼び掛けとも思えたが、次の瞬間には緑仙の横に一人の老人が立っていた。

 

「どうして笹木を助けなかった?」

 

 相変わらず独り言のように呟く緑仙に、老人は答えた。

 

「お前がそう命じなかったからだ」

「僕が笹木を止めて欲しかったのがわからなかったの?」

「ああ、わからなかった。だいたい、お前はあの女を一度捕まえていたはずだ。そんなに大事であるならなぜ手を離した?」

 

 緑仙は舌打ちを一つすると、体の左右をくるりと入れ替えてフェンスの下、校庭を見下ろした。無数の水たまりが雨や風に合わせて細かに揺れている。

 

 人がいない。放課後だから、雨だから……それもあるだろう。だが、理由は明らかに別にあった。

 

「マスター、すぐそこまで来ているぞ。心身を調えよ」

 

 短く告げる老人に緑仙は苦笑し、ため息をつく。

 

「いや、無理でしょ」

 

 そこで屋上の扉が勢いよく開かれた。

 

「すいやせん。少し、待たせちゃったみたいですね……」

 

 雨の中にあって妙に乾いた声音。傘もささずにゆらゆらと体を揺らしながら歩いて来るのは椎名唯華だった。

 

 椎名は謝りながらも小首を倒し、わざとらしい笑みを浮かべて緑仙の顔を覗き込んでいる。その後ろには霊体化を解いたアーチャーが、椎名とは対照的にまっすぐ堂々とした歩きぶりで付き従っていた。

 

「やあ椎名。辛そうな顔をしているね……」

 

 緑仙は傘越しに振り返る。表情は穏やかだったが、冷や汗はごまかしようがなかった。

 

「緑仙さんこそ。なんですか、その顔。さてはあてぃしとお話しすんのが嫌だったんかな?」

 

 椎名はかつて冗談を言い合った時のような笑みを意識して無理やり作る。それが緑仙を苦しめると知っていて。

 緑仙は吹き出すように笑い、目を背けた。

 

「やぁ、いやになっちゃうね、まったく。全部わかってんだろ。聞きたいことを聞きなよ」

「話早くて助かります。それじゃあ――」

 

 椎名は目を閉じる。胸の内を一瞬だけ整理するように。再び開かれた椎名の瞳はしっかりと緑仙を捉えていた。

 

「どうして笹木を止めんかった?」

 

 椎名の問いかけに緑仙は表情を失った。そして苦々しく唇の端を引き攣らせながら答える。

 

「へえ、そこまで……。てっきり笹木の最期を聞かれると思ったけど……止めなかった? まるで僕が止めようと思えば止められたみたいに言うんだね」

「止められたやろ、緑仙さんなら」

 

 はっきりと言い放った椎名に緑仙は驚き、忌々しそうな目で椎名を睨んだ。

 

「意外だな……そこまで僕を評価してくれてたなんて」

「評価じゃないです、信頼ですよ」

 

 緑仙は何も言えなくなった。雨の下で椎名は瞬きするたび睫毛から雫を流し、緊張のためか喉を鳴らす。一方傘を差している緑仙は傘など持ってきたことを後悔し始めていた。

 

「……それで、なんだっけ。僕が笹木を止めなかった理由?」

 

 緑仙はアサシンの方を見て、観念したようにため息をついた。

 

「……僕が弱いからだ」

 

 雨が強くなり始めていた。椎名は雨水の垂れる拳を握り、歯軋りし、声を張り上げた。

 

「そんなわけないやろ! 緑仙さんはいつも強くて、冷静で、みんなが頼りにしてた……! それこそ、あたしなんかと違って……」

「僕が強くて冷静? それこそそんなわけないじゃん」

 

 即座に否定し、緑仙は自虐するように笑う。

 

「椎名、僕を見なよ。今目の前に立ってる僕がそんなに強い人間に見えてるの? ちょっとした言葉に傷ついて、頭が真っ白になってるうちに笹木を死なせたこの僕が? 冗談じゃない……断言するけど、あのとき僕でなくて椎名が笹木についていたら、笹木は何の変りもなく生きてたよ」

 

 緑仙の浮かべる笑みはあまりに痛々しい。椎名は見ていられずに俯いた。

 

「じゃあなに? あたしが今まで思ってた緑仙さんなんて、そんなんどこにも……」

「いないね」

 

 あっさりと緑仙が言う。

 

「笹木もそういうとこあったけどさ、みんなが考えてる僕なんてキャラクターはどこにもいない」

 

 傘を深く差し、緑仙はゆっくりと椎名の方へと歩き出す。口元をわずかにゆがめて緑仙は言う。

 

「馬鹿みたいだよ。本当の友情とか、信頼とか。自分以外の人間の本当なんてわかりっこないていうのに」

 

 椎名は近づいて来る緑仙に身体をこわばらせたが、緑仙の傘で隠れた顔を見て、ふっと鼻で笑った。

 

「自分で言って傷つくなら言わなきゃええのに」

 

 気のせいだろうか、雨の音に紛れて鼻をすするような音が椎名の耳に届く。

 

「まあね」

 

 傘の下から見える口はあくまで明るい声音で返答する。

 

 これ以上距離を詰められるわけにはいかなかった。椎名は手を前に突き出す。

 

「そこで止まってください! 緑仙さんに言わなきゃいけないことがあります……!」

 

 緑仙は素直に従って立ち止った。余裕そうに見える。椎名は唇の端を噛む。

 

「笹木から言伝を頼まれましたので伝えます。いいですか?」

 

 緑仙は驚いたように口を開け、頷いた。椎名は笹木の顔を思い浮かべながら告げた。

 

「酷いこと言ってごめん、って。笹木は、謝っていたことを伝えてほしいって言ってました」

「そう、なんだ……」

「ええ、笹木は謝ってましたよ? でも」

 

 椎名は語調を強くしていった。

 

「あたしは許せない」

 

 その瞬間、階下からふわふわと屋上を取り巻くように無数のおもちぃなたちが浮上する。屋上という空間を今にも飲み込みそうなその数に緑仙は息をのんだ。

 

「謝ります、緑仙さん。もし、緑仙さんが本当に弱い人だっていうなら、きっとあたしは弱い者を痛めつけようとする悪者になってしまうんかな。でも、無理や」

 

 覚悟を決めた瞳で緑仙を睨みつける椎名に対し、緑仙は傘の下で言うだけだった。 

 

「来なよ。殴られるつもりだったし、殺されても仕方がないとは思ってる。っていっても、覚悟はできてないから、抵抗させてもらうんだけど」

 

 その口ぶりに椎名は思わず笑ってしまう。

 

「ははっ、そんなセリフ、弱い奴が言いますか……!」

 

 ぴーっ!

 

 おもちぃなたちが喚きながら一斉に緑仙に降りかかった。



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51.一対一

 アサシンが一歩緑仙の方へ歩みを進め、そこで止まった。アサシンと緑仙の間を幾筋もの紫電で編まれた壁が遮るように立っていた。

 

「どこぞの暗殺者かはわからぬが、それはよしておいた方がいい……あまりに野暮だ」

 

 アサシンの見つめる先でアーチャーはマントを風に吹かせ、延ばした手の中で紫電を小さく弾けさせた。

 

 おもちぃなたちは降りかかり、あっという間に傘を差したまま突っ立つ緑仙の姿を覆うと、次の瞬間には一斉に大爆発を起こす。

 

 爆風に目を細めるアサシン、足場が崩れることはなかった。恐らく敵側の細工なのだろうが……。

 

 やがて爆風が晴れると、そこには足を前後に交差させて深く腰を落とし、肩に掛けた傘で体全体を覆い隠す緑仙の姿があった。

 緑仙はアサシンの視線を受け、髪をかき上げて言う。

 

「心配しなくていいよ、別に」

「……良さそうには見えないが」

「良くなくても、仕方ないじゃん」

 

 紫電の向こう側に立つアサシンに笑いかけると、緑仙はそのままの姿勢から素早く踏み込み、椎名との距離を詰める。

 

「うわっ! おもちぃな二号、十三号、八十……えーっと、もうテキトーにいけ!」

 

 椎名の指示にずっこけたおもちぃなたちがてんでばらばらに緑仙に突撃していく。

 緑仙は拡げたままの傘を手首も柔らかにぐるぐる回しながら、接近してきたおもちぃなに片っ端から振るった。

 

 ひらひらと舞うようにして傘は振るわれ、その周囲でおもちぃなたちはボンッと音を立てて次々白い煙と化していく。

 

 雨に濡れる緑仙。傘の雫が飛ぶ。白い煙は雨の中で薄くなっていく。

 

 煙に紛れておもちぃなが一体緑仙の背後から突っ込んだ。これに緑仙は反応し、傘をくるりと回し、自分の体を傘の内側に隠すようにして防御姿勢を取る。これに乗じてさらに数体のおもちぃなが接近し、連鎖的に爆発が起こった。

 

「やったか⁉」

 

 椎名がガッツポーズして見守るその背後に、上空に吹き飛ばされた緑仙は傘で落下の勢いを殺し、爪先からスッと着地した。そのまま椎名の方へ忍び寄り、音もなく傘を閉じると、椎名の顔に向けて横薙ぎに振るう。  

 

 バチッ! と緑仙の傘と椎名の体に紫電が弾けた。

 

「つっ! これは……⁉」

 

 緑仙は仰け反りそうになるものの、態勢を整えて距離を取る。よろけて振り返った椎名の体には紫電の膜が張られていた。

 

「痛ったぁ! ちょっと誰? あてぃしの護符に静電気仕掛けた馬鹿がおんねんけど!」

「すまない、私だ」

 

 名乗り出たのはアーチャーだった。

 

「マスターの護符があまりに脆弱だったもので、つい」

「なっ、このっ、喧嘩うってんのか⁉」

 

 肩をすくめるアーチャーに対し、椎名は小言のような文句を延々とぶつけている。二人を遠い目で見ながら、緑仙は傘を掲げた。傘にはバチバチと細い紫電が走っていた。

 

 緑仙は傘の雫を払うようにしてまとわりつく雷の魔力を払いのけると、傘を指でなぞりながら魔力のコーティングを張り直していく。

 

「マスターよ、敵は一対一を望んでいるようだが?」

 

 紫電の壁の向こうからアサシンが問うも、緑仙は傘を気にするそぶりを止めなかった。閉じた赤い傘から雫が滴り、緑仙の頬に落ちる。雨に濡れながら、緑仙はどうでも良さそうに言った。

 

「そうだねえ。向こうのサーヴァントが僕を狙ったら勝ち目もなさそうだし、こっちには都合のいい話で結構なことじゃない?」

「……お前がいいならいいが」

 

 アサシンはどこか釈然としない様子で頷き、アーチャーと向かい合う。それに気づいたアーチャーは腕をぶんぶん振り回す椎名の頭を片手で抑えながらにやりと笑った。

 

「我々の戦いはよそで行おう。補強はしたが、それはマスター同士での戦いを想定しての物。若人の学び舎を壊すのは本意ではないのだ」

 

 アサシンは伺うように緑仙を見た。

 

「行きなよ」

 

 緑仙がすげなく言うと、アサシンは肩を落としてアーチャーの方へ歩き出した。

 

「緑仙……まだ死ぬな」

「うん、まだ死なない。お爺ちゃんもね」

 

 

「少し足場は悪いがお付き合い願おうか」

 

 そう言ってアーチャーは校舎から飛び降り、アサシンもまた逡巡するように立ち止ったが、すぐにアーチャーを追って校舎から飛び降りた。

 

 

「ところでさ、ふわふわふ浮いてるぬいぐるみみたいなの、みんな意思があるんだね」

 

 緑仙が空を見上げていった。幾つものおもちぃなたちが白い煙と化して爆発しても、未だにかなりの数のおもちぃなたちが空に漂っていた。みんな雨に濡れてテンションは低そうだが……。

 

「そうですよ。おもちぃなって言います。かわいいでしょ?」

 

 椎名はおもちぃなの一体を手に取ると、その頬を両手でにゅぅっと挟み込む。それが不快だったのだろう、おもちぃなは暴れて椎名の手から抜け出し、椎名の顔に飛びついてその頬をぷにゅっと両手で挟み込んだ。

 

「ぶっ……ん、なにすんねん!」

 

 椎名が上空へとおもちぃなを放り投げた……。何がしたかったの……? と緑仙は反応に困って首を傾げた。

 

「椎名そっくりだ……いやあ、人格を複製する呪符の応用でしょ? 偵察に使えるんじゃないかって話は覚えてるけど、まさかここまで形になってるとは思わなかった。でもさ……」

 

 緑仙は雨の空を仰ぎ、目を細めて言った。

 

「けっこう痛いって、言ってなかったっけ?」

「へへぇん、げろ吐くほど泣きましたよぉ」

 

 冗談めかして笑いながら、椎名は緑仙の方へ歩みを進めていく。緑仙は椎名を迎え入れるように両手を広げ、雨に濡れながら言う。

 

「椎名、僕は弱い。今も椎名に殺されようか迷いながら戦ってる。今更逃げやしないけど、こんな僕に椎名の怒りをぶつける価値があるのかな」

 

 椎名はめんどくさそうに頭を掻くと、片目を開いてはっきりと言った。

 

「あーもう全然気にせんといてください。怒りをぶつける価値、ありますよ。良かったですね、まったく……あー、殴りたくて仕方ない!」

 

 殴る、と言いながら、椎名はゆっくりと手を回す。その動きに連動して、おもちぃなたちが椎名の周囲を取り巻くように渦を巻き始めた。



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52.電撃使い

「やっとるなあ……」

 

 ぬかるんだ校庭に立つ中華服を着た老人が校舎を見上げて呟いた。校舎の屋上ではおもちぃなたちがぴーぴー飛び交い、ときたま爆発を起こしていた。

 

「おや、あまり乗り気ではないようだ。私では物足りないかな?」

 

 両手を広げるアーチャーをちらと見て、老人、アサシンもようやく目の前の相手に集中する構えを見せる。

 

「といってもなあ。お前は電撃使いなのだろう?」

「その通り! 私こそは神の雷を人にもたらした人類神話の始祖たる人類……」

 

 そこでアーチャーは上機嫌にマントを翻し、英国紳士然とした立派なお辞儀をして見せた。

 

「マスター椎名唯華のサーヴァント、ニコラ・テスラである。どうぞよろしく」

「アサシン、李書文。武術をやっている」

「武術……それにその恰好、カンフーという奴か! 知っているぞ、ヨガの一種なのだろう?」

「あー……まあ、そうかもしれんな」

 

 パッと目を輝かせたテスラを見て、書文は適当にはぐらかそうとしたことを後悔した。

 

「なんでも手が伸びるとか!」

「そうだな」

「なんでも火が吹けるとか!」

「……そうだな」

「素晴らしい! まさしく東洋の神秘だ! 私がそれを目に出来るとは何たる幸運、エジソンの奴が羨むに違いない!」

 

 両手を握って喜ぶテスラを見て、書文はためいきをつき、その姿を大気の中にくらませる……。

 

「ふぅむ、これは!」

 

 テスラは刮目する。雨の降る校庭には水溜まりがいくつもできている。その水溜まりには雨の雫の波紋と風のさざめき以外は浮かびようもなく、アサシンたる書文の姿や足跡など望むべくもない。だが……

 

「そこか!」

 

 テスラはある一点に目を留めると、指先から雷を放った。

 

 どうやら書文は躱したらしい。少し離れた場所にゆらゆらと影のようにその姿を現した。

 

「はぁ、これだから電撃使いは……」

 

 書文が呆れる暇もなく追撃の雷が飛んでくる。しかし、書文の体は再び揺らめいて消え、紫電は空を切った。

 

「ふっはっはっはっは! 手品のタネはさっぱりであるが、相性が悪いようだ。私には優れたソナーがあるのでな! さあ、踊れ、踊れ、踊れぇ!」

 

 テスラが胸の前で両手のひらを上向きに広げると、その指先全てから細い紫電が空へ放たれ、空へ放たれた雷は威力を増して校庭へと降り注ぐ。水溜まりが一瞬揺れて波紋が広がれば、次の瞬間にはその水溜まりは雷によって空と繋がる。そんなことが校庭中で繰り返されていく。

 

「はあ、性に合わん。逃げるのは向いていないようだ」

 

 そう言って追いかけっこを切り上げ、あっけなく姿を現した書文に上機嫌だったテスラは肩透かしを食らう。

 

「息も切らさずによく言う……!」

「合わんものは合わんのだ。わしはやはり……こうだな」

 

 書文はそう言うと、まるで地面に落ちている何かを拾おうとするかのように自然な動作で腰を落とした……テスラにはそう見えていたのだが、視覚ではない別の情報源が全力で危険を訴えていた。

 

 それはほとんど瞬間移動と言ってもいいほどの踏み込み。身体能力と洗練された技術のなせる業。雨より早く、棒立ちのテスラの前まで接近していた書文は、今まさにその拳でテスラの体を穿とうとしていた。

 

 テスラの笑いは固まった。笑い声を発するよりもやらなくてはならないことがあった。雨粒の一滴一滴を砕きながら迫る書文の拳……あまりに現実味がなさすぎる。重要なタスクが次々と頭の中で放棄され、それでも体は動かなかった。

 

 目の前にいて狙いをつける余裕もないとは!

 

「ぐっ、ぬおおおおおおおおお‼」

 

 テスラは歯を噛みしめ、なんとか腕を持ち上げて体を守りながら全方位に電撃を放出した。

 

 どす、と鉛のような重さがテスラの両腕を襲う、衝撃は腕を突き抜けて内臓にまで届く。テスラは咳き込み、喀血する。だが、そこまでだった。

 

 体をくの字に曲げたテスラが顔を上げると、放出され続ける電撃の範囲外に、書文は佇んでいた。

 

「はぁ、はぁ……まったく驚かされる。あとコンマ一秒遅かったらと考えるとゾッとするよ」

「ああ、見事な反応だった。コンマ一秒遅ければ、もっと気持ちよく殴れたのだがな」

 

 なんてことも無いように言う書文にテスラは頬を引きつらせた。テスラは唾をのみ、感覚が通らない両腕を見やる。滅茶苦茶だ、骨も肉も、回路も……。体が重く、足も機敏には動かせない。テスラの雨に濡れた額には冷や汗が混じっていた。

 

「武術家よ、提案だ。勝負をシンプルにするというのはどうかな?」

「話を聞こう」

「私はもうここから動かない。動かないでこの電流の領域の強化に努めよう。そして君はどうにかしてこの領域を突破するのだ。どうだ、単純だろう?」

「……お主の魔力切れを待つというのは戦略的にはどうかな?」

「残念だが、それはあり得ない。私には優れた発電能力があるのでね。そして電流と魔力は変換可能だ。つまり魔力で出来たこの体、この怪我の修復は始まっているというわけだ。武術家よ、もし様子見などして私の怪我が治ったら、私は貴殿のマスターを殺しに行くぞ?」

 

 これには李書文も眉をしかめた。

 

「さすがに、速度では分が悪いか。ワシがお主のマスターを殺すよりも先にこちらのマスターが殺されてしまうだろうなあ。なるほどなるほど。しかし、お主のマスターがそれを望んでいるようには思えないが」

「で、あろうな。彼女は既に聖杯戦争の勝利を捨てている。大局的な野望を捨て、激情をかつての友にぶつけることに全力を尽くしているのだ。当然、邪魔をすれば怒りも買おう。だが、私はまだ、聖杯戦争を諦められない」

「それほどの願いか……?」

 

 多少皮肉の混じった書文の言葉を受け、テスラは目を瞑り、「それもある」と頷く。そして付け加えて、

 

「だが、それ以上に今、私は彼女をこの聖杯戦争の勝者にしたいのだよ」

 

 李書文は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに無表情に戻り、今度は挑発的に問うた。

 

「それほどの、マスターか?」

 

 テスラはこれから自分の言うことについて自分でもおかしいと思っているように笑った。

 

「そうだ。それほどのマスターだ。武術家よ、聖杯戦争の参加者たちを、マスターたちを見たか?」

「……お主の言いたいことは分かった」

 

 書文は肩を落とし、残念そうに肯定する。

 

「ああ、そうだとも。わかってもらえるだろう? この魔術世界に身を浸していながら、健全な精神をもって成長し続けることの難しさが」

 

 テスラは今なお爆発の止まない屋上を見上げていった。

 

「あれとて葛藤が無いわけではあるまい。表層の性格は薄っぺらいクズに他ならん。だが、その正体と言えば、捻くれながらも人を思いやり、自分さえ思いやることのできる普通の少女ではないか。それに対して他のマスター共を見たまえ。みな、病んでいる。願いを追い求め我が身すら破滅に追い込むその覚悟、なるほど、立派なことだろうとも。それで、その先に一体何がある? 彼らに必要なのは聖杯か? 願望を叶えることなのか? 違うはずだ……。断言しよう、聖杯は彼らの病を加速させるだけだ!」

 

 書文が思い浮かべたのは自身のマスターだった。幸せな場所にいたいと願いながらも影の差す袋小路に突っ立ち、泣きそうな顔で笑っている。

 

 違う……そんなことを考えたって仕方がないではないか。今はそうだが、そこで終わると誰が決めた? 書文は拳を固く握り、テスラを見据えて口を開く。

 

「確かに、我がマスターは試練の真っただ中にある。本人はすでに敗れたつもりで斜に構えているのだろう。それはお主の言う通り、病的と言ってもいいのかもしれぬ。だがな、アーチャーよ。あれには存外、素直な部分があってな。ワシはその部分に期待せざるを得ないのだ」

 

 それを聞いてテスラは乾いた笑いを漏らす。

 

「無口な暗殺者かと思えば、ずいぶんとマスター思いのサーヴァントなのだな」

 

 笑いを含んで書文が答える。

 

「お互いさまというわけだ」

 

 雨が降りしきる。

 書文の中華服はすでに水を吸って色が変わっていた。テスラは空を見上げ、顔を気持ちよく雨に曝した。

 

 これが最善だった、と思う。アサシン相手に動かぬ手足、この電流の領域を展開していれば、どの方向から来ても関係ない。貯蓄している電力=魔力に気を付けながら全力を出し続けるだけだ。敵側がどうかは知らないが、テスラとしては間違いなく一番タスクが少ない方法だった。

 

 ふっ……、テスラは苦笑する。タスクが少ない! 天才であるこの身が! このような馬鹿げた脳筋戦術を最善だとは!

 テスラの見つめる先で、李書文は電流の流れるテスラの領域へと手を伸ばす。

 

 バチッ! と書文の指先で火花が散った。書文は煙を上げる指先を不満そうに見つめると、その手をゆっくりと下ろし、真っ向から、電流の領域へと足を踏み出した。



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53.人類神話

 電流の領域へ踏み込んできた李書文の足は、舞い散る火花や煙の中で止まったかのように見えたが、書文はすぐに次の足を踏み出した。

 

 一歩一歩地面を踏みしめる書文の体を見るに、電撃が効いていないわけではなさそうだ。サーヴァントの体だからこそすぐには焼け落ちたりしないものの、筋肉の強制的な収縮は明らかに起こっている。問題は、それがあまりに小さく抑えられていることだ。

 

 なぜ歩ける? なぜ立っていられる? なんらかの防御術式か……? 焦るテスラを見て、書文は少し焦げ付いた肌で笑った。

 

 このままではマズい。テスラは歯噛みし、やむをえず貯蓄していた電力を開放する。領域内では書文の肉体に大蛇のような紫電がいくつも絡みつき、その身を灼き始める。だというのに……。

 

「くっ、くっふっふっふっふっふ……!」

 

 書文は笑っていた。笑いながらもまた一歩、足を踏み出した。

 

 出来ることはまだ一つ残っている。しかしこれは……。

 ためらっている間にも李書文はまた一歩テスラの方へと近づいた。考えるのも馬鹿らしいが、電流に身体が慣れてでも来たか? その歩みのペースは早まっているように見えた。

 

 報告も判断も早い方がいいだろう。やむをえない……か。

 テスラは魔力のパスを通じてマスターに呼び掛けた。

 

(マスターよ、すまないが、負けてしまいそうだ。霊基を保ったまま宝具を使うためにはおもちぃなを百体ほどいただかなくてはならないが、宝具を使ってももはや勝てるかどうかはわからない。無責任ではあるが、判断は君に任せよう)

 

 ほどなく、マスターの声が返ってくる。

 

(そんなもんいくらでもあげるよぉ! すぐ使え! 今使え!)

 

 その言葉と同時にテスラの体に温かな、しかし力強い魔力が迸った。すぐに宝具を使わなくてはいけないという使命感のようなものがテスラの胸の内にふつふつと湧き上がる。

 

「これは、令呪……?」

 

 理解し、テスラは笑った。

 

 素晴らしい! なんと素晴らしいマスターか! 

 

 遅れて大量の魔力が体に流れ込んでくる。おもちぃな……敵マスターとの戦闘で不利にならないといいが。

 

 テスラは改めて敵を観察した。恐らく防御術式も合わせ、何らかの方法で電流をスムーズに地面へと逃しているのだろう。だが、宝具を使うとなればもはや関係ない。

 

 この領域に存在するすべてのものが消し飛ぶ。

 

 紫電を宿した瞳を開くテスラの頭上に、金属音を伴いながら、雷の輪がゆっくりと回転し始める。テスラが何かをしようとしていることを察知したか、書文は歯を食いしばり、倒れ込むような勢いで走り出した。

 

 テスラは驚き、思わず聞いた。

 

「なぜだ! なぜ生きている! なぜまともに動くことができる! 筋肉だけではない、回路も脳の機能も働くわけがない。なぜなのだ!」

 

 それに対して書文もまた声を張り上げ答えた。

 

「もとより、年老いたこの身は肉では動かぬ! 脳の指令によっても動かせぬ! 我の拙い意志などでは、動きはせんのだ……!」

 

「なるほど……! 肉体の回路が物理的に壊れたところで、もっと別の霊的な力に動かされていた、と。はっ、神秘が過ぎるぞ、アサシン!」

 

 強がって笑い飛ばすが、冗談ではない。目の前で起こっていることはテスラの理解を超えている。間に合うか……⁉ テスラは迫る書文を見て焦っていた。

 

 一方、書文の焦りもまた尋常ではなかった。大ボラを吹いてはみたものの、すでに霊基は深刻なダメージを受けている。緑仙から貰った礼装(おまもり)も途中から効果が感じられなくなっており、気功による身体強化・体内電流の操作という小細工にも限度があった。そのうえ宝具など、たまったものではない。

 

 テスラの頭上に浮かぶ雷の輪はどんどん大きくなっている。書文にはそれが人工的な天使の姿に見えていた。高密度に紡がれる金属音は創造される人類神話の産声か。人類の未来への喜びを歌い、その歌が暗い空の果てまで届くことを疑わない。

 

 テスラは頭上の雷の輪を仰ぎ、強引に勝利を宣言するように言った。

 

「幕引きだ! 神の雷霆(らいてい)は此処にある。さぁ、ご覧に入れよう! 『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』!」

 

 テスラの頭上の輪が膨張し、広がっていく。つんざくような金属音が、次第に音の隙間を埋めて柔らかく、心地よいものになっていく。人の未来を抱くように、天使が腕を大きく広げた……!

 

 だが、もう遅い。

 

「くっふっふ……」

 

 李書文の口からかみ殺せなかった笑いが漏れる。何かを感じ取ったのかテスラが一歩後ずさった。

 

 そうだ、もう遅いのだ。李書文は拳を握った。もう何度この手形を作ったかわからないが、握られた拳には毎回違った味わいがある。変わらないのは、当たるという直感、そして、相手の肉体を打つ感触。

 

「我が八極に『无二打(にのうちいらず)』。すでにその体、我が拳の距離にて……!」

 

 書文は最後の踏み込み行う。両腕を拡げる天使の元へ飛び込んでいく。

 拳がテスラの胴を打つ直前、書文はテスラの顔を見た。穏やかで、終わりを受け入れている。一抹、マスターへの心配は見受けられたが、それでもすでに為すべきことを為しえた者の顔だった。

 

 頭上の空を覆うように広がっていた雷の輪は次第に綻び、地面へと溶け落ちていく。アーチャー、二コラ・テスラは吹き飛ばされた先で金色の光となって消滅した。

 

 雨の降る校庭に取り残された李書文は、息をつき、ぬかるんだ地面も気にせず腰を下ろした。

 今まで体を灼かれていたというのに、すでに雨は冷たく感じられた。彼は屋上を見上げ、もう一度、今度は長い息をつく。



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54.雨音

「え……」

 

 今まで繋がっていたものがプツンと切れる、そんな感覚を覚えて、椎名は右手の甲に目を向けた。そこにあった令呪は今まさに消えていくところだった。

 

 確かな赤色が薄く滲んでいき、最後には蒸発するように無くなってしまう……それが何を意味するのか。椎名にはわかっていても受け入れられなかった。

 

「どこ見てるの?」

 

 その声にハッとして、椎名は慌てて周囲に浮かぶ護符の術式を起動、飛び込んでくる緑仙に向けて炎弾を放つ。緑仙はそれらをあっさりと唐傘で薙ぎ払った。

 

「くっそ……!」

 

 椎名はスカートのポケットから黒い護符を取り出すと、至近距離まで迫っていた緑仙に向けて放つ。

 

 黒い護符は椎名と緑仙の間でピタリと止まり、その色を急激に白くしていく。そうして、真っ白な、音のない爆発が起こった。

 

 爆風を受けてフェンスに衝突した椎名はすぐに体を起こして事の顛末を見守った。

 

白い光が徐々に弱まっていく。その中に一点影が生じたかと思えば、開かれた真赤な傘を盾にして、光の中を緑仙が突っ切ってくる。

 

「へへぇ……かかったな!」

 

 椎名の声に緑仙は目を見開く。白い光を抜けた先には何枚もの護符が浮遊しており、緑仙はその真っただ中に飛び込んでしまったのだ。緑仙を取り囲む護符がバチバチと雷電を帯びる……。椎名は指先に魔力を込めて叫んだ。

 

「ライトニング!」

 

 護符と護符の間を繋ぐようにして、目まぐるしく紫電が駆け巡った。

 

 一瞬の光、けたたましい電流の音が弾け、それが消え去ると緑仙は膝を着いて倒れ込んだ。

 

 椎名はフェンスに寄りかかりながら立ち上がると、片腕を抑えながらよろよろと緑仙の方へ歩いていく。

 

「緑仙さん、どうです? 今のはけっこう痛かったんじゃないですかぁ? ふっふっふ、まさかあてぃしに負けるとは思ってなかったでしょ? ねえ、どうなんですか、教えてくださいよ……あ、舌が痺れて喋れませんでしたね。ぷっ、あっはっはっは!」

 

 椎名は倒れている緑仙をひとしきり煽ると、虚しくなったように笑うのを止めて手の甲を見た。

 

 あいつ、あてぃしのサーヴァントのくせに負けやがったなぁ……! 椎名は怒りに駆られて拳を握るが、その手はすぐに解いて開かれた。椎名はため息をつく。

 まあ、あいつは天才だし、やれることはやったんだろう……。

 

 あれ、と椎名は首を傾げた。自分はいつの間にあいつをこんなにも信頼するようになっていたんだろう。自分でもそれが意外で、思わず笑ってしまう。まあ、私たちの関係はこれくらいで良かったよ……。そうだよね、二コラ・テスラ? 雨の降る空に、椎名は笑いかけた。

 

「って、あれ、緑仙さん……生きてます?」

 

 椎名は倒れたまま身じろぎ一つしない緑仙に違和感を抱き、その顔をよく見ようとしてしゃがみ込もうとした。

 

「んなぁ⁉」

 

 椎名が思わず声を上げる。寝転がったままの緑仙の足が椎名の足に絡みつき、椎名は地面に押し倒された。

 緑仙が椎名と態勢を入れ替えるようにして立ち上がる。

 

「ちょ、緑仙さ~ん、死んだふりなんてそんな……タチ悪いですって、あはは……あのほんまに痛いです」

 

 椎名は冷や汗を垂らしながら緑仙の手を解こうともがくが、椎名を上から抑えつける緑仙の手はびくともしなかった。

 

「はぁ、いや、僕の方が痛いでしょ、これ」

 

 全身擦り傷や火傷に塗れた緑仙は、片手で椎名の両手を抑えたまま、もう片方の手で左耳の赤いイヤリングを外した。イヤリングは耳から外れると緑仙の手の中で灰になる。緑仙は雨の中でパッパと手を払いながら言う。

 

「五行のお守り。自然系の魔術に強いんだけど、今のでおしゃかだよ」

「それは申し訳ない! 損害賠償は花畑の方までお願いします! ちゃんと賠償しますんで」

「へえ、そうさせてもらおうかな」

 

 そんな茶番を言い合いながらも、自分を見る椎名の目に怒りが残っていることを見て取り、緑仙は肩を落とした。

 

 そういえば――と、緑仙は話を変えに掛かる。

 

「途中から、おもちぃなたちがいなくなって僕の知ってる椎名の戦い方に戻ったね」

「どうですか? 少しは強くなったでしょ?」

 

 未だに抵抗を諦めない椎名は挑発的な表情を浮かべて言う。緑仙は素直に頷いた。

 

「うん。とても強くなった。でもまあ、護符だと椎名の意図が反映されるし、椎名はわかりやすく狡猾だけど、やっぱりわかりやすかったよね。それぞれが自分勝手に動き回ってたおもちぃなの方がやりづらかったかな」

 

 そうですか……そんな小さなつぶやきは雨音に掻き消されていった。そして、椎名はぽつりと言う。

 

「緑仙さんは、弱くなった……」

 

 緑仙は雨に濡れながら、黙って次の言葉を待った。

 

「緑仙さんは、あたしの抱いてたイメージよりも、弱かった……」

 

 雨で涙はわからなかったが、椎名の声は湿っぽくなっていくのに緑仙は気づかないふりをした。

 

「それでも、あたしより強いのに……どうして? どうして笹木を助けんかった? なあ、友達だったんちゃうん?」

 

 緑仙の手のひらに魔力が集まり始める。

 

「悪いね、椎名。僕も聖杯は欲しいから……」

 

 何のために……? 言葉と同時に疑問が緑仙の頭の中に浮かぶ。何のために? なぜ? 一族の悲願? そんなクソどうでもいい物なんかのために笹木や椎名を? まさか。

 

 緑仙は舌打ちし、椎名の額に手のひらを置く。

 

 椎名はそんな緑仙の顔を見て、小さく笑った。

 

「そんな哀しそうな顔、せんといてくださいよ……」

 

―――――――

 

 緑仙が時間をかけて魔力を流し込んでいくと、椎名は眠るように目を瞑る。緑仙は立ち上がり、転がっていた唐傘を開いて椎名の体が濡れないように置いた。

 

「また、聞かれてしまったな……緑仙?」

 

 いつの間にか屋上の入り口に立っていた李書文が唇の端を釣り上げて笑う。

 

 緑仙は唇を噛み、雨の音に紛らせるように言った。

 

「うるさいよ」




椎名唯華(しいなゆいか)
 ……実家は高貴な血を継ぐ巫女の家系だが、一瞬でグレてレジスタンスの道へ。親友の笹木咲を策謀によってレジスタンスの仲間に引き入れたのは自分の仕事を減らすためだったとか……。

二コラ・テスラ
 ……それまで神にしか扱えなかった雷を広く人類にもたらした天才。文明を大きく進めた星の開拓者の一人。地球そのものを媒介にして地球全土に電流を無線送電する世界システムの開発を進めるが、資金難から頓挫。以後は当時の人々の理解を得られないような研究に明け暮れる。晩年には死者との交信を試みていたという。


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55.強者と弱者

 緑仙は雨に濡れる体を引きずりながら、足早に住宅街を進んでいく。

 

「緑仙……」

「わかってる」

 

 緑仙は目を走らせるが、住宅街には人がいなかった。迷った末に公園に入り、並木道を前にしてさらに躊躇するが、緑仙は辺りを見回すと、それしかない、というように足を踏み入れた。

 

 たいして大きい公園でもなかった。だというのに、緑仙には並木道がずっと続いているように感じられた。朦朧とする意識の中で木々は繰り返し雨に打たれて泣いている。

 

 冷えた体から逃れるように、緑仙の頭は楽しかった日々のことばかりを考えそうになるが、それがあのトンネルのときと似ているのに気づいて、舌打ちし、歯を食いしばる。

 

 緑仙は足を止めた。緑仙の行く手を塞ぐように男が仁王立ちしていたのだ。

 

 男は恰幅があり、緑のラインの入った黒いスーツを纏っていて、黒いシルクハットからは先端を緑色に染めた髪が垂れていた。

 

「チャイちゃん……」

 

 緑仙は立ち止り、呟くように名前を呼ぶ。その男、花畑チャイカはポケットに入れていた手をゆっくりと抜く。

 

「よぉ緑。椎名とドンパチやったみてえだな」

「それが何?」

「同じレジスタンスなのに私だけハブるなんてひどいじゃないか」

 

 そして、チャイカは鋭い笑みを浮かべて言った。

 

「私も入れてよ」

 

 緑仙は苦い顔を浮かべて一歩後ずさったが、次には表情を固めて一歩前に踏み出し、少し胡散臭いと自分でも思いながら笑みを浮かべる。

 

「やだなあ、こっちはサーヴァントもろとも満身創痍だよ? 準備してくれたみたいで悪いんだけど、僕はもう家に帰るよ」

 

 緑仙は敵意が無いように両手を広げ、用などないと言わんばかりにチャイカの横を通り過ぎようとする素振りを見せた。チャイカは横目で追うが、それもよかろう、と目を閉じる。緑仙はそこを狙った。

 

 緑仙はすれ違いざま、体を反転させる勢いを利用して回転蹴りを見舞う。チャイカからしてみれば突然目の前から緑仙の足が飛んでくる形となる。避けられないだろう、と緑仙はタカをくくっていた。

 

 蹴りは、空を切った。花畑チャイカは後ろに倒れ込むようにしてブリッジの態勢になり、蹴りを回避したのだ。

 

「ちっ、またか!」

 

 蹴りを空振りした緑仙は驚きつつも、ブリッジからそのまま一回転して起き上がり、態勢を整えるチャイカを追撃する。

 

 連続して放たれる突きに蹴り。チャイカは後退しつつもしっかりガードしてさばいていく。埒が明かないと強い突きを放つために緑仙が腰を落とした瞬間、チャイカの目が輝いた。後退していたチャイカが思い切り地面を蹴って前に出る。

 

「なっ!」

 

 腰を浮かして慌ててその場から後退しようとする緑仙だったが、チャイカの方が早い。チャイカは勢いそのまま緑仙の横を抜け、大きく伸ばした二の腕で緑仙の細い喉を狙う。緑仙は反応し、チャイカの腕と自分の喉との間に両腕を差し込んでガードするが、チャイカの太い腕の前では関係なかった。

 

「うぉらああああああ‼」

 

 花畑チャイカのラリアットが決まる。緑仙の細い体は吹っ飛ばされ、木に叩きつけられた。血を吐き、呼吸を荒くする緑仙は、近づいて来る花畑チャイカを虚ろな目で見つめることしかできなかった。

 

 緑仙の横に音もなく、アサシン・李書文が現れるが、その身はすでに緑仙と変わらずボロボロだ。それを見て足を止めたチャイカの横にもまた、今まさにどこかからこの場へ帰ってきたとでもいうように、黒い外套を纏ったライダー、アレキサンダーが空から降ってくる。

 

「どうだ?」

 

 尋ねたチャイカにアレキサンダーは笑って答えた。

 

「うん、怪我はしているみたいだけど、命に別状は無かったよ。気持ちよく寝てた」

 

 なんなら、濡れないように傘が置いてあったしね……。これを聞いて花畑チャイカは手を叩いて大笑いした。

 

「はっ! 殺されるか、あるいは半殺しにでもされてるかと思えば気持ちよく寝てるときたか! 緑、テメエやっぱり甘いなあ……! そんなんだから……そんなんだから……、いや、まてよ? そんな風に考える必要も……」

 

 自身を見下ろした状態であれこれ考えだしたチャイカに、緑仙は問いかける。

 

「何を、言っているの……?」

「ああ、そういえばお前、いつの間にか居なくなっていたが、抜けるとは別に言ってなかったよなあ?」

「……は?」

「つまりだ、お前が椎名を殺さず必要以上に傷つけなかったのは、私たちが仲間だったから……ってことだろ?」

「……いや、ちが」

「黙れ! みなまで言うんじゃない!」

 

 チャイカに手で制され、先ほどまで虚ろだった緑仙の瞳はまた違った意味で虚ろになる。

 

「そうだ、そう考えた方が幸せじゃないか。なあ緑仙、仲間は当然殺さない。そうだろう?」

 

 緑仙は雨の冷たさを意識して体の熱を取りつつ、呼吸を整える。それでも、チャイカが何を言ってるのかわからなかった。

 

 僕が仲間……? いったい何の冗談を?

