【完結】どうやら悪の組織に怪人改造されたらしいが、そんなことより俺には〆切がある。 (家葉 テイク)
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第一話「進捗、駄目です」

 その日、非現実は現実となった。

 そして同時に、人類は非現実が既に現実だったことを知った。

 

 Unidentified Aggressor Nation。

 その言葉を聞けば人々は縮み上がるような時代が、今の俺達の生きる『現代』だ。

 UAN、ユーアン、『未確認侵略性国家』。呼び方は色々あるが、それは異次元だのワームホールだのの向こう側から突如地球に侵略してきた敵性国家、いわゆる『悪の組織』で──数か月前に突如地球に侵略してきたこの組織を前にして、地球人類は漏れなく連帯を迫られた。

 彼らを脅威たらしめていたのは、その科学技術。地球のそれを数十世紀は凌駕している彼らのそれは、当初『魔法の存在証明』だなんて呼ばれた程だった。ややあって複数の物理学者たちが彼らの扱う技術の一部を科学的に証明しなければ、きっと今頃『ファンタジーは実在する』という結論で落ち着いていたはずだ。──まぁ、この点については現状も大して結論に変わりはないのだが。

 

 ともかく、人類は強大な『外敵』の存在を前に、史上稀なほどの結束を見せていた。敵国も同盟国もない。本当の本当に、真っ当な結束を。

 ただ、それも無理からぬ話だった。

 何せ。

 彼らの『地球への侵略』とは単なる破壊行為だけではなく。人類の拉致と、それから────()()という、あまりにも深刻すぎる内容も含んでいたのだから。

 

 


 

 

 

「進捗はどうなんですか」

 

 

 駅前にあるファーストフード店、そのテーブル席にて。少女の不機嫌な声が、俺に投げかけられた。

 高校生だと言われても大多数が信じられないような、幼い顔立ちの少女だった。ペンギンをモチーフにしたファンシーなフードの奥からこちらを睨みつけてくる視線から、俺は逃げるように視線を逸らす。

 それからテーブルの隅っこに転がったサイドメニューの期間限定パイの空き箱を一瞥して、

 

 

「……いや、そんな状況かよ」

 

 

 進捗。

 今月末に迫った()()の〆切に俺が現在進行形で追われているのは、確かに間違いない。間違いないが──今この状況でその言葉が出てくるのは間違っている気がする。

 どこがと言うと、主に人間的に。

 

 

「おれ、今こんなになっちゃってるんだぜぇ!? 進捗とかよりも先に気にすることがあるよなぁ!?」

 

 

 両手を広げて、俺は弁解する。

 

 ──説明が遅れたが、俺は柏原スグル。高校二年生、受験の足音に怯えながら日々を過ごす平凡な男子高校生だ。

 今年の身体測定じゃ、身長は一七一センチ、体重は五八キロだった。髪型は黒のショートヘアで、中肉中背。成績は、文系はいいが理系は振るわず。英文法は得意だが英会話はてんでダメ。所属する部活動は文芸部で副部長。部長からは、次期部長としてよろしく頼むわね~と頻りに言われている──特記事項も含め、没個性ではないが平凡。それが、俺という人間のプロフィールだった。

 その、はずだった。

 

 現在の話をしよう。

 

 両手を力いっぱいに広げ、必死に自己弁護をしている自分の姿を客観的に説明するならば──

 

 

 金髪赤目の美少女、だ。

 

 

 さらりとしたストレートの金髪は、自分史上類を見ないほどのクオリティのキューティクルであることに疑いなく。

 窓ガラスに映るぱっちりくりりとした赤い瞳も、日本人離れした──それでいて人形のように可愛らしい顔立ちも、作り物のような真っ白な肌も、ほっそりとした白魚のように儚げな指先も。

 そのどれもが、平均的日本人男子高校生・柏原スグルのパーソナリティとは乖離していた。

 だぼだぼの白いワイシャツと黒のスラックスだって、これが俺が元々着ていた服だったと言われて納得してくれる人はきっとどこにはいないはずだ。

 

 

「改造されたんだって! おれぇ!! UANの連中に! 今家にも帰れてねぇんだってぇ! 部誌どころの話じゃないだろぉ!?」

 

「じゃあ家に帰ってくださいよ。それでちゃんと日常に戻って〆切に間に合わせてください。じゃないと部誌の原稿落としますよ」

 

「だからぁ! できるわけないだろぉ!? 今の俺のこの姿を見て、柏原スグルだと納得してもらえるか!? 家族に!! そういうのほら……あるじゃん! 怖いとかさ、不安とかさ……そういう、葛藤! お前も文芸部ならそのへんの機微をだなぁ……!」

 

「知りませんよそんなの。大体、先輩だってボクに相談したのはそのへん割り切れるタイプだって知ってるからでしょ? 多少無神経なのは我慢してください」

 

「うぐぅ……!」

 

 

 図星であった。

 

 あれは、一週間前のこと。

 学校の帰り道にUANの戦闘員に拉致された俺は、奴らの前線基地で怪人改造手術を受けた。

 怪人改造手術? と思うかもしれないが、俺だって詳しいことは良く分からない。変な機械に繋がれて、眠らされたり起こされたり。

 三回目に目覚めた時には既に俺の身体は女の子のそれに変えられていて、五回目に目覚めた時に『洗脳』という言葉が聞こえたので死ぬ気で逃げ出して──それが昨日の夜中の話。

 脱出できたのは、多分幸運だっただけだと思う。なんか向こうが想定していたよりも肉体の強度が高かったとかで、麻酔が効いてなかったのだ。そのことに気付いた俺は、とにかく大慌てで元着ていた服とか没収されていた私物とかを見つけ出して奪い取り、そして前線基地を飛び出して、妙な近未来的ゲートに突撃して──そして、自分が拉致された現場に戻ってきたのだった。

 

 ただ、困ったのはその後だ。

 先ほども言った通り、俺の姿は金髪美少女。元の黒髪男子高校生とは似ても似つかないわけで──俺は思った。多分失踪してから何日も経っている現状で、息子と似ても似つかない女が『私は貴方達の息子です!』と言ったとして──しかも『UAN』という侵略国家の存在が明確な状況で──果たしてすんなり受け入れられるだろうか?

 

 

「でもさぁ、家族に『お前UANが作った偽物だろ!』とか言われたら、普通におれも心が折れるっていうかさぁ……。っていうか、多分、洗脳されてないだけでおれってUANの生物兵器だと思うしぃ……」

 

 

 つまるところ、俺は怖いのだ。今は保留されている『日常の崩壊』が、家族からの拒絶という形で確定されてしまうのが。

 でも、誰か『元々の日常』と繋がっていないと自分自身がこの世界から遊離してしまうような気がして、それで比較的安心できるこの後輩──坂城ユズハを呼びつけて精神を安定させている。

 現状の自分を客観的に分析するなら──そんなところだろうか。

 

 もっとも、その場で原稿の進捗を聞かれてるんだけども。

 

 

「今、一〇月ですよ。ドロシー先輩が卒業する前の最後の部誌です。……絶対に良いものにしたい。ボク、ずっと言ってましたよね?」

 

「それはまぁ、うん」

 

「だったら拉致監禁TS改造くらいがなんですか! なんとかしてPC環境整えて原稿書いてください! 穴空けたら許しませんよ!」

 

「っていうか、おれが拉致されたことで部誌どころじゃないとかになってないの?」

 

「なりかけましたけど、ボクが気合で何とかしました。スグル先輩は絶対に帰ってくるから信じて続けようって」

 

「それだけ聞くと感動的なんだけどなぁ……」

 

 

 この後輩──ユズハは、今度卒業する俺の先輩で、文芸部部長のドロシー=クラッターバック先輩のことを大変尊敬している。だから彼女の最後の花道である今回の部誌に関しては、本当に全力を費やしているのだ。

 どのくらい全力かというと、夏休みに呼びつけられては複数のプロットを見せられてどれが良いかというコンペに延々付き合わされたくらい。もちろん既に原稿は完成しているという完璧っぷりである。

 

 ただまぁ……クラッターバック先輩については俺もかなり個人的に恩義があるというか、彼女の高校最後の花道をなんとか良いモノにしたいというコイツの気持ちは分かるわけで。

 なので、その話になっていくと必然的に語気も弱くなってしまう。

 

 

「というか、先輩ってほんとに怪人改造ちゃんと成功してるんですか? なんか普通の女の子にしか見えないんですけど、普通の女の子に先輩の記憶が移植されただけだったりしません? だとしても、ボクはその先輩を先輩と認める派ですけど……」

 

「ああ、そこはちゃんと改造されてるから大丈夫」

 

 

 そう言って、俺は左手の人差し指を右手で握ってみる。そして、引き抜くようにして一気に引っ張った。

 ずるり、と。

 人差し指がシルエットそのままに引っこ抜ける姿は、傍から見たらさぞ奇妙に映ったことだろう。

 何せ、滅多なことでは驚きという表情を顔に出さないユズハが、この時ばかりは年相応の驚愕で目を丸くしていたのだし。

 

 

「……心配要らん。そんなに痛くはないしな」

 

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()立てながら笑う。

 人差し指を引っこ抜いた──という表現は、実のところ適切ではない。俺は握りしめた右手から『人差し指の抜け殻』を転がして、

 

 

「一応言っておくけど、触るなよ。まだ熱いから。連中が言うには四〇〇〇度くらいあるらしいけど」

 

 

 言いながら、俺は飲みさしのコーラから紙ストローを取ると、まだ赤熱したままの人差し指に押し付ける。ジュオッという音を立てて、紙ストローは分かりやすく発火した。

 俺は手早く発火したストローを咥えて消火して、

 

 

「こんな感じで、見た目は美少女だけど、皮を剥くと高熱の『素体』が出てくるっぽいんだ。しばらくするとまた皮が生えてきて元に戻るんだけどさぁ」

 

「なんで一旦美少女を挟んだんです……?」

 

「それはおれも良く分からん」

 

 

 たぶん、美少女の姿の方が相手を油断させられるからとかじゃなかろうか。

 

 

「なんか……トカゲみたいな指ですね」

 

「ああ、そうっぽい。というか、多分ドラゴンだと思う。前に右手と顔の皮剥けたことあるけど、その時は顔もドラゴンっぽくなってた。形変わってた」

 

「ひえ……。ボクの前で顔剥くのはやめてくださいね。グロそうなんで」

 

「やるかよ。おれだってグロくてヒいたもん」

 

 

 そう言う頃には、ちょうど指の熱も落ち着いてきた。

 体の赤熱は、だいたい皮が剥けてから一〇秒くらいで落ち着くのが通例だった。擦ったり力を籠めれば多少温度は上昇するが、赤熱するほどの熱はまた皮が再生してから剥き直さないと出ない。

 

 

「話を戻しますけど、結局、ボクには先輩のことなんてどうしようもないですよ。何日かおうちに泊めてあげるくらいならできますけど、それってその場しのぎじゃないですか」

 

「うぐ……」

 

「その後のヴィジョンがないと。じゃないと原稿落としますよ」

 

「あくまで主眼は原稿なんだなぁ」

 

 

 もう慣れたのでそれはいいんだが。

 

 

「戦闘が大丈夫なら、特撮ヒーローよろしく『UAN』が出たら退治してヴィジランテみたいな立ち位置を作ってから公的機関に働きかけてみるとか。それが無理そうなら『UAN』のことを調べて元に戻る方法を探したり、同じ境遇の怪人がどこかにいないか確認してみたり。先輩のやりたいことによって、色々動き方は変わってくると思いますけど」

 

「おぉ……凄いまともな意見だ。参考になります」

 

「まぁ他人事だと見えてくることってありますよね。岡目八目的な」

 

 

 確かに……。確かにそうだ。

 俺は、元の日常を取り戻したい。その為には元の姿に戻るなり、今の姿が社会に受け入れられるなりする必要がある。方針はいくらでもとまでは言わずとも、幾らかあるんだ。その中で俺がどうなりたいかを選ぶのが肝心。……今のままじゃ、まだそのヴィジョンが明確になってない。

 

 

「……すまんな。色々相談に乗ってもらって。とりあえず、今おれがどうなりたいかをひとまず考えてみるよ」

 

「水臭いですよ。ドロシー先輩ほどじゃないにしても、スグル先輩にはボクだってお世話になってるんですし、これくらいは」

 

 

 頭を下げて礼を言うと、ユズハは照れくさそうにそっぽを向いてそう言った。こういうところは、可愛い後輩なんだよなぁ。コイツ。

 そう考えていると、俺の邪念を読み取ったのか、ユズハはムッとしながら最後にこう問いかけたのだった。

 

 

「で、ちなみに進捗の方は実際どうだったんですか?」

 

「あっまだゼロです」

 

「良いからとっとと環境整えて原稿書けぇ!!!!」

 

 

 


 

 

 

 ユズハに蹴り出されるようにしてファストフード店を後にしてから。

 俺は、夕方の街並みをのんびりと歩いていた。向かうのは、ここ数日ねぐらにしている山である。

 ひとまず自分の今後について思考を巡らせる必要はあるが、それはそれとして現状、この身なりで夜の街並みをぶらつくのは危険だ。下手に悪漢に襲われて怪我されたら、逆にこっちの方がお尋ね者になりかねない身の上だし。

 

 

「しかし……どうなりたいか、か」

 

 

 奇しくも、その問いは俺が改造される前にも投げかけられていたものだった。

 高校二年生。受験。将来。元々、その問いは身近にあったはずのものだった。まぁ、俺はプレッシャーだけ感じていて、それについて本気には考えていなかったクチだが。

 そう考えると、『自分がこれからどうなっていきたいか』というのは俺が思っていたよりも相当深刻な問題だったのかもしれない。

 何せ、本当に──本当に、自分の選択が今後の人生にダイレクトに関わってくるのだ。選択の一つが、俺の将来を決定づけていく。人生やり直しがきくなんて楽観論も今は聞くけど、それにしたって限度はある。やり直すためのコストを考えたら、やっぱり自分の人生に不可逆の変化が起きるのは間違いないんだから。

 

 

「戦闘……戦闘ねー」

 

 

 ユズハは真っ先に挙げてたけど、改造の影響なのか元々の気性だったのか分からんが、意外と戦闘には忌避感がないんだよな。むしろ相手は自分の日常を破壊してくれたにっくき怨敵なわけだし、遠慮する必要もない。

 俺と同じように拉致洗脳された被害者なら多少同情するが──まぁ、その時は殺さない程度に留めればいいだけだし、むしろ『助ける』という意識が生まれるだけ、そっちの方が気が楽かもしれない。

 

 

「うん。意外と悪くないかもな。ちょっとヒーローっぽいし」

 

「あ、見つけた見つけた~。ほんと、厄介ね~その擬態……」

 

 

 と。

 そこで急に、頭上から声がかけられた。

 見るとそこには、空飛ぶ箒に腰かけるような形で座っている黒衣の女性がいた。

 

 

「…………へ?」

 

 

 ──『UAN』の技術力は、ハッキリ言って地球のそれとは桁違いだった。

 おそらくクローン人間か何かを使って生み出された連中の戦闘員一人にしたって、警察の機動隊とかを使わないと倒せないくらい。

 怪人なんて出て来ようものなら、もう自衛隊の戦車が出動だ。街一つを戦場にして、人々の日常を犠牲にして、ようやく怪人を仕留められるかどうか。

 しかもその怪人にしたって、向こうからしたら数ある手札の一つでしかない。その上俺の様にこっちの現地人を捕虜にして改造してくるんだから、もうどうしようもないだろう。

 

 では、どうして人類が『UAN』に降伏しないで済んでいるかというと──この世界に、最初から向こうに対抗する為の戦力が備わっていたから、である。

 

 ──『ナーサリーテイル』。

 この世界に古くから受け継がれてきた伝承や民話、その正体。非現実だと思われてきた、隠された現実たち。

 たとえば、狼男。たとえば、鬼。たとえば、妖精。たとえば、魔女。

 

 彼らは人類が『UAN』の力に屈しそうになったタイミングで颯爽と現れ、そして瞬く間に対『UAN』戦のリーダーになっていった。

 俺のような例外があるにせよ、ユズハやクラッターバック先輩のような一般人が今も日常を享受できているのは、ひとえに彼らの尽力のお陰である。

 

 そして────

 現状、俺が最も警戒している勢力でもあった。

 

 

「ちょっ、待っ」

 

 

 口調からして、俺が怪人改造されていることがバレているのは明白。そして『ナーサリーテイル』からすれば、『UAN』の怪人なんてもれなく討伐対象。対話の余地なんてゼロ。

 だからまずは、対話が可能な存在であることをアピールする為に制止しようとして、宙に浮かぶ女性に左手をかざしたところで、

 

 

 ボッ!! と顔面に強い衝撃を感じた。

 頭がぐいんと後ろにフッ飛ばされ、それに引っ張られて首や身体も後ろに吹っ飛んでいく。鈍化した時間の中で、『ああ、そういえば左手の人差し指は皮剥いてたんだ。そりゃ勘違いされるわな』──なんて反省が他人事みたいに流れていった。

 

 

「驚いた。頭を吹っ飛ばすつもりで撃ったんだけど~」

 

 

 夕日を背にした黒衣の女は、そう言いながら地面に降りる。

 風貌は、魔女そのものだった。

 頭よりも大きなトンガリ帽子に、ケープ、ふとももあたりまでスリットの入ったワンピース。そして、高貴そうな印象のドレスグローブとロングブーツ。いずれも闇に溶け込むような黒一色であるのに加え、顔の上半分を覆うような黒仮面をしているので人相は分からないが──帽子から伸びる金色の髪の煌めきからして、身なりには気を遣う性質らしい。

 総じて普通の西洋魔女といった趣だが、トンガリ帽子の脇から飛び出たネコミミのような突起が妙に印象的だった。

 

 

「……敵性コードネーム《Dragon009》確認。一応名乗っておくわね~。わたしは、【黒猫の魔女】。アナタが街に被害を及ぼす前に、始末しに来たわ~」

 

『…………ッテェ。ソリャあおれモ悪カッタが、少しハ話を聞イテくれてもいいんジャネぇか?』

 

 

 頭を押さえて起き上がると、なんだか声が妙な感じになっていた。

 顔を触れてみると──どうもゴツゴツしている。少なくとも、美少女のやわらかフェイスという感じではなかった。どうやら、今の攻撃で顔面の皮が半分ほど剥げてしまったらしい。うわぁ、傍目から見たらグロいだろうなぁ。

 

 

「……戦わないの? アナタ。もう正体はバレてるから、擬態は無意味だと思うんだけど~」

 

 

 【黒猫の魔女】とやらは、そう言って箒を手に持ったままこちらの方を見る。あ、よかった! この人意外と問答無用って感じじゃない! いやそりゃそうか。多分先手を打ったのは俺が紛らわしい行動をしたからだろうし。

 

 

『戦闘ノ意思はナイ。洗脳手術をサレル前に逃ゲテ来たカラナ。コンナなりダガ中身はチャント人間ダヨ。元の名前モ言エル』

 

 

 そう返すと、【黒猫の魔女】はさらに興味を示してくれた。

 それでも一応一〇メートルくらい間合いはとられているあたり、信頼はされてないんだろうが──それでも、話が通じるのは俺にとっては福音だった。よかったー! 問答無用でお尋ね者ルートとかじゃなくてよかったー!!

 

 

「……どう思う~? ……うん、うん。…………そうね~」

 

 

 【黒猫の魔女】は耳元に指をあてると、そんなことを言いながら頷いていた。多分、どこかにいる味方と通信して判断を仰いでいたのだと思う。やがて魔女はこちらの方に顔を向けて、

 

 

「じゃあ、お名前を聞かせてもらえるかしら~? 幾つか質問して内容が照会できれば、保護してあげることも可能なんだけど~」

 

『エッまじデスカ!? 柏原スグルッテ言うんスケド』

 

「ええっスグル君!?!?!?!?」

 

 

 俺も相当な剣幕で声を上げた──はずなのだが、今度は魔女さんの方がそれよりもデカイ声で応答してしまった。

 ……っていうか、声色が違うから気付かなかったけど、この人の声、どっかで聞いたことがあるような……。

 あっ、そうだ。

 

 

『モシカしテ、クラッターバック先輩カ?』

 

「……………………………………」

 

 

 魔女は、沈黙するばかり。

 数秒ほどそうしていただろうか。やがて意を決したかのようにして、魔女はその黒仮面を外す。そこにいたのは──金髪蒼眼、怜悧な文学美女、そして我らが文芸部部長、ドロシー=クラッターバック先輩その人だった。

 

 ええと。

 なんと言えばいいのか分からないが……。

 

 

『先輩、魔女ダッたンダ』

 

「ごめんね~、怒涛の展開に怒涛の展開を重ねちゃって~」

 

 

 


 

 

 

第一話「進捗、駄目です」

あるいは、まるで御伽噺のような

 

 

 

 



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第二話「執筆は環境から」

「『ナーサリーテイル』っていうのは、つまりは『御伽噺』」

 

 

 先程までの異様な空気が嘘のように、宵闇に包まれた街並みはすっかり平穏な気配を取り戻していた。

 横を歩くクラッターバック先輩は、金色の髪を夜風に靡かせながら軽い調子で世界の真実を話し始める。もっとも、このあたりは公に知られていることだが。

 

 

「全世界、全時代の人々の信仰……その『正体』。アナタも知っているわよね~? それが、わたし達『ナーサリーテイル』。ちなみにわたしは……現代魔女宗(ウイッカ)の祖ガードナーが箔付けに利用した魔女の『正体』というわけ~」

 

『ハぁ……』

 

 

 気のない返事をしたのは、別に現実感に追いつけていないからという訳ではなかった。現実感という意味で言うなら、特大の隔絶は改造された時点で発生しているし。

 では何故こんな気のない返事になってしまったのかと言えば──それは、クラッターバック先輩の恰好にあった。

 

 普段は学生服をきっちりと着ているので分かりづらいが──今のこの服装。薄手のワンピースの上にケープを身に纏うだけのその姿は、分かりやすくそのボディラインを浮き上がらせていた。具体的には、その豊満なバストとか。

 ……っていうか、ケープとドレスグローブの隙間の二の腕にしたって、ワンピースのスリットとロングブーツの隙間の太腿にしたって、全体的に肌色が限定的なくせにいちいちこう……セクシーなんだよ! 憧れの先輩がこんな一歩間違えばコスプレみたいな恰好をめちゃくちゃ自然に着こなしてるんだから、気になっちゃうだろ! 俺は健康的な男子高校生なんだよ!!

 

 ……ふぅ、危ない危ない。

 あんまりじろじろ見てたら流石に視線の意図とかバレそうだもんな。男の視線は女からしたら丸分かりって言うし。気持ちを切り替えないと……。

 

 

「……はは~ん~」

 

 

 と、クラッターバック先輩が得心げな声色で頷いた。

 

 

「なるほど~。スグル君、先輩の肢体に思わずときめいちゃったのね~」

 

『ギャア!!』

 

 

 もう手遅れだった!!

 

 

「ふ~ん、スグル君ってわたしのことそういう風に見てたんだ~」

 

『イヤアノ……違ッ……珍シイ服装だカラ目を惹イタダケナんデ!!』

 

「あはは~、分かってる分かってる~」

 

 

 クラッターバック先輩は楽しそうに笑って、俺を宥める。本当に分かっているのか……? いやちょっといやらしい目で見ちゃったのは図星なんだけども、でもいつもというわけではなくてですね……。不可抗力っていうか……。

 ……いや、それよりも!

 

 

「あ、思考力が戻ってきた~」

 

『クラッターバック先輩、ヨク分カラナイけど……現代魔女宗(ウイッカ)ノ祖トカナントカの関係者ってコトハ……実ハカナリ長生キナンジャア!?』

 

「そうそう、ご名答よ~。実はこれでも数百年は生きてるの~。それでも何不自由なく今を時めくJKをやれちゃうんだから、これも『ナーサリーテイル』が擁する認識阻害術のお陰ね~」

 

 

 そ……そんな凄い技術があるとは……。ん? 待てよ? 認識阻害術……なんてものがあるってことは!

 

 

『モシカシテ、ソレヲ使えレバオレのコノ見タ目モ元通リニ見セルコトガデキルっテコトナンジャなイデスカ!?』

 

「ん~またまたご名答~。正確には周囲の認識を変えているだけだからスグル君本人の身体は変わらないし、あくまでも構成員の子の【異能】で実現していることだから場合によっては無理が出ちゃうこともあるけどね~」

 

『アト、セッカクTSしタノニ見タ目だけでモ元通リに戻ッタラ各方面に怒ラレソウデスネ……』

 

「各方面って何?」

 

 

 ユズハとか……。あいつ重度のTSFクラスタ*1で、性転換ものの話とかするとめっちゃ面倒くさいし……。

 というのはユズハのやつの名誉の為にも言わないでおいてやるが。

 

 

「……ん~? そういえばスグル君、なんだか顔の表面が……崩れてないかしら~?」

 

『アッモウそンナ時間カ』

 

 

 クラッターバック先輩に言われて気付いた俺は、そう言いながら手で顔を掴む。

 既に人間のシルエットすらも逸脱して、完全に龍の顔になっていた俺の顔面だったが──ぐい、と引っ張ると、それは簡単に根本からへし折れてくれた。

 

 

「!?」

 

「──っぷは。このドラゴンの身体になるやつ……おれは『怪人化』って呼んでますけど、『怪人化』はしばらく経つと自然と解除されるんです。解除って言っても、こう……かさぶたが剥がれるみたいに『怪人化』した部分が取れて、元の人間形態が出てくるってだけなんですけど」

 

 

 まぁ変わるのは見た目だけで、パワーもスピードも常に怪人基準だし──その後にすぐまた皮を剥くと特に問題なく『怪人化』するので、あんまり意味のない《性質》なんだけども。

 

 

「……オモシロ体質~」

 

「そうですか? まぁもうおれは慣れたもんですけど」

 

 

 確かに、最初は俺もぎょっとしたけどな。そしてそれ以上にホッとした。流石に顔面ドラゴンのままじゃ社会生活なんて無理だと思ってたし。安心しすぎてちょっと泣いたくらいだ。

 そして……今もかなり安心してる。認識阻害術があれば、俺も元の生活に戻れるわけだし!

 

 

「でもね~、今のスグル君には認識阻害術を使ってあげる訳にはいかないの~」

 

 

 などと思っていたら、クラッターバック先輩はとんでもないことを言い始めた。

 

 

「ええ!? 何でですか!?」

 

「──それについては、ワタシが説明してあげる」

 

 

 ──唐突に、俺達の後ろから鈴が鳴るみたいに可愛らしい少女の声がした。

 急いで振り返ってみると──そこにいたのは、西洋人形を人間サイズにしたみたいな可憐な少女。ふわふわの金髪に、赤を基調としたゴシックでロリータな感じの風貌だ。可愛らしいが──同時に、怪談に出てくる西洋人形みたいな不気味さも感じる。

 小学生高学年くらいに見えるその少女は、俺のことを見上げながらこう名乗った。

 

 

「ワタシ、メリーさん。今アナタの目の前にいるの」

 

 

 


 

 

 

「このコはね~、メリーさん。『ナーサリーテイル』の管制官をやっている子なのよ~」

 

「はじめまして。アナタが柏原スグル……で良いのよね。よろしく」

 

「あ、ああ……。よろしく。メリーさん…………って、あのメリーさんでいいのか?」

 

 

 俺はおずおずと返事をしてから、目の前の少女──メリーさんに問いかける。

 メリーさん、そして『今、〇〇にいるの』って言い回しと来たら……真っ先に思い浮かぶのは都市伝説の『メリーさんの電話』だ。捨てたはずの人形から電話がかかってきて、それがどんどんと自分の現在地に近づいてくるっていう。

 

 

「流石に文芸部だけあってよくご存じね。アナタの考えている通りで正解だと思うわ」

 

「じゃあ背後を壁や空中にするっていう対処法が見つかったせいで、最近は色々と失敗してるっていうアレも……?」

 

()り殺してやるわよこの無礼者っっ!?!?」

 

 

 ぎゃあ! 怒られた!

 

 クラッターバック先輩に誘導される形で歩みを再開させながらも、メリーさんは恨めしそうに俺のことを見上げながら言い募る。

 

 

「受け入れがたい恐怖を笑い話にして流そうとするのが人間の防衛機序だっていうのは理解しているけれど、そうやって恐怖を零落させようとした結果こっちの名誉が傷つくっていうことくらい理解してほしいのよね! だいいち、怪異がそんなゲームみたいに単純な攻略法でどうにかできるわけないでしょ! こっちは科学じゃなくて恐怖を与えるっていうミームありきで干渉してるんだから! そもそもそこの考え自体が科学っていう一本の柱しか知らない現代人とは違うのよせっかくこっちが名乗り出たんだからいい加減パラダイムシフトを起こしてくれたっていいんじゃないのこれじゃわざわざ都市伝説(シティーズ)の代表として『ナーサリーテイル』に参加した意味がないのよ分かってるのかしらこの方針に利がないんだったら、」

 

「はいはい~。メリーちゃん、説明、してくれるのよね~」

 

「……あ、ああ。そうだったわ。ごめんなさいね」

 

 

 クドクドという言葉が物質化して降り注いできそうな勢いでまくし立てていたメリーさんだったが、クラッターバック先輩に促されてようやく我に返ってくれた。よかった……。でも、『ナーサリーテイル』の人に怪談をコケにする系のネタを振るのはもうやめよう……。

 

 

「まず、ドロシーさんはともかく、『ナーサリーテイル』全体としてはアナタのことは信頼していないわ」

 

 

 冷静になったメリーさんは、きっぱりと耳の痛い話を断言した。

 

 

「一応会話する理性はあるみたいだけど、理性を持った怪人は今までにも複数確認されているもの。今まで確認されたことはないけど、人間社会に溶け込んで破壊工作を試みることを目的とした《性質》の怪人かもしれないし」

 

「確かに、道理だな……」

 

 

 俺が同じ立場でも、似たような判断をすると思う。

 まぁでも、

 

 

「今、問答無用で捕獲とかしてないってことは……何かしらの『信頼する為の条件』があるんだろ?」

 

「……むぅ、説明のし甲斐がないわねぇ」

 

「スグル君は文芸部だからね~。メタ読みしちゃうのよ~」

 

 

 面白くなさそうに唸るメリーさんに対して、クラッターバック先輩は朗らかに言う。なんだかこうして見ると、年の離れた姉妹みたいな微笑ましさがあるなぁ。

 メリーさんは気を取り直して、

 

 

「そうね。結論から言うとその通り。具体的には──」

 

 

 と、そこまで言いかけたところで俺のスマートフォンから着信音が流れ出した。

 あれ? おかしいな……充電できないから電源切ってたはずなんだが。

 

 

「出ていいわよ」

 

「あっ、ごめん話の途中に……」

 

 

 メリーさんに断ってから、俺はスマートフォンに出る。すると、全く同じタイミングで、

 

 

「『わたしメリーさん。今、アナタが失踪した街にいるの』」

 

 

 スマートフォンとメリーさんの口、同時に同じ声が聞こえて来た。

 電話の方は、それだけで通話が切れる。……やっぱりスマートフォンの電源は切れたままだ。

 

 

「あともう一回()()()けど、出ちゃだめよ。ワタシ、多分死んじゃうから」

 

 

 すると、もう一度スマートフォンから着信音が流れ出す。……既に俺は、この時点で言い知れぬ不気味さを感じていた。

 メリーさんはこの上なく友好的で、親しみやすい存在なのに。電源が切れているはずのスマートフォンから、それでもお構いなしに着信が流れるという、理不尽。……これが、都市伝説……メリーさんの電話の『正体』なのか。

 どこか戦慄すら覚えていると、着信音は潮が引くみたいにすぐに収まった。

 

 

「ん、よし。()()()()()()()()()()()()()()()。これで目的の一つは達成」

 

「……え? え?」

 

 

 どういうことだ……? 今、電話かけただけだよな? それで何が分かったんだ???

