ダンガンロンパ(仮)-よみがえり- (冷凍かに缶)
しおりを挟む

プロローグ 開会 絶望卒業式
プロローグ①


 

 

 今日も巨大な学園は、都会の真ん中の一等地にあった。

 

 誰しもが「ここは世界の中心だ」と疑わない佇まいで。

 

 

 『私立 希望ヶ峰学園』

 

 それは、ありとあらゆる分野における超一流の高校生を集め養成する政府公認の学園。

 各方面の才能溢れる生徒たちを磨きあげ、各界に優秀な人材を送り出している。

 学校にしてはまだまだ浅い歴史ではあるが、輩出してきた才能はどれも素晴らしいものであり、各方面、日本中、いや世界でも注目され続けている。

 ある者は、帝王学を叩き込まれ、数多くの企業をまとめあげた凄腕のエリートである『御曹司』

 またある者は、小中高校と水泳の記録を次々と塗り替えてきた、オリンピック候補生の『スイマー』

 さらには、3000人の構成員を携える指定暴力団跡取りの『極道』……これは、ほんの一例にすぎない。

 多くの才能の卵が、この学園で生み出され、新たな世界に導く“希望”となって羽ばたいていったという。

 

 こうして聞けば、非の打ちどころのない学園に思えるだろう。

 しかし、学園の歴史を紐解くと、歩んできた歴史が光り輝く道ではない。

 希望ヶ峰学園は一時期、『ある事件』によって、やむを得ず休校……いいや、廃校に近い状態になっていた。

 それでも、各方面から復活の声。なによりも学園のOBやOGたちの活躍や支援によって復活へと至った。

 再開当初は細々とではあったが、今では全盛期ほどに活気が溢れる学園へと返り咲いた。その姿はまさに、学園そのものが『希望の象徴』とも言われるほどだ。

 そして、この学園に入学して無事に卒業できれば成功も同然と言われている。

 

 

 期待と不安。

 

 

 憧れと焦燥。

 

 

 希望と飛躍。

 

 

 

 多くの感情が混ざり合いながら、俺は、今。

 この学園の寄宿舎へ向かおうとしていた。

 

 

 今日は2月28日。

 

 

 この日は、月の終わりだけでは無い。

 それは、“学園生活に終止符を打つ前日”でもあった。

 他の生徒たちが足早に談笑しながら歩き去るのを傍目に一息つく……『浮足立つ』というのは、まさにこのような状況にふさわしい言葉だろう。

 

 さて、少し遅れたうえに、オーソドックスではあるかもしれないが自己紹介しよう。

 

 

 俺の名前は、『七島 竜之介(ナナシマ リュウノスケ)』

 『超高校級の書道家』……いちおう、これが俺の肩書だ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ほとんどの人が予想する通り、書に精通していて、数々の賞を貰っている。

 しかし、テレビなどのメディアはあまり好きではないため、顔出しはせずに細々と活動を続けてきた……そんな説明だと、華々しい活躍を送っていないように思えるかもしれない。

 それでも、書道界では俺の名前は知られている……つもりだ。

 書には何十万の価値がつくようになり、自分が憧れていた書道家にも歓迎されるという待遇を受けて、ようやく自分が歩んでいる道の大きさに気づかされたのだ。

 

 しかし、どんなに有名になっても、成功同然の卒業が決められた今になっても、俺には書道家の自信がなかった。

 この気持ちが、どこからやってくるのか?

 それは、かれこれ入学式前からさかのぼる。

 

 

 

 

  ≪私立希望ヶ峰学園 補欠入学通知≫

 

  七島 竜之介   様

 

  おめでとうございます。

  あなたは補欠として、第95期生“超高校級の書道家”の肩書で我が校に招き入れることになりました。

 

 

 

 

 ある日、このような通達が家に届いた。

 

 それは俺が希望ヶ峰学園ではない、普通でありきたりの高校で3年間を過ごしていた時。

 卒業まで残り僅かで、大学入試に士気を高めようとしている1月初めのことだった。

 

 これは夢か? はたまたイタズラか?

 

 滑稽なことに、頬をつねってみたり、父親にお願いして学園に問い合わせてもらったりしたものだ。

 事情は通知にあるように至ってシンプル。どうやら、俺の他に『超高校級の書道家』が入学を決められていたのだが、その生徒が事故で辞退せざるを得ないことになった。そのため枠が余り、代わりとして、俺が新たに『超高校級の書道家』として選ばれたと言うのだ。

 

 国語教師の父、司書の母、絵本作家の姉と、たしかに文系の家ではあったが、名門の書道の家に生まれたわけでもない。

 書道は小学校3年生の時に、父の勧めでやってみて、その面白さに目覚めてずっと取り組んでいただけだ。

 それでも学校の書道は毎回金賞、学校外の老若男女が応募するコンクールでも1位を取れることがある。

 自分でも手ごたえはあるほうだと思っていたし、少しずつ有名になっていくのは実感していた。しかし、それより大きな存在がいることは言うまでもなくわかっていた。越えられない壁が俺の前にいつも立ちはだかっていた。

 

 

 ――二番でもいいじゃないか

 

 

 教師でありながら、勉強では放任主義の父はそう言った。

 この言葉は、なぐさみにも思えて最初こそは反発を覚えていた。

 悔しくて惨めで、負けたくないという闘志を再び燃やしてくれたものだ。

 

 

 しかし、いつからだろうか?

 

 父の言葉に肯定している自分が現れた。

 

 

 手をどんなに伸ばしても、やはり届かなかった。

 どんなに頑張って書き続けていて、素晴らしい作品ができたとしても。

 もっと大きな存在は、一つ書くだけで称賛されるんだ。

 結局、俺はそのような才能を持つ人間ではない。普通よりちょっと上、それが俺に似合う。気がつけばそう決めつけるようになっていた。

 希望ヶ峰に行きたい……そんな望みも、小学生までの俺には少なからずあったが早々と道を諦めていた。だから、これからは大学生活から、就職をして、うまくいけば家庭を持って、平凡な生活を送れればいい。

 

 

 ……そんなはずだったのに。

 

 

 まさかこのような形で、“希望”を手に入れるとは。

 

 通達が届いた時、両親は目を丸くし、姉は歓喜の悲鳴をあげたものだ。渦中の俺は呆然とするしかできなかった。

 そして母も姉も、あの『二番でいい』と慰めていた父も。

 俺に希望ヶ峰に行くことを勧めて今に至るのだ。

 

 

 今でも入学式で見た桜が脳裏にひらひらと舞い散る。

 それは綺麗と言うより、だれかの涙のようだと咄嗟に思った。

 晴れやかという言葉には程遠く感じられる思いが焼きつき、ずっと桜に問いかけていた。

 

 

 

 ――どうして、俺なんかが?

 

 

 

 本当に希望や才能に溢れていたのは辞退した書道家のはずだ。

 俺はただの二番手であり、凡人だ。

 そして、俺は『平凡』を受け入れていたんだ。

 才能も、心構えも、正真正銘の『超高校級の書道家』なんかじゃない。

 

 入ってしてすぐに、補欠で入ったことは学園中の噂にもなった。補欠入学というのは希望ヶ峰学園側にとっても珍しいことだったのだ。

 そして、そんな俺が影で囁かれたあだ名は。

 

 

 『超高級の幸運』

 

 

 でも、そちらのほうがお似合いだ。

 むしろ、それで呼ばれていたほうがよかったのか。

 何故なら、これは本当のことだから。

 俺は生まれもった才能や実力で『書道家』を掴み取ったのではない。

 これは完全なるお零れであり、『幸運』だったのだから……

 

 

 

 

 

「よおう、しっけた顔の七島くんよぉ!」

 

 

 

 

 突然、俺の肩に軽く衝撃が加わった。

 振り向くと、がたいの良い男子生徒がイタズラっ子のように笑っていた。

 長身で、強かな筋肉が薄いYシャツ越しからでも分かるぐらいに、たくましい体つきだ。

 

 

「まったくよ……なにを悩んでいるんですかー。明日は卒業式ですよー? 周りは希望と夢と愛に溢れた良い表情だって言うのに。ゾンビの幽霊みたいな顔してんの、お前だけだぜ。いろんな意味で、目立ってんぞ!」

 

 

 そう言って、彼の肩が俺の肩とぶつかる。

 今度は、肉体に痛みが生じるほど強烈だった。

 

「でさ、なにを悩んでんだ? 進路は決まってんだろ?」

「別に悩んでないよ。ただ、お前の才能はすごいなあって思っていただけで」

「なんじゃそりゃ。嫉妬ってことか? ……あのな、七島。お前の才能を言ってみろ」

「しょ、書道家だけど……」

「この学園生活で書道のことで猛勉強して、それでも自分のことを『書道家だけど』は、ねえんじゃねえのか? 最後だから言わせてもらうぜ……もっと自信持てや! この学園でいろんなことを学んで、そんで卒業の証も明日になったら貰える! そしたら、お前はもう立派な書道家なんだぜ!」

「わ、わかってるよ」

 

 よし、と言って、彼はまた笑った。

 彼は『萩野 健 (ハギノ ケン)』『超高校級のボクサー』だ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 萩野健――彼は中学時代、年上の不良たちと大騒動を巻き起こすほどの喧嘩をしてしまい、学校からも登校禁止を下された札付きの不良だった。

 しかし、その喧嘩を見ていた元ボクサーの飲んだくれの男に腕を見込まれて、ボクシングの道を歩み始めたという。

 

 練習を積み重ねるうちに恵まれた才能と努力が開花して、強靭な体を作りあげ、わずか数年で世界チャンピオンにまで辿りついた奇跡の王者だ。

 それは『超高校級』としてふさわしい才能の持ち主で、俺の憧れだ。

 そして学園生活での級友でもあり、人と話したがらない変わり者であった俺の唯一の親しい友人だ。

 

 ちなみに、かつて、この学園にもボクサーが在籍していたそうだが、萩野曰く『推測に過ぎないがあっちはクルーザー……いわばヘビー級ってヤツだろうな。俺はスーパーウェルター級。中間よりちょっと軽め。別名ライトミドル級だ』とのことだ。

 

 

「それはそうとよ。もう寄宿舎に戻るのか?」

「ああ、特に予定も無いし」

「だろうと思った。まっ。こっちも送別会、めんどくさくて断っちまった」

「そうなのか?」

「ああいうほどほどに親しかった奴と、バカ騒ぎするとヘンに疲れるんだよ」

 

 

 軟派に見えるが、場に簡単に流されない芯の強さもある。

 荒っぽいのは玉にキズだが、あっけからんとした言い方は嫌いじゃない。

 そういうところに、ずっと助けられてきた。

 

 

「ええっと4時か。他のヤツらは送別会で忙しいとみなすと……そーだ! 食堂に行って、最後になんか飲みながら、のんびりしないか?」

 

 

 なるほど、それは良い考えだ。

 最後の日だ。一緒に語り合うと言うのも悪くない。

 ここまで仲良くしてくれたことへのお礼も言いたかった。

 

 

「うん、そうだな。最後なんだし、な」

「よっしゃ、その返事を待っていた! 飲んで喋りまくろうぜ! あ、そうだ、スクワット200回して負けたほうが、おごりとかどうよ?」

「俺が不利じゃないか」

 

 

 減らず口を叩きながら、俺たちは食堂に足を踏み入れた。

 

 最後の食堂。

 

 最後の語らい。

 

 最後の学園生活。

 

 最後の日常。

 

 

 ……そうなるはずだった。

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 食堂に片足を踏み出した途端、視界が溶けていく。

 まるでコーヒーにミルクを注いだようにぐるぐるぐるぐると、黒と白が混ざり合っていって照明だけがキラキラと輝いていて目が痛くなる。

 

 

 いいや、そんなことよりも!

 

 自販機は?

 

 食堂は?

 

 萩野は?

 

 学園は?

 

 次々と浮かんでいっては消えていく。いや、なにもかもが溶けていく。体も、手も、足も、脳も。ありとあらゆる体の感覚がどんどんと朽ち果てていく。

 

 

 そして――最後に訪れたのは。闇。

 

 ……最後なんかではなかった

 これは、始まりだったんだ。

 

 

 

 これが絶望的な、“終わりの始まり”だったなんて、俺たちは知る由もなかった……。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ②

 

 

プロローグ 開会 絶望卒業式

 

 

 

 

 

 

「……………ま」

 

 

 

 

 

 

 

「……な……しま」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、七島」

 

 

 途切れ途切れに聞こえていた声が繋がる。

 目を覚ますと、まずは、自分は床の上で寝転がっていたことに気づかされる。頭上から萩野が心配そうにのぞきこんでいた。

 

「おい、大丈夫か? まずいな。俺まで寝ちまった」

 

 頭をかきながら萩野は言った。

 声が震えているように聞こえるのは気のせいか?

 

「今、何時だ?」

「ええと、4時……なんだけどよ」

 

 萩野が腕時計を見ながら言ったが、なんだか歯切れが悪い。

 4時……でも、待てよ? さっき食堂に行こうって言っていた時も、ちょうど4時だったよな?

 まさか朝の4時とか言わないよな?

 

 照明が薄暗いから、もう消灯時間が過ぎてしまったのか? 慌てて辺りを見渡そうとした。

 しかし、暗いのは夜が原因では無かった。

 

 

 

「えっ……?」

 

 

 

 窓を見て確かめようとしたが、そこには風景はなかった。

 

 ただの鉄板――。

 そこには大きなごつごつしたネジや釘が無造作に打ちこまれている。

 天井には怪しげな監視カメラが俺たちを睨みつけていた。

 壁にはテレビが備え付けられていて、まるで監獄。いいや、それ以上に不気味な空間。

 

 

 な、んだよ、これ。

 

 

 そして、俺たちは、“それ”に見覚えがあった。

 現実で目の当たりにはしたことがないが、“それ”は何度も見てきたものだった。

 照明のせいか、それとも寝すぎたせいか……眩暈が止まらない。

 

「食堂だけ見てちゃ、ラチが明かねーな。ちょっと外に行って確かめてみないか? 昇降口に行こうぜ」

 

 

 萩野が早口でモゴモゴとそう言った。

 お互いに混乱したまま俺たちは食堂を後にした。

 

 廊下に出ると、怪しげな照明が俺たちを出迎えた。

 学園がおどろおどろしい場へと変貌している。

 なるべく照明の光を浴びたくない思いで俺たちは走り抜けた。

 

 そして、昇降口へと辿り着くと、そこには……。

 

 

 

 

 

「あっ、まだ人がいたのだ!」

 

「これで、16人ね」

 

「ふん……野郎、か……」

 

「三人寄れば文殊の知恵っていうけど……うーん、どうなのかな」

 

 

 そこには10人以上の生徒たちが集まっていた。

 

 その空間は、多くの意味で、違和感しかなかった。

 大きい者小さい者。派手な装飾、地味な色。

 まさに十人十色という言葉が似合う光景でもあった。

 彼らの背に立ちはだかっている昇降口には、校門の代わりに大きな丸い鉄製の扉があり、通さないと言わんばかりに厳重に閉ざされていた。

 

 

「ん? なんかこいつら見覚えがあんな」

 

 そう言ったのは萩野だった。

 俺にとっては、見たことがない者たちがほとんどだ。

 

 

「私たちのことを知っているか否かは今はいい。お前たちの名は? 早急に答えること」

 

 

 俺たちの前に、茶色いブレザーを着た女子生徒が歩み寄ってきた。

 希望ヶ峰学園は、彼女が着用している古めかしい茶色いブレザーの制服が制定されているが、基本的に服装は自由なので、逆に既存の制服を着ている生徒は珍しい。

 

 そんな彼女の顔は目鼻立ちがくっきりしていて端正だ。

 それに、スカートもきっちり折り目がつけられていて清楚で品がよく見える。

 いうなれば、模範生ともいってもいいかもしれない。

 

 しかし彼女の佇まいは、腕組をしながら、尊大な、仁王立ち、だ。

 さらに口調は雄々しく、見た目とのギャップを感じた。

 

「萩野健だ。95期の超高校級のボクサーだぜ」

「俺は、七島竜之介。才能は書道家で……俺も萩野とおなじ95期だ」

「あはは、やっぱり君たちもか」

 

 サンバイザーの少年が、困ったように笑みを浮かべながら言った。

 「やっぱり」ってことは……。

 先ほどのブレザーの女子生徒が頷いた。

 

 

 

「ここに集っている我々も“全員95期生”、明日卒業予定の生徒ということだ」

 

 

 

 俺と萩野は反射的に顔を見合わせていた。

 

「なるほどな。だから俺は見覚えがあったってワケか」

「しかし。お前たちは2人とも同じクラスか。他の者たちは、私を含めてみんなそれぞれ別のクラスになるようだ」

 

 全員が全員、別のクラスか。

 それにしても外見だけではあるが、こんな奇抜な生徒たちがいるとは知らなかったな。

 

「さて。2人も生徒が来たんだ。もう一度、自己紹介を行おう」

「ええ、またあ? こんなことで時間を取られるなんて、クソメンドウだねえ……」

 

 ブレザー服の彼女の提案に大柄な男子生徒が口をとがらせた。

 しかし、すぐさま女子生徒がぴしゃりと反論する。

 

 

「これは命令だ。全員がお互いの身柄を知っておくのは重要なことだろう。さあ、手短に自己紹介をしていこう。まずは、私から。私の名前は『四月一日 卯月(ワタヌキ ウヅキ)』。みんなからは『超高校級の優等生』と呼ばれている」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 強かな栗色の髪を揺らしながら、四月一日という女子生徒は握手を求めてきた。

 萩野はまじまじと彼女を見つめて、その後に「うお」と軽い驚嘆の声をあげた。

 

「お、おいおいマジかよ!? 『超高校級の優等生』って、あの優等生か!?」

「萩野、知っているのか?」

「……逆に知らねーのか?」

 

 呆れたような視線は萩野だけではなく、周囲の生徒たち数人にも向けられてしまった。

 自分のクラスの生徒たちですら、あまり話をしたことないし、ウワサも興味がない。

 そもそも、部活も委員も入ってなかった。

 だから、このような話は、萩野に任せるしかないようだな……。

 

「『超高校級の優等生』は名前の通り、驚異の発言力と魅力を持ち合わせている優秀な生徒だ。もちろん学園の生徒会にも所属している……っていうか、『生徒会長』だぜ?」

 

 ……えっ? 生徒会長!?

 

「そ、そうなのか……!?」

「そうだ。しかし、私の顔を知らないのも無理もないかもしれない。希望ヶ峰は全校生徒が集まるという機会は少ない、集まる機会があるとすれば、それこそ明日の式典ぐらいだろう。もっとも校内新聞には毎月あいさつを載せているから、それに目を通しさえすれば名前は分かるはずだが」

 

 ……う。痛いところを突かれた。

 校内新聞は裏紙にしか使ったことがなかったんだよな……。

 

「え、えーとワリぃな。こいつ書道ばっかりやってたもんで、校内のことにはニブくてよ……で、四月一日の話だけど、もちろん成績はオール5。さらにスポーツ万能、努力家という三拍子だ。まさに学生の鑑……いや、もっと言えば、人間の鑑とも言えるかもしんねーな」

 

 人間の鑑とは、さすがに言いすぎじゃないのか?

 でも、たしかに、この自信のある立ち方は、そう思わざるを得ないのかもしれない。

 むしろ、「そう思え」というオーラが強く感じられる。

 

「とにかく困ったところ、気になったところがあれば、すぐに私に言うこと。そしてすぐさま私に頼ること。よろしく頼むぞ」

 

 差し出された彼女の手を握り返す……うっ……!?

 握手の力が強い……!!

 もしかしたら、腕相撲でも負けてしまうかもしれない。

 この強さが、彼女の優等生たる意志に繋がっている……のだろうか?

 

 

 

 

「なるほど、ムッシュ七島に、ムッシュ萩野か……ふんふん、なるほどねえ」

 

 さきほどから灰色のブレザーを着た小柄な少年が、俺たちのつまさきから頭のてっぺんまで観察している。

 右目には怪盗がつけているような小さな眼鏡――モノクルを装着していた。

 

 

「やあ、Bonjour! ぼくの名前は『Lentille Claire』だよ」

「ランティ……あ? な、なんだって?」

 

 

 萩野が首をかしげたと同時に、彼は大きく手を広げた。

 

 

『超高校級の鑑定士』『ランティーユ・クレール(Lentille Claire)』! あ、『ランティーユ』が名前になるから、そう呼んでくれよ? 書物や壺、絵画、宝石など様々なコレクションに精通していて、五感全てが優れていると賞賛、格付け番組に出演した時は、出禁にされるまで不動の一流を座り続けていた、まさに、生きた虫めがねと言われたのは、このぼく! ランティーユ・クレールのことさ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ……聞いてもないのに、勝手に説明してくれたぞ。

 

「ランティーユ……ああ、そーか。フランスからの留学生だったな?」

「ウィ、その通りだよ!」

「留学生なのか……すごいな。日本語が上手だ」

Merci!(メルシー) 書道家のムッシュに言われるなんてうれしいな! でも、まだまだ勉強中だよ」

 

 勉強中とは言ってるけど、俺たちと同じぐらいに流暢だ。

 でも、萩野の言う通り希望ヶ峰の留学枠なんだ。

 向こうの国では、先ほどの四月一日と同じく優秀な生徒なのかもしれない。

 

「と言うか、おめー、さっきからなんだ? 俺らをじろじろ見て」

「ああ、ごめんね。そういう気はないんだ、人を観察するのは、鑑定士ならではのちょっとしたサガなんだ。最近は、物の鑑定もいいんだけど、『鑑定士』の才能を持っているから宝の持ち腐れはもったいないじゃない。だから、人の価値を測るのも趣味になっちゃってね」

「お? じゃあ俺らの価値もわかんのか?」

「あぁ……でも教えないよ?」

「なんでだよ」

「だって本当のこととか言っちゃったら、ショック受けちゃって、キズとかついちゃったらお互い嫌だろう? 鑑定士たるもの宝にキズはつけたくないからね! これは世界、いや、人としての常識なんだからね! ムッシュたちも紳士としてこれは心がけてほしいものだね!」

 

 そんな常識は知らないんだけど。

 でも、そう言われると、ちょっと知りたくなってしまうな……。

 

 

 

 

 次に、ぽてぽてと効果音がでそうな歩き方でこっちに近寄って来たのは、白と淡い緑のゴシックロリータな服装の女の子だった。

 一瞬だけ、そのふんわりとしたスカートが色合いでキャベツに見えてしまった。

 髪型は、外内両方に跳ねている茶色のツインテール。

 そして手には、ほとんどの幼少期の女の子が遊んだであろう、ごてごてした飾りのついたおもちゃのステッキがしっかりと握られている。

 あれは一昔前に放映していたという『プリティ★キャンディ』というアニメのおもちゃだろう。

 

 

「初めまして。七島さまに、萩野さまでございますね! 私の名前は、『角 芙蓉(スミ フヨウ)』でございます!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 そう言って角は『ペコリン』と擬音がピッタリなほど軽やかなお辞儀をした。

 

 

「角芙蓉……おっ、それってまさか。あの『超高校級の魔法少女』ってヤツか?」

 

 ま、魔法少女!?

 そんなキテレツな才能もあるのか?

 

「正確な名称でございますと、『魔法少女』、と書いて、『まじょっこ』と呼ばれているのでございます」

「魔法とか、魔女っ娘は、ともかくとしてよ。ウワサでは、アキバに突如現れた完璧な魔法少女系のアイドルでな。まあ、見るからにして立ち振る舞いがいわゆるフシギちゃんでよ。まさにアニメから抜け出した魔法のような雰囲気を持ち合わせていることから、熱狂的なファンが大勢ついて、『魔法少女』として崇拝されてるっていうのは聞いたことあるぜ」

 

 それなら、アキバ系アイドルでもいいような気がするが……。

 でも、たしかにアニメの世界の住人と言ってもおかしくないほど、ひときわ浮世離れしたものに感じられる。

 目もクリクリと大きくて、今にもこぼれてしまいそうだ。

 

「なにとぞ、よろしくおねがいしますでございます! 芙蓉、せいいっぱい、まごころこめて、仲良くさせていただきたいと思いますでございます!」

 

 彼女は丁寧にぺこぺことお辞儀をして微笑んでいた。

 不思議な喋り口調だ。そういうカオスな感じも、『超高校級の魔法少女』……だからか?

 

 

 

 ふと、なにかが俺の足にぶつかった。

 先ほどから、ずっと床をせっせと磨いているのは、髪も肌も色素が極端に薄い青年だった。

 青いエプロンを着て、雑巾を力任せに床に押しつけている。

 

「おいおい、謝罪もなしかよ? 掃除も大事だけどよ。今は自己紹介ぐらいしよーぜ」

 

 萩野がぶっきらぼうに言うと、彼は視線をあげて目を見開く。急いで立ちあがって、猫背気味に申し訳なさそうに目を伏せた。

 

 

「すみません。掃除に夢中で……自己紹介ですか? 改めて、初めまして。ええと、私の名前は『白河 海里(シラカワ カイリ)』と、申します」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 雑巾を右手に持ち、深々と白河海里はお辞儀をした。

 

「白河海里なぁ……? なんだったかな……」

「たしか、『超高校級の清掃委員』じゃなかったか?」

「おっ!? 七島、それは知ってんのか!」

「覚えていただきありがとうございます。なにしろ地味な肩書きですから。ここにいる皆さんも、肩書きを言っても首を傾げるばかりでして……」

 

 『超高校級の清掃委員』……特技は掃除というと、バカにされやすいかもしれない。

 しかし、彼の才能は掃除の域を超えて、どんな汚い場所もあっという間に綺麗にできるそうだ。

 最近では、ゴミまみれの溝川を、蛍の住む川に生まれ変わらせたとして一躍有名になったという。

 それに、大人数を動かすと言う先導力も持ち合わせているらしく、若くしてリーダー性もあると有望な人材として一目置かれているらしい。

 

 喜んでくれるのはこちらも嬉しいが、書道道具の洗い方を教えてほしいと言う理由で覚えていたんだよな。

 なんて言ったら、さすがに失礼だろうか……。

 

「…………あ。ちょっと。そこのあなた」

「ンあ? 俺か?」

「いいえ、萩野さんではありません。七島さん……の、暗黒点及び黒い染み!」

 

 白河は唇をわなわなと震えさせ、俺のワイシャツの襟を指をさした。

 その場所には……。

 

「染みだぁ? どれどれ……いや、ねえだろ」

「あるじゃないですか! 3ミリの墨汁の跡が! ああ、なんて不潔極まりない染みと匂い。今すぐ牛乳石鹸で優しく綺麗に洗い流さなければ……なにをボサッとしているのですか、さっさと、そのYシャツを私に貸してくれませんか? いや、ください。よこせ。というか脱げ」

 

 白河は目を爛々とさせて、俺のYシャツにしがみつくように襟を掴みあげた。

 な、なんだ急に!?

 というか、目が完全にイッてないか……!?

 

「おっ、おいおい待て待て?! 後にしろって! 自己紹介ちゃんと済ましてねえだろ? さっさと、終わらせねーとって、そこの四月一日も言ってたし! 終わったら、脱がすなり煮るなりぶち込むなり好きなようにしていいから、な!」

 

 萩野、ナイスフォロー……でもないような。

 まだ目がハイエナのように狙っているが、渋々ながら白河は引き下がってくれた。

 やはり『超高校級の清掃委員』たるもの、どんな汚れも気になるってことか?

 

 ううむ、前言撤回。

 仲良くなるのは難しい。というかなるべく避けたほうがいいかもな……。

 

 

 

「うおーっす、こんちゃーす! あたしの名前は、『大豊 てら(オオトヨ -)』なのだー!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 次に話しかけてきたのは、オレンジのパーカーとホットパンツを身に着けた小柄な少女だ。

 こっちにやってきて、右手をあげながら明るく笑っている。

 二つのお団子髪が動物の耳のようで、その出で立ちはハムスターの擬人化のようにも思えた。

 

「大豊てらっていうと、『超高校級のランナー』だな。100メートルを7秒切って走り抜けるとかいう、マジもんの超異例。怪物級の足腰の持ち主らしいな。あだ名は『陸上界の口裂け女』だっけ?」

 

 たしか口裂け女って100メートルをありえないスピードで走るって言われてるんだっけ?

 だからと言って、物騒なあだ名だ。

 ……でも、たしかに体型からして身軽そうだ。

 

「ふんふん。それにしても、2人ともおっきいのだ!」

「あ? 身長のことか?」

 

 大豊はぴょんぴょんと跳びはねている。

 跳躍力もあるようだが、俺たちの身長は追い越せていないほどに小柄だ。

 

「むう、世界記録を持っているから、世間的にはビッグスターのはずなんだけど……でも、やっぱり、あたしがもっと欲しいビッグは身長なのだ! 5cmでいいから、わけてほしいのだ!」

「おいおい、俺は身長変わっちまったら、プレイスタイルまで変わっちまうだろうが! そういうのは七島に頼んどけよ」

「ほんと!? くれるの!?」

 

 キラキラと瞳を輝かせてこちらを見つめてきた。

 そ、そんな瞳で見られると困るぞ。というか無理だろ。

 

「おい、萩野。そういう無茶ぶりはやめろって」

「むむぅ……いいもん、いいもん。バカにするのも今のうちなのだ! いつか、2人まとめて追いこしてみせるからね! 日本の大仏さまも全員抜かしてみせるのだ!」

 

 彼女は超高校級のウルトラマンにでもなりたいのか?

 とにかく、テンションが高い子だってことは分かった。

 

 

 

「あははっ、これまた面白そうな人たちだね。初めまして、俺は『井伏 歩夢(イブセ アユム)』だよ。まあ、ほどほどによろしくね」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 次にやってきた井伏と自己紹介した彼はサムズアップをして笑った。

 爽やかな少年であるが、服装も髪形もシンプルでこれと言って特徴がない。

 強いて言えばサンバイザーをつけていることぐらいだろうか。

 さすがの萩野も、隣で唸っている。

 

「うーん、なんだったかな。スポーツ系か?」

「あはは、テレビや新聞にもあんまり出ないからわかんないよね? じゃあ、こうすれば分かるかな……よっ、と」

 

 そう言うと井伏は足元に置いていた、あるものを背負った。

 それは紺色の大きなリュックサックだった。

 それを見るなり、萩野は、「そうか!」と指をパチンと鳴らす。

 

「わかった! おめー、『超高校級のアルピニスト』だな? 最近、世界最高峰の最年少記録を塗り替えたっていう」

「あははっ! よかった。そう、ご名答!」

 

 そう言って、井伏は屈託のない笑みを浮かべた。

 たしか『アルピニスト』は、高度なテクニックを持って過酷な山を登る登山家のことだったよな?

 それに、世界最高峰を登っただって?

 最初に小柄だとは思ったが、よく見れば無駄がない筋肉がついていることが薄いTシャツからも分かる。

 

「なら、最初からリュック担いでおけよ。疲れてたのか?」

「あー……いや、そうじゃないよ? こんな軽装で大きな荷物を持って、『アルピニスト』って宣言するとさ。なんだか、山をバカにしている気がして申し訳なくって。いつも山に登っているから、つい今日ぐらい軽装でいいかなって思っちゃった自分が情けないね。まあ、これでみんなに説明は終わったと思うから、今のところは常備しておくけどね」

 

 なるほど、山に対する気持ちは確かってことか。

 爽やかな外見に、真面目でしっかり者。人望もありそうだ。

 それにしても清純で曇りのない笑顔だ。うーん、不愛想だから見習いたい……。

 

 

 

 

 …………ん? な、なんだ?

 さっきから視線を感じる……!?

 

 振り向くと、眼鏡の女子生徒が無言で睨みつけていた。

 腰までかかるほど長い黒髪に、同じく長い丈の黒いセーラー服。

 夜にたたずんでいたら、きっと気づかずにぶつかってしまうことだろう。

 

「よっす、おめーの名前は?」

「は、はあ……? 『よっす』とか『おめー』とか、いきなり、なにさま……? 『ボクサー』のクセに生意気ね……」

「あ? い、いや、急に悪かったけどよ……そこまで言わなくてもいーだろ?」

「ま、まあ、仕方ないわよね。17歳4ヶ月で世界チャンピオンにのぼりつめた王様に、こんなダニの意見なんて、通じるはずないわよね……そっちは『書道家』でしょ? 最近では今年の2月19日、第11回東京書道展で最優秀賞を手に入れたという……」

「な……っ、うぇ?! 詳しいな!?」

「お、俺の情報まで……!?」

 

 最新の記録はまだしも、日にちや大会の名前までばっちりと言い当てるなんて。

 すごいというより、むしろ気味が悪いような……。

 

「言っておくけど超高校級のストーカーなんて言う肩書きじゃないわよ……言うなれば、私が知らない情報はないの……どうせ、アンタたちは知らないと思うから言うけど、一応『超高校級の司書』なんだから……」

 

 なるほど、彼女が『超高校級の司書』か。

 文系関係者として耳にしたことはあった。

 ありとあらゆる書物や情報を読み尽くた図書館の番人でありエキスパート。

 彼女の持ち合わせている情報量は膨大で、『生き字引』という名前がふさわしいほどだ。

 

「ふうん、『司書』なあ。文学についてはよくわかんねえなあ。まっ、それはともかくとしてよ、さっさと名前を……」

「そっ、それが人に頼む態度? ま、まあ当然の対応かしらね……どうせ私は司書よ……しかもフィクションと違ってブスで色気のない貧相な司書だから思いきり幻滅してることぐらい私にはわかるのよ……! そ、その目……わかってるわよ、どうせ私の存在が嘔吐物以下ってことぐらいは……!」

「い、いや、なにもそこまでは……」

 

 自信がないという点では俺と似ているかもしれないけど。

 そんな俺でも「かなり」とつけてしまいそうになるほど、後ろ向きな性格のようだ……。

 

 

「ふん……わ、私の名前は、『錦織 詩音(ニシゴリ シオン)』よ……」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 そう言って、錦織はぷいとそっぽを向く。

 どうやら自己紹介は終わりみたいだ。

 

「はあ……アイツ、すげえネクラだったな」

「お、おい、ちょっと声落とせって……」

 

 萩野に注意するが、当の彼女はなにも反応を示さなかった。

 単純に聞こえなかったのか、もしくは……ま、まあ、そっとしておこう……。

 

 

 

「うーん……」

 

 さきほどから縦横と大柄の男子が、ステッキを手首にかけたまま、俺たちを見て唸っている。

 黒いジャケットを着ているが腹がどんと突き出していて、ボタンが今にも飛びそうだ。

 

「おーい、名前聞いて良いかー?」

「んー? 僕の名前? 『十和田 弥吉(トワダ ヤキチ)』だけど?」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「えーと、十和田弥吉か。『超高校級の手品師』だな。国内だけじゃなくて、海外でも活躍する大々的なエンターテイナーとして有名らしい。トランプや人体切断、電気や水なんかも、魔法のように自由自在に操れるんだとさ。海外からは、古風な名前もあって、シノビのマジシャンなんて言われているみたいだぜ……っていうか、どうした? 調子でも悪いんか?」

「いや、そうじゃないんだけどさあ……」

 

 歯切れ悪く言った後で、十和田は「ふん」と軽いため息をついた。

 

「とりあえず、こっちはチンピライオンでいいとしてだ。君に関しては、なにが似合うかなあ」

「……ん!? なんの話だよ?!」

「なんのって、あだ名だけど?」

 

 あだ名ってことは、さっきのチンピライオンって……。

 俺はついつい、萩野を一瞥してしまった。

 

「お、おい……ちょっと待てや! あだ名はいいけどチンピラってなんだよ!? 似合わねえあだ名つけてんじゃねーぞ!」

「うわあ、予想通りのチンピラ。でも似合わないあだ名なあ……じゃあ君の名前、萩野健だっけ? その名前、100%、君にとって似合っているって言える?」

 

 それは……と、萩野は声を詰まらせていた。

 十和田はそんなことおかまいなしに、ステッキを磨きながら、不気味な笑みを浮かべている。

 

「正直、人間のほとんどの名前なんて全然一致しない。萩野とか、七島、なんて、ほんっとに似合わないんだよなあ。特に、七島くんに関しては。致命的すぎてどうしようもないんだよねえ。もっと、わかりやすいあだ名をつけてあげるよ。でも、あまりにも地味で存在が薄くて童貞まるだしっていういかにもすぎて難しいなあ。そうだねえ……じゃあ『ミドリムシくん』、なんてどうかなあ?」

 

 そう言って、十和田は杖から、緑のハンカチを鮮やかに取り出した。

 しかし、いきなり、ひどい言われようだ。

 しかもミドリムシって……名前にも見た目にもカスっていないし、センスもなければ悪意しか感じられないぞ!?

 手品師というのは、手先だけでなく、口先も器用になるのだろうか……?

 

 

 

「んー、名前と顔はともかくとしてさ。2人のスタイルはマズマズじゃね?」

 

 ひょっこりと十和田の後ろから現れたのは、線の細い派手な少女だった。

 水色のブラウスでヘソ出し、同じく水色に赤い模様の派手なスカートという大胆な服装だ。

 体を褒められたのはいいが、名前だけでなく、顔もさりげなく否定されていたのは気のせいか?

 

 

「あ、ジコショーカイだよね? うちの名前は『真田 斑(サナダ マダラ)』だよー」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 ブーツもお洒落で光沢がぴかぴかとしていて眩しく、ヒールも高いうえに今にも折れそうなほど細い。

 化粧も派手で、一見するとビジュアル系みたいだ。

 

「派手だなあ。これが現代っ子ってやつか? 真田斑は、『超高校級のデザイナー』って聞いたな。奇抜なファッションデザインや、コーデを作り出して、オシャレ界の最先端を常に走る。特に若い女子の心を掴んできたっていう、女子高生デザイナーだってさ。カリスマ性もあるけど、デモとか過激なモンもやっているって聞いたことはあるぜ。ブログでも良くも悪くも話題になって……あっ、いや、ワリぃ、初対面だってのにこんなこと」

「ちょっと、なにクチごもってんの? うちは中傷、炎上、どんとこいだって! そんなことぐらいで筆もブラシもマスカラもおかないっての!」

 

 そう言って真田は指をずいと指しながら強く言い切った。

 語気といい長く鋭いツメといい、だいぶタフな女子生徒のようだ……。

 

「そ、そーかよ。たしか最近では“Patches”っていう自作のブランドも手掛けてるって聞いたな。それってマジか?」

「そっ、マジマジ。マジを通り越しちゃって、ぶっちゃけマジラー! あっ、マジョリカマージってカンジかな?」

 

 ……ん?

 萩野と俺は首を傾げた。

 マジラー? マジョリカマージ? 呪文でも詠唱したのか?

 

「マジョマ……あんだって?」

「は? マジの比較系と最上級だっつーの! 英語で習わなかったの? まっ、うちの作った言葉だから細かいことはスルっちゃってよ。とりまヨロッコね!」

 

 スルッちゃう? ヨ、ヨロッコ?

 俺は萩野と目を丸くしてしまった。

 やはり、世間一般の若者の心を掴むには、このような言葉が求められるのだろうか?

 というか最上級は『〇〇レスト』じゃなかったか……?

 

 

 

 

「ふふふ、ふっははははははは!」

 

 突然、白衣に眼鏡にボサボサ頭と、三大怪奇な男が高笑いをしてやって来た。

 街中で会ったら、すぐさま通報されそうな格好だ。

 

「な、なにいきなり笑ってんだよ。ってか、おめー誰だ?」

「ふむ、吾輩の名前を知りたいのかね? 世の中には奇人変人が多くはないが、少なくもないのだな? よかろう、その勇気に応じてお答えしようではないか。吾輩の名前は、ずばり『円居 京太郎(マドイ キョウタロウ)』だ!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 白衣をばさっと払い腰に手を当てて、円居と名乗った青年は偉そうにふんぞり返る。

 

「さては、『超高校級の科学部』だな……ま、そのカッコーからしてそうだろうな。薬学が得意分野で、生物兵器を軽々と作り上げるだけでなく、新しい科学物質を見つけたりなんかして、その手の世界ではとんでもなく有名みたいだな。学会ではたしか、ええと。なんだったっけか?」

「うむ、『超高校級のマッドサイエンティスト』と呼ばれているようだね」

「うおっ!? おめー、知ってたのかよ……せっかく、人が言わないようにしていたのに」

 

 驚く萩野に対して円居は「ふむ」と一息つく。

 眼鏡がきらりと光っていて、目もとの表情が分かりにくいのが怪しさをさらに際立たせる。

 

「記憶違いかもしれないがな。まあ、十中八九外れてはない……と言うか当たっているがな! むしろ、ラッキー・ドストライクだ! だが、残念だったな。吾輩はガリガリくんの当たり棒すらあげることもできないのだよ。今度べっこう飴を作ってやっても構わんぞ!」

 

 そう言って、円居はびしっとひとさし指をさして三日月型の口で笑みを浮かべた。

 ……変な奴だが、悪い奴ではない、と信じたいな。

 でも、やっぱりむやみにはあまり近付きたくないタイプなのも確かだ。

 

 

 

 

「ええと、次は……おう、名前聞いていいか?」

 

 次に萩野が聞いたのはポニーテールの女子生徒だった。

 紅色の燕尾服をきっちりと着こなしてキャリアウーマンのような佇まいだ。

 

「私の名前は『紅 紅葉(クレナイ モミジ)』よ」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 簡潔ではあるが、きっぱりと言いきった。

 そっとピアノの鍵盤を押したように、静かで心地いい声だった。

 

「紅紅葉、か。『超高校級の指揮者』だな。幼いころからの、天才的な音感と努力による猛勉強。さらに数々の留学によって、数少ない女性、あるいは最年少の『指揮者』として世界を活躍しているんだとさ。そんでもって、指揮だけでなく、ありとあらゆる楽器にも詳しくて楽器演奏においても多くのコンクールで入賞したそうだぜ。だから『超高校級の音楽家』と言っても過言でもないみたいだな」

 

 なるほど、寄せつけがたい気品はその才能ということか。

 功績は俺よりも桁違いに華々しいものだろうと想像が簡単にできる。

 

「よろしくね。説明は彼の言った通りよ。私からは特に話すことはないわ。この状況下だもの。長々と話している時ではないでしょう。お互いに協力し合うことが今は大事だから。さあ、次の人に移ってちょうだい」

 

 喋り口調は四月一日と似て、力強くもあるが、彼女とはまた違う安定したものだった。

 いかにも調和をもたらす、この悠々たるたたずまいは、『指揮者』の賜物だ。

 下手すれば、男より男前かもしれない……。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 彼女の言葉に甘えて、俺たちは黒ずくめの大柄な男に目を向ける。

 それにしても、さっきからのこの男の殺気はなんなんだ!?

 大柄だからか、それとも髪の毛から服までが黒いからというのもあるのか。

 砂漠にいるサソリのような威圧感を感じられて、萩野も少し臆しているようだ。

 

「お、おーっす……その、名前は?」

『黒生寺 五郎(コクショウジ ゴロウ)』だ……」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「ええと、黒生寺五郎……たしか『超高校級のガンマン』か?」

 

 黒生寺は目を瞑りながら、ゆっくりと頷いた。

 ガンマンか……言われてみれば西部劇に出てきそうな服装に思えてきた。

 

「経歴は俺もよく知らないから、あくまでウワサなんだけどよ……なんでも銃撃戦では無敗。百発百中はもちろんのこと。空き缶に6発弾丸をすべて正確に撃ち込んで粉砕したなんて言われてるぜ。しかも銃だけじゃなくて、多くの武器や火薬も、楽々と使いこなせるんだって? ひゅう、マジで漫画みたいなキャラだなあ」

 

 萩野は口笛を鳴らしたが、お前も十分漫画っぽいキャラだぞ……。

 『ガンマン』と言うと、できれば敵に回したくない部類だ。

 それでも、『ガンマン』と聞くと、正義だけでなく悪役でもカッコいい印象がある。

 このどっしりとした出で立ちは、さすが百戦錬磨の……。

 

 

「…………ぐう」

 

 

 ……え? 鼻ちょうちん?

 

「お、おい!? おめー、まだ自己紹介途中だぞ!」

 

 萩野が肩を揺すると、寝ぼけ眼で睨みつけている。

 黒生寺の目つきが悪代官のように、余計に酷くなっている。

 

「ふごふご……うるせえ……起こすんじゃねえ……ブチ抜くぞ……まあ、今はBB弾銃しかねえから安心しとけ……」

「いやいや、BB弾もあぶねえだろ!」

 

 ……どうやらマイペースな性格のようだ。

 しかし素が威厳がある分、こういう鼻ちょうちんをしていると幻滅してしまうな……。

 

 

 

「はあい! 『藤沢 峰子(フジサワ ミネコ)』でーす! よろしくね!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 次にピースサインをして笑いかけてきたのは赤いリボンで二つ結びをした少女だった。

 ……いや、少女とは少し言い難い。

 なぜなら、彼女の服は胸元が空いている紫色のシンプルかつ品があるワンピースだ。そして、その体つきは。

 

「うおっ、すげえグラマラスだな」

「お、おい、声が大きいって」

「あら、別に気にしてないわよ。もしかして竜ちゃんってばウブなの? 今ので好感度2あがったかも。そういうからには……浮気なんて絶対ダメよ? ダーリン?」

 

 藤沢は蠱惑的な瞳で、くすり、と微笑んでくれた。

 って、え……えぇっ!?

 う、浮気、しかも、ダーリン!?

 そんな急に旦那認定されてしまうのはさすがに!

 

 

「……なんてね! 冗談よ?」

 

 

 あ、ああ、ビックリした…………。

 

「早速、気にいられてよかったな? 藤沢峰子は、『超高級の演劇部』だ。学校の演劇部から、大規模劇団“キャンディパッケージ”にスカウトされて看板女優に上り詰めた若手女優だ。あんまり舞台のことは知らねえけど、七色の仮面と千の表現を使いこなす実力派らしいな。それに分かる通り、超高校級のプロポーションを持ってることでも有名だぜ?」

「健ちゃん、嬉しいけど、ちょっと買いかぶりすぎよ。アタシは普通に演技しているだけなんだから。それでは、これからも末永くよろしくお願いします。健ちゃん、竜ちゃん。いいえ、竜ちゃんは、未来の旦那様……ね」

「え、えっ?」

「あら、本気? うふふ、これも冗談よん」

「……っ! う、うう」

 

 ……さ、さすが、『超高校級の演劇部』だ。振り回されないように気をつけないと。

 

 

 

 

「……って、おい! 七島、危ない!」

 

 えっ?

 突如、萩野の注意と共に、頭にごつんという衝撃が走った。

 そして、気がつけば床に手と尻をついていた。

 

「ごめんなさい、大丈夫?」

 

 目の前に立っていたのはミディアムヘアの女の子。片方の前髪には、一つ星の髪留めが光っているので少しだけ額が見える。その額には、ここにぶつかったからか、赤い痕がついていた。

 真っ白なブラウスに桃色チェックのスカートの女子生徒がこちらを見つめる。

 ……って、それだけじゃない。

 

「お、おい!? おめー、鼻血出てっぞ!?」

「あ。ああ、うん。慣れてるから気にしないで」

 

 小さな鼻からとめどなく流れる血に対して、彼女は冷静だった。

 スカートのポケットからティッシュを取り出してさっさと拭った。治癒力が早いのか、すぐに血はおさまったようだ。

 

「それで、どうしたの?」

「えっ? あ、そうだ……おめー、名前は?」

 

 

「……私の名前は、『天馬 陽菜(テンマ ヒナ)』

 

 

 天馬陽菜。

 

 その名前を聞くや否や、俺と萩野は顔を見合わせた。

 

 

 

 

『超高校級の不運』。みんなは私をそう呼んでいるみたい」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 唾を飲んだのは萩野も一緒だったようだ。

 自己紹介を終わらせた一部のメンバーも彼女を興味深そうに見つめている。

 まさか、本当にいるとは。

 

 『超高校級の不運』、天馬陽菜。

 学園にスカウトされたことが最大級の幸運ではあるが、それ以外は不運そのもの。

 100円を見つけたら、次の日は借金を背負っている。

 流れ星に3回願い事を言えたら、その流れ星は隕石で自分の家に直撃する。まさに歩く『不運』なのだ。

 『不運』である故に、両親も早いうちに亡くしてしまったという。

 だから彼女を恐れて、誰も近寄らない。天涯孤独の『不運』とも噂されていた……はずだけど。

 

「ごめんなさい。七島くんはケガしてない?」

「あ、ああ。大丈夫だ……」

「……どうしたの?」

「い、いや、なんでもない……」

 

 失礼だが、もっと幸が薄そうな、継ぎはぎだらけの貧乏神みたいな雰囲気を予想していた。

 しかし意外と普通なことに……いや、思った以上にクールな様子に、萩野も驚いているようだ。

 それは、やはり生まれたときから不運に見舞われている故だからだろうか……?

 自分の運命を悟っているというか、達観している……そんな様子に思えた。

 

 

 

「それより、これで自己紹介は終わりでいいのかな?」

 

 

 

 天馬はそう言って、一息ついた。

 四月一日も「ああ」と肯定してみんなを見回す。

 

 見かけだけではない。中身も十人十色だ。

 今の状況にも困惑しているが、こんな生徒たちがいた、ということにも俺は驚きを隠せなかった。

 そして、こんな生徒たちが一堂に会するこの状況。しかも卒業式前日に。

 いったい、なにが起こっているんだ……?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ③

 

 

 

「さて、萩野健、七島竜之介。お前たちはこの玄関ホールに来る前は、どこにいたんだ?」

 

 

 自己紹介を終えて、四月一日が眉間に軽くシワをよせたまま俺たちに尋ねた。

 

「俺たちは食堂にいたぜ。たしか夕方の4時ごろに、七島と一緒に食堂に入ってさ。そしたら、急に眠くなって、起きたらこんなことになって……」

「やはり、お前たちもか」 

 

 四月一日は、ふうと分かりやすいため息を吐く。

 「お前たち“も”」……その意味は尋ねずとも、すぐに察することができた。

 

「じゃあ、みんなも、そうなのか?」

「そうなのだ! あたしは、ランニングしてたら、いきなりそうなったのだ! ねぶそくだったのかな?」

「芙蓉もおひるねは大好きでございますが、今日は卒業前日で、嬉しくも悲しいままで、なんだかドキドキしたままで、お昼でも眠気がさっぱりと無かったのでございますが……」

「はいはい、からっぽ電波ちゃんも寝ちゃったって言いたいんだねえ?」

「俺はいつものことだと思ってた……だが、あの時の眠気は今までとは違う気がした……」

「あら、五郎ちゃんなにか分かった?」

 

 各々が喋り続ける中、俺を含めた一部の生徒たちが黒生寺に顔を向ける。

 筋骨隆々な腕を組んで、彼は静かに目を伏せる。

 

「『古今東西、四六時中眠り続ける君は超高校級の寝太郎といっても過言ではないだろう』……と、担任に言われた俺からしてみれば、あの睡魔は、自分のものではないことは確かだ……自分のものというよりも、むしろ……」

 

 考え込む黒生寺に視線が集まった、みんなが彼の言葉に期待を寄せて待ち望んでいた。

 そして、沈黙が訪れた後、黒生寺は口を開いて発した。

 

 

 

「……ぐう」

 

 

 

 やる気のない寝息を……。

 

「って、黒生寺五郎! 寝るんじゃない! 起きろ!!」

「うっわ、ゴクヤバマイペースすぎない!? ありえないっしょ……」

「でも、ちょっとステキかもでございます!」

「マイペースとか、ステキって言うより、お約束じゃね?」

 

 黒生寺を揺すり起こそうとする四月一日を傍目に、萩野はこっそりと俺にそう言った。

 俺も「なんとなくそうなるのでは」っていう、予想はついていたが……あまりに漫画的な流れすぎるな。

 そんな混沌とした、話し合いにすらなっていない騒然状態の中。

 

 

 

 

 ――それは、唐突に始まった。

 

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 

 

 突然、聞きなれた始業チャイムが鳴り響く。

 そして壁に掛けられた電源のついてないテレビの映像が砂嵐へと変わった。

 

 

 

『あー、あー。マイクテスト、マイクテスト。校内放送、校内放送。聞こえてますかー? 聞こえてますよねー? ではでは。学園内にいるオマエラ、準備が整いました。至急、体育館にお集まりくださーい』

 

 

 

 底抜けに明るい声。しかし、それは能天気なものではなかった。

 薄気味悪い。得体の知れない声。

 例えて言うなら、葬式で場違いなほど笑う子供のような。無邪気ではあるが、腹ただしい。

 それは、完全に『不快』そのものだった。

 

 

「……これって」

 

 

 不審な声に、全員が呆然とする。

 四月一日は眉を少しだけ動かした後、すぐさま俺たちに背を向ける。

 

 

 

「一旦、話し合いは中断だ。ここで突っ立っていても仕方ない。他の者もすぐさま向かうように」

 

 

 四月一日はさっさと立ち去る。

 しかし、俺たちはさきほどまでの騒然さが嘘のように鎮まり、ストップモーションをかけられてしまった。

 

 

「邪魔なんだけど」

 

 

 背後の大きな影が揺らいだことに、思わず体を震わせる。

 振り向くと、巨体を揺らしながら十和田が笑っていた。

 ……しかし、その瞳には愉悦が一切見えなかった。

 

 

「いやあ、才能溢れる人たちって恐ろしいねえ。いくら凄くても、常識が壊れるとなんにもできなくなるなんてさあ。現実受け止めきれないなら、ボーリングのピンみたいに玉が来て倒れるまで永遠に立ってればあ? 君らには、それがお似合いなんじゃないかなあ?」

 

 

 どんどんと苛立たしげに足を踏みならしながら、彼は足早に去って行く。

 その言葉で、みんなは少しずつ再び動き始める。顔を見合わせて意を決するかのように……。

 

「くそ、あのタヌキ野郎に言われるとムカつく……あいつだけでも、煮て焼いて食ってやる……ついでに、呼び出したヤツも安眠妨害でぶち抜いてやる……!」

「そうですね。ここに立ち止まっていてもどうしようもありません……それに、あの放送の声。なんて不潔極まりない。私がぴっかぴかのきっらきらにしてやります」

 

 黒生寺と白河もその後に続いていく。

 なんだか、どっちも趣旨がずれているみたいだけどな……。

 

 

「お、おい、七島……俺らも行こう」

 

 

 萩野の声とともに、力強く歩む者。おろおろと弱弱しい足取りの者。

 それぞれ足音は異なるが、進むべき方向は一緒だった。

 体育館、そこになにかがあると信じて俺たちは歩き始めた……。

 

 

 

 

 体育館の扉を開き、まずは、ぐるりと辺りを見回す。

 広々とした体育館には、誰かが遊んでいたのか。無造作にボールが転がっている。

 ステージには学園長や生徒会長しか立てないであろう、無人の演説台があった。

 

 

「ええと、集まったのはいいのでございますが……」

「ダレもいないってカンジじゃん?」

 

 それぞれみんなが疑問や不安の声を漏らしながら、キョロキョロと首を動かしたり、俯いていたりした。

 

 

 

 

『あー、みんな集まった? それじゃあ、始めるね!』

 

 

 

 

 そして、それはまたもや、唐突に始まった。

 さきほどのアナウンスの声が、今度は直接、体育館の中に鳴り響く。

 頭の中で不穏なドラムロールが打ち鳴らされる。

 そして、ぴょいんという擬音と共に演説台に表れたのは……。

 

 俺はこの光景を、一生忘れられないだろう。

 いや忘れようと思っても無理だろう。

 

 

 

 演説台には『クマのぬいぐるみ』が座っていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

『やあ、みんな! ボクは“マナクマ”! この学園の学園長なのだ!』

 

 

 

 

 

 

 ……マナ、クマ?

 

 

 

 

『よろしくっす』

 

 みんな、その状況に釘づけになっていた。

 

 呆然? 唖然?

 

 この状況を説明しなければならない時、どのような言葉が似合うのだろうか?

 

 

『…………あれ? あれあれあれ? おっかしいなー。ここで、みんなが喋った! 動いた! デカルチャー! って、わめくことに、優越感を覚えるはずだったんだけどな。あーあ、最近の子は現実とフィクションの区別がつかないのかね……まっ、下手なリアクション芸人みたいな驚き方をされるのも、最近飽きましたからね! これはこれでアリってことで』

「そんなことより質問に答えろ! お前は何者だ!」

『だから何者って、ボクは“マナクマ”! この学園の学園長なのでーす!』

 

 『マナクマ』、だって?

 その姿をよく凝視してみる。右半分は黒い体に“水色の瞳”。口元には白く不気味なほど整然と並んだ歯を剥き出しにしている。そして、左半分は白い体に黒い瞳。良心的なホッキョクグマそのものだ。

 

 ……いったい、なんなんだ、これは?

 

 これを知っている。でも、なにかが違う――緊張感が奇妙に捻じれていく。

 なんなんだ、こいつは?

 ぽっかりと穴が欠けたような歯がゆさ……自分の背中に一筋の汗が流れる。

 

『さてと。くだらない茶番はこのぐらいにして。まずは、みなさま。ご卒業おめでとうございまーす!』

「あっ、ありがとうございますでございます!」

「ははっ、別にあいつの言うこと聞かなくていいんじゃないかな?」

 

 丁寧にお辞儀を返した角に対して、井伏がやんわりとツッコミを入れる。

 

『心からお祝いと御礼を申し上げちゃいます。しかし、この長くて短い学園生活を送ってきたみなさんに、ボクからある疑問を投げかけたいと思います。卒業にあたって、希望はありますか? ああ、気になるあの子にラブアタック! ああ、Hey Hey 学園天国! そんな毎日が卒業までに送れましたか? どうでしょうかね? いかがでしょうかね? 自分は何者かを考え続け、超高校級の哲学家として過ごしませんでしたか? やりたいことをいざやろうとしても、別のことが積み上げられて、ああんもう、いまやろうと思ったのに! なんてことありませんでしたか? あんなこといいな、できたらいいな。なんて思いながらも、結局、机のひきだしから、時をかけてきたタヌキ型ロボットがやって来るのを待ち続けてませんでしたか?』

「おい、そのネタはいいのか……」

 

 黒生寺が寝起きの鋭い目つきのまま吐き捨てた。

 お前が言えたことでもないような気がするが……今はツッコむ気力がなかった。

 

『青春は一度きりなんだから……と偉い人はよく言いますよね。本当かしらね、奥さん。でも、ご安心ください! そんなオマエラに、ボクからサプライズプレゼントです! なんと、“もう一度、学園生活を送る権利”をオマエラに与えちゃいましょう! しかも、目先の生徒を給料と見立てて働いている教師などいない! たった1年早く生まれてきただけの、平社員にえばりちらす係長のような先輩もいない! そんな素晴らしい新たな学園生活をボクはオマエラに提供したいと思います』

 

 もう一度、“学園生活を送る権利”?

 明日は、寂しいけど、学園や友に別れを告げて新たな道へと旅立つ。そんな日だというのに。

 頭がちりちりと焼けるように熱くなる。

 

 いったい、こいつは、なにを言っているんだ?

 

 

 

 

 

『というわけで、今日からはオマエラだけで、この学園での共同生活を“永遠に”送ってもらっちゃいまーす! 期限はありませーん! 一生、学生のまま残ってもらいまーす!』

 

 

 

 

 

 は……。

 

 

 

「はぁ!?」

 

 

 

 咄嗟に、出てきたのは俺の困惑と疑念の声だった。

 

『いやあ、ボクってなんて優しいんだろう! 動物園でうっかり飼育員のお兄さんを殺っちゃった頃とは大違いだね!』

「い、いや、待てよ……おめー、どういうことだって……?!」

『そうそう、オマエラだけとは言ったけど、食料は万全に確保しているから飢え死にの心配はございません! 設備も予算もばっちりだし……』

「だっ、だからっ! 話聞けっつーてんだろうが!!」

 

 萩野が焦燥感を混じらせた怒声で遮った。

 

「なにを言っているのか意味が理解できません……私たちはこれから卒業するのですよ?」

「そーなのだ! あたしは卒業したらプロのランナーになるのだ! こんなところにいたくないのだー!!」

「まじヤバじゃね? うちも、新しいブランドの計画をプロデューサーとしてたんだけど!?」

 

 白河、大豊、真田と、それぞれが不満や焦りを露わにする。

 同じく、周囲のざわめきがどんどんと大きくなる。

 

「そ、そうよ……私だって……これで、『ただの図書委員じゃないか』っていう嘲笑から逃れて、本当に司書になるんだから……!」

「むむむ、吾輩も論文がやまほど溜まっていて、それを仕上げなければならないというのにな……! まあ、それは原稿用紙と鉛筆さえあれば事足りるがな!」

 

 切羽詰まっているのかよくわからない意見も飛び出してきたが……。

 

 永遠の学園生活? 一生、出られない?

 頭の中に半紙が置かれる。真っ白だ。墨だけがどんどん半紙に零れていく。

 完全な混乱が頭をぐるぐると掻き乱す。

 

「まあ、君らはともかくとしてさあ。僕はこれから海外での仕事が詰まっているんだけど? 帰してもらえないと困るなあ」

「黙れクソタヌキ。お前のくだらん手品なんてどうでもいい……」

「あれえ? なにほざいてんの? BB弾しか持ってないくせに、この超高校級のゴキブリ子憎?」

「誰だそれ……」

「わからないなんて、やっぱり原生生物だねえ。黒い服着てればカッコいいとでも思ってんのかなあ? それで、BB弾を打ったら、もはや産卵だよねえ。って言うかさ、ガンマンって進路決まってんの?」

「てめえのぶっといミミズ唇をぶち抜いてやろうか……」

 

 ゆらりと黒生寺がBB弾銃を手にとって、挑発的な十和田にゾンビのように歩み寄る。

 なんか、議論が脱線していないか? これもある意味、混乱なのか?

 どちらにせよ、頭の考えがうまくまとまらない。

 まとめようとしても、どんどんと文字が脳から零れていく。

 

 

『こら! Vシネマじゃないんだから汚い口喧嘩はやめんしゃーい! それにしても、これが非難轟々ってやつですかね? おーこわいねー。でも、想定内だからいいんですけど。まあ、オマエラの中には、青春エンジョイできたっていう、稀な奴らもいるかもしれないからね。それでは、確かに不公平ですね。なので! ボクから、さらに学園に出られる“条件”を設けさせていただきました!』

 

 

 条件――だって?

 

 卒業試験、進路を決めてようやく羽ばたこうとしていた翼が音をたてて割れていく。

 

 

『それが“卒業”というルール! ボクってば、ルールにはいろいろと拘りがあってね。ほら。それが手相にもバッチリ表れてるでしょ?』

「よ、よく見えないのでございます……」

「そんなことはどうでもいいのよ! それで“卒業”はどうしたらできるの?」

 

 紅が苛立たしげに尋ねる。

 彼女も指揮者として、一流にふさわしい道を歩むはずだ。

 そんな彼女も、今は指揮する楽曲が不協和音になっているかのように顔をしかめている。

 

 

『そんなに生き急ぎ過ぎないの。ボクのいう“卒業”というのは本来、学園生活という秩序を乱すものとして、設けられた一つのルールなんだよね』

「その、秩序を乱す、というのは……?」

 

 天馬が尋ねる。

 それは恐る恐るではなく、静かに問いただす姿勢だった。

 

 

 

 

 

『うぷぷぷ、待ってました。それはね、“人が人を殺す”ことだよ』

 

 

 

 

 

 人が 人を 殺す。

 

 

 マナクマの不快な声が脳の中で反響する。

 

 

「こ、殺す……?」

 

 

 俺の動揺は咄嗟に口からも発せられていた。

 

 

『その通り。刺殺、殴殺はありきたりだけど、撲殺斬殺絞殺焼殺毒殺圧殺抹殺呪殺……殺し方は多種多様だよ。誰かを殺せば、殺した者が学園から出られる。ねっ、簡単でしょ? ツキノワグマにでもできちゃうでしょ? これがボクの言う“コロシアイ青春生活”ってやつなのです!』

「は……ははっ……え、えっと……? さっきからなに言ってるのかな? 冗談だよね? これって夢……だよね?」

「う、うそじゃなかったらなんだっていうのよ……! 本じゃあるまいし……!」

「こんなのお芝居に決まってるわ! ね、ねえ、ドッキリかなにかでしょ?」

 

 井伏はひとりごとのように呟き、錦織は蚊の鳴くような涙声で、藤沢は顔面蒼白のまま声をつまらせた。

 周囲を見渡しても。それは同じ表情だった。隣の萩野も。

 そして、もしかしたら……いや、もしかしなくても、俺も……。

 

『あのね、夢でも本でも芝居でもドッキリでもないっすよ。なんならゲームでもテレビ番組でもVRでもないんすよ。これ、現実っすよ。殺さなきゃ出られない。リアルガチっす』

「は、はむぅ!? なんで、あたしたちがそんなことしなきゃなんないの!? っていうか、卒業の資格も持っているのに!」

『それは、オマエラが過ごしてきた学園での話でしょ? ここでは違うよ。テストで100点取れたからってなんすか! 単位足りたからってなんすか! 先生にゴマすって進路決めたからってなんすか! いいですか? 卒業は、いかに殺れるかが重要なのです!』

「いいかげんにしろっつーのアンタ! マジでキレる3秒前なんだけど!」

『あンもう、これだからギャルはうるさいなあ。いいわけは無用! とはいっても、口暴力はわりとよかったりして。でも、ルールはルールなの! 上から読んでも、下から読んでもルールなの!』

「……殺す、だけですか?」

 

 動揺を隠しきれてない大豊や真田を傍目に、静かに口火を切ったのは――白河だった。

 恐る恐るだが、その目の奥には鈍い光が見え隠れしていた。

 

『はにゃ?』

「たしかに。殺すだけで出られたら、ちょっと甘すぎるよねえ」

 

 十和田もそれに便乗してきた。

 どこに目玉があるか分からなくなるほど細い目でマナクマを睨みつけた。

 

 

『うぷぷぷ、そうだよねえ。まあ、当たり前の鋭さですよねえ。もちろん、事件が起きたらお約束! “学級裁判”! これ基本ですよね!』

「学級、裁判……」

 

 天馬がぽつりと呟く。

 学級裁判――それは初めて聞く言葉ではなかった。

 

 

『そうだよ。まず、被害者が殺された後に……』

「生き残りの生徒たちを集め、学級裁判を行う」

『およよ?』

 

 マナクマの言葉を遮ったのは、四月一日だった。

 

 

「学級裁判では、被害者を殺した犯人――いわば“クロ”が誰かを議論することが目的である。我々が議論を重ね、“投票”でクロを指摘する。正しいクロを指摘すれば、クロが処刑されて、学園生活を続行する。しかし、間違ったクロを指摘すれば、クロ以外の全員が処刑をされて、残ったクロだけが、卒業できる……そういうルールを言いたいんだろう?」

 

 

 四月一日は、暗記しているかの如く、淀みなく答えた。

 なにもかもが完璧な“答え”であった。

 

『ちょっとちょっと、やめてよね! 当たってるけど、やめてよね! せっかくのセリフを取らないでよね! ドヤ顔やめてよね! ンもう。萎えるなあ……』

 

 マナクマがわなわなと体を震えさせる。

 威嚇のつもりか、青い瞳をぎらりと光らせて、爪を剥き出しにした。

 

「しかし、これでわかっただろう! 吾輩たちは、この『コロシアイ』について重々理解しているのだぞ」

「そうよ。人が人を殺すなんて私たちはしないのよ。あの『事件』を私たちは何度も学んでいるのだから」

 

 円居と紅がマナクマを見据える。

 そうだ、そうじゃないか……俺たちは屈しない。

 いいや、屈する理由はない。初めてではない、取り乱すことではない。

 四月一日たちの断言が、俺たちに自信を取り戻させる。

 

 

 

『……ジュージューリカイしてる? ナンドもマナんでいる?』

 

 

 

 低い声がマナクマから発せられた。

 それは現実を押し付けるかのような口ぶり。希望を絶望の弾丸で打ち砕くような無機質で機械的な言葉。

 直前にはっきりと言い切った、円居と紅が身じろぎするほどだった。

 

 

 

『……はいはい、ボクも理解してますよ。学んでますよ。そんな口うるさく知ってた知ってたなんて言うのも知ってましたから。でも、オマエラの言う、“知ってた”って本当に知ってるの? ゲームを買って、実際にプレイして知るのと、だれかがプレイしているのを見て、ゲームの内容を知るのは全然違いますよ? オマエラがいくら資料で、“コロシアイ”を知ってるって言ってもさ、知ってたからなに? それで? 資料だけ見て、苦しかったとか、絶望的、こんなことは二度とあってはいけない……だなんてどんなに顔を歪ませて言っても、結局、その感情ってウソだよね。だって、実際のコロシアイなんて、オマエラ体験したことないじゃん! ぬくぬくと平和に生活して、血をドバドバ撒き散らすハードなケンカすらしたことないオマエラに、本当のコロシアイの絶望なんて、本気でわかってるのかな?』

 

 

 マナクマの青い瞳がさらに濃くなっている。

 ほの暗い、光もない深海を思わせる黒々とした藍色だ。

 見ていると、こちらまで引きずり込まれるかのような錯覚に陥る。

 

 絶望の色――それが、俺たちの心を冷たく突き刺した。

 

 

 

 

「もういい、どけっ!」

 

 

 

 

 そんな中、もう一つの低い声が体育館に響き渡る。

 

 

「お、おい、萩野!?」

 

 萩野が俺を押しのけて、ずかずかと体育館の床を踏み鳴らす。

 マナクマの目の前に立ち、頭上からメンチを切った。

 

「さっきからワケわかんねえこと抜かしやがって。おめーは何者だ? 今の俺の状態、分かるか? 堪忍袋の緒が切れたっていうんだよ」

『かんにんぶくろって、どこのふくろのことー? 何個ある? 2つあるの? ……って、こらー! 下ネタはやめなさーい!』

「俺の前でふざけてんじゃねえええええええ!!!」

 

 俺が瞬きをする間に、足を踏み出した萩野が右手でマナクマを掴みあげていた。

 マナクマは手足を大きくじたばたと高速に振っている。

 

『ひゃー!? やーめーてー!』

「リング外だが、今回はベツだ! どこのクマだか知らんが、この手でブッとばしてやっからな?!」

『ぎゃー! 学園長への暴力は校則違反だってばー!』

 

 マナクマの言葉が吐き出されるや否や、隣にいた天馬が息を飲みこむ。

 突然マナクマがばたばたしていた手足を止めて、ぴたっと黙り始めた。

 

 

 まさか……!?

 

 

「お、おい、萩野!! それを降ろせ! 早くっ!」

 

 

 血走った瞳の獰猛な輝きは消え、萩野の瞳孔が理性で開く。

 音が。ぴこ、ぴこ、ぴこ。加速する。ぴこぴこぴこぴこ………カウントが早くなる。

 萩野の持っている手が震え、顔がどんどんと青ざめていくのが明らかだった。

 まずい! このままだと……!!

 

 

「もう頭上でいいっ!! 投げろっ!!!」

 

 

 四月一日が今までにない怒号を張り上げる。

 萩野は頭上に大きくマナクマを持ち上げると右手でマナクマを放り投げる。

 空中に投げたことにより、マナクマが天井の照明を日食の如く覆い隠した。

 

 

「――! 伏せろっ!」

 

 円居が叫んだと同時に、一斉に全員が腰をかがめる。

 

 

 

 

 

 ――――っ!!

 

 

 

 

 

 至近距離の打ち上げ花火を思わせる爆発音が体育館中に広がり、床が小刻みに揺れる。

 火薬の匂いと共に、ばらばらとマナクマの破片の雨が降り注いだ。硝煙が蜘蛛の子を散らすかのように広がっていく。

 ……頬が熱い。粉々に砕かれた破片が頬に触れて、鋭く切りつけたのだ。頬から生温かい血が流れる。

 ずっと「恐ろしい世界だ。体験したくない」と恐れていたことが、今になって、現実となって降りかかってきた。

 

「ちょ、ちょっと、マジで爆破しちゃったワケ……!? あ、あれにまともに当たってたら、うちら、死んでたとか、ないよね……!?」

「全員ハンカチか袖で口と鼻をふさげっ! 煙を吸い込むな!」

『失礼だなあ!』

 

 四月一日の喚起と共に、あの忌々しい声が被さる。

 マナクマがどこからともなく飛び出してくる。やはり量産型なのか!?

 

『有害物質は発してませんよ。リサイクルもできる環境には優しいクマとして超有名なんだけど、ご存知ないのですか? それにしても、おいたが激しいなオマエ。今回は大目に見てあげるけど、次はただじゃおかないからね。もはや絶滅危惧種のお尻ぺんぺんっていう甘い体罰もしないんだからね! もちろん、“オシオキ”に関してもテッテーテキにしぼってやるんだからね!』

 

 そう言って、またギロリと青い瞳が鈍く光る。

 逃げられない。逆らえない。ということか……

 

『あ、そうだ、学園生活を送るにあたってオマエラにプレゼントだよ。じゃじゃーん、“マナクマ電子生徒手帳”~』

 

 マナクマはメロディーをつけながら言って、あるものを取りだした。

 小さな手に握られているのは、カード状の電子生徒手帳だった……それには見覚えがある。

 

「それは芙容たちの“電子生徒手帳”でございますか? よく似ていらしゃいますでございます」

 

 そうだ。まさしくそれだ。

 俺は思わずポケットの中から、自分の電子生徒手帳を取り出していた。

 

『違うよ! そんなオンボロと一緒にされちゃ困るなあ』

「オンボロだって!? かなりの高性能じゃないか! 母国を悪く言うつもりはないけど、日本の技術は素晴らしいって再確認させられた逸品だよ!』

『そうは言っても国産のものって少ないから、ぶっちゃけ……おっと、さすがにお国の諸問題に触れるのはクマらしくないよね。なんにせよ、それ、ぶっこわれてない?』

 

 ……え?

 

 俺はズボンのポケットから取り出した電子生徒手帳を開く。

 ボタンを押してみたが、真っ暗なままだ。

 起動しない……! さっきまで使えていたはずだ!

 何度もボタンを強く押してみたが、うんともすんとも言わない。

 

 マナクマの言葉を聞いた周りも慌てて胸ポケットや、鞄から生徒手帳を取り出す。

 結果は、青ざめる者。口を半開きにする者。顔をしかめる者。それを見ているだけで明らかだった。

 

『脆く儚い生徒手帳ですな。それに比べてマナクマ電子生徒手帳は、ゾウが100匹乗っても大丈夫だよ! まあ、100匹も乗れる大きさではないんですけどね。今後の学園生活をまっとうするには必須だからなくさないように。はいはい、配りますよー。押さないでねー』

 

 四月一日が、不服そうな顔をしていたが、床を踏み鳴らしながら真っ先にマナクマの手から電子生徒手帳を掴み取った。

 俺も、他のみんなも急いでマナクマの手から奪う。

 

『中を開いたら、ちゃんと最初に自分の名前が出るか確認してね!』

 

 マナクマからの電子生徒手帳を開く。

 使い方は、今までのものと一緒のようだ。

 起動すると、『七島竜之介』と自分の名前が表示された。

 

『うん、オッケーみたいっすね! まっ、雑な扱いでは壊れませんので、テキトーに使っちゃってくださーい。そうそう、オマエラの“寄宿舎”だけど、あれって無駄に大きくね? だから、範囲を狭くして、強制お引っ越しさせちゃいました! ドアに張ってある自分の名前プレートを確認して、その部屋でお休みください……あ、非難する前に言わせてね。私物はなにもいじってないよ。破壊、紛失は一切ないと断言いたしますので、ご確認を……部屋のレイアウトや家具、ベッドの下にあったエロ本も忠実にコピペしといたからさ』

「な、なん……だと……!?」

「ねえ、五郎ちゃん……それは、どういう意味で驚いてるの?」

 

 黒生寺の驚愕に、藤沢がひきつった笑みで呟いた。

 

 

 

『いやあ、ボクってやっぱり優しいね! クマ界のキンパチ先生だね! 卒業したら生徒たちに、河原で「マナクマ先生!」って胴上げされそうなぐらい慈悲深いね! と言うわけで、オマエラ、清く正しい青春生活をお送りください! 希望ヶ峰サイコー! と盛りあがちゃってください! もちろん、ハメはほどほどに外さないようにね。そんじゃ、バイなら! うぷぷぷ!』

 

 

 

 不快な笑い声と共に、マナクマはぴょんという擬音と共に瞬く間に、跡形もなく消えてしまった

 

 

 

 

 

 マナクマが消えてから、しばらく、みんな押し黙ったままだった。

 それぞれが歩んできた道はそれぞれ違う。

 だけど、それぞれが『後もう少し』と手を伸ばした時に、みんなして深い落とし穴にはまったかのような……そんな絶望が漂っていた。

 

 いいや、今はそれよりも。

 隣の萩野が歯をギリリと食いしばっていたが……すぐさま頭を勢いよく下げた。

 

「す、すまねえ、悪かった!!」

「愚か者がっ!! 『もしも』の際の対処法は今まで習ってきただろう! どんなに理不尽だとしても、絶対にそのような者に手を出すなと!」

 

 真っ赤な顔の四月一日が怒号を響かせた。

 萩野はちょっと気が短い行動をしてしまったが、頭ごなしに友人が責められているとなんだか見ていて、こちらも居た堪れない。

 

「そ、その、萩野も反省しているんだ……あんまり責めないでくれないか?」

「……今回は最悪の事態は免れたから反省だけで見逃そう。しかし、今度こんなことを起こしたら、私もお前を軽蔑せざるをえないぞ」

「びっくりしたけど、でも……すごかったな。だって、みんなの気持ちを代弁してくれたわけじゃない? 聞いていてスッとしたよ。ははっ……俺なんか、なんにも言えなかったからさ」

 

 サンバイザーを直しながら、井伏が力なく笑いかけた。

 ようやくながら、萩野の表情は緩んだ。

 もう少し、俺もこういう気遣いができるようになりたいものだ……。

 

「ふん、だからって英雄としておだてるのもナシよ……あわや全員死ぬところだったじゃない……!」

「ほんと、褒められたことじゃないのにねえ。チンピラってやっぱり当たってんじゃん」

 

 錦織と十和田が皮肉をかぶせてきて、また萩野が弱った表情になる。

 傷口に塩を塗るというのは、まさにこのようなことを言うのだろう。

 

 

「やめろ。そのような糾弾より、今はやるべきことがある。改めて状況を確認しなければならないんだ。もう、みんな、分かっているのだろう。この状況が、“なにに酷似しているか”ということを」

 

 

 四月一日がゆっくりとそう言った。

 さきほどまで、騒がしかった奴らですら押し黙ってしまった。

 無理もないだろう、俺も言うのは怖くなってしまう。

 ましてや、それを思うことすら拒みたくなる。

 その現実を認めたくないからだ。

 

 

 

『超高校級の絶望によるコロシアイ学園生活』

 

 

 

 ぽつりと言ったのは、天馬だった。

 誰かの舌打ちが聞こえた……萩野だったのだろうか。しかし、今は気にも留められない。

 

「『超高校級の絶望』が学園、いいや……人類を追い詰めた。そして世界に残った僅かな希望を打ち砕くために、希望ヶ峰学園の生徒たちを隔離して、殺し合いをさせた巨悪の事件。まさにその通りだ」

 

 呼吸が荒くなる。必死に抑えようとしても、なかなか止まらない。

 ああ……どうしてなんだ。

 恐怖と動揺が、一気に脳みそに注ぎ込まれる。

 

 俺たちは特別授業の一環として様々なことを習ってきた。

 才能、哲学、存在意義、デモの歴史と対処法、殺人心理……。

 そして、もっとも多く時間をあてられた授業は『希望ヶ峰学園の絶望の歴史』

 

 かつて、希望ヶ峰学園が閉校に追い込まれたのには、他でもない。

 世界にもまつわる、おぞましい歴史があったのだ。

 それは、“超高校級の絶望”と呼ばれる才能の入学が、最大の原因だった。

 意味も主義も主張もない理不尽な絶望――“超高校級の絶望”は、学園内に絶望をまき散らした。学園内でデモが勃発するだけでなく、“絶望”を崇拝するかのように洗脳されていく者たちも増える。

 学園内の絶望は、日本、さらに世界へ飛躍して、混沌なる絶望の世界へと至ってしまったという地球上の最悪の歴史。多くの人が絶望し、多くの人が死んでいったという事実。

 

 そして、残った希望を、完全に潰すべく行われたのが“コロシアイ学園生活”だった。

 あるときは、学園生活を中継して、世界に絶望を与え、またあるときは、かつて絶望していた者たちを、再び絶望させるために。

 その“コロシアイ学園生活”で、生き延びた生徒たちによって、世界の絶望は少しずつ減り続けて今の平和に繋がっていた。そして、学園長は“絶望の歴史”の風化を止めるため、授業として、何度もその脅威を警告として、あるいは、悼みや弔いとして、全校生徒に教えてくれた。その恐ろしさは、俺の中でも資料で脳裏に残り続けていた。

 

 

 だけど、俺たちは……。

 

 それを「知っていただけ」なんだ。「理解していただけ」なんだ。

 「その光景」を目の当たりなんかしてないのだから……

 

 

「まさか! そんなことってありえないわ! だって……ずっと昔のことで終息したって……!」

 

 藤沢が口に手を当てている。

 顔は演技とは思えないほど、真っ青で血の気がないように思えた。

 

 

「ぼ、ぼくは認めたくないよ……なんで、今になってそんなことが始まるんだよ!? その絶望も潰して世界も平和になったんだろ!? おかしいって、ありえないって!」

 

 

 ヒステリックな声をあげながら、ランティーユが金色の髪を振るい乱す。

 だれも「落ちつけ」とは咎められなかった。

 そうしたい気持ちは、俺らも同じだったからだ……。

 

 

「しかし、それは、吾輩たちがそう思っていただけなのかもしれないな! この世界はカルメ焼きのように甘くない。完全に絶望が消えた世界などないのだ。絶望があれば希望が現れ、希望があれば絶望が現れる。その連鎖は終わることはない……学園長も、そう言っていただろう?」

 

 

 白衣の肩についた埃を払いながら円居が語る。

 至って冷静ではあるけど……少し声が上ずっているようにも聞こえる。

 

 

「でも、おかしいんだ」

 

 

 四月一日は一気に声のトーンを落とした。

 

「あ、当たり前よ……!! こ、こんなの、なにがなんでもおかしすぎるじゃない……!」

「ああ、なにもかもがおかしい。しかし、置かれた状況を、もう少し考えてくれ。この状況は似ているけど、違うところもあるんだ。思い出してほしい。かつてのコロシアイ学園生活では、全員同じクラスメイトと資料の中で語られていた。だけど、何故、ここにはほとんど別のクラスの人達が集まった? そして、私たち以外の生徒たちはどうなった?」

 

 考えたくないものが次々と詰め込まれていく。

 希望ヶ峰学園は生徒数にムラがある。

 それは、農業のように、多く収穫できれば、なかなか実らない年もある。俺たちの95期生は豊作だったといえよう。1クラスあたり、15人程度が、約20セット。かなりの大人数になったと言える。旧校舎の改築や、寄宿舎の増築、新校舎の設置も行われ、学園の活性化の年と言われたぐらいだ。

 

「言われてみれば、マカフシギでございます……芙蓉のお友だちはどちらにいらっしゃるのでございますでしょうか?」

「むむぅ、そうなのだ……なんで、あたしたちだけなの? あたしのクラスの超高校級のヒールレスラーとか、いたら絶対頼りがいあるのに!」

「ウ―ララ!? そんなのもいるの? 改めてこの学園ってムチャクチャじゃないかい!?」

 

 ランティーユが変なところで反応をした。もう完全に彼は困惑しきっているようだ。

 だけど、それをツッコむことができる余力は俺どころか、みんなも無かったようだ。

 

 

「……マナクマだってそうね。私たちが資料で見てきたのは、白黒だけど“赤い瞳”の『モノクマ』よ。関連性はあるのかしら?」

 

 

 紅の言葉を聞いて、モヤモヤしていた正体がわかった。

 そうだ、さきほどの違和感はそこにあったのだ。

 

 モノクマとマナクマ。

 

 不快なところは似ているが、どこか違う。

 もしかして、これらは絶望の組織とは無関係なのか?