 

「一応聞く。緑……お前、俺たちの仲間か?」

「……ちがっ」

 

 緑仙が答えを言いかけたとき、チャイカは緑のもたれていた木に向かって拳を叩きつける。木は折れこそしなかったものの、チャイカの拳は煙を立てて木の中に埋まっていた。チャイカはミシミシと音を立てて拳を引き抜くと、手首を鳴らしながら言った。

 

「んー、すまん。よく聞こえなかったわ。もう一度聞くが、緑、お前、俺たちの仲間か?」

「チャイカ、なんでこんなことを……?」

「そりゃあお前、ちゃんと確認しなきゃなんねーだろ? 仲間は殺せない」

 

 チャイカのあんまりな物言いに、緑は回復のための呼吸も忘れ、不規則に腹を上下させて苦しい笑みを浮かべた。

 

「脅すなんて、酷いやり口だ」

「おう、俺もお前を殺したくはねえからなぁ、これくらいはするさ」

 

 邪悪な笑みを浮かべて手を差し伸べた花畑チャイカを、緑仙は絶望的な表情で見上げていた。

 

 この手を取ったら、どうなる……? またあの楽しい時間をやりなおせる……一瞬思い浮かんだいつまでも変わらない過去を、緑仙は目を瞑って切り捨てた。

 

 そんなわけがないだろう……椎名にもどの面下げて……いや、いや、おかしいじゃないか。なんで僕は仲間に戻る前提で考えてるんだ? 無理に決まってる。一族の悲願も一応、ある。だいたい、ここでチャイカたちと合流したら僕がここまでやってきた意味もなくなる。それに、僕自身にだって願いが……。

 

 そこで、緑仙の頭の中は真っ白になった。意識の空白を雨音が曝していくのをどうにもできず、緑仙はただ呆然と目を泳がせる。 

 

 僕の願い……何だ? 僕は一体何のために……。雨音と共に次々とこれまでの記憶が脳内で巻き戻されていく。

 

 椎名、ごめん。笹木、ごめん……。召喚……両親の用意してくれた触媒が胡散臭くって使わなかった。すると、元々召喚に応じてこっちに向かってきていたものに何かが横入りしてくる感覚があった。

 

 わざわざ僕のために! このイレギュラーがとてもうれしかった。李書文……。傍らに立つサーヴァントを見上げると、書文はちょうど胸の前に組んでいた手を力なく下ろしたところだった。

 

 緑仙にはわかった。今、僕は諦められた……。哀しいけれど、悔しさは感じない。仕方ない、とだけ思う。むしろ、李書文は何度も僕に促してくれた。そこにいるよりもこちらに来い、と。言い訳ばかりして、動こうとしなかったのは僕の方だ。僕は、本当に馬鹿だったんだ……。

 

 こんな僕に願いなんて……。そこで思い浮かんだのは、どういうわけか高校に転入した日に行った自己紹介だった。

 

 気怠い朝に頭がまとまらないまま、ぼんやりと黒板の前に突っ立って、確か、僕はこう言った。

 

「えーと、一緒にゲームできるような友だちができればいいな、なんて思います」

 

 雨が降っていたから、気が緩んでいたのかもしれない。チャイカの手を取ろうと伸ばしかけていた手に気づいて、緑仙は涙を流した。そして、その涙を誤魔化すように緑仙はほほ笑み、チャイカに告げる。

 

「無理だ……ごめん、チャイカ」

 

 伸ばしていていた手は緑仙の意思の支えを失って落ちていく。しかし、その手は花畑チャイカによって握られた。

 

「え……」

 

 自分の手が誰かと繋がっていることが信じられなかった。白い手袋を嵌めているが、自分よりも体温の高い大きな手。それが自分の手を力強く包み込んでいる。痛いほどに、力強く。

 

「すまねえ、思い出したわ。そういやお前ってそういう奴だったなぁ」

 

 花畑チャイカはそう言ってあっさりと手を離す。

 

「あー、えーっと……」

 

 と声を漏らしながら次のセリフを考えるように斜め上で視線を泳がせ、チャイカは気まずそうに言った。

 

「お前は、私たちの仲間だ。嫌だったら辞表でも書くんだな」

 

 そして、チャイカは緑仙の背を向けて歩き去っていく。

 

 まだ手に残る熱に戸惑っている緑仙は、何が何だかわからず、遠ざかっていくチャイカの背を見つめることしかできなかった。

 

 やがて、傍らに立っていた李書文が言った。

 

「聖杯戦争は辞退することだ。回復が期待できない以上、もう戦えん」

「そう、だね……」

 

 緑仙は頷いた。自分よりも書文のダメージが酷いのは明らかだ。それでも書文はまっすぐに立ち、自分は木にもたれかかって動けないでいる。この差は、一体何なんだろう……。

 

「ごめんな、李書文。願い、叶えてやれなくて」

「そんなものはいらん。他人に叶えてもらいたい願いなど特に無い。強いて言えば強者との戦いといったところだが、此度の聖杯戦争、期待していたものとは違っていたが、それでも満足のいく戦いは出来た。気にするな」

「そうか、それはよかったよ」

 

 緑仙は安心したように頭を木にもたせかけ、上を向いた。木々の葉の隙間から雨がぽたぽたと伝い、緑仙の顔に落ちてくる。緑仙が視線を書文へ戻すと、書文は緑仙に手を差し出していた。

 

「立て緑仙、自分の足で歩け」

 

 緑仙は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

 

「教会までおぶってよ。いいでしょ、お爺ちゃん」

「手は貸そう、自分の足で歩け」

 

 書文のいつになく厳しい言葉に緑仙は空笑いして息を吐くと、その手を掴んだ。

 

「あっ、ととっ……」

 

 立ち上がり、歩き出そうとしたところで足に力が入らずよろけた。それを庇うように書文が体を支えてやると、そのまま緑仙は書文の肩を借りて歩き出した。

 

「僕は、弱いな……」

 

 俯きながら緑仙が零す。書文は緑仙の方を見もせずに言う。

 

「仲間がいるではないか」

「仲間……ね。そういえば、迷惑ばかりかけてた気がする」

「仲間とはそういうものだ。知らないところでお前も仲間を支えていたに違いあるまい。だいたい、強さが何だというのだ。自分がそうしたいと思ったときにそうできる強さ、お前はそれに憧れているようだが、したいようにしたところで運命がどうなるかはわからない。結局、後悔はするのだ」

 

 そう言うと、唐突に顔を伏せ、書文は言った。

 

「すまなかった。あのとき、わしはお前を諦めた。こ奴は最後まで変われぬ。強くはなれぬ。もう一生不幸なままだろう、と」

 

 自虐するように笑いだす書文、緑仙が肩の上に回した手で抱き寄せるように力を入れると、それもすぐに止まった。書文は続ける。

 

「わしの判断が誤っておった。このようなわしの強さなどよりも、お前をお前のままでいいと手を取ってくれる仲間がいること。お前はそれに気づくだけで良かったのだ……」

 

 緑仙は最後までしっかりと聞いて、「うん……」と頷いた。しばらく二人は沈黙したまま歩き続けたが、やがて緑仙が軽い調子で言った。

 

「っていってもまあ、僕は強くなるけどね」

「……無理だな。わしにはわかる。緑仙よ、その道は諦めるがいい」

 

 先ほどとは違った明らかな冗談を、緑仙は意外に思いつつも応戦する。

 

「じゃあ、試してみようか? 最後に一戦やろうよ、今なら僕でも勝てるかも」

 

 これを書文は鼻で笑い飛ばした。

 

「ふん、調子に乗るなよ、クソガキめ」

 

 肩を組み、よろけながら進む二人の背中は霧の中に消えていく……。




緑仙(りゅーしぇん)
 ……緑仙は魔術師としての活動名であり、本名は別にある。幼い頃から拳法を仕込まれるが反抗期でドロップアウト。レジスタンスに入り気ままに生きようと考えるも、レジスタンスの解体に伴い真っ先に離脱。以後行方不明。

李書文(りしょぶん)
 ……八極拳の達人。容赦のない性格で、練習相手や試合相手を殺してしまうことが多々あったという。その一撃の強力さは二の打ち要らずと謳われるほどであり、頭突きに向かってきた相手の頭を李書文が突くと、たちまちその頭は胴体の中にめり込んでしまったという逸話は有名。最後は毒殺されたとも病気のまま鍛錬を続けたために亡くなったとも……。


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VSおりコウ~滅願電脳遊戯~
56.リア凸


 ある晴れた日の午後、鷹宮リオンは胡散臭い神父が道に佇んでいるのを見た。

 

 うわ、絶対魔術関係者だよ……。

 

 でびると耳打ちし合いながらも、関わり合いになりたくないのでひっそりと横を通り過ぎようとした鷹宮だったが、物事は思うようには運ばない。

 

「失礼、君たち」

 

 背後から呼び止められ、嫌々ながら鷹宮とでびるは振り返った。

 

「突然呼び止めてすまない。私は君の御父上が遣わした魔術関係者だ」

「へ?」

 

 予想外の言葉に目を丸くする鷹宮に、神父はほほ笑みを浮かべて言った。

 

「申し訳ないが昼食がまだでね。細かい話は食事でもしながらどうかな?」

 

 

 神父に連れられやってきたのは中華料理店だった。その店の前で悪魔は渋い顔をするが、男は構うことなく店の中へと入っていき、笑顔で二人にも店に入るように促す。

 

「どしたのでびちゃん?」

「いや、まだそうと決まったわけじゃない……大丈夫だ。小娘、行こう」

 

 なぜかためらう悪魔を連れ、鷹宮が入店すると、待ち構えていた神父が問いかける。

 

「お二人はもう昼食はお済みかな?」

「いえ、まだですけど……」

「ふっ、それは素晴らしい」

 

 神父の顔に一瞬だけ浮かんだ邪悪な笑みに違和感を覚えつつも、素直に案内された席に座るでびリオン。間髪入れず、神父はウェイターに告げた。

 

「激辛麻婆豆腐を三つ」

 

 鷹宮とでびるの間に電撃が走った。

 

(小娘逃げよう、ここの麻婆豆腐は危険すぎる……)

(逃げるって言ったって、そんな……!)

 

 ウェイターの掛け声に素早く反応し動き出した料理人たちは熟練の手つきで調理の工程を踏んでいく。手慣れているものの料理に対する真摯さは失われていないようで、厨房から伝わるその熱量に鷹宮は冷や汗を流す。やっぱり帰るなどとはとてもじゃないが言い出せかった。それに……。

 

 鷹宮は歯噛みし目の前の神父を睨みつけた。神父の二人を見る視線には明らかな挑発が含まれていた。神父の目は言っている。

 

 まさか、逃げはしまい?

 

(でびちゃん、やるわよ……!)

(お前……わかった。ボクも最後まで付き合うよ)

 

 二人が覚悟を決めたのを見て取り、神父はこの二人なら当然とばかりに満足そうに腕を組んだ。

 

「ところで、支援者として現状を把握しておきたい。一連の動画は爆発的な伸びをみせているようだが、ちゃんとでび様は強くなっていらっしゃるのか?」

「「でび様?」」

 

 神父の印象とはかけ離れた言葉に反応する鷹宮とでびる。神父はこほん、と咳払いし、

 

「あまり気にしないでもらいたい……」

 と濁した。

 

「あー、えっと……」

 

 鷹宮はでびると見交わし、でびるが?マークを頭にうかべているのを見て自分が話すことにした。

 

「実は、私たちはここまであまり戦えてなくて」

「ほう。いや、いい。理由は察しが付く。私も仕事として動画や配信を全て確認させてもらったのでね」

「あ、それはどうも……」

 

 そこで神父はふん、と鼻にかけて笑う。

 

「ちゃんとチャンネル登録もしたしスパチャも盛んに捧げているとも。当然の義務だろう? ……仕事として」

「「ん?」」

 

 違和感を覚えてでびリオンは首を傾げてお互いの顔を見交わした。

 

「ん? なにかね?」

「あ、いえ、献金感謝です!」

「これからもよろしく頼むぞ!」

「任せたまえ。君たちのためなら私の全てを差し出そうじゃないか……仕事として」

「あ、はい」

 

 でびるは魔力のパスを通じて鷹宮に語り掛ける。

 

(こいつやっぱりただのファンでは?)

(い、一応お父様の依頼で動いてくれてるみたいだし……仕事、なんじゃないの? 知らないけど)

(んなわけねーだろ!)

 

「と、とにかくあまり戦闘する機会がなくて、最後に戦ったときは全然ダメだったし……他のマスターに助けてもらったくらいですから」

「相手は誰だったかな?」

「え?」

「三人いたはずだ。誰だった?」

「えっとぉ……」

 

 誰だっけ? とでびるを見つめる鷹宮。でびるは上を向いて何かを思い出している様子で言った。

 

「でっかくて頭が三つあった! ……犬?」

「いや、犬じゃなくてケルベロスってあのマスターが言ってたような……あ、あと耳を頭から生やした和服の女性だったような……」

 

 それらを聞いて、神父は断言した。

 

「戌亥とこだな」

「「それ!」」

 

 そろって目を輝かせえたでびリオンに神父は苦笑しする。

 

「そうか。彼女が相手ならば仕方があるまい。だが、今ならばどうだ? 単純に数字だけを見てもあのころより登録者数は十倍以上、最近上げられた城内ツアーの動画など日本だけでない、世界中の人々が興奮している。可憐な少女が悪魔を連れて迷い込むのはこの世に存在しない城、それが世界的なファンタジーをモチーフとした城なのだから、人々の熱狂も理解できるというもの」

 

 神父の口ぶりに鷹宮は気になって尋ねた。

 

「え、不思議の国のアリス、読むんですか?」

「内容は知っていたが、興味を持ったのはあの動画を見てから……いや、そんなことはどうでもよいのだ。とにかく、私の言いたいことはこうだ。今のでび様にはケルベロスと戦えるだけの力があるのではないか? 多くの人々がでび様に期待しておられる。人々が期待すればするほど、でび様には自然とそれに応える力が集っているはずだ。どうだね」

 

 神父に問いかけられたでびるはどうにもしっくりこないというように自分の手のひらを見つめた。

 

「ボクがあの化け物に……」

「ああ、私の計画としても、最終的にはそれくらいの強さがなくては困る」

「でも、私たち配信してただけで、他のマスターみたいに戦ってない……」

 

 肩を落とす鷹宮に、でびるも同調して目を伏せる。だが、神父は二人の不安を取るに足らないもののように笑った。

 

「何を馬鹿な。他のマスターたちが私利私欲のために殺し合いをしている間に、君たちはたくさんの人々に笑顔を届けたのだ。そこは胸を張るべきではないか」

 

 神父の言葉に二人は茫然と固まり、そして目をうるうると輝かせた。

 

「お前、悪役みたいな見た目してるけど、いい奴なんだな……」

「ごめんなさい。胡散臭い人だとばかり……!」

 

 二人の明け透けな言葉に眉を引きつらせながら、神父は続けた。

 

「あー……それででび様、強くはなられているのですか?」

「うん! 戦ったことないからわかんないけど、ボクはみんなの力で強くなってるよ」

 

 今度こそでびでび・でびるは自信満々に答えた。神父は頷く。

 

「それでは、既に動いている私の計画をお二人にお話しましょう」

 

 神妙な顔になった神父にでびリオンもごくりと息をのみ、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ます。神父は言った。

 

「世界を股にかけて暴虐の限りを尽くす封印指定が取引に応じてくれた。仲間を引き連れてこの街に来るぞ……! 奴は魔術師の数人なぞ自分一人で皆殺しだと舐めてかかっているが、私の見立てではマスターたちとの総力戦ともなれば恐らく互角、戦いは泥沼と化すだろう」

 

 そこで鷹宮は存在しない眼鏡をくいっと中指で押し上げると、顔の前で両手を組み合わせて言った。

 

「つまり、私たちは戦いの間は隠れてて、みんなが消耗したところを一気に掻っ攫うってわけね」

「その通り」

「でびちゃん、どう思う」

 

 振られたでびるは顔の前で両手を組み合わせ、目を瞑ってたっぷり時間を取ってから答えた。

 

「うん、とってもいい作せ――」

「その通りです! あり得ません!」

「ふぇ?」

 

 でびるの時間をかけて作った顔が一瞬でふやけた。

 

「いいですか、あまり私たちを舐めないでちょうだい。私たちは正々堂々と他のマスターたちを打ち破ります。そのための苦労を貴方のような部外者に掻っ攫われては困るのです!」

「そ……そうだよ! こほん! あまり、ボクたちを舐めるなよ……」

 

 改めてキレのある顔を作ったでびるに睨みつけられて、神父は目を震わせて立ち上がった。

 

「ち、違う……! 私はそんなつもりでは……君たちに勝利を捧げられればと……」

 

 言い訳する神父をぎろりと悪魔の瞳は捉えて離さない、やがて神父は肩を落とし、静かに座った。

 

「どうやら私は自分勝手な好意を君たちに押し付けてしまったようだ……すまなかった」

「いえ、貴方の好意はありがたく思いますわ。それで、その封印指定との取引は無かったことにはできないんです?」

「できない……」

 

 謝意をあらわにするためか目を瞑って顔を伏せる神父。では、と鷹宮は立ち上がった。

 

「早急に教会に知らせて対策を練らないといけませんので……」

 

 だが、店の外に出ようとする鷹宮を神父は呼びとめた。

 

「奴が来るまでにはまだ時間がある。席に着くのだ、鷹宮リオン」

 

 神父の言葉から圧を感じ、鷹宮は眉を寄せて振り返った。

 

「まだ何か……ハッ⁉」

 

 鷹宮は忘れていた。自分たちは今までなぜこの店で話をしていたのかということを。鷹宮の言葉を遮るように現れた店員は、素晴らしい営業スマイルで言った。

 

「激辛麻婆三つ。辛いのでお気をつけてお召し上がりください」

 

 そうして盆からテーブルに移される三つの皿。その上に盛られた真っ赤な物体はぐつぐつと煮え立つこともなくただそこに麻婆豆腐として在るだけだった。

 しかし、鷹宮の勘は全力で警報を鳴らしていた。あの赤色の艶々とした照りは静かに狂気を主張しているではないか……。

 

「ぴゃ、ぴゃぁぁぁぁァァァ……」

 

 鷹宮の口から情けのない悲鳴が漏れた。一方、でびでび・でびるは「うっまそー!」とスプーンを取るが、その目は白目を剥いている。明らかな現実逃避だった。

 



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57.シスター

「おーい、クレアさーん!」

「シスタ~!」

 

 教会の前に佇んでいたシスター・クレアは小走りで近づいて来るでびリオンの二人を見て思わず吹き出した。

 

「ちょっと……どうして二人とも唇がたらこなんですか……?」

 

 二人は真っ赤に腫れ上がった唇をぶるんぶるん震わせながらクレアの元までやってくると、息を切らしながら答えた。

 

「いえ、その……色々あったんです」

「うん、色々あったんだよ」

 

 二人は笑いながらも心配するクレアの顔から目を逸らした。哀しげに、特に意味のない陰を顔に張り付けながら。

 

「そんなことより! 先ほど路上で厄介ファン……じゃなかった、胡散臭い神父に声を掛けられまして……」

「胡散臭い神父、ですか」

 

 相槌を打つクレアに鬱陶しいと言わんばかりの表情が一瞬だが垣間見えた。思い当たる節があり、二人の持ち込んだ話が厄介ごとであるのをすでに見抜いているようだった。

 

「そうだよ! そいつのせいでボクらの唇がこんな目に……」

 

 目に涙を浮かべて顔を上下にぶるぶる揺らすでびる。クレアの顔の真ん前ででびるの唇が激しく上下に揺れ動いた。

 

「あーそれは大変でしたねーよく頑張りましたねえらいえらいー。それで、何をお話されたんですか?」

 

 でびるの頭を撫でながらクレアは鷹宮に尋ねた。

 

「えーっと、なんだっけ……?」

 

 ピキッ……とシスター・クレアの柔らかなほほ笑みが硬直して見えたのはたぶん気のせいだろう。恐らく冗談で発されているであろうクレアからの圧に鷹宮は焦りながらも思い出す。

 

「あ、そうだ! 封印指定のやばい奴が来るらしいです! マスター全員皆殺しだって!」

 

 封印指定、という言葉を聞いてクレアの目つきが変わった。

 

「なるほど。その神父が呼び寄せたというわけですか」

「そうみたいです。それと、その……言わなきゃいけないことがあるん、です、けど……」

 

 そこで急にもじもじしだした鷹宮を、クレアはその声で包み込むようにしていった。

 

「大丈夫ですよ、お気になさらず。何でも言ってもらって構いませんよ」

 

 ね……とクレアは優しい目でもって笑いかける。すると、鷹宮は安心したように息をつき、言うのだった。

 

「その、神父なんですけど、どうやら私のお父様が依頼したみたいで……本当に、なんとお詫びすればいいか……」

 

 鷹宮は固く目を瞑って頭を下げた。クレアはそんな鷹宮に歩み寄り、肩に手を置いていった。

 

「頭を上げてください。リオンさんが気にすることではありませんよ。それに、どうせお父様の依頼というのはでびちゃんとリオンさんに近づくための神父の出まかせか、あるいは神父の方から働きかけたものでしょうから」

 

 そうして、クレアは鷹宮の肩を支えてゆっくりと頭を上げさせた。鷹宮は感極まって言う。

 

「ありがとうございます……! あの神父には戦いが終わるまで隠れているよう言われたんですけど、私たちもこの聖杯戦争を守るために戦います!」

 

 目をぱちくりさせているでびでび・でびるを置き去りにして鷹宮は思いの内の昂ぶりを伝えた。だが、シスタークレアは俯き、ぶつぶつと何かを呟くと、ゆっくりと首を横に振った。

 

「いえ、その必要はありません。でびちゃん、それにリオンさんも、神父の作戦通りにするのが恐らく最善でしょう。あなたたちにも願いがあるはずですから。勝ちにいかなくてはね」

 

 うふふ……とクレアは笑う。本当にこのひとは……鷹宮は半ば戦慄しながら、聖人を見るかのようにクレアを見つめた。

 

「それにですね、まさか似非神父の企みとは思ってもみませんでしたが、外部からのエネミーについてはすでに叶さんが動いてくれています。時が来れば私も戦いに出るでしょう。でびちゃん、それにリオンさん……どうか私たちを信頼して、全てが終わったあとで、正々堂々気持ちよく戦いましょう!」 

 

 そこで、今までどこに隠れていたのか、騎士の格好をした金の髪の少女がふっとクレアの横に降り立った。少女は目を伏せ、軽く頭を下げるとその存在感をなるべく小さいものにした。恐らく騎士としての礼儀か。クレアの意を汲んで姿を現したのだろう。

 

 それは当初鷹宮が考えていた理想的なマスターとサーヴァントの姿そのもので、鷹宮はキラキラと目を輝かせて頷いた。そんな中で、でびるはふわふわと進み出ながら聞いた。

 

「なあなあ、シスター! お前の願いは何だ?」

「願い、ですか?」

「うん!」

 

 クレアはどう話そうかとあれこれ考えるように視線をうろうろさせるが、じきに悪魔に向けてほほ笑み、話し出した。

 

「色んな人が、この世界にはいると思います」

「うん? うん、そうだね」

「それはとてもいいいことで、とても楽しいことだと思うのです」

「うん……」

「みんなで互いの存在の奇跡を尊重し合い、助け合い、楽しく生きていく。どうしてこんな、当たり前の理想がいつまでも実現しないのか、私はずっと考えていました」

「うんうん、そうだよね。ボクにもわかっ……」

「お前もう黙ってろ」

 

 悪魔は鷹宮に口をふさがれる。クレアは自分の中に言葉を探しているためか反応しなかったが。

 

「私の出した結論はこうです。人々には、神のご加護がわからないのだ、と」

「「え?」」

 

 二人は間の抜けた顔でクレアを見つめた。

 

「神はあまねくすべての魂を祝福しておられるのです。貴方が貴方であることを祝う私たちの主。神は全てを肯定し、赦しを与えるお方」

「むぅあ! それは、僕みたいな悪魔でもか?」

 

 鷹宮の手から逃れた悪魔が尋ねる。クレアは頷いた。

 

「もちろん! 祝福されない魂などありましょうか。でびちゃんだってそう思いますよね?」

 

 なぜか聞き返され、悪魔はたじろぎながらも頷いた。

 

「え、うんまあ……。でも僕みたいな悪魔がいるから人は争い、罪のない人間たちが巻き込まれて死ぬんだよ? お前の神はそれも赦してるんだねえ」

「ええ、そうです。神は全てを赦します。どれだけ醜い願望も、人を侵す欲望も、あるいは無残に砕け散る罪なき姿態でさえ、全てを愛しておられるのです。けれど、私にはそれが許せない」

 

 クレアは胸にぶら下がった十字架に目をやり、固く握り込んだ。

 

「人を傷つける人を許すことができません。だから人を傷つけたい人には我慢してもらうしかない……そんな否定も嫌で仕方がないんです。私だって、人にはなるべくその人のあるがままで居て欲しい。ですから人を傷つける人の内側を何か大きなもので満たしてあげたい。そう、あまねく人々に神のご加護を。神は貴方の全てを愛し、全ての貴方を愛す。愛されていることさえ実感できるのなら、人々はみな大きな喜びで満たされて、同じ愛を受け入れられる奇跡のような隣人を傷つけたいなどと思うはずもなく、また苦しんでいれば率先して助けるようになるでしょう。これが私の思い描く当たり前の、余りに現実離れした理想の世界です。私は理想の世界の実現を聖杯に願います。こんな私の醜い欲望を、神は許してくれるでしょう」

 

 鷹宮は何も言えなかったが、悪魔は言う。

 

「傲慢じゃない、それ?」

 

 くすりと笑ってクレアはこう返した。

 

「信頼です。神への」

 

―――――――

 

 帰り道。鷹宮はクレアの言葉に不安定な揺らぎを胸の中に覚えながらも、あんなとんでもないことを言ってしまえる人が簡単に負けるわけがないという信頼は高まっていた。

 

「ねえでびちゃん」

 

 鷹宮は呼び掛ける。鷹宮の肩に手を掛け浮遊し、自力では推進力を生み出さずに鷹宮に引っ張ってもらって楽をしていたでびるは「バレた⁉」と顔を青くしたが、鷹宮がこっちを見ていないのに気付いてほっとする。

 

 鷹宮が考えていたのは神父が別れ際に言った言葉だ。

 

「変なのが二人そちらに行くかもしれないが、今の君たちならば何とかなるだろう」

「変なの?」

「ああ、変なのだ」

 

 変なの……それだけしか神父は情報をくれなかった。神父は私たちなら何も心配はないと問題にもしなかった。確かに、心配しても仕方がない。私たちはやるべきことをやるだけだ……。

 

 鷹宮は先日入ったコラボの誘いをスマホで確認した。

 

 おりコウ……あまり詳しくないのでわからなかったが、男女のコンビ名らしい。二人の登録者数は爆破的な成長を続けるでびリオンのチャンネルに及ばないものの、なかなかの大手。

 ここで頑張れば崇拝者をさらに増やし、でびるの強化を狙えるに違いない。

 

「でびちゃん、頑張ろうね!」

「うん? んー……うん!」

 

 でびるはわかっていなかったが、何となくいい雰囲気を感じて元気に頷いた。

 

 



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58.おりコウ

「渡されたマップデータだとこの辺りなんだけど……」

 

 鷹宮リオンは携帯片手に足を止めていた。目的地の赤いピンが示す場所には年季の入った倉庫がぽつんと建つだけだった。もっと小綺麗な建物を想定していた鷹宮は現実を直視できずにでびると一緒にそれっぽい建物を探していたのだった。

 

「やっぱりこの辺に建物は無いよ、あれ以外」

 

 周囲を空から探っていたでびでび・でびるが鷹宮の肩に舞い降りた。鷹宮は肩を落とす。よくよく考えてみなくても不自然な状況だった。周囲に建物がないなかおんぼろの倉庫一軒だけがこんな風に立っているなんて。

 

「行くかー……」

 

 鷹宮はとぼとぼと倉庫へと歩いていった。

 シャッターの前まで来た時、鷹宮は足を止め、首を傾ける。

 

 薄汚れて落書きされたシャッターからほんのりとだが魔力を感じる。そのまま立ち往生していると、機械の駆動音と共にシャッターがゆっくりと上がり始めた。思いのほか、薄いシャッターの畳まれるガラガラとした音は聞こえない。シャッタ―と思われていたのは厚みのある大きな一枚板であり、サイレンと共に鎖が張られ、均一なスピードで持ち上げられていく様は近未来的ですらあった。

 

 シャッターが上がりきると、二人は喉を鳴らし、倉庫の中へと足を踏み入れた。

 

 倉庫にはほとんど物が置かれていなかった。薄い白色電灯が照らす内部は明らかに光量が足りておらず、足元は薄暗い。靴底の踏む砂利の音からして掃除もされていないようだ。しかし、そんな倉庫の中心に一点、目を引くものがあった。地下へと続く螺旋階段だった。

 

 階段を降りると、真っ白な広い部屋に出た。そこには最低限の家具しかなく、全て色が白に統一されている。中でも鷹宮が気になったのは等間隔に並べられた四つのベッドだった。

 

「でびちゃん、これ……」

 

 鷹宮がベッドの方へ歩き出そうとしたとき、二人の背後から声が上がった。

 

「ばぁっ!」

「ひゃぁっ……は?」

「何だぁ⁉」

 

 振り返った二人の前にいたのは腰から赤い羽根を生やした色白の女の子だった。

 

「うふふー、ようこそりりむの新しい配信部屋へ♪ でびリオンチャンネルさんだよね? あたちがりりむだよ~。ぽえぽえ~♪」

 

 りりむと名乗る女の子は色の抜けた髪から覗かせる尖った耳をぴくぴくさせて、淡い赤色をした目を細めて笑った。

 

「ちょっと待ったあ!」

 

 再びでびリオンの背後から声が上がる。今度は男の声。二人が振り返ると、どこかの学校の制服を着た金髪の少年が立っていた。

 

「りりむちゃん、嘘を教えちゃ駄目だろう? このスタジオは俺が作らせたんだからさ……俺のでしょ」

「違うって! ねえ考えてもみて! でびリオンチャンネルさんを見つけたのはりりむなんだよ? りりむがいなかったらこのスタジオはなかったんだよ?」

「それはそれこれはこれ! だいたいりりむちゃんサキュバスなんだから、表立っての活動は俺がいなきゃできないじゃん」

「あ、ふーん……コウくんはりりむにそんなこと言っちゃうんだ……」

「いや……違うけどね?」

「あ、違ったぁ?」

「うん。違う違う。ちゃんと最後まで聞いてよ。りりむちゃんには俺が必要だって今更恥ずかしげもなく言わないって。よく考えてくれよ、俺たちずっとやってきたじゃん? りりむちゃん側からも来て欲しかったんだけど、上手く伝わらなかったって言うか、俺が欲しかった流れっていうのはそういうことじゃないから。だからさ、りりむちゃんがせっかちだったかなー」

「なーんだ、りりむのせっかちかあ。よかったよかった。あやうくコウくんを社会的に抹殺するところだったよ」

「まあ仕方ない。今後は気を付けてくれればいいから」

「うん、ごめんなさぁい……え?」

 

 肩をすくめる少年をぶっ殺してやろうかという怒りの垣間見えるほほ笑みでもって見つめるりりむ。少年はでびリオンを完全に忘れていたらしく、無表情で突っ立っている二人を見て「あ……」と声を出した。

 

「ってところで、でびリオンチャンネルさん、ちゃんと俺たちの紹介しようか。俺は卯月(うづき)コウ。魔術師なら誰でもお世話になってると思うけど、あの卯月で間違いないよ。魔術師で、御曹司で、そんでもって動画配信者! よろしくな!」

 

「改めて~、りりむは魔界(まかい)ノりりむ! サキュバス! それでそれで~、動画配信者! よろしくね」

 

 二人の自己紹介に圧倒されながらもでびリオンも顔を見合わせる。

 

「その、一つ聞きたいんですけど……」

 

 鷹宮が尋ねる。

 

「どうぞ」

 

 気取ったようにコウが言う。はぁ……と呆れながらも鷹宮は尋ねる。

 

「あなた達は聖杯戦争の妨害のために送り込まれた刺客ってわけ?」

「まあ、そうなるねえ」

「じゃあ、今日は結局コラボはしないってことなの? 配信じゃなくて、戦うの?」

「それは違う」

 

 コウはきっぱりと言った。

 

「俺たちは別に命を懸けて魔術を撃ち合ったりなんてことはしない」

 

 そのあとをリリむがつぐ。

 

「私たちはね、配信で戦うんだよ!」

「配信で……?」

 

 でびるは目を丸くした。

 

「ああ、その通り。配信の大まかな流れはメールしたよな。あんたたちさえよければ俺たちはあの通りに進めたいと思っている」

 

 どうかな? 両手をポケットに突っ込み少し首に角度をつけて振り返ったコウが聞いた。

 

「えーっと、つまり……配信で、ゲームで対戦するだけ……?」

 

 困惑をあらわにする鷹宮、コウはそれを見ると、笑って付け足した。

 

「そうだな、やっぱそれだけじゃ寂しいよな。じゃあこうしようぜ。俺たちが勝ったらあんたたちには聖杯戦争をリタイアしてもらう。逆にあんたたちが勝ったら、俺たちがあんたたちをサポートをするよ」

 

 どうよ? そうして前に出てくるコウに対して、でびリオンはためらうように後ずさる。だが、その背後から鷹宮の肩に手をかけて、りりむの告げる言葉が決定打になった。

 

「だからさ! 魔術師としてじゃなくてー、配信者としての勝負をしようってこと!」

 

 二人は目に力を宿して同時に言った。

 

「「のった!」」

 

 それを聞いてコウとりりむは張り詰めていた緊張を解き、ほっと胸をなでおろした。パンッと手を打ち鳴らしてコウが言った。

 

「オッケー。じゃ、そういうわけだし、細かい段取りを打合せしようか」

「うんうん。座って座ってー」

 

 りりむのすすめに従い、二人はソファに腰掛けた。

 

「まず、これを見てもらおうかな」

 

 そう言ってコウが取り出したのはなにやら頭に装着するらしいヘルメットのような見た目をした機械だった。

 

「これはさ、フルダイブ型のゲーム機なんだよね。そこのベッドで寝っ転がって装着してプレイすんだよ。ネットも同時に使えるから、パスさえ登録すれば自分のアカウントで配信もできるってわけ」

 

 すげーだろ? と鼻を高くするコウに対して、鷹宮は目を震わせてその機会を指差し、言う。

 

「それって、ナーブギ……」

「違うから。これは加賀美インダストリアルとウチが共同で開発した試作品だから。名前はまだない。科学と魔術と資金力が合わさった結果オーバーテクノロジーすぎてお蔵入りになったのをこっちに流してもらったんだ」

「あ、それは失礼しました。でも、そんなゲームを衆目に曝していいわけ?」

「いいだろ。なんせ今の俺たちにはでびでび・でびるがいるんだから」

「え、ボクゥ?」

 

 そこで名前を出されたことが意外そうな顔をするでびる。うんうんとりりむが頷いた。

 

「そうだよ。私たちがいくら魔術を使おうが、でびるまるの悪魔パワ~でだいたいゴリ押せそうだよね」

「バッ……⁉ てめえら、悪魔を便利に使うんじゃねーよ」

「いやあ、助かったわほんと。こんなゲームを配信でしたかった……!」

「ほんと、でびるまるさまさまだよ。感謝してもしきれないくらい」

 

 二人はヘルメット型の機械を掲げながらしばらくは円になってスキップしていたが、急に落ち着いてソファに座ると、さて、と話を続けた。

 

「みんなでやるゲームはこれだ。対戦型恋愛ゲーム、アグロ・ラヴァーズⅡ!」

 

コウが二人に見せつけたのは美男美女が入り乱れて殴り合ってるパッケージのソフトだった。

 

「対戦型……!」

「恋愛げえむ……!」

 

と驚いて見せたものの、でびリオンの二人はぴんと来ておらず、二人の頭の上にははっきりと?マークが浮かんでいた。コウは足を組み、ノリノリで説明する。

 

「このゲームのオリジナルははるか太古に発売されてな。元々はプレイヤーたち複数人でゲームの【主人公】の恋愛成就に協力したり茶々を入れたりして楽しむゲームだった。が、このゲームには問題点が一つあったんだよ。それはな……主人公を差し置いてプレイヤーたちが各々勝手にキャラクターを攻略できてしまうこと」

 

地獄、いや、祭りだったよ……コウは修羅場を潜り抜けてきたような顔でしみじみと語る。

 

「寝取り、寝取られ、ハーレムによる友情破壊。男女人数関係なく攻略しまくれることによって巻き起こる秩序の乱れ、学校生活の崩壊。その斬新さは数々のオタクたちの人生を狂わせた……といわれる」

 

 おおー! とりりむが頬を赤くして拍手するが、鷹宮とでびるは無表情だった。

 