 

 

「メリーさんの【異能】はね~。電話をかけるたびに、電話先の相手の『足取り』を追うことができるの~」

 

「足取り……? ……あ、そういうことか!」

 

 

 最初に俺に電話をかけた時点では、『俺が失踪した街』……つまり過去に俺がいた位置と現在地が同じ場所だった。だから、電話した後も特に何もなかったが──本来は、電話をかけた時点でメリーさんは俺が過去にいた位置に移動するんだろう。

 そうやって、徐々に現在地が過去から現在に近づき、位置的にも時間的にも追いついたら──電話相手を呪い殺す。それがメリーさんという怪談だ。

 

 

「分かったかしら。ちなみに、段階を踏むのは演出よ。ほんとは一発で後ろに行けるの」

 

「風情も何もあったもんじゃないな」

 

「だから演出してんのよバカっっ!!」

 

 

 また怒られてしまった……。

 

 

「……で、実は瞬間移動しなくても、移動先の座標は分かるの。アナタはこの街から、『UAN』の前線基地に拉致されたわ。だからワタシの【異能】をアナタに使えば、『UAN』の前線基地の座標も分かるってわけ。電話に出られちゃうと、否応なしに指定した座標に瞬間移動しちゃうんだけどね」

 

「は~なるほど……」

 

 

 対象に電話をかける→移動先の座標が分かる→電話に出る→瞬間移動する、ってメカニズムになってるのか。

 なんか能力バトルみたいな応用の仕方でわくわくするな、『ナーサリーテイル』の人達の【異能】。

 

 

「……あれ。ちょっと気になったんだけど、電話を持ってない場合ってどうなるんだ?」

 

「その時持っている別の通信手段なりを代用するわよ。ドロシーさんならインカムに電話するし。でも、基本的には結論ありきよ。電池が切れてても通話だけは()()()()()()()()し、もし携帯を家に忘れてても()()()()()()()()()()から。ワタシ、怪異。そのくらい余裕。オーケー?」

 

「ウッス」

 

 

 誇らしげに胸を張るメリーさんは可愛らしかったが、言っていることはとんでもない。因果律とかそういうのも簡単に捻じ曲げられるのに、それでいてやれることは『電話をかけること』に特化してるんだから、『ナーサリーテイル』の人達って不思議だ。

 今は昔に比べて『ナーサリーテイル』の人達が表舞台に出ることもまぁまぁ多くなってきたから、ある程度怪異についての理解も進みつつあるけど……やっぱりこういう根本のところで、凄まじい存在なんだなって思う。

 

 

「……あっ、そうか」

 

 

 そこで俺はふと、あることに気が付いた。

 

 

「ってことは、目的っていうのは俺から『UAN』の前線基地の場所を聞くってことだったのか。でも、それじゃあ俺は何もしてないけど……」

 

「ええ。だからこれからが本題ね」

 

 

 メリーさんは可愛らしく頷いて、

 

 

「アナタには、対『UAN』の戦力になってもらうことになるわ」

 

 

 そう言って、俺のことをじいっと見据えて来た。

 

 

「今のアナタは、UANの生物兵器《Dragon009》。討伐対象よ。でも、その戦力をこちらの為に使ってくれるというのなら話は別」

 

 

 ふっと視線を逸らして微笑んでから、メリーさんは先に進んで俺の前を歩く。

 吸い込まれるようだった瞳は見えなくなり、その後ろ姿だけが俺の目に映っていた。

 

 

「ドロシーさんは、スグルを探索するときにあえて『UAN』に尾行できるように隙を見せていたわ。アナタをカバーしに行った『UAN』の怪人も一網打尽にする為にね」

 

 

 こちらに背を向けたまま、メリーさんはそんなことを言う。

 言われてクラッターバック先輩の方へ視線をやると、先輩はいつも通りのうっすらとした微笑みをこちらに向けていた。……その笑みじゃ真意が分からないんですよ、先輩。

 でもまぁ、思い当たる節はある。クラッターバック先輩は空から俺のことを攻撃してたけど、あれってよく考えなくてもかなり目立つしな。

 

 

「そのドロシーさんがアナタと行動を共にした以上、『UAN』は早急にアナタを捕獲あるいは始末しようとするでしょう。ワタシとドロシーさんは一旦身を隠すから、そこでアナタが現れたUANに敵対行動をとって撃退すればとりあえず合格ってことになるわね」

 

「…………なるほどな」

 

 

 メリーさんの言葉に、俺は神妙な面持ちを作って頷いた。

 正直、戦うことになるのは怖い。もしも負けてまた『UAN』に攫われたら、今度こそ洗脳されてしまいそうだし。だけどまぁ……それ以上に俺のことを改造してくれやがった『UAN』に一泡吹かせたいって気持ちもあるし、それに──

 

 

「……〆切もあるし、やるしかないか」

 

 

 日常に戻れるまたとないチャンスなのだ。

 今月末にある〆切を守る為にも、こんな状況で足踏みするわけにはいかない。

 

 

「〆切……?」

 

「わたし達、今月末に部誌の〆切があるんだ~」

 

「この際、そんなのどうでもよくない?」

 

 

 よくないんだよ! 〆切破ったら俺がユズハに殺されるので……。

 

 

「……ま、まぁいいわ。ちょうどアナタが今ねぐらにしているっていう山にも着いたし……。ここなら邪魔も入らないでしょう。ワタシとドロシーさんは一旦身を隠すわよ。そしたら多分『UAN』の追手が湧いてくると思うから、そいつらを倒してね」

 

「了解っ」

 

 

 そう言って、俺は軽く伸びをする。

 さて、初めての戦いだけど……なんだか意外と緊張してないな。ひょっとして俺って案外そういうのに適性があるタイプだったりするんだろうか。主人公タイプ。……なんか中二病みたいで恥ずかしいな。これはなし。

 

 

「って、あれ!?」

 

 

 なんか二人の気配を感じなくなったので横合いに視線を向けると、そこにいたはずのメリーさんとクラッターバック先輩がいなくなっていた。……身を隠すって言っても、早すぎだろ……。それに……、

 

 

「……こっちの方も、早速って感じだな!」

 

 

 姿は見えない。

 呼吸音も、身動ぎの音すらもない。だが、察知(わか)る。複数の戦闘員が、俺の後方数十メートルくらいの位置に陣取って様子を伺っている。

 やっこさん、かなりやる気のようだ。

 

 

「よっしゃ、かかってこい! この際だ、おれが全員相手をしてやる!!」

 

 

 と、主人公みたいに宣言して振り返ると、

 

 

「……ぎゃ!?」

 

 

 俺から数十メートル先、山林の領域の中。

 そこには、一度に数えきれないほどの戦闘員が木々に埋もれるようにして構えていた。……これ、全部で数十人くらいいるんじゃないか……?

 

 

「……これ、本当に全員相手にするのぉ……?」

 

 

 俺の乾いた声に応じるようにして、大量の戦闘員達も動き出す。

 ガサガサという音共に山奥の茂みへと隠れてしまった敵を見て、正直そのまま街へ引き返したくなるが──日常と、〆切の為だ! 此処に来て退くわけにはいかぬ!!

 

 

「上等だ……」

 

 

 俺は、肩を抱くようにして腕を交差させ、そして二の腕のあたりに爪を立てる。

 そして、

 

 

「やってやろうじゃねぇかァ!!」

 

 

 思い切り腕を振るって、両腕の皮を引き裂く。

 

 然るのち。

 

 ──赤熱した溶岩のような龍の両腕が、夜の闇を喧しく照らした。

 

 

 


 

 

 

第二話「執筆は環境から」

つまり、日常を取り戻す為に

 

 

 

 

*1
性転換ものの創作物を好む人間のこと。様々な宗派に分かれている。ちなみに『とせがら』とはTS娘と女の子のカップリングのこと。




それでは聞いてください。

──『予定の半分までしか話が進まなかった』。


ユズハのイラストをいただきました。ありがとうございます!


柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

めありさん(@meariako


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第三話「伏線は人知れず」

 で、まぁ戦うことになったんだけども。

 

 ……正確には、戦いにはならなかった。

 というのも、あまりにも俺が強すぎたのだ。腕を振れば敵が吹っ飛び、地面を蹴れば一瞬で敵に肉薄し、掴んで投げたら人間ボウリング。怪人態になったら体表温度は摂氏四〇〇〇度になるとか、隆起して元の身体よりも巨大化するとか、そういう《性質》を使うまでもなく、素の身体能力でボッコボコだった。

 

 ただ、問題はあった。

 何せ、数が多すぎる。あたりは暗闇だし木々も生い茂っているし。気配を探ればどのへんにいるかは察知(ワカ)るが、正確な位置座標まで分かるような感覚じゃない。

 一人敵を潰し、敵を探して走り、そしてまた一人敵を潰し……を繰り返していくうちに、俺はいつの間にか────森の中で、迷子になっていた。

 

 

「くそっ! 此処どこだ!?」

 

 

 まさかこれも敵の作戦か!?

 さっきからどうも敵の気配が見つからないし……このままだと、俺の敵対行動が十分じゃないって判断されてしまうんじゃないか!?!? それはまずい! なんとか……なんとかしないと!!

 

 

 

 ──なお。

 この時の俺は、知らなかったんだ。

 

 俺を包囲していた敵は、とっくのとうに俺が全員倒しちゃっていて……俺は、無人の山を必死に駆け巡っていたってことを。

 ……ゲームだったら、全員倒したらクリアって表示が出るのにねぇ!!

 

 

 


 

 

 

 一方その頃。

 ドロシー=クラッターバックは山頂上空に浮かぶ箒の上で、そんなスグルの奮闘を見下ろしていた。

 山頂には、既にメリーはいない。彼女はその【異能】を使って一足先に『ナーサリーテイル』の本拠地に帰還している。

 

 

「う~ん、見た感じ特に忌避感もなく怪人を()()()()()()()わね~……。まぁ、このへんは個人差もあるから断定はできないかな~?」

 

 

 そこは、現実感が消え失せた地獄だった。

 灼熱により焼け落ちた木々の傍らには、戦闘員()()()()()のバラバラになった四肢が飛び散っている。現実感が消え失せたというのは、四肢が飛び散っているにも拘らずその『中身』にあたる血飛沫が一滴たりとも飛び散っていないという部分にあった。

 だが、これ自体に大したトリックがあるわけではない。

 単純な話。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もちろん、柏原スグルという少年に特別な背景など存在しない。

 彼はどこにでもいる普通の文学少年だったし、その背景に怪異めいたものは一切関与していない。だが、それでも柏原スグルは()()()()()()()。──そこに、『怪人改造』という異常を結びつけないでいるのはあまりにも楽観的すぎではないか。

 

 

「ま、今は様子見で~」

 

 

 とはいえ、あの戦闘力は魅力的──というのが『上』の判断であり、ドロシーもまたその判断を支持する立場だった。明確に『UAN』に対して敵対行動を取ることができるというのならば、戦闘に対する忌避感の薄さも含めて利用価値がある。

 そうやって、ドロシーがあくまでも冷徹にスグルのことを観察していると──

 

 

 ボッ!! と。

 山頂からの凶弾が彼女の身体を貫いた。

 

 

「   」

 

 

 突然の攻撃に箒ごとよろめきながら、ドロシーは茫然と自らの身体に視線を落とす。

 彼女の細い右腕は──肘から先が消えていて、残滓のようにぽたたっと赤い血潮が飛び散るのみだった。遅れて、遥か下方の地面で()()()()と何かが落下した音がする。それは、泣き別れになった彼女の右肘から先が山肌に落ちて潰れた音だった。今も真っ黒なドレスグローブに覆われている。そしてその右手の先に、鴉のような頭部をした怪人が佇んでいた。

 

 体長は、二・五メートルほどか。

 鴉そのものの頭部の下には、ところどころに鴉にも似た漆黒の羽毛の装飾があるものの、概ね筋骨隆々な成人男性そのものの肉体がある。唯一異なる点があるとするならば、両腕全域にかけて真っ黒な羽毛がまるで翼のような具合で伸びていることくらいか。

 

 

『……オカシイナ』

 

 

 鴉の怪人はそう言って、ドロシーを見遣る。

 

 

『確カニ、腕ヲ撃チ落トシタハズダガ』

 

 

 そんなことを言う鴉の怪人を前にして、すい──とドロシーを乗せた箒が山頂付近まで高度を落とす。自ら近づいて来たドロシーを見て、鴉の怪人は嘲るように笑った。

 

 

『オヤ、随分ト悠長ダナ。見タトコロ近距離戦ハ苦手ノヨウダガ?』

 

「どうしてここが~?」

 

『無視カ……。マァイイ』

 

 

 地面に降り立ち、鴉の怪人を一〇メートル程の位置で迎え撃つ構図に至ってなお、ドロシーは平然としていた。

 まるで世間話をするかのような自然さで、

 

 

「スグル君はともかく、私は一応隠れていたつもりなんだけどな~。探知系の《性質》の怪人でもいるの~? なら潰したいんだけどな~」

 

『フン。我々ヲナメルナヨ。夜目ノ鋭サクライハ標準デ搭載サレテイル』

 

 

 鴉の怪人は鼻で笑って、

 

 

『ソシテ……貴様ガ此処ニ陣取ルコトハ最初カラ分カッテイタ。《Dragon009》ノコトヲ完璧ニ信頼デキナイ以上、ソノ働キブリヲ観察スル必要ガアルカラナ』

 

 

 ス……と鴉の怪人は右腕を前に突き出し、そしてその上に左手を翳した。

 翳した左手の中にはフタの開いた瓶があり──その中には、何かの液体が入っている。

 

 

「それがさっきの攻撃の正体かしら~?」

 

『教エルト、思ウカ?』

 

 

 瓶から、液体が数滴ほど零れ落ちる。

 それが鴉の怪人の手の甲に触れた瞬間──ヒュドッッ!!!! と、水滴が高速でドロシー目掛けて()()()

 銃弾にも匹敵しそうな速度で放たれたそれは、しかしドロシーの命を絶つことはなく、ドロシーのすぐ横の空を貫いた。──否、水滴が逸れたのではなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ただし、ドロシーも無傷という訳にはいなかった。

 左肩。その肉が数センチほど、抉り取られている。──回避が間に合わなかったのだ。

 

 

「……、」

 

『フム……。高速移動ニ、負傷ノ治癒。……イヤ、ソモソモ飛行モカ。果タシテイカナルたねガアルノヤラ……』

 

「う~ん、やっぱりわたしが狙いなのね~」

 

『ソウナル』

 

 

 抉れた左肩を抑えながらのドロシーの問いかけに、鴉の怪人は得意そうに頷いた。

 ──ドロシーが『ナーサリーテイル』のエージェントならば、鴉の怪人もまた『UAN』のエージェント。扱う異能は違えど、戦うステージは同じ。

 即ち──この場においては、対等にどちらも命を落とす可能性がある。その前提を持ち込んだ上で、鴉の怪人は事も無げに言う。

 

 

『《Dragon009》ハコチラトシテモ有用ダ。何セ現行運用しりーずノ中デハ最強ノ個体。ナルベク殺シタクハナイ。ソシテコノたいみんぐデヤツガ最モ信頼シテイル貴様ヲ始末スレバ、《Dragon009》の「なーさりーている」ニ対スル帰属心モ向上シヅラクナリ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 確かに、《Dragon009》への洗脳手術は未遂に終わった。それゆえに、柏原スグルは怪人改造を施されておきながら自由意志のもとに行動をすることができている。

 だが、それは別に彼が『UAN』から解放されたということにはならない。そして、『UAN』が地球に対して害を成す侵略国家ということは、それと敵対する『ナーサリーテイル』が善の組織であるということを保証する訳でもない。

 

 

『貴様トイウ「既知」ガ消エレバ、《Dragon009》ハ早晩「なーさりーている」ノキナクササニ嫌気ガ差スダロウヨ』

 

「………………じゃあ、なおさら死ぬわけにはいかないわね~」

 

『デキルカ?』

 

 

 鴉の怪人は、再び両腕を構えて言う。

 

 

『移動ニ治癒。最低限戦エルヨウデハアルガ、貴様ニハ攻撃力ガナイ。先程カラ防戦一方ナノガソノ証拠ヨ。ソシテ頭ヲ一撃デ消シ飛バセバ、治療ヲスル余地モナクナル!!』

 

 

 鴉の怪人が垂らした水滴がその腕に触れた瞬間、やはり水滴が猛烈な勢いでドロシーへと跳ねていく。

 相対したドロシーの左肩からは既に負傷は消えていたが──今度の狙いは頭部、それも一滴ではなく数滴だ。いかに謎の治療技術とはいえ、即死すればそれで終わり。人類世界の裏側に潜む怪異の『正体』と言えど、殺されれば死ぬのだから──。

 

 と。

 

 ぱぱんっ!! と軽い音を立てて、水滴たちは中空であっさり飛散してしまった。

 

 

『…………、』

 

 

 その様子を見て、鴉の怪人の動きが止まる。

 

 

「ん~、なるほど。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 まるで、誰かからの説明に相槌を打っているかのように、だった。

 ドロシーは片手を耳に当てて、うんうんと朗らかに頷いた。

 

 

『先程別レタおぺれーたーノ入レ知恵カ……。抜カッタワ』

 

 

 怪人は、名を《Raven093》と言った。

 地球の生物をモチーフに開発された《適応型》の中でも後発で、カワガラスと呼ばれる鴉の羽に備わっている『撥水性』を強化再現した《性質》を持っている。

 撥水性、それは即ち、水を弾く性質だ。油まみれのフライパンに水をかけても馴染まず弾かれてしまうように、撥水性の高い物質は水を弾く性質を持つ。通常であれば『弾く』と言ってもそれは『濡れない』という程度の意味しか持たないが──『UAN』によって強化再現された《性質》は、その常識を凌駕する。

 水を垂らせば、その水滴が時速四五〇〇キロで弾かれる──そんな異形の物理法則を成立させることが、できるのだ。

 

 

『ダガ解セヌナ。貴様ノ手札ハ既ニ見タハズダガ……?』

 

「……だから~、『手札』とか『証拠』とか、そういう考え方がそもそも根っこからズレてるのよね~、アナタ達って~……」

 

 

 ひたり、と。

 ドロシーはゆったりとした動きで、《Raven093》の方へと歩を進める。

 

 

「わたしは、ジェラルド=ガードナーが現代魔女宗(ウイッカ)の箔付けに利用した──()()()()()()()()魔女の『正体』。因果も真偽も無視して、()()()()()()()にする【異能】を持つ怪異」

 

 

 ズ……と。

 ドロシーの身体から、異様な『何か』が噴き出す。それは決して物質的なモノではなく、感覚に訴えかけるような──そんな不確かなモノだったが、しかし《Raven093》にもはっきりと感知できた。

 『不条理(オカルト)』。

 人間達が、そう呼ぶ存在の実感を。

 

 

「因果論なんてモノは最初から機能していない。腕が千切れようと『躱した』ことにすれば腕は元通りに戻るし……『石を前以て投げた』ことにすれば、お得意の水も途中でぶつかって弾け飛んでしまうわよね~?」

 

 

 そして。

 

 

「ありがとう~。こちらを追い詰めていると思い込んでくれれば、勝手にそちらの内情をペラペラ喋ってくれると思っていたわ~。お陰で、思ってたよりも簡単にスグル君の疑いを晴らすことができちゃった~」

 

「……? 何を言っているんだ。お前の【異能】が過去改変だったとして、それですべてが決まるわけでは、」

 

 

 言葉を返す《Raven093》だが、そこでふと違和感に気付いた。

 

 ──体躯が、縮んでいる。

 いや、それだけではなかった。顔も体も、手足に至るまで──生い茂るように生えていた漆黒の羽毛は全て剥げ落ち、そしてペイルオレンジの地肌が外気に晒されている。

 端的に言って──《Raven093》の姿は、人間のそれに変わっていた。

 

 

「ば、馬鹿な!? これは……いったい、どういう!?」

 

「……あら~、アナタ()元々人間だったの。手間が省けたわ~」

 

 

 ドロシーは答えない。

 動揺している《Raven093》だった男の方を朗らかに見つめているだけだ。そして、

 

 

「はい。それじゃあ、これで終わり~」

 

 

 ドロシーが箒を振るう。

 その直後、どちゃっ、という生々しい水音と共に、《Raven093》だった男の首から上は血煙となって消し飛んだ。

 

 

「……『改造手術に失敗した』。そういう経歴を捏造しちゃえば、アナタは怪人じゃなくなっちゃうのよね~。………………ま、()()()()()、だから殺さなくちゃいけないのには変わりないんだけど~」

 

 

 


 

 

 

 ──夜の森を歩くこと数十分。

 

 そろそろ泣きたくなってきたという頃合いで、俺は山頂に到着した。

 ……いやね、あまりにも敵が出てこないもんだから、皆逃げたんじゃないかぁ?と思いまして。しらみつぶしに木とかへし折ろうかと思ったけど、騒ぎを起こしたら怒られるかなぁという計算も働き、とりあえずやれるだけやりましたという報告をすることにしたのだった。

 

 

「あ、やっと来た~」

 

 

 山頂の展望台のようなところに腰かけていたクラッターバック先輩は、そう言って展望台を飛び降り(地味に五、六メートルは高さがある)、俺の近くに着地した。

 

 

「スグル君、遅かったんじゃないの~?」

 

 

 クラッターバック先輩は少し不満げに口を尖らせて俺に文句を言う。この寒空の下、この格好で数十分も待たせたら文句の一つも言いたくなるか……。先輩に普通の寒さが効くかどうか全く分からないけども。

 ……じゃなくて!

 

 

「す、すみません……。頑張って倒してたんですけど、逃げられちゃったのか途中から全然敵が見つからなくって」

 

「あら? だったらすぐ上に来てくれればよかったのに~。別に全滅させろなんて言ってないんだし~」

 

「ゑ?!」

 

 

 それ、アリだったの!? お、俺が頑張って残党探しに明け暮れていた意味って……。

 

 

「ま、どんまいどんまいってことで~。わたしはスグル君のそういう真面目なところ、好きよ~?」

 

 

 取り越し苦労。その言葉に脳内を支配される。

 思わず肩を落として落ち込んでいた俺にクラッターバック先輩は種明かしをするみたいな調子で笑いかけた。

 

 

「でも、勤務態度(そういうの)を見るっていう意味もあったのよ~。実は、上がうるさくってね~。スグル君が戦っている姿を観察して、信用できるかどうか確認しろって~。だから山頂から観察しちゃった~。そういう試みをしないと許してくれないのよ~」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

 

 いや、考えてみれば当然のことだったな。

 俺はあんまり意識してなかったけれども、ちゃんと真面目にやってるかどうかは随時チェックしないと分からないわけだし。クラッターバック先輩がその監督役というのは当たり前の成り行きだ。

 

 

「……して、判断結果の方は……?」

 

「もちろん、文句なしの合格よ~! まぁ、対価として『ナーサリーテイル』の一員になって一緒に戦ってもらう必要はあるんだけど~。……そっちについても、今日の戦いを見た感じは大丈夫そうね~」

 

 

 確認するようなクラッターバック先輩に、俺は力強く頷いた。

 いや、自分でもどうかな~って思ってたんだけど、思ったよりも俺って戦闘が得意というか。あと純粋に想像以上に身体能力が高かった。そう考えると、『UAN』と戦うっていうのも悪くないのかもしれない。

 ……俺みたいな人をこれ以上増やしたくもないしな。

 

 

「良い返事ね~。……じゃ、彼の【異能】を使ってもらおうかしら~。……うん、うん。よろしくね~」

 

 

 クラッターバック先輩が耳につけたインカムで何かしらの通話のやりとりをした直後だった。

 何か……うだるような夏の日みたいな暑さに塗り替えられたような不快感が俺の周囲にまとわりついて来た。

 

 

「警戒しなくていいわ~。それもウチのコの【異能】だから。……え~と、鏡を見てもらえば分かるかしら~?」

 

 

 そう言いながら、クラッターバック先輩はどこからともなく手鏡を取り出してこちらに見せてくる。そこには──

 

 

「う、嘘だろ……!」

 

 

 ──黒髪黒目。中肉中背。

 ごくごく平均的な体格をした学ラン姿の少年──見紛うことなき『柏原スグル』の姿が、しっかりと映っていた。

 

 

「お、おれだ!!」

 

 

 視界の端に映る金髪や、視線の高さは今までと変わっていない。

 口から出てくる声も、親しみのあるものよりずっと高いものだ。だが──鏡に映っている姿は紛れもなく俺そのもの。

 

 

「自意識は変わらないけれど、他者からの認識は変わっているはずよ~。まぁ、わたしには効かないから、スグル君は今も可愛い女の子のままだけど~」

 

 

 そう言いながら、クラッターバック先輩は子犬でも愛でるみたいにして俺の頭を撫でた。……クラッターバック先輩、だいぶ俺のこと可愛くて小さい子の認識で上書きされてねぇか?

 俺はクラッターバック先輩のなでなで攻勢から逃れながら、

 

 

「……ともかくっ、ありがとうございました。色々と……」

 

「いえいえ~。一応、失踪のこととかも組織(こっち)の方で融通しておくわね~。じゃないとスグル君も大変そうだし~」

 

「あ、ハイ。ほんと色々ありがとうございます……」

 

 

 すごいね、『ナーサリーテイル』。『UAN』の科学力も大概なんでもありじゃんと思ってたけど、こっちもこっちでなんでもありだな……。

 まぁでも、本当に助かった。

 

 

「お陰で、原稿が書けます!!」

 

「結局そこなのね~」

 

 

 一番大事なのはそこだからね。

 

 ……いや~、それにしても助かった。

 『ナーサリーテイル』、正直不気味だし良く分からない組織ではあるけど……。クラッターバック先輩がいて、本当によかったな!

 

 

 


 

 

 

第三話「伏線は人知れず」

ただし、親切は暗躍と共に

 

 

 

 




■今まで登場した人達のかんたん能力説明

《Dragon009》:怪人化の《性質》。皮が剥がれた痕からマグマのように赤熱した怪人の肉体が隆起する。怪人化は完全に完了すると全長三メートルほどの巨大な龍人型の怪人となる。

【電話の少女人形】:訪問連絡の【異能】。通話をかけた相手の『足取り』を追う形で瞬間移動できる。相手が出る前に通話を切れば、過去の位置のみ知ることも可能。それとは別に相手を呪い殺す攻撃も扱う。

《Raven093》:撥水性の《性質》。体表の羽毛は水をよく弾く。弾き方は調節することができて、最大で時速四五〇〇キロの高速で弾くこともできる。

【黒猫の魔女】:捏造の【異能】。認識して会話を一定回数交わした相手の過去にある程度好きな事実を捏造できる。自分も対象に設定可能。それとは別に『魔女の軟膏』という空を飛ぶ為の薬剤も扱う。


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第四話「描きたいものは」

「進捗ダメですー!!」

 

 

 ──先輩の『ナーサリーテイル』の助けにより社会復帰を果たしてから二日後。

 昼休みの文芸部部室。そこには、無様に土下座を敢行する俺の姿があった。

 

 

 まず、社会復帰については恙なく達成できたことを此処に注釈しておこう。

 家族は俺が一週間も失踪していたことなど全く認識していないし、学校も平常に出席し、平常に授業を受けていたことになっていた。もちろん俺に授業を受けた記憶など存在しないという特大の問題はあるにはあるが、そこについては先輩が放課後に勉強に付き合ってくれると約束してくれたので大した問題ではない。

 問題は──俺の執筆が、この二日間全く進んでいないということにあった。

 

 

「何でですか」

 

 

 土下座を敢行した俺の前には、セーラー服の上にペンギンパーカーを羽織った俺の後輩──坂城ユズハが仁王立ちしている。まさに仁王とばかりの険しい形相で俺を見下ろしているこの女は、これ以上言動を間違えれば容赦なく雷を堕とすのに疑いの余地などなかった。

 

 

「ええと……そのう……」

 

 

 だが──俺には言えなかった。

 何故なら、理由なんてないのである。

 一週間も家を空けていたものだから動画配信サイトでは新着の動画がいっぱいあり俺が推している配信者の配信動画も大量にあるものだからその消化だけで時間が湯水のように消えて行ってしまったとか、失踪していた間の授業がどれだけ進んでいたか先輩に頼んで確認していたとか、『ナーサリーテイル』の本部に連れて行ってもらって色々と今後について話をしていたとか──やっていたことならいっぱいある。だが、別に小説を書く時間がなかったわけではなかったのだ。

 実際にパソコンの前に座って小説を書く時間も、もちろんあった。にも拘らず──俺は書けていなかった。

 

 

「まぁまぁユズハちゃん~。そのくらいに~」

 

「ドロシー先輩は黙っていてください」

 

 

 助け船を出そうとしたクラッターバック先輩が、バッサリと切り捨てられてしまう。『あら~』と情けない声を出した先輩は、それ以上ユズハを刺激するのを避ける為にスルーする方向へ舵を切ってしまったようだった。

 答えるほかない。

 そう判断した俺は、瞬時に思考を巡らせた。書く時間はあった。実生活の諸々は言い訳にならない。ならば俺は、何故小説を書くことができなかったのか? ただの一文字も進捗が進まなかったのか? それは────

 

 

「……て、」

 

「て?」

 

「テーマが思いつかないんすよ……」

 

 

 極限状態。

 絞り出した俺の答えは、そこに収着した。そして、苦し紛れに絞り出したその答えは、思いのほか俺の腑に落ちるものだった。そう。まさしくそれこそが俺の進捗が詰まる理由だったのだと、遅れて確信するほどに。

 

 

「テーマぁ?」

 

「ああ。そうだ。……おれ、小説を書くときは基本的にテーマから考えるんだよ。小説のテーマを決めて、書きたいテーマを表現できるストーリーを考えて、そのストーリーにあったキャラを作って、そのキャラをもとにストーリーを肉付けしてプロットを作る。それがおれの書き方なんだけど」

 

「めんどくさいやり方してますね」

 

「書きたいテーマが見つからないんだよ。だから進まないんだと思う」

 

「なんでこの時期までテーマが見つかってねぇんだよクソボケがよ」

 

「あっすみません、ハイ……」

 

 

 青筋を立ててツッコミを入れたユズハに、俺は平身低頭するしかなかった。

 だが俺とて! 俺とて此処まで何も考えていなかったわけではない! 色々なテーマは考えていた……。だが、なんというか……実際に書き始めようとすると、なんかどれもピンと来なくなってしまったというか。

 何故ピンと来なくなってしまったのかも分からないので、どう進めばいいか分からない──それが、今の俺の状況だったっぽい。俺も言葉にして初めて気付いたけど。

 

 

「別にキャラから作ったって良い訳でしょう? テーマから始める必要なくないですか」

 

「そりゃ長編を書くならそうだけど、部誌に載せるとなると短編尺だろ。そしたらテーマありきになるじゃん」

 

 

 長編を書く場合は、許容できる文字数が多い分『書けるもの』は多く用意できる。キャラクターであったり、ストーリーの伏線であったり、仕込めるものが多い分自由度も高い。

 だが、今回の場合は部誌に載せるせいぜい二万~三万字、多くても五万字程度の短編だ。そうすると書きたいものを適当に書き連ねていったらとっ散らかってなんだかよく分からないものが出来上がってしまうのは想像に難くない。

 

 

「別に短編だってキャラありきでもいいでしょう! こういう主人公の話をやりたいみたいな短編とか」

 

「だからおれはそういう書き方じゃないんだよぉ~」

 

「面倒臭せェ……」

 

 

 ひでぇ! 確かに一文字も進んでいない分際で書き方をどうこう言っていられないのは分かってるが……。この後輩、ちょいちょい言葉遣いが酷いですよ。

 

 

「でも、スグル君はもともと色々テーマ用意してたよね~? アレはどうしたのかしら~?」

 

 

 と、そこでクラッターバック先輩が俺のことを後ろから抱きすくめつつ話に入ってくる。

 ……クラッターバック先輩には『ナーサリーテイル』の認識阻害が効いていないから小動物を愛でる感覚なんだろうけど、傍から見たら男子高校生を後ろから抱きしめる構図になるので大変よろしくないと思うのですが。ですが!

 というか、端的に言ってクラッターバック先輩の豊満なお胸が背中にダイレクトにアタックしているので緊張するんですが。ですが!!

 

 

「スグル先輩。ボクの目から見たら男子高校生がえっちな先輩にドギマギしてる死ぬほどつまらない絵面になってるんですけど、認識阻害とかいうの解除してくれませんか?」

 

「いやぁそれはおれに言われても困る……」

 

「不思議ね~なんでわたしには効かないのかしらね~」

 

 

 ちなみに、認識阻害のことはユズハにも説明しているし、彼女は俺の見た目が美少女になったこともしっかり覚えている。認識阻害はともかく記憶の改竄は、俺が直接接触をとった相手には効果が効きづらいのだという。

 予想通りユズハは『TSしたのにすぐに見た目は通常通りにする!? ナメてんのかクソボケ!!』と大層お怒りになったのだが、クラッターバック先輩には何故か効かないと分かってかなり渋々矛を収めてくれた。

 クラッターバック先輩に認識阻害が効かないことについてはこの通り『不思議ね~』でゴリ押ししたのだが、クラッターバック先輩に対する尊敬ゆえか、あるいは何らかの術でもかけられてるのか、ユズハは『不思議ですね~』とそこについてはあんまり掘り下げないようだった。

 

 

「……話を戻しますけど。スグル先輩、テーマはちゃんと用意してたんですよね? ならそのテーマを使えばいいんじゃないです?」

 

「う~ん、なんかどれもピンと来なくなってきちゃって……」

 

「進捗ゼロにそんな上等な文句を言う資格があると思ってるんですか?」

 

「進捗と人権を直結させるな! 大量の人死にが出るぞ!」

 

 

 世の物書きがどれだけ進捗で苦しんでいると思っているんだ……!

