獅子帝はバーミリオンに消えた (富川)
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獅子帝はバーミリオンに消えた

 宇宙暦799年/帝国暦490年5月3日22時15分。自由惑星同盟のヤン・ウェンリー宇宙軍元帥が率いる連合宇宙艦隊と銀河帝国のラインハルト・フォン・ローエングラム宇宙軍元帥が率いるサジタリウス征討軍総司令部直衛艦隊による「バーミリオン星域会戦」は佳境を迎えていた。

 

「戦艦『ズデーテンⅡ』撃沈!……しかし、撃沈直前に退避シャトルが三基射出されている模様」

 

 イゼルローン要塞駐留艦隊旗艦にして、今は連合宇宙艦隊旗艦である『ヒューべリオン』の艦橋に落胆の声が溢れる。黒髪の魔術師、ヤン・ウェンリーは穏やかな表情でふぅと息を吐きだし、ベレー帽をかぶり直す。「すぐにシャトルの行方を追跡しろ!」と参謀長のジェラルド・ムライ宇宙軍中将が命じる。

 

「逃がした、と見るべきだろうね」

「流石にしぶといですな……。こう何度も眼前で逃げられると精神的にくるものもあります」

 

 淡々としたヤンのつぶやきに対して、副参謀長フョードル・パトリチェフ宇宙軍少将が渋面で応じる。『ブリュンヒルト』『アトミラール=ゾンネンフェルス』『ラインラントⅣ』そして『ズデーテンⅡ』。ラインハルト・フォン・ローエングラムは乗艦を乗り継ぎ驚異的な粘りを見せていた。

 

「全くだ。しかし追い詰めている側の我々ですら精神的に消耗する状況だよ。逃げる側のそれは一体いかほどだろうね」

「……あの覇者が精神的に消耗しますかね」

「正直、ローエングラム元帥本人はどうだろうね。ただ、彼に従う部下が彼と同じメンタリティーを保っていられるかは疑問だよ」

「なるほど……いくらローエングラム元帥が折れなくとも、部下が折れてしまえば終わりだ、と」

 

 パトリチェフは深みのあるバリトンボイスで大げさに応じる。

 

「勿論、同じことはこちらにも言えるが……」

「それは心配ないでしょう。……相手は常勝の天才戦略家、自由惑星同盟は既に戦略的には敗北している。厳しい戦いは当然だ、そう言い聞かせていたのは貴方です。我が軍の兵士たちは貴方の言う事なら何でも受け入れますからな」

「兵士にも考える力と意思を求めるのが自由惑星同盟という国の軍であった筈だけどね」

「あちらさんはこちらと違って『負けないこと』に慣れてない。その点は、最高権力者が無能であることで同盟軍が帝国軍に比べ唯一秀でた部分でしょう」

 

 手持ち無沙汰な連合宇宙艦隊陸戦軍司令官ワルター・フォン・シェーンコップ宇宙軍中将はヤンのぼやきを聞こえなかったことにしながら、皮肉気な笑みを浮かべてそう言った。そこに、金髪の美しい女性将校が紙片を持って近づく。

 

「閣下。警戒部隊のビューフォート大佐からです」

 

 ロバート・ビューフォート宇宙軍大佐はアルフェルド星系共和国宇宙軍の元少将であり、地方政府軍の将官でありながら、対海賊戦研究で同盟全土に名を知られた戦術家だ。

 

 『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦に際して無防備都市宣言を行った複数の同盟加盟国家から同盟軍に加わった義勇軍将兵を取り纏めている人物の一人であり、バーミリオンで決戦を挑むヤンに協力を申し出た不正規兵(イレギュラーズ)の一人でもある。ビューフォートらの組織した義勇艦隊は彼個人の名声と能力に拠るものであり、いくつかの同盟国内法に明確に反していたが、事態を知った国防委員長ウォルター・アイランズが手回しし、ビューフォートら主だった指導者に階級が与えられ正規軍に組み込まれて事なきを得た。

 

 アイランズが動くまでも無く同盟軍の現場レベルはビューフォート義勇艦隊と連携していたが、一方でアイランズが動かなければビューフォートらの法的な扱いはテロリストや海賊のままであった。つまり、帝国軍に捕まれば捕虜ではなく、犯罪者として扱われる可能性があった。アイランズはこの点を失念することなく、激務の合間を縫って法律家や軍官僚と臨時義勇兵制度の枠組みを作り、レベロら野党議員や各加盟国政府に根回しを行い、しっかり義勇兵(それも勝手に集まった連中)の法的身分を整えた。この事はアイランズの名声をさらに高めた。

 

「ありがとう、グリーンヒル中佐。……ふむ、これは少々まずいな」

 

 ヤンは殆ど顔色も声色も変えずにそう言った。実際は少々(・・)所の話では無かった。

 

『紫色胸甲騎兵艦隊、ヘシオドス星系に到達。これより第一・第二義勇艦隊有志で遅滞戦闘を挑む』

 

 副官フレデリカ・グリーンヒル宇宙軍中佐が差し出した紙片に書かれていた情報はバーミリオンの同盟軍にとって危機的な内容だった。

 

 ヘシオドス星系はバーミリオン星系から僅か一三時間程の距離にある。ビューフォート大佐が義勇艦隊を率いて戦闘を挑むとのことだが、義勇艦隊は練度も装備も良くて正規軍の二線級、悪ければ警察に毛が生えた程度のレベルでしかない。正規軍と同等の戦力と評価できる部隊はそもそも偵察や兵站にあたる義勇艦隊ではなく、ヤンが率いる連合宇宙艦隊に加わっている。

 

「ミュラー大将が率いる紫色胸甲騎兵艦隊がヘシオドス星系で義勇艦隊と交戦している。早ければ一三時間後にはバーミリオン星系に到達するだろう」

「早いですな……リューカス補給基地、落ちましたか」

「いやはや、これはミュラー大将の手腕を褒めるしかありませんな」

「……」

 

 陥落したのではなく、降伏したのだろう。とヤンは内心で思った。そうでなければこの短時間でヘシオドス星系までたどり着ける筈が無いからだ。ヤンは記憶の片隅から二つの事実を思い出した。すなわち、リューカス補給基地司令オーブリー・コクラン地上軍大佐がかつて恩師シドニー・シトレ提督の派閥で俊英と呼ばれていた人物であること、そしてリューカス星系政府の政情が不安定化しており輸送網に悪影響がでていることである。

 

(恐らく、民需物資の輸送が上手く行かなかったんだろう。あるいはリューカスの要塞化に必要な軍需輸送が優先されたか。コクラン大佐の経歴や人事評価から考えるにその状況では抵抗を選ばないし、ミュラー大将の伝え聞く経歴や人柄なら、武装解除は円滑に行われただろう)

 

 宇宙艦隊総司令部の予測では最初にバーミリオン星系へと来援する帝国艦隊は最も近いエルドラド星系に派遣されたファーレンハイト宇宙軍大将の白色槍騎兵艦隊であった。また、ヤンの個人的な予測でも最初にバーミリオン星系に到達するのは疾風ウォルフことミッターマイヤー宇宙軍上級大将の赤色軽騎兵艦隊であった。とはいえ、白色槍騎兵艦隊のバーミリオン星系到達は最短でも5月7日と予測されていたし、ヤンもミッターマイヤーならばさらに早く戻る可能性があると考えてながらも、それでも5月6日が限界だと見ていた。

 

 5月4日という早い段階でナイトハルト・ミュラーの紫色胸甲騎兵艦隊が来援するとは流石にヤンも計算外の出来事だ。ミュラーの紫色胸甲騎兵艦隊は比較的バーミリオン星系に近いリューカス星系に派遣されたとはいえ、バーミリオン星系到達は最短で5月8日と予測されていた。

 

「こいつはとんだ権威主義におちいっていたかな。ミュラーを無視していたとは……」

 

(とはいえこれがせめて疾風ウォルフなら良かった。「疾風ウォルフは特別だ」私はともかく兵士たちはそう考えることもできた。ミュラー艦隊という「最速でも最短でもない」敵がこの速さでバーミリオンに迫っている、となると最速である筈のミッターマイヤーや最短である筈のファーレンハイトだってこちらの予想を大きく上回る速さでバーミリオンに到達するかもしれない)

 

「閣下」

「……ん、ああ」

 

 フレデリカの呼ぶ声でヤンは思索を打ち切る。今は戦闘中、勇敢さやら有能さやらを過剰にアピールするような振る舞いには否定的なヤンだが、部下に不安を抱かせるような言動は流石に避けるべきと考えている。

 

「モートン提督にヘシオドス星系方面の警戒を促してくれ。それと帝国軍主力を包囲しているカールセン提督に連絡、マリネッティ分艦隊の攻勢を強める一方で、フェルナンデス分艦隊に戦力の再配置を装って前列と後列を入れ替えさせるように」

「敵艦隊に対する包囲網を敢えて乱すのですか?」

「そうだ。帝国軍主力はこちらの包囲下で徐々に中心点へ追い詰められている。時間があるならこのまま組織的な抵抗が不可能になるまで削り続ければ良いが、ミュラー艦隊が迫っているからね。包囲が崩れない程度に隙を作って、帝国軍主力の密度を下げる」

