ソードエピソード (女良息子)
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01.屠 之技

 轟音と共に宮殿が吹き飛び、瓦礫が降り注ぐ。

 同時に悲鳴がいくつか響いたが、すぐに聞こえなくなった。

 今の崩落でまた何人か死んだのだろう。

【彼女】にとって、それは些事にすぎない。

 何人、何十人、何百人──いっそ世界中の全員が死のうと知ったことか。

【彼女】が認知している命はこの世でただひとつ。

『彼女』だけなのだから。

 砂塵で灰色に染められた空間が、水を加えた絵の具のように薄まっていく。

 それにつれて段々と『彼女』の影が見えた。

 ああ、よかった──生きてる。

 口元が綻ぶ。

【彼女】は『彼女』の生存を心から喜んでいた。

 だって──生きていないと殺せないから。

 あの砂塵の向こうに『彼女』はいる。

 手を伸ばしても届かない距離。

 握った剣を突き出しても触れられない距離。

 だったら前に進むしかない。

 斬るために──殺すために。

 この胸に溢れる殺意(あい)を届けるために。

 決意と共に、【彼女】は駆け出した。

 こうして。

【彼女】と『彼女』の()()()()()は始まった。

 

 

 ◆

 

 その戦争と災害によって世界が受けた損害はあまりに大きかった。

 片や知能持つ全ての種族を巻き込んだ『大いなる戦争』。

 片や世界全域で時と場所を選ばず発生した『大いなる災害』。

 どちらか片方だけでも、歴史に残る悲劇になったのは確実である。

 ましてやそれらが全く同時期に起きたのだ──もはや失った物を数えるよりも、残った物を数えた方が早い。

 被害の規模が分かりやすいよう具体的に言うと、戦争と災害によって地上から姿を消した種族は五〇〇を超えるが、残った種族は九つである。

 九。

 たったの──九。

 五〇〇と比べたら零と大差ない。

 世界に残った種族がそれだけというのは、もう『世界は滅んだ』と言っても誤謬と謗られないだろう。

 絶望的な数字だ。

 だが生き残った種族はいたのである、確実に。

 

『絶対人間帝国』は残された九つの種族の内、人間が新たに建てた国である。大陸東部の平野を中心に発展したこの国は、戦争と災害から五〇年の時を経て、破滅とは無縁の平穏を取り戻していた。

 そんな国の郊外に、フォールコイン家の邸宅はある。

 豪邸──その二文字が似合う家だ。

 部屋の数は人間の両手の指で数えられる範囲を越えており、邸内に飾られている調度品はいずれも絢爛豪華。屋敷の四方を囲む壁はうず高く、あらゆる侵入者を阻むことだろう。使用人の数も当然多い。贅の限りを尽くした屋敷である。

 その豪邸の一室にて。

 ふたりの女が茶の置かれた机を挟んで向かい合っていた。

 そんな風に説明すると、まるで貴族のお嬢様のティーパーティーのような印象を受けるかもしれないが、そんな雰囲気はない。

 微塵たりとも。

 ふたりの女性のうち、片方は帝国の黒い軍服に身を包んでいる。

 その格好だけを見ると、帝国の軍人だと判断できるが、しかし──あまりにも若い。

 幼い、と言ってもいい。

 外見だけで判断すれば、まだ十五すら越えていないように見える。

 いくら五〇年前の戦争と災害で、戦える人間の数が激減したとは言え、この年では軍に迎え入れてもらえるのかさえ怪しい。

 せっかく被っている軍帽も小さな頭にはオーバーサイズになっており、頭部のほとんどをすっぽりと覆ってしまっていた。

 まるで仮装のような滑稽ささえあるが、しかし軍帽の庇から僅かに覗く彼女の視線には、十年やそこらでは獲得できない確かな迫力があった。

 

「なにか気に障ることでもありましたか?」

 

 と。

 軍服少女の対面の席から、そんな声。

 華奢な長身を白いドレスで飾った女が悠然と座っていた。こちらは軍服の少女と対照的に、二十に差し掛かった、大人と少女の中間のような年齢をしている。目と口に常に浮かべている微笑は、軍服少女とは真逆の柔和な雰囲気があった。

 

「ええと……マクガフィン様」ドレスの女は言った。

 

「マフィでいい。本名は長くて呼びづらいので、周りからはそう呼ばれている」

 

「そうですか。ではマフィ様──この屋敷に客人が来られることなんて滅多になく、わたくしも使用人も歓待には慣れていませんので……粗相がありましたら申し訳ありません。屋敷の主として、このレスコー・フォールコインが謝罪致しますわ」

 

 ドレスの女──レスコーからの言葉に、マクガフィンは「ああ、いや、もてなしに不満があるわけではない」と答える。

 幼い外見とは裏腹に、威厳のある声だった。

 

「オレはこの屋敷に来てから一瞬足りとも、待遇に不満を感じたことは無い。宮廷と比べても遜色ないもてなしだ──だが、だからこそ不満でならないのだよ」

 

 ぎろり、と。

 マクガフィンの視線が鋭さを増した。

 

「まさか、あの“流星流”フォールコイン家の屋敷でここまでもてなされるとはな」

 

「あら……、そうですか」

 

 マクガフィンの噛みつくような台詞に対し、レスコーはどこか気の抜けた声で答えた。

 マクガフィンにとって、その態度はますます不満に思えたらしく、

 

「“流星流”──殺しすぎる剣術として敵味方の両方から恐れられた殺人剣。そんな流派の血を引いている人間と会うのだから、出会い頭に問答無用で斬られる程度のことは期待していたのだが」

 

「殺しすぎる剣術って……そんな風に呼ばれていたのは先々代(おじいさま)の頃の話ですよ。今のフォールコイン家は、先の大戦の功績で国から裕福な暮らしをさせていただいている、ただの貴族にすぎません」

 

「裕福な暮らしをさせていただいている、か」

 

 マクガフィンは復唱して笑う。

 嘲るように。

 

「牙を抜かれている、の間違いではないかね?」

 

 この屋敷には大きいものは護身用の真剣から、小さいものはカトラリーに至るまで、およそ刃物と言えるものが全て排されているらしい。

 どうして? ──『殺しすぎる剣術』を刃物から遠ざける為に決まってる。

 

「先の大戦で“流星流”を目にし、その力を恐れるも、排除する勇気がなかった帝国が、苦肉の策として用意したスポイル──それがこの生活だと気付かないほど、貴様は阿呆ではあるまい」

 

「国の意図はともかく、わたくし自身は『裕福な暮らし』だと思っていますけどね。しかし、それにしても、この屋敷がその苦肉の策とやらで建てられたのなら、当時の国は無駄なことをされたんですねえ──そんなことをしなくても、我が家はもうすぐ途絶えますのに」

 

 “流星流”の代表と言える先々代は先の戦争と災害の後、失踪し。

 レスコーの両親である先代夫婦は、若くして病でこの世を去った。

 現在、フォールコイン家の人間は彼女ひとりだけである。

 広く、大きな豪邸に──ただひとり。

 

「ああ、でも──ひょっとすると、先代(おとうさまたち)が病に罹るほど体が弱かったのは、スポイルの成果なのかもしれませんね。だったら一概に『無駄だった』とは言い切れないのかも──」

 

「随分と」

 

 ぶっきらぼうに、軍服の少女は言う。

 