 たんなる愉快犯なのか? でも、愉快犯でここまでできるのか? それに何故、俺らを閉じ込める?

 頭の中では、モノクマとマナクマが、二体とも、薄気味悪く笑っていた。

 

 

 

「その問題は追々考えよう。それよりも、もっと大切なことがある。みんな肝に銘じてくれ。今の私たちが最も警戒しなければならないものがあるんだ」

 

 

 

 四月一日は一息ついて、体育館、そして彼女の周りに自然と円のように集まっていた生徒たちを見渡す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは、私たち自身だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 しん、と静寂が体育館の空気を張り詰めさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『卒業』を望む者。マナクマの話を信じる者。我々、16人の中で、コロシアイが起きるか否か。それが一番の問題点であって、我々が戦わなければならない最大の敵なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 舌が乾いていく。

 脳にちゃんと酸素が行き届かない

 コロシアイ。血で彩られた学園。絶望の歴史。

 映像や写真での世界が、現実へと変わっていく。

 

 

 卒業式の前日。

 それは終わりへと向かう日ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは始まり。新たな学園生活。

 

 

 

 

 

 

 絶望の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロローグ 開会 絶望卒業式 完

 

 

 

 

 

 

イキノコリ:16

 

 

 

 

『絶望コサージュ』を手に入れた!

 マナクマお手製のマリーゴールドのコサージュ。

 卒業が絶たれた生徒たちのために贈られた。

 鮮やかな黄金の大輪は仮初の太陽のよう。

 

 

 

 

 

To be continued……

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キャラ紹介
キャラ説明


【男子生徒一覧】

 

【挿絵表示】

 

 

【女子生徒一覧】

 

【挿絵表示】

 

 

 

額縁の画竜は瞼になにを描けるか

◆ 七島 竜之介(ナナシマ リュウノスケ)

才能:超高校級の書道家

身長:175cm

体重:65kg

胸囲:82cm

誕生日:5月5日

血液型:B

好き:スペアリブ

苦手:レバー

ICV:斎i賀iみiつiき

外見:黒髪で肩につくかつかないかぐらいの長さ

   薄汚れたYシャツと黒いズボン。主人公特有のアンテナ(アホ毛)は細い葉っぱのような形

 

 主人公。小学校の頃から書道に精通している男子生徒。

 当初はスカウトされていなかったが、入学予定の書道家が辞退したことで補欠として入学。そのため『超高校級の幸運』と学園内では噂され、自信が持てない3年間を送った。

 普段はおとなしく物静かで、そんな弱い自分を嫌っている。

 一方で弱いと自覚しているためか「役に立ちたい」「なにもできない自分は嫌だ」という思いが人一倍強く、悩みながらも仲間のことを真摯に思って行動している。いわゆるおひとよし。

 好きな書家は『最澄』

 

【口調】

一人称:俺

二人称:お前/男女共通:苗字呼び捨て

口調:典型的な男子口調「~だ」、「~なのか?」など

   発言は控えめ。字の文で喋ることのほうが多い

 

【サンプル台詞】

「止めが甘いぞ!」

「そろそろ卒業だと思って気を抜いてたから、長いことランドリーに行ってなくて……だな……」

「だっ、だからなんなんだよ、それ! アンテナってなんだよ! パラボナか? バーなのか!?」

 

 

 

眩しい栄光は色濃い影を落とすだけ

◆ 萩野 健(ハギノ ケン)

才能:超高校級のボクサー

身長:178cm

体重:69㎏

胸囲:88cm

誕生日:12月14日

血液型:O

好き:ナッツ類

苦手:マッシュルーム

ICV:木i村i良i平

外見:茶色の短髪に黄色の王冠風のメッシュ

   筋肉質で黄色のパーカー着用。パーカーのポケットは赤いボクサーグローブ型

 

 七島のクラスメイトであり親友。

 ケンカを繰り返す問題児であったが、元ボクサーの飲んだくれオーナーに腕を見込まれ、ボクシングに打ちこみ、数年でチャンピオンに君臨。その経歴と無敗の強さで、『奇跡の王者』と称えられている。

 体が弱く内向的な七島とは正反対で力強く社交的。

 乱暴な言動は健在だが、面倒見とノリが良い典型的なアニキ肌。

 好きなボクシングの技は『ジョルトブロー』

 

【口調】

一人称:俺

二人称:おめー、お前/男女共通:苗字呼び捨て

口調:「~だろーが!」と「~じゃねーか?」という強くて粗雑な口調多め

   殺伐したものではなく、ノリが軽い台詞回し

 

【サンプル台詞】

「みくびんじゃねえぞ!」

「あ、そうだ、スクワット200回して負けたほうが、おごりとかどうよ?」

「リング外だが、今回はベツだ! どこのクマだか知らんが、この手でブッとばしてやっからな?!」

 

 

 

硝子玉はこの世を真に映さず

◆ ランティーユ・クレール

才能:超高校級の鑑定士

身長:156cm

体重:54㎏

胸囲:70cm

誕生日:11月11日

血液型:A

好き:自分より背が小さい女の子

苦手:納豆

ICV:宮i野i真i守

外見:金髪マッシュルームヘア

   灰色ブレザー着用で白い手袋とモノクル(怪盗がつけていそうな一つメガネ)

 

 フランスからの交換留学生。

 目、耳、鼻すべての五感が人一倍に敏感で、壺や絵画などの多くの骨董品に対して膨大な知識を蓄え、価値を見極めている。

 普段は陽気でおしゃべりだが、おばけや血にすぐ泣いてしまうほどのヘタレ。

 一方で鑑定士としてのプライドは高く、物事の真偽に対しては手厳しく妥協を許さない。

 自分より小さい子が大好き。大豊のことを「マドモアゼル」と恋い慕い追い回す変態紳士。

 好きな宝石は『ホワイトトパーズ』

 

【口調】

一人称:ぼく

二人称:君/男子:ムッシュ+苗字  大豊以外の女子:マダム+苗字  大豊:マドモアゼル

口調:「~なんだ」「~なのかい」という大人びた少年口調

   「ウィ」とか「ウーララ!?」というフランス語も混じる

 

【サンプル台詞】

「君を鑑定させてもらうよ!」

「幼い少女こそが、この世の森羅万象にも及ばない世界最大の秘宝だということを理解していないというのかい!」

「“硬くて入らなかった”……? マドモアゼル! も、もっと大きな声でもう一度言ってくれないかな!?」

 

 

 

消毒は時に死に至る劇薬

◆ 白河 海里(シラカワ カイリ)

才能:超高校級の清掃委員

身長:170cm

体重:59㎏

胸囲:77cm

誕生日:8月23日

血液型:A

好き:ミント

苦手:ガム

ICV:平i川i大i輔

外見:色白で色素が薄いショートヘア

   水色と白のストライプTシャツと青いエプロンを着用

 

 あらゆる廃墟を虫一匹いない建物に、溝川を蛍の住める川に戻すという清掃のエキスパート。若くして大人数を動かすという先導力も注目されている。

 常に丁寧な言葉づかいで、冷戦沈着な性格。

 洞察力も鋭く、細かいことにすぐ気づくことができる。

 暴力や殺人を『この世で最も汚らわしい行為』と軽蔑している。潔癖な思考が暴走するがあまり、たまに空気が凍るような正論を言ってしまうことも……

 七島の汚れたYシャツを目の敵にしていて、事あるごとに洗おうと目を血走らせる。

 好きな掃除グッズは『水切りモップ』

 

【口調】

一人称:私

二人称:あなた/男女共通:(苗字)さん

口調:一般的な控えめ敬語。時々シビアな言葉を投げる

   七島の書道で汚れた汚いYシャツを見ると「脱げ」と言った命令口調になることも

 

【サンプル台詞】

「その汚れ、落とさせていただきます」

「なんて不潔極まりない。私がぴっかぴかのきっらきらにしてやります」

「汚らわしいのは、あなたがたに似た“殺人者”のほうでしょう」

 

 

 

 

井の中の蛙、太陽の下で干乾びる

◆ 井伏 歩夢(イブセ アユム)

才能:超高校級のアルピニスト

身長:164cm

体重:56㎏

胸囲:84cm

誕生日:10月3日

血液型:O

好き:マーマレード

苦手:身内の話

ICV:岡i本i信i彦

外見:ふわふわした茶髪。緑のサンバイザー着用

   Tシャツは緑地に月の絵がプリントしてある

   普段は青のリュックか、黒のボストンキャリーバッグを背負っている

 

 多くの山を独学で登り、最年少で最高峰を登りきった山岳家。旅行者としても名が知れて、バッグ1つで世界一周や前人未到のジャングルで野宿するサバイバーでもある。

 いつも笑顔で心優しい爽やかな好青年。

 本人も自覚している欠点は、見た目も性格も地味なこと。

 一見すると健康的だが内面はナイーブで思いつめやすいところも。

 好きな山脈は『南アルプス』

 

【口調】

一人称:俺

二人称:男子:(苗字)くん  女子:(苗字)さん

口調:「あははっ!」などと言った笑いが入りやすい

   基本的に楽観的で柔らかい口調。ちょっとした冗談も多め

 

【サンプル台詞】

「ちゃんちゃらおかしいよ!」

「あははっ、戦力外通告受けちゃったね、七島くん。じゃあ、このテーブルクロスは俺が運んどくねー」

「は……ははっ……え、えっと……? さっきからなに言ってるのかな? 冗談だよね? これって夢……だよね?」

 

 

 

眠れるアンタレスの焔よ戦火になれ

◆ 黒生寺 五郎(コクショウジ ゴロウ)

才能:超高校級のガンマン

身長:185cm

体重:79㎏

胸囲:95cm

誕生日:9月6日

血液型:不明

好き:昼寝

嫌い:高い場所

ICV:三i宅i健i太

外見:黒髪のオールバック。体顔ともにごつめで褐色肌

   全体的に黒っぽいガンマン服。ネクタイはボロボロ

ベルトには星型のバッジがワンポイントでつけてある

 

 銃器片手に戦場を駆け抜けた異国風のガンマン。拳銃以外にも火薬の扱いや、爆弾処理などもできると豪語している。

 屈強な体格と強面な顔立ちも相まって非常に近寄りがたいオーラを発している。

 寡黙的だが口を開けばぶっきらぼうで暴言が多く、一部の生徒たちからは要注意人物と睨まれている。

 マイペースで時間さえあれば大抵居眠りをしている。眠りにつくスピードは0.96秒……と言われているとか言われていないとか。

 好きな拳銃は『S&W M686』

 

【口調】

一人称:俺

二人称:てめえ、貴様/基本名前で呼ばない。男は外見特徴(Ex.白河は白いので“白野郎”)で呼び、女はアマと呼ぶ

口調:最後に三点リーダーの「……」がつきやすい

   言葉は簡潔で粗っぽい。冗談抜きの殺伐としたものがほとんど

 

【サンプル台詞】

「その幻想をぶち抜いてやろうか……!」

「……ぐう」

「ごちゃごちゃうるせえ……目玉ぶち抜いてやろうか……」

 

 

 

ジャックの心臓(ハート)に種も仕掛けもあらず

◆ 十和田 弥吉(トワダ ヤキチ)

才能:超高校級の手品師

身長:181cm

体重:123㎏

胸囲:115cm

誕生日:9月27日

血液型:AB

好き:どら焼き

嫌い:火

ICV:千i葉i進i歩

外見:2の十神体型の肥満体

   茶髪のかりあげっぽい謎髪型。花村と大和田と足して二で割ったような髪型

   黒とジャケットと赤いズボン。黒いシルクハットは小さいが収縮性が高い模様

 

 国内だけでなく海外で活躍する大々的なエンターテイナー。特にトランプマジックで右に出るものはおらず「タネも仕掛けもなく化かされた。まるで妖術のよう」と絶賛されている。

 ビジネスライクで仕事=金の現金な性格。金が発生しないことはやりたがらないめんどくさがり屋。

 常に人を小バカにすることしか考えていない毒舌家のトラブルメーカー。基本的に人のことを名前では呼ばず、悪意たっぷりのあだ名をつけてくる。

 いつもギンバトの『小竹』を肩に乗せていて、彼のことを可愛がっている。

 好きなカードマジックは『Do as I do』

 

【口調】

一人称:僕

二人称:君(時々お前、アンタ)/基本あだ名呼び 七島⇒ミドリムシくん、真田⇒厚化粧、錦織⇒根暗蛇女など

口調:「~だよねえ」「~なんだけどなあ」と言った間延び口調

   全体的に人を嘲るような発言が多数

 

【サンプル台詞】

「種明かしが必要みたいだねえ?」

「げえ。来たばかりのヤツに、文句言われる覚えはないけどなあ。よりによって知恵足らずの虫以下の生物に」

「へいへい、マジックしてほしいなら収入もちょうだいね」

 

 

 

 

泥濘から生まれた怪物未満、狂気異常

◆ 円居 京太郎(マドイ キョウタロウ)

才能:超高校級の科学部

身長:179cm

体重:67㎏

胸囲:85cm

誕生日:6月30日

血液型:O

好き:カルメ焼き

嫌い:ノンフィクション

ICV:稲i田i徹

外見:ライトグレーの癖毛でぼさぼさ髪

   眼鏡はほとんどの場合光っている。白衣着用。両手に包帯を巻いている

 

 科学の知識をもって生物兵器や新しい科学物質を作りあげ科学界を揺るがせる生徒。自他共に認める「マッドサイエンティスト」として有名。

 事あるごとに高笑いをする変人の鑑。

 その風貌に違わず、楽天家な性格で1で話しかけたら10で返ってくるほど多弁。

 一方で地頭がいいおかげか分析や状況把握には長けており、現状のまとめや観察に一役買っている。

 好きな化学式は『NaHCO3』

 

【口調】

一人称:吾輩

二人称:お前/男女共通:苗字呼び捨て

口調:「~だな!」「~なのだよ!」という元気、というかうるさい学者口調

   ふははは、と危ない笑い方が多い

 

【サンプル台詞】

「それは悪魔の証明だ!」

「ふははははっ、軽い、軽いぞ! 重力などものともしない!」

「ふふふ……やはり、科学者というものは疑われてなんぼだな。これだから、おもしろい!」

 

 

 

彼女の見上げるツキは星を照らすのか?

◆ 天馬 陽菜(テンマ ヒナ)

才能:超高校級の不運

身長:164cm

体重:52kg

胸囲:81cm

誕生日:3月15日

血液型:O

好き:天体観測

嫌い:食器売り場

ICV:浅i川i悠

外見:薄桃色のミディアムヘア。前髪に星の髪飾をつけている

   服装は白いブラウスと桃色チェックのスカート

 

 100円を見つけたら、次の日は借金を背負っている圧倒的かつ脅威的な不運体質。学園にスカウトされたのが最大の幸運とも言われるほど。

 不運には「慣れてる」せいか、感情表現は乏しい。そのせいでクールで近寄りがたい印象を受けるが、本人の中身はマイペースで正直者で、仲間のことを大切に思っている。

 軽い怪我はすぐ治る丈夫な体。さながらギャグ漫画のキャラ。

 好きな星座は『ペガサス座』

 

【口調】

一人称:私

二人称:あなた、君/男子:苗字+くん 女子:苗字+さん

口調:「~みたい」、「~かもね」というぼかしが入る喋り方

   淡々としているが柔和で、人の心を汲み取るような発言が多い

 

【サンプル台詞】

「命運は決まっていないよ」

「私は勉強している……ほうなんだけど、大抵テストは赤点か追試」

「私も人が人を殺すこと……それだけはダメだと思う。そこには、喜びも幸せも、なんにもないから」

 

 

 

これは少女が愛した御伽話

◆ 錦織 詩音(ニシゴリ シオン)

才能:超高校級の司書

身長:156cm

体重:41kg

胸囲:76cm

誕生日:4月2日

血液型:A

好き:恋愛小説

嫌い:バカにされること

ICV:ゆiきiのiさiつiき

外見:黒いロングヘアに赤縁眼鏡

   黒い長袖セーラー服に白い短い靴下。靴は上履き

 

 ありとあらゆる文献や情報を把握、記憶している「生き字引」の少女。その知識のおかげで、コンピュータの扱いも得意で、プログラミングや解析もお手の物。

 頭が良く優秀ではあるが、本人は司書という才能など多くのコンプレックスに感じていて他の才能を羨んでいる。

 非常に根暗で恨みがましく被害妄想や自虐が激しい。

 OGの腐川冬子に憧れており、『腐川さま』と崇拝している。

 好きな本は腐川冬子の『おとといの家族』

 

【口調】

一人称:私

二人称:あんた/男女肩書で呼ぶ(Ex.七島は“書道家”)

口調:黒生寺と同じく、三点リーダーの「……」が語尾につきやすい

   「……よ」「……ね」などの女性語尾。根暗でネガティブな台詞が特徴的

 

【サンプル台詞】

「バ、バカにしないで……!」

「どうせ私は司書よ……しかもフィクションと違ってブスで色気のない貧相な司書だから思いきり幻滅してることぐらい私にはわかるのよ……! そ、その目……わかってるわよ、どうせ私の存在が嘔吐物以下ってことぐらいは……!」

「……ふふふ、そうよね……次のお札の肖像画は“腐川”さまに決まりよね……!」

 

 

 

 

変身と恋心もまた紙一重

◆ 角 芙蓉(スミ フヨウ)

才能:超高校級の魔法少女

身長:160cm

体重:54kg

胸囲:87cm

誕生日:12月25日

血液型:A

好き:いちごのミルフィーユ

嫌い:大金

ICV:こiやiまiきiみiこ

外見:茶髪の跳ねが多めのツインテール

   淡い緑と白のゴスロリ。おもちゃのステッキを持っている

 

 突如オタクの聖地と呼ばれるアキバハラに現れた世界の愛と夢を守る『フラワーフローラ』と名乗る魔法少女。その立ち振る舞いで一躍カルト的な人気を得たアイドル的存在。

 常に「ございます」を語尾につける天然な不思議ちゃん。根は心優しく仲間思い。

 愛らしい見た目に反して『剛』な一面もあり、力は強く、大柄な男性も投げ飛ばせる。魔法は物理。

 ガンマンの黒生寺のことを「お強い」と慕っている。

 好きな魔法少女は『魔法少女プリティ★キャンディ』

 

【口調】

一人称:芙蓉

二人称:あなた/男女共通:(苗字)+さま

口調:ほとんど確実に「~でございます」という語尾をつける

   物腰は柔らかくみんなを励ましたりする事が多い。時代劇かかった言葉も使う

 

【サンプル台詞】

「そんなの絶対おかしいのでございます!」

「黒生寺さま。プリンでございます。愛と真心をこめて、お送りいたしますでございます!」

「こっ、これは……神聖文字ヒエログリフなるものでございますか!?」

 

 

 

窮鼠は一瞬の風と共に去りぬ

◆ 大豊 てら(オオトヨ -)

才能:超高校級のランナー

身長:143cm

体重:41kg

胸囲:65cm

誕生日:8月6日

血液型:AB

好き:野菜

嫌い:チョコレート

ICV:間i宮iくiるiみ

外見:橙色の髪におだんご二つ。猫口。

   オレンジの半そでパーカーと青のホットパンツ。

 

 短距離走の新記録を打ち立ててきた陸上界の期待のランナー。異例の記録から「現代の口裂け女」と評されている。

 いつも元気ハツラツで子どもっぽく、勉強も苦手なアホの子。

 大きいものや人が大好きで、本人もビッグを望んでいる。

 鑑定士のランティーユにアプローチされているが、本人は「小さい」という理由で鬱陶しがっている。

 好きな動物は『キリン』

 

【口調】

一人称:あたし

二人称:あんた/基本男女ともに(苗字)+っち ただし黒生寺はくろなまでら、ランティーユは呼び捨て

口調:「~なのだ!」とか全体的に幼い言動が目立つ

   「へけ」など、「はむうっ」などどこかのハムスターのような言葉も使う

 

【サンプル台詞】

「スケールがちっちゃいのだ!」

「あたしがもっと欲しいビッグは身長なのだ! 5cmでいいから、わけてほしいのだ!」

「はむうっ! やったあ! じゃあ、さっそく、とうもころし食べるのだ!」

 

 

 

一瞬の鮮烈な喝采を渇望して

◆ 藤沢 峰子(フジサワ ミネコ)

才能:超高校級の演劇部

身長:165cm

体重:50kg

胸囲:95cm

誕生日:2月2日

血液型:A

好き:肉まん

嫌い:柑橘類

ICV:折i笠i富i美i子

外見:紫っぽい髪で二つ結び。長さは胸にかかるほどで赤いリボンで結んでいる

   膝上の菫色のドレス。胸元が開いている。

   腿に蝶の模様が描かれているがストッキングの柄である

 

 大手劇団『キャンディ・パッケージ』の看板役者。七色の声と千の表現を持つ名女優。抜群のプロポーションも備わっていることでも有名。

 社交的でイタズラ好きなムードメーカー。持ち前の演技と色気を活かして人を茶化すことも多々。そのせいで掴みどころがないようにも思えるが、根は一途で、いつも周囲のことを気遣っている。

 七島のことを特に気に入っていて、時に「ダーリン」とからかっている。

 好きな劇作家は『アントン・チェーホフ』

 

【口調】

一人称:アタシ

二人称:あなた/ほぼ男女共通:(名前)+ちゃん 七島⇒竜ちゃん、ランティーユ⇒ランちゃん、井伏⇒あゆちゃん、円居⇒京ちゃん

口調:「~よ」といったちょっと妖艶だけど明るい女性口調

   からかうようなものや、「~よん」などお茶目な口調なども目立つ

 

【サンプル台詞】

「カットよ、カット!」

「そういうからには浮気なんて絶対ダメよ、ダーリン……なんてね、冗談よん?」

「アタシ、竜ちゃんの笑顔が好きなのよ? だから、元気出して……ねっ?」

 

 

 

透明人間に彩りの制裁を!

◆ 真田 斑(サナダ マダラ)

才能:超高校級のデザイナー

身長:169cm(※ヒール込み)

体重:46㎏

胸囲:75cm

誕生日:10月9日

血液型:O

好き:ジェラート

嫌い:豆腐

ICV:早i見i沙i織

外見:青髪で編み込みをしている

   水色の布地に赤い柄を散らした布スカートと、水色と白のブラウスで臍出し

   ニ個の金銀のピアス、細いヒールのブーツなど装飾多め

 

 新進気鋭のファッションを生み出し、多くの若者の心を掴んだ女子生徒。自身のブランドもすでに持っている若者のカリスマ。

 彼女のデザインや絵はメッセージ性が強く、時に生々しく過激なものもあり賛否が分かれることも。

 本人自身も派手好きで勝気な性格。問題児多めの男性陣にも果敢に立ち向かう。

 フレーズも流行らせたいのか、自己流の単語を作るがどれもナンセンスなものばかり。

 好きな文様は『七宝』

 

【口調】

一人称:うち

二人称:あんた/男子:(苗字)+呼び捨て 女子:(苗字)+ちゃん

口調:語尾に「~っしょ」、「~じゃん」とか若者言葉特有の言語がつく

   マジレスト、マジラーなどの創作語。カタカナを使うことが多い

 

【サンプル台詞】

「流行遅れだっつーの!」

「マジマジ。マジを通り越しちゃって、ぶっちゃけマジラー! あっ、マジョリカマージってカンジ?」

「これでもヒールはガンジョーなんだって。それに変質者や痴漢の撃退にもバッチリだし! アンタたちにも試してあげようか? イチコロでイけるよ?」

 

 

 

来たれ、酸いも甘き罪の時よ

◆ 紅 紅葉(クレナイ モミジ)

才能:超高校級の指揮者

身長:173cm

体重:58㎏

胸囲:91cm

誕生日:7月6日

血液型:AB

好き:チョコレートパフェ

嫌い:虫

ICV:桑i島i法i子

外見:赤髪のポニーテール。金の髪留めで結われている

   紅色の燕尾服を着用。白のポケットチーフを入れている

 

 世界の有名楽団の総指揮者を務める女子生徒。指揮だけでなく楽器・声楽などの音楽全般に精通しており『超高校級の音楽家』とも呼ばれる。

 物静かだが、人の言動や場の空気を見極めるのが上手で的確な言葉やアドバイスを伝える指揮者の器にふさわしい少女。

 調和を重視しているため、個人の意見や思いを控えている。

 両親も元希望ヶ峰出身のサラブレットで家は裕福。そのため世間知らずな一面も。

 好きな曲は『ウィリアム・テル序曲』

 

【口調】

一人称:私

二人称:あなた/男女共通:苗字呼び捨て

口調:藤沢と同じく「~ね」、「~よ」という女性的な喋り口調

   錦織と似ているが、彼女と比べてキッパリ言い切ることが多い

 

【サンプル台詞】

「和を乱さないで」

「あなたのことはイヤじゃないわよ。それに、私たちは、あなたの論理や考え方を正したいわけじゃないもの」

「カルメ焼きと甘納豆? ああ、どっちも美味しそう。砂糖をたっぷり入れていただきたいわ」

 

 

優等生による優等生のための絶対優等政

◆ 四月一日 卯月(ワタヌキ ウヅキ)

才能:超高校級の優等生

身長:158cm

体重:49kg

胸囲:85cm

誕生日:1月4日

血液型:B

好き:ラーメン

嫌い:ペン回し

ICV:佐i藤i利i奈

外見:強かな栗色のセミショートヘア

   学校指定の茶色のブレザー。赤い腕章をつけている

 

 95期生の生徒会長で成績優秀、スポーツ万能、努力家と学生の鑑。驚異の発言力に加えて有言実行の行動力を持ち合わせている。

 生真面目で硬派。自分が優等生であることを誇りに思っていて常に自信に満ち溢れている。

 甘やかすことは決してないが面倒見は良い。問題児や不真面目な生徒たちにも時に頭を抱えながら根気よく接している。

 好きな学校行事は『始業式』

 

【口調】

一人称:私

二人称:お前/男女共通:フルネーム呼び(Ex.七島の場合は、“七島竜之介”)

口調:「~だ」、「~だろう」という硬派口調

   みんなを積極的にまとめて引っ張ろうとする発言が多い

 

【サンプル台詞】

「その弁論、受けて立つ!」

「『卒業』を望む者。マナクマの話を信じる者。我々、16人の中で、コロシアイが起きるか否か。それが一番の問題点であって、我々が戦わなければならない最大の敵なんだ」

「って、黒生寺五郎! 寝るんじゃない! 起きろ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Chapter1 イキキレナイ
(非)日常編 初日の災難


 

 

 

Chapter1 イキキレナイ

 

 

 

 

 

「『卒業』を望む者。マナクマの話を信じる者。我々、16人の中で、コロシアイが起きるか否か。それが一番の問題点であって、我々が戦わなければならない最大の敵なんだ」

 

 

 

 

 四月一日の言葉が体育館中に木霊する。

 誰もが、ただ、たたずんでいた。それだけだった。

 そして流れるように解散になって、足だけを動かし、次々と体育館を後にしていく。

 俺もゆっくりと体育館から抜け出て行った。

 

 隣にいた萩野とも話せずに、寄宿舎へと向かっていき、自分のネームプレートが掲げられた部屋の中に入る。

 ある程度、おおざっぱであるが部屋をぐるりと確認する。

 マナクマの言う通り、確かに今まであった道具や半紙、自分の服も揃っている。しかも、全て配置や順番もそのままで、逆に気味が悪かった。

 椅子に腰かけて、背もたれによりかかる。改めて電子生徒手帳を開くと電子音と一緒にすぐさま起動したので、恐る恐る『校則』のボタンを押してみた。

 

 

 

 

 

【希望ヶ峰学園 校則】

 

 

 1.

 生徒達はこの学園内だけで共同生活を行いましょう。

 共同生活の期限はありません。

 

 2.

 夜10時から朝7時までを”夜時間”とします。

 夜時間は立ち入り禁止区域があるので、注意しましょう。

 

 3.

 学園長ことマナクマへの暴力を禁じます。

 監視カメラ、及び学園長が封鎖しているドアの破壊を禁じます。

4.

 仲間の誰かを殺したクロは”卒業”となりますが、

 自分がクロだと他の生徒に知られてはいけません。

 

 5.

 生徒内で殺人が起きた場合は、その一定時間後に、

 生徒全員参加が義務付けられる学級裁判が行われます。

 

 6.

 学級裁判で正しいクロを指摘した場合は、クロだけが処刑されます。

 

 7.

 学級裁判で正しいクロを指摘できなかった場合は、

 クロだけが卒業となり、残りの生徒は全員処刑されます。

 

 8.

 なお、校則は順次増えていく場合があります。

 

 

 

 

 

 今まで見てきた資料とほとんど一緒か。

 大きく、深いため息を反射的に吐いた。

 

 ……あれ?

 

 まだ、なにか……文章があるのか?

 スクロールしていくと、ある一文が目に飛び込んだ。

 赤文字のポップな字体で、それは書かれていた。

 

 

 

『愛と希望を胸に、輝かしい青春を送りましょう!』

 

 

 

 ありふれた言葉だった。

 普通の学園生活で聞いたら激励。あるいは学園での目標にもなったのかもしれない。

 

 でも、今、この状況では――最大最悪の嘲笑だった。

 

 

「う、うう、うううううう……」

 

 

 呻き声は自分のものだった。

 食いしばっていた歯から、思いが。

 いや、なにかわからないものが、どんどんと抜けていく。

 

 書道において、流れるように書けるということがあった。

 思いが溢れて、文字に表れる。こともざらにあった……今の状態はそれに似ている。

 心が陥落して、思いだけが溢れ出る。

 

 

「ううううううう……ううううう…………っ!!」

 

 

 止まらない。

 止めようと思っても、思いを止められなかった。

 

 気がつくと、筆を取っていた。

 何故、こんなときでも筆を取ってしまうのか。

 手も、声も。止まらない。

 

 脳の代わりに、手が言葉を連ねていた。

 なにを書いたのか、自分でも分からないまま――その日の意識は途切れた。

 

 

 

 

 


 

 

 

『マナクマ劇場』

 

 本編の途中ですが、みなさま。

 この度は、ダンガンロンパ(仮)をご愛読いただきありがとうございます。

 

 リメイク前から読んでくれているオマエラ。おひさしぶりです、ありがとうございます!

 プロローグから読んでくれているオマエラ。はじめまして、ありがとうございます!

 この章から読んでくれているオマエラ。何故プロローグを飛ばした。

 

 なんて、冗談はさておき。

 みなさま、ここまで読んでくれた方は、もうお気づきでしょうね?

 「なんで、よりによってこの作品は、あのキュートで世界的に超有名なモノクマ先生ではなく、中途半端なパチモンのマナクマというニ番煎じを使うんだ!?」と……。

 「どういうことなんだ、説明しろ!」

 ええ、ええ! そのようなお気持ちも、手に取るようにわかりますとも。

 

 と言うわけで、この場をお借りして宣誓いたします。

 

 この創作物は、タイトルにあるように、あくまで『仮』なのです。

 ダンガンロンパじゃないようでダンガンロンパに見えるけど、やっぱりダンガンロンパじゃない。

 

 なにもかも、どれもこれも未完成。

 一生、元の作品には絶対に届くことのない、所詮は『手慰みの下賤な創作物』に過ぎないのです。

 

 ……つまり、多少の荒は、白目にして誤魔化してほしいなってことでもあるんだ。

 なんにせよ、この物語は『仮』の物語。

 そこのところだけは、どんな時でも忘れないでくださいね。

 

 それでは、引き続き本編をお楽しみくださいませ……

 

 


 

 

 

 

 

 ……目が覚めた。

 何度も迎えた、寄宿舎の朝。

 

 って、気持ち悪い――よく見ると、手のひらには墨がついていた。

 昨日は、椅子で寝ていて机で突っ伏したまま寝てしまっていたのだ。机の上には、昨日書いたものがあった。

 

  ひさかたの

  光のどけき

  春の日に

  しづごころなく

  花のちるらむ

 

 初めて見た書に、どのような感想を持つべきなのか、わからなかった。

 日の光はとてものどかな春の日なのに。どうして、桜はこんなに落ち着かずに散って行くのだろう。

 紀友則が書いた、百人一首にも選ばれた有名な歌だ。古くからある情緒溢れた美しい、切なくも繊細な歌であるはずなのに。

 震え、迷い、のたうち回って足掻いたような字。

 眠気でも疲れの文字でもない。それは、完全なる絶望に染まった書だった。

 

 閉鎖された学園。監視カメラ。コロシアイ。火薬の匂い。疑心暗鬼。あの日の出来事が一気に蘇る。

 

 

 夢じゃなかった。

 

 

 趣も感じられぬまま、桜が、学園が、日常が、散っていく。

 そして。

 

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 

 

 追い討ちをかけるように、忌々しい声が放送で響き渡る。

 ……夢なんかじゃなかった。

 繰り返しながら、俺は転げ落ちるように椅子から離れた。

 

 

 

 『明日の朝、全員食堂に来ること』

 

 

 

 そういえば、体育館から離れる際に、四月一日がそんなことを口走っていたような気がした……。

 それが夢か本当か分からないけど、とりあえず、食堂に行って確かめよう。

 早速、ドアを開けると、運のいいことに見慣れた姿――萩野を見つけた。萩野は生あくびをしていたが、俺の姿を見てぎこちなく手を振った。

 

 

「お、おう、おはよう。ななし、……って、おい、なんだよそれ?!」

「え? なん……うわっ」

 

 萩野の視線を辿ってみると、俺のYシャツの胸の辺りが真っ黒に染まっていた。

 俺まで思わず声を漏らしてしまう。

 

「気づかなかったのかよ!?」

「い、いや、てっきり、汗かと……」

「あー……ったく、おめーなぁ……替えのYシャツあんだろ? 個室は勝手に移動したらしいけど、マナクマはカメラと窓以外、なにもしなかったから私物は大丈夫みてーだ。だから、さっさと着がえて来いよ。特に、白河の奴は、絶対うるさがるぜ?」

 

 ああ、そうする……と言いたいところだったが。

 

「替えのYシャツ、ないんだ」

「えっ? それってまさか。マナクマの奴が盗みやがっ……!?」

「い、いや、ちがうんだ。それがだな……」

「な、なんだよ?」

 

 

 

「そろそろ卒業だと思って気を抜いてたから、長いことランドリーに行ってなくて……だな……」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 食堂に着くと、ほとんどの生徒が椅子に座っていた。

 入るや否や、皆が揃えて「おはよう」と言ってくれた。

 だけど、心からの笑顔の者は誰もいなかった……無理もないだろう。

 今頃は、晴れ姿だったんだ。涙を見せながらも、清々しくも希望溢れる一日になるはずだった。だけど、今は、二度と訪れない日に思いを馳せるだけとなっていた。

 

 すぐさま顔をあげて、俺のほうを見て目を丸くさせたのは……たしか、ランナーの大豊だ。

 

「って、うわあ! 七島っち、ワイシャツ、びしょびしょだよ!」

「た、たいへんでございます! 風邪をひかないうちに乾かさないといけませんでございます!」

「あ、ああ、大丈夫だから」

 

 慌てた様子の魔法少女の角がどこからともなく、ピンクのレースのついたタオルを取り出してきたが、やんわりと避けておいた。

 

「こいつよ、ちょっとシャワー浴びようと思って、服のまんまお湯を調節したら、シャワーのノズルを落として、自分にかけちまったんだってよ。まっ、すぐに乾くだろ?」

「あ、ああ……だから大丈夫だ。心配ありがとう」

 

 萩野が軽くフォローしてくれたが、すぐさま食堂のみんなから呆れたような視線が向けられる。

 長時間、書と向き合っていると時間を忘れてしまう。

 墨がつくのも忘れ、食べるのも寝るのも忘れる。

 そのため、ランドリーに行こうと思ってもつい後回しが多かった。

 それが溜まりに溜まって、萩野に『親友とはいえ、それはない』と叱られた時は、さすがに反省したが……やってしまった。

 

 今回は萩野のものを借りようとしたが、サイズは少し大きくて不格好になってしまった。

 仕方なく、洗っていないものでも綺麗めなシャツを選んで、ちゃちゃっと水と石鹸で洗い、生乾きのまま着ているというわけだ……。

 

「うふふ。健ちゃんったら、やけに説明口調ね?」

 

 くすくすと笑いながら、手にアゴをついていたのは演劇部の藤沢。

 ……これ、ほとんど見透かされてないか?

 

 

「ならば、ランドリーを使用するといいだろう。すでに開放されているぞ」

 

 

 ふと、声が扉の向こうから聞こえた。四月一日のはっきりとした声だった。

 朝だというのに、しかも昨日はあんなことがあったというのに声がよく通るものだ。

 でも、模範生とも言える四月一日がしっかりしているからこそ、みんな、ある程度、平静を保てているのかもしれない。

 

「おはよう。さて、みんな揃っているか?」

 

 四月一日は、少し一瞥して顔を曇らせた。

 

「黒生寺五郎と、円居京太郎と白河海里。それに天馬陽菜がいないじゃないか」

「ウ―ララ!? 一瞬見ただけで分かるのかい?」

「当たり前だろう」

「まあ! さすがだわ、卯月ちゃん!」

「一通り校内は回って、全員の部屋のインターフォンも鳴らしたが、出てこなかったから、全員食堂にいるものだと思ったのだが……」

 

 その答えに、全員が顔を見合わせる。

 最悪の事態が、頭の中に過ぎっているのだろう……。

 

 

「諸君、おそようだな!」

 

 

 と、その時、全員が一斉に扉の方へ向いた。

 科学部の円居が眼鏡を光らせ、ぼさぼさの頭を掻きながらやって来た。

 

「円居京太郎っ!!」

 

 その姿を見て、勢いよく、四月一日は円居に歩み寄って指をさす。

 円居も彼女に合わせて、背中をのけぞらせた。

 

「お前は、いったい、どこにいた!? インターフォンを鳴らしたのに出なかったのは何故だ!?」

「ふむ、それでは説明しよう! 吾輩は先ほど、つまり8時までずっと部屋に籠っていた。しかし、インターフォンは聞こえなかった……となると、四月一日が鳴らした時間、吾輩は眠っていたということになるな! なにしろ、論文を書きあげて徹夜だったものでな!」

「こ、これだから科学部は変態ね……私なんかどうせ一睡もできなくて今も全然眠くない人間外の司書で悪かったわね……」

 

 錦織はぐぐっと人差し指に力を入れてテーブルを押していた……それは嫉妬なのか?

 それにしても、この状況でよく論文を書こうと思えるものだな。

 まあ、書を書きあげた俺が言えることじゃないけれどな……

 

「円居京太郎、今から私の質問の答弁を行なうこと。黒生寺五郎と白河海里、それと天馬陽菜は見なかったか?」

「焦ってはならないぞ。聞いて驚くがいい! なにせ吾輩の頭は、まだ生徒の名前と顔が一致していないのだ!」

「それは、自慢すべきことじゃない!」

 

 苛立っている四月一日が強く足踏みをしたので、アルピニストの井伏が慌てて白いマグカップを抑える。

 

「しかし、ここに来るまで、三人は見かけたぞ。一人は夢遊病者のように、寝たまま壁に突進し続け、もう一人は、一心不乱に、ぞうきんで床を磨いていた。さらに一人は、マナクマと話をしていたな。小耳に挟んだ話だと、鍵が開かなくて一晩中、個室に入れなくて云々と言っていたな」

「それだ!」

 

 四月一日は、円居の脇をすり抜けて颯爽と駆け抜けていく。

 それにしても、マナクマと話しているのは天馬だと思うが、彼女は寝れているのか?

 

「はむぅ! あの走りかた、四月一日っちはぜったいトレーニングしてるよ!」

「優等生はなんでも手を抜かないってところ? ある意味、恐ろしい子ね……」

「なにそれ、紅ちゃん、ガラスの少年時代とか読んだことあんのー?」

「パードゥン? それって、コミックだっけ?」

 

 どこかズレた指揮者の紅と、デザイナーの真田の能天気な発言。それに対して、ランティーユが鑑定士らしく片眼鏡を押し上げながら首を傾げていた。

 

 

 

「それよりもさあ、才能あふれるみなさん。昨日は寝れたのかい?」

 

 

 唐突に、口を開いたのは……手品師の十和田だった。

 大きな体はいくつかの席を占領しているようだ。

 よく見ると、テーブルの上でなにかが動いている。あれは白い鳥……ハトか? 頭を振りながらちょこちょこと十和田の大きな手の上に乗っていた。

 

「あ? なんだよ。おめー、それがどうしたっていうんだよ?」

「おいおい、怖い顔するなって。せっかく気遣ってやってるってのになあ。そんなことよりさ僕は割合を知りたいんだよねえ」

 

 目を伏せながら、十和田はハトの頭を太い指で丁寧に愛撫している。

 にやりと不敵な笑みを浮かべて、俺たちを舐めるように見回した。

 

 

 

「どのくらいの人間が現状を認めているのか。そして、どのくらいの犯罪者予備軍が、ここから出たがっているのかを……ねえ?」

 

 

 

 犯罪者予備軍。

 

 なごやかになろうとしていた雰囲気に、とんでもない爆弾が投下された。

 

 

「なっ!? お、おい! おめーなに抜かしやがる!?」

「抜かす? なにを抜かすって言ってるのかなあ?」

 

 萩野が勢いよく立ちあがったが、十和田は至って平静だ。

 むしろ、十和田は誰にも話していないようにも感じられた。

 

「でも、みんなも気になるんじゃないのかなあ? 現状維持か、脱出か。迷っているんじゃないのかなあ。実のところ僕もそうだから。だから、みんなの意見が聞きたくてねえ。どう思う?」

 

 言っていることは理解できた。

 だけど、理解できない。

 ここから出たいのか、出たくないのか……実は、俺もよくわからなかった。

 だけど、それを。今、この瞬間に聞くのか?

 

「そ、そんな、急に言われても……! どうすればいいのか分からないのでございます……」

「で、でも……気にならない、って言ったらウソになるんでしょ……?」

「まあ、まだわからないかあ。なんだったら、目を瞑って手をあげるっていう古典的な方法でやってみる? 紙に書いて渡すっていうのも……」

「っがぁぁふざけんな!! いい加減にしろよ!! おめー!!!」

 

 萩野の拳が十和田の首元に目がけて一直線に伸びた。

 数人の女子生徒の悲鳴が上がる。

 止めようとしたが、俺の反射神経では無謀に近く、咄嗟に目を瞑っていた。

 

 突如、風が切り抜ける。刹那、乾いた音が響き渡った。

 目をおそるおそる開くと、四月一日が唇を震えさせて、拳を握りしめていた。

 萩野は苦虫をつぶしながらも、豆鉄砲を食らったような顔だった。そして、左頬を抑え、四月一日を軽く睨みつけていた。

 

「っ、と、十和田が悪いんだ! アイツが煽ったからだ! 外に出る出ないなんて、そんなこと言ったから……!」

「煽ったから手を出していいと本気で思っているのか」

 

 四月一日は今までにないほど、冷たい声を発した。

 萩野はぎくりと肩を震わせ、またしても緊張が食堂に広がる。

 彼女の後ろには、事情を知らない黒生寺、白河、天馬も佇んでいる。

 

「クソ……またてめえか、タヌキ野郎が……」

 

 黒生寺が一歩前に出て、悪人顔を前面に押し出した……どうやら、完全に寝起きのようだ。

 

「うわあ。生きてたんだ、ゴキブリ子憎。昨日は壁に張りついて寝てたのかねえ?」

「うるせえ……全部、貴様のせいじゃねえのか……」

「げえ。来たばかりのヤツに、文句言われる覚えはないけどなあ。よりによって知恵足らずの虫以下の生物に」

「ごちゃごちゃうるせえ……目玉ぶち抜いてやろうか……」

 

 BB弾銃を片手にゆっくりと黒生寺が歩み寄って来た。

 十和田もぴくりと頬を震わせ肩に鳩をのせながら、おもむろに立ちあがる。

 周囲がまた緊張のムードとなり、弦を張るかのごとく、ぴんと張り詰めていく。

 「おいっ」と四月一日が口を開きかけた。

 

 

 

「やめていただけませんか」

 

 

 

 だが、響いた声は四月一日のものではなかった。

 雑巾を握りしめ、2人を冷酷に睨みつける白河だった。

 真っ白い顔がさらに青ざめていて、一瞬、病気のように見えてしまう。

 

「ふん……清掃委員のクセに止めるなんて……生意気だな……」

「清掃委員だからこそです。私は汚いものが見たくないだけです」

「へえ、一番汚いものと関係があるのに? 掃除するのに、汚いものがイヤなんだ? 死体もキライとかあ?」

 

 『死体』という言葉に、テーブルの上においてあった萩野の拳が戦慄く。

 今にも血管がはちきれそうなほど強く握りしめられている。

 だが、白河は臆する様子も、顔色も変えず口を開く。

 

 

「私が本当にキライなのは、汚いものではありません。“汚くする者”のほうです。死体は汚くありません。汚らわしいのは、あなたがたに似た“殺人者”のほうでしょう」

 

 

 白河の鋭く尖った言葉に、唐突に黒生寺は苛立たしげであるが目を伏せた。

 ああ言えば、こう言った十和田ですら、怯んだ表情を見せたぐらいだ。

 そして、それは向けられていないはずの俺たちも似たようなものだった。

 

 

「邪魔だったから? よくあることだから? 煽ったから? 理由があるから? それがなんだというのです。私には、“汚くする者”たちの言い分が理解できません。特に、暴力や殺人。それは、どんな汚物にも値しない。最悪で、最低、下劣の所業です。私にも綺麗にできない、醜き存在にすぎません……だから、やめていただけませんか? 軽々と死を口にするだけで、空気だけでも淀みます。至極最悪。不潔極まりないことです」

 

 

 射竦められる。

 そんな雰囲気だった。

 それはナイフのような……いいや、違う。

 誰もが通らなければならない、死にはしないが痛む。病院での注射のような言葉だった。

 

 

「私も人が人を殺すこと……それだけはダメだと思う。そこには、喜びも幸せも、なんにもないから」

 

 

 隣で様子を眺めていた天馬もきっぱりと言い切った。

 それに対して、四月一日は白河、天馬を交互に見て頷く。

 

 

「……あまり私も厳しく言いたくはない。だが、わかっただろう? このような不安定な状況こそが危ないんだ。萩野健、黒生寺五郎、十和田弥吉。特に、お前たちは以後、慎んでくれ」

 

 

 萩野は四月一日を見据えて、ゆっくりと頷いた。

 そして、ぱんっと自分の頬を自分ではさみこむように叩いた。これは、萩野が一念発起する時によく見る仕草だった。萩野に関しては、大丈夫だろう。

 黒生寺と十和田も不服そうに座り直したようだが、ハッキリとした表情はこの席からは見ることができない。そもそも、まだ接点がないから、彼らのことはよく分からないな……。

 

「……すみません。言いすぎました」

「気にするな。この空気をなんとかしたかったのだろう? それに殺人があってはいけないことだと、みんな分かっている。言葉の選びは悪くても、それをお前は代弁したまでだ。なにも謝ることはない」

 

 我に返ったのか、目を瞑って謝った白河に対して、四月一日が冷静にフォローした。

 

 

「さて、あまり引きずっても仕方がない。みんなを集めたのは他でもない。希望ヶ峰の構造について、知らせようと思うんだ。あの後、自分の部屋に戻る前に、今ある教室は回って大体は把握したんだ」

「あははっ、すごい行動的だね。俺より体力ありそうだ」

 

 井伏は笑いながらも感嘆していた。

 みんなが部屋に戻った時でも、彼女は学園を探索していたということか。

 あんなショッキングなことがあっても、動けるとは、並大抵じゃないバイタリティだ。

 

「手短に説明すれば、以下のことがわかった。ここは希望ヶ峰学園の一階。教室はみんな知っていると思うが、寄宿舎側は、部屋の他に、『ダストルーム』、『倉庫』、『会議室』、『ランドリー』、そして我々が今いる『食堂』がある」

 

 会議室は生徒会しか行けないというところだ。

 もちろん、俺も行ったことがない。確か、新しくできた教室と聞いたことがある。

 希望ヶ峰学園は、あの事件からの再開に伴って本校は改装されたそうだ。

 なので、『例の事件』の時と、現在の希望ヶ峰学園の構造は大きく異なっているらしい。

 

「本校舎には教室の他に、『昇降口』、『購買部』、『保健室』、『視聴覚室』があった。窓は全て鉄板で塞がれている。昇降口も然りだ。ニ階に続く階段はあったが、残念ながら、封鎖されていてまだ入れそうにない。別館も『昇降口』が開かないため、こちらも同じだ。ただ、『二階』に関しては、ちょうど、見回りをしていたマナクマに尋ねたところ、“我々の活躍によって、開かれる”と明言していた」

「腹立たしいぐらいに、“あれ”と酷似しているのね」

 

 紅が苛立ちを抑えたような、重いため息をついた。

 “活躍”が、なにを示しているのかも、暗黙の了解の如く……誰も言及しないが、わかっているようだった。

 四月一日は、ぐるりと全体を見回して、全員を見据えた。

 

 

「悲観的にとらえてしまうと、なにもできなくなってしまう。なにごとにも、前向きに取り組んでくれ。そして、苦しいことがあったら必ず私に相談してほしい。どんなことでも誠心誠意に協力することを誓う。 たとえ、小さな悩みでも決してバカになどしない。だから、みんなも協力を頼む」

 

 

 四月一日が丁寧に頭をさげた。45度、まさに模範の礼だ。

 

「もちろんよ! でもね、卯月ちゃん。背負い過ぎちゃダメよ? 卯月ちゃんも、困ったことがあったらアタシたちに相談してちょうだいね」

「うん、山登りと同じでチームワークは大事だよ。お互いが手を差し伸べながら、みんながプラスになるようにしなきゃね!」

 

 藤沢と井伏が朗らかに彼女に笑いかけた。

 「感謝する」と四月一日は、そこで初めて優しげな笑みを浮かべた。

 

 ……いや、優しげと言うよりはそれは、不安が和らいだ瞬間だ。

 ああ……そうだ、四月一日も人間なんだ。

 いや、どんなに偉大とも思える四月一日ですら人間なんだ。ましてや俺たちは言うまでもない。

 

 だからこそ、俺たちは、互いに協力しなければならないんだ。

 

 

「さて、重い空気にしてしまったな。それぞれ朝食を取ろう。腹が減るとネガティブになるからな。調理場に食材はそろっているから、飢えの問題はなさそうなのは安心だ」

「ほんとー! おやさいある?」

「ああ。幸いなことに、どれも食材は新鮮だ」

「はむうっ! やったあ! じゃあ、さっそく、とうもころし食べるのだ!」

 

 一目散に調理場に、大豊が駆け抜けていく。

 とう“もころ”しって……それにしたって見かけだけでなく中身も子どもというか、小動物みたいだ。

 

「トレボン! 舌ったらずなマドモアゼル大豊もやっぱり愛らしいね!」

 

 そんな中、ランティーユが手を叩いて、幸せそうな微笑みを浮かべていた。

 よく見ると、彼の席は大豊の隣だったようだ。

 

「そーかぁ? 元気だけど、外見はふつうのチビじゃね?」

「なんだって? わかっていないね、ムッシュ萩野……幼い少女こそが、この世の森羅万象にも及ばない、世界最大の秘宝だということを、君は理解していないというのかい!?」

「あ? な、なんつった?」

 

 萩野は、彼の言葉にたじろいでいるようだった。

 ランティーユは胸ポケットから虫めがねを取り出して誇らしげに断言した……というか、こいつ涎垂らしてないか?

 

「悲しいことにね、自然の摂理として、人間は年をとれば老いていき、多くのことを吸収すると、本来の価値を無くしてしまう人もいるんだよ。それは、『鑑定士』であるぼくとっては、それはそれは惜しいことなんだ。その一方で、小さな子、特に少女はどうだい!? あのなにも汚れを知らない純真無垢な瞳。そこにはあらゆる希望が詰まっているんだ! 純真さと小ささにこそ、アムールとロマン詰まっていると思わないかな!? そして、あの春の蕾にも似た若々しい体には……」

「ちょ、ちょっと待て! おめー、要はロリコンじゃねえか!?」

 

 萩野のツッコミは的確だった。

 周りがドン引きしているのは目に見えて明らかだった。

 

「ちょっと待った! ロリコンは誤解だよ!? ぼくは、ぼくより、身長の小さな女の子が好きなだけさ!」

「……ま、まあ、恋愛相談も乗ってやらなくはないが……困ったことがあったら、遠慮せずに相談にくるんだぞ」

「メルシー、マダム四月一日! よーし、ぼくもとうもろこし食べよーっと!」

 

 そう言って、ランティーユは忠犬のように大豊のあとを追った。

 彼の新しい一面を知ったのはいいが、あんまり知らなくていい……と言うか、知りたくなかった一面かもしれないな。

 

「えっと、私も食べようかな。でも、料理はどうしよう……指切るのは、まだ慣れているからいいんだけど。火事とか起こるのはさすがに危険かな」

「なんで、指切ること前提なのよ……あんた、不運にもほどがあるわね……」

「ふはははっ! 水と砂糖と重層があれば、吾輩は安泰だ!」

「甘納豆はありますでございますか?」

「角ちゃん、センス、バリ渋じゃね?」

「カルメ焼きと甘納豆? ああ、どっちも美味しそう。砂糖をたっぷり入れていただきたいわ」

「えっ、紅さんって甘党なの? あははっ、意外だな!」

「なんか丸めこまれた感がするけどなあ……とりあえず、ハトのエサはあんの?」

「俺はもう少し寝る……」

 

 みんなそれぞれが調理場に向かう。

 様々な思いがあるが、初めて学園生活らしく良い雰囲気だ。

 

「よっしゃ、俺らも飯にすっか!」

 

 萩野がようやく心からの笑みを浮かべて、調理場に駆けていく。

 さあ、俺も行こ……んっ?

 歩こうとした途端、Yシャツの裾が引っ張られていることに気づいた。

 なんだこの引っ張られ方、デジャヴュのような。

 

 

 

「七島さん」

 

 

 

 振り向くと、ギラギラと目を輝かせた白河が立っていた。

 目が血走っているように見えるのは、俺の気のせいなのか。見間違えなのか。

 そして、どうか見間違えであってほしいと願っている自分がいた。

 

「ずっと気になっていたのですが、そのYシャツ、ひどい染みですね?」

「染みなんてどこにも」

「水で洗いましたね?」

「い、いや、ちょっとシャワーで慌てて」

「洗剤はどうしましたか?」

「その、これは故意で」

「聞いてません。今すぐ脱いでください」

「えっ!? いや、ここでは無理だ!」

「脱ぎなさい」

「大丈夫だから! 服に墨とかついていても、俺は気にしないんだよ! それが俺のポリシーだからっ! 逆に、墨がついてない書道家っていうのも逆におかしいだろ? なあ、そうは思わないか!?」

「なるほど。分かりました。脱げ」

 

 誤解されそうなやり取りだけでもやめたい……。

 萩野、頼むから、怪しげな目で見ないでくれ。

 と言うか、ランティーユ、なんでお前も見ているんだ。しかも家政婦は見たと言わんばかりの形相で。

 

 

 ――結局。

 

 俺は抵抗空しく、ランドリーに引っ張られる形で連行されてしまった。

 部屋にある、他のYシャツも強制的に引っ張り出され、二人で洗うことになった。

 真剣に墨を落とす白河に、話しかける暇……というか勇気がなかった。

 そして、この一日は、彼と無言のまま、ランドリーで染みと格闘することで終わってしまったのだった……。

 なんの罰ゲームだよ、これ……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 自由行動

 

 

【自由行動1-1 夜食会】

 

 

 白河との洗濯が終わったのは夕方だった。

 その後、疲れてしまって仮眠をとったら夜の11時になっていた。

 当然眠れるわけもなく、なにもせずに部屋でぼんやりしていた。

 

 それにしても……。

 

「腹、減ったな……」

 

 朝からなにも食べていない。

 空腹がまぎれない……と思ったと同時に、腹の虫が鳴った。

 学園生活中も、夜時間もあり、立ち入り禁止区域があるが、それは体育館方面だった。

 だから、食堂に行くことは可能だったはずだ。

 

 

「……行ってみるか」

 

 

 だれかに見つかって怪しまれるのはイヤだが空腹には敵わない。

 食堂に向かうと、やはり閉鎖はされていなかった。

 しかし、そこは真っ暗でなにも見えない。懐中電灯を持って行けばよかったな……。

 仕方なく目が慣れるまで、電子生徒手帳のバックライトを片手に食材が保管されている厨房へと手探りで進む。

 厨房に足を踏み入れると、すぐさま眩しい光が飛び込んできて、思わず手で隠してしまった。

 

「あら、竜ちゃんじゃない」

「なんだ、ミドリムシくんかあ」

「あははっ。どうしたの、こんなところで?」

 

 三人の声。

 そこには懐中電灯を持った藤沢、十和田、井伏がいた。

 

 

「あ、もしかして小腹が空いているの? 洗濯おつかれさま。俺らも手伝えばよかったね」

 

 井伏がそう言って、微笑みを浮かべながらなにかを投げてきた。

 慌ててキャッチすると、それはシーチキンの缶だった。

 

「おいしいよ。安くてなんにでも合うし。これだけでもお腹は満たされる。おやつ、夜食、非常食。なんでもござれだからね」

「あ、ありがとう」

 

 シーチキンなんて懐かしい。

 よく見ると、井伏は黒い大きなボストンキャリーバッグを持っている。井伏自身も手にはいくつかの缶詰が携えてある。

 まさか、非常食に取ってあるとか言わないよな?

 

「そうよね、夜食は肌に悪いって言うけど、どうしても食べたくなっちゃうわよね。それに、こんなこと、こういう時にしかできないじゃない?」

 

 藤沢はそう言って、クスクスと楽しげに笑った。

 彼女は随分、適応している……というか楽しんでいるようだった。

 ある意味、一番良好な適応者とも言えるかもしれない。

 

「こういうとき……なあ? 女優さんって、意外と鈍感なんだねえ」

「あら、バレちゃった? でも、弥吉ちゃんだって夜食組でしょ?」

「言ってもムダかもしれないけどねえ、自分のためじゃないから」

 

 十和田の言葉に肯定するような「クルポッポー」という小さな鳴き声。

 よく見ると、大きな肩には毛並みが綺麗に揃った白いハトがとまっている。

 朝にもテーブルの上に乗っていたハトと一緒だろうか?

 

「その子って、ギンバト?」

「あら! 頭がつるつるしていてかわいい! 名前はなんていうの?」

「頭がつるつるって、人によっては褒め言葉じゃないよね。この子は『小竹(コタケ)』だよ」

 

 そういってハトをそっと手にのせる。その手つきから、かなり愛着があるように見えた。

 『小竹』って古風な名前だな……自分の名前と合わせたのだろうか?

 

「マジック用か?」

「はあ、マジック用って人聞きの悪い。でも、ミドリムシにカッカしてもしょうがないかあ……この子は僕の弟でもあり、一番の親友だ。世界でなによりも、僕が心を許している子だよ。二番目はキツネかな。ハトには負けるけど、可愛い動物だと思うねえ」

 

 人間はハトにも負けてるのか。

 でも、なんにも愛していない人間よりはマシか。

 『動物好きに悪い人はいない』という言葉を信じてみよう……。

 

 

 

 厨房で食べ物を漁った後は、俺たちは食堂のテーブルに座って少しだけ色々なものをつまんだ。

 俺に関しては、完全に夕食に近いが……シーチキンにマヨネーズをかけていただく。

 洗濯ではあるが、重労働後の食べ物は体に染みわたる。

 

「んー、おいしいっ! やっぱり日本のお菓子ってどれも甘さ控えめね!」

「それは分かる。あのバカでかくてクソ甘いだけの菓子は、頭疑っちゃうほど品がないよねえ」

「あはは、あれもあれで美味しいのはあるよ? ……って、藤沢さんって、海外進出してるの?」

 

 井伏の言葉に、藤沢はチョコレートを食べながら嬉しそうに「そうよ」と相槌を打った。

 

「最近は海外公演も増えてきて。特にアメリカが多いかも。だから英語に慣れるために、最近は書き言葉もつい英語を使っちゃって。ほら、こんな感じで」

 

 そう言って藤沢は分厚い手帳を取り出した。

 そこには、スケジュールが英語でぎっしりと書かれていた。

 

「うわ、すごいな! 山に登るときに話す機会はあるけど全然分かんないや……十和田くんは分かる?」

「僕も海外公演はしているけど、ほとんど通訳はマネージャー任せだしなあ。これには、ちょっとだけ褒めてあげようか?」

「うふふ、ありがとう。でも、役者にとっては当たり前のことよ」

 

 藤沢はさらりと言ってのけたが、感嘆せざるをえない。

 英語の点数が平均点ぎりぎりだった自分にとっては特に……。

 

「海外は海外の面白さがあるんだけどね。でも、帰って来ると、やっぱり日本がいいなって改めて実感するの。それに海外に行くと、日本文化が好きな役者もいるから誇りに思うわ。だから、歌舞伎とか能とか、そういう伝統的なものも紹介しているの。もちろん、書道もね」

 

 ……えっ?

 藤沢に突然、いたずらっ子のような瞳でアイコンタクトをとられた。

 十和田と井伏も俺のほうを見つめる。

 

「自慢じゃないけど、竜ちゃんのこと前から知ってたのよ。書道が気になっているって言う外国人はみんな竜ちゃんのこと知ってたんだから」

「わっ、すごい! 俺なんか最高峰を登ったのに、国内でも知らない人が多くてね……あははっ、七島くんいいなあ」

「へえ、ミドリムシくん、そんなに有名だったの?」

 

 知らなかった。

 海外にも展示されていると聞いていたが満客御礼とかそんな大々的なものではなかった。

 そもそも外に出るのが苦手で、その展示会の様子すら見たことないんだよな……。

 

「だから、竜ちゃん。もっと自信を持って。実はね、あなたの書も一度だけ海外で見たことあるのよ。柳のようにさらさらしているけど、何故か力強い。その表現に、すごく感動したの」

 

 どうして、そこで自信という言葉が出てくるのだろうか。

 そう言えば、一度萩野にも言われたことがあったことを思い出す。

 たしか、国内での展示会の時だった……だろうか?

 試合や練習で忙しい中なのに、時間を割いて見に行ったことを話してくれたっけ。

 

『ボクシングに例えるなら、綺麗なフォーム。しなやかだけど、したたか。フォームが確立しているなら、後は磨くだけだ……だから、ちゃんと胸張っていいんだよ』

 

 あの時の萩野の言葉とよく似ていた。

 

 

「だから、約束! 今度ステキな書を見せてちょうだいね?」

 

 

 藤沢は朗らかに小指を求めてきた。井伏と十和田が見ていて気恥ずかしいが小指を差し出して絡めた。

 なんだか、嬉しさと誇りが胸にこみあげてきた。

 さすがに、昨日書いたものは見せられないから、ちゃんと書いたものを見せなければ。

 そう思うと、カッと闘志という名のやる気が燃え上がるような感覚が舞い戻ってきた。

 

「ははっ、それにしても、すごすぎて笑いが止まらないや! 俺にも見せてほしいな!」

「しかし驚いたなあ。ミドリムシくん、有名だったんだねえ。記念としてあだ名を改名してあげようか?」

 

 十和田がそう言って、肉がたっぷりのったアゴに手を置いている。

 なんだ、改名なんてあるのか。

 もう少し、まともなあだ名にしてくれると嬉しいけど……。

 

「そうだねえ、もっとメジャーなもので。ミジンコくんとかどう?」

「……ミドリムシでいいぞ」

「うん、僕もそう思ったよ。まだまだそっちが君にはお似合いだねえ」

 

 まあ、なんとなく予想はついていた。

 『ミドリムシでいい』って思ってしまう自分もなんだか虚しいものだ。

 

「あははっ、残念だったね七島くん。でも、ミドリムシってサプリに使われるぐらいすごいんじゃなかったっけ?」

「そうだっけ? あんまり覚えていな……って、あれえ? そういえば君って、まだあだ名つけてないよなあ。って言うか、どちらさまかな? 君って人間?」

「……えっ、あ、あれ? 俺の扱いって七島くんよりヒドい?」

 

 井伏が明らかに強張った笑みのまま軽くショックを受けていたが、十和田には聞こえてなかったようだ。

 ……あだ名がつけられるだけ、俺はまだマシということだったか。

 

「あゆちゃん、ドンマイよ」

「あ、あはは……あゆちゃんってまさか俺のこと? 歩夢だから? えーと、下の名前は女々しいから呼ばれるのイヤなんだよね。ちょっと、恥ずかしいから……」

「でも、可愛いじゃない。あゆちゃん。アタシは好きよ?」

「うーん、かわいいって言うのどうなのかな? だってそれって、結局は童顔ってことじゃないの?」

 

 たしかに。かわいい男の子というのは、たいてい童顔。

 井伏は好青年ではあるが、幼さも残っている。

 俺にはあまり理解できないけど、女性からしてみれば、母性本能がくすぐられる顔ってところだろうか?

 

「じゃあ、空気のあゆちゃんでいいかな。でも、びっみょーだね」

「はは……えっ? ちょ、ちょっとそれは勘弁してほしいな!?」

「かわいい、っていう言葉がダメなら、キュートって呼んであげるわよ?」

「あは……はは……っ、そ、それも恥ずかしいからやめてほしいかな。なんて……」

 

 井伏はサンバイザーを深めに被って顔を隠した。

 照れ笑いとともに耳が真っ赤の彼は、童顔も相まって小学生に見えなくもない。

 

「でも、竜ちゃんと弥吉ちゃんもかわいいと思うわよん?」

「え、ええっ?」

「僕も入るの? メタボ腹だけど?」

「そこがいいのよ! それにハトが好きなんて、慈悲深いじゃない?」

「慈悲深いって、ちょっと表現が間違ってない? やっぱり女優さんって個性的だねえ」

「あら、うれしい! それって褒め言葉よね! 弥吉ちゃんのデレ、いただいちゃった!」

「勝手にそう思っていれば?」

 

 「勝手にそう思っていろ」ってことは、肯定していいってことだよな?

 懐中電灯の明るさでしか顔は見えないが、十和田がハトのほうしか見ていないようだ。

 ……まさか、これ、照れ隠しじゃないだろうな?

 

「竜ちゃんもかわいいわよ。目元とか、小さめのお鼻とか、アンテナとか……」

「……ん? アンテナってなんだ?」

「えっ? あっ……な、なんでもないの。アンテナは語弊があったわね、取り消して!」

 

 逆になんの語弊かが気になるぞ。なんか、俺だけかわいいの基準が違うのも。

 と言うか、アンテナってなんだ?

 なにを言おうとしていたんだ? なんで例にアンテナがでてきたんだ……!?

 でも、取り消されたからには、あまり言及するのもよくないか……。

 

 こうして、夜食をとりながら他愛もない話をして、深夜まで話は盛り上がった。

 なんだか、修学旅行みたいで少しだけドキドキした一夜だった……。

 

 

 

 

【自由行動1-2 勉強会】

 

 

 2日目の昼。

 

 少しの眠気があったが、朝は購買部にある、『マナマナマシーン』と呼ばれるガチャガチャについ白熱してしまい、眠気が一瞬にして吹き飛んでしまった。

 ただのガチャガチャなのに、恥ずかしいぐらいに回してしまったな……。

 

 今は昼食を取るために食堂に行ってみた。

 そこにはちょうど、黒生寺、天馬、大豊、四月一日がきていた。

 

 のだが……。

 

 

「何度言えばわかるんだ! 台形は上辺と下辺を足して、そこに高さをかける! そして最後に、2を割ると!」

「へけ? なんでなのだ? 四角は横とたてをかければ答えは出るのだ!」

「だから、四角形と平行四辺形と台形は全く別物だっ!」

 

 血相を変えて、四月一日が大豊に説明している。

 天馬や、黒生寺もテーブルに置いてあるノートとにらめっこしている。

 ……これは、なんなんだ?

 

「あ、七島くん。もしよかったら、教えてくれないかな? ……つゆまどろまれず、ってどういう意味か分かる?」

 

 天馬がつと視線をあげて、俺の存在に気づいてくれた。

 そして、おずおずとノートを見せてきた。

 女子というと、小さな字を想像していたが、彼女の字はかなりくっきりしている。

 それでも字が端麗なので、もしかしたら書道経験があるのだろうか?

 ええと、たしか『つゆまどまれず』って言うと……。

 

「それは知っている……『そばつゆが窓に降りかかってきてマジ寝れねえ』……そういう意味だろ……」

「どうしてそうなるんだ!? と言うか、黒生寺五郎! 覚えたんだろうな、日本の県の名前は!」

 

 横から入って来た黒生寺の答えに四月一日がすかさずツッコミを入れて乗り込む。

 日本の県って、それ小学校の中学年ぐらいで覚えることじゃなかったか?

 ……って言うか。

 

「えっと、なにをしてるんだ?」

「見て分からないのか! 勉強会だ!」

 

 四月一日が黒生寺のノートを監視しながら、すかさず答えてくれた。

 いや、なんとなく想像はついていたが。

 

「でも、なんでそうなったんだ?」

「たまたまこの4人で、早めの昼食を取っていたんだけどね。そこで、四月一日さんが勉強の話をしてきて、みんな本当のことを言ったんだ。大豊さんは、ほとんどノー勉で、黒生寺くんは勉強時間は睡眠時間。私は勉強している……ほうなんだけど、大抵テストは赤点か追試。落第のFは免れていたけど、成績は全部Eだったから」

「ちょ、ちょっと待て。大豊と黒生寺はともかく、なんで天馬はそうなるんだ?」

「私のテストだけ、どんなに自信があっても、先生が採点する時に、紛失するの。何故か、燃えカスになってたりするらしいんだよね。それに一生懸命書いたのに、白紙っていう例もあったぐらい」

 

 ……つまり、それって。

 

「才能、のせいか?」

「でも、才能のせいでも、運はそこそこあるほうだと思うよ」

「そ、そうか?」

「だって、そうでなきゃ卒業資格すら貰えてなかったから。だから、幸せな不運なのかもね」

 

 だとしても。

 頑張っても赤点って言うと、努力が認められなかったと言えるようなものだ。

 「才能だから」ってあきらめているのかもしれないが。

 ……それでも、自分は「幸せ」って俺だったら言えるだろうか。

 

「でも、やっぱり苦手な部分があるから。四月一日さんの指導で教えてもらっているところなんだ。説明が分かりやすくて」

「ねーねー、四月一日っち! 英作文できたよー! 今のあたしの気分!」

「本当か? 今度はスペルミスはないだろうな?」

 

 大豊が自信満々に差し出したノートを、四月一日がチェックする。

 俺と天馬も覗きこんでみた。

 

 I’m Hungary!!! 

 

 天馬よりも、ノートの線を気にしていないでかでかとした文字で書かれていた。

 こちらは、小学校の書道を思い起こす字体である。

 と言うか、これを、高校生の英作文と呼べるのかが微妙だが……。

 

「これって……どうなのかな?」

 

 天馬があまり自信は無さそうに小声で呟いた。

 

「ああ、でも正しいんじゃ……って、ん? あれ?」

 

 待てよ、よく見るとなんか変だ。

 たしかにお腹が空いた、と訳せるはずだが……。

 い、いや、違う。このHungary、って。

 そうだ。俺の知っているお腹の空いたはHungryだ。さすがの俺でもそのぐらいは分かる。

 

 ……となると、これは。

 

「あい、あむ、はんがりー!」

「お前はハンガリーじゃなあああああいっ!!」

 

 奇声に似た悲鳴と共に四月一日が、ついに椅子から転げ落ちた。

 スカートの中はちゃんと見えないように工夫しているあたりが、やはり優等生なのか。

 っていうか、今、ヒューズが完全にぶっ飛んだだろ……。

 

「へけ? あたし、本当にハンガリーなんだけど?」

「ハンガリーは国だろ! 中央ヨーロッパに位置する面積統計93030K㎡、日本の約4分の1の大きさで、首都はブダペスト、もしくはブダペシュトだ。そして、お腹が空いたは、ハングリー! スペルはH・U・N・G・R・Yだ!」

「えー、日本よりちっちゃいのー? つまんないのだー!」

 

 大きいか小さいかで決められたら日本もわりと小さい国なんだけどな。

 そうなると、大豊が一番好きな国はロシアだろうな……。

 

「面積だけで優劣を決めつけるんじゃない。ハンガリーは世界三大珍味、フォアグラが有名だ。80年代に日本でも大ブームとなった、ルービックキューブを発明した建築家でもあるルービックもハンガリー出身で……って、黒生寺五郎、寝るな! まだお前は近畿地方も覚えられてないじゃないか!」

 

 そう言って、四月一日は黒生寺の肩を揺さぶった。

 関係のないハンガリーまで詳しく四月一日は大豊に教えていた。

 英語なのか地理なのか。はたまた世界史なのか……ルービックキューブがハンガリーで作られたなんて俺も初耳だ。

 

「四月一日さん、すごいよね」

「すごいっていうか、なんと言うか。言葉も出てこないな」

「うん。それと、すっかり忘れてたんだけど。さっきの、つゆまどろまれずってどういう意味か分かる?」

 

 ……あ、そうだった。

 

「つゆまどろまれず、は、“全く眠ることができない”っていう意味だ。つゆ、が全く、という意味で、打ち消し語と一緒に使うんだ。まどろむが、うとうとする。ちょうど黒生寺みたいな状態だな。そうだ、たしかこの一文は、更級日記で、作者が宮仕えをして、女房たちに囲まれて緊張や寂しさで眠れなかった場面であったんだ。故郷でいつも一緒に暮らしていた父や母を亡くした姪たちのことを思ってぼんやりしてしまうこともあって……なんだか少し、今の状況に通ずるものがあるかもしれないな」

「あっ……すごいね。出典もわかるんだ」

「あ、ああ、なんとなく、教科書で読んだことがあるから」

「それでも覚えているってだけですごいと思うよ。さすがだね……うん。とても分かりやすい説明だった。私、七島くんの解釈が聞きたかったんだ」

「……聞きたかった、って……なあ、天馬。もしかして古文、そこまで苦手ではないのか?」

「うん。苦手とは言ってないよ」

 

 要は少し試されたってことだったのかな?

 ……ううむ、言われてみれば『苦手』とは言ってないな。

 

 それに『教科書で読んだ』と咄嗟に嘘を吐いたのもなんだか気恥ずかしい。

 国語教師の父の影響か、小さい時から古典文学は読んでいたのだ。

 しかし、古文から引用したり、変に古文が得意だと、変人扱いされていたのも事実だ。

 

 なにごとも、ほどほどであること。それが、普通の学生生活では求められていたのだから。

 でも、もう違う。

 それは、この学園でよく学んできたことだ。様々な個性を大切にすることを重要としてきた……このみんなも、個性なんだ。

 

 大豊は先ほどから多く、間違っているが、ちゃんと四月一日の話は聞いて、どんどんと取り組んでいる。

 黒生寺は、我関せずのようだが、なにかスイッチが入ると集中力は高まるということが分かった。

 ……そのスイッチがどこにあるのかは分からないが。

 

「……どうしたの?」

「えっ!?」

 

 考えすぎていて、天馬に呼びかけられて変な声を出してしまった。

 個性とはいえども、さすがに、変なヤツ扱いはあんまりされたくない。

 

 四月一日が一旦、休憩のためか、お茶を口に含んだ。

 彼女はそれぞれの個性を潰さずに伸ばそうとして教えている。労力は相当なものだろう。

 なにか、できないだろうか?

 ……マナマナマシーンで手に入れたプレゼントでもあげるか?

 

「四月一日、おつかれさま。これでも使ってくれよ」

「……ん、それはなんだ?」

「ええと、『新版:ユビキタス手帳』っていうやつなんだけど。購買部のマナマナマシーンで買ったんだ。これ、四月一日が好きそうだなって思って。もしよかったらあげるぞ」

「えっ、私にくれるのか? ほ、本当か? 私のためにか?」

 

 突然、俺の前にずずいと乗り出して手帳を見る。

 頷いて四月一日の細い手の中に渡すと、じっくりとながめたりパラパラとページをめくっている。

 珍しく興奮しているのか、鼻息が荒い。

 

「あ、ありがとう。七島竜之介! この恩は一生忘れない。そして必ず返す!」

「そ、そんな大げさな。四月一日は頑張っているからさ。そりゃ、軍曹でスパルタっぽく見えるけど。でも、絶対にどんな相手でも見放さないから凄いと思うぞ」

「私も、そういう責任感やリーダー性が、四月一日さんの個性だと思う。みんなの視線に合わせて、ちゃんと説明できるって、そうそうできないよ」

 

 個性、という言葉に四月一日が考えるような仕草になった。

 

「なるほどな、個性か。面白い言葉だ。七島たちには私がそう見えるのか?」

「いや、みんな、そう思ってるさ。今ここにいる、大豊や黒生寺だってそうだろう。そうじゃなきゃ、二人とも逃げ出しているぞ。それに、お前のおかげで、場がまとまっているんだ。『優等生』だからこそ、そして、四月一日の個性があるからこそ、今が成り立っているって思う」

 

 俺がそう言うと、四月一日が今度はきょとんとしていた。

 しかし、すぐになんだか気恥ずかしそうな顔になった。

 

「そんなこと言われたのは、初めてだな。『優等生』はただ勉強ができて、成績が優秀であることが、個性と言われがちだから。そう言ってもらえると、本当に心強い……ありがとう」

 

 そう言って、四月一日は、微笑を浮かべた。

 普段、彼女は笑顔を見せないが、それは不器用なんかではない。その使い方が巧いのだ。

 彼女の笑顔を見せられると、ちょっとそんなことを考えてしまった。

 

 笑顔の後は、また凛々しい顔に戻る。

 四月一日は、ぱんぱんと手を二回たたいた。

 

 

「よし、みんな! 後、3時間、やりきるぞ。分からないことがあったら、七島竜之介にもたくさん聞いてくれ」

 

 ……ん?

 七島竜之介にも。って今言わなかったか?

 四月一日がこちらを見て、にやりと笑っていた。

 

「へ、へけぇ!? 3時間コースゥッ!?」

「いや、ちょっと待て。なんで俺も?」

「当然だろう。使えるものは最大限に使うのも私の個性だ!」

 

 ……あ、あれ? なんか良い意味で言ったのに、変な方向に曲げられてないか?

 まさか、はめられたのか?

 

「うん。私も賛成。七島くんも模範生だから」

「じゃあ、七島っち、国語おしえてー! 数学の問題の漢字が読めないのだ!」

「後は任せた。俺は寝る……ぐう」

 

 ……そして、結局、夕方近くまで勉強会は続いた。

 果たして勉強会が成果をもたらしたのかは……いや、のれんに腕おしとか、考えちゃダメだ。

 

 でも、俺も教え役に入ってから、四月一日は「違う!」と声をどんどんと大きくしていったがその姿は生き生きとしていた。なによりもキラキラと輝いていて鬼軍曹の顔ではなかった。

 そして少しずつ、みんなは四月一日の話に耳を傾けながら、勉強に挑戦して行った。

 それぞれの個性を生かしながら、協力し合いながら。

 絆がどんどんと深まっているのが実感できた。

 だから、完全な無駄とは言え無い時間を過ごすことができたと思った。

 

 ……学力的なことは、やっぱり考えたら負けだ。

 

 

 


 

 

『マナクマ劇場』

 

 

 ボクはモノクマ先生を尊敬しています。

 先生がセクシーダンスを踊るなら、ボクはフラメンコを習うように。

 少しでも先生に近づきたかったんだ。

 そこで、少なくとも朝食ぐらいはいっしょにしたかったの。

 

 でも、「先生は朝、なにを食べているんですか? やっぱり人肉っすか?」

 とは言いだせない、シャイボーイなボクなのでした。

 

 そんなある日、閃いたの。

 モノクマ先生と言えば、ホットケーキとバターじゃね?って。

 

 と言うわけで、ボクもホットケーキミックスを買って作ってみたんだよね。

 でも、あれって、おかしくね?

 ぜんっぜん、パッケージの写真どおりになんねーの!

 裏の説明書きもちゃんと読んでやったのに、ホットケーキはぺっちゃんこ!

 だから、先生に倣ってサポートセンターに抗議してやったんだ。

 

 そしたら、すぐにサポセンのお姉さんは、鼻で笑って教えてくれたよ。

 ふんわりした分厚いホットケーキの作り方をね。

 

 レシピの内容はググればでてくるから言わないけど、これって新手の詐欺だよね?

 最初から書いておけよ、っていうね。

 でもこれで、ボクは思いました。

 

 相手がどんなに断言したことでも、やすやす信じちゃダメなんだよね。

 どんなに相手がなにを言っても、100%の真実は存在しないんですよ。

 だって、「命をかけても!」って言っている奴に、「ならば、死にな!」って言って、

 本当にぽっくり死んじゃうヤツがどのくらいいるかって、話なんだよ。

 

 これを機に、パッケージの写真=できあがったホットケーキになるまで、

 ボクは、何事も信じられなくなりました。

 

 そして、これが、ボクがモノクマ先生のマネを、

 6割ぐらいにとどめることになったきっかけでもあるのでした!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 起動する動機

 

 3日目の夜……ひさびさに全員が食堂に集まっていた。

 俺は自分でも簡単に作れるレトルトカレー。

 一汁一菜を作って食べている四月一日もいれば、食欲が無いのか、カロリーメイトをちびちびと食べている錦織もいる。

 はたまた、きゅうりとトマトを丸ごとかじる大豊もいるぐらいだ。

 献立ですら十人十色、というところか。

 

 厨房から戻ってきた角は、ぽてぽてと効果音がなりそうな足取りで、真っ先に黒生寺の前にやって来た。

 そして、彼の目の前に市販のカスタードプリンを差し出した。

 どうやら角は彼に貢物をするのが日課となっているようだが……。

 

「黒生寺さま。プリンでございます。愛と真心をこめて、お送りいたしますでございます!」

「ふん……俺は黒胡麻プリンしか食わん……」

 

 黒生寺はそっぽを向いて、ひじきを食べていた。どこまで黒オンリーなんだ……。

 角がしょんぼりしているが、すぐに「それでは」と別のものを用意してくるあたりが辛抱強いというかなんというか。

 今度は、黒胡麻せんべいのようだ。

 

 角がせんべいを差し出すと、黒生寺は無言でひったくって、ばりぼりと食べる。

 花が咲いたように角は喜んでいるが……これは、まるで鹿の餌付けだ。

 

「ねえ角。いらないなら、このプリン食べていい?」

「ああ、紅さまはカスタードプリンがお好きでございましたね。もちろんでございます。おめしあがりくださいませ!」

 

 紅が角からプリンを貰って、小学生のように嬉しそうにスプーンでつっつく。

 いかにも外見は大人っぽいのに、この姿を見ると不思議とあどけなさを感じる。

 

「ぼくもプリンは好きだよ! マドモアゼルは……」

「はむぅっ!! やめて!! シモネタは言わないでほしいのだ!」

「ウーララ!? まだ、なにも言ってないよ!?」

 

 大豊が耳をふさいでいるのを見て、クロワッサンを片手にランティーユは仰天していた。

 この2人もだいぶ仲がよくなってきた。

 ……いや、ランティーユの一方通行だな。

 

「ところで諸君。プリンが何故固まるのか知りたいか? そして、そのプリンが固まるベストタイムを! 聞いても聞かなくても、よく聞くがい」

『そんなことよりパソコンが固まっちゃったら、強制終了するやつってどんぐらいいる? あれ、マジで危険だけど、ついやっちゃうよねー』

 

 

 ……えっ!?