「なるほど、艦列が密になれば敵軍の攻勢は阻害されますが、一方で防御は硬くなりますからな」

「こちらは一度戦列を組み直す。これ以上勢いに任せて攻めた所で、ローエングラム元帥を仕留めることは難しい。……次の攻勢で決着をつける」

 

 ヤンの前衛集団が勝負を決め切れていないことの原因の一つは包囲網の存在にある。ヤンの前衛集団は最前線のアッテンボロー分艦隊を除いて包囲網の一角を担う部隊でもある。それ故に、包囲網を崩す程の前進ができず、またアッテンボロー分艦隊にしても本隊から孤立できない為にあと一手が届かない。

 

 極端な話、ラインハルトがバーミリオン星系からひたすら逃走することを選んだ場合、ヤンは仕留めることができないだろう。一応、現在の帝国軍主力に対する全包囲を、半包囲の形にして陣形の維持に必要な艦艇数を節約した上で、ヤンの前衛集団だけで追撃を行うという手は考えているが、逃げるラインハルトに対して陣形の再編が必要なヤンは恐らく追い付けない。(尤も、それをいえばヤンが仕掛けたバーミリオンでの決戦自体、ラインハルトに「逃げる」という決断をされれば最初から不発に終わる策ではあるのだが)

 

 ラインハルトの性質上、ここで逃げることは選ばないだろうが、ヤンの前衛集団が一定距離以上前進できないという制約を利用する事に躊躇いは無いはずだ、とヤンは考えた。そこで、ヤンは包囲網自体を何とかするつもりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指示を受けたカールセン提督は「釣り餌か」とすぐにヤンの意図を汲み取った。同じく指示を受けたヘラルド・マリノ宇宙軍准将の分艦隊が敢えて帝国軍主力の反転攻勢を助けるべく攻勢を弱めるのを見て取る。

 

「フェルナンデスの方はマリノが受け持つ。おいマリネッティ!死にたくないなら儂が良いと言うまでまで一歩も退くなよ!」

 

 カールセンの檄に対してマリネッティ宇宙軍准将は額に汗を滲ませながら「りょ、了解!」と応じる。マリネッティ准将の持ち味は丁寧で慎重な用兵である。大勝は絶対にしないが、大敗も絶対にしない。特にセオリーが決まっている戦いでは信頼に足る指揮官だ、思考の柔軟性もまずまずであり、最悪を想定して動く為敵がセオリーを外れた奇策を取っても大抵は持ちこたえる。……かつてはそう評価されていた。

 

 一方で視野が狭く、小心者であり、自由な裁量を与えると持ち味の丁寧さと慎重さが度を超えた臆病さとなる。第四次イゼルローン要塞攻防戦の前哨戦時に行った謎の敵前回頭「マリネッティ・ターン」は敵味方の度肝を悪い意味で抜いた。これによって一階級降格となり、長く地方の警備艦隊に回されることとなる。

 

 その為、第一五艦隊の分艦隊司令官代理として臨んだ第一次ランテマリオ会戦は久しぶりの正規艦隊同士の大規模会戦だった。ビュコック大将、チュン中将、カールセン中将はこの戦いでマリネッティを最前線に配置した。持ち場を守る事に関してはある程度評価されていたし、腐っても往時の正規艦隊で分艦隊司令官を務めていた男だ。臆病とも言える性格は守勢に回るこの戦いでは一概に悪いとは言えない。そんな思考の下、程々に戦って程々に耐えることを期待されていたマリネッティは……爆ぜた。

 

 第一四艦隊のザーニアル准将と共に疾風ウォルフをも一瞬怯ませる程の狂気的攻勢に打って出たのである。しかし、彼の勇戦に怯んだのはミッターマイヤーだけではなかった。隣に布陣する第一艦隊分艦隊司令官のデュドネイ准将と第一予備役分艦隊司令官のビロライネン少将、上位司令官の第一五艦隊司令官カールセン中将、最高司令官のビュコック大将をも大いに怯ませたのである。

 

 当然の如く、マリネッティ分艦隊とザーニアル分艦隊は態勢を立て直した帝国軍から強かな逆撃を受け、両将はランテマリオ星域会戦の「敗因」として仲良く歴史に名前を刻むことになる。幾人かの「客観性」に拘りを持つ歴史学者と、さらに少数である同盟贔屓の歴史学者が「敗因と言うのであればそれはアムリッツァ星域会戦での大敗にあり、民主政治の腐敗にある。彼等はそのしわ寄せを食らったに過ぎず、その点ではヤン・ウェンリーなどと同じく被害者なのだ」と擁護するが、やはり結局はマリネッティとデュドネイの「勇戦」を評価する趣旨の擁護では全く無いのであった。

 

「ここで汚名を返上するのだ……!功績を挙げねば間違いなく軍法会議行きだぞ……!」

 

 マリネッティ准将は極めて情けない檄を飛ばした。旗下の将兵は皆悲壮な表情である。幸か不幸か、ランテマリオの敗因を作ったザーニアルとマリネッティは更迭されなかった。同盟全土で見れば、まだ彼等の代わりとなる人材は何とか残っていたが、ヤン・ウェンリーの下に新たな人材が合流し、部隊を掌握するだけの時間的余裕は残っていなかったからだ。さらに、とばっちりを受け戦死したヒューネル准将と重傷を負って戦傷艦と共にハイネセンに送られたデュドネイ准将の分艦隊をも指揮下に加えることとなった。

 

 マリネッティ分艦隊の前列は火線をどんどん厚くしていく。エネルギー配分も考えない闇雲な攻撃だ。丁度ランテマリオで行ったような苛烈な攻撃が帝国軍を襲う。しかし、ランテマリオとは違い今回の攻勢は巧妙にコントロールされていた。すなわち、帝国軍に対して「同盟艦隊が油断して押し出してきている」と思わせるように。

 

「シュルツ少将とはまだ連絡が取れているんだな!?」

「は、はい。辛うじて戦列を維持しているそうです」

「よし、こちらとタイミングを合わせて反転攻勢に出るようにと伝えろ!連絡が取れる部隊には突撃の準備をさせろ!」

 

 帝国軍のイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン宇宙軍中将は自らと相対する包囲網の一角が少しずつ前面に押し出している事に気付いた。他の部隊との連携に少しずつ悪影響が出ているようにも見える。トゥルナイゼン中将はこれを好機と捉えた。ヤン・ウェンリーの本隊はローエングラム元帥直属の部隊と激しく交戦している。つまり、帝国軍主力を包囲しているのはアムリッツァを経て大いに弱体化した同盟軍のカスのような将兵の筈だ。耐えていれば、必ず隙が生まれるとトゥルナイゼンは確信していた。

 

「今だ、かかれ!」

 

 そしてついにマリネッティ分艦隊の前列では弾薬やエネルギーを使い果たした艦が表れ、それを見たトゥルナイゼンが突撃を命じる。

 

 マリネッティはそれを待っていた。激しい攻勢を行い疲弊していた前列の裏で、マリネッティ率いる800隻は細心の注意を払いながら逆撃を与える態勢を整えていた。エネルギーや弾薬も節約し、万全の準備を整え戦いの時を待っていた。

 

「来た……!前列逃げろ!残りは私に続け!」

 

 疲弊した前列の後ろから万全の後列が表れる。トゥルナイゼン自らが率いる先頭集団は予想もしていなかった激しい斉射を受けその歩みを止める。

 

「ぐぅ……怯むな、応射しろ!相手は僅かだ!」

 

 しかし、トゥルナイゼンの先頭集団に後続が突っこみ、また状況が把握できないまま呼応した小部隊が迂闊に突出し次々火だるまになる。しかしマリネッティ分艦隊の損害も大きかった。

 

「左舷部に被弾!閣下、後退しましょう!」

「か、構うものか!軍人ならば刑場ではなく戦場で死ぬべきだ!」

 

 実際の所、マリネッティが軍法会議で死刑を宣告されるかは甚だ怪しかった(というか自由惑星同盟に軍法会議を行う余裕があるかどうかが甚だ怪しかった)が、マリネッティとしてはここで退くことは、死ぬことも同然であった。

 

「マリネッティ、よく堪えてるじゃないか……!」

「閣下、準備が整いました!」

「よし、ヤン艦隊に辺境の強さを見せてやるぞ!撃て(ファイア)!」

 

 マリネッティの分艦隊に殺到するトゥルナイゼン艦隊に対し、第一五艦隊の各部隊から激しい攻撃が浴びせられた。密かに包囲網の後列にあたる部隊の配置を変え、マリネッティ分艦隊を援護できるようにしていたのだ。

 

「流石はブル・カールセン、見事な一点集中砲火だ……!」

 

 マリノ准将は感嘆の声を挙げた。しかし彼自身の分艦隊もフェルナンデス分艦隊、フィッシャー分艦隊と連携しながらカルナップ艦隊を誘い出し、強かな打撃を与えている。

 

「ふん!敵軍がどう動くか予想はついてるんだ、これくらいはやってみせないとな!いつまでも寄せ集めと笑われてちゃ叶わん」

 

