ありふれていた月のマスターで世界最強 (sahala)
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プロローグ「平和な日常」

 ついに書いてしまいました、EXTRAクロス。
 オルクス迷宮編まではこちらに専念しますが、本業はオバロクロスの方なので以降は不定期更新になる予定です。それを御了承の上でお読み下さい


 とある夢を見る———。

 

 それは海の中の様な何処かの迷宮。

 前方には機械的な形状のモンスター達。鋭い牙が生え揃った物、ビームを連射してくる鳥、身の丈三メートルは超える巨人。

 どれもが人間を容易く殺せそうな怪物ではあるが、不思議と恐怖は無かった。傍らには、自分の剣となる存在が———。

 

 ピピピピ……!

 

 電子のアラーム音が聞こえる。意識が浮上して、脳が睡眠状態から覚醒状態へと移行していく。海の中のダンジョンの光景が薄れていき———岸波白野は目を覚ました。

 机、箪笥、そして本棚。白野の部屋にあてがわれた和室が寝起きのボーっとした目に映った。

 

「ふわぁ……」

 

 欠伸を一つして、二度寝の誘惑を断ち切ると白野は布団から起き上がる。目覚まし時計のアラームを止めて、布団を畳んで押し入れに入れると寝巻きを脱ぎ始めた。

 制服に着替えて、顔を洗う為に廊下に出る。純和風の廊下の外から、ヒュン、ヒュンと規則正しい音が聞こえた。白野は雨戸を開けて、庭の外に出た。

 

「二百八十一、二百八十ニ、二百八十三……」

 

 和風の広い庭には、一人の少女が竹刀の素振りをしていた。

 白野が起きる前から鍛錬をしていた肌は軽く上気し、朝日を浴びた艶やかな黒髪のポニーテールと共にキラキラと輝いて見えた。引き締まった身体と凛とした表情は、異性はおろか同性であっても溜息を漏らさずにはいられないだろう。

 白野は鍛錬の邪魔にならない様に、静かに少女へと近付いた。

 

「二百九十九、三百……! ふぅ……」

 

 日課の鍛錬が終わり、少女は竹刀を下ろして一息をつく。近くに置いていたタオルで汗を拭き———そこで初めて白野の存在に気付いた。彼女は親愛の笑みを浮かべながら、挨拶をした。

 

「あら……おはよう、白野。今日は身体の調子はどう?」

「おはよう、雫。今日はすこぶる健康だよ」

 

 白野も同居人である少女———八重樫雫に、穏やかに挨拶を返した。

 

 ***

 

 朝食を摂り、雫と共に白野は学校へ登校した。始業開始三十分前ぴったりに教室に来た二人に、三人の男女が近寄った。

 

「おはよう。雫ちゃん、白野くん」

「おっす、二人とも」

「おはよう。香織、龍太郎」

 

 先に挨拶をした黒髪の少女とガタイの良い少年に、白野は挨拶を返した。

 

 黒髪の少女は白崎香織。

 おっとりとタレ目がちな大きな瞳は優しげで、スッと通った鼻梁に小ぶりの鼻、そして薄い桜色の唇が完璧な配置で並んだ美少女だ。実際、雫と共に「学園の二大女神」などと呼ばれ、本人の面倒見の良い性格もあって学年を問わずに人気のある女子生徒だ。

 

 ガタイの良い少年は坂上龍太郎。

 短く刈り込んだ髪、身長百九十センチメートルはありそうな大柄な体格で、鍛え込んだ筋肉が腕捲りした制服の上着から見えていた。彼は空手部の期待のエースであり、個人で全国大会の優勝経験もあるという猛者だ。熱血漢という言葉がぴったりと当てはまる彼は、いささか脳筋な所があるが頼れる偉丈夫として皆から親しまれていた。

 

「おはよう、雫。今日も白野の面倒を見て上げているのかい? まったく、雫は優しいな」

 

 最後に白野に、というより雫に対して挨拶した少年がいた。

 

 彼の名前は天之河光輝。

 身長百八十センチメートルのスラリとした体格に、サラサラとした茶髪。本人がいつも浮かべている甘いスマイルは、下手なアイドルも顔負けな容姿だ。しかもこの学園では定期試験で常にトップの成績を取り、小学生の頃から剣道の大会では負けなしという天が二物どころか三物も与えたかの様な少年だ。

 実際、週に一回は他校を含めて女子生徒達から告白を受けており、同年代の男子生徒からは完璧超人過ぎて嫉妬すら起きる気力も無いという有様だった。

 

「……おはよう、光輝」

 

 しかし、同世代の女子からすればウットリする様な甘いスマイルを向けられても、雫は特に反応を示さなかった。それどころか、心なしか表情が硬くなった様にも感じる。

 そんな雫に代わり、白野は光輝に挨拶する。

 

「おはよう、光輝」

「ん? ああ、おはよう。白野、今日は体調が良いみたいだけど、病気だからといって雫にいつまでも面倒を見させるのは良くないんじゃないか? 雫だって、いつまでも君と一緒に居られるわけじゃ無いのだから」

「光輝」

 

 彼なりの善意の忠告をした光輝だが、雫はいつもより少し低い声を出した。仲の良い者で無ければ気付けない程だが、その表情は少しピリピリとしていた。

 

「何度も言わせないで。白野の身体が弱いのは体質のせいで、白野自身に非は無いわ。私は家族として、白野を支えてあげたいと思っているの。貴方がしゃしゃり出る事じゃないの」

「雫、俺は二人の為に言っているんだ。白野のサポートの為に、君はあれだけ真剣にやっていた剣道部も辞めざる得なくなったじゃないか。雫の負担になっているのだから、白野はもう少し雫の都合を考えるべきだ。それに家族といっても、血の繋がりは———」

「あ、南雲くんが来た! 私、ちょっと行ってくるね!」

「え? お、おい、香織!」

 

 香織がどことなくわざとらしく声を上げながら、教室に入って来た背の低い冴えなそうな男子生徒に近寄り、それを光輝は慌てて追いかけた。

 光輝の()()は中途半端に終わった形になったが———白野は、ほんの少しだけ気落ちした様な顔になっていた。

 

「雫………」

「白野が後ろめたく思う事なんて無いわよ」

 

 どこか申し訳無さそうな白野に、雫は先んじて口にした。

 

「実家が道場だから剣道は家でも出来るし、保健委員もやり甲斐のある仕事だもの。むしろ、また倒れたなんてあった時の方が心配だもの」

 

 雫の目は気遣う様に優しく、その優しさが却って白野に申し訳ない気持ちを引き出していた。

 

 岸波白野。

 身長は170センチメートルくらい、太り過ぎても痩せ過ぎてもない中肉中背体型で、顔立ちにも目立つ物は無し。はっきり言って、光輝達の様な華のあるグループには不釣り合いな程に平凡を絵に描いた様な容姿の少年だ。

 

 そんな彼だが、現在は雫の実家である八重樫道場で暮らしていた。

 小学六年生の時に両親が交通事故で亡くなり、他に頼れる親類縁者も居なかった為に父親同士が竹馬の友だった八重樫家に引き取られる事になった()()()

 らしい、というのは、同じく事故に巻き込まれた白野自身はその事を全く覚えていないのだ。事故で奇跡的に生き残った白野だが、数ヶ月の昏睡を経て目覚めた時には記憶喪失になっていた。お陰で生前の両親の写真を見せられても、それが自分の親だとは認識出来なかった。

 

 そして———これが一番の問題なのだが。

 事故以来、白野は発作の様に頭痛や目眩がして、意識が突然無くなる事も多々あって日常生活にも支障をきたしていた。医者も手を尽くしたが、根本的な原因は結局判明せずに今まで至る。

 白野の新しい家族となった八重樫家の人々は、そんな手の掛かる白野を疎ましく思う事もなく、白野が出来る限り普通の生活が送られる様にサポートしてくれていた。雫が保健委員になったのもその為だ。彼女は病弱な白野を少しでもフォロー出来る様に、彼女は剣道部を辞めて保健委員に入ったのだ。

 

 しかし、雫が剣道部を辞めた事を快く思っていない者がいた。光輝はその一人だった。

 中学の剣道大会。

 男子の部で優勝した光輝は、女子の部では幼馴染の雫が優勝するものだと信じて疑わなかった。自分と雫が「八重樫流道場の期待の星達」として、取材でツーショットを撮られる姿まで想像する程に。

 ところが白野が階段を昇っている最中に意識を失って転落したと聞いて、雫は大会を途中棄権して病院に駆け付けたのだ。

 幸い白野の怪我は大事には至らなかったものの、それ以来、雫は剣道部を引退して白野のフォローを務める様になり、それが光輝には「白野の体調管理がなってないせいで、雫は大好きだった剣道部を辞める事になった」と見えていた。

 以来、持ち前の正義感から「白野はもっと自分で体調管理できる様に努力すべきだ!」と()()をしているのだが、雫からすれば余計なお世話も良いところだった。それ以来、雫は光輝を避ける様に話す機会を減らしているのだが、光輝は持ち前の前向きな性格から「雫は()()()()に過保護なんだなぁ」と解釈していた。

 そしてそんな兄・光輝の行動を見て、光輝の妹・美月は「雫お姉様の手を煩わせる軟弱な男」と白野の陰口を自分が会長を務める『八重樫雫非公認ファンクラブ』(通称ソウルシスターズ)の会員達に広め、白野は学校では「学園の二大女神の八重樫雫におんぶ抱っこされてる病弱な男子」と周りから認識される様になってしまった。(それで雫が光輝を尚更に避ける理由となったのだが、ここでは割愛する)

 

「そうだぜ、お前にだって良い所は一杯あるじゃねえか」

 

 龍太郎も白野を元気付ける様に肩を叩く。根が単純な彼は学園の噂話など意にも介さず、中学の時から新たな幼馴染になった白野を友人として接していた。いかに「男は度胸と体力!」と豪語する様な彼も、白野の体質を知っているだけに仕方ない事だと納得していた。

 

「数学とか歴史とか、時々光輝より良い点を取るぐらいだしよ。いつだったか俺の爺ちゃんと将棋をやった時に、完封勝利したじゃねえか。あれ以来、爺ちゃんが「次こそあの若造を打ち負かしてやるんじゃ!」って休みの日にも将棋の練習に付き合わせるしよぉ……。まあ、光輝も悪気があって言ってるわけじゃねえから、あんまり気にするなよ」

「……ありがとう、龍太郎」

 

 白野はほんの少しだけ微笑む。光輝も悪意があって言っているわけでは無い事は、それなりの付き合いから分かってはいた。それに、自分の体質が難儀なものだという事は白野自身が一番理解していた。雫は空気を変える様にパンと軽く手を叩く。

 

「さ、早く席に着きましょう。いつまでも立ち話をしているわけに行かないわ」

「なあ、白野。ものは相談なんだけどよ……今日、数学の小テストがあったよな? ここだけ覚えていれば、赤点は取らねえって範囲を教えてくれねえか?」

「え、えぇ……? 今日の小テストは一週間前から言われていた事だから、結構範囲が広かったと思うよ?」

「そこをなんとか! 部活が忙しくて、あんまり勉強してねえんだよ! また赤点取ったら、母ちゃんから大目玉を食らっちまう! お願いしますよ、白野大明神様〜!!」

「だから普段からキチンとやりなさいと私は言ったのに……白野、あまり甘やかさなくていいからね?」

「あー……まあ、龍太郎も大会が近くて練習が忙しかったのは確かだし……。とりあえず、範囲の確認から始めようか」

 

 苦笑しながら、白野は席に着くと数学の教科書を広げた。

 彼の日常は、概ね平和だった。

 

 ***

 

 時刻は午後三時をそろそろ回ろうかというところ。

 龍太郎がどうにか小テストを乗り切り、今日の最後の科目の授業を白野達は受けていた。隣の席では、朝に香織が挨拶に行った少年———南雲ハジメが眠そうにしながらも、両目を何とか開けて板書をしていた。

 

「では次のページ……岸波、読んでみろ」

「はい」

 

 教師から指名を受けて、白野は席から立ち上がる。

 そして急に———身体の平衡感覚が無くなった。

 

(あ、まずい………)

 

 咄嗟にそう思ったのも束の間、白野は目眩を感じて床に膝をついてしまった。カシャン、と机の上にあった筆箱が落ちる。

 

「おい、岸波。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……少し、ふらついただけですから……」

 

 どうにか机に手をついて頭からの転倒を免れた白野に、教師は心配そうに声を掛ける。とはいえ、白野の虚弱体質は職員室でも周知の事実であり、他の生徒達も「ああ、またか」と思ってあまり騒いでいない。

 

「気分が悪いなら、保健室で休んでなさい。一人で立てるか?」

「はい……すいません………」

 

 そう言って立ち上がる白野だが、足元がフラフラと覚束ない。そんな白野に保健委員の雫が素早く立ち上がった。

 

「先生、白……岸波君は私が保健室に連れて行きます」

「ああ、いや……ここは男子が肩を貸して連れて行った方が良いだろう。男子の保健委員はいるか?」

「え、えっと……僕です」

 

 ハジメが恐る恐るといった様子で手を上げた。それを見て、教師は頷くと指示を出した。

 

「南雲、岸波を連れて保健室まで行ってくれるか? 岸波は容態が落ち着いたら、そのまま帰っても良し。辛そうなら保護者に迎えに来て貰うから、保健室の先生に言う様に」

「……はい」

 

 教師の指示に白野は頷くと、ハジメに肩を貸して貰いながら教室を後にした。

 

 ***

 

「ごめん、南雲。毎度毎度、君に迷惑をかけて……」

「良いよ、謝らなくて。岸波君の身体が大変なのは、今に始まった話じゃないし……」

 

 保健室への道すがら、白野はハジメに謝った。しかし、白野に肩を貸しながらハジメは気にしてない様に笑った。

 

「それにさ。さっきの授業はちょっとだけ眠かったから、良い眠気覚ましになったよ」

「……ごめん」

 

 少しだけ戯けるハジメだが、白野の顔色は優れない。目眩のせいだというのもあるが、ハジメに授業を中断させてまで保健室へ付き添って貰っている事に申し訳なく思っていた。

 その様子にハジメは内心で溜息を吐いた。

 

(そんなに謝る事じゃないんだけどな……)

 

 ハジメは「趣味の合間に人生」を座右の銘にしており、両親の様に将来はゲームクリエイターやイラストレーターになりたい彼にとって、学校は履歴書に書く為に通っている程度という認識だった。保健委員になったのも、生徒は必ず部活か委員会に入る事を校則で義務付けられていて、保健委員なら放課後に拘束される日が少ないと思ったから立候補しただけだ。

 

(まぁ、岸波君を見ているとさすがに授業中に寝るのはどうなの? と思う様になったけどさ……)

 

 以前は親の仕事の手伝いや新作ゲームなどで夜更かしを頻繁にしていたハジメだが、隣りの席で保健室通いになっても真面目に授業を受けようと頑張っている白野を見ていると、病気でもないのに授業中に居眠りするのが恥ずかしい気がしてきたのだ。

 それ以降、ハジメは生活態度を改めて、両親の仕事も締め切り前で余裕が無い時以外は手伝わずに学業に専念するなど、健康的な生活を送る様になっていた。今では学園二大女神の香織に何故かよく話しかけられる事を面白く思っていない一部の生徒達以外、ハジメを悪く言う人間はいなくなっていた。とはいえ、それを白野に伝えた所で何の慰めにもならないだろう。

 

 ハジメに送って貰い、白野はようやく保健室に着いた。養護教諭はもはや常連と化しつつある白野を見て納得した様に頷き、白野をベッドに横になる様に言うと、ハジメを教室に帰らせた。

 

「とりあえず、あと三十分で放課後になるから大人しく休んでいなさい。鞄は八重樫さんに持って来て貰うから」

 

 それだけ言うと、用事があると言って養護教諭は立ち去ってしまった。

 一人残された白野は、真っ白なシーツの上で身体を横たえる。

 

「ふう………」

 

 思わず、溜息が出てしまう。この発作は突然起こり、下手をすれば一日中起き上がれない日もあるが、調子が良ければ十分程度で治る事もあった。頭痛を抑える様に指で目蓋を揉んでいると、つい、朝に光輝に言われた事を思い出してしまう。

 

「いつまでも雫に迷惑をかけられない、か……分かってるさ、そんな事」

 

 今、白野達は高校一年生。あと二年もすれば、進学や就職の為に将来の進路を決めなくてはならない。

 白野は自分の身体の事もあり、まだ将来について具体像が浮かび上がらなかった。だが、雫には雫の未来があるのだ。今の様に同じ学校に通って、白野のフォローが出来る日など残り少ないだろう。

 白野は雫を含めた八重樫家の人々が好きだ。記憶を無くしてしまった自分を血の繋がりは無いが息子として受け入れてくれた彼等を、白野も本当の家族の様に慕っている。

 だからこそ、自分の身体が恨めしい。大切な家族達に、少なからず負担をかけてしまっている事を白野は後ろめたく思っていた。

 

 そんな事を考えている白野だが、目を閉じている為か少しウトウトとしてきた。頭痛を引かせる為にも、白野は睡魔に身を委ねる。

 

(……ああ、またこの夢か)

 

 明晰夢というのだろうか。眠った筈の白野は、意識だけが別の場所にいた。

 海の底の迷宮、桜が舞い散る迷宮、そして何処までも広がっていそうな新天地(エクステラ)……夢の中の白野は、それらの光景を勇ましく駆けて行くのだ。隣には、はっきりと認識できないが誰かがいる気がする。

 

(俺も……こんな夢みたいに、元気に走り回れたらな……)

 

 どこか他人事の様に思いながら、授業を終えた雫が迎えに来るまで白野は夢の中で駆け抜けていた。



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第二話『異世界召喚———目覚める力』

 二次創作を書いていて何が辛いかというと、原作通りの展開を書かないといけない時ですかね。
 二次創作を書いてるのに何を言ってんの? と思うでしょうが、基本的に読者は元である原作を既に読んでいる人がほとんどだと思うのですよ。
 そんな人達に、すでに見たシーンである原作展開をやってもなぁ……と、思うわけです。今回はある意味テンプレ展開だから、書いている自分も少し退屈でした。

 だから私は「原作展開? ナニソレ美味しいの?」というくらいに脱線させたがるのです(笑)


 その日、白野は珍しく体調が良かった。

 雫と一緒に登校して、香織がハジメに話し掛け、横から光輝が割り込もうとしているのを見ながら、宿題をやっていなかった龍太郎に苦笑してノートを見せる。そんな、ありふれた日常だった。

 

 そして———それが、岸波白野の最後の日常となった。

 四限目の終わり。昼休みに入った直後に、教室全体に突然魔法陣が現れ、日常はあっさりと燃え尽きた。

 

 ***

 

 閃光の様な強烈な光を感じて、白野は思わず身をすくめた。ジェットコースターの急降下の様な浮遊感に襲われて、胃がせり上がる。しかし、その感覚はすぐに収まった。次の瞬間、白野は冷たい大理石の床に突っ伏していた。

 

「一体、何が………?」

「白野!」

 

 両手をつきながら起き上がろうとすると、雫が駆け寄ってくる。いつもはしっかりと整えているポニーテールが強風の煽りを受けた様に乱れていたが、そんな事すら気にかけていられないとばかりに白野を助け起こす。

 

「白野、無事!? 気分が悪くなってない?」

「雫……大丈夫、大丈夫だから」

 

 雫の必死な顔を見て、白野は逆に落ち着いてきた。そこでようやく周りを見回す余裕が出てきた。周りには、先程まで白野と一緒に教室にいた面々がおり、何が起きたかさっぱり分からないという様子で不安そうに辺りを見回していた。

 白野達がいる場所は大理石で出来た神殿の様な場所。その中でも他より一際高く作られた祭壇の様な台座に白野達は居た。周りには自分達を取り囲む様に神官の様な服を着た人間達が祈りを捧げていた。

 その中から、一際立派な神官服を着た老人が進み出る。

 

「ようこそトータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致しますぞ。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いておりますイシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞ」

 

 そう言って、皺だらけの顔を穏やかに微笑ませた。

 

 ***

 

「白野、本当に大丈夫? 無理をしなくても、話なら私が聞いておくから……」

「大丈夫……大丈夫だから……」

 

 隣の席で雫が白野に気遣わし気に声を掛けてくる。まるで病弱な弟を心配する姉、もしくは子供を心配する母親だ。いつもならば白野の事を快く思ってない生徒達は、家族だからとはいえ雫に構われる姿に嫉妬の目線を向けるのだが、今回ばかりはそんな余裕は無かった。

 イシュタルに案内されるままに大広間に連れて来られ、長テーブルの席に着いた彼等は緊張した様子でイシュタルを見ていた。途中、全体的に顔の造形が整ったメイド達が生徒達に飲み物を配り、思春期の男子生徒達は顔をだらしなく緩ませたりした者もいたが、白野はそれどころではなかった。

 

(身体が……熱い……?)

 

 教室からこの場所に来た時から、白野は身体が火照る様な感覚に苛まれていた。まるで風邪で熱を出した時の様な———しかし、いつもの目眩とは違う感覚に、白野は冷や汗を流しながら席に着いていた。

 

(何なんだろ、これ……? でも、イシュタルはきっと、俺達の今後を左右する様な事を言う筈だ。せめて、それは聞いておかないと……)

 

 呼吸をする度に、熱が全身を駆け巡る様な気までしてくる。まるで、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな白野に雫は心配そうな顔になるが、それでも白野は脂汗に耐えながらイシュタルが話し始めるのを待つ。全員に飲み物が行き届いたのを確認すると、イシュタルは徐ろに話し始めた。

 

「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」

 

 ***

 

 この世界はトータスと呼ばれる世界で、白野達が元いた地球とは別世界である。

 トータスには人間族、亜人族、魔人族がいるが、人間族と魔人族は何百年と戦争を続けている。

 長年、大規模な侵略などなく、小競り合いをする程度の両種族だったが、最近になって事情が変わってしまった。

 どうやってか、魔人族は強力な魔物達を使役する術を身につけ、今まで数だけは優位だった人間族との力関係が崩された。

 

「そして……時を同じくして、魔人族の軍に悪魔の如き力を持つ者の存在達も確認されました」

 

 まるでファンタジーRPGの世界の様な話だ。しかし、クラスメイト達は誰も馬鹿馬鹿しいと笑い出さなかった。否定するには今の状況が異常事態過ぎた。

 そして———イシュタルの話し方が上手いのだ。彼等は聞き入っているクラスメイト達を見ながら、沈痛そうな表情を見せる。

 

「ハルデールノ、ドールローキ、レヤの村、商業都市ベレタガム……その他にも、数々の都市や村が滅びました。幸運にも生き残った者の証言を聞くと、彼等は我々の世界では見た事のない鎧や衣服に身を包んだ人間族だとの事です。おそらくは皆様方と同郷の者達なのやもしれません。異世界の人間は、この世界の人間より何倍も強い力を発揮するそうです。そんな相手までも魔人族に味方したとあっては、もはや我々人間族は滅びの運命を待つばかり……そう思っておりました」

 

 そこでイシュタルは顔を上げる。彼は恍惚とした笑顔で、クラスメイト達を救世主であるかの様に見ていた。

 

「ですが、神は……エヒト神はまだ我々を見捨ててはいなかった。祈りを捧げる私に神託を下さった……“異世界より勇者を送る"、と。そう、それがあなた様方なのです。どうか我々を御救い下され、勇者の皆様。邪悪なる魔人族達に虐げれる我々に、救いの手を差し伸ばして下され」

 

 そう言って、イシュタルは白野達へ頭を下げた。それは人間に対して礼をするというより、神の様に神聖な者へ頭を垂れる様な仕草だった。

 ———まるでよく出来た演劇だ。

 白野は身体の中から湧き上がる熱に耐えながら、思わずそう思ってしまった。

 イシュタルの話が終わった大広間に、ガタンと席を立つ音が響く。

 

「ふざけないで下さい! この子達に戦争へ参加しろと言うのですか!」

 

 この場で唯一、学校の制服ではなくスーツを着て、しかし身長が一番背の低い生徒よりも更に小さな少女が立ち上がった。

 彼女の名前は畑中愛子。

 教師免許を取って三年目の若輩ながら、低身長で童顔という愛らしい容姿で「愛ちゃん先生」と生徒達から人気のある社会科教師だ。

 彼女は四限目が自分の受け持ちの授業であり、生徒からの質問に答えていた為に不運にもクラスメイト達と共に異世界召喚に巻き込まれてしまっていた。

 

「貴方達がやってるのはただの誘拐です! そんなの先生は許しません! ええ、許しませんとも! 早く私達を元の場所に帰して下さい!」

 

 机を叩き、彼女はイシュタルにくってかかる。もっとも、叩いた机はペチンと迫力の無い音が響き、本人の少女みたいな容姿も相まって小型犬が吠えている様な可愛らしさが先に来る様な姿だった。事実、一部の生徒は「愛ちゃんは今日も元気だなぁ」と和やかに眺めているくらいだ。

 そんな愛子に対して、イシュタルは皺の深い顔をいかにも残念そうに横に振った。

 

「お気持ちは察しますが………それは出来ぬ相談なのです」

「で、出来ないってどうして!? 私達を呼び出す事が出来るなら帰すのだって簡単な話でしょう!」

「あなた方を召喚したのはエヒト様のご意思。我々、人間には異世界という場所に干渉する術を持ちません。あなた方を元の世界に帰せるのはエヒト様だけなのです」

「そんな………そんな………!」

 

 ぺたん、と愛子は脱力した様に椅子に腰を落とす愛子。その姿を見て、事態の深刻さに気付いた生徒達は一斉に騒ぎ出す。

 

「ふざけるなよ! なんで俺達が戦争しなくちゃならないんだよ!」「嫌よ! 家に帰して!」「なんで、なんで、なんで……!」

 

 皆が口々に騒ぎ出す。白野もまた異常事態に頭が真っ白になりかけ———ギュッと白野の袖を掴む者がいた。

 

「雫……?」

「……嘘、よね? これ、ドッキリよね? 私達がもう帰れないって……そんな事、あるわけ無いわよね……?」

 

 いつも凛とした表情を見せる雫が唇を振るわせながら、白野の服を掴む。その手は小刻みに震えていた。

 

「…………」

 

 それを見て、白野の混乱は嘘の様に引いた。白野は雫の手を優しく握る。

 

「白野……? 貴方、熱が……!」

 

 触れられた手が尋常でない体温を発している事に雫は気付いて声を上げたが、それと同時にバンッ! と机を叩く音が響く。

 音に驚いた皆が目を向けると、光輝が立ち上がっていた。彼は皆の視線が自分に集まった事を確認すると、おもむろに話し始めた。

 

「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放置するなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん? どうですか?」

「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」

「俺達には大きな力があるんですよね? ここに来てから妙に力が漲っている感じがします。さっき言ってた魔人族に味方した異世界人? みたいに、強くなれる……そうなんですね?」

「ええ、ええ。だからこそ、あなた方をエヒト神を異世界より召喚されたのでしょう。今はまだか細き力ですが、鍛錬を積まれれば、あなた方は魔人族に味方した者達より強くなれるでしょう」

「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように、俺が世界も皆も救ってみせる!!」

「ま……待ってくれ、光———!?」

 

 グッと握り拳を作って光輝は力強く宣言する中、白野は光輝を止める為に立ち上がろうとし———平衡感覚が、グラリと無くなった。

 

(こ……こんな時に……っ!)

 

 「白野!」と隣で雫が悲鳴を上げるが、白野は目眩と共に熱で意識が朦朧としてきて、それどころでは無かった。

 ドクン、ドクンと血管が脈打つ様な感覚までしてくる。

 

「へっ……仕方ねえな。まだよく分からねえけど、光輝がやるなら俺もやるぜ! ダチ一人に戦わせる気は無え!」

「龍太郎っ……! ありがとう!」

 

 クラスのリーダーである光輝と、頼れる力持ちの龍太郎が宣言すると、まずは女子達が声を上げた。

 

「天之河くんがいるなら私も!」

「私だって! 家に、帰れるかもしれないし……」

 

 女子達が次々と参戦わ表明すると、今度は男子達が声を上げる。

 

「お、俺もやる! 女子達に戦わせて何もしないなんて、男じゃねえ!」

「天之河達がいるなら、何とかなるよな……?」

「だ、駄目ですよ! 貴方達は何を言っているんですか!? コラ、先生の話を聞きなさーい!」

 

 次々と参戦を表明する生徒達に愛子が慌てて止めようとするが、彼等の熱気は収まらない。光輝の作った流れの前に、愛子が涙目で訴えても無力だった。

 そんな中、香織は決めかねている様にオロオロとしていた。

 

「わ、私は………」

「香織、君も一緒に戦おう! 大丈夫だ! 俺がいれば、どんな敵だってへっちゃらさ! 皆で力を合わせて、この世界を救おう!」

「で、でも………ねえ、雫ちゃんはどうす———白野くん!?」

 

 雫の意見を求めようとして、そこで初めて香織は白野の異状に気がついた。

 

「白野! ねえ、しっかりして! 白野!!」

 

 テーブルに突っ伏した白野に雫が必死に揺さぶる。周りが騒然とする中、白野の意識は徐々に薄れていった。

 

 

 バチッ。

 スイッチが入った音が聞こえた気がした。

 

 ***

 

『魔術回路……?』

『そう、■■■が■■■たらしめる物。貴方にもある筈よ?』

 

 何処かの学校の屋上———ただし空には0と1の数列が無数に浮かんでいる。

 そんな非現実的な場所で、彼は目の前のツインテールの少女と話していた。

 

『私達は魔術回路があるからこそ、自分の精神や肉体を霊子化して電脳空間に干渉できる……記憶が無いと言っても、この■■■■■に来れた以上、貴方にもあって当然の物よ?』

 

 元々、面倒見の良い性分なのか、ツインテールの少女は何も知らない新人に指導する様に丁寧な教える。

 

『まあ、少しでも死を先送りしたいというなら、自分の回路に魔力を通す鍛錬くらいはしておきなさい。でないと貴方、すぐに死にそうだから。記憶を無くした■■■なんて、最弱にも程があるもの』

 

 あっさりと言い放つツインテールの少女だが、彼女なりの気遣いが見て取れた気がして彼はお礼を言おうとした。

 

『その……ありが———』

『勘違いしないで』

 

 ビシッとツインテールの少女は指を突きつけた。

 

『■■戦争で生き残れるのは唯一人。私は貴方に生き残って欲しい、なんて思っていない。これは謂わば、最期の手向けというやつよ』

 

 それだけ言うと、ツインテールの少女は校舎のドアへと向かう。

 

『じゃあね。一回戦、シンジが相手なんでしょ? 私の為にも、せいぜいシンジの手の内を明かして頂戴ね』

 

 そう言って、立ち去ったツインテールの少女の背中を彼はしばらく見つめる。

 ツインテールの少女の姿が完全に見えなくなると、隣りに人の気配が現れた。

 

『———奏者よ。あの少女の言葉は辛辣ではあるが、真実ではあるな』

 

 彼が視線を向けると、背中やスカートの前面を大胆に見せている真紅の舞踏衣装を着た少女がいた。

 

『そなたの実力はおそらく全てのマスターの中で最下位となろう。いかに余が他の■■■■■■より優れた至高の剣士とはいえ、こればかりは如何ともし難い』

『……分かっているさ、■■■■』

 

 ムキになって否定するでもなく、素直に頷いた彼に真紅の少女はうむうむ、と頷いた。

 

『弱さを否定はせず、立ち向かう姿は良し。余のマスターとしては一応の及第点は与えられるな。さあ、アリーナに征くぞ。才が無いなら、場数をこなして自信をつけるのだ』

 

 「ああ」と頷き、彼は校舎の中に入る。階段を下り、鍛錬場となるアリーナの入り口に立った。

 扉を開けて、アリーナの中へと入る。

 そこは———まるで海の中に入った様なダンジョンだった。

 沈没船の墓場の様な光景に目を奪われそうになるが、視線の先に幾何学模様の紋様が肌に浮かんだエネミーを見つけた。

 

『来た……■■■■、構えて。俺が援護する』

『うむ! では余の剣技、とくと魅せるとしよう!』

 

 手に炎を形にした様な大剣を出現させると、真紅の剣士はエネミーへと斬り込んでいく。

 彼はその背景で先程のツインテールの少女の助言を思い出しながら、手を翳す。

 

『code:———』

 

 翳した手が、じんわりと熱を帯びた。

 



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第三話『とある夜の想い出』

 いやはや、まさかここまで筆が乗るとは……。というかこれ、一足早い月下の夜ですね。ではどうぞどうぞ。


 雫が彼に初めて会ったのは、小学六年生の冬だった。

 

 父親・虎一から大事な話があると言われて、執り行われた家族会議。

 そこで虎一は亡くなった親友の息子を家に引き取りたいと言ってきたのだ。

 

『あいつとは……孝明とは、昔に約束したんだ』

 

 幼い頃からの親友が突然亡くなり、しばらく意気消沈した姿を見せていた虎一は大きな決断をした顔で家族と向き合った。

 

『お互いの身にもしもの事があったら、遺された家族は必ず面倒を見る……俺達はそう誓い合ったんだ。それに、あいつの息子———白野は最近になってようやく目を醒ましたけど、記憶喪失になった上に身体に問題を抱える様になって……親戚達は白野の前でも厄介者を押し付け合うかの様に言い合いをしているんだ』

 

 虎一は自分の家族達に土下座しかねない勢いで頭を下げた。

 

『頼む……白野を家に引き取る事を許してくれないか? 同じ子供を持つ親としても、大事な親友が遺した一粒種があんな状況にいるのは見てられない。どうか……頼む』

 

 虎一の必死な姿に祖父・鷲三と母・霧乃は顔を見合わせる。

 

『まあ……お前もキチンと考えた上での決断じゃろうから、儂は別に構わんが』

 

 八重樫家の現当主でもある鷲三は、チラッと雫を見た。

 

『問題は、雫がどう思うかじゃな』

『ねえ、雫。貴方に新しく男の子の兄弟が出来るんだって。雫はどう? 嫌だったりしない?』

 

 霧乃が優しく聞いてくる。ここで雫が一言、「イヤ」と言えば、この話は無かった事になるだろう。しかし、雫は静かに頷いた。

 

『ううん、いいよ。お父さんの大事な友達との約束なんでしょう? その子を家族にしても良いよ』

 

 ———実の所、雫は知らない男の子が家族となる事に喜んでいたわけではない。むしろ、最近まで“王子様だと思っていた男の子"に失望した事がキッカケで、男子に対してなんとなく苦手意識まで持ってしまっていた。

 しかし、雫は相手の期待を裏切れない性格だった。幼い少女には不釣り合いな程に場の空気に合わせる事を覚えてしまい、父親が必死に頼み込む姿を見て、「断ったらお父さんが困る」と思ったから了承しただけだった。

 

 家族会議から数日後。件の男の子が、八重樫家に住む様になった。

 記憶を失くしたとしても、実の父親達の事を忘れないで欲しいという虎一の願いから、あえて八重樫の苗字は名乗らずに父親の苗字である「岸波」のままで。

 それから一週間くらい、雫は新しい家族とどこか他人行儀な生活が始まった。別段、無視をしたわけではない。しかし、同年代の男の子が一緒に住む様になったという事実に、なんとなく居心地の悪さを感じていた。

 

 それが解消されたのは、冬の寒い夜だった。

 

『寒っ……』

 

 その夜、雫は夜中にトイレに行きたくなって目を覚ました。旧い日本屋敷に独特の長い廊下を歩いて、自分の部屋に戻ろうとした雫だが、ふと縁側に誰かいる事に気付いた。

 

『え……あれって………』

 

 それは、一週間前に家族になったばかりの男の子———岸波白野だった。彼は寝巻きのまま、縁側に座って空を見上げていた。

 

『……ああ。ええと……雫さん、だよね?』

 

 何となく近寄った雫に気付いた白野は静かに微笑んだ。その表情はどこか大人びていて、幼馴染の男の子達とは違う物を感じた雫は居心地が悪い物を感じながらも、逃げ出す気にはなれなかった。

 

『……何をしているの?』

『うん。ちょっとね、月を見ていたんだ』

 

 そう言って、見上げた空には綺麗な満月が浮かんでいた。空気が澄んでいて、星空も都会にしてはよく見える夜空だった。

 

『きっとあの満月は俺が記憶を失う前も、変わらない月だったんだろうなぁ、って思ってね』

『……ねえ、記憶を失うってどんな感じなの? お父さんやお母さんの事、本当に覚えていないの?』

 

 雫はつい、無礼だと思いながらも聞いてしまった。だが、白野は怒り出す事なく、困った様な笑みを見せるだけだった。

 

『どう、と言われてもね……何にも覚えていないからね。悲しいとか、辛いとか、そういった事もなーんにも』

 

 ———それは、あまりにもまっさらな答えだった。失くした記憶を悲しむのでなく、ただ真っ白な紙の様に純粋に白野は答えた。

 

『……虎一さん達には感謝しているよ。記憶が無い上に、よく倒れる様な俺を引き取ってくれて。前の家族の事とか、()()でしか確認出来なくなったけど、大丈夫さ。あの月みたいに、俺は変わらずにここにいるから』

 

 そう言って、静かに微笑み続ける白野。

 月明かりに照らされた彼の横顔は穏やかで———雫は何故か寂しさを感じた。

 ふと、月明かりがそうさせるのか、かぐや姫の物語を思い出してしまう。

 故郷を思い出して、月を見ながら悲しそうな顔をする絵本の挿し絵と白野の顔が重なる気がして、そして物語の結末の様にそのまま満月に吸い込まれて行きそうな気がして———雫は思わず、白野の袖を掴んでいた。

 

『雫さん……?』

『雫。それが私の名前。家族だから、呼び捨てにして良いから』

 

 驚いた顔をする白野に、雫は宣言する様に言い放つ。そして、白野をまっすぐ見たまま聞いた。

 

『ねえ、白野って何月生まれなの? お父さんから、私とは同い年だとは聞いたけど』

『ええと……確か虎一さんから聞いた話だと……』

 

 白野が記録に残されていた自分の誕生日を伝えると、雫は一つ頷き———宣言した。

 

『私がお姉ちゃんだからね!』

『……え?』

『私の方が数ヶ月先に生まれたから、お姉ちゃんだから!』

 

 一方的に姉宣言をする雫に白野は驚いた顔になる。

 後になって思うと、随分と子供っぽい宣言をしたものだ。だが、こうでもしないと白野が———新しく家族になった彼が、何処か遠くに行ってしまう気がして、雫は気付いたら言葉にしていたのだ。

 

『八重樫流は家族を見捨てないって、お爺様が言っていたの。私は白野のお姉ちゃんだから、白野の事を見捨てないの。だから……』

 

 そんな寂しい顔をしないで。そう言いたいのに、何故か言葉に出来なかった。言葉に出来ないのがもどかしくて、雫は白野の手をギュッと握っていた。

 そんな雫に———白野は握られた手を重ねた。

 

『……うん。ありがとう、雫……お姉ちゃん』

 

 その笑顔がとても綺麗で———雫は冬の寒さを忘れるくらい、胸が暖かくなった。

 

 ***

 

「う……んっ……」

「白野! 目が覚めたの!?」

 

 白野が目を開けると、最初に枕元に座った雫の姿が飛び込んだ。雫は涙ぐみながら、白野の手を握る。

 

「良かった……白野が目を覚ませなかったら、私はどうしたらいいか……心配ばかりかけさせて……!」

「雫……ごめん、また心配をかけさせたみたいだ」

「良いわよ、ちゃんと目覚めてくれたもの」

 

 雫を安心させる為に白野はベッドから起き上がり———ふと気付いた。

 

(あれ……身体が、軽い?)