 

 

「ぎゃああああ、マナクマァァァ!?」

「なにをしにきた! 要件を述べろ!」

「なっ!? 吾輩の話を邪魔するんじゃない! まあ、慣れっこだが気にしてないが!」

 

 ランティーユが叫び、四月一日がすぐさま立ちあがる。

 円居は相変わらず斜め上のツッコミだ。

 しかし、気がついたら頭の中が急速に凍り付いていた。

 あんなに穏やかな空気であったはずなのに、マナクマに対してみんなの冷ややかな視線が反射的に注がれていた。

 

『ショボーン……南極でシロクマに会ったみたいな反応されると、いとわびしだね……って言うか、オマエラってニブチンじゃね? あ、シモネタじゃないよ?』

「どこをどう取ったら下ネタになるのよ!? あなた、なにしに来たの!」

 

 藤沢が珍しくマナクマに対して、怒りを露わにする。

 それに対して、マナクマは手を後ろに回して悲しそうに小さな目をさらに細くした。

 

『ボク、オマエラのこと観察しまくってたんだけどさ……なーんか、ぬるいんっすよね。お酒はぬるめの燗でいいって、よくスウェーデンの人が言ってたけど、ボクなら、一度下がっただけで無理だね。ちゃぶ台返しもんだよ』

「それは、スペインのことわざだろ……」

「ええと、ぼくはことわざに詳しくないけど……でも、どっちも違うと思うよ!?」

 

 能天気な黒生寺の発言に、ランティーユがツッコミをいれた。

 そもそも、なんでそんな話になるんだよ。

 

『あ、わかった! 人物、場所、時間、設定。時は来たれりなのに、なんでドキドキが起こらないか……大切なことを忘れてたよ! やっぱり、ボクっておっちょこちょいだなあ。買い物しようと町にでかけたら、ドラネコをつかまえちゃったユカイなクマだなあ』

「……ねえ、大切なものって?」

 

 天馬がじろりとマナクマを睨みつける。

 その眼光は静かではあるが、とても鋭利なものに思えた。

 

 

 

『そう、予想通りでも、そうでなくとも! みんな大好き、“動機”のお時間でーす!』

 

 

 

 日に日になごやかになっていたはずの時間が一瞬に凍りついた。

 充実した日々が嘘のようにガラガラと崩れていく。

 俺のスプーンにすくわれていたご飯が皿に滑り落ちて、濁ったカレールーに沈んでいく。

 

『と言うわけで、オマエラ。視聴覚室にボクから“ステキな映像”をあげちゃいまーす。待ってるからねー! 来ないと、校内放送で強制的に全員に見せちゃうよ? うぷぷぷぷ!』

 

 そう言って、マナクマは消えて行った。

 俯く者、顔を見合わせる者、口をぽかんと開ける者……。

 あの平和な時間は、幻だったのだろうか?

 

 動機。たった一言。

 だけど、その言葉一つで、なにもかもが嘘のように跡形もなく消える。

 

「……みんな、怖いのは分かる。私だって怖い。だけど、私は向かわせてもらう。映像がどんなものであれ、私は屈しない。お前たちを必ず導いてみせる。だから、ついてきてほしい。私は先に向かう」

 

 そう言って、四月一日は力強い足取りでその場を去って行った。

 やはり先陣を切るのはいつも彼女だ。

 

「やれやれ、折角の食事がブタのエサになっちゃったねえ」

「黙れ、ブタタヌキ……」

「君ってさあ、タヌキしかボキャブラリーないの? 逆に尊敬しちゃうよ。蛆虫のくせにね……ま、僕も行かせてもらうよ」

「逃げんじゃねえ……貴様の内臓をウィンナーにしてやる……」

 

 足早に去った十和田を追うかの如く、ゆらりと黒生寺も立ちあがって食堂を後にする。

 でも、他は……。

 

「え、えっと……あ、はは、動機ってどういうことなのかな?」

「心臓の拍動を自覚した、もしくは心拍数が強く意識される状態。そして、それは心悸亢進とも呼ばれるものだぞ!」

「へけ!? なにそれ怖いのだー!」

「たしかにこわいよね、マドモアゼル! って、それは息切れのほうの動悸だよね!? というか、そうじゃなくて……ぼくたちはどうすればいいんだい……!?」

 

 ランティーユが怒涛のツッコミ終えたが、訪れたのは再びの沈黙。

 

 突如、ばんと大きな音が鳴りわたった。

 萩野がテーブルを叩いて、勢いよく立ちあがった。

 その顔は真っ赤で、ぶるぶると震えている。怒りと混乱が抑え切れていない表情だ。

 

「い、行くしかねえだろ。くそ、行くしかないんだよ! だってよ、他になにがあるってんだよ!? ここで黙って立っていても映像は流れるんだろ? だったら、やっぱり自分の目で、確かめるしかねえだろっ!」

 

 萩野は雄たけびのように叫んでいた。

 半ば、自分に言い聞かせるようなそんな口ぶりだった。

 

「うん、そうだよね。幸運でも不運でも、その後のフォローが大事。最初から悲しいことを望んでやるのは、それは不運じゃないよ」

「そ、そーだね。まず前に進んだ方がいいんじゃね? ほら、どんなにデザインを頭で考えていても、やっぱり、描かなきゃホンマツテントーって言うじゃん? まずは行動! それしかないっしょ!」

 

 天馬や真田などの女子たちも奮起し始めて、次々と食堂を離れていく。

 続々といなくなり、気がつけば。

 俺も、一歩、一歩と足を進めていた。

 

 もしかしたら、なにかあるかもしれないという希望からなのか。

 動機から逃れられないという絶望からなのか。

 なにが俺を突き動かしているのかは分からなかった……。

 

 

 

 

 視聴覚室に到着すると、ほとんどの人たちが座っていた。

 どうやら座席は指定されているようだ。

 『七島竜之介』と下手な字で書かれている紙を最後列の席を発見して、恐る恐る席に座った。

 

 隣の席には後ろからついて来ていた錦織が席に着く。

 彼女はガタガタと震えっぱなしだ……。

 その姿を横目で見ていると、素早くギロリと一瞥された。

 

「わ、私が隣で、悪かったわね……演劇部のほうがよかったんでしょ? こんな色気がない、女子力がゼロの司書となんて、一緒の空気ですら吸いたくないって思ってること分かってるんだからね……!?」

「え……えっ!? い、いや、そんなつもりは」

 

 弁明しようとしたその瞬間、電源のついていなかった画面が突然光を放つ。錦織も同じだったようで、ヒステリックな声を止めて、視線を落としていた。

 

 

『まずはヘッドフォンを装着ぅっ!』

 

 

 画面に滑稽な文字が映し出される。

 あらかじめ付けられていた、耳の部分にマナクマの絵が描かれている悪趣味なヘッドフォンを装着した。

 文字が消えて、白く塗りつぶされていく画面を食い入るように見つめる……いったい、なにが始まるんだ。

 

 

 

「あ……、」

 

 

 思わず声を漏らしていた。

 画面に映し出されたのは見覚えのある三人。

 

 緊張しながらも温和な笑みを浮かべる父さん。

 お気に入りのパールのネックレスをつけた母さん。

 結婚して妊娠6ヶ月目に入ったお腹の大きい姉さん。

 

 白いソファに茶色い木製の椅子。壁にかけられた自分の書。それは、手紙。あるいは声でしか聞いていなかった――懐かしい光景が広がっていた。

 

 

「卒業、おめでとう……って、なんだか改めて言うと、照れくさいな……希望ヶ峰に入学なんて、最初は信じられなかったけど、きっとたくましく成長したんだろうな。早くお前の姿が見たいよ」

 

 

「あなたが希望ヶ峰に入学して、寂しいこともあったけれど、活躍しているって聞いてずっと嬉しかったのよ。今日が良い日になることを楽しみにしているわ」

 

 

「竜、見てる? あたしも、旦那も、それにお腹の子も会いたがってるよ! みんなで美味しいもの食べようねー!」

 

 それはありふれた日常そのものだった。

 卒業式の当日、朝にでも見せるものだったのだろう。

 優しさ。温かさ。胸の中になにかがこみ上げる。

 当日に見たら、きっと感動的で感慨深いものが残ったのだろう。

 

 

 でも。

 

 

 これは違う。

 

 

 胸の中でこみあげたものは感動なんかじゃない。

 今日は、卒業式じゃない。

 これは、卒業式じゃない。

 もう、卒業式なんか、ない。

 

 これで終わるはずがないのだ。

 

 そして、その予想は、むなしくも当たってしまった。

 

 

 

 

 静かに暗転をしていく映像。

 その後、すぐさま映し出されたものは。

 

 

 

「うっ……!?」

 

 

 禍々しい血だまり。散乱した血飛沫。

 椅子もソファも、かけられていた自分の書も引きちぎられていた。

 もはや、元がなんだったのか咄嗟に分からない。

 

 ちがう! そんなことよりも!

 

 

 父さんは?

 

 母さんは?

 

 姉さんは?

 

 姉さんのお腹の子供は?

 

 

 次々に疑問が浮かんでは、すぐに消えていく。

 

 

 

 おい、なんで。

 なんで、なんでだよ。

 映像に呼びかけようとしても言葉が発せられない。

 

 

 

『超高校級の書道家、七島竜之介くん。

 幸運にも入学できた彼の卒業を、ずっと心待ちにしていた七島くんのご家族。

 そんな彼が卒業となり、どんな思いを馳せていたのでしょうか。

 でも、その思いはもう誰にもわかりません』

 

 

 言葉が思いつかない放心状態に追い討ちをかけるかの如く。

 あの声がヘッドフォンの中で響き渡る。

 

 

 

『さて、ここで問題です!

 

 七島くんのご家族の身に、一体なにが起きたのでしょうか?』

 

 

 

 映像がすぐに切り替わる。

 そして、仰々しく映し出されたものは。

 

 

 

 

 

『 正解は、卒業後! 』

 

 

 

 

 赤い可愛らしいポップ体の文字。

 それ以降は、映像もなにも見えない。ヘッドフォンからはなにも聞こえない。

 

 

 ――無、だった。

 

 

 

「……な、んで……」

 

 

 無の世界から俺を引き離したのは、隣の錦織だった。

 ガタガタと肩だけでなく、歯を鳴らして震えていた。

 

 

 しかし、それに気づいた時には。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっ、いやああああああぁぁぁぁあっっ!!!? ああああああぁぁぁぁぁっ!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我に返った時には、絶叫が響き渡っていた。

 ヘッドフォンを投げ捨て耳を塞ぐ錦織。

 彼女の口から発せられるのは声にもなっていない。

 いや、音にもなっていない、なにかが発せられていた。

 

 

「う、うわああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?!」

 

「はむうぅぅぅぅぅっ!?」

 

 

 ランティーユ、大豊も続き、次々と皆が席から立ちあがった。

 ヒステリックを超えた混乱は瞬く間に伝染していった。

 悲鳴はなくとも、さすがに他の者たちも動揺を隠せないようで、青ざめる者、目を瞑る者。

 様々な苦しみが、あっという間に、視聴覚室の中で充満していく。

 

 

「お、おいっ待て!! みんな落ち着くんだっ! 全員が混乱したら悪化するだけだ!」

 

 

 四月一日は、その中で平静を取り繕っているほうだが、さすがの彼女も衝撃が強すぎたのか。

 端正な顔にいくつもの青筋が立っていた。

 

「こ、こんなものは馬鹿げている……っ! いくらなんでもタチが悪いぞ!?」

「そうよ。どうせ、合成でしょう? みんなを惑わせるためにマナクマの作った悪い冗談でしょう!?」

『それは、ちがうよ!』

 

 円居と紅の動揺が全員の意見として一致して発せられた瞬間。

 それは突如現れたマナクマによって打ち砕かれる。

 

『ボクの目は節穴でも、邪気眼でもありません。この青い瞳は、妄想の世界に浸っているオマエラと違って、現実しか見えませんので!』

「い、いやだ……は、はっ……こんなの、信じ、られないよ……」

 

 いつも涼しげな笑顔を見せている井伏も、今はヘッドフォンをつけたまま。

 唇をひくひくと痙攣したかのように歪ませながら、手を膝にのせて、目に涙をためながらうつむいていた。

 取り乱してはいないが、精神は大きく揺らいでいることは明らかだ。

 

『あ、そうそう、この映像、一回再生したら自動消滅するので。ちゃんと見れなかった人には、本人にだけ、また見せてあげるから! うぷぷぷ、そう言うわけで、何度も見たいって言うヤツは、いつでもどこでもなんどでも、ボクに言ってね! では、素敵な余興を。あーはっはっはっはっはっ!!』

 

 マナクマは最低な笑い声と共に去って行った。

 その阿鼻叫喚とも言える状況から、絶望的な皮肉と映像を残して……。

 地獄絵図のような光景は今もなお映し出されている。

 みんなが泣き喘ぎ、喚き、狼狽える。

 

 

 そして、自分も。気がつけば。

 

 

「七島竜之介、落ち着くんだ! 気を持て!」

「七島くん……しっかりしてっ」

 

 四月一日と天馬が駆け寄ってきて肩をさすっているようだった。

 

 ……さすられて、いるのか?

 

 感覚が無い。悲鳴が出ない。

 

 

 酸素。酸素を欲していた。

 

 言葉にならずに空気だけを飲みこんでいた。

 

 

 

 俺は、なにを言っていいのか。

 

 

 

 俺は、なにを喋っていいのか。

 

 

 

 俺は、なにを思えばいいのか。

 

 

 

 俺は、なにを叫べばいいのか。

 

 

 

 

 俺は、なにを、

 

 

 

 

 

 なにを。

 

 

 

 

 

 

 なにを?

 

 

 

 

 

 

 

 俺は……なに……を………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく視聴覚室は落ち着きを取り戻したようだ。

 ……いや、なんとか落ち着いたのだろうと思ったときは、いつだったのか。

 阿鼻叫喚の跡が残っていることは、この視聴覚室全体に感じられた。

 隣の席に座っていた錦織は、まだ具合が悪そうに見えるが……。

 

「錦織さま……ど、どうかお気をたしかに……! 声がお枯れでございますので、芙蓉のいちごキャンディをお召し上がりくださいませ……!」

「よ、余計なお世話よ……飴はハッカ味しか受け付けてないから……そ、それにしたって、魔法少女に心配されるなんて、私も落ちぶれたものね……」

 

 錦織の声はガラガラでヒキガエルのようになってしまっているが、嫌味を言えるほどには回復したようだ。

 

「ランティーユと大豊も落ち着いた?」

「ウ、ウィ、メルシー……マダム紅……なんとかね……」

「で、で、でも、まだ震えが止まんないのだぁ……」

 

 二人もなんとか絶叫は終えたようだが、生まれたての小鹿のように震えている。

 だけど、俺もさっきまではあんな風になっていたんだ。他人事とは思えない。

 

「……みんな、大丈夫なのかな」

 

 天馬が俯いてぽつりと呟いた。

 俺のように過呼吸になった者の他にも……

 井伏のように、口を噤んで今にも泣きだしそうな者。

 紅のように、感情を押し殺そうと目を瞑る者。

 黒生寺や十和田のように、明らかに忌々しげな表情の者。

 声をあげずとも、苦しい悲鳴を隠し切れていない者がほとんどだった。

 

 

 

 しかし、そんな中でも。

 

 

 

 

「みんな、信じるな」

 

 

 

 

 いつもと変わらぬ口調が響いた。

 きっぱりと四月一日が言い切ったのだ。

 

 

「マナクマの言うことなど信じるな。いかにも絶望的なものを信じる必要なんてない――それに、我々のような希望とも言われた存在を世界が蔑ろにして見捨てるなどおかしな話ではないか?」

 

 

 この自信はいったいどこから来るのだろうか。

 唖然を通り越して、この度胸は安心を覚えさせるような。

 それとも、みんなが動揺しているからこそか。

 その確固たる自信は、少しずつ俺にも平静を与えてくれた。

 

「だから私は決してこの映像を信じない。しかしなにか感化されたなら。必ず私に相談してくれ。誠心誠意を持って力になる。約束しよう」

「ふん、くだらん……最初から俺は俺しか信じねえ……言われなくてもバカバカしい映像にすぎん……」

 

 忌々しげな顔のまま、黒生寺は、BB弾銃を画面に向ける。液晶にBB弾があたって、蜘蛛の巣のようにひびが入る。

 ……って、壊していいのか?

 

「ええ、その通りです。いきなり現れたマナクマなんかより、数年間、同じ学び舎で過ごしたみなさんの方が私もまだ信用できます」

「そ、そっか、そうだよね! ようし、あたしも負けないのだ!」

「ウィ! マドモアゼルが負けないなら、ぼくも負けないよ!」

「むぅ、マネしないでよ!」

 

 あんな映像を見せられても、少しずつ修復できるのは、やはり培ってきた成長もあるからか。

 少しずつ気持ちを制御できているような……。

 

 

 

「ねえ……竜ちゃん、大丈夫?」

 

 

 

 えっ?

 突如、藤沢に顔を覗きこまれた。

 彼女の豊満な胸元が見えそうになり、慌てて視線を顔に移した。

 秀麗な顔立ちだが、細い眉が下がって、いかにもアンニュイな表情だ。

 

「大丈夫? まだ青ざめてるわ。辛かったら卯月ちゃん……ううん、アタシでもいいから相談してね。竜ちゃんがそんな表情だと、アタシまで悲しいわ。アタシ、竜ちゃんの笑顔が好きなのよ? だから、元気出して……ねっ?」

 

 ドキリとした。

 それは、最初の時に見せた冗談でも演技でも無い。

 素の表情――彼女そのものであったからだ

 

「……あ、ありがとう」

「そうそう、竜ちゃんはやっぱりその表情よ。そうだ、健ちゃんにも心配かけちゃだめよ? 親友なんでしょ?」

 

 そう言えば、萩野はどうなのだろうか?

 辺りを見回して萩野を見つける。

 彼は硬く目を瞑っていた。拳を握りしめて、歯を食いしばり、なにか祈っているような姿にも見えた。

 一旦、藤沢から離れて、萩野の肩を軽く叩いた。

 

「おい萩野、大丈夫か?」

「あ? ああ、七島か。って、真っ青じゃねえか! まさか、あの映像を信じてんのか? 俺はぴんぴんしてっぞ? おめーは、もうちょっと鉄分とれよな?」

 

 真っ青。

 それは確かにそうかもしれないけど、自分では分からない。それは俺だけじゃなくて。萩野だっていっしょだ。

 

「無理、するなよ」

「……おめーこそな」

 

 そう言って、お互いの肩に一発拳を入れておいた。

 萩野の力強い拳は、何度も学園生活中で受けとめてきたはずだ。

 だけど、今回の拳は雲をつかむような、とても心もとないものだった……。

 

「とりあえず、今日は一旦解散しよう。もし怖くなったら、私のもとに来てくれ。一緒に私の部屋で寝てもかまわないぞ」

「へえ、そんなこと言ってもいいのかなあ? 変態家畜が本気にして、夜這いするかもしれないよ?」

「なんと!? 吾輩はそんなハレンチな真似はしないぞ!」

 

 十和田が不敵な笑みを浮かべると、慌てた様子の円居が取り繕うように堂々とした構えでそう言った。

 ……変態家畜って、円居のことなのか?

 

「いや、そこのキノコ頭のことだけど?」

 

 一方の、十和田が杖で示したのはランティーユだった。

 指摘されたランティーユは、「ウーララ!?」といかにもオーバーリアクションで構えた。

 今までの行い(?)もあったためか、女子たちが少しだけ変な目で見ている。

 

「ぼくだったのかい!? そんな犯罪者まがいのことしないよ! それに今のところ、ぼくはマドモアゼル大豊以外は範囲外だから、勘違いはやめてくれよ!」

「うわあああん、やっぱり気持ち悪いよぉぉ! 四月一日っち、今夜は一緒に寝てぇっ!」

「……私も、いいかな。あの気味の悪い映像から、少しでも気を紛らわせたくて……ダメかな」

 

 天馬も手を挙げた。

 クールな表情であるが、彼女もあの映像が怖かったのだろうか。

 そんな中、藤沢はパチンと手を叩いてニコリと微笑む。

 

「ねえ、いっそのこと、今日は女子はみんなで寝ない? そうしましょうよ!」

「お泊りでございますね! 女の子の醍醐味でございます!」

「じょ、女子は、私も入っている……わけないわよね、そうよね……」

「入っているわよ、錦織……でも、狭いんじゃないかしら? さすがに四月一日にも迷惑にならない?」

「心配は無用。入らなかったら、私は風呂で寝る」

「ひゅう! 四月一日ちゃん、ばりめっちゃ男前っしょ!」

 

 女子はみんなで寝ることに決まったらしい。

 どのぐらいあの部屋が収容可能なのか分からないが……。

 そう言って、女子たちは早々ぞろぞろと退出して行った。

 切り替えが早い、と言うか団結力が強い。これも四月一日がいるからだろうか。

 

 一方の男子……俺たちは。

 

「徹夜と夜更かしはクソだ……」

「吾輩は朝昼晩常に白衣だからパジャマを持っていないのだよ。パーティのドレスコードを持っていないともいえるな! ふはははは!」

「寝巻は一番汗を吸う衣服です。そのような状態の人間が密集してベッド付近で飲食を共にするなど冗談極まりないですね」

「マドモアゼルやマダムたちのパジャマパーティ飛び入り参加は大歓迎だけど、ムッシュばかりのむさくるしいのは……うひぃ、吐き気がしてきた……」

「なら想像しなければいいのにねえ。それじゃ。みんな、むきむきのプロレスラーが羊をなぎ倒す夢を見れるといいね」

「あ、あはは……それは、おぞましい夢だね……」

 

 ごちゃごちゃと言いながら、男子はばらばらに戻って行く。

 親しい萩野はともかく、俺もこんな彼らと一緒の部屋で寝るのはちょっとな……。

 萩野を追いかけようとしたが、気が付いたら見失ってしまっていた。

 足取りがおぼついていなかったから心配だ……

 おぼついていなかったのは、途中までいた井伏も一緒で、ずっと足を引きずるように歩いていた。

 

 

 部屋に着いた後……まだ夜時間とは程遠い時間だった。

 眠くもないが、ぼんやりとベッドの上に寝っ転がっていた。

 シャワーも浴びずに、そのままの状態で、真っ白い電灯を見上げていた。

 

 

 信じてはいけない。

 

 

 四月一日の声が思い返される。

 

 どうしてみんなのように、素直に頷けなかったのだろう。

 どうして、こんな胸騒ぎが止まらないのだろう。

 

 

 俺がひねくれているからなのか?

 それとも、臆病だからなのか?

 

 どちらにせよ、考えてはいけない。

 考えたら、もう戻って来られない。

 

 無理矢理、ベッドの中にもぐりこんだ……。

 大丈夫。きっと明日は大丈夫だ……。

 きっと、俺も萩野も、明日になれば忘れられるさ。

 

 この日をなかったことにすればいい。

 そして、この学園生活をなかったことにできれば。

 これ以上にない幸せはなかっただろう。

 そうなれば、今頃は父さん、母さん、姉さんとともに……。

 

 枕を涙に濡らしたまま、俺の意識は夢へと埋もれていった……。

 

 

 


 

『マナクマ劇場』

 

 

 マナクマ むかしばなし

 

 むかしむかし、あるところに商人が人身売買をしていました。

 

「さあ、よってらっしゃい。見てらっしゃい! これはどんな絶望も論破する反吐がでるほど甘ったるい『超高校級の希望』というものです。一方、これはどんな希望も打ち砕く狂おしいほどの『超高校級の絶望』というものです。どちらもすごいんですよ! なんてったって『超高校級』ですからね!」

 

 誇らしげに商人が言いました。

 客たちは、「すごいすごい!」とてんやわんやの大騒ぎ。しかし、そんな商人に、客の一人がニヒリズムたっぷりに告げました。

 

「じゃあ、あんたの言う『希望』と『絶望』をぶつけたらどうなるんだ?」

 

 マズいぞ、このままだとインチキがバレてしまう。

 困った商人はこんなことを口走ってしまいました。

 

「それなら、やってみればいいんだろ!」

 

 そうして、客の目の前で実演を行ってしまったのです。

 『希望』と『絶望』が商人の手が解き放たれ、彼らは奴隷という“仲間”から“敵”に変わりました。

 そしてお互いが拳を交わしたとき。

 

 それこそが、世界が一つになった瞬間だったのです。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 パーティの準備

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 アナウンスと共に起きあがると、また頭の中がブラックアウトしていく。

 そして、映像がいきなりフラッシュバックした。血飛沫と肉片らしきものが、脳裏から離れない。

 頭に鈍痛が走り、思わずベッドの中で、またうずくまってしまった。

 ちら、と壁時計を見ると、針は7の数字を指している。

 

 ……7時だって? 俺はあれから、俺は何時間寝ていた?

 物理的には眠れていたはずなのに、感覚では全く眠れていない。

 寝れば忘れる。その言葉は果たして本当なのかと疑ってしまうほどだ。

 とにかく、今は朝食だ。食堂へと向かうため部屋から出ることにした。

 

「あら、竜ちゃんに芙蓉ちゃん!」

「藤沢さまに七島さま。おはようございます!」

 

 早速、扉を開けると藤沢と角に出会った。

 ……なんだか藤沢の顔が青ざめているように見える。気のせいだろうか?

 

「藤沢さま、昨晩は大丈夫でございましたか?」

「ん? ああ、心配かけちゃったわね。大丈夫よん、卯月ちゃんに話したらすっきりしたから」

 

 さらりと藤沢はさきほどの表情を変えて微笑んだ……って、あれ?

 

「いっしょに寝ていないのか? 女子は一緒に泊まったって聞いたけど」

「ええ。夜時間が始まるまでは、四月一日さまの部屋にみんなでいました。でも、さすがに全員でこの部屋に寝るのはむつかしいということになって、グループを二つに分けたのでございます。四月一日さまと、紅さまの部屋で。藤沢さまは四月一日さまの。芙蓉は紅さまのお部屋に泊まらせていただいたのでございます」

 

 なるほど、たしかにあの部屋1つで8人いっしょに寝るのは苦労するだろう。

 

「女の子はさっき人数を確認したから大丈夫だけど、あれから竜ちゃんたちはどうしたの?」

「俺たちは、そのまま解散してそれぞれ寝たよ」

「そうでございましたか。それにしても……食堂にみなさま、集まっているのでございましょうか……?」

 

 角が祈るように指を組んで、不安そうに言った。

 ……大丈夫なのだろうか。

 その姿を見ていると、俺までますます心配になってきてしまった。

 気がつけば、三人とも足早に食堂に足を進めていた。

 そして、食堂に辿りつくと……。

 

「おはよう。藤沢峰子、角芙蓉、七島竜之介……よし、全員そろったな。今日は集まりが非常に良い! 素晴らしいことだ!」

 

 四月一日が最初に清々しく出迎えてくれた。

 その瞬間、肩の力がすっと抜けたのを感じて、慌ててまた力を入れた。

 しかし、四月一日の満足そうな顔とは裏腹に、周囲の顔はあまりよろしくなさそうだ。

 もう席に着いている萩野も、昨日に比べれば平静だが、あまりにも落ち着きすぎていて、見ているこちらが心配になってしまった。

 

 

 

「さて、記念、と言うわけではないが……私から早速、提案があるんだ。みんなで“パーティ”をしないか?」

 

 

 ……パーティ?

 四月一日の、突如の提案に全員がきょとんと目を点にする。全員と言うよりは、男子一同というべきか。

 発案者は自信に満ちた顔で俺たちを見渡す。

 

「あはっ、もしかして親睦会のことかな?」

「井伏歩夢の言う通り、そのようなものだ」

「ふうん? こんなときに、パーティなあ……?」

 

 十和田がぼそりと呟いたが、すぐさま四月一日が反応して彼を見据える。声を見分けられてしまった十和田は、何食わぬ顔で目を反らした。

 

「そうだな。ここ数日で、ほとんどの者たちはこの生活に適応し、それぞれは親睦を深めただろう。しかしながら、全員ときちんと交流するという機会はまだ無かったはずだ」

 

 ここで四月一日は一息ついて、ぐるりと生徒たちを見渡す。

 それは、一人ずつにアイコンタクトを取っているようだった。

 目と目があったのは少しの時間……それでも、強い訴えが、彼女の瞳の中にあることは確かだった。

 

「このような状況下でなにを考えているんだと思う者もいるだろう。しかしこの状況だからこそ。昨日の件があったからこそ。今こそみんなの協力が必要だ。そして互いのことを知るべきだと私は思う。昨夜、私を含め、女子たちは賛成してくれたが、男子たちはどうだろうか?」

「おう、全くの異議なしだ! こーいうお楽しみがなきゃ、やってらんねーよな!」

 

 真っ先に賛成したのは、萩野だった。

 四月一日の意見を聞いて、元気をもらったのか。

 昨日の憑きものを完全に落とした、満面の笑みだ。

 きっと、萩野も今の状況を四月一日同様に案じているのだろう……。

 

「俺も。ピリピリしてちゃ疲れるからね。それに俺も男女問わずにみんなともっと話したいかな、なんて。あははっ」

「良い提案だと思います。私も参加しますよ。掃除班として!」

「科学者とパーティというのは合うものなのか? まあ、吾輩の場合は相反していても参加するがな!」

「トレビアン! マドモアゼル大豊が出るなら、ぼくも参加するよ!」

 

 ほとんど全員が賛成した。俺も短く頷いた。

 

「黒生寺五郎、十和田弥吉。お前たちの意見は?」

「あんまり人と群れるのは好きじゃないんだよねえ」

「俺は寝る……」

「群れなくても、寝ててもいい。とりあえず、祝杯と食べるぐらいは来てくれないか?」

 

 四月一日は彼らを見てそう言った。

 十和田は肩を竦めて、黒生寺は生あくびをした。

 

「へいへい、マジックしてほしいなら収入もちょうだいね」

「ふん……変質者が出たら俺がとっちめてやる……」

 

 とりあえず、了承……なのか?

 四月一日は「感謝する」と満足げに頷いた。

 

「ああ、今から楽しみでございます! それでは、パーティはいつやるのでございますか?」

「いつやるかだって? 今日だ」

「今日でございますか!?」

 

 予備校のコマーシャルを彷彿とさせるやりとりが、四月一日と角の間で繰り広げられた。

 しかし、今日というのも早急すぎないか?

 

「思い立ったら吉日が私のモットーだ。本日の夜7時から。場所は会議室で行いたいと思う」

「なぜ、食堂ではないのですか?」

「折角のパーティなんだ。特別な場所、あまりみんなが足を踏み入れないところで、食事をするのも楽しいと思わないか? 会議室も広いから、この人数なら大丈夫だろう。狭いが給湯室もある。それにお手洗いもあるから設備は整っているほうだろう」

「って言うか、マ、マナクマが来たらどうするのよ……」

「その心配は無用だ。私が事前に、マナクマに説明した」

「マナクマにか!?」

 

 萩野の驚きは、みんなの同様であった。

 

「『青春の思い出を作りたいのでみんなで活動する。だから、今夜の7時からはあまり干渉はしないでほしい』と交渉した」

「はあ、なんだかんだ言って君も命知らずだねえ。肝っ玉とでも称しておこうか?」

「とにかく、マナクマも了承してくれた。だから、ハメを外さないようにだけはしてほしい」

 

 マナクマが許してくれたのも驚きだが……。

 とりあえず今は、このパーティで、また絆が修復されればいいことを咄嗟に願っていた。

 

 

「では、三つに分かれるとしよう。一つは『会議室の清掃と飾り付け』。二つは『料理』。三つは『調達』だ」

「へけ? ちょーたつって、なーにー?」

「市販の菓子類や、ナイフやテーブルクロス。足りないものを補充する係だ。料理を運ぶのも、そちらで手伝ってもらいたい。なんでもする係とでも言っておこうか。私は全体の統率を行わせてもらう。だから、各グループ5人ぐらいに分かれてほしい」

「では、私は清掃でお願いします」

「うちも清掃。ってゆーか、デコるやつ!」

「あーあ、そういうのは、めんどくさいんだけどなあ。まあ、強制だろうから先に選んどくよ。僕も飾り付けにしようかねえ。一番楽そうだし」

 

 白河、真田、十和田は清掃・飾り付け班のようだ。

 

「調達は男子メインでやってほしいのだが、立候補者はいないか?」

「そんじゃ、俺がやるぜ!」

「うん、俺も体力はあるから、運搬とか歩くのは任せてよ」

「では吾輩は料理に……と思ったが、レパートリーが3つしかないから話にならないな! 吾輩も調達を引き受けよう!」

 

 萩野、井伏、円居は調達に決まった。

 

「じゃあ、アタシは料理にするわ。お菓子なら任せてちょうだい!」

「芙蓉もよろしいでございますでしょうか? 甘いものも得意でございますが、一般的な料理も作れるのでございます!」

「皮を剥くぐらいなら、私もできるはず。あんまりうまくないけど……いいかな?」

「私もあじ……じゃなくて、料理を手伝うわ」

 

 藤沢、角、天馬、紅は料理だ。

 と言うか、紅は完全に味見って言いかけたな。

 

「かざりつけやりたーい! わっかつくりたーい、やるー!」

「マドモアゼルが飾りつけ班なら、ぼくも!」

「わ、私も……なんだけど……どうせ、司書の意見なんて聞いてくれないんでしょうね……」

「むう、そうなの? じゃあ、あたしは料理にまわるのだ!」

「あ、あれー? もしもーし、マドモアゼル?」

 

 えーと、大豊が料理に回ったから、ランティーユと錦織は清掃・飾り付け班ってことでいいのか?

 これで、二つの班は決まったから……。

 

「残った七島竜之介と、黒生寺五郎は調達班だが、いいな?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 黒生寺もこっくりと頷いていた。

 眠っているようにも見えるが、たぶん、頷いたということにしておこう。

 

「よし! ならば、早速取りかかろう。まず、清掃・飾り付け班は会議室の掃除と飾り付け。おりがみ、花紙、ヒモやリボン、はさみ類は会議室に用意した。もし、足りないものがあれば、倉庫にあるから、調達班に頼んでくれ」

「なかなか用意周到ですね」

「料理班はそのまま名の通り。食堂で料理を作ってくれ。料理ができしだい、調達班が取りに行く。ケガにはくれぐれ注意するように」

「オッケー、任せてちょうだい!」

「調達班はまず、私とともに会議室に向かおう。会議室の細かいところは見ていないから、ちょっと探りを入れるぞ」

「おう! おめーら、手抜くんじゃねーぞ?」

 

 萩野は、そう言って屈託のない笑みを浮かべた。

 昨日に比べると、遥かに調子を取り戻してきたみたいだ。

 気持ちの切り替えは、「さすが」としか言いようがない。

 

 そうだ……誰がどこの班になっているか、まとめておこうかな?

 俺は胸ポケットから半紙を取り出して筆ペンでメモをとった。

 

「えぇっ、竜ちゃんっていつも半紙持ってるの!? さすが書道家……ってところかしらね?」

「いつも言ってることだけどよ……おめー、それ書きづらくねえか?」

 

 それは思っているけど、持ち合わせている紙がこれしかないんだよ……。

 

 

 

 

【パーティ準備班】

 

清掃 : 白河、真田、ランティーユ、錦織、十和田

料理 : 藤沢、紅、大豊、角、天馬

調達 : 萩野、七島、黒生寺、井伏、円居

統率 : 四月一日

 

 

 

 

 まずは調達班で会議室に向かう。

 飾り付けと掃除班は、まず、会議室の掃除を行っていた。

 俺たちは、会議室の用具入れにあったテーブルクロスを見つけたが……。

 

「あまり見栄えがよくないな」

 

 使い古されているのかツギハギも多い。

 なにしろ薄汚れていていて、キレイとは言い難い代物だ。

 

「あはは、綻んじゃってるね。真田さんなら縫える?」

「んー、ムリじゃないけど……やっぱりムリだわ。でかいし、きったないし、あんま変わんないんじゃね?」

「ならば、私が綺麗にしましょう。私の特製石鹸があれば落ちない汚れはありませんよ!」

「いやあ……だとしても、半日かかるんじゃね?」

 

 白河が徹底的に洗濯したらマシになりそうだが、萩野の言うとおり、ちょっとそれでは時間がかかりそうだ。

 それは、経験者の俺もよく知っている……。

 

「仕方ない。こちらは私が処分しよう。しかし、折角のパーティだ。テーブルクロスは欲しいな」

「んじゃ、倉庫に取りに行くか?」

「ああ、よさそうなものがあれば持って来ること。飾り付けのリボンも不足しているようだ。だから、そういう飾り付け類のものも持ってきてほしい」

「それとゴミ袋もお願いします」

「おめー、もうゴミ袋、必要なのかよ?」

「それなしでは、清掃委員は生きられませんよ」

 

 生死にも関わるらしい要望も受け入れて、俺たち調達班は倉庫へと向かった。

 調達班は、俺と萩野、井伏に円居、黒生寺だ……めったに一緒には話さないであろうメンツだ。

 

「うーん、四月一日って、美人なんだけどなあ。あのカタブツな性格が、もう少しデレてくれればなあ……」

 

 廊下を歩いていると、萩野がぼやくように呟いた。

 

「いやいや、安易にデレを求めちゃダメだよ。彼女のあのカタブツさ、俺は好きだな」

「そうかあ?」

「ああいう、ツンツンはデレるとすごーく破壊力があると思うな」

「なんと。優等生は破壊兵器にもなるのかね? 実に興味深い!」

 

 井伏は、その手の話は好きなのか面白そうに食いついてきた。

 円居も、明らかに意味合いはおかしいが、仲間に入って興奮している。

 黒生寺はあまり興味がないのか仏頂面だ。

 って言うか、なんでいきなりそんな話になっているんだよ……。

 

「というか、おめーらは誰推しだ? 俺は断然、藤沢だな。あのプロポーションに気立てのよさは、今どきねーぞ? 上から99、55、88だと俺は睨んでいるんだけど、どうだ?」

「そんなマンガみたいなやついるかよ……」

「あははっ、萩野くんちょっと夢見すぎだよ。でも、気配り上手でいい子だよね」

 

 しかし、萩野は昔からこういうことに関しては中学生で思考が止まっている。

 それにしても、こんな下世話な話聞かれたら、四月一日にこっぴどくしぼられそうだ。

 

「ってか、おめーらは、どうなんだよ? 黒生寺とかいねーのかよ?」

「そもそもリアルのアマは嫌いだ……性格や見た目はどうでもいい。処理ができればいいんだよ……」

「ほう、さすがガンマンだな。爆弾処理ができる者とは実にマニアックで、良いセンスではないか!」

「いやいや、なんでそんなの求めなきゃなんねーだよ!? ってか、黒生寺!? 男から見てもサイテーかよおめー!?」

 

 怒られても、黒生寺は「ふん」と鼻を鳴らして我関せずのようだ。

 たしかに角への反応を見る限り、あんまり女性に優しいタイプではなさそうだ。

 しかし、本当にひどい奴だ……

 

「うーん、俺は紅さんかな。しっかりしているし優しいしさ。甘党っていうのも、すごく可愛いと思うんだよね」

「ふむ、的を射た意見ではないか。甘党というとカルメ焼きも好きだろうかね?」

「おっ、ギャップ系が好きなのか? それとも母親的な?」

「母親的……っていうよりは、包容力がある人とかは嫌いじゃないかな。ふふっ、なんかちょっと母親的っていうとマザコンっぽいね」

 

 井伏は、母親ってところで、なんだか一瞬、笑顔が悲しそうな雰囲気を醸し出した。

 ……あんまり言及するのはやめておこう。

 

「円居はどーなんだよ?」

「ふはは! マッドサイエンティストの恋はバッドエンド直球だろうな! だから言わんぞ! と言うか、言うつもりはさらさらないがな!」

「言わないってことは、いるってことじゃねーか!」

「あははっ、ホントに? えー、誰だろう? 気になるなぁ、円居くんのタイプ」

 

 それにしても、いるってことが意外だ。 

 実験命のように見えて、一応は健全な男子ってところなのだろうか。

 

「おい、七島はどーなんだよ?」

「えっ、お、俺も?」

「そーだろ、ここは言うべきところだろ!」

「いや、俺はまだ……」

「おっ、まだってことは、決めかけか? 決まったら教えろよ? いつでも相談にのってやっからよ!」

 

 そう言って、肩をどんと叩かれる。

 しかし、こんなに大口叩いているが、初恋の子には下駄箱にラブレターという古典的な告白をして、みごとに撃沈したお前に相談だけはあんまりしたくないな……。

 

 そうこう言っているうちに、俺たちは倉庫に到着した。

 倉庫は多くの物が置かれていたため、テーブルクロスを探すのも一苦労した。

 物をかきわけて、ようやく、『テーブルクロス』と書かれた段ボールが見つかった。

 中身は虫食いなどもなく、少し埃っぽいが払えばなんとかなりそうだ。

 それに、パーティにぴったりの真紅の豪華な絨毯も見つかった。

 

「飾り付け用のはこれだな。とりあえず……ほれ、軽そうなモノは七島。おめー持っておけよ」

 

 そう言って、萩野が紙や絵具が入った袋を俺に渡す。

 『軽そうなモノ』って言われると、なんだか男として悔しいような。

 でも、実際、このぐらいしか持てないので黙っていよう。

 黒生寺は白河に言われた通りに、ビニール袋を数十枚、手に持っていた。

 

「あははっ、戦力外通告受けちゃったね、七島くん。じゃあ、このテーブルクロスは俺が運んどくよ」

 

 井伏はビミョーに心に刺さることを言いながらも、段ボールを軽々と持ち上げた。

 テーブルクロスは、大きく、数量もある。布といってもかなり重さはあるほうだが、あっさりと持ちあげる。

 思わず、声に出して感嘆しそうになってしまった……さすがはアルピニストだ。

 後は、筒状に丸まった立派な赤い絨毯だけだ。

 

「よし、じゃあ、これは俺が……」

「待ちたまえ! スポーツ系に良いところばかり持っていかれては、文化系の名が廃るぞ。これは吾輩が持って行ってやろう! ふはははははっ、科学部の力をとくとみるがいい!」

 

 突然、萩野の横からしゃしゃり出てきた円居が、ふんっ、という鼻息と共に、絨毯をひょいと持ち上げた。

 しかし、直後に千鳥足――って、危ない!

 よろける予兆があり、慌てて俺たちは駆け寄ってしまった。

 それでも惨事にはならず、なんとか踏ん張ってくれた。

 

「あ、危なっかしいな、おめー!?」

「ふはっ、こやつ、なかなかやりおるな!」

 

 科学者、マッドサイエンティストだが、完全にひ弱というわけではなさそうだ。

 でも、やっぱり腕が震えているような……本当に大丈夫なのか?

 

「んー、じゃあ、俺と七島と黒生寺はあんまり持ってねーから、調理場に行って料理取ってくっか。なんか一つ二つはできてるだろ」

「オッケー。じゃあ、萩野くんたち、よろしくねー」

「ふははははっ、軽い、軽いぞ! 重力などものともしない!」

「あはは、ほんとに? でも腰曲がってるよ? 円居くんはちょっと血色が悪いし、寝坊ばかりしてるから不健康なんじゃないのかな? それに、同じものばかり食べないで、ちゃんと野菜も食べなきゃ……」

「だれに説教をしているつもりだね? いま、お前が話しかけているそれは、吾輩の残像にすぎぬぞ!」

「あはははははっ! 面白いこと言うね、円居くん! …………えっ、それって本当なの?」

 

 嘘に決まっているだろう、井伏。

 そんな二人を見送りながら、俺たちは食堂に向かった。

 

 

 食堂につくとほんのり温かい空気が広がった。

 少しずつ出来上がっているのか、心地いい香りが蔓延している。

 

「お、わりと、できあがってんのか?」

「腹減った……」

 

 俺たちはとりあえず、そんな匂いに囲まれながら、

 調理場に足を踏み入れようとした……が。

 

 

「ねえねえ、じゃあ、円居っちは?」

 

 ん? これは、大豊の声か?

 

「眼鏡で隠れがちだけど、京ちゃんは男前だと思うわ! 眼鏡外したらイチコロになる子がいてもおかしくないわよ!」

「むぅ、それ、どっかのアニメで見たことある設定なのだ!」

「白河くんは?」

「彼は髪や肌が綺麗で少し羨ましいわ。美容にも気を遣っているのかしら?」

「あれは草食系だよ、井伏っちみたいに! どっちも背は大きくないからびみょーなのだ!」

「いやいや、あゆちゃんは間違いなくロールキャベツ系よ。女の子を狙っている目してるわよ!」

「ロールキャベツでございますか!? それはとてもおいしゅうございますね!」

「……角さん。私も詳しくないけどそっちのロールキャベツじゃないと思うよ」

 

 ……なんだ、これ?

 

「おい、これなんだ……」

「しっ! ……なあ、これってよ、俗に言う女子会じゃね? ひゅう、これぞ秘密の花園ってやつか」

 

 女子会……なのか?

 と言うか、萩野なんかに女子会の内容が分かるのか?

 

「十和田さまも、ちょっと苦手でございます……なんだか、芙蓉、嫌われているようでございます」

「んー、それはないと思うわ。ちゃんと相手が良い人だったら褒めてくれるし。ツンデレよん」

「ツンデレって言うより、心が不器用……なのかな」

「十和田っちは大きいから、あたし好きー! ランティーユは小さいし、めんどうだからイヤなのだ」

 

 ランティーユは早速、大豊に疎まれているのか。

 それにしても、わりと、辛辣なコメントが多いな……。

 

「おいおい、俺の話は? っつーかよ、十和田のどこがツンデレで不器用なんだ?」

「しらね……」

 

 黒生寺は完全に興味がないのか目を反らしている。

 

「黒生寺くんは?」

 

 「おっ」と萩野が声をあげる。黒生寺はなにも反応せず仏頂面だ。

 

「黒生寺さまは、まさにハードボイルドでございます! ぜひとも黒生寺さまと共闘をしたいのでございます!」

「動じないのはいいけど、口が悪くてケンカっぱやいのはいけないわ……協調性がないのは問題外よ」

「でも、あまり気取らないところがステキよね! ちょっとマイペースだけどそこが可愛いわ!」

「くろなまでらは、おっきくて強いから、あたしも大好きなのだー!」

 

 「はあ?」と萩野が小さな声で呟いた。

 

「おめー、なんで、そこそこ人気なんだよっ」

「うるせえ、こちとら好かれたくねえ……って言うか、くろなまでらって誰だよ……」

 

 黒生寺の少し声が荒くなったので、萩野が「しっ」と息を吐きだして制する。

 たしかに、訓読みすれば「くろなまでら」だけどな……。

 

「あ、じゃあ萩野っちは? あれもおっきいよね!」

 

 「きたきた、俺っ」と萩野が喜々として聞き耳を立てる。

 しかし、大豊は大きいか小さいかが男の基準なのか……。

 

「うーん……萩野もケンカっぱやすぎて、私から見たら少しお子様ね」

「でも、健ちゃんは素直なところがいいわよね!」

「うん、悪い人ではないみたい。ちゃんと礼儀はきちんとしてるから」

「萩野さまは社交的で優しい心の方だと思いますでございます!」

 

 印象は悪くはなさそうじゃないか。むしろ、なるほどと思った。

 しかし、当の萩野は……。

 

「ええ……? なーんか、納得いかねえな。ちゃんと男として見てくれてなくね?」

 

 じゃあ、どういう感想がよかったんだよ……

 

 

「あ、じゃあ、竜ちゃんは?」

 

 

 つい反射的に肩を震わせてしまった。

 俺も一応、名前にあがるのか。冷静なフリをしていても、頭は緊張でいっぱいだった。

 

「七島ね」

「七島っち?」

「七島くん……」

「七島さまでございますか……」

 

 しばらくの沈黙。

 ……え? なんだこれ?

 隣の萩野も少しだけ心配そうに俺を見た。

 

 

「七島は……アンテナが気になるのよね」

 

 

 …………え?

 

「そうでございます。七島さまと言えば、アンテナでございますね!」

「わかるのだ! あれは世にもフシギなアンテナなのだ!」

「そうそうアンテナ! キュートよね! くるんってしてて!」

「うん。時々ぴょんぴょんしていて、猫のしっぽみたいで癒される」

 

 ……え? えっ?

 っていうか、前に藤沢もそう言ってたよな……。

 萩野だけでなく、黒生寺に関しても俺の顔を不思議そうに見ている。

 いや、それは俺がしたい顔だ。

 

「アンテナ、ってなんだよ?」

「電波キャラってことか……」

 

 だから、こっちが聞きたいんだよ!

 世にもフシギで、可愛くて、癒される。しかも、くるんってしていて、ぴょんぴょんしていて七島といえばアンテナ……七島アンテナ。アンテナ七島。七島アンテナアンテナ七島。アンテナナシマ……?

 

 

「だっ、だからなんなんだよ、それ! アンテナってなんだよ! パラボナか? バーなのか!? どういうことなんだよ!」

 

 

 咄嗟に俺は声に出て思いを叫んでいた。なにを言っているのか、俺にもさっぱり分からなかった。でも、叫ばずにはいられない思いだったんだ。

 

「ばっ、バカ、声が大きっ」

「おいっ! お前たち! そこでなにをしている!」

 

 

 萩野が慌てて制そうとする……が、どうやらそれは遅く、凛々しい声が遮った。

 驚いて振り向くと、四月一日が仁王立ちをしていた。その声に反応して、調理場からは、なにごとかと女子たちが飛び出してきた。

 俺は完全に固まっていた。萩野は「えーと、その」と隣で言い訳をしようとしている。黒生寺は白目で寝ていた。

 

「……あ。料理、できたよ」

 

 天馬が少し申し訳なさそうに言った。

 食堂には美味しそうな匂いと、気まずい雰囲気が流れていくだけだった……。

 

 

 

* * *

 

 

 気まずい雰囲気の中、俺たちは出来上がった食事を運び、再び会議室に戻ってきた。

 扉の前には、人だかりができていた。そこには四月一日を取り囲むようにして、みんなが集まっていた。

 

「全員、集まったな……と言いたいのだが、十和田弥吉はどこだ?」

「あー、十和田なら、どっかに行っちゃったよ? なんか知らないけど、途中からソワソワしちゃってさー。集合するって言ったのに、『あっそ』とか言って、そのまま出て行っちゃったよ。まったく、つきあい悪いヤツだっつーの!」

 

 真田の言葉に四月一日が少しだけ不満そうに目を細めた。

 

「……心配だな。十和田弥吉に関しては私が探す。まずは、みんな、お疲れさま。現在6時。協力のおかげで予定より早く終わることができた。パーティまで1時間あるから、それぞれそれまでゆっくり休んでくれ。それでは、またパーティで。7時からだぞ! 絶対寝るんじゃないぞ!」

 

 その言葉で一斉に黒生寺を見た。

 また頭をがっくりと垂れていたが、寝ているかはこの位置からは分からなかった。

 

「それでは、解散!」

 

 早口でしっかりと言い切ってから、四月一日は颯爽と去って行った。

 あの驚異の足腰で、十和田を探しに行ったのだろう。

 十和田に、なにもなければいいが……。

 

 みんなが部屋に戻って行く中、ふと振り向くと。

 後ろには、俯いている天馬を見つけた。

 なんだかそんな表情は珍しく思えた。

 いつもクールな言動が目立つけど、不運だからと言って落ち込んでいる様子はなかったからだ。

 

 

「……天馬?」

 

 

 いてもたってもいられず呼びかけてみたら、彼女はハッと顔をあげた。

 

 

「うん。私は天馬だけど」

「そ、それは俺も知っているけど……」

 

 四月一日とはまた違った、控えめだが凛とした声。

 間の抜けた返答だったが、やはり表情はなんだかいつもと違う。

 

 

「なんだおい、七島、コクるんか!?」

 

 男女二人というシチュエーションだけにつられて、萩野もしゃしゃり出てくるようにやって来た。

 お前は呼んでないぞ……そんでもって一週間も経ってないのに、そんなことするわけないだろ……。

 少しだけ天馬はその瞬間、視線を落とした。

 

「ん? どうしたんだよ、天馬。元気なさそうだな? まさか料理中に、すっ転んでケーキをぶっつぶしたとか? まっ、さすがにそんなワケは」

「……その、まさかと言ったら?」

 

 茶化した萩野は一瞬にしてその表情が凍りついた。

 さすがの俺も、フォローはうまくない部類だが、これは無理だと判断してしまった。

 って言うか、これは大失敗だ。

 

「でも、ちょっとハズレかな。正確には私が転んで、お皿が割れちゃったんだ。その音にびっくりした大豊さんが飛び跳ねて、大豊さんの足が、紅さんの足を踏みつけて、咄嗟に紅さんが手を勢いよくテーブルについちゃって、その手の先に、ケーキがあって……」

「それで、ぐちゃぐちゃ……という」

「ま、まるでピタゴラス的なスイッチみたいだな!」

 

 萩野は井伏よろしく笑いとばそうとしているが、巧く笑えていないことからあまりフォローができていない雰囲気が漂う。

 これは……気まずいぞ……。

 

「で、でも、なんつーか、まだカワイイ災難じゃね?」

「うん、そうなんだけどね。むしろ、私に不運があるのは別にかまわないんだ。いくらでも、私だけなら、槍でも隕石でも降ってきていい。それだったら、『私って不運だ』って思うだけですむから」

 

 だとしても、それでいいのか?

 恐るべきというか、常人では一生たどりつかない価値観だ。

 

「でも、友だちや周りの人にまで災難が起こるのはイヤなんだ。せっかく角さんが作ってくれたケーキだったのに。それにお皿が割れて、藤沢さんにケガさせちゃったし。大豊さんもびっくりさせちゃった。紅さんもケーキ一番楽しみにしてたのに……そういう不運は、私も悲しいし、やるせないから」

「それで落ち込んでたわけか」

「どうして、わかったの?」

「いや、その。いつもは、なんだかんだ言って冷静であんまり表情が見えないから。ちょっと表情があるだけで、なおさら、気になって」

「なんだよ、おめー。よく見てんな? もしかして、天馬のこ」

 

 言う前に、隣の萩野の肩をグーで殴っておいた。

 天馬が首を傾げたが気にしない。

 

「二人とも、変なの」

「で、でもよ、ケーキがなくてもパーティは楽しめると思うぜ? それに、あいつらだって気にしてないさ。藤沢は出し物に、一人芝居の練習するって言ってたし。大豊もケーキよりも野菜料理が楽しみってはしゃいでたぞ。紅だって、10円チョコで飛び跳ねるぐらいに喜ぶから、わりと単純だぜ?」

 

 そんなものを、あげたのか。

 そして、それで紅は喜んだのか……。

 

「みんな、天馬を責めることはないと思う。最初からみんな不運だってことも知っているしさ。それに、お前がちゃんとやっているってことは、俺も含めてみんな分かっているぞ」

「……ありがとう、二人とも。そうだね、あんまり自分ばっかりが根にもっちゃダメかも」

「そうだぜ、もっと肩の力抜けよ……あっ! 今のはシモネタじゃねえぞ!? マジな話!」

 

 そう言うのが、逆に怪しいだろ……。

 でも、天馬は気にしてない、と言うか分かっていないのか。また首を傾げていた。

 それでも、さっきより、表情は柔らかいものになっていた。

 

「じゃあ、一時間後、パーティ、楽しもうね。角さんなんか、みんなのために甘納豆クッキー作ったから」

「なんだ、それ新手のロシアンルーレットかよ!?」

 

 それはロシアンルーレット、なのか?

 

 最初から不運だって知っている。

 この言葉が素直に言えたのは、みんなが少しずつ分かりあえてきた証拠なのか。

 大きないがみ合いもなく、なにごともスムーズで。

 みんな、それぞれがパーティのために尽くしていた。

 

 ふと、監視カメラを睨みつけてやった。

 俺たちは決して屈していない。絶望なんかしない。

 お前の思うつぼになんかなっていない。

 あの歴史を繰り返さない。俺たちは、誰も欠けさせずに、生ききってみせる。

 そうして、カメラを睨んでいた。

 

 

 

 ……はずだったのだが。

 

 

 

「おい、なにしてんだ、七島?」

 

「……七島くん、大丈夫?」

 

 

 

 睨んでいたはずだったのだが、俺は委縮されていた。

 

 

 

 

 ――だから、どうした?

 

 

 

 

 そう言わんばかりの、監視カメラからの視線にいつの間にか怯んでいたのだ。

 

 どうして、こんな感情を抱いたのだろう?

 俺が甘すぎるのか?

 わかったなんて、勝手な決めつけなのか?

 このような状況こそが、思うつぼなのか?

 

 

 歴史は、過ちは、繰り返されてしまうのか?

 

 

「とりあえずよ、七島。パーティまで1時間、のんびりしようぜ? そうだ、俺の部屋でトランプでもやんね? ババ抜きとかよ!」

 

 そうだ、今はパーティだ。

 ……そのような不安を抱いてはいけない。

 いや、不安なんて必要ないんだ。

 

「ああ、いいな。でも、ババ抜きって二人でやれるものか?」

「なんならスピードで……あ、天馬もヒマならやらねーか?」

「いいの? 私、あんまり強くないよ?」

「大丈夫だって。負けても別に脱がしはしねーからさ!」

「…………」

「あ、今のはマジで引かないでくれないか? 冗談だからよ……」

 

 とにかく、恐れる必要なんかないんだ。

 俺たちは、このパーティを生ききれる。

 そう信じて、今はパーティまで待とう。

 

 ……萩野の失言はどうしていいかは検討がつかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 崩壊する日常

「やっぱり、二人とも強いね」

「ま、まあな」

 

 まさか、こんなにトランプで熱くなるとは。

 体が火照って、脳が興奮状態に陥っている。

 天馬は八百長でも勝てるのか不安になるほど運が悪く、ババ抜きでは0勝5敗という記録を叩き出した。

 

「2人のスピードもすごかったね」

「特に俺が、だろ?」

 

 萩野がずいと天馬に向かって言う。

 トランプのスピードを萩野と俺でやったがどうしても勝てなかった。

 自分も弱い部類ではないのだが、なにしろ相手は超高校級のボクサー。

 反射神経では敵わず全滅だ……それでも、やはり悔しいものだ。

 

 会議室に入ると、ほとんどの人が集まっていた。

 主催者の四月一日は来ていないが、それぞれが準備や談笑をしているようだ。

 

「あ! おーい、天馬ちゃーん!」

「萩野っちと七島っちもいるのだー!!」

 

 すぐさま真田と大豊が、俺たちの姿を見るなり駆け寄ってきた。

 

「まだ四月一日さんは来てないの?」

「うん、だからこうしてダベってるってワケ」

「そうなのだ! それにしても、真田っちはすごいよね! さっきも話してたけどこのヒールで歩けるんだもん! あたしも、それ欲しいのだ!」

「ノンノン! マドモアゼルはそのままの小ささがステキだよ!」

「だーからー! ランティーユはだまってて!」

 

 間に入ってきたランティーユに大豊は威嚇するように頬をふくらませる。

 それでもランティーユは、にへにへと微笑んでいる……お前は、それでいいのか?

 

「でも、たしかに真田のヒール細すぎるよな……折れないのか?」

「これでもヒールはガンジョーなんだって。それに変質者や痴漢の撃退にもバッチリだし! アンタたちにも試してあげようか? イチコロでイけるよ?」

「イチコロでイけるって、マジかよ……!?」

「……ぜひとも遠慮したいな」

 

 あんな細いヒールで足を貫かれたら、30分は悶絶する自信はあるぞ……。

 会議室にいた他の人たちも自然と俺たちの近くに集まってきた。

 

 紅はヴァイオリンを磨いている、最後の調整をしているのだろうか。

 藤沢は萩野の言った通り、劇を行うのか、発声練習をしていた。

 白河は両手にゴミ袋と箒を持って仁王立ちしているが、少し気が早すぎないか?

 そして、さきほどからステッキをくるくると回している角に関しては、なにをしているのか分からないな……。

 

 とにかく、それぞれが才能を持ってして、パーティのために発揮しようとしている。

 いつの間にか隣にいた井伏が、うんうんと笑顔で頷いていた。

 

「すごいね、みんな張り切ってるや。超高校級の技が見れるってそうそうないから、楽しみだなぁ……ねえ、七島くんは、なにかやらないの?」

「お、俺? 書道で見世物はできないと思うけど……」

「あ、ははっ、ごめんね! 書道については流行りのパフォーマンス系とかしか知らなかったから……うーん、でも、それに比べてアルピニストはなにかできることってあるかな?」

「ふん、司書よりはまだマシよ……」

「あっ、いや、錦織さんを非難しているわけじゃないよ? 読み聞かせとか得意そうだなあって思って。だってキレイで落ちついた声だもん、錦織さんって」

 

 井伏は錦織を口説くように彼女を褒めている。

 しかし、それでも彼女は仏頂面で視線を逸らす。

 

「わ、私は子供が嫌いだから、読み聞かせはできることならしたくないのよ……それに逆に聞くけど、読み聞かせなんてされて、あんたたちは楽しいと思うの……!?」

「で、できるなら、それをすればいいじゃないか。錦織は、超高校級の司書なんだからさ。俺は充分に楽しめると……」

「読み聞かせ? あれはサイコーだよな! 自分はなにもしないで、一瞬で眠れることができる最高の手段だぜ!」

「…………帰ってやるわ……ご飯を食べたらすぐに帰ってやるんだから……!!」

 

 萩野はどうしてこう空気を悪い意味でも壊してしまうのだろう。

 でも、錦織も一応は、パーティに参加してくれるってことで大丈夫……なのか?

 

 ……それにしても、書道か。

 井伏に言われるまで忘れていたが、藤沢に約束をしてたんだったな。

 いつか書を見せるって……このパーティ中で書いて見せてあげるっていうのもできなくないだろうか?

 

 そう言えば、もう時計の針は7時10分を指している……そろそろ始まるか?

 ちょうどそんなことを思った時に、がちゃ、と扉が開いた。

 主催者の四月一日だ。

 彼女はざっと会議室を見渡すと、すぐに顔を曇らせてしまった。

 

「遅くなってすまない。早速、祝杯をあげたいのだが……やはり十和田弥吉はいないのか。それに、黒生寺五郎に、円居京太郎も来ていないのか?」

「うわ、ほんとだ。男子の集まりワルすぎじゃんっ!」 

「黒生寺って、おい待てよ! さては、あいつ寝やがったな!?」

「時間を守らない黒生寺さまも、またワイルドでございます!」

「しかし、本当に十和田弥吉はどこに行ったんだ? 準備終了時からすれ違っているのか、あるいは……」

 

 四月一日が言いかけて、口をつぐんだ。

 彼女は、その考えを消すかのように首を振っていた。

 おそらく、この場の全員も、起こってはならない事態が過ぎっていたのだろう。

 そして、俺も……。

 

「仕方ない。もう一回、校舎を回って来るからしばらく待っていてくれ。いいか、私が来るまで、祝杯はまだあげてはいけないぞ。絶対だからな! 騒いでいてもいいが、祝杯だけはやるな! 紙コップもオレンジジュースも絶対に触るな! いいか、分かったな!?」

「わーったよ! わかったから、行けって!!」

 

 やたらと祝杯を重視するんだな……。

 そう言って、四月一日は颯爽と風のように足早に会議室を去って行った。

 

「あ! そうだわ。アタシもちょっと食堂に行ってきていい?」

「おっ? 菓子まだ作ってあったんか?」

「ううん、市販のものなんだけどアイスクリームを冷やしてあるのよ。だから取って来るわね」

「本当っ? 何個あるの?」

「紅さまは、本当にお菓子が大好きなのでございますね!」

「私も、手伝ってもいいかな?」

 

 天馬がおずおずと手をあげた。

 しかし、すぐに、ゆっくりと手のひらが下がっていく。

 

「……でも、また転んでぶちまけちゃったら空気悪くなっちゃうかな」

「ノープロブレムよ。ぶちまけても、市販のアイスはそう簡単につぶれはしないわ。それに失敗しちゃっても、それはいい思い出になるんだから」

「じゃあ、手伝ってもいい?」

「もちのろんよん」

 

 ここで、天馬が初めて嬉しそうに笑った。

 さっき微笑はしてくれたが、あんまり、笑顔を見せない子だと思っていたからなんだか新鮮に感じた。

 なるほど、これが意外な一面ってヤツだろうか。

 

「……七島。やっぱり、おめー、天馬ばかり見てるな?」

「えっ!? そ、それはないっ!」

「うーん、それとも紅か? 藤沢か? 誰から落とすか考えてんのか?」

「そんな下品なことは!」

 

 お前じゃないんだから!

 

 否定しようとしたその時。

 あるいは藤沢がドアノブに手をかけた瞬間にドアが開いた。

 ボサボサの髪にレンズが分厚い眼鏡、そして白衣を着込んだ青年は――。

 

 

「諸君! 待たせたな!」

 

 

 やはり、円居だった。

 後ろ手でドアを閉めながら、軽やかな足取りで俺たちの話の輪に加わってきた。

 

「おい、おせーぞ! ってか、さっきおめーを四月一日が探しに行ったんだぞ!」

「なに! それは、失礼した! 入れ違いかね?」

「ねえ、円居くん。その手はどうしたの?」

「む? これか?」

 

 首を傾げる天馬に対して、円居が右手を見せる……そこには痛々しく包帯が巻かれてある。

 でも、それに関しては、以前からと言うか、出会った時からそのような状態だったような。

 

「そっちじゃなくて、包帯の上に貼られている、左の手のひらの絆創膏」

「ああ、こっちの方か! パーティ前だが、吾輩は少しだけ小腹が空いてしまってな。そこで、おやつがてらにカルメ焼きを作りに、食堂に行っていたのだ! しかし、バーナーばかり使っていたから、コンロでは調節が難しいものだな。そこで、手際が悪く、火が手に触れてしまって、火傷してしまったのだ。幸い、炎症はひどくはなかったから、一安心だ!」

「じゃあ、なんで、絆創膏しているの? 包帯でそのまま巻けばいいんじゃないのかな?」

「天馬には分からないのかね? これは、科学の勲章なのだよ! とくと見るがいい!」

 

 ひとさし指をびしっと突き出して円居は豪語した。

 絆創膏を張るのが勲章って、小学生までの特権じゃないのか……?

 天馬はそれを見て、「すごい」と眺めていた。本気にしてるのか?

 

「ああ。そんなことより藤沢よ。さっきのあれは……」

 

 藤沢に話しかけようとする円居はきょろきょろと見渡す。

 さっきの、“あれ”? なにか話をしていたんだろうか。

 

 

 

「……む? なんだね、この匂いは?」

 

 

 

 えっ?

 

 円居は、突然、への字の唇にした。

 思えば、鼻の奥が針で刺されたように痒い。

 まるでアンモニアを直接嗅いだような……言われてみると、そうだ。墨などの匂いで慣れているはずだが、思わず鼻を塞いだ。

 

 な、なんだこれは……!?

 隣にいる萩野も勢いよく咳こんでいた。

 

「うげっ、なにこれ。おっさんのカレーシューよりひどくね?」

「目がしょぼしょぼしますでございます……」

「なんて、不快な……でも、ゴミとはまた違うような。これは、いったい……!?」

 

 真田は細い鼻をつまみながら、角は目を両手で隠している。

 白河は真っ白なハンカチで口を抑えて、それぞれ不快感を示した。

 よく見ると、薄ら煙がただよっているんじゃないか?

 そして……なんだか体温が熱い。

 

 さっきから顔や皮膚に汗をたらす、この熱い空気は―――?

 

 

 

「お、おい! まずいぞ!?」

 

 萩野がいちはやく状況に気付いたのか、怒号を発した。

 そして、彼の視線には。

 

 

 部屋の奥にあるのは――黒い煙を吐き出すドア。

 耳が熱気とちりちりという音に占められる。

 いや、ドアだけでない、床を浸食していく真紅の炎。

 頭が蒸し風呂のように熱くなり、そして、今さらのように鼻に焦げ臭さが充満する。

 

 

 こ、これって、まさか……!?

 

 

 

 

 

「か、かかかかかかかかかかか……火事だあああああ!?」

 

 

 

 

 

 ランティーユが悲鳴と共に、真っ先に開いたドアから駆け抜けていく。

 「ああっ」と大豊が軽く声をあげた。

 

「はむぅ! なにすぐに逃げてんのだ! ひきょーものぉ!」

「あはは……あっ、いや、笑いとか抜きに、俺たちも逃げないとまずいよね!?」

「いっ……いやああああああぁぁぁっ!!!」

 

 井伏の声をかき消すかの如く、今度は甲高い悲鳴をあげて錦織が逃げ出した。

 叫び声に触発され、みんなは慌てて一斉に駆け出す。

 上履き、ローファー、ヒールなどの靴底が床を叩く。

 こつこつばたばたと鳴り響き、会議室からすぐに退出して行く。

 

「おっ、おい、七島っ! 俺たちもっ! 早く!」

 

 萩野に肩を押されて頷こうとした矢先に、なにかが崩れ落ちる気配がした。

 振り向くと、天馬が膝をついていた。

 

「お、おい、なにしてんだ!?」

「大丈夫、すぐ立てるから」

 

 そう言う天馬だが動く気配がない。

 

「ま、まさか捻ったのか?」

「おいおい! どうしてだよ!? どうしてそこで捻ったんだよ!?」

「うーん、理由はわからないや……ごめん、先行ってて」

 

 なにを言ってるんだ!

 思わず、萩野と声を重ねて叫んでしまった。

 急いで萩野が彼女に回りこみ、お姫様だっこの要領で抱えあげた。

 

「よし、行くぜ!」

 

 俺と萩野、そして抱え込まれた天馬。

 一斉に足を踏み出して、扉に向かった。

 

 ……はずだったが。

 

 踏み出した萩野の足が床の上を滑った。

 目玉が飛び出しそうなほど瞳孔を開く萩野と、スローモーションのように頭から転落していく天馬。

 

 ……火事以上の大惨事になるじゃないか!?

 

 咄嗟に俺は萩野の正面に大きく回り込んだ。

 そして、落ちてきた天馬の頭を胴体で受け止める。

 もちろん、待っていたのは、天馬の頭――彼女の体が、俺の胴体にめりこみ反動と共に、勢いよく床に倒れ込んだ。

 なんだか、似たようなことが前にもあった気がする……!?

 

「っぐ、ぇ……っ!?!」

 

 年老いたカエルのような声が鳴ってしまう。

 俺の頭と背骨には衝撃と火花が走り、脳震盪を起こしかけた。

 

 

 しかし、それだけではなかった。

 

 

 次の瞬間、ぽたりと雫が頬に跳ねた。

 

 その雫は、2、3、10、50……数え切れないほど顔を濡らす。

 ザァァァという耳触りな音だが、肌を、服を、顔を心地よくやがて不快に浸していった。

 

 

 ……なんだ、これは?

 

 

「……あれって……スプリンクラー?」

 

 衝撃なのか、また鼻血を出していた天馬が、俺の胴体から頭を少しだけ半分上向きにして天井をそっと指示す。

 どこからともなく、天井には5つのスプリンクラーが現れていた。

 勢いよく水が放たれて、瞬く間に火や熱気は消え去っていく。

 俺らの身体が完全にびしょぬれになった頃には、炎や黒い煙は跡形もなく消し失せ、残ったのは水煙だけだった。

 

 

『はーい、すとーっぷ!』

 

 

 そして、どこからともなく現れていたマナクマが手を挙げていた。コスプレなのか、消防士の恰好をしている。

 奴の言葉を境目に、水の放出がおさまっていき、瞬く間に止まる。

 スプリンクラーは音も立てずに、天井へと吸い込まれて行くように収納された。

 マナクマは、毛穴がどこにあるのかわからないが、汗をだらだらとかいている。

 

『ほい、タオルどうぞ。ひゅう、オマエラあぶなかったね。地震雷火事親父っていうけど、やっぱり一番は火事が怖いね! ここ、耐震されてるし、雷なんてねーし。でも、なんで親父って怖いのかね? 親父を鈍器とみたてて、親父の先制攻撃だぜ!ってこと?』

「とぼけてんじゃねえぞ」

 

 萩野のドスの効いた声が濡れた教室に反響する。

 茶髪の短く刈られた髪からは水が幾度も滴り落ちた。

 マナクマから黒白ストライプのタオルをひったくって、俺と天馬にも渡してくれた。

 

「火事にしたのも、おめーだろ? おめーが俺たちを殺そうとしたんだろ!?」

『ちがうよ! そんなクマみたいなヤバンなことしないよ!』

「てめえがそのクマだろうが!」

『でもさ、マジレスしちゃえば、わざわざ教室燃やしてまで殺すなんて非合理的じゃん。もし、学校全部燃えちゃったらどーすんのさ! ボクまで火だるまだよ! それに、いきなり殺戮ENDとか陳腐だし鬱ゲー(笑)じゃん!』

「そ、それは……っくそ」

 

 もっともなことに、萩野が言葉に詰まっていた。

 たしかに火事を起こして殺すなら、スプリンクラーなんて出さないよな……。

 

『正直言っていいっすか? この火事は、ボクにとってもかなり予想外でした。んもう、校則を付け足すのを忘れてたボクがバカだったよ! ボクってホントにカバ! あれあれ? じゃあボクって本当はマナカバなの?』

「そんなことより! 校則ってなんだ?」

 

 耐えきれずに俺は腹から声を出した。

 そこで、ずっと乗っていた天馬が慌てて俺の体から退けてくれた。

 

 

『はい、と言うわけで、校則追加いたしましたー!』

 

 聞いちゃいない……。

 仕方なく、電子生徒手帳を確認する。

 

 

 コロシアイ学園生活で同一のクロが殺せるのは2人までとします。

 

 

『まあ、2人が限界だよね。1人より2人はいいけど。2人より3人なんて欲張りは無しね! がんがん人が減っちゃったら、さすがに可哀想でしょ?』

 

 マナクマは目にゴミが入ったような涙を浮かべて、人をおちょくるようにそう言った。

 でも、2人も殺せてしまうのか……。

 

『でも、まったく、アグレッシブなヤツだよね! カムチャッカボルケーノってやつですかね? 干渉するなって言われたけどこればかりは仕方ないね。……あ、そうそう、干渉で思い出した。対岸の火事を見る役のボクにとってはどうでもいいんだけど、オマエラ、こんなところで油売ってていいの?』

「……は?」

『おっと、これも干渉しすぎ? 炎上以上の厄介なことになってないといいですけどね。うぷぷぷぷ』

 

 マナクマは口に手を当てながら、いつもに増して不気味な笑顔を見せた。

 ……どういうことだ?

 尋ねる暇もなく、気が付いたらマナクマは跡形もなく消えていた。

 

 ――こんなところで油売ってていいの?

 

 なんなんだ、この言葉の羅列は。

 端的だが、不快な胸騒ぎが止まらない。

 

「……と、とりあえず一旦、外に出ねーか? 色々燃えたから、なんか有害なもんとか出てたらまずいしな」

 

 萩野の言葉に賛成して会議室を後にした。

 俺は天馬をちらりと見た。

 

「天馬、足は?」

「大丈夫。もう平気だよ」

 

 鼻血も足もすぐに治ったようだ。

 治癒力が早いのが、ある意味、長所なのか。

 それはいいことなのか、悪いことなのか……?

 

 

 

「うおっ!?」

 

 最初に廊下に出た萩野が素っ頓狂な声をあげた。

 俺たちも廊下に出ると、そこにはドア付近でうずくまっている……錦織か?

 顔が青ざめていて、気分がすぐれなさそうだ。

 傍には彼女の顔色に似た青いバケツが三つほどあるが……近づこうとすると、天馬が手で止めた。

 

「あんまり見ちゃダメ」

 

 ふと錦織を見ると、般若と見間違うほどの強烈な眼光を送っていた。

 ま、まさか、このバケツって。

 

「な……なによ、同情? 憐れみ? そんな汚い目で見ないでよ……まあ、私の存在なんてこの汚物同然だけど……」

「なっ、なにも、そこまでは言ってねえぞ?」

 

 さすがの萩野もどういう反応をしていいのか分からないようだった。

 俺も、どうフォローすべきなのか困ってしまう。

 これは下手に気遣っても、なんだか逆効果に思えてきた。

 

「け、煙アレルギーなのよ……それに金属とか、動物でも、かぶれとかジンマシンが出るし……花火大会も行けない、オシャレもできない、かわいいペットも飼えない……しっ、しかも、肩書きは司書だから、女子どころか人間として終わってるって思ってるんでしょ!?」

「わ、わかったから! おめーの事情はよーく分かったから!」

「ねえ、バケツはどこから持ってきたの?」

「あそこの、倉庫から……だ、だって、ビニール袋が見つからなかったのよ! 仕方なかったのよっ!」

 

 そう言って、また口で手をおさえた。

 なにも生々しい事情をそんな大きな声で言わなくても……。

 

「とりあえずバケツだけでも処理する? あんまり動くのはやめておいたほうがいい? となると、やっぱりここの会議室かな。手前のほうにトイレがあったはず。トイレまでは壊れなかったと思うから。火はおさまったから大丈夫だけど、口は塞いだ方がいいかも」

「ふ、ふん……言われなくてもそうするわよ……!」

 

 天馬とともに顔面蒼白の錦織は、バケツを持って会議室の中に入って行った。

 入っていく際の、錦織の呪わんと言わんばかりの凝視が気になったが……。

 それよりも天馬が目配せをしていたのが印象に残った。

 

 いつもより鋭い目つきだった。

 まるで、なにかに警戒しているような……きっと、彼女もマナクマの言葉に反応しているのだろう。

 

「それにしても、天馬のやつすげえな。人のゲロ片づけるなんてよ。度胸あるよな」

「お前、ちょっとはオブラートで包めよ……」

 

 聞こえたらどうするんだ……。

 幸い、「ゲロ女で悪かったわね」と錦織が出てくることはなかったが。

 

 

「それにしても、みんなどこに行ったんだ?」

 

 

 しいんという擬音が似合うほど、廊下は静かだった。

 火災の時に、みんなバラバラに逃げてしまったのだろうか?

 マナクマが、火災はおさまったって教えたのか?

 ちらりと萩野は腕時計を確認した。

 

「7時30分か……俺は本校舎の体育館方面を見てくる。七島はかたっぱしに、ここの寄宿舎を回ってくれ」

「ああ、分かった。気をつけろよ」

 

 「おめーもなっ」と萩野は言い捨てて駆けて行った。

 俺も急がないと!

 早速、みんなの部屋を回って……。

 

 

 ……あれ?

 

 ダストルームの扉の前に、人だかりができていた。

 四月一日、白河、真田、紅……この四人が集まっているようだ。

 

「七島竜之介! いったい、どうなっているんだこの状況は!?」

 

 こちらが声をかける前に、出会いがしら、四月一日に詰め寄られた。

 それは、こちらが尋ねたいほどだ……。

 

「私がいないうちに火事なんて……ふがいない……っ!」

「い、いや、四月一日が落ち込むことじゃないって……それより、どうしたんだ?」

「白河の話だけど、ダストルームからヤバイ匂いがするんだってさ。正直、うちはよくわかんないんだけどさー」

「火事か?」

「いや、火事ではないみたい。かといって、ごみでもないらしい」

 

 紅がそう言ったが、やたらと歯切れが悪い。

 やがて、意を決した表情で言った。

 

 

「血の匂いがする、らしいの」

 

 

 血の匂い。最初はなんのことだか分からなかった。

 だけど、条件反射なのか。見てもないのにつんと鉄の匂いが鼻の奥で広がる。

 

「ゴミを捨てようと思って来たのですが、さすがに一人では心細くなりました。彼女たちには、さきほど出会ったので……手伝っていただけますか?」

 

 白河の真っ白な顔が、青ざめるを通り越して、透きとおっているように見えた。

 なにが、あるというのか?

 血迷いながらもそれでも意を決して、ゆっくりと頷く。

 

 

 

「では……開けるぞ」

 

 

 四月一日がドアノブに手をかけて扉を押す。

 本当はもっと早いのかもしれない。

 しかし、四月一日の動作がスローモーションをかけているかのように遅く感じられた。

 異常な心拍、誰かがイタズラしたメトロノームのように、心臓の音がどんどんと加速する。

 

 

 

 

 なんだ、この恐ろしい気持ちは……?

 

 

 

 なにを怖がっているんだよ?

 

 

 

 誰かに危険が迫っているから?

 血の匂いがしているから?

 死の訪れに触れかかっているから?

 

 

 それじゃあ、俺は、心のどこかで、逃げられないと諦めいたのか?