 包囲網の一角に殺到しつつあったトゥルナイゼン艦隊は艦列の各所に亀裂を生じさせていた。

 

 ヤン艦隊のお家芸、一点集中砲火。第一五艦隊は広義のバーミリオン会戦と呼ばれる一連の戦いの中でこれを習得しつつあった。この急速な練度上昇には皮肉なことにあのヨブ・トリューニヒト氏も貢献している。

 

 アムリッツァの後、トリューニヒトはヤン艦隊から熟練の将兵を多数引き抜いた。この将兵は再建予定の第二~第六艦隊(第七艦隊以降は第一一艦隊を除き司令部も解散)や各独立部隊へと回されていた。今回、同盟軍が第一四艦隊、第一五艦隊を編成した際にこの元ヤン艦隊の将兵も招集されることとなる。第一四艦隊次席幕僚(副参謀長に次ぐポスト、後方部門のトップ)のウノ宇宙軍准将(元第一三艦隊後方部長)や、第一五艦隊フェルナンデス分艦隊副司令官のブラットジョー宇宙軍准将(元第一三艦隊作戦参謀→同艦隊戦隊司令官)はその代表例である。

 

 勿論、猛将ラルフ・カールセンを初めとする「古強者」達も決して侮れない。全体として弱兵と言わざるを得ない第一四艦隊と第一五艦隊であるが、その中には見るべき人材が多数含まれていた。特にロボス元帥の後継者候補と言われたビロライネン少将らアムリッツァ後の左遷組やシトレ学校の一期生と言われていたフェルナンデス少将ら反トリューニヒトの左遷組に関しては正規艦隊の将兵と遜色ない実力を持っている。

 

「カールセン提督……警備艦隊にこれ程のお人が居るとは……同盟軍も捨てたものじゃないですね」

「全くだ。アムリッツァにカールセン提督を巻き込まなかったかつての上層部に感謝しないとな。ウランフ提督やボロディン提督も地方に回してくれればなお良かったんだが」

 

 ヤン艦隊第三分艦隊参謀長代理ラオ中佐はカールセンの手腕を称賛し、上官であるダスティ・アッテンボロー宇宙軍中将は皮肉気な物言いで応じた。上司がこういう物言いをすれば、常人であれば少なくとも気まずい思いくらいはするものだが、不幸にもラオ中佐はすっかりこの上司の物言いに慣れてしまい、どれ程毒が籠った台詞であろうと丁重に聞き流すことができるようになってしまっていた。

 

 アッテンボロー分艦隊、ライオネル・モートン中将率いる第一四艦隊、それにヤンの直属部隊合わせて5000隻弱はラインハルトの直衛部隊と混戦を続けている。しかし、その攻勢は若干ではあるが鈍化していた。理由は2点、ラインハルトに逃走の間も与えない程強烈な攻勢を行う準備のため、そしてヤンの直属部隊の数が著しく減少したためである。

 

 帝国軍に減らされたのではない。精鋭1500隻程が密かに帝国軍主力の側に向けて転進した。一気に包囲網の中心付近へと突撃し、勝負を決する為である。

 

 包囲下に置かれている部隊の内、比較的健在であったトゥルナイゼン、カルナップの両艦隊が異なる方向へ突出したため、包囲網の中心近くには既に壊滅状態の艦隊だけが残されている。帝国軍の各艦は接近する同盟軍の精鋭1500隻が激しく短距離砲を撃ち込む為、たまらずエネルギー中和磁場と機関に出力を回し、迫りくる鉄の嵐から逃れんと試みる。

 

 ただし、帝国軍主力中央集団で唯一指揮統制を維持していたグリューネマン分艦隊だけは同盟軍の突撃に対しエネルギー中和磁場に出力を回すことも無く激しく抵抗した。

 

「全艦とにかく撃ちまくれ!損害を恐れるな!」

「閣下、無茶です!ここは敵軍の突撃をいなす場面です、正面から衝突すれば数と態勢と勢いで劣り、疲弊し士気も低い我が分艦隊は壊滅的被害を受けます!」

「そんなことは分かっている!だがこの動きを私は知っている……!」

 

 負傷したグリューネマン中将に代わって指揮を執っていた参謀長アドルフ・フォン・グローテウォール少将は旧体制の時代から戦歴を重ねた熟練の用兵家として知られている。良くも悪くも派閥と縁遠い人物であった彼は保守的な帯剣貴族に対して行われた粛清に巻き込まれなかった代わりに、ラインハルトにも長く見出されなかった。

 

 しかし、ラグナロック作戦に際して高級将官の数が不足したことで、旧体制下の軍人に有能な人材が居ないか再調査が行われた。(ラインハルトが幼帝誘拐犯レオポルド・シューマッハの経歴を見て「この他にも埋もれている人材が居るのではないか」と感じたことも一因である)グローテウォール少将はその再調査の中でラインハルトに見いだされ、直属艦隊へと引き抜かれることとなった。

 

「な、なんだ!敵艦の影から大量の戦闘艇が……」

「やはり……!全艦死力を尽くして砲撃を行うのだ!」

「閣下!」

「それしかないのだ!前衛のすぐ向こう側には大量の宇宙母艦が控えている、無理な攻勢でも数を減らさねば……」

「戦艦ヴィトゲンシュタイン撃沈!マイフォーハー少将は脱出できなかった模様!」

 

 グローテウォールは知っている。単座式戦闘艇による近接強襲は戦術教本にも載っているオーソドックスな戦術だ。しかし、宇宙母艦最大の弱点が、単座式戦闘艇発進の瞬間である。エネルギー中和地場の出力が下がり、戦闘艇を射出する為に装甲自体弱い部分が生まれる。すなわち、単座式戦闘艇による近接強襲は迂闊に行うと阻止攻撃で逆に空戦隊と宇宙母艦の大半を失う結果となる。

 

(その弱点を補うのが短距離砲の苛烈な斉射。それによって生まれる敵軍の防御・退避行動……!大胆に、そして巧緻に前衛集団へと組み込まれた宇宙母艦がその一瞬を好機として腹に抱えた大量の狩人達を放出する。敵軍が気づいた時にはキルレンジの中……!)

 

「戦艦グンニグル、連絡途絶!ディートリッヒ・ザウゲン中将は生死不明です!」

「第七打撃群旗艦アルトゥールⅣ撃沈、司令部は全滅!」

「第一六巡航群は今の攻撃で戦力の過半を失ったとのこと」

「第二派攻撃、来ます!」

 

 グローテウォールはいくつもの戦場に立ってきた。そして仕掛ける側としてこの光景を見てきた。だからこそ気づくことができた。

 

「何と見事な強襲……間違いない、メルカッツ提督だっ……」

「な、有り得ません!叛乱軍がメルカッツ提督に艦隊を預けるなんて……」

「この戦法をメルカッツ提督以上に使いこなせる将がいるとでも?しかも叛乱軍に?それこそ有り得ん!」

 

 グローテウォールの見立ては正しかった。客将、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ帝国正統政府宇宙軍元帥(同盟宇宙軍中将相当官)は銀河帝国正統政府宇宙艦隊総旗艦「ネルトリンゲン」に移乗し、司令官直属部隊の過半以上である1500隻という戦力を与えられて、帝国軍主力を壊滅せしめんとしていた。

 

「よし、帝国軍主力の中央をこのまま突破する」

「第二派攻撃準備!戦闘艇(スパルタニアン)発進準備急げ!司令官閣下の合図でいつでも出られるようにしておけ!」

 

 戦艦8隻、それに巡航艦3隻と駆逐艦12隻、それが銀河帝国正統政府宇宙軍の全戦力である。なお、その内正統政府の軍人が艦長を務めているのはネルトリンゲンの他に僅か巡航艦1隻、全乗組員の内正統政府の軍人は僅か7名しかいない。

 

 ではどうやって艦を動かしているのか。フェザーンから同盟に逃げてきた帝国系の傭兵崩れや亡命者からの義勇兵、さらにいささか滑稽な事に、同盟軍の将兵が正統政府軍の義勇兵として乗り込んでいる。何が滑稽かと言うと、メルカッツは正統政府軍の総司令官ではなく連合宇宙艦隊司令部の軍事顧問として参戦したために、正統政府軍も公式上義勇軍として参戦している。つまり、同盟軍は自身への「義勇軍」に「義勇兵」を送り込んでいるということになるのだ。が、その点を指摘されたアイランズは「ヤン提督は幾分かの『不格好さ』と引き換えに26隻の軍艦を得ることを躊躇しない」と()()()()()()()()()ヤンの内心を洞察して答えたという。

 

 帝国軍主力中央集団は脆くも崩れた。短時間の内に何人もの指揮官級の人材とその数倍の幕僚達が乗艦と共にこの世界から永久に失われた。

 

「退けば死ぬ!守れば死ぬ!撃ち続けろ!」

 

