死霊騎士と魔術師の花嫁 (もぬ)
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01. dead beginning

「がっ……あぁ……ああぁぁあ……」

 

 やがて、すべての感覚が閉じて、暗闇に沈んでいく。景色は見えなくなって、手足の感覚はない。

 貫かれた傷はまさしく(あな)だ。そこから熱いものが抜け落ちていって、身体には冷たさだけが残される。

 ここにきてついに、自分がこれから、無意味に死んでいくのだと、理解してしまった。

 ほんの数秒前まで、こんなはずはないと、自分は無敵だと思っていた。幾日か前には、仲間たちの誰を死なせることもなく、自分の手で護り通せると思っていた。そのための力を手にしたはずだ。

 けれど。そのすべてが、最初から、誰かによって仕組まれていたとしたら。

 いいや。何かの間違いだ。

 ――――が、俺を殺す、なんてのは。

 信じていたのに。いや、今でも信じている。この現実のほうが間違っている。裏切るはずがない。裏切れるはずがない。こんなのは悪い夢だ。

 

「やれやれ。おい、おまえのせいで全てがめちゃくちゃだ。どうしてくれる」

 

 何も見えず、身体の感覚も消えていく中で、その声だけがはっきりと聞こえた。

 

「こうなったら道連れだ。おまえは、私の――」

 

 しかしその声も、次第に遠くなる。

 これが、俺の終わりなんだ。怖い。怖い。自分がなくなってしまうのは。

 

「安心して眠れ。怖い夢を見ないよう、枕元で祈っておいてやる」

 

 

 眠りから目覚めた、という感覚があったわけでもなく。

 気が付くと、彼は暗い一室に横たわっていた。

 

 岩肌の天井と壁。洞窟の中だと思えた。

 体を起こしてみると、おそらく目覚めたての状態にもかかわらず、気怠さや体の重さがなかった。むしろ、身体はとても軽い。

 あたりを見わたすと、部屋のあちこちに人のいた形跡が見てとれる。机や棚にいっぱいに並べられた、瓶詰の薬液や“学者の道具”。あちこちに散乱した紙は誰かの走り書きで真っ黒。部屋の隅にある大きな円筒は、水槽だろうか。しかし人間一人を入れられそうな大きさだ。

 どれも自分の人生には縁遠かったもの。しかし、学者や、高位の星法士の部屋で見たことがあるものだった。この部屋の主もそういった人物だろう。

 そう思考しながら、彼はひとつ気が付いた。

 その、肝心の、“自分の人生”がどのようなものだったか、思い出せない。

 

 そのまま黙考していても、彼はここにいる経緯を思い出すことはできなかった。そこでひとまずの目的ができる。自らが何者なのかを知ることだ。

 彼は、自分が横たわっていた寝台のようなものを降りようと、身体を動かした。

 ここでひとつ、己について新たな情報を得る。

 見下ろした自分の脚は、腕は、“骸骨”であった。

 胴体には鎧、手足には錆びついた籠手、朽ちかけの靴を履いていたものの、それ以外は肉のない骨だった。また、薄く軽いつくりの鎧には裂け目があり、どうやら何者かに刃で貫かれたらしかった。それも切り口からして鮮やかな腕前だ。

 『まさか』と、思わず手を持ち上げる。籠手の錆は不快だが、しかし確かめねばならないので、自らの顔に近づけていく。

 やがて、こつ、と硬いもの同士のぶつかる“感触”がした。人肌の手ごたえではない。

 どうやら自分は男前ではないらしい。彼は嘆息した。息は出なかった。

 

 寝台から降り、身体のあちこちを動かし、歩く。どうしてこのような、筋肉も内蔵も血液もない状態で動けるのか、不思議に思った。そしてそれを不思議に思うのは、自分が“生きた人間”だったからだろうと思い至った。

 部屋の主の残したものを、再度検めていく。使い方のさっぱりわからない道具、とても触れようとは思えない怪しい薬液、癖の強い走り書きと難解な内容。やはり彼にとって、この部屋から得られるものは何もなさそうだった。

 彼は、この小さな洞窟の部屋にある、唯一の扉に目を向けた。眼球はないものの。

 一通り調べたのだから、次の場所へ出ていくのが道理だ。彼はその木製の扉に手をかけようとした。

 そして、青い火花のようなものが散り、手を強く弾かれた。

 

 何度か試したが、彼には扉を開けることができなかった。まともに触れられないからだ。

 『結界の星法か。』と彼は思った。『今の自分には破れそうにない。』とも。

 効力が切れるのを待つか、それとも、この部屋にまだ見つけるべき何かが残っているのか。

 じっとしているのは、彼には性に合わないことだった。骸骨は小さな部屋をさまよう。

 やがて精査の甲斐あって、道具棚の後ろに、隠されていた狭い通路を発見した。

 彼は骨しかないのに、高揚感と、そこからくる心臓の高鳴りを感じた。

 

 通路に進入する。灯りのないまったくの暗闇だが、彼には岩肌の様子もはっきり見えていた。

 そもそも眼球もないため、どのようにして景色を認識しているのかは不明だが、しかし暗がりの様子がわかるというのは有利なことである。

 通路の高さは、身をかがめる必要があるほど小さい。また、最初は別の出口であることを期待していたが、進んでいくうち、通路には風が通っていないと感じた。

 つまり、何かを隠すための部屋。または誰かが隠れるための部屋。彼は、そこにあるものを確かめるべく進む。

 そうして、やがてそれを見つけた。

 一目で、それがこの洞窟の小部屋において、最も重要なものであるとわかった。

 

 『真っ白な少女』が、岩壁に背を預け、目を閉じていた。

 

 髪の色、睫毛の色、肌の色、身に着けている簡素な服。そういった印象に残るもののすべてが白色で、かつ無地である。

 生きているのかそうでないのか。それどころか、現実の存在なのか、幻想であるのか。一目では区別がつかない。白い少女は、まるでそこに置かれた人形のようでもあり、眠っている人間のようでもあり、稀代の画家が生んだ一枚の絵にも見えた。

 淡雪のような、薄氷のような。そういった印象であったので、この少女に触れることは(はばか)られた。しかし現実の光景なのか確かめたくて、彼は、籠手に守られた骨の右手をそっと伸ばした。

 

 少女のまぶたが、火花が閃くように、素早く開いた。骨の手が止まる。

 瞳の色は、これまた白色だった。

 

「――うわぁ!!! びっくりした!!」

 

 そして、一瞬の間ののち、彼を見つめて、叫んだ。

 儚い外見からして、きっと小鳥のさえずりのような、あるいはそよ風のような声なのだろうと思っていたが、少女の発した一言目はこれだった。

 『イメージと違う。』と彼は思った。

 

 

「失礼いたしました。目が覚めたら、眼前にドクロがいたので、つい」

 

 落ち着いた少女の声の質は、一応、イメージ通りの可憐なものだった。

 ふたりが最初の部屋に戻ると、少女は、星法による小さな灯りを手のひらから生み出した。

 暗闇でも見えてはいたものの、光に照らされたその容姿を改めて見ると、やはり息をのむほどの美しさ、あどけなさ、いじらしさ、妖艶さというものがあった。

 彼は『まさしく、洞窟に隠された宝ではないか』という感想を抱き、次いで『自分は軟派な男性だったのだろうか』と思った。

 

「ええと、お互い自己紹介といきたいところですが。あなたは、目覚める前のことを覚えていますか?」

 

 彼は『いや』と答えた。

 

「そう。ならばわたしが知っていることを教えます。あなたは、この『迷宮の最奥』で命を落とした剣士です。その遺体を見出し、こうして蘇らせたのは、このわたしです」

 

 新しい情報だった。だがそれを聞くと、彼の中でさらに疑問が生まれていく。

 剣士だったという自分のさらなる詳細は? なぜ少女は自分を蘇らせたのか? そもそも少女は何者なのか?

 

「ごめんなさい。生きていた頃のあなたについて知っていることは、ほとんどありません。ただ、この地下迷宮を踏破するほどですから、剣士として最上級の人物だったのは間違いないでしょう。超強い、ってことです」

 

 強いかどうかはわからないが、たしかに、身に着けているものからして戦士のたぐいだったのは間違いない。ただ、だとすれば、肝心の“武器”を持っていないことが気になった。

 

「なぜあなたを蘇らせたのか? 単純な話です。わたしは、この地下迷宮の外に出たい。そのためには、この扉の向こうをうろつく魔物たちを打倒する戦力が必要です。例えば、強い剣士」

 

 少女は手のひらで、彼を指し示した。ダンスを申し込まれた女性のような、淑やかな仕草だった。

 

「この少女は何者なのか? わたしはこの部屋の主……魔術師によって造られたものです。“花嫁”と呼ばれていました。穴の中で眠っていたのは、魔力を貯め込むためです」

 

『――なるほど、造りものの生命。』

 この世のものと思えない美貌は、こんなところに住み着くような狂気の魔術師が生み出したものだった。彼にとって、少女の語るその出自は納得がいく答えだった。その姿こそが、そのまま説得力となっていたからだ。

 

「ふふん……。ええ、外見の良さには自信があります。まさに最高傑作です」

 

 少女はドヤ顔をした。

 ここで彼には、ひとつの疑問がわいた。さきほどから、少女と己の間には会話のようなものが成立している。骨の身体では声も出ないのに、何故?

 

「わたしとあなたの間には、魔術的なつながりがあります。念じるように語りかけてくだされば、声として伝わります」

『つながり?』

「はい。その骨身の体は、わたしの送る魔力によって稼働しています。わたしが絶命すれば、あなたは元の動かぬ死体に戻る」

 

 つまり、存在し続けるためには、少女を脅威から守る必要がある。

 ならば、自分が何者かを知りたいのなら――、

 

「現状の話はこんなところですが。……あの、どうでしょう。改めてお聞きします。この迷宮の外へ出るため、わたしを、守ってくれますか」

 

 少女の白い眼が、髑髏(どくろ)の空洞を見つめる。

 大きく、潤んだ双眸を向けられると、胸に何かの感情が生まれる。やはり、生きていた頃は軟派な男性だったのか。あるいは、誰でもこのようにしてしまう魅力が、この少女にあるのか。後者の割合も大きいように思えた。

 彼は、頷くことで答えた。

 

「……よろしいのですか? わたしは、ただ自分のために、死したあなたの魂を縛っているのですよ」

『それで気が咎めるというなら、つけこむようで悪いが、こちらからも条件が……いや、頼みがある』

 

 少女はわずかに首をかしげた。

 

『自分がどんな生き方をして、どんな死に方をしたのか知りたい。迷宮を出ても、それを知るときまで、この世に留まらせてくれないだろうか』

「構いません。長い付き合いになりそうですね」

 

 返答はすぐに帰ってきた。穏やかな微笑みは、白く清廉な花のようだった。

 

 

「じゃあ、えっとぉ……扉の封を解きますけどぉ……大丈夫かな、いけるかなぁ……アイツがいたらちょっとヤバいかも……」

 

 迷宮突破の準備を終え、二人はついに脱出へと挑む。

 はずが、白い少女は小部屋の扉を前に、渋い顔で唸っていた。

 

『アイツ、とは?』

「死ぬほど強い魔物が近くをうろついているんです。何度殺されかけたことか……この扉を封じてあるのはそのためです」

 

 そういった魔物の存在が、少女に死者を使うという選択肢を与えたのだろう。護衛役として打倒しなければならない障害だ。

 しかし、武器もない自分にそれを果たせるのだろうか。

 

「え? 剣がない? え~、あっ、そっかぁ……そうだった……」

 

 少女の渋面がさらに濃くなった。

 

「いざとなれば秘密の武器を渡しますが、それは奥の手なので……。たしか、この先でいくつか部屋を移動すれば、大昔の武器庫があったはずです。魔術師がやってくる前からあったものですから、いささか古いけれど」

 

 最初の目的地はそこに決まった。

 少女は目を閉じ、彼の知らない仕草をしきりに繰り返した。どうやら、扉の向こうに魔物がいないことを何かに願っているようだ。

 

「では、開きます」

 

 少女が手をかざすと、扉の木目を、青白い光が走った。

 そうして扉は、見た目通りの、簡単に開くことができるものに戻った。

 

「いませんように、いませんように」

 

 扉をほんの狭い隙間ぶんだけ開き、少女は向こう側を覗いた。彼は、倣うようにして、少女の頭上からその隙間を垣間見た。

 どうやら、あちら側も魔術師の領域だったようだ。この部屋と同じような、人間の道具が散らかっている。

 ただし、整頓はなされていない。非常に荒れていた。

 それは、ああいう輩の手によるものだろう。

 

 二人が覗いた大部屋には、一体の魔物が佇んでいた。

 人間と似たシルエット。四肢を持ち、二本の脚で地面に立ち、しかし体躯は人の倍ほどもある。太い腕は硬い岩に覆われているが、おそらく内側は泥ないし土。

 すなわち、泥人形(ゴーレム)である。

 

「ゴーレム? 何故こんなところに」

『ヤツがくだんの魔物ではないのか?』

「ここで見かけたのは初めてです。そもそも自然に発生する魔物ではない。『人間が操る魔物』のひとつのはず……」

『きみと同様に、魔術師の造りだしたものではないのか』

「……そうかもしれませんね」

 

 少女は扉を閉めた。

 

「それで、その。あのゴーレムは倒せますか?」

『自信がない。やはり何か武器が欲しい』

「では、うまく逃げる方針で」

 

 しばし作戦を話し合い、二人は今後の動きを固めた。

 彼が魔物の気を引き、その間に少女は背後を駆け抜け、安全圏まで逃げる。というのが作戦のさわりだ。

 

 扉を開放し、一歩外に出る。少女は、小部屋を出るのはよほど久しいことだったのか、目の前にゴーレムがいるのにも関わらず、感慨深い表情をしていた。

 とはいえ、それもすぐに真剣なものに変わる。

 彼は少女を庇う位置取りで、数歩前に出た。ゴーレムが反応し、緩慢な動きで二人のほうを向く。

 彼は、骸骨は、暗い地下迷宮の地面を走りだした。

 ゴーレムの気を引くように、その目前へと躍り出る。ガントレットで守られた右手を握りしめ、拳をつくり、泥人形のみぞおちへと叩きつけた。

 そのようなことで、岩の魔物にダメージを負わせられるはずもなく、ゴーレムの身体は揺らぎもしなかった。しかし、『ゴーレムに対し攻撃を加えた』ということが重要だ。

 彼は脇を潜り抜け、ゴーレムの右方で臨戦態勢をとった。自動的に敵を排除するゴーレムは、これで骸骨の戦士を排除対象とみなす。

 そう造られているはずだった。

 

「こっちを!?」

 

 ゴーレムは彼を無視し、少女に向かって猛進を始めた。

 なぜ、という疑問が生じる。しかし目の前の光景こそが現実であり、彼はひとまず思い付きの理屈をそこにつける。

 『この骨の身体は死霊も同然。そして少女は、魔術師に造られたものとはいえ、ヒトである。魔物という存在がどちらを襲うのかは明白だ。』

 少女は、すぐに小部屋に逃げ戻ろうとしていたが、よほど慌てたのかその場で足をつまずかせた。魔物の前で尻餅をつく形になる。致命的だ。

 彼は、ゴーレムと同様に、少女に向かって走ると、

 

「ううっ!? う、あ、あれっ」

 

 瞬く間にそこへたどり着き、少女を両腕に抱えた。そしてゴーレムが腕を振るうよりも先に、素早くその場を離脱した。

 緩慢な岩の人形は、すぐに遠く後方の景色と化した。

 結果として。いとも簡単に出し抜くことができた。『最初からこうしていればよかった』と、彼は考える。

 

「足、速いんですね」

『そのようだ』

 

 

「あ、そこの左の穴! あっちへ」

 

 少女の指示に従い、彼は通路を横道へ進んだ。

 はたして、その奥には武器庫のようなものがあった。ゴーレム、その他魔物を警戒しつつ、抱えていた少女を下ろす。

 部屋は、魔物によるものか、迷宮の探索者によるものか、倉庫と呼ぶにはいささか荒れてしまっていた。

 

「だめだー、折れてる。こっちはさびてる……」

 

 散乱した武器の慣れ果てを、しゃがみこんで見つめる少女の背中は、実に小さく丸まっていた。がっかりしているとわかる。

 彼は、無事なものを見つけるべく、探索を続けた。

 

『これが精いっぱいのようだ』

 

 やがて彼は、この武器庫で最もまともな形を保っている『剣』を、二本拾い上げた。少女は形のいい眉を動かし、不満げな表情を作った。一振りは錆が生じており、一振りは、鞘に収まっていたものの、抜いてみれば刃こぼれがひどい。何かを斬ることには使えそうになかった。

 

「いくらあなたが強くても、こんな剣じゃ……はぁ。当てが外れました」

『仕方のないことだ。はったりにはなるだろう。先へ進もう』

 

 彼は、鞘に納めた剣を腰に提げ、さびた剣は利き手に保持した。それでようやく、戦士といえる出で立ちになる。

 緩慢な魔物が相手ならば、逃げるという選択肢ができた。彼にとって、自分が少女を抱えつつ素早く動けることは、新たな発見だった。

 逃走という手段。それが通じる相手ばかりがこの先にいることを、彼は願った。

 

 

 地上を求めて歩き続ける迷宮の旅は、やはり魔物との遭遇は避けられなかった。

 次に二人が見た敵は、しかし幸いなことに、先ほど出し抜いたゴーレムと同種であった。もしかすると、同一個体の可能性もあった。

 あれなら戦うことなく通り抜けられる。彼は、例によって少女を抱え上げようと、地面にかがんだ。

 

「!! あれは、まさか」

 

 少女が驚いた声をあげる。その視線の先を追うと、もちろん、ゴーレムが。

 いや。

 彼は気づいた。少女が見ていたものは、佇むゴーレムの向こう側にある、誰かの遺骸だった。

 魔物のうろつく地下迷宮だ。誰かの死体が転がっているのはそう驚くことではない。そもそも、彼自身が何者かの死体である。

 それでも少女が足を止めたのなら、考えられる理由は。

 

『知っている誰かなのか?』

 

 少女は小さく頷いた。

 

「あのローブは、たぶん……わたしを造った『魔術師』です。そうか、ここにあったんだ」

 

 遠目に見ても、遺骸の状態が悪いことはおおよそ把握できた。そして、誰も弔う者はいない。もしも死者の魂があそこに囚われているとするなら、大変な苦痛を感じているだろう。

 少女の声は震えていた。

 

「……さて。ゴーレムがうろうろしてますし、さっさと通り抜けちゃいましょうか」

『いいや』

 

 彼は立ち上がり、無視するべきゴーレムに視線を運んだ。それからそのまま、白い少女、魔術師の遺骸と、順番に。

 自身を造り上げた、ということは、魔術師は彼女にとっての親であるとも言える。ならば、魔術師がどのような人物だったとしても、死体を正しく葬ってやるべきだ。そして彼女はそれを見届けるべきだ。

 生前の人格からくるものか、慣習によるものか、ともかく彼はそう考えた。

 

『あれを停止させる』

「え? でも、そんなこと」

 

 少女が意見を示す前に、彼は動き出した。

 さびた剣を右手に疾走する。戦うことを決め、剣を強く握ると、彼の中で何かがよみがえってくる気がした。

 右手に返ってくる剣の柄の感触。それは目覚めたときから心にかかっていたもや(・・)を晴らし、彼を何者かに立ち戻らせていく。

 それは、その鉄のような記録は、炎のような記憶は。

 戦い方だ。

 剣の振り方だ。呼吸の仕方だ。足の運び方だ。魔物と向き合う知識だ。敵を先読みする感覚だ。魂の燃やし方だ。

 ゴーレムが岩の腕を振るう。それはこの人形が持つ攻撃手段で、創造主の敵対者や魔物を屠るための武器である。素早い獣を捉える速度、武装した人間を押しつぶす質量は、並の戦士が対抗できるものではない。

 しかしそれが、彼にとっては、非常に遅いものに見えた。

 巨腕を潜り抜け、彼は剣を振った。どこを斬りつけたとしても、多くが岩に覆われた体は、錆びた刃を通すはずもない。

 しかし、泥の肉片が飛ぶ。それは少女の位置からも見え、錆びた剣で岩をも斬り裂いたかに思わせた。

 実際には、彼は岩の継ぎ目、泥土の部分を斬っていた。手応えを、あるいは刃の状態を確かめているのか、ゴーレムと距離をとり、己の錆びた剣をじっと見ている。

 そうしてもう一度、突進した。

 暴れる岩の塊を相手に、一切の手傷を負うことなく。やがて彼はゴーレムの背中に取りついた。

 そこに、刃が、深々と差し込まれる。

 それで、ゴーレムは停止した。

 

 

「……すごい。あの、どうやったんですか?」

 

 物言わぬ人形に戻ったゴーレムに、少女がおそるおそる触れる。やがて完全に動かないとわかると、子供のようにぺちぺちとその岩肌を叩いた。

 少女はゴーレムの様子を検分し、傷がほとんどないことに驚いていた。死霊の剣士はこれを、あの一刺しで無力化したのだ。

 彼は、動かないゴーレムからうまく剣を引き抜けず、折れてしまった刃を一瞥し、投げ捨てた。

 

『人型をした泥人形(ゴーレム)には、人体でいう心臓の位置に“核”がある。それを傷つけると簡単に止まる』

「その理屈は知ってますけど……」

 

 暴れるゴーレムに対し、心臓に刃を届かせるための岩の隙間を見出し、正確に突き刺す。そんな芸当をできる人間は多くはない。

 だからこそ、堅牢なゴーレムは、魔術師のしもべとして重宝されているのだ。

 

『この泥人形は魔術師のものだろう。主を守っていたのだろうか』

「いいえ、それは違います」

 

 少女は凛とした声で否定した。

 

「ゴーレムが彼を守っていたのなら、こうはならない。アレはたまたまここにいただけです」

 

 二人は、魔術師の遺骸を見下ろした。

 来ている衣服、散乱した骨片などを見るに、一見すると魔物に蹂躙されたように思える。

 しかし。ぼろぼろの衣服には、刃で滅多刺しにされたような跡があった。どうしてか、彼にはそれがわかった。

 この魔術師の死因は、牙や爪をもつ獣か、あるいは刃の武器を持つ死霊。自分と同じような。

 そうでなければ……刃を持った、人間。

 しかし仮にそうなら、何者が? 迷宮の探索者だろうか。

 

「持ち物か、それとも、身体に刻んだ魔術でも漁られたのかもしれませんね」

 

 それから少し時間が経つと、少女は遺骸から目を逸らし、口元を押さえた。気分の悪そうな表情をしていて、幻想的な美貌と反して、人間らしい仕草だった。

 

『火は持っているか?』

「……? 燃料になるものなら、少し」

『彼を葬ってやるんだ。遺体をこんな暗闇に置き去りにしてはいけない』

 

 彼は魔術師の火葬を提案した。ゴーレムを排除したのはそのためだった。

 魔物がうろつく迷宮、とくにこの地下迷宮のような、淀んだ魔力だまりが成立しうる場所では、死者はそのまま死霊と化してしまう場合が多い。魂を死体に囚われ、生者をうらやみ、半永久的に暗闇を動き続けることになる。

 彼の思想では、それはとくに忌避すべきことだった。

 遺体を清浄な火で焼却することで、死霊化は防げる。魂は正しく天の星に還ることができる。彼の中の思い出せない記憶は、そう主張していた。

 

「わかりました。あなたの言う通りに」

 

 少女は、あの小部屋から持ち出した、小さな荷物入れを探った。

 

 

 炎が揺れる。遺体を灰にできるほどの火力があるかは不安だが、ともかく二人は、ゆらめく明るい赤に彩られる魔術師のローブを見つめ続けた。

 彼は、この魔術師については何も知らない。迷宮の主のように考えていたが、主の死後もゴーレムは動き続けるものだろうか。

 魔術師は少女を“花嫁”と呼んでいたという。創造物に対しての呼び名としては変わっている。花嫁とは、魔術師自身の……ということだろうか。

 少女は、この迷宮から出たことがないにしては、驚くほど人間らしい受け答えをする。『まっとうに育てられた人間』のような。

 魔術師は少女を愛していた? だとすれば、少女のほうは彼をどのように想っていたのか。実際のところ、どのような関係であったのか。

 彼は、横にいる少女を見た。

 

『……そうか。きみにとってこの魔術師は、大事な人間だったのか』

「え? そう、かな。どうしてそう思うのですか」

『そうして泣いているからだ』

 

 少女は、愛らしく造られた大きな目から、そのぶんの大きい涙を流していた。白い肌は、火のせいか、それとも感情のせいか、紅く染まって見えた。

 白い指で、自分のしずくをすくい取り、不思議そうに眺める。

 

「本当だ。なみだ……」

 

 少女は、どうやら生まれて初めてそれを流したようだった。

 

「そんな部分まで機能しているなんて。我ながらすごいです。この身体は」

 

 そう言って、涙を流すまま笑顔になる。その姿は、やや痛々しく、健気なものに見えた。

 彼は錆びた籠手を持ち上げ、少女の穢れのない髪を、頭を撫でようとした。泣いている少女はそうすると落ち着く、という思考が浮かんだからだ。

 しかし、そのようなことをされては不快だろうと気が付き、やめた。

 

「ありがとう。気遣ってくれたのでしょう。それくらい、わかります」

 

 しばらくすると、少女は腕で涙をぬぐった。目元が少し腫れて、幻想的な容貌がやや損なわれている様子は、少女が人間であることの証左に思えた。

 彼は少女の言葉を聞き、自分の思考が、どこまで少女に漏れているのか気になった。

 

 火が二人をぼんやりと照らす中で、少女の声だけが迷宮に反響する。

 

「そういえば、あなたの名前は? いつまでも『あなた』だと、不便です」

 

 そういえば、最も先に打ち明けるべきことを、彼は少女に話していなかった。

 それは仕方のないことだ。己の名など、思い出せないのだから。

 名は個人を定義するために最も重要な要素のひとつ。つまり、彼はまさに、何も持っていない。それがどうにも、ひどく寂しいことである気がして、彼は名前のことをこれまで言い出さなかった。

 

「なら、わたしが名前をつけてもいいですか? あなたが、本当の名を思い出すまで」

 

 彼は顔を上げ、少女を見た。

 純白の姿は何よりも無垢だ。何もない自分が何者かになるため、護り通すべき存在である、と強く思えた。

 

「『ウチカビ』、という名はどうでしょう」

 

 聞きなれない響きの名称。

 

「ええと、たしか……死者を送るための炎の名前です。いま、なんとなく思い浮かんで」

 

 彼と、少女を造った魔術師は、どうやら死の扱いに関して異なる教えを受けているようだった。火葬してやったのは、ある程度正しかったようだが。

 

『いい名前だ。気に入ったよ』

 

 少女は、顔を紅くして笑った。

 

「では……ウチカビ。わたしの騎士となり、わたしを守り、この闇を切り開く(つるぎ)となりなさい」

 

 ウチカビは、生きていた頃もそうしていたのか、自然な動きで少女の前に片膝をついた。

 

『承知した』

 

 死霊の騎士ウチカビと、白い少女は、地下迷宮からの脱出を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先槍をつとめる骸骨の騎士を、白い少女は追いかける。

 騎士は懸命に、実直に、誠実に、少女の身を案じ守ってくれる。それは愛情のある行為で、少女にはウチカビの感情の波動が心地よかった。

 あまりに心地よくて。思わず、顔を紅くして、地面を見つめて。

 そして、ひどく歪んだ笑みを浮かべるほどだった。

 

 少女の肉体を動かしている魂は、『魔術師』のものである。

 

 騎士の背後で、その美しく愛くるしい(かんばせ)を、彼は喜悦に歪める。

 才能のすべてを注いで造り上げたこの美貌に、騎士がほだされたように思え、とても愉快だったからだ。

 他人にひどい噓をつくのは、彼にとって初めてのことだったが、その成功は、今の肉体の背筋に奇妙な快感を這いあがらせた。

 つい、思わず、妙な感覚が走った下腹部を押さえると、騎士からは案じる声が伝わってくる。そういった失態も、少女がひとつ笑顔を作れば、うやむやにできた。そしてその事実が、また魔術師の魂に得難い感情をもたらす。きれいに造った顔が、はしたなくにやける。

 

 もうしばらくは、このまま。“お姫様”をやってみようか。

 

 魔術に傾倒していた彼が、そんな非合理的なことを決めてしまうほどに。

 その快楽は、唯一のものだった。

 



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02. 星騎士カムリ

 訓練場にて。

 

 青年の必死の剣を、壮年の男性が打ち破った。

 

「くっ! くそ……」

 

 青年、カムリは無様に尻餅をつき、自分の何度目かの敗北を認める。遠くに弾かれた摸擬剣を一瞥し、悔しさに歯噛みした。

 

「おや。星騎士さまともあろうお方が、一介の銀騎士ごとき相手にこのざまとは」

「そんな等級なんて。あんたより上の剣士がいるものか」

「何言ってる。いるさ、それこそ星の数ほど。……カムリ」

 

 壮年の騎士、ツェグは、カムリに手を差し伸べた。

 カムリは彼の手をしばし眺め、自分のプライドに関して逡巡したが。やがて笑みを浮かべ、その手を取った。

 

「最後まであなたには勝てなかった。悔しいよ、ツェグ」

 

 さわやかな風が、並び立つ二人の間を抜ける。カムリは一枚の木の葉を目で追った。

 カムリはこれまで、幾度もツェグに剣で挑戦し、そのすべてで敗北している。青年にとって、目の前の男はついぞ乗り越えられなかった壁であり、それゆえ尊敬してやまない騎士であった。

 

「最後じゃないさ」

 

 そして、剣の師であり、そう呼んだことはないが、父のように想っていた。

 

「この町はお前の家だ。お前がどんなに偉くなっても、どんなに遠くを旅していても、ここが帰る場所だ。……また勝負をしよう。いつでもだ。星騎士カムリ」

「ツェグ」

 

 カムリはツェグの目を見た。幼い頃は巨人にも見えた彼に、背の高さは追いついて、目線は対等だ。

 そして今、彼は初めて、カムリのことを騎士と呼んだ。親が子を見送るような言葉の中に、それをそっと混ぜてくれた。

 そのことが、何よりの激励だった。

 

「ありがとう、師匠(せんせい)

 

 カムリのペリエ市での最後の一日は、そんな朝から始まった。

 

 

 ツェグとの摸擬戦闘ののち、騎士団の宿舎で雑事に一段落つけたカムリは、昼食を求めて廊下を歩いていた。

 そこで、知己と鉢合わせになる。

 

「エクス! エクスじゃないか!! 帰るのは今日だったか!」

 

 カムリが声をかけた青年は、カムリと同様に、友の姿を認めた途端、少年のように目を輝かせる。

 二人は、教会の騎士として一人前になった互いの姿を見て、心を躍らせた。

 

「久しぶり。あれ、手紙は届いてなかった? カムリが里帰りしてるって聞いて、僕も急いで来たんだ」

「お前も星騎士の修行と儀式を終えたのか?」

「うん。これ(・・)がそうだ」

 

 エクスは腰に提げた一振りの剣に、手を置いてみせる。

 カムリは、同じ境遇からか、ただ一瞥したのみで、その剣に秘められた強大な力を感じ取った。

 

「お互い、この先もう長いこと会えないだろ。少なくとも、それをぶら下げてる間は」

 

 そう言いながら、エクスもまた、カムリの腰にある剣を見た。

 

「そうだな。よかったよ、こうしてちゃんと会えて。……なぁ」

「うん?」

「今から食堂に行くところだったんだ。一緒に行かないか?」

 

 しごく真面目な話になりかけたところで、カムリは自分が腹を空かせていたことを思い出した。

 エクスはカムリの言葉で不意を突かれる。しばし固まったのち、「そういえばこういうやつだった」、と笑った。

 

 エクスとカムリが宿舎の食堂にたどり着き、食事を済ませ、その扉から出たところへ、声がかかる。

 それはよく通る大声で、二人には耳なじみのものだった。

 

「ストップ! スト~ップ!!」

「ぐえっ」

「おっ……」

 

 その少女は、二人の前方から両腕をひろげて飛び掛かり、首に一撃を見舞った。

 たった今食事を済ませたばかりの二人が、食べたものを吐き出さなかったのは、彼らが超人集団と呼ばれる“星騎士”の一員であったがゆえのことだろう。

 とはいえ、悶絶はする。

 仰向けに倒れた二人を覗き込み、少女は慌てた様子で声をかけた。

 

「ね、ねぇっ。ふたりとも、まだお昼ご飯食べてないよね? ね?」

「たべた」

「もどしそう」

「な、なんでー!? カムリ、エクスに声かけとくって言ったじゃん!」

「わすれてた」

 

 少女、プラチナは、倒れているカムリの胴に乗り上げ、その顔を殴りつけようと拳を繰り出した。カムリは首の動きだけでそれを躱した。

 

「クソクソクソ!!」

「遅い遅い遅い」

 

 怒涛の連続パンチであったが、それらもすべて躱した。これが星騎士の力である。

 しばしそういったやり取りをしたのち、何事もなかったかのように3人は立ち上がった。

 

「もう。今日は二人を、養護院のみんなで送り出すはずだったのに。今日のお昼にエクスを連れてくるって話だったでしょ」

「そうだったか……すまない」

「多少顔がいいからってごまかされないよ。バカだから忘れてたんだ」

「んんん、言い返せん」

「もう、せっかく準備したのに。夜に延期しないといけなくなったじゃない」

 

 説教のあと気が済んだのか、プラチナは怒り顔を鎮め、いつもの、彼女が親しいものたちに向ける笑顔を見せた。

 窓から差し込む日差しが、少女の白銀の髪を、星のようにきらめかせる。

 

「エクス、おかえり。っていってもこのあと送別会しちゃうんだけど、それでも、おかえり」

「うん。ただいま、プラチナ」

 

 カムリは、ふたりの幼馴染を、目を細めて見つめた。彼にとっては心から微笑むことのできる光景であり、眩しいものでもあった。

 

 

 ペリエ市。

 ここは多くの国内都市の例にもれず、複数の組織によって治安の維持・経済の循環がなされているが、中でも、『星天教会』の力が特に大きい都市であるとされる。

 『鉄の剣聖』ツェグ・ラングレンがいるからだ。この男の存在は犯罪への抑止力として働いており、指導を受けた騎士たちの練度・士気は高く、魔物被害への対応も早い。

 また、ツェグはペリエ市の出身であるためか、市長以下地方自治組織や、警察部隊の在籍者とのつながりもあり、彼の所属する星天教会がこれらと連携するための体制づくりに貢献している。

 以上のことから、ペリエは国内有数の平穏な町として、そこに暮らす人々の数を年々増やしている。

 

 養護院へ向かう3人が、街道を歩き、商店街のあちこちに立ち寄ると、多くの市民が気さくに声をかけてくる。

 

「カムリにエクス! 二人とも星騎士さまになったんだって!? 大きくなったもんだ」

「プラチナちゃん、いつも町を守ってくれてありがとうねぇ。これおまけ」

「ツェグさんは元気か? 今度一緒に酒場にきてくれよ。お前らももう飲める歳だろ?」

 

 ペリエの中でも、とくに『ラングレン養護院』のあるこの南地区は、3人にとっては目をつむっていても走り回れる土地であり、住民達とも顔見知り以上の仲だ。

 時刻は昼過ぎ。出店の商品を眺めるプラチナの斜め後ろ、荷物持ちとなったカムリが袋から落としかけた果物を、エクスがうまくキャッチした。

 そのまま彼は口を開く。

 

「プラチナ。『町を守ってくれてありがとう』って、さっきおばさんが言ってたのは?」

「あー、それね。エクスとカムリが本国に行ってる間に、教会の星法士になったんだ」

「へえ」

「『魔物と戦うほう』の星法士だぞ」

「へえっ!?」

 

 カムリの注釈を聞き、エクスは素っ頓狂な声をあげた。

 

「そんな。危険だよ」

「大丈夫なんだなこれが。みんなわたしの星法見てひっくり返ってたから。もう衝撃デビュー」

 

 プラチナが真面目くさった顔でそう言うが、わけがわからず、エクスは事情を知っているらしいカムリを見た。

 

「100年にひとりの星導力の持ち主で、50年にひとりの星法の腕前らしい。このあたりの魔物はこいつに敵わない。ツェグが言ってたから本当だ」

「プラチナがねえ」

「何さ。そういうわけだから、星法でなら、あんたたちにだって負けないからね」

 

 そう言いながらプラチナは、店主から受け取った紙袋を、なんの特別なそぶりもなく、宙に浮かせた。

 紙袋はふよふよと浮遊し、空いていたエクスの腕へと収まる。

 エクスはその現象に驚いた。成した結果自体は特別なものではないが、杖のたぐいもなく、詠唱もなく、星導力の動きも感じさせずに、それを引き起こしたからだ。

 成長しているのが自分だけではないことに、エクスは、そしてカムリは喜んだ。

 そして、店を通るたび増えていく荷物の山に、顔色を青くしていった。

 

 

 ラングレン養護院。

 ツェグ・ラングレンが設立し、今も支援している福祉施設だ。各々の事情によって保護者のいない子どもたちを、守り、育てるための家である。

 カムリ、エクス、プラチナは、同時期にここで育った少年少女だ。自立した彼らがいま、三人とも星天教会に所属しているのには、敬愛するツェグの影響が少なからずある。

 

 カムリは、送別会の手伝いに加わろうとしたものの、プラチナにそれを断られた。

 エクスは、久しぶりに顔を合わせた院の子どもたちに手を引かれ、市外での話をせがまれていた。カムリも加わろうとしたが、エクスより先に帰ってきていた彼の話はもう飽きられていたため、子どもたちから邪険にされたのだった。

 カムリは養護院の外で、背中を丸めて膝を抱えていた。

 

「兄ちゃん。カムリ兄ちゃん。なにちっちゃくなってんだよ。それでも星騎士かー?」

「アル。星騎士だってな、世の無常を嘆き悲哀に浸るときはあるんだ。人間だもの」

「はー? わけわからんこと言ってないでさ、おれにも剣を教えてくれよ」

 

 カムリは顔を上げ、自分に声をかけてきた少年、アルの様子を見た。

 まだまだ背も低く、身体ができるのはこれからという歳で、強気な顔で木製の摸擬剣をふたつ担いでいる。しかし勇ましいよりも、微笑ましいのほうがどうしても勝ってしまう。そういう時期だ。