 コロシアイは起きてしまうだろうと思っていたのだろうか。

 

 

 しかし、そんな考えを少しでも持つこと。

 

 それこそが全ての間違いだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 薄暗いダストルームの奥に見えるのは三段だけの小さな階段。

 階段のさらに奥には、なにがあるのだろうか。

 今はわからなかった。

 

 なぜなら、最初に目についたのは血の大海。

 その海に漂うのは、紫のドレスを着た少女。

 四股はだらりと血の海でぷかぷか浮いているかのように、無造作であった。

 ドレスは血の光沢でさらにキラキラと光り輝いていた。まるで、スポットライトを浴びているかのように。

 

 しかし、スポットライトを浴びても、なお、“女優”は動かない。

 

 

 

 『超高校級の演劇部』藤沢峰子は血だまりの中で、無の表情のまま浮かんでいた。

 

 

 空を無のままに仰ぎ、糸が切れて魂を失ったマリオネットのように倒れている。

 

 

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 この感嘆は俺のものだったのか……それすら、分からなかった。

 

 

「藤沢……さん……?」

「なによ、これ……」

「お、おい、どういうことなんだ! これは、なにかの……なにかの……っ!?」

 

 白河が擦れた声を発して、紅の息が荒くなっていく。

 そして、四月一日が声を詰まらせていく。

 舞台か。劇か。夢か。幻か。

 彼女の言葉は続かずに終息していく。

 

 

 

 

「いっ……いやあああああぁぁぁああぁぁっ!?!」

 

 

 

 気丈な真田が悲鳴をあげた。

 きっと、これはお芝居なんだ。

 この血糊も、倒れ方も、悲鳴も、ぜんぶ、ぜんぶ嘘だと言って……。

 

 

 

 

 ピンポンパンポーン……

 

 

 

 

『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 しかし、あの忌々しい声とアナウンスよって、一気に現実に引きずりおろされる。

 これは夢でも舞台でもない――現実だ。

 あの鉄の匂いが。目を見開いたまま動かない姿が。俺の甘ったるい考えをを強く打ち砕いた。

 

 

 

“ だから、約束! 今度ステキな書を見せてちょうだいね? ”

 

 

 

 藤沢の弾けるような笑顔。

 小指を絡ませたあの夜。

 気恥ずかしさと喜び、そして誇りが胸に染み込んだあの思い。

 

 だけど、その“日常”の思い出は、瞬く間にヒビが入る。

 そして、今まであった、“日常”が粉々に破壊される音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

『やったね、マナクマちゃん! 死体ができたよ!』

 

 

 突如、マナクマが飛び出してきて、今までにないほど腹立たしい笑顔を見せつけてきた。

 

 

「っ……あああああああぁぁぁぁああっ!!」

 

 今度の叫びは自分のものだった。

 床を蹴ってマナクマに向かって掴みかかろうとした。

 だけど……。

 

「やめるんだ!」

「よしなさい、七島!」

 

 四月一日と紅によって、両腕をきつく掴まれてしまった。

 なにもできず俺の拳は停止していた。

 俺の拳は情けなく、どんどんと地の方向へと下がっていく。

 

『うぷぷ、七島くんカッコわるーい。女の子に止められちゃうなんてね』

 

 カッコ悪くてもいい。

 だけど、殴りたかった。こいつだけは……。

 

「お前だ……」

『ほえ?』

「藤沢は、お前が殺したんだ……」

『オマエガ殺した? ま、まさか……あの尾前賀さんのこと!?』

「ふざけるなっ! 藤沢を殺したのはお前だろ! お前しかいないんだっ!」

『またまたあ、七島くんってば根拠もないのにそんなこと言っちゃって。それが許されるのはナルホドくんぐらいだよ』

 

 頭に血がのぼっていく。

 この言葉は、まさに今の俺の状況ぴったりだった。

 

『直球だけどさ、オマエラの誰かが殺したのは間違いないよ。ボク見たもん。監視カメラでばっちりと』

「ウソをつくな!」

『ウソついてなんになんの? じゃあ、ボクが犯人だって言ってみなよ。オマエラ死ぬよ? そんで本当のクロが生き残る! ひゃっほう、ドキドキでハート震えちゃうね!』

「……っ!」

 

 言葉が続かなかった。

 どんどんと頭にのぼっていたはずの血が冷えていく。

 そして、それは今いるみんなも一緒だったようだ。

 真田も白河も紅も四月一日も……。

 きっと、他のみんながいても、それは同じ光景になっただろう。

 

『さて、くだらない茶々はこのぐらいにして。では捜査の前にはお約束の。THE・マナクマファイル~! オマエラ完全にズブの素人でしょ? だから、とりあえず死体の状況をまとめておきました! 今は、5人しかいないけど他のヤツらにも配っておくね。というわけで、裁判まで、死なない程度に、せいぜいあがいていろよ! あーっはっはっはっ!!』

 

 タブレット端末をみんなに渡して、マナクマは足早に行ってしまった。

 そして、残された俺たちは端末を渡されたまま。

 ただただ、立ちすくんでしまっていた。

 

「ほ、ほんとに死んじゃったの、藤沢ちゃん……? ね、え、マジなの? これって、やんなきゃマジダメっぽいの?」

「……やらなきゃ、ダメです」

 

 白河が青ざめている真田に向き直る。

 そして、俺を含めた4人をぐるりと静かに見まわした。

 

「人殺しなどという愚かで汚い行為は許されるべきではありません。いえ、許してはいけません。私たちがなんとしても真相を突き止めなければならないのです」

「い、いや、で、でもさ……」

「なにが、『でも』ですか? ここでグズグズとして、なにもせずにいたら私たち全員終わりです。そして、殺人を犯した……手を汚した者だけが生き残ります。そのようなことは、私が断じて認めません」

 

 歯切れが悪い真田に対して、白河は手厳しくハッキリと言った。

 全員、終わり――その言葉は端的だが、俺の中に重い痛みとして響いた。

 

「……そうだな。本来なら、仲間を糾弾するなどはしたくないが。でも、やらねばならない。これも、仲間のためだ」

「正直、こんなの虫唾が走るわ……だけど、だからこそ、私も犯人を見つけたい」

「ね、ねえ、これ、マジでやるしかないの?」

 

 四月一日や紅も決心したのか、言い聞かせるように断言した。

 真田はまだ、心細そうに俺のほうを見つめていた。

 多分、俺も同じような表情をしていたのかもしれない。

 

 信じられなかった。今でも信じたくない。

 

 だけど……。

 

 動かない藤沢を見れば、なにをすべきかは一目瞭然だ。

 

 

 

「やるしかないんだ」

 

 

 

 俺も意を決して頷いた。

 

 

「捜査に関してですが、どうしましょうか?」

「ここにいる人は少ない。みんながあのアナウンスを聞いていればいいのだが……」

「その前に、現場をだれかが見張るべきよ」

「でも、まずは、この場の全員で現場の検証を行わないか? 気になる点は洗いださなければいけない」

「……やるしかない、ってワケか」

 

 乗り気ではなかった真田も、状況を察して緊張した面持ちで言った。

 そうだ。戦わなければならない。そうしなければ、俺たちは……。

 

 いいや、そんなことは考えてはいけない。

 悲しくて、悔しくて、どうしようもないけど。

 今は戦うしかないんだ。

 そして、真実を見つけなければならない。

 

 

 藤沢のためにも……!

 

 

 俺たちの仮初の日常は幕を閉じ、新たなる日常。

 

 

 命をかけた非日常が今から始まろうとしていた……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

非日常編 交差する捜査

 

 

" 捜査 開始! "

 

 

 

 まずはマナクマファイルで確認してみよう。

 俺たちは一斉にタブレット端末を見た。

 現場の写真から、死体の状況まで載っている。

 

 

 

 

 被害者:藤沢 峰子(超高校級の演劇部)

 場所:ダストルーム

 死亡推定時刻:19:30

 死因:胸部と腹部に、鋭利なもので刺されたことによる失血死

    首には絞められた痕

    唇には薬物の反応が見られる

 

 

 

 遺体を見ながら確認したが、間違っているところはなさそうだ。首には“紐で縛られたような痕跡”があり、唇には、なにか“液体”を含んだかのように濡れている。

 

「この液体は、毒だろうか? 毒だとすればどこにあるのやら……」

「うげっ、毒とかマジ……?」

 

 こうして見ると、絞殺や毒殺もありそうだ。

 でも、ファイルでは“刺殺”と書かれているので、死因はあまり疑わなくていいのだろうか?

 

「ここの血の形が奇妙ですね。なにか置かれていたのでしょうか?」

 

 白河が指摘した血だまりは、ほとんどは丸に近いが、“ほぼ90度にまっすぐになっている箇所”が一つあった。

 犯人、または藤沢がなにかを置いていたのだろうか。

 それにしても、“血の飛び散り”も激しいな。

 犯人も返り血を浴びたのだろうか……?

 

「鋭利なものっていうと刃物かしら? ナイフ……ではなさそうね」

「っていうかさー。いかにも『キョーキでーす』みたいなのって、なくね?」

 

 たしかに藤沢の遺体と血だまり以外、ダストルームにはなにも転がっていなかった。

 犯人は“凶器類”をどうしたのだろうか?

 

「あ、そーだ! あそこの焼却炉で燃やしたとかありえるんじゃない?」

 

 そう言って、真田が示したのは、さきほどから轟々と燃えている“焼却炉”だ。

 人がいると自動的に燃えて、帰ると自動的に消されるという、昔ながらの物のはずなのに、やけにハイテクな焼却炉だ。

 学園生活中、俺もよく使わせてもらったものだが……。

 

「全部は無理よ。ナイフではなかったとしても、刺し傷ができる凶器を焼却炉に入れられるとは考えられないわ」

「なら、あちらのダストボックスに捨てた可能性もありますね」

 

 白河が指さしたのは小さな段差だった。

 近づいて段差をあがり見下ろすと、床に扉がつけられている。

 扉には“ダストボックス”と書かれているので、ゴミ捨て場と言ったところか。

 しかし、その扉は閉ざされていて、俺が取っ手を引いても、叩いてみてもびくともしなかった。

 

「開かないと、確認しようがないじゃないか……出てこい、マナクマ!」

『はーい、呼ばれて飛び出ましたけどー?』

 

 四月一日が叫ぶと、マナクマがどこからともなく飛び出す。

 こいつも一体どういう仕組みなんだ?

 

「このダストボックスというものは、なんですか?」

『ありゃ、説明してなかったっけ? 焼却炉はいつでも使えるんだけど、この“ダストボックス”、つまりゴミ箱なんですけど、ボクが夜なべで作ったんだ。開いている時間が決められていてね。朝は8~10時、夜は18~20時まで開いてまーす。ってか、今日の夜まで調整中で使えなかったから、ちゃんと、“全員には”説明してなかったね!』

 

 全員には……と言うことは、特定の人は知っていたってことなのか?

 

「とにかく、今すぐこのダストボックスを開けるんだ。探したいものがある」

 

 四月一日が強い口調で詰め寄った。

 すると、マナクマは手を後ろに回して寂しそうな表情で俯いていた。

 

『あー……難しいんじゃないでしょうかね。なにしろ、底が深いし。ダストボックスはなんでも捨てられるから、その中身を掃除するのはノーマークでさ。ようはメンドウなんすよね。開けるのはムリというより、ムダだと思うけど?』

「私たちは屈しない。懐中電灯を持ってきてでも見つけてみせる。だから開けるんだ」

『それも無理ゲーじゃね? というかゴミを探すゲームとか文字通りゴミゲーですな!」

「どのくらい底が深いのですか?」

『深さざっと30メートル。広さは甲子園一個分』

 

 端的にマナクマがそう言ったのを聞いて、俺たちは顔を見合わせてしまった。

 これでは、砂漠でビーズを見つけることと同じだ。

 

『それに、ダストボックスに不用意に近づいたら、ボクが注意して止めるという仕組みになってますからね。足を踏みはず死の裁判なんか、オマエラやる気失せちゃうでしょ?』

「では、死体はどうでしょうか?」

『えっ、したい? や、やだ、ボクでなにをしたいって言うの白河くん!』

 

 マナクマが、はあはあと息を荒くして、顔を真っ赤にさせる。

 完全に俺たちは引いてしまったが、白河はため息を吐いただけだ。

 

「亡くなってしまった人物のことです。もしも、犯人が死体をダストボックスに捨てようとしたら。あなたは止めますか?」

『死体が人間かどうかで、また倫理的な問題が発生しそうだけど、さっき言った通り、ダストボックスの掃除をしてないから、死体を捨てられたらボクもどうしようもないね。止めるよ、うん」

「それともう一つ。この部屋の扉は一体、どうなっているんだ?」

 

 腕を組んだ四月一日がそう言うと、マナクマは、「にゃぽ?」とほとんど見えない首を傾げた。

 

『とびらー? 3行で説明してよ』

「この部屋は扉で隔たれていたのに、血の匂いを嗅ぎ分けられてしまったのか気になるのだ。希望ヶ峰学園は防音性、密閉性に優れているはずなのに何故だ?」

『3行じゃねーから減点……このダストルームの扉は、設計ミスで“薄く”作られているのです。だから防音性も低いし、変に鼻が良い負け犬なんかはちょっとの匂いも分かっちゃうかもね』

 

 なるほど。だから、白河はわかったのだろう。

 音も気づかれてしまい、匂いも分かってしまうということか。

 犯人はそのことも知っていたのだろうか。

 

「もう説明は結構です。そんなことよりダストボックスを開けてくれませんか?」

『3行で説明してくれたら開けたけど、3行じゃないから、気が向いた時に開けるよ……』

 

 そんな理不尽なセリフを吐きながら、マナクマはまたどこかに去ってしまった。

 

「すまない。私が3行で説明できなかったばかりに……」

「四月一日ちゃんは気にしなくていいって! あんなのマナクマのきまぐれだって!」

「そうよ。それに少し時間が経てば、きっと開けてくれるはずだわ」

 

 そうであることを、今は願うしかない……。

 

「では、これからどうしましょうか。私はここに残ってもう少し調べたいと思います」

「なにしろ、今いる人数が少ない。私は他の者たちを探すために校舎を見回りたい。事件での重要な点も見つけたいのだが……」

「藤沢は私が見張るわ。一人だけだと私が疑われるから、もう一人必要なんだけど……」

「じゃ、じゃあ、うちがやる。よし、きばっていかなきゃ」

 

 見張りは紅と真田が行うようだ。

 白河はここに残り、四月一日は校舎の探索。

 俺はどうしようか。

 

 そうだ、萩野を体育館に送り出していたんだ。

 あのアナウンスを、萩野も聞いただろうか。

 ……ちょっと見に行こう。

 先に俺はダストルームを出て、真っ先に体育館へと駆けだしていった。

 

 

 

 

 

 

「……! 七島っ!」

「あっ、な、七島っち!! 生きててよかったのだぁぁ……!!」

 

 体育館に着くと、すぐさま萩野が駆け寄って来る。

 それと同時に、大豊が、つられてやって来た。

 

「おい、さっきの放送にこのファイルって。なにがどうなってんだよ。マナクマはなにが言いたいんだ!」

「ね、ねえ、うそだよね……? 藤沢っち、死んじゃったわけないよね!?」

 

 二人は俺に一斉に捲し立てた。きっと、アナウンスとマナクマファイルをもらって気づかされたのだろう。

 俺は静かに首を振った。表情でなにを言わんとしていることには二人とも察したのか。すぐに押し黙ってしまった。

 そして、黒生寺は転寝のように頭を垂れていたが、用心棒のように佇んでいた。

 ……って。

 

「黒生寺!? お前、一体どこにいたんだ。パーティに、なんで来なかったんだよ?」

「ここで、弓矢を射っていた。クソぽんぽこと」

「ぽんぽこ……え、ええと、十和田、か?」

 

 黒生寺はゆっくりと頷く。顔は不服そうだ。

 

「どうして?」

「アイツがケンカをふっかけてきやがったからだ……」

「えっ?」

「この“果たし状”を読めばわかんだろ……」

 

 そう言って、黒生寺から乱暴に紙きれを押しつけられた。

 そこには、次のように書かれていた。

 

 

 

 黒生寺 五郎へ

 お前のBB弾銃は預かった。

 返してほしければ、6時50分に体育館へ来い。

 弓矢の10本勝負だ。

 

 

 

「……あ? なんだよこれ?」

 

 萩野が代弁して、俺の気持ちを発していた。

 

「おめー、BB弾銃なくしたのか!?」

「何度も言わせんじゃねえ……本当だって言っているだろーが……BB弾銃だからって油断してた……」

「だからって、ガンマンだろ!? しっかりしろや!」

「んなの俺だってわかってる……でも、あれがないと俺はただのマンだ……」

「はむう、どっちかっていうと、ガンマンとかマンよりも、ビーダマンじゃないのー?」

「でも、一体、誰だったんだ? これ書いた人は」

「だからクソタヌキだって言ってんだろ……呼んでおいて10分遅れてやってきやがった。もちろん弓の勝負は俺が勝ったが、知らないって突っぱねられた。腹が立って、罵ったらアナウンスが鳴りやがった。んで、結局、うやむやで逃げやがって……クソが……! 見つけたら、ポックリ逝かせてやる……」

 

 そう言って、黒生寺は体育館を去ってしまった。

 彼は、どうやら捜査をする気がないみたいだ……。

 と言うか、その十和田は、どこに行ってしまったんだ?

 

「ねーねー、ところで萩野っちは、なんでこんなことしてんの?」

 

 ふと、大豊が萩野を呼びとめる。

 彼女が指をさした床には、弓矢が綺麗に並べられている。

 数十本はあるみたいだが……。

 

「なんだ、これ?」

「さっきマナクマからファイルをもらったからよ……正直、信じられねーけどな。でも、マジで殺しが起きたら、犯人をあばかないと俺ら全員死ぬじゃねえか。だったら、少しでも、真相に近づけなきゃならないだろ……」

 

 アナウンスとファイルの状況で、萩野も相当、混乱していたのだろう。しかし、その中でも、萩野は認めたくないけど認めていたのだ。

 やはり、どんな絶望的状況下でも萩野は強いな……。

 

「そんでよ、凶器なんだろうって考えてたんだよ。それで、死体も写真で見ただけだから、ビッミョーだけどよ。胸部と腹部の刺し傷って、書かれてあるからさ。凶器はなにか“刺すもの”じゃねえかなって思って」

 

 なるほど、だからこうして並べているのか。

 矢も鋭くとがっていて、刺すという点ではありえなくない凶器だ。

 

「もしかして、数を確認しているのか?」

「ああ、ちょうどリストがあるから確認してみたぜ。でもよ、弓に使う矢が5本足りねえんだよなあ……」

 

 ……えっ?

 

「本来なら“矢は40本あるはずなんだけど、35本”しかねーんだ。“予備の矢の羽の部分とか、矢じりは5個”あるけど。肝心の矢がない。黒生寺にも聞いたが『知らん』とのことだ。でも、これってよ怪しくねーか?」

 

 まあ、たしかに怪しくないと言ったら嘘では無いが。

 

「そーだ! 鋭いのって言ったら……ほら、これもー!」

 

 そう言って、大豊が準備室から“フェンシング用のサーベル”を抱えて持ってきた。

 

「お、おい、危ないぞ」

「へーき、へーき! ちゃんとサヤに入ってるもん!」

「おめー、気をつけろよ……で? 何本あんだ?」

「5本あったのだ!」

「んー、リストも、“サーベルは5本”って書いてあるな。藤沢を刺して、ここに戻って来るまで……ちょっとリスクが高すぎだな。やっぱり候補として外していいか」

『外しちゃうの?』

「うぉっ!?」

 

 萩野が驚いた先には、マナクマがぴょこんと現れていた。

 なんなんだ、こいつは。

 

「な、なんだよ、外しちゃダメっつーことは、これが凶器か?」

『外しちゃうんすかー?』

「凶器なんだな? 外すなって言いてーんだな?」

『いや、外せるすんよ』

「外す、外せないどっちだよ!?」

「ま、待て待て。なんの話だ!」

 

 耐えきれずに、つい口をはさんでしまった。

 外すという言葉が、耳の中で、どんどんとゲシュタルト崩壊を起こしていた。

 

『実はさ、この弓も矢も剣道の竹刀も、全部ボクが作った殺傷力抜群なものなの。わくわくしちゃうね! それに本物で人殺されたら、なんとか協会を敵に回すことになるし……とにかく、ボクが作った用具だからさ。ちょっと柄の部分を引っ張ってみてよ』

「えっと、こうかな……って、ふぉっ!?」

 

 大豊が力任せに引っ張ると、小さな叫びとともに。

 

 がしゃん!

 

 “サーベル”の鋭利な剣先が床に落ちた。

 俺と萩野は音とその光景に思わず一瞬だけ震えた。

 大豊は柄の部分だけを持っていて、床には剣の部分だけが転がっていた。

 

「うわわわっ!? すごいのだ!!」

『ね? ビックらこいたでしょ? こんな感じで“簡単に取り外し可能”なんすよ。跳び箱みたいに竹刀も三つぐらいに分けられるし』

「じゃあ、この“矢も羽の部分とか先っちょ”とかはずせるのー?」

『できますけど、ちゃんと片付けてくださいね! マナクマからのお約束なんだからね!』

 

 そう言ってマナクマは意味の分からないセリフを吐いて去っていった。

 とにかく用具は取り外し可能というわけか。

 

「とりあえず、おめー、それ戻しとけよ」

「はーい、よいっしょっと……へけ? これ、かたくて入んないのだ!」

「あ? なに言ってんだ、さっきまで入っていたんなら戻せるだろ。ほれ、貸しな」

 

 そう言って、萩野が、ばらばらになった“サーベル”を組みたてようとしたが……。

 顔を真っ赤にさせて、苦戦しているようだ。

 拍子をつけるように足をどんと踏み鳴らし、なんとか元の形に戻すことができた。

 

「ぜえぜえ……な、なんだぁ? 確かに硬かったな」

「でしょでしょ! さっきは思いっきり抜いたから抜けたけど……まったく“かたくていれづらい”とか、どうかしてるのだ!」

「か、かたくて、いれづらい、なあ……?」

 

 変なことに反応している萩野はさておき。

 でも、そんなに入れづらいのは、ちょっと変じゃないのか?

 “簡単に取り外し可能”って言ったのに。マナクマの言うことを信じているわけではないのだけど……気になるな。

 

 

 俺は体育館を後にした。

 萩野と大豊はもう少し体育館を調べてから現場に向かうらしい。

 さて、次はどこに向かおう。

 とりあえず、もう一度、寄宿舎の方面に戻ってみるか……。

 

 

 

 

 

「……七島さま」

 

 

 ……ん? 今、誰かの声が聞こえたような。

 見回すと、視聴覚室の扉が開いている。

 だれかの手がちょいちょいとそこから伸びてきたので、そっと、中を覗いてみると……。

 

「角、どうしてこんなところに?」

「七島さま、おひさしぶりでございます。芙蓉は火事があってから、ずっとここにいたのでございます。そ、それよりも、七島さまっ! 芙蓉は夢を見ているのでございますか? あんなにステキな、藤沢さまが、芙蓉にも優しくしてくれた、藤沢さまが……ど、どうして、あんなことに……」

 

 昨日から良い思い出のない視聴覚室の中で、角は泣いていた。大きな瞳からは、はらはらと涙がこぼれて頬を伝っている。

 

「さきほど、芙蓉も現場に行かせてもらったのでございます。やれることをやらなければいけないと思ったのでございますが……気がつけば、また、こんなところにいて……藤沢さまとの、数少ない思い出にひたってしまって……」

「視聴覚室で?」

「昨日からは、芙蓉も、みなさまにとっても、行きたくない場所でございましたが……でも、おとといまでは、思い出深い場所なのでございます。藤沢さまと、紅さま、四月一日さま。そして芙蓉は、ここで映画を見ていたのでございます」

「映画を?」

「はい、『アウトシテミタ』という、ドキドキのミステリー映画でございます。それぞれ、いつもはみなさま忙しくて、映画なんか見ることができなかったらしいのでございます。芙蓉も学園のお友だちと遊ぶということは久しくて……とても、楽しかったのでございます。だから、また今度映画みましょうって約束……していましたのに……」

 

 ステッキを握りしめながら、角は俯いてしまった。

 みんな、それぞれがこの生活を前向きに捉えようとしていた。

 少しずつ馴染み、適応しながら、協力してきたはずなのに。

 たった一つの映像が、全てを壊したんだ。

 

「そ、そういえば、七島さまはご存じでございましたか?」

「……えっ、なにを?」

「昨日の夜、お泊りのときに“藤沢さまは泣いていた”のでございます」

 

 ……えっ?

 

「子供のようにわんわんと泣いて、みなさまがなぐさめて……それでも、藤沢さまは治まらずに一時は部屋を出てしまったのでございます……」

「そ、そんなことが……」

「四月一日さまが、急いで連れ戻して……その後は、藤沢さまは泣き疲れて、そのまま四月一日さまのお部屋でお眠りになったそうですが……やはり、いつも笑顔の藤沢さまも、お辛かったのでございますね……」

 

 知らなかった。

 そう言えば、今日の朝、角は藤沢に「大丈夫か」と尋ねていたはずだ。

 その時、藤沢は“四月一日に話した”と返していたが……。

 

「だから、さきほど、マナクマさまに頼んだのでございます。藤沢さまが見た映像を、芙蓉も見ようと思って……でも、クマに説法でございました……ご本人さまでないと、ダメみたいでございます。うう、申し訳ございません……」

「でも、ちゃんと頼んだだけ偉いよ。ありがとう」 

 

 そう言うと、少しだけ安堵の表情を見せたが、すぐに顔を曇らせてしまった。

 視聴覚室の奥にはホワイトボードがあり、その手前には教卓。そして、その上に、なにかポスターを丸めたようなものがあるが……。

 

「ところで、角。あれはなんだ? 教卓の上の」

「ああ、あちらは“映写スクリーン”でございますね。折りたたみ可能で、丸めておくことができる万能スクリーンでございます。おとといの映画鑑賞もこれで……って、あらあら? でございます」

 

 芙蓉は顔を手ではさみこんで首を傾げた。

 

「奇妙キテレツでございます。芙蓉たちが映画を見た時には、こんな状態ではございませんでしたのに……黒革で作られた、とても高級な“筒”に入っていたのでございます」

「“筒”? 前はあったのか?」

「はい。映画を見た時にはちゃんと。そもそもスクリーンは芙蓉がかたづけたのでございます」

 

 角は、ぱたぱたと教卓に駆け寄って、隅々に探していた。しかし最終的には、残念そうに首を振ってまた戻ってくる。

 

「やはり、見当たりませんでございます……あの時は、たしかに片付けたはずでございますが……」

「だれかが持って行ったとか?」

「よもや! なんのためでございますか?」

「そ、それは分からないけど……」

 

 誰がなんのために持って行ったのかは分からない。

 だけど、前にあったものが無くなっている、というのは、なんだかモヤモヤする……。

 とりあえず、気になる点としてまとめておこう。

 

 

 

 一旦、角と別れて、今度は会議室に向かった。

 鎮火しているとはいえ、やはり焦げくさい匂いが残っている。

 

 改めてみると、ひどいありさまだ……。

 折角の料理も飾り付けも芯から真っ黒。

 位置的に焦げていないものもあるが、それでもスプリンクラーの水でめちゃくちゃだ。

 

 同じように、俺の後から四月一日もやって来て、早速中に入り、訝しげに現場を見渡している。

 パーティの主催者であり、誰よりもこのパーティを望んでいた四月一日は今、どのような思いを馳せているのだろうか……。

 そして、会議室の中には、先にいたと思われる、ヤカンを持った天馬と、青ざめた錦織が俺に近づいてきた。

 

「……藤沢さんのためにも、捜査しないとね」

 

 天馬が目を伏せながらそう言った。

 錦織は「うう……」とまだ具合が悪そうに口を抑える。

 

「さっき、会議室をちょっと調べていたんだけど。多分、火事が起きたのは火の不始末だと思う」

「不始末?」

「ガスが開いていて、コンロもつけっぱなしだったんだ。部屋にタオルがあってそこから引火したみたい。それに、この“ヤカン”がガスコンロにあったんだけど、なにか沸騰していたみたい。中身はなにもなかったんだけど、遠目で嗅いでみたら、ちょっとだけ変な匂いがした」

「でも、まだ気持ち悪い、匂いが……うっぷ……」

 

 そう言って、口を抑える錦織の肩を天馬がさする。

 でも、錦織の言う通り、アレルギーでなくても、吐き気を催すものが充満しているのは確かだ。

 正直、早くここから出たいと言う気持ちが強い。

 

「匂いのもとは気になっていて。だから、円居くんに解析してもらおうと思うんだ」

 

 なるほど円居か。

 たしかに、アイツなら詳しいかもしれない。

 

「じゃあ、俺が探してくる」

「探す必要はないぞ」

「え? ……わっ!?」

 

 振り向いた先には、俺のことを見下ろす円居がいた。

 慌てて、反射的にのけ反ってこけてしまいそうになった。

 

「円居くん、どうしてここに?」

「うむ。話せば長く……いや、そうでもないな。火事で部屋に逃げてから、藤沢が死んだと聞いてな。その、なんというか……悔やまれるのだ」

 

 円居は歯に物がはさまったような言いかただった。

 そして、いつになく、しょんぼりとしている。

 やはり死に立ち合うと、マッドサイエンティストでも苦しいものなのだろうか。

 

「藤沢は……間接的に、吾輩が殺したかもしれない」

 

 …………え?

 殺した……その言葉に、俺は思わず眉間にしわをよせてしまった。円居からは、眼鏡越しではあるが気まずそうな瞳を見せる。

 

「実はパーティが始まる一時間前に、藤沢に会ったのだよ」

「ど、どこでだ?」

「保健室だ。吾輩は絆創膏を探すついでに、薬の調合ができないかと物色していたらちょうど彼女が入ってきたのだ! パーティのために演技の練習をしていたそうで、藤沢は疲れていたようだ。だから“ビタミン剤”を渡したのだぞ。それと料理でケガをしたというので、“消毒液”も貸したのだよ」

「あの時のケガかな。私がお皿を割った時の……」

「その消毒液は、毒じゃないだろうな?」

 

 突然、四月一日がおもむろに口をはさんできた。

 さすがの円居もオーバーに、「なに!?」と言って驚いていた。

 

「なるほど、吾輩を疑っているのだね? やはりミステリーでは、科学者と博士と医者は真っ先に疑われる宿命なのだな! だが、マナクマにも確認したのだ。毒になるものは、この保健室にはないそうだ! さすがに、“消毒液”は危険だが、飲んでも喉がただれるが、致死ではないようだぞ」

「そっか。だからあの時、藤沢さんに尋ねようとしたの?」

 

 ……あ、そうだ。

 たしか火事が起こる直前に……。

 

 


 

「ああ。そんなことより藤沢よ。さっきのあれは……」

 

 藤沢に話しかけようとする円居はきょろきょろと見渡す。

 さっきの、“あれ”? なにか話をしていたんだろうか。

 


 

 

 

「うむ。“ビタミン剤”はともかく“消毒液”をな。しかし、その突如、運悪くあんなことが起こってな」

 

 運悪く……か。

 本当に火の不始末の火事だったのだろうか?

 

「円居、あの“消毒液”の説明書きは読んだか?」

「ああ、一応、マナクマの言うこと全ては信じ切れんからな! 吾輩の目でも、説明書きを読み、確認をしたぞ! 当たり前だが“ビタミン剤”は飲んでも平気だ。混ぜるとちょっとだけやばいが、そんなに大したものではない。あの“消毒液”はちょっとばかし危険だ。飲んだら胃がただれる。たしかに毒だが致命傷にはならん。しかし、混ぜるとかなり危険だぞ!」

「混ぜると危険?」

「そうだ。“混ざると危ない”。市販の薬でも、科学物質でも混ざるとまずい。色々とまずい。めちゃんこまずい。科学反応の仕組みを言うと30分かかるから手短に言えば、一酸化炭素を放出する危険物質と化すのだよ。だから、そう言っておいたのだ。“消毒液は混ぜたら、学園吹き飛ぶぞ! そして絶対飲むなよ!” とな! ……ちょっと言い方はまずかったが、そうでもしないとな」

「でも、どちらにせよ、藤沢峰子はマナクマファイルに書かれているように“刺殺”だ。毒殺の可能性はゼロに等しいだろう」

 

 うむ、と円居は四月一日の言葉に対して、ゆっくりと頷いた。

 毒殺の可能性は無くとも、“消毒液”は気になる点だな……。

 

「それにしても、危ないものは人を惑わす。どんな善良な人間でもスリルの味を知ると、たちまち快楽に身を任せる廃人と化す場合もあり、自らをも滅ぼすという……まあ、杞憂だったがな! 藤沢はちゃんと約束を守ってくれた点、やはり超高校級と言わざるを得ないだろう!」

「……どういうことだ、円居?」

「さきほど保健室に寄ったのだよ。そしたら仰天まるみえ! “消毒液”は返されてあったのだよ!」

 

 消毒液が返されていた?

 

「で、でもどうして?」

「真相は不明だが、藤沢はちゃんと消毒液を正しく使用して戻してくれた。それを吾輩は信じたいものだな!」

 

 たしかに、藤沢はモラルやマナーはきちんとしている。

 ……でも、なんだか、安易に頷けないのは何故だろう。

 

「そうだ、円居くん。お願いがあるんだけど、このヤカンの匂いは分かる?」

 

 そう言って、天馬はヤカンを渡す。

 早速、円居が中身を開けて手を仰ぎながら匂いを探る。

 しばらくして、少しだけ目を伏せてヤカンの蓋を閉じた。

 

「……うむむ、しばらく解析をさせてほしいな」

「簡単に、危険か大丈夫かは分からないかな?」

「そうだな、とんでもなく危険ではないな。とりあえず解析ができたら結果をお話してさしあげよう!」

 

 そう言って、円居は解析をするためか会議室から去って行った。

 四月一日も他の部屋に移ろうとして、円居の後に続こうとしたのを俺は止めた。

 

 

「あの、四月一日、ちょっといいか」

「どうした、七島竜之介。事件の重要な手掛かりが見つかったのか?」

「その、角から聞いたんだけど。昨晩、藤沢と一緒に泊まったんだよな? それで……藤沢となにか話をしたのか?」

 

 そう言うと、四月一日はハッと目を見開いたが、すぐに顔を反らした。

 

「ああ。確かに。私は昨晩、彼女と話をした」

「なんの話をしたか、この事件に関係があるか聞きたいんだけど……」

「……すまない。話したいのはやまやまだが、私にも時間がほしい」

「時間?」

「藤沢峰子と約束したんだ。『この話は内緒にしてほしい』……と。彼女が死んだからって約束を破るというのは少しためらわれる」

「い、いや、ごめん。無理に話さなくてもいいんだ」

「しかし、彼女を殺した犯人を見つけるには必要な情報という場合は、藤沢峰子を助けるという意味で話したい。今は考えさせてほしい。そう言っているんだ」

 

 さすがの四月一日も気が滅入っているようだ。

 ……とにかく、角の言う通りだということはわかった。

 

 

 

 再び寄宿舎方面に行くと、ランドリー前に誰かが立っているのが見えた。

 ……あれは、真田か?

 すぐさま真田は俺に気付き、こつこつと高いヒールを鳴らして近付いてきた。

 

「あっ、七島っ! ……アンタ、捜査どう? ジュンチョー? ゼッコーチョー?」

「とりあえず、情報は少しずつ手に入っているけど……と言うか、真田って見張りじゃ……」

「あー……いや、ランドリーでちょっとイロイロとあってさ」

「ランドリーで?」

「まず、これ見てよ」

 

 そう言って、ランドリーの扉を開けた。

 すると、また鼻になにかが刺さってきた。

 もう鼻の感覚が麻痺しかかっているな……。

 

 見ると、ランドリーは、真っ白な粉や液体があちこちに満遍なく占領されていた。

 床全体が、粉や液体だらけでなんだか煙たい。

 そして、その中で白河……いや、違う。青いエプロンを着ているのは井伏だ。

 井伏は不慣れな様子で、ぞうきんを片手に掃除していた。

 

「見たとーりだよ。うちさ、あの火事で逃げたとき、ランドリーが近くにあったからそこに隠れよーって思ったんだよ。そしたら、ランドリーの中は“洗剤がばら撒かれてて、粉もめちゃくちゃ”でさ。ありきたりな言葉だけど、イミフメーじゃね? んで、最初に入ったのがうちなもんで、次にやって来た白河がヒアウィボンバー。その後に、藤沢ちゃんの死体見つけちゃって。そんでもって、さっき、ダストルームで白河は現場を見るからって言って、見張りだったうちと、現場に運悪く来た井伏に掃除押しつけて、さんざ……」

「うわあっ!?」

 

 ヒアウィボンバーに合う翻訳を考えていると、井伏の裏返った悲鳴があがる。

 ばたばた、ばさばさと言う音が鳴り響き、あちらこちらでなにかが飛びまわる。

 白い粉と同じ色のものがあちこち飛び回っているので、なにがなんだかわからない。

 そして、みるみるうちに粉や洗剤が広がり、思わず咳こんでしまった。

 

「小竹っ!?」

 

 荒れ狂ったようにランドリー中を飛び回っていた“なにか”は、やってきた声の主――慌てた様子の十和田の元へ、一直線へ向かっていった。

 そして、彼の肩にすとんと止まった。

 そうか、飛び回っていた“なにか”は、十和田の一番大切にしていたハトじゃないか。

 前に、食堂で会った時に説明してくれた。

 弟であり大切な友達でもあるという、人間よりも可愛がっていたあのハト。

 十和田は、「ケガはないね」と優しい口調で撫で終わった瞬間、細い目だが、奥底は明らかに鋭い眼光を俺たちに向けていた。

 

「どうして僕のハトが、こんなところにいたのかなあ? 厚化粧、ミドリムシくん。ねえ、どういうことかなあ?」

 

 顔は恵比寿様のようだが、明らかにオーラが違う。

 これは、完全に怒っている……!

 

「あの、俺はなにもしてないよ。そこの開いた乾燥機から、なにか音がしたから。ちょっと覗いたらそのハトがいただけだよ。ははっ、年甲斐もなくびっくりしちゃったね。もう少しランドリーに詳しいのは、白河くんと真田さんだと思うな」

「いや、うちは知らねーっつーの」

「あ、ああ、俺もわからないぞ」

「ミドリムシくんはともかく。それと、ランドリーにいたっていう、妖怪クラゲもノーマークだけど」

「……あれ? って言うか、俺は……?」

 

 井伏が軽く手をあげたが、十和田の目と耳には入っていなかったようだ。

 そして、十和田はじろりと、今度は真田のほうを睨みつけた。

 

「そこの厚化粧には、もう少し事情を聞きたいものだねえ?」

「はあ!? なんでさ?」

「教えるのも面倒だけどさあ。僕は、小竹には、僕以外の人間には近寄らせたくないと思っている……でも、アシスタントには、手品のためにハトに触れる機会があるんだ。そこで、小竹には“女性は近寄っていい”という、しつけをしている。だから僕のアシスタントはみんな女性だ。まあ、世の中、ハトの違いなんて分からないバカしかいないから、念のためだったけど。まさかこのしつけが役に立つとはねえ」

「そんな事情、知らないっつーの! AWJ?」

「……は? アラスカワールドジャパン?」

「うっさい! 『アタマ』『湧いてん』『じゃないの』!?」

 

 その略語は無理があるんじゃないのか?

 でも、どうして十和田のハトがこんなところにいるんだろうか?

 ちょっと詳しく聞いた方がいいのか。

 

「十和田、いつハトがいなくなったんだ?」

「情けないけど、本当に目を離していた隙だよ。パーティの準備中の時だ。カゴに入れておいたし、そんなに人数も少ないから平気だと思っていたのに……まったく、情とか入れちゃうといつもこれだ。だから群れるのはキライなんだよねえ。それで、一旦、部屋に戻ったら“手紙”があって、体育館へ行って、そしたら、あんな殺人が起こって……ああ、なんなんだよさっきから。っていうか、なんで女優さんが殺されてるんだよ!? それこそ、意味不明だねえ?」

 

 珍しく、十和田は怒りを露わにしていた。

 さすがに、藤沢が死ぬというのは、想定外だったのだろうか。

 十和田は忌々しそうに足を踏み鳴らして去ろうとしたが、慌てて裾を掴んで引き止める。

 

「手紙と体育館って。お前、黒生寺に会ったか?」

「ミドリムシの分際で止めるなんて、すっごくなまいきだねえ…………ああ、でも、あのゴキブリ野郎も、そんなこと言ってたかなあ。“果たし状”がごちゃごちゃと。僕は出した覚えはないけど、“手紙”なら貰ったよ。いらないから、食べるなり、住みかにするなり好きにしたら?」

 

 力士のつっぱりのような力で紙を押しつけられて、十和田はさっさと去ってしまった。

 黒生寺の“果たし状”に似た紙切れを広げてみた。

 

 

 

 十和田 弥吉へ

 お前のハトは預かった。

 返してほしければ、7時に体育館へ来い。

 弓矢の10本勝負だ。

 

 

 

 撒き散った粉を払いながら、井伏と、それに真田もひょっこりと手紙を覗きこむ。

 これは黒生寺が書いたのか……?

 だとしても、なんか色々と矛盾しているような。

 

「おっと、いけない。ちゃんと掃除しておかなきゃ……『マニュアルも渡したのに、これしかできなかったなんて』って怒られちゃうな……真田さん、一緒にしよう」

「うげえ、マニュアルまで用意してあんの? 白河ってマジピュアクリーンじゃね?」

「俺も手伝ったほうがいいか?」

「いや、平気だよ。俺たちはいいから、藤沢さんのために手がかりを見つけてきて」

「そーそー! うちら頭悪いからさ」

「俺も頭悪い枠に入っちゃうか……まあ、実際そうなんだけどね。あはは……」

 

 井伏がうなだれたまま、ぞうきんやモップを手にとって、掃除を再開し始めた。

 これで、全員と会った……いや、待てよ。

 

「なあ、ランティーユはどこにいるか知らないか?」

「ランティーユはチキン・ド・フライだよ。ずーっと、部屋で閉じこもっててさ。バイオレンスなことは嫌いなんだってさ。まあ、白河はなにがなんでも引っぱりだす、みたいなこと言ってたけど」

 

 真田はそう言いながら、薄汚いモップで洗剤まみれの床を拭いていた。

 ……チキン・ド・フライは、チキンとかけて弱虫って意味か?

 まあ、暴力的なことを好き好む人は多くないし、ランティーユの気持ちも分からなくはないが……。

 もう一度、ダストルームに戻ってみるか?

 

 

 

 ダストルームに着くと白河と、見張り役と言った紅もここに残っていた。

 さらに、藤沢の遺体の近くには挙動不審のランティーユも。真田が言ったとおり、白河が連れてきたのだろう。

 

 そして。

 

『やあやあ、おげんこ?』

「……」

 

 マナクマが目の前に現れて、手をあげて笑っていた。

 そんな奴を無視して、藤沢の死体を見る。

 動く気配は、やはりない。

 

『あ、無視ですか、そうですか……ダストボックスに入ったほうがいいっすかね……』

「……えっ?」

「さっき、ダストボックスを開けてくれたの。だから確認はできるようになったわ」

「そうなのか、じゃあなにか見つかったか?」

「それが、やはりマナクマの言うとおりでした。まったく見えませんでしたね。本当に“深くて暗くてなんにも分かりません”でした。懐中電灯でも不可能ですよ」

 

そうか……。

 

「しかし、藤沢さんを調べていて新たなことが分かりました」

 

 白河がそう言って彼女の近くに体を寄せた。

 そして、彼女が握っている手をどかした。

 そこには、血があり、なにかが書いてある。

 

「……これは藤沢が書いたものなのか?」

「そうです。彼女のこの握られている手を外せば……」

 

 そう言って、白河が血の気のなくなった藤沢の手をそっと開かせる。

 すると、彼女の人差し指には、血の跡がついていた。

 

「よく気づいたな。犯人が隠したのか?」

「それはないと思います。隠したのは、藤沢さんのほうだと思われます」

 

 そう言って、白河は血文字を指した。

 そこには。

 

 

 ap

 

 

「……なんだこれ?」

 

 俺は反射的に首を傾げていた。

 文字には見えなくもないが、ぐしゃぐしゃと走り書きのようになっていて判別ができない。

 

「これは筆記体だと思われます」

「ええ、そうね」

「そ、そうなのか?」

 

 筆記体、なのか? 俺には全然見えないぞ。

 むしろ、ひらがなにも見えてしまうんだが……。

 

「うーん。でも、そう言われるとそうなのよね。ちょっと曖昧でクセもあるみたいだから……」

「そうでしょうね。ぐしゃぐしゃとしか書いてないし、なにより小さな文字です。でも、彼女は文字を残そうとしている、ということは分かるでしょう。それに、私としては、紅さんの筆記体という意見に賛成です。これが筆記体だと仮定したら、紅さん、なんと読めますか?」

「筆記体として読むとするならば……多分だけど、“ap”だと思う」

「エーピー?」

 

 なにかの略だろうか?

 首を傾げても、ひっくり返しても特に暗号らしき面影も見えない。

 紅も唸っている。白河は血文字、いや、藤沢をじっと見つめているようだった。

 犯人、彼の言葉でいう、汚した者を考えているのだろうか。

 そして、ランティーユはさきほどから涙目のまま、藤沢の様子を観察しているようだった。

 

「それで、ランティーユさん。他にはなにかありませんでしたか?」

「ノン! ないよ、もう! これ以上、探しても意味ないと思うけど!?」

「“唇の薬品”と“靴の液体”以外は、なにも見つけられませんでしたか?」

「う、うるさいな! これでもがんばったほうだから、褒めてくれよ!」

 

 白河は「はぁ……」と困惑したようにため息をついた。

 珍しくランティーユが荒れた口調だが……。

 

「“唇の薬品”の匂いと“靴の液体”?」

「ランティーユさんに解析していただきました。どうやら唇の薬品は“アルコール系”と見て間違いがないそうです」

「“アルコール系”?」

「含んだという形跡はないとみていいそうです」

 

 含んだ形跡はないが、唇には“アルコール系”がついている……?

 

「“靴”はどういうことだ?」

「彼女の靴にも“液体”が付着していましたが、それは“アルコール”成分ではありませんでした。馴染みがないものらしいので、ランティーユさんにも判断ができなかったそうです……私も清掃委員として確認しようとしましたが、この血の量です。まったく匂いの区別がつきませんでした……」

 

 たしかに、この血の匂いを、狭い部屋で嗅ぎ続けていたら、嗅覚がおかしくなりそうだ……。

 そんな中、ランティーユがそろそろと帰ろうとしているのを、慌てて引き止めた。

 

「な、なんだい? ムッシュ七島……」

「ランティーユ、お前はずっと部屋にいたのか?」

「ウィ、そうだよ、悪いかい? 火事の後に“一番最初に逃げて”、そのまま部屋に直行。そして、死体を発見アナウンス……身の毛がよだったよ。僕は血が嫌いなんだ。鑑定士であって、ぼくは鑑識班じゃないんだ。あくまで鑑定士なんだから、もうこんな血なまぐさいもの、本当は見たくない! 正直なところ、捜査もしたくないんだ! わからないのかい、ムッシュ!?」

 

 無理もないのは分かるが、かなり気が動転しているな……。

 そう言えば、あのパーティのときに、一番最初に逃げたのはランティーユだ。

 ランティーユは、ドアから一目散に逃げて、次に錦織が……いや、ちょっと待てよ。なにか変だな。

 たしかにランティーユが“一番最初に逃げた”……はずなんだけど……?

 どこに、俺はひっかかっているんだ?

 

「そう言えば白河。火事の避難先は、ランドリーか?」

「はい、そうです。掃除を真田さんたちに頼んだのですが、彼女たちは大丈夫ですか?」

「ああ、ちゃんと片付けている。ランドリーはいつからあんな状況になっていたか分かるか? それと、ランドリーにハトがいたんだけど、それについてもなにか知らないか?」

「申しわけありません。私が避難したときには、あのような状態でした。それにお恥ずかしいことに洗濯を、食堂の掃除に手間をかけて1日空けてしまいまして……言い訳がましいのですが、今日も朝から準備でちゃんと行けませんでした。だから、ランドリーに関しては私もわからないのです。ハト、がいたんですか? それも知りませんでした。すみません、私が怠惰なばかりに……」

「そ、そうか。説明してくれてありがとう」

 

 俺にはなにが恥ずかしくて、なにが怠惰なのかがよくわからない内容だった。

 とにかく、白河もランドリーがいつあんな状態になったのかは知らないということか。

 

「私からも聞いていいですか?」

 

 そう言うと、白河は俺の耳元に顔を近づけた。

 いきなりだったので、遠ざけようとしたがカフスを掴まれて体を引き寄せられる。

 紅が不審な目で見ているから、やめてほしいぞ……!

 

「火事の時、七島さん、天馬さん、萩野さんは火を消した現場にいましたよね? なら、どうやって火を消したかを七島さんは知っていますよね? “火をどうやって消したか”を誰かにしましたか?」

「えっ? それって……」

「天馬さんから話は伺いました。その“消し方”について、誰かに話しましたか?」

「い、いや、誰にも話してないけど……」

「そうですか」

 

 そう言うと、白河がぱっとカフスを離したので、重力に対応するかのようによろめいた。

 紅が肩をすくめながら、やはり俺たちに変な視線を送っていた。

 でも、白河はどうしてこんなことを尋ねたんだろう?

 火の消し方、いや、“火をどのように消したか”を人に教えたのかを尋ねるなんて……。

 

 

 

 ピンポンパンポーンと突如、アナウンスが鳴り響く。

 

 

『おっしまーい! と言うわけでこんなもんでいいっすよね? さて、ボクも飽きたので早く裁判やりましょう! ええ、やりましょう! というわけで至急、本校舎、赤い扉の前にお集まりください!』

 

 …………ついに。か。

 

「来てしまったのですね……とりあえず、グズグズしていては仕方ありません。私たちも行きましょう」

 

 白河はアナウンスを聞いても至って冷静で、さっさと、ダストルームから出て行った。

 俺と紅もすぐさまダストルームを後にして本校舎へと向かう。

 廊下はいやになるほど静かで、俺と紅の足音しか聞こえない。

 

「七島、どう? 私はずっと見張りをしていたんだけど……犯人、見当がついている?」

「いや。あまり、目星はつけてない」

 

 つけたくない、というのが正しいかもしれない。

 真実には近づこうとしている。

 だけど、犯人を探せ、ということになると、判断が止まってしまう。

 

「私たちの中に犯人がいる、それを見つけなければ、犯人以外死ぬ。分かっていたはずなのにね。ほとんど、みんながちゃんと現場に来て、藤沢の死を弔ってくれた。それぞれがきちんと捜査してくれた……でも、その中で、誰かがウソをついて、藤沢を殺した犯人がいるなんて。私、今になって、やっぱり信じられなくなってきた……ああ、ダメね、裁判が始まるというのに、こんな弱音吐いちゃ。私がこんな弱気じゃダメだわ……しっかりしないと」

 

 紅はここにいて、ずっとみんなの様子を見てきた。

 だからこそ、みんなの動向に重きを置いてしまうのだろう。

 自分に言い聞かせるように弱々しく呟いていた紅と共に、辿り着いた赤い扉をゆっくりと開けた。

 

 そこには、13人の生徒たちとマナクマ。

 そして、鉄格子のようなエレベーターが正面に待ちかまえていた。

 

 

『遅いよ、オマエラ。まったく、こんなときまでいちゃいちゃするなんて、最近の若いヤツってドンカンだね! あれ、でもドンカンだとラブラブとは無縁かしらん? ささ、早くエレベーターに乗ってちょーだいよ。ないクビを長くして待ってるからね!』

 

 

 マナクマだけが、邪悪なほど無邪気な笑みのまま去っていく。

 傍観者だからこそ、いや、傍観者だとしても忌々しい。

 マナクマの言葉とともに、少しずつ他の者たちの足がエレベーターへと伸びていく。

 最初に四月一日や白河たちが、やがて黒生寺、大豊……おそるおそるランティーユや錦織も乗り始めた。

 

 

「……なあ、七島。俺さ、なんだか、変なんだよ。さっきから、試合みたいな緊張感がまったくないんだよ。俺がアホなのかもしれないんだけど、今になっても全然現実味がわかねえんだよな……ああっ、くそ、ほんと、なんなんだよこれ……!」

 

 

 隣の萩野が、歯を食いしばっていた。

 落ち着けと言わんばかりに、小刻みに武者震いしている。

 萩野は他のメンバーに比べたら、青ざめてもいなければ顔も歪んでもいなく、むしろ冷静な面持ちを保っている。

 だけど、今までの学生生活でもずっと彼の表情を見てきたが、明らかにこれは動揺していた。

 

 犯人を見つけなければ、犯人以外が死ぬ。

 犯人を見つければ犯人が死ぬ。

 その犯人は。俺たちの中にいる。

 わかっていたはずだ。やらなければならないのだ。

 

 

 

 ――でも。

 

 

 

 足が動かない。

 俺たちは、何をしているのだろうか。

 目まいなのか、立ちくらみなのか。はたまた。

 それは分からなかったけれど、さっきから頭がぼんやりと熱に浮かされたように熱い。

 俺たちは、どこに向かおうとしているんだ?

 

 

 

「バカげているんだ。なにもかも」

 

 

 口から発していたのは、俺の言葉なのか。

 よくわからなかった。

 

 

 

「だけど」

 

 

 

 誰に言っているのだろう。

 俺なのか。萩野なのか。全員なのか。

 

 

 

 

「俺には約束があるんだ」

 

 

 

 

 ――だから、約束! 今度ステキな書を見せてちょうだいね?

 

 

 

 

 

 まだ立派なものが出来上がっていない。

 彼女自身にはもう見せることができなくても、あの笑顔が見られなくても。

 俺は、書かなければいけないんだ。

 

 

 

「ここで逃げたら絶対に後悔する。だから、どんな真実でもこの目で確かめたい。それが残酷な結果でも……絶対に、生き延びてみせる」

 

 

 

 一息つくと、エレベーターに乗った天馬が俺を見据えていた。

 そして、彼女は静かに頷いていた。

 

 藤沢のために。藤沢の約束のためにも。

 そして、俺たちのためにも。

 俺はみんなのいるエレベーターに足を踏み入れた。

 やがて、萩野も俺の後に続いてエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

「やってやろうじゃねえか」

 

 

 

 

 萩野が呟いた時、エレベーターの扉は重々しく閉じた。

 

 

 戻ることのない日常を残したまま。

 

 

 

 さらに奥深くの非日常へと、俺たちは静かに急降下していった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学級裁判編 前編

 


 

 

▼学級裁判 弁護準備

 

 『人類史上最大最悪の絶望的事件』――希望の力によって撲滅したはずの絶望的な『コロシアイ』に巻き込まれた希望ヶ峰学園の95期生。

 それでも絶望的な過去は繰り返さないと誓い、各々が協力し合い、現状維持を保っていた。

 しかし動機を皮切りに、不穏の綻びは止められず……ついに最初の犠牲者――『藤沢峰子』が何者かによって殺害されてしまった。

 このまま悲劇の歴史が再演されてしまうのか?

 今、命賭けの学級裁判が幕を開けて蘇る……!

 

▼コトダマリスト

 

【挿絵表示】

 

 

 " 準 備 完 了 "

 


 

 

 轟々と小刻みに揺れていたエレベーターが止まる。

 ドアが開かれると広い空間――裁判場に辿り着いた。

 資料で見たことがあったが、間近で、しかも当事者としているとは誰も思わなかっただろう……案の定というか予想通り赤いカーテンで囲まれていて閉塞感があり物々しい。そして圧迫感を感じられて不快だ。

 

 マナクマは愉快そうに玉座で待ち構えていた。

 だけど、俺たちにとっては……生死をともなうデスマッチだ。

 マナクマの顔と反比例するように、みんなは暗い面持ちだ。

 

 

『はーい、じゃあ自分の位置についてね。名前が書いてあるからさ!』

 

 

 裁判場の席に俺の名前がプリントされた汚い紙があった。

 俺の左隣にはステッキをぎゅっと握りしめている角、右隣は先ほどからガタガタと震えている錦織が立った。

 

 

「あ、あの……あちらは、なんでございましょうか?」

 

 

 角がぽつりと言って、なにかを指した。

 萩野と井伏の間にある席には、藤沢の写真が遺影のように立てられていた。

 しかし、写真の顔には大きく血の色でバツ印がつけられている。

 

『仲間外れにするのはよくないって言うでしょう? 青春だってそう。だれか一人でも欠けちゃ、クラスは成り立たないんだから。よよよ……』

 

 そう言って、マナクマはしんみりした様子で言った。

 だけど、こうなったのも、すべてこいつのせいだ。

 同意見になんか全くなろうとは思わないし、なりたくない。

 

 

 

『さてさて、それでは学級裁判を始めましょうか!』

 

 

 

 ああ、始まってしまうのか。

 これは恐怖からなのか、武者震いなのか……ずっと肩が震えていた。

 

 

 命がけの追求。

 

 

 命がけの弁明。

 

 

 命がけの騙し合い。

 

 

 命がけの希望……あるいは、絶望。

 

 

 俺たちは見極めなければならないんだ。

 命がけの真実を……!!

 

 

 

 

" 学級裁判 開廷! "

 

 

 

『まずは、学級裁判の簡単な説明をしようね。学級裁判では、正しい“クロ”を指摘することにまず重きを置いてます。正しいクロを指摘できれば、クロだけがおしおき。だけど、間違ってシロを指摘してしまったら、クロ以外の全員がおしおきされて、残ったクロだけが晴れて卒業となります! じゃあ、ご自由に裁判をどうぞー』

「ご、ご自由にって言われても……手がかりなんてゼロじゃない……も、もうダメだわ……おしまいよ……!」

「いや、いきなり諦めすぎだろ!?」

 

 初っ端から、絶望感溢れる錦織に対して、萩野が慌ててツッコミを入れた。

 ……大丈夫なのだろうか?

 四月一日がその様子を見て、少しため息を吐いたが、すぐにメモ帳を取り出した。

 

 

 

「まずは、遺体の状況について話すとしよう。“マナクマファイル”によると、被害者は藤沢峰子。発見場所はダストルーム。死亡推定時刻は19時30分。遺体発見時の時刻は20時だ。死因は“胸部と腹部の刺し傷による失血死”。凶器が発見されていないことから、ダストボックスに捨てられたと考えられる。さて、なにか気になることはあるか?」

 

「ダストルームで殺されたってことだな? 部屋で殺されたってことはないんだな?」

 

「ええ、あの現場は“血が大量に撒き散らされていました”から。そこで殺されたのは間違いないでしょう」

 

「つまり、あのアマは犯人に呼び出されて、“そのまま、ざくっ”とブッ刺されたワケか……」

 

 

 ……今の黒生寺の言葉。

 “俺の知っていること”と違う。

 

 唇が乾いて少し臆してしまいそうになるが……これは裁判なんだ。心臓がバクバクと血が急速に注がれるが、それでも生き残るためには、恐怖も恥も言ってられないだろう。

 

 俺が知りえることは、俺が言わなければ……!

 

 

「……いいや、それは違うと思うぞ」

 

 

 俺は黒生寺の言葉を否定する。

 鋭い眼光で睨まれているが、すごんではいけない。

 

「黒生寺。藤沢がいきなり刺されたとはちょっと考えられないんだ」

「ンなわけあるか……貴様の推理が間違えてたらリアルの弾丸で打ち抜いて……いや、まだ銃見つかってねえや……間違えてたら、ぶん殴ってやる……」

「ウーララ!? もはやガンマンじゃないよ!?」

 

 否定したからには、“違うこと”を裏付ける“証拠”を言わなければ。

 今の俺が、知っていることは……

 

「藤沢の遺体にあったのは、“刺し傷”だけじゃなかっただろう? 首になにか"絞められたような跡"があったんだ。だから、犯人は先に藤沢の首を絞めて気絶させてから、殺害したと考えると自然なんじゃないか?」

「そんな必要あるかなあ? さすがに、段どりが、クソ悪すぎじゃないのかなあ。首を絞めて殺したほうが、明らかに効率がいいと思うんだけどねえ」

「絞殺か刺殺か。犯人は惑わせたかったのかしら? でも、マナクマファイルには"失血死"って書かれちゃってるから、ムダだったみたいだけれど」

「でも、それだけじゃないはずだよ。犯人は、“あの部屋の特徴”を知ってたんじゃないのかな」

 

 天馬が静かに指摘をした、“あの部屋の特徴”と言うと……

 

「それって、"ダストルームの扉"のことか? マナクマが言っていた」

「ああ、七島竜之介の言うとおりだ。ダストルームの扉は薄くて、“音や匂い”が外でも分かってしまう仕組みだ。私と白河海里も確認したが間違いない」

「じゃあ、犯人はそれを知っていて、藤沢さんの悲鳴が漏れないようにするために、首を絞めたってことかな?」

「ふん……気に食わねえやり口だな……」

 

 黒生寺は目を伏せた表情で言った。

 そんな中……さきほどから、隣の錦織がそわそわとしている。

 

「ね、ねえ、まさか、みんな、私を疑っていないでしょうね……?  わ、私は、やってないわよ……! なんでみんなして私を疑ってるのよ……!?」

「今のどこに、おめーを疑う要素があったんだよ!?」

「あはは、まあまあ……でも、これって錦織さんの言う通りじゃないのかな? ほとんどみんな、アリバイがないよね……?」

 

 井伏はサンバイザーを指で弄びながら口を開く。

 

「藤沢さんの死亡推定時刻は“19時30分”。たしか19時10分ぐらいに火事が起こって、その時に、ほとんどみんな逃げちゃったんだから。誰だってできるかもしれないね。俺もその一人だから、あんまり笑えないけどね……あははっ」

「笑ってんじゃねーか! まあ、たしかに俺も腕時計で確認したけどよ。火事が終わった時間は19:20前後だぜ。マナクマも保証できるよな?」

『はい、ボクの腹時計もそう言ってます!』

 

 あんまりマナクマの言葉は信用したくないな……。

 

「井伏くんの言う通り。ほとんど全員にアリバイはないって言ってもいいみたい」

「でっ、でも……私以上に、とんでもなく怪しいヤツらはいるって、私は知ってるんだから……!」

「おいおい、それマジかよ!?」

「ふん、ボクサーのくせに鈍感なのね……」

 

 錦織は少し躊躇うように首や体を動かしていた。

 やがて、人差し指をおどおどと突き出す。

 

 

「そ、そこのガンマンと手品師よ……! いっ、いかにも怪しいじゃない……!」

「あ……?」

「ふうん、どこが怪しいの? 言えよ、根暗蛇女」

 

 錦織に名指しされるも、黒生寺と十和田は至って平静だった。

 それとは対象的に錦織はカッと目を見開いて顔を紅潮させる。

 

「ね!? ねねねねくらへび、おんなですってぇぇぇ……!? で、でもっ! ア、アンタたちが怪しいのはわかってんのよ……! “アンタたちはパーティ会場に来なかった”じゃない……!」

「あ、そうなのだ! 錦織っちが言ってるとおり、十和田っちは準備からいなくなったよね! って言うか、弓矢勝負してたよね!?」

「そーだ! “矢が5本欠けてた”んだ。俺もしっかりこの目で確認したから、間違いねえぞ!?」

 

 萩野と大豊が一斉に十和田に言及した。

 十和田は目を見開いているが、その瞳の奥は完全に見当違いだと言わんばかりの呆れが見えた。

 

「はあぁ……それだけで、僕を犯人扱いするの? まいったなあ。こんなに早く決めつけるなんて、頭どうしちゃったの? 君ら、猿人からやりなおしたら?」

「でも、“矢”なら藤沢の死因に合うわ。刺し傷なら“矢”でも刺せなくはないわよ、十和田」

「ちょっと待てよ。なんで僕だけで犯人扱いするのかなあ? そこのゴキブリ野郎は?」

「黒生寺五郎も疑わしいが、一番最初にいなくなったのは十和田弥吉、お前なんだ」

「いかにも、あやしいのだ!」

「そうだ、そうだ! マドモアゼルがそう言うからにはそうに決まっているよ!」

 

 十和田は大きな舌打ちをして、黒生寺も微妙に顔を歪めている。

 しかし、そんなに単純な話だろうか?

 

「って言うかさ、僕らマジで弓勝負してただけだけどねえ? アリバイは……ムカつくけど、そこのゴキブリヤロー」

「俺もだ……証拠はそこのクソタヌキ。それと“果たし状”だ」

「まあ。“果たし状”……でございますか?」

『こらー! タヌキをバカにするなー!』

 

 何故かマナクマが怒っていたがそこは無視だ。

 黒生寺が先ほどの果たし状を見せてきた。

 

 十和田がじろりと俺のほうを見ているが……ああ、そうだ、俺が持っていたんだ。

 というか、十和田に押し付けられたんだけどな。

 

 

 

 黒生寺 五郎へ

 お前のBB弾銃は預かった。

 返してほしければ、6時50分に体育館へ来い。

 弓矢の10本勝負だ。

 

 

 

 十和田 弥吉へ

 お前のハトは預かった。

 返してほしければ、7時に体育館へ来い。

 弓矢の10本勝負だ。

 

 

 

「こんな芋虫が這ったような字なんて知らないよ? って言うかさ、書いた覚えないけどなあ?」

「俺もだ……書けるワケねえだろこんな字……」

「その証拠はあるのかよ?」

「だいたいさあ、僕はこいつの銃なんて、ヤバンだから絶対触りたくもないんだけどなあ」

「鳥類なんて気色悪い……特にニワトリ。ガキの時にコケコケと追いかけまわされて以来アイツは俺の敵だ……」

「ギャ、ギャップ萌えでございます!」

「で、でも、本当かしらね……?」

 

 錦織がまだ疑いの目を向けているが、十和田と黒生寺が犯人候補には思えないんだよな。

 

「なあ、黒生寺。アナウンスが鳴った時、十和田は一緒にいたか?」

「ああ……アナウンスが鳴ったら、すぐに逃げやがった……デブのくせにな……」

 

 


 

「もちろん弓の勝負は俺が勝ったが、知らないって突っぱねられた。腹が立って、罵ったらアナウンスが鳴りやがった」

 


 

 

「なあ、萩野は、その時いたか?」

「えーと、俺は体育館に向かおうとして、そん時、廊下で大豊に会ったんだ。大豊と話してたら急にアナウンスが鳴って……」

「そーなのだ! そしたら、十和田っちがロウカを歩いていたから呼びとめて、さっきまで体育館にいたっていうから、あたしも、とっとこ行ってみたのだ! そこでマナクマからファイルもらって……あれ?」

 

 大豊が小さな頭をコテンと傾げた。

 やはり、単純な話ではなかったようだ。

 

 

「そうなんだよ。今の証言の通りだと……“十和田はアナウンスが鳴るまでは体育館にいた”ってことにならないか?」

「……あ、マジラーじゃん!」

「十和田くんが体育館に来たのは“7時10分”。死亡推定時刻は7時30分だから、犯行はできないってことみたい……これで黒生寺くんのアリバイも証明できたよ」

 

 天馬がそう言って、黒生寺をちらりと見た。

 特に安心する様子もなく、目を瞑りながら黒生寺は腕組みをしている。

 

「第一、預かってもないのに、このような手紙は書けないと思います。それに、2人とも“弓矢の10本勝負”など言っているのはおかしな話です」

「時間がずれてしまっていらっしゃるのは、どうしてでございましょうか?」

「どちらかを遅らせることでケンカを悪化、長引かせたかったのかもしれない。“矢”が欠けているから、犯人は十和田くんと黒生寺くんに疑惑を向けさせたかったんだと思う」

「でも、それが逆に十和田たちのアリバイを作らせてしまったということね」

 

 紅の頷きに対して、錦織が髪の毛をかきむしった。

 

「ま、待ちなさいよ……! じゃあ、なんで矢は5本欠けているの……? おかしいじゃない……やっぱりアンタたちのどっちかが盗んで、あの演劇部を刺し殺したんでしょ? まるでアダルト雑誌みたいに!」

「ウ―ララ! それちょっとマニアックすぎないかな!?」

 

 錦織がヒステリックに叫んでいる。

 たしかに、矢は5本欠けている。でも“完全な矢が5本は欠けている”だけであってその一部はあったんだ。

 だから、もしかすると。

 

「いいや、藤沢を殺した凶器はフェンシングに使われている……“サーベル”じゃないのか」

「ふっ、ふふ、書道家は電波なのね……い、いまは矢の話をしてんのよ……西洋のスポーツの話してるんじゃないわよ……!?」

「いいや、錦織。完全な矢は無かったけど、“矢の一部”はあったんだ。矢の先端、つまり“矢じりと羽の部分”。これはそれぞれちょうど5個あったんだ」

「なっ……!? で、でも予備じゃないの……?」

『予備なんて概念はありません! 欠けたら、ボクが夜中に内職して付け替えるからね!』

「ま、まあ、マナクマさまも大変でございますね……」

「いや、同情してんじゃねーぞ!?」

 

 萩野のツッコミは置いておき、たしかにこれは本当だ。

 錦織はぶるぶると震えて、親指の爪をかんでいた。

 

「って、いうか、なんでそんな矢じりが取り外されてるのよ!? そんなのありえないわよ!」

「たしかに、ありえないかもしれないな……でも、この体育館の用具は全部、本物じゃない。マナクマが作った、“取り外し可能”のものなんだ。サーベルも5本あって、それも取り外しできるんだけど、明らかに矢に比べると、“取り外しが難しかったんだ”」

「うん、あたしやったもん! 外す時は、思いっきりやったら抜けたんだけど、組み立てるときは、“かたくてはいらなかった”もん!」

「か、“硬くて入らなかった”……? マドモアゼル! も、もっと大きな声でもう一度言ってくれないかな!?」

「どこに反応してんだっつーのアンタ!」

 

 なぜか興奮し始めたランティーユはさておき。

 フェンシングのサーベルについて、さらに話を付け加えていく。

 

「取り外しが難しかった“サーベルが5本”あって、矢が5本足りない。ということは……“5本の矢”が“羽と矢じり”が取り外されて、“サーベル”に付け替えられていたんだ」

「そ、それじゃあ、藤沢さまに死をもたらした凶器は、ずばり、“サーベル”でございますか!?」

「それしかないと思う。食堂の包丁も確認したけど、どれも欠けているところなかったから」

 

 天馬が至って冷静にそう言った。

 凶器は“サーベル”……少しずつ見えてきたのかもしれない。

 

 

 

 

「……で、でも」

 

 

 

 

 錦織は突然、啜り泣くように声を強張らせていた。

 

「きょ、凶器が分かっても、犯人は全然分からないじゃない……指紋がないうえに、痕跡もない。だいたい、その凶器も結局見つかってないじゃない……! も、もはや、真相は闇の中よ!」

 

 

 

 

 ……だれもがあまり考えたくなかったことを言われてしまった。

 

 

 

 見えてきたようで、いまいち見えてこない。

 これだけ話しても、闇の中を模索している……

 やはり、この言いようもない不安は物証が少ないせいか?

 俺たちは、本当に犯人は見つけられるのだろうか……?

 

 

 

 

「ううん、まだだよ。まだ、命運は決まっていない」

 

 

 

 

 ちくりと刺してきた不安の棘を、そっ、と抜くような言葉。

 彼女――天馬は、目を伏せて考える仕草をする。

 

 

「まだ裁判は始まったばかりだから。凶器以外に、他のところ調べてみるのもいいかも……だれか他に気になったところはないかな」

 

 天馬の言葉に、いち早く「あっ」と声と共に挙がったのはマニキュアが塗られた手。

 真田がひらひら、と手を振る。

 

「じゃあ、うちから! ソボクな疑問なんだけどさー」

「チッ……ケバギャルか……」

「は? なにそのタイド? アンタの服、ぶりぶりのフリルにするよ!?」

「黒生寺五郎、ケンカを売ってどうする。真田斑、疑問とはなんだ?」

 

 そうだったと言わんばかりに、真田は「えっと」と髪をいじりながら言葉を続ける。

 

 

「いやさ、なんで藤沢ちゃんって、あんなところいたんだろって思って。呼ばれたの? でも、ふつー“ダストルーム”に呼ぶ? しかも来る? 逃げたとしても、そこ選ぶ? それが気になるんだよねー」

 

 

 …………そうなんだ。

 真田の言う通り、それは前から気になっていた。

 藤沢は自室ではなく、どうしてダストルームに逃げたのか。そもそも、彼女以外に、彼女の動向を知る者はいない。

 だから、それが分かればいいのだけれど……。

 

 

「もしかしたら、犯人は皆殺しを図っていたとか?」

 

 

 犯人と言われていた十和田が不敵な笑みを浮かべてそう言った。

 生死がかかっているというのに、彼は自分の肩にいるハトを遊ぶように撫でている。

 

「す、すわ恐ろしいことでございます!」

「そうかなあ。考えられなくもないけど? 人間って極限状態に追い込まれると、なにするかわかんないからねえ。犯人はあの火事を起こして、みんなを殺そうとしたけど失敗。んで、女優さんは犯人を知ったから、殺された……とか、ありえるんじゃないの?」

「これだから手品師は……夢を披露する職業なのに現実的で下品だこと……ま、まあ、不器用な司書に言われても痛くもかゆくもないんでしょうけど……!」

「おめーの言い方はムカつくけどよ……俺も賛成だぜ! あんなことを平気でやる犯人だ。火事を起こしたのもそいつに決まってる!」

「いいえ、今回の犯人と火事を起こした人は、別の人間だと思いますよ」

 

 憤然とした萩野に対して、冷静にその意見を打ち払ったのは白河だった。

 

「ふうん、どうしてそんなこと言えるのかなあ? 言ってごらんよ、妖怪クラゲ?」

「私は妖怪で、しかも海洋生物ですか……しかし、火事の原因を考えれば、簡単なことだと思います。そうですよね、円居さん?」

 

 一斉に全員が円居を見つめる。

 眼鏡越しからおっかなびっくりしたような瞳がちらりと見えた。

 

「え、ええっ!? 嘘だよね!?」

「よく見えたな、井伏よ。そう、残像ではない。これこそが吾輩の真の姿だ!」

「そんな茶番をしているのではない! 円居京太郎、お前が火事を起こしたのか?」

「まさか! 白河も誤解を生むような発言はよしたまえ。吾輩はなにもしていない。ただ、“心当たり”があるだけだ」

「そもそも、あの火事の原因は火のつけっぱなし。ガスの元栓の閉め忘れ。それに、薬物の匂いがする“ヤカン”のせいだと思われます。円居さん、説明をお願いできますか?」

「……はあ? ヤカンだあ?」

 

 十和田が少しだけ訝しげな様子を浮かべる。

 そう言えば、彼も火事の状況は知らないんだよな。

 

 

「時間はかけていないから、明言できないのは難だが……お前たちにわかりやすく簡単に言うと、ほとんどの成分は“ビタミン系”、それと“科学物質”が含まれていた。発火性はそこそこ高いが、爆発性はない。時間をかける形のものだ」

 

 

 ……ビタミン系?

 

「たしかに、化学反応ではあるから危険で、扱いが雑だと凶器になるかもしれない。しかし、もし虐殺をするなら、もっと確実な方法があるんだ」

「そんなの犯人が知らなかっただけじゃないのかなあ? どうせテキトーに混ぜれば、火事を起こせるとでも思ったんじゃないのかなあ?」

「……そうだと、いいのだがね」

 

 円居はさきほどから参った様子で首を振った。

 “ビタミン系”とぼかしているが、きっとあれのことだろう。

 そして、それを円居は、ある人に渡したのだ。

 

 

 でも、そうだとしたら……。

 

 

 

「円居。その“ビタミン剤”を誰かに渡したんだろう?」

「おいおい、マジかよ、それを早くに言えって!」

「で、では、円居さまは、どなたにお渡しになったのでございますか!?」

「……吾輩もあまり言いたくないのだが、しかたあるまい。たしかに吾輩渡したぞ。“ビタミン剤”だけでない、“消毒液”もいっしょに、“ある人物”にな……七島には話したはずだが、覚えているだろうか?」

 

 

 “ある人物”――そう言うってことは、やはり……。

 

 

 円居の目とレンズ越しに視線がぶつかる。

 

 

 

 

 

 

「“藤沢峰子”……そう言いたいんだな?」

 

 

 

 

 

 

 

 藤沢峰子――裁判場の空気が疑問と緊張に見舞われる。

 

 

 

 

 

「そうだ。吾輩は彼女に、その2本を渡した」

 

 

 

 

 

 青ざめる者。強張る者。

 

 

 

 それぞれ反応は様々だった。

 

 

 

 

「……へけ?」

「えーと、セヴレ? な、なにを言っているのか、ぼくにはさっぱりなんだけど。え、空耳?」

「空耳ではない。“円居京太郎は藤沢峰子にビタミン剤と消毒液を渡した”……そう言いたいんだろう?」

 

 どうして、なんだ?

 今は亡き彼女の遺影を見つめた……彼女が立つべき場所には、写真があり、悪意たっぷりに、バツ印がつけられているだけだった。

 

「えっと、これって、藤沢ちゃんがうちらを殺そうとしたってこと……? い、いや、ジョーダンキツいって……うちの作ったコスプレ衣装にも、すごくノリノリで着てくれた藤沢ちゃんが!? ぶっちゃけありえないって!」

 

 真田が口を開いたが、誰も答えるものはいない。

 これは藤沢にしか、分からないことではないのか。

 爆発性が低い、という反論もあるかもしれない。

 

 しかし……。

 

 

「静粛に、諸君! 藤沢の面目を立たせるためにも言わせてくれないかね? 吾輩は藤沢にあることを“忠告”したのだよ」

 

 

 忠告……というと。

 

「……それって、“危険性”のことか」

「いかにも、たこにも。七島の言う通り、吾輩は“消毒液の危険性”を話したのだ。絶対に混ぜてはいけない! そして、飲んではいけない! そう言ったのだぞ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……! アンタ、ビタミン剤のことは言ってないじゃない……」

「ビタミン剤も混ぜたら、ちょっと厄介になるとは言った。危険性としては、消毒液のほうが高い。そうも言ったぞ」

「……あなた、何気に藤沢に犯罪をさせようとしたわけではないわよね?」

「いやいや、そんな遠回しに薦めるものか!」

 

 円居はいまいち、真剣なのか人をおちょくっているのか分からない時があるな。

 言っている本人は、おそらく真面目なのだろうが……。

 

「じゃあ、藤沢さんが今は火事を起こしたと仮定して」

「却下だねえ。女優さんは火を起こしていない」

「まだ断定はしていないよ、十和田くん。あくまで想像。まだまだ真実に私たちは辿りついていない……仮定の場合、不運の才能を持っていなくても、藤沢さん自身まで焼かれてしまう、なんてこともあるよね」

「そうだよ。あの時、藤沢さんはパーティ会場にいたよね? いくらアドリブが得意だからって、それは軽装で山を登るのと同じくらいハイリスクすぎると思うな」

 

 井伏の言う通り、藤沢は遅れることなく会議室にいた。

 そこで、円居がやってきて、火事が起こって…………いや、おかしい。

 さっきからの、この場面での“違和感”はどこから来るんだ。

 

 もう一度、思い出してみよう。

 

 


 

「諸君! 待たせたな!」

 やはり、円居だった。

 後ろ手でドアを閉めながら、軽やかな足取りで俺たちの話の輪に加わってきた。

 


 

「か、かかかか、火事だあああああ!」

ランティーユが、叫び声と共に真っ先に開いたドアから駆け抜けていく。

 


 

 

 やっぱり。これっておかしいんじゃないか?

 

「なあ、ランティーユ。お前はあの火事の時、一番最初に逃げたんだよな」

「そーなのだ! この卑怯もの!」

「ああ、マドモアゼル、パルドネ・ムワ! 本当にごめんね! 今度こんなことがあったら、お姫様だっこして助けてあげるから……」

「うひい、きもちわるいよー! だったら自分で逃げるのだぁ!」

「そ、それで、ランティーユ。一番最初逃げたんだよな。逃げた時って、“ドアは開いていた”か?」

「ウィ。そう言えば、“開いていた”よ。開く動作もした覚えないから」

「……? 待て。それは奇妙ではないか!?」

 

 ランティーユの言葉に対して、いち早く反応したのは円居だった。

 彼の疑念の顔は、俺も思った通りの反応だ。

 

「そうだ。俺の記憶が正しければ円居は“ドアを閉めたんだ”よ」

「え、えっと、じゃあさ、誰かがそこから出てったっつーこと? 火事の前に?」

 

 真田の言うとおりだ、誰かがそこへ出て行った。

 ……その人物は。

 

「あの時は、アイスクリームを取りに行こうってことになっていたんだよね。一番ドアに近かったのは……」

「藤沢……だったわね」

 

 天馬と紅が互いに目を見合わせていた。

 『アイスクリームを取ってくる』と言って先陣を切ったのは藤沢だ。

 

「ふむ、ややこしくなってきたが、まとめよう。藤沢はパーティ前に会議室にやって来ていて、給湯室で“ビタミン剤”と“化学製品”を混ぜて、火を点けっぱなしにした。そして、吾輩が話している時に、ドアを開けて、一足先に退出した。そしてその足で焼却炉に向かった。そこで殺されたと?」

「いやいや、だからさ。藤沢ちゃんは、なんでそんなことしたんだっつーの。しかも火事まで起こして」

「それはもう少し考えなきゃいけないけど……もしかすると、気を反らすためだったんだろうな。ボヤ程度を起こして」

 

 

 

「これだから、原生生物は!」

 

 

 突然、十和田が俺に向かって噛みつくように叫んだ。

 

「はぁぁぁ……ボヤ程度だあ? まったく、ミドリムシって、おひとよし通り越してサイコパスなのかなあ?」

「……えっ? ど、どうしたんだよ、十和田?」

「正直、僕も信じたくないけどさあ……気を反らすための火事っていうのは反対だねえ。いや、ふざけんなって話だよ……僕は認めないからな!」

 

 いつもは苛立っていても皮肉気に笑っている十和田であったが、今はその怒りが剥き出しになって直撃する。

 なにか思うところがあって反論してきたのだろう。

 ならば、その意見を聞きだして正さなければ!

 

 

「ミドリムシに、わかるかなあ? 女優さんが“火事を起こした”のは間違いないんだよねえ? まあ、10円玉サイズの脳みそじゃ、わからないんだろうけどなあ」

 

「いや、わかるよ。さっき円居が“消毒液とビタミン剤”を渡したって言ってたから」

 

「へえ、賢いミドリムシだねえ。じゃあさあ、自分の発言を脳絞って、よーく思い出してくれるかなあ? 女優さんが“気を反らすためのボヤ程度を考えていた”って……あのさあ、あれのどこがボヤだったのかねえ!? 女優さんは完全に僕らを殺そうとしてたんじゃないのかなあ?」

 

「で、でも、ボヤと言っても、十和田。お前は火事の様子は知らないんじゃ……」

 

「火事がどうかなんて知るかよ!! あんなの真っ黒になった会議室を見れば一目瞭然だろ!? “ビタミン剤”に、“消毒液”を混ぜて、女優さんは火事を起こしたんじゃないか!」

 

「止めが甘いぞ!」

 

 ここだ! 俺は十和田に向かって言い放った。

 ハトが豆鉄砲を喰らったような十和田の表情が見えたが、また、すぐさま睨み返された。

 

 

「十和田、あのヤカンには、消毒液は入っていないはずだ」

「なまいきだなあ……どうして、そんなことが鼻の穴めいっぱいに開けたドヤ顔で言えるのかねえ?」

「こ、これは俺の意見だけじゃない。“円居の解析”も聞けばわかる」

「あんなマッドサイエンティストの話なんて、信憑性がなさすぎると思うけどなあ?」

「ふふふ……やはり、科学者というものは疑われてなんぼだな。これだから、おもしろい!」

 

 円居は愉快そうに腕を組んで肩を震わせて笑っているようだ。

 こんなときに、面白がるなってば……!