「平気そうに話すのだな。己が一族の衰退を──普通なら怒るなり、悲しむなりでもっと感情を露わにしてもおかしくない話題だろう? なぜそこまで平気でいられる?」

 

「だって何も感じませんもの」

 

 定められた公式を暗唱するような口調だった。

 

「いえ、理屈では分かるんです。お先真っ暗なフォールコイン家の未来を憂いたり、あるいは五〇年前に多くの方から恐怖と恨みを買った結果、子孫の私たちに迷惑を被らせている先々代(おじいさま)を憎むべきだと。分かってはいるんです。理屈では。ええ。だけど、なんだか──そういう気持ちにはなれないんですよねえ。感情的になろうとしてもめんどくさくなってしまうというか」

 

「感情がない、とでも言うつもりか?」

 

「最も適切な表現を選ぶなら、おそらくそれが正解でしょうね──心の衰退。これもまたスポイルの成果なのでしょうか?」

 

 そう語るレスコーの顔には依然として微笑が浮かんでいた。

 彼女の顔を初めて見た時、マクガフィンは「軍人である自分に媚び諂っているのだろうか」と思っていた。だが今となっては見え方が変わってくる。

 アレは、仮面なのだろう。

 空っぽな内面を隠すための──仮面。

 

「さて、これでわたくしについて掘り下げた所で面白いものが出てこないことは十分おわかりになったでしょう──ところで、本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか? まさか、お茶会だけが目的ではないのでしょう?」

 

「……そうだな。そろそろ本題に入ろうか」

 

 マクガフィンは右手を翳した。

 その薬指には、銀色の指輪がはめられている。

 マクガフィンが短く、何かを呟く。

 すると指輪は震え、歪み、形を変え──やがて一本の刀になった。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()変化だった。

 

「この屋敷は刃物の持ち込みが禁止されているからな──悪いが。()()で指輪に偽装させてもらったぞ」

 

 マクガフィンの手に握られた刀を見て、白ドレスの女は「まあ」と声を漏らす。

 

「それは、まさか……!?」

 

「おや。世間知らずの箱庭育ちかと思っていたが、流石に“全を薙ぐ刀(エピソード)”くらいは知っていたか。ならばこれに関しては説明不よ──」

 

「これが『刃物』なんですね! うわあ、初めて見ました」

 

「…………」

 

 やっぱり説明が必要かと考え直すマクガフィン。

 国の総力を挙げて刃物から遠ざけられているフォールコイン家の無知を甘く見ていたことを反省した。

 

「──五〇年前、世界に残ったのは人間を含む九つの種族だけだった」

 

 しばし悩んだ後。

 マクガフィンは結局、世間一般では常識と言える段階から説明を始めることにした。

 

「競技か遊戯のように勝ち残りの席が予め決まっていたわけではないのに、丁度そのタイミングで『大いなる戦争』が終結したのは何故か? ──各勢力が疲弊していて、戦争の続行が不可能だったから。時を同じくして『大いなる災害』が止んだから……、理由はいくつか考えられるが、九つの種族が“神々”から強大な兵器をひとつずつ与えられたことが最も大きな要因だと言えよう」

 

 握る刀を軽く振る。刀身が窓から差し込む光を反射して煌いた。

 

「九つの種族の内、人間に与えられたのがこの刀──正確に言うと、これを含む十二本で一組の刀こと“全を薙ぐ刀(エピソード)”だ」

 

「そんなに強いんですか、それって」

 

「見た目は普通の刀剣だが、十二本全てが『人間であれば誰でも十全に使いこなせる』という機能を持つ。文字通り、人間であれば誰でもだ。剣術の練度を問わず、老若男女どころか病人や怪我人であってもだぞ──それだけで超常の兵器と認定するには十分な特性だろう」

 

「はあ、なるほど」

 

「『はあ』ってなんだ『はあ』って。すごい兵器なんだぞ。そもそも刃物としての完成度が高すぎるから、今や『絶対人間帝国』に流通している刃物の全てが“全を薙ぐ刀(エピソード)”を参考にして打たれているくらいなんだぞ」

 

「はあ、凄いですね」

 

 長い間刃物と無縁な生活を送ってきたことで、その危険性を知らないレスコーにはいまいちピンと来なかったようだ。

 

「そうだな……他に兵器の例を挙げると、獣人には装着者を老いや病や傷といったあらゆる害から完璧に守る鎧“一を包む鎧(プロットアーマー)”が与えられたらしい」

 

「え。そんなものがあったら勝負に絶対勝てるじゃないですか」

 

こちらはピンと来たらしい。

両親を病で亡くしているから、『病さえ跳ね除ける鎧』の凄さをイメージしやすかったのだろうか。

レスコーの芳しい反応に満足を覚えたのか、マクガフィンは「うむ」と頷いて説明を続けた。

 

「そんな理外の兵器が人間や獣人だけでなく、他の種族にも配られ、九つの種族の戦力は均された──言わば、殴り合えば必ず相打ちになってしまう状況が成立したのだな」

 

 結果、迂闊に戦争を起こせない膠着状態が五〇年続き。

 今に至るというわけだ。

 

「世界を九つに分け、その全てが一斉に振るわれれば世界を九度滅ぼしかねない兵器──それ故、それらはまとめて“九世兵器(きゅうせいへいき)”と呼ばれている。一部では『大いなる戦争』を終結に導いた功を讃えて“救世兵器”と呼ぶ派閥もあるらしいがな」

 

「“流星兵器”? へえ。“流星流”の私としては、なんだか親近感の湧く名前ですね」

 

「きゅ、う、せ、い、へ、い、き! なんだその聞き間違いは! それではまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 さらっと伏線めいた話を済ませ、マクガフィンは説明を続ける。

 

「戦争と災害が同時に起きて一瞬後の命すら危ぶまれていた時代を思えば、五〇年も平穏を齎した“九世兵器”の抑止力は明らかだ──だが今になってその平穏を崩そうとするものが現れた」

 

「いったい誰なんです?」

 

人間(オレたち)だよ」

 

 マクガフィンは皮肉気に笑った。

 マイナスな意味での笑顔が似合う女である。

 

「正確に言えばオレが所属する特殊部隊『絶対人間騎士団』だ。帝国においてオリジナルの“全を薙ぐ刀(エピソード)”の所有を許されている我々は、『五〇年の平穏』を打破すべき『五〇年の停滞』と捉えていてね。自国の強化と他種族の弱体化の為に、他所の“九世兵器”の簒奪を計画し始めたのだ」

 

「あら、それは──」

 

 ここでレスコーは言葉に詰まった。

 世間一般的には平穏を崩そうという騎士団の思惑に否定的な意見を言うべきなのだろう。

 しかし、いま話している相手は、その騎士団所属の人間である。

 ならば、肯定的な意見を言うべきか? 