 

 寝起き独特の頭がボーッとする感じはあるが、いつもは鉛の様に重く感じる身体が嘘の様に軽く感じていた。

 まるで———身体の中に、未知のエネルギーが巡っているかの様だ。

 

「白野、大丈夫? 頭は痛くない? 熱はもう平気? メイドさんに水を持って来て貰う?」

「い、いや、むしろ今は元気過ぎるくらいだから、全然……メイド?」

 

 過保護なくらいに迫る雫に遠慮した白野だが、聞き慣れない単語に疑問符を浮かべた。

 改めて辺りを見回す。そこは老舗のホテルの様な豪華な客室の様な部屋で、白野が寝ていたのは天蓋付きのベッドというテレビでしか見た事の無い様な代物だった。

 

「雫……ここは何処なんだ? それに……あの後、どうなった?」

 

 頭がハッキリしていくにつれ、意識を失う前の状況を思い出してくる。すると、雫は真面目な表情になって白野の質問に答えた。

 

「ここはハイリヒ王国のお城よ。あの後、私達は“神の使徒”とかいう救国の勇者一行として、お城に招かれたの」

「“神の使徒”……やっぱり、みんな戦う事になったのか?」

「全部、光輝のせいよ!」

 

 ギリっと奥歯を噛み締めながら雫はここにいない幼馴染に文句を言った。

 

「光輝が軽はずみな発言をしたから、みんながなし崩しに戦争に参加する事になって……! 何を考えているのよ、いつもみたいな揉め事を解決するのとは、ワケが違うのに……!」

 

 光輝は正義感の強い性格から、誰かに頼まれ、時には自分から率先して揉め事に首を突っ込んでいた。そのせいでトラブルになる事もあり、その度に香織や雫が火消しの為に奔走する事もあった。しかし、今回はいつもより規模が違い過ぎる。

 

「あのイシュタルという人……すっごく怪しいのに、疑いもせずに安請け合いするなんて……私達に人を殺せ、って言われているのを分かってなかったのかしら?」

 

 それは白野も同感だった。イシュタルの話した内容におそらく嘘は無いだろう。しかし、召喚された生徒達になんとしても魔人族と戦って貰いたいという意思が見え透いていて、白野は彼を完全に信用出来なかったのだ。事実、光輝が参戦を表明した時、密かにほくそ笑んでいた姿を見て、白野はあの時に光輝を止めようとしたのだ。

 

「そうか……いや、でも仕方ないのかもしれない。あの様子だと、断ったら『エヒト神のお告げに逆らうとは何事だ!』という感じで、俺達は捕まっていたかもしれないから……」

「だとしても、もっと上手いやり方があった筈よ! 皆の意見を聞かないで勝手に決めて……白野みたいに戦えない人だって、いた筈なのに……!」

 

 光輝を擁護しようとした白野だが、雫は聞く耳を持たなかった。病弱な弟分がいる雫にとって、白野すらも参戦する事になってしまった光輝の行動はあまりに軽率過ぎた。いつもの様に、自分や香織が頭を下げればどうにかなる問題では決してない。

 

「……雫はどうしたんだ?」

 

 白野が静かに聞くと、雫は不満そうな顔で答えた。

 

「……参戦する、って決めたわよ。どのみち、それしか選択肢は無いもの」

 

 地球より遠く離れた異世界に飛ばされ、自分の衣食住すらも確立されていない。帰る方法も分からない以上、どんなに胡散臭くてもイシュタルの言う事を信じる他なく、雫は苦渋の決断ながらもハイリヒ王国で“神の使徒”として戦うしかなかった。何より———。

 

「ねえ、白野……私が白野の分まで頑張るから、白野はここで帰りを待って———」

「いや、それには及ばないよ」

 

 雫の言葉を最後まで聞かずに白野は遮った。

 

「心配してくれてありがとう……でも大丈夫。何故か分からないけど、今は身体がすごく軽いんだ。これなら———俺も雫達と戦うよ」

「でも! 戦争なのよ!? 死んじゃうかもしれないの! 本当に帰れるかも分からないのに……それなのに白野まで死んだら、私……!」

 

 いつもの凛とした姿をかなぐり捨て、ヒステリックに雫は叫ぶ。

 ———これが雫の内面なのだ。本当は怖くて叫び出したいのに、周りの期待を裏切るのがもっと怖いから凛とした姿を取り繕い、光輝の事も鬱陶しく思いながらも幼馴染として突き放す事も出来ず、誰よりも苦労を背負い込んでしまう女の子。

 いま、雫は恐れていた。地球とは全く違う異世界で戦争に巻き込まれ、自分や幼馴染達の命が失われるかもしれない。それどころか、自分の家族である弟分まで死ぬかもしれない。

 もしも親友である香織や家族である白野が死んだら———雫は二度と立ち上がれなくなる気がしていた。

 目に涙すら浮かべる雫に———白野はそっと涙を拭った。

 

「え……?」

「ありがとう、雫。そこまで心配してくれて」

 

 白野は静かに微笑む。それはいつかの冬の夜に見た、白い紙の様に穢れの無い綺麗な顔だった。

 

「でもね、忘れないで欲しいのだけど……俺も雫の事を大切な家族と思っている。だから、俺も雫に死んで欲しくない」

 

 白野は立ち上がり、雫の前に立った。

 昔は自分より低かった背が、いつの間にか並ばれるくらいに大きくなった。

 そんな事を雫は考えてしまっていた。

 

「だから……俺にも雫を守らせてくれ。八重樫家は、絶対に家族を見捨てない……そうだろ?」

 

 家訓を持ち出して、宣言する白野。そんな白野を見ていると、雫は先程までの荒れた気持ちが治まってくる気がしてきた。

 

「……ズルいわよ、家訓を持ち出してくるなんて。そんな風に言われたら、断れないじゃない」

「君が俺を家族として見てないなら、断ってもいいけど?」

「冗談でも言わないで。分かったわよ……でも、無理だけはしないでね?」

「雫もね。雫だって女の子なんだから、男としてカッコいい所は見せたいさ」

「弟のくせに生意気よ。あ〜あ、昔は雫お姉ちゃんって、素直に後をついて来てくれたのに……」

「さすがに今はそう呼べないなぁ……」

 

 周りの目もあり、中学に上がるまでの短い期間でしか使わなかった呼称を持ち出されて、白野は思わず苦笑した。

 

 王城の夜は、静かに更けていった。

 

 ***

 

『ええと……■■■■■さん、だっけ? 何でその様な事をするか、真剣に分からないのだけど?』

 

 学校の教室の様な部屋で、彼は目の前の女性に戸惑う様な視線を送った。

 露出の多い和服を着こなし、狐耳を生やした女性は蠱惑的な視線を送りながらしなを作った。

 

『そのですね。ようは、貴方を私の色香でおぼれさせ、寝首をかければしめたもの。そうでなくとも情が移れば戦いで手が緩むのでは、というマスターのあまったれた戦略といいますか―――』

 

 はあ、と彼は気の無い返事をする。ここまで目的をズバリと説明しているのに、鈍い人だと思いながらも狐耳の女性は心の中で舌舐めずりをしていた。

 

(なんと穢れの無い魂なのでしょう。あの自称・フェミニストに召喚されていなければ、私がこのイケ魂をマスターに出来たでしょうに……)

 

 彼女のマスターは、元は資産家だったという。しかし、地上は石油を始めとした資源は枯渇し、家も余裕が無い状態に陥ったそうだ。だからこそ、彼女のマスターは願いが叶うというこの戦いに参戦した。

 

『君はあの少年を籠絡したまえ。上手くいけば、拾い物だがね。私? 私にはやる事がある。下賤な仕事など、従者がやるべき仕事だろう?』

 

 ……■■■■■■はマスターを選べない。その事をこれほど悔やまなかった時など無い。あのマスターは、自分の事を使い捨ての道具くらいにしか思っていない。それを理解していながらも、狐耳の女性は素直に従った。それが■■■■■■として、在るべき姿であるからだ。

 

(私の身体を見知らぬ男に穢せなどという最悪な命令だとは思いましたが……このイケ魂なら、まあ良しとしましょう。つーか、マジヤベ! 穢れが無さ過ぎて、私好みに染めちゃいたいとか思っちゃうんですけど!)

 

 ゲヘヘ……と淑女にあるまじき笑いを内心に隠しながら、狐耳の女性はチラリと和服の裾を捲り上げる。

 

『ささ、据え膳食わぬは男の恥というもの。マスターの思惑とは別に、貴方様の事は個人的に気に入っております。どうぞ……バッチコーイ♪』

 

 かつて宮中の上皇すら手玉に取った女の技を披露しようとし———身体に、バサリと上着を被せられた。

 

『へ?』

『あのですね、■■■■■さん。ちょっと色々と言いたい事があります。そこに座って下さい』

 

 ピンクな空気で籠絡したと思った狐耳の女性は、真剣な表情で自分を見てくる彼に思わず間抜けな声を出してしまう。

 

『まずですね、こんな事はやっぱり間違っていると思うのです。こういった事は、まずお互いを知ってからですね———』

 

 彼の言った事は、はっきり言ってありきたりな台詞だった。

 自分を大事にしよう。女の人だから、それは大切な人の為に取って置くべきだ。

 それなのに———つい聞き入ってしまう。それは会って間もない自分を真剣に案じたものだったからだ。

 

(こ……この人です! この人に間違いありません! ■■、ついに仕えるべき主を見つけました! 我、彼方にこそ栄えを見つけたり———!)

 

 正座してお説教を聞きながらも、狐耳の女性は死後も含めた長年の果て、自分が心から仕えたいと思う人間を見つけた事に喜んでいた。

 

(いやいや、ちょっと待て。落ち着け、私。まだ慌てる様な時間じゃない……Be cool、Be cool! 問題はどうやって、今のマスターと契約を切るかなのです!)

 

 あっさりと現マスターを裏切る段取りを彼女は考え始める。こちらから契約の解除を申し出るのはさすがに不義理だし、現マスターを殺して寝返る様な真似は目の前の少年に嫌われてしまうだろう。それだけは避けたかった。

 

(……ああ、そういえば。()()()は負けたら私を生け贄にして、自分だけ地上に帰還しようとしてましたっけ)

 

 自分のマスターの魔術の本質は『犠牲と代償』。敗者は死ぬ運命にあるこの■■戦争で、特別な自分が死ぬのは間違っているとか考えて、自分を犠牲に生き延びようとするだろう。

 

(その時になったら、さすがに契約を切っても問題ありませんよね? 後は■■■■■のファイアウォールをどう突破するですが……この方なら、貴重な令呪を消費してでも私を助けようとしてくれる筈! そうしたら、私はこの方に大手を振って主従関係を結べるのです!)

 

 既に彼には、彼が召喚した■■■■■■がいるが、仕えた後で蹴落としてしまえば問題ない。黒い計算をしているとは気付かず、自分を案じた説教をしてくれる()()()()に、尻尾をブンブンと振りながら狐耳の女性はほくそ笑んだ。

 

(この■■、必ずや貴方様の元に参りますので……覚悟して下さいね、ご主人様♪)




>雫

 おねショタが似合いそうな子じゃない?
 冗談(半分)はさておき、ここの雫は白野という病弱な弟分が出来た事で姉属性を獲得しています。とある虎も、姉で剣道家だしなぁ……(笑)
 本当に大切すべき家族がいるので、光輝は原作より好感度低めになったと言いますか……。

>狐耳の女性

 うん、こういう書き方もどうかと思うんだ……。とりあえず彼は覚えてないけど、こんな事が昔にありましたよという事で。

>岸波孝明

オリキャラかつ故人。白野の父親であり、八重樫虎一とは竹馬の友だった。妻子を連れて旅行に行った日、車のブレーキが利かずに妻と共に搬送先の病院で亡くなった。しかし……何故か白野だけは、一命を取り留めた。


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第四話「ステータスプレート———そして悪意の進軍」

 誠に勝手ながら、タイトルを変えました。
 分かりやすくていいか、と思っていたのですけど、冷静になって見るとこれはナシな気がしてきたので。

 そんなわけで「ありふれ/EXTRA」改めて、「ありふれていた月のマスターで世界最強」をよろしくお願いします。


「俺がお前達の教官となるメルド・ロギンスだ! これからよろしくな!」

 

 練兵場に集まった生徒達の前で、壮年の男がニカッと笑いながら自己紹介した。

 白野が雫と共に戦うと決めた翌日。さすがに戦闘に関して素人のクラスメイト達をいきなり前線には出せないと判断されたのか、ハイリヒ王国は“神の使徒"一行に座学や戦闘訓練を受けて貰う事にした様だ。戦いに向けて本格的な訓練と座学が開始される前に、自分達の教育を担当する事となったハイリヒ王国騎士団長メルド・ロギンスより一枚の銀色のプレートが全員に配られていた。

 

「このプレートは、ステータスプレートと呼ばれている。文字通り、自分の客観的なステータスを数値化して示してくれるものだ。最も信頼のある身分証明書でもある。これがあれば迷子になっても平気だからな、失くすなよ?」

 

 そう言って渡された銀色のプレートカードを白野はしげしげと眺める。自分のステータスが数値化されるなんて、まるでゲームの世界みたいだ。とりあえず、メルドから言われた通りに白野は針の先で自分の指を傷付け、ステータスプレートに血を一滴垂らす。すると———。

 

『岸波白野 17歳 男 レベル:1

天職:@&/#_♪$€

筋力:100

体力:100

耐性:100

敏捷:100

魔力:200

魔耐:200

技能:全属性適性・予測演算・高速魔力回復・指揮適性・魔力感知・言語理解』

 

(……何だこれ?)

 

 出てきたステータス一覧に首を傾げる白野だが、その間にもメルドの説明が続く。

 

「全員見れたか? 説明するぞ? まず、最初に〝レベル〟があるだろう? それは各ステータスの上昇と共に上がる。上限は100でそれがその人間の限界を示し———」

 

 メルドの説明はその後も続いたが、白野は小耳に挟みながらもステータスプレートを指で叩いたり、軽く振ったりしてみた。しかし、どうやっても白野の天職の欄は文字化けした様に表記してくれない。周りを見てみるが、クラスメイト達は自分の天職やステータスの数値に一喜一憂していた。中でも光輝はここ百年は現れなかったという“勇者"という天職であり、ステータスも最初からこの世界の一般人より十倍も強い数値である事をメルドからしきりに褒められていた。

 

(う〜ん、もしかして俺のは故障してるとか? 幸先悪いなぁ……)

 

 そんな事を考えていると、白野のステータスプレートをメルドに見せる番になってしまった。仕方なく、白野はそのままステータスプレートを提出する。

 

「ん?」

 

 メルドは怪訝な顔になり、白野と同じ様にステータスプレートを振ったりする。

 

「おかしいな、天職の欄が全く読めないが……」

「ええ。だから、壊れているんじゃないですか?」

「うーん、そんな風に故障したなんて聞いた事無いんだが……しかし、ステータスが凄いな! 魔力や魔耐は至っては光輝より上だし、この日一番のステータスだな!」

 

 不安そうな白野を安心させる為か、メルドは喜びに興奮した声で白野のステータスを褒めた。

 

「岸波が……?」

「嘘だろ? アイツ病弱なのに……」

 

 生徒達は信じられない物を見る様な目で白野を見る。中でも光輝の変化が劇的だった。さっきまで自分の才能が一番だと褒められていた筈の彼は、顔を真っ青にしながら声を上げた。

 

「メ、メルドさん! 読み間違えているという事はありませんか!? 岸波の天職は読めないし、やっぱり故障でステータスも間違って表記されているんじゃありませんか!?」

「そんな故障など聞いた事が無いと言っただろうに……まあいい。岸波、だったか? 予備のプレートを渡すから、もう一度試してみろ」

 

 言われた通りに白野は新しいステータスプレートに血を垂らしてみるが、結果は同じだった。天職は読めないままに、ステータスも技能も何も変わらなかった。

 

「ふうむ、天職が読めないのが気になるが……しかし、やはりステータスが高いのは事実の様だな。それに技能の「指揮適性」だが、これは“将軍”や“軍師”といったレアな天職でなければ持たない技能なんだ。きっとお前はそういった天職なのだろうから、心配するな!」

 

 これは期待できるぞ! とメルドに肩を叩かれて白野は生徒達の中に戻る。クラスメイト達の大半が白野を驚きのあまりに目を丸くして見る様な目で見る中、先に天職の報告を終えていた香織と龍太郎、そして雫が近付く。

 

「おめでとう、岸波くん! 何だか凄いステータスになったみたいだね!」

「はあ〜、よくブっ倒れていた岸波がねえ……ちょっと驚いたけどよ、お前将棋とかメッチャ強えもんな。“指揮適性"とかいうのには、ある意味納得だわ」

「ありがとう、二人とも」

 

 香織と龍太郎が純粋に白野のステータスを喜んでくれた事にお礼を言うと、雫は弟分が異世界の地で良いスタートを切れた事を喜ぶべきか、高いステータスの持ち主として否応なしに戦争に駆り立てられるだろうという事に不安を感じるべきか、曖昧な表情をしていた。

 

「大丈夫だよ」

 

 そんな雫に、白野は安心させる様に微笑む。

 

「雫に、龍太郎、香織、それに光輝だっているんだ。何とかなるさ」

「……そういうのは光輝だけで十分よ」

 

 ようやく雫は少しだけ笑った。

 

「とりあえず、おめでとうと言うべきかしら? 私は“剣士"になったから、白野の前に出て守ってあげるわ。背中は任せたわよ、指揮官様?」

「これは責任重大だな。まあ、頑張るよ」

「南雲〜、お前ステータスが雑魚過ぎだろ!」

 

 雫と白野が笑い合っていると、ふいに軽薄な声が響いた。

 声のした方向を向くと、クラス内の不良グループのリーダー格の檜山大介が、ハジメのステータスプレートを奪って周りに聞こえる様な大声を出していた。

 

「メルドさーん! この“錬成師"って、すげえ天職なんすかー!?」

「い、いや……いわゆる鍛冶屋で、天職としてはありふれた物だが……」

 

 メルドが思わずそう答えると、檜山は取り巻きの不良グループ達と爆笑し出した。

 

「ギャハハハハ! だってよ! ステータスも10しか無いしよぉ、一般人と変わらねーじゃん!」

「頑張って剣をせっせと作れよー! 南雲の作った武器なんか使いたくねえけどな!」

「ちょっ、ちょっと! 返してよ!」

 

 ハジメがステータスプレートを取り返そうとするが、檜山達はステータスプレートをパスしあって返さず、ハジメに嘲笑を浴びせていた。

 

「コラー! お友達をイジメちゃいけません!」

 

 愛子がプンプンと怒りながら介入して、ようやく場は収まった。しかし、周りの生徒達はハジメを見てクスクスと笑ったり、あからさまにホッとした様子を見せた人間もいた。

 

「……嫌な空気だね」

 

 香織が眉を顰めながらそう呟く。

 

「南雲くんが自分達よりステータスが低いからって、皆で馬鹿にする事ないのに……」

「同感だな。そんな下らない事をしてる暇があるなら、自分を鍛えろってんだ」

 

 香織の呟きに、龍太郎も頷く。龍太郎はハジメと仲が良いわけではないが、いつもは病弱な親友(岸波白野)を「雫のお荷物」などと陰口を叩いていながら、彼が自分達より強いと分かると代わりとばかりににハジメを見下すクラスメイト達が気に入らなかったのだ。

 

「………」

 

 その光景に———白野はふと、既視感の様なものを感じた。

 

「白野? どうしたの? やっぱり、頭が痛いの?」

「いや、違う……違うんだ」

 

 コメカミに手を当てたのを見て、雫が心配そうに声を掛けたが、白野は首を振る。

 

『とうとう一回戦か……緊張するなぁ。まあ、負けてもログアウトすれば良いか』

『やれやれ……ハニーの為に情報収集をしていたら、自分の対戦相手の方が疎かになってしまったよ。まあ、僕のサー■■ントは強いから、何とかなるかな?』

『僕とエル■■ゴの無敵艦隊を見せてやるよ! 少しは楽しませてくれよ、予選では僕の友人役だったんだからさ!』

 

 ———ザザッ。

 まるでテレビをザッピングした時に見た映像の様に、白野の脳内でノイズが走る。

 白野が通っている学校とは違う校舎、見覚えのない制服を着た人間達、会った覚えが無い筈なのに親しげに話してくる特徴的なウェーブヘアー(ワカメ頭)の少年。

 それなのに、白野は何故か()()()()()()()()()()()()()()

 

(今の映像は……一体………?)

 

 自分が授かったチート能力に一喜一憂して、まるでゲームの世界に来た様に無邪気に興奮しているクラスメイト達。

 彼等を見ていると何かを思い出しそうで、白野はしばらく考え込んでしまっていた。

 

「そんな……嘘だ……。岸波なんかが、俺より凄い筈なんて……」

 

 ———だからこそ。白野を凝視する暗い視線に気付けなかった。

 

 ***

 

 トータスにおいて、ヘルシャー帝国という人間族の国がある。

 三百年前、一人の傭兵が荒くれ者達を纏め上げて建国されたこの国は、『力こそ全て』という国是を掲げて軍事力を高めて、今や兵士や冒険者の聖地と呼ばれるくらいに強大な軍事国家となった。

 しかし———それも今日までだった。

 

「ガハッ………!?」

 

 ヘルシャー帝国皇帝であるガハルド・D・ヘルシャーは、心臓を刺し貫かれてくぐもった声を出した後に動かなくなった。目から光が失われたガハルドを男は刺し貫いた手を抜きながら、地面に横たわらせる。

 

「———安らかに眠れ。最期の調べは、きっと天上へと届くだろう……」

「皇帝陛下ああああぁぁぁっ!!」

 

 側近の男らしき騎士が、事切れたガハルドに絶叫する。

 燃え盛る城内。逃げねば自分の身も危うくなる状況でありながら、彼が選んだのは亡き主君の仇を討つ事であった。

 

「貴様ああああっ!! よくもガハルド陛下を———!」

 

 ダンッと駆け出す音すら置き去りにして、彼は剣を大上段から振るう。

 ハイリヒ王国の騎士団長にして、王国最強の戦士メルド・ロギンスと肩を並べると言われた男の剣は、その噂に恥じない速度と威力を感じさせた。

 

「くたばれ、人間族でありながら魔人族に与する裏切り者おおおおっ!!」

 

 騎士の剣は顔の半分を醜い仮面で覆い隠した長髪の男を真っ二つにせん、と迫る。男は避ける素振りすら見せず、脳天に剣が振り下ろされ———ガキンッと、騎士の剣が半ばから折れてしまった。

 

「なっ……」

 

 側近騎士は普通の人間ではあり得ない事象に瞠目し———その腹に、男の手刀が突き刺さった。

 

「ご、ぶっ———!?」

「悲しむ事はない……悲しむ事はない……。君もまた、彼と共に天の国に招かれるのだから」

 

 まるで舞台上の俳優の様に芝居掛かった台詞を喋りながら、男は魔物の様に鋭い爪を生やした手を引き抜く。操り人形の糸が切れた様に、騎士は地面に崩れ落ちて動かなくなった。

 

「歌え、歌え、高らかに。愛を、希望を、死を」

 

 燃え盛る城内———生きている者がいなくなった場で、男はオペラ歌手の様に高らかに歌った。

 

「彼等の断末魔(コーラス)を君に贈ろう。彼等の絶望の死に際(シンフォニア)を君に捧げよう……だから、どうか微笑んでおくれ……」

 

 ドロリ、と黒い泥の様な涙が男の目から溢れる。

 それを拭う事なく、男は寂しげに呟いた。

 

「クリスティーヌ……愛しい君よ……」

 

 ***

 

「おー、アサシンの奴はやったみたいだな」

 

 ヘルシャー帝国の首都。その男は燃え盛る帝城を見ながら、軽い調子で呟いた。その側で、随伴兵の様に控えている魔人族の軍人達が顔を驚愕に歪めながら、口々に言い合う。

 

「馬鹿な……人間族の軍事大国であるヘルシャーが、こうもあっさりと……」

「向こうには“英雄"ガハルドだって、いた筈だぞ……?」

 

 彼等にとって厄介だった敵があっさりと滅ぼされた事に、喜びよりも恐怖を感じた様子で囁き合っていた。

 魔人族の軍人達は恐々とした様子で男を見る。男の格好はトータスでは見た事の無い仕立ての良いスーツとネクタイ姿であり、その上から魔術師のマントを羽織っているという戦場に来たとは思えない洒脱な服装だ。

 だが、それを魔人族達は咎めない。何故なら———実質的に彼ともう一人の男で、ヘルシャー帝国軍は全滅したからだ。誰もが人智を超えた目の前の男を恐がり、本来なら宗教的に不倶戴天の敵である人間族だからといって侮蔑する者などいない。

 

「さぁて、アサシンが城を落としたのだから、こちらも仕事してますか。それでさ、生き残りの人間達はどうしてる?」

「は……はっ! 御命令通り、この都市の広場に集めております!」

 

 気安い様子でスーツの魔術師は近くにいた魔人族に聞くと、彼は顔を蒼白にさせながら報告した。

 

「ほ、ほぼ全員が非戦闘員の女や子供、老人ばかりです! その……いかがなさるおつもりで?」

「ああ、全部殺しといて」

 

 あっさりと———まるでちょっとタバコを買ってきて、と言う様子でスーツの魔術師は言い放った。

 

「……全員、ですか?」

「そ。皆殺しだよ、ミ・ナ・ゴ・ロ・シ。お前等もアルヴなんちゃらを信仰してない奴等が死んで万々歳でしょ?」

 

 魔人族の唯一神であるアルヴ神を適当な呼び方をするスーツの魔術師だが、魔人族の男が指摘したいのはそこではない。彼は生唾を飲み込みながら、スーツの魔術師に向かって口を開いた。

 

「その……キャスター様。人間達は、幾らかは生かすべきでは無いでしょうか?」

 

 「おい、よせ!」と周りの同僚達が声を上げたが、彼は撤回する様子はなかった。スーツの魔術師———キャスターは、意見をしてきた魔人族を不思議そうに見た。

 

「ん? なんだ、お前は人間族の皆殺しに反対なわけ?」

「い、今まで襲撃した人間達の都市や街も、女子供どころか胎にいた赤子まで全て皆殺しにされています! い、いかに神敵とはいえ、こうも間引いてしまっては我等が占領した後の統治に関わるのではないでしょうか!?」

 

 ———魔人族達は目の前のキャスターを含めた()()()()()()の手を借りて、人間族の都市や街をいくつも滅ぼしていた。

 しかし、七人の異邦者が赴いた地は文字通りの意味で根絶やしにされ、人間達がいた土地は瓦礫の山へと変わっているのだ。これでは災害で消し飛んだのと変わらず、軍人である彼等からすれば占領後の旨みすらも消し去っているのだ。何より———。

 

「す、既にアサシン殿が帝国の皇帝を討ち取ったのであらば、この国の人間達はもう戦意を奮い起こす気力も無いと愚考します! ですから、せめて年端のいかぬ子供と少数の女達くらいは生かしても問題ないと存じ上げます!」

 

 何よりも。彼等もまた、人間達を残虐なまでに殺す事に罪悪感を覚え始めていた。

 確かにアルヴ教の教義的には、人間族はアルヴ神を信仰しない穢れた存在だ。しかし、剣を持たない女子供はおろか、赤子まで根絶やしにする血に飢えたケダモノ同然のやり方にはさすがに魔人族達も拒否感が出ていた。妊婦の胎を割いてまで赤子を殺す様に命令された若い魔人族の中には精神を病んでしまった者もいると聞く。

 そもそも目の前の男だって人間族だ。人間族の手を借りて戦争をしている以上、魔人族の誇りや大義名分を今更唱えた所で白々しいにも程がある。

 

「どうか……どうか女子供だけは助命を! 奴等を生かす事で、魔人族は後世の歴史にも『この戦いには大義があり、決して人間族を根絶やしにしようとしたわけではない』と記す事が出来ます! どうか女子供だけでも、助命を!」

 

 誇り高き魔人族の軍人として、彼は震えながらもキャスターに嘆願した。

 

「ん〜……まあ、別にいいぞ」

 

 少しだけ考える素振りを見せ、キャスターはあっさりと頷いた。

 彼は顔を明るくして、顔を上げ———ゾブンッ、と銀色のステッキで胸を貫かれていた。

 

「あ………? な………ぜ………?」

「え? いやだって、“私が代わりに死ぬから人間は見逃してあげて"って、そういう感じの話だろうよ?」

 

 血反吐を吐きながら問い掛ける魔人族に、キャスターは「何言ってんの?」と言いたげな顔で首を傾げた。

 

「というわけで、グッバイ♪」

 

 気軽に挨拶して、キャスターは杖に魔力を込めて———魔人族の身体は内側から爆発する様にバラバラになった。

 

「ひぃっ!?」

 

 肉片や血が飛び散り、近くの魔人族達に降り掛かる。彼等は悲鳴を上げて後退りした。

 

「ああ、クソ……せっかくサヴィル・ロウの仕立て屋でオーダーメイドしたスーツだったのに。別の魔術にすれば良かった」

 

 返り血で汚れてしまったスーツに顔を顰めながら、キャスターはハンカチーフで拭おうとする。人を一人殺しておきながら、まるで一張羅に泥が跳ねたという程度にしか感じてないキャスターに残った魔人族は顔面を蒼白にさせた。

 

「まあ、いいや。とりあえずこっちとしては一定数の魂が徴収できれば良いだけだし。さて、残った人間は何人? それで、誰が代わりに死んでくれる?」

「す、すぐに御命令通りに皆殺しにして参ります!」

 

 魔人族達はキャスターから離れようと、一斉に駆け出そうとし———。

 

「あ、ちょっとタイム」

 

 ビクッ! と魔人族達は足を止める。本音を言うと逃げ出したいが、機嫌を損ねたらどうなるか分からないから恐る恐ると振り向く。

 

「その人間達の中で、適当な人間を一人だけ逃がしてやってくれない? 代わりにコイツが死んでくれたからさ、等価交換の原則は守るべきだろ?」

 

 ステッキの先で魔人族()()()()()を指し示しながら、キャスターはにこやかに笑っていた。

 今度こそ———魔人族達は地獄の悪魔に会ったかの様に、一目散に逃げ出していた。

 

「………まいったなぁ」

 

 魔人族達がいなくなり、一人残されたキャスターは肉片にしてしまった魔人族を見ながら呟いた。

 

「こんな簡単に殺すつもりは無かったのに……覚悟はしてたけど、結構キツイなぁ」

 

 懐から煙管を取り出し、火を付ける。ユラユラと揺れる煙を見ていると、グチャグチャになった頭が少しだけ正常に戻る気がした。

 

「どうにも妙なハイテンションになってやがる……こんな物を聖杯に詰め込んでいたなんて、アインツベルンは何を考えてんだ?」

 

 溜息と共に煙を吐き出して、気分を落ち着かせようとした。

 彼の顔もまた———泥に侵された様な紋様が浮かび上がっていた。



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第五話「実戦訓練開始」

 もう一つの作品であるオバロクロスでは「いかにして登場人物達を酷い目に遭わせてやろうか?」と考えまくっていた為に、この作品を書いていると心が洗われる気がします……。

 ……でもやっぱりパンチが足りないよなぁ(ボソッ)

 今回、もしかしたら後日に「月の聖杯戦争の回想」をまた入れるかもしれません。本当はそっちが書き上がってからの方が良いのだけど、自分の執筆リズムを崩さない為にも今の内に投稿したかったので。


「ヘルシャー帝国が落ちただと……!?」

 

 ハイリヒ王国城内の会議場。国王エリヒドを中心とした重臣達は早馬を飛ばして齎された情報に激震が走った。

 

「は、はっ! ヘルシャー帝国皇帝ガハルド陛下ならびにバイアス第一皇子は戦死! その他の皇族の方々は行方が分からず生死不明! ()()()()()()()()()()()()()()がいますが、その者の話によりますと魔人族達は女子供も残らずに皆殺しにしていったとの事です!」

「なんという事だ………」

「ガハルド陛下が……トレイシー……」

 

 エリヒド王は力なく呟いた。その横で娘であるリリアーナが親交のあった帝国皇女・トレイシーの身を案じていたが、重臣達の耳には入らなかった。

 

「兵士どころか女子供すら皆殺しにするとは、まさに悪魔の所業だ! エヒト神の名に掛けて、奴等をこれ以上のさばらせるなど、あってはならない事だ!」

「だが、どうする? 帝国は軍事力で言えば我が国以上だったのだぞ。“英雄"の天職を持ったガハルド陛下ですら討ち取られるとは……」

「そもそも魔人族達はどうやって我が国やヘルシャー帝国に入り込んだのだ!? ましてや帝国を滅ぼせる程の大軍ならば目立つ筈だぞ! 国境警備兵達は昼寝でもしていたというのか!?」

「そ、それが……ヘルシャー帝国において確認されたのは小隊程度の魔人族で、その……奴等に味方をしていた見た事の無い衣服の人間二人に、帝国軍は皆殺しにされたと……」

「馬鹿な! そんな事がある筈がありません! それこそ敵の欺瞞作戦です!」

 

 会議場にいる王国の重臣達は一斉に喋り出す。今までの様な村や都市が滅んだのとはわけが違うのだ。歴史は王国に圧倒的に劣っていても、トータスの人間族の中で最大の軍事力を誇っていた帝国の滅亡は、彼等を混乱の坩堝に叩き落とすには十分過ぎたのだ。

 

「静まれ! 皆、静まるのだ!」

 

 紛糾する会議場にエリヒド王の声が響く。

 

「皆、ヘルシャー帝国の滅亡に混乱しているのは分かる。余も悪夢を見ているのではないか、と自らの頭を疑うくらいである。だが、我等はエヒト様より先祖代々からお預かりしている地を守らねばならぬ」

 

 エリヒド王の重苦しい声に重臣達は口を閉じた。静まり返った会議場に向けて、エリヒド王は言葉を発する。

 

「ここで国を導く我等が取り乱して如何とする。まずは魔人族の侵攻に備えて、軍備を整える事が先決であろう」

「は、はっ! 失礼致しました! しかし……我等に勝ち目はあるのでしょうか? “英雄"の天職を授かっていたガハルド陛下すら倒した者達に……?」

「むぅ………」

 

 誰もが不安そうな表情で見てきて、エリヒドは唸り声を上げる。そこへ———。

 

「ご心配には及びませぬ」

 

 ガチャリ、と扉を開ける音と共に、聖教教会の最高指導者である大司教・イシュタルが神殿騎士を伴って会議場に入って来た。

 

「こ、これはイシュタル猊下!」

 

 重臣達は慌てて席を立ち、イシュタルに対して礼をする。エリヒドもまた同じ様にイシュタルに敬意を示し、リリアーナは複雑そうな表情を一瞬だけ浮かべながらも父王に倣った。

 イシュタルは「楽にしてよい」という様に手を振ると、会議場の者達はようやく席に座り直した。

 

「我々にはエヒト神が異界の地より遣わした“神の使徒"様方がいらっしゃるではありませぬか。しかも、その内のお一人は“勇者"の天職を授かったとか。彼等がいらっしゃる限り、魔人族など恐るるに足りませぬ」