 

「な、なあ、円居? お前は“消毒液”はなにかしらが混ざると危険だ。そんなことを言ってたよな」

「そのとおりだ! “消毒液”は混ざっただけで毒薬なのだよ。“混ざった状態で少し嗅いだだけで、脳に中毒を起こす大変危険なもの”になるのだよ」

「だからさあ、そんな危ないやつを女優さんは…………って、どういうことだよ」

 

 十和田が少し考えた後、また改めて俺を睨みつけてきた。しかし、今度は動揺と困惑が混ざっているのは明らかだ。

 

「あの匂いは、もしかしたら危険だったのかもしれないけど、俺たちに、特に今問題は起こっていないだろう? だから“消毒液”は入っていないと思うんだ」

「では、ビタミン剤には、なにが混ざっていたのでございますか?」

 

 ビタミン剤と化学薬品と言うことを考えると……。

 

「……ビタミン剤には、“洗剤”が混ざっていたと思うんだ」

「“洗剤”だとあのダウなんとかか……?」

『一日干しても臭くないホニャララエールも……って、ダメダメ、そういうステマはナシだよ!』

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……! 演劇部が手に入れたって分かる証拠はあるのかしら……?」

 

 証拠、というよりは消去法に思えてくるが、もしかすると……。

 

「ランティーユ、藤沢の靴に“液体”がついていたのを見つけたんだよな?」

「ウィ、そうだよ。成分はさすがに分からなかったけど、“消毒液”でもないし、さっき証拠であがった“ビタミン剤”でもないことは、鑑定士として誓うよ」

「なら、“洗剤”って可能性はないか?」

「ふん……洗剤が仮に服についたとしても、足につくわけねえだろ……」

「藤沢さんがランドリーに行ったことを前提に話をしませんか? そしたら、彼女はいつ行ったと思いますか?」

「昨夜だったら、クソ早すぎるよねえ」

「そもそも、夜にランドリーは開いていないんじゃね? 七島もよくわかってんだろ?」

「あ……うん……」

 

 風紀委員のチェックの前日の深夜に服を洗おうとして、見事に撃沈した思い出があるからな……。

 

 

『そうそう、“ランドリーは電力節電のために夜時間は運用していません”!』

 

「じゃあ、“朝”はー? ひとっぱしりの後に、おせんたくなのだ!」

 

「しかし、朝の放送が鳴る少し前に、私は食堂に向かったが、藤沢峰子は眠っていたぞ」

 

「それに、藤沢さまは、“芙蓉と七島さまと一緒に食堂へ向かった”のでございます。でも、藤沢さまは時の支配者という可能性もお考えにいれたら、ありうるかもしれないのでございます!」

 

「あははははははっ、それはすごい傑作だ! 藤沢さんは能力者だったんだね!」

 

「井伏、ちょっと落ちつきなさい。朝食後にはパーティの準備があって“、藤沢は私たちと厨房で料理をしていた”けど……みんな時間ぎりぎりまで厨房にいたのは確かよ」

 

「ええっ!? じゃあ、“みんな取りにいけない”んじゃないかい……?」

 

「いや、それは違う」

 

 

 慌てるランティーユの言葉を、俺はきっぱりと正した。

 

「その後、俺たちは解散をしただろ。その時の“空き時間”がある。パーティまでの一時間だ」

「じゃあ、藤沢ちゃんはその時間で“洗剤”を取りにいった……って、なんで足についてんのかが、わかんないじゃん!」

「いや、分からなくはないんだ。特に真田。お前は分かってるはずなんだ」

「……は? うちが?」

 

 ポカンとする真田に対して、俺は「思い出してくれ」と促す。

 

「火事が起きて、最初にランドリーに入ったのは真田だろ? その時、ランドリーはどうなっていたんだ?」

「あの汚部屋のこと?」

「真田が来た時にああなっていたってことは、真田が来る前まで、ずっとその状態だった……もし藤沢がパーティ前にランドリーに来たなら、足に洗剤がついていなきゃ……いや、つけてなきゃおかしいんだ」

「はい? じゃあ、あの液体はマジっぽいカンジで洗剤だってこと? マジで藤沢ちゃん洗剤を取ってたわけなの?」

 

 真田が「マジなの……」と呟いて、唇を噛んでいた。

 

「でも、なんであんな洗剤まみれになってたんだろうね? あの部屋。犯人や藤沢さんにとっても、そのメリットなんてないよね……ははっ、掃除するのすごーく大変だったんだよ……」

「もしかすると、十和田くんのハトかもしれない」

「僕のハトはそんなことしないんだけどなあ? 勝手に僕のハトを悪者にしたてないでくれない? 不運のくせに」

「十和田の前ではおとなしいけど、でも、見知らぬところに連れて来られて、主人がいなくなったら、動揺するかもしれないだろ?」

「……はいはい、否定はしないよ。だからどうした、って話にすぎないし」

 

 俺の言葉に対して、十和田はため息をつきながら、曖昧な答えを返した。あまり十和田も深くは言及しない方針か。

 つまり、藤沢はビタミン剤と洗剤を混ぜて火事を起こした。その足で焼却炉に向かって……いったい、藤沢は何をしようとしたんだ?

 

「ふむ、ちょっといいかな? 藤沢の面目のために、事件とは関係ないかもしれない話だが、吾輩から少し話をさせてもらってもいいだろうか?」

「カンケーないなら、いらねえ……」

「話してくれないか。円居京太郎」

「では、聞かせてしんぜよう。吾輩の藤沢への弁解を」

 

 ごほんごほん、と円居はわざとらしく咳払いをして、人差し指を前に突き出した。

 

 

「パーティ前に吾輩は藤沢に“消毒液”を渡したことは話したな? しかし、そのすぐ後に、藤沢は亡くなってしまった。吾輩は悔やんでいたのだよ」

 

「はむう、円居っちの感想はいいから、早く吐いちゃいなよー!」

 

「マ、マドモアゼル! それは警察の言葉だよ! あ、でもマドモアゼル大豊のミニスカポリス……」

 

「うむ、承知した。しかし、事件発生後に保健室に戻ってみると、驚き戦隊モモノキセブン! “消毒液は返されていた”のだよ!」

 

「それが藤沢さんの面目にどうしてつながるの?」

 

「いいか、天馬よ。危険な消毒液を、藤沢は狂気のままに使ったのではないのだ。“藤沢が消毒液”を返した、という点で、もう少し、敬意を払うべきなのだと思うのだよ」

 

「……それは、違う」

 

 

 俺は円居の言葉を否定した。

 言いたくなかったが、考えてみるとそれはおかしなことだ。

 

「違うとはなにが違うのだね? モモノキセブンか?」

「ランティーユ。藤沢の解析がもう一つあったよな?」

「ウィ、そうだよ。頼んだのはムッシュ白河で、解析したのはぼくなんだけど。マナクマファイルには、マダム藤沢には“薬物の反応が見られる”、とだけ書かれていたよね。だけど解析してみたら、その液体は……あ、これムッシュ七島、言っていいの?」

 

 円居の表情を見ると、口元が一気に下がっていた……やはり、気づいてしまったのだろうか。

 ランティーユが少しだけ眉をさげながら言った。

 

「“アルコール系”が付着していたんだよ」

「アルコールだと……ビールか……」

「ノンノン、お酒ではないよ。除菌用のアルコールっていったほうがいいだろうね。エタノールやメタノールが含まれていて……って言うか、あれもマナクマが作ったのかい? まったく、火とか混ぜなくてもかなり鼻がひん曲がりそうな匂いだったよ!」

『××とか△△とかその辺も混ぜてるからね』

 

 毒ではないものの、なんてものを混ぜてるんだ……!

 円居は顔が見えないぐらいにうなだれてしまっている。

 

「ぐう……で、では、誰が戻したというのだね、保健室の棚に……」

「多分、犯人しか考えられないな」

 

 あまり言いたくはなかったが円居にそう告げると、さらに彼は苦悶の声にならないうめき声をあげた。

 

「だろーなぁ……でもよ、犯人だとしても、どうして返したりなんかしたんだろうな?」

「わからない。けど、もしかすると、円居くんに罪をかぶせようとしたのかも。マナクマファイルで、どう書かれるのか分からなかったから。これも惑わせるためだったのかも」

「私もダストルームにいたから、ちょっとだけ解析は手伝ったけど……マナクマファイルにも書かれているように、“唇に薬品”がついていただけで、含んだ形跡はない。なら、犯人が消毒液を藤沢につけて、保健室に戻した……そう考えるのがいいわね」

 

 天馬や紅の言うとおり、消毒液を返せるのは犯人しかいなくなる。

 しかし、首を絞めて毒殺に見せかけようとするなんて、随分と狡猾なワザをする犯人だ……それは全部マナクマファイルで明らかにされて水の泡だが。それにしても、マナクマファイルは信用して大丈夫なのだろうか?

 

『あのファイル作るの大変なのよねえ。すぐ分かっちゃったら興ざめじゃん?』

「……ま、円居くん。あはは、高笑いしない円居くんは円居くんらしくないな。そんなに気を落としちゃダメだよ?」

「1時間ぐらい経てばまた立ち直れるぞ。だから、しばらくは、ちょっとだけ落ち込ませてくれ……」

 

 井伏になぐさめられたが、あの円居ですら参っているようだ。藤沢の裏切りと犯人の裏切り。藤沢を信じていたからこそだろう……。

 

「うううう……それにしても藤沢っち、なんで、こんなことしちゃったのだ?」

「ホント、それ。意味わかんなくて、頭がボンバークラッシュだし」

「こればっかりは、わっかんねーな……わかんの、藤沢ぐらいだろ」

 

 萩野が乱暴に吐き捨てた後に、深くため息をついた。

 他のみんなも天馬は目を伏せたり、ランティーユは軽く頭を押さえたり、十和田も苛立たしげにとんとんと裁判台を指で叩いていた……。

 

 ……でも、本当に。

 

 

「藤沢にしか分からないのか? 四月一日」

 

 

 思わず言葉にしてしまっていた。

 俯いていた四月一日は、はっと視線をあげて俺を見つめた。瞳孔が開き、口はへの字に曲がっている。

 

 

「角も言ってたよな? 昨日の夜、四月一日が藤沢と話していたってことを」

「あ、は、はい、そうでございます! その、少しの部分しか芙蓉は見ていないのでございますが……」

「……そう、だな。確かに藤沢と私は話した」

「なにを話したというのかね?」

「でっ、でも、四月一日にも色々と事情があって」

「心配は無用だ、七島竜之介」

 

 きっぱりとした声が裁判場に反響する。

 四月一日は凛々しい顔で、手を証言台について身を乗り出した。

 

 

 

「あの時、藤沢峰子は……絶望していた」

 

 

 

 


 

 

「藤沢峰子っ……! ここにいたのか」

 

 

 顔を覆い、会議室の真ん中でさめざめと藤沢は泣いていた。

 四月一日は彼女が子供のように泣き叫び逃げ出したのを追いかけてきたのだろう。

 彼女の背中を困ったように見つめていた。

 いつも凛々しい顔立ちが、微かに眉間に皺を寄せて憐れみを持っている。

 四月一日自身も「無理もない」と心の奥で思っていたのだろうか?

 

「……卯月、ちゃ……っひぐ、ひ、ひどい顔だからあんまり見ないでちょうだい……っ」

「女同士だろう、そんなプライドは今は見せなくてもいい。藤沢峰子……泣くのは構わない。思いっきり泣いていい。だが絶望してはいけない。ここで絶望に飲まれ、自暴自棄になってはマナクマの思うつぼだ」

「絶望……っ絶望するに決まっているじゃない! ああ、それにしても不思議なものね。まるでお芝居みたい! そうだわ、これは芝居よ! こんな茶番をするぐらいならっ!」

「落ち着け、藤沢峰子。一回、深呼吸をするんだ」

「……う、卯月ちゃんって、本当に変な人だわ……こういう時って、殺されるかもしれないのよ……?」

「それでもいい。お前のためになるのであれば、殺されるのは惜しくない」

 

 胸に手を当てて、藤沢に語りかける四月一日の声は優しかった。

 だが、藤沢の両肩はますます動揺で強張る一方だった。

 

「……! アタシは……っ、アタシ、は……いいえ、そんなことしないわ。だって、ア、アタシは……」

 

 ゆっくりと藤沢が顔を覆う手を外していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この中でだれかを殺せと言われたら、アタシ自身を選ぶもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その目を一言で表すとしたら――“虚”だった。

 四月一日は息を飲んで、一瞬だけ軽く後ずさる。

 

「……っ、おい、藤沢峰子」

「ふ、うふふ、ふふふ……イヤなこと言っちゃったわね……でも本当のことよ。ねえ、信じてちょうだい、卯月ちゃん」

「無論だ。私はお前を信じている。だから」

「いいえ。ダメよ、卯月ちゃん」

 

 ふ、と藤沢は四月一日の唇に人差し指を置いた。

 なにも言えずに四月一日は目を見開く。

 

「いけないわ、アタシのことを信じちゃダメ。だってアタシは悪い子だから。アタシのせいで、大切なみんなが死んじゃったんだもの。喜劇のように軽やかに、悲劇のように残酷に。なす術もなく、アタシの目の前でバタバタとみんな倒れていったわ。アタシは椅子に座って…………なにもできずに、その映像を眺めてただけだもの」

 

 処刑台に立つのかと思わせるほどの不吉な足取りで、ふらふらと部屋の中央へと向かう。

 スポットライトの当たらない会議室で、藤沢はぼんやりと天を見上げた。

 

「どうして……どうして、アタシはあの舞台に立てずに、のうのうと生きてしまっているのよ? 傍観者のまま、なにもできずに大切なみんなを奪われた……だというのに、アタシはなにもできなかった!! 観客のように見るしかできなかった!!」

 

 のうのうと生きてしまっている。なにもできずに。

 彼女の台詞……いいや噓偽りない魂からの言葉が、一つ一つが脳に刻まれる。

 彼女は映像を見て、そう思ってしまったというのか?

 

「アタシは演劇部……女優よ。舞台の上でスポットライトを浴びて踊らされるのがお似合い。だから、これから先、コロシアイが起こっても……アタシは観客席で黙って見ているだけなんて嫌よ。嫌っ!! 絶対に!! もう二度と、絶対に! あんな思いをしたくないの! アタシは……だから……っ!!」

 

 やがて腕を抱えながら藤沢は頭を垂れるように傾ける。

 

 

 ――あら、本気? うふふ、これも冗談よん

 ――だから、約束! 今度ステキな書を見せてちょうだいね?

 ――アタシ、竜ちゃんの笑顔が好きなのよ? だから、元気出して……ねっ?

 

 

 優しく可憐な彼女の言葉たちが突如として蘇る。

 色鮮やかで生き生きとした彼女の振舞いは花束そのものだった。

 

 

 

「アタシは……こんな自分が、大嫌いなのよ」

 

 

 花束は地に落ち、朽ち果てようとしていた。

 

 引き攣った微笑みを浮かべ……役目を終えたマリオネットの如く床に崩れ落ちる。

 再び彼女は顔を覆い、肩を大きく震わせていた。

 彼女の決死の叫びに拍手も指笛もなく、静寂だけが部屋を包み込んでいた。

 

 

 

「藤沢峰子」

「……っ卯月、ちゃん……?」

 

 

 ――ただ、一人を除いて。

 

 

 四月一日は彼女に歩み寄り、ふわりと膝を床につける。

 褪せたマニキュアが塗られた藤沢の手をゆっくりと握りしめた。 

 

 

 

「ありがとう。私にすべてを明かしてくれて……もう大丈夫だ、自分を傷つける必要なんてない……お前には私がいる。私はこの絶望的な環境を打破して、そしてこの学園から必ず脱出する。もちろんお前も一緒だ。だから藤沢峰子、お前は観客なんかじゃない。ヒロインになるんだ。絶望を跳ねのけるハッピーエンドのヒロインに……ヤケにならないでほしい。自分を苦しませる道を選ばないでほしい。絶望しないでほしい……私は必ずお前の力になろう。必ずだ」

 

 

 それは花に与える水のようにしなやかで、生きる糧そのものの激励の言葉だった。

 顔を上げた藤沢の目からは瞬く間に涙が溢れ出していた。

 

 

「……っ、ありがとう、卯月ちゃん……っ! ほんとに……っありがとう……」

 

 

 迷子になった童女が親を見つけたときのように、藤沢は四月一日を抱きしめ啜り泣く。

 そんな彼女の背中をあやすように、四月一日は目を閉じながら静かに擦り続けていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………ごめん……ね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 大きなモニターに流れる映像が終わり、俺たちの意識は再び裁判場に戻る。

 

 最後の小さな謝罪が耳から離れない。

 あれは間違いなく藤沢の声だったが……あの時の四月一日に果たして聞こえていただろうか。

 裁判場の四月一日を見ると、彼女は目を伏せていた。

 藤沢の謝罪の言葉に、なにを思っているのだろうか……?

 

「そうして……彼女はようやく笑って一緒に帰り、眠りについてくれた……私はここで終わりにしてしまった。説得しきったと安心してしまったんだ。でもそれは間違いだった。藤沢はまだ絶望していた……今、まさに痛感させられている」

「ま、まさか……吾輩の言葉を信じて藤沢は“自殺を試みた”というのか!? 吾輩は消毒液を渡すときに『飲むな』と忠告したが……!」

「おそらく、そうだろう。消毒液の危険性を信じて、藤沢は自分で消毒液を飲むことを選んだ。もちろん飲んだ形跡がないことから、それを飲む前に殺されてしまったのだろう」

「な……っ!? バカな……なんて……愚かなことを……っ!」

 

 円居は証言台を握りしめ、表情が判別できないほどに大きく俯いた。

 その手は、ぶるぶると震えていた。

 

 

 

 

「いいや、円居京太郎。お前は悪くない。あくまで危険性を述べたまでだ……しかし、藤沢の死は私のせいでもあるのは確かだ。私は藤沢峰子のことを分かってやれなかった。彼女の言う通りだ。藤沢峰子の言葉はすべて信じてはいけなかったのかもしれない、いいやそんなのは言い訳に過ぎない……っ」

 

 

 

 

 

 そう言って、四月一日は深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

「藤沢峰子を止められなくて、本当にすまなかった……っ!!」

 

 

 

 

 

 いつぞやの時のように。なにかを請うように。

 

 

 そして、なにも誰も言わずに。みんながどんな顔をしているか分からず。

 

 

 

 ただ時は静かに進んでいった。

 

 

 

 

 

" 学級裁判 中断 "

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学級裁判編 後編

 

 

" 学級裁判 再開 "

 

 

 徒に、時は進んでいたはずだった。

 しかし、それは、マナクマの生あくびによってかき消される。

 

『まったく、そんな被害者の思いなんてどうでもいいっすよ。時代はクロですよ! クロ探し! はやく探せよバカヤロウ! 時間切れになってもいいのかよ、ダンガン、バカヤロウ!』

「おめーは、血も涙もねえのかよ!?」

『そんぐらいはありますよ。クマですし。おすし』

 

 萩野は舌打ちをしてマナクマを拒むように腕組をした。

 相変わらず、人をおちょくるクマだ……アイツの言葉で悲しみよりも、苛立ちが沸々と募っていく。

 

「しかし、謎は解けましたからね。ここからは本格的に犯人を探し当てましょう。犯人を見つけなければ、私たちは本当に終わってしまいます」

「えーっ!? っていうか、ほんとに今までのはなんだったの!? マナクマのいうとーりなんにも、意味なかったじゃん!」

「いいえ、意味はありますよ。藤沢さんへの弔いの意味をこめての謎の解明という意味。そして、藤沢さんが自殺を選ぼうとしても、それを踏みにじった人への怒りを高めさせるためとでも言いましょうか?」

 

 ショックを受けている大豊に対して、白河は目を伏せてそう言った。

 それを踏みにじった人への怒り……白河も感じているのだろうか。犯人に対する怒りを。

 ……だけど、仲間が仲間を殺したというときに感じるのは、怒りなのだろうか?

 

「でも、本当に犯人なんているのか怪しいわ。藤沢の自殺にも思えてきたもの……」

「いいえ、間違いなく藤沢さんは殺されてます。首の跡や凶器が捨てられていたことから、少なくとも介入者はいるでしょう」

「介入者ってだけなら、自殺した後で愉快犯がめちゃくちゃにした……っていうのも、なくはないと思うねえ?」

『ああんもう、マンドクセ。今回は自殺じゃないからね! 最初の裁判で自殺なんてオマエラが許しても、ボクは断固として認めませんからね!』

 

 ……自殺ではない。

 また鬱蒼とした森に放りこまれた不安が舞い戻る。

 逃げられなくなった。この中の誰かが藤沢を殺したという真実に……。

 

「で、でも、犯人を知る手掛かりなんて、どこにあるのよ……? あ、あの演劇部ぐらいしか知らないんじゃないの……」

「それです。だから、藤沢さんに見つけてもらうしかありませんね」

「ウーララ!? オカルトは勘弁してくれよ?!」

「なにも降霊を行うわけではありません。彼女は瀕死の中でも、“あるもの”を残したのです」

「白河海里は、そのようなものを見つけたのか?」

「そう、こちらです。彼女の左手で隠されていた床に、このような“文字”がありました」

 

 

 ap

 

 

 そう言って、例の血文字のようなものをみんなに見せた。

 さすがに、最初は首を傾げている者が多かった。

 

「こっ、これは……ヒエログリフなるものでございますか!?」

「角さん、それは違うと思う。そういう私も合っているかどうかわからないけど、ダイイングメッセージ、かな。だけど、ヒエログリフで書かれたダイイングメッセージ、っていうのもあるかも」

「いや、ねーって! そしたら藤沢すごすぎだろ!?」

「でも、これって本当に藤沢さんが書いたのかな? 犯人が目をごまかすため、っていうのもありそうだけど……」

「それも考えましたが、違うでしょうね。犯人は徹底的に証拠を消していますから。ただ、犯人は死体に一切触れなかったんです」

「ふん……それは、なぜだ……?」

 

 見下すように睨む黒生寺に対して、白河は目を伏せて細い腕を組んだ。

 

「そこは、犯人の意図を知らなければいけませんが……しかし、死体に触れていないおかげで、犯人は藤沢さんが“左手で隠した文字”を見つけられなかった。なぜなら、藤沢さんは左の人さし指で書いて、その書いたメッセージの上に左の拳をのせて亡くなりました。人差し指に血がついていたので、おそらく、それを見られたくなかったのでしょう」

「犯人に見られたくなくて死に物狂いで隠した……だから、クロだと分かる証拠ということなのかね?」

「ヒエログリフだか、ヒエタハッポウサイだかは知らないけど、それでも、藤沢ちゃんすごくね?」

 

 たしかに、死の意識の中でここまで考えるとは。

 それは女優魂か、それとも咄嗟にみんなを守ろうとしたのか。

 はたまた、犯人に対する道連れに近い呪詛なのか。

 今となっては、それも聞くことはできない……。

 

「紅さんと私の意見ですが、筆記体と仮定してみましょう。そしたら、“ap”と読めます」

「うーん、あぽ、かなー?」

「な、なんだかその響きは恐ろしいものを感じるのでございます……」

「ひっくり返してみれば、えーと、do、って読めなくもないかもな!」

「っつーかさ、そもそも、これって、まったく犯人の名前に見えないんだけど……」

 

 やはり、みんな混乱しているようだが。

 その中で、白河は、平然とその様子を見つめていた……白河は、知っているのか?

 視線を送ると、少しだけ目が合って、白河は一息ついた。

 

「犯人の名前、というよりも、“ap”という文字は、なにかを意味するのでしょう。そして、犯人とよく関わる。たとえば、名前に関するものだとしたら、いかがでしょうか?」

 

「もしかして、“イニシャル”でございますか!」

 

「ええっと、ぺこやま あかぺことかー?」

 

「ぜんっぜん、褒められたことじゃないけど、君って、ほぼゼロに等しい脳味噌がよく動くねえ」

 

「“略文字”という考えもありそうね。たしかアジア太平洋も、Asia-Pacificって言ってapって略することはできるわ……海は関係なさそうだけど」

 

 

 俺たちの名前のイニシャルではなさそうだ。

 そうなると、名前に関係すること。

 

 

「俺は紅の意見に賛成だ。略文字が近いように思える」

 

 

 ap、この文字になにか見覚えはないか。

 ……思い当たることが一つあった。

 だけど、これは……いや、これって。

 でも、そう考えてみると、なにもかもが……?

 

 

 

「……七島さん、気づいたようですね。犯人に」

 

 

 

 どうして、こちらの顔の動きで分かってしまうのだろう。

 一斉に全員がこちらを向いた。

 不安と焦りと疑惑。

 教室での授業でもありふれた光景に近い。みんながこちらを見る、というのは決して珍しいことではないはずだ。

 だけど、全身の冷や汗が止まらなかった。

 

 

「お、おいマジかよ……?! 誰なんだ? 誰が犯人なんだよ!」

 

 

 萩野の声が遠くに聞こえる。近くにいるようで、やはり遠い。

 みんなの声が聞こえづらい。

 心拍数だけがやけにうるさく不快感と緊張が募る。

 

 

 しかし宣告しなければ、この心臓も鳴らなくなってしまう。

 そして、みんな。終わってしまうのだ。

 

 

 意を決して、息をゆっくりと吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前が犯人なのか、四月一日?」

 

 

 

 

 

 

 

 言われた側だけではなかった。

 いや、むしろ、驚いていたのは彼女の周りのほうだった。

 

「……このアマが……だと……?」

「ちょ、ちょっと、なんでそうなるんだい? マダム四月一日が犯人って!?」

「あ、あの、七島さま? 申し訳ないのですが、それは、さすがに芙蓉も変だと思うのでございます……」

 

 指摘した俺のほうが疑いの目を向けられてしまった。

 

 

「……たしかに。事実、私は疑われてもおかしくない立場だ。パーティから早々と抜け出してしまったからな。しかし、どうして、私が犯人だと思うんだ? そう言うからには、それなりの根拠があって言っているのだろう? ならば、その根拠を説明してもらわなければならない」

 

 

 そして、指摘された四月一日は少しだけアンニュイな表情を浮かべていた。

 驚いているようで、でも、疑われているのを恐れているような。指摘したにも関わらず、堂々とした立ち振る舞いに、ためらいが生じる。

 

「“Ap”、っていうのは、“April”の略だって聞いた事があるんだ。よくカレンダーにも書いてあるだろ? 藤沢は海外渡航の経験があって、つい書き言葉も英語になってしまう。前にそう話していた。そう、手帳も見せてもらったんだ」

「……ああ、そう言えばそうだねえ。そこのミドリムシくんと僕が証人になるよ」

「ええと、あははっ、俺も証人にさせてほしいな」

 

 俺と十和田、井伏、そして藤沢と夜食を食べていた時に藤沢が見せてくれた、あの分厚い手帳。

 あそこには英語がずらりと書かれてあった。サッと書くメモの文字でも、英語になってしまっているのだろう。

 

「だから、咄嗟にあなたのことも書くときもそうしたのではないでしょうか? “四月一日、卯月”。苗字も名前も四月という意味を持ちます。どちらに転んでも、あなたに辿りつくんですよ」

「なるほど。しかし、藤沢は本当に“ap”と書いたのか? それは憶測に過ぎない。それに、証拠としては不十分ではないか」

「で、でも、四月一日。さっき言ってたよな。藤沢が自殺を考えていたことを知っていた……もしかしたら、お前は他にも藤沢の話を知ってたうえで……」

「七島竜之介、私がそんなに疑わしいのか?」

 

 思わず息を鋭く飲んでしまった。

 彼女の語気が荒くなり、どんと握りこぶしのまま裁判台を叩いた。

 完全に目をぎゅっ、と瞑り、絞りあげるような苦い声で叫ぶ。

 

「私は藤沢峰子の相談に乗っただけだ。私がふがいないばかりに、あんなことになってしまったのは、たしかに悔しい……しかし、これだけは断言させてくれないか。自殺しようとしていると分かったうえで、私はあんなことはしない! 殺人を止められなかったふがいな優等生だ……しかし、私は殺人は犯していない! この命をかけてでも、それだけは私は誓おう!」

 

 四月一日は目に大粒の涙を浮かべていた。

 これは、完全に悔やみきっている表情だ……自分はなにをやっているんだ?

 気がつけば、周囲の目も四月一日ではないという雰囲気になっている。

 そうだ、そもそも、四月一日が犯人であるという証拠が。

 

 

「いいえ、証拠はそれだけではありませんよ」

 

 ……えっ?

 白河の言葉に、今度は俺が驚いてしまった。

 

「あの果たし状を書いたのもあなたでしょう? 黒生寺さんたちに罪をなすりつけるために書いたのでしょうね」

「はむう、なんの根拠があって言うのだー!」

「果たし状には名前の主がありませんでした。では、ここで逆に、銃、そしてハトを盗んだ方法を考えてみましょうか?」

「まあ、ピストルは誰でも盗めそうだけどねえ。ほら、ゴキブリ野郎ってさ、典型的な言葉を使えばアホで単細胞だしさあ。寝てた時に、こっそり持ち出せば誰だってできそうだよ?」

「ゴキブリなめんじゃねえ……へばりつくぞ……」

「そ、そういう不快な例えはやめてちょうだいっ」

 

 黒生寺の言葉に対して、紅が身震いをしていた。

 BB弾銃を奪ったのは、いつなのかは予想ができない。

 なにしろ、黒生寺はマイペースだからいつ奪われたのかも、いまいち予測ができないような……。

 

「ともかく、BB弾銃よりも、十和田くんのハトをどうやって盗んだかを考えてみたらいいと思う」

 

「そうだね、ハトが盗まれたのはパーティ準備だよ。藤沢さんがランドリーに入った時には、もうハトがいたからね。なにしろ、俺が掃除している時に見つけたから。あははっ」

 

「だから、急いで探したんだよ。ったく。あと、その笑いは耳障りだから、空気吸うのやめてくれないかねえ?」

 

「あー、それはちょっとキビシイかも。だって、俺、空気だから……ははっ、ごめんね」

 

「しかし、ハトはおとなしい生き物だ。それにマジック用のハトだろう。それならば、人に馴れているはずだ。誰でも盗むことは可能だろう」

 

 四月一日はそう言っているが……。

 たしかに十和田のハトはおとなしいけど、“誰でも”というのは言えない。

 

「いや、四月一日。十和田のハトは特別なんだ。“彼のハトはしつけられている”んだ。そうだろう?」

「ねえ、そこはミドリムシくんが説明するところじゃないのかねえ? まあ、いいよ。答えてあげるけどさあ……僕のハト、小竹は、マジック用じゃなくて、僕の弟だ」

『うわあ、ボールは友達よりも痛ぇヤロウだぜ!』

 

 マナクマが嫌味を言ったので、十和田もさすがに聞こえるように大きな舌打ちをした。

 って言うか、そこじゃない。

 

「十和田が言いたいしつけっていうのは、彼のハトは“十和田と女性以外の人間には近寄らない”っていうしつけがされているんだ。だから、主人である十和田以外の男は盗めない。“誰でも”っていうのは語弊があるんだ」

「だが、それだけで、犯人を決めることができるとでもいうのか?」

「犯人まで辿りつかなくても、そのしつけで、絞ることはできるはずだ。たしか、メモによるとパーティ中の準備では……」

 

 俺はメモ代わりの半紙を胸ポケットから取り出した。

 

 

 

【パーティ準備班】

 

清掃 : 白河、真田、ランティーユ、錦織、十和田

料理 : 藤沢、紅、大豊、角、天馬

調達 : 萩野、七島、黒生寺、井伏、円居

統率 : 四月一日

 

 

 

 

「十和田は清掃・飾り付け班だったな。同じ班にいたのは、白河、ランティーユ、真田、錦織、そして十和田。その中で、女性は真田と錦織だけど……」

 

「ああ、マダム真田はムリだね。だって、一度も彼女は部屋から出てなかったからさ。そう、この超高校級の鑑定士のぼくが証人になったからには、もうなにも怖くないよ!」

 

「こいつが証人って言うのも、びみょーなんだけど……マジレストだし! うち、飾り付けに、マジメに集中してたから、一度も外出てないんだよね」

 

「私も証人になりましょう。彼女と私は部屋にずっといました」

 

「……ああ、言われてみればそうだったねえ。妖怪クラゲと厚化粧は、ずっとこもってたのかあ……」

 

「おい、じゃあ、錦織はどうなんだよ?」

 

「わ、私はトイレとか行ってたから途中退室してて……で、でも、私はムリよ……! でで、で、できないのよ……!」

 

「うっわあ、演技下手だねえ」

 

 錦織は長い黒髪を振り乱して否定していたが、どうにもつっかえて怪しく感じられる。

 でも、錦織が途中退出したとしても、彼女は……

 

「え、演技はどうとして、錦織に犯行はできない。それに賛成だ。アレルギーを持っているって言ってなかったか? ほら、動物触るとかぶれが出るとか……」

「な、なによ、書道家はささいなことでも気になるのね……でも、その通りよ。私はうさぎとかニワトリとかキリンとかサラマンダーとかでも、ちょっとでも動物の毛に触ると、すぐかぶれるのよ……ウ、ウソだと思ってるなら、手品師のハト、触ってやってもいいけど!?」

「なんだって!? サラマンダーは本当に実在していたというのか!?」

 

 何故か、円居が変なところで焦り始めているが……

 そんな中、マナクマは「こらこら!」と手をクロスさせてバツ印でぷんぷんと怒った。

 

『ダメダメ、そういうの! ボクも証人になりますからねー! 錦織さんは、動物を触ったらイボダンゴみたいな顔になっちゃうんだよ! こういうアレルギー系は、訴えられるとどうしようもなくなっちゃうからね! まったく観察者の身にもなってくださいよ!』

「ひっ、人の顔を、イボダンゴってなによ!?」

「あはは、ダンゴウオ科の魚だね。名前は変だけどなかなか可愛いんだよ」

「な、なんでアルピニストのくせに知ってんのよっ!? 情報だけがとりえの司書として、優越感に浸れるチャンスだと思ったのに……!」

 

 本当にどうでもいい知識だ……でも、今はそんなことよりも。

 

「調達は男しかいなかったから無理だな」

「だれかが女装して盗んだ、ということもありえなくないがな!」

「そんな気色悪いマネまでして、タヌキのハトなんて盗みたくねえ……」

「私たち料理していた人たちは、全員女性だけど、準備が終わるぎりぎりの時間まで、藤沢さんを含めて調理室にいたから、会議室には誰にも行ってないよ。だから、ハトを盗むのはムリだと思う」

「そうなると、あなたしかいないと思いますよ? “統率”として様々なところに足を運んでいた、四月一日さん。あなたなら、ハトを盗むことも、ランドリーに行くことも可能なんですよ」

 

 白河が落ち着いた様子で、指摘した途端。

 四月一日の顔に一瞬ではあるが、なにか、苦いものを噛んだような表情が浮かんだ。

 

 

「それに、考えてみれば、あなたの話も不自然なんですよ。マナクマに、ダストボックスを開けるように要求した時、あなたは“余計な言葉”を口にしているんですよ。七島さんも覚えていますか?」

 

 


 

『あー……難しいんじゃないでしょうかね。なにしろ、底が深いし。ダストボックスはなんでも捨てられるから、その中身を掃除するのはノーマークでさ。ようはメンドウなんすよね。開けるのはムリというより、ムダだと思うけど?』

 

「私たちは屈しない。懐中電灯を持ってきてでも見つけてみせる。だから開けるんだ」

 


 

「……懐中電灯、っていう言葉か?」

「それがなんだというんだ。本当のことを言ったまでじゃないか」

「そうでしょうか? マナクマは“底が深い”と言っただけです。何故、“暗い”と判断できたのでしょうか?」

「底が深ければ、暗いのは当たり前だ。そんなの言葉の綾だ。だから、なんだというんだ?」

 

 四月一日はひくりと口元を動かした。

 怒りなのか動揺なのか。どちらともとれるようだが……。

 

「四月一日、お前は、見たんじゃないのか? 死体を発見する以前にダストボックスの中を……」

「見たって? ……ああ、そうだ。見たんだ。私は“テーブルクロス”を捨てたからな」

「……そういえば、そうでしたね」

 

 “テーブルクロス”……か……。

 

「それにしても、随分と現場には血が飛び散っていましたよね、四月一日さん」

「だから、なんだというんだ?」

「返り血を防ぐ、テーブルクロス……」

 

 四月一日は、俺の返り血とテーブルクロスという言葉に、血相を変えて俺を凝視した。

 しかし、また落ち着いて俺をいつものような堂々とした背筋に戻る。

 でも、その自信が綻びかけているのは、誰が見ても明らかだ。

 

「あんなに藤沢は血を流していたんだ。なにか防ぐものがなければ絶対に犯人も汚れる」

「汚れたまま、しかも、血まみれで移動したらバカでも怪しいって思うもんなあ?」

「今のみんなは同じ洋服だから着替えたという線はないわね……だとすると、なにかで防ぐしか方法しかないわ」

「あの“テーブルクロス”なら広げたら大きいと思う。穴が空いてさえいなければ、自身の身を完璧にくるむことも可能かもね」

「俺もダンボールで何十枚かで持った感じは重かったけど、一枚だけなら大丈夫だろうねそれなりに厚さがあるから、にじみそうにもないよ」

「……さて、四月一日さん。あなたは、パーティの準備中に汚れた“テーブルクロス”を処分する、と言って受け取っていましたよね」

 

 


 

 

「あはは、綻んじゃってるね。真田さんなら縫える?」

「んー、ムリじゃないけど……やっぱりムリだわ。でかいし、きったないし、あんま変わんないんじゃね?」

「ならば、私が綺麗にしましょう。私の特製石鹸があれば落ちない汚れはありませんよ!」

「いやあ……だとしても、半日かかるんじゃね?」

 

「仕方ない。こちらは私が処分しよう」

 


 

 

「そうだ……! たしかに“テーブルクロス”を回収した四月一日なら、返り血を防ぐことは可能じゃないのか?」

「それが、根拠になるというのか? 却下だ。テーブルクロスだけでは証拠にならない」

 

 四月一日はきっぱりと言い切っていたが、ブレザーの裾を跡がつきそうなほど握りしめていた。

 その手はぶるぶると震え、今にも裾が裂けてしまいそうなほどだった。

 

 

「で、でもさ。うちはショージキ言ってなんか信じらんないし……! 四月一日ちゃんが犯人とかアリエナイっしょ!! そ、そもそも、“火事のとき”はどこにいたの?」

 

 真田が慌てた様子で、四月一日に疑問を投げかけた。

 たしかに、彼女の行動だけでなく、火事の後のみんなの動きはよくわからないままだ。

 彼女の言葉を受け止めて、四月一日は少し頭を冷やしたのか姿勢を正す。

 

「私は……黒生寺五郎たちを探して途中で本校舎にも寄ったが、寄宿舎方面にも向かったんだ。もう一度、会議室に行こうとしてな。そしたら会議室の異変に気がついたんだ。私は“誰もいない”ドア付近まで立ち寄ったが、煙がひどくて近寄ることができなかった……だから、“消火の手伝い”すら私はできなかったんだ。その後は、もう一度、黒生寺五郎たちを探しに行って、途中で白河海里に出会い、そして、藤沢峰子の遺体を発見した」

 

 …………あれ?

 

「そうなのだ! ほんとに、あの火事やばかったもんね!」

「そう言えば、どなたが火を消したのでございましょうか?」

「私は実際見ていないが、あのバケツに水を汲んで火を消したんだろう。中にいた七島竜之介たちが……」

「う、うーん、それは違うんじゃねーの?」

 

 萩野が困惑した様子で否定した。俺も同意見だった。

 

「なにを言っているんだ。萩野健たちは会議室にいたと聞いた。それにバケツがあっただろう。あれ以外で火を消せるはずがない」

「たしかに、会議室にいたのは間違いないぜ? ……け、けどよ、あのバケツは……」

「な、なんでボクサーが言うのよ……!? い、言いたくないけど……私はね、あのバケツの中で、胃の内容物が口から吐き出される反射運動……言うなれば一種の毒物に対する防御反応をしちゃったのよ……」

「ふむ。回りくどいが、つまりはゲロということだな?」

「ひぃぃいぃぃやぁぁぁ!!!?? ひ、ひ、人がぼかして言ってんのに、この変態科学部はぁぁぁっ!?」

 

 錦織の絶叫が響いたが、それ以前に、四月一日が「なに」と声を漏らしていた。

 顔が青ざめ、目を見開いて挙動不審に瞳が動く。

 それは、目に見えた、正真正銘の“動揺”だった。

 

「な、なにを根拠に! あのバケツじゃなければ、どうやって火を消したんだ!?」

「……“スプリンクラー”なんだよ」

「スプリンクラー?」

 

 四月一日だけじゃない。

 それは火事の当事者以外の人たちは目を丸くしていた。

 

「七島竜之介、こんな大事な時に嘘をつくな。会議室には、そんなものはなかったはずだ!」

「で、でも……それは、マナクマが証人になるはずだ。アイツが天井から出したんだ」

『はーい、そうです。株式ミニクマ社のスプリンクラーを使わせてもらいましたー!』

「ミニクマなんているんだ……」

 

 天馬が変なところに反応していたが、それは、どんという音に遮られる。

 俺の隣に立っている角が驚いて、ひゃ、と声をあげた。

 四月一日が証言台を力強くたたいた音だった。

 

 

「わ、私を騙したんだな、白河海里! 天馬陽菜に聞いたというのは、嘘だったのだな!?」

 

 

 四月一日はわななき震え、白河を凝視した。

 彼女の瞳は、めらめらと業火の如く燃えているように感じられた。

 どういうことだ。

 怒号をかけられた白河は平然としていた。

 

「そうではありませんよ、ただ言葉を変えただけです。天馬さんに教えてもらったことを、私なりに表現したにすぎません。“火事の中、会議室にいたのは七島さん、萩野さん、天馬さんで、彼らは火事を消す現場にいた”そう言っただけで嘘はどこにもありません。そうでしょう?」

 

 ……まさか、白河があの時、尋ねた“スプリンクラー”の話って、このことなのか?

 誰にも話さなかった、“スプリンクラー”の話。

 白河は天馬に教えてもらった……そして、白河がその内容を四月一日に話していた、ということなのか?

 でも、何故四月一日は、白河にわざわざそんなことを尋ねたんだ?

 

「でも、問題はそこではありませんよ。あなた“は”嘘を吐きましたよね?」

「そんなはずがない。私が火事の時に、会議室に立ち寄ったのは本当だ。そこは疑いようのない事実だ」

「……それは、違う」

 

 言いたくないけど、でも言わなければならなかった。

 

 

「なあ、“錦織”? お前は会議室の傍にいるとき、誰かに会ったか?」

「…………は? 錦織、詩音……?」

 

 

 俺がそう言うなり、四月一日は目を大きく見張る。

 ぶる、ぶる、と目玉が小刻みに震え始めている。

 

 

「そ、そうよ……超高校級の司書のことを忘れていたとか、完全にゴミ女だと思われてたのね……!」

「錦織詩音が、い、いた、だって?」

 

 先ほどにも増して、四月一日が汗を流して呼吸音が激しくなっている。

 そうだ。あの時、錦織は会議室の扉の近く、廊下でうずくまっていたんだ。

 

「倉庫に行ってたけど、その時間は本当に短いわよ……それまで、誰も通らなかったし、不運たちが来るまで、助けてもくれなかったんだから……」

「四月一日、あの会議室は食堂に近いことは分かるだろう。だから本校舎の行き来をするには会議室も通らなければいけない。でも、錦織が見てないってことは……」

「もし四月一日さんが言っていたことが本当だとしたら、あなたは錦織さんを見捨てたということになりますね?」

「わ、わ、私は……」

「優等生ともあろう人が、錦織さんを見捨てるなんて、ひどい話だと思いませんか?」

「そ、そうよ……! あんたみたいな完璧な優等生が、私を見捨てるとか……ぎゃ、逆に、許さないんだから……!」

「いいかげん認めたらいかがでしょうか? 自分の言ったことは嘘だと」

 

 白河は至って落ち着いて四月一日に囁いた。

 四月一日は、動揺をしたままの顔で俯いたままであった。

 

 

 

「なあ、四月一日……頼む、本当のことを言ってくれないか?」

 

 

 

 

 あの時、周囲の同情や俺に対する疑いが、一気に四月一日への疑問に豹変していく。

 

 

 

 

 

「……う、うそだって……本当のことを、言え……だって? ……そ、うだな。その通りだな……私が言うことは、全部、嘘…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんかじゃなあああぁぁぁぁぁぁぁぁあい!」

 

 

 

 

 

 

 蚊の鳴くような声から、ボリュームは最大限に上がり、耳にきんと響き渡る。

 般若のような形相で、四月一日は怒鳴り声を発した。

 

「ああ、そうだ、その通りだ! 私は見捨てたんだ! お前みたいな資格もないニセ司書をな! そして、私はあの会議室を見た! これが真実だ!! 私が嘘を吐くなんてそんなことあっていいはずがないんだ!!」

 

 今まで見たことのない荒れようだった。

 もはや優等生という肩書に疑問を抱き始める。

 ローファーを地団太のように踏み鳴らして、そして俺たち全員……いや、特に白河や俺に尖った視線を向けていた。

 仮面が剥がれ、ぼろぼろと音を立てながら、堂々たる面持ちが崩れていく。

 

「よ、よよよよよくも言ったわねぇぇ!?! ……で、でも……そうね、どうせ私はニセ司書だわ……卒業証書もらってないから私は高校生……司書じゃないただの高校生よ……」

「ウ―ララ! そこ認めちゃおしまいだよ!?」

「うるさい! うるさい!」

 

 錦織とランティーユの会話を遮るかのように、破裂するような声が四月一日から飛び出す。

 四月一日が血が滲む勢いで握りこぶしをしめ、裁判台を思いっきり殴打した。

 どん、という爆発に似た音は、思わず首をすくめさせた。

 

「黙れ、黙れ! お前たち全員のほうが嘘つきではないか! どこに証拠があるというんだ! 今までの話は全てただの憶測ではないか。つまらない予想ではないか。真実ではない! そんなものは、証拠とは呼べない。お前たちの空想だ! それこそ嘘ではないか!! そもそも、今現在、ここに“物証”というものはあるのか!? それが無い限り、私は認めない、認めない。認めない認めていいのか認めてはいけない認めるものかぁぁっ!!」

 

 四月一日の言葉はマシンガンのように発せられていく。

 もうなにもかもが、言の葉による弾丸が四方八方に飛び交う。

 しかし、これは必ずしも的外れではなかった。

 

 

「でも、彼女の言うとおりだわ。彼女が犯人と言える“物証”がなにも見つかってない」

 

 

 紅が不調を訴えるかの如く渋い顔で呟いた。

 彼女の言う通りだった。

 俺たちは凶器すら見つからなかったのだ。サーベルも、テーブルクロスも、ヒモも全て想像での推理。

 ここに今残っている“物証”がない……!

 

「……私たち、なにか証拠をぶつけることができるかな?」

「そうですね。まず、無理でしょう。すべてダストボックスに捨てられてしまいましたからね。私もそう思いましたよ。そもそも、あなたが犯人という時点で私も疑っていました。それに、サーベルという凶器もおかしいと思いました」

 

 天馬に尋ねられた白河も、さすがに諦めた口調だった。

 この事件は解けないほうがいいのだろうか。

 しかし、それは単なる杞憂だったようだ。

 彼の表情を恐る恐る見ると、その口元は落ち着きを払っていてとても涼しい表情だった。

 

「だって、考えてみれば、良い“運び方”が思いつきませんから」

「……はっ、運び、かた?」

 

 白河の“運び方”という言葉を聞いた瞬間に、四月一日の士気に溢れた表情が一瞬失せる。

 

「凶器に使われたとされるサーベルは、剣の部分と言えども長さはそれなりにあるはずです。でも、それをそのままの状態で持って行くとなったら、誰かに見つかってしまうというリスクが大きすぎることに気がつきました。そうなると、どう持っていけばいいのやら私にも見当がつきません……」

「そ、そうだ。無理だ。無理に決まっている! やっと、分かってくれたんだな!」

 

 四月一日は、ひきつった笑みを浮かべている。

 やっと分かってくれた……それは、明らかに違う。

 白河は確実に、わかっているのだ。彼は諦めてなんかない。

 俺も知っているんじゃないか。それなりの長さが入りそうな物と言うものを……。

 

 

「言っただろう、私は犯人なんかじゃない! 私は優等生だ! 何度も言わせるな!!」

 

 

 まずは、四月一日のこの弾丸を相手にしなければならない!

 ここからは、俺と四月一日のマシンガンの一騎打ちだ。

 

 

 

「四月一日、お前は本当に犯人じゃないのか?」

 

 

「まだ疑うつもりか! 七島竜之介、お前の照準は乱れている!」

 

 

「どうして、お前は犯人じゃないって言いきれるんだ?」

 

 

「私が犯人でない理由など至極明快、私は優等生だからだ! 私は愚かな過ちなど犯さない! 勉学、スポーツ、礼儀作法……すべて! 何事にもだ!」

 

 

「それは、殺人であったとしてもか?」

 

 

「お前は誰に向かって、そんな口を聞いてるつもりだ?! 私は犯人ではないと言っているだろう!」

 

 

「じゃあ、誰が犯人だっていうんだ、四月一日。お前はみんなのために常日頃頑張っていたじゃないか。今まで俺たちを導いてきた……リーダーを買って出てくれたお前の意見を聞かせてくれ!」

 

 

「そんなことを話し合ったところで堂々巡りが続くだけだろう。ならば、もう終わりにするんだ。これがお前たちのリーダーであり、学園のトップに立つ私の意見だ。だから、お前たちは黙って私に従え!」

 

 

「ああ、終わりにしたい。そのためには俺は真実を明らかにするんだ。だから、四月一日、お前が犯人でない証拠を見せてくれ!」

 

 

「大した心意義だ、それだけは認めよう。だけど、何度言わせるつもりだ。私は犯人ではない! 私は超高校級の優等生だ! そんな私が! "この私が犯人である証拠など、どこにもないじゃないか"!!!

 

 

 見つかった。

 俺は言葉の銃の引き金を引いた。

 

 

「止めが甘いぞ!!」

 

 

 

「映写スクリーンの、“筒”……四月一日、お前は知っているか?」

 

 俺がそう言った途端、四月一日の息を飲む音が大きく聞こえた。

 挙動不審にきょろきょろとしていた角が、今にもこぼれそうな目で俺を見つめている。

 

「なあ、角は言ってたよな? おととい、映画を見たって。藤沢、紅、四月一日と一緒に映写スクリーンを使って。でも、“映写スクリーンを入れる筒”が、なくなっていたんだろ?」

「は、はい、七島さまのおっしゃる通りでございます! 紅さまも覚えていらっしゃいますか?」

「ええと……ああ。あの“筒”のことね。綺麗な革で、高級なブランドメーカーのものだったから印象に残って……って、ちょっと待って。七島、まさか」

 

 紅が俺の言葉の真意に気づいたのか、手を唇にあてて目を丸くさせる。

 

「犯人は“映写スクリーンの筒”を使って、サーベルを持って行ったんじゃないのか? 角や紅も候補としていることになってしまうけど……でも今までの推理してきた点を振り返れば、四月一日が一番近いだろう」

「推理だって? 今までのどこが推理だったんだ? こんなの出鱈目だ! でっちあげだっ!」

 

 四月一日が絶叫に似た断言をした。

 しかし、揺るぎない声が、がくがくと震え始めた。

 彼女の発言が、瞬く間に、目の前で、目も当てたくなるほど崩壊していく。

 

「それだとしてもだ! 犯人はそれも捨てたんじゃないのか!?」

「いいえ、それは考えられません」

 

 白河は最初から彼女の言葉を狙っていたように、きっぱりと言い切った。

 

「私はあなたがそんなことをするとは思えません。だって、映画を見た時、藤沢さんの他に、紅さんや角さんがいたんです。たかが“スクリーンの筒”、されど“スクリーンの筒”。異変に気づかれたらまずい。すべて完璧でなければいけない……あなたは思ったのではないですか。だから、あなたは、それだけは捨てられない。そう思いますよ。欠けたらおかしくなるものを返しているあなたなら、その筒だって捨てないはずです」

「さっきから、何故、お前は、私が犯人だと言い切っているんだ!?」

「完璧さを求めているからです。矛盾を無くそうとしている。でも、それがあなたのミスです。それと、“血だまりが歪な形”なのはどうしてだと思いますか?」

「“筒”を置いてしまっていたからか……?」

「七島さんの言う通り、私もそう考えました。そして殺害後に洗って戻そうとしたけど、角さんがずっといたからできなかった……洗うのも難しいと思いますけどね、あんな短時間でそれができる……もしかして、優等生だから、できましたか?」

 

 四月一日は先ほどから過呼吸に陥っているのか、ぱくぱくと陸にあがった金魚のようになっている。

 「ちがう」と首を振りながらも、もはや、その発言に影響力が感じられない。

 これが、俺たちが見てきたあの四月一日……超高校級の優等生なのか?

 今、繰り広げられている解体劇が芝居の出来事のようで、リアリティも感じられないほどマヒしてしまっていた。

 

「あくまで推理です。想像です。私たちはあなたの意志を汲んで考えさせていただきました。この推理が正しくないと言うのなら、部屋を見せていただけませんか? “筒”がなければ、私はあなたが犯人ではないと認めましょう。そして、また時間の続く限り、討論を続けさせていただきますよ」

 

 現実だとしても、芝居だとしても。

 俺たちは、もうなにもかもやめてほしかった。

 嘘だと一言でいいから言ってくれ。

 なにをでたらめを、と断言してくれ。

 

 

 でも、四月一日はなにも言わない。

 

 ますます、真っ青な顔立ちになっていくばかりだった。

 

 

「……な、なあ、四月一日。どうなんだ……?」

「……ぁあ、あ……あぁ、ああああぁぁ……」

『これって了承の意味? じゃあ、代わりにボクが探してきますね!』

 

 

 マナクマは空気も読まず、ウキウキとした様子で椅子から離れて行った。

 

 

 なかった。

 

 

 そう言ってくれればやり直しだろうか。

 それとも犯人が永久に分からないまま、裁判は終わるのだろうか。

 嬉しくもない恐ろしいことではあるが、悲しいという思いを抱くこともないだろう。

 その場合は、俺は死ぬのだから。

 

 

 ……でも、それが俺たちが望む答えなのか……それとも。

 

 

 

 

 

『はーい、こちら四月一日さんの部屋でーす!』

 

 

 裁判場の大きなテレビに映し出されたのは、整頓された部屋だった。

 本棚、椅子、カーペット。なにからなにまできちんと整っている完璧な部屋。

 机のうえにおかれている、“ある一点”を除いては。

 マナクマはそれを取って、俺たちに見せるように振ってみせた。

 丸い手に握られているのは、“黒い革張りの筒”のようなもの。

 

 

 

 

『おやおや、これは……なんと! マナクマ班、お宝発見いたしましたーー!』

 

 

 

 マナクマが筒を開けると、細かい鋭利なものでひっかいたような傷跡。

 断面には軽く洗っただけなのか――。

 

 

 真っ赤な染みがじわりと染みこんでいた。

 

 

 ああ、これが――答えなんだ。

 四月一日は、なにも言わずに、それを見ていた。

 ずっと、ぼんやりと見つめていた。

 

 

 

「くそっ……終わらせるぞ……こんな裁判……もう、なにもかも、終わらせるんだ!」

 

 

 

 力なく萩野が誰に言うまでもなく叫んだ。

 そう、終わらせなければならない。

 まとめをしなければならない。そして終止符を打とう。

 そうでなければ、俺たちは、進めないのだ。

 

 

 

" クライマックス推理 "

 

 

◆Act1

 

 事件の発端は、あのマナクマが見せた映像のせいだった。

 昨夜、映像を見て怖がっていたのは藤沢だ。

 その相談に乗ったのが、今回の犯人だったのだ。

 取り乱してしまった藤沢は自らの死をほのめかしてしまう。

 それを聞いて、犯人は犯行を思いついたのだろう。

 

◆Act2

 

 犯人は犯行の前に、事前準備をおこなった。

 まずは、視聴覚室にあった、映写スクリーンを入れる“筒”を持って行った。

 次に体育館に向かって、“弓矢”と“サーベル”を分解したんだ。

 “矢の羽と矢じりの部分”を取って、サーベルの柄を取り付けたんだ。

 そして、柄のないサーベルだけを映写機の筒にいれたんだ。

 

◆Act3

 

 犯人はテーブルクロスを捨てるという名目で、利用しようとした。

 そして、十和田の“ハト”と黒生寺のBB弾銃を盗んだ。

 黒生寺の銃は本人も覚えていないみたいだが、十和田のハトは準備中に盗まれてしまった。

 犯人は知らなかったけど、十和田のハトは“女性なら触れることができる”しつけをされていたから悪運強く盗めることができてしまったんだよ。

 そして、彼らの部屋に“手紙”を残した。

 パーティ時間ちょうどに、体育館に向かわせるように仕向けたんだ。

 

◆Act4

 

 パーティ前、藤沢は円居に“ビタミン剤”と“消毒液”を貰った。

 “消毒液”はとにかく危険だ。そう言われて、彼女はこれを服用しようと決めたんだろう。

 そして、ランドリーに行き、“洗剤”を盗んだ。

 火災を起こして、みんなの気を反らすためだった。

 しかし、十和田のハトが暴れてばら撒いてしまって、跡が残ってしまったんだ。

 

 パーティが始まる前に、犯人は黒生寺たちを呼ぶ建前で、犯行に及ぼうとしたのだろう。

 会議室では、円居がやって来た時、藤沢が事前にヤカンに洗剤とビタミン剤を入れて、火災を起こしたんだ。

 最初に逃げたのはランティーユに見えるが、ドアが開いていたことから藤沢が最初に逃げたんだ。

 そして、俺と萩野、天馬は“スプリンクラー”で炎が消される瞬間を見た。

 俺たちはその火を消した方法を、白河以外に話さなかったから、ほとんど全員、その方法を知らなかったんだ。

 そう、藤沢と犯人も含めて……。

 

◆Act5

 

 ダストルームに入った藤沢は“消毒液”で自殺を図ろうとした。

 しかし、焼却炉の後ろで隠れていた犯人が、ヒモで首を絞めて気絶させたんだ。

 “ダストルームの扉”が薄いことを知っていた犯人は、叫び声をださせないためにしたんだろう。

 犯人はテーブルクロスをまとって、気絶した藤沢に、筒から取り出したフェンシングで、藤沢を刺したんだ。

 筒は落としてしまったのか、置いていたのか。藤沢の血だまりの跡を歪にさせたうえに、汚れてしまったんだ。

 藤沢はほぼ即死に近かったが、咄嗟に“メッセージ”を書いていたんだ。

 でも、犯人は死体に一切触れなかったため、そのことを気づけなかった……。

 

 ダストルームは20:00まで開くから、そこで凶器の類を全部捨てた。

 死んだ藤沢の唇にも“消毒液”を塗り、円居に罪をかぶせるためにも保健室に戻した。

 でも、一つだけ、“筒”は角や紅が知っている可能性があったと犯人は考えたのだろう。

 不用意に捨てられなかったんだ。

 犯人は洗う余裕もなく、角も視聴覚室にいたのもあって、それだけは自分の部屋に残してしまった……。

 

 

 その証拠の一つが、決定的なものに繋がったんだ。

 

 

 

 そうなんだろう、四月一日 卯月!

 

 

 

 

 

 

 裁判はしいん、と静まり返った。

 誰もがその事件の全容に耳を傾けた。

 犯人と宣告された四月一日も、ぼんやりとした瞳のままであったがなにも口をはさまなかった。

 舌が痺れ、目の奥がちくちくと熱い。

 俺の中の五感すべてが張り詰めていた。

 一旦、一呼吸をしてから、もぬけとなっている四月一日を見据えた。

 

「四月一日。俺はこれが事件の真相だと思う。だけど、どこか間違っているところがあったら言ってくれないか? 俺たちはお前が納得するまで話し合うから」

「……納得するまで? 七島竜之介、それは無理な話だ」

「えっ?」

 

 先ほどの、四月一日の姿とは打って変わっていた。

 今度は呼吸も整え、今まで見てきた優等生らしい佇まいだった。

 

 

 

 

 

「納得はしない。だが、一連の行動が真実だとは認めよう」

 

 

 

 

 ………!

 

 彼女の瞳は今まで見たことがないほど。

 ありとあらゆる影を吸い込んだように。中身が飛び立ってしまったセミの抜け殻のように。

 静かで真っ黒で光が見えないほど暗さを増していた。

 

 

「そうですか……わかりました」

 

 

 目を伏せたまま白河がぽつりと呟いた。

 静寂の中、ぐう、という声を詰まらせるような音は誰のものだったのだろうか?

 四月一日? 萩野? 俺自身? それとも……。

 

 いや、そんなことは今はどうだっていい。

 

 今、俺たちは辿りついてしまったのだ。

 見つけるべきで、見つけたくなかった真実に。

 

 

 

『はーい、ごくろうさんでした。それではこのへんで、投票タイムと行っちゃっていいっすよね? それでは、みなさん。お手元のスイッチを押して投票しちゃってください! 必ず誰かに入れてね! こんなことでオシオキなんてイヤでしょ? さあさあ、みなさん、ご投票をお願いしまーす!』

 

 

 

 

 投票を終えると、正装を着飾ったマナクマがどこからともなくスロットを持ってくる。

 そして、その大きなレバーをぐいと引っ張った。

 ぐるぐるとスロットのバーが目まぐるしく回り、ドラムロールが鼓膜をごちゃごちゃにする。

 そして、バーが止まり、四月一日の顔が揃う。

 

 

 

 

 Guilty!

 

 

 

 

 

 メダルが勢いよく滝の如く流れ落ちる。

 マナクマがぱちぱちぱち、と短い手でたくさん拍手を連打する。

 

 

 

 

 

 

 …………こうして、俺たちは、最初の裁判を、終わらせてしまったのだ。

 

 

 

 

 

" 学級裁判 閉廷 "

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

オシオキ編

 

 

『はーい、だーいせーいかーい!! 今回、“超高校級の演劇部”の“藤沢峰子”さんを殺した犯人は、なななんと! この学園の生徒会長で“超高校級の優等生”である“四月一日卯月”さんなのでした!!』

 

 耳の奥がマナクマの声によって占領される。

 機械的で非感情的で、嘲笑しか感じられない声色。

 

『いやあ、あの“筒”を捨てたらどうなっていたことやら。ボクも、どきがむねむねしちゃったよ! マジで最初にして殺戮ゲー(苦笑)みたいになるところで』

「おい四月一日……おめー、どうしてなんだ……? どうして藤沢を殺したんだよっ!?」

 

 のんびりとしたマナクマの声を押しのけ、萩野が雄たけびに近い激昂を飛ばした。

 それは各々の気持ちを、一つに代弁した言葉だった。

 四月一日は視線を落としたまま。床の一点をじっと見つめて目を合わせる素振りすらない。

 

「……ちがう。こんなはずじゃない。なにもかも間違っているんだ……」

「そ、そうだよ。だって四月一日さんが犯人だなんて。あっはははは……こんなの変だよね……! 今の投票だってマナクマのでっちあげに決まっているよ! 可笑しすぎて片腹痛いって!」

「なあ、お前たち。どうしてか答えてくれないか?」

 

 彼女は、ようやく視線をあげたが、それは顔面蒼白そのものだった。

 

 

 

「どうして、お前たちはあの映像を見て、“出たい”と思わなかったんだ?」

 

 

 

 その言葉で、四月一日を擁護しようとした井伏が強張った笑みのまま完全に固まった。

 

「やはり、あの“動機の映像”が原因ですか……」

「わ、四月一日ちゃん……いや、アンタは信じたってこと!? 散々うちらには信じるなって言ってたのに!?」

 

 真田の声が張り詰めた空気の裁判場に響き渡った。

 その声は木霊したものの、すぐに沈黙へと吸い込まれていく。

 藤沢だけではない……四月一日も、あの映像を鵜呑みにしていたってことなのか?

 

「なにを見たんだ……てめえは……」

 

 腕を組みながら黒生寺がぽつりと呟いた。

 彼もコロシアイが起こる前は彼女に渋々ながらも勉強を教えてもらっていた。

 いつもは動じない声に、少しばかり感情的なものが入り混じっているように思えた。

 

「……マナクマ、頼みがある。私が視聴覚室で見た“映像”を映してくれ。この大画面で。そうすれば私がこのようなことを行った理由も分かるはずだ」

『はーい、オッケー!』

「は、はぁ?! おい待てよ! あれって見せていいのか!?」

『本人が見せてもいい、って言ったなら、見せてもいいことになっているのです!』

「はむぅ!? そんなの初耳なのだ! 言ってくれなきゃ、わかんないよ!」

『だってオマエラ、そんなこと聞いてくれなかったじゃん……先生ハブられちゃって悲しいよ……これじゃあマナハブだよ……』

 

 たしかに、誰かに自分の映像を見せるなんてことを考えてもいなかったな……。

 マナクマがどこからともなく、リモコンを取り出して、裁判上の大きなモニターに向けてスイッチを押す。

 砂嵐が一瞬訪れながらも、“その映像”が始まる……。

 

 

 

 


 

 

 

 画面に映し出されたのはスーツを着た男女、数十人ぐらいいるのだろうか。

 会議室のイスに座って、じっとこちらを見つめている。

 その顔にはにこにことした笑みがお面のように張り付いていた。

 

 それに似た笑顔を、俺は知っている。

 今、ここで、不気味な笑みのクマの姿に、酷似している……。

 

 

『超高校級の優等生。四月一日卯月さん。あなたは選ばれた人間なのです。日本、全世界で活躍すべき、人間の鑑です』

 

 

『素晴らしい、いやそんな言葉では言い表せない。あなたは希望なのです』

 

 

 

『他の誰でも無い、優れた人材なのです』

 

 

 

『世界に羽ばたくことこそが、あなたの役目です。そしてあなたをサポートするのは私たちの役目です』

 

 

 

『世界だけではない、この全人類に希望を与えることがあなたのやるべきことなのです』

 

 

 

 

『なぜなら、あなたは“優等生”なのだから』

 

 

 

 画面に映った人々は口々に雨のように言葉を降らせていく。

 語りかけるように、優しく、まるで恵みの雨のように、しとしととキレイな言葉が並べられる。

 

 ……しかし、そんな言葉に反して、ずっと聞いていると先ほどから胸がざわざわしていく。

 湿っぽく、じめじめと、どんどんと心臓が冷たくなっていく感覚に近づく。

 

 

 

『あなたは世界を変えられる』

 

 

 

 

 

『あなたこそが世界の希望』

 

 

 

 

 

『狭い場所はあなたには必要ない』

 

 

 

 

 

『あなたがいるべきは世界なのです』

 

 

 

 

 

『だから、早く来なさい』

 

 

 

 

 

『来るんだ』

 

 

 

 

 

『なぜなら、あなたは―――』

 

 

 

 

 

『優等生で――』

 

 

 

 

 

 

 

『世界の希望―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

『四月一日卯月。あなたこそが―――』

 

 

 

 

 

 

 そして、映像がぷつりと途切れた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「なん、だよ……これ……」

 

 

 

 

 これが四月一日の“動機”……

 

 

 

 

 ……なのか?

 

 

 

「これが私の動機だ。すべて理解できただろう」

「い、いや、それは……え、えーと、これで、マダム四月一日は出たいと思ったのかい?」

「当然だ」

「え……ほ、本当に本気なのかい? こ、こんな、ふざけた動機は本当に君の」

「いま……なんて言った? ふざけただと!? よくも言ってくれたな、私の前で!! ふざけているのはお前のほうだっ!!!!」」

 

 ランティーユは罵声を飛ばされ、「ひいっ」という情けない声を上げる。

 でも、ランティーユと同意見だった。

 

「四月一日、俺もランティーユに同感だ……! どうして、これがお前の“動機”になるんだ!?」

「私を追いつめた七島竜之介も理解できないのだな……しかし、お前たちになにがわかる? そうだ……私のなにが理解できるっ!? 優等生の肩書の素晴らしさ、私の誇り、今までの努力を微塵も知らない、お前ら如きに……ッ!」

 

 彼女は獰猛な獣の如く、肩で荒い息を吸っては吐く。

 ……だが、それは落ち着かせるためではなく、俺たちに牙を剥くための予備動作にも思えた。

 

「いいか、私は他でもない、誰よりも優れた求められた人間なんだ。超高校級の書道家、ボクサー、清掃委員、演劇部……それがなんだというんだ? 超高校級の優等生こそが、選ばれし優れた人間だ。さきほどの映像を見ればすぐにわかるはずだ! 世界に求められた。それが私の動機だ」

 

 世界に外に出てほしいと言われた――これが、四月一日の動機。

 ……これが、動機、だって?

 彼女の意見を聞いても、まだ疑問が張り付いている。

 

 

 これは、動機になりうるのか?

 

 

「ふ、ふん、それが優等生さまの、ご意見ってことね……大層な思想ですこと……?」

「黙れニセ司書。以前から思っていたが馬鹿にされることを恐れているというのに自分は平気で馬鹿にするなど、奢りにも程があるな」

「んなッ?! にに!? にににに、に、せせ……!?!」

 

 強烈なカウンターを受け、錦織は泡を吹かんばかりの形相でフラフラとよろめく。

 

 まだ頭が整理できていない。

 

 脳髄がちりちりと焼けるように熱い。

 なにがなんだか、さっぱりわからない。

 いや、わかりたくないんだ。

 わかりたくないからこそ、思考が勝手に止まってしまうんだ。

 苦々しい表情で萩野が証言台を握りしめ、力一杯に揺すり始める。

 

「いっ、いい加減にしろ!! 四月一日、ここだって1つの世界だろ!? 自分のために、おめーは藤沢を殺したっていうのかよ!?」

「なんども言っているはずだ。私は優等生だ。世界が望むのは広い世界。そこで優等生としての才能が発揮できるのなら、犠牲は仕方のないことだろう? 私は世界の希望なのだから」

「ふうん、犠牲ねえ……? 君さあ、言葉でごまかそうとしているみたいだけど訂正したら? あんたは女優さんを殺した殺人者だろうがよ! 人殺しのクズがっ!」

「人殺し? クズ? 藤沢峰子は完全な被害者のようにお前たちは言うのだな。でも、あいつは狂っていた。お前たちだって、その事実に辿り着いているはずだ。藤沢峰子は火事を起こした張本人だ! 自らの命と共に、私どころか、お前たちの命も火の海に落とそうとした大罪人だろう! その事実も忘れたのか!」

 

 四月一日がそう言い切った瞬間、十和田が証言台を勢いよく蹴りあげた。

 罵声代わりの、咄嗟の感情の爆発だったのだろう。

 当の四月一日は「やかましい」と言わんばかりに、顔をしかめて軽蔑の視線を向ける。

 

 

「まあ、待ちたまえ。今は藤沢の善悪は置いておこうではないか! 彼女の真意は我々が知る余地もないのだからね。永遠にな」

 

 

 おもむろに口を開いたのは円居だった。

 冷静な口ぶりと表情ではあったが、腕組をしている白衣のシワがいつも以上に深く刻まれている。

 

 

「四月一日、これだけ聞かせてくれないかね? なぜ、藤沢を狙った?」

 

 

 ――藤沢を殺した動機。

 

 それを聞かれて四月一日は迷いもなく、フッ、と冷笑する。

 

 

「円居京太郎、裁判に参加していたというのに理解できていないのか? それも裁判で答えは出ている」

「なっ!? そ、そんなわけがないぞ! お前は藤沢を殺した理由を答えていないではないか!」

「これからは現代文の勉学に励むことだな。いいか、藤沢峰子は死のうとしていた。これが答えだ」

 

 死のうとしていた。

 この言葉で、円居は軽く息を飲んで口を真一文字にさせた。

 裁判場の空気もみるみるうちに青ざめ濁っていく。

 

「……あなたは利用したのですね。死のうとしていた藤沢さんの命を」

「当たり前だ。だいたい藤沢峰子は隙が多すぎた。本気で死にたいならば、私に殺される前に一人で死ねばいいものを。しかも……あんなにも死を望んでいたというのに、あのようなメッセージを残すなど、未練がましいにも程がある! おかげでこちらは……っ、忌々しい!! 余計なことを……!」

 

 

 ぐしゃ、と前髪を掻きむしり、証言台に肘をつきながら四月一日は歯ぎしりする。

 

 演劇部として生きられないために。

 

 優等生として生きるために。

 

 そう自分の肩書きのために、人を殺す……。

 

 

 

 

 まるで、これは……。

 

 

『うぷぷぷぷ絶望的だねえ。ハートの鼓動がどっぴゅんどっぴゅんですな!』

 

 

 今まで教わってきた歴史の姿。

 『絶望』であるために、絶望をまきちらす超高校級の絶望。

 

 

 ……どうして同じようなことが、繰り返されているというんだ?

 

 

 

「うううう……っで、でも、四月一日っち、殺すのはひどいけど……こわくないの? 四月一日っち、死んじゃうんだよ? こ、これから、しょ、処刑されちゃうんだよ! それなのに、どうしてそんなに堂々としてるのだ!?」

「……ああ、死ぬんだったな。失敗なんて優等生らしからぬ失態だ。しかし、私は構わないと思い始めている。世界から求められていた。私は世界のために、今まで培ったすべての知恵と努力、そして人生を賭けた。それだけで今は充分だ。世界は私のために、私は世界のために尽くした。その事実だけで充分だ」

「で、では、芙蓉たちと過ごした時間はなんだったのでございますか……? ムダでつまらないものだったのでございますか? 四月一日さまの求めている世界ではないみなさまとの生活は、意味のないことだったのでございますか!?」

「ムダでつまらないものは言いすぎだ。楽しかったのは事実だからな。しかし、私の居場所はここではなかった。それを知った以上、もう私はここにはいられない。ただ、それだけだ」

「は、は……あ、ああぁ、ダメだ、笑えないよ……こんなのあんまりだ……」

 

 角の涙とともに、井伏は震えた唇のまま手で顔を隠してしまった。

 そうだ、違う。これはなにもかもが、違うんだ……。

 

 

「四月一日、それでもお前は……」

「そうですね、たしかに、あなたはここにいるべきでありませんでした。あなたがいなければ、このような卑劣で嘆かわしい事件は起きなかったのですから」

 

 

 俺の言葉の前に、白河が静かに正していた。

 言いかけた断片が俺の喉にゆっくりとしまわれていく。

 四月一日は、その言葉を黙って受け止めていた。

 

「あなたは、藤沢さんを殺しました。その罪は認めてくれますか?」

「私の思いは変わらない。これは犠牲だ。犠牲とはいえども、私は私の正しいことを行ったにすぎない」

「そうですか。あなたはやはり……いえ、今さらあなたになにを言っても、すべてゴミにしか聞こえないんでしょうね……もう、私からはあなたに言うことはなにも言いません」

「……さあ、マナクマ。もう終わらせてくれ」

『合点承知のすけるとんだよ!』

「お、おい、待……」

『待ちません! 超高校級の優等生、四月一日さんのためにスペシャルなオシオキを用意いたしましたぁ! さあ、張りきって参りましょう! おっしおきターイム!』

 

 マナクマがそう言って、赤いボタンを槌で勢いよく叩きあげた。

 資料で見てきたものが。俺たちの目の前で執行される。

 血の匂いと、寒気が催すほどの空気が俺は感じていた。思わず、反射的ではあるが目をきつく閉じてしまっている自分がいた。

 

 目を閉じる前の四月一日の姿は落ちついていた。

 ここだけを切り取れば、立派で、眩しい。

 まるで演説の舞台に立つために緊張している、立派な優等生の姿に見えた…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………あれ?

 

 

 

 

 時が止まってしまったのかと思うほどの奇妙な静寂。

 いくらなんでも、変だ。

 恐る恐る目を開けると、そこにはおかしな光景が広がっていた。

 

 苦渋の表情で見据えていた萩野も。

 意を決していた四月一日も。

 

 

 

『……はにゃ?』

 

 

 

 最低なほどにワクワクしていたマナクマでさえも。

 

 裁判場が疑問に包まれていた。

 顔を見合わせ、天井や壁を見回し、中にはまさかのことで震えている者もいる。

 

 

 “なにも起こらない”という事態に。

 

 

 「あれ? あれれ?」とマナクマもボタンを慌ててひっくり返していた。

 もしかして、ヤツにとっても想定外なのか?

 

『えーっ!? まさかの故障? せっかく決めたのに萎えるなあ……って言うか、なんで、またテレビ点いてんの?』

 

 マナクマが首がどこにあるのか分からないが折り曲げて、すっとぼけた顔になる。

 俺たちは一斉にスクリーンを見ると……。

 

 

「……どうして」

 

 

 真っ先に天馬が口を開いていた。

 彼女の声は今までにないほど細かく震えている。

 

「……えっ?」

「おい、なんなんだ、あれ……!?」

 

 俺と萩野は言葉が漏れていたようだ。

 

 

 

 

 

 映像に現れたのはスーツを着た男女、数十人ぐらいいるのだろうか。

 会議室のイスに座って、じっとこちらを見つめている。

 その顔にはにこにことした笑みがお面のように張り付いていた。

 

 それに似た笑顔を俺は知っている。

 さきほど見たばかりだ。

 

 

 

『超高校級の◼◼◼―――。天馬――陽菜さん』

 

 ノイズ混じりの台詞。

 だけど聞き覚えのある声色、言葉遣い、イントネーションそのもの。

 

 

 

『あなたは選ばれた人間なのです。日本、全世界で活躍すべき、人間の鑑です』

 

 

 

『素晴らしい、いやそんな言葉では言い表せない。あなたは希望なのです』

 

 

 

『他の誰でも無い、優れた人材なのです』

 

 

 

『世界に羽ばたくことこそが、あなたの役目です。そしてあなたをサポートするのは私たちの役目なのです』

 

 

 

『世界だけではない、この全人類に希望を与えることがあなたのやるべきことなのです』

 

 

 

『なぜなら、あなたは―――』

 

 

 

 

 

「なっ……!」

「な……っ!? な、なんなんだこれはあああああぁぁっ!?」

 

 四月一日が、激昂とともに膝からどんと崩れ落ちていく。

 そう叫びたいのは、彼女だけではない。

 

「なんだね、これは!? 吾輩にもさっぱり分からんぞ。どういうことだ!?」

『なんでこれ流れてんだろ? って言うか、説明しろって? しょうがないなあ。ボクも少しチビっちゃったよ』

「だ、だから、これは、一体なんなんだよ!?」

『思春期まっさかりのジャリガールが、別に見せるわけでもないのに下着に気を遣うようにさ、ボクも映像には細心の気を払ったのです。映像はもちろん、本物であることは変わりありませんけどね? でもさ、明らかに、映像がかぶっていたヤツいるんだよね……』

「映像がかぶったって、どういう意味なの? マナクマが撮ったものじゃないの?」

『あらやだ、奥さん知らなかったの? 今回の動機は、ボクが撮影したんじゃなくて、希望ヶ峰学園のコンピュータに入っていたのよ』

 

 ……希望ヶ峰学園? つまり、ここのコンピュータ?

 なんで学園のコンピュータにそんなものがあるんだ?

 

「どうして私の映像が流れたの……?」

 

 ざわめきの中、一つの呟きが浮上してハッと顔を上げる。

 天馬――彼女はいつも以上に頬を固く強張らせていた。

 

『おや、まさか訴訟したいの? でも受け付けませんよ。だってこんなの慣れっこじゃない。ねえ天馬さん?』

「……!」

『いやあ、不運だねえ。映像が流失しちゃうなんてさ。ボクのせいじゃないよ? いましがた確認したらコンピュータが急にバグっちゃったみたいでね……』

「天馬、信じるな。そんなのウソに決まってるっ!」

『不運=天馬さんという公式、ご存じないのかしらん? 彼女のアイデンティティをむしり取っちゃダメダメ! 超高校級の生徒としてあるまじきことですぞ、七島くん!』

「ふざけるのも……っ!!」

「もういい、七島くん」

 

 気がついたら、天馬に裾を掴まれていた。

 顔は下を向いていて、見せようともしていなかった。

 しかし、その手は、細く、ぶるぶると小刻みに震えていた。

 それは、途方もない彼女の感情が俺にも伝わってきた……。

 気がつけば、俺はマナクマに一発飛ばそうとした拳をおもむろにほどいていた。

 

『あー、びっくりした。オマエ、命拾いしたな! しかし、マジでこんな映像が入ってたから、どうしようもないよね……でも、これしか入ってなかったから、仕方なくオマエラ二人にはこれを流したわけだよ。って言うかさ、ぶっちゃけこれって、本当にサイテーの“ねつ造”だよね』

「ねつ……造……?」

 

 マナクマのねつ造という言葉に思わず、四月一日を見つめていた。

 それは、俺だけではない。

 この裁判場にいる者たち全員の視線が、一斉に四月一日の目を、顔を、体を。なにもかもを突き刺していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『見ればわかるよ。こんなのウソっぱちじゃーん! おんなじ映像が2つもある時点で、100%ねつ造だっての! だいたいさ、スーツをいっちょまえに着ちゃって、世界とか希望とか言ってどこの宗教だよ! もっと、不安をあおりまくりの映像を撮れってーの! これじゃあ、人を殺す動機にもなんねーってのに、まったく、ほんとクソつまんない最悪の映像だよね!』

 

 

 

 

 

 

 やめろ。

 

 

 

 

 

「なにを、言って……私は、世界に求められていて……」

 

 

 

 

『ウソに決まってんじゃーん!』

 

 

 

 

「私が、選ばれた人間だと言うのは……」

 

 

 

 

『超高校級なんだから選ばれて当然でしょ。ここにいるオマエラ全員がね!』

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ、私が希望と言うのは……!?」

 

 

 

 

 

『笑っちゃうよね。超高校級の希望、なんてさ。うぷぷぷぷぷ……いかにも小学生が好きそうなネーミング!』

 

 

 

 

「わ、私は、私は……っ!」

 

 

 

 

 

『大体、オマエさ超高校級の優等生だろ? しょせん利口で頭が良いだけの学生に過ぎないんだよ! それ以下にもなれなければ、それ以上にもなれねーじゃねーか! 身の程知れよな!』

 

 

 

 もういい、もうやめろ。

 耳を塞いで目を瞑りたくても、俺たちは立ちつくしていた。

 微動だにせずに、マナクマの笑い声を黙視せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

「わ、私は……!?」

 

 

 

 

 

 

 俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、それじゃあ、私は……」

 

 

 

 

 俺たちは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんのために……藤沢峰子を殺したんだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……いったい、なにをしているんだろう?

 

 

 

 今まで俺たちが必死になってやってきたことは、結局なんだったんだ?

 

 

 これが、俺たちの導き出した真実なのか?

 

 

 

 俺たちは、こんなことをしてまで、生ききらなければならないのか?

 

 

『なんのために殺したかって、さっきお前言ったじゃん。『優等生であるため』でしょ。オマエは、仲間(爆笑)を裏切って、あの映像を信じて殺しちゃった。ただそれだけじゃーん!』

「ちが……う……私は優等生なんかじゃなかった……」

『んー?』

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は。殺人者……だったんだ……どこにも居場所もない、ただのつまらない殺人者……罪人、だったというのか……」

 

 

 

 

 

 

 

 マリオネットの糸が切れたように四月一日は両膝をつく。

 魂が抜け、口だけがぱくぱくと動く。

 その瞳には怒りも涙も、映し出されていなかった。

 

 

「認めて……くれましたか……」

 

 

 白河はそう呟いて、寂しそうな顔で四月一日を見つめていた。

 

 

 ――やっと、認めてくれた。

 

 

 だけど、こうまでして、俺たちは殺人の罪を認めてほしかったのか。

 四月一日の誇りをずたずたに切り割いてまで、俺たちはこのような結末を望んでいたのか?