 ちなみに、レスコー自身の意見を言うと『どちらでもいい』。

 彼女にはいい悪いを判断するほどの情緒は備わっていない。

 しかし結局レスコーが否定肯定どちらかの言葉を口にすることはなかった。

 それよりも前に軍服少女が話を続けたからである。

 

「ちなみに、オレ個人の意見を言わせてもらうと、騎士団のこの方針には賛成だし、反対だ」

 

「へえ……え? は? ん??」

 

「おっと、伝わり辛い言い方だったか──訂正しよう。他国の“九世兵器”を引っ張り出そうとする思惑には賛成だが、それを実行するのがオレ個人ではなく騎士団という組織なのには反対だ」

 

 つまり──それは。

 

「オレは『絶対人間騎士団』よりも早く──“九世兵器”を蒐集したい」

 

「…………」

 

 レスコーは沈黙した。マクガフィンが口にした野望の意味が分からなかったからではない。その荒唐無稽さを理解したからこその沈黙である。

 しかし、少女は聞き手の沈黙を気にすることなく、話を続けた。

 

「とはいえ、オレに戦う力は無い。少々()()()()()程度で、それ以外はからっきしだ──一応、騎士団に所属している証として“全を薙ぐ刀(エピソード)”を持たされてはいるが、とある事情でオレにこれを扱う才は無い。まだ素手で戦った方が勝ち目があるほどだ」

 

 だから、とマクガフィンはレスコーの目を見据える。

 そして話は戻る。

 最初の疑問に。

 彼女は何を目的にレスコーを訪ねたのか? 

 

「“剣鬼“マクガフィン・テーブルの頼みだ。レスコー・フォールコイン──殺しすぎる剣術“流星流”よ。オレの戦力になれ。オレと共に世界を巡り、オレの代わりに騎士団の蒐集活動を妨害し、オレの代わりに“九世兵器”の所有者と戦ってくれ」

 

「そう言われましてもねえ……」

 

 面倒なことになったな、とレスコーは思った。

 こんなことになるなら軍人が我が家を訪れた理由なんて明らかにしないままだったほうが良かったかもしれない。

 今からでも聞かなかったことにならないだろうか? 

 

「いくらマフィ様からの依頼でも無理がありますよ。帝国への叛意になる貴方の野望に付き合うのは危険すぎます──それに」

 

「それに?」

 

「そういう荒事は先々代(おじいさま)、せめて先代(おとうさま)に言っていただかないと……、まあ二人ともこの世にいませんけど──そもそも生まれた頃から刃物を握ったことが無いわたくしが、戦力になるわけがないじゃないですか。()()()()()ぶん、マフィ様の方が強いですよ、きっと」

 

「嘘を吐くな」

 

 マクガフィンは短い言葉で批難した。

 そのまま彼女は椅子から腰を上げ、豪奢な机を踏み台にし、身を乗り出した。ふたりの距離がぐっと縮まる。マクガフィンは刀を握っていない方の手でレスコーの右手を強引に掴んだ。

 

「手袋に隠れているが、握れば鍛錬の跡を感じられる。剣を振れない者の腕ではない」

 

「……デタラメはやめてください。刃物類が一掃されているこの家で、どうやって剣の修業が出来るというのです」

 

「剣の修行に剣が必須だと、いったい誰が決めた?」

 

「…………!」

 

 レスコーは絶句した。

 少女の突飛な発言に、またもついていけなくなったから──ではない。

 ()()()()()()()()()()

 

「そうだな、たとえば……」マクガフィンは一瞬、思考を挟んでから台詞を続けた。「使用人の箒でも良い、あるいは取り外した何かの取っ手でも十分だろう──握って振れれば、剣の代わりになったはずだ」

 

 見た目は完全に、ごっこ遊びをしている子供だがな──と付け加える。

 

「あるいはいっそ、何も持たずに完全な空想という可能性もあるか? 一朝一夕ならともかく、二十年近く続けていたのなら、ただのイメージトレーニングでも十分な成果を生むに違いまい。もしくは──」

 

「仮に」

 

 レスコーはマクガフィンの推理を遮るように声を上げた。

 

「仮に──マフィ様が仰るようにわたくしに剣術の腕前があったとしましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──でも、だからといって、それが貴方の野望に付き合う理由にはなりませんよね? わたくしは今の、甘やかされて、駄目にされて、四方八方が閉ざされているけれど、好きなだけ贅沢できる生活に満足しているんです。危ない橋しか渡らない旅に出かけるだなんて、とてもとても……」

 

「む、そうだな」

 

 あっさり引いた。

 文字通り、それまで乗り出していた身を引いて、元居た椅子に腰かけたほどだ。

 あまりに潔い反応だったので、レスコーはやや拍子抜けしたが、同時に期待した。

 あれ? もしかして、このままあっさり帰ってくれる? 

 しかし、そんな期待を裏切るように、マクガフィンは言った。

 

「嫌がる貴様をこれから説得するのは造作もないが、それでは時間がかかる──ならば仕方ない。勝負で決めることにするか」

 

 こうして。

 レスコー・フォールコインとマクガフィン・テーブルの()()()()()は始まった。

 

 ◆

 

「ルールは単純。これから一対一で戦って、勝った方の負けだ」

 

「あの、もう一度言っていただいてもよろしいですか?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あまりに珍奇なルールだったので聞き間違いかと思ったが、傍点付きで言い直されたルールは珍奇なままだった。

 場所は変わらずフォールコイン邸の一室。

 戦いに備えていっちにさんしとストレッチをしているマクガフィン。その対面に立つレスコーは自分の手元を見下ろした。

 そこには“九世兵器”がひとつ、“全を薙ぐ刀(エピソード)”が握られている。

 マクガフィンが「素手では“流星流”の本領を発揮できまい」と言って渡してきたのだ。

 聞くところによれば国宝級らしい逸品を、国を挙げて刃物から隔絶されている一族の人間に渡すなんて、どんな神経をしているんだ。ああなるほど。そんな神経をしているからほぼ反逆みたいな計画を立てられるのか。納得納得。

 刀を握った女と手ぶらの少女。

 あまりに偏った戦力差──マクガフィンがレスコーを無理矢理勝たせようとしているのは明らかだ。

 普通なら物言いをして然るべき場面である。

 しかしレスコーはあえてこの条件を呑んだ。

 その理由は、物言いをしたらしたで、またマクガフィンが面倒な提案をしそうだと思ったから、というのが大きいが──そもそも、この勝負はあくまで『勝った方が負け』なのだ。

 ならば、どれだけ戦力差が偏っていたところで、開戦直後に降参を宣言すればいい。そうすれば相手を勝たせて──負けさせられる。

 無論、この程度の作戦、勝負の立案者であるマクガフィンが考えていないわけがあるまい。なのできっと、勝負は降参宣言のスピード対決になるだろう。『こうさん』のたった四文字を発声する速度に彼我で差が生じるとは思えない。五分五分のフェアな勝負になるはずだ。

 もちろん、それでも懸念がある──仮に降参宣言を先んじた所で「この勝負は実質、先に降参宣言をした方が勝つ勝負だったのだから、そちらの勝ち、つまりそちらの負けだ」と言い出される可能性や、負けたら負けたでまたゴネられる可能性だ。

 まあ、そうなったら流石に使用人を呼んで追い出してもらおうか。いや、もういっそ今からでも遅くないから使用人を呼ぼうか。()()で指輪に偽装した刀を刃物禁止の屋敷に持ち込んでいた時点で、マクガフィンが出禁を言い渡されるのは確実なのだから──そんな風に。

 レスコーが思案していると。

 

「何をぼうっとしている。そろそろ始めるぞ。剣を抜くがいい」

 

 と。

 部屋の対面からマクガフィンの声。

 どうせ最初の一声で勝負が決まるんだから抜く必要はないのだが、ポーズとして抜いておく。

 ついでに構える。

 ああめんどうだ。

 めんどくさい。

 どうしてわたくしがこんな厄介ごとに巻き込まれなくてはならないのだ。

 さっさと終わらせてふかふかのベッドで午睡をむさぼりたい。

 あ、その前にちょっとした甘味で腹を膨らませるのも良いか。

 なんとなく、顔を上げてマクガフィンを見る。

 軍服と威圧的な態度で忘れそうになるが、その見た目は年端もいかない少女だ。

 泰平を得てから五〇年になる今の時代に、剣を向けられていい人間ではない。

 彼女に剣を向けるなんて。

 彼女を傷つけるなんて。

 彼女を殺すなんて。

 彼女を殺す? 