 この少年は、養護院の子どもたちの中でも、とくにカムリに懐いていた。その姿は、ツェグに剣の教えをせびる幼い自分と重なる。

 

「でもなぁ。俺はツェグよりずっと弱いぞ。いいの? 弱いやつに教えられて」

「おれはカムリ兄ちゃんがいいんだ」

「ほーう。しかし俺の訓練は厳しいぞ」

 

 カムリはおもむろに立ち上がり、嬉しさからくるニヤつきを、相手を威嚇するタイプの笑顔に切り替えることでごまかした。

 アル少年はそんなカムリに、緊張した様子で姿勢を正す。

 カムリは少年の言葉通り、剣の稽古をつけてやることにした。送別会の時間までたいそう暇である、ということもある。

 また、次にいつ養護院(このいえ)に戻ってこられるのかは、わからない。少年が自分の歳に追いつくまでに、ちゃんとした剣の稽古をつける機会はなさそうだった。

 このなんでもない時間が、アルにとっての何かのきっかけになればと思い、カムリは摸擬剣を手にした。

 

 

「カムリ兄ちゃん。基本が大事なのはわかったけどさー。あれ教えてくれないの、あれ。ツェグが、離れたところの岩を斬っちゃったってやつ」

「あん?」

 

 アルは3時間も摸擬剣を振り続けた。そのうえで、さらに“必殺技”をせがんでくるものだから、カムリは感心していた。

 こんな木剣で、離れたところの岩を斬る。常人には不可能な芸当である。

 

「……あれはな、特別なコツがいるんだ。剣だけじゃなくて、星導力の勉強もしないとムリムリ」

「えー!? 勉強かよー」

「ああ。そらッ!」

 

 不意にカムリは木剣を振った。思わずアルが注目すると、カムリから十数歩は離れた位置の地面が、突如えぐれた。深い斬撃のラインが、そこに刻まれていた。

 

「あ! やるならやるっていってよ!! すっげえ!!」

 

 アルは興奮してカムリに詰め寄る。わざと不意を狙ってやったが、しっかり、動作の一部始終を見たようだ。剣技は記憶に刻まれたはず。カムリには、それがわかった。

 

「それを教えてほしいんだよー。だめか?」

「だめだね。というか、無理だ。からだこわれる。おまえの。」

「こわれるのかー」

 

 カムリはしゃがみこみ、アルに目線を合わせた。

 

「今はゆっくり成長すればいい。俺がお前ぐらいのときは、3時間も剣振り回して平気でなんていられなかったぞ。……絶対、すごい剣士になる」

 

 子ども騙しで言ったつもりはない。カムリの本心だった。彼自身、ツェグに初めて稽古をつけられたとき、記憶に刻まれる剣を見たのだ。それを再現しようと試みたのは、この少年への期待を持っているからだった。

 それが伝わったのか、アルは、少しだけぼうっとしたあと、白い歯を見せた。

 

「へへ……ありがと」

 

 

 それからしばらく経って、日が落ちかけてくる時間になって、カムリたちは養護院の中へと戻った。

 夕飯時。みんなで囲む長机の上を見れば、送別会というものにどういうテンションで臨めばいいかがわかる。

 そこには、プラチナたちが用意した豪勢な食事が並んでいた。養護院では、いや、きっと金持ちの家でも、これは10年に一度くらいのゴージャスだった。

 これは、昼に振る舞われる予定だったものの余りに、さらにメニューを追加したためである。

 

「星に祈りを」

『星に祈りを』

 

 天を仰いで祈りを捧げ、ぜいたくな食事会が始まる。

 カムリは、幼馴染たちと、養護院の仲間たち、世話になった大人たちと、楽しいひとときを過ごした。

 

「カムリ兄ちゃんとエクス兄ちゃんは、“星騎士”は、ずっとこの世界を旅しないといけないんでしょ? ……もう帰ってこないの?」

 

 子どもたちの誰かが言う。プラチナが、その頭を優しくなでた。

 エクスが答える。

 

「『同じ場所に長く居着かない』、っていうのがルールなんだ。それだけ。だから帰ってくるよ。めっちゃ帰ってくる。しょっちゅう帰ってくる」

 

 子どもたちの顔が明るくなる。カムリは、コップで酒を飲むふりをして、口元を隠した。

 さすがに、しょっちゅうは帰ってこない。旅立てば、今後ペリエに立ち寄るのは、数年に一度のことになるはずだ。嘘をついてしまったことになる。

 

「………」

 

 コップを机に置く。カムリの表情は、穏やかだった。

 ――しかし、ここが自分の家であることには変わりない。きっとまた、こうして仲間たちと集まって、笑っている顔を見る。そのために自分は力をつけた。結果として星騎士に任命されてしまったが、この動機は不変だ。ここが、自分の原風景だ。

 カムリは白銀の髪の少女を見た。

 カムリは思う。星騎士として戦っていくことが、回りまわって、プラチナを、みんなを守ることに繋がっている。そう信じてやってみよう。

 

 送別会で、カムリは自分の心のうちを再確認した。

 

 

 寝つきの悪い子どもたちからようやく解放され、カムリは夜の街をひとり、騎士団の宿舎に戻った。

 エクスやプラチナは養護院に泊まるが、カムリは宿舎で旅の準備を進めると言って出てきた。その言い分が本当のことか、それともひとりの時間を作りたかったのかは、当人にもわからない。

 宿舎の廊下をゆっくり歩いていると、カムリは、行く先に知人の姿をみとめた。

 ツェグだ。

 

「ツェグ! ……あッ」

 

 彼は呼びかけに反応したが、カムリは失敬をすぐに察した。

 ツェグは廊下の角で、誰かと話していた。カムリの呼びかけでそこから姿をのぞかせた人物は、気軽に話せる地位の相手ではなかった。

 

「大星官。お話し中とは知らず、失礼しました」

「いいえ。気にすることはない、銀騎士カムリ……いや、今や星騎士か。いやはや、私の方こそ失礼を」

「大星官の元での研鑽があってこそです」

 

 二人に近づいたカムリは、背をまっすぐ伸ばし、礼の姿勢をとった。

 ツェグが話していた相手は、“大星官”バルドー。このペリエ市の星天教会を束ねる立場にある男だ。

 

「……バルドー殿。少し、彼と話しても?」

「ああ、もちろん。私は部屋で待っています。……では」

 

 バルドーは去り際、カムリへ向かって小さく頭を下げた。カムリは当然、それより大仰に頭を下げる。

 ただ、カムリは、バルドーの視線が、自分の腰にある()をかすめたのを感じていた。これは星騎士として働くため、身に着けた習性だった。

 

「カムリ。どうした、こんな時分に」

 

 ツェグの声を聴き、バルドーが見えなくなるまで下げていた頭を戻す。カムリは、自分の心が落ち着くのを感じた。

 

「院のみんなが、送別会をしてくれたんだ」

「ああ! プラチナから聞いていた。すまん、顔も出せなくて」

「いいさ。もう激励はもらったよ」

 

 ふたりは笑い合った。

 

「もう少し話したいが、用があってな。また明日にでも、みんなとの話を聞かせてくれ」

「ああ」

 

 ツェグは、廊下を歩いていった。背中を見送っていると、廊下を曲がるとき、再度カムリと目を合わせた。

 

「おやすみ、カムリ」

 

 幼い頃、養護院でも聞いた声だった。子どもを寝かしつける父とは、このような声なのだろう。

 カムリは、「おやすみ」と返した。

 それが、最後に交わした言葉だった。

 

 

 翌日、ようやく旅の準備を終えるころ、カムリは、大星官バルドーの御前に召集された。

 騎士や部下に任を与えるためのその場には、エクス、プラチナ、ツェグの姿もあった。

 カムリは顔ぶれへの驚きを内心に押し込み、大星官の前に膝をついた。

 

「銀騎士ツェグ・ラングレン。

 星騎士エクス・“レーヴァテイン”。

 星騎士カムリ・“ミスティルテイン”。

 星法士プラチナ。

 あなたたちに、任務を与えます」

 

 視線を下げ、声に耳を傾ける。

 

「南方の地、ある地下迷宮に、邪悪な『魔術師』が潜んでいます。ペリエ市への攻撃を企む彼のものを、浄滅せしめなさい。――この、四名で」

「……!!」

 

 「バカな。」カムリは内心でそう声を上げた。口をついて出そうになったほどだ。

 星騎士が二名。『鉄の剣聖』ツェグ。天性の才を持つプラチナ。

 過剰な戦力だ。本来、ひとつの都市に集ってはいけないほどの。

 

 星天教会の騎士には、三つの等級がある。

 鉄騎士。多くの騎士がこれに該当する。

 銀騎士。上位の騎士である。戦闘力、指揮能力、様々な能力に秀でた者。そして多大な功績を挙げたものが任命される。

 星騎士。最上位であり、特殊な任務を命じられた者たちである。彼らは原則として、ひとつの都市に長く留まることはなく、地方支部ではなく“本国”の指揮下にある。選出の基準は不明だが、総じて人間離れした戦闘能力を持つという。

 

「だ、大星官。よろしいですか」

「ええ」

 

 カムリが口を開く前に、エクスが声をあげた。おそらく、質問事項は一致している。

 

「これほどの戦力をあてるほど、その魔術師は脅威なのですか? 攻撃のたくらみとは? どこからの情報ですか」

「そこにいるツェグ・ラングレンからの情報です。そうですね?」

「はい」

 

 ツェグのもたらした情報。

 この場にいる人間にとって、それは何よりも信頼でき、価値のあるものだった。これで、任務自体の正当性は保証されたと言っていい。

 

「しかし星騎士を二名も、同じ討伐任務に就けるのには、本国はいい顔をしない。ご存知のはず」

「あなた方は、このペリエを離れる。これが私からの最後の任務……いや、願いです」

 

 大星官は神妙な面持ちで口を開いた。声の色は真摯であり、心からのものだと感じさせた。

 

「星騎士とてひとりでは万能ではない。しかし、あなたたちならば。この今しか集うことのなかった、あなたたちならば」

 

 それほどに、かの『魔術師』は、悪逆の存在である。都市を覆うほどに巨大な闇である。バルドーの態度からは、それがうかがえた。

 

「――この町を、悪しき者の手から守ってください。どうか、お願いします」

「しかし……」

「承知しました」

 

 守る。その言葉で、カムリは任務を了承した。自分の信念と一致していたからだ。

 エクスと目が合う。彼は、しばし困惑した様子であったが、カムリの目を見て矛をおさめた。

 

「では。星神(ホシガミ)様の名のもとに、全霊で任を果たしなさい」

 

 四人は、最大級の任務に挑む。

 

 



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03. sword

 『魔術師』の遺体を葬ったウチカビと『少女』は、地上を目指して迷宮の下層を進んでいく。

 途中、何度かゴーレムに遭遇したものの、ウチカビは少女の身を守りつつ、それらの脅威をうまくかわしていた。

 二人の脱出劇が始まってから、半日以上が経っていた。しかし日の光は、まだ遠い。

 

『腹は空かないのか』

 

 道中、少女の様子に気を配るウチカビは、重要な質問をした。

 この骨だけの身体では腹が鳴らないことに気が付いたウチカビだが、肉体のある少女はそうもいかないはずだ、と考えた。しかし二人は食料となるものを何も持っていない。本来なら、すぐにどうにかしなければならない問題だった。

 

「食事は必要としません。この身体は“心臓”から供給される魔力で活動しています。……でも、関心はあります。食事への」

 

 ウチカビは、あばら骨しかない胸を撫でおろした。

 

『外に出たときにでも、贅沢をしてみるといい。食事は楽しむものでもある』

「ふふ」

『おかしなことを言っただろうか?』

「いいえ。やりたいことに加えておきますね」

 

 少女はウチカビの言葉に可愛らしく微笑んだ。

 これは、死んで骨だけの人間に食事の楽しさを説かれたことと、相手が自分を気遣っていることから生まれる優越感によって出てしまった笑いだった。

 

 二人の移動は基本的に徒歩だ。少女が地下迷宮の構造を大まかに把握しているため、迷子になることはなかった。

 迷宮には、『魔術師』が住み着く以前からそうだったのか、ところどころに人間が手を入れた痕跡がある。あちこち地面が平らに均され、通路を形成している点などはわかりやすい。また、進んでいく中で、ウチカビは小さな扉をいくつか見たが、少女の言によれば、これらは保管庫や個人の部屋として使われていたものだという。結界や防護の星法を施せば、安全圏(セーフゾーン)を構えることができるだろう。

 見える景色はそう変わらないが、時間が経っていく。

 ここまで、二人の道行きは非常に順調だといえた。時折ゴーレムに遭遇するくらいで、こういった場所に現れる魔物や、迷宮の罠がまったくなかった。ウチカビは、外へ出るための戦力となってほしいという少女の言葉から、より困難な迷宮攻略を想定していたため、この現状はありがたく、そして拍子抜けだと感じられた。

 

「侵入者用の罠がないのは、ここが“人間が使う区域”だったからでしょう。罠が残っているとすれば上層階かと」

『なるほど。では、魔物は? こういう洞窟だ、環境に手入れをする人間がいなければ、自然発生するはずだが。ゴーレムが駆除しているのだろうか』

「……ゴーレム、ですか?」

 

 ウチカビの見立てでは、『魔術師』の遺体は、死後数年が経過していた。迷宮の管理者と目される人物が消え、十分な時間が経ち、加えて魔物が住み着きやすいこの環境。

 既に魔物の群れが発生しているはず。

 それが実際のところは、泥人形(ゴーレム)としか遭遇しない。ゴーレムは魔術師たちの傀儡であるから、これらが魔物を排除していると考えるのが自然だ。

 

「……そうですね。そうかもしれません」

 

 少女は適当な返事をした。迷宮をうろつくゴーレムについて、別の考え事(・・・・・)を巡らせ始めたからだ。それはウチカビには語られず、知る由もない。

 

 ここでウチカビは、自らあげたこの話題の中で、ある疑問を持つ。

 『そもそも、とうに主のいなくなった迷宮で、何故今もゴーレムが動いているのか。』

 答案。『魔術師』からの最後の命令に従って、動力が切れるまで活動している。(それは主が死んでいても可能か?)

 答案。これらのゴーレムが、そもそも『魔術師』のものではなく、別の人物からの命令で動いている。(しかし、何者が?)

 ウチカビは、ふと、少女の横顔に視線をやった。

 

 一時、互いに思考にふけり、二人の間に会話がなくなる。

 そうして、静寂が形成されたときだった。

 

 獣の悲鳴のような音声が、地下世界にこだました。

 

『魔物の断末魔の声、のように聞こえたが。どうする。確かめるか』

 

 ウチカビは記憶として思い出すことはできない経験から、それが獣の姿をした魔物のものだと判断したが、確証はない。この迷宮にやはり魔物が発生すること、そしてそれを駆逐するものがいることを、自身の目で確かめたかった。

 だが。

 少女は汗を浮かべ、身体を震わせ青ざめていた。元より白い肌から、さらに血の気が引いていた。

 

「……そうか。わかった。アイツだ……」

『アイツ?』

「やたら強い魔物です。一度こっちを見つけたら、しつこく襲ってくる」

 

 ウチカビは思い出す。最初の小部屋から出るときにも、少女はある強い魔物におびえていた。何度も殺されかけた、とも言っていた。

 それが、この先にいる?

 少女はしばらく動けずにいたが、やがて声を絞り出した。自分を落ち着けようと努めている様子だった。

 

「……行ってみましょう。逃げることを念頭に置いて、あなたの目から判断してください。倒せるかどうかを」

『わかった』

 

 ウチカビは音を立てず、鞘から刃こぼれだらけの剣を引き抜いた。

 獣の悲鳴がしたほうに向かって、二人はゆっくりと進んでいく。少女の表情には、強い緊張が表れていく。

 そして、あまり広くはない空間に出た。

 

 何かにめった刺しにされた魔物の死体が、地面に転がっている。やがてそれは光の粒になって消え去ったが、凄惨な死にざまは目に焼き付いた。

 ウチカビは、『魔術師』の遺体にあった痕跡を思い出す。同様の刺し痕でローブはボロボロだった。おそらく同一犯。

 

「っ……!」

 

 二人は、魔物の死体の先にいた、大きな影を見やる。

 “アイツ”は、少女の漏らした呼吸の音に、ゆっくりと振り返った。

 

 そこに立っているのは、人間の死体だった。

 それが見たままの事実だ。鎧を着た死体が動いている。ただし、ウチカビとは多くの点で違っている。

 それには、腐りかけているものの肉体の残りがあり、大柄の男性とわかる体格である。形を保っている右腕には、まったく劣化していない一振りの(つるぎ)を持っていた。

 形相は髑髏(どくろ)よりずっと恐ろしい。顔の半分が消えてなくなっていて、もう半分は皮膚が剥がれ落ちている。生前の人相が分からない。

 だが、いま、たしかにそれと目が合った。

 残っている右目が、ぎょろ、と二人を睨みつけていた。

 

『あ。ああ。あああ。』

 

 まさに死霊のものというべき、おぞましい声がした。

 

『ああ。ああ! ああ!! ああああああ!!! えいえん。えいえん。えいえん。えいえんんんんん』

 

 腐りかけの死体――屍の剣士が、襲い掛かってくる。

 

 ウチカビは対処について思考・判断し、すぐに少女を守るように立ちふさがった。屍剣士の目が、ただ少女だけを見ていることに気づいたからだ。ウチカビには一瞥もくれていない。

 骸骨剣士が構えると、屍剣士もまた右手の剣を振りかぶる。やはり背後の少女に視線を注いでいるが、障害を認め、排除するという意識はあるようだ。

 ウチカビは『逃げろ』と念の声をあげた。まず少女には退いてもらう。その間、屍剣士に斬り合いを挑む。もしも真っ向勝負で打ち破ることができれば、それが最良。

 対決が始まる。

 二つの剣はぶつかり、暗闇に火花を散らした。

 

『―――。』

 

 そしてウチカビは、たった一度の交叉で理解する。

 (ぶき)の出来が違う。生きていた頃の技量が違う。どちらも自身(ウチカビ)よりはるか上。

 一秒後、こちらのなまくらは折れる。剣士だからこそ、それがわかった。

 反射的に、敵の剣を後ろにいなすという判断が浮かぶ。だが、ウチカビの後ろにはまだ少女の後ろ姿があり、屍剣士の目はやはりそれを追っていた。

 武器を捨てることを選択。ウチカビは音声にならない雄叫びをあげ、剣を強く降り抜いた。刀身を弾かれた屍剣士が数歩ほど後退する。ウチカビの剣をヒビが走り回る。

 ウチカビは剣が健在であるように構えつつ、撤退の姿勢に入る。すぐに振り返って少女を抱え上げるべきだったが、逃げられるだけの隙をつくったという確信がなく、屍剣士の様子を注視した。

 すると。

 そのとき、ウチカビは息が止まるような感覚を覚えた。もとより呼吸などしていないが、それでも彼はそう感じた。

 屍の剣士は、刃など届かないその場所で、剣を脇から振りかぶっていた。

 

『バカな』

 

 その剣が振り抜かれたとき、ウチカビの身体は、“斬撃”によって吹き飛ばされていた。

 宙を行く浮遊感の中、『この剣技はなんだ』と、ウチカビの魂が思い出せない知識を探そうとする。かろうじて拾い上げた記憶の反応は、『これは達人のもの』ということと、『しかしこんなものではないはず』ということだけ。

 かたかたと転がされる。反射的に防御はしたものの、刃はその中央から折れ、骨身の一部が砕けている。肋骨を覆う軽鎧には斬撃のラインが刻まれている。『とはいえ、致命的ではない――、』と、そう考える。

 左腕を飛ばされていた。それを支点に立ち上がろうとしたウチカビは、無様にも再度、地面に崩れ落ちた。

 

 ウチカビは斬られた。圏外であるはずの位置から。

 狂い果てたそのさまには似つかわしくない、神業だった。

 

「ウチカビ! い、いま、治して」

『!! ダメだ――』

 

 白い少女は、目の前まで飛んできたウチカビの状態を認め、そばにしゃがみこんだ。身体を修復するためだ。

 しかし、それは悪手だ、とウチカビが異を唱える間もなく。

 二人に、大きな影が落ちていた。灯りのない闇の中でも、それは影だった。

 影、すなわち屍剣士は、右腕を高く上げた。

 つられるように少女もまた、身体を庇うようにして、腕を上げた。

 刃が振り落とされる。

 

「あっ」

 

 ウチカビの眼窩は暗闇を見通し、白い少女の血が、赤いことを知った。

 

「あっ、あ、はっ、あぁ」

 

 少女の左肘から先が、地面にぽとりと落ちる。戦士のものとは全く違う、細い腕だ。

 ウチカビは、思考を放棄した。

 瞬時に起き上がり、骨の身体に負ったダメージを忘れ、折れた剣を強く二度振った。それを防御した屍剣士を大きく吹き飛ばす。刃が砕け散る。

 柄を投げ捨て、少女の身体を優しく抱えあげようとする。左腕がないため、抱え方を考える。

 

「う、う、腕。ひろって。うで……」

 

 自分の骨の腕には目もくれず、少女の左腕を拾い上げる。右腕と胴体で少女の身体を保持し、ウチカビはその場からの離脱を試みる。

 

『ああぁ。あー。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん』

 

 走り出したものの、後ろからは屍霊の声、鎧の足音が離れず追ってくる。

 ウチカビは、足が速いと言われていい気になっていた、と内省する。あれの執拗さは、泥人形などとは比べ物にならない。

 揺れが少女に与える負担が頭をよぎる。通常の人間と同じく肉体に血液が巡っていて、それが流れ出てしまっている以上、少女の負傷はただ事ではない。

 

「そ、そっ、そこのっ、そこの、部屋に」

 

 少女が声を発し、右手で小部屋の入り口を指した。例によって木製の、後付けの扉であり、逃げ込み先に欲しい条件を満たしていない。

 

『追い込まれるぞ』

「けっかい、あるから」

 

 ウチカビは小部屋に入り、素早く扉を閉めた。すぐそこに屍霊は迫っていた。『えいえん』。まだ声が聞こえてくる。

 

封鎖(セグス)

 

 少女がかざした右手が淡く発光し、扉の木目を光が走った。

 

『………』

 

 声がしなくなり、扉の向こうにいるはずのものの気配自体が消える。まだそこにいるはずだった。

 少女の結界は、こちら側とあちら側の気配を断絶するものらしかった。ウチカビは少女を下ろし、しばしの間緊張を強く持っていたが、扉が破られることはなかったし、ノックの音もなかった。

 少女の治療に意識のすべてを割く。ウチカビは流血を止める処置を施す途中、少女が小さく声を漏らしていることに気づく。

 

「さわら、ないで。うで、ください」

『失血で死んでしまう』

「う、うで。まじゅ、まじゅちゅで、くっつけ、ます。きれいに、斬られたから、きっと、だいじょうぶ」

 

 ウチカビは少女の左腕を持ち上げ、本人のその切り口に近づけた。

 少女が右手を動かそうとする。ぷるぷると震え、力の入らない様子だ。ウチカビは意図を察し、少女の手を取った。それを傷に近づけていく。

 

「い、痛い……痛いんです、このからだ」

『ああ』

「すごいでしょ。ねえ。いたみがあるんだ。いたい……」

『わかった。落ち着いて治そう』

 

 ぼろぼろとこぼれた涙が、少女の赤い血に塗れた服をさらに濡らす。しかしその顔には、玉のような汗だけではなく、うっすらと笑みが浮かんでいる。高揚状態にあると考えられた。

 

回生(フューム)

 

 ウチカビには理解できない単語を少女がつぶやくと、切り離された腕と腕が接着していく。

 徐々に流血はなくなり、傷口も消えていく。しばらくして、少女は身体の力を抜いた。

 ウチカビが彼女の両腕を下ろしてやる。見た目には、元通りになっていた。そのまま左腕を注視していると、ぴくりと、指先が動いたのがわかった。

 

『見事な星法だ』

「……血と……魔力が、足りないので……しばらく、休みます……」

『わかった』

 

 少女は荷物入れから小瓶を二つ取り出し、中身を口にした。どちらも怪しい色の液体であったので、ウチカビは、顔があったのなら眉根を寄せていただろう。

 そして少女は、部屋の岩壁に背を預け、目を閉じた。

 ちょうど、ウチカビが彼女を見つけたときと、同じ姿だった。

 

 

 ウチカビは眠らない。少女が休んでいる三日三晩の間、彼は暗い眼窩の内で、あの剣士の動きを反芻していた。

 

「で、どうしましょう。アイツ、まだ近くにいると思うんですよね。というかそこにいるかも」

 

 少女の顔色、肌の色はすっかり元の状態、のようにウチカビには見えた。しばらく様子は見るべきだが、危機は脱したらしい。

 ウチカビは、あの屍霊への見解を述べる。

 

『同等の武器が――いや、頑丈な剣があれば、あれを壊せると思う』

「ほんとうですか? アイツを?」

『ああ。だが、そんなものは手元にない。逃げ切る段取りを練っている』

 

 少女の言っていた通り、あの剣士はやたらと強い。生前は(・・・)。実際に剣を交えたウチカビは、今では少女以上に、その脅威の度合いを理解していた。

 現状では、あれを滅するのは不可能だろう。とはいえ討伐が目的ではないため、出し抜けさえすればいい。

 しかし少女はウチカビの言葉を聞き、倒す方向に興味を持ったようだった。

 少女は、首だけを動かし、細い肩ごしにウチカビに視線を投げた。それから、話しながら振り返る。

 

「同等の武器と言いましたが、アイツの持っていた剣は、どの程度のものなのですか」

『鎧や肉体が朽ちかけているのに、刀身には錆びつきも、刃毀れのひとつもなかった。美しさすらある。どう見ても特別製だ』

「特別製……」

『刃のぶつけあいになってしまえば、あのなまくらでなくとも、たちまち折られるだろう。名のありそうな剣だし、膂力でも負けている。なんせ向こうは肉付きがいい』

 

 ウチカビの言葉に、少しの熱が乗る。

 

『だがもし、それで折れない剣があれば、次は倒す自信がある。その算段はついた』

 

 少女は腕を組み、「う~ん」とうなり声を漏らした。胸が両腕で隠れる。

 いくらウチカビが語ろうと、そのための手段はないのだ。

 

『……頼りない護衛ですまないな。達人は、木の棒で名剣と打ち合って見せるそうだが、俺はそうではなかったらしい』

「いえ。………。」

『ところで、何故今日は裸なんだ』

「ん?」

 

 ウチカビは先ほどから少女を見ていない。理由は、彼女が今朝から、室内を裸でうろついているためだ。

 下ははいている。

 

「服が血で汚れて気持ち悪くなっちゃったから、洗濯中です」

『そうか』

「あれ。……ああ! そうだ、ウチカビは男性でしたね」

 

 少女は、少女らしい声で話しながら、ウチカビの後ろにやってきて、にやにやといたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「どうですか、わたしの身体は。ふつーの女性と比べて。ね、こっち見てください」

 

 骸骨が、チラっと少女を見た。すぐに視線を逸らしたが、腰に手を当ててドヤ顔をしていたのはわかった。

 

『いいと思う』

「そうでしょう、そうでしょう。顔だけじゃなくて身体も自信あるんです。ありがとうございます」

 

 『魔術師』は、機嫌がよくなった。

 自分の手で造ったものを他人に自慢する快感と、それを称賛されたときの快感である。

 

「――この身体に、傷がつくなんて。とても、良くないこと、ですよね」

 

 

 数時間後、二人は支度を整え、扉の前に立っていた。

 少女は五体満足だが、ウチカビに左腕はない。

 ウチカビは少女に断りを入れ、身体を抱えようとした。

 

「ウチカビ。強力な剣があれば、あれを倒せる。それは確実ですか」

 

 少女はウチカビを見上げ、そう言った。表情からは平時の愛想が抜けている。

 ウチカビは考え、返事をした。

 

『勝つための条件を正確に言うと、『剣が破壊されないこと』と、『君が周囲にいないこと』だ』

「『両腕がそろっていること』は、必要ない?」

『ああ。そこは問題ない。相手も、左腕はちゃんと動いていない』

 

 屍の剣士が少女を襲おうとせず、己だけに向かってくるという場合なら、勝負(・・)になる。そうでなければ護衛(・・)になる。この二つはまるで違うものだ。前者の状況にするためには、はなからウチカビ一人で相手に臨むのがいい。

 ウチカビは話しながら、自らに未熟さを感じた。真に強い者ならば、背に少女を守りながらでも、敵を討滅してみせるのだろう。そう考える。

 ウチカビの返答を聞き、少女は硬い表情を崩した。薄く笑ったのだ。

 

「わかりました。その条件なら満たせます。だから」

 

 少女が、自身の胸の前に両手をかざす。

 そこから起きたのは、非常に不可思議な現象だった。

 少女の内側から、“剣の柄”が現れた。胸の中心からゆっくりと伸びてきたそれはまるで、少女という形の鞘に納められているかのようだ。

 

「これは、『魔術師』がわたしに埋め込んだ“心臓”。わたしを動かすために必要なものですが、元は、強い力を有する“魔剣”です」

 

 ウチカビは少女の言葉通り、柄しか見えない状態でありながら、その剣の力を強く感じていた。

 どくん、どくん。自身にはないはずの鼓動が聞こえ、なにかの脈動を感じるのは、これが少女の心臓だと知ったからだろうか。

 

「おそらく、武装としての性能は強力無比……のはず。しかしこれを取り出せば、わたしは動けなくなります。自分の足で逃げることすらできなくなる」

 

 少女が、ウチカビの右手をとった。血のめぐっている者の温かさ、すなわち体温がある。

 骨の右手が、剣に誘われる。

 

「ウチカビ。わたしはあなたに、心臓を託すのです。戦って、完膚なきまでに勝って、返しに戻って来てください」

『承知した』

 

 ウチカビは、柄を握りしめた。

 その瞬間、魂の内側で、何かが目覚めるのを感じた。

 少女から剣を引き抜く。刃がこの世界に現れるほどに、少女のまぶたが落ちていく。

 ウチカビは、刀身のすべてを抜き放った。

 その(いろ)を見る。青黒い、あるいは、暗い剣だった。

 夜、家へ帰るときに通る、石造りの道路のような。生きている世界にできる影のような。本来あるべきものが抜け落ちているような。

 

 少女の身体から力が抜け、ふらりと揺れる。

 ウチカビには左腕がない。剣を地面に突き立て、少女を支えた。

 眠っている、のではなかった。呼吸がない。言葉通り動かなくなった少女は、まるで人間から人形に戻ってしまったかのようだった。

 けれど、少女はたしかに生きている。さっきまでの、魂をもって動いていた様子を、ウチカビは覚えている。

 そもそも自分が動いているのは、少女の力によるもの。そのための力ごと託したのだろう。

 ならば、無事に返さなければ。

 

『それに』

 

 ウチカビの思うに。少女は動いていないときより、表情があるときのほうが魅力的だった。

 

 

 扉の外。やや離れたところであったが、視界内に、倒すべき敵はいた。

 はじめの邂逅の再現のように、緩慢な動きでこちらを振り向く。

 

『あ。あっ。あっあ。えいえん。』

 

 敵の目は、今度はウチカビだけを見ていた。

 違う。ウチカビの、剣を見ていた。剣はまるで彼の肌のように、その視線を感じていた。

 

 屍の剣士は、美しい剣を構えた。

 

 戦いの中、何度も刃がぶつかり合う。まともじゃない剣では、否、まともな剣では、この剣戟に耐えられなかった。

 屍剣士の攻撃は単なる粗暴ではなく、確かな剣技であったので、これに決定的な隙をつくるためには、自らも剣による防御をしなければならない。ウチカビはそう感じていた。

 いま、刃が交差した数は十を超えた。これはウチカビの未熟さだ。少女の魔剣でなければ、とうに破壊されていただろう。

 剣の性能に甘える形になるも、徐々に、ウチカビは勝利への確信をさらに高めていく。

 勝機のにおいが、仮想の肺を満たす。

 

 おかしなことに、ウチカビには、屍剣士の攻撃の流れが詳細に予測できた。三日三晩これと想像上で戦ったせいだろうか、とウチカビは思う。

 突然そこに、『けど、わかっていても返せないんだ』という思考が自然と浮かんでくる。しかし現実はそうはならず、ウチカビはすべての攻撃を適切に回避、防御していく。そのうち、この思い浮かんだ思考は忘れた。

 敵の攻撃の型を見極め、それらが出そろったと感じたウチカビは、ついに、相手に最も隙を作り出せる行動を選びだす。

 屍が剣を振り上げた。上段から肩に入る一撃。それに合わせ、骨の右腕で渾身の斬り上げを見舞う。打点は敵の持つ刃。

 ぎぃん。

 互いの剣はおそろしく頑丈で、衝撃と音、火花の具合がこれまでで最大にも関わらず、どちらの刃にも欠けはない。

 だが、腐りかけの右腕は、大きく弾かれた。

 最後の一撃。斬り上げた刃を即座に返し、ウチカビは、黒い剣を振り下ろす。

 その際、そうするのが当然のように、剣に己の“星導力”を籠めようとした。

 それは意識して行ったものではなく、彼という剣士に染み付いた習性だったが、今のウチカビの身体に、そのような内在的な力が残っているのかは定かではない。

 しかし結果として。剣が、発光した。

 

『ッ……!!』

 

 瞬間、剣を握るウチカビの右手に、燃え焼けるような痛みが走った。痛覚がないにも関わらず。

 生まれる困惑。しかし剣の光を見ると、すぐに気分が落ち着いた。今この瞬間、剣を取り落としさえしなければいい。

 剣が振り抜かれる。斬撃の軌跡が黒色の光線となって具体化し、前方にあるものを打ち貫く。光は、星のある夜空のような黒だ。

 そして、屍の腐肉を破壊した。

 

 胸から下が散り散りになり、満足に動けなくなった屍を見下ろす。

 

『あ、ああ。ああ……。あうい……』

『……さよならだ』

 

 知識に従い、ウチカビは、屍霊の頭部を破壊した。

 動かなくなるのを見届ける。地下迷宮という世界から、余分な音が消えた。

 勝利だ。

 しかし戦いが終わった今、ウチカビに、高揚感は残っていなかった。

 どこか、寂しさすらあった。彼はそれを、不思議に思った。

 

 

 ウチカビが剣をその胸に戻すと、少女は生き返ったかのように目を覚ました。対決の結果を称賛したのは言うまでもない。

 同時に、やはり心臓が戻ってきたことに、強く安心している様子が見られた。

 『いざとなれば秘密の武器を渡しますが、それは奥の手なので……』

 ウチカビは少女の言葉を思い出し、『なるほど、たしかにこれは奥の手だ。』と思った。今後はあの魔剣に頼る場面があってはならない。そう感じた。

 

「この剣、もらっていきましょう」

 

 少女は屍剣士の遺骸を調査する途中、ウチカビに、それが使っていた剣をよこした。

 持ち主には不誠実な話だが、戦利品として最上のものと言えた。たしかに、彼らの目的のためには持ち去るべきものだ。

 

「これ、本当に名剣ですね。あの黒い剣と打ち合ったんでしょ? それで刃毀れもしないなんて。今後ウチカビも敵なしでは?」

『特別な……星法を使って鍛造した武具がある、という知識がある。おそらくそのたぐいだ』

「へえ」

『……それより、君の、剣は……』

 

 ウチカビがそう漏らすと、二人の間に沈黙が流れた。少女は、きょとん、とした顔でウチカビを見ている。

 

『いや。なんでもない』

 

 少女は、愛嬌のある笑顔に戻った。

 

「ね。あなたの左腕、たぶん少し先に落ちてますよね。とってきてください。くっつけます」

『離れて行動するのか?』

「魔物に襲われたら、大声で助けて~って呼びますよ。それに一応、身を護る魔術もありますし」

『わかった。すぐに戻ってくる』

 

 少女はウチカビの背中に、ひらひらと手を振った。

 

「………」

 

 その顔から笑みが抜け落ちる。少女は、剣士の遺骸の調査を再開した。

 しゃがみこみ、上半身だった部分を手で探る。ぐちゅり、と酷い音が出たが、平気な様子で作業を続ける。

 そして。遺体から、何かを手に取った。

 ソレは、骨のようにも見えた。

 少女は手の上のソレをじっくりと眺める。

 やがて何かに気が付くと、みるみるうちに不愉快そうな顔になっていった。ソレを魔術で洗浄し、そのまま荷物入れにしまった。

 

 少女は立ち上がり、故人の痕跡を見下ろす。

 両手を組み、魂の安寧を祈る仕草をしたが――、

 

「チッ」

 

 徐々に表情を歪ませ、少女は、その遺骸を強く踏みつけた。

 屍霊が、こだわり抜いて設計したこの身体を欠損させたからだ。

 そのまま何度か、子どもが駄々をこねるように踏みつけを繰り返す。

 たとえこの人物が、『操られた哀れな犠牲者』だとしても、それを足蹴にしてはならないという道徳心より、いらだちが勝った。

 

 



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04. 地下迷宮へ

「銀騎士ツェグ・ラングレン。

 星騎士エクス・“レーヴァテイン”。

 星騎士カムリ・“ミスティルテイン”。

 あー、星法士プラチナ。あなたたちに、任務を与えます」

 

 狭い導力車の中、プラチナは渋い顔で渋い声を出した。モノマネである。

 

「何。何何何」

 

 真正面、至近距離から幼馴染の奇行を目の当たりにし、エクスは困惑した。その横にいるカムリは無表情。無視だった。

 プラチナは表情と姿勢を崩し、座席に背中を預ける。窓から外の、流れていく景色に目をやりながら、対面に座る星騎士たちに話題を振った。

 

「いやぁほら。ふたりとも、いいなぁと思って」

「何が?」

「エクス・レーヴァテイン。カムリ・ミスティルテイン。立派な名前……家名? もらっちゃって。わたしだけ星法士プラチナ。おわり」

「……プラチナ」

「………」

「ひとりだけ名前短いのメッチャおもしろくて、大星官の前で笑いそうになった」

 

 カムリとエクスは会話の中で幼馴染を心配したが、すぐに心配をやめた。

 

「まぁ僕らが頂いたのは、家名ってわけじゃないんだけどね」

「頂いた? つけられたのは、だろ。記号みたいなものだ」

「ふうん。かっこいいけどな」

 

 星騎士には星騎士の事情があるようだ。プラチナは二人の顔色を眺め、詳しく聞いてみるかどうかを考え、そうしないことにした。

 話題の行先をややコントロールする。

 