 

 

『さて、くだらないウソで始まった話って、ホントにくだらないオチになりがちだよね。だから、仕切り直してさっさと始めちゃいましょうか! 超高校級の優等生、四月一日卯月さんのオシオキを!』

「……待ってくれ」

『またあ? あの映像ならさっき見たでしょ、四月一日さん』

「私は……私は……ちがう……」

『はにゃ?』

 

 

 

 

 

 

 

「私は……優等生なんかじゃない……だから、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、だから……だから、だから……だからだからだからっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ、ち、ちがう、こんなのちがうんだっ!!! なにもかもが間違っているんだああああぁぁぁぁぁあああああっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四月一日は声を張り上げ勢いよく立ち上がると、マナクマの短い足にすがりつく。

 叫びながらも、こんなに弱々しい姿は、到底、優等生には見えなかった。

 優等生なんかじゃない。

 それは、罪を逃れようと必死に命乞いをする犯罪者そのものだった。

 

 

「ゆ、許してくれっ! 許してくれないか!? 言ったはずだ、私は優等生なんかじゃないんだっ! だから許してくれ! 私は優等生じゃなかったんだ、殺してなんかないっ! 動機も、なにもないんだっ!!!」

 

 

『はい、では改めて、お待たせいたしました。超高校級の優等生、四月一日卯月さんのために、ビッグでゴージャス、絶望的にスペシャルなオシオキを用意しましたー!!』

 

 

 マナクマはそんな彼女にも一切見向きもしない。

 俺たちが一生知ることもない死の“喜び”を体験しようとしている。

 

 不運にも真実を知らしてしまった天馬。

 四月一日に怒りの声をあげた萩野。

 調査に何度も介入してきた白河ですら、誰もが。申し訳なさそうな、憐れみの表情を見せていた。

 どん、どん、と耳に悲鳴が入る度に、俺の心臓が脈打つ。 

 

 

 

 やめてくれ。

 

 

 冗談だと誰か言ってくれ。

 

 

 

 

「だっだからちがうっ、聞いてくれ! 私は犯人なんかじゃないっ! 優等生なんかじゃないっ! 頼むっ! い、いや、お願いします、私を殺さないで……っ!! わ、私は死ぬのか? 死ぬ……わ、わ、私、が? い、いやっ、やめてくれっやめていやだっいやだいやだっ!!!!」

 

 

 

『はい、それでは、ハリきっていっちゃいましょー! オシオキターイムー!』

 

 

 

 突如、裁判場の扉が開き、現れたのは無数の鎖。

 それは、すぐさま、四月一日の身体を捕らえる。

 

 

 

 

「七島くんっ!」

 

 

 

 

 天馬の声と同時か。

 気がつけば、俺は強制的に連れ出されようとしている四月一日に向かって駆けだしていた。

 

 四月一日、まだ話足りないんだ。

 なにも聞いていないじゃないか。

 なにも、なにも。四月一日のこと知らないじゃないか。

 

 

 

 

 まだ、まだ、終わらせたくないっ!!

 

 

 

 

 

「四月一日っ!」

 

 

 

 

 手を伸ばして、四月一日の手を掴もうとする。

 その時、彼女のスカートのポケットからなにかが飛び出してきた。

 長方形の小さな、なにかが……それは、俺の手に収まった。四月一日の手が風を切りぬけてすり抜けていく。

 

 俺の手の中に残ったのは、彼女に贈ったユビキタス手帳だった。

 置き土産を残して、裁判場から消えていったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやだああああぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四月一日の長い長い絶叫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 GAME OVER

 

 超高校級の優等生 四月一日卯月さんがクロに決まりました

 オシオキを開始します

 

 

 

 オシオキ 『 磔刑 』 

 

 

 そこは教室に似た空間だった。

 床や壁はお馴染みの古そうな木製。

 そして、黒板には手と足を鉄に固定され、磔にされた四月一日がうなだれていた。

 抵抗する気は起きなくなったのか。握りこぶしは震えていたが表情は変わることはなかった。

 

 

 キーンコーンカーンコーン

 

 そんな中、半音低いチャイム音が教室に鳴り響く。

 

 

 すると、地響きと共に、ドアから殴りこむようになにかがやって来た。

 それはマナクマ“たち”だった。

 

 あるマナクマは髪の毛がアンテナのようになっている。

 またあるマナクマは赤ぶち眼鏡をかけたロングヘアをしている。

 他にも星の髪飾りや、ステッキを持った、白衣、モノクル、燕尾服など……それぞれが様々な特徴を持つ15体のマナクマたちだった。

 

 

 一匹のマナクマが、革命者の如く、腕を高々と天井に伸ばした。

 それは、菫色のドレスを着たマナクマだった。

 その言葉を機に、マナクマたちがなにかを持ちながら構えていた。

 

 その手の中にあるものが確認できないまま、それは始まった。

 

 

 次々と、四月一日に向かって、マナクマたちによって物が投げつけられる。

 それは鉛筆、消しゴム、定規、上履き、ノート、チョーク、黒板消し、野球ボール……。

 学校では必ずと言って見かけるものが15体のマナクマによって投げつけられ、四月一日の身体のあちこちに命中する。

 

 さらには日常品から、はさみ、カッターナイフ、牛乳瓶、サッカーボール、植木鉢……投げられる物体は次第に狂気と悪意が増していく。

 体から顔まで、様々なものが絶え間なく投げつけられた。

 四月一日の常に整った制服は斬り刻まれ、端正な顔は赤い痣と血だらけとなる。

 声や悲鳴をあげる暇もなく、マナクマを象った黄金のトロフィーが四月一日の顔面に直撃した。

 四月一日は咳こみながら、つと口から血を吐きだした。

 すると、物の嵐はぱたりと中断された。

 

 

 過呼吸になっている磔の四月一日の前で、マナクマたちはなにか大きなものを、よいしょ、と持ち上げていた。

 

 それは、学校行事の花形ともいえる校旗だった。

 その旗に描かれていたのは、悪趣味なマナクマのイラストだ。

 

 

 マナクマたちは旗の部分の柄を持った。

 長く鋭く尖った先端が。

 酸素を取り入れようと震えている四月一日に向けられた。

 

 

 

『せえの!』

 

 

 

 その言葉と共に、マナクマたちは旗を抱えながら。

 どたどたと足音を鳴らしながら。

 

 

 四月一日の身体に向かって、きらりと光る矛先が突進して――。

 

 

 

 

 

 マナクマの旗は笑っていた。

 

 

 

 微動だにしない彼女の身体を貫いたまま。

 なおも嘲りながら、血まみれの旗はゆらゆらとなびいていた。

 マナクマたちは、その姿を取り囲み、その光景を眺めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ひゃっはああああああ! エクストリイィィィィムゥゥゥゥ!』

 

 

 マナクマの歓喜の絶叫が響き渡る。

 嗚咽と血涙の嵐が裁判場に溢れわたった。

 

「わ、わ……四月一日……さんが……う、うわあああぁぁぁああぁぁっ!?!」

「ううううう……ぅおぇ……ぅうっ……!」

「あ、ああああ、こんなのは夢だよ。夢に決まっているんだよ、そうだよ、これは夢で幻想で妄想で、こ、これはゆ、ゆゆゆゆゆ……」

 

 あの笑みを絶やさなかった井伏がついに叫び、錦織は今にもまた嘔吐しそうなうめき声をあげた。

 ランティーユは泡をふきながら、壊れた機械のように小刻みに震える。

 

 目の前で痛めつけられた挙句処刑された四月一日……。

 彼女は許されない罪を犯したが、いくらなんでもひどすぎる。

 本来なら怒りを感じなければいけないのに、今は血が冷えていくほどの恐怖が体中に叩きこまれて動けない。

 

「あ、ああっ、なんて非道な……! こ、こんなのあんまりでございますっ!」

『あんまり? あんまりなにさ? あんまりつまんなかったの? オマエラ、クマのボクより情がないのねえ』

「ふざけんじゃねえ! 非情なのはおめーだろうが! よくも四月一日を殺しやがってぇっ!」

『いやいや、自業自得でしょ? 逆に言えば、四月一日さんが藤沢さんを殺さなければ、こんなことにはなりませんでしたよ?』

「元をたどれば、こんなことになったのは、私たちを殺すように追い込んだあなたのせいじゃない!」

 

 萩野はマナクマに今にも飛びかからんとする勢いで、目をぎらぎらと血走らせた。

 いつも冷静に判断をしていた紅でさえも、声が小刻みに震え、瞳が涙で溢れていた。

 その様子を見ても、マナクマは「ふん」と鼻息を勢いよく噴き出すだけだった。

 

『なにさ? なにするにしても、ボクのせいだっていうの? まったく鼓膜はがれるまで耳かっぽじってよーく聞けよ! 一番悪いのはルールを破ることだからな! 修学旅行の持ってくるおこづかいで、5000円規定なのに1万円平気で持ってきたヤツを咎めなかったら、オマエラだって憎らしいと思うでしょ? ルールを破った犯罪者に同情してどーすんだっていうんだし! まあ、いいや。今はそうやって絶望しているのも悪くないからね。うぷぷぷ……』

「絶望……ですか?」

『そうっすよ、絶望! ええ響きやん?』

「あなたも、絶望を望んでいるのですね? あの例の事件と同じように……」

 

 白河はそう言って、マナクマをじっと見据えた。

 彼はずっと穏やかだった。

 残酷な処刑中でもただ顔色一つ変えず、四月一日を見張り続けていたのだ。

 

 白河の言葉に、しばらくマナクマは黙った。

 例の事件、超高校級の絶望によるコロシアイ学園生活か。

 それとも希望ヶ峰学園史上最大最悪の事件か、人類史上最大最悪の絶望的事件か……。

 どちらにせよ、意味合いは同じだ。

 その事件に辿りついたのは絶望なのだから。

 

 黙ったままの、マナクマの青い目から鈍い光が放たれる。

 

 

『あの事件? 絶望? ボクが望んでいるのはそんなものじゃないんだよ。もっともっと苦しくてふかーい絶望……そう、“超高校級の絶望を超える絶望”……それがボクの求める“絶望”……ただ、それだけだよ』

「なら、あなたはモノクマ……いえ、超高校級の絶望とは違うというのですか? あの“江ノ島盾子”となにが違うというのですか」 

 

 

 “江ノ島盾子”

 

 

 その名前が出されて、俺たちは一気に神経が強張っていく。

 『彼女』の名前を呼んではならない。

 そのような暗黙の了解ができたのはいつだろうか?

 希望ヶ峰の歴史を教えるにあたって、避けては通れない名前だ。

 しかし、超高校級の絶望の名前を言うのは生徒どころか教師でも、いや、この世界全ての人間が躊躇うほどに。

 彼女の存在は、まだこの世界に影となって残っている。

 

 

『…………あのさ、オマエ、バカにすんなよな、超高校級の絶望のことを。いいか!? 超高校級の絶望をバカにするのはオマエラじゃねーんだよっ!! このボクだっつってんだろーがよ! ボケなすびッ!』

 

 

 マナクマは怒鳴り声と共に、俺たちに威嚇をするかの如く牙をむき出した。

 バカにするなと言って、超高校級の絶望をバカにするのは自分だと豪語する。

 

 

 これは……いったい、どういうことだ?

 

 

 

『おっと、クマ風情なのに、ついついキレちまったね。でも今は超高校級の絶望よりも、もっと大切なことがあるでしょう? 横断歩道でいくら人生設計をしても、目先のダンプカーに気づけないようじゃ生きていけませんからね! そこをお忘れなく……あーあ、ボク肩が凝ったし、これからの仕事も山積みなのよね……そんなわけで、みなさま、ごきげんよう! お帰りはそこのエレベーターでね! だーっはっははっは!』

 

 

 マナクマはそう言ってぽてぽてとエレベーターに乗って一足先に帰って行った。

 だけど、俺の中にはいつまでもマナクマの笑い声が反響しているかのようにフラッシュバックする。

 

 そして、あの血に塗れた四月一日の姿も、今もまだ瞼に焼きついていた……。

 

 

 

 

 啜り泣きや咽びがむせ返る裁判場。

 その中で白河は俯いたままの天馬に歩み寄る。

 

「天馬さん。四月一日さんが処刑される前の“あれ”は、あなたの才能のせいですか?」

「あれって……?」

 

 白河が大きなモニターを一瞥する。

 

 それは先程の……動機の映像が流れたことだろう。

 彼女にとっても予期せぬ出来事だということは、彼女の反応からすぐに察することができた。

 天馬はしばらく腕を組んで目を伏せていたが、やがて静かに息を吐いた。

 

「……マナクマ側のミスだと思いたいけど。でも、あんな高らかにオシオキを宣言した後で、映像を流すなんて思えない。だから、あれは私のせいだと思う」

「私もそう思います」

「ごめんなさい。油断してた」

「ゆ、油断って……おめーの不運と注意不足はカンケーねーだろ!?」

「そうなのかな? でも私はそういう人間なんだよ」

 

 きっぱりとそう言いきった天馬に、萩野は「うぐ」と苦い声を漏らしていた。

 俺も思わず、彼女の横顔を凝視してしまった。

 

 同情してほしいとも、理解してほしいとも思わない声色。

 ただ息をするように「私は天馬陽菜だ」と同じリズムで彼女はそう言った。

 

「私は学園に入れた大きい幸運を、不運で支払わないといけないみたい……だって、それが超高校級の不運って言われる理由なんでしょう?」

「へえぇ? じゃあ、この学級裁判も……そもそも僕らが閉じ込められたのも君のせいなのかなあ?」

「ちょっと!? アンタ、全部、天馬ちゃんのせいだっつーの?」

「そうは言ってないだろ。ただの憶測なんだけど? それにアイツが不運って認めているからさあ。第一、映像が同じだって、そこの女はどうして言わなかったのかねえ」

「四月一日さんも、あの映像だって知らなかったから。それに、あんな状況で四月一日さんに追い討ちをかけたくなかった」

「で、でも、たしかに賢明な判断だとぼくも思うよ。あそこで『一緒だよ』って言うのは、マルキ・ド・サド並にイジが悪いとしか言えないからね!」

「ふん……イジワルとサディストは別だろ……」

 

 天馬は四月一日のためを思って映像のことは黙っていたかったのだ。

 彼女のプライドのために。

 せめて、生きている間は、優等生としての誇りを汚さないために……。

 それなのに、あんな不運で……。

 

 

 

 いや、本当に不運なのか?

 

 

 

 だって、そもそもの発端はすべて……

 

 

 

「天馬のせいじゃない。誰のせいでもないんだ……そもそも、この事件だって全部マナクマのせいじゃないか。だから……俺たちは誰も悪くはないんだ」

「そ、そうだ。そんなのあったりめーじゃねえか!」

「こんな状況に追い込んだのはマナクマだもの。絶対に許されないわ」

 

 俺の突発的に発した叫びに、すぐさま萩野や紅は賛同してくれた。

 

 

 だけど……。

 

 

「ったく、甘いなあ、原生生物ならではの甘ったるさだねえ? 裏切られて死んだ女優さんの気持ちも考えてみろよ。マナクマが全部悪いとは言えないだろ。僕は……死んだとはいえ、あのクソ女を許すことはない。絶対にだ」

「は、はむう、そ、それはさすがに言いすぎなのだ! だって四月一日っちは……で、でも……あううう、もうわけわかんないよ……! あたしたちどうなっちゃうの……!」

「そもそも吾輩があんなものを藤沢に渡したせいだ……彼女を止められていれば、このような事件を避けられることぐらいはできたはずだ……」

「ううう……こんなんじゃ、なにを信じていいのか分からなくなってきちゃったじゃない……!」

「み、みなさま! 自分を追いつめてはならないのでございます!」

 

 四月一日に対する憎しみに近い感情。

 周囲への疑念と底知れぬ恐怖。

 ふがいなかった自責。

 迷いと焦燥。

 

 今まで築かれていた絆が、いとも簡単に綻び始めていく。

 

 

 ……でも、こんなの違うんだ。

 

 

 言い切れる根拠はないし、確証もまったくない。

 

 

 だけど、こんなことは……!

 

 

「み、みんな、よしてくれ! だから、マナクマが全部悪いんだ! アイツのせいで四月一日や藤沢が……っ!」

「とにかく今日は休みませんか。裁判にせよ、今の現状にせよ、ここに残っていてなにか変わると言うことはなさそうですからね。一旦、戻りましょう……七島さん、あなたは相当お疲れでしょうからね」

 

 俺の言葉はまたしても白河によって遮られた。

 彼の言葉によって、今までの思いがさっと冷えていくのが分かった。

 白河は全員の顔をざっと見渡し……特に俺の顔は穴が空くほど見つめられた。

 

 

 

 ――今の状況では、ムダな言葉ではないですか?

 

 

 

 そんなことを、今にでも言いそうな顔立ちだった。

 

 白河は踵を返し、さっさとエレベーターに足を運ぶ。

 そして、彼に続いて一人、また一人とエレベーターに吸い込まれていく。

 俺も引きずるような足取りでエレベーターに乗り込んでいた。

 

 こうして、俺たちはもう二度と訪れないことを祈りながら裁判場を後にした――

 

 

 

 

 

 部屋に着くまでの記憶は曖昧だった。

 まるで屍として生きているような。

 脳が死んでいるのか、生きているのか。分からないまま歩き続けていた感覚だった。

 俺は気がつくと部屋で、椅子に座り、机に置いた半紙を食い入るように見つめていた。

 もう、書ができあがっていた。

 

 書く気は起こらなかったはずなのに、俺は硯箱を開けていた。

 なにを書いてたというんだろう。

 

 

 

  いく千たび

 

  水の田芹を

 

  摘みしかは

 

  思ひしことの

 

  つゆもかなはぬ

 

 

 

 書きあがっていた書は、『更級日記』に出てきた歌の一つだ。

 何度も苦しくて意味もない芹を摘むような苦労をしてきた。

 しかし、思ったことが叶うことはなかった……。

 

 目を閉じると、裁判の風景がまざまざと目の奥でまた繰り広げられる。

 疑問、弁護、防衛、絶望――

 様々な色が混ざり合って、最終的に黒く染まっていく。

 

 

 ……俺たちのやってきたことは意味のないことだったのか?

 

 藤沢も、四月一日も。

 彼女たちの死も。

 俺たちが出した答えも。

 そもそも、ここで出会ってしまったこと自体も。

 

 

 裁判が終わっても、まったくスッキリしない。

 それどころが気持ちはずんと重くなっていく。

 終われない。そして始まれない。濁った停滞。

 

 

 だれも悪くない。

 マナクマが全て悪いとは思えない。

 みんなが信じられない。

 事件を避けられたはず。

 なにが本当か嘘なのか。

 

 

 なあ、どれが正解だっていうんだ?

 それとも、全部、すべてが。

 

 

 

 

 

「なにもかも、ムダだったのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『悲観的にとらえてしまうと、なにもできなくなってしまう』

 

 

 

 

 思わず目を開けた……今の声は誰だ?

 俺じゃない、あの懐かしい声は。

 最初の頃に会った頃の彼女。

 折り目がきちんとしたスカートで背筋が伸びて凛とした―――

 

 

『なにごとにも、前向きに取り組んでくれ。そして、苦しいことがあったら必ず私に相談してほしい。どんなことでも誠心誠意に協力することを誓う。 たとえ、小さな悩みでも決してバカになどしない。だから、みんなも協力を頼む』

 

 

 そして、あの時に見せてくれた優しい笑みが投げかけられる。

 脳裏に浮かぶ彼女の姿があったが、目を開けるとすぐに消えてしまう。

 

 

「ああ……」

 

 

 感嘆がこぼれていた。

 

 藤沢も四月一日も人間だったんだ。

 人間だからこそ、殺人が起こってしまった。

 だけど、人間だからこそ――もう一回、やり直せるはずだ。

 悲観は必要だが、必ず、前を向かなければならないんだ。

 

 その前には、正解もなければ、無駄なこともない。

 

 

 あるのは、現実だけだ。

 

 

 だけど。いや、だから今度こそ。

 

 

 

 

「生ききるんだ……みんなで」

 

 

 

 これが、生ききれなかった女優としての“藤沢峰子”の希望だとしたら。

 

 これが生ききれなかった優等生としての“四月一日卯月”の希望だとしたら。

 

 

 

 

 

 俺たちは生き延びなければ。

 

 

 

 

 

Chapter1 イキキレナイ 完

 

 

イキノコリ:14

シボウ:2

 

 

 

『新版:ユビキタス手帳』を手に入れた!

 七島が四月一日へ渡したコンパクトサイズの手帳

 死に至る間までの彼女の記録が赤裸々に残っている

 

 

 

 

 

To be continued……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Chapter2 罪は深き叫べよ男と女
(非)日常編 裁判翌日の波乱


 

 

 

 

 

 

Chapter2 罪は深き叫べよ男と女(おとめ)

 

 

 

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 

 

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 

 

 

 椅子からおもむろに立ちあがった。

 ……が、思わず足がもつれて倒れてしまいそうになる。

 

 結局、一睡もできなかった。

 さすがに疲れていたので転寝はしていたのかもしれないが、寝た心地はまったくない。

 重い頭をさすりながら食堂に向かうと、ほとんどの人が集まっていて着席していた。

 

「……萩野、おはよう」

「お、おう。遅いじゃねえか。また着れるYシャツ探しに手間取ったってか?」

 

 萩野は最初はぎこちなく笑みを浮かべていたが、また視線を落としてしまった。

 芸術作品だって同じだ。

 完成は程遠いのに、壊すのはあっけない。

 壊れてしまった日常を復活させるのは苦労するだろうことが今、この場の空気から嫌でも感じ取れてしまう。

 

 今いるのは、萩野に天馬。ランティーユに大豊……やっぱり、俺が数えると遅い。

 一目見ただけで把握できた四月一日の才能は凄いものだ。

 磔にされた血塗れの身体を思い出して、また前頭葉がずんと重みを増した。

 彼女たちを思い出すたびに、このようなことが何度も起きてしまうのだろうか……?

 

 

「諸君よ。いつまでテーブルだけを見つめる人生を送るのかね?」

 

 

 唐突に、マグカップを片手に持った円居が口を開いた。

 絆創膏を貼りつけたままの左手で、眼鏡をくいと押しあげる。

 裁判場で見せた背中の曲がった落ち込みようから一転して、ぴんぴんしている。

 彼の言った「立ち直りは早い」とはこのことだったのだろうか。

 

「ア、アンタみたいな、イカレ科学部に今後のことなんて聞かれたくもなかったわ……」

「まあまあ、そう言うな! よく案ずるより産むがやすしと言うだろう? 悔しい気持ちは痛い程理解できるが、あれこれ悩むよりも、行動を起こすべきだとは思わんかね? まず我々はなにをすべきなのか。では、答えていこうではないか」

「これ以上、コロシアイを起こさないこと。一番はこれだと思う」

 

 天馬の言うことに、みんな顔を見合せながらもゆっくり頷いていた。

 恐る恐るであったり、本当にそう思っているのか分からない人もいるが……いや、こんな疑心暗鬼になっていてはダメだ。

 それこそ、また悲劇が起こってしまう!

 

「もちろんそれは第一条件だな。では二つ目はいかがかね?」

「マナクマは何者なのか。希望ヶ峰学園は一体どうなってしまったのか。それを探るべきですね」

「私もそれに賛成よ。私たちの持っている情報量は明らかに少なすぎるわ」

 

 白河の意見に、紅も同調する。

 

「では、そのためにはなにをすべきか? それには、やはりアクションを起こさなければならないのだよ」

「そ、そうは言うけれど、もう誰も指示してくれる人いないじゃないの……私、これじゃあ、お荷物じゃない……どうすればいいのよ……!?」

「おめーは指示待ち人間かよ!?」

「指示できる人なら、白河くんがいいんじゃないのかねえ?」

 

 そう言ったのは、手に豆をのせて鳩に餌付けをしている十和田だった。

 ……って、あれ?

 

「『白河くん』ってどういうことだ?」

「たしか私は妖怪クラゲと呼ばれていたはずですが」

「君の考えはキライじゃないから、ぎりぎり合格点。今日からは人として扱ってあげる。ありがたく思えよ?」

「は、はぁ……それはどうも。恐縮です……」

「超高校級の清掃委員ってバカにしてたけどさ。マジックの練習後の掃除とかで便利そうだよねえ。それにさ、裁判の時なんか悪くなかったよ。この場をまとめるんなら、彼がいいんじゃないかなあ? 水槽の藻以下の奴らの中ではさ、ぎりぎりまともだろ」

 

 つまり、白河は妖怪クラゲから昇格したということか。

 たしかに、まともだけど掃除に口うるさいのが俺にとっては困るんだよな。

 

 それに、裁判時は頼もしかったのは本当だけれど……。

 あまりにも落ち着きを払いすぎている姿は、少しだけ薄気味悪さも感じてしまった。

 どうして、あんなにも冷静に……今まで信頼してきた仲間の四月一日を牽制できたのだろうか。

 

「ちょっと待てっつーの、ラードボール!」

 

 だが、そんなやりとりの中で真田が勢いよく立ち上がる。

 アイラインが強く塗られた目がキッ、と吊り上がっていた。

 

「なんだよ、ぬりかべ厚化粧」

「ぬ、ぬりかべって!? リーダーは白河よりも、もっとピッタリの人がいるでしょーが! 紅ちゃんだよ!」

 

 真田がそう言って、紅を指さした。

 指名された紅は黙って彼女の話に耳を澄ませているようだ。

 そんな中、黒生寺が腕を組んで目を瞑りながら鼻息を鳴らす。

 

「ふん……どっちもどっちだ……力不足だろ……」

「はあ!? あんたマジでNWN?」

「寝不足わんこそばヌードルだと……?」

「“なんにも、わかって、ない”! ここにいる男子は全員リーダーに向いてないからハンタイ! 白河はガサツっていうより細かすぎるからダメ! 変なトコロにまでシンケー使ってこっちも余計イライラしちゃうでしょ!」

「あたしも紅っちがいいな! 白河っちよりもおっきいもん!」

「ウィ! マドモアゼルが言うなら、ぼくもマダム紅に一票!」

 

 ランティーユは完全に金魚のフン状態だな。

 それでも渦中の紅は黙ったままで動きを見せない。

 

 

「へえ……? 男がリーダーに向いてないなら、あいつはどうなんだよ? “前までリーダーぶってたヤツ”はさあ」

 

 

 前まで、リーダーぶっていた。

 たった一言で、軽快だった言い合いの空気が一気に冷え込む。

 眉をキリリとさせた真田は一転して真顔になった。

 

「っ……! ア、アンタ、四月一日ちゃんの悪口まで言うつもり……!? ふざけんなってのっ!!」

「……ふざけてる? あのさ、ふざけてるのはどっちか脳みそ絞って考えれば、すぐにハッキリするはずだけどねえ。女優さんの命を奪った挙句に、僕らを皆殺しにしようとした張本人。まさか、もう忘れたのか? 君だって、あいつに裏切られてるクセに、まだ『仲間』とか『友だち』だと思ってるんだあ? 脳内幼児向けアニメなのかなあ?」

「そ、それは……っ」

 

 勝気な真田も口ごもってしまった。

 彼女を慕っていた真田にとっても複雑のようだ。

 十和田は嫌味な笑みを満遍なく顔に浮かべていたが、瞳の奥からギラついた憤怒の視線を投げかけていた。

 

 “殺人者”……。

 四月一日が藤沢を殺してしまったのは事実だ。

 でもさすがに、十和田の言いようは極端じゃないか。

 

 だって四月一日も、仲間だったんだ。

 助け合ってきただけではない。一番積極的に発言してみんなのために一生懸命だったじゃないか。

 すべては、あのマナクマの動機が原因にすぎないんだ。

 そんな中、大きく舌打ちをしたのは黒生寺だった。

 

「うるせえ……なんにせよ、俺は束縛されるのはごめんだ……これ以上、喚くならブッ殺すぞ……」

「うわあ。このゴキブリ野郎、まだそんなヤバンなことを言うんだねえ?」

「やめてください、二人とも。空気が淀みます」

「やめさせてほしいなら俺を殺せばいい。殺せるものならばな」

 

 唐突に、黒生寺は椅子を蹴飛ばして立ちあがった。

 そして、あのBB弾銃が手に握られ俺たちに向けられていた。

 俺は――いや、毒づいていた十和田も、あのケンカっぱやかった萩野ですら軽く息を飲んでいた。

 すぐさまBB弾銃は降ろされたが、黒生寺の鋭く、真っ黒な眼差しは止まない。

 

「だいたい甘すぎるんだ、てめえらは……どんな世界でも人は死ぬってことを知らないのか? 命を守れないヤツはさっさと死ぬ。それは当然のことだ。理不尽に死なないだけまだマシだろうが。百戦錬磨がなんだか分かってない、てめえらに言っても無駄だが……俺に命や倫理の説教をする時点でアタマがおかしいな……イヤなら殺せ。殺しがイヤなら、俺にいちいち指図すんじゃねえ……」

 

 それは、威嚇するサソリの姿だった。

 黒生寺のオーラや殺気が一段と濃くなったように感じられた。

 

 

 

「あなたのことはイヤじゃないわよ。それに私たちは、あなたの倫理や考え方を正したいわけじゃないもの」

 

 

 黒生寺の強大なオーラに対して立ち向かった……いや、口を開いたのは紅だった。

 彼女は冷静に、それでも神経を尖らせているようでもなく、「お喋りをしたい」と言わんばかりの口ぶりだった。

 

「私がリーダーになるかならないかは、みんなの意見に任せるわ。けれど、これだけは言わせてちょうだい。まずは、黒生寺。好き勝手するなら勝手にしなさい。でも、マナクマのルールに適応しなければ、どんなに警戒心が強いあなたでもマナクマには敵わない。それだけは忘れないで。それに真田も。女性のために努力しているのは分かるけれど、性別で優劣を決めつけるのは、女性のために……いいえ、あなたのためにもならないわ。十和田も、人の神経を逆撫でる物言いは控えたほうが身のためね。ケンカで怪我するのはイヤでしょう?」

「うっ……ご、ごめん。ちょっとヒートっちゃった……」

「チッ……」

「げえ。三割も当たらない占い師みたいなアドバイスどうもでーす」

 

 真田はだいぶ落ち着きを取り戻したようだ。

 十和田も露骨にイヤそうな顔をしていて相変わらずの反応だが、それ以上の言葉は飛び出してこなかった。

 そして、黒生寺も舌打ちをしたものの乱暴にまた座り直した。

 やはり彼もマナクマには敵わないと悟っているようだな。

 

 静かに正してくれた紅に、白河も安堵の表情を見せていた。

 

「紅さん、お見事です。やはり指揮者であるあなたのほうがリーダーに向いているのでは?」

「リーダーね……でも、指揮者だけじゃ音楽は作れないのよ。それと同じ。私は一つ一つの『個性』がぶつからないように整えているだけ。そもそもリーダーが偉いっていうのはおかしな話だわ。この学園生活では、まとめ役も含めて、みんなで高め合うべきよ」

「では、こうしましょうか。今のところは二人でまとめましょう。それでいいでしょうか?」

「……まあ、勝手にすればあ?」

 

 黒生寺を少しだけ一瞥して、十和田はギンバトの頭を撫でている。

 とりあえずは終息はした、ということでいいのか。

 

 

 

 

「み、みなさま、みなさま~~っ!!! タイヘンタイヘンでございます~~~っ!!!」

 

 

 

 

 険悪な空気の終息と同時に甲高い声が響き渡った。

 扉から慌ただしい足音を鳴らしながら、食堂に飛び込んできたのは……魔法少女の角だ。

 「大変」と言う言葉に反応して、思わず俺は身震いをしてしまった。

 と言うか、角は来ていなかったんだな。

 

「チッ……今度はなんだ……」

「は、はひい、そ、それがでございますね。あのですね。そのですね。ああっ、黒生寺さま! おはようございます! 今朝はとても天気がよろしゅうござい……あ、天気は分かりませんでございますね!」

「早く言え……喉ぶち抜くぞ……!」

「は、はいっ! あの、芙蓉が今しがた確認したところでございますと、本校舎のシャッターがあがって、二階にあがれるようになっていたのでございます! それに一階のお風呂も開放されていたのでございます!」

 

 

 一瞬の沈黙。

 

 

「あ、そっか。学級裁判が終わると校舎の一部がカイホーされるって……あれってマジな話だったんだ?」

 

 真田が少しだけ困ったような笑みを作って、毛先をくるくると弄んだ。

 それも、やはり“あの事件”と踏襲されているのか。

 本校舎の二階か。たしかあそこには……。

 

「トレーニングルームにプールだな! これで思いっきり体は動かせるぜ!」

「と、ととと、図書室……!」

「科学室も忘れてはいけないぞ! と言うかさっきの流れだと、吾輩もリーダーの候補としても入ってもよかったのではないのかね?」

「あと、ロッカールームもあったかな」

 

 彼らのいうとおり『トレーニングルーム』・『プール』・『図書室』・『科学室』・『ロッカールーム』――そんなラインナップだったはずだ。

 図書室が利用できるということで、錦織は今まで見たこともないほど浮足立っている。

 瞳が官能的で怪しげになりながらも、赤面している……よ、喜んでいるのだろう、きっと。

 

「そうと決まれば早速トレーニングだ! 体を動かして吹っ切れさせなきゃな!」

「ようし! あたしも走りまくるのだー!」

「ぼくもマドモアゼルのトレーニング姿を、すみずみまで鑑定させてもらうよ!」

「ふははは! 科学室は吾輩のホーム! カルメ焼きが作り放題だな! しばらく籠らせてもらうぞ!」

「わ、わわわわ、私も、むふふふ、そ、その、と、図書室に……」

「錦織ちゃんトリッパーしてる? うーん、なんかインスピレーションわくもんないかなー」

「私も二階に行かせてもらいます。まずは掃除をしなければ!」

「そうね。私もちょっと二階を探索してくるわ」

「つまらん……俺は寝る……」

「はあ、つまんないのは同感だなあ。一部のヤツらにしか楽しめないところばっかじゃん」

 

 そう言って、ぞろぞろと食堂からみんなが去っていた。

 さて、俺はどうしようか。萩野といっしょにトレーニングルームに行ってみようか?

 でも、よく俺も萩野と一緒にトレーニングを手伝ったことがあるが、すぐにぶっ倒れてジャマになってしまっただけだったからなあ……。

 

 

「ねえ、七島くん」

 

 

 肩をとんとんと叩かれた。

 振り向くと、天馬がじっとこちらを見つめていた。

 彼女の隣には、眉間にしわを寄せていかにも悲しそうな角も。

 

「ど、どうしたんだ2人とも。二階に行かないのか?」

「あの、七島さま。あちらは……」

 

 角が視線を投げかけた先には……。

 テーブルで転寝しているかのように顔を覆って俯いている人物がいた。

 

 

 

 それは――。

 

 

 

 

「井伏、さま?」

 

 

 

 恐る恐る角が近づいて、俯いたままの井伏に向かって声をかける。

 その声に反応して、おもむろにその顔が明らかになる。

 目元が腫れあがっていて痛々しく、思わず息を飲んだ。

 トレードマークのサンバイザーも外していて、俺の知らない別人のようだった。

 

「い、井伏、大丈夫か?」

「ああ……ははっ、七島くんに、天馬さん。角さんも……うん、俺、大丈夫……なのかな?」

「どうしたんだよ井伏。お前らしくないぞ」

 

 あんなにいつも楽しそうな笑顔で、明るかったのに……。

 俺は彼の顔を覗き込もうとする。

 

 

 

「……四月一日さんも、藤沢さんもいなくなっちゃったから」

 

 

 

 だが、二人の名前が出てきて手が硬直する。

 いつも笑っている井伏。今でも笑みをゆっくりと作っている井伏。

 しかし、その笑顔がいつも以上に無味乾燥だった。

 

「昨日まで2人ともここにいたよね? あの2人は俺だけの幻なんかじゃなかったよね? ……全然リアリティがないっていうか。どっからどこまでが本当だったらんだろうって。今も夢なのか現実なのか……あはは、俺ってば変なこと言ってるね……」

「井伏……お前の気持ちは痛いほどわかるよ。だから、今はゆっくり休めばいい」

「でもさ……俺、足手まといになってるよね? みんなは立ち直って前を向いてるのに、俺だけ……ははは、情けないな。黒生寺くんも言ってたように、このままじゃ俺はやられちゃうだろうな」

「そう見えているけど、みんな心は同じだよ。回復の時間や方法が違うだけ。井伏くんは今は思いっきり悲しんで、それから考えればいいと思う」

「いつでも芙蓉たちは相談にのるでございます! だから、心配はノープロブレムでございますよ井伏さま!」

「……はは、ありがとう。女の子に元気づけられるなんてね。は……はっ……そうだね、がんばらなきゃね……うん。笑顔笑顔……っはは……」

 

 

 そう言って井伏は微笑んだまま、また顔を隠してしまった。

 

 超高校級という生徒は、どうしても個性が立って我を押しやすい、と授業で学んだことがある。

 でも、井伏はどちらかといえば超高校級の生徒の中では珍しい、気を遣うタイプの人間なのだろう。

 本当に絶え間なく笑顔を見せているのは、相当疲れることだ。

 きっと相手のためを思って無理をしているのかもしれない。

 

 相手のことを思ってどうしても、我が張れず、苦しんでいる。

 今、俺たちがとやかく言っても逆効果かもしれないな……。

 

「井伏さまは今は休養期間でございますね。どうかご自愛を……それでは、芙蓉も二階の探索に行ってまいりますでございます」

 

 そう言って、ふわふわとスカートをなびかせながら角は去って行き、天馬と二人きりになった。

 もちろん井伏はいるけど完全に突っ伏していて話の輪には入ってくれなさそうだ。

 

 ……そう言えば、朝食の時、天馬の周りには人が少なかった。

 萩野も天馬と目を合わせるのをためらっていたような。

 

 

 

『私は学園に入れた大きい幸運を、不運で支払わないといけないみたい……だって、それが超高校級の不運って言われる理由なんでしょう?』

 

 

 やはり、彼女の言ったこと……あるいは動機の映像が流れてしまったことが原因なのか。

 彼女の不運に巻き込まれたくないから?

 不幸になりたくないから?

 

 ……それでも天馬はいつもの物静かな横顔を見せていた。

 

「なあ、天馬は大丈夫か?」

「七島くんは?」

「……あの、質問を質問で返すのはよくないぞ」

「うん、知っている。私は平気だよ」

「本当か?」

「私まで悲しい表情をしてたら、それこそみんな不幸になっちゃうから。せめて私は元気でいたい……そういう意味で立ち直りは早いほう。多分だけど」

「強いんだな。天馬は」

「うーん、そうなのかな」

 

 そう言って、天馬は首を傾げていた。

 相変らず雲をつかむような、ふわふわとした言動だな……。

 

 

「……それで、私の質問の答えは?」

「ん? あ、ああ、俺は元気だよ」

「でも、クマができてる」

 

 ……えっ?

 天馬にそう言われて、目元に指を当ててしまった。

 彼女がコンパクトミラーをポケットから取り出してくれた。

 鏡を取り出して、彼女は少しだけ顔を曇らせる。

 

「割れちゃってるけど」

 

 天馬が見せてくれた鏡には、蜘蛛の巣が張られたように亀裂が入ってしまっていた。

 でも、彼女の言う通りで、反射された俺の目元には薄汚れたクマが浮かび上がっていた。

 

「寝不足?」

「いや、そんなに眠くないよ。なんていうか……書道で寝食忘れて没頭することはマレじゃないから。慣れてるっていうか」

「でも、なんか見ていて不安になる」

「そ、そうなのか?」

「だって不健康は不運を招きやすいから」

 

 端的ではあるが、なんとなく天馬が言いたいことは分かった。

 

「とりあえず、気をつけておく。なるべく睡眠は取るから」

「うん、そうしてね。私はしばらく食堂にいようかな……私もずっと食べてなくて。……どんな時でも、おなかって空いちゃうものだね」

 

 そう言って、天馬は調理場に向かって行った。

 包丁とかで怪我をしなきゃいいが……さて、俺はどうしよう。

 そう言えば、銭湯も開放されていたって言ってたっけ?

 ……ちょっと行ってみるか。

 

 

 

 

 

 一時間近く、俺は広い湯船に入って体を落ち着かせた。

 実のところ、希望ヶ峰の銭湯は行く機会がなかったため、なんだか新鮮に思えた。

 広い風呂に入るのも悪くないな……。

 

 幸い、誰も来なかったし、ここには監視カメラもさすがについていないので、行儀悪くも湯船で泳ぐこともできた。

 念願だった風呂で泳ぐという夢が叶ったので、ちょっとだけ心が軽くなった気がする。

 やはりネガティブになっていては、なにもできないというのは正しいことなのかもしれない。

 

 

「……あれ?」

 

 

 風呂から出て脱衣所で、半開きになったロッカーが目に付いた。

 その中を覗くと、中には黒い“ノートパソコン”が入っていた。

 手に取って開けて電源をつけてみると稼働はしたが、パスワードを求められた……当然わからない。

 パソコンの表面には『HPA95PC0001』という通し番号と学園の校章が記されたシールが貼られている。

 

 得体が知れないが、なにか有益な情報が入ってそうだ……まずは信頼できる萩野に話してみようか。

 

 

 

 本校舎に向かい、シャッターが取り外されて二階にあがれると確認ができたところで、早速階段を駆けのぼる。

 一段、一段と踏みしめるたびに、ふんわりと甘い匂いが漂ってきた。

 砂糖のような……なんだろう?

 

 二階に辿りついて、辺りを見回した。

 匂いの元は、ここからだろうか?

 そっ、と半開きの扉から部屋の中を覗くと……

 

「また一人、かかったな。トラップ・オブ・マドイに!」

「うわっ!」

 

 中からの円居の声で、思わず声を上げる。

 甘い匂いの原因は科学室だった。円居が大きな机の近くに立っていて、近くの椅子に萩野が座っていた。すぐに俺のことに気づいて軽く手を振ってきた。

 俺も萩野の隣に座ると、彼はすん、と鼻を鳴らした。

 

「おっ、プール……じゃなくて風呂だな? ふけとりシャンプー以外の匂いがすると思ったぜ」

「悪かったな。いつもふけとりシャンプーで」

「そう言うなよ。俺だって使ってるしさ」

 

 軽口を叩きながら萩野は覗き込むように、胸に抱えたパソコンを凝視する。

 

「ん? なんだよそれ。おめーのか?」

「ああ、風呂場にあったんだ。希望ヶ峰学園のノートパソコンらしい」

「マジかよ!? めちゃくちゃ怪しいな!?」

「でも、ロックがかけられてたから中身は確認できないんだ……萩野、できるか?」

「…………あのな。たしかに頼ってくれるのは嬉しいけどよ、そーいうのボクサーの俺に聞くんか?」

 

 だよなあ……。

 気軽に相談できるのはいいが、彼がこの問題を解決できるとは俺も思えなかった。

 円居とも目が合ったが、彼はおおげさに肩を竦めた。

 

「あいにく吾輩も機械は専門ではないので無理だぞ! レポートも未だに原稿用紙で仕上げているぐらいだからな!」

「すげーアナログ人間だな……」

「ふははは、時代の逆走だな! これもまた愉快なことよ!」

 

 円居は愉快気にまたしても笑った。

 それにしても、科学室も同じく書道家には馴染がなく新鮮で、思わずぐるりと辺りを見回す。

 フラスコやビーカーはもちろん、なにに使うのかは到底知りえないような図体が立派な機材が揃えられている。

 そして部屋の奥には出口とは別に“鉄製の扉”があるけれど……

 

「なあ、円居。あの扉はなんだ?」

「吾輩の記憶が正しければ、“科学準備室”だぞ! あいにく鍵がかけられていたのだがね」

「ったく、開かずの間ってワケかよ。マナクマの奴、なんか隠してやがんのか?」

「スライム形状のボスモンスターや、世界の半分を与えてくれるドラゴンが待ち構えているかもしれんな!」

「ねーよ! 科学室は魔王の城なんか!?」

 

 ツボにハマッたのか高笑いを円居は続けていたが……。

 しばらくして少しだけ目を伏せ、鉄製の扉を見遣る。

 

「まあ、あくまで吾輩が聞いたウワサなのだがね。実際、“代物”がある可能性は高いぞ」

「シロモノ……って」

「なにせ良くも悪くも天下の希望ヶ峰だからな! ご存じの通り、保健委員に薬剤師。神経学者にセラピストはもちろんのこと。神の手を持ち合わせた医者や、製薬会社の令嬢でもあったファーマシー……多くの理系、もしくは医療関係者が排出されてきたのだよ。特にOGの薬剤師を筆頭に多くの薬品が生成されて、今もこの学園に保管されているらしいからな。有名なのは、先ほどのOGが作った『身体強化薬』だな。これはすごいぞ! 一定時間、どんなひ弱な人間でもコンクリートの壁を粉砕できるほどの圧倒的な筋力と破壊力を即時に手に入れられるのだ!」

「なんじゃそりゃ!? マンガかよ?!」

「あくまでウワサだがな。でも吾輩は信じているがね! とにかく、この学園の科学準備室は魔境だ! 数千……いや、数十万を超える薬品が取り揃えられていることは確かだぞ! 浪漫に満ち溢れる薬はもちろんのこと、人を救える薬もあれば“その逆も然り”だ」

 

 救える薬の逆っていうことは……

 円居は伏し目がちに、無の表情で扉を睨みつけている。

 

「もちろん今、その答えを出すことはできない。一度、絶望によって破壊されたとは言えど、ここに残された薬の量は膨大だ。そして、多くの薬品が保管されている以上、『救済』と言う名の『劇薬』……そのようなものがあってもおかしくないと吾輩は考えているぞ…………なあに、もちろん仮説であって可能性の話だがね! ふはははは!」

 

 救済という名の劇薬――彼の珍しい低い言い方も相まって身が強張った。

 危険な薬もある可能性……か。

 

 一変していつもの不気味な笑顔に戻った円居はガスバーナーの調節をひょいひょいと行っている。

 廊下で歩いている時は、職務質問されかれない変質者を彷彿とさせるが、やはり科学室にいると学会で有名な教授の姿に見えなくもないかな。

 そんな彼の手には料理器具のオタマが握られている。

 

「って言うか……なにしているんだ?」

「俺は腹減っちまってよ。そしたら科学室からなーんか甘い匂いが飛び込んできて……お、できたか?」

「ああ、いっちょあがりだぞ!」

「えーと、それはなんだ?」

「なんと!? カルメ焼きを知らないのか! 人生の半分を塩酸で溶かしてしまったようなものではないか!? さあ、たんと食べるがいい!」

 

 それは言いすぎじゃないのか?

 円居から手渡された硬い物体……なるほど、これが散々言っていたカルメ焼きなのか。

 まんべんなくきつね色にこんがりと焼けているうえに、焦げた砂糖の匂いが鼻の奥に広がり食欲をそそった。

 早速一口、香ばしいカルメ焼きをかじってみた。なるほど、歯ごたえはあるが……。

 

 

 

 …………うっぷ。

 

 

 

 

「どうだ? おいしいだろう! ふははは! そうだろう、そうだろう! おかわりもあるぞ!」

「い、いや……甘すぎないか。これ……?」

 

 円居が身を乗り出しているが、俺は頷けなかった。

 口の中に甘ったるさだけが広がって、思わず顔の下半分を手でおさえていた。

 うう、あまりの甘さで舌が痙攣して感覚を失いそうだ……。

 

「おめー、クリスマスケーキにのってる砂糖菓子のサンタがキライなタイプなんか?」

「あんまり率先しては食べないな……」

「なんと、それは悲しき体質であるな……しかし、このなんとも言えない甘さこそが天国にいるような感覚にならないか? 吾輩にとってカルメ焼きは子どもの頃に飲んだ風邪薬のシロップのような夢心地みたいものなのだよ!」

「うーん、俺にとっては夢でもなんでもない甘さだな……」

「まっ。言ってみれば、ただの砂糖だしな?」

 

 思わず萩野と素直に感想を述べて顔を見合わす。

 その後に、円居に視線を戻すと……いつも海に揺蕩う船のような口の形が逆さになっていた。さながら転覆したようだ。

 ……まずい、言いすぎた。

 今の言葉はランティーユに対して、フランスパンをバカにしているようなものじゃないか。

 

「あっ……! い、いや、腹の足しにはなるかな」

「別にいいのだぞ、吾輩のゴキゲンを取らずとも。人は人、自分は自分だ。小学校の道徳で習っただろう? 最近の子供もそのような傾向があって、体験学習でカルメ焼きを作ってもまったくと言って喜んでくれなくてな。だからこの程度は慣れているのだよ」

「いや、悪かったって……ってか、最近の子供っておめー、いくつだよ?」

「……あれ?」

 

 萩野のツッコミの途中から、ばたばた、という足音が近づいてきていることに気づいた。

 それは科学室の前で止まり、開いた扉から飛び出してきたのは……。

 

 

 

「た、たたたたたタイヘンタイヘンタイヘンタイでございます~~~っ!」

 

 

 

 ひらひらとゴスロリのスカートがはためいている角だった。

 ツインテールも揺れて、息をふう、ふう、と肩を動かしながら吐き続けている。

 それにしても、今朝から角は忙しそうだな……。

 

「ヘ、ヘンタイって、どうしたんだよ! 脱いだのか? 誰が脱いだんだ!?」

「露出魔かね? 日本では主に春先によく見られる光景ではあるな!」

「ど、どうしたんだ、角」

「あっ、あの、しょ、食堂でっ! 黒生寺さまと、天馬さまが取っ組み合いのケンカになりまして……!」

「……んっ? て、天馬って?」

 

 天馬と黒生寺?

 通常ならあまり噛み合うことがない2人だ。

 黒生寺と十和田なら、まだ納得できるが……なんで天馬の名前がここで出てくるんだ?

 

「取っ組み合い、と言いますよりかは、天馬さまが一方的に不利な状況でございまして……とにかく今は応戦をお願いしに参りました! 食堂へ行きましょうでございます!」

 

 角に招かれるまま、俺たちは駆け足で食堂へと向かった。

 たしかに天馬はあの時、しばらく食堂にいるって言ってたけど。

 大変なことになっていないといいが……!

 

 

 

 

 

 

「止めんじゃねえ……ぶちかますぞッ!!!」

 

 

 

 

 食堂に着くなり怒声に出迎えられ思わず立ちすくむ。

 黒生寺は黒々とした太い眉をぎゅっと強く引きながら、今にも人を襲わんとするクマのように両手を振り回している。

 一応ランティーユに足を抑えられているが、あまり効果は無さそうで今にも振り切られそうな勢いだ。

 天馬は床にうずくまり、真田と大豊、白河が介抱している。

 

「天馬!」

「おわっ!? なんということだ!」

「お、おいッ!! なにしてやがんだおめー?!」

 

 俺と円居は天馬のもとに駆け寄って、萩野は黒生寺の元に一直線に掴みかかった。

 

「ああっムッシュ萩野、来てくれたんだね! 後は任せたよ! ぼくはマドモアゼルを守るから!」

「バカッ! おめーも手伝え!」

「離せ……ッ!! タンブルウィードみてえに転がされてえのかッ!?」

「んなことさせっかよ! おとなしくなるまで、ぜってーに離さねーからな!」

 

 萩野が思いっきり羽交い締めにすると、黒生寺の動きはぴたりと止まった。

 ランティーユも萩野に言われて、腰を低くして足を必死に抑えているが、今にも思いっきり蹴られそうだ。

 俺と円居は床にすっかりへたりこんでいる天馬に対して、すぐさま覗きこむようにしゃがんだ。

 

「天馬、一体どうしたんだ!」

「……ごめんなさい」

「謝るよりはまずは説明をしてもらいたいものだね! なにが、どうして、こうなったのか!」

「えっと、厨房でパンを物色した後に食堂に戻ったら、黒生寺くんがそこのテーブルで寝ていて……BB弾銃が手に握ってあったけど今にも落ちそうだったんだ。案の定、手から滑り落ちていったから、私、慌ててBB弾銃を受け止めたら……いきなり、パンッて音がして……」

 

 えっ? つまりそれって……?

 

「発砲したってことか!?」

「でも、私も銃の使い方なんて知らないし、触ったこともない。けど、黒生寺くんの手にBB弾が当たって……そしたら急に目の色を変えて掴みかかられそうになって……」

「幸いなことに、芙蓉とランティーユさま、大豊さま、白河さまもいたので、止めることはできましたのでございます。しかし、黒生寺さまの怒りは尋常ではなかったようで、それは物凄かったのでございます! それに、やはり人手は多いほうが思いまして、七島さまたちを呼ばせていただきましたのでございます」

 

 たしかに、人……というか萩野を呼んで正解だった。

 

「しかしBB弾が手に当たっただけで激怒とはな。瞬間湯沸かし器のような沸点の低さだな!」

「まったく、あんたの言うとーり……って、ウマいこと言ってないで、なんとかしてよ! あのままアイツを止めたままでも、なんにもなんないっしょ!?」

「たしかにそうだけど……って、白河はどうしたんだ?」

「白河っちは、くろなまでらのヒジテツを受けちゃって、ギックリ腰なのだ!」

「大豊さん誇張しすぎでは? その……少し腰を痛めただけです……」

 

 白河は天馬よりも参ったような顔で腰をさすっていた。

 まあだろうと思ったけど……だからと言って、俺が手伝っても萩野の邪魔だろう。

 それに、白河の二の舞になりそうだし……。

 

 

 

 

「黒生寺くん」

 

 

 

 ……え?

 

 

 突然、別の声が響いた。

 羽交い絞めにされながら今にも飛びかからんとする黒生寺の真正面に立っているのは……

 

 

 

「うおっ、井伏!? おめー、あぶねーから下がってろ!」

 

 

 緑のサンバイザーを着けた井伏だった。

 まさか、この食堂にずっといたのか?

 羽交い締めにしていた萩野もすぐさま動揺する。

 

「ふん……アルピニストか……てめえも俺を止めるつもりか……?」

「あ! それなら、ぼくとしては大歓迎だね! やっちゃってくれよ、ムッシュ井伏!」

「……ねえ……うよ」

「……あ? なんだ……? 腹から声出せ……」

 

 

 いやお前が言えたことじゃないだろ……。

 だが、井伏は俯いたままだった。

 

 

 

 

 

「ねえ。黒生寺くん、このままだと死んじゃうよ」

 

 

 

 

 死んじゃうよ。

 

 たったそれだけの言葉で食堂内は静まりかえった。

 足音も、布が擦り切れる音も。

 一切の雑音が、その言葉で一瞬消えてなくなった。

 

「俺が死ぬ……? そう言いたいのか……くだらんことを……」

「うん。そうだよね、黒生寺くんは強いから……でもね、このままだと不幸になっちゃうと思う。自分の命を守りたいのはわかるよ。登山も身を守ることが最優先だからさ」

「ふん……俺に説教するつもりか……」

「あははっ、まさか! でもね、自分ばかりを守り続けていたら、いつか必ずバチが当たるものなんだよ。俺のおじいちゃんがよく言ってたんだけど、ツケっていうのかな? 自分が可愛いあまり守れば守る分、誰かが傷つくようになっているんだ」

「ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねえ……てめえも殺されてえのか……」

「…………よ」

「……は?」

 

 

 

 

 

 

「ふふ……あははっ、うん。いいよ? それなら俺を殺してよ」

 

 

 

 

 ――バカな。

 そう呟いたのは円居だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……そうだ。最初からこうすればよかったんだ。俺はこれ以上、他の人が死んじゃうのは見たくない。だからさ。黒生寺くんの好きなようにすればいいよ」

 

 

 

 井伏は、いったいなにを言ってるんだ。

 

 

 井伏は落ち着きを払っていた。

 いや、むしろ――あの時、初めて会って親指をたててくれた時のような爽やかで屈託のない笑みを浮かべてるじゃないか。

 背筋がぴんと伸びて、今にも晴天の中で山登りに行くかのような。

 そんな井伏のゆったりとした息遣いが静寂な空気から伝わってきた。

 

 

「ぅおっ!?」

 

 萩野の軽い悲鳴がその静寂を切り裂いた。

 黒生寺が勢いよく腕を振り切って、萩野を思いっきり肘で突き飛ばす。

 「おおう!?」という情けない呻きと共に、ランティーユも黒生寺の蹴りが来る前に退けた。

 

 解き放たれた黒生寺は、ポケットからあるものを取り出す。

 彼が手に持っているのは……。

 

 

 

「っ……!? よしなさい黒生寺さんっ!!」

 

 

 

 白河が柄にもなく大声で叫ぶ。

 黒生寺の手に握られているのは、サバイバルナイフか!?

 使い古されているようではあるが、肌を深く抉りそうな禍々しい形状で殺傷力は間違いなくあるだろう。

 黒光りと共に現れ、井伏の頭上に振り下ろされようとしていた。

 

 

 

 

 

 ――これ以上、コロシアイを起こさないこと。

 

 

 

 

 

 

 あの時の天馬の声が脳に響いたと同時に、俺は――。

 

 

 

「お、おい、待て! 七島来るなっ!!!」

「ちょ、七島!? ダメだってばーッ!」

 

 尻もちをついた萩野の怒声が響く。

 それと同時に、真田の悲鳴に近い声も。

 

 

 気がつけば、俺は井伏と黒生寺の間に割り込んでいた。

 

 

 彼らの声は聞こえたが、表情はどうなっているのだろうか?

 背後にいる井伏もどんな顔をしているのだろうか?

 やはり、こんなときでも、彼は笑みを浮かべているのだろうか。

 なにも想像ができなかった。

 

 

 

 

 今は黒生寺の見下ろすような視線だけが、俺の胸に突き刺さっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……暗闇の中で、薬品の匂いが鼻を突き刺す。

 

 

 

 

 

 これは、病院の独特の不快な匂いだ。

 風邪の時の気だるい体と思考回路。

 

 ゆっくりと目を覚まし、まず最初に目についたのは天井で煌々と照らす電気。

 そして右隣には、白いベッド。

 そこで埋もれているのは、真っ白なシーツとコントラストとなった浅黒い……。

 

「って……こ、黒生寺?」

「お、おい、七島!」

「七島くんっ」

 

 黒生寺の姿を確認した時、今度は頭上から声が降りかかった。

 はたと見ると、萩野と天馬が俺を覗きこんでいて、二人の不安げな目と合ってしまった。

 

「バッカヤロウ! あれほど来るなっつっただろうが!」

「七島くん、よかった……けど、さすがに心臓に悪いよ」

 

 萩野と天馬の安堵と文句を浴びながら、ゆっくりと尻を浮かせて、体勢を腰掛ける形に変える。

 どうやら、ここは保健室のようだ。

 少し腰がじんと痛むが、それだけで特に痛みはない。

 そして、ぼんやりとした脳から様々な疑問が浮かんでくる。

 

「な、なにがあったんだ?」

「おめー、井伏の前に飛び出したのは覚えてるか? んで、黒生寺がナイフを振り降ろそうとしたんだけど……円居も足早ぇのな……」

「円居って?」

「あの時、円居くんも駆けだしていたんだよ。七島くんたちを押しのけて、自前の睡眠薬を黒生寺くんに嗅がせたみたい」

「なんであんなもんを持ってんのかは知らねーけど、あれがなきゃ終わんなかっただろうな……」

「円居が…………な、なあ、アイツは大丈夫なのか……!?」

「左手は怪我しちゃったけど、浅い傷で済んだみたい……私の次に怪我してるかもね、円居くん」

「言われてみりゃそうかもな。しかし、アイツも変についてねえよな」

 

 つまり、俺は円居に助けられたってことなのか。

 

 

 ……あれ?

 

 

「じゃあ、なんで俺は寝てるんだ?」

「おめー、それすらも覚えてないのか? 失神したんだよ。バッターンって後ろに倒れて後頭部直撃……ってか正直円居の怪我よりもおめーのほうが重症だったんだぞ!?」

「な、なんでだ?」

「ンなの知らねえよ! ちゃんと食事取ってなかったんじゃねえのか?」

「睡眠不足っていうのもありそうだけど……」

 

 珍しく天馬が俺に対してじろりと睨むように見つめてきた。

 呆れたような、心配のような。

 あの目つきで睨まれたら、後頭部がまた痛み始める……。

 

「そんなわけでぶっ倒れたお前を、俺と天馬で運んだってわけだ」

「ご、ごめん……で、この黒生寺はどうなるんだ?」

「一応、円居によると睡眠薬の効果は、個人差はあるけど5時間ぐらいらしいな。鎮静剤としての役割もあるみてーだから、大丈夫だとは思うぜ」

「ただ、私はあまり黒生寺くんと話さないようにって言われたけど」

「しかしよぉ……ケンカっぱやいってことは知ってたけど、コイツってあんなに短気だったか? なんだかんだフツーに過ごせてたじゃねーか」

 

 萩野が隣のベッドで熟睡している黒生寺を呆れたように一瞥する。

 でも、黒生寺は悶着を起こしやすいのは事実だ。

 十和田との仲は特に最悪ともいえるほどひどいし、生きている死んでる異性同性問わず、今朝に始まったことではないがすべてが乱暴だ。

 捜査や裁判の行動を見る限り、協調性もゼロに等しくマイペースで自分優先だ。

 元々、ガンマンというのは、ならずもののことを示すこともあるので、黒生寺もそのような類だったのだろうか。

 

 あのナイフを振り上げた瞬間の顔。

 それが、本来の黒生寺の姿なのかもしれない……。

 

「そう言えば、井伏は?」

「ああ。井伏は紅や白河たちが話を聞いているみたいだぜ。カウンセリングってヤツ? ……しっかし、なんであんなこと言ったんだろうな? 笑いのツボが変だけど、あいつも、あんなこと言うヤツじゃなかったよな?」

「井伏くんは、だいぶ精神的に参ってるのかも。白河くんたちの話も聞かないと分からないけど……でも、井伏くんだけじゃない。私たちが思っている以上にみんなの傷は深いかもしれない。黒生寺くんだってそうかも」

「おいおい、あいつの肩持っていいのかよ? おめーに襲いかかってきたんだぞ?」

「じゃあ、萩野くん。私が今、なにを思っているか分かる?」

「…………は、?」

 

 天馬の質問に、萩野はきょとん、と目を瞬かせた。

 

「……なんだいきなり。んなのエスパーじゃなきゃわかんねーぞ」

「うん。それだよ」

「……お、おいおい……だから、どういうことだ」

「私たちはエスパーじゃない。だから、みんなの気持ちは全部は簡単には汲み取れない。心は人それぞれ違うし、ある出来事の感じ方も、価値観も違うし、その表現も違う。だから、あの人はこういう人だから大丈夫とか、逆に危険って言うのは、ちょっと変だと思う」

 

 俺たちは、藤沢、四月一日の死を引きずっている。

 心の内ではまた進まなければと思いながらも、俺たちは堂々巡りをしているだけじゃないか?

 

 快活で人当たりがよく振る舞っていた藤沢の苦悩。

 みんなを導いてきた聖人君子ともいえた四月一日の怪物じみたプライド。

 どちらも学級裁判で知ってしまった一面。

 萩野も暗い目を伏せて考え込むように腕を組んでいた。

 

 

 

 その時、保健室の引き扉が開く音がして、俺たちはそちらに視線を注ぐ。 

 

 幽霊のような長い黒髪。

 萩野の肩が震えたが、あれは錦織だ。

 頭を下げたまま入ってきたが、俺たちの視線に気づいたのか。

 顔をあげると彼女は、「ひっ」と軽い悲鳴をあげた。

 

「な、なな、なによ、三人して保健室にいて……い、営み中かしら……?」

「んなわけねーだろ! って言うか、おめーこそ、なにしに来たんだよ?」

「わ、私はさっきから図書室にいただけよ……紙で指を切ったから、絆創膏をもらおうと思って来ただけで……も、文句あるの? 司書は青春やドッキリロマンスなイベントとは無縁だから保健室に来るなって言いたいのね……!?」

「お、おう……なんていうか……おめーはあんなことがあっても相変わらずというかなんというか……」

 

 萩野がひきつり笑いを見せると、錦織は慌てて視線を反らした。

 青白い唇に指先をあてて、なにか考え事をしているようだ。

 やがて、自信がないかのように背を丸めながら俺たちにおずおずと近づいてきた。

 

「ま、まあ……残念なぐらいな不運と……いちおう、同じ文系の書道家には、お情けとして情報を分けてあげても構わないかしら……?」

「錦織、どういうことだ?」

「さっき図書室で手に入れた情報のことよ……大した情報じゃないけど、私の頭を整理するためにもアンタたちに教えてあげようかと思って……」

「って言うか不運と書道家ってなんだよ? ここにボクサーもいるぜ!?」

「ア、アンタには言いたくないわよ……うるさいし、バカだし……せいぜいおまけで聞かせてはやるから、感謝しなさい……」

「サラッとストレートな悪口言ってんじゃねーぞ!?」

「錦織さん。情報ってなにかな?」

 

 天馬の促しとともに、錦織は改まって真面目な面持ちで息を吸った。

 

「まず学園の資料ファイルをかたっぱしに調べてみたわ……このコロシアイに関係する有益な情報はなかったけど……」

「あんだよ、そんな報告はいらねーぞ?」

「さ、最後まで聞きなさいよ、この生き急ぎボクサー! だ、だいたい、私のせいじゃないわ……向こうが情報を隠蔽しすぎなのよ……」

「インペーって、なんだよ?」

「隠されているっていう意味よ……」

「い、いや、それはさすがに知ってるからな!?」

「ふん……私たちに関する資料ファイルは、名前と肩書きが陳列されているものがあったわ。でも、それ以外のこれと言った詳しい情報は、ごっそりと消えていたの……」

「やっぱり、マナクマのせいか? 相変わらず卑怯なことを……」

「マナクマのしわざ……だけかしらね?」

 

 俺の言葉に反応した錦織は、少しだけ首をかしげる。

 そして、また考えるように唇に指をあてる。

 

「図書室にあるパソコンのデータ資料も調べてみたけど、情報はほとんど削除されていた……でも、誰によって削除されたかぐらいは分かったわ。ほとんどは本当に未明のIDによるもの……でも、数点の削除には“希望ヶ峰学園のID”も混ざっていたのよ……」

「錦織さん、それってどういう意味?」

「資料を削除したのはマナクマだけじゃない。希望ヶ峰学園側、内部の者が情報を撹乱……つまり消した可能性が高い……そう言いたいのよ……」

「お、おいおい。まさか学園がマナクマとグルっていうんじゃねーだろうな?」

「どうかしら……? 正直、結論を出すにはまだまだ情報が足りなすぎる……」

 

 そう言われてみれば、昨日の殺人事件の発端である動機……。

 あの映像もたしか、裁判の時に。

 

 


 

『思春期まっさかりのジャリガールが、別に見せるわけでもないのに下着に気を遣うようにさ、ボクも映像には細心の気を払ったのです。映像はもちろん、本物であることは変わりありませんけどね? でもさ、明らかに、映像がかぶっていたヤツいるんだよね……』

 

 

「映像がかぶったって、どういう意味なの? マナクマが撮ったものじゃないの?」

 

 

『あらやだ、奥さん知らなかったの? 今回の動機は、ボクが撮影したんじゃなくて、希望ヶ峰学園のコンピュータに入っていたのよ』

 

 


 

 

 ……“映像が希望ヶ峰学園のコンピュータ”にあった。

 この言葉が本物なら、マナクマと希望ヶ峰学園が密接につながっているとも言えなくない。

 むしろ、怪しすぎる。なら、このパソコンにも。

 

 眼鏡をいじっている錦織を見て、ふと、あることを思いついた。

 こちらの視線に気づいた錦織が、妖怪に出くわしたかのように、ひいっ、と小さな悲鳴をあげる。

 

「な、なによ……人のことジロジロと蠢く毛虫を見るような目で見ないで……!」 

「えっ!? ち、ちがうって……! あの、なあ、錦織ってパソコンは使えるか?」

「は、はぁ……? 私とチャットでもしたいの……?」

「いや、パソコンの操作が得意かどーかを聞いてんだろ?」

「……情報は本だけじゃないわ。データ化された情報も私の管轄ではあるけど……それがなに? あんたたちは、私をオタクと見立ててヒエラルキーの優越に満足したいの……!?」

「そ、そうじゃなくて! 希望ヶ峰学園のノートパソコンが見つかったんだ。そこに、重要そうなデータが入ってそうで……なあ、錦織、パソコンのロックは外せるかな? パソコンが得意なら、頼みたいんだ」

 

 「希望ヶ峰の……?」と言って、錦織の眉根は少し下がった。

 しかし、すぐに視線を落として、ゆっくりと頷いた。

 

「まあ……情報が入っているなら……で、でも、できなくても蔑むのは無しよ……!」

「わかってる。やってくれるだけでありがたいんだ」

「ありがとう、錦織さん」

 

 俺が差し出したパソコンを、賞状をもらうかのように錦織は受けとった。

 錦織は薄いノートパソコンを、しっかりと胸に抱きとめる。

 

「ただ、パソコンの知識自体はかじり程度だから……って、今バカにした目になったでしょ!? 情報を集めて組み立ててればロックぐらいは解けるわよ……!」

「マ、マジかよ。司書だからって、ちょっとバカにしてたけど、おめーすげーな。ハッカーにもなれるんじゃね?」

「や、やっぱりバカにしてたのね、このボクサー! どうせ私は薄汚いゲロ女で悪かったわね……!」

「うおっ!? まだおめー根に持って」

 

 俺は萩野の肩を思わず殴っていた。

 ここで、今、彼女の気持ちをどん底に落としたら、ノートパソコンを割ってしまいかねない。

 

「錦織、頼むよっ。お前しかいないんだ」

「わ、わかったわよ……補足として言っておくけど、私の情報の記憶はキャパシティ……要領の問題でほとんど一時的なものだから、かつての人工の希望のように才能を変えられるほどのものじゃない……いわゆる残念な司書なのよ……それに、ハッカーなんて大嫌い。物事には常に真実がつきもので、正しい情報こそが秩序を構成するのよ。それを乱す情報の改竄や隠蔽なんて、情報を扱う者としては絶対に許せない。だから…………このパソコンのデータは意地でも突き止めてみせるんだから……!」

 

 錦織の細い指はパソコンが今にも割れそうな勢いで力を入れているようだった。

 俺らを何故か睨んだ後、棚からむんずと絆創膏の箱を取り、そのまま颯爽と去って行った。

 それにしても、錦織がパソコンができるとは意外だった。

 それに、最後のあの迫力はすごかったな……。

 

「な、なんか今、初めて錦織って役に立つんだなって思っちまったよ。司書ってあなどれねえな」

「うん。錦織さん、カッコよかったね」

「でも、それにしてもよ。司書じゃなくても錦織って残念だな……黙っていれば、そこそこのヤマトナデシコなのに、自分をへりくだしやがって。謙譲語かよ?」

「うーん、その例えはどうなのかな?」

 

 でも、萩野の言いたいことは少し分かる。

 錦織は強かな黒髪で肌も白い。なんだか幽霊みたいだが、顔をあげて笑顔を見せれば和風美人だろう。

 問題はいつも不機嫌そうな顔をしていることと、被害妄想がひどいことだろう……。

 

 

 

 キーコーンカーンコーン……

 

 

 

 

『午後10時になりました。今から夜時間となります。一定の部屋にロックがかけられますので、すみやかにお部屋にお戻りください。では、よりよい青春のためにも! おやすみなさい』

 

 

 

 

 夜時間のアナウンスが鳴っても、黒生寺は微動だにせずシーツに埋もれていた。

 ……息はしてるよな?

 

 

「私たちは戻ろう。七島くん、立てる?」

「黒生寺はこのままでいいのか?」

「いいんじゃね? アイツも朝言ってたように自分の命は自分で守れるヤツだろうしよ。それに明日の朝に白河と紅が様子見るって言ってたしな」

「そ、その二人で大丈夫なのか?」

「しょーがねーだろ、こいつの場合は。白河たちで妥協しとこうぜ……」

 

 まったく、黒生寺は敵を作りすぎだ……。

 ぐうぐう寝ている黒生寺を傍目に俺たちは保健室を後にして、それぞれの部屋に戻った。

 

 みんなのいろんな思惑が渦巻いている……

 それでも、ゆっくりでいい……またみんなと協力しなければ。

 さもなければ、俺たちは、あの血の匂いを、裁判を繰り返してしまう……。

 

 

 

 

 まだじんわりと痛む後頭部を労わるように部屋に戻り、俺はさっさとベッドで眠りについた……。

 

 

 

 

 

 


 

 

『マナクマ劇場』

 

 

 ある日、ボクは小さい頃に、ダディと語り合ったんだ。

 この世に生きる喜びと悲しみのことを、ダディは小鳥にとどめをさしながら教えてくれたね。

 「どんなに悲しくても泣いちゃダメなんだ」

 そう言ってボクにアンクルホールドをかけながら、優しく言ってくれたね。

 

 やがて月日は過ぎて、今になってダディの言ってたことが分かるようになったんだ。

 だから、これからは、そんなに悲しくない時に思いっきり泣くことするよ!

 

 グリーングリーンラベル。今日も鮭がうまいね、ダディ!

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 委員会と自由行動

 

 

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 

 

 いつものようにアナウンスを聞いてから食堂に向かうと賑やかな声が聞こえた。

 まさか、また騒動起こってないよな……?

 恐る恐る覗きこむと、みんながテーブルに集まっている様子が見えてホッとする。

 

「おはよう。どうしたんだ?」

「うーっす、おはようさん。見ればわかるぜ」

 

 萩野に話しかけると、彼はテーブルの上にあった一枚の紙切れを「あれだと」言わんばかりにアゴを動かした。

 そこには、細かい手書きらしい文字が並んで書かれていた。

 目をこすりながらよく見ると……。

 

 

 

 

 

 

『委員会』

 

清掃委員(ダストルーム) ⇒ 白河・天馬

 

体育委員(トレーニングルーム) ⇒ 萩野・大豊

 

図書委員(図書室) ⇒ 七島・錦織

 

保健委員(保健室) ⇒ 井伏・紅

 

 

 

 

 

 

「……なんだこれ?」

 

 

『見てわかんないの?』

 

 突如、音も立てずにマナクマが現れる。

 警戒心が強い視線が一斉にヤツへと集まったが、当のマナクマは素知らぬ顔だ。

 

「これが今回の動機だって言いたいの?」

 

 紅が先手を切って、マナクマに対して冷たく言い放つ。

 一方のマナクマは深いため息を返しながら、後ろに手を組んで俯く。

 

『失礼だなあ、クマがなにかすると動機、動機ってさ。たまにはあまーいバター……じゃなくて、ハチミツを届けることもあるんだよ?』

「むうう!! 質問に答えてよ! これなんなのだ!?」

『見ての通り、“委員会”です』

「委員会とは……? 私たちになにをさせるつもりですか?」

『オマエラ大丈夫? ここ、おかしいんじゃね?』

「ど、どこでございますか?」

『とにかく、よーく見てみなよ。ほら、2人いるでしょ?』

「だからどうした……」

『ええっ!? これで分からないとか。黒生寺くんって、まさか……! ンもう……クマで妄想するのも大概にしてよね!』

「貴様のケツから綿をほじくりだしてやろうか……」

 

 黒生寺が起きているが、昨日のことは忘れたのか?

 でも、まだ黒生寺の口調からして少しピリピリしているような……。

 天馬も、黒生寺からは、かなり離れた場所でたたずんでいる。

 

『あのさ、みんな忘れてなーい? ボクの役目は、オマエラに青春を謳歌してもらうことでもあるんだからね。青春に欠かせないのは友情や恋でしょ? だから、二人組の委員をこっくりさんに決めてもらいました!』

「ウ―ララ!? なんて恐ろしいジャパニーズ怪異を召喚しているんだい?!」

『と言うわけで、少しぐらいは持ち場に顔出してね』

 

 委員会……なんだか唐突すぎないか?

 

「やらなかった場合の、デメリットはなんでしょうか?」

『え? そんなのないよ』

「……では、メリットは?」

『まっ、アメちゃんぐらいはあげるよ。いちおう、委員ならではの特典もあるしね……はい、これがそれぞれの鍵っす。“施錠は夜時間にしかできない”からね! 予備はねーから、なくすんじゃねーぞ! ま、気楽にやってちょ。冬眠中のクマにも辛うじてできるカンタンなお仕事だしさ。やるの忘れたからって体罰もしないよ。忘れたとしたら、オマエラの眠っている耳元で悪口言うだけだからさ』

 

 それもなんかイヤだな……。

 マナクマは委員会の生徒に一つずつ鍵を渡して去って行った。

 図書室の鍵は、震える手を抑えながらも錦織がもらっていた。

 メリットもデメリットもない。ますます、この委員会が怪しくなってきた。

 ただ単に、マナクマが施錠するのがメンドウだからやらせてるんじゃないだろうな……?

 

「白河くんよろしくね。転んでゴミをぶちまけちゃうかもしれないけど」

「心配無用です。私は一人でもできますのでご安心を」

 

 天馬と白河が話しているが、白河は自分一人で結構です、という雰囲気が漂っている。

 俺は図書委員だ……と言うか、本当にコックリさんで決めたのか怪しいラインナップだな。

 とりあえず、彼女にもあいさつはしておこう。

 

「あの、よろしくな。錦織」

「図書委員の仕事は司書の本職のようなものだから、私だけで十分よ……」

「で、でも、一応、俺も委員になったから。なにか手伝ってほしいならすぐに言ってくれ」

 

 錦織は視線を落したまま、少しだけ俯いた。

 これって了承の意味だろうか?

 

「紅さん、同じ保健委員だね? 重労働があったら任せてよ。紅さんのためなら俺、なんでもするからさ!」

「ありがとう井伏。じゃあ、これから時間ある? 保健室をいっしょに調べましょう」

 

 井伏と紅が二人で会話を……あれ?

 思わず、隣の腕組みをして立っている円居を見ると、視線に気づいてこちらと目が合った。

 

「なあ、井伏は大丈夫なのか?」

「井伏? ああ、あの様子を見る限りだとピンピンしているな! 昨夜、白河や紅を始めとしてみんなが相談にのったという話は風の噂で聞いたぞ。と言うか吾輩も相談にのった一人なのだがな!」

 

 確かに、井伏は紅と朗らかに会話を弾ましている。

 いつものサンバイザーをしてボストンバックを背負い、爽やかな笑みを浮かべている。

 なら、いいんだけど……。

 

「そうだ、円居。昨日はありがとう、本当に助かった」

「なんだね? 何故いきなりマッドサイエンティストに感謝しているのだね?」

「え? だ、だって、助けてくれたんだろ。黒生寺に睡眠薬を……怪我は大丈夫なのか?」

「ああ、あのことか! 礼には及ばんぞ!」

「でも包帯が……」

 

 左手に巻かれている包帯は痛々しく、血がじんわりと滲んでいるのが分かる。

 応急処置だったのか、急いで巻かれたものということもあり、雑さがまた痛々しさを際立たせている。

 絆創膏に加えて、円居の手はボロボロになっているな……。

 

「言っただろう、吾輩は一日寝れば大体のことは治る。心身ともにケガには慣れているのだよ。書道家のお前が汚い部屋にも順応できることと同じだぞ!」

「そ、それとこれとは違うと思うぞ……」

「吾輩もそうだが、七島も大丈夫かね? ショッピングモールで銃弾に撃たれたゾンビのような倒れ方だったからな!」

 

 笑えない冗談だな……。

 

「ああ、それも大丈夫だ。ちょっと貧血とか、ショックとか、なんていうか……そういう類かもな」

「なるほど、七島は不健康なのかね? 吾輩を見習いたまえ! 吾輩なんか、熱中症警報が出ていても1200m走を完走しきったのだからな!」

 

 それは得意げに言うことなのか?

 円居の自慢はいまいち分かりづらいな。

 

 

『そうそう、忘れてた!』

「うおぅっ!?」

 

 

 マナクマの声と共に円居が素早く仰け反る。

 俺も円居の大きな仰け反りと、マナクマの姿に目を見開いてしまった。

 

『超高校級の科学部の円居京太郎くん! これはボクからの餞別だよ!』

「センベツ? なんだねこれは。ソロモンの鍵かね?」

『いやいや、これは科学室の鍵っすよ。まあ円居くんは体裁上、超高校級の科学部だからね』

「やけに超高校級を連発するな? しかし、マナクマよ、吾輩に預けて大丈夫なのかね?」

『そりゃ、科学部だからこそ託しているわけっすよ。それにボクからのお情けだよ。キューピッドさんにも見捨てられた保健委員への道をね。こいつの管理は頼んだよ……』

「ふははははっ! そこまで言うなら仕方ない。いいだろう、タイタニック号にのったつもりで安心してくれたまえ!」

 

 いや、タイタニックは沈むだろ……。

 そう言って、円居はマナクマから鍵束を受け取った。

 彼が手に取ったと、同時にマナクマは走り去っていった。

 

「やはり、管理が面倒なのだろうかね?」

「まあ、そうだろうな。アイツ妙なところで気まぐれだし……」

「気まぐれか。それだといいのだがね。とりあえず、吾輩は科学室に行かせてもらおう。この鍵束で吾輩は科学室のすべてを知らなければならないからな」

 

 そう言って、円居は鍵束をポケットの中に突っ込んで白衣を翻しながら去っていった。

 

 

「いやあ、それにしても羨ましいな。井伏のヤツ、お気にいりの紅と一緒に委員ができるとはなあ」

 

 円居と入れ替わるように今度は萩野が俺の元にやって来た。

 萩野と大豊は体育委員会か。たしかにそれっぽい感じだ。

 ランティーユは、さきほどから大豊と一緒に作業がしたいとせがんでいるようだが、当の彼女は案の定逃げ回っている。

 そんな光景を見ていると、すぐさま萩野が俺の耳元に体を寄せてきた。

 

「おっと。そーだ、七島……なあ。明後日“スイカ割り”でもしねーか?」

「……スイカ割り?」

「さっき厨房に行ったらでっけえスイカがあってよ。いかにも割ってくれと言わんばかりのビッグサイズだったんだぜ。だからさ、みんなを集めてスイカ割り大会するってのはどうよ?」

「へえ面白そうだな。でも明後日なのか?」

「おう、準備とかあるからさ。明日までにセッティングしておくぜ! な? いいか?」

 

 なるほど、スイカ割りは悪くはない。

 新たに交友を深めるにはもってこいだ。

 

「でも、どこでスイカなんて割るんだ? 食堂とか言わないよな」

「……! 待て、声のボリューム下げろ。白河に聞こえるっ」

「なんで白河?」

「白河のヤツ、スイカ割りを目の敵にしてやがるんだよ。それを知らずに誘ったら、『スイカ割りなどという低俗なアイデアはいますぐに捨ててください。スイカは捨てなくて結構です。スイカ割りという計画を捨てましょう。捨てなさい。捨てろ』って、すげえ勢いで追いかけられたんだからな……って、ほら、言ってるそばから! 見ろよ、あの目っ! 『あなたたちは楽しそうでいいですけど、掃除するのは誰ですか?』って言いたげな目じゃねーかっ」

 

 ……言われていれば。

 さきほどから、俺たちの話にあるスイカという単語に聞き耳を立てているのか、目を光らせて、じりじり近づいてきているような。

 気のせいだと思いたい。いいや、思わせてくれ。

 

「とにかく、今のところはプールなっ。白河はどうにかしとくからよ」

「どうにかって、どうするんだよ?」

「い、今は考え中だ。白河はどうにかできなくても開催は決めてんだ。ボクサーとしての意志の強さってのを白河に見せつけてやっからよ! おめーはできる限り、人を誘ってくれよ?」

「いや、白河はなんとかしておけよ……とりあえず、誘えばいいんだな? 白河以外に」

「おう、アイツ以外はそんなにスイカ割りに殺意を抱いてないだろ。だから頼んだぜ。あ、そうそう、これ伝えておいてくれよ。『今回はスイカ割りでもあり水着大会だ。だから、できる限り水着で来るように』ってな」

「そのためのプールか?」

「あ? 風呂よりはマシだろ?」

 

 まったく、思考がやはり中学生だ……。

 でも、こうやって賑やかな様子を見ていると、また少しずつ良い兆しができつつあるのかもしれない。

 今からでも遅くはない。ゆっくり、また日常を取り戻せればいい……。

 

 ただ……。

 

「ここで……日常を取り戻しても、いいのかな」

 

 思わず出てしまったひとりごとを咎めるように唇を触ってしまう。

 幸い、萩野やみんなにも聞こえていなかったようだが。

 監視カメラを軽く睨みつけて、俺は背を向けた。

 

 

 

【自由行動2-1 いざ、尋常に腕相撲!】

 

 ある昼下がり、ランティーユは笑っていた。

 そのモノクル越しの笑みを浮かべた目元はとても不敵なものに思えて、俺は少しだけ固唾を飲んだ。

 

「ふ、ふふふ、こ、このぼく、ランティーユ・クレーユは鑑定士として、ここで退くわけにはいかないんだよ。そりゃあ、体力は無いってことは自覚しているさ。だけど、こんなぼくにもプライドはあるんだ。そう、愛する人の目の前、マドモアゼルの前ならば! 運動音痴でも勝利をむしりとって、真実を知らしめることができるはずだ! それが鑑定士としての役目!! だから、ぼくはムッシュ萩野を超える! うおおぉぉぉぉおぉぉおっ!!」

「はっ、甘すぎんぜ」

 

 ランティーユのいつもの長広舌と、彼にしては珍しい雄たけびがトレーニングルームに響き渡ったが、萩野は冷静にその猛攻を防いだ。

 あっという間に、ランティーユの手の甲がだん、とベンチに叩きつけられた。

 呻き声とともに、ランティーユはそのまま膝を床について生まれたてのヤギのように震えだす。

 …………まあ、だろうと思ってた。

 

「もう! ランティーユはへなちょこなのだ!」

「しかし彼は頑張ったほうだと思います。そうですよね、七島さん」

「ああ、まったくだよ……」

 

 モップ片手に力なく溜息をついたのは白河だった。

 俺もそれにつられて、愛想笑いに似た表情を作る。

 いま、トレーニングルームでは腕相撲大会が開催されている。

 

 そもそも、事の発端は、萩野と大豊が委員会の仕事……と言っても、トレーニングからだった。

 

 ひょんな会話から、彼らが腕相撲をすることになったのだ。

 そこで、萩野によって俺が引っ張り出され、俺の審判で、対戦が始まる。

 萩野はもちろんボクサー。力の強さは俺も理解していたし、彼は強かった。

 しかし、大豊もアスリートだけあって、なかなかの接戦だった。

 結局、萩野が持久戦に持ち込んで大豊には勝利した。

 

 これで終了……のはずだったが、ウォーキング中の井伏が、その様子をこっそり見物していたという。

 「面白いことをやっている」というウワサを流して、トレーニングルームに挑戦者が次々とやって来たのだ。

 井伏はもちろん、円居や白河、さらには黒生寺までも現れたのだ。

 

 円居は「科学部代表として負けられんぞ!」と、やたらと意気込んでいた。

 しかし、わずか数秒で倒されて、腕を痙攣させながら、すごすご本拠地の科学室に戻って行った……。

 

 ただ、井伏、黒生寺はそれなりに手ごわかったようだ。

 持久戦で山登りで筋力も強い井伏は粘り強く、黒生寺はそもそもの力が強かったという。

 どちらも、萩野は持久戦には持ち込まず、押し切って腕相撲の勝者となったのだ。

 

 そして、今は大豊にいいところを見せたいランティーユが乱入して戦っていたが……。

 結果はごらんのありさまと言わざるをえない……。

 

 ちなみに、白河は元はと言えば掃除のためにやって来ただけだ。

 しかし、「白河っちは清掃委員なのに筋肉がダメダメなのだ!」という、大豊のなんとも幼稚な煽りを受けて、いとも簡単に腕相撲をやることとなった。

 結果、白河は片腕にシップを何枚も張るハメになった。

 げらげらと萩野が心配しながらも笑っていたが、他人事とは思えなかったので、思わず彼の肩を叩いてしまった。

 

「ふう、さすがにちっと疲れた……俺が優勝ってことでいいよな?」

「ウィ……やっぱりムッシュ萩野はボクサーだからね。そうそう勝てる人なんていな」

「それは違うのでございます!」

 

 ランティーユの言葉を遮ったのは、高らかな少女の声だった。

 突然の声色に一斉に、トレーニングルームの中にいるみんなが扉に視線を向ける。

 

「だ、だれだ……っつっても、もう語尾で分かってんだけどよ……角、どうしたんだよ?」

「いいえ、私は角ではございません」

「パードゥン? どう見てもマダム角だよね?」

「では、名乗らせていただくのでございます。私は清廉潔白なる夢をお守りする百花繚乱の乙女、“フラワー・フローラ!” これにて見参でございます!」

 

 

 

 …………なんだ、これ?