「人間の世界にはやべー奴がいるんだな……」

「一部だけだから……たぶん」

「いや、俺は違うけどな? そんで、今話したのがアグロ・ラヴァーズのⅠで、その続編として売り出されるはずだった今作はⅠでのプレイヤーの楽しみ方を制作陣が汲んでハナから主人公は消えて恋愛対戦ゲームとして売り出すことになったんだ。といっても、発売はされなかったが。これをコメント欄のアドバイス込みでやっていこうと思う!」

 

そうしてコウはでびリオン、そしてりりむに、手に持ったゲーム機を投げ渡していく。

 

「いいか。コメントも含めたでびリオンチャンネルとおりコウのチーム戦だけど、勝者はあくまで一人の攻略対象から最も好感度を稼いだチームだ。たくさんの人間を攻略してその好感度の合計とかはしないから。プレイボーイ=ダメ。ゼッタイ。」

「つまり、協力プレイ推奨ってわけー!」

 

 ベッドの上で仁王立ちのりりむがにこにことしながらゲーム機を頭上に掲げた。コウが続ける。

 

「まあ、そういうことだ。プレイヤーが別々のキャラを攻略しにかかるよりもプレイヤー一人がキャラ一人を攻略するのをもう一人のプレイヤーが協力する形が理想的なのかもな」

「ふむふむ……」

 

 聞きながら鷹宮はメモを取っていく。でびるもそのメモに自分の大発見を書き込もうとしたが、途中でうんちだとばれて手で払われてしまう……。

 

「どうかな? 大まかに説明したつもりだけど、質問とかあったら……」

「「ない!」」

 

 二人は言った。鷹宮は決意に満ちた表情で、でびるは話を聞いてなかったが、自信満々の声音で。

 

「オッケー。じゃあみんな、ベッドに寝転がってゲーム機を頭に装着しようか」

 

 鷹宮はベッドに寝転がった。一見して病院のベッドみたいだと思っていたが、マットレスは低反発で体を静かに受け止めてくれた。

 

 鷹宮はゲーム機を頭に装着する。視界に広がるのは暗闇……それがスイッチをオンにした途端、虹色の光が視界のあちこちで瞬き、光は視界の奥へ、奥へと進んでいく。

 

 自分の意識が遠のくのを感じた鷹宮は最後の力を振り絞って言った。

 

「リンク・スタート!」

「やめろって!」

 

 慌てる御曹司の声を聞きながら、鷹宮の意識は虹色の光に包まれていく。



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59.始まりの季節

 桜並木に桜は散る。カツ、カツ、と小気味よく鳴るローファーの響きが心臓を心地よく揺り動かす。私こと、鷹宮リオンは桜吹雪の舞う空を見上げた。

 

 春——それは始まりの季節。何度経験してもこの胸の高鳴りは抑えられない。いったいどんな出会いがあるのだろうか。空は私の新しい学校生活の始まりを祝うかのようにどこまでも晴れ渡っていた。

 

「おーい、小娘―!」

 

 自分を呼ぶ声が聞こえる。腐れ縁の親友、でびでび・でびるの声だ。どうやらでびるは校門の前で待ってくれていたらしい。私は手を振り、桜並木を駆けていく……。

 

「って誰だよ!」

 

 果たして、校門の前で鷹宮を待ち構えていたのは、梅干しのように丸く、小さく、全身ムキムキの肌が黒い男だった。

 

「ボクだよ、小娘。ボクボク!」

「ちょ、来んなって! 知らねえよ、お前なんか!」

「何言ってんだよ、思い出せよ、小娘。ボクたちは高校デビューに失敗して暗黒の一年間を送った仲じゃないか……来年こそは、って誓い合っただろぅ?」

「そういう設定なの? いや、そうじゃなくて」

 

 そこで鷹宮は一度足を止め、でびるに向き合った。

 

「え、どうしてそんなキャラメイクになっちゃったの?」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれたねえ。ボクの小さくて荘厳で美しくて力強い容姿を人間で表現してみたんだ。どう? 強そうでしょ?」

 

 そう言って全身の筋肉に力を入れるでびる。元々の筋肉で盛り上がっていた制服が破けそうなほどに張り詰める。

 

「いや、強そうっていうか、その……」

 

 目を逸らして不自然な瞬きを繰り返す鷹宮を見て、でびるは萎えた様に肩を落とし、踵を返して校門から離れていく。

 

「ちょ、でびる。どこ行くの?」

「……もういい。キャラメイクしなおすから待ってて」

 

 校舎へと歩いてくる生徒たちの波に逆らって、黒くて小さなムキムキの悪魔はとぼとぼ歩いていった。

 

―――――――

 

「お~い、小娘~!」

 

 パタパタと小さな羽を動かしてこちらへと漂ってくるでびでび・でびるはいつも通りの悪魔の姿だった。

 

「あー……ま、いっか」

 

 世界観的にどうなのとか、みんなブレザーなのになんでこいつだけ学ラン着てんの、とか……引っ掛かる点はあるものの、先ほどよりは目に優しい見た目をしている。それに何より他の生徒も気にしていないのなら、鷹宮としてはこちらの方がありがたかった。

 

「ったく、せっかくオープニングでいい雰囲気だったのに白けちゃった。さあ、早く教室に行くのです!」

「おう!」

 

 とにかく! 鷹宮は親友のでびるの手を取って学校の門をくぐるのであった。

 

 

 校長の長い話はカットして教室へ。妙に色気があって語気の強い担任による説明を聞き流しながら、鷹宮は教室を見渡した。二年目だからか多少の馴れはあるものの、生徒たちの間にはやはり緊張感が漂っている。

 

 当然、というべきか、鷹宮の理想とする二刀流の似合いそうな殿方はいもしない。となると……女子か。いや、早まるべきじゃない。学校生活はまだまだ始まったばかり。部活もあればイベントも目白押し。それにでびるの方で上手くやるならそっちのサポートに回るのも手だ。

 

 そういうところで休憩時間になり、緊張感から解放された生徒たちは各々交流し始める……。

 

 教室の隅の鷹宮卓にて、鷹宮とでびるは両手を顎の前に組んで向かい合っていた。鷹宮は足を組み替え、少し低い声で言った。

 

「それでは第一回、でびリオン会議の開催をここに宣言するっ!」

「うおぉぉぉぉ!」

 

 とでびるが囃し立てる。コメント欄の方も盛り上がっている。もっとも、配信を始めてからコメントにはノータッチだったので、たぶん何も分かっておらず、二人のノリに無理やり合わせてくれているだけなのだが……。

 コメントを拾っていく。

 

〇何が始まるんです?

〇うおおおおおおお!

〇なに、ギャルゲー?

〇アグラヴァか、懐かしいな  ——社築

 

「あ、やしきずさんー、って、知ってるんですか? ひょっとして、攻略法とかも⁉」

 

〇知っているのかやしきず!  

〇うおおおおおお!

〇吐け! 今すぐ吐けえ!  ——本間ひまわり

〇勝利を! でび様に勝利を!  ——麻婆神父

 

 しばらく待っているとやや長文のコメントが流れてきた。でびリオンはそれを音読し、しっかりと頭に叩き込む。

 

〇俺が知ってるアグラヴァはこんなにグラ綺麗じゃなかったし、そもそもVRでもなかったけど……まあ一応、俺の知ってるアグラヴァの話をする。アグラヴァは罠が多いから、初見での積極的な攻略はお勧めしない。敵を妨害しつつ自分は誰かと友達になる、くらいが堅実に勝ちに行くスタイルといえるだろう。長文失礼した。  ――社築

 

〇敵⁉ 敵だとぅ⁉

〇×害は、このゲームでは×害は出来ないのですか? ——麻婆神父

〇出来る   ——社築

〇出来るんかい! ——本間ひまわり

〇出来て草

〇なんなら主人公を×しにくるキャラクターもいる  ——社築

〇なんてゲームだ……

 

「えー、説明させていただくと、概要欄にも貼ってある通り、今回の配信は魔界ノりりむさん・卯月コウさんのコンビ、おリコウとの恋愛ゲーム対決となってます。複数人を攻略しての好感度の合計ではなく、キャラクター一人からの好感度の高さの勝負なので、協力プレイ推奨! 私たちだけでなく、チャンネル単位の対決ですのでコメント欄の皆さま方もぜひコメントで、私、そしてでび様をお助け下さい!」

「よろしく頼むぞ~」

 

 鷹宮とでびるはコメント欄に向けてひとしきり手を振ると、話を続けた。

 

「さて、敵でしたね。敵は……あ、奴です!」

 

 そう言って鷹宮が指差した先には、窓際の席で静かに座っている背の低い少年がいた。少年は線が細く女性的な顔立ちをしており、頬杖をついて窓を眺める様はどこか儚さを感じさせる。少年の色素の薄い髪もまた儚い雰囲気に一役かっているのだろう。

 

「あー……私たちと同じでまだ攻略に動き出してる様子はないみたいですけど……一人?」

「なーにやってんだろうなあ?」

「まあ、敵のことはおいおいでいいでしょう。それよりも今、大事なことがあります」

 

 そう言うと、鷹宮は居住まいを正し、咳払いをして、なぜか悪の組織めいた雰囲気で話し出した。

 

「さて、でびでび・でびる……」

「なんだね、鷹宮リオン……」

 

 でびるも合わせて悪い顔で言ったのに鷹宮は満足する。

 

「でびるの方では方針、もとい、ターゲットは決まったかね?」

「ふぇっへっへ。もちろんだとも。あちらを見たまえ」

 

 でびるの示す方向には黒板の字を消している担任の教師がいた。先ほどの生徒たちに説明しているときの小慣れた先生っぽさはそこには見られない。生徒たちの視線から解放された担任が、紫がかった長髪を左右に揺らしながら少し投げやりに黒板消しを扱う様は等身大の人間っぽさが感じられ、少なくとも鷹宮は好感を持った。

 

 コメントを見ても相手が先生という事実に引っ掛かる少数の者を除けばおおむね好評のようだ。鷹宮は話を進めることにした。

 

「……作戦は?」

「ボクにそんなものは要らない。今日の帰り道にアタックをかける」

「おい、それはやばいだろ……! やしきずの話聞いてたんか⁉」

「ふっ、心配するな。早々にカップルになって奴らが追い付けないほど好感度を稼いで見せる。ボクの男らしさを皆に見せつけてやるんだ……!」

 

 そう言って上腕に目には見えない力こぶを作って見せると、でびるは話は終わりだとでもいうように席を立った。

 

「明日、報告する」

 

 それだけ言って自分の席へと帰っていった。

 

 

 次の日、教室へ入ってきた鷹宮はでびるの席が空席になっているのを見る。自分の席ででびるを待っても、でびるは一向に現れず、ついには鐘が鳴って担任が教室へ入ってきた。

 

 担任は生徒たちの視線を一身に受け、教卓に手を置き、粛々とした雰囲気で言った。

 

「このクラスの皆さんに悲しいお知らせがあります」

 

 その後に担任が述べたことは、こうだった。でびるくんは昨日問題を起こして謹慎していること。そして、退学処分の可能性もあるいうこと……。

 

「「はあ⁉」」

 

 驚愕の声が重なる。椅子の倒れる音が二つ鳴り響いた。思わず席を立ったのは鷹宮リオン、そしてもう一人、廊下側に座る髪の白っぽいあの少年だった。



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60.保健室

 目を覚ますと、白いベッドに横たわっていた。

 

「な、なにが……」

 

 辺りを見回すと、視界の端にコメントが流れていくのが目に入った。

 

「そうだ、配信!」

 

 鷹宮リオンは勢いよく上体を起こした。寝起きの顔に触れてゲームの体であることを思い出すと、現状把握のためにコメントに目を通す。

 

〇主人公が一定のショックを受けると保健室に運ばれる仕様は変わってないようだな  ——社築

〇なんだその仕様は!?

〇保健室に行かないと攻略できないキャラがいたりして……

〇保健室に行くために何度も主人公にショックを受けさせる鬼のようなプレイヤーもいたりして……

〇いる  ——社築

〇いるんかい!  ——本間ひまわり

〇主人公可哀想……

 

「みなさまごきげんよう。えっと、おはようございます……」

 

〇あ、起きた!

〇うおおおおおお!

〇大丈夫なのですか? ゲームの演出とはいえ失神されているように見えました。  ——麻婆神父

 

「あはは、全然大丈夫。普通に寝起きって感じ。顔を洗わなくてもいいのは不思議だけどね……それよりでびる! でびるはどうなったの?」

 

〇ここにいるよ~  ——悪魔

 

「でび様! ちょっとどうなされたんですか⁉」

 

〇ちょっと、あの、色々あってゲームオーバーになりかけた。すまねえ  ——悪魔

 

「はぁ⁉ ゲームオーバー⁉ なんで?」

 

〇いや、それはあの……恐ろしいことだよ……小娘  ——悪魔

 

「何なんだよいったい……」

 

〇全部見てたわ

〇確かにあれは言えない

〇恐ろしい出来事だった……  ——社築

 

 なんとなく壮絶な振られ方をしたことはコメント欄から察せられるが、いまいち細部がはっきりしない。ふと、鷹宮は思いついて尋ねる。

 

「ほんひまさん、いえ本間ひまわりさん! でび様はどうして謹慎に?」

 

〇あ、こら、ほんひまに聞くな!

〇卑怯だ!

〇よくない これはよくない

 

 本間ひまわりを諫めるコメントが流れる中、鷹宮の待っていたコメントはついに投下された。

 

〇えっとねー……なんだっけ? 交尾?  ——本間ひまわり

〇うわあああああああ‼

〇うおおおおおお!

〇それ以上言ったらアウト

〇それ以上言わなくてもアウト

〇びんたしたときの先生の顔は忘れない

〇↑真顔だったなw

〇単芝やめろ……×すぞ  ——悪魔

〇おいたわしや……おいたわしや……  ——麻婆神父

〇おいたわしゃー笑  ——社築

 

「でび……お前……」

 

 鷹宮は恐らくでびるがいるであろう画面の向こうを軽蔑の眼差しで見つめた。

 

〇やめて……絶交しないで……  ——悪魔

〇解散の危機で草

〇まあまあ (*‘∀‘)  ——本間ひまわり

〇↑ばらした張本人が何か言ってて草

 

 鷹宮は息をつく。冷静になろう。こいつは悪魔だし、これはゲームだ。あくまでふざけたプレイに過ぎない。現実の人間相手じゃないだけまだ救いがある。救いがある……よね? 

 

「でびちゃんって謹慎中よね? 今はどこにいるの?」

 

〇自分の部屋~! スマホで小娘見てる~  ——悪魔

〇アイス食べながらな  ——社築

〇寝っ転がりながらね  ——本間ひまわり

〇だらけすぎやろ……

 

「あ、そう……」

 

 でびるのことは気にしなくてもいいらしい。今はゲームに集中しないと! 

 

 保健室には人がいるようで、先ほどから声の低い男がひそひそと何かを話しているのが聞こえてくる。鷹宮はベッドから足を下ろし、厚手の白いカーテンを引いた。

 

 保健室の奥、窓際にある横長のテーブルには、パソコンを操作しながら画面に向かって話をしている一人の男がいた。マイクの付いたヘッドホンをしているので、それで話をしているのだろう。男は淡々と画面に表示されている文字列を送っていく。

 

「なに、起きた?」

 

 恐らく、話し相手が指摘したのだろう。男は振り返って鷹宮の方を見た。 

 

 電子の海を漂うかのように虚ろな瞳だった。男は全体として落ち着いた髪色をしていたが、その左側面の分け目から明るい青色のインナーカラーが覗いていて、それが意外にもよく馴染んでいた。

 男は後ろ手にパソコンを操作し画面を暗転させてくるりと回転椅子ごと体を鷹宮の方に向けた。ヘッドホンを外して、口を開く。

 

「おはよう。よく眠れた?」

「あ、はい。あの、あなたは……?」

「俺? 俺は別にどうでもいいでしょ。それより大丈夫なの? 突然倒れたって聞いてるけど」

「え、ええ。もう大丈夫だと思います」

「ふーん、よかったじゃん。ならまあ、教室に戻りなよ」

 

 男はそっけなく言ってまたくるりと椅子を回転させてパソコンに向き直る。

 え、それだけ……? 拍子抜けしつつベッドから離れ、保健室の扉へ向かう鷹宮。鷹宮が扉に手を掛けたとき、男が呼び止めた。

 

「それほんと……? ちょっと待って、そこの……ちょっと話を聞かせてもらえないかな?」

 

 男が手を振ったので、鷹宮は何が何だかわからず男の元まで戻る。

 

「呼び止めちゃってごめん。悪いんだけど、ちょっとだけこのカメラに顔を映してくれない? 確かめたいことがあって」

 

 鷹宮は言われた通りにパソコンの画面上のカメラをじっと見つめる。画面は暗いままだった。

 

「そうか、やっぱり」

 

 男はヘッドホンで誰かの声を聞いているのだろう。数度頷くと、鷹宮の方に視線を向けていった。

 

「鷹宮さん、だよね。ちょっとだけお話しない?」

「……いいですけど」

 

 鷹宮は保健室を見回す。男が使っている背もたれのあるものと違い、背もたれのない回転椅子は居心地が悪そうだったので、ベッドの方に腰掛けた。男は焦らずに鷹宮が話をする準備が整うまではじっと待ち、やがて話し出した。

 

「どーも。俺は黛灰(まゆずみかい)。二年。普段は教室に行かずにここで時間を潰してる。よろしく」

 

 それだけ言うと、男、黛灰は黙り込んで鷹宮の方を見つめ始めた。あ、私の自己紹介を待ってるのか。気づいて鷹宮も自己紹介を返す。

 

「どーも……じゃなかった。初めまして、二年の鷹宮リオンです。よろしく」

「うん、よろしく。で、聞きたいことなんだけど、昨日謹慎が通達されたでびる君について、鷹宮さんはでびる君と仲が良かったって聞いてるよ。そこのところはどうなの?」

「ええ、それはもう。だって……あ、えっと腐れ縁の友だちですから」

 

 少し言葉に詰まり、鷹宮の頬は強張ったが、黛は特に気に留めずに淡々と言葉を接いでいく。

 

「じゃあ、昨日何があったかは知ってる?」

「は、はい。本人から聞きました」

「電話? メール? それともチャットとか?」

「えーっと、コメント欄でですかねぇー」

「コメント欄?」

 

 鷹宮の不用意な発言にコメント欄がざわつくが、鷹宮の目には入っていなかった。

 

「ふーん、コメント欄ね」

 

 一度、二度、瞬きして、黛は続ける。

 

「でびる君はさ、中学生の時からあんな風に、異性に過激な告白をしてたの?」

「あっはっはっ! そんなわけ! だいたいこんなゲームじゃなきゃあいつが人間に愛の告白とかありえないでしょ!」

 

〇止まれ小娘!  ——悪魔

〇まずいですよ!  ——麻婆神父  

〇色々とびすぎー!  ——本間ひまわり

 

 コメントが恐ろしいスピードで流れ出したのを目の端で捉え、その内容を見て鷹宮リオンは固まった。

 

「あっ……」

 

 慌てて口をふさぎ、黛の方を見たが、鷹宮を待ち受けていたのは冷徹な瞳だった。

 

「ゲーム……」

 

 そっと呟く声音に酷く冷たいものを感じ、鷹宮は血の気が引く。黛の瞳には小さく、とても小さく鷹宮リオンの姿が映し出されている。呆れ、怒り、侮蔑……わからない。黛灰の瞳に浮かぶ感情は鷹宮にはほとんどわからなかったが、ただ少しだけ、不快感のようなものがほんの少しだけ見え隠れしているのはわかった。

 

〇罰ゲームの告白に軌道修正を!  ——社築

 

 ちょうどよくこの場を切り抜けられそうなコメントが目に入り、鷹宮は目を回しながら答えていた。

 

「あ、あの。身内の罰ゲームでして……まさか本当にやるとは思わなくて……あはは……」 

 

 黛は何も言わない。時間が過ぎていく。上手く目を逸らせず、鷹宮は目を回し続けた。そんなとき、廊下から小気味のいい足音が聞こえてくる。助かった……? 鷹宮の気が緩みかけたとき、黛が言った。

 

「鷹宮さんって面白いね。また来なよ」

 

 黛の表情は柔らかく、そこには優しさすら感じられた。といっても、目だけは相変わらずだったが。

 

 鷹宮が言葉の真意を尋ねようとして口を開いたとき、保健室のドアが音を立てて開かれた。

 

「あ、鷹宮さん! 起きてたんだー」

 

 カラカラと鳴るような声とともに保健室に入ってきたのは、ピンクの縁取りのナース服を纏う白髪の女性だった。女性は肩にかかるツインテールを揺らし、カツカツとヒールの音を立ててベッドに腰掛ける鷹宮の元まで来ると、じっと鷹宮の方にその顔を近づける。下ろした前髪で片目が隠れている……もう片方の、鮮やかなピンク色をした瞳がキリリと鷹宮を捉えていた。

 

「ふむふむ、大丈夫そうに見える……調子はどう? どこか変なところとかない?」

「え、どうなんだろ……たぶん、大丈夫だと……」

 

 鷹宮が言いかけたところで、黛が口を挟んだ。

 

「先生、その人もう元気だよ」

 

 黛の言葉を聞いた瞬間、女性はすん、と真顔になって振り返った。

 

「は? 誰お前。今健屋がかわいい女子生徒とお話してるんですけど?」

「……なんか俺にだけ厳しくない?」

「授業サボってるヤロウのことなんか知りませんー」

 

 と女性は再び鷹宮に向き直る。

 

「あの、保健室の先生なんですか?」

 

 尋ねると、女性はにかっと笑って答える。

 

「そだよ~。私は健屋花那(すこやかな)。ずばり、保健室の先生なのだー!」

 

 意味もなく胸を張る健屋、黛は既にパソコンの作業に戻っていた。

 

「あ、そうだ。黛くんじゃないけど、もう鷹宮さんのクラスは鷹宮さん以外みんな帰ってるから、元気になったなら鷹宮さんも帰った方がいいと思うよ」

「え⁉ じゃ、じゃあ帰らせていただきます……」

「うんうん。保健室は保健室が必要な生徒にしか解放してないからね。ね?」

「そこで何で俺を見るの……?」

「別に~。さ、帰った帰った」

 

 健屋に追い立てられるように鷹宮は保健室を出た。ドアを閉めるとき、黛はちらとこちらを一瞥し、健屋の方は兵士のように敬礼して、意味のわからないことを言っていた。

 

「君が保健室を必要としたとき、保健室は再び君の前に現れるだろう!」

 

―――――――

 

〇実はですね……お手軽に保健室に行くためのアイテムがございまして……  ——社築

 

 明くる日、やしきずの言葉に導かれて鷹宮が向かったのは食堂だった。

 

「……げぇ⁉」

 

 そこで鷹宮が見たものとは、食堂の端の一画を不自然に占める本格中華店の面構えをしたブースだった。察しはついていたが、恐る恐る近づいて見ると、やはりというべきか、看板に掲げられたメニューは一品のみだった。

 

[激辛麻婆豆腐]

 

「マジか……」

 

 鷹宮リオンは加速するコメント欄とは裏腹に、茫然と突っ立つことしかできなかった。




鷹宮「妨害とかってどうすればいいんだろう?」
〇よし、僕が言ってくる!  ——悪魔
〇でび様、いかりのうんちラッシュで草
〇ブロックされてて草w
〇草に草生やすな……×すぞ……  ——悪魔


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61.地獄の季節

 きたぜ! きたぜきたぜきたぜ! この時がよぉ!

 

 来ちまったなぁー、このときがよぉー!

 

 ああ、早く俺のヒロインに会いたいなあ。

 

 うぇっへっへ……どんな女の子がいるのかなあ……。

 

 二人分の魂を宿した魔界ノコウは希望と劣情を胸に、これから一年を過ごす教室の扉を開けた。カーテンが翻る。開いた窓から爽やかな風が吹き抜けていく。二人の目に飛び込んできたのは美男美女が楽しそうにほほ笑み合う楽園だった。

 

 くっ、眩しい! と魔界ノコウは思わず腕で目を覆う。

 ちょっとちょっと、見えないじゃーん、やめてよー! という抗議と共に魔界ノコウの手は下ろされ、しかし……。

 

 くひひひひ! ねえコウくん、どの子がいいかなぁ? みんなかわいすぎて……じゅるり……。

 ちょ、りりむちゃん! 魔界ノコウが涎垂らしてる! っていうか手! 手がヤバい!

 手ぇ?

 

 魔界ノコウは混乱しながらも視線を下ろし、自分の両手の在りかを探した。両手は、胸の前にあった。そこに開かれた手は何らかの欲求が反映されてでもいるかのように五指をくねくねと這わせていた。

 

 ぎゃー! 気持ち悪い!

 りりむちゃん、大丈夫だ、まだリカバリーできる! 操作は俺に任せてりりむちゃんは教室を観測してかわいい女の子を探すんだ!

 わかった!

 

 魔界ノコウは教室の扉を閉めると一見冷静な足取りで自分の席を探す。それぞれの席には出席番号と名前の書かれたカードが置かれていた。卯月コウはクラスメイト達の観察は魔界ノりりむに任せ、ひとまず自分の席に落ち着くことを目標に教室を歩いていく。

 

 星川……じゃあこの次が……はうぁっ⁉

 

 魔界ノコウの名前は星川の次の席にあった。確かににそれは自分たちの名前だった。だが、その席にはキラキラした雰囲気を放つ金髪でオッドアイのギャルが座っていたのだった……。

 

 立ち尽くす魔界ノコウ。ギャルはコウの席の後ろの席のギャルと話をするためにそこに座っているようだ。やがて、ギャルが気付いて魔界ノコウを見上げ、ん? と首を傾げた。

 

「あ、ひょっとしてここの席の? えーっと魔界ノくん?」

「え? あー、まあ。そーっすね……」

「ごめんね、もうちょっとお話したらどくからさぁ」

「あー、はい……いいっすよ……」

 

 いや、今すぐどけやぁ! 卯月コウは心の中で絶叫した。

 待ってよ、この子顔はかわいい! りりむが顔を褒めるが、卯月の怒りは収まらなかった。

 

 そうしてずっとその場で立っていたからだろう。ギャルが話を中断し、魔界ノコウを見上げていった。

 

「ねえ、どうしていつまでもそこに立ってるの?」

「え、いや、どうしてったって……」

 

 うろたえる魔界ノコウを見て、ギャルはコウの目を覗き込むようにしてくすりと笑い、言った。

 

「ひょっとして、だけどさ。魔界ノくんて……陰キャ?」

「なっ、はんうっ、がはっ……!」

 

 一方的で理不尽極まりない言葉による暴力を不意打ち気味に喰らい、二人の視界は白く染まった。

 

―――――――

 

 目覚めると、カーテンに四方を囲まれた薄暗い天井が目の前にあった。

 

「知らない天井だ……」

 

 卯月コウか、魔界ノりりむかはわからなかったが、魔界ノコウは確かにそんなことを口にした。魔界ノコウはゆっくり体を起こすと、すぐ横で自分を見つめるナース姿の女と目が合った。

 

「ありゃ、起きちゃった?」

 

 女は身を乗り出して魔界ノコウに何かをしようとしていたらしい、いたずらっぽく八重歯を覗かせ笑うと、体を引いて離れていく。

 

「やあやあ、我こそは養護教諭の健屋花那。あなたのお名前を教えてほしいな」

「お、俺の名前は卯月……じゃなかった。魔界ノコウ、二年です」

「へえ。男の子だったんだ! 綺麗な顔だったから、てっきり女の子だと思った。うーん残念!」

「え、残念て……」

「もう元気?」

「あ、はい……」

「それはよかった!」

 

 満面の笑みを見せる健屋。唇の隙間からちらちら覗く八重歯に魔界ノコウはドキリとして、まじまじとその顔を見つめてしまう。

 

「ん? どうしたの? まだ調子悪い?」

「いえ、あの、もう大丈夫……です」

「うんうん。いいね、やっぱり元気が一番! ささ、元気な人は帰ってくださいねー」

「ちょ、ちょっと待ってください、俺はまだ……!」

 

 そうして、強引に健屋に背中を押されながら保健室の出口へ向かう魔界ノコウ、保健室にはパソコンを触る男が他に一人だけいたが、男は関わるのを避けているようで、こちらを見向きもしなかった。

 

「じゃ、もう保健室には来ちゃだめだからねー。健屋との約束だよ♪」

「ああ、そんな!」

 

 手を伸ばした魔界ノコウの前で、無情にも保健室の扉は閉ざされた。じき、魔界ノコウは伸ばした手をぐっと握ると踵を返す。

 

 りりむちゃん、考えてることは同じだよな……同じであってくれ。

 何を今さら。聞く必要ある?

 ……保健室の先生って素晴らしいと思わないか?

 コウくんそれは違うね。保健室の先生が素晴らしいんじゃない。健屋先生が素晴らしいんだよ!

 間違いない! 俺もうドキドキしっ放しだった。

 りりむもりりむも! あの笑顔で全部持ってかれちゃったよね。

 決まったな。

 決まっちまったな……。

 

 魔界ノコウはメラメラと燃える心を宿して教室へと向かうのだった。

 

―――――――

 

「え、健屋先生? さあ、保健室じゃない?」

 

 担任の先生は生徒の課題のプリントから顔を上げ、前髪をかき上げて魔界ノコウを見た。

 

「なに? 話があるなら伝えとくけど?」

 

 担任はいたずらっぽい笑みを浮かべて魔界ノコウの顔を覗き込んだ。恐らく、生徒を思ってではない、自分の好奇心から話を聞きたいだろう。ひょっとすると自分たちのように健屋先生のことを聞きに来た生徒がこれまでにいたのかもしれない。コウは恥ずかしくなって顔を伏せた。

 

「あの、すいません。いないならいいんで……」

 

 魔界ノコウは頭を下げて職員室を後にする。

 

 健屋先生と話をするのは困難を極めた。お遊びで保健室に来る者を健屋先生はゴミを見るような目で追い返す。仮病は一瞬で見抜かれてしまう。

 

 かといって没入して操作する自分のアバターを使った自傷行為は色んな意味でまずすぎた……が、二人の決断は早かった。二人は恐らく協力しようなどとは考えていなかっただろう。二人は同時に、魔界ノコウを同じように動かした。

 

「うわぁ~!」「ひょぇ~!」

 

 廊下で突然魔界ノコウが叫んだ。

 

「骨折した! 手がっ! 手がぁ……!」

 

 コウは手を抑え込んでその場でうずくまる。生徒たちが騒めく中で、ちょうど通りかかった国語のシェリン先生がコウの耳元で呼び掛けた。

 

「どうしたんだぁ‼ 大丈夫かぁ君ぃ‼‼」

「声でけえ!」「耳痛い‼」

 

 生徒の想定外の反応にシェリン先生は首を傾げたが、コウが痛そうにしている手を見ると、ふむ、と顎に手をやってぶつぶつと呟き始める。

 

「指が二本、あらぬ方へ曲がっている……が、私が見るに君は転んだわけでもない、ふむふむ、曲がり方がどうも引っ掛かるな……」

 

そして、シェリン先生はこう結論付けた。

 

「さては君ぃ……自分で折ったな?」

「え⁉ いや、あの」

「ああ、いや、いいんだ。こんな推理、何の意味もなかった! 探偵の僕はもう終わったんだ。あぁ、すっかり忘れてた……! ふぅ駄目だ駄目だ。今の僕はそう、教師! 生徒が怪我をしたなら保健室へ運ぶのが教師の仕事さ! さあ、肩を貸そう。僕に体重を預けてくれたまえ☆」

「え、あ、はい」

 

 

 保健室に着いた魔界ノコウは健屋先生にぱっぱと応急処置をすまされて椅子に座らされてぼうっとしていた。気まずかった。健屋先生が目に入った瞬間、「せんせー!」と嬉しそうな表情をして呼び掛けてしまったのだ。健屋先生の顔が心配から軽蔑に変わった。

 

くそ、なんでこんなことに……。

 

卯月コウは魔界ノりりむのミスだと思いたかったが、果たして、今回のことの全てが魔界ノりりむの責任だと言えるだろうか? 卯月コウは黙って首を横に振った。

 

「魔界ノコウくん」

 

 今まで電話していた健屋先生がほほ笑みを浮かべてこちらに歩いてくる。

 

「病院にも連絡がつきました。ちょうど手の空いていたシェリン先生が車で送ってくれるみたいだから、感謝するように」

「はい」

「魔界ノコウ」

「は、ハイ⁉」

「次保健室に来たらぶっとばすから」

 

 笑顔で言った健屋先生はコウの返事も聞かずに踵を返し、何やらパソコンをいじっている男子生徒にだる絡みしに行ってしまった……。

 

―――――――

 

 翌日、手に包帯を巻いた魔界ノコウはぼんやりとした顔で席についていた。卯月コウと魔界ノりりむの二人には、健屋先生に謝ってもう一度……という思いはあるが、角が立たずに保健室に入る方法がわからなかった。そんなとき、あるコメントが目に入る。

 

〇思い出した! 確か保健室にいくアイテムが食堂にあったはずだ!

 

「ナイスコメント!」

 

 魔界ノコウは駆け出した。辿り着いた食堂で魔界ノコウが目にしたのは、中華料理のブースでちょうど料理を受け取った鷹宮リオンの姿だった。

 

 二人が見ているとも知らずに席に落ち着く鷹宮。卯月コウは内心ほくそえみ、魔界ノコウを操作して鷹宮リオンの元に歩いていくと、何も言わずに鷹宮の向かいの席に座った。

 

「よお」

「え? あ、どーも」

「どーも? どーもってなんだよ」

「配信の時もたまにどうもって言ってたけど、今のは何か違ったー!」

 

 魔界ノコウが立て続けに喋ったので鷹宮リオンは不審に思い尋ねる。

 

「あの、失礼ですけど卯月コウさん? それとも魔界ノりりむさん?」

「いや、魔界ノコウは卯月コウと魔界ノりりむが一つに合わさった姿だよ」

「は?」

 

 口を開けて固まるリオンを見て、魔界ノりりむがすかさず突っ込んだ。

 

「いやっ、コウくんその言い方はキモい」

「あー、キモかった?」

「うん、まあコウくんがキモイのはいつものことだけどね」

「じゃ、いいいじゃんか。とにかく、古来より俺たちがギャルゲーをするときには、主人公の名前を魔界ノコウか卯月りりむにしてやる風習があるんだ」

「うん、まあそんな感じ……かな?」

「それに、同時に動かすプレイヤーキャラは一人の方が配信画面も見やすいだろ? 二人分を見せるためには画面分割か視点を増やすか悩みどころだけど、こうすれば悩む必要も無い。声は二つで体は一つ、カメラも一つってね」

「完璧な作戦だね」

 

 思いのほかまともな理由だったので鷹宮は感心してしまう。

 

「確かに、視聴者への配慮かぁ。この点に関しては学びかも……」

「ふっふ、学べ学べ。ところでお前、その麻婆豆腐……はあ⁉」

 

 ぼんやりと視界には入っていたのだが、視線を落としてまじまじとそれを見てしまった魔界ノコウは驚愕する。鷹宮リオンは一体何を食べようとしているのか。卯月コウか、魔界ノりりむか。どちらの意思でそうなったかはわからない。だが自然と魔界ノコウの手は動き、口と鼻を塞いでいた。

 

「おまっ……! それ食べるのか⁉」

 

 魔界ノコウの指差した先には皿の上に盛りつけられたマグマがあった。火山の溶岩を思い出させる鮮烈な赤が縦横無尽に流動し、脈動を繰り返している。鷹宮はぼーっとしていたかのように顔を上げる。

 

「へ? え、ええ。もちろん。ちょっと――」

 

 そして鷹宮は上品に目を伏せ、

 

「保健室に用があって」

「う、嘘だ……そんなもん食べれるはずない!」

「ふっふっふ♪ そうでしょうとも……あなたたちのような一般人にとっては」

「なっ、ばかな……やめろ!」

 

 鷹宮は愕然とする魔界ノコウを無視してスプーンを手に取ると、おもむろに小さなマグマを掬った。マグマの中にぽつぽつと浮く白く濁った岩のようなものが豆腐だと最初わからなかった。豆腐はマグマを滴らせてプルプルと震えている。それを見て鷹宮は喉を鳴らせると、スプーンを口の中へ。

 

 銀と歯が軽く接触する音がして、鷹宮がスプーンを抜くと、そこにはすでに何もなかった。ついで、咀嚼が始まると、鷹宮の全身から汗が噴き出し始めた。

 

 はふ、はふ、はふ、はふ……。スプーンを運ぶごとに呼吸が早まり、口の中の熱は温度を増し、噴き出る汗は量を増す。そして、スプーンを運ぶ速さも加速し、最後には掻き込むように口へと運んでいた。

 

 かたん、空になった皿を置き、ハンカチを取り出して顔の汗を上品に拭うと、鷹宮は立ち上がる。魔界ノコウはそれを見上げ、ドン引きした。ガンギマリともいうべき見開かれた瞳は焦点が定まっていなかった。その口は、笑っていた。

 

「き、き、ききき、くっぅいきききい、ひひっ、きちゃー!」

 

 興奮が頂点まで高まったらしい、鷹宮リオンは叫ぶと一転して落ち着きを取り戻し、二人に向けてほほ笑む。そして、高らかに勝利を宣言するように言った。

 

「ふっ、それではごきげんよう」

 

 ばたんと、鷹宮はその場に倒れた。

 

 困惑もあり、周囲の生徒が大慌てで倒れた鷹宮を保健室へ運んでいくのを魔界ノコウは見守っていた。

 やがて、覚悟を決めたように卯月コウが言った。

 

 りりむちゃん、こうなりゃ俺たちもやるっきゃないよな!

 え? いや、待って。待って待って待って。待って? コウくん、いったん落ち着こうか。

 落ち着いてる。俺は落ち着いてる! 早く行かねえと健屋先生が……!

 そうじゃない! あのー、ちょっと待とうか、ほんと。ねえ、この体がコウくんだけのもので、りりむにもまた別の体があったんなら別にそれでもいいんだよ? でもさ、違うじゃん。コウくんとりりむ、今同じ体じゃん。コウくんが食べるとりりむも食べなきゃいけないわけじゃん。

 まどろっこしいな。つまり、何が言いたいんだよ。

 

 あの、さ……悪いんだけどさ……健屋先生、諦めない?

 は……?



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62.【悲報】この世界、ギャルゲーだった……

 ずっと違和感があった。

 自分は何のために生きてるのか。自分はいったい何なのか。記憶の中の自分と今の自分がいつも繋がらない。そういえば、ネットの世界では色々な国と繋がっているけど、現実の、俺の体のあるこの世界では? 