 うん、彼女を殺す。

 彼女を殺す。

 殺さなくてはならない。

 殺したい。

 殺さなくては! 

「それでは──はじ」

 マクガフィンが号令をかけようとする。

 よし来た! 

 殺す。殺す! 

 さあ殺すぞ! 

 殺したい殺したい殺したい! 

 殺させてくれ! 

 殺す! 「め」殺した! 勢いよく前に飛び出して、首を真横に斬り飛ばした! 殺した? これで終わり? いいやまだまだ! 殺す殺す殺す殺す。刎ねられて宙を舞っている首を剣先で貫いた。殺した。そのまま振り抜いて床に叩きつけた。殺した。おもむろに床に倒れようとしている胴体を袈裟斬りで迎える。殺した。そのまま逆袈裟。殺した。腹に思いっきり突きを入れる。殺した。そのまま内臓をぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。殺した。腕と脚を切り飛ばす。殺した。斬り飛ばした手足を更に切り刻む。殺した。残りの部品も斬る。殺した。猟師が獲物にするように解体する。殺した。肉片になるまで切り刻む。殺した。固体から液体になるまで斬り潰す。殺した。

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して──殺し尽くした。

 

 いったい──どれだけの時間が経っただろう。

 一瞬のことだったかもしれないし、何時間もかけておこなわれたのかもしれない。

 

「え」

 

 やっと我に返った時、全てが終わっていた。

 レスコーは床に膝をつき、広がる血だまりを剣でめった刺しにしていた。

 

「えー、と……」

 

 自分が何をしでかしたのか、レスコー自身が分からなかった。

 剣を握ってマクガフィンを見た途端、これまで空っぽだった胸の奥から()()()が湧いてきて──気が付けば、殺戮の限りを尽くしていたのだ。

 殺して、殺して、殺していた。

 まるで──『殺しすぎる剣術』の使い手であるかのように。

 

「これはいったい──」

 

 先ほどまで熱い()()()で満たされていた胸に手を当て、小さく呟く。

 レスコーが漏らした疑問の声に、返事が来るはずがない。

 しかし、

 

「やれやれ──また死ねなかった」

 

 血だまりの中央から声があった。

 それは幼くも威厳のある──マクガフィンの声だった。

 

「“九世兵器”を持った“流星流”ならもしや、と思っていたんだが──見当違いだったようだな。やはり他の“九世兵器”に期待するしかないか」

 

「……は。え、どうして生き返ってるんですか?」

 

「ああ、言っておくが、その殺害衝動は“全を薙ぐ刀(エピソード)”が原因、なんてことはないぞ──その剣にそんな催眠術めいた機能がついていたら、今頃『絶対人間騎士団』は殺人鬼の巣窟だ」

 

 レスコーは目を見開き、眼前に立つ少女を見つめる。

 マクガフィンだ。

 着ていた軍服までは復活していないけども、その風貌は間違いなく先ほど殺したはずのマクガフィンである。

 先ほどまで黒の軍服で覆われていた矮躯は惜しげなく外気に晒され、オーバーサイズの軍帽で隠されていた頭部には、ぼさぼさの髪が伸びており、その隙間──額の右のあたりから。

 一本の。

 角が、生えていた。

 

「角……?」

 

「おや、名乗らなかったか、“剣鬼”と」

 

 理由になっているような、なっていないようなことを言うマクガフィン。

 

「──いやあ、それにしても見事な滅多切りだったぞフォールコイン。口達者で知られるオレでも言い訳のしようがないほどに一方的な殺戮だった──この勝負、どちらの勝ちかなど論ずるまでもないな」

 

 マクガフィンは言って、ニヤリと笑った。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、不敵な笑み。

 相変わらず嫌な笑顔が似合う女だ。

 

「さて、旅の支度を始めようか。なにせ“九世兵器”を蒐集するための世界一周だ、準備だけで大掛かりになるぞ」

 

 ◆

 

 絶対人間騎士団。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”の特性は人間であれば誰が所有しても十全に使いこなせるようにするという『達人作成』だが、あくまでそれは兵器側の話だ。

 それを扱う人間にとっては「誰でも達人になるのなら、適当な人間に持たせておくか」とはならない。

 できることなら、元から戦いの道に秀でた者に持たせたいと考えるのが人の情である。

 そのような事情で帝国中からかき集められ、選りすぐられた精鋭中の精鋭──それこそが絶対人間騎士団だ。

 殺人鬼の巣窟ではないが。

 強者の巣窟ではある。

 

 ◆

 

 その来訪に先に気付いたのは、家主のレスコーではなく、マクガフィンだった。

 それは当然のことなのかもしれない。

 レスコーは自身の身に起きた理解不能の現象に困惑している最中だし、それに何より、来訪者の気配はマクガフィンがよく知るものだったからだ。

 部屋の扉の脇。

 壁に寄り掛かるようにして、男が立っていた。

 後ろ手にまとめられた長い金髪。片眼鏡の奥の瞳は、室内の隅々まで観察するように視線を彷徨わせている。

 そして──その腰には。

 一本の剣が提げられていた。

 

「おや──おやおやおやおやおやおや、剣鬼殿」

 

 男は粘着質な視線をマクガフィンに向けた。

 

「こんな所で会うなんて、奇遇ですねえ」

 

「ああ、そうだな()()()」マクガフィンは応じた。唐突な闖入者が現れたにも関わらず、その佇まいに動揺は欠片も見られない。「同じ騎士団員として絆めいたものを感じずにはいられないよ──ところで、今日はどうしてこんな所に?」

 

「いえいえいえいえ、大した用はございません──ただ剣鬼殿が“流星流”と接触したとの情報を得ましてね、『珍しい組み合わせがあるものだな』と思って見学に参ったわけです」

 

「それで盗み聞きをしていたわけか、良い趣味をしているな」

 

「ははは、お褒めに預かり恐悦至極」

 

「それで──盗み聞きで得られた物はあったのか?」

 

「ええ。貴殿の叛意と、そして“流星流”が剣を使ったという事実をしかと──しかとしかとしかとしかと、確認させていただきましたよ」

 

 どうやら副団長は話のかなり最初の方から盗み聞きしていたらしい。

 

「帝国にとっての危険物がふたつも芽吹いたとあっては、この私──『絶対人間騎士団』副団長“剣頭”ミルドット・テーブルが動かないわけにはいきませんからねえ。()()()()()()()()()()()殿()()()()()()、“流星流”にはここで消えてもらうことにしましょうか」

 