 

 

 フラワー・フローラと名乗る角が、颯爽と部屋に入り込んで萩野の前に立つ。

 その姿は可憐な少女ではあるが、どこかキレがあって堂々としている。

 でも、どこからどう見ても、服装も顔立ちも髪型も声色もいつもの角だ。

 ただ、なにか違うのだが……それがなにか言えないのが、もどかしい。

 

「角っちも挑戦するのー!?」

「いいえ、大豊さま! 私は百花繚乱の」

「あ、あー、わかったわかった。で、なにしにきたんだよ。えーと、百貨店のフラメンコ・フロシキ……」

「百花繚乱のフラワー・フローラでございます! 萩野さま、私は黒生寺さまのために戦いに馳せ参じたしだいなのでございます。黒生寺さまが敗北をしてしまった以上、私が敵をとらねばならないのでございます!」

 

 そう言って、フラワー・フローラこと角はステッキをびしっと萩野のほうに向けた。

 そして、すぐさまベンチにひじをついて手を求める。

 かなりお熱な理由での対戦だな……というか、なんでフラワー・フローラになったんだ?

 

 ちなみに黒生寺は負けてしまったが、負けはすんなりと認めていた。

 萩野は接待ができなかったことを焦って、とりあえず弁明しようとしたが、黒生寺は特段怒らなかった。

 次は負けないと未練がましいことは言っていたが、負けても発砲することなく去っていった。

 もしかしたら戦いに関しては、ちゃんと正々堂々と戦って負けたら認めるタイプなのかもしれないな。

 うーん、いろいろと、そう考えると、黒生寺も不器用な男なのか……?

 

 そんな中、萩野は、苦笑いと言うか失笑のように唇をゆがませながら、彼女の相手をすることとなった。

 俺は審判なので、二人の握りこぶしに手を重ねた。

 

「角っちでもふろふき大根でもなんでもいいのだ! がんばるのだ!」

「角さん、ケガはなさらないでくださいね。シップは、ほとんど使いきってしまったので、ご注意を……」

「マダム角もムッシュ萩野も、幸運を祈っているよ!」

「ありがとうございます! でも、私の名前はフラワー・フローラでございます!! 角芙蓉という少女とは一切関係がないのでございます!!」

 

 もう、ばれてるよ……。

 外野の声援を浴びながら、二人はじっと見つめあう。

 闘志を高めている二人を交互に見て、俺は息を吸った。

 

 

「よーい……スタート!」

 

 

 俺の合図とともに双方の腕に力が入る。

 

 ……! どちらも、動かない。互角だ。

 

 萩野が彼女の力にたじろいたように目を見開くが、すぐにぐうと力を強める。

 少しだけ角が劣勢に傾き始めたが、まだ萩野の表情は強張ったままだ。

 でも、少しずつ、萩野の優勢は大きくなっていき、腕がどんどんと傾いていく。

 

 

 そんな不利となっている角を見てみたが……。

 

 ……あれ? 不利なのか?

 

 角は顔色を変えずに、冷静にじいと、なにかを食い入るように見つめている。

 彼女の視線の先をたどると、ずっと萩野のヒジを見つめている。

 俺も思わず、萩野のヒジ、腕の部分を凝視した。

 

 角の瞳は、なにかが出てくるのを待ち望んでいる狩人の視線だった。

 その視線に気づいたのか、怯んだのか。

 萩野の筋肉が少しだけ弛緩したのが見えた。

 

 だが、それは少しだけ。だった。

 

 

 

 それでも次の瞬間には。

 

 

 

「っっ!?」

「あっ!? ムッシュ萩野!」

 

 一気に萩野の右腕が重力に従うかのように傾く。

 倒れていく腕、手の甲がベンチに触れ……。

 

 い、いや、違う!

 甲とベンチの間は糸が一本入るぐらいではあるが、なんとか萩野はこらえている!

 角はその様子を見て、惜しむ事もなく、アルカイックスマイルのように微笑んでいる。

 とりあえずは、優勢を取れたからだろうか。

 

 

 角は、あの筋肉の緩みを待ちかまえていたのか?

 間合いを取って、相手の気を確認して一気に攻めようとしたのか。

 でも、あんな一瞬でそんな力を出せるなんて……。

 

 角、というか、フラワー・フローラ……何者なんだ。

 

 

 というか、萩野大丈夫なのか!?

 萩野もまさかのダークホースに困惑したのか歯を食いしばる。

 だが、すぐさま瞳の奥が燃えているように輝いた。

 好敵手を見つけたような顔――よし、萩野も本気モードだな……!

 彼の腕に再び筋力が戻り、腕が脈打つように動いた。

 

 

「あっ!」

 

 角の軽い悲鳴が聞こえた。

 それと同時に、萩野は力任せに体力が減っているにも関わらず押し切った。

 抵抗があったが、あっという間に、ベンチに角の手の甲が伏された。

 おおお、と大豊がぴょんぴょんと、飛び跳ねながら歓喜の声をあげる。

 角は少しだけふうと大きな息を吐いたが、憑き物が取れたような爽やかな笑みを浮かべた。

 

 

「っう、おおお……焦ったぁぁ……ボクサーの面目潰れるところだったじゃねえか……!!」

 

 一方の萩野は勝ったにも関わらず大粒の汗を噴き出していた。

 よかった……俺もまさか萩野が負けてしまうかもしれないと思い、ドッと疲労感が溢れそうになる。

 もっとも、俺はなにもしてないんだけどな……

 

「さすがでございます、萩野さま。黒生寺さまも、これでは敵わないのも確かでございます……それに、私も修行が足りないことが分かったのでございます。魔法少女として反省すべき点でございます! それを体で教えてくださり、ありがとうございます!」

「か、体で教えるっておめー……あ、いや、にしてもよ、魔法少女抜きにしてもマジで強かったぜ……それともなんだ、フラワーなんちゃらだから強いのか?」

「いえいえ、でも萩野さまには敵わなかったのでございますから、お強いのは萩野さまでございます。さすがでございます、萩野さま! あと、私はフラワーフローラでございます! なにとぞご承知を!」

 

 そう言って、角はガッツポーズをした後に、萩野と握手を交わした。

 角は晴れやかだが、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。

 

「やはり、私も、もっともっと強くならなければ……昨日の黒生寺さまを止められなかったふがいない自分を越えなければならないのでございます……! 平和と愛を守る魔法少女として、みなさまを救い、誤った道に行こうとしている時には手を掴んで止められるように、むちゃむちゃタフになるのでございます!」

 

 すとん、と腑に落ちた。

 そうか。彼女も『魔法少女』という才能なりに、この状況をなんとかしたいと思っているんだ。

 

 萩野は汗を拭いながら笑い、大豊やランティーユも「すごいすごい!」と拍手して、白河も静かに見守る。

 マナクマのせいで一度は踏みにじられ、二つの芽が摘まれてしまったけれど。 

 

 それでも、また、今こうして新しい絆が作られようとしている。

 

 

「うんうん! あたしも強くなりたいのだ! だから、ふろふき角っちもトレーニングしよー!」

「……そーだな。おめーらには負けられねーからな! 後、2時間ぐらいは余裕で俺もいけるぜ」

「私はフラワー・フローラなのでございます! さあ、七島さまと白河さま。ランティーユさまもご一緒に。みなさまとユニゾンすれば、どこにだって飛んで飛んで行けるのでございます!」

「ウィ! マドモアゼル大豊と一緒なら、ぼくだって、火の中、水の中、スカートの中にだってついていくよ! そう、たとえ地の果て海の底、空の向こうまででも、君のありとあらゆる表情や行動を見届ける。それが、超高校級の鑑定士であるぼくのもう一つの定めでもあるのさ! そのためにぼくも君と一心同体となってトレーニングを積むことにするよ、マドモアゼル!」

「は、はむうううぅっっ!? 今世紀最大に、きもちわるいのだあああっ!」

 

 なにはともあれ、腕相撲大会は終了して、俺たちはトレーニングルームで一汗をかいた。

 なかなかハードだったが、運動不足解消と気分転換には良い時間だった。

 特に、白河相手だとつい気合が入ってしまった。

 足は強いらしく、白河にはランニングマシーンでは負けてしまって悔しい。

 男としてのメンツも守りたいので、もう少し俺も体力つけとこう……。

 

 ちなみに次回のバトルは、誰が長座体前屈ができるかというものに決まった。

 ……マイナーだが、人は果たしてやってくるのか?

 少なくとも、「白河さまは、清掃委員なので体力はありあまっていることでございましょう!」という純粋無垢な励まし……もとい煽りを受けて、バーベル上げでまたシップの世話になった白河は参加しないことは確かだ。

 

 

 

 

【自由行動2-2 保健室でアンラッキー!?】

 

 

 しばらく書に打ち込んでいると、どうも前頭葉の辺りが痛む時がある。

 今もなんだかずきずきと疼いているようで……。

 一旦眠ろうとしたが、そちらの痛みに集中してしまってなかなか寝付けない。

 保健室に行って、薬を取りに行くか?

 萩野もシップとかを何枚か貰いに行っているみたいだし……。

 

 時計を確認すると、午後3時を示している。

 時間に余裕はあるがとりあえず早めに行って取ってこよう。

 

 

「あら、七島。どこに行くの?」

 

 

 部屋から出て本校舎に向かう途中に、赤いポニーテールをなびかせた紅に出会った。

 彼女のたたずまいはいつもすらりとしていて、男でもカッコいいという感情を抱いてしまうほどだ。

 

「あ、ああ、今からちょっと保健室に行こうと思って。頭が痛むんだ」

「頭痛? それは心配ね。私も保健委員だから薬を探しましょうか?」

 

 そう言って、紅と俺は共に保健室に向かって歩き始めた。

 こんな風に彼女と歩くのはニ度目だ。

 一回目の裁判前の時に比べたら精神的にも安心できる。

 

「なあ。保健委員って、どんなことしてるんだ?」

「大したことはしていないわ。井伏と一緒に薬の整理や管理をしてるぐらいよ」

「大変じゃないか?」

「そうでもないわよ。井伏もいるからヒマでもないし、薬の数をチェックできるのはみんなのためでもあるから、やりがいはあるわ」

「……そうか。ありがとう、紅」

「どういたしまして。井伏にも『七島が感謝してた』って言っておく」

 

 紅は微笑を浮かべながら、軽く首を傾げた。

 

「頭痛は大丈夫? ひどくなっていない?」

「ああ、話してたら、だいぶ軽減されたかもしれない」

「無理はしないでちょうだいね。みんな疲れているみたいだから」

「紅は頭痛にはならないのか?」

「小さい頃は、よく時差ボケとかしてたけど今はだいぶ慣れたわ。よく頭痛はストレスから来るっていうけど……私はストレスはピアノとか弾いたり、お菓子が食べられればだいぶ回復するからね」

「紅って本当に甘いもの好きだよな……あっ、それなら、カルメ焼きも好きか?」

「……あれは、まさに夢そのものだわ」

 

 ……え?

 

「まさに夢見心地。あんな甘い砂糖のお菓子なんて初めて食べたもの。氷砂糖みたいな甘いものが日本にもあったなんて思っても見なかったわ。円居がすごく羨ましいのよ。上手にあんなステキなお菓子を作れるなんて……」

「あ、ああ、そ、そうか。よかったな」

 

 紅の表情はクールさを装っているが、目は子供のように輝いている。

 どうやら、カルメ焼きは彼女の心をばっちりと掴んだようだな……。

 そうこうしているうちに俺たちは保健室の扉の前に立って引き戸に手をかけ……

 

 

 

「……くん? 来たの?」

 

 

 ……ん?

 

 ドアを半分開いたところで誰かの声が聞こえた。

 天馬の声か?

 その声を境にドアを全部開くと。

 

 

「……えっ。ええええぇぇえっ?!」

「あ、れ? 七島くん?」

「なっ、て、天馬、あなたなんて恰好してるの!?」

 

 なんのパフォーマンスだ、これは。

 保健室には天馬がいた。

 ここまではあたりまえだが普通だ。

 問題は彼女の体勢だった。

 

 天馬は床に完全に接触して転がっていた。

 その手足はなにか白いテープのようなもので繋がれていて身動きが取れない状態になっている。

 白いテープのようなもの……これは包帯か?

 包帯が彼女の身体全体にまとわりついていて、彼女の動きを完全に拘束している。

 そして、彼女のまわりには絆創膏が散乱している。

 桃色のチェックのスカートも少しだけめくれていて、ぎりぎり中身は見えないが、ほとんど腿が露わになっていたので、慌てて目を反らしてしまった。

 

 でも、これは、いったいなんなんだ。

 

 

「て、天馬。どうしてそんなことになっているんだ?」

「さっき、指をケガをしたから絆創膏をもらいにきたの。見つからなかったんだけど、なんとか奥のほうにあって取り出そうとしたら、なにかにひっかかって取れなくて。だから思わず勢いよくひっぱったら、出てきたんだけど。その拍子に後ろによろけたら、足元になぜか包帯が転がっていて……」

「で、包帯を踏んづけてこうなった……そう言いたいのね?」

 

 説明してくれたにも関わらず、どうしたらそうなるのかがさっぱり分からないことも珍しいな。

 

 

「この状態の時、ちょうど円居くん、それと井伏くんも来てくれたから助けてくれようとしたんだけど……でもこの包帯、なんか取れづらくて……」

 

 その言葉を聞いて、紅が少しずつ天馬に歩み寄る。

 紅は天馬の手錠のように拘束された包帯を外そうとしたが、ますます怪訝な顔になった。

 

「ダメ。これテーピング包帯だわ。しかも、なぜかきつく巻かれてるし……」

「円居たちはその後どうしたんだ?」

「ちょっと役に立ちそうなものを取って来るって言ったきりなんだけど」

 

 天馬が心細そうに言った直後、ばん、という音が鳴り響く。

 

 

「実にエマージェンシーだな! だがもう安心だぞ!」

 

 

 そう言うなり顔中汗まみれの円居が部屋に入ってきた。

 息も荒いことから走ってきたのが分かる。

 そして、その手に持ってるのは……。

 

「円居くん、それは?」

「さては、天馬よ。お前はもしかしなくても、理科の授業は苦手なタチだったのかね? これは見ての通り、アルコールランプというものだ。これさえあれば、こんな厄介なテーピング包帯など一発で灰に化して一件落着だぞ! さあ、早速マッチをつけようではないか!」

「天馬まで灰になるぞ!?」

「もう……せめて、ガスバーナーをもってきなさいっ」

 

 いや、待て、ガスバーナーでもダメだろ。

 紅にツッコミを入れる前に、円居の背後からひょっこりと微笑みをたたえた井伏が現れる。

 

「あはっ、円居くんテンパってるね。ほら、俺はちゃんと持ってきたよ」

「ありがとう、井伏くん」

「ついでにカメラも持ってきたんだけど。あ、七島くん、貸してあげようか?」

 

 そう言って、井伏は小さな赤いデジカメをちらつかせた。

 反応に困っていると、井伏はまた笑いだした。

 天馬もその様子を見て、さすがにどうしていいのか分からず目を伏せていた。

 そんな中、紅が少しだけ咳払いをした。

 

「井伏、それを貸してくれる? ……カメラじゃないわよ。いくらなんでも異性にやらせるわけにはいかないもの」

「そうだね。じゃあ、お願いしてもらってもいいかな? 紅さん」

 

 そう言って井伏は紅に持ってきたものを手渡す。

 よし、と言って紅がその渡されたものを一瞥した。

 一瞥の後、紅の顔色がさっと変わった。

 

「……これ、はさみじゃないわよね」

「そうだね。缶切りだね」

 

 缶切り?

 

 俺も井伏を思わず見てしまった。

 井伏は苦笑しながら、ずれてしまったサンバイザーを両手で直していた。

 

「ごめんね。荷物を確認したら、缶切りぐらいしか持ってなくて。ほんと、日用品のはさみがないなんて、自分でもびっくりしちゃって思わず笑っちゃうよね、あはははっ!」

「ふはははははっ! 吾輩が眼鏡ふきの代わりに白衣の裾を使ってしまうのと一緒だな!」

「そ、それは、眼鏡ふき買えよ……」

「ちょっと待って。こんなのじゃ切れないわよ」

「しかし、缶を切る道具なのだからそれなりの鋭さはあるだろう! テープ包帯を切ることなど、わりとはさみよりも造作もないことかもしれないな!」

「でも、私、こんなもの使ったことないわ」

「ははっ、そうだよね。今どき缶切りなんて使わないか。缶詰も今はもうプルトップがほとんどだし」

「……? プルトップってなに?」

 

 ん?

 紅の顔を確認したのは俺だけではない、井伏や円居もそうだった。

 

「えーと、紅さん? あ、あはは、俺の言い方が悪かったかな? ほら。缶についてるじゃない。開けるときに上に持ち上げるタブみたいなの」

「なんの話?」

「ま、まさかと思うが紅は缶コーヒーを飲んだことがないのか?小学校でプルタブを集めて車いすを交換などはしたことがないと言うのか!?」

「だってコーヒーは淹れるものでしょう? それに小学校で車いすを手に入れてどうするつもりなの? 遊ぶためとか言わないわよね?」

「なんということだ! で、では、ベルマークも集めなかったというのか……!」

 

 なるほど、どうやら紅は海外在住が長いうえに相当の金持ちみたいだ。

 この話からすると、二つが合わさって、常識が少し知らないということになるのか?

 缶切りはともかくとして、プルトップ、そもそも缶の開け方も知らなそうだな。

 しかしベルマークなんて、言葉の響き自体が懐かしいな。

 

 

「ねえ、小学校の思い出に浸ってるところ悪いんだけど……早く助けてくれると嬉しいな」

「あっ、ご、ごめん、そうだよな!」

 

 慌てて俺が謝って紅から缶切りをぱっと取った。

 そうだ、さっさと天馬を助けてあげないと。

 

 井伏の缶切りは固定刃型、つまり缶のふたを切って開けるタイプの缶切りだ。

 充分に尖っているから下手にやってしまうと肌も切れてしまいそうだ……慎重にいかなければ。

 まずは彼女の手の包帯のほうから。

 ゆっくりと缶を開ける要領で、彼女の手にくいこんだ包帯にそっと刃を入れた。

 

「なるほど、それって、そうやって使うのね……」

「なかなか慣れた手つきであるな。しかも書道家だから丁寧だ。ふはははっ、科学部とは大違いであるな!」

「あははっ、まさに青春映画のワンシーンみたいでワクワクするなあ!」

 

 外野、特に男子がちょっとうるさい。

 真田だったら「ちょっと男子」と怒っていたことだろう。

 でも、挑発には乗らずこらえて、天馬の包帯をなんとか切断できた。

 あとは足のほうだ。

 

 

「七島、足首に集中して。足首だけよ」

 

 

 紅に念を押されたが、思わず、彼女の白い腿が目に入ってしまい少しだけ精神が揺らぎかけた。

スカートを戻せばいい話なのだが、俺がスカートに触っていいものなのか。みんなの視線も相まって血迷ってしまう……。

 と、とにかく、今は我慢だ。と言うか、見なければいいんだ!

 

 そうだ、書道家としての集中力の使いどころだ!

 天馬の足首に硬く縛られたような包帯に、刃をいれる。

 足首の包帯がぷつりと切れた時、ようやく天馬は安堵の表情を見せてゆっくりと立ち上がった。

 

「はぁ、よかった……本当にありがとう、七島くん。助かったよ」

「いや、いいんだ。缶切りのおかげだよ」

「ははっ、七島くんは優しいな。無理に俺に花を持たせなくていいんだよ?」

「でも、天馬って相当の……いや、なんでもないわ、ごめんなさい」

「気を使わないでいいよ。自分でもわかってるから」

 

 紅が言葉を切ったにも関わらず、天馬はそう言って、いつもと変わらない表情で少しだけため息をついた。

 それに対して、井伏は少しだけ考え込むようにサンバイザーをいじりながら目を伏せた。

 

「うーん、でも俺、今回のこれって不運じゃないと思うな」

「ほう、それはどういう意味だ?」

「あはは、俺に言わせちゃうの円居くん? 確かに天馬さんにとっては不運だったけど、ある人にとっては幸運だったんじゃないのかなあって、俺は思うんだけどな」

 

 そう言って、井伏はちらりと俺のほうを見た。

 ……なんで俺なんだ。

 天馬がじーっと俺の方を見つめていてなんだか気恥ずかしい。

 

「七島くん、今回の事件って不運だと思う?」

「えっ? ま、まあ、半々かもな。天馬が無事でよかったっていうのと、ちょっとだけひやひやしたっていうのと……でも、完全な不運ではないと思うぞ。天馬がケガしなかったから」

「そうだね。私も七島くんに助けてもらって嬉しかったからアンラッキーよりかはラッキーの方が大きいよ。ありがとう、みんな」

 

 天馬がそう言って少しだけ微笑んだ。

 ……でも、本当によかった。

 

「へえ、七島くんって奥手かと思ったけど、なかなか……あはははっ、式には呼んでね!」

「ええと、なにはともあれ……缶切りの使い方が分かってよかったわ」

「ふはははっ、紅よ。次はプルトップの開け方を学んだほうがいいぞ! ちなみに、スピーチは吾輩に任せておくといい。論文発表で慣れているからな! 今なら友人代表として発表しよう!」

 

 う、うるせえ……。

 というか、井伏も円居も、萩野並に下世話というかなんというか。

 男子高校生らしいといえば聞こえがいいけど、紅の視線が微妙に突きささる。

 だいたいだな、萩野じゃあるまいし、俺はそこまで不埒なことなんて思ってないぞ!

 

 

 って言うか、そもそも、なにしにきたんだっけ?

 

 

 集中しすぎて、急激に脳がどっと溶け出す感覚が舞いおりてきた。

 思わず、足元がフラついてしまい、右足を後ろに踏みおろそうとした。

 

 

「あっ! な、七島!?」

「わわ、七島くんダメだよ!」

「うぉっ待て止まれ七島!」

 

 突如、紅、井伏、円居の叫びが全て混ざった。

 その瞬間。俺は右足を後ろに踏んでいた。

 

 足元のバランスが崩れ、世界が反転する。

 まるでスケボーに失敗した子供のように俺の足が宙に浮かび、頭が床へと一直線に落ちる。

 ひらひらと白い包帯が糸のように舞いあがるのが見えた。

 なるほど、俺は包帯を踏みつけて足を滑らせたってわけか……なんて、のんきに思っている場合じゃないけど諦観した。

 

 そして……

 

 

 どん、がらん、どしんっ!!

 

 

 様々なぶつかる音が保健室に響き渡った。

 きゃあ、とか、うおっ、などと言った悲鳴も飛び交う。

 

「ぬおぉっ!? 目の前が真っ白だ! 回復施設に強制移動させられているのかね!?!」

「お、落ち着け円居。テーピング包帯が眼鏡に張り付いてるだけじゃないか?」

「あ、あはは、これはすごいことになっちゃった……けど、これはこれで面白いかもね!」

「バカなこと言わないでちょうだい……! そんなことより私の腰に手をあててるのは誰なの!?」

「ごめん紅さん。その手、私」

 

 こんな騒ぎの中、やがて保健室のドアが開いた。

 扉から眠そうな十和田が入ってきた。が、部屋の様子を見るなり、「うげ……っ?!」と声をあげて目を見開かせる。

 そりゃそうだろう。誰だってそう言う。俺だってそう言う。

 天馬、円居、紅、井伏……全員が包帯にこんがらがって、もはやどうなっているか分からないから。

 

「あのさあ……君たち、こんなところでツイスターゲームやってんの?」

「あ、ああ、そんなもので……」

「ねえ、十和田くん。もしよかったら、あそこの缶切りでテープを切ってくれると嬉しいな」

「ふはは! 頼むぞ、十和田! 超高校級の手品師として鮮やかな解体ショーを見せてくれたまえ!」

「そういう職業じゃねえよ」

 

 「感謝料1人3万な」と愚痴りながら、十和田は床に転がった缶切りを手に取った……。

 

 

 

 

【自由行動2-3 今日の晩餐】

 

 

 ある日の夕方、食堂に入ると一人だけちょこんと椅子に誰かが座っていた。

 黒いセーラー服の少女……錦織だ。

 雑菌を見つけるかの如く、テーブルと顔が接近している。

 どうしたのだろう、また具合でも悪いのだろうか?

 

「あ、あの、錦織? 大丈夫か?」

「ひゃ、ひゃあんはっ!?」

「うわっ!?」

 

 呼びかけると錦織が寄声を出したので思わず俺も悲鳴をあげた。そしてすぐさま、毒蛇の威嚇のようにギロリと睨まれてしまった。

 

「えーと、錦織、なにしているんだ?」

「み、見て分からないの? そ、そうよね……こんな埃まみれの司書が図書室以外にいたら、ゴミどころか微粒子扱いよね……」

「いや、そんなこと思ってな」

「わっ、私には分かるのよ! 心理学の本を何百冊も読んだ私からすれば、目を見れば、あんたの気持ちなんてすぐにお見通しなんだから……!」

 

 心理学って読んだだけで、人の気持ちが分かるようなものなのだろうか。

 って言うか、結局、なにしてるのかという質問に答えてないんだけど……。

 

「おう、待たせたな! ほら、ゆっくり食べろよな」

「これで、パーデキってとこかな。ま、いい感じじゃね?」

「……」

 

 そんな時、調理場から出てきたのは、萩野、真田、黒生寺の三人だった。

 それぞれカラフルな皿を持って錦織に近づいてきた。

 各々の皿からは湯気がふんわりと漂っている。

 

「どうしたんだ。みんなして」

「お、七島じゃねーか。なんだよ、錦織から聞いてねえのか?」

「まあ、錦織ちゃんも言いたくないよね。あのさ、錦織ちゃんったら、急に食堂に来たらぶっ倒れたんだよ。この前の七島みたいにさー」

「えっ! そうなのか錦織!?」

 

 真田の倒れたという言葉に思わず、声を荒げてしまった。

 「ひ……っ!」と錦織は俺の声に驚いたのか、強く息を吸った。

 よく見れば、彼女の頬は今まで以上に痩せこけている。

 顔色もさらに幽霊に近づいているほど悪いじゃないか……。

 

 そうだ、ここ最近錦織はずっと図書室に没頭していたのかもしれない。

 深夜徘徊して厨房で菓子パンやカロリーメイトを漁っているという、幽霊さながらの目撃情報もあったぐらいだ。

 それはきっと、俺たちが託したものの整理のためだ。

 想像ではあるが、そう思うと、つい錦織に心配の眼差しを寄せてしまう。

 

「なっ、なによ、その目は! まるでイッタンモメンが地に這っている姿を見るような眼差し……! そうよね、私をバカにしてるのよね!?」

「おめー……それはビミョーな例えすぎねーか?」

 

 

 ……本当に、錦織が読んでいると言う心理学はアテにしていいものなのか?

 

 

「っつーわけで、錦織ちゃんにゴチソウするために、うちらクッキングしてたってわけ」

「なるほど……それで萩野たちが料理を作ったんだな。黒生寺もか?」

 

 黒生寺に視線を送ったが、そこにはいなかった。

 彼の姿がいなかったので、辺りを見回すと彼はすでに椅子に座っていた。

 皿には真っ黒なパスタが盛りつけられている。あれはイカスミパスタか?

 フォーク一本ですぞぞと勢いよく啜りはじめた。

 

「あいつは……まっ、その。あれだ。自分用だな」

 

 ……そうだろうとは思ったよ。

 

「アイツはドーでもいいって。それより、うちのを食べてよ錦織ちゃん。ほっぺたがボトボト落ちちゃうほど、おいしーからさ! 個人的にこだわったのはカラーリング! 味命っつてもさ、料理は見た目も大事だから、色とか盛り付けも、みんなにキョーミを持ってもらわないと」

「ふん、デザイナーは料理よりも、日本語の使い方を習ったほうがいいわよ……」

「おう、俺のも食べろよな。オーナーに教えてもらった料理だから、味には間違いねーぞ!」

 

 萩野と真田の差し出した料理を、俺と錦織はじっと見つめた。

 

 真田の料理はスクランブルエッグの上にバニラアイスが乗っている……創作料理だろうか。

 ちょっと一目をひくが、果たして美味しいのだろうか。

 でも彼女の言うとおり、色合いは決して悪くはない。むしろ近代アートにも見える。

 もしかしたら、味もクレープ的な感覚で楽しめるのかもしれない。

 

 萩野の料理は鶏のササミであえたサラダだ。

 もやしやトマトなど、様々な野菜がふんだんに詰め込まれていてなかなか美味しそうだ。

 それにドレッシングの色合いもよく食欲が沸きたちそうだ。

 ゴマの香りが鼻の中に広がり、腹の音が鳴ってしまった。

 

 しかし、このような料理に対しても、錦織は渋い顔で見つめていた。

 やがて皿を俺のほうに、ずいと押しのけた。

 

 

「書道家、これ食べてよ……」

「ええ!? ま、まあ、いいけど」

「待てよ、おめー、まだなんにも食ってねーじゃねーか! ってか七島も食うな! 大体、これは錦織のために作ったんだぞ!」

「ちょっと声うるさっ! ほら、錦織ちゃん、ビックリして白目剥いちゃってるじゃん……」

「し、白目なんてしないわよ! そもそも、私はあんたたちに頼んでないわ、作ってほしいなんて……人が作った料理なんて、なにが入っているか分かったもんじゃない。アレルギ―があったらどうしてくれるのよ……給料ももらってないのに、慰謝料なんてどうやって払うつもりよ、あんたたち……!」

 

 「それは……」と思わず萩野も口を閉ざしてしまっていた。

 そう言えば、錦織ってかなりのアレルギー体質だったな。煙、動物、金属でもダメというのは、なかなか大変そうだ。

 

「で、でも、錦織。少しは食べないとまずいんじゃないのか。仕事に熱中するのは悪いことじゃないけど……だけど、体を壊したら仕事も本末転倒じゃないか」

「わかってるわよ……菓子パンぐらい食べてるし……」

「あのな。断食してない限りはしっかり栄養取っておけよ。そーしねーとガリガリに痩せるか、場合によっては太るぞ?」

「ちょっと、太るって!? あんたデリカシーなさすぎでしょ!」

「さっきからうるせえ……飯の時ぐらい黙ってろ……」

 

 黒生寺が立ちあがって、真田を睨みつけてきた。

 どうやらイカスミパスタを食べ終わったらしい。

 

「はあ? なんなの? あんたには言ってないから、シャシャリでてくんなっつーの!」

「しゃりしゃりうるせえな……てめえはスシか……」

「だーれがスシの話してんだっつーの! だいたい、うちは海鮮丼派だっつーの!」

「お、おいおい、おめーら、ちょっと落ち着け!?」

 

 黒生寺が乱入して、真田がケンカを売り、萩野が力強く制裁を入れようとしている。

 まずい、血の気が多い三人なので、一気にムードが険悪になる……!

 もはや錦織が完全に渦中外で、ぷいと顔を背けて耳を塞いでいる。

 そんな喧騒になりかけのところで、食堂からまた一つ、影が伸びてきた。

 

「あははっ、錦織さん、遅くなってごめんね。あ、七島くんも元気?」

 

 笑い声とともに、食堂からやって来たのは井伏だった。

 騒ぎ立てている三人の姿に、ちょっとだけ不安な顔をしながらも錦織に歩み寄る。

 青色の大きなリュックサックを背負いながら、井伏の手の中には茶碗と皿がおさまっていた。

 

「井伏も料理か?」

「うん。やっと炊けたからね」

 

 井伏がそう言って、錦織の前に差し出したのは、漆の茶碗にもりつけられた――

 いわゆる、普通の白米だった。

 そして、もう一品は、ほうれんそうのおひたしだ。

 

「これならアレルギ―は大丈夫だよね?」

「ふ、ふん、まあ……白米ぐらいは食べられるわ……おひたしも大丈夫そうね……」

 

 なるほど。たかが白米、されど白米か。

 一杯だけでもちゃんと空腹を満たすのにはいいだろう。

 さすがはアルピニスト、栄養にもきちんと拘っているな。

 

 

「あ、ちょっと待って錦織さん。これだけじゃ味気ないから」

 

 

 箸をのばそうとした錦織を井伏が止めた。

 彼がリュックサックから取り出したのは瓶だった。

 最初は海苔の佃煮かと思ったが、どうも色合いが違うのは明らかだった。

 錦織が顔をひきつらせて、その瓶を見つめている。

 

 

 

「……え? なによ、それ…………」

 

「ああ。マーマレードだよ」

 

 

 

 “マーマレード”

 

 

 

 その言葉に口論になっていた三人の視線も集まる。

 「おい、ウソだろ」と萩野が白米とマーマレードを交互に見て青ざめる。

 そして、俺たちの予感は的中する。

 

 井伏はマーマレードが詰まった瓶のふたを難なく開けて、銀色のスプーンですくう。

 おおさじ一杯分のそれが白米にべちょとかけられてオレンジ色に滲み……。

 

「う、うえあああぁあぁぁあっ……!?」

「やばいやばいやばいありえないってさすがにマジレストでミジンにヤバいって……!!」

「てっ、てめえ……!? よ、よ、よくもそんなこと……!!!」

 

 さきほどまで元気だった三人も一気に顔色を濁らせる。

 萩野は呻き声をあげて、真田もやばいを連発して細いヒールがガタガタと揺らす。

 あの黒生寺ですら、汗を流してたじろいでいた。

 

 橙色に染まった炊きたての白米を間近で見つめている錦織は……もはや無の表情だ。

 なにも感じていなければ、なにも思ってもいないようだ……。

 俺もご飯派、しかも強いて言えばふりかけ派だったので、この無残な白米を見て、ただ口を抑えるしかなかった。

 

 そんな中、井伏は笑顔で何度も何度もマーマレードをご飯にのせ……

 錦織に、なんとも“形容しがたい、炊きたてご飯(マーマレード乗せ)”を再び差し出す。

 

「ほら錦織さん。おじいちゃんに教えてもらったお墨つきだから味は間違いないよ。あははっ、お墨つきなんて、なんか七島くんっぽいこと言っちゃったね!」

「わ、私、おひたしのほう食べるわ……あと、その変なアイスとササミもアレルギ―大丈夫そうだから食べてやるわよ。実は食物アレルギーはカニだけだし……」

「あれ? ご飯は?」

「書道家。あんた、マーマレード好きなんでしょ?」

 

 

 待て、ちょっと待て。

 

 

 思わず首を振ろうとしたが、井伏が喜々とした瞳で白米……いや、マーマレードが異様に光っている炊きたてのご飯を俺に見せる。

 さらりと嘘を吐いた錦織を見ようとしたが、おひたしを黙々と食べて視線もあわせてくれない。

 まさか、上手な嘘のつきかたという本も何百冊も読んでいたのだろうか。

 い、いや、そんなことは今はどうだっていい……!

 

 

「あー。たしかに、真田さんと萩野くんのご飯だけで多いもんね。じゃあ、七島くんにあげるよ。あははっ! 最初はみんな戸惑うけど大丈夫。黙って涙流すほど美味しいってみんな言ってるから!」

 

 

 それは別の意味だ。

 きっと井伏のためを思って、みんな美味しい?と聞かれながら、黙って頷いていたんだ。

 でも、俺は食べたくない。

 声を大にして言いたかった。

 

 

 

 

 食べたくない!

 

 

 

 

 思わず他の三人を一瞥したが、完全に悲報を受け取ったような表情であった。

 沈痛な、憐れむような、すまなそうな。

 目の前には純粋な笑顔を向けた井伏が立っていた。

 マーマレードに染まったご飯と共に。

 

 

 く、くそ……やるしかないのか……。

 

 

 

 ここでノーと言えないのが悔しいが、仕方ない……!

 

 そもそも食べてもいないのに、断るのは井伏やご飯に対しても失礼だからな!

 

 

「わかった、食べるよ。お前が美味しいって言うならさ」

「お、おい、七島……よせ……!」

 

 

 止めてくれるな、萩野。

 俺がこれを引き受けなければならない。

 井伏からもらったご飯、そして割り箸を割った。

 

 

 

 

 男、七島。食べます。

 

 

 

 

 震える手で、艶々なマーマレードに絡まった米粒を箸で掬い、口にゆっくりと放りこんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の記憶はここまでだった。

 

 

 

 

 

 

 俺はマーマレードの海で溺れる夢を見るハメになった……。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、マーマレードごはんは、通りすがりの紅が完食したと聞いたのは翌日の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『マナクマ劇場』

 

 昔、ボクは臆病者でした。

 チキンと言われても、ボクはクマだぞー!と言えないほどの臆病者でした。

 

「今では、相手をローストチキンにするほどたくまくなったね! まあ、ボクのニ番煎じであることには変わりないけどね」

 

 そんなことを先生にもお酒の席で言われましたね。

 

 だけど、先生、それは違います。

 やはりボクは臆病者なのです。

 

 ボクは、モノクマ先生の権威なんて必要ないのに、ついついしがみついて離さないような小心者です。

 ボクは、デブスでデべソなモノクマ先生なんて、もはやマスコットじゃなくて害獣ですねと言えないほどの、意気地なしなのです。

 ボクがそんなことを言っているというウワサが流れて、素知らぬ顔で根回しをして、友達のブタくんに罪を押しつけてしまう、女々しいヤツなのです。

 

 先生、ボクはクマのくせに、罪深いクマなのです。

 どうか、こんな気の弱いボクをお許しください。

 

 だから今度、美味しい豚汁をごちそうしますね。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 干渉と代償

 

 

 図書室に足を運んでみた。

 希望ヶ峰学園の図書室はとても広く、蔵書から最新の文学までおさめられている。

 今は、貸し出しは特に定められていないみたいだから、本は適当に持っていてもいいみたいだな。

 パソコンは古いもので検索用の一台だけ。

 さらに昔ながら、しかも貴重な“和製タイプライター”も横に並んでいる。

 

 図書室の貸し出し机では、俺が手渡したノートパソコンとにらめっこをしている錦織がいた。

 机には大量の本が積み上げられている。入門書から専門的な本まで……多種多様みたいだ。

 入って来た俺には気がつかないほど錦織は集中している。

 しかも、タイピングが……早い!

 彼女の手首から下が見えないって、どういうことだ!?

 時々手を休めては、本を一発で開き、また作業を再開する。

 

 ……これが、超高校級の司書なのか?

 

 俺はなにをしてようか。

 応援しても、邪魔そうだし……本でも読もうかな?

 この本棚は文芸か。ふと『磯の香りの消えぬ間に』のタイトルが目に入った。これにしようかな。

 

 

「……書道家」

 

 

 背表紙に手をかけようとすると、地獄に引きずり込みそうな恨めしい声。

 振り向くと、皿が足りないお菊さんのように錦織がたたずんでいた。

 

「あ、あいさつも無しでアンタは読書タイムとは……さ、さすが書道家様ね? いい御身分だこと……!」

 

 え!? ちがう、まるっきり逆だっ!

 俺は何度も首を振ったが、錦織の陰鬱な顔は晴れない。

 まずいぞ、なんとかして弁明しなければ。

 

「錦織、ちがうんだ。俺はお前の邪魔をしたくなかったから、ちょっと本でも読んで待ってようかなって思って……ほ、ほら、だって勝手に図書をいじられるのはイヤだろ?」

「そ、そうだけど……どうせ、私に気づかなかっただけの言い訳にすぎな……あっ。あ、あああ……あんたぁぁぁっ!!! 『磯の香りの消えぬ間に』を読むの!!??」

 

 な、なんだ!?

 突然、錦織が絶叫に近い歓喜の声をあげて俺のほうに身を乗り出してきたので思わず、反射的に後ずさりをしてしまった。

 

「こ、これか? ああ、まだ読んだことなかったから……」

「“これはまだ”ってことは、他の作品は読んだのね!?」

「え、ええと……多くの賞をかっさらったって言う私小説なら」

「あれは今世紀最大の日本文学だもの! 人間である以上、読まなくちゃダメよ……ふふふ、そうよね……次のお札の肖像画は“腐川”さまに決まりよね……!」

 

 「素晴らしい」なんて一言も言ってないのに。

 フィルターがかかっているというか幻聴でも聞こえてるのか?

 

 でも、俺が読んだ私小説は問題作でもあり傑作でもあった。

 彼女の文体は古風でありながら、現代に生きる俺たちにも共感できる神がかった表現の小説だ。

 そのため、手にとって読み始めたら最後、息をするかのように読むことができたと言っても過言ではないだろう。

 ……とんでもなく暗かったけど。

 そんな私小説、及び『磯の香りの消えぬ間に』を書いたのは。

 

「“腐川冬子”の小説が好きなのか?」

「なっ!? さっ、さまをつけなさいよ、この薄汚Yシャツ男……!!」

「ええっ!? その、腐川冬子……さまの小説、読むのか?」

「ふふふっ、言うまでもないわ……彼女の文学はすべて名著よ……『磯の香りの消えぬ間に』は初めて小説で号泣した私のバイブル……デビュー作が10歳だから才能の開花も早くて今でも筆を執り続けていらっしゃる、まさに私の生きる希望……! ああ、そんな類稀なる才能の彼女と同じ学園に入学できるなんて、夢にも思わなかった……!」

 

 “腐川冬子”

 元超高校級の文学少女。

 言うなればこの学園のOG、正確には78期卒業生だ。

 今もなお小説家として多忙の毎日らしいが、かつては学園の復興や運営にも関わっていたと聞いた。

 なにしろ……。

 

「腐川……さまって、コロシアイ学園生活の生き残りだったよな?」

「そうよ……本当に神様は微笑んでくれたわ! 腐川さまはコロシアイ生活の中で生き残り、今もまだ歴史的に残る偉大な作品を書き続けていることができているんだから! あんなステキな殿方の隣で仲睦まじい生活がエッセイに描かれていて……ああ、なんて羨ましい、嫉妬しちゃう! って、いけない! 腐川さまには、絶対に幸せになってほしいもの……!!」

「あ、ああ、そうだな……」

 

 もはや崇拝の意味でも彼女は腐川冬子を尊敬しているようだ。

 そういえば彼女のエッセイは作者の誇張が多いっていうウワサもあったけど、そんな話を持ち出したらアンチだの人間じゃないと罵られそうだからやめておこう……

 それにしても、こんなに生き生きと語る彼女は初めて見た。幸福絶頂の彼女に別の話を振るのも難だが……

 この話をしにきたのではないから仕方ない。話を切り出そう……

 

「ええと、今こうやって喋ってるってことはパソコンの解析は終わったのか?」

「うぇうぐっ!? そ、その、あ、あれは、ロックが頑丈にかかっているってことはわかって……って、なによ、その残念そうな顔は! あ、あんたじゃなくて、それは私がしたいぐらいよ……! 大体、まだお手上げじゃないわ……!」

 

 そう言って、錦織はちらりと遠くのほうを目くばせする。

 彼女の視線の先にあったのは、蔵書が多く積まれているという図書倉庫室だ。

 

「ロックが厳重だから、ここで開けるのはちょっと厄介になるじゃない……でも、あそこの図書倉庫室は見たところ、監視カメラがついていなかったわ……ホコリが鬼のように舞っているから監視カメラも汚れるんでしょうね……だから、そっちで処理をすることに決めたのよ……」

 

 なるほど、たしか何回か足を踏み入れたことはある。

 その倉庫は裸電球のみで、今にもネズミがでそうな空間だった。

 掃除も行き届いていないみたいで、当然相当な量のホコリが舞っていることだろう。

 

「で、でも、もう一つ、厄介事があるのよね……」

「なんだ?」

「図書の整理よ……この部屋の蔵書を把握したいけど、まだ完全には終わっていないのよねぇ……明日辺りにしたいんだけれど……」

 

 そう言って、俺のほうをさっきからちらちらと見ている。

 目を合わせようとしながらも、また視線をさっと戻してモジモジとしている。

 

 

 つまり……。

 

 

「俺に手伝ってほしいのか? 構わないけど」

「べ、べつに、そんなこと言ってないわよ……!」

「えっと……でも、今のは絶対そうだよな?」

「な、なに勝手に決めつけてんのよ……!? 書道家のくせに妄想が激しいわね……!?」

 

 そういう錦織もしょっちゅう被害妄想が激しいけどな……しかし、それを言ったら、今度こそ錦織と仲良くなれるチャンスが絶たれるので、あえて飲み込んでおこう。

 ……でも、明日って言ってたよな。

 

「なあ、明後日でもいいか?」

「な、なによ……! 明日って言ってるのに、なんであんたの中では明後日になってんのよ……!?」

「ご、ごめん。明日は用事が入っていて」

「あっ! や、やっぱりそうなのね!? ほら、見なさい……! 汚物と埃まみれで気持ち悪い司書の私が嫌いだから、そんな手のひら返しが簡単にできるのね……!」

 

 だから、なんでそうなるんだ!?

 彼女の行き過ぎた想像がどんどんとこじれている。

 これは、なんとかしないと……

 というか、さっきからなんとかしようとしてばっかりだな、俺……!?

 

「なにしてるの?」

「二人して漫才とは実にいい! 吾輩がサクラにでもなってやろうかね?」

 

 「あっ」と錦織が声を漏らして、すぐさま口を閉じる。

 図書室に天馬と円居が入ってきたのだ。

 物静かな天馬はともかくとして……。

 

「なんだか、円居が図書室って珍しいな」

「これでも小学校は国語が大好きな文学少年だったのだぞ? だから、活字はキライではない、むしろ大がつくほど好みだ! 吾輩のオススメの本は『ビロードのうさぎ』だぞ!」

「……たしか、それって絵本じゃないか?」

「わざわざ現実にいて、リアリティたっぷりの物語を読むのはタイクツでつまらないものではないかね? そもそも、現実の出来事をわざわざ本にして読むというのは奇妙だ。物語というのは非科学的、非現実的であってこそ、読む意義があるとは思わんかね?」

「な、なにげに、腐川冬子さまの作品をディスってんじゃないわよ……!」

「まあいい。絵本はないかね? 絵本」

「今、表に出ている本だと『マナとクマ 著者マナクマ』っていうふざけたのしかないわよ……」

 

 錦織は取り繕って、すぐさま円居に本を差し出した。

 表紙には二体のマナクマが手を取り合って歩いているという、どこかで見たことのあるような絵が描かれている。

 円居は少しだけ眉間にしわを寄せて受け取り、ぱらぱらとページをめくった。

 

「ねえ。さっき二人とも、なんの話をしてたの?」

「えっ、えーと、明日、錦織と図書の整理をしようっていう話になってたんだけど。あいにく、俺は都合が入っていて……」

「都合とはデートのことか!」

「で、デデデデデデデート……!?」

「七島くん、すごい」

 

 そ、それは誤解だ!

 何度も首を振ったが、錦織は手を戦慄かせて、天馬は目を見開かせる。円居もなにやら興奮して鼻息を荒げている。

 

「い、いや、違うって! 明日はプールでスイカ割りをする予定があるんだ。だから、俺は図書整理を明後日にしたいんだけど、錦織がそれは乗り気じゃないみたいで……」

「じゃあ、私が手伝おうか?」

 

 ふと手を挙げたのは天馬だった。

 錦織はじい、と彼女を伏し目がちに凝視している。

 やはり、天馬は不運だからあんまり嬉しく……。

 

「……いいわよ」

「えっ?」

「『えっ』ってなによ……書道家に比べたら不運のほうがマシだわ……」

「ええっ!? な、なんで?」

「だって不運なら、ヤッカミとか妬みとか持たずに済むでしょう……私よりもある意味、弱者の立場……正直なところ不運は羨ましくないもの……ふふふ……」

 

 ……えーと、要約すれば。

 錦織は、天馬の不運という才能は、嫉妬しないほど残念な才能だから接していて平気ってことなのか?

 でも、それはさすがに天馬に失礼だろ……。

 

「本当にいいの? ありがとう、錦織さん」

「って、いいのか!? あんなに言われて……」

「だって、不運を認めてくれたんたよ。私が不運で喜んでくれる人なんて初めてだから。すごく嬉しい」

「うむむ、イソップ物語のようだが、なんというか、自尊心の最底辺を見た気分がするぞ! ……正直、あまり心地はよくないものだな」

 

 たしかに。円居の言う通り素直に「よかったな」とは言いづらい。

 かといって、二人とも変に喜んでいるので、あまり水は差せないな。

 

「でも私だけは足でまといになっちゃうかな」

「それならば、吾輩も手伝ってやろうではないか!」

「うぐぐ……科学部はさすがに妬みが……」

「手伝うだけだ。なにもお友だちになろうとは言ってないぞ?」

 

 いや、その言い方は、ひどいんじゃないのか……。

 だけど、錦織は、「まあそうだけど……」となぜか丸めこまれていたので、フォローは必要なさそうか。

 

「じゃあ、アンタたち二人に頼んで言いわけ……?」

「それは錦織が決めることだろう。吾輩たちが決めることではないぞ」

「なによ、その上から目線……!? ま、まあ、いいわ……じゃあ、図書整理してくれる……? 詳しい説明は、私もまとめたいから……明日また話すわ……」

「3人ともごめんな。でも……ありがとう」

「わ、私がなにをしたって言うの!? 書道家の妄想は甚だしいのね……!」

「いやいや、だから! 図書整理とか、パソコンの解析とかしてくれてありがとうって。でも気をつけろよな。体調とか、いろいろ……」

「そんなことわかってるわよ……せいぜい、スイカの種を飲みこんで盲腸にならないといいわね……!」

 

 そんなひねくれた皮肉は初めて聞いたぞ。

 錦織は作業に戻るのか、さっさとノートパソコンを持って倉庫に入って行った。

 

「……ところで七島くん。その持ってる本は?」

「あ、ああ、これか? 『磯の香りの消えぬ間に』っていう腐川冬子の代表作だ。まだ読んだことはないけど、漁師が一時期人気になるほどの社会現象を巻き起こしたラブロマンスとして有名なんだ」

「腐川さんって、この学園のOGの……私、読んだことないな」

「俺も前に私小説は読んだよ。かなり暗い話だけど、身に染みるものがあると思うぞ」

「吾輩も、この『マナとクマ』を読んでみるとしよう! ざっと見たところ、マナとクマという双子が森の動物たちとシチューを作るハートフルストーリーみたいだな!」

「ありきたりな話だな」

「しかし、シチューから人間の足が出ているのは何故だね? 八墓村のパロディだろうか?」

 

 

 いや……やっぱり、ありきたりではなさそうだ。

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン

 

 

 突然、チャイムが鳴り響く。

 図書室の時計をふと見たが、示しているのは夜の7時……。

 モニターに目を向けると、マナクマが楽しそうに両手とメタボ気味の腰を振っていた。

 

 

 

『イエー! めっちゃ毎日ホリデーイ! ずばっと久しぶりに号令かけますかね! そうしちゃいましょうかね! それでは、オマエラ、至急、体育館にお集まりくださーい! いいもの持って待っちゃってますからねー!』

 

 

 呆気に取られていると、倉庫の扉がばんと勢いよく開いた。

 

 

「い、いいいいいい、いまいまい……今の、な、なんなのよ……!?」

 

 錦織が血の気の引いた顔で飛び出してきた。

 倉庫には監視カメラはないが、モニターはついていたのか。

 天馬は考え込むように黙り、円居も眼鏡に手をあてたままだ。

 俺も思わず、錦織から目を反らすように自分のつま先を見つめてしまった。

 

 

 まさか、また――。

 

 

「……行こう。ここで立ち止まってもなにもならないから」

「そ、そうだな。まだ“あれ”とは決まっていないからな! 青春のためにギネス級のカルメ焼きをみんなで作ろう、とかそう言うプランでの収集だろう。うむ、そうだろうな!」

「う、ううううう、リア充の話を聞かされた挙句、なんでこんなことになるのよ……!?」

 

 

 天馬は少し視線を落としながら、円居は無茶苦茶なことを言いながら足早に図書室から出て行った。

 錦織は完全に恨みがましそうに、俺を睨みつけたまま天馬たちの後に続いた。

 

 ……リア充って、俺のことか?

 

 

 とにかく、そんなことよりも。

 

 今は、体育館にイヤでも行かなければ―――

 

 

 

 

 

 体育館に向かうと、すでにほとんどの生徒たちが集まっていた。

 どうやら俺たちが最後のようだ。

 萩野は俺に気づいて、「来たか」と目配せをよこした。

 

 

『集まったー? 始めちゃいましょうかねー?』

 

 

 全員が、一点に集中する。

 いつの間にかステージには、休日の父親のようにマナクマが寝転がっていた。

 俺たちのピリピリした空気もお構いなしに、能天気に「やあ」と片手をあげる。

 

「むう、なんなのだ! せっかくバーベル上げの記録更新するところだったのに!」

『今日は、ちょっとした“昔話”でもしようと思ってね』

 

 “昔話”?

 よいしょ、と、マナクマは重い腰をあげて立ちあがり、いそいそと演説台にのぼる。

 

「まあ、昔話でございますか! 楽しみでございますです! 芙蓉も鶴の恩返しを読んでもらったのでございます!」

「あはっ、俺も金太郎やカチカチ山をおじいちゃんに読んでもらったなぁ……」

『あのねえ、そんなマンモス横行している時代の話じゃないよ! ほら、オマエラ。あの歴史の先生知ってる? オマエラが2年生の秋ぐらいに退職したおっさん先生ね』

「ああ、あのクッソ説教臭くてバーコード頭を帽子で隠してたアイツ……って、なんで、お前が知っているのかなあ?」

 

 秋に退職した歴史の先生。

 数名は覚えていないのか、はたまた習ってないのか首を傾げているが、おおむねは誰のことか理解しているようだ。

 かく言う俺や、萩野もその先生に習っていたため、すぐに顔は思い浮かぶ。

 その教師は希望ヶ峰学園のOBで、元超高校級の考古学者として有名だった。中年だが、転がる岩を相手にしたような強面の教師だった。

 

『ボクが知っているかなんてどうでもいいの! オマエラが知っているかどうかなの! その先生、前の学園長によってクビにされたんだよ。その解雇された事情がひどくてね。これには、さすがのボクも元学園長には悪魔で鬼で人でなしのサディストだと言わざるを得ないね!』

「はあ? アンタにだけは言われたくないっつーの!」

『その先生が解雇された理由は他でもない。“作文”だよ』

「……“作文”って?」

 

 天馬がじろりとマナクマを見つめる。

 

 

『その先生は、全校生徒に作文を書かせたんだ。オマエラ覚えてるかな? まっ、覚えてないこと前提で話すけどね。なにせ“曰く付き”だから……』

 

 

 曰く付きを強調しながら、マナクマは変わらぬ顔で『うっぷっぷ』と不敵な笑みを浮かべる。

 

『作文のテーマは“自分の罪”。生徒全員に書かせて、それをファイリングして発表しようとしたんだ。先生は生徒たちに罪を認めることの大切さを説こうとした素晴らしい先生なんだ! だけどそれを良しとしなかったのは、頭でっかちで希望厨(笑)な元学園長! そんなことを強要して書かせるなんて非道だー! 生徒たちのトラウマや罪悪感は増すだけだー! とかなんとか言って、その作文を撤去しちゃったんだ! しかも、あろうことか“作文を書いた”という事実もみんなの記憶から消しちゃったんだよね!』

「な……馬鹿な!? 学園長が我々の記憶をか!?」

 

 円居は腕を組みながら、ギョッと目を丸くする。

 たしかに円居の驚きはもっともだ。

 作文を書いた記憶も消したって……学園長がそのようなことをしたというのか……!?

 

『おっと、「そんなの知らない!」とか「許可もないなんて法律上うんぬん」の前に言うけど、まったくもってその通りだよ。元学園長(爆笑)はオマエラの意志関係なく、オマエラが作文を書いた記憶を消したんだよ。希望の芽を守るためとは言え、とんでもない暴挙だよね! かつては素晴らしい才能で、人類の希望なーんて称えられていたのに、今や見る影もないね。希望に縋るだけの壊れたマシーン……うぷぷ、憐れな学園長ですなあ』

「……っ、が……学園長の悪口を言うんじゃないわよ……!?」

『なに言ってんの? 今の学園長はボクですよ!』

 

 マナクマが、威嚇のように両手をあげて歯をむきだしにする。

 今の学園長……って、そう言えば。

 

「マナクマ。お前の言う“元学園長”……“俺たちが知っている学園長”は、どこにいるんだ?」

『ドキィ! いやなところに目がつくね、七島くん! まあ、お代官様。お硬いことは言わずに。いずれにせよいつかはわかります故……』

「いつかっていつだよっ!? 五日後か!?」

「っていうか、学園長先生だけじゃなくて、他の先生も友だちも、みんなどこ行っちゃったのだー!? 答えてよー!!」

「待ちたまえ、むやみに聞くのも危険な真似でないかね。今、“真実”が発表されて、しかも、その“真実”が絶望的なものであったら……間違いなく大混乱確実だろう!」

 

 啖呵を切った萩野、今にも泣きそうにマナクマに詰め寄りかけた大豊を、円居が白衣を揺らしながら制した。

 

 ――真実。

 

 その言葉に思わず唾を飲み込み、喉に痛みが降りる。

 たしかに、俺たち以外のみんなは一体どこに行ったって言うんだ……?

 マナクマはその様子を、青い瞳をぎろりと光らせながら眺めていた。

 

 

『そう言われると言いたくなっちゃうんだけど……まあ、いいや。っていうか、話脱線させんじゃねーぞ! もちろん歴史の先生は解雇されたよ……だけど、クビになる前に、一矢を報いたんだ。なんと、作文の処分を偽装したんだよ! そして本物の作文をこっそり残しておいたんだ! 先生は最期の時まで言っていました。

 

 

 “罪を認めない者が、下劣な犯罪者になる。

 

  故に罪を明かすことこそ、真の勇気であり清く尊い存在なのだ!” 

 

 

 そう言って、先生は解雇された翌年に食中毒で亡くなり、奥さんと10歳の娘も無理心中しました……よよよ、いつ聞いてもドライアイが潤う話だね……』

 

 

 マナクマはハンカチを取り出してちーんと鼻をかんだ。

 先生は気の毒かもしれないが、マナクマが憐れみの感情を持っているということが今は妙に腹立たしい。

 マナクマは鼻をかんだハンカチを丸めてアンダースローの要領で床に捨てた。

 くしゃくしゃのハンカチは、顔を歪めた清掃委員の白河によって拾いあげられる。

 

「ポイ捨てはやめてください……と言っても、ルールにないから無駄でしょうけど……」

「でも、私もその先生の言い分には疑問を感じるわ。たしかに悪いことに処罰が必要なのは正しいことよ。でも、むやみに人の罪を明かすことは、本当にいいことなの?」

『まっ、それはオマエラが判断することですけどね』

 

 紅の言葉へのマナクマの返答に、俺の心臓はどんどんとうるさくなる。

 

「おい……どういう意味だ……」

『さーて、今回の動機は、こちらになりまーす!』

 

 黒生寺が一歩踏み出したと同時に、マナクマはお腹をごそごそとまさぐって、なにかを取り出した。

 じゃーん、と言わんばかりに何十枚かの封筒を見せびらかす。

 

 

 

『このなかに、オマエラの書いた作文があります! 覚えてないだろうけど、オマエラの直筆だから本物だよ! もちろん題名は――“自分の罪”!

 

 

 

 ぞわり、と心臓が身震いした。

 手の先と足の先が突き刺されたように痺れ氷点下に来たかの如く寒気が生じる。

 すぐさまマナクマが封筒を紙吹雪のように床にばらまいた。

 慌てて、みんなが床の封筒に群がり、自分の名前が記された封筒を開け始める。

 反応を見れば、それが本物か偽装かは見ればすぐに察しがついた。

 

 

「へ、へけえ!!? な、な、なななな、なんでえええ!?」

「ウーララ!? じょ、冗談だろこれ……! で……でも、これは……!」

「ふん、くだらん……」

 

 

 叫ぶ者。動揺する者。強がる者。

 整然に過ごしていた臆病なピラニアたちの群れに、小石を投げ入れたかのような騒然に変わる。

 俺も恐る恐る作文用紙を広げた。

 

 

 

 

 

『俺は幼い頃から風呂が嫌いだった。

 面倒だし、シャンプーやせっけんの独特な薬品の匂いが好きではなかったからだ。

 なによりも姉が友達からもらったという柑橘類の石鹸が嫌でたまらなかった。

 あの甘酸っぱいようで苦いような、複雑怪奇な匂いに耐え切れなかったのだ。

 

 だから、夜中にこっそり石鹸を花壇に埋めてしまった。

 その後見つかっても飼っている犬が埋めたんだと家族にウソをついてしまった。

 

 幼少のイタズラとはいえ、愚かな真似をしたと思う』

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……………。

 

 

 …………ええと、たしかに小学校1年生ぐらいのエピソードだが。

 本当にバカなことをしたな。

 たしか「犬が石鹸をくわえて持っていくわけないでしょ!」とすぐにバレて、1週間おやつ抜きにされた。

 でも、それにしたってしょうもなさすぎないか……!?

 

 

 

 

 

 それに、この作文は――

 

 

 

 

 

「…………っ、」

 

 

 いや、やめよう。

 “この違和感”は、今考えることじゃないはずだ。

 震える指先で作文を折りたたんで俺は無造作に封筒に突っ込んだ。

 

 

『はい、これだけじゃ物足りないのでもう一つ! この作文の内容をオマエラ全員に校内放送します! ビラでばらまいちゃいます! 脳内にも直接伝えちゃいます! もちろん、外の世界にもね……! タイムリミットはきっかり24時間。たとえば、こんな風に読みあげちゃうよ!』

 

 そう言って、マナクマが残った封筒をびりっと破いて作文を取り出す。

 ……ちょっと待て。

 俺と考えは一緒だったらしく、いち早く萩野が片足で床を踏み鳴らした。

 

「お、おいこら待て! その作文は誰のだ!?」

『さあ? 余りものをテキトーに拾っただけですけどー?』

「つまり個人の名前は読みあげないつもりですか?」

『うぷぷ。プライバシーの侵害で訴えられるのはさすがに怖いからね。でも、作文は書いてあるとーりに発表しますよ!』

 

 こんなことをして、なにがプライバシーだ……!

 名前は出さないと言われても、まだほとんどの人の顔が曇っている。

 俺のはくだらないが……ここのみんなに公表されたら、すぐに俺だって判明してしまうだろう。

 それと同じように、自分だとすぐにわかってしまう作文だってあるはずだ。

 

 余りもの……と言うと、亡くなってしまった藤沢や四月一日のものなのだろうか?

 そんな考えをよそに、マナクマはもったいぶったようにおほん、と咳払いをした。

 

 

 

 

『オマエラ、しずかーに聞けよ。ごほん……“私はイノシカイチョーさんを見殺しにしました”

 

 

「…………は?」

『こら、萩野くん! 先生まだ喋ってるでしょ! は? ってなんだよ、は? って! 先生の奥歯にのりしおがついているからって失礼ですよ!』

 

 マナクマの突拍子もない怒りはどうでもいい。

 さきほどの聞き慣れない言葉に、俺たちは疑問を浮かべずにはいられなかった。

 “イノシカイチョー”

 『さん』付けと、『見殺しにした』という言葉から人間であることは分かるが……。

 

 

 

 

『まったく、続き読みますよ……

 

 

 

 “中学3年生の時、私は死体を発見しました。

 私は人気の少ない駐車場を歩いていました。

 最初はホームレスが寝ているのかと思いましたが、全く動かなかったので私は心配になって駆け寄りました。

 それは新聞で見たことのある顔、イノシカイチョーさんだということがわかりました。

 しかし、その頭は血だらけで、服も破れ、生気のない瞳がぎょろりと飛び出していて、今にも目玉が飛びかかりそうなほどこちらを見つめていました。

 助けなきゃ。

 そう思いましたが、足がすくみ、石のように硬くなって動けませんでした。通報もできませんでした。

 私ができたことは、そのまま逃げることだけでした。

 ちなみに、後に知ったことですが、偶然にも目撃した同年代の学生が、私を含めて5人もいたそうです。

 イノシカイチョーさんはあの時点で、助からなかったでしょう。

 しかし、もし、私が助けを呼ぶことができていたら……このことを考えると、私は罪深い人間と思わざるをえません”

 

 

 

 ……ひゃー、ナゲー作文! しかも下手なサスペンス劇場みたいだね』

 

 

 

 ……いったい、なんだこれは。

 つまり、まとめるとこういうことか?

 

 この作文の“私”、この作文の書き手は、病院の駐車場で死にかけの“イノシカイチョー”と言う人物をを目撃した。

 しかし、“私”は“イノシカイチョー”に対して、なにもせずに逃げてしまった……。

 これが、“私”の罪の内容ってことか?

 

 でも、あまりにも素っ頓狂な内容だ。

 そもそもの話……。

 

「“イノシカイチョー”って、なんだ?」

『さあね、ボクは知りません。だけど、“ふさわしい語り部”はオマエラの中にいるって言えば、ミステリー小説っぽくね?』

「語り部って、どういうこと?」

 

 天馬が端的に、マナクマに疑問を投げかけた。

 

 ふさわしい語り部。

 その語り部は、俺たちの中にいる。

 

 いったい、どういう意味だ?

 

『おっと、ぬいぐるみに歯ぐきをつけるレベルの蛇足だったね! なんにせよ罪が明かされるのがイヤなら、誰かを殺っちゃってください。人に言えない罪を明かすか、言わぬまま殺すか……ぶっひゃはははは!! わっくわくのジレンマですな! それじゃあ、次の殺人が起きるまでまったねー!』

 

 マナクマは手を振りながら、すぐさま消えていった。

 残された俺たちは様々な意味で、呆然とするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 一回目の動機は騒然だったが、二回目のこれは不気味な程の静寂。

 だけど、それは形容できないような不安から生じるものなのは確かだ。

 

「で、でもさー……最初はビビッたけど、大丈夫じゃね? 書いてないのを覚えてないのは気味ワルいけど、そこまでマズイもんじゃないし……って言うかさ、さっきのイノシカイチョー? ってなに? いくらなんでも死人がでるようなもんじゃないって」

「そ、そうでございます! このようなことで、殺人が起こるなどあってはならないのでございます!」

「こんなもんなら、さっさと吐くほうが楽だろ……」

 

 真田と角が顔を見合わせて頷いている。

 常人より多くの罪を犯しているだろう黒生寺も、あっさりしていて動揺している素振りが見えないが……。

 

 

 

「ふざけやがって! 誰が話すかよ、ンなこと!」

 

 

 

 

 しかし、彼らの言葉に対して怒号で遮ったのは……。

 

 

「は、萩野……? ちょ、ちょっと落ちつけって……」

「落ちつけだって? 落ちついて内容言えって意味かよ!?」

「い、いや、だから、そうじゃなくて……」

 

 まずい。この怒り方は。

 萩野の怒りは軽いものから、重いものと極端だが、これは完全に重いほうだ。

 しかも、こじらせると三日は機嫌が悪くなるタイプだ……!

 

「俺は言わねえからな! なにが罪を明かすだ、なにがプライバシーだ! こんなのふざけてやがる!」

「そーは言うけどさ。明日にはマナクマがハッピョーしちゃうんでしょー? そんだったら、今言うのも、明日言われるのも」

「ちげーだろ!? 根本的に! 間違ってんだよ、話すってこと事態がよ! じゃあ、おめーらは言えんのかって話だぞおい!!」

 

 萩野が目をぎょろりと見開いて激昂を飛ばす。

 たしかに、彼の言うことはもっともだった。

 自分の罪を知られると言うことは相当堪えるものがある。

 それは、弱みを見せることだからだ。

 

 

 

「では萩野さん。あなたは誰かを殺すおつもりでいらっしゃると?」

 

 

 

 白河の言葉に、今度の萩野は目の瞳孔が開いた。

 いや、萩野だけでない。俺たちも思わず息を飲んだ。

 白河が飛ばしたのは注射ではなく、ナイフだった。

 

「な……なに言ってんだよ? 作文の内容を言わなきゃ、人を殺すってのかよ!?」

「しかし、明日には決着がついてしまいます。マナクマが大々的に嘘を吐くとは思えません。マナクマは全員の罪を言うでしょう……あなたは、どうするおつもりですか?」

「だ、だけどな、俺は言わねーぞ、こんなこと……言えるわけねーだろ!」

 

 言えるわけ、ない。

 思わず、俺は萩野の瞳を覗きこんでしまった。

 常に俺の心配をかけてくれた萩野の。正直に話していたはずの萩野の。

 知られたくないこと……って……?

 動揺が目に見えている萩野に対して、白河は一息吐いて、言葉を紡ぐ。

 

 

 

「言えるわけないですか。それほどまでに、あなたは自らの罪を恐れているのですね」

 

 

 萩野、いや、俺たちも一体どんな表情をしていただろうか。

 

 

 白河の瞳に誰もが撃ち抜かれ、茫然としているようで。

 どん、という音が鳴り響いた。

 萩野は床を貫く勢いで足をどんと踏み鳴らして踵を返していた。

 

 

 

「お、おい萩野っ! 待て!」

 

 

 

 萩野を呼びとめたが、彼はなにも言わずにズカズカと体育館の扉に一直線に駆けだしていた。

 横顔は見えなかった。

 いや、見ることができなかった。

 

 彼の大きな手によって顔全体が隠されていたから……。

 

 しばらく体育館は重苦しい沈黙に包まれた。

 

 

「……うーん、ムッシュ白河。少しいいかい?」

 

 やがて白河に歩み寄ったのは、モノクルを光らせたランティーユだった。

 いつもは穏やかな顔が、凍ったように張り詰めている。

 

 

「本当はこんなこと言いたくないけど、今回は鑑定士としてケチをつけさせてもらうよ……あれは言い過ぎだ。ムッシュ萩野が暴走していたのは分かるけど、少し時間が経ったら君も謝ったほうがいいよ……」

「何故ですか? 私は殺人を犯してほしくないまでです。たしかに私の言い方もきつくなりましたが、それでしか彼は止められなかったでしょう」

「僕も光るキノコ頭よりは白河くんの意見に賛成だねえ。ああいうチンピラにはキツく言わなきゃわかんないだろ」

 

 ランティーユが珍しく厳しい意見を述べたが、彼らの反論を受け、「うっ……」と引け腰に変わる。

 いつもだったら、すごすご引き下がっていただろう。

 ……でも、今回は少し様子が違うようだ。

 再びランティーユはモノクルを直して、彼らを鋭く見つめ直した。

 

「た、たしかに、ぼくはマッシュルームカットだけど……でも、やっぱり、ぼくは君たちの意見には納得できない。特にムッシュ白河、君は人の思いやプライドや簡単に傷つけることができてしまうようだね。それもどこか無自覚、しかも正しい言葉で……ムッシュ萩野はたしかに乱暴なところはあるけど、ちゃんと節度は保っているし、みんなの意見も聞き入れることができる。場を理解できる能力を持っているはずだ……それなのに、彼にあんな脅迫まがいなこと……『殺人を犯すつもりか』なんて問いただしたら、パニックになってしまうよ」

 

 ランティーユの言葉を聞いて、白河は少しだけ目を伏せた。

 ふうん、と言いながらも、十和田も視線を反らす。

 

 

「あの……俺もランティーユの意見に賛成だ。萩野の親友だから……っていうのも変だけど、アイツは弱さを見せたがらない。だけど、その弱さを自分自身で解決の道は切り開く力を持っているのを俺は知っている。だから……あまり、萩野のことを悪く言わないでほしい」

「……わかりました。そうですね。少し、私も強く出すぎたかもしれません……申し訳ございません。私は……ただ、萩野さんに、劣悪な罪を犯してほしくなかっただけなんです…………すみませんでした」

 

 俺の言葉に、白河がそう言って、深々と頭をさげた。

 言葉がキツくなったものの、彼も彼なりに、萩野を止めようとしたのだろう。

 十和田はそっぽを向いている。謝る気はなさそうだが、反論もなさそうだ。

 

 張り詰めた空気は少し緩んだが、それはほんの一時に過ぎない。

 なぜなら、問題はまったく解決はしていないからだ。

 

「しかし、萩野の言うことにも一理あるのは事実だな。それは吾輩も言いたくなかったからだ!」

「ううう……い、胃痛がしてきたわ……! 過去のことを思い出すと胃炎が……!」

「あ、はは……俺も、これまた嫌な部分をえぐられちゃったな……どうしようもないね……」

「…………私も、ちょっと怖いかも」

 

 天馬も腕を組んで少し伏し目がちに床を見つめている。

 ……天馬も怖いと思っているのか。

 やはり、彼女にも後悔している罪があるのだろうか……。

 

「とにかくみんな。今夜は解散よ。部屋に戻りましょう。みんな思うところはたくさんあるでしょうけれど……くれぐれも、変な気は起こさないで。日常の壊れた先にある殺人、そしてあのような裁判を起こしてはいけない。もう一度、あの裁判を思い出して。みんな痛いほど身に染みているはずよ。『どうしようもない疑心暗鬼と絶望をまた繰り返したいの?』 そう心に唱えて……落ち着いて。今日は静寂の中でゆっくり休みましょう」

 

 紅が諭すようにしてゆっくりと語りかけたのを機に、俺たちは足早に体育館から離れた。

 

 

 この動機が、不安を煽るものであることは事実だ。

 

 

 だけど、なにか俺たちに燻らせるような。

 別のところで、自分だけが知らない水面下で物事が動き始めているような底知れなさ。

 そんな見知らぬ不安が溢れ広がっていくようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「萩野、俺だ。萩野、聞こえているか?」

 

 

 

 俺は体育館を出て、すぐさま萩野の部屋の前に立った。

 何度もインターフォンを押して、ドアを叩いてみた。

 かれこれ30分は、この調子でドアの前で待ったり、叩いてみたりしていた。

 それにしても叩きすぎて、拳の表面が痛くなってきた……。

 

 

「萩野、おい、萩野、萩野ってば。いないのか、寝ているのか? なあ、はぎ」

「っだぁぁ!! っるせえよ!?!」

「うわっ!」

 

 前触れもなく声を荒げた萩野が部屋から飛び出してきた。

 その拍子に悲鳴をあげて、尻もちをついてしまった。

 慌てて立ちあがって、すぐさま萩野の肩に手を置く。なんだかいつもより小さく感じられる……。

 

「ご、ごめん。さすがに迷惑だったな……でも、お前が心配で」

「いや、こっちも怒鳴って悪かった……ってか、おめーも変なところで心配性だな……そんなんだと、ストレスたまっぞ?」

「で、でも、抱え込まないでくれよ。悩みがあるなら、いつでも俺に言ってくれって。いつも俺が萩野に頼ってばかりだからさ」

「おいおい、なーに言ってんだ。俺の心配よりも自分の心配しとけって! 俺は、大体のことは寝りゃ治るからよ……そーだ。明日のスイカ割りはやるからな。だからおめーも、そのシケたツラさっさと治しとけよな」

 

 そう言って、手を静かに払われて、すぐさま扉を閉められてしまった。

 ああ、やっぱり。

 今回も、一人で抱え込むつもりなのか。

 

 

 萩野は面倒見がよく、俺が一つため息を吐いているとすぐさま声をかけてなんでも聞いてくれる。

 そして、俺もついつい話して、気持ちを楽にさせてもらっている。

 だけど、その逆パターンというのが、ほとんどなかった。

 「親友だからお互いさまだろ?」と萩野は言うが、大体、俺が萩野に頼りっぱなしだ……。

 

 俺は、なにも萩野に返せてない。

 実は萩野のことを、理解できていない。

 白河に説得したけど、俺は萩野と腹を括れていないのだ。

 

 そんなふがいなさが、親友というアイデンティティを打ち消しているようで――

 

 

 

 

「……七島さん」

 

 

 

 突然、後ろから声が聞こえて現実に戻る。

 振り向くと、いつもよりも暗い表情の白河が立っていた。

 

「あの、萩野さんの容態は、いかがでしたか?」

「あ、ああ、大丈夫だぞ。寝れば治るって言ってたから」

「申し訳ないことをしました。萩野さんにも、あなたにも……ランティーユさんの言う通り、私はどうやら無自覚にみなさんを傷つけてしまっているようですね……」

 

 罪を告白しないなら、誰かを殺すつもりか。

 きっと白河にとっては、ストップをかけるつもりだったのだろう。

 ……しかし、萩野にとっては、予想以上に相当重い意味でとらえられたのだ。

 

「そう言えば、白河はどこに行くんだ?」

「さきほど、マナクマが捨てたハンカチを処分しようと思いまして」

「そ、そうか。さすが清掃委員だな」

「……あなたは他の方に比べればとても落ち着いて見えます。しかし、大丈夫なのですか?」

「あ、ああ……なんていうか、俺の作文は、その、肩すかしっていうかなんていうか」

「そうなんですね……」

 

 多少しどろもどろになってしまったが、白河は特に言及しなかった。

 たぁん、たぁん、という俺たちのゆっくりとした足音だけが廊下に響く。

 

「“イノシカイチョー”……私が言えたことではありませんが、変わった名前ですね」

「え? ええと……ああ、マナクマが言ってたヤツか。あれって、なんだったんだろうな」

「このように発表するという脅迫だったのかもしれません……しかし、本当にそれだけなのでしょうか?」

 

 

 ……えっ?

 

 

 突然、白河が疑問符をつけたことで、俺は思わず彼の顔をまじまじと見た。

 精悍な横顔がじっ、と廊下の先を見据えている。

 

「どういうことだ?」

「まだ私も考えがまとまっていないので、詳しくはお話できないのですが……もちろん、脅迫目的もあるでしょうね。しかし、果たしてあの作文が脅迫として役割を果たしていたのでしょうか? それが今、気になってしまいまして」

 

 そう言って、白河はまた黙りこんでしまった。

 

 脅迫としての役割、ならば、“イノシカイチョー”も、なにかを意味していることなのか?

 白河はそう言いたいのだろうか?

 たしかに、マナクマの言葉も節々も奇妙なところが見受けられたし……あの作文公表は、なんだったんだ?

 

 

 

 

「おーい七島っちー!! 白河っちー!!」

 

 

 

 今度は少し離れた場所からの声が廊下に響き渡る。

 大豊だ。それだけじゃない。真田や紅、角もいる。

 紅と大豊は大きなゴミ袋を片手に持っている。

 

「どうしたんだ、みんなして」

「昨日にかけて服を真田が仕立ててくれたの。そのゴミを捨てに今からダストルームに行くところ。動機があったとはいえ……ここのみんなは、そこまでショックを受けてなかったから」

「ゴミをその日のうちに片づけるとは感心です。ところで服とは……いったい、なんですか?」

「それはそれは愛くるしい水着でございます! 明日のスイカ」

「なんですって? いまスイカと」

「あ、あー、角ちゃん? それはマチゲリータ情報だよ。うちら明日プールでファッションショーするんだよ。七島と一緒にね?」

 

 真田はすぐに俺に目配せしてきた。隣の角が目を丸くしていた。

 言わんとしていることは分かったので、俺も取ってつけたように頷いた。

 彼女たちには昨日、スイカ割りのことは伝えたが……萩野主催は伝えられてなかったのかもしれない。

 それでも、スイカ割りのことは白河には伏せないと。

 

「ええっ! そうでございましたのですか!?」

「そ、そうそう、そうなんだよ。プールで遊ぶついでにファッションショーすることになってさ」

「そうですか……なら、私も見学してもよろしいでしょうか?」

 

 『私も』見学って…………え?