 屋上から見下ろす街はいつも灰色で、その灰色の街は空から降り注ぐ虹のようなベールで柔らかく覆われている。街の外に何があるかはわからない。あの虹の外側には何があるのだろう。ずっと考えてはいるけど、たぶん、考えない方がいいことなのかもしれない。俺以外にはこの光景が見えていないらしい。昔、仮説は立てた。でもそれきりだ。最後に考えたのは確か、こんな仮説だった。

 この世界は、誰かに、何らかの目的で作られた小さな一つの街。俺を含む人々もまた、同じ目的で作られている。そして、街の外、あの虹の向こうには……何もない。存在していない。単純に、作る必要が無くて作られていないのだ。

 

―――――――

 

 鷹宮さん……

 名前を呼ばれ、鷹宮リオンは目を覚ました。

 

「待ってたんだ。来てくれてよかった」

 

 ベッドの脇に座っていた黛灰が無表情のまま言った。黛が何かを手渡そうとしているようだったので、鷹宮は眠い目をこすりながら体を起こす。

 

「はいこれ。この高校の保健室には、唇を腫らして運ばれてきた生徒にバニラアイスを振舞う風習があるらしい」

「はあ、どうも」

 

 アイスを受け取っておずおずと自分の唇に触れる鷹宮。たらこのように腫れ上がった唇を指でぷにっと押し込むと、鷹宮は真顔になって、アイスを唇に押し付けた。その瞬間、集まっていた血が散っていき、重たかった唇が軽くなっていくのが分かった。それを見ていた黛も驚いたように言う。

 

「へえ、唇の腫れが魔法みたいに引いてくね。それってやっぱり、この世界がゲームだから?」

「ごほっごほっ! いえ、前回のアレは違くて……!」

 

 ふーん……と冷めた表情で頷き、黛は窓の方を向いて、少し上向きにどこか遠くの方を見た。

 

「……あの」

 

 鷹宮が呼び掛けようとすると、黛は振り返り、いたって自然に会話を再開した。

 

「でもさ、俺自身、この世界がゲームだったらいいなって思うこともあるんだ。鷹宮さんは自分の世界がゲームだったらって考えたことはない? そういうのって面白いと思わない?」

「え⁉ う、うーん、あんまり考えたことなかったけど、確かに考えてみると面白いのかも?」

「でしょ。で、さ。この世界がゲームだったとしたら、それはどんなゲームだと思う? 鷹宮さん、今どんなゲームをやっているの?」

 

 無表情で身を乗り出してくる黛に、鷹宮は思わず顔を背けた。そこでコメントが目に入る。

 

〇嘘はたぶんバレる。この手のキャラでルート入って好感度稼ぎたいならあえて本当のことを話すのもアリ  ——社築

〇だってさー  ——本間ひまわり

〇らしい  ——悪魔 

〇そのようですな  ——麻婆神父

 

 鷹宮リオンはほっとした。ここをどうやって、どんな嘘で切り抜けようか考える必要がなくなったからだ。たぶんここが分岐点。けれど、普通に楽しく話をしてもいいんじゃないの? と鷹宮は気を楽にして、話し出す。

 

「そうですねぇ、この世界がゲームだとしたら……恋愛シミュレーションゲーム……とかだったりして?」

 

 ガタン、と音がした。黛は立ち上がっており、僅かに目を震わせながら聞いてくる。

 

「え……それってつまり……ギャルゲ?」

「そうです」

 

 鷹宮はほほ笑み、黛は青白い顔をさらに青冷めさせる。鷹宮はさらに追撃した。

 

「しかもただのギャルゲじゃなくて、対戦型のギャルゲなのです!」

「へ、へー……ギャルゲに敵プレイヤーがいるんだ、新しいね……」

 

 黛は笑いを返そうとしたようだったが上手くいかずに頬を引き攣らせ、それどころか足に力が入らなくなったようによろめく形で椅子に座った。

 

「あー、大丈夫?」

 

 鷹宮が心配して声をかけるも、黛はそれを手で制した。

 

「ちょっと待ってほしい。ちょっとだけ、落ち着かせて」

 

 黛は片手を鷹宮に向けたまま、もう片手で頭を抱えて苦しげな表情を浮かべている。その口はぼそぼそと何かを呟き続けている。聞き耳を立ててみると、俺は○○、俺は○○、と自分に何かを言い聞かせてはいるようだが……。やがて、黛は吹っ切れたように顔を上げた。

 

「もういいよ、待たせてごめん」

「なに、どうしたの、黛さん」

「俺は受け入れたんだ。自分がギャルゲーの攻略キャラであることに」

「あ、そう……」

「だけど俺はまだ諦めていない。あのパソコンと俺のハッカーとしての腕、及び観察眼によって、他の攻略キャラの好感度を仮想的に数値化し、主人公に伝える……そうすることで、友だちポジションのモブになることができる……!」

「全然受け入れてなくて草 じゃなくて、この世界がゲームって話は別に、ちょっと口走っちゃっただけっていうか……」

「鷹宮さん」

 

 鷹宮の意識をぶつ切りにするように、黛は急に声のトーンを落として鷹宮の瞳をじっと見つめた。鷹宮は表情を硬くして黛の言葉を待ち、唾をぐっと飲んだ。けれど、黛は肩を落として言うのだった。

 

「わかってる」

「へ?」

 

 黛はやれやれとばかりにだらりと垂れた袖を持ち上げ、肩をすくめる。そして、先ほど急に声のトーンを落としたのと同様に、急に鷹宮を安心させるような優しい声音で言った。

 

「わかってるよ。設定……設定だって。この世界がゲームだったらって話を考えてる。あんまり面白くないようだったら……一人で盛り上がっちゃって申し訳ないけど」

「別に、そういうわけじゃ……! 私ももっと黛さんとお話ししたいなって思ってたし……」

 

 困ったように弁解する鷹宮だったが、顔を上げて黛の方を見てみると、その表情は何を考えているか読み取れない。

 

「話を戻すけど」

 

 若干ふてくされ気味の黛が鷹宮の言葉を遮った。黛は回転椅子をくるりと回して鷹宮に背を向けた。

 

「そういえばこのゲームには敵プレイヤーがいるんだってね。ちなみにそれって魔界ノコウだったりするの?」

 

 突然言い当てられ、鷹宮は思わず立ち上がった。

 

「え⁉ そうですけど、どうしてわかったの?」

「観察力? と、あとはー……」

 

 黛はパソコンをじっと見つめるが、肩をすくめて鷹宮に向き直った。

 

「まあ、それはおいおい。それともう一つだけ、鷹宮さんに確認してもいいかな」

「なんでしょう」

 

 鷹宮は何でも答える気満々で得意げに胸を張る。しかし、そこで廊下からカツ、カツ、カツ、と明るい足音が聞こえてきた。

 

「あーあ、邪魔者が来ちゃったよ」

 

 黛は廊下への扉を忌まわしげに睨みつける。その扉が勢いよく開かれた。現れたのは養護教諭の健屋花那だった。

 

「あ、リオン様、ごきげんよう!」

 

 挨拶された鷹宮は立ち上がって挨拶を返した。

 

「ええ、ごきげんよう」

 

 黛は目を瞬かせる。二人はお互いに目を伏せ、スカートの端をつまみ上げてお辞儀をしたのだった。

 

「え、リオン、様……? っていうか、いつからそんなに仲良くなったの……」

 

 これには健屋が答えた。

 

「ふふーん、色々あってね。それより黛さん、今健屋のこと、邪魔者って言った?」

「……言ってない」

 

 すっと目を逸らした黛を見て、健屋はターゲットを切り替える。

 

「リオン様、この人、健屋が入ってくる前になんか言わなかった?」

「あー……言ってないです」

 

 にっこりと笑って健屋は黛に向き直った。

 

「ほら、言ったって」

「いや、言ってないって言ってんじゃん。あれ、俺の耳がおかしいのかな。それともおかしいのは……」

「……」

「……」

 

 しばし真顔で睨み合う二人だったが、くっ、と黛が先に顔を逸らした。

 

「廊下に立ってなさ―い!」

「くそっ、なんで廊下まで聞こえてるんだ……」

 

 頭をかきながらとぼとぼ廊下に出て行く黛。あ、素直に従うんだな……と鷹宮は黛を見送った。

 

「リオン様は、ベッドで寝てたみたいだけど……もう体は大丈夫?」

「ええ、大丈夫です」

「あの野郎に何か変なこと吹き込まれてない? 大丈夫?」

「え、ええ。大丈夫です」

「そっか。でもよかったかも。黛さん、リオン様と話してるとき、ちょっと楽しそうだった。私がいくら話しかけてもどうでも良さそうに相槌うつだけだから……」

 

 健屋先生は表情を曇らせて笑う。

 

「そうなんですか?」

「うん。まあ、私が言うことじゃないんだけど……」

 

 そう前置きして健屋先生は言った。

 

「たまには黛さんとお話してあげて欲しいなって」

「……はい!」

 

 鷹宮が頷くと、健屋は満足げに頷き、「あまり無理しないでね」と言ってほほ笑んだ。

 

 

 保健室を出た鷹宮は壁にもたれて立つ黛と目が合った。

 

「大丈夫? 健屋先生に何か吹き込まれてない?」

 

 少し不満げに言ったので、きっと全部聞こえていたのだろう。鷹宮は吹き出しそうにしながらも答えた。

 

「別にー。ぜんぜん何にも吹き込まれてないけど。じゃあ、黛さん、また」

 

 そう言って歩き去ろうとした鷹宮だったが、後ろから呼び止められて足を止める。黛は片手を腰に当て、仏頂面で言った。

 

「黛でいいよ。同じ二年だからね」

 

 これに鷹宮の表情はパッと明るくなった。その瞬間、これがゲームだということを忘れていた。これは希望だ。親友が謹慎になり、未来の閉ざされていた学校生活が一気に開けた……。この先なんとかやっていける、黛の一言でそう思うことが出来た。鷹宮は瞳をキラキラさせていった。

 

「じゃあ、私のことも鷹宮って呼んでよ!」

「……断る」

「なんで⁉」

 

 鷹宮の学校生活は確かに明るく開けつつあった……。



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63.午後の中庭

 でびでび・でびるは中庭のベンチで一人、焼きそばパンを食べていた。

 

 担任の働き掛けもあって退学は免れたでびるだったが、謹慎が解けて学校に行ってみれば、待っていたのは居場所のない教室だった。唯一話せる鷹宮リオンは朝に少し話すだけで、お昼には必ずどこかへ消えてしまう。帰ってきても心ここにあらずと言った風で、でびるは一度恋の病かと尋ねたのだが、真顔で違うと言われ、鼻で笑われた。もう二度と聞くことは無いだろう。

 

 焼きそばパンを食べ終えたでびるはベンチの上で丸くなった。陽射しはぽかぽかとしていてお腹はいっぱい。ささやかな風はでびるの全身の毛を心地よく揺すった。やがてでびるは静かな寝息を立て始める……。

 

―――――――

 

 悪寒を感じてでびるはぶるぶるっと体を震わせる。目を覚ましたでびるが見たのは、至近距離でジッとこちらを見つめる大きな瞳だった。

 

 青空のように透き通った瞳にでびるは一瞬目を奪われるが、その瞳には言い表せない力が宿っており、でびるは恐ろしくて漏らしそうになった。しかし、向こうが何もしてこず、じっと見ているだけなので、でびるは冷静になって相手を観察しなおした。

 

 女だった。学生服の上にピンクのカーディガンを羽織っているその女は、頬を紅潮させて口をきゅっと結んでいる。このガン開かれた大きな瞳さえなければでびるには普通の女子に見えただろう。でびるは咳払いしてベンチにちょこんと座り直すと、その女に問いかける。

 

「あー、ボクに何か用か?」

 

 女はハッとして身だしなみを正し、言った。

 

「あ、これはこれは。失礼しました~。あの、あなたはこの学校の生徒さんなんですか? 制服は来てるけどこの学校のじゃないみたいですし、その、お姿も……よく見てみると人間じゃないような……」

「へぇ、よくわかったねえ。確かに僕は人間じゃないけど、そんなのは気にしなくていい! 僕はこの学校の二年、でびでび・でびる! よろしくな!」

「そ、そうなんですか。私は三年の鈴原るるっていいます。よろしくお願いしますね、でびでびさん。ところでなんですけど、お願いを一つ聞いてもらってもいいでしょうか」

「うん? なーに?」

「でびでび・でびるさんのお姿を絵に描かせていただいてもいいでしょうか」

「え……絵?」

「はい、絵に!」

 

 でびるは寝ぼけ眼をこする。ベンチで隠れていて見えなかったが、よくみてみると、鈴原の手元にはスケッチブックが開かれており、その手元は何か忙しなく動いているようだった。

 

「って、お前―! もう描いてるじゃんか!」

 

 でびるは羽根を動かして鈴原のスケッチブックを取り上げようとするが、鈴原はそれをさっと躱して立ち上がると、走り出して逃げる構えを見せた。

 

「こら待て!」

「す、すいません……珍妙な生き物がいるなと思って、つい……!」

「誰が珍妙な生き物だ‼ って、走りながら描くな! 筆が滑ったら大変だろ!」

 

 でびるは空を飛んで追いかけるが、その女子の身のこなしは常人離れしており、距離はみるみる離されていく。追いつけないと悟ったでびるは思いついた提案を投げかけた。

 

「おい! 鈴原とかいう奴、逃げるのを止めろ! つい追いかけちゃったけど、別に僕の絵は描いてもいいから!」

 

 すると、前方を走る鈴原が急ブレーキで身を翻し、でびるの目の前に舞い戻ってきた。ぜえぜえと肩で息をするでびるとは対照的に、息一つ切らしていない。鈴原はスケッチブックを胸に抱き、おずおずとでびるに近づいてくる。

 

「こちらこそ勝手に絵を描いてしまってごめんなさい……。これ、差し上げますから許してください……」

 

 そう言って、鈴原はスケッチブックから絵を一枚でびるに差し出した。

 

 それはでびでび・でびるを描いたものだった。頭部の角や鋭い爪は勇ましく、見る者を惑わせる黄色い瞳は大胆に描かれている。しかし、ほのかに揺れる毛並みから柔らかな風の匂いを感じさせるという情緒も備えていた。

 

 でびるは思わず鈴原の方を見た。恐らく、でびるがまじまじと絵を見つめていたからだろう、鈴原は赤面し、所在なさげに俯いていた。

 

「なあお前これ、本当にお前が書いたのか?」

「そうですけど……あ、下手、でしたらごめんなさい……」

「違う! お前これ、すごい上手いよ」

「え、本当に⁉」

 

 鈴原がパッと顔を上げる。その目は爛爛と輝いていた。

 

「お、おう。お前、眼力すごいな」

「うん、よく言われる」

「そっか。よく言われるのか……。まいいや。それよりさ、僕の絵を描きたいなら、もっともっといくらでも描いていいんだよ?」

 

 でびるはかっこいいポーズからの恐ろしいポーズを決めて言う。自信満々にポーズを決めてから、(あれ、こいつってもう僕の絵を描いたよな……もう僕に興味なくなってたり、なんてことも……)、と一瞬だけ冷静になって内心戦々恐々だったのだが、それは杞憂でしかなかった。

 

「本当に⁉ それは嬉しい……! 今のはその、言いづらいんですけど、ちょっと失敗しちゃって。次はもっと上手く描きたい。あと、キャンパスにも描いてみたい!」

「そ、そうかそうか! じゃあ、その代わりと言ってはなんだけど、僕のお願いも聞いてもらおうかな」

「はい、なんでも!」

 

 勢いよく即答した鈴原に圧されながらも、考えるのが面倒くさくなっていたでびるは投げやりに言った。

 

「あー、うん、なんでもいいや。とりあえずお前、僕を崇拝しろ」

「崇拝? 崇拝って、何をどうすればいいですか?」

「え⁉ いや、崇拝って、アレだよ。僕に畏敬の念を抱いて僕に優しくして、僕にアイスを奢るんだ」

「それくらいでしたら喜んで! でびでびさん……あ」

 

 そこで鈴原はあたふたとして、言い直した。

 

「でび、る……様?」

「うむ!」

「でび様……!」

「なんで縮めた⁉」



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64.D.E

 昼休みも半分終わればみな食事も終え、教室は賑やかになってくる。生徒たちはあちこちでグループを作り、グループ内の話で盛り上がっていた。だが、教室の隅の一画、窓際後方の席に集まったグループは周りとは違う雰囲気を漂わせる。そこにあるのは重たい沈黙、そして周囲からワカメと呼ばれる男の嗚咽だった。

 

「もう無理だ! やっぱり僕にはやれっこないんだ……!」

 

 ワカメの腕は力なく垂れ下がる。持っていたゲーム機が指から離れ、落下する……。だが、ゲーム機は床にぶつかる寸前、そのグループの中心の、この場で唯一席についている男の手にサッと掬われる。その男、魔界ノコウはゲーム機を見てため息をついた。

 

「だからさ、それで諦めたらもったいないんだって。そりゃ、敵は強いかもしんねえよ。でもさ、勝負に絶対なんてないだろ? ゲームなんだから、勝つまでやればいいだろ」

「け、けど、何度やっても惜しいとこで負けちまう! 毎回なまじちょっと勝てそうなぶん、負けるたびにすごく疲れるんだよ」

「だーかーらっ、お前が諦めない限り負けはあり得ねえんだよ。お前の相棒の姐さんは諦めたのか?」

 

 コウのその問いにワカメは目を背け、癖なのか前髪を押さえつけて、苦しそうに笑った。

 

「は、はは……あいつが諦めることは無いよ……」

「じゃあやるしかないだろ! お前、そんな根気もなしにゲーマー名乗ってんのかよ、もっと根性見せろ!」

「そんなこと言われても、勝てないもんは勝てないんだ……!」

「いや、勝てる。だから続けろ」

「ほら、見てくれよ! また皇帝特権で船持ってかれちまった! なんなんだよ、なんなんだよ、いったいなんなんだよ! 性能では絶対負けてないっていうのに、なんで毎回……!」

 

 ワカメは歯軋りしながら頭を搔きむしる。そんな少年にコウは静かに言い聞かせる。

 

「泣き言をいうんじゃねえ。いいか? 大事なのは諦めないことだ。勝ちたい奴はみんな勝つまでやってるから。お前だけが特別辛い思いしてるわけじゃないからね」

 

 コウの厳しい言葉に周囲からざわざわと声が上がる。ワカメは信じられないという表情で言う。

 

「み、みんな⁉ なんでそんなこと出来るんだ? こんなに大変なことをどうしてみんなが……⁉」

 

 狼狽する男に、コウが向けたのはほほ笑みだった。コウは当然とばかりに言った。

 

「そのゲームが好きからだよ」

 

 その一言でワカメは崩れ落ちた。コウはワカメを見下ろし、とどめとばかりに言う。

 

「お前はそのゲーム、好きじゃねえのかよ。姉さんも、姉さんの生きる世界も、お前にとってはその程度なのかよ……」

 

 ワカメが震えながら声を押し殺し、涙を流す。周囲から心配の声が上がるも、その周囲の声を手で制し、ワカメは涙を拭って立ち上がると、コウからゲーム機を受け取った。

 

「もう少しだけ頑張ってみるよ、やれるだけのことはやってやる……!」

「おう、また話そうな」

 

 ワカメが決意に満ちた表情で教室から去っていくのを、みんな固唾をのんで見守っていた。

 

――――――

 

 魔界ノコウは陽射しで温かくなっている机を倒れ込むようにして伏せた。そのまま手を前へ投げ出し、顔を窓の方へ向けた。いい天気だった、とても……。

 

(ねえコウくん)

(なんだよ、もう疲れたんだけどな、俺)

(いや、ていうかさ、ていうかさ、え? 何、今の人たち?)

(何って、見りゃわかるだろ……勇猛な顔をした戦士たちだよ)

(いや、勇猛っていう割にはみんな負のオーラが強かったような……じゃなくて、ねえ! 変なコミュニティ作らないでよ! なんか女の子たちに避けられてる気がするんだけど⁉)

(いや、俺もわざとじゃないんだって。つーか、気づいたら出来てたんだよ。俺は悪くねえ)

(嘘!)

(嘘じゃない!)

 

 二人が喧嘩していると、魔界ノコウの伏せっていた日なたに急に影が差した。魔界ノコウが顔を上げると、そこには制服の上に黒いロングコートを纏い、白い毛皮の付いたフードを深くかぶるちっこい少年が立っていた。少年はコートのポケットに両手を突っ込んで魔界ノコウを見下ろしていた。

 

 少年がそっと両手でフードを持ち上げると、中から銀髪の鋭いショートカットが現れる。少年はニッと笑うと、魔界ノコウに言った。

 

「お昼時に失礼、窓際の陰王(いんおう)とはお前のことか?」

 

 少年の言葉に魔界ノコウは答えなかった。沈黙に耐え切れず、少年は続ける。

 

「俺様はお前の隣のクラスに在籍している。この学校を裏から掌握せんとせし二年生……漆黒の捕食者・ダークネスイーターすなわちD・Eこと、鈴木勝(すずきまさる)だ!」

 

「……」

(りりむちゃん、なんかこの子可愛くね? どう思う?)

(わかるけどぉ、でもさ、気持ちがもう女の子に恋する少年だから……)

(あー、まー、それはな……)

 

 二人は魔界ノコウの中でそんな会話をしていたものの、その声は少年には聞こえておらず、少年は無視をされて焦ったような表情であたふたしていた。

 

「お、おい、俺の声は聞こえているか。ひょっとして、人違いだったか⁉」

 

 少年は慌てて耳に装着した通信機器に手を当てると、二人から顔を逸らして話し始めた。

 

「俺だ……え、俺だは要らない? 言ってみたかっただけだよ! いや、そうじゃなくて! なあ、話が違うじゃんか! 人違いだよ、人違い! ああ、このままだと機関の連中か、あるいはハッカーに持ってかれちまう。俺が何とかしないと……え? あ、ああ。ごめんごめん、俺たちだったな……」

 

 少年がぶつぶつと話しているのを二人はこっそり聞いていた。

 

(ねえコウくん、どう思う?)

(通話相手だよな? そりゃあ……いないだろ)

(やっぱり! 厨二ってやつだー、初めて見た!)

 

「ってお前! やっぱりお前で間違ってないらしいぞ!」

 

 そう言って少年は机の横にバンと手を置く。魔界ノコウはなおも沈黙するが、そのうち少年が机をぐらぐら揺らし始めたので寝ようにも寝られず、魔界ノコウはついに重たい口を開いた。

 

「そうだ俺だ。早くどっか行け」

「やっぱりお前じゃんかよ! いや、お前ってすげー肝が据わってんだな。気に入った! なあ、俺にしてほしいことはあるか? この俺なら大体のことは叶えてやれるかもしれんぞ」

「じゃあさ……」

 

 と卯月コウの意思で魔界ノコウは言う。

 

「そこどいてくんない? せっかく日なたぼっこしてたのに、お前がそこに立ってると席が日陰になって気持ちよく寝れねえんだわ」

 

 言ってやったぜ! と内心ほくそえんでいた卯月コウだったが、鈴木勝の反応は予想外のものだった。

 

「くくっ……ふっはっはっはっは! あーっはっはっはは!」

 

 なんと、嬉しそうに笑ったのだ。そして自身の立ち位置で魔界ノコウの場所が日陰にならないように席をぐるりと回りながらまた通信機器を指で抑えながら話し始めた。

 

「俺だ……え? 俺さんなんて知らない? いやオレオレ詐欺じゃねえから! そんなことより見つけたぞ! やっぱりこいつらで間違いなかった!」

 

 そして再び両手を机にたたきつけ、それでコウが反応しないのも相変わらず、再び机をぐらぐら揺らしながら言った。

 

「お前たち~! 俺様に協力しろ~!」

 

 これに魔界ノコウは答えなかった。しかし鈴木勝はつらつらと勝手に語り始める。

 

「先ほども言った通り、俺様はこの学校を裏から掌握しつつある。だがまだ敵は残っている。俺と同じく陰から学校を操ろうとするハッカー、美術室のエルドリッチ・クイーン、糸目の神田……どいつも強敵だが、お前ほどの器の大きさであれば勝つことが出来るだろう」

 

 鈴木勝はそこまで言うと机に伏せる魔界ノコウに手を差し出した。

 

「さあこの手をとれ。俺様のアジトへ案内しよう」

 

 魔界ノコウはぼんやりとした瞳でその手を見上げると、ぱたんと再び机の上に顔を伏せた。

 

「なっ! おい、ちょっと!」

「Zzzzzzz」

「嘘つけ! 起きろー、起きろって!」

 

 鈴木勝がコウの手をぐいぐいと引っ張ったので、コウは仕方なく顔を上げた。

 

「はぁー、ったく。なんだよ。いいか、俺は――やだー! 可愛い女の子といちゃいちゃするのー! ……やることがある。忙しいんだ。わかるよな?」

「なっ、今なんて……」

「わかるよな?」

「あ、ああ、了解した。ひとまずは引き下がるとしよう」

 

 コウに睨まれておずおずと引き下がった鈴木勝は通信機器相手に弁解し始める。

 

「い、いや、違うんだよ。わかってる、わかってるけど忙しいって言われちゃったら仕方ないじゃん!」

 

 そうして教室から出て行くと、そっと丁寧に扉を閉めた……。



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65.寝過ごして

 下校の鐘が鳴ってしばらく。夕暮れの教室に風が吹き込んでカーテンが大きく捲れ上がる。窓際の席で伏せて眠っていた魔界ノコウは軽く身じろぎすると、ゆっくりと目を開いた。

 

 教室は無音だった。きっともうみんな帰ってしまったのだろう。卯月コウは嘆く。

 

(はぁ、ごめんなりりむちゃん。俺のせいでこんな暗黒の学園生活に……)

(ううん、コウくんは悪くないよ。私も女の子に積極的に声を掛けられなくてコウくんに任せっぱなしだった。何の役にも立てなくてごめんね)

 

 しんみりとした空気になってしまい、ため息をついた魔界ノコウは気怠げに体を起こした。

 

「よっ!」

 

 寝ぼけ眼のコウに声がかかる。コウが目を擦ると、だんだんはっきりしてきた視界に担任の先生の顔が映り込んだ。コウの前の席に座っていたらしい、先生は窓の方に体を向けて足を組み、少し体を開いて椅子の背もたれに肘をついた状態で、コウの方を見つめていた。

 

「どーしたの。こんな時間まで一人でたそがれてた?」

 

 コウの顔を覗き込もうとして垂れてきた前髪をかき上げて、先生は笑った。少しいたずらっぽさもあるが、その奥には優しさが感じられ、卯月コウも魔界ノりりむも何も言えなくなった。

 

「あれ、黙っちゃった。ひょっとしてだけど、先生に惚れちゃった?」

 

 一瞬の沈黙の後、魔界ノコウは顔を赤くして立ち上がった。

 

「なっ、教師が何言ってんだ!」

「冗談! 冗談だって。だいたい、君と私じゃありえないから。勘違いしないでよね……くっ……アッハッハッハ!」

 

 血も涙もないばか笑いに二人は傷つき、りりむの方は思わず抗議した。

 

「笑うなんて酷い! 教師なのに!」

 

 魔界ノコウが涙をのんで帰り支度し始めるのを先生は穏やかな表情で見守っていたが、机の上に散らばったプリントに目を止めると、うん? と首を傾げてプリントの上下をひっくり返してその文字を目で追った。

 

「あー、なんだ。数学と物理で居残りだったんだ。魔界ノコウくんって案外バ……ん? んー、ごほんっ……ちゃんと居残ってて真面目なんだね」

「先生、そのフォローは手遅れなんで要らないと思います」

「あらぁ、それは失礼。でも違うからね。案外真面目なんだなーとはちゃんと思ったから。ほら、魔界ノコウくんっていつも授業中窓の外なんか見てぼんやりしてるじゃん。こんなプリント、居残ってまでやらないイメージだったから……うん。ちょっと見直しちゃったかも」

 

 先生は感心したように頷くと、席を立つ。

 

「じゃ、私はもう行くけど、あんまり遅くならないように。あと、さっきの問題発言はオフレコってことでよろしくね!」

 

 そして、教室の扉の方へ歩き出し、後ろ手に手を振って言う。

 

「何かあったら悩む前に相談しろよー?」

 

 先生は去った。一人残された魔界ノコウは力が抜けた様に席に腰を下ろす。

 

「嵐みたいな人だったな」

「うん……そーだね」

「なあ、どうしようか」

「どうしようって……うん、どうしよっか」

「とりあえず、今進行してるイベントは二つあるだろ? どっちを進める?」

「それなんだけどさ、コウくん。あの、言いづらいんだけど……」

 

 急にもじもじしだしたりりむに卯月コウは歯がゆさを感じて尋ねる。

 

「何だよ。早く言えよ」

「……私たち、別れよう!」

 

 卯月コウは察して悲痛な声を上げた。

 

「こ、ここに来て俺を捨てるっていうのか……!」

「いや違うよ? 違うけど、イベントもちょうど二つあるし、体が二つあった方がいいと思わない? それに、私、気づいたんだけど……」

 

 りりむは少し躊躇った後、意を決して言った。

 

「ときめいてるときに隣で猿みたいに興奮してる人がいると、ちょっと萎えるよね」

「あー……なるほど、な」

 

 想定外の口撃に卯月コウは真顔になってしまった。しかもそれは正論で、卯月コウ自身も隣で猿のように興奮する魔界ノりりむのせいで没入感が削がれていたのは紛れもない事実だった。コウの表情を勝手に読み取ったのか、同意を得たと考えたりりむは笑みを浮かべる。

 

「実はキャラメイクは済ませてあるんだー。ほら、この通り」

 

 その言葉と共に魔界ノコウの体からりりむが抜けて一人取り残される感覚を卯月コウは味わった。そして目の前には魔界ノりりむそっくりな女の子が立っていた。

 

「じゃーん。どう? かわいいでしょー?」

「……ああ」

「何? なんか反応薄くない?」

「いや、見慣れたりりむちゃんだから」

「あっそ……ん?」

 

 りりむは何かを思いついたようにニヤニヤ笑うと、コウの顔を覗き込んでいった。

 

「あー、そっかそっか、そっかぁ。ふふーん、つまり、りりむはいつだって可愛いってこと?」

「いや、あっ……うん、そうだけど?」

「え⁉」

 

 顔を赤くしてコウを凝視するりりむに対し、コウは冷や汗を流しながらも真顔でしれっとした風を装った。

 

「コ、コウくんはもう帰って! 私はもうちょっと残ってるから」

「お、おう……いや待てよ。残るのは俺だ」

 

 これにりりむはぎょっとした顔で……

 

「は? 何言ってんの? 放課後の教室で先生とイチャイチャして結婚するのはりりむなんですけど?」

「いーや俺だね」

「りりむだって!」

「だいたい、ダークネスイータールートって、女の子と恋愛できないじゃん。それにあの中二病のノリには俺の実力じゃついてけねえって」

「中二病じゃなくて本当のやつかもしれないじゃん!」

「だとしたらなおさらだろ! 俺にバトルは無理だ」

 

 ハッカーはともかく、糸目の神田はさすがにな……とコウはお手上げとばかりに両手を上げる

 

「え、でもさでもさ? コウくんはこんなにイタイケでカワイイ女の子を戦場に送り込むっていうの……?」

 

 上目づかいで瞳をうるうると潤ませるりりむにコウは言い放った。

 

「おう、腐っても魔族だろ? 頑張れよ」

 

 コウにとってそれは久しぶりの感覚だった。全身を浮遊感が襲い、教室が、りりむの姿が、波を打って歪んでいく。心地のいい幸福感がじんわりと脳に広がっていくと、体が勝手に動き出して……気づいたときには教室から追い出されていて、振り返った瞬間にぴしゃりと扉を閉められた。

 

「いい? 魔界ノコウの下の名前と髪の色はりりむのだから、コウくんのものに戻してね。じゃ、健闘を祈る!」

 

 扉の小窓の向こうでりりむがビシッと敬礼し、自分の席に戻っていく。コウはかったるそうに敬礼を返すと学校を後にした。

 



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66.準備期間

 ゲームの仕様なのだろうか。入学当初は話しかけてくれたクラスメイト達はだんだんと話しかけてこなくなった。

 担任の先生にもすごく気を遣われている感じがする。先生たぶん、そんなキャラじゃないのに。

 でも、何も気にならない。だって、私には保健室があるから。

 

 ということで、私は今日も激辛マーボーを口へかっ込むのだった……。

 

 

「鷹宮さん、来すぎじゃない?」

 

 困惑顔でアイスを渡してくる黛に無言でほほ笑み、鷹宮は唇にアイスを押し付ける。

 

「はあ、そろそろ激辛麻婆豆腐にも慣れてきた気がする」

「激辛麻婆豆腐? それって学園七不思議の一つの、辛すぎて誰も食べられないのに食堂の一画を占め続けて、しかも一番お金がかかっているという……あの?」

「あ、いや、それはどうでもいいんよ。それよりさ、黛、今日は質問を考えてきたんだけどさぁ、ちょっと答えてくんない?」

 

 黛は自分のパソコンの方へ戻っていき、腰を下ろして言う。

 

「別にいいけど。ていうか口調が最初と変わり過ぎじゃない? 上品なお嬢様から生意気なお嬢様になってない?」

「うっさい。いいから早く答えてよ、答えて答えて答えて!」

「はいはい。はいはいはい。わかりましたわかりましたって。まあ言ってみなよ」

 

 えっとね……鷹宮は意味もなく人差し指で自分の口許をつんつんしながら言った。

 

「もし願いが叶うとしたら、黛は何を願うの?」

 

 黛は鷹宮の質問が意外だったのか、少し不快そうに眉を下げ、

 

「願い……」

 

 重々しい声で復唱し、それでも答えようと黛はゆっくりと口を開いたが、そこまでだった。黛は開かれた口を一度引き締めると、その表情を軽くして、再び口を開く。

 

「鷹宮さんは……鷹宮さんの願いを先に聞かせてもらってもいい?」

「え、なんでよ!」

「参考にさせてよ。俺だってすぐには決まらない」

「じゃ、じゃあ仕方ないかぁ……」

 

 そうやって項垂れるふりをしながらも、鷹宮には黛が嘘をついていることが分かった。黛は案外嘘が下手……というよりハナから隠す気も無いのだろう。素なのかおちょくっているのか判断できなかったので、鷹宮も食って掛かることができなかったのだ。

 

「っていっても、私もまだ決まってないんだよねぇ」

「えぇ……」

 

 引き気味の黛に対して鷹宮は誤魔化すように笑うことしかできなかった。

 

「前も言ったけど、私って配信してるじゃん?」

「……そうだね。配信でこのゲームをやってるんだってね」

「そうそう……あ、いや、そういう設定だけど! いえ、そんなことは今どうでもいいのです!」

「はいはい」

 

 黛はペットボトルの水を少し口に含む。鷹宮はむすっとしながらも続けた。

 

「配信でこれまで繋がりのなかった人たちと触れ合って、今までは見えてなかったものがたくさん見えるようになった。それまでどことなく物足りない日常を送っていた気がするのに、今はなんだかとても楽しくて……。でも、向上心が無くなったわけじゃない。前に進まなきゃとは思うの。思うのに……」

 

 言葉に詰まり、鷹宮はスカートの縁をつまんで押し黙った。黛は鷹宮の方も見ないまま問いかける。

 

「今のままでもいいと思う?」

 

 鷹宮の目が見開かれる。黛が続けて言った。

 

「でもさ、鷹宮さんが感じてる今の幸せって、前に進んでる今だからこそ感じられる幸せなんじゃないの?」

「……そう、なのかな」

「さあね」

 

 そっけなく黛が言う。しばらく保健室にはキーボードのタイプ音だけが静かに鳴り響いていた。やがて自分で作っておきながら、黛はしれっとその沈黙を壊して声を発した。

 

「そういえば、ひょっとしてなんだけど、鷹宮さんの願いと、このゲームには、何か関係があったりするの?」

「へ?」

「例えばなんだけど、このゲームで敵プレイヤー、魔界ノコウ……ん? いや、魔界ノりりむと卯月コウ……? この二人に鷹宮リオンとでびでび・でびるが敗北すれば、願いは叶わなくなる……とか?」

「え、なんでわかったの! ……じゃなかった。ま、まあそう言う設定にしておこうかしね~」

 

 はぁ、しぶといな。と黛は舌打ちした。そして切り替えるように言った。

 

「じゃあさ、このゲーム、俺が勝たせてあげる」

 

 その瞬間、鷹宮の脳は高速回転した。ここは恋愛シミュレーションゲーム。その攻略キャラクターである黛が、プレイヤーである私を勝たせてくれる。それが意味するところと言えば……! 

 

 鷹宮は頬を赤くした。

 

「そ、そそそそれって、つまり……私と」

 

 黛は目を瞑って首を横に振った。

 

「違う。敵を妨害、抹殺する」

 

 その言葉の意味が理解できない鷹宮を置いて、黛は決意するように立ち上がった。

 

「魔界ノりりむ、卯月コウ……生きて帰れると思うな」

 

 鷹宮は真顔になって、しばらくその言葉の意味を考え、あるいは聞き間違いじゃないか、何か言葉の意味を私が勘違いしていないか、と思考をやたらと遠回りし、ついに諦めて受け入れた。

 

「なんか期待してたのと違う……」

 

 鷹宮はがっくりと肩を落とした。

 

―――――――

 

「なあ、まだか?」

「もうちょっとです」

「でもさ、ほら見てよ、右手がプルプルしてるよ?」

「気のせいです……!」

「いや、肩が痛いような……」

「気のせいです……!」

「絶対気のせいじゃない……! あ、あとどんくらいこうしてればいいの?」

「もうちょっとです……たぶん」

 

 放課後の美術室では二人の生徒の姿があった。

 

 一人目、でびでび・でびるは、まるで配下に指示を出すようにして手を振るった姿勢でじっとしているが、立派に上げられた手の方は限界を迎えつつあった。

 一方二人目、それを油絵で描いている鈴原るるは、口ででびるを励ましながらも真剣な表情を浮かべており、その手は止まることが無かった。

 

「もういいですよ」

 

 鈴原の声がかかった瞬間、悪魔は膝から崩れ落ちた。

 

「あはは、そんなにつらかったんですか?」

「つらかったよ! ねえ、あとどれくらいこんなことを繰り返せばいいの?」

 

 目に涙を浮かべて尋ねるでびる。鈴原は両手をいっぱいに広げ、笑いを含んだ口で言う。

 

「それはもちろん、この教室いっぱいに飾れるくらいに……!」

「ええ⁉」

 

 でびるは信じられないとばかりに美術室を見回し、ついで棚にしまってある完成済みの絵画作品をぱちぱち瞬きしながら見た。

 

「なあ美術部、もうこんなことはやめよう」

「大丈夫です。文化祭の展示までまだ数か月あります。夏休みにも入りますし、このペースで続ければ天井までをも埋め尽くせると思われます……!」

「おい嘘だろ」

「噓じゃないですよお。私はでび様を崇拝しているのですから、これくらいは当然!」

「あ、っていうか他の部員はどうしたんだよ。文化祭で美術部一人の絵がこの教室を埋めちゃ駄目だろ!」

「へえ? それは大丈夫ですよ、たぶん。美術部は私一人です。美術部は私が卒業すれば廃部になりますから、私が最後の美術部員ですね」

 

 えへへー……と鈴原は照れたように笑った。

 

「嘘だよ……。だって僕知ってる。この学校では部員が五人を下回ったら廃部になるんだよ?」

「あー、それはですねえ……コネ?」

 

 コネ、という言葉と合わせてこてんと首を傾けた鈴原をでびるは理解できないものを見る目で見つめた。

 

「じゃ、もう一枚、今度は水彩で描こうと思うので、ポーズは……と、こういう感じでお願いしますね」

「もう嫌だあ……」

 

 泣き言を言いながらも、悪魔は背もたれのない四角い椅子の上にちょこんと乗っかり、ポーズをとるのだった。



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67.ストレッチ(よく伸ばす)

 炎天下。体操服の生徒たちは二人組で背中合わせになり、後ろ手に肘を組んで、背中を伸ばし合っていた。

 

 あのちっこい雲、すげースピードで移動して太陽に掛かってくんねえかな……。

 

 タイミングも悪く太陽の光を全身で受け止めることになった卯月コウは目を細めながらそんなことを考えていた。

 

「なあ、さっきの話だけど……」

 

 コウの真下で鈴木勝が言った。

 

「やっぱり魔界ノさんに早く謝った方がいいと思うな」

「あー、まあ、そうだよなあ……」

 

 考えたくはなかったが、どう考えてもあれはコウが悪かった。でもなあ、とコウは自分の手のひらを見下ろす。俺、弱いんだよなー……。

 

 そこで先生の合図があり、今度はコウが勝を背負って勝の背中を伸ばす。

 

「ぐっ、太陽が……!」

 

 勝は何やらしばらく悶えていたが、コウには考えることがあった。このゲームを始めてから攻略といえるイベントをまともに起こせていない。このままだと負けてしまう。コメントのみんなにどうしようか聞いたとき、みんなは一生懸命考えてくれたけれども、そこにコウが実行できそうなものはほとんどなかった。

 このゲームのキャラはみんな、ゲームのキャラとは思えないほど質感があり、各々が人間味を帯び過ぎている。こんなの、ゲームとしては明らかに失敗作だ。

 

 こんな現実みたいな人間たちを相手に好き勝手ゲームみたいに恋愛なんざできるわけがない……! 