 いや、俺はそういうコミュニティに入ってないから身の回りの物書きの事情しか知らないけど。多分きっと世の中には俺と同じ苦しみを背負っている人も大勢いるはずだと思うんだ。

 ……まぁ、冗談はさておき。

 

 

「確かに、ストックしておいたテーマで無理やり書けば良いとはおれも思うよ。でもさ……先輩と作る最後の部誌なんだ。おれだって納得できるものを書き上げたい。そう思うと、自分でしっくり来ないテーマで無理やり書き始めるのが嫌でな……」

 

 

 まぁ、ワガママだってのは分かってるよ。

 せっかく社会復帰して、きちんと〆切を守れそうな目が出て来たんだ。書き始めるうちにテーマにしっくり来るってこともあるだろうし、書く前からあれこれ悩んでても仕方ない。ここらで一つ、決断しないといけないよな。

 

 

「……じゃあ、」

 

「ハァ、仕方ないですね」

 

 

 言いかけたところで、ユズハはわざとらしく大きなため息をついて見せた。

 

 

「ボクだって鬼じゃありません。……というか、クラッターバック先輩と一緒に作れる最後の部誌をすばらしいものにしたいって思いには強く共感するところですし。それなら、変にテーマを決めて納得できないものを作る方がダメですからね」

 

 

 ユズハはちらりと視線を横に向けながら、

 

 

「だから、ボクもテーマ探しに協力しますよ。今日の放課後とかどうですか。ドロシー先輩も一緒に」

 

「あ、いいわね~! スグル君、どう~? 何でテーマがしっくり来なくなっちゃったのかも、誰かと一緒なら気付きやすいかもだし~」

 

「そう……っすね。願ってもないです」

 

 

 少し照れを隠しながらのユズハの提案に、俺はちょっぴり戸惑いながら頷いた。

 ……いや、ユズハがそういう提案をしてくれるとは正直思っていなかった。基本的にユズハの役割は俺のケツを叩いて小説を書かせることだと思っていたから……。

 

 

「でも、いいんですか? ユズハは大丈夫として、クラッターバック先輩の原稿とか……」

 

「あ、わたしはもう完成してるわ~」

 

「参りましたァ!!」

 

「受験勉強もあるから早めに終わらせておいたのよね~」

 

 

 くっ……! 『ナーサリーテイル』のエージェントでもあるジェラルド=ガードナーが箔付けの為に利用した魔女の『正体』だっていうのに、俺よりよっぽどしっかりと高校生ライフを計画的に過ごしていらっしゃる……!! 大学受験の用意までしっかり進めてるとは思っていなかった……!

 俺が心配なんて、すること自体がおこがましかったんだ……!

 

 

「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきやす」

 

「女の子二人を侍らせて放課後デートなんて。スグル先輩ってばラノベの主人公みたいな境遇ですね」

 

「今はそういうメタ的な冷やかしを入れてくるヒロインもまぁまぁいるしなぁ」

 

「ことあるごとに進捗を聞いてくるヒロインは新しいわよね~」

 

 

 そんなことを話しながら、お昼休みの時間は過ぎ去っていった。

 なんかこう、全員文芸部だとメタ認知が進みすぎててラブコメみたいな雰囲気に全然ならないね……。

 

 

 


 

 

 

 昼休み終わり。俺は教室に戻ることなく──学校の外に出ていた。

 学ランは学校に置いてきてある。これからの用事には邪魔なものだからな。

 

 

「……なんでこのタイミングで来るかなぁ」

 

 

 といっても、別にサボりというわけではなく──俺の日常を守る為にも必要なことだった。

 

 『ナーサリーテイル』は、別に無償で俺の日常を取り戻してくれたわけじゃない。

 それと引き換えに、俺は『ナーサリーテイル』に協力しないといけなくなった。たとえば俺の肉体の一部(皮膚とか)を提供して解析に役立ててみたり、《性質》を実際に使ってみせてどんな技術が使われているか調べてみたり──実際に『UAN』が侵略行為に出た時に、武力として派遣されてみたり。

 

 

『お勉強はドロシーさんが教えてくれるから、いいでしょ?』

 

 

 耳に着けた耐熱性インカムから、メリーさんの声が聞こえてくる。

 オペレーター役のメリーさんとあの場で面識が持てたのは、実は俺にとってはけっこうな幸運だったのかもしれない。クラッターバック先輩の次に話す機会が多い人だから、ああいう形ででも親近感が湧いたのは接しやすさの面でかなりプラスだった。

 俺はワイシャツの袖を捲れるだけ捲りながら、

 

 

「まぁそうなんだが……。でもやっぱ、授業受けときたいよ。放課後の時間がなくなったら、その分小説を書く時間が減るし」

 

『そういうものかしら……。ところでスグル、なんでワタシにはタメ口なの? ワタシこれでも人間で言ったらまぁまぁな年齢なのよ?』

 

「おばさんってことか?」

 

『呪い殺すわよこのガキャア!!』

 

 

 年齢ネタでキレるなら年上ぶらなきゃいいのに……。

 俺は内心で呆れつつ、

 

 

「でもメリーさんって、話しててなんかこう……年下っぽいんだよな」

 

『……それどういう意味よ』

 

「お人形さんみたいというか」

 

『あっ……そう。……それなら別にいいけど……』

 

 

 それっきりメリーさんは怒っていたのも忘れたみたいに矛を収めてくれた。分かりやすッ!! メリーさん、【怪異】とかでけっこう不気味なところもあるけど、こういうところが話しやすいというか、親しみやすいんだよなー。

 

 

『……さて。気を取り直して、今回現れた敵の話をするけど』

 

 

 こほんと咳ばらいを一つして、メリーさんは話を切り替えた。

 ……そう。

 今回俺がメリーさんのオペレーティングを受けて急行しているのは──『UAN』の怪人が出没した現場だった。

 

 

『今回現れた怪人は、《Spider104》と呼称される個体よ。その名の通り蜘蛛をモチーフにした《適応型》ね』

 

「適応型ってなんだ?」

 

『あー……まぁ説明してあげるわ』

 

 

 メリーさんはちょっとだけ面倒くさそうにしながら、

 

 

『「UAN」の怪人には、幾つかのタイプがあるわ。というより、当初から戦略を変えて来たっていうのが正しいけど』

 

「ふむ」

 

『「UAN」が侵略当初に派遣してきた怪人は、《侵略型》とこちらでは分類されてるの。こちらの星を《向こう側》の環境に作り替える──この世のものではない性質を適用してくるタイプで、ぶっちゃけこっちの方がワタシ達にとっては脅威だった』

 

 

 あー、言うなれば、地球外の惑星をテラフォーミングするような役割の怪人ってこと……かな?

 確かに、今出てきてる怪人よりもなんだか大がかりなような気はするけど……。

 

 

『ただ、おそらく向こうの製造コストもその分重かったのね。ワタシ達に怪人を倒すだけの戦力があると分かると、向こうは《侵略型》を出し惜しむようになった。そしてそれと入れ替わるように登場したのが、《適応型》ね』

 

 

 メリーさんは簡単に言って、

 

 

『《適応型》は、その名の通り地球の環境に適応したタイプの怪人よ。こっちの生物を模倣強化した《性質》を持つ怪人が多いのが特徴ね。ヌレガラスの撥水性を強化したタイプだったりとか……今回の《Spider104》も十中八九その系譜よ』

 

「なるほどなー。……ちなみに《性質》は分かんないのか?」

 

『そりゃね。名前だって、怪人の体表に書かれてる文字を名前にしてるだけだし』

 

「異世界から来てるのになんで英語で名付けてんだろうな~……」

 

『知らないわよ。こっちはそっちの言語も使いこなしてるぞって煽り目的なんじゃないの?』

 

 

 そんな単純な話なのだろうか。まぁ、今更『UAN』の正体が地球のなんかでしたというオチもないだろうからそのへんは考えてもしょうがないのかもしれないけれども。

 

 なんてことを話していると、何やら白い糸に包まれた街の一角が視界に飛び込んできた。なんだあれは……。

 

 

『街の住民の避難は完了しているけど、気を付けてね。戦闘で街が壊滅したら、アナタの評価が下がるわよ』

 

「う~ん、頑張る……」

 

 

 まだ、微妙に感覚が掴めないんだよなぁ……。一応事前に『まぁ怪人を始末するのが優先だから、最悪街を壊してもいいのよ~』とクラッターバック先輩からは言われているけど……。

 

 

『おそらく蜘蛛糸ね。向こうの怪人の《性質》によるものと見て間違いないわ』

 

「了解。まぁそりゃそうだわな」

 

 

 メリーさんの通信に頷きながら、俺は両手で互いの腕をがりがりとひっかいて皮を剥き始める。

 爪を立てたところから紙を破くみたいにあっさりと皮が剥がれ、その下からドロドロと赤熱した怪人としての皮膚が隆起していく。それに押し流されるように周囲の皮も焼けただれめくれ始めた。……うお、いつ見てもグロい。でもスクラッチカードみたいに削り残しがないのはちょっと気持ちいい。

 

 

「おっ、敵影発見」

 

 

 糸をかき分けかき分け(焼き切り)進んでいくと、すぐに怪人の姿が見えた。

 それは人型──というよりは、二足歩行になった蜘蛛のようなシルエットだった。体の大きさは、たぶん二・五メートルくらい。一般人よりは大きいけど、全開の俺よりは小さい。

 体のつくりは胴体が筋肉質で肥大化しているという点を除けば節足動物のそれに近いし、足もどうしてあの巨体を支えられているのかと思うくらいに細く鋭い。立つというよりも、地面に足を突き刺しているような恰好だ。

 三対の腕も同様に鋭く……これ日常生活とか送れんの? という素朴な疑問が生まれてしまったが、まぁ『UAN』の侵略用怪人に日常生活とかないか、とすぐに思い直した。

 

 

「よぉ」

 

 

 赤熱した両腕でワイシャツが発火しないように少しだけ両手を横合いに伸ばしながら、俺は《Spider104》だかなんだかに呼びかける。

 蜘蛛糸を伸ばして町の一角を真っ白に染め上げていた怪人は、その声に反応して振り返った。

 

 

『《Dragon009》カ? まじデあっち側ニツイテタンダナ』

 

「はた迷惑なことしてんなよ。これ撤去するのにどんだけ手間かかると思ってんだ」

 

『心配スンナ。撤去ナンカサセネェカラヨ。今日カラ此処ハ《帝国》領ダ』

 

「ばかじゃねぇの?」

 

 

 ビッ、と。

 そこで俺は対話を打ち切って、手の中に握っていた小石を指で弾いた。

 圧倒的な膂力で弾かれた小石はライフルよりも速く空を裂き、そして《Spider104》の脇腹を貫通する。

 ……ほんとは体の中心を狙ったんだけどな。やっぱそんな精密な狙いは定められないらしい。

 

 

『ウゴオッ……!? テメッ、問答無用カヨ!? 洗脳サレテネエンナラモウチョイ戦闘ニ及ビ腰ナノガ普通ナンジャネェノ!?』

 

「なに都合の良いこと言ってんだよ。こちとら日常をぶち壊されかけた恨みがあるんだっつの」

 

 

 いやまぁ、今はもうほぼ取り戻せているのでそこまで恨みらしい恨みはないんだけども。

 でも、だからといって怪人に対して容赦が生まれるかと言ったらそれはNOだよね。

 

 

『チッ……! アテガ外レタゼ……』

 

 

 言葉と同時に、脇腹に空いた穴に白い糸が寄り集まって塞がっていく。……あの糸、吐き出した後も動かせるのか。

 っていうか、糸を腹に詰めたくらいで傷治したことになんのか? なんかズルくない?

 

 

「……まぁいいや。治すってことはそれが糸で作った分身とかじゃないってことだろ? なら直接倒せばいい」

 

『ウワッ、コッチガ想定シテネェ応用方法ヲ出ス前カラ看破スルノヤメロヤ』

 

 

 向こうの語りには取り合わない。

 俺は怪人の膂力でもって地面を踏みしめ、一気に《Spider104》に肉薄する。そのまま、赤熱した右腕を振りかぶって──

 

 

 ゴッ!! と。

 

 

 直後、天地が逆転した。

 ごりっ──という感触で、どうやら自分の頭が地面にめり込んでいるらしいことは分かった。だが分からないのは、何故そうなったか、だ。

 《Spider104》の顔面がめり込むならともかく、なんで俺が道路にめり込んでいるのだろう? 多分何かしらの強い衝撃を受けたんだと思うが──

 

 

『ウエ……グロイモン見チマッタゼ』

 

『アア? ……アァそウカ。顔面カ』

 

 

 身体を起こすと、()()()と顔の左側から何かが垂れている感覚があった。多分、顔の皮が頬のあたりまで剥がれて、そこから垂れているんだろう。右側の方はもう完全に皮が剥がれてる感覚があるから、多分攻撃は右側から来たんだろうな。

 

 ……蜘蛛糸で重量物を引っ張って、それをぶつけて来たか? いや、にしては風を切るような音がなかったし、第一俺の感覚ならそのくらいは流石に事前に察知(ワカ)る。

 見た感じで何かが俺の顔面に向かってくるようなものはなかったし、少なくとも俺が気付けない程度にカモフラージュはされていたはずだ。

 …………。

 

 

『ッツカ、ソノ身体……オレノ糸モ焼ケルノカヨ。クソッ、フザケヤガッテコレジャア《怪人態》ニナッタ時点デ捕縛トカ無理ジャネエカ』

 

『ヘエ。オ前ノ目的、捕縛ダッたノカ』

 

 

 クラッターバック先輩の言う通りだったな。

 連中は俺のことを捕まえて、再度洗脳を施そうとしてる。だからしばらくは俺のことを捕縛できるような性能の怪人が表に出てくるだろう──って話だったけれども。

 

 

『ジャアドウスル? 諦メテ尻尾巻いテ帰ルカ?』

 

『冗談ダロ。焼ケテモ問題ナイクライぐるぐる巻キニスリャア良イ話ジャネエカ!!』

 

 

 言葉と同時に、《Spider104》が両手を広げる。

 俺がその場で跳躍すると同時に、すぐ真下で凄まじい衝撃音が響き渡った。──白一色の背景では俺の視覚を以てしても分かりづらいが、大量の蜘蛛糸が四方八方から衝突していたようだ。

 とすると──

 

 

 ぐりん!! と。

 横合いから放たれた蜘蛛糸の一撃で、俺の身体はまるで車に撥ねられたみたいに面白いくらい回転する。

 ただ、これは計算外の事態ではなかった。水平方向からの全方位攻撃。敵は明らかに俺が空中に逃げるのを誘ってきていたからな。前以て攻撃が来るのは分かっていたので、俺は攻撃に合わせて自分で回転することで攻撃の威力を逃がしたのだ。

 

 そして──攻撃の威力を逃がせたお陰で、行動選択の余地も生まれた。

 

 

『気サクナたいぷダカラ正直気ガ引ケルトコロはアルガ……』

 

 

 回転に制動をかけた俺は、自分の真下にある糸の束を掴み取る。

 灼熱の両腕に掴まれた糸はボオ!! と勢いよく燃え上がり、一気に火の手は糸を伝っていく。だが、それも長くは続かなかった。

 他の糸が先ほどと同じように四方八方から飛び掛かってきて、無理やりに鎮火したのだ。あっさりと対処された形だが──俺の目には、いや正確にはメリーさんの目には十分だった。

 

 

『人工筋肉ね』

 

 

 インカム越しに、メリーさんが告げて来た。

 地面に降り立つと同時に、メリーさんが敵の能力の解析結果を伝えてきてくれる。

 

 

『蜘蛛型の怪人は色々タイプがあるから、種類も豊富なのよ。それだけ技術としての蜘蛛糸の伸びしろを「UAN」が感じてるってことなんだろうけど……この怪人の糸は、人工筋肉みたいに自由に伸縮できるみたい』

 

『ナルホド』

 

 

 俺は短く答えた。

 さっきの攻撃も、重量物を糸でぐるぐる回してブラックジャックみたいに攻撃していたわけじゃなくて、人工筋肉の糸を束ねて糸そのものでぶん殴ってたって訳だ。

 白一色の景色の中では全体が真っ白な攻撃は見つかりづらいし、一本一本の糸は細いから集積するのが攻撃直前だったら風を切る音でも把握がしづらい。うまいことやったもんだ。

 

 だが、タネが割れてしまえばどうってことはない。

 

 おそらく、本来は人工筋肉で民間人を無理やり操ったり、敵対者を操ったりする戦法を得意としてたんだろうが……今回は『ナーサリーテイル』の手が早かったから助かった。

 ここから民間人とか出てきたら、流石に誰も殺さずに終わらせるのは厳しかっただろうし。

 

 

『ジゃ、死ネ』

 

 

 短く伝えて、俺は再度地面を強く蹴る。

 《Spider104》は周りの糸を迎撃に使いながら、自分は逃げの一手を打つつもりみたいだが──糸は見づらいとは言っても見えない訳じゃない。見えてる以上、殴り返せばさっきみたいに地面にめり込むことはないし、回避する必要もない。

 

 ボゴア!! と迎撃の糸を殴り飛ばして、飛び上がった《Spider104》を見上げる。

 そして一歩踏み込もうとして──足を止めた。

 

 ……一面、白一色。当然、地面も同様に白一色だ。

 なら、落とし穴だって仕掛けられるんじゃ? だって、このへんは先ほど《Spider104》が足を突き立てていたところだけど足跡がない。わざわざ足跡を隠蔽するってことは、地面に何か細工をした可能性がある。

 

 

『ウワッ、何デ気付クンダ怖ッ……。デモマァ、遠距離攻撃ノ手段ガネェアンタジャドウシヨウモネェダロ? 流石ニ分ガ悪スギルミタイダシ今日ノトコロハ撤退サセテモラウワ』

 

 

 糸に引っ張られながら、《Spider104》は俺を見下ろして言う。

 なるほど、確かにさっきの小石弾きを見ても俺の遠距離攻撃は精密さに欠けるしな。彼我の距離はもう二〇メートルはある。ここから狙い撃ちは、流石に厳しいだろう。

 

 ……俺は顔面の鱗みたいな皮膚を剥ぎ取って、

 

 

「ナメんなよ、ボケが」

 

 

 そのまま、剥ぎ取った抜け殻に向かって力いっぱい拳を振るった。

 

 音が、吹き飛んだ。

 あまりの爆裂音に鼓膜が破れて、耳の奥が《怪人化》を始めたのが分かる。ただ──効果はてきめんだった。

 

 二〇メートル離れた程度で、散弾銃から逃げられるだろうか?

 答えは、NOだ。

 

 

『ウソ、ダロ……』

 

 

 俺が見上げた先には、体中に大量の皮膚片……というとちょっといやだな。鱗と呼ぼう。鱗片をめりこませた、《Spider104》の姿があった。

 人工筋肉の役割を果たすから傷跡を糸で埋めれば治療できるというのなら──灼熱の破片を体内にめり込ませてしまえば、糸での治療はできなくなる。

 しかも大量の散弾は外れたとしても、ヤツを牽引していた移動用の糸自体も焼き切ってくれる。逃亡の手を奪いつつダメージを与える、一挙両得の作戦というわけだ。

 

 移動用の糸を失って足元に落下してきた《Spider104》は、俺の予想通りに仕掛けられた落とし穴に自分でハマる。──深さは大体《怪人化》前の俺の膝下くらいか。《Spider104》は尻もちをついた状態なので、胸から下が穴に埋もれているような格好だ。

 

 

「応用が単調すぎ。もっと糸人形を作って攪乱するとかしろよ」

 

『人間性ドッカニ捨テタカ?』

 

 

 辞世の句を聞き届けた俺は、そのまま低軌道のアッパーで《Spider104》の頭蓋を粉々にしたのだった。

 ……うーん、《性質》の原理的に糸人形は難しかったか?

 

 

 


 

 

 

第四話「描きたいものは」

いわゆる、心境の変化

 

 

 




■今回の怪人紹介
《Spider104》:蜘蛛糸の《性質》。糸の一本一本が人工筋肉の繊維のような働きをする。伸縮だけでなく『ねじり』の動きも一本で再現できるので、現実の人工筋肉を遥かに超えた挙動も可能。束ねた一発は戦車の装甲も容易に突き破る。スグルの推測通り他者を大量操作することも可能だった。


そして柴猫侍さん(@Shibaneko_SS)よりまたもやスタンプとしても使えるイラストをいただきました。
主人公の柏原スグルです。可愛いですね。はよ書け。


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第五話「新たに見える先」

 その日の放課後。

 俺はユズハとクラッターバック先輩を伴って、街を散策していた。

 

 といっても、街中を探索していたりしたとかではなくこう……人気(ひとけ)の少ない路地裏とかを歩いているわけなんだけれども。

 

 

「ねぇースグル先輩、なんでこんなとこ歩いてるんですか?」

 

 

 すたすたと歩く俺の後ろをついて行きながら、ユズハが早速不満げな声を上げた。

 俺はブロック塀の上からユズハを見下ろして、

 

 

「気分転換だよ。普段行かない場所を歩いて発想をリセットして、テーマを探してんの。筆に詰まったらいつもやってるんだ」

 

「その塀の上を歩くのもですか?」

 

「これは怪人改造されて身体能力が上がったのが嬉しくてつい……」

 

「そのうち気分転換でスカイツリーに登りそうな勢いね~」

 

 

 いやいや先輩、流石に俺もそこまでバカみたいに自分の身体能力を満喫したりは……うーんしないとも言い切れない気がしてきた。

 

 

「でも実際、『動ける身体』って新鮮だよ。ものの見え方や聞こえ方も変わるから、本当に世界が変わったみたいだし」

 

「ふーん、じゃあ今まで用意してたストックのテーマがしっくり来なくなったっていうのも、『世界が変わったみたい』っていうのが影響してるんですかね?」

 

「あー、それは意外とあるかもしれないな……」

 

 

 環境が変われば書きたいものも変わるもんだ。怪人化によって世界の見え方が変わったことで、俺の心境にも色々変化が出てるのかも。それを除いても、拉致とか怪人改造とか女性化とかイベントは死ぬほどあったわけだしな……。

 これまでの俺とは違う、今の俺だからこそ書きたくなるテーマっていうのがあると考えるのはけっこう正しい気がする。

 

 

「じゃあ、今のおれに相応しいテーマって何だろう」

 

「何かに追われる話とか」

 

「急に夢占いに寄せて来たな」

 

 

 『何かに追われる夢を見るアナタは恐怖や不安を抱えているでしょう』じゃねぇんだよ! 確かに現在進行形で〆切という恐怖や不安を抱えてはいるけども! ボケがハイコンテクストすぎだろうが!

 そんな風にユズハにツッコミを入れていると、視界の端でクラッターバック先輩がこっちを無言で見つめていることに気付いた。

 

 

「先輩、どうしましたか?」

 

「……ああいや、スグル君がスカートだったらこのアングル、パンツが見えてるかもな~って~」

 

「降ります」

 

 

 そうだった。先輩からは今の俺は美少女に見えてるんだった。でも流れるようにセクハラをかますのはやめてほしいです。

 すたっとブロック塀から降り立った俺に、クラッターバック先輩は首を傾げながら、

 

 

「というか、スグル君はどうしていつまでもブカブカの制服を着てるのかしら~?」

 

「どうしても何も、認識阻害のお陰で今のおれは男の姿にしか見えないんだから、当然じゃないですか?」

 

「いやいや~。認識阻害があるなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 えっ!! そうなの! それはシンプルに知らなかった……。

 ……いやでも。

 

 

「それでも女物の服を買う時は恥ずかしいですし、そもそも現状この服で不便してないんだからよくないですか?」

 

「ほんとに不便してないの~?」

 

 

 そう言って、クラッターバック先輩はちょいと俺のズボンを引っ張った。その直後。

 ずるっ!! と制服のズボンが勢いよくずり下がり、その下の真っ白くて細い脚があっさりと開陳した。

 

 

「ギャア!!」

 

 

 俺は慌ててズボンを引き上げようとするが、咄嗟だったものでもたついてしまい、さらに体勢を崩してズボンが下がったまま盛大にスッ転ぶハメになった。

 

 

「あ~あ~あ~……まさかここまでとは~……。ちょっとごめんね~」

 

「ちょっとなんですか……」

 

 

 倒れ込んだまま恨みがましくクラッターバック先輩を睨んでみるものの、先輩は気まずそうに苦笑するだけだった。

 まぁ、先輩の言いたいことは分かった。俺は立ち上がりながらズボンを引き上げる。一連の流れを客観的に見ると、とんでもねぇセクハラだなこれ。まぁ全部認識阻害食らってるから傍から見たらただ躓いてるだけなんだけども。

 

 

「要は、こういう感じで行動に支障が出るから服を新調しろってことですよね」

 

「そうそう。スグル君ってば物分かりが良い上に寛容でなおかつ話が早くて助かる~」

 

「でも、おれの《性質》ってこう……服とかよく燃えやすいから、あんまり金かけてらんないっていうか……」

 

「そこは心配しなくていいの~。服の代金はわたしが持ってあげるからね~」

 

 

 良いんスか!? いや正直めっちゃ有難いけど……。今までも制服で戦ってて、いつ服が駄目になるか分かったもんじゃなかったからね……。

 服、ちゃんとしたものを買うと普通に高いんだよな。高校生の懐事情ではなんともならなさすぎる。一応俺も以前はバイトしてたんだが、流石にこの状況ではバイトなんてできないからやめちゃったし。

 

 

「ただし、服はレディース限定よ~」

 

「先輩、なんか今日凄い圧が強くないですか?」

 

 

 そんなに俺に女物の服を着せたいのか……。いやまぁ、確かに美少女だから可愛く着飾ってる姿を見てみたいって気持ちは分からないでもないけどさ。

 

 

「今のスグル君可愛いからね~。でもそれとは別に、『女の子の恰好をして見る世界』っていうのも、いつもと違った感じがしてそれはそれでインスピレーションにもなるんじゃないかしら~?」

 

「あー、なるほど……」

 

 

 その路線は確かに考えたことなかったな。

 普段歩かない道を通ること──見慣れない世界を見ることが気分転換になるなら、当然女の子の恰好をしてみることだって見慣れない世界を見ることにもなるわけだ。先輩の言うことにも一理ある。

 ……女物の服を買うのは恥ずかしいけど、先輩とユズハに囲まれてたらまぁなんか言い訳は立つだろ。多分。

 

 

「(スグル君チョロ~)」

 

「先輩、今のおれ耳良いんで……」

 

 

 口の中で呟くだけでも丸聞こえなんだよなぁ。まぁ、方針自体は賛成だから別にいいんだけどさ。

 と、綺麗に話がまとまったところで、急に無言になったのを怪訝に思ったのか、先輩がユズハの方に視線を向ける。

 

 

「……ところで、ユズハちゃんのあれはどういうことなの~?」

 

「気にしないでください。持病の発作ですよ」

 

 

 適当にあしらいながら、俺はクラッターバック先輩を伴ってブティックのある大通りへと進んでいく。

 裏路地では、ユズハが蹲りながらこんなことを言っていた。

 

 

「お願いします……。認識阻害を解除してください……。TSっ()がズボンずり下がってずっこけたり着せ替え人形になる展開を見られないなんて辛すぎる……」

 

 

 …………。

 進捗云々の時から思ってたけど、アイツ実は怪人なんじゃねーの?

 

 

 


 

 

 

 そういうわけで服屋にやってきた訳だが──此処で俺は一つの問題に直面した。

 

 

「そういえば、おれ自分の服のサイズ知らないんですけど」

 

 

 そう、服のサイズが分からないのだ。

 何せ今まで服はだぼだぼの男物の服で通してきたので、自分の身体の大きさをはかる必要もなかった。ただでさえ《怪人態》になるから体の大きさなんて変動するものみたいな認識もあったしな。

 

 

「そこは問題ないのよ~。サイズならもう把握してるから~」

 

「えっなんで……。……あっ、そういえば身体測定してたな……」

 

 

 『ナーサリーテイル』の極東支部に行ったときに、色々測ってもらってたっけ。なんか良く分からない機械でスキャンされたのは内臓とかをチェックされてたのかと思ってたけど、普通に身体の輪郭をスキャンする意味とかもあったのかな。

 ユズハもいるから、そのへんの事情を説明するわけにはいかないけど。……まぁ、もっとも当の本人は……、

 

 

「ねぇードロシー先輩、なんで先輩には認識阻害が効かないんですか……。目ですか? 目が違うんですか? その目をくれませんか?」

 

「良い感じに猟奇的になってきたわね~」

 

 

 こんな感じでアホになっている真っ最中なので、そのへんの辻褄合わせを気にする必要はないだろうが。

 アホになっているユズハを宥め(いや宥めてるかこれ?)、クラッターバック先輩はユズハの頭を撫でながら、 

 

 

「でも、認識阻害の問題で今は試着ができないわね~、よく考えたら~」

 

「別にしなくてもよくないですか?」

 

 

 試着なんてしなくても、服を一通り手に取って頭の中で組み合わせたらぼんやりとしたイメージくらいは見えるものだし、わざわざ認識阻害との兼ね合いを考えてまで問題視するほどのことでもない気がするけど。

 

 

「駄目よ~。生地の重さとか、服の作りとか、実際に着てみないと分からないことも多いもの~。それに、着てみたら意外と似合わなかったりとかもあるし~」

 

「う~ん、いまいちピンと来ないっすね……」

 

 

 男だった頃から、服にはあんまりこだわってなかったからなぁ。

 黒とか白とかの、誰が着ても良い感じになりそうな服を選んで着ていたというか……。

 

 

「……、()()()()()()()

 

 

 そんな俺を見て埒が明かないと思ったのか、クラッターバック先輩は諦めたように溜息を一つ吐く。

 その瞬間、ズ……と、クラッターバック先輩から猛烈に()()()()が噴き出したような気がして。

 直後。

 気付けば、俺はブティックの天井に指をめり込ませるような格好でクラッターバック先輩から距離をとっていた。

 

 

「も~、スグル君ってば、びっくりしすぎ~」

 

 

 そして俺は、先輩が手に持っている()()()()に気付いた。アレは……俺がさっきまで身に纏っていた制服だ。

 同時に、自分の今の格好にも気付く。

 

 今の俺は──端的に言うと、お嬢様然とした清楚なファッションをしていた。

 大量の白絵具にほんの少しだけ赤絵具を混ぜたみたいな具合の薄ピンクのブラウスに、黒の蝶ネクタイ。それと、お腹くらいの高さで穿いた膝下丈のロングスカート。

 状況からして、おそらく先輩の【異能】で着替えさせられたのだろうが──もっとも奇妙なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だ。

 完全に知覚することもできないほどの一瞬で、《Dragon009》としての身体能力を持つ俺に全く悟られることなく着替えさせられる……。……いったいどれほどのスピードがあれば可能なんだ?

 

 

「一応まだ認識阻害は生きてるからごまかしは利くけど、あんまり派手な動きをしすぎちゃうと認識阻害が剥がれちゃうからね~」

 

「あっ……はい。すいません」

 

 

 俺は天井から降り立ちながら、ぺこりと頭を下げる。

 なんというか……ベタな感想だけど落ち着かないなぁ。足元がすーすーするというか、ダイレクトに股間がすーすーするし。スカートを穿くってこういう感じなのかぁ……。

 ……あ? これなんかパンツの穿き心地も違わねぇ?

 

 

「先輩!! パンツ! ライン越え!!」

 

「あ~あ~。そうよね、普通そう思うわよね~。ごめんね~勘違いさせちゃって」

 

 

 思わず目を剥いて抗議した俺に対して、クラッターバック先輩は少し慌てた感じで弁解した。……勘違い? これ、クラッターバック先輩が何らかの【異能】で時間を止めるとかなんとかして俺を着替えさせたんだと思ったんだけど、違うのか?

 

 

「う~ん、ここはわたしの名誉を優先すべきかも~」

 

 

 クラッターバック先輩は少し悩んだようだったが、最終的には説明することにしたようだった。こほんと咳払いすると、クラッターバック先輩は徐にユズハの方へ向き直り、

 

 

「悪いんだけど、ちょっと眠っててね~」

 

 

 手を翳して、ユズハのことを寝かせてしまった。

 倒れ込みそうになるユズハのことを抱きとめる先輩の方を睨みながら、俺は先輩の暴挙を咎める。

 

 

「……先輩」

 

 

 思っていたよりずっと低い声が出たことに、自分でも驚いた。

 しかし先輩はあまり気にしたそぶりも見せずに、

 

 

「わたし魔女だから~。眠り薬とか、そういうのも作れちゃうのよね~。ユズハちゃんに私の素性を教えるわけにもいかないじゃな~い? だからそんな顔しないで~」

 

 

 先輩に窘められて、俺は自分の眉間にめっちゃしわが寄っていたことに気付いた。

 

 

「それにほら……。漏れちゃってるから、殺気が~」

 

 

 言われて、俺は店内の様子が異様になっていることに気付いた。

 別段騒ぎにはなっていないが……他のお客さんや店員さんが、妙に緊張しているようなのだ。どうやら俺が気を張っていたが為にそうなったらしいので、俺は慌てて肩から力を抜く。

 ……いや、殺気? 俺が? クラッターバック先輩に???