 背中に冷や汗が溢れだした。

 

「ファッションショーなら、私もぜひ行かせてください。興味があるんです。よろしいですよね?」

「えっ、ええ。ええ!! も、ももも、もちのろんぱでございます! 白河さま!」

 

 ダ、ダメだ。

 角は嘘がとんでもなく下手みたいだ……。

 

 

「それでは、楽しみにしてますよ。プールでのファッションショーをね……」

 

 白河も見透かしているのか、少しだけ勝ち誇ったような表情であった。

 掃除魂に火をつけてしまったのだろうか。

 ダメだ……これは、いろいろとダメだ……。

 真田の「あちゃー」と言わんばかりの顔。紅の苦笑い。角の動揺。

 そんな中、大豊だけはみんなの顔を見回して「へけ?」と首を傾げていた。

 

「え、ええと……ところで、大豊さまは、水着はいらないのでございますか?」

「あたしは作るのが好きなのだ! でも、あたしは泳ぐのは苦手だからプールはパス! 明日こそバーベルの記録更新をしなきゃ!」

「ってか、大豊ちゃんってスイスイっと泳いじゃいそうなイメージがあったよ」

「よくそーいわれるのだ! でもお水の中って足がつかなくて、こわく……って、はむぅっ!?」

 

 話している途中で、大豊は突如ずっこける。

 彼女が持っていたゴミ袋がぽーんと前方へと飛ばされた。

 ああ! と慌てて紅たちが大豊に駆け寄った。

 顔面から転んだが、大丈夫なのか……!?

 

 …………って、あれ?

 

 大豊の手から、なにかが転がってきた。

 くしゃくしゃになった紙切れ……作文か? 紙には文字が羅列していていることに気づいた。 

 床に転がった紙を拾い上げようとした刹那。

 

 顔全体が強張った。

 先ほどのマナクマの“動機”からして、見てはいけないとは分かっていた。

 だけど、ある文字だけが目に留まってしまった。

 

 

 

 『万引き』

 

 

 

 人はどうして悪い文字にひきつけられるのだろう。

 その尖った言葉に、俺は反射的に目を反らしてしまった。

 

 大豊は顔をあげると、「ああっ!」と床に転がった紙きれをぐしゃりと掴み取りポケットにつっこんだ。

 その様子を、なんとも言えない表情で紅たちが見つめていた。

 彼女たちも、あの字が見えたのだろうか。

 

「大丈夫でございますか、大豊さま!」

「う、うん、へーきなのだ! よくちっちゃいころに、すりむいてたからね!」

「今も気をつけなよー、大豊ちゃん? ささ、夜時間になる前に、クシャポイしてこようよ」

「そうね、行きましょう。私もこの後、委員の仕事をしなきゃいけないし……白河、そのハンカチ一緒に捨てるけど、もらいましょうか?」

「いいえ、私は清掃委員です。ゴミを前に働かないわけにはいきません。だから私も行かせてもらいます。七島さんはどうなさいますか? お疲れのようでしたら部屋に戻っても問題ありませんよ」

「あ、ああ、じゃあ、お先に……」

 

 「おやすみ」「お疲れ」と手を振りながら、またはペコリとおじぎをしながら、大豊たちは俺の横を通り過ぎて行った。

 最後尾の白河だけが、俺に視線を投げかけたのを見逃さなかった。

 

 

 

 

 ――あの作文、あなたは見えましたか?

 

 

 

 

 そう言わんばかりの確認の意が俺には見えた。

 

 

 

 『万引き』

 

 

 

 ……ああ、そうだ。見えてしまった。

 もとい、見てしまった。

 

 彼女は作文が見られたって気づいただろうか?

 多分、大豊はあの作文を捨てるつもりなのだろうか?

 彼女は、大丈夫なのだろうか……?

 

 

 

 

 とりあえず、部屋に戻ろうとして踵を返した。

 その視界に現れたのは、黒いボストンキャリーバッグを背負った井伏。

 床を見回していたが、ふと視線をあげて俺の存在に気づいて、すぐさま笑みを浮かべられた。

 だけど、なんだか痛みをおさえているような苦し紛れの笑顔に見える。

 

「……井伏? どうしたんだ? そろそろ夜時間だぞ」

「あっ、七島くん……ええと、ちょっと薬もらいに行こうかなあ、なんて思っててさ」

「薬って……具合が悪いのか?」

「いやあ、ちょっとお腹が痛んじゃって……」

「え? 大丈夫か……!?」

「あ、ははっ、そんなひどくないから平気だよっ! でも参ったな……さっき飲んだお茶が腐ってたのかな? あんまり薬とか好きじゃないけど、さすがにしくしく痛んじゃって眠れそうにないね……あはは、今夜はとりあえず、薬もらって笑って治すとするよ」

 

 笑いで完治できるものなのか?

 最近、井伏の表情を見ていると、笑顔なのに何故か寂しくなってしまうことがある。

 なんだか、心ここにあらずのように思えてくる。

 

「なあ……本当に大丈夫なのか?」

「はは、七島くん、怖い顔しちゃダメだよ? 笑う門には福来るって言うでしょ。笑っていれば、どんなことでも大丈夫だから。あははははっ! あ……そうだ、そう言えば、俺のデジカメ見なかった? 赤いのなんだけど、なくしちゃって……うーん、顔からして見てなさそうだね」

「ああ、見ていないんだ。ごめんな、役に立てなくて」

「ううん、いいんだよ。最近、なにかと物が無くなっているみたいなんだよねー。天馬さんはしょっちゅう物をなくしてるみたいだけどね。十和田くんもマジック用の布を無くしたみたいだけど……俺、さっきランドリーで見つけちゃった。端っこに名前の刺繍があったんだ」

 

 井伏がボストンキャリーバッグから少しはみでている、黒い筒状のものを指さした。

 はみだすということは、相当の大きさみたいだな。

 

「十和田くんのは見つけたけど、俺の探し物は見つからないなんて……あははっ! ついてないな……まっ、俺は明日探そうっと。引き止めてごめんね。そんじゃ、七島くんが富士山の夢を見られることを祈って! おやすみなさい!」

「あ、ああ、おやすみ……」

 

 笑みを張り付けたまま井伏は保健室の方へと向かうため、俺の横を通り過ぎて行った。

 富士山の夢は正月に見るものじゃないのか?

 

 

 

 

 しかし、本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

『偽りの中で生きて耐え忍ぶ。辛苦の日々はやがて常識を反転させる』

 

 

 これは腐川冬子の私小説の中にあった一節……だった記憶がある。

 だけど、いまいち覚えていない。もしかしたら彼女の作品じゃなかったかもしれない。

 

 ただ物語の本筋は覚えている――母が二人いたという主人公は、ずっと苦しんでいた。

 愛を知らず、どうやって相手と接触すればいいのかもわからず。

 愛とはなにか。優しさとはなにか。

 自分の湧き出る喜びや悲しみは果たして本当なのか。

 やがて罵られ蔑まれることも『愛』だと倒錯するようになり、彼女が甘美な地獄に堕ちていく描写が丁寧に書かれていく。

 

 この場面は読んでいて頭を痛めたが、この思いは決して分からなくはないのだ。

 本当の感情――と人は言うけれど、自分の感情の真偽はそうカンタンに、自分でも分かりえないことだ。

 

 井伏もそうなのだろうか。

 あの笑いは、本当に心からの笑みなのだろうか。

 

 

 


 

「あははっ、まさか! でもね、自分ばかりを守り続けていたら、いつか必ずバチが当たるものなんだよ。俺のおじいちゃんがよく言ってたんだけど、ツケっていうのかな? 自分が可愛いあまり守れば守る分、誰かが傷つくようになっているんだ」

 

 

「ふふ……あははっ、うん。いいよ? それなら俺を殺してよ」

 

 

「ああ……そうだ。最初からこうすればよかったんだ。俺はこれ以上、他の人が死んじゃうのは見たくない。だからさ。黒生寺くんの好きなようにすればいいよ」

 

 


 

 

 ……あの時の彼はいったいなんだったのか。

 

 自分優先ではない、井伏の見解なのだろうか。

 誰かを傷つけるのを、恐れているのだろうか。

 傷つけない、それが井伏の拘束なのだろうか。

 後悔や、罪。井伏もそれを隠して生きているのだろうか。

 

 

 

 あの優しく穏やかな笑顔の裏に……。

 

 

 

 

「……もう、寝よう」

 

 

 俺は自分の部屋に着くなり、すぐさまベッドに横になった。

 果たして、うまく眠れるといいが……。

 罪、償い、イノシカイチョー……。

 今日の様々なことが巡り巡って、それがどんどんと真っ黒に塗りつぶされていく。

 

 

 

 

 

『このなかにオマエラの書いた作文があります! 覚えてないだろうけど、オマエラの直筆だから本物だよ!』

 

 

 

 

 

 

 ほんの一瞬、暗闇の中浮かび上がった先刻の言葉。

 思い出したくない。忘れたい。知りたくない。考えてはいけない。

 それでもボタンを押すなと言われてるのに押してしまう矛盾でありながら、俺は、睡魔に落ちる一瞬に『疑問』を生み出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なぜ、俺の作文は直筆ではなかったんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

『マナクマ劇場』

 

 今から何年前のことだったかなあ。

 ボクは、たくさんの女の子から愛されたことがあってね。

 

 たしか、その中の一人に、シンデレラっていう子がいたね。

 シンデレラは美人で、家事はできて、中華料理店の店主よりは料理も巧かったよ。

 だけど、人に頼ってばっかの貧乏症でさ。

 ドレスは病原菌がたくさんついてそうなネズミと一緒に作った自作のものしかないし、結局は魔法使いのおばあちゃんからドレスを仕立ててもらうっていう怠惰っぷりでね。

 しかも、自分からは頼みに行かず、ただ待ちぼうけて、お城に行きた~いって、だけ言ってるんだ。

 門限が12時のうえに、しかもボクに拾ってもらうために、靴なんか落としちゃって、わざとらしかったよ。

 パーティで求婚されたけど、面倒だから、隣の国の切符の買い方を知らない王子にガラスの靴を渡してやったよ!

 

 他にも、小人を従えてマタギのような生活をしている元王女とか。

 何十人の男に無茶な要求したうえに、月に帰らなきゃと逃げて婚約破棄した自称姫とか。

 100年も眠っている姫、というより屍のような女とかいたけどさ。

 どいつもこいつも、権力や家庭的な能力は持っていても、難ありだよ!

 玉に傷どころか、玉砕だよね!

 

 だけど、人魚姫っていう子は、健気だったね。

 

 彼女は財も名誉もない、絵に描いたようなTHE・平凡だったよ。

 だけど、ボクに会いにいくために、魔法使いに足がほしいって頼みに行ったみたいでね。

 もちろん、魔法使いもタダ働きじゃ納得がいかないビジネスライクな性格で対価を求めたんだ。

 そうしたら人魚姫は、なんと自分の声を差し出したんだ。

 こうして彼女は声を失ったままボクの元に訪れたんだ。

 彼女がスケッチブックに描かれてたパラパラ漫画を見て、ボクは事情を知って、ドライアイから涙を流したよ。

 

 だけど、時すでに遅し……。

 ボクの部屋の湯船で、彼女は呪いによって泡になってしまったんだ。

 ……だからね、ボクは、泡風呂の中で言ってやったんだ。

 

 「やっぱり、好きな子は金とか能力とか性格抜きにして、自分の直感で選んだほうがいい」……ってね!

 ボクの腕に抱かれたノビタリック王国の王女も笑ってたよ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

(非)日常編 その中を開いて

 

 

 ……秒針の音が腹立たしい程にうるさく感じる。

 気がつけば目が覚めていた。

 

 

 

 今日がタイムリミットの日だった。

 

 

 作文の暴露……自分の過ち……。

 俺の罪が暴かれるのはたいしたことではないだろう。

 

 だけど、萩野の姿が浮かびあがると、どうだろうか?

 そして他のみんなは――?

 

 心臓が鷲掴みにされ、じわりと爪が立てられる感覚に陥った。

 

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 

 

 

『オマエラ、おはようございます。朝です。7時になりました。起床時間ですよー! 今日もはりきって青春をエンジョイしちゃいましょう!』

 

 

 

 

 

 いつものチャイムが鳴った。

 

 そう言えば、“スイカ割り”をするんだよな。

 

 たしか、プールと言っていたが、はたしてどのぐらい人が集まっているだろうか。

 そもそも主催の萩野は来てくれるだろうか。

 でも行かないと決めつけて、すれ違いがあったら……。

 

「……行ってみるか」

 

 起き上がって身支度をしてから俺は部屋を後にした。

 ドアを開けて廊下に出ると、どん、どんという足踏みがすぐさま出迎えられた。そして、大きな影がずんずんと近寄って……。

 

 

 

「ん、黒生寺? どうし、んでっ!?」

 

 

 

 顔色を確認する前に、胸と背中に衝撃を受けて変な声をあげてしまった。どうやら壁に突き飛ばされてしまったようだ……な、なんだったんだ。

 もう一度、黒生寺を見ようとしたが、時すでに遅し。

 彼は自分の部屋に乱暴にドアを開けて入ってしまった。

 

 ……あれ? 黒い物体が落ちている。

 これは……“ライター”か?

 たぶん、黒生寺のものだろうけど……彼に突き飛ばされた胸がまだ痛む。

 これは機嫌が直るまで待ったほうがよさそうだな。

 

 

「ボンジュール、ムッシュ! そんな壁際でなにをしているんだい?」

 

 

 そんなことを思っていると、黒生寺と入れ替わるようにランティーユが俺に歩み寄って来た。

 ジャケットを羽織っているが、下は海パン姿……リゾートを思わせるラフな格好だ。

 

「清々しい朝……とは残念ながら言えないけど、朝が無事に来ると言うのは決して悪いことではないよね!」

「ランティーユは元気だな……どこに行くんだ?」

「おやおや、トボケてもノンだよ。ぼくと君の行き先は同じだろう? 君はムッシュ萩野の親友で、お互いに慕って信頼し合っているからね。裏切ったり約束を平気で破るマネはしないだろ?」

 

 鑑定士と言うのは人間も見るのも職業なのか?

 でも、言わんとしていることは分からなくはない。

 

「ランティーユもスイカ割りに行くのか? ……その、平気か? 昨日、あんなことがあったけど」

「ウィ、そうだね……作文の公開は怖いし、イノシカイチョーなんて意味がわからない……でも、そんなことで人は殺したくないよ。なあ、ムッシュ。かつてぼくの祖国は自由を勝ち取るために貴族たちを処刑したことは知っているかい?」

 

 革命のことを指しているのだろうか。

 軽く頷くと、ランティーユはこちらの眼球の裏側まで見るかのように見据えてきた。

 

「ぼくは、あの革命のことは誇りに思っているよ。だけどね、今、ぼくは自由になるためにみんなを殺したくはない。どんなに素晴らしい価値を持った人間も『人を殺した』ということで、価値は簡単に暴落するんだ。それになによりも、希望に満ちたみんなの素晴らしい宝の価値が死ぬことや消えてしまうことが、ぼくはなによりも辛いんだ……そういう意味では、作文の公開よりも、鑑定士としては殺人のほうがもっと怖いよ」

「……ああ、お前の言う通りだよ」

 

 俺が同意をすると、ランティーユは大きく頷いた。

 やっぱり、いろんなものを見てきたランティーユの言葉には含蓄があるな……。

 

「それに……ぼくにはマドモアゼルがいるからね!」

「……ん?」

「ぼくが参加するのは他でもない、マドモアゼルにスイカをおすそわけするためさ! 思いっきり頬がふくらむほどスイカをむさぼるマドモアゼル。瑞々しい果汁が小さなアゴや首筋にたれ、服や体が濡れてしまうことも気にせずに、必死に食べ続けるマドモアゼル……ああっ! そんないたいけな姿を想像するだけで胸がしめつけられるよ。なんて純粋無垢でイノセントなんだ! それこそ自然な人間の美しさだと思わないかい!?」

「あ、ああ……お、お前の言う通り……かな?」

 

 とりあえず、同意をしておいた。

 ランティーユは人懐っこい犬のように涎を垂らしている。

 でも、ランティーユも彼なりに信念を曲げずに努めていることは分かった。

 ランティーユによる大豊賛美を聞きながら、俺たちは二階のプールへと向かった……。

 

 

 

 そして更衣室。プールの入り口まで来たわけだが……白河の姿が見えたら、とにかくランティーユを押しのけてでも逃げなければ。

 恐る恐る、引き戸を少しずつ開け……。

 

 

「おいおい……おめーら、スニーキングミッションでもしてんのか?」

「!!」

 

 扉を開けると萩野と目が合い、膝かっくんをされたように崩れてしまった。

 その拍子で、後ろにいたランティーユも悲鳴をあげて尻もちをつく。

 

 俺たちは体勢を立て直して、広々としたプールサイドに足を踏み入れる。

 スイカを抱えているオレンジ色の海パン姿の萩野以外、人はだれもいない。

 プール独特の消毒の強烈な匂いが、つん、と鼻に突いた。

 

「びっ、びっくりしたなあ、ムッシュ! 参加者はこれだけかい?」

「いや、さっき真田が来たんだぜ。人呼んでくるっつって行っちまったんだけど」

「はいはいウワサをすればトンでくるよー。待たせたー?」

 

 萩野の声を遮ったのは、話題にあがった真田だった。

 俺とランティーユを押しのけて、素足のまま萩野に歩み寄った。

 

 真田は小学校の時にプールの着がえの時で使うようなタオルを身につけて、白いてるてる坊主のようになっている。

 今の真田はヒールを身につけず裸足なので、いつもより身長が低く見える……と言うか、これが彼女の本来の身長だろう。

 そして、真田の次に、苛立たしげに足踏みしながら入って来たのは……。

 

 

「って、十和田……!? 来てくれたのか?」

 

 

 いつもの服装と不満げな表情筋ではあるが、紛れもなく十和田だった。

 

「はあぁ、こんな汚い垢だらけのプール来たくなかったなあ。ミドリムシにとっては心地がいいんだろうけど」

「さっきランドリーで会ったから、うちが連れてきてやったの。いつもキョーチョーセーなさすぎだしさー。たまにはイベントでなきゃ、いざという時にくたばっちゃうよ……ま、ぶっちゃけ、見回り行ったときにアンタしかいなかったから呼んだだけなんだけど」

「ったく、これだからヤマンバギャルは。カラス以下の思考回路だねえ?」

「だーれが4歳児だっつーの! ってかうちはヤマンバじゃないしヤマンバギャルパイセンをバカにすんなし! 時代のモウシゴだったんだからね?!」

「知らねえよ。だいたい白河くんが来るって言ってたから来たのになあ?」

 

 そう言えば、なんだかんだ言ってあの白河が来てないな。

 まあ、来てもらっても困るわけだけど……

 真田と十和田のやりとりを聞きながら、萩野は少し苦笑いをしている。

 

「……萩野大丈夫か? 目のクマがひどいけど……」

「おう、へーきだよ。俺は寝りゃ治るって……って言うか、おめーにそっくり丸ごと、その言葉を返してやりてえな」

「本当だね、ムッシュたちひどいクマだ! ムッシュ十和田もタヌキの擬人化みたいだよ!」

「ふうん……言ってくれるねえ、このストーキング変態は」

「あっ、ちょ、ちょっとしたジョークだよ。紳士の嗜みだよ!」

 

 ランティーユは慌てて唾を飛ばしながら、よく分からない弁明をしていた。

 元々クマが濃い十和田だが、やはり彼も昨日のことを気にしているのだろうか……。

 

「ちょっとちょっとー。なにシケタ面してんの? ほら、うちの水着でも見てテンションブチ上げな!」

 

 そう言って、真田はラップタオルをばっと脱ぎ捨て、素肌が露わになった。

 彼女の水着は、水色と赤のツートンカラーのビキニだった。しかし水着の面積が少なく思わずどこを見ていいか分からなくなってしまった。

 一方の萩野は、「おおお」と真っ先に歓声をあげた。

 

「そうだよな! やっぱりビキニだよな!」

「ぼく、マダム真田は身長高いからちょっと怖かったけれど……よくよく考えてみれば身長はヒールのせいだよね! なんだか希望が沸いてきたよ! マドモアゼルには負けちゃうけど、このスタイルはあらゆる未知の可能性を秘めていることに胸が熱くなるね!」

「あー、男子はこれだからアホでダメなゲソだ。この水着の感想はないワケ?」

 

 歓喜する萩野とランティーユとは対照的に、十和田はまったく心動かされない様子で一瞥して鼻を鳴らす。

 

「きわどすぎないかねえ? 見せるものがないクセに……」

「うっせーわ! これでも寄せてあげてるんだっつーの! で? 七島は?」

「え、えーと……ツートンっていうのか? けっこう奇抜だよな。いい感じだよ」

「あー、うーん……ビミョーなコメントで返しづらいわ」

 

 せ、せっかく、水着を褒めたのに理不尽だ……!

 少なくとも、萩野の感想よりは絶対マシだよな!?

 その時、再び引き戸が開かれた。

 

「お待たせしたのでございます!」

「おっ、角じゃねーか……って、うおぉいっ!?」

 

 萩野が驚嘆の声をあげた。

 角は普段の衣装に合わせたフリル系のビキニを身に着けていた。

 白と黄緑のキャベツカラーではあるが、なかなかサマになっている。

 でも、それよりも、最初に目に入ったのは。

 

 

「ウ―ララ!? マダム角! いったいどうしたんだい!?」

 

 角の右手は黒い布でぐるぐる巻きにされていた。

 明らかにこれは包帯……ではないよな。

 

「す、角ちゃん、イッタイゼンタイどーしちゃったのさ!? ちょ、ちょっと待って、うちホータイ持ってくるから……!」

「心配ご無用でございます、真田さま! 芙蓉のケガは大したものではございません!」

「マダム角、どうしてそんなケガしちゃったのかい!? まさかマダム天馬のように階段で頭から落ちちゃったのかい!」

「それだったら、頭がどうかしちゃってるよねえ?」

「いいえ。芙蓉は夜なべで黒生寺さまとお手を合わせていたのでございます」

 

 ……ん?

 夜なべで手袋を編むとか、シチューをこしらえるならまだ分かる。

 お手合わせ? つまりそれって。

 

「な、なんで黒生寺と戦ってんだよ?!」

「みなさま、芙蓉の心配はなさらずに。なぜなら、これは魔法少女の証でございますから! それよりも、みなさま。今後黒生寺さまにお会いしたら、どうか慰めさしあげてほしいのでございます」

「角ちゃんが言うならいいんだけどさー……でもアイツ、女の子にケガさせるとか、マジでサイヤクだしサイテー」

 

 銀のピアスをいじりながら真田は舌打ちした。

 でも、慰めって、どういう意味だ?

 そういえば、黒生寺に、早朝突き飛ばされたけどあれはなんだったんだ……。

 

 

「ごめんなさい。遅れてしまって」

 

 

 今度の声は――黒のシンプルなワンピース水着を着た紅が女子更衣室から入って来た。

 いつも結えている髪がほどかれていて、ストレートロングヘアとなっている。

 普段は仕事を卒なくこなすキャリアウーマン系の風貌だが、今の紅はバーにいる歌姫ってカンジで……い、いや、ダメだこんなこと考えちゃ。萩野と同類じゃないか!

 「ひゅう」と萩野の口笛が飛び、紅が困惑と羞恥の面を見せた。

 

「……あまり見ないでほしいわ。恥ずかしいから」

「いやいや、作ったかいがあったっしょ! 正直ホルタービキニと迷ったけど、すらっとした足を活かしたいからさ! なにより特にコったのが、黒地に椿の刺繍を施してアクセントを……」

「二人とも最高だぜ!! 角もさ、かなり着やせするタイプだったんだな! 魔法少女だからもっと露出度高い服にしてもいいんだぜ!?」

「って話し聞けっつーの、このタコッ!」

 

 真田がファッションポイントを話している一方で、萩野は欲望のまま感想を言って、案の定、一喝されている。

 

「ふむ、マダム紅は髪を解いているけれど、これが日本で言う、みだれ髪っていうものなんだね!」

「多分違うと思うわよ……実は朝から、髪留めをなくしてしまって。部屋にあると思うんだけど……」

「それなら芙蓉のシュシュをお使いくださいませ!」

「ありがとう、角……ところで、その手はどうしちゃったの?」

「これは魔法少女の思い出でございます!」

 

 「へ、へえ……」と紅は困惑しながら微笑んでいる。

 そう言えば、本当に昨夜の井伏の言った通り、最近、みんな失くしものが多いみたいだな。

 

「ねえ、ミドリムシくん。さっきから女の子ばっかり見てるけど、まさか欲情してる? アカマムシくんに改名する?」

「ミドリムシでいいよ……で、でもさ、十和田はなにも思わないのか?」

「正直なところ、手品のアシスタントで見慣れているからねえ。自分を売るためにもあいつら、衣装も足とか胸の露出が多いからねえ」

「ゼータクすぎっぞ、おめー! 今度、美人を紹介してくれよ!」

「僕のアシスタントよりも、ここの人たちのほうがマシだと思うけど? 化粧が濃すぎてテカテカしてるしさあ」

「化粧っ気がないことは、ぼくも評価したいよ! すっぴんはありのままで最大級の価値を持つからね!」

「は? それはうちをディスってんの?」

「……ねえ、とにかくスイカ割りをしない? 白河が来たらまずいわよ」

 

 そ、そうだ。ここで白河が来たら、みんなが……。

 というか、俺がゲームオーバーだ。

 

「そうだった! じゃあ、棒はこれな!」

 

 萩野がスイカを置いて取り出してきたのは……金色の棒状のものだった。

 

「……これって、“模擬刀”か?」

「うわ、金箔ヤッバ!? 高級な和菓子みたいじゃん!?」

「購買部のガチャでちょうどいいのがあったからな! そんじゃ、七島から」

「お、俺から?」

「いいか。一周は回れるようにな。割るんじゃねーぞ?」

「わ、わかったよ……」

 

 こういうの、ある種の八百長じゃないか?

 萩野から模擬刀を受け取る。柄の部分は金箔ではないから、汚れる心配はなさそうかな。

 萩野に渡された布で目隠しをする……辺りは暗闇に包まれた。

 

 

 

「よーし、いいか! 七島前だぞ、前!」

「右斜め上でございます! そして、そのまま半歩前に進んで振り下ろせばバッチリでございます!」

「とりあえず左行ったらあ? ほら左。そのままミドリムシらしく水に帰っちゃいなよ」

 

 

 そして、歓声だけが聞こえる。

 誰が誰のだかなんとなくわかるが……左は行ってはダメだってことは確かだ。

 

 とりあえず、一歩ずつじりじりと前進する。

 ……少し右にずれて……ここかな。

 腕を大きく上にして、模擬刀を強く振りおろした!

 

 

 

 

 まさにこれこそが、模擬刀の先制攻撃というわけだ!

 

 

 

 

 ……って、なに言ってるんだ、俺は。

 

 

 鈍い音がプールに反響した。

 そして………みんなの歓声が吸い込まれる。

 

 

 

 

 ……沈黙に耐え切れず、急いで目隠しを外した。

 床のタイルは真っ赤に染まり、ところどころのすき間にある緑色が映える。

 

 

 

 

 

 これは………

 

 

 

 

 

 

 割れてた。スイカが。

 

 

 

 

 

 見事なまでに割れているが、これはいけない気がする。

 いや、完全にダメな雰囲気だ。

 案の定、振り向くと外野からの視線が突き刺さっていた。

 

「……あ、割れ……あー……ま、まあ、これはこれでよ! 間延びするよりかはマシだよな!」

「そ、そうね、白河も来たら面倒だもの」

「そっ、そーそー、流行もいち早く乗れるように、スピーディにやるのがイチバンっしょ!」

「ウィ! サナギが蝶になるのと同じように、スイカもいつかは割れる運命だからね! ……た、たぶんだけど」

 

 

 

 

 ………。

 

 

 

 

 

「……ミドリムシくん。さすがに、この空気には僕も同情せざるをえないねえ……」

 

 

 

 

 なんでだろう、すごく泣けてきたぞ……。

 

 冷ややかな空気のなか、やがて、ぱちぱち、と拍手が鳴り響いた。

 見ると、角が屈託のない笑みを浮かべていた。

 

 

「なんと! アッパレでございます七島さま! 見事目隠しをして一発でスイカを割れるなんて! 七島さまの前世は名の知れた剣豪だったのでございましょうか? さあ、みなさま。スイカは割りたてが一番でございます! さっそく、ご一緒にいただきましょうでございます!」

 

 

 ツインテールを揺らしながら、純粋に角が喜んでくれた。

 萩野がハッとして、すぐさま歯をちらりと見せながら親指をたてた。

 

 

「あ……お、おう、そーだな!  おめっとさん七島! さすがだぜ! おめー割ったから大きいの取っていいぜ!」

 

 

 空気を変えてくれた角に、俺は「ありがとう」と目配せをした。

 魔法少女って本当に人を救うんだな……胸をなでおろしながら、大きいスイカを取った。

 ちゃんと分割できてるから、そのぐらいは自分で自分を褒めていいよな?

 

 早速、割りたてのスイカを口に運ぶ。

 すぐさま冷たい汁がアゴにたれるが、ひんやりしていてなによりも甘くてジューシーだ。

 

「でも、金箔スイカってなあ?」

「金箔はお得感が満載でございます!」

 

 スイカは模擬刀についてた金箔が剥がれたのか、少しキラキラとしている。

 たまにお菓子に入っているから、食べても平気だろうけど……。

 

 

「うち、スイカ食べるの久しぶりかも。小さい頃、カーさんがスイカでインスピレーション湧いたのか、服をデザインしてくれたっけなー」

「マダム真田のママンもデザイナーなのかい?」

「デザイナーっていうか、マルチなゲージュツカってとこ? 世界を飛び回ってなんでもするアグレッシブなカーさんだったよ」

「だった、ってことは……あ、ああいや、なんでもねえ! 今のは聞かなかったことに!」

「うちのカーさん勝手に死なせんなっての! オヤジとソリが合わなくて、カーさんが出て行っただけ。シンケン? ってのがオヤジになっちゃったから、なかなか会えてないんだけどさ……でも、しょっちゅう絵葉書はもらってるよ!」

 

 離婚か……。

 真田は表情を特段崩さず、能天気な顔で耳のピアスをいじっていた。

 母親が芸術家なら、彼女のファッションセンスも母親譲りなのだろうか?

 

 

「私はスイカ割りなんて初めてだわ。家族でなにかするってことはほとんどなかったから」

「たしか紅さまの親御様は、希望ヶ峰学園の卒業生なのでございましたよね?」

「ええ。そういえば、映画鑑賞の時に角には話したわね」

「ウ―ララ! パパンもママンもかい?」

「そう。父親は医者で、母親は裁判官だったのよ」

「お、おめーすごすぎだろ。二世タレントかよ?」

 

 その例えはどうなんだ……?

 希望ヶ峰はワイロやコネなどでは入ることはできないと聞いている。

 いくら親が超高校級だったとしても、親の権威で、子供が同じ学校に入れるわけではない……だからサラブレッドとはいえ彼女の実力は本物だろう。

 

 

「芙蓉もスイカ割りはやったことないのでございますが、代わりに家のリビングに生えてきた『キャベツ割り』は、角家の恒例イベントでございました! 妹や弟たちと一枚ずつ分けて食べたキャベツには青虫さまがたくさん住んでいらしていて絶品でございました!」

「ちょ、ちょっと角!? まさか、あなた青虫ごと食べてたの!? う、うう、考えただけで寒気が……!」

「モンデュー! 大変だ、ギョーチュー検査にひっかかっちゃうよ!」

「え、えーと……なあ七島。俺はなにからツッコめばいいんだ?」

 

 ……お前が考えてくれ。

 

 

 

「というかランティーユ。さっきから食べてないけど、お前はいいのか?」

「ふふふ、ムッシュ言っただろう? ぼくはマドモアゼルにおすそわけするために来たってね!」

 

 そう言えば、そんなこと言ってたな。

 ランティーユは二切れのスイカを持って、「むふふ」と恍惚な笑みを浮かべた。

 

「2人並んで、スイカを一緒に食べたいんだ! そして、マドモアゼルの口元についたスイカの種をひょいと取って……」

「へえ? 変態らしくそれを食べるのかなあ?」

「ノンノン、そんなことしないよ!? ラップで包んでタッパーに保存するだけさ!」

 

 さすがの十和田もこの返答にはついていけなかったのか、唇が一気に不快の色を示していた。

 ランティーユ以外の、プールにいる全員が、ほぼ同じ表情になっているわけだが……。

 

「あ、あの……では、芙蓉は黒生寺さまのところにお届けするのでございます!」

「じゃあ、私はそうね……円居のところに行ってくるわ。部屋にいるかしら」

「円居なら図書室だと思うぞ。図書整理をしているんだ。そこに天馬や錦織もいるはずだから」

「ありがとう七島。3人……なら、誰か手伝ってくれる?」

「じゃあ、俺行くぜ。後、井伏にも届けなきゃな! じゃあ七島と真田、それと十和田はここに残ってくれねーか? 白河の弁明係っつーことでよ」

「はあ? 僕らがあ?」

 

 ……ん?

 えっ? 今、白河の弁明係って。

 

「ちょ、ちょっと待て! それは困」

「七島、頼んだぞ! おめーの頭脳ならなんとかなる! 親友として信じてるぜ!」

 

 そう言って逃げるように、萩野たちはスイカをいくつか持って足早に去っていった。

 プールサイドに残ったのは俺とツートン水着の真田。

 そしてつまらなそうな顔の十和田との三人になってしまった。

 こういうときだけ、ちゃっかりしやがって……!

 

「あーあ。うちら、おいてけぼりくらっちゃったかー」

「君ら、人望ないんだねえ?」

「アンタには言われたくないっつーの! ……っていうか、七島さー。スイカ割りの時に落ちたヤツ、まだ拾ってないの? ってか、アレなに?」

 

 真田が指さした先は、さきほどスイカを割った時に立った場所。

 黒い物体がきらりと光っている……あれは、今朝拾った黒生寺のライターじゃないか。

 模擬刀を振り上げた瞬間に、ポケットから落としてしまったみたいだ。

 さっさと拾い上げて、真田と十和田にも見せてあげた。

 

「これはライターだよ」

「は? なんで? アンタって、紙燃やすとかそーいう痛いシュミあんの?」

「い、いや、そういうのはないんだけど……」

「そーなの? 書道家って自分の気に食わない作品とかお焚きあげするイメージあったけど」

 

 どんなイメージだよ……?

 ここでまた嫌味な言葉が飛んできそうで、思わずちらりと十和田を見た。

 

 

 ……が。

 

 

 

 

 

「……っ?! ――っ……!」

「…………ん? 十和田、どうし……?」

 

 

 

 ……なんだ?

 

 

 こういう時の十和田は、大抵はゆったりとした悪意に包まれているはずだ。

 だけど、今は――目に見えて呼吸が荒い。

 目玉を小刻みに震えさせて、唇もひくひくと痙攣している。

 なにか込み上げているものを抑えているような表情で……必死に目を反らしている?

 

「ちょっとアンタ、スイカで腹くだしたー? ってかさ、このライター、バリめっちゃ良いデザインしてるじゃん! 海外製?」

 

 のんきに真田がそう言いながら、俺の手からライターを取り上げて、火をつけるためのスイッチを押す。

 しゅぼ、という音とともに火が点って。

 

 

 

 

 

 

「うっ、うあああああああぁぁあああぁぁぁあっ!!!??」

 

 

 

 

 

 

 動物の咆哮に似た悲鳴がプールサイドの広々とした空間を劈いた。

 

 それが十和田のものだ、と気づくまでに時間がかかるほどに突然だった。

 その反響に、咄嗟に俺と真田は耳をふさいでしまった。

 悲鳴と同じくして十和田が転がるように走り、引き戸に手をかけていた。

 

「お、おい、十和田っ!?」

「ちょっ、え? なになに!?」

 

 俺たちは状況が理解できないままで、逃げ去った十和田の後ろ姿を見つめることしかできなかった。

 彼の足は早く、俺が慌てて更衣室を覗いたときには、もう跡形もなかった。

 俺と真田はしばらくの間、茫然としていた。

 

「へ? ど、どーしちゃったの?」

「わ、わからない……」

「で、でもマズくない? あれってヒステリー的な? 様子見に行ったほうがいいカンジ? ちょ、ちょっとアイツ探してくるわ。アンタは残って」

「……えっ!? お、おい待ってくれ!」

 

 そそくさとスイカを片手に出口へと向かう真田の腕を、思いっきり掴んでしまった。

 俺の指先は彼女の露わな柔らかい肌に触れてしまい、その感触に慌てて手は放した。

 

「い、いやおかしいだろ! なんで俺が残らなきゃならないんだ……! 俺が追いかけるよ! だから真田が残ってくれ! 頼むよ、このままじゃ白河になにされるかわかんないんだ!」

「死亡フラグかなんか? でも走るのも体力もうちのほうがあるって! だいたい白河ぐらいどーってことないっしょ? デビル脅しまくっちゃえって!」

「だ、だからって、リスクが高すぎるぞ。白河は俺の天敵に近いんだよ、今日も洗濯し忘れたシャツだし……」

「あーもう! ウジウジのウジムシはやめろっての! ってか洗わなかったアンタが悪いじゃん! ドンとかまえてりゃ大体のことはなんとかなるっつーの! とにかく、うちが行ってくるから! 七島よろっこね!」

 

 強く押し切られた形で真田はさっさとプールの扉に走っていた。

 腕を掴む間もなかった……どうして、こうなってしまったんだ。

 今までの歓声や騒動が嘘のようにプールに静寂が訪れる。

 

 

 なにも聞こえない……のが逆に俺の心臓に悪い。

 

 

 どうすればいいんだ。

 白河には今のYシャツ装備じゃ、まず止められるわけがない。

 今、俺ができるのは、白河は来ないことを願うだけだ。

 そうだろう、多分白河は来ない、来るわけがない。そう思っていればきっと……って、なんか。音が聞こえるけど……ま、まさか。

 

 プールの扉越しに小さな影が伸びる。

 ばん、と扉が開かれると、そこには。

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁんっ!!! だれか助けてええぇぇっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 って、大豊!?

 

 

 というか、あそこは、そもそも女子更衣室の扉じゃないか……ちょっと頭が回らなかったようだ。

 でも、今はそんなことよりも。

 

 

「お、大豊……? ランティーユに会わなかったのか?」

「知らないよぉっ! んなことより七島っちやばいよやばいんだよ! すっごーくやばいんだって! いっしょに来てぇ!!」

 

 なにがやばいんだよ?

 それを聞く前に大豊は走りだしていた……って、ちょ、ちょっと待て!

 早すぎて追いつけないぞ!?

 

 聞きだす前に駆けだしていた大豊の後を筋力をフルに活用して追いかける。

 男子更衣室の扉を開けて廊下に出る。

 「こっちー!」という声が聞こえた。声は近い……あそこはロッカー室だ。

 

 

 

 学園のロッカー室は、二部屋ある。

 入ってすぐの『第1ロッカー室』で大豊は急ブレーキをした。

 多くの大型ロッカーが立ち並んでいて、2つ赤色のランプが点灯しているロッカーを確認できたが……その内の1つを大豊はアワアワと口を震わせながら指をさす。

 

「こ、ここここっ、ここっ! さっきから、どんどんって音がするのだぁっ!」

 

 大豊は両手を口にあてて、ちょこまかと右往左往する。

 耳を澄ましてみると、たしかにロッカーからごん、ごん、という音が不規則に聞こえる。

 弱々しいが、なにかをぶつけているような……そんな音だ。

 

 ふと、床に転がっている黒いカード状のものが目に入り手に取ってみる。

 ……これは、電子生徒手帳じゃないか?

 すぐに中を確認してみる。浮かびだされた文字は。

 

 

「……白河海里?」

 

 

 これを大豊が指している、ロッカーのカードリーダーにあててみた……。

 ピッ、という電子音と共にランプが赤から緑に変わる。

 ドアを開けると、白河がロッカーから飛び出してきた。

 そして、その場に崩れるように白河は床に膝をついてうずくまった。

 

「お、おいっ! 大丈夫か!?」

「う、うわあああ!! か、顔がゾンビになってるのだあああっ!?」

 

 ゾンビになっている、と聞いて、すぐさま白河の顔色を覗き込んだ。

 口には、なにか張られていて、手首も拘束されている……これって、テーピング包帯か?

 目玉は薄っすらと涙を浮かべて、きょろきょろと不安げに動いている……慌てて口と手首に張られたテーピング包帯を勢いよく剥がすと、彼の薄い唇から息が漏れた。

 

「っはあ、はあ……っあ、あの。殺さないでください……これは生まれつきの顔色ですので……」

 

 顔は青ざめて呼吸も心細いようだが、命に別条はなさそうだ。

 大豊がポケットから落花生を取り出して、白河にそっと手渡した……。

 

「なあ、なにがあったんだ?」

「そ、そーなのだ! おばけかと思ったのだー!」

「ええと、では順を追って説明させてください……それと、このピーナッツも食べさせてください」

 

 そう言って、白河は染み一つない手の中の落花生を割り、それをゆっくりと口に運んだ。

 白河はじっくりと噛みしめるようにして、喉を動かし、ピーナッツを飲みこむ。

 細い肩を微かに上下させながら白河は一息を吐いた……。

 

「話してもいいでしょうか……ここに、私が閉じ込められたのは昨夜です。あのようなことがありましたが、日課の朝晩の清掃は欠かせませんでした。なので、夜時間にロッカールームにあらかじめ保管した清掃道具を取りに行こうと思ったのです……しかし、私がロッカールームに着いた途端、急に後ろから襲われてしまいまして」

「お、襲われた?」

「何故かわかりませんが、そのまま気絶してしまいました。そして気がつけば、このような形で私はロッカーに閉じ込められていまして……半日を過ごしていました。大豊さんが見つけてくれなければと考えると……ああ、ゾッとしますね……」

「はむううっ! やっぱりホラーなのだ! だれが、そんなことをやったのだ!?」

「すみません、あまりに急だったので誰だかはわかりません……それに、ちょっと今は頭が混乱してしまって……」

 

 にわかには、信じがたいことだ。

 誰かが白河を襲ったというのは、マナクマの関係者か?

 それとも考えたくはないが、俺たちの……いや、そんなことを考えてはいけない。

 咄嗟に俺は頭を軽く振った。

 

 一息ついて、白河は自らが入っていたロッカーを見て顔を曇らせる。

 

「このロッカー、私の他にも色々入っていたんですね……少し整理したいので、七島さん。私のロッカーから掃除用具を取って来てもらえませんか?」

 

 って、こんなことになっても掃除の心配か。

 白河もタフなのか、よくわからない時があるな。

 彼は俺に電子生徒手帳を差し出して、俺もそれを手に取ろうとしたが……あれ、待てよ。

 

「生徒手帳の貸出って」

「今現在は禁止はされていないので大丈夫でしょう。ここの扉の奥、『第2ロッカー室』に私のロッカーがあります。この扉出てすぐ、赤いランプが点いているのでわかるかと思います。大豊さんも片づけを手伝ってもらえますか?」

「うん、せやかて! じゃなくて、まかせてなのだ!」

 

 そう言って早速、白河と大豊はロッカーの中を覗きこんだ。

 俺もさっさと用具を取りに行こう。

 一旦ここを離れて、第2ロッカー室へと移った。

 

 ドアを閉めて、第2ロッカー室を見回す……さっきの部屋と大して変わらないな。

 扉から出てすぐって話だから……このロッカーかな。

 白河の電子生徒手帳をロッカーのカードリーダーに当てた。

 

 

 

 電子音と共にランプの色が変わったので扉に手をかけて――。

 

 

 

 

 

「……っう!?」

 

 

 

 

 

 な、なんだ? 扉が重いっ!?

 箒かモップが中に入っている? それとも掃除機なのか? 

 でも、それにしては重すぎるし、全体からかかる圧力からしてかなり大きなものが入っているようだ。

 思いっきり、扉を大きく開けて俺は真横に素早く避けた。

 ロッカーの中からどさりと床に転がるように出てきたのは――。

 

 

 

 

 これは、なんだろうか。

 

 

 

 白いテープの塊? 動く気配はない。

 

 

 

 

 

 

 いや、この感覚を俺は知っている。

 

 

 

 

 前に味わったあの鉄の匂いが鼻や舌までに広がる。

 白いテーピング包帯のすき間から、様々な箇所が嫌でも目に飛び込む。

 先ほど見た白河よりも青白い肌。

 包帯に滲むスイカの汁よりも赤黒く粘り気の強い染み。

 

 包帯越しから、目が合ってしまった。

 かつては、青い空を仰いでいたはずの澄んだ瞳だったのだろう。

 だけど、今は地の底を凝視している濁った目玉。

 

 

 

 

 そして、そんな絶望的な見つめ合いに終止符を打ったのは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつんという音を立ててロッカーから転がってきた、緑色のサンバイザーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ、うわあああああああぁぁあぁぁぁああっ!!!!???!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナウンスが聞こえるも、意識が遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脳裏に『超高校級のアルピニスト』井伏歩夢の笑みが過ぎって――あっという間に消えていった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

非日常編 捜査は遅れてやってくる

 

 

 

 

 

 

「……………ま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……な……し……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「七島っ!!」

 

 

 

 

 途切れ途切れに聞こえていた声が、少しずつ繋がっていく。

 完全な「七島」という呼びかけに、ハッと目を覚ます。

 気が付けば自分が寝転がっているのはシーツだった。

 頭上には眉間に皺を寄せた萩野の顔。

 

「おめー心配かけやがって……っつっても今回は仕方ねえか……」

 

 沈痛な表情の萩野で、すぐさま記憶がよみがえる。

 あの時、ロッカーを開けて、その中から出てきたのは―――

 

「っ、そ、そうだ!! ……って、ここはどこだ?」

「保健室だ。倒れたまんまにすんのは悪いからって運んで来たんだよ」

「……! い、いやそんなことより、ロッカー……ロッカーだ……!」

『ああっロッカーに! ロッカーに!』

 

 俺の枕元に座っていた萩野の隣に不気味な笑顔が映り込む。

 萩野がその姿を見て、勢いよく仰け反るが、すぐさま体制を直して睨み付ける。

 俺も脳の中枢がカッと炎を当てられた如く火照る。

 

「おっ、おめーっ! また湧きやがって!」

『殺人はロッカーで行われたー! 第2の殺人事件っすよ、七島くーん! うぷぷ、ねえねえ今どんな気持ち? どんな気持ちー?』

「うるさい、黙れ……お前のせいだ……っお前のせいで井伏がっ! 井伏が!!」

 

 右腕を振り上げようとするが、それを萩野が気づいてすぐさま掴みとられた。

 拳がぶるぶると震えるが、悔しいことに萩野の力には敵わず制止する。

 

『いやいや、たしかにボクは動機を渡したけど、あくまで渡しただけだからね? それをどう加工するかはオマエラ次第なわけだったわけだからね? ここまで言えばわかるよね? ドーユーアンダスタン?  というわけで、うまく起きあがれなかったせいで遅れを取っちゃってますね、七島くん!』

 

 遅れと聞いて、ある疑念が湧いた。

 すでに、捜査は始まっているということか?

 慌てて時計を探そうとする俺に気づいたのか、萩野は袖を捲くって腕時計を見やった。

 

「井伏の死体が発見したのは恐らく“10時”だ。そんでもって今は“10時半”だぜ」

『でも、気を病んで胃に穴をあける必要はないよ? ボクはクマ界のナイチンゲールって呼ばれようと努力しているぐらい優しいからさ』

「努力してるだけじゃねーか!」

『というわけで、はい、七島くん。マナクマファイル・THE2! うぷぷ、時間切れは多分ないから、まったりスロー捜査をしちゃってください!』

 

 マナクマはぴょいんとマヌケな音を立てて去る。

 騒ぐだけ騒いで、煽るだけ煽る……毎度のことで慣れてきてもいいはずなのだが、やはり腹立たしい。

 いや、今はそんなことに対して時間を割いている場合じゃない。

 

 ……目の前の事件に、向きなわなければ。

 

 

 

" 捜査 開始! "

 

 

 

 改めて、マナクマに手渡されたタブレットを確認する。

 

 

 

 被害者:井伏 歩夢(超高校級のアルピニスト)

 場所:第2ロッカー室

 死亡推定時刻:深夜2:00

 備考:頭部に打撃痕。首にかけての複数の切り傷

    頭部から鎖骨にかけて液体が付着している

 

 

 

 やっぱり、井伏だった。

 認めたくなかったが、無情な文面が事実を明らかにしていた。

 

「そんな調子じゃ難だとは思うけどよ……とりあえず現場まで一緒に行くか? ほら。肩貸してやるから」

「あ、ああ、ありがとう」

 

 萩野の左肩を借りて、俺はゆっくりと腰をあげる。

 右手を使って、萩野は衝立を退けると……。

 

「……えっ!?」

 

 衝立を退けた瞬間、俺は声が飛び出していた。

 なんだこれは。散乱しているガラス破片に書類。倒れたイス……めちゃくちゃじゃないか!?

 

「お、おい、これ」

「……言っとくけど、俺はやってねーぞ」

「いっ、いや、なんでこんな風に」

「ンなの俺が知りたいぐらいだぜ? 来た時にはこうなってやがったんだからな」

 

 だからって、これではまるで……なにか争いがあったようじゃないか。

 

 ガラスの破片を踏まないように避けながら2つの棚を見る。

 1つ目の“戸棚は赤色”だ。いくつかの書類が入っていて、戸の“ガラス”は、ぽっかりと割れていて、水色の破片があちこちに落ちている。

 

 “2つ目の棚は緑色”で、たくさんの薬品がずらりと並んだ棚だ。なにか“動かされたような跡”があるが……?

 一応、右から順にどのような薬があるかはメモしておこう。

 ワインボトル風の大きさで少し年季が入ったような薬瓶。並びは“赤、黄、緑、青、紫”と……。

 

「しっかし改めて見ると、ひでえ荒れようで……って、あ? なんだ、これ」

 

 萩野が一つ目の戸棚を見て、あるものをつまみあげた。

 彼が見せてくれたのは、手のひらにおさまる小さな金の……これはなんだ?

 “金の飾り”だろうか。動物のようなものが象られているが……アクセサリーというより、小さな飾り類にも見える。

 

「なんだこりゃ? 猫か?」

「いや、犬じゃないか?」

「あ? どう見たって猫だろーが」

「え、でも、この耳の形は犬……」

「ンなわけあるかよっ! 猫だろ! これは猫! キャット! もっと言えば、にゃんこだろ?! 毎週『世界のにゃんこウォーキング』を見てたから、にゃんこには自信あるんだっ! なめんなよっ!?」

「わ、わかった、わかった! じゃ、じゃあそういうなら猫なんだろうな! 猫!」

 

 どちらにせよ、犬にも猫にも見えるんだけどな。

 ……というか、萩野って猫派だったのか。

 とにかく、この保健室でなにかあったことは確かだろう。

 

 

 まずは、現場だ……俺たちは2階へと向かう。

 扉を開けると、まず第1ロッカー室には紅がいた。

 いつの間にか着替えていたようで、あの水着の妖艶さから、ぴりっとしたキャリアウーマンに戻っていた。

 ちょっと残念だが、やはりこの紅が一番彼女らしいと瞬間的に感じた。

 俺たちの姿に気づいて、紅はすたすたと近づいてくる……その顔は曇り顔だ。

 

「七島、大丈夫?」

「あ、ああ、問題ないよ」

「無理はしないでちょうだい。……でも、まだ信じられないわ。どうして井伏が……」

「まったくだぜ……あんな人畜無害の塊みてえなヤツを殺すなんて相当の悪人だろうからよ……! だからぜってーに井伏のためにも犯人を見つけてやるからな!」

 

 そういって、萩野が握りしめた左拳を右の手のひらに打ちつけた。紅も憤る彼の顔立ちを見て、真剣な眼差しで頷く。

 

「それで、紅はどうしたんだ?」

「私は今回も見張り。それと、この時間を使って事件についてまとめているんだけど……不可解すぎることが多いわ。決定的な死因もわかっていないし……それに、“保健室の鍵”がなくなっていたのよ」

「保健室の鍵が?」

「交代で、私と井伏は鍵を保管しているんだけど……私が持っているはずの鍵がなくなっていたの」

「いつ無くなったとか、わかるか?」

「朝方にないって気づいたから、昨日の夜時間かしら……ごみを捨てに行くときに落としたのなら間が抜けてるわよね」

 

 保健室の鍵がなくなったか……。

 だとすると、保健室の部屋が荒らされていたことと関係があるのだろうか?

 

「そういえば。2人はここの"ロッカー"は使ったことある?」

「いや……書道で大きな道具は使わないから」

「俺も使わねーな。部屋に置きっぱなしにしてるぜ」

「じゃあ、“ロッカーの仕組み”は知らない? 私はよく楽譜や楽器を保管するために使っていたの。参考になるなら教えるわ」

 

 そういえば、あまり詳しくは知らなかったな。

 聞いておいたほうがいいかもしれない。

 俺たちの様子を見て、紅はポケットから電子生徒手帳を取り出した。

 

「ここのロッカーを使うには"電子生徒手帳"が必要なの。"緑色のランプ"がついているロッカーを開けて物を入れる。そして扉を閉めて、同じく電子生徒手帳を読みこませれば"赤いランプがついて"施錠されることになるわ。開けるときは、もちろん閉めた時と同じ電子生徒手帳を使って開くのよ」

「“開けるときも閉める時も、電子生徒手帳は必要”ってことだな」

「よかった。一発で分かってくれて」

「い、いや、誰だって分かんだろ。こんぐらいはよ」

「だって……大豊は……『なんでそもそも電子生徒手帳でロッカー開けられるの?』って聞いてきたのよ?」

 

 ……ま、まあ、でも、普通の人なら分かりやすい仕組みだな。

 ふと、一つだけ"赤色のランプ"のロッカーを見つける……これは使用中だろうな。

 

「なあ。ここにもう1つ、“使用中のロッカー”があるけど……これは?」

「私もわからないわ。いつから使用されているのかどうか……」

「うーん? 誰のだ?」

 

 萩野が生徒手帳を取り出して当ててみるが、首を傾げるだけだった。

 俺もカードリーダーで読み込ませてみたが失敗した。

 紅もそれを見て、電子生徒手帳を当てるが、軽いブザーのような音が鳴るだけだった。

 

「んー、今んとこはわかんねーか……おい七島。そろそろ現場に行こうぜ」

「じゃあ紅。後でな」

「ええ。くれぐれも、また倒れないように……お大事にね」

 

 そう紅に釘を刺されて、ちらりと萩野が「まったくだ」と言わんばかりに肩を軽く竦めた。

 

 

 

 第2ロッカー室には、オレンジのジャケットを羽織って、水着のまま立ちつくしている真田。

 歯を鳴らして震えるランティーユ。

 鼻水を垂らしながらベンチに座っている大豊。

 三人の姿を見て、奇妙な葬列を見たような感覚が押し寄せる。

 

「あ、七島っ! オソイっつーのッ! アンタが最後だよ……!」

 

 俺たちの姿を見て、真田が裸足のままやって来る。

 遅れてランティーユも近づいてくる。

 大豊も顔をあげて気づいたのか、立ち上がって鼻水を垂らしながら駆け寄り……。

 

「うわああぁぁあん萩野っちぃっ!」

「うおぉっ!?!」

 

 彼女は萩野の胴に思いっきりダイビングした。

 なんとか支え切れたようだが、腹に命中したため、萩野は殴られたときと同じような表情に変わった。

 

「あ、ああっ!? ムッシュ萩野! 君ってやつは! ぼくの目の前でマドモアゼルに不埒な真似をするなんて、ジャパニーズ肝っ玉だね!?」

「どう考えたって、全然ちげーだろ!」

「さあ、マドモアゼル! ムッシュ萩野より紳士的で愛の深いぼくが君の四股を抱きし」

「うるちゃいのだ、ランティーユゥ! 萩野っちのほうが大きいし筋肉がついていて抱きがいと頼りがいがあるのだー! ほら、ここなんかこんなに」

「だあああっ! おめー、んなとこ触るんじゃねーぞ!」

「い、いけないマドモアゼル! ムッシュのむさくるしいところを触ってはー!」

 

 ……なんだか、別の意味で奇妙な雰囲気になったな。

 真田が萩野とランティーユに対して腰に手を当てて軽蔑したように見ている。

 

「あー、もうっ。なんだし、このゴチャマゼリンは……」

「……真田はスイカ割りからこのままの格好なのか?」

「しょっ、しょーがないじゃん。着替えるヒマもなくって、白河に見張りに頼まれたしさー! 一応ジャケットは大豊ちゃんに借りたし、裁判前には着替えるってば……それに……なんかアシ、動かなくて」

「足?」

 

 よく見ると、真田のふくらはぎは小刻みに震えている。

 それは、寒さのせいではないのは明らかだ。

 俺たちの空気を察して、萩野たちがすぐさま静かになり収束する。

 

「無理もないよ、マダム真田……こんなの……あまりにショッキングすぎる」

「……なあ……井伏は」

 

 俺がそういうと、ランティーユが慌てて横に退けた。

 その先に見えたのは……床に転がっている小柄な青年だった。

 周りには絡み合った白いテープ。一見すると白いシーツの中で眠っているようにも思えた。

 綺麗な栗色の髪と、緑色のTシャツが真紅に濡れいる。

 彼は灰色の天井を仰いでいた。その顔は、いつもの笑みは二度と訪れないことがハッキリと分かるほどの――虚無。

 

「あ、あのさ、ムッシュたち。気持ちはわかるけど、あんまり怯えた顔しないでくれよ? ぼくも怖くなっちゃうからさ……さっきまでムッシュ円居が来て検死を行ってくれたんだ……大体はマナクマファイルと一緒だったんだけど、細かい点を挙げるとすれば2つ。1つは“首の切り傷は非常に細かい”ということ。そして、頭の打撃痕は“2個”あったということが分かったんだ。それと……首の傷になにか“破片”が埋め込まれているみたいで……ムッシュ白河に検出してほしいって言われちゃって! もうてんてこ舞いで、辛くて……ううう、もうお部屋に戻りたいよ……」

「い、いいから、頑張れよ。な? 大豊にいいとこ見せたいんだろ?」

「ウィ! も、もちろんだよ! だからゴエモンの如くがんばっているのさ!」

 

 ランティーユは涙目になりながらも、胸をふんと張ったが……大丈夫なのだろうか。

 “細かい切り傷”に、“二個の打撃痕”、“埋め込まれた破片”……マナクマファイルの書き方は大ざっぱで曖昧だから、この情報はありがたいところだ。

 

「そういやよ、白河が入ってた……って聞いたけどよ、そのロッカーにあったバッグって、井伏のじゃねーか?」

「ウィ、そうみたいだね。ムッシュ白河は第1ロッカー室に閉じ込められてたけど、そのロッカーにはこのカバンしかなかったから一応こっちに移動させたんだ」

 

 「なるほどな」と頷きながら萩野が“黒いボストンバッグ”を持ち上げる。俺が最期に井伏に会った時も、彼が背負っていた……あのバッグだ。

 萩野が中を広げて確認するも、空っぽのようだ。

 

「ほーん? でっけーな。色々入れられそうじゃねーかよ」

「うんうん! めちゃんこデカいのだ! さっきあたしも入ったんだよ!」

「は? マジかよ!? おめーエスパーゴトウか?」

「むう、エスパーはそんなことするわけないのだ! っていうか『入れ』って言われたのだ、白河っちに」

「白河にぃ?」

「事件のためって言われたから……だから、手足をたためば、みんな入りそうなのだ!」

「みんなは、ムズカシくないかなー? 黒生寺とか、十和田はムリすぎっしょ」

 

 人を入れるっていう発想はいかがなものか……入れたとして、背負って運ぶのは無理そうだ。

 まあ、せいぜい数メートルぐらいは引きずれるだろうけれど……。

 

 

 大体気になるところは、このぐらいだろうか?

 そんなことを思っていると、「そーだ」と真田から声がかかる。

 

「七島! 白河と円居から伝言……っつーかオシラセ?」

「なんだ?」

「えーと、なんか……『大事なものが見つかったから時間があり次第、ダストルームへ来てくれ』だってさ。なんの話?」

 

 ……なんだ、大事なものって?

 真田も知らなそうだから、問い詰めても混乱するだけかもしれない。

 とりあえず、実際に向かってみるか。

 

「白河と円居なあ……? とりあえず俺はもう少し別んとこ調べてみるからよ」

「ああ、わかった」

「一旦俺は科学室見てくるぜ。なんかあったら言えよ?」

「あ、ああ……ありがとう。でも大丈夫だ」

「クロは二人までの殺人が可能だ……ない、とは言い切れないからな」

 

 真剣な面持ちで萩野は俺の瞳を見つめながら言いきった。

 

「ああ……気をつけろよ」

 

 科学室に向かう萩野の肩をぽんと叩く。

 萩野は少し笑みを浮かべながら、背を向けひらりと右手を振り返した。

 

 

 

 

 

 ダストルームに向かうと真田の言う通りで、円居と白河がいた。

 二人とも焼却炉の前に向かい合って立っている。

 白河は相変わらず無味乾燥な顔立ち、円居は白衣のポケットに両手を突っ込んでなにか話をしているようだが……。

 

「あの、円居」

「……おおっ、七島! またホウ酸団子を食べた例の虫のように倒れたと聞いたが大丈夫だったのかね?」

「あ、ああ……なんとか……それより真田から大事なものがあったって聞いたんだけど」

 

 そういうと、円居が「しまった」と言わんばかりに顔を歪ませる。

 眼鏡に阻まれていてもわかるほどのオーバーリアクションで、擬音で表すなら『ギクリ』だ。

 

「七島よ。良いニュースと悪いニュース、そして普通のニュース。その3つがあるとすれば、一番最初にどれを聞きたいかね?」

「う、うーん……時と場合によるような」

「むむむ、一番困る答えだな! じゃあ普通のニュースからだ。白河よ、言ってやってくれ!」

 

 白河が少し目を伏せて、ポケットからなにか取り出す。

 マス目があることからこれは作文用紙か? なにかが書かれているが……?

 

「これは……?」

「昨夜の大豊さんの作文です」

「……えっ!? お、おい、なんで白河が持っているんだ? だって、それは」

「昨夜、私がこれはゴミではないと判断させてもらいました。代わりに捨てると預かり、こっそり保管させていただきました……もちろん無許可ですので、大豊さんにはご内密に」

 

 そう言って白河は人差し指を立てた。

 う、うーん……白河も抜け目がないというかなんというか。

 でも、本当に捨てられても困るものであったことは確かだけれど。

 名前はペンかなにかで塗りつぶされている……念には念を入れたようだな。

 

 

 

 

 万引きをしてしまった。

 金に困っているという理由で、金品を盗んできた。

 いままでバレたことはない。。

 サラリーマンから ■布から時計、■指 もなんでも盗んだ。

 身なりのいい女、弁護士など……金目のある人をねらって、スリもやった。

 一番金があったのは、■■公■樹  

 アイツを狙ったときは金には困っていなかったのに。

 どうしても、魔がさすと、スリルに身をまかせてしまう。

 このまま、ずっと続くのだろうか。

 

 

 

 

 なんというか、物騒なことをしてきたんだな……。

 作文用紙の使い方に慣れていないのか、文章があまり整っていないのが気になるが……。

 それも、まあ、大豊らしい……のかな……?

 

 全体的に文字が汚くて判別できないものがあるのが厄介だな。おそらく最初は財布、と指輪か、腕輪とかだと思うけど。

 

 “■■公■樹”

 これは、まったくわからないな……。

 

 

「七島さん。一応、この証拠は切り札として使っていただければ幸いです」

「あ、ああ、わかった……で、良いニュースと悪いニュースは? 円居?」

 

 俺は円居を見たが、彼は設置されている焼却炉の中を覗き込んでいた。

 円居は、「なんだねこれは……」と呟いたと同時に手を伸ばして。

 

 

「うぐっっっ!?!」

 

 

 円居は火が燃え盛る焼却炉にためらいもなく手を突っ込んでいた。

 

「お、おいっ! 円居!?」

「円居さんっ!? あなたなにをして……っ!」

 

 

 俺と白河が駆け寄り、焼却炉の中に突っ込まれた円居の手を慌てて引っ張り出す。

 白河は霧吹きスプレーを取り出し、そのボトルの水を使って円居の両手にそれをかける。

 鎮火は成功したが、腕の包帯が焼け落ちていて見るに堪えない。

 円居はううっ、と呻きながらも、焼却炉の火を恨めしそうに凝視している。

 

「あなた、まさか自責に囚われているつもりですか? ……悪いニュースをそれほどまでに言いたくないとでも?」

「まさか! 焼却炉になにか物が入っていると思っていたのだが……」

 

 そういって、円居は這いよるように再び焼却炉に近づいて覗き込む。しかし、首を振って扉を閉めて、付属している赤いボタンを押した。

 

 

「やれやれ、見間違いのようだな……しかし、灰を一塊は手に入れられたぞ! いかがかね?」

「いりません。それよりもニュースを」

 

 白河に促されると、円居は大きく溜息を吐いた。

 そんなに、言いたくないことなのだろうか。

 

 

「そうだな、まずは悪いニュースがいいだろう。吾輩は嫌いなものから先に食べるタイプだからな! 七島よ。真田は、井伏のリュックから作文の束が見つかってそれを円居が預かっている……ということを聞いたかね?」

「そ、そうなのか? そんなこと聞いてないけど……」

「それは当たり前だ! 吾輩はそんなこと言ってないからな! どちらにせよ、その答えは言えないのだがね」

「どういうことだ?」

「その大事なもの。吾輩のポケットに入れておいた“井伏の作文が消えた”んだ」

 

 どういうことだ。

 俺は円居にさらに強い視線を投げかける。

 凄んでいると思われてしまったか、円居は少し身じろいだが、正すように咳払いをする。

 

「言っておくが、吾輩は確かにこの手でポケットに入れたぞ! 細心の注意を払って、『吾輩の後ろに立つな』と言わんばかりに気を付けたのだぞ。だのに! このざまだ! 吾輩のポケットはからっぽ……正直信じられんのだよ、神隠しにあった気分だぞ。ちなみに神隠しを科学的に解明するとだな」

「そのニュースはここまでにしませんか、円居さん。良いニュースも話しましょう」

「ああ、そうだな。作文が消えた……と言ったが、全部ではないのだよ。ラッキーなことに“1ページだけ残っていた”のだ!」

 

 そう言って、円居は俺にその作文の一部を見せてくれた。

 たしかに井伏の署名もあって、題名も自分の罪となっている……。

 

 

 

 

 まだ中学生の頃。

 滑落して足に怪我を負ったときに、父の勧める病院に入院することになった。

 絶望的事件でも多くの人々を救った大きな病院で、医療体制も一流だったため、足はすぐに回復した。

 

 そんな退院間際のある日。

 自分は、今は使われていない旧病棟の屋上に来ていた。

 見舞いにきた交流のある登山家の大人たちが、こっそりそこでタバコを吸っていたからだ。

 彼らだけでなく、見舞い客や、マナーの悪い病院スタッフもそこでタバコをふかせていたようだ。

 自分は大人たちと、「調子はどう?」とか「次の山は」みたいな他愛もない話の受け答えをしていた。 

  

 その時だった。あの人がやって来たのは。

 あの人は恐ろしい形相で自分に掴みかかってきたのだ。

 

 

 

 

 

「……これは?」

 

 

 短い文はわかりやすい、というわけではなさそうだ。

 病院に、あの人……?

 なんだか聞いたことがある言葉も見受けられるが、つっかかる言葉もある。

 

「しかし、これだけじゃ分からないだろう……だから良いとは言っても悪い寄りのニュースかもしれんな。謎が謎のままだ!」

「……なあ円居。作文は最初全部あったんだよな? なら、お前は全部に目を通したってことか?」

「いいや。みんなで見たいと思ってな……吾輩だけ井伏の罪を見るのは荷が重すぎる。作文だと分かった瞬間に目を通さず仕舞いだ。だからすまないが、内容は一切わからないのだよ」

「そうか……」

「これでニュースはすべて終わりましたね。……ところで円居さん。そちらの手、どうにかしたほうがよろしいのでは」

 

 円居の手を指さして、白河は肩を竦める。

 火傷はひどくはないが……元々あった怪我の痕のほうが痛々しい。

 

「そうだな……しかし、今、吾輩の持ち合わせている包帯の残機はゼロなのだ!」

「なら、萩野に頼んだらどうだ? 萩野はバンテージを持ってたはずだぞ」

「スポーツ用のバンデージは吾輩の腕には合わんのだが……まあ、仕方ない! では、ヤツはどこにいるのかね?」

「萩野なら科学室に行ったよ」

「な、なにぃ! 吾輩のメッカに吾輩無しで足を踏み入れていると!? 実にいけない! 吾輩無しで科学室なぞ認めん! 誰が認めても吾輩は認めんぞぉぉ!!」

 

 そう叫んで、円居は意気込みながらズカズカと足早に駆け去って行った。

 炎に手を突っ込んだわりには元気だな……白河もその様子見て、「やれやれ」と首を振った。

 

「私たちの話はこれで終わりです。七島さんは、これからどちらに?」

「俺は……そうだな、図書室を見に行くよ」

「そうですか……気合を入れてくださいね七島さん。私は、この裁判には絶対勝ちたいのです」

「白河……」

 

 彼は色素の薄い髪を少し揺らしながら憂鬱そうな吐息をする。やはり、井伏のことを気にしているのだろうか……。

 

「生き残らなければ……あなたを洗えないではないですか……」

「は?」

「あなたの匂いがさらに酷くなっています……ふけ取りシャンプーで紛らわしているようですが、とんでもない。十分に不潔極まりない! この裁判を生き延びなければ、あなたは汚らわしい姿のまま終わりを迎えることになる……いいえ、そんなこと認められません! 絶対にっ!」

「あ、あの白河」

「あああ、我慢できないっ!! ならばいっそ今、私がこの手で……!!」

 

 待て待て待て待て! どうしてそうなったんだ!!

 冗談抜きで今は勘弁してくれ!!

 俺はボトルシャンプーを銃の如く構えた白河を振り切って、ダストルームを後にした……。

 

 

 

 

 息を切らしながら、図書室のドアを開けると、まず視界に飛び込んできたのは天馬だった。

 彼女は考え込む仕草で、なにかを見つめていた。

 呼吸を整える意味でも静かに歩み寄って、「天馬」と声をかける。

 

「七島くん大丈夫? 倒れたって聞いたけど……息切れてるよ?」

「あ、ああ、大丈夫。悪い……また、寝不足だったのかもな」

「……でも倒れるのも無理はないよ」

 

 珍しく心配そうな眼差しを向けられてしまい、「平気だから」と思わず返してしまった。

 天馬は再びなにかを見つめている。

 視線の先にあるのは……タイプライターか?

 

「なあ、天馬、さっきからなにをしているんだ? これって"タイプライター"だよな?」

「うん、“和製タイプライター”だって。“使われたような跡”がある、って錦織さんが言ってたから。ちょっと見てたの」

「使われたような跡?」

「昨日見た埃がなくなっているし、それに……指紋もついているみたい」

 

 近くで見てみると確かに、うっすらと指紋がつけられている。

 この指紋の持ち主はわからないが、誰かが触ったことは明らかだ。

 

「錦織さんは図書室にずっとこもっていたみたい……図書室って言っても、準備室なんだけどね。“防音がばっちり”だからって、すごく重宝していたよ」

「そう言えば、錦織は?」

「気分が悪いみたいで、部屋で休んでいるみたい」

「アナウンスは聞こえたよな?」

「うん、慌てて飛び出してきたよ。古いスピーカーが備え付けられているみたいだから。でも、日ごろの疲れもあってすぐに貧血ですぐ崩れ落ちちゃって……でも、現場には行ったのかな? それなら、みんなと一緒にもう捜査してるのかもね」

 

 そういえば、真田も俺が最後って言ってたな。

 という事は、みんな井伏のいる現場には来たのかもしれない。

 

「そういえば、"図書整理"はできたのか?」

「うん、なんとか。8時から始めて10時前には終わったかな。いかにも古い蔵書とかいらない本は全部倉庫に入れたから。円居くんは借りていた絵本……“マナとクマ”は、結局気にいらなかったって言って、それもついでに倉庫に入れてたみたい。ほとんど別作業だったから、錦織さんや円居くんとはそこまで話せなかったんだ。錦織さんも昨日の夜から図書準備室で作業してたらしくて、説明で話してくれたぐらいだったかも……」

「そうか……怪我はなかったか?」

「うん。広辞苑が10冊ぐらい棚から落ちてきたけど、生きてるから大丈夫」

「……本当に大丈夫か?」

「……うーん、どういう意味で?」

 

 ……色々な意味でだよ。

 

 

 

 

 天馬と別れてトレーニングルームに向かうと、そこには十和田と黒生寺がいた。

 二人がいがみ合っていないなんて珍しい光景だが――今は、お互いに相手のことをまったく意識していないような感じだ。

 黒生寺はつまらなそうにバーベル上げの台に乱暴な格好で項垂れながら座っていた。

 ……よく見ると顔に絆創膏が貼られている。

 

 一方の十和田は、壁によりかかって、苦しそうにぜえぜえと息を吐いているが……。

 

「あ、あの、十和田、大丈夫か?」

「だっ、だいじょ、うぶ……なあ? っはぁ、ほんっとうっざ……ぜぇっ、は……だ、いじょうぶなら、立ててるはず、ないだろ……っ」

「お前、ずっとここにいたのか?」

「な、なんで……っ、はぁ、そんなこと、わざわざ話さなくちゃいけないのかなあ……? 君は刑事でもなんでもないくせにねえ?」

 

 よく見ると十和田の太い足が震えていた。

 右手をポケットに突っ込み、左手で胸を押さえて挙動不審に目玉を動かしている。

 まるで不治の病気に侵されているように肌の色も真っ青だ。

 

「な、なあ十和田。本当に……」

「うっるさいなあ……! さっさと出てってくれないかなあ!? さっきから、むしゃくしゃしているんだよ……! ついでに、そ、その、ら……ライターもさあ」

「ラ、ライターって……あ、これの」

「出すんじゃねえよ、このクソゲロミドリムシィッっ!」

 

 ポケットからライターを出そうとした瞬間に、十和田がなにかを投げつけてきた。

 投げつけられたのはトランプだった。

 よけようとしたが、頬に当たって、肌の表面が切れてしまった……黒生寺が大きな舌打ちをして、十和田の襟元をつかんだ。

 

「ふざけんな……貴様の口に鉛玉を十発ぶち込んでやろうか……? 寝れやしねえ……」

「っは、はあ?! なんだよ、離せよっ! 捜査に寝るほうがふざけてんだろ!? だ、だいたい、ミドリムシが悪いんだよ! ライターなんて出やがってどこの放火魔だよっ!?」

「バカか……ライターじゃ人も殺せねえ……」

「殺せるんだよ! 山の木に一本でもマッチの火をつけてみやがれ!! どうなるかをなぁ!!」

 

 黒生寺は襟元から手を放し、お手上げと言わんばかりに、また乱暴に今度はベンチに座る。

 露骨なまでに憎々しげに十和田はどすんどすんと音を立てて、トレーニングルームを去って行った。

 

 しかし、ひどい荒れっぷりだ。

 いつもなら、黒生寺にも毒が多めの茶々を入れるはずなのに、完全に落ち着きを失っているな。

 今はなんとも言えないけど……うーん、“十和田はライターに怯えてる”……とでも、一応覚えておこうか。

 ふと、黒生寺に今度は焦点を合わせる。

 

「な、なあ、黒生寺。お前は」

「黙れ……目障りだ……寝れやしねえ……」

「でっ、でも、今は捜査中だから寝るって言うのは」

「ふん……だからなんだって言うんだ……」

「えーと、その怪我は。もしかして角と」

 

 捜査のことはなにを言っても無駄だと思って、絆創膏を指摘する。

 すると、ぎろりと案の定ではあるが、眼を飛ばされた。

 角、で反応があったってことは、やっぱり。

 

「なにかあったんだな?」

「貴様には関係ねえ……あのアマと俺の問題だ……」

「な、なにがあったかは聞かないけど……いつ、どこでとかは言えないのか?」

「……ここで、一晩中だ……」

「ひ、ひとばんじゅう!?」

「“夜時間の合図”が鳴ってから、“朝の合図”が鳴るまで……だ」

 

 ……どういうことだ?

 にわかには信じがたいが……後で、もう一度、角にも確認してみよう。

 

 そうだ。そういえば。

 俺はライターをポケットから取り出して黒生寺に見せた。

 

「とりあえず話を聞けてよかった……あと、このライターお前のだよな? 返すから」

「いらねえ……」

「え?」

「クソ重いライターだし、さっき代わりのマッチももらった……俺の肌に合わねえから捨てようと思ってたところだ……勝手に処分しやがれ……」

 

 ひどい言われようだ。

 捨てるにしては勿体ない洒落たデザインだと思うが……十和田には今後見せないように、もらっておこうか。

 

 

 

 

 

 次に食堂に向かうと角がいた。なにかを確認している様子できょろきょろと辺りを見回している。

 角、と声をかけると、急いでぱたぱたと子犬のように駆け寄って来た。

 駆け寄り方は愛くるしいが、目は衝撃に満ち溢れている。

 

「七島……さま……井伏さまが……」

「角……」

「……井伏さまの笑顔は、もう見れないのでございますね……写真でしか見れないのでございましょうか? でも、写真なんてどこにもございません……芙蓉たちの記憶でしか、あの笑顔は……もう残らないのでございますね……」

 

 そう言って、涙一筋を頬に浮かべたまま、彼女はデジタルカメラを見つめている。

 俺はその“赤いデジカメ”に見覚えがあった。

 

「あれ? これって……井伏のものじゃないか」

「まあ、井伏さまの所有物でございましたか! 確認をしたら、椅子の上に置いてあったのでございます……!」

「あ、ああ。なくしたって聞いたけど……でも、どうしてこんなところに……?」

 

 角から貸してもらって、デジカメの写真を確認してみる。

 ここに来る前に撮ってあったと思われる自然や見たことのない人の写真が次々と映る。

 

 最近の日付のものから確認してみると……“緑色の棚”が、ぱっと映り込む。

 あっ……これって、保健室の棚だろうか?

 薬瓶がずらりと並んだ棚だが……左から順に赤、橙、黄、緑、青、紫の薬瓶が並んでいて……

 

 うん? なんだかおかしいぞ……ちょっと、後でもう一回、照らし合わせてみよう。

 とりあえず、今は角に尋ねなければ。

 

「……そういえば、角。昨夜は黒生寺と一晩中トレーニングルームにいたって、本当か?」

「ええ、その通りでございます! 黒生寺さまとお手を合わせて」

「ど、どうして、そんなことを……」

「もちろんこの世の平和! 正義のため! 愛のためでございます!」

「そ、そうか……? それで、お前はその手は大丈夫なのか? これって、包帯……?」

 

 俺が角の腕に巻かれた黒い……包帯みたいなものを指をさすと、「ああ」と角は力強く頷いた。

 

「ご心配には及ばないのでございます。芙蓉と黒生寺さまが包帯と絆創膏を保健室に取りに行った時、包帯はほとんどなくなっていたのでございます……だから、黒生寺さまに包帯を譲り、芙蓉は黒生寺さまの助言で、黒生寺さまのスカーフを巻いているのでございます」

「な、なるほど。じゃあ、それは“黒生寺のスカーフ”?」

「そうでございます! ランドリーに置きっぱなしにしてあるから、勝手に好きなように使えとのことでしたので、ありがたく使用しているのでございます! 後で白河さまに綺麗な洗濯の方法を教えてもらわなければございませんね……!」

 

 白河、張り切りそうだな……あれ……でも、待てよ。

 

「な、なあ、角。黒生寺と保健室に行った時間はいつだ?」

「朝時間のチャイムが鳴ってすぐで……"7時半頃"でございます!」

「なあ、保健室って、荒らされていなかったか?」

「ああ! そういえば、"赤い棚の窓ガラス"が割れていたのでございますね」

「……? それ以外は?」

「それだけでございます! 後は薬品の芳香漂う“整った保健室”でございました」

 

 となると……荒らされていたのは……?

 ガラスが割れていたのは……?

 

 一体、どういうことだ?

 

 

 

 

 

 

 ピンポンパンポーン…………

 

 

 

 

『では、ではみなさんよろしいでしょうか? おいでよ、赤い扉の前へ! 行こうよ、エレベーターへ!  とびだせ学級裁判へ! というわけで、みんな集まれ!』

 

 

 

 

 マナクマのアナウンスが刑の執行の如く淡々と鳴り響く。

 ……ああ、ついに来てしまったか。

 

「七島さま、絶対大丈夫でございます。サポートはいくらでもいたしますのでございます! ぜひ、芙蓉を不要な子と思わず、頼りにしてくださいなのでございます!」

「あ、ああ、ありがとう……」

「さあ、馳せ参じましょうでございます。井伏さまのためにも……!」

 

 

 俺と角はそう言って、一緒に赤い扉へと向かった。

 足取りはやはり重く、まるで処刑室に連れていかれるかのような面持ちになってしまう。

 ゆっくりだが……着実に。それへと向かう。

 そして、ついに目の前に現れた目前の赤い扉を開いた。

 

 エレベーターホールにはすでに全員揃っているようだ。

 久々に見た錦織は俺の姿を見るなり、目をカッと見開いたと同時に、長い黒髪を暖簾のようにして顔を隠した。

 彼女も、一応は捜査をしていたのだろうか?

 一方の萩野は俺の姿を見てすぐさま近寄ってきた。

 

「七島、どうだ? ワリぃが、科学室にはなんもなかったぜ……円居も付き添いで、棚を開けてもらったけどよ、成果はなしだ……」

「そうか……でも調べてくれてありがとう」

「なーに、お互い様だ。おめーのこと俺は頼りにしてっからな?」

「そ、そんな、萩野のほうが頼りになるよ。俺はいつも助けられっぱなしだから……」

「まっ、たしかに? 肩貸してばっかかもなー?」

「……たまには、肩を借りても……いいんだぞ」

 

 俺がそう言うと、萩野は一瞬きょとんと目を丸くさせる。

 だが、すぐに、「くく」と喉を鳴らすように笑われ、俺の肩をとんと叩く。

 いつもの豪快なぶつかるような痛みはなく……それは包み込むような優しいものだった。

 

「なに言ってんだ。俺はそこまで弱かねーぞ?」

「で、でも、萩野……俺だって」

「おめーのその心だけ十分だっつーの。だいたいな、俺はおんぶされるのは苦手な人間だからな。おめーだって、そこまで、おんぶはせがまないだろ? 自立する心があるんだ。だから、俺は、そういうおめーの心をサポートしているだけだって……へへっ、ちょっと気恥ずかしいこと言っちまったか」

 

 そう言う萩野に、俺は少しだけ張り詰めていた顔を緩ませた。

 萩野の肩は大きい。大きすぎる。だから、俺も頼ってしまう。

 だけど……本当にそれで、俺はいいのだろうか。

 

 

 

『マナクマきらーい、べったべたの友情ごっこきらーい』

 

 

 

 ぎらりと鈍い青の隻眼がこちらを傍観する。

 和やかだった萩野の顔が不満に変貌して、大きく舌打ちをする。

 

『っていうか、まだー? 白河くん待ちなんだけど』

「私ならここですよ」

『あ、いたの? 壁と同化してるから気づかなかったよ』

 

 白河は先ほどから、ぞうきんでごしごしと壁を拭いていたのだ。

 マナクマに指摘された今でも拭いているが……。

 

「なあ、白河……?」

「ああ、すみません……汚れを見ると清潔にしたくなる