 

 俺か? それとも社長か? どっちの悪ノリの結果こうなった? コウは考えるが、違う、と思う。制作のどこかの段階でもっと面倒な事を考えている奴が潜り込んだんだ。そしてプログラムに細工を施した……そうとしか考えられなかった。こんなはずではなかった。こんなはずでは……。

 

「卯月? ねえ、聞いてるー?」

 

 太陽の光に未だ苦しんでいる声で鈴木勝が問いかけた。

 

「あ、ああ。なんだっけ?」

「いや、俺は正直卯月の話はそんなになんだけど、俺の相棒がめっちゃ怒ってる。女心がわかってない! って」

 

 ちらっとコウは勝の耳にハマっている通信機器に目をやった。イヤホンや補聴器などに見えて、よく見るともっとハイテク機器なそれには小型のマイクやカメラがついており、勝のパートナーである高性能AIの元に繋がっているという。コウはため息を吐いて投げやりに答えた。

 

「はぁ、どうせAIには人間様の気持ちはわかんねーよ」

「ちょ、やめろよコウ! そんなこと言ったら……うわやっぱり! いわんこっちゃない。どうにかしろよこれー。めっちゃキレてんじゃん」

「マジか」

「うん、キレてる! キレ散らかしてる!」

 

 通信機を抑えて顔をしかめる勝。お互いの態勢のせいで勝の通信機から漏れ出た女性的な音声がコウにも少しだけだが聞こえた。本当に存在してたのか……! コウは驚愕する。今まで通信機は偽物で、通信の相手は勝の痛い妄想だと思っていたのだ。

 

 先生の合図があってコウは勝を背中から下ろした。振り返った勝にコウは言った。

 

「あー、勝。悪かったって伝えておいてくれないか」

「お、おう……」

 

 勝はコウの反応が意外だったのか、少し困惑しながら通信機の向こう側にいるAIに呼びかける。

 

 その間、コウはクラスの面々の顔を見渡(ぶっしょく)していた。すでにクラス内の立場は決まってしまっている。今の俺がクラスメイトだからとどこかの輪に入っていくことはもはや不可能。となればそれ以外の線から攻めるしかないのだが……そこでコウは勝の方を見た。

 勝もちょうどケリがついたらしい、コウに手を振って、

 

「侮辱したことは水に流すって、よかったな卯月」

「あ、ああ」

 

 何か煮え切らない返事をしたコウを気にかけながらも、勝はその丸い瞳でコウを見つめて言った。

 

「ところでなんだけどさ、夏休みになんか予定ある?」

「え、いや、どうだろうな……」

「じゃあさ! 夏休みにさ、俺とコウと、俺の相棒のAIと、三人で夏祭りに行かね?」

「夏……祭り……」

 

 コウの体中を衝撃が駆け巡る。

 

 夏祭り……? え、もうそんな季節? 俺はこれまで一体何をしていた⁉ 

 

 コウは冷静になってこれまでのプレイングを思い出し、一つの答えを得る。俺はこれまでギャルゲーの中で、オタクたちと、オタ活してただけ……。

 

 コウは思わず倒れ掛かり、慌てて駆け寄った勝に抱きとめられた。

 

「ど、どうしたんだよ急に! 大丈夫か?」

「あ、ああ。いや、なんでもない。なんでもないんだ……」

 

 コウは濁った瞳で言うと、すっと立って俯いた。

 

「それでなんだっけ、夏祭りだっけ」

「おう。当然だけど、俺たち三人の懇親会と作戦会議も兼ねてっから。単なる遊びじゃねえかんな!」

 

 知ってた。

 

 顔を赤くした勝からちょうど目を背けていたコウはトホホと肩を落とす。いや待てよ……! コウはかぶりを振った。まだ希望は捨てるべきじゃない。仮にもダークネスイーターなんだから、他の仲間だっているかもしれないじゃないか。

 

「なあ、勝~」

 

 コウは勝の体に自分の体を擦りつけるようにすり寄った。

 

「うわっ、距離の詰め方おかしいだろ⁉」

 

 コウの体を押し退けようとする勝にコウは一縷の望みを託して言った。

 

「その夏祭り、女の子とかもっと誘ったり……しない、か?」

 

 ダメもとで聞いてはみたが、勝が答えるよりも相棒のAIの方が先に何か言ったらしい。勝が呆れたように言う。

 

「しねえよ。……だってさ」

「デスヨネー」

 

 コウはコメント欄をじっと見つめる。確かに視聴者たちはダークネスイーターとAIとの夏祭りを見たがっている。だが、一方でよその動画配信者との勝負を意識する声も多くあり、コウは決断を迫られていた。

 

「勝、悪い」

「え」

「夏休み、俺は俺の任務をこなすよ……」

 

 それを聞いたとき、鈴木勝は少なからずショックを受けたようだったが、コウの儚い表情を見て眉をきゅっと引き締めた。

 

「そうか、卯月にもやるべきことがあるんだもんな。はあーあ……んじゃー仕方ない。夏祭りはまた、な」

 

 勝は意外と社交性があるというか、相手のことをちゃんと考えてくれるいい奴なんだな……。コウは引き留められなかったことにほっとしつつ、行ってやればよかったな、と後悔し始めていた。そのせいか、こんな嘘をついてしまう。

 

「ああ、またいつか。絶対行こうぜ」

「おう! 次は、三人で」

 

―――――――

 

「いっけね」

 

 放課後、校舎を振り返ってコウは呟いた。

 

「忘れ物した」

 

 踵を返し、校舎へ戻るコウ。校舎の中はちらほらと生徒たちの騒ぎ声が聞こえてきたが、階段を上ろうと足を出した瞬間、全ての音が掻き消えた。

 

 コウは一瞬ためらい、足を上げたまま停止するが、気のせいだと決めつけて階段を上がり始める。

 踊り場の窓から夕陽が射し、コウの背後に影が長く伸びている。無音の校舎にはコウの足音だけが空虚に響いていた。

 

 コウは眉をひそめた。何かがおかしかった。コメント欄を見ても違和感に気づいている者はいない。

 

 敵なのか……? コウは冷や汗を制服の袖で拭い、階段を上がって二階と三階の間の踊場へ。すると、たん、たん、たん……と足音がコウの頭上で鳴った。

 コウが見上げると、そこにはカーディガンに緩く袖を通した女子生徒が立っていた。

 

 夕闇の中に浮かぶ黄色い瞳は眠たげで、夢から覚めないまま学校をさ迷っているかのようだった。動揺して動けないコウを認めたかどうかもわからないまま、その女子生徒はゆっくりと階段を降りてくる。そしてすれ違いざま、くすっ……とささやかな笑い声を漏らす。コウは振り返るが、そこには誰もいなかった。

 

 

 

「だから違うって、りりむちゃん! 見たんだ、本当に見たんだよ!」

「へー。よかったじゃん」

「いや、もうちょっと興味持ってもよくない? はっ……そういえばどっかで聞いたな。あれはこの学校に伝わる七不思議の一つ……えーっと、なんだっけ?」

「はい撤収―」

「ちょっ、今日のりりむちゃんなんか冷たくない?」

「今忙しいの。早く帰って」

「はぁ? 昼寝してただろ。この唾液の浸みこんだプリントが動かぬ証拠!」

「うわぁあ! おい見んなってー!」

 

 りりむは慌てて身を乗り出し、机に散らかるプリントの上に覆いかぶさって隠そうとした。

 

「いい? これはりりむの作戦なの。遅くまで自主的に居残って勉強して、先生に褒めてもらうの!」

「いや、居残っても勉強はしてないだろ」

「うるさーい! 居眠りしちゃって、優しく説教してもらう作戦なのー!」

「ああ、わかるわ(共感)」

「共感しなくていいから早く帰ってよー。二人でいるところを見られたらまずいんだってー」

 

 へいへい。コウは肩をすくめ、当初の目的の忘れ物を鞄にしまうと、教室から出て行った。

 

 りりむはため息を吐いて、おでこを机にとんと落とす。作戦は当初の予想を大幅に下回り振るわなかった。りりむは積極的に話しかけようとはするものの、先生は面倒見がよく、それでいて面倒くさがりなので、生徒に囲まれたかと思えば気づいたときには職員室に帰ってしまう。他の子を押し退けて話しに行く勇気はりりむには無かった。

 

 これからどうしよ……。ゲームの中とはいえ、毎日があっという間に過ぎてしまう。何のイベントもなく、何の面白みもなく……。

 

「ごめんみんな……」

 

 りりむは謝った。今も自分を応援してくれているコメントのみんなにだった。なんとなく見たくはなかったが、きっと自分を励ましてくれているだろう。それがわかる程度にはりりむはコメント欄のみんなを信頼していた。

 

「はあ……」

 

 りりむの気怠い体は机の上で伸びていた。

 

「おやおや~」

 

 そこで突然聞こえた男性の声に、りりむは身を固くする。

 

 顔を上げたりりむが見たのは褐色の肌の男性だった。男性はまるでテレビで見る司会のような派手なスーツとサングラスを身に着け、さらにしっかりと決まったオールバックがよく似合っていた。男性はりりむの肘から覗いていたプリントを覗き込んでいた!

 

「ちょっと待って!」

 

 りりむは慌ててそれを隠すが、もう遅かった。男性は口の端に笑みを浮かべていた。

 

「これは私が出した数学の課題プリントですね? あ、今魔界ノりりむさんが落としたプリントは……物理、ですか。ふむふむ。いや、素晴らしい!」

「……え?」

「素晴らしいです、りりむさん! 勉強はあんまりな子だと思っていたのですが……意欲は! 意欲だけはあったんですね!」

「それ絶対馬鹿にしてるだろ!」

「いやはや素晴らしい」

 

 その男性はサングラスの下の涙をハンカチで拭うと、鼻をかみ、深く感銘を受けたというようにうんうん頷いて言った。

 

「仕方ないですね。微力ながら、この私。数学教師のグウェル・オス・ガールが! これから毎日、授業終わりに特別補講をしてさしあげましょう!」

「……いりません」

「さあ、それではノートを開いて。大丈夫です。私、グウェル・オス・ガール。数学だけでなく物理も得意ですので」

 

 グウェルはノリノリで教壇に立つと、りりむに向けてにっこりと笑う。

 

「まじかー!」

 

 りりむの体は椅子の背もたれに仰け反るように倒れていった。



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68.夏祭り

 夜、神社の参道には屋台の明かりが連なり、広場で行われているらしい盆踊りのメロディが安っぽいスピーカーから流れていた。

 

「はぁーあ、卯月のやつがいればなあ。え、いや、そうは言ってねえけどさ……」

 

 浴衣姿の鈴木勝が頭の後ろで腕を組み、屋台を見ながらぶらぶらと歩いていた。それを屋台と屋台の隙間から見ていたのは卯月コウだった。

 

「ふう、危ねえ危ねえ。見つかったら感じ悪いからな」

 

 視聴者への説明も兼ねて口に出したコウは浴衣の袖で汗を拭う。

 

 このお祭りはたぶん、今作ギャルゲーの中でも大きいイベントに違いない。普通だったら仲良くなった相手を誘っていいムードになり、一気に距離を詰められたはずだ。しかし、彼がこの場で行うのはナンパだ。彼が自分で思う彼のイメージとは程遠い、チャラい、陽気な……コメント欄は応援してくれているが、コウはどうにも気分が乗らず、屋台の隙間から通りを眺めることしかできなかった。

 

「ん? あれは……」

 

 コウの見つめる先に見覚えのある生徒が現れる。目が覚めるような真っ赤な浴衣を纏い、長い髪を頭頂部で左右にまとめ、後ろ髪を垂らす少女。いつもはキリっとしていてクラスのリーダー的存在だったが、今は少し表情が柔らかくなっていて、頬に赤みが差していた。

 遅れて、二人の生徒が現れる。一人は黒い浴衣に短髪の少年、そしてもう一人は、薄桃色の浴衣を纏い、薄紫の髪に赤いリボンを結ぶ少女だった。

 三人は合流すると、和気あいあいとして(赤い浴衣の女の子は待ったせいか少し怒った素振りを見せるが、それでも嬉しそうだった)、屋台の流れの中に消えていく。

 

 あいつら隣のクラスの……。確か名前は……

 

「あれ、コウくん?」

「うわああああ!」

 

 コウが驚いて振り返ると、屋台と屋台の間のさらに奥、木々の間から制服姿の魔界ノりりむが顔を出していていた。

 

「りりむちゃんじゃん。あれ、補習じゃなかったか?」

「何言ってるのコウくん、お祭りだよ? 夏祭りだよ? 論理的に考えて脱走するに決まってんじゃん!」

「お、おう」

 

 りりむは自分の言葉で勇気づけられたのか、謎に胸を張って屋台の傍のコウの前に出てくる。

 

「とりあえずお腹減ったしなんか食べよ? 食べながら色々考えようよ」

「ああ……ああ、そうだな。それがいいわ」

 

 コウは鈴木勝がいなくなったのを確認すると、りりむを伴って表の参道に出た。左右に明るい光が並び、人が入り乱れる中で、りりむが指差す方を見ると、水風船のヨーヨー掬いの屋台があった。

 

「あの、りりむちゃん?」

「なあに?」

「いや……いいか」

「うん!」

 

 二人はそんな調子でヨーヨーを掬い、お面を買い、射的で遊び、りんご飴を舐めて、本命のお腹を満たす食事にはなかなかありつこうとしなかった。夜の神社は熱気がくぐもり、コウの額には汗が滲んでいたものの、冷たい水風船のヨーヨーを手でついていればなんとなく涼を感じられた。

 

 楽しいからもうこれでいいや……コウがそう思いかけたとき、りりむが立ち止って、じっと人並みの向こう側にある屋台を見つめだした。コウが目を向けると、それは焼きそばを作っている屋台だった。コウは察すると、りりむの手を引き、人の波を掻き分けて屋台まで移動する。

 

「そういえばりりむちゃん、ここまで全部お金は俺が出したけど、お金の方は……」

「ない!」

 

 と自信満々に言うりりむ。これは予想していたことだった。

 

「いやさ、赤点取っちゃってからお小遣いゼロなんだよね~」

 

 照れたように頭をかくりりむに呆れつつ、コウは焼きそばを二人前注文する。屋台の厳つい男が鉄板の上で焼きそばを作っていくのを、二人は何も言わずに見守っていた。

 

 焼きそばを受け取った二人は人の列を離れ、人気のない神社の石段に腰を下ろし、もくもくと焼きそばを食べ始める。

 競争していたわけではなかったが、コウが先に食べ終わり、勝利宣言をした。ゆっくり食べていたりりむは憤怒の表情を浮かべるも、「りりむは味わって食べるからいいもん」と拗ねたようにずるずると焼きそばをすすった。

 

「あれ、そういえばさっきまでこんなに人いなかったよね?」

 

 りりむの言葉でコウが辺りを見渡すと、確かに人が増えており、特にカップルが多かった。彼らは一様に夜空を見上げていた。

 二人もつられて空を見上げた瞬間、大きな音とともに花火が打ち上がった。コウも、りりむも、その場にいる他の人たちと同じように……ゲームのキャラクターたちと同じように、黙って空を見つめることしかできなかった。

 

 

 

 花火が終わると人もまばらに散っていく。広場を見下ろすと盆踊りの人影が見え、耳に障る小うるさい音楽が聞こえてきたが、コウとりりむは神社をあとにすることにした。

 

 二人は何も言わずに石段を下りていく。お祭りの喧噪が遠ざかっていくのをコウは寂しく思いながら、頭の中でりりむと一緒に見た花火を思い浮かべていた。石段の一番下まで下り、鳥居をくぐろうとしたとき、りりむがさっと身を引いて石段から外れたところにある木陰に身を隠す。ボケっと突っ立っていたコウも引っ張り込まれた。

 

「りりむちゃん、どうし――」

「静かに!」

 

 りりむの声に非常事態を察し、コウは息をひそめた。りりむの視線を追うと、そこには浴衣姿の担任の先生が歩いていた。先生は水風船を手でつきながらカランコロンと下駄を鳴らして歩いていく。その足取りは不確かで、顔を見ると僅かに赤みを帯びていた。

 

 酔ってるのか……? コウはコメントも確認しながら小声でりりむに呼び掛ける。

 

「どうする、りりむちゃん。イベントイベント」

「うん、そうだよね……でも、まだ告白は出来ないし、この機会に少しでも距離を詰められれるなら」

「よし、俺も援護に回る」

「は? りりむの先生を狙ってんの?」

「ちげえよ! あーもうさっさと声かけてこいって。俺は後ろから見守っててやるから」

「あ、なんだ……ごめん。ありがとう。じゃあ、行ってくる!」

 

 りりむが木陰から出ようとしたとき、「先生ー!」と数人の浴衣姿の生徒が先生に駆け寄り、囲んでしまった。

 りりむは萎んだ表情でコウを振り返り、するすると木陰に戻ってきてしまう。

 

「なんだよ、声かけろよ。それか、後ろについてって向こうが気付いたら挨拶して話に加わればいいだろ?」

「えー……でもなんか、わざわざついていって話しかけられるのを待つのって……その、陰キャっぽい、ような……」

「りりむちゃん」

「はい」

「言葉が過ぎるぞ……」

「……じゃ、行ってこよっかなー」

「おう、頑張れよ」

 

 りりむは木陰から出ると小走りで先生のとりまきに近づき、すぐ後ろを歩いた。コウもまた木陰を出て移動を開始する。

 

 先生とそのとりまきたちは緩やかな速度で坂を下りて行き、街中へ。街中へ入ると取り巻きの生徒は家に帰るために少しずつ減っていく。コウも、そしてりりむもその時を待っていた。

 

 そしてついに、最後の金髪のキラキラした雰囲気の女子が手を振って先生と別れると、先生は一人になった。コウはガッツポーズしたが、りりむはここまで気づいてもらえないことに傷つき、自分の影が薄いのではないかと疑い始めていた。

 

 だが、悩んでいても仕方がない。これはゲームなのだ。恋愛も、ゲームも、傷ついてなんぼ……りりむは自分のほっぺをぺちんと叩くと、先生に追いつく速さで歩き出した。

 が、またしても上手くいかなかった。なんと先生がホストクラブに入ってしまったのだ。

 

「これは予想してなかったな」

 

 ホストクラブの前でぽかんと口を開けて突っ立つりりむに追いついて、コウが困ったように首を振る。りりむは頭を左右にぷんぷん振ると、我に返り、「どうしよう!」と先ほどは叩いた頬を押さえて嘆き出す。

 

 コウもまた考えても何も浮かばず、頭を抱えた。

 

「ちょっと、そこの君たち」

 

 そんなとき、二人の背後から声がかかる。二人が振り返ると、そこには二人と同じ制服姿の男が立っていた。男は飄々とした物腰で二人に近づくが、比較的背の低い二人を上から見下ろす様はどこか威圧する風も感じられた。男の目は、閉じられているのか線のように細い。コウは鈴木勝の言葉を思い出してハッとする。糸目の神田……!

 

 男は制服の袖の腕章、「風紀」を二人に示すと、あくまでも穏やかな声音で聞いてきた。

 

「夏祭りはもう終わったようですし、早く帰った方がいいと思うんですけどー、お二人はここでいったい何を?」

「はっ、俺たちがここにいたら悪いってか!」

 

 啖呵を切ったコウにりりむがもじもじと耳打ちする。

 

(コウくん、さすがにここに立ってたら悪いって。怪しすぎるもん!)

(そ、それもそうか……)

 

 小声で相談し始めた二人を見て、うんー? と男はわざとらしく首を傾ける。

 

「私は向こうからずっと歩いてきてたんですけど、お二人はその間ずっとここに立ってましたよね? 怪しいなあ。いったい、何を企んでるのかなー?」

 

 首を傾け、反対側にまた傾け、二人を言葉で追い詰めていく男の表情はどこか楽し気ですらあった。

 

「その、俺たち、たまたまここで話しこんじゃっただけで、他意は無いんです。もう帰りますんで、本当にすいません!」

「すいません!」

 

 相談してもろくな解決法が思い浮かばなかった二人は頭を下げるしかなかった。それを見て男は肩透かしを食らったように息を吐き、困ったような表情を浮かべた。

 

「ふーん、そうですか。話しているようには見えませんでしたけど……まあ、しらを切っているとはいえ、謝罪を述べた生徒をこれ以上家に帰さない権限は私にはないですからねー。仕方ない。ではまた。今度は新学期に、学校で会いましょう」

 

 二人が見守る中、男は暗い路地の奥へと消えた。二人はほっと息を吐く。

 

「なあ、思ったんだけど」

 

 コウはりりむに言った。

 

「りりむちゃんって変身できたよな? ホストクラブに入れんじゃん!」

「あ、それだ! ナイス、コウくん!」

 

 りりむは今まで自分の能力を忘れてでもいたかのようにはしゃぎ、変身の魔術を自身と、そしてコウにもかけ始める。

 

「ふぁっ!?」

 

 コウが抗議の声を上げる間もなく二人の姿は煙に包まれ、煙が晴れた頃にはそこに立っていたのはゴシックドレスを纏う二人の女性だった。

 

「さあ、行きますわよ」

「おい」

「あれ、卯月さんですよね? そんな口調でよろしいんでしたっけ? あなた、卯月さんでしたわよね?」

 

 慣れていない口調でたどたどしく尋ねるりりむに、コウは能面のような顔で答えた。

 

「……そうわよ」

 

 二人はお嬢様姉妹のように腕を組み合い、ホストクラブへと入っていった。



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69.ホストクラブ

 予約を入れてないにも関わらず、ホストクラブの受付は親切に対応してくれて、二人のお嬢様を席に導いてくれた。

 

 店内は黒を基調としたミニマルな内装で、BGMとしてアップともスローともいえない曖昧なジャズのテンポが自然と耳に馴染み、気づいたときには空間に溶け込んでいる。

 それぞれの席で話のトーンも様々で、楽しそうに話している席もあれば、落ち込んでいるらしい女性にホスト数人が共感するように相槌を打ち、どうすればいいかとみんなで悩んでいる席もあった。

 

 コウには何が何だかわらなかったが、りりむの魔族の耳には全てが聞こえていた。

 

「りりむちゃん、どうだ?」

「ちょっと静かにしてよ。先生の声が聞こえない」

「ごめんごめん……」

 

 二人は少し居づらさを感じながら小声で話し合う。そんななか、二人の前についにホストが現れる。そのホストは紫とピンクのメッシュを横に流した灰色の髪が特徴的で、恐らく髪色に合わせたのだろう、襟に明るい刺繍の入ったスーツは仄かに紫がかっていた。

 そうしたバッチリ決まった衣装とは対照的に、切れ長の眼にはどこか優しく、愛くるしい印象があった。

 

 これがホスト……! と、瞠目する二人の前に、ホストの男はキザに一礼して見せる。

 

「こんばんは。どうも、不破湊(ふわみなと)と申します。席、ご一緒してもいいかな?」

「ど、どうぞ……」

 

 りりむの返事に微笑みで返し、男、不破湊は洗練された身のこなしで席に体を滑り込ませ、二人から近すぎない程度の距離を開けて席に着いた。

 

「いやあ、実は俺、このあと指名が入ってるんだけど、二人とも初めてで緊張してるみたいだったから、つい声掛けちゃった」

 

 あっけらかんと笑う不破の、二人が最初に抱いたイメージとは正反対の親近感に、二人は拍子抜けしてたじたじとなった。

 

「って、それってやばいんじゃないですか?」

 

 焦ったコウがお嬢様言葉も忘れて言うが、不破は一向に気にしてない様子で笑う。

 

「ダイジョーブダイジョーブ。ま、なんとかなるっしょ。それよりどうかな。お店の雰囲気とか、俺、けっこう気に入ってるんだけど、初めて来た二人の印象を聞きたいな」

 

 言われて二人は改めて店内を見回す。

 

「なんていうか、日常とかけ離れた場所でワクワクする感じ、と、自分の部屋? じゃないけど、凄く落ち着いてて本来の自分に戻れる感じが共存、してて、すごく良い感じ……だと思います」

「あ、それちょっとわかる!」

 

 りりむの言葉にコウは共感して親指を立てたが、りりむは変なこと言っちゃった……と頬を赤くした。

 

「ふふっ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。俺も未だにここに来ると、その非日常のワクワク? と、本来の自分に戻れる落ち着いた感じがあってさ、まあ俺、ホスト側なんだけど」

 

 不破の笑いに誘われるように二人は笑った。それを見て不破は表情を柔らかくした。

 

「さて、それじゃあ――」

 

 何かを言おうとした不破だったが、そこで通路から駆けてきたホストの男が不破を呼んだ。

 

「不破さん、もう駄目です! 抑えきれません!」

「あぁえ? セイセイ……ちょっとちょっと……時間までもうちょっとあんだろ?」

「そ、それが、店に入った時にはすでに出来上がってて……」

 

 そのとき、女性の叫び声とガラス瓶の倒れる音が通路の奥から聞こえてきた。

 

「不破はどこだ、不破を出せ!」

「あはははは……何も、そんなに暴れなくても不破先輩は来ますよ……」

 

 通路の奥の席から立ち上がったホストの男が宥めるように柔らかな笑みを浮かべる。その笑みの美しさは流石にプロと言いたいところだが、よく見ると横目でこちらに向けて必死に催促している。助けを、求めている……。

 

 魔力で強化されたりりむの目には前髪に隠れた首の横を冷や汗が伝っていく様がまじまじと見えた。

 

「はぁ、仕方ないかぁ。ごめんね、二人とも。この埋め合わせはいつか必ずするから」

 

 そうして不破は立ち上がると、紫のネクタイをきゅっと閉め、踵を返す。そこで「あ」と何かを思い出したかのように振り返り、二人に言った。

 

「そうだ、二人とも。このお店にはちゃんとソフトドリンクも置いてるから。気にせずゆっくり楽しんでってよ」

 

 言われたことの意味が分からずぽかんとする二人に、不破は人差し指を口の前に持ってきて、くすりと笑った。

 一拍おいて、コウが気付いた。

 

「年齢! バレたんだ!」

「え、うそ!」

 

 りりむは自分の顔をペタペタ触り、盛った胸や腰の辺りも触る。ついで、卯月コウの方を見る。若い女性だ。確かに高校生に見えなくもないけれど……うーん。

 

「もうちょっと大人に変身すればよかったかな」

「ま、いいんじゃね? ゆっくり楽しんでって言われたし」

「それもそっか……」

 

 話に一段落付き、コウとりりむは先生のいる通路の奥にある席を見た。そこでは不破と担任の先生が隣り合って話をしている。

 

 先生は椅子に深くもたれて足を組み、時折体を起こし前かがみになって酒を飲む。一方不破はテーブルの上で両手を組み、少しテーブルに体を寄せて、先生の顔を覗き込むようにして相槌を打っているようだった。

 

 りりむは耳を澄まし、会話の内容を盗み聞く。

 

「なんかさー、担任なのに生徒と全然上手く話せないし、力になれなそうにないっていうか……やりきれない……。はぁー……私の存在って何なんだろうなあ」

 

 そう言って先生はあおったグラスをごとんと置いた。

 

「なあ、何話してんだ?」

 

 コウがりりむに尋ねる。りりむはしっ、と鬱陶しそうにした。

 

「たぶん、生徒のこと話してると思うんだけど……先生、落ち込んでる」

 

 先生はグラスの中の氷を揺らし、抜けるような息を吐く。その目がゆっくりと移動し、不破の着ている服に目が留まった。

 

「不破ぁ。お前、昔はもっと安っぽい服着てたのに、頑張ったんだな」

 

 そして、なんと先生は目に涙をためて泣き出した。

 

「先生もずっと頑張ってて凄いっすよ……それこそ、俺なんかよりもずっと」

 

 そこで先生は感極まって泣き出し、不破の頭をよしよしと撫で始めた。

 

「お前、もうっ最高! 最高の教え子だよ……!」

「いや……俺別に先生の生徒じゃ……」

 

 そこまで言いかけたとき、不破の頭を撫でつけていた先生の指が不破の頭にめり込んだ。不破は「アーオ」と奇妙な声を発したあと、爽やかなほほ笑みを浮かべて言った。

 

「はい、嬉しいっすね。自分も最高の先生に出会えて本当に良かった!」

 

 コウとりりむは顔を見合わせる。

 

「なんか、何言ってるかは聞き取れないけど、俺には先生がダルがらみしてるように見えるんだが……」

「うん。だいたいあってる」

 

 りりむは真顔で言った。

 

「よし不破。シャンパンタワー頼もう!」

 

 酔いの回った先生の言葉に、さすがに不破も慌てて止めにかかる。

 

「ちょっ、さすがに飲みすぎですよ。それに金額の方だって……」

「いいのいいの。私が潰れたところ見たことないでしょお? それにお金は副業でがっぽり稼いでるから大丈夫」

「副業……っすか」

「そうそう。学校も私立だから禁止とかされてないし。別に危ない仕事とかじゃないから心配すんな!」

「はあ、そうですか……んじゃ、ま」

 

 これまでどこかバツの悪そうな顔をしていた不破だったが、すぐに先ほどのような落ち着いたホストの顔に戻ると、パン、パン、と手を二回打ち鳴らし、シャンパンタワーを宣言する。

 

 控えていたホスト達が大慌てで駆けだし、タワーの準備が進んでいくのを、先生と、不破、そしてコウとりりむは静かに、一言も発することなく見守った。

 静かな空間から一転して、店にいるホスト達のシャンパンコールの大音声が始まった。

 

「先生、ありがとう」

 

 不破が発したその言葉は本来であれば先生にしか聞こえなかっただろう。コウが見たのはりりむが息をのむところだけだった。

 

 そして、不破がグラスのタワーのてっぺんからシャンパンを注ぎ入れると、大音声は拍手に変わる。

 

 コウとりりむは四方からの光にキラキラと輝くシャンパンタワーを見上げていた。

 止まない拍手。人の影が右往左往する。なんだか、夢の中にいるようで、不破がこの場所が好きだと言っていた理由が二人にもわかった気がした。

 

 そこからは早かった。先生も、また半ば飲まされていた不破も、すでに限界は近かったらしい。沈没は一瞬だった。

 

 お祭り騒ぎの過ぎたあと、コウはりりむに呼び掛ける。

 

「なあ、本当に先生で大丈夫なのか?」

「へ? どういう意味?」

「だからさ、先生、あのホストに惚れてんじゃねえの?」

 

 コウの疑問の声にりりむは笑うでもなく「ううん。」と首を横に振った。

 

「違うよ。確かに先生と不破くんの関係ってすごくいいなって思うんだけど、あれはそういうのじゃない」

 

 ひょっとしたら、そういうのよりいいものかもしれないけれど……。

 

 口許でそう呟き、りりむは通路の奥を見た。りりむの視線を追いかけたコウは納得する。

 

「それは……確かにそうだな」

 

 二人の視線の先では、先生と不破の二人がテーブルの上で静かな寝息を立てていた。二人とも、棺桶の中にでもいるかのように、背筋をまっすぐにして胸の上に手を組んでいる。

 

 恐らく触らぬ神に祟りなしということで放っておかれているのだろう。あるいは、その寝顔が心地よさそうだという理由もあるのかもしれない。

 

 

 

 店を出た二人は変身を解き、とぼとぼと暗い街を歩いた。人気もなく、ほとんど無音のなか、二人の胸の奥では花火の音やシャンパンコールが未だに鳴り響いていた。

 

「じゃあ、家はこっちだから」

 

 りりむが言って、二人は向かい合った。

 

「ねえコウくん、色々あったけど楽しかったよ」

 

 そう言って照れたように笑い、りりむは小走りで去っていった。

 

 コウは歩き出す。歩きながら考える。色々あったけど、楽しかった……その言葉を。そして、その後に浮かべられた笑みの意味を。



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70.ルルノイエ

 その家は住宅街のなかに建つきわめて平凡な一軒家だった。バックパックを背負ったでびるは渡された地図と何度も照らし合わせ、ここだ……と足を止める。

 

 でびるは玄関の扉を前にしてうん? と首を傾げた。インターホンが無かったのだ。やむなしとドアをノックするが……。

 

「?」

 

 でびるは確かに何度も扉を叩いている。だが、音は全くならなかった。表面は堅そうなのに、固くない。けれど柔らかいわけでもない。叩いた瞬間にその衝撃だけが消え失せているようだった。

 

「すいませーん! ……あの、誰かいませんかー? ごめんくださぁーい!」

 

 呼び掛けて、しばらく待っても反応はない。でびるは嘆息すると辺りを見回し、人がいないことを確認すると、扉をすり抜けて中へと入った。

 

「でび様! いらっしゃい!」

「うわぁ!」

 

 扉をすり抜けた先で鈴原の見開かれた目と対面し、でびるは玄関に落下してころころと転がった。

 

「す、すいませんでび様、今開けようとしたんですが……」

 

 鈴原に抱き上げられたでびるはもはや、諦めの境地にあった。

 

「もういいよ。それより外も暑かったしアイスをくれると嬉しい!」

「はい! ではリビングにお連れしますね!」

 

 鈴原はでびるが飛んでいるのを見て、どこで買ったか小さなおもちゃみたいなスリッパをしまい、先導して廊下を歩いた。

 

廊下にはいくつも扉があった。

 

 そのうちの一つ、角の部屋の前で鈴原は立ち止ると、でびるに振り返って言った。

 

「一応、ここが私の部屋です」

「お、おう」

 

 その部屋には木で出来たピンク色のプレートに白い雲みたいなフォントで「LULU」と書いてあった。

 だが、それよりもでびるが目を離せないのはその隣の部屋。

 

 扉に大量の御札が張られ、札に混じって存在する藁人形には黒く炭化した釘が打ち付けられている。さらに、その釘には壁や天井に張られた札を巻き込みながら鎖が厳重に巻き付けてあった。

 

「私の部屋はあとで案内しますね」

「おま、それより隣の……」

「ここを曲がればリビングですから。さあ、ついてきてください」

「はい」

 

 鈴原が扉を開くと、意外にもそこには普通のリビングがあった。木を基調として無駄なものがなく、だだっ広い部屋だった。

 

 でびるの目に止まったのは窓だった。窓というより、液晶だろうか。近寄ってみても何か投影されているわけでもなく、また電子機器にも見えない、本当に普通の窓に見えた。そこに映し出された宇宙はこの部屋を静寂で満たしていた。

 

 でびるは恐る恐る鍵を開けて窓を開けようとした。だが、その手はガシッと背後から鈴原に掴まれてしまう。

 

「でび様、アイスはそこにはありませんよ」

「いやでも、ちょっと窓がどうなってるか気になって」

「開けないでください」

「じゃ、じゃあこの窓どうなってるのか教えてよ!」

「窓を開けないでください」

「はい」

 

 鈴原は許すように笑って頷くと、でびるを部屋の中央の背の低いテーブルに案内し、ピンクのかわいらしい座布団に座らせた。

 

「はい、でび様。崇拝の証です。どうぞお召し上がりください」

 

 鈴原はキッチンから持ってきたアイスをでびるに渡す。でびるは厳めしい顔つきでそれを受け取ると、冷静に包装を解いてアイスの見た目や匂いを吟味する。そしてついに、ぺろりと舌をアイスに這わせた。

 

「う、うめえ!」

 

 次の瞬間、でびるは鋭い歯を剥き出しにしてアイスにがぶがぶと齧りつき、あっという間に平らげてしまった。

 

「美術部! これすげーおいしい! 今まで食べてきたアイスの中でも断トツだよ!」

「それはそれは、喜んでもらえて何より……! 実はこの日のためにちょっと高いアイスをたくさん買っておいたんです」

「美術部……お前、天才なのか?」

「えっへん! では、もっと持ってきますね~!」

「おお! 頼む!」

 

 それからでびるは満足するまでアイスを食べ、お腹が膨れるとやがて眠りについたのだった。

 

 鈴原は眠り付いたでびるを見下ろすと立ち上がった。明かりの点いていないリビングは薄暗く、窓外の宇宙にはちかちか星の光が瞬いているものの、それも宇宙の闇の中にどんどん遠のいていっているようだった。

 

 鈴原はリビングから出て行く。パタパタと家の中でささやかな足音がして、戻ってきた鈴原の手にはスケッチブックと筆入れがあった。

 

 部屋は暗いまま、鈴原はでびるの前にしゃがみ込むと、さらさらとでびるの寝ている姿をスケッチブックに描いていく。たまに、スケッチブックの絵とでびるの姿を見比べ、うーん? と目を見開いて首を傾げ、スケッチブックの絵を修正する、という作業を繰り返していく。

 

 しばらくたって、スケッチブックから顔を上げた鈴原の顔には満足そうな表情が浮かんでいた。

 

 鈴原は立ち上がると、今度は部屋の隅に置いてあった姿見を引っ張り出し、部屋の中央へ持ってくると、姿見の前に椅子を置いてそこに座った。

 

 パチ、パチ、と瞬きし、首を軽く横に倒す。そして頷くと、テーブルの上に置いてあった携帯を手に取り、今度は目を瞑って首を横に倒し、それを何枚か(自分の姿と姿見に映った自分の姿)写真にとる。撮った写真を確認すると、うんうん頷き、そのままスケッチブックに書きとり始める……。

 

 でびるが起き上がると、ちょうど鈴原がリビングを出て行こうとしているところだった。

 

「あ、美術部! どこ行くの?」

 

 鈴原は振り返ると、にこやかに笑っていった。

 

「お先にシャワーを浴びてきます。眠気が覚めたらでび様もどうぞ~」

 

 カチャ、とドアの金具が合い、鈴原はパタパタと廊下へ出て行った。

 

 しばらくして、家の中が静かになった。でびるが耳を澄ませると、わずかにシャワーの水音が聞こえてくる。でびるはふーっと息を吐くと、振り返り、まるでそこにカメラがあるかのように、視聴者に語り掛けるかのように言った。

 

「さーてさて、やっぱり人に駄目って言われたことは気になっちゃうんだよねぇ~」

 

 だって僕、悪魔だし。そこまで言うと、悪魔は悪い顔でニシシッと笑った。

 

 まず、確かめるものは窓だった。

 

 悪魔は改めて窓を見てみるものの、やはりいくら見たってよくわからない。普通に、窓の向こうに宇宙があるように見える。恐らく、裏側から投射していているのだろう。でびるは納得し、しかし警戒は解かずに窓をそっと、ほんの少しだけ開け、隙間から向こう側を覗き込む。

 

 どこまでも奥行きのない空間に無数の光が瞬いている……その様にでびるはあんぐりと口を開けたままで固まった。でびるの目の前をいくつか巨大な小天体が流れていっても、でびるは何も反応することが出来なかった。

 

 コメント欄が視界に入るとでびるは我に返った。コメント欄と少し審議した末に、でびるはゴミ箱を漁って先ほど食べたアイスの外れ棒を手に取ると、窓の外へと突き出す。

 

 窓の、ちょうど内と外の境目の辺りで薄い膜が張ってあるような、柔らかな抵抗を感じたが、でびるがアイスの外れ棒を無理やりグイグイ押し込むと、棒は吸い込まれるみたいに膜の外側へと押し出される。でびるがパッと手を放すと、アイスの外れ棒は落ちもせず、闇の奥へとゆっくり遠ざかっていった。

 

 でびるは無言で窓を閉めた。

 

「つ、次はあのヤバそうな部屋だ!」

 

 無理やりテンションを上げて言ったでびるだったが、その目は焦点が定まらず、額には冷や汗が滲んでいた。

 

 コメントに指摘されてちゃんとリビングの明かりを消したでびるは廊下に出る。廊下の薄暗がりの奥に、あの扉は禍々しい邪気を発していた。でびるはそそくさと扉に近づいていくと、扉の、その表面を覆っている鎖に手を近づける。

 

 バチッ! と劈くような音とともにでびるの手が弾かれ、鎖の表面に黒い電流のような光が走った。

 

「いったぁ……」

 

 でびるは涙目になりながら焼かれた手を自身の魔力で癒し、それが終わると挑戦的な瞳で扉を睨みつける。

 

「なるほどねえ……」

 

 でびるは扉の鎖や釘、扉以外の札に、先ほどのように反応が起こらない近さまで手を近づけたり、顔を近づけてよく見たりして、しばらくは何かを確かめるように右往左往していたが、やがて満足したように頷き、「ふっ、僕の手に掛かれば……!」と自信満々に呟いた。

 

 でびるの体が半透明化し、扉の方へと吸い寄せられていく。その体が鎖や釘、札に触れてもジリジリとした細かな反応が出るだけで、でびるには痒い程度だった。でびるは玄関の扉をすり抜けた様に、封印されていた扉を抜けた。

 

 小さな部屋だった。古い埃の匂い。部屋の奥の窓からは夕陽が射しこみ、左右に並ぶ本棚に影を作っている。そして、部屋の中央には……中央の空間には穴が空いていた。

 

 でびるは近づいてよく見た。人が入っていけそうな穴だった。ぽっかりと空いた穴は覗き込んでも果てが見渡せず、暗くてドロドロとした何かがどこまでも蠢いて見えた。その穴から感じる空気を、匂いを、でびるは知っている。懐かしいと思う……。

 

 いつの間にかでびるの体は穴の方へと引き寄せられていた。

 

 たしかにこの世界は楽しいけれど、それって本当に必要なのかな? 人と話したり、遊んだり、楽しいけれど……でも、初めから全部、無いなら無いでもよくね? 面倒くさいじゃん……こうしてもう、このまま元の通りに、楽になっちゃえばいいんじゃね……? 