 

 

「あ~気にしなくていいわ~。スグル君はまだ戦闘に慣れてないもの。突然異常な現象を目の当たりにした後に神経を逆撫でしちゃったわたしが悪いの~」

 

 

 思わず気まずい気持ちになりかけた俺の心を先回りするみたいに、クラッターバック先輩は特に気にした様子もなく笑いかけてくれた。

 よかった……。咄嗟とはいえ、先輩に対して本気の戦闘モードになるとか、なんかこう……あまりにも、普通じゃないもんな。

 

 

「で、話を大幅に戻すけど~」

 

 

 クラッターバック先輩はぬいぐるみでも抱くみたいに眠っているユズハを抱きすくめながら、

 

 

「わたしの【異能】ね~。ジェラルド=ガードナーが現代魔女宗(ウイッカ)の拍付けの為に利用した魔女の『正体』としてのわたしが司る【異能】は、『捏造』。わたしや、わたしが相対している相手の『過去』を『捏造』できちゃうのね~」

 

 

 ……そうか。

 つまり、さっき俺が一瞬にして着替えていたのは、『俺が女物の服に着替えた』という過去を捏造した結果ってわけか。だから、パンツとかも含めてこれは全部俺が俺の意思で穿いたものだと……。

 だとすると俺にその記憶がないのが気になるけど……そのへんが『捏造』の特性って感じなのかな。

 物理的な事実は変化するけど、記憶や認識までは変わらないみたいな。……正確には記憶だって電気信号という意味では立派な『物理的事実』なんだけど、まぁ【怪異】ってそういう『科学的な線引き』とは違う概念で線引きされることが多いし。

 ただ、だとすると別の疑問も湧いてくる。

 

 

「それなら、ユズハが此処から離れるような条件を『捏造』すればよくないですか? わざわざ眠り薬なんか嗅がせる必要……」

 

「ん~、そのへんは、わたしの【異能】の条件が関係しててね~」

 

 

 クラッターバック先輩は困ったように頬を掻きながら、

 

 

「一〇分以内に三回、互いに相手を認識した上で会話のやりとりを繰り返す。この条件を満たさないと、捏造の対象には指定できないのよ~。ほら、ブティックについてからのユズハちゃんは持病の発作で会話にならなかったから~……」

 

「確かに先輩、途中からユズハの呻き声無視してましたからね……」

 

 

 それは仕方ない。無視されるユズハが悪い。

 ……っていうか、過去の捏造とかいう超ド級の【異能】だから無敵なんじゃないかと思ってたけど、意外と条件が厳しいな。【異能】のタネが割れてたら相手も会話をしてこないだろうし、そうしたら攻め手が一気になくなってしまう。『能力の原理を敵に知られていないこと』が超重要って感じの【異能】だ。

 

 そんな風に感心していると、

 

 

「…………、……いや、今のはまずかったかもしれませんね」

 

 

 背後で、透明な何かが蠢いたのが察知(ワカ)った。

 俺は、後ろを振り返る。そこには何もいない。少なくとも視覚的には。だが、匂いや音を総合した『気配』で分かる。……ブティックの壁際付近。そこに、目には見えない何かがいる。

 

 

「ありゃ~、もしかして怪人に聞かれちゃった~?」

 

「おそらく」

 

 

 ……本当にまずいな。

 先輩の【異能】は強力無比だが、それは原理が敵にバレていないからこそ。もしも今言った条件が敵にバレてしまえば対策を打たれてしまうし、そうすればいくら自分の過去を捏造することができたとしても、無敵とまでは言えなくなってしまう。

 

 

「……仕方ないですね」

 

 

 俺は即断して、

 

 

「あの透明野郎、ちょっと始末してきます」

 

 

 ドン!!!! と。

 清楚系なスカートの裾をたなびかせながら、不可視の怪人へ躍りかかった。

 

 

 


 

 

 

「…………う~ん。順調に進んじゃってるなぁ~……。……()()()()()が~……」

 

 

 


 

 

 

第五話「新たに見える先」

そして、変わっていくということ

 

 

 




ちなみに、靴だけはサイズが合わないと歩くのもままならないので組織の金で買い替えてます。あとは丈を詰めて流用しているようです。


そして烏何故なくのさん(@gGg49zAKW7xxb9h)より主人公・柏原スグルのイラストを頂きました。
顔面が半分《怪人態》になっているのがグロかっこいいですね。ところでこの画像使う機会は果たして訪れるのだろうか。



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第六話「作品を作るとは」





 俺は壁から壁へ飛び移るような形で、不可視の敵に向かって接近していく。

 今までは服装なんて大して気にしていなかったが──どうやら、俺が思っていた以上に服装のサイズというのは重要だったらしい。

 ブカブカの学ランを強引に着ていた状態だと無意識に動きを抑えてしまっていたのが、ぴったりと身体にフィットした服装のお陰でだいぶ楽に動ける。身のこなしが明らかに改善したという実感があるのだ。

 もしも先輩がこのことを考えていたなら、大変ありがたい……いや考えてることあるかなぁ? 先輩、けっこう計算高いところあるから考えててもおかしくないけど……。

 

 そんなことを気にしているうちにも、俺と不可視の敵の距離はどんどん縮まっていく。

 相手は迷彩か何かを施しているのか、肉眼ではどこにいるか分からないが……嗅覚・聴覚・温覚……その他諸々の未分類知覚を総合した俺の感覚なら察知(ワカ)る。

 相手も、俺が迷いなく接近してくるものだから驚愕しているようだな。まあ、その躊躇が命取りになるのだが!

 

 

「ェアアアアアアッッ!!」

 

 

 雄叫びをあげて、俺は拳を振るう。相手の動きは……飛びのくような回避の挙動だ。俺の攻撃に合わせて何かしらの攻撃をしてきそうな気配はない。

 ただ、それでも一応警戒は忘れず、左手の指をこすり合わせるようにして皮を剥いでおく。

 たとえば相手の《性質》が透明化だとして……肉体全体が透明になっているということは、体液が透明化可能ということもありえる。もちろんこの一撃で絶命はさせるつもりだが、気配でしか位置を察知できない以上致命傷を負わせられる可能性はそう高くない。

 そうなると、敵を『物質を透明化させられる体液が分泌できる状態』にしてしまうわけだ。もちろんダメージは与えられるわけだが……利用される可能性があるのはまずい。だから今のうちに、やけどで傷口を強制的に塞ぐことができるように準備をしておいているのだ。

 

 そして。

 俺の拳が、不可視の敵の肉体をあっさりと貫いた。

 

 

「!?」

 

 

 しかしその瞬間、俺は極大の違和感に気付く。

 敵を貫いたにしては……感覚があっさりすぎるのだ。肉を抉った感覚がなさすぎる。これは……ハリボテだ!!

 直後、左斜め上から風切り音。

 攻撃直後の俺がそれに対して反応する間もなく、ゴギャ!! と頭蓋に響く音と共に、()()()()()()()()()()

 

 

「な……にィィいいいい!?」

 

 

 攻撃を受けたことそのものよりも俺の驚愕を誘ったのは、その『感覚の消失』だった。

 俺の《怪人化》は、粘膜系に対しても有効だ。

 たとえば舌を噛んだりすればそこから口内が《怪人化》するし、目にしたって同じだ。だから、目潰しをされたところで失明したりすることはない。

 だが……どういうわけか、俺の左目の視覚は確かに()()()()()()()

 

 

『奇妙カ? ソウダロウナ。ダガ、コチラガオ前ニ対スル対策ヲ打タナイママデイルト考エルノハ、油断ガ過ギナイカネ?』

 

 

 ……四メートル前方。

 目には見えないが、そこに敵がいるのが分かる。呼吸音や身動ぎの音、それから匂いで位置は正確に感じ取ることができるが……実際に敵の声を聞いて、俺は自分がどんな罠にハメられたのか全貌を理解していた。

 

 

「《脱皮》……か」

 

 

 異様に手応えの少ない感触。

 これは……『皮』だったんだ。不可視の状態から《脱皮》することで、『不可視の抜け殻』を生み出していた。おそらく、不可視を感覚機能で突破してくる俺をさらに欺くために。

 答えを示すように、敵は姿を現した。

 

 そこにいたのは、緑色の竜人──いや、二足歩行の爬虫類だ。大きく丸まった背に、鋭い鉤爪を伴った太い両腕に、長い尻尾。とさかのついた頭には、大きく出っ張った丸い眼が二つ備わっており、口からは絶えず細長い舌がちろちろと出入りを繰り返していた。

 端的に言えば──『カメレオン型の怪人』。

 その第一印象を裏付けるように、そいつのトサカには《Chameleon021》という刻印がされていた。

 

 こいつの《性質》は……《光学迷彩》。だがそれだけでなく、爬虫類としての性質で《脱皮》もできるんだ。

 とはいえ、俺が騙されたカラクリについては分かったものの、分からないのは何故俺が視覚を奪われたのか、だ。これが分からなければ、状況はどんどん不利になっていく。

 

 

『確カニ、私デハオ前ヲ倒スコトハ難シイダロウ。最強ノ肉体ヲ持チ、灼熱ノ体温デ敵ヲ焼キ尽クス《Dragon009》ニハ、《適応型》デハ分ガ悪イカラナ……。シカシソンナ私デモ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言いながら、《Chameleon021》は俺に背を向ける。

 だが、それが俺の焦燥を煽るブラフであるということは既に分かっていた。ヤツの重心がそこまで前に行っていないからだ。おそらく……ここで俺が追撃を仕掛ければ、ヤツはカウンターを仕掛けてくるだろう。

 ……此処が、勝負所!!

 

 

「可能か? 俺もナメられたもんだ!」

 

 

 左手の赤熱は……既に収まっている! 指をこすり合わせて細かい《鱗片》を用意しつつ、俺は右手を振り上げながら《Chameleon021》に飛び掛かる。

 すると《Chameleon021》は予想通りに動きを止めてから、こちらの方へ()()()()()()()()()()()()

 俺はそれを待ち受けるように、《Chameleon021》と自分の間に《鱗片》をばら撒く。その直後。

 

 チュドッッ!! と、《Chameleon021》の口から高速で()()が放たれた。

 いや……これは『舌』だ。

 生物図鑑で見たことがある。カメレオンは獲物を捕食するときに舌を高速で伸ばして捉えることが可能だと。そして一説には、その速度はチーターの最高時速と同程度とも言われているらしい。

 その《性質》を継承している怪人ならば、突き出した舌の速度は音速すらも凌いでいるはずだ。先ほど攻撃を受けたのは、ヤツの舌。そして……。

 

 

『グオッ……!? コレハ……』

 

 

 攻撃の軌道上に鋭く尖った《鱗片》をばら撒いておいたことで、《Chameleon021》の舌に《鱗片》が突き刺さってくれる。想定外のダメージに怯んだ《Chameleon021》の動きが鈍るが……そのおかげで、俺は自分の左目の視覚が失われた理由を知ることができた。

 

 《Chameleon021》の舌に突き刺さったはずの《鱗片》は……()()()()()()()()

 

 

「やっぱり《性質》は《光学迷彩》。そしてそれだけじゃなく……体液にも《光学迷彩》を仕込めるわけだな」

 

 

 鏡がないから分からないが──おそらく今の俺の左目は、抉れたみたいに体内の様子が露出しているように見えるはずだ。ヤツの舌の攻撃を受けたということは、その部位が透明になるってことだからな。

 

 

「光学迷彩ってのは夢の技術だ。だが聞いたことがあるぞ。現実には、『完全に透明になる』ってのは想像するより厄介なもんだとな。たとえば視覚は光を『受け取る』ことでものを見ている。透明になれば光は通過してしまうから、視覚は機能しなくなっちまうってわけだ」

 

 

 SFとかを齧ったことがあるなら誰しも聞いたことがある話だ。

 つまりヤツは俺の目に《光学迷彩》を施すことで、視覚を奪って完璧に逃走しようって魂胆だったのだろう。

 おそらくコイツ自身は、嗅覚か何か──とにかく視覚以外の感覚で周囲の状況を把握して、完全な透明状態でも問題なく移動ができるはずだ。舌をちろちろさせているあたり、蛇のようなヤコブソン器官を備えている可能性もある。

 

 実際、いくら敵の位置が察知(ワカ)るからといって、視覚を奪われてしまったら目の前の道とか建物とかが分からなくなる関係で、追跡はほぼ不可能になっていたと思う。

 不可視の肉体に加え、高速の舌でピンポイントに体液をつけながら逃げ回っていればこちらは追跡不可能になる。《Chamelereon021》の自信のほどにも頷けるくらい、こっちにとっては不利な状況だ。ただし。

 

 

「体液ってことは、お前の《性質》はあくまでも有機物によって齎されているものでしかない」

 

 

 言いながら、俺は左手で以て自分の左目のあたりを()()()()()

 まだ鱗の残る指先は瞼とその内側の眼球をまとめて抉り──そしてすぐに、赤熱した内部組織が露出する。そう、有機物など一瞬で発火させてしまうほどの高温の内部組織が、だ。

 ボウ!! という音と共に、左目の視覚が蘇る。

 やはり想定通り、左目の視覚が失われていた原因はヤツの体液を浴びた個所に《光学迷彩》が施されていたことらしい。ということは、つまり。

 

 パッ、パッ、と俺は埃を払うみたいに両手を互いにすり合わせる。

 それだけで、両手の皮膚は全体がズタズタになって赤熱した鱗に覆われた『怪人の手』に早変わりだ。

 

 

「他対象の《光学迷彩》がお前の体液によって施されているなら話は簡単だ。こうやって常に高熱で攻撃を仕掛ければ、お前が体液を吐きかけてこようが高熱でタンパク質が破壊され、《光学迷彩》の効果は失われる」

 

『…………ッ』

 

 

 じんわりと《Chameleon021》の姿が薄らぐように透明になっていくが、もう遅い。

 右目はともかく赤熱している左目の視覚は今から数秒間は絶対に消えないし、《光学迷彩》に特化している《Chameleon021》のスピードがそこまで速くないのはこれまでの戦闘で把握している。

 あと注意すべきは《脱皮》によるこちらの感覚の欺瞞だが……こっちについても、既に対策はできていた。

 

 

「確かに、《性質》で透明になるだけじゃなく、《脱皮》で変わり身をされたら俺の感覚でもとらえきることは難しいだろう……。だが」

 

 

 虚空に浮かび上がるのは、注意しないと確認できないくらいの()()()()()()()()

 

 

「赤熱が終わったとはいえ、《鱗片》は高熱!! それを受けた舌の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 肉片は素早く左に移動したが、動き方からしてこれは回避運動ではなく舌をある程度ゆっくり伸ばすことによるブラフだ。

 匂いと音は……既に本体の位置を明確すぎるほどに伝えてくれている! この期に及んでブラフを打つ冷静さには驚いたが……、

 

 

「ッ、」

 

 

 即座に敵の懐に飛び込んだ俺は、相手が何かを言う間も与えずに右手の手刀でその首を速やかに切断した。

 

 

 


 

 

 

「おお~、はっや~い」

 

 

 そうして絶命によって《光学迷彩》が解除されたことで生まれた生首と首無し胴体の死体を前に『これどう始末しよっかな~』と思っていたところに(その間目撃者が出なかったのは奇跡である。いや『ナーサリーテイル』が細工してくれてたのかもしれないけど)クラッターバック先輩が顔を出してきた。

 背中にユズハをおぶっているので、ゆっくりとやってきたようだった。クラッターバック先輩は首を切断されている《Chameleon021》を一瞥して、

 

 

「本当に始末しちゃうとは~……」

 

「あっ先輩。気を付けてくださいよ。どこに耳があるか分からないんですから」

 

「あ~……。……う~んそうね~。今度から気を付けるわ~」

 

 

 俺が小言を言うと、先輩は気まずそうに苦笑する。まぁ、俺もまさか『UAN』の怪人がこっちを張り込んでいるとは思わなかったわけだけど……。

 ……っつか、こっちの素性がバレてるってことは大丈夫なんだろうか。ユズハはもちろん、俺の家族とかが『UAN』に狙われたら大分キツイんだけど……。

 

 

「先輩、『UAN』って思ったよりもこっちの行動を把握しているんですね」

 

 

 そんな不安への疑問につなげる為に、俺は先輩にそんな風に話を切り出す。先輩は頷いて、

 

 

「そうね~。でも安心してちょうだいな。スグル君の家族を含めて、こっちのアキレス腱になりうるところには組織の【認識阻害】を仕込んでいるから~。仮に『UAN』がスグル君の親類を探そうとしても、『UAN』は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そういう【異能】なのよ~」

 

 

 なるほど……。

 っていうか、よく考えたら『親しい人への攻撃』というリスクへの対処法がないならクラッターバック先輩がわざわざ高校生活を送れることもないか。

 『ナーサリーテイル』のエージェントが普通に高校に通っているってこと自体なんか見え見えの罠って感じがあるし。

 ……っていうか、今まで気にしてなかったけど、実年齢が多分数百歳レベルのクラッターバック先輩が何故わざわざ高校に通ってるんだろう? 俺が一年生の時には二年生だったし、多分普通に高校に入学して、それで卒業して大学受験とかの準備も整えてるんだよな、この人。なんで怪異の『正体』なのにそんなフツーの一般高校生の一生を送っているのだろうか……?

 

 

「ま、そういうわけだから心配しないでね~」

 

「ウッス」

 

 

 そんな感じでざっくり総括したクラッターバック先輩は、頷く俺を尻目に右耳に手を当ててどこかと話し出した。多分、『ナーサリーテイル』だろう。とすると──、

 

 するり、と。

 意識の間に滑り込むような形で、クラッターバック先輩の背後にメリーさんが現れた。

 クラッターバック先輩は突如背後に現れたメリーさんにも驚くことなく、くるりと向き直って拝むようにして笑った。

 

 

「ごめんなさいね~、メリーちゃん。()()、お願いしてもらってもいい?」

 

「また派手に殺したわね……。これ、スグルがやったの?」

 

「ん、そうだけど」

 

 

 頷くと、メリーさんは非常に嫌そうな顔で俺を見た。なんだ?

 

 

「多分今のアンタと戦ったら、ワタシ一瞬で殺されちゃうわね」

 

「人を怪物みたいに」

 

 

 いや、実際に怪物になっているわけなのだが……。

 っていうか、そうか。メリーさんは瞬間移動の【異能】を持っているから、こういう死体とかを回収してくれる仕事もしてるのか。なんというか……メリーさん、本当に便利な人だな。

 

 

「……何してるの?」

 

「いや、縁の下の力持ちって有難いよなぁと」

 

 

 そんな感じでメリー大明神を拝んだりしつつ。

 

 メリーさんに死体を持ち帰ってもらうと、程なくしてクラッターバック先輩に背負われていたユズハが目を覚ました。

 

 

「あ、おはようユズハちゃん~」

 

「あれ……? ボク、一体……?」

 

「ユズハちゃんはTSしたスグル君のお着替えシーンが見られないことへの絶望で気絶してしまったのよ~」

 

「あーなるほど……」

 

「あーなるほどで流しちゃ駄目だろ」

 

 

 いや、言い訳が雑!!!! でもこのバカならそれで本当に気絶しそうだから本人も納得しちゃってるし!!

 

 

「でも、けっこう似合ってるじゃないですか。久々に見たけど、スグル先輩とは思えないくらい可愛いですね……」

 

「あ、そ、そう?」

 

 

 なんかユズハに容姿を褒められると照れくさいな……。

 

 

 ………………。

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

「おまっ、お前、おれの姿が分かるのか!?」

 

「えっ、いやそりゃ分か……、……あれ、そういえば認識阻害とかなんとかがあるんじゃなかったでしたっけ?」

 

 

 やっぱりだ。

 ユズハに認識阻害が効かなくなってる……? どういうことだ……?

 

 

「先輩。なんでか知りませんか」

 

「えっ……。そんないきなり振られても~」

 

 

 目を覚ましたユズハを下ろしている先輩に問いかけると、先輩も困ったような顔になってしまった。

 『う~ん』と悩んでいた先輩だったが、やがてぽんと手を叩くと、

 

 

「そうだ~。スグル君、その手がいけないんじゃないかしら~?」

 

 

 と言って、俺の両手を両手人差し指でそれぞれ指差した。なんかラッパーみたいなポーズで面白いな……。……で、俺の手?

 …………あ~。

 

 見てみると、俺の両手はさっきの戦闘から、《怪人化》したままになっていた。

 そういえば、さっきクラッターバック先輩が【認識阻害】はあまり派手な動きをしすぎると剥がれてしまうとか言ってたっけ。だとすると、《怪人化》した状態だとあまりにも姿が人間離れしすぎているから【認識阻害】が効かないとかあるのかもしれない。生命の危機を掻き立てられると認識が阻害されづらくなるみたいな? 【異能】だから詳しい原理なんて想像もつかないが……。

 

 ともあれ、原因はクラッターバック先輩の分析通りのような気がする。

 俺は手をぱっぱと払って鱗を剥ぎ取り《怪人化》を解除した。よし、これでOK。

 

 

「お~、手も細くて可愛いですね」

 

「……駄目じゃないですか!!」

 

 

 が、ユズハは平然と俺の手を眺めていた。何なんだよもう!

 

 

「……でもやっぱり、この指は怖いですね」

 

 

 と。

 憤慨して先輩に食って掛かろうとしたところで、ユズハの言葉に俺は動きを止める。

 ユズハの視線を追うと……そこには、赤熱し肥大化した──《怪人化》直後みたいな状態の俺の左手人差し指があった。

 

 《怪人化》が、解除されていない。

 

 いや、違う。

 これは……《怪人化》が、()()()()()()……!?

 

 

「これって……」

 

 

 クラッターバック先輩に視線を向けると、クラッターバック先輩はユズハと同じように俺の指先を眺めながら頷いた。

 

 

「どうやら……スグル君の《怪人化》は使い続けるたびに進行するみたいね~。そして、スグル君が体の一部でも《怪人化》していると、【認識阻害】は効かなくなってしまうっぽいわ~。傍から見たら戦闘態勢に入った瞬間美少女になるわけだから、変身ヒロインみたいでお得ね~」

 

「言ってる場合ですか! これって、このままだと進行していくってことですよね!? これヤバくないですか!?」

 

 

 言いながらも、俺は何となく腑に落ちたような感覚をおぼえていた。

 小説を書くときに感じていた、どことなくしっくりこない感じ……。多分、その原因はこれだ。

 『俺が俺でなくなっていくような予感』。多分俺は無意識に、それを感じていたんだ。だから、『今までの俺』が考えたテーマにしっくり来なくなっていったんだ。

 

 

「確かにヤバイかもですけど……。じゃあ、逆にこれをテーマにしちゃえばよくないです?」

 

 

 と。

 俺が自己同一性の危機におののいていると、《怪人化》した指を眺めていた後輩を自称するサイコパスがなんか言ってた。

 

 

「ちょっと待て。今おれはアイデンティティクライシスとなんとか向き合おうと頑張ってるところなので……」

 

「だから、それを小説のネタにすればよくないですか? 〆切まで日がないんですから、使えるものはなんでも使っちゃいましょうよ」

 

「アイデンティティクライシスがぁ!!」

 

「〆切」

 

「うぅ……はい……」

 

 

 圧が強すぎるよぉ……。

 

 

「まぁまぁスグル君」

 

 

 最強のサイコパスに屈した俺の肩を抱くようにして、クラッターバック先輩は俺に寄り添って、

 

 

「でも、たとえば私小説は自分の心と向き合って文章化して生まれるものでもあるじゃな~い? そんな風に、今のスグル君の悩みをテーマにして小説を書くことは、スグル君の不確かなアイデンティティを見つめ直すことにも繋がるんじゃないかな~」

 

「く、クラッターバック先輩……!」

 

 

 さ、流石は文学部部長……! 凄く文学的な励ましだ……! サイコパスとはえらい違いだ! ところでなんで怪異の『正体』の方が人間の心があるんだよ。

 そしてそう考えると、俺の心も気持ち平静さを取り戻すことができた。そうして平静さを取り戻してみると……ふと思ったのだが。

 

 

「でも、『自分が自分でなくなっていく不安感』ってなんかいかにも思春期の精神状態っぽくてありきたりなテーマじゃないか?」

 

「贅沢言ってんじゃねーですよ〆切がいつか忘れたか?」

 

「っす……」

 

 

 ──こうして。

 俺の部誌のテーマは『自分が自分でなくなっていく不安感』に決まったのであった。

 

 ちなみにこの後、【認識阻害】が解けたことで俺のことを美少女として認識できるようになったユズハによって、日が暮れるまで着せ替え人形にされたことは言うまでもない。

 正直、《怪人化》が進行してることに気付いた時よりも自分が自分でなくなっていく感じがして怖かったです。

 

 

 


 

 

 

第六話「作品を作るとは」

すなわち、人生の切り貼り

 

 

 




クラッターバック先輩の【捏造】を使えば肉体の《怪人化》の進行は抑えることができますが、ユズハの前なので黙っています。


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第七話「変わっていく事」

 さて、ここでそもそもの問題があることにお気づきだろうか。

 

 俺の《怪人化》が進行してしまっている。これ自体も非常にマズイはマズイのだが、一旦は良しとしよう。すぐさまどうにかなるという話でもないわけだし。

 問題は……それに伴い、【認識阻害】が効かなくなってしまっているというところだ。

 当然ながら【認識阻害】が使い物にならなくなれば俺は社会生活をまともに営むこともできなくなってしまうわけで、小説を書くどころの話ではなくなってしまうのだが──。

 

 

「いやー、良かったですねー」

 

 

 呑気に笑うユズハの言葉に、俺は静かに頷くばかりだった。

 

 ──結論を言おう。

 

 俺の社会生活は、なんとか平穏を保つことに成功していた。

 

 

 普段着を含め、服を色々と調達した翌日の放課後。

 委員会と文化祭準備の都合で俺とユズハとクラッターバック先輩しかいない文芸部の部室にて、俺はゆったりとした雑談に興じることができていた。もちろん女子の転校生として二重生活に突入したとかそういうわけではなく、柏原スグルとしての学校生活を継続した上で、だ。

 

 ──俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「怪人化した部位を隠せば【認識阻害】が復活するって昨日の時点で分かったのは、収穫だったな」

 

「着せ替え大会を開催したボクに感謝してくださいね」

 

「いや感謝するには精神的苦痛が大きすぎたんだが……?」

 

 

 きっかけは昨日の着せ替え大会でのことだ。

 着替えている最中にたまたま指が隠れるようなタイミングがあったのだが、《怪人化》部位が隠れたために【認識阻害】が復活したのである。着せ替え途中で突然美少女が平凡な学ラン男子高校生に変化するという怪現象を間近で受けてしまったユズハは、TSFショックで気絶してしまったが。

 その時は何が起こったのか理解できなかったが、鏡に映る自分が学ラン姿の男の俺だったことに気付いたことで俺はすべてを悟った。そしてその後、色々と検証した結果──《怪人化》による【認識阻害】の無効化は、《怪人化》部位を完全に覆い隠して外気から遮断すれば解除されることが分かったのである。

 

 まぁそんなドラマがあったりしたお陰で、何とか俺は平凡な日常を過ごせているのだった。いや〆切に追われているので全然平凡ではないのだが。

 

 

「でも、その後『ナーサリーテイル』に頼んで女子用の制服を着るようにしたんですよね? なら此処でくらい包帯をほどいてくれてもいいんじゃないですか?」

 

「いや、突然他の部員が部室に来たら困るだろ……」

 

 

 ずずい、と迫ってくるユズハに対し、()()()()姿()()俺は気持ち顔をのけ反らせながら応対せざるを得なかった。

 一応包帯で《怪人化》部位は覆い隠しているが、いつほどけるか分かったものじゃないし、もしもほどけた時に男子用の学生服を着てたら悪目立ちってもんじゃないからな。昨日の戦いでサイズの合った服を着ることの重要性も学べたことだし、女子用の制服を取り寄せてもらって着ることにしたのだが……そのことを知ったユズハからの『制服姿を見せろ』コールが騒がしくなるのは想定外だった。

 いや多少うるさくなるとは思ってたんだけども、いくらなんでもうるさすぎるんだもんコイツよ。お陰でスカートがすーすーするとかそういうありきたりな困惑については丸ごと吹っ飛んでしまった。

 

 

「……まぁ良いですけど」

 

 

 ぶー、と唇を尖らせる姿はちっとも良くなさそうではあるが、少なくともこの件では矛を収めてくれたようだった。まぁまたすぐ再燃するか分かったもんじゃないけど……。

 

 そんな風にTSF狂いの後輩に呆れていた俺は、すぐに気付くべきだった。

 そうやって矛を収めたこの女が、次に出してくる話題が何であるかについて。

 

 

「で、進捗はどうなんですか?」

 

「あっ……」

 

 

 そして訪れる沈黙。

 俺にユズハに差し出せるような言葉は存在せず。そしてその沈黙がまた、俺の苦境を表す答えを示しており。

 結果として、ユズハの視線はどんどん鋭くなるばかりで、俺はたまらず薄笑いを浮かべながら答える。

 

 

「……えっとー、そのー、確かにテーマは決まったんですけど…………今度はキャラが、ね?」

 

「この期に及んで何抜かしてんだボケ!!!!」

 

 

 ギャア!! すみません!! 俺が悪かったです!! だから包帯を無理やり解こうとしないで!!

 

 

 


 

 

 

 なんとか怒れるユズハを宥めた俺は、部室に並べられたパイプ椅子の上で正座しながら居住まいを正していた。これが反省の姿勢である。

 

 

「えーっとですね」

 

 

 針の筵にいる心持とはこのことか──と思いながら、俺は弁解の為に口を開く。

 

 

「まずそのー……小説を書くためにはテーマに合ったキャラを作るわけじゃないですか」

 

 

 他の人はどうか分からないが、俺の場合はテーマを決めたらそのテーマを上手く表現できるようなキャラを作るっていう手順を踏むことが多い。

 このとき、キャラがテーマにした主張に対して賛成か反対かはあんまり重要じゃない。賛成にしろ反対にしろ、テーマを軸にした価値観や問題を持っていることが重要なのだ。たとえばダイエットがテーマの小説でスイーツ大好きなキャラを主人公にしたっていいけど、ダイエットがテーマなのに主人公が四六時中受験のことを考えてたらテーマがふわふわしちゃう……と言えば分かりやすいだろうか。この例で言えば、うまいことダイエットと受験が噛み合うような使い方をしてれば別だけどな。

 そして今回の場合、テーマは『自分が自分でなくなっていく不安感』なわけだが……、

 

 

「テーマに合ったキャラを書こうとしても、なんかイマイチ良い感じのキャラクター像が思い浮かばなくてですね……。昨日家帰ってからパソコンに向き合ったんですけどね……」

 

「プロットの進みすらゼロってどういうことですか? 包帯解きますよ?」

 

「か、勘弁してください」

 

 

 指を! 指を引っ張らないでください!

 

 

「いや俺も困ってるんだって! テーマも決まったし昨日はけっこう進むかなーと思ってたのに全然進んでないし! このままだとマジで〆切がやばいし!」

 

 

 なんだかんだ、俺は自分の筆の速さには自信があったのだ。

 これまでの部誌もなんだかんだで〆切には間に合ってたしね。だから、こんなにも自分が書けなくなるとは思ってもみなかった。怪人化の影響で脳の創作を司るなんかがおかしくなってんじゃないの? と不安になったりもしたのだが……。

 

 

「試しに書いたテキトーな一発ネタの短編の方は普通に書けたしなぁ……」

 

「部誌の原稿ほっぽって何テキトーな一発ネタの短編書いてんだボケコラッ」

 

「ヒイッすみません」

 

 

 殴らないで! 殴らないで!

