モブとテストと優等生 (相川葵)
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第一章 モブとテストと試召戦争
第〇問 寝坊で始まる片想い


 俺がこの文月学園に入学してから、間もなく一年が過ぎようとしている。気の合う友人たち(バカ共)もできて、本当に充実した一年だった。

 ただ、そんな情緒に思いを馳せている場合ではない。

 俺こと谷村誠二(たにむらせいじ)は、死ぬ思いで学園へと続く坂道を駆け上っていた。

 

 

 文月学園にはクラスがAからFまであり、二年生以上は成績順でAからクラスが決まっていく。さらに、クラスによって環境が異なるため、頭のいい人は設備の整ったAクラスへ、頭の悪い人はオンボロのFクラスへ、といった具合だ。せっかくの新学期をそんなぼろっちい教室で迎えたくはないため、是が非でもFクラスだけは回避しなくてはならない。

 さて、その大事なクラスを決定する成績は、これまでの一年間を総合した成績ではなく一年の終わりに実施される振り分け試験の成績が対象となる。すなわち、どんなに普段の成績が良かろうとこの振り分け試験で失敗してしまえば下位クラスに行くことになり、逆もまた然りなのである。

 俺は決して頭が悪いわけではないが、DクラスやEクラスに甘んじずにどうせなら上位クラスへと行きたかったのだが……。

 

「どうして俺はこんな大事な日に寝坊なんてするのかねえ……!」

 

 そう、今日が振り分け試験の当日なのにもかかわらず、俺は寝坊してしまったのだ。

 幸いまだギリギリで間に合いそうな時間だったのだが、もしも遅刻なんてしてしまえば不受験によりFクラス行きが確定となってしまう。そんなのは嫌だ!

 最後の希望を守りきるため全力で足を前に進めていたその時、

 

 

「ぐあっ!」

 

 思いっきり転んでしまった。

 

 

 とっさに手を突き出したはいいものの、掌を擦りむいてしまった。さらに、下半身からもなにやら痛みを感じる。

 痛みに顔を歪め恐る恐る目をやると、擦りむいた膝からはどくどくと血が流れ出していた。

 くぅっ! 痛い!

 どうやら骨に異常はなく、ただ擦りむいただけのようだが、それでもかなり痛い。

 ええと、ハンカチで押さえて……ああそうだ、寝坊したからハンカチなんて持ってきてないんだ。クソ、なんで今日はこんな事ばっかり起こるんだ!

 だが、振り分け試験を諦めるわけにはいかない。これからの一年間がかかっているのだ。痛みをこらえながら放り出してしまったカバンを手に取り、駆け出そうとすると、

 

 

「大丈夫?」

 

 

 唐突に、後ろから声をかけられた。

 一体誰かと思って振り向くと、自転車にまたがった美少女――確か名前は――

 

「えっと、木下さん? だよね」

 

 木下優子さんだったはずだ。

 

「あら、アタシの事を知ってるの?」

「まあ有名人だしね……」

 

 彼女は、成績優秀で立派な優等生だという噂を聞いたことがある。一年生の時は同じクラスではなかったので話す機会は皆無だったし、実際にこれが初めての会話であるが。俺があまり頭が良いとは言えないことも一因である。

 

「そんなことより、大丈夫なの? さっき、思い切り転んでたみたいだけど」

「大丈夫です! こんなの、つば付けとけば治るんで!」

 

 本当はそんなレベルではないが、こんなところで油を売っている暇もないので嘘を付く。ただ、木下さんの目はごまかせなかったようで、

 

「……どう見ても大丈夫には見えないんだけど……ハンカチか何かで押さえた方が良いんじゃないかしら?」

「あー……今日は寝坊したのでハンカチは忘れちゃったんです」

「そう……じゃあ、アタシのハンカチをあげるから、それで押さえてなさい」

 

 なっ!? 今ハンカチをあげると言ったか!? 俺と木下さんは初対面のはずなのに!?

 木下さんは自転車から降りると、こっちに近づいてきた。

 

「そんな、木下さんに悪いですよ! 初対面ですし!」

「いくら初対面でも、そんな怪我の人を放っておけないわ」

「で、でも……ほら、今日は振り分け試験じゃないですか! 俺なんかに構ってないで早く行かないとまずいんじゃないですか!?」

「それはあなたもでしょう?」

「え? どうして俺が一年って……」

「明らかに急いでたし、そもそも今日は振り分け試験のある一年生しか登校しないはずよ。二年生の振り分け試験は明日のはずだし」

 

 ……そういえばそうだった。

 

「って、そうじゃなくて! 木下さんが遅刻したら大変なことに――!」

「じゃあ、こうしましょう」

「え?」

 

 木下さんはそう言うと、ハンカチを俺に押し付けて自転車にまたがった。

 

「アタシは先に学校に向かうから、あなたはそのハンカチで自分で応急手当てする。それでいいわね?」

「は、はい……」

 

 気が付くと木下さんのペースに乗せられて、ハンカチを握りながら呆然と走り去っていく木下さんを見送る俺の姿があった。よく自転車で坂を上れるなあ……あ、電動自転車か。

 

「って、やばい! 俺もさっさと行かないと!」

 

 とりあえずもらったハンカチで膝や手の血を拭いて、今度は転ばないように気を付けながら文月学園へと向かった。

 このハンカチ、どうすればいいんだろう?

 

 

「それにしても……木下さんって、可愛くて優しい人だったな……」

 

 



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第一問 ざわめきの朝

【化学】

 以下の問いに答えなさい

『調理の為に火にかける鍋を製作する際、重量が軽いのでマグネシウムを材料に選んだのだが、調理を始めると問題が発生した。この時の問題点とマグネシウムの代わりに用いるべき金属合金の例を一つ挙げなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『問題点……マグネシウムは炎にかけると激しく酸素と反応する為危険であるという点。

合金の例……ジュラルミン』

 

 教師のコメント

 正解です。合金なので『鉄』では駄目という引っ掛け問題なのですが、姫路さんはひっかかりませんでしたね。

 

 

 

 須川亮の答え

『問題点……使用したマグネシウムが一般のものより重かった点。

合金の例……思いの外軽いマグネシウム』

 

 教師のコメント

 重さは関係ありませんし、勝手に想定しないでください。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『問題点……食材を用意していなかった点。

合金の例……食べられるマグネシウム』

 

 教師のコメント

 その合金は果たして美味しいのでしょうか。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 今日から、二年目の高校生活が始まる。

 学園へと続く坂道を彩るように、両側の桜は綺麗に咲き誇っている。俺は情緒を大事にする人間ではないが、それでもこの景色には一目置いてしまう。

 さて、今日は運命のクラス分け発表の日である。

 振り分け試験の日とは違い、今日は寝坊することは無かった。そのため、俺は悠々と坂道を上っていた。

 

 

 

「うわ、なんだこれ……」

 

 校舎の前まで来ると、多くの生徒たちが列をなしていた。その中から悲鳴や歓声が上がっている。

よく見ると、一年の時のクラスごとに分かれているらしい。俺がいたのはCクラスだったから……あそこか。列に近づき、最後尾を陣取っていた俺の友人――須川亮(すがわりょう)に話しかけた。

 

「よう、須川」

「お、谷村じゃねえか」

「なあ、この列はなんだ?」

「あ? お前、振り分け試験の時ちゃんと話聞いてなかったのかよ。クラス分け発表は一人ずつやるからこうやって並べって言われただろ?」

「……そうだったか?」

 

 必死に思い出そうとするがあまり記憶にない。あの日は痛みを堪えるので精いっぱいだったからな……。

 

「そうだったよ。っと、俺の番だ」

 

 須川が前に出て、かつての担任である布施先生から封筒を受け取る。なるほど、ああやってクラスを知らせるのか。

 

「それにしても、なんでわざわざこんなことするんだろうな」

「さあな。試験校だからとかなんとか言ってたけど、どうなんだか。さて、俺のクラスは~っと」

「……お前のクラスは多分――」

「な、なんだと!?」

「Fクラスだと思うぞ」

 

 封筒の中身に震えながら驚いている須川を横目に、俺も封筒を受け取る。

 

「お、おい! なんで俺がFクラスだって分かったんだ!?」

「一年もお前と同じクラスにいれば分かるっつうの」

「く、くそ、お前もFクラスになってしまえ!」

「心配しなくてもいいぞ」

「は?」

 

 封筒の中身を取り出し、須川に見せる。

 

 

「俺もFクラスだ」

 

 

    ■■■■■

 

 

 木下さんからハンカチを貰ったその後、俺は何とか試験開始直前に教室に入る事が出来た。

 体を怪我していた俺を見てクラスメイトの大半はぎょっとしたが、転んだだけだという事を伝えると、安心したのか各自の勉強へと戻っていった。他人の怪我より自分の未来の方が大事なのだ。俺だって自分の怪我より未来の方が大切だ。

 教室を見渡すと、Cクラスの生徒たちのうち半分ぐらいしか揃っていなかった。不思議に思い、近くに座る工藤信也(くどうしんや)に訊いてみる。

 

「なあ、人が少なすぎないか?」

「黒板に紙が貼ってあるだろ。カンニング対策で、クラスを半分に分けてるんだとよ」

「ふうん」

 

 確認してみると、確かにそのように書いてあった。幸いにも俺はこの教室で受けるらしい。

と、その時、布施先生が教室に入ってきた。

 

「みなさん、席についてください」

 

 こうして、俺の振り分け試験が始まった。

 

 

 

 

 結果から言うと、大失敗だった。

 

 怪我をした影響というものは予想外に大きく、まずシャーペンを持つのがままならない。さらに、ひざの痛みにも耐えながら解いていくが、とても正解しているとは思えなかった。なんとかすべての科目を受け終えたが、得意科目の数学でさえ解答欄を埋めていくのが精いっぱいだった。

 

「ちくしょう……」

 

 俺が本気を出せば、少なくともEクラスは行けたであろうだけに非常に悔やまれた。

 

「せっかくハンカチくれたのにな……」

 

 わざわざ俺なんかの為にハンカチを一枚無駄にしてくれた木下さんに申し訳ない。もともと同じのを買ってお返しするつもりだったが、もっと高いものを買う事にした。転んだ時に諦めてればハンカチを汚すことも無かった……いや、それでも木下さんならハンカチをくれた可能性はあるか。

 

 

    ■■■■■

 

 

 なんだか恥ずかしいのでハンカチの事は隠して須川に経緯を伝えると、

 

「いや、お前だって本気出したところでEクラスに行けるか怪しいじゃねえか」

「なんだと?」

「お前、ちょっと自己評価高くねえか?」

「おいおいその発言はいただけないな。俺を誰だと思っている?」

「おつむの悪い谷村誠二君だろ? 一年間同じクラスで今更お前の成績が分からないわけあるかよ。お前だってそう言っただろうが」

 

 ぐぐぐ……ああいえばこういう……だったら――

 

「だったら、勝負しようじゃねえか!」

「はぁ?」

「さすがにしょっぱなから試験召喚戦争を仕掛けることも無いだろうから、期末試験の点数で勝負だ!」

「望むところだこの野郎!」

「はっ! 俺が須川なんぞに負けるわけねえだろうが!」

「バカ言え、俺が本気を出したら谷村なんぞぼっこぼこだ!」

「上等だ!」

 

 と、二人で騒いでいると、

 

「何を騒いでいる貴様ら」

 

 どこからか野太い声が聞こえてきた。

 

「何をって……て、鉄人!?」

「なんで鉄人が!?」

「あれだけ校舎前で騒げば生活指導の俺が出てくるのは当然だろう。それと、教師を鉄人と呼ぶんじゃない」

 

 その言葉と共に、俺達の頭上に拳が振り下ろされた。

 

「ぐおおお……」

「いってぇ! 何しやがる、こっちは怪我人だぞ!」

「お前の怪我は一ヶ月も前のただの擦り傷だろう。振り分け試験の日に怪我をしたのは災難だったが……それだけ騒げる元気があるなら十分だ。ほら、さっさと教室に行け」

「くそ……言われなくても今行きますよ。須川、行こうぜ」

「これは体罰だろ……ちくしょう……」

 

 俺達は二人して目に涙を浮かべながら、校舎へと入っていった。

 

「まったく、あの元気を他に活かせばこちらとしても助かるんだがな」

 

 背後から、呆れ返る鉄人の独り言が聞こえた。

 




今回で、この作品の雰囲気や方針、また谷村誠二の立ち位置などが掴めるかと思います。


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第二問 最下層の住人

【国語】

 問 以下の意味を持つことわざを答えなさい。

『(1)得意なことでも失敗してしまうこと』

『(2)悪いことがあった上にさらに悪いことが起きる喩え』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『(1)弘法も筆の誤り』

『(2)泣きっ面に蜂』

 

 教師のコメント

 正解です。他にも(1)なら『河童の川流れ』や『猿も木から落ちる』、(2)なら『踏んだり蹴ったり』や、『弱り目に祟り目』などがありますね。

 

 

 

 工藤信也の答え

『(1)広法も筆の誤り』

『(2)弱り目に崇り目』

 

 教師のコメント

 一瞬丸を付けそうになりましたが、非常に惜しくどちらも漢字を間違えています。焦る気持ちもわかりますが、落ち着いて解答しましょう。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『(1)この俺もFクラス』

『(2)弱り目にFクラス』

 

 教師のコメント

 そう思うのなら勉強してください。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「うわ、デカッ」

 

 三階に足を踏み入れた俺達を待ち構えていたのは、通常の五倍の広さを誇る教室だった。

 もしかして……。

 

「これがAクラスか?」

「だろうな。ほら、二年A組ってプレートが……プレート?」

 

 須川の示すように顔を上げると、二年A組と表示された電光掲示板が目に入った。

 慌てて教室内に視線を戻すと、黒板があるべきところには超大型のプラズマディスプレイがあり、天井は総ガラスで、壁には観葉植物や絵画まで飾ってある。

 

「ホテルか何かかよ……」

 

 よく見ると、それぞれの席にはエアコンや冷蔵庫、ノートパソコンやリクライニングシートなどが当然のように置かれている。

 これが教室とは……信じられない。

 

「お、おい須川。こんなところはさっさと離れよう。俺達が惨めになるだけだ」

「ああ……そうだな」

 

 精神衛生状態を守るため、俺達はそそくさとAクラス前を通過した。

 

 

            ☆

 

 

「うわ、ボロッ」

 

 Aクラスを離れ、渡り廊下を越えた俺達を待ち構えていたのは、通常の十倍のぼろさを誇る教室だった。

 もしかして……。

 

「これがFクラスか……?」

「そうみたいだな……ほら、二年F組ってプレートがあるぞ。外れかけてるけど」

 

 まだ教室の中身を確認していないのにこの有様だ。一体中はどうなってるんだ……。

 

「いくぞ……」

 

 ガラッ

 

 

 

 ピシャン

 

「おい谷村、なんでドアを開けてすぐに閉めた? お前は教室の中に一体何を見たんだ!?」

「いや、なんでもない……ちょっとゾンビが見えただけだ」

「はあ? いくらなんでもそんなわけねえだろ。ちょっと代われ」

 

 ガラッ

 

 

 

 ピシャン

 

「な?」

「ああ……なんだったんだ今のは……」

 

 

 落ち着け……さすがにゾンビなんて居るはずがない。きっと何かの見間違いなんだ……!

 意を決して、もう一度ドアを開ける。

 

 そこで目にしたのは――

 

「切れかけの蛍光灯に腐った畳、薄っぺらい座布団にボロボロの卓袱台……酷いなこりゃ」

 

 ゾンビがいるように見えたのは、どうやら酷い環境とそれに絶望したクラスメイトの濁った目が原因だったようだ。そのすべてが男子だったことも影響していただろう。

 

「これが教室とは……信じられねえ……!」

 

 Aクラスの教室にも思った事を、今度は口に出してしまった。今度はまったく違う意味で。

 

「おい、そんなところで突っ立ってないで早く入ってこいよ」

 

 俺達を呼ぶ声がしたのでそちらに目をやると、そこには工藤が畳の上に座っていた。

 

「あ、お前もFクラスなんだな」

「まあな、よろしくやろうぜ」

「おう。ところで、席はどうなってんだ?」

「決まってないんだとよ。だから適当に座れ」

「そうか」

 

 席すら決まっていないとは……恐るべきFクラス。

 後ろ手にドアを閉めて工藤の方へと向かう。俺は工藤の後ろに、須川がその横に座ることにした。

 

「それにしてもよ、噂は聞いていたがまさかここまでとはな」

「まったくだ。せめてEクラスにはなっとくべきだった――」

 

 バキッ

 

「「「……」」」

 

 嘆きの声と共に須川が鞄を卓袱台に置いた瞬間、悲痛な音と共に卓袱台の脚が真っ二つに折れた。

 

「はあっ!?」

「いやいやいや! こんなのあり得ねえだろ!」

 

 思わず声が出てしまう。正直、Fクラスを舐めていた。ここまで酷いとは……。

 そうやって三人で騒いでいると、ガラリと音を立ててドアが開いた。

 そこに立っていたのは、下手をするとこのクラス唯一となる女子で――

 

 ピシャン

 

 ――俺達と全く同じ反応をした。

 

 

            ☆

 

 

 HRの時間が近づくにつれて、Fクラスの生徒が続々と入ってきた。

 このオンボロ教室に入ってくることは、学力最底レベルというレッテルを張られることを意味する。そのため、俺達と同じように多くの生徒が新学期にもかかわらず暗い表情をしている。……中には、自分の成績を把握しているのか全く落ち込んでいない生徒もいたが。

 気づけば、既に40人ほどが教室にそろっている。カメラをいじっているやつやゲームをしているやつ、卓袱台に顔を突っ伏して眠りについているやつもいる。

 

「それにしても、女子がほとんどいないってのはどういう事なんだ」

「そりゃあ、男子より女子の方が学力が上ってことなんじゃないのか」

「そうなのかもしれんけどよ……」

 

 たまたま俺達の学年がそうだったのか、それとも全体としてそうなのかは知らない。

 ちなみに、この期に及んで未だ女子はポニーテールの髪形をした一人だけである。

 

「まあそうすねるな須川。このクラスにはまだ10人ぐらいの空きがある。ここから女子がドバっと来るかもしれん」

「いや、ここまでの割合を考えると……」

 

 と、須川が反論しようとしたまさにその時、またもやドアの開く音がした。

 

「そうら、来るぞ!」

「まさかっ!」

 

 ドアをくぐって入ってきたその生徒は、180センチはあるかという背で、細身ではあるが華奢という訳ではないがっしりとした体格を持ち、意志の強い野性味たっぷりの顔にまるでたてがみのような髪型もしていた。

 ……紛れもなく男だった。

 

「あー……須川、すまなかった」

「いや、いいんだ……もう期待はしないから……」

 

 通夜のような空気になってしまった。

 空気に耐え切れずもう一度教室の入り口を向くと――

 

 

 

 ――そこには、かつてハンカチをくれた美少女が立っていた。

 ……なぜか男子の制服を着ていたが。

 

 

 

 ん!? 何事!?

 

『な、なんだあれ!』

『そういう趣味なのか?』

 

 当然のようにFクラスはざわついているが、そんなことを気にしている場合ではない。

 彼女(?)は先ほどのたてがみの男子に近づき、挨拶を交わし何やら雑談をしている。あいつの知り合いだったのか……?

 そんな光景を見て、俺は混乱の絶頂にいた。

 

 待て(Wait)待て(Wait)待て(Wait)、冷静に考察しよう。

 まず、俺にハンカチをくれたのは木下優子さんで間違いない。本人が名前を訂正しなかったし、しれは問題ないんだ。

 次に、木下さんが振り分け試験でやらかしたという事もあり得ないはずだ。成績上位者の発表でも名前を見たことがあるし、時間ギリギリではあったが擦り傷を負った俺が間に合ったんだから電動自転車で先に行った木下さんが遅刻したことはまずない。体調が悪いようにも見えなかったから、Fクラス(こんなところ)に来るはずがないんだ。

 さらに、彼女がわざわざ男装をする必要が無いということもまず間違いないないだろう。あの日の木下さんが着ていたのは女子の制服だったし、もしも制服が無ければ別の服で来ればいいだけだ。ズボンを履くことはあるかもしれないが、男子制服をチョイスする理由は無い。

 ただ、あの顔はどう見ても木下さんの顔だ。何度も見たわけではないが、他人にしてはあまりにそっくりすぎる。……多少胸が薄い気もするが。

 

 

 結論、よくわかりません。

 

 

 気づけば多くの生徒が揃っており、皆雑談はしているが席に着いている。席を立って木下さんのところに行くことは出来なそうだ。HRが終わったら訊きに行ってみよう。

 

 

            ☆

 

 

 HRの時間になったが、先生は未だ来ず卓袱台はまだ二人分の空きがある。

 まさか、このクラス発表の日に遅刻しているのだろうか。……振り分け試験の日に遅刻しかけた俺が言えた事ではないが。

 先程のたてがみ男は、なぜか教壇に立っている。Fクラスの環境に耐えられずに壊れてしまったのだろうか。

 そんなことを考えていると、唐突にドアが開き教室中にひょうきんな声が響き渡り、

 

「すいません、ちょっと遅れちゃいました♪」

「早く座れ、このウジ虫野郎」

 

 たてがみ男の暴言によりかき消された。

 

 ドスの利いた突然の暴言に教室中がビクついてしまった。いきなりあんな言葉を吐けるのは、相手が友人だからか、それとも本当に壊れてしまったかのどっちなんだろうか。

 

「聞こえないのか? あぁ?」

「……雄二、何やってんの?」

 

 どうやら友人だったらしい。まあ、そうじゃなきゃ取っ組み合いのけんかが始まってもおかしくない訳だから当然と言えば当然か。

 

「先生が遅れているらしいから、代わりに教壇に上がってみた」

「先生の代わりって、雄二が? なんで?」

「一応このクラスの最高成績者だからな」

「え? それじゃ、雄二がこのクラスの代表なの?」

「ああそうだ。これでこのクラスの全員が俺の兵隊だな」

 

 そう言って、雄二と呼ばれたたてがみ男はこちらを見下ろしふんぞり返った。

 

 ……ちょっと待て。

 ただの雑談だと思って聞き流していたが、何やら妙な単語に違和感を覚えた。

 今、アイツは自分がこのクラスの最高成績者だと言った。つまりそれは、

 

「俺はあんなガラの悪い奴よりも成績が悪かったってことか……?」

 

 つい口に出てしまいあわてて口を追押さえたが、幸いにも小声だったからかたてがみ男には聞こえていないようだった。

 ま、まあ、俺は振り分け試験の時は怪我してたわけだし? 実力が発揮できなかったのだからこの結果も仕方ないのかもしれない。甘んじて受け入れなければ。

 というかアイツ、今兵隊とかなんとか言った気がするが……さすがに気のせいか。

 

「えーと、ちょっと通してもらえますかね?」

 

 不意に覇気のない声が耳に入った。

 いつの間にか、さっき入ってきた生徒の後ろに、なんとも冴えないおじさんが立ち尽くしていた。

 ……もしかしてこのおじさんがこのクラスの担任か?

 

「それと、席に着いてもらえますか? HRを始めますので」

 

 どうやらそのようだ。

 立っていた先程の二人が席に着くと、ようやくFクラスのHRが始まった。

 

「えー、おはようございます。二年F組担任の福原慎です。よろしくお願いします」

 

 先生は、黒板に名前を書こうとして、やめた。そりゃあこんな黒板だったら書く気も失せて当然だ。

 

「皆さん全員に卓袱台と座布団は支給されてますか? 不備があれば申し出てください」

 

 支給はされているが……不備があれば、というより不備しかない気がする。

 

「せんせー、俺の座布団に綿がほとんど入ってないですー」

「あー、はい。我慢してください」

 

 どうやら薄い座布団は不備ではなくただの仕様らしい。なんてこった。

 

「先生、俺の卓袱台の脚が折れています」

「木工ボンドが支給されていますので、あとで自分で直してください」

 

 須川の不満はノータイムで打ち消された。よくあることなのかもしれない。

 

「センセ、窓が割れていて風が寒いんですけど」

「分かりました。ビニール袋とセロハンテープの支給を申請しておきましょう」

 

 Fクラスではエアコンが無い代わりに自然の風を取り入れるスタイルのようだ。

 

「必要なものがあれば極力自分で調達するようにしてください」

 

 あ、だめだ。涙出てきた。

 改めて教室を見渡してみると、隅の方には蜘蛛の巣がさも当然のように鎮座しており、壁はひびと落書きで埋め尽くされている。もはや廃墟同然である。

 

「では、自己紹介でも始めましょうか。そうですね。廊下側の人からお願いします」

 

 先生の指示で立ち上がったのは、先ほど俺を混乱の渦へと落とし込んだ木下さん(?)だった。

 この自己紹介で全てが分かる――!

 

「木下()()じゃ。演劇部に所属しておる」

 

 ……秀吉?

 日本史とは関係なく、どこかで聞いたような……

 あっ。

 

「そうか、()の方か」

 

 名前を聞いてようやく思い出した。木下さんについての噂の中に、実にそっくりな双子の弟がいる、というものがあったのだ。彼女のような美少女とそっくりな男子生徒、という摩訶不思議な噂であったため脳がパンクして記憶の彼方に吹っ飛んでいたらしい。

 なるほど、これで合点がいった。男装もなにも、もともと男だったのだ。

 ……いや、男にしてはかわいすぎねえか!?

 木下さんを先に見ていなければ危うかったかもしれない、色々と。

 そうこうしているうちに、秀吉の自己紹介は終わりに近づいていった。

 

「――つまり、この言葉遣いは演劇の練習を兼ねているうちに自然と染み付いてしまった、というわけじゃ。今年一年、よろしく頼むぞい」

 

 軽い笑みと共に自己紹介を終える秀吉。木下さんの笑みは、こんな感じなのだろうか。

 

「…………土屋康太」

 

 おっと、次の生徒の自己紹介が始まっている。一応名前ぐらいはちゃんと聞いておかなければ。覚えられるかどうかは別にして。

 

「…………趣味は、と……なんでもない」

 

 趣味について話していたようだが、あまりに声が小さくて聞き取れなかった。と、と、と……友達作り?

 

「…………特技は、と……なんでもない」

 

 今度は特技か。と、と、と……そうか、投網か。

 

「…………以上」

 

 ……やけに静かな自己紹介だった。友達作りが趣味で投網が得意な土屋康太か、覚えられそうにないな。

 

「島田美波です。海外育ちで、日本語は会話は出来るけど読み書きが苦手です」

 

 お、今度は女子か。

 軽く見渡してみるとこのクラス唯一の女子だ。これはFクラス内で取り合いになるかもしれない。

 

「あ、でも英語も苦手です。育ちはドイツだったので」

 

 なるほど、ドイツからの帰国子女か。これは余計に倍率が上がるかも――

 

「趣味は吉井明久を殴ることです☆」

 

 前言撤回。なんて危険な趣味なんだ。

 それに、どうやらその吉井ってやつと随分仲が良さそうだ。今島田さんが手を振っているのが吉井らしい。……ああ、遅刻してきたアイツか。

 

 その後は特にクラスのざわつくことも無く、淡々と自己紹介が進んでいく。良かった。個性的すぎるメンツばかりでもないらしい。

 それにしても、ひたすら自己紹介を聞いていくだけというのは非常にツラい。ちなみに、名前を覚える努力はとうの昔に諦めた。俺には無理だ。

 

「コホン」

 

 おっと、吉井とかいうやつの自己紹介が始まるらしい。

 

「えーっと、吉井明久です。気軽に『ダーリン』って呼んでくださいね♪」

 

 

『ダァァーーリィーーン!!』

 

 

 野太い声の大合唱。打ち合わせしたわけでもないのにここまで揃うとは、さすがはFクラスといった所なのだろうか。

 

「――失礼。忘れてください。とにかくよろしくお願いします」

 

 ……えっと、さっきので名前を完全に忘れてしまった、ダーリンでいいか。

 ダーリンは予想外に男の大合唱が気持ち悪かったらしく、今にも吐きそうな顔で席に着いた。むう、呼べと言うから呼んだのに、なんだか不愉快だ。

 そんな俺の気持ちに関わらず、自己紹介は進んでいく。

 

 

「――です。よろしくお願いします」

 

 おっと、いつの間にか俺の番のようだ。その場に立ち上がり、制服を整えて皆の方を向く。

 一応敬語の方がいいか。

 

「谷村誠二です。趣味はゲームで、部活には特に入っていません。えーと……」

 

 何か皆の記憶に残るような気の利いた一言はないだろうかと少し考えてみたが、何も思い浮かばなかった。

 

「一年間、よろしくお願いします」

 

 結局、ありきたりなものになってしまった。いざこうなってしまうと、先ほど大きなインパクトを残した連中が羨ましく思えてしまう。

 まあ、まだ始まったばかりだ。いくらでも仲良くなる機会なんてあるだろう。

 

 これからどうやって友達を増やして行こうか考えながら、クラスメイトの自己紹介を聞いていた。

 それにしても、意外と淡々と進むものなんだな。

 

「次は俺だな」

 

 ようやく須川の前の生徒まで終わり、須川が立とうと腰を浮かせた。

 しかし、声を出すよりも先に、教室のドアの開く音がした。

 

「あの、遅れて、すいま、せん……」

 

 そこにいたのは、保護欲をかき立てられる可憐な美少女だった。

 

『えっ?』

 

 誰からというわけでもなく、教室全体から驚いたような声が上がる。というか、俺も声を出してしまった。

 

「丁度よかったです。今自己紹介をしているところなので姫路さんもお願いします」

「は、はい! あの、姫路瑞希といいます。よろしくお願いします……」

 

 小柄な彼女は体を縮こまらせるようにして自らの名前を告げた。

 しかし、彼女の名前はおそらくクラス中の、いや学年中のだれもが知っている。入学して最初のテストでは学年次席名を連ね、その後も定期テストの度に上位に位置し続けている彼女は、その人目を引く可憐な容姿もあり俺達の学年では話題の人物の一人である。

 どうして、姫路さんがここにいるんだ? 姫路さんがいるべきなのは最上位クラスのはずだ。

 そんな俺達の気持ちを代表するかのように、一人の男子生徒が彼女にその疑問をぶつけた。

 その疑問に、姫路さんは恥ずかしそうな顔をして答える。

 

「そ、その……振り分け試験の最中、高熱を出してしまいまして……」

 

 ああ、なるほど。

 試験途中での退席は0点扱いとなる。それならFクラスに振り分けられたのも納得だ。

 

『そういえば、俺も熱(の問題)が出たせいでFクラスに』

『ああ、化学だろ? アレは難しかったな』

『俺は弟が事故に遭ったと聞いて実力を出し切れなくて』

『黙れ一人っ子』

『前の晩、彼女が寝かせてくれなくて』

『今年一番の大嘘をありがとう』

 

 姫路さんの言い分を聞いてちらほらと言い訳の声が上がる。

 俺も便乗しようかと思ったが、俺のは本当に洒落にならなそうだったからやめておく。

 

「で、ではっ、一年間よろしくおねがいしますっ!」

 

 逃げるように自己紹介を終わらせた姫路さんは、クラスの後方の最後に残った卓袱台に着いた。その卓袱台はたてがみ男とダーリンに挟まれているが可憐な姫路さんは果たして堪え切れるのだろうか。

 そう思って少し眺めていたが、予想に反して姫路さんは二人と一緒に楽しそうに会話をしていた。意外と姫路さんはタフなのかもしれない。

 すると、ニヤニヤしながら須川が話しかけてきた。

 

「おいどうした? 姫路さんに惚れたか?」

「い、いや、そんなことは無いさ」

 

 急に話しかけられたので、動揺してしまった。

 

「そうか? それにしてはやけに見てるけどな」

 

 俺が惚れたのは……いや、今は関係ないか。

 

「惚れては無いが、何となく心配なだけだ。ほら、姫路さんって守ってあげたくなる感じだし、隣があの二人だろ?」

「先生が来る前に騒いでたやつらか。確かに……」

「それにしても、女子がもう一人入って来てくれて良かったな」

「まったくだ。何が悲しくて男だらけの教室で過ごさなきゃならないんだ」

 

 姫路さんが来たおかげで、これでFクラスの女子は二人となった。他のクラスには遠く及ばないが、多少はマシになったのかもしれない。

 

「はいはい、そこの人達、静かにしてくださいね」

 

 気が付くと、姫路さん達の会話がやけに盛り上がっていた。そのために、先生がパンパンと教卓を叩いて警告を発したらしい。

 

「あ、すいませ――」

 

 

 バキィッ バラバラバラ……

 

 

 ダーリンが謝ろうとしたその時、先生の目の前で教卓がゴミ屑と化した。軽くたたいただけで壊れるとは。まさかこれも仕様なのだろうか。

 

「えー……替えを用意してきます。少し待っていてください」

 

 気まずそうにそう告げると、先生は足早に教室から出て行った。さすがにあれは仕様ではなかったらしい。

 改めてこのクラスの酷さを思い知る。

 

「なあ……」

 

 あまりの事態にあきれ返っている須川と工藤に話しかける。

 

「なんだ?」

「思っていた以上にFクラスって酷いんだな……」

「そうだな……どうにか改善できればいいんだが」

「改善ったって、方法なんて()()しかないだろ。今の俺達じゃ無理だ」

「それはそうだが……」

 

 どうにか抗う術は無いのだろうか。

 色々と考えてみるが、俺達は学力最底辺のクラスだ。となると……無理だ。

 他に策は無いかといろいろ考えていると、教室のドアが開いた。ダメだ。何も思いつかなかった。

 教室に入ってきたのは先生だけだはなく、たてがみ男とダーリンも一緒だったが。あの二人は、トイレにでも行っていたんだろうか。

 

「さて、それでは自己紹介の続きをお願いします」

「あ、はい」

 

 壊れた教卓をボロボロの教卓に替えて、HRが再開される。

 

「えー、須川亮です。趣味は――」

 

 聞きなれた友人の声を皮切りに、また淡々とした自己紹介の時間が流れる。

 そして窓際最後列に座るたてがみ男の番になった。

 

「坂本君、君が自己紹介最後の一人ですよ」

「了解」

 

 たてがみ男は席を立ち、ゆっくりと教壇に歩み寄った。その姿には、先ほどまでのふざけた態度は感じられなかった。

 

「坂本君はFクラスのクラス代表でしたよね?」

 

 福原先生に問われ、泰然とうなずくたてがみ男。

 先ほど耳にした通り、アイツがこのクラスの代表で間違いないらしい。

 とはいえ、ここは最底辺のFクラスだ。ただ、バカの集まりである50人の中で一番点数が高かったというだけのこと。Fクラス代表なんて肩書は自慢にすらならない。

 

「Fクラス代表の坂本雄二だ。俺の事は代表でも坂本でも、好きなように呼んでくれ」

 

 それでも、たてがみ男――坂本は、自信に満ちた表情で俺達に向き合っている。

 

「さて、皆に一つ聞きたい」

 

 坂本が、ゆっくりと、全員の目を見るように告げる。

 そして、坂本の視線は教室を見渡すように映り、俺達もそれにつられてFクラスの備品を眺めていった。

 

 かび臭い教室。

 

 薄っぺらい座布団。

 

 ズタボロの卓袱台。

 

「Aクラスは冷暖房完備の上、座席はリクライニングシートらしいが――」

 

 俺は、数十分前に見たAクラスを思い出す。

 

「――不満は無いか?」

 

 

 

『『大ありじゃぁっ!!』』

 

 

 

 二年F組生徒の、心からの叫び。

 

「だろう? 俺だってこの現状は大いに不満だ」

 

『そうだそうだ!』

 

 一人。

 

『いくら学費が安いからと言って、この設備はあんまりだ! 改善を要求する!』

 

 また一人と。

 

『そもそもAクラスだって同じ学費だろ? あまりに差が大きすぎる!』

 

 次々に不満の声をあげていく。

 それはクラス中に伝染し、俺達に謎の高揚感を与えている。

 もしかして、俺達でも『やれる』のか?

 

 正体不明の『熱』に包まれた俺達に向けて、

 

「みんなの意見はもっともだ。そこで」

 

 野性味満点の八重歯を見せたFクラス代表、坂本雄二の口から、

 

「これは代表としての提案だが――」

 

 禁断の一言が放たれる。

 

「――FクラスはAクラスに『試験召喚戦争』を仕掛けようと思う」

 

 こうして、二年目の学園生活は幕を開けた。



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第三問 昨日の友は今日の敵

【英語】

 問 以下の英文を訳しなさい。

[This is the bookshelf that my grandmother had used regularly.]

 

 

 

 平賀源二の答え

[これは私の祖母が愛用していた本棚です。]

 

 教師のコメント

 正解です。よく勉強していますね。

 

 

 

 工藤信也の答え

[これは本棚で、あれは私の祖母です。]

 

 教師のコメント

 この場合の『that』は、『あれ』という意味ではありません。

 

 

 

 谷村誠二の答え

[これは私のすごい母が持って使って普通にしていたブックスヘルフです。]

 

 教師のコメント

 努力は認めます。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「……え?」

 

 Fクラスにはびこっていた高揚感は、坂本の一言で立ち消えかけていた。

 この教室に不満はある。改善するには試験召喚戦争しかありえないし、もしかしたら俺達にも勝利の目があるのかもしれない。

 だが、

 

「Aクラスにはどうやっても勝てないんじゃないのか?」

 

 同じことをクラスメイト達も思ったようで、

 

『勝てるわけがない』

『どうしてAクラスなんだ』

『これ以上設備を落とされるなんて嫌だ』

『負け戦ならしたくない』

『姫路さんがいたら何もいらない』

 

 そんな悲鳴が教室のあちこちから上がる。

 当然だ。AクラスとFクラスとの間には、天と地以上の戦力差があるのだから。

 

 

 文月学園において、成績順に差のつけられた教室のレベルを上げる方法は『試験召喚戦争』しかない。

 そして、この試験召喚戦争は、テストの点数に強さが依存する『召喚獣』を用いて戦うのだ。簡単に言ってしまえば、バカより天才の召喚獣の方が強いというわけだ。

 テストの点なんて満点が決まってるのだから、頭がいいと言っても頭打ちになる、なんて意見が聞こえてきそうだがそれは全くの間違いだ。

 なぜなら、文月学園で採用されているテストには『満点』というものが存在しないからだ。一時間の制限時間で、点数も問題数も無制限の問題をひたすら解きまくるというのがこの学園のテストである。故に、頭がいいやつは数百点という成績をとることができるのだ。学年首席になると、各科目で400点オーバーもざらだと聞いたこともある。

 もちろん、あくまでも戦争であるために、複数人で奇襲をしたり得意科目で挑んだりという事は可能である。が、AクラスとFクラスの点数は文字通り桁が違う。正面から挑んだとしたらAクラス一人に対して3,4人でも負ける可能性がある。

 そんな圧倒的な戦力差を前に、それでも坂本は宣言する。

 

「そんなことはない。必ず勝てる。いや、俺が勝たせてみせる」

 

 その目には、確信が宿っているようだった。しかし、

 

『何を馬鹿なことを』

『Fクラスは代表もバカだったのか』

『出来るわけないだろう』

 

 否定的な意見が教室中を飛び交っている。俺も完全に同意見だ。どう考えても勝てる勝負とは思えない。

 その疑問を坂本にぶつけてみる。

 

「そんな大口を叩けるってことは何か根拠があるのか?」

 

 すると、坂本は迷うことなく口を開いた。

 

「根拠ならあるさ。このクラスには試験召喚戦争で勝つことのできる要素が揃っている」

 

 その言葉に、教室のざわめきはさらに大きくなる。

 学力最低のFクラスにそんな要素があるのか?

 

「それを今から説明してやる」

 

 そう言って、俺達を壇上から見下ろす坂本は一人の男子生徒の名を呼んだ。

 

「おい、康太。畳に顔を付けて姫路のスカートを覗いてないで前に来い」

「…………!!(ブンブン)」

「は、はわっ」

 

 康太と呼ばれた生徒は、畳の跡の付いた顔と手を左右に振り否定のポーズを取っている。姫路さんがスカートを押さえて後ずさると、康太は畳の跡を隠しながら壇上へと歩き出した。

 アイツは……確か、友達作りが趣味で投網が得意な奴だったか。

 

「土屋康太。こいつがあの有名な、寡黙なる性識者(ム ッ ツ リ ー ニ)だ」

 

 アイツがムッツリーニだと……?

 ムッツリーニとは異様なまでのムッツリスケベで、その名は学年中の男子生徒から畏怖と畏敬を以て挙げられる。俄かには信じがたいが……あれほどまでに明確な証拠があるのにもかかわらずいまだに覗きを否定しているところを見ると真実なのかもしれない。

 ムッツリーニは保健体育の成績がずば抜けていて、総得点の八割を保健体育でカバーしていると聞いたことがある。それが本当ならば、Aクラスに対し強力な武器になる。

 そんな話を知ってか知らずか、クラスのざわめきは加速していく。

 

「姫路のことは説明する必要もないだろう。皆だってその力はよく知っているはずだ」

「えっ? わ、私ですか?」

「ああ。ウチの主戦力だ。期待している」

 

 ……そうか、このFクラスには姫路さんがいたんだ。学年次席の実力者である彼女がいるのだから、Fクラスの勝利はぐっと現実味を帯びたものになる。

 

「彼女さえいれば何もいらないな」

 

 ところで、さっきから姫路さんにラブコールを送り続けている工藤は一体どうしたんだろうか。

 

「特定の教科においてはかなりの実力を持つヤツがこのクラスにはムッツリーニ以外にも何人かいるし、学力以外の面で能力を発揮するヤツだっている」

 

 言われてみれば、ここにいる学力最低の烙印を押された生徒の中には、特定の教科や学業以外に打ち込んできてその分野においては人並を大きく上回る生徒が少なからずいる。

 

「当然俺も全力を尽くす」

 

 坂本の言葉に、どこかから坂本は小学生の頃は天才だった、という話が聞こえてくる。もしそうならば、代表としての実力は計り知れないかもしれない。こうしてFクラスの皆をまとめ上げているところを考えると、相当の策士である可能性もある。

 ふと気が付くと、いつの間にか教室内のざわめきは困惑によるものとは全く異なるものになっていた。

 俺達にもAクラスが倒せるんじゃないか、そんな雰囲気が教室を埋め尽くしていた。

 

「それに、吉井明久だっている」

 

 

 ……シン――

 

 

 そして、幻のように消えた。

 えっと、吉井明久って誰だったっけ。

 

「ちょっと雄二!どうしてそこで僕の名前を呼ぶのさ! まったくそんな必要はないよね!」

 

 ああ、吉井明久ってダーリンのことか。

 教室のざわめきがまた困惑によるものに戻ってしまった。

 

「ほら! 折角上がりかけてた士気に翳りが見えてるし! 僕は普通の人間なんだから皆は知らなくて当然なんだよ!」

「そうか、知らないようなら教えてやる。こいつの肩書は《観察処分者》だ」

 

 観察処分者?それって――

 

「それって、バカの代名詞じゃなかったか?」

「ち、違うよっ! ちょっとお茶目な十六歳に与えられる愛称で」

「そうだ。バカの代名詞だ」

「肯定するな、バカ雄二!」

 

 確か、学生生活を営む上で問題のある生徒に課せられる処分で、学業がおろそかになっていることと生活態度がよろしくないことの両方を満たした生徒のみが対象だったはずだ。それ故に、開校以来一人しか出ていないという話だったが……まさかコイツだったとは。

 観察処分者は、普段から教師の雑用を命じられている。

 わずかな点数でも人間の数倍の力を誇る試験召喚獣は、観察処分者のものだけ特別に物に触れることが出来る。重い教科書類などを運ぶのにもってこいというわけだ。

 そのかわり、その試験召喚獣の受けた負担の何割かは観察処分者である本人に返って来るらしい。試験召喚獣が腕を切られれば、観察処分者の腕にも痛みが走る、といった具合だ。

 要するに、

 

「おいそれと召喚できないヤツが一人いるってことだよな」

 

 俺の発言に、須川と工藤が同時にうなずいていた。

 

「気にするな。どうせ、いてもいなくても同じような雑魚だ」

「雄二、そこは僕をフォローする台詞を言うべきところだよね?」

「とにかくだ。俺達の力の証明として、まずはDクラスを征服してみようと思う」

「うわ、すっごい大胆に無視された!」

 

 想いというのはそう簡単に届かないもののようだ。

 

「皆、この境遇は大いに不満だろう?」

『当然だ!!』

 

 坂本の問いかけに、俺達は全力で答える。

 

「ならば、全員(ペン)を執れ! 出陣の準備だ!」

『おおーーっ!!』

 

 さらに声を張り上げる。

 

「俺達に必要なのは卓袱台ではない! Aクラスのシステムデスクだ!」

『うおおーーっ!!』

 

 俺達は、拳を思いっきり突き上げた。

 後ろを見てみると、あの姫路さんも小さく拳を作り揚げていた。

 今、Fクラス全員の気持ちが一つになったのだ。

 『やってやる』と。

 その様子を見て満足げに頷いた坂本は、小さくよしと呟いてから、

 

「明久にはDクラスへの宣戦布告の使者になってもらう。無事大役を果たせ!」

 

 と告げた。

 下位勢力の宣戦布告の使者って大抵ひどい目に遭うらしいが……黙っておこう。

 同じことにダーリンも気づいたみたいだが、坂本に言いくるめられていた。

 

「わかったよ。それなら使者は僕がやるよ」

「ああ、頼んだぞ」

 

 死者としてDクラスに逝くダーリンを、俺達クラスメイトは大きな歓声と拍手で見送った。

 そして、誰からともなく声が漏れる。

 

「アイツバカだな」

 

 姫路さんですら、否定することは出来なそうだった。

 

 

            ☆

 

 

「さて、明久が宣戦布告をしている間に皆にはやってもらいたいことがある」

 

 ダーリンが教室を出てすぐに、坂本は俺達に告げた。

 

「クラス分け発表の紙はまだ持ってるよな? その裏面に、振り分け試験の成績が書いてあるはずだから確認してくれ」

 

 そういえば、須川に紙を見せた時、そんなものがあったような気がする。

 鞄から封筒を取り出し、改めて確認する。

 縦に並んだ科目名の横にそれぞれの科目の点数。最下段には総合点が書いてある。

 ううむ、我ながらこれはひどい。得意な数学でさえ60点台だ。

 

「その点数が今現在の皆の持ち点だ。俺はクラス代表兼参謀としてその点数を把握する必要がある」

 

 坂本は参謀もこなすらしい。何か策がありそうなことを言っていたから当然と言えるかもしれないが。

 

「しかし、振り分け試験で本領を発揮できなかったものや、春休みの間に猛勉強をしたものもいるかもしれない」

 

 俺や姫路さんは前者に入る。

 後者には……Fクラスにそんな人物はいるのだろうか。もしかすると姫路さんは春休み中も勉強していたかもしれないが。

 

「だから、全員『今試験を受けて取れる点数の予測』を振り分け試験の点数の横に書いて俺に提出してほしい」

 

 今の姫路さんの持ち点はゼロだ。いくら姫路さんが学年次席であったとしても戦闘が始まった瞬間に戦死となる。それを防ぐため、最初に補充試験を受けさせるつもりなのだろう。俺にとってもありがたい。

 

「これは試験召喚戦争に勝つために必要な事だ。見栄を張らずに事実を書いてくれ」

『了解』

 

 皆、各自の卓袱台の前に座って、坂本の指示に従い点数を書いていく。

 えっと、英語は調子が良くても50点は行かないな。現国はぎりぎり50点を超えるぐらいで、数学は――よし、こんなもんか。すべての教科の予測点数を書いて、最後に電卓でそれを合計して総合点を出す。

 間違いが無いことを確認してから、坂本に提出する。

 

「谷村だ。よろしくな、坂本」

「おう。……ん、やけに振り分け試験と予測点数が開いてるな。何があったんだ?」

「振り分け試験の日に転んで怪我してな。そのせいで本気を出せなかった」

「そうか……ふむ、理系科目はそこそこの戦力になるな。ありがとう、役割については後でまとめて連絡する」

「ああ、頼んだぞ」

 

 ふう、疲れた。

 ふと周りを見渡してみると、どうやら俺が最後だったらしい。まあ、ほとんどの生徒は実力通りだっただろう。

 

「皆、ご苦労だった。明久が帰ってきたら何人かを集めてミーティングをするから、これから呼ぶヤツ以外は昼休みに入ってくれ」

 

 そうして、坂本は次々に名前を呼んでいく。その中に俺や須川の名前は無かった。

 

「よし、学食に行こうぜ」

 

 HRが終わったら秀吉に木下さんについて色々と聞いてみようと思ったが、肝心の秀吉がミーティングに呼ばれたので、また今度にする。

 ミーティングに呼ばれなかった俺は、須川と工藤を誘って一足先に昼食をとることにした。

 

「おう。今日は景気づけに良いもん食うぞー」

「早く行こうぜ。他はまだ授業中だし、今なら一番乗りできるぞ」

「それもそうだな。学食はいつも混むからな」

 

 そんなことを話しながらドアの方へと向かうと、傷だらけのボロ雑巾が転がり込んできた。

 

「騙されたぁっ!」

 

 よく見ると、それはボロ雑巾ではなくダーリンだった。どうやらDクラスから暴行を受けたらしい。

 そんなダーリンに対して、坂本は平然と言ってのけた。

 

「やはりそうきたか」

「やはりってなんだよ! やっぱり使者への暴行は予想通りだったんじゃないか!」

「当然だ。そんなことも予想できないで代表が務まるか」

「少しは悪びれろよ!」

 

 坂本とダーリンの関係性は本当に友人でいいのか気になったが、腹の虫が泣き始めたので俺達は大声でわめき散らすダーリンを背に学食へと向かった。

 

 

            ☆

 

 

 学食へ向かっているうちにチャイムが鳴ってしまったが、なんとか無事に席を確保することが出来た。

 

「それにしても、まさか初日から試召戦争をすることになるとはな」

 

 安いカレーを口に掻き込みながら、須川は話を切り出す。

 

「さっきはなんか乗っちまったけどよ、本当に勝てるのか?」

「勝てるんじゃないか? 坂本が説明してた事は交じりっ気無しの事実なわけだし」

 

 姫路さんだけでもかなりの戦力になる。彼女一人でごり押すことも戦略としては充分にアリだ。

 

「そういえば、なんでDクラスに宣戦布告したんだ? Aクラスを狙うなら最初からそうすればいいのに」

 

 当然ともいえる疑問を口にしたのはラーメンをすすっていた工藤である。

 

「んー……確かにそうだな。開戦前に坂本に聞いてみようぜ」

 

 俺は野菜定食をつまみながら適当に返答する。坂本の事だ、何か策があるに違いない。

 学力最低クラスといえど、やはりこの文月学園の最大の特徴である試召戦争には興味があるようで、俺達は試召戦争に勝つために話し出す。

 

「なあ須川、お前って得意教科は何だったっけ」

「あ? 俺はあれだ、理系が得意だな。つってもせいぜい80程度が限界だ」

「へえ、得意教科でもそんなもんなんだな」

「Fクラスなんてそんなもんだろ? 大体、俺は苦手教科でも50は確保できるっつうの」

 

 須川は全体としてのばらつきが無いらしい。一点突破は出来なくともどの科目でもある程度の戦力になるというのも結構戦力になるかもしれない。

 

「工藤は社会が得意だったよな」

「ああ。ヤマが当たれば150点突破もあり得ない話じゃない。日本史とかは結構流れが掴めると面白いんだぜ?」

「日本史って……お前古典は酷いじゃねえか」

「同じ日本の歴史でも、日本史と古典はまるで違うからな。っていうかお前だって古典は散々だろ」

「それはそうだが……」

 

 工藤は社会の一点突破型になる。日本史や世界史、現代社会などである。須川と工藤、それぞれの勉強の方針は違うようで、工藤は社会に自分のアイデンティティを見出したようだ。

 

「んで、谷村。お前は?」

「あ? 知ってるだろ、俺は――」

 

 俺が自分の成績について話そうとすると、ある生徒が話しかけてきた。

 

「よう、ここいいか?」

「別にいいぜ、平賀(ひらが)

 

 俺の前の空席にコンビニの惣菜パンを持って座ったのは、俺達の元級友である平賀源二(げんじ)だった。

 

「なあ、お前ってどこのクラスになったんだ? 今年に入ってからかなり頑張ってたみたいだったけど」

「聞いて驚くなよ、須川。なんと、Dクラスだ!」

「な、お前がDクラスだと!? せいぜいEクラスどまりだと思ってたのに!」

「まあ、色々と惜しかったんだけどな……」

 

 惜しかった? どういう事だろう。

 

「それで、お前達はどこなんだ?」

「……三人ともFだ」

「……そうか」

 

 年が明けてから振り分け試験に向けて必死に頑張ってきた平賀と、何もせず自分のやりたいことばかりやってきた俺達でクラスに差が出るのは別にかまわない。

 というかそれが当然なのであり、そうでなかったらあまりに平賀が不憫すぎる。

 問題なのは、今日の午後から試召戦争をするのが『Fクラス』対『Dクラス』ということである。

 つまり、かつての級友が刃を交わすことになるのだ。

 

「なあ谷村。なんだって初日に試召戦争なんか仕掛けてきたんだ? 戦力差があまりに露骨すぎるだろ?」

「あ? 理由は一つしかねえだろ。今のままでも勝てるからだ」

「言うねえ。学力差は歴然としてるのにか?」

「もちろんだ」

「そこまで言うからには何か根拠でもあるんだろうな?」

「あるさ。いいか? うちのクラスにはひ――」

 

 姫路さんがいる――そう言おうとしたときに、須川と工藤のごつい手によって口をふさがれた。

 ちょっと待て、俺まだ食事終わってねえんだぞ。

 

(バカ! 姫路さんはウチの秘密兵器だぞ!)

(そんな簡単に言うんじゃない、バカ!)

 

 二人が小声で俺に耳打ちをしてくる。

 そうか、危うく手の内をばらすところだった。

 

「? お前のクラスには何があるんだ?」

 

 幸い平賀は姫路さんの存在に気づいてないようだった。まだ誤魔化せる。

 

「ひ、ひ、ひ……秘策だよ」

「秘策?」

「ああそうだ。Fクラスにはお前達Dクラスを倒す秘策がある」

「秘策ねえ……」

 

 平賀は、納得したようなそうでないような表情をした。

 が、特に気にも留めなかったようで、席を立った。アイツもう食い切ったのか。

 

「そうかい、じゃあ楽しみにしてるぜ」

「おう。俺らの底力を見せてやる」

「はいはい、返り討ちにしてやるからな」

 

 そう言って、平賀はパンのゴミをポケットに突っ込んで食堂を後にした。

 アイツ、パンを買ってきたならわざわざ込み合う食堂に来なくていいのに……そんなに俺達に会いたかったのか?

 

 平賀の言動に俺は若干の違和感を覚えた。

 しかし、いつまでも気にしているわけにもいかないので、再び野菜定食を口へと運んだ。

 

「試召戦争か……」

 

 この昼休みが終われば、初めての試験召喚戦争が始まる。

 不安要素も少なくないが、とりあえず始めに受けるであろう補充試験で簡単な問題が出るように、神様に祈っておいた。




当面は原作と同じ流れになると思いますが、出来るだけ違った目線を楽しめるように頑張ります。


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第四問 初めての試召戦争

遂に、試召戦争が始まります!


【数学】

 問 以下の問いに答えなさい。

『(1)4sinX+3cos3X=2の方程式を満たし、かつ第一象限に存在するXの値を一つ答えなさい。

 (2)sin(A+B)と等しい式を示すのは次のどれか、①~④の中から選びなさい。

   ①sinA+cosB ②sinA-cosB

   ③sinAcosB   ④sinAcosB+cosAsinB』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『(1)X=π/6

 (2)④』

 

 教師のコメント

 そうですね。角度を『°』ではなく『π』で書いてありますし、完璧です。

 

 

 

 島田美波の答え

『(1)X=5π/6

 (2)④』

 

 教師のコメント

 (1)について。確かにこの答えを代入すると成立はしますがX=5π/6は第一象限にないため不正解となります。日本語に不慣れで大変だとは思いますが、島田さんの場合最低限の単語だけでも覚えると成績が向上すると思います。

 

 

 

 須川亮の答え

『(1)X=8

 (2)③  を正解にしてください』

 

 教師のコメント

 しません。

 

 

 

 工藤信也の答え

『(1)X=□←正解の値

 (2)◯←正解の番号』

 

 教師のコメント

 その解答はずるいと思います。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

【化学】

 問 次の化学式で表される物質をそれぞれ答えなさい。

『(1)CH3COOH

 (2)HO-CH2-CH2-OH

 (3)C15H31COOH』

 

 

『代表! 木下達が本格的に戦闘を開始した!』

『よし横田、伝令だ。逃げたらコロスと明久達に伝えてこい!』

『了解!』

 

 えっと……(1)は酢酸だろ?

 (2)は確か、何とかグリコール……ああそうだ、エチレングリコールだ。

 (3)は……うわ、これ脂肪酸か。パルン酸とかオルニチン酸とかそんな感じだったはずだけど、正直覚えていない。

 

『坂本! A班が世界史の田中を確保した模様!』

『分かった! 確実にここまで連れてくるように手配しろ!』

『オーケー!』

 

 今年度初の試験召喚戦争が開戦してから数十分が経過して、各クラスの先頭部隊が遂に衝突したらしい。皆、それぞれに与えられた役目を果たすべく全力を尽くしている。

 須川や工藤は中堅部隊に配属され、その猛威を振るっていることだろう。

 

『戻ってきたか秀吉! 戦況はどうなってる?』

『今は中堅部隊が渡り廊下で戦っておるが、長期戦にはならなそうじゃ』

『ふむ、じゃあ各自補給試験に取り組んでくれ!』

『『了解』(じゃ)』

 

 そんな中俺に与えられたのは、今回Dクラスが先生を確保した科目のうち俺の成績が戦力として認められた化学の補充試験を受けることだった。

 そのため、先程から怒号の飛び交う教室で必死に試験を解いているのであった。

 えっと、次の問題はベンゼンの化学式か。……ふむ、ド忘れしたな。適当に答えておこう。

 

 

            ☆

 

 

 試験時間が残り五分を切った頃、ふいにブツンと音がしたかと思うと、校内放送が始まった。シャーペンを動かしながら一体どんな内容だろうかと耳を澄ますと、聞こえてきたのは須川の声だった。

 

《連絡いたします》

 

 何か試召戦争に関わる事なのだろうが、一体何の連絡なんだ?

 

《船越先生、船越先生》

 

 呼び出したのは、数学を担当する船越先生(自称アラフォーの独身)だった。

 

《吉井明久君が、生徒と教師の垣根を越えた男と女の大事な話があるそうです》

 

 なんだなんだ、一体何が起こってるんだ?

 船越先生と言えば、婚期を逃してついに単位を盾に生徒に交際を迫っていると専らの評判だが……船越先生をあんな形で呼び出すなんて、それこそ自殺行為としか思えない。

待てよ……確か、須川の配属された中堅部隊の隊長はダーリンだったはずだ。……そうか、こうしておけば船越先生を戦場から遠ざけることが出来る。つまり、戦線を拡大させないための措置なのかもしれない。

 自らの人生を犠牲にしてまで勝利に貢献するとは……やるな。

 

 

            ☆

 

 

「現在、前線で中堅部隊が踏ん張っているが、状況はかなり厳しいらしい」

 

 化学の補充試験を終えて出撃の準備を整えていると、坂本による現状の報告が始まった。

 

「今の前線のフィールドは化学だ。だから、化学特化の連中で援軍を構成する。近藤と朝倉と君島と――と谷村だ」

 

 よし。名前が呼ばれた。

 化学なら補充試験で成績が上がるって言ったから補充試験を受けたんだし、化学特化部隊に配属されるのは当然なんだが。

 

「行くぞ、お前達!」

『おおーーっ!!!!』

 

 大きな掛け声とともに、Fクラス代表である坂本率いる俺達援軍は教室を飛び出した。

 

「明久、あと少し持ちこたえろ!」

 

 はるか前方に、にぎやかな戦場が見える。

 なんか随分とウチのクラスが少ない気がするんだが……。

 

「坂本、さすがに戦力差が出てきたのか?」

「そうだろうな。長期戦にするのがこっちの作戦とはいえ、長い時間戦っていたらそりゃあ地の戦力で追いやられるに決まってる」

「それでも、俺達が勝つには……」

「ああ、正攻法で行っても代表にたどり着く前に数で押されて姫路はやられちまう。どうにか直接対決に持ち込むにはあの作戦しかない」

 

 振り分け試験を途中退室したために持ち点がゼロの姫路さんは、現在Fクラスで補充試験を受けている。

 

「そのためにも、今の戦場を後退させるわけにはいかない! 何としても守り抜くんだ!」

『了解!』

 

 よし、もうすぐで合流できる!

 前線まであと一歩となった段階で、試獣召喚の準備を整える。

 と、

 

 

 ガシャァァン!

 

 

 廊下中に、破砕音が鳴り響く。

 え? 何? 何の音?

 

「構うな! 進め!」

 

 止まりかけた援軍の足は、坂本の檄によって再び動き出す。

 

『うわっ! 島田さん! そんなものをどうする気だよ!』

 

 すると、今度は悲鳴のような声と共に、景気のいい効果音。

 

 

 プシャァァッ!

 

 

 廊下中を消火器の粉が埋め尽くす。

 島田さん、なかなか男前な事をするんだな。

 しかし、このおかげで戦闘はいったんストップし、援軍もだいぶ前に進むことが出来た。直後、なぜかスプリンクラーが発動し、視界がクリアーになる。

 島田さんの教師をも恐れぬ勇敢な行動により、援軍は無事に中堅部隊全滅前に到着することが出来た。

 こっからは俺の出番(ターン)だ!

 

「待たせたな、ダーリン! 五十嵐先生! Fクラス谷村誠二が行きます!」

「ありがとう、谷村君! でもその呼び名だけは勘弁して!? ほら、Dクラスの人達がすごい変な目でこっちを見てるから!」

「すまん! まだ名前を憶えてないんだ! 吉田だっけ!?」

「惜しい! 吉井明久だよ!」

「よし、覚えた!」

「……本当かな!?」

 

 気を取り直して、既に召喚獣を喚び出していたDクラスの女子生徒に向かい、そして言い放つ。

 

試獣召喚(サ  モ  ン)!」

 

 直後、足元に魔法陣が現れる。

 自分の中から何かが出ていくような、言葉では言い表しづらい感覚に包まれる。

 そして現れたのはデフォルメされた俺の姿。

 相手の召喚獣が、鎧に身を包んで切れ味の良さそうな日本刀を構えているのに対し、現れた俺の召喚獣が来ているのは学生服で、その手に持っているのは……

 

「「……筆箱?」」

 

 あ、ハモった。

 あまりの出来事に、敵と同じリアクションを取る始末。

 

「ちょ、ちょっと待ってもらってもいい……?」

「うん……」

 

 確か、この召喚獣の服装や武器は基本的に振り分け試験の結果に影響されたはずだ。散々な結果だったから、しょぼい武器になるのは仕方がない。

 仕方ないにしても、武器が筆箱というのはあまりにも……ん? この筆箱、開くな。

 筆箱のチャックを開けると、中から大量の文房具が出てきた。

 シャーペンに消しゴム、ものさし、ボールペン、カッターナイフ、ホッチキス、e t c(エトセトラ)……。

 

「もしかして、俺の武器って文房具(コ レ)か!?」

 

 何故だ!?

 いったいどうして試験召喚システムは俺の武器を文房具なんかにしたんだ!? 弱かったなら最悪素手とかあるだろうに!

 俺が勉強が好きだったら文房具というのもありで……いや、だとすれば文房具は弱すぎるか……なんにせよ、きっとシステムの不具合に違いない。今度学園長に直してもらおう。

 とりあえず、今は目の前の敵に集中しないといけないな。

 どうでもいいけど、これ、点数が上がれば強くなるよな……?

 

「「……」」

 

 周りに怒号や悲鳴が飛び交っているにもかかわらず、相対するDクラス生徒と俺との間には気まずい沈黙が流れていた。

 

「そろそろ、始めてもいい……?」

 

 相手が耐え切れなくなって話しかけてきた。

 

「お、おう……」

「それじゃ……」

 

 互いに一呼吸おいてから、

 

「ここは絶対に守り切って見せる!」

「そうは行くか! Fクラス援軍部隊、いざ参る!」

 

 仕切りなおして、ようやく俺達の召喚獣バトルが始まった。

 いつの間にか、もともと召喚されていた相手の召喚獣と新たに召喚された俺の召喚獣の頭上に、それぞれの得点が表示されていた。

 

 

『【化学】

 Dクラス  香川 希

         43点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

         87点』

 

 

 む、化学は得意だったが、残念ながら90点には届かなかったらしい。ただ、俺達は援軍部隊で、相手は前線部隊。相手は今までにそれなりに点を消費しているから、これでも十分戦えるはずだ。

 

「ここは一気に決めさせてもらうぜ!」

 

 左手にボールペン、右手にカッターナイフを一つずつ持って特攻する俺の召喚獣。点差があるから、これで倒せるはずだっ……!

 

「きゃあっ!」

 

 相手――香川さんの召喚獣がとっさに日本刀を前に出す。まずい! このままでは俺の召喚獣が真っ二つになってしまう!

 

「くそっ!」

 

 ギリギリで横に跳んで日本刀を回避する俺の召喚獣。あれ? これやばくね?

 

 

『【化学】

 Dクラス  香川 希

         43点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

         76点』

 

 

 日本刀は意地で躱したものの、転んだ衝撃で少し点が減ってしまった。

 まずいまずいまずい!

 

「……? これ、行けるかも……!」

 

 ほら、香川さんが自信を付けてきた。どうする……このままだとやられてしまう……!

 一旦間合いを取って作戦を立てる。

 クソッ、何かないか? 何か相手の不意を付けるような……。

 

 

 

 あ。あった。

 

 

 

 いや、でもこれいけるか……? しかし、他に方法も……。

 よし、やるしかない。

 

「ふふふ……なかなかやるな、香川さん。だが、次はこうはいかない!」

「無駄よ! 文房具ごとき(そんなもの)じゃ日本刀は防げないわ!」

「それはどうかな!」

 

 俺がさっきと同じように召喚獣を相手の元へ走らせると、香川さんの召喚獣もさっきと同じく日本刀を前に構えていた。

 

「さっきと同じじゃない!」

「いいや、違うね」

 

 俺の召喚獣はギリギリまで香川さんの召喚獣に近づき、そして、

 

「食らえ!」

 

 チャックの開いた筆箱を引っ掴み、全力で相手の手元に投げつけた。

 

「きゃっ!」

 

 召喚獣はわずかな点数でも人間をはるかに上回る力を持ち、その力は点数に比例していく。1.5倍以上の力で投げつけられた筆箱は、いくつもの文房具をまき散らしながら香川さんの召喚獣の手元に直撃し、当然、香川さんの召喚獣はその衝撃に耐えられず日本刀を落としてしまう。

 

「しまっ――」

「これで終わりだ!」

 

 残しておいたカッターナイフを持って、香川さんの召喚獣の首をめがけて飛びかかる。落下する日本刀に腕がかすったような気がしたが、そんなことは気にしない!

 

 

『【化学】

 Dクラス  香川 希

          0点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

         54点』

 

 

「ふぅ……」

 

 なんとか、勝利した。

 召喚獣にも人間と同じく弱点があり、腕がかすったぐらいなら多少点が減るだけだが、首を狙われたら致命傷にすらなりうるのだ。

 召喚獣の操作なんて走り回ったりするぐらいしかできなかったから不安だったが、あそこまでの至近距離なら投げつけても当たるようだ。一応操作が上手くいかなかった時の為に文房具がばらまかれるようにつかんだから、もしかしたらまったくコントロールが定まってなかったのかもしれないが。

 多分これは俺のメインの戦法に……なるのか?

 一応、召喚獣で物を投げる練習をしておこう。

 

「戦死者は補習!」

「い、いやあああぁぁぁぁぁ……」

 

 香川さんは、どこからともなく現れた鉄人によって、どこかへと連れて行かれた。

 たしか、戦死者は補習室で監禁されるんだったっけか。

 周りを見てみると、坂本の作戦は上手くいったようで、Fクラスが戦線の優位を取っていた。

 

「くっ! ここは退くぞ! 全員遅れるな!」

「深追いはするな。俺達も明久の部隊を回収したら一旦戻るぞ」

 

 敵部隊長の塚本と我らがFクラス代表の坂本が、それぞれに指示を出す。坂本は、下手に深追いして相手の本隊が出てくるのを嫌ってこんな消極的な指示を出したのだろう。

 坂本がどれだけの実力を持っているのかはともかく、坂本は補充試験を受けていない訳だから持ち点はDクラスに及ばないFクラスレベルである。

 各自の戦いが終わり、俺達は互いに自分達への教室へと戻ることになった。

 

 

 ……あれ? 島田さん、いなくない?

 

 




少し長すぎたので分割。


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第五問 邪魔者の近接部隊

対Dクラス戦、後半です。


【数学】

 問 以下の問いに答えなさい。

『-2x(  2) -4x+1を平方完成しなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『-2(x+1)(      2) +3』

 

 教師のコメント

 正解です。平方完成を理解していますね。

 

 

 

 須川亮の答え

『(-2x(  2) -4x+1)(   2)

 

 教師のコメント

 平方=二乗であることは理解しているみたいですね。

 

 

 

 吉井明久の答え

『この式は既に完成しています』

 

 教師のコメント

 平方完成が理解できなかったようですね。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 あの後教室に戻った俺達は、またも補充試験を受けることとなった。

 中堅部隊は化学の点をだいぶ浪費したし、援軍も彼らほどではないにしろ化学の点を浪費しているし、まだ上げる余地のある強化を持つヤツが何人もいる。俺がこの時間のうちに受けたのは、Dクラス代表の得意教科だと聞いた文系科目が中心だった。

 最終的には総力でDクラス代表目指して特攻する為、否応なしに敵の大将の得意科目で挑まなくてはならない。

 時刻は、既に放課後である。

 あれ、そういえば……?