「ともかく。なーんか二人が大きくなりすぎて、ちょっと寂しいかも。ほら、私たち、親無し名前なし仲間で、その……。姉弟みたいなものだったから」

 

 これはプラチナの本心だ。お互いに家の名は、実の親ごと失った。しかしだからこそ、血のつながりに囚われないこの仲間たちのことをこそ、家族だと思っていた。

 そしてそれは、彼らにとっても同じことだ。

 

「そうだな。俺たちは兄妹だった」

「これからも兄妹だよ。何があっても、それは変わらない」

「カムリ、エクス……」

 

 三人は微笑み合った。各々、自分こそが年長者の立ち位置であり、他の二人は手がかかる弟妹という認識であった。

 微妙なすれ違いに気づかないまま、彼らは互いの親愛を感じ、ウフフ……、アハハ……、と一分ほどやった。

 

「それにしても、この導力車っていうのはすごいね。馬もいないのに、勝手に車輪が動くなんて。僕これ欲しい。歩き旅したくない」

「わかるぅ」

「勝手に動くんじゃなくて、星導力で動かしてるのよ。しかも大量に必要みたい。一人旅なら使わない方がいいんじゃない」

 

 新しい話題。前の話題の雰囲気を引きずっているカムリが、エクスに合いの手を入れた。しかしプラチナは賛同しない。

 プラチナは、カムリとエクスの背後に視線を送る。

 

「それにさ……。あれ、あんたたちにできるの」

 

 男二人が後ろを向き、客車前方の小窓から外を覗くと、そこには“運転士席”がある。

 馬車でいう御者台にあたるそこでは、座席に腰掛けたツェグがいる。彼は常に丸い輪を握って行先を操り、さらに時折、操作機にたくさんついた取っ手や、足踏みペダルまで操作していた。

 手順が複雑すぎて、とても動かせる自信がない。カムリはそう思った。

 

「無理です」

「そうかな? 練習すればできそうだけど」

「……あ。ねえ、いいこと思いついた」

 

 プラチナが明るい声を出す。二人は体勢を戻し、少女に向き直った。

 嬉しそうな顔だ。

 

「二人とも旅の足が欲しいんでしょ。なら、いつかさ、三人で旅に出ない? 導力車を使って、運転はみんなで交代しながら。ペリエを出てうんと遠くまで……ううん。世界中を全部まわるんだ。……どう?」

 

 話していく中で、熱く語りすぎだと感じたのか、プラチナは頬を赤らめ、上目遣いになっていった。

 

「途中からずいぶん壮大になったな」

「ちょっと盛りあがっちった」

「その話、いいね、プラチナ」

 

 エクスから返ってきた言葉に、プラチナは顔をほころばせた。

 対照的に、“星騎士”であるカムリはわずかに眉をひそめる。カムリとエクス。二名の星騎士が旅路を長く共にすることは、その任務の性質上許されていない。

 

「エクス」

「僕かカムリのどちらかが、星騎士でなくなればいいだけだろ? 十分実現可能な夢だと思うな」

「それはそうだが。……まあ、構わないか。賛成。賛成します」

「プラチナ。すぐには叶わないけれど、待っていてくれる?」

 

 プラチナは、二人の顔を順に見た。やがて、幼馴染だけに見せる、一番の笑顔になる。

 

「楽しみにしてる。何年経っても、待ってるからね!」

 

 

 導力車が止まる。地下迷宮の攻略に挑む騎士たちは、この日、ある民家にたどり着いた。

 ただの民家とは言えない。ツェグが先頭に立ち、意味不明な言葉を口にすると、そこで初めてこの建物の存在を認識できるようになった。隠ぺいの星法、あるいは魔術がかかっていたのだ。

 町や村からは遠く、魔物の姿すら周辺にある。家を建てるには適していない立地で、ペリエ市を遠く離れたことがないプラチナには、存在が不自然にも思えた。

 しかしその怪しい家に、騎士たちは平気な顔で足を踏み入れていく。プラチナは彼らの背中を、慌てて追いかけたのだった。

 この家屋の実態は、『役人の詰め所』だ。迷宮を監視し探索者の出入りを管理する、という仕事を与えられた役人たち。その職場。国内で発見された迷宮の多くには、これが付き物となっていた。

 しかしながら現代では人員が配置されておらず、このように、もっぱら迷宮の探索者の拠点として使われている。

 

 やがて日も完全に沈み、夜がやってきた。騎士たちは、安全圏としての条件を整えたこの家屋で一夜を過ごし、英気を養う方針だ。

 夕食は、ツェグが作った温かいスープ。

 またしてもツェグ、であった。迷宮の事前調査、導力車の運転、食事の用意まで。恩義あるツェグにいいところを見せたいと思っていた三人は、なんと、あらゆる仕事を彼に取られてしまっていた。

 

「お前たちは食べていてくれ。外を巡回してくる」

「は? いやツェグ……! それは俺が」

「わたし! わたしが!!」

 

 そして今、ツェグは若者たちに無言を返し、外へ出ていった。

 彼らは食卓のスープを囲み、眉根を寄せた顔を突き合わせる。

 

「居心地悪くないか?」

「わたしたちもう大人なのに、こう手取り足取りされると……あとなんか、機嫌悪くない?」

「現場ではバリバリ働いてくれよっていう、ツェグなりの激励かも。……冷めたらそれこそ悪いし、食べちゃおうか」

 

 エクスが小さく天を仰ぎ、食事前の祈りをする。二人もそれに続き、スプーンを握った。

 

「ん! おいしい~。ほんっとツェグは、料理も完璧とか、何なら苦手なのよ」

「………」

「カムリ?」

「なんか、変な味がしないか」

 

 カムリは味覚に小さな違和感を覚えたが、幼馴染の二人はきょとんとしている。

 やがて、プラチナの顔が、人をからかうときのものに変わっていく。

 

「なに、星騎士様になっても野菜嫌いなの? あららぁ」

「はぁー? 好き嫌いなんて贅沢なこと、したことないが」

「ああ。カムリが野菜嫌いなの、養護院のみんなの常識だったよね。顔見ればわかるし」

 

 幼馴染たちにバカにされながら、カムリはスープをかきこんでいった。

 違和感は気のせいだったのかもしれない。優しさを感じる味で、身体が芯から温まった。

 

 

 朝。拠点を出る際、プラチナが机上に一枚の絵を置いていくのを、カムリは見た。

 小さな絵で、木の枠にはめられている。

 

「それは? 何の絵だ」

「絵じゃない、“写真”だよ」

「写真? なんだそれ」

「見たらわかるよ、ほら」

 

 手渡されたそれを覗き、カムリは驚いた。

 絵というには、そこに描かれた景色が、まるで現実の光景をそのまま切り取ったかのように精巧だったからだ。

 “写真”の中には、たくさんの子どもたち、そして養護院の大人たちと、エクス、プラチナ。そしてカムリ自身がいた。

 場所は養護院の中だ。みんなが笑顔で、送別会の準備をしている。子どもたちは飾りつけをしたり、食事を運んだり、駆けまわったり。カムリはプラチナに背中を押され、追い出される寸前だ。

 

「送別会のとき、魔術屋さんを呼んで撮ってもらったんだ。こうやって、見える景色をきれいに写し取る精霊さまがいるんだって。もう町で評判でさ」

「そういえば、部屋の端で何かやっていたな……。というか、教会の星法士が、魔術屋のご利用なんかしていいのか」

「いいっしょ別に。邪法ってわけじゃないんだから」

 

 カムリは写真を眺めるうちに、心に温かいものが生まれるのを感じた。自分の守るべきものを再確認したのだ。

 写真を返す。プラチナは、やはり、それを机上に立て置いた。

 

「置いていくのか? ……大事なものじゃないのか? 俺がもらいたいくらいだ」

 

 プラチナは笑顔をつくる。だがそれは、若干の憂いを含んでいた。

 

「迷宮から戻ってきたときに、また持っていくよ。それまではここに置いてく。大事なものだから。わたしたちが、ここにいた証拠だから」

 

 カムリはプラチナの意図を察した。

 少女は、万が一の、帰ってこられなかった場合のことを考えている。

 

「ずいぶん弱気じゃないか。強いんだろ、プラチナは」

「……なんか、ちょっと怖くて。普通の任務じゃない気がする」

 

 たしかに異例の任務。だが、不安に思う必要はない。カムリには自信と、それ以上に仲間への信頼があった。

 カムリは、勇気づけるようにプラチナの肩に触れた。

 

「この面子なら、大迷宮ひとつ潰しておつりがくる。……プラチナ、君には俺たちがいる。大丈夫だ」

「……うん。それに、カムリにだって、わたしがいる。そうだよね」

「おう。頼りにしてる」

 

 プラチナは、ようやくいつもの調子を取り戻した。

 

 カムリが扉を出る。

 そこについていく前に、プラチナはひとり、家の中にあった星神(ホシガミ)の像に、祈りを捧げた。

 

 外では騎士たちが、『魔術師』の迷宮へ進入する前の、持ち込む物の点検を行っていた。

 愛用の軽鎧に身を包んだカムリは、頭部をすべて覆う兜を被った。これは星騎士となったときに与えられた特注品で、視覚と聴覚を制限しないという不可思議な星法が施されている。

 見れば、エクスも同様に兜をしていた。カムリのものとは意匠が全く違っているが、機能は同じだろうと思われた。

 

「大星官様から賜ったものは身に着けたか」

 

 カムリは、ツェグに声をかけられた。

 「これか」と、カムリは右腕を持ち上げてみせる。軽鎧とデザインが地続きでない、新品の籠手(ガントレット)だ。

 装着者の星導力を強化する特別なもの、という話だった。しかしカムリは見た目が気に入らないと感じており、任務が終われば外すつもりだ。届けてくれたツェグの手前、今回は装備している。

 エクスも同様に、大星官からの贈り物を身に着けていた。炎の属性を強化する首飾りだ。暗い青色をした宝石が、中心に()まっている。エクスはそれをツェグに見せたあと、鎧の内側にしまった。

 

「失くさないように注意しろ」

「わかってるよ」

 

 ツェグはカムリから離れた。カムリは兜の内で、その姿を目で追う。

 銀騎士に支給される鎧に身を包んでいるが、兜はしていない。剣士としての戦闘に支障があるからだろう。

 ツェグ・ラングレン。『鉄の剣聖』というあだ名は、カムリが知り合った本国の騎士たちにも通じた。まるでこれが、彼に与えられた称号であるかのようだ。

 ツェグは、銀騎士という等級の中では、最上位を争う腕前の剣士だと名高い。しかし長らく最下位である鉄騎士の地位にこだわり続けた時期があり、それが『鉄の剣聖』の由来だという。

 本来、星騎士となるべき実力と功績を持っているが、立場による縛りを嫌い昇格を断っている……という噂だ。

 ちなみに、カムリが本人にその話について聞いたところ、「星騎士たちがしている兜がなんか嫌」と言っていた。

 

「おまたせ~……うおっ! いかつい奴らだ!」

 

 後からやってきたプラチナは、兜をした二人の姿を見て面白がった。

 

「おい、からかうなよ。これが正装なんだ。好きで被っているんじゃない」

「え、僕は気に入ってるけど……」

「お前のはまぁ、似合ってるよ。かっこいいよ」

「どっちも! どっちも似合ってるよ! 騎士って感じ」

 

 プラチナは最初こそ揶揄(からか)う物言いだったが、二人を見る目つきからして、どうやら興奮している様子だ。カムリは、素直に誉め言葉として受け取ろうと思いなおす。

 

「ふっ。あのクソガキどもが、立派になったもんだぜ……」

「そういうお前も、星法士らしい恰好だ」

「準備はできているか」

 

 三人の様子を見計らってか、ちょうど点検を終えるタイミングで、ツェグが声をかけてきた。

 

 星天教会に所属する四名に与えられた今回の任務は、『魔術師』の討伐だ。

 そのためには、『魔術師』が潜むという地下迷宮を進まなければならない。彼らの本職は迷宮の探索者ではないため、困難な道となる。

 しかし、ツェグ・ラングレンという人物がいれば、その厳しさも軽減されるだろう。一介の騎士とは呼べないほど、彼は多くのことに精通していた。

 

 拠点からしばし徒歩で移動した地点。頭上を仰げば天然の岩山がそびえたつ、その足元となる箇所に彼らはやってきた。今、目の前には、ただの岩壁が広がっている。

 そこをツェグが探り、なんらかの仕掛けを作動させる。

 岩壁に施された隠ぺいの魔術が解けていく。拠点にかかっているものに似ていたが、それより一段階強力なものだ。

 騎士たちの前には、地下洞窟への入り口が開いていた。

 

「不死属のにおいがする」

 

 エクスが低い声でつぶやく。彼はある事情から、不死属(アンデッド)の類に対して敏感な騎士だ。

 ちり。

 場に漂う空気が、乾いていくような感覚。エクスの感情の動きに伴う、彼固有の星導力の発露を、カムリは感じ取った。

 カムリは息をのんだが、プラチナはそこに、のんきな声を差し入れた。

 

「それって、くさいってこと? いわゆる腐臭?」

「……まぁ、そんな感じ」

 

 エクスの放つプレッシャーが霧散する。

 

「………。敵は死霊術の使い手、だったか。死霊の相手は得意だ」

「お。どっちがいっぱいやっつけるか、勝負するかい?」

「いいとも」

「野蛮な遊びだなぁ」

 

 三人は軽口をたたき合う。実力からくる余裕であり、しかし、砂粒ほどの恐怖と不安を紛らわすためでもあった。

 大星官が、これほどの人員を差し向ける敵。ツェグの情報では、強大な死霊術の使い手であり、したがって無数の戦力を有している可能性があるという。

 それが、この闇の奥にいる。

 

「戦闘はお前たちに任せる。いいな」

 

 そのうち、ツェグから、三人にとっての念願の一言がかかった。

 

 

 ペリエ市南方、隠された地下迷宮。その浅層、大空間にて。

 迷宮には、恐ろしいほどの死霊・魔物が待ち受けていた。それは量も、質もだ。一般的な迷宮の比ではない。何者かの陰謀がここで渦巻いているのは、もはや確実だ。

 熟練の戦士たちが名を連ねる探索者の集団ならば、緒戦の時点で撤退する。それが賢明だからだ。

 それほどに、ここは死地だった。死霊のたぐいが多いことも相まって、とてもこの世の光景とはいえない。

 

 ――その恐ろしい死の群れを、星騎士エクス・“レーヴァテイン”はひとりで焼き払っていった。陰惨な暗闇を、紅蓮に塗り替えていく。

 彼が鞘から抜き放った剣は、まるで刀身が、炎そのものでできているかのようだ。

 

「もうあいつひとりでいいんじゃないかな」

 

 プラチナが展開する光の防護膜の内側で、残りの三人はそれを眺めていた。

 

「そうだな。まだまだウォーミングアップだろうし」

「えっ。あれで」

 

 魔物を次々と斬り燃やす様子は、普段の柔和さが嘘のように苛烈だ。

 しかし動く速度はエクスの全力には程遠く、“剣”のほうにも当然、“(かせ)”をかけたままだ。同じく剣使いの星騎士だから、そして、半生をともに高め合ってきた男だから、カムリにはそれがわかる。

 とはいえ、消耗を一人に押し付けるのも上手くない。そう考えたカムリは一歩動き出す。

 カムリという青年は、仲間想いで、見栄っ張りで、負けず嫌いだった。

 

「おおい、エクス! そろそろ交代しないか」

 

 相手が頷いたのを見て、脱いでいた兜を、再度身に着ける。

 防護の陣を出る。

 星騎士カムリ・“ミスティルテイン”は、自身の名にも背負うその(つるぎ)を、鞘から抜いた。

 

 

 聖剣ミスティルテイン。

 その白い刃は芸術品のように美しく、また、永久に欠けることがないと言われる。

 

 

 

 



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05. silver

「うわ!」

 

 生者のいない地下迷宮には、少女の高い声はよく響いた。

 ウチカビが振り返ると、少女は地面に尻餅をついている。またしても(・・・・・)転んだのだ。先ほどから、均しが甘い道を進んでいるためだろう。

 ウチカビは歩み寄り、痛がる少女に手を差し伸べる。少女はその手をしばし眺めたあと、それに頼らず、不機嫌そうな顔で自ら立ち上がった。白い服についた汚れをはたき落としている。

 

『手でも繋ごうか』

 

 冗談と本気の割合は、半々といったところだ。

 ウチカビは少女に対し、その庇護欲をそそる姿に相応の愛着を抱いている。彼の心に人間性が残っている以上、自然なことだ。

 

「……子ども扱いはやめてください。こう見えて、見た目ほど少女でもない。いずれ悔みますからねっ」

『わかった』

 

 その訴えには真実が含まれているが、結局のところ、可愛らしくむくれる子どもにしか見えない。実際、ウチカビは少女のことを、微笑ましいところがあると感じた。

 こうした相手の心をほぐす言動は、少女の正体が『魔術師』であることを考えれば、ある種の魔性の女だといえる。『魔術師』は男性だが。

 しかし。

 ウチカビには知る由もないが、少女の肉体は、未成熟な年頃にも見えるがある程度女性的であり、男性であった『魔術師』のものとは使い勝手が違う。

 そして何より、『魔術師』は大変なインドア派だった。悪路を歩きなれていないのは元からのことだ。

 つまり、素で転んでいた。

 

『そろそろ休まないか』

 

 ウチカビは、近くにあった小部屋の扉を指し、意見を言った。

 彼には損耗はあっても疲れはない。しかし、この身体を動かす術者はそうはいかないだろう、という判断はできた。

 少女は首肯した。

 

 

 新たに設けた安全域で、二人は例によって、食事をとらぬままじっとしている。ひとりは骸骨で、ひとりはお人形だからだ。

 現在、彼らは地下迷宮の中層までやってきている。念願の脱出まで、そう遠い未来の話ではない。

 ウチカビは、目を閉じて座っている少女の様子に視線をやる。深い眠りには入っておらず、まだ起きていることを確かめ、ひとつの話題を持ちかけた。

 

『あと数日もあれば、ここから出られそうだが……』

 

 少女が目を開けた。

 

『君は、この迷宮を出たら、その後は何をするんだ?』

「ウチカビに付き合いますよ。自分が誰なのか知りたいんでしょ」

『ありがたい。では、それも終えたあとは?』

 

 どのようにして生きていくのか。市井にうまく混じって生活していくのか、あるいは他にやりたいことはあるのか。

 現在は迷宮からの脱出が目的になっているが、それも今に達成する。むしろ、そこからがスタートだろう。

 ウチカビの問いかけに、少女は。おもむろに、自身の両手をじっと見た。

 

「完成させたい」

 

 何を? 当然のことをウチカビは考える。

 

「この身体を完成させたいんです。例えば、この髪……」

 

 少女は長い髪を手で払う。さらさらと波立ち、高貴な身分の女性にも勝る(つや)があり、真っ白。

 

「この髪には色彩(いろ)がない。この瞳もそうです。さしあたっては、それらが欲しい」

 

 色彩がない。ウチカビから言わせれば少女は『白い少女』だが、それは絵を描く前の白紙と同じものだと、当の本人は言う。

 

「髪の色、瞳の色。それに、服とか、装飾品とか……。()は、この身体を彩り、飾り立てるものが欲しい」

 

 少女は語る。その様子には、人形らしからぬ明確な欲求が感じられた。普段から人間味はあるが、今この瞬間はとくに強い。

 ウチカビの視線に気づくと、少女は頬を紅くして表情を緩めた。

 

「なんて。全部わたしを造った、『魔術師』の受け売りですけどね」

『いい目的だと思うよ』

 

 ウチカビはそれを肯定した。人間が人間として生きていくには、欲求が、目標が必要だ。他人から引き継いだものでもいい。そしてよりよい生を求めるのなら、相応に大きな欲を持つべきだ。

 隣人に迷惑をかけない範疇で。

 

『しかし“髪の色”なんて、どうすれば手に入る? 絵具で塗るわけではないだろう』

 

 少女は、しばし間を開けた。返答の仕方を考えている顔だった。

 

「話は一旦逸れますが。“魔力”、というエネルギーは知っていますよね。魔力は……」

 

 魔力は、その持ち主によって属性(得意な仕事、性質、方向性)が異なり、それはしばしば魔力光の色彩に表れます。種類は非常に多様で、美しいものもあれば、おぞましいものも。

 そしてこの魔力の色彩は、それを持つ人物の髪の、あるいは瞳の色彩と近似する場合があるのです。

 『魔力は髪や瞳に宿る』――、と言う俗説に聞き覚えはありませんか? これは魔術の世界では、実証された真実のひとつです。

 

 ウチカビの記憶が刺激される。

 この知識は持っていたようだ。例えば、赤色の髪を持つものは『赤』の星導力を持ち、青の瞳ならば『青』の星導力を持つ、という話。

 とはいえ、必ずしもそうとは限らず、例外は多い。

 金髪碧眼の人物が放つ星導力の色が、『白』だったとか。

 黒い髪の人物が、高揚状態になると『燃えるような赤』の髪色に変化し、その通りの力を使いだす……といった場面も。

 あった、ような。

 

「話を戻します。髪や瞳の色と魔力がイコールならば、魔力の源になりうるものを、髪や瞳に“格納”すれば、そこに色となって宿ります。この身体は、それができるように造られています」

 

 ウチカビは、地面に転がっている石くれに目線を落とした。赤褐色をした、魔力を含む鉱石だ。洞窟の迷宮にはよく落ちている、くず魔石。

 

『つまり、例えば、赤い……火の属性を蓄えた宝石を見つければ、髪は赤くなる?』

「そうですね。でも……」

 

 少女は指で髪をいじった。石くれを見下ろし、つんと冷めた表情になる。

 

「いい色じゃないなら染める気はありません。そこが重要です」

 

 こじゃれた冗談のような言葉だが、どうやら真剣だ。

 服や装飾品の店にやってきて、品物の前で長いこと黙り込んでいる女性のような顔をしている――、と、ウチカビは思った。

 

『難儀な探し物だ』

「そうなんです。全然気にいるものがなくて」

『よければ手伝おう。いや、手伝わせてもらいたい』

「え?」

 

 ここでようやく、最初の話題に戻る。

 迷宮からの脱出をやり遂げたあと、彼女は何をするのか? それがわかった。

 少女は、少女を色づけるものを探す旅に出るのだ。

 そこに同行するのも悪くなさそうだと、ウチカビは思う。迷宮脱出のために使役されている分際ではあるが、もし、その後も騎士を必要としてくれるのであれば。

 

「……はい。断る理由はありません。よろしくお願いします、ウチカビ」

 

 少女は花のように微笑んだ。

 他人を惹きつけるそれは、自分の容姿をよく知っている者にしかできない顔だ。

 

 

 中層を進む中、分かれ道にあたる。これまでと同様、迷宮の内情をウチカビより知る少女が、道程を決める。

 二人から見て()の道へ進む。少女曰く、どちらに進んだとしても、罠の類がない安全な道とのこと。魔物はいるかもしれないが。

 動くものの気配に注意しつつ、ウチカビは少女の前を進んでいく。

 

 そして二人は、『魔女』に遭遇した。

 

『これは外したな。君は運がないということだ』

 

 その部屋で浮遊していた魔物は、おそらくはウチカビや屍剣士と同じ、人間の死霊のたぐい。

 汚れた衣服は魔術師のいでたち。袖から伸びる枯れ枝のような腕は、異様な長さだ。ローブのすそから足は見えない。浮遊しているため、足は必要としないだろう。ないのかもしれない。

 そして、見事な白銀色の髪。

 死霊のものとは思えないほど美しく、迷宮の暗闇の中で、自ら輝いてすらいた。

 髪の下にある顔は、インクで塗りつぶされているように真っ黒。だから、余計に髪だけが印象に残る。

 以上の特徴から、『魔女』とでも呼ぶのが適当だ。

 

 魔女はふわふわと浮いて、ふたりのほうに静かに顔を向けているのみで、攻撃は仕掛けてこない。

 まだ敵意も感じない。しかし一筋縄ではいかない存在だと、ただ一瞥したのみでわかる。ウチカビは先制攻撃をしかけるかどうか悩んだ。

 実のところ。この時点では多くの選択肢があった。来た道を戻り、右ではなく左の道を行く。魔物の横を何もせず通過する。

 それらのことを思考する前に、ウチカビは、屍剣士から奪った剣を鞘から抜いた(・・・・・・・・・・・・・・・・)。戦闘態勢に入ったわけではないが、警戒の姿勢に移行するためだ。剣士としての性癖。

 この行動こそが一番の不正解だったのだということを、彼は後々まで知ることはないだろう。

 

 ウチカビが剣を手にし、その刀身の全容が現れた途端、魔女は動いた。

 枯れ枝の右手からは『銀の光』、左手からは『どす黒い球』が出現する。魔女が腕を振るうと、二つはまさに砲弾のように、二人のいるほうへ飛んできた。

 魔術による攻撃。それぞれの速度はまちまち。威力は不明。

 ウチカビは、少女を抱えて回避することが、間に合うかどうかを考え、

 

「……? か、らだ、が。動か……」

 

 地面にうずくまる少女を見て、回避の案は廃した。

 飛来する砲弾に対し、素早く剣を構える。

 この速度ならば防御は可能だ。ウチカビは魔術を斬り裂く技術を知っていた。炸裂効果のある砲弾だとしても、それを一拍遅らせることもできる。

 まず、銀の光弾は二人の頭上を越えていった。その軌道から何が狙いかをようやく察したが、ウチカビは動けなかった。

 黒い球が来た。まっすぐに少女、あるいはウチカビへ向かってくる。速度はそう早くないが、得体が知れない。ウチカビはその直径を狙い、剣を振った。

 斬り裂かれる砲弾。そしてそれらは煙のように散り、立ち込める黒い気体となり、二人の身体を包んだ。

 

「――がっ!! かふ!! あっ……」

 

 ウチカビの背後、少女は苦しげな声と、音を出した。それが血を吐き出す音だとわかったのは、生きていた頃にも聞いたことがあったのだろう。

 振り返る。

 黒いもや(・・)は、少女の白い肌に入り込み、侵していた。

 これは毒。生者を殺す、毒の魔術だ。

 

 直後、この部屋にやってきた通路が岩で塞がる。銀の光弾が、入り口を破壊していた。再開通には労力と時間がかかるだろう。

 ウチカビは今度こそ少女を抱えあげた。この部屋の出口はもはや一つ。魔女の向こう側にある通路しかない。魔女はまだ次の攻撃を装填していない。迂回し、全速で駆ければ逃げおおせられる。

 ……いま、そこに銀色の膜がかかった。術者を倒さねば解けぬ、封鎖結界の魔術だ。ウチカビは足を止めた。

 

 一瞬の攻防だった。

 その中でウチカビはいくつかの選択をしたが、それらはすべて間違いだったと内省する。退くべきだった。弾くべきだった。回避すべきだった。真っ先に斬り殺すべきだった。分岐点はいくらでも思いつく。

 皮膚があれば大汗をかいているだろう。ウチカビは生前の自分について、おそらく相当の無能だったのだと結論付けた。

 

『生き伸びられそうか?』

「……心臓の……魔力を使って、自己治療に、専念すれば……。でも、その間……動け、ません」

『わかった。あれを倒してくる。いいか』

 

 ひゅー、ひゅー、と隙間風のような呼吸をしながら、少女はウチカビに目をやった。

 

「お願い、します」

 

 ウチカビは部屋の内部に小さな岩を見つけ、そこの陰に少女を寝かせた。

 肌には黒い斑点のようなものが浮かんでおり、毒に侵されていることがわかりやすい。ウチカビの目にも、少女が強烈な苦痛を受けているのが理解できた。早々に魔女を排除し、落ち着いた場所で治療に努めさせる必要がある。

 せめてこれが、魔女を倒せば消える、という都合のいいものであればいい。そんな願望を胸に、ウチカビは立ち上がった。

 

 魔女はウチカビを見ている。ウチカビが動けば、魔女もそれを追って首を動かした。

 うまく位置取りをすれば、少女に攻撃がいかないかもしれない。ウチカビはそれを考慮しつつ、魔女へ対峙した。

 銀の光弾と黒い毒球。さっきよりも数が増えた。飛んでくるそれらを避け、切り裂き、弾き、ウチカビは前進していく。

 毒球は無視した。死体には効かないものだからだ。何度か喰らってみたが、ウチカビには何の影響もない。

 それを優位性として、ウチカビは魔術の切れ目に、魔女の懐へと飛び込んだ。

 首を目掛け、白刃が閃く。

 

『!?』

 

 硬い手ごたえに、腕が痺れる感触を覚える。

 銀色の防護膜が、魔女の身体を守っていた。ウチカビの技と上物の剣を、全く通さない。

 何度も攻撃を繰り返す。そのどれも、魔女の本体に刃を届かせることができない。銀の光には、ヒビや傷のひとつも生まれない。あまりにも隔絶した魔術だった。

 気づけば、魔女の頭上に十分な数の光弾が出現していた。すべてが銀色。毒が効かないことを悟り、攻撃の種類を限定したのだ。

 弾丸は雨となり、ウチカビに襲い来る。たまらず、彼はその場を離脱した。

 

『こいつ、無敵か……』

 

 距離をとったウチカビはつぶやく。情けない言葉が出るものだ、とも思った。

 弾丸に対処しつつ、魔女を観察する。

 攻撃能力。近づけば近づくほど、銀の弾幕の密度は上がる。逆に、このように距離があれば大したことはない。この疲れ知らずの身体ならば、一日中でも戦い続けられるだろう。

 防御能力。あの障壁を突破するのは現状、不可能だ。出されてしまえばどうしようもない。

 もしも相手が人間であれば、あれほどの術だ、消耗の激しさに期待して持久戦を挑むことも考えるが、果たして死霊の魔力とは底を尽くものだろうか。

 

『……あの剣なら……』

 

 少女の心臓である『黒い剣』を思い出す。あれには、途方もない攻撃力が秘められている。魔女の障壁を破れるほどのだ。ウチカビにはそれがわかる。

 だがいま、少女は剣の魔力で自身を治療している最中。あれは使えない。

 

『………』

 

 ウチカビは、今、魔女がその防護膜を出していないことに気が付いた。

 すぐにもう一度突撃する。弾幕を抜けて攻め入ると、剣の攻撃圏内に入ったところで、やはり魔女は銀の光を身体にまとった。

 ウチカビは攻撃をせず、また後退した。

 

 ウチカビは魔女に、ひとつの習性を見出す。

 あの怪物は、こちらとの距離によって、障壁を出す判断をしている。

 これが人間相手ならば駆け引きを疑ったが、狂気にのまれた死霊であれば、本能的な行動しかできない可能性はある。

 つまり。剣しか能がないと思われている間に、こちらも、遠距離攻撃を仕掛ければよい。

 『なるほど、簡単な話だ。自分に肉体があれば、の話だが。』

 ウチカビは、ガントレットの内にある、骨の両手を意識した。

 

 遠距離攻撃、それは“星法”を使えば可能だ。炎の矢。光の槍。雷の刃。そういったものを世界に呼び込み、操ることができる。

 だが、それは“星導力”――人の肉体に流れる血や、神経の光、筋肉の熱、想いの爆発が生み出す力があってのこと。それらは骨の内側にもあるだろうとも考えたが、しかしウチカビは自身のうちに、自身の星導力を感じていない。

 ならば、どうする。

 考えた末に、ウチカビはひとつの技を思い出した。星法よりも、こちらが本命である気がした。

 ――屍剣士が使っていた剣技。

 離れたところにいる(じぶん)を斬った、あの斬撃。あれができれば……。

 

 ウチカビは、剣を両手で握りしめ、渾身の力で振り切った。

 

『………』

 

 何も起きはしない。変わらず、魔女は魔術を撃ってくる。

 当然のことだ。この剣技にも、いくらかの星導力が必要だからだ。斬撃の軌跡が本物のそれとなって飛ぶ、という現象には、そのためのタネが必要だ。

 そのやり方を、ウチカビは思い出していた(・・・・・・・)

 

 銀の弾丸が飛来する。

 ウチカビはそれを避けず、剣で弾いた。次の弾も、その次も。その次は斬った。真っ二つにした。

 それを何度も、何度も繰り返すうち、霧散した銀色の光の残滓が、剣に付着していく。

 いつの間にか、白刃は、銀の光で淡く濡れていた。

 

 ウチカビは剣を振り抜いた。先ほどの素振りよりもさらに速い。常人には見えぬ速度である。

 そして同時に、()に輝く何かが、空気を猛然と切り裂いていく。飛ぶ斬撃はここで、現実のものとなった。

 技の理屈はこうだ。己の星導力を刀身に流す。金属に定着しきらない人間の星導力だが、刀身の内外を流動する中で、刃の形状に馴染む瞬間がある。このときに剣を振り払うことで、刃の鋭さをかたどったままに星導力は飛行する。

 これがこの斬撃の正体だ。『■の■■』が得意とした技術であり、この瞬間を任意に捉えられる剣士は、例外なく強者である。 

 ウチカビに自由に操れる星導力はない。

 だから、魔女の光を使った。試してみたらできた、というのが本人の感想だ。

 

 魔女の魔術の起点となっている、両手が、斬り飛ばされた。

 

 ウチカビは追撃を仕掛ける。ここで畳みかけなければならない。飛ぶ斬撃を重ねながら距離を詰めていく。剣を振るたび、魔女に深い負傷が刻まれていく。

 両手を失った時点でそうなったのか、魔女は銀の障壁を出さない。ウチカビは好機ととらえ、目にもとまらぬ速さで疾走し、

 そして、ぴたりと、刺突の構えのまま、静止した。

 

 ウチカビは目を疑った。しかし、元からありもしない眼球など疑いようがないので、目の前の光景は真実でしかない。

 魔女は、身体を再生した。ウチカビの負わせたすべての傷は、ひとつ瞬きをする間に消えた。瞬きをしないウチカビはそれを目の当たりにし、骨の表面がざらめくような衝撃を受けた。

 まるで、時間の逆回し。

 こちらが真の能力。魔弾も、毒も、障壁も、魔女には指を振る程度のことでしかない。本当に恐ろしいのは、この再生能力だった。これでは丈夫な剣の一本ではどうしようもない。

 不死の死者。矛盾した存在。それがこの魔女の特性だ。

 

 ウチカビは、何もショックで剣を止めたのではない。彼の四肢にはいま、空中から現れた銀の縄が巻き付いていた。

 拘束の魔術。ウチカビは、刃の切っ先を魔女の心臓に突き付けたまま、その場に縫い留められている。

 

『この程度で止められるものか』

 

 ウチカビは強がりを口にした。実際、この拘束は彼にとって抜け出せるものであり、そのために身体は働こうとしている。

 だが、勝機は見失っている。いや、最初からなかった。既にウチカビの内心は、撤退の方法を模索する段階に入っている。

 足に力を入れる。動きを止められた瞬間、ウチカビは魔術拘束に対抗する技術を思い出していた。地に足がついているときにしか使えないものだが、その条件は満たしている。四つの銀の縄に、亀裂が入っていく。

 しかし、技術は思い出せても、肉体は生前の姿に程遠い。骨の四肢では、背中では、腰では、かつての膂力を出し切れていない。

 銀色の淡い光が、ウチカビの頭上から差し、影を作った。

 見上げる。魔女の両手は、まるで太陽のような巨大な光球を、天井近くに膨らませていた。超密度の魔力球は、ウチカビの貧相な五体を塵へ変えるだろう。

 ウチカビはいよいよ、運命を悟った。

 

『守れないのか、俺は』

 

 果たして。

 

 死者に、気まぐれというものがあるのかは、わからないが。

 魔女は、膨らみきった破壊の光を、あっさりと消し去った。小さな部屋の灯りを、眠る前に吹き消すように。

 代わりに、魔女の長い両腕が、ウチカビの頭部に伸びていく。

 そして――、

 ウチカビに温度を感じ取る器官はないが、機能はあった。死者の手は、ひどく冷たかった。

 魔女はおそろしい両手で、しゃれこうべを撫でたあと、

 ウチカビの背に腕を回し、

 そのまま彼を抱きよせ、剣を胸に受け入れた。

 

『……?』

 

 魔女は、そのまま停止した。

 

 

 少女から、まだ毒は消えていない。動けるほどに回復しているようだが、肌の黒い染みは残っており、消耗しているのも目に見えてわかる。

 ウチカビは少女を支え、停止した魔女の元へ連れてきた。

 

「まだ再活動可能ですね。この死霊は簡単には消滅しない……いえ、することができません。魔力が強すぎるからです」

 

 ウチカビは、あの驚異的な再生能力を思い出した。剣で心臓を貫いたところで、大したダメージにもなっていないだろう。

 しかしもう、理由はわからないが、魔女には戦意がないのだ。

 ウチカビはここにきて、魔女を魔物として見られなくなっていた。

 ならば死者は、彼女(・・)は、ここで正しく葬ってやるべきではないのか。でなければいつまでも、魂は天の星には逝けない。倒せる者のいない魔女として、永久にここに縛られたままだ。

 

『どうするべきだ』

「その魔力をもらいます。ウチカビ、少し離れて」

 

 少女は魔女に近づいた。

 少女の足元に、青い光線で描かれた図絵が現れる。魔術を使用するための工程だろう。それは拡大していき、少女と魔女、両者を乗せる盤となった。

 風もなしに、白い髪が揺れる。同時に、魔女の銀色の髪が揺れだした。

 魔力は髪に宿る。あの髪こそが、魔女の強大な力の根源だったのだ。

 両者と魔術の陣から、光があふれたのち、光が収まる。

 それが終わったとき。少女の白い髪は、美しい白銀色へと変化していた。

 

『―――。』

 

 ウチカビは息をのむ。生きていた頃の、最も好きだった色彩(いろ)を思い出したからだ。

 

「……! すごい魔力です。毒を治す速さも上がったし、身体の調子もいい。これなら、心臓なしでもある程度動けるかも。何より……」

 

 少女は顔を輝かせた。

 

「すごく綺麗な色だ。わたし、気に入りました」

『………。なら、くれた相手に感謝するといい』

 

 二人は魔女に向き直った。

 魂をこの世にとどめていた銀の髪はその色を失い、もとより枯れ木のようだった身体が、さらさらと砂に変わっていく。

 やがて魔女は、ようやく、本当の眠りについた。

 二人はその最期を看取った。

 

 