 

 

「まぁまぁ落ち着いて~」

 

 

 と、暴虐に打ちひしがれていた俺をクラッターバック先輩が救い出してくれた。いつもありがとうございます。

 クラッターバック先輩は頬に手を当てながら、

 

 

「思うんだけど~……スグル君はまだ、『自分が自分でなくなる不安感』をしっかりと自分の中で落とし込めてないんじゃないかしら~?」

 

 

 と、何か核心めいたことを言った。

 俺は思わず首をかしげる。

 

 

「自分の中で、落とし込めてない……?」

 

 

 一応俺も文芸部員なので、クラッターバック先輩の言っている意味は分かっているつもりだ。

 つまり、テーマとして『自分が自分でなくなる不安感』を扱うことを決めたはいいものの、それが具体的にどういう感情であるかが分かっていないんじゃないか……ということだと思うけども。

 ただ、俺だってバカじゃない。そのへんについては考えてみたつもりではある。

 

 

「『自分が自分でなくなる』って、たとえば進学とか進級で今までの環境が変わることも大きな意味で言えば『自分が自分じゃなくなる』ってことですよね。そういう身近なテーマから拾っていけばいいってことは何となく想像できてるんですけど」

 

「それって全部『変化した先にいる自分』は何となく想像できるわよね~? でも、今のスグル君は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に襲われてるんじゃないかしら~?」

 

「………………、」

 

 

 言われてみれば、その通りである。

 新生活への不安と、何者になるかも分からない不安は別物だよな。もっとこう……将来自分はどんな仕事につくんだろうとか、社会問題はどうなっていくんだろうとか、そういう計り知れないものへの不安感だ。比較に挙げるべきは。

 こうやって整理してみると、なんかキャラを考える為にテーマを一般化していく過程で主題を取り違えてたんだな……。そりゃあテーマとキャラが噛み合わなくなって悩む訳だ。

 

 

「……お恥ずかしい限りっす。けっこう初歩的っぽいとこにアドバイスしてもらう始末で」

 

「いいのよ~。先輩なんだから、思う存分頼ってちょうだいな~。……それに、スグル君がそういうとこで思い違いしちゃったのは……多分、()()()()()()()()()()()()()()のイメージが足りてないせいもある、かも~?」

 

「イメージが……ですか?」

 

「そうね~」

 

 

 クラッターバック先輩はのほほんと笑いながら、

 

 

「スグル君にしてみたら仕方がないことだけど……スグル君、自分がこの先どうなっていくのかについてはあんまり考えないようにしてるでしょ~?」

 

「そりゃあ……。……このまま行ったら完全に怪人になっちゃうかも、みたいなことは考えても気が滅入るんであんま考えないようにはしてますね」

 

「でも、不安について考えないようにするってことは、()()()()()()()()()()()()()()()ってことでもあるじゃな~い? それだとテーマの調理の仕方も甘くなっちゃうと思うのよね~」

 

 

 あー……なるほど確かに。

 私小説だって、自分の精神の恥ずかしい部分や見たくない部分を赤裸々に分析して書いているからこそ意義のあるものになるわけで、そこから目を背けたままじゃ良い作品は書けないよなぁ。反省だ。

 

 

「……まぁ、わたしにはそんなスグル君を責めることはできないし、無理をして見つめなくたっていいと、」

 

「いや、やっぱりそこはちゃんと考えないと駄目っすね。〆切まで時間ないんで」

 

「でもスグル先輩、不安について考えるって言っても具体的にどうするんです? こうやって顔を突き合わせてウンウン唸ってたところで、ボクたちは多分スグル先輩の不安について掘り下げることなんてできないと思いますけど……」

 

「おれはそうでもないと思うけど……ま、効率が悪いのはその通りだな」

 

 

 ユズハもクラッターバック先輩も俺とは境遇が違うわけだが、文芸部の部員らしく想像力については人一倍だ。俺の境遇を想像して、不安を掘り下げることは可能だと思う……が、テーマの掘り下げなんて大事な作業を他の人に直接手伝ってもらうのも情けないしな。

 何よりそこの作業は、しっかりと自分の手でやりたいという思いがある。

 

 

「『ナーサリーテイル』だよ」

 

 

 そして俺は既に、自分の不安について考える為に必要なものを導き出していた。

 

 

「おれが『ナーサリーテイル』に保護してもらっていることは知ってるよな。あそこは、今おれが足を突っ込んでいる非日常の総本山みたいなとこだ。前に一回行ったことはあるけど……改めてそっちまで行ってみれば、色々と発見できることもあるんじゃないだろうかと思ってな」

 

「あ~、なるほどね~」

 

 

 俺の説明に、クラッターバック先輩がぽん、と掌を叩いて納得した様子を見せる。

 まぁ、実際には《怪人化》は『UAN』の技術で、完全に怪人になることへの不安には自分が『UAN』の手先になってしまうのではないかという恐怖も含まれていると思うので、一概に『ナーサリーテイル』に行って不安について理解を深められるかというと断言できないところではあるが……それでも、全く意味がないなんてことはないと思うし。

 それに、クラッターバック先輩のリアクションからして『ナーサリーテイル』に行くって選択肢自体が選べないわけでもなさそうだしな。

 

 

「確かに、それは案外名案かも~。スグル君、じゃあこの後『ナーサリーテイル』に行ってみたら~?」

 

「ええ!! 確か今日はドロシー先輩も塾ですぐ帰るはずだから……じゃあボク一人で文化祭展示の準備ですか!? そんな~……」

 

 

 大層テンションが低くなってしまったユズハを尻目に、俺は帰り支度を整える。

 すまんな。あとでなんか穴埋めするから許してくれ。……いや、穴埋めなら昨日の着せ替え大会で十分済んでない? じゃあ別にいいか。

 

 

「悪いな。その代わり、しっかりとキャラ作成の糸口は掴んでみせるからよ」

 

「もちろんそこはちゃんと成果を出さないと許しませんのでそのつもりで」

 

「アッハイ頑張ります……」

 

 

 


 

 

 というわけで、俺はメリーさんの【異能】を使って『ナーサリーテイル』の極東支部までやってきていた。

 鬱蒼と生い茂った森林の中を、メリーさんの先導で歩いていく。此処に来たのは二回目だが……もちろん道順なんて分かるわけがないので、メリーさんの案内がなければ一生迷子になってしまうことだろう。

 

 

「しかし深い森だな」

 

「ねぇ、日本の森林面積が国土の何%か知ってる?」

 

 

 あたりをキョロキョロ見渡しながら歩いていると、メリーさんが不意にそんなことを問いかけて来た。森林面積の割合……?

 

 

「いや……多分授業で出て来たかもしれないけど、覚えてはいないな。四〇%くらい?」

 

「ぶぶー。答えは六七%。もうちょっとちゃんとしなさいよ現役高校生」

 

 

 メリーさんはからかうように笑って、

 

 

「分かる? 日本の国土の大半は森林の中なの。もし仮に極東支部が森林の中にあるって情報が外部に出回ったとしても、日本全土の中から七割に候補が縛られるだけ。見つけるのは至難の業なのよ。組織のメンバーも、ここで人探しをするとなったら一苦労でしょうね」

 

 

 そりゃ確かに、メリーさんの【異能】がなきゃどうしようもないだろうな。

 俺も、最初にやってきた時は『このままこの森林の中に置いて行かれたらどうしよう?』なんて不安に思ったもんだ。

 でも、なんで急にそんな話を……?

 

 

「昨日ドロシーさんから聞いたわ。……アンタ、《怪人化》が治らなくなってるんだってね」

 

「ああ、今は左手の人差し指だけだから、包帯でぐるぐる巻きにしてなんとか凌いでるよ」

 

()()()()()()()()()()?」

 

 

 そのものズバリを。

 メリーさんは単刀直入に問いかけて来た。今まさに、俺が不安に思っているところについて。

 それは人間の基準でいえばあまりにも無遠慮で、配慮に欠けた言動だと言えるかもしれない。ただ……自分の中にある不安を見つめ直したい俺にとっては、いい機会でもあった。

 俺が抱えている不安っていうのは、つまり()()()()()()でもあるのだから。

 

 

「……正直、分からない」

 

 

 だから俺は、不安を吐き出すように素直に答えた。

 

 

「自分では、何も変わらないと思ってる。でも、スムーズに今の生活に順応できてるってこと自体が()()()()()()なのかもしれないし……。此処から先さらに先鋭化していくのかもしれない。そして俺に自覚がないってことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 素直に答えると、先導するメリーさんの背中から得体の知れない『何か』が溢れ出たかのようなプレッシャーを感じた。

 これだ。

 これも、俺が抱えている不安の一つ。……俺の《怪人化》が進むことで、今まで仲間だと思っていた人たちが敵に回るかもしれない。そして、俺自身がその理由に気付けないかもしれない。……ある日突然仲間だと思っていた人に襲い掛かられて、原因も分からない。そんな恐怖。

 

 

()()()()()()()()()。……駄目よ~スグル君。一番大事なところを伝え忘れたら~」

 

 

 と。

 そこで、 頭上から声が降り注いできた。

 視線を上げると──木々の間から覗く空から、箒に乗ったクラッターバック先輩がまるで木漏れ日みたいに降りて来た。

 

 

「メリーちゃんも趣味が悪いな~。そんな風に釘を刺したって何にもならないでしょう~? それともスグル君があんまり可愛いからいじめたくなったのかしら~。駄目よ~? 事務所(わたし)を通してくれないと~」

 

「……悪かったわよ。スグル、ごめん」

 

「いや、いいんだけどさ……」

 

 

 俺の不安を見つめ直す意味でも必要な問いだと思うし……。わざわざ詰問した意図は知りたいけども。やっぱり『ナーサリーテイル』内でも俺を受け入れるかどうかについてって意見が分かれてたりするのかな?

 そういえば、思い返したらメリーさんは昨日も『戦えば殺されちゃう』とか言ってたし、意外と『UAN』に改造された俺を仲間に引き入れるのってけっこうな横紙破りなのかも。いや考えてみれば当然のことだが。

 …………身の振り方には気を付けよう。ただでさえヘイト稼いでるのに迂闊な行動とったら囲んで呪いで叩かれたりしかねない。

 

 んでもって、

 

 

「クラッターバック先輩はどうしてこっちに? 塾なんじゃなかったんでしたっけ?」

 

「ん~、塾に通ってるのはホントのことなんだけど、今日はお休みしてきたのよ~」

 

 

 スウ、とクラッターバック先輩は箒から降りる。その出で立ちはさきほどまでの制服姿ではなく、かつての夜で見た魔女衣装のものだ。

 ……? 塾を休んだって、そりゃまたなんでだ? 何か『ナーサリーテイル』で用事ができたとか……?

 

 

「あっ、おれの『ナーサリーテイル』見学をサポートしてくれるとかですか?」

 

「それもあるけど~、本題はこっちの方かな~」

 

 

 ぱっと手を叩いて問いかける俺に対し、ドロシー先輩はスッと手を横合いに伸ばして、のんびりとした口調でこう続けた。

 

 

()()()()()()()()()()()。……魔女って、意外と凄いのよ~?」

 

 

 


 

 

 

第七話「変わっていく事」

あながち、取り返しがつかなくはない

 

 

 

 





三度!柴猫侍さん(@Shibaneko_SS)より明日使える進捗煽りスタンプをいただきました。
ヒロインのドロシー=クラッターバック先輩です。こんな感じの衣装を着ているそうです。二の腕がえっちですね。


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第八話「なりたい自分に」

すみません!!!!遅刻しましたァ!!!!


「この間説明した通り、わたしの【異能】は【捏造】」

 

 

 クラッターバック先輩がそう嘯いた瞬間、その全身から得体の知れない『何か』が噴き出たのを感じる。

 俺はもちろん、メリーさんすらも反射的に身構えるようなものを放ちながら、クラッターバック先輩はあくまで穏やかに笑っていた。

 

 

「自分や対象の他者の過去に、好きな事実を挟み込むことができるのよ~。そしてそれは、単純な出来事の追加だけでなく……出来事の()()も含まれるのね~」

 

 

 たとえば、チョコレートを食べたという事実を【捏造】するのがストレートな使用方法だとして、その場合、【捏造】すれば対象の体内にはチョコが突然現れるし、血糖値やらなんやらもチョコを食べた時相応に変化する。それは『過去を【捏造】する』って字面を見ただけですんなりイメージできる情景だ。

 

 ただし……クラッターバック先輩の言葉の通りならば。

 チョコレートを食べた人間に対して『チョコレートを()()()()()()』という事実を【捏造】することもできるってことだ。

 当然、胃の中からはチョコレートは消えるし、血糖値も下がることになる。食べなかったことになったチョコレートが復元されるかどうかまでは、この話を聞いただけじゃ分からないが……。

 

 

「さっすがスグル君~。もうわたしの【異能】の作用についてはイメージができているみたいね~。そう、スグル君が《怪人化》しなかったという事実を【捏造】してあげれば、《怪人化》の副作用として発生しているスグル君の今の異常も必然的に消えることになる……」

 

 

 ……でも、そうすると矛盾が生まれないか? 俺が《怪人化》してないことになったら、怪人を倒した要因もなくなるわけで……そこの辻褄合わせってどうなってるんだろう?

 っていうか、《怪人化》しなかったら俺が殺されてた可能性もあるわけで、《怪人化》しなかったことになった代わりに死にましたみたいなことにはならないよな……?

 

 

「ただ、わたしの【異能】は別に世界の事実を変えているわけじゃないから~」

 

 

 クラッターバック先輩はそう言って、

 

 

「わたしが【捏造】するのは、あくまでわたしや相手にとっての事実だけ。物理的な因果関係を変えているのではなくて、変えたいと思った部分を好き勝手に【捏造】するだけだから、影響とかそういうのはぜ~んぶ都合よくなんとかなるのよ~」

 

「あー、『【異能】に科学的な視点は通用しない』ってヤツですか……」

 

 

 そっか。原因と結果はワンセットで、一つ一つの事象が影響し合っている──みたいな発想も考えてみれば科学的な発想なんだよな……。

 …………うぐぅ!! どう考えても破綻してる気がする! 難しすぎる、オカルト! 全然現代人の科学倫理と親和性がない! こんなロジックを小説で使おうものなら多分書いてる途中で発狂してしまう!!

 

 

「そういうわけで、はい~」

 

 

 ぱん、と。

 懊悩する俺をよそに、クラッターバック先輩はのほほんと手を叩く。おっとりとした雰囲気なのでなんとなくぼけっとその様子を眺めていたが……やがて気付く。左手人差し指、その形状が《怪人態》のそれから人間のものに変わっていることに。

 

 

「あれ!? もう……っていうか全然変わった自覚が…………あっそういえば着替えの時もそうだったか……」

 

「そうね~。わたしの【異能】は、精神には影響を与えないから~」

 

「……やっぱり脳内物質の分泌と電気信号で成り立っている人間の精神だけ特殊な挙動するの納得いかねぇ……」

 

「職業病って怖いわね~いやこの場合は趣味病?」

 

 

 頬に手を当てながらのんびりと言うクラッターバック先輩は、全然気にしてないようだった。

 …………っていうか先輩もよくこのメンタリティで現代人と話を合わせられるね?

 

 

 


 

 

 

 その後。

 晴れて元通り(いや、美少女のままなので元通りではないが)の姿に戻れた俺は、『ナーサリーテイル』極東支部にいた。

 極東支部──なんて言うと地下にある秘密基地みたいな物々しいイメージを連想するかもしれないが、実際のところは山奥の洞窟を拡張したけっこう前時代的な代物である。

 まぁ、何らかの【異能】でも作用しているのか、明らかに洞窟とは思えない広さの空間が点在していたり、ある区画から突然鉄筋コンクリート造りの廃ビルみたいな風景になったり、かと思えば青空が広がる草原が出てきたりと、色々無茶苦茶だが……。

 

 

「思ったんすけど」

 

 

 で、今は先ほどまでの同じようにメリーさんに先導してもらい、その後ろを俺とクラッターバック先輩がついていくような構図である。

 先導するメリーさんの背中を眺めながら、俺は何の気なしにクラッターバック先輩に問いかけた。

 

 

「先輩が今日、極東支部に行くように誘導したのってこのためだったんですか?」

 

 

 塾っていうのはユズハ向けの嘘だったらしいし。そう考えると俺が『ナーサリーテイル』の極東支部に行くって言った時に特に何も言わなかったのは、《怪人化》の進行を【捏造】で抑えたかったのかなって思ったり。

 先輩はこっくりと頷いて、

 

 

「それもあるわね~。スグル君の協力を取り付ける条件に『日常生活の保障』があるでしょ~? いくらこっちの想定外の事象とはいえ、約定を違えるのはちょっとね~」

 

「あ、意外と契約に真摯だった……」

 

 

 オカルトってそのへんの決めごとはしっかりしてる印象あるしな。同じくらい『嘘はついてない』みたいなハメ技も使ってくる印象あるけど。

 ともあれ、そういうアフターケアもしっかりしているのは大変ありがたい。日常生活が送れないと原稿執筆どころじゃなくなっちゃうもんな。

 

 

「でも、ほんとに助かりましたよ。《怪人化》の進行を巻き戻せるってことは、このまま戦い続けても完全に怪人になるってことはないってことですもんね」

 

「まぁそうね~」

 

「……別に、完全に怪人になってもいいんじゃないの?」

 

 

 と、そこで俺達を先導して歩いていたメリーさんがそんなことを言ってきた。

 ん? どういう意味だ?

 意図をはかりかねて首をかしげていると、メリーさんはさらに続けて、

 

 

「怪人になるデメリットって、社会生活を送れなくなるだけでしょう? そっちを完全に切って、()()()()に来ればデメリットなんてないようなものじゃない」

 

 

 言われて、俺は咄嗟に何も言えなくなってしまった。

 ……あー、そういう考え方も、確かにあるにはある、のか。

 俺にとっては日常生活を送ることは最優先事項になっているが……()()()()()()()()()()()()()()()()怪異側のメリーさんにとって、《怪人化》のデメリットってないに等しいんだよな。《怪人化》によって精神まで『UAN』の手先になるならともかく、今のところそんな兆候は全くないし。

 

 

「何なら()()()()に来なさいよ、スグル。暴走とかしないなら、ワタシは歓迎するけど」

 

「……メリーちゃん、」

 

「いやー、でも完全に《怪人化》したら学校通えなくなっちゃうからな」

 

 

 流石に、メリーさんのこの申し出に含みがあることに気付かないほど俺も鈍感じゃない。クラッターバック先輩が珍しくガチめの声を出してるあたり、このへんの話には先輩もなんか思うところがあるらしいことも察しがつく。

 でもまぁ、俺はあえてあっさりした感じを意識して答えることにした。

 

 

「原稿間に合わなかったら、マジでユズハに殺されると思うし……。とりあえず今は《怪人化》が進行したら困るんだよ」

 

「……何よそれー……」

 

 

 俺の答えに、メリーさんはどこか呆れた様子でぼやいていた。

 いやまぁ、俺にとっては大事なことでね……。

 

 

「メリーちゃん、その話はもういいでしょ~? それよりも、スグル君に『ナーサリーテイル』の案内をしなくちゃ~」

 

「……分かってるわよ、もう」

 

 

 クラッターバック先輩の小言に、ぶすーと唇を尖らせるメリーさん。拗ねている姿は歳の離れた妹みたいで可愛いんだよな。まぁ実年齢は普通に俺よりずっと年上らしいのだが……。

 ……ちょっと気になったんだけど、メリーさんの電話の『正体』ってことはメリーさんの電話っていう怪談()()()()ではないんだよな、メリーさんって。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 直後、だった。

 廃ビルのような鉄筋コンクリート造りの室内から一変して、周辺を見たこともない花畑が埋め尽くす。

 いや……違う。この説明は順序が逆だな。正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。おそらくは……メリーさんの【異能】によって。

 

 ……クラッターバック先輩は……いないな。置いて行かれたか。

 

 

「メリーさん、これはどういうことだ?」

 

「心配しないで。別にアンタとやり合おうって気はないわよ。こないだも言った通り、アンタと戦ったら多分ワタシはあっさり殺されちゃうだろうし」

 

 

 そう答えるメリーさんからは、確かに殺気の類は感じない。『ナーサリーテイル』のメンバー……怪異の『正体』達が戦闘時に放つ得体の知れない『何か』の気配も、もうない。

 

 

「じゃあなんで?」

 

「フェアじゃないって思ったのよ」

 

 

 ただ、メリーさんからは怒りにも似た感情が伝わってきた。

 怪異の正体とか化け物とか、そういう日常からかけ離れた感覚ではなく……普通に怒ったり泣いたりする存在としての、当たり前の怒りが。

 だから俺は、下手に口を挟まずにメリーさんの言葉を黙って待つことにした。

 

 

「ねぇ、知ってる? 『ナーサリーテイル』って別に、人間達を侵略者から守ってあげる正義の組織って訳じゃないのよ」

 

 

 花畑の中で、御伽噺の女の子みたいに可憐な笑みでメリーさんは笑った。

 

 

「だって、そうでしょう? ワタシ──『メリーさんの電話』は、人間に恨みを持って恐怖を与えて呪い殺す逸話を持ってる。組織には『てけてけ』だとか、『青行灯』だとか、『ワーウルフ』だとか、遭遇したらその時点で命の危険すらある逸話の『正体』だっているくらいだし。どう考えても正義の味方って感じじゃないわよね?」

 

「まぁ……」

 

 

 魔女だって、今でこそサブカルでは善悪のないただの属性として扱われているけど、原典を紐解けば『悪しき者』なわけだしな……。

 そう考えると、怪異の『正体』って時点で人間社会から見れば正義の味方どころか、悪そのものと言えるかもしれない。

 

 

「要は、縄張り争いなのよ」

 

 

 メリーさんは、暗い笑みを浮かべながらそう続けた。

 

 

「ワタシ達にとって、この人間社会は『餌場』。『UAN』の侵略は、ワタシ達の『餌場』を潰す行為よ。だからワタシ達は自分たちの獲物を守る為に仕方がなく戦っているだけ。『ナーサリーテイル』は正義の味方じゃなくて、本質的には『UAN』とは別種の悪なのよ、アナタ達人間からしたらね」

 

 

 ショックかしら? と言うメリーさんは、罪を吐露するような雰囲気とは裏腹にどこかこちらを試すような雰囲気を纏っていた。

 メリーさんがクラッターバック先輩を引き離してまでこの話をしようと思った理由はまだ分からないが……でも、一つだけ俺にも分かることがある。

 

 

「いや、別に」

 

 

 それは、メリーさんが俺のことを傷つけたくてこの話をしているわけじゃないだろう……ということ。

 確かに人類の救世主かと思われた組織が実は自分達も人間を食い物にする気満々ですよ──って話はショッキングかもしれないけど、そもそも『ナーサリーテイル』がいなければ『UAN』が出て来た時点で人類は詰んでいたわけで。

 それに、『ナーサリーテイル』が悪の組織だよって言われてもあんまピンと来ないんだよね。

 

 

「大体、『ナーサリーテイル』って多分元々は互助組織だろ?」

 

 

 『UAN』の侵略に呼応して『ナーサリーテイル』を結成したにしては、文化圏があまりにも違いすぎるし、動きが早すぎる。

 クラッターバック先輩が高校生として人間社会に溶け込んでいる現状を考えても、おそらく『ナーサリーテイル』は『UAN』が侵略するよりずっと前から成立していて、活動を続けてきたはずだ。

 もしも『ナーサリーテイル』がメリーさんの匂わせた『悪の組織』そのものの実態であるならば、その当時から人間を害する行動をとってなきゃおかしい。でも、実際にはそんな動きはないわけで。

 そう考えると、自然と『ナーサリーテイル』の組織としての目的は『怪異たちが互いに助け合うこと』であると推測できるわけだ。

 

 

「……半分正解ね。ドロシーさんあたりは最初から互助組織としてウチを利用してたし」

 

 

 メリーさんは俺の問いかけに微妙そうな顔をしながら、

 

 

「でも半分ハズレ。べつに悪ぶって言っているわけじゃなくて、『アナタ達人間にとっては別種の悪』っていうのはホントのことなのよ」

 

「どういうことだ?」

 

「不思議に思ったことはなかった? ワタシ達の自己紹介。ナントカっていう怪異の『正体』って言い回しがどういうことなのか……って」

 

 

 ……確かに、何か引っかかる言い回しだと思ったことはあるけど。

 

 

「怪異の『正体』っていうからには、今ワタシたちを表している怪異って記号は後付けってことよね。これ分かる?」

 

「えーと……雪男イエティという逸話と名前は、『雪山を歩いている登山者』という『正体』ありきで後から発生している……みたいなこと?」

 

「……まぁ雪男イエティの『正体』はウチに別口でいるけど、そういうことよ」

 

 

 いるんだ、イエティ……。

 

 

「でも、たとえばワタシは『正体』が別にあるのにメリーさんって呼ばれてるし、ワタシ自身も自分のことをメリーさんだと思ってる。ドロシーさんも同じよ。数百年前から生きてて、『ドロシー=クラッターバック』の逸話が生まれるより前からいたはずなのに、あの人自身は『ドロシー=クラッターバック』に()()()()()

 

「……あ」

 

 

 言われて、初めて俺はそこの異常に気付いた。

 いや、逸話とは別に『正体』があるんじゃないかとは思っていた。でも、そう呼ばれている現状が何故成立しているのかって部分には考えが至らなかった。……ってことは……もしかして……今の『ナーサリーテイル』にいる怪異の『正体』って……後天的に発生した逸話によって存在を歪められている……ってことか?

 

 

「いやでも……そんなことあり得るか? 後から生まれた言説によって存在が塗り替えられるって、それって因果が噛み合わないだろ」

 

「因果の逆転なんて、【異能】で散々見たでしょ?」

 

「…………、」

 

 

 そう言われてしまうと、何も言えなかった。怪異にとっては因果の逆転も因果の破綻もいつものこと。根本的にそういう性質を持った存在なのだから、そこに疑問を差し挟むことに意味はない。

 だとするならば……。

 

 

「つまり……『ナーサリーテイル』の目的ってのは、元々あったはずの『正体』を取り戻すこと……なのか?」

 

「流石文芸部。話が早くてホント助かるわ。……少なくとも、ワタシはそうね。それに、ワタシみたいに考えてる連中の方が多数派だと思うわ」

 

 

 元々あったはずの『正体』を取り戻す為の組織。

 ……人々の言説によって後天的に姿を変えられてきたとすると……。

 

 

「……今とは違う、自分たちの望む言説を人々の間に浸透させることで、自分たちの在り方を()()()ってことか? 『ナーサリーテイル』がやろうとしていることって」

 

「その通り」

 

 

 パチン、とメリーさんは指を弾いた。

 

 

「『UAN』の連中みたいに荒々しい形じゃないわ。殺しも拉致もしないしね。……でも、ある意味でそれよりも冒涜的で本質的な侵略よ。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それは……、」

 

 

 確かに、その通りかもしれない。

 国民的な御伽噺……桃太郎やら浦島太郎やらが誰かの好き勝手に物語を変えられてしまうと考えたら、それはもう立派な『侵略』だと言えるだろう。人並み以上に物語を愛する俺みたいな立場からしたら、その威圧感ははっきりと分かる。

 でも。

 でもそれ以上に、俺にとっては……。

 

 

「……怖くないのか……?」

 

 

 その疑念の方が先に立った。

 

 

「だって、それってメリーさんが、メリーさんじゃない別の『何か』になるってことだろ? そして……もしかしたらそれを違和感に思うことすらできないってことだろ? そんなの、今俺が直面してる恐怖と同じじゃないか。なんでそんなものを組織の目的として掲げることができるんだ?」

 

「だから、ワタシからしたら、そこが謎なのよ」

 

 

 メリーさんは俺の問いに被せるようにして断言した。

 

 

「なんで、変わることを畏れるの? 確かに今のワタシじゃなくなるかもしれない。でも、無理に押し込めてまで保っている『今のワタシ』よりは、どんな形かも分からない『あるべき形であるワタシ』の方がずっといい。……【認識阻害】で無理に押し留まろうとしている今のアナタより、何も気にせず自然なままでいられる怪人のアナタの方が良いとは思わないの?」

 

 

 そう問いかけられて、俺はメリーさんのどこか怒っていたような雰囲気の理由が分かった気がした。

 ……そうか。

 メリーさんにとっては、『変わること』は正しいことで、喜ばしいことなんだ。確かにどう変わるかは分からないし、自分が変わったことを自覚することすらできないかもしれない。でも、そうなることの方が自然で、今の方が不本意なんだ。

 なのに、目の前にその『不本意な状態』を維持する為に必死こいているヤツが出てきてしまった。

 

 ……そりゃあ、見てて不安にもなるよな。

 だって、自分とは全く正反対のことを言っているんだから。自分の正しいと思っていることを、正しくないと真正面から蹴飛ばしているんだから。

 

 

「…………でもやっぱり、おれは不自然でも『今の自分』でい続けたいよ」

 

 

 そんなメリーさんの言葉を受け止めて──それでもなお、俺は断言することができていた。

 

 

「『今の自分』でやり残したことがいっぱいあるし……多分、そういうのを無視して違う自分になっても、ずっと後ろ髪をひかれたみたいに気にし続けちゃうだろうから」

 

「……そう」

 

 

 俺が答えると、メリーさんはただ頷くだけだった。

 まだ納得していないみたいだったけど、でも少なくともさっきまでみたいな怒りの雰囲気は消えていた。

 

 それに、実際に自分で自分の気持ちを言葉にして……俺の中でテーマも定まってきたような気がするし。

 

 

 そう思って俺はメリーさんに礼を言う。

 

 

「ありがとう、メリーさん。お陰で俺も『自分が変わっていく不安感』にどう向き合っていけばいいか、分かった気がするよ」

 

「別に感謝されるようなことはしてないわよ。ワタシが個人的に、なんか気に入らなかっただけだし……。……まだ納得はしてないし……」

 

 

 そっぽ向きながら、メリーさんはこう続けた。

 

 

「…………それに、ドロシーさんは多分それじゃ納得してくれないと思うから。アナタもちゃんと答えを練っておきなさいよ、それまでに」

 

 

 その言葉に俺が具体的なリアクションをする前に。

 

 目の前の景色が歪み──

 

 

 

 


 

 

 

第八話「なりたい自分に」

それでも、止められないのなら

 

 

 

 




そして、丸焼きどらごんさん(@maruyakidragon)にイラストをいただきました。
スグル(女の子の服装の姿)です。可愛い!!




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第九話「貴女を書きたい」

「わーん!! これ解いてー!!」

 

 

 『ナーサリーテイル』極東支部の一角、廃ビルのような区画に、一匹のミノムシがいた。

 もちろんそれは本当にミノムシではなく、正体はロープでぐるぐる巻きにされたメリーさんである。蛍光灯なんかを設置する箇所に引っ掛けたロープで吊るされたメリーさんは、目をバッテンにしながら必死に助けを求めていた。

 

 あの後。

 元の場所に戻ったメリーさんは、当然というべきか突然瞬間移動して何やら内緒の話をしたことで怒れるクラッターバック先輩に捕縛されてしまい。その後、あれよあれよと言う間に天井から逆さ吊りにされる憂き目に遭っていた。あのヒキでこんなコメディに振り切れた展開になることある?

 目をバッテンにして泣き叫ぶメリーさんの悲鳴に対し、クラッターバック先輩は青筋をビキビキにした微笑みに片手を添えながら無慈悲に言う。

 

 

「駄目よ~。勝手にスグル君を連れて何か吹き込んだでしょ~? そういうオイタをする子は反省するまで降ろしませ~ん」

 

「そういう秘密主義っぽい態度が細かい不信を積み重ねて最終的に別離の運命を辿るのよ~!!」

 

「誰のせいだと思ってるの~? それじゃあ回転も追加~」

 

「吐くー!! 怪異なのに吐いちゃうー!!」

 

 

 な、なんかもう……見るに堪えねえ……。

 

 

「ま、まぁまぁ先輩、そのへんにしてあげたら……」

 

「何を言われたの?」

 

 

 ちょっと絵面の悲惨さにヒきながら仲裁に入ると、クラッターバック先輩はすっと真面目な表情になって問いかけて来た。

 いつものように目を細めている訳ではない。蒼色の瞳は、不安なその内面を隠すことなく俺のことを見据えていた。

 

 

「……『ナーサリーテイル』の本来の目的について。クラッターバック先輩は、そういうメインストリームとは離れたところにいるってこともまぁ聞きました」

 

「…………そう。ならいいわ」

 

 

 クラッターバック先輩が矛を収めたと同時に、ロープが切れてべちゃりとメリーさんが落下する。……首からイった気がするが……まぁ怪異だし大丈夫だろう。

 

 

「言っておくけど、わたしは『ナーサリーテイル』の侵略には関わっていないわ~。この組織も一枚岩じゃないというか……そもそも、元々が互助組織で、最初は侵略派も組織の中でも一部の過激派だけだったのよ~」

 

「あーまぁ、そんな感じは確かに聞いてて分かりました」

 

 

 まぁ、人の認識の影響を受けて何かの『正体』に変えられてしまったりだとか、『UAN』という外敵が好き勝手やらかしてくれたことで、タガが外れて侵略派が多数派になっちゃったんだと思うけど。

 でもまぁ、自分たちの本来の『正体』を取り戻したいっていうメリーさん達の気持ちも分からなくはないからね。なんかこう、積極的に『コイツら悪者!!』って言いたくはならないよな。

 

 

「あとは?」

 

「……あと?」

 

 

 そのまま続きを促すようなクラッターバック先輩に、俺は首を傾げる。

 あと……と言っても、あとは『変わること』に対する受け止め方の問答とかで、クラッターバック先輩に話すことでもないしなぁ……。

 それに、『ドロシーさんはそれじゃ多分納得してくれない』っていう言葉については……クラッターバック先輩には話さない方がいいだろう。クラッターバック先輩が何で納得してくれなさそうなのかも分からないんだし。

 

 

「メリーちゃんに、他に何か言われなかった~?」

 

「あとは特になんもですね」

 

 

 なので、俺はしれっとシラを切ることにした。

 ……しかし、他に何か言われてたかも……って思うくらいには、クラッターバック先輩には探られたら痛い腹でもあるんだろうか。そのへんはなんかメリーさんが知ってそうな雰囲気はあるが……あの感じだと多分教えてくれるわけではなさそうだしなぁ。

 

 

「……メリーちゃん、わざわざ『ナーサリーテイル』の実態を話すためだけにわたしからスグル君を遠ざけたの~?」

 

「だって、フェアじゃないでしょ」

 

 

 呆れの色を滲ませながらクラッターバック先輩が振り返ると、そこにはよろよろと立ち上がるメリーさんの姿が。

 その足元には、ぐずぐずに腐り落ちたロープの束が転がっている。……あれ、呪いってそういうダメージエフェクトなの? 怖すぎない?