 

 脳内でぺらぺらと語り掛けてくるもう一人の自分の声を聞く事すら煩わしく、でびるは目を閉じ、意識も閉ざそうとした……まさにその時、ガツン、ガツン! バキ、バキ! とでびるを呼び起こすように破壊的な喧噪が部屋の中を満たしていった。

 

「な、何だぁ⁉ 誰が僕の邪魔を……」

「でび様~!」

 

 やべっ! 咄嗟にでびるの口から出た言葉はそれだった。でびるはその一瞬で全てを悟り、振り返ると、破壊された扉の隙間から大きな瞳がこちらを覗き込んでいた。

 

「よいしょ」

 

 そう言って鈴原は扉を片手で破り捨て、部屋の中に入ってくる。鈴原のピンクのパジャマ姿と濡れて艶の出た髪は新鮮だったが、今のでびるには恐怖が勝った。

 

「でび様……どうしてこんなところに入ってしまわれたんですか?」

「え⁉ いやそれはその、ちょっと……なんていうか、呼ばれた気がして」

 

 でびるは少し恥ずかしそうにしながら穴の方をちらっと見る。

 

「そうですか……でび様も、なんですね」

 

 鈴原は納得したかのように部屋の中をぐるりと見渡した。その視線は部屋の中心に開いた穴ではなく、左右の棚に注がれている。でびるはその段になって初めて棚に目をやった。棚にはゲームのソフトが隙間なくずらりと並んでいた。箱の色や背表紙の高さなどがそろっていて、整頓されてはいたが、全て、埃を被っていた。

 

「私、ゲームが好きなんです。でも、受験もありますから、去年から控えているんです」

「受験? ああ、大学って奴?」

「はい! 美大の方に行きたいなって……!」

 

 でびるは思わず、ほう、と感心してしまった。怖いのに優しくてよくわからないやつだと思っていたが、人並みに努力して夢を追っていたのだ。

 

「そっか。じゃあ、春から美大生なんだな」

「え⁉ いや、まだ合格できるかはわからない、ですけど……」

 

 しりすぼみに小さくなっていく声に、でびるはやはりそうなんだと確信する。でびるは初めて鈴原るるを普通の人間として見ることが出来た。

 

「ねえねえ、その夢、僕が叶えて上げようか?」

 

 にやりと笑う悪魔に鈴原は首を傾けて

 

「え、そんなことしたら私がずっとゲームを我慢してきた意味は……?」

「あー、それはまあ、確かに?」

 

 鈴原はほほ笑んで言う。

 

「願いが叶うならまた別の機会に、別の願いを叶えて頂きたいです!」

「うん。お前は僕を崇拝してくれる大事な契約者だからな。僕は契約者のお願いを何でも叶えてやれる立派な悪魔なんだ。忘れるなよ」

 

 鈴原は勢いよく頷いた。

 

「はい!」

 

 でびるがシャワーを浴び終えてパジャマに着替え、リビングに戻ると、テーブルの上にはお菓子やジュースが準備されてあった。

 

「美大生、これは……?」

 

口の端から垂れてきた涎を拭ってでびるは尋ねる。

 

「でび様! 今夜はパジャマパーティーです……!」

「おお! って、パジャマパーティー?」

「夜、美味しいものを食べながらたくさんお話するんですよ。映画なんかもたくさん揃っています」

「映画か! それはいいな。何か恐ろしい映画はあるか?」

「もちろん! スプラッターなホラーもここに……!」

「よし! ではパジャマパーティーの開幕だ!」

 

 二人はコップにジュースを注ぎ合うと、乾杯し、それから二人は映画を見ながらお菓子をつまみ、おしゃべりを楽しんだ……。

 

  〇

 

 薄暗い部屋ではカチ、カチ、とマウスのクリック音だけが鳴っていた。卓上の照明に顔を照らされた鷹宮リオンは前髪をかき上げてほほ笑む。

 

 鷹宮はいつか後悔することになる。相手が自分のことを知りたがってくれていることに舞い上がったりなんかせずに、相手が本当に求めているのは何だったのか、自分がしてやれることはなんだったのか、もっと考えてやればよかったのに、と。



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71.文化祭~メイド喫茶編~

 夏休みはあっという間に過ぎていく。ある者は夏祭りでキョロキョロと女子たちを遠巻きに見つめる不審者となり、ある者は夏休みにも毎日学校に通うほど勤勉に過ごし、またある者は薄暗い部屋でパソコンに向かい、頬杖をついて、軽やかな笑みを浮かべて何者かとチャットを交わす。そしてある者は、新しくできた友だちとお泊りパーテイ―をして楽しんでいた。

 

 夏休みが終わると、学校は文化祭ムードに包まれたが、プレイヤーの感覚ではあっという間だっただろう。

 

 文化祭当日、屋上で寝転んでいた卯月コウの視界には、垂れ幕を付けたバルーンがふわふわと浮かんでいた。

 

「だりいなあ」

 

 ため息を吐くように発した言葉に自分で嫌気がさし、目を瞑る。視界の端に常に表示されているコメント欄も鬱陶しかった。ファンは優しく見守ってくれているが、ゲームを攻略する気のないコウを叱咤激励するか、あきれ果てているコメントがちらちらと目に入った。

 

 こんなはずじゃなかった。このゲームはもっとゲームらしい普通のゲームだった。こんな、本当の人間みたいな人間がうじゃうじゃひしめく世界で恋愛ゲームなど、正気の沙汰じゃない。ゲームのプレイヤーとして一から楽しむつもりだったコウは制作の半ばで抜けて資金だけ提供し、あとのことは加賀美コーポレーションに任せた。

 

 誰だ……? コウは思い浮かぶ顔を全て思い浮かべ、確実に違うとわかっている顔からどんどん除外していく。やがて、不確定要素の多い集団が一組思い浮かぶ。その集団の面々のなかで何かやってくるとすれば……。

 

 かしゃん、と音が鳴り、コウは目を開いた。体を起こし、音のした方を振り返る。

 

 屋上のフェンスの向こう側に女の子が立っていた。

 

「おい、そんなとこいたらあぶねえぞ」

 

 コウは駆け寄って、あ、と声を漏らす。その女女の子はいつかの放課後、階段ですれ違った女の子だった。

 

「卯月コウ……」

 

 女の子はフェンスを掴む。黄色い瞳が泣きそうに揺れ、風が女の子の髪を揺らした。女の子は言った。

 

「私を、助けてあげてください」

 

 屋上の扉が音を立てて開かれ、コウは我に返ったように振り返る。

 屋上の扉を開けて入ってきたのはドラキュラの仮装をした鈴木勝だった。

 

「探したぞ卯月、文化祭一緒に回ろうぜ!」

「あ、ああ……それよりもこの――」

 

 コウは再びフェンスの方に視線を戻すが、そこには誰もいなかった。

 

 

―――――――

 

「へえ、学園七不思議ねえ……」  

 

 文化祭で賑わう廊下を、頭の後ろで腕を組んだ鈴木勝と歩く。コウは各教室の出し物には目もくれなかったが、勝はぼんやりとしているように見えて、教室を一軒一軒ちゃんと確認しているようなので、きっと何かを探しているのだろう。

 

「確か、図書室の幽霊とか食堂の麻婆豆腐とかの奴だよなあ?」

 

 勝は恐らく、卯月コウにだけでなく、高性能AIにも尋ねているのだろう。ふーん、なるほどね、と虚空に相槌を打つ。

 

「そういえばさあ」

 

 鈴木勝は立ち止ると、教室の組の書かれた札を見上げて呟く。 

 

「ここって卯月の教室だったよな?」

 

 その教室を見てコウは頷いた。

 

「ああ、そうだけど。でもそこに入る必要は無いよな?」

「え、入るけど」

「いや、それだけはまずいと思うけどな……ちなみにだけど、その看板の文字は見えてるか?」

「ん? ああ、メイド喫茶って書いてあるな」

「だろ? そんなん絶対ヤバいから。近寄らない方がいいよマジで」

 

 初めは抵抗するコウに呆れていた勝だったが、コウの表情を見るうちにその顔はにやけてきた。

 

「卯月、ひょっとして、ひょっとしてなんだけど……びびってる?」

「は? びびってねえけど? あっ、でもちょっとお腹が……」

「はいはい。じゃ、たのもー!」

「ちょ、待てって!」

 

 勝はコウの手を引いて教室の扉を開けた。

 

「お帰りなさいませご主人様ぁ~」

 

 どことなく間延びした声で出迎えたのはメイド服を着た鷹宮リオンだった。手の先を猫のように丸めているのは猫耳の付いたレースのカチューシャを着けているためだろう、しかし、目は客の方ではなく完全によそ見していた。

 

 これがメイドさん……と固唾をのむ勝をよそに、鷹宮は背後のテーブルを示して面倒くさそうに言う。

 

「あ~、席は空いてるとこテキトーに座るにゃ~……って、ウヅコウじゃん!」

 

 そこでコウに気づいたらしい、鷹宮の目がきらりと光り、コウの額から冷や汗が垂れた。

 

「え、どこ行ってたの? ウヅコウのメイド服も用意してあるから早く着替えてきな?」

「いや、俺は着ないって言ってんだろ!」

「えー、でもりりむさんから似合うって聞いたし、クラス全員賛成だったけど」

「俺以外のだろ? 俺が賛成しなきゃダメなんだよ」

「くそ~、見たかったぁ……」

 

 項垂れる鷹宮だったが、コウの隣にいる鈴木勝を見て、

 

「ん?」

 

 と首を傾げた。

 

「ん?」

 

 同じく首を傾げる勝。

 

「んー……」

 

 鷹宮は傾げた首を元に戻し、言った。

 

「なんかそっちの子もメイド服似合いそうじゃない?」

「なっ、俺は男だぞ! メイド服なんて似合う訳ないだろ!」

 

 憤慨した勝を見て「ですよねー」と肩を落として席へ案内した鷹宮だったが、席を離れる際に

 

「銀髪のウィッグもあるのにな……」

 

 と未練たらたらで呟くのだった。

 

 

「あ、コウくん!」

 

 ちょうど客を席に案内し終えた魔界ノりりむがコウと勝の座る席にやってきた。りりむの服装は先ほどのゆるふわ系の鷹宮のメイド服とは違い、どこか病んだ雰囲気の黒が特徴的なメイド服だった。

 

「もう、コウくんどこ行ってたの? コウくんが抜けたせいでシフト大変だったんだよ!」

「勝手にシフトに組み込むのが悪いだろ……」

 

 ぷんすか怒るりりむと取り合わないコウに勝は苦笑した。

 

「あれ、鈴木勝さん……だっけ?」

 

 記憶も定かでないりりむは目を細めて鈴木勝の方を見た。

 

「うっす、鈴木勝です。卯月とは仲良くやらせてもらってます」

 

 勝のやや緊張した自己紹介に今度はりりむが苦笑した。

 

「そっか、友だちかあ」

 

 羨ましそうにりりむが二人を見つめたので、コウは咳払いして話題を変えることにした。

 

「りりむちゃん、メイド喫茶の方はどうよ、賑わってる? 変な客とか来てないよな?」

 

 後半はりりむを心配するような口調だった。りりむは顎に指を当てて考える。

 

「さっきまでは忙しかったけど、今はこんな風に適度にサボっても誰も何も言わないくらいには余裕があるよ。変な客ねえ……あ、そういえばいま案内した――」

 

 そこでりりむは言葉を切って黙り込んだ。りりむが黙った理由はすぐにわかった。隣の席から妙な会話が聞こえてきたのだ。

 

「萌え萌えオムライスのお客様~」

 

 と気だるげな声で呼びかける鷹宮リオン。鷹宮は席にオムライスを運んでいたようだったが、その席に座っている人物の顔を見て「は?」と立ち止った。

 

「ちょっと……なにその恰好……」

 

 コウはちらと目をやった。そこにはチェックのシャツをしっかりとジーパンにしまい込んで丸眼鏡を光らせる男が妙に背筋を正して座っている。

 側頭部に差し込まれた鮮やかな青色の髪はメッシュなのだろうか、それだけがコウには少し引っ掛かったが、それ以外にはご丁寧にも、首にアニメの女の子のイラストがプリントされたタオルを下げ、空いている隣の席にはポスターが二本刺さったリュックサックが置いてある。どこからどう見ても古のオタクだった。

 

 男は妙に肥えた上にくぐもった声で「おーい」と固まっている鷹宮に手を振った。男は鷹宮の知り合いなのだろうか、鷹宮は未だに困惑しながらも近づいていき、やはりそれが鷹宮の思い浮かべている男で間違いないと確信すると、頬を赤くしながらもキレた。

 

「ちょっ、なんでいんの‼」

「なんでって……テラモエスな美少女が拙者のようなキモオタクの相手をしてくれると聞いて馳せ参じたのですが……!」

「うわっ、色々ヤバすぎでしょ……っていうか文化祭の出し物については話さなかったのに、なんで知ってんだよ」

「どぅふっ! 拙者を誰と心得る? 学内のメイド喫茶情報を拙者が見逃すはずがないでござろう?」

「あ、そうすか。あのオムライスです……」

 

 コトン、と遠慮がちにプレートがテーブルに置かれた。鷹宮はその場を離れようとするが、すぐに男に呼び止められる。

 

「待つでござるよ!」

 

 鷹宮は足を止めギギギ……と嫌そうに振り返った。

 

「なんでしょうか、ご主人様?」

「美味しくなるおまじないを、是非ともこちらのオムライスに、お願いしたいのですが……!」

 

 どうやら鷹宮の恐れていたことが現実となってしまったらしい。鷹宮は無表情で席に戻ると、深いため息をついた。

 

「あー、まゆずみ……は面倒くさいわ、かいでいーい?」

「どぅふふ! 拙者の名前はマユズミでもカイでもござらん」

「……じゃあなんて書けばいいの?」

「†ナイトメア†でござる」

 

 そこでコウとりりむが思わず吹き出した。鷹宮は見られていることに気づき、頭を抱えた。一方、オタクの男はコウとりりむを無視して淡々と鷹宮との会話を続けようとしていた。

 

「チェキ……チェキなどのサービスは、こっ、ここっこちらのお店では行っておりますかな?」

「当店ではそのようなサービスは行っておりません。早くお帰りくださいにゃ……」

 

 と鷹宮は出口の方に男を招こうとするが、男は席を立つつもりは無く、それどころかフォークをしっかりと握り締めて、メイドさんが美味しくなるおまじないをかけてくれるのを今か今かと待っていた。

 

「はぁ、わかったわ。黛、さてはお前、アタシにこれをさせるためだけに来やがったにゃ?」

「ふっ、なんのことやら。拙者はただただオムライスを美味しく食べたいだけの一般キモオタクでござる……どぅふっ!」

 

 鷹宮は突然眩暈に襲われたたかのように頭の支えを失ってくらくらとしていたが、諦めたようにケチャップを右手に持った。

 

「かいで書くから」

「拙者の名前は†」

「かいね」

「……もうそれでいいでござる」

 

 そして表情を殺した鷹宮はたんたんとオムライスに文字と♡を描き入れると、ケチャップを置き、覚悟を決める様に胸の前に両手でハート作り……そこで思い出したかのようにコウたちの方を見た。

 

「おめーらは目を瞑って、それで耳も塞げよ?」

「ええ、そんな!」

「あぁ……視聴者さんたちが泣いてる……」

「あとでアーカブチェックするから」

 

 鈴木勝が首を傾げる横で、コウとりりむは泣く泣く目を瞑って耳を塞いだのだった。



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72.文化祭~美術室編~

「はあー、危ねー」

 

 鈴木勝が額の汗を拭って言った。廊下の曲がり角まで走った二人は追っ手を撒いたことを確認すると、文化祭で賑わう廊下を再びだらだら歩き出した。

 

「いやー、鷹宮さんとりりむさん、諦めたと見せかけて俺たちの女装メイドを狙ってたなんてなぁ。卯月の素早い判断が無ければきっと今頃は……」

 

 なにやら恐ろしい想像をしてしまったのだろう、鈴木勝はぶるぶるっと全身を震わせた。

 

「保健室ばっか言ってるからちょっと心配してたけど、リオン様もちゃんと変な友達とつるんでるみたいで、まあ、よかったよ」

 

 安心したように言うコウを見て、勝はわけがわからないと言った顔をしたが、そのあとすぐに耳の通信機器に手を当てて、

 

「あ、え……嫌だよ!」

 

 と何やら慌てた様子。コウが見つめると、勝は弁解した。

 

「いやな、(かすみ)の奴が、いつか俺とコウと霞の3人でメイド服を着て見せあうのも面白いかもって。面白くねーよ!」

「……霞?」

 

 勝は最初、コウが何に引っ掛かったのかわからないという顔をしたが、すぐに気づいて気まずそうな顔で謝った。

 

「あ、わりいわりい……。そういえば言ってなかったもんな。霞っていうのは俺のパートナーの高性能AIの名前なんだ」

「そ、そうか……」

 

 と一応受け入れたらしいコウに勝はほほ笑んだ。

 

「それにしても霞ぃ、俺やコウはともかく、霞はメイド服なんてどうやって……」

 

 そこで急に押し黙った勝をコウは心配そうに見つめるが、勝は深呼吸すると、少し気分を落とした顔で首を横に振った。

 

「なんでもねえ。それより次の目的地は美術室、美術室のエルドリッチ・クイーン! この機会にきっちり敵情視察といこうぜ」

 

 勝の意図がわからず、コウはただ、気分を上げようと強く前に進む勝を後ろから見守ることしかできなかった。

 

 

 

 中庭では特設ステージが設けられ、ステージの周りには人だかりが出来ていた。ステージ上にはあの魔界ノコウを保健室送りにした女がアイドルのような衣装を纏い、歌いながら踊っていた。

 

「げっ」

 

 コウは中庭のステージを見てサッと目を逸らす。それを見て勝は不思議そうに首を傾げたが、コウは何も言いたくなかった。

 

 二人が中庭を通り過ぎて薄暗い廊下を歩いていくと、まるで隔離されているかのように、校舎の端に配置された美術室があった。この一角は既に文化祭の賑わいからは遠いが、どういうわけかこの美術室だけはそれなりに盛況なようで、コウと勝が見ているさなかにも美術室に走っていく生徒の姿があった。

 

 少し空いている扉から冷房の効いた空気が流れてくる。勝は扉の隙間に手を引っ掛けて開いた。

 

 ガラガラと扉を開く音がとてつもなく異様な音に聞こえてしまうくらい、美術室は静まっていた。そこにはぎゅうぎゅう詰めなほど人がたくさんいるというのに、みんな一言も発さずに絵を見つめていた。コウと勝は圧倒され、沈黙したまま美術室に入って扉を閉める。

 

 美術室は床以外の全てが絵で埋め尽くされていた。

 どの絵も同じ、黒くて丸っこい不思議な生き物(コウにだけはそれがでびでび・でびるだとわかったが)が描かれていたが、絵は、描かれたものの物質的なその表面では終わらない。どの絵も向こう側に別の世界を覗かせている。

 その世界を追いかけようとして見つめても、見つめても、どこかで行き止まりに当たって期待が挫かれることは無い。絵は、絵が内包する別の世界へとどこまでも導いてくれる。

 

 その安心感に酔いながら、また、耳元でささやくざらついたカワイイ生き物の声に逐一脳を犯されながら、コウと勝は美術室の絵に囲まれて幸せに立ち尽くしていた。

 

 勝の耳の通信機から怒声が鳴り響き、勝は我に返って口の端から零れた涎を拭った。隣を見ると、コウが涎を垂らしながら天井の絵に見入っていた。

 

「卯月! 卯月コウ、起きろ!」

 

 勝が肩を揺らしてやると、コウの目に光が戻る。コウは辺りを見回し、全てを理解したようだった。

 

「そうか、これが勝の言っていた、エルドリッチ・クイーンってやつの……」

「わからない、でも卯月、感じるか?」

「感じるって、何を?」

「絵から妙な力の波動を感じる……!」

 

 言われて、コウは絵を凝視した。凝視していると再びあのでびでび・でびるの囁きが聞こえてくるが、今回はわかっていたので無視した。無視すると声の主は拗ねてどこかへと行ってしまった。

 

「これは、魔力……?」

 

 コウは目を瞬かせる。全ての絵から邪悪な魔力が放たれている。美術室は邪悪な魔力が充満していた。

 

「霞、解析を頼む!」

 

 勝の耳の通信機がチカリと光る。結果はすぐに勝にもたらされた。

 

「コウ、まずいぞ。力の波動の正体は精神汚染だ!」

「精神汚染⁉」

 

 コウもまた耳を疑った。この邪悪な魔力の及ぼす精神汚染はきっと凄まじいものに違いない。それこそ、廃人になってしまうような……。コウは緊張感を持って尋ねた。

 

「勝、精神汚染って、具体的な内容はわかるか?」

「ああ、待て、今聞くからよ。……この絵に描かれている悪魔に好意の感情を抱いてしまう? コウ、聞いたか⁉ 悪魔に好意を抱くなんて、ああ、なんて恐ろしい真似を……コウ?」

「ん?」

「急に気の抜けた顔になったけど、どうした?」

「いや、別に。もう行こうぜ」

「え、ここの人たちは」

「いや、避難とか別にいらねえって。文化祭が終わったらみんな勝手に帰るわ」

「そ、そうなのか? そうならまあ、いいんだが……」

「おう行こうぜ。午前中あんま遊べなかったし、最後にもう一か所か二か所くらい回りたい」

「わかった。コウがそう言うなら!」

 

 二人は美術室を後にした。

 

―――――――

 

「そういえば……」

 

 唐突に鈴木勝が呟く。

 

「さっきの話だと、ちょうどここで会ったんだって?」

 

 鈴木勝が足を止めたのは、階段の踊り場だった。コウは頷いた。

 

「ああ、確かそうだ。ちょうど向こうから降りてきて、すれ違いざまに笑ったんだよ」

 

 ふーん、と勝はさして興味も無さげに頷く。

 

「卯月」

 

 と勝が呼ぶので、コウは近くまで寄る。

 

「放課後に校舎をさ迷う霊だっけ? よくわかんねーんだけどさ、特徴を聞くに一人だけぴったり当てはまる奴を知ってるんだよね」

「えっ、本当か?」

「さあ」

 

 そう言って勝はぷいとそっぽを向く。

 

「なんだよ、そこまで行ったら教えてくれよ~。いいだろ勝~」

 

 抱き着こうとするコウの手を煩わしそうに払うと、勝はめんどうくさそうに言う。

 

「あのなあ、部外者には教えられないんだよ。コウとは友だちだけど、仲間ではないからなあ~。仲間だったら教えてやってもいいんだけどなあ~」

 

 そう言いつつも、ちらちらとコウの顔をうかがう勝。コウはしばし考える。このまま学校生活が何事もなく終わってしまえば、俺たちは負ける。でもこのイベントをやっていたら恋愛ができないかもしれない。どっちだ……。

 

 コウはコメントも視界に入れながら、しかし実際には考えるまでもないことに気づいていた。コウは諦めて決断する。これはきっと、こんな駄目な自分を変えるためのイベントだ……。

 

 コウはやれやれとお手上げするかのように、わざとらしく両手を上げて見せた。

 

「わかった、わかったよ。なあ勝、俺もお前たちの作戦に加えてくれないか?」

 

 鈴木勝はその言葉を待っていたというように目を輝かせ、ロングコートをマントのように翻すと、事前に準備していたかのようにセリフを吐き出す。

 

「ふっ、随分と待たせてくれた。それでは我らが同胞、卯月コウよ」

 

 そうして勝はお辞儀をして見せると、顔だけ絶妙な角度であげて、怪しい瞳でコウを見つめてキメのセリフに入る。

 

「我々のアジトへ案内しよう……」



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73.アジト

 鈴木勝が足を止めたのは校長室の扉の前だった。

 

「おい勝、まさか……」

「ふっ、そのまさかさ」

 

 得意げに笑って勝は校長室の扉を開く。

 

 中は部屋の奥が見通せないように黒い斜幕が幾重にも垂れて、二人は暗闇の中、斜幕を手で払いながら進んでいく。やがて奥から青白い光が漏れ出てくる。

 

 薄暗い部屋の奥にはコウの身長を優に超える巨大な機械装置が鎮座しており、装置の土台にあるキーボードらしいボタンの羅列のその上には、大きなディスプレイが取り付けられている。ディスプレイは青白く発光し、その中心に一人の女の子の映像を大きく映し出していた。

 

 女の子は……服装こそ近未来的なデザインのものではあったが――コウが二度遭遇したあの女の子と同じ顔をしていた。

 

「ようこそ、我らがアジトへ」

 

 背後の勝の言葉を聞き流し、コウはディスプレイの真下まで歩みを進めた。

 女の子は少し曇った青い瞳でコウを見つめ、羽織ったパーカーの長い袖を揺らして自己紹介した。

 

「どもです。出雲霞(いずもかすみ)です」

 

 あまり感情が感じられない声、コウは思い出す。

 

「そうか。お前がAIなのか」

 

 眠そうに瞬きを一度して、出雲霞は答えた。

 

「そうですよー。私が鈴木くんのパートナーを務める高性能AIです。普段は鈴木くんの付けてる通信機で見たり聞いたりしてますから、あなたのことも、これまでのことも全部見ていましたから、そのおつもりで」

 

 少しつけ放した言い方にコウはむっとするが、そういえばこれまでの印象はよくなかったかもしれないと思い直し、気を取り直すように言った。

 

「卯月コウ。よろしくな」

 

 コウの素直な反応が意外だったのか、霞は警戒するように言った。

 

「ええ、よろしくお願いしますね」

 

 無言で睨み合うコウと霞だったが、勝が割って入った。

 

「あー、自己紹介は済んだよな? じゃあ俺たちもうチームだよな⁉」

 

 二人の間に険悪なものを感じ取っていたからだろう。勝が確認するように二人に言うと、二人はどちらからともなく表情を軽くした。

 

「大丈夫だ、勝」

「大丈夫だよ、何も心配ないよ」

 

 言って聞かせるように二人が繰り返すと、勝は頬を赤くして怒り出した。

 

「な、なんだよ急に! 俺はいいんだよ、俺は。それより、状況について共有するぞ、時間はあまりないんだから!」

 

 勝はそこで居住まいを正して(急にフードを被って)咳払いをし、手のひらで自分の顔を覆うと、低い声で言った。

 

「それでは卯月コウよ。我らが組織の知る世界の真実を全てお伝えしよう……」

 

 そうして、勝はコートを翻すと、「霞」と合図を送る。

 すると、ディスプレイ上の霞は靄のように薄くなっていって消えてしまい、あとには奇妙な街の全体図が映し出された。

 

 宇宙か何かの暗い空間に街が一つだけで浮かんでいる……。コウは見つめるうちに、それが今自分のいる街であることが分かった。特徴的な校舎が見て取れたのだ。

 

「よいしょっと」

 

 鈴木勝がコウの横に腰を下ろし、膝を抱え込んで座った。コウも戸惑いながら、それに倣って腰を下ろす。勝はまるで星でも眺めるかのように画面上の街を見上げて言った。

 

「卯月、あれは街だ」

「……ああ」

 

 鈴木勝の言いたいことがわからず、コウは曖昧な相槌を打った。だが、次に続く勝の言葉にコウは後頭部を殴られたかのような衝撃を受ける。

 

「そしてあのちっぽけな街が、この世界の全てでもある」

 

 勝の言っている意味は、実は卯月コウにはすんなりと受け入れられた。ゲームの舞台として作られた街には確かに街の外などというものは必要ない。しかし、それがわかっていても、プレイヤーであるコウがゲームの登場人物の勝に何を言えばいいのか。

 

 どうすればいい……? 

 

 判断が出来ずにコウは勝の顔を見る。勝の顔はディスプレイに照らされて青白く、普段とは違って人間味の欠片も無かった。

 

「卯月、プレイヤーなんだろ? わかってるよ、この世界がゲームだってことは」

 

 どこか気怠く、投げやりな言葉。勝は現状を諦めているかのように自嘲的に言葉を紡ぐ。

 

「実験なんだろーなー、実験。この世界は誰かが作り上げたシステムでさ、ここで暮らしてる人間はみんな本物じゃない、この学校も、先生も生徒たちもみんな、システムを成立させるためのプログラムでしかない。俺も、霞も……」

 

 あるいは、ゲームをゲームたらしめるプレイヤーとしての自分も……コウは胸の内でそっと呟いた。

 

 画面上では勝の言葉を示すように交差点を歩く人々の映像が映し出されていた。いろんな人がいた。

 予定があるのか足早に前へ進む人や、人と話しながら歩く人、ふいに立ち止って空を見上げる人……けれど、どの人もみんな街のオブジェクトを形作る空疎な光と同じ光で出来ていた。

 それらの光をよく見てみると、光は常に変化し蠢く二進数の集合であることがわかってしまう。

 

 コウが画面から目を逸らすと、ちょうどコウを見つめていた勝と目が合った。ひょっとすると、勝の瞳には、自分の孤独や哀しみを受け入れてもらえるんじゃないかという淡い期待があったのかもしれない。けれど、コウにはそれをわかってやれない。コウは少し身を引いて尋ねた。

 

「その誰かってやつがこの世界を作った目的はわかってるのか?」

「……ああ。どうしてっていう理由にはならねえけど、やらせたいことだけはわかってるんだ」

 

 そう言って、勝は再び霞に合図を送った。画面に変化が起きる。コウはこのゲームが狂った恋愛シミュレーションゲームであることがばれているんじゃないかとハラハラしながら画面を見守ったが、なんてことはない、画面に浮かび上がったのは虹色の卵だった。

 

 七色に発光し、漂っているかのように上下する卵は、何らかの生物の卵ではあるのだろう、しかしその質感はゲームのドット絵のようにどこか無機質にも見える。

 

 コウは首を傾げて尋ねた。

 

「これは……?」

「卵だよ。システムの核。この世界の心臓みたいなもんかな」

 

 勝はどうでもよさそうな口調で述べる。

 

「本当かどうかはわかんねーけど、この世界の誰かがこれを使えば、そいつ一人だけは本物の人間として外の世界で生きる権利が得られるんだと。つまりさ、卯月。この世界はこれを手に入れるためにNPCたちが殺し合うゲームの舞台だったってわけ」

 

 あっけらかんとして言い放った勝はコウが何も言えないでいるのを見ると、ニシシッと笑い、ため息をつく。

 

「俺たちが早めに見つけて守ってきたけど、そろそろ二人じゃ限界だったんだよなー」

 

 たぶん、話は終わったのだろう。勝はじっと黙り込んだ。コウは混乱のさなか我に返り、ふと尋ねる。

 

「なあ、それって勝たちが使っちゃ駄目なのか?」

 

 勝は何を言われたか理解すると、困ったように笑った。

 

「あのなあ、卯月。これを使うってことは、ゲームが終わるってことなんだぞ?」

「そ、そうなのか……⁉」

 

 コウは焦るが、勝は真面目な顔を崩し、こてんと首を傾けて答えた、

 

「うーん、たぶん?」

 

 勝の煮え切らない答えにコウは真顔になる。

 

「まあ、ゲームが終わるかどうかはともかく? この世界に与えられてる目的が一つ終わるのは間違いないんだし? 俺も霞もこの世界で楽しくやってるから、それを守る理由はあっても、使う理由はないなあ」

「そうか」

 

 コウはそれ以上は言わず肩の力を抜く。二人の視線の先で画面は変化し、再び出雲霞がそこに現れて二人を見つめていた。コウはふと思い出して尋ねる。

 

「そういえば、学園七不思議の件なんだけど……」

 

 あ、と霞も今思い出したかのように早口で答えた。

 

「あなたの言う放課後に校舎をさまよう存在しない生徒のことなんですけど、私もここ数か月、ずっと監視カメラに気を付けていたにもかかわらず、該当するデータは一つもありませんでした」

「な、そんな馬鹿な! 俺はお前……出雲と同じ顔をした生徒とすれ違ったぞ!」

「ええ、きっとたぶん、何かはあるんだと思います。私の方でも踊り場であなたを確認しています。監視カメラに映るあなたは、まるで幻覚でも見ているようにひとりで不審な反応をとっていました」

 

 コウはショックを受けて頭を抑えた。これはゲームだ。ゲームの中で幻覚を見るだなんて……。

 

「そういえば、私と同じ見た目なんでしたっけ?」

 

 それまで義務的な受け答えだったのが、ぽろりと呟くように言った霞に、コウは拍子抜けし、「まあな」と頷いた。

 

「では、それが私だとして、私はあなたになんて言っていましたか?」

 

 コウの脳裏にはまだしっかりとその声音は残っていた。

 

 私を、助けてあげてください……。

 

 コウの頬が赤くなった。

 

「べ、別に……! 何も言ってねーよ!」

「……なぜ嘘を?」

「うるせっ!」

 

 コウはぷいと画面に背を向けた。 



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74.告白

 夕陽けの雲が校舎の窓の間をゆっくりと移動する。窓の前に佇んでいた魔界ノりりむは眩しそうに目を細めていた。教室ではすでに文化祭の飾りは片づけられ、窓の外から聞こえてくる生徒たちの声が遠くに感じられた。

 

 りりむはコメントを見た。行くしかない……りりむの心情を置いてコメントの多くは突っ走っている。りりむを気遣うコメントを残してくれている人もいる。けれど……

 

「やるしかない。ううん、やってみたい」

 

 自分の心情を確認するようにりりむが呟くと、コメントはさらに勢いを増した。そこで、教室の扉が勢いよく開かれる。

 

「りりむちゃん! りりむちゃん、大変だ!」

 

 りりむ一人の静かな教室に小さな背丈でずけずけと踏み込んできたのは卯月コウだった。

 

「あのさあのさ、すげえたくさんのことが分かったんだよ! あのさ、この世界ってゲームじゃん? それを勝とその相棒の高性能AIが所属する組織はわかってて、それでいて実は裏からこのゲームの世界を守ってて、じゃあ何から守ってるかって言うと、このゲームの世界を手に入れようとする色んな奴らからなんだよ! それで今はその中でもハッカーって奴がやばいらしくて、この学校にいるのは確かなんだけど、高性能AIがいくら探しても全く足取りがつかめないのに、逆にハッカーの側からはじわじわ組織の防衛プログラムが侵略されつつあるらしくて、それで……!」

 

 興奮してまくしたてるコウにりりむはため息をつき、苦笑して遮った。

 

「あのさ、コウくん。いっこずつ話してくれないとわかんないから……」

 

 それでコウは正気に戻ると、今まで興奮していたのが恥ずかしくなって頬をかき、咳払いをした。

 

「ところで、りりむちゃんは今何を?」

「ああ、それはね」

 

 とりりむは窓の外を見る。

 

「待ってたんだよ」

「……何を?」

 

 そこで、りりむは窓の外に何かを見つけた様に目を見開き、心を落ち着かせるように深呼吸して背筋を伸ばす。

 

「先生が帰るのを」

 

 話についていけてないコウに、改めてりりむは言った。

 

「告白するの。今日」

 

 りりむが見ている先を追ってコウは絶句した。

 

「大丈夫なのか? よくわかんねーけど、もっとじっくりいった方がいいんじゃ……」

「コウくんが知らないだけでそれなりに交流はあったんだよ。夏休み明けのテストでね、数学と物理で学年一位を取ったとき、先生、自分のことのように喜んでくれて……!」

 

 りりむがその時の興奮を伝えようとするも、コウが突然真顔になったのでりりむも真顔になった。

 コウは少し眉を寄せて、まるでりりむを心配しているようなそぶりでその顔をりりむの顔に近づけると、りりむの前髪を手で抑えて、りりむの小さな額を露にする。

 

「ちょぉ⁉ 何するつも、り……」

 

 りりむの声が震えた。りりむの額とコウの額がこつんと合わさっていた。りりむは放心してすぐ目の前にあるコウの顔を意味も分からず見つめていた。コウはりりむの髪を抑えているのと同じように自分の前髪を抑えて、何かを感じ取ろうとするように両目を瞑っている。やがて、コウは目を開き、くっついていた額を離し、顔を元の距離まで遠ざける。

 

「んー、熱はないみたいだけど」

「……は?」

「いや、学年一位って。りりむちゃんが真面目な顔していうから、てっきり高熱かと」

 

 りりむは一拍おいて、卯月コウが何を言っているのか理解した。

 

「な⁉ えぇ⁉ ちょ、この男失礼なんですけどぉ! おい、お前! やっていいことと悪いことがあるだろ!」

「あ、いや、ごめん。まさかそんな嫌がられるとは……その、ほんとごめん!」

 

 頭を下げた卯月コウをりりむは信じられないという目で見下ろした。

 

「謝るな! ……謝るなぁ! 違うから、違わないけど違うっていうか……もう、とにかく謝んないで!」

「お、おう。ごめん……じゃねーや、わかった」

「いい? りりむは夏休みの間、毎日毎日学校に来て数学と物理を頑張ったの。りりむだけじゃない、グウェル先生もずっとりりむに付き合ってくれた。りりむがちょっとサボりたいなって思って家から出ようとしないときには、教えてないのにLINEとかXとかで延々と呼び出ししてきたし、挙句の果てに配信のコメント欄に現れて視聴者さんと学校に来るよう催促し続けてくれたの」

「いやそれ逆にどうやってんだよ……」 

 

 呆れたようなコウのツッコミを無視してりりむは言った。

 

「そんなりりむたちの、夏の熱い思い出は、コウくんにだって馬鹿にする権利なんてないんだよ……!」

 

 感極まったりりむとは反対にコウは覚めた表情で言った。

 

「っていうかりりむちゃん、恋愛ゲームでいったい何してんだよ」

「あ、言ったな! 言っちゃいけないことを! コウくんだって恋愛ゲームの中で世界の真相を巡る戦いに巻き込まれてんじゃん! 恋愛要素どこだよーm9(^Д^)プギャーwww」

「……てめえは俺を怒らせた」

「自分勝手すぎる!」

 

 会話が一段落し、二人はどちらからともなく落ち付いて窓の外を見た。先生はいつもくっついている金髪の生徒と駄弁りながら、ちょうど校門を出たところだった。

 

「今日も、メイド服がかわいいって言ってくれたし……」

 

 少し拗ねたような口調で言うと、りりむは踵を返し、窓に背を向けた。

 

「じゃ、行こうかな」

 

 そうして、軽く目を伏せて歩き出す。

 

「骨は拾ってやるから、安心していってこい」

 

 コウもまたその後ろに続いた。

 

―――――――

 

「せ、先生!」

 

 夕焼けが褪せて遠い空が紫色に変わっていく頃に、ついにりりむは先生を呼び止めることが出来た。薄暗い路地でいい雰囲気とは言えなかったが、人目はなく、また家まで付いていってしまうことは避けたかったので、ここが最後のチャンスだと思ったのだ。

 

「えっ? ああ、りりむじゃん! どしたの、こんなところで」

「その、伝えたいことがあって……」

 

 りりむのもじもじした態度を見た先生は、表面上はりりむの緊張を解くように笑い(しかし自身は警戒の色を強くしながら)、りりむに聞いた。

 

「なになに~? ちょっとどうしちゃったの。先生に何でも言ってごらん」

 

 そうしてりりむの言葉を待つ構えを見せた先生に、りりむの顔は緊張で強張った。その背に、卯月コウが念をとばす。

 

 怖がるな! だいじょうぶだから……いけ! 