 身体をよく休めたあと、少女の提案で、二人は魔女のいた部屋を探索していた。戦利品を求めてのことだった。

 ウチカビは、魔女の没した痕から、一冊の本を見つけた。厚さは大したことはない。魔術書の類かと考え、少女の方へと歩いていく。

 表紙を眺める。

 『シセルと魔法の騎士』という表題だった。どうやらただの、物語のようだ。

 

『………………。』

 

 そしてウチカビには、読まずともその内容がわかった。

 

「何か見つけましたか?」

『ん、ああ』

「わたしもいいもの見つけましたよ。じゃーん!」

 

 ずい、と少女はウチカビの鼻先に、何かを差し出した。彼は思わず頭を引く。

 それは、兜だった。鎧騎士が身に着ける防具。ウチカビが身に着けているものよりも状態が良く、頑丈そうで、特別な品であることが見てわかった。

 ただ、意匠(デザイン)はあまり好きではない。ウチカビはそう思った。

 

「これ、被ってみたらどうです? 騎士らしさがあがります」

 

 ウチカビはそれを受け取り、髑髏の上から被った。

 兜とは、狭苦しく、目も、耳も、鼻も利かなくなるものだと認識していたが、不思議なことに、そうはならなかった。五感が捉える情報量は、装備する前と変わりがない。

 ウチカビは、そもそも兜をするしないの前に、目も耳も鼻もないのに五感があるので、これは死霊術の効果の延長だと考えた。

 

「――ぴったりじゃないですか。……もしかして、あなたのものでは?」

『え?』

 

 ウチカビは兜を外し、それを見つめた。

 一介の騎士のものとはいえない、やけに凝ったつくりをしている。貴族の出か、高位の騎士か、儀礼用か。そういった印象。それなりの地位にいる人物の持ち物だ。

 

『……まさか。自分がそう大層な人間だったとは思えない』

「でも、似合ってますよ。もらっていきましょう」

『そこに異存はない。人前に出られる顔になっただろうか』

「ふふ。はい」

 

 ウチカビは、ドクロを兜に隠した。

 

「ウチカビは何を見つけたんですか?」

『ああ……ほら』

 

 ウチカビは本を渡した。

 

「んー……、子どもに聞かせる寝物語ですかね。あんまり関心、ありません」

『すまないが、荷物に加えてくれないか。ここから持ち出したいんだ』

「あなたが言うなら、構いませんが」

 

 探索を終え、二人は歩き出す。

 ウチカビは、前から考えていたことに答えを見つけ、少女へと口を開いた。

 

『君。君には、名前はあるのか?』

「?」

 

 少女はウチカビを見上げる。ウチカビは足を止め、少女と向き合った。

 

「えっと。……“花嫁”?」

『それは名前じゃないだろう。やはり無いんだな。以前から、呼びかけにくいと思っていた。不便だ』

「え、なんか怒られてます?」

 

 少女は眉尻を下げた。

 

『君はウチカビという名をくれた。だから、こちらからも君に、名を贈ってもいいだろうか』

「……へえ」

 

 少女は目を丸くした。

 

「いい考えですね。でも、しょうもない名前だったら却下です。わたしはその辺のセンスにはうるさいですよ」

『そ、そうか』

 

 ウチカビは緊張しながら、その音を伝えた。

 

『“シセル”。……さっきの本の主人公の名だ。たしか、銀色の髪をした、勇敢な魔法使いの少女』

 

 少女は、ぽかんとした顔で黙り込んだ。

 ウチカビは途端に不安になる。どうやらダメだったらしい、と後悔しつつあった。

 

「シセル……シセルかあ」

 

 少女の表情が変わっていく。顔を伏せて、目をくりくりと動かして、口の端がうれしそうに上がっていく。

 

「なかなかの響きなので驚いちゃいました。……シセル。わたしはシセルです。素敵な贈り物をありがとう、ウチカビ」

 

 白銀の髪が、ふわりと揺れた。

 

 シセルとウチカビ。少女と騎士。暗い迷宮の中で、二人は順調に絆を育んでいく。

 まるで童話の登場人物たちのようだ。

 

 しかし彼らがそれぞれ抱える真実を思えば、あまりに滑稽な物語である。

 

 



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06. 胸の内の炎

 エクスが絶命させたはずの大柄な魔物が、異常な魔力の発露とともに、死体を大きく膨れ上がらせる。

 そのまま、大部屋中を巻き込む爆発。閃光、砂塵が巻き上がる。生き残れる者はいないかのような、途方もない威力だ。

 生き残れる者はいない、というのは並の探索者の場合であり、もちろん騎士たちは一人も欠けていない。しかし大爆発は、目くらましとしては活きた。

 エクスの背後、地面から現れた死霊が、鋭い刃を持って突撃する。エクスはまだ反応しない。

 それを、カムリが打ち払った。

 そのままエクスの背中を庇うように立つ。さらに、二人の身体がほのかに銀色の光を帯びる。部屋のどこかにいるプラチナの星法が保護しているのだ。

 

「敵の戦力は想定以上だな。これが街に行ったら犠牲者が出ていた。……飛ばし過ぎるなよ、エクス」

「………」

「エクス?」

 

 カムリは、背後の友の様子をうかがった。

 これほど長時間、激しい戦闘をしたにも関わらず、息切れの一つもしていない。が、兜からわずかに覗く目つきは、誰よりも険しかった。

 これはおそらく、さきほどから出てくる死霊兵に思うところがあるのだと、カムリは察した。

 

「エクス。エクス!」

「!! ……あ、ああ。何?」

「冷静に、冷徹にいけよ。これだけの戦力をこれまで教会に隠していたんだ、この『魔術師』は只者じゃない」

「わかった」

 

 爆発の起こした煙が晴れていく。プラチナ、ツェグ、共に無事だ。

 しかし状況は芳しくない。騎士たちは、新たに出現した魔物たちに周囲を取り囲まれていた。『魔術師』は死霊術を使うという情報通り、不死属の割合が多い。

 油断(よゆう)があったのは緒戦だけ。先ほどから、星騎士ですら眉を動かすほどに過酷な戦闘を強いられており、プラチナなどはやや疲弊している。戦闘は任せるといったツェグも、剣をとり、自身に向かってくる敵には対処している。

 カムリは冷静であることに努め、現状と、これからの動きについて思考する。

 この迷宮に潜む敵戦力は、予想を大きく上回り、今となっては大星官から直接指令が下るのも頷ける。まさに脅威だ。

 だが、やはりこの人員なら恐るるに足りない。

 死霊の軍勢も無限ではない。プラチナの様子が心配だが、まだ撤退を選ぶほどではないだろう。仲間との連携を意識しつつ、このまま粘り強く攻略を続けるべきだ。

 そうカムリは考えた。

 

「エクス、このまま全員で抗戦を――」

「ここはエクスに任せる。残りの人員で先へ進む」

 

 男の声がかかる。

 発言したのはツェグ。彼は身構えている二人の横を、空気のように通り過ぎていった。

 カムリは耳を疑った。軍勢に囲まれているという状況だが、思わず彼に駆け寄り、肩を掴んでしまった。

 

「何を!! ……何を言っているんだ。あんた、エクスのことを知らないわけはないだろう」

 

 声は途中から抑えたものになる。

 エクスという青年は、今相手にしているような死霊兵のたぐいに対して、激情を抱えている。

 怒りだ。

 それは彼の過去に起因するもので、養護院の仲間たちは事情を知っている。

 怒りは剣をにぶらせることもある。エクスと死霊兵では相性が悪い。いや、良すぎる。誰かがついている必要があると、カムリは考える。

 

「迷宮の戦力のすべてがここに集中している。足止めをしている間に本隊が目的を果たすのが効率的だ。『魔術師』を討伐すれば、それが操る兵もすべて停止する」

 

 ツェグは、もっともらしいことを言った。いつものカムリであれば、この言葉に従っただろう。

 たしかにエクスには、その役割を十分にこなせる力がある。個の能力が大きい星騎士の使い方としては、妥当ですらある。

 しかし、胸にこびりついた一抹の不安。

 カムリは、エクスは、まだ星騎士に任命されてから日が浅い。経験不足からくる失態はあり得る。エクスの場合、敵が不死属ならなおさらだ。

 それを補うためにこそ、仲間がいるはずだった。使い捨てるためではない。

 

「しかし、ツェグ、それは……」

「先に行ってくれ」

 

 プラチナが彼らのもとに着き、全員がそろうと、エクスはそう言った。

 

「ツェグの言うことは正しい。僕の力は、やつらを滅するのに適している。残るなら僕だろう」

「エクス? ……大丈夫なの?」

「大丈夫。というか、ヤバくなったら逃げちゃうかも」

「――あはは。薄情者」

 

 プラチナはエクスの空いた手をぎゅっと握り、彼と目を合わせた。

 そして、手を離す。エクスを見つめたまま、ツェグのほうへと離れていった。小さく動いた唇は、「気を付けて」と言っていた。

 エクスは、カムリに小さく声をかけた。

 

「カムリ、君ならわかるだろ。一人のほうがずっとやりやすい。周りに誰もいないほうが、すぐに片が付く」

「剣を使うのか」

「状況次第では」

「是非そうしてくれ。出し渋らなくていいだろ、ここまでのことなら」

 

 エクスは頷いた。カムリが離れていくと、ある方角へと向き直り、剣を構えた。

 剣には炎が灯っている。まるで松明のようだ。

 

「はぁっ!!」

 

 エクスが炎の剣を振るうと、死霊兵の一部が炎に吹き飛ばされ、そこに道ができた。次の階層へと向かう通路へ、まっすぐに続いている。

 エクスを除く三名の行くべき道だ。彼はそれを見送ろうと、仲間たちを見つめる。

 しかしカムリだけは、彼の元へと再度駆け寄ってきた。

 

「――エクス。すぐに戻る。またな」

「ああ。また」

 

 二人は手の甲を打ち付け合った。籠手が音を鳴らし、小さな衝撃は互いの身体に、互いの存在となって響く。

 

「行けえっ!」

 

 その声を背に、カムリは走り出した。

 

 ▽

 

 エクスとカムリは、養護院の仲間たちの中でも、唯一無二の親友同士だ。

 

 彼らは幼い子供の時分に出会った。

 カムリは生まれた家と親を知らないが、エクスがそれらを失ったのは、10歳になった頃のことだった。

 エクスのいた村は、どこからかやってきた死霊の兵隊たちに焼き払われた。ペリエの教会騎士たちが村にたどり着いたとき、生き残っていた村人はただひとりだった。少年は、村人たちの遺体と、炎に巻かれて灰になっていく死霊兵たちを、呆然と見つめていた。

 現場に立ち会っていたツェグ・ラングレンは、その少年を、自身の出資する養護院へと迎え入れた。

 

 養護院には、エクスと年の近い男子がひとりいた。カムリだ。

 ツェグは二人が友人になることを望み、様子を見守った。しかし、心に傷を負った少年が周囲と打ち解けるまでには、時間と、きっかけが必要だった。

 ある日の晩。カムリは、隣のベッドで眠っているエクスが、酷くうなされていることに気が付いた。寝ているところを起こすべきかどうか迷ったが、尋常ではない苦しみようだったので、悪夢を見ているのかと思い、彼はエクスに声をかけた。

 そして、身体に触れた。

 

(あつ)ッ!?」

 

 エクスの身体は、恐ろしいほどの高熱を発していた。それは病に侵された者の発熱、などというものではない。火にかけた鉄鍋ほどの温度であり、カムリは指に火傷をしかけた。

 やがて、エクスの寝ているベッドから、焼け焦げるような臭いがし始めた。放っておけばここに火がつくことを、カムリは察した。

 カムリは、同部屋の子どもたちを起こし、大人を呼びに行かせた。

 そしてエクスの元へ戻り、しばし思考したあと。厚いブランケットを使いながら彼を抱え、非常に乱暴にだが、窓から外へと連れ出した。

 燃え移るものがない広場まで彼を引きずったあと、木桶で水をぶっかけるかどうか迷い、

 そうはせず、触れれば火傷を負う彼の肌に触れ、声をかけ続けた。

 

「おい。なあ。大丈夫か。起きろよ、もう安心だ。アチッ! おーい」

 

 騒ぎを聞きつけたツェグや大人たち、眠れなくなった年長の子どもが集まる頃には。

 エクスとカムリのふたりは、ただそこに座って話をしていただけだった。

 ツェグは大人たちに目配せをし、子どもたちを解散させ、二人の少年のそばに腰掛けた。

 

「僕が君をヤケドさせたんだろ。それに、養護院を燃やしそうになったんだ。……また(・・)、やったんだ」

「おー、熱かったぜ。まあでも鍛えてるからさ、これくらい……な?」

「な? って……」

 

 二人は、やってきたツェグに顔を向けた。

 

「なあツェグ。エクスのこれってなんなんだ? エクスもわかんないんだってさ」

「それはエクスの才能(とくべつ)だ。強い炎の星導力が体に流れている。子どもじゃ制御できないくらいのな」

「ふ、ふーん?」

「………」

「俺の仲間に、アチラスという男がいるだろう。星法士の。神前試合で炎の術を使っていた……」

「ああ、あの激強のおっちゃん」

「あれの100倍ぐらいすごい」

「マジ!?」

 

 そんなやりとりを聞いて、エクスはさらに落ち込む様子を見せた。

 

「制御できないってことは、またこんなことが起きる……起こす、ってことだよね。僕は、みんなと一緒にいちゃいけないんだ」

「ええ? じゃあ練習したらいいさ。一緒にいちゃいけない、なんてことがあるかよ」

 

 エクスはカムリを見た。明るく、嬉しそうな顔をしていたので、驚いた。

 

「なあ、エクス。おまえ、騎士になろう」

「は?」

「星天教会の騎士だよ。仲間が欲しかったんだ、俺一人じゃツェグに追いつけないしさぁ」

「騎士? で、でも」

「だって、星導力が強いって、何かを守るために使える才能(とくべつ)だろ? ……違う?」

 

 カムリは、ツェグにも話を向けていた。

 

「そうだな。星導力に身体が慣れてきて、もう少し落ち着いたら、訓練学校に通おう。お前たちはすごい騎士になる」

「おっ、ツェグお世辞うまいね」

「世辞じゃない。……どこでそんな言葉覚えてきた?」

「ほらぁ。エクス、明日から特訓しようぜ、特訓。危ないからツェグにも見てもらって」

「人使いが荒い……。それなら、朝は早く起きなさい」

「わかった!」

 

 カムリをじっと見ていたエクスは、再び口を開いた。起こしてもらって、手を少し火傷させたことを知って、そこからずっとあった疑問。

 

「君は……僕の事、嫌わないの?」

 

 エクスはその強すぎる異能力から、生まれ育った村では疎まれてきた。友達はいなかった。両親からの愛情も足りなかった。自分に向けられる冷遇が、人間の世界において当然のことであるのは、子どもながらに、大きくなるにつれて理解できた。

 だから少年にとって、横にいる生き物の態度は、初めてのもので、よくわからないものだった。

 

「? なんで? もう友達だし。しかも騎士仲間だし」

 

 そしてカムリにとっても、エクスの卑屈な質問は、よくわからないものだった。(ついでに勝手に彼の将来を決めていた。)

 自分の体質について落ち込むことはわかる。が、嫌わないのか、という質問はわからない。

 友達が苦しんでいるのなら助けるし、そこで何か痛い目に遭っても友達に咎はない。今いる自分の居場所、養護院の仲間たちに強い愛着を持つ少年には、それが当然のことだった。

 

「友達?」

 

 それきり、エクスはこの夜、何もしゃべらなくなった。

 ツェグは、少年が心を開きつつあること、いつか二人に絆が生まれることを想い、微笑んだ。

 

 

 数年後。ふたりは青年となり、騎士候補として剣や星法の腕を高め合っていた。

 訓練場にて。摸擬剣を振り抜いた姿勢でしばし固まる二人。

 やがて、先に倒れ伏したのは、エクスのほうだった。

 

「また逆転された! なんでだ! カムリにだけは負けないように鍛えてるのに……!」

 

 地面に転がりながら、みっともなくわめく。

 これは最近の彼を悩ませていることであり、真剣な疑問だった。

 もともと、二人の実力や訓練学校での成績では、エクスに軍配が上がる。そして彼らはそこまでは考えていないが、事実として、騎士として秘めている潜在能力はエクスのほうが高い。

 エクスはカムリより強くあろうと努め続けた。だからここにきて、負けが込んでいることが悔しく、自分に改善の余地を見つけようともがいていた。

 

「フッフッフッ……」

 

 遅れて地面に寝転がってきたカムリが、卑しい笑い声を漏らした。おかしなことに、勝利を手にしたカムリのほうが、姿はボロボロであった。終始エクスが優勢だったことの証拠だ。

 

「実はな……、お前の動きのクセをひとつ見つけたんだ。そうなったら、いつまでも負け続ける俺じゃあない」

「クセ? ……どんなのだよ」

「最後の一撃が決まってるんだよ。相手を十分に追い詰めたら、必ず一番得意な斬り方……相手の右脇を狙う横薙ぎで、勝負を決めにくる。それを知っていれば、紙一重でかわせる」

「……ふーん」

「フッフッフッ。騎士エクス、打ち破ったり」

 

 その次の日から、癖を修正したエクスに、カムリは再び勝てなくなったのだった。

 

 

 それからさらに数年。

 ペリエ市星天教会の騎士として実績を積んできた彼らは、星騎士の候補として本国に召喚されることとなった。

 銀騎士・鉄騎士から星騎士となるのに、一斉の昇格試験のようなものはない。二人が呼び出された日時と場所には、それぞれ違いがある。

 旅立ちの前、カムリとエクスは、長年の相棒だったことを噛みしめ、最後の時間を過ごした。もしどちらも星騎士になったのなら、これから先、背中を預け合うことは滅多にないからだ。

 

 エクスは、街の高台から人々を眺めるカムリの、穏やかな横顔を見ていた。

 

「なあ、エクス……」

 

 視線は遠くに向けたまま、彼はエクスに話しかけた。

 

「俺はここを守るために騎士になったんだ。星騎士になっても、本当はそこは曲げたくない。だから……」

「なるべく交代で帰って来て、ペリエを守り続けよう。……って言いたいんだろ」

 

 カムリはエクスに顔を向け、笑った。

 星騎士はひとところに長く留まらない。そして、複数名が共にいることは、さらにない。もしも星騎士になれば、二人はペリエを離れなくてはならない。それが任務に伴うルールだ。

 

「ここにはツェグも、騎士団の仲間たちもいる。街は彼らに任せるとして……でも、それでも、帰ってこよう」

「エクス」

「君がいないときは僕が。僕がいないときは、君が。だって、ここが僕たちの故郷だ」

 

 二人は向かい合い、互いに手を差し出した。

 

「ありがとう、エクス」

「ああ」

 

 手の甲をぶつけ合う。気持ちが通じ合っていることの証明だ。

 

「なあ。お互い星騎士の任を終えて、なんでもない俺たちになったら……また、なんでもない勝負をしよう」

「まだなってもいないのに、もう終わった後の話?」

「いいだろ別に。そろそろまた俺が勝つぞ。ずっと負けっぱなしじゃ隠居できない」

 

 エクスは、カムリの目を見た。

 

「わかった。約束だ」

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 息切れをしている。

 若き星騎士が、魔物を相手に、息切れをしている。

 エクスは、兜の内にある、自分の額の汗に気が付いた。

 

 それはいつからか、消耗戦のようなものになっていた。

 『魔術師』の配下であろう死霊兵や、不死属の魔物たち、泥人形(ゴーレム)どもは、一個の性能はエクスという騎士に土をつけることすらできないものだ。しかしそれが無数の軍勢となれば、無敵の騎士に体力の消耗を強いることができる。

 エクスは歯を食いしばり、さらに剣を振るった。

 

 炎剣レーヴァテイン。本来の刀身から常にあふれ出ている炎が、流動する刃となり、敵を焼き斬る。不定形の剣。太陽の剣。黄昏の剣。広い攻撃範囲と多大な破壊能力を持つ、聖剣型の神器だ。

 そして、エクス・“レーヴァテイン”。

 この青年の持つ魔力(星導力)は、強力無比である。

 彼のそれは『炎』という属性のみに偏っており、ゆえに、どのような星法を行使しようとしても、炎というかたちでしか出力されない。この特化性は、人間としては特異な体質である。

 生まれ育った村に放たれた火災から生き残ったのも、幼い子どもの身で死霊たちを焼き返したのも、この体質によるものだ。

 そしてそれはそのまま、炎剣レーヴァテインの■じ手たりえる資格となっていた。

 星騎士エクス・“レーヴァテイン”は、火炎の申し子である。

 

「……!?」

 

 エクスが放った大火炎。それを、耐え凌ぐ魔物たちが、いま現れた。

 エクスは経験から、一瞥したのみで敵の耐火性を見抜くことができる。

 新たに出現したものはすべて、炎への極めて強い耐性を獲得している魔物たちだった。存在しているという知識や一部との戦闘経験はあったが、これほどの数がそろったのは見たことがない。

 消耗しているこのタイミングに、まるでこちらの陣営に、炎使いがいることを確信しているかのような布陣。

 エクスはここにきて、今の状況に、何者かの意図を感じた。

 

「……はっ」

 

 だが、これを仕掛けた者は、星騎士の背負うものを軽く見ている。

 甘く見ている。

 燃えるはずのないもの、燃やしてはならないものすら()き尽くしてしまう、この剣の真の力を。

 エクスは右手で剣を構え、左手を燃える刀身に添えた。

 エクスの黒い髪が、瞳が、赤い灼熱色に変化していく。

 

神器(・・)解放(・・)――」

 

 そのとき、エクスの鎧の内で、首飾りの青い宝石が不気味に光った。

 

「!? なんだ、これ」

 

 レーヴァテインの炎が消えていく。同時に、自身の内にある星導力も、何かに吸い出されるように失われていく感覚を覚えた。

 やがて、炎の剣は色を失い、黒く焼け焦げた棒切れのようになった。

 

「がっ――!?」

 

 エクスは、ゴーレムの巨腕に吹き飛ばされた。

 洞窟の岩壁に、背中をしたたかに打ち付け、息が止まる。態勢を立て直そうと足に力を入れている間に、周囲を魔物たちが取り囲んでいく。

 死霊たちだ。骨をむき出しにした兵士、ただれた肉を持つ鬼。それらの暗い眼光がエクスを、エクスの剣を見ている。

 

「……は」

 

 兜の隙間から、呼吸が漏れる。

 

「はは。ははは、ふふ、アッハハハハ……!!」

 

 笑い声が地下迷宮に響いた。誰のものでもない、エクス自身の声だ。

 彼は立ち上がり、すぐ横にあったこの先への通路に、立ちふさがった。

 

「ここは通さない。特にお前らはな。大嫌いだから」

 

 炎が封じられた、真っ暗で、冷たい地下の洞窟。

 しかし空気が乾いていく。まるで太陽の真下であるかのようだ。

 騎士の鎧から、蒸気のようなものが立ち上る。

 体中の汗が蒸発していく。

 エクスは端正な顔立ちに、怪物のように獰猛な笑みを浮かべた。

 

「不死の(ともがら)、尽く滅すべし」

 

 ▽

 

 通路を急ぐ途中、カムリは立ち止まった。

 プラチナが振り返り、顔を覗き込む。彼は、兜の下で、ひどく動揺した顔をしていた。

 

「……やっぱり、これは違う。おかしいんだ」

「カムリ?」

「胸騒ぎがするんだ。戻ろう」

 

 カムリが後ろへ振り返る。

 その肩を、誰かがつかんだ。

 

「神器を持つ星騎士が、あの程度でやられると?」

 

 ツェグはカムリを諭そうとした。

 そう、“星騎士”、それも“神器持ち”があの程度のことで敗北するはずはない。カムリ自身、あの場に残っても、敵に後れを取らない自信があった。

 ましてカムリの上を行く騎士、エクスならば。不安に思うことこそが、信頼関係への裏切りだと言えよう。

 しかし何か。カムリの中で、何かの違和感が、胃の中にこびりついて剥がれない。

 今の選択は、重大な誤りなのではないか。

 

「ならば、様子を見てこよう」

「! ツェグ……」

 

 ツェグはカムリを追い越し、そのまま来た道へと歩き出した。

 

「お、俺も行く」

「プラチナを一人にするのか?」

「それなら、わたしも行けば……」

「必要ない。ついてくるな」

 

 ツェグは走り出し、あっという間に足音すら聞こえなくなった。

 カムリは兜を外し、プラチナと目を合わせた。

 お互いに、いい表情だとは、とても言えない顔をしていた。

 

 

 それからしばらくして。

 プラチナが小部屋に設けた安全圏で、二人が身体を休めていると、ツェグが戻ってきた。

 許可したものしか通さない結界の星法。それを通過し、彼は二人に顔を向ける。

 無表情だった。

 何を考えているのか、わからなかった。彼を父だと敬愛する二人にとって、こんなことは初めてだった。

 

「ツェグ……?」

「エクスは?」

 

 ツェグの視線は、どこか遠くに向けられているかのようだった。二人と目が合わない。

 

「無事だ。当然だろう」

 

 二人はその言葉に、ため息をついた。少しの安心を得たのだ。

 

「先を急ぐぞ」

「あ、うん。待って……」

 

 すぐに身をひるがえすツェグの背中を見て、二人は迷宮攻略を続行する準備を、急いで整える。

 その中で、またカムリとプラチナの目が合った。

 安心した。

 とは、やはり言い切れない顔をしていた。どちらにとっても。

 

「……本当に、大丈夫なのかな」

 

 プラチナの声はか細いものだ。

 カムリは、それに答える自分の声が、震えたものになりそうな予感がして、無理やり明るい表情と、堂々とした声をつくった。

 

「エクスがあんな骨どもにやられるはずないさ。あのエクスだぞ?」

「そう、だよね」

「ああ。……だから、早く迎えに行こう。全部、終わらせてから」

 

 二人は、任務への決意を新たにした。最初のような穏やかなゆとりは、もうない。

 

 四人から一人が減り。

 三人は、迷宮の奥へと沈んでいく。

 

 ▽

 

 灯りのない暗闇の中、エクスは死んだ。

 

 大部屋の片隅、岩壁に、死体となった彼が背中を預けている。まるで小休止とばかりに、眠っているかのような姿で。

 おそらく本人すら、己がどのようにして絶命したのか、わかっていない。

 間違いがないのは、彼という超人を、確実に殺害するための何かが、入念に準備されていたということ。彼がそれによって追い詰められたということ。『星騎士の死』というものは、異常事態に他ならない。

 鎧の隙間から覗く皮膚には、まるで病や毒に侵されているかのような、黒い(まだら)が浮かんでいる。

 そして胴鎧には、鋭いものに、背後から刺し貫かれた痕が残っていた。

 

 わずかに残っていた死霊の兵たちが、エクスの遺体へとにじりよってくる。

 いや。彼らの目は死体(おなかま)には向けられない。その横に突き立っている、一振りの剣を見ていた。

 死霊たちの腐った、あるいは白骨化した手が、剣に伸びていく。同時に残りの戦力たちは、次の目標物(・・・・・)がある通路へと殺到していく。

 その瞬間。

 鎧の内側で、青い宝石が砕け散った。

 

 剣に死霊が触れた途端、そこから苛烈な炎が燃え上がった。

 焔はほとばしり、津波のように湧きあがり押し寄せ、通路の向こうへ行こうとする死霊たちと、その他の魔物たちをことごとく葬った。

 そうして、今いるすべての敵を()き尽くした。

 大空間から、動くものの立てる音がなくなる。代わりに、火が空気を弾く音だけが残る。

 しかし、新たに敵が現れる可能性がある限り、この炎は消えない。剣から現れた灼熱は、熱量をそのままに“壁”を形成し、障害となって通路をふさいだ。耐火性に特化したものでなければ、ここを通過することはできない。

 

 新たな兵が、()へ続くほうの通路からやってきた。

 炎は、消えない。

 

 

 何者かによってレーヴァテインに仕組まれた『炎封じ』が、エクスの死後に切れたのは、何故か。

 役割を果たしたため、その効力を終えたのか。

 そもそも封じられるような代物ではなかったのか。

 

 あるいは、不当な縛りなど打ち破るほどに、最期に残した友たちへの想いは、燃え盛っていたか。

 

 

 



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07. eternal blaze

 死霊の騎士ウチカビと少女シセルは、迷宮の上層近くまでやってきていた。

 これまでに起きた戦闘での相手は、『屍の剣士』や『魔女』以外では『ゴーレム』ばかり。

 そして、『発生したての弱い魔物たち』。

 いま、ウチカビは、ネズミのような姿をした魔物を討伐した。このような自然発生する魔物たちは、状況を見るに、どうやら屍剣士が駆除していたらしかった。理由はわからない。彼がいなくなったため、二人の前にはようやく、ゴーレム以外の敵が現れたということになる。

 魔物の死体が光の粒に分解されていき、きらきらと消えていくのを、少女は楽しそうに眺めていた。

 ウチカビは剣をしまおうとする。

 そして、ぴくり、と途中で動作を止め、再度剣を構えなおした。

 通路の向こう側からは、やはり泥人形(ゴーレム)がやってきていた。

 

「はぁ。またですか」

『下がっていてくれ』

「いえ。今ならわたしにも倒せる! ……と、思います」

 

 何? とウチカビはつぶやきかけた。声にはならなかったが、その思念はシセルに伝わっているだろう。

 少女が一歩前に出る。その銀色の髪が淡く発光しているのを見て、ウチカビは意図を察した。

 シセルは『魔女』から、魔力の源となる白銀の髪を手に入れた。魔術を修めているようだから、豊富な魔力があるのなら、自らの手でゴーレムを下すことは不可能ではないだろう。シセルは挑戦、または肩慣らしをしたいのだ。

 ウチカビはゴーレムへの警戒心を強く保ちつつ、少女の美しい髪と、細い肩を見守った。

 

 目の前のゴーレムは、これまで相手にしてきたタイプと違い、巨腕と上背(うわぜい)を持たず、ウチカビと似たような体格をしていた。細身のゴーレム、人間大のゴーレム、とでも呼べるだろう。

 シセルは右手の人差し指をゴーレムに向けた。それを左手で支え安定させ、指先で魔術の狙いをつけている。

 左目をつむり、ぺろりと唇をなめる。子どもが遊んでいるような姿にも見えた。

 ウチカビは詳しく知らないことだが、これは国外にある“拳銃”という武器を真似たしぐさだ。

 

(アロン)

 

 指先から、小さな銀の弾丸が飛び出す。

 それは見事にゴーレムの片腕を貫き、ややのけぞらせた。

 

「よし。……火炎(ノーヴァ)

 

 続けて、銀色の炎が発生し、ゴーレムの全身を巻き込んでいく。

 ウチカビから見て、シセルの魔術には確かな攻撃力があった。並の魔物であればこのように、簡単に倒せてしまうだろう。

 

「!!」

 

 だが、ゴーレムは動いた。

 緩慢な速度ではない。すばしっこい人間のようにだ。銀の炎に身体を包まれながら、シセルに突進してくる。

 ウチカビは剣を動かしそうになったが、このゴーレムには大した攻撃能力がないことを見抜き、やめた。少女の初戦にふさわしい敵だとすら考えていた。

 ゴーレムの腕が振るわれる。それはシセルの顔をかすめ、彼女をその場から数歩ばかりしりぞかせた。

 

「…………」

 

 攻防のあと、シセルは、顔をはたかれたような姿勢で固まっていた。

 ウチカビからは、長い髪に隠れて目元は見えない。しかし頬に小さな切り傷を負ってしまったらしく、赤い血のしずくが頬を流れていた。

 シセルはそれを白い指で触り、傷を確かめている。自分の顔についた小さな傷を。

 そして再度、ゴーレムに向き直った。

 

 ウチカビには見えなかったが。

 少女は、怒りに目つきを暗く歪め、ゴーレムをひどく睨みつけていた。

 

風絶(ジェット)

『!?』

 

 少女を発生地点として、周囲に強烈な衝撃波が放たれる。

 逆方向ではあるが、ゴーレムともども、ウチカビは吹き飛ばされてしまった。岩石の人形を転がす風圧なら、軽鎧姿の骸骨など、その倍は飛ぶ。

 

雷条(サルドー)

斬閃(ドゥバ)

(アロン)(アロン)。弾弾弾。弾弾弾弾弾弾弾――」

 

 シセルが手をかざし、呪文を口にする。銀の稲妻が迸り、銀の光線が岩塊を切断し、弾丸、というより無数の砲弾が、敵に向かって飛んでいく。

 ウチカビが体勢を整えて戻ってくる頃には、ゴーレムは土くれに還されていた。

 

『すさまじい。これでは騎士の仕事がない』

 

 ひとまず、ウチカビはシセルへの賛辞を口にした。両腕を広げておどけたポーズをとる。飛ばされて転がされてから戻ってきたので、無様にも土で汚れていたりする。ウチカビは、このさまを笑い話にでもしたかった。

 しかしシセルはウチカビのほうを見ない。肩を上下に揺らし、ゴーレムの痕跡を見ている。

 

『シセル。……シセル』

「――はい?」

 

 少女は振り向いた。朗らかで愛らしい笑顔のままだった。

 

『傷は平気か?』

「ああ、うん。すぐ治せますし」

『………。では、先へ進もう。戦いに出たいときは申しつけてくれ。こちらも心強い』

 

 ウチカビは結局、シセルの戦い方について言及することはなく、何事もなかったようにふるまった。追い越しざまに様子を一瞥したのみだ。

 

「………」

 

 ウチカビの目から外れると、シセルはたちまち不機嫌そうな顔になり、頬の赤い傷を指でなぞった。

 そのひと撫でで、傷は消えた。

 しかし『魔術師』のいらだちは、もうしばらく続くだろう。

 

 

 しばらく進むと、またしてもゴーレムと遭遇した。

 この地下迷宮には、もう彼らしか出てこないのだと思わせる。

 

「ウチカビ。原型をとどめたまま仕留めてくれますか?」

『承知した』

 

 戦闘。

 ウチカビは剣で泥人形の核を貫き、停止させた。

 

『どうした?』

 

 シセルは倒れたゴーレムの元にしゃがみこみ、何かをしようとしている。手をかざし、髪を発光させ、魔力の光によって図形が地面に描かれていくのを見るに、ゴーレムに対し魔術を行使するようだ。

 

「これの解析をします。さっき、わたしの魔術が効かなかったので」

 

 シセルは魔術を使いながら、こん、と岩の人形を軽く蹴りつけた。行儀が悪い、とウチカビは思った。

 そして疑問を覚える。シセルの魔術によって、ゴーレムは粉微塵と化していた。ウチカビに同じ真似はとてもできない。効かなかった、とはどういうことか。

 

「……ああ、やっぱり。これ、炎だけは(・・・・)効かないように造られてますね。そこそこ高級品です。どこの作かな……」

 

 ウチカビは先の戦いを思い返す。少女の放った魔術のうち、銀色の炎は、たしかに人型ゴーレムにダメージを与えていなかった。そのせいで反撃を喰らったのだ。

 少女は荷物入れに、ゴーレムから剥いだ岩の皮膚片をしまった。

 

「もし火の魔術しか使えない人がこれと戦ったら、一方的にやられてしまうでしょうね。そういう悪意のあるゴーレムです」

 

 シセルはまた、ゴーレムの頭を蹴った。

 行儀が悪い、とやはりウチカビは思った。

 

 ▽

 

 二人の迷宮脱出行は、いよいよ上層に到達するという段階だ。脱出の日は目前。

 途中、安全圏を構えられる小部屋を見つけたため、例によって休む運びとなった。

 

「使わせてもらいます~、っと」

 

 小部屋には、首のない神の像があった。

 元からこの造形ではなく、壊れてそうなったようだった。しかしおそらく、ウチカビには馴染みのない神だ。記憶が刺激されない。

 シセルは像が置かれている棚の前に膝をつき、日常生活に必要としない動作をした。

 胸の前で両手を重ね合わせ、目を閉じ、(こうべ)をたれ、そのまま手のひらを地面に向ける。というのが一連の動きだ。

 

『それは、祈りか?』

 

 ウチカビはそれを、神への祈りだと解釈した。

 

「勝手に使って、神さまのバチがあたったら怖いですからね。魔術師だって多少の信心は持っているものです。研究がうまくいかないときに神頼みしたり……」

『俺の知っている神への祈りとは、違う気がする』

 

 ウチカビからの、珍しい種類の声。疑問、未知への好奇心を含むそれを聞き、シセルは顔を上げた。

 

「ふむ。私……を造った『魔術師』と、生前のあなたとで、信仰の対象が違うんでしょう。人間は所属するコミュニティごとにそれぞれ、信じている教え、神が違う。……ですよね?」

 

 ウチカビはシセルの言葉に同調し、頷いた。

 彼の中には、記憶がなくとも、ある教義が強く染み付いていた。

 

『神とは、(そら)で光る星々。そしてそれは、死者が行きつく先の世界でもある。祈るのなら、天を仰ぐはずだ』

「ふんふん。その考えはたしか、“星天教会”のものですね」

 

 星天教会。

 という単語は、ウチカビの中の空いた穴を、ぴったりと埋めるように、彼の中へと入ってきた。

 

「わたしの受けた教えだと、神とはこの大地そのものです。死した生物の魂は大地に還り、大地の血液となって内側をめぐり、そのうち、新しい命として生まれ変わる。転生するのです」

『……初めて聞く考え方だ』

 

 ウチカビにとって、シセルの話す世界観は新しいものだった。おそらく生前の知識になかったことだ。

 新鮮なそれらは、彼の印象に残った。

 

「でしょうね。あなたが星天教会の人なら」

 

 そう話しながらシセルは、ウチカビの腰にある屍剣士から奪った剣を、ほんの一瞬だけ見た。正確には、その鞘に意匠として刻まれた、星をあらわすような印をだ。

 ウチカビは『自身が所持する剣への視線』に非常に敏感であったため、それを察したが、特に思うことはなかった。

 

 ▽

 

 しばらく歩いたあと。

 二人の冒険は、行き止まりに陥った。

 

 魔術の灯りなしではまったくの暗闇だった地下洞窟が、夕暮れのような赤いものに照らされている。

 二人の前には、炎の壁が立ちふさがっていた。

 文字通りの炎の壁だ。ごうごうと燃え盛り続けるそれが、地上への唯一の通路を封じている。

 

 ウチカビは握りこぶしほどの石を拾い上げ、炎の壁に向かって放り投げた。耳を澄ませても、石が地面に落ちる音がしない。まるでその前に燃え尽きたかのように。

 このためか、この炎をそのまま強行突破してしまおう、という案は、どちらからも出なかった。

 次に、シセルが様々な魔術を試した。炎を消すための水や冷気。燃料となっているだろう空気への干渉。持参していた怪しい薬液の数々。

 どれも有効ではなかった。炎の壁は揺らぎもしない。

 結果として、これは高密度の魔力が形成している、架空の炎であることがわかった。

 つまり、魔術の炎。それも、尋常でない使い手の放ったものである。

 

「うーん。地属性の魔術がもっと使えたらなあ。地形を変えてしまえば……」

『どうする? 横穴でも掘るか』

「うーん」

『待て』

 

 ウチカビが腕を広げ、シセルを下がらせ、剣を抜く。

 炎の壁の向こうから、大きな影がひとつ現れた。

 ゴーレム。身体は赤熱し、まるで屍のように緩慢な動きだが、形をとどめている。つまり最高級の耐火性を持っているということ。

 

 この瞬間、ウチカビとシセルは、以前からの疑問に対するひとつの答案にたどり着く。

 迷宮内に魔物がいない理由。これは、屍剣士が倒していたから。

 そして、ゴーレムしかいない理由。

 それは、そもそも彼らしか、ここを通ることができなかったからだ。迷宮の外から、彼らはやってきている。

 しかしこの推論は、やはり新しい疑問を生んだ。

 

 耐火ゴーレムは、何者の手によって差し向けられている? どんな目的のために?