 言って、ミルドットは腰の剣に手を伸ばした。

 ずるずる──と引き抜かれる剣。

 それはマクガフィンが持っていたものと全く同じ──十二本の“全を薙ぐ刀(エピソード)”が内の一本だった。

 瞬間、それまで彼の飄々とした態度によって緩んでいた場の空気が一気に凍り付く。

 気の弱いものが立ち会えば、それだけで気を失いかねない緊張感が場を支配した。

 しかし──

 

「ああ! なるほど! 分かりました!」

 

 場違いに明るい声が放り込まれた。

 それまで放心していたレスコーだった。

 

「謎だったんです! 剣を握ってマフィ様と対面した時に胸の奥から湧きだしたあの熱い感情が! ただひとりのことだけで頭がいっぱいになるあの感覚が! 相手の体の隅々まで考えたくなる欲求が! 想うだけで暴れだしそうになる狂おしさが! ──でも、ようやくわかりましたわ!」

 

 目を輝かせながら声を張り上げる。

 血に塗れたドレスは歓喜に揺れていた。

 そして、その顔に──先ほどまで張り付いていた微笑は無く。

()()()()、満面の笑みが、あった。

 

「これが──この感情が、絵物語でよく語られる『恋』なのですね!」

 

 予め宣言しておこう。

 この話のジャンルはラブコメだ。

 



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02.全を薙ぐ刀(エピソード)

 レスコー・フォールコインが初めて”流星流”に触れたのは、今から十八年ほど前のことになる。

 当時、彼女はまだ言葉を理解し、歩けるようになったばかりの幼な子だった。

 

「心が痛むね。まだ赤ん坊とそう変わらない君に、これから剣術……、しかも、この世で最も忌み嫌われている殺人剣を教えるなんてさ」

 

 当主であるデグリュー・フォールコインの顔は、血の気を失っていた。

 それは心を苛む罪悪感も勿論あるのかもしれないが──やはり理由の大半は、彼が患っている病によるところが大きいだろう。

 一日のほとんどを共に過ごしているベッドから上半身だけを起こし、デグリューはベッドの縁を見る。

 そこにしがみつくようにして立っているレスコーと目が合うと、彼は小さく笑った──儚く、力の無い微笑みだ。

 強がりで元気を演じているのなら、完全に逆効果だ。こんな表情を他人が見れば、心配したり不安になったりするだろう。いっそ笑わない方が、まだマシだ。

 しかしデグリューは、先の短い自分が娘と顔を合わせる時は、常に笑顔でいたいと考えていた──父親として、当然の情だ。

 

「わたくしに剣は必要ありませんわ」

 

 レスコーは父親を見上げながら、きっぱりと言った。

 世界に触れて間もない彼女の目に、濁りはない──光も無かったが。

 

「教える暇があったら、お父様は療養に専念して、早く元気になってください──そもそも、戦争はとっくの昔に終わったのでしょう? いまさら剣術を学ぶ必要なんて、ありませんわ」

 

「ああ、うん、そうだね。僕も君が戦争で剣を握らなくて済む世界であり続けてほしいと、心の底から思っているよ」

 

 だけど──と。

 父親はほんの少し、語気を強めた。

 

「”流星流”は僕がお父さんから──君のお爺ちゃんから受け継いだ剣なんだ。だったら、たとえ剣の必要がない世界になろうが、国から剣を奪われようが、続けていかなくちゃならないんだよ」

 

「ふうん……」

 

 いまいちピンと来ていない様子だ。

 生まれてから五年も経ってない子供に聞かせるには、少し難解な話だったのかもしれない。

 

「ええと、そうだな──たとえばほら。君は夜、寝る前にメイドから本を読み聞かせてもらっているだろう?」

 

「ええ。最近は異国の王子と姫の熱烈なラブロマンスをよく読んでいただいていますわ」

 

「対象年齢を全く考えてないチョイスをしているメイドに文句を言いたい気持ちが湧いてきたけど、それはさておき──その読み聞かせが話の途中で打ち切られたら、君はどう思う?」

 

「…………。変だなあ、と」

 

 普通なら「いやだ」や「続きが気になる」といった子どもらしい感情論を言いそうなところで「変だなあ」が出てくるあたり、この時点でレスコーの精神は相当『変』だったのかもしれない。

 

「だって読み聞かせは普通、よほどの理由がない限り、最後までされるものでしょう?」

 

「そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──その考えは読み聞かせ以外にも言えることだ。だから僕は、これから君に”流星流”を伝えるんだよ」

 

 それに。

 

「いつか君が斬るべき相手に──あるいは、斬りたい相手に出会った時に、この剣が必要になるかもしれないからね」

 

 ◆

 

 回想終了。

 時系列は現代に巻き戻る。

 

「うふ。うふふふ、えへへへへ……にへへ」

 

 レスコーはだらしなく口元を歪めていた。

 こんな笑顔、父親にさえ見せたことがない。

 喉からは夢見心地な甘い声が垂れ流しになり、それまで微笑みしか作ったことが無かった表情筋は過去最大の働きをしている。

 彼女は今、自分の心に湧いた初めての感情に感動していた。

 感動。

 (こころ)の、動き! 

 それもまた、白ドレスの令嬢にとっては初めての体験だった。

 

「…………」

 

 レスコーは熱を帯びた目で、ちらりとマクガフィンを見る。

 瞬間──胸が高鳴った。

 頭の中が少女を切り刻むことでいっぱいになり、脳細胞の一粒に至るまで彼女の死体を妄想することだけに総動員される。

 膝から下に力を込めていなかったら、衝動のままに飛び掛かってしまいそうだ。

 体を駆け巡る熱を感じ──レスコーは改めて確信した。

 

「ああ! この昂りが、形容しがたい心の動きが、噂に聞く恋なのですね……。うふふふっ」

 

()()()()()()()()

 それは世間一般では()()と呼ばれている感情だ。

 しかし喜怒哀楽どころか好嫌レベルで感情が無く、それ故に感情を分類する能力が致命的に欠けているレスコーは、己の心中に湧いた熱を、絵物語で度々目にした『恋』に当てはめてしまっていた。

 脳内にお花畑が広がっている。

 その正体は血だまりだが。

 

「おや──おやおやおやおやおや?」

 

 初恋に浮かれているレスコーを見て、『絶対人間騎士団』副団長ミルドット・テーブルは訝し気な目をすると、答えを求めるようにマクガフィンへ視線を戻した。

 

「これは何事ですか剣鬼殿。先ほどの滅多切りといい、“流星流”に薬でも盛って発狂させたのですか?」

 

「叡智で知られた剣頭ともあろう者がとんだ愚問だな──どんな薬を使おうと、元から無い心を狂わせることなどできんよ」

 

 そう言いつつも、マクガフィンの顔にはミルドットと同じ困惑が滲んでいた。

 先程までの泰然とした余裕が僅かに薄れている。

 どうやら、剣を握ったレスコーが殺意を向けてくるところまでは、彼女の予想の範疇だったのかもしれないが──レスコーがその殺意を恋と勘違いするのは予想外だったようだ。

 

「……まあいいか。たとえ見当違いな恋心であろうと、それがオレに執着する理由になるのなら上等だ」

 

「…………あれ?」

 

 と。

 そこで、ようやくレスコーは脳内に広がる花畑から現実へと帰還した。

 それに伴い、室内にいつの間にか現れていたミルドットの存在に気付くことになる。

 

「ええと、どなたですか?」

 