 

 

「スグルは『ナーサリーテイル』が単なる『UAN』への対抗組織としか思ってないのよ。後から実は悪の組織でしたってバレるより、最初から期間限定の協力関係だって分かってた方が良いじゃない。お互いに」

 

「それは……」

 

「ドロシーさん、後輩に嫌われたくないからって『ナーサリーテイル』の実情隠してたでしょ。ワタシが切り出そうとしたら絶対良いように誘導してたと思うから、ちゃんとスグルに説明する為にはああするしかなかったのよ」

 

「…………、」

 

 

 クラッターバック先輩は言い返したかったようだが、言葉が続かないようだった。

 ……まぁ、クラッターバック先輩は純粋に互助組織として『ナーサリーテイル』を利用していたらしかったし、まず自分と『ナーサリーテイル』を切り離した上でそのへんの話を進めたかったんだろうな。

 

 ……ん?

 

 

「後輩に嫌われたくない?」

 

「……あっやべ」

 

「メリーちゃん~!!」

 

 

 俺がメリーさんの言葉に気付いて呟いた瞬間、がばっ!! とクラッターバック先輩がメリーさんに掴みかかる。やっぱり失言だったのね。

 観念したのか、クラッターバック先輩は恥ずかしそうにしながら、

 

 

「……わたし、これでもスグル君やユズハちゃん、文芸部のみんな……ううん。わたしが学生として得たもののこと、かなり大切に思ってるのよ~? なのに『ナーサリーテイル』の一部として見られて『世界を侵略しようとしている悪者』なんて思われたら……多分、わたし立ち直れないから~……」

 

 

 それは、いつも飄々としている先輩が見せる、珍しい弱々しさだった。……意外だ。先輩なら俺がそういう反発を見せたとしても、上手く丸め込んで関係を維持できるし~みたいな感じでタカをくくってるもんだとばかり思ってた。

 でも、そうだな。考えてみればクラッターバック先輩が色々濁すのは、自分が怪異サイドだと俺に思われそうな話の流れの時だったような気がする。っつか、ただでさえ俺が基地から脱走したときの出会い方も最悪だったし、クラッターバック先輩にしてみたらもう戦々恐々って感じだったわけだなぁ。

 

 

「先輩、心配しすぎですよ。おれ、流石にそこまで割り切りが良くないというか……。たとえ先輩が敵に回ったとしても、『ああそうなんだ』でバッサリ切り捨てられるほど非情じゃないですから」

 

「でも怪人はけっこう迷いなく殺すじゃない」

 

 

 話を混ぜっ返すなよメス西洋人形ガキがよ……!

 

 

「最初から敵なヤツと、高校生活で世話になりまくった先輩とでは全然事情が違うだろ。流石におれだって先輩が敵に回ったら苦悩するわ」

 

「嬉しい~。たとえお世辞でもそう言ってくれるだけで~……。わたし、良い後輩を持ったわね~」

 

「そこを話半分に受け取られるのは逆におれが傷つくのですが!?」

 

 

 なんなの!? 俺ってそんな冷血人間みたいなイメージなの!? 皮を剥いた内側はこんなにホットなのに!

 

 

「……それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 大幅に話を戻したメリーさんの言葉に、若干の恨みがましさが混じったのを俺は見逃さなかった。

 そして、その恨みがましさの意味についても、今まで見聞きしてきた情報から何となく察しがつく。

 

 どういうことかと言えば──クラッターバック先輩は、()()()()()()()()()()()ということだ。

 

 『ナーサリーテイル』に所属している多くの怪異の『正体』達は、自分の過去の姿が後付けの逸話によって好き勝手に歪められてしまっている。だから歪められた過去を正しい形に戻す為に色々と活動しているわけだが……クラッターバック先輩の【異能】は、まさにその過去を自分の好きな形に変えてしまうことだ。

 だからこそ、クラッターバック先輩は過去に執着しない。『ナーサリーテイル』の侵略に基本的に関わっていないというのは、そういうことなんじゃないだろうか。

 

 

「ドロシーさんはワタシ達と違って、未来にしか興味がない。どうせ過去は自分の好きに作り直せるから、自分が未来を作る為にとる行動、環境のことばかり考えている。そんな怪異(ひと)から見た『ナーサリーテイル』の姿を伝えられる前に、ワタシの口から『ナーサリーテイル』の真実を伝えたかったのよ」

 

「メリーちゃん……」

 

 

 なるほどな……。

 先輩が怪異なのに大学受験とかの為に塾にまで通っているのは、単純に趣味かと思ってたけど……そういう事情もあったんだなぁ。

 そしてこの言いっぷりだと思っていた以上にメリーさんはクラッターバック先輩のそのへんのスタンスに思うところがありそうだぞ。……まぁそうか。自分が必死になって目指している『正体』のことをどうでもよさそうに見ているどころか、未来っていう自分とは真逆の方向を見てるんだもんな。

 俺の態度にもちょっとチクチクしてたメリーさんからしてみたら、クラッターバック先輩のそういうスタンスは見てていい思いはしないだろうし。

 

 しかしなんというか……。

 

 

「でもまぁ、正直おれは今更『ナーサリーテイル』が組織的に何かしようとしてたとしても、別に邪魔する気はないし、だからといって嫌いになったりもしないよ」

 

 

 なんか、この一番重要な部分が二人に伝わっていない気がしたので、俺は言葉にして言うことにした。

 

 

「『ナーサリーテイル』が自分達の本来の『正体』を取り戻す為におれ達の世界の『物語』の形を変えようとしていたとして……たとえば桃太郎みたいな有名な物語がその為に捻じ曲げられたとしても、ぶっちゃけそれって当たり前のことだしな。桃太郎は原典では桃から生まれた訳じゃなくて桃を食べて若返った老夫婦の子どもだし。そういう意味じゃ、物語は放っておいても自然と変遷していく。それが『ナーサリーテイル』の手で引き起こされたとしても、何も知らない人類からしたら、たぶん侵略されたことにすら気付けないんじゃないか?」

 

 

 だから俺も、『ナーサリーテイル』の侵略よりも、そのことによって引き起こされる変化のことを恐れていないメリーさんの態度のことを気にしてたわけだしな。

 まぁ、メリーさん的にはバッチリ侵略だしそれを人類側である俺が許すわけない──という思い込みがあったから、そこのところですれ違いがあったっぽいけども。

 

 

「…………え、そうなの?」

 

「うん」

 

 

 何の気なしに頷くと、メリーさんはあからさまに脱力したようだった。メリーさん、なんかずっと俺のこと警戒してるみたいだったもんなぁ。

 アレは俺のスタンスに対する悪感情もあっただろうけど、それ以上に俺がいつ敵に回るか分からないみたいなニュアンスもあったんだろうな。……だったら何で自分から事実を言ったんだって話だけど……そんなにクラッターバック先輩の口から、クラッターバック先輩に都合の良い形で『ナーサリーテイル』の目的が語られるのが許せなかったんだろうか?

 なんというか……メリーさん、可愛いなぁ。

 

 

「……なんかワタシのことバカにしてない?」

 

「いやいや、そんなことないぞ」

 

 

 やっぱりバカにしてるー!! と腕をぐるぐる回して殴ってくるメリーさんに対し、腕をつっかえ棒にして防御しつつ、俺はメリーさんの怒りが冷めるのを待つのだった。

 ちなみに、二分で冷めた。カップラーメンよりお手軽である。

 

 

 


 

 

 

「しかし……クラッターバック先輩も、意外と色々苦労してるんすね」

 

 

 オペレーターの仕事があるというメリーさんと別れ、『ナーサリーテイル』の基地をクラッターバック先輩と二人で歩きながら。

 俺はクラッターバック先輩にそんなことを話していた。

 だってそうだろ? 怪異なのに【異能】の関係で普通の怪異みたいな欲求は持てず、色々小細工してまで人間として生活して、そして今もこうやって人間として得た大切な人間関係の為に腐心しているわけなんだから。

 なんかもう、俺としてはそういう事実だけで、クラッターバック先輩のことを応援したくなっちゃうよ。

 

 同情した俺に、クラッターバック先輩は目を輝かせる。

 

 

「分かってくれる~? そうなのよ、苦労してるのよ~」

 

 

 クラッターバック先輩は大きくため息を吐きながら、

 

 

「『ナーサリーテイル』として『UAN』の怪人は倒さないといけないし、それでいて学生としての生活も疎かにはできないもの~。大学受験も忙しいし、夜は塾だし~。……そこまでやっても、離れ離れになっちゃう繋がりはあるしね~」

 

 

 その姿は、年相応の──高校三年生の少女そのもののように見える。

 先輩も、やっぱりそこらへんは人並に受験への不安とかあるんだな……。

 

 

「仲のいい友達と志望校が違うとかあるんですか?」

 

「ん~? まぁわたしは東京の大学に進学するつもりだから、それもあるけど~。……それ以上に、文芸部の仲間とは、わたしが卒業しちゃったらお別れじゃない~?」

 

 

 ……あー。

 

 

「文芸部。わたしが作った部活動。……でも、卒業しちゃったら皆離れ離れなのよ~。東京に行ったらそう簡単には帰って来れないだろうし~……。そうでなくても離れ離れになれば関係性は変わっていく。……寂しいわよ~」

 

「まぁ今はネット通話とか色々充実してますから、話そうと思えばいくらでも話せますよ」

 

「そういう気休めは今は辛いだけなの~!」

 

 

 クラッターバック先輩はも~! と可愛らしく憤慨して、

 

 

「……スグル君はどうするとか考えてる~? 大学。東京行くとか~」

 

「うーんなんも考えてないっす」

 

 

 大学かぁ……。流石に俺ももうそろそろ真剣に考えないといけない時期だよなと思いつつ、具体的な志望校とかはなんも考えてないんだよな……。

 クラッターバック先輩が東京の大学に行くなら、俺も東京の大学を目指すのはアリかもしれないが……。……いやまぁ、そもそもそこに行けるだけの学力があるかってところもなぁ。一人暮らしもしないとだし。

 

 

「…………、そうよね~。あ~、ずっとこのままならいいのにな~……」

 

 

 クラッターバック先輩はそう言って、物憂げに溜息を吐く。

 ……あれ、ちょっと意外かも。メリーさんの話だと、クラッターバック先輩って未来にしか興味がないってことだったし、てっきり未来に対してめちゃくちゃノリノリみたいな感じなのかと思ってたけど。

 興味っていうのは負の興味──不安とか憂鬱とかも含まれてるのかね、ニュアンス的に。

 

 

「あっ、ごめんね~。ついつい愚痴っちゃった~。それで、創作のネタの方はどうかしら~? 何か参考になることはあった~?」

 

「あ、それはハイ。メリーさんと話したりしてるうちに、何となく自分の書きたいテーマに対してキャラをどう設定すればいいか……みたいなイメージはできてきて」

 

 

 その後もクラッターバック先輩の話を聞いたりしてるうちに、なんとなくやりたいことも固まってきたしな。

 そういう意味では、メリーさんの話は俺にとってはかなり助かった。クラッターバック先輩からしたらヒヤヒヤものではあっただろうけども。

 

 そんなことを考えながら、気付けば俺はこんなことをクラッターバック先輩に言っていた。

 

 

「あの、良ければなんですけど、クラッターバック先輩のことヒロインのモチーフにしてもいいですか?」

 

「えっ」

 

 

 …………えっ。

 

 

 


 

 

 

第九話「貴女を書きたい」

おそらく、その横顔が寂し気だったから

 

 

 

 



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第一〇話「揺れる心の狭間」

 その後のことは、正直よく覚えていない。

 

 クラッターバック先輩はなんだか笑いながら生返事をしていたような気がするし、俺自身も自分の言っちゃった台詞のインパクトの強さに当惑して乾いた笑いを垂れ流すくらいしかできなかった気がする。

 実際、自分でもなんであんなこと言っちゃったのか分からないんだよ。

 『貴女のことを書かせて下さい』ってさ。なんかスゴイ含みがあるというか、ありていに言ってプロポーズっぽい響きだろ? いくら俺だってそのくらいは分かる。女の人に『貴女のことを作品のモチーフにさせてください』って、そいつが真面目であればあるほど、なんかこう……精神的に大事にしている感じが出るじゃないか。

 でもあの時の俺は、こう……完全に勢いで喋っていて。なので、あんなことを言っておきながら、俺は自分がどういう心情であの台詞を吐くに至ったのか、自分でもわかっていないのだった。

 

 こういうときに俺が頼れる相談相手といえばユズハなのだが、クラッターバック先輩を敬愛するユズハにあんな台詞を吐いたことを知られれば……いや、あんな台詞を吐いた上で『なんで自分がそんなこと言ったのか分からない』なんてナメた口を叩いた日には、〆切関連でキレるとかなんて比じゃないくらいにマジのお叱りが来るのは想像に難くない。っつーか俺だって他人が同じこと言ってたらキレる……とまではいかなくても、真面目に説教をする自信がある。

 ならばメリーさんか……とも思ったのだが、なんかこう、こういう相談をメリーさんにするのも地雷っぽい気がするんだよな。人間と怪異の浮ついた話とか、メリーさんなんとなくピリつきそうな話題だし……。なんだあの西洋人形。地雷まみれじゃないか。

 

 そういうわけで、悶々としつつも俺は自分一人であの謎の台詞を吐くに至った自分の心境と向き合わなくてはならないのだった。

 クラッターバック先輩もクラッターバック先輩でなんだか様子がおかしいし、そろそろ何とかしないとユズハあたりが異常を嗅ぎつけて動き始めるかもしれないし……くそ、自業自得とはいえこれ以上〆切以外に思考のリソースを割くのはご勘弁願いたい……。

 

 

「……ドロシー先輩とスグル先輩、喧嘩とかしてます?」

 

「ぶっっっ」

 

 

 ……意表を突かれすぎて「ぶっ」って言うの、本当に現実で起こるもんなんだな。自分の身体で実証することになるとは思わなかったが。

 

 

 そんなわけで、一〇月も終わりが見えて来たある日の放課後。俺はユズハとクラッターバック先輩という最近お馴染みのメンツで執筆活動に励んでいた。まぁ、その最中にユズハに唐突な爆弾をぶち込まれて盛大に吹き出してしまったが。

 

 

「い、いや。喧嘩はしてない。喧嘩は」

 

「……ふーん、じゃあなんなんですか? 二人ともここのところずっとぎくしゃくしてますし、いい加減心配になってくるんですけど、ボク」

 

「ご、ごめん……」

 

 

 うーん申し訳ない……。でも、なまじ喧嘩とかみたいな『改善しなくちゃいけないマイナスな関係』ではないから余計に触れづらいんだよな……。俺の方から下手に触れたら今より余計に悪化しそうだし……。俺がどう動くべきかをきちんと整理しないと動いちゃダメな気がするというか。

 なのでどう答えたものかと考えていると、静かに本を読んでいたクラッターバック先輩が読んでいた本を閉じて、

 

 

「ごめんね~ユズハちゃん。スグル君は悪くないのよ~。わたしがちょっと……ね。受験とか色々で、ただでさえ複雑な乙女心がさらに複雑怪奇になっちゃってるの~」

 

「そうなんですか……? 何か悩みがあったら相談に乗りますよ」

 

「ありがとね~」

 

 

 あろうことか、クラッターバック先輩に助け船を出してもらってしまった……。

 

 

「それじゃ、スグル先輩の方は進捗どうなんですか? もう月末も近づいてますけど」

 

「ああ、それについては安心してくれていい」

 

 

 水を向けられた俺だったが、そこについては胸を張って答えることができた。

 いつまでも今までの様に進捗なしでいる俺じゃない。この間の『ナーサリーテイル』極東支部での件で書きたいキャラも決まったことだし、順調に執筆は進んでいるのだ。

 

 

「フフフ……驚くなよ。主人公とヒロインのキャラ設定がまとまった。あと、どういう展開にするかも大体決まったぞ」

 

「おお! それはかなり進みましたね」

 

 

 得意げに答えると、ユズハは素直なリアクションを返してくれる。そうだろうそうだろう。キャラ設定とプロットがまとまったのだ。あとはもう書くだけ。余裕のよっちゃんである。

 と、

 

 

「で、本文はどのくらいまで進んだんです?」

 

「あっゼロ文字です」

 

 

 そうして、本日も雷が落ちた。

 

 

「本文進んでねェ分際で調子こいてんじゃねェですよ!! 〆切いつか分かってるんですか!? 来週の月曜なんですよ今日木曜なんですよそこんとこちゃんと分かってんですかァ!?」

 

「ヒィすいません! すいません!! 頑張りますので許してください!!」

 

 

 べしべしと頭を叩かれながら、俺は必死に許しを乞う。

 

 

「進んではいるんです……進んでは……! ただちょっとヒロインこれでいいのかな……みたいな確認をしているので本文に入れてないだけで……!」

 

「それは進んでるって言わねーんだよ!!」

 

「すいませんすいません!!」

 

 

 だっ……だってしょうがないだろ! ヒロインのモチーフにクラッターバック先輩を使わせてもらうって決めちゃったから、滅多なこと書けなくなっちゃったんだもん! その件についてクラッターバック先輩と話したくても、クラッターバック先輩はクラッターバック先輩でなんだかちょっと様子がおかしいというか、なんかちょっと悩んでるっぽいし……!

 せめてあの時俺がなんで咄嗟に『クラッターバック先輩をヒロインにしたい』なんて口に出してしまったのか、その理由くらい自覚しないと切り出せないな……って思ってたらいつの間にか木曜になってたんだって!

 

 

「スグル先輩が筆遅くなる時って、たいがいそれじゃないですか! 今回だってどうせヒロインの気持ちが分からないからウンウン唸ってるんでしょ!?」

 

「い、いや流石にどういう心情かは分かっていると……」

 

「分かってねェーんですよ!! 何故ならスグル先輩は乙女心が分からないから! 自分が乙女になったというのに何たる体たらく!」

 

「それは関係なくない?」

 

 

 な、なんか雲行きが怪しくなってきてない!?

 

 

「だからほら、今日はいっぱい服を持ってきましたから、適当にちょっと包帯解いて着せ替えコーナーしましょうよ。女の子の服を着て女の子の気持ちが分かれば執筆なんかちょちょいのちょいですよ」

 

「い、いや……。というかおれ、もう指治ったし」

 

 

 そう言って、俺はスッと左手の人差し指を見せる。

 クラッターバック先輩に治してもらった──というか【捏造】してもらったからな。なのでもう包帯も巻いていない。まぁ、言ってなかったのでユズハは知らなくて当然だが……。

 

 

「あれ? 治ったんですか?」

 

「うん。あのあと『ナーサリーテイル』の人の【異能】を使ってもらってな。《怪人化》の進行は全部きれいさっぱりなくなったよ」

 

「なーんだ、じゃあいくら《怪人化》してももうリスクはないってことなんです?」

 

「だと思う」

 

 

 今のところ、《怪人化》に伴う精神変化みたいなのもないっぽいしな。クラッターバック先輩もユズハも俺の様子がおかしいみたいな話は一回もしたことないし。

 色々心配してたけど、《怪人化》のリスクがなくなったのは本当によかったよ。

 

 

「…………へー、リスク、ないんですかー」

 

 

 と。

 そんなことを呑気に考えていた俺は、いつの間にかユズハの視線が怪しくなっていることに気が付いた。……こ、これはまさか……。

 

 

「なら! 一旦体の一部を怪人化させて認識阻害を止めた上で着せ替え大会を開催してもいいってことですよねぇ!! この間のお出かけではまだまだ全然試せてませんでしたから、今日はその分目いっぱいやりましょう! ボクのお古をいっぱい持ってきたんですよ!」

 

「やめろー!! 書く時間がなくなっちゃうからー!! クラッターバック先輩ヘルプミ……、はっ!? いつの間にか離席しとる!!!!」

 

 

 ……クラッターバック先輩の助け舟なしに俺がユズハに逆らえるはずもなく。

 その後は、下校時間までたっぷり着せ替え人形にされてしまったのだった。しかも女の子の気持ちは分からなかったし。何やねん。

 

 

 


 

 

 

 学校終わりの下校の道すがら。

 一〇月も下旬、ハロウィンの気配が色濃くなって来てすっかり冬の気配が身近になった空の下を、俺は一人で歩いていた。

 ……一応女子制服を着てるんだけど、スカートだから足がめちゃくちゃ寒いんだよな……。

 流石に一日中スカートを穿いてると寒さにも慣れてくるものがあるんだけど、おそらく怪人改造を受けて寒さへの耐性が上がっている俺でもこの寒さなら、世の一般女子高生がどれほど寒さに耐えているかと考えると頭が下がる思いだ。

 

 

「……女の子の気持ち、ヒロインの気持ちか……」

 

 

 ユズハの指摘は多分に私情も混じっていたと思うけど、しかし私情しかないと切り捨てるにはあまりにも示唆に富んでいる……と思った。確かに今筆が進まない理由は、ヒロインに()()()()()()()()()()()からで、自分でも自覚していないだけでヒロインの気持ちが分かってないから納得がいっていないんじゃないか、という可能性は大いにある。

 そしてそれは、翻ってモチーフにしているクラッターバック先輩の気持ちが分かっていないんじゃないかということにも繋がるわけで……。

 ……いや、確かにクラッターバック先輩の気持ちって分かんないよな。

 

 だって、クラッターバック先輩は少なくとも数百年前から生きている怪異の『正体』で、人間の伝承によって現代魔女宗(ウイッカ)の拍付けに利用された魔女に存在を歪められて、過去を【捏造】する【異能】を持っていて、それゆえに過去ではなく未来を重視して、怪異ではない普通の女子高生としての人生を歩んでいる──あらゆるイレギュラーを一緒に煮詰めた煮凝りみたいな人だ。そもそも、そうした事情がないにしても全体的に底知れない態度が多い人だし。

 だから、俺は今までクラッターバック先輩の気持ちなんて考えたこともなかった。いや、正確には『何考えてるんだかわからない人』というカテゴリに放り込んでいた。クラッターバック先輩が人並みに受験や自分の将来について不安を持っていると知った時だって、俺はめちゃくちゃ意外だったのだ。『この人にそんな人間らしい心配事があったとは』とまで思ったほどには。

 

 ぴたりと。

 そこで俺は、歩みを止めた。

 

 

「……だから、なのか?」

 

 

 俯いて、俺は思索を巡らせてみる。

 なんだか、色々と腑に落ちたような気がしたのだ。

 今までは底知れないと思っていた、良くも悪くも頼りにしていたクラッターバック先輩が、俺と同じように『これからどうなるか分からない未来』に対して不安を持っている。今までは全然分からなかったあの人の心の裡が、少しだけ分かった。その頼りなさに共感した。

 だから……あのとき、俺は咄嗟にあんな言葉が口を突いて出たんじゃないだろうか。

 だって共感できるってことは、力になれるってことだ。俺の心を解体して答えを見つけ出す作業が、クラッターバック先輩の心にも通用する答えを示せるかもしれないってことなんだから。

 そういうことなら。

 

 俺がやるべきことはシンプル。

 クラッターバック先輩の人生と俺の不安とを照らし合わせて、感情を分解して、そして答えを見つけ出す。

 そうすればクラッターバック先輩の助けになるかもしれないし、何より迷いなく文章を書くことができて〆切を守れる。

 

 前を向いて歩き始めた時には、もう俺の頭の中に迷いはなかった。

 書くべきことはたくさんある。あんだけ意味深な台詞を吐いてしまったんだ。もう、生半可な小説じゃクラッターバック先輩に顔向けできないからな。今日は木曜だから……〆切まで、あと四日しかない。あと四日で、なんとか書き切ってやるんだ。

 

 そうして顔を上げたことで──俺は気付いた。

 月の光が降り注ぐ空の中で、黒衣の魔女の姿が浮かんでいることに。

 

 

「あ、クラッターバック先輩」

 

 

 まさに噂をすれば影、といったところか。

 見上げた先には、月明かりを背にするようにしてクラッターバック先輩がいた。箒に横向きで腰かけたクラッターバック先輩は、そのままスウと地上に降りて来た。

 何か最近気まずい感じだったけど……やることは決まったんだ。もう、クラッターバック先輩に対して気まずさを感じることもない。

 

 

「あら、スグル君、なんだか……迷いがなくなったような~? ……、……迷いというよりは、照れかしら~?」

 

「からかわないでくださいよ……」

 

 

 それはそれとして、恥ずかしい台詞言ったなっていう自覚は消えないんだからさ……。

 まぁその点についてはさておくとしよう。

 

 

「それで、どうしたんです? クラッターバック先輩。おれに何か用があるんですよね」

 

 

 そう言って、俺はクラッターバック先輩を見上げた。

 クラッターバック先輩自身も俺に対してちょっと接しづらそうにしていたし、その件か……いや、今は魔女の格好をしているから、『ナーサリーテイル』としての用事でもあるんだろうか。

 

 

「『侵攻』のね、日取りが決まったのよ~」

 

 

 クラッターバック先輩は、世間話でもするような調子でそんなことを切り出した。

 

 …………。

 ……?

 しんこう……って、侵攻だよな? 多分。どこに?

 

 

 

「前に、メリーさんの【異能】でスグル君が改造された『UAN』の前線基地の座標を突き止めたことがあったでしょう~? そこよ、そこ~。『ナーサリーテイル』の準備が整ったから、じゃあ前線基地潰しに行きましょ~ってね~」

 

「あー……そういえば……」

 

 

 確かに、言われてみれば、そもそも俺が『ナーサリーテイル』参加した時点で、メリーさんの【異能】のお陰で俺が改造されてた前線基地の座標は掴めてたんだっけ。

 そこから一か月足らずで侵攻準備……組織の手際としてはかなり素早い部類なんじゃないだろうか。

 そして、俺もそこに参加するわけか……。

 

 

「なるほど、つまり用件は作戦会議ってことですか? じゃあメリーさんも来るのかな」

 

「いえ~、メリーさんは支部で待機してるわ~。ちょうどわたしが近くにいたから、わたしがスグル君の回収役~」

 

「それはお世話になります」

 

 

 お辞儀をすると、クラッターバック先輩は箒の後ろの方を指し示してくれた。箒で乗せてってくれるってことか。……何気に箒で空を飛ぶの初めてだな。どんな感じなんだろうか。めちゃくちゃ気になる。

 

 

「……、ところで、スグル君ってば急に調子を取り戻したみたいだけど、何かあったの~?」

 

「ああいや、別に大したことはなかったんですけどね」

 

 

 箒のクラッターバック先輩の後ろの部分に座らせてもらいながら、

 

 

「何でクラッターバック先輩をモチーフにしてヒロインを書かせてもらいたいと思ったのか。そこをちょっと考えたんです。自分なりに答えも出たので……ご心配おかけしましたけど、これでもう筆に詰まることもないと思います」

 

「…………、あ~そうなの~……。……よかったわ~。なんだかちょっと照れくさくって、わたしから何も言ってあげられなかったから~」

 

 

 そう言って、クラッターバック先輩は申し訳なさそうにしていた。

 ……いや、そもそも俺が突然妙なことを言い出したんだし、そのことについて先輩が申し訳なく思う必要はないんだけども。

 

 

「そんなんいいですよ。おれの方こそ、あんなこと言ったのになんか変な感じにしてすみませんでした。でも、もう迷いはないですから」

 

 

 俺がそう言うと、クラッターバック先輩も安心できたらしい。

 優しく微笑んで、俺の方へ視線を向けた。そして苦笑してから、

 

 

「う~ん……。あ~、やっぱり駄目ね~」

 

 

 

 直後、だった。

 

 

 

 考えるよりも早く、俺の両腕が動く。どっ!!!! という衝撃が顔の前でクロスさせた両腕にぶつかり、俺の身体は軽く一〇メートルは勢いよく吹っ飛ぶ。

 空中で体勢を整え、一回転して足から着地する──そうして完全な防御を決めても、なお俺は自分の感覚が信じられなかった。

 

 俺の感覚は言っている。

 ドロシー=クラッターバックが、攻撃を繰り出してきた、と。

 

 タネも割れている。箒を浮かせている【魔女の軟膏】を応用した攻撃だ。『空間』に【魔女の軟膏】を適用すれば、箒と同じように『浮遊操作』することができる。それを高速で叩きつければ、人の頭くらいは簡単に破裂させることができるだろう。

 だから──分からないのは、手法(HOW)ではなく動機(WHY)の方だ。

 

 

「……先輩…………」

 

 

 両腕を交差させて。

 赤熱し、二倍以上に膨れ上がった異形の(かいな)の隙間から目の前の『怪異』を睨みながら、俺は呻くように言葉を漏らした。

 

 

「……どうして……?」

 

「スグル君」

 

 

 先輩はそんな俺の問いには答えずに、静かに笑った。

 まるでいつも、学校で笑いかけてくれるときの笑み、そのままに。

 

 

 

「……やっぱりさ~。ここで人間、辞めとかない~?」

 

 

 

 ──怪異の顔で、そう言った。

 

 

 


 

 

 

第一〇話「揺れる心の狭間」

それなら、いっそのこと

 

 

 

 



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第一一話「ある魔女のお話」

 彼女が自分の存在を自覚したのは、一九五〇年ごろであった。

 自分の存在を自覚した──というのはいかにも奇妙な表現ではあるが、そうとしか表現できなかったのは事実だ。物心がついたというわけでもなく、彼女は()()()()()()自分という存在を明確に認識し、そして納得していた。

 それが──怪異の誕生というものである。

 

 不思議なことに、彼女は一九五〇年ごろに生まれたにも拘らず、数百年前からの記憶が存在していた。魔女狩りの存在していた中世の時代から生き延び、そして一九三〇年代にジェラルド=ガードナーに現代魔女宗(ウイッカ)の基礎となる知識を授けた魔女としての記憶が。

 そして彼女には──【捏造】という異能が生まれつき備わっていた。

 

 それは、ジェラルド=ガードナーがドロシー=クラッターバックという女性からイニシエーションを受けたという事実を捏造したことからくる異能だろう。

 歴史の真実では、ドロシー=クラッターバックという人物は存在していなかった。少なくとも、ジェラルド=ガードナーが定義するような人物は。しかし彼の生み出した物語はそれまで存在していた【誰か】を歪め、そしてその『正体』として、ドロシー=クラッターバックは変質したのだ。

 

 そして──ドロシーは【捏造】という異能を持っているからこそ、そうした己の過去に執着する性格ではなかった。

 

 

『確かにわたしには、わたしも知らない「過去」があるのかもしれないけど~……所詮どんな過去でも、自分の好きに【捏造】できちゃうものね~……』

 

 

 その代わりに、ドロシーの興味は常に『未来』に向いていた。

 

 

『それよりも……わたしは「この先の自分」が気になるわ~。これからどんな者達と出会い、どう変わっていくのか……それはこのわたしの【捏造】でも制御できない事柄だし、だからこそ興味があるもの~』

 

 

 その考えは、失われた自分の過去を知りたいと願う者達が多く集う『ナーサリーテイル』においても異端であった。だから、ドロシーは早くから怪異の中にあって『過去』を探求することに見切りをつけていた。

 代わりに、組織や自分の力を使って人間の中で生活し、そしてその中で人間達と共に『未来』というものの可能性を追い求めていたのだ。

 

 ──柏原スグルに出会ったのは、そうした試みの最中。日本の女子高生としての人生を送り始めた矢先のことだった──。

 

 

 


 

 

 

 それから。

 俺はクラッターバック先輩から浴びせられた大量の空気弾の雨から何とか逃げながら、人気の少ない山の方へと移動していた。

 会話の余裕はなかった。速度はそこまでないとはいえ、相手は不可視の弾だ。その場にとどまって相手をしては直撃は避けられないし、クラッターバック先輩の攻撃なのだからどんな追加効果があるか分かったものじゃない。受けるよりも、逃げる方が得策だと判断した形だった。

 そして、山の斜面に生えた木々の陰に飛び込むことに成功した俺は、そこでようやく会話の余裕を取り戻した。

 

 

「先輩! クラッターバック先輩!! どうしていきなり……!」

 

 

 木の陰に隠れて、おれは空中に浮かぶクラッターバック先輩に呼びかける。

 実際、どういうわけか皆目見当もつかなかった。

 『UAN』の前線基地への侵攻準備が整ったというこの状況。おそらく侵攻の切り札になりうる俺を攻撃する理由はクラッターバック先輩には存在しないし、仮に俺の襲撃を止めたくてももっと別のやり方があったはずだ。

 たとえば……クラッターバック先輩の【異能】ならば、俺が改造手術を受けたという事実自体をなかったことにすることだってできるだろう。そうすれば俺の戦力は簡単に失われる。

 少なくとも、こうやって俺の話を一切聞かずに襲い掛かる合理的な理由が存在しない。

 