 

「ちょうどいいですね。こいつを使ってやりましょう」

 

 ウチカビはシセルに指示を受け、例によってゴーレムを傷つけずに倒した。

 シセルはその場で、魔術を使い、ゴーレムの加工を始めた。時折ウチカビに、どの箇所を削れといった指示をしてくる。

 作業には少なくはない時間を要したが、結果として、『二人が乗り込める耐火ゴーレム』ができた。

 

「これなら……」

 

 内側に人間が入れる空洞を開けられた状態で、少女の手振りによって操られるゴーレム。

 ウチカビは今さらながら、シセルの腕前に感心していた。他者が送り込んだだろうゴーレムの操作権を乗っ取り、自分の傀儡とする術。『魔術師』の技をそのまま受け継いでいるのではないか、とすら思わせる。

 二人は、土で汚れた狭いスペースに、身体を丸めて乗り込んだ。

 ウチカビの膝の間に少女が座る。つややかな白銀の髪を見て、ウチカビは愛しさを感じた。

 

「よし。ちょっと無茶のある設計なので……ウチカビ、しっかり守ってくださいね」

 

 シセルはウチカビの骨の腕を、強く握った。

 岩のふたが覆いかぶさってくる。炎の明るさに慣れた目から、まったくの暗闇へ。

 しかし、ウチカビの目には、やはり少女の白銀の髪が見えていた。

 ゴーレムが走り出す。ひどい揺れが生まれ、ウチカビはシセルを保護するように身を固めた。

 

「アチャーーーッッ!!!」

 

 炎の壁を突破し、ゴーレムから飛び出す際、シセルは泣きながら、エイテース(猿に似た魔物)のような叫び声をあげた。

 さすがに全くの無事とはいかなかった。シセルが傷をすぐに治せる人造人間で、ウチカビが痛みを感じない死人だからこその攻略法だ。正攻法ではない。

 ウチカビは、そのまま泣きながら地面に転がる彼女を、哀れに思った。

 

『君の案で突破できたな。ありがとう』

 

 ウチカビは、籠手に守られた手を差し伸べた。

 

「え、ええ。以前はこんな壁はなかったのですが、もうすぐ出口ですし――あっつい!!」

 

 シセルは熱された籠手に触れ、悲鳴をあげた。

 

 

 炎の壁の向こうは、大きな空間だった。『魔女』を相手にした部屋よりも、さらに一回り広い。

 そして、何もない。

 いや、何もかもがなくなっていた。黒い灰の粒があちこちにあるのみ。ウチカビはそれが、ここであった激しい戦いによるものだと見抜いていた。

 ここには何もない。何もなくなった。

 あるひとつのものを除いて。

 

 ウチカビの視線の先、壁に寄りかかった小さな影。

 兜をした鎧騎士の遺体と、地面に突き立った黒焦げの棒きれが、そこにあった。

 どくん、どくん。ウチカビは、心臓が収縮し、音を鳴らしているような錯覚に襲われた。そこにある敗者の姿が、自身にとって重要な何かであることを、第六感が告げている。

 ウチカビの足が止まる。シセルはふらりと進み、地上への通路へと近づいてく。

 

 炎が、大空洞を(あか)く彩った。

 

 地上へ続く通路には、先ほど通過したような炎の壁が燃え上がり。空洞の淵は炎上し、二人を取り囲む茜色の陣となる。

 迷宮の罠か。あるいは何者かの仕業か。

 それは考えるまでもなかった。

 ウチカビの視線の先。鎧の騎士が、かたかたと震え、音を鳴らしながら、立ち上がった。

 

『――トオ、サナイ。ココハ、トオサナイ』

 

 およそ生きている人間のものではない、不自然な動きをしながら、騎士はだんだんと正しい姿勢を取り戻していく。

 空気に響くのではない、頭に響く声が、ウチカビに伝播する。

 兜の向こうにある眼光を確かに感じた。目が合ったのだ。

 

『……フシゾク。フシ属、不死ゾク……!』

 

 騎士は、焼け焦げた棒切れを握った。

 そこに炎が灯る。まるで松明のよう。だが、それは(つるぎ)だ。炎はめらめらと溢れ出ていく。

 剣から燃え移るように、騎士の鎧の隙間から、炎が吹き上がる。

 巧緻な意匠の兜が、赤熱していく。やがてそれは、どろどろに溶け、割れた。

 

 兜の下は、ウチカビに似て。

 燃える骸骨の騎士が、そこにはいた。

 

『不死の(ともがら)、尽く滅すべし』

 

 炎がウチカビを襲う。

 

 ▽

 

 敵とウチカビは、同じような骸骨の姿。死霊の剣士。しかし、条件は対等ではないようだった。

 『炎の騎士』は、ウチカビとの距離が遠くとも、近くとも、筆舌に尽くしがたい猛攻を仕掛けてきた。

 握っている黒焦げの剣からあふれている炎が、刃となり、ウチカビに怒涛のように降りかかる。攻撃能力が、まるで魔術師か星法士。剣士同士の戦いとは言い難い。

 シセルによる修復や防護、牽制攻撃による援護。それらがなければ、まともな対決ですらない。

 炎の騎士は、ウチカビを一蹴しうる強者であった。地上へと至るまでの、最強最後の障害だ。

 

 戦いのさなか、炎の騎士は、シセルが何をしようともそこに攻撃をすることはなかった。その燃え盛る目は、ウチカビだけに向けられている。

 この条件のため、ウチカビは今、かろうじて、消し炭とならずに剣を握ることができていた。

 

『シセル! 球体の魔術をくれッ!!』

 

 防戦一方のウチカビは、シセルに魔術行使を要求した。

 銀色の光弾が空間にばら撒かれる。ウチカビは炎をかわしながら、光弾を剣で切り裂いていく。

 やがて刃が淡く白銀に濡れる。ウチカビは瞬時に剣を振り切った。

 光る斬撃の軌跡が飛行する。『魔女』との戦いで見せた技術だった。ウチカビにとって、距離の不利を覆すための選択肢のひとつだ。

 だが、押し潰される。銀の刃は、より巨大な炎に飲み込まれた。

 ウチカビのそれは、遠間の対象を斬るための手段に過ぎず、攻撃力は通常の一振りから逸脱はしない。これを必殺の技にするには、星導力に富んだ肉の体が必要だった。

 対して敵の炎刃は、大規模魔術に匹敵する密度がある。ウチカビの斬撃とは拮抗することすらない。

 

 炎がウチカビの兜を撫でる。体勢が崩れる。これまでにウチカビが思い出した剣技、そのどれもが炎の騎士には通じない。

 シセルは、彼の敗北を意識した。戦闘の専門家でなくとも、どちらが優勢なのかはわかってしまう。こうなっては、戦闘以外で出し抜く方法を考えるべきだった。

 

 しかしウチカビは、自身がひどく興奮していることに気が付く。

 

 心拍が激しい律動となり、血が沸騰し、筋肉が熱を上げるような感覚。それらはすべて失われたものだが、仮想のものとしてウチカビの内面に存在する。

 ウチカビは兜を脱ぎ捨て、おそろしい骸骨の顔をさらけ出した。

 

『ウオオオオオオオ!!!』

 

 音にならない咆哮は、空気にこそ響かないが、シセルをひるませた。対面する炎の騎士にも、その威圧は伝わっているだろう。

 ウチカビが動いた。

 疾走は、これまでとは違う驚異的な速さだ。シセルには残像を追うことしかできない。ここにきてようやく、彼は自身の感覚を生前に近づけることに成功していた。

 常人には捉えられない速度であっても、燃える目は、その姿を執拗に追っている。ウチカビとの距離が埋まるほど、炎の騎士は、剣の激しさを増していった。

 その苛烈な茜色、朱色を、彼は潜り抜けていく。

 

 ウチカビはここまでの戦いで、炎の騎士の剣技の型を読み取り、記憶していた。

 近距離でも嵐のように襲い来る炎の太刀筋を、ウチカビはなんとか予測し、紙一重で防御し、進んでいく。

 そして、ついに攻撃圏内。刃が届く距離に踏み込んだのは、これが初めてのことだった。

 白と緋色の刃が、交差する。

 

『!!!』

 

 あれほど苦心して詰めた距離。ウチカビはそれを、すぐに捨てた。

 打ち合う瞬間のことだった。炎の騎士が振りまいた周囲の炎は失せ、すべてが彼の握るものに収束した。出来上がったのは赤熱する刃。鍛冶師が鉄を鍛える、その途中のような姿。

 それと剣を合わせたとき、あまりの高熱に、このままでは刃を溶かされるというイメージがよぎった。屍剣士から奪った、この不朽の剣がだ。

 ウチカビは剣戟をいなし、騎士の腹を蹴り飛ばした。

 

 それから、長い戦いを続けた。

 発奮したウチカビだが。

 炎の騎士に手傷を負わせることは、できなかった。

 

 呼吸などしていないのに、肩が上下する。心臓や肺などないのに、胸が破裂しそうだった。

 ウチカビには体力(スタミナ)というものがないが、しかし、彼は限界だった。精神的な消耗だ。

 災害のような炎の攻撃。それをやりすごしてなんとか近づけば、切り結ぶことさえ許さない赤熱の刃。そして、そもそもつけいる隙のない高度な剣技。

 あまりにも強すぎる。このような剣士が、なぜ迷宮の入り口付近で死んでいるのか。不思議でならない。なぜウチカビとシセルを阻むのか。それもわからない。

 理不尽、という言葉の顕現だった。

 

 騎士が両手で剣を握り、高く掲げた。無限にあふれ出す炎は今、ごうごうとうねり、渦を巻いている。途方もない力がそこに集中している。

 敵はウチカビの消耗具合を見て、勝負を決めにきた。ウチカビの脚はもう、反射的には動かない。意思が必要だった。

 あれが振り下ろされたとき、この空間のすべてが灰と化す。それがわかっているのに、ウチカビの身体は阻止に動かない。

 それは気が付いてしまったからだ。あらゆる手段が通じなかった。もはや今の彼に、なすすべはない。

 ウチカビは戦いに没頭するあまり、撤退や搦め手の選択肢を排除していた。ここで彼が消えるのは、炎の騎士に挑んだことこそが間違いだったからだ。

 

 条件が違う。

 二人の騎士は今、対等ではない。シセルの援護を加味しても、炎の騎士が圧倒的な戦力を手にしている。最初から自明だったことだ。

 ――何が違う?

 ウチカビは、敗北の前に、ようやくそこに目を向けた。

 

 まず、前提として。二人の剣士は、生きていた頃の肉体を失っている醜い死霊だ。

 動いている理屈は異なるのだろうが、『血肉がない』という事実は共通している。

 それは戦う者にとっては重大な足枷である。血肉がない、ということは、生前に活用していた“星導力”が得られないということ。星導力は星法の使用や肉体の強化など、多くのことに用いられる。ウチカビはその欠落を、シセルから送られる魔力や魔術の支援によって補わねばならない。

 しかし、だとすれば。

 炎の騎士は、なぜ『炎の騎士』なのか?

 ウチカビと同じ白骨化した死体。そのどこから、あれほどの炎を生み出しているのか。

 無尽の炎。この点がウチカビと対等ではない。

 

 そして、その疑問の答えは明白だった。誰が見てもすぐにわかることだ。

 騎士の炎は、彼の握る剣から生まれている。

 二人の優劣を決定しているのは、地力の差ではない。手にしている武器の、格の違いだった。

 ウチカビは歯ぎしりした。頭の片隅では、最初からわかっていたことだ。しかしそれを受け入れたところで、その不公平を解決する手段はあったのか?

 

 炎が、色濃さと熱気を増していく。じりじりと焼け付く骨の身体。まるで太陽の真下にいるかのようだ。

 ウチカビは自分の役目を思い出し、離れたところで佇む少女を見た。魔術で身を守ろうとしているものの、あれでは生き残れないだろう。どうにか守る方法はないのか。

 シセルは不安そうに、胸に手を当てている。

 

 それを見て、ようやく思い出した。

 

『シセル!! 俺の(・・)剣を!!』

 

 ウチカビは半ば無意識にそう叫んだ。

 「は、はい」と返事がくる間に、その場へ駆け寄る。少女が胸の内から、黒い剣の柄を出現させる。彼女の“心臓”だ。その全貌が現れる前に、ウチカビはそれを掴んだ。

 

「んうっ!? ぐっ、あっ……! 引き、抜かないで……!! あぐぁっ!!」

 

 ウチカビは、少女のからだを鞘のように扱い、その胸から剣を抜いた。

 倒れるシセルを腕で支え、地面に横たわらせる。

 ウチカビは少女から遠く離れ、騎士に相対し、黒い剣を構えた。

 

「っ、はぁ、はぁ。……魔力を、吸収している……?」

 

 黒い剣に、小さな光の粒が集まっていく。

 それらは戦いの中で、シセルが振りまいた魔力の残滓であり、炎の騎士から零れ落ちた火の粉の群れだ。

 地下迷宮の光源(・・)となっていたそれらが、ウチカビの握る剣に収束していく。よく観察すれば、炎上する炎の騎士のほうからも、朱色の光を奪い取っていた。

 

(魔力の収奪、収束が、この剣の特性……?)

 

 息も絶え絶えになりながら、シセルはウチカビの挙動を見守った。

 黒い剣は彼女の心臓であるが、これは他者から奪ったものだ。正当な持ち主とは言えない。

 『魔術師』は、この剣の機能の表層しか理解していない。それを研究する余裕はなかった。

 

 『花嫁』の心臓となっていた黒い魔剣。

 性能の大部分を封じられているが、真の名を『ミスティルテイン』という。

 

 二つの極大の魔力が、反発し合い、空間を軋ませる。

 死霊の騎士たちは、同時に剣を振り下ろした。

 爆炎の津波。レーヴァテインからあふれる破壊の熱量。

 対し、黒い光の奔流。ミスティルテインは、収束した光の粒子を自身の力に変えた。

 ぶつかりあう二つの力は、拮抗し、嵐を巻き起こした。シセルはその余波を防ぐだけで手いっぱいだ。『魔術師』をして、それはこの世の終わりのような光景だった。

 

 誰にも見えない、力のぶつかり合いの内側で。

 二人の剣士が、走り出していた。

 炎に身を焼かれながら、黒い光にひび割れながら、彼らは前へ突進していく。己が敵をこの手で斬り伏せんと、剣を握りしめている。

 どくろが対面する。敵は目と鼻の先。燃える骸骨は、既に必殺の構えに入っていた。ウチカビはまだ剣を下げたままだ。

 だが。

 ウチカビには、何故か。彼が最後にどのような技を繰り出すのか、わかっていた。

 ――『一番得意な斬り方、相手の右脇を狙う横薙ぎ』。

 ウチカビは限界まで身を伏せ沈める。鎧の背面を、炎の刃が削り溶かした。

 そうして、必死の一撃をかわしたウチカビは。

 渾身の一撃で、炎の騎士を討った。

 

 

『ハァ、ハァ、ハァ……』

 

 息切れの真似事をするウチカビは、黒い剣を大地に突き立てた。

 これがなければ勝てなかった。いや、最初からこの剣を持って挑んでいたなら、敵もさらに攻め方を変えてきたはずだ。運や巡り会わせによる勝利であって、剣の格が対等でも、十の戦いをすれば九は負ける。その確信がある。

 ウチカビは、炎の騎士をみやった。

 胴体を破壊した。ばらばらになった骨の体は、頭蓋骨に遠い部分から徐々に灰となって消えていく。

 頭蓋骨には、まだ火が灯っていた。『炎の騎士』は、まだそこにいる。

 ウチカビはその最期を看取ろうとした。

 

『……その、剣……』

 

 炎の騎士が声を発した。

 

『カムリ、か……?』

 

『――え?』

 

 カムリ(・・・)

 騎士が発したその短い音は、ウチカビの魂を、電光のように弾けながら駆け巡った。

 何か、今、思い出すべきことがある。ウチカビは強い衝動に襲われた。だが思い出しきれない歯がゆさ。胸をかきむしるような苦痛にさいなまれる。

 その間に、炎の騎士は灰となっていく。

 

『………。最後の勝負は、君の勝ちのようだな……』

『待て、待ってくれ』

 

 ウチカビは、騎士に何かかける言葉を探した。それは騎士のほうも同じだったようで、ほんの一瞬の間があいた。

 だが、気の利いた遺言は間に合わなかった。

 

『さようなら、カムリ』

 

 死後もその身体を燃やし続けた炎の騎士は、いま、眠りについた。

 

 

 シセルとウチカビ。二人の傷や消耗が癒えたところで、戦いを振り返る。

 二人は、炎の騎士だった灰を見つめた。

 

「……ウチカビ。大丈夫ですか」

『ああ』

「その。様子がおかしいというか、落ち込んでいるような」

『そう見えたか? この兜は役立たずらしい』

 

 ウチカビはシセルに話さなかった。『あの騎士は、自分の知人だったのだ』とは。

 そこに深い理由はない。騎士のことは、しっかりと思い出してから語りたい、などと思ったからかもしれない。

 

「じゃあ、先へ進みますか?」

『待ってくれ……。これを、どうにかしなければ』

 

 二人の前には、一振りの剣があった。炎の騎士の振るっていた武器だ。

 黒焦げの棒きれのようなそれ。だが、消え切っていない火種のようなものが、刀身にちらついている。

 

『ここに放置していくのは危険だ。ほうっておけば炎を永遠に生み続け、周辺の環境を変えてしまうだろう』

「魔剣のたぐいですか。破壊しますか?」

『それは不可能だ。人間の手で破壊できるものじゃない……』

 

 ウチカビは、それが何なのかを知っているかのように語り続ける。

 だが、『レーヴァテイン』という名も思い出してはいない。銘よりも、それら(・・・)が抱える危険性のほうが、彼という人間にとっては重大な記憶だった。

 

『誰かが持ち出さねば』

 

 ウチカビは剣に触れようとした。

 その瞬間、炎が渦を巻いて遮る。ウチカビを拒絶したのだ。

 

『やはりだめか。これを制御できる誰かが……“封じ手”が必要なんだ。多分、あの騎士がそうだった』

「封じる。……やってみましょうか。ちょうど瞳の色が空いてます」

 

 シセルが前に出る。ウチカビは不安を吐露したが、シセルは封印の魔術に精通しているという。髪の色を奪い、変えた魔術も、その一種だと。

 シセルは剣の前に立ち、魔術を行使した。

 剣が浮き上がり、その輪郭と、内部の炎がシセルへと吸われていく。

 

「……ぐっ、ぐっ、ぐ、ぐ、う……」

 

 シセルは膝を折り、地面に手をついた。滝のような汗をかいて、目を閉じている。

 剣の姿は消えていた。

 ウチカビがシセルを庇い、支え起こす。シセルは目を開いた。

 

 その両の瞳は、暁のような、黄昏のような色に染まっていた。

 燃え上がる炎と、同じ色彩(いろ)だ。

 

 

「ああ。やっとここまできた……」

 

 少女が思わず駆けだす。

 ウチカビは、その暗い眼窩を腕で守った。

 迷宮の外からは、眩しい光が差し込んでいた。

 

「これでやっと。好きなこと、やりたいことが、できますね」

 

 シセルは振り返り、ウチカビに微笑んだ。

 銀の髪が揺れ、炎の瞳が目から覗く。

 潔白な聖女、あるいは、妖艶な毒婦のような笑みだった。

 

 



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08. 白銀色

 子どもの頃の、夢を見る。

 わたしがなりたい自分を決めたのは、たしか――、

 

 

 白銀の髪が、視界の端でちらちらと揺れる。見慣れた自分(プラチナ)の髪の色だ。

 

 気が付くと、わたしは夜道を歩いていた。

 歩く足取りはふわふわと浮遊していて、目に見える景色はどうにも地面が近い。

 なので、これは子どもの頃の自分が見ている光景だとわかる。

 

 そこに気が付くと、連鎖的に、これは眠っているときの夢の世界だと自覚する。

 この夜道には見覚えがある。ペリエの、ラングレン養護院を出て、南区のずっと端まで歩いていく途中だ。子どものわたしはどうやら夜が怖いようで、身体が震えていた。

 どんどん、この夜のことを思い出していく。たしか、エクスとは出会う前だったかな。10歳にもなってない。

 夜道を子どもが一人で歩くのはよくない。そんな常識は、小さい頃のわたしだってわかっているはずだ。

 どうしてこんな無茶をしたんだっけ。ああ、たしか……、

 友達が、町はずれの墓地には、お父さんとお母さんがいる……なんて話をしたからだ。

 子どもというのは、聞き分けがいいように見える子でも、突拍子もない行動をしてしまうもので。わたしはこの夜、顔も覚えていない実の両親の名前を探しに、墓地に向かっていたのだ。なんなら、何故か本人たちに会えるとすら思っていたフシがある。

 

 わたしが進むにつれ、街の灯りがだんだんと減っていく。

 きっとこの夜、大人たちは必死でわたしを探して、街中を走り回っていたんだろうな。いやはや申し訳ない……。

 ペリエは優しい街だ。他の都市なら、この時間に幼い子どもが町はずれをうろつけば、無事で帰れるとは限らない。人さらいの悪人だとか、結界を抜けてきた魔物とか、いろんな危険がある。

 でも、ペリエではそういった出来事は驚くほど少ない。よそとは比べ物にならない平穏がある……というのは有名な話だ。

 まあ、そんな話は、子どもの頃のわたしにはわからない。

 

 わたしは墓地へと続く、見通しの悪い林道までやってきていた。

 風が木々を揺らす様子や音は、とっても怖い。最初はなんでもないと自分に言い聞かせていたのだろうけど、わたしは耐えられなくなったようで、なんと泣きながら林の中に隠れ、座り込んでしまった。せめて走って家に帰りなさいと言いたい。

 とはいえ、この怖さはよく覚えている。このまま二度と家に帰れない、もうみんなに会えない、なんて思っていた。つまりは子どもにとっての最上級の絶望。

 

 だから、助けに来てくれた男の子のことを、かっこいい騎士様だとでも錯覚したのだ。

 

「プラチナ。なにやってるんだ、こんなところで」

「カムリ……?」

 

 うずくまるわたしに声をかけたのは、生意気でバカで少し意地悪で、仲のいい男の子。カムリだった。

 このとき、さすがにわたしの中で、カムリの好感度が爆上がりした。女子の恐怖心につけこむ許されざる男である。許されぬ。

 おっと、場面が進んでいる。

 一通り、すがりついたり、涙を隠そうとしたりしたあと、わたしはカムリに聞いた。

 

「どうやって見つけてくれたの?」

 

 わたしは魔物やらなにやらに見つかるのが怖くて、茂みに隠れていた。髪色は目立つだろうけど、この深い夜じゃ見つけるのは難しかったはずだ。

 カムリは答える。

 

「おれの目、どんなに暗くても見えるんだ。プラチナの髪なんか、どこにいてもわかるよ。きらきら光ってるから」

 

 そのときのカムリの瞳は、不思議な色をしていた。いつもは髪と同じブラウンの色なのに、暗い闇の中にいると、ぼうっと光る淡いブルーに変わっているように見えた。お月様のような色、とでも言えるだろうか。

 さて、素敵な王子様が……いや王子様とは認めないが……助けに来てくれたのだから、この話は終わり。……とはいかない。

 わたしはカムリに、一緒に墓地まで行ってくれるように頼み込んだ。怖さや寒さから、彼の手をぎゅっと握りしめたりしていた。よくないなぁ。

 結果、このまま夜の散歩を続行することに。すぐに一緒に帰ろうと言えなかったあたり、カムリもこのときは子どもだったということか。

 

 墓地にたどり着いた。わたしはカムリと、自分の父母の墓を探そうとしていた。けれど両親の名も、家名すらわからないので、見つかるはずもない。

 夜が深くなっていく中、不安な気持ちで墓地をきょろきょろ、うろうろと。たぶん自分でも、もう何をやっているのか、わからなくなっていた。

 それと、当時は気が付かなかったが、カムリはこのとき、お墓を探そうとしているというよりは、わたしをじっと見守っているようだった。

 時間が経っていく。

 このペリエという平和な街なら、ここであきらめて養護院に帰った、なんていう、少し寂しくて苦い思い出になるはず……、

 だったんだけど。

 

 このときわたしたちは、死霊(・・)に襲われた。

 

 誰かの遺体を無理やり動かしている、弱っちいタイプのやつだ。今相手にすれば一発で昇天させる自信がある。けれど10歳にもなってない子どもがこれに襲われたら、それはもう、この世の終わりみたいな衝撃と恐怖だ。

 悲鳴をひとつあげて震えるわたしを、カムリが庇う。まだ子どもなのに度胸はすごい。でも、剣なんて握ったことがないときのカムリだ。わたしたちは絶体絶命だった。

 

 ぎゅっと目をつぶってしばらくすると、誰かの足音と気配がして、わたしは目を開けた。

 騎士の甲冑を着たツェグが、剣を振り抜いていた。死霊はもう消えていた。ツェグが倒したのだ。

 わたしは安心しすぎて、泣きそうになった。わたしがぎゅっとその服を掴んでいたカムリは、へなへなと崩れ落ちた。彼も怖かったのだ。本当は泣きだしたかったに違いない。

 でも……先に泣いたのは、助けに来てくれたツェグのほうだった。

 

「どうしてこんなところまで来た! 夜は危険だ、出歩くなと言っただろう!!」

 

 ツェグの怒声を聞いたのは初めてだった。涙を見たのも。

 彼はきれいな剣を地面に突き立て、空いた両腕で、わたしたちをまとめて抱きしめた。

 

「いや……わかってるんだ。わかってる……」

 

 ツェグは耳元でぼそぼそとつぶやいていた。多分、どうしてわたしとカムリがこんなところにいるのか、という話についてだ。

 

「プラチナ、カムリ。お前たちは俺の……家族だ。勝手にいなくならないでくれ。心配するだろう」

 

 ツェグがいつものように落ち着いてきて、その温かさを感じて。わたしはようやくそこで、子どもらしく泣きじゃくったのだった。

 

 …………。

 今にして思えば。少し、おかしな出来事だった。それこそ夢の中の幻に思える。

 ツェグの様子が、ということではない。

 ペリエの内側で死霊が出るなんて(・・・・・・・・・・・・・・・)まずありえない(・・・・・・・)

 星法士として都市の結界に関わるようになったから、そう断言してしまえる。星天教会が力を持っているこの街は、特に死霊や不死属を忌避し、それらに対して強い結界を敷いている。墓地なんてとくに気を配っている場所だ。それは、わたしが子どものときからそうだったはず。

 このときのツェグが騎士甲冑、つまり任務中の武装姿をしていたのも、わたしのこととは別に、当時のペリエで何か小さな事件が起こっていたんじゃないか……なんて。

 こんな夢を見るってことは、わたしはこの件をずっと疑問に思っていたのだろう。けれど、大人たちにはついぞ聞きそびれてしまっていた。

 

 ありゃ、時間を止めてしまった。先に進めよう。

 

 養護院に戻ってきたわたしとカムリは、ツェグや院長先生たちに当然の説教を食らい、いつもの消灯時間に大幅に遅れて、寝室に送られた。

 でも、わたしは自分が眠れないだろうとわかっていた。手足は冷たくて、頭の中にはおそろしい死霊が焼き付いて、まぶたを閉じるのが怖かった。

 

「カムリ、いっしょにいて……。夜は、こわいの……」

 

 うーーーわっ、恥ずかし。ほんとにこんなこと言ったかな? うそでしょ。

 わたしはカムリの手を握って引き止め、そのまま院長先生のところに行って、眠くなるまでご本を読んでもいいかと聞いた。

 先生は優しく了承してくれた。いつもは、夜更かしには厳しい人だ。

 

 小さな灯り(ランプ)の下で、本を開く。カムリと顔を寄せ合い、ページを覗き込む。

 これはわたしが一番好きな物語の本だ。『シセルと魔法の騎士』という。

 魔法使いの少女シセルが、魔法で生み出した鎧の騎士と一緒に困難に立ち向かう、という話。最後にふたりは結ばれ、いつまでも幸せに暮らしたとさ……というオチ。

 わたしは、シセルの銀色の髪が自分のものと似ていて、たぶんそこが気に入っていた。あと、守られるだけじゃなくて、自分から騎士と共に戦っていく、勇敢さとか。

 まあ、勇気と愛の物語だ。

 それを一緒に、小さな声を出して読んでいった。カムリには鎧騎士のセリフを言わせた。つまらなさそうな棒読みがおかしくて、怖い出来事を少し忘れられた。

 そのあとは、くだらないお話をした。街のほうで友達ができたとか、果物屋さんでおまけをもらったとか。

 将来は、どんな自分になりたいか、とか。

 

「おれは、ツェグみたいな騎士になるよ」

「えっ?」

 

 それは初めて聞いたことで、わたしは結構おどろいたと思う。ツェグや騎士に憧れている男の子は多い(ペリエ市なりたい職業ナンバーワンと思われる)けど。

 子どものときのカムリは、のほほんとしていて、剣の練習とか、荒事とか、そういうのが嫌いそうだったから。

 

「なんで?」

「んー。かっこいいから」

 

 本当かな。子どもの頃のわたしは、あっさり信じたみたいだけど。

 もっと詳細を考えると、実際にツェグに危ないところを助けられて、その姿と実力に憧れて、騎士になりたいと思った……ってところじゃないかな。

 

「ねえ、ねえ。じゃあ、カムリが騎士になるんだったら、わたしはね」

 

 子どもは人の話をあまり聞かない。すぐに自分のことを言いたがる。

 

「シセルみたいになりたいんだ。シセルみたいな、魔法使い!」

 

 ……ああ。

 ここで決めたのか。自分のなりたいもの。

 

「へー。なんで?」

「ふふー。かっこいいから」

 

 たしかにそれもあるが、本当は。

 カムリと、一緒に戦いたかったからだ。背中に守られるんじゃなくて、一緒に肩を並べたり、背中を合わせたり、助け合う。あんな死霊なんて、ちょっと怖かったとしても、二人がかりでぶちかます。

 シセルになりたいっていうのは、それができる勇気ある女の子になりたい、っていう意味だ。

 だからわたしは、騎士と並び立って戦う、星法士を目指したんだ。

 

 本を閉じる。

 夢の中のわたしは、うとうとしている。怖い気持ちはなんとか振り払って、頭の中はカムリや、シセルと騎士のこと、ツェグやみんなのことでいっぱい。つまりは幸せな想い。

 たぶん、ベッドに着く前に眠っちゃうんだ。

 夢の世界が暗くなっていく。夢の中で眠ったのなら、現実で目が覚めるんだろうか。

 なら。

 まだ、夢を見ていたかったな。

 

 

 

 

「――あ。あ、うぁ……」

 

 意識が飛んでいたようだ。

 さっきまでの、優しく、意外と色鮮やかな記憶の景色と違って、ここは本当の真っ暗で何も見えない。何が起きているのかを忘れてしまう。

 でも、身体の痛みが、こっちを現実だと教えてくれる。

 柔らかいベッドはない。岩壁に背中を預け、間抜けにも深く眠っていたみたいだ。

 最後にもう一度だけ、おはようと起きられたことを、星神(ホシガミ)様に感謝しよう。

 ……いや。ほんとうは神様なんかどうだっていい。自分のタフさを誇ろう。

 

 子どもの頃の、夢を見た。

 わたしは、いつも服の内側にしまっている、大事なものを思い出した。

 

 

 ▽

 

「私は右へ行く」

 

 星騎士エクスを欠き、地下迷宮の攻略によりいっそう奮起する三人は、二又の分かれ道にぶつかった。

 カムリやプラチナが発言をする前に、ツェグがこの迷宮行への方針につながる選択を述べた。私は、右へ行く。

 つまりは、それ以外の者は左へ行け、ということ。

 この提言に、エクスを置き去りにしたばかりの二人は、当然に反発する。しかしツェグは、反論に対して首を振ることはなかった。

 右の道へ歩みだそうとするツェグに、カムリは思わず声を上げた。

 

「あんたまで一人になって、大丈夫なのか」

 

 これは、エクスを一人にしたことへの不安が現れた言葉だった。

 平時であれば、ツェグの実力を、カムリは何よりも信頼している。だが、取り返しのつかない何かが起ころうとしているような、そんな気がしてならなかった。

 ツェグへ一歩、一歩と近づこうとするカムリの腕を、プラチナがつかんだ。

 

「え、と。お互いズンズン進んでいって、もし行き止まりに当たったら、合流を目指して引き返す……ってことでいいんだよね?」

「ああ」

「カムリ、行こう。早く終わらせて、エクスのところに戻ろう」

「……わかった」

 

 カムリは兜の内側で、眉尻を下げた。不安におびえる子どものような表情で、ツェグの背中を見送った。

 カムリとプラチナ。二人は左の道を行く。

 

 

 しばらく、迷宮攻略のセオリー通りに道のりを埋めていくと、やや広い空間に出た。

 緒戦の魔物の大群がいた部屋や、エクスと別れた空洞ほどの大きさではない。しかしいかにも、何かがありそうな部屋だ。

 二人は警戒を強め、向こう側の通路に向かって進む。不意の罠や魔物の襲撃に備え、注意を払いながら、ゆっくりと。

 だが。この部屋に仕掛けられた罠に対しては、素早く駆け抜けてしまうべきだった。

 

「……!? これは……」

 

 部屋の中央を過ぎたあたりで、異変に気が付く。

 両名とも、足を止めた。いや、足が動かなくなったのだ。身体を縛り付けられたかのように、深い眠りから意識だけが目覚めたときのように、身体が動かない。

 麻痺毒の罠。それがこの部屋に、ガス状になって充満していた。

 

「プラチナ、平気か」

「ごめん、ちょっと、解毒に時間かかりそう……」

 

 カムリは訓練、プラチナは星法によって常人離れした耐毒性を獲得しているが、そのふたりの動きを止めるほどのものだ。

 しかしカムリはあえて深く呼吸し、精神を落ち着ける。「大丈夫だ、これくらいなら」。そう思考する。

 驚くべきことに、事実としてカムリの四肢は動きだし、緩慢な速度だが、プラチナを抱え上げようと彼女に近づいた。

 

 

 暗い暗い迷宮の中。

 人知れず、ひとりの騎士が、一枚の紙札を手にしていた。

 それは呪符。魔術師の道具だ。星天教会の騎士が持つことは許されていない。

 騎士は、呪符に、小さな火をつけた。火は燃え広がり、呪符を黒々と染めていく。

 

 

「あ……?」

 

 カムリは、呆けた表情で、籠手を装備した自身の両手を見つめた。

 兜の隙間からこぼれた、赤い血で染まっている。

 自分の口から吐き出したものだ。

 

 カムリは静かに倒れ伏した。

 

「カムリ!?」

 

 プラチナは麻痺への対処を進め、動くようになった身体でカムリに駆け寄る。

 兜を外して放り投げる。

 晒されたカムリの皮膚には、黒いまだら模様が、カビのように浮かんでいた。

 プラチナはそれを、死に至る“毒”であると判断する。自身とカムリの周囲に最も強力な結界を張り、その場で治療を開始した。

 

「大丈夫……大丈夫だ……っ」

 

 プラチナは自らを鼓舞する。治癒の星法や、人体に入り込んだ毒の中和は、プラチナが最も熱心に学んだ技術だった。人々を、そして未知の敵と戦う騎士たちを守るための、重要項目。

 カムリの症状を見て、それに近い原因を記憶から導き出す。プラチナは、自分のこれまでの努力は、今日この日のためにあったのだと確信した。

 星法による適当な処置を行っていく。

 

 そして、いくらかの時間が経った。普段であれば、軽い食事を済ませる程度の時間。しかし今は、騎士の命を削り取るのに、十分な時間だった。

 

(おかしい……!)