 

「なあ坂本」

「どうした谷村」

「Dクラスの代表って誰なんだ?」

「お前が知ってるかは知らんが、平賀源二ってヤツだ」

「……え、あいつが?」

「知ってるのか?」

「ああ、去年クラスメイトだった」

 

 まさかアイツが代表だったとはな……よっぽど勉強したんだろうな。食堂で言っていた、『色々と惜しかった』ってのはもう少しでCクラスだった、という事なのだろうか。

 あれ? だったら食堂で会った時にそのことを言ってくれればよかったのに。少しでも敵に情報を与えたくないとかそんなところだろうか。

 

「谷村、お前がFクラスだってことはアイツにばれてるか?」

「ああ、ばれてる。昼休みで食堂で話しちまったから。まあでも、話さなかったとしても俺の成績はアイツよりは低いからな、警戒はされたと思うぜ」

「そうか……不意打ちに使えたらと思ったが、まあいい。最初に説明した通りで行くぞ」

「了解」

 

 と、そこに化学の補充試験を終えたダー――じゃない、吉井が戻ってきた。

 

「明久、よくやった」

 

 総大将の坂本が非常に晴れやかな笑顔で吉井を褒めたたえる。

 吉井は少し困惑した表情になったが、何かに気づいた様子をした。

 

「校内放送、聞こえてた?」

「ああ。バッチリな」

 

 校内放送……ああ、船越先生のアレか。結局あの後どうなったんだろう。

 

「雄二、須川君がどこにいるか知らない?」

 

 須川を探してるのか? 無事に任務を遂行した須川に感謝でもするつもりなのだろうか。

 

「もうすぐ戻って来るんじゃないか?」

「そう、ありがとう雄二」

 

 そう答えた吉井は、「やれる、僕なら()れる……」と呟いている。もしかするとあの放送は吉井の指示ではなかったのかもしれない。

 

「ちなみに、だが」

 

 坂本が何かを話そうとしているが吉井には届いてなさそうだった。

 

「あの放送を指示したのは俺だ」

「シャァァァアッ!」

「うおっ! 急に吉井が暴れ出したぞ!?」

 

 というかあの放送は坂本の指示だったんだな。

 吉井の凶器が今まさに坂本に届きそうかという時、

 

「あ、船越先生」

 

 と坂本が呟くが早いか否か、吉井は教室の備品を蹴散らして掃除用具入れに駆け込んだ。

 ちなみに、船越先生は来ていない。下手をすると、まだ吉井を待っているんじゃないだろうか。

 

「坂本……お前……」

「さて、馬鹿は放っておいてそろそろ決着を付けるか」

「そうじゃな。ちらほらと下校しておる生徒の姿も見え始めたし、頃合いじゃろう」

 

 坂本は吉井の事はスルーするらしい。まあ、そろそろ対Dクラス戦もクライマックスだから、こんなことにいちいち構ってもいられない。

 

「おっしゃ! Dクラス代表の首級(くび)を獲りに行くぞ!」

『おうっ!』

 

 皆で息をそろえて教室を飛び出す。

 どっちに転んでも、これでこの試召戦争は終結する。

 

「あー明久……船越先生が来たってのは嘘だ」

 

 さすがに申し訳なく思ったのか、教室を出てすぐに坂本が告げた。

 少しして、吉井の叫び声が背後から聞こえた。

 

 

            ☆

 

 

 開戦から既に数時間が経過し各クラスのHRも終わったため、廊下は帰宅する生徒でごった返している。その合間を縫うようにして、俺達の合戦は行われている。

 現在主な戦場となっているのは、渡り廊下から旧校舎にかけての部分――Eクラス前である。単純に位置だけを見ればFクラスが負けているのだが、こちらは総力で応戦しているため押しているのはこちらである。さらに、俺達は数の利と教科の利をうまく戦術に組み込んでいるため、Dクラスの前線部隊は虫の息である。

 故に、

 

「Dクラスの本隊だ! 遂に動き出したぞ!」

 

 Dクラスも総力を出さねばならなくなる。

 当然その中にはDクラス代表である平賀の姿もあった。

 

『本体の半分はFクラス代表坂本雄二を獲りに行け! 他のメンバーは囲まれている奴を助けるんだ!』

『『おおー!』』

 

 平賀の号令で、Dクラスメンバーはあっという間に坂本の周りを取り囲む。

 坂本の近くにもこちらの本隊がいるが、おかげで窮地に追いやられてしまった。

 

「Fクラスは全員一度撤退しろ! 人ごみに紛れて攪乱するんだ!」

 

 よく通る坂本の指令。Dクラスでトップの成績である平賀君を倒す戦力が確保できなければ、確かにこの指示は的確で、Fクラスは逃げ惑う事しかできない。

 ――しかし、この状況は単なる劣勢ではない。

 此処が勝負どころと判断したのか、Dクラスの本隊は分散し瀕死のFクラス生徒の追討や坂本の討伐にに向かっている。故に、平賀を守る近接部隊はかなりの薄手だ。

 さらに、下校中の生徒――特にEクラス所属に紛れてこっそりと近づくことが出来る。

 つまり、今は危機(ピンチ)であり好機(チャンス)なのである。

 坂本の護衛は本隊に任せておくとして、本隊から離れている俺達は平賀討伐へと向かう。平賀の付近に張ってあるフィールドは……現国か。これなら多少はダメージを与えられる。こちらの人数とやり方次第では、討伐すら視野に入ってくる。

 平賀に見つからないようにうまく隠れて……行ける!

 

「先生! Fクラス谷村が――」

「Dクラス笹島圭吾(ささじまけいご)試獣召喚(サ  モ  ン)

「くっ! まだ近衛部隊がいたのか!?」

 

 不意に、俺の前に男子生徒が現れた。いくら生徒に紛れても厳しいか……!

 ふと横を向くと、同じタイミングだったのか吉井も近衛部隊に捕まっている。

 俺達は観念して、召喚獣を喚び出す。

 

 

『【現代国語】

 Dクラス  笹島圭吾 & Dクラス  玉野美紀  

        138点          124点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Fクラス  吉井明久

         52点           48点』

 

 

 当然の如く、近衛部隊には現国が得意な連中を集めたらしい。Dクラスとは思えない点数を所持しており、俺達との点数差は歴然としている。現国の得意な平賀の成績は、これを上回るだろう。

 これでは俺達が平賀にダメージを与えることは出来ない。

 

「残念だったな、Fクラス」

 

 勝ち誇った顔で、俺達から離れた位置から平賀が俺達に告げる。

 

「どうやら、防御の薄い所を下校中の生徒に紛れて討つつもりだったみたいだが、俺がやられたらその時点で負けるんだ、近衛部隊を残しておくに決まっているだろう」

「ぐっ」

「念のために二人残しておいてよかったよ。谷村、お前が言う秘策ってのがこのことだとしたら、甘すぎるな」

 

 秘策?

 ……ああ、学食での話か。あんなもんただのハッタリだったから今の今まで忘れていた。

 

「違うな、俺達の用意した秘策はこんなもんじゃない」

 

 だからこそ、俺は言ってやる。

 

「負けるのは、平賀、お前の方だ」

 

 今度は、ハッタリなんかじゃない。

 

「何を言って……?」

 

 

「――試獣召喚(サ  モ  ン)

 

 

 困惑の表情を浮かべる彼の後ろから申し訳なさそうな姫路さんの声が聞こえ、彼女の召喚獣が現れた。

 

「え? 姫路さん、なんで――」

「えっと……Fクラスの姫路瑞希です。よろしくお願いします」

「あ、こちらこそ」

「……ああっ!」

 

 玉野さんが何かに気づいた様子を見せたが、既に遅い。

 姫路さんが召喚獣を出した以上Dクラスは誰かが勝負を受けるしかないが、二人しかいない近接部隊はもう俺達と戦っている。平賀が勝負をしないためには、玉野さんが姫路さんの勝負を受けることしかないが、玉野さんの召喚獣で姫路さんの召喚獣を相手するには距離がありすぎるため、平賀が勝負を受けるしかない。

 召喚フィールドにいたのが運の尽きだった、というわけだ。

 

「その……Dクラス平賀君に現代国語勝負を申し込みます」

「……はぁ。どうも……試獣召喚(サ  モ  ン)

 

 

『【現代国語】

 Fクラス  姫路瑞希

        339点

     VS

 Dクラス  平賀源二

        152点』

 

 

「え? あ、あれ?」

 

 結果は、言うまでもないだろう。

 




バカテストを考えるのが一番大変。


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第六問 初戦を終えて

【物理】

 問 以下の文章の( )に正しい言葉を入れなさい。

『光は波であって、( )である』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『粒子』

 

 教師のコメント

 よくできました。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『音より速いの』

 

 教師のコメント

 間違ってはいないので正解としますが、出題の意図とはズレています。問題の意図を読み取ってくれるとありがたいです。

 

 

 

 木下秀吉の答え

『止まない雨は無いの』

 

 教師のコメント

 名言っぽくしても不正解です。

 

 

 

 須川亮の答え

『漆黒の闇を照らすの』

 

 教師のコメント

 先生にも中二病の時代がありました。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 Dクラス代表 平賀源二 討死(うちじに)

 

『うぉぉーーっ!』

 その知らせを聞いたFクラスの勝鬨とDクラスの悲鳴が混ざり、放課後の校舎中に響き渡った。

 

「凄ぇよ! 本当にDクラスに勝てるなんて!」

 

 そんな声を筆頭に、坂本を褒め称える声がいたるところからあがる。

 最後に平賀を討った姫路さんによる奇襲は、当然、坂本の発案だった。

 

 

  ■■■■■

 

 

 開戦前、坂本はミーティングで今回のメインとなる作戦を告げた。

 

「俺達Fクラスの作戦は、基本的に時間稼ぎが目的となる」

「時間稼ぎ?」

「ああ。戦争中にどう立ち回ろうが、最後には敵将や本隊を叩く火力が必要になる。今回の対Dクラス戦では、この役割を姫路にやってもらうんだが……」

「わ、私ですか?」

 

 突然の指名に、姫路さんは戸惑いを隠せないようだった。

 

「そうだ。Fクラスでその火力を持つのはムッツリーニと姫路の二人だけだが、今回の作戦ではすべての教科で戦える姫路が適役なんだ。ただ、姫路は現在の持ち点がゼロだから補充試験を終えるまでの時間を耐える必要がある。これが時間稼ぎをする一つ目の理由だ。とは言え、すべての試験を受けることはまず不可能だから、Dクラスが教師を確保した科目を受けてもらう」

「一つ目ってことは、他にも理由があるの?」

「もちろんだ。そもそも、莫大な火力があってもそれを敵将にぶつける方法が無ければ勝利にはつながらないからな」

 

 坂本は、わざわざ校内地図を黒板に貼り説明する。

 

「最終的には、下校する生徒に紛れて敵将を討つ形にしたい。時間稼ぎをする二つ目の目的はここにある」

 

 廊下で敵将を討つならば、相手は確実に自分の得意科目のフィールドを張っているに決まっている。保健体育でしか武器にならないムッツリーニではこの役割は無理だ。

 

「戦争が進むと自然と人数が減って来るだろうから、放課後になったらこちらの本隊が俺と共に廊下に出る。すると、相手もここが正念場だと思って、近衛部隊を多少減らしてでも俺を狙って来るはずだ。そこを姫路が狙うというわけだ」

「相手も、さすがに奇襲は警戒するんじゃないのか?」

「するだろうな。だから、一度適当な奴を仕向けて奇襲を失敗させる。そこで気が緩んだところを姫路に討ってもらうんだ。相手が情報収集をさぼっていれば、姫路がウチにいることも知らないはずだからな」

 

 そういう面でも姫路さんは適役なのだろう。

 

「何か質問はあるか?」

 

 質問か……あ、そういえば。

 

「坂本。どうしてDクラスと戦うんだ? 狙いはAクラスなんだろ?」

「ああ、そのことを説明していなかったか……理由は簡単だ。試召戦争に慣れるためと、打倒Aクラスに必要なプロセスだからだ」

「必要なプロセス?」

「そうだ。今はまだ話せないがな」

 

 ふむ、そういうことだったのか。

 

「他に質問は無いな? じゃあ、各自さっき連絡した班で分かれてくれ。細かい指示は隊長に出してある」

『了解』

 

 開戦まで、数刻。

 

「勝つのは俺達Fクラスだ!」

『おう!!』

 

 

  ■■■■■

 

 

 とまあ、開戦前にこんなやり取りがあって、結果的に対Dクラス戦は坂本の想定通りに終結した。

 我らがFクラス代表の坂本は俺達が想像しているよりもすごいヤツなのかもしれない。

 そんなことを考えながら坂本の周りで騒いでいると、よたよたと平賀がこちらへ向かってきた。

 

「まさか姫路さんがFクラスだなんて……信じられん」

「あ、その、さっきはすいません……」

「いや、謝ることは無い。すべてはFクラスを甘く見ていた俺達が悪いんだ」

 

 平賀の言う事の方が正しくて、姫路さんが謝る理由はどこにも無い。

 

「谷村、お前の言っていた秘策ってのは姫路さんの事だったんだな」

「え? あ、ああ。そうだ」

 

 学食で話した時はハッタリだったし、この作戦を立案したのは俺ではなく坂本だったのだが……まあ黙っておこう。

 

「平賀、Fクラスを舐めるなよ」

「……ああ、肝に銘じたよ」

 

 軽く煽るように平賀に言い放つ。

 だが、うなだれる平賀が少しかわいそうに見えてしまった。勝負なのだから仕方のない事なのだが、必死に勉強して手に入れた教室を一日も経たずに手放すことになってしまったのだから。クラス代表は、経緯はどうあれ負ければ戦犯として扱われてしまうのだ。

 そんな平賀に、坂本が話しかける。

 

「それじゃあ平賀、戦後交渉を始めるぞ」

「ああ……ルールに則ってクラスを明け渡そう。ただ、今日はこんな時間だから、作業は明日で良いか?」

 

 確かに、もう太陽はかなり傾いている。今から手続きやらをしていたら、下校時刻を過ぎてしまうかもしれない。

 わざわざ今日中に処理する必要もないはずだから、坂本も承諾するだろう。

 

「いや、その必要はない」

 

 そう思っていたのだが。

 

「どういうことだ?」

「Dクラスを奪う気は無いからだ」

 

 平賀が聞き返すと、坂本はまるで当然だと言うかの様に答えた。

 わざわざここまでやってDクラスを奪う気は無い? 確かに俺達の目的はAクラスだが……。

 驚いた様子の平賀が、坂本に聞き返す。

 

「本当か? もしそうなら俺達にはありがたいが……」

「本当だ。 もちろん、あることをやってもらう代わりに、という条件でだがな」

「……なあ、それって、昼に言っていたAクラスを倒すのに必要なプロセスか?」

 

 たまらず、俺は口を挟む。

 

「そうだ」

「え? お前達、Aクラスを倒す気でいるのか?」

「もちろん。俺達が狙うのはシステムデスクだけだ」

「そうか……それで? 条件はなんだ?」

「なに、そんなに大したことじゃない。俺が指示を出したら、窓の外にあるアレを動かなくしてもらいたい。それだけだ」

 

 そう言って坂本が指したのは、スペースの都合でDクラスの窓の外に設置されている、Bクラスのエアコンの室外機だった。

 

「設備を壊すんだから、当然教師に睨まれる可能性もあると思うが……どうする?」

「……それが設備交換をしない条件だったら、こちらとしては願ってもない提案だが、何故そんなことを?」

「一つしかないだろう。俺達がこのDクラスを責めたのと同じ――Aクラスを倒すためだ」

「……そうか。では、こちらはありがたくその提案を飲ませて貰う」

「タイミングについては後日通達する。今日はもう行っていいぞ」

「……それじゃあな」

 

 戦後交渉が終わり、敗戦の将である平賀はその場を去ろうとした。

 あ、そうだ。

 

「なあ、平賀」

「……なんだ谷村。惨めに負けた俺に何か言う事でもあるのか?」

「ああいや、そうじゃなくてさ。お前、今日はコンビニでパン買っただろ? なのにどうしてお前はわざわざ学食に来たんだ? ただ混むだけなのに」

「そんなことか? 情報収集のためだよ」

「情報収集?」

「ああ。お前達がFクラスだってのは分かり切ってたからな。そんで、いつもお前達は学食を使うだろ? だから、何か話を聞けたら良かったんだが……」

 

 平賀は、一旦言葉を切ってちらりと坂本を見る。

 

「情報統制はしっかりしていたみたいだな」

「……」

 

 驚いた。平賀がそんなことまで考えていたなんて。

 

「……まるで俺が情報収集していたこと心底驚いているような顔だな」

「! なんで分かった!? 俺、口に出してたか?」

「バーカ、分かるに決まってんだろ。これでも俺はお前の友達だぜ?」

「フッ、何こっぱずかしい事言ってんだ」

「ハハ、これくらい冗談言わなきゃやってられないさ。俺はこの戦争の戦犯だからな」

「……それもそうだな」

「じゃあな、そろそろ俺は行くぜ。お前達がAクラスに勝てるように祈っといてやるよ」

「うるせ、社交辞令ならいらねーよ」

「ばれたか?」

 

 そんな言葉を残して、俺の元級友であり今もなお俺の友人である平賀は、軽く手を挙げて去って行った。

 

「さて、皆! 今日はご苦労だった! 明日は消費した点数を含めて補充試験を行うから、今日のところは帰ってゆっくりと休んでくれ! 解散!」

 

 坂本の号令で、皆ぞろぞろとFクラスへと向かい始めた。

 さて、俺も帰るとしますかね。

 

 

            ☆

 

 

 Fクラスで帰り支度をする。

 とは言っても、今日はずっと試召戦争だったから筆箱を仕舞うくらいしかすることは無いのだが。

 それにしても、筆箱か……。

 俺の召喚獣の武器が筆箱――文房具だという事を知った時は驚いたが、改めて考えてみると、文房具には文房具にしかない利点があるかもしれない。今度の戦いではそのあたりも考えて戦ってみよう。

 

「よう、無事に勝ったみたいだな」

「良かった良かった」

 

 そんなことを言いながら教室に入ってきたのは、途中で戦死したらしい須川と工藤だった。

 そうか、戦争が終わったから解放されたのか。

 

「おかげさまでな。そういえば、補習室ってどんな感じなんだ?」

「どんな感じもくそもないぜ。窓には鉄格子がはまってるし」

「何してた?」

「自分が戦死した科目の課題を延々やらされたんだよ。少しでも手を休めれば鉄人が飛んでくるし、やってられん」

「それは……ご愁傷様だったな」

 

 意地でも戦死しないようにしなければ。

 

「それで、Fクラス勝利の一報が入って、ようやく解放されたってわけだ」

「そうか……お疲れ」

「これで負けてたらどうしてやろうかと思ってたがな」

 

 ……勝てて良かった。

 

「こんなところで話しててもしょうがねえ、帰るぞ」

「おう」

 

 鞄を持って教室を出ようとしたが、ちょうどその時教室にまだ残ってる秀吉が目に入った。

 そういえば、聞きたいことがあったんだっけ。

 

「あー……お前達、先に行っててくれないか」

「あ? なんでだよ」

「ちょっと忘れ物してな。玄関で待ち合わせってことで」

「まあいいけどよ……早く来いよ」

「分かってる」

 

 須川達の前で木下さんについて話すのは少し恥ずかしいので、先に行かせてから秀吉の元へ向かう。

 

「…………今日は出番が無かった」

「お主は保健体育での隠し玉じゃからの。次の対Bクラス戦で活躍できるのではないかの?」

「…………そうだと嬉しい」

 

 秀吉は、なにやらムッツリーニと話し込んでいた。

 

「よう、お疲れ」

「お疲れじゃ。えーと……」

「谷村だ。秀吉とムッツリーニ、これから一年間よろしくな」

「よろしくじゃ、谷村」

「…………せめて土屋と呼んで欲しい」

 

 そういえば、そんな名字だった。

 

「なあ、確か土屋って、友達作りが趣味で投網が得意なんだっけ?」

「…………そんな事実は無い…………本当に」

「お主は何の話をしてるのじゃ……?」

 

 なんか二人にすごい怪訝な顔をされてしまった。あれ、違ったっけ。

 勘違いだったか……まあいいや。

 

「二人は仲良いのか?」

「仲良いと言えばそう言えるのう」

「…………一年の時同じクラスだった」

「なるほどな」

 

 だったら、仲の良さそうに見えた坂本たちもそうだったのだろう。

 ……そろそろ本題に入るか。

 

「ところで、秀吉に聞きたいことがあるんだが……土屋はちょっと席を外してくれないか?」

「聞きたいことかのう?」

「…………抜け駆けは許さない」

 

 抜け駆け……って、まさか木下さんに惚れたことがばれたのか!?

 

「…………秀吉は皆のもの」

「じゃからワシは男じゃと!」

 

 あ、大丈夫みたい。

 

「違う違う。別に秀吉には惚れてないから」

「…………秀吉『には』?」

「あっ」

「「「…………」」」

 

 沈黙が三つ。

 

「さらばだっ!」

「ま、待つのじゃ!」

 

 俺は恥ずかしさに耐え切れず、鞄を引っ掴み教室を飛び出した。

 

 

            ☆

 

 

「あれ、早かったな」

「あはは……」

「?」

 

 ろくに話が出来なかったために、階段で須川達に追いついてしまった。

 

「まあいいや、今工藤と話してたんだけどよ」

「どうした?」

「今回の対Dクラス戦は戦死者が……確か、30人以上出たらしいな」

「ん? そんなもんだったか?」

 

 最後の特攻前に20人は切ってた筈だから、最後の戦死者を合わせればもっと多い気もするが。

 

「補習室に来たのがってことだよ。補習は終戦までだから、最後に戦死したヤツは補習室に来てないだろうし」

「そういう事か。んで、それがどうしたんだ?」

「次に攻め込むのは……少なくとも今回よりはかなり強いはずだろ?」

「そりゃそうだろ」

 

 坂本の話を聞く限りは、次に戦うのはBクラスのようだ。

 

「今度は戦死者もこんなもんじゃないだろうし……全滅するんじゃないか?」

「んー……」

 

 どうだろうか。

 

「こう言っちゃ元も子もないけどさ、戦い方に依るだろうな。今回は渡り廊下を守るために前線部隊に大量に投入したから戦死も多かったけど、うまく教室の入り口を使えば一対一に持ち込めるし」

 

 まあそんなことしたら地の力のないFクラスの負けは避けられないが。

 

「坂本次第だな。今回の作戦も見事だったし、どうにかなるんじゃないか?」

「……かもな」

 

 俺達にできることは、坂本を信頼してその指示に完璧に従う事だ。

 それで負けたら容赦しないが。

 

「明日は補充試験だろ?」

「ああ、戦争の翌日だし、坂本もそんなことを言っていたからな」

「俺、総合科目でやられたんだよ……全部受けねえと」

 

 工藤が明日からの試験に嘆いていた。

 

「まあくよくよすんな。どうせ俺も振り分け試験の点が低すぎたから、全部受けさせられるから」

「お前よくそんなんで戦死しなかったな」

 

 須川が心底不思議そうな顔で訊いてくる。

 

「そんなんでって言うよりは、そんなんだったから生き残ったって感じだな」

「どういうことだ?」

「ほら、振り分け試験でそこそこの点を取れたヤツは前線にまわされただろ? その点俺は戦力にならなかったから補充試験を受けてからの援軍部隊にまわされたんだ。そりゃあ戦死しづらくもなるわ」

「なるほどな」

「あれ? そういえば、工藤は俺が試験を受けてる間に戦死したって聞いたけど、お前はいつ戦死したんだ?」

「俺か? 俺は放課後に入ってからだな」

「……補充無しでそこまで生き残ったお前の方がすげえよ」

「あー……俺は、放送室に行ってたりしてたからな」

「そういえばそんなこともあったな」

 

 そんな会話をしながら、俺達は家へと向かう。

 

 

            ☆

 

 

 入学して二か月ごろしてからようやく判明したのだが、俺達三人は同じ家族向けのマンションに住んでいる。さすがに階や場所はバラバラだったが……もしかしたらFクラスにもこのマンションに住んでいるヤツがいるかもしれない。

 太陽も沈みかけている中、俺は須川達と別れて家へ帰った。

 

「ただいまー」

「おかえり。遅かったじゃん、何やってたの?」

 

 リビングのドアを開けた俺を出迎えたのは、谷村家の長女であり俺の姉貴でもある谷村(まこと)だった。今日は春とは思えない陽気だったためか、姉貴は黒いショートヘアを揺らして扇風機の風を浴びていた。天気予報でしばらくはこの天気が続くようで、本当に嫌になる。というかもう扇風機だしたのか。

 長男なのに俺の名前が『誠一』ではなく『誠二』なのは、この姉貴がいるせいだ。だからなんだという話ではあるが、ウチの両親はどれだけ誠の字を使いたかったのだろうか。

 

「あー……ちょっと、試召戦争を……」

「試召戦争? ってことは、アンタFクラスかDクラスってこと?」

 

 ちなみに、姉貴も文月学園に通っていて、今年三年生になった。

 初日の試召戦争の噂は、三年生の方にも広まっていたらしい……って、他のクラスは自習になるんだから当然か。

 

「はい……恥ずかしながらFクラスです……」

 

 ついつい敬語を使ってしまう。

 

「ああ、やっぱり?」

「やっぱりって……姉貴……」

「だってそうでしょ? アンタあの日傷だらけだったじゃん。あんな状態でいい点がとれるほど成績よくないくせに」

「……そうだけど」

「まあ、あの怪我が無くてもアンタはFクラスだっただろうけどね」

「あ、その(くだり)はもう須川とやったんで勘弁してください」

 

 同じ話を二回やっても仕方がない。

 喉が渇いたので、鞄を適当に置いて冷蔵庫を漁る。

 

「そういえば、姉貴のクラスは? あれ、買っておいたジュースが無いな」

「アタシはBクラスよ。それとジュースは母さんが飲んでた」

「Bか、すごいね」

 

 また母さんか……こういうのって普通姉貴とかじゃないの……? いや、姉貴だったら許すとかいう訳でもないけど。後で母さんにはおやつ作ってもらおう。

 

「……あれ? 姉貴、そんな成績良かったっけ?」

「頑張ったのよ。それで? 試召戦争はどっちが勝ったの? アタシさっさと帰ったから知らないんだけど」

Fクラス(ウ チ)が勝ったよ」

「へえ、アンタ達もやるじゃん」

「……も?」

 

 何故か姉貴は妙な言い方をする。

 

「あれ、知らない? アタシ、去年はFクラスで一回だけCクラスに勝ったことがあるのよ」

 

 知らなかった。

 あ、でも去年、須川がそんな話をしていたようなそうでないような……?

 

「まあこっちは二学期の話だったから、初日で下剋上したのは初めてなんじゃない?」

「そうかもね。Fクラスが勝てたのは色々要因があるんだろうけど、坂本のおかげかな」

「坂本?」

「Fクラスの代表だよ。今日の試召戦争は坂本の作戦がぴったりはまったおかげで勝てたんだ」

「ふうん」

「なんの因縁があるか知らないけどさ、打倒Aクラスを宣言してた」

 

 そう伝えると、姉貴は驚いた表情をした。

 

「打倒Aクラス? ってことはアンタ達、この後もまだ試召戦争するつもりなの?」

「らしいよ」

 

 すると、姉貴は少し考える素振りをして、

 

「……まあ自由だけどさ、一応忠告しておいてあげる」

「忠告? 何を?」

 

 俺に不吉なことを言い放つ。

 

「そう何度も自分の思い通りになると思わない方が良いよって事」

 

 姉貴自身の実体験がこもったようなその言葉は、俺達の不吉な未来を暗示しているような気がした。

 嫌な汗が背中を伝った。




 姉貴登場。
 と言っても、まだそこまで出番があるわけじゃないです。


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第七問 次戦に備えて

【物理】

 問 以下の問いに答えなさい。

『青い光と赤い光、散乱されやすいのはどちらか、理由を付けて答えなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『答え:青い光

 理由:赤い光に比べ、青い光の方が波長が短いから』

 

 教師のコメント

 正解です。日中の空が青いのは、大気で青い光が散乱され色々な方向に広がるから。夕焼けが赤いのは、大気を通過する距離が長いために青い光が散乱され切ってしまうからです。

 このように、物理現象は身近な物事と関連させると覚えやすいと思います。

 

 

 

 吉井明久の答え

『答え:赤い光

 理由:ストライカーΣⅤが二番を示したから』

 

 教師のコメント

 妙なものを持ち込んでいると不正扱いにしますよ。

 

 

 

 須川亮の答え

『答え:赤い光

 理由:二択問題で答えを一番目に置くことは普通しないから』

 

 教師のコメント

 心理戦マンガでも読みました?

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 Dクラスと戦った翌朝。

 今日明日で行われる全科目の試験を憂鬱に思いながら、俺は文月学園への坂道を上っていた。

 

「ったく、須川も工藤も先に行ったって言うし、何をそんなに急ぐことがあるってんだ」

 

 いやまあ確かに一緒に行く約束なんてしてねえし、どうせ行くならむさ苦しい男より美少女の方が良いがね?

 ただ、一人で歩くのはなかなかにむなしい。寝坊したわけでもないのになあ……。

 この時間、何もしないで過ごすのももったいないので、数学の公式でも確認しようかと思っていると、

 

「む、あれは……」

 

 昨日知り合った、クラスメイトの後ろ姿が目に入った。

 駆け寄って、後ろから声をかける。

 

「おはよう、秀吉」

「おお、おはようじゃ、谷村」

 

 俺が声をかけたのは、可憐な美貌をもつ男子生徒、木下秀吉だった。

 

「あれ? 秀吉は自転車じゃないの?」

「うん? どうしてそんなことを思うのじゃ?」

「いや、木下さん――お姉さんの方は自転車通学だったはずだから」

 

 ハンカチをくれた、あの日の事を思い出す。

 木下さんは確かに電動自転車に乗っていたはずだ。

 

「ああ、姉上は自分でアレを買っておったからのう」

「え? そうなの?」

「うむ。おこずかいを貯めたりバイトをしたりしていたのじゃ」

 

 あんないい自転車、結構な値段するはずだが。

 木下さんって、努力家なんだなあ……。

 

「そういえば、何故雄二たちの事は名字で呼ぶのにワシの事は名前で呼ぶのじゃ?」

「あー……ほら、名字で呼ぶと木下優子さんと被るだろ?」

「確かにそうじゃが、お主、姉上と面識があったのかの?」

「ま、まあな」

 

 木下さん絡みの質問に、どもりながらも受け答える。

 秀吉は多少妙な顔をしたが、特に気にしない事にするようだった。

 

「そうじゃ、お主に訊きたいことがあったのじゃ」

「訊きたいこと?」

「昨日の放課後、ワシらに話しかけてきたじゃろ? 結局アレは何の用だったのじゃ?」

「あー……」

 

 そういえば、恥ずかしくなって逃げ出したんだった。

 正直今でも恥ずかしいが、秀吉と一対一で話せる機会はもう無いかもしれないし……言うしかない!

 

「あのさ、笑わないでくれるか?」

「うむ。なんじゃ?」

「実は……木下優子さんのタイプの人が知りたいんだ」

「姉上のタイプの人って、まさかお主」

「頼む、そこから先は口に出さないでくれ」

 

 恥ずかしさで死ねるから。

 

「……何ニヤニヤしてるんだ、秀吉」

「いや、なんでもないぞい」

「ぐ……」

「まあいいぞい、姉上のタイプの人だったら、確か――」

 

 頼む、この答え次第で俺の青春が決まるぞ!

 

 

 

「十二歳以下の美少年だったはずじゃ」

 

 

 

 拝啓、母さん。

 俺の恋は終わったみたいです。

 

「……諦めるしか、無いかなあ……」

 

 別に木下さんの趣味を否定する気は無いし、今更そんなもので嫌いになったりしない。

 ただ、俺は十二歳以下でもなければ美少年でもないから木下さんのストライクゾーンには到底入れそうにない。言うなれば、危険球で一発退場レベルだ。

 まてよ、頑張れば顔の方はそこそこには……。

 

「……ありがとう、秀吉」

「大丈夫かの? やけにふらふらしておるが」

「いや、心配はいらない。ただ……一人にしてくれ」

「わ、分かったのじゃ……」

 

 そう言うと、秀吉は早歩きで先に行ってくれた。ただ俺の歩みが遅くなっただけかもしれないが。

 ……とりあえず、お礼のハンカチだけ渡したら諦めよう。

 そんな俺の心を知らない空は、今日も快晴である。

 

 

            ☆

 

 

「うぃーっす」

 

 なんとか立ち直り、学校へ到着する。

 ガラガラとFクラスのドアを開けて、教室に入った。

 

「よう、谷村」

「うっす」

 

 すでに到着していた須川と工藤が、返事を返してくる。

 

「なあ工藤」

「あん?」

「なんでお前達今日はこんな早く家を出たんだ?」

「なんでって……アレしかねえだろ」

 

 工藤の示す方向を見てみると、麗しい髪の毛を揺らしながら熱心に勉強に励む姫路さんの姿があった。

 ああ……なるほどね。

 

「姫路さんがいる教室を一秒でも長く体感したいと思うだろ?」

「お、おう……」

 

 姫路さんを嫌いな訳じゃないが、俺だったら木下さんのいる教室の方がいいなー。

 うん、諦めなんかつくわけないね。

 

「まあいいや、今日の試験、最初はなんだっけ?」

「数学だろ、確か」

「数学か、俺の主戦力だし、頑張らないとな」

「担当は……船越先生だって聞いたけどな」

「あ、そうなの?」

 

 昨日の一件があるからなあ……吉井、ご愁傷様。

 

 

            ☆

 

 

 時は流れて昼休み。

 俺は、昨日と同じく須川達と一緒に学食で昼食を取った後、校内を適当に歩いていた。午前中の試験を終えて使い切った気力を回復するためだ。

 

「昨日から試験何回受けてるんだ……」

 

 試召戦争の仕様上、何度も試験を受ける事になる。そもそも文月学園がそういう方針なのだから仕方のない事なのだが……。

 

「どこかで気分転換でも……そうだ、屋上でも行くか」

 

 例によって今日も快晴である。青空のもとで昼寝でも出来れば随分気力も回復するのではないのか。

 そう思って屋上に向かっていると、前から姫路さんが走ってきた。

 

「こんにちは、姫路さん」

「こんにちは、ええと」

 

 まだ名前を覚えてもらっていないようだ。

 

「谷村です」

「すいません、谷村君」

「まだ二日目だから仕方ないですよ。それより、なんで走っているんですか?」

「ああ、ちょっと教室に忘れ物を……そうだ、良かったら谷村君もどうですか?」

「え?」

「私、今日吉井君達にお弁当作ってきたんです」

「お弁当……ですか?」

「もうデザートしか残ってないんですけど、それでも良かったら……」

「十分ですよ! 女の子の手作り弁当なんて初めてです!」

「それなら良かったです! じゃあ、私はスプーンを取って来るので先に屋上に行っててください」

「分かりました!」

 

 何となーく歩いていたら、姫路さんの手作り弁当を食べられることになった。今日の俺はついているようだ。木下さんの手作り弁当も食べてみたいけど……不満なんて言ってたら罰が当たる。

 教室に向かう姫路さんを見送って屋上に向かうと、姫路さんの言っていた通り吉井達がいた。

 土屋は寝っ転がっているみたいだが、昼寝でもしているのか?

 

「あれ? どうしたのさ、谷村君」

「さっきそこで姫路さんに会ってな。デザートを俺にも勧めてくれたんだ」

「へえー……」

「スプーンを取りに行ったってことはまだ残ってるんだろ?」

 

 俺がそう訊くと、吉井達は少し目を合わせてから答えた。

 

「もちろん! ほら、デザートなら余ってるからさ、一思いに食べちゃってよ!」

 

 吉井は、秀吉の持っていたデザートをひったくり、俺に差し出す。

 

「え? でも、スプーンが無いんじゃ」

「スプーンなんかなくても別に食べられるよ? ほら、ぬるくなっちゃうと美味しくなくなっちゃうかもしれないし」

「お前らはいいのか? 姫路さんの手作りなんだろ?」

「ぼ、僕らはいいよ。弁当の方を食べちゃったし。ね、雄二?」

「お、おう」

「でも今秀吉が食べようとしてたんじゃ」

「い、いや、実はワシもこれ以上食べられそうになくてどうしようかと思っていたところなのじゃ。谷村が来てくれて助かったぞい」

「そ、そうか? なら、遠慮なくもらうぜ」

 

 吉井達の言動に違和感を覚えたが、特に気にするものでもないと思い姫路さんのデザートに視線を落とす。

 ふむ、どうやら様々な果物の入ったヨーグルトのようだ。スプーンが無いとキツそうではあるが……食えない訳ではない。

 思い切り容器を傾け、デザートを口の中に放り込む。

 

 

「むぐむぐ。いくつものフルーツの味が素材を生かしたヨーグルトの味と混ざり微妙なハーモニーを奏でてその奥からあり得ないほどの酸味が湧き出てごばぁッ!?」

 

 

 ……遠のく意識の中、嘘は言っていないという吉井の声と、2つ3つの謝罪の声が聞こえてきた。

 

 

            ☆

 

 

「――ハッ!」

 

 目を覚ますと、そこは屋上だった。

 いやまあ、そりゃあそうなんだ、屋上で倒れたんだし。一体何が起きたんだ。

 えっと……。

 

「確か、俺は姫路さんのデザートを食べて、そして……」

「あ、起きた?」

 

 吉井が話しかけてきた。

 改めて状況を確認すると、ここは屋上で、周りには吉井を筆頭に坂本や秀吉、土屋に島田さんと姫路さんの6人がいた。

 そうだ、姫路さんのデザートとか言って変なものを喰わせられたんだ!

 

「おいてめえ吉井!」

 

 なんてもん食わせるんだ、と言おうとしたところで吉井に手で口を押えられた。

 

「ふぐぅ!」

「あれ? どうしたの? 怖い夢でも見た?」

「むぐむぐむがあ!(夢なんかじゃねえだろ!)」

 

 すると、吉井は俺の耳元に顔を近づけたかと思うと小声でこう言ってきた。

 

(あれ、正真正銘姫路さんのデザートだから)

 

 俺も、小声で返す。

 

(……お前達が毒を盛ったんじゃなくて?)

(弁当の方は雄二で処理したんだけど……デザートが残っちゃって、その時にちょうど来たもんだから……)

(……マジかよ)

(すまんのう谷村。ワシも命が惜しかったのじゃ)

 

 秀吉も会話に加わって来て、お茶を手渡してきた。

 

(これで消毒しておくぞい)

(お、おう)

 

 お茶には殺菌効果があったからこれで大丈夫かな?

 

「あ、あの、谷村君!」

「はい!?」

 

 突然、姫路さんに声をかけられた。

 

「デザート、食べてくれたみたいですけど、味の方はどうでした……?」

 

 一瞬ふざけんな、と言いかけたが、姫路さんの純粋な目と不安げな表情を見てしまうと、とてもじゃないが、美味しくなかったなんて言う事は出来なかった。

 

「あ、ああうん! 美味しかったよ!」

「そうですか! それはよかったです!」

 

 その顔はぱあっと明るくなったが、反対に俺達の表情はとても苦々しいものになっていた。

 ……まあなんにせよ、昼時に姫路さんに近づかなければ姫路さんの料理を味わうことも無いんだから、そう思えばいい経験だと――

 

「――それじゃあ、明日も作ってきますね!」

『!?』

 

 

 ――結局、俺達全員で姫路さんを説得するのに10分もかかってしまった。

 

 

            ☆

 

 

 恐怖の昼食会の後、せっかくだから坂本達のミーティングに参加することにした。

 

「ねえ坂本、次の相手はBクラスなの?」

 

 島田さんが話を切り出す。

 

「ああ。そうだ」

 

 Bクラスのエアコンの室外機を壊すのだから、攻め込むのは当然Bクラスになるだろう。

 

「どうしてBクラスなの? 目標はAクラスなんでしょう?」

「島田さんの言うとおりだよ。なんでわざわざBクラスなんて狙うのさ」

 

 明久も便乗して疑問を口にすると、坂本は急に真剣な顔になった。

 

「……俺達の目標はAクラスだが、はっきり言ってあいつらはうちの戦力じゃ勝てる相手じゃない」

 

 坂本から初めて聞く敗北宣言。

 しかし、無理もないかもしれない。Aクラスの上位10人は俺達と――いや、Aクラスの残り40人と比べても段違いの成績を誇っている。

 

「だからこそ、俺達はBクラスを倒すんだ」

「えっと……雄二、どういうこと?」

「Bクラスを脅しに使って、Aクラスとは一騎討ちをするつもりだ」

「一騎討ち?」

「ああ、一騎討ちにさえ持ち込めればこっちのもんだ。確実に勝てる策がある」

「ちょっと待ってくれ坂本」

 

 たまらず俺は口を挟む。

 

「一騎討ちに関してはまあいい、策があるというならそれに従うが……Bクラスを脅しに使うってどういう事だ?」

「Bクラスには、設備を入れ替えない代わりにAクラスへ攻め込むように交渉するんだ。下位クラスが負けた場合は設備のランクが一つ下がるだけだから、確実にこの交渉には載ってくるはずだ」

「ふむ。それで?」

「それをネタにAクラスと交渉する。『一騎討ちしてくれないのであれば、Bクラスとの勝負直後に攻め込むぞ』といった風にな」

「なるほど」

 

 よくもまあ坂本はこんな策を思いつくものだ。この分なら一騎討ちの策とやらも問題なさそうだ。

 

「とにかく、Bクラスをやるぞ。細かいことはその後だ」

「おう」

 

 そして、話題は対Bクラス戦の戦略へと変わる。

 

「今度の試召戦争では、理系の科目をメインにして使う」

「確か、Bクラスは文系に強いんだっけ?」

「そうだ。もちろん理系型のヤツもいるが、どういうわけか圧倒的に文系の方が多い。わざわざ  文  系  (相手の得意なフィールド)で戦う理由もない」

「こっちは文系も理系もあまり関係が無いからね」

「ああ。文系特化型も理系特化型も人数はあまり変わらないからな。そこで、これを見てほしい」

 

 そう言って、坂本は何枚かのプリントを差し出した。

 

「これは……?」

「俺達の成績の詳細だ。本当はプライバシー云々があるが、そこは無視してくれ」

 

 無視していいものではないだろうが……作戦のためなら仕方ないな。

 ご丁寧に、教科別の順位まで付けてある。

 

「さて、今回俺達のメインとなる教科は数学だ」

「数学って……まさか船越先生を呼ぶのっ!?」

 

 数学という言葉に戦慄したのは吉井だ。

 船越先生との一件は解決したと聞いたが……まあそう簡単に解決するものでもないか。

 

「いや、長谷川先生を呼ぶ。船越先生は明久(スケープゴート)がいないと扱いづらいんでな」

「ねえ雄二、今とんでもない当て字しなかった? ねえ!」

 

 吉井の表情は真剣そのものだ。

 

「とにかくそういうわけだから、姫路を隊長にして数学部隊で開幕から一気にBクラスを攻め立ててほしい。そこには当然島田と谷村も入ってもらう」

「あ、俺もなのな」

「もちろん。そして、Bクラスを教室に押し込めろ。教室の入り口をうまく使って戦場を狭めるんだ」

「ってことは……また時間稼ぎ?」

「そうだ。期を見て一度姫路を撤退させてもう一度突っ込ませる。そこで敵将を討ち取る、というわけだ」

「ねえ雄二、その作戦、そんなにうまくいくの? 教室に押し込むところはともかく、相手の近接部隊に囲まれたらさすがの姫路さんも厳しいんじゃない?」

 

 諦めた吉井がミーティングに加わる。

 

「問題ない。もしも姫路が近接部隊に囲まれたら、それは敵将の近くには誰もいないってことだろ?」

 

 それはその通りだろう。明らかに姫路さんを隠し玉だと思うはずだし、姫路さんの戦力を考えれば敵将以外の全員で襲い掛かっても不思議ではない。

 

「そのがら空きの敵将に、ムッツリーニをぶつける」

「ムッツリーニ?」

「待ってくれ、どこから土屋を侵入させるんだ? 教室の入り口のフィールドは、理系科目……少なくとも保健体育じゃないはずだ。もしそうだとしても、敵将までの間には多くのBクラス生徒がいるはずだ」

「誰が入り口から入れると言った」

「え?」

「窓だ」

 

 窓?

 

「窓って……まさか突き破るのか?」

「まさか。そんなことしなくてもBクラスの窓は開け放たれているはずだ」

「それはどういう……?」

「…………エアコンの室外機か」

「そういうことだムッツリーニ」

 

 室外機って……あ、なるほど。

 

「四月にもかかわらずこのクソ熱い天気だ。エアコンがつかないとなれば当然窓を開けるだろう。その窓から、体育教師とムッツリーニを侵入させる。屋上からロープでも使ってな」

「そうか……だからこそのDクラス戦だったのか」

「ああ」

 

 なるほど……坂本はここまで考えて戦略を立てていたのか……。これは勝てる……勝てるぞ!

 

「最後の姫路とムッツリーニの事は当然周りには伏せるがな。これが今回のBクラス戦の作戦だ。異論はないな?」

 

 坂本は、ゆっくりと俺達の顔を見渡した。

 

「よし。それじゃ、残りの補充試験も頑張ってくれ」

『了解』

 

 坂本の一声でミーティングはお開きとなった。

 昼休みの残り時間もそう多くはなく俺達は立ち上がり教室へと向かった。

 

「あ、そうだ。明久」

「なに?」

「お前には、放課後Bクラスへ宣戦布告をしてもらう。開戦は明日の午後だ」

「ちょっ」

 

 背後で吉井達の口論する声が聞こえたが、宣戦布告に関して俺が関われることは無いため、俺は一足先に教室へと戻った。




 書いてて思いましたけど、思っていたより断然時間の進みが遅いんですね。
 まだ二日目ですよこれ。


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第八問 渡り廊下は誰の手に

対Bクラス戦、開幕です。


【化学】

 問 以下の問いに答えなさい。

『ベンゼンの化学式を書きなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『C(6)H(6)

 

 教師のコメント

 簡単でしたかね。

 

 

 

 土屋康太の答え

『ベン+ゼン=ベンゼン』

 

 教師のコメント

 君は化学をなめていませんか。

 

 

 

 吉井明久の答え

『B-E-N-Z-E-N』

 

 教師のコメント

 なるほど、君達は化学をなめていますね?

 

 

 

 近藤吉宗の答え

『ヘンセン+゛×2=ベンゼン』

 

 教師のコメント

 あとで土屋君と吉井君と三人で職員室に来るように。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『 C  CC  C  C   C  CC  C  C 

 C C       C  CCCC      C

    C     C    C       C

     C  CC     CCCC  CC  』

 教師のコメント

 谷村君も追加で。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 対Bクラス戦を午後に控えた朝、俺はある箱を見つめていた。

 その箱は綺麗にラッピングされ、丁寧にリボンまで結んであるプレゼント用だった。

 

「ううむ……一応持っていくかな……」

 

 学校に持っていくか俺が悩んでるその箱の中身は、木下さんへ渡す予定のハンカチである。もちろん、あの日のお礼として。

 

「……よし、持っていこう」

 

 秀吉からの情報で、木下さんのストライクゾーンに入ることが相当厳しいことが判明したが、やはり諦めきれない。だからこそ、ハンカチという接点はいつまでも残しておきたいのだが……。

 

「いつまでも先送りにしてられないからな」

 

 そもそも、新学期が始まってすでに二日が経過している。この二日間色々な事があったためすっかり忘れていたが、渡そうと思えばいつでも渡せたはずだ。木下さんのクラスはまずAクラスで間違いないだろうし。

 意を決して、プレゼントを鞄の中に入れる。もちろん、ちょっとやそっとじゃ潰れないようにしっかりとしたつくりの箱を選んだ。

 時計を見るとそろそろ家を出ないと遅刻しそうな時間だった。

 ちゃんとプレゼントを持っていることを確認して、家を出る。

 今日も今日とて、快晴だった。

 

 

            ☆

 

 

「さて皆、総合科目テストご苦労だった」

 

 教壇に立つ坂本が机に手を置いて俺達の方を向いている。

 午前中の補充試験が終わり、ついさっき昼飯を取ったところだ。

 

「午後はBクラスとの試召戦争に突入する予定だが、殺る気は充分か?」

『おおーっ!』

 

 Fクラスのモチベーションは全く下がっていない。誰よりも高い上位設備への欲求が、俺達の最大の武器であると言えるだろう。

 

「今回の戦闘は、相手を教室に押しこめなければならない。そのために、40人の前線部隊を姫路に指揮を取ってもらう。てめえら、きっちり死んで来い!」

「が、頑張ります」

『うおおーっ!』

 

 一緒に戦えるとあって、俺達前線部隊の式は最高潮に達しようとしていた。

 

「やったるでーっ!」

 

 特に、工藤のテンションがかなりおかしなことになっていた。

 と、そこに昼休み終了のチャイムが鳴り響き、遂に対Bクラス戦が開戦した。

 

「よし、行ってこい! 目指すはシステムデスクだ!」

『サー、イエッサー!』

 

 その声とともに、俺達は教室を飛び出し全力疾走で渡り廊下へと向かう。

 

「いたぞ、Bクラスだ!」

「高橋先生を連れているぞ!」

 

 くっ、高橋先生ってことは総合科目か! もしもそうなれば、総合力に劣るFクラスでは勝ち目がない。

 しかし、Bクラスの前線部隊ははゆっくりとした足取りで、さらにわずか10人程度しかいない。

 ここは先に数学で攻め込んで、一気に教室に押し込んでやる! 人数は四倍だ!

 ところで、俺が走っているのは前線部隊の先頭である。足が速いのと数学が得意なのがその理由だ。しかし、ふと横を見てみると、いるのは島田さんだけで前線部隊隊長の姫路さんは見当たらなかった。一瞬不思議に思ったが、単純に、俺達の全力疾走に追いつけなかったという事に気が付いた。

 姫路さんが到着するまで、耐えなければ……!

 

「長谷川先生! 召喚許可を!」

 

 走りながら、あらかじめ渡り廊下に待機させておいた長谷川先生にフィールドを展開させる。

 長谷川先生はなぜか展開するフィールドが他の先生よりも広いのだ。

 

「なんの! 高橋先生、お願いします!」

 

 Bクラスから、そんな声が聞こえた。フィールド同士が重なると干渉して消えてしまうので、先に展開させてしまえばこっちのものだったのだが……まあ仕方あるまい。

 現在、渡り廊下には二つのフィールドがあり、こちら側は数学、向こう側は総合科目である。

 そして、遂にBクラスと激突した。

 

試獣召喚(サ モ ン)

 

 いくつも重なる試獣召喚(サ モ ン)の声。フィールドは……くそ、ギリギリで総合科目に入ってしまった! これじゃ何のための数学部隊だか分からない。

 ただし、こちらは数の利がある。まだ勝負は分からない。

 そして何体もの召喚獣達が召喚され、少し遅れて点差が表示される。

 

 

『【総合科目】

 Bクラス  野中長男  

        1943点  

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Fクラス  近藤吉宗

        698点          764点

 Fクラス  君島 博 & Fクラス  武藤啓太

        823点          792点』

 

 

 んなっ!? なんて強さだ! 文字通り桁違いじゃないか!

 

「ちょっと待て谷村」

「なんだ近藤」

「お前、その点数はなんだ……? お前数学でかなり稼いでるんじゃなかったのか?」

 

 答えは簡単。他が酷いからだ。

 

「そんなことは関係ない! ここまで来たら100点そこらの差なんか関係ないだろ!」

「それはそうだが」

 

 強引に話を切り上げて、Bクラスと対峙する。

 別にここで相手を討ち取る必要はない。後退さえしなければ、あとは姫路さんが何とかしてくれるはずだ。

 

「いくら人数が居ても点数が無ければゴミ同然だ! ぶっ倒してやる!」

 

 すると、野中が罵倒してきた。何を言っているのやら。

 

「それは違うな、野中。これは戦争なんだ。個人の戦力よりも、人数の差がより大きな差と――」

 

 俺の言葉が言い終わるか否か、野中の召喚獣がレイピアでこちらに襲いかかってきた。躱しきれなかった近藤の召喚獣に、レイピアが突き刺さる。

 

 

『【総合科目】

 Fクラス  近藤吉宗

        260点』

 

 

 急所は躱したものの、刺さったレイピアは大幅に近藤の戦力を減らしていた。

 

「人数の差がなんだって?」

 

 勝ち誇ったような顔で煽ってくる野中。

 

「ふっ……」

 

 それに対し、俺は髪をかき上げながら、

 

「総員、回避に専念しろ! 圧倒的点差の前ではこれっぽっちの人数差なんて何の役にも立ちゃしない!」

 

 ある意味での、敗北宣言を言い放った。

 しかし、これで俺達が負けたわけじゃない。俺達にだって、圧倒的な点数の保持者がいる。

 俺達が野中の攻撃を必死に凌いでいると(こちらから攻撃することは無かった)、

 

「来たぞ! 姫路瑞希だ!」

 

 Bクラスの誰かの声が上がる。

 

「やっときたか……さあ野中! お前の天下もここで終わりだ!」

「はん、何を言っている。いくら姫路さんと言えども、この点数なら負けるわけがない!」

 

 その自信はおそらく自分がBクラスであることから来ているのだろう。

 その時、どこかから炎が上がった気配がした。おそらく姫路さんの物だ。

 点数を確認してみる。

 

 

『【数学】

 Fクラス  姫路瑞希  

         412点

            VS

 Bクラス  岩下律子 & Bクラス  菊入真由美

        189点           151点』

 

 

 わあ、すっげ。

 

「なっ!」

 

 今度は野中がその点数差に(おのの)く番だった。

 

「くそ、なんて強さだ!」

 

 野中は、全くためらうことなく、

 

「中堅部隊と入れ替わりながら後退! 戦死だけはするな!」

 

 そんな指示を飛ばした。

 あ、野中は部隊長だったのか。

 

「決してお前達を恐れたわけじゃないからな! 勘違いするなよ!」

「はいはい、分かってますよ」

 

 まあ、ツンデレなんかではなく、実際にそうなのだろう。総合科目のフィールドで、回避に専念していた俺達はそれでも半分近くの点数を削られたのだから。

 

「このまま一気に押し込むぞ!」

 

 Bクラスが高橋先生を回収して後退する為、こちらも長谷川先生を引き連れてBクラスへと前進する。

 ここで、忘れがちな試召戦争の細かいルールを説明しておこう。

 本来、敵を倒したわけでもないのにフィールドを出ることは、敵前逃亡に当たり補習室送りとなる。ただし、実際にそのルールが適用されるのは、最後の一人となった場合だけ。つまり、クラス間という大きなくくりで見て、その場所での戦いが続行可能であれば敵前逃亡とはみなされない。

 総合科目のフィールドには近藤達を残して、俺は数学のフィールドへと移動する。

 数学は得意科目だから充分戦力になれるはずだ。

 改めて試獣召喚(サ モ ン)と唱えて召喚獣を喚び出す。

 

 

『【数学】

 Fクラス  谷村誠二

         63点』

 

 

 ……そりゃあ、総合科目で半分以上も減らされたらこうもなるわな。

 

「これだと押し込みきれない……くそっ!」

「みなさん、大丈夫ですか?」

 

 すると、攻めあぐねている俺に、後ろから声をかけられた。

 

「姫路さん!」

「坂本君に言われたんですけど、別に勝たなくてもいいんです。相手を押し込むのが目的なんですから」

 

 なるほど、そう考えれば、うまく姫路さんを立ち回らせることで作戦を実行できるかもしれない。

 

「みなさん! 頑張りましょう!」

『おおーっ!』

 

 姫路さんらしからぬ大声に、否が応でも俺達の士気は上がる。

 負ける気がしねえ!

 

「ところで、姫路さんがそんなに張り切ってるのには理由があるの?」

「はい。私、皆さんと一緒に頑張るって決めたんです。私、昔からいつもどんくさくて、みんなの足を引っ張ってばかりでしたから……」

「……」

 

 姫路さんには、苦い思い出があるらしい。彼女なりにトラウマになっているかもしれない話だ。到底俺に話してもらえるとは思えないし、それには適役がいるだろう。

 ただ、昔のことなんか関係ない。

 今、この瞬間、姫路さんはFクラス(俺 達)の仲間だ。

 

「姫路さん」

「何でしょうか?」

「……勝ちましょうね、このBクラス戦」

「当然です!」

 

 そう言って笑う姫路さん。

 彼女の笑顔は、人を幸せにする力がある。

 

 

            ☆

 

 

「よし、とりあえずはこんなところか」

 

 俺が立っているのは、渡り廊下側のBクラス入り口である。

 俺や吉井、島田さんといった部隊長達で姫路さんをうまく立ち回らせて、どうにかここまで進軍してきた。

 ただ……そろそろ持ち点が限界だ。

 

 

『【数学】

 Fクラス  谷村誠二

         23点』

 

 

「工藤! 代わってくれ!」

「了解!」

 

 俺は、工藤の召喚獣が出てくるのをきちんと待ってから、背後のFクラスの人垣を超える。

 

「ふう……これで役割は果たしたかな」

 

 Bクラスを教室に押しこめるという俺に託された指令は完遂した。……まあ、ほとんど姫路さんのおかげではあったが。

 数学の点を補給するために一旦戻ろうかと思った時、なにやらDクラスの方が騒がしいことに気が付いた。

 視線をそちらの方へ向けると、なにやら喧嘩をしているような様子だった。

 Bクラスの入り口の封鎖には成功しているし、一体何が……と思って近づいてみると、

 

「……うん?」

 

 島田さんが半狂乱で吉井に襲いかかっていた。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたんだ?」

 

 二人を取り囲む人垣の中にいた須川に話を聞いてみる。

 

「あー……なんていうか、自業自得っていうか……」

「自業自得?」

 

 須川はどうしたもんかと頭をかきながら答えてくれた。

 

「まずな、島田が人質になってたんだよ」

「人質?」

 

 物騒な単語だ。まさか試召戦争で耳にするとは。

 

「なんで人質になったんだ? フィールドは数学だったし、島田さんがそう簡単に捕まるようには思えないけど」

「向こうから、吉井が倒れて保健室で寝てるってガセネタが来てな。持ち場を離れた島田がまんまとBクラスに捕まったというわけだ。その時は一気に駆け抜けようとして教科は英語だったしな」

「ふむ」

「で、その状態で吉井が出した指示が総員突撃だったわけだ」

「まあ……島田さんにはかわいそうだけど、仕方のない指示ではあったんじゃないか?」

 

 持ち場を離れて勝手に捕まって人質になったのだ。まとめて倒されても仕方ないとは言える。

 相手の人数はかなり少なかったようだし、この戦場の有利を取ることが今回の絶対条件なのだから。

 ただ、一概に人質になった島田さんを責めることは出来ない。

 確かに戦争中に持ち場を離れたのは重罪であるが、俺達は兵士である前に一高校生である。クラスメイトが倒れたとなればそれを心配するのは当然とも言えるし、もしそれが身内や想い人であれば、島田さんでなくとも持ち場を離れてしまう事はあるかもしれない。

 俺なら、木下さんが倒れたという噂を流されたら戦場を放棄してすっ飛んで行く自信がある。

 

「そうなんだけどな、普通に突撃すればいいものを、『島田さんが僕の事を心配するはずがない! 偽物だ!』って騒いでな」

「……」

「結果的には相手の不意を突けて島田も無傷で救出できたんだけど、最後の『ホントは最初から気づいてたんだよ?』とかいう吉井の発言に島田がプツンと来ちゃったってわけだ」

「……ああ、それはキレるかもしれない」

「まああれだ、大ごとにならないうちに適当なところで俺達がとめるから、こっちは心配しなくてもいいぞ」

「分かった」

 

 須川がそう言うんなら何とかなるんだろう。

 吉井達の方を見てみると、島田さんは関節技に移行していた。

 

『すいませんでした! もう勘弁してください!』

『ん~どうしよっかな~?』

 

 関節技を極めながらの笑顔が実に恐ろしい。

 

『し、島田さん! 何が望みなの!?』

『望み? うーん、それじゃ、今後ウチはアンタの事をアキって呼ぶから、アンタはウチの事を美波様って呼ぶように』

『美波様! これでいい!?』

『今度の休み、駅前のクレープ屋さんに行きたいな~』

『おのれ! 僕の食費事情を知ってるくせにいだだだっ! おごります! おごりますから!』

 

 ああ、あれはじゃれ合ってるだけだ。心配しなくてもいいかな。

 とにかく、今現在の俺の心配要素はごくわずかになってしまった数学……だけじゃないな、全体の持ち点が半減しているわけだから、俺は補給試験の為にとりあえず教室へ戻ることにした。

 

 

            ☆

 

 

「なっ! なんだこれ!」

 

 教室に返った俺の目に飛び込んできたのは、ボロボロになった筆記用具や卓袱台だった。よく見ると、何人かの鞄は踏まれた跡がある。わざわざ踏みつけた感じじゃないから、急いで妨害工作をしているときに踏んでしまったんだろう。

 ……うわ、俺の鞄もやられてる。

 

「襲撃を受けたんだ」

 

 そんな俺に、坂本は一言で説明する。

 

「襲撃って……どういう」

「戦況の情報を聞く限り、お前は補給試験を受けに来たんだろ? 時間がぎりぎりだから、先に補給試験を終わらせてくれ。幸い補給試験に必要な分は無事な筆記用具や卓袱台を用意出来たからな」

「時間?」

 

 まだ完全下校時刻まではかなり時間があるはずだが。

 

「Bクラスと、4時以降は試召戦争に関する一切の行為を禁止するという協定を結んだ。だから、補給試験を受けるなら今しかないんだ」

「協定か……なるほど、了解した」

 

 現在の時刻は2時50分。

 補給試験は一時間だから、採点の時間も合わせると確かにぎりぎりだろう。

 教室にいたのは、採点の速い事で有名な木内先生だった。

 

「木内先生、数学の補給試験をお願いします」

「分かりました」

 

 先生の立ち会いの下、補給試験が始まった。

 今日はもう俺の出番は無いだろうが、明日の勝利のために、集中して臨む。

 

 

            ☆

 

 

「――はい、採点が終了しました」

「ありがとうございます。さすがに速いですね」

「これが私の特技みたいなものですからね。教師なのでどちらかを贔屓することは出来ませんが、この後も頑張ってください」

「はい!」

 

 補給試験の採点が終了し、時刻は3時58分。

 どうにかぎりぎりで終えることが出来た。木内先生でなければ間に合わなかっただろう。

 ところで、木内先生の採点は厳しい事でも有名だが、出題の分野が俺の得意分野に偏ったのか、それでも良い点数であると確信できる。もしかしたら、試召戦争中だという事で集中力が増したのかもしれないが、とりあえず運が良かった。

 なんにせよ、これで明日も存分に戦うことが出来そうだ。

 

 

 そして、時計の針が4時を指した。

 

 

            ☆

 

 

 休戦協定の事は両軍きちんと前線部隊にも話が伝わっていたようで、暫くするとFクラスの皆が教室に帰ってきた。

 随分と少ないが……あくまでも休戦協定だからか、戦死した奴らはまだ補習室に監禁中のようだ。

 それと、気絶した吉井は須川達の手によってきちんと運ばれてきていた。

 

「さて、対Bクラス戦、初日の戦闘ご苦労だった。皆気づいていると思うが、我がFクラスは襲撃を受けた」

「なあ……その襲撃ってのはどういう事なんだ?」

「実はな、知っている奴もいるだろうが、Bクラスの代表があの根本だったんだ」

「根本って……根本恭二?」

「その根本だ」

 

 根本恭二。

 確か、目的のためにはどんな手段厭わないヤツだったか。カンニングは当たり前、喧嘩に刃物は標準(デフォルト)装備、なんて噂もある。

 もしかすると、島田さんを人質に取ったのも根本の指示だったのかもしれない。

 

「続けるぞ。試召戦争が始まってしばらくして、Bクラスから協定の申し出があった。協定の内容については皆知っての通りだ」

 

 確か、『4時以降は試召戦争に関する一切の行為を禁止する』だったか。

 

「罠の可能性もあったから、本隊を連れて協定の場へ向かったんだが……その場では何も無かったが、その間に教室が襲撃に遭った、というわけだ。これは根本の作戦を読めなかった俺のミスだ、すまなかった」

 

 そう言って、坂本は俺達に頭を下げた。

 そんなことをされてしまっては、俺達は一概に坂本を責めることが出来なくなる。

 

「いや、仕方ないさ。協定にメリットはあったんだろ?」

「ああ。俺達の最大戦力である姫路の体調を気遣ったものだ」

「す、すいません皆さん……」

 

 姫路さんも、俺達に頭を下げるが……彼女には謝る理由が無い。それどころか、俺達の方が感謝しなくてはならないくらいだ。

 

『姫路さんのせいじゃないさ!』

『姫路さんのおかげで戦えてるんだから!』

『姫路さんサイコー!』

 

 当然のように、Fクラス各地から姫路さんをたたえる声が上がる。

 

「ありがとうございます……!」

「……この件に関して、そう思ってもらえるなら助かる。さて、現在の戦力を報告するが……」

「ちょっと待った。今こうして集まっていることは協定に反しているんじゃないか?」

「心配ない。4時きっかりに解散という事も出来ないから、15分まではミーティングのみ互いに黙認することになっている」

「そうか。話の腰を折って悪かった。進めてくれ」

「いや、大丈夫だ。それで、現在の戦力だが正直あまりよろしくはない」

「そうなの?」

「ああ。前線部隊のうち28人がやられた。とは言え、Bクラスを教室に押しこめたのは上出来だから、プラスマイナスゼロとも言えるがな」

 

 戦力としてはマイナスだが、想定以上に攻め込めたのなら順当な被害で攻め込むことが出来たと判断しても良い。

 

「援軍としてやられた奴が3人がやられたから、今残ってるのはここにいる19人だ」

 

 簡単な算数だ。

 その中には、総大将の坂本や、主戦力の姫路さん、単一教科最大火力の土屋もいる。

 

「明日は、姫路に前線の指揮を執ってもらって、期を見て突撃させる。だから、姫路は前線の後ろに待機させて温存する。それまでは、各自例え死んでも入り口を守るんだ。いいな?」

『おう』

「それじゃ、今日は解散だ。お疲れだったな」

 

 時刻はきっかり4時15分だった。




実は、谷村君の総合科目の点数は明久に負けてたりします。


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第九問 放課後に笑う者は誰

【化学】

 問 以下の問いに応えなさい

『炭素と水素だけでできた有機化合物のうち、炭素原子間に二重結合、三重結合を含むものを何というか』

 

 

 

 谷村誠二の答え

『不飽和炭化水素』

 

 教師のコメント

 正解です。ちなみに、炭素原子間が単結合だけであるものは飽和炭化水素と言います。

 

 

 

 須川亮の答え

『二重三重炭化水素』

 

 教師のコメント

 それっぽく並べても不正解です。

 

 

 

 吉井明久の答え

『二重三重炭素水素』

 

 教師のコメント

 問題文に出てきた単語を並べただけですか。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「さて、どうするかな……」

 

 対Bクラス戦の試召戦争が休戦状態に入り、俺達は解散となった。

 当然既に帰ってしまった連中もいるが、俺は何となく帰る気になれないでいた。試召戦争のテンションが中途半端に余ってしまって、何故か無気力状態になってしまったのだ。

 

「今日は結構頑張ったからな、眠い……」

 

 午前中は補充試験を受けて頭を使ったことも要因の一つだろう。

 特にすることも無く適当に校内をぶらつく。図書館にでも行こうかと思ったが、まだ新学期になってから日が浅いからか、開いてなかった。

 

「あ、そうだ。今のうちに木下さんにハンカチを渡しに行けばいいんだ」

 

 用事が出来たので、二年生の教室がある三階へと向かった。多分木下さんなら教室で自習しているはずだ。

 そして、Aクラス教室前まで来ると、

 

「……ん?」

 

 何やらCクラスの方から最近知り合った連中の声が聞こえてきた。

 

「なんでCクラスから……? そもそも休戦中なんだから騒ぐ理由が無いだろ?」

 

 そんなことを思っていると、Cクラスから坂本達が飛び出してきた。

 

「? どうしたんだ、坂本!」

「どうもこうもない……って谷村か! 助かった!」

「助かった?」

「Bクラスの罠にハマった! お前がアイツらを引き留めてくれ!」

 

 見ると、坂本を筆頭に土屋や姫路さん、吉井に島田さんといった主要メンバーの後ろから、Bクラス生徒が4人やって来ていた。

 

「ちょ、どういう状況だよ! そもそも、俺はただでさえ点数を消費してるからBクラス相手じゃ壁にもならないぞ!」

「違う! 立ち会いの先生は長谷川先生だ!」

「!」

 

 そうか……そういう事か。

 

「わかった。やってやるよ!」

「ありがとう谷村! 島田、お前もここに残って相手を引き留めてくれ!」

「了解!」

 

 その数瞬で相談を終え、俺と島田さんはBクラスの連中の前に立ちふさがる。

 その後ろを、坂本達がFクラスへと駆け抜けている。

 

「くそ、手間とらせやがって……試獣召喚(サ モ ン)!」

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 Bクラスの連中が次々に召喚獣を喚び出す。

 

 

『【数学】

 Bクラス  工藤信二 & Bクラス  真田由香

        159点          162点

 Bクラス  加西真一 & Bクラス  井川健吾

        149点          138点』

 

 

 表示されるのは相手の点数。さすがはBクラスと言った所か。

 ただ、それでもそのほとんどが『Bクラスの平均レベル』だ。それ以下のヤツもいる。理由はなぜか知らないが、この科目の得意な生徒は用意できなかったのだろう。姫路さんを凌ぐための戦力として渡り廊下に投入して、そのまま戦死した可能性もある。

 なんにせよ――これなら戦える。

 

「ほら、さっさと召喚獣を出せよ。早くしないと敵前逃亡にするぞ?」

 

 Bクラスの工藤がこちらを煽ってくる。……Bクラスにも工藤っているのな。

 

「まあ焦るなよ。そんなことしなくてもさっさと喚び出してやるからさ」

 

 そして、島田さんと声をそろえて叫ぶ。

 

 

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 

 足元に魔法陣が現れて、少しずつピントが合うように召喚獣が姿を現す。

 

「なあ、なんでこの科目にしたんだ?」

 

 そのロード時間を利用して、工藤に質問を飛ばす。

 

「あ? 姫路さんが数学を消費してるからだよ。姫路さんさえ無効化できればFクラスなんて恐れるものが無いからな」

 

 その答えに、俺は島田さんと顔を合わせてつい笑い声をあげる。

 

「何笑ってやがるんだ!」

「いや、何、残念だったなと思ってな」

 

 召喚獣の喚び出し(ロード)が終わり、俺達の点数が表示される。

 

 

『【数学】

 Fクラス  谷村誠二 & Fクラス  島田美波

        168点          171点』

 

 

 

「――ここは、数 学(俺達のフィールド)だ」

「全員まとめて補習室送りにしてやるわ」

 

 俺達は、姫路さんに次ぐFクラスにおける数学の実力者だ。

 

 

 

「お前達、本当にFクラスか……?」

 

 信じられないと言った表情で、工藤が質問を投げかけてくる。

 

「正真正銘Fクラスだよ、数学以外の教科は酷いしな。ただ、たまたまお前らが数学を選んで、たまたま数学の得意な俺達がここにいたってだけのことさ」

 

 おそらくもうこんな機会は無いだろうから、俺は全力でかっこつける。

 

「だが、まあ所詮4対2だ。お前らに勝ち目はないよ!」

 

 工藤がそう言ったかと思うと、4人が一気にこちらへ突撃してきた。

 こうして、対Bクラス戦初日は延長戦へと突入した。

 

 4人の特攻を、島田さんの召喚獣は横に移動し、俺の召喚獣は後ろに距離を取ることで回避する。

 

「避けるだけしかできないのか? だったらさっさと決めさせてもらうぜ!」

 

 4人は、まず島田さんから片づけるつもりのようで、先程と同じく4人で島田さんの召喚獣にぶつける。

 俺達が得点を取れていると言っても、所詮はBクラス止まり。人数差があるのだから、力押しすればBクラスが勝つようにも思える。

 ただし、それは彼らが大人数での立ち回り方を把握していればの話だ。

 

 ガキィン!