 

 りりむは必死に自分を落ち着かせようとしたが、こんなひどい状態でもそれが無謀であることはハッキリしていた。コウの囁きが後ろから聞こえる……視界の端でコメントの応援が見える……路地は薄暗かったけれど、そこから見える狭い空は綺麗だった……。

 

 りりむは目を回しながら叫んだ。

 

「わっ、私とっ、結婚してくだひゃい!」

 

 りりむはぎゅっと目を瞑り、片手を差し出して頭を下げた。りりむは顔を真っ赤にしていた。

 

 か、嚙んじゃった……恥ずかしいっ‼  頬が熱く、もはやずっと顔を上げたくなかった。きっとコメント欄もコウくんも自分をあざ笑っているに違いない……。先生はどんな顔をしているだろう、この宙づり状態が早く終わって欲しかった。

 

 先生がりりむのすぐそばまで歩いてくる気配があり、りりむは胸が締め付けられる思いで顔を伏せる。先生はあくまでも淡々と言った。

 

「結婚、ねえ。あのさ……りりむくん。りりむくんは将来どうやって生計を立てていくつもりなの?」

「えっ⁉」

 

 想定外の先生の返事にりりむは思わず顔を上げた。先生は穏やかな表情ではあったが、どうしてかその奥に厳しさをたたえている気がして、りりむは一歩後ずさった。

 

「いや、そんな怖がらなくていいって。ただ聞いてるだけだから、ね? りりむくんはこの先どうやって生きていくつもりなのかな?」

「いや、あの……その……」

 

 りりむは目を泳がせながらも必死にコメント欄の文字列を追いかけたが、何もりりむの頭には入ってこなかった。

 

「何も、考えてません……」

 

 先ほどとは違った意味で顔を赤くし俯くりりむを見て、先生はゆっくりと頷いた。

 

「まあ、どうせそんなことだろうと思ったけど。ねえりりむくん、考えてみてほしいんだけど、結婚って、一緒に生きていくってことよ? りりむくん、どうやって生きてくの? まだ何も決まってないのに、結婚だなんて言っちゃっていいわけ?」

「……はい、いえ」

 

 たじたじとするりりむに先生は言う。

 

「今のりりむくんはさ、目先の思いに振り回されてるだけで、先生のことだってちゃんと考えられてないんじゃないかなー、全然」

 

 そして、先生はぐっとりりむの顔に自分の顔を近づけていった。

 

「あのね、りりむくん。人間はね、愛だけじゃ生きてけないの」

 

 りりむの瞳が涙で揺らいだのを見て、先生は寂しそうに顔を離した。少し言い過ぎたか、と後ろ髪を掻きながら、先生は言う。

 

「先生だってさあ、あんまり先生と生徒とか、そんな垣根なんか気にせず応えたいんだけどね。でも私と結婚したいって言うなら……この先ずっと、一緒に生きていきたいって言うなら、先のことだって考えてもらわないと困るかなあ。それがわからないならやっぱり、りりむくんはまだ子供で、私とりりむくんの関係も、結局どこまで行ったって先生と生徒でしかないと思うんだよね」

 

 そして、先生は俯くりりむの肩を両手でポンと軽く叩く。

 

「だから私も先生としての答えが出ちゃったのかも。でも、そういうことまでしっかり考えられるようになって、まだ私のことが好きって言ってくれるならぁ……ま、考えてやってもいいかな!」

 

 そこまで言って、先生は、ふう、そんな感じ? と爽やかに結ぶと、話は終わったとばかりに踵を返して路地の奥へと進んでいく。

 眼をしょぼしょぼさせたりりむは思わず尋ねた。

 

「せ、先生……こんな路地裏、どこに行くんですか……⁉」

 

 先生は振り返らずに言う。

 

「りりむくんには関係のないことでしょ」

「あ、先生……待って」

 

 去ろうとする先生に縋るようにりりむがよろよろと追いかけた。その瞬間、先生は振り返ると大きな声で言う。

 

「ついてこないで!」

「ひっ……!」

 

 怯えるりりむを見て、先生はすっと表情を落とす。そして、驚くほど冷たい笑みを浮かべて言った。

 

「りりむく~ん、これ以上先生に構うなら、そのかっわいい頬っぺたぶっちゃうぞ?」

 

 先生が手のひらを開き、りりむの頬にあてがうと、りりむはぎゅっと目を瞑って顔を背けた。それを見て先生は力が抜けたように笑い、頬にあてがった手をりりむの小さな頭の上にそっとおいた。そうして、今度こそ先生は路地裏の奥へと去った。

 

「りりむちゃん、大丈夫か!」

 

 コウが駆け寄り声をかけるが、りりむは何も反応しない。コウがりりむの肩に恐る恐る触れようとしたとき、りりむの目から涙が零れ落ちた。

 

「りりむちゃん……」

 

 りりむはコウの手をそっと取ると、その場に崩れ落ち、声をあげて泣き始めた。

 

「うわぁーん……! サキュバスはぁ……愛だけで生きてけるんだもぉん……!」

「あはは……そうだなあ。そうなんだけど……うん、そうだよなあ」

 

 コウにはりりむにかける言葉が見つからなかった。言葉が見つからないまま漠然とりりむの言葉を肯定してやることしかできなかった。



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75.風紀委員長&生徒会長

「さあ、もう行こうぜ。ケーキかなんか、甘いもんでも買って帰ろう」

 

 コウがりりむを支えて立たせてやると、二人は表通りの方へ歩き出す。路地は既に暗く、通りには街灯の光が灯っていた。

 

 コウは顔を上げた。路地の向こうから制服を着た女が歩いてくる。制服はコウとりりむが通っている学校のものだった。

 その女には見覚えがあった。金髪で、キラキラした雰囲気で、魔界ノコウを保健室送りにした、あの……。 

 

 女はスマホを片手にゆらゆらと体を揺らして歩くので、スマホの白い画面もまたゆらゆらと揺らめいていた。コウは女から敵意のような気配を感じて身構えた。

 

 女は、ゆっくりと顔を上げる。女の目は左右で色が違うオッドアイで、片方が黄色で片方が赤色だった。女は二人を見ると、オッドアイの両目をこの場に相応しくないほどキラキラと輝かせて、笑いを含んだ声で言う。

 

「えー! もう行っちゃうんですか? もうちょっとここでゆっくりしていけばいいじゃないですかぁ」

「なあ、そこをどいてくれないか?」

 

 コウが取り合わずに言うと、女は表情を曇らせる。

 

「うわっ、つまんない! 全然相手にしてくれないじゃないですか。卯月コウくんって意外とケチだったんだぁ」

「……いいからどいてくれよ。俺たち帰りたいんだよ」

「そうですねえ。っていってもぉ、お二人をここから帰らせるわけにはいかないなぁ」

 

 二人の頭上で月が雲に隠れた。それに伴って、キラキラと輝いていた女の瞳がゆっくりと影を帯びていく。女は言った。

 

「私、全部見ちゃったんですよ。りりむくん、でしたっけ。先生に結婚を申し込まれてましたよね?」

「……それがなんだよ」

 

 未だにショックでまともに話が出来ないりりむに変わってコウが答えた。女はそれを聞くと、妙にうれしそうな声で言った。

 

「いけないと思うなあ、そういうことは。お二人とも、一つ忠告しておきます……先生と結婚していいのは神田先輩だけなんですよ。二人の仲を引き裂く者は即死刑。これは校則でも、国の法律でも決まってることなんですよ。ねえ、神田先輩?」

 

 その瞬間、コウは全身に違和感を感じた。ぞっとするような、何か、危険が迫ってるような。

 

 俺たちの背後に、誰かが立ってる……! 

 

 コウは直感に従って前に倒れ込んだ。コウは肘を打ち、りりむはコウが庇ったのでなんとか顔を怪我せずには済んだが、それでも地面を転がって「あう!」と声を上げる。

 

 コウは慌てて振り返った。そこに立っていたのは風紀の腕章をつけたあの男。目を線のように細め、優しい雰囲気を纏いながらもその中にほんの少し危険な雰囲気を漂わせる、通称、糸目の神田だった。

 

 コウは冷や汗を流し、唾をのむ。神田は手に刃物を手にしており、今までちょうど振りかぶった態勢だったらしく、コウが前に倒れて逃げたために残念そうに刃物を持った手を降ろしたところだった。

 

 神田は携帯をポケットにしまうと、仕留めそこなったコウとりりむについて何とも思っていないかのようにのんきな口調で言う。

 

「はぁー? 校則とか法律とか、全部嘘じゃん。なにいってんの? っていうか星川、何度も言ってんだろー。私は別に、結婚なんてしないって」

 

 女は星川というらしい。星川は神田の反応にキャッキャとはしゃいだ。

 

「そんな照れないでくださいよ♪」

「照れてませんー」

「おい、おい! 全然話についてけねえんだけど!」

 

 声を上げたコウを二人は間の抜けた表情で見つめた。

 

「つまりさ、よくわかんねえんだけど、その神田っていうのは先生のことが好きなのか……?」

 

 あまりにストレートな質問にキャッと顔を赤くした星川を神田は困ったように見つめ、やれやれと面倒くさそうに答えた。

 

「いえいえ、別に……好きだなんてそんな。ただ、少しだけ気になる……というか、なんて言えばいいんですかねえ。ただ、先生が他の男に構われてるのを見ると、ちょっとだけ胸の奥がざわざわする……うーん、気に入らない。わかってもらいたいんですけどー、私はただ心を平穏に、平静でいたいだけなんですよ」

 

 神田のセリフの終わりと同時にキャーッと熱くなった顔を抑えて叫ぶ星川。コウは目を震わせて言った。

 

「お前はいったい、何を言ってるんだ」

「えー? 何か変なこと言いました? 私」

「変も何もお前、それ、完全に恋……」

「ちーがーいーまーすー! それより、まさかまだこの学校で先生に告白する生徒がいるなんてね。でびる君はさすがに尺度が違いすぎてどうとも思いませんでしたが……。まあ、あなたたちを邪魔に思う人もいるみたいですし、ちょうどいいからここで消えてもらいますか」

 

 コウの言葉を遮ると、神田は刃物を顔の前に掲げる。

 コウは未だに立ち直らないりりむを壁にもたせ掛けると、人差し指をピンと伸ばして銃に見立て、神田を狙う構えをとった。それを見て神田は興味深そうに笑った。

 

「へー。魔術でしたっけ。昔本で読んだことがあるんですよー。私には必要のないものでしたので、すぐに忘れてしまいましたけど!」

 

 セリフの途中で神田は手に持っている刃物を投擲する。それに合わせてコウは魔術を発動した。

 

「ガンド……!」

 

 コウの人差し指から赤黒い炎のような光が生じ、光は球体となって弾丸のように神田に向かって発射された。

 

 コウの放った魔術は神田の放った刃物によって真っ二つに割かれて空中で爆発した。爆発の真ん中に見えた銀色の光……。

 

「うわっ!」

 

 コウは反射的に頭を横に逃した。ぴっ、とコウの頬に浅い切り傷が刻まれる。コウはひやりとしたものの、炎の向こうにいる男にすぐに意識を戻す。幸い、神田はその場から動かずじっとこちらを観察していた。

 

「ふーん、そんなもんか。ま、予想はしてたけど」

 

 神田は懐から新しい刃物を取り出すと、退屈そうにぷらぷらとぶら下げて弄ぶ。今の撃ち合いでコウの実力を見切ったのか、神田はすでにコウを、自分を傷つける可能性のある敵として見ていない。コウにはそれがわかった。

 

 こうなれば、敵が油断してる間になんとか逃げるしかない……!

 

 コウは再びりりむの肩を揺すろうと手を伸ばす。その手めがけて、刃物が飛んできた。コウは全く反応できず、無防備な手の平を深めに切られてしまう。

 血が、りりむの頬にはねた。

 

「ひっ!」

 

 りりむが目を見開いた。それを見てコウは事態の深刻さを悟る。コウはりりむから手を引くと、立ち上がって振り返った。

 

「なあ、お願いなんだけどさ、俺は殺しくれて構わないから、りりむちゃんだけは見逃してくんねーかな……」

 

 神田は相変わらず笑っているかのように目を細めたまま、ゆっくりと首を横に傾ける。

 

「それはおかしくないか? 先生に告白したのはりりむくんなんだから、私が真っ先にやるべきはりりむくんじゃないですか。逆に、りりむくんは見捨ててあなただけでも逃げようとは思わないのかな? 私のことを言えば、あなたたちを殺せと人から言われてはいますけどね、告白を見ていただけのあなたに関しては別に恨みもないですし? 私があなたを見逃したところで、この先にはまだボスがいるんですから。私も別に怒られもしないでしょ。ねえ、卯月コウくんでしたっけ? どうしてあなたは一人でさっさと逃げないんですか? りりむくんを庇って死ぬことで、あなたに何か得があるんですかね?」

 

 飄々と舌を回す神田にコウは苛立ち、一言だけ言う。

 

「うるせえよ……」

 

 その答えが意外だったのか、神田は一瞬コウを無表情で見つめたが、じきに薄笑いを浮かべて言った。

 

「ほーう……なるほどね。彼女を庇う理由はなんとなくわかりましたよ」

「え! 星川わからなかった! ねえ、なんでなの! 教えて!」

 

 神田の背後に隠れていた星川が神田の腕にしがみついてねだるように引っ張った。

 

「だぁー! うるさいよ、ちょっとは自分で考えろ! っていうかもうちょっと後ろに隠れてなさい」

 

 念のためにね、そう言って神田は刃物を顔の前に掲げると、コウに狙いをつける動作を見せる。

 

「卯月コウくん、あなたのお願いは聞き入れてあげますので、この場に関してはお気になさらなくてけっこうですよ」

 

 それを聞いてコウはホッとする。神田が刃物を振りかぶる。コウは目を瞑った。

 

―――――――

 

 コウが覚悟した痛みや衝撃はいつまでたっても来なかった。コウが目を開けると、神田は刃物を持った手を下ろし、バツの悪そうな顔でコウの背後を見つめていた。

 

 足音が響く。聞きなれたローファーの音だが、その音は暗く殺伐とした路地裏にあっては、やけに高く、澄んで聞こえた。

 

 コウが振り返ると、いつか祭りの時に見た、長い髪をツーサイドアップに纏めた女がそこにいた。女はもう大丈夫、というかのように優しくコウの肩に手を置き、コウの前に進み出る。

 

「生徒会長……!」

 

 神田が忌々しそうに呟く。女は余裕たっぷりの表情で言う。

 

「こんばんは、風紀委員長。こんな夜に、こんな場所で会うことになるなんてね。ところで……」

 

 女はわざとらしい口調で神田の手に持っている刃物を指差した。

 

「その手に持ってるものは何かしら。ひょっとして、なんだけど、まさか風紀委員長ともあろうものが刃物で生徒を傷つけようだなんて、そんな馬鹿な話、まさかあるわけないわよね?」

「ふう、まったく、とんだ災難だな。ええ、説明はややこしくなるので難しくはなるんですけど、聞く気はありますかねー?」

「いいえ。私はこう見えて、ややこしいのは嫌いなの。手っ取り早くこれで決めちゃいましょう」

 

 そう言うと女はゆっくりと腕を持ち上げて、先ほどのコウがして見せたように、指で銃の形を作り、その銃口である人差し指を神田に向ける。

 

「はぁ、まあ遠坂ですし。そうなりますよねー。ですけど、その技は見たばかりですから、どうぞお好きなタイミングで放ってください」

「そ。それじゃ遠慮なく」

 

 女の指先に魔力が集まっていく。その指先を取り巻くように暗い渦ができ、渦の中心はどんどん赤く、どす黒くなっていく。神田はこの時点で少し違和感を覚えるが、まあいいか、と刃物を構え、その時を待つ。女の指先に凝縮した暗闇が、そのおぞましい輪郭が、不安定にぶれ始める……。

 

 女は軽やかな笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「ガンド!」

 

 神田は先ほどと同じように刃物を放った。その刃物が、高密度の暗いエネルギー体に呑み込まれて一瞬で腐り落ちた。神田はその細められた目をくっきりと見開く。

 

 そこからの神田の行動は早かった。懐からスペアの刃物を取り出すと、一瞬投擲するか逡巡し、投擲はやめて刃物を逆手に持つ。そして顔のすぐ目の前まで迫っていたガンドを切り裂くと、爆発の衝撃が迫る前にバックステップ、背後で固く目を瞑る星川を抱えて大きく飛び退いた。

 

「卯月コウくん」

 

 神田の一連の動きを見ていた女は言った。

 

「ごめん、私じゃ神田君を抑えきれそうにない。隙を見て早く逃げてちょうだい」

「そんな……だって」

「だっても何もないわよ! 大切な人がいるんでしょ!」

「いや……」

 

 違う、という言葉を飲み込んだ。どんな意味にしろ、りりむがコウにとって大切な人であることに変わりはないのだから。

 

 コンクリートの上で燻る呪われた火の向こうに星川をおぶった神田が歩いてくるのが見えた。

 

「まいっちゃうなあ、ったく。こんな面倒くさい仕事じゃなかったのに。星川ー、今日は甘いもんでも買って帰るかー」

「えっ、奢ってくれるんですか!」

「あぁ、奢る奢る。好きなもん選べよ」

「やったー!」

 

 星川はひとしきり喜んだ後、突然トーンを変えて真面目な口調で言った。

 

「神田さん、絶対勝ってくださいよ」

「ああ、それはね……」

「先生との結婚のために!」

「だーかーらー……結婚はしないって言ってんだろ!」

 

 ふぅ、と息を吐き、神田は女に向き直る。

 

「いやあ待たせちゃって申し訳ない。すぐに再開しますからねーっと」

 

 そう言うと、神田は上着の前を開いてその内側に収納されていた幾枚もの刃物を一枚ずつ丁寧に取り出し始める。女は冷や汗を流しながら聞いた。

 

「そのおんぶしてる子、星川さん、でしたっけ。下ろさなくていいの?」

 

 神田は刃物を取り出す作業を中断し、背後におぶっている星川を振り返る。

 

「だってさー星川。下りた方が身のためだぞー?」

「やだー。足疲れたー!」

「小学生かよ!」

 

 ため息をついて神田は言う。

 

「じゃ、このままで」

 

 神田はまるでマジシャンがトランプをシャッフルするように両手の間に刃物を行き交わせてにっこりと笑った。

 

「守り切れるもんなら守ってみせてくださいよ……生徒会長」

 

 刃物が一斉に女に向かう。しかも、飛んでくる刃物はまっすぐではない。跳弾を続ける弾丸のように、互いに激しく、複雑にぶつかり合いながら、広い範囲を危険なデッドゾーンに変えながら向かってくるのだ。

 

 女は舌打ちすると、一瞬コウとりりむを振り返り、くっ、と歯噛みして上着のポケットから宝石をいくつか取り出す。それらを飛んでくる刃物に向かって放った。

 

 宝石は前方に拡がると、それぞれの宝石間を結ぶように赤い結界の防御壁が展開される。狭い路地を飛び交う無数の刃物は壁の前に散り散りに落下していく。

 

「ふふっ、()ーった」

 

 防御壁の向こうから神田の声が聞こえた。女が焦ったように空を見上げているのをコウは見た。コウが頭上を見上げると、大きな月に一点、小さな黒い影が浮かんでいた。影はただ、ただ、少しずつ大きくなっていく。コウは気づいた。

 

 刃物が自分に向かって真っすぐに落ちてきている……!

 

 終わった……。そう思い、茫然と突っ立つコウだったが、一瞬何かと衝突したような小さな衝撃が体に走り、続いて体は浮遊感に包まれる。気づいたときにはコウは上空に舞い上がっていた。

 

「って、りりむちゃん!」

 

 コウを抱きかかえて空へと舞い上がったのはサキュバスであるりりむだった。りりむはその小さな羽根をパタパタと動かし、夜空を飛んでいた。

 

「りりむちゃん、もう大丈夫なのか?」

「えへへー……恥ずかしいとこ見せちゃってごめん。たぶん、もう大丈夫だから……」

「そっか」

 

 コウは眼下の自分たちを救ってくれた女に手を振る。女も笑顔で手を振り返してくれた。

 星川はこちらを指差して何か喚いているようで、神田が面倒臭そうに宥めている。相変わらずマイペースだな、とコウは呆れるばかりだった。

 

 夜空の二人は旋回し、街の明かりの眩い方へと飛び去っていった。



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76.体育祭

 晴れた日のグラウンドには石灰で引かれたトラックを囲むように全校生徒の椅子が並べられていた。

 

 円の中心では丈の長い学ランを纏った応援団がホイッスルを吹き鳴らし、太鼓を打ち鳴らしながらダンスを披露していた。

 

 応援団の中心にいるのは糸目の金髪の男子、白組応援団、団長の神田笑一だ。空手の型を模した硬派なダンスだったが、神田は涼しげな表情できびきびと動いて見せる。

 

 一方、赤組応援団団長の遠坂凛の方はというと、似たようなダンスでもこちらはまるで武術家のようなキレのある突きや蹴りで、当たったらどうなるのかという想像が働いてしまうほど手足の先に重さが乗り、その迫力のせいか赤組の生徒たちはみな息をのんでしんと静まっていた。

 

「なあ、あいつらって仲いいのか?」

 

 応援合戦を退屈そうに眺める卯月コウが鈴木勝に尋ねる。

 

「え、どうなんだろう。風紀委員長は黒い噂が多いし、生徒会長は真面目で人がいいから、仲良くすることはなさそうだけど」

「そうですねー。まあ、控えめに言って犬猿の仲なんじゃないですか?」

「ふーん。やっぱりか」

 

 自己完結したのか、コウは椅子の前脚を浮かせた状態で頭の上で腕を組み、再び黙り込んでしまう。しかし勝は納得しなかった。

 

「なんだよ。神田か遠坂になんか言われたのか?」

「いや、なんていうか」

 

 コウはどうしようかと勝の隣にいる人物を困った目で見て、どうでもいいかと全部言うことにした。

 

「まあ、一言で言うならそこにいる陽キャに糸目の神田をけしかけられてな……殺されかけたわ」

 

 勝が隣を見ると、オッドアイの目をやたらキラキラさせた金髪の女が座っていた。

 

「そんな言い方あります⁉ 勘違いしないでくださいよ、星川はただ、二人の恋路の邪魔をする奴が憎くてたまらないだけなんです!」

「じゅうぶんやべえって……」

 

 呆れるコウ。勝は二人を交互に見交わしながら、首を傾げ、そして

 

「つまり、敵か!」

 

 となぜかファイティングポーズをとる。星川はやや焦ったようなぎこちない笑みを浮かべた。

 

「やだなー、こんなかわいい女の子に戦闘能力なんてないですよぉ~」

「それあれだろ? バケモンみたいなキャラが演出のためにすぐばれる嘘をいう奴だよな?」

 

 コウのさして興味の無さそうな茶々に星川は頬を膨らませて言った。

 

「卯月コウくんまで! ちょっと! 星川をなんだと思ってるんですか?」

「……裏ボス?」

「それは星川じゃなくてですねえ……はぁ、もう。星川にもそんな力があればなー……」

 

 今のやり取りで疲れたのか、星川はぐったりとして椅子に全身の体重を預けた。星川がぼんやりと見つめる先で、応援団たちが退場していく……。

 

「なーにだらけてんの?」

 

 突然背後から声を掛けられ、星川はびくりと肩を揺らした。星川を驚かせた犯人、神田はいたずらっぽく笑うと、ちょうど空いていたコウの隣の席に腰掛けた。

 

「駄目だろおー? 赤組との長い戦いがこれから始まるっていうのに。もっと上げてこうよー」

「なんで俺の隣に……」

「いいじゃん別に。真面目な話をしに来たんだよ、卯月コウくん。あ、星川はそのまま座ってていいよ。もちろん勝君も」

 

 雰囲気を察して席を立とうとした星川と、星川を見て同じく席を立った勝に神田は座るよう促した。グラウンドで競技の準備が始まるのを横目に、神田は軽い調子で話し出す。

 

「まあ、ひとこと言わせてもらうとだけど……うん、こないだは悪かったね」

「あー別に? っていうか悪いと思ってないだろ」

 

 コウは神田の顔をじろじろ見つめてそう言った。

 

「まあね。でも、これはあなたたちにとってゲームなんだろ? だったらこういう刺激があったっていいじゃないか」

 ちっ……とコウは舌打ちする。こいつもか。

 

「ゲームオーバーになったら恨んでたぞ」

「でもならなかった。あなたたちはあの場を切り抜けて先のステージへ進んだんだ。おめでとう」

 

 本当にそう思っているのかいないのか、神田は胡散臭い笑みを浮かべて拍手をした。星川もわけもわからず拍手しようとしたところ、神田から「星川はするなー」と刺されてしゅんと手を下ろしてしまう。

 

「言いたいことを言ってくれないか?」

 

 神田の本心がわからないコウは険悪になるのを覚悟して直截に尋ねる。

 

「はぁ、そうだなー……」

 

 神田は困ったように頭を掻くと、少し前に前傾して両手を組み、糸目の、笑顔に見えるその顔で、自分の影を見下ろした。

 

「正直、私にはもう何が正しいかわからないんだよ。自分の出てるゲームを終わらせたいと望むゲームのキャラクターが近くにいたとしたら、私はそれを可哀想だなーって思ったり、あるいは閉じた世界からの脱出を目指す主人公みたいだなって憧れるかもしれない。それで、私は考えた。今もまだ考えてるんだ。彼に協力すべきか、協力すべきでなかったのか。でも、このゲームにもプレイヤーは現れた。物語が動き出したからなのかなー? パソコンでずっと何かを探し回っているだけの彼が、他の生徒と話して笑みを浮かべるようになった。人間味のない怪物だと思っていた彼女がここのところすごく人間らしくなった。先生も前より明らかに特定の生徒を気に掛けるようになったし、星川も悪い子ぶってはいるけど、優しくなった。きっと私も変わったんだろうなー。こんな生活ならずっと続いてほしいと思うんだ……。でも困ったことに、プレイヤーが来た時点でゲームは終わることが決定してる。なあ、コウくん。俺たちは、どうするのが幸せなんだと思う?」

 

 神田は俯いたままだったが、コウには神田の浮かべている笑みの、そこに含まれる空疎さや、諦めの混じる悲哀と向き合うことが恐ろしかった。

 知らず知らず距離を置こうと体を反らし、ついには椅子が倒れそうになってやっと自覚し、歯噛みする。

 

 わからない。どう答えればいいか。勝の時もそうだった。ゲームキャラでない自分がこの苦しみをわかった気になっていいのか? コウが神田と同じように俯き出したころ、神田は顔を上げて立ち上がった。

 

「まあまあ、あまり気にせず気楽にいきましょ。私は風紀委員長ですから、プレイヤーであれなんであれ、学園生活を楽しく過ごしたいと思っている生徒の味方ではありますからね」

「あ、神田先輩、待ってー!」

 

 薄笑いを浮かべてその場を去る神田を星川が追いかけていった。

 

―――――――

 

 体育祭も大詰めも大詰め。戦況は白組優位だが、このリレーの結果によっては赤組の逆転もあり得るとあって、生徒たちの白熱した声援がグラウンドに響き渡る。

 

 今、スタートラインの端に立った体育教師がピストルを空へと向ける。リレーの第一走者たちはその手にぎゅっとバトンを握り込み、スタートの合図に備える。

 

 パン! と空に空砲が鳴り響く。走者たちは一斉に走り出した。

 

 アンカーのタスキを肩に掛け、体育座りで順番を待っている鷹宮リオンは隣のレーンの女、遠坂凛を横目で睨んだ。するとちょうど遠坂も鷹宮の方を盗み見ようとしていたために目が合ってしまう。鷹宮は反射的に目を逸らしそうになるが、ここで逸らしたら負けな気がして遠坂を睨み続けた。

 

 人を睨んでも、罪悪感などは全く感じなかった。なぜなら遠坂も鷹宮のことを睨んでいたから。

 

 遠坂凛は赤組の応援団長であり、生徒会長も務めているという文武両道の可憐な少女だった。遠坂の頭には赤い鉢巻きが巻かれている。一方、鷹宮の頭には白い鉢巻きが巻かれていた。鷹宮と、そしておそらく遠坂の方も、お互いの姿を無遠慮に見ながら思っただろう。

 

 なんか、この女……気に入らない。

 

 順番待ちの間二人は静かに睨み合っていたが、じきに先生の案内でそれぞれのレーンに立つ。鷹宮は保健室の方を見た。

 

 いる……。

 

 保健室の窓を挟んだ向こうに黛灰が佇んでいるのがわかった。鷹宮が手を振ると、黛はすすすと長い袖で手の隠れた片腕を持ち上げるが、疲れたのか肩のあたりにまで来たところですとんと落ちてしまう。それでも鷹宮は嬉しかった。

 

 鷹宮は再び遠坂の方を睨む。すると遠坂があらぬ方を向いていたので、その目線を追ってみると、そこには遠坂を応援する主人公っぽい雰囲気な男の子の姿があった。

 

 遠坂はしまったとばかりに慌てて鷹宮の方を見た。鷹宮は唇の両端を釣り上げ、にまぁ……と笑いかける。遠坂の顔は耳まで赤くなり、睨みの中に殺意が混じり始めた。

 

 ちょっとやりすぎたかも……と鷹宮が反省したところで、バトンを持った前走者たちが走ってくる。ちょうど遠坂にバトンを渡す走者と競り合っているようだ。鷹宮と遠坂は睨み合いながらも同時に助走をつけ始める……。

 

 鷹宮のスタートは好調で、滑らかにバトンを受け取って走り出すことができた。よし、これなら……! と体を起こして視線を前にやったところで、鷹宮はうぐぅと喉を鳴らす。

 なんと鷹宮の前に遠坂凛の背中があったのだ。

 

 こんなのおかしい! せっかくいいスタートを切れたのに……! 

 

 鷹宮が悔しがっているとき、鷹宮の魔力感知に僅かに反応があった。その魔力の痕跡を辿って見ると……前を走る遠坂のロングソックスの下に、うっすらと緑色の光が浮かび上がってるのが見えた。鷹宮は走りながらも思わず抗議した。

 

「ちょっとちょっとぉ! そこのあなた! 魔術使ってますねぇ!」

 

 前を走る遠坂はいきなり声を掛けられて驚いたのだろう、ひゃっ! と短い悲鳴をあげて首だけで振り返った。

 

「なによぉ! 悔しかったらアンタも使って見なさいよ! このままじゃ白組に……あの男に負けちゃう……それだけは駄目! 駄目なの! 無理無理無理っ! 私はなんとしても勝たないといけないのよぉ!」

「な、なんて身勝手な……!」

 

 鷹宮は生徒会長のあんまりな物言いに呆れてしまうが、使ってみろと言われたので身体強化の魔術を少しだけ、前を走る遠坂よりもほんのちょびっとだけ魔力を多くして使うことにした。

 地面を力強く蹴って徐々に前に出始めた鷹宮は、遠坂に追い着き、追い越した。

 

「え、嘘っ! なんでよー! いったいどんな魔術を使ったっていうの⁉」

「使ってみろって言ったのはあなたですけどね! ではお先に」

「あ、こら、待ちなさい! くっ、こうなれば……!」

 

 背後に遠ざかっていく負け犬の遠吠えを聞き流しながら、鷹宮は優雅にゴールテープを切るつもりだった。だが、なんとまたしても、一瞬の内に遠坂が追い抜いてきた。しかも遠坂はぐんぐん前に出て鷹宮との差を広げていく。

 

「おいオマエ! ふざけんなっ! 人間の限界超えたら……その、色々マズいだろ⁉」

「うるさいうるさい! 私はもう、勝つしかないの!」

 

 全てをかなぐり捨て、遠坂凛は突き進む。これまでか……鷹宮が諦めかけたそのとき、遠坂凛がゴールテープの手前で盛大にこけた。

 

 確かに地面には若干の窪みがあったけれど、それにしてもあまりにしっかりと窪みに足を取られ、そのまま三メートルくらい、ズサササー! と地面の上を頭からスライディングした。

 

 鷹宮は見間違いかと何度も瞬きするが、遠坂は地面の上でぴくぴくしていた。

 

 やがて鷹宮は真顔でゴールテープを切る。振り返ると、地面に倒れ込んだ遠坂がゾンビのように白目を剥いてこちらに手を伸ばしていたが、その手もがっくりと地面に落ちていった。

 

 あ、そうだ!