「オレと同じ騎士団の人間だ」問われたミルドットではなく、マクガフィンが答えた。「役職は副団長。序列だけで言えば上から二番目にあたるな。これから貴様を危険分子として殺すんだとさ」

 

「あら、そうですか……」

 

 レスコーの表情が曇る。

 

「それは困りますね。せっかくマフィ様のおかげで恋心を知ることができたばかりなのに、殺されてしまうなんて──どうしましょう?」

 

「嫌なら抵抗すればいい。殺せ」

 

 剣鬼は命令的な声で言った。

 

「丁度いい機会だ。オレに“流星流”を見せてみろ、フォールコイン──そもそも、九世兵器を蒐集する過程で騎士団の全員を敵に回すことになるのだ。単独の副団長程度は殺せるようでないと話にならんぞ」

 

「あ、そういえば、これからマフィ様と旅をすることになったんでしたね、わたくし」

 

「先程まで随分と嫌がっていたが、今でも嫌か?」

 

「いいえ全然! マフィ様との旅路を想像するだけで、わたくし、ときめいてしまいますわ!」

 

 大した心変わりである。

 いや──レスコーの場合、変わる心が元々なかったのだから、『心変わり』という表現は間違いか? 

 

「あら、あらあらあらあら──それではまるで、剣鬼殿と“流星流”の関係がこれからも平穏無事に続くような言い方ですねえ」

 

 ミルドットが粘着質な声で割り込んだ。

 彼は既に抜いていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”の剣先をレスコーに向けており、臨戦態勢を完了させていた。

 

「それに、酷いじゃないですか剣鬼殿。僕を使って“流星流”の試し斬りをしようとするなんて──ああ、でも、まあ、そんな風に見くびられるのも仕方ないのかもしれませんね。だって、騎士団における僕の仕事は、主に調査や策略といった裏方の頭脳労働がメインでしたから。こうして“全を薙ぐ刀(エピソード)”を握って戦いの表舞台に出てくる姿は、我ながらあまりに似合わな過ぎて笑ってしまいそうです」

 

 しかし、と。

 ミルドットは続けた。

 

「こうは思いませんでしたか? 『普段は裏方にいる剣頭が正面切って現れた以上、なにか秘策があるに違いない』と」

 

「勿体ぶった言い方をするな。その口ぶりから察するに、その秘策とやらを言いたくて言いたくてたまらないのだろう」

 

「ええ──だって、何年もかけて作り上げた傑作ですから」

 

 ミルドットは着ている服の襟を引っ張った。

 生じた隙間から首元が露わになる。

 その肌には、何かが刻まれていた。

 ただの刺青(タトゥー)──ではない。

 今はオシャレを見せつける時間ではないだろう。

 

 この世界には物理法則とはまた別の法則が横たわっている。

 様々な研究者や思想家が、多種多様で難解な長々しい言葉でもって説明をしているが、それを一言で表すと。

『万物は、自身を表す文章(テキスト)を持った一冊の本である』。

 というものだ。

 そして、その文章(テキスト)に介入することで、物体の性質や運動、形態に変化を起こすことを可能とする術が存在する。

 その名は──

 

「なるほど、自身を対象に『執筆』をしたのか」

 

 マクガフィンは冷たい目でミルドットの首を見た。

 

「慎重派の貴様が思い切ったことをしたものだな──で? 具体的に何を書き込んだんだ? 筋力の強化? 脚力の向上? それとも耐久性の上昇か?」

 

「ははは。 “流星流”を相手に、その程度の執筆では心許ないでしょう──ぼくがぼくに刻んだ文章(テキスト)()()()()()()です」

 

「…………!」

 

 マクガフィンの目は驚愕で見開かれる。

 そのリアクションを愉快気に眺めると、ミルドットは話を続けた。

 

「同僚である剣鬼殿はご存知かもしれませんが、ぼくは以前から“流星流”のこのような待遇に反対でしてね。危険だと分かっているのなら、スポイルなんて回りくどい真似はせず、すぐにでも処分すべきだと考えていたんですよ。とはいえ、なんの準備もなく”流星流”に刃を向けるほど、ぼくは馬鹿じゃあない──長い時間をかけて各地から“流星流”の情報をかき集め、それらを読み解き、技ひとつひとつへの理解を深め、執筆に反映した──そうしてようやく、ぼくは自分に『“流星流”の技を無効にする』という文章(テキスト)を付与できたのです」

 

 完成したのはつい数日前になりますがね、と剣頭は台詞を締めた。

 五〇年も昔に活躍していた流派について、仔細漏らさず調査し、敵味方の全てから恐れられた悍ましき殺人剣の記録を、目を逸らさずに読み込んだというのは──それだけで尋常ではない所業だ。

 ましてやそれを元に、まったく新たな執筆をおこなうなんて──人間技ではない。

 

題名(タイトル)を付けるなら『一字包貶(アンチ・ヘイト)』と言ったところでしょうか──このぼくに”流星流”の技は通じません」

 

「ハッタリ…………では、ないようだな」

 

「ええ──実を言えば、我らが団長である剣帝殿か、騎士団最強の剣道殿に書き込みたかったのですが……、『一字包貶(アンチ・ヘイト)』はぼくが独自に開発した特異な執筆ゆえ、適合可能なのがぼくしかいませんでした。なのでこうして頭脳労働担当の剣頭がこんな最前線に出てくる羽目になったのです」

 

 ミルドットは勝ち誇るように語る。

 いや実際──彼は勝ったも同然だった。

 今日が人生で初めて刀を握った日になる“流星流”と、対“流星流”の執筆を完了させた副団長なんて──刀を握った女と手ぶらの少女以上に、勝敗が分かり切った組み合わせだ。

 マクガフィンは心の中で歯噛みする。

 副団長が“流星流”について何かしらの計略を巡らせているのは知っていたが、まさかここまでのものだったとは。

 同じ執筆でも、刀を指輪に偽装するのとはわけが違う。

 刻まれた文章(テキスト)は絶対だ──何らかの手段で剥がせれば話は別だが、ミルドット曰く長年かけて執筆されているという対“流星流”の文章(テキスト)は、そう簡単には剥がれないだろう。

 マクガフィンの思考は今や、ミルドットの打倒ではなく、逃走手段の模索に切り替わっていた。

 だが、一方で。

 

「おや、説明はもう終わりましたか。それじゃあ──斬りますね?」

 

 レスコー・フォールコインは自然体のまま刀を持ち上げていた。

 

「は?」この反応には流石にミルドットも面食らったらしい。「え、いや──お、おい、おいおいおいおいおいおい! 何を言ってるんだ“流星流”!?」

 

 荒らげた声が木霊する。

 仕方あるまい。

一字包貶(アンチ・ヘイト)』の脅威を無視するようなレスコーの発言は、長年かけておこなわれた彼の執筆への侮辱にも等しいのだから。

 

「話を聞いていなかったんですか? 僕に“流星流“の技は、ひとつたりとも通用しないんですよ! 

 最速の爪弾(つまはじき)も! 

 集団との戦いで猛威を振るった牙剥(きばむき)も! 

 遠い地平線上の敵の目すら貫く落目(おちめ)も! 

 音速かつ広範囲を巻き込む声枯(こがらし)も! 

『殺し過ぎる剣術』という”流星流”の評判を決定的にした鱗削(うろこそぎ)も! 

 間合いの概念すら殺してみせた翼簒(そらとり)も! 