 

 難解すぎる。わたしの知るどの方法でも中和することができない。そもそも呼吸や皮膚から入り込んだものじゃない。強力すぎる“呪毒”が、体内から湧き出している。

 以上が、プラチナが突き止めた事実だ。

 部屋に充満している麻痺の毒とは違う、別のもの。その源自体が、カムリの体内(・・)に居座っている。これでは中和しきることはできず、元凶そのものを除去するしかない。

 プラチナはカムリの生命活動を維持しつつ、対応策をいくつも思い浮かべ、現状では実行不可能なものを排除していく。

 その中に、ひとつだけ実行可能なものがある。

 毒の源を今すぐ、患者に負担をかけずに体外に排出させる――、という都合のいい星法はない。だが『別のものに移動させる』という都合のいい星法は、あった。それはこの毒が、魔術による呪いであるからこそ可能な裏技だ。

 

 それは、呪毒をプラチナの身体に移動させる、というもの。

 自身の体内であれば、より小さく、小さく、毒の浸食や症状を抑制することができる。プラチナという星法士の五体そのものが、呪いの病を抑え込むひとつの結界になる。

 それをペリエに持ち帰り、教会や施療院の星法士たちとともに、時間をかけて解析と解呪を行う。そういった対処が可能だ。

 プラチナは息をのんだ。状況を今より良いものにできる見込みがあるが、リスクは大きい。抑え込めるかどうかは自分の実力にかかっている。可能だという目算はあるが、勇気は。

 プラチナは首を振った。

 カムリの顔を見て、想う。自分がなりたかったものは、なんだったか。

 

 プラチナは、カムリに口づけをした。

 接触により経路をつくり、カムリの体内に潜む、悪性の呪いを吸い出していく。

 

 このとき、少女の運命は決まった。

 

 呪いのすべてを移動させ、自身の体内に意識を割く前に、異変は起きた。

 カムリから吸い出した呪毒は、プラチナの体内に潜んでいたもうひとつ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と結びついた。

 二種の呪いは混じり合い、より強力無比なものとなり、一瞬でプラチナを蹂躙した。内臓は破壊され、神経は切り刻まれ、星法の守りは砕け散った。

 プラチナは、失敗した。

 その全身を侵す毒が、侵入者を害する迷宮の罠ではなく。

 ただ騎士たちを殺害するためだけに用意されたものだと、知らなかったからだ。

 

 

 カムリは目を覚ました。

 意識を失う前にあった痛みはもうない。しかし、必死に介抱していたプラチナの姿が見えず、急いで身体を起こした。

 プラチナは、すぐそこに倒れていた。

 全身の毛が逆立つ感覚に襲われ、カムリは、プラチナを抱え起こした。

 

「そんな……」

 

 少女は、黒い病に侵されていた。

 口元に、胸に耳を寄せ、呼吸と心臓の動きを確認する。どちらも正常ではないが、まだ生きていた。

 カムリはプラチナを抱き上げ、すぐに来た道を戻ろうとしたが、その距離を思って青ざめた。やむなく、プラチナの身体を部屋の壁際に下ろす。

 プラチナに触れ、星導力を振り絞り、他者を活性化させ傷を癒す星法をかける。これは自身を癒すよりもずっと難しく、カムリはこの技術を、十分に修めているとは言い難い。

 

「……あ。カムリ……?」

 

 ささやくような声がした。

 

「プラチナ! ……大丈夫だ、すぐによくなる。お前が俺を治してくれたんだろ? さあ、集中して。毒なんて、またやっつけよう」

「……カムリは、平気……?」

「ああ。プラチナのおかげさ」

 

 カムリはプラチナの肩に触れ、手を握り、星導力を送り続けた。

 にも関わらず、少女の身体がどんどん冷たくなっていくのを感じた。その現実は、毒などよりも丁寧に、カムリの内側を壊していく。

 

「ね、カムリ……」

「なんだ?」

「あのさ。ぎゅって、してくれる……?」

「……何言ってる、こんなときに……!」

 

 気丈にふるまおうと努めていたカムリの声に、強い焦りが混じる。

 プラチナはその声から、カムリの心を感じ取った。そして、自分の状態も。

 

「ちゃんと言わないとだめか。カムリ、わたしね」

 

 顔をわずかに上げ、プラチナはカムリを探した。

 

「カムリのこと、好き。愛してただけじゃなくて、恋もしてた。ずっと、子どもの頃から……」

 

 カムリは、何を、こんなときに、といったことを口にしようとして、それを呑み込んだ。

 返答として、自分の心を伝える。

 

「プラチナ。俺も、俺もだよ。君が好きだ。何よりも大事なんだ」

 

 カムリはプラチナの頬に触れた。

 

「なあ、もう行こう、プラチナ。家へ帰ろう。こんなところじゃ雰囲気が台無しだろ? なあ……」

 

 少女は微笑む。

 だが、何も答えない。

 カムリは気が付いた。プラチナの蒼銀の瞳は曇り、何も映しておらず、目の前にいるカムリの姿が見えていない。

 まるで死人のようだが、乱れた呼吸だけが、まだ彼女を生者だと証明している。

 もし、それすらもなくなってしまったら。

 

 カムリは、何かできることはと、自身の経験や知識を総動員し――、

 そして、絶望した。

 あまりに無力だと思い知った。何もできはしない。手を尽くす、ということすらもできない。

 己の生存のために必要な能力を身に着け、修練を積んだ。目に映るものを守るために剣を握った。星騎士にまで上り詰めた。

 そうしてたどり着いた現実は。毒に侵された少女を、彼という騎士の起源そのものを、誰よりも愛した人を助けるすべがない、というもの。

 カムリの心が、暗く、深く沈んでいく。

 

「ねぇ、やっぱり逆。カムリのこと、ぎゅってしたい」

 

 プラチナの手が震える。カムリは、はっとして顔を上げた。

 

「でも、あれ……。できないや」

 

 カムリはプラチナを抱きしめた。恋人を甘く抱く、というよりも、すがりついて泣きじゃくる、子どものような姿だ。カムリは頬を、美しさを失わない銀の髪に擦り付ける。

 

「あはは。嬉しいけど、やっぱりちょっと違うな。わたしが、あなたを抱きしめたいのに」

 

 プラチナは不満をつぶやきながらも、目を閉じ、想った。

 ずっとこうしていてほしい。自分が、眠りにつくまで。

 その想いは伝わっているのか、カムリ自身、そうしようとしていた。プラチナを抱く腕は力強く、離したくないという意思のあらわれだ。

 

 しかしプラチナは、引き受けたはずの呪毒が、再度カムリに及ぼうとしていることを察知した。

 

「……ね、カムリ。もう行って」

「……なんだって?」

 

 それはプラチナが、勇気を振り絞って口にした言葉だった。

 

「ひとりで先に行って。お願い」

「何を、ばかな」

「だいじょうぶだよ。また会える。……約束する」

 

 気休めの嘘。しかし、プラチナという少女の、本当の願いでもあった。

 

「嫌だ、一緒にいる。死ぬまで一緒だ」

 

 カムリは、騎士である自分をかなぐり捨て、わがままを言った。プラチナが何かを決心しているのは明白だが、それでも離れられなかった。任務のことなどもはや頭にはない。目の前の少女のことしか見えない。それが彼にとって、当然の優先順位だ。

 

「俺は、本当は。みんなを守るために騎士になったんじゃない。君を守るためだったのに……」

 

 それが子どもの頃、暗い夜の日に決めた、彼の起源だった。

 

「!? な、何を――」

 

 死に瀕するプラチナの身体にあって、唯一元の美しさを損なっていないもの。白銀の髪が、淡く光った。

 瞬間、カムリはプラチナから引き離される。宙に浮いた彼の身体は、銀色に輝く球体の内部に囚われていた。

 

「いい? ちゃんと魔術師を――ううん。悪いヤツを倒してから来てよね。じゃないと、待っててあげないよ」

「プラチナ!! 待ってくれ、待って」

「カムリ」

 

 プラチナは微笑んだ。相手を想うこの瞬間だけは、痛みを忘れられた。

 

「ありがとう。またね」

 

 光球はカムリごと、通路の向こうへと飛ぶ。迷宮の道に沿って、遠く、遠く。

 本来は敵を吹き飛ばすための技だ。プラチナは、少し乱暴だったかな、と笑った。

 

 

 プラチナの星法によって飛ばされたカムリは、長い距離を移動し、地面に投げ出された。

 おぼつかない手足で地面をかきむしり、立ち上がろうとする。

 

「はぁっ、ああっ!? うわ、あ、ああああああ!!!」

 

 カムリは狂乱した顔つきで慌てふためく。何が起きたのか、プラチナがどうなるのか、理解したからだ。

 

 そこに、一人の男が現れた。

 

 カムリの現在地は、先ほどの分かれ道と合流する三叉路だ。別の通路から、影が漏れ出すように、ツェグがやってきていた。

 カムリとツェグの目があった。その姿と、プラチナを欠いた現状から、二人にどの程度の苦難があったのかは、誰にでも想像できる。

 カムリは視線を切り、身体を来た道に向けた。

 だが。

 

「先を急ぐぞ」

 

 ツェグの発した第一声は、そんなことだった。

 

「――何故だ!? ふざけるな!! あり得ない判断だ、いくらあんたの言うことでもッ!!」

 

 カムリは、エクスを想い、プラチナを想い、敬愛するツェグに食って掛かった。

 きっと状況を知らないのだ、そう考え、説明しようと思った。あるいはその前に、激高し拳で殴り飛ばそうとした。

 

「……な……っ」

 

 ツェグは、涙を流していた。

 

「先を急ぐぞ」

 

 かけられる言葉は変わらず非情なもの。表情には悲哀も、怒りも、他の何もない。無感動だ。

 ただ、涙を流していた。

 カムリは、ツェグのことがわからない。わかったのは、彼もプラチナを想っているということだけだ。

 カムリは今にも死にそうな顔になって、行くべき道と、戻るべき道を見比べた。

 

 ちゃんと魔術師を――ううん。悪いヤツを倒してから来てよね。じゃないと、待っててあげないよ。

 

 カムリは選んだ。向かう道はプラチナの元ではなく、『魔術師』の元へと続いている。

 その選択が間違いであるとも知らず。

 いや、間違いだとわかっていた。彼は自分の中にある、何よりも大切だったものに、フタをした。

 

「すぐにケリをつける」

 

 それだけをつぶやき、カムリは走り出した。

 

 移動速度は戦闘時のスピードに近い。

 仕掛けられた迷宮の罠や、ときおり現れる迷宮の番人たる魔物を、力任せにも見える強引さで突破していく。そのたびに、負傷が増えていく。

 いくら星騎士であっても、迷宮攻略という観点では、これはあまりにも悪手だ。

 だが、その鬼神のごとき形相を見れば。たとえ仲間たちがいたとしても、止められはしないだろう。

 

 その後をツェグは、影のように、幽鬼のようについていく。

 

 

 

 

 

 

「――あ。あ、うぁ……」

 

 暗闇の中、プラチナは、ほんの一瞬の眠りから目覚めた。

 最後の目覚めだった。

 もう立ち上がることはできない。背を任せた岩壁が、彼女の眠る場所となる。

 

 プラチナは、毒に侵された腕と震える指先で、服の内側から、一冊の小さな本を取り出した。最後に腕を動かす力は、このことに使った。

 本は、肌身離さず持ち歩いていた、彼女の宝物だ。

 膝の上で、本を開く。幼い本好きの女の子のように。

 灯りのない洞窟でも、毒で見えなくなってしまった目でも、本を指でなぞれば、プラチナにはその内容がわかる。

 一字一句、とはいかないが。ほとんど覚えてしまうくらいには、その物語が好きだった。

 全身がひどく痛むのに、ページをめくる指先は、不思議と軽やかに動かせる。

 『シセルと魔法の騎士』。その勇気と愛のおはなしを、プラチナは頭の中で思い返していく。

 

 勇敢な魔法使いの少女シセルは、騎士と結ばれ、ずっと一緒に、幸せに暮らしました。

 死がふたりを分かつまで、片時も離れることはありませんでした。

 おしまい。

 

 プラチナは、これまでの自分の記憶を思い浮かべた。そこにはプラチナと、その大事な人たちがいる。

 プラチナは、これからの自分のことを想像した。そこにはきっと、プラチナと、一番大事な誰かがいる。

 幸せな記憶と、幸せな結末。憧れていた未来。それらが、傷ついた少女の心を、温かく満たしていく。

 

 本の最後のページが、落ちてきた雫で濡れてしまった。

 

「いかないで、カムリぃ……」

 

 プラチナは泣いた。

 見えなくなった目を凝らし、動かないはずの腕を持ち上げ、どこかに向かって手を伸ばす。

 

「いっしょに、いっしょにいてよ。こわい……。夜は、こわいよう……」

 

 しばらくの間、洞窟には、少女のすすり泣く声が小さく響く。

 それもやがて、静かになった。

 

 



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09. dead end / 行き止まり

 シセルと死霊の騎士ウチカビは、ついに迷宮の外へとたどり着いた。

 

 外の世界は、真昼と夕暮れ時の間。太陽は地下洞窟の入り口を照らす位置にあり、強い日差しが二人の目を焼く。

 

「くおおお」

 

 シセルは眩しそうに目を守った。ウチカビは微笑ましいものを見る気持ちになったが、シセルは太陽を見るのは生まれて初めてなのだから、地下と地上の明暗差は、少女の目の今後に関わるかもしれない……、と徐々に心配が強くなった。

 

『シセル、目は大丈夫か』

「はい。いま調整中です……」

 

 シセルは目を開いた。暁色の瞳が、生命の色彩にあふれた地上世界を見渡す。

 

「おおお。なんか感動ですね、いやほんとに、なんか、こんなに感動できるとは思いませんでした。地下にも引きこもってみるものですね」

 

 乏しい語彙で喜んでみせる。

 ウチカビもまた、地上にはまったく久しぶりに帰還したことを、記憶ではなく体で感じ、清々しい気持ちを味わった。陰鬱な地下とは全く違う、風の涼やかさ、におい、日の温かさ。自分がこういうものを幸福に感じられる人間なのだという事実。それらをしばし楽しむ。

 しかし、やがてウチカビは視線を落とした。

 この身は迷宮に入る前と現在とで、随分変わってしまったのだろう。そして何より、きっと、大事な仲間を失っている。

 ウチカビは生前の自分自身に降りかかった出来事を想像し、恐れた。

 太陽の光と熱は、骸骨の身には染みた。

 

 二人は草を踏みながら歩いていく。存在を隠されている迷宮の出入り口には、そこから繋がる道というものがなかった。

 草むらを踏み分けていくと、やがて街道に出た。柵や石積みの区切りこそないが、草の根もない。人通りがある土地だということだ。

 シセルはきょろきょろとあたりを見回し、再び歩き出す。歩みはそのうち、目的地が明確であるような足取りになった。ウチカビがその後をついていくと、少女はある地点で足を止める。

 そして可愛らしい声で、意味不明な言葉の連なりを唱えた。

 それに反応するかのように、一軒の家屋が、二人の目の前に現れていた。魔術によって隠されていたのだ。

 

「おお、ちゃんとまだあった。入りましょう。今日はここで密やかに、脱出記念パーティーでも」

 

 どうやら安全圏であるらしい。ウチカビはシセルに続き、家屋の中に足を踏み入れた。

 

 屋内には食卓やキッチン、身体を横にできる寝室があり、人が暮らすための条件が整っている。

 二人は手分けをして、中の様子を点検していった。

 ウチカビは狭い部屋にやってきた。いくつか、前回の使用者の荷物が残されている。あるいは誰かが補充した備品か。

 作業机を見かける。

 そこには、一枚の小さな絵が立て置かれていた。

 

 いや、絵ではない。これは、“写真”だ――。

 

 ウチカビは薄汚れた籠手で、写真立てを手に取った。

 そこには大勢の人が映っている。どの人物も若者、どころか、子どもだ。

 皆笑顔で狭い世界の中を駆け回っており、手には大皿の食事や、何かの飾りを持っている。どこかの大部屋で、祭りの準備でもしているらしい。

 ウチカビは、ゆっくり、ゆっくりと、子どもたち一人一人の顔を眺めていった。

 そして最後に、この中での最も年長者だと思われる、三人の男女に目がいく。

 一人は若い男だ。子どもたちに囲まれている。慕われている様子が描かれている。

 あとの二人。こちらも若い。

 怪訝な顔をしている青年の背中を、まぶしい笑顔の女性……少女が押している。まるで太陽のような少女だ。しかしその髪はシセルと同じ白銀色で、そちらは月光を思わせる。

 そして、背中を押されているのは。

 送別会の準備(・・・・・・)から、追い出されようとしているのは――。

 

『……はっ、はっ、はっ、はぁっ……』

 

 ウチカビは頭に手を当て、胸をかきむしり、苦しむ真似をした。

 死霊に肉体の苦しみなどない。だが彼にとっては、真実、苦しかったのだ。

 

 ――この男は、自分自身(ウチカビ)だ。

 

 この男こそ、ウチカビが鏡を覗けばそこにあるはずの姿だ。それは、投げた石がいつかは地面に落ちることのように、自然で、明白なことだ。

 写真に映っている世界は養護院だ。彼と、彼の仲間たちの育った家。

 そして。子どもたちに囲まれて笑う、優しい顔つきの青年は。自分の背中を押す、銀の髪の少女は。

 

 ウチカビは写真立てを卓上に落とし、ふらふらと後ずさりをした。

 『炎の騎士』を叩き斬った一振り。『魔女』を貫いた剣の感触。それが手の内に、鮮明によみがえってくる。

 まさにいま、自分は封じ込めた記憶を取り戻そうとしている。それはわかる。

 だがなぜ、取り戻すべきそれを、こんなにも恐怖しているのか。知ってはいけない。知ればもう、逃げることができない。そんな感情が頭を、全身を支配する。

 かたかたと骨が鳴る。ウチカビは、震えていた。

 脳みそなど欠片も残っていない頭を押さえ、うめく。

 

「ウチカビ? ……大丈夫ですか?」

 

 気が付くと、ウチカビはシセルに顔を覗き込まれていた。少女はウチカビを思いやるように、気づかわしげな表情をしていた。

 ウチカビは弱弱しい声で答える。少女を守る騎士のものとは思えない。

 

『アタマが痛い。思い出しそうなんだ……』

 

 シセルはそれを聞き、ウチカビと机上の写真を見比べ、

 

「まあ。そうなんですねっ」

 

 場違いな明るい笑顔をした。

 

「ふうむ。逃避したかった記憶が呼び覚まされて、魂が悲鳴をあげているのかな。面白い現象ですねぇ」

『シセル……?』

「わあ、この絵、あなたが描かれていますね。きっかけはこれか。ふーん、こんな表情ができたんだ……」

 

 シセルは写真を見て、感想を口にした。

 ウチカビはその言葉にある疑問を覚える。その疑問は今の彼にとって危ういものであり、咄嗟に考えないようにしても、耳鳴りのようになって彼をちくちくと刺す。

 堪えられず。ウチカビはシセルに、それを、()(ただ)してしまった。

 

『なぜ、その男が俺だとわかる……?』

 

 ウチカビと青年は似ても似つかぬ姿だ。一方は死体、一方は生者なのだから。

 シセルは可愛らしく小首を傾げた。それを問われることこそが不思議だ、という仕草だった。

 

「なぜって。私が初めてあなたと会ったとき、あなたはまだ生きていた。そのときの姿を知っているのは当たり前でしょ」

『え……』

 

 ウチカビは呆けた。

 そして、(おのの)いた。背中の肌が腰の方から、一枚一枚、裏返しになっていくような感覚を覚えた。

 少女は、生前の自分を知っている。

 ……考えてみれば当然だ。よく言葉を思い返せば。

 

 少女は初めから、武器を持たないウチカビのことを、“剣士”だと断じていた。

 

 死霊として目覚めたとき、ウチカビは剣も、それを収納する鞘も身に着けてはいなかった。戦いの経験のない人造の少女が、鎧姿だけで剣士だと見抜けるとは思えない。

 だとすると少女は、剣を握ったまま死んでいた自分を見つけたか――、

 あるいは。

 生きて剣を握っている自分と、対面したか。

 

「どれ。今は魔力も十分にあることだし……。魔術で、記憶の整理を助けてあげましょう。それくらいならしてあげられます」

『――よせ』

 

 ウチカビは膝を折り、情けなく床に尻餅をついた。

 シセルは膝に手をつき、空洞の目を覗き込んでくる。

 

「どうして? 迷宮を出られたら、あなたは自分を知りたい。わたしはそれを手伝ってあげる……そういう約束でしょ?」

 

 シセルの手が、ウチカビに伸びてくる。

 

『……やめろ!!』

 

 ひどくおびえた声をあげるウチカビを見て。シセルはくすくすと、おかしそうに笑った。

 

 

 少女の手が、頭蓋に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星天教会の騎士カムリは、ついに迷宮の奥へとたどり着いた。

 

 身体は傷つき消耗し、しかし幾度も振るった剣の白刃には、欠けも汚れもない。それを抜き身のままにゆっくりと歩いていく。

 やがて、星天教会の騎士、ツェグが背後に追い付いてきた。彼の移動速度は、カムリが迷宮の仕掛けをなぎ倒しながら進むよりも遅かったが、大きく離されるものでもない。

 カムリはそれを気配で察知したが、振り返ることはなかった。

 迷宮の奥には、小さな部屋に続く木製の扉があった。洞窟の通路に人間がしつらえたもので、一蹴りで壊せるほど脆そうだ。

 そしてその向こうが、本当の意味での最奥、行き止まりとなる。

 カムリはドアを開く。鍵や結界などは、かけられていなかった。

 

 中の様子は、まるで星法士や学者の研究室のようだ。

 怪しげな薬液のビン、騎士には縁のない実験道具の群れ、走り書きで埋まった紙の束。

 充満している星導力……いや、魔力。

 魔術師と呼ばれる者たちの作業部屋とはたしかにこういうものだが、これは、カムリが想像していた『邪悪な魔術師の棲み処』とは、いささか違っていた。

 

 そして。

 その奥の暗がりには、ひとつの人影があった。

 

 その人物は、人間が一人入れそうな大きさの――何かの前に立っていた。ちょうどそこら中にある薬液を入れるビンを、そのまま大きくしたようなものだ。

 カムリがわざと鳴らした鎧の揺れる音を聞くと、慌ててローブの頭巾を深く被る。

 振り返る。

 ――その、『魔術師』は。

 顔と体型が隠れているためか、中性的な外見だといえた。男らしくも女らしくもない。

 カムリはその口元を注視しながら、『魔術師』に話しかける。

 

「お前が、死霊を操る魔術師か」

 

 『魔術師』はカムリを見つめ返し、思考するような間をあける。そして答えた。

 

「たしかに得意な方だが……なんだおまえたちは? 『七霊商会』の人間ではないな。よそものが入れるところじゃないんだが」

 

 声は低くはないが、男性だろうとわかるもの。歳若い印象を受ける。

 年老いた男を想像していたため、カムリは内心で少し驚いた。とはいえ、任務には関係がない。

 

「星天教会の騎士だ。貴様のたくらみを……」

「教会? それこそ何の用だ、心当たりがない。私は――」

 

 そのときだった。

 騎士が剣を抜き、目にも止まらぬ速さで動いた。

 カムリではない。

 カムリの背後から来た人物。ツェグだ。

 カムリは、警戒心のすべてを『魔術師』に注いでいたわけではないものの、それに反応できなかった。いや、察知はしたが、理解ができなかった。何をしようとしているのか。

 ツェグは、優れた騎士のみに与えられる聖別鋼の剣を閃かせ。

 『魔術師』の心臓を突き刺した。

 

「あっ――!?」

 

 呆然とした声は、カムリのものであり、攻撃された『魔術師』当人のものでもある。

 

「は……? あ? なん、だ、おまえ。あ、ぁ……」

 

 血を流し、ツェグの腕を力なくつかみ、小さなうめき声をあげ。

 やがて『魔術師』は、だらりと項垂(うなだ)れた。

 死んだのだ。

 

「ツェグ、何を……」

「………」

 

 血濡れの剣を引き抜き、ツェグは振り向いた。冷徹な顔つきだ。

 審問なし、警告なしの殺害。そう、“殺害”という言葉が適しているように感じてしまう。討伐でも任務でもなく。

 滅すべき敵とはいえ、罪を犯す事情に耳を傾けることすらないのは、星天の代行者としてふさわしくない。

 ツェグの行動には疑問がある。以前共に任務に就いたときと、今とでは、様子がまったく違う。何故だ。問わねばならない。

 

「………。終わったのか、これで」

 

 しかし。カムリはどうしてか、その姿から目を逸らした。

 これまでの道のりから地続きと思えない、実に淡白な結末だ。だが任務は果たした。

 カムリは後ろへ振り返り、小部屋の扉に向き直る。

 まだやるべきことはあるが、今となっては、来た道を戻ることこそが、カムリにとっては重要なことだ。

 

「ツェグ、あとは任せていいか。俺は、先にみんなを――」

 

 任務達成後。ほんの一拍の、気持ちを入れ替えるための、緊張がたわんだ瞬間。

 

 

 暗がりの下で、血濡れの剣が動いた。

 

 

「みんなを。………………………………?」

 

 カムリの胸から、赤黒い刃が突き出ていた。

 それは、彼を背後から貫いたものだった。人体の活動に重要な機関を損壊させ、殺害する目的の一刺しだった。

 カムリは、不思議そうな顔で刃を見下ろした。

 血に染まってなお、その剣の出来には感心する。カムリの持つ神器ミスティルテインとすら打ち合い、刃毀れしないほどの剣。人類の作製できる最高峰の武具のひとつだろう。

 星天教会の騎士の中でも、指で数えられる人数にしか与えられていない。多くの功績をあげ、かつ力を認められた者にしか。

 その中でカムリが知っているのは、ただひとりだけだ。

 肺や心臓の損傷を認めていないかのように、カムリは渇いた笑い声を漏らした。

 

「……はは。これ、嘘だろ? 夢、だよな。ツェグ……?」

 

 予兆はあった。

 ずっと、様子がおかしかった。何かを隠しているふうではあった。

 けれど何かの間違いなのは間違いない。なぜなら、ツェグは恩人で、最も敬愛する父のような存在だから。自分たちを家族と言っていたから。カムリは、仲間たちは、彼からの強い愛情を感じていたから。

 カムリは、首を振り向かせ、背後の男を見上げた。

 

「聖剣。聖剣。聖剣。」

 

 その虚ろな目は、ただひとつのモノだけに向けられていた。死にゆく息子のことは、刺し貫いたもののことは、見ていない。

 カムリは、ツェグの目的を知った。

 目的以外のことは、わからなかった。

 

「がっ……あぁ……ああぁぁあ……」

 

 カムリは倒れ伏した。赤い鮮血が、地下洞窟に染み広がっていく。

 

 ――やがて、すべての感覚が閉じて、暗闇に沈んでいく。景色は見えなくなっていって、手足の感覚はない。

 貫かれた傷はまさしく(あな)だ。そこから熱いものが抜け落ちていって、身体には冷たさだけが残される。

 仲間たちの顔が思い浮かぶ。彼らの最期の瞬間は見ていない。だが、想像はできてしまった。

 カムリは、ここにきてついに、自分がこれから、無意味に死んでいくのだと、理解してしまった。

 ほんの少し前まで、こんなはずはないと、自分は無敵だと思っていた。幾日か前には、仲間たちの誰を死なせることもなく、自分の手で護り通せると思っていた。そのための力を手にしたはずだ。

 けれど。そのすべてが、最初から、誰かによって仕組まれていたとしたら。

 いいや。何かの間違いだ。

 ツェグが、俺を殺す、なんてのは。

 信じていたのに。いや、今でも信じている。この現実のほうが間違っている。裏切るはずがない。裏切れるはずがない。こんなのは悪い夢だ――。

 

 カムリは、逃げた。

 何もわからず、唯一わかった出来事からも逃げようとした。それほど彼にとって、ツェグという人間の存在は大きかった。それほど、仲間たちがいない喪失感はおそろしいものだった。

 ここで彼が、現実を投げ出してしまうのではなく、思考を働かせていたのなら、すべてがおかしいことに気が付いただろう。

 『ツェグが裏切るはずがない』ことを真実とするのなら、この現状には、理由や経緯が必ずある。カムリは、そこに思い至ることが、できなかった。

 エクス、プラチナ、そしてツェグ(・・・)への想いの強さが、実に人間的な感傷が、彼の思考に(ふた)をしていた。

 

 

 命の前に心を止めたカムリをよそに、小さな部屋の世界では、状況が動いていく。

 カムリの腰に提げていた剣が、事態に呼応するように発光した。

 持ち主の生命危機を察知した神器ミスティルテインは、機能解放状態への移行を開始する。誰も触れていないのに、ひとりでに鞘から抜け出し、輝きだす。地面に投げ出されたカムリの手に収まろうと浮遊する。

 遅れて。

 カムリの身に着けていた籠手が、不気味に脈動した。

 異変が起きる。美しかったミスティルテインの白い刀身が、たちまち黒ずんでいく。見た者に与える印象としては、染まるというより、色褪せていくかのよう。

 白い剣は、黒い剣となった。

 カムリはその姿に見覚えがあった。本国でカムリに預けられる前の、無理やりに重い封印をかけられていた状態と似ている。

 神器ミスティルテインは、カムリを保護する力を失った。

 

「聖剣。」

 

 そして色彩を失おうと、この兵器の重要性には変わりがない。

 ツェグはやはり、神器ミスティルテインに手を伸ばす。その様子をカムリは、まだ動く眼球で見つめた。

 

 星騎士に与えられる任務のひとつは、『神器を簒奪者(さんだつしゃ)から守ること』だ。

 

 すべての星騎士は、星天教会が所有する“神器”の価値を承知している。特に、自身が担任する神器を奪おうとする者に対しては、強い防衛行動を起こすよう刷り込まれている。武器への視線に敏感な性質はこのためである。

 その防衛行動は、時に、意識が介在する前に身体が動き出すほどのものだ。神器による自動保護が働かない場合や、星騎士自身の任務への意志が弱い場合を想定し、『本国』がかけた保険である。

 このとき、実のところ、超人であるカムリの肉体は、もはや再起不能な傷を負ってなお、ツェグという簒奪者を退ける手段を備えていた。

 だが。

 絶望と逃避。彼の魂にのしかかったそれらは肉体への(かせ)となり、指の一本すら動かすことはできなかった。

 意思が弱まった、のではなく。目の前で起きていることの何もかもが、彼にとっては頑なに、受け入れがたいことだった。

 己の根幹にしていた大切なもの、そのすべてを失ったカムリは、受け入れない現実の代わりに、無為な死を受け入れつつあった。

 何者かのたくらみは、ここに成就しようとしていた。

 

「おい、ボケナス。よくもやってくれたな」

 

 ツェグの身体が吹き飛ばされた。

 青色の光がいくつもほとばしり、彼を執拗に攻撃したのだ。カムリは地べたから、その光景を眺めた。

 次に視界に入ってきたのは、死んだはずの『魔術師』の姿だった。血濡れではあるが、死ぬ気配がない。

 強力な死霊術の使い手であるならば、心臓を貫かれて起き上がることもあるのだと、カムリは知った。もう活かす機会はない知識だ。

 『魔術師』は、カムリの傍らで輝きを失っているミスティルテインに目を向けた。

 

「なにを身内で揉めているのか知らないが、これは……魔剣か? ……ランクが高いものなら、“心臓”に使えば……」

 

 『魔術師』はこの土壇場で、ぼそぼそと独り言を並べ立てた。

 カムリには意味の分からない内容で、どうにも、市街を襲うたくらみや人を殺す犯罪計画とは、関係がなさそうだった。

 

「悪いが、もらうぞ。いきなり人を殺しにきたんだ、文句はないだろう」

 

 『魔術師』は剣を奪った。手ではなく魔術を使い、剣を浮遊させた。

 カムリの星騎士としての機能が、強烈に身体を動かそうとする。

 相手がツェグではないためか、実際に腕がわずかに持ち上がり、肉体に残っている星導力を行使しようとまでした。だが負傷が致命的であるからか、それとも気力を完全に失っているためか、そうはならなかった。

 そうなる前に、目の前の状況のほうが、また変わった。

 

 『魔術師』は剣を奪ったその場で、おそらく剣に対して何らかの魔術を行使していたが、背後からやってきた何者かに斬りつけられていた。

 何者か、というのは、カムリからは全貌が見えなくとも明白なことだ。

 『魔術師』の焦る声が反響する。

 

「きさま、なぜ……!? 顔面吹き飛んで、あッ」

「えいえん。えいえん。えいえん。」

「痛っ。あがっ……やめ……」

 

 『魔術師』は、彼がツェグにした反撃以上に、執拗に攻撃されていた。そこまでしなければ殺せないと判断されたのだ。これ以上の隠し玉がないのなら、カムリよりも早く死ぬだろう。

 まさしく、『魔術師』の声は、ほどなくして聞こえなくなった。

 

「えいえん。」

 

 ツェグの声がする。足は、剣を探しているのか、うろうろと部屋を動いている。カムリは、そんな声を聞きたくないと、もう見たくはないと、意識から追い出そうとして。

 

「……あうい……」

 

 自分を呼ぶ声を聞いた。足はその一瞬だけ、こちらを向いて止まっていた。

 

「――今度こそ。出ていって、もらおう、か……!!」

 

 これまでとはまったく別の声がした。高い音で、年若い少女のものだとわかる。

 青い光がまたたき、ツェグは再度吹き飛ばされた。突風に見舞われたかのように、周辺に散乱した道具や、『魔術師』の死体までまとめて。

 今回は飛距離が長く、ひとりでに開いた扉の向こうに、その姿は吸い込まれていった。

 

封鎖(セグス)

 

 少女のような声は何かをつぶやき、それに応じるように、木製扉がひとりでに閉まった。

 

「これが精いっぱいか。肉体は動きだしたが、もう魔力がない……」

 

 ひたひたと、洞窟の地面を歩く、白い素足が見えた。

 

「やれやれ、こんなことになるとは。この身体には、清純な魂こそがふさわしいのに」

「トラブルどころの話じゃないが、心臓が見つかったのは幸いだった」

「なんで研究してただけで死なんといかんのだ、なんだこいつら、マジで」

「これからどうする」

「クソ……まだ外にいるだろうな。この身体じゃやれるかどうか。保険が必要だ……」

 

 ぶつぶつと、可愛らしい声で独り言が漏れてくる。まるで、長いこと独りでいる人間のような癖だ。言葉遣いも声の印象と一致しない。

 ひたひたという足は、やがて、カムリのすぐそばまでやってきた。

 

 くらくてつめたい、死の間際。

 カムリの傍らには、『真っ白な少女』がいた。

 一糸まとわぬ姿と、あまりに整った顔立ちは、美しいが造りもののようで、人形のような印象を受ける。

 だが、カムリを覗き込む顔には、怒りや焦りの表情が浮かんでおり、人間らしさを感じさせた。

 

「やれやれ。おい、おまえのせいで全てがめちゃくちゃだ。どうしてくれる」

 

 その姿も、やがて暗闇に塗りつぶされていく。いよいよそのときが来たのを、カムリは悟った。

 何も見えず、身体の感覚も消えていく中で、その声だけがはっきりと聞こえた。

 

「こうなったら道連れだ。おまえは、私の……『騎士』になれ。次に必要な魔力が溜まったとき、おまえを蘇らせてやる。その代わり、よく働いてもらおう」

 

 カムリは思った。誰も守れない自分が、誰かの騎士になったところで、なんになるのか。

 少女の声が、次第に遠くなる。

 カムリは震えた。名誉も誇りもない死に方は、その恐怖を紛らわせることができない。

 そして何より、同じ道をたどったかもしれない、エクスとプラチナの絶望を想い、心はひび割れた。

 

『これが、俺の終わりなんだ。怖い。怖い。自分がなくなってしまうのは。』

 

 それが最期の思考だった。

 

 

 『魔術師』の魂を宿した少女は、そんな心を知ってか知らずか、カムリに憐憫のまなざしを向けた。

 

「おまえのことは砂埃ほども知らないが、どうにも哀れだな。泣いているのか?」

 

 少女は語りかける。相手に聞こえているのかどうかは、死霊術の使い手であっても、はっきりとはわからない。

 

「それでやる気が出ないなら、いっそ嫌なことは忘れたらどうだ。死霊()っていうのはそれができる。普通に死んで死霊になったら、逆に、嫌なことだけしか覚えていない」

 

 少女は魔力をはたらかせた。

 死した人間の魂を停滞させ、肉体に紐づかせて保存する魔術だ。『彼』の研究内容の副産物である。

 

「安心して眠れ。今回に限り、死は終わりじゃない。……せめて怖い夢を見ないよう、枕元で祈っておいてやる」

 

 

 そうして、カムリは死んだ。

 

 

 



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10. home / 故郷、帰る家

 死霊の騎士ウチカビは。

 いや、星天教会の騎士カムリは、封じ込めていた記憶のすべてを取り戻した。

 

 

 色濃い死の記憶から戻ってきたカムリは、気が付くと、屋内に倒れていた。

 今がいつなのか、ここがどこなのか、自分が誰なのかを精いっぱいに考えながら、身体を起こす。

 確認する。首から下は白骨死体。そしてこの場所は、ツェグが/シセルが案内した休息所だ。

 上体を起こしたカムリはすぐに、同じ部屋に誰かがいることに気が付く。

 イスではなく机の上に行儀悪く座ったシセルが、退屈そうな顔で本を読んでいた。

 本は、今のカムリにとって何よりも大事で、手放してはならないもの。『シセルと魔法の騎士』だ。

 シセルは、カムリに気が付くと、本を置いてにっこりと笑った。そのまま机の上から見下ろしてくる。

 

「おはようウチカビ。調子はいかが?」

 

 カムリは立ち上がった。

 少女の、人好きのする笑顔と、こちらを気遣う物言いを前にして、

 しかし、暗く重い思念の声を発した。

 

『君は……いや。お前は誰だ』

「え?」

『お前は誰だ、と言ったんだ』

 

 カムリ=ウチカビは、少女シセルと出会って初めて、不穏な態度をとった。

 まるで人が変わったかのようで、骸骨の容姿に凄みを与えている。しかしそれに、シセルがひるむことはない。

 

「誰って。うーんと……。“シセル”ですよ。そうでしょう、わたしの騎士様?」

 

 その可愛らしい言動を見て、カムリは、にわかに怒り出した。しらじらしいと感じたからだ。

 

『魔術師め。そうだ、お前は、『魔術師』だ……!』

 

 そして、真実を指摘した。カムリが思い出した記憶と、少女のこれまでの言動から、明らかなことだ。

 シセルは。

 

「………。なんだ。お姫様ごっこは終わりかぁ」

 

 今までとはまったく違う、陰気な顔つきになった。

 そこからまた少女の顔にふさわしい笑顔を作りなおしたが、今のカムリにはそれが、陰険で軽薄なものにも見える。シセルは、カムリを称賛するように、ぺちぺちと拍手をした。

 

「回復おめでとー。今日までけっこう楽しかったよ、星天教会の騎士様。おまえも楽しかったろ? いやはや、まさか魔術だけでなく、演劇の才能までもが()にあったとは……」

 

 シセルはぺらぺらと軽口を並べ立てる。町のおしゃべりな子どもに匹敵する鬱陶しさだ。どうやら、これが本来の性質であるらしい。

 

「あれ、なんだよ。もっといいリアクションしてくれると思ってたけど……。ねえ、ウチカビ?」

 

 机の上から降りてきて、少女はいつものように、可憐に微笑んだ。

 白銀の髪が揺れ、優しく細めた目には炎の暁色がのぞく。

 

 カムリは少女を殴り飛ばした。

 