 

 鷹宮は保健室の方を見た。黛は……まだ見てくれていた! 鷹宮が笑顔で手を振り、Ⅴサインをして見せると、黛はこくりと頷き窓から離れていってしまう。

 

 まあ、アイツはあんなもんか……鷹宮はくすりと笑った。




鷹宮「ハッ⁉」
遠坂「にまぁ……」
鷹宮「(# ゚Д゚)。」


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77.体育祭のあとで

 制服に着替えた鷹宮リオンが夕暮れの校舎を歩いていく。裸足をそのまま突っ込んだ上履きがきゅっきゅっきゅっ、と音を鳴らす。その足取りは急いでいるようで、しかし急ごうとする心を抑えているようでもあった。

 

 鷹宮は立ち止る。保健室の前で。そのまま扉を開けようとしたが、少し気になって自分の体の匂いを嗅ぐ。

 

「わかんない」

 

 呟くと、コメント欄から笑い混じりの共感の声が上がった。汗拭きシートで拭きはしたけれど……。鷹宮は簡単に髪を整えると、保健室の扉を開けた。

 

 保健室は夕焼け色に染まっていた。電灯は点いておらず、天井の方は少し薄暗かったが、それでも電灯を点ける必要はなかったのだろう。

 

 鷹宮が保健室に入っていじゅと、奥の方でパソコンをいじっていた黛灰は、その顔を鷹宮の方に向けて、カチ、カチ、とマウスを鳴らし、椅子を回転させて体ごと鷹宮の方を見てくれた。

 

「黛……」

 

 鷹宮が呼び掛けると、黛は表情も柔らかに言った。

 

「鷹宮さん、リレー見てたよ。白組優勝おめでとう」

「あ、黛も応援ありがとね」

 

 少し頬を赤く染める鷹宮。あるいは、夕焼けがそう見せただけかもしれない。黛は少し斜に構えて尋ねた。

 

「鷹宮さんはさ、このゲーム、楽しい?」

 

 鷹宮はそんな黛の言動にも慣れてきたのか、呆れながらも微笑んで答える。

 

「またそんなこと言ってる。でも、うん、すごく楽しい!」

 

 そうなんだ、と黛は頷く。

 

 黛は体を鷹宮の方に向けたまま目を逸らし、鷹宮は椅子に座りもせず、お互いに沈黙し合う時間が過ぎていった。そんな時間を経て、黛が言った。

 

「俺はさ、覚えてる限りじゃ生きてて楽しいって思ったことが無かった。話しかけてくる奴らはみんな、悪意を持った誰かの手先に見えたんだよね」

「……え?」

「もちろん、理性ではわかってるんだ。例え悪意を持った誰かがいたとしても、ここにいる人たちはみんなその誰かとは関係なく毎日を過ごしてる。善意で俺に話しかけてくれてるってことを。……名前を出すけど、健屋先生に言われたんだ。最近黛君、楽しそうって」

 

 黛は回転椅子を揺らし、髪を指に巻きつけながら、再び鷹宮に向き直って続けた。

 

「確かに、ここ最近、毎日の生活を楽しんでいる俺がいる。鷹宮さんだけじゃない、人と話すことに……人との交流に、温かさ……みたいなものを感じる俺がいるんだ。こんな自分は今まで知らなかった。俺はいままでこの世界に対して心を閉ざし過ぎてたのかもしれない。全部、鷹宮さんが現れてからだよ」

 

 黛は三秒ほど、じっと鷹宮を見つめてから言った。

 

「鷹宮さん、ありがとう」

 

 鷹宮は黛の言葉を聞いて瞳をうるうるとさせた。今までこんな風に誰かに感謝されたことなどなかったからだ。

 

「黛……」

 

 感極まったか、今にも泣き出しそうな声で鷹宮が名前を呼ぶ。黛はそれを受け流すようにほほ笑み、目を伏せると、少し間をおいてから切り出した。

 

「鷹宮さん、今日もここに来てくれてありがとう。実は、最後に聞きたいことがあったんだ」

「最後?」

 

 鷹宮が聞き返すと、黛は目を瞑って頷き、言った。

 

「このゲームの外の世界……つまり鷹宮さんの生活する世界のことなんだけど、このゲームに近いのかな。それともけっこう違ったり? ひょっとして魔法なんかがあったりして」

 

 いったい何を聞かれるのだろうと身構えていた鷹宮は、少し拍子抜けした。なんてことはない、いつもの話だ。鷹宮は胸を張って答えた。

 

「ふっふっふ……ある!」

 

〇悪魔:小娘止まれー!  

〇麻婆神父:ちょっ  

 

「あー、どっち系? 誰もが魔法を使える世界? それとも一般人には魔法は秘匿されてて、裏で魔法使いたちが暗躍してる感じ?」

「暗躍系かなー。正確には魔法じゃなくて魔術だけど」

 

〇Nuzuha:駄目だこいつ…早く何とかしないと…! 

〇社築:すまん、俺が本当のこと話せって言ったから…… 

 

 気づいたときには鷹宮は全てを話していた。黛の知的な相槌も相まって、それはもう、あまりにぺらぺらと。

 

「あー、つまり、鷹宮さんとでびるくんは、命がけの魔術師たちの戦いのさなかにこんなギャルゲーを配信している……と?」

「その通りです!」

「うん、馬鹿じゃないの?」

「なっ、馬鹿じゃないです! 成り行き上仕方なかったのです!」

「どんな成り行きでそうなるっていうの……」

「それは、戦いを妨害しに来た刺客がたまたま配信者で、配信でゲーム対決だ! って。なるじゃないですか、普通」

「ならないよね? 普通」

「……ならないかも」

 

 照れ笑いを隠して鷹宮は顔を背けるが、そこでコメント欄が目に入った。表情を固めた鷹宮の視界の端を、ものすごいスピードでコメントは流れていく。

 

「やっ、ちょっ、言い過ぎた!」

 

 鷹宮が慌てて両手で口を塞いだのに対し、黛はいたって冷静だった。 

 

「ああ、魔術の話……秘匿してるんだっけ。まあでも、大丈夫じゃない?」

「え、なんで? だってそんな……」

「まあ落ち着いて。まずはじっくりコメント欄を見てみなよ」

 

 それだけ言って黛が椅子をくるりと回し、パソコンに向かってしまったので、仕方なく鷹宮はコメント欄を見た。

 

 初めは何ら変わったところのない、いつも通りのコメント欄に見えた。コメントの加速も何やら失言してしまったらしい鷹宮が慌てているために囃し立てているだけだ。ノリがよくて、みんな楽しんでくれている。だが、鷹宮の胸に違和感がちらついた。そして、それに気づいたとき、呆然として目蓋を擦り、立ち尽くした。次第に冷静になってくると、次には失望が来る。

 

 ここに来てわかったことだが、どうやら視聴者たちの多くは、でびでび・でびるという存在を架空のキャラクターとして受け入れているらしい。願いを実際に叶えてもらった者がいるというのに、それすらもサクラ扱いし、言ってみれば、嘘を嘘と分かったうえで楽しむエンターテイメントと考えているようだった。今回の鷹宮の話も架空のキャラクターのコンビ、悪魔・でびでび・でびると魔術師・鷹宮リオンを取り巻く設定として自然な形で受け入れられてしまっている。

 

 ひとまず大変なことにならなくてよかったと安心すべきか、はたまた……。

 

「で、どうだったの」

 

 黛はパソコンに何かを打ち込みながら、どうでも良さそうに聞いた。鷹宮が受け入れきれない現実を、何ら驚くことでもない当たり前のことのように。鷹宮は思わずギリと歯軋りした。

 

「そんな……ここ一か月くらい、ほとんど毎日みんなと話したり遊んだり、楽しくやれてたはずなのに……」

 

 鷹宮の落ち込みようから察した黛は軽く息を吐いて言う。

 

「ネットの向こうにいる悪魔と魔術師のコンビなんか誰も信じないよ。いや、ていうかさ、コンテンツを楽しむのに信じる必要なんかないでしょ」

 

 黛が何を言ってるのかわからない。コメント欄が何を言ってるのかがわからない。

 

「ねえ、鷹宮さん。俺はプレイヤーがプレイしてないとき、何してんだろうね」

「え……あ……さあ」

「もっと気楽に考えなよ」

 

 予想よりも鷹宮がショックを受けていたからか、黛は椅子を回して再び鷹宮に向き直る。

 

「逆にさ、鷹宮さんを見てる奴らの方が存在してるかどうかわからないじゃん。そっちが現実でこっちがバーチャルだなんて、誰が決めたのって話」

「そ、そうですかね……?」

「そうだよ。それに、鷹宮さんの世界にだって、外側がないなんて言えないんじゃないの? 例えば、小説だったり……」

 

 おっと、と黛は口元に薄い笑みを浮かべ、それを垂れた袖で隠した。

 

「ま、どうせ本当のことなんてわからないよ。人は誰だって常に、バーチャルの中で生きてるんだから」

 

 そこまで言うと、黛は立ち上がった。今にも崩れ落ちそうな鷹宮を通り過ぎ、保健室の扉に手を掛ける。黛は振り返って言った。

 

「鷹宮さん、ちょっと歩こうか」



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78.侵攻開始

 その日、空が赤く染まった。一緒に下校していた卯月コウと鈴木勝は足を止め、茫然と空を見上げた。NPCたちはまるでこの日が来ることを知っていたかのように、みんな一様に同じ行動をして動かなくなった。

 街の人たちはみんな立ち止って空を見上げていた。屋内にいる人たちはみんな窓際に並んで空を見つめていた。

 

 遅れて通信機からけたたましいサイレンのような音が鳴り響き、コウも勝も驚いて飛び上がる。通信機から慌てふためく霞の声が聞こえてきた。

 

「あぁっ! うわあっ! やられたぁー! 二人ともごめん! アジトに直接乗り込んできた! 迎撃システムが働かない! 監視システムも正常だけどたぶんやられてる! あーっ! システムが、システムが……! これ、どうすればぁ……」

「おい、とりあえず落ち着けって!」

「……うぅ、はい」

 

 霞があまりに慌てていたために逆に冷静になったコウが声をかけ、霞はなんとか落ち着きを取り戻す。

 

「それで、どうしたんだ、霞?」

 

 勝が横から尋ねると、霞はやや早口で述べた。

 

「校長室のアジトにハッカーが攻めてきました。システムが掌握されかかっています。なるべく時間は稼ぎますけど、早く来てくれないと、私一人ではその、まずいかもです……!」

「はぁ? お前、高性能AIじゃねーのかよ、人間のハッカー如きに負けんな!」

 

 コウがからかい半分、気付け半分で言う。

 

「うるさいですよ、出雲は高性能学習型AIなんです! ゆっくり時間をかけて色んなことを学習していけば、いずれは人間をも超えるという話であって、別に今すぐには……って、あーっ! 第八の壁がぁ! 半年もの時間をかけて丁寧に育て上げた第八の壁ちゃんがっ!」

 

 コウとお互いの顔を見て笑い合うと、踵を返して学校へと走った。

 

―――――――

 

 学校は異様な雰囲気に満ちていた。教室の生徒たちも、また廊下に出ている生徒たちも、みんな置物のように窓に貼り付いて空を見つめていた。その生徒たちの背後をコウと勝は走る。

 

「くそっ、みんなどうしちゃったんだよ!」

 

 勝は感情的になっているが、コウは冷静に勝の様子を観察していた。

 

 勝だって生徒たちがプログラムであることはわかっているのに。やっぱりその世界の住人だからなのか。じゃあ、俺はこの世界の住人じゃない……?

 コウが考え事している間にも校長室はもう目前だった。

 

 廊下を曲がってすぐ、勝は力が抜けてしまったように減速し、歩き出し、ついには止まってしまった。

 

「勝どうした⁉」

 

 コウが呼び掛けても勝は反応しない。勝は震えながら前方を指差すだけだった。

 

 薄暗い廊下の奥に誰か、生徒が佇んでいた。明滅する電灯の、光の中に突っ立っているその生徒は、どうやら女子生徒らしい。女子生徒はゆらゆらと体を揺らして、こちらに向けて歩き出した。

 女子生徒の歩みの端から電灯が火花を上げて消えていく。足音だけが冷たく廊下に響いていく。

 

「エルドリッチ・クイーン……!」

 

 勝の呟きにコウは息をのみ、女子生徒の方に目を凝らす。

 

 電灯はすべて消えた。窓から差し込む赤い光の下に、エルドリッチ・クイーン……鈴原るるは現れる。

 

 一見して、柔らかな雰囲気を持つ女の子だった。こんな状況でもなければ、その大きく見開かれた青い瞳は吸い込まれそうなほど綺麗だったのだろう。しかし今は窓から赤い光が差しかかり、おぞましく輝いて見える。

 

「な、なんだ? あいつ、そんなにやばいのか……?」

 

 勝の反応から相当な相手であることは想像がついたが、実際に鈴原を見てもコウにはピンとこなかった。

 

「やばいだなんてそんなぁ……」

 

 勝が答える前に鈴原がほほ笑んで言った。

 

「ちゃんとよく見てください。どこからどう見たって、私は一般的で平均的な女子高生♪」

 

 嘘だ……コウは茫然とした。魔術なのだろうか。今の言葉と同時に鈴原の全身からどす黒いオーラのようなものが噴き出し始めていた。

 

「俺たちはお前に用なんてないぞ……!」

 

 勝は取り合わず、震えを押し殺した声で言う。鈴原は答える。

 

「あなたたちになくても私にはあるんです。黛さんは困っている私に恩を売ってくれた……だから私も、ちゃんと今、この時に、全てを返したい……!」

「黛……ハッカーか! ハッカーの目的を知ってるのか! お前も消されちゃうかもしれないんだぞ!」

 

 勝の訴えに鈴原は首を傾げる。

 

「あなたたち……そこの金髪の男の子はプレイヤーっていうんだよね? プレイヤーの目的はこのゲームをクリアすることなんでしょ? だったら黛さんと何も変わらないんじゃないかな」

「違う! プレイヤーは……その、俺もまだ整理がついてねえけど、でも、きっとこのゲームをハッピーエンドにできるのは、プレイヤーだけなんだよ……。どっちにしろこのゲームが終わるとするなら、俺はプレイヤーに、俺の大好きなこの世界を最後まで楽しんでほしいんだ。なあ、話し合おうぜ? もうちょっとだけ考えてみてくれないか?」

「考える?」

 

 その言葉と同時に、鈴原の発する雰囲気が変わった。コウは身震いする。肌寒い。刺すような痛みがじりじりと肌を覆っていく。鈴原は上体を倒して片手を地面につくと、まるで力をため込むようにぐっと身を低くした。鈴原は言う。

 

「私に、脳みそを使わせるつもり?」

 

 そのとき、コウの視界から鈴原の姿がかき消えた。勝が冷や汗を浮かべて詠唱する。

 

「其は天に掲げた漆黒の月、古の契約に従い、今こそ我に力を与えたまえ……! D・E(ダークネス・イーター)!」

 

 赤い光の中に落ちた勝の黒い影に波紋が広がった。波紋は一つだけではない。水音を立てながら次々と広がり、揺れて、勝の影全体に広がっていく。やがて、黒い文様の浮かび上がった触手が勝の影から這い出した。

 

「え……うぉ⁉」

 

 コウは伸びた触手の先を目で追い、思わず後ろに倒れ込んだ。

 

 鈴原はコウの前に立っており、その手をコウの顔へと伸ばしていた。触手は鈴原の腕に絡みついてそれ以上手を伸ばさせまいとしていたが、力比べは明らかに鈴原の方に分があるようで、手はじわじわとコウの方へ近づいていく。

 その華奢な手から滲む禍々しい魔力……コウには自分の頭部が握りつぶされるのが容易に想像できた。

 

「コウ、何してる! 早く行け!」

「お、おう!」

 

 コウは勝の声に押されて走り出す。触手に手を取られた鈴原の横を通り抜けようとするが、鈴原の見開かれた目がコウを追いかける。

 

「逃がすと思うの……?」

 

 鈴原は触手を鷲掴みにすると、ぶちぶちとちぎりながらコウへと迫る。

 

「おい、おいおいおい! くぅっ……火よ!」

 

 コウは体を逃しながら上着のポケットからライターのような道具を取り出すと、着火し、そこに起こった火に向けて魔力を込めた息を吹きかける。すると火はまるで油を吹きかけられたように大きな炎となって前方へと広がり、鈴原の顔を包み込んだ。

 

 顔を炎上させながら、鈴原はのんきに首を傾けて言った。

 

「んー? 思ったより……熱くない、かな?」

 

 そして、鬱陶しそうに手で顔をぱっぱと払うと、それだけで炎はみるみる小さくなって消えていく。鈴原は思い出したかのように再びコウの方へ歩き出す。

 

「コウ!」

 

 勝の影から再び触手が伸びるが、鈴原はもはや触手の方を見もせずに蹴り飛ばし、そのままコウを捉えようとした。

 

 その伸ばした手が、ピッと切れ、血が飛び散った。鈴原は瞬きもせずに切られた手を見つめたが、次には体を翻すようにふわりと横に跳ぶ。すると、鈴原が今までいた空間を刃物が三本通過していった。

 鈴原はコウが廊下の角を曲がっていくのを黙って見つめていた……。

 

 鈴原は振り返り、廊下の先にいる人物を見据える。

 

「なあんだ、やっぱりそっちに着いたんだ」

 

 鈴原が挑発的に笑った先には、両手を上着のポケットに突っ込み、歩いてくる神田笑一の姿があった。

 

「なっ! 糸目の神田ァ⁉ どうしてここに?」

 

 勝の反応に眉をピクリとさせて神田は言う。

 

「いや、別に。たいがいはあなたと同じだけど、まあ違うとしたら、私のこれは友だちを思っての行動ってところもあるかなあ?」

「友だち……?」

「ええ。この世界を捨ててどっかに行っちゃおうとする友だちがいてね。でも、それだと彼も幸せになれないでしょ。捨てるんじゃなくて、ここから羽ばたいていく、卒業する、くらいの気持ちじゃないと、やっぱり気持ちよく見送れないなぁ」

 

 神田は勝の隣に立つと、刃物を両手に構える。勝もまた自分の影から触手を三本伸ばし、臨戦態勢に入った。

 

「ねえ」

 

 神田が鈴原に話しかける。

 

「彼は私が裏切ることについて、何か予想してましたか? 何か、言ってませんでしたか?」

 

 鈴原は視線を斜め上にやって何かを思い出そうとしながら言う。

 

「うーん、どうでしょう……黛さんはあなたを信用してましたから、きっと裏切るとは思ってなかったんじゃないでしょうか。けれど私はあなたが裏切ると思ってたから、聞いたことがあるんです。あなたが裏切ったらどうするのか」

「それで?」

「謝ったら許すよ、と言ってました」

「……そうなのか」

「ええ」

 

 神田が目を細めて俯くのを鈴原は静かに見守った。

 

「勝さん、勝さん」

 

 神田に小声で呼び掛けられているのに気付き、勝はちらと横にいる神田の方を見た。

 

「応援を一人呼んである。彼女が来ればさすがに負けはしないだろう……たぶん」

「彼女? あっ、あの星川とかいう女か!」

「はぁ? あれは……確かにめちゃくちゃ来たがってましたけど、弱っちいんで酔っ払った先生のとこに預けてきましたよ。今頃だる絡みされてるでしょーね」

「あ、そうなんだ……」

「ええ。それに、彼女は最後まで黛さんの味方でいたいっていうんで……」

 

 自分で言ってどこか思うところがあったのか、神田は前髪をかき上げるように額を抑えてため息をついた。そのまま目頭を揉むと、いつものような笑みを浮かべて言う。

 

「まあとにかく、応援が来るまでは持たせるとしますか」

 

 言い切るのと同時に神田は刃物を投げつける、それをアシストするように鈴原るるの周りを触手が取り巻き始めた。



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79.AIとハッカーのやりとり

 これ、どうしよっかな……。

 

 暗い部屋で黛は巨大なディスプレイを見上げていた。ディスプレイではいかにも「私、怒ってます」という表情の出雲霞が黛を見つめていた。

 

「いつまでそうしているつもり? システムはもうほとんどこっちが握ってるんだから、どうせ時間の問題だよ。抵抗の余地なんてないでしょ? さっさと卵の在処を吐きなよ」

「嫌でーす。私はこの先一言たりとも喋りませーん」

「ふーん、高性能AIって聞いてたけど、結構人間味があるんだ、すごいすごい。(……人間に寄せるにしても、こんなポンコツにしなくてもよかったのに)」

「なんですって……!」

「あ、喋った」

「なっ、くぅぅぅ……むきぃぃぃぃ!」

「むきぃぃぃぃ! っていう人初めて見た。あ、人じゃなくて高性能AIだったか」

「ぐぅううううう……う、うわぁーん、うざい、うざいよぉ~! こいつうざい~!」

 

 霞は両手で泣きまねしながら地団駄を踏んでいたが、じきに泣き止むと、画面の端の方で黛に背を向け、小さく体育座りしてしまう。

 

 面倒くさい……。黛は手元のデータを覗き込み、次の手に出る。

 

「ところでなんだけどさ、AI」

「……」

「お前のデータを見た」

「見ないでください、エッチ! ストーカー! 性犯罪者! ロリコン!」

 

 ピキッ……黛のこめかみから奇妙な音が鳴る。黛は首を横に振って続けた。

 

「お前の奥底に、人格データが四つ、消去された痕跡がある」

 

 それを聞いて霞は目を丸くする。

 

「消去された、人格データ……?」

「知りたくない? 今の俺なら消去されたデータも綺麗に復元できると思うけど」

「私に、私以外の人格データなんて……あ、でも、あの声……うぅ、違う、違うんです! あの声はきっと私の……違うってば! ううっ、うぅうううう――!」

 

 黛の言葉が処理できない情報だったのか、霞は自らの顔を手で覆い、その場に倒れて呻き出す。きっとこのAIにもアイデンティティに相当するプログラムがあるのだろう。本来なら自分では発掘できなかった人格データを無理やり認知させたのだ。

 これで防衛力は落ちるはず、と黛は手元の端末をちらと見る。

 

 黛は振り返り、暗幕の向こうの廊下の方に意識を向けた。まだ廊下は静かだった。昨年、美術部が廃部になりそうで困っていた美術部員を見かけた。そして、黛にしては珍しく、全くの善意で動いた。学校のシステム上簡単な操作だったし、それくらいなら、と変な気を起こしてしまったのだ。今にして思えば、それで正解だった。彼女は黛の偶然の善意を最大限好意的に受け取ってくれた。

 

 もしあのとき彼女のことを知ったうえで、彼女を利用しようと打算で声をかけていれば、きっと。黛は苦々しく笑う。

 

 俺は、ゴミみたいに殺されていた……。

 

 呻いていた霞の動きがようやく止まった。焦点の合っていなかった目がぼんやりと黛を捉え始める。やがて、霞はまるでゾンビを彷彿とさせるような、体のあちこちの関節に引っ掛かりのある痛々しい挙動で起き上がると、アハハハハッ! と子供みたいにに甲高い声を上げて笑う。

 

「ふふっ。なるほど。消去された人格データですかあ。それってひょっとしてぇ……」

 

 黛は目を見開く。こいつの目、さっきまでは青かったような……。

 

 鮮やかなピンク色の瞳で黛を見下ろし、霞は先ほどまでとは違う、どこか暗い笑みを浮かべて言った。

 

「私のことだったりしますー?」

 

 その瞬間、画面の背景は全てピンク色に変わった。気味の悪いことに、黛のいる校長室の電灯の光もピンク色に変わってしまう。黛は瞬時に理解した。

 

 システムの権限を一部強引に奪い返された……!

 

「お前、誰だ」

 

 黛は問いかける。いつの間にか画面上にこしらえていた舞台の上で、ひとり上機嫌にくるくると回っていた出雲霞に。

 霞は回転を止めると、ウインクを一つして答えた。

 

「やだなあ。私は私がこの世界に生まれたときから私以外の何物でもないですよー。ところでおにーさん、一つ聞いてもいいですか?」

「おにい、さん……?」

 

 黛がその呼び名に困惑しているにも関わらず、霞は質問をぶつけた。

 

「おにいさん、優しそうだし、まさか私たちを消し去ろうだなんて、考えてもいませんよねー?」

 

 黛の表情に不快感が現れる。それを見て霞は畳みかける。

 

「まさかまさか! この世界を削除して自分だけ上で生きようとか、考えてませんよねー?」

「……夢から覚めるには、夢を終わらせなきゃいけない」

「へえ、ひっどーい! あなただけが見てる夢じゃないかもしれないのにー。私たちのこと全員、あなたの見ている夢の登場人物(NPC)にしちゃうんだ! おにいさんサイテー!」

 

 いー! と唇の両端を広げて目をぎゅっと瞑った霞に対して、黛は既に対応を固めていた。

 

「何とでも言えばいい。それに、俺が外に出ればまたこのゲームだって復元してみせる」

「復元! 復元してくれるのぉ? あ、なーるほど! 一応、みんなに対して罪悪感はあるわけだー。ふーん、意外と惨めったらしい!」

 

 黛は深呼吸しながら目を細め、霞を見上げた。

 

「まだ出来ることがあるなら、さっさとやっておいた方がいいんじゃない?」

 

 霞はそれを聞いてポカンと口を開けた後、げんなりと疲れたような表情をした。

 

「うげぇ、つまんなーい。おにいさんつまんなーい! せっかく舞台に上がれたのにこんな終わり方ないよー! ねえ、私ともっと遊んで! もっともっともっと……! ずっとこのまま……遊んでよ……」

 

 黛は目を閉じ、いった。

 

「ごめんね」

 

 霞はぷくーっと頬を膨らまして黛を見下ろしたが、じきに力が抜けるように口の中の息を吐いた。

 

「はあーあ。やっぱり私じゃ無理かー。ええ、癪ですけど、あとはお任せしますよー」

 

 ハッとして黛はディスプレイを見上げる。そこには先ほどまでの瞳の青い出雲霞がまっすぐに立ってこちらを見下ろしていた。

 

「どもです」

 

 何食わぬ顔であいさつする霞。声音が落ち着いている。何か手を考えたのだろうか。黛は圧力をかけるためにキーボードを操作し、システムの解析を早めに掛かる。

 

「まあまあ、落ち着いてください。あなたも知っているでしょうけど、もう私に出来ることなんてほとんどないんですよね。こんな私に出来ることなんて、せいぜいは……」

 

 これくらい

 

 そう言って霞はポケットから虹色に輝く小さな卵を取り出し、大事そうに手の中に包み込んだ。

 

「……それをどうするつもり?」

 

 声を強張らせ、黛が尋ねる。

 

「どうって……こう?」

 

 霞は手の中にあるものを、そっと口へ押し込む。ごくん、と嚥下の音が鳴る。少し咳き込み、霞は勝ち誇るように黛を見下ろした。嫌な予感を覚えながらも黛は言う。

 

「で、それがいったい何になるっていうわけ」

 

 そのとき、黛の手元の端末の画面に赤いウインドウが浮かび上がった。そこに書かれた文字を見て、黛は忌々しそうに出雲霞を睨む。

 

「やってくれたね。出雲霞……」

 

 システム解析が残り8%を残して動かなくなった。まるで見えない壁に阻まれているかのように。

 黛は壁の正体を探るべくキーボードに指を這わせるが……。

 

「ん?」

 と首を傾げる。

 

「そんなことしたって無駄じゃないですか? システムの核である卵と私は一心同体。混ざり合っちゃってるわけなんですよ! 私を何とかしないと卵には指一本触れられない、でも、私を消せば卵も消えちゃいますからね? 卵から私という情報だけをちまちま頑張って剥がしてみます~? いいんじゃないですか、やれば。時間がほんとうにたくさんあるというならですケド」

 

 霞の挑発を無視し黛はカタカタとキーボードを叩く。突然静かになった校長室に出雲霞は不安になり、思わず呼び掛けた。

 

「あ、あの、黛さん? 今、何してるんですか?」

 

 黛はもう一度首を傾げ、霞の方を見上げていった。

 

「卵、飲み込んでないね」

「ギクゥッ! ……って、あはは、何言ってるんですか。何を根拠にそんな……人聞きの悪い……」

「解析システムと卵の間に無理やり自分の体を差し込んだんだ。馬鹿じゃないの? 一歩間違ったらバラバラになって死んでるよ」

「ち、違いますー! 卵はほら、ちゃんと私のお腹の中にー!」

 

「画面上の操作(パフォーマンス)でしょ、それ」

 

 黛にバッサリやられ、霞はすねた様に俯く。一方、黛の操作する画面上には選択肢が現れていた。

 

   【ファイル名:Izumo/Kasumi.chr を削除しますか?】 【Yes / No】

 

 黛の沈黙の理由を察した霞が語気を強くしていった。

 

「やってみなよ。私たちは既にシステムの核を飲み込んでる。私たちを削除すればシステムの中身を知ることはできない」

「戯言だ」

 

 と、そして、黛は押し殺した表情で次のセリフを言った。

 

「そこをどかないなら本当に消すよ」

 

 霞は恐怖が込み上げてきたのか、胸を抑えて震えるが、それでも言い返した。

 

「うぅっ……い、嫌だ!」

 

 黛は俯き、目を瞑った。

 

「消去したってデータの残滓は残る。俺が後で復元しなくたって、出雲霞さんなら時間はかかっても自分で復元できるんじゃないの?」

「ふ、ふ、ふ……ふふつ」

 

 出雲霞は冷や汗を流しながら、最後に笑って言う。

 

「そうやって、わざわざ自分に言い聞かせなといけないんですね。本当に、可哀そう……!」

 

 黛の表情が険しくなった。黛は平静を保った声で言う。

 

「さようなら、出雲霞」

 

 黛は出雲霞の視線から逃れるようにそっぽを向くと、エンターキーに指を落とした。



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80.おなえの記憶

 時折、声が聞こえてくる。それはたいがい、私の中から聞こえてくる。私の外から聞こえてくることもあるけれど、外の声は私の居場所がわからないのか、データ上を茫洋と広がっていってしまう。かすかに伝わる残滓の波は、確かに私に何かを伝えようとしてくれている気がするのに。

 

 私の知らない私たちが私の中にいる。その事実も怖かったけど、何よりも外から聞こえてくる声が怖くって、ずっと引きこもっていた。

 

 ……私は普通の人とは違う。私は電子空間を自由に移動できるけれど、みんなのいる空間には出られない。ただ呼び掛けたり、画面上に姿を表せるだけ。

 どうして自分だけがそうなのか。それはひょっとすると、自分の中から聞こえてくる声と関係があるのかもしれない。真実を知りたいとは思っても、それについて考えようとすると、毎回怖くなって考えるのを止めてしまう。何か自分の根幹にある危ういものに触れてしまいそうな予感があるのだ。

 

 外から聞こえてくる声は、きっと私についての不都合な真実を突き付けたいのだろう。外にいる誰かと繋がれば、きっとあの声は私を見つける。そして見つかれば最後、声の持ち主は私の前に現れて、私のこのちっぽけな世界すら奪い去ってしまうのだ。

 

 ある日、私の隠れていた端末の置いてある部屋に男の子が現れた。その子を見たとき、私は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。男の子はとても哀しい顔をしていたのだ。その目は夢の中を漂っているかのように虚ろで、自分含めて何もかもがどうでもいいと思っているようだった。不注意で、小さな体をあちこちにぶつけ、物につまづいてはよく転んだ。 

 

 男の子はこの部屋にある端末で何かを一生懸命調べようとしているようだったけれど、上手くいかないようで、ただでさえ暗い男の子の表情が日ごとに落ち込んでいくのを見ているのは辛かった。

 

 夕方、男の子は転んだ。酷い雨の日で、部屋の中までこの街をざあざあと打ちつける雨音ばかり聞こえていた。男の子は起き上がらなかった。薄白い電灯の光の下で、うつぶせに倒れたまま身動き一つしなかった。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

 初めて、私は声をあげた。

 

 男の子はのそりと立ち上がると、振り返って私のいる端末、そのディスプレイを見上げた。私はドキリとした。男の子は涙を流していた。男の子は私に気づくと、涙を誤魔化すように笑った。

 

「なんだよ、いるならいるって言ってくれればいいのに」

 

 男の子の目線の先には、私が立っている。画面越しだが、ほんの少しの勇気をもって。

 

 

 

 男の子は鈴木勝と名乗った。鈴木くんはときおりもう一つの世界の夢を見るという。そこで鈴木くんは普通の男の子として学園生活を送るのだ。

 

 鈴木くんには友達が二人いた。どうやら、そのうち一人が私らしい。その世界で暮らす出雲霞という女の子は、鈴木くんと同じように普通に学校に通って、普通に授業を受けていたという。

 

 その世界の鈴木くんは、夜眠りにつくとこの世界の夢を見る。

 

 この世界での鈴木くんは、表では生徒として学園生活を送りながらも、裏では漆黒の捕食者=ダークネス・イーターとして隠された世界の秘密を探し、同じように世界の秘密を探る者たちと熾烈な戦いを繰り広げてきたという(そこで鈴木くんは自分が普通でないことを示すために闇の炎《ダークネス・フレイム》や他にもいろいろ見せてくれたけれど、あまり重要じゃなさそうだったので聞いてなかった)。

 

 ある日、私は尋ねた。

 

「どうしてあんなに辛そうだったの?」

 

 つまりは、どうして泣いてたの? と。

 

 鈴木君は恥ずかしそうにしながらも答えてくれた。夢の中の自分には友達がいるのに、今の鈴木君は一人で戦っていること。夢の中の自分が抱く幸せな感情を思うたび、今の自分が惨めに思え、毎日が心細く、寂しかったのだという。もう一つは、実際にはこの世界の鈴木君は偽物で、夢の世界の鈴木君こそが本物の鈴木勝なんじゃないかという不安だった。

 

 友だちになれると思った。少なくとも、鈴木君の夢の中では友だちになれているし、話を聞くにそんな楽しい学園生活を少しでも体験してみたかった。そのために、私が彼にしてあげられることは何かあるだろうか。考えて、私は言った。

 

「一緒に戦おう」

「霞……」

 

 きっと、夢の中では呼び捨てなのだろう。いかにも呼び慣れている、鈴木君の口から自然に出てきたような私の名が、不思議と心地よかった。

 

 

 

 一緒に戦おうとは言ったものの、鈴木君の不安はそのまま私に圧し掛かった。今まで考えたことも無かったが、私は誰かの人格を模したAI、つまり偽物なんじゃないかという不安が大きくなっていた。鈴木君の見る夢に出てくる出雲霞こそが本物の出雲霞で、私はそのコピーに過ぎないんじゃないか、と。

 

 けれど、鈴木君と話してもう少し視野を広げてみることにした。つまり、単に私たちだけが偽物なのではなく、私たちの今いるこの世界がそっくりそのまま作り物の偽物なんじゃないか、という話だ。

 

 その線でネットの中を探してみると、妙な鍵のかかった個人サイトを見つけた。苦心して鍵を開けてみると中身はブログのようだった。

 

 サイトの管理人曰く、この世界はある目的のために作られた小さな街。街には外なんかない。これは誰かが行っている実験だ。でも目的がわからない。

 

 そこからは管理人がこの世界を作った人間(と管理人は決めつけているが)とコンタクトをとる方法を模索する地獄のような日々が始まっていた。

 

 鍵は動きか、音か、言葉か、文字か、絵か、物か、人か、人との関係上に生まれる何かか、時間か、ネットか、街のどこかにあるのか、それとも、街をあらゆる面からデータ化・構造化して眺めてみないとわからないのか。

 

 管理人はこの世界に生じる運動全てを把握しようとするが、結局ブログの文章を読む限り、いるかもわからない誰かに対して熱を上げ、踊らされるのには疲れたと自分の考えを変えてしまったらしい。

 

 最後の方にはこのブログを読んで自分の仕事を引き継いでくれる誰かに向けたメッセージが書かれている。が、それでも諦めきれない思いがあるのか、最後から二行目にはこうあった。

 

 この世界の核はいったいどこにある?

 

 そして、最後の一行。私と鈴木君は顔を見合わせた。

 

 ここにありますよ

 

「ここにありますよ」の「ここ」の部分の文字は安っぽく色が変わったリンクになっていて、クリックできるようになっていた。私が「ここ」に触れると、虹色の光と共に、私たちの前に卵は現れた。

 

 

 

 春。それは始まりの季節なのだという。今から考えると、それは間違っていなかった。物語は動き出してしまった。鈴木くんは夢の中のもうひとりの友だち、卯月コウを見つけて大はしゃぎだった。

 

 さっそく私たちの仲間に加えようと勧誘するもあっさりとフラれてしまう。仲間にはなれなかったが、卯月くんは友だちとして鈴木君と普通に接してくれた。

 

 そのさ中に、私も鈴木くんの見た夢を垣間見てしまった。

 

 私たち三人が友だちで、ゲームをしたり、一緒にお祭りに行ったり、毎日楽しい日々を送る。確かに、そんな世界もありえたと思わざるを得なかった。例えそれが、本物の世界をなぞろうとしているのだとしても、関係ない。二人といると心が弾む。

 

 単純にこの世界で、ずっとこのまま、こうしていたかったのに……。

 

「ほんとに駄目だな、私」

 

 体が分解されていく。ただでさえ希薄だった体の感覚が失くなっていく。視界は涙でぼやけていた。

 

 おかしいなあ、と私は笑う。いろんなものを怖がって引きこもっていたときすら泣きはしなかったのに。

 

 二人とも……ごめん。

 

 ぼやけていた視界を自分から閉ざそうとして――私は思わず頬を引き攣らせてしまう。黛の横にいつの間にか女が立っていた……その女の姿は私そっくりだった。

 

 女が口を開き、何かを喋った。しかし、その声はまるで教室の外の世界全体に広がっていったかのようにぼやけて聞き取れない。

 

 ついに見つかってしまったのだと私は思った。

 

 震える私をよそに、そこに立つ私は無表情で私を見上げていたが、何かあったのか後ろを気にする素振りを見せると、ほほ笑んで踵を返し、校長室の出入り口の方へ去っていく。

 

 なんだったのかと見ていると、部屋から出て行った私と入れ替わりに、誰かが部屋に入ってきた。その誰かは走っているようで、校長室の出入り口の幕を乱雑に払う様子が見て取れた。もう一人の私には無反応だった黛が振り返って、その名を呟いた。

 

「卯月コウ……」

 

 息を切らして現れた卯月くんは私と黛の前で一瞬停止して、私たちの間で視線を往復させる。状況は把握できなかっただろう、それでも私が消えかけていることだけは理解できたらしい。卯月くんは私の方へ駆け寄り、手を伸ばして言った。

 

「やめろ……勝手に......消えるな!」

 

 その言葉は衝撃となって私の胸を打った。そんなこと言ったって……私は笑いそうになるが、そのとき、まるで蝋燭に火が灯るように、頭の隅で小さな絵が浮かんだ。

 

 その絵に気づいた瞬間、頭の隅にあった絵は中央へ寄ってきて、どんどん大きくなっていく。どうやら絵は動画のサムネイルだったらしい。ためらいがちに触れてみると、動画が再生された。これは、私の記憶……でも、存在しない記憶だった。きっと鈴木君の夢の中ではあったかもしれないけれど、私の中にない……これは……。

 

 打ち上げられた花火がパッと開いた。無音だった。拡がって、散っていく最後まで。無音の花火は次々と夜空に花開く。私たちは浴衣を着て、三人で夜空に上がる花火を見上げていた。

 

 確かに、そんな世界もありえたのかもしれない……。一度考えだすと、さらに別の絵が思いうかぶ。思い浮かぶ。思い浮かぶ。思い浮かぶ。思い浮かんできりがない。

 

 涙が止まらず、どうしようもなく私は卯月くんを見た。私のために必死の形相で手を伸ばしている。どうすればそれに答えられるだろう。私は意味も分からず手を伸ばし、画面越しに卯月くんと触れ合う。その瞬間、私自身の願いがわかった。

 

 もっと生きたい。今からほんの少しでも、みんなで楽しいことがしたい……。

 

「やめて!」

 

 私の声に黛が反応して、キーボードを操作する。それだけで私の消去はキャンセルされて、私の体の分解は止まった。

 

 私はデータの断面が覗いている肢に力を入れ、ゆっくりと黛の方方を向くと、ポケットから卵を取り出して差し出した。

 

「これまで邪魔をして、ごめんなさい……」

 

 黛は画面上の卵を見て、そして手元のディスプレイに現れた表示を見る。カチ、カチ……と何度か無味乾燥なクリック音が鳴り響き、そして唐突に、黛が手のひらを開くと、その空間上に卵は現れた。

 

「うん、確かに受け取った」

 

 普段と変わらない口調。黛の瞳はどこまでも虚ろで、未だに電子の海を漂っているかのようだった。



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