「おお、そうだ! 我等には勇者様がいた!」

「勇者様ならば残虐な魔人族達など殲滅して下さる筈だ!」

 

 イシュタルの言葉に重臣達は希望を見出した様に一斉に騒ぎ出す。

 本来ならば、大の大人達が二十歳にも満たない少年達に国の命運を託そうとするなど、正気の沙汰では無いだろう。

 しかし、ハイリヒ王国では———エヒト神を信仰する聖教教会の影響力が強いこの国では“エヒト神が召喚した勇者”というのは効果が絶大だった。

 “勇者様ならば我々の危機も救える”、“勇者様ならば邪悪な魔人族達に鉄鎚を下せる”。

 まさに救いを求める信徒の様に、重臣達は異世界から来た少年達に縋っていた。

 

「今こそ、勇者様の下に我々人間族は一致団結する時なのです。つきましては———勇者様を旗頭にして、“聖戦遠征軍”を結成すべきでしょう」

 

 おお! と重臣達は色めき立った。

 “聖戦遠征軍”。

 それは聖教教会の号令で招集され、“エヒト神に唾を吐く異端者達に神威を思い知らせる”事を目的とした大規模な軍勢だった。

 過去に何度か結成された事はあったが、魔人族の予想以上の激しい抵抗で戦況が泥沼化したり、戦争期間が長くなって戦費の維持が難しくなった等の理由で解散に追い込まれていた。

 しかし、今回は今までとは違う。こちらには“勇者”達がいるのだ。我々は今度こそ邪悪な魔人族達を討ち滅ぼし、人間族は平定した世を取り戻せるのだ、と誰もが期待していた。

 

「国王陛下、今こそ聖戦の発令を。エヒト神が遣わした勇者様の御旗の下に軍を集め、邪悪なる魔人族とその手先達を討ち滅ぼす時が来たのです!」

「う、うむ……しかし……」

「お待ち下さい!」

 

 イシュタルの宣言に苦い表情になるエリヒドに代わって、リリアーナが声を上げる。

 

「おや? 如何されましたかな、リリアーナ王女。よもやエヒト神の御意志に異論を唱えられると?」

「いいえ、イシュタル猊下。魔人族の侵攻は今もこの国で起きている事。我が国を守る為に軍を発足する事に異論などありません」

 

 “聖戦”の発令をさらりとエヒト神の意志と置き換えて脅しをかける様なイシュタルだが、リリアーナは一歩も退く姿勢を見せなかった。

 

「ですが、光輝様達はまだこの国に来てから一週間しか経っておりません。まだレベルも低く、いま無理に魔人族達との戦争に駆り出しても勝利を掴めないのでは無いですか?」

「しかし、エヒト神の御加護を受けた勇者様方ならば、必ずや魔人族達を討ち滅ぼせ———」

「ならばこそ。万全を期すべきでは無いのですか?」

 

 イシュタルの言葉を被せる様にリリアーナは先に述べる。

 

「ここで万が一、光輝様達が命を落とす事があれば、我々は最後の希望すら失う事になります。そうなれば国民達の不安と混乱は大きくなり、聖教遠征軍の維持すら難しくなるでしょう。当然ながら、そんな状態で魔人族達の侵攻を防ぐなど夢のまた夢の話です。あの時にああしていれば……そんな台詞を言わなくて済む様に、まずは光輝様達のレベルアップに務めるべきでは無いでしょうか?」

 

 リリアーナの意見に冷静さを取り戻し、重臣達は「う、うむ。確かに……」、「王女様の仰る通りです」などと言い出す。そんな彼等を見て、イシュタルが一瞬だけ舌打ちしそうな顔になったのをリリアーナは見逃さなかった。

 

(焦っておられるのですね? イシュタル猊下……)

 

 聖教教会・大司教イシュタル・ランゴバルド。

 この国どころか人間族の宗教組織の頂点に立ち、発言の影響力は国王すら上回ると言われるイシュタルだが、彼にもアキレス腱があった。

 現在の教会組織では活発となった魔人族の侵攻に対して、高齢なイシュタルよりも若くて力強い教会のリーダーが求められる様になり、大司教の選挙会議を求める声が上がっているそうだ。

 それ以前にもイシュタルは大司教の座に就く為に、自分の対立候補になりそうだったシモン・リベラールを辺境の地に追いやったなどと黒い噂が絶えず、そういった理由から彼の味方となる者も多くはない。今、大司教の選挙会議が行われれば、イシュタルは間違いなく失脚するだろう。

 今回、エヒト神から神託が下ったというのは彼にとってまさしく福音だったのだろう。他人を蹴落としまで手に入れた大司教の座を手放してなるものか、と異世界の若者達を出汁にして自分の名声を高めようという狙いがリリアーナには看破できていた。

 

(彼等は……雫達は、貴方の権力を守る為の道具ではありませんわ)

 

 この国に来てから短い間ではあるが、新たな友人となったポニーテールの少女達の事を思い、リリアーナは彼等が十分な力も無いまま戦場に出される事を避けたかった。だからこそ、代案を用意する。

 

「国王陛下。勇者とお仲間の皆様のレベルはまだ低く、また聖戦遠征軍に結成するにも少し時間が掛かります。よって———私は彼等にオルクス迷宮で訓練してもらう事を提案いたします」

 

 王都近郊のホルアドの町にあり、王国の冒険者達がこぞって行っているダンジョン。それがオルクス迷宮だった。下の階層に降りて行く程、魔物の強さは増していくが、浅い階層では駆け出しの冒険者でも何とかなる様な魔物しか出てこない為、王国の兵士達も訓練所として使用している程だ。

 

「うむ……確かにな。今はそれが一番良い選択であろう」

 

 娘の進言に、エリヒドはゆっくりと頷いた。それを見て、重臣達もそれで決定したとばかりに居住まいを正す。唯一、イシュタルだけが何かを言いたそうにしていたが、リリアーナの提案は筋が通っている為に反論できず、押し黙る他無かった。

 

「かの勇者達……天之河光輝と、その仲間達には明日よりオルクス迷宮で訓練してもらうものとする。その間、我等は魔人族との戦に備えて軍備を整えるのだ」

 

 ***

 

 それから三日後。

 白野達はメルドに連れられ、オルクス迷宮の入り口に来ていた。白野の周りでは、王宮の宝物庫にあった国宝級の装備の数々を身に付けたクラスメイト達もいた。剣や杖、鎧やローブなどを装備した彼等は自分がファンタジーRPGのキャラクターになった様に興奮しており、何処か浮かれた空気が漂っていた。

 そんな中、白野だけは落ち着いた様子で自分の装備品を調べていた。

 

「白野」

 

 声を掛けられ、振り向くと雫が立っていた。

 彼女はタイトなズボンに、ノースリーブのシャツという防御よりも動き易さを重視した服装で、腰にはシャムシールの様な刀身が湾曲した剣を帯びていた。

 

「いよいよね……緊張してない?」

「俺は大丈夫。雫は?」

「私? 私はもちろん、全然平気よ。切った張ったなんて、ある意味いつもの稽古でも慣れてるわよ」

 

 そう言って微笑む雫だが、その手が細かく震えているのを白野は見逃さなかった。今日、初めて魔物と戦う———すなわち、命のやり取りをするのだ。他のクラスメイト達はまだその意味を理解出来てない者が大半だが、雫は剣道を通して祖父から真剣勝負の大切さを教わっており、自分の剣がいずれ人を殺さなくてはならなくなるという事に恐怖していた。白野に声を掛けたのも、自分の緊張感を和らげようとしているからだろう。

 

「……大丈夫」

 

 あえて白野はその言葉を繰り返した。

 

「雫が手に負えない事は俺が力を貸す。雫に出来ない事は俺が力を貸す。だから、一人で抱え込まないで大丈夫だ」

「……ふぅ。白野にはお見通しだったというわけね」

「家族だからね。当然だよ、お姉ちゃん」

 

 あえて昔の呼び名で呼ぶと、雫は恥ずかしそうに顔を背けた。それでも少しは緊張感が和らいだ様だった。

 

「それにしても……人の事は言えないけど、あなたも随分と軽装よね?」

 

 そう指摘され、白野は自分の服をまじまじと見つめる。白野の装備はカーキ色のズボンに、腰には様々な道具袋。そして黒いボディプレートという、“神の使徒”にしてはかなり地味な服装だった。冒険者、あるいは探検家と言われた方がしっくりと来るだろう。

 

「う〜ん……でも剣とか結局はかっらきしだったから、鎧とか身に着けても邪魔になるだけだったし……魔法は使えたけど、だからといって魔法使いのローブとかより、こっちの方がしっくりと来るというか……」

「前々から思うけど、白野の服のセンスって本当に地味よね。今回は別にいいけど、年頃の男の子なんだからもう少しオシャレに気遣ってみたら?」

「うぐっ……こ、これでもインナーとか結構オシャレしてるつもりだけど………」

「……それって、前に洗濯の時に見たニコちゃんマークのTシャツの事?」

 

 小さく頷く弟分を見て、雫は少しだけ遠い目をして悩む。

 そういう見えない部分でワンポイントを出そうとするから地味なのよ、と伝えて良いものだろうか?

 

「雫ちゃん! 白野くん!」

 

 そんな二人にパタパタと香織が駆け寄ってきた。彼女は水色を基調とした法衣を身に付け、天職である“治癒師”に合った服装だった。

 

「いよいよだね! 一緒に頑張ろうね!」

「うん、そうだね。それにしても香織、随分と元気そうだったけど何かあった?」

「ふふ、内緒だよ♪ でも昨日の夜、ちょっといい事があったの!」

 

 どこか照れながらも機嫌の良い香織に首を傾げていると、雫が耳打ちにする様に小声で囁いてきた。

 

「香織、昨夜にこっそりと南雲君の部屋に行ったのよ」

「………なんと」

 

 白野も驚いて、そう呟いてしまう。香織がハジメに対して好意を持ってる事は雫から聞いていたが、まさかそこまで大胆な行動に出ていたとは。

 

(まあ、制服から南雲の通っていた中学を特定したと聞いた時よりはマシ……か? あの時はさすがに友人をストーカー容疑で通報したくなかったしなぁ)

 

 そんな事をしみじみと思いながら、後方にいるハジメに目を向けると、ちょうどハジメと目が合った。そこで白野は少しだけからかって、ハジメを見ながら香織を少しだけ指差す。ハジメは真っ赤な顔で、バッと明後日の方向を向いてしまった。それを近くにいたクラスメイトは「何だコイツ?」と言いたげな目線を向けていた。

 

(ふふふ、照れてる照れてる……ん? あれは……)

 

 ハジメを見ていた白野だが、そこでふと違和感に気付いた。それは自分が配置されている前線寄りの地点。そこで隊列の最後方にいるハジメをわざわざ見ている人間がいた。

 

(あれは……檜山?)

 

 それはクラス内では不良グループで知れ渡っており、いつも教室でハジメに絡んでは、香織がすぐ近くに寄ると誤魔化す様な愛想笑いを浮かべる檜山大介だった。

 彼は憎々しげな表情でハジメを睨んでおり、その瞳に暗い光がある事に白野は気付いていた。

 

(何だ? いつもの様子にしては、何かおかしい……?)

 

 この時、白野は何故か彼がハジメに向けている感情が分かってしまった。それは、ついこの間まで平和な学生だった自分達には決して出せない感情であり———そして、それを感知できてしまう事に白野自身も戸惑っていた。

 

(殺意……? どうしてそんなものを檜山が抱いているなんて、俺は分かるんだ?)

 

 気のせいだ、と思おうとした。しかし、どうしても頭の中の警鐘を消す事は出来ない。白野は周りのクラスメイト達と別の意味で緊張感を覚えながら、オルクス迷宮の入り口はゆっくりと開かれていった———。

 

 

 




>聖戦遠征軍

 オバロクロスを読んでくれている方なら、既に知っているであろうオリジナル設定。ここでもやっちゃいました。実際、トータスでも十字軍運動みたいに過去に大規模な遠征をやろうとしたとは思うんですよね。黒幕的にも戦争を煽れるから丁度良いだろうし。

 この作品の場合、イシュタルが自分の権力に執着するクズとなったので光輝を旗頭にやろうとしていました。というか原作でも「エヒトの狂信者で愛子に教会ごと吹き飛ばされた人」ぐらいの印象しかないから、こういうキャラ付けをしたくなっちゃうんですよ……。

>白野の現在の格好

 イメージ的にはエクステラリンクの探検服。あれに上半身に軽装鎧を着せた感じ。まあ、さすがに学生服でダンジョンに行かせるのはね……。


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幕間「とある弓兵の記録」

 いつもより短めです。本来なら、前話の終わりに書くつもりでしたが、時間の関係で幕間として執筆しました。


 ———ザシュッ。

 

 炎を模った歪な大剣が、男の胸を貫いた。

 

「かはっ……ぐっ……!!」

 

 ガードの為に構えていた白黒の双剣は大剣の前に砕かれ、男は吐き出しそうになった血反吐をどうにか呑み込んだ。

 

「……勝負、あったな」

 

 真紅の舞踏衣装を纏った剣士は静かに呟く。いつもは薔薇が咲き誇る様な笑顔を絶やさない彼女も、この時ばかりは厳かな雰囲気だった。彼女が剣を引き抜き、男が膝をつくと同時に周りの景色が———無限の剣が突き刺さった荒野の光景が急速に薄れていく。そして———。

 

『ジリリリリリリリリリリッ!!』

 

 けたたましい電子音と共に、真紅の剣士と男を隔てる様に半透明な赤い壁が迫り上がった。赤い壁は男と———その背後にいた少女を取り囲む様に迫り上がり、彼等は完全に壁が作った檻の中に閉じ込められた。

 

『勝者:■■■■。おめでとうございます』

 

 辺りにアナウンサーの時報の様に無機質な電子音声が鳴り響く。

 

『■■戦争の規定に則り———敗者の消去(デリート)を開始します』

 

 そして———男達の身体が、ボロボロと崩れ始めた。

 

「………っ!」

 

 男達の身体が黒いノイズに侵されながら崩れる姿を見て、真紅の剣士の背後にいた少年が堪らない様に彼等を隔てる壁に駆け寄った。その表情は目の前の光景に涙が出そうになりながら———しかし、その結果を決して拒絶しないという様に目を背けなかった。

 そんな少年に———男の背後にいた少女が、崩れそうな身体になりながらも歩み寄る。

 

「………俺は」

 

 何を言うべきか。勝者となり、目の前の少女を結果的に死の運命を下した少年は、俯きながらも何か言葉にしようとした。

 それを少女は小さく首を振る。

 

「———貴方は、悪くない」

 

 少年は顔を上げる。そこには性別だけを反転させた様な、自分とそっくりな少女がいた。

 

「お互いに、生き残ろうと必死だった。ここで歩みを止めたくないと思っていた。その想いが……貴方の方が、ほんの少し上だった。ただ、それだけ」

「………ああ」

 

 少女の言葉に、少年は頷いた。そして彼女もまた、自分と同じ想いでここまで戦って来たのだと知った。

 少年はそっと、少女を隔てる壁に触れる。少女も同じ様に、そっと壁に触れた。

 壁に阻まれながら、お互いの手と手が重なり合う。

 

「………さようなら、俺の半分」

 

 静かに涙を流しながら、少年は別れを告げる。

 

「………どうか元気で。私の半分」

 

 少女も涙を流しながら、別れを告げた。

 そうして、お互いの半身に別れを告げ———少女は、自らの従者に振り返った。

 

「■■■■■……ごめん。私がもう少しマトモなマスターなら、こんな事には……」

「……謝る必要などないさ」

 

 それまで黙っていた男が、少女の謝罪に首を振った。

 

「サー■ァントは、マスターを勝利させるもの。それが出来なかったのは、私の不徳の致す所だ。君こそ、こんな紛い物の英霊でここまでよく戦ってこれた。それだけは、誰にも否定できない君自身の足跡だ」

 

 ———彼は他の英霊の様に、人類史に偉大な功績を残した英霊ではなかった。

 「正義の味方」という概念が、人のカタチを得た存在。

 人々に認められなかった、名も無き無銘の英霊。それが彼だ。

 世界一周を成し遂げた大海賊、史上最大の帝国を築き上げた王などの英霊に比べれば圧倒的に劣る存在であり、そんな彼を従者にして■■戦争で決勝戦まで駆け抜けた少女の軌跡こそが偉大だと男は語る。

 だが、少女はやはり首を振る。

 

「そんな事はない。私がここまで来れたのは……あの選定の場で、■■■■■が手を取ってくれたから。決勝戦が終わっても身体が保つかどうかも怪しい私を見捨てずに、ここまでついて来てくれたから」

 

 だから————もはやノイズに侵され、半分しか見えなくなった顔で、少女は精一杯の微笑みを見せた。

 

「———ありがとう。私の、正義の味方」

 

 崩れ去る。

 少女の身体が全てノイズに侵され、霊子の塵となって消え去った。

 それを最後まで見つめ、自身の崩壊もすぐだと悟った男は勝者である少年に目を向ける。

 

「本来なら……マスターの死の原因となった君に、私は恨み言の一つでも言うべきだろうが……」

 

 そういう男の眼差しは、言葉とは裏腹に穏やかだった。

 彼は自分のマスターの半身でもある少年へ、歳の離れた兄の様に優しく語りかける。

 

「マスターは……あの少女は、選定の場で『この痛みが分からないまま、消える事は出来ない』と叫んでいた。その必死な叫びに私は応じたわけだが……これは誰にでも、おそらく君にも当て嵌まる事だ。理由が分からぬままに生きて、理由が分からぬままに戦い、理由が分からぬままに命を終える……それが人間だ。そしておそらく……それが君をここまで勝ち残らせた動機なのだと、私は思う」

 

 男の独白に、少年は黙って聞いていた。まるで兄の教えを忘れない様に心に留めようとする様に。

 黒いノイズが、男の全身を覆っていく。マスターを失った以上、彼もまた消去する運命にあった。

 だからこそ、残された時間を男は目の前の少年に使った。

 

「答えは出すものではない。足跡として残るものだ。……行きたまえ。そして君の……叶うならば、マスターの疑問にも答えを出して欲しい。歩き続けたその先に、何があったかを……」

「……はい、必ず」

 

 少年はしっかりと頷き、男の視線に真っ直ぐと応えた。

 それを見て、男は———。

 

「———ああ、安心した」

 

 そう言って、薄く笑って目を閉じて———彼もまた、霊子の塵となって消え失せた。




 元ネタは竹箒日記のEXTELLA/zeroから。要するに、ウチのはくのんは三サーヴァント全員と何らかの縁を結んでいるのですよ。
 もちろん、あの金ピカも……?


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第六話「デジャビュ」

 スピード優先で、文章の密度はそんなに濃くは無い気がする……。
 まあ、でもせっかくの休みの日だから執筆はしておきたかったので。


 洞窟内を二本の角を持った狼の魔物達が駆ける。群れのボスらしき狼は周りの個体より一回り大きく、鋭い牙と爪を持った魔物は獲物の喉笛を食い千切る為に襲い掛かった。

 

「“風球"!」

 

 白野の手から風の塊が飛び出し、狼の魔物は空中で避ける事も出来ずに開いていた口の中にマトモに食らった。

 

「グルァッ!?」

「香織! “縛光刃"を頼む! 南雲も“錬成"を!」

「う、うん! 抑する光の聖痕、虚より来りて災禍を封じよ———“縛光刃"!」

「れ——“錬成"!」

 

 牙が折れて、地面に激突して怯む魔物へ香織の魔法が放たれる。光の十字架は魔物の胴体を地面へ挟み込み、更にハジメによって地面が陥没して、四肢が地面に完全に埋まってしまった。

 

「雫!」

「ええ! シッ———!」

 

 そこへ雫が曲刀を抜いて切り掛かった。本来の獲物である日本刀の時より遅いが、それでも綺麗な弧を描いて剣閃を描いて狼の魔物の首を刎ねた。

 

「グルルルルッ!!」

「グオオォォォォッ!!」

 

 群れのボスがやられて少しだけ怯む様子を見せた狼達だが、魔物としての本能を優先して再び人間達へ襲い掛かる。彼等は背後にいる人間達へ襲い掛かろうとした。

 

「あわわ、来る、来る! どうしよう!?」

「落ち着いて、谷口! 無詠唱で良いから、“聖絶"でガード!」

「え……あ、わ、分かった!」

 

 襲い掛かる狼達に混乱していた小柄な少女———谷口鈴は、白野のアドバイス通りに魔法を発動させる。無詠唱の為に強度は然程でもないが、それでも狼達の突進を見事に防いだ。

 

「永山は鈴の前に出て! 園部は中距離から攻撃! 距離が近いから大技は控えてくれ! 遠藤は二人の遊撃に回って!」

「お、おう! 任せなっ!」

「わ、分かったわ!」

「俺に気付いてくれてる……! 任せろぉっ!」

 

 白野の指示にクラスメイト達が動く。初めは動きの固かった彼等だが、白野の指示通りに動いて少しずつ余裕が出てきた様に魔物達を殲滅していく。白野もまた、彼等を魔法で援護して魔物を倒していった。

 

「むう、これは……」

 

 その戦闘を見守っていたメルドは、思わず喉を唸らせた。

 ここはまだオルクス迷宮の浅い階層で、出現する魔物もほんの序の口という程度の強さだ。生徒達のステータスなら、難なく倒せるだろうとは予想はしていた。しかし、蓋を開けてみればメルドの期待以上の動きを一人の生徒が見せたのだ。

 

(まだ天職は分からんが、白野のステータスならまず楽勝だと思っていたが……こいつ、戦闘が初めてとは思えない程に場慣れしている感じがあるな。何よりも特筆すべきなのは……ずば抜けた戦術眼、それと読みの鋭さだな)

 

 初めての戦闘で固くなっている生徒にも、白野は彼等の天職から最低限に出来る指示を出して、戦況を上手く回している。彼等に援護する時も、まるで魔物達の動きを先読みしているかの様に的確に魔法を当て、味方が倒しやすい位置やタイミングに誘導しているのだ。

 

(愛子からは全員が戦いの素人だとは言われていたが……これは期待できるかもしれんぞ!)

 

 上層部から“神の使徒"達の実戦訓練を即座に行う様に指示された時、メルドは反対していた。彼等はまだ天職を得てから一週間しか経っておらず、新兵でももう少し長く訓練するからだ。結局、上層部からの強い意向には逆らえずに準備不足が否めないままにやり始めた実戦訓練だが、白野の戦闘指揮を見ていると、冷静になるべき思考がついつい期待で熱くなりそうだった。そうしてる内に、白野達は魔物達を全滅させた。

 

「……よし。終わりました、メルドさん!」

「うむ、よくやった! 文句無しだぞ、白野! 魔石の回収は忘れるなよ? 坊主! お前もご苦労だったな。ポーションを飲んで、一旦後方に下がっていいぞ!」

「は、はひぃ……」

 

 メルドから許可を貰い、ハジメが後方へと下がろうとする。クラスメイト達の中で一番ステータスが低い彼にとって、一回の戦闘で魔力を使い果たす程にキツかった様だ。そんなハジメに、香織が近寄る。

 

「南雲くん、お疲れ様! さっきはありがとうね!」

「し、白崎さん!? い、いやぁ、たまたまだよ! あの、岸波くんの指示が良かっただけだし……」

 

 ハジメは謙遜する様に首をブンブンと振る。クラスのアイドルに笑顔を向けられ、一部の男子生徒達から嫉妬の目線に向けられている事が気不味い様だった。しかし、そこでハジメはふと後ろを振り向いた。

 

「南雲くん、どうかしたの?」

「え? ああ、いや……何でもないよ」

 

 何か視線を感じた様に振り向いたハジメだが、心配する香織に気のせいだと言うと、そのまま後方へと帰っていった。

 

(まただ……また檜山が南雲を見ていた)

 

 そんな中、白野はハジメが感じていた視線の正体に気付いていた。香織に構われるハジメを、檜山は生徒達に混じりながらドロッとした殺意の籠った目線で見ていたのだ。

 

(一体、何故……? いつも南雲に絡んでいるのは知っているけど、何も殺す程に恨みを抱くものか?)

 

 白野が険しい顔になる中、今度は雫が心配そうに話しかけてきた。

 

「白野、どうかしたの?」

「うん……檜山がハジメに殺気を向けているのが気になってね……」

「いや、殺気って。そんな大袈裟な……」

 

 漫画に出てくるプロの暗殺者みたいな事を言い出した弟分にツッコミを入れようとした雫だが、白野の真剣な表情を見て口を噤む。雫も白野が冗談を言っているわけではないという事が分かったようだ。

 

「うーん……檜山本人は隠してるつもりみたいだけど、実は香織に好意があるみたいよ。それで香織が夢中になってる南雲君の事が気に入らないんじゃないかしら?」

「そう、なのか……?」

「まあ、貴方も魔物との戦闘で気が立っているのよ。いくら檜山でも、クラスメイトを殺そうとまでは考えないわよ。そんな度胸があるなら、香織にさっさと告白ぐらいしてるもの」

 

 そ・れ・よ・り! と、雫は深刻そうな白野の空気を変える為に強引に話題を変えた。

 

「さっきの戦闘、指示とかすごく良かったわよ。貴方にそんな才能があったなんて、家族ながらとてもびっくりしてるのだけど?」

「あー、それが何というか……何か身体がスルスルと動いたというか……?」

 

 何それ? と雫が小首を傾げるが、白野は思ったままに言うしかなかった。おそらく平和な日本なら生涯経験しない戦闘だというのに、白野の身体や思考はまるでどうすれば良いか知っているかの様に動いたのだ。

 

(何だろう、まるで……記憶は無いけど、身体が覚えている……そんな感覚がする)

 

 それこそ、そんな筈は無い。確かに八重樫家に引き取られる前の記憶は無くしたが、少なくとも虎一の話を聞く限り、白野を含めて両親は武術の達人だとか、戦場の名軍師とかいう話は無い。だが、白野はこうして戦闘に身を投じていると、記憶に無いくらいずっと昔に同じ様な事をやっていた気がしてくるのだ。

 

(俺は、一体……? 雫の言う通り、少し気が立っているのかな?)

 

 浮かび上がりそうな疑問を心の奥底に沈め、白野は再び現れた魔物の群れに意識を集中させた。

 

 ***

 

「は〜、すっげえな。白野のやつ」

 

 クラスメイト達に的確なアドバイスを与えながら魔物を倒していく白野に、龍太郎も戦いながら呟いた。

 

「異世界に来てから、何か知らねえけど身体も丈夫になったみてえだしよ。白野がいれば、俺達は無敵だよな!」

「………別に。あいつがいなくても、俺なら———」

 

 ん? と龍太郎は自分の親友が何か小声で言おうとした事に耳を傾けようとしたが、再び来た魔物の相手にそれどころではなくなった。

 そして———襲い掛かる魔物達を聖剣で一刀両断した光輝は、白野へ暗い視線を向けた。

 

(……何だよ。白野が少しばかり戦える様になったからって、みんなチヤホヤするなんて)

 

 その目線は龍太郎の様に友人の活躍を喜んではおらず、むしろ気に入らないものを見るかの様に険を含んでいた。

 

(メルドさんも、白野の奴を甘やかせ過ぎじゃないか? 皆んなの後ろで偉そうに指示して、時々魔法をチョロっと使っているだけじゃないか。さっきだって、雫と香織がすごいから魔物を倒せたんだ)

 

 光輝の中で、周りから称賛されている白野を見ていると何か黒い感情が渦巻いていた。だが、それを光輝は口には出さない。それを口にするのが、何故か嫌だったし、()()()()()()()()気がしたのだ。

 

(……そうだ。あんな風に()()()()()奴がチヤホヤされているのは、間違っている。そりゃあ、図書館で()()()()()()()()()南雲に比べれば、まだマシだけど……俺は白野より、何倍も努力しているんだ。それなのに、努力してない奴がチヤホヤされてる事は間違いだから、イライラするんだ)

 

 光輝は白野に対して感じる黒い感情をそう結論づけた。

 確かに光輝は召喚されてから———より正確に言うなら、白野のステータスが自分より上だと知ってから、自由時間も鍛錬にあてるくらい必死に努力していた。

 しかし、いざ実戦となると力を持て余し気味な自分と比べて最小限の戦闘で効率よく戦っている白野を見て、光輝の中で今まで感じた事の無い感情が渦を巻いてくるのだ。

 

 ———これは余談だが。光輝には、今まで同年代で自分と並ぶ様な人間がいなかった。

 勉強もスポーツも、少し努力しただけで同年代の子供達より何倍も成果を出せた光輝は、必死にならなくては勝てないという思いをした事がなかったのだ。そんな光輝に教師達は褒め称え、同年代の少女達は熱い視線をいつも送っていた。何度か両親や八重樫道場の師範、時には雫と香織に何やら注意を受けた事もあったが、周りから褒められていた彼にとって、「ちょっと誤解されているだけだろう」と然程真剣に考える事も無かった。

 だからこそ、異世界で“勇者"になったという事実にも光輝は当然の様に了解した。自分は今まで誰よりも上手くやってきたから、同じ様に勇者として異世界で困っている人達を救えば良いだけなのだ。それだけの話なのだ。

 

 だが———そんな光輝の()()の中で予想外の事が起こった。

 

(いつも雫に迷惑をかけてばかりの白野が急に元気になって、戦闘も上手くやっているなんて……絶対に何か不正をやっているんだ。そうに違いない)

 

 今まで0点しか取ってない人間が、急に100点を取ったら怪しいと思い、カンニングを疑うだろう。同じ様に異世界に来てから急に活躍しだした白野に光輝は疑念の目を向けていた。

 

(俺はこの世界を救おうと頑張っているのに、あいつは()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()、大立ち回りをしているんだ。雫や香織達は騙されているだけだ)

 

 結局のところ———光輝は“勇者"である自分よりも活躍している白野に、嫉妬していた。

 しかし、今まで誰かに嫉妬をした事のない光輝は自分の感情を正しく把握できず、また祖父を見て培った正義を信奉する精神が「他人に嫉妬するなんて間違っている」と目を背けさせていた。だからこそ、代わりとばかりに白野が何か不正をしているのだと自分を納得させていた。

 

(俺が……俺が、皆の目を醒まさなくちゃいけない。なんたって、俺は“勇者"なんだ。皆を引っ張って、リーダーとして頼りになる所を見せないと駄目だ!)

 

 光輝が強い決意をしている中、前方で白野がメルドに話しかけていた。

 

「……メルドさん、あの岩場は———」

「お? お前は気付いたか。しかし、まだ言うなよ? おーい、お前達! 擬態している魔物がいるぞ! 目を凝らして、よく探してみろ!」

 

 メルドの大声に、クラスメイト達は一斉にキョロキョロと辺りを見回した。だが、白野だけはただ一点だけを見つめていた。

 ガコッ、と岩場の一部が動き———魔物が姿を現した。

 まるで岩石が肌になった様なゴリラ達に白野が魔法を唱え様とし———光輝は白野を押し退ける様にして前に出た。

 

「え……ちょっと待ってくれ。光輝!」

「万翔羽ばたき、天へと至れ!」

 

 白野の制止を無視して、光輝は詠唱を開始する。

 先手必勝だ。素早く魔物を倒してこそ、“勇者"の役目なのだ。

 

「おい、馬鹿! こんな場所でそんな大技を使ったら———!」

「天翔閃!」

 

 メルドの制止も虚しく、光輝は聖剣からエネルギー刃を飛ばす。

 大きな爆発音と共に、迷宮の壁をガラガラと崩れさせた。




何か拗らせちゃってますが……光輝はキチンと更生するのでご心配なく。
成長の為には、最初は大きく失敗しても良いと思います。(もち取り返しのつく範囲内で)


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第七話『問い質す』

 原作通りのシーンなどカット、カット、カットォォォォッ!!(CV:増谷康紀)
 ここの読者からすれば他の二次創作でも何度も見たお決まりの展開だし、こっちも書きたいシーンが早く書けるので。


「いやああああぁぁぁぁあああっ!? 南雲くん!!」

 

 ガラガラと橋が崩れ落ちる。それと同時に地球でいう所のトリケラトプスに似た魔物が奈落へと落ちていき———そのすぐ側で魔法の炎が直撃して、煙を上げながら南雲ハジメが共に奈落へ落ちていく。それに香織は悲痛な叫び声を上げた。

 ハジメが落ちていく瞬間がまるでスローモーションの様にクラスメイト達の目に焼き付いた。誰もが初めて見る人間の死の瞬間というものに、言葉を失って凝視していた。

 

「………!」

 

 しかし———白野は気付いてしまった。誰もがショックで顔色を失った中、一人だけ愉悦の笑みを浮かべていた人間がいた事に。

 

 ***

 

「香織っ、ダメよ! 香織!」

「落ち着くんだ! 南雲はもう駄目だ! 君まで死ぬ気か!?」

 

 今にもハジメを追って身投げしそうな香織を雫と光輝が必死に抑えつける。しかし、光輝の言葉が却って逆効果だった。香織は華奢な身体の何処にそんな力があったのか、二人を振り解きかねない勢いで暴れ始めた。

 

「放して! 放して! 南雲くんが! 私が、私が守るって約束したの! だから……!」

「香織、取り乱したら駄目だ! 南雲はもう死んだんだ!!」

「南雲くんはまだ死んでない!! 助けに行かなくちゃ!! 離してよぉぉぉっ!!」

 

 自分の腕も折りかねない勢いで尚も暴れる香織を見兼ねて、メルドが近付く。気絶させる為に手刀を構えようとし———。

 

 バンッ!!

 

 爆竹を破裂させた様な音が辺りに鳴り響く。クラスメイト達はおろか、暴れていた香織もビクッとして身をすくめた。

 

「———落ち着いて。香織」

 

 爆音の正体———手から魔法を破裂させた白野は、座り込んだままの香織と目を合わせる様に膝をついて、静かに話しかけた。

 

「ここはまだ迷宮———それもトラップで飛ばされて、俺達の今のレベルでは敵わない魔物達がいる階層だ。ここで騒いだら、魔物達を余計に呼び寄せる事になってしまう」

「でも! だからこそ、南雲くんを早く助けないと———!」

「分かっている。でも待って欲しい。いま、他の皆はトラウムソルジャー達との戦闘で消耗し切っているんだ」

 

 ハッと香織はクラスメイト達を振り向いた。彼等は皆が満身創痍で、肩で息をしている者が多かった。中には強力な魔物との戦闘で心が折れて、「もう嫌、嫌……」と隣りの友人に支えて貰いながら泣き出している者までいる始末だ。

 

 ———彼等が今、こんな状況に陥ったのには理由があった。

 それはクラスメイトの一人が、迂闊にも迷宮のトラップを作動させてオルクス迷宮の地下六十五階まで飛ばされてしまい、そこで凶悪な魔物———ベヒモス、そしてトラウムソルジャー達の群れに挟み撃ちにされたのだ。狼狽えるクラスメイト達の中、白野とハジメが必死にトラウムソルジャー達をどうにか駆逐している中———香織はベヒモスの前でオロオロとしてしまっていた。

 実のところ、今こそ“勇者"として戦う時だ! と鼻息を荒くした光輝が、メルドの制止も聞かずに戦おうとして撤退が遅れたのが実情だ。しかし、香織はメルドの言う通りに後ろに退がるべきと思いながらも、幼馴染である光輝を見捨てて逃げる事も出来ず、どうするべきか迷ってしまった。

 その結果———光輝達では倒し切る事が出来ず、一人の心優しいクラスメイトが彼等の撤退の為に身体を張り———奈落へと落ちてしまった。

 

(私が……私が、ベヒモスの前でモタモタしていたから……!)