 

 金属のぶつかる音がした。

 

 

『【数学】

 Bクラス  工藤信二 & Bクラス  真田由香

     159点→153点       162点→132点

 Bクラス  加西真一 & Bクラス  井川健吾

     149点→128点      138点→104点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Fクラス  島田美波

        168点      171点→143点』

 

 

『え……?』

 

 Bクラス生徒の困惑の声が重なる。

 島田さんの召喚獣もそれなりにダメージを受けているが、被害は向こうの方が断然大きい。

 

「なんで、私たちの方が減ってるの!?」

 

 なんでと言われても、刃物を持った4人が1人に特攻すればそりゃあ互いに武器がぶつかるよな、というだけの話である。島田さんは殆ど避けるのに専念していたし、すべてを避けることは出来なくても被害を一本だけにすれば、もともと点数はこちらの方が上なのだから、致命傷だけを気を付ければよいのだ。

 大人数で戦う時は、一度に特攻してはならない。

 これは、前回の対Dクラス戦の時に坂本から教わり、また身を以て実感した鉄則である。

 坂本曰く、大人数で戦うなら、2人ずつぐらいで立ち代りながら攻撃して攻撃の切れ目を失くすことが一番効果があるのだという。

 

「おっと、俺も忘れて貰っちゃ困るぜ!」

 

 俺の召喚獣は、筆箱の中から何本ものカッターナイフを取り出し、刃を出して相手の召喚獣たちに投げつける。

 一応4人全員を狙ったが、2人にしか当たらなかった。まあ、それでも十分だ。

 

 

『【数学】

 Bクラス  工藤信二 & Bクラス  真田由香

     153点→121点          132点

 Bクラス  加西真一 & Bクラス  井川健吾

        128点       104点→ 62点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Fクラス  島田美波

        168点          143点』

 

 

「くそっ!」

 

 工藤が焦りまくっている。そりゃあそうだ。Bクラスである彼らがFクラスの俺達に良いようにされているのだから。

 

「なんでお前の投擲(とうてき)は当たるんだ! お前達だって召喚獣の操作にそこまで慣れてるわけじゃないだろう!」

 

 確かにそうだ。俺達の実戦経験なんてたかが知れている。

 ただ、経験はたしかにあるのだ。

 

「俺の投擲が当たるのは、俺の召喚獣がそういう仕様だから、としか言いようがないな」

「どういうことだ……?」

「いや、俺も今日気付いたんだけどな? 召喚獣を『操作する』とはいっても、俺達がいちいち右足を前に出して左足を上げて、っていう風にいちいち考えてるわけじゃないだろ?」

 

 本来二足歩行とはそう簡単に実現できるものではない。そんな風に指示するのであれば、まともに召喚獣を歩かせることが出来るヤツなんて、三年生にだっているわけがない。

 

「俺達は召喚獣に『そっちに歩け』とか『そっちにジャンプしろ』といったイメージで操作してるんだ」

「……それがどうした?」

「つまり、召喚獣の操作ってのは、あらかじめ決められた動きを選択するんだ。ゲームのコマンドみたいにな」

「……そういうことか」

「分かったみたいだな? 要するに、召喚獣ごとに得意な動きがあるんだ。剣士だったら『剣を構える』とか『剣を振る』ってな感じでな。そもそも、武器なんて素人が振ったところで大した効果は得られないだろうし」

「つまり、お前の召喚獣はその得意な動きってのが『物を投げる』だったってことだな」

「そうらしい。多分、成績に応じて精度が上がるはずだ。さあ、続きをやろうじゃないか、工藤」

 

 既に坂本達が逃げるだけの時間は稼いだのだが……出来ることならば戦死したくはない。

 

「俺と真田は谷村をやるから、加西と井川は島田をやれ!」

『了解!』

 

 大人数のデメリットの方は相手に教えたわけではないが、相手は二手に分かれた。

 完全に2対1になると厳しいが、点差で押し切れるか……?

 

「かかれ!」

 

 工藤の号令で、襲い掛かってくる召喚獣達。くそ、島田さんの方は島田さんで片づけてもらうとして、こっちは自力で何とかしなければ。

 とりあえず点数が高いのは……真田さんの方か。

 よし、工藤の召喚獣の剣は左腕でそらして、真田さんの召喚獣の手にカッターナイフを思いっきり突き刺す!

 痛みを感じない召喚獣だからこそできる技だが、そもそも文房具(俺の武器)はリーチが短いからこういった捨て身の技になりがちだ。まあ、それをカバーするのに投擲があるんだろうが。

 

 

『【数学】

 Bクラス  工藤信二 & Bクラス  真田由香

        121点       132点→ 86点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 

    168点→143点              』

 

 

 ふむ、上手くすれば腕のダメージよりも手のダメージの方が大きくなるようだ。

 

「今度はこっちから行くぞ!」

 

 工藤と真田さんの召喚獣達が上手く分かれたのを見計らって、俺の召喚獣をカッターを両手に一本ずつ携えて、工藤の召喚獣に突撃させる。

 

「食らえ!」

 

 工藤の召喚獣が思い切り剣を振り下ろしてくる。 

 右側ががら空きだったので、右手のカッターナイフを工藤の召喚獣の首に思い切り突き刺した。

 剣はとっさに左腕で受けた。くそ、結構ダメージを食らった気がするが……どうだ?

 

 

『【数学】

 Bクラス  工藤信二 & Bクラス  真田由香

     121点→ 0点           73点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 

     143点→ 87点             』

 

 

 よし! 工藤が戦死だ! 143点分の攻撃を首に与えたんだ、そうでなきゃ困る!

 鉄人に補習室へ連れられる工藤を横目に見ながら、今度は真田さんの召喚獣に相対する。

 

「まさか工藤君がやられるなんて……!」

 

 2対1の状況を看破して、ようやく一対一(タイマン)の形になる。

 点数では勝っているが……まだ油断できない。

 

「今度は私の番よ!」

「うおっ!」

 

 真田さんが、刀を前に構えて突撃してきた。とは言え、既に二人とも点数が100点を切っている。あまり大きな動きは出来ない。

 

「死になさい!」

「物騒だなあもう!」

 

 今度は刀を横にして、右から攻撃を仕掛けてきた。

 とっさに右手のカッターナイフを鉄製のシャーペンに持ち替えて、その刀を受ける。強度は……大丈夫だ!

 左手のカッターナイフで真田さんの召喚獣に攻撃を与え――って、上手く動かない! 左腕で二度も剣を受けたからダメージが溜まってたんだ!

 

「刺されええええええ!」

 

 

『【数学】

 Bクラス  真田由香

      73点→ 32点

     VS

 Fクラス  谷村誠二 

      83点→ 76点』

 

 

 結局、刺さりこそしなかったものの、なんとか真田さんの召喚獣の太ももを切りつけることが出来た。

 刀は防いだのに、俺の点数が減っているのは、無理に左腕を動かしたからだろうか。

 ……今更だけど、カッターナイフがリアリティあるだけにとんでもない絵面だな。

 でも、そんなことを気にしてる場合じゃない。

 

「これで終わりだ!」

 

 右手にカッターナイフを持ち替え、真田さんの召喚獣の胸部に突き出す。

 相手も刀をこちらに突き出してくるが……44点もの点数差はそんなものじゃひっくり返らない。

 

「きゃっ! よけきれな――」

 

 ドスッ

 

 

『【数学】

 Bクラス  真田由香

      32点→ 0点

     VS

 Fクラス  谷村誠二 

      76点→ 53点』

 

 

「はあ、はあ……か、勝った! Bクラスに勝ったぞ!」

 

 Bクラス2人相手になんとか勝利を収めることが出来た。

 正直かなりきつい戦いだったが、初めの投擲でダメージを与えることが出来たのが大きいだろう。

 あと、対Dクラス戦という実戦を経験しているという点も大きかったはずだ。左腕で剣を受けて右手で攻撃、なんて真似は少なくともその経験が無ければまずできなかった。

 そういえば、島田さんの方はどうなったのかと思い見てみると、ちょうど残った一人にとどめを刺している所だった。

 

 

『【数学】

 Bクラス  加西真一

      18点→ 0点

     VS

 Fクラス  島田美波 

     32点→ 29点』

 

 

「ふう」

「お疲れ、島田さん」

「あれ、もうそっちは片付いたの?」

「まあね、かなりきつかったけど」

 

 一応あたりを見渡してBクラスの援軍が来ていないか確認したが、問題ないようだ。

 

「長谷川先生、フィールドを消してくれますか?」

「あ、はい分かりました」

 

 これでひとまずは大丈夫だろう。

 

「島田さん、早く教室に帰ろう」

「そうね、何が来るか分からないし」

 

 そんなわけで、俺達はそそくさと教室へ戻った。

 

 

            ☆

 

 

「二人とも! 無事だったんだね!」

「良かったです……!」

 

 Fクラスで俺達を出迎えたのは、吉井と姫路さんのそんな台詞だった。

 

「大丈夫よ。点数は減っちゃったから無事ではないけど」

「俺もだ。補給しといて正解だった。明日は朝から補給試験だな」

 

 数学というフィールドでのみ活躍できる俺は、数学の点数が生命線とも言える。まあ、クラスの為になったのならとりあえずはそれでいいか。

 

「二人のおかげで助かった。お疲れさん」

「無事だったようじゃな」

 

 坂本と秀吉もやってくる。坂本はあまり心配していない感じだったが、それは信頼されてるってことでいいのかね。

 

「4人とも倒したか?」

 

 坂本が訊いてくる。

 

「ああ。追っかけて来ていた4人とも戦死させた」

「そうか、こっちの被害は1、向こうは4か……上々ってところか」

「被害1? 誰だ?」

「須川だ。俺が勝負を申し込まれそうな時に身代わりになってくれた」

「……そうか」

 

 須川の犠牲……無駄にしてはならない。

 

「ところで、Bクラスの罠にハマったってどういう事なんだ?」

 

 さっき、Cクラスで一体何があったのだろうか。

 

「……Cクラスが試召戦争の準備をしているとの情報が入ってな」

「試召戦争の準備?」

「ああ。対Bクラス戦が終わったら、その勝者を狙ってBクラスの設備を横取りするってな感じでな」

 

 一応補給のための時間は設けられるとは言え、連戦となるとさすがにキツイ物がある。もしそうなると、Aクラス奪取の妨げとなるのは明らかだ。

 

「だから、不可侵条約を結びにCクラスに行ったんだが……奴ら、Bクラスと組んでいやがった」

「……伏兵か」

「そういうこった。根本が出てきて、『この交渉は協定の《試召戦争に関する一切の行為を禁止する》に反している!』って俺達を攻撃してきたんだ」

 

 屁理屈もいいところだ。

 坂本は一旦話を区切り、その場にいる全員を見渡した。

 

「ってなわけで、これでCクラスも晴れて俺達の敵になったわけだが……同盟戦として始まっていないから連戦という形になるだろうが、正直Cクラスに攻め込まれるのは正直戦力的にもモチベーション的にも勝てる要素が少なくなるから出来ることなら避けなくてはならない」

「でも、具体的にどうするんだ?」

「心配するな、策はちゃんと考えてある」

「……分かった」

 

 つくづく頭のまわるやつだ。

 

「もうすぐ完全下校時刻で試召戦争も完全にストップする。今日はもう解散だ。策については、明日の朝必要な奴に話す。それでいいな?」

 

 坂本は俺達を見渡したが、もちろん反論する奴はいなかった。

 

「よし、それじゃ解散!」

 

 

            ☆

 

 

 当然の流れとしてその場にいた皆で帰ろうという話になったが、鞄をAクラス前に置いてきたことを思い出して皆には先に玄関に行ってもらうことにした。

 

「えーっと、確かこの辺で坂本達に声かけたから……あったあった」

 

 鞄の中には大切なプレゼントもあるんだ……って……。

 鞄を拾った俺が前を向くと、そこには俺が現在絶賛惚れている、木下優子さんが立っていた。

 

「あら、あなた確か……」

 

 こちらに気づいた木下さんが話しかけてきた。

 

「はい、振り分け試験の日のハンカチ、ありがとうございました」

 

 深々と頭を下げる。

 

「そんな頭なんて下げなくてもいいわ。それで、大丈夫だったの?」

「はい、なんとか振り分け試験にも間に合いましたし」

「そう、良かったわ。……ねえ、クラスを聞いてもいいかしら?」

「……せっかく木下さんからハンカチを貰ったんですけど、残念ながらFクラスでした。自分の成績的に順当ではあるんですが……」

「……そう。まあでも、下手に膿んだりしてなくて良かったわ。怪我の処理はきちんとしないと……ね」

「はい」

 

 やべえ! すごい緊張する!

 よく考えたら、木下さんと話すのはこれで2度目だ。

 なんか無性に恥ずかしくなってきた。

 

「Fクラスってことは、今Bクラスと試召戦争してるんでしょ?」

「え? ええ、はい」

「ねえ、なんで新学期早々に試召戦争を起こす気になったの? まだ成績に大きな差がついてることは明白なのに」

「それは……」

 

 何と答えるのが良いだろうか。

 

「……代表に乗せられたから、というのが一番ですかね」

「代表?」

「はい。代表が、俺達は最強だって言ってました」

「ふうん……」

 

 ああ、木下さんを満足させることは出来ただろうか。もっとましな回答もあったような気がするが……テンパってそれどころじゃない。

 

「ああ、そうだ。ハンカチのお礼をさせてください!」

「お礼? お礼なんていいわよ、そんなもの目当てで人助けしたんじゃないし」

「いや、させてくれないと俺の気が済まないんです! 新しいハンカチを買ってきたので、これを――」

 

 そう言いながら、俺は鞄の中を漁ってプレゼントを取り出す。

 そして、そのまま木下さんの前に差し出したのは――

 

 

 

 ――ぺしゃんこにつぶれた、プレゼントの箱だった。

 

 

 

「――え」

「……これがあなたの気持ちって事?」

「い、いや違うんです!」

 

 な、なんでこんなことに……! 教科書とかぐらいじゃ簡単につぶれないようにちゃんとしてた筈なのに……。

 その時思い出したのは、俺の鞄に付いた足跡だった。

 ああっ! なんであの時気づかなかったんだ! さすがに鞄を踏まれたらプレゼントなんてひとたまりもないに決まってる!

 

「こ、これは――」

「言い訳なんて聞きたくない」

「――っ!」

「凄く不愉快な気持ちになったわ。そんなものいらないから、今後アタシを見かけても二度と話しかけないで」

 

 そう言い放つと、俺の言い訳を挟む隙も与えずにツカツカと階段を降りて行ってしまった。

 

「……」

 

 俺は、手元の潰れたプレゼントに視線を落とす。

 ……別に、木下さんに憤りを感じてるわけじゃない。お礼といってこんなものを渡されたらキレてもおかしくない。むしろ当然の反応だ。

 だが、この怒りを自然霧消させられるほど俺は人間が出来ちゃいない。

 だから、俺は――。

 

 

「根本ぉ……! このお代は高くつくぜ……!」

 

 

 夕暮れの校舎にただ一人たたずむ俺が発した声は、誰もいない校舎に響き渡った。




 Dクラス戦の時にギャグの一環として思いついた文房具が割と使えそうで驚いてます。


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第十問 敵の頭を誰が討つ

【英語】

 問 以下の問いに答えなさい。

『goodおよびbadの比較級と最上級をそれぞれ書きなさい』

 

 

 

 根本恭二の答え

『 good - better - best

  bad - worse - worst 』

 

 教師のコメント

 正解です。

 

 

 

 吉井明久の答え

『 good - gooder - goodest

  bad - bader - badest 』

 

 教師のコメント

 まともな間違え方で先生は驚いています。

 goodやbadの比較級と最上級は語尾に-erや-estをつけるだけではダメです。覚えておきましょう。

 

 

 

 須川亮の答え

『 good - more good - most good

  bad - more bad - most bad 』

 

 教師のコメント

 吉井君に続いてこれまたまともな間違え方ですね。

 長い単語の時にはmoreやmostが使えますが、goodやbadに関しては個別の単語があるのでしっかりと覚えましょう。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『 good - goood! - gooood!!

  bad - baad! - baaad!! 』

 

 教師のコメント

 勢いで誤魔化そうしてもダメです。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 現在の時刻は、早朝の7時。

 開戦予定時刻は9時だが、俺は誰もいない教室で教科書を読み込んでいた。

 こんなに早く学校に来たのはやる気が有り余っているからで、その理由は一つしかない。

 と、その時、教室のドアがガラリと音を立てて開き、坂本が入ってきた。

 

「……驚いたな。まさかこんなに早く登校してるなんて」

「まあな。坂本こそ早いじゃないか」

「俺は代表だし、戦況の把握だのなんだのと色々とやることがあるからな。お前はどうしたんだ? いつもこんなに早く来てるわけじゃないだろ?」

「坂本、それに関してなんだが……」

 

 坂本には、ある頼みごとがある。

 

「なんだ?」

「俺に、根本を討ち取らせてほしい」

 

 昨日から、根本への恨みが消えることが無い。

 是非この手で、恨みを晴らさねば俺の気が済まないのだ。

 だが。

 

「ダメだ。お前に根本は討たせない」

「どうして! ここまで生き残れるだけの実力はあるし、足の速さにも自信がある!」

「そういう問題じゃない。お前じゃ根本を討ち取るだけの火力が無いんだ」

「俺には数学が――」

数学(それ)でも、お前の点数は根本に及ばない。仮にも根本はBクラスのトップで、数学が別段苦手な訳でもない。お前には屋上で話したが、根本を倒すには姫路やムッツリーニ並みの圧倒的な火力が必要になる」

「ぐっ!」

 

 正論すぎるほど、正論だ。

 

「別に嫌がらせで反対してるわけじゃない。昨日の放課後にBクラスの連中を倒してくれたのは助かったし、その分の実力はあることは知っている。だからこそ、お前はウチの大事な戦力なんだ。残りの人数も20人を切っている今、わざわざ根本討伐という任務に着けて失う必要はない」

「で、でも!」

「安心しろ。直接根本討伐には参加させないが、Bクラスの攻略には参加させるし、お前は既に十分役に立っている」

 

 そんなことを言われては、反論することなんて出来やしない。

 それでも、理解は出来ても納得は出来ない自分がいる。

 

「急にそんなことを言うなんて、何かあったのか?」

 

 さすがに怪訝に思ったのか、坂本が訊いてくる。

 

「……詳しくは話したくないが、昨日の襲撃の件で個人的な恨みが出来た」

 

 ハンカチがどうの、プレゼントがどうのという話をわざわざ話したくない。

 

「……そうか」

 

 そんな俺の事情を察してくれたのかどうか、坂本はそれ以上訊いてくることは無かった。

 そんな坂本に声をかける。

 

「坂本。この戦争、絶対に勝つぞ」

「もちろんだ」

 

 今日、対Bクラス戦は二日目に突入する。

 

 

            ☆

 

 

「あれ? お前達、なにしてるんだ?」

 

 殆どの生徒が登校してきた8時半ごろ、坂本達が集まって何かをしていた。

 見てみると、なぜか坂本は女子用の制服を手にしていた。

 

「コイツでCクラスをハメる。上手くいけばCクラスの意識をAクラスに向けられるはずだ」

 

 そういえば、昨日Cクラスに行ったのは不可侵条約を結ぶためだったか。

 その交渉が決裂してしまったのだから、何か対策が必要だろう。

 

「具体的にはどうするんだ?」

「秀吉が木下優子に変装して、Aクラスの使者としてCクラスを煽ってもらう」

「……なるほど」

 

 確かに、木下さんと秀吉は一卵性双生児かと思うほどによく似ている。そこに秀吉の演技力だ、まず変装自体は上手くいくだろう。

 ただ、不安に思う事はある。

 木下さんは他人を煽るようなことはしないだろうし、それに何より、

 

「CクラスはそんなことでAクラスに敵意を向けるのか?」

「間違いなく成功する。ああいうヤツは総じてプライドが高い奴だからな。誰が相手だろうと馬鹿にされたらリスクを考えずに突撃するはずだ」

 

 そういうものなのかねえ。

 まあ坂本の策だ。まず問題ないだろう。

 

「よし、着替え終わったぞい。ん? 皆どうした?」

 

 いつの間にか着替えを終えた秀吉がこちらにやってきた。

 ……それにしても本当にそっくりだな。確かに、秀吉だって言われなかったら木下さんと勘違いしてしまいそうになる。

 

「さあな。んじゃ、Cクラスに行くぞ」

「うむ」

 

 坂本が秀吉を連れて教室を出て行った。

 

「あ、僕も行くよ!」

「ちょ、俺もつれてけ!」

 

 吉井がその後に続いていき、俺も気になったので付いていった。

 そのままCクラス前まで歩き、立ち止まる俺達。

 

「さて、ここからはすまないが一人で頼むぞ、秀吉」

「気が進まんのう……」

 

 Aクラスである木下さんに変装している以上、俺達が近くにいるのはまずいためここから先は秀吉単騎になる。

 乗り気ではない様子の秀吉。それはそうだろう。

 

「そこを何とか頼む」

「はあ……あまり期待はせんでくれよ……」

 

 溜息と共にCクラスへ向かう秀吉。

 

「雄二、秀吉は大丈夫なの? 別の作戦を考えておいた方が……」

「多分大丈夫だろう」

 

 心配そうな吉井と、それと対称的な態度を取る坂本。

 そういえば、秀吉の演技力がどれほどのものなのか俺はまだ知らないな。

 ガラガラガラ、と秀吉がCクラスの扉を開ける音が聞こえてくる。

 

 

『静かになさい、この薄汚い豚ども!』

 

 

 言わない! 木下さんはそんなこと絶対に言わない!

 しかし、その効果は絶大だったようで、Cクラスから金切り声が聞こえてくる。これは代表の声だろうか。

 

『ちょっと、なんなのよ急に!』

『話しかけないで! 豚臭いわ!』

『アンタ、Aクラスの木下ね? ちょっと点数良いからっていい気になってるんじゃないわよ! 何の用よ!』

『私はね、こんな、臭くて醜い教室が同じ校内にあるなんて我慢ならないの! 貴女達なんて豚小屋で十分だわ!』

『言うに事欠いて私達にはFクラスがお似合いですって!?』

 

 もはや会話のすべてが支離滅裂でどこから突っ込めばいいのか分からないレベルである。

 ま、まあ俺達の目的は果たせそうだから良いのかな……?

 

『手が穢れてしまうから本当は嫌だけど、丁度試召戦争の準備もしているようだし、近いうちに私たちが貴女達を始末してあげるから覚悟しておきなさい!』

 

 そう言い残し、過剰な靴音と共に秀吉は教室から出てきた。

 

「これで良かったかのう?」

 

 むしろ良すぎるくらいかと。

 

『Fクラスなんて相手にしてられないわ! 対Aクラス戦の準備を始めるわよ!』

 

 またしても、聞こえてくるのはヒステリックな叫び声。罪悪感すら生まれてくる。

 

「作戦もうまくいったことだし、俺達も対Bクラス戦の準備を始めるぞ」

「あ、うん」

 

 それでも、余計な事に気を取られてなんかいられない。

 俺達は早足でFクラスへと向かった。

 

 

            ☆

 

 

 対Bクラス戦再開直前。

 各自、昨日の4時の時点で自分のいた場所に待機していた。

 休戦協定を破った時に人や先生の移動はあったが、それはあくまでもアクシデントとして処理したためにこのようになった。もちろん放課後の点数の移動はそのまま受け継ぐが。

 そのため、俺は今数学の補給試験の準備をしている。立ち会うのは昨日と同じく木内先生だ。

 昨日は上手く出題範囲が俺の得意分野だったためにかなりの点数を取ることが出来たが、二回続けてそうなるとは思えない。噂通り厳しい採点での順当な点数となるだろう。

 ちなみに、昨日の4時に前線にいた須川は放課後に戦死したため補習室に待機している。

 放課後に数学の点数を大きく失った島田さんの方はというと、島田さんの担当場所に数学の教師がいないため補給試験は受けずに続けるそうだ。当初は数学のフィールドで戦っていたが、いつの間にかフィールドが英語に切り替わっていたらしい。

 

「教室に残っている皆はしばらく待機だが、いつでも出撃できるように準備しておけ」

 

 坂本の指示に、返事をするクラスメイト達。

 現在のFクラスの戦力は、19人から須川を引いて18人である。その内、前線に姫路さんを筆頭に10人。教室には坂本を含めて7人。そして、屋上には土屋がいる。

 改めて、昨日の俺達の被害の大きさが分かる。

 それでも、俺達は負けるわけにはいかない。

 

 そして、試召戦争の再開を告げる9時のチャイムが鳴り響いた。

 

 

            ☆

 

 

 再開してから、1時間半が経過した。

 前線で点数を消費した者が教室に戻り、点数に余裕のあるものが前線へと飛び出していく。

 とっくに補給試験を終わらせた俺は、しかし未だ戦場に向かうことは無く教室での待機となっていた。

 なぜならば、現在の前線のフィールドが英語と現国だからだ。数学担当の長谷川先生は教室内に拉致られたらしく、とりあえず旧校舎に近い方の側の壁にある黒板の側に待機させられているらしい。

 昨日総合科目で半分以上点を失った俺は、そのどちらもゴミみたいな点数だ。今朝坂本が言っていた通り、俺の戦力としての価値は数学にしかないため、教室で温存、と相成っている。

 そろそろ俺も参戦したいのだが……ろくに戦えないことは自分もわかっているため我慢せざるを得ない。

 すると、またしても生徒が一人教室に戻ってきた。吉井だ。

 

「雄二!」

「うん? どうした明久。脱走だったらチョキでシバくぞ」

 

 坂本は、ノートに戦況を整理しながら吉井の声を受け流す。

 だが、

 

「話があるんだ」

「……とりあえず、聞こうか」

 

 吉井は坂本の冗談に反応せず、真面目な顔で言葉を繋いだ。その表情に影響されたか、坂本も真面目な顔になる。

 

「根本君の着ている制服が欲しいんだ」

 

 ……はたして吉井に何があったのだろうか。

 当然坂本も同じことを思ったようで、その追求に吉井はしどろもどろになっていた。

 

「まあいい。勝利の暁にはそれくらいなんとかしてやる」

 

 吉井の要求をすんなり受ける坂本。太っ腹だな。

 

「で、それだけか?」

 

 坂本は呆れ顔で吉井を見る。

 

「それと、姫路さんを今回の戦闘から外して欲しい」

「理由は?」

「理由は……言えない」

 

 言葉を濁す吉井。

 

「どうしても外さないとダメなのか?」

「うん。どうしても」

 

 坂本は顎に手を当てて考え込む。

 吉井の要望は、はっきり言って無茶苦茶だ。姫路さんは根本を討つのに――実際は近衛部隊を根本から引き離すのに――必要なのだ。その代りを務めるヤツなんて、このクラスにいるはずがない。

 だから、てっきり坂本はこの要望を断ると思っていたのだが……。

 

「頼む、雄二!」

「……条件がある」

 

 条件付きで承諾した。

 

「姫路が担う予定だった役割をお前がやるんだ。どうやってもいい。必ず成功させろ」

「もちろんやって見せる!絶対に成功させるさ!」

「良い返事だ」

 

 ふっと口の端を上げる坂本。

 姫路さんの代わりを吉井が? あの《観察処分者》がか?

 

「役割については前に話したな? 期を見て根本に攻撃を仕掛けるんだ。周りのフォローは無しで、当然Bクラス教室の出入り口は今の戦闘中のままだ」

「随分難しいことを言ってくれるね……もし失敗したら?」

「失敗するな。絶対に成功させろ」

「……わかった。何とかして見せる」

 

 そう言うと吉井は少し考え込んでから、何かひらめいたような表情になった。作戦がひらめいたのだろう。

 頬を叩いて自らを奮い立たせると、吉井は補給試験の為に教室に戻って来ていた島田さん達3人に声をかけていた。

 

「さて……横田。平賀に例の物を壊すよう伝えてこい」

「了解」

 

 伝令係として活躍を続ける横田が、教室を飛び出して行った。おそらく、エアコンの室外機の件だろう。

 ただ、俺はそんなことよりも、さっきの坂本の言っていたことの方がずっと気になっていた。

 

「皆、もうしばらくしたら全員でBクラス前に移動する。準備しておけ」

「なあ坂本」

「どうした谷村」

「さっき、姫路さんの代わりを吉井が務めるように言っていたけど……そんなことできるのか? アイツは俺と対して点数は変わらないだろうし、何よりアイツは《観察処分者》なんだろ?」

 

 俺は、当然とも言える疑問を坂本にぶつける。個人的な感情としては、朝の俺の要求が蹴られて吉井の要望が受け入れられたことが気に食わないが……そんなことを言っても今更どうしようもないし、この疑問の答えの方が気になる。

 

「ああ、それなら大丈夫だ。アイツなら、間違いなく姫路の代わりを全うできる」

「どうして……?」

「アイツが《観察処分者》だからだ」

「……はあ?」

 

 まるで答えになっていない。

 

「確かに、《観察処分者》はフィードバックがあるから積極的に召喚獣を喚び出すことはしない。しかし、《観察処分者》には戦力となり得るメリットがある」

「メリット?」

「ああ。《観察処分者》は、召喚獣で教師の雑用を手伝う事が義務付けられてる事は知ってるよな?」

「もちろんだ。だから《観察処分者》の召喚獣は物理干渉が出来て、暴走されないようにフィードバックという形で枷を付けて――」

 

 そこまで言って、ふと気が付いた。

 

「まさか……その物理干渉か?」

「それもある。唯一物理干渉出来る明久の召喚獣は、姫路やムッツリーニと同じく俺達の切り札(ジョーカー)となるからな」

「そういうことか……」

「加えて、試召戦争以外じゃ滅多に召喚する事の無い俺達と違って、《観察処分者》である明久は教師を手伝うために度々召喚獣を操作している。アイツの操作能力は段違いだ」

 

 だから、吉井は姫路さんの代わりを務めることが出来る、というわけか。

 

「なるほど……だから、点数が低くても姫路さんの代わりになる、と……」

「そういう事だ」

「つまり、吉井の作戦は……」

「おそらく、壁を破壊して突っ込む作戦だろうな」

「……分かった。時間を取らせてすまなかった」

「いや、構わないさ」

 

 坂本から離れ、適当に腰を降ろす。

 出番が無いのはつらいが、根本が討ち取られることが最優先だ。俺が勝手に行動してクラスが負けたら、それこそ浮かばれない。

 ふと気が付くと、すでに吉井達は教室からいなくなっていた。

 少しして、坂本の声が教室に響いた。

 

「皆、今からBクラス前まで移動する! ここが正念場だ! 行くぞ!」

『おおーっ!』

 

 遂に、二日間に及ぶ対Bクラス戦もクライマックスに突入する。

 

 

            ☆

 

 

「坂本、今の戦力はどんなもんだ?」

「単純な人数で言えば、ウチが16人で相手が21人だから少し負けているぐらいだ。点数で言えばもっと差は開いてる。ただし、今の戦場はBクラス教室の出入り口だけだから大きな問題は無い」

 

 現在俺達がいるのは、渡り廊下のBクラス側だ。どちらかと言えば、入り口の後ろで待機、と言う方が近いか。

 この付近からBクラスの真ん中辺りにかけては現国のフィールドが張ってある。

 坂本や俺を含めた本隊は4人。こちら側の入り口を張っているのは4人で、向こう側の入り口には姫路さんを含めて5人ほどいる。ただ、姫路さんはまともに参戦できないため、囮にすらなりえない。

 ちなみに、俺達本隊はBクラス内部からは見えないため、まだ意識は向こう側に寄っているだろう。

 

「そろそろか……」

 

 時刻は、もうしばらくすれば午前11時になる、というところだった。

 坂本の呟きと同時に、Bクラスの方からドンドンと何かを叩くような音がし始めた。

 

「行くぞ、お前ら。あえて、本隊の俺達が囮になる。いいな?」

『おう』

 

 小さな声で声をそろえて、俺達はBクラス生徒の前に姿を現す。

 暑苦しい熱気が教室から漏れてきた。

 

「お? やっと代表のお出ましか。お前ら、昨日から鬱陶しいんだよ、人の教室の入り口に集まりやがって」

 

 聞こえて来るのは、教室の窓際ほぼ中央に立っているBクラス代表、根本恭二の声。

 

「どうした? 軟弱なBクラス代表サマはそろそろギブアップ……か……」

 

 その声に軽快な調子で返していた坂本の声は途中から小さくなっていき、最後には坂本は言葉を失っていた。

 何が起こったのかと思い、坂本の視線を追う。

 

 

 朝から入り口で戦闘が続いているため、熱気がこもって暑苦しいBクラス教室。 

 頼みの綱のエアコンも、坂本の策によって止められてしまっている。

 だが、それでも――

 

 

 

 ――Bクラス教室の窓は、ぴったりと閉まり鍵がかけられていた。

 

 

 

『そう何度も自分の思い通りになると思わない方が良いよ』

 

 三日前に聞いた姉貴の言葉が、俺の頭の中で何度も繰り返されていた。




 作戦を先に話すのは負けフラグってヤツです。


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第十一問 誰が為に風は吹く

【英語】

 問 次のことわざを訳しなさい。

[Nothing venture, nothing have.]

 

 

 

 坂本雄二の答え

『虎穴に入らずんば虎児を得ず』

 

 教師のコメント

 正解です。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「なんっ……で……!」

 

 坂本の口から、そんな言葉が漏れる。

 Dクラス代表の平賀の手によって、Bクラスのエアコンはストップしている。

 ごった返す人のせいで、教室の中はかなり暑苦しいはずだ。

 だというのに、なぜか窓は開いていない。

 

「もしかしてお前ら、俺が窓を開けるのを期待してたのか?」

 

 そんな中、教室の中から聞こえてくる根本の声。

 俺と坂本は苦々しい顔になるが、周りのクラスメイト達はきょとんとしていた。そりゃそうだ、土屋の事は限られた人しか知らなかったんだから。

 

「あれから二日も経ってるんだ。Dクラスとの和平交渉の中身が漏れてない訳はないだろ? 俺達の教室のエアコンを壊す目的なんざ、一つしかない。窓を開けさせて、そこから誰かを侵入させることだ。お前らの戦力を見る限り、ムッツリーニあたりがその役目だったんだろうな」

「ぐっ……」

 

 つまり、根本は俺達の作戦を一から十まで見抜いていたというわけだ。

 ここまでなのか……?

 どうしても諦めきれず、なんとかアイデアを絞り出して坂本に小声で提案する。

 

(おい坂本、こうなったら窓ガラスを割って無理矢理土屋を突入させたらどうだ? 作戦を見抜いてると言っても、手筈通り近衛部隊を引き離せば問題はないだろ?)

(だめだ。ムッツリーニだけならともかく、体育教師も突入させるんだ。教師に窓を割らせるなんて、さすがに無理だ)

 

 確かに、教師に『窓ガラスを割って突入してください』なんて言っても断られるに決まってる。

 壁を壊すのはあくまでも教師を欺いて吉井が勝手にやることだ。

 

(じゃあどうするんだよ坂本!)

(ちょっと待ってろ! 今策を考えてる!)

 

 坂本は顎を手に当てて考え始めた。

 そんな坂本に、尚も根本は話しかけてくる。ここは俺が答えるしかない!

 

「どうした代表さんよぉ? 拙いおつむで考えた作戦が看破されて必死に猿知恵でも考えてるのか?」

「はっ! 考える必要なんかないね! そんなもので俺達の勝ちは揺るがない!」

「まったく、何言ってるんだか。今の状況を考えてみろよ、お前らに勝ち目なんかかけらもありゃしないさ」

 

 根本に言われて、俺も改めて戦況を把握してみる。

 

 現在の戦力は、Fクラスはこちら側の扉に7人、向こう側の扉に3人。対するBクラスはというと、教室の中に閉じ込めている21人で全員となる。

 目を凝らしてみれば、近衛部隊は9人、こちら側の扉に7人、残りが向こう側の扉付近にいて、根本は真ん中の窓際にいる。

 吉井は、Bクラスの窓が開いていない事も知らず、Dクラスで必死に壁を叩いている。壁が壊されるのは作戦開始の11時の予定だ。

 窓が開けられていないため、屋上に配置させた土屋は全くの無意味だ。

 ……なるほど、正直絶望的かもしれない。

 

「さっさと負けを認めれば楽になるんだぜ?」

 

 だが、俺達は――俺は、何があってもコイツに屈するわけにはいかない。

 

「はん。それはこっちのセリフだ。俺達にはまだ策があるからな」

「策ねぇ……まあいい。すぐにソイツを討てばいいだけの話だからな」

 

 そう言って根本が指差すのは当然坂本だ。

 く、そろそろ時間稼ぎもキツイ……!

 

(……谷村)

 

 すると、坂本が話しかけてきた。

 

(なんだ? 諦めるとか言うんじゃないだろうな?)

(そうじゃない。お前、数学の補充には成功したよな?)

(? ああ、少なくともCクラス並みの点数は確保したはずだ)

(もう一つ、足の速さに自信があると言っていたが……音を立てずに走ることは出来るか?)

(んー……やったことは無いけど、多分できるんじゃないか? 靴を脱げばそんなに難しくないだろうし)

(そうか……フッ)

 

 そう言うと、坂本は手で髪の毛を思いっきり掻き上げて、不敵な笑みを浮かべた。

 

(坂本! 何か思いついたのか!)

(簡単なことだったんだ。窓が開いてないのが問題だったら、窓を開けてしまえばいいんだ)

(それはそうだが……それが出来ないから問題なんだろうが)

(いや……一つだけある)

(本当か坂本!)

(ああ……喜べ谷村。この作戦の要は、お前だ)

 

 時刻は午前10時50分。

 吉井が壁を壊すまで、あと10分。

 

 

            ☆

 

 

「木内先生!」

 

 坂本から策を授かった俺は、まずは補給試験の為に待機させておいた木内先生に声をかけた。

 

「どうしました、谷村君。補給試験ですか?」

「いえ、ちょっと教室の外に出ていただいて、フィールドを張ってもらいたいんです」

「……そうですか。分かりました」

 

 素直に俺の要望を聞いてくれた木内先生は、教室の外に出てフィールドを展開する。

 

「これで良いですか?」

「はい。それと……もう少し渡り廊下側に来てもらえますか?」

「構いませんが……行けてもEクラス付近までですよ?」

「ええ、そのあたりで結構です」

 

 頭の上に疑問符を浮かべながらも、移動する木内先生。

 これで下準備は完璧だ。

 

「ありがとうございます! それじゃ、俺は向こうに行くのでフィールドはそのままでお願いします!」

「あ、ちょっと」

 

 何か言いたげな木内先生をEクラス前に残して、俺は戦線へと舞い戻る。

 あと7分か……行けるか?

 

「お前ら! 一気に決着を付けるぞ! Fクラスを押し出せ!」

 

 戦線へと帰ってきた俺を出迎えたのは、根本のそんな怒号だった。

 

「くっ! 戦死だけは避けるんだ! 皆少しずつ下がれ!」

 

 ()()()()()()()()勝負を急いだ根本は、坂本を狙って戦線を押し広げようとしてきた。その狙いに乗じて、後退する坂本。

 戦線が扉でなくなったことで、戦況も一対一ではなく多人数対多人数となる。

 

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 いくつもの声が重なり、召喚獣が現れる。

 

 

『【現代国語】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス 金田一 香

        162点          168点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス 加賀谷 博

        159点          172点

            VS

 Fクラス  朝倉正弘 & Fクラス  有働住吉

         54点           59点

 Fクラス  原田信孝 & Fクラス   英 慎

         62点           48点』

 

 

 現代国語はBクラスの得意科目で、その点差は圧倒的だ。

 この形になってしまえば、Fクラスの朝倉達に勝ち目はなく、一瞬で決着がつく。

 

 

『【現代国語】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス 金田一 香

        162点          168点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス 加賀谷 博

        159点          172点

            VS

 Fクラス  朝倉正弘 & Fクラス  有働住吉

     54点→ 0点        59点→ 0点

 Fクラス  原田信孝 & Fクラス   英 慎

      62点→ 0点       48点→ 0点』

 

 

 あっという間に4人が補習室送りになってしまい、残る本隊は坂本や俺を含めて3人。

 この状況で坂本が勝負を挑まれてしまえば、敗北は避けられない。

 

「逃げるぞ!」

 

 故に、この判断は当然ともいえる。

 俺達は、渡り廊下を旧校舎側へと疾駆する。

 もちろん、このがら空きのFクラス代表というオイシイ状況をBクラスが逃すわけはなく、俺達を追いかけてくる。

 

「川口先生! こちらへ来てください!」

 

 俺達をフィールドの外へ出さないため、Bクラス教室内にいた現国担当の川口先生が教室から廊下と引っ張り出される。

 

 

 

 ――かかった。

 

 

 

「それを待っていたんだよ!」

 

 川口先生を呼ぶ声がした瞬間、Fクラスへと逃げる本隊の3人の中で俺だけが切り替えしBクラスへと向かう。

 

 

 それと同時に、渡り廊下を覆い尽くしていた現国のフィールドが消滅した。

 

 

『なっ! どうして!』

 

 突然のことに戸惑いを隠せないBクラスの連中。

 しかし、フィールドが消えたのは当然の事なのだ。

 俺は、木内先生のフィールドを現国とギリギリ接触しない位置に誘導した。

 その状態で川口先生をこちらに近づければ、フィールド同士の干渉が発生し、どちらのフィールドも消滅するに決まっている。

 いまだに状況を把握できていない敵部隊に構わず、Bクラス内にいるはずの長谷川先生に向けて腹の底から声を出す。

 

「長谷川先生! 召喚許可をお願いします!」

 

 返事は聞こえなかったが、その代わりにBクラスから渡り廊下にかけて数学のフィールドが展開され、俺とBクラスの連中を覆い尽くしてしまった。

 さすが、長谷川先生。召喚フィールドが広くて助かる。

 

「ほら、坂本を討ちたきゃ俺を倒すんだな!」

 

 俺は、精いっぱいBクラスの連中を煽る。

 ここで乗ってくれなきゃ作戦は成功しないのだが、

 

「言われなくてもそうしてやるよ!」

「俺達Bクラスをなめるんじゃねえ!」

 

 この煽りにつられないのなら、そもそもこんなところまで追いかけてきたりはしない。

 

『バ、バカ! お前達は――』

 

 連中の声が届いたのか、Bクラスの中から根本の叫び声が聞こえた。

 

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 が、その声は届かず、俺達を追いかけてきた7人のうち4人が召喚獣を喚び出してしまった。

 

 

『【数学】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス 金田一 香

         56点           43点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス 加賀谷 博

         39点           48点』

 

 

『――数学の補給試験を受けてねえだろうが!』

 

 ようやく聞こえた根本の怒号。

 そう、Bクラスの連中は、数学の点を失っているにも関わらず補給試験を受けていないのだ。

 なぜなら、ここから先の戦闘に数学は使わないと思い込んでしまったから。実際、今日使っていたフィールドは英語と現国だったし、そのフィールドが書き換えられることなど考えもしなかっただろう。

 ちらりと腕時計に目をやると、時刻は10時58分だった。

 あと2分か、行ける!

 

試獣召喚(サ モ ン)!」

 

 Bクラスの4人から少し遅れて、俺も召喚獣を喚び出す。

 

 

『【数学】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス 金田一 香

         56点           43点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス 加賀谷 博

         39点           48点

            VS

 Fクラス  谷村誠二

        156点              』

 

 

「ちっ!」

 

 鈴木が舌打ちをするが、そんな事をしても状況は変わらない。

 

「川口先生! フィールドを展開してください!」

 

 数学では勝ち目がないと判断したようで、金田一さんがフィールドの干渉を狙う。

 だが、それは不可能だ。

 

「無理です。干渉してしまうじゃないですか」

「そんなっ!」

 

 教師は、自分の意思でフィールドの干渉を起こそうとはしない。あくまでも干渉が起こるのは事故だ。

 だからこそ、木内先生はEクラス前までしか来てくれなかったのだ。

 さて、舞台は整った。

 俺の召喚獣はカッターを取り出し、まず確実に二人を戦死にする。この点差なら、別に急所に刺さらなくても十分致命傷になりえるから、随分やりやすい。

 

 

『【数学】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス  金田一 香

     56点→ 0点        43点→ 0点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス  加賀谷 博

         39点            48点

            VS

 Fクラス  谷村誠二

        156点               』

 

 

「ぐぅ!」

 

 残った2人のうち、まずは田中の召喚獣に襲い掛かる。相手は40点を切っていて、117点も開いているのだ。こんなものシャーペンを突き刺したって戦死する。

 

 

『【数学】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス  金田一 香

         0点            0点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス  加賀谷 博

     39点→ 0点            48点

            VS

 Fクラス  谷村誠二

    156点→149点               』

 

 

 息つく暇を与えず、最後の1体を襲うように召喚獣を操作する。ここは絶対に戦死させなくてはならないため、慎重にカッターで急所を狙う。相手も武器を構えて何とか対処しようとする。

 まあ、それでも多少攻撃を食らった所で100点も離れていれば敗北は無い。

 

 

『【数学】

 Bクラス  鈴木二郎 & Bクラス  金田一 香

         0点            0点

 Bクラス  田中 玲 & Bクラス  加賀谷 博

         0点        48点→ 0点

            VS

 Fクラス  谷村誠二

     149点→112点               』

 

 思ったより点数を削られたが、無事に4人を戦死させることが出来た。

 さて、戦死者が出れば、当然補習室に連行するために鉄人が現れる。

 

「いやあああああ! 補習室は勘弁してええええ!」

「やめてくれえええええ!」

 

 悲鳴を上げながら鉄人に抱えられる鈴木君達。

 この混乱に乗じて一気に相手の横を駆け抜けてBクラスに突入する!

 

「あっ!」

 

 残っていた前線部隊の3人が俺を止めようとするが、もう遅い。

 今数学のフィールドにいる召喚獣は、俺のものだけでBクラスのヤツらは誰も召喚獣を出していない。

 故に、

 

「長谷川先生! フィールドを消してください!」

 

 フィールドを消すことが出来る。

 これで、Bクラス内部にフィールドは展開されていない、という状況になった。

 誰かが召喚獣を出していればまた変わっただろうが……まあ、これもBクラスの驕りってヤツだろう。

 

「お前! 何が目的で!」

 

 Bクラスの入り口に立つ俺に向けて、根本が声を飛ばす。

 フィールドを消す目的なんか、さっき俺がやった通り、フィールドの切り替えしかない。

 

「根本ぉ! これが俺達の『策』だ!」

 

 そう俺が言い放った瞬間に、時計の針は11時を差した。

 

 

 ――間に合った。

 

 

 

 ドゴォッ!

 

 

 

 その瞬間、ド派手な音を立ててDクラスとBクラスを繋ぐ道が生まれた。

 すなわち、吉井が壁の破壊に成功したのだ。

 

「くたばれ、根本恭二ぃーっ!」

 

 Dクラス内から、ワラワラとFクラス生徒が飛び出してくる。

 皆、根本の元へ全力で走り寄る。

 

「遠藤先生! Fクラス島田が――」

「Bクラス山本が受けます!」

「くっ! 近衛部隊か!」

 

 だが、そんな奇襲部隊の行く手を根本の近衛部隊がふさぐ。

 あっという間に吉井達は取り囲まれてしまった。こうなってしまっては吉井達になす術は無い。

 だが、それで十分だ。

 

「は、ははっ! 驚かせやがって! お前らの策ってのは、要するにコイツらの奇襲だったんだな! 残念だが、ウチの教室は広いからそんなもんじゃ俺のところまで来れるわけねえ!」

 

 根本は、安堵の感情を含んだ声で叫び散らす。

 

「お前がフィールドを消したのは、コイツらがフィールドを展開するからだったんだな!」

 

 そう言って入り口の方を見た根本の目に俺の姿が映る事は無く、そこにいるのは先程坂本達を追いかけて教室を出て、俺を追って戻ってきた3人だけだった。

 

「ん? アイツはどこに――」

 

 ()()()()()()そんなことを言う根本に、俺は()()()()()()()()言ってやる。

 

「俺ならここだぞ」

「っ!?」

 

 大きな動作でこちらを振り向く根本。

 

「残念だったな根本。主語が違う」

 

 そして、俺は後ろ手に窓を開けて横にずれる。

 

 

 

 涼しい風が、教室に飛び込んできた。

 

 

 

「この勝負、俺達の勝ちだ」

 

 

 窓を開けて教室に入ってきたのはもちろんそれだけではなく、二つの人影が大きな足音を立てて根本の前に降り立った。

 それは、並外れた行動力を持った体育教師と、保健体育の点数ならAクラスすら上回る土屋だった。

 

「……Fクラス、土屋康太」

「き、キサマ……!」

「……Bクラス根本恭二に保健体育勝負を申し込む」

「ムッツリーニィーーッ!」

 

 俺が前線部隊を、吉井達が近衛部隊を引き付けたために丸裸になった根本恭二。

 そのどちらの部隊も、Bクラスが広すぎたせいで根本の救出には間に合わない。

 

「――試獣召喚(サ モ ン)

 

 フィールドを展開するのは、土屋の引き連れた体育教師だ。

 

 

『【保健体育】

 Fクラス  土屋康太

        441点

     VS

 Bクラス  根本恭二

        203点』

 

 

 土屋の召喚獣は、手にした小太刀を一閃し、一撃で敵を切り捨てる。

 

 長かった対Bクラス戦は、今ここに終結した。




 一巻の山場は対Aクラス戦よりも対Bクラス戦だと思います。


 一言付き高評価が付きました。ありがとうございます。


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第十二問 勝利の価値は

【保健体育】

 問い 以下の空欄を埋めなさい。

『女性は( )を迎えることで第二次成長期になり、特有の体つきになり始める』

 

 

 

 木下優子の答え

『初潮』

 

 教師のコメント

 正解です。

 

 

 

 木下秀吉の答え

『卒園式』

 

 教師のコメント

 早すぎます。

 

 

 

 島田美波の答え

『還暦』

 

 教師のコメント

 遅すぎます。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『夜の12時』

 

 教師のコメント

 シンデレラですか。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

『うおおおおーーっ!!』

 

 吉井や俺を始めとして、生き残っていたFクラスの面々が一斉に土屋の元へと駆け寄った。

 

「さすがムッツリーニだ!」

「よくやったムッツリーニ!」

「すげえぜムッツリーニ!」

 

 そんな俺達の賞賛に、土屋は恥ずかしそうにしていた。

 

「…………その呼び方はやめて欲しい」

 

 あ、賞賛に照れてるんじゃなくてムッツリーニ呼びに照れてるのか。

 まあ、そんな声が届くはずもなく俺達は騒ぎ続けていた。

 そろそろ土屋の事を胴上げしようかという話が出始めた頃、坂本がBクラスに入ってきた。

 

「谷村、その様子だと上手くいったみたいだな」

「ああ、おかげさまでな」

 

 上手くいった、というのは、もちろん俺に託された窓を開けるための作戦のことだ。

 窓を開けるためには、どこかのタイミングで教室に突入しなくてはならず、そのタイミングは、当然吉井が壁をぶち破る瞬間しかない。そのタイミングを合わせて突撃するため、坂本が敵を引き付けてから俺が数学のフィールドで一掃する、という算段だったのだ。

 つまり、実質的に俺が相手を倒し教室にたどり着けるか、というところがこの作戦のカギだったのだが……成功してよかった。

 

「クソ、やっぱりムッツリーニだったか」

 

 騒ぎ立てる俺達の耳に、床に座り込んだ根本の声が聞こえてきた。

 

「ああ。正直窓を開けてくれなかったときは焦ったな」

 

 その声に返す坂本。

 

「完全に読み切っていたのに……クソ、壁を壊すなんて聞いてねえぞ」

「それに関しては俺の指示じゃないな。文句なら明久に言ってくれ」

 

 しれっと責任転嫁する坂本。確かに指示はしてなかったな、予測はしてたけど。

 

「やはりムッツリーニも無効化させるべきだったか……」

 

 無効化? 一体何のことだろうか。

 

「さて、それじゃ嬉し恥ずかし戦後対談に移ろうじゃないか。いいだろ、軟弱なBクラス代表サマ?」

「……」

 

 そのことに心当たりがあるのかないのか、坂本は戦後交渉を始める。さっき言い切れなかった軽口も言えて坂本はどこか満足げだ。

 もちろん、根本に拒否権なんか無い。

 

「本来なら設備を交換してお前達に素敵な卓袱台と素晴らしい腐った畳をプレゼントしてやるところだが、特別に免除してやらんこともない」

 

 その言葉に、Fクラスからざわめきの声が上がる。俺や吉井は前に聞いていたから騒がないが、他の連中はそうもいかないだろう。

 

「落ち着いてくれ皆、前にも言ったが俺達の目標はあくまでも――」

「……Aクラスだろ?」

 

 皆をなだめる坂本の言葉を継いだのは根本だった。そのあたりも当然の如く根本に伝わっていたらしい。

 

「そういう事だ」

 

 その言葉で、Fクラスのざわめきは収まった。

 俺達はFクラスかAクラスかの二つに一つだ。そのどちらかに甘んじる気は全くない。

 

「……それで? 条件はなんだ。まさか無条件ってことは無いだろ?」

 

 早く居心地の悪い空間から逃げ出したいのだろう、根本が話の続きを催促する。

 

「まあそう焦るな。当然条件はある」

「……」

 

 忌々しげに坂本を見つめる根本。

 俺の行動次第でこの関係が入れ替わっていたことを考えると、改めてひやりとさせられる。

 

「条件はお前だよ、負け組代表さん。この戦争でも散々好き勝手やってもらったし、正直去年から目障りだったからな」

 

 根本を擁護する声は、誰からもあがらない。

 

「そこで、お前らBクラスに特別チャンスだ」

 

 坂本は、目線を根本からずらして周りを見渡した。

 

「Aクラスに行って、試召戦争の準備が出来ていると宣言して来い。そうすれば今回は設備交換は見送ってやる。ただし、宣戦布告はせずにあくまでも戦争の意思と準備がある事だけ伝えてるんだ。戦争の勃発だけは避けろ」

「……それだけでいいのか?」

 

 疑うような根本の視線。坂本の策はここまでだったが……ここからは吉井の要望が関わってくる。

 

「ああ。Bクラス代表がこれを着て言った通りに行動すればな」

 

 そう言って坂本が取り出したのは、今朝秀吉が来ていた女子制服だった。

 ……坂本は、これをどうやって手に入れたんだろうか。

 

「ば、馬鹿な事を言うな! 誰がそんなふざけた真似をするか!」

 

 根本君が慌てふためきながら教室から逃げ出そうとする。

 だが、

 

「このまま根本が逃げれば、残念だが設備を交換してもらうことになるな」

 

 と、坂本が言うや否や、先程まで根本を守っていたBクラスの連中は根本を取り押さえた。

 

『安心しろ坂本!』

『その任務は俺達で必ず実行させてみせる!』

『だから設備交換の準備なんかしないでもいいぞ!』

「お、おう……んじゃ決定だな」

 

 あまりの変わり身の速さに、俺達Fクラスですら言葉が出てこない。根本の人望の無さは並大抵のレベルじゃなさそうだ。

 

「や、やめろお前達! 俺は代表ぐふぅっ!」

「とりあえず黙らせました」

「あ、ありがとう」

 

 近衛部隊に腹部へ拳を打ち込まれ倒れこむ根本。自業自得とはいえ、まさか根本がかわいそうになるとは思わなかった。

 

「じゃあ、着付けに移るとするか。明久、頼んだ」

「了解っ!」

 

 そう言って、根本に駆け寄る吉井。

 そもそも女装云々は吉井が根本の制服を欲しがったからだが、何が理由だったんだろうか。

 気が付くと、吉井は既に根本の制服を剥ぎ取っていて、女子制服を着せようとしていた。しかし、着せ方がよくわからず苦労しているようだった。

 そんな明久に、Bクラスの女子が話しかける。

 

「私がやってあげようか?」

「ホント? 悪いね。せっかくだから可愛くしてあげてよ」

「土台が腐ってるから無理ね」

 

 ……根本は本当に人望が無かったんだな。

 彼女に着付けを任せた吉井は、根本が来ていた制服のポケットをまさぐっている。何かを探しているようだ。

 どうやら目当てのものを見つけたらしく、ポケットから出した手にあったのは……手紙?

 吉井は、その手紙をポケットに入れて教室を出て行った。なんだったのだろうか。

 まあ、考えて分かるものでもないか。気にしない方針で行こう。

 

「く、くそ……屈辱だ……!」

 

 気が付けば、根本の女装が完成していた。

 ……バッチリメイクされてるけどあれやったのは一体誰なんだ。

 

「ほら、さっさとAクラスに行け」

「う、うるせえ! 気持ちの準備をさせろ!」

 

 根本を急かす坂本。ホント個人的な感情が入ってそうだな。

 

「こ、この服ヤケにスカートが短いぞ!」

「いいからキリキリ歩け。これから撮影会もあるんだぞ!」

「き、聞いてないぞ!」

 

 俺も初耳だ。

 きっと根本は一生忘れられないそれはそれは素晴らしい思い出を作ることになるだろう。

 

 

 

 その後、無事に伝令を終えた根本による撮影会は、戦死者組もギャラリーに交えて放課後いっぱいまで続いた。

 

 

            ☆

 

 

「それにしても、あの根本の顔は傑作だったな!」

 

 須川の楽しそうな声。

 下校時刻を過ぎて、俺達は帰路に着こうとしていた。

 

「まあな、そうとう屈辱だったろうぜ」

「あんな格好させられたんだもんな」

 

 最終的に、根本は若干制服を乱した格好でも写真を撮られていた。誰が得をするんだ、あんな写真。

 

「とにかく、これでBクラスにも勝ったんだ。後はAクラスだけだな」

「ああ。システムデスクは目の前だ……っ!」

 

 と、須川達と話す俺の目に、校門に寄りかかる一人の女子生徒の姿が映った。どうやら誰かを待っているように見える。

 

「……? どうした、谷村」

「何かあったか?」

 

 急に言葉に詰まった俺を不審に思う須川と工藤。

 

「い、いや、なんでもない……ちょっと立ちくらみがしただけだ……」

 

 俺は、そう言ってごまかす。

 

「あ、そうだ! 教室にケータイ置いてきた! 悪いお前ら、先帰っててくれ!」

「お、おう」

「それじゃ!」

「お、おい!」

 

 怪訝な表情の二人を残して俺は校舎へと舞い戻る。もちろん俺は、忘れ物なんてしておらず、あの場から逃げるための言い訳だった。

 俺は、そのまま校舎を突っ切り裏口から校舎を出る。

 充分に距離を取ったのを確認して、俺は足を止めて息を整える。無意識に俺の口からは愚痴が漏れてしまった。

 

 

「くそ……なんで木下さんがあんなとこにいるんだよ……!」

 

 

 そう、校門に立っていたのは、紛れもなく木下さんだったのだ。

 

『今後アタシを見かけても二度と話しかけないで』

 

 昨日木下さんに言われたその言葉は、自分で思っているよりも重く俺の心にのしかかっているようで、俺は瞬時に木下さんから逃げ出すことを選んでしまった。

 せっかく自分も活躍してBクラスを――根本を倒すことが出来たのに、俺の気持ちが晴れやかになることは無かった。 

 俺は、木下さんのいる校門を避けて帰宅した。




今回は短めです。


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第十三問 決戦を前に

【生物】

 問 以下の問いに答えなさい。

『人が生きていく上で必要となる五大栄養素を全て書きなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『①脂質 ②炭水化物 ③タンパク質 ④ビタミン ⑤ミネラル』

 

 教師のコメント

 その通りです。

 

 

 

 須川亮の答え

『①土 ②火 ③水 ④木 ⑤金』

 

 教師のコメント

 これは五行説の五大元素ですね。知っていたのは立派ですが、五大栄養素とはまるで違います。五つなら何でもいいわけじゃありません。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『①月 ②火 ③水 ④木 ⑤金』

 

 教師のコメント

 これではただの平日です。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 Bクラスに勝利してから二日が経った。

 試召戦争後の補充試験も終わり、Aクラス戦を残すのみとなったが、未だに俺の心に影は残ったままだった。

 あの日以降、木下さんと交わした言葉は、無い。

 

 

            ☆

 

 

「では、これより対Aクラス戦に向けたミーティングを始める」

 

 Fクラスの教壇に立つ坂本の一言で、俺達は息を飲む。

 遂にこの下剋上もクライマックスを迎えるのだ。

 

「まずは皆に礼を言いたい。周りの連中には不可能だと言われていたにもかかわらずここまで来れたのは、他でもない皆の協力があってのことだ。感謝している」

 

 と、坂本は俺達に頭を下げた。こんなふうに素直に感謝されてしまうと照れてしまう。

 

「ゆ、雄二、どうしたのさ。らしくないよ」

「ああ。自分でもそう思う。だが、これは偽らざる俺の気持ちだ」

 

 吉井の反応を見る限り、坂本が礼を言う事はめったにないようだ。坂本にとって、Aクラスへの挑戦というのはそれほどの事なのだろう。

 

「ここまで来た以上、絶対にAクラスにも勝ちたい。勝って、生き残るには勉強すればいいってもんじゃないという現実を、教師どもに突きつけるんだ!」

『おおーっ!』

 

 これまで二度の死闘を演じてきた俺達は、最後の勝負を前に気持ちが一つになっていた。

 

「皆ありがとう。さて、士気を上げてから言う事ではないかもしれんが、残るAクラス戦は一騎討ちで決着を付けたいと考えている」

 

 Bクラス戦の戦後交渉の時と同じく、殆どのクラスメイトから困惑の声が上がる。

 

『一騎討ち?』

『誰と誰がやるんだ?』

『それで本当に勝てるのか?』

「落ち着いてくれ。それを今から説明する」

 

 坂本が机をバンバンと叩き、皆を静まらせる。

 

「やるのは当然、俺と翔子だ」

 

 試召戦争は基本的に代表の戦死を持って終結する。だとすれば、この二人が戦うのが道理だろう。

 いやでも、こう言っちゃなんだけど、相手は学年主席だ。坂本の点数は知らないが、坂本じゃ――

 

「馬鹿の雄二が勝てるわけなぁぁっ!?」

「明久、次は耳だ」

 

 カッターがかすめた頬を押さえながら無言でうなずく吉井。

 ……口に出さないでよかった。

 

「まあ、明久の言うとおり確かに翔子は強い。まともにやり合えば勝ち目はないかもしれない」

「そこで認めるなら僕にカッターを投げつけなくても良かったんじゃ何でもありません」

 

 坂本がカッターを取り出した瞬間に撤回するなら黙ってれば良いのに。

 

「だが、それはDクラスの時もBクラスの時も同じだったはずだ。まともにやり合えば敗戦必至だった」

 

 しかし、俺達はこうして勝ち進んでいる。

 

「今回だって同じだ。俺は翔子に勝ち、FクラスはAクラスを手に入れる。俺達の勝ちは揺るがない」

 

 最初の頃は、無茶苦茶で荒唐無稽だった坂本の話。しかし、今となっては誰も坂本の言葉を否定する者はいない。

 

「俺を信じて任せてくれ。過去に神童とまで言われた力を、今皆に見せてやる」

 

 

『おおーっ!』

 

 

 このクラスの全員が、坂本を信じている。

 

「さて、具体的なやり方だが、一騎打ちではフィールド……というか、戦闘方法を限定するつもりだ」

「戦闘方法を限定する? 召喚獣で競争でもするつもりか?」

「いやそうじゃない。召喚獣を使わない、純粋な点数勝負にするんだ」

 

 点数勝負って……それこそ勝ち目がないんじゃないか?

 

「もちろん、内容は限定する。科目は日本史で、小学生レベルの百点満点のテストだ」

「……はあ?」

 

 思わず声が出た。

 

「それにしたって、結局霧島さんが圧倒的に有利なのは間違いないんじゃないか? あの人だったら、何回やったって満点を叩き出せるだろ?」

 

 そんな俺の疑問に、坂本は首を振って答える。

 

「いいや、違う。アイツには絶対に間違える問題があるんだ」

『絶対に間違える問題?』

 

 俺達の声がハモる。

 

「ああ、そうだ。アイツは、大化の改新について完全に間違えて覚えているんだ」

「間違えてって……誰がやったかとか、何をしたのか、とかをか?」

「いや、そんな複雑な話じゃない。アイツが間違えてるのは年号だ」

 

 年号? 確か大化の改新は、7――

 

「大化の改新が起きたのは645年。こんな簡単な問題はFクラスですら間違えない」

『……(サッ)』

 

 坂本の言葉に、半分以上のクラスメイトが顔を逸らした。

 俺? 今日も雲一つない青空が気持ちいいな。

 

「……とにかく、この問題を翔子は間違える。これは確実だ。そうすれば、俺達が勝って晴れてこの教室とおさらばって寸法だ」

 

 なるほど。小学生レベルなら、この程度の問題は出る可能性が高い。かなりの確率で、坂本は勝利できるってわけか。

 と、そんな事を考えていると、珍しい人から声が上がった。

 

「あの、坂本君」

「ん? なんだ姫路」

「霧島さんとは、その……仲が良いんですか?」

 

 そういえば、さっきから坂本は霧島さんの事を『アイツ』だの『翔子』だのと呼んでいた。それなりに仲が良くないとそんな呼び方はしない。

 まさか、坂本は霧島さんといい関係、とか?

 

「ああ。アイツとは幼馴染だ」

「総員、狙えぇっ!」

「なっ!? なぜ明久の号令で皆が急に上履きを構える!?」

 

 理由なんか説明しないでもいいだろ!

 

「黙れ、男の敵! Aクラスの前にキサマを殺す!」

「俺が一体何をしたと!」

『遺言はそれでいいな?』

「なんで相談もしてないのにハモれるんだお前ら!?」

 

 俺達の気持ちはいつでも一緒だ。

 

「待つんだ須川君! 靴下はまだ早い!」

「了解です隊長!」

「覚悟しろ雄二!」

 

 食らえ! 俺達の怨念がこもった靴下を!

 

「あの、吉井君」

「ん? なに、姫路さん」

 

 ふと声がした方に目をやると、吉井が姫路さんに話しかけられていた。

 

「吉井君は霧島さんが好みなんですか?」

「そりゃ、まあ。美人だし」

「…………」

「え? なんで姫路さんは僕に向かって攻撃態勢を取るの!? それと美波、どうして君は僕に向かって教卓なんて危険なものを投げようとしているの!?」

 

 ダメだ! 吉井はもう戦力にならない!