 アドルフ・フォン・グローテウォール宇宙軍少将率いるグリューネマン分艦隊は第一派攻撃を跳ねのけ、第二派攻撃をも辛くも耐え忍んだ。しかしその頃には旗艦以下僅かに300隻程まで撃ち減らされており、メルカッツ分艦隊はグリューネマン分艦隊の左右に展開する部隊を散々に打ち破り、その後方へと進出していた。第三派攻撃があれば間違いなく耐えられないし、最早スパルタニアンの近接攻撃無くしても簡単に壊滅させられるだろう。

 

「敵指揮官の敢闘精神はロボス提督、巧緻さはボロディン提督、勇気はジャクソン提督に比肩しますなぁ」

「あんな男の口車に乗せられて捨てなくても良い命を捨てる気だとしたら、頑迷さはアンスバッハ、単純さはビッテンフェルト、滑稽さはブラウンシュヴァイクに匹敵するがね」

「指揮官は誰かね?」

 

 黒髪で温和な風貌の情報部長代理ネッケル少佐がのんびりとした口調で称賛すると、帝国系亡命者の副参謀長でラインハルトを「戦争を煽る権力者」として毛嫌いしているハルトマン大佐が忌々し気に応じた。そんなやり取りを尻目にメルカッツは副官のシュナイダー正統政府軍中佐(同盟軍大尉相当官)に尋ねた。

 

「相手の指揮官はグリューネマン中将です。しかし現在はグローテウォール少将が指揮を代行しているようです」

「グローテウォール提督の息子がここに居るのか!」

 

 シュナイダーの言葉を聞きハルトマン大佐が驚きの声を挙げた。メルカッツより数歳下ではあるが、ハルトマン大佐は古参と呼ばれるに相応しい軍歴の人物であり、グローテウォール少将の父の艦隊で戦ったこともあった。

 

「グローテウォールとは懐かしい名前を聞いた。……ヴァレス参謀長殿、もし許していただけるならば、グローテウォール少将に降伏を勧めたい」

「勿論、客員提督(ゲストアドミラル)の御随意に。同盟軍としても勇将とそれに従う兵士に無益な戦死を強いることは本意ではありません」

「彼等の自由意志が『常勝』という酩酊から覚めていることを祈りたいですな」

 

 「グローテウォールならば降伏勧告に応じるだろう」とメルカッツは考えたが、亡命者で客将という自らの立場を鑑み、参謀長のヴァレス准将に断りを入れた。ヴァレスとしてもこの状況での降伏勧告に反対する理由はない。ハルトマンも毒は吐いたが、勿論反対はしなかった。

 

 メルカッツから直々に降伏勧告を受けたグローテウォールはこれに応じた。部下の中にはまだ抵抗を続けるべきという者も居た。グローテウォール自身、これ以上の抵抗が僅かでも有益であるならばそうしたが、実際の所、彼が預かっている分艦隊が次の同盟軍の攻勢で壊滅を免れ得る可能性は無いと言って良く、とするとこれ以上の抵抗は自己満足にしかならないことは明らかであった。

 

 グローテウォール自身の経験から言って、いくらローエングラム公が優れた指導者であるとしても、「無価値な死」に耐えられる兵士はほんの一握りであり、その一握りも一度軍事的ロマンチズムという麻薬が抜ければ殆どが自らの判断を悔いることになるのは間違いない。

 

 その兵士の思いを無視するからこそ帯剣貴族という者達の多くはローエングラム公に蛇蝎の如く嫌われ粛清されるか左遷されたのである。で、あるならばその中にあって「違う」と見出されたグローテウォールが悪しき帯剣貴族のように兵士たちを「無価値な死」に付き合わせることは、ローエングラム公の顔に泥を塗る事になる。グローテウォールはそう考えた。

 

 ……グローテウォールは終生この決断を悔いることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月4日11時05分。帝国軍主力部隊は丸48時間以上砲火に晒され、その戦力の七割を失い、残る三割も損傷無き艦は一つもない、そんな状況に追い込まれていた。その上、メルカッツ分艦隊による中央突破によって艦隊は分断され、二つの小さな包囲網の中でそれぞれ苛烈な砲撃に晒されている。

 

 しかし、それでもなおラインハルトの本隊に近い側、ラインハルトから向かって左側のトゥルナイゼン艦隊だけは統制を保ち、ブラウヒッチ艦隊など周囲の部隊も従えつつ何とか勇戦を続けていた。これはトゥルナイゼンの非凡な才能を示しているといえる。が……一方でこれが抵抗「させられている」と気付けないこともまたトゥルナイゼンの非凡な才能の限界を示してもいる。

 

 帝国軍主力の大幅な弱体化を受け、同盟軍連合宇宙艦隊で包囲網を形成していた部隊の内、マリノ分艦隊とビロライネン分艦隊が新たにヤン率いる前衛集団に加わった。これにより、同盟軍前衛集団は7000隻強にまで増強され、大して迎え撃つラインハルトの直衛部隊の数は再三の攻撃で既に3000隻を割り込んでいた。

 

 「次の攻勢で間違いなく勝てる」同盟軍の兵士たちは誰もがそう思った。ヤン・ウェンリーでさえ、「間違いなく」という部分を抜けば同じ思いを感じていた。無理もない、4月30日から5月4日にかけてのヤン・ウェンリーの采配は際立っており、また常に優勢を保ち続けていた。損傷率も客観的に言えばとても低いとは言えないものの、帝国軍のそれと比べれば圧倒的に低い。

 

 帝国軍主力への包囲網を形成した部隊はおよそ2割強、ラインハルト指揮下の直衛と殴り合った部隊は凡そ4割弱、平均して3割程度といった所だ。帝国軍主力が戦力の8割弱、帝国軍直衛が戦力の5割弱、平均して7割程度を失っていることを考えるとその差は歴然である。()()()5()()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、恐らく同盟軍も帝国軍と同等の戦力を失っていたのであろうが、そのような歴史のIFは考えるだけ無駄というものであった。

 

「各部隊、配置につきました!」

「アッテンボロー分艦隊、後退します!」

 

 帝国軍直衛部隊が立て直さないようにギリギリまで殴り合いを続けていたアッテンボロー分艦隊の後退とビロライネン、マリノ両分艦隊の配置が終わり、いよいよヤンが攻勢開始の合図を下そうとする。その時であった、左翼の第一四艦隊に長距離砲撃が浴びせかけられ、当たり所が悪かった数隻が爆散する。

 

「何とか間に合った……!全艦突撃せよ!」

 

 ナイトハルト・ミュラー大将率いる紫色胸甲騎兵艦隊がついに来援したのだ。ヤン率いる前衛集団の左翼に対し、遮二無二突撃し、猛撃を加える。

 

「舐めるなよ帝国軍!」

 

 しかしこれを第一四艦隊司令官モートン中将と第一予備役分艦隊司令官ビロライネン少将は正面から迎え撃った。約7500隻のミュラー艦隊に対して、モートン・ビロライネンの艦隊は合わせて4300隻程。同盟軍はミュラー艦隊の存在を念頭に置いて左翼を厚めに布陣していたが、それでも戦力差は大きい。当然ミュラー艦隊が押しまくるが、モートン・ビロライネンの両将もギリギリの所で踏み止まってみせた。

 

「生き恥を晒してきたのはこの時の為、か」

「ビロライネンの奴死ぬ気か……」

 

 特に旧ロボス派で構成されたビロライネン分艦隊の抵抗は凄まじい。バーミリオンからハイネセンへ帰還する燃料すら残らぬ勢いで火力の限りを叩きつける。そしてモートン提督はその捨て身の献身を盾にする形で、荒れ狂うミュラー艦隊の突撃をいなし、的確に勢いを削っていく。それはモートン提督が嫌う戦い方であったが、ビロライネン提督とその部下達が明確に死兵となる意図で動いている以上は、モートンもそれを活かす他なかった。

 

「ヤン元帥に詫びを入れといてくれ!」

 

 そんな軽い言葉を残して、ロバート・ビューフォート宇宙軍大佐率いる義勇艦隊600隻もミュラー艦隊の後背に突撃した。ミュラー艦隊がここに至るまでの間、あの手この手でその進軍を妨害し続けていた。気づけば数だけは4000隻に迫ろうとしていた義勇艦隊も半数以下に減り、その中で辛うじて艦隊戦に耐え得る艦だけ集めた結果僅か600隻まで数を減らしている。

 

「予想到達時刻をさらに上回ってきたか。嫌な予想ほどよく当たる」

「ミュラー艦隊、やはり早いですな……」

「しかし、ミュラー艦隊の来援までに我々はローエングラム公を四度倒すチャンスがあった。ビューフォート大佐には詫びを入れないとダメだね」

 

 ヤンは義勇艦隊の自殺的な突撃を見ながら苦々し気に言った。常日頃ならば能力以上の戦いを挑む義勇艦隊に多少辛辣な事を言うかもしれなかったが、義勇艦隊がここに至るまでにバーミリオンでの戦いを決着させていれば済んだ話と思えば、とてもそのようなことは言えなかった。

 

 あるいは、ミュラー艦隊の来援はあと1日、2日早い可能性もあった。しかし、オーブリー・コクラン大佐が降伏すると決めた直後のことである。一人の同盟軍幕僚が暴発し、コクラン大佐を銃撃した。その後の治療でコクラン大佐は辛うじて一命を取り留めるのだが、それまでの間コクラン大佐に従って降伏するべきとの派閥とこれ幸いと抗戦を訴える派閥が激しく対立した。