 

 恐怖で泣き出しているクラスメイト達を見て、香織の中で痛烈な罪悪感がのし掛かる。光輝のせいだ、と言い張る事は彼女の精神がよしとしなかった。自分達の撤退が遅くなったから、ハジメは奈落へ落ちて、クラスメイト達は余計な恐怖を味わう事となったのだ。

 

「……南雲は絶対に見捨てない。でも、今は他の皆の事も考えないといけない。香織にとって残酷かもしれないけど……ここで、二次災害を引き起こすわけにいかないんだ」

「白野くん、でも———」

 

 尚も食い下がろうとした香織だが、白野を見て気付いた。

 彼は———手の皮を食い破って血が滴るくらい、拳を握り締めていた。

 白野自身、自分の言葉に決して納得はしていないのだろう。しかし、彼は努めて冷静な表情で、皆が生き残る為の提案をしたのだ。

 彼の壮絶な姿を見て言葉を失う香織に、雫が話しかける。

 

「香織……南雲くんを……彼が心配なのは、私も一緒よ。でも、今は脱出を優先させないと……ここで更に犠牲を出したら、それこそ彼の決死の努力が無駄になるわ」

 

 奈落まで底が見えないくらいに深い。あの状況で落ちて、生きている可能性は限りなくゼロだろう。しかし、あえて雫はそれに言及はしなかった。

 

「だから……お願い。今は一緒に脱出しましょう? 貴方もいなくなったら、私は……!」

「雫ちゃん……」

 

 長年の幼馴染の少女の手は小さく震えていた。雫もたった今、生命の危機に晒されて恐怖が心を過ったのだろう。それなのに、自分の安全よりも親友である自分の身を案じていたのだ。

 その事に気付き、香織は———泣きそうな顔になりながらも、小さく頷いた。

 

「……うん……分かったよ。ごめん、雫ちゃん……ごめんね……!」

「香織……!」

 

 初恋の人が奈落に消えてしまった事、クラスメイト達を危険な目に遭わせてしまった申し訳なさ、自分をそこまで心配してくれた親友のありがたさ……それらの感情がごちゃ混ぜになり、ポロポロと泣き出した香織を雫が抱き締める。

 まるで映画のワンシーンの様に横入りするのが躊躇われる光景だ———しかし、空気を読まないかの様に香織達に声を掛けたものがいた。

 

「大丈夫だ、香織! 君の事は俺がこれからも守るから、君は泣かなくて良いんだ!」

 

 泣いている香織に光輝は光り輝く様な笑顔で話し掛ける。

 彼の中では、“クラスメイトの一人が命を落とした事で動揺してしまった少女を元気付けよう"という善意で占められていた。

 

「南雲の事は残念だったけど、香織が思い悩む事じゃない! 奴の事に囚われないで、香織は前を向いて進もう! 俺がいるから大丈夫だ!」

「光輝、黙りなさい!」

 

 あまりに無神経な発言に、雫が怒りの目線で睨む。

 だが、光輝はそんな雫の態度にこそ疑問に思った様だ。

 

「雫。気が立っているのは分かるけど、俺は香織の為に言っているんだ。南雲が事故死したのは仕方ない事で———」

「いや……あれは事故なんかじゃない」

 

 え? と皆が声を上げた———ただ一人を除いて。

 白野は皆の視線が集まる中、その人物に声を掛けた。

 

「……檜山。何故、あの時に南雲に魔法弾を当てた?」

「な……お、お、俺は知らねえよ!!」

 

 白野が静かに———しかし、怒りを感じさせる声でその人物こと檜山大介を名指しすると、彼はギョッとした顔になって否定した。

 メルドは厳しい顔になり、白野に問い質す。

 

「白野……その話は本当か? 告発となると、冗談や間違いでは済まされんぞ?」

「そ、そうだ! あの時、やたらめったらに撃ってて誰が何の魔法弾を撃ったかなんて、分かる筈ねえだろ!? 南雲に当てた火球を撃ったのは別の奴かもしれねえだろ!! なあ!?」

 

 同じくハジメの撤退を援護する為に魔法を撃ったクラスメイト達を見回し、檜山は叫ぶ。周りの生徒達は自分の魔法がハジメが落ちる原因になったかもしれないと思い、檜山の視線からサッと目を逸らした。しかし———。

 

「檜山……どうしてハジメに当たった魔法が、火球だと知っているんだ?」

「………あ?」

「俺は魔法が当たったとしか、言っていない。それなのに———何故、火球だと知っていた?」

 

 白野は冷たく檜山を睨む。それはいつもは温厚な性格の白野からは、考えられないくらいに冷たい怒りに満ちたものだった。

 

「ち、ちが……お、俺が得意なのは風属性だから、火球なんて撃って……」

「残念だけど……俺ははっきりと見ていた。あの時、君が詠唱していたのは火属性の魔法詠唱だ。みんな必死で、とにかく自分の得意属性で詠唱少なくして南雲を助けようとしていた。なのに……何故、君だけ自分の得意な属性じゃない魔法を撃った?」

「……そういえば、貴方。香織が南雲君に話しかけていた時、ずっと嫉妬した顔で南雲君を見ていたわよね?」

 

 雫も白野の話を思い出し、檜山にそう問い詰める。すると檜山の顔面は蒼白になる。目はあちこちに泳ぎ、「ち、ちが……それは……」としどろもどろになった。それを見て、クラスメイト達は信じれない物を見る目で檜山を見た。檜山達の取り巻きさえ、「檜山……お、お前……!」と恐る恐ると距離を取った。

 

「あなた、が………」

 

 押し殺した様に低い女の声が唐突に響く。それが香織のものだと誰も気付けなかったのは、香織のそんな声を誰も聞いた事が無かったからだ。

 

「あなたのせいで……南雲くんがああああっ!!」

「ひ、ひいいいぃぃぃっ!?」

「香織、駄目ッ!」

「放して! 放してよ、雫ちゃん! こんな、こんな人、殺してやる———!」

「やめて! こんなクズなんかの為に、人殺しにならないで! お願いよ、香織!」

 

 怒り狂い、夜叉の様な形相で香織は檜山を絞め殺そうとし、雫が必死に抑えていた。それを見て、光輝は頭を混乱させていた。

 

(な……何だ? 何が起きているんだ?)

 

 どうして清楚可憐な()の幼馴染が、自分が見た事もない様なあんな恐ろしい顔になっているのか? 光輝は初めて見る香織の激しい怒りに戸惑い、頭が理解を拒んでいた。

 

(南雲が死んだのは残念だけど……それは仕方なかった事だろう? 香織はそんな事に囚われないで、前を進むべきなのに……)

 

 自分の()()()に香織は頷いて、手を取って立ち上がる。

 それが光輝の思い描いていた未来像だった。だからこそ、それとは違う光景になった事に光輝は呆然とするしかなかった。

 ……天之河光輝の人生において、思う通りにならなかった事など数える程しかない。

 才能故に少しの努力で望む結果を得られ、正義の弁護士だった祖父に憧れて常に『正しい事』をしてきた。だからこそ周りの大人達は自分を認めてくれているし、称賛をしてくれた。そう認識した光輝は、無意識のうちに『自分がやる事は正しく、頑張れば望み通りの結果になる』と錯覚してしまった。

 今回、檜山という断罪すべき悪が目の前にいながらも、()()()()()()の幼馴染が豹変してしまった理由が分からず、思考がフリーズしていた。

 そして———彼のご都合主義とも言える認識が、香織が豹変した分かりやすい理由に矛先を向けた。

 

「……岸波! どういうつもりだ!」

「……何の事か分からない。どういう意味だ?」

 

 突然、光輝から敵意の目線を向けられた白野が戸惑う顔になったが、光輝は構わずに怒声を浴びせる。

 

「惚けるな! お前が憶測で檜山を犯人扱いしたから、香織が取り乱したんだ! 仲間割れをさせるなんて、人として最低の行いだ!」

「お、おい、光輝……そりゃねえだろ」

 

 親の仇の様に白野を睨みつける光輝に、龍太郎が戸惑いながら止めに入る。

 

「どう見たって、檜山が南雲のヤツを———」

「龍太郎は黙っててくれ! 俺はいま、岸波に話をしているんだ!」

「そ……そうだ天之河の言う通りだ! アイツが……岸波が言ってるのはデタラメだ! 俺は何もしてねえ!」

 

 檜山が千載一遇とばかりに光輝に乗っかる。その表情は卑怯な笑顔そのものだが、光輝はまるで気付いていなかった。

 

「やっぱり……! 仲間を犯人扱いして、場を収めようとするなんて卑怯者のやる事だ!」

「光輝、落ち着いてくれ。俺は後で犯人探しをしない為にも、真相をはっきりさせようと———」

「うるさい! もうお前の事なんて信用できるか!」

 

 白野が落ち着かせようと話しかけてきたが、興奮した光輝の耳には入らない。()()()()()()()()()幼馴染の手を煩わせていた事、異世界に来た途端に今までが演技だったかの様に自分以上の力を見せた事、その力で()()()()()()()()()()。それらが一緒くたになり、光輝は白野を指を差して突きつけた。

 

「お前みたいな卑怯者を……俺は絶対に認めないっ!」

「なっ………」

 

 一方の白野は、光輝の言葉にショックを受けた様に立ち尽くした。

 その姿に図星をつかれたから黙ったと判断して、光輝は更に言い募ろうとして———。

 

「いい加減にしないか!!」

 

 ガンッ! と剣の切先で地面を殴りつける音と共に、メルドの怒声が響く。

 

「こんな所で言い争いをしている場合か! お前達はこの迷宮へ死にに来たのか!? それならここで好きなだけ言い争っていろ!」

「メルドさん! ですから、こんな事をしでかす岸波なんか———」

「黙れ光輝! お前はしばらく口を閉じていろ!!」

「な、何でですか!? 俺はただ、本当の事を———」

 

 いつも生徒達の兄貴分として優しい顔を見せていたメルドだが、今は厳格な軍人そのものの顔で光輝を睨みつける。その凄みに、光輝も言葉を詰まらせた。

 

「この事は王国に戻り次第、徹底的に調査をするものとする! 今はそれ以上の追及は許さん! 分かったならば、即座に迷宮から脱出するぞ!」

 

 有無を言わせない口調に、生徒達は従うしかなかった。隣りの友人と私語を交える事もなく、上層への階段へ歩き出した。

 そんな中———檜山はホッとした様な顔になった。

 

「香織、雫。行こう」

 

 光輝は白野の近くにいた雫達に近寄る。

 

「岸波みたいな卑怯者といると、君達まで同類に見られてしまう。雫、いくら君の家の()()だからといって、優しくするには限度が———」

 

 パンッ、と音が響く。

 

「……話しかけないで」

 

 光輝は差し伸ばしたのに振り払われた手を信じれない様に見つめた。

 そんな光輝を雫は嫌悪感を隠す事なく睨む。

 

「私の家族を……それに親友が傷付く事をよく平気な顔で言えたわね? そんな人だとは、思わなかったわ」

「な、何を言っているんだ? 雫、落ち着くんだ! 君はちょっと気が立って———」

「おい、行こうぜ。今はそっとしておいてやれって」

「ちょっと待ってくれ、龍太郎! 話はまだ、」

 

 尚も言い募ろうとする光輝を龍太郎が引き摺っていく。

 それでようやく白野達の周りは静かになった。

 

「……ごめんなさい、香織」

 

 雫は未だに自分の腕の中にいる香織にすまなそうな顔になった。

 

「光輝が……彼があんなに自分本位で、他人の気持ちを思い遣らない性格だったなんて……。道場の門下生として、恥ずかしい限りだわ」

「……ううん、雫ちゃんが謝る事じゃないよ。光輝くんは……本当に困った人だから」

 

 香織は静かに首を振る。八重樫道場には『門下生となった者は家族同然。家族は見捨ててはならない』というモットーがある事は知っている。しかし、だからといって光輝のやらかした事に対して、道場主の娘だからと雫に責任を追及するのは違うだろう。

 

「……ごめんなさい」

 

 それでも、雫は謝罪する。『幼馴染だから』、『門下生として見捨てるわけにもいかないから』。そんな理由で光輝を庇い続けた結果、彼が増長する理由になったかもしれないから。

 続いて、雫は先程から奈落を見ながら立ち尽くしている自分の家族を見る。

 

「白野……貴方も気にする事なんてないわ。光輝の言う事なんて、真に受けるだけ損———」

「待って」

 

 白野は雫の言葉を遮り、奈落に目を向ける。

 それはショックで立ち尽くしているわけでなく———。

 

「何か……近付いてくる!」

「何かって……?」

 

 雫が問い質そうとしたが、その疑問は聞くまでもなかった。

 奈落の暗闇から、鳥が羽ばたく様な音が徐々に大きくなってくる。

 その音に雫達はおろか、メルドやクラスメイト達も思わず足を止めて振り向き————。

 

『ビャア! ビャア! ビャア!』

 

 けたたましい鳴き声と共に、奈落の底から地球で喩えるならプテラノドンに似た生物が何匹も飛び上がってきた。

 

「なっ……ワイバーンだと!? こんな時に———!」

 

 メルドが瞠目しながら声を上げると同時に、翼竜達は一斉に人間達へ襲い掛かった。




>光輝

 彼は更生します! 彼は更生します! 彼は更生します! 
 初心を忘れない様に、大事な事は三回(ry)
 書くたびに思うのだけど……彼の性格で、どうやって学校の人気者になれたのか? 真面目に病名のつく精神状態だと思うんですよね、光輝は。
 まあ……ここまで荒れているのは、一応の理由付けはしますけどね。

>翼竜達

 話の途中だがワイバーンだ!
 これこそ様式美。


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第八話「覚醒(偽)」

 多分、これが年末最後の投稿になるかな? しかし、宣言通りに年末までにオルクス迷宮編を終わらせられなかったや。
 
 それでは皆様、良いお年を!



「いやああああっ!!」

「く、来るな! 来るんじゃねえ!」

 

 奈落より現れた翼竜の群れにクラスメイト達はパニックに陥っていた。

 翼竜———ワイバーン達のレベルはベヒモス程には高くない。異世界でチート能力を得たクラスメイト達なら、落ち着いて戦えば負ける事は無いだろう。

 しかし、彼等は既に先のトラウムソルジャー達やベヒモス相手にアイテムや魔力の大半を使い果たしてしまっていた。オマケに目の前でハジメが奈落に落ちた事で、今まで「異世界で世界を救う勇者の一人になった」という興奮で目を逸らしていた事———戦いの恐怖を認識してしまっていた。いかにトータスでは規格外なステータスを持っていようが、こうなってしまっては意味を為さない。メルドは大声で部下達やクラスメイト達の指揮を取ろうとしたが、クラスメイト達の大半は無闇矢鱈と逃げ惑ったり、武器を無茶苦茶に振り回そうとするなど統制の取れない状態に陥っていた。

 

「クソ! どけ! どきやがれ!」

「きゃあっ!?」

 

 ワイバーン達から逃げようとする檜山に突き飛ばされ、園部優花は床に転んでしまった。転んだ拍子に武器である投げナイフを落としてしまい、更に逃げ回る別の生徒によって投げナイフは優花から遠くへ蹴られてしまった。

 痛みに顔を顰めながらも立ち上がろうとし———そんな優花の頭上に陰が差した。

 

「あ………」

 

 上を見上げ、鉤爪を光らせるワイバーン。

 それを見て、優花は間の抜けた声しか出せなかった。

 襲い掛かるワイバーンの姿がスローモーションの様に見える。「ああ、これは死んだ」と他人事の様に優花は思い———。

 

 バチィッ———!!

 

『ビャアアアアッ!!』

 

 突然、優花の頭上で雷が奔った。威力が十分で無い為にワイバーンを驚かせただけだったが、ワイバーンは怯んだ様に優花から離れた。

 優花もすぐ頭上で起きた雷光に目が眩み、思わず両目を腕で覆ってしまい———唐突に身体を持ち上げられた。

 

「園部!!」

「え、え? な、何……?」

 

 急展開に頭がついていかない優花が目を開けると、白野の顔がすぐ近くにあった。

 

「岸波……? ええと……」

 

 視力が戻ってきて、優花はようやく自分の状況———同級生(白野)に抱き上げられている自分の姿を認識した。

 

「ふぇっ!?」

「大丈夫!? 怪我は?」

「ちょ、大丈夫! 大丈夫だから!」

 

 顔を覗き込んでくる白野に、優花は顔を真っ赤にしながら白野の腕から逃れる為にジタバタとする。

 

「優花!」

「優花っち!」

 

 ようやく白野の身体から離れると、親友である近藤妙子と宮崎奈々が優花に走り寄る。妙子の手には優花が落とした武器が握られていた。

 

「大丈夫!? これ、落としてた武器だよ!」

「あ、ありがとう」

「早く逃げよう! 岸波っちも、急いで!」

 

 未だにワイバーン達は生徒達を襲っていた。ワイバーン達はフクロウが鼠を捕まえる様に、生徒達を鉤爪で掴もうとしている為にまだ死傷者は出ていないが、それも時間の問題だろう。妙子と奈々も一刻も早く逃げ出したかったが、優花が危ない目にあっているのを見て急いで駆け寄ったのだ。

 

「そ、そうね……岸波も、私達と一緒に———」

「先に行っててくれ! でも慌てずに、メルドさんや騎士の人達の指示に従って撤退するんだ!」

「え? ちょっと、岸波!」

 

 優花が返事をするより先に、白野は再びワイバーンに襲われそうになっている生徒の助けに入る。その背中を優花は呼び止めようとして———ふとワイバーンの襲われた時の恐怖が頭をよぎった。

 

「ひっ……!!」

 

 あと一歩で、自分は無惨な死を遂げていたかもしれない。その事実が優花の身体を縛った。白野を呼び止める為に差し出そうとした手はブルブルと震えて、その場にぺたりと座り込んでしまう。

 

「優花っち……今は逃げよう! そんな状態じゃ無理だよ!」

「岸波君は……大丈夫だよ! “勇者”の天之河君より強いくらいなんだから!」

「う、うん………」

 

 親友二人に支えられながら、優花は上層への出口を目指して進み出す。

 優花は一度だけ、クラスメイト達を助ける為に奔走する白野の後ろ姿を見た。

 

(絶対に……絶対に、帰って来てよね!)

 

 助けられたのに、自分は逃げ出した。

 その事実に罪悪感を感じながらも、優花は親友二人と共に撤退した。

 

 ***

 

「やあああああっ!!」

 

 光輝の斬撃がワイバーンを斬り裂く。聖光の斬撃は襲い掛かるワイバーンの胴体を真っ二つにして、ワイバーンは動かなくなる。

 

「くっ、数が多い……!」

「おい、光輝! このままじゃ、やべえって!」

 

 隣の龍太郎も拳から衝撃波を出して応戦しているが、次々と襲い掛かるワイバーン達に肩で息をしている状態だった。そんな龍太郎を“結界師”の鈴が“聖絶”で守るが、彼女も額から大粒の汗を流していた。

 

「う、う〜! これ以上は、鈴も魔力が保たないよぅ! どうしたらいい? ねえ、どうしたらいい!?」

「っ、待ってくれ! いま考えるから———」

「光輝!」

 

 光輝が現状打破の一手を考えようとした所で、彼に近付く地味な冒険者姿の少年がいた。

 

「岸波!? こんな所で何を———!」

「話は後! このままだと全滅だ! 力を貸してくれ!」

 

 白野に嫌悪感を込めて睨む光輝だが、白野の気迫に押されてつい怯んでしまう。そんな光輝を尻目に白野は鈴を話しかける。

 

「谷口、“聖絶”はあと何回やれそう?」

「え、えっと……規模にもよるけど、あと十回が限界かも!」

「分かった。足の遅い人や怪我をしてるクラスメイトに最優先で“聖絶”を使って———」

「いや、待て!」

 

 白野が指示しようとするのを遮り、光輝が鈴に向かって指示を出す。

 

「鈴! 残った魔力で俺を全力の補助魔法をかけてくれ! 龍太郎は鈴の護衛を頼む! 俺がワイバーン達を“神威”で吹き飛ばす!」

「え? え?」

「な———待つんだ、光輝! 今は撤退を最優先にすべきだ! 足を怪我して動けない人だっている!」

「だったら、尚更ここでワイバーン達を倒すべきだろう! 敵を早く片した方が、皆を守れる! それが出来るのは“勇者”である俺だけだ!」

「“勇者”なら敵を倒す事より、仲間達を守る事を優先すべきだろ!」

「うるさい! 天職もはっきりしないお前が偉そうに指図するな!」

「待てって、喧嘩してる場合じゃねえだろ二人とも!」

 

 言い争いをする二人を龍太郎がどうにか止めようとするが、光輝は白野の意見を頑として聞こうとしない。鈴も、どちらの指示に従えば良いのか分からずにオロオロとするしかなかった。

 

「う、うわああああああっ!!」

 

 後方から叫び声が上がり、ハッと白野達は振り向く。そこには今まで周りを突き飛ばしながら矢鱈滅多に逃げ回っていた檜山が、とうとうワイバーンの鉤爪に捕まって持ち上げられていた。

 

「檜山!」

 

 白野は捕まった檜山を見て、助ける為に走り出そうとする。しかし———。

 

「雫ちゃんを離して! 離してってば!!」

「香織! 私の事は良いから逃げてっ!!」

 

 ハッと別の方向を向くと、そこには魔力が尽きたのか、無謀にも杖でワイバーンに殴り掛かる香織がいて————そのワイバーンの足には、ガッチリと捕まえられた雫の姿があった。

 瞬間。白野は頭が沸騰する様に真っ白になる。

 

「しず、」

「雫! 香織! 待っていてくれ、いま俺が助ける!」

 

 白野より先に、光輝が動き出そうとする。しかしワイバーン達は捕まえた獲物を確保する事を優先しているかの様に雫に近寄ろうとする邪魔をして、光輝は中々前に進めないでいた。

 

「クソ、どけ! どくんだ! 雫達のピンチなんだ!」

「離せ! おい、離せよおおおぉぉおおおっ!!」

 

 光輝達の頭上を檜山をガッチリと掴んだワイバーンが通る。絶叫する檜山を掴みながら、ワイバーンは奈落へと急降下していった。

 

「檜山———!」

「お、おい! 檜山が連れ去られたって事は、雫もこのままじゃやべぇんじゃねえか!? 奈落に飛ばれたら追いつけねえぜ!!」

「シズシズ———!」

 

 龍太郎と鈴が焦燥した表情になる。しかし、彼等が必死に戦ってもワイバーン達の群れを中々突破できない。そんな中———。

 

「神意よ! 全ての邪悪を滅ぼし光をもたらしたまえ!」

 

 ゴウッと風が吹く。光輝は聖剣を大上段に構えて、詠唱を開始していた。放たれるのは今の光輝が撃てる最高の一撃である“神威”。ベヒモスを倒せはしなかったものの、手傷を負わせる事は出来たこの魔法ならば、ワイバーン達の群れを消失させる事は可能だろう。しかし———。

 

「待って、光輝! その攻撃だと、雫達まで———!」

「神の息吹よ! 全ての暗雲を吹き払い、 この世を聖浄で満たしたまえ!」

 

 白野が慌てて止めようとするが、光輝は白野を無視して詠唱を続ける。何より、既に聖剣に魔力が高まりつつある状態でキャンセルするなど、光輝には無理な芸当だった。

 そして高まりつつある魔力を見て、白野の戦術眼がこの後の未来図を導き出していた。

 

(駄目だ……! この威力だと、雫達ごと消し飛ばしてしまう! 光輝はその事に気付いてない———!)

 

 雫達も同じ事に気付いたのか、ギョッとした様子で光輝を見ていた。しかし、当の光輝はそれに気付かずに()()()()()()()に魔力を高めていた。

 

(このままじゃ、雫達が危ない! どうしたらいい……どうしたらいい!?)

 

 発動中の詠唱を止める様な魔法など、王宮ではまだ習っていない。ここで光輝を突き飛ばしたりして詠唱を止めようとしても、聖剣の()()が近くにいる龍太郎達に当たってしまう。白野が必死に思考を回転させる中、光輝の詠唱は完成していく。

 

「神の慈悲よ! この一撃を以て全ての罪科を許したまえ ———“神、」

「止めろおおぉぉぉおおおおおおっ!!」

 

 光輝が聖剣を振り下ろす直後。白野は無我夢中で手を伸ばした。

 それは咄嗟の行動で、魔法も何の詠唱もなく、魔力を込めた手を突き出しただけだった。

 しかし————不可思議な事が起こった。

 全身の回路が熱くなる感覚と同時に、白野の手から急に光が漏れ出した。それはトータスの魔法陣とは全く異なる紋様———0と1で形成した数列の様な紋様を浮かばせ、光輝の聖剣に絡みつく。

 

「な、何だ!?」

 

 突然、自分の聖剣に纏わり付いた術式に光輝が驚きの声を上げる。すると———。

 

 パキンッ。

 

 ガラスが割れる様な音と共に、光輝の聖剣に渦巻いていた魔力が消失した。先程まで聖なる光のエネルギーで高まっていた聖剣は、魔法陣が消えると同時に何事も無かった様に元の状態に戻っていた。

 

「どうしたんだ!? どうして“神威”の魔力が突然無くなった!?」

「白野……お前、今………?」

 

 突然の事態に光輝が混乱する中、一部始終を見ていた龍太郎が信じれない物を見る様な目で白野を見ていた。

 

「あ………え………?」

 

 白野は———同じ様な目で、聖剣と自分の手を交互に見る。いま、自分が何をやったのか、白野自身も分かっていなかった。

 

「キャアアアアアァァァッ!!」

「離して! 離してってば!!」

 

 ハッと白野はようやく正気に戻る。そこでは白野達の今し方の行動などお構い無しという様に、雫を掴んでいたワイバーンが飛び立とうとしていた。何度も杖で殴ってきたから鬱陶しいと思ったのか、いつの間にかもう片方の足で香織も掴んでいた。

 

「雫、香織! クソォォォォ!!」

 

 光輝が再び聖剣に魔力を貯めようとする。しかし、詠唱の長さから見て間に合わないのは明白だった。

 その瞬間———再び白野の全身が沸騰する様に熱くなる。

 熱くなった身体は脳を活性化させ、白野は目の前の光景が急にスローモーションになった様に感じていた。

 

(見える………)

 

 スローモーションになった世界で、白野は気付いた。

 目の前で雫達と自分を隔てるワイバーンの群れ。

 しかし、その中でまるで稲妻の様に走れるコースがある。

 

(見える……! ここだ———!)

 

 か細く、ほんの一瞬だけの走行ルート。

 だが、そのルートに白野は迷いなく走り出した。

 

「へ? ちょっ、はくのん!?」

 

 背後で鈴が驚いた声を出したが、白野は応える暇すら惜しかった。

 身体が熱い。足に電流が走った様に動く。

 まるでアメフトのランニングバックの様に、白野はワイバーン達を擦り抜けて全力で走る。

 視界の先では、今まさに雫達を連れて奈落へ降りようとしたワイバーンが見えてきた。

 

「白野!?」

「白野くん!」

 

 信じられないスピードで走る白野の姿を雫達は驚いて見つめる。だが、ワイバーンの方が早かった。翼を大きく広げると、奈落へ向かって飛び立つ。

 

「っ、間に———合え———!」

 

 次の瞬間。白野はドンッと大きく跳躍し———奈落へ向かって躊躇なく飛び降りた。

 

「な————」

 

 それを龍太郎は驚愕して見つめる。彼が見つめる中、白野はワイバーンの背中にしがみつき————。

 

「は———白野ォォォォオオオオオッ!!」

 

 龍太郎が絶叫する中、白野達の姿は奈落の中へ消えていった。



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第九話『覚醒(真)』

 明日からまた仕事か……まあ、生きる為には働かなくてはならないので頑張りますよ、と。


 奈落の底を目掛けて、ワイバーンが飛ぶ。

 鉤爪でしっかりと掴まれ、垂直に下降していく様子はまるで遊園地のアトラクションだ。しかし、香織と雫は全く楽しい気分になれず、襲い掛かる風圧に気絶しない様に意識を保つので精一杯だった。

 

「ぐっ……!」

 

 白野は背中を振り下ろされない様に爪を立てて掴む。雫達がワイバーンの鉤爪という安全ベルトがあるのに対して、白野は生身でジェットコースターにしがみついている様なものだ。幸いにもワイバーンは背中にいる白野の事など大した事は無いと思っているのか、振り解こうとはしなかった為に何とかしがみついている事が出来た。

 やがて、ワイバーンは目的の場所に着いてスピードを緩めた。そこは奈落の底への途中、断崖絶壁の中で空いた天然の横穴だった。ワイバーンは横穴の中に入ると、まるで投げ込む様に雫達を放した。

 

「きゃあっ!?」

「アイタッ!?」

「雫! 香織!」

 

 摺鉢状になった地面に雫達が落とされたのを見て、白野もワイバーンの背中から地面に飛び降りる。地面までかなりの高さがあったが、迷う事はなかった。

 

「うぐっ!?」

 

 着地の時の衝撃で足が痛くなったが、白野は我慢して雫達に駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

「白野……ええ、大丈夫よ」

 

 雫が香織を助け起こしながら、ゆっくりと立ち上がる。二人は擦り傷程度しか負っておらず、その事に白野は安堵の溜息を吐いた。しかし、不意に第三者の声が響く。

 

「だ、誰だ!? 誰かいやがるのか!!」

 

 聞き覚えのある声に白野達は振り向く。そこに———雫達より先にワイバーンに連れ去られた檜山が血走った目で白野達を見ていた。

 

「檜山くん!? 貴方、さっきは……!」

「香織、待って!」

 

 檜山の姿を見た途端、香織は再び怒りの形相になる。それを見て雫は必死に香織を抑えた。

 

「し、白崎!? それに岸波達も! へ……へへ、丁度良かった。おい、お前ら! 早く俺を助けろよ!」

「貴方は……!」

 

 先程の事など忘れたかの様に卑屈な笑みを浮かべて言ってくる檜山に、雫も嫌悪感を顕にする。

 

「な、何だよ。さっきの事は……ちょっとした誤解だろ? 天之河も俺を無罪と言ってくれたから、あの無能……じゃなくて、南雲も俺がやったって決まったわけじゃないだろ?」

 

 ハジメを蔑める発言に香織が射殺さんばかりに睨みつける。だが、檜山は香織の怒りを向けられながらも白野達へ媚びる様な視線を向けていた。

 

「そ、そんな事よりよぉ、さっきのワイバーンにここに連れて来られたんだよ。お前達もそうなんだろ? だったらさ、脱出しなきゃいけないという目的は同じだから仲間だよな! なぁ、だから俺を助けてくれるよな!?」

「あなたという人は……どこまで下衆なの!」

 

 図々しいにも程がある檜山の態度に、雫は手を震わせる。香織を抑えていなければ、斬り掛かりかねない勢いだった。白野も厳しい顔で檜山を睨む。

 

『ビャア! ビャア!』

 

 不意にワイバーンの鳴き声が響く。檜山はビクッと震え、白野達は辺りを見回した。鳴き声は徐々に大きく、そして多数頭の声が重なっていく。それは白野達がいるすり鉢状の地面の周り———無数に空いた横穴から響いてくる様だった。

 

「まさか、よね……?」

「ね、ねえ。ここって……」

 

 雫と香織が息を呑みながら呟く。彼女達を引き継ぐ様に、白野はその予想を口にする。

 

「ここは……ワイバーンの巣だ!」

 

 その言葉が合図になった様に、横穴から一斉にワイバーン達が飛び出した。大きさは先程のワイバーンよりずっと小さいから、ワイバーンの雛や仔といった所だろうか? だが、数が尋常ではない。あっという間に白野達の視界は仔ワイバーン達で埋め尽くされた。

 

「香織!!」

「“聖絶”!」

 

 一斉に襲い掛かって来た仔ワイバーン達に白野と香織がドーム状に結界を展開する。二人分の“聖絶"に仔ワイバーン達は阻まれたが、大勢で光の壁を叩き壊す勢いで攻撃を始める。

 

「く、ぅっ……!」

「お、おい! どうすんだよ!? このままじゃジリ貧じゃねえか! 何とかしやがれ!!」

「うるさいわよ! 喚いてないで、あなたもどうするか考えなさいよ!!」

 

 檜山が無責任に騒ぐ中、雫も額から冷や汗を流しながら怒鳴り返した。光の壁は仔ワイバーン達がクチバシで次々とつつく為に削られ、このままでは保たない事は明白だった。

 

「……っ、頼みが、ある……!」

 

 白野は香織と共に襲い掛かる圧力に耐えながら、雫達に提案した。

 

「俺が、残った魔力でありったけの威力の広範囲魔法を撃つから……、雫と檜山は、出口を目指して一点集中で道を、開いてくれ……! 香織は……悪いけど、詠唱が終わるまでどうにか耐えてくれ……!」

「白野……!」

「はあ!? 出来るわけねえだろ!! 周りを見ろよ!! この数を突破出来ると思ってんのか!?」

 

 周りにワイバーン達に囲まれている状況で一か八かの賭けを強いられる事に、檜山は詰め寄る。しかし、白野は相手にする時間すらも惜しいかの様に息も絶え絶えに言った。

 

「頼む……! 全員でここから脱出するには、もうそれしか……!」

「白野くん……!」

「白野……ああ、もう! 分かったわよ! やるわよ、檜山! アンタも男なら覚悟を決めなさい!」

 

 白野の必死な顔を見て、香織と雫は決意を固めた様に頷く。未だに顔を真っ青にした檜山を余所に、香織は白野の分も肩代わりする為に“聖絶"の出力を高める。

 

「く、ああ……!」

「猛き神の紫電の鎚よ。大気を震わせ、敵を討て———!」

 

 香織が両手で杖を突っ張る様にして結界を維持する中、白野は王宮の訓練で習った中で最も威力のある広範囲魔法の詠唱を開始する。

 ガン! ガン! と仔ワイバーン達が香織の結界を破ろうと攻撃を繰り返す。白野は全身の血の気が引く様な脱力感に襲われながらも、惜しみなく自分の魔法陣に魔力を注いだ。

 

「“雷霆”————!」

『ビャアアアアアアアッ!!』

 

 詠唱を終えた白野の両手から、雷が迸る。雷撃は耳を劈く様な轟音と共に周りにいた仔ワイバーン達に襲い掛かり、雷撃を浴びた仔ワイバーン達は痙攣して動けなくなった。群れ全体で見ると一割にも満たない損耗にしかなってないが、白野を恐れて仔ワイバーン達は怯んだ様に距離を取った。その為にワイバーン達の包囲網が薄くなる。それと同時に限界を迎えた香織の“聖絶”が解かれる。

 

「くっ……今だ!」

「ええ! 香織は私が肩を貸すから、檜山は白野をお願い!」

 

 魔力を使い果たし、膝をつきそうになる香織と白野。雫が香織に肩を貸して立たせる中、檜山もまた白野へ駆け寄り———。

 

「———ひ、ひひっ。何だよ、逃げるのにもっと簡単な方法があるじゃねえか」

 

 え? と白野が聞き返そうとし————。

 

「オラッ、エサだ!」

 

 ドンッと白野は突き飛ばされる。魔力を失って極限の疲労状態となった白野はなす術なく、地面へと転がされた———仔ワイバーンの群れに向かって。

 

『ビャア! ビャア! ビャアアアアアッ!!』

「うわあああああっ!?」

「檜山アアアアァァァッ!!」

「へへ、あばよ! せいぜい囮になってくれよなっ!!」

 

 雫が殺意を込めた叫び声を上げる中、檜山は白野達に背を向けて一目散に走り出した。背後から転んだ白野へ群がる様な仔ワイバーン達の羽ばたき音が聞こえたが、振り向かずにワイバーンの巣の出口へと向かう。

 

(俺は———俺は生きるんだ! あの無能みてえに、こんな所で死んでたまるか!!)

 

 自分が魔法を撃って奈落へ落とした錬成師を思い出す。こんな場所で誰にも気付かれる事なく、死ぬのだけはごめんだった。ふと、その錬成師が死んだ理由が自分にある事を知って、殺意すら感じる怒りを向けてきた初恋の少女の事も思い出した。いま、その少女も白野達と同じ様に仔ワイバーン達に囲まれて、命を落とすだろう。

 

(お、お前が悪いんだからな……あんな無能なんかを気にかけるから、こんな事になったんだからな!)

 

 しかし、檜山は決して振り向かない。それどころか、あの夜に香織がハジメの部屋を訪れなければ、自分はハジメを殺そうとは思わなかったし、ひいてはこんな状況に陥らなかったと言い訳の様に自分に言い聞かせた。

 そうだ———自分は生きるのだ。誰だって、死にたくないと思うのは当然の権利だ。

 だから———これは当然の行動だ。仕方のない事だ。誰だって、同じ状況になったら自分の安全を第一に考える筈だ。

 

(そもそも、アイツらは俺があの無能を殺した事を知ってるんだ! だから、ここで死んでくれねえといけねえんだ!)

 

 もしも首尾よく迷宮から脱出したとして、その後の事について檜山に考えがあるわけではなかった。

 だが、王国に帰ったら「自分は助けようとしたけど、あの三人は手遅れだった」と言い張るつもりでいた。特に光輝相手ならば、土下座して涙ながらに訴えれば自分の言った事を信じるだろうと汚い打算もあった。クラスのリーダーであると同時に王国の勇者である光輝から許されれば、自分の罪はそれ以上の追及はされない筈だ。

 

(だから———こんな所で、くたばってたまるかぁああっ!!)

 

 仔ワイバーン達は全て白野達の方へ向かったのか、檜山は巣の出口まで襲われる事なく辿り着いた。断崖絶壁に作られた横穴なので、下は底の見えない奈落だった。

 

「クソが……やるしかねえのかよ!?」

 

 悪態を吐きながら、檜山は横穴から出て絶壁に手をかける。ロッククライミングなどやった事は無いが、それでも助かりたい一心で岩肌をよじ登る。幸いにも凹凸の多い岩肌であり、“神の使徒”として得た身体能力も手助けして檜山でも尺取り虫の様に遅いながらもどうにか登る事は出来た。

 

(俺は……俺は生きるんだ、絶対に!!)