 仰向けに倒れたシセルにのしかかり、表情のないどくろの顔を怒りに歪め、二度、三度とその美しい顔を殴りつける。

 『エクスの炎を返せ。プラチナの髪を返せ。あの子が好きだった名前を返せ。貴様のやったことはすべて、すべて死者への辱めだ。』

 この言葉は音声にはならなかったが、想いは念となって伝わる。

 やがて、カムリは何度目かの拳を振り上げて、止まった。

 シセルは、鋭く、冷たい目つきでカムリを見上げていた。ただその目の奥には、腫れあがっていく頬に痛みを感じているのか、たしかな熱量があった。

 『痛みを感じるのなら。もっと、罰するべきだ。』

 薄汚れた籠手が、少女の白く細い首にかけられる。カムリは少女を持ち上げるようにしながら立ち、壁際に追い詰め、そして、その首を絞めつけていった。

 力を込めれば簡単にへし折れる。しかしそうはせず、じわじわと『魔術師』を苦しめる。少女の両腕が慌てたように持ち上がり、かりかりとカムリの籠手をひっかく。口がぱくぱくと魚のように、声もなく開閉する。

 そして、しずくがひとつ、落ちた。

 少女は、ぽろぽろと涙を流していた。

 目つきはカムリを睨みつけたままで、シセルがいま涙を流すのは、苦痛への生理的な反応に違いなかった。

 

 しかしそれは、カムリの身体を急速に冷やしていった。

 記憶を、よく思い返せば。

 『魔術師』は、結局のところ、何もしていない。

 

 ウチカビとしての記憶。

 『少女』は、出会ったとき最初に言ったように、ただ迷宮を出ることを目的として行動していた。

 死霊と化してしまった仲間たちを倒したのは、カムリ自身。そしてそれは、生存のためには、残酷だが必要なことだった。

 プラチナの髪を奪ったことだけは許しがたいが、それでプラチナを、死霊の身から解放することができた。

 カムリとしての記憶。

 魔術師だった『彼』は、何かをする前に死んだ。彼が企んでいるはずの悪事を、明らかにする前に。

 そして、その彼を殺したのは。

 そうだ。

 エクスをひとり残すよう誘導したのは。プラチナが死んだ毒を食事に仕込んだのは。自分を、その剣で刺し貫いたのは。

 ツェグ。ツェグ・ラングレンだ。

 この男のいざないで、騎士たちは地下迷宮にやってきたのだ。あの死地へと。

 

 カムリは、少女を苦しめる手を放した。

 シセルは膝を折り、空気を求めてひどく喘ぐ。壁に力なく背を預け、定まらない目つきで、しかしカムリを睨み上げた。

 

「気は、済んだか」

 

 ぜえぜえと荒い吐息が混じる。無垢で美しい顔は傷ついて腫れ、銀の髪はあぶら汗で肌に張り付いている。

 表情は、今にも魔術でおそろしい反撃を始めそうだ。『魔術師』にとって、この少女の肉体、とくに顔に傷がつくことは強い怒りの動機となる。

 だが、彼は、そうはしなかった。

 非道をはたらいたカムリに対し、報復をすることはなかった。カムリは、『魔術師』が、この場を穏便におさめようとしていることを、ようやく察した。

 カムリは気が付く。

 ウチカビとして、『魔術師』とずっと一緒にいたからこそ、気が付く。

 『魔術師』に、街を襲うような邪悪なたくらみは、ないのではないか。だとしたら、ツェグに殺されたのはまったくの濡れ衣。

 彼もまた、自分と同じ、被害者だということになる。

 

『すまない』

 

 カムリは謝罪した。

 

「ああ。二度目はないぞ。芸術品に傷をつけるんじゃない」

 

 シセルは不機嫌そうにそう言った。

 

 

 そんな揉め事のあと、少女と騎士は、これまでのようには話せなくなった。

 一晩を休息所で過ごしたが、その間会話はなく、迷宮脱出パーティーとはいかなかった。

 そうして翌朝。

 眠りから目覚めたシセルは、一晩中同じ場所に立っていたウチカビ=カムリを見つけ、ほんの一瞬のみ、表情を曇らせた。

 そして、場違いに明るい声をかけた。

 

「えー! さて! 我々は当初の目標通り、迷宮からの脱出を果たし、記憶をも取り戻したわけで。これからの新たな旅立ちの前に、まずは互いの誤解を解くところから……」

 

 カムリは、机にあった写真立てを手に、ふらりと歩き出した。そのまま外へと出ていく。

 

「……お、おい? どこへ」

 

 後を追うシセルは、カムリがそのまま街道に出て、どこかへ行こうとしているのを見て、慌てて荷物をまとめた。

 

 

「ひぃーっ、はぁ、はひ」

 

 歩き通しの一日をいくつも重ね、シセルは疲弊していた。

 『魔術師』が造ったこの肉体は、負傷を治す手段には富むものの、体力は少女らしいものでしかなかった。

 カムリは意思のない死人のように、夜中にもそのまま歩いていこうとするので、シセルが睡眠を必要とするときには、死霊術の応用で動きを止めるしかなかった。そういった生活が続き、少女は、迷宮にいたころとはまた違うストレスに悩まされていた。

 

「でもなんか、意外といけるな……」

 

 それとは別に。『魔術師』は、地下迷宮にいるときよりも肉体の調子がいいことに、疑問を感じていた。

 シセルは、カムリの背中を追いながら、ふと、空でまぶしく輝く太陽を見上げた。

 無意識に、心臓の位置に手を当てていた。

 

 

 やがて。

 少女シセルと死霊の騎士カムリは、ある街にたどり着いた。

 いくつもの家屋が密集し、一見して栄えていると思われる外観の大都市。

 名を、ペリエ市という。

 

「ひぃ~っ、やっと着いたか。……着いたんだよな? まだズンズン歩き出したりする?」

『何故ついてきた』

「あ? 何故って……いや、おまえ今、私の使い魔なんだが……?」

 

 カムリが一旦足を止めたのを見て、シセルは息をついていた。

 

「なんかさびれた街だな。やわらか~いベッドはあるのか? この身体だとどう感じるのか、試したいんだが」

 

 遠くからは発展して見えたこの街は、一歩足を踏み入れれば、まるで廃都の様相だった。

 人の姿が少ない。まったく活気がない。住民がいる気配はあるものの、昼間からこの様子では、都市として成立しているようには思えなかった。

 

『ここは、俺の故郷だ』

「ふ~ん、そう。あっ、じゃあさ、一番いい宿に連れてってほしいんだけど……」

 

 カムリは歩き出した。

 

「あっ、ちょっと待て! そのなりでほっつき歩く気か、兜の下ぁドクロだぞ。……知り合いに会ったらどうする。故郷なんだろ」

 

 カムリは足を止め、あたりに目を向けた。外套になるものがないか、などと考えるが、近くに商店などはない。

 

「そこに立っていろ。動くなよ」

 

 シセルの髪が輝き、カムリは自身に魔力が送られているのを感じた。なんらかの魔術を行使していることがわかる。

 

「はい、終わり。鏡でも見てこい。……ないか。ほら」

 

 カムリは、シセルが魔術でたちまち作り出した鏡のようなものを、覗き込んだ。たしかに自分の姿が映っている。

 兜を外す。

 そこにいたのは、薄汚れた骸骨の戦士……ではなく。

 ブラウンの髪と瞳。どくろが放つ威圧感も凄みもない、年若い青年の平凡な容姿。

 死霊の騎士ウチカビの姿は、星天教会の騎士カムリのものに戻っていた。

 だが、死とは、絶望とは、不可逆なもの。その瞳に以前の輝きはなく、まるで、骸骨の空っぽの眼窩のようだ。

 容貌を確かめたカムリは、興味を失ったように視線を切り、またふらふらと歩いていく。外した兜は、不用品のようにその場に手放され、からからと転がった。

 シセルは兜を拾い上げる。そして、とてもそれが入るはずはない小さな荷物入れに、ぎゅう、としまった。

 きょろきょろと、街を物珍しそうに見まわしながら、カムリの後ろをついていく。

 

 

 街には、市民の姿はあまりなかったが、『教会騎士』が何人もうろついていた。有事のように物々しい武装をしていて、声をかけることは憚られる雰囲気だった。

 カムリとシセルは、彼らを見かけるたび姿を隠した。二人はどちらからともなく、教会騎士に見止められることを避けた。シセルは『魔術師』であり、カムリは『死人』だからだ。どちらも星天教会にとって異端である。

 やがて、夕暮れ時になった。

 カムリの記憶では、一日の仕事を終えた人々で、街路が溢れかえるはずの時間。しかしその姿はない。父母の帰りを出迎える子どもたちも、労働者をねぎらう酒場の賑わいも、ない。

 その様子を不審に思いつつ、カムリは気配をひそめながら、街の南へと進んでいく。

 

 そうして、そこにたどり着いた。

 自分の帰るべき家。『ラングレン孤児院』に。

 カムリは、しばし自分を落ち着けるように佇んだあと。扉に近づき、手をかけた。

 

「待てっ!」

 

 鋭い声がかかり、カムリはぴたりと動きを止めた。

 若い男性の声だ。

 

「教会の騎士だな。お仲間がついこの前も来たばかりだ。ここにはもう払える金も、食い物だってろくにないぞ」

 

 カムリは扉から手を引き、ゆっくりと、声の主のほうへ向いた。

 そこにいたのは、少年だった。といっても、青年と呼んでいい体格をしている。十代の終わりといった年ごろに見え、生前のカムリとそう変わらないだろう。

 とげとげしい声をあげていた青年と、カムリの目が合う。

 途端に彼は、口を開けて呆けた。

 カムリは、初めて会ったように思えた青年の容姿に、見覚えを感じた。

 

「……カムリ、兄ちゃん。カムリ兄ちゃんなのか……?」

 

 青年は、大人びた低い声でつぶやいた。

 その呼び方で思い出す。彼は、養護院の子どもたちの中で、とくにカムリに懐いていた少年。任務に出る前に、剣を教えた。そのときはまだ、10歳そこらだった。

 

「アル、か?」

「……っ。帰って、来たんだな。帰ってっ……」

 

 張りつめていた糸が、ぷつんと切れるように。

 アルは、小さな子どものように涙を流した。カムリと並ぶ背丈を小さく丸め、彼の両肩を強くつかんだ。

 カムリはその心を察し、少年の肩に触れ返した。泣き止むまで、子供をあやすように、彼を小さく叩き続けた。

 シセルはその様子を、無言で見つめていた。

 

 

 養護院の子どもたちは、誰もが顔色悪く、やせ細っていた。人数も随分減っている。

 大人たちの変わりようはさらにわかりやすい。若い人手はいなくなっており、カムリもよく知る院長などは、ひどく痩せこけ、身体を壊していた。

 院長は、薄汚れたカムリを見て、何も聞かずに迎え入れた。おかえり、と言葉をかけた。

 言葉は、カムリの最も深い部分を温めたが、カムリは涙を流せなかった。もう死んでいるからだ。

 

 夜。シセルは、子どもたちに囲まれて、本の朗読をしていた。

 シセルの、童話の中から出てきたような容姿や、愛らしい物腰は、少年少女の心をすぐにつかんだ。演技力も好評な様子で、物語を聞く子どもたちの表情には、喜怒哀楽が戻っていた。

 シセルは本の中の主人公と同じ名前、文章から想像できる以上の美しさなので、皆夢中になっていた。シセルはそんな子どもたちを見て、時折いい気になって鼻を鳴らしている。

 そんな様子を、遠くの机から、カムリとアルは見守っていた。

 

「……最近は楽しいこともなくてさ。世話をしてくれる大人もいなくなって……。みんなのあんな顔を見るのは、久しぶりだよ」

 

 カムリは心を痛めた。

 たしかに養護院の運営とは難しいものだろう。けれど、ここまで困窮することになる未来があるなんて、思ってもみなかった。

 自分がそうだったように、子どもたちはずっと幸せに育てられて、たくましい大人として旅立っていけるものだと。そう思い描いていた。甘い幻想だ。

 こうなった原因はすぐに思いつく。

 ここは『ラングレン養護院』だ。経営に強く絡み、多大な出資をしていたのが、ツェグ・ラングレンだった。彼が突然いなくなれば、影響は出る。

 だがそれでも、ペリエ市という善き街では、こんなことにはならないはずだ。人々が手を差し伸べ合う理想の街。それが、カムリの愛した故郷だ。

 養護院の前に、この街自体が、変わってしまっている。何かが起きている。

 カムリは街の様子を訝しんだ。

 

「アル。俺たちがいなくなってから、どれくらい経っている?」

 

 アルは、そんな質問をされることに戸惑う表情を見せたものの、答えた。

 

「七年だよ。カムリ兄さん、エクス兄さん、プラチナ姉さん。……それに、ツェグ。みんなが、戦死した、って聞いてから」

「七年……」

 

 カムリが死亡してから、骸骨として目覚めるまでに、それだけの時間が経っていた。少年が青年になるには十分なもの。

 長い時間だ。だが、短くもある。たったそれだけの期間で、街はこんなにも変わってしまうものなのか。

 たしかにツェグが死んだ影響は大きいのだろうが、それだけのことで。

 

「……なあ。カムリ兄ちゃんが生きてた、ってことはさ。その……」

 

 ぞわり、と。アルの聞こうとしていることを察し、カムリは小さな恐怖にかられた。

 

「――いや。なんでもない。兄さん、あんたが生きていて、よかった。ここに帰ってきてくれて、よかった。俺は、それだけで……」

 

 アルは、子どもではない。カムリの顔つきを見て、聞くことをやめた。『プラチナは? エクスは?』といった質問を。

 カムリはアルの気遣いに、時間の流れと、人の心の温かさを感じた。

 そして、罪の意識も。

 プラチナは、エクスは、守れなかったのだ。そして、自分の命すらも。

 “カムリ”はここに、帰ってきてなどいない。こうしてアルの前にいる自分は、けがらわしい死霊で、生きていた人間の幻に過ぎないのだ。

 だが。だとしても。

 彼らのために、何かできることはないのか。

 何かを確かめたくて、ここに戻ってきた。

 そうして目の当たりにしたこの状況をなんとかしなければ、自分はきっと、死にきれない。天の星の世界へと逝くことは、とてもできない。

 

「アル……。どうしてペリエは、こんなに変わってしまったんだ。何故大人がいない。ここも、街の中も。それに、お前以外のみんなはどこに行ったんだ」

 

 大人たちだけでなく。アルと同世代の子どもたち、つまりは十代半ばを過ぎた者たちが、いない。養護院にいる働き手はもう、アルだけだ。

 アルは眉尻を下げ、視線も下げた。その目は、カムリが腰に提げた剣を見ている。その鞘には、星天教会を示す印が刻まれている。

 

「それは。………。ペリエの、騎士団が……」

 

 そのとき、まさしく、アルの恐れていたことが起きた。

 

 日も沈んでいくらか経ち、明日のために眠るべき時間。養護院の扉を、乱暴に開け放つ存在があった。

 子どもたちが震え、院長が息を切らしながら奥から走ってくる。

 アルが立ち上がり、闖入者をにらむ。彼の脚もまた、震えていた。

 

 そこに立っていたのは、星天教会の騎士だった。

 鎧からして、第一階級の“鉄騎士”。それが二人。

 アルは子どもたちを、それだけでなく院長を庇うように、前へ出た。

 

「こんな時間になんだ。この前来たばかりだろ」

『徴兵だ。来い』

「!! は、離せっ……!!」

 

 騎士たちは平坦な声で命じ、アルの腕をつかんだ。

 カムリは思わず彼らの間に入ろうとする。

 ――徴兵? 徴兵と言ったのか。騎士団が、養護院の働き手を、強制的に? そんな馬鹿げた話が。

 カムリは騎士たちに近づいた。

 

「何を言っている、やめろ。その手をはなせ」

『………』

「……命令が聞けないか。私は星騎士だ。星騎士カムリ・“ミスティルテイン”だ。指示に従え」

 

 そのとき、二人の騎士に反応があった。

 アルの手を解放し、錆びついた機械仕掛けのように、ぎちぎちぎちと、カムリのほうを向いた。

 

『ミスティルテイン』

『聖剣』

 

 カムリは、腰に提げた武器への視線を感じた。そこにミスティルテインはないが、彼らはたしかに、すぐにそこを見た。

 そして。

 指示に従うのではなく。

 槍を、剣を振りかざし、襲い掛かってきた。

 

「な……っ」

 

 カムリはすぐに応対し、攻撃をくぐり抜け、アルを助け出す。だが内心の動揺は大きいものだった。

 教会騎士が、聖剣を奪おうとしている。

 それ自体はあり得ないことではない。星天教会は“特級神器”を管理したがっている。その回収任務に就いている星騎士も存在する。

 だが、問答無用のこの反応はおかしい。人間らしいやりとりがない。星天の代行者としてふさわしくない。

 アルを奥に逃がし、カムリは、騎士たちを外へと蹴り飛ばした。

 剣を抜き、わざとらしく反抗する姿勢をとる。やはり騎士たちはカムリの態度に関心を見せない。

 カムリは息を深く吸い。

 尋常でない剣の技量で、彼らの兜だけを弾き飛ばした。人相を確かめるためだ。

 その素顔があらわになる。

 カムリは息をのんだ。

 

「……ウィル。エッタ。なぜ……」

 

 二人は、カムリの同僚だった。

 いくつかの任務を共にし、寝食や時間を分かち合った。友人といってもいい。ウィルは陽気で人の好い男、エッタは信心深く高潔な女性だ。

 その二人の顔には。

 何の感情もなかった。

 まるで、今日、鏡で見た、死人のようだった。

 

「何を、している。二人とも、何を」

 

 ウィルとエッタは、カムリに言葉で応えることはなく、それぞれの武器を持って襲い掛かってきた。

 夜闇の中、騎士たちは刃をぶつけあう。

 カムリは困惑した。自分を見て、眉の一つも動かさない二人に。

 

「待て、待ってくれ! 俺がわからないのかっ!」

「おーい。何してんだ、さっさとやっつけろ。……せっかく、ガキどもにモテモテだったのに」

 

 声がかかる。視線をやると、養護院の扉に、シセルが気だるげにもたれかかっていた。

 

「だが……っ」

 

 シセルに返答をしたわけではないが、カムリは焦った声を漏らした。

 騎士たちを制圧するのは容易だ。殺してしまうのはさらに容易だ。しかし動揺と、友の変貌ぶりから、カムリはまだ積極的に動けずにいた。

 シセルは、カムリの表情から、相手が生前の知己であることを推測した。

 

「何してる。そいつらはもう、お前の同僚なんかじゃない。見てわからないか」

「何を言っている!」

「どけ」

 

 カムリに、銀の弾丸が飛んできた。思わず飛びのいてかわす。騎士たちとの間に距離ができる。

 騎士たちは、シセルを見た。

 その、胸のあたりを見た。

 そして、カムリのことを忘れてしまったかのように、少女に襲い掛かった。

 

斬閃(ドゥバ)

 

 銀の光が閃く。

 それは、騎士たちの五体を、ばらばらに切断した。

 

「!!! な、あッ、貴様……ッ!!」

「よく見てみろ。これがおまえのお友達なのか?」

 

 カムリは、二人の死体を見た。

 

「まぁ、ある意味お友達か。あっごめん、怒るなよ? 失言だった、ごめん」

 

 二人の騎士の死体からは、血のにおいがなかった。したたる血液の量は少なく、そして、異様に黒ずんでいる。

 そして、血のにおいの代わりに、腐臭がただよう。腐るには早すぎる。

 最後に、カムリは見てしまった。

 彼らの、頭と切り離された手足が、まだうごめいているのを。

 

「……死霊、なのか。どういうことだ」

「この遺体、検めてもいいか」

「………」

「どうなんだ。私だって状況が分かっているわけじゃない。調べる必要がある」

「……頼む」

「ああ。お前はガキどもをごまかしてこい」

 

 カムリは養護院に戻り、子どもたちに、騎士たちは帰ったと伝えた。

 不安げな彼らの心に寄り添い、安心させるように言葉を尽くす。

 アルと院長に目配せをし、皆がベッドにつくのを見守った。

 

 カムリは、シセルの元に戻った。

 

「よう。……どうする?」

「何がだ」

「葬ってやるんじゃないのか。死者を、炎で」

 

 シセルの言葉を聞き、カムリは、頷いた。

 

 二人の騎士を星天に送り、弔う。煙が天に昇っていく。

 

「ウィル、エッタ。天上の星にて、安らぎのあらんことを」

 

 カムリは死者のために祈った。自分もまた死霊であることを考えると、この祈りが届くかは不安だった。それでも、心から彼らの安寧を祈った。

 涙は、やはり出なかった。

 しばらくして。火の消えた深い夜の中、シセルが話しかけてきた。

 

「彼らは死霊兵だった。背骨に魔術式が刻まれていたよ」

「………」

 

 死霊兵。死霊の兵隊という意味の単語。そして、『魔術によって操られる死霊』のことを含む。今のカムリのような。

 カムリの知る限り。そんな魔術を使う人物は、当然のことながら、ひとりだけ。

 

「お前がやったんじゃないのか。死霊術士」

「……はぁ? なんだって」

「他に誰がこんなことをできる。こんなことをする。ツェグに殺されたとはいえ、貴様にも何かたくらみがあったはずだろう」

 

 カムリは言葉をぶつけた。『魔術師』への疑念だ。信用しかけたが、彼はやはり、ペリエの支配を目論んでいるのではないのか。魔術でペリエの人々を死霊兵に変え、私的な戦力として取り込もうとしているのではないか。

 シセルは。

 不機嫌そうに、眉をひそめた。

 

「馬鹿を言うな。自分の出来とこいつらの出来が同じに見えるのか、おまえには」

 

 シセルは続けた。

 

 

 

「これをやったのは、バルドーっていう魔術師だ」

 

 

 

「………………はっ?」

 

 出てくるはずのない名前を聞き、カムリは間の抜けた顔をした。

 カムリの知る人間の中に、その名前はただ一人しかいない。

 大星官バルドー。ペリエの星天教会を取り仕切る立場にある、公明正大な人物だ。目上の人間、上官として敬意を覚えていた。

 その、頭に思い浮かぶ男の顔と、シセルの口から出た名前が、うまく結びつかない。

 

「大星官が、魔術師……? は、はは。バカな。あの人は、凄腕の星法士として名を挙げた人格者で。魔術なんて……」

「はぁ? 大星官? 星天教の?」

 

 シセルは顎に手を当てる。何かを考えている様子だ。

 次の言葉は、カムリに向けられたものというより、独り言だ。

 

「なるほどね。なかなかの策謀家のようだが、かと思えば名前も変えずに、表の世界で好き勝手している。自己顕示欲が強いのか、根っこがアホなのか……」

 

 大星官をこき下ろすシセルの言葉を聞き、カムリの中で、ようやく、すべての原因が、わずかに見えてくる。だがそれは、目を逸らしたくなるような内容だ。

 

「ありえない。教会の星法士が、それも大星官が、死霊術使いだなんて。異端中の異端だ」

「別におかしくはないだろ。おまえの言う“星法”と、“魔術”は、現象としてはまったく同じものだ。常識だろ。教会の連中が勝手な名前で呼んでるだけだ。……だから、魔術師が教会に潜り込んで成り上がるのは、不可能じゃない……」

 

 シセルは続けて、小ばかにするような態度をとった。

 

「……が。あのハゲたおっさんが人格者? 凄腕の星法士? はは。ガキの頃の私が作った、未完成の死霊術を盗んで、今もそっくりそのまま使っているバカだぞ。魔術師としては下の下さ」

「未完成……?」

「しかし、腑に落ちたな。バルドーなら、私があの地下迷宮にいることを知っていても不思議じゃない。一応は同門だしな」

「……わけがわからない。頭が、おかしくなりそうだ」

 

 シセルは、カムリの目を見た。

 そして養護院へと向き直る。

 

「朝までにもう一度話そう。おまえも、今までのことを整理してこい」

 

 

 夜の養護院。子どもたちは寝静まっている。

 カムリは、アルと院長に、しばらく滞在することを話した。

 そして、聞いた。あるときから、街の治政に星天教会が強く関わってくるようになったこと。また、死霊や魔物が街中にあらわれるようになり、それに対抗するために教会騎士団が強化されていったこと。その騎士団が、やがて市民に横暴をはたらくようになっていったこと。

 「ツェグがいれば。」

 二人はしきりにそう言っていた。

 

 カムリは、シセルにあてがわれた部屋を訪ねた。

 ドアを開けると、白銀の少女は、静かに、目を閉じて座っていた。

 やがて暁の瞳が、カムリを見返した。

 

「さて。何から話そうか。さしあたっては――、」

 

 

 まず、私という人間について。

 以前も話したが、私の目的はこの“花嫁”の完成だけだ。ライフワークなんだよ。

 その過程において、他人に迷惑をかけたことは……すこししか、ない。

 少なくとも、星天教会にケチをつけられることをした覚えはない。異端狩りを積極的にやってるわけじゃないだろ、星天教は。

 

 お前たちは、私のいる迷宮に侵入したな。

 あれは『七霊商会』という魔術組織の所有する、実験場のひとつだ。私はいち魔術師として、ちゃんとした手続きを踏んで迷宮を借りて、家賃も払ってた。

 必要だったのは魔力のたまる場所だから、いちいち人間を殺すための仕掛けなんぞしていない。誰かにうろつかれてもわからないし、おまえたちが入ってきたときは焦った。家に強盗が来た感覚さ。

 

「死霊兵の軍勢を使って、街を襲うたくらみは?」

 

 なんだそれは。

 だから。人目につかない魔力の溜まる場所で、研究をしていただけだって。

 

「迷宮で死霊兵の大群をけしかけたのは?」

 

 えっ、なにそれ?

 …………。

 だから、そういう侵入者への罠とかノータッチだから。知り合いの魔術師とかが遊びに来たらまずいだろ。

 そもそも入り口にかけられた隠匿魔術で、“答え”を知っているやつじゃないと入れないはずだ。教会騎士が攻め込んできたときの備えなんかするか。

 

「だが実際に襲われたし、強烈な罠もあった」

 

 ええ。わ、私じゃないって、だから。

 ……それもバルドーがやったのか? 長いことあの部屋から出てないから、全然気づかなかった……。

 

「………」

 

 い、いや。気づいていたさ。そう、迷宮にはお前たちの前に、何者かが侵入していた……かも。

 私は忙しかったので、とくに関わらなかったが。

 

「そうか」

 

 うん。

 こっちから質問。

 私が街を襲う、などと言いだしたのは誰だ。どこ情報?

 

「大星官……バルドーの命令で……いや。情報源は、ツェグだ。ツェグのからの報告だから、みんな裏付けもなく信じた」

 

 ツェグというのは、その剣の持ち主か。屍となって、おまえと戦った。

 あと私を殺して、その後も何回も何回も襲撃してくれたやつか。……ううっ。

 

「ああ」

 

 

 そのツェグだが。

 私の前におまえと現れたときには、既に死霊兵だった。バルドーに殺され、死体を操られていたはずだ。

 

 

「……ッ!!」

 

 証拠はこれだ……。

 さっきの騎士から採取した背骨。そしてこっちが、そのツェグの屍の背骨。

 同じ魔術式が仕込まれている。わかるか。

 死霊使いとして一流なら、活動停止後にも式が残るなんて馬鹿な話はないが、これをやったのは二流もいいところなヤツだからな。まんまと残っている。

 そしてこの魔術式を知っているのは、私とバルドーだけだ。似たような術はもちろんあるだろうが、記述のくせってものがある。これは、私の書いた式だ。バルドーが盗んでいったものだ。

 どうだ。ツェグという男は、仲間のおまえから見て、様子がおかしくはなかったか? 普段と違っていたりは。

 ……そうだろう。

 死んでいたからだよ。

 

 あの死霊術は、私にとってはできそこないだ。もうね、見るのも不愉快。

 魂を停止させ縛り付け、言動を術者が強制するため、生前の人格や能力のすべてを再現できない。できるのは身体に染み付いた動作くらいで、こなせる仕事は単純なものに限る。

 もちろん、生者との見分けはつかないがな。本人の新鮮な死体を使っているんだから。

 だが、あんなものは私の研究の副産物に過ぎない。そも、人間の肉体と魂とは……、

 

 

 少女は小難しい顔で、魔術の話をしている。

 シセルが無駄な一人語りを始めたことに気づき、カムリは聞くことを一旦やめた。

 得た情報を、自分の持っているものと結び付け、整理していく。

 シセルの言葉の一部には、わかりやすい嘘があったが、それは真実を隠すための悪意ではなく、見栄を張っているだけのようだった。

 カムリは、つじつまが合うのなら、彼を信用していいだろうと考える。

 いや、信じたかった。

 何故ならば、シセルの語ったことの中には、カムリにとって、あまりに大きな救いがある。

 

 ツェグは、俺たちを裏切ってなんか、いなかったんだ。

 

 迷宮での任務中、ツェグはずっと様子がおかしかった。

 それは、いつからだったのか。

 迷宮に入ったとき。任務が始まったとき。大星官バルドーの前に呼び出されたとき。……既に、彼は狂っていたように思える。

 では、本当のツェグと最後に話せたのは、いつだったのか。

 ……あのときだ。

 任務の前。養護院のみんなと、送別会のあった夜。騎士団宿舎へ戻る途中で……。

 

『もう少し話したいが、用があってな。また明日にでも、みんなとの話を聞かせてくれ』

 

 ツェグはそう言って、おやすみと微笑んだ。

 そして同じときに、カムリは、バルドーとも会っている。ツェグと連れ立っていた。最後の言葉のあと、ツェグは彼の部屋に向かっていった。

 あの夜だ。

 あの夜、ツェグはバルドーに、殺されたんだ。

 

 カムリは、拳を強く、強く握りしめた。血の通う身体だったのなら、血がにじんでいたかもしれない。

 シセルは、一人語りに満足したのか、再度カムリと目を合わせた。

 

「……しかし、動機がまだわからないな。おまえ、バルドーに殺される心当たりはあるの? 私は……まあ……あるけど」

「ああ。ある」

 

 まず、このペリエ市の惨状がそれを物語っている。権力者……この場合はペリエ市星天教会の一番上にいる、バルドー。彼が市民を押さえつけ、街は貧困にあえいでいる。当人は今頃、贅肉を肥やしていることだろう。

 騎士団を死霊に変え、私兵として扱っている。さらには若い働き手を連れ去り、兵として取り込もうとしている。軍事力にでもしようというのだろうか。今に、よその国へ攻め込むこともあり得る。

 街への攻撃をたくらむ邪悪な死霊術士、というのは、むしろ彼のことだったのだろう。

 ならば……。ツェグが。エクスが、プラチナが。生きていたのならば、絶対にこの状況を良しとしなかった。こんなことを許さなかった。バルドーの横暴を見抜き、戦ったはずだ。

 騎士たちは、バルドーにとって邪魔な存在だった。殺される理由としてはありきたりだが、正解に近いだろう。

 そして、もうひとつ。

 あの夜。バルドーはカムリの腰にあった、聖剣ミスティルテインをかすめ見ていた。

 迷宮をうろつくゴーレムも、ツェグの屍も。聖剣を狙っていた。おそらくエクスの神器レーヴァテインのこともだ。シセルが襲われたのは、聖剣を心臓の代わりにしているからだ。

 そう、バルドーは狙っていた。教会の内側で息をひそめながら、他の簒奪者たちと同じように。

 経験の浅い、任命されたばかりの星騎士に預けられた、その神器を。

 

 疑問の大部分は晴れた。

 

 カムリは、シセルをじっと見つめた。

 シセルもまた、カムリの目を見た。その瞳には、感情が宿っている。本性は空っぽのドクロでありながら、人の心が光っている。

 

 カムリは、涙を流した。

 シセルは驚く。血液も流れていない身体で、それが出るはずもない。生きた人の魂が起こす、不可思議な現象だった。

 

「ありがとう。ありがとう」

 

 カムリは、シセルに感謝した。何度も何度も。

 それはなぜか。

 

「俺は、君のおかげで、父を呪わずに済んだ……!」

 

 カムリは、シセルに感謝した。

 ツェグと、仲間たちと、自分にまつわる死。そして絶望。

 シセルがよみがえらせてくれたこと、教えてくれたことが、それらの意味を塗り替えた。真実にたどり着く道をくれた。

 まだ、バルドーの本性はわからない。シセルの言うことのすべてが正しいとは限らない。だが、これは希望だった。

 

「ありがとう。ありがとう」

「あ、ああ。そりゃよかったよ。……表情があるとやりづらいな……」

 

 カムリは、シセルに感謝した。

 少女は、彼を忌まわしい死霊騎士としてよみがえらせ――、

 

 そして、復讐の機会をくれたのだ。

 

 




おまけ

「ひとつ聞くが、何故君は俺をだまして少女のフリをしていたんだ?」
「フッ」
「なんだ」
「事故のようなものだが、理想の美少女になったのなら……楽しむべきだとは思わないか? 具体的には、他人を美貌や言動だけで操って、その様子を眺めたり」
「何か深いたくらみがあったのでは?」
「だから、他人をこの最高の美貌だけで……」
「ただの変質者だったのか……」

 カムリは、猫を被っていたときのシセルの可憐さを想い、悲しんだ。



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11. avenge / 呪う

 少女シセルと死霊の騎士カムリが、ペリエ市にやってきて、三日目(・・・)の夜。

 カムリは眠らない。養護院の部屋を夜中に抜け出し、足音もなく歩く。まるで幽霊のようだ。

 外出するべく玄関へと向かう。その途中、彼はシセルのいる部屋の前にさしかかった。

 声をかけたものかどうか、しばし迷い。カムリは、そっとドアを開けた。

 

 少女は扉側に背を向け、ぼう、と銀の髪を淡く発光させていた。夢幻のような光景だった。

 

「何をしている?」

 

 カムリは気になり、話しかけた。

 

「……ああ、おまえか」

 

 シセルは首だけで少し振り返り、カムリを流し見る。

 

「少し、話していた」

「誰と?」

「別に……」

 

 部屋にはシセル以外の姿はない。気になったが、シセルは適当なはぐらかしをした。

 その質問に答える気はない、という意思表示だとカムリは受け取り、それ以上の言葉はかけなかった。

 死人のような無表情で視線を切り、部屋を後にする。

 

 養護院の外。

 カムリは、子どもたちの手前脱いでいた鎧を、再び身に着けていく。薄汚れ錆びた鎧は、もう防具としては質が悪い。だが、これはカムリにとっての正装だ。

 貰い物の籠手を手に取る。呪いの気配がするそれを装備するかどうか迷って、結局、身に着けていった。

 剣を引き抜く。こちらは手入れもしていないが、ツェグが使っていた頃の輝きと変わらない。

 カムリは剣を腰に提げた。

 

「行くのか?」

 

 声のほうへ向くと、シセルが、カムリを見ていた。

 養護院で与えられた服を着ていて、町娘のような恰好だ。それでも現実離れした容貌で、街路を歩けば視線を集めてしまうだろう。珍しい銀色の髪を持っていた、プラチナのように。

 

「私は興味ないぞ、あんなやつ。この街は空気も悪いし、さっさとよそに行きたいね」

 

 カムリは、なんと返したものか考え。

 

「そうだな。この戦いにお前は関係ない。どこへでも消えるがいい、魔術師」

 

 感情の見えない、平坦な声でそう言った。

 シセルは目を丸くした。

 そのあと、悪ぶった顔で笑って見せる。

 

「おや、冷たいね。この前は感謝感動感涙していたのに。……その身体が誰のおかげで動いているか、忘れたのか?」

「さてな……」

「おい、待て」

 

 歩き出そうとしたカムリを、シセルが呼び止めた。心なしか速足で、彼に歩み寄る。

 

「あそこに行くんだろ。昨日も話したが、貯め込まれている魔力は巨大だ。バルドー自体の力はともかく、やつには死霊術がある。軍隊がいると思ったほうがいい」

「だから?」

「舐めてかかるなと言っているんだ。おまえが星天教の星騎士サマだっていうのには驚いたが、それでも簡単には勝てんぞ」

「どうしろというんだ」

 

 シセルはため息をついた。

 そして、意を決した表情に変わる。

 

「力を、おまえに渡す」

 

 シセルは、自身の胸に両手をかざした。

 そこから現れるのは、(つるぎ)の柄だ。今のカムリにはわかる。この黒い剣は、少女の心臓は、本来カムリの手になければならない兵器。聖剣ミスティルテインだ。

 

「もうひとつ。いやふたつか」

 

 さらに、シセルの足元に、彼女自身を中心とした複雑な紋様図が広がっていく。魔術師や星法士が術を操る手法のひとつだ。

 そして、カムリは息を呑む。

 カムリを見つめるシセルの瞳から、美しい髪から、その色彩が抜けていく。元の真白に戻っていく。

 代わりに、紅い宝石と、銀色の宝石が、カムリの目の前にあらわれ、浮遊していた。

 

「持っていけ。元の魂たちの残滓が、おまえと一緒に戦いたい……とうるさいんだ。一時でも手放す気はなかったが、最上の色彩をもらったのだから、それくらいは聞き入れなければ。……あとうるさい。眠れないレベル」

 

 この色彩が『魔術師』にとって、大きなものであることは、カムリも承知している。だからこそ驚く。憎まれ口を叩いているが、行いは人として真っ当なものだ。

 

「だが忘れるな。それらはもう私の所有物だ。盗品ではあるが、本来の権利者であったお前たちは、もういないのだから」

 

 その理屈はある程度受け入れていた。記憶を取り戻してから、カムリはシセルに、剣を返せとは一度も言っていない。

 

「炎の剣の本体はわたさない。これまで手放したら、もしおまえが帰ってこなかったら一生眠り姫だ。保険として持っておく」

 

 呆然と言葉を聞いていたカムリは、いよいよ、表情を改め、頷いた。

 先ほどからのシセルの態度に、真摯なものを感じたからだ。

 

「いいな。これは貸与だ。おまえという使い魔も含めて、すべてはもう私のものだ。だから……」

 

 カムリは、シセルの胸の剣を握った。

 紅と銀の宝石が、腕の周りをくるくると回る。

 

「ちゃんと、返しに戻って来い。“シセル”を完成させるには、おまえが必要だ。ウチカビ(・・・・)

 

 少女という鞘から、(つるぎ)を引き抜いた。

 

 

 人々が寝静まった、深い夜。

 ペリエ市のひときわ高い場所。星天教会の聖堂へと、男は歩いていく。

 