 重さのない神速を可能とする肉喰(ししばみ)も! 

 一度の殺害で終わらない追尾(あとおい)も! 

 本来なら不殺の技である峰打ちすら殺しに用いる心砕(こころくだき)も! ──仮に、全ての技をまったく同時に放つという曲芸じみた離れ技があったとしても! ぼくは完璧に対応できるんですよ!」

 

「おや、”流星流”の奥義を御存知なのですか。そんなに深く調べられたのでしたら、執筆の完成度もさぞかし高いのでしょうね」

 

「そこまで理解しておいて、なぜ平気な顔を……!」

 

「たしかに──『絶対人間騎士団』に所属するような精鋭で、九世兵器のひとつ“全を薙ぐ刀(エピソード)”を所有していて、“流星流”対策まで済ませている貴方は、そう簡単には殺せないのかもしれません」

 

 レスコーは構えた。

 最も基本的な──中段。

 剣を握ったばかりとは思えない、整った構えだ。

 

「──だけど、わたくしとマフィ様の邪魔をするのでしたら、殺します」

 

 たしかな殺意を宣言しながら、レスコーは安心していた。

 ああ──よかった。

 こうして剣を持ち、両の目でミルドットを見据えても、ただ邪魔なものを取り除くという事務的な考えがあるのみだ。

 マクガフィンの時のような、熱烈な想いを感じることは無い。

 もしこれでミルドットに対しても同じような想いが湧いていたら、自分に失望していただろう。

 誰彼構わず恋心を抱くなんて──それではただの淫乱だ。

 レスコーの殺意(こい)はあくまでマクガフィンのみに向けられるものだった。

 僅かに視線を逸らし、マクガフィンを見つめる。彼女もこちらを見ていたようで、視線がかち合った。瞬間、レスコーは頭が沸騰するような感覚を味わった。

 

「……勝てるか、フォールコイン」マクガフィンが低く問う。

 

「ええ、もちろん。とくとご覧くださいまし、マフィ様」

 

 短い会話を経て、レスコーは再びミルドットへと向き直った。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわ」

 

「ふん。……まあ、いいでしょう。『絶対人間騎士団』“剣頭”ミルドット・テーブル──推して参る」

 

 ミルドットは応じるように名乗りを上げた。

 こちらを侮るようなレスコーの言動は面白くないが、脅威に感じることは無い。

一字包貶(アンチ・ヘイト)』の効果は絶対だ。

「だが殺す」なんて心意気ひとつで突破できるような生易しいものではない。

 口先だけのハッタリに決まってる。

 そう結論づけたミルドットは先手を取るべく踏み切った──

 

「……え?」

 

 いや。

 踏み切れなかった。

 なぜか、ふたりの距離は一歩分広がっていた。

 不思議に思ったミルドットは視線を下げて足元を確認し──瞠目する。

 前に出ようとしていた彼の足は、逆に後ろへと退がっていた。

 まるで──()()()()()()()()()()()()()()()

 まさか、“流星流”を恐れているのか? 

 自分が? 

 あそこまで見栄を切っておいて? 

 いや──馬鹿な。

 何度も繰り返し説明されたことだが、今のミルドットに“流星流”は通じない。

 自分に害を為さない剣の何を恐れるというのだ? 

 

「マフィ様の同僚さん──貴方はわたくしの先々代(おじいさま)の戦いの記録を参考にして『一字包貶(アンチ・ヘイト)』を書き上げられたんですよね?」

 

 対して、身じろぎすら起こしていない白ドレスの女は、静かに言った。

 

「それを聞いてわたくし思ったのです──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

 

 レスコーはただ、その場で構え続けているだけだ。

 特筆すべき点があるとすれば──その全身から殺意を迸らせていることである。

 並の殺意ではない。

 その量は凄まじい。

 可視化すれば、この部屋どころか屋敷さえ埋め尽くすほどの殺意を、ただひとりの女が発していた。

 そして──それは。

 ミルドットに向けられたものでは──ない。

 マクガフィンただひとりに向けられたものだ。

 ミルドットはただ、レスコーがマクガフィンに向けている感情の進行方向に割って入ってしまっただけであり──己に直接向けられたわけでもない殺意(こい)に、本能的な恐怖を感じただけだった。

 

「名付けて『骨抜(ほねぬき)』──本音を言えば、代々受け継がれた“流星流”の数々をマフィ様にお披露目したかったのですけれど……。まあ、それはまた、来週以降に機会があればやりましょうか」

 

「そっ、即興なんかで、破るつもりですか……! ぼくの『一字包貶(アンチ・ヘイト)』を……!」

 

「あら、酷い言い草ですわね。即興だけど力作ではあるつもりなのに──なにせ、マフィ様との出会いがあって、生まれた技ですもの」

 

 それに、この技はただの威迫や脅嚇ではない。

 殺しすぎる剣術の末裔が、そんな気合勝ちで終わるような技を使うわけがない。

『骨抜』の本領は──ここからだ。

 たんっ。

 と、レスコーが軽い足取りで跳躍し、姿を消す。

 一瞬後、彼女は“流星流”どころかどの流派の技でもない、普通の突きを放っていた。

 平時のミルドットなら、素の実力だけで躱せたであろう、ありきたりな突きである。

 だがしかし──殺意の奔流によって体の動きを阻害されている彼は、避けることも防ぐこともできなかった。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”の先端が、心臓を的確に貫通する。

 完璧な致命傷だ。

 

「あ……ぎ、いい……」

 

 血が混ざった呻き声を漏らしながら、ミルドットは震えていた。

 前方から迫る“流星流”の殺意は恐ろしい。

 しかし──それ以上に恐ろしいものがある。

 ミルドットは“流星流”の殺意を真正面から浴びたことで、それが本来向かうべきゴールさえも、幻覚の形で己の背後に感じていた。精度の高いパントマイムを見ることで、その場に存在しない物体を幻視するのと似たような理屈だ。

 彼の背後に現れた、殺意の行き先。

 それは当然、マクガフィン──のはずなのだが。

 

 ──なんだ、あれは……。

 

 彼が背後に感じた気配は、よく知る“剣鬼”のものではない。

 もっと大きく、もっと強く、もっと得体の知れない──『何か』だ。

 残された九つの種族のみならず、世界から消えた五百以上の種族さえ知り尽くしているミルドットの頭脳をもってしても、その正体は見当もつかない。

 わけが、わからない。

 意味が、わからない。

 だからこそ──恐ろしい。

 

 ──いったい何が、ぼくの背後にいる……? ぼくは今、何の幻覚を感じている……!? ()()()()()()()()()殿()()()()()()()() だとしたら……、あんなものに殺意を向けている“流星流”はいったい……!? 

 

 ミルドットはついに耐えきれず、背後に感じる『何か』を確認しようと首を振り向かせた。

 ──が、それは叶わなかった。

 放たれたレスコーの斬撃により、首を切り飛ばされたからだ。

 そして、攻撃はまだ終わらない。

 動脈を切り裂いた──致命傷。

 腹を切り裂いて内臓を零れさせた──致命傷。

 致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷致命傷──致命傷。

 命を絶つには一回でも当たれば十分な攻撃が、百回以上繰り返される。

 屋敷暮らしのレスコーの体力はもうとっくに限界を迎えているはずだが、彼女の腕は止まらなかった。

 いったいいつまで続く? ──無論、邪魔者を消して、殺意(こい)をマクガフィンに届けるまで。

 たとえ体力が尽きようと、気力が果てようと、殺意(こい)する限り動き続ける殺人剣──それを真骨頂とする『骨抜』は、一度発動すれば誰にも止められない。

 やがて、レスコーとマクガフィンの間を遮っていた邪魔者(ミルドット)がイキモノとしての形をなくし、崩壊した。

 挽肉を混ぜた水たまりのようになった彼を躊躇なく踏みつけて、“流星流”は更に動く。

 まだやることが残っているのか? 