 

 自分が元いた場所は見上げても見えない程に遠い。しかし、この時の檜山は生への執着心から限界以上の力を出す事が出来た。このままいけば、時間はかかるが絶壁を登り切る事だって可能だろう。

 

 しかし———そんな彼の生存を許すほど、死神は寛容では無かった。

 

『ビャア! ビャア! ビャア!』

 

 ハッと檜山は背後を振り向く。そこには自分を巣まで運んだワイバーン達———親ワイバーンの群れがいた。

 親ワイバーン達は逃げ出した()()を取り囲む様に旋回していた。

 

「く、くそ! どっか行けよ!! エサならアイツらで間に合っているだろ!?」

 

 絶壁にしがみついている為に武器を振るう事も出来ず、檜山は親ワイバーン達に怒鳴り散らす事しか出来ない。そんな檜山を親ワイバーン達はプテラノドンの様なクチバシでつつく様に襲い掛かる。

 

「や、やめろっ! やめろって言ってんだろっ!!」

 

 ワイバーン達につつかれ、檜山はどうにか振り払おうとして片手を振り回し———。

 

「あ———」

 

 バランスが崩れる。岩肌を掴んでいたもう片方の手が滑り、檜山の身体は背中から落ちて———奈落の底へと浮かび上がる。

 

「あ、ああああああああぁぁぁぁぁああ————!!」

 

 嫉妬でクラスメイトを殺し、更にはクラスメイト達を見捨てて浅ましくも生き残ろうとした少年は、叫び声を上げながら奈落の底へと落ちていった———。

 

 ***

 

『ビャア! ビャア! ビャア!』

「どいて! どきなさいよ! 私の弟に何するのよ!!」

「痛っ! こっちに来ないでってばっ!!」

 

 檜山が奈落へ転落した頃、白野達の方は熾烈な状況になっていた。仔ワイバーン達は地面に倒れた白野へ容赦なく群がっていた。親ワイバーン達と違ってまだクチバシや歯は小さい為、白野の手足が食い千切られる様な事はないが、数の暴力の前に白野の身体の至る所から血が滲み出す。雫達は自分も噛まれるのを承知で、必死で剣や杖を振り回して追い払おうとしていた。

 

「いやああああああっ!」

「香織!?」

 

 親友が上げた悲鳴に雫は振り返ってしまう。魔力が尽きてしまい、走るのも儘ならないくらいの体力ながらどうにか戦っていた香織だが、とうとう限界が来てしまった。仔ワイバーン達が香織の腕に噛みついて引き倒し、今度は地面に倒れた彼女へ群がった。

 

「やめて! やめてよぉ! 私の家族と親友に、酷いことしないでよぉ!!」

 

 残った雫は剣を振り、どうにかして仔ワイバーン達を追い払おうとする。全滅の予感に———目の前で自分の大切な人達が無惨に死ぬ所を見るかもしれないという恐怖に、涙で顔がグチャグチャになりそうだった。

 

 そんな中———白野はボンヤリと宙を見ていた。

 

(何だ……この状況は……?)

 

 手足は仔ワイバーン達につつかれ、噛まれ、王宮から支給された装備が血で汚れていく。だが、それすらも他人事の様に白野は感じていた。

 

(この感じ……初めてじゃ、ない? 前にも、こんな事があった気が……)

 

 ビキッ、と白野の頭に頭痛が走る。白野は思わず頭を抑えた。

 

「白野———!」

 

 蹲った白野に雫が駆け寄る。

 

「しず、く……?」

「大丈夫———大丈夫だから! 死ぬ時は……一人ぼっちじゃないから! みんな……みんな一緒よ……!」

 

 記憶を失い、一人ぼっちになった自分の家族となってくれた少女は、泣きながらも精一杯の笑顔を作る。もはや助からないと悟ったのか、剣を捨てて両手で倒れている白野と香織を引き寄せた。離れ離れにならない様に二人を力一杯に抱き締めた背中に、仔ワイバーン達は容赦なくクチバシでつついていく。

 

「っ……、っ……!」

 

 雫の背中が赤く染まっていく。それでも雫は悲鳴を上げる事なく、白野達を庇う様にギュッと抱き締めた。

 

(あ……起き、ないと……! 雫の……家族の為に、起きないといけない、のに………!)

 

 頭でそれを理解しながらも、白野の頭痛は強くなっていく。意識を保つのにも精一杯の頭痛に耐えながら———白野の目には別の光景が映っていた。

 

(あ………)

 

 それは———ステンドグラスが並ぶ何処かの空間。

 そこに白野は力なく倒れ———周りには同じ様に倒れた無数の人間達。

 物言わぬ死体となった彼等を見た白野の心に恐怖は無い。

 ただ思ったのは———ここでは終われない、という想いだけだ。

 

(そう、だ……こんな所で、終われない……)

 

 眼球から火が出るどころではない。頭の中を棘だらけの昆虫が滅茶苦茶に這いずり回っている様だ。そんな頭痛を感じながらも、白野は立ち上がる為に力を込める。

 

(ここで終われない……自分の為にも……雫の為にも……! こんな所で消えたら……それこそ意味なんて無い……!)

 

 バチバチ、と火花が飛び散る様な感覚と共に白野の目に新しい場面が映る。

 それは先程と同じ様な場所の光景だった。

 だが、自分の目の前には一人の少女が立っていた。

 職人が紡いだ様な金糸の様な髪を結い上げ、薔薇の様に絢爛な舞踏衣装を纏った少女は倒れた白野に何かを呟いていた。

 

(頼む———セ■バー)

 

 脳内の映像の少女に向かって、白野は精一杯に手を伸ばした。

 

(もう一度……もう一度、俺に力を貸してくれ———セイバー!!)

 

 記憶に無い筈の少女の名が何故か脳裏に浮かび上がった。

 少女———セイバーは、白野に向けてフッと笑って手を伸ばした———。

 

 ***

 

『あ〜あ、やっぱり。先輩は何処にいっても、先輩なんですねぇ……』

 

 ***

 

「な、何!?」

 

 死を覚悟して家族と親友を抱き締めていた雫は、思わずそう叫んでしまった。白野から急に爆発的な魔力が流れ出て、魔力の奔流は嵐の様に渦巻いて襲い掛かっていた仔ワイバーン達を押し返していたのだ。

 

「白野……くん……?」

 

 香織も痛みに耐えながら白野を見る。

 白野は雫の手から離れ、ゆっくりと起き上がる。

 空っぽになった筈の魔力は白野の身体から間欠泉の様にわきあがり、目は夢遊病の様に何処か虚だったがしっかりとした動きで仔ワイバーン達と対峙した。

 白野が片手をかざす。手から光が———数式の様な物が出て、白野の手にタロットカードの様な物が現れた。

 

「———code:install(英霊憑依)_saber」

 

 剣士の絵が描かれたカードから光が現れて、白野の身体を包み込む。雫達は思わず目を瞑り———次に目を開けた時、白野の装いは一変していた。

 肩には獅子を模した装飾。そして金の肩章。

 格の高い将軍、あるいは皇帝の様な真紅の衣装。

 手には揺らめく炎を形にした大剣。

 真紅の剣士と呼ぶに相応しい衣装を着て、白野が立っていた。

 

「白野……その格好は、一体……?」

『ビャアアアァァァッ!!』

 

 目の前で起きた展開に目を見開いて雫が問い掛け様としたが、仔ワイバーン達の鳴き声に遮られる。仔ワイバーン達は痺れを切らした様に———あるいは得体の知れない物に恐怖を覚えた様に、真紅の剣士となった白野へ向かって殺到する。

 

「————」

 

 ヒュンッ、と白野が大剣を一閃させ———飛び掛かった仔ワイバーン達は、一刀両断にされて地面に転がった。

 

「嘘……!?」

『ビャアアアァァァッ!!』

 

 香織が驚きの声を上げる中、仔ワイバーン達は仲間の死に怒りの声を上げる。目の前の人間を餌から排除すべき敵へと認識を変え、彼等は親から習った集団での狩りの仕方を思い出しながら白野へと襲い掛かる。

 

「————」

 

 だが、白野にはもはや爪もクチバシも届かない。まるで優雅に踊る様に白野は大剣を振り、襲い掛かる仔ワイバーン達を全て斬り伏せていた。その剣閃は“剣士”である雫の目をもっても見切れなかった。

 

「雫ちゃん……白野くんって、こんなに強かったの?」

「……いいえ。そもそも剣を振った事なんて無かった筈よ」

 

 香織は口をポカンと開けながら、目の前の光景をただ呆然と眺めていた。異世界に召喚されてからも、剣に関しては才能が無いと諦めていた姿が嘘の様に仔ワイバーン達を圧倒していた。その姿に雫も呆然と呟くしかなかった。

 

花散る(ロサ)———」

 

 白野は大剣を水平に構える。大剣はその形に呼応する様に激しい炎を宿した。

 

天幕(イクトゥス)!!」

 

 向かってくる仔ワイバーン達の間を擦り抜け、白野は大剣を横薙ぎに振るった。白野が通り過ぎた後、火花が薔薇の花弁の様に舞い———一瞬遅れて、大爆発を起こした。

 

『グビャアアアアアァァァッ!!』

「キャアアアアアッ!?」

 

 爆発に巻き込まれ、仔ワイバーン達が次々と炎上する。雫達は迫り来る爆風に思わず目を瞑る。しかし、予想していた土煙や炎がいつまで経っても来ない。おそるおそる目を開けると———そこには光の膜を雫達の周りに展開させた白野の後ろ姿が見えた。

 

「code———protection_guard」

「白野……守ってくれたの?」

 

 雫が思わずそう問い掛けるが、白野は答えない。淡々と戦う様子はまるで戦闘機械を思わせた。

 

『ビャアアアァァァッ!!』

 

 巣の出口側から仔ワイバーン達より低音の鳴き声がいくつも響く。親ワイバーン達が異変を感じて巣へ戻って来たのだ。彼等は狩りの練習台として放り込んだ筈の人間によって、仔ワイバーン達が全滅している事に気付いた。

 

『ビャアアアッ! ビャアアアッ!!』

 

 自分の仔達を殺した人間を許すまじ、と怒りの雄叫びを上げる。全ての親ワイバーン達が白野へ向かって猛然と向かって来ていた。

 

「————」

 

 それを見て、白野は大剣から手を放す。大剣はまるで実体が解れた様に姿を消した。

 

「———構築式、演算完了。魔力、充填開始」

 

 どこか機械的な印象を受けるトーンで喋りながら、白野は両手に魔力を集中させた。両手に集中した魔力は冷気を帯び、そして———。

 

「code———freeze_all!」

 

 圧縮された冷気が解放される。冷気は吹雪となって、眼前まで迫っていた親ワイバーン達に容赦なく降り注ぐ。

 

『ビャ、ア、ア……!?』

 

 親ワイバーン達は僅かな悲鳴を上げると、たちまち凍り付いていった。そして数秒後———そこには一匹残らず氷の彫像へと変わった親ワイバーン達の姿があった。

 

「………すごい」

「雫ちゃん……私達、助かったって事かな……?」

 

 冷気の寒さで白い息を上げながら、二人はそう呟くしかなかった。

 巣にいる全てのワイバーンが駆逐され、雫達以外に動く物がいなくなった横穴の中。白野はゆっくりと雫達へ振り向く。

 

「白野……その、何が何やら……」

 

 目の前の急展開が飲み込めず、雫はよく知っている筈の弟分に何と声を掛ければ良いか分からなかった。だが、すぐに真っ先に言うべき事を思い出した。

 

「……ありがとうね。お陰で助かったわ」

 

 雫が微笑むのを見て、白野はゆっくりと頷き———突然、糸が切れた様に倒れた。

 

「白野!?」

「白野くん!」

 

 0と1の数字が光の様に舞い散り、白野の服装が元の冒険者姿に戻っていく。雫が慌てて白野の身体を支えた時、その弾みで白野のポケットからステータスプレートが落ちた。

 

『岸波白野 17歳 男 レベル:?

天職:月の裁定者

筋力:5000+?

体力:5000+?

耐性:5000+?

敏捷:5000+?

魔力:5000+?

魔耐:5000+?

技能:月の王権・コードキャスト(+英霊憑依)・全属性適性・予測演算・高速魔力回復・指揮適性・魔力感知・言語理解』




とりあえず山場まで一気に書きました。いやー、ようやく原作から外れた展開を書けます!(原作通りにやる気が無い人)

>檜山

 なんかあらすじ事よりゲス度が増した子。香織の事もあっさりと見捨てていますが、とある人から言われた事だけど檜山は「香織が好きなんじゃなくて、香織みたいな美少女に何となく惚れられる」という展開を期待していただけじゃないかな? 
 原作でも自分と光輝が釣り合う筈も無いから、光輝が香織の近くにいるのはまだ納得がいくと負け犬根性丸出しな事を思っているし、恵里の力を借りて香織を思い通りに動く死体人形に変えようとするなど香織の心とかどうでも良さそうな風に見えたので。

>白野(セイバー)

 格好的にはfgoのネロの第三再臨とカエサルの服をミックスした様な感じです。当初の予定とは異なり、プリヤみたいにインストールしながら戦う感じになるかなぁ?

 そんなわけでようやく力に目覚めた白野ですが、これからどうなるか? 
 待て、次回。


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第十話「夢幻召喚」

 一月に入っちゃったけど、せっかくだからオルクス迷宮編は書き切ろうと思います。オバロクロスを待っている方は申し訳ないけど、もう少し待って下さい。


 オルクス大迷宮の中。ワイバーン達が巣にしていた横穴の中で二人の少女が力無く座り込んでいた。剣を持って見張りをしながら、雫は壁に寄りかかる香織に声を掛けた。

 

「香織……まだ、生きているわよね……?」

「うん……大丈夫だよ。私はまだ元気だから……」

 

 言葉とは裏腹に香織は辛そうに答える。その様子に雫は唇を噛み締めた。

 昼夜の概念がない迷宮の中だから正確には分からないが、ワイバーンの巣穴に入ってから既に一週間は経過しているだろう。

 白野によって巣穴のワイバーンが全滅させられ、場所が断崖絶壁の横穴の為か、あれから雫達は魔物とは遭遇していなかった。お陰で戦闘で消費してしまった魔力も、睡眠を摂る事で回復していた。

 

 だが———同時に雫達はこの場から動けなくなっていた。場所は迷宮の奈落の底へと繋がる断崖絶壁。ワイバーン達の様に空を飛べない雫達には岩肌を登るか、奈落へと落ちるかの二択しかこの場を抜け出す手段がない。

 一か八か岩肌を登るとしても、登っている途中にワイバーンの様な魔物に襲われたら一巻の終わりだ。そもそも断崖絶壁の上の元いた階層だって、迂闊にも転移トラップを作動させた檜山のせいで飛ばされた場所だ。この階層にいる魔物達は明らかに今の雫達より明らかにレベルが上だろう。一か八かで助けを呼びに行くには危険過ぎる賭けだった。何より———。

 

「白野くん……今日も起きないね」

 

 空腹や不安になる気持ちを紛らわせようとしたいのか、香織は心配そうな表情で白野を見る。

 白野は———あの日以来、眠ったままだった。

 まるで地球で頻繁に倒れていた時の様だったが、いつもよりもずっと深い眠りについた様に目を覚さない。昏睡した白野をそのまま放置する事も出来ず、雫達はこの場に留まるしか無かったのだ。

 不幸中の幸いか、今回のオルクス大迷宮の演習は行軍演習も兼ねていた為にメルドから各自に保存食は配られていた。とはいえそれも一食分しか無く、雫達は硬いビスケットの様なパンを毎食に一口ずつ嚙り、白野がワイバーン達を凍らせた際に作った氷を魔法で溶かして飲み水を確保してどうにか餓えを凌いでいる状況だった。

 

「白野……」

 

 空腹と疲労で弱った身体を引き摺る様に動きながら、雫は目を閉じて横たわる白野の側に寄る。額に手を当て、まだ冷たくなってはいない事にとりあえず安堵した。

 

「早く起きなさいよ……いっぱい、いっぱい聞きたい事があるんだから」

 

 不安で泣きそうになるのを堪えながら、雫は白野の目覚めを待ち続けた。

 

 ***

 

 雫達が極限状況にありながらも白野の目覚めを待つ中———白野は夢を見ていた。

 それは、()()()()戦いの記録だった。

 

『アタシの名前を覚えていきな! テメロッソ・エル・ドラゴ! 太陽を落とした女ってね!』

 

 数多の魔術師が争う戦争があった。

 

『我が墓地はこの矢の先に———森の恵みよ、圧政者への毒となれ!』

 

 地球外の文明で作られた巨大霊子演算機———ムーンセル・オートマトン。

 地球上のあらゆる事象を記録と演算を行うが故に、望む未来すらも引き寄せられる願望機(聖杯)

 

『今日だけは一緒に遊んであげるね!』

 

 月にある願望機の所有権を巡り、数多の魔術師達がそれぞれの願いを胸に電子空間を介して月に訪れて争い合った。かつて地上で行われた願望機を奪い合う戦い———英霊を従え、お互いに相争う聖杯戦争という形で。

 

『みこーん! ワタクシ、心を入れ替えました! これからよろしくお願いしますね、ご主人様♪』

 

 記憶の無いままに聖杯戦争に参加する事になった岸波白野は、生き残りたいという一心で多くの魔術師や英霊達と戦ってきた。時には敵だった者にも助けられ、彼は迷いながらも勝ち残っていった。

 

『くはははははははは!!!! 滾る滾る!! 血が!! 肉が!! やはり武とは生き死にあってのもの! さあ、力比べだ!! 極致のその先を――見せてみろ!!』

 

 戦いの最中で岸波白野は知る。自分はNPCから奇跡的な偶然でマスター権を得たマスターに過ぎず、この戦いで勝ち残ったとしても地上に生還する事は叶わない。

 

『……貴方に星の祝福を。いかなる困難、いかなる闇の中でも、北天の星が、その道を照らしますよう―――』

 

 ……それでも白野は歩みを止めなかった。たとえ勝ち抜いた先に得る物が無いとしても、これまで歩んできた道程を否定しない為に。彼を信じて、共に歩んでくれた者達への信頼に応える為に。

 

『……行こう、アーチャー。これが、私の最後の戦いだ』

 

 同じ様な道程を歩んだ自分のコピー。それすらも降し、彼はとうとう熾天の玉座へと辿り着く。

 

『———やあ。待っていたよ。私は誰よりも君を認め、君を讃え、君を誇りに思っている。君こそが幾たびも繰り返された聖杯戦争の中で、もっとも素晴らしいマスターなのだと』

 

 そこに———人類を憂いる白衣の賢者がいた。

 人類の戦争を憎みながら、戦争の中で育まれる命の強靭さを否定出来なかった過去の亡霊。

 白野と同じ様にNPCからマスターへと至った白衣の賢者は、停滞する地上の世界を変える為に白野に願いを託そうとした。

 

 今一度、人類に収穫期を。生と死が交差する刹那、人々に芽生えるものは略奪に見合うだけの成果と信じて。

 

 だが———白野はそれを否定した。

 

『多くの人達と出会ってきた。そして多くの人達の願いを淘汰して、自分はここにいる』

 

 人類の愚かさを嘆きながら、人類の強さを信じる過去の亡霊に白野はまっすぐと対峙する。

 

『願いに貴賎なんて無い。失われた者達の願いも背負ってここにいる。だからこそ、そんな事の為に自分の願いを放棄するなんて許されない。人類は貴方の言う通り、正しくないかもしれない。でも、それを結論付けるのは現在を生きる者達の選択だ。過去に生きていた()()()が好き勝手にして良いものじゃない』

 

 多くの屍を踏み越え、戦いの中で魂を精錬させた少年は白衣の賢者を否定し、最後の戦いに挑んだ。

 

『命あるものは必ず滅びる。衆生は苦しみの輪廻にいる。生存の強さをもって悟りへの道を拓こうとした彼もまた、心に神を宿している。道は1つではない。人の善悪に価値がないように、人の認識では、世界の在り方(うつくしさ)は変わらない』

 

 そして———白衣の賢者に慈悲を示していた救世者も退け、白野は月の聖杯に接続する。願う事はただ一つ、共に戦ってくれた友人が地上へ無事に帰還する事。願いは確かに叶えられ———不正なデータである白野はムーンセルによって分解される事になった。

 

『さらば、とは言わんぞ……この先、幾百幾千の時を経ようと、絶対に余は奏者を見つけてみせるからな。余は偉大な皇帝、こんなコトで、泣くはずがっ、あるものか! 泣いてなんか、いないからな!」

 

 最後まで付き従った剣の英霊は、消えゆく白野にそう告げた。

 そうして———かつて自分すら定かでは無かったが、ついには月を征した白紙の少年は、一ビットすら残さず消滅して———。

 

 ***

 

「……う、ん」

「白野!」

 

 白野はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視界に、まず雫の顔が映った。

 

「目が覚めたのね……本当に、いつも心配ばかりかけるんだから!」

「良かった……白野くんが起きて、本当に良かったよ……!」

 

 雫と香織が涙ながらに白野の目覚めを喜ぶ。寝起きでボーっとする頭は徐々にクリアになっていき———白野は先程、見ていた夢の内容を完全に思い出していた。

 

(俺は……そうか、思い出した。岸波白野は、そういう存在だったんだ)

 

 以前は夢の中だから、と荒唐無稽に思えていた内容も今となっては確かな記憶として思い起こす事が出来た。まるで欠けていたピースが嵌った様にスッキリとした頭で、白野は昏睡する前の事を思い起こす。

 

「……雫。あれから、俺はどのくらい眠っていたんだ?」

「一週間……だと思う。念の為に持っていた腕時計で確認していたから、間違いないとは思うけど……」

 

 地球にいた頃の持ち物であろう腕時計を指差す雫からの報告に、白野は思わず溜息が出てしまう。そんな長い時間を眠りこんでいた自分を待っていてくれた二人には感謝しかなかった。

 

「迷惑をかけた。ありがとう、二人とも」

「別にいいわよ。そもそも私達があの時に死なずに済んだのは、白野のお陰よ」

 

 雫が涙を拭いながらそう答える中、香織は意を決した様に白野に話しかける。

 

「……あのね、白野くん。白野くんが気絶しちゃった時、ステータスプレートが落ちて……その、悪いとは思ったけど、見ちゃったの」

 

 そう言って、香織が白野のステータスプレートを見せる。はっきりと明記された天職や大幅に上がったステータスを見せられたが、白野は驚く事なく頷いた。

 

「月の裁定者、か……なるほどね」

「白野くんは何か知っているの? それにあの時の姿とか……教えて欲しいな」

「……もちろん説明するよ。信じられない話かもしれないけど———」

 

 不意にグ〜ッと大きな音が鳴り響く。白野は顔を赤らめながら、自分の腹を抑えた。

 

「ごめん……先に何か、食べてからで良い?」

「あ……そうだよね。白野くん、一週間も何も食べてないんだよね」

「はい、これ。白野の分の食料よ」

 

 雫が白野の荷物から出した乾パンを差し出す。それを食べようとして、白野は雫達の頬が少しこけている事に気付いた。

 

「雫……俺が眠っている間、雫達の食料はどうしていたんだ?」

「え……大丈夫よ、元から少食だったもの」

「私も今はダイエット中だから、ね?」

 

 そう言うが、二人の顔色ははっきりと良くない。そんな極限状況でありながら、白野の食料には全く手をつけられていないのだ。

 それを見て、白野は無言で乾パンを三等分に割った。

 

「食べてくれ」

「白野、遠慮しなくていいのよ。さっき、今日の分の食料は食べたから」

「俺は寝ていた分、体力の消耗は少なかったけど、雫達はずっと見張りをしていてくれたんだろ? ここから動かないといけないから、体力はつけた方が良い」

 

 しばらく遠慮していた雫達だったが、白野は頑として譲らなかった。やがて、躊躇いがちに雫達は白野の乾パンを受け取り、口の中に入れた。

 

「……ふう、ありがとう。少し、元気になったわ」

「良かった……とりあえず、今は脱出を優先させよう。俺の事は脱出した後にゆっくり話すよ」

 

 お世辞にも安全とは言えない迷宮の中で過ごし、満足な食事も出来ない日々に雫達はかなりストレスを強いられただろう。まずは安全な地上まで出て、ゆっくりと休息を摂るべきだ。

 

「白野……うん、そうよね。問題はここからどうやって脱出するかだけど」

「それについては心配しなくて大丈夫だ。今の俺ならどうにか出来る」

 

 不安そうな雫にきっぱりと白野は断言した。断崖絶壁にある横穴からどう脱出するか、そして迷宮内の魔物をどうするか———記憶と共に目覚めた力は、全く問題にならないと白野に告げていた。

 

「……ねえ、今の白野くんなら魔物達もどうにか出来る。そう思っていいんだよね?」

 

 問い掛けに白野は頷くと、何故か香織は少しだけ迷う素振りを見せた。

 

「香織?」

「あのね……南雲くんを探しに行く事って、出来ないかな?」

「香織……あなたの気持ちは分かるけど、今の私達はそんな余裕がある状況じゃ———」

「分かっているの! 白野くんの目が覚めたから、今は脱出を優先すべきだって!」

 

 困った顔で嗜めようとする雫に、香織は大声をあげた。その目から溢れる涙に雫は押し黙ってしまった。

 

「あの状況じゃ、もう生きていないかもしれない……それもちゃんと分かっている! でも……万が一、私達みたいに迷宮の何処かで生きていたら、きっと助けを求めているから……! 私が、南雲くんを守るって、あの夜に約束したから……だから……!」

 

 身体を小さく震え、最後の方は言葉になっていなかった。香織も、この状況で自分の我儘を言うべきではないと分かっている。そもそもハジメが生きている可能性など、ゼロにも等しいだろうという事も。

 しかし、それでも諦めきれなかった。ワイバーンに連れられた自分達がこうして生きている様に、もしかしたらハジメも生きているかもしれない。探索の邪魔になる迷宮の魔物も、ワイバーン達を鎧袖一触にした白野がいれば何とかなるかもしれない。その希望に、香織はどうしても自分の想いを捨て切れなかった。

 

「………」

 

 白野は小さく嗚咽を漏らす香織を静かに見つめる。香織の恋心の事は白野も地球にいた頃から知っていた。雫から聞いた時は白野も驚き、その恋が実るといいな、となんとなく考えていた。

 そして———ハジメの事を思い返す。教室では隣の席だったから、白野が授業中に目眩で倒れた時にいつもハジメが保健室までの付き添いに駆り出されていた。しかし、ハジメは嫌な顔を一つも見せずに白野を保健室まで連れて行っていた。ハジメに対して、白野はかなり恩を感じていた。

 

(なにより……あの時、ハジメが身を挺してベヒモスを止めたから全滅せずに済んだんだ。そんな彼を俺が命惜しさで見捨てるのは、不義理だよな)

 

「……分かった」

「白野……」

「ちょっと待って欲しい。いま、調べてみる」

 

 え? と雫が聞き返すより先に———白野はこの世界に無い魔術を発動させた。

 

「———code:view_map」

 

 白野の手から光が———0と1で構成された数式が浮かび上がる。数式は次々と組み合わさり、雫達の前に地図の様なものが現れた。

 

「これは……!?」

「良かった……この世界でも、コードキャストは使えるんだな」

 

 雫達が驚く中、白野は月の聖杯戦争で幾度も使った魔術———コードキャストが問題なく発動する事に安堵した。

 白野の出した地図は迷宮内を完璧に再現していた。()()()()()()()()()()最下層である百層目まではさすがに無理だったが、それでも目当ての情報を見出す事が出来た。

 

「いま、俺達がいるのはここ。七十層と七十一層の中間くらい」

 

 ポカンと口を開けている香織に、白野が自分達を示す光点を指差した。そして———。

 

「……ここ。第八十九層目。そこに人間の反応がある」

「っ! そこに南雲くんがいるの!?」

「これが南雲なのか、確証は無いけど……オルクス大迷宮でここまで潜れる人間がいたなんて話は聞いた事が無い。可能性は高いと思う」

 

 香織の顔が明るくなる。先程までゼロに等しいと思っていた可能性が、いま明確な希望となったのだ。香織は白野に向かって勢いよく頭を下げた。

 

「お願い! 南雲くんがそこにいるなら、迎えに行ってあげたいの! きっと魔物達に見つからない様に隠れて、自分じゃ脱出できない状況だと思う! だから……お願いします、白野くん! 力を貸して下さい!」

「……雫はどうする? 雫だけ先に迷宮の入り口まで送ってもいいのだけど」

「……はぁ、もう。香織は一度決めたら迷わずに突っ走っていくんだから」

 

 雫は溜息を吐きながらも、香織に優しく微笑む。

 

「良いわよ、南雲君に恩があるのは私もよ。私も一緒に行ってあげるわ」

「雫ちゃん……ありがとう!」

「礼なんて要らないわよ。私達、親友でしょ?」

 

 抱きついて何度もお礼を言う香織に、男前に返す雫。

 そんな二人を見て、白野もゆっくり頷く。

 

「決まったみたいだね。それなら———彼等の力を借りよう」

「彼等って……誰の事?」

 

 雫が頭に疑問符を浮かべる中、白野は自己の意識に埋没した。

 

(サーヴァントの召喚は……駄目だな。理由は分からないけど、今の俺には()()()()()()()()()()()())

 

 真っ先に試そうとしたが、頭の中でエラー表記が浮かぶ。()()()()()()()()()が脳と繋がっている様な奇妙な感覚を覚えながらも、違和感を覚える事なく白野は意識の中で問い掛けた。

 

(今の俺に可能なのは……コードキャストの使用と、それに付随する魔術の再現。そして———()()()()()()()()()()()())

 

 白野の脳の中で、とある英霊達を思い浮かべ———実行は可能だと、白野の意識は判断した。

 

「……雫、香織。今から君達に、新しい力を渡す」

 

 いつもより、どこか威厳を感じさせる白野に雫達は自然と姿勢を正した。その姿はまさしく———月の王そのもの。

 

「人間には過ぎた力かもしれないけど……ハジメを救う為に、受け入れる覚悟はある?」

 

 突然そんな事を言われて、雫も香織も戸惑ってしまう。

 しかし、それも一瞬だけだった。

 

「……ええ。あなたの力とか、まだ色々と聞きたい事があるけど。白野が渡すなら、悪い物では無いという事は信じられるわ」

「私も南雲くんを助ける為なら、恐くなんてないよ。だから……やっちゃって、白野くん」

 

 二人は覚悟を決めた様に、目をギュッと瞑る。その二人に———白野は静かに詠唱を始めた。

 

「———告げる。汝の身は我に。汝の剣は我が手に。月の聖杯のよるべに従い、この意この理に従うならば応えよ」

 

 白野の手から再び数式が浮かび上がる。今度は魔法陣を形成し、雫と香織の足下に現れた。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者──」

 

 それは、とある世界で夢幻召喚と呼ばれるもの。

 今の白野にはかつての様に英霊そのものを召喚する事は出来ない。だからこそ、その力の一端を写し取って人間を媒介に擬似召喚する手段を取った。

 擬似召喚とはいえ、本来なら生前の遺品の様な英霊の縁の品が必要だろう。そうでなければ、完全にランダムな召喚となる。

 しかし———何の英霊が来るか、白野には分かる様な気がした。

 

「汝、三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ———code:install_sarvent!」

 

 魔法陣の光が強くなる。風が吹き荒れ、雫達の身体は光の奔流に包まれた。

 

 やがて———雫達の身体が変化する。

 

 雫は———髪が雪の様に白くなり、赤い外套をその身に纏っていた。その手には、日本刀の様に形を変化させた陰陽剣。

 香織は———王宮から支給された法衣が、動き易さを優先させた水色の和服に変化していた。頭には、ピンとキツネの耳が立った。

 

 かつて月の聖杯戦争で白野と縁の深い英霊。その姿を模した様に、二人は装いを変えていた。




というわけで、雫エミヤんと香織キャス狐の爆誕なのであります。香織や雫を序盤からパワーアップするのに、魔物肉でドーピングは既にやり尽くされた気はするので。
しかしこれ、とある勇者が見たら「香織と雫を自分の奴隷にしたんだ!」とか騒ぎ出しそうだなぁ。

>携行食料

まあ、行軍演習としてオヤツみたいなのを持たされていたと思って頂ければ。因みに歯が欠けると言われたアレです。


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第十一話「迷宮に飯を求めるのは間違いである」

 イメージ的に雫アーチャーは比村奇石先生のアチャ子、香織キャスターは『氷室の天地』版の玉藻の前みたいな格好です。


 光が収まり、雫達は目を開けた。すると、そこにはさっきとは別人の様に姿の変わった自分と幼馴染の姿があった。

 

「し、雫ちゃんの髪の毛が真っ白になっちゃった!?」

「香織もどうしたのよ、そのキツネ耳!!」

「へ? わわ、本当だ! 尻尾もある!!」

 

 二人はお互いの身体を見ながら、驚きのあまりに声を上げた。ペタペタと自分の身体を触りながら、変化した服などを調べる。

 

 雫は髪の毛がポニーテールをそのままに、雪の様に白く変色していた。黒いミニワンピースとボディアーマーの上に、真っ赤な外套を羽織った姿となっていた。両方に握られていた白と黒の日本刀を雫は驚きながらしげしげと眺める。

 

 香織は黒い髪の毛はそのままだったが、青いリボンが付けられた頭には狐の耳がピョコンと覗いていた。服装も青を基調にし改造巫女服とでも言うべき服装で、お尻から生えた狐の尻尾を見て、ふりふりと動かしてみたりしていた。

 

「それは夢幻召喚。英霊の力を人間に宿した状態だ」

 

 二人が変化に戸惑う中、白野の冷静な声が響く。

 

「英…霊……? それに夢幻召喚? 白野は……何かを知っているの?」

 

 ワイバーン達を圧倒した剣士の姿、雫達の知らない魔法の数々。

 よく知っている筈の家族が見せた奇跡の数々、その正体を知る為に雫は緊張しながらも尋ねた。

 白野もまた、真剣な表情で話し始める。

 

「……これから話す事は信じられない事かもしれない。でも、誓うよ———これは、岸波白野が辿った道筋(人生)だ」

 

 雫や香織と今まで通りの関係ではいられなくなる———それを覚悟して。

 

 ***

 

「ええと……じゃあ、白野くんには、前世? の記憶があって……そこでは英霊さんを従えていた魔術師だった、って事?」

「ああ。それで大体は合っているよ」

「それで、白野くんがいたのは未来の世界で、月に大きなコンピューターがあって………う、うぅ〜。頭がこんがらがってきたよ〜!」

 

 プシュ〜と知恵熱を上げそうになりながら、香織は頭を抱えた。

 ———白野は二人に全てを話した。

 英霊の事、魔術の事、そして———月の聖杯戦争の事。

 側から聞けば、漫画やアニメの世界の様な話に聞こえただろう。

 

「信じられないかもしれない。でも、これは嘘なんかじゃない。あの戦いは俺が生きた証そのものなんだ」

 

 しかし、白野は真摯に話した。他人から荒唐無稽だと嗤われようと、月での出来事は地上でコールドスリープした岸波白野(オリジナル)のコピーでしかない岸波白野(自分)が命の限り駆け抜けた49日間なのだ。

 

「……いいえ。信じるわよ」

 

 情報を整理する様に目を閉じていた雫だが、ややあって目を開けた。

 

「西暦2032年とか、ムーンセル? とかいうのはよく分からないけど……白野の魔法とか論より証拠な物を見せられた以上、あり得ないなんて言えないわ。そもそも私達も今は剣と魔法のファンタジーな世界にいるのだもの」

 

 雫はまっすぐと白野を見る。それは白野が予想していた疑念を宿した目ではなく、今までと変わらない家族を見る優しい眼差しだった。

 

「あなたが……白野の前世が未来人だろうが、魔法使いだろうが関係ないわ。八重樫雫にとって、岸波白野は大切な家族の一員。それだけは確かな事よ」

「わ、私も白野くんの事は大事なお友達だと思っているよ!」

 

 香織も慌てて声を上げた。雫が先に言ったからというより、白野への信頼を疑って欲しくないという感情が見えていた。

 

「ちょっと驚いたし、まだ混乱してるけど……白野くんのお陰で、私も雫ちゃんも助けられたんだもん! だから白野くんの事を疑ったり、変に思ったりしないよ」

「……ありがとう。雫、香織」

 

 白野は自分の心配が杞憂に終わり、ようやく安堵した表情を見せた。自分の家族や親友を疑うなんて、どうかしていた。そう思いながら。

 

「それで、私達の今の姿なのだけど……これは英霊が憑依したという事なの?」

「ああ、俺と縁の深かった錬鉄の英雄(アーチャー)玉藻の前(キャスター)。彼等の力が雫達に宿った状態だよ」

「……確かに。前より力が増した様な気がするわ」

 

 雫は少しだけ白野達から離れて、手にした白黒の二刀———干将・莫耶を構える。持ち主に合わせたのか、赤い弓兵が持っていた時とは違って日本刀に変化した刀を雫は素振りした。

 

 ビュオッ!!

 

 離れていた白野達にも髪の毛を搔き上げる風が来るくらい、鋭い太刀筋が描かれた。

 

「……すごい。二刀流なんて初めてなのに、手にとても馴染むわ。おまけにすごく力が湧いてくる気がする」

「私も、今ならベヒモスが来ても大丈夫な気がするよ! これなら今度は南雲くんをちゃんと守れるかも! でも……これって、鏡? どうやって使うんだろ?」

 

 香織もまた、自分の身体から湧き上がる魔力に興奮していた。ステータスプレートを見なくても、自分の身体が先程よりも強力になったと自覚できたのだろう。しかし、手に現れた銅鏡を見ながら首を傾げた。

 

「武器の使い方や戦い方は道中で説明するよ。その英霊達の戦い方は、ある意味よく知っているからね」

 

 片や四回戦以降から白野と仮契約した玉藻の前。

 片やもう一人の自分(少女の白野)が使役していた無銘の弓兵。

 

 彼等の戦法は自分の英霊(セイバー)を除けば、他の英霊達よりも詳しく把握していた。

 

(ただ………少しだけ疑問がある)

 

 雫達が自分の英霊の力を把握する為にあれこれと試しているのを見ながら、白野は自分自身の力に疑問を感じていた。

 

(俺のコードキャストは本来ならここまで万能でもないし、強力でもない。この力は……ムーンセルのバックアップを受けているからか?)