 

「まぁまぁ。落ち着くんじゃ皆の衆」

 

 パンパンと手を叩いて場を取り持つ秀吉。

 

「冷静になって考えてみるが良い。相手はあの霧島翔子じゃぞ?」

 

 言われて、霧島さんに関する噂を思い出す。

 学年主席である霧島さんは、一年生の時から有名人だった。加えて彼女の美しい容姿も学年を問わず知れ渡り、男子生徒からの告白が絶えなかったという。しかし、一度としてその告白が実ることは無かった。要するに、彼女は告白を断り続けているのだ。

 その事から、彼女は同性愛者なのではないかという噂が真しやかにささやかれている。

 

「……なるほど」

 

 いくら幼馴染とはいえ、あの霧島さんが坂本に興味があるとは思えない。

 

「むしろ興味があるとすれば……」

「……そうだね」

 

 俺達の視線が一人に集中する。

 

「な、なんですか? もしかして私、何かしましたか?」

 

 慌てる姫路さん。

 ……まあ、何も言うまい。

 

「とにかくだ。俺と翔子は幼馴染で、小さな頃に間違えて嘘を教えていたんだ。アイツは一度教えたことは忘れない。だから今、学年トップの座にいる」

 

 霧島さんは一度覚えたことは忘れない。しかし、今回はそれが仇になる。

 

「俺はそれを利用してアイツに勝つ。そうしたら俺達の机は――」

『システムデスクだ!』

 

 

            ☆

 

 

「なあ谷村。一騎討ちってことは、今回は俺達の出番はないんだよな?」

「そうだろうな、須川」

 

 ミーティングが終わり、坂本は吉井達を引き連れて交渉を兼ねて宣戦布告に行った。

 そのため、俺達は教室で適当に時間をつぶしている。

 

「なんて言うかさ、せっかく士気が上がったのに何もすることが無いってのは少し物足りないな」

「そんなこと言ったって、俺達が出張ったところで何もできることは無いから仕方ないさ」

 

 物足りないのは俺だって同じだが、だからと言って活躍の場があるかと言えばそんなことは無い。Bクラス相手でさえあの始末だったのだ。

 頼みの綱の数学も、Aクラスが相手なら勝ち目などあるはずがない。

 

「ま、俺達は今回は応援を頑張ればいいんじゃないか? いくら点数勝負って言ったってその場の雰囲気だってあるわけだし」

「そんぐらいしかできないよなあ……」

 

 と、そこまで話した辺りで教室のドアが開き、坂本達が帰ってきた。

 

「坂本、交渉は成功したか?」

「まあな」

 

 それはよかった。

 

「皆、聞いてくれ。これから最終ミーティングを始める」

 

 坂本の声に、雑談を止めて前を向くクラスメイト達。

 

「交渉の結果、こちらの狙い通り一騎打ちでの試召戦争となった。ただし、一回勝負ではなく五回勝負だ」

「五回勝負?」

「ああ。それぞれのクラスから五人代表者を出して、先に三勝した方の勝ちだ」

「ふむ」

「科目選択権は、こちらが三回、向こうが二回という事になった」

 

 なるほど。これは誰をどんな時に出すか、といった風に戦略が大事になってきそうだ。

 

「それで? 具体的にはどうするんだ?」

「相手の出方次第で替えてもいいんだが……とりあえず、勝利数を稼ぐ三人は、俺、姫路、ムッツリーニだ」

 

 ふむ。この三人なら、Aクラスにだって負けないかもしれない。

 坂本はさっきの説明の通りで、姫路さんは学年次席に匹敵する実力者。ムッツリーニに関しては説明はいらないだろう。

 

「俺とムッツリーニは科目選択権を使う。そうでなければ勝ち目はないからな。姫路には、科目選択権無しで戦ってもらうことになるが……行けるか?」

「はい!」

「……良い返事だ、姫路」

 

 姫路さんらしからぬ大きな返事。彼女にとっても大事な一戦なのだろう。

 

「そして、残りの二人は、残っている連中の中で勝利の可能性が高い二人だ」

 

 勝利の可能性が高い二人か……誰の事だ?

 

「まず、《観察処分者》である明久だ」

「ぼ、僕!?」

 

 ふむ。一人目は吉井か。

 

『なんで吉井なんだ? 吉井と比べたら俺の方が点数が高いはずだが……』

 

 どこからかそんな声が上がる。確かにそれはその通りだろう。

 

「確かに明久はバカだ。点数に現れない部分を加味してもこのクラスで一番のバカだと言える」

「ねえ雄二、もう少しビブラートに包んでくれないかな?」

「こんなふうにな」

「え?」

 

 少し不安になったが、それでも吉井には強みがある。

 

「だが、明久よりも多少点数が高くてもAクラスには敵うはずがない。そうだろ?」

『……それはそうだが』

「だが、明久は教師の雑用をこなしてきたおかげで、その操作能力はAクラスとは比べ物にならない。俺はここに賭ける。明久、やってくれるな?」

「オーケー雄二。やってやるさ」

 

 さっき声を上げた生徒も納得したらしい。

 そもそも、吉井は対Bクラス戦でその行動力をいかんなく発揮している。これに賭けてみるのも充分アリだ。

 

「そんなわけで、明久は科目選択権無しでやってもらう」

「どうしてさ!」

「お前、どの科目も等しく苦手だろうが」

「そんなわけ……! ……あるか」

「そういうこった」

 

 ということは、残った科目選択権は最後の一人に使わせるのか。

 残った面子で特定の科目が高いヤツは……社会が得意な工藤か? いや、島田さんの数学の方が高いか。確か島田さんは俺よりも高かったはずだ。

 

「で、最後の一人は――」

 

 そして、大きく息を吸って坂本が発したのは、

 

 

 

「――谷村。もちろん科目は数学だ」

 

 

 

 俺の名前だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。どうして俺なんだ?」

「もちろん、お前が勝つ可能性があるからだ」

「その理由を知りたいんだ。数学に限ったって、俺は島田さんより点数が低かったはずだ」

「いいか? 相手はAクラスの、それもおそらく上位五人だ。200点にも届かないのであれば、多少の点差は誤差ですらない」

「……なるほど」

「で、その中でもお前を選んだのは、お前の召喚獣が特殊だからだ」

「特殊?」

 

 どういう事だろうか。

 俺の召喚獣は、吉井のように物理干渉が出来るわけじゃない。

 

「ああ。お前の召喚獣、武器はなんだ?」

「武器? 筆箱……というより文房具だな」

「そう、それだ」

「は?」

「いいか? 殆どの召喚獣は、まともな武器だ。剣や槍、斧といった具合にな。あの明久ですら、木刀を持っている。ただ、お前だけは中途半端に点数が低すぎたために文房具なんてもので戦っている」

「そうだな」

「しかし、一見不利に見えても文房具には文房具の利点がある。谷村、心当たりがあるだろう?」

 

 言われて、考える。

 確か、対Dクラス戦では、突進する時に相手の手に筆箱を投げつけた。

 対Bクラス戦では、カッターを投げつけたりシャーペンで武器を防いだりしていた。

 

 そして思いつく。

 得点差をひっくり返す、ある秘策を。

 

 そうか……これが、俺の――文房具の利点か……!

 

「どうあがいても姫路やムッツリーニ以外は点数じゃAクラスの連中には勝てない。だから、吉井にしろ谷村にしろ、点数以外で強みのあるヤツを選んだ」

 

 そう言って俺達を見下ろす坂本。

 やってやろうじゃねえか、打倒Aクラスを!

 

「戦争開始は10時ちょうどだ。いいかお前ら、俺達は――」

 

『――最強だ!』




 ようやくAクラス戦です。
 一巻分も残すところあとわずかになりましたね。


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第十四問 モブとテストと優等生

【生物】

 問 以下の問いに答えなさい。

『必須栄養素とは何か、説明しなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『生きていくために外部から摂取する必要のある物質』

 

 教師のコメント

 その通りです。体内では生合成できない物質の事ですね。ヒトの場合、ビタミンCなどがあげられます。

 

 

 

 土屋康太の答え

『命にかかわるものを口に入れないという危機回避能力』

 

 教師のコメント

 君に何があったんですか。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『生死の境においても必ず生き延びるという強い意志』

 

 教師のコメント

 本当に君達に何があったんですか。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「では、両名とも準備はいいですか?」

 

 今回の試召戦争の立会いを務めるのは、学年主任の高橋先生である。全ての科目のフィールドを展開できるため、今回の試召戦争に適任なのだろう。

 

「ああ」

「……問題ない」

 

 ちなみに、戦場となるのはAクラス。理由はもちろん、Fクラスじゃ100人も入れないからだ。腐った畳じゃ締まらない、という理由もあるが。

 

「それでは、これよりAクラス対Fクラスの試召戦争を開始いたします。まず、一人目の方どうぞ」

「私が出ます。科目は物理でお願いします」

 

 Aクラスからは、えーと……誰だろうか。そこまで有名でないという事は、あまり点数は高くないのかもしれない。

 とはいえ、科目指定をしてきたのだ。Aクラスの特化型である可能性が高く、その実力は推して測るべきだろう。

 さて、向こうが科目選択権を使用してきたという事は、こちらから出るのは……。

 

「よし、ここは明久が行け」

「僕?」

「ああ。姫路を出してもいいが、相手が特定の科目をしてきたのならよほど自信があるのかもしれない。万が一を考えて、こちらはお前を出す」

「それって僕にやられて来いって言ってるんじゃ……」

「何を言う。お前には姫路にはない操作技術があるだろうが。俺はお前を信じているんだ」

「……うん、分かったよ! それじゃ行ってくるね!」

 

 こちらからは吉井が出るしかない。

 勢いをつけるためにもここは是非とも勝ってほしい所だ。

 

『行けー吉井!』

『目に物見せてやれ!』

『頼んだぞー!』

 

 Fクラス生徒から上がる声援。

 

「やれやれ……遂に僕の本気を見せる時が来たようだね」

 

 おや? 何やら吉井は自信があるようだ。

 

『吉井はどうしたんだ?』

『まさか、これまでは本気じゃなかったというのか!?』

「そのまさかさ」

 

 ほう、これは期待できそうだ。 

 

「えっと、あなたは吉井君でしたっけ?」

「あれ? 僕の事を知ってるの? 照れるなあ、いつの間にか有名人になっちゃったみたいで」

「ええ……確か学園一のバカだって」

「オーケーまずはその認識を改めさせてあげよう」

 

 二人は先ほどから火花を散らせている。

 

「先鋒戦、開始!」

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 高橋先生の号令の後、二人の声が重なり召喚獣が現れる。

 さて、点数差は……。

 

 

『~先鋒戦~【物理】

 Aクラス  佐藤美穂

        389点

     VS

 Fクラス  吉井明久

         62点』

 

 

 

 確か、こういうのは六倍(セクスタプル)スコア、って言うんだったっけ。

 

 

            ☆

 

 

「やっぱり六倍以上の点数を相手に慣れだけで勝てるわけないよね」

「アキ、佐藤さんが一周廻ってかわいそうな目でアキの事を見てるんだけど」

「必死に目を逸らしてる現実を教えるのは勘弁してくれると嬉しいかな、美波」

 

 まずは一敗、か。

 

「よし。勝負はこれからだ」

「ちょっと待った雄二! アンタ僕を全然信頼してなかったでしょう!」

「信頼? 何ソレ? 食えんの?」

 

 まあ、相手の点数を見る限り、やはり得意科目であったようだから姫路さんでも厳しかったのではないだろうか。

 ところで、

 

「なあ坂本。もしかして俺もただの人数合わせか?」

「……」

「おいそっぽを向くんじゃないFクラス代表」

 

 いやいや、まさか……な。

 

「では、二人目の方どうぞ」

 

 切り替えて行こう、二戦目だ。

 

「今度はこちらから行かせてもらうぞ」

「……構わない」

「というわけだ。行ってこい、谷村」

「了解」

 

 ここで負けたら後が無い。一応残りの三人には充分な勝機があるがここで勝っておくに越したことは無い。

 クラスメイトの期待を背負いながら、俺は前へ進む。

 

「Fクラス、谷村誠二が出る! 科目は数学だ!」

 

 とりあえず真っ向勝負じゃ勝ち目がないから、虚勢を張って流れをこっちに身に付けよう。

 

「それじゃ、こっちからはアタシが出るわ」

「誰が来たって返り討ちにしてや……っ!」

 

 

 そんな声と共にAクラスから次鋒として出てきたのは、振り分け試験の日に俺が惚れた相手。すなわち――

 

「――Aクラス、木下優子よ」

 

 

 俺達は数日ぶりに、言葉を交わした。

 

 

            ☆

 

 

「それでは、次鋒戦、開始!」

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

        351点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        169点』

 

 

 ほぼダブルスコアか。

 今回数学の採点を務めたのは、採点に関しては特別甘いわけでも辛いわけでもない船越先生だ。今回はそれなりに点を取れていたと思っていたが……それでも木下さんの半分にも及ばなかった。

 さて。

 

「……」

 

 木下さんに謝りたいこと、話したいこと、言いたいことはいくらでもある。

 ただ、そう思っても声が出ないし、そもそも話しかけるなとまで言われている。

 どうしたもんかと思っていると、

 

「あなた……谷村っていう名前だったのね」

 

 なんと、木下さんの方から話しかけてきた。

 

「え? え、あ、はい」

 

 まさか、向こうから話しかけてくるなんて思わなかったから思い切り動揺してしまった。

 そういえば、俺の名前を木下さんに教えてなかったな。

 

「……えっと、その……あの時はすいませんでした」

 

 そう言って頭を下げる俺。

 なんとか、謝罪の言葉を口にすることが出来た。

 とはいえ、そんなもので木下さんの機嫌が直るとも思えないし、これ以降会話をすることも無いだろう。

 

 そう思っていたのだが。

 

 

「……谷村君」

「……はい」

「えっと、その……ごめんなさいっ!」

 

 俺の目の前には、謝罪の声と共に頭を下げる木下さんの姿があった。

 俺と木下さんの周りには状況がまったく掴めずに困惑の表情をAクラスとFクラスの面々。

 ちなみに、俺も状況の把握が一切できずに戸惑っている。

 

「な、なんで木下さんが謝るんですか! 木下さんが謝る必要なんて全くありませんよ!」

「そんなことないわ」

「……説明してくれますか」

 

 このまま言い争っていても埒が明かない。

 ひとまず、木下さんの話を聞いてみることにした。

 

「その……アタシ、あの時は馬鹿にされたと思っちゃって怒っちゃったじゃない……」

「……あの状況はそう思っても仕方なかったと思います」

「違うのよ。谷村君の言い訳も何も聞かずに帰っちゃった事を謝りたいの」

「……」

「あの後家に帰ってから、秀吉から聞いたのよ」

「聞いたって、何をですか」

「あの日、Bクラスから襲撃を受けたことよ。何人かは筆記用具だけじゃなくて鞄を踏まれたりしたって……」

 

 ……そういう事か。

 

「ちゃんと理由があったのに、一人で勝手に怒って、あまつさえ『もう話しかけないで』なんて言っちゃって……本当にごめんなさい!」

 

 再び頭を下げる木下さん。 

 つまり、木下さんはあの一件の真相に気づいていたのだ。

 それでも、彼女が謝る道理は無い。

 

「事情があったとしても、俺が木下さんを怒らせちゃったことに変わりはないですよ。こちらこそ、すいませんでした」

「そういう事じゃなくて……! アタシがちゃんと話を聞けば良かったのよ! それなのに、この数日間全然話す機会が無いし……」

「話す機会……?」

「そうよ。校門で待ち構えたりとか色々してたのに、何故か全然会えなくて……」

 

 あの日見かけた木下さんは、俺の事を待ってたのか!

 

「それに関しては……俺の方が謝るべきですね」

「……どういうこと?」

「話しかけるなって言われたから、校内で見かけても出来るだけ避けてたんです。……まさか話があるなんて」

「そういう事だったら、それこそアタシのせいよ。あんな事言っちゃったんだから」

 

 木下さんはかつて見た時とは違いとてもしおらしくなっていた。

 

「……とにかく、そういうわけだから今回アタシが次鋒として出てきたのよ。この機会を逃したらもう謝るチャンスなんてないと思って……」

 

 それは……おそらくその通りかもしれない。俺は、この後も木下さんを避け続けただろうから。

 

「数学は苦手なんだけどね……」

 

 数学は苦手!? 350点越えで!?

 い、いや、今はそんなことはどうでもいい。

 

「……木下さん、お手数かけてすいませんでした」

「だから、悪いのはアタシなんだから谷村君が謝らなくても――!」

「いや、悪いのはちゃんと確認しなかった俺で――!」

 

 ダメだ! 話が付きそうにない!

 下手にあの時から時間が流れているせいだろうか。互いに自分の方が悪いなんて思っている!

 クソ、悪いのは俺の方なのに……!

 そんな風に木下さんと口論を続けていると、痺れを切らして高橋先生が口を挟んできた。

 

「あの……痴話げんかはそこまでにして、いい加減召喚獣バトルをしてもらえますか?」

「ち、痴話……っ!?」

「そ、そんなんじゃないですよ!」

 

 慌てて否定する俺だったが、周りを見ると皆うんざりといった様な顔をしていた。事情が分からないから余計にそう思うのだろう。

 というか、試召戦争中だという事をすっかり忘れて……ん?

 ……そうだ。

 

「木下さん、提案があるんですが」

「何よ?」

「このまま言い争っていても終わりませんから、召喚獣バトルで決着を付けましょう。勝った方の言い分が正しいってことで」

「……アタシはいいけど、あなたはそれでもいいの?」

 

 木下さんが言っているのは、俺達の間にある圧倒的な点数差だろう。

 このままでは勝負にすらならない、と。

 

「問題ありませんよ。だって謝るべきなのは俺なんですから、負けるはずがありません」

「へえ……言うじゃない」

 

 俺の一言が木下さんの闘争心に火をつけたらしい。

 

「でもね、謝るべきなのはアタシの方よ。理由も聞かずに怒ったんだから……!」

 

 おっと、話題がループしかけている。

 

「……それじゃ、始めましょう」

「ええ」

「高橋先生、悪いんですがもう一度号令をお願いできますか?」

「分かりました」

 

 これから始めるのは、あの一件にケリを付けるための戦いだ。

 この戦いには、お互いのプライドがかかっている。

 

「次鋒戦始め!」

 

 その号令と共に、二人ともとりあえず召喚獣を思い切り飛び退かせて距離を取る。

 改めて点数を確認する。

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

        351点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        169点』

 

 

 正直な話、ダブルスコアをひっくり返すのは並大抵のことではなく、特に操作技術に秀でているわけでもない俺では正攻法で戦ったところで敗戦は免れない。

 ならば、正攻法でなければよいのだ。

 

「まずは、よっと!」

「きゃっ!」

 

 俺の召喚獣は二本のカッターナイフを木下さんの召喚獣に向けて投げつける。木下さんの召喚獣は、横っ飛びでなんとかそれを回避する。

 

「くっ……! 投擲武器なんて、卑怯じゃない!」

「それがそうでもないんですよ。点数が高い相手には今みたいに避けられちゃいますし」

 

 カッターナイフはそれなりの速度があったが、さすがは350点越え、召喚獣そのもののスピードが高くまともにあてることすら難しい。しかも、当たったところでこの点差だ。大したダメージを与えることは出来ないだろう。

 

「それ、まだまだ行きますよ!」

 

 それでも、俺の召喚獣はカッターナイフやその替刃を投げまくる。

 

「来ることが分かってるカッターに当たるわけないわ!」

 

 当然の如くカッターを避け続ける木下さんの召喚獣。

 だが、それでもかまわない。この投擲は、直接当てることが目的ではないのだから。

 

「いい加減鬱陶しいわね……今度はこっちから行くわよ!」

 

 相手が、痺れを切らしてこちらに突撃してきた。作戦通りなのだが……それでもここは凌がないと!

 木下さんの召喚獣の構えるランスを受け止めるのは、盾やそれ相応のものが無ければ厳しく、筆箱は代わりにはなってくれない。

 ただの剣や斧であればまだ防御が出来たが……仕方ない。

 作戦の為には、一瞬でも木下さんの召喚獣に攻撃が当たったように見せかける必要がある。

 俺の召喚獣はカッターナイフを携えて、ランスをよけながら木下さんの召喚獣を切りつける()()をした。

 ランスを躱しきるに越したことは無いが、さあどうだ……?

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

     351点→332点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

     169点→108点』

 

 

 結局完全にかわしきることは出来ず、わき腹を抉られるようにランスを食らってしまった。

 

「クソ……結構削られたか……!」

「この点数差でそのダメージで済んでるんだから充分じゃないかしら?」

 

 点数差がさらに広がり、余裕の表情でこちらを見る木下さん。

 

「最初はダブルスコアだったのよ。今の一撃が致命傷になっても……?」

 

 と、そこで突如彼女は疑問の表情を浮かべた。

 

「あれ? なんでアタシの点数まで減ってるのかしら? 確か攻撃は食らわなかったはずのなのに」

 

 よく見ると、今の交戦の結果俺の召喚獣は約60点、木下さんの召喚獣は約20点ほどダメージを受けている。

 

「簡単な事ですよ、攻撃を食らっただけです」

「いやでも……まあいいわ。大した失点じゃないもの」

 

 『実は直接攻撃を与えていない事』に気づかれたのかと思ったがスルーしてくれたらしい。

 確かに、この点数なら20点なんてほとんど影響はない。

 ――だからこそ、付け入る隙がある。

 

「すぐに決着を付けてあげる!」

「――まずっ! 距離を取らないと!」

「逃がさないわ!」

 

 この時点から、俺は逃げに徹する。それでこそ、勝ちの目が出てくるのだ。

 

「食らいなさい!」

 

 思い切り繰り出される木下さんのランス。しかし、下手な事を考えずに避けることに専念すれば、この広いフィールドの中で回避することは意外にたやすい。もちろん、二度の試召戦争の経験もあってのことだが。

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

     332点→318点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

     108点』

 

 

「くっ……また攻撃が当たったの!?」

 

 今回ダメージを受けたのは相手側だけ。すなわち、こちらは無傷だ。

 

 

 間違いない、俺の策は確実に成功している。

 

 

「まだ点差はあるわ! 覚悟しなさい!」

「分かりませんよ、どっちが勝つかなんて!」

 

 そして、二体の召喚獣は交錯を続ける。

 

 

            ☆

 

 

 数分後、木下さんの召喚獣による度重なるランスの攻撃を全て躱しきることはもちろんできず、俺の召喚獣は虫の息だ。

 

「おかしいわ……絶対におかしい!」

 

 しかし、この現状に焦っているのは俺ではなく木下さんの方だった。

 その現状とは、すなわち――

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

     318点→ 53点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

     108点→ 45点』

 

 

「どう考えても、アタシの点数が減りすぎてるわ!」

 

 

 俺の攻撃が当たっているわけでもないのに、木下さんの点数が減っている、という事だ。

 

「一体どうして……? 攻撃がかすめることはあっても直撃はしてないはずなのに……」

 

 確かに、俺の召喚獣が携えるカッターナイフは一度として木下さんの召喚獣には当たっていない。

 しかし、確実にダメージは与えているのだ。

 

「そろそろ頃合いかな」

「頃合いって……やっぱり何かしてたってこと?」

「うん、まあそういうことなんです」

 

 既に木下さんの点数は60点を切っている。これなら、45点でも急所に当てれば一撃で戦死にすることができるはずだ。

 

「今のうちに謝っておきます、木下さん」

「……説明してくれるかしら」

 

 今回は、怒るわけでもなく冷静に話を促す木下さん。

 

「はい。実は、『まきびし』を撒いておいたんです。もちろん、まきびしそのものじゃ無いですけど」

「まきびしって……あっ!」

 

 気づいたみたいだ。

 

「もしかして、最初に投げていたカッターの替刃の事!?」

「その通りです」

「なるほど、それが足に刺さってたからダメージを食らっていたのね……」

「そういう事です。召喚獣なら何か踏んでも気づかないし、抜くことも出来ませんから」

 

 そう、これこそが今回の作戦の肝なのだ。

 俺でしか使えないこの『替刃のまきびし』は、踏んだ時点で詰んでいる。その存在に気付いた所で、どうしようもないからだ。

 替刃に気づいても、大まかな動きしかできない召喚獣では替刃を抜くことは出来ない。

 さらに、一歩踏み出すたびにダメージを食らうため動くことが出来ない。この点数なら、致命傷にすらなり得る。

 だからこそ、今このタイミングでネタバラシをしたのだ。

 

「そんなわけで、一歩も動かない方が良いですよ。動くのであれば、俺は逃げ回るだけですから」

「……それでも、アタシは諦めないわ」

「……もういいでしょう。結局、悪いのは俺だったんですよ」

 

 そう言って、俺は召喚獣を木下さんの召喚獣へ突撃させる。

 もちろん、カッターナイフを構えたままで。

 

「これで終わりです!」

「それはどうかしら?」

「……? もう出来ることはありませんよ!」

 

 底なし沼に脚が取られたか如く、足を動かさない、否、動かせない木下さんの召喚獣。

 

 

 なのに――カッターナイフが首筋に刺さろうかというその瞬間、その召喚獣の姿が消えた。

 ダメージを受けるはずなのに、木下さんは何のためらいもなく召喚獣を動かしたのだ。

 

 

「なっ!?」

「まきびしってのは確かに良い作戦だったわね。ただ、ネタバラシが早すぎたと思うわ」

 

 渾身の一撃が宙を切った俺の召喚獣は地面に倒れこみ、その真上からランスが突き刺さった。

 

 

『~次鋒戦~【数学】

 Aクラス  木下優子

     53点→ 6点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

     45点→ 0点』

 

 

「思い切り踏み込んだからかしら。思ったより点が削られてるわね」

 

 冷静に状況を判断する木下さん。

 その凛々しい表情はとても美しくて――って、そんな場合じゃない!

 

「ちょっと、なんで足を動かしたんですか!」

「なんでって……そうしないと勝てないじゃない」

「そんな……下手すりゃ負けてたんですよ!?」

「だとしても、動かなかったら負けてたわ。だったら、ここは動くべきよ」

 

 な、なんて男前なんだ……。

 

「ほら、よく言うじゃない。女は度胸ってね」

「いや、それは……」

 

 俺は訂正をしようとして、やめた。無粋過ぎるから。

 

「勝者、Aクラス木下優子!」

 

 高橋先生の声が、Aクラス中に響き渡った。

 




 今回が第一章のクライマックスです。


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第十五問 下剋上の結末

【化学】

 問 以下の問いに答えなさい。

『アルミニウム、鉄、ニッケルが濃硝酸に溶けないのはなぜか』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『金属の表面に緻密な酸化被膜を生じるため』

 

 教師のコメント

 正解です。ちなみに、この状態の事を不動態と言います。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『濃硝酸とは相性が悪かったため』

 

 教師のコメント

 間違ってはいないのですが。

 

 

 

 土屋康太の答え

『金属の表面に濃硝酸を打ち消す効果のある液体を塗っていたから』

 

 教師のコメント

 金属はなんでも良い訳じゃありません。

 

 

 

 吉井明久の答え

『アルミニウム、鉄、ニッケルは濃硝酸に溶けないから』

 

 教師のコメント

 あとで職員室に来るように。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「すまん、負けちまった」

 

 試合を終えた俺はFクラス陣営へと戻った。

 

「いや、十分だ。と言うか、正直ここまでやると思わなかった。後は俺達に任せてくれ」

 

 俺の敗戦で後がなくなったFクラスだったが、坂本は表情を崩すことなくそう言った。

 確かに、まだ勝ちの目がなくなったわけではない。ここからの三人がFクラスの主力だ。

 

「三戦目、科目はどうしますか?」

 

 その声で立ち上がったのは、単一科目最大火力を持つ土屋だ。

 

「……科目は保健体育で」

 

 もちろん、科目指定は土屋の得意科目なわけだが、二戦目は俺が科目選択したのでここは相手に譲るべきなのかもしれない。

 しかし、

 

「構わないよ」

 

 Aクラス陣営からあがる、そんな可愛い声。

 

「こっちからはボクが出るね」

 

 その声の持ち主は、ショートカットのボーイッシュな女の子だった。

 

「一年の終わりに転入してきた工藤愛子です。よろしくね」

 

 ん? 工藤って、もしかして……。

 その疑念を確かめるため、俺は横に立つ工藤に話しかける。

 

「なあ、あの子って……」

「ん? ああ、そうだよ。俺の姉だ」

 

 やっぱりそうだったか。

 三月ごろに、工藤から姉が転校してくるだのという話を聞いた。色々と事情があるそうで深くは聞かなかったが、その姉というのがあの子なのだろう。

 

「俺、姉ちゃんあんまり好きじゃないんだよな」

 

 と、ひとりごちる工藤。

 

「なんでだ? 別に性格が悪いようには見えないが」

「ああ、いや。そういうんじゃないけどさ」

 

 工藤はよく意味の分からないことを言う。

 すると、件の姉が言葉を発した。

 

「土屋君だっけ? 随分と保健体育が得意みたいだけど、ボクも結構得意なんだよね。キミとは違って、実技でね♪」

 

 な、なんだ!? すごく魅力的な台詞のような気がする!?

 と、そこで横を見ると、工藤は非常にうんざりしたような顔をしていた。

 

「こういう台詞、幼馴染とかならまだしも身内から聞きたくねえよ……」

「あー……なんか、すまん」

「まあいいけどよ、これまずいんじゃないかなあ」

「まずい? 土屋に勝てるわけないだろ」

「確かにムッツリーニの保健体育はすごいけどよ。さっき言ってた通り姉ちゃんもかなり保健体育が得意なんだよ」

「……マジで?」

「マジで」

 

 だとすると、かなり厳しいのかもしれない。

 土屋と違って、工藤の姉はAクラス。つまり、総合力がある。

 その上での得意教科だとするならば、その実力は未知数だ。

 

「二人とも、心配しなくてもいいぞ」

 

 そこで俺達に声をかけてきたのは、坂本だった。

 

「心配しなくてもいいって、どういうことだ?」

「その言葉の通りだ」

 

 いまいち要領を得ない坂本の返答。

 まあ、試合が始まれば分かるだろう。

 

「では、中堅戦始め!」

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 その声と共に、少しずつ姿が現れてくる二人の召喚獣。

 先に現れたのは、工藤の姉の召喚獣の方で、ドデカい斧を持ちアクセサリーのような腕輪をしている。

 あの腕輪は、確か一定以上の点数を取ると付属するもので、点数を焼死して特殊能力を発動できるものだったはずだ。

 つまり、彼女はそれほどの実力者なのだ。

 

『まずい! 腕輪を使ってくるぞ!』

 

 そんな悲鳴にも似た声がどこかから上がる。その声の通り、彼女の召喚獣の腕輪が光った。

 巨大な斧に電光をまとわせ土屋の召喚獣に肉迫するその姿に、彼女の勝利は決定的に思えた。

 しかし。

 

「…………加速」

「……え?」

 

 その斧が土屋の召喚獣に当たることは無く、一瞬の後、彼女の召喚獣が全身から血を噴き出して倒れこんだ。

 

 

『~中堅戦~【保健体育】

 Aクラス   工藤愛子

         446点

      VS

 Fクラス   土屋康太

         572点』

 

 

 ようやく表示された土屋の点数は、俺の総合科目の点数に迫ろうかというほどだった。

 

「つ、強い!」

「Bクラス戦の時は出来がいまいちだったらしいからな」

 

 驚きを隠せない俺に、坂本が説明をしてくれた。

 改めて思う。土屋、恐るべし。

 

「勝者、Fクラス土屋康太!」

 

 なんにしても、これで一勝二敗だ。

 

 

            ☆

 

 

「四人目の方は?」

「今度はこちらが科目選択をさせてもらうよ」

 

 淡々と進行する高橋先生の声に応えたのは、姫路さんとほぼ同等の実力を持つ久保利光だった。

 こちらの科目選択権は残り一つしかなく、それは大将戦に使われるためここはAクラスに譲るしかない。

 

「久保、出るのはお前か?」

「もちろん。これ以上負けて霧島さんに手を煩わせるわけにはいかないからね」

「そうか。それじゃ姫路、頼んだぞ」

「はい!」

 

 一方、こちらから出るのは当然姫路さんである。

 その返事は力強く、その意志の強さがうかがえる。

 

「……正直な所、ここが一番の心配どころだったが、そんな心配はいらなそうだな」

 

 そんな坂本の声。

 特に召喚獣に特性があるわけではない姫路さん。実力で大きな差が付かなければ、負けることも十分にあり得たのだ。

 さあ、どうなるか。

 

「科目はどうしますか?」

「総合科目でお願いします」

「分かりました。では、副将戦始め!」

試獣召喚(サ モ ン)!』

 

 今回も同じような手順で召喚獣が喚び出される。

 

 

『~副将戦~【総合科目】

 Aクラス   久保利光

         3997点

      VS

 Fクラス   姫路瑞希

         4409点』

 

「んなっ……4000点オーバーだと!?」

 

 総合科目と言えど、この400点以上の大差。操作技術もむしろ姫路さんの方に分があったこの勝負は、点数差の通りの決着をつけた。

 

 

            ☆

 

 

「ぐっ……! 姫路さん、どうやってそんなに強くなったんだ……?」

 

 久保君が悔しそうに姫路さんに尋ねる。いつの間にかこれほどの点差が付いていたのだ。不思議に思うのも当然だ。

 

「……私、このクラスの皆が好きなんです。人のために一生懸命な皆のいる、Fクラスが」

「Fクラスが好き?」

「はい。だから、頑張れるんです」

 

 姫路さんは嬉しいことを言ってくれる。ここ最近の姫路さんの原動力はここにあったらしい。

 久保君は、納得したようなそうでないような表情でAクラス陣営へと戻っていった。

 それも当然かもしれない。Fクラスは最底辺クラスで、その評判に偽りはないと自分でも思う。だからこそ、この姫路さんの感情は一緒に戦ってきた俺達にしか分からない。

 

「これで二対二です」

 

 こうして、Aクラス対Fクラスの試召戦争は大将戦にもつれ込むこととなった。

 

「最後の一人、どうぞ」

「……はい」

 

 Aクラス陣営から出るのは、二学年最強の座に就く霧島翔子さん。

 そして、

 

「俺の出番だな」

 

 こちらから出るのは坂本しかいない。

 

「教科はどうしますか?」

 

 科目選択権を持つ坂本は、息を吸い込んで大きな声で宣言する。

 

「教科は日本史、内容は小学生レベルで方式は百点満点の上限ありだ!」

 

 Fクラスの勝利への作戦を。

 

「つまり、純粋な点数勝負という事ですか?」

「ああ、そういうことだ」

 

 この宣言で、Aクラスにざわめきが走る。

 

『上限ありだって?』

『しかも、小学生レベルだ』

『満点が前提の勝負になってくるぞ……』

 

 この戦いでAクラスに敗北の可能性があるとすれば、それは霧島さんが何か間違える事であるが、Aクラスの皆はそんなことはありえないと確信している。

 しかし、それがFクラスの取った作戦であるとするならば、何かあると身構えるのが当然である。

 まあ、もちろん罠があるのだけど。

 

「分かりました。そうなると問題を用意しなくてはいけませんね。少しこのまま待っていてください」

 

 そう言って、高橋先生はノートパソコンを携えて教室を出て行った。

 

「雄二、後は任せたよ」

「ああ。任された」

 

 吉井を筆頭に、土屋や姫路さん等、Fクラスの皆が声をかけに行く。折角だから俺も話してこよう。

 

「坂本。絶対勝てよ」

「フッ、もちろんだ。俺を誰だと思っている」

「分かってるさ、Fクラス代表サマ」

 

 俺達は、そんな軽口を交わした。

 

 

            ☆

 

 

 少しして、問題を作り終えた高橋先生が教室に戻ってきて、代表の二人は視聴覚室へと連れられて行った。

 勝負の様子は、バカデカいディスプレイに表示される。

 

『では、問題を配ります。制限時間は五十分。満点は百点です。不正行為などは即失格になります』

 

 先生の声と共に、二人の前に問題用紙が置かれた。

 

『では、始めてください』

 

 そして、問題が明らかになる。

 俺達の勝敗は、問題を作った高橋先生のさじ加減ひとつで決まる。

 すなわち、あの問題が出ているかどうかだ。

 

 

《次の( )に正しい年号を記入しなさい》

 

 

 やはり出た、年号問題。まずは第一段階クリアだ。

 ざっと見た感じ、年号問題は二十問ほどのようだが……

 

 

(   )年 平城京に遷都

(   )年 平安京に遷都

 

 

 このレベルなら、きっと出ているはずだ!

 

 

(   )年 鎌倉幕府設立

 

 

 そして、そのずらりと並んだ問題の中に、その文字列はあった。

 

 

 

(   )年 大化の改新

 

 

 

『あ……!』

『あった……!』

 

 Fクラスの皆も、見つけたらしい。

 Aクラスの連中は何が何だか分かっていないようだが、そんなのは関係ない!

 

「最下層に位置した僕らの、歴史的な勝利だ!」

『うぉぉぉぉっ!』

 

 吉井の声に呼応するように、Fクラスの歓喜の声が教室に響き渡る。

 

 

 

 こうして、この下剋上の果てに俺達Fクラスの卓袱台は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《日本史勝負 限定テスト 100点満点》

 

 《Aクラス   霧島翔子     97点》

          VS

 《Fクラス   坂本雄二     53点》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――みかん箱になった。

 

 

 

 




結末は、原作通り。


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章末問題 最後の清算

【歴史】

 問 次の(  )に正しい年号を記入しなさい。

『(  )年 キリスト教伝来』

 

 

 

 木下優子の答え

『1549』

 

 教師のコメント

 正解です。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『絶対に忘れない、君と俺が出会った1993』

 

 教師のコメント

 不正解です。

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

「三対二でAクラスの勝利です」

 

 怒号を挙げながら視聴覚室に突撃した俺達に、高橋先生は冷酷に告げた。

 うん、分かってるんです。俺達の負けです。

 

「……雄二、私の勝ち」

 

 灰になったかのような坂本に、霧島さんが歩み寄る。

 

「……殺せ」

「良い覚悟だ、殺してやる!」

「吉井君、落ち着いてください!」

「そうだぞ、吉井! 殺す前にギリギリまで痛めつけるんだ!」

 

 坂本に襲いかかる吉井と、それを止める姫路さんと俺。

 

「うるさい、二人とも! コイツはここで殺さないとだめだ! だいたい、53点ってなんだよ! この中途半端な点数だと――」

「いかにも俺の全力だ」

「この阿呆がぁーっ!」

「やめろ吉井! こうなったら殺さずに生きていることを後悔させてやるんだ!」

「二人とも、落ち着きなさい! アンタ達だったら30点も取れないでしょうが!」

『それについて否定はしない!』

 

 さっきの年号問題、殆ど分からなかったからな。

 

「皆さん、やめてください!」

 

 結局、体を張って必死に止めた姫路さんのおかげで坂本の処刑は見送りになった。

 

「くそっ。雄二、姫路さんの優しさに感謝しておいてよ」

「……でも、危なかった。雄二が所詮小学校の問題だと油断していなければ負けてた」

「言い訳はしねえ」

 

 図星か。

 

「……ところで、約束」

 

 ……約束? 何のことだ?

 ふと周りに目をやると、吉井や土屋がなぜかそわそわしている。

 

「なあ吉井、約束って何のことだ?」

「あ、そうか。皆はそのことを知らないんだっけ。ええと、戦前交渉の時に、一騎打ちを飲む条件として『負けた方は何でも一つ言う事を聞く』ってのがあったんだ」

「へえ……っておい! そんな大事な事黙ってたのかよ!」

「う、うん。雄二が黙ってたってことは言わなくても良い事だったんだろうし」

「たくっ……んで? なんでお前達はそんなにそわそわしてるんだ?」

「え? あはははは……」

 

 なぜかはぐらかされた。どうしたんだ一体。

 

「……雄二」

「分かっている。なんでも言え」

「……それじゃ――」

 

 霧島さんはFクラス陣営を一瞥して、再び坂本に向き直った。

 そして、小さく息を吸って、

 

「……雄二、私と付き合って」

 

 言い放った。

 

 

 

 ……え?

 

 

 

「やっぱりな。お前、まだ諦めてなかったのか」

「……諦めるわけがない。ずっと、雄二の事が好き」

 

 ちょ、ちょっと、どういうこと?

 一体何が起きているんだ?

 学年主席の霧島さんが坂本の事を好き? そんなバカな!

 

「その話は何度も断っただろ? 他の男と付き合う気は無いのか?」

「……私には雄二しかいない。他のひとなんて、興味ない」

「拒否権は?」

「……ない。約束だから。今からデートに行く」

「ぐぁっ! 放せ! やっぱこの約束は無かったことに――」

 

 そんな声もむなしく、戦犯は霧島さんに首根っこを掴まれて教室から引っ張り出された。

 

『……』

 

 残された俺達は当然沈黙するしかなく、あまりの出来事に言葉が出ない。

 つまり、霧島さんが告白を断っていたのは、異性に興味が無いんじゃなくて坂本の事をずっと想っていたからってことか?

 …………。

 

「さて、Fクラスの諸君。遊びの時間はここまでだ」

 

 呆然としている俺達に、突如野太い声がかけられる。

 当然と言うかなんと言うか、そこに立っていたのは鉄人だった。

 

「あれ? 西村先生。僕らに何か用ですか?」

 

 とりあえず、吉井が話しかける。

 

「ああ。今から我がFクラスに補習についての説明をしようと思ってな」

 

 補習か……試召戦争に負けたから仕方ないのかな……ってあれ?

 

「先生、『我がFクラス』ってどういう事ですか?」

 

 すると、鉄人は俺達に笑顔を向けた。

 

「おめでとう。お前らは戦争に負けたおかげで、福原先生から俺に担任が変わるそうだ。これから一年、死に物狂いで勉強できるぞ」

『なにぃっ!?』

 

 俺達は皆、悲鳴をあげる。

 それも当然だ。鉄人の指導はとても厳しいもので、ろくな学園生活にならないことは想像するまでもない。

 鬼の補習は俺も一年の時に経験があるし、その恐ろしさは今回の試召戦争で戦死したヤツなら余計に分かるのではないだろうか。

 

「いいか。確かにお前らはよくやった。でもな、いくら『学力がすべてではない』と言っても、人生を渡っていく上では強力な武器の一つなんだ。決してないがしろにしていいものじゃない」

 

 くそっ! なんでこんな説教臭いことを言われなきゃいけないんだ!

 

「吉井。お前と坂本は特に念入りに監視してやる。なにせ、《観察処分者》とA級戦犯だからな」

 

 ……つまり、生贄にしてもいいってことか?

 

「そうは行きませんよ! なんとしても監視の目をかいくぐって、今まで通りの学園生活を過ごしてみせます!」

「……お前には悔い改めるという発想は無いのか」

 

 吉井の事だ。そんな気はさらさら無いだろうな。

 しかし、吉井の顔はどこかやる気があるようにも見えた。この試召戦争の結末は、少なくとも吉井にはいい影響を与えたのかもしれない。

 

「とりあえず明日から授業とは別に補習の時間を二時間設けてやろう」

 

 二時間かあ……二時間はきついな。

 ただ、吉井と同じように、俺も少しだけやる気が出てきていた。

 一つの理由としては、もちろん、この教師や劣悪な環境から逃げるため、というものである。

 しかし、それとは別に、勉強したい理由がもう一つある。

 

「谷村君、ちょっといいかしら?」

「あ、はい。大丈夫です」

 

 そんなことを考えていると、木下さんが話しかけてきた。

 

「その……さっきの召喚獣バトルで、アタシが悪いって事になったじゃない? だから……お詫びをしたいのよ」

「お詫び?」

「ええ。えっと、一緒に喫茶店に行きましょう? もちろん、私がおごるから」

「おごるだなんて、そんな……」

 

 と、言いかけてから考える。これが、彼女なりのけじめなのだろう。

 であれば、ここで断ることは道理じゃないはずだ。

 

「……分かりました。いつにしますか?」

「そうね、今度の週末でどうかしら?」

「いいですね」

「そう! じゃ、そういう事だから。詳しいことは後でまた決めましょう! それじゃ!」

 

 そう言い残して、木下さんは去って行った。

 俺に初めて見せた、笑顔と共に。

 

 

 ……ん?

 これってデートじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 さて、俺が勉強したい理由は、木下さんにある。

 彼女のタイプにはなれそうにもないが、それでも、俺は木下さんの事が好きなのだ。

 だから、少しでも優等生である木下さんに近づきたいと、そう思ったのだ。

 

 

 まあ、とりあえず、俺が今からすべきなのは、

 

「なあ谷村。なんか楽しそうな話をしていたな?」

「詳しく話を聞かせてもらおうか」

「おいおい、話なんか聞かなくてもいいんじゃないか?」

 

 この嫉妬に狂ったクラスメイトから逃げ切るということだった。




所用でなかなか投稿できずに、ようやく第一章完結です。
今後の投稿予定については活動報告にて。


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休み時間
モブと約束とラブレター(前編)


「ううん、良い天気だなあ」

 

 早朝の通学路を歩く俺の頭上には、雲一つない澄み渡る青空が広がっている。まだ低い太陽の日差しと、体に当たる涼しい風がとても気持ちいい。

 今朝は早くに目が覚めたので、普段より一時間も早く登校しているのだが、それだけでこの学校へと続く坂道は様変わりする。いつもはごった返す生徒達で騒がしい通学路も、今はどこかから鳥の鳴き声が聞こえてくるほどに静かだ。早起きもたまにはしてみるもんだな。

 まあ、こんな早くに学校に来たところですることなんてない。何をして暇をつぶそうか考えていると、校門に誰かが掃き掃除をしているのが見えた。あれは――鉄人か。

 不服にも先の試召戦争の結果とはいえ一応は我らがFクラスの担任な訳だし、挨拶でもしておこう。

 

「おはようございます」

 

 すると、一瞬爽やかな笑顔をした鉄人は、声の主が俺だと気付くとすぐに表情をもどし、

 

「おう、おはよう。今日はやけに早いな」

 

 と返した。

 

「なんでそんな厳しい顔で挨拶するんですか。一瞬笑顔だったのに」

「何を言っている。お前達Fクラス以外には笑顔で挨拶をしているぞ」

 

 笑顔で挨拶する鉄人……自分で言っておいてなんだが、改めて冷静に想像するとなんておぞましい光景なんだ。

 

「まあいい、せっかくこんな早くに学校に来たんだから、HRまで自習していろ」

「え、どうして授業でもないのに勉強なんてしなきゃいけないんですか」

「……お前は学校(ここ)をなんだと思っているんだ?」

 

 じろりと鉄人に睨まれた。

 

「じょ、冗談ですよ、ハハハ……早起きは三問を解くって言いますしね」

「それを言うなら早起きは三文の得だ、バカ」

 

 あれ、そうだっけ?

 呆れ顔の鉄人に苦笑いで返し、そそくさと下駄箱へと向かう。

 すると、

 

「……ん?」

 

 下駄箱の前に何かが落ちているのを見つけた。

 これは……封筒か?

 

「なんだこれ?」

 

 裏返してみると、封筒は赤いハートのシールで封がしてあり、右下には吉井明久さまへと宛名が書いてあった。

 

「…………これ、もしかして!」

 

 吉井宛のラブレターか!

 と、気付いた瞬間後ろから声をかけられた。

 

「あら、谷村君じゃない」

「ひゃい!」

 

 驚いた俺が奇声を挙げながら振り向くと、そこには、学園の優等生、木下優子さんが立っていた。茶色いショートカットで前髪はピンでとめてあり、きりりとした目が今日も美しい。そして、その、なんだ、俺が絶賛片思いしている相手でもある。

 とっさに封筒を後ろ手に隠して、振り返る。

 

「そんな驚かなくても……」

「あ、すいません……木下さん、早いんですね」

「それはこっちの台詞よ。私は自習の為にたまにこのくらいの時間にくるけど、あなたはこんな時間に見かけたことないもの」

「ああ、まあ……俺の場合はたまたまですよ」

 

 そうだったのか。さすがはAクラス。こんな朝早くから勉強するなんて、俺達Fクラスじゃありえない。

 

「そうだ。試召戦争の時に喫茶店に行こうって約束したのに、まだ行ってなかったわよね?」

「そうですね」

 

 そうなのだ。

 あの日木下さんと喫茶店に行く約束をしたはいいが、結局予定のすり合わせが上手くいかずに延期になった。つまり、あの約束をまだ果たせていないのだ。

 

「ちょっと今は勉強したいから、後で話しましょう。……そうね、昼休みに屋上でいいかしら?」

「はい。大丈夫です」

 

 どのみち昼休みに予定なんかはいりっこない。いつだってオールフリーだ。

 

「じゃあ、また会いましょうね!」

 

 そう言って、木下さんは一足先に教室へと向かっていった。

 

 朝から木下さんと話せるなんて今日はとてもいい日かもしれない。早起きは三問を……じゃない、早起きは三円の得とはよく言ったもんだ。

 と、そこで背中に隠していたラブレターの存在を思い出した。

 

「あ……これどうしようか」

 

 少し悩んだが、今の俺はとても気分が良い。吉井に春が来るのは多少むかつくが、このラブレターを書いた女子の気持ちを考えると無下にすることもできない。その女子の代わりにラブレターを吉井の下駄箱に入れておいてやろう。

 

「……これでよし」

 

 木下さんとも話せて、人助けもして、なんていい朝なんだ。これで木下さんとのデートの期日を決められれば、もう言うことは無い。

 昼休みが楽しみだ。まさか、誰かに襲われるとかそんな非現実的な事は無いだろうし。

 そんなのんきなことを考えながら、俺は教室へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

『……あれ? 今のは谷村君と……木下さんかな? 何話してたんだろ』

『何やってる吉井、手が止まってるぞ。ちゃんと働け』

『はいはい。言われなくてもちゃんとやりますよーだ……まったく、鉄人ときたら人使いが荒いんだから……』

『聞こえてるぞ吉井』

『そう言いながら僕の召喚獣に蹴りを入れるのはやめてください西村先生!』

 

 

            ☆

 

 

 次第に人の増えていく教室を見るのは、なかなか面白かった。早朝に教室に来てもすることはマンガを読むくらいだが(ゲームは没収されると買い戻しづらいので持ってこないし)、早起きしただけの甲斐はあったかもしれない。もう当分はいいけど。

 

「あー……彼女欲しいよなあ……」

 

 俺の隣の席でみかん箱に突っ伏している須川が、そんなことをぼやきだした。

 

「だよなあ……Fクラスじゃ出会い自体が少ないから難しいけど」

 

 工藤がこっちを向いてそう返した。

 

「工藤はいいよな。Aクラスの工藤さんが姉なんだろ?」

「よくねーよ。正直、姉ちゃんがかわいいだなんだって話はよくわからないしな」

「お前工藤さんの良さがわからないとは……ん? ちょっと待て、お前、工藤さんと姉弟(きょうだい)ってことは、一緒に暮らしてるのか!?」

「そういうことになるけど……な、なんだ、どうしてお前達は急にロープを取り出してるんだ!」

「うるさい裏切者! その環境が妬ましいっ!」

 

 なにやら急に騒ぎ始めたが、工藤が姉と一緒に暮らしてるからと言って俺は別に何も思わない。彼女が出来たなら全力で潰しにかかるが、そうじゃなかったら騒ぐほどでもない。

 これは多分、須川達とは違って俺には心の余裕があるからだろう。木下さんと実質デートに行けるというのがこの余裕を生み出していると思う……あ、まずいニヤケてきた。

 

 須川達の騒動は工藤が簀巻きになったあたりでチャイムが鳴ったのでお開きになった。

 その直後、吉井、坂本に続いて鉄人が教室に入ってくる。相変わらず時間に正確な先生だ……吉井はあのラブレターを見つけたはずだが、もう読んだのだろうか?

 鉄人の存在だけで静まりかえった教室で、鉄人は出席を取り始めた。

 

「阿部」「はい」

「安藤」「はい」

「井上」「はい」

 

 しかし、毎朝鉄人はいちいち名前を呼んで出席を取っているが、どうしてそんな必要があるんだろうか。50人いるとはいえ見渡せば誰がいて誰がいないかなんてすぐわかるだろうに。

 

「工藤」「はい」

「久保」「はい」

「近藤」「はい」

「斉藤」「はい」

 

 そんなどうでもいいことを考えるうちに返事はどんどん続いていく。騒がしい教室に訪れたのどかな平穏。変わり映えのしない朝の平穏が――

 

「坂本」「………………(明久がラブレターをもらったようだ)

 

 

 

『『殺せええぇ!!!』』

 

 

 

 坂本の一言で終わりを告げた。

 教室内が一瞬で殺気で埋め尽くされる。

 

「ゆ、雄二! いきなりなんてことを言い出すのさ!」

 

 坂本の声は明らかに小声だったのに、Fクラスはそういうことに敏感なのか誰も聞き逃さなかった。

 吉井の下駄箱に入れたラブレターは、坂本にも気づかれたらしい。

 

『どういうことだ!? 吉井がそんなものをもらうなんて!』

 

 誰かのそんな声を聞いた須川が、

 

「吉井がもらってるのに俺がもらえない訳はない! このみかん箱の中にでもあるんじゃないのか!?」

 

 そう叫びながらみかん箱を持ち上げ中を確認している。

 

「ダメだ! 持ち帰り忘れた弁当しか入ってねえ!」

「うわっ! お前それ中身腐ってんじゃないのか!」

 

 この気温だ。そろそろ酸っぱいにおいがしてきてもおかしくない。

 

『どうなってるんだ一体!』

『俺にもラブレターをよこせよ!』

 

 教室内は怒号が飛び交っている。そのほとんどが妬みによるものだ。

 俺は、そもそもあのラブレターを吉井の下駄箱に入れた張本人だし、今更慌てない。大体、木下さんとのデートがあるんだ。慌てる必要もない。

 

「お前らっ! 静かにしろ!」

 

 ――シン

 

 と、鉄人の一喝で教室に静寂が戻ってくる。さすがは鉄人だ。その野太い声だけで窓ガラスも割れそうだな。

 

「それでは出席確認を続けるぞ」

 

 吉井も落ち着いたようで胸をなでおろしながら腰を下ろしている。

 

「須川」「……はい」

「谷村」「はい」

「塚本」「……はい」

「手塚」「……コロス」

「土屋」「……コロス」

「藤堂」「吉井コロス」

「戸沢」「吉井コロス!」

「新田」「吉井コロス!!」

「皆落ち着くんだ! いつの間にか返事が『吉井コロス』に変わっている!」

 

 吉井が急に叫び出した。なんなんだ一体。

 

「吉井、静かにしろ」

「僕ですか!? ここで注意するべき相手は僕じゃないはずです! このままだと学園内で殺人事件が起こる羽目になりますよ!」

「布田」「吉井マジコロス」

「根岸」「吉井ぶち殺す」

「聞いてねええええーーーー!!!!!」

「福沢」「吉井刺し殺す」

「宮川」「吉井焼き殺す」

「そして既に僕の殺害方法に言及し始めている!」

 

 吉井が懸命に叫ぶが、鉄人もクラスメイト達もそれを無視して出席確認を進行する。ハハハ、嫉妬に狂った連中を見てるのは楽しいもんだ。

 須川をはじめ、Fクラスの連中は彼女ができる目処も立たず、他人をねたんでいる奴らばかりだ。だから、ラブレターをもらっただけで吉井を殺したくなるほどに嫉妬するし、

 

「か、かくなる上は……」

「吉井」

「今朝、谷村君は木下優子さんと仲良さそうに喋ってました!!」

 

 

 

『『谷村も殺せええええぇぇぇ!!!』』

 

 

 

 たったそれだけの情報で俺も殺害対象(ターゲット)にしたりするのだ。

 

「ふざけんな吉井!」

 

 なんてことを言ってくれるんだ!

 

「さあ皆、僕なんかにかまってていいの? 谷村君はもしかしたら僕よりもっと女の子と仲がいいかもしれないよ?」

 

 くそっ! バカの癖にこんな時だけ頭が回りやがって!

 

「そんなわけないだろ! ちょっと会って話しただけだって!」

「それだけで重罪だクソ野郎!」

 

 須川が叫ぶ。

 

「渡辺」「二人ともぶっ殺す!」

「結局僕も狙われるのか!」

「当たり前だろこのバカ!」

 

 なんで逃げられると思ったんだこのバカは!

 

「よし。遅刻欠席は無しだな。今日も一日勉学に励むように」

 

 この混乱のさなか出席を取り続けた鉄人は、出席簿を閉じて教室を出ようとする。この男は殺気を感じる能力が欠如しているんじゃないのか?

 

「待って先生! 行かないで!」

「そうだぞ! 可愛い生徒たちが死んでもいいのか!?」

 

 保身のために、俺と吉井は二人で鉄人を呼び止める。もうプライドとかは気にしてられない!

 

「吉井、谷村。何を言ってるんだ」

「……なんですか」

 

 すると、鉄人は振り返りもせずに告げる。

 

「お前達は不細工だ」

「不細工とまで言われると思わなかったよバカ!」

「可愛いってのは言葉の綾だろうが!」

「授業はまじめに受けるように」

「待って! 先生!」

「お願い! 助けて!」

 

 俺達の懸命の叫びもむなしく、鉄人は教室を後にした。これでもうFクラスの暴走を止められる者はいない。一時間目が始まる前に暴動が起こるのは間違いないだろう。

 

「おい谷村! 詳しく話を聞かせろ!」

 

 そう言って俺の腕を強く掴むのは、先ほどまで簀巻きになっていたはずの工藤だ。

 

「ははは……別に大したことはないって。ホントにちょっと話しただけだから……」

「本当か?」

 

 疑いの目で俺を見る工藤。

 

「でも、こいつさっき吉井のラブレターの話を聞いても取り乱さなかったぞ……」

「谷村って、前の試召戦争の時も、木下さんと仲良さそうに話してたよな」

「そういえばあの時、一緒に喫茶店に行くだのなんだの言ってなかったか?」

 

 工藤と同じように俺を責める須川達が口々にそんなことを言いだした。

 

「結局喫茶店にはまだ行ってないんだって!」

「……『まだ』?」

「……それも言葉の綾だ! 中止になったんだからな!」

「嘘だ! 行く予定があるんだろ!」

 

 くっ……こういうときだけ鋭いなこいつ!

 

 ふと視界には島田さんと姫路さんに詰め寄られている吉井の姿が目に入った。なんであいつは女の子に囲まれて、俺はむさくるしい男子どもに囲まれなくちゃいけないんだ。これは不公平ってやつなんじゃないのか?

 

「皆、ちょっと落ち着け」

 

 そんな中、パンパンと手を叩く音が教卓の方から聞こえてきた。このFクラスの代表であり、この騒動の元凶ともいえる坂本雄二の声だ。

 

「今問題なのは、明久の手紙を見ることでも谷村の疑惑の真偽を確かめることじゃない」

 

 坂本がクラスメイトたちに言い聞かせるように語る。なるほど。さすがは代表。自分の不始末は自分で片をつけるの気のようだ。

 

「問題は、こいつらをどうグロテスクに殺すかだ」

「前提が間違ってんだよ畜生!」

「バカじゃねーのかこのクラスの代表は!」

 

 ついに命の危険を感じた吉井と俺は、荷物をひっつかんで教室から同時に飛び出した。

 こんなところにいられるか! もう今日の授業は全部サボってやる!

 

『逃がすなぁっ! 連中は二手に分かれた! 追撃隊を二つ組織しろ!』

『手紙を奪え! 吉井を殺せ! 谷村をねじ殺せ!』

「ねじ殺せってなんだよ!?」

『サーチ&デス!』 

「だから怖いって!」

 

 廊下に響いてくる声を聞いて、Fクラスの団結力の恐ろしさを実感した。

 

 

            ☆

 

 

「はあ……はあ……ここまで逃げればひとまずは大丈夫だろ……」

 

 Fクラスの教室を飛び出した俺は、真っ先に一階にある図書室を目指した。普段だったらこんな活字だらけの場所に来ることは無いが、状況が状況だけに逆に好都合だ。入口は一つだけだが、進学校という文月学園の性質上膨大な数の本棚が並んでおり、それはすなわち死角の多さを意味する。

 ちらりと入り口を確認するが、誰もやってくる気配はない。足の速さには自信がある上に、連中の多くは『手紙』というわかりやすいアイテムを持っている吉井の方に向かっているはずだ。うまい事撒けただろう。

 すでに一時間目を告げるチャイムは鳴っている。

 

「あの……授業は大丈夫なんですか?」

 

 息を整える俺に話しかけてきたのは、この図書室に務める司書である中川先生だ。だいぶお年を召した女性の方で、かなり押しに弱い。申し訳ないと思いつつ強引にカギを開けてもらった。

 

「はい、自習なので大丈夫です」

「あ……そうなんですか」

 

 そう俺は返事をするが、それはもちろん嘘だ。自習なわけがない。一時間目を担当する先生はもぬけの殻の教室を見て唖然としているだろう。

 ともかく、これでしばらくは安全のはず。この騒動の発端となった吉井には囮になってもらおう――そう考えた俺が窓の外に目をやると。

 

「……」

「……」

 

 ニコリと笑った吉井と目が合った。

 

「谷村君は図書室にいるぞー!!!」

「「こっちか!!!!」」

 

 吉井がそう叫ぶと同時に、廊下から複数人の声と足音が聞こえてきた。

 このバカ! 何しやがる!

 

「ちくしょう!」

 

 窓を開けてそのまま脱出。内履きで外に出ることになるが、気にしていられない。

 俺を密告した吉井はすでに生徒玄関の方へと走り出している。

 

「待て吉井!」

「こっちの台詞だ! 止まりやがれ谷村!」

 

 恨みも込めて吉井を追いかける形で追手から逃げ出すと、連中――須川と工藤たちもその後を追いかけてきた。

 

「止まれって言って止まるわけねえだろ!」

 

 とにかく、つかまるわけにはいかない。つかまったら待っているのは処刑()のみだからな。そのためには、目の前を走る吉井を犠牲にするのが手っ取り早い。

 

「この……!」

「うわっ! 谷村君今僕の首根っこ掴もうとしたね!? ていうか足速っ!」

「あいつらも吉井を差し出せば諦めてくれるだろ!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやる!」

 

 吉井に追いついた俺は、吉井と言い争いながらも追い越そうとする。しかし、

 

「貴様ら……こんなところで何をしている?」

 

 俺達が走るその先、生徒玄関の前にある一人の男が立っていた。

 

「「げ、鉄人!」」

 

 吉井と声がハモる。

 何をしているは俺が言いたい! 授業中だぞ!

 とにかく、鉄人につかまるわけにはいかないが、かといって引き返せば須川達の餌食だ。

 

「くそっ……!」

 

 前門のなんとやら、なんとやら、なんとやらだ! 一人で逃げてもいいが、こうなると話は別だ。仲間()は多い方が良い。

 ただ校舎から離れてもつかまるだけ……なにかないかと周りを見渡す。

 

 ……あった!

 

「吉井! あの窓だ!」

「分かった!」

 

 俺と吉井は、同じタイミングで右に曲がり、開いていた窓からどこかの部屋の中へと、まずは俺、その次に吉井が飛び込んだ。その直後、窓を勢いよく閉めてカギをかける。

 

『教室に戻れ!』

『鉄人だ! 総員退却!』

 

 須川達は鉄人と鉢合わせる形になり、何とかしのげた。せっかくなら吉井も締め出したかったが、そうなるとこの先逃げ切れるかが怪しくなる。

 部屋の中を見るとそこは事務室のようで、用務員が目を白黒させて俺達を見ている。

 

「ははは……失礼しましたー」

「しましたー」

 

 苦笑いを浮かべながら事務室から駆け出す。ここに飛び込んだことは鉄人にも須川達にもばれている。できるだけ早く逃げ出さなければ……!

 

 悲鳴を上げる足に鞭をうち、懸命に逃走を続けた。

 

 

            ☆

 

 

「……ひとまず……ぜえ……ここで休もう……」

「そ、そうだね……」

 

 俺達が今いるのは1-E教室。どこかのクラスが移動教室をしているだろうと踏んで、誰もいない教室を探してもぐりこんだのだ。廊下から見えないように、教卓や机の陰で休んでいる。

 いくら足の速さに自信があるといっても、大勢に追われながら校舎内を駆け回るのはかなりしんどい。

 

「まさか鉄人に見つかるとは……ますます厄介なことになったなあ……」

 

 あまり息を切らしていない様子の吉井がそんなことをぼやく。こいつ、意外と体力があるのか。

 

「厄介って……そもそも、お前が……図書室の、外で……叫んだから、だろ……」

「だって、僕だけ追われてるのに一人だけ図書室で休んでるなんて不公平じゃないか」

「バカ、そういう、作戦なんだよ……お前が、囮になって、追手を引き付けて、くれれば……俺は、逃げ回らなくて、済むんだから、な……」

「それが不公平なんだよ!」

「おい……! あまり、大声出すな……!」

 

 と、言いつつ自分も大きな声を出したのでそれは反省しつつ。

 

「とりあえず、これから、どうするかだな……こうなった以上は、協力していくぞ……」

「うん、わかったよ」

 

 一時間目ももうすぐ終わる。いつまでもここにはいられないが、そのまえにこれからの作戦を立てなくてはならない。そのために吉井と行動してるんだ。ここまで来たら二人で協力する方が生き延びる確率が上がるだろう。というか、一人で逃げてもどうせまた巻き添えを喰らうだけだ。

 

「吉井、ラブレターはもう読んだのか?」

「いや、まだだけど……どのみち、追われながらじゃゆっくり読めないし」

 

 それもそうか。

 

「そういえば、谷村君の方は結局何話してたの?」

「何って?」

「ほら、今朝、木下さんと」

「ああ。ただの世間話だ。……まあ言ってもいいか、昼休みに屋上で待ち合わせしてるんだ。それだけだよ」

 

 今現在、俺も吉井も女子とのつながりを持っている、ということでクラスメイトに追われている。これくらいなら話したところで吉井が嫉妬に狂うことは無いだろう。吉井の方もラブレターをもらったという事で心に余裕があるだろうし。

 

「ふうん……あ、それだ!」

「だから叫ぶなって……それって?」

「あ、ごめん。屋上だよ。屋上なら人もあまり来ないし、貯水槽の上とかみたいに隠れられるスペースもある」

 

 言われて、考える。なるほど……身をひそめるにはもってこいかもしれない。須川達に見つかると逃げ場がなくなるが……今なら殆どが鉄人に追われてそんな余裕はないだろう。

 幸い今日は快晴だ。屋上の貯水槽の上で昼休みを待つとしよう。

 

「なるほどな……よし、それでいこう」

「うん」

 

 すべきことは決まった。

 目指すは、屋上だ。




谷村君は足が速いけどスタミナがない感じですね。
後編に続きます。


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モブと約束とラブレター(後編)

 俺達は今、新校舎2階の1-E教室に潜伏している。屋上を目指すために廊下に飛び出すと、

 

「アキっ! 見つけたわよ!」

「げっ! 美波!」

 

 階段前のスペースをはさんで廊下の先、旧校舎側で、島田さんがこっちを指差していた。

 島田さんの背後にはどす黒いオーラが漂っているような気もする。明らかに一触即発の空気だ。

 下手に動けばやられる、と思いつつ向こうの出方を見ながら階段の方へとすり寄ると、意外にも島田さんはゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。

 

「アキ、今から二つの選択肢のうちどちらかを選ばせてあげる」

「選択肢?」

「おとなしく手紙を渡して殺されるか、殺されてから手紙を奪われるか、好きな方を選びなさい」

 

 ここまで無意味な二択というのも珍しいだろう。

 

「どうしてそんなにこの手紙にこだわるのさ! 美波には関係ないじゃないか!」

 

 普段から吉井は島田さんからよくプロレス技を受けている。まともにやりあえば命は無いと判断したのか、吉井は島田さんを説得する作戦に出た。

 

「ウチには関係ないって、酷い……! アキは本当にそう思っているの……?」

「え……?」

 

 それを聞いた島田さんは、急に傷ついたような表情になる。

 ……おや、様子が変だぞ。

 

「だって、今まで恥ずかしくて言えなかったけど、ウチはアンタの……」

 

 いつもの勝気な印象とは違ってしおらしい島田さん。

 まさか、これはもしかすると、島田さんは吉井のことを、

 

「アンタのせいで、『彼女にしたくない女子ランキング』の三位になってるんだからぁっ!」

「さらばだ!」

 

 相当恨んでいるようだ。

 命の危険を感じた吉井は瞬時に階段を駆け上る。屋上に逃げ込む気だな。

 

「おい、一人で逃げるな!」

 

 俺もその後を追いかける。振り切ってしまえばこっちのもんだし、女子相手につかまる気もない!

 

「逃がすもんですか! 人をこんな立場にしておきながら自分だけ幸せになろうなんて、そんなことは許さないわよ!」

 

 吉井は一体何をしたんだ。

 

「まだ上に2人いてよかったじゃないか!」

「良い訳ないでしょうが! 下に何人いると思っているのよ!」

「えっと……150人くらい?」

「なっ! どうしてくれんのよっ! 責任取りなさい!」

「責任って言われても!」

「とにかく、まずは手紙をよこしなさい! 再発防止の為にコピーをとって校内にばらまいてあげるから!」

「鬼か!」

 

 吉井は島田さんの恨みを相当買っているらしく、追跡が収まる気配がない。

 しかし、さっきから話を聞いていると、一つ思ったことがある。

 

「島田さん! もしかして、俺の事はどうでもいいんですか?」

 

 吉井と並走しながら背後の島田さんに問いかける。

 

「ええ! ウチはアキの幸せが妨害できればそれで十分よ!」

 

 なるほどなるほど。という事は……。

 

「「おらぁ!」」

 

 俺と吉井は同時にこぶしを振りかざし、互いに殴り掛かる。

 

「「あぶなっ!」」

 

 二人とも右腕を振り抜きながら相手の拳を躱す。当然島田さんから逃げながら、だ。

 

「何するんだ、吉井! ここは島田さんの目的であるお前が生贄になるべきだろう!」

「そっちこそ何をするんだ、谷村君! 島田さんのターゲットじゃない君が盾になるのが当然だろ!」

 

 くそ、何もわかってないな、こいつ!