 

 これによって発生した一〇時間ちょっとのロスが、ビューフォート義勇艦隊の展開を間に合わせた。ビューフォートは手始めに航路近くのいくつかの恒星に赴き、人工的な太陽風を発生させた。これによりワープポイントを機能不全に陥らせミュラー艦隊の進軍を遅らせた。さらにミュラー艦隊の補給と通信を再三にわたって寸断する。義勇艦隊に同行していた情報部のバグダッシュ中佐が偽情報を用いて進軍を急ぐミュラー艦隊の所属部隊を離散させた。暗礁宙域では一撃離脱で直接戦闘も挑んだ。そして逐一その行動を見張り、バーミリオン到達が避けられなくなった段階でヤンへと一報を知らせた。

 

 しかし、ミュラー艦隊は何とか同盟軍がラインハルトを討ち取る前にバーミリオンに到着することができた。そしてミュラー艦隊の来援を得て帝国軍直衛部隊は息を吹き返す。この機を逃さずに攻勢に転じる。保有するすべてのエネルギーをこの場で消費しようと決意したかのように砲門を開き、ビームとミサイルの豪雨を同盟軍に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一個艦隊の加勢がついたくらいで逃げ出すほど、うちの司令官は負けっぷりは良くないはずだがな。奇蹟の(ミラクル)ヤンのお手なみをまた拝見したいものだ」

 

 果たしてアッテンボローの希望は叶えられた。ヤンはミュラー艦隊の攻撃を受けている左翼部隊を庇いつつ、中央と右翼の部隊はじりじりと後退させた。帝国軍はこれまで散々に打ちのめされた鬱憤を晴らすがごとく、大いに攻め立てる。しかし、ラインハルトは勢いに任せて進むことを止めさせ、ミュラー艦隊との合流を優先する。ミュラーも第一四艦隊を短時間で崩しきれないと見て、前衛部隊をそのまま突撃させながら、それ以外の部隊をラインハルトの側へ合流させようとした。

 

 その瞬間の事である。陣形を崩したミュラー艦隊に2000隻程の部隊が躍りかかった。

 

戦闘艇(スパルタニアン)発進準備」

 

 それはウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツが率いる「対ミュラー艦隊用」の別働部隊であった。瞬時に接近した艦隊から大量のスパルタニアンが飛び立ち、ミュラー艦隊に痛撃を与える。

 

「一体どこにそんな部隊が!」

「……やられた!アルトリンゲンとカルナップの艦隊は既に壊滅している!」

 

 高級副官シュトライト中将が驚く横でラインハルトはそのからくりを見破った。

 

「向かって右側、本隊から遠い方の包囲網。レーダーで映るあそこの同盟軍は小惑星で水増しされたものだ!そして既にあの中の帝国軍は組織的な抵抗を行えていない、あるいは、降伏しているのだろう」

「なんと!」

「トゥルナイゼン艦隊がああも勇戦しているものだから、他の艦隊もレーダーが示す通りまだ抵抗しているものだと考えてしまっていた。実際には同盟軍は早々に包囲網の一方を片付けつつ、敢えてトゥルナイゼンの側には抵抗の余力を残した!」

 

 固定概念を利用した酷いペテンであった。ラインハルトが洞察した通り、包囲網の一方は既に壊滅している。その気になればトゥルナイゼン側の包囲網も同じように壊滅させられただろうが、ヤンは敢えてこれを残した。ミュラー艦隊の来援予想時刻までには間に合わないからだ。ミュラー艦隊の来援という要素を予め知っていたが故の選択である。そして同様にミュラー艦隊の来援までにラインハルトを討ち取れないことをも想定して伏兵を用意した。

 

「よし、攻勢に転じる」

「全艦砲門開け!狙いはローエングラム公ただ一人だ」

 

 ヤンの言葉を聞いてムライが指示を下す。それに合わせて中央のヤン直衛……に見せかけたフェルナンデス分艦隊(本物の直衛はメルカッツの指揮下)、そして右翼のアッテンボロー分艦隊とマリノ分艦隊が攻勢に転じた。

 

「……何とか役に立ってくれた。正直、『大軍に兵法無し』の言葉通り後方の包囲網を二つに崩した段階で遮二無二攻勢を行う方が良いかとも迷った。しかしミュラー大将の能力を最大限高く見積もれば、即ち平時に最新鋭の民間連絡船がヘシオドス星系からバーミリオン星系へ移動する時間と同等の速さと見積もれば……強攻策ではローエングラム公に届かない可能性があった」

「トゥルナイゼン提督とブラウヒッチ提督がペテンに気付かなくて良かったですな」

「そこは一つ賭けの部分ではあった。とはいえトゥルナイゼン・ブラウヒッチ両艦隊とローエングラム公の本隊の間の通信は徹底して攪乱しているからね」

 

 アルトリンゲン・カルナップの両艦隊は一部の部隊が降伏を拒んで抵抗を続けているが、どちらの司令部も既にこの宇宙に無く、組織的抵抗は完全になくなっていた。

 

「シャルマン隊、イム隊は引き続き3分間130個のペースで小惑星を適度にばらけさせながら破壊しろ」

「クザン隊は敵のÅ2群と10分間交戦せよ」

「ルゼフ隊は1光秒後退、サイカワ隊は……敵のG1群に対し遠距離砲撃を開始」

 

 それを何とか戦闘が続いているように見せているのは「生きた航路図」ことエドウィン・フィッシャー中将が率いる520隻の小集団である。この数倍の小惑星を用いて、この場に約3000隻弱が居るように見せかけていた。もっとも、間にヤン本隊を挟むラインハルトには位置的に無理でも、トゥルナイゼンやブラウヒッチの位置からは簡単に見抜ける程度の擬態である筈だった。

 

「何とか上手くいったな……」

 

 ラルフ・カールセンはトゥルナイゼン・ブラウヒッチ艦隊との苛烈な戦闘の中で安堵の息を漏らした。カールセンの使命は、トゥルナイゼン・ブラウヒッチ艦隊を敢えて殲滅せず、両艦隊が勇戦しているように見せかけることであった。それだけならばまだ簡単なのだが、同時にトゥルナイゼン・ブラウヒッチに他の戦線へ気を配る余裕を与えないように、激しく攻め立てることもしなければならなかった。これは至難の業だ。

 

 カールセンが率いる第一五艦隊は、数を大いに減らして現在は4218隻、しかもフェルナンデス分艦隊を前衛集団に回したためカールセンの下に残るは3000隻程度の戦力だ。とはいえ、相手のトゥルナイゼン・ブラウヒッチ艦隊はさらに酷い状況で既に第一五艦隊の半数以下、1400隻程度しか残っていない。

 

 額面だけでも二倍の戦力差、そこに陣形など諸々の条件を加味すれば六倍近い戦力差で優勢にも関わらず、相手を倒しきってはならない。それどころか相手がある程度優勢なように見せなければならない。しかも、相手が目の前の戦いに没頭する程激しく攻めなければならないので、単純に手を抜くだけではいけない。困難な要求にカールセンは非常に頭を悩ませ、最終的にある程度「相手の有能さを信じる」ことにして、帝国軍に指揮系統・陣形を立て直す隙を暫く与えた後、遠慮なく攻め立てることにした。

 

 そして皮肉なことにトゥルナイゼンもブラウヒッチも凡人であったが汎百の将では無かったので、カールセンの「信頼」に見事に応えた。カールセンが見せた隙を最大限活かして戦力を再編し、包囲網の突破に向けて再度攻勢に出た。それは「有難い事に」カールセンの予想以上の手腕であり、カールセンはトゥルナイゼン・ブラウヒッチの攻勢に全力で対応するだけで、ヤンから与えられた難題を果たすことができた。

 

 一方ミュラー艦隊はメルカッツ分艦隊からの奇襲攻撃を受け大いに混乱していた。

 

「司令官閣下!このままでは我が艦隊は前衛、中衛、後衛の三つの集団で完全に分離させられます!」

「……ヴァルヒ!ハウシリド!シュナーベル!元帥閣下を何としても御救いするのだ!」

 

 参謀長オルラウ少将の言う所はミュラーも気付いている。しかし、この状況でミュラー艦隊が奇襲部隊に対応すべく足を止めれば、敵軍の目前で一度攻勢を緩めてしまったラインハルト直衛艦隊は厳しい状況に置かれるだろう。ミュラーはまず信頼する3人の准将に引き続き前進し、ラインハルト直衛艦隊を救うよう命じた。

 

「旗艦はこの場に留まり艦隊の崩壊を防ぐ!まず後衛集団は敵奇襲部隊と無理に戦わず、艦首を奇襲部隊に向けつつ落ち着いて8時方向へ後退せよ!中衛集団の残りは私に続け!前衛集団の左方へ突出し、叛乱軍左翼集団に攻勢をかける!」