 

 地球の発生から月に存在し、天文学的なIF(もしも)の未来すらも記録している神の頭脳———ムーンセル・オートマトンであれば、最弱の魔術師(マスター)でしかなかった白野に強力なコードキャストを扱える様にするのは朝飯前だろう。しかし、白野はムーンセルに触れると同時に元NPCと看破され、不正なデータとしてムーンセル自身に消去されたのだ。今の様に英霊の力の一部を他人に憑依させるなんて真似は出来ない筈だった。

 

(他に表現しようが無かったから雫達には前世と言ったけど、やっぱり疑問が残るな。電子の海で消えた筈の俺が、どうして地球———それも平和な時代の一般人として転生したのか……?)

 

 何か、重要な事を忘れている気がする。そう思いながらも、白野はそれを思い出す事が出来なかった。そもそも本当にムーンセルの使用権があるなら、英霊そのものを召喚できる筈であり、今の様な中途半端な形にはならない筈だ。

 

「———白野。ねえ、白野ってば!」

「……あ、ごめん。ちょっと、ぼうとしていた」

「大丈夫? また頭痛で倒れたりしないわよね?」

「大丈夫だよ、それでどうかしたのか?」

 

 雫は気遣う様に見ていたが、白野が元気そうにアピールをするのを見て、心配する気持ちを一端隅に置いた。

 

「南雲君を探しに行くのに、戦闘面に関しては今の私達なら問題が無くなったかもしれないけど………食糧の方はどうするの? という話よ。やっぱり、一回ホルアドの街まで戻って買い込んでくるべきかしら? でも、そうしようにもお金が、ちょっとね………」

 

 雫達は仮にもハイリヒ王国に籍を置いている“神の使徒”だ。金銭面に関しては王国から全面的に支援を受けられる事にはなっている。しかし、召喚からまだ一週間(迷宮内で立ち往生している時間も入れるなら二週間)しか経ってないので給与もまだ支払って貰えていないし、ホルアドに着いた時に、自由時間にせめてもの気晴らしを、とメルドの好意で渡された金銭も小遣いの域を出ない程度の額だった。

 

「やっぱり………一旦、お城に戻らなきゃ駄目かな?」

 

 香織が不安そうな顔で伺ってくる。本来ならば、ハジメの捜索は王城に戻って捜索隊を組んでもらうのがベターな方法だろう。しかし、今から王国まで戻るとなると数日は掛かり、そこから捜索隊の編成にかかる時間などを考えるともっと掛かってしまう。ハジメも白野達と同じ様に携行食糧があるとしても、助けが来るまで迷宮内で生きている可能性は時間を経つ毎に低くなっていくだろう。

 それ以前に———ハジメはチート能力な天職やステータスを持つクラスメイト達の中で、ステータスは最弱でありふれた天職しか持たない『無能』と蔑まれているのだ。そんな『無能』を相手に王国が捜索隊を組んでくれるか、非常に怪しいところだった。

 

「そうなると………ううん、他に手は無さそうだよな」

 

 雫達の不安そうな顔を見て、しばらく考えていた白野は気乗りしなそうな声を出した。その場から少し離れた場所へと歩いていき———。

 

「………これ、食べるしかないんじゃない?」

 

 洞窟内で白野が氷漬けにしたワイバーン達を指差した。

 

「白野………あのね、忘れているかもしれないけど。この世界の魔物には毒があるから食べられないって、王城で習ったでしょう?」

「まあ、そうなんだけどさ。物は試しという事で」

 

 雫がほんの少しだけ可哀想な物を見る様な目をしてきたが、白野はワイバーンの冷凍死体にコードキャストを使う。

 

 code:view_status()。

 

 月の聖杯戦争において、エネミーや敵サーヴァントの特性やステータスを解析したコードキャストは問題なく発揮できた。

 

「え? これは………」

「どうかしたの?」

「………この魔物、人間に有毒な成分が検出されないんだよ」

 

 え!? と雫と香織が顔を見合わせる。「ただ———」と白野は続ける。

 

「核となる部分は魔石からだけど、全体的に内包された魔力が大きくて、一般人の魔術回路だと耐え切れないと思う。魔物を食べた人間は体がボロボロに崩れて死ぬと言っていたけど、それは毒のせいじゃなくて自分の許容範囲以上の魔力が流れるから魔術回路が暴走して死ぬんだ」

「魔術回路………確か白野が言っていた魔術を使う為の器官よね? 結局、私達が食べても大丈夫なものなの?」

「英霊化した今ならワイバーン達より魔力が大きいから大丈夫とは思うけど………念には念を入れるべきだな」

 

 白野はワイバーンの冷凍死体に手を当てながら、目を閉じた。

 そして———自分の意識の奥底、ムーンセルと思われる場所に意識を繋げた。

 

(ムーンセルは地球上のあらゆる情報を収集した存在。それは魔術であっても例外では無い筈———)

 

 頭の中で辞書を紐解く様に、今の状況に最適解となる魔術は無いか問い掛ける。すると————ぴったりな魔術が浮かび上がった。

 

(良かった……これは大した魔術じゃないから、閲覧制限は特に無いみたいだ。あとは実行するだけだ)

 

 コードキャストは古き魔術師(メイガス)達が電脳世界という新天地で魔術師(ウィザード)として生きていく為に生み出された術式。電脳世界の理を自分の思う様に改変する術式が、このトータスで使えるというならば———物理情報の改竄も可能となる。白野はそう信じて、閲覧した魔術を基にコードキャストを作り出した。

 

「code———replacement_material()!」

 

 白野の翳した手から0と1の数列で作られた光が出て、ワイバーンの冷凍死体に降り注ぐ。

 それはとある世界で置換魔術と呼ばれるものだった。錬金術から派生したその魔術は本来ならば物質を劣化交換する程度でしかないが———今回はそれで十分だった。白野のコードキャストは魔力に充ちていたワイバーンの死体を置換させ———光が収まると、ワイバーンの死体から魔力は霧散していた。

 

「これでよし………一応、食べても大丈夫にはなった筈」

「ほ、本当に大丈夫? 他に手段が無いとはいえ、食べるのに勇気がいるわね………」

「でも雫ちゃん。魔力が無くなったのは本当みたいだよ」

「香織、貴方には分かるの?」

 

 狐耳を生やした香織はコクリと頷いた。

 

「私に憑いた英霊さんは呪術に詳しいみたい。その人の知識というか、感覚というか……とにかく、白野くんが魔法で変えたワイバーンのお肉が危険な物じゃなくなったというのが分かるの」

「うう………分かったわよ。こうなったら二人を信じるわよ!」

 

 雫が覚悟を決めた様に頷く。そうしてワイバーンの死体から食べられそうな部位を切り取り、火魔法でたき火を起こして肉を炙った。

 

「雫。大丈夫だとは判断したけど、俺が毒味してからにした方が………」

「今更よ。こうなったら一連托生でしょう? 白野が犠牲になる方法なんて、もうウンザリだもの」

「ま、まあ、大丈夫だよ! 食中毒になっても、私が解毒魔法で治してあげられるから!」

 

 炙られたワイバーン肉を前に、白野達は表情が硬くなる。コードキャストで念入りに調べたとはいえ、いざ食べるとなるとやはり腰が引けてきた。それでも、今後の探索の為にも可食テストは必要だった。

 

「じゃあ………食べるよ?」

 

 白野の呟きに、雫達は一斉に頷く。十分に火が通されたワイバーン肉に、三人は覚悟を決めて齧り付いた。

 

「うっ………!?」

「むぐっ………!?」

「こ、これって………!」

 

 一口目の肉を飲み込み、三人は一斉に声を上げた。そのまま一分くらい待ったが、王城で習った様な身体が崩れる感覚や激しい腹痛などは起きない。とりあえずワイバーン肉は確かに魔力が霧散され、身体に害を及ぼす物で無くなった事は確かな様だ。しかし———。

 

「そ、想像以上に硬いな」

「筋っぽくて、噛み切れなくて………」

「ごめんね、二人とも。はっきり言っていい? ………マズイよね、これ」

 

 ………………味は別問題だった。

 

「………とりあえず、害がないみたいだから食べようか」

「うん………お腹に溜めて、力をつけなきゃだよね………」

 

 白野と香織は微妙な表情で、残っているワイバーン肉をモソモソと食べ始めた。ワイバーン肉が当面の食糧となる以上、とにかく味に慣れるしかないのだ。

 そんな中———雫は黙ったまま、手をプルプルと震えさせていた。

 

「………ああ、うん。牛でも豚でも、鶏でもないワイルドな味がするな」

「うん………普段食べているお肉って、とても美味しかったんだね」

「………(ピクピク)」

「ごめん………思い付きとしては悪くないと思ったんだけど」

「白野くんは悪くないよ………南雲くんの為だもの。ちょっとの間くらい、マズイのは我慢する………うん」

「………(イライラ)」

「考えてみれば当然か………そもそも食用に飼育された獣というわけじゃないからなぁ」

「それに最近はお城で美味しい食事を一杯食べれたよね………あのローストビーフ、また食べたいなぁ………」

「………(ギリギリッ)」

「いや、これはこれで慣れてくれば………食べれるだけDDの食卓よりはマシだし」

「………DDの食卓って何?」

「———ああ、もう! 我慢の限界よ!!」

 

 もはや諦観した表情でワイバーンの炙り肉を食べる二人に、雫が当然叫び出した。そして———。

 

投影(トレース)………開始(オン)!」

 

 かの弓兵の様に呪文を唱えたかと思うと、雫の手に包丁が現れた。それどころか、次々とまな板、鍋と調理器具一式を投影していく。

 

「し、雫ちゃん! その魔法、何!?」

「ちょっと待ってて。今すぐに調理するから!」

 

 初めて見る魔法に驚く香織を余所に、雫はまな板に載せたワイバーン肉に包丁を入れた。その手つきは、明らかに素人ではない包丁捌きだ。

 

「白野、そっちの壁………岩塩が埋まっているから、取り出しておいて」

「へ? 何でそんな事が分かるの?」

「私だってよく分からないわよ。私の中に入った弓兵の目というか、そういうので分かったというか………とにかく! またゴム底みたいな肉を食べたくないなら、すぐに掘り出す事! 香織はお鍋の中に水を入れて、ガンガン沸かして! あと新鮮な氷も作っておいて!」

「「は、はいっ!!」」

 

 思わず、二人は背筋を正して返事をした。調理している雫の背中は一切の妥協を許さないと語っており、その背中はまさしく錬鉄の英霊(シェフ)そのもの。白野と香織は雫の指示通りにキビキビと動き始めた。

 そして———数十分後。

 

「出来たわ………名付けてワイバーンの塩しゃぶ肉よ!」

 

 白野達の目の前に、皿に盛られた切り身肉が並べられていた。肉は綺麗な白色をしていて、ワイバーン肉と言われなければ普通に食べてしまいたくなるくらい食欲をそそる物だった。

 

「さ、二人とも。召し上がれ!」

「あ、うん。いただきます」

「ご丁寧にお箸とお皿まで………」

 

 調理している時の雫に気圧されていた白野達だったが、笑顔で勧められて恐る恐ると再びワイバーン肉に口を付ける。すると———。

 

「ん! これは………!」

「美味しい………美味しいよ、雫ちゃん!」

 

 先程の硬くて筋張った肉とは思えない味に、白野達は歓声を上げる。しかし、雫はどこか不満そうに食べていた。

 

「う〜ん……やっぱり豚肉のレシピでやっても、今一つよね………塩茹での時間をもっと長くするべきだったかしら? 本当ならみりんがあった方が良かったのだけど、そんなもの迷宮にあるわけ無いし………それに肉だけじゃ栄養バランスが偏るわね。植物系の魔物がいたら、試しにサラダを作ってみようかしら?」

 

 ブツブツと呟きながら、雫は今後の献立を考える。

 その姿はまさしく————。

 

「おかんだ………」

「お母さんだね………」

「って、誰がおかんよ! 誰が!」

 

 ***

 

 暗い洞穴の中———“錬成”で作った急拵えの隠れ家(セーフハウス)で、その少年は足が異常に発達した兎の肉に齧り付いていた。

 

 ガツガツ、ガツガツ。

 

 何日も風呂に入っていない為に汗や埃に塗れた身体で、血抜きもロクにされていない肉を喰らう様はまるで野生児そのものだ。

 

 元々持っていた食糧は、ここに来る前に流されていた川で不運にも落としていた。

 魔物に襲われ、片腕を失いながらも逃げ込んだ洞穴の中で()()()()()()()()()()()()()()()()()を見つけたから水はどうにか確保できたが、空腹ばかりはどうにもならなかった。

 生きる為にも魔物を“錬成”で作った落とし穴に嵌め、どうにか倒した魔物の肉を口にするしか生きる術はその少年に無かった。

 そして魔物の肉を食べた事で激痛と共に崩れ始めた身体は、件の石の水を急いでガブ飲みする事でどうにか事なきを得た。

 

 ガツガツ、ガツガツ。

 

 激痛のショックからか、少年の髪の毛は白く変色し———そんな事が問題にならない程に身体は大きく変わってしまっていた。

 同年代より背が低かった少年の体格は今や別人レベルに逞しくなり、手や足には魔物の様な赤黒い血管が浮き出ていた。ステータスプレートを見ると、()()()()()と周りから蔑まれていたステータスが急激に上昇し、喰らった魔物のスキルが新たに付与されていたのだ。

 

 ガツガツ、ガツガツ。

 

 だからこそ、少年は魔物を喰らう。喰らってもっと強大な力を身に付ける。それこそが、この弱肉強食のルールが敷かれた奈落の底で唯一生き抜く術に他ならないから。

 

「………………糞マズッ」

 




>おかんのアーチャー

「ふっ……憑いて来れるか?」

>奈落の底の彼

 原作だと動き始める日数とか決まっていますけど、この小説では原作より早く動き出しました。というより、この小説は作者のやりたいシーン優先なので原作の時系列とかは守らないと思います。

>白野がやった事

 ぶっちゃけるとプリヤの置換魔術で魔力の籠っていた肉をただの肉に変えただけ。FGOにも腐りかけの肉を霜降り肉に変える錬金術を使える奴がいるし………。
 なお、ただのお肉になっているので彼みたいにステータスが伸びたり、魔物のスキルを習得したりとか出来ません。
 因みに貴重な再臨素材をゴミに変えたも同然なので、この場に時計塔の魔術師がいたら殺されても文句言えないです。


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第十二話『オルクスメイキュウ』

 ああ、執筆活動こそが仕事のストレスを癒してくれる………。
 逆を言えば、ストレスを感じなければ執筆も滞るから、労働はやはり尊いという事ですな(笑)


 オルクス大迷宮は地下に降りれば降りる程、魔物達は強力になっていく。第六十五階層にいたベヒモスも、かつての最強の冒険者達を返り討ちにしており、それよりも更に下の階層となれば最早人間では太刀打ち出来ないレベルに達していた。ここまで来れるとしたら異世界から来た勇者達くらいだが、今の彼等ではまだレベル不足だ。

 しかし———英霊の力をその身に宿した白野達は、難なく駆け抜けていた。

 

「フッ———!」

 

 セイバーの姿となった白野は大剣でバッファローの様な魔物を斬り裂く。白野と絶命した魔物の横を擦り抜ける様に、二体目のバッファロー型の魔物が後方にいる香織に突進していく。

 

「香織、氷天を!」

「えっと、確か………こう!」

 

 キツネ耳を生やした香織は突進(attack)してきたバッファローに氷天(スキル)を使った。手にした呪符から巨大な氷柱が発射されて、バッファローを氷漬けにして足止めした。

 

「雫ちゃん!」

「八重樫流———(きらめき)(ふたつ)!!」

 

 氷漬けになったバッファローに、雫の陰陽剣改め陰陽刀が奔る。

 八重樫流の基本型である横薙ぎの一閃を二刀流で行い、バッファローは氷漬けのまま横一文字に斬り裂かれた。

 

「ふう………大分、二刀流にも慣れてきたかしら?」

「お疲れ様、雫」

 

 周囲に敵がいなくなった事を確認して、雫が張り詰めていた緊張感を解す様にゆっくりと息を吐いた。

 

「香織もお疲れ様。キャスターの戦い方が、大分身に付いてきたみたいだね」

「うん! それにしても英霊さんって凄いんだね。普段の私なら、ここまで戦えないのに」

 

 香織が目の前で氷漬けになったバッファローを見ながら、興奮した様に話す。

 英霊が憑依して彼等のステータスやスキルが使える様になった白野達は、オルクス大迷宮の下層を難なく進んでいた。立ち往生していたワイバーンの巣も、崖から鹿の様に駆け降りて行って近くの横穴まで移動して、彼等はオルクス大迷宮の通常の階層へと戻れたのだ。

 

「これも白野くんのお陰だよ。白野くんが的確に指示してくれるから、段々この英霊(ひと)の戦い方が分かってきちゃった」

「それは良かった。とはいえ、油断は禁物だ。元となる英霊を知っているから言うけど、まだ100パーセントの力を引き出しているとは言えない。それでも前よりステータスが圧倒的に伸びてはいるけど、身体を動かしているのはあくまでも香織達自身だ。檜山がうっかり発動させたトラップみたいに、一つのミスで致命傷を負う事もあるから注意して進もう」

「う………わ、分かった」

 

 真剣な眼差しを向ける白野に、少しだけ浮かれていた精神を引き締める様に香織は頷いた。月の聖杯戦争の記憶を取り戻した白野は、かつてアリーナ(ダンジョン)で英霊達と駆け抜けた時の記憶も思い出していた。その時の経験が今のハジメの捜索にも活かされており、香織は経験者のアドバイスを素直に聞く新人の様な気持ちで白野の言う事を真剣に聞いていた。

 

「雫、そっちはどう? 疲労とか溜まって………雫?」

 

 白野は声を掛けても返事をしない雫を不審に思って目を向ける。そこには———。

 

「とりあえず、これって牛肉になるのかしら? これがあれば………あとさっき手に入れた歩きキノコを使って、あとは———」

 

 バッファロー達を見ながら、今夜の献立を考える雫。その背中に白野は頼れるおかん(エプロンボーイ)を見た気がした。

 

「わぁ………雫ちゃん、すっかりお母さんが板に付いている」

「だからおかんって呼ばない! とにかく、今後の為にも調理スキルを上げる事は必須でしょう?」

「うん、すごく助かってる。そこには素直にお礼を言うよ。でもさ………何で魔物の調理の仕方にそんなに詳しいんだ?」

「私もよく分からないわよ。意識しなくても手が勝手に動くというか………あと私の中にいる英霊が、アルビオン? とかいう地下ダンジョンにいた時の経験だそうよ?」

「………ねえ、白野くん。雫ちゃんの英霊さんって、伝説のコックさんとかなの?」

「いや、そんなわけ無い………ハズ」

 

 あの赤い弓兵は正義の味方を体現した無銘の英霊だった筈だ。マトリクスで明らかにした情報の筈なのに、白野は少しだけ自信が無くなってきていた。

 

「馬鹿な事を言ってないで、食べれそうな部位を解体しましょう。それと、そろそろ夜七時になるから野営準備に入るわよ」

「え? もうそんな時間? ………ねえ、雫ちゃん。今日はもう少しだけ進まない?」

「駄目よ、香織。これでも結構なハイペースで進んでいるわ。ちゃんと食事と睡眠を取らなければ、いざという時に身が保たなくなるわよ」

「それは……そうだけど………」

 

 香織があまり納得していなそうな声を出す。だが、その目の下には隠し切れない隈の跡があった。恐らくハジメが心配で、休息にあてるべき時間も満足に休めていないのだろう。だからこそ、白野は雫に賛同する様に手元にコードキャストのマップを表示させた。

 

「………まだ地下の階層にある生命反応は途切れてない。香織、いくら英霊の力を手に入れたといっても精神そのものは人間のままなんだ。適度に休息を取らないと、精神の疲労は溜まる一方だよ」

「………うん、そうだよね」

 

 友人二人の説得を受けて、香織はようやく頷いた。ハジメの事は心配だが、せっかくの再会の時に香織の身に何かあったのでは台無しだ。白野と雫は、自分の身を案じているからこそ休息はキチンと取るべきだと言ってる事くらい、香織は理解出来ていた。

 白野はさっそく、コードキャストでこの世界の魔法である“錬成”を再現する。迷宮の壁に人が通れる程度の穴が開き、更に魔力を通して急造で四人用のテントぐらいの広さの部屋を作った。

 そこへ雫がその辺で落ちていた石で竈を作り、料理の準備を始めた。

 

投影開始(トレース・オン)

 

 段々と使い慣れてきた投影魔術で、フライパンや鍋、包丁などを出していく。手に入れた魔物の肉を白野に無毒化して貰い、それらを熟練の包丁捌きで調理する。水魔法で空気中の水分を集めて飲料水を作ると、サバイバル中とは思えない程に立派な食事が出来た。

 

「はい。今日はちょっと奮発してみたから、しっかり食べてちょうだい」

 

 いただきます、と手を合わせて三人は夕食を食べ始めた。

 

「ん、これは………」

 

 一口食べ、白野は味付けに気付いた。一体どうやったのか、食材が違うから完全に同じというわけではないが和風料理に近い味付けだったのだ。

 

「おいしい………あれ? 何でかな………ごめんね、急に、涙が出てきちゃったっ………」

「私も二週間以上は御無沙汰だったもの、無理は無いわ。まだまだ先は長いんだから、たくさん食べて、ゆっくり休んで体力をつけましょう」

「うん……うん……っ」

 

 懐かしい味に郷愁の想いが溢れたのか、香織は泣きながらも残さずに食べた。食べ終わった頃には張り詰めていた精神が緩み、睡魔に抗えずに夢の世界へと旅立っていた。

 

「………ありがとう、雫」

 

 夕食の片付けをしながら、白野は言った。

 

「香織の張り詰めていた心を解す為に、わざわざ和食にしたんだよな」

「この子ってば………一度決めたら、周りどころか自分も顧みないでドンドン突っ走っていくのだもの」

 

 あどけない寝顔を見せる香織を優しく撫でながら、雫は困った顔で微笑む。

 

「香織の事を気にかけてくれたと言うなら白野もよ。香織に南雲君が無事でいる可能性を示す為に、わざわざ“錬成”でキャンプ地を作っているのでしょう?」

「………バレたか」

 

 白野は苦笑しながら頷いた。定期的に確認しているが、マップで示した人間の反応は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 きっとハジメは天職で使える“錬成”で壁に穴を掘り、魔物から隠れているのかもしれない。彼のステータスを考えると、それが一番妥当な方法だろう。そう考えた白野は、それを実践して香織に示したのだ。

 

「香織ってば、睡眠時間も削って英霊の力の使い方に慣れようとしていたみたい。このまま行っていたら、どこかで無茶が祟って倒れていたわ。だから、無理やりでも休息を取らせる必要があったの」

「うん、そうだな」

「………ねえ、白野。一つ、聞いていい?」

 

 雫は自分の膝を抱えながら、ポツリと呟く。

 

「私達さ………帰れるわよね? 皆で地球に、帰れるよね?」

 

 香織の為に作った和風の夕食だったが、作っている内に雫にも郷愁の念が浮かんだのだろう。学園では男勝りで凛とした表情がカッコいいと、女子達からすらも羨望の溜息を吐かれる雫だったが、今の雫は不安に怯える弱々しい少女の表情になっていた。

 

「………大丈夫」

 

 何の保証にもならないと知りながら、白野はあえてその台詞を言って雫の隣りに座った。

 

「大丈夫だ。俺は記憶を取り戻したし、今の雫達には英霊の力が宿った。だから大丈夫」

「本当に? 前より強くなったのは確かだけど、そんな事で本当に大丈夫? 地球にはどうやったら帰れるか、まだ分からないのに?」

「うん、大丈夫。雫には俺や香織がいるし、俺達には雫がいる。今日みたいに雫が香織の危ない所をフォローしてくれた様に、雫の危機には俺が助ける。そうやってお互い助け合えば、きっと大丈夫」

 

 白野は「大丈夫」と繰り返す。不安な雫の心を安心させる様に、何度も繰り返した。

 

「月の聖杯戦争も、俺みたいな凡人でも周りに助けられて何とかなったんだ。だから、雫なら大丈夫。雫に憑依したアーチャーがいるし、香織もいる。俺も微力ながら力を貸すから、きっと大丈夫」

「………うん、そうよね。私にはまだ香織や白野がいるもの。何もかも、無くなったわけじゃないわよね」

 

 雫はほんの少しだけ俯き、ようやく顔を上げた。

 

「ありがとうね、白野。お陰で、少し落ち着いたわ」

「気にしないで。記憶を取り戻しても、雫は俺の家族である事に変わらない。家族なのだから、支え合うのは当然だろう?」

「………うん、そうよね」

「さ、ちょっと早いけどもう寝よう。明日こそは地下89階にいるハジメを迎えに行こう」

「ええ。おやすみ、白野」

 

 片付けが終わり(といっても投影していた食器類を消しただけだが)、焚き火をつけたまま横になる。空気穴は確保している為、寝ている間に酸欠になる心配はない。更に壁の中に作ったキャンプ地なので魔物達も入って来れないので、地面に直接横になるしかないという点以外は割と快適に休む事が出来た。

 

(家族、か………)

 

 白野の寝息が聞こえてくる頃、雫はまだ燃えている焚き火を見ながらぼんやりと考える。

 

(うん、それは間違いなんてない。白野は大切な家族………前世が未来人だろうが、NPCだろうが関係なんてない。私は白野のお姉ちゃんだもの。でも………)

 

 地球では頻繁に頭痛を起こして倒れるから、雫はいつも白野の側にいる様にしていた。何かあっても、姉である自分が白野を守るのだと息巻いて。

 しかし、この世界に来てから白野は格段に変わっていた。病弱だった身体は嘘の様に強くなり、更には戦闘指揮において格別の才能を見せる様になった。

 

(話が分かれば当然よね。白野は前世で英霊達と命懸けの戦いをやってきたのだから。魔法なんてものがある世界だから、白野の中にある魔術回路というやつが刺激されたのかしら?)

 

 そして今、白野は自分の記憶を取り戻した。英霊の力を雫と香織に授ける様な特別な力を見せ、ここまでの戦闘も以前よりも的確な指示を出しながら戦っている。お陰で本来の雫達なら敵わない様な迷宮の魔物達との戦闘も、全く苦にならなかった。

 以前までは守ってあげないといけない、と思っていた弟分(白野)は、今や雫の前に立って先導してくれる力強い存在となっていた。

 

(白野の背中………いつの間に、あんなに大きくなったのかしら? 毎日見ていた筈なのに、ちっとも気付かなかったわ)

 

 そういった姿を見て、雫は自分の中で白野への見方が変化していく事に気付いてしまった。

 白野は自分にとって大切な存在。それは変わらない。

 しかし———それは本当に()()()()()()()()()()()

 ワイバーン達に襲われ、死を覚悟した時。まるでヒロインを救うヒーローの様に助けてくれた白野に感じた胸の高鳴りは———?

 

(って、ないない。どれだけ単純なのよ、私は。そういうのは光輝でもう懲りているってば)

 

 かつては雫も自分を守ってくれる白馬の王子様に憧れていた。それを光輝に見出していた時期もあったが、とある事件でそれは儚い幻想なのだと思い知る羽目になった。あんな思いは二回も繰り返したくはない。

 

(そういえば白野が初めて家に来たのも、あの事件の後だったのよね………もう寝ましょう、明日も早いのだから)

 

 雫はそこで思考を打ち切り、焚き火に背を向けて目を閉じた。

 しかし———白野の事を考えている時だけ、何故か心地良い気分になった。

 

 ***

 

 翌日。一晩ぐっすりと寝て精神的に落ち着いたのか、香織は以前よりも顔色の良くなった顔で白野達にお礼を言った。

 ハジメの為に、そして次は必ず守れる様に、今やれる最善を尽くす。その為にも友人達を心配させる様な無茶はしない。

 熱意と冷静さを併せ持つ様になり、昨晩みたいなちょっとした拍子で崩れ落ちそうな不安定さは見られなくなった。そのお陰で一同は昨日よりも順調に迷宮内を進めていた。そして———。

 

「この階層に………南雲くんがいるの?」

「………ああ、間違いない。生命反応はこの近くだ」

 

 オルクス大迷宮・地下八十九階。

 そこに足を踏み入れ、白野の報告に香織は表情をパァッと明るくさせる。すぐにでも走り出したい様子だったが、以前の様に雫達を心配させない為に必死に気持ちを落ち着けようとしていた。

 

「良かった……南雲くん……!」

 

 マップに示された生命反応は未だに途切れる様子は無い。

 しかし———白野は何故か腑に落ちない顔をしていた。

 

「白野、何か気になる事でもあるの?」

「………あのさ、雫。オルクス大迷宮の過去最高の到達記録は地下65階なんだよな?」

「ええ、メルドさんはそう言っていたけど?」

 

 それがどうかしたの? と聞いてくる雫に、白野は少しだけ考え込む。

 ここに来るまで、白野達は自分達以外の野営の跡を見つけていた。「きっとハジメくんが残していった跡だよ!」と喜ぶ香織を見ていると、期待を裏切る様な事は言えなかった為に敢えて口にしなかったが、ここまで来てしまった以上は黙っているのも難しくなってきた。

 

(あの野営跡は、明らかに一週間以上前———ハジメが落ちるより前だ………でも、一体誰が? こんな奥地まで来れる人間が、この世界にもいたのか?)

 

 果たして、ハジメだと思っていた生命反応の正体は何者なのか? そして、それを香織に正直に伝えるべきなのか?

 白野が内心で迷っている間に、とうとう生命反応が示す場所まで辿り着いてしまった。それは迷宮のとある壁の中を示していた。

 

「南雲くん!」

「待って。俺が開ける………念の為、少し離れていてくれ」

 

 白野が前に出ながら、雫に目配せをした。それだけで雫は何が言いたいかを察した様だ。

 

「………分かったわ。気を付けてね、白野」

「雫ちゃん………?」

 

 二人の神妙な様子に違和感に気付いたのか、香織は興奮が醒めていた。香織を雫が背中に庇う様に後ろに下げたのを見て、白野は“錬成”のコードキャストを使った。

 ガコッと軽い音を立てて、壁の中の空洞が姿を表した。

 

「これは………!?」

 

 白野は驚いた声を上げる。

 空洞の中には一人の人間がいた。ただし、それはハジメではなかった。

 その人間は二十代くらいの女性であり、壁を壊した白野に気付く様子は無く、血の滲んだ包帯を腹に巻き付けて浅い呼吸をしながら目を閉じていた。

 一見すると軍服の様な格好の露出した部分からは褐色の肌が見え、燃える様な赤い髪からは———普通の人間ではあり得ない尖った耳が覗いていた。

 その特徴を持つ人間を———白野はハイリヒ王国の王城での座学で教わっていた。

 

「魔人……族………?」




>現在の雫達

 まだ100%の力は引き出せていません。サーヴァントで例えるとステータスオールE状態。戦い方を熟知している白野というブレインがいるからこそ、ここまで無双できるという感じです。

>不安な雫を慰める白野

 メッチャ書くのに苦労しました。無責任に大丈夫と言うだけなら、光輝と変わらないので。でもここで正直に「帰れるかどうか私にも分かりません」なんて言うのもどうよ? と思って、こんな形に。まあ、雫の心に寄り添っただけマシだという事で。

>雫の心の変化

 まあ、光輝という見た目「だけ」は理想の男の子に惚れていた経験があるから、単純な助けポは吊橋効果と断じそうな気はするんですよね……とりあえず彼女は白野を「家族として守るべき弟分」から、「いつの間にか頼れる相手になった」という変化が出来ました。

>地下八十九階の魔人族

 や〜っと書けたよ。そしてもうじき、割烹であらすじを書いていた分のストックが尽きるなあ。またプロットを書かないと。


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第十三話「魔人族の内情」

 今回はちょっと難産だったなあ。ともあれ、どうにか書き上がりました。


 白野達は壁の中の空洞にいた人間———魔人族の女性を前にして驚愕していた。

 

「魔人族って………本物なのかしら?」

「少なくとも教会の人間が教えてくれた特徴と一致はするね」

「南雲くんじゃ………ない?」

 

 雫が訝しむ横で呆然とした声を上げる香織に、白野はすまない気持ちになる。ここまで地下八十九階にいる生命反応がハジメだと信じていただけに、落胆は激しいのだろう。こんな事ならば、野営跡に感じていた違和感を正直に話すべきだったと思ったが、もはや後の祭りだ。

 

「この人………怪我をしているわね」

 

 雰囲気を変える為に雫が目の前の女性を観察しだした。

 魔人族の女性は、中世ヨーロッパ程度の文明に見えるトータスには似つかわしくない近代的な———むしろ地球にある様な———軍服を着ており、腹には服の上から乱暴に包帯が巻かれていた。その包帯も血が滲んでおり、褐色の肌でありながらはっきりと分かるくらい顔色が悪かった。目を閉じて苦しそうに呼吸を繰り返す様は、放って置けば命は長くないと思わせるには十分だった。

 

「………どうする?」

「どうすると言われても………」

 

 白野と雫は困惑した表情で顔を見合わせた。人道的精神を優先させるなら、ここで助けるべきだろう。しかし、相手は魔人族。さすがに聖教教会の神官達がしきりに言っていた様な『人肉を好んで食べ、暴力を何よりも愛する野蛮な種族』とは見えないものの、一応はハイリヒ王国に属する白野達にとっては敵国の人間となる。治療して目が覚めたら、逆に襲ってくる可能性もある以上は迂闊に動く事は出来なかった。

 

「………助けてあげよう」

 

 白野達が振り向く。そこには先程までハジメがいなかった事にショックを受けていた香織が、今は決意した様な力強い目線で立っていた。

 

「香織………でも、この人は………」

「分かっているよ、雫ちゃん。治した途端、私達の敵になるかもしれないんだよね? でも………それでも助けてあげたいの」

 

 迷いながらも窘めようとする雫に対して、香織は一歩も引く気も無い様だった。

 

「白野くん。今までの生命反応がこの人の物なら、この人は何日もずっとこの場から動いていなかったんだよね?」

「………ああ、そうなるな」

「きっと、この人も助けを求めていたと思うの。暗い迷宮の中で、何日も。助けが来るかどうか全く分からないけど、生きたいという一心で」

 

 それは、白野が目覚める前にワイバーンの巣穴で立ち往生していた香織が抱いていた想いであり———きっと、彼女の想い人も抱いている想いだ。それ故に香織は会った事もない相手でありながら、魔人族の女性も壮絶な思いをして今まで隠れていたのだと想像できてしまった。

 だからこそ———助けたい、と本能的に思ったのだ。

 

「甘い事を言っているのは理解してる。でも………相手が敵だから、という理由で生きるのに必死な人を見殺しにするなんて真似は、私はしたくない。私は………“治癒師”として、死ぬ人は一人でも減らしたいの!」

 

 それは、トータスに来て“治癒師”という天職に目覚めた香織の矜持であり、彼女の魂の根源から来る思いなのだろう。今も王国にいたら、万人を癒す聖女などと呼ばれる様になったかもしれない。

 

「………はぁ。言っても聞かないわよね、香織は」

 

 しばらくして、雫が観念した様に首を振った。

 

「まあまあ。確かに不安はあるけど、香織の提案は悪いものじゃないよ」

「白野くん………」

「もしかしたら、この人が南雲を見かけた可能性だってゼロじゃないからね」

「あ………そう、そうだよ! きっと南雲くんの居場所を知っているかも!」

「いま思い付きました、という顔をしないの。別に私は反対しないから」

 

 少しだけ呆れ顔になった雫は、意識を失ったままの魔人族の女性に近寄った。

 

「とりあえず、口が利ける程度に回復させましょう。その上で、こちらに敵対する意思があるなら———残念だけど容赦は出来ないわ」

 

 手の中に陰陽刀を投影しながら、雫は香織に向かってはっきりと宣言した。雫とて平和な日本で生まれ育った女子だ。人殺しなど出来るなら経験したいとは思わない。しかし、この異世界ではそうは言ってもいられない。教会は口八丁で誤魔化しているが、召喚されたクラスメイト達を魔人族との戦争で役立つ駒にしたいという思惑に気付いていた雫は、武道に生きる者の心構えとして常在戦場の覚悟をしていた。

 

「………分かった」

 

 香織もまた、そんな悲壮なまでの覚悟をした雫の心意気を悟る。白野もまた、月の聖杯戦争を生き抜いたマスターとして何も言わなかった。

 

「………香織が良ければ、俺が治そうか?」

「ううん、ちょっと試したい事があるから私がやるよ」

 

 白野がコードキャストを使おうとするのを香織は丁重に断る。

 魔人族の女性の横にペタンと座った。

 

(白野くんから聞いた話だと………私に力を貸してくれる英霊さんは、玉藻の前さん。天照大御神の分身みたいなもの、と言ってたよね)

 

 日本三大妖怪の一体であり、そして日本人ならその名を知らぬ者はいない程の神様の分身体と聞き、香織も最初は度肝を抜かれていた。しかし、白野からキャスター(玉藻の前)としての戦い方などを聞き出し、ハジメを探し出す為に寝る間も惜しんで鍛練を続けた結果、香織は自身の中にいる英霊と少しずつ慣れ親しんでいく様な気がしていた。

 

(玉藻の前さん………貴女の力、使わせて貰います!)