 

「俺達は協力しようと言ったばかりじゃないか!」

「その言葉、自分の行動を思い返してもう一回言ってみてよ、谷村君!」

 

 自分の行動……俺が生き残るために島田さんに生贄として吉井を差し出す……。

 

 うん。

 

「俺達は協力しようと言ったばかりじゃないか!」

「よく言えたね!?」

 

 だって、

 

「待ちなさい! 両手の指を一本ずつへし折ってあげるわ!」

「あんな拷問を思いつける女子の相手なんかしたくねえんだよ!」

「僕だって同じだ! っていうか僕の方が命の危険があるんだからね!?」

 

 とにかく、らちが明かない。どこかでやり過ごせないか考えていると、

 

「見つけたぞ、谷村」

 

 四階から屋上へとあがる階段の踊り場で、木刀を構えた須川が待っていた。

 

「ちっ……生きていたか」

「鉄人なんか(クラスメイト)を使えばどうにでもなる」

 

 ひどい奴だ。クラスメイトをなんだと思ってるんだ、こいつは。

 

「わざわざ木刀を剣道部から借りてきたんだ。もう逃がしてなるものか」

 

 そう言いながら素振りをする須川。なるほど、破壊力は十分ありそうだ。

 

「谷村、俺達は友達だろう? 一人だけ抜け駆けなんて卑怯じゃないか」

「幸せを願うのが友達じゃないのか!」

「は? 何言ってんだ、お前?」

 

 だめだ、話にならない!

 

「なあ谷村。例えばの話だが、もし俺に彼女が出来たらどうする?」

「殺す」

「そういうことだ」

 

 それとこれとは話が別だと思うんだがなあ……。

 

「ねえ、谷村君……須川君のターゲットは、僕よりむしろ……」

「ああ、俺みたいだな」

 

 吉井の手紙を無視しているわけではないだろうが、どちらかというと俺をつぶそうとしてきているように感じる。

 

「よくやったわ、須川! さて、アキ……覚悟しなさい!」

 

 背後では、逃げ道を島田さんがふさいでいた。

 そうなると……背に腹は代えられない!

 

「谷村君、僕は須川君を倒すから、それまで美波を引き留めておいて!」

「了解!」

 

 そう言って、吉井は踊り場へ駆け上り、俺は島田さんの目の前へと駆け下りる。

 吉井が須川を撃破するまで、どうにかして持ちこたえなければいけない。島田さんは俺をどうでもよく思っているから、横をすり抜けて逃げ出すことは可能だが、そうすると吉井が殺されて須川が俺を追いかけてくるだろう。

 だったら、ここは吉井を信じて島田さんの相手をするのが正解だ!

 

「島田さん、ここは通しませんよ」

「どきなさい、谷村。邪魔するならアンタもミンチにしてあげるわ」

「吉井、交代(チェンジ)だ」

「谷村君!? 諦めないで!?」

 

 早くもこの選択を後悔した。

 

「どくの? どかないの? 死ぬの? 背骨を一本ずつ砕かれたいの?」

 

 なんなのこの女の子!? そんなおぞましいフレーズがすっと出るもんなの!?

 ……とにかく、吉井が勝つまでどうにかこの場を持たせなければならないわけだが、殺気全開の島田さん相手に無事でいられるとは思えない。とはいえ、女子相手に手を挙げることはできないし、どうしたもんか……。

 そうだ。

 

「島田さん、交渉をしませんか?」

「交渉?」

「ええ、互いに損にはならないと思いますが」

「いいわ、聞くだけ聞いてあげる」

 

 生き残るためにも吉井を売り渡すわけにはいかないが、それ以外で交渉ができれば行けるかもしれない。

 

「ここで俺達を見逃してくれたら、こちらからは須川を差し出します」

「却下よ」

 

 おかしいな。一瞬で拒否されてしまった。サンドバッグくらいには使えると思ったんだが。

 

「交渉決裂ね。無理にでも通らせてもらうわ!」

 

 まずい、拳が飛んできた! もはや、これまでかと思ったその瞬間、

 

「食らえ! 須川クラッシュ!」

 

 踊り場からそんな吉井の叫び声が聞こえてきた。

 とっさに振り向くと、ちょうど吉井がふらふらになった須川を踊り場から蹴り落そうとしているところだった。

 

「あぶねえ!」

「きゃっ!」

 

 ごろごろと転がり落ちる須川を躱す俺と島田さん。廊下に横たわった須川は、

 

「爪が……爪があああぁぁ……」

 

 とうめいている。ふと踊り場の吉井を見ると、その右手には爪切りが握られている。

 吉井、お前木刀相手にどうして勝てたんだ。

 

「今だ!」

「あっ!」

 

 とにかく、このチャンスは逃せない。屋上へ向かって駆けだす。

 

「待ちなさい!」

 

 当然島田さんも追いかけてくるが……どうにかしてもうすこし距離を引き離さないとつかまる!

 

「島田さん! 須川がパンツ見てるから気を付けて!」

「えっ!? うそっ!?」

 

 立ち止まりスカートを抑える島田さん。かかった! 痛みにうめく須川にそんな余裕なんかあるわけないだろ!

 そう思って階下を見ると、なぜか土屋の姿があった。なぜだ。まさか俺の声を聞いて島田さんのスカートの中を見に来たのか。

 ……いや、まさかな。

 

「ナイスだ谷村君!」

「そっちこそ、グッジョブ吉井!」

 

 二人のコンビネーションで関門を突破した俺達は階段を駆け上る。

 案外相性がいいのかもしれない。多少なりとも友情が深まったような気もする。

 そして。

 

「よし! ついた!」

 

 吉井とともに扉を押し開けて屋上へとたどり着く。

 そこにいたのは……。

 

「やはり来たか、明久」

「吉井君、言うことを聞いてください」

 

 Fクラス代表の坂本と、学年次席の姫路さんだった。

 ……よし! どっちもターゲットは吉井のようだ! 俺の敵はいねえ!

 忘れずに、その直後扉を閉めて開かないように体で抑える。

 

「こら! 開けなさい!」

 

 扉の向こうでは島田さんがドンドンと扉を叩いている。俺としては島田さんを入れても構わないが、それにまぎれて俺を狙う奴が屋上に入ってくる可能性を考えるとこの扉を開けるわけにはいかない。

 

 さて、俺の目的はすでに達成された。どのみち俺はこの扉を抑えていかなければならないので、ここからは吉井は一人の戦いになる。

 

「どうして僕がここに来るってわかったの?」

 

 その吉井は、坂本にそんな質問をぶつけている。

 

「屋上はこの学校の告白スポットだからな。単純なお前なら必ずここに来るだろうと踏んだ」

「くっ……」

 

 完全に坂本は吉井の思考を読んでいる。

 

「雄二、どうしてそこまで僕の邪魔をするのさ! そんなことをしても、雄二にとってのメリットは何もないはずなのに!」

「他の連中と一緒だろ。嫉妬じゃないのか?」

「それは違うぞ谷村。俺は彼女が欲しいなんて気持ち自体が全くない。こんな行動、俺にとって何のメリットもない」

「だったらどうして!」

「メリットがどうとか、そういう問題じゃないんだよ、明久。俺はただ、純粋に……」

 

 何の迷いもなく、坂本は言葉を紡ぐ。

 

「お前の幸せがムカつくんだよ」

 

 須川よりタチ悪いな!

 

「アンタは最低の友達だ!」

 

 そもそも友達なのか、お前達。

 

「さて明久。『おとなしく手紙をよこせ』なんて野暮なことは言わねぇ。本気でかかってこい。ちょうど谷村が、邪魔者が入らないようにしてくれてるからな」

 

 別に坂本たちのためじゃないが、結果的にはそうなってるか。

 坂本は学生服の上着を脱ぎ、ネクタイを外した。初めて見る坂本の身体は、筋肉が無駄なくついていた。さすが元不良。喧嘩慣れしているだけでなく、純粋なパワーもあるようだ。

 

「姫路。上着を持っていてくれるか?」

「あ、はい」

 

 姫路さんに上着を渡した坂本は、構えを取って軽くシャドーをして見せた。俺の耳に届く鋭い風切り音が、坂本のパンチの威力を物語っている。あらゆる意味で、敵に回したくない男だ。

 

「吉井君、やめておいた方が……」

「心配ありがとう。けど、男には引けない戦いもあるんだよ」

 

 姫路さんが吉井を心配するように話しかけたが、吉井は引く様子はない。闘志だけは吉井も負けていない。

 

「そうですか……わかりました。もう止めません」

「……ごめん。心配してくれたのに。――っと、これ、僕のも持っていてもらえる?」

「あ、はい」

 

 坂本と同じように、吉井は上着を脱いで姫路さんに渡す。

 吉井も筋肉はついているが、坂本には遠く及ばない。拳を握って坂本に向かって構えを取る吉井。

 

 ………………。

 

 いやいや……ええ……。

 

「なあ、吉井……」

「…………明久」

「あの……」

「………………あれ? どうしたの?」

 

 俺と坂本、姫路さんはすでに気づいているが、吉井はまだ自分のしたことに気づいていない。

 

「…………お前、バカだろう」

「へ?」

 

 呆れかえる坂本の声を聞いて、間抜けな声を出す吉井。

 

「あ、あの、手紙がポケットに入ってるみたいなんですけど……見ちゃってもいいんですか……?」

 

 姫路さんが吉井の上着のポケットから封筒を取り出している。

 

「だ、ダメだよッ! 戦わないでそれを見るのは反則だよ!」

 

 ここにきて、ようやく吉井は自分のミスに気づいたらしい。

 

「お前がバカなだけだろうが! やれ、姫路! その手紙を始末するんだ!」

 

 姫路さんのところに駆け寄ろうとした吉井を、坂本ががっちりと羽交い絞めにした。吉井は暴れるが、全然解ける様子はない。

 

「谷村君! 姫路さんから手紙を奪ってよ!」

「バカ、俺が扉から離れたらどうなるかわかってるだろ!」

 

 扉の向こうには今もなお島田さんがいるのが分かる。そのほかにも数名だがFクラスの連中が合流しているようだ。

 もし俺がこの扉を開ければ、吉井の敵がただ増えるだけだ。ますますもって吉井を取り巻く状況は絶望的になる。

 そもそも、俺の命まで怪しくなるから開けることは無いが。

 

「この裏切り者!」

「うるせえ! 自分の行動を恨め!」

「……あれ? こ、これってまさか……?」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ俺達だが、一方姫路さんはというと手紙を手にして何やら戸惑っていた。どうしたんだろうか。

 

「…………」

 

 まさか、誰かが想いを込めて書いたラブレターを、読んだり破いたりするなんてできないと思っているのだろうか。

 と、そこで思ったが、そもそもどうして姫路さんは吉井のラブレターに執着していたんだ。島田さんと同じように吉井に何か恨みでもあるのか。

 

「姫路さん」

「えっ!? あ、はい。なんですか?」

 

 この沈黙に勝機を見い出したのか、吉井が姫路さんに話しかける。

 

「僕にはわかってるよ。優しい姫路さんは手紙に込められた人の気持ちを踏みにじることなんてできないってこと。だから、おとなしく――」

「手紙を細切れにするんだ」

「違うっ! そうじゃない! 雄二、卑怯だぞ! そうやって僕の台詞みたいにつなぐのは反則だ!」

「はいっ! わかりました!」

 

 姫路さんは何が分かったんだろうか。

 

「ああああっ!!」

 

 すると、姫路さんはえいやっと手紙を破っていった。

 

「そんなに丁寧に手紙を裂かなくても! もうそれ絶対に読めないよね! 返して! 僕の幸せな未来と大切なラブレターと5つ前の台詞を返してぇっ!」

 

 そう叫ぶ間にも手紙は粉々になっていき、やがてそれは紙くずという名前で屋上に散らばっていた。涼しい風がそれを空へと運んでいく。

 

「まさか、本当に姫路が破るとは思わなかった。……すまん、明久」

 

 坂本が驚いた様子で姫路さんをみて、吉井に謝った。謝るならすればいいのに、とも思ったが坂本はあくまで冗談のつもりだったのだろう。

 

「……確かに、意外だな」

 

 姫路さんはそんなことをしない人だと思っていた。

 

「せめてものわびだ」

 

 坂本は、そう言って屋上に残った紙くずを拾い集めて吉井のもとへと持っていく。なるほど、半分ほどは空に消えてった気もするが、つなぎ合わせれば何とか文章の意味を読み取ることができるかもしれない。

 

「ありがとう、雄二。正直読めるかどうかは怪しいけど、それでも僕はこの最後の希望を信じて」

「未練を断ってやる」

 

 シュボッ  メラメラメラ……

 

「最後の希望がああっ! ここまでやって燃やすの!? 絶対読めないじゃんか!」

「明久。お前は知らなかっただろうが」

「何!? なんでもいいから早く火を消してよ!」

 

 吉井は必死に燃える紙くずに靴を押し付けている。

 

「俺はお前の幸せが大嫌いなんだよ」

「知ってるよバカ! 鬼! 悪魔! 鉄人!」

「吉井、それは言いすぎだ」

「言い足りないくらいだよっ!」

 

 必死の消火活動は実ることなく、手紙はきれいさっぱり灰になってしまった。

 飛んで行った手紙のかけらももはや見つけ出すことはできないだろうし、手紙の内容はもう誰も知ることはできない。

 

「うぅ……」

 

 吉井は屋上に手をついてうなだれている。

 

「吉井。まあ、その……ドンマイ」

「ちくしょーっ!」

 

 大粒の涙を流しながら叫ぶ吉井。

 

「坂本君は手紙の主が誰だか気にならないんですか?」

「全然興味がないな。俺は明久の幸せを妨害できればそれでいい」

 

 なぜか安心した様子の姫路さんが、なにやら坂本と話している。

 

「ま、誰からの手紙かは、目星はついたがな」

「え……?」

「坂本、それ本当か?」

 

 あの手紙の差し出し主……正直俺も気になっていた。

 

「まあな。本人の名誉の為に黙っといてやるが……姫路はどうしてあんな躊躇なく手紙を破けたんだろうな? 明久はともかく、書いた本人が傷つくとは考えなかったのか?」

「あ、えと、それは……その……っ!」

 

 姫路さんはなぜか慌てているが、まったく要領をえない。

 俺と吉井の頭上にはハテナマークが渦巻いている。さっぱりわからない。

 と、その時チャイムが鳴り響いた。時間的に、二時間目がちょうど終わったのか。

 

「さて、明久の手紙も処分出来たことだし、教室に戻るぞ。これ以上授業をサボって鉄人に叱られても面倒だしな」

「お前はそれでいいかもしれないが、俺は……」

「気にしなくていいぞ谷村。あの連中は明久を痛めつけたら気が晴れるだろうし、お前に飛び火しないように適当に言いくるめてやる。だから、屋上の扉を開けてくれ」

「……わかった」

 

 坂本が切れ者であることは先の試召戦争で分かっているし、坂本の目的は達成されているから、信用してもいいだろう。

 

「きゃっ!」

「うわっ!」

 

 俺が扉から離れると、扉に張り付いていた島田さんや横溝たちが流れ込んできた。

 

「アキー! 覚悟しなさい!」

『デス&デス!』

「うわあ! もう手紙は無いよ! だから殺さないで!」

『そんなの関係ない!』

「理不尽だ!」

 

 吉井はそう叫びながら暴徒たちから屋上を逃げ回っているが、なぜかその視線は手紙を処分した坂本や姫路さんではなく俺に向いていた。

 

「……?」

「おら、騒ぎは終わりだ」

「あ、ああ」

 

 吉井の事は妙に思いつつ、坂本に促されて俺は教室に戻った。

 

 それからしばらくして、教室にズタボロになった吉井と島田さんたちが戻ってきて、無事に三時間目が始まった。

 

 朝はどうなる事かと思ったが、何とか無事で逃げ切ることが出来た。昼休みの木下さんとの約束も果たせそうだ。

 

 

            ☆

 

 

 その後授業はつつがなく進んだ。

 

 四時間目終了のチャイムが鳴り、先生が授業の終わりを告げる。

 それは、待ちに待った昼休みの始まりであり、そして、

 

 

 

「谷村君は木下優子さんと昼休みに屋上で待ち合わせをしているっ!」

『『殺すっっ!!!!』』

「はああああああぁぁ!!????」

 

 

 

 二度目の鬼ごっこの始まりでもあった。

 なんで吉井は急に叫んだんだ!? しかも連中の叫びが『殺せ』から『殺す』に変わっている!

 悩む前に体を動かし屋上を目指す。しかし、

 

「行かせねえよ!」

 

 と、須川が上り階段の前に立ちふさがる。

 

「くそっ!」

 

 目的地が分かっている分、行動が早い!

 俺を捕まえようとしてくれればそれを躱して階段を駆け上る事が出来たのに、須川はそうしなかった。この一瞬は俺を捕まえることよりも俺を屋上に行かせないことを最重要目的にしたのだ。その判断力が恐ろしい。

 かと言って今更引き返したところで他の連中につかまるだけだ。仕方なく下り階段を選択する。

 

 どうするどうするどうする!

 階段を降りてしまったらもう無理だ! 待ち合わせ場所が屋上だとわかっているんだから、屋上に続く階段で待ち伏せする連中がいるはず。もはや屋上への到達は絶望的だ。

 

『二階に下ったぞ! B班は向こうの階段から降りて挟み撃ちにしろ!』

 

 須川のそんな指示が聞こえてくる。そんな指示を出されて二階に行けるほど余裕があるとも思えない。

 とりあえず今は屋上へ行くルートよりも、今この瞬間を逃げ切ることを考えよう。といっても方法は一つだ。一階まで駆け下りて、そこから逃げる道を見つけるしかない!

 

「待てー!」

 

 階段を数段飛ばしで駆け下りながら声を聞いてちらりと振り返ると、追手の先頭にいたのは吉井だった。

 

「おい! なんで俺を追いかけるんだ! ラブレターが焼かれたのは俺のせいじゃないだろ! 指示を出した坂本や破いた姫路さんに恨みをぶつけるのがスジってもんじゃないのか!? むしろ俺はお前に協力してたじゃないか!」

「ふん、そんな復讐心でキミを追ってると思ったら大間違いだ!」

「なに……?」

「ただ単純に、僕が不幸になってキミだけ幸せになるのが許せないんだよ! 谷村君も一緒に不幸になるんだ!」

「このクズが!」

 

 んな理由でつかまってたまるか!

 ひとまずどこかで身をひそめる場所を見つけないといけない。足の速さでは勝っているものの、体力は吉井の方が上だし連中は集団で動いている。やたらめったらに逃げていては囲まれるか持久戦になってアウトだ。

 どこか、物影があるか大勢の人で混雑している場所……。

 

「……そうだ」

 

 食堂だ!

 今は昼休みでランチを取る生徒達であふれかえっているし、ちょうどいま走っている先にある。

 

「そこまで、体力が持つか……いや、持たせるんだ!」

 

 一階に到着した俺は一目散に食堂へ舵を切る。このまま、どうにか……

 

『目標は一階に到達した模様!』

『挟み撃ちだな!』

 

 進行方向に位置する階段から、そんな声が聞こえてくる。挟み撃ちされたら終わりだ、一気に駆け抜ける!

 

『いたぞ! 殺す!』

 

 ――ヒュン  カッ

 

「うおおおおお!!!!??」

 

 なんだ!? なんか今飛んできたぞ! 怖い!

 ちらりと横目で左の壁を見てみると、そこにはシャーペンが突き刺さっていた。俺の召喚獣か!

 冷静に考えるとシャーペンが突き刺さるというのはおかしな気もするが、何とか捕まらずに走り抜けられた。とにかく、このまま食堂に逃げ込むんだ!

 

 

            ☆

 

 

 食堂は、予想通り大混雑だった。この文月学園では約半数の生徒が昼食を学食で取るらしく、その大きさも尋常ではない。これなら連中の目もごまかせるだろう。

 さて、そもそも連中が食堂にいなければいいが……。

 

『学食のカレーって具がないよな』

『そんなもんだろ。安いからな』

『どこだ!?』

『人が多すぎて探せねえ!』

『五時間目ってなんだっけ?』

『古典だったぞ』

『まず出入り口をつぶすんだ! ここで捕まえる!』

『どこにいようと袋の鼠だ!』

『……なんか騒がしくない?』

『気のせいじゃない?』

『見張りはしっかりやれよ!』

『ああ! 他のクラスの奴に紛れて逃げ出すかもしれないからな!』

 

 いる。確実にいる。

 昼食をとる生徒たちの声のほかに、俺を捕らえようとするFクラスの連中の声が聞こえてくる。

 くそ……俺の居場所自体はまだ気づかれてはいないみたいだが、気付かれるのも時間の問題だろう。俺が入ってきた廊下につながる出入り口はおろか、直接外に出られるドアも連中によって封鎖されている。さすがに無関係の生徒まで閉じ込めているわけではないが。

 食堂でなら他の生徒の迷惑になるため追ってこないことも祈ったが、あいつらにそんな思考は無いな。これだけの人がいても俺を見つければ容赦なくかかってくるはずだ。食堂に逃げ込んだのは失敗だったか?

 どうする……どうする……。

 

「……無理だな」

 

 色々と策を考えてみたが、ここから脱出の術はない。今日は諦めるしかない。

 そう思い、屋上には行けない旨を木下さんに伝えようと携帯を取り出して……、

 

「連絡先知らねえじゃねえか!!」

「いたぞ!」

 

 くそっ! 吉井に見つかった!

 瞬時に立ち上がり出入り口を目指すが、俺の視界に入ったのはスクラムを組むクラスメイト達。ダメだ!

 走る方向を切り替えて逃げるが、その先にはまたしても殺る気満々のクラスメイト。命惜しさに逃げ回り、そして、

 

「……しまった」

 

 食堂の角へと追い詰められた。壁に背を向け、にじり寄る連中に相対する。

 

『なにあれ……?』

『ほら、2-Fよ。あの問題児クラス』

 

 まだ新学年になって間もないというのにそんな評価が聞こえてくる。まあそんなことはどうでもいい。

 

「谷村君。観念するんだ」

 

 ついさっきまで友情を感じていた吉井が話しかけてくる。今? 純然たる敵だ。

 

「投降すれば悪いようにはしないよ」

「悪いようにはしないって……」

「せいぜい、串刺しバンジーをするだけだから」

「なんだその処刑! 串刺しにされた状態でバンジーするのかバンジーした結果串刺しになるのかどっちだ!?」

「どっちもだけど」

「何さらっと答えてんだよ!」

 

 超怖いこいつ!

 

「諦めてなんかたまるか!」

「なら仕方ない……この手でぶっ殺してやる!」

「ひぃ!」

 

 その言葉で、吉井達が襲い掛かってくる。くそっ! この人数じゃ勝ち目がない!

 

「やめろ! 俺の恩を忘れたのか吉井! お前の下駄箱にラブレターを入れたのは俺だぞ! 俺に感謝しろよ!」

 

 俺の気分一つで明久のラブレターはそもそも明久の手に渡らなかったのだ。その分のお礼として俺を見逃すくらいはしてもいいのではないか。

 そんな希望を抱いて叫びつつ多分無理だろうなと思い、頭を抱え目をつぶって襲い来るであろう激痛を待ち構えていると、

 

「…………ん?」

 

 いつまでたっても激痛(それ)はやってこない。

 恐る恐る目を開けてみる。

 

『…………』

 

 今にも襲い掛からんとしていた連中は、俺から距離を取り無言で俺を見つめていた。

 

「……え、どうしたんだ、お前達」

「どうした、っていうか……」

 

 工藤が歯切れが悪そうにそう答えた。

 

「……なんだよ」

 

 気づけば、あんなに騒がしかった食堂もシンと静まり返っている。

 

「どうして何も言わないんだ、吉井」

「えっ! あ、いや、その……」

 

 誰より吉井が一番俺から距離を取っている。なんだって言うんだ。

 

「……あ、思い直してくれたのか」

 

 

 吉井は、俺のしたことへの感謝の気持ちに気づいたのだろうか。だとすれば願ってもないことだが……だとすると他の連中まで動きを止めるのはどうしてだ。

 

「ねえ、聞きたいんだけど、あのラブレターって……」

「ああ、ちゃんと俺がお前の下駄箱に入れてやったぞ。それこそあれだ、木下さんと話した後だな」

「へ、へえ……」

 

 そう答える吉井は口の端が引くついている。

 ……何かがおかしい。何かとんでもないことが起きているような……。

 

『おい、聞いたか今の……』

『ああ、吉井のラブレターは谷村からだったんだな』

『しかも、あの木下さんと話した直後に出したってことは……本気なのか』

 

 

 

 ……………………………………………………あっ。

 

 

 

「谷村君! その気持ちは否定しないけど、僕はその気持ちに答えられないんだ! ごめんね!」

「谷村お前……いや、俺達はお前と吉井の恋を応援するぞ!」

「ちょ、ちょっと待て! お前達は勘違いをしている!」

 

 やばいやばいやばい! 誤解が広がっていく!

 

「あのラブレターは別に俺のじゃなくて――」

「てことは、木下さんと会うってことも嘘なのか?」

「結局吉井と谷村の色恋沙汰かよ、しょうもねえ」

「解散だ、解散!」

 

 聞く耳を持たないクラスメイト達は、そう言いながら武器をしまって食堂の出口へと向かいだした。

 自由になるのはありがたいが、この誤解は放置しちゃいけない気がする!

 

『あれ、そういえばあそこの人って、吉井君の事を『ダーリン』とか呼んでなかった?』

『言われてみれば……』

 

 は? 吉井のことをダーリンなんか呼ぶわけ………………あ! 試召戦争の対Dクラス戦の時のことか! タイミング悪くあの声を聞いていたDクラスの生徒たちが食堂にいたらしい。よくそんなこと覚えていたな!

 

「あれは吉井がそう呼べって言ったからだ!」

『じゃあ、やっぱり吉井君は坂本君とじゃなくて谷村君と……』

「ちょっと、谷村君! 僕を巻き込まないで!」

「巻き込むも何も、事実だろ!」

『あの人達って、そういう趣味の……』

『きゃあ! 期待の新星よ!』

 

 結局誤解は解けていない。くそ、もっとはっきりと強く否定しないとだめだ!

 

「勘違いするな! 俺は女が好きなんだ!」

『うわ……何急に叫んでるんだアイツ……』

『変態じゃない!』

「ち、ちがっ!」

『急に女好き宣言って……ある意味男だな……』

「誤解だああああああ!!!!」

 

 そういう意味じゃないのに!

 叫べば叫ぶだけ誤解が広がっていく。しかも、最も誤解を解きたいFクラスの連中はすでに食堂からいなくなっており、いるのは慌てふためく吉井だけだ。

 

「なんだこの騒ぎは……またお前達か!」

 

 そんな中、廊下から聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。

 

「谷村に吉井! 今度こそきっちり教育的指導してやる!」

「くそ、誤解が何一つ解けてないのに!」

「なんで僕まで! さっき僕も逃げておけばよかった!」

 

 そして、俺達は見張りのいなくなったドアから外へと飛び出す。

 こうして、本日三度目の鬼ごっこが始まった。

 

 

            ☆

 

 

 

「もう、遅いじゃない。何分待ったと思って……どうしたのよ、そんなに息を切らして」

「いや、な、なんでも、ない、です……ま、待たせて、すみま、せん……」

 

 それから10分後。

 鉄人から逃げながらとは言え、邪魔するもののいなくなった屋上にたどり着くのは、難しい事ではなかった。

 

「何でもないようには見えないけど……」

「ハハハ……」

「まあ、何でもないならいいけど……いつ喫茶店に行きましょうか」

「俺としてはいつでもいいんですけど……今度の日曜日はどうですか?」

「今度の日曜日……うん、大丈夫よ」

「じゃあ、決まりですね」

「ええ。そうね……10時に、駅前のロータリーで待ち合わせましょう」

「はい、わかりました」

 

 こうして、木下さんと予定のすり合わせを行った。

 これで目的は達されたわけだが、加えてもう一つ。

 

「木下さん、連絡先を交換しませんか? 当日必要になるかもしれませんし」

「それもそうね。いいわよ」

 

 そう言って木下さんはポケットから携帯を取り出す。

 表面上は冷静を装って俺も携帯を取り出すが、内心では、

 

(よっしゃー!)

 

 とガッツポーズしていた。

 

 これで、いつでも木下さんに連絡が取れるぞ!

 ……まあ、その口実を見つけなければならないんだが、とりあえずは第一関門突破って感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は早起きしてよかった、と俺は思う。

 

 単純に健康にいいだろうという事は間違いないだろうし、早起きの利点はそれだけじゃない。

 早起きするという事は、様々な出来事をもたらしてくれる。

 

 朝早くに学校に来たことで木下さんと話すことができたし、ラブレターを代わりに本人の下駄箱に入れるという人助けもできた(そのラブレターは焼かれてしまったわけだけど)。最終的に、木下さんと喫茶店に行く期日を決めるという目標を果たせて、しかも木下さんの連絡先までゲットできたのだ。

 やはり今日は素晴らしい日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、散々命の危険を感じながら逃げ回ったりしたことや、後日『谷村誠二は性別を問わず手当たり次第に手を出す変態である』『そして谷村誠二の大本命は吉井明久である』という悪夢のような噂が流れたりしたことは、その幸せの代償として受け入れるべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「……やっぱり納得いかねえー!!!!」

 

 

 

 

 

 




ラブレター騒動終結。
次はデート編の予定ですが、特に思いつかなかったらそのまま清涼祭編を始めます。


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モブと休日とおそらくデート(前編)

 雲一つない、とまではいかないものの、十分に晴れ渡った日曜日の朝。

 俺は、自分の部屋で鏡とにらめっこしていた。

 

「こっちの服の方が……いや、派手すぎるか?」

 

 ああでもないこうでもないと、服をとっかえひっかえしながら体の前に当てる。元々ファッションには疎い方なので服の種類があるわけではない。けれど、今日はその中でも一番かっこいい服を着たいのだ。そのかっこいいがイマイチわからないのが難点だが……。

 普段服装なんか気にしない俺が、どうしてこれほど悩んでるかと言えば、今日は――

 

「ねえ誠二。昨日借りたマンガの続きってあるー?」

「うわあ!」

 

 突然部屋のドアが開き、姉貴が入ってきた。

 

「……アンタ、何してんの?」

「こっちの台詞だ! せめてノックぐらいしろよ!」

「あーはいはい、ごめんごめん。で? そんな服を巻き散らかして何やってんの?」

 

 姉貴の言う通り、俺の周りには服が散乱している。片付けるのは服が決まってからだ。

 

「別に、何でもないよ。今日は何着ようかなって思っただけ」

「ふうん……」

 

 姉貴はいぶかしげに俺の顔を見たあと、床に散らばった服を見渡した。

 

「あ、そうか。もしかしてデート?」

 

 なんでばれた。

 

「あはは! その反応当たりね!」

「ちっ、違う! 今日のはデートじゃなくてただのお礼で、(いやでも俺はまあデートだと思ってるけど)……」

「やっぱりデートじゃない」

 

 最後の方は自分でもびっくりするほど小声だったのに、姉貴にバッチリ聞かれていた。

 

「……なんでわかったんだよ?」

「アンタ、服なんていっつもテキトーな組み合わせじゃない。それをわざわざ気にしてるんだから、デートって考えるのが普通でしょ」

「ああ、そう……」

 

 完全に見抜かれていた。

 

「まあいいわ、せいぜい頑張ってきなさい。アンタなんかとデートしてくれる女の子なんて貴重なんだから手放すんじゃないわよ」

「いやいや、何言ってんの。これでも俺モテるんだからね?」

「そういうことは一人でも家に女の子を連れてきてから言いなさい」

「…………」

 

 姉貴に口答えしても、いつもこうやって言いくるめられている気がする。

 

「そうそう。服だけど、そこにかかってる紺のジャケットが良いと思うわ。あんまり背伸びしすぎるとダサいけど、デートだったら多少かっこつけてもバチは当たらないし」

「え?」

「中に着るシャツは明るい色ね。暗いと印象悪いし」

 

 そう言いながら、姉貴は本棚からマンガを数冊取り出した。そして、

 

「じゃあ、結果報告楽しみにしてるから」

「あ、ああ……ありがとう、姉貴」

 

 そのまま姉貴はドアを開けっぱなしにして部屋を出ていった。いや、アドバイスはいいけど閉めていってほしい。

 ひとまず、言われたとおりに服を着て、鏡の前に立ってみる。

 うん、いい感じ。

 

「……あ、そろそろ出かけるか」

 

 時計を確認すると、服選びだけで相当時間が経っていた。約束の時間まではまだだいぶ余裕があるが、万が一にも相手を待たせたら申し訳ない。

 散らかした服を片付けて、財布の中身をしっかり確認しておく。

 そして、机の引き出しの中に入れてあった、包装しなおした箱をかばんに入れて俺は家を出た。

 

 

 今日は、待ちに待った木下さんとのデート――じゃなくて、木下さんと一緒に喫茶店に行く日である。

 

 

            ☆

 

 

 待ち合わせ場所の駅前に着いたとき、時刻は約束より1時間も早い9時だった。周りを見渡しても木下さんはまだ来ていなかったし、さすがに早すぎた。

 

「どうすっかな。あそこのコンビニで立ち読みでも……ん?」

 

 今更ながら思ったが、木下さんは大体時間通りに来るだろう。時間のつぶし方を考えながら視線を動かすと、視界の端に何やら見覚えのある顔が見えた。

 あのバカっぽい顔は……吉井だ!

 まずいな。下手に見つかってこの前みたいに追いかけまわされたら、今日のお出かけが台無しになる。そう思って、見つからないようにそっと路地の隙間に移動した。

 

『おはよう、アキ!』

 

 すると、聞こえてきたのはこれまた知り合いの島田さんの声だった。

 こっそり顔だけ出して覗いてみる。

 

『おはよう、美波』

『あれ? 瑞希は?』

『んーと……まだ来てないみたい』

 

 吉井と島田さんが話している。内容から察するに、姫路さんも含めた三人で待ち合わせをしていたようだ。

 

『でも姫路さんは寝坊するような人じゃないし、もうすぐ……あ。おーい、姫路さーん!』

 

 吉井が姫路さんを見つけたようで、大きく手を振っている。向こうから小走りで姫路さんが二人のもとにやってきた。

 

『す、すみません……遅れちゃいました』

『いいのよ。ウチも今来たところだし』

『うん。大丈夫だよ、姫路さん』

『あら? 瑞希、そのワンピース、新しいやつ?』

『あ、気付きました? そうなんです。少し前にお小遣いを奮発したんですよ?』

『へえー。てことは、最近は姫路さんも塩水生活なんだね』

『いえ……別にそんなことはありませんけど……』

『あれ? あ、そうか。姫路さんは一人暮らしじゃないもんね』

『アキ、一人暮らしでも塩水生活はそういないと思うわよ』

 

 姫路さん()ってことは、吉井は塩水生活なのか……。

 

『……その、吉井君』

『ん? 姫路さんどうしたの?』

『私のこのワンピース、どう思いますか?』

『どう思う、か…………そうだね。とても姫路さんらしくてかわいらしいと思うし、美波とは違って全体的に柔らかい印象があって足の関節が砕けるように痛いッッ!!!!』

 

 すごい。流れるように島田さんが吉井にサソリ固めを決めたぞ。芸術点をあげたいくらいだ。

 

『アキ! 今どこを見ながらウチと比較したか答えなさい!』

『嫌だ! 美波は姫路さんに比べて胸まわりのふわふわさが足りないだなんて言ったら足の骨が折れるうううう!!!』

『今バッチリ言ったわね!』

『そんな、かわいいだなんて、吉井君たら……ふふっ』

 

 吉井へのサソリ固めをさらに強くする島田さんの横で頬を染める姫路さん。なんだこの光景、とも思ったが、よくよく思い返せばこれがFクラスの日常だった気がする。

 その後、しばらく同じようなやり取りが続いた後、三人はどこかへと消えていった。いつの間にか集まっていた野次馬たちももう解散している。

 

「吉井は朝からバカなことやってるなあ……」

 

 まあ、ともかくあの調子なら吉井は敵にはならないだろう。もし俺が見つかっても、互いに黙秘するのが双方のためだ。

 

 

            ☆

 

 

 そんなこんなで、約束の時間のちょうど五分前。

 携帯をぽちぽちいじっていた俺の耳に、明るい声が届く。

 

「おはよう、谷村君」

「おはようございます、木下さん」

 

 慌てて携帯をしまって挨拶を返しながら顔を上げる。視界に入ったのは、軽く手を振りながらこちらに歩いてくる木下さんだった。

 今日は休日だから、当然木下さんも私服だ。膝までかかる紺色チェックのスカートに、白いブラウスと薄いピンクのカーディガンを合わせている。ファッションの系統は知らないけれど、優等生らしい清楚さを感じる。

 

「いい天気ねー。晴れてよかったわ」

 

 思えば、木下さんの私服姿を見るのは今日が初めてだ。木下さんと会うのはいつも学校だったから。制服姿の木下さんもいいけど、私服姿も魅力的だ。

 

「……谷村君?」

 

 この姿を拝めただけでも今日この場に来れた価値がある。欲を言えば写真に収めておきたいところだが、それはさすがに失礼か。

 それにしてもかわいい……。

 

「谷村君!」

「はっ! はい!」

 

 いかん。トリップしていたようだ。

 

「大丈夫? ぼうっとしていたみたいだけど」

「大丈夫です、はい!」

「……? ならいいけど……」

 

 木下さんの私服姿が可愛すぎて見とれてました、なんてこっぱずかしいことはさすがに言えん。

 

「遅れないように来たつもりだけど、待たせちゃったかしら」

「いや、そんなことないですよ。俺も今来たばかりなんで」

「そう? ならよかったわ」

 

 おお。まさかこんなに早く『デートで言いたい台詞ランキング』上位のやりとりができるとは。良い滑り出しだ。

 

「さて、じゃあどうしましょうか。今から喫茶店に行くにはちょっと早いし……」

「あ、だったら、映画でも行きませんか? 向こうに最近できた映画館ありましたよね?」

 

 デートで映画というのはそれなりに定番だ(と思う)。木下さんの趣味に合わせた映画を見れたら、その後喫茶店で感想を言い合ったりして盛り上がれるはずだ。

 

「映画ね……いいかもしれないわね。よし、そうしましょう」

 

 そして、俺達は映画館へと向かった。

 

 

            ☆

 

 

「なんか色々やってるんですね」

「そうね」

 

 映画館の入り口で、様々なポスターを眺めている俺達。

 改めてこうして見てみると、思っていたよりも映画というのは種類が豊富だ。最近話題のアニメ映画から、人気漫画の実写化や名作洋画の再上映(リバイバル)もやっている。

 

「木下さん、何見たいですか?」

「ん~……特別見たいのがあるわけじゃないわね」

 

 ふうむ。じゃあ俺がうまく木下さんの好みを当てられるかってことだな。何を見ようか……。

 ラブロマンス映画は……ちょっとまだ気が早いというか、微妙な空気になってしまうような気がする。

 ホラー映画は……怖がった木下さんが抱き着いてきてくれるかも、という下心はある。けれど、ホラーは俺が苦手なので却下だ。俺が木下さんに抱き着きそうな気もする。ドン引かれそうだ。

 SFは……俺がよくわからないけど、案外木下さんの好みのような気もしないでもない。でも、感想を言いあうときに

 

「よくわからないので寝てました」

 

 なんて言えるわけないしなあ。

 ポスターを一枚ずつ順に見て行って確認していくと、ある一枚のポスターで目が止まった。

 

「これ……」

 

 さっきも一瞬触れたアニメ映画だ。小学生達のひと夏の冒険を描いたアクション映画なのだが、たかがアニメと侮るなかれ。引き込まれるストーリーと随所に挟まれるコメディ、圧巻の作画で今話題になっているのだ。前にニュースか何かで見たが、ターゲット層も子供たちではなく中高生や若者がメインなのだという。

 

「木下さん、これ見たことありますか?」

「いや、無いわね。タイトルは聞いたことあるけど。これにする?」

「そうしましょう」

 

 見る映画が決まったところで、チケットやジュース、ポップコーンを買って、上映室へと向かう。

 

「それにしても悪いわね。チケット代を出してもらっちゃって。元々私が喫茶店に誘ったのに」

「いや、映画に行こうと言い出したのは俺の方でしたので」

 

 本当はジュースやポップコーンも俺がお金を出そうとしたけど、それはさすがにと断られた。ううん、そりゃあお金に余裕があるわけじゃないけど、もう少し見栄を張らせてほしい。

 

「っと、8番だからここか」

 

 目的の8番シアターを見つけて、中に入っていく。人気映画なので席はだいぶ埋まっていたが、うまい事良い位置に並んで席を取ることが出来た。

 ちらりと腕時計を見ると、上映時間まではまだ少しある。

 

「すいません、木下さん。トイレに行ってくるので荷物を見ててもらえますか?」

「いいわよ。行ってらっしゃい」

 

 上映室をでて看板を目印にトイレへ向かう。映画を見てる途中で行きたくなったら集中できないからな。行けるうちに行っておいた方が……。

 

『マンガなんか実写化したって面白くならないだろ』

「っ……!」

 

 耳なじみのある声がトイレの中から聞こえてきた。

 

『それは監督しだいだ、須川。この監督は結構腕があるから大丈夫だろ。ていうか、だったらなんでお前見に来たんだ』

『そりゃあ、あの女優のサービスシーンがあるからに決まってんだろ、工藤! 俺の目的はそれだけだ!』

『そんな大声で言い切る事かよ……』

 

 なんでお前達がここにいるんだ!

 声が近づいてくる。まずい、見つかると面倒だ。とっさに近くの上映室に身を隠す。

 

『ま、それに加えて話が面白ければ上々って感じだな』

『監督と俳優陣とその他制作陣に謝れ』

『そういや主演って誰だっけ』

『確認くらいしておけよ……』

 

 トイレから出てきた二人は、そんなくだらない会話をしながら廊下を歩いて行った。あぶねえ……。

 話の内容から察するに、俺達が見る映画とは違う映画らしいのが不幸中の幸いだが、それでも見つかるリスクはある。くそ……台無しにされてたまるか。

 

「……もう大丈夫かな」

 

 まあ、それは映画が終わってから考えよう。8番シアターの中にいる間は映画に集中しないとな。

 とりあえず、さっさとトイレに行こう。

 

 

            ☆

 

 

 上映室に戻ると、ちょうど上映時間になるところだった。

 音を立てないように木下さんの隣の席に着くと同時に、上映が始まる。といっても、最初の方は他の映画の予告ばっかりだろうけど。

 

『――あなたは、逃げられない。』

『嫌だ、いやだ、いやだああああ!』

 

 一つ目の予告はホラー映画かな? 怖いから嫌いなんだよなあ……。

 

『――どれだけ逃げようとも、その恐怖は誰にも等しくやってくる』

『許して、許してええええ!!』

『きゃああああ!!』

『――諸君、休暇は終わりだ』

 

 ん?

 

『――抗う術は、たった一つ……祝日を願うことのみ』

 

 なんだ、雲行きが怪しくなってきたぞ。

 

『俺は、お前からは逃げ出さない! 全力で立ち向かってやる!』

『――『MONDAY』 来週公開』

 

 ただの月曜日じゃねえか! 要は休みが終わるのが嫌だって話だろこれ!

 

『――彼と出会ったのは、中学校のころだった』

 

 『MONDAY』の予告に脱力していると、すぐさま次の予告が始まった。

 

『あの不良……』

『クソ女が!』

『――はじめは互いにいがみ合っていた……けれど、自然といつしか魅かれていった』

 

 ああ、恋愛映画か。これも映画の定番の一つだ。ハートフルラブストーリー、とかいう奴だろうか。

 

『ペッキーゲームをしましょう!』

『ペッキーゲーム? 一本のペッキーを二人で食べるやつか?』

『違うわ。私があなたの腕を折るのよ。浮気したでしょ?』

『……もしや『ペッキー』は骨が折れる音かっ!?』

 

 ………………。

 

『た、助けっ!』

『浮気は許さない』

『悪かった! 俺が悪かったからそのスタンガンを下げろっ!』

『ダメ』

『ひぃぃぃ!!』

『――『Hurt Full Rough Story』 絶賛公開中』

 

 ……ハート(怪我)フル(一杯の)ラフ(荒い)ストーリー(物語)だった。

 絶賛されてるのかこれ……。

 

『この夏、あなたは衝撃的事件の目撃者となる!』

 

 呆れる俺をよそに、まだまだ予告は続く。

 

『国家を揺るがす大事件……それは一つの殺人事件から始まった』

『すぐに一人の男が捜査線上に浮かびあがった……しかし、彼は最初の事件の直後に死んでいた!』

 

 渋い声のナレーション。

 サスペンス……と言うよりはミステリか。こう見えて、ミステリはあまり嫌いではない。推理ができるわけじゃないが、ドラマとかの犯人をあてずっぽうで当てるのもなかなか楽しいもんだ。小説は頭が痛くなるから読まないが。

 

『その後も、浮かび上がる容疑者は次々と不審死を遂げる』

『複雑に絡み合う陰謀と野望……そして、やがてすべての国民は恐怖に染まることになる』

『私立探偵である明智川大五郎は、真犯人を突き止め、日本を守ることができるのか!?』

 

 ……ほう。これはさっきの二つに比べてケチをつけられるところがない。純粋に面白そうだ。

 

『今年度観客動員数第一位!』

『この映画がすごいランキング第一位!』

『主題歌ランキング第一位!』

『今年度映画監督が選ぶ名作ランキング第一位!』

 

 おお、第一位をいくつも取ってるじゃないか。これは今度個人的に見に来てもいいかもしれない。

 

『叙述トリック映画ランキング第一位!』

『主人公が真犯人の映画ランキング第一位!』

『――『殺人の代償』 絶賛放映中!』

 

 ……………………今最後にとんでもないネタバレされなかった?

 

『雪山の洋館に集められた8人……』

 

 また違う映画の予告が始まった。……さっきから変な予告ばっかりだぞ。大丈夫か……。

 

『しんしんと降り積もる雪の中、彼らは救助を待つが、そこで悲劇が起きてしまう』

 

 雪山、ねえ……。これもミステリか?

 

『ジャック、ジョン、ジャン、ジロー、ジョー、ジュン、ジュウゾウ、ジャッキーの8人は、互いに互いを疑い始める』

 

 なんでそんなに似通った名前なんだ! 8人もいるんだからもっと名前で区別できるようにしろよ!

 挙句にジャンジュンジョンが3人揃ってるじゃないか!

 

『何の共通点もない彼らは洋館からの脱出を試みる』

 

 あるだろ! 名前にこれでもかってくらいわかりやすい共通点があるだろ!

 

『そんな中起きてしまった殺人事件』

 

 やっぱり、ミステリか。まあ雪山の洋館だからそうだろうけど。

 

『その事件を解くためのヒントは、現場に残されたダイイングメッセージ――『J』という血文字だけ』

 

 なんでそれを残した。全員当てはまるじゃないか。

 

『果たして事件の真相は? 彼らを集めた意図とは?』

『――『実は全部ドッキリ』 絶賛放映中』

 

(「タイトルで答え言ってるじゃねえか!」)

 

 しまった。あまりの衝撃で声が出てしまった。

 

「谷村君、映画館で喋るのはマナー違反よ。予告だからまだいいけど……」

「あ、ごめんなさい」

 

 いや、これ小声に抑えた俺すごいとおもうぞ……。まあ、声を出した俺が悪いのは事実なので素直に黙っておく。

 どうやら予告はさっきのでラストだったらしく、本編前の制作会社のロゴが出た。

 それにしても、予告が全部おかしなものだったぞ……これ、本編もツッコミどころばかりだったらちょっと嫌だなあ……。俺が木下さんに提案したわけだし、せめてちょっとは面白い映画であってくれよ……。

 

 そんな思いを抱いた俺をよそに、映画が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画が終了し、上映室の照明がつく。

 ぞろぞろと他のお客さんが席を立って上映室を出ていく中、俺達はというと。

 

「うっ……うう……良太ぁ……なんて健気な奴なんだ……」

「良太……頑張ったわね……!」

 

 ボロ泣きしていた。

 

 

            ☆

 

 

 一通り泣いて落ち着いた俺達は、スタッフに催促されて上映室を出た。

 

「まさかあの純一があそこで自分を犠牲にするなんて……」

「熱い展開だったわ……」

 

 選んだ映画がまさかの大当たりで、俺達二人の心にクリーンヒットした。主人公の良太が、自分の身を顧みず仲間を助けに行くシーンで完全に涙腺が崩壊してしまった。

 映画前の予告は何だったんだ、一体。

 

「はー……面白かった。見てよかったわ」

「そうですね……俺もです」

 

 木下さんも満足げにそう呟いている。良かった良かった。

 

「……あ、谷村君。ちょっとお化粧を直してくるから、先に行っててもらえる?」

「わかりました。じゃあ入り口のところで」

 

 木下さんは、そう言い残すとトイレへと向かっていった。男子と違って、女の子は泣いたりするとメイクが崩れるから大変なんだな。木下さんのメイクは薄い方だと思うけど。

 ジュースやポップコーンのごみを捨てて映画館の入口へと向かった。映画館に来るのは久しぶりだったけど、思っていたより映画っていいもんだ。

 そんなことを考えながらポスターを眺めていると、

 

「谷村じゃねえか。何してんだ、こんなところで」

 

 という悪友の声が聞こえた。

 バッと声のした方を向けば、須川と工藤がならんでこちらに歩いてきていた。そうだ、忘れていた。こいつらも映画館に来てたんだった……!

 どうにかごまかしきるしかないな。万が一にも木下さんと一緒に来ているなんてことがばれてはいけない。そうなったら俺の休日が強制終了だ。

 

「べ、別に。ちょっと映画を見に来たんだよ。映画館に来る用事なんかそれしかねえだろ?」

「そりゃそうだけどよ。一人でか?」

 

 一人で映画に来る人もいるだろうが、俺がそんな人間とは須川達は思わないだろう。

 

「いや、家族と一緒だ。たまにはそういうのもいいだろうって父さんが誘ってくれたんだ」

「この歳になって家族と?」

 

 工藤がいぶかしげに聞いてくる。しまった。ごまかし方を間違えたか。

 とはいえ、もう後戻りはできない。

 

「そうなんだよ! 父さんがどうしても家族で見たい映画があるって意地張っちゃってさ! 強引につき合わされちゃって!」

「どうしても家族で見たい映画?」

「そう! これだよ、これ!」

 

 須川の台詞に食い気味で返事をしながら、傍にあったポスターを指差す。勢いで押し切ればなんとかなるだろう!

 すると、二人はぽかんとした顔になった。

 

「……これを? 家族で?」

「え?」

 

 慌てて自分が指さしたポスターを確認すると、

 

 

 

『Hurt Full Rough Story』←黒髪の少女から逃げ惑う少年の写真

 

 

 

 やっちまった。

 

「………………そう! そうなんだよ! いやあ、うちの父さんってマゾだから」

「お前の父親の性癖なんか知るか! 大体、家族を誘う必要がないだろ!?」

「ていうか、マゾとかいうレベルじゃないだろこれ!」

 

 うん、俺もそう思う。

 

「お前、何か隠してないか?」

 

 さすがに怪しいと思ったのか、須川がそう聞いてきた。

 どう返そうかと悩んでいると、二人の向こうに木下さんの姿が見えた。まずい、このまま合流すると確実に二人にばれる。

 かくなる上は……!

 

「あっ! エロい巨乳のねーちゃんがあそこのデパートに入っていったぞ!」

「「なにぃッ!?」」

 

 俺がそう叫ぶが早いか否か、二人は俺の指さしたデパートへと駆けこんでいった。どんな瞬発能力してるんだ。

 とにかく、ひとまず窮地は脱した! 今のうちにここから離れよう!

 と、思ったのに。

 

「……谷村君。急に何叫んでるのかしら?」

 

 ご立腹の木下さんに話しかけられた。

 

「いや別に何も……」

「…………」

 

 木下さんは、ジト目で俺を見つめている。

 

「………………もしかして、聞こえてました?」

「ええ、バッチリとね」

「……えーと……」

 

 どう弁明しようかと思ったが、考えてる時間がもったいない。

 

「事情は後で説明するんで! 今は一刻も早くここを離れましょう!」

 

 俺はそう叫んで、木下さんの手をにぎ――ろうとしたが、さすがに恥ずかしくなってためらった。

 

「こっちです、こっち!」

 

 走って木下さんを呼んで誘導する。

 

「ちょっと、谷村君!」

 

 我ながらなかなか無理のある行動だと思ったが、木下さんはひとまずといった様子でついてきてくれた。

 とはいっても油断はできないので、このまま向こうの通りまで行ってしまおう。

 

 

 

 

 

『おい、谷村! 巨乳のねーちゃんなんかいないじゃねえか!』

『本当にデパートに入ってったんだろうな! ……ってあれ?』

『谷村のやつ、どこ行きやがった?』

 

 

            ☆

 

 

「……はあ……はあ……」

「ごめんなさい、木下さん、ちょっと、事情があったので……」

 

 須川達の入っていったデパートから一本離れた通りで、息を整える。

 

「事情……って、なんなのよ……」

「えっと……言いづらいんですけど……」

 

 巻き込んでおいて黙っておくことはできないよな。

 

「さっき、俺のクラスメイトがいたんですよ。で、そいつらに見つかりたくなかったんで……」

「見つかりたくなかったって、どうして? クラスメイトと会うくらい何でもないじゃない」

 

 きっと、木下さんのクラスメイト(  Aクラスの生徒  )ならそうなんだろう。少し世間話をするくらいだ。けど、俺のクラスメイト(  Fクラスの生徒  )は違う。

 

「いや、俺が五体満足でいられるかどうかの瀬戸際なんです」

「??????」

 

 疑問符を頭上に浮かべる木下さん。この事情はFクラスの人間にしかわからないだろう。

 

「それに……せっかくだし、邪魔されたくないんです」

 

 これはさすがに説明不足だと思って、そんな言葉を付け足す。

 

「…………」

 

 それを聞いた木下さんは、

 

「ま、いいわ。よくわからないけど意地悪でやったわけじゃないみたいだし。アタシも邪魔されたくはないから」

 

 と、口にした。

 

「邪魔されたくないって……」

「だって、まだ『喫茶店でお礼をする』っていう目的が達成されてないじゃない」

「あ、そういうことですか」

 

 俺と過ごすのを楽しんでくれてるのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ……。まあいい。もとより俺は木下さんのタイプ(十二歳以下の美少年)じゃないわけだし、嫌われてるわけでなければそれでいい。

 

「じゃあ、そろそろ時間も時間だし喫茶店に行く?」

 

 言われて腕時計を見ると、確かにとっくに13時を過ぎている。映画が思ったより長かったからだが、今なら喫茶店も混むような時間帯でもないからちょうどいいかもしれない。

 

「そうですね」

 

 そう相槌を打った俺は、木下さんに連れられて喫茶店へと向かった。




というわけでデート編です。
とはいっても、明言されていないので谷村君の方もデートじゃないと思ってます。


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モブと休日とおそらくデート(後編)

「あそこよ」

「ああ、ここですか」

「来たことあるの?」

「いや、来たことは無いんですけど、名前だけは」

「まあ、駅前だし、見かけることくらいあるわよね」

 

 木下さんが指さした喫茶店は、地元でも人気が高いらしい『ラ・ペディス』だった。それが何語かはよくわからないが、雑誌やらで特集を組まれているのを何度か見たことがある。雰囲気や料理のおいしさなども高評価だったはずだ。唯一、店長の性格に対してだけケチがつけられていたのは気にすることではないだろう。

 

「木下さんは?」

「何度か来たことあるわね。代表や愛子と一緒にね」

 

 代表ってのは、Aクラス代表――つまり、学年主席の霧島さんの事だろう。今の口ぶりからして工藤の姉貴とも仲がいいようだし、優等生同士引き寄せあうのだろうか。いや、同じAクラスなんだから引き寄せあうも何もないか。

 とにかく中に入ろうと『ラ・ペディス』に近づくと、

 

 バン!

 

 という音とともにそのドアが開いたかと思うと、中から見覚えのあるバカが飛び出してきた。

 

「僕の貴重なカロリーを奪われてたまるか!」

 

 白い皿をもっている吉井は、そんな台詞を吐き捨てる。皿の上には二切れのクレープ。

 なんでそんなものを、と思う間もなく、

 

「お姉さまの食べかけを豚野郎なんかに渡しません!」

 

 という暴言とともにフォークを数本構えた女の子が飛び出してきた。全速力で喫茶店を後にする二人に少し遅れて、島田さんと姫路さんも喫茶店から出てきた。

 

「待ちなさい! アキ! 美春!」

「待ってください!」

 

 そして、先に出た二人を追いかけていく。

 

「「…………」」

 

 呆然とする俺と木下さん。

 さっきのフォークの女の子、どこかで見たことがあるような……あ、そうだ。島田さんの近くでたまに見かけてたんだ。

 いつもどこからか現れる彼女は、島田さんを「お姉さま」と呼んで慕っているDクラスの人だったはずだ。いや、『慕っている』という言葉で表すにはすこし想いが強すぎる気もするが……。

 今のひと悶着を見るに、きっと、島田さんと吉井が一緒にいるのに嫉妬したのだろう。いつものFクラスの光景と考えたら特に気にすることでもない。

 

「……今の、吉井君だったわよね? 観察処分者の」

「ええ、そうですけど」

 

 眉間にしわを寄せる木下さん。

 

「観察処分者って知ってたんですか? 顔を覚えてるのは、試召戦争の時に見たからだと思いますけど」

「知ってるも何も、学園中の噂じゃない。また観察処分者がバカやってるぞ、って」

 

 なるほど。確かにそれはそうだ。

 

「それに、この前はFクラス総出で授業中に鬼ごっこしてたらしいじゃない。ホントにバカなクラスよね……あ、ごめんなさい」

 

 呆れた顔でそう言葉を紡いだ木下さんは、途中で俺の事に気づいて申し訳なさそうな顔になった。

 木下さんの言ってるのは、この前のラブレター騒動の事だろう。あの後、結局鉄人に殴られたんだよなあ……。

 まあ、それはともかく、そんな顔をしないでほしい。

 

「ああ、いや、大丈夫ですよ。…………ホントにバカなクラスなんで」

 

 別に成績の話だけじゃない。Fクラスの皆がやってることがまともなクラスとは違う事くらいわかる。

 俺? いやいや、俺をあんな、授業中に走り回るようなバカ達と一緒にしないでほしい。俺は、その……そう、ちょっとユニークなだけだ。

 

「……そう? でも、ごめんなさい。じゃあ、中に入りましょうか」

「そうですね」

 

 『ラ・ペディス』の中は、想像していたよりも広かった。喫茶店のはずだが、ファミレスくらいの大きさがある。

 時間帯のおかげか、店内はあまり混んでいない。営業スマイルを絶やさないウェイトレスに促されて席に着く。

 

「結構いい雰囲気ですね」

「でしょ? 落ち着けるから気に入ってるのよね」

 

 照明もギラギラすることなく、店内にかかるBGMも何かのクラシックのようだ。普段騒々しい教室で過ごしているから、余計に新鮮だ。

 

「とりあえず、注文しましょうか」

 

 木下さんが傍にあったメニューを取る。

 

「お昼食べてないし、クレープだけじゃなくてちゃんとしたものも頼んでもいいわよ。今日はアタシのおごりだから」

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 

 そもそも、この喫茶店にきたのは、この前の諍いのお詫びを木下さんがしたいという事だ。だから、この喫茶店の食事は木下さんのおごりという事になる。俺としては悪いのは俺の方だと思うのだが、召喚獣バトルで勝ったのは木下さんだ。だから、木下さんに従うことにしよう。

 どんな料理があるかなとメニューをめくってみると、なるほど確かに軽食だけでなくボリュームのある料理も載っている。このメニューの豊富さも人気の理由の一つなのかもしれない。

 

「じゃあ、このペペロンチーノで」

「アタシは……カルボナーラにしようかしら。デザートはどうする? クレープをお勧めするけど」

「なら、クレープで……あ、このリンゴのやつにします」

「わかったわ。店員さーん」

 

 俺の注文を聞いた木下さんが店員さんを呼ぶ。すると、やってきたのは、

 

「……はい」

 

 さっきのウェイトレスではなく、やけに元気のない男性だった。接客できるような精神状態じゃなさそうだと思っていると、胸の部分についている名札が目に入った。

 ……『店長』?

 

「ええと、このペペロンチーノを一つと……あの、聞いてますか?」

「……君たちは文月学園の生徒かい?」

 

 木下さんの質問に、店長らしき男性はてんで関係ない質問で返した。

 一応俺が返事をする。

 

「ええ、まあそうですけど……」

「……なら、ボクの娘をたぶらかすクソ野郎の事も知っているかな!?」

「はい?」

 

 なんだ、ますますわけのわからない質問が返ってきたぞ。

 思考が止まる俺と木下さんを気にすることなく、店長はさらに口を開く。

 

「このところ娘はおかしいんだ! 君たちも見たんじゃないのか、さっきの娘の痴態を! そう、あれはまさに悪魔にたぶらかされたことによる弊害なんだろ! そうだ、そうじゃなかったら娘がボクに向かって『お父さんなんか大っ嫌い!』なんて言うわけないんだ! だから早くそのクソ野郎の情報を――」

 

 ――ガン

 

 さっぱり意味を理解できない文章を羅列する店長の後頭部に、先ほどの営業スマイルのウェイトレスからお盆の一撃が加えられる。その一撃で気を失った店長はその場に崩れ落ちた。

 

「黒崎、これ奥に捨てといて」

「はーい」

 

 『黒崎』という名札をつけたウェイターはこちらに近づくと、店長の亡骸を持って店の奥へと向かっていった。

 それを見届けることもなく、ウェイトレスは俺達の方に向き直り、

 

「申し訳ありませんお客様。少々頭の回線がズレておりますうちの店長が、ご迷惑をおかけしました。私が注文を承ります」

 

 と、やはり営業スマイルで告げた。

 

「は、はい……ええと、このペペロンチーノを一つと――」

 

 少し引き気味の木下さんが注文をすると、

 

「では、クレープはお食事の後にお持ちいたしますので、その際はもう一度お呼び付けください」

 

 ウェイトレスはそう言い残し店の奥へと消えていった。

 

「……」

「……なんか、個性的な店長でしたね」

「そうね……初めて見たわ、あんな人……」

 

 この喫茶店に何度か来ているという木下さんも初めて見たとなると、あの店長はなかなかのレア度のようだ。

 なるほど、これが『ラ・ペディス』唯一の欠点か。

 

 

            ☆

 

 

 しばらくして、料理が運ばれてきた。

 ペペロンチーノもカルボナーラも見た目からして非常に食欲を誘う。

 いただきますをして一口食べると、絶妙な辛みと芳醇な香りが俺の味覚と嗅覚を刺激した。

 

「美味しいですね、これ」

「でしょ? 値段も手ごろだし、学生の味方よね」

「ええ。噂通りの良いお店です」

 

 雰囲気が良くて、料理がおいしい。しかも、値段もリーズナブルと、店長以外はまさに非の打ち所がない。

 

「噂と言えば……ねえ、谷村君」

 

 ペペロンチーノを堪能していると、フォークを持ちながら木下さんが話を切り出した。

 

「なんですか?」

「ちょっと小耳に挟んだんだけど、あの噂って本当なの?」

 

 どうして木下さんはそんなわくわくした表情をしているのだろう。

 

「噂って、何のことですか?」

「ほら、あの、観察処分者の吉井君とすっごく仲がいいっていう」

「ああ……まあ確かに、吉井とは二年になってからの知り合いですけど、最近は割と仲良くしてると……」

 

 そこまで喋って慌てて口をつぐむ。ちょっと待て、俺。あの噂はそういう話じゃなかったはずだ!

 

「……その噂、正確に教えてくれますか?」

「えーと、愛子が言ってたのは……確か、『谷村君は吉井君と付き合ってる』って」

「ガセです! その噂は誤解です!」

 

 おかしい! てっきり『俺の好きな人は吉井明久』って噂の事かと思ったら、想像の数倍も尾ひれがつきすぎてる! いつの間にそこまで噂が進展したんだ!

 

「え? でも吉井君のことを『ダーリン』だなんて呼んでたらしいじゃない」

「ぐっ……」

 

 まずいな……。初日のあの出来事が相当影響している。噂が悪化したのもこれが関わっているのだろう。クソ、吉井のヤツが『気軽にダーリンと呼んでくださいね♪』なんて言うからだぞ!