 聖堂の重々しい扉を開く。

 そこには、カムリが探す人物の姿はなかった。

 代わりに、真夜中にもかかわらず、信者のために並べられた長椅子には、多くの騎士たちの姿が――、

 ではなく。教会の聖域にあるまじき、死霊兵の群れが待っていた。

 彼らは、扉を開いたカムリへと、一斉に振り返った。

 

 死霊兵は何人も連なって、カムリを襲った。

 カムリは聖別鋼の剣で、彼らの兜を弾き、割り、すべての死霊兵の顔を見た。知らない顔もあるが、知っている顔もあった。

 共に研鑽を積み共に戦った友人たち。騎士などではなかった街の住民たち。誰も彼も、善良な人々だった。

 そして。

 養護院の子どもたち。

 アルと同じく、姿はずいぶんと成長し大人びていた。それでも、ひとりひとりの名前がわかった。

 彼らの輝かしいはずの未来は、死の暗闇に閉ざされた。もうこれ以上大人にはなれない。魂を遺体に縛られ、天の星へ逝くこともできない。

 

 カムリは死霊兵たちの刃を、いくつも受け入れていった。無数の白刃が身体を貫いていく。

 死んだ身にいくら攻撃を受けても、痛みなどはない。肉体には。

 ただ、彼らを守れなかった自分には、なにかの罰が必要だと考えた。彼らの手が握る剣や槍は、それにちょうどよかった。

 カムリは人々に、別れの声をかけ。成長した子どもたちの顔を、優しく撫で。

 そしてツェグの剣で、もう一度、彼らを殺していった。

 

 カムリは聖堂を後にする。

 その足で、さらに上へ。この街の最も高い場所、すなわち星天に最も近い聖域へと向かう。

 

 そうして、カムリは祭儀場(さいぎじょう)にやってきた。

 シセルの言うには、死霊を操る魔力はここから来ている。

 教義の性質から、祭儀場に天井はない。風は冷たく、首をさらに上へ向ければ、夜空に輝く星々が見える。

 灯りが並ぶ通路の奥には、星天教の祭壇がある。

 そして、ひとりの男が、そこで祈っていた。

 カムリは男に近づいていく。

 振り向いた男は、最後に見たときと変わらない、清廉潔白な人相をしていた。

 

「星騎士カムリ! まさか生きていたとは。ああ、奇跡だ」

 

 男、大星官バルドーは、カムリをいたわる声と言葉を口にした。

 

星神(ホシガミ)様の奇跡だ。無事に帰ったあなただけでも、しかるべき(むく)いが与えられるべきです。さあ、こちらへ」

「そういうのはいい。あなたとのやりとりはもう必要ない」

 

 カムリは大星官の前で、不敬な態度をとった。

 それに飽き足らず、ぎらりと剣を引き抜いてみせる。それが銀騎士ツェグ・ラングレンの剣だというのは、大星官ともなれば一目見ればわかることだ。

 

「殺しに来たんだ。この剣で。心当たりはあるだろう」

 

 大星官バルドーは、困惑した表情で、しばし言葉を詰まらせたあと。

 不意に、落ち着いた。

 

「そうか。残念だ」

 

 魔術師バルドーの影から、無数の死霊兵が湧き出した。

 

 

 まだ、なにか。

 例えば、バルドーには、やむを得ない事情があったのではないか。

 あるいは、さらなる黒幕がいるのではないか。

 そういった想像もしていたカムリだが。

 

「ふむ。やはり星騎士といえど、この軍勢には敵わない。まったく愚かだ。突出した個人の力など、これからの時代では無意味だ」

 

 腹を揺らしておごる彼は、結局のところ本当に、策謀と猫かぶりが達者なだけの、くだらない悪人のようだった。

 愛した人々の亡骸(なきがら)たちに斬り刻まれ、カムリはよろめく。

 このような男から、目の前の彼らを含め、何よりも大事な仲間たちを守れなかった。そんな自分への深い怒り、悲しみ、後悔、無力感。

 皆を手にかけていく感触。このまま楽になって、天で輝く星へ召されたいという誘惑。

 戦うほどに、カムリの中の淀みは蓄積していく。

 

 いくつもの刃に貫かれたカムリは、まるで兵隊たちの訓練人形のような姿だ。反撃をするでもなく、ぼうっとその場にたたずむ。

 祭壇からそれを眺めていたバルドーは、いかにも魔術師らしい禍々しい杖を取り出した。彼がそれを掲げると、後衛の死霊兵たちが追随し、一斉に星法を行使し始める。バルドーはまるで楽団の指揮者だ。

 途方もなく強大な魔力の塊が、宙に形成されていく。バルドーが杖を振り下ろせば、カムリはいよいよ骨も残さずに消えるだろう。

 

「星騎士カムリよ。ひとつ聞きます」

 

 魔力の光の下、バルドーは呼びかける。

 

「聖剣ミスティルテインはどこにある? あれをこちらに渡せば、この光を落とすことはありません」

「……ラングレン養護院に置いてきた。子どもたちを守る結界を張らせている」

「ふむ」

 

 バルドーは、カムリに向かって杖を振り下ろした。

 

「ようやくだ。ようやくひとつ、“特級神器”が手に入る。長かったぞ。一級神器でこの武力だ、これで我が手勢は……」

 

 バルドーは自分のことに夢中で、ひとり興奮した様子でいる。カムリのことは既に殺したものとして、早くも存在を忘れたようだ。

 カムリは、落ちてくる魔力の塊を見つめている。何も抵抗の姿勢をとらず、ただそのときを待っているようにも見える。

 

 そして彼は、紅と銀の光が、自分を守るのを見た。

 

 宝石が発した二重の障壁が、カムリを破壊から守った。

 それは、バルドーの放った魔術ではびくともしない堅牢さだった。色彩は炎のよう。しろがねのよう。内側の穏やかさは、まるで、友の背中に守られているかのようだ。

 カムリは、くちびるを震わせ、彼らに問いかけた。

 

「なあ。俺はまだ、みんなのところへ、行っちゃだめなのか」

 

 単なる魔力の結晶体からは、何も言葉は返ってこない。

 

「わかったよ……」

 

 カムリは、手にしていたツェグの剣を、地面に突き立てた。

 

「……ふん。高度な守護の星法のようだが、それもいつまで……、っ!?」

 

 そのとき、街の方から、黒い直線がひとつ飛び立った。

 夜闇に紛れるはずの色彩は、しかしおそろしいほどの存在感を放っている。それは空で進む向きを変え、カムリの元へ高速で飛来する。

 そして、その右手に、ひとりでに収まった。

 黒い剣。

 星騎士カムリの武器、聖剣ミスティルテインが、あるべきところへと来た。

 

「――ほう」

 

 バルドーは、笑った。

 大星官として人々に見せていたものとは違う、欲望のあらわれた、いかにも人間らしい悪辣な顔だった。

 

「取りに行く手間が省けた。さあ、カムリ。それを渡しなさい。そのために召喚したのでしょう」

「まさか。これは戦うためのものだ。あなたに見せるのは、(つか)ではなく、刃だ」

 

 カムリは、切っ先をバルドーに向けた。

 バルドーはややたじろいだが、慌てる様子はない。

 

「……知っているぞ。光の剣ミスティルテイン。()を他から奪い、束ね、破壊の力に変える。日中こそ無敵だが、暗い地下やこのような夜では使い物になるまい。それに……」

「“神器封じ”が効いている、と?」

 

 バルドーの表情が、固いものに変わる。

 

「気づいていたか。だが、それはもう貴様の手から外れん」

 

 カムリは、籠手が自分の腕をひどく締め付けるのを感じた。バルドーの言葉に呼応しているようだ。

 他でもないバルドーから贈られたこの装備は、彼がカムリのために用意した特別なもの。その機能は、『神器の能力を制限すること』である。エクスに与えられた首飾りも、同様の機能を持つ。

 

「そしてさらに。……この、無明の闇だ」

 

 バルドーが腕を振りかざすと、祭儀場に灯されていた火が、次々と消えていった。

 それだけではない。ペリエ市全体でぽつぽつと揺らめいていた灯りが、すべて消え去った。

 バルドーは深い暗闇の中で、勝利を確信する。誰に見られるはずもない今、彼はその本性を隠さず、にやりと笑った。

 

 ――これが、無明の闇?

 

 だが。

 カムリには、見えていた。

 バルドーの表情も。闇にうごめく死霊兵たちも。すべてが、先ほどまでと変わらず、鮮明に見えていた。

 カムリの瞳は、普段のブラウンではなく、まるで満月のような淡い青に転じている。

 

 暗闇を見通す目。それが、カムリという人間の持つ特性である。

 地下迷宮において視覚に制限がなかったのはそのためであり、シセルの死霊術はこの生前からの機能を再現していた。

 カムリは思う。

 エクスの炎、プラチナの銀の力に比べれば、これは取るに足らない才能(とくべつ)だ。けれど自分の持つ力としては、剣の腕よりも、足の速さよりも気に入っている。

 なぜなら、この眼は――。

 闇の中に残るわずかな光が、あまりに美しく、輝いて見えるからだ。

 

 カムリは、黒い剣を握りしめた。

 

「まだ無駄だとわからんか。さっさと渡せばいいものを……。お前のような小僧は、その剣の価値(ちから)を知らぬ」

 

 その言葉に、思わずカムリは応えた。聞き逃せないくらいに、おかしなことだったからだ。

 

「――馬鹿か、あんた? 誰に向かってそれを言う」

 

 カムリは――、

 星騎士カムリ・“ミスティルテイン”は。星天教会本国が任命した、特級神器第七号の“封じ手“である。

 この世の誰よりその剣に認められ、この世の誰よりその恐ろしさを知る者である。

 

「この剣の脅威(ちから)を知らないのは、お前のほうだ。バルドー」

 

 カムリは剣を高く掲げた。切っ先は、空を指している。

 バルドーは空を見上げた。そこにあるのは無明の闇。暗黒の空。

 違う。

 美しく輝く無数の銀光――天の星々が、夜空に散りばめられていた。

 

「神器解放」

 

 星の光が、降ってくる。

 ひとつひとつと数を増やしていき、やがて尾を引く大流星群となって、ただひとつの刃へと収束していく。

 刀身の黒は剥がれていき、神々しいまでの(きらめ)きをただ一本に閉じ込めていく。

 そして最後に。白銀と焔の輝きが、剣へと溶けていった。

 

 神器ミスティルテイン。

 そのまばゆい輝きを見た者は、口々にそれを聖剣とたたえた。

 その本性は、世界から光を奪いつくし、自らだけを輝かせる、強欲と独善の剣である。

 

 星光を集めた剣は、カムリの手でぎらぎらと発光する。それは単なる光ではなく、途方もない魔力としてそこにあるものだ。

 剣は黒色から、本来の白色へ。そして、刀身が放つ激しい光にさらされ、神器封じの籠手はあっけなく砕け散った。

 それだけではない。カムリの肉体までもが、あまりに強い光に焼かれるように、焦げ、壊れ、(ほど)けていく。

 剣を握る右手が。

 腕が。胴が。五体が。

 痛覚のないはずのカムリは、全身にこれまでにない激痛を感じた。だがそれは、心地のいい罰に思えた。

 そうして、やがて。

 カムリの本性。醜く恐ろしい、骸骨の姿があらわになった。

 

「き、貴様! やはり正体は死霊か。星騎士などではない、下賤な魔物ではないか!!」

 

 狼狽するバルドーの言葉を聞き、死霊の騎士は、わなわな、かたかたと肩を震わせた。

 笑ったのだ。

 

 

 そうだ。俺は死人(しびと)だ。お前を、呪い殺しに来たぞ。

 

 

 

 剣を一振りすれば、バルドーの軍勢の半数が消し飛ぶ。

 二振りすれば、残りの死霊兵は、肉と骨だけになって散らかった。

 三度も振れば、祭儀場だった広場には、がれきの山だけが残った。

 

 ほんの一瞬の戦いがあった。神器を解放した星騎士の戦闘とは、大抵はこのようなものだ。彼らは時に、個人ではなく、兵器の点火装置として扱われる。

 バルドーは、天を仰ぎ見るかたちで倒れていた。

 四肢のうち、両足は破壊の光に巻き込まれて消失し、杖を取り落とした右腕はひどく焼けている。

 目を大きく見開き、荒く呼吸を繰り返す様子を見て、カムリは、『まだまだ元気らしい』と思った。

 

『疲れたな。休憩がしたい』

 

 カムリは発光する剣を肩に担ぎ、瓦礫の小山に歩いていく。座れる部分を見つけると、地面に剣を突き立て、腰を下ろした。

 かた、と骨の身体を鳴らし、両の膝に腕を預け、背中を丸める。人間くさい、がらの悪い座り方だ。

 

『退屈しのぎに、何か面白い話でもしてくれよ。バルドー』

 

 死霊の騎士は、気さくな物言いで、死に体のバルドーに話しかけた。

 

『たとえば、そうだな。どうやってツェグを殺し、操ったんだ? お前ごときにどうにかできる男じゃないだろう』

「……こっ、小僧が……! 私は、お前が十もいかないガキの頃から、この街に根を張っていたんだ」

『存じ上げていますよ、大星官』

 

 満身創痍にも関わらず、バルドーは興奮した様子で声を荒げていく。

 

「その私が、あらゆる魔術と策、長い時間と努力を捧げ、あの夜にこぎつけたのだ。ツェグ・ラングレンを殺す夜に……!」

 

 

 バルドーは告白する。

 カムリは息をひそめ、彼の言葉に耳を傾けた。

 

「私は教会の信徒として善に徹し、完全に近い信用を勝ち取った。そうしてあの男を、後は紅茶をひと舐めすれば殺せる状況にまで持ち込んだのだ。毒の扱いでは私以上の魔術師などそういない。これに関しても完璧なものを作り上げた」

「だが、あの男は、けしてカップに口をつけようとはしなかった。それどころか、私の目的を見抜いていたのだ」

 

『それで?』

 

「脅した」

「私を捕えれば、あるいは害すれば、事前に仕掛けた魔術により、まったくの同時にラングレン養護院が破壊されることを伝えた。そして、ツェグが死ねばその仕掛けを解く、という条件で、魔術による契約を突き付けた」

「だが、私の知るツェグ・ラングレンならば、それでも、私の用意を上回るあらゆる手段を使い、私を殺しただろう。養護院の全員すら救っただろう。それができる男のはずだった」

「お前たち、三人さえいなければな」

 

『何……?』

 

「やつは最期のとき、お前たちの名を呼び、後を託すと言っていた。己が死すとも、若い者が後を継ぐ。ここで死ぬことこそが最も合理的な選択……そう考えたのだろう」

「私が、やつの死体を操るという、至高の魔術を隠し持っていることに気づかずに」

「果たして、お前たちはやつの遺志を継げはしなかった。他でもないあの男の手にかかって死んだのだからな」

「後を託せる者がいると思い込んだ。それがツェグ・ラングレンを弱くした。やつが死んだのは、お前たちのせいだ」

 

『………』

 

「……そして、今!」

「再び、ラングレン孤児院を消す準備が整った……!」

 

 

 バルドーは昂った声で吠える。

 

「ツェグとの契約にはわざと穴を開けていた。あれから新たに敷いた魔術により、いま、この街の運命は私の手の内にある……!」

 

 四肢のほとんどを失い重傷を負いながら、バルドーは勝ち誇った笑みを浮かべ、身体を起こそうとあがく。その様子を、骸骨は静かに見守る。

 

「範囲は養護院に限らない。ペリエの生者すべてを生まれ変わらせる術だ。今日使う予定ではなかったが……」

 

 バルドーは這いずり、焼けた右腕で、転がっていた杖を掴んだ。

 杖に触れた途端、彼の身体には、たしかな魔力が宿る。言葉にしたことは実行可能だというのが、カムリにもわかった。

 

「さあ。私が死ねば、その瞬間に術は発動する。どうする、星騎士。いやどうしようもないだろう」

 

 カムリは思う。

 ちょうどツェグも、このような言葉を突き付けられたのだろうか。

 だとしたら、自分の命や人々の平和ではなく、子どもたちを守ろうとした彼を、誇りに思う。愛しく思う。それはまぎれもなく、“父親”の行いだ。

 彼の遺した想いを、自分が正しく継げていれば――。

 

『………。ひどいことをするものだ。あんたは、良心がとがめたりはしないのか?』

「フフフ、存外気持ちがいいものだよ。救いのない悪党としてふるまうのはな」

 

 カムリは。

 関心を失ったように、頬杖をついて言った。

 

『そうだな。じゃあ、やってみてくれ』

 

 カムリは、言った後で、骨の頬と手では頬杖をつくなど難しそうだがと思い付き、自分の頬にある白骨の手をじろりと見た。

 バルドーは耳を疑った。

 次第に興奮が落ち着いていき、彼は汗の冷たさを思い出した。

 

「どういうことだ。市民を見捨てるというのか」

『何を驚く? 俺は見ての通りの死霊だ。こうなると、生きてる人間のことなんか、どうでもよくなるよ』

「……ならばっ! 後悔しろ!!」

 

 バルドーは焼けた右手で、必死に杖を振りかざした。

 空間がうねるような大魔力がうごめき、大規模魔術が行使される。

 しかし。

 

「………………なぜ発動しない!?」

 

 バルドーの言うような大規模死霊術や、カムリを打倒するような何かは、起きなかった。杖から発せられる魔力はたしかに存在しているが、それで動作するはずの魔術の気配はない。

 

『失敗したんじゃないか。でかい術ほど、本番は難しいと聞く』

「それはありえんッ!!」

『なら、なぜだと思う?』

「……!!」

 

 バルドーにとって、答えは明白だった。

 街に隠して張り巡らせておいた魔術式を、何者かが発見し、妨害したのだ。準備や手順に間違いがない以上、それしか考えられない。

 だがそれは、肯定しがたい、認めがたいことでもあった。

 

「『七霊商会』の高位術士が考案した、完璧な隠匿魔術式だ。それをさらに私が長年かけて研鑽したものだ! 教会の騎士などに見抜けるはずはない!!」

 

 バルドーの言葉通り、魔術(星法)の研究に関して、星天教会は魔術師の組織にやや遅れを取っている。バルドーの奥の手を見抜ける人材は少なく、実際にペリエ市では、これまでまったくいなかった。

 しかし。今のカムリの傍らには、それができる人物がいる。

 

『言ってなかったかな……。相棒がいるんだ。どうやらお前より上手らしい』

 

 シセルは、ペリエ市に一歩踏み入った瞬間、街中に隠されている魔術式を看破した。そして翌日、しかるべき対処をした。

 バルドーの年月を、一日で否定したのだ。それが両者の、魔術師としての力の差だった。

 

「なぜだ……なぜ、このようなことに。……まさか、ツェグ・ラングレンか? 死んでもなお、お前に、私を打倒するための何かを遺したと!?」

 

 バルドーは狼狽する。後がなくなった証左だった。

 

『いや。ツェグを買いかぶりすぎだ、みんなも、あんたも。……彼はなにも、超人じゃない。大体、そこまで入念に準備されちゃあ、星騎士だってあっさり死ぬ』

「ならば、なぜ……誰が……」

『さあな。こういう運命だったんじゃないのか。なぜも誰も、善良な人々をあれだけ殺したら、呪われても仕方がないとは思わないか?』

 

 骸骨の騎士が立ち上がる。

 星屑色の刃が、再び輝きだす。

 

『さて。話をありがとう。とても満足したよ』

 

 男は、野望の終わりを悟った。

 

 

 バルドーは杖を手放し、倒れた。

 天を仰ぎ、無心になる。

 

「ここまでか。私も、星神(ホシガミ)様のみもとへ……」

『逝けるとでも?』

 

 臓腑と頭蓋に響く、この世のものではない声が、バルドーを震え上がらせた。

 いま、空には星の輝きなどない。ただ、死の姿をした男だけが、空洞の目で、彼を見下ろしていた。

 

『あんた、まだ信徒のつもりでいるのか。そうはいかないね。仲間たちの元へはいかせたくない。魂ごと滅してやる』

「だ、誰にも死後を安らぐ権利はある。魂の蹂躙は大罪だぞ!」

『……ハハ。クハハハ……! クックックッ』

 

 狂笑。

 

『勘弁してくれよ。骸骨でも腹を抱えてしまう』

 

 誰よりも他人の魂をなぶり、穢してきた男だ。それが最期にその罪から逃げようとしている様子を見せられ、カムリは、愉快でなくとも、もう笑うしかなかった。

 

『そうだな……。大星官様、ご存知か。よその教義だと、死んだ人間の魂は、天の星ではなくこの大地に還って、また別の命として転生するそうだ。だが……』

 

 カムリは、最後に、説教をした。

 ただし星天教のものではなかった。大きな罪を犯したバルドーに、安易な救いはない。そのことを陰険な言い様で説いた。

 

『あんたみたいなのがそのまま生まれ変わったら、駄目じゃないか。よく砕いてやるから、塵からやり直すといい』

 

 死後の救いを断たれた男の、恐怖に塗れた顔を、死霊は見下ろした。

 

『……その次は、(ソラ)にいけるかもな』

 

 聞こえないよう、小さな声でつぶやく。

 

 カムリは、星の光を振り下ろした。

 

 

 



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12.「死がふたりを分かつまで」

 眠りから目覚めた、という感覚があったわけでもなく。

 気が付くと、少女は暗い一室に横たわっていた。

 

「……ん~」

 

 ベッドの上で伸びをして、カーテンを開ける。外の様子からして、時間帯は朝と真昼の間らしかった。

 胸に手を当てると、疑似心臓の鼓動がとくとくと返ってくる。

 彼は部屋にある小さな鏡を覗く。そこには、白銀の髪と暁色の瞳を持つ、美しい少女が映っていた。

 

 シセルが部屋を出ると、それぞれの一日を過ごしていた養護院の子どもたちや、院長が声をかけてくる。誰も彼も安心した様子だ。

 会話の中で、眠っていた期間はひと月に及ぶほどだと教えられる。

 シセルはある骸骨を思い浮かべる。少女の肉体が停止していた期間から、あの男は貸し与えた魔力を相当に使い込んだか、戦いが長期に及んだのだろう、と推測した。

 シセルは、カムリがどこにいるのかを聞いて回った。

 実のところ、死霊術の(しゅ)である彼には、カムリのいるおおよその方角、距離はわかっている。しかし当然ながら、そこがどのような場所であるかも、そこにいる理由もわからない。

 養護院の青年アルが、仕事の合間にシセルの質問に答えた。

 

「兄さんなら、街の復興を手伝ってるか、教会の生き残りを指揮しているはずだよ。それより、ケガをしたとか言って、ずっと顔を隠しているんだよ。心配だ」

 

 礼を言い、シセルは養護院を出た。

 

 ペリエ市街では、街の規模にはまだ足りていないものの、人里としての活気が戻りつつあった。

 人々の間では、大星官バルドーを陰で操っていた悪の魔術師を、外から来た星騎士が打倒した……という噂が流行っていた。

 その星騎士というのは、顔を隠した矮躯の青年で、ここひと月は街の復興に尽力している、とのこと。正体は死んだはずのカムリだ、エクスだと話す者もいれば、それを否定する者もいた。

 市民たちは、シセルが声をかけるとなんでも話した。彼はそれを、この美貌のなせる技だろうと思い、気を良くした。

 シセルは、山を利用した階層構造の都市であるペリエを、上へ登っていった。

 道中は、困りごとのある市民を見つけると、魔術で助けていった。そのたびに礼や称賛を浴び、才色兼備の善良な少女を演じることに酔う。

 目的地に着くころには、愛らしい顔にニヤニヤと笑みを浮かべながら、もらった果物を勲章のように周囲に浮かべていた。

 

 シセルがたどり着いたそこは、街からも教会からもやや離れている。ペリエ市が広く見下ろせる丘の端だ。

 そこに、カムリはいた。

 外套で身体全体を覆い、特に顔は包帯やフードで念入りに隠している。シセルは一目見て、外見を偽る魔術が解けてしまっていることを理解した。

 

「おはよう、騎士サマ」

 

 振り返るカムリに、シセルは果物を投げた。彼はそれを掴み、まじまじと見つめたが、何かを食べようとは思えない身体なので、無言で投げ返した。

 

「こんなところで何してた。……ん?」

 

 振り向いたカムリの背後、丘のふちには、一本の剣を墓標にした、つたない墓が作られていた。

 剣の持ち主、ツェグ・ラングレンの墓である。

 

「その剣、ここに置いていくのか? もったいない」

『他には遺体も何もないからな。代わりに、彼の魂を置いていくんだ』

「はぁ? 何言ってるんだ、人間の魂っていうのはな……」

 

 シセルは魔術師としての観点から文句を言おうとしたが、カムリから重い威圧が飛んできたので、怖くなってやめた。

 

「そ、そうだ。他の仲間の墓はないのか。ほら、この髪と、瞳の……」

 

 その言葉を聞いたカムリは、ずんずんとシセルに近づいてきた。そのまま無言で見下ろしてくる。

 

「えっえっ何?」

『………。いま、墓に向かって安寧を祈っている。他には遺体も何もないからな』

「?」

『エクス、プラチナ。安らぎのあらんことを』

「………。えっ、あっ!? もしかしてこの身体(シセル)が墓ってこと!? バカかおまえ、ふざけんな!」

『ふざけていない。遺品はそこにある』

 

 目を指さされ、シセルはうぐぐと唸って頭を引いた。

 

「なあ、おまえはこれからどうするんだ」

 

 シセルはカムリの横に並び、墓と街を見下ろして言った。

 カムリが答える。

 

『街を立て直さないといけない。みんなを手伝うよ』

「そうか……」

 

 シセルはカムリに向き直り、魔術を行使した。しばし、淡い光が地面から立ちのぼる。

 それから白い手を伸ばし、彼の顔を隠していた頭巾などを取る。そこにはどくろの顔ではなく、青年の顔があった。

 カムリは、肉のついた自分の手を見下ろし、頬を触って感触を確かめた。そして、少し驚いた顔をした。

 

「よし、これでいいだろ。無茶しなければ二年はごまかせる。その間に偽装魔術の勉強でもしな」

「……シセル」

「さ、仕事をしよう。そうして町の連中の尊敬を集め、いずれは何でもいうことを聞く奴隷に……」

 

 シセルは憎まれ口(おそらくほぼ本心)を叩きながら、丘から降りていった。

 カムリもまた、人々へ奉仕するべく、その場を後にした。

 

 

 平穏を取り戻したペリエでの日々は、瞬く間に過ぎていく。

 

 ある夜。

 シセルは、星天教会の秘蔵庫にいた。本来であれば位の高い者しか立ち入れない部屋だが、警備の人手も足りていないこの機に乗じ、忍び込んだ。

 中の荷物を無差別に盗もう、という目的ではない。探し物はひとつだ。

 シセルは眠りから目覚めた日、カムリからことの顛末を聞いていた。そしてその中でひとつ、気にかかることがあった。

 

「……あった」

 

 シセルは一本の杖を見つけた。それは歩行を補助するためのものではなく、魔術師や星法士が術を操るのに使う、武器だ。

 シセルの肘から先ほどの長さで、軽く、振り回しやすい。封じられているが、たしかに強い魔力を秘めていた。魔導杖としては一級品だ。

 これは、魔術師バルドーが振るっていたという杖である。魔術師としては大物とはいえない彼が、大規模で精度の高い死霊術を操ることができたのは、この杖の力ではないか。そうシセルはにらんでいた。

 シセルは、小さく白い手でそれを持ち上げ、軽く振るってみる。

 さらに、魔術で姿見を作り出し、その前に立って難しい顔を始めた。

 

「うーん」

 

 鏡に映る角度や立ち姿を変え、その都度杖を構え、鏡を見る。

 

「いまいち」

 

 シセルは不満そうな顔でつぶやいた。杖のデザインが気に入らなかったからだ。

 魔導杖は彼にとって役に立つものだが、しかし、“花嫁”のこの姿に似合わなければ意味がない。シセルはこの杖を使うことをあきらめた。

 それはそれとして、杖を、とてもそれが入る大きさではないはずの荷物入れに、ぐいぐいとしまい込んでいった。

 

 

 ある日の夕暮れ時。シセルとカムリは街での仕事を終え、養護院へと戻った。

 シセルは、子どもたちに交じって食事の準備をし。

 カムリは外で、同じく仕事を終えていたアルに、剣の稽古をつけた。

 

「はぁっ!!」

 

 日が沈みかける頃。カムリの目の前で、アルは、剣の届かない位置にある岩に、傷をつけて見せた。

 カムリがツェグから学び、受け継いだ技術は、さらに次代へ。これは今、アルにとっては初めて成し遂げたことで、本人にしても驚くべき成果だった。

 カムリは、呆然としているアルに近寄った。

 

「アル。ずっと、剣を振っていたんだな。俺に教えられることなんてもうない。強くなったな」

 

 アルは、ゆっくりと時間をかけ、カムリの言葉を噛みしめていった。

 

「カムリ兄さんのおかげだ。……もっと、もっと早く強くなれていたら、みんなを……」

 

 カムリは何も言わず、背丈の並ぶアルの頭に手で触れた。

 体温のない手のひらだったが、アルはそれを、温かいと感じた。それは、夕日の熱がそう思わせたのかもしれない。

 

「アル。もし君が、これからも剣を握っていくのなら……頼みがあるんだ」

 

 アルが顔を上げる。

 

「騎士団宿舎のそばの丘……そこに、ツェグの剣がある。墓標にしておくにはもったいない代物だ。……君が、持つんだ」

「お、俺が?」

「アルに剣が必要になるなら、という話だ。その上で、もしも君が望むのなら……騎士になってほしい」

「騎士に……」

「教会の騎士、というわけじゃない。この街の、皆のための騎士になってほしいんだ。俺はアルになら、それを託せる」

 

 カムリは、アルに想いを託した。

 縛り付けるつもりはないが、何かを遺したかった。ツェグの剣と共に、自分の何かを、ここに残していく家族に。

 カムリの言葉に、アルは大きく頷く。

 

 そうして、あの過ぎた日のように。二人は日が暮れるまで、剣の稽古を続けた。

 

 

 またある日の夜。

 これが、最後の夜。

 人々は寝静まり、空に太陽はなく、月と星だけが世界を薄く照らしている。

 

 街の出入り口には、少女の姿があった。

 しばしの間ペリエ市を見上げ、そして、暗い街道へと振り向く。

 星空を眺めなから、少女――魔術師シセルは、ゆっくりと歩き出そうとした。

 

「どこへ行く?」

 

 その背中に声がかかる。

 シセルは振り返り、盗みがばれた小悪党のような、ばつの悪い顔をした。

 

「うっ、なぜここに……」

 

 新調した鎧と外套を身に着けた騎士、カムリがそこに立っていた。

 

「ひとつ聞きたいことがあるんだが。もしやお前は、俺の位置がわかるのか?」

 

 そして、シセルが聞きたいようなことを、逆に質問してきた。

 

「……まあな。おまえは私の使い魔だ」

「そうか。実は俺にもお前の位置がわかる。心臓の位置がな」

「ぐ、むむ……!」

 

 カムリは、神器ミスティルテインの封じ手である。剣との強いつながりは未だ続いており、彼にはそのおおよその距離と方角が感知できた。すなわち、シセルが現在どこにいるかは、カムリには筒抜けとなる。

 シセルはカムリの目的を察し、観念した。

 

「わかった、わかったよ、返せばいいんだろ。返すよ剣は。だが他のは渡さんぞ、もう私のもんだ」

「何の話だ」

「おまえの剣を取り返しに来たんじゃないのか?」

「いや……」

 

 カムリは、シセルのそばまでやってきて、言った。

 

「ここを出るんだろう。俺は、お前と行く」

 

 シセルは目を丸くする。

 

「……いいのか? 故郷なんだろ。やり残しはないのか。死霊術のことなら、魔力源さえあれば、私から離れても続くぞ」

 

 シセルはつい、自身の死霊術について、正直な情報をひとつ漏らしてしまった。魔術師にあるまじきことだ。

 しかしカムリは意見を変えない。

 

「できることはもうやった。これ以上は死人の出る幕じゃない」

「……そうか。そう、か……」

 

 困惑した様子だったシセルだが、カムリの言葉を理解するにつれ、おもむろに笑顔へと変わっていく。

 

「なるほど。やはりおまえも、このシセルという美少女を愛さずにはいられなかった……、もはや離れがたくなってしまった、というわけか」

「違うが?」

「いいだろう! 私の探求の旅、騎士として付き従え!」

 

 シセルは歯を見せ、いたずらを思いついた子どものように笑う。

 

「たしか、長い付き合いになりそうだ、と前にも言ったはず。きひひ、死ぬまで(・・・・)付き合えよ? 星騎士カムリ……だっけ?」

「……ウチカビでいい」

 

 シセルが口を閉じる。

 

「星騎士は死んだ。俺はウチカビだ。君の騎士だ。それでいい」

「いい心がけだ」

 

 シセルは目を細め、妖しく微笑む。暁色の瞳がウチカビを覗き込む。

 少女は蠱惑的な手つきで、騎士の頬を撫でた。すると青年の顔から、皮が、肉が、魔術による虚飾が剥がれ落ちていく。

 最後に、骨だけが残った。

 何も持っていない、みすぼらしい死人の姿だ。

 

「うーむ。やはりいい骨格をしているな。健康そうで印象がいい。こっちのほうがイケてるぞ」

『そりゃどうも』

「もう少し着飾ったら、最後は“花婿”にしてもいいかもなァ……」

『――なんだと?』

 

 ウチカビは耳を疑った。耳はない。

 

『貴様と(ねんご)ろになれということか? 冗談じゃない』

 

 声には刺々しい雰囲気が混じり、顔がなくとも、ものすごく嫌そうにしているのが明らかだ。

 そしてそれは、シセルも同じだった。

 

「あぁ?」

『騎士であることは受け入れるが。言っておくが、俺が愛するのは、生涯プラチナただ一人で……』

「んあああっ、何勘違いしてる、気持ち悪い。別に一緒のベッドで寝ようってんじゃない。この身体は私だけのものだ」

 

 シセルは細い体を自らきゅっと抱き、ウチカビを睨む。ウチカビは無性に腹が立った。

 

「……が。ここまできたらもう、おまえも私の作品だろう。私の魔術で動いてるんだから。なら、このシセルの飾りになってもらうこともある」

 

 シセルは誇らしげな顔で、むんと張った胸に手を当てた。

 

「こういう儚い系美少女の横に、いかつい骸骨がいたら、絵が映えると思わないか?」

『思わない』

「ああ、そう。美的センスがないらしい。兜もダサいし」

『な、何? あれは好きで被ってたんじゃない。それに、あのときは似合っていると……』

「世辞だよ、わかるだろ。もしかしてぇ、本気に受け取っていましたか、ウチカビ?」

『クソ魔術師が……』

 

 ふたりはしばらく、友人のように、くだらない会話をした。元は交わるはずのない立場にいた彼らだが、その間に、もうわだかまりはなかった。

 

『探求の旅、と言っていたが。具体的には何を? どこへ?』

「この身体を飾るものを探すんだ。髪と瞳の色はもらった。あとは、たとえば服、服飾品。真っ白なドレスに……指輪とか。それと必要ならば、武器……。どれも最高級のモノが欲しい」

『強欲なことだ』

 

 興奮して饒舌になるシセルは、高貴な姿に憧れる少女のようで、どうにも可愛らしかった。しかしウチカビは『魔術師』が男性であったことを思い出し、内心引いていた。

 

「南の国には特級神器の杖があるって噂だし、東に行けば、伝説の彫金師の一族がいるとか。さらにその向こうの大陸には、想像できないほどに美しい女ばかりの人種がいる……なんて伝承もある。ぜひ直接見てみたい」

『そんなおとぎ話で動くのか?』

「ああ。この肉体の大方ができたら、迷宮を出て世界を回りたかった。夢なんて曖昧な話じゃない。そういう計画だった」

 

 カムリは、誰かとの約束を思い出した。一緒に街を出て、世界中を回るという約束を。

 ウチカビは、口のない骸骨の顔で、笑った。

 

 やがて、気分を良くしたシセルが、いよいよ街道に向かって歩き出す。

 

「さあ! まずはどこへ行こう!」

『上等な剣が欲しい。この店売りの剣じゃ、長旅には心もとない』

「いや、おまえの装備はどうでもいいんだよ。出鼻をくじくんじゃない」

『戦いのたびにその心臓を引き抜いてもいいのなら、別に要らないが』

「ま、まずは剣を探しましょうか。時間はたっぷりありますしねっ」

 

 シセルは冷や汗を流し、媚びるような声を出した。

 

 

 魔法使いの少女シセルと、魔法の騎士は、冒険の旅に出る。

 この物語が本であったならば、最後のページはここで終わる。しかしこれまでのおはなしは、彼らにとっては最初の冒険に過ぎない。

 死の先を往くものたちは、最後のページをも越えていく。

 

『しかし、おかしなことだ。旅立ちというのは、普通は朝にやるものだろう』

「いいじゃないか。お互い、夜に出歩く死人らしくて」

 

 二人の手に灯りはない。必要のないものだからだ。

 けれど夜空には、銀色の星々が、彼らの旅路を彩るように、いっぱいに輝いている。

 冒険のはじまりだ。

 

 

 旅の途中のある日。

 道を行く中で、騎士は少女に話しかけた。

 

「シセル。共に行くとは言ったが……いつまで俺は、君についてないといけないんだ? そのうち昇天したくなるかもしれないんだが、その場合、聞き入れてくれるのか?」

 

 少女は足を止める。

 

「いつまで? ……ふぅん、いい質問だな。契約には明確な期間を設けるべきだ」

 

 その場で黙り込み、考えるそぶりを見せる。

 しばらくして、口を開いた。

 

「こういうのはどうだ。契約期間は――、」

 

 振り向いた顔はやけにいたずらっぽく、笑っている。

 ひとまず、真面目に耳を傾ける。

 

 しかし少女が、しゃらくさい言い回しを口にしたので、騎士はあきれた。

 

 

 

 『死霊騎士と魔術師の花嫁』……おわり

 





※以下あとがき


 読了ありがとうございました!

 このあとの二人は、教会の神器回収者に追われたり、『七霊商会』から滞納した迷宮の家賃を払えと追われたり、バルドーに杖を与えた何者かと対立したり、『娘』を造ったり……みたいな冒険をすると思います。
 私はTS娘×男の恋愛ものをよく投稿していますが、残念?ながらこの二人の間に恋愛はなさそうです。なのでいつものタグは外しています。
 ここまで感想評価等ありがとうございました!

 なろうにも投稿したのでポイントクレクレをさせてください
 →なろうバージョン
 



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