 

 手元に今の香織の武器であり、玉藻の前の宝具———八咫鏡が現れる。香織が意識を集中させると、八咫鏡はクルクルと回りながら魔人族の女性の上に浮かんだ。

 

「出雲の神よ、かの者に今一度力を———」

 

 唱えるのは天職である“治癒師”の呪文。しかし、玉藻の前と融合した香織は詠唱をアレンジして英霊としての能力も引き出しやすい様にしていた。狐の耳と尻尾を生やした今の香織が呪文を唱える姿は、まるで稲荷神に仕える巫女の様であった。

 

「“焦天・水天日光”!」

 

 八咫鏡から光が出る。穏やかな陽光の様に暖かい光が魔人族の女性に降り注ぎ、普通の回復魔法では治癒しきれない傷がみるみると塞がっていく。

 

「これは………そうか、玉藻の前の宝具は魂と生命力を活性化させるものだったな」

 

 元の宝具からすれば、本来性能の極一部しか発揮出来ていないだろう。しかし、香織なりに英霊の力を使い熟す為に“天職”と組み合わせた姿を見て、白野は無茶を重ね気味だった彼女の努力は決して無駄ではなかった事を知った。

 

「う、うう………」

 

 香織の“焦天・水天日光”を受けて、傷が癒えて顔色も良くなってきた魔人族の女性は呻き声を上げた。苦しそうに閉じられた目がボンヤリと開いていく。

 

「アタシは……確か魔物に襲われて、ここに逃げて………?」

 

 直前の記憶を辿る様にうわ言を呟いていた魔人族の女性だが、自分のすぐ側にいる白野達を見て、目を見開いた。

 

「人間………! それに亜人族まで………っ」

「え? あの、私は亜人族というわけじゃなくて、この耳は英霊さんが憑いているからで———!」

「動かないで!」

 

 頭の狐耳を見て勘違いしたらしい魔人族の女性に香織が慌てて弁明しようとするが、雫は陰陽刀を構えながら鋭い声を出した。魔人族の女性が動くより先に、攻撃に移れる様に構えている雫と白野を見て———魔人族の女性は自嘲した笑みを浮かべた。

 

「………ああ、そうかい。アタシもとうとう年貢の納め時というわけか」

「変な真似はしない事ね。もしも香織に危害を加えたら、」

「いいよ………殺しなよ。もう、アタシも疲れちまったんだ。ここで飢え死にを待つくらいなら、いっそ一思いに()っておくれよ」

「…………え?」

 

 雫が困惑した声を上げる。何かしら敵意を向けてくると予想していた魔人族の女性は、まるで全てを諦め切った様な光の無い目で白野達を見つめていた。

 

「え、ええと………?」

「それにしてもアタシも運が無いね………いや、この大迷宮に行く様に命令を受けた時点で死んだも同然だったけど。それでも故郷の為と思って頑張ってきたけどさ………最初から、こんなの無理だったんだよ………っ」

「ちょっ、ちょっと待って。お願い、本当に待って」

 

 魔人族の女性は手足を力無く投げ出し、とうとう涙を流し始めた。これには予想外過ぎて、雫は構えていた陰陽刀をどうするべきか切先を迷わせた。香織もオロオロとしてしまう中、白野は静かに声を掛けた。

 

「その………少し話を聞かせてくれないか?」

 

 ***

 

「アタシは、ここには軍の命令で来たんだ………」

 

 魔人族の女性———カトレアはポツポツと語り始めた。香織によって最低限の傷は治癒されたが、それでも膝を抱えたまま小さく蹲っていた。

 

「オルクス大迷宮には神代魔法が眠っている可能性がある。それを調査しろ、って………」

「神代魔法………?」

 

 聞き慣れない単語に香織が首を傾げたが、聞き返すより先にカトレアが再び語り始めていた。

 

「でも………出来るわけなんて無かった。人員はアタシ一人だけ、ロクな装備も渡されず、敵国での潜入活動だというのに本国からの支援は無し。こんなのでどうしろというのさ」

「そんな………どうしてそんな事に? 貴女達の仲間は、貴女が失敗しても良いと思っているの?」

 

 想像以上に劣悪な環境に雫も驚きの声を上げていた。軍事に関して素人である雫にも、カトレアが置かれた環境が異常だと気付けていた。それを見て、白野は答えを推理した。

 

「失敗しても良い………むしろ、失敗して生きて帰らない事を望まれたんじゃないか?」

「鋭いね………そこの坊やの言う通りだよ。私は………半ば死にに行け、と命令されたのさ」

 

 雫と香織が絶句する中、カトレアはポツポツと語り始めた。

 

「あんた達も知ってるだろうけど………アタシの国、魔人国ガーランドは最近は戦争で次々と人間族の国や都市を滅ぼしているけどね。でも、アタシから言わせれば、あんなのはただの虐殺だ。戦えない女子供はおろか、妊婦の胎まで割いて中の赤ん坊まで殺せなんて………魔物だってもっとマシな殺し方するよ。そんな事を強要されて、頭がおかしくなっちまう奴も後を絶たないんだ………」

「な、何それ………どうして、そんな残酷な事を?」

「フリード様だよ………アタシ達の魔人族の英雄で、軍の最高司令官であるフリード・バクアー。あの方について行けば間違いない。一時期は本気でそう思えた………けれど、あの方はある日から変わっちまった。人間族は邪悪な猿だ、奴等を絶滅させてこそ魔人族は永遠の繁栄を約束される、我が国を救う為には人間族を絶滅させるしかない………そんな事を頻りに主張する様になって、軍全体に人間族は降伏しようが皆殺しにしろと命令しているんだ。正直、ついていけないよ………」

「………魔人族達は、そんな司令官に反抗しないのか?」

 

 白野が聞くと、カトレアは諦観した様に力無く笑った。

 

「そりゃあね………最初はいくらなんでもそこまでは、と意見した奴もいたさ。でも、フリード様はそんな風に意見した奴等を皆逮捕したのさ。形だけの軍事裁判が行われて、あとは処刑台へご案内ってね。中には自分の軍を率いてフリード様に反旗を翻した将軍もいたけど、最近になって見かける様になった“異界の使徒”とかいう奴等とフリード様が一緒になってそいつを粛正して、今じゃ誰も意見を言おうとする奴なんていないよ」

「“異界の使徒”………」

 

 白野はイシュタルの話を思い出した。魔人族に力を貸している人間達がいると聞いたが、それが“異界の使徒”なのだろうか?

 

「今じゃフリード様に賛同した奴くらいしか軍には残ってないよ………フリード様が頻りに人間族に撲滅を演説するから、最近はその思想に染まる奴も増えて、同じ温度で人間族を憎めない奴は「魔人族の恥だ!」なんて風潮も出来ちまったしね………」

「………貴女は? 魔人族は人間族とは敵対していると聞いたけど、貴女は人間族が憎くないの?」

 

 尋問というより、純粋な好奇心から雫は聞いた。もはや雫の中ではカトレアに対する警戒心は薄れていた。

 

「………アタシはさ、人間族とのハーフなんだ」

 

 突然の爆弾発言に白野達は驚いた。しかし、カトレアの独白は続く。

 

「アタシの故郷は人間族との国境の近くにあった村なんだ………死んじまった親父は、聖教教会に寄付金を納めなかっただとかで人間族の国を追われて、ウチの村の近くで行き倒れていたらしいんだ。村の人間はそんな親父に同情して、村に住まわせていたくらいだからさ………別にそこまで人間族の事が憎いとか、そんな事は思ってないよ」

「そう、だったのか………」

 

 トータスの人間族と魔人族は、お互いに神敵として憎しみ合う種族だと思っていたが、そう単純な話では無いらしい。ある程度は予想はしていたが、やはり聖教教会の言っていた事は大半は嘘なんじゃないか? と白野達は思い始めていた。

 

「でも………それが原因で、アタシの故郷は人間族と内通しているなんて容疑をかけられたんだ………!」

 

 ギリッと歯を食い縛りながら、カトレアは身体を小さく震わせた。

 

「私の恋人だった奴が………いつの間にかフリード様の思想に染まってて、私の事を密告して………! 故郷の村の連中は全員どこだか分からない強制収容所行き! 私も家族や村の連中の命が惜しかったら、忠誠を見せろと言われて、それで………!」

 

 涙すら滲ませ、カトレアは震える声で言った。

 話を聞く限り、今の魔人族達は過剰な民族主義に凝り固まった状態なのだろう。その為に純粋な魔人族ではないカトレアは差別され、とうとうこのオルクス大迷宮へ一人だけで探索しろという命令を下されたのだ。十中八九———帰って来れない事を望まれて。

 

「でも………もう疲れたよ」

 

 大きくため息を吐きながら、カトレアは力無く項垂れた。

 

「………強制収容所にいた母親が亡くなった、って昔の知り合いが報せてくれたんだ。もう何の為にこんな辛い事に耐えていたのか、それすらも分からなくなっちまった………」

 

 光の無くなった目で、カトレアは陰陽刀を持つ雫を見た。

 

「頼むよ………それで一思いに殺っておくれよ。そうすれば、もう苦しまなくて済むから………」

「そんな……でも………」

 

 雫の陰陽刀を持つ手が細かく震えた。いくら殺す覚悟をしていたとはいえ、こんな展開になるとは予想だにしていなかった。香織もまた、どう声を掛けるべきか分からず、雫とカトレアに目線を行ったり来たりさせていた。

 

「———お断りします」

 

 そんな中、白野の声が静かに響いた。

 

「あなたが今まで苦しんでいたのは分かった。でも———だからといって、自殺の手伝いは出来ない」

「あんた………アタシの事なんてどうでもいいだろ? あんた達にとっちゃ、長年に渡って憎んでいた魔人族なんだしさ」

「生憎と俺達は地球———トータスじゃない異世界から来た人間なので。郷に入りては郷に従えというけど、民族の対立にまで従う気は無いと思っているよ」

「異世界? そうか………人間族が勇者を召喚したとか小耳に挟んだけど、あんた達が………」

「それ以前に———あなたは本当は死にたくないんじゃないのか?」

 

 白野の一言に、カトレアは虚をつかれた様に言葉を詰まらせた。

 

「馬鹿な………何を根拠に」

「実のところ、ここ数日はあなたの生命反応をずっと確認していたんだ。ここに立て籠っていた、あなたの反応をね」

 

 言葉の意味が分からず、不思議そうな顔をするカトレアに白野は話を続ける。

 

「確認してから数日………こちらも時間をかけてしまったと思ったけど、あなたの生命反応は途切れる事は無かった。あなたは魔物に囲まれて、逃げ場の無い場所に立て籠っても生きたいと思ったからじゃないか?」

「それは………ただ単に、魔物に喰われて死ぬのだけは御免だと思って………」

「———だとしても。自殺するだけなら、もっと簡単な方法はあった」

 

 白野は無言でカトレアの腰に挿してある短剣を指差す。

 

「あなたは死にたくなかったし、俺はあなたを殺したいとは思わない。せっかくの命だから、ここで捨てるには勿体なくないか?」

「そうだよ! ここで死ぬなんて、駄目だよ!」

 

 香織もまた、白野に同調する様に声を上げた。

 

「私達は望んでいた相手じゃないかもしれないけど………せっかく助けが来たのに、簡単に死ぬなんて言わないで! 貴女に死んで欲しいなんて、私は望んでいない!」

「………まあ、私だって望んで人斬りになりたいとは思わないわよ」

 

 陰陽刀の切先を下げながら、雫も溜息を吐いた。

 

「八重樫の剣は人を活かす剣………絶望している人の介錯に使うものじゃない。貴女を斬ったら、お祖父様に顔向け出来なくなりそうだから止めとくわ」

「あんた達………じゃあ、どうしろというんだい? 恋人に裏切られて、家族も居なくなって、国には居場所もない私はどうしたら………」

「………俺達を手伝ってくれないか?」

 

 え? とカトレアだけでなく、雫と香織も声を上げた。

 白野はカトレアに真剣な眼差しを向ける。

 

「俺達の友達が、この迷宮の何処かにいる筈なんだ。それを探す手伝いをして欲しいんだ」

「あ………そうだ、カトレアさん! 南雲くん………人間族の男の子を見ませんでしたか!? 黒い髪で、背はこのくらいで———」

「ちょっ、ちょっと待っておくれよ………あんた達、私を連れて行こうと言うのかい? 魔人族である、私を?」

 

 カトレアはまるで珍奇な生物を見る様な目で、白野を見た。トータスの常識からすれば、魔人族に情けをかけようとする人間族など有り得ないと思ったのだろう。しかし、白野は迷う様子も無く首を縦に振った。

 

「こうして出会ったのも何かの縁だと思う。あなたは本当は死にたくないし、俺達は殺したいと思わない。そしてここで見捨てたら、あなたは餓死する事になるから、やっぱり寝覚めが悪くなる。そうなると、一緒に来て貰うしか無いよな?」

「いや……でも………」

「それに俺達はこれから出口には向かわないで、さらに迷宮の奥へと行く事になるから、強力な魔物がウヨウヨといる場所に行く事になる。本当にどうしても死にたいというなら、俺達について行った方が死ぬ確率は高くなるかもしれないぞ?」

「ちょっと、縁起でも無い事を言わないでよ。私達が自殺志願者みたいに聞こえるじゃない」

 

 雫がジト目で白野を睨むのを見ながら、カトレアは黙ってしまった。

 改めてカトレアは周りにいる人間達を見る。

 香織は初対面である筈なのに、真剣に自分の身を案じている事が分かった。今もついて来て欲しい、と目で訴えてくる。

 雫は警戒しながらも、彼等に反対する様子は無かった。今も剣を持ったままだが、カトレアに斬り掛かる様な素振りは全く見えない。

 白野は———この中で、カトレアは一番分からなかった。側から見ればお人好しな少年の筈なのに、この中では一番冷静にカトレアを観察している様な気がしていた。餌をチラつかせて交渉に持ち込んでいる様に思えたが、どう考えても彼に自分を助けるメリットがある様には思えなかった。

 

(一体、何なのさ。こいつは………? もしかして、こいつが人間族の勇者だったりするのかい?)

 

 魔人族の軍人として色々な人間を見てきたが、白野はその中のどれにも当て嵌まらない気がしていた。

 

「それで………どうする?」

「………ああ、もう。分かったよ、どうせあたしには帰る場所なんて無いんだしさ」

 

 気付いたらカトレアは頷いていた。自棄っぱちの様にブツクサ言いながら、差し出された手を取った。

 

「あんた達に協力するよ。その南雲とかいう人間を探すのを手伝ってやろうじゃないか」

「うん、ありがとう」

 

 あっさりと頷いて握手する白野を見て、カトレアはますます変な人間だ、と思っていた。

 

「じゃあ、その………カトレアさん、でいいのよね? 私達が来る前に、同じ歳くらいの人間の男の子を見ませんでしたか?」

「いや………浅い層はともかく、ここ一週間くらいはこの階層で寝泊まりしていたけど、あんた達以外に人間に会った覚えは無いよ」

 

 カトレアの返答に香織の表情が暗くなっていく。これでハジメ探索は振り出しに戻ってしまったのだから、当然といえば当然だ。

 

「香織、まだ諦めるのは早い」

「白野くん……でも………」

「ここに来るまでの間、それまでの階層もかなり細かく調べたけど、遺留品の一つも見つからなかったんだ。さすがに魔物だって、服や装備品まで食べるほど悪食では無い筈だ。むしろここまで見つからないなら、南雲はまだ奥にいる可能性の方が高い」

「………うん、そうだね」

 

 決して諦めようとしない白野を見て、香織は少しだけ元気になった様だ。それを見ながら、白野はコードキャストを起動させる。

 

(第八九階層の生命反応が南雲だと思っていたから、それより下の階層のマップは作っていなかった。前よりも下へと移動したから、今なら更に下層のマップも表示される筈………)

 

 もしも、これで人間の生命反応を拾えなかったら………そんな不安を押し殺し、白野は再び“code:view_map”を使う。初めて見るコードキャストにカトレアが驚く声が聞こえたが、白野は気に留めずに意識を集中させた。

 

(頼む……南雲………!)

 

 そして———祈りが通じた様に、白野のマップに新たな生命反応が現れた。

 

「———! 生命反応あり! ここより更に下の階層だ!」

「本当!? 今度こそ、南雲くんだよね!?」

「ああ、きっとな。でも———」

 

 新たな希望に光を見出した香織に対して、白野はマップを見ながら首を傾げた。それを見て雫は懸念する様な顔になる。

 

「白野? 何か………問題でもあったの?」

「なあ、雫。オルクス大迷宮は………全部で百層という話だったよな?」

「え? 確かメルドさんは、そう言っていたけど………」

 

「それなのに———百層目より下に、更に階層があるんだ。そこに生命反応がある」

 




>香織

 無理をして修行した分、英霊の力を雫より上手く使いこなしていました。

>カトレア

 予想していた人もいたけど、魔人族の正体は彼女でした。魔人族は原作でも扱いが不憫だったので、この小説ではその辺りを変える為に主人公側に魔人族のキャラを追加しました。


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幕間「フリードの演説」

 この話には過激的な表現や人種差別的な表現が含まれていますが、作者はそういった思想を助長させる様な意図はございません。
 これはあくまでもフィクションであるという事を了承できる方だけ、先をお読み下さい。


 魔人族の国・ガーランド。

 

 大陸の南に位置するその国は、一年の大半が雪に覆われた国だった。国土のほとんどが凍土であり、普通の作物が育ちにくい厳しい土地柄だからだろうか。魔人族達は厳格な縦社会を作り上げ、戦士が尊ばれる軍人国家を築いていた。そんな国で鍛え上げられてきた軍人達の質は高く、人間族より総数が少ないながらも長年渡り合ってきたのは個々が身体能力と魔力に秀でた優れた戦士であったからだった。

 自分達の宗教———アルヴ教を邪教と嫌悪する人間族とは相容れず、それ故に血族主義的な考え方が魔人族達に蔓延していたのは無理からぬ事であった。

 だからこそ———彼等の中で結束主義(ファシズム)はすんなりと受け入れられてしまった。

 

 ***

 

 ガーランド・首都。

 夕方の時刻、集会場には多くの魔人族達が集まっていた。彼等は皆、最近になって流行し出した紋章(マーク)の付いた腕章を身につけて、壇上を今か今かと心待ちにする様に見つめていた。やがて、彼等の待ち望んでいた人物が壇上に上がってくる。

 

「おお、来たぞ! バクアー将軍だ!」

「フリード様! 我らの英雄フリード様!」

 

 壇上に上がった男へ万雷の拍手が巻き起こる。夕陽を背にして立つ魔人族の男———フリード・バクアーの姿は、聴衆達から見たらまるでスポットライトを浴びているかの様にはっきりと目に映った。

 聴衆達は魔人族の英雄へ惜しみない拍手を送る。だが、フリードはニコリともせず、拍手に応える事もしなかった。壇上に上がったまま何もせずに立っているフリードに、聴衆達は戸惑いの表情を浮かべ始めた。拍手が鳴り止んでいき、やがて全員がそうする様に強要された様にフリードを固唾を飲んで見始めた。

 

「………私はガーランドの英雄であり、民衆から選ばれた英雄である」

 

 初めはゆっくりと、そして丁寧に。決して大きな声量では無い筈なのに、沈黙した聴衆達の耳にははっきりと聞こえてきた。

 

「しかして、私は民衆に望まれるままに振る舞う。ガーランドに、同胞たる魔人族達が平和な日常を送れる様に戦う。私は苦しい日々を過ごす人々の最後の希望であり………救済となる者である!」

 

 徐々にフリードの演説は熱を帯びていく。今や聴衆達はフリードの一挙手一投足に注目していた。フリードは舞台役者の様に大仰な身振りや手振りを交えながら、更に演説を続けていく。

 

「この十年でガーランドの人口は以前の倍になった! だが、ガーランドの民はより貧しくなっていく! 何故か? それはガーランドには新たに生まれた子供達を食わせるだけの耕地面積がないからだ! だからこそ、我々は新たな耕地を求めなくてはならない! 愛しき我が子達を飢え死にさせない為に!」

 

 「そうだ!」、「その通りだ!」と聴衆達は声を上げる。それは確かに魔人族達が頭を悩ませていた事だった。ここ十年、大きな戦争も無かったので平和な時代が続いていた。しかし、その為に人口は増え続け、国土の大半が凍土である為に新たな耕地を作る事も簡単ではなかった。結果として、魔人族達は国全体で食糧不足という深刻な問題に直面しつつあった。

 

「私は皆が疲弊していく時代に抗う為に戦う………これはガーランド国民の新たな意志である! 私は勝利を得るだろう。それは民衆が勝利を欲するからだ! 我らガーランドは、これによって千年の繁栄を約束されるのである!!」

 

 ウオオオオォォォォオオオオッ!!

 嵐の様な拍手がフリードに降り注ぐ。聴衆達は皆、()()()()()()()となるフリードを称えていた。

 “彼ならば、我々の苦しい生活を良くしてくれる”。

 それを心から信じて、聴衆達に熱狂の渦が広まっていた。

 その様はまるで———舞台上のスターへ声援を送る観客に似ていた。

 

「故に我らは北へ………人間族の国を目指さなくてさならない! 奴等は肥沃な土地を恣にして、贅沢を貪る害虫である! 我らの神アルヴを邪神と嘲笑い、自らこそが神に選ばれた民であると自惚れる鼻持ちのならないペテン師達である!」

 

 『そうだ! そうだ!』と聴衆達は怒声を響かせる。その中で一部———ほんの一握り程度の人数だが———フリードの言っている事に戸惑っている魔人族もいたが、周りの熱狂に押され、口を閉ざしていた。

 

「無論———諸君達の中にも、人間族と話し合うべきだという意見を持つ者もいるだろう」

 

 ドキッ、と一部の魔人族達は心臓を跳ね上がらせた。そんな一部の魔人族達は知ってか知らずか、フリードは先程の熱気に溢れた様子から一転、冷静な様子で静かに話し出す。

 

「彼等は我らと同じく知性のあるヒトなのだ、と。話し合えば、双方が歩み寄ってより良い未来が生まれるかもしれない、と………」

 

 まさに舞台で言うならば「静」の場面。聴衆達の注目がフリードに集まり———舞台は再び「動」の場面となった。

 

「だが………我々は忘れてはならない! かつて人間族の王、アレイストは我ら魔人族を卑劣な罠にかけた! 種族を越えて和平を結ぼう、などと甘言を用いて、我ら魔人族のみならず、亜人族達すらも船上パーティの場で、騙し討ちで惨殺するという極悪非道な行いをしたのだ! 民衆達に問う! この様な真似をする人間族を信じられるだろうか? 彼等は我々と同じ理性あるヒトなのだ、と胸を張って言えるだろうか!」

 

「信じられない!!」「奴等は悪魔だ! ヒトの皮を被った獣共だ!!」

 

 聴衆達は怒りのままに人間族を罵倒した。もはや人間に対してそこまで悪感情を持っていない魔人族達も、周りに対して()()()()()()()()()()フリをしていた。

 

「そんな卑劣で下等な人間など、この世から絶やさなくてはならない! 鼠は鼠と、ガチョウはガチョウと、虎は虎と交尾して種の純血を保っている! 決して鼠を愛する猫など野生に存在しない! 我々も自然に生きる動物として、同じ義務を持っている! 最も優れた人類———すなわち魔人族として、血と純血は守らなくてはならないのだ!! 我々は猿と人間の奇形児など望んではならないッ!! 劣等種………すなわち人間族の血が魔人族に混ざる事は、自然への冒涜なのだッ!!」

 

 ウオオオッ!! と再び聴衆達は歓声を上げる。もはやこれは、一種の宗教と呼ぶべきだろう。フリード(教主)の言っている事に民衆(信者)達は疑問すら抱かず、疑問を抱いた数少ない者も周りを伺って口を閉じるしかない。もしも教主を疑っている事がバレたならば———待っているのは凄惨な魔女裁判(リンチ)だからだ。

 

「人間族を滅ぼす事は神の、そして自然からの啓示であるッ!! 人間族を滅ぼす事こそが、我らの輝かしい未来を約束する唯一の方法なのだッ!!」

 

『ワアアアアァァァァァァアアッ!!』

 聴衆達は狂った様に拍手した。彼等はフリードへ———自分達の希望を讃える為、右手を大きく掲げた。

 

 それは———()()()()()()()()英霊のカリスマによるものだろうか。

 聴衆達は、フリードに———そして、彼がいつからか使い出した逆鉤十字(ハーケンクロイツ)紋章(マーク)に向かって、自分達が知らない筈の異国の言葉と敬礼で讃え出した。

 

万歳(heil)万歳(heil)!! ハイル・バクアー!!』




>ガーランド

 原作ではどんな国土なのかははっきりと書かれていないと思ったので、この小説ではツンドラに覆われた極寒の地をイメージしました。魔人族達からすれば、暖かな土地を手に入れる為に人間族に戦争を仕掛けなくてはならない感じです。

>アレイスト王

 ありふれに詳しい方はピンと来たと思いますが、メルジーネ大迷宮の幻覚に出てきた人です。事情を知らなかったら、式典の場でいきなり皆殺しを始めたわけだから種族レベルで信じられなくなるよね……。そんなわけで魔人族からすれば人間族なんて信じられるか! 状態です。

>フリードに憑いた英霊

 今は明言はしません。ただ、調べるにあたって演説の映像などを見ましたが、演説においては天才的だったと思います。やった事にはまるで賛同できませんが、少なくとも当時の国民に選ばれて首相になったという事実を忘れてはいけないなと思いました。

 とりあえず、フリードが「おっ●い、ぷるんぷる〜ん!!」とか言い出さない事を祈って上げて下さい。


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幕間「樹海の義賊」

 もう少ししたら長めの休みに入るし、オバロクロスの方で余りにも救いのない展開を書いたので頭を冷やす為に久々に書きました。いや、やると決めたのは自分自身だけども。

 本来ならオルクス迷宮編が終わった時に書こうと思った展開だけど、別にいま書いても問題無いなと判断しました。


 大陸の南北を遮る様に広がるハルツィナ樹海———そこにフェアベルゲンという亜人族の国がある。亜人族はトータスにおいて生まれながらにして魔力を持たない為に、『神の奇跡である魔法を使えない劣等種』として人間族や魔人族から差別されていた。彼等が両種族から逃れる様に霧深い樹海の中で隠れ潜む様に暮らす様になったのも、無理からぬ事であった。

 

 だが、そこで全ての亜人族達が虐げられている者同士で協力しながら生きているかというと———残念ながら否であった。フェアベルゲンが閉鎖的な環境である為か、亜人族達は各々の一族ごとに纏まり、自分達より弱い部族に対しては威丈高に出るなど亜人族達の中でも上下関係が生まれていたのだ。

 その中でもハウリア族と呼ばれる兎人族達は、亜人族達の中で最下位に位置していた。熊人族や虎人族の様に力強い筋力は無く、一族の気質として争い事を好まない臆病な者が多い事もあり、他の亜人族達から見下されていたのだ。それでもフェアベルゲンの中で生きていけるだけマシではあっただろう。しかし———つい最近、ハウリア族はフェアベルゲンから追放されてしまった。

 

 切っ掛けはハウリア族の中で亜人族でありながら『魔力操作』の技能を持った少女が生まれた事だ。亜人族の中で魔力を持って生まれた赤子は“忌み子”として速やかに間引くのが掟だった。魔力を持たない亜人族の中で魔法を使える者が部族に出れば、その一族が力に溺れて暴走した時に他の亜人族達には止められないからとされている———実際は権力に固執した長老会の一部が作った建前なわけだが。

 

 ところが、赤子を殺す事が偲びなかったハウリア族はその赤子を他の部族達から隠して育てていたのだ。十数年間に渡って赤子———シア・ハウリアはハウリア族の皆から家族同然に育てられ、とうとうシアの存在がフェアベルゲンの長老会に露見してしまった時も、家族が処断されるくらいならとハウリア族達は皆でフェアベルゲンから出て行く事を決意したのだ。

 これに対してフェアベルゲンの長老会は掟を破ったハウリア族に怒りを抱いたものの、特に追っ手を差し向けたりはしなかった。

 ハウリア族など亜人族の中で最弱の部族。フェアベルゲンから出て行ったなら、魔物や奴隷狩りをしている人間達によってすぐに死ぬだろう。よって、自分達が手を下すまでもないというのが長老会全体の見解だった。

 

 そして———その見解は大きく裏切られた。

 

 ***

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 樹海の中を一人の人間族の男が走る。その男は庶民では相当な無理をしないと購入できないであろう立派な鎧を身に纏っていた。それもその筈、彼が着ている鎧に刻まれている紋章はヘルシャー帝国の正規軍を示す物———彼は“元”・ヘルシャー帝国の騎士だった。

 

「ハァ……ハァ、ぐっ……!」

 

 ほんの先週、ヘルシャー帝国の首都は魔人族達によって殲滅された。男が率いる隊は偶然首都から離れて任務を行っていた為に災厄から免れていたのだが、首都が皇帝もろとも滅んでしまった事実は変わらない。まだ無事な街や村はあるものの、事実上で帝国は滅亡したのだ。しかも運が悪い事に彼の実家は首都にあり、もはや帰る場所すら無くした彼は亡国の騎士となっていた。

 実家の家族が魔人族によって滅ぼされた事に怒りなどない。元々、皇帝直属の近衛騎士となった兄ばかりを褒め称えて自分を冷遇した両親達など、むしろ消えてせいせいしたと思っているくらいだ。

 だが、国もろとも自分の家や仕事が無くなってしまった事は問題だった。そうして彼は食い扶持を稼ぐ為に、部下達と共に奴隷狩りをする事にしたのだ。元々、ヘルシャー帝国は樹海からたまに出て来る亜人族を捕まえて奴隷として売り飛ばす事を頻繁にやっており、亜人族の奴隷は貴族や金持ちの好事家に高く売れるのだ。噂ではハイリヒ王国でも亜人族を闇オークションにかけている場所があると聞く。

 

 そして亜人族を探して樹海の中をウロウロしていた彼等だったが———とうとう兎人族の少女を見つけたのだ。兎人族は愛玩奴隷として帝国では人気が高く、ましてその少女は亜人族では珍しい水色がかった銀髪だった。

 あれは高く売れる。そう確信した男は、部下達と共に銀髪の兎人族を追った。兎人族の少女が走る度に露出の多い服で纏った豊かな胸は遠目でも分かるくらい揺れる。

 

 あれ程の身体ならば必ずや通常の倍、いや三倍の値段で売れる。なんならあれをどこぞの領主に差し出し、その領主の騎士として再び返り咲くだって可能だ。いや、いっそあの奴隷を売って得た資金を元手に貴族の地位を買って財産を築いても良い。

 そう考える男の表情は凶悪そのもので、部下達もまた同じ様な下卑た笑みを浮かべていた。彼等は捕まえた時に()()()()に預かる事を期待しており、男達は薄汚い欲望で目をギラつかせながら兎人族の少女を追い詰めようと樹海の奥へ奥へと入った。

 

「ハァ、ハァ……! ヒィッ……!」

 

 だが———どこで歯車が狂ったのだろうか? 兎人族の少女を追う内に部下が一人、また一人と姿を消したのだ。異変に気付いた時にはもう手遅れだった。木々の間に見えない様にツヤ消しされた鋼線の罠(ワイヤートラップ)、草むらの中に隠された棘付き板(スパイク)、落とし穴に敷き詰められた竹槍の罠………樹海の中に隠された数々のトラップが牙を剥き、男の隊は今や散り散りにされていた。部下達と逸れてしまった彼も、今や周りに怯えているネズミの様に樹海の中を逃げ惑うしかなかった。

 

「どうして……どうして私が、こんな目に……!」

 

 相手は亜人族の中でも最弱の兎人族の筈だ。亜人族など帝国では奴隷として酷使するのが当然だった筈だ。それなのにどうして自分は逃げ回っているのか? こんな罠だらけの樹海の中を延々と彷徨う羽目になっているのは………何かの間違いの筈だ!

 

 ———ガサッ。

 

「ひっ! だ、誰だ!? 出て来いっ!!」

 

 不意に聞こえた葉擦れの音に、男は剣を抜いて辺りをキョロキョロと見回す。しかし、辺りを見回しても誰もいない。あるのは日の光も遮られる程に生い茂った木々ばかりだ。

 

「わ、私は元・ヘルシャー帝国の騎士だぞ! 騎士の誇りにかけて、正々堂々とした一騎打ちを所望する!!」

 

 先程まで奴隷商に身を窶そうとしている事を棚に上げて、男はすぐ側にいるだろう相手に声を張り上げた。姿こそ見えないが、こちらを窺っている気配だけは否応なしに感じていた。

 

「こ、この様な卑怯な手段など畜生にも劣る行為だ! 貴様にも人間としての矜持が僅かでもあるなら、姿を表して堂々とたたか———ギャッ!?」

 

 目を血走らせながら周りを忙しなく見回していた男だが、唐突に肩に走った痛みに悲鳴を上げた。見れば、肩に一本の矢が突き刺さっていた。

 

「ひ、卑怯者めっ! 騎士たる私の言葉を無視して矢を射るな、どっ………!?」

 

 矢を引き抜こうとした男だが、唐突に身体が崩れ落ちる。矢が刺さった所を中心に、まるで毒が回る様に男の身体が痺れて立つ事すら難しくなったのだ。

 

『———卑怯で結構。誇りで敵が倒れてくれるなら、そりゃあ最強だ』

 

 唐突に男に向かって声がかけられる。男は動かなくなっていく身体に鞭打って、なんとか声の方向に目を向ける。しかし、木々に邪魔されて声の出処が掴めなかった。

 

『でも悪いね、俺はキッチリと毒を盛って殺すリアリストなんでね。何より年端もいかない女の子を大勢で追い回していたアンタ等には言われたくないわ、マジで』

 

 毒で霞がかっていく視界の中、それでも男はどうにか声の主を探そうとする。

 

 そして———ようやくその人物を見つけた。

 

 生い茂る木々———その中にあるイチイの木の枝の上。森に溶け込む様な緑の外套を羽織り、フードを目深く被った若い男の姿を。

 

「アンタも騎士様ならさあ、騎士道とやらに恥じない行動をすべきじゃねえの?」

 

 嘲りと———どこか失望感を感じさせる声を響かせ、フードの男は弓を構える。

 次の瞬間。元・騎士の男は眉間を撃ち抜かれて絶命した。

 

 ***

 

「終わりましたぜ、お嬢」

 

 騎士の死体を担ぎ、樹海の広場に戻ったフードの男は先に来ていた兎人族の少女に声を掛けた。

 

「あ、ありがとうございます………」

「家族を守る為とはいえ、こんな作戦はこれっきりにして下さいや。いくらなんでもお嬢を囮にするなんて、気が気でいけねえんでね」

「あははは……大丈夫ですって。捕まる未来は()()()()()()ですから」

 

 どうだか、とフードの男は溜息を吐く。兎人族の少女———シアの未来視に対して、彼はそれほど絶対的だと思っていなかった。

 ひとまず、フードの男は死体を地面に下ろす。広場にはシアの他にも彼女の一族である兎人族達と———騎士の部下だった男達の死体があった。

 

「………これで全員なのですか?」

 

 シアの父、カム・ハウリアがフードの男に問い掛ける。彼を含めて兎人族達は皆一様に顔をわざと泥で汚していたり、フードの男を真似て緑の装束を身に纏っていた。それ等がちょっとした森林迷彩になっており、樹海の中に紛れたら見つけるのに一苦労するだろう。ここに並んでいる死体の何人かは、彼等が樹海で隠れ潜みながら殺した者も含まれていた。

 

「ああ、これでアンタ等やお嬢を狙っていた奴等は全滅した筈だぜ」

「そうですか………しかしながら、我々を狙っていたとは気の毒な事をした」

「そりゃあ甘過ぎだ。こいつ等はお嬢達をとっ捕まえて売り飛ばしに来た悪党なんだ。悪意を持って襲ってくる連中相手に、捕まえてお説教してハイお終い、ってならんでしょうよ」

「いえ………分かっておりますとも」

「父様………」

 

 どこか遣り切れなさを感じる父親に、シアは悲しそうに顔を歪ませた。争いが嫌いな兎人族だからこそ、自分達に襲い掛かった敵とはいえ命を殺める事に抵抗感がある筈だ。そんな父親達が自分の為に安全なフェアベルゲンを離れ、敵とはいえ人殺しをする羽目になった事にシアは罪の意識を抱いた。

 

「………大丈夫だ、シア」

 

 そんな娘の自責の念を感じ取ったのか、カムは安心させる様に微笑む。

 

「我々は家族だ。家族を守る為に、時には心を鬼にして戦わねばならない。それだけの事なんだ」

「父様……でも………」

「それに悪い事ばかりじゃないさ。アサシンさんのお陰で、フェアベルゲンを出てから誰も死んでないんだ。我々がフェアベルゲンの外でも生きられる術を教えてくれたのもアサシンさん……そして彼を連れて来てくれたお前のお陰だよ」

 

 「その通りだ」、「そうだよ、シアちゃん」、「元気出して、シアお姉ちゃん」と周りの兎人族達も頷く。

 兎人族は亜人族の中で最弱の部族だ。最弱だからこそ———身を寄せ合い、一族全体が家族の様に助け合う事を信条としていた。安全なフェアベルゲンを出て行く事になった事に、シアに対して不満を言う者など皆無だった。

 

「みんな………ありがとうですぅ」

「さて、暗い話はこれまでだ! 彼等から必要な道具を頂くとしよう。その後に、しっかりと弔いをしてあげるんだ!」

 

 空気を変える様に、カムは手を叩きながら号令を出す。ハウリア族達は一斉に動き出し、騎士達の死体から武器や装備など使えそうな物を次々と外していく。死体から剥ぎ取るという行為に罪悪感を顔に浮かべる者もいたが、手付きは淀みなく動いていた。