 

「……それ自体は事実なんですけど」

「事実なのね!」

「いや! 『ダーリン』って呼んだのは、冗談みたいなものです。ジョークです、ジョーク」

 

 正直あの時は冗談のつもりはなかったけどな。吉井の名前も覚えてなかったし。

 

「とにかく、あの噂は……というか、多分他に流れてる噂も全部ガセです」

「…………そう」

 

 どうして木下さんはそんな悲しそうな表情をしているのだろう。

 

「根も葉もない噂ですよ。ほら、よく言うじゃないですか。人の噂も質に入れよって」

「…………それって、もしかして人の噂も七十五日って言いたいの? だとしても意味が少しおかしいと思うけど」

 

 あれ、そうだったっけ。

 

「たまたま勘違いして覚えちゃったみたいですね」

「いや、勘違いとかそういうレベルじゃ……」

「勘違いですよ。千里の道も一本道ってこともありますし」

「……それは千里の道も一歩からね。それも意味が違うわ」

「…………もしかして、石の上にも三日天下って言葉も間違ってますか?」

「それを言うなら石の上にも三年よ。三日しか頑張ってないじゃないの」

 

 おかしいな。これで合ってるはずなのに。

 

「…………」

 

 俺が首をかしげたのを見て、木下さんは少し考え込んでから口を開いた。

 

「……今からアタシがことわざの前半を言うから、後半を答えてくれる?」

「? いいですけど」

「馬の耳に」

「豆腐を詰め込む」

「かわいい子には」

「足袋を履かせよ」

「二兎を追う者は」

「新渡戸稲造」

「急がば」

「全力疾走」

「三つ子の魂」

「百人一首」

「……………………」

 

 苦々しい表情の木下さん。

 

「……これがFクラスなのね」

「あれ、どれか間違えました?」

「全部ハズレよ」

 

 えっ嘘だ。

 

「ちょっと自信あったんですけど」

「本気で言ってるの?」

「はい」

「………………」

 

 今度はあきれ顔になる木下さん。こんな表情もかわいいなあ。

 

「……そういえば、谷村君は数学の点は結構取れてたわよね?」

「そうですね。木下さんには遠く及ばないですけど、数学は得意科目ですから」

 

 先日の試召戦争の事を思い出したようだ。

 

「じゃあ……球の体積の公式は?」

「3分の4π×rの3乗」

「log(2)の27」

「えーと…………3log(2)の3」

「cos(A+B)」

「cosAcosB-sinAsinB」

「(A+B)の3乗の展開公式」

A(  3)+3A(  2)B+3AB(  2)+B(  3)

「……………………」

 

 木下さんが今度は驚いた表情をした。さっきから、表情が豊かな人だ。

 

「また間違ってました?」

「全部合ってるから驚いてるの……なんでこれは覚えてるのにことわざを覚えてないのよ」

「……さあ?」

「さあって……」

 

 覚えてないものは覚えてないんだからしょうがない。

 俺からすると、木下さんの点数の方が不思議で仕方ない。俺がいくら勉強したところで、得意な数学ですら350点を取れる気はしない。

 

「まあ、それを覚えてたってことは、別に記憶力自体は悪くないのよ……多分。ちゃんと勉強したら点数もとれるようになるんじゃないかしら?」

「そうですかね?」

「そうよ。勉強ってそういうものだもの」

 

 そう言って、木下さんはカルボナーラを口に運んだ。

 その勉強が大変だと思うが……せっかく木下さんがこう言ってくれたんだ。せめて今週の宿題くらいはやろうかな。

 

 

            ☆

 

 

「クレープもおいしかったですね」

「そうね。喜んでもらえたみたいで何よりだわ」

 

 その後運ばれてきたクレープもおいしく完食し、俺達は喫茶店を後にした。

 クレープだし、『あーん』なんてことがあるかもしれないと思っていたが、現実はそこまで甘くなかった。

 そんな甘いイベントは起きず、甘いのはクレープと俺の考えだけだった。ぐぐぐ……。

 とはいえ。

 ちらりと横目で木下さんを見ると、満足げな表情をしている。多分それは俺と一緒にクレープを食べられたからじゃなく、俺へのお詫びをようやく果たせたからだと思うのだが、それでもその顔を見れたから、良しとしよう。

 

「……さて、これからどうする?」

「そうですね……」

 

 当初の予定である喫茶店での食事は済んだ。この後の予定はまだない。このまま解散だけはしたくないし、どうしようか……と考えていると、

 

「おや、姉上と谷村ではないか」

 

 という声が聞こえた。

 この声は秀吉だな、と思って声が聞こえてきた方向に目をやる。

 

「……お前、なんでそんな格好してるんだ?」

 

 そこに立っていたのは、ピンク色のフリフリのメイド服を着た秀吉だった。

 

「似合ってないかのう……?」

「似合ってるから余計困るんだよ」

 

 秀吉は男のはずなのに、そのメイド服が秀吉のかわいらしさをより引き立てている。うん、おかしな文になってるのは自覚してる。

 その秀吉は男な上に木下さんと似た顔だから、なんというか、精神衛生面上非常によろしくない。

 

「正直すごい可愛いけど、そういうことは――痛っ」

 

 ? 誰かに頭を叩かれた。そこそこ痛い。

 頭をさすりながら周りを見渡すが、特に怪しい人は誰もいない。いるのは木下さんだけだ。

 

「木下さん、今俺の事叩きました?」

「なんの事かしら?」

 

 不機嫌そうな木下さん。そりゃそうだよな。叩く理由もないし。

 気のせいだったのだろうか。

 

「それで? どうしてそんな格好をしてるのよ?」

 

 木下さんが、低い声色で秀吉にそう尋ねた。

 

「実は、この服は今度の演劇で使う衣装らしいのじゃが」

「だからって、こんな街中で着る必要はないと思うんだけど?」

「それは……その、成り行きなのじゃ」

 

 街中でメイド服を着る成り行きというのをぜひ説明してほしい。

 

「谷村君、ちょっと秀吉とお話してくるから、ちょっと待っててくれる?」

「あ、はい」

「別にワシは話すことはないのじゃが……」

「ア・タ・シ・が・あるの」

 

 そう言いながら、木下さんは秀吉を路地へと引っ張っていった。

 

 

『ねえ秀吉? アタシ何度も言ってるわよね? アンタが非常識な行動するたびにアタシの評判が下がっていくのよ。優等生であるアタシの評判が!』

『非常識な行動なんて取っておらぬが……』

『メイド服で街中を闊歩することのどこが常識的なのよ!』

『しかし、姉上はいつも家で下着姿なんじゃから、むしろこっちの方が常識的じゃと――姉上っ! 肘はそちらには曲がらぬ! 人体の構造を間違えておるぞ!』

『うるさい! 家は家、外は外よ! 今すぐその服を脱ぎなさい!』

『姉上! 分かった! 分かったのじゃ! じゃから早く右肘を放して――!』

 

 

 路地からはそんな喧騒が聞こえてくる。なんか、下着がどうとかいうすごい魅力的な話が聞こえてきた気がするが、多分気のせいだろう。それにしても、秀吉の悲鳴に交じって木下さんの元気な声も聞こえてくる。そのどちらも普段耳にしないものなので、とても新鮮だ。

 なんてことを考えながら待っていると、その路地に向けてカメラを構えるクラスメイトが現れた。

 

「何やってるんだ、土屋」

 

 俺がそう声をかけると、土屋はカメラから顔を放して、

 

「……自主トレ」

 

 と答えた。何のトレーニングだ。

 

「そういえば、お前よく写真撮ってるけどその写真はどうしてるんだ?」

「……一枚200円」

「売ってるのかよ……それ、許可取ってないんだろ? 色々と大丈夫なのか?」

「……今日の木下優子の写真もある」

「10枚頼む」

「……まいどあり。初回サービスでツーショットも同額」

「2ダース」

「……まいどあり。お代は明日で結構」

 

 土屋はそう告げると、俺に34枚の写真を押し付けてどこかへと消えていった。

 ……めちゃくちゃきれいに撮れてる……。これからは俺も敬意をこめて『ムッツリーニ』というあだ名で呼ぼうか……。

 写真をかばんにしまってさらに待つこと数分。

 

「お待たせ、谷村君」

「うう……ひどいのじゃ……」

 

 笑顔の木下さんと、無理やり着せられたせいでよれよれの服を着てうなだれている秀吉が路地から出てきた。

 いや、メイド服ではなく普通の男物の服なんだが、かなり乱れてるせいでこっちはこっちで秀吉から色気を感じる。

 木下さんの前で何を考えてるんだ、とそんな煩悩を頭を振って追い払う。

 

「それじゃ、ワシはもう行くからの」

 

 そのまま、秀吉は肩を落として歩いて行った。

 

「まったく、あのバカは……」

 

 木下さんが、腕を組んで秀吉の背中をにらみつける。

 

「まあ、秀吉も悪気はなかったみたいですし……」

「悪気があったらあれぐらいじゃ済まないわよ」

 

 だいぶ慈悲が加えられた結果らしい。

 

「まあ秀吉の事はもういいわ。で、この後は?」

「そうですね……」

 

 木下さんに言われて、辺りを見渡す。遊びたい場所も思いつかないし……。

 

「あそこ、どうですか?」

 

 そう言いながら俺が指さしたのは、『ラ・ペディス』から少し離れたところにある雑貨屋だ。

 

「俺も入ったことは無いんですけど、腹ごなしとしてウィンドウショッピング、的な」

「いいわよ。行きましょうか」

 

 そして、俺達はその雑貨屋、『雅』(みやび)へと入っていった。

 店内は想像していたよりもずっと狭かった。暖かい色の照明が店内を照らしているが、その中は所狭しと様々な小物が並んでいる。

 

「へえ、面白いお店ね」

「そうですね」

 

 その小物に統一性は無い。輸入品の民族的なアクセサリー類や西洋をイメージさせるガラス製のコップが隣同士に並べられているくらいだ。ただ、全体の7割程度は店名から連想する和風の商品のようだ。

 個人的には物に囲まれる生活というのは割と好きな方なので、この雑多に物が置かれた空間は好きだ。それに、いろんな商品を眺めているだけで時間を過ごすことができそうだ。

 商品の棚をなんとなく眺めて……ある商品で視線の動きを止める。

 これいいかも。

 

「木下さんはこういう空間好きですか?」

 

 その商品を眺めたままそう話しかけてみたが、返事が返ってこない。

 おや? と思って顔をあげて木下さんを探すと、

 

「…………(これ新刊出てたんだ)……(今度ネットで注文しておかないと)

 

 いた。

 木下さんは、とある棚を凝視しながらなにやらぶつぶつと呟いていた。あの棚にあるのは……。

 

「小説ですか」

「ひゃ!」

 

 後ろからそう声をかけると、木下さんはそんな声を上げて飛び上がった。

 なんだ今の声。めちゃくちゃかわいい。

 ともかく、棚に目を移すと、そこは小説類がまとまって並んでいた。雑貨屋に小説とは珍しい……。とは言え、他の商品と同じくそのラインナップは独特だ。やけにタイトルの長いライトノベルや実験小説といった、少し王道からはズレた小説が並んでいる。他にも、半裸の男たちが表紙になっている『伝説の木の下で貴様を待つ(Vol.14)』なんていうよくわからないものもある。14巻もでてるという事は、結構人気があるという事なのか。

 

「木下さんはやっぱり小説読むんですか?」

「え! ええ、まあ、そうね」

「へえ……」

 

 うん、いかにも優等生っぽい。

 

「どんな小説を読んでるんですか? 純文学とかですかね?」

 

 『純文学』がどんな小説を差すのかは知らない。走れメロスとかだろうか。

 

「あー、えと、その、そうね! そんな感じよ!」

「やっぱりすごいですね……俺なんか小説は読み始めたらすぐに眠くなっちゃって」

「ははは……そうね……」

 

 なぜか乾いた笑いの木下さん。また何か変な事を言ってしまっただろうか?

 

「それはそうと! 何か買いたいものは見つかったの?」

 

 木下さんは、そうやって強引に話題を変えた。何か引っかかるが……まあいいか。

 

「あ、はい。木下さんは?」

「いや、アタシはここでは買わないから」

「『ここでは』?」

「……いえ、何でもないわ」

 

 なんだろう。さっきから木下さんの様子がおかしい気がする。

 

「じゃあ、ちょっと会計してくるので木下さんは先にお店を出ててください」

「分かったわ。お店の前で待ってるから」

 

 そう言って、木下さんは小走りで入口へと向かっていった。本当にどうしたんだろう。

 まあ、考えても仕方ないか。

 そう考えて、さっき見つけた商品をレジへと持っていった。

 

 

            ☆

 

 

 会計を済ませた商品をバッグに入れて、店外へでる。木下さんはどこかなと探してみると、

 

「……なんだ、あいつら」

 

 木下さんはいたのだが、その前に二人ガラの悪い男たちがいた。

 

『だからさ、オレ達と遊ぼうぜって言ってんの』

『こんなところで突っ立ってるよりよっぽど楽しいぜ?』

 

 ……ナンパか。

 木下さんの居る場所は自販機の前なので、何か買おうとしたところで絡まれたのだろう。

 

『結構よ』

『そんなこと言わずにさあ』

『知り合いと遊びに来てるから、アンタ達と遊ばなくても十分楽しいもの』

『いやいや、キミみたいなかわいい子を待たせてる時点でそいつはダメだよ』

 

 木下さんが明らかな仏頂面で拒絶しているにもかかわらず、二人は食い下がる。

 どうしよう。どうにかしてあの不良達から木下さんを助けに行きたいが……。

 俺一人なら逃げ出せるが、木下さんがいるんだ。できるだけ荒事になるのは避けたい。しかし、横から下手に口を出したところで、あの二人が素直に身を引くとは考えにくい。

 色々考えるが、

 

「……これしかないか」

 

 現実的な案は一つだけだった。この作戦、木下さんが嫌がるだろうから使いたくないけど……できるだけ早く助けないといけないしな。

 できるだけ不愉快な顔を作りながら、男たちに近づく。

 

「だから、そんなやつほっといてオレ達と――」

「おい、俺の()()に何やってんだ」

 

 そして、端的に声をかける。

 

「あ? 誰だてめえ」

「お前らが絡んでた女の子の彼氏だよ」

「彼氏? てめえが? ギャハハハッ!!」

 

 突然、不良たちの一人が笑い出した。

 

「冴えねえ顔しやがって! そんなんで彼氏面するつもりかよ!」

 

 ほっとけ。顔は関係ないだろ。

 大きくため息をついてから、

 

「行くぞ、()()

 

 俺は木下さんの手を取って早歩きで自販機から離れていく。

 

「あ、ちょっと!」

 

 木下さんがそんな声を上げる。ごめんなさい。この方法しか思いつかなかったです。

 不自然なそぶりを見せれば、あの不良達はきっとそれをネタにまた絡んでくるだろう。今、この瞬間だけは、木下さんの彼氏だと思い込むんだ。

 

『ちっ』

『行こうぜ、ったく』

 

 背後から、そんな声が聞こえるが、安心はできない。

 俺は、木下さんの手を握ったまま、近くの公園へと入っていく。

 握りしめた木下さんの掌は、とても温かかった。

 

 

            ☆

 

 

 公園の中央にある大きな池の傍までやってくると、ようやく俺は木下さんの手を放して足を止めた。ベンチに腰を下ろす。

 

「こ、怖かった……!」

 

 元々木下さんにナンパ目的で絡んでいた連中だ。急にキレて殴りかかってくるかもしれなかったことを考えると、急に恐怖が押し寄せてきた。

 

「ねえ……その……」

 

 木下さんが、真っ赤な顔で何かを言いたげにしている。

 ……そうだよな。

 

「木下さん、ごめんなさい!」

「……え?」

「助けるためとはいえ、彼氏だなんて言っちゃってすいませんでした!」

 

 そう言って、俺は頭を下げる。

 俺なんかに彼氏面されて、木下さんは嫌だっただろう。逃げるときに手まで握っちゃった上に、俺は木下さんのタイプでも何でもないのに。

 きっと、かなり怒っているからそんな真っ赤になっているのだろう。

 

「ちょっと、顔をあげてよ」

 

 と、思っていたのだが。

 

「謝らなくてもいいわよ。あいつらしつこかったから、どう追い払おうか思ってたところだったし、多分あれが一番簡単な方法だっただろうし」

「でも……」

「でもじゃないわ。謝るのはアタシの方よ。そんな役回りを谷村君に任せちゃってごめんなさい」

 

 そう言って、木下さんまで頭を下げる。

 

「木下さんは悪くないですって! 悪いのは、絡んできたあいつらと、自己判断で……その、木下さんの事を彼女だなんて言った俺なんですから。いくら木下さんでも、こればっかりは譲れません」

「…………じゃあ、そのお詫びにひとつお願いしてもいい?」

 

 俺の言葉を聞いた木下さんは、頭をあげてそんなことを言い出した。

 

「いや、正直自分でも図々しいとは思うけど。谷村君が譲らないなら、せっかくだから……」

「……? なんですか?」

「それよ」

 

 なんだ?

 

「谷村君、どうしてアタシに対して敬語なのよ? 同学年なんだから敬語を使う必要ないじゃない」

「あー……その、癖みたいなものですね」

「癖?」

「はい。男子相手だとそんなことないんですけど、女子相手だと敬語になっちゃうんですよね」

 

 敬語じゃなくなるのは、よほど気持ちが昂った時が多い。島田さん相手だと前に敬語が取れたこともある気がする。

 

「……そういえば、秀吉相手には普通に話してたわね」

「ええまあ。同じクラスってのもありますけど」

「とにかく、アタシだけため口で谷村君は敬語ってなんか気持ち悪いから、アタシに対してもため口でいいわよ」

 

 ため口でいいって言われても、急に変えられるだろうか。

 ……でも、これがお詫びになるんだったら、こっちからしたら願ってもないことだ。

 

「わかりました」

「それ敬語よ」

「……あー……分かったよ」

「うん、それでいいわ」

 

 そう言って、木下さんはニコリと笑った。

 

「そうだ。せっかくだから、このタイミングで渡しちゃいますね。――じゃない、渡すわ」

「ん? 何かしら」

 

 木下さんにそう言ってから、バッグから二つの物を取り出す。っと、あぶない。ムッツリーニの写真まで出てくるところだった。

 

「一つ目が、振り分け試験の日のお礼の、ハンカチだ」

 

 新学期早々に、根本のせいで渡せなくなってしまっていたアレだ。改めて包装しなおしたものを、ずっと引き出しに入れておいたのだ。

 

「いいの?」

「はい……ああ。開けてもいいぞ」

 

 ため口でいいと言われても、急に敬語は取れない。うう、慣れない……。

 ガサゴソと包装を広げ箱の中身を確認する木下さん。

 

「あ、可愛いわね」

「……良かった」

 

 ワンポイントとして赤い華の刺繍がしてある薄いピンク色のハンカチだ。木下さんの気に入ってくれそうなものを選んだが、当たったようだ。

 

「それと、これも」

 

 そう言って、もう一つ手にしていた、きれいにラッピングされた小袋を木下さんに渡す。

 

「……これは?」

「さっきの雑貨屋さんで買ったんです……買ったんだよ。木下さんに似合うと思ったからな」

 

 木下さんはハンカチをかばんにしまい、小袋のラッピングをはがしていく。中から現れたのは、

 

「ああ、ヘアピンね」

 

 水色のヘアピンだった。細い棒状のものではなく数ミリ程度幅がある物で、単色ではなく白くグラデーションがかかっている。確か、極端に派手な装飾具は校則で禁止されていたはずだが、このヘアピンなら問題ないはずだ。

 

「これも、お礼なの?」

「いや、これはお礼とは関係ない俺からのプレゼントだよ。……ダメだったかな」

 

 すると、木下さんは数秒間そのヘアピンを見つめたかと思うと、今まで自分の前髪についていた黒い細身のヘアピンを外した。そして、その代わりに俺のプレゼントしたヘアピンをつける。

 

「……似合うかしら?」

 

 少し不安そうに、上目遣いで俺に尋ねる木下さん。

 

「もちろん。とっても似合ってるぞ」

 

 それ以外の答えなんか、あるわけがない。

 

 

            ☆

 

 

「今日はとても楽しかったわ」

 

 そう告げる木下さんと俺がいるのは、木下さんの家の前だ。太陽はもう大きく西に傾いている。

 あの後、もう少し街を巡ってから解散という事になり、せっかくなので家まで送らせてもらったのだ。

 

「なら、良かった」

「谷村君は、どう?」

「俺も楽しかったよ」

 

 お世辞でも何でもない、本心からの台詞。これまで、木下さんとは学校で一つ二つ話すだけだった。こんなにたくさん話して、木下さんのいろんな表情を見れて、本当に楽しかった。

 

「そう。良かったわ」

 

 そう言って笑う木下さんの前髪は、俺のプレゼントしたヘアピンで留められている。

 

「…………」

 

 多分、今の俺の顔は緩み切っているだろう。鏡で見ないでも分かるくらい、ニヤニヤしているはずだ。

 今日、一日一緒に木下さんと過ごして、改めて確信した。

 

 俺は、木下さんが好きだ。

 俺が木下さんのタイプじゃなくても、今は木下さんに似合うような男じゃなくても、そんなことは関係ない。俺は、木下さんが好きなんだ。

 だから、せめて木下さんの隣に胸を張って立てるような男になろう。

 

「じゃあ、木下さん。秀吉に街中で変な恰好はするなって言っといてくれ、それじゃ」

「……ねえ、谷村君」

 

 そう決意して別れの挨拶をしようとすると、木下さんが口を開いた。

 

「どうしたんだ? 木下さん」

「その……秀吉だけじゃなくて、アタシの事も名前で――」

 

『――谷村ァ! 死にさらせッ!』

 

 怒号が聞こえてきた。

 

「ゲェッ! 須川に工藤!」

「なんかおかしいと思ったらこういうことだったか!」

 

 通りの向こうから須川達が走ってくる。

 まずい、このままだとつかまる!

 

「じゃあ、木下さん! また明日!」

「あっ、ちょっと!」

 

 強引に別れを告げて須川達から逃げる。

 

「女の子と過ごした休日はさぞかし楽しかっただろうなあ!」

「この後は俺達と熱い夜を過ごそうぜ! なァ!」

「全力で拒否する!」

 

 そして始まる鬼ごっこ。

 チクショー、せっかくいい気分で締めようとしたのに!

 

「「待ちやがれ!」」

「誰が待つか!」

 

 三人の叫びが、赤くなり始めた西の空に消えていった。

 

 

 

 

『………………バカ』

 

 

            ☆

 

 

「ゼェ……ゼェ……なんとか撒いたか……」

 

 町中を巡り巡って、二人を引き離して駅前に舞い戻ってきた。太陽はもうとっくに沈んでいる。

 

「こういう時は……足が速いんだから、アイツら、クソっ……」

 

 先日のラブレター騒動の時とは違って、追手こそ二人だったもののその妬みは計り知れない。想いは人を強くするのは事実だった。それでも、二人という人数の少なさが、今回は逃げる側に有利に働いたおかげで逃げ切れた。これで追手がクラスメイトほぼ全員だったら逃げ切るのは不可能だったな。

 息を整えるために路地に身を隠してへたり込むと、

 

「谷村じゃないか!」

 

 と、背後から声が聞こえた。

 やばい、須川達に見つかったかと思って振り返ると、

 

「た、助けてくれ! 俺はまだこんなところで死ねないんだ!」

 

 と叫びながら路地を駆けてくる坂本がいた。

 …………全身ズタボロになって、木製の板でできた手枷(てかせ)を嵌めている坂本が。

 

「な、なにやってるんだ、坂本!」

「いいから早く俺をかくまってグギャァアアアアア!!!」

 

 バチバチというスタンガンの音とともに、坂本がその場に崩れ落ちる。

 

「雄二……浮気は許さない」

 

 その背後に立っていたのは、Aクラス代表、すなわち学年主席の霧島さんだった。

 先の試召戦争がもたらした結果の一つとして、この二人は付き合いだしたはずだ。

 

「これは浮気じゃなくて生きるためのガアアアアアアアア!!!!」

 

 再びのスタンガン。

 動かなくなった坂本を、霧島さんは手枷につけられた鎖をもって引きずっていった。

 そんな一人と一体をその場に残された俺は呆然と見送った。

 

「これがhurt full rough storyか……」

 

 白い街灯に照らされた坂本の身体は、とてもちっぽけに見えた。

 




喫茶店に行くだけのはずが思ったよりしっかりデートになってしまいました。
次回から清涼祭編ですが、オリジナル展開があるのでよろしくお願いします。

(追記)ごめんなさい!
本文中の数学知識が複数個所間違っていました!
指摘してくださった方、ありがとうございました。


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第二章 モブとお化けと清涼祭
第〇問 初夏の訪れは噂と共に


本編再開です。


 文月学園へと続く坂道を彩る桜の木は、淡い桃色から鮮やかな緑色へと変化していた。季節は初夏。じわじわと暑くなり始めた朝に鬱陶しさと少しの情緒を感じながら、俺は坂道を上っていた。

 今日は特に須川や秀吉たちと出会うこともなく一人で登校している。大体週の半分くらいは一人の登校だから別に気にすることでもないが、純粋に暇なのが煩わしい。この長い坂道を上る間、誰とも話さずに黙々と上り続けるのは気がめいってしまう。

 そんなことを考えながら足を学園に向けて進めていると、

 

「もしかして、谷村誠二さんではありませんか?」

 

 背後からそう声をかけられた。

 妙な話しかけられ方だな、と思いながら足を止めて振り返ると、そこには小柄な男子生徒がメモ帳とペンを携えて立っていた。茶色い髪の毛はあっちこっちに跳ねているが、大きな丸メガネやダボダボの男子制服に身を包んだ彼は、中学生くらいのように見える。とは言え、その制服を着ているという事は少なくとも高校生ではあるのだが。

 

「そうだけど……誰だ?」

「あ、急にすいません。僕はですね、こういう者です」

 

 そう言いながら、彼は俺に名刺を手渡してくる。男にしては高い声だが、中性的というよりも声変わりの前の声に近い。もしかしたら本当に中学生なのかもしれないと思い始めてきた。

 ともかく、名刺に目を落とす。

 

「えーと……『文月学園新聞部 2-E 橋本和希(はしもとかずき)』……って、同級生!?」

 

 中学生どころかまさか同い年だったとは……。

 

「歳なんかどうでもいいんですよ。大事なのはここです」

 

 唖然とする俺を気にも留めず、横から名刺の一部分を指し示す橋本。

 

「『新聞部』?」

「はい、そうです」

 

 いや、そうですって言われても、だから何だというのか。

 

「新聞部が校内新聞を作って掲示しているのはご存知ですか?」

「まあ、一応な」

 

 事情を説明し始めた橋本にそう答えを返す。

 生徒玄関から教室へ向かうまでの途中に、掲示板がある。そこで『文月新聞』というものが月替わりか週替わりで掲示されていたはずだ。おそらく橋本はそのことを言っているのだろう。

 

「その校内新聞に載せる記事の為に、ぜひとも谷村さんにお話を伺いたいと思っていたところなんですよ」

「俺に?」

「ええ。最近校内での知名度をグングン上げている谷村さんにです」

 

 知名度……いつの間に俺はそんな有名人になってしまったのかな。

 

「そうか? なんか照れるな。俺に話って、どんな記事なんだ?」

「えっと、『文月学園の噂を一斉調査!(仮)』ってタイトルの記事ですね。谷村さんに関する噂は殆ど恋愛事情関連です。吉井明久さんとラブラブカップルだとかそういった感じの」

「返せ。照れるとか言ってしまった数秒前の俺の純情を返せ」

 

 というか、聞くたびに噂が悪化してるのは俺の気のせいじゃないだろう。

 

「どうしたんですか? 急に怖い顔をして」

「どうしたもこうしたもない! 多分その噂のほとんどはガセだぞ」

「?」

「なんだそのキョトンとした顔は……」

 

 キョトンとする要素があったか?

 

「まあ何でもいいですけど。今から一つずつ噂を挙げていくので、詳細を教えてもらえますか?」

「人の話を……まあいいか」

 

 校内新聞の記事にしてくれるという事は、この噂を否定するチャンスでもある。噂がすべてガセだと校内新聞に書いてもらえば、俺の妙な噂もなくせるかもしれない。これを逃す手はない。

 

「まずは一つ目です。『谷村誠二さんは男が好きだ』」

「グハッ」

「どうしたんですか? 急に吐血して地べたにへたり込んだりなんかして」

「い、いや、その噂にはうすうす感づいていたんだが、いざ口にされるとショックでな……」

 

 先日の騒動が発端になったんだろうが……これはきついなあ……。

 

「よくわかりませんけど、この噂は本当ってことですね?」

「どうしてそうなる! 嘘だ、嘘!」

「それでは、二つ目行きますね」

「お前、俺の話を聞く気はあるのか!?」

 

 橋本は手帳のページを一枚めくる。

 

「『谷村誠二さんは女の子に手あたり次第に手を出している』」

「その噂、一つ目の噂と矛盾してることに気づいてないのか?」

「そういう人もいるじゃないですか」

「いや、いるけども……とにかく、俺はそんな不誠実な男じゃないって。というか、女の子と付き合ったことすらないんだから」

 

 自分で言ってて悲しくなるが、手当たり次第に手を出すような女の敵になるよりはましだ。

 そんな俺の話を聞いて、橋本はペンを走らせていた。

 

「『などと答えているが実際のところはわからない』っと……」

「ちょっと待て、お前今なんて書いた」

「三つ目は、『谷村誠二さんはナース服が大好きだ』っていう噂なんですけど」

「人の話を聞け! そしてその噂は初耳だぞ! 別にナース服に思い入れは無い!」

 

 その噂、どこから湧いて出たんだ!

 

「別にそんな恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。誰にでも好きな格好の一つや二つありますよ」

「恥ずかしがってるわけじゃない! 大体、俺が好きなのはナース服じゃなくてメイド服だ! おっと、勘違いするなよ! メイド服と言ってもミニスカートのチャラチャラしたようなやつじゃないぞ! ロングスカートの瀟洒(しょうしゃ)なもので、その二つには大きな違いがあるんだからな! いいか、色気をオープンにするようなメイドってのはメイドじゃないんだ。清楚さに身を包んでいるのにそれでも色気がにじみ出るのがメイドなんだ! まあミニスカートのが嫌いってわけじゃないけどな! 相対的な話だ!」

「なるほど、『谷村さんはメイド服が好き』、と」

「………………ハッ! カマをかけたな、お前!」

「いや、谷村さんが勝手に自爆したと思うんですけど」

 

 我ながらうかつだった。相手の巧みな話術に乗せられてしまうとは……。

 

「まあいいです。次の噂は、『谷村誠二さんと吉井明久さんは結婚を前提に付き合っている』っていうもので」

「俺と吉井は男同士だぞ!? 前提も何も結婚自体ができないからな!?」

「では、付き合ってるって部分は本当なんですか?」

「そこも嘘だ! 俺には今付き合ってる人はいない!」

「そうなんですか。という事は、最後の『谷村誠二さんは頻繁に吉井明久さんにナース服を着せている』という噂もガセだと主張するつもりですね?」

「当たり前だ! なんだその噂!」

 

 その噂、吉井が聞いたらきっとさめざめと声を殺して泣くことだろう。せめてこの噂だけは否定しておかなければならない。

 

「ふむふむ、そうですか……実際はメイド服だったと……」

 

 すまない吉井。せめて俺も一緒に泣いてやる。

 その後しばらく手帳を眺めていた橋本は満足げに手帳を閉じた。

 

「取材にご協力ありがとうございました。今回の記事は、うまくすれば数日のうちに新聞になると思うので、その時はぜひ読んでくださいね」

「ありがとうございましたって言うか、俺の主張が通った気が全くしないんだが……」

「あ、でも、この記事は清涼祭までの繋ぎの記事なんです。他に面白い記事が入ったりしたらこの記事は没になるので、掲載されなくても怒らないでくださいね」

 

 むしろ、今の会話を振り返ると掲載されない方が良い気がしてきた。何か緊急の記事でも入ればいいのに。

 

「って、清涼祭?」

「ええ。もう何日かしたら授業も特別編成になって、準備が始まるじゃないですか」

 

 清涼祭。

 俺達の通う文月学園で、新学年になって最初に行われるイベントである学園祭の事だ。お化け屋敷だったり、フリーマーケットだったりといった店や企画がクラス単位で行われる。

 見どころは、なんといっても3-Aや2-Aの膨大な資金を投入したお店だろうか。クラスごとの格差はこういったイベントでも存在するのだ。我らがFクラスは予算もあまりもらえないだろうし、模擬店を経営する側としては大変だろう。

 

「そうか、もうそんな時期なのか」

「そうですよ。それでは、僕はもう行きますね。この記事が載っても載らなくても校内新聞は面白い出来になるので、ぜひ読んでくださいね!」

 

 そう言って、自信満々な顔を見せた橋本は坂を上っていった。腕時計を見ると、既にいい時間だ。

 今年の清涼祭はどうなる事かと思いを馳せながら、俺も文月学園へ足を踏み出した。




プロローグなので短めです。
今回登場した橋本君を含めて、オリキャラが何名か登場する予定です。
よろしくお願いします。


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第一問 祭りの季節がやってきた

【清涼祭アンケート】

 学園祭の出し物を決めるためのアンケートにご協力ください。

 『あなたが今欲しいものは何ですか?』

 

 

 

 工藤信也の答え

『時間』

 

教師のコメント

 残念ながら時間は有限ですが、だらだらと過ごす時間を減らす事で時間を有効に使うことが出来ます。てきぱきと行動することを心がけましょう。

 

 

 

 須川亮の答え

『彼女』

 

 教師のコメント

 学生の本分は勉強! と言いたいところですが、青春も学生の本分の一つだと先生は思います。学園祭で良き出会いがあるといいですね。

 

 

 

 橋本和希の答え

『校内新聞のネタ』

 

 教師のコメント

 そう言えば新聞部でしたね。校内新聞をいつも楽しみに読んでいます。清涼祭では様々な企画やブースがありますから、それを記事にしてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 谷村誠二の答え

『校内新聞のネタ』

 

 教師のコメント

 谷村君も新聞部でしたっけ?

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 橋本による奇妙な取材を受けてから数日。

 『清涼祭』まで二週間となり、授業は6時限中2時限が L H R (ロングホームルーム)になる特別編成へと移行していた。このLHRが清涼祭のための準備時間になる。

 各クラスでは、それぞれの出店の為に教室を改造したり道具を手配したりといった準備がすでに行われている。この学園特有の『試験召喚システム』を利用した出し物の為に、開発者である学園長に掛け合っているクラスもあると聞いた。

 当然、我らが2-FもそのLHRの時間は与えられている。その時間を利用して俺達は――

 

『よっしゃー! 締まっていくぜー!』

『おおー!』

 

 準備なんか一切せずに、校庭で野球をしていた。

 

『吉井! こいっ!』

『勝負だ須川君!』

 

 バッターボックスの須川とマウンド上の吉井が、そんな声を掛け合っているのが聞こえた。

 

「いやー、それにしても暇だな」

「だな」

 

 俺と工藤は、外野の守備についている。しかし、案外吉井と坂本のバッテリーが強く、なかなか外野までボールが飛んでこない。一応俺がライト、工藤がセンターに配置されたものの、適当な位置まで寄って雑談をしていた。どうせ遊びだ。文句も言われまい。

 

「そういえば、お前あの噂知ってるか?」

「噂?」

 

 ぼうっとホームの方を眺めていると、工藤がそんなことを言い出した。

 噂って、また俺の変な噂が流れてるのか?

 

「あの噂はガセネタだぞ! 信じるんじゃねえ!」

「あ? 何言ってるんだ?」

「え? 俺に関する噂じゃないのか?」

「ちげえよ。早合点するな」

 

 違ったらしい。

 だとしたらなんだろうか?

 

「この文月学園の『都市伝説』についての噂だ」

「『都市伝説』?」

 

 都市伝説と言えば、口裂け女だとか、学園の経営には陰謀が絡んでいるとかそういう話の事か?

 

「そんなのが文月学園にあったのか」

「そういう噂がな。あくまで文月学園に絡んだものだから、『学園伝説』って呼ばれてるな」

「ふうん。どういう噂なんだ?」

「定番なものばかりだよ。えーと、俺が知ってるのは……」

 

 そして、工藤がつらつらと学園伝説を語り始めた。長々と話してくれたが、簡単にまとめると、

 

 学園長室から地下迷宮につながる扉がある。

 召喚獣は異世界の自分である。

 学園が盗聴器と監視カメラで生徒を監視している。

 図書室には黒魔術の本がある。

 4階旧校舎の女子トイレに幽霊がいる。

 必殺料理人が調理室で夜な夜な弁当を作っている。

 教頭室には金銀財宝が眠っている。

 観察処分者は食事をすべて塩とサラダ油にされる。

 

 大体こんな感じだった。

 

「ま、ホントかどうかは分からないけどな」

「……割とツッコミどころが多いんだが」

 

 特に最後のヤツとか明らかにおかしい。そんな塩と油だけで生きていける人間なんかいるわけないんだから。

 

「幽霊とか陰謀とか、割と定番なんだな」

「ああ。ほとんどが作り話だろうしな」

 

 都市伝説なんて、そんなものだろう。それか、些細な噂に尾ひれがたくさんついたものだ。

 

「大体幽霊なんかいるわけないだろ」

「いや、分からんぞ、谷村。そもそも『試験召喚システム』の仕組みもよくわからないし、一応あれにはオカルトが絡んでるんだろ?」

 

 確かに、かつて見た学校のパンフレットには、『科学とオカルトと偶然により誕生した試験召喚システム』だなんて文言が並んでいた気もするが。

 

「うるせえ。幽霊なんかいてたまるか」

「……そういえば、お前ホラーとか苦手だったな」

 

 そんな他愛もない話をしていると。

 

『貴様ら、学園祭の準備をサボって何をしているか!』

『やばい! 鉄人だ!』

 

 校舎から鉄人がとんでもないスピードで飛び出してきた。

 

『吉井! どうせ貴様が主犯だろう!』

『違います! クラス代表の雄二が提案したんです!』

『とにかく全員教室へ戻れ! この時期になってもまだ出し物が決まっていないなんて、うちのクラスだけだぞ!』

『『はーい……』』

 

「戻るか」

「だな」

 

 鉄人の指導が拳に変わらないうちに、俺達はそそくさとかび臭い教室へと舞い戻った。

 

 

            ☆

 

 

「さて、もうすぐ春の学園祭、『清涼祭』が開催されるわけだが」

 

 野球を中断された後、Fクラスの代表である坂本が教壇に立ちながら告げる。それを、俺達は床に敷かれたござの上に座りながら眺めていた。

 

「とりあえず、クラスから2名ずつ運営委員を出さなきゃならないので、それを最初に決める」

 

 基本的に生徒の自主性を尊重するこの文月学園では、清涼祭の運営も生徒主体で行う。やりたいことがあるなら自分達でやれ、という方針なのだ。そこで、運営委員会というものが設立される。

 しかし、運営委員というのは、仕事の量が半端じゃない。この時期の自由時間はほぼ無くなると考えて差し支えないレベルだ。

 さて、この清涼祭だが、はっきり言って俺はあまり興味がない。Fクラスの出し物なんてたかが知れているし、学園祭で何かをやりたい! という強い思いがあるわけでもない。木下さんと一緒に清涼祭を巡るなんてことができればいいが、あまりそれが出来そうな気もしない。

 

「そこで、その二人をクラスの実行委員とするので、議事進行や出店に関わる全てを任せることにする。一応聞くが、運営委員をやりたい奴はいるか? ……まあいないわな」

 

 坂本が、だるそうに言葉をつづける。坂本も、俺と同じように清涼祭に向けてのやる気がないらしく、他人に任せる気満々だ。そもそも、さっきの野球を提案したのも坂本だったし、新学期初日に俺達を鼓舞したあの坂本とは大違いだ。

 そんな坂本は、教卓の中からティッシュ箱を取り出した。

 

「じゃあ、くじで決める。こんなこともあろうかと、1から50まで数字が書かれた紙をこの中に入れておいた。ここから俺が2枚引くから、その出席番号の奴が運営委員だ。恨みっこなしの一発勝負。それでいいな?」

 

 坂本はそう言いながら俺達を見下ろすが(俺達は実質地べたに座っているから当然こうなる)、異論は出なかった。どうせ誰もやりたがらないし、自分が当たる確率は50分の2。高い確率じゃない。

 

「よし、じゃあ引くぞ」

 

 坂本がティッシュ箱に手を突っ込んだ。

 そして……。

 

 

            ☆

 

 

「あー……というわけで、運営委員の谷村だ」

「同じく吉井……はあ、なんで僕が」

 

 運営委員として選ばれたのは、俺と吉井だった。くそ……。

 

「運が悪かったからだ、諦めろ。んじゃ、後はお前らに任せたぞ」

 

 俺達が教壇に立つと、入れ替わりに坂本は席に戻っていった。そして、すぐに横になる。興味の無さを隠そうともしていない。

 運営委員なんて面倒くさいが……選ばれてしまったものは仕方がないな。さっさと終わらせてしまおう。

 

「じゃあ、俺が議事進行をやるから吉井は板書を頼む」

「了解」

 

 素直に引き受けた吉井は黒板の前に立つ。きょろきょろとチョークを探した後、結局まともな物は見つからず床からチョークのかけらを拾い上げた。本当にひどい設備だ。

 

「じゃあ、誰か清涼祭でやりたい出し物がある人はいるか?」

 

 俺がそう尋ねると、真っ先に手を挙げたのは意外にも秀吉だった。

 

「はい、秀吉」

「うむ」

 

 名前を呼ばれた秀吉はその場に立ち上がる。

 

「ワシが提案するのは演劇じゃ」

「演劇?」

「そうじゃ。ワシが演劇部に所属しておるのは皆知っているじゃろうが、それをこのFクラスでやってみたいのじゃ」

「でも、秀吉は部活の出し物で演劇するんじゃないの?」

 

 吉井が尋ねる。

 

「それはそれじゃ。このFクラスには個性的な面子が揃っておるし、悲劇から喜劇まで様々なものが出来そうじゃからの」

 

 ふむ。演劇に関しては俺達は素人だが、秀吉に教えてもらったりすればそれなりの物はできるかもしれない。自然と秀吉の負担は大きくなるだろうが、その秀吉の意見だ。尊重したい。それに、正直面白そうでもある。

 

「吉井、黒板にメモを」

「はーい。えーと……」

 

 吉井は、唸り声を出しながらチョークを走らせる。

 

 

 

【候補① 寅劇『Fクラスの非劇』】

 

 

 

『…………』

「吉井……」

「え? 何か間違えた?」

「俺が書記をやる。お前が議事進行をしろ」

「え? え?」

 

 疑問符を頭に浮かべる吉井と役割交換をする。

 

「じゃあ、他に意見のある人は? はい、工藤君」

「俺はお化け屋敷をやってみたい」

「お化け屋敷かあ」

 

 なるほど。お化け屋敷と言えば、学園祭の定番だ。

 

「この教室にもマッチするからいいかもしれないな」

 

 ヒビだらけの壁、常時入り込む隙間風、カチカチと点滅する蛍光灯……最低ランクのさらにその下に位置するこの教室は、何もしなくてもお化け屋敷状態だ。

 

 クラス内からも声が上がる。

 

『面白そうだな』

『でも、お化け屋敷って他のクラスがやってなかったか?』

『しかも、お化け屋敷ってカップルがやってくるだろ』

『そうか。いちゃつくカップルを目の前にすることになるのか……』

『…………ちっ』

『待てお前ら。うまく脅かして彼氏のみっともないところを見せれば、破局させることができるんじゃないか?』

『それだ須川!』

『よし! お化け屋敷にしよう! とびっきりの恐怖の館を作り上げるんだ!』

 

 否定的な意見も上がったが、全体的には肯定的なようだ。

 

「とりあえず、候補にしようか。谷村君」

「はいはい」

 

 えーと、今の意見をまとめると、

 

 

 

【候捕② お化け屋式『破局の館』】

 

 

 

『…………』

 

 あれ? なぜか視線が痛い気がする。

 

「他に意見は……はい、姫路さん」

「はい」

 

 次に手を挙げたのは姫路さん。

 

「私は喫茶店をやりたいです。これも定番ですよね」

 

 喫茶店か。確かに姫路さんの言う通り、定番の一つだ。

 

『ううん……悪くはないがインパクトに欠けるな』

 

 そんな声が聞こえてくる。

 それもそうだな……。

 

「なら、何かテーマを決めたらいいんじゃないか? 和風喫茶とかメイド喫茶とか、そういう縛りを入れたら話題にもなるだろ」

「お、いいね、谷村君。じゃあ、何かしらの縛りを入れるという事で」

 

 吉井が賛同してくれた。

 

『縛りか……中華喫茶とかどうだ? おしゃれだぞ』

『クレープ屋ってのは? クレープなら持ち歩くから宣伝にもなるし』

『かき氷とかアイスとかもいいだろ。やっぱり冷たいものが人気出ると思うんだ』

『それで当日に雨が降ったら悲惨じゃないか?』

『普通に焼きそばやお好み焼きは?』

『それは普通すぎて面白くない』

 

 クラスメイトからも意見がたくさん出てくるが、まとまりがない。

 

「とりあえず、何かしらのテーマを決めた喫茶店ってことでいいかな?」

 

 ひとまずの意見として吉井がまとめてくれた。

 

「じゃあ候補に入れるぞ」

 

 

 

【候捕③ 契茶店『何かで縛る』】

 

 

 

「意見はこんなもんか」

「食事系は喫茶店にまとまるだろうし、これでいいよね」

 

 と、意見を閉め切ろうとしたとき、教室のドアががらりと開いて鉄人が現れた。

 

「皆、清涼祭の出し物は決まったか?」

 

 この気温では聞きたくないむさくるしい声だが、文句を言っても殴られるだけだ。

 

「今のところ、候補は黒板に書いてある三つです」

 

 吉井がそれに答えると、鉄人はその候補に視線を移した。

 

 

 

【候補① 寅劇『Fクラスの非劇』】

【候捕② お化け屋式『破局の館』】

【候捕③ 契茶店『何かで縛る』】

 

 

 

「……補習の時間を倍にした方が良いかもしれんな」

 

 しまった! 俺達がバカだと思われている!

 

「ち、違うんです! 最初の一つは吉井が書いたから、文句は吉井に言ってください!」

「あとの二つがおかしいのは谷村君のせいです!」

 

 俺と吉井が互いに責任を押し付けあう。自分が書いたことで鉄人があきれてるんだぞ! その責任くらいちゃんととれ!

 

『せ、先生! 俺達はまじめにやってたんです!』

『吉井と谷村がそうやって書いたんです!』

『バカなのは二人だけなんです!』

「なんだとお前ら! 俺のどこが吉井だって!?」

「ちょっと待った谷村君。今『バカ=吉井()』という方程式を作らなかった?」

 

 俺達に責任を押し付けて補習を回避しようとするクラスメイト達。なんて姑息な連中だ。

 

「静かにしろ! みっともない言い訳をするな!」

 

 そんな状況を見かねて、鉄人が一喝する。静かになるFクラス一同。

 それにしても、ちょっと鉄人を見直した。クラスメイトを身代わりに逃げようとする精神を叱責するなんて、なんだかんだ言っても教師なんだな。

 

「先生は、こんなバカを運営委員に選んだことを反省しろと言ってるんだ!」

 

 前言撤回。本当は教師じゃないだろ。

 

「言われてるぞ、吉井」

「何言ってるんだよ、谷村君。キミの事だろ」

「二人ともだ」

「「そんなバカな!?」」

「どうして貴様らはそこまで心外そうな顔ができるんだ?」

 

 心底不思議そうに告げる鉄人。

 

「だって、吉井は観察処分者じゃないですか! 俺を吉井と一緒にしないでください!」

 

 というか、最近は噂のせいもあって吉井とワンセットにされることが多い気がする。失礼な話だ。

 そんな俺の文句を聞いた鉄人はさも当然という風に答える。

 

「確かに吉井は観察処分者だが、俺は個人的にお前を《準観察処分者》と思っている」

「どうしてですか!」

「吉井に影響されたかは知らんが、最近の騒動の中心には貴様がいるじゃないか」

 

 言われてみれば、先日のラブレター騒動の他にも細々とした騒ぎで鉄人に度々叱られている。けれど、それだって俺は巻き込まれただけだ。決して吉井のような主犯じゃない。

 

「そんな……! 俺が吉井と同じ扱いなんて!」

「ねえ、さっきから二人とも僕の事をなんだと思ってるの?」

「「バカ」」

「なんてことを!」

 

 綺麗にハモる俺と鉄人。

 

「それにだ、谷村。成績面の話ならお前は吉井をバカに出来んぞ」

「え? どうしてですか?」

「最近は頑張ってるようでわずかばかりの改善がみられるが、それでも総合科目の点数は吉井よりお前の方が低いんだからな」

「…………」

「ええっ! 僕より点が低い事って、無言で大粒の涙を流すほどつらい事なの!?」

「当たり前だろう、吉井」

「鉄人は黙ってろ!」

 

 よし、今日からはもっと勉強しよう。こんな吉井(バカ)に負けるなんて、どんな悪評よりも屈辱的だ。

 

「まったくお前達は……少しはまじめにやったらどうだ。稼ぎを出してクラスの設備を向上させようとか、そういった気持ちすらないのか?」

 

 泣いたり喚いたりしている俺や吉井をみて、あきれたように鉄人がそんな台詞をこぼす。それを聞いて、クラスの皆はざわめきだした。

 

『そうか! その手があったか!』

『試召戦争だけが設備向上のチャンスじゃないのか!』

『ボロボロのござにみかん箱なんてやってられるか!』

 

 一気に教室内が活気づく。当然だ。元々設備に不満を覚えて試召戦争を始めたのに、当時よりもさらにひどい設備になっている。我慢なんてできるわけもない。

 

「み、皆さん! 頑張りましょう!」

 

 という姫路さんの声も聞こえてきた。立ち上がって拳を豊かな胸の前で握り、やる気満々と言った様子だ。さっきも意見を出してくれたし、よほど清涼祭を楽しみにしているらしい。

 

『で、出し物はどれが良い? できるだけ儲けが出る方が良いよな』

『木下には悪いが、演劇はあまり儲からなそうだ』

『お化け屋敷は回転率をあげれば儲かるんじゃないか?』

『それを言ったら喫茶店が一番だろう。利潤は大きいぞ』

 

 クラスメイトからも元気な声がたくさん上がる。

 

『初期投資の少ない展示系はどうだ?』

『それは利益が少なくて結局儲からないだろう』

『カジノを作ればいいんじゃないか? 胴元のテラ銭でぼろ儲けだ』

『それは法に触れるだろ……』

「ちょっと、お前ら落ち着け!」

 

 意見が次々と挙がるのはありがたいが、これじゃまとまりそうにない。

 

「こんなまとまりのないクラスだったか? 試召戦争の時はもっと一致団結してただろ」

 

 何とかしようと、吉井に話しかける。

 

「ううん……多分雄二のおかげじゃないかな」

「坂本の?」

「うん。アイツは人をまとめ上げるのが得意だから、そのおかげであの時は上手くいってたのかも」

 

 なるほどな……。改めて思うが、坂本はすごいことをしていたのかもしれない。

 

「どうにかして坂本にリーダーを任せられないか? 運営委員はともかく、これをまとめるのは俺やお前には厳しいだろ」

「僕もそうしたいところだけど、雄二は自分の興味がない事には基本的にかかわらないし、無理だと思うよ」

「そうか……」

 

 そうやって話す間も意見は飛び交っていて、収まる気配はない。

 どうしたもんかと手をこまねいていると、

 

「あーもう! 埒が明かない!」

 

 と叫んで島田さんが立ち上がり、黒板の前へとやってきた。

 

「皆! 静かにして! いろいろ意見が出たけどキリがないから、さっき出た候補の中から一つ決めるからね! 具体的にどうするかはその後!」

 

 無理やり話を進める島田さん。急に出てきたのでびっくりしたが、正直に言うとありがたい。

 

「ほら、文句言わない! この三つの中から一つだけ選んで手を挙げてね!」

 

 島田さんは反論を眼力で抑え込みながら多数決を取り始めた。

 そして、

 

「はいじゃあFクラスの出し物は喫茶店にします!」

 

 島田さんのおかげでひとまず出し物が決定した。

 

「じゃあ、どんな喫茶店にするかはまた話し合うってことで。とりあえずまたアキ達が意見を集めて、また最後に多数決をしましょう」

「分かったよ、美波」

「島田さん、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 そう言い残して、島田さんは自分の席へと戻っていった。なるほど、強引だが島田さんもリーダーシップがある。

 

「じゃあ、やりたい喫茶店のテーマを募っていくぞ。とりあえず、さっき名前が挙がったやつは一応黒板に書いておくが」

 

 俺が例で挙げたものも含めて、黒板に列挙していく。

 

 

 

『和風喫茶』『メイド喫茶』

『中華喫茶』『アイス屋』

『クレープ屋』『焼きそば、お好み焼き』

 

 

 

「これ以外で意見がある奴はいるか?」

 

 鉄人の鉄拳とともに字を直しながら書き終わったところでもう一度質問する。

 

「ねえ、僕からもいいかな?」

 

 すると、手を挙げたのは俺のすぐそばに立つ吉井。

 

「なんだ?」

「どの喫茶店をするにしてもさ、このFクラスの教室だと雰囲気を出したりするのが大変だよね?」

「あー……壁のひび割れとかか?」

「そうそう」

 

 確かに吉井の言う通り、このFクラスの設備はとても飲食店を経営できるようなもんじゃない。もちろん徹底的に掃除はするつもりだが、それでも見た目の問題がある。

 

「だったら、喫茶店自体やめるのか? また一から考え直すことになるが」

「そうじゃなくて、逆にこの設備を生かそうってこと」

「生かす?」

「ほら、さっき候補に挙がったお化け屋敷の時にさ、谷村君が『この教室にぴったりだ』って言ってたでしょ?」

「ああ、そういえば」

「だから、『お化け喫茶』なんてのもいいかもしれないって思ったんだ。それっぽい料理や飲み物を出してさ」

 

 お化け喫茶か……ふむ。

 

「吉井の発案にしてはいいかもしれないな」

 

 お化け屋敷や喫茶店はあれど、それを組み合わせた模擬店はなかなか目にしない。インパクトの面でも文句なしだ。

 さっきの候補一覧に、『お化け喫茶』と書き加える。

 

『たしかに、吉井の癖にいいアイデアだな……』

『吉井が出したとは思えないな』

『アイツ本当に吉井なのか?』

『バカ、あんなバカ面が吉井以外にいるわけないだろ』

『それもそうだな』

 

 と、クラスメイトの声。

 

「良かったな吉井。皆お前を褒めてるぞ」

「後半はただの罵倒だよね!?」

 

 前半も罵倒だったと思うが。

 

「おかしい……僕ほどの美少年もそういないはずなのに……」

「さて、他にアイデアのあるやつは……いないみたいだな」

 

 何やらよくわからないことを言っている吉井を無視して進行を進める。

 

「じゃあこの中から決を採っていく。さっきと同じように、一人一回手を挙げてくれ」

 

 さっきの島田さんを参考にして多数決を取る。

 そして。

 

「というわけで、今年のFクラスの出し物はお化け喫茶に決定だ」

 

 中華喫茶、和風喫茶とも票が割れたが、最終的にお化け喫茶が僅差でトップになった。

 本当は、この後料理や飾りつけのアイデアだしとか、役割分担などを決めたかったのだが、ちょうどここでチャイムが鳴ってしまった。野球に加えて議論が一度崩壊したのも、時間を浪費した原因だろう。

 

「……ま、出し物が決まっただけ良しとするか。じゃあ、今日はここまで。細かいことはまた次回な」

 

 そんな俺の言葉で、LHRが終了する。

 こうして、2年Fクラスの清涼祭が本格的に幕を開けた。




本来モブのはずの谷村君がいつの間にか鉄人に目を付けられていますね。
出店はせっかくなので原作と変えました。


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第二問 清涼祭運営委員会

【地理】

 以下の問いに答えなさい。

『バルト三国と呼ばれる国名をすべて挙げなさい』

 

 

 

 橋本和希の答え

『リトアニア エストニア ラトビア』

 

 教師のコメント

 正解です。あなたは社会科科目の成績が素晴らしいですね。

 

 

 

 工藤信也の答え

『バーバニア ルールニア トートニア』

 

 教師のコメント

 なんとなく覚えていたことは伝わりました。

 

 

 

 須川亮の答え

『日本 中国 インド』

 

 教師のコメント

 せめてヨーロッパの国を。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『ババロア カプチーノ ティラミス』

 

 教師のコメント

 せめて国を。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

「島田さん、さっきはありがとう。助かりました」

「僕からもお礼を言うよ、美波」

 

 帰りの H R (ホームルーム)が終わって、放課後。運営委員の俺と吉井は、窮地を救ってくれた島田さんに感謝を述べていた。

 

「あれくらい、大したことじゃないわよ」

 

 そうは言うが、その程度の事が俺や吉井にはできなかったのだ。

 

「そんなことより、やっぱりどうにかして坂本を学園祭に引っ張り出せない? アキが頼むのが一番だと思うんだけど」

「坂本をですか?」

「うん。アキや谷村も仕事はするだろうし、ウチもできるだけ手伝おうとは思うけど、坂本が指揮を執るのが一番だと思うから」

 

 それについては俺も同意だ。模擬店を決めることですらあれほどもめたのだから、この先も思いやられる。

 

「ううん……気持ちは分かるけど、それは厳しいかな……。さっきも谷村君には言ったんだけどさ、雄二は興味のない事には徹底的に無関心だからね。さっきのLHRも寝てたし、模擬店がお化け喫茶に決まったことも知らないんじゃない?」

「でも、アキが頼めばきっと動いてくれるはずよね?」

 

 何かを期待するようなまなざしを吉井に向ける島田さん。

 

「え? 別に僕が頼んでも、アイツの返事は変わらないと思うけど。そりゃ、よくつるんでるけどさ」

「大丈夫よ、アキなら。だって、アンタ達は愛し合ってるんでしょう?」

「もう僕お嫁にいけない!」

「吉井、婿の間違いだ」

「ハッ!?」

 

 真顔でとんでもないことを言う島田さんに驚く前に、吉井にツッコミを入れてしまった。

 

「あれ? 違ったの? じゃあ、やっぱりアキが愛してるのは谷村の方なんだ」

「島田さん、言葉には気を付けてください。また悪評が広まるので」

 

 ほんとに、いい加減にこの噂をどうにかしないとまずいぞ……。

 

「雄二も谷村君もそういうんじゃないから! それを言うんなら、僕は秀吉の方を愛しているよ!」

「……あ、明久?」

 

 と、偶然近くにいた秀吉が反応する。

 

「そ、その、お主の気持ちはうれしいのじゃが、そんなことを言われても困るのじゃ。ワシらには色々と障害があると思うのじゃ。その、ホラ、歳の差とか身分の差とか……」

「ひ、秀吉! 誤解、誤解なんだ! ただの言葉の綾で……っていうか、僕らの間にある障害はそういったものじゃないと思う!」

「歳も身分も性別も同じだろ、お前ら……」

 

 吉井が近くにいるからわかりづらいが、秀吉も結構バカだよなあとたまに思う。

 あと、木下さんも可愛いから当然かもしれないが、秀吉も結構可愛いよなあ、とまんざらでもなさそうな秀吉を見て思う。

 

「それじゃ、坂本は動いてくれないってこと?」

 

 慌てる明久や惚ける秀吉を無視して、島田さんが話を続ける。

 

「え? あ、うん。そういうことになるかな」

「なんとかできないの? このままじゃ喫茶店が失敗に終わるような気がして」

 

 そう言って、島田さんは沈んだ表情を見せた。

 失敗に終わる、とまでは考えていなかったが、大成功を呼び込むには少し不安要素が多すぎる。坂本を引っ張り出すことが出来たらそれも解決できるだろうが……。

 

「俺達だけで頑張るしかないでしょう。何、失敗したって死ぬわけじゃないんですから」

「それはそうだけど……今年の清涼祭は絶対に成功させたいのよ」

 

 そう言葉を返した島田さん。

 

「そんなに清涼祭を楽しみにしてるんですか?」

「そうじゃないの。ちょっと……事情があるのよ」

「事情?」

 

 島田さんの言葉尻を捕らえる吉井。

 

「それにしても、それだけ意欲があるなら運営委員に名乗り出ても良かったんじゃないですか?」

「そうしてもよかったんだけど、ウチは、召喚大会に出るからちょっと困るのよね」

「召喚大会? なんですかそれ?」

 

 初めて聞く大会だ。去年は無かったはずだが。

 

「確か、今年新たに開催される、『試験召喚システム』を宣伝するための大会じゃったな。二人一組のトーナメント制だったはずじゃ」

「へえ、そんなことをやるのか」

 

 秀吉が教えてくれた。

 

「Fクラスからは誰も出ないと思っておったが、島田も出るのじゃな」

「うん。瑞希に誘われてね」

「ふうん……見世物みたいなものなのに、二人とも物好きなんだね」

 

 そんな吉井の言葉に、島田さんは顔を曇らせた。どうしたんだ?

 

「して、島田よ。お主らは何の話をしておるのじゃ? 深刻そうな顔になっておるが」

 

 赤らめた顔をすでにいつもの顔に戻している秀吉も会話に参加する。

 

「いや、深刻ってわけじゃないんだけど、清涼祭の話で――」

「谷村、そうじゃないのよ。深刻な話なの」

「え? どういうこと? そういえば、美波はそこまで設備に不満があったわけじゃないのに、LHRの時に助けてくれたり熱心だよね?」

「……設備の話ではあるんだけど……どうしようかな……」

 

 島田さんは歯切れが悪そうに声を漏らす。

 

「……二人は運営委員だし、話した方が良いわね。本人には誰にも言わないでほしいって言われてたんだけど、事情が事情だから話すわ。けど、一応秘密の話だからね?」

「う、うん」

「わかりました」

 

 いつになく真剣な表情を作る島田さんに、少しばかり気圧される。

 

「実は、瑞希なんだけど」

「姫路さんがどうかしたんですか?」

「あの子、転校するかもしれないの」

「ほぇ?」

 

 そんな間抜けな声を出したのは吉井。

 姫路さんが転校って、どういうことだ? もうすぐ学園祭で、この後もいろんなイベントが待っているというのに。この前の試召戦争で、彼女とFクラスとしての絆が深まったのに、あまりに急すぎる話だ。

 

「それって、どういう」

「谷村よ。話をつづける前に明久をなんとかせねば」

「は?」

 

 秀吉に言われて吉井に目をやると、焦点の合っていない目で中空を見つめながらうわごとのように何かをつぶやいている。

 

「おい、バカ。どうして処理落ちしてるんだ」

「まだ概要を話しただけなのに……」

「明久、目を覚ますのじゃ!」

 

 秀吉がその言葉とともにガクガクと明久の肩を揺らす。

 

「秀吉……、モヒカンになった僕でも、好きでいてくれるかい……?」

「……どういう処理をしたら、瑞希の転校からこういう反応が得られるのかしら」

「なあ秀吉、こんなバカと同じ扱いをされている俺をどう思う?」

「さすがに同情するぞい……」

「…………ハッ! 美波! 姫路さんが転校ってどういう事さ!」

 

 朦朧とした意識を払しょくした吉井が、微妙な目つきの島田さんに詰め寄る。

 

「どうもこうも、そのままの意味。このままだと瑞希は転校しちゃうかもしれないの」

「このままだと……?」

 

 妙な言い回しに違和感を覚えた吉井を見て、島田さんは詳しい説明を始めた。

 

「転校の理由は、『Fクラスの環境』よ。この勉強にはふさわしくない設備と、だらしないクラスメイトが問題ね」

「ってことは、別に両親の仕事の都合で転校するんじゃなくて――」

「そう。純粋に設備の問題なのよ」

 

 なるほど、確かに納得だ。

 このFクラスの環境は、とても学年次席レベルの姫路さんにはふさわしくない。学校の方針なのだとしても、俺達みたいに成績が悪ければ仕方ないと思えるが、姫路さんは振り分け試験の日に熱を出したからここにいる。ござにみかん箱という設備に、切磋琢磨しようにもできないバカばかりのクラスメイト。普通の感性をもつ両親なら、転校させようと考えても何ら不思議じゃない。

 

「それに、瑞希は体も弱いから」

「……確かに、それが一番まずいのう」

「この環境、姫路さんはいつ体調を崩してもおかしくないもんね」

「なるほど。だから、島田さんは喫茶店を成功させて設備を向上させたいのですか」

「うん。瑞希がウチを召喚大会に誘ったのも、『Fクラスはバカの集まりじゃない』って両親を見返したかったかららしいんだけど、やっぱり設備をなんとかしないとね」

 

 Fクラスがバカの集まり、という事自体に異論はないが、両親を説得するために召喚大会で優勝を目指すのは間違った行動じゃない。それでも、一番の問題は姫路さんの健康にかかわる設備の方だ。

 

「……アキはその……瑞希が転校したりとか、嫌だよね……?」

「当たり前じゃないか! それが美波や秀吉、谷村君であっても一緒だよ! せっかく同じクラスになれたのに、こんな理由で離ればなれになるなんて絶対に嫌だ!」

 

 ……吉井は、なかなか熱いことを言ってくれる。

 俺だってその気持ちは同じだ。

 

「そういうことなら、俺も協力しますよ」

「ワシもじゃ。クラスメイトの転校と聞いては黙っておれん」

「……三人とも、ありがとう」

 

 島田さんが、嬉しそうに声を漏らす。

 

「それじゃ、まずは雄二に連絡を取らないといけないんだけど……」

 

 教室内に坂本の姿は見えないが、鞄は残っている。学校内のどこかにいるはずだ。

 吉井がポケットから携帯を取り出そうとしたとき、

 

「なんだ、お前ら。まだこんなところにいたのか」

 

 野太い男の声がかけられる。

 

「て、鉄人!」

「西村先生と呼べといつも言っているだろう、吉井……で、お前らはどうしてこんなところにいるんだ」

「へ?」

 

 何を言ってるんだ、この鉄人は?

 

「HRで説明しただろう。この後、視聴覚室で運営委員会があるから、運営委員の二人は向かうようにと」

「あー……」

「そういえばそんなことを言っていた気もしないでもないような……」

「二人とも。西村先生はしっかりと言っておったぞ」

 

 そんなこと言われても、鉄人の話なんか9割無視しているんだから仕方ないじゃないか。

 

「もうすぐ時間だ。速やかに向かうようにな」

「「はーい」」

 

 そして、鉄人は教室を出ていった。

 

「……仕方ない。行くか、吉井」

「…………でも、雄二をたきつけないと」

「それは分かるが、一応俺達は運営委員なんだぞ」

 

 すると、吉井は一瞬悩んでから、

 

「オーケー! じゃあそっちは谷村君に任せた! 僕は雄二を探して協力させるから! 役割分担って大事だよね!」

 

 と叫んで教室から飛び出していった。

 

「お、おい! ……ちっ。行ったか」

 

 くそ、まんまと押し付けられてしまった……。

 

「谷村。明久の代わりにワシが行こうかの? 今日はこの後用事も入っておらぬし」

「いや、いいよ。別に二人行かなきゃならないってこともないだろうし。吉井に何か策があるのは本当だろうから、良い役割分担とも思うしな」

 

 どちらにしても、坂本を引っ張り出せるならその方が良い。

 そっちは吉井に任せるとして、俺は重い足取りで視聴覚室へと向かった。

 

 

            ☆

 

 

 視聴覚室の中に入ると、既に多くの生徒が集まっていた。えーと、この学校には18クラスあるわけだから、30人以上がいることになるのか。一クラスの人数が50人と考えると、大して多くもなかった。

 幸いまだ始まっていないらしく、適当に開いている席に座る。すると、

 

「あ、キミは確か、優子と戦ったコだっけ?」

 

 隣からそんな風に声をかけられた。

 おや? と思って顔を向けると、そこには色の薄いショートカットがよく似合う、ボーイッシュな美少女が座っていた。

 

「えっと、確か……工藤のお姉さんでしたっけ?」

「そうそう! うれしいなあ。覚えててくれたんだ?」

「ええまあ……」

 

 あれだけ魅力的な(というより魅惑的な)第一印象だったのだ。そうそう忘れるもんでもない。

 

「工藤のお姉さんも運営委員なんですね」

「そうなんだよね。くじで負けちゃってさーいや、まいったまいったー」

 

 そう言って笑う工藤のお姉さん。試召戦争の時にも思ったが、やけに明るい人だ。

 

「ところで、『工藤のお姉さん』って呼ぶってことは信也と仲良くしてると思うんだけど、いちいち『工藤のお姉さん』なんて呼ぶの面倒じゃない?」

「そうですかね?」

「その敬語もボクは嫌だなあー。ため口でいいよ。呼び方も普通に『愛子』でさ」

「……あ、ああ。わかった」

 

 ぐいぐい来るなあ……きっと、学内の友達も多いのだろう。

 ……愛子で良いとは言われたが、急にそんな名前呼びするのは……まあいいか。

 

「知ってるかもしれないが、一応俺も名乗っておく。谷村誠二だ。よろしく、愛子」

 

 とにかく自己紹介はしておこうと思って口にすると、

 

「……そうか、君が谷村君だったか」

 

 という声が愛子の向こうから聞こえた。

 その声の主は、メガネをかけた学年次席。試召戦争で姫路さんが戦った相手だ。

 

「久保利光だ。君とは一度話してみたいと思っていたよ」

「話してみたいって、どうして?」

「君は僕のライバルだからさ」

 

 はあ?

 学年次席の久保が、Fクラスの俺なんかをライバル視している?

 

「どういうことだ?」

「詳しいことを話すにはここはオープンすぎるから控えておくけれどね。君と僕は同じ立場……いや、君の方が一歩先を行っているとも言えるんだ」

「……ごめん、久保。もう少しわかりやすく話してくれないか」

「簡単な事さ。君と僕は、同じ人を好きになってしまったというわけさ」

「な! な! な……!」

 

 わかりやすすぎる。直球じゃないか。なるほど、確かにこんな人の多いところで話すことではないな。

 同じ人を好きになったという事は、久保も木下さんの事が好きなのか……。学年次席ともなれば、木下さんの隣に立つのに申し分のない男とも言える。さっき久保が言った『一歩先を行く』というのは、いつぞやの喫茶店に行った時のことを言っているのかもしれないが、とんでもない。木下さんに見合う男に近いのは、久保の方だと俺は思う。

 ぐぐぐ……これは強敵だぞ……。

 

「……久保。たとえお前が相手でも、俺は譲らないからな」

 

 久保に対して、宣戦布告ともいえる発言をする。負けてたまるか。これでまた一つ勉強する理由が増えた。

 …………ところで、俺の想い人が木下さんってことや、喫茶店に行ったことをどうして久保君は知っているのだろうか?

 

「もちろんさ。譲られた愛なんて、愛とは言えないだろう」

 

 俺の言葉を受けて、久保がそう返す。

 それはいいのだが……。なんだ、この、言いようのない不安感は……何かとんでもないことをしでかしたようなこの感覚は。

 

「僕は絶対に彼の愛を手に入れて見せるよ」

「……は?」

 

 久保君は、満足した様子で話を切り上げて視線を前に戻した。

 『彼』?

 …………………………。

 

「ちょっと待て、久保! お前は何か盛大に勘違いをしている!」

「いいや、勘違いなどしていないさ。僕の恋のライバル君」

「その言い方やめろ! 違う! やめてください!」

 

 察した! 今流れている俺の噂を思い出して、今しでかしたことを完璧に理解した!

 え、あ、ていうか久保って()()なの?