 となると、残るのは『合理的ではない理由』になる。

 ……いや、言い直そう。多分、俺は最初からクラッターバック先輩の凶行の理由がその『合理的ではない理由』──即ち彼女の感情の問題であることを悟っていた。

 だが、その感情が分からない。

 俺がクラッターバック先輩の逆鱗に触れてしまったのか? それとも、クラッターバック先輩が抱えていた何らかの我慢が限界を迎えてしまったのか? 全く予想ができない。そして、そんなクラッターバック先輩の心を理解できないと()()()()()()

 確かにクラッターバック先輩は怪異側の存在で、何を考えているか分からない秘密主義的なところがあるけれど……でもその一方で、俺達と二年間部活で過ごした先輩で、人並みに受験に不安を持っている一人の少女でもあるんだから。

 

 だから、

 

 

「聞いてください!! 攻撃しながらでもいい! なんでこんなことを!? どう思い詰めてこんなことをしたんですか!?」

 

 

 あえて木の陰から身体を出して、俺はクラッターバック先輩の方を見据える。

 満月に照らされたクラッターバック先輩の姿が、月夜の中に浮かび上がる。──クラッターバック先輩は特に搦め手を使うでもなく、素直に空を飛んでいるようだった。

 

 

「おれに原因があるなら、話してください。おれにできることならなるべくやります。おれにできないことでも……納得したいから話してください!」

 

「──流石《Dragon009》ね~。【魔女の軟膏】程度じゃもうあっさり防がれちゃう、か~」

 

 

 クラッターバック先輩は、答えない。

 言葉を交わしてすらいない。あれは、ただの独り言だ。

 

 ……考えるしかない。自分で。

 クラッターバック先輩が、何故俺のことを突然襲ったのか。このタイミングで、前線基地の侵攻があると教えた直後に。……何故。

 

 

「……盾が足りない!」

 

 

 【魔女の軟膏】を防ぐ為に、俺はあえて右手で左腕を縦に引き裂く。

 ──《Dragon009》の《性質》は《怪人化》。《怪人》は負傷した部分から皮一枚のところでドロドロのマグマが溢れ出るようにして行われるが──この『ドロドロのマグマ』という部分について、考えたことがある。

 怪人はもともと《侵略型》と《適応型》というのがあるらしい。当初は《侵略型》が多かったが、戦果に比べてコストが高すぎたことから今は殆ど《適応型》の怪人が主流になっている、とも。

 そして俺は最強の怪人というくらいなのだから、最新型──《適応型》であるのはたぶん間違いないだろう。……ドラゴンが《適応型》? というと不思議ではあるが──そういう疑問を抜きにして、『壊れたところからドロドロの中身が出てきて硬質な外殻に覆われた姿になる』という性質だけを考えると、何となくイメージは狭まってくる。甲殻類や、昆虫類。俺の《性質》は、そのへんに近いのだ。

 そこで、俺は考えた。もしも甲殻類や昆虫類が俺の《性質》のルーツなのならば、サナギを指で押したら中身が変形してしまうように、外圧を加えることで形も調整できるのではないか、と。

 

 たとえば──骨延長手術のように一旦破壊した上で再生を促せば、()()()()()左手を巨大化させることだってできるのだ。

 

 

「なかなかの応用でしょう。おれなりにけっこう考えたんスよ。怪人になった自分と向き合うことで」

 

「…………う~ん、このままだと埒が明かない、かもな~」

 

 

 クラッターバック先輩は、やはりあくまでも俺と会話をするつもりはないようだった。向かい合って言葉を話してはいるが、それはいずれも俺に向けられた言葉ではない。

 軽く旅行用のトランク三つ分はある左手で【魔女の軟膏】を防ぎながら、俺は思い返す。

 クラッターバック先輩……ドロシー=クラッターバックという、俺より少しだけ年上の少女との思い出を。

 

 

 クラッターバック先輩と出会ったのは、俺が高校に入学してからしばらく後の頃だった。

 高校に入学した頃の俺は、今よりもかなり捻くれていて……昼休みになったらすぐに図書室に駆け込んで蔵書を読み漁り、部活にも入らず放課後は許される限り読書に勤しむ、そんな少年だった。

 自分でも思う。かなりヤバかったと。でも、あの頃の俺は別にそれでいいと思っていたし、そうすることで自分の青春がどうなっても特に後悔はないと思っていた。読書だけに学校生活の青春を費やすことは、それはそれで俺にとっては充実した時間だったしな。

 

 そんな時に出会ったのが、クラッターバック先輩だった。

 

 クラッターバック先輩は毎週水曜日と金曜日に本の貸し出しを担当していた図書委員で、それ以外の日にもたまに自分で本を借りに来るような、華やかな見た目とは裏腹の文学少女だった。当然、毎日図書室に入り浸る俺とはすぐに顔見知りになり、些細なことから会話をするような間柄になった。

 別に俺も人嫌いというわけではなかったから、クラッターバック先輩とは話が合うこともあって──先輩として彼女を慕うようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 そんなある日のことだった。先輩から『部活動を設立したい』という相談を持ち掛けられたのは。

 昼休みや放課後に話したりする機会はいつしか俺とクラッターバック先輩だけに留まらず、散発的に色々な生徒も交えたものになりつつあった。ろくに利用者がいないとはいえ図書室を占有するのも問題になるだろうと考えた先輩は、それならと文芸部の設立を提案したわけだ。

 当然、俺は賛成した。実際に部活動というものがあった方が体裁もいいだろうし、という実利的な判断だったと当時は自覚していたが、今にして思えば──先輩や他の誰かとの不確かな繋がりを明確な形にして安心したかった、という部分が大きいのかもしれない。

 

 図書委員の仕事もあって動けない先輩に変わって、俺がメインになって図書室でよくダベる面子に声をかけて勧誘し、メンバーを集めた。

 その時の活動のお陰でそれなりに学年にも友達が増え、夏の足音が近づく頃には俺は図書室の番人街道まっしぐらだったのが嘘みたいに教室で楽しく談笑できるような人間関係を築くことができていた。

 顧問の先生は、どうしようと頭を悩ませていたらクラッターバック先輩がしれっと連れてきてくれたんだけどな。

 もちろん、それでもやっぱり文芸部の活動を優先するし、現に今も放課後は殆ど文芸部の部室に足を運んでいるが──それでも、俺が楽しい学校生活を送れているのはクラッターバック先輩のお陰といっても過言じゃない。

 

 文芸部の設立を学校に認めてもらう為に部誌を作ろうってなったときにも、小説執筆のド素人集団である俺達を導いてくれたのはクラッターバック先輩だった。

 今にして思えば、このへんは現代魔女宗(ウイッカ)の祖であるジェラルド=ガードナーに対して色々と教えていたっていう怪異の『正体』だから、『物を書いたり教えたりする経験』が元々あったってことなんだろうな。

 

 ……思い返してみるだけで、俺にはクラッターバック先輩への恩が数えきれないほどある。何も返せていないことに、負い目を感じる程度には。

 

 

「先輩……どうして何も言ってくれないんですか!? 水臭いじゃないですか! 今はおれだってこうして力もある……。先輩が何かに悩んでるんだったら、力にだってなれますよ!」

 

「………………、」

 

 

 でも……きっと何かは返せていたはずだ。

 クラッターバック先輩の立場に立ってみれば分かる。与えるだけで何も返してこない、そんな関係性じゃあんなにいつも楽しそうにはしない。きっと俺達でも自覚していない『何か』をクラッターバック先輩も受け取っていて……そうやって俺達の青春は成り立っていたと思う。俺達の青春は、クラッターバック先輩にとっても価値のあるものだったはずだ。

 

 

「なのに、なんで……」

 

「それじゃあ、次はこれならどうかしら~?」

 

 

 クラッターバック先輩がそう言うと、【魔女の軟膏】で破壊された木々が一斉にふわりと浮かび上がる。……そうか、【魔女の軟膏】はそもそも空中を浮遊させる効能を持ってる。空間そのものに作用させなくったって、木を浮かして攻撃することもできるんだ!

 

 

「チッ、らァァああああッ!!」

 

 

 左腕を拡大させておいたのは正解だった。巨大化した左腕で以て、俺は浮遊しかけた木々たちを全部まとめて地面に叩き落とす。灼熱の腕は、触れるだけで木々を焼き尽くした。

 

 

「先輩……!」

 

 

 先輩は、徹底して俺と会話しようとしない。

 しかも、【魔女の軟膏】の力で俺の攻撃射程外にいるからこのままだとじり貧に──

 

 ──いや、待て。

 何か……何かおかしい。今の一連の俺の思考、どこかに違和感があった。

 何かを見逃している? なんだそれは? ……話に応じてくれないクラッターバック先輩、【魔女の軟膏】、襲い掛かった理由、クラッターバック先輩との思い出……。

 

 …………そうだ。

 

 【()()()使()()()()()()()()

 

 クラッターバック先輩の目的が俺の無力化や、俺への危害なら、改造手術をなかったことにしてしまえばいい。先程も考えたが、そうすれば《Dragon009》という《性質》は跡形もなく消滅してくれるし、クラッターバック先輩だってやりやすくなるはずだ。

 だがそうなっていないのは……クラッターバック先輩が、先ほどから俺と一切会話をしていないから。

 俺が必死に呼びかけても、クラッターバック先輩はそれに応じていない。だから発動条件を満たせなくて【捏造】が使えないんだ。……何故、わざわざ自分が不利になるのに会話に応じないのか。

 此処に合理的な理由を考える意味は、多分薄い。だってそれは、とても合理的な理由では説明できない心情によるもののはずだから。

 

 少なくとも行動から分かるクラッターバック先輩の目的は、幾つかある。

 一つ目は、このまま俺を『UAN』の前線基地に向かわせたくないということ。それが俺の身を案じているのか『UAN』の侵攻を終わらせたくないのかは不明だが。

 二つ目は、クラッターバック先輩は俺を人間に戻したくはないということ。改造手術をなかったことにして人間に戻せば一つ目の目的は達成できるのに、それをしないのは『そうしたくない』と思っているからだろう。

 三つ目は、クラッターバック先輩はおそらく俺の《怪人化》を進行させたいと思っているということ。いくらでも搦め手が可能な立場なのに直接俺に攻撃をしかけるということは、俺に傷を負わせることで《怪人化》を進行させたい理由があるのだろうと推測できる。

 

 そして四つ目は……クラッターバック先輩の望みは、多分【捏造】によって簡単に達成できるということ。そして、それを分かっていながらクラッターバック先輩はその手段を選ばないように必死に自制しているということ。

 だって、そうじゃないと頑なに俺との会話を拒む理由が見つからない。情報格差的には圧倒的に俺が不利なのだ。自分の目的の通りに状況を進めたいなら、舌戦でもして俺に揺さぶりをかけるのが絶対に最適解だし、クラッターバック先輩はそういう腹芸ができる人だ。

 でも、やらない。

 それは……多分、心のどこかでは【捏造】で全部簡単に解決したくて、でもそうしちゃいけないと思っているから、あえて自分で発動条件を満たさないように立ち回って選択肢を封じているんじゃないか。

 

 

 ……以上の材料から、俺はクラッターバック先輩が今何を望んでいるのかを考える。

 クラッターバック先輩の立場で考えて。

 怪異として生まれながら、人間の少女としての生活を送って、そしてきっと俺達のことを大切に思ってくれている彼女の心を慮ってみる。

 

 

 ………………………………。

 

 

「……先輩には悪いですけど、おれはやっぱり、人間に戻りますよ」

 

 

 そうして出て来た答えは、そんな言葉だった。

 

 直後、先輩の攻撃がぴたりと止んだ。

 

 

「…………なんで?」

 

 

 帰ってきたのは、泣きそうな少女の声だった。

 

 

 一つ一つの過去を並べてみれば、推測は容易だ。

 クラッターバック先輩は、変わっていく日常に寂しさを覚えていた。でも……それは多分、今に生まれた思いじゃなかったはずだ。

 だって、クラッターバック先輩は怪異で、人間とは違う時間の流れを生きているから。

 今はいいかもしれない。高校の後は大学がある。でも、その次は? いずれドロシー=クラッターバックという人間の人生と怪異・ドロシー=クラッターバックが重なっていられる限界が来る。そうしたら、クラッターバック先輩がその人生で得たものは手放さざるを得なくなるだろう。

 今までは、それでも我慢出来ていたのだと思う。

 だって、それはしょうがないことだから。人と怪異では時の流れが違うのは当たり前だ。いくら【捏造】したとしても、根本から違う存在といつまでも一緒に居続けることはできない。

 

 でも……俺は違った。

 

 改造手術を受けた今の俺は、人間の寿命を超越している。怪異であるクラッターバック先輩と、同じ時の流れを生きることができる──おそらく、彼女の人生で唯一『持ち越せる』ようになった人間関係。

 でも、俺の改造手術はあくまで期間限定だ。

 『UAN』の侵略を防ぐことができれば俺が怪人としての戦力を有する理由はなくなるし、ドロシー先輩はその改造手術そのものを無効化する手段を持っている。

 だから『UAN』との戦いが終われば、クラッターバック先輩は俺のことを元の人間に戻さなければいけない。……『持ち越せる』はずだった人間関係を、自らの手で手放さなければいけないんだ。

 

 そう考えれば、今のクラッターバック先輩の動きも理解できる。

 クラッターバック先輩は──この戦闘で、俺の《怪人化》を一気に推し進めようとしているんだ。

 

 

「……ねぇ、もういいでしょう? こっち側に来ましょうよ~? こっち側に来れば、将来の心配はいらないわ。『ナーサリーテイル』のエージェントとしての立場が確約されるし……何より〆切に追われる心配もないもの~。魔女とドラゴン。きっとわたし達、良いコンビになれると思うけど~」

 

「…………」

 

「ねぇ、お願いよ……。もうわたし、この先にアナタ以上の人と出会えると思えないの。このまま『UAN』の前線基地に行って全てが終わってしまえば、アナタは日常に帰ってしまう。きっと〆切は守られて、部誌は恙なく発行されて……わたしは東京の大学に進学する」

 

 

 怪異と日常が折り重なった吐露を聞きながら、俺は首を垂れるクラッターバック先輩のことを見上げていた。

 

 

「わたしの人生から、スグル君はいなくなってしまう。もしかしたら東京の大学まで来てくれるかもしれないけど……その後もずっと付き合いが続いたとしても、一〇〇年もしないうちにスグル君はわたしの人生から消えるのよ」

 

 

 将来の不安。

 思えば、クラッターバック先輩の最近の不穏な態度は、ここから来ていたのかもしれない。俺が《怪人》として、あまりにも非日常に親しみすぎたから……だから、クラッターバック先輩は『こいつならずっと一緒にいられるかもしれない』と思ってくれたのかもしれない。

 でも、俺の答えはもう口にした通りだ。

 

 

「それでもやっぱり、おれは人間に戻ります。怪異には……なりません」

 

「どうしてよ!? 別に家族を捨てろなんて言ってるわけじゃないわ! 高校も大学も好きに行っていい。ユズハちゃんともお別れってわけじゃない。ただ、『その後の時間』を怪異として過ごしたっていいでしょう!?」

 

「そっち側じゃ、クラッターバック先輩のことを物語に書けないじゃないですか」

 

 

 クラッターバック先輩は、俺の言葉を聞いて面食らったようだった。少し押し黙った先輩に対して念押しするように、俺は続ける。

 

 

「別に怪異に小説は書けないなんて言うつもりはないですよ。実際にクラッターバック先輩だって書いてるわけだし。……でも、おれが書きたいのは『最強の怪人から見た魔女の物語』じゃなくて、『男子高校生から見た憧れの先輩の物語』なんです。飄々としていて、面倒見がよくて、でもどこか寂しがりな……そんな先輩の、悩みや苦しみに寄り添いたいと思ったから……だから貴女のことを書きたいっておれは言ったんだ」

 

 

 その為には、俺自身の軸足が『普通の男子高校生』に置かれてなきゃいけない。

 『怪異』に軸足を置いてたら、俺が書きたいクラッターバック先輩は書けない。だから、俺はそっち側には行けない。

 

 

「……でも、それじゃあわたしは……」

 

「いずれ独りぼっちになっちゃう、ですよね。……分かってますよ。そうやって人と怪異で違う時間を生きるのを肯定するってオチになるのは、そりゃあ物語なら美しいけど、それで納得しろなんて人間の傲慢だ。人間だって大切な人と死に別れるのは寂しいし悲しい。それを美化するのは、無責任ですよね。…………だから、()()()()()()()()んです」

 

 

 元々は、どこかに救いが生まれたらいいなとか……そんなつもりで考えていたことではあるんだけど。

 でも、クラッターバック先輩の悩みや苦しみを知っていくにつれて、俺の中でもアイデアが固まってきた。

 

 だから俺はクラッターバック先輩に告げる。

 

 

「                 」

 

 

 クラッターバック先輩を()()()()()()()ってヤツを。

 

 

「…………あはは」

 

 

 クラッターバック先輩は、泣きながら笑っていた。

 ゆっくりと箒は高度を落として──月夜を背にする【黒猫の魔女】は、地上に降りて一人の少女・ドロシー=クラッターバックになって話しかけてくれた。

 

 

「それ、本当にやるつもり~?」

 

「当然。絶対にやり遂げてみせますよ」

 

「……は~、そうか~。……それじゃあ、結局スグル君の人生をもらっちゃうみたいなものね~」

 

「かもですね」

 

 

 でも、クラッターバック先輩がやろうとしていたこととでは()()()()()()()()と思う。

 クラッターバック先輩の望みはきっと満たされるだろうけど……向かっていく未来の形は、まるで逆だしな。

 

 

「んじゃ」

 

 

 そうして同じ目線になったクラッターバック先輩に向かって、俺は呼びかける。

 簡単なお遣いを済ませる、その前の挨拶みたいに。

 

 

「『UAN』の前線基地、潰しに行きますか」

 

 

 宣戦布告の、サインを。

 

 

 


 

 

 

第一一話「ある魔女のお話」

もしも、貴女がそれを望むなら

 

 

 

 




次回、最終回です! 3/26(Sun) 23:00更新予定!


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第一二話「最後の寄り道を」

 そこは、まさしく異空間といった風情だった。

 材質の不明な黒とショッキングピンクのマーブル模様の大地と、黒とエメラルドブルーが不気味に入り混じった星空。黒と蛍光色に彩られた世界。

 そしてそんな大地を少し進んだところに、これまた材質不明の真っ黒な建材で構築された城のような施設がある。──そこが、『UAN』の前線基地だった。

 

 

「……到着ね。なんだか不気味な景色だわ」

 

「メリーさん、ありがとな」

 

 

 此処へは、もちろんメリーさんの【異能】によってやって来た。

 おそらく俺達の世界で扱われるような座標情報では表現できない空間に存在する『UAN』の前線基地へは、メリーさんの【異能】なくしてやってくることはできなかった。多分、次元の狭間とかそんな感じの空間なんだろうけど──そういう隔絶した世界にも理屈を無視して問答無用で移動できるあたり、【異能】ってホント物理法則通用しねぇな……と思う。

 

 

「それじゃ、一応念の為、今回の作戦をもう一度説明するわね」

 

 

 そんなことを話すメリーさんの他に、『UAN』のエージェントは存在しない。

 クラッターバック先輩はその【異能】の性質上、複数人での戦闘みたいな『会話が発生しづらい戦い』では不向きだし、その圧倒的な力から本拠地防衛が期待されている戦力だからな。

 そのほかの人員も、いることはいるのだが──その人たちは後発。まずは最強の俺が場を荒らしてグチャグチャにした後、後詰ということで投入されるらしい。『ナーサリーテイル』、実は直接戦闘タイプってそんなにいないからな。

 

 

「前線基地をただ破壊するだけなら、もっと前の段階でやれていた。ここまで作戦の実行時期が空いた理由は、スグルなら分かるわよね?」

 

「ただ前線基地を破壊するだけでは駄目だから。……だろ?」

 

「そ」

 

 

 メリーさんは俺の答えに、簡潔に頷いた。

 

 

「『UAN』はワタシ達と違って、『科学』の力を操っている。ヤツらの扱う事象には必ず『原因』があって、『結果』に到達するまでの『理論』がある。つまり……ヤツらが『次元を超えて侵略してくる』っていう事象自体には、必ずその為の《装置》があるはずなのよ」

 

 

 これは、俺も事前に予想していて──実際に作戦前にメリーさんから伝えられていた事柄だった。

 つまり、たとえ前線基地に詰めている戦闘員や怪人を全員殺したとしても、どこかに隠されているであろう《装置》を破壊することができなければ、連中はまたすぐに人員を補充して侵略を再開できてしまう。少なくとも連中の《本国》に『これ以上の地球の侵略は割に合わない』と思わせる為には、最低でも《装置》の破壊は必須なのだ。

 そして、どこにあるのか、どういう形をしているかも分からない《装置》を破壊する為には、それこそ前線基地全体を隈なく破壊してやる必要がある。

 つまり──

 

 

「スグルの戦闘経験値を上げる必要があった。まぁ、有体に言えば今までの準備期間はそれに尽きるわね」

 

 

 俺という、最強の怪人を育てる必要があった。

 《怪人化》。どの怪人よりも膂力に長けて、再生能力をも持つ圧倒的な肉体。これを先陣として投入できれば、『ナーサリーテイル』の人員の損耗はおそらく最低限に抑えることができるからな。

 …………まぁぶっちゃけ捨て駒スレスレの一番槍運用な訳だが、これについては正直そんなに異論もなかったりする。クラッターバック先輩やメリーさんはめっちゃ申し訳なさそうにしてたけど、そもそも俺って『UAN』の侵略兵器な訳だしな。本来は問答無用で討伐対象。死んでも別にいいくらいのポジションで使われているとしても、まだ生存の目が全然ある作戦に投入だけマシだ。それに俺、『UAN』と戦って負ける気しねぇし。

 ただ、俺には一つ気になる点があった。

 

 

「それはいいんだけどさ。次元を移動する為の《装置》なんてもんを破壊しちゃったら、何か暴走して俺がどこかに飛ばされたりしちゃうんじゃないか? 時空の狭間的な場所とかさ」

 

 

 色んな物語を見て来た俺からしたら、そういう展開は王道の一つだ。そして王道だからといって、自分がそういう目に遭うのを甘受したい訳ではない。他の人員も投入する以上、何かしらの回避方法はあると思うが……。

 と、思っていたのだが。

 

 

「アナタ、ワタシの【異能】忘れたの? どこに飛ばされようが問題なく回収できるわよ」

 

 

 メリーさんの言葉で、俺の懸念は一瞬で解消されることになる。

 確かにそうだった。メリーさん、対象の追跡もセットでできるんだった。

 

 

「流石メリーさん! 超便利!! 不穏なフラグを事前に完璧排除してくれる親切設計!!」

 

「ちょっとやめてよ……照れるでしょ」

 

 

 そしてこの褒め方で照れる驚きのチョロさ!!

 ……そんな風にメリーさんを愛でて緊張を解きつつ、俺はゆっくりと頭の中を戦闘モードに切り替えていく。

 現在地は、『前線基地』から少し離れた大地。後ろを振り返ると──そこには大地はない。下を覗いてみれば、そこには星空と同じ漆黒とエメラルドグリーンが入り混じった不気味な空間が広がっている。……まさに異次元って感じだ。落ちたら一巻の終わりだな。いや、メリーさんがいるから案外大丈夫かもだけど。

 

 

「……スグル、大丈夫?」

 

「ああ、問題ない。メンタル的には至って良好だよ」

 

 

 答えて、俺は前を──攻め込むべき前線基地を見据える。

 気付けば大変な事態に踏み入ってしまったものだという感慨はあるが、それだけだ。何せ、これから始まることは俺にとっては余計な寄り道に過ぎない。

 本当の問題は、これを乗り越えた後。あと三日で小説を書き上げられるかどうかにかかっているんだから。

 

 

 


 

 

 

 移動役が戦闘に巻き込まれて負傷してしまっては大問題なので、メリーさんには一旦戻ってもらった。

 早々に両腕の皮を剥ぎ取った俺は、クラッターバック先輩の戦闘によって編み出した応用を使って巨大化させた両腕でとにかく施設を破壊して回っている。簡潔で単純な手だが──それだけに、敵は豆鉄砲を食ったような騒ぎになっていた。

 

 

『蜃コ莨壹∴蜃コ莨壹∴ー!』

 

『謨オ隘イ、謨オ隘イー!!』

 

 

 前線基地の壁をぶち抜いて突入した矢先。

 まるでトンネルみたいなだだっぴろい廊下の中で、何を言っているのか分からないクローン戦闘員どもがワラワラと現れる。多分、『敵が来たぞ、戦えー!』みたいなことを言ってるんだと思うけども。

 

 

「遅っせぇよ」

 

 

 呟きながら、俺は両腕を振る。

 それだけで、長さ三メートル、横幅は一メートルくらいにまでなった俺の巨腕は一切を薙ぎ払った。流石に最強の怪人の膂力で巨大な腕を振れば、戦闘員程度はひとたまりもない。潰れたトマトみたいになって廊下の壁面にへばりつく戦闘員どもを一瞥しながら、俺はついでに廊下の壁も破壊してみせる。

 未知の材質で作られているっぽい前線基地だったが、壁は割合簡単に破壊できた。なんというか、強度的には俺達の世界のコンクリートよりもちょっと硬いくらいのようだ。多分それだけでもかなり先進的なんだろうけど……まぁ俺からしたら、壊せるならどっちも同じかなって感想だ。

 

 さて、それはともかく《装置》探し……だが、俺も全くアテもなく探索するつもりはない。ただでさえ〆切が近いのだ。無駄な時間は使う訳にはいかないからな。

 というわけで……、

 

 

「オラぁ! 《装置》はどこだぁ!!」

 

 

 と叫びながら、俺は前線基地の部屋に押し入っては、何やら機械的な設備をしらみつぶしに破壊していく。

 俺は向こうの言語を知らないが、『科学』が発達している『UAN』がこちら側の言語を解析していないはずはないだろう。《適応型》の怪人はこっち側の人間を使っているわけだし。

 つまり、俺がこうやって叫びながら装置っぽいものをしらみつぶしに破壊すれば、向こうは自ずと次元移動用装置が狙われていることを推測してくれるはずだ。

 そして突然の襲撃で指揮系統が麻痺した状態で、その情報を知った組織がどう動くかといえば……。

 

 

「…………なるほどな。あっちか」

 

 

 とにかく、『壊されたらマズイものの防備を固める』という方向性になるはずだ。

 もちろん、平常時だったらそういう方に俺が誘導するのを考慮した上でブラフを張るとか、そういう作戦を練ったりもするんだろうけど。今回は前提として、メリーさんの【異能】という反則技による全く想定外の襲撃がある。どんなに科学力が発達していようと、そんな寝耳に水な状況でブラフを張ったりできるわけないもんな。

 

 ハエがたかるみたいに鬱陶しく湧いてきていた戦闘員どもは、潮が引くような勢いで撤退を始めていく。俺はその方向を冷静に見定めると、一目散に飛び込んだ。

 トンネルみたいな廊下を抜けた先にあったのは──

 

 ──古代のコロシアムみたいな、円形のだだっ広い空間だった。

 

 

「…………」

 

 

 開けた地形。

 広大な空間。

 味方は俺一人。

 

 状況から、俺は嫌な予感を感じ取った。この感じ、どう考えても待ち伏せされてない?

 そして、その予感は直後に現実のものとなる。

 

 

『辟。莠九↓隱伜ー弱〒縺阪◆縺! 蜿悶j蝗イ繧!!』

 

 

 四方八方から現れる、戦闘員ども。

 その数は総勢……分からん。野球チーム二つ分くらいはあるんじゃないか?

 

 

「馬鹿みたいに突っ込んできやがって……前座の前座共が。高校野球でも始めるってのか?」

 

 

 取り囲まれているが、多分これは俺が罠にかかったっていう訳でもないと思う。もしもここが単なる罠として機能している場所なら、それこそ落とし穴みたいなどうしようもない機能があって当然だしな。

 っていうか、想定のしようがないのだ。メリーさんの【異能】のことなんて『UAN』が知るはずがないんだから。こうやって俺達が攻めて来たこと自体が想定外。そんな状況で無理やりに俺を押し殺す為の策。それがこのコロシアムでの袋叩きってわけなんだろう。……さながら、ミツバチの熱殺蜂球みたいなもんか。

 

 

「おれはスズメバチってか? 人を見くびるのも大概にしろよ!」

 

 

 啖呵を切って、俺は敵の集団に突撃する。

 目だけではなく、音で感じ取った結果、敵の集団の中に《適応型》の怪人も何人か混じっているのは明白だった。おそらく、クローン戦闘員の中に混じって遠距離系の《性質》で俺を少しずつ削り殺そうって魂胆なんだろうけど……それが分かっていればこっちから待ってやる義理もないからな。

 

 空気の弾や小石、光が集団の中から撒き散らされていくが──この時の為に両手を拡大させておいた俺の敵じゃない。

 左手を自分の身を守る盾にしながら突貫した俺は、右手で敵集団を一振りでなぎ倒していく。下手に集中して襲い掛かってきていたのが裏目に出た形だ。戦闘員どもは、その中に紛れ込んでいた怪人ともども呆気なく叩き潰されて無力化された。

 それでも、幾らかの撃ち漏らしはどうしても出てしまう。左手を盾みたいにしている関係で視界も悪いし、残りの敵を叩き潰そうと両腕を振り回したタイミングで──

 

 ──俺は、視界の端に一人の男の姿を確認した。

 

 直後。

 

 

「っっっ!!!!」

 

 

 戦闘員集団の最後の一人を叩き潰したと同時に、俺は両手で思い切り地面を叩き、その反動でその場から逃れた。

 すると俺が先ほどまでいた空間は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……いやはや、流石の判断力ですね」

 

 

 その男は。

 スーツを身に纏い、にこやかな笑みを口元に浮かべている男は、両手を腰の後ろに回したまま俺のことをじっと見ていた。

 

 

「初めまして、《Dragon009》。……いや、此処は貴方個人の人間性に敬意を表して、柏原スグルさんとお呼びした方がよろしいでしょうか」

 

「……どっちでも構わねえよ」

 

 

 明らかな、敵。

 にも拘らず馬鹿正直に応答してしまったのは、相手の態度があまりにも人間的で、こちらに対する敬意が明確にあったように感じられたからだ。

 今までの怪人とは違う。

 なんだかんだで知性や知能は持ちつつも、本質的には目的を遂行する為の自動人形めいていたアイツらとは違い、コイツにはプライドがある。プライドがあるからこそ、それに相応しい立ち振る舞いを意識するだけの余裕がある。

 ……クラッターバック先輩がいてほしいなぁ、こういうヤツ相手だと。

 

 

「自己紹介をしましょうか。私の名は《S包スpen趣ス?シ撰01》。貴方がたのような現地調達式怪人ではなく、《本国》で調整された怪人です。《侵略型》……といえば、貴方にもよく伝わるでしょうか?」

 

「…………!」

 

 

 メリーさんが言っていた。

 『UAN』の侵略は、初期こそ《侵略型》と呼ばれる相手の本国で製造された怪人が運用されていたが、やがてこちらにも相応の戦力があることが分かると、コストがかさむのを嫌ったのか現地調達の《適応型》怪人が大半を占めるようになった、と。

 つまりコイツは……初期に運用されていた《侵略型》の生き残り……ってこと、か?