「し、しかしそれでは奇襲部隊に対し前衛・中衛集団は無防備に後背を晒すことになります!後衛集団が態勢を整え奇襲部隊を押し戻すまでおよそ30分ほどかかる見通しです!ここは危険を冒して敵前回頭するか、左翼側へ大きく迂回し、我が方後衛集団の後ろ側を回り込み、その右方へ布陣すべきです!」

「参謀長の言う事は正しい。しかし、戦術目的を見誤るな。本艦隊が生き延びることは勝利条件にあらず!ローエングラム公を守り抜くことこそ勝利条件だ!」

 

 ミュラーはオルラウの進言を退ける。ミュラーが危険視していたのはメルカッツ率いる奇襲部隊ではなく、むしろモートン率いる左翼集団だった。ミュラー艦隊がモートンの左翼集団に対する攻勢を弱めれば、当然左翼集団はヤン・フェルナンデスの中央集団、アッテンボロー・マリノの右翼集団と同じく、ラインハルトの直衛艦隊に対して攻勢を強めるだろう。

 

 ラインハルトの直衛艦隊は既に中央集団、右翼集団に対し劣勢に立ちつつある。これに左翼集団が加わればとても耐えられない。ミュラー艦隊がラインハルトを守るためには、艦隊を磨り潰すことになるとしても、左翼集団を拘束、強引にでも壊滅させなければならなかった。

 

「良将だな。よく判断し、よく戦い、よく主君を救う、か」

「ナイトハルト・ミュラー大将か。(老兵(われわれ)ができない戦いだ)」

 

 ヤンとメルカッツはそれぞれの乗艦で感嘆の声を挙げた。この戦場は最早尋常の戦場ではない。ラインハルトが考案した縦深戦術は革新的であったし、4月30日以降のヤンの戦術指揮は神憑っていた。その結果として同盟軍、帝国軍双方の損害が既に軍事上の常識からすれば目を疑うレベルに達している。

 

 ミュラーはそんな非常識な戦場に僅か1時間で適応した。奇襲攻撃を受けたにも関わらず、即座に軍事上の常識からは全く逸脱した、それでいてこの場で帝国軍が勝利する為には最善の方策を選び取った。

 

 前衛集団に加え、ミュラー自身が率いる中衛集団の攻撃も受けた同盟軍左翼集団は流石に持ちこたえられず崩れ始める。

 

「後2時間で良い、何とか現有戦力でミュラー艦隊を食い止める!我々が艦隊として存在する時間、それがこの一戦の勝敗を分けるのだ!」

『司令官閣下!ここは強引に混戦に持ち込みましょう!奴等の後方にはメルカッツ提督の分艦隊が居ます。第一四艦隊にメルカッツ分艦隊を足せば、数の上では優勢です!』

「……」

 

 第一四艦隊副司令官、ウィンストン・ダルビー宇宙軍少将の献策にはモートンも思い至っていた。しかし、混戦に持ち込めばミュラー艦隊の半数を現在の地点に拘束できる代わりに、ラインハルトの直衛艦隊に対して攻撃を行う事はできなくなるだろう。

 

 そんなモートンの逡巡を終わらせる凶報が第一四艦隊旗艦アキレウスに届く。

 

「戦艦パラミトゥース沈没!エイノ・ヘルッコ・ビロライネン少将は脱出できなかった模様!」

「……」

「第一予備分艦隊の残存戦力は既にサルパコフ准将が掌握しています!」

 

 モートンは報告を聞き終えると一瞬表情に寂寥と失望の色を浮かべるが、すぐに切り替えて指揮に戻った。

 

「第一予備分艦隊の担当区域からミュラー艦隊は我が軍を突き破ろうとするだろう。その動きを利用して敵部隊を引き付けて鼻面を叩く!」

「司令部から電文です。『こちらのことは気にするな』。以上」

「流石にヤン元帥はよく見ている……。ジュネット、ランドール、敵軍本隊に対する砲撃はもういい、ミュラー艦隊への火力を増強するんだ!」

 

 第一予備分艦隊の後退に合わせてミュラー艦隊が浸透、先頭が同盟軍左翼集団の中ほどまで到達したその時、モートンは万全……とは言えないまでも現状望むべく限り最善の状態でミュラー艦隊を待ち構えていた後列部隊に砲撃命令を下した。

 

「主砲斉射三連!しかるのち急速前進、混戦に持ち込むぞ!」

 

 そこから先の戦いは第一四艦隊の戦いであって、第一四艦隊の戦いでは無かった。モートンと配下の指揮官……すなわち、ダルビー、ジュネット、ランドール、ジェニングス、サルパコフ、クラークソン、は指揮下の数百隻をそれぞれ別個に指揮してミュラー艦隊前衛・中衛集団との混戦に挑むこととなった。

 

「閣下!」

「足を止めるな!一隻、一部隊でも多く叛乱軍左翼集団を突破するのだ」

 

 ミュラーと配下の指揮官……ヒューベンタール、ディッケル、シュピーラー、クナップ、もまたそれは同様であった。同盟軍と帝国軍双方で艦隊がいくつもの小集団に分かれ、指揮官自身の才覚と幕僚団の補佐、そして兵士たちの練度を頼りにしのぎを削る事になる。

 

「「各指揮官は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ!」」

 

 モートンとミュラーは図らずも同じ命令を指揮官たちに発した。艦艇数はほぼ同じであるが、疲弊・消耗の度合いはモートンら第一四艦隊の方が大きい。しかし、ミュラー艦隊前衛・中衛集団は背後からメルカッツ分艦隊による凄まじいまでの強襲を受けている。

 

 これに直面したディッケル分艦隊911隻は465隻、クナップ分艦隊821隻は355隻まで撃ち減らされていた。僅かに30分ほどの間の損害である。両分艦隊は既に組織だった戦闘ができない域の損害を受けているが、ほぼ全ての艦が「前進を続けよ」という極単純な命令を全うしているが故に辛うじて分艦隊としての行動が維持されていた。

 

「あと4時間、持つか持たないか、だな」

 

 メルカッツ分艦隊の援護により第一四艦隊は若干ではあるが優勢に立っていた。しかし、メルカッツ分艦隊の援護はそう長くは続かない。ミュラー艦隊の後衛集団が混乱から立ち直れば、メルカッツ艦隊はほぼ同数の敵をさらに背後に抱えることとなる。そうなると、第一四艦隊の援護ばかりはできないだろう。精々1時間といった所である。

 

 メルカッツ分艦隊がその前に退くか、それとも損害覚悟でミュラー艦隊後衛集団と撃ち合うかはモートンに判断できないが、いずれにしてもその時点で第一四艦隊は単独でミュラー艦隊前衛・中衛集団を相手取ることになる。

 

(数の上では大きな差は無い、練度面もそう大きくは変わらない。勢いも大分削いだ。だが兵士の体力、そして補給状況の不利は如何ともしがたい)

 

 モートンはいずれ訪れる限界点を一分一秒でも引き延ばそうと努力をしながら、声をからして指揮を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、同盟軍中央・右翼集団と帝国軍本隊の戦闘は前者の圧倒的優位に進んでいた。当初、再び攻勢に転じた同盟軍中央・右翼集団はラインハルトが直接指揮する帝国軍直衛部隊を攻めあぐねた。最大の戦力を有するモートン率いる左翼集団がミュラー艦隊の猛攻を受けラインハルトの直衛部隊へ本格的な攻勢を行えていなかったからである。

 

 戦況は一進一退の攻防を示していたが、不意にフェルナンデス分艦隊の一角が崩れた。対する帝国軍直衛部隊の一端を担うヴェルナー・アイヘンドルフ帝国宇宙軍少将が巧妙に火線の集中するポイントへフェルナンデス分艦隊の先頭集団を引き込みこれを叩いたのだ。これを好機と見てアイヘンドルフ分艦隊が攻勢に転じ、中央集団が急速に押し込まれる。

 

 中央集団が一光秒退くごとに、空いたスペースを帝国軍が埋める。フェルナンデス分艦隊の崩壊は激しく、ともすればアイヘンドルフの手はこのままヤンの首にすら届くように思われた。アイヘンドルフ分艦隊の各艦は自身の手で主君の危機を終わらせる機会を手にして喜び勇んで同盟軍に攻めかかった。

 

「……全艦後退!」

「か、閣下!敵艦隊は浮足立っています!何故このまま攻めないのですか!?」

「妙だ、ヤンの直衛部隊がこんなに脆い訳がない。ペテンに掛けられたような気持ち悪さがある」

 

 しかし、アイヘンドルフは直感的にこれが罠だと気づいた。だがその配下の部隊が命令に従うまでには僅かの時間を必要とした。無理もない、一度攻勢に転じた部隊はそう簡単には止まれない。そしてその僅かな時間で事態は劇的に変わった

 

「右舷側からミュラー艦隊が突っこんできます!」

「馬鹿な!あいつら目が無いのか!?」

 

 それはミュラーから直衛部隊救援を命じられたヴァルヒ、ハウシリド、シュナーベルの三将が率いる部隊であった。ヤンは、この救援部隊が接近している事に気付き、その軌道から、この部隊が最短で最も効果的にラインハルトを守る行動、すなわち、同盟軍と帝国軍の間に割り込んで盾となって戦う事を企図していると見抜いた。そして一瞬のうちに巧緻を超えてすさまじいとしか言えない作戦を計算し決断した。