 

「おい、愛子! 肩を震わせて笑うんじゃない! お前、もしかして最初から全部わかってたな!」

「え? 何のことカナ?」

「見えてるんだよ、そのボイスレコーダーでバッチリ録音してるのが! それ、どうするつもりだ!」

「いや、別に何もしないよ? ただちょっとボクの友達と聞きあうだけで」

「削除しろ! いや、削除してください!」

 

 なんて騒いでいると。

 

「面白そうな話の気配がすると思ったら、谷村さんじゃないですか」

「ん?」

 

 と、今度は一つ前の席に座っていた男子生徒がこちらに振り向いた。

 

「橋本じゃないか。お前も運営委員なのか」

「まあそうですね。体よく押し付けられた形ですよ」

 

 橋本がそういうと、隣に座っていた女生徒がうなずいていた。きっと彼女も2-Eの運営委員を押し付けられたんだろう。

 

「ところで、谷村さんは一人みたいですが、もう一人の運営委員は誰なんですか?」

「吉井だよ」

「ああ、あなたの彼氏さんの」

「だから『彼氏だって!?』違うって。ただのクラスメイトだ――って、今の久保の声だよな!?」

 

 俺の台詞の途中に挟まった妙な声。発言者と思われる久保はこちらを向いて驚愕の表情を見せている。

 

「やめろ、久保。そんな『君たちはもうとっくにそこまで進展しているのか』みたいな表情を今すぐにやめろ。誤解だ」

「くっ! それでも僕は負けないさ!」

「負けでいい! この勝負は負けでいいから! 俺の話を聞いてくれ!」

 

 なるほど、こうして誤解は広がっていくのだろう。

 

「で、その吉井さんはどうして今いないんですか?」

「……ちょっとクラスの模擬店に関する作業をしていてな。こっちまで手が回らなかったんだ」

 

 特に嘘をつく必要もないが、正直に答えるのも面倒なのであいまいに答える。

 

「ふうん。面白くないですね」

「お前の面白さ優先で生きてないからな!」

 

 橋本のヤツ、俺が思っているよりかなり性格が悪いような気がする。

 などと騒いでいると、

 

「ちょっと、静かにしてくれない? さっきからカーカーうるさいカラスみたいに喚いてるけど、はっきり言って迷惑よ」

 

 女の子の声で、後ろからそう話しかけられた。

 

「あ、すいません……」

 

 謝りながら振り向くと、そこに座っていたのは見覚えのある女子だった。

 

「……えーと」

「なに? 人の顔をじろじろと見て。失礼だと思わないの?」

「あ、いや、どこかで会ったような気がして」

「ナンパ? だとしたらお生憎(あいにく)。恋人は作らない主義なの」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 藍色のショートカットを揺らしてふんと鼻を鳴らす彼女。

 ううん、この口の悪さや声も含めてどこかで話したことがあるような……。

 

「あ! 『ラ・ペディス』だ!」

 

 思い出した。

 

「え?」

「前に、『ラ・ペディス』に行ったことがあるんですが、その時のウェイトレスがあなただったんですよ」

 

 あの時の営業スマイルとは違って今は不機嫌そうにしていたからすぐには分からなかったけど、確かにそうだ、間違いない。

 

「ほー、よく覚えてるな」

 

 俺の言葉を聞いてそう答えたのは、そのウェイトレスをしていた女子生徒の横に座る男子生徒。黒い短髪の彼も見覚えがある。あの時、ウェイターをしていたはずだ。

 

「確か、お前は黒……黒部?」

「惜しいな。俺の名前は黒崎トオルだ。で、こいつは村田奈々。俺達はあの店でバイトしてるんだ」

「ちょっと、黒崎。勝手に人の名前を教えないでよ」

「いいじゃないか、どうせ同じ運営委員なんだし」

 

 快活に笑う黒崎にジト目で文句を飛ばす村田さん。うらやましいことに、かなり仲がいいようだ。

 

「二人はどこのクラスなんだ?」

「Cクラスだ」

 

 Cクラス。つまり、二学年を成績で二分割すれば上位には入るという事だ。AクラスやBクラスと比べパッとこそしないものの、人並みの成績は取れている。というか、俺は人の成績をどうこう言うことはできない。

 

「二人とも、俺はFクラスの谷村誠二だ。よろしくな」

「ああ、よろしく」

「……Fクラス?」

 

 黒崎はにこやかに挨拶を返してくれたが、村田さんの方は眉間にしわを寄せた。

 

「Fクラスって、学力最底辺のクラスじゃない。清涼祭に参加してる余裕はあるの?」

「いや、まあ、一応」

「LHRの時間に野球をしていたようだし、その時間も補習に充てた方がいいと思うわ」

「あー、えと、その」

「せっかくあの鉄人が担任なんだから、次回の試召戦争に備えて勉強に励むことをお勧めするわ」

「…………うう」

 

 ものすごくけなされているのに、正論だから何も言い返せない。

 

「村田、その辺にしておけよ」

「……私、別に間違ったことは言ってないわよ」

 

 黒崎になだめられて、村田さんはすねるようにそっぽを向いた。

 

「ごめんな、谷村。コイツ、口は悪いけど根はいいやつなんだ。許してやってくれ」

「いや、別にいいけど……」

 

 根も葉もない噂でバカにされるよりはよっぽどましだ。さっきの村田さんの言葉は、もっと勉強しろという叱責なのだろう。……多分。

 

「皆さん、お待たせしました」

 

 そんなこんなで時間が経ち、前方の扉からとある女教師が入ってきた。

 

「運営委員会の顧問になりました、高橋です。皆さん、よろしくお願いします」

 

 二学年の学年主任である高橋女史だ。

 

『『『よろしくお願いしまーす』』』

 

 それに対するダルそうな返事。並々ならぬ意欲をもって運営委員になった人はやはり多くないようだ。

 

「では、前からプリントを回しますので、それが終わったらスクリーンで説明します」

 

 そんな俺達の気持ちを知ってか知らずか、高橋女史は淡々と話を続ける。

 姫路さんの転校を阻止するためにも清涼祭を成功させないとなと思いながら、前方の橋本からプリントを受け取った。

 

 

            ☆

 

 

 運営委員の仕事は大きく分けて三つ。

 校内全体の飾りつけやイベントのための設営の手伝いといった肉体労働。

 模擬店やイベントの申請を管理する頭脳労働。

 そして、安全、無事に清涼祭を終えるためのチェックや警備を兼ねた巡回。

 もちろん他にこまごまとした仕事はあるが、基本的にはこれらがメインとなる。

 

 最後の巡回は全員で分担して行うことになっているが、最初の二つはクラスによってそれぞれ仕事が振り分けられる。俺達二学年は、全員肉体労働の方へと配置された。

 というのも、今年初めて開催される『試験召喚大会』の設営の為に例年以上に人手がいるらしいのだ。設営には物理干渉できるように設定した召喚獣を用いるらしいので男女も歳も関係なく仕事にとりかかれる。

 個人的には書類を管理したりだのといったものよりよっぽどわかりやすくて助かる。Fクラスには観察処分者の吉井もいるし、作業もはかどるだろう。

 

「では、これで説明を終わります。運営委員の皆さんは、三日後までに自身のクラスの出し物についての書類を提出してください」

 

 高橋女史のその言葉とともに、スクリーンのために暗くなっていた部屋に明かりが点いた。

 それを合図に生徒達も立ち上がり、ざわつきだす。

 出し物の書類か。お化け喫茶ってことは決まったが、具体的な案も店名も未定だ。次の話し合いで決めないといけないな。

 

「それじゃ、吉井君によろしく言っておいてネ」

「僕からもよろしく頼むよ」

 

 なんてことを言いながら、横に座っていた愛子と久保が立ち上がった。

 

「ああ」

 

 それを聞いて俺も立ち上がり、視聴覚室を後にしようとすると。

 

――ドンッ

 

「痛っ」

「いって!」

 

 入り口で、他の人とぶつかってしまった。

 

「ごめん」

 

 とっさにそう謝ると、

 

「こっちこそ悪い……あ? なんだ、お前かよ」

 

 返ってきたのは、そんな不機嫌な声だった。

 その受け答えに不愉快になりつつ、顔をあげて声の主を確認する。

 俺がぶつかったのは、細長いメガネをかけた金髪リーゼントの男子生徒だった。ワイシャツの第二ボタンまでだらしなく開けており、一言で言えば不良、というヤツだろう。その目立つ出で立ちは学年集会でちょくちょく見かけていたから、同学年のはずだ。

 と、そこまで把握してからふと沸いて出た疑問をぶつける。

 

「……お前と面識あったか?」

 

 明らかに俺を知っている様子だった……いや、最近悪評が流れているからそのせいかもしれないが。

 

「あ? 試召戦争で戦っただろうが。忘れたとは言わせねえぞ」

「…………あー……」

 

 ここまで出かかっているのだが、思い出せない。

 

「覚えてねえなら言ってやる。オレは、Bクラスの鈴木二郎だ!」

 

 Bクラス……鈴木二郎……あ。

 

「俺が一瞬で倒したやつか」

「たまたま消耗していた数学でな!」

 

 そう言えば、こいつとはBクラスの終盤で戦っていた。Bクラスの窓を開けるために数学のフィールドで特攻した時だ。あの時は作戦遂行で精いっぱいだったからな……。

 

「お前に負けたせいであの後根本からネチネチ言われたんだぞ!」

「……いや、逆恨みじゃねーか」

「うるせえ! 大体、まともな状態だったらFクラスのお前に負けてねえからな!」

 

 まともな状態で、Bクラスの鈴木にFクラスの俺が勝てないのは当たり前だ。そうならないために策を弄するのが試召戦争なのだ。

 だってのに、どうやら鈴木には相当恨まれているらしい。

 そういえば、あの敗戦でBクラス内での根本の立場がかなり弱くなっているという噂を聞いた。鈴木も似たような状況かもしれない……どっちにしても、俺の知った話じゃないが。

 

「ねえ、そんなバカほっといてもう行きましょうよ」

 

 そんなことを考えていると、鈴木の後ろに立っていた女生徒が鈴木にそう声をかけた。赤みがかった黒いの長髪で切れ目の美人、と言えるだろう。

 確か、鈴木と一緒に戦っていた金田一香、だったか。

 

「だけどよ……」

「バカに構ってる時間なんかないわ。そんな事より、今日は何して遊ぶ?」

 

 金田一さんは、鈴木の首筋に手を回してそんなことをささやいている。……付き合ってんのか、コイツら。

 にしても、バカ呼ばわりされるのは腹立たしいが、それを否定できないのがそれ以上にムカつく。俺がFクラスであることは不服だが受け入れなければなるまい。

 

「ちっ……今度戦うときがあったら、コテンパンにしてやる!」

 

 鈴木は、金田一さんの手を軽く払ってからそう俺に叫んで、金田一さんと一緒に視聴覚室を出ていった。

 

「……面倒な奴に目を付けられたな」

 

 ともかく、俺も教室に戻ろうか。

 太陽はすでに大きく傾いている。はてさて、吉井の方は順調にいったかな。

 

 

            ☆

 

 

「あ、谷村君」

 

 教室に戻る道すがら、木下さんとすれ違った。その前髪は、いつぞやにプレゼントしたヘアピンで留められている。

 

「木下さんじゃないか。何やってたんだ?」

 

 見れば、体操着袋を抱えている。体操着から着替えて教室に戻るところなのだろう。

 

「覗き犯を追いかけてたのよ」

「覗き犯?」

「ええ。吉井君と坂本君よ」

 

 あいつら、何やってるんだ!

 

「木下さん、覗かれたのか!?」

「いや、直接覗かれたって訳じゃないんだけどね。ちょっと色々あって放課後まで体操着で過ごしてたんだけど、着替えようと思って更衣室に行ったら二人がいたのよ」

「……」

 

 吉井は坂本を説得しに行っていたはずだが、何がどうなって女子更衣室に行く羽目になったんだろうか。まさか二人して覗きをしていたわけでも……いや、可能性はあるか? 未だにあいつらはよくわからん。

 

「で、捕まえたのか?」

「私だけじゃどうにもならなかったから、近くにいた西村先生に任せたわ。あの二人、逃げ足だけは速かったし」

「ああ……となると捕まってるな」

 

 度々鉄人に追われているFクラスの中でも吉井と坂本はトップクラスの逃げ足の速さを誇る。しかし、そんな二人よりも速いのが鉄人なのだ。こりゃ吉井は説得なんかしてる暇ないな。

 

「それで、谷村君の方は? 部活とか入ってたのかしら」

「いや、俺は帰宅部だけど、清涼祭の運営委員になったんだ」

「運営委員……なるほどね。お疲れさま」

「あ、いや、今日は話だけだったから」

 

 本格的に忙しくなるのは、これからだ。

 

「そういえば、Aクラスは何をするんだ?」

「メイド喫茶よ。なんでも、代表が張り切っちゃって」

「へえ……メイド喫茶か」

 

 名前だけならFクラスでも上がったはずだ。

 メイド喫茶にしなくてよかった。Aクラスと駄々被りになったら、それこそ人気が出るのは厳しいだろう。予算だけの話じゃない。可愛い人が3人しかいないFクラスじゃ、ウェイトレスのローテーションの段階で無理が出る。

 ……それはそうと、メイド喫茶という事は。

 

「木下さんもメイド服を着るってことか?」

「そうね。恥ずかしいし、アタシは着たくなかったんだけど、アタシ一人だけ着ない訳にもいかないからね」

 

 ハァと溜息をつく木下さん。木下さんには悪いが、俺は内心でメイド喫茶を推薦した学年主席にスタンディングオベーションで拍手を送っていた。メイド服を着た木下さんなんて見られると思ってなかったからな。

 

「木下さんのメイド姿、楽しみだな」

「な、なにを急に。お世辞言っても何も出ないわよ」

 

 やべっ。口に出ていた。

 

「別にお世辞じゃないぞ」

「……そ、それはそうと、Fクラスは何をするの?」

 

 恥ずかしいのか、話題を変える木下さん。別に恥ずかしがることないのに。

 

「うちはお化け喫茶だな」

「お化け喫茶?」

「お化け屋敷風の喫茶店、って言えばわかりやすいか?」

「ああ。なるほどね。面白そうじゃない」

 

 木下さんは、俺の説明でおおよそのイメージをつかんだようだ。

 

「まあ、大体のイメージだけで内容はほとんど決まってないんだけどな」

「……そういえば、あなたたちLHRの時間に野球してたわね」

 

 違うんだ。あれは坂本が悪いんだ。

 まあ、それはそれとして。

 

「アタシは運営委員じゃないけどクラスの為にできる限りの事はするつもりだし、楽しい清涼祭になるといいわね」

「ああ。そうだな」

 

 なんて挨拶を交わして、木下さんと別れた。

 教室に戻ってくると、ちょうど坂本と吉井も教室に戻ってきたところだった。

 

「あれ? お前達、生きてるのか?」

「なんだ、谷村。藪から棒に」

「いや、鉄人に追いかけまわされたって聞いたから」

「ああ……それはとっくに何とかなった話だ。それより、清涼祭の件は協力してやることにしたぞ」

「本当か!」

「まあな、こいつが覗きの汚名をかぶってまで姫路の転校を阻止したいと言ってるんだ。協力してやってもいいだろう」

 

 親指で吉井を指す坂本。

 

「そうだ。そもそもお前達、なんで女子更衣室なんかにいたんだ?」

「明久の趣味だ」

「ち、違う! もとはと言えば雄二が悪いんじゃないか!」

「ほら、結果報告だ」

 

 坂本は吉井を無視してそう言いながらガラリと教室のドアを開けて中に入る。教室には、島田さんと秀吉が残っていた。結局覗きの件は解決してないんだが……ま、姫路さんの転校がかかってるんだ。吉井も本当に覗きで女子更衣室に入ったわけでもないだろう。

 

「あ、坂本。どうだった?」

「上々だ。設備の改修を約束してくれたぞ」

 

 島田さんの質問にそう答えた坂本。

 

「……ごめん、最初から説明してくれないか」

「ん? ああ、悪い。そういえばさっき谷村はいなかったな」

 

 そして、坂本は姫路さんの転校を阻止するための策を話してくれた。

 

 運営委員の集まりの前にも話したが、姫路さんの転校の主な原因は三つ。

 一つ目、ござとみかん箱という勉強に向かない貧相な設備。

 二つ目、健康に害を与える老朽化した教室。

 三つ目、切磋琢磨できないバカなクラスメイト。

 このうち、一つ目は喫茶店の売り上げで、三つ目は召喚大会での好成績でそれぞれ改善や否定をすることができる。

 自分達だけでは改善できない二つ目について坂本と吉井は学園長に直談判しに行ってきたのだという。

 

「で、その交渉の結果設備の改修をしてくれることになったわけだ。多少の条件はあったがな」

「条件?」

「ああ。ちょっと口外はできないが、大丈夫だ。必ず達成してやる」

「……その自信満々な顔、Aクラスとの試召戦争の時にも見た気がするんだが」

「…………大丈夫だ。必ず達成してやる」

 

 坂本は苦々しい顔で同じ言葉を繰り返した。まあ、一応Dクラスとクラスには勝てたわけだし、信用に値するレベルではある。

 

「そういえば、そもそもの話なんだが」

「どうした?」

「清涼祭の売り上げで設備を買い替えるって話だっただろ? それって学園が認めるのか?」

 

 基本的に、自分のお金で設備を改善するのは校則で禁止されている。それを認めてしまうと、学力によってランク付けされるはずの設備が、生徒の経済力に依ってしまうことになるからだ。

 

「このござとみかん箱っていう設備は試召戦争の結果なわけだし、勝手に改善したら他のクラスに示しがつかないだろ」

「それも問題ない。交渉の結果、特別に今回だけは認めてくれることになった」

「ほう」

 

 本当に坂本は有能な奴だ。俺がたった今気づいたことにすでに先手を打っている。

 

「ともかく、解決の為にすべきことははっきりした。俺は協力はするが、運営委員として主になるのは、谷村と明久だからな。気張れよ、二人とも」

「ああ」

「もちろんだよ!」

 

 清涼祭もお化け喫茶も、絶対に成功させてやる!

 

 

            ☆

 

 

 とまあ、そんな決意をした後、吉井たちと教室を出て階段を下っていった。

 

「そういえば吉井、運営委員の仕事の事なんだが」

「ん? なに?」

「当日の巡回は別にして、前日までは召喚大会の会場とかの設営をするそうだ」

 

 もらっておいた吉井の分のプリントを渡す。

 

「ふうん……あ、召喚獣使うんだ」

「ああ。お前みたいにフィードバックはつかないが、しばらくの間は物理干渉が可能になるそうだぞ。もちろん、設営に関わる生徒だけだが」

「どうせなら僕のフィードバックもなくしてくれればいいのに」

「別に明久が観察処分者じゃなくなるわけじゃなかろう」

「そうだぞ。他がどうなろうと明久はバカということに変わりはないんだからな」

「黙れ雄二」

 

 そんな他愛もないことを話しながら歩いていると、掲示板の前までやってきた。

 

「あ、校内新聞が更新されてるみたいね」

 

 島田さんがそう言いながら掲示板に近づいていく。

 

「美波、校内新聞なんて読んでるの?」

「ええ……時々ウチの事も書いてあるからね。誰かさんのせいで急上昇した不名誉なランキングとか」

「何のことやら」

 

 じろりとにらみつける島田さんの視線を躱す吉井。

 校内新聞か……例の記事じゃないといいんだが。そう思いながら校内新聞の見出しを確認する。

 

 

『文月学園の噂を一斉調査! ~あんな噂からこんな噂まで!?~』

 

 

「うわしゃあ!(ビリッ!)」

「ど、どうしたのじゃ!? 急に谷村が奇声をあげながら校内新聞を破り取ったぞい!?」

「ちょっと、何やってるのよ谷村。新聞部の人がかわいそうじゃない」

「いーや! この校内新聞は可及的速やかに処分すべきなんです!」

 

 防げる悪評は防いでいかないと、本当に取り返しのつかないことになる!

 大きくビリビリと破かれて何枚かの破片に分かれた校内新聞。この文月学園に焼却炉はあったかなと思い返していると、

 

「あーっ! 谷村さん!」

 

 という叫び声が聞こえた。

 

「げっ! 橋本!」

「僕の書いた校内新聞に何してくれるんですか!」

 

 そう叫びながら階段を駆け下りてくる橋本。

 くっ、なんてタイミングの悪さだ! ちょうど破り取った瞬間を橋本に見られるなんて……!

 

「谷村君、この子は?」

「おっと、申し遅れました。僕はこういうものです!」

 

 橋本は、名刺を取り出して吉井たちに配っていく。

 

「ほー、新聞部ねえ」

「2-E……って、キミ、同級生なの?」

「まあこんな身長ですしよく中学生に間違われますけどね、僕はれっきとした高校二年生ですよ」

 

 吉井も橋本の事を下級生と勘違いしていたらしい。まあ仕方ない話だ。

 

「って、そんなことはどうだっていいんですよ。谷村さん! どうして校内新聞を破いたんですか!」

「どうしても何も、また俺の悪評が広まるからだ!」

 

 

「え? 結局記事には殆ど谷村さんの事は書かなかったはずですけど……」

「は?」

 

 言われて、慌てて握りしめた校内新聞を確認する。

 『文月学園の『学園伝説』を追え!』という大きな記事が半分ほどを占めており、『必殺料理人の10分クッキング』『校内ランキング(更新版)』といった小さい記事が二つ載っている他には、広告がいくつか載っているだけである。

 たしかに、見出しこそあの時の記事だが、あの取材によるものはパッと見はみつからない。

 

「…………」

「ね? 別に谷村さんが怒る理由はないじゃないですか」

「……あー、ごめんな橋本」

「謝っても僕の校内新聞は戻ってこないんですが」

 

 ご立腹の様子の橋本。

 ……悪いことをした。

 

「……ごめん」

「えーと、結局谷村君の早とちりだったってこと?」

「そうみたいですね。まったく、怒るんだったらしっかり読んでから怒ってくださいよ。失礼な話です」

「…………」

 

 言い訳できない。

 

「まあ、別にデータは残ってるのでいいですよ。そんな深刻な顔をしなくても」

「え? そうなのか?」

「ええ。ただ、また印刷して学園に申請しなおすのが手間なので、その分のお詫びはしてもらいますけど」

 

 お詫び?

 

「取材の手伝いをしてください。それで許してあげます」

「それで許してくれるなら、喜んで手伝うさ」

 

 校内新聞を破ったのは、完全に俺が悪い。他の誰のせいでもないし、この責任は甘んじて俺が受けよう。

 

「良かったです! では、さっそく今夜0時に文月学園の裏門集合でお願いします! それでは、僕は準備があるので!」

「……は?」

 

 何やらおかしなことを口走った橋本は、そのまま生徒玄関とは真逆の方向に走り去っていった。

 

「谷村君、橋本君とどういう知り合いなの?」

 

 その奇妙な行動に呆気に取られていると、吉井が尋ねてきた。

 

「何日か前に、校内新聞の記事にするからって取材を受けたんだ。あ、そうだ。運営委員でも一緒だったな」

「ふうん……ところで、そんな真夜中に学校に来てなにするつもりなんだろうね?」

「……俺に言われても困る」

 

 とはいえ、俺に拒否権はない。明日は寝不足確定だな、と思いながら、俺達は帰路についた。




今回で新キャラが色々登場しました。
と言っても、以前に一応登場済みで完全な新キャラはいないんですけど。


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第三問 文月学園の学園伝説

【化学】

 問 以下の問いに答えなさい。

『第17族元素の総称を答えなさい。

 また、それに含まれる元素の元素記号を原子番号が小さい順に4つ答えなさい』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『総称:ハロゲン 【F Cl Br I】』

 

 教師のコメント

 正解です。姫路さんなら覚えていると思いますが、それぞれ名称はF:フッ素、CL:塩素、Br:臭素、I:ヨウ素です。

 周期表で縦に並んだ元素は特徴が似ているため、ひとくくりにして覚えるようにしましょう。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『総称:ハロゲン 【Ha Ro Ge N】』

 

 教師のコメント

 ハロゲンを覚えていたので良しとします。

 

 

 

 橋本和希の答え

『総称:セブンティーン 【Cho O To Me】』

 

 教師のコメント

 何が『超乙女(Cho O To Me)』ですか。 

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「……たくっ。こんな時間に何をやるつもりだ」

 

 あと数分もすれば日付が変わるだろうという真夜中。俺は橋本に言われたとおりに裏門で待っていた。

 親にはコンビニに行ってくるという適当な嘘をついて出てきているため、あまり長くなると叱られるんだが……。

 

「あ、谷村さん。本当に来てくれたんですね」

 

 ぼうっとしながら橋本を待っていると、そんな声が聞こえてきた。

 そちらの方へ目をやると私服姿の橋本が歩いてくるのが見えた。黄土色のカーゴパンツと、制服と同じくダボダボになっている赤いパーカーを着ている。

 

「本当にって……お前が来いって言ったんだろ」

「まあそうですけど。これは谷村さんの評価を改めないといけませんね」

 

 俺は橋本の中でどれだけ薄情な男だと思われているのだろうか。

 

「校内新聞を破ったことはちゃんと悪いと思ってるんだよ。で? これから何するんだ?」

「何って、取材ですよ」

「そんなさも当然という風に言われてもさっぱりわからないからな」

「え? 本気で言ってるんですか?」

「……なんだよ」

 

 ごそごそとポケットをまさぐって手帳を取り出した橋本は、あるページを開いて俺に見せてきた。

 

「夜の学校で取材することなんて一つしかないじゃないですか。『学園伝説』を調べに来たんですよ」

「…………なるほど」

 

 その手帳には、文月学園の『学園伝説』がいくつも並んでいた。昼に工藤から聞いたものもちらほら見える。

 

「けど、こんな時間に来なくてもいいんじゃないか? 放課後や昼休みにだって調査くらい出来ただろ?」

「まあそうですけど。実際、いろいろと下調べはしてますし。けどですね、夜にしか現れないものもありますし、夜になったら何か変わる可能性だってあるじゃないですか」

「いやでも、夜に学校に来るのは校則違反……じゃないにしても、色々とまずいだろ」

「そんなの気にしてたら新聞部なんてできませんよ」

「鉄人にでも見つかったら叱られるどころじゃすまないぞ」

「さも見つかったことがあるような口ぶりですね」

「…………まさか」

 

 するどい奴め。

 

「まあ、それについては気にする必要はありませんよ。今夜の宿直は西村先生じゃなくて福原先生ですから」

 

 福原先生……と言うと、かつての2-F担任である気弱そうな先生だ。仮に見つかっても、逃げ切ることはたやすい。

 

「それ本当か?」

「下調べしてるって言ったじゃないですか。色々情報は仕入れています」

「……いや、しかし、そもそもの話だ。取材はもう済ませたんじゃないのか? 校内新聞でも学園伝説を取り上げてたじゃないか」

「本当に読んでないんですね……あれは前編ですよ。来週後編と称して取材結果を掲載するってちゃんと書きましたから」

 

 呆れかえる橋本。し、仕方ないだろ。活字ばっかり読むと頭が痛くなるんだから。

 

「とにかく、夜の学校なんて何かあったら大変だし、今日はもう切り上げて――」

「さっきからずっと気になってたんですけど、もしかして怖いんですか?」

「は?」

「いやだって、何かと理由を付けて中に入るのを拒否してるじゃないですか。そりゃあ多少のリスクはありますけど、放課後は僕の取材を手伝ってくれるってちゃんと言ってたじゃないですか」

「……それは」

「まあもうわかりましたけど。谷村さんってお化けとかダメなタイプですね?」

「…………悪いかよ」

 

 ホラーが苦手で何が悪い。

 

「別に悪いなんて言ってないじゃないですか。大丈夫ですよ、お化けなんかいるわけないんですから」

「いるわけないって……」

「こういう噂はですね、誰かが何かを見間違えたんですよ。その発端になったものなんて、大したものじゃないんです」

「……だったら、取材なんかしなくてもいいじゃないか。もう帰ろう帰ろう」

「噂の発端を調べるための取材なんです。やめるわけにはいきません」

 

 ……どうにか取材をやめさせようと説得するが、橋本は折れる気配がない。

 

「ほら、そういう事なんで、覚悟決めてくださいよ。いつまでもこんなところにいるわけにもいかないんですから」

「…………」

 

 仕方ない、か。

 

「では、行きますよ。体育館脇にある女子トイレの窓のカギが壊れているので、そこから侵入しましょう」

 

 観念した俺を見て、橋本が裏門をよじ登る。俺もそれについていくように裏門に手をかける。

 

「それも下調べの結果か? 良く知ってるな、そんなこと」

「だって、放課後に壊しておきましたから」

「は?」

 

 暗くてはっきりとは見えないはずなのに、橋本がドヤ顔していることだけはしっかりと理解できた。

 

 

            ☆

 

 

「いやー、ドキドキしますね。一体どんなオカルトが待っているんでしょうか」

 

 小型のペンライトを携えながら足を進める橋本と、そのすぐ後を歩く俺。校舎内の廊下を進む俺達は、最初の目的地である図書室を目指していた。

 

「何がオカルトだ。誰かが見間違えたんじゃなかったのか。そうじゃないなら誰かの作り話だろ」

「何言ってるんですか。召喚獣だって一種のオカルトですよ? もっとロマンを持ちましょうって」

「お前、さっきと言ってることが違うぞ」

「だって、ああ言わなかったら谷村さんは手伝ってくれなかったじゃないですか。嘘も方便ってやつです」

「意味の分からないことわざみたいな言葉でごまかそうったってそうはいかないぞ」

「……え、知らないんですか?」

 

 信じられないものを見るような目を俺に向ける橋本。なんだ、嘘も方便って。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいんです。図書室の噂は、これですね」

 

 橋本の差し出す手帳に目を落とす。

 んーと、図書室のどこかに黒魔術の本がある――か。これは工藤からも聞いた話だな。

 

「にしても、黒魔術ねえ……そんなもんがあったらもっと大騒ぎしてるだろ」

「そうかもしれませんけど。一応昼休みに確認した時は、何も見つかりませんでしたね」

「……じゃあガセなんじゃないのか?」

「ま、一応ですよ、一応。二人いれば見落としも減りますし、夜にだけ現れる本かもしれないじゃないですか」

「そんな都合のいいファンタジーがあるか」

 

 そんなこんなを話しているうちに、図書室に到着する。旧校舎の一階に位置する図書室は、かなり年季が入った部屋の一つだ。もちろん、意図的におんぼろにしてあるFクラス教室の方がひどいのだが。

 扉に手をかけてみるが、当然カギがかかっていた。

 

「カギがかかってるな。よし、帰ろう」

「早く終わらせたいからって適当にするのやめてもらえますか」

 

 じろりと橋本に睨まれる。ばれたか。

 

「けど、実際どうするんだ? カギは事務室にあったはずだし、そこには宿直の先生がいるはずだろ? 取ってくるのも無理じゃないのか」

「図書室は図書室なりの開け方があるんです。いいから僕に任せてください」

 

 そう言うと、橋本は図書室の扉の両端をつかんでガタガタとゆすりだした。小さな体でよくやるもんだ、と思いながら眺めていると、ガタン! という音がしたかと思うと扉が横にスライドした。

 

「どうです? 図書室はこうして開けられるんです」

「……すごいな」

 

 旧校舎だからこその開け方なのだろうが、よくぞこんな開け方を知っていたもんだ。

 

「ま、伊達に新聞部やってないってことですよ。噂の収集にかけては学年でもトップクラスだと自負してますからね」

 

 鼻高々の橋本とともに、図書室の中に入る。入るのはラブレター騒動以来か。

 

「では、ひとまず谷村さんはこっち側の棚に怪しい本が無いか探してもらえますか? 僕は向こう側を探すので」

「それはいいが……黒魔術の本なんか見たことないし、何を探せばいいかもわからんぞ」

「僕も見たことありませんけど、噂によると、何語だかよくわからない文字が並んだ黒い本らしいですよ。どのみち本命はここじゃないのでさっさと探しましょう」

 

 橋本の『本命』という言葉が気にかかったが、橋本がもう探し始めてしまったので俺も探し始める。黒い本ねえ……そんな簡単に見つかるなら世話はないだろうに。

 

 その後十分間、月明かりを頼りに本棚を探してみたが、案の定怪しげな本は見つからなかった。

 

「橋本、こっちにはなかったぞ。そっちは?」

「僕のところも不発です。昼休みに確認した時とほとんど変わってませんでした」

 

 まあ、そんなもんだろう。まったく、どこから生まれた噂だったんだ。

 

「じゃ、ここはもういいな。次はどこに行くんだ?」

 

 そう言って、図書室を後にしようとすると、

 

「待ってください。まだ探す場所が残っています」

 

 と、呼び止められた。

 

「探す場所? どこだ?」

「書庫ですよ。昼休みには入れませんからね。ここが本命です」

 

 橋本は、にやりと笑って入り口とは違う扉を指差した。

 

「書庫って……そっちは確か、ただの司書室だろ?」

 

 橋本に促されて、その扉へ向かう。

 一応この先に司書室――司書の中川先生が普段使いしている部屋――があることは知っているが、その先に書庫があるとは思えない。書庫があるようなスペースもなかったと思うし。

 そんな疑問に対して橋本が答える。

 

「司書室から地下室につながる階段があるんですって。図書委員の友人に教えてもらったのでそれは間違いありません」

「ふうん……その地下室が書庫ってことか。あ、開いた」

「この扉はカギがかかってないですからね」

 

 司書室には、ラベル貼りの作業中らしき文庫本や雑誌やらが積まれていたが、几帳面な中川先生らしくきっちりと整理整頓がなされていた。

 きょろきょろとあたりを見渡してみると、部屋の角の床の部分に大きな四角い扉があるのが見えた。きっと、あれが書庫につながる扉なのだろう。観葉植物がその上に乗っているところを見ると、書庫は普段使われていないようだ。

 

「カギがかかってるのは、そこの書庫の扉です」

 

 見れば、扉そのものに鍵穴は無いが、小さな南京錠がかかっている。よほどの力なら壊せないことはなさそうだが……。

 

「きちんと放課後に事務室から拝借しておきました」

「拝借って……そんなことしたら、カギが無いって問題になるだろ」

「ちゃんとダミーを置いてきたので大丈夫ですよ。本当はもっと色々な場所のカギを持って来たかったんですけど、先生の目を盗むのも楽じゃなかったので、ここのカギしか持ってこれませんでした」

「一つ持ってくるだけでも相当すごいというか、勇気がある行動に見えるんだが」

 

 そんな会話をしながら橋本が南京錠を開錠する。観葉植物をずらしてからゆっくり扉を上にあげると、地下へとつながる階段が現れた。

 ……その先は真っ暗だ。正直怖い。

 

「さ、行きますよ」

「あ、おい。置いてくなよ!」

 

 橋本は臆する様子もなく、ペンライトで暗闇を照らしながら階段を下っていく。俺は慌てて橋本の後を追った。

 

 

            ☆

 

 

「ううん……ありませんね」

 

 埃の積もった階段を下りた先には、橋本の言葉通り書庫が広がっていた。厚い埃に覆われた本棚がいくつも並んでいる。地下ゆえに月明かりすらも入らないこの空間では、橋本の持つペンライトが唯一の光源だ。

 ここにこそ黒魔術の本があるに違いない! と意気込んで橋本は片っ端から本を手に取っていったが、しばらくしてあきらめの言葉を吐いた。

 

「よくわからない論文やら、これはこれでいろいろとネタになりそうなものはありますけど……肝心の黒魔術の本らしきものは見当たりませんね」

「やっぱり、ガセネタだったんだって。まあ、図書室の地下にこんなものが広がってたらそんな噂が広がるのも納得するけどな。だからほら、もう戻ろうぜ」

「……声が震えまくってますよ。そんなに怖いなら上で待っていれば良かったじゃないですか」

「バカ、一人で取り残される方が怖いだろ! 何か出てきたらどうするんだ!」

「何か出てきたらそれはそれで僕としてはうれしいんですけどね。まあ、結局ここには何もなかったみたいなのでもう戻っても……おや?」

 

 橋本は、ペンライトを振り回して辺りを見渡したかと思うと、その光をある一点で止めた。

 

「どうした?」

「いえ、一番奥に扉がありまして。なんでしょうね、あれ?」

「扉?」

 

 見れば、確かに扉が一つある。最初は棚の陰で見えなかったが、どうやらこの書庫の奥にも部屋があるようだ。

 

「開くといいんですけど」

 

 そう言いながら橋本はその扉へと歩み寄っていく。

 

「お、おい。危ないかもしれないし、とっとと戻ろうぜ」

「ここまで来て何も調べない訳にはいきませんよ。書庫に入れるチャンスなんてそうありませんし。それに、カギでもかかってたらさすがにもう引き返しますから。確認ですよ、確認」

 

 ……だめだ、俺の話を聞く気配がない。

 橋本は、そのままドアノブに手をかけて、ひねる。すると、

 

――ガチャリ

 

 という音とともにドアがゆっくりと奥に開いていった。

 

「……開いた」

「さあ、この先には何が待ってるんでしょうかね!」

 

 ノリノリで足を進める橋本にしかたなくついていくと、そこには。

 

「……なんだこれ」

 

 そこには、またしても大きな闇が広がっていた。

 橋本がペンライトで照らすことで、ようやく部屋の全景が明らかになる。教室二つ分程度の大きさのその部屋で一際目を引いているのは、壁の一面に鎮座している巨大な機械だ。大量のスイッチやモニター、キーボードのようなものが側面についている。

 

「地下に存在する謎の機械……学園を支配するマザーコンピュータ……いける! このネタはいけますよ!」

 

 橋本は、楽しげにそう叫びながら、どこからか取り出したデジカメで何枚もその機械の写真を取りだした。

 

「学園を支配するって……めちゃくちゃだろ」

「めちゃくちゃでもいいんですよ。とにかく、皆さんの意識を集められるような話題が出てばいいんです。どのみち、この写真も使えませんから脚色も自由に出来ますからね」

「使えない? どうしてだ?」

「……この写真を校内新聞に使ったら、ここに忍び込んだことがばれるじゃないですか。校内新聞の取材のためとはいえ、経緯も経緯ですからばれたら説教じゃ済みませんよ」

 

 経緯……ああ、書庫の鍵を橋本がちょろまかしてってやつか。確かに軽い説教では済まないかもしれない。俺も巻き添えを喰らいそうだ。

 その巨大な機械に近づいてみると、まるでSFに出てくるような近未来的印象を受ける。試しにいくつかスイッチを弄ってみるが、何も変化はない。どうやら単純に電源が落ちているようだ。

 

「まあ、適度に事実を織り交ぜつつ推測と脚色で盛り上げることで記事ってのは出来上がってるんですよ」

「それって、要するに嘘ってことだろ」

「失礼ですね。隠し味みたいなものですよ」

「その隠し味、料理のジャンルすら変えてるから問題なんだろ……」

「美味しければいいじゃないですか」

「そりゃ、食えるだけマシかもしれんが……」

 

 ふと、姫路さんの弁当の事を思い出した。

 ……いや、あのことはもう忘れよう。事故みたいなものだ。

 

「あ、向こうに階段がありますよ。行ってみましょう」

「……ちなみに拒否権は?」

「ありませんけど?」

「……ま、そうだよな」

 

 溜息をつきながら、俺は暗い階段を上り始める橋本についていった。

 結局、その先は鍵のかかった扉があるだけだったが。

 

 

            ☆

 

 

「黒魔術の本はありませんでしたけど、収穫は上々でしたね」

 

 地下から戻り、図書室の扉をがたがたとハメなおしながら橋本はそう呟いた。

 

「そりゃよかったな」

 

 新聞を破いた俺が悪いとはいえ、こんなことにつき合わされたことに対しての嫌味を込めながら言った。

 

「オカルト的な物はなかったのは残念でしたけどね。じゃあ、次に行きますか」

 

 ……次?

 

「ちょっと待て、次ってなんだ」

「次ですか? 次は調理室の噂ですね」

「いや、そうじゃなくて、まだ取材を続けるのか?」

「当たり前じゃないですか! 夜中の学校に入れるチャンスなんかそうそうありませんからね! それに、今は谷村さんという人手もあることですし!」

 

 瞳をキラキラと輝かせながらそう言葉を発する橋本。

 ……はぁ。

 

「わかったよ。さっさと終わらせるぞ」

「谷村さんが協力してくれたらすぐ終わりますよ」

「はいはい」

 

 そして、俺達は夜の廊下を歩き出した。

 

 

            ☆

 

 

 その後、俺と橋本はいくつかの教室を巡った。

 カギがかかって中に入れない教室もあり、正直これといった収穫はなかった。妙な物音が立つわけでも、オカルト的な現象が起こるわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていった。いや、いくら一人きりじゃないにしても、真夜中の学校は怖かったけどな。

 そんなわけで、俺達は今、最後の目的地である4階旧校舎の女子トイレへと向かっていた。そこに幽霊がいる、という話は工藤からも聞いていた。

 

「ところで、谷村さん」

 

 そんな中、橋本がそう切り出した。

 

「なんだ?」

「谷村さんって、召喚大会には参加するんですか?」

「召喚大会?」

 

 それって、島田さんと姫路さんが出場するやつだったっけ。二人一組で召喚獣で戦うとかなんとかって秀吉が言っていた気がする。

 

「いや……出ないけど。話を聞く限りだと見世物って感じがするしな。正直、勝てる気しないし」

「ふむ。そうですか」

 

 科目が数学だけならともかく、そういうわけでもないだろう。

 

「で? それがどうしたんだ?」

「大した話じゃないんですけどね? その召喚大会、僕と一緒に出てくれませんか?」

「は?」

 

 思わず、そんな声が出る。

 

「どういうことだ?」

「どういうこともなにも、そのままですよ。僕とペアを組んで召喚大会に出てみませんかってことです」

「それは分かるが……いや、別にいいよ。さっきも言ったけど、勝てるとは思えないしな」

「いえ、それでいいんですよ。参加することに意義があるんですから」

 

 ……?

 さっぱり話が見えてこない。

 

「谷村さんは知ってますか? 召喚大会の参加賞について」

「参加賞? ……いや、知らない」

「ですよね。興味がなかったみたいですし。あのですね、召喚大会には賞品がついてるんですよ。確か、優勝のペアは如月ハイランドのプレミアムチケットと、試験召喚で使える腕輪のセットがもらえるはずです」

「へえ。そりゃ豪華だな」

 

 如月ハイランドと言えば、現在絶賛建設中の巨大テーマパークだったはずだ。廃病院を改造したという幽霊屋敷や日本一の観覧車があるらしい。多分、完成した暁には日本でも有数のテーマパークになるだろう。俺もいつか木下さんと行ってみたいもんだ。

 

「で、参加賞なんですけど、実は参加者全員に食堂で使える食券が配られるんですよ」

「食券が?」

「ええ。今年初めて行う企画って事で、人数が集まらないかもしれないと危惧した上の策みたいですね。こうでもしないと、参加者が……特に、下位クラスからの参加者が少なくなって盛り上がりに欠けますからね」

「ああ、なるほど……で、お前はその食券が欲しいのか?」

「そういう事です。もらえるものはもらっておきませんと。それに、清涼祭自体の取材にもなりますしね。もちろん、勝ち進んだ数によって食券の金額は変わるみたいですけど、初戦で負けても500円分はもらえるとのことです」

「そうか……」

 

 それなら確かに出た方が得、ではあるんだけども。

 

「ううん……」

「あれ、ここまで言ってもダメですか?」

「や、ダメって訳じゃないんだが、負ける気満々とはいえ皆の前で恥をかくのはちょっと避けたいだろ」

 

 というより、目立ちたくないと言う方が正しいか。もちろん、例の噂のせいで。

 

「それなら大丈夫ですよ。一般公開されるのは四回戦以降らしいですし、一回戦ならそこまで観客も多くないと思いますよ。せいぜい、出場者の応援がちらほらいるくらいでしょう。だからほら、僕と一緒に出てくれませんか? お願いします」

 

 そう言いながら、頭を下げる橋本。

 

「…………そこまで言うなら」

「本当ですか!」

 

 橋本は、嬉しそうに顔をあげた。

 

「ああ」

 

 話を聞く限り、そこまでデメリットもなさそうだ。運営委員の仕事との兼ね合いは気になるが、それは橋本も同じだし。それに……あそこまで強く頼まれると、あまり無下にしづらい。

 

「いやあ、良かったです。ようやくペア相手が決まりましたよ」

「ようやくって……そんなに断られ続けてたのか?」

「そんなことは無いですけど。というかお願いしたのは谷村さんが最初ですし」

 

 ……ん?

 

「どういうことだ? 一緒に出てくれそうな友達くらいお前にもいるだろ。ほら、お前と一緒に運営委員になってた女子なんかどうだ? クラスにも男友達の一人や二人いるだろうに」

「え、だって運営委員もあるのに大変じゃないですか。他の人も、清涼祭での時間を奪うことになっちゃいますし、そんな自分の都合で巻き込んで迷惑なんてかけられないじゃないですか。そうやって悩んでたところに、谷村さんが現れたって訳です」

「……俺も運営委員なんだが?」

「ええ、知ってますけど?」

「おい、橋本!」

「いいじゃないですか。一緒に夜の学校に来たよしみってことで。あ、女子トイレに着きましたよ」

「なんだ、"よしみ"って! おい!」

 

 そんな俺の文句も疑問もスルーして、橋本は女子トイレへと何のためらいもなく入っていった。

 ……本当にマイペースな奴だな……。

 はあ、と本日何度目になるかもわからない溜息をついて、俺はその後を追った。女子トイレということに一瞬躊躇するものの、一人でここに残るよりずっとましだと思い直した。どうせ中には橋本しかいないしな。

 

「さっきも説明しましたけど、ここの噂は幽霊が出るってやつです」

「幽霊、ねえ……そんなの、いるわけないんだ。とっとと調べて帰ろう」

「その台詞、僕の服を掴みながらじゃなかったらもう少しサマになってたと思いますよ」

 

 うるせえ。

 

「ま、いいです。それで、ここに出る幽霊の話ですけど、個室に入ってると外から声をかけられるみたいですよ。その声に返事をして外に出ると、白装束の幽霊が浮かんでいるとかなんとか」

 

 そう言いながら橋本はすっと個室のドアを開けて中に入った。慌てて俺も同じ個室へと入ってドアを閉める。中にある便器は洋式だった。

 

「……なんで同じ個室に入ってくるんですか」

「こんなところで一人でいる方が怖いわ。俺からしたら、さっきからお前がためらいなく女子トイレに入ってくことの方が疑問だよ。そんなに取材が大事かね」

 

 まあ、取材の為に夜の学校に入るくらいだ。それに比べたら女子トイレに入ることは何でもないのかもしれない。

 そんなことを考えながらそう口にすると。

 

「いや、だって僕女子ですし。ためらいなんかあるわけないじゃないですか」

 

 

「……………………え?」

 

 

「それよりですね、幽霊の声を聞き逃さないように静かにして――」

「ちょっと待て! お前、女子だったのか!?」

「え? 言ってませんでした? 普通に女ですよ?」

「言ってねえよ! え、嘘、マジで?」

 

 とっさに橋本の体に視線を落としたが、明らかにサイズの合っていないダボダボなパーカーのせいで体のラインはよくわからない。意図的にそうしているのかはわからないけれど、低い身長も合わせて外見から性別の区別はつけられない。

 

「嘘じゃありません、本当ですよ。残念ながら証拠は見せられませんけど」

「いや、そう言われても……そうだ、制服! お前、男子用の制服を着てただろ!」

「ああ、アレは兄さんのおさがりなんですよ。ちょうど僕と入れ替わりで文月学園を卒業したんですけどね、制服って高いじゃないですか。それに、僕としてもスカートはひらひらしてて苦手だったのでちょうどよかったんです」

「それにしたって……」

「それに、僕って背が低いから女だと思われると舐められすぎるんですよね。そうなると、取材の時にちょっと面倒で。まあ総合的に色々都合が良かったという事で」

「いや、嘘、ええ……」

 

 言われて見れば、確かに橋本は男にしては声は高いし背も低い。でも、まさか女だとは……いや、この格好なら女子と言われても納得はするかもしれないが、普段のあの男子制服姿を見ているし、男だと思って過ごしてきたからあまり腑に落ちない。

 

「そんな事より、何も声が聞こえませんね……やっぱりこれもガセだったんでしょうか」

 

 というか、もしそれが本当なら、女子トイレの個室で女子と二人きりという事に……。

 

「まあ仕方ありませんね。これはこれで記事にできますし、もう少し待ってから今日はもう切り上げて……谷村さん? 聞いてます?」

 

 ふと、自分の今いる状況に意識が及んだ瞬間、目の前に上目遣いの橋本の顔が現れる。改めてみると、顔だちも整っているし……ちょっと、この状況はやばい。というか何より、近い!

 

「わ、悪い橋本! 外で待ってる!」

「あ、ちょっと、谷村さん!」

 

 慌ててドアを開けて個室の外に出ると、

 

 

――ユラリ

 

 

 と、白いものが視界の隅で揺れた。

 

 それが何だったのか、思考する前に目線がそこへと動いていく。

 俺につられて外に出た橋本も、顔を()()がある方向へと動かしているようだ。

 

 そして。

 

 

 

「―――ァ――サァ――」

 

 ほのかに淡く光る、白装束の黒い長髪の女が立ち尽くしているのがはっきりと見えた。

 

 

 

「「わああああああああっっ!!!!!!!」」

 

 二つの悲鳴がこだまする。

 俺と橋本は、その女の居ない方向――女子トイレの出口側へ我先にと走り出した。

 

 

            ☆

 

 

 その後の事はあまり覚えていない。気が付けば、俺達は裏門に舞い戻っていた。

 二人とも、顔を真っ青に染めて。

 

「ハア……ハア……」

「ふう……ひぃ……」

 

 全力疾走してきたため、二人とも息が完全に上がっている。

 

「ちょ、ちょっと……谷村、さん、僕を置いてくなんて……ッハ、酷いじゃないですか……」

「う、うるせえ……そんな事、考えてる、余裕なんか、なかったっての……」

 

 とはいえ、橋本って実は女子だったわけで、となると俺は女子を夜の学校に放置したってことに……いや、深く考えるのはやめよう。事故だ、事故。

 

「そ、それよりだな、あれだけ幽霊を待ち望んでたくせに、なんでお前も、逃げ出してるんだよ……」

「し、仕方ないじゃないですか、怖かったんですから……」

 

 …………いや、気持ちは分かるが……。

 そんなことをぼやきながら、徐々に息を整えていく。

 

「……なんだったんだろうな、アレ」

 

 はっきりと、記憶に刻み込まれている。

 とてもこの世の物とは思えない、淡く光る()()。思い出すだけでもおぞましい。

 気のせいだった、と断じるには、あまりにもショックが大きすぎる。

 

「一応逃げながらデジカメのシャッターは切ったんですけど……見ますか?」

「…………遠慮しとく」

 

 とてもそんな勇気はない。

 それはそうと。

 

「橋本……いや、橋本さんって言った方がいいんですかね?」

「……ああ、谷村さんって女子相手には敬語でしたっけ。いいですよ、今まで通りで。そっちの方が気が楽ですよね?」

「ああ、助かるよ」

 

 正直、今更呼び方や話し方を変える方が違和感がある。

 

「取材はもう終わりだよな?」

「ええ。調べたいことはもう全部調べましたし……さすがにあんなものを見た後で校舎に戻ろうとは思いませんよ」

 

 (まだ断言はしたくないが)念願の幽霊を見れたというのに、橋本の顔は優れない。そりゃそうだ。あんなのが出てくるなんて、想定外だ。いや、ベタと言えばベタなんだが。

 

「そうか、ならもう帰ろうぜ。……近くまで送ってやるよ」

 

 こんな夜遅くに女子を一人で帰すのはさすがに忍びない。さっき置いてけぼりにしてしまったし。

 

「……ありがとうございます」

 

 そんなわけで、俺達は家路についた。

 

 

 

 

 

 ちなみに、帰ってから親にめちゃくちゃ叱られた事は言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 




というわけで、橋本君は橋本さんでした。
今回の話はバカテスらしさは薄いかなと思います。会話以外。


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第四問 祭りの準備は熱を帯び

【清涼祭アンケート】

 学園祭の出し物を決めるためのアンケートにご協力ください。(2-F実行委員:谷村誠二)

『喫茶店を経営する場合、制服はどんなものが良いですか?』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『家庭用のかわいいエプロン』

 

 谷村誠二のコメント

 姫路さんらしくていいと思います。集客も見込めそうです。

 

 

 

 島田美波の答え

『ハロウィン風のコスプレ』

 

 谷村誠二のコメント

 お化け屋敷風となるとそれが良いかもしれませんね。ただ、せめて仮装と言ってくれませんか。

 

 

 

 須川亮の答え

『きわどい水着』

 

 谷村誠二のコメント

 バカかお前、んなことしたら鉄人に怒られあっ、鉄人! なんでここに痛っ――

 

 

 

 清涼祭の出し物は常識の範囲で行うように。(2-F担任西村)

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「おーい、こっちに足場持ってきてくれ!」

「わかりました! 今行きます!」

 

 5月の太陽の光が突き刺さる放課後の校庭にて、そんな声が飛び交っていた。清涼祭まであと一週間。先日の幽霊騒動のことはひとまず考えないことにして、俺は運営委員の責務を果たしていた。

 

 

            ☆

 

 

 2学年主任である高橋先生の作り出した総合科目のフィールドの中で、俺たち2年生の運営委員は召喚獣を操っていた。

 何をしているかといえば、当然俺たちに割り振られた仕事である召喚大会の会場の設営である。まあ、もちろん組み立てだなんだという作業は責任の持てる大人がするから、俺たちがやっているのはその手伝いなのだが。

 

「暑い……」

 

 5月とは思えない日差しが俺の体に突き刺さり、だらだらと汗が流れだしてくる。夏本番にはまだまだ早いのにどうしてこんなに暑いんだ。

 足場を指示された場所へと運び終えて、召喚獣を定位置へと戻す。ふと周りを見渡せば、橋本の召喚獣が土嚢(どのう)をえっちらおっちらと運んでいた。どうにも召喚獣の操作に慣れていないようだ。

 

「……手伝いに行くか」

 

 見れば、まだ運ぶべき土嚢はいくつか残っている。徐々に完成に近づきつつある会場を視界に入れながら、俺は自分の召喚獣を土嚢の方へと向かわせた。

 

「橋本、手伝うぞ」

「あ、谷村さん。ありがとうございます」

「あの土嚢を運べばいいのか?」

「はい。向こうの仮設ステージの辺りまでだそうです」

「分かった」

 

 それを聞いて、俺は召喚獣にひょいと残っている土嚢を背負わせて、指示された場所まで運ばせた。

 

「ちょっと前から思ってたんですけど」

「ん?」

「谷村さんって、召喚獣の操作が上手いですよね」

「……そうか?」

「そうですよ。今も簡単に運んだじゃないですか。土嚢を何個か担がせるって、結構大変じゃありません? 僕、二つも積んだらバランスを崩して前に進めないんですけど」

「ああ」

 

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。ほかの生徒に比べれば召喚獣の扱いはうまい方だろう。けれど、それはおそらく経験の差だ。

 

「二年生になってから、試召戦争のおかげで召喚する機会が多かったからな。少なくとも、お前よりは」

「少なくともというか、まだ僕は試召戦争をやってませんからね」

「あれ、そうだっけ?」

「ええ。僕たちEクラスだけなんですよね。まだ試召戦争をやっていないクラスは」

 

 ええと、たしか……Bクラス、DクラスはFクラスと戦ったし、Cクラスは坂本の作戦でAクラスに攻め込んだんだっけ。

 

「あ、本当だ」

「下手に巻き込まれて今以上に設備が下がるのは嫌でしたから別によかったんですけど。今の戦力でほかのクラスに勝てるとも思えませんし」

 

 まあ、確かにそれは言えてるかもしれない。俺たちがDクラスとBクラスに勝てたのは、姫路さんやムッツリーニの好成績と坂本の采配が大きい。Eクラスにも似たような状況の人はいるだろうけど、そもそも新学年になってすぐに試召戦争を仕掛けた俺たちの方がおかしい。

 

「まあそんなことはどうだっていいんです。ちょっと聞きたいんですけど、召喚獣を上手に操作するコツってありますか?」

「コツ?」

「ええ。さっきから見てもらって分かると思うんですけど、僕、召喚獣の操作が下手なんです。このままじゃ手伝いも満足にできないくらいで」

 

 そう言って、少し顔を伏せる橋本。

 

「まあ、やってればそのうち慣れるだろうが……コツか。そうだな……」

 

 少し考えてから、口を開く。

 

「そもそも、お前はどういう風に召喚獣を操作してるんだ?」

「どういう風に、と言われても……こう、前に進め、というか……」

 

 橋本は、歯切れの悪い、というよりどう表現していいかわからないといった話し方をした。

 

「まあ、そういう言い方になるよな。そもそも召喚獣の操作って感覚的なものだから口に出しづらいし」

「……ですよね」

「ただ、だからこそたぶん橋本は操作が安定しないんだ。要するに、指示がぼんやりしてるんだよ」

「ぼんやり?」

「橋本の操作が感覚的すぎるってことだな。召喚獣を動くイメージが橋本の中で固まってないんじゃないか?」

「ああ、そうかもしれませんね」

「もちろん、それで上手に操作できる人もいるんだろうが、きっと橋本には向いてないんだろうな」

「なるほど……」

 

 おそらく、この方法で召喚獣に操作するには経験が必要になるはずだ。具体的に召喚獣がどう動くかがイメージできれば、その通りに召喚獣は動くはず。けれど、経験の浅い橋本では、そのイメージがはっきりしないために召喚獣も思った通りに動かせないのだろう。

 

「だから、もっと具体的に細かく指示するのがいいんじゃないか? 漠然としたイメージじゃなくてさ。少なくとも俺はそうやってるが」

「……やってみます」

 

 そう言って、橋本は自分の召喚獣を見つめた。多分召喚獣の操作を念じてるんだろう。

 その橋本の召喚獣は、ぎこちない動きではあったものの、先ほどよりは多少安定しているように見えた。

 

「うーん、難しいですけど、少しマシになったような気もします」

「そうか? ならよかったが……まあ、俺のアドバイスも正しいかどうかわからないから、合わないなと思ったら適当に無視してくれ。とりあえず色々試してみるのがいいと思うぞ」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 律儀に頭を下げる橋本。たいしたことはできてないからそこまでされる理由もないんだが……。

 そんなやり取りをしていると、

 

「ちょっと、谷村君たち!」

 

 と、吉井の声が聞こえてきた。

 

「手が空いてるならこっちを手伝ってよ!」

 

 雑談を理由にサボってるのがばれたらしい。

 

「わかったわかった! 今行く!」

「ううん……こうですかね……いや、違う考え方で……」

「橋本、お前も行くぞ」

「あ、はい」

 

 召喚獣の操作の練習をしていた橋本もつれて、俺は吉井のもとへと向かった。

 

 

            ☆

 

 

「あ、来た来た谷村君! 早く手伝ってよ!」

「わかってるって。こんな暑い中頑張ってるんだ少しくらい休ませてくれ」

「僕も休みたいんだよ!」

 

 ま、そりゃわかってるけどさ。だからこうして手伝いに来たんだし。

 

「ていうかさ、谷村君もそうやってサボったりしてるくせに、鉄人に怒られるのは僕が多いんだよね。納得がいかないんだけど」

 

 吉井が言ってるのはこの前の野球の時の話だろうか。

 

「そりゃ、お前は観察処分者なんだから扱いにも差があるだろ」

「何言ってるんだよ谷村君。谷村君が観察処分者になるのも時間の問題じゃないか」

「んだとコラ」

 

 言っていいことと悪いことがあるんだぞ!

 

「なるほど、『今日も吉井さんと谷村さんのカップルは仲睦まじい』、と」

「ちょっと待て橋本、今お前何をメモした」

「何って、記事に使えるかもしれないことをですね」

「俺と吉井のことは記事にするな!」

「『二人は噂されることを嫌い、二人だけの世界を楽しんで』……」

「そういうことじゃねえ!」

 

 なんもわかってねえぞコイツ!

 

「ん? ちょっと待って、二人とも。まさかとは思うけど、ここ最近妙な噂が立ってるのって橋本君が原因なの?」

「そうだ」

「やだなあ、人聞きの悪い。僕はただ学園に広まってる噂を集めて(ちょっとだけ脚色して)記事にしてるだけで、責められるようなことは」

「その脚色が問題あるって言ってるんだよ!」

「ですけど、僕はまだ谷村さんのことを記事にしたことはないはずですよ?」

「え……?」

 

 言われてみれば、初めて取材を受けたあの日以来俺のことが校内新聞に載ったことはなかった。多分。

 

「そうか……なんか、すまん」

「まあ、取材の時にいろんな人に聞いてるからそのせいで噂が広まってるのかもしれませんけど」

「…………やっぱりお前のせいじゃねえか!」

 

 とまあそんな話はさておいて。

 

「で、吉井? 何を手伝えばいいんだ」

「ええと、僕に頼まれた仕事は、足場の設置と鉄材の運搬と戦場の土台作りとごみ捨てだから、半分くらい谷村君たちにお願いしたいかな」

「……なんかやけに多くないか?」

「僕は観察処分者だから操作には慣れてるだろうって、先生たちが……」

「なるほどな」

 

 確かに、吉井の操作技術はずば抜けている。フィードバックによる効率の低下を考慮しても、このぐらいは問題なくこなせるだろう。

 

「けど、それにしたって多すぎるんじゃないか? 最初の頃はこんな多くなかっただろ?」

「そういえばそうだね。どうしてだろう?」

「それはきっと、アイツらがいないからだな」

 

 と、会話に加わったのは黒崎だ。その後ろには村田さんもいるから、Cクラスの二人は作業がひと段落したところらしい。

 

「アイツら……ああ」

 

 黒崎の言ったアイツら、とはBクラスの運営委員である鈴木と金田一さんのことだ。

 

「そういえば、確かに鈴木君たち、最近全然来ないね。クラスの準備が忙しいのかな」

「クラスの準備が忙しいのは私たちだって同じよ、吉井」

 

 と、答えるのは村田さん。

 

「忙しい中、こうして運営委員の私たちは時間を作って作業に来てるんじゃない」

「そっか、そうだよね。僕たちのクラスだってそうだし」

「あなたたちFクラスが忙しいのは、準備を始めるのが遅かったからじゃないの?」

「う……」

「相変わらず村田さんは手厳しいな」

「……私は正論を言ったまでよ」

 

 少し不機嫌そうになる村田さん。

 

「確かにそうですね。Fクラスが忙しいのは自暴自棄か」

「谷村さん、『自業自得』って言いたいんですか?」

 

 橋本の指摘。へえ、そういう言葉もあるのか。

 

「まあ、あなたたちは運営委員の仕事にこうして参加してるからあの人たちよりましだけどね。まったく、私だって炎天下の中こうして働いているというのに……」

「まあ、落ち着けって村田。アイツらも事情があるんだろうさ」

「黒崎は優しすぎるのよ。今度会ったらガツンと言ってやらないと」

 

 ここ最近村田さんと話していて思うが、村田さんはどうも正義感が強いというか、思ったことを言わないと気が済まない性格のようだ。まあ、その内容は間違っているわけじゃないし、とても立派だと思う。

 

「そんなことよりさ、早く僕の仕事を手伝ってよ」

「そうね。足場の設置は操作に慣れている吉井じゃないと難しいだろうし、それは吉井に任せるわ。その他を私たちで分配するわね」

 

 と、村田さんはテキパキと仕事を仕分けしていく。坂本ほどではないにしろ、村田さんもこういった作業が得意なようだ。

 

「じゃあ、作業に取り掛かるわよ」

「ああ」

 

 こうして、清涼祭準備の放課後は過ぎていった。

 

 

            ☆

 

 

「今日の作業はここまでになります。みなさん、気を付けて下校してください」

「「はーい」」

 

 高橋先生の号令と同時に、召喚フィールドが消滅する。

 

「疲れた……しんどい……」

 

 死にそうな声で吉井が嘆く。

 

「ああ、まったくだ」

「谷村君はまだいいじゃないか。僕はフィードバックのせいで召喚獣の疲労まで蓄積されるんだからね?」

「いやいや、観察処分者でもない俺は少なからず集中力がいるんだからな。こっちだってしんどいんだぞ」

「それなら僕だって――いや、もうやめとこう」

「……だな、あまりにも不毛だ」

 

 なんて会話をしていると。

 

「お疲れ。吉井君に谷村君」

 

 学年次席の秀才が声をかけてきた。

 

「お疲れ、久保君」

「吉井君、大変だったみたいだね」

「え? ああ、うん」

「手伝いに行けたらよかったんだが、あいにく僕の方も手が離せなくてね。すまなかった」

「そんな、謝らないでよ久保君。他の皆に助けてもらったから大丈夫だし」

「そうか……」

 

 どこか残念そうな久保。なんていうか、真面目な奴だな。

 

「ところで谷村君」

「ん?」

 

 久保に話しかけられる。なんだ?

 

「先日君に課した宿題はきちんとこなしたかな?」

 

 宿題……ああ。

 

「もちろん。当たり前だろ? もともとこっちから頼んだんだからな」

「ん? 宿題?」

「実はな、少し前から久保に勉強を教わってるんだ」

「な……なんだって……」

 

 そう口にしながら足を止める吉井。

 

「まさか勉強を教わるなんて考えるヤツがFクラスにいるなんて……」

「……まあ、俺自身も少し驚いてるからな。ここ最近の勉強時間に」

「どのくらい勉強してるの?」

「んー……30分くらいだったかな?」

「そ、そんなに!? 谷村君、一日は25時間しかないんだよ!? 30分も勉強に使っちゃってどうするのさ!」

「どうだ、すごいだろ吉井! そして一日は24時間だ!」

「し、しまった! 気が動転して……!」

「君たち。その勉強時間は決して誇れるものじゃないぞ」

 

 え? でもこれまでの3倍近いぞ?

 

「まあ、これまでは自習をまったくやっていなかったようだから、十分な進歩と言えるかもしれないけどね」

 

 と、眼鏡を指で上げながら語る久保。うん、やっぱりそうだよな。

 

「じゃあ、勉強の成果をクイズ形式で確かめてみようか」

「よし! 答えてやろうじゃないか!」

「では第一問。"ordinary"の意味は?」

「………………もはやこれまで、か」

「かなり基本的な単語なんだが……それに、宿題をちゃんとやっていればわかるはずだぞ」

「いや! 宿題はちゃんとやったんだ! 覚えてないだけで!」

「それでは意味がないじゃないか」

 

 "ordinary"……オーディナリー……おーでぃなりー……おりじなりー……。

 

 

 

 オリジナリティー!

 

 

 

「わかった! オリジナリティー、つまり『独創性』だ!」

「残念。答えは『普通の』、だ」

「……あと一歩、か」

「いや、全然違うと思うんだけど」

 

 あとは答えの方向を180度捻れば正解だった。

 

「あはは、きれいに真逆だったね!」

 

 と、快活に笑うのは愛子だ。

 

「じゃあ愛子は今の分かったのかよ」

「あったりまえでしょー? ボク、Aクラスだよ?」

「だったら俺から愛子に問題だ! 『賛成する』を英語で?」

「"agree"」

「くっ、正解だ!」

「谷村君、今のは僕でもわかったよ」

 

 嘘、"agree"って結構難しくない?

 

「じゃあ今度はボクから問題ね。"bread"(ブレッド)は日本語で何?」

「ブレッド? ふっ、さすがにこれはわかるぞ」

「まあ、簡単だよねー」

「ああ。答えは『剣』だ!」

「……えっ」

 

 あっけにとられる愛子。えっ、違うの?

 

「……谷村君。おそらく君は"blade"(ブレード)と勘違いしているな」

「ああ、そういうことか。正解は『パン』だよっ!」

「はぁ? パンはもともと英語だろ?」

「いや、パンの語源はポルトガル語だ。確かに勘違いしやすいものだが……これは知っておくべきものだぞ」

「そうだったのか……」

 

 自分の知識のなさに、改めてショックを受ける。もしかして、俺ってバ……いや、今のはちょーっとだけ勘違いがあっただけで、俺は別にバカってわけじゃない! はずだ!

 

「……谷村君、もしかして君の英語の成績はかなり低いんじゃないか?」

「まあ、久保からすれば低いだろうけど……」

「この前の試召戦争の時ってどうだったの?」

「えーと……確か、英語は23点だったかな」

「「「23点!?」」」

 

 ハモる久保達。

 

「え? みんなそんなもんじゃなかったのか? 特に吉井」

「いや、僕でも50点はとれるけど……」

「なんだとっ!? これでも古典よりはマシなんだぞ!?」

「君の古典はどれほど低いんだい?」

 

 頭に手を当てながらそううめく久保。いや、なんて言うか、古典も外国語みたいなもんだし?

 

「とにかく、谷村君。宿題はこなすだけではだめだ。基本的なものだけでもいいから、英単語や文法を一つ一つ覚えていこう」

「ああ……わかったよ」

 

 正直面倒だが、もともと俺が言い出した話に久保がわざわざ付き合ってくれているのだ。それに、少しでも木下さんに釣り合う男になるためでもある。頑張っていこう。

 

「あと、もう一つのアドバイスだが、頻繁にテストを受けるというのも有効な勉強法の一つだね」

「そうなのか?」

「ああ。テストは自分の学力を試す場だからね。自分が何ができて何ができないのかがはっきりするんだ。それを把握するのは勉強の上で非常に役に立つものだよ」

「なるほどな……」

 

 テストなんて面倒なだけだと思ってたけど、そういう考え方もあるんだな。やっぱりAクラスの生徒はテストのとらえ方からして違うのか。

 

「僕はよく先生に頼んでテストを実施してもらっているよ」

「テストを実施……ってそんなことできるのか!?」

「できるよー」

 

 と、答えるのは愛子。

 

「ボクもそうだし、代表とか優子もよくやってるね」

「この学校は試召戦争があるだろう? そのために問題の準備は十分にしてあるようだ」

「へえ……そうなのか」

「生徒からしても点数の更新が頻繁に行えれば召喚獣の強化につながるし、学校としても勉強のモチベーション向上になるから、基本的にはいつでも頼めば実施してくれるはずさ」

「知らなかった……」

 

 と、Aクラス二人の説明を聞いて吉井が声を漏らす。俺も初めて知った。

 

「知らなかったって言うケド、入学したときにいつでもテストが受けられるって説明されなかった? 試召戦争もあるし、二年生になるときにも改めて説明があったはずなんだケド」

「「説明されなかった」」

「……覚えてないだけだと思うんだけど」

 

 まあ、Fクラスの連中なんて、(俺を含めて)テストを受けるのなんかなるべく避けたがってるから、そんな情報一瞬で忘れたのだろう。けど、テストを腕試しのように受ける、という考え方は面白い。勉強を頑張れば点数も上がっていくだろうし、これからはたまに受けてみようか。

 

「とはいっても、谷村君はまず基礎学力をつけるのが先決だね。今度、僕が中学の時に使っていた英語の参考書を持ってくるよ」

「中学って、流石にそこまでは」

「いや、君の成績はそのレベルだ」

「……」

 

 学年次席に断言されちゃあこちらとしては言い返せない。

 中学レベルから目指すのは高校生のトップクラスかあ……道のりは遠いな……。

 

「それと、これは一つ言っておくよ」

「ん? なんだ?」

 

 はるか遠くのゴールに思いを馳せていると、久保が話しかけてきた。

 

「君に協力するのはあくまでも学業に励みたい、という君の意思を受けてのものだ」

「あ、うん。わかってるけど」

 

 正直、とてもありがたいと思ってるし、今更久保は何を言うつもりなのだろう。

 そう疑問に感じていると、久保は軽く吉井を一瞥してから口を開いた。

 

「だから、僕は別に君からの略奪愛をあきらめたわけじゃないということは肝に銘じておいてくれ」

「だからそれは勘違いだって言ってるだろ!?」

 

 どうしたら俺と吉井の噂をなかったことにできるか、ということを考えながら、俺たちはそれぞれの教室へと戻った。

 

 

            ☆

 

 

 教室へと戻ると、出店の準備をしていた生徒のほとんどが帰り支度を終えていた。今日も疲れたし下校時刻も近いので、俺もとっとと帰ることにした。

 一人階段を下りていけば、とある掲示が視界に入った。

 

「ん……トーナメント表か」

 

 清涼祭で行われる試験召喚大会の対戦表だ。当日まで一週間ということもあって、いつの間にか張り出されていたらしい。

 名前欄を眺めていけば、きちんと俺と橋本の名前もあった。一回戦の相手は……『2-D 平賀源二 & 2-E 三上美子』って、平賀かよ!