 

「………誰だよ、こいつ等が最弱とか言った奴」

 

 手近な木に寄り掛かりながら、フードの男はボヤいた。

 彼が来た当初、兎人族達は虫も殺せない程に気弱な者が多かったのは確かだ。

 そんな事でなこの先に生き残れないと思ったフードの男は生前に培った技術———森に隠れながら戦う方法や罠の仕掛け方などを伝授する事にしたのだ。

 当初は人殺しの技術に忌避感を覚えていた兎人族だったが、自分達の家族を守る為にはやるしかないと皆が一念発起した。震えそうになる手を精一杯抑え、魔物や奴隷狩りに来る人間達を何度も相手にしてきた結果、今やフードの男から見ても立派な森の狩人となっていた。その順応性の高さに、兎人族を最弱だと言った奴は目がおかしかったんじゃないか? と思い始めていた。

 

「ありがとうですぅ………アサシンさん」

 

 フードの男の側にいつの間にかシアが近寄っていた。

 

「アサシンさんのお陰で、私も含めて皆が今日まで生きて来られました」

「そんな大袈裟に思う事ないんですがねえ………こちとらマスター無しに彷徨っていた所をお嬢に拾われた身なんでね。ギブアンドテイク、ってやつですよ」

「でも、やっぱりアサシンさんがいたからですぅ。やっぱり、私が視た未来の通り、貴方は私にとっての英雄なんです!」

 

 一切の邪念もなく、シアはフードの男に向かってそう言った。その瞳は恩人に対する感謝と同時に、淡く熱い感情が見え隠れしていた。

 

「………英雄ねえ。森に隠れるのが上手いだけのコソ泥に、ちょっと持ち上げ過ぎだと思いますがねえ?」

 

 フードの男は皮肉気に笑いながら、熱く見つめるシアに対してやれやれと天を仰いだ。

 

「ま、しがない盗賊崩れですがね。現界に貰っている魔力の分はきっちり働きますぜ。マスター(お嬢)

「はい! これからよろしくですぅ!」

 

 嬉しそうにウサ耳をパタパタさせるシアを見ながら、シャーウッドの森の義賊———異世界の地で暗殺者(アサシン)の霊基を得たロビンフッドはフードの中で苦笑していた。

 同年代の少女よりたわわに育ったシアの胸元には———刺青の様な三画の紋様が刻まれていた。




 そんなわけでシアの所にロビンがいますよー、というだけのお話でした。そして何だかんだと面倒見の良いロビンさんのお陰で、本編ではハジメによって鍛えれたハウリア族が一足早くベトコン化してますよ、って話です。
 ロビンについてはアサシンになったからと特別に宝具が変わるわけでもなく……というかアサシン用の宝具を作るのが面倒くさい(笑)

 今になって思うと、シアがアサシンのサーヴァントと組むなら李老師とか、英霊化した切嗣でも良かったかなーと思わなくもないです。


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第十四話「急がば回れ」

 こっちで雫を可愛いヒロインとして書けば、もう一つの方で悲惨な事になっていても釣り合いは取れるよね?(謎理論)


「どういうこと? オルクス迷宮に百階より下があるというの?」

「いや、俺にもどういうことだが………」

 

 雫の問いに白野も戸惑いながら返すしかなかった。王宮の座学では確かにオルクス迷宮は最大で百階だと言われていたのに、コードキャストで出したマップでは更に下の階層があることを示しているのだ。

 

「その坊やの地図の方が正しいよ」

 

 ふいにカトレアが口を挟んだ。初めて見るコードキャストに驚いていたものの、戸惑っている白野達に助言した。

 

「アタシは元々、軍の命令で神代魔法を手に入れに来たと言ったろう」

「神代魔法?」

「その名の通り、神話の時代にあったとされる魔法さ。現代の魔法なんか目じゃないくらい強力だと聞いているよ。現にフリード様も神代魔法を手に入れて魔物の軍勢を作り始めたくらいだからね」

「そんな魔法があるのね………」

 

 王宮の座学では学んでいない知識に、雫は感嘆の溜息を漏らす。

 

「で、その神代魔法だけど手に入れるには一筋縄じゃいかないらしいんだ。なんでも大迷宮と呼ばれる場所にあって、その更に奥に神代魔法を手に入れる為の試練があるそうだよ」

「どうしてそんな事が分かるんだ?」

「ガーランドにも似たような場所はあったからね。もっとも、あたしは参加してないけどその時に派遣された部隊は九割が全滅したそうだけどね」

 

 つまり、それだけ過酷な試練の場が待ち受けているという事だろう。思わぬ情報に白野の顔は渋くなる。

 

「でも………そこに南雲くんがいる」

 

 香織がポツリと呟く。彼女はマップが示している生命反応を見ながら、決意を固めた表情で頷く。

 

「南雲くんがまだ生きているとしたら、そこしかないんだよね? だったら………私、行くよ。どんな試練があったとしても、絶対に南雲くんにもう一度会うの!」

「香織………もう、これは言っても聞かない顔ね」

 

 一度決めたら一直線に突撃していく。それが香織の長所と短所を兼ね備えた性格であり、それを理解している雫は軽く溜息を吐くだけにした。

 

「分かったわよ。親友だもの、この際だから地獄の底だろうと付き合ってあげるわ」

「雫ちゃん!」

「俺も異論はないよ。南雲には地球にいた時に南雲には世話になっているんだ。ここで見捨てたら、恩知らずだと虎一さんや鷲三さんに怒られちゃうしな」

「白野くん………二人ともありがとう!」

 

 幼馴染みと友人の心遣いに香織は顔を輝かせた。そんな三人の人間を見ながら、カトレアは訝しげな表情になる。

 

「アンタ達………まさか試練の大迷宮に潜るつもりかい?」

「大切な友達がそこにいるかもしれないんだ。だから、その………無理にとは言わないけど」

「いや………いいよ。助けて貰った恩で協力すると言ったのはアタシさ。奇しくも本来の任務を遂行する事になるなんてね」

 

 皮肉な運命の悪戯にカトレアは頭を抱えたくなったが、すぐに意識を切り替えた。

 

「ただ一つ、言わせて貰うけどね。アンタ達、いくらなんでも軽装過ぎないかい?」

 

 軍人としての意識に切り替えたカトレアは、白野達を見たそう断言した。

 

「これより更に迷宮の奥に行くと言うなら、悪いことは言わない。今すぐ街に戻って食糧や寝袋、探検道具の類いを調達してきな」

「え? で、でも! 食糧なら魔物を食べられるからどうにかなります!」

「………は? 魔物? ア、アンタ達、魔物を食ってんのかい!?」

 

 香織の一言にカトレアは引き攣った表情になる。それはゲテモノ料理を通り越して毒持ちの動物を嬉々として食べている人間を見たような表情だった。

 

「え、ええと誤解ない様に言っておくと、魔物の毒を無毒化する方法を俺達は持っているというか………」

「あ、ああ、そう………まあ、食糧事情は分かったけどね。それでも装備とか全く足りてないと思うよ」

「でも………私達なら………」

「行軍を舐めんな。装備が不足して隊が全滅、なんて目も当てられないからね。大体、魔物を食べられると言ってもこの先で魔物すら見つからなくなったらどうするんだい?」

 

 一刻も早くハジメの所へ行きたい香織は渋るが、カトレアはプロの軍人として厳しい意見を述べる。彼女もかつては魔人国ガーランドの軍人としてサバイバル訓練の経験もある。だからこそ、現地調達で強行突破しようとするのは危険だと知っていた。

 

「香織、残念だけど今回はこの人の言うことに一理あるわ。素直に一回、街まで戻って装備品を整えましょう」

「雫ちゃん………」

 

 幼馴染みの残念そう表情は堪えるものの、雫もカトレアの意見を支持した。

 地球では毎年の様に軽い気持ちで富士山に軽装で登り、どうしようもなくなって山岳救助隊に救助される観光客がいるというニュースを雫も見ていた。

 

(何よりここに来るまでも、香織はかなり無茶しているのよね。私達が寝ている間も、こっそりと英霊の力の特訓をしていたみたいだし………)

 

 その甲斐もあって香織自身のレベルはかなり上がっているものの、どこかで本格的な休息を取らなくては体調を崩すと雫は予想していた。魔物をおいしく料理して気分転換させるのも、食材全てを現地調達しているのでは料理の選択肢など限られていた。

 

「幸いなことに、ここまで倒してきた魔物の魔石がずいぶんと貯まっているわ。これを売れば、ちゃんとしたサバイバル用の装備も買えるはずよ」

「………分かったよ、雫ちゃん。そうだよね、南雲くんを迎えに行くのに二重遭難になったら元も子もないもんね」

 

 雫の説得に香織は俯きながらもしっかりと頷いた。

 

 ***

 

「じゃあ、俺は携帯食料とか買ってきます。カトレアさんはロープとか、サバイバルに必要な道具をお願いしていいですか?」

「ああ、まあ………別に良いけどさ」

「よろしくお願いします。一時間後にまたさっきの広場で」

 

 そう言って白野は魔石を換金した金貨を半分渡し、カトレアに頭を下げて行ってしまった。それをカトレアは何とも言えない表情で見つめる。

 

 あの後、誰がホルアドまで戻って装備を揃えてくるかという議論になった。

 香織を少しでも休ませたい雫からすれば、香織に帰る道とはいえ迷宮を再び突破させるのは論外であったし、その香織を見張る為の人員も必要だった。紆余曲折を経て、結局白野とカトレアがホルアドまで戻って装備を買いに行くことになったのだ。問題の帰り道は、白野がコードキャストで月の聖杯戦争でも使っていたリターンクリスタルを再現して一瞬で地上へと戻れていた。カトレアは白野の見たことのない魔法に驚いたものの、今は別の意味で呆気に取られていた。

 

「あの坊や………アタシが逃げるとか考えてないのかい?」

 

 ご親切にそれなりの額になる金貨まで渡され、カトレアはそれを微妙そうに見つめていた。

 最初、敵とは言わずともさっき会ったばかりのカトレアが白野と共に地上に行くことに雫は反対した。しかしながら、それを白野自身がやんわりと説得したのだ。

 

『行軍に必要な装備とか素人の俺達に分からないし、ここはプロの軍人の意見が必要だろ?』

 

 それに、と白野は特に何でもない事の様に言葉を続けた。

 

『ここでカトレアさんが逃げれたら、オルクス迷宮で死にかけていたけど脱出できて良かったという事にならないか?』

 

 これにはカトレア自身も呆気に取られるしかなく、わざわざ逃走資金となる様な金貨まで渡された事で白野の言葉に嘘はなかったと確信するしかなかった。

 

「なんてお人好しな坊やだよ………まあ、ここから逃げたとしても行く当てがあるわけじゃないけどさ」

 

 今はフードを深く被って誤魔化しているが、魔人族であるカトレアには人間族の国で居場所などない。かと言って今更魔人族の国に戻ることも出来ない。そもそも「死んでこい」と同然の命令でオルクス迷宮の潜入を命じられたのだ。良くて任務を投げ出した責を問われて強制収容所行き、悪ければ脱走兵扱いで死刑だろう。家族も死に、恋人もおかしくなって自分を見捨てた今、カトレアは魔人族としての誇りなどどうでも良くなっていた。

 

「あの坊やはそこまで計算していたとか………」

 

 自分で言ってはみたものの、すぐにそれは無いと首を振った。単純にカトレアという人間を信じているのだろう。その根拠が何なのかまでは分からないのだが。

 

「ああ、もう………あんな風に信用されたら応えなきゃ不義理になるじゃないか。本当、厄介で困るよ」

 

 気が付けば、カトレアは逃走資金として使えた筈の金で四人分のサバイバル装備を整えていた。何をしているんだかなー、と自分に呆れながら約束の広場まで行こうとすると、前方に人集りが出来ている事に気付いた。

 

(ん? ああ………先触れか)

 

 人集りの中心にいた演説台に乗った男の姿を見て、カトレアは納得する様に頷いた。

 先触れとは、国が出したお触れや情報を庶民達に伝える者達だ。庶民達の中には字の読み書きが出来ない者も多く、そういった者達の為に王宮からのお触れを声に出して伝える者が必要だった。謂わば、先触れ達は街頭ニュースの報道官と言うべきだろう。

 

(ちょうどいい。迷宮で待ってるお嬢ちゃん達の土産代わりに王国の最新の情報でも聞いてやろうじゃないか。なになに………)

 

 カトレアは人集りに混じり、軽い気持ちで先触れが話す内容に耳を傾けた。

 そして――――――すぐに顔を引き攣らせる羽目になった。

 

 ***

 

「白野くん達………遅いね」

「………そうね」

 

 カトレアが使っていた隠れ穴の中、香織の呟きに雫は静かに返した。と言っても、本当に遅いと思っているわけではない。

 あれから二日間が経っているが、それ自体は特に問題はない。何故なら、白野が地上へ行く前にこっそりと雫は頼み込んだのだ。

 

『出来る限り、香織を休ませてあげたいの。だから買い物に時間がかかったフリをして少しだけ時間を稼いでくれる?』

 

 白野は最初に驚いたものの、すぐに意図を察して頷いてくれた。雫の頼み通り時間をかけてくれているのだろう。

 まがりなりにも無理矢理休ませた事で、香織の顔色はすっかりと良くなっていた。後は白野達が帰ってくるを待つだけだ。

 

「南雲くんも………頑張っているんだよね」

 

 白野が残してくれたマップを見ながら、香織はポツリと呟く。定期的に確認しているが、ハジメ(暫定)の生命反応は未だに途切れていなかった。それどころか、迷宮の奥へと進み出しているのだ。

 

(どうして迷宮の奥へ行っているのかしら………それにしても、本当にこれ南雲くん?)

 

 最初は同じ階層をウロウロしていると思ったら、迷宮の奥へと進む度に徐々に階層を突破する速度が上がっているのだ。まるで、何らかの手段で急速で力を付けているかの様だった。

 

(かなり疑問だけど………これは香織に言わない方が良いわよね。また人違いだったら、今度こそ精神的なショックで倒れかねないわ)

 

 そう判断して、雫はあえて件の生命反応についての疑問を言わなかった。話題を変える為にも白野達について話す事にした。

 

「まあ、白野の話だとあの転移魔法が迷宮から出る時しか使えないそうだから仕方ないんじゃない? 途中で檜山のせいで出来た65階層まで行けるトラップを使ったとしても帰りは徒歩なのよ。心配しないで待ってあげましょう」

「うん、そうだね………」

 

 マップに映る生命反応を見ながら、香織は自分を納得させるように頷いた。体力も気力も十分に回復した今、本当はすぐにでも生命反応を追って迷宮の奥へと行きたいのだろう。だが、逸る気持ちを抑えて白野達の帰りを待っているだ。

 恋した男の子の為に身を焦がしている幼馴染みを見ていると、雫も女としての心が疼く様な感じがした。何故かずっと隣にいた家族の少年の事を思い出してしまう。

 

「………早く帰って来なさいよ、バカ」

 

 自分が頼んだとはいえ、たった二日間いないだけの時間が長く感じてしまっていた。

 ポツリと小声で呟いたつもりだったが、英霊化した香織のキツネ耳がピンと立った。

 

「あれあれ? ひょっとして、白野くんを一番待ち侘びているのは雫ちゃんじゃないの?」

「え………そ、そんな事無いわよ! 香織の気のせいじゃないかしら?」

「えー、そうかなあ? 待ってる雫ちゃんの表情、『ロミオとジュリエット』みたいでとても可愛かったよ?」

「な、何を言ってるのこの子は! 大体、白野と私は義理の姉弟なの! ただ家族を心配してるだけなの!」

「むう、こんな時まで強がんなくてもいいのに………。それに血の繋がらない姉弟でも恋愛関係になるって、少女漫画だと鉄板だよ?」

「本当にこの子は………もうそういう漫画を見るの禁止! そんなインモラルな事を描く漫画なんて教育に悪いわ!」

 

 うわーん、雫ママが怒ったー! と香織が笑う。それだけで場の空気がずいぶんと和らいだ。香織も雫を元気付けようとしてくれたのだろう。お陰で雫も大分、心に余裕が出来た気がした。

 そんな中で隠れ穴を“錬成”で開けて入った来た者達がいた。

 

「白野くん!」

「お帰り………待ってたわよ」

 

 少女二人は待ち侘びていた相手の帰還に顔を輝かせる。

 

「ああ、ただいま………」

 

 そんな中………何故か白野の顔は少し元気がなかった。

 

「白野? どうかしたの? 地上で何かあった?」

「それは………………」

「話しておいた方が良いんじゃなかい?」

 

 雫が心配して声を掛ける中、白野の後ろにいたカトレアが話し出した。

 

「お嬢ちゃん達二人、どういうわけかこの坊やが攫った事になっていて――――――人間達の勇者が教会に要請して、坊やを王国の賞金首にしたという話を」




>賞金首はくのん

 まあ、それはそれとしてこちらでも火種は作るけど。


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第十五話「裏切りの告発」

この作品では光輝は改心させるし、クラスメイト達も仲違いしたまま終わらせたりはしません。

でもその前にまずは盛大にやらかして貰おうかな、と。


 話は雫達が白野の目覚めを待って迷宮内で立ち往生していた時まで遡る。

 

 王宮は演習から帰って来た神の使徒達を見て、大騒ぎになっていた。

 本来なら普通の冒険者でも突破可能な筈だった二十階層までの演習で五人も行方不明になったのだ。行方不明になったのが“無能な錬成士”だけならまだ問題はなかったものの、貴重な治癒師の一人や優秀な剣士や軽戦士、更に天職は不明なれど勇者並みに優秀なステータスの持ち主まで居なくなったという事態は流石に誤魔化し切れなかった。

 王宮の上層部は今回の責任を取らせて教官のメルド・ロギンスを更迭したものの、それだけでは『エヒト神を召喚した神の使徒達が、演習ごときで手痛く躓いた』という事実を拭えない。王宮の上層部はこの事態をどう収拾するか、頭を悩ませる羽目になった。

 

 そんな中―――光輝は勇者として神山から招集を受けていた。

 

 ***

 

「ねえ。鈴達、これからどうなっちゃうのかな?」

 

 王宮のサロン。召喚されたクラスメイト達の溜まり場となっている場所で、鈴はポツリと呟いた。しかし、誰も答える者はいない。この場には召喚組のほとんどが集まっているというのに、誰もが俯いて何も答えなかった。

 

「鈴達、やっぱりお城から追い出されちゃうのかな? そうなったらどうしたらいいのかな?」

「鈴………」

 

 不安に押し潰されそうな鈴に親友の恵里がそっと手を重ねる。だが、それ以上は何も言えなかった。恵里だけでなく、他の皆も暗い表情で黙り込んでいた。あの龍太郎ですらも、拳を固く握り込んだまま口を真一文字にして座っていた。

 

 ―――オルクス大迷宮から命からがら脱出して、王宮に帰って来たクラスメイト達。仲間も失って意気消沈していた彼等だが、王宮の人間達は冷たい目線を向けてきたのだ。

 

『期待外れだ』

『エヒト神の加護を受けながら、なんてザマだ』

 

 もちろん全員がそうだったわけではない。リリアーナの様に純粋に心配してくれた人間達もいた。

 だが、演習に行く前のチヤホヤした態度から打って変わって失望の目を隠そうともしない貴族や使用人達に、生徒達はショックを受けていた。

 

 神の使徒と持て囃されていても、王国から見れば自分達は戦うコマに過ぎない。

 

 それをまざまざと見せつけられた気がしたのだ。そして―――そんな役立たずを今まで通りに王宮に置いてくれるのか。そんな不安が生徒達に過ってしまった。寄るべも何もない異世界で放り出されたらどうなるかなど、社会経験の無い彼等でも容易に想像はついた。光輝が神山に呼ばれたのも、きっと自分達の今後を左右する様な話なのだろう。

 

(シズシズ………カオリン………)

 

 迷宮の奈落へと消えてしまった友人達の名前を鈴は心の中で呼ぶ。こんな時、率先してクラスメイト達を引っ張っていく光輝も、皆を纏めてくれる雫や香織もこの場にはいない。教師である愛子も“作農師”の仕事の遠征から帰って来ていなかった。自分達を導いてくれる存在がおらず、クラスメイト達は一人でいるのも不安だからとサロンに何をするでもなく集まるしかなかったのだ。皆が漠然とした不安を抱える中、サロンのドアを開けて光輝が入って来た。

 

「天之河くん!」

「神山での話はどうなったんだ!?」

 

 皆が待ち望んでいた様に光輝に詰め寄ろうとした。それを見た光輝は「落ち着いてくれ」とジェスチャーをして皆を静かにさせた。

 

「皆、聞いてくれ。まずは今回の演習が不本意な結果になって、俺も残念に思う。王宮の人達が厳しい事を言うのも仕方ないとは思う」

 

 その一言にクラスメイト達は視線を俯かせた。勝手に召喚してきたのは向こうだが、王宮でチヤホヤした扱いを受けた以上は負い目として感じてしまっていたのだ。

 

「でも本当に仕方なかった事だったんだ。皆のせいじゃない―――何故なら岸波が俺達を裏切っていたのだから」

 

 え!? と皆が顔を上げる。中でも龍太郎の反応が大きかった。椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、低い声を出した。

 

「おい、光輝………そりゃどういう意味だ?」

「言葉の通りさ、龍太郎。あいつは………岸波は、俺達を裏切って魔人族に与していたんだ!」

 

 龍太郎の剣呑な表情を勘違いしたまま、光輝は大声で言い放つ。それはまるで、推理漫画で探偵が真犯人を言い当てる様な雰囲気だった。

 

「おかしいと思わなかったか? 岸波は俺達の中で唯一天職がはっきりとしてないんだ。しかも大して努力している様子は無かったのに、勇者の俺よりステータスが上になるわけが無いだろう」

「光輝………お前、自分が何言ってんのか分かってるのか!?」

「龍太郎、落ち着いてくれ。それに疑問点はまだまだあるんだ。オルクス迷宮の演習の時、俺達は初めての戦いだったのに岸波だけ魔物に全く驚いた様子は無かっただろう? まるであいつだけ魔物がどうやって襲って来るのか知っていたみたいに」

 

 龍太郎が怒鳴るが、光輝はむしろそんな龍太郎を詐欺師に騙された被害者を見る様な目で見ていた。そして、光輝の()()にクラスメイト達はザワザワと囁き出した。

 

「た、確かに………変だよな? あいつ、地球だと病弱だった筈なのに」

「八重樫さんにおんぶ抱っこされてた奴が、異世界でいきなり活躍するなんて………おかしいと思ったわ」

「みんな何を言っているのよ!?」

 

 次々と白野を不審者の様に上げ連ねるクラスメイト達に、優花はキッと睨み付ける。

 

「岸波はそんな奴なんかじゃない! 私達を助けてくれたのよ!?」

「そうだよ! 岸波っちがいなかったら、私達はワイバーンに食べられて全滅していたかもしれないんだよ!」

 

 優花を援護する様に奈々が声を上げる。妙子もそれに同意する様に大きく頷いたものの、光輝は話の分からない人間を前にした様にヤレヤレと首を振った。

 

「それが奴の狡猾な所なんだ。そもそもワイバーンが来た時だって、真っ先に反応したのは岸波だった。あいつはワイバーンを俺達に襲わせて、園部さん達を助けるフリをして自分の仕業じゃない様に見せ掛けたんだ」

「なっ―――!?」

 

 もはや言い掛かりの度を超えた言葉に、優花は言葉を失ってしまう。しかし、光輝はそれを論破されて黙ったのだと受け取っていた。そして畳み掛ける様に自らの推理を披露した。

 

「そうやって俺達をワイバーンに襲わせて、香織と雫をあいつは攫うのが目的だったんだ。現に俺は()()()()()()()()()()()()、岸波に邪魔をされた。その時に見た事の無い魔法を使っていたから、きっと慌てていてボロを出したんだな。そうやって二人をまんまと捕まえた岸波は、()()()()()()()()()迷宮の奥へと消えて行ったんだ」

「何を言っているんだよ、光輝!!」

 

 とうとう龍太郎は幼馴染の親友に向かって怒りの声を上げた。今にも光輝を掴み掛かりそうな勢いで、大声を上げる。

 

「岸波はそんな奴じゃねえ!! あいつは俺達のダチだ! あいつがそんな悪党じゃねえ、ってお前も分かってるだろ!?」

「なあ、天之河。さすがにその話は無理が無いか?」

 

 それまで事の成り行きを冷静に見守っていた永山だが、そこで初めて口を挟んだ。彼もまた訝しむ様な表情で光輝を見ていた。

 

「確かに病弱だった岸波がいきなり強くなったのは疑問だが………岸波が裏切り者だったという証拠にはならないんじゃないか? 大体、オルクス迷宮でワイバーンに襲われる羽目になったのは南雲がベヒモスと奈落に落ちたからで、そもそもの話をするならあの場所に行ったのも檜山が転移トラップを発動させたからだろ。それも全部岸波の仕業だった、って言いたいのか?」

「―――その事については私からお話ししましょう」

 

 まるで図ったかの様なタイミングで、聖教教会の大司教イシュタルが神殿騎士を供に入って来た。光輝以外が突然の登場に驚く中、イシュタルは厳かに語り始めた。

 

「神の使徒達の中に裏切り者の陰あり―――皆様がオルクス迷宮に行ってしまわれた後、その様な神託が下りました。皆様にお早く伝える事が出来たら、もしかしたら違う結末があったのやもしれませぬ」

「それが岸波だって言いたいのか!? 大体、神託だか何だか知らねえけど、そんな言葉が信じられるのかよ!!」

「おや………これは心外ですな。エヒト神の御言葉に疑いなどあり得ません。現にエヒト神様がお導きになったからこそ、皆様はこの世界に召喚されたのでしょう」

「その通りだ! 貴様っ、エヒト神に召喚された使徒でありながら神の言葉を疑うとは何事だ!!」

 

 龍太郎の反論に神殿騎士の一人が剣呑な声を上げる。

 神託を恍惚としながら語るイシュタルを見て、クラスメイト達は悟った。

 この世界において宗教は自分達が考えている以上に意味が大きいのだ、と。宗教観が重視されない現代日本で生まれたクラスメイト達だが、異世界(トータス)からすれば自分達の方こそが異端なのだと思い知った。

 

「許してやって下さい、イシュタルさん。俺も龍太郎も、エヒト神を知らない世界で生きていたんです。龍太郎にも悪気があったわけじゃないんです」

「まあ、仕方ありませぬ。いずれ機会があれば、皆様にもエヒト神の素晴らしさをじっくり語るとしましょう」

 

 狂信者の様に純粋過ぎる信仰心にクラスメイト達が戦慄する中、光輝のフォローに頷きながらイシュタルは語り出す。

 

「かの者―――岸波白野はステータスプレートで天職が判明しなかったそうでは無いですか? その様な例など長い歴史の中で一度もあり得ませんでした。そして極め付けは勇者様の魔法を妨害したという未知の魔法………疑わしき点は幾つもあり、エヒト神の神託と合わせれば岸波白野が魔人族の神・アルヴヘイトより邪法を授かったと考えるのが当然でありましょう」

「そ、そんな話を信じろってのか!? いくらなんでも荒唐無稽だろ!」

「信じられますとも。何故なら、エヒト神がそう仰られていたのだから」

 

 もはや取り付く島もなかった。龍太郎が何を言おうが、イシュタルからすれば『そういう神託があったから』という理由だけで十分らしい。そして光輝もまた、イシュタルの言葉を疑う様子は無かった。

 

「みんな、イシュタルさんが言った通りだ。信じられないかもしれないけど、岸波は魔人族と通じていたんだ。そして俺達を裏切り、香織と雫を攫う計画を立てていたんだ。檜山はきっと、岸波に脅されて従うしか無かったに違いない」

 

 どうしてそんな結論になるのか。

 優花達は信じられない面持ちで光輝を見た。だが、彼女達が反論する早くイシュタルが言葉を続けた。

 

「神の使徒の皆様の中に、魔人族に与する者がいた事を見抜けなかったのは私としても不徳と致すところ………此度の事を責める者達も仕方ない事であった、と納得して頂けるでしょう」

 

 その一言はクラスメイト達のほとんどに効果覿面だった。

 思い出すのは自分達に失望した王宮の人間達の顔、顔、顔。

 異世界の地に着の身着のままで追い出されるかもしれない、と思っていた彼等にイシュタルの言葉は毒の様に浸透していった。

 

「そ、そうだよね………仕方ないよね………」

「まさか岸波が裏切り者だったなんてな………あいつ、人畜無害そうな顔をしてたから、すっかり騙されたよな」

「何、を………何を言っているよ!? どうしちゃったのよ、みんなふざけないでよ!!」

 

 優花が怒って辺りを見回すが、ほとんどのクラスメイト達は目を合わせようとしなかった。

 彼等は気付いてしまったのだ。

 イシュタルを始めとするこの世界の大人達は、自分達が何を言おうとどうせ聞きはしない。

 何より―――ここにいない白野に全ての責任を被せるのが、自分達が一番損をしない方法だという事に。

 

「みんな、岸波の突然の裏切りに混乱するのは分かる。でも、俺達はこれから出来る事をしていこう」

 

 まるで議論を纏めるかの様に光輝は宣言する。

 それを一部の生徒以外―――ほとんどの生徒が縋る様に見た。

 

「南雲や檜山といった()()()()()があったけど、俺達は負けずにもう一度戦おう! そして―――裏切り者の岸波を倒して、俺達の手で香織と雫を救うんだ!!」

 

 ***

 

 王宮の中庭————夜中に龍太郎は噴水の縁に項垂れて座っていた。

 いつもなら夜の鍛錬として召喚前から続けている空手の型を行っているのだが、今はそれをやる気分になれずにいた。

 

「坂上くん」

 

 呼ばれて顔を上げると、いつの間にか鈴が目の前に立っていた。

 

「武術家なのにこんな近くまで来られて気が付かないなんて不用心じゃないかな? 近付く気配を感じた! とか、そういう事ないの?」

「………ああ、そうだな」

 

 茶化す様に話しかけてみたものの、龍太郎は上の空の様に呟くだけだった。鈴は自分がやった事がから回った事を察して、気まずい気分になった。

 

「………横、座っていい?」

「………ああ」

 

 龍太郎の生返事に鈴は―――さすがに同年代の男の子のすぐ隣りは恥ずかしいので、一人分の距離を開けて噴水の縁に座った。

 そのまま沈黙がその場を支配する。鈴は何か考えがあって、この場に来たわけではない。昼間の事がどうしても胸に引っかかって眠れなくなり、気分転換に夜風に当たろうと散歩していたら中庭に佇む龍太郎を見つけただけだ。

 

「なあ」

 

 唐突に龍太郎が口を開いた。鈴の方を向かず、視線を地面に落としたまま話し始める。

 

「昼間、光輝が言っていた事………お前も白野が裏切り者だった、って思うのか?」

 

 それはどこか否定の言葉を求めている様な響きだった。鈴は少しだけ考えて―――首を横に振った。

 

「思わないよ。鈴にとって岸波くんは友達の友達だから、そこまで接点は無かったけど………少なくともシズシズは岸波くんの事を悪く言った事なんて無かったもの」

 

 白野の事はクラスでよく倒れる人、というイメージしかないものの、雫の友達である鈴は友人の目を信じる事にしていた。

 

「………あいつさ、すげえ良い奴なんだよ」

 

 龍太郎は地面を見たまま、ポツリと呟く。

 

「俺さ、あんまり勉強が出来る方じゃねえし、部活も忙しいから課題とか中々終わらなくてさ………光輝は自分の力でやらないとダメだ! と言うけど、岸波は本当に困っていたら課題を一緒にやってくれたりしてたんだよ」

 

 その光景は地球にいた頃、鈴も何度も見ていた。必死に頼み込む龍太郎に、しょうがないなぁと困った風に微笑みながらノートを見せていた白野の姿を。

 

「そりゃあ軟弱な奴だったけど、病気で仕方ねえ事だったし………あいつも周りに迷惑かけねえ様に、移動教室の時とか早めに行って準備するとか一応努力はしていたんだ」

 

 地球にいた頃を思い出し、龍太郎の声に郷愁が混じる。鈴もまた、今や遠くなってしまった故郷を思い出して寂しい気持ちになっていた。

 

「異世界に来て急に身体が良くなったのもよ、俺は特に何とも思わなかったんだ。急にすげえパワーを貰ったのは俺達も一緒だからよ。純粋にダチもすげえ力を貰ったんだ、としか思わなかったんだ………なのに、何でだよっ」

 

 そこで初めて龍太郎の表情に変化が生じる。ギリっと歯を食い縛り、苦しそうな表情で呟いていた。

 

「なんで………なんで光輝は、そんな岸波を悪者にしているんだよ」

「坂上くん」

「他の奴等だってそうだ、あいつ等が岸波の何を知っているんだよっ。同じクラスの仲間だってのに、なんで顔馴染みのあいつより大司教のジジイの言う事を信じているんだよ!」

「坂上くん!」

「なんで!!」

 

 徐々に語調がキツくなっていく龍太郎に、鈴も声を大きくする。だが、龍太郎は鈴すら目に入ってない様に叫び————泣きそうな表情で吐露した。

 

「俺が……俺が光輝とベヒモスと戦おうとしたせいで人が死んだってのに………なんで何もかも全部、岸波のせいにされてるんだよぉ………!」

 

 それは龍太郎に刺さっていた心のトゲだった。檜山のせいでベヒモスのいる場所に飛ばされたとはいえ、あの時にメルドの命令を無視してその場に留まったのは龍太郎達の判断だ。

 

 自分と光輝がいれば、どんな魔物だって倒せる。

 

 その慢心のツケとして奈落に落ちてしまったクラスメイトや親友達に、龍太郎は慚愧の念に囚われていた。

 

「なんで光輝は平気な顔をしてるんだよ! 俺達がメルドさんの言う通りにさっさと逃げてれば、香織や雫、白野が死ぬ事は無かったんだ! そいつらだけじゃねえ、南雲と檜山だって俺達が………俺のせいで死んだ様なものだってのに!!」

「坂上くん!!」

 

 もう見ていられなかった。気が付けば、鈴は龍太郎に負けないくらい大きな声を出して龍太郎の手を掴んでいた。

 

「全部が坂上くんのせいじゃない! そんなこと誰にだって言わせない! だから、そんなに自分を責めないで!」

「谷口………でもよ、あんな高さから落ちたんだ。もう誰も生きてなんか………。それに生きてたとしても、岸波は教会が働きかけて賞金首にするって………俺はどうやって謝ればいいんだよ?」

「………だったらさ、岸波くんに会って謝ろうよ」

 

 普段とは違って弱々しい表情で龍太郎は顔を上げる。鈴は手を握ったまま、まっすぐと目を見た。

 

「天之河くんの言うことを信じるわけじゃないけど………もしかしたら岸波くん達は生きているかもしれないんだよね? だからさ、本当にそうなら岸波くんにあの時はごめんって………ううん、ありがとうってお礼を言いに行こう。その方が絶対に良いよ」

 

 鈴もあの高さから奈落に落ちて生きているとは思っていない。それでも今の龍太郎の為に億に一つも無い可能性に縋った。

 

 あの時、ワイバーンから自分達を守ってくれてありがとう。

 

 それを病弱で地味だったが、ワイバーンから皆を守ってくれたクラスメイトへ言うべきだと思っていた。

 

「そうか………そうだよな………」

 

 龍太郎はゆっくりと立ち上がる。そして、パン! と喝を入れるように自分の両頬を叩いた。

 

「俺はバカだ! ウジウジしてるなんて俺らしくねえ! あいつが裏切ったかどうかなんて、会えば分かる事じゃねえか!」

 

 それまでの弱気な気持ちを振り切る様に龍太郎は声を張り上げる。だが、以前とは何かが違う様に鈴には見えていた。

 

「谷口、ありがとうな。俺、もう一回オルクス迷宮に行く事に決めたわ。でも光輝の言う様に裏切り者として倒しに行くんじゃねえ。あいつに会って、俺がやった事のケジメをつけに行く!」

 

 龍太郎はそこで真剣な表情で鈴を向く。

 それは光輝について行けば問題ないと頼り切りだった少年から、自分で何かを決めると少し成長した男の表情だった。

 その表情に――――――鈴はほんのちょっぴり、胸が高鳴る気がした。

 

「だからよ………俺と一緒にまたオルクス迷宮に行ってくれねえか? 情けねえ話だけど、俺一人じゃ迷宮の奥まで行けねえ。助けが必要なんだ………頼む」

「………また先走ったりしたら、嫌だからね」

 

 どうして顔が少し熱くなっているのか。そう思いながらも、鈴は暗い気持ちが少し晴れた気分に悪い気はしなかった。

 




光輝は改心します。
光輝は改心します。
光輝は改心します。

大事なことなので三回は(ry。自分でもちゃんと書いておかないと忘れそうになるので。

>龍太郎

この作品では普通に良い奴として書きます。オバロクロスで絶賛中で悲惨な事をやっているから、こっちでは割を食わせていたキャラをキチンと書いてあげたくなるんですよ。
龍太郎が抱いている後悔は、原作を読んでいて私が思っていたことです。ベヒモスにハジメが犠牲になったのは九割が檜山のせいなら、残りの一割は光輝と龍太郎に責任があるのに都合良く忘れるとか無責任じゃね? と思っていたので。


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