 

「中央集団の最左翼の艦列を少しずつ乱せ、敵救援部隊に餌をちらつかせる。それとフェルナンデス少将に連絡『合図と同時に敵軍の罠に敢えて掛かり、その後はもっともらしく逃げてくれ』と伝えてくれ」

 

 ヤンはアイヘンドルフ分艦隊と救援部隊の双方を一つのポイントに誘引した。タイミングを冷静に図り、アイヘンドルフ分艦隊と救援部隊の双方が同時にそのポイントへ殺到するように仕向けた。アイヘンドルフ分艦隊からすると救援部隊が突然突っこんできたように見えたが、救援部隊には別の見え方があった。

 

「前方に友軍が割り込んできました!」

「こいつら何で突出するんだ!死にたいのか!」

 

 ……アイヘンドルフ分艦隊と救援部隊の双方が一点の宇宙空間に殺到し過密状態を現出する。衝突回避の警報が鳴り響き、オペレーターが危機を叫んだ。その混乱を確認して、ヤンはゆっくりと命じる。

 

「砲撃せよ、なるべく正確に、効率的に、だ」

 

 ヤンが注釈を付けたのは欠乏をきたしはじめていたエネルギーとミサイルを念頭に置いたものだ。ヤン艦隊の特技である一点集中砲火が襲い掛かった。20分もしない内にハウシリド准将が乗艦もろとも蒸発する。たけりくるう砲火が一瞬にして救援部隊とアイヘンドルフ分艦隊の戦列を瓦解させた。アイヘンドルフ少将が必死に防戦に努め、何とか1500隻程を連れて死地から逃れる。しかしその時にはヤンの中央集団が逆にラインハルトの直衛部隊に襲い掛かっていた。

 

 混乱するアイヘンドルフ分艦隊と救援部隊の残党戦力を放置し、右翼のアッテンボロー分艦隊、マリノ分艦隊と共にラインハルトを含む集団を半包囲下に置いたのだ。5月4日23時43分のことである。ここにバーミリオン会戦の勝敗は決したように思われた。

 

「やらせるな!何としても元帥閣下を守れ!」

 

 しかし、そこで再びナイトハルト・ミュラー率いる2000隻程の小艦隊が現れ、ヤンの中央集団の後背を強襲した。

 

 ライオネル・モートン率いる第一四艦隊、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ率いるヤン直衛部隊との混戦を制し、さらにトゥルナイゼン・ブラウヒッチを倒したラルフ・カールセン率いる第一五艦隊からの阻止攻撃を受けてもなお怯まず、ひたすら前進した結果、間一髪でラインハルトにナイフを振り降ろそうとしたヤンの手を掴むことができた。

 

「ヤン提督の邪魔をさせるな!」

 

 第一五艦隊残存勢力に加え、壊滅的な被害を受けた第一四艦隊、メルカッツ分艦隊、さらに義勇艦隊の残存戦力までもを加えた集団がミュラーの後背から襲い掛かるが、ミュラーは全く気にしなかった。

 

 ここでヤンは先程と同じように敢えてスペースを作り、そこへミュラー艦隊と半包囲下の直衛部隊を引き寄せようと考えたが、ラインハルトが先手を打つ方が早かった。直衛部隊が同盟軍各部隊から激しい砲撃を受けながらも中央集団に突撃した。しかも突撃した場所はヤンが帝国軍を引き込もうとしていたポイントである。同盟軍の艦艇がスペースをあける前に乱戦に持ち込まれたのである。

 

「閣下、旗艦が危険に晒されています。左舷方向への転進を御許可願います」

「艦長の職権を侵すことになるが、今回だけはここで耐えてくれないか。ローエングラム公はミュラー艦隊と前後から押し込み、包囲網を崩すことを狙っているだろう。しかしこれは好機でもある。ローエングラム公が必ずこのポイントを通過するからだ」

 

 ヤンはヒューべリオン艦長アサドーラ・シャルチアン中佐の進言を退けた。ヤンの軍歴の中で艦長の職権を侵したのはこの一回だけであった。シャルチアン中佐もこの戦いの重要性をよく分かっていたので、司令官の覚悟を見て取りこの時は引き下がった。しかし、それから1時間も経たない内に、帝国軍の砲撃がヒューべリオン周辺にも届き始める。シャルチアンは流石に限界だと見てとり、再び旗艦の転進を具申した。ヤンも今度は転進を認めざるを得なかった。

 

 この時、僅かに同盟軍の指揮系統が乱れた。ヒューべリオンが危険なポイントから脱するのとほぼ同時刻、ヤン直衛の一翼を担っていたダロンド少将が戦死する。勿論、指揮官級の戦死はそれ自体が指揮系統を混乱させる要因となるが、その上、ダロンド少将の乗艦であるヒューべリオン級10番艦ムネモシュネはヒューべリオンによく似た外見をしていた。これによって、同盟軍の一部部隊に「ヤン元帥戦死」の誤報が流れてしまう。

 

「この機を逃すな、全艦進め!」

 

 数分後にヤン自身が通信回線で健在を知らせたことで誤報は打ち消されたものの、その数分間の動揺が包囲網に穴を生み出してしまった。同盟軍は即座に穴を埋めに掛かったが、既に内と外の帝国軍は接触し、連携して脱出口の維持に努めた。

 

「脱出口に砲撃を集中させる。ローエングラム公を逃がすな」

「元帥閣下をお守りするのだ!」

 

 ヤンの命令で苛烈な砲撃が脱出口に浴びせられるが、帝国軍の各艦が我が身を犠牲にして脱出口を通るラインハルトの乗艦「アルゲントゥム」を守りにかかった。脱出口を巡って熾烈な戦闘が行われる。

 

「……駄目です。ローエングラム公はなおも健在!」

「中央集団の最左翼と右翼集団は反転、カールセン艦隊と連携してもう一度帝国軍を包囲下に置く。中央集団の残りの部隊は脱出口に向けて砲撃」

 

 通信を傍受した士官が悲壮な顔で叫ぶが、ヤンは落ち着いて次の手を打つ。カールセン提督が間に合ったのはヤンにとって嬉しい誤算であった。第一五艦隊はトゥルナイゼン・ブラウヒッチの敗残兵部隊を相手していただけなので比較的損害は小さく、疲弊の度合いも小さい。

 

「よーし、両翼を広げる!アッテンボロー分艦隊、フェルナンデス分艦隊と艦列を繋げ!」

「待ってください!左弦、10時方向から砲撃来ます!」

「何だと!」

 

 カールセン、フェルナンデス両艦隊の合流を妨害したのはアイヘンドルフ分艦隊とヴァルヒ、ハウシリド、シュナーベル部隊の残存兵力の内、再度の戦力化が間に合ったおよそ900隻程である。さらに、ミュラー艦隊所属で本隊に遅れて第一四艦隊とメルカッツ分艦隊を突破してきたディッケル中将率いる500隻程も呼応して攻め立てた。

 

「包囲網を完成させるな!」

 

 アイヘンドルフ率いる小部隊の妨害で包囲網は不完全なものとなったが、疲弊したラインハルトの直衛部隊とミュラー艦隊本隊にはその不完全な包囲網でも重大な脅威であった。アイヘンドルフ部隊の位置する一角以外、全ての方向から絶え間ない砲撃に晒され、さらにオリビエ・ポプラン、アントニオ・ヴィネッティ、ポール・モランディーニらが率いるスパルタニアン部隊が艦列をズタズタに引き裂いた。

 

「閣下、脱出なさってください。この艦の命運はつきました」

「では、他の艦に司令部をうつす。もっとも近い距離はいる戦艦はなにか」

「ノイシュタットです」

「よし、艦長。卿も脱出シャトルに同乗せよ」

 

 ナイトハルト・ミュラーは自らの乗艦を捨てる決断をした。彼の主君が葛藤に葛藤を重ね、高級副官アルツール・フォン・シュトライトから「ジークフリート・キルヒアイスの死を無駄にするおつもりですか!閣下は御自身が嘲笑されるのを嫌って、キルヒアイス提督が『無駄死』と嘲笑されるのを御許しになられるのですか!?」と言われるまで脱出しようとしなかったのと比べるとあっさりとしたものである。かつてヤンによって大敗した経験が、ミュラーに柔軟さと余裕を与えた。

 

 ところが、乗艦を変えた先のノイシュタットも程なく同盟軍の猛撃を受けることとなった。艦体中央部に被弾したノイシュタットは核融合炉燃料である重水素の大半を虚しく宇宙空間へ流出させ、程なく航行不能の状態に陥った。ミュラーはノイシュタットの艦橋にも入らぬうちに再び脱出シャトルへ舞い戻る事となり、ミュラーが脱出した5分後、ノイシュタットは火球と化して消滅した。

 

「運がよいのか、悪いのか」

 