 

 

「いやはや……こうなってみると、地球への侵略は間違いだったと言わざるを得ませんね。『ナーサリーテイル』の存在はこちらとしても計算外でした。まさか、侵略先の世界に我々の常識でも説明できない法則の運用者がいるとは」

 

「そう思ってるんなら、さっさと尻尾巻いて撤退してくれりゃあ助かるんだがな」

 

「実際、その案もあるにはあったんですよ。ただ、貴方が『ナーサリーテイル』と行動を共にしたことで事情が変わって来ましてね」

 

 

 《侵略型》は微笑みを毛ほどもブレさせずに言って、

 

 

「貴方の鹵獲に成功すれば、再洗脳ののち『ナーサリーテイル』の情報を手に入れることができる。この世界の人間でも『ナーサリーテイル』についての情報はほぼありませんでしたが、彼らの弱点を知ることができれば我々でも十分攻略は可能でしょうからね」

 

 

 《侵略型》は笑みのままに、そう付け加えた。

 ……実際、それは事実だ。『ナーサリーテイル』は……怪異の『正体』は、物語によって存在を歪められる性質を持っている。それは個人レベルではなく、世の中全体に影響を及ぼすレベルの『物語』が求められるが……世界全体を侵略しようとするような連中だ。もしもそこに狙いを定められたら、『ナーサリーテイル』と戦わずにじっくりと『物語』を攻められて、やがては『UAN』に都合の良い存在に歪められてしまうという可能性だってある。

 

 

「無理だね。たとえお前らがおれの頭から情報を抜き取ったとして、アイツらを何とかするなんて少なくとも数十年はかかる。そのレベルで、『ナーサリーテイル』はどうしようもない存在だよ」

 

「なるほど、それは興味深い話を聞かせていただきました」

 

 

 挑発には応じずに、俺は右手で左手の鱗を剥がす。

 大きく変形させてしまった代償か、左手は元の人間の手には戻らずにまた赤熱した真皮を見せるに過ぎなかったが……まぁそれはいい。

 大量の『鱗弾』を確保した俺は、それをサイドスローで《侵略型》にばら撒くが……これは、《侵略型》に届く前に呆気なく()()()()()しまった。

 ……何かされた様子はなかった。本当に独りでに軌道がねじ曲がった感じだ。

 

 

「なるほど、シンプルですが《Dragon009》の膂力で行われれば十分な殺傷力でしょう。《適応型》相手であれば十分だったでしょうが……残念ながら、《侵略型》にはそのような力押しは通用しませんよ」

 

 

 言いながら、《侵略型》は俺の方に手を翳す。

 直後、だった。

 ズドッ!! と、俺の肩に掌大の穴が空いた。

 

 

「グっ…………!?」

 

 

 ダメージは、皆無に等しい。何故なら負傷部位はすぐにドロドロのマグマで穴埋めされて《怪人化》するからだ。代償として、クラッターバック先輩に買ってもらった女物の服に火が付くが……この状況でそんなことは気にしてはいられない。

 

 ……今の攻撃は……クラッターバック先輩の【魔女の軟膏】みたいな不可視の飛び道具か? にしても威力が段違いだ。一応これでも素の肉体の強度もかなり頑丈になってはいるはずなんだが、それでも貫通するくらいの威力。アレを連射されて肉体がコマ切れになったら、流石の俺の身体でも普通に死にそうだな……。

 

 

「おや、こちらは有効らしいですね。それは僥倖。では、このまま遠距離から削り切らせていただきましょうか」

 

「…………!!」

 

 

 咄嗟に両手を構えて、敵の猛攻を受けきる。

 直後、構えた両手に横殴りの雨のような勢いで不可視の弾丸が叩き込まれる。……やはりというべきか、『威力が高い代わりに連射はできない』というような都合の良い弱点はないようだ。

 

 

「勘違いしないでもらいたいのですが、我々は地球を殲滅して空き地になった星を運用したいというわけではないんですよ」

 

 

 不可視の弾丸の豪雨を浴びせながら、《侵略型》は言う。

 

 

「むしろ、ご覧いただければ分かる通り、私の様に指導者層には地球の文化を愛好する者もいます。あくまで、侵略の目的は資産の獲得であり、植民地化ですよ。そちらの世界の頂点は驚天動地でしょうが、一般市民からすれば支配する存在が変わるだけ。大して暮らしも変化しないでしょう。そこまで意固地になって対抗するほどの事態ですか? これは」

 

「それは挑発のつもりかよ?」

 

 

 問い返して、俺は考える。

 一応俺にも遠距離攻撃の手段はあるが、隙が大きすぎる。これほど高威力の攻撃をしかも大量にぶつけられてしまうと、防戦一方になるのは避けられない。

 なら、防戦一方のまま敵の遠距離攻撃を無力化する策を考えなくてはいけないのだが……。

 

 

「侵略ならこっちの世界の歴史でもごまんと繰り返されてきた。そして歴史が証明している。()()()()()()()()()()()()()()()はな」

 

 

 たとえば、宗教。地球の歴史じゃあ、侵略によって宗教が変容してきた事例なんて枚挙に暇がない。それまでは神として崇められてきた存在や物語が、邪悪な何かとして歪められて……。

 そしてそれは、物語によって歪められる『ナーサリーテイル』の連中からすれば致命的な事象だと言えるだろう。

 そして、それだけは絶対に、俺は認める訳にはいかなかった。

 

 ……俺以外の誰かにクラッターバック先輩の存在を歪められるなんて、そんなことは絶対に許せない。

 だから…………コイツらは、その為にも此処できっちりぶっ潰す。

 

 

「地球の文化が好きとか言ってたけど、そりゃ別にこっちの文化を尊重したいって話でもないだろ。あくまでも侵略対象の土地にある素敵なオプションってだけの話。……ふざけんな。完全に上から目線の『尊重ごっこ』だろうが、そりゃ」

 

「いや、これは耳が痛い。こちらの善性の裏に潜んでいた無自覚の傲慢を指摘されるのは、辛いものがありますね。ですが……それでも僥倖と捉えるべきなのが、現在の貴方がたの立場ではありませんか?」

 

 

 《侵略型》の声色は揺るがない。

 だからこその断絶が、そこにはあった。所詮相手は侵略者。こっちの事情を斟酌する義理なんてないし、その本質はあくまでも奪い取ることにしかない。

 だから。

 

 

「そんなモンを僥倖だと思うわけにはいかねぇから、こうやっておれが暴れてるんだろうが」

 

 

 ぎちぎち、と。

 俺は、両手の内部を意識する。……《Dragon009》の身体構造は、ドロドロのマグマとそれが冷え固まった甲殻に分けられる。臓器みたいなものも存在はするんだろうが、多分ドロドロのマグマで出来ているから簡単に代替できてしまう。無理やり分類するなら、今の俺は外骨格生物みたいな感じなんだろうな。

 だからあまり意識はしていなかったが……俺の体内にあるドロドロのマグマも、立派な俺の身体の一部ではあるんだ。なら、()()()()()()ことだって当然できるんじゃないか?

 

 

「残念です。せっかく怪人(こちら)人類(あちら)、両方の視座を持つ存在がいるのだから、理解を得たかったのですが」

 

「無理に決まってんだろ。勝手に拉致して改造した時点でよ。だから洗脳なんてやってんだから」

 

 

 そして。

 ボゴォ!! と、俺の両手からドロドロのマグマが噴き出した。外殻を呑み込むような形で溢れだした灼熱の体液は、そのまま両手を包み込む。……さて、これで。

 

 

「四〇〇〇度を超える高熱の両手だ。()()()()()()()()()()()。……即席蜃気楼が完成したわけだけど、おれの言いたいことは分かるか? もう当たらないって意味だが」

 

 

 ぐぐ、と。

 両手越しの《侵略型》の姿が、ゆらゆらと揺らめく。巨大化した両手全体が灼熱と化したことで、広範囲の空気が熱によって膨張し、それによって光が歪んだのだ。

 つまるところ、蜃気楼。こうすれば──遠距離攻撃の命中精度は大幅に下がる。

 

 

「……! これは……」

 

「そしてこっちの戦略はシンプル! 『近づいてぶん殴る!』、それだけだ!!」

 

 

 雄叫びをあげながら、俺は《侵略型》に躍りかかる。

 《侵略型》も掌を翳して不可視の弾丸を連射しているようだが……根本的に目測が歪められているからか、先ほどよりも被弾率は大幅に下がった。これなら、防戦一方でなくとも済む。多少のダメージは覚悟の上で──接近することができる!!

 

 腹、足、胸、頬。

 幾つかの被弾はあったが、このくらいなら全然痛くも痒くもない。即座に穴埋めして《怪人化》しながら、俺は《侵略型》まであと三メートルといったところまで接近する。

 《侵略型》は弾丸の連射による俺の撃墜を諦めたのか、手を下ろす。

 

 ……これで観念したとは思えない。

 何かあるはず……相手が『何か』を飛ばして攻撃していると仮定したら、それを『飛ばさないで扱う』こともできる可能性はないか? たとえば……近距離戦用の剣とか!!

 

 インスピレーションに従って飛びのくと、《侵略型》は降ろした手を高速で振り上げる。

 ……目には見えなかったが、空気や音の感じから分かった。目には見えない『何か』が、俺の鼻先を通り過ぎて行ったのを。

 

 

「……流石、勘が鋭いですね。初撃で躱されたのは初めての経験です」

 

「生憎、こっちは経験豊富でね」

 

 

 さっきの弾丸、剣みたいな形で扱うこともできるのか……。

 形状自在、ではないだろうな。もしそうなら、わざわざ弾丸のように飛ばさなくたって、空間全体に『何か』を広げれば俺は逃げ場がなくなるわけだし。

 多分、一定以上の大きさにはできないみたいな制約はあるのだろう。

 

 そして、おそらく相手の《性質》は……、

 

 

「《空間の拡張》だな」

 

「……ほう」

 

 

 《侵略型》は、興味深そうに声を漏らすだけにとどまった。

 さっきの一撃、《侵略型》が不可視の剣を振った瞬間に、宙に舞った土埃が不自然に『逸れた』んだよな。かといって、空振りした後の気流の乱れみたいなものもなかった。

 おそらくコイツは、空間を拡張することができる。そして拡張した空間を弾丸みたいに飛ばすこともできるんだ。

 クラッターバック先輩のように空間そのものをぶつけているわけではないから、俺の身体がどれだけ硬くても『空間の拡張』に巻き込まれて破壊されてしまう。おそらく、この高い攻撃力のカラクリはそんなところだろう。

 差し詰め、こちら側で名付けるならば──コードネームは『Suspend001』ってとこか。

 

 蜘蛛糸を操るとか、透明にする体液だとか……そういうものに留まらない。『空間そのもの』を手玉に取る《性質》……まさに、《侵略型》というに相応しい《性質》だ。

 まぁ……だからといって、能力のスケールで勝敗が決まるほど、戦闘は単純じゃないけどな。

 

 

「ご明察です。流石はこれまで何体もの怪人を倒してきただけのことはある。……しかし、分かったからといってどうしようもないのでは? いかに頑強・灼熱といえど、空間の拡張が可能な私にとっては大した問題ではありませんので」

 

「確かにな。たとえ俺が殴り掛かろうと、アンタが手を翳してしまえばそれだけで届かなくなる。それどころか、空間が拡張された時の慣性で俺の拳はバラバラにされちまうだろうな」

 

 

 弾丸は手元から離れていたせいかそこまで威力はなかったが、ヤツの余裕からして剣の方は威力も段違いになっているはず。つまり、ヤツの剣を防御することはできないってことだ。

 この至近距離じゃ、防御しようが構わず真っ二つにされてしまうだろう。……それならば。

 

 

「テメェが腕を振るより早く、おれが叩きのめしちまえばいいだけの話だろ!」

 

 

 そう言って、俺は腕を振りかぶる。

 ──ただし、それは分が悪すぎる勝負だ。何せこちらは腕を巨大化した分、振りかぶるのに時間がかかってしまう。対する《侵略型》は、《空間の拡張》を剣の形にしているとはいえ、重量はゼロだ。腕を振るスピードが違いすぎる。

 当然、俺が振りかぶって振り下ろすよりも敵の一撃は素早く──逆袈裟斬りで、俺の身体は斜めに切断された。

 

 

「……貴方の不死身具合は知っていますよ。切り裂かれても、再生しながら腕を振り下ろしてしまえばいいという魂胆でしょう? だから、私も対応させてもらいます」

 

 

 しかし、それだけで《侵略型》は油断しない。

 さらに俺の振りかぶった腕を切断し、完璧に追撃の芽を断ってくる。

 

 ただし。

 

 

「残念だったな……本命はそっち()()()()()

 

 

 顔面が。

 沸騰する。

 

 体内のマグマを操作して表出させることができるということは、つまり全身で同じことができるってことだ。

 腕だけじゃない。たとえば顔面でも……同じことができるのは当然の帰結だとは思わないか?

 

 ドボア!! と。

 

 龍の口から放たれたマグマの弾丸が、《侵略型》の両腕を呑み込んだ。

 

 ヤツの弱点は、『掌』からしか空間の拡張を行えないところにある。わざわざ掌を翳して攻撃したあたりからしてその弱点は推測できたが──もしも無制限に《空間の拡張》ができるなら、身体全体を覆うように《空間の拡張》をすればいいだけの話だしな。

 そうすれば、ただ俺に突進するだけで、俺は鞄の奥で潰れたコンビニおにぎりみたいになっていたことだろう。

 

 ……さて、これで無力化完了。

 《性質》には腕のアクションが必須ということなら、そのもととなる両腕を消し炭にしちまえば何もできなくなるのは道理だ。

 なんせ、ヤツが扱っているのは【異能】ではなくタネのある《性質》なんだから。

 

 

「がァァあああああああああああああああああ!?!?!?!?」

 

『……殺シハシネェヨ。アンタハナンカ人間ッポクテ気ガ引ケルシサ。マァ、《装置》ヲ破壊シタ結果死ンジマッタラ、ソレハ仕方ナイッテ諦メテホシイケド』

 

 

 のたうち回る《侵略型》を尻目に、俺はコロシアムの奥にある通路へと入っていく。

 《侵略型》まで出て来たんだ。多分、この先に《装置》か……あるいはそれに準ずる大事な施設があると思うんだけども。

 

 そうして歩いていくと……やがて通路を抜けて、SF映画か何かで敵の黒幕が引きこもっていそうな、機械まみれの巨大な部屋が出て来た。

 そしてその一番奥に、何やらひときわ巨大で複雑そうな装置が鎮座している。……これって多分《装置》…………いや、そうじゃなくても超重要な機械だよな、多分。

 

 

『……メリーサン』

 

 

 耳に手を当てながら、俺はメリーさんに呼びかける。こうすると、たとえ次元を隔てても通話ができるようにセッティングしてもらっていた。改めて【異能】って何でもありである。

 

 

『はいはい……ってなんか声凄くない? 過去イチで怖いんだけど』

 

『怪異ガ怖ガルナヨ』

 

 

 ツッコミを入れつつ、俺は顔面の鱗を剥いでみる……が、やはりもとに戻った感じがしない。顔の形が完全に変わっちゃったから、多分元に戻らなくなってしまったんだろう。クラッターバック先輩がいなかったら絶望しているところである。

 

 

『《装置》ッポイノ見ツケタ』

 

『マジ!? ……分かったわ。破壊したら連絡して。状況次第ではすぐに迎えに行くから』

 

『分カッタ』

 

 

 会話して、通話を切る。

 そして、俺は改めて目の前の機械を見る。なんだか……長い戦いだった気がする。でも、これを破壊してやれば問題のほとんどは解決するだろう。『UAN』は前線基地を完膚なきまでに壊滅させられる。そしてこちら側の被害は極めて小さいと言っていい。

 全部終わったら……あとは、ようやく俺の物語に手を付けることができる。これさえ……これさえ終われば。

 

 

「ハァ……ハァ……ま、待て……!」

 

 

 と。

 

 そこで、炭になった両腕をぶらんと垂れさがらせた《侵略型》が現れた。

 

 

『……意外ト頑丈ダナ。モウ動キ回レルノカ』

 

 

 感心して言う俺だったが、《侵略型》は取り合わない。

 そのまま俺の方へ向けて、こんなことを言ってきた。

 

 

「やめなさい……そんなことをしたら、この座標領域全体が時空の狭間に呑み込まれることになりますよ! 空間と時間が歪みに歪んだ領域です! 『UAN』の科学力を以てしても、回収は不可能なんですよ!!」

 

『ソレガドウシタ』

 

 

 しかし、聞かされたのはあまりにも既知の懸念。

 そんなの、こちとら作戦の最初の段階で想定してんだっての。空間と時間が歪んだ世界だってことくらいはな。

 …………空間と時間、ね。

 

 …………ん???

 

 

『オイ、待テ。時間?』

 

「……え、ええ。空間はもちろん、時間も歪んでおりますが……」

 

『ソレ、ドノクライ?』

 

「……さぁ……。ただ、理論値だとこちら側の一秒が外の世界では数時間になるという研究も……」

 

 

 ぶん、と俺は《侵略型》をぶん殴ってフッ飛ばした。

 

 

 ………………あのさぁ。

 

 ……よりにもよってさぁ。

 

 

『ドウシテ…………』

 

 

 どうして、この局面で……。

 

 

『〆切ニ間ニ合ワナサソウナ状況ニナッテンダヨ、クソッタレガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!』

 

 

 雄叫びと共に、俺の身体が巨大化していく。

 先程までと、原理は同じだ。体内のマグマを操作すれば、わざわざ自分の身体を破壊しなくたってマグマを表出させて、身体を大きくすることはできる。

 

 ……もう……もう……どうしようもない。

 

 それなら、あとは派手にやるしか……ないだろ。

 

 五メートルくらいの巨大なドラゴンになった俺は、先ほどまでは大きかったちっぽけな《装置》を見下ろす。

 多分、メリーさんはそう遠からず俺を回収してくれるだろう。永久に良く分からない空間を彷徨うようなことにはならない。それはいい。……でも、これを破壊すれば、俺は高確率で〆切に間に合わなくなる。クラッターバック先輩やユズハとの約束は、守れなくなる。……でも、これを破壊しなければ、多分いつまでも『UAN』の問題は解決できず……()()()()は始まらない。

 

 

『チクショウ……チクショウ……! …………ゴメン。先輩、ユズハ』

 

 

 決断、するしかなかった。

 俺は、口から血を吐くような心持で、拳を振り上げて……

 

 

『〆切、破ッチマッタ……!』

 

 

 ──そして、振り下ろした。

 

 

 


 

 

 

第一二話「最後の寄り道を」

ところで、進捗はどうだろう

 

 

 

 




…………オーバーランです!!!!


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最終話「綴るは苦難の先」

オーバーランなので前話にも更新があります。ご注意ください。







 ──柏原スグルの音信不通。

 前線基地の崩壊直後に発生したその報告は、すぐさまエージェント・ドロシー=クラッターバックにも届けられた。

 そして────それから、瞬く間に三日の時が流れた。

 

 今日は、日曜日の夜。〆切である月曜を目前にして、ドロシーは一人、夜の街をゆったりと飛んでいた。

 

 

「………………」

 

 

 とはいえ、組織において状況を悲観視する声はそこまで多くない。メリーさんの【異能】は、どんな場所にスグルがいようと関係なく移動して回収することができるからだ。

 そのメリーさんの【異能】でも通信が不能になったということは、おそらく彼我の時間軸が断裂したと考えられるが──たとえ【竜宮城の姫君】のように時空を歪める類の環境に置かれていたとしても、向こうの時間とこちらの時間は離れていても最大で数百万倍や数千万倍だろう。メリーは音信不通が発覚してからすぐさま転移したので、おそらく向こうで経過する時間は数秒、長くとも数十秒といったところ。

 それなら、長くても一か月かそこら、最大でも半年以内にはこちらに戻って来れる計算だ。下手をしたら、ほんの数日で済む可能性だって大いにある。悠久の時を生きる怪異の『正体』達にとっては、誤差に過ぎない時間だ。スグルの社会生活にしても、【くねくね】の【認識阻害】を使えば問題なく修復可能である。何も、問題はない。

 ただし。

 

 

「………………それじゃあ、〆切は破っちゃうのよね~」

 

 

 怪異の力でどんなに綺麗に事後処理をしようと、取り繕えない部分はある。それがよりによって彼にとって一番大事な部分を守れないというのだから、因果な話だ。

 

 

「………………」

 

 

 スグルは、きっとドロシーのことを救うことができるけれど。

 でも、スグルはドロシーのことを救う代わりに、自分は救われない。〆切を守ることはできず、ドロシーが卒業する前の最後の部誌に穴を空けてしまう。その事実は、たとえ【くねくね】による記憶処理があろうと彼の心の中にずっと残り続けてしまうだろう。

 その心の穴は、たとえドロシーの【異能】でも【捏造】することはできない。

 

 

「……ごめんね、スグル君」

 

 

 スグルが文芸部にどれだけ情熱を傾けていたか、ドロシーは知っている。

 図書室にこもって人との交流を無視していた彼が友人のいる高校生活を送ることができたのは、文芸部の設立があったからだ。だから彼は、文芸部の活動を自身の高校生活の要としていた節があった。

 部誌へのモチベーションの高さは、卒業するドロシーへの恩義も勿論あっただろうが、それ以上に彼が文芸部というコミュニティに対して真剣だったことが関係しているのは間違いない。

 だからこそ。

 きっと、このギリギリの局面で〆切を破ることになってしまったスグルは、とても悲しむだろう。そのことを、ドロシーは申し訳なく思う。

 

 《Dragon009》は、いや柏原スグルは最強の怪人だった。

 彼には、()()()()()()()()()。敵の能力を瞬時に分析し、そして敵対者であれば容赦なく傷つけることができる才能。おそらく人間社会で生活していれば、一生気付くことなく過ごしていたであろう剣呑な才能だ。

 ドロシーは、それに早い段階で気付いていた。それこそ、最初に攻撃を仕掛けた後の反応からして、暴力慣れしていない一般人の反応としてはあまりにも冷静すぎた。冷静に目の前の現象を受け入れ、理解する力。その能力が、スグルはずば抜けていた。

 ……だから、心のどこかで期待してしまったのだ。彼なら自分のことも受け入れ、理解してくれるのでは、と。

 

 そして、巻き込んだ。

 

 本当なら『ナーサリーテイル』に報告する前に治療してしまったって、問題なかったのだ。たとえ精神が完全に怪人化していたとしても、怪人化手術をなかったことに【捏造】した上で【認識阻害】で記憶処理をしてしまえば『ナーサリーテイル』の情報は漏れないのだから。

 だから、本当に彼のことを想うならばそうするべきだった。でも、ドロシーは期待してしまった。このまま彼を非日常に引きずり込めば、自分の理解者になれるかもしれないと。

 ……そうして引きずり込んだ結果、彼はこうして大切なものを失おうとしている。

 人生の中で、それはちっぽけな損失でしかないだろう。たかが二年生の時の部活動に心残りができる程度。ただそれだけだ。たったそれだけの、些細な欠落でしかない。

 

 でもそれは、間違いなくドロシーの決断がスグルに与えた人生の傷だった。

 

 

「…………本当に、ごめんね」

 

 

 途方に暮れる、とはまさにこのことだろう。

 深夜の街を見下ろしながら、ドロシーは誰に言うでもなく呟いた。

 

 

 その直後、だった。

 

 

 ズズン…………!!!! と。

 空に浮かぶドロシーのすぐ真下に、一つの山が突然現れた。

 

 

 いや、それは山ではなかった。

 山の様に見えたのは──一体の巨竜だ。体高は一〇メートル、尻尾まで含めれば全長は二五メートルに及ぼうかという巨大なドラゴン。

 漆黒の鱗に覆われ、ひび割れた鱗の奥からドロドロのマグマを垂れ流したその化け物は、ドロシーも見たことのない怪物だ。

 ただし──それでも、ドロシーは見覚えがあった。冷え固まった溶岩のように漆黒の鱗の奥に輝く、真っ赤な瞳に。

 

 

「…………スグル、君?」

 

 

 茫然としながら、ドロシーは目の前の巨竜に呼びかける。

 その姿は、見る影もなくなってしまっていたが──

 

 ──巨竜は、目の前の魔女を一瞥するなり、穏やかな笑みと共にこんな声を上げた。

 ドロシーが抱いていた罪悪感なんてどうでもいいと言わんばかりに。

 

 

『早速デ悪インデスケド、身体戻シテクレマスカ? 小説、書カナイトナンデ』

 

 

 


 

 

 

 そうして、巨竜は柏原スグルに戻った。

 戻ったと言っても、肉体は少女の姿のままなので完全に怪人ではなくなったわけではないのだが。

 

 

「……でも……」

 

 

 元に戻したドロシーはしかし、辛そうに視線を落とす。

 ──現在時刻は、二五時一二分。〆切は明日の午前八時──つまり〆切までは七時間弱しかない。いや、推敲や入稿用の原稿データまとめの時間を考えれば、残り時間は五時間もあれば良いほうだろう。

 それまでに数万字の原稿を無から作成する。……果たしてそれが可能だろうか。

 速筆の人間ならば、十分可能だろう。しかし、それも万全であればの話だ。スグルは今の今まで敵組織の前線基地に乗り込み、そして大げさではなく世界を救う為の戦いに身を投じて来たのだ。

 そこから、休憩なしで数万字の原稿を作成する? ……そんなことは、どんな英雄にだって無理だろう。世界を救うだけならともかく、世界を守りながら〆切を守ることなんて誰にもできるはずがない。

 

 なのに。

 

 

「……あと五時間でしょう? プロットはできてるんです。テーマも、世界観も、キャラも、ストーリーも。それなら、なんも問題ないですよ」

 

 

 スグルは、屈託なく笑って見せた。

 あまりにも厳しい戦いなのは間違いないだろう。そして〆切を破ってしまえば、部誌に彼の小説は残らない。これまでの努力は、全て無に帰してしまう。それを理解していながら。

 

 

「大丈夫。ちゃんと書き切りますよ。世界を救ってたなんて、〆切破った理由にはなりませんからね」

 

「〆切の価値、重すぎないかしら~? ……ふふ」

 

 

 だから、ドロシーも笑うことができた。

 ──きっとそれが、『この物語』の結末としては一番相応しいだろう。

 

 

 


 

 

 

 だから、此処から先は()()()()だ。

 

 ドロシー=クラッターバックという一人の少女を、怪異という無限の地獄から救い出すための長い長い物語。

 きっとそれは、『UAN』の前線基地を壊滅させることなんかよりもよっぽど難しくて険しい道のりだ。それでも──。

 

 

「書きたいと思っちゃったんだから、しょうがねぇよなぁ」

 

「先輩。〆切ヤバイんだから無駄口叩かない」

 

「アッハイ」

 

 

 ──時の流れは目まぐるしく。

 気付けば、あの作戦から一年近くの月日が巡っていた。

 

 無事に(ギリギリで)〆切に間に合わせることができた俺は、とにかくユズハに怒られまくったが、なんとか()()()()が携わる最後の部誌に原稿を出すことができたわけだ。

 ──そして程なくして、俺の《怪人化》も【捏造】によって失われた。今の俺は、金髪赤目の少女でもドラゴンでもなく、平凡な黒髪黒目の男子高校生だ。ユズハは、当時大層残念そうにしていたが。

 

 

「まったく、部誌の刊行もあるのに小説の新人賞にも応募するっていうんだから、凄いですよね。一年前は〆切に追われて半べそになってたのに……」

 

「半べそにはなってねぇし! ……それに、俺の夢の為にも必要なことだからな」

 

「夢……ねぇ」

 

 

 ユズハはジト目で俺の執筆画面を見ながら、ため息交じりにそんなことを言った。な……なんだよその含みがある感じ。

 

 

「夢って、()()()()()をヒロインにした小説をベストセラーにすることですか?」

 

「うぐっ!!!!」

 

 

 そのものずばりを突かれて、俺は思わず声を上げてしまった。

 

 ……あのあとしばらくして、俺はドロシーと付き合うことになった。いやまぁ、俺としては別に恋人関係になるつもりとかは全くなく、それはそれってことで俺の夢に邁進するつもりだったんだけどね……。

 でも、ドロシーとしてはそういう感じではなかったらしく。卒業式の時に、告白された。まぁ小説とはあまり関係のないところなので此処は省略させてもらうが……。

 

 

「…………まぁ、そうだよ」

 

 

 俺の夢。

 俺の物語。

 

 それは──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 怪異の『正体』は、物語として語られることでその存在を歪められてしまう。怪異・ドロシー=クラッターバックは、別の何かからジェラルド=ガードナーの物語によって今の形に歪められてしまったのだから。

 だが……それなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺が、ドロシーのことをモチーフにした、ドロシーの物語を書き続ければ……ドロシーはやがて、()()()()()()に変わっていく。

 今のドロシーを消してしまうとか、そういう歪んだ形ではなく……ドロシーがドロシーとして、彼女が築き上げた人生を最期まで送れる形へと。

 

 ついでに言うと、俺の夢の対象はドロシーだけじゃない。

 メリーさんも、そのほかの『ナーサリーテイル』の怪異たちも……。みんなみんな、根本の願いは同じだ。『今とは違う形になりたい』。なら、文化の侵略なんて難しいことをしなくたって、俺が書いてやればいいじゃないかと思ったのだ。

 彼らが望む形に変われる物語を。そういう物語を書ける人間に、なればいいじゃないかと。

 

 それが──悪の組織に怪人改造されて、そして〆切を守り切った俺の辿り着いた結論だった。

 

 

「ノロケぇ~~~」

 

 

 ただ、ユズハとしては憧れの先輩を俺に取られてしまった格好になったのは面白くなかったらしい。

 この話題になると露骨に拗ねた表情を見せるのは困りものだ。……俺だって色々考えて、覚悟を決めた結果の決断なんだからね!

 

 

「いいですか、スグル先輩。〆切も大事ですけど、ドロシー先輩と付き合うんですから、絶対に幸せにしないと許しませんからね! 別れて泣かしましたとか、論外ですからね! 泣かしますからね!!」

 

「当たり前だろ……」

 

 

 何度目とも知れない念押しに、俺は苦笑しながら頷く。

 ユズハ、ドロシー先輩のこと本当に大好きだったからなぁ。〆切は守る、ドロシーは幸せにする、あと、東京の大学に合格する。このごろはやることがいっぱい増えていくが……まぁ、悪い気はしない。

 

 

「いつまでも、お前に半べそかかされるような俺じゃないよ」

 

 

「……かかされてたことは認めるんですね」

 

 

 あっ。

 

 

 


 

 

 

 そんなこんなもあり、帰宅した後で。

 

 

「ってことがあってさー。ドロシーもユズハにこまめに連絡とってあげてくれよ。アイツ寂しがりやなんだし」

 

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……いや、こんなに勿体つけて言うようなことでもなかったか。何せ、こっちにはメリーさんがいるのである。彼女の【異能】ならば、東京と支部を行ったり来たりすることくらいは余裕なのだ。

 お陰で、俺とドロシーは遠距離恋愛なのにも拘らず毎日のように会って話をすることができていた。いやーほんと、メリーさん様様であります。

 

 

「ん~、わたしの推測だと、それはスグル君に甘えてる部分もあるんだと思うな~。ユズハちゃん、スグル君にも懐いてたし~」

 

「………………、…………いや、いやいやいや、俺はドロシー一筋ですよ?」

 

「あははははは、そんなの気にしてないって~」

 

 

 ドロシーは笑うが……いや、俺にとってはそこが最重要だから! 彼女に後輩の横恋慕を疑われるのが! まぁ、気にしてないならいいけどさ……。

 

 

「……スグル君の覚悟を知ってるもの。そんなことを軽はずみに疑えるほど、わたしは恩知らずじゃないわ」

 

 

 真っすぐに、ドロシーは俺のことを見据える。

 ……俺の夢は、相当険しい道のりになるだろう。ドロシーの存在を変えることができる物語が、どれほどの人々に読まれる必要があるかは分からない。でも、少なくともアマチュアがネットで細々と小説を上げているレベルでは不可能だということは分かる。

 それこそ、ベストセラーとしてドロシーがモチーフのヒロインの小説を何本も出版できるくらいじゃないと無理だと思っておいた方が良い。

 

 ……その夢を達成できるのかも、正直まだ分からない。大学を卒業すれば俺は就職しなくちゃいけなくなるし、そうしたら小説を書く時間もそう多くは取れなくなるだろう。

 怪異・ドロシー=クラッターバックとドロシー=クラッターバックの人生が乖離するまでの時間は、そう長くない。三〇代、四〇代に差し掛かればボロは幾つも生じてくるだろう。

 それに…………、……俺は子どももほしいし……。そこはドロシーとはまだ相談してないけど……。

 

 

「……スグル君。わたしはね、もう既に救われてるのよ」

 

 

 ドロシーは、そんな俺の顔を見て優しくそう言った。

 

 

「スグル君の夢を聞かされた時、既にね。……わたしのことを本気で救おうとしてくれる。そんな夢の為に一生懸命努力してくれる。ただそれだけで……その思い出があるだけで、ドロシー=クラッターバックという存在のハッピーエンドはもう約束されたの。そう思えるだけのことを、スグル君はもうしてくれたんだから」

 

 

 だから、とドロシーは言って、

 

 

「あんまり根詰めすぎないでね? スグル君が頑張ってくれるのは嬉しいけど~、元気なスグル君が一番なの」

 

「……ナメんなよ」

 

 

 だから、俺は不敵に笑い返した。

 ドロシーが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そんな心配、すぐにしないで済むようにしてやる。見てろ、目指せ在学中に大賞受賞! ドラマ化! 映画化だー!!」

 

「夢はおっきく壮大にね~。……ところで」

 

 

 拳を掲げる俺に、ドロシーはすっと笑みを引っ込めて、

 

 

()()()()()()()()()()()()()~?」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 洞窟文庫新人賞、〆切まで、あと三日。

 進捗は──五〇%。……まさに五分五分、といったところかな。

 

 

「あ……あのあの、怪人化手術をなかったことにした【捏造】、一旦消してもらえませんか……? 怪人スピードがないと、その、ちょっと……」

 

「駄目よ~、わたし、愛する人の人間の力でハッピーエンドを書いてもらいたいな~」

 

「…………うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお進捗駄目です!!!!」

 

 

 ──先行きは長く、道のりは険しい。

 ただしそれでも。

 

 俺には、〆切があるから、止まってはいられないのだっ!!!!!!

 

 

 


 

 

 

第一二話「綴るは苦難の先」

だからこそ、俺には〆切がある

 

 




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あとがき


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