 『美子』って、どう考えても女子だよな……アイツ、女子と一緒に出やがって。もしや優勝するともらえる如月ハイランドのチケットが目当てなのか? そうだとすれば、早急に須川たちとともに平賀を問い詰めて処刑でもするか。

 なんてことを考えながら対戦表を眺めていると、

 

「……ん?」

 

 見知った名前が並んでいることに気が付いた。

 

「吉井と坂本? アイツらも出るのか?」

 

 この前召喚大会の話になったときはあまり興味がある感じでもなかったのに、いったいどうしたんだろう。橋本と同じで参加賞に釣られたケースか? けど、そんなのにあの坂本が付き合うとも――

 

「――って、根本が言ったんだよ!」

「マジでー?」

 

 突如、そんな声が聞こえた。

 声の主は誰だろう、と思いながら振り向くと、2-Bの運営委員である鈴木と金田一さんが階段を下りてきているところだった。

 

「そうそう……って、あ?」

「あ」

 

 ぼうっとその様子を眺めていたら鈴木と目がバッチリ合ってしまった。

 

「なんか用か、谷村」

「用っていうか……」

 

 目が合ったのは偶然だったが、言いたいことがあったのでちょうどいい。

 

「お前たち、なんで運営委員の集まりに来ないんだよ」

「……ちっ」

 

 鈴木は、俺の言葉を聞くとバツが悪そうに舌打ちをした。金田一さんはというと、興味なさげに爪を眺めている。

 

「クラスの準備が忙しかったんだ。運営委員の方に顔を出す余裕がなかっただけだ」

 

 思った通りの答えが返ってきた。

 それを嘘だと断じることはたやすいが、それを証明することはできない。もしかしたら本当に準備が忙しくて、今日も今までクラスの準備をしていたのかもしれない。けれども、

 

「それは皆同じだろ。ほかのクラスの人は、ちゃんと忙しい中毎日来てるわけだし」

「いいだろ、別に。大体、他の連中が来てるならオレたちは行かなくて大丈夫だろ?」

「大丈夫な訳――」

「現に、この状態でうまく回ってるんだろ? だったら問題ねえじゃねえか」

「お前たちがいない分、俺たちが余計に負担を負ってるんだよ」

「……わかったよ、時間があったら行ってやるよ」

 

 鈴木は、面倒になったのかそう言って話を切り上げた。……この言い方だと、おそらく明日も二人は来ない気だろう。

 ハア、と心の中でため息をついていると、

 

「ところで、対戦表の前に立ってたってことは……まさか、お前も召喚大会に出んのか?」

 

 と、鈴木が口にした。

 

「そうだけど……『お前も』ってことは、鈴木、お前もか?」

「ああ。オレと(かおる)でな」

 

 金田一さんのことを顎で示す鈴木。

 対戦表の名前欄を一つずつ確認していくと……あった。確かに、二人の名前が書いてある。もしも俺たちと向こうがどっちも勝ち上がれば、三回戦で当たる位置だ。

 

「ったく、残念だぜ」

「残念って、何が」

「お前を直接ぶちのめせないことだよ」

 

 人差し指を俺に突き付けながら、鈴木はそう言い放つ。

 

「オレ達の初戦の相手はお前のペアじゃなかったはずだ。だったら、もう戦うチャンスがないだろ」

「は? それって、どういう」

「お前のペアは速攻で負けるだろって言ってんだよ、物分かりが悪いな」

「…………」

 

 ……ようやく、鈴木の言いたいことが分かった。

 要するに、こう言われているのだ。『お前たちは初戦で負ける』と。

 実際、俺たちはFクラスとEクラスのペアだし、そもそも勝ち上がろうという気が全くない。もともと俺は橋本の付き添いだし、その橋本は参加賞が目当てだから、初戦突破をする気もないだろう。そりゃあ勝てるなら勝ちたいけど、それはそれだ。実力的にも劣っている二人が、やる気もない状態で勝ち上がれるわけがない。

 だから、その侮辱も黙って聞いてやろうと思った。

 

 

 

 ――対戦表を見ていた金田一さんが、次の言葉を放つまでは。

 

 

 

「あ、谷村のペアってあのバカか。バカ同士でお似合いじゃん」

「……え?」

 

 あのバカって、橋本のことか? どうして金田一さんは橋本のことをそんな風に呼ぶんだろう。

 俺のことをバカと呼ぶのなら、ぎりぎり500歩譲ってわからなくもなくもない。だって、俺は認めたくないがFクラスだから、バカとしてひとくくりにされるのは非常に不服ながらも受け止めなければならないことかもしれなくもない。

 けど、橋本は違う。Eクラスは確かに下位層のクラスではあるが、バカとまで言われるほどじゃないはずだ。

 

「ん? 香、コイツのこと知ってんのか?」

「一年の時に同じクラスだったのよ。で、ほらアレ」

 

 そう言いながら金田一さんが指さすのは、校内新聞だ。以前俺が破いてしまったものと同じ号だが、すでに新しいものが貼り直されていた。

 

「校内新聞がどうした?」

「アレを書いてんのがアイツなんだよ」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、二人は会話を続ける。

 

「笑っちゃうよねー。誰もこんなの見てないのにさ」

「ハハ、まったくだな!」

「こんなくだらないことに時間費やして、挙句成績落としてEクラスって! ホントバカだよ、アイツ!」

 

 

 

「バカにするな!」

 

 

 

 考えるより先に、口が動いていた。

 

「……何、急に?」

 

 笑うのをやめて、こちらをにらみつける金田一さん。

 

「橋本をバカにするなよ。アイツがやってることは、くだらなくなんかない」

「くだらないでしょ。あの校内新聞に書いてあることってゴシップばっかじゃん。ほんとかどうかもわからないようなさ。ま、別にちゃんと読んだわけじゃないけど」

 

 内容は、確かにそうかもしれない。中身をほとんど読んでいない俺でさえ、有益な情報が対してないことはわかる。

 けど、そもそもまともにあの新聞を読んでいない俺や金田一さんが内容の是非を問うのはお門違いだ。

 第一。

 

「第一、それはアイツをバカにする理由になんかならないだろ」

「そのせいで成績を落としてても? 誰のためになってるのかわからなくても?」

「当たり前だ」

 

 一週間前、深夜に二人で学校に忍び込んだとき、アイツの表情は真剣そのものだった。記事のために学校に忍び込むなんて、生半可な決意でできるわけがない。

 だから、それが笑い飛ばされて、良いわけがない。

 

「人が本気でやってることを笑うなよ!」

 

 柄にもなく、はっきりと俺は二人に告げた。

 

「……意味わかんない」

「行くぞ、香。どうせバカの戯言だ」

 

 二人は、そう言って下駄箱の方へと向かっていった。

 

「…………」

 

 俺の言葉は二人にはイマイチ届いていないようで、妙に悔しかった。ええと、確かこんな状況を表す諺が……暖簾にくぎ打ち、だっけ?

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「……決めた」

 

 今度の召喚大会で、アイツらをぶちのめしてやる。

 別に、アイツらを倒したからって何の証明になるわけでもないし、何かのためになるわけじゃない。俺がバカ扱いされるのも、正直最近慣れてきた。

 けど、橋本が、橋本のやってることがバカにされるのは、どうしても許せなかった。

 

「……とは言ってもなあ」

 

 実際問題、どうやって倒せばいいのだろうか。

 俺たちの戦力は、たかが知れている。かつて俺は島田さんとともに4人のBクラス生徒に勝利したことがあるが、あれはこちらが点数で有利だったことと、相手が大人数の立ち回りを理解していなかったことが大きな勝因だ。

 今回の召喚大会では、どうあがいても点数の不利はぬぐえない。総合科目の点数は、俺と橋本を足してようやくBクラス一人分と言ったところだろう。そして、試合だから不意打ちも使えない。

 こうなると、アイツらを倒すことはおろか、勝ち進むことすら怪しい。ううん……。

 

「どうするか……」

「どうするって、何をですか?」

「おわぁ!」

 

 逆転の秘策を考えている俺に突如声がかけられ、叫んでしまった。

 

「な、なんだ、橋本か。脅かすなよ」

「脅かしたつもりはないんですけど……で、何か悩み事ですか?」

「なんでもない、こっちの話だ」

 

 これは、個人的な俺の喧嘩だ。橋本に協力してもらう必要はない。

 

「お前こそ、なんだそれ」

 

 橋本は、体に似合わぬ大きな模造紙を丸めた何かを抱えていた。話題を変える意味も込めてそれを指摘すると、

 

「ああ、新しい校内新聞ができたんですよ。だから、貼りに来たんです」

 

 そういいながら橋本は掲示板の校内新聞をはがし始めた。

 

「そんなの、明日の朝にでもやればいいだろ。さっきまで運営委員の仕事があったんだし、わざわざ今日のうちにやらなくても」

「何言ってるんですか。情報は鮮度が命ですから。できたその瞬間から貼り出すべきなんですよ」

「ふうん……」

 

 今日の放課後でも明日の朝でも、どっちにしても校内新聞を見る人数は変わらない気がする。それでも今日のうちに張ってしまおうと考えたのは、橋本なりのポリシーなのだろう。

 そして、思う。校内新聞のことについて話す橋本は、やはりどこか生き生きとしている気がする。

 

「そういえば、召喚大会の対戦表は見たか?」

 

 校内新聞の掲示を終えた橋本に、そんな質問を投げかける。

 

「ええ、まあ。一応は目を通しましたよ」

 

 淡白な反応。橋本は召喚大会は参加することに意義があると言っていたし、初戦の相手も気にしていないだろう。

 と、思ったら。

 

「というか、あれ作ったの僕ですし」

「え?」

「召喚大会の申請や管理って、運営委員の3年生が担当してるんですよ。で、対戦カードが組み終わって掲示するって話になったので手伝ったんです」

「ふうん」

「でも、ちょっとおかしいんですよね」

「おかしいって、どこが?」

 

「召喚大会は、試合ごとに戦う科目が変わるんですよ」

「え、そうなのか? 総合科目で戦うんじゃなくて?」

「はい。これは例ですけど、一回戦は現代国語、二回戦は化学、みたいにどんどん切り替わっていくんです。まあ、そうでもしないと何試合かしたらすごい低い点どうしの試合になりますからね」

 

 そうか。ずっと総合科目で戦っていけば、自然とだんだん派手さに欠ける試合になっていく。試験召喚システムを宣伝する行事らしいし、それは学校側の思惑に背くのだろう。

 だったら。科目次第で勝機はある。

 

「その科目って、わかるか?」

「いや、それがおかしなところなんですよね」

 

 そう言いながら、橋本は対戦表を指さした。

 

「科目がまだ決まってなかったんですよ」

「決まってない? 対戦カードは決まってるのにか?」

 

 言われてみれば、確かにどこにも科目に関しての言及がない。

 

「ええ。あと二、三日もしたら決まるらしいですよ」

「そうか……」

「一体どういう事情があるんですかね? 対戦表を見てから科目を決める気なんでしょうか」

 

 ぶつぶつと何かつぶやく橋本をよそに、俺は考え込む。

 今日から数えて二、三日。清涼祭までの残り日数を考えれば、ギリギリで何とかなる……か?

 

「橋本。召喚大会の科目が決まったらすぐに俺に教えてくれるか?」

「別にいいですけど……どうしてですか?」

「ちょっと気になってな。さて、これから忙しくなるぞ」

「何言ってるんですか、結構前から忙しいですよ」

「より一層、って意味だ」

「……言ってる意味がよくわからないんですけど」

 

 平賀の処刑は見送ってやる。

 そんなことをしている暇なんか、無い。




文字通りの準備回。
次回、ようやく清涼祭本番です。


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第五問 清涼祭開幕!

【現代社会】

 問 以下の状況を引き起こした出来事の名称を答えなさい。

『1970年代、トイレットペーパーや洗剤、砂糖、醤油などの買い占めが起き、スーパーなどで商品不足が多発した』

 

 

 

 橋本和希の答え

『オイルショック』

 

 姫路瑞希の答え

『石油危機』

 

 教師のコメント

 どちらも正解です。

 1973年、第四次中東戦争を引き金として、中東の原油産油国が原油価格の引き上げを決定しました。それにより世界で経済混乱が引き起こされました。

 その影響で当時の日本では紙不足になるという噂が流れ、市民はこぞってトイレットペーパーの買い占めを行ったのです。

 

 

 

 谷村誠二の答え

『電気ショック!』

 

 教師のコメント

 先生は痛いのは嫌いです。

 

 

 

 工藤信也の答え

『バーゲンセール』

 

 教師のコメント

 価格は高騰しています。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

「……おお、結構ふいんき出てるな」

雰囲気(ふんいき)、じゃぞ。谷村よ」

 

 時は流れて、清涼祭当日の朝。

 我らがFクラスの教室は、いつもの廃墟からお化け屋敷風喫茶へと様変わりしていた。その名も、『お化けとおやすみ!』。お化けと一緒にいたら心は休まらない気もするが、ホントにお化けがいるわけではない。

 まあ、つまるところ廃墟ではあるけれど、いつものような単なるボロ教室ではなく、いかにも何かが出そうな演出がなされていて、正直ちょっと怖い。

 

「どうなることかと思ったが、なんとかなるもんなんだな」

 

 そう呟く俺の脳裏には、ここ数日の突貫作業が蘇っていた。

 スタートダッシュが大いに遅れたFクラスの清涼祭準備だったが、清涼祭当日にどうにか間に合わせることができた。

 

「清涼祭の売上で教室の設備を変えられるってのがあったからか? 皆張り切ってたし」

「まあそれもあるけど……やっぱり雄二のおかげだよね」

「だな」

「まったく、あのバカのどこにこんな力があるんだろ」

 

 吉井の言う通り、準備が間に合ったのは坂本の統率力によるところが大きい。仕事の割り振りもスマートだったし、皆をやる気にさせるのも上手かった。さすが坂本、といったところだろう。

 と、そんな話をしていると、

 

「戻ったわよー」

「すいません。遅くなっちゃいました」

 

 このクラスの清涼剤、島田さんと姫路さんが着替えから戻ってきた。

 

「……おお」

 

 思わず声が漏れる。

 お化け屋敷風喫茶ということで、二人とも魔女のコスプレをすることになった。ちなみに衣装の監修、製作はムッツリーニだ。

 魔女とお化け屋敷に関係があるのかと言われたら微妙な気がしないでもないが、可愛さの前では些末な問題と言えよう。ついでに言えば、もう一人のFクラスの清涼剤である秀吉も当然魔女の格好をしている。

 

「姫路さん、似合ってるよ! 皆を助ける魔法使いみたいだよ!」

「そ、そうですか? 良かったです」

「ねえアキ、ウチは? 似合ってるかしら?」

「うん、美波も似合ってるよ。白雪姫に毒リンゴを渡した魔女みたいで右腕があらぬ方向へ曲がっていく!」

「なんでウチは悪役なのよ!」

 

 そんな魔女の三人は全員ホール担当である。ただでさえ男子率の高いFクラスなので、可憐な方々にはホールに出てもらうことが俺と吉井の独断で決定した。

 ちなみに、姫路さんを厨房に立たせないためという裏の理由がある。お化け喫茶だからって本当にお化けを作るわけにもいかないし。

 

「それにしても、あの少ない予算でよくここまで出来たもんだな」

「まったくだよ」

 

 と、島田さんに技をかけられたままの吉井が相槌を打つ。

 Fクラスにおける清涼祭準備で何が一番苦しかったかと言えば、その予算の少なさである。何をするにしてもお金の問題はついて回るもので、Fクラスに与えられる予算だけではまともな準備はとてもできなかった。その問題を坂本にぶつけたところ、得られた回答は、

 

『んなもん簡単だろ。金が無いんだったら有るところから貰えばいい』

 

 というものだった。

 そんなわけで、『お化けとおやすみ!』内にあるものは殆どが他クラスの余りものだったりする。流石に直接金をせびることはしなかった。

 姫路さんたちの衣装にはAクラス、Cクラスから貰った布がところどころに使われているし、教室の壁に飾られている火の玉やクモの巣の飾りはDクラスとEクラスから何枚かずつ譲ってもらった画用紙によるものだ。

 ああ、『予算がないので余ってる材料をください』と言ったときの木下さんや村田さんの視線は辛かったなあ……見下すような憐れむような……。

 

「………………」

「どうしたの? 谷村君」

「いや、なんでもない」

 

 いかんいかん、あのことは忘れよう。

 そんなこんなで手に入れた画用紙は、壁際に並んでいる墓石にも使われている。ちなみに、この墓石たちの正体は俺たち愛用のみかん箱を積み重ねたものだ。せっかくFクラスに大量にあるのだから活用しようというもったいない精神の結晶である。

 そして、各所に置いてある風化したデザインの机やイスは空き教室から盗ってきて改造を加えたものだ。無くなった机を探す先生達(主に鉄人)に見つからないように隠すのは大変だった。

 

「ま、さすがに床までは手が回らなかったがな」

 

 きちんと掃除はしたが、床は本来のFクラスのそのままだ。まあ、元から廃墟なのでお化け屋敷の演出にマッチしている。問題は無いだろう。

 

「学園祭の出店って考えたら十分な出来だよね」

 

 ようやく島田さんの技から抜け出した吉井。

 

「ああ。見栄えはバッチリだろ。あとは肝心の料理だが……」

「…………完璧」

「ひっ!」

 

 よぎった不安を打ち消すように現れたムッツリーニの声。いきなり背後から声をかけるもんだから軽く悲鳴を上げてしまった。

 振り向けば、厨房担当のムッツリーニと、その厨房の最終チェックをしていた坂本が立っていた。

 

「…………そんなに怖がらなくてもいいのに」

「だったらその存在感を消す癖を直してくれ」

 

 なんでそんなことをする必要があるんだ。ただでさえビビッ……違う、気配に敏感になってるというのに。

 

「それで? 厨房の準備は終わったのか?」

「…………これ、試食用」

 

 厨房担当のムッツリーニの差し出したお盆には、いくつかのコップと小さく丸い水色のゼリーが乗っていた。コップの中には、白い液体が入っていた。

 

「目玉商品のお化けジュースと火の玉ゼリーだそうだ」

 

 坂本が商品名を教えてくれた。

 

「わあ……きれいで美味しそうですね」

「ホントね。土屋、もらってもいい?」

「…………(コクリ)」

 

 姫路さんと島田さんが火の玉ゼリーに手を伸ばし、口へと運ぶ。

 

「これ、美味しいです!」

「本当! 口の中で甘さが広がって幸せな気分になるわね」

「…………自信作」

 

 思いのほかの大絶賛。それを見て秀吉も手を伸ばす。

 

「うむ。食感も面白いのう。冷えておるから人気もきっと出るであろうし」

「ジュースも美味しいですね」

「そうね。甘さは思ったより控えめで、少し酸味もあって……火の玉ゼリーとよく合うわ」

 

 二人の意識がどこかにトリップしそうになっている。そんなに美味いのか。

 

「それじゃ、俺も貰おうかな」

「あ、僕も」

「…………(スッ)」

 

 ムッツリーニの差し出すお盆から、俺は火の玉ゼリーを、吉井はお化けジュースを手に取った。

 この火の玉ゼリー、微妙に赤みがかってるな。色違いか?

 なんてことを考えながらそれを口に放り込んだ。

 

「ふむ。口の中に苦みが広がって、噛めば噛むほどドンドン不愉快な気分にグハッ」

 

 全身から力が抜けてその場にドサリと倒れ込んだ俺。

 なんだ、何が起きた!?

 

「お、当たりだな谷村。それは姫路お手製のゼリーだぞ」

 

 小声でそんなことをささやいてくる坂本。こいつ、知ってて黙ってやがったのか。

 ふと視界に入るのは、俺と同じく床に倒れこむ吉井。アイツも当たり(ハズレ)を引いたな?

 というか、なんで姫路さんがゼリーを作ってるんだよ! ムッツリーニにはちゃんと姫路さんを厨房に入れないように伝えておいたはずだろ!

 そんな遺志を乗せてムッツリーニをにらみつけると、ムッツリーニは申し訳なさそうに目を伏せた。

 ふむ、姫路さんの熱意に負けて厨房に立たせてしまったからその処理を俺と吉井に押し付けたのか。なるほど、外道め。

 

「あの、どうしたんですか? 吉井君、谷村君?」

「ちょっと、大丈夫?」

 

 二人はいきなり倒れた俺たちを心配してくれているようだ。目の前でクラスメイトが倒れたんだから当然の反応か。

 

「あ、う、うん。最近寝不足だっただけだから」

 

 吉井はよろよろと立ち上がる。

 俺もそれに続いて、ああ、俺も大したことは……としゃべろうとして、口が動かないことに気づいた。

 あれ?

 

「……谷村君? 谷村君!?」

 

 心配そうな吉井の声。

 大丈夫だ、安心しろ――という声も俺の口から出てこない。

 あれ!? なんでだ!? 姫路さん特製ジュースを飲んだ吉井は普通に起き上がってるのに!

 ふと気づけば、手足の感覚がなくなっていた。パニック状態の中、動かない視界から情報を探ると、床に広がる白い液体に気が付いた。

 それと同時に、坂本とムッツリーニが小声で何かを話す。

 

「そうか……明久は少ししか口に含まずに済んだが、谷村は一気に一口で食っちまったんだな」

「…………毒をモロに食らった形」

 

 ああ、なるほど。そういう理由だったのか。

 

 …………。

 

 いや、なんも解決してねえ! なんか一件落着みたいな感じになってるが、結果俺が死にかけてるのは変わってねえじゃねえか!

 やだ! 死にたくない! 誰か助けて!

 すると、俺の声にならない悲鳴が届いたのか、ムッツリーニが必死の形相でお茶を運んできた。

 

「…………とにかく飲み込んで」

 

 珍しい鬼気迫る声とともに、ムッツリーニが俺の口にお茶を流し込む。いつだったかも使用した、お茶の抗菌作用作戦だ。かなり熱くて口の中がやけどしそうだが、体が動かないのでどうすることもできない。

 坂本もさすがに焦ったようで、お茶のお代わりを汲みに行っていた。

 

 

            ☆

 

 

 結局、体の感覚が戻ってくるまでの数分間、俺は必死でお茶を飲み続けることになった。女子陣の心配そうな声と、吉井のごまかす声がにぎやかだったことが意識を失わなかった要因と言えよう。

 

「……あー、谷村。すまなかった」

「…………まさかあれほどとは」

 

 そんな風に生還の要因を確認していると、特製ゼリーのことを知っていた二人が謝ってきた。

 

「……まあ、救命作業をしてくれたから、特にこれ以上は何も言わないでおいてやるよ」

 

 ただし、いつか仕返ししてやるからな。覚えてやがれ。

 

「とにかく、特製ゼリーと特製ジュースは絶対に客に出すなよ。ムッツリーニ」

「…………(コクリ)」

 

 姫路さんたちの反応を見るに、普通の料理はとても出来がいいようだ。特製殺人料理の混入さえなければ問題ないだろう。

 そんなこんなで出店の最終確認をしていると。

 

「谷村さーん。うわっ、すごい雰囲気ですね」

 

 と、のんきな声が聞こえてきた。

 橋本だ。

 

「どうだ、いい出来栄えだろ。で、何の用だ?」

「何の用って……もうすぐ召喚大会の時間ですよ」

「え?」

 

 ふと腕時計を見れば、なるほど、確かにそんな時間になっていた。俺たちの召喚大会一回戦は、一般開放と同じ時間に始まると聞いている。

 

「忘れてたんですか?」

「いや、まあ、ははは……」

 

 生死の境をさまよっててそれどころじゃなかった、とは言うまい。

 

「あ、僕たちの試合ももうすぐだね」

「だな。ってわけで、お化け喫茶の運営はとりあえず秀吉とムッツリーニに任せる。俺たちは召喚大会に行ってくるからな。姫路と島田も、召喚大会の時間まではウェイトレスとして働いてくれ」

 

 テキパキと指示を出す坂本。本当に頼りになる。

 

「それは別にいいけど……アンタたちも召喚大会に出るの?」

 

 確認するように俺たち……特に吉井を見る島田さん。

 

「え? あ、うん。色々あってね」

 

 ん? 煮え切らない返事だな。

 

「もしかして、賞品が目的とか……?」

 

 島田さんはあることに思い至ったようで、怪しむような視線を吉井に向けている。

 

「う~ん。一応そういうことになるかな」

「なんだ、お前らもやっぱり参加賞の食券目当てか」

「あ、それももちろん目的の一つではあるんだけど」

 

 おや、吉井はどうしたんだろう。食券以外に目的があるのか? さっきから何かごまかすように歯切れが悪いし。

 

「……誰と行くつもり?」

「ほぇ?」

「吉井君。私も知りたいです。誰と行こうと思っていたんですか?」

 

 攻撃的な目になる島田さんに続いて、姫路さんまでもが戦闘態勢に入る。

 というか、誰と行きたいって……もしかして、如月ハイランドのペアチケットのことか。アレは確か優勝賞品だったよな?

 

「だ、誰と行くって言われても……」

「明久は俺と行くつもりなんだ」

 

 吉井が答えに窮していると、坂本が助け船を出した。

 って、吉井と坂本の二人で如月ハイランドに?

 

「え? 坂本とペアチケットで、『幸せになり』に行くの……?」

「ちょ、ちょっと雄二!」

 

 それを聞いて驚く島田さんと吉井。

 ん? どうして吉井まで……あ、そうか。本当は秘密にしておきたかったんだな。

 

「というか、お前たち、優勝する気なのか?」

 

 吉井の召喚獣の操作技術の高さは知ってるし、坂本の策士っぷりも知っている。ただ、それでも優勝は難しいはずだ。

 だというのに、

 

「え? あ、うん。そのつもりで参加したんだし」

 

 なんでもないようにさらりと言ってのける吉井。

 お前――

 

「お前、そんなに坂本と一緒に如月ハイランドに行きたいのか」

「違っ!」

「違わないさ。そうだろう? 明久」

「ぐぐぐ……う、うん……」

 

 吉井は一瞬否定しようとしたものの、坂本のセリフを聞いて苦渋の表情で頭を縦に振った。脅迫を受けてるように見える。

 

「じゃ、じゃあ、本当に吉井君は坂本君と一緒に行きたいんですね……?」

「う、うん」

 

 悲しむような姫路さんの声。なんだろう。何人もの思惑が飛び交ってるような気がする。

 まあ、とにかく、坂本もまんざらでもないんだったら、俺と吉井の噂を払拭するいい機会に……。

 

「俺は何度も断っているんだがな」

「えっ」

「なんだ。吉井が一方的にラブコールを送っているだけか」

「いや、何を言い出すんだよ雄二!」

 

 焦りだす吉井。全く、せわしない奴だ。落ち着いている俺を見習え。

 

「アキ。アンタやっぱり、谷村よりも坂本の方が……」

「ちょっと待ってくれ島田さん! どうしてそこで俺の名前が出てくるんだ! 俺と吉井はこいつらとは違って何もないからな!」

「おいおい谷村、俺だって違うさ。明久が俺に言い寄ってくるだけだ」

「ああああ! 僕の悪評が広まっていくぅ! また同性愛の似合いそうな生徒ランキングが上がってしまうじゃないか!」

「あ、吉井さん、僕の新聞読んでくれてるんですか? ここだけの情報ですけど、今度の新聞でまたランキングがひとつ上がりますよ」

「もう遅かった!」

 

 ここで吉井に追い打ちをかける橋本の残酷なニュース(お知らせ)

 

「ハハハ、俺とは違ってお前はどんどん高みへ行くようだな」

「谷村さんは2ランクアップですね」

「……チクショウ」

「まあでも、吉井さんと比べたらまだまだですよ。上位に食い込めるように頑張ってくださいね」

「ランクダウンするよう頑張ってやるからな」

 

 頑張ろう、マジで。

 

「吉井君。男の子なんですから、できれば女の子に興味を持った方が……」

「それができれば明久も苦労はしてないさ」

「雄二! それっぽいことを言うんじゃない! フォローになってないんだよ!」

「っと、いい加減行かないとまずいな。ほら、行くぞ明久」

「僕たちも行きましょうか、谷村さん」

「ああ」

「くそっ! まだ誤解が解けてないのに! と、とにかく、今雄二が言ったことは全部嘘だからね、姫路さん、美波!」

 

 間違いなく意味が無いだろう明久の弁明を聞きながら、俺たちは教室を後にした。

 

 

            ☆

 

 

 数分後、俺たちが到着したのはここ数日炎天下の中作り上げた特設ステージだ。こうして完成しているのを見ると、やはり感慨深い。

 

「それじゃ、僕たちはこっちだから」

「おう」

 

 吉井たちと別れて、俺たちの試合が行われるコートへと向かう。召喚大会のコートとして用意してあるのは6面分だったかな?

 

「よう、谷村」

 

 コートの近くにたどり着くと、一回戦の相手である平賀に声を掛けられた。開始時間まではまだ少しあるみたいで、暇してるようだ。

 

「うっす。どうだ、クラスの出店の方は」

「いい出来だぞ。良かったら後で来てくれ」

「おう、そうさせてもらうわ。お前もウチのお化け喫茶に来いよ?」

「ああ」

「……で、まあ、それはいいんだが」

 

 視線を、平賀の隣に立つ女子へと移す。ええと、この子が……

 

「Eクラスの三上よ、よろしくね」

 

 平賀のペア相手であり、橋本のクラスメイトでもある。

 

「あ、どうも、Fクラスの谷村です」

 

 と、自己紹介を終えてから、前から気になっていたことを平賀に問いかける。

 

「お前、なんで女子とペア組んでるんだ? クラスも違うのに」

「ああ、三上さんとは中学が一緒なんだ。だから前から知り合いでな」

 

 ふうん。せっかくだから召喚大会に出てみようとかそういう感じか。

 あっさりと理由を述べる平賀の隣を見れば、三上さんの頬が少し赤くなっている、気がする。くそ、羨ま……じゃない、腹立たしいが、せっかくの清涼祭で血を見るのも忍びない。

 と、ブレザーに忍ばせたカッターの刃を密かに仕舞っていると。

 

「というか、お前たちだって似たようなもんだろ? トーナメント表には橋本はEクラスって書いてあったぞ」

 

 と、今度は逆に平賀に問われる。

 

「まあ、それはそうなんだが……」

 

 平賀は、橋本が女子であることには気づいていないようだ。まあ、わざわざ説明する必要もないだろう。

 

「俺も橋本も、運営委員なんだ。そのつながりだよ」

 

 実際のところはそれ以前から知り合ってたが。

 

「まあ、ただの参加賞目当てなんですけどね」

「……ふうん。そうか」

「ああ。橋本に誘われたんだ」

「せっかくのイベントですから出ておこうと思いまして。だからまあ、負けてもいいとは考えてたんですけどね」

 

 負けてもいい、か。

 

「…………」

「みなさん、そろそろ始まりますので、配置についてください」

 

 雑談を、長谷川先生が遮った。俺たちの試合の立ち合い人であり、担当教科は数学だ。

 

「じゃあ、谷村。よろしくやろうぜ」

「ああ」

 

 軽く言葉を交わして、試合コートの対面に立つ。

 

「えー、それでは、試験召喚大会一回戦を始めます。三回戦までは一般公開もありませんので、緊張せずに全力を出してください」

 

 一回戦だと、試合数も多いし何よりクラスの出店の方が盛り上がっている。観戦者はほとんどいない。

 まあ、こっちの方がやりやすい。人に見られると恥ずかしいし。

 

「平賀君。頑張ろうね!」

「だね、三上さん。谷村たちは参加賞目当てみたいだし、きっと勝てるよ」

 

 と、平賀たちが励ましあっている。

 

「悪いな、平賀。こっちも負けられねえんだよ」

「おや、ずいぶん気合が入ってますね、谷村さん」

 

 ぽつりと独り言をつぶやくと、負けられない理由そのものである橋本に話しかけられた。

 

「……まあ、せっかく出るんだったら、やっぱ勝ちたいだろ」

「ふうん……」

「……なんだその反応」

「いえ、なんでもありませんよ」

 

 うまくごまかせただろう。というか、橋本がバカにされてムカついたからなんてわかるわけがないし、もしもバレたら恥ずかしすぎる。

 

「それでは、召喚してください」

 

 おっと、いつの間にか召喚フィールドが広がっていた。

 よし、頑張りますか。

 

「「「「試獣召喚(サ モ ン)!」」」」

 

 四つの声が重なり、コートに幾何学模様が現れる。お馴染みの、召喚者をデフォルメした召喚獣のお出ましだ。

 

 

『【数学】

 Dクラス  平賀源二 & Eクラス  三上美子

        124点           85点』

 

 

 まず現れたのは、平賀・三上ペアの召喚獣。

 平賀の西洋風の召喚獣に、三上さんの魔法書を携えた召喚獣。もし魔法攻撃でもしてきたら厄介だが……まあ、点数としてはどちらも各クラスの平均点をやや下回る程度だ。平賀の得意科目は現国だったはずだし、三上さんも文系なのだろう。

 科目が数学であることが幸いした。数学は俺の得意科目だし、これなら一回戦突破は楽勝だな。

 そんなことを考えながら俺たちの召喚獣が現れるのを待つ。俺の召喚獣はいつも通り学生服に筆箱装備。

 対して橋本の召喚獣だが、その姿はすでにここ数日のステージ設営で目にしている。明治時代を思わせるハイカラな格好で、巨大な召喚獣サイズの万年筆を背負っていた。勝負になるとどんな武器を持って現れるのやら――

 

 

『【数学】

 Fクラス  谷村誠二 & Eクラス  橋本和希

        187点          17点』

 

 

「……おい」

「なんでしょう、谷村さん」

「『なんでしょう』じゃねえよ! なんだよその点数! お前Fクラスじゃねえよな!?」

「いや、仕方ないじゃないですか。数学はちんぷんかんぷんなんですから」

「開き直ってやがる……」

 

 召喚獣自体はステージ設営の手伝いの時に見ていたが、その時は総合得点しか表示されていなかった。それを見る限りは標準的なEクラスの点を取っていたのに……!

 そんな橋本の召喚獣は、これまで背負っていた大きな万年筆をまるで木刀かのように両手で持ち構えていた。

 ん?

 

「お前、武器は!?」

「あ、そういえば持ってませんね。この万年筆が武器なんじゃないですか?」

「またこのパターンかよ!」

「まあ落ち着いてくださいよ。僕だってまさか勝負になっても万年筆しか持ってないなんて思わなかったんですから」

 

 いや、確かに橋本を責めるのは筋違いなんだが……。

 仕方ない。とにかく、この戦力で平賀達に勝つ方法を考えないといけない。

 どうする、どうすれば勝てる……?

 

「谷村さん、いい作戦を思いつきましたよ」

「ん?」

 

 うんうん唸っていると、橋本にそんなことを言い出した。

 

「その名も、『谷村さんが頑張る作戦』と言いましてですね」

「もういい。大体分かった」

 

 言われなくても頑張ってやるよ!

 

「ちょっと、流石に冗談ですよ」

「冗談に聞こえなかったぞ」

「まあ、囮くらいにはなります。この点数だとたかが知れてるでしょうけどね」

 

 ……囮か。

 

「じゃあ、橋本」

「はい」

「俺のために死んでくれるか」

「……はい?」

 

 

        ☆

 

 

「両者、準備はよろしいですか?」

「「「「はいっ」」」」

「それでは、始めてください」

 

 橋本に作戦を伝えたところで、長谷川先生による試合開始の号令がかかった。

 

「よし、かかってこい平賀!」

「言われなくても! 行くよ、三上さん!」

「うん!」

 

 俺の言葉に応えるように、二人の召喚獣が俺の召喚獣のもとへと走り出す。まずは橋本を無視して高得点の俺を二人掛かりでやっつけようという作戦だろう。

 残念だな。その動き、予想通りだ。

 

「させませんよ、三上さん!」

「きゃっ!」

 

 一直線に走る三上さんの召喚獣。その進路を遮ったのは、橋本の召喚獣の持つ万年筆だった。

 

 

『【数学】

 Dクラス  平賀源二 & Eクラス  三上美子

        124点      85点→82点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Eクラス  橋本和希

        187点          17点』

 

 

「……思いっきり攻撃が入ったはずなんですけど」

 

 3点しか減っていない点数を見て愚痴る橋本。

 17点じゃなあ……。点数差も大きいし、例え攻撃がクリーンヒットしたとしても高ダメージは期待できないだろう。

 

「三上さん!?」

 

 悲鳴を上げた三上さんを心配してか、平賀の召喚獣にブレーキがかかる。

 

「おっと、お前の相手は俺だ」

「……くっ」

 

 橋本が作ってくれたチャンスを無駄にしてはいけない。まずは一閃、カッターナイフを小刀のように叩き込む。

 

 

『【数学】

 Dクラス  平賀源二

   124点→97点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        187点』

 

 

 とっさに躱されたからか、思ったよりも点が減っていない。クラス代表の意地ってところか。

 

「平賀君、私は大丈夫。橋本さんを倒してから合流するね!」

「分かった!」

 

 平賀は三上さんと連携を取り、1対1が2組の形になる。平賀は、そのまま召喚獣に剣を振りかぶらせた。

 

「谷村、覚悟!」

「覚悟するのはお前の方だ!」

 

 その言葉とともに、召喚獣にボールペンを構えさせて、平賀の召喚獣へと突進――させるフリをして、一歩横へスライドさせた。

 結果として、誰もいなくなった空間へと剣を振り下ろした平賀の召喚獣。

 

「なっ!」

 

 よっしゃ、我ながらナイスフェイント!

 がら空きになった平賀の召喚獣の首筋にボールペンを突き刺す。

 

 

『【数学】

 Dクラス  平賀源二

    97点→23点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        187点』

 

 

「削り切れなかったか!」

 

 だったら続けざまに攻撃を加えるまでだ!

 

「くそっ!」

 

 最後の力を振り絞って反撃する平賀の召喚獣に対し、トドメを刺すべく再度ボールペンを突き立てた。

 

 

『【数学】

 Dクラス  平賀源二

    23点→ 0点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

   187点→172点』

 

 

「よし!」

 

 多少点は削られたが、平賀撃破だ!

 

「谷村さん! もう限界です!」

 

 すると、橋本の悲鳴が。

 

 

『【数学】

 Eクラス  三上美子

         78点

     VS

 Eクラス  橋本和希

    17点→ 0点』

 

 

 見れば、ちょうど三上さんの召喚獣による魔法攻撃が橋本の召喚獣を直撃していた。あえなく戦闘不能になる橋本の召喚獣。

 しかし、もう橋本は役目を果たしている。橋本に託した作戦とは、俺が平賀を倒すまで命を張って三上さんを引き付けておくことだったのだ。ここまで頑張って三上さんの攻撃を躱し続けていたのだろう。

 

「充分だ! あとは任せろ、橋本!」

 

 わずかだが相手の点数も削れている。十分すぎる働きだ。時間稼ぎも完璧にできていたし、ここ数日の運営委員の仕事で身に着けた操作技術の成果なのだろう。

 三上さんの召喚獣と相対し、改めて点差を確認する。

 

 

『【数学】

 Eクラス  三上美子

         78点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        172点』

 

 

 大体100点差か。だったら……。

 俺は、召喚獣にカッターナイフを構えさせて、三上さんの召喚獣に向けて走らせた。

 

「ちょっ……力業!?」

 

 ああ、力業だ。

 このくらい点差が開いているのなら、下手な小細工はしない方が吉だ。

 俺の召喚獣の動きを見て、三上さんの召喚獣は魔法書を開いて俺に向けて魔法攻撃を連発した。もちろんそのすべてを躱すことはできなかったが、急所に当てさせないことはそう難しいことじゃない。

 

「きゃあっ!」

 

 交通事故のように三上さんの召喚獣に衝突する俺の召喚獣。

 

『【数学】

 Eクラス  三上美子

     78点→ 0点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

   172点→123点』

 

 この点差に加えて俺は召喚獣操作の経験も多い。どんでん返しは起こらなかった。

 

「勝者、谷村・橋本ペア!」

 

 長谷川先生による勝ち名乗りが上がる。

 よし! 勝利だ!

 

「ナイスです、谷村さん」

「橋本が粘ってくれたおかげだよ。助かった」

「ともかく、まずは一勝ですね」

「ああ、何とか勝ててよかった……ん?」

 

 橋本の言葉に返事をしてから、妙な違和感を覚えた。

 

「『まずは一勝』って……お前、負けてもいいって言ってなかったか?」

「え? ああ、別に他意はありませんよ。なんだか谷村さんが張り切ってたので僕もその気になっただけです」

「鯛? なんで急に魚の話をしてんだ?」

「……ホント、谷村さんと話してると疲れますね」

 

 こっちのセリフだ。

 さて、それじゃ教室に戻るかな、と思ったその時、先ほど倒した二人のやり取りが目に入った。

 

「平賀君、ごめんなさい。負けちゃった」

「いや、俺が谷村を倒せてたら良かったんだ。対して点も減らせずに倒されちゃったし。だから、三上さんが気に病む必要はないよ」

「平賀君……」

 

 コートの隅で、二人は見つめあっていた。

 なぜだろう。勝ったのに負けた気がする。

 

「………………」

「谷村さん、すごい顔になってますよ」

 

 おっと、いけない。ボケっとしてないで、お化け喫茶の手伝いをしに行かないと。

 俺は平賀達に舌打ちしてから、橋本と別れて教室へと戻った。お客さんが大勢来てるといいんだが。




 ようやく清涼祭開始です。楽しい祭りになるといいですね。
 参考のために原作を読み返す度に、小ネタの質と濃度に圧倒されます。


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第六問 困難を越えて行け

【清涼祭アンケート】

 学園祭の出し物を決めるためのアンケートにご協力ください。(2-F実行委員:谷村誠二)

『喫茶店を経営する場合、ウェイトレスのリーダーはどのように選ぶべきですか?

 【①かわいらしさ ②統率力 ③行動力 ④その他(  )】

 また、その時のリーダーの候補も挙げてください』

 

 

 

 姫路瑞希の答え

『【②統率力】 候補……島田美波』

 

 谷村誠二のコメント

 あのFクラスをまとめられるのは島田さんと坂本くらいだと思います。

 

 

 

 工藤信也の答え

『【①かわいらしさ】 候補……姫路瑞希 島田美波 木下秀吉』

 

 谷村誠二のコメント

 三人ともかわいいからな。この中で一番を決めろと言われると困ってしまう。

 

 

 

 須川亮の答え

『【④その他(胸)】 候補……姫路瑞希』

 

 谷村誠二のコメント

 お前最低だな!! 島田さんも運営委員を手伝ってくれてるからこれ見るんだぞ!!

 ……あ、いや、別に何か意図があって言ったわけじゃないんです、島田さん。ホントですホント。だからその机はおろしてもらえませんか。

 

 

 

  ☆☆☆☆☆

 

 

 

『きったねえ店だな! これが食い物を扱う店かよ!』

 

 三階まで戻ってくると、Fクラス教室の中からそんな怒号が聞こえてきた。およそ穏やかな様子ではない。

 教室の前では、坂本と吉井が中を覗き込んで何やら話し合っていた。

 

「おい、どうしたんだ?」

「谷村か。いや、俺たちも今戻ったところなんだが、どうやら営業妨害にあっているみたいだな」

「営業妨害?」

 

 たかが学園祭の出店で?

 気になって俺も教室の中を覗いてみる。

 

「ホント汚ねえよなあ、マジで」

「廃墟風とかじゃなくて廃墟そのものだろ」

「こんなところで食ったら腹下しそうだな!」

 

 大声で話し合う男たち。制服を着ているところとその体格を見ると三年生か? 髪型はソフトモヒカンと坊主。覚えやすくて助かる。

 周りに聞かせるように強調して話しているところを見ると、意図的に営業妨害をしているのは間違いなさそうだ。お化けジュースとアイスを注文したようだけど、手を付けていないし。

 

「ひどい話だよね。ちゃんと掃除したし、机も殺菌してるのに」

「ああ。多分アイツらも分かって言ってるんじゃないか?」

 

 しかし、2-Fは不衛生だなんて噂が流れたら喫茶店としては致命的だし、そもそも店内で騒いでいるだけで客足は遠くなる。

 いちゃもんはつけたもん勝ちなのだ。

 

『……ちょっと違う店に行こうか』

『そうだね』

 

 ガタリと席を立つお客さんもいる。早急に手を打たないと。

 

「じゃ、ちょっくら始末してくるか」

 

 首をコキコキと鳴らしながら教室へと入っていく坂本。何か策があるようだ。

 なら、俺もできることをしようかな。

 

「あれ? 谷村君、どこへ?」

「ちょっと、武器を取りにな」

 

 

            ☆

 

 

「お、覚えてろよっ!」

 

 武器を手に入れて店の方に戻ってくると、モヒカン先輩が倒れた坊主先輩を引きずって飛び出してきた。廊下で待機していた吉井もドン引いている。坂本の策はバッチリ決まったようだ。

 

「申し訳ありません。2-F実行委員の谷村です。何か不手際があったようで」

「不手際どころじゃねえぞっ!?」

「そこでお詫びと言ってはなんですが、目玉商品の火の玉ゼリーをお渡しいたします」

「ああ!?」

 

 青筋を浮かべてキレるモヒカン先輩。よほどお怒りの様子だ。

 俺の手から火の玉ゼリーをかっさらっていく。

 

「ぜひまたお越しください」

「二度と来るかボケェ!」

 

 ぺこりと頭を下げる俺に背を向け、モヒカン先輩は教室を離れていった。

 ふう、うまくいった。

 

『お騒がせいたしました。今お見せした通り、あのお客様方にはご退店いただきました。

 また、当店は清掃を入念に行っている上調理は別室で行っており、衛生面には大変気を配っております。ご安心ください』

 

 教室の中からは、坂本の声が聞こえてきた。モヒカン先輩たちの後始末をしているのだろう。

 

『ご迷惑をおかけしたお詫びとして、現在店内にいらっしゃる皆様には一品サービスさせていただきます。それでは、引き続き当店でお寛ぎください』

 

 坂本はそう締めて、廊下へと戻ってきた。

 

「ふぅ。まあ、こんなところだな」

 

 小さく息をつく坂本。こういう仕事は本当に頭が回って助かる。

 

「お疲れ、雄二」

「おう」

「坂本、アイツらに何やったんだ?」

「見てなかったのか? 別に大したことはしてないさ。『パンチ、キック、プロレス技による交渉術』を実践しただけだ」

「なるほどな」

 

 分かりやすいネーミングだ。

 

「雄二よ、もう挨拶は済んだのかの?」

「あの迷惑な連中は帰ったのか?」

 

 そこへやってきたのは秀吉と工藤。大量の火の玉ゼリーをお盆に乗せている。坂本に頼まれたのだろう。

 ちなみに、ホール担当の工藤は白装束に白い覆面という格好だ。というか、秀吉以外でホールを担当する男子は皆この格好である。ほら、顔を見せるのは可憐な三人だけでいいだろ?

 

「ああ。お詫びのことも伝えてある。運んでおいてくれ」

「「了解(なのじゃ)」」

 

 お詫びの品を出すということは直接的に損失につながるが、誠実な対応は必要だろう。口コミで火の玉ゼリーの評判も広まれば万々歳だ。

 

「にしても、もったいなかったよね」

「ん、何がだ?」

 

 残念そうな吉井。

 

「だって、一応体裁を整えるためとはいってもさ、あのモヒカン先輩にまで火の玉ゼリーをあげることなかったのに」

 

 ああ、そのことか。

 

「それなら心配ないぞ」

「え?」

「アレ、姫路さん特製の必殺ゼリーだから」

 

 すると、突如少し離れた場所でドサリと音が聞こえた。

 

『お、おい、いきなり人が倒れたぞ……』

『大丈夫なのかしら……?』

 

 よし、アイツら食べたみたいだな。

 

「……お前、実は相当キレてたんだな」

「当たり前だろ、坂本。あれだけ必死になって準備したんだ。台無しにされてたまるか」

 

 なんの意図があるのかは知らないが、あんなあからさまな営業妨害、許すわけがない。

 

「じゃあ、アレを回収して捨ててくるから。お化け喫茶は任せたぞ」

「あ、うん」

 

 さすがに死体を放置するのはまずいからな。

 廊下に転がるモヒカン先輩と坊主先輩のもとまで行くと、かろうじてまだ息があった。悪運のいい人たちだ。

 首根っこをつかんで引きずる。ううん、重いな。

 

「谷村、お前何やってるんだ?」

 

 そんな作業をしていると、後ろから声を掛けられる。須川だ。

 

「何って、掃除だよ」

「掃除?」

「ああ、適当な空き教室に放り込んでおこうと思って」

「あっそ」

 

 興味のなさそうな須川。まあチンピラに興味を持てというのも無理な話か。

 

「須川、ちょっと手伝ってくれないか? 俺一人じゃちょっと大変なんだ」

「悪いが、それは無理だ。俺にはすべきことがあるからな」

 

 すべきこと?

 

「何する気だお前」

「いいか? この清涼祭には地域の内外から大勢の女性がやってくるんだ。このチャンスを逃してたまるか! そんな訳の分からんチンピラどもにくれてやる時間なんかないんだよ!」

「なんだ、ナンパか」

 

 いかにも須川が考えそうなことだ。

 

「なんだとはなんだ! このままだと青春を棒に振ることになるかもしれないんだぞ! いいか? ウチの学園祭には幸せなカップルができやすいとかいう噂もあってだな、そのビッグウェーブに乗らない訳には」

「で、何連敗中なんだ、須川?」

「おい! なんで連敗前提なんだよ!」

「違うのか?」

「…………………………38連敗中だよ」

「お前よく心が折れないな」

 

 鋼のメンタルすぎる。というか、まだ清涼祭が始まって30分くらいしか経ってないぞ。

 

「いいか? 諦めなければいつか夢は達成できるんだよ。諦めた瞬間に、その夢へ到達する機会は失われるんだ」

「いいこと言ってるように聞こえるが、ナンパのことだよな?」

「あ? お前、ナンパをなめてやがるな。ナンパってのは崇高な男女の駆け引きで――あ、美人発見! ヘイお姉さん! 俺とお茶しませんか!」

 

 ナンパの伝道師は、俺(with チンピラコンビ)への熱弁を打ち切って廊下を走っていった。

 仕方ない。この二人は俺一人で運ぶか。

 

「……あ、39連敗目」

 

 記録更新に励む須川に背を向け、二人を引きずっていく。確か二階に誰も使ってない空き教室があったはずだ。

 そう思って階段を下りていくと。

 

「ん?」

 

 視線の先で、何か白いものが揺れた気がした。

 その白い影は、廊下の角を曲がっていった。その先は俺の目指す空き教室しかなかったはずだが。

 パッと見は白装束っぽかったから、ウチのクラスか他のお化け屋敷のクラスの誰かだろうか。

 

「まあいいや。とっととこいつらを捨ててこよう」

 

 白い影を追う形で俺も角を曲がる。その先には誰もいない。

 空き教室に入ったのか、と思ってこっそりその中を伺った。

 

「……あれ?」

 

 空き教室には、誰もいなかった。

 

「見間違い……か?」

 

 ふと、脳裏に夜の学校の思い出がよみがえる。まさか、今の、

 

「……気のせいだろ」

 

 背中を駆け抜ける悪寒に気づかないふりをして、俺はモヒカン先輩と坊主先輩の死体(まだ生存中)を空き教室に放り込んだ。

 逃げるように、俺はお化け喫茶へと戻っていった。

 

 

            ☆

 

 

 教室に戻ってからは、調理班としてお化け喫茶の手伝いをしていた。客の入りはまあまあと言った感じだ。坂本の対処のおかげか姫路さんの必殺ゼリーによるものかはわからないが、チンピラコンビはおとなしくしてるようだ。

 一時間程手伝ったあたりで、召喚大会二回戦の時間となった。ちょうど来客の流れも落ち着き始めたので、橋本と合流するためにお化け喫茶に別れを告げた。

 廊下に出ると、すぐに目的の人物を見つけることができた。

 

「いやー、これぞ清涼祭って感じですね! 色んな格好の人たちが校内を闊歩して盛り上がってていいですねえ!」

 

 などと叫びながら校内でパシャパシャとシャッターを切っていたからである。なんだあのテンション。

 

「……よう、橋本」

「あ、谷村さん。お化け喫茶の調子はどうですか?」

「まあ、ぼちぼちってところだ。お前は何やってんだ?」

「何って、見てわからないんですか? 校内新聞用の写真を撮ってたんですよ」

 

 いや、それはなんとなくわかるが。

 

「テンション上がってんな、と思ってな」

「そりゃあ、これだけ校内新聞に使い甲斐のある風景が広がってたらテンションも上がりますよ」

 

 よほど楽しいんだろうな。俺と話してる最中もカメラを構えて写真を撮っている。

 

「その辺にしとけ。そろそろ二回戦の時間だぞ」

「あ、そうですね。向かいますか」

 

 ひとまず写真撮影を切り上げた橋本とともに、俺は特設ステージへ向けて歩き出した。

 

「そういえば、そんな堂々とカメラを出しててもいいのか?」

「え?」

「だってほら、カメラって明らかに不用品だろ? 先生に見つかったら没収されるぞ」

「ああ、それは大丈夫ですよ。このカメラは新聞部の活動に必要なものとしてきちんと申請してますから」

「あ、そうなのか」

 

 しっかりしてるなと思ったが、冷静に考えたら当たり前か。不用品の没収には厳しいこの学校だが、その反面で生徒の自主性に託した部分は大きい。きちんと教師側と連携を取っていれば問題はないのだろう。

 

「まあ、申請してないカメラもあるんですけど」

「おい」

「大丈夫ですよ。それは完全に僕の趣味用のカメラなので」

「趣味用ねえ……何を撮ってるんだ?」

「ななななななんでそそそれを谷村さんに言う必要があるんですか!?」

「動揺しすぎだろ」

 

 こいつ、どういう趣味があるんだ……。

 

「あ、ほ、ほらっ! 試合コートに着きましたよ」

 

 強引に話を打ち切る橋本。……気にはなるが、今は置いておこう。召喚大会が優先だ。

 コートには、二人の男子生徒が待っていた。次の対戦相手だ。クラスと名前の確認のためにトーナメント表を見て、目を疑った。

 

「え、君たち、一年生?」

「はいっ! 先輩方、よろしくお願いします!」

 

 バッと顔を上げて確認すれば、対戦相手のうち、メガネをかけた短髪の方がハキハキとした返事をした。

 

「自分は一年Cクラスの今井です! よろしくお願いします!」

「あ、ああ。よろしく……」

 

 90度に腰を折ってお辞儀をする今井君。その元気の良さと礼儀の正しさに圧倒される。

 

「ほら、君も」

「……松永」

 

 今井君に促され、もう一人の男子生徒も名前を口にする。長身で、目が隠れるほど前髪の長い松永君は、土屋に似て口数が少ないようだ。

 

「す、すいません、先輩方!」

「あ、いや、別に構わないが」

「松永君はちょっと無口なんです! 根暗なだけで、こんな図体ですが本当はいい奴なんです!」

「……」

 

 今井君、フォローしてるようでフォローできてないからな。松永君がめちゃくちゃ睨んでるぞ。

 

「二年Fクラスの谷村だ」

「二年Eクラスの橋本です。新聞部で校内新聞を書いてますので、よろしくお願いしますね」

 

 一方的に挨拶させるのも悪いので、こちらも自己紹介をする。橋本は、いつぞやに俺も貰った名刺を二人に配っていた。

 

「おお、橋本先輩! ありがとうございます!」

「取材の際はご協力お願いしますね」

「はい! 自分に答えられることなら何でもお答えいたします!」

「じゃあ、俺から一つ聞いてもいいか」

 

 さっきから、気になっていたことがある。

 

「はい! なんでしょうか、谷村先輩!」

「お前たち、どうして召喚大会に参加しようと思ったんだ?」

 

 今井君たちは、一年生。一年生の五月の時点では、召喚獣を扱ったことがないどころか、定期テストすらまだのはずだ。つまり、全くの試験召喚初心者で大会に参加することになる。

 もちろん、先生に頼めば練習のための召喚許可をもらったり召喚獣のためのテストは受けたりすることができるだろうし、実際そういうことをしているから大会に参加できているのだろう。ただ、この文月学園のテスト形式は特殊で、それには簡単に慣れるもんじゃない。

 それでも、この二人は召喚大会に参加することを決めたのだ。

 

「あ、勘違いしないでくれ。別に出るなって言ってるんじゃない。単純に、不思議なんだ。一年生には圧倒的に不利なイベントのはずだからだ」

「確かに、この大会は先輩方の方が有利なのは間違いありません。ですが、それは参加を諦める理由にはならないと思います!」

 

 先輩相手にも、臆することなく発言する今井君。

 

「何より、このような楽しそうな行事、参加しないという選択肢はありません!」

「……(コクリ)」

 

 今井君の言葉に賛同する松永君。

 

「ああ、蚊帳の外扱いは癪ですもんね」

 

 と、橋本は納得した様子を見せた。

 まあ、そりゃそうか。俺も召喚獣を初めて召喚したときは、本当に楽しかったもんだ。それを使って上級生だけがこんな楽しそうなことをしてるなんて、黙ってみてるのは嫌だもんな。

 試召戦争や召喚大会をやってると、どうしても点数や勝敗のことばかり考えてしまうが、一年生にとっては勝敗は二の次なのだろう。

 と、思っていたが。

 

「しかし! 自分たちも負けるつもりでは参加していません! 参加する以上、目指すべくは優勝です!」

 

 と、メラメラと闘志を燃やす今井君。おお、熱血だ。

 

「そもそも、この試合で自分は負ける気がさらさらしておりません! 先輩方はFクラスとEクラス所属とおっしゃいました。なら、先輩方は恐れるに足りません! 学力において先輩方が劣っているのは確定的なのですから!」

「ちょっと待った。今さらっと俺たちのこと罵倒しなかったか?」

 

 丁寧語で話すもんだから聞き流しそうになったじゃないか。遠回しに俺たちのことをバカって言っている気がする。

 

「……すみません」

 

 ぽつりと、松永君がつぶやいた。

 まあ、今井君も悪い奴ではないんだろうな。ちょっとだけ素直な子なだけで。

 

「皆さん。時間になりましたので位置についてください」

 

 二回戦の審判を務める先生の声。今回使用する科目は英語Wだ。正直苦手科目だ。

 

「はいっ! 先生!」

 

 元気よく返事をした今井君を筆頭に、それぞれの立ち位置へと移動した。

 

「では、召喚をお願いします」

「「「「試獣召喚(サ モ ン)!」」」」

 

 いつもの掛け声で、幾何学模様が現れる。

 

「それで、二回戦ですけど、作戦は何かありますか?」

 

 召喚獣の登場を待つ間、小声で橋本に話しかけられた。

 

「作戦? 特にないぞ。とにかく頑張るんだ」

 

 実のところ、あまり深くは考えていない。元々策をめぐらすのは得意じゃないし、多少の点数差なら操作技術でひっくり返す自信があるからだ。一回戦の作戦だって、作戦だなんて言えたほど複雑なことはしてないしな。

 そうこうしているうちに、まずは俺と橋本の召喚獣が現れた。

 

 

『【英語W】

 Fクラス  谷村誠二 & Eクラス  橋本和希

        48点           124点』

 

 

「……まずまずだな」

「まずまずって何ですか。50点切ってるじゃないですか」

「何言ってるんだよ、橋本! これでも先月からは3倍以上になってるんだからな!」

「どんだけ点が低かったんですか?」

「うるせえ! 大体、お前の数学だって酷いもんだったじゃねえか!」

「それはそれです」

 

 コイツ……。

 

「この点数でよく作戦は特にないとか言えましたね」

 

 何を言ってる、40点あれば一応まともにダメージが入るんだぞ。

 

「ま、なんとかなるだろ。一年生相手だし」

「……え、もしかして今井君たちのことを甘く見てます?」

「いや、そんなことはないが……一年生だったら試召戦争の経験もないし、仮に召喚獣の練習をしていたとしても実戦の経験がないんだぞ? だったら、よほどのことがなければ負けることなんて――」

 

 

『【英語W】

 Cクラス  今井直人 & Cクラス  松永弥介

        397点          324点』

 

 

 ――へ?

 

「口を開けたまま固まりましたけど、点数を見たご感想は?」

「ご感想もクソもないだろ!」

 

 表示された今井君たちの点数に、目を見開く。400点目前じゃないか!

 

「どうですか、先輩方! 英語は自分たちの得意科目なんです!」

 

 いや、得意科目だからってこんな点数そうそう出せるもんじゃないんだぞ!? Aクラスの人たちだって、半分以上はせいぜい250点が最高点ってレベルなのに!

 

「あのですね、谷村さん。彼らは()()()()()()一回戦を勝ち上がってきてるんですよ。強敵に決まってるじゃないですか」

「く、油断した……!」

 

 いや、油断しなかったところで、どのみちこの点数差は変わらないんだが。やれることはやったし。

 

「それでは、試合を開始してください」

 

 絶望に打ちひしがれる俺に構わず、試合開始の号令をかける先生。

 くっそぉ! やってやるよ!

 

「で、どうするんですか?」

「とにかく死ぬ気で避けろ!」

 

 死ななきゃ何とかなるもんだ!

 実際、彼らの点数は幸いにも400点を超えてはいない。400点を超えると腕輪による特殊能力が使用可能になるので、その戦力差はあまりにも大きくなる。今井君の召喚獣に腕輪があれば、勝ちの目は万に一つもなくなるだろう。

 逆に言えば、この状況なら勝利の可能性は残されている。…………多分。

 

「松永君、君は橋本先輩を頼む! 自分は谷村先輩を倒す!」

「……了解」

 

 今井君の召喚獣は、西洋風の鎧を着て巨大なランスを構えていた。攻撃防御の両面で文句なしだ。

 対する松永君の召喚獣の武器は、鋭く光った日本刀。黒い甲冑を身に着けているし、こちらは戦国武将がモチーフなのだろう。

 そんな二体の召喚獣は、二手に分かれて俺と橋本の召喚獣にそれぞれ襲い掛かった。

 思った通り、彼らの召喚獣の動きは単調で、直線的な動きだ。ただし、点数差のおかげで彼らの持つ武器は少しでも触れたら即アウトという仕様になっている。油断はもうできない。

 今井君の召喚獣の動きをよく見て……。

 

「今だっ!」

「あっ!」

 

 死のランスを必死で躱す。実戦経験がなければ不可能だった技だ。

 

「谷村先輩! どうしてそう逃げるのですか!」

「そりゃ逃げるだろ! 当たったら即死の点数差なんだぞ!」

「ですが、この点数差なら勝負はついたも同然だと思います!」

 

 正直俺もそう思う。

 

「だが、諦めるわけにはいかないんだ」

「……何か事情がお有りのようですね。しかし、自分も勝ちを譲るわけには参りません! 自分が引導を渡してさしあげましょう!」

「印籠なんか要るか!」

「引導です! 谷村先輩!」

 

 ……とは言っても、どうすれば勝てる? 現状避けるだけで精いっぱいだ。

 操作技術で優位に立っているといっても、一度のミスで死に至る点数差だ。俺と今井君で見れば、その差8倍以上である。反撃に転じれば、ランスをよけきれず一瞬で命を削り取られる危険がある。

 

「谷村さん。いい作戦を思いつきましたよ」

 

 そんな状況下で、橋本が何かをひらめいたようだ。

 

「また『谷村さんが頑張る作戦』か?」

「いやいや、違いますよ。その名も、『頑張れ一年生コンビ作戦』です」

「……は?」

「あのですね……」

 

 橋本が耳打ちしてくる。

 

「先輩方! 無駄な抵抗はやめて降伏してください!」

「……今井、少し黙って」

「どうしてだ!」

「……失礼だから」

「そうか?」

 

 作戦タイムの間は、ひたすら召喚獣を逃げ回らせながら、文房具を投げて今井君たちが突進してこないようにした。一応効果はあったようで、何とか時間を稼ぐことはできた。

 

「じゃあ、谷村さん、頼みましたよ」

「ああ、分かった」

 

 俺の召喚獣は投擲をやめて二人を誘い出す。

 彼らは先ほどと同じように役割分担をして攻撃を始めた。

 

「何やら策があるようですが……構いません! 叩きつぶしてみせます!」

「いいや。無理だよ、今井君。先輩としてのプライドを見せてやるよ」

「何をおっしゃるのですか! 当たりさえすれば自分の勝利なのですよ!」

 

 大丈夫だ、だんだんと間合いはつかめてきた。しかし、油断するな……当たったら終わりだ!

 今井君と会話をしつつ攻撃を避けながら位置を調整する。

 

「松永君。そんな攻撃じゃ当たりませんよ?」

「……くっ」

 

 橋本も順調に攻撃を避け続けている。高得点だろうが、当たらなければ点数は削られない。気の抜けない状況であることに変わりはないが。

 

「ぐぐぐ……」

 

 どうやっても攻撃を避けられ続ける現状に、ストレスをため続ける今井君。

 

「先輩方! いつまでそうしておられるつもりですか! 避け続けるばかりでは、どちらにせよ自分たちの負けはありません!」

「だったら、全力で来たらどうだ? 一撃で決められるようにさ」

「谷村先輩に言われるまでもありません!」

 

 今井君が叫びながら、自分の召喚獣を俺の召喚獣に突進させる。これまでと変わらない攻撃だが、そのスピードは上がっている。

 

「……覚悟」

 

 松永君の召喚獣も同様に橋本の召喚獣への突撃を開始した。

 ……この状況を待っていた。

 

「橋本」

「谷村さん」

 

 ようやく、反撃ができる。

 

 

「「今だ(今です)!」」

 

 

 ()()()()()の俺たちの召喚獣は、二体同時に突進の斜線上から飛びのいた。

 

「……!」

「しまった!」

 

 その斜線上に残るのは、一年生コンビの突撃しあう召喚獣だけだ。

 ザシュ、と、武器の刺さる音がした。

 

 

『【英語W】

 Cクラス  今井直人 & Cクラス  松永弥介

    395点→172点      324点→67点』

 

 

 大きく削られる二人の点数。よほど強く刺さったのだろう。

 当然だ。彼らは俺たちに煽られて全力で召喚獣を突撃させていたの

だから。

 高得点の彼らに相打ちを狙わせる。これこそが橋本発案の『頑張れ一年生コンビ作戦』の正体だった。召喚獣の操作に慣れていない一年生相手だからこその作戦だが、ここまできれいに決まるとは。

 

「松永君、すまない! 召喚獣を止めることができなかった!」

「……こっちこそ、悪い」

 

 互いの顔を見て、謝りあう二人。ああ、純粋だ。Fクラスでは絶対にこんな光景は見られない。お互いに罵倒しあうからな。

 美しい二人の友情だが、それは戦場では命とりになる。

 

「谷村さん! 今井さんの点数を削ってしまいましょう!」

「了解!」

「あっ!」

 

 今井君が召喚獣から目を離したすきに、二人で攻撃を叩き込む。

 反撃を食らう前に召喚獣を飛びのかせた。点数はどうだ?

 

 

『【英語W】

 Cクラス  今井直人 & Cクラス  松永弥介

    172点→113点         67点

            VS

 Fクラス  谷村誠二 & Eクラス  橋本和希

        48点           124点』

 

 

 今井君の点数が削られて、点数はほぼ互角といった状況になった。

 ここまでくれば、まともに戦うことが可能になってくる。この程度の点数差なら、操作技術で勝る俺たちの勝つ可能性がグッと上がるのだ。

 

「やりますね、先輩方」

 

 召喚獣に武器を抜いて構えなおさせた今井君が口を開く。

 

「先ほど『無駄な抵抗』と言ったのはお詫びいたしましょう。いくら先輩方の学力が劣っていようとも、先輩方の操作技術や戦術には敬意を払うべきでした」

「お詫びするセリフじゃないよな、それ」

 

 まあ、確かに学力で俺たちが劣っていたことは間違ってないから、そこは不問にしておくが。

 

「ですが! まだ勝負は終わっていません! 自分たちの勝利が確定してはいなかったとはいえ、自分たちの敗北もまた、確定してはいないのですから!」

 

 今井君は、拳を握りしめて俺たちを見つめた。

 

「ここからは本気で行かせていただきます! 無論、これまでも本気でしたが!」

「望むところだ、今井君」

 

 先ほどと同じように、彼らの召喚獣は二手に分かれた。しかし、俺の召喚獣の前には、今井君ではなく松永君の召喚獣が立っている。点数の都合だろう。

 松永君の召喚獣は、日本刀を前に向けながらジリジリと俺の召喚獣へと近寄ってきた。

 おや?

 

「突進してこないのか?」

「……突進は愚策」

 

 短く答える松永君。まあそりゃそうか。さっきはそれで痛い目を見たんだし。

 じゃあ、こっちから行くか。

 ボールペンを残して、何本かのシャーペンを松永君の召喚獣へと投げつける。

 

「……!」

 

 松永君は咄嗟に召喚獣を右へ動かした。さっきまでの俺たちの動きを参考にしたのだろう。彼は攻撃の回避を選択したのだ。

 しかし、それは召喚獣の操作に慣れていない人には難しすぎる動きだった。

 

「……くっ」

 

 松永君の召喚獣は、俺の召喚獣の投げたシャーペンを避けることには成功したが、無理やりに動かしたものだからバランスを崩して床に倒れ込んでしまった。

 その好機を見逃さず、松永君の召喚獣の首へボールペンを突き立てる。

 

 

『【英語W】

 Cクラス  松永弥介

   67点→35点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

        48点』

 

 

「……反撃」

「させるか」

 

 そのまま、召喚獣を上にのしかからせる。松永君の召喚獣は日本刀を手放してはいないものの、俺の召喚獣に致命傷を負わせるには至らない。

 じわじわと松永君の点数は削られていき、そして、

 

 

『【英語W】

 Cクラス  松永弥介

   35点→ 0点

     VS

 Fクラス  谷村誠二

   48点→34点』

 

 

 決着の時が訪れた。

 

「……無念」

 

 残念そうに、松永君がつぶやいた。

 

「どうして橋本先輩に自分の攻撃が当たらないのですか!」

「ただの経験ですよ。今井さんには悪いですけど」

「いえ! 悪くなどありません! 自分が未熟なだけですから!」

「そうですか? では遠慮なく」

「ああっ!」

 

 向こうも勝負がついたみたいだ。

 

「勝者、谷村・橋本ペア!」

 

 かくして、特設ステージに俺たちの名前が轟いた。




原作に一年生は出てきてないな、ということで誕生した今井君と松永君。
良いキャラになっていればいいんですが。


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