 ミュラーは苦笑した。ノイシュタットの沈没は早く、もし艦橋まで移動した後に被弾していたならば、爆沈されるより早く脱出できたかは怪しかったからだ。この後、ミュラーは戦艦オッフェンドルフに司令部を移すが、二時間後には再び退去を余儀なくされた。この時移乗先に選んだ戦艦ヘルテンに至ってはミュラーの脱出シャトル到着前に撃沈され、止む無く偶然近くにいた巡航艦クレーマーⅡに司令部を移す羽目になった。この後、戦艦リューベックに再び司令部を移しているので都合四度に渡って旗艦を変えることとなる。

 

 これは全く笑い話ではなく、ミュラーの献身と勇気を証明するものだ。ミュラーは不退転の決意で戦い続け、旗下の部隊を死地において統制し続けた。そしてそのミュラーの努力は報われたように思われた。

 

 宇宙暦799年/帝国暦490年5月5日8時19分、帝国軍サジタリウス征討軍総司令部直衛艦隊は同盟軍の包囲を脱出した。アイヘンドルフ艦隊はこれと共に後退した一方、殿を務めたミュラー艦隊は包囲網の中に取り残されることとなった。しかしこれは悪い事とは言い切れない。それはそれで同盟軍の動きを阻害する要因になるからだ。

 

「「……負けたな」」

 

 ヤンとミュラーは異口同音に呟いた。しかしその顔色は対照的だった。バーミリオン会戦の勝敗はここに決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ミュラー提督に降伏勧告を、多分大本営直衛艦隊がバーミリオン星域を完全に離脱するまでは応じないだろうが、こちらに戦う気が無いことは伝えておきたい。それから各艦隊司令官に通信を繋いでくれ」」

「了解しました」

 

 ヤンの命令が果たされるのには僅かに時間を必要とした。指揮系統に蓄積したダメージは大きく、既に総司令部と各艦隊司令部の連携すら充分では無かったからだ。それでもどうにかモートン・カールセンの両将とメルカッツ、そしてヤン艦隊の三人の分艦隊司令官と一人の分艦隊司令官代理、ビューフォートら不正規兵(イレギュラーズ)や独立部隊の代表者数名と連絡が付いた。

 

「大本営直衛艦隊に対する追撃は行わない」

 

 ヤンの言葉は実質的な敗北宣言である。ラインハルト・フォン・ローエングラムを討ち取るという戦略目的を諦めるという事だからだ。画面に並ぶ司令官たちの反応は様々だ。その中でラルフ・カールセン中将が口を開く。

 

『第一五艦隊は比較的損耗軽微です。本隊でミュラー艦隊を抑え、小官が余力のある艦を率いて追撃する、という手はありませんか』

「もうタイムリミットが来る。ファーレンハイト艦隊なり、ミッターマイヤー艦隊なりが来援すれば各個撃破されるだけだよ」

『……確かにその通りです。失礼しました』

 

 カールセンはあっさりと引き下がる。ヤンも頷いて気にしていないことを伝えた。タイムリミットの事はカールセンも分かっていた。追撃は本気で提案したというよりも、確認の為に口にしたことだった。

 

『じゃあどうします?ミュラー提督に降伏しますか?』

 

 アッテンボローが少しだけ面白くなさそうに発言する。そう、同盟軍はバーミリオン会戦に勝利した。しかしラインハルトの首を取れなかった以上、戦略的には、あるいは国としては敗北したのだ。そして敗北という事実を認めるのであれば、降伏することも考えなくてはならない。

 

「……それも一つの手ではあるけどね。負けた上にアイランズ委員長やビュコック元帥の手を煩わせるのも申し訳ない。逃げるとしよう」

『国防委員長やビュコック元帥閣下はともかく、他の政治屋や軍官僚の下に逃げて大丈夫ですかね?』

 

 アッテンボローの心配する所はヤンも考えていた。つまり、『バーミリオン星域会戦に参加した兵力を首都に戻した時、主戦派や腐敗政治家たちが良からぬことを考えないか?、良からぬこととまでは言わなくとも、徹底抗戦・総玉砕のような事を考えないか?』ということである。

 

 バーミリオン会戦で宇宙艦隊は壊滅的な被害を受けたが、それでも勝利した。同盟宇宙艦隊自体は半壊しながらも同盟政府の手元に残ったと言える。先のランテマリオ星域会戦で被害を受けて修理中の戦力や、イゼルローン方面辺境から首都に招集中の戦力を合わせれば、後一戦戦えるだけの戦力にはなるだろう。

 

 ヤンやアッテンボローに言わせれば「何とか戦える」だけで勝つ見込みも無い戦いなどする意味は無いのであるが、主戦派や腐敗政治家もそう考えてくれるかは微妙な所である。

 

「……我々がバーミリオンで敵中に孤立していたとする。そうなれば兵士の命に対する責任は司令官の判断で果たすしかない。しかし、今この状況、司令官として戦力を保全する義務を果たすことができる状況ならば文民統制の原則に従わなければならない」

 

 それでもヤンは民主国家の軍司令官である以上、文民統制に従う事を選ぶ。司令官の判断で降伏して良い場合はあるが、今はそうではない。軍法的に考えても、逃げようと思えばいくらでも逃げれるこの段階での降伏は許されないだろう。

 

(降伏した方が楽なんだけどね)

 

「一度ハイネセンにお伺いを立ててみてはどうです?回答が来てから降伏か撤退か選んでも良いでしょう」

「逃げるなら最速で逃げないと包囲される。仮に最高評議会に指示を仰ぐとしても、まずは星域を離脱する」

 

 シェーンコップがさりげなく「ハイネセンに指示を仰ぐという名目で降伏するしかない状況になるまで待つ」という案を出したが、ヤンはきっぱりと退けた。

 

 宇宙暦799年/帝国暦490年5月5日12時19分。自由惑星同盟軍連合宇宙艦隊はミュラー艦隊に対する包囲を解き、バーミリオン星域からの撤退を開始した。対するミュラー艦隊も追撃はせず、バーミリオン星域各地に散らばっていた帝国軍の小部隊を再編する事に注力し、同日の18時42分を以って戦闘終結を宣言、バーミリオン星域から撤退する。

 

 これを以って、『バーミリオン星域会戦』は終結した。帝国軍の参加兵力は艦艇2万6420隻、将兵318万2000名。完全破壊された艦艇は1万8620隻、損傷をこうむった艦艇6490隻、損傷率93.2%。戦死者196万3900名、負傷者69万1400名、死傷率83.4%。同盟軍の参加兵力は、艦艇1万7020隻、将兵196万8400名。完全破壊された艦艇6520隻、損傷をこうむった艦艇5890隻、損傷率72.9%。戦死者76万4100名、負傷者43万2300名、死傷率60.7%であった。

 

 この会戦の勝者が、帝国軍と同盟軍のどちらであったのか。この点に関して、戦史家の見解は()()同盟軍の勝利で統一されている。軍事上の常識を大きく超える戦いであったが、帝国軍の損傷率・死傷率は同盟軍のそれと比較していささか大きいと言わざるを得ず、会戦の後半部分においては、ミュラー艦隊の来援と言う想定外の事象に直面したにも関わらず、ヤン・ウェンリー率いる同盟軍は優勢を保持し続けた。バーミリオン会戦における同盟軍の戦術的勝利は揺るがぬと言って良いだろう。

 

 しかしながら、それでもなお無視し得ぬ数の戦史家が帝国軍の勝利であるとの見解を表明している。かつてのゴールデンバウム朝がいかなる敗戦をも戦勝と言い換えたように、ローエングラム朝の御用学者もそうしたのだろうか。勿論そんな筈もない。学芸尚書ゼーフェルト博士からして政界引退後の著作では「()()帝国軍の敗北」という見解を表明しているのである。つまり「帝国軍の勝利」という見解は、帝国やローエングラム朝への忖度で出された見解ではない。一面に置いてその見解が真実と言えなくも無いからこそ、少なくない数の戦史家が「帝国軍の勝利」と言うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦799年/帝国暦490年5月5日21時31分の事である。自由惑星同盟軍連合宇宙艦隊旗艦ヒューべリオンに一通の超光速通信が届いた。丁度、ヒューべリオンの通信士が首都ハイネセンへと戦闘詳報を送ろうとした瞬間の事であった。

 

「自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトより連合宇宙艦隊司令長官ヤン・ウェンリー宇宙軍元帥に命ず。一切の戦闘行為を終結し、続く命令を待つように。なお、戦闘行為の終結にあたっての条件は一切無い」

 

 後に、『人類の政治史上でも最大の失策』と評されることになる『トリューニヒトの停戦命令』である。

 

「自由惑星同盟末期の民主政治の醜態を指して『同盟は自らの手で破滅に向かった』と言うのであれば、ここでいう『破滅』は『トリューニヒトの停戦命令』を指すだろう」――D.Sinclair

 

 ダリル・シンクレア教授は当時の銀河で並ぶ者が数えるほどしかいない程に高名で優秀な歴史学者であるが、『トリューニヒトの停戦命令』の愚かさを説明する為にわざわざ彼の手を煩わせる必要も無かったかもしれない。

 

 その日、一つの星が銀河の中で瞬いて消えた。

 その日、一つの時代が早すぎる終わりを告げた。

 

 獅子帝はバーミリオンに消えた。

 銀河の歴史がまた1ページ……。




続きません。


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