 当然、ある。

 むしろここからが本命──当初の目的だ。

 レスコーはマクガフィン目掛けて、爆発的な跳躍をし。

 その勢いを保ったまま、剣を突き出した。

 少女は避けることなく、その一撃を受け止める──これもまた、致命傷だった。

 途端、それまで殺意(こい)のみで動いていたレスコーの体は、本来の目的を遂げて停止する。

 その顔にはやはり──心からの笑顔があった。

 

 この時をもって。

 “流星流”最終奥義『骨抜』は完成した。

 

 ◆

 

「これは貰っていこう」

 

 復活したマクガフィンは元ミルドット・テーブルの血だまりから二本目の“全を薙ぐ刀(エピソード)”を拾い上げた。血がぽたぽたと滴っているが、拭えば問題ない。そもそも純粋に刃物としての完成度が高い“全を薙ぐ刀(エピソード)”は切れ味頑丈さ美しさ軽さどれをとっても天下一品の名刀である。

 たかが血の汚れくらいで、性能が落ちるはずがない。

 服まで切り刻まれてすっ裸だったはずのマクガフィンは、今や、元通りに軍服を着こなしていた。

 刀を指輪に変えることさえ可能な執筆術を用いて、その辺にあったものを軍服に変えたのだ。頭から生えていた角も、軍帽で再び隠されてしまっている。

 

「オレのと合わせて“全を薙ぐ刀(エピソード)”の六分の一が欠ければ、騎士団にとって相当な痛手になるだろうからな」

 

 そのような悪巧みをするマクガフィン。

 彼女はミルドットの“全を薙ぐ刀(エピソード)”を、レスコーに渡した。

 

「? どうされたんですかマフィ様」

 

「二本目だよ。オレは剣術にあまり詳しくないが、剣は一本より二本あった方が、心強くないのか?」

 

「うーん、“流星流”に二刀流の技はないんですよねえ……。使わない二本目を持っていた所で、邪魔になってしまいますし」

 

「そうか。じゃあ、片方はオレが持つ──先ほど渡した方と交換しておこう」

 

「え。どうして?」

 

「どうしてって……たしかに“全を薙ぐ刀(エピソード)”は最高峰の剣だが、それでもまったく振らずに腐らせていたオレと、日々それなりに手入れをしていたミルドットとでは管理に差が生じているに決まってるだろう。だったら、オレのではなく、ヤツのを使った方が──」

 

「いやです!!!!!!!!!!!」

 

 レスコー・フォールコイン。

 今日一番の大声だった。

 

「だって、これは──」

 

 レスコーは恥ずかしそうに目を逸らし、頬を赤らめる。

 人をひとり斬り殺したばかりの殺人者とは思えない、初心で可愛らしい顔だった。

 

「マフィ様から初めていただいた指輪、あ、じゃなくて、剣ですもの……これを手放すなんてとてもとても……」

 

「あー……、うむ。分かった」

 

 マクガフィンは呆れたようにそう言って、ミルドットの刀を指輪へと執筆し、自分の指に嵌めた。

 感情がなく、何を考えているのか分かりにくかった先程よりも、今の方が扱いにくいのかもしれない。マクガフィンはそう思った。

 やはり、今のうちに誤解を解いておいた方がいいのだろうか? ──そんな風に考えていると。

 キイ、と。

 音を立てて、扉が開いた。

 そこには使用人が立っていた。

 軍人と令嬢の対談が中々終わらないことを不審に思って、覗きに来たのだろうか? 

 それにしてはおかしい。

 ここは普通の使用人なら、部屋中に散らばっているミルドットの内容物を見て腰を抜かすべき場面なのだから。

 

「いや──そもそもこの屋敷に普通の使用人などいるわけがないのか」

 

 何せ、国から危険視されている流派を収容するための屋敷だ。

 そこで働く──いわば、最も間近なお目付け役たちが、普通の者でなどあっていいはずがない。

 見れば、彼の手には屋敷には持ち込みが禁止されている刃物が握られている。

 その背後に目をやると、他の使用人たちも集まって来ており、皆同様に何かしらの武装をしていた。

 九世兵器ほどではないが──人を殺すには十分な武器である。

 ミルドットの死を察知して、一網打尽にすることに決めたのだろうか──あるいは、ミルドットが生前のうちから包囲網を固めておくように指示を出していたのかもしれない。

 さて、どうしたものか──マクガフィンが思案していると、レスコーが一歩、前に踏み出していた。

 

「ここはわたくしにお任せください、マフィ様──わたくしたちの旅は、何者にも邪魔させませんわ」

 

 そんな風に、頼りがいのある台詞を言い放つレスコーの目に。

 十数年間共に過ごしてきた使用人たちと殺し合うことへの葛藤や、躊躇は、欠片も映っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 ついに始まったレスコーたちの旅! 

 最初の目的地は地平線の先まで広がる”火山の墓場”! 

 対する敵は地上最強種『巨人』の弓兵、フンショ! 

 九世兵器”最果てを視る弓(ピリオド)”を使う彼に、レスコーはどう戦うか! 

 更に騎士団の刺客まで現れて……!? 

 

 次回! ソードエピソード! 

 第三話『最果てを視る弓(ピリオド)』! 

 また読んでね!



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03.最果てを視る弓(ピリオド)

『絶対人間帝国』が中枢のとある建物に、その会議室はある。

 狭くはないが広くもない空間に、長机と椅子だけが並んでおり、他に家具の類はひとつも見当たらない。

 置かれた椅子の数は──九。

 九人が集まり、九人が顔を合わせ、九人が語り合う──その為だけに他を徹底的に排している。

 そんな印象が見受けられる部屋だ──その扉が。

 重々しい音を立てて、開かれた。

 

「…………」

 

 開かれた扉から、ひとりの人間が入ってきた。

 肩口のあたりで切り揃えた桃色の髪に、線の細い体型──外見だけでは男か女か判別できない、中性的な美しさのある人間だった。

『絶対人間騎士団』の黒い軍服に袖を通しているものの、各所に大胆かつ華美なアレンジをあしらっており、それによって一層、その人間の美しさが際立っている。

 そんな格好だけを見ると、軍人よりも踊り子を連想させられるかもしれない。

 だが。

 腰に差しているたった一本の刀の存在が、ただそれだけで、その人間のイメージを剣呑なものへと塗り替えていた。

 仕方のないことだ。

 それは、ただの刀ではなく。

 九世兵器のひとつ──十二本ある“全を薙ぐ刀(エピソード)”がうちの一本なのだから。

 剣呑な雰囲気を纏っていて当然だ。

 軍服の人間はくりくりとした愛らしい瞳で室内を見回す。やがて視線が一点で止まると「あーっ!」と口を大きく開けた。

 

「ト! ここにいたのか!」

 

 批難の色を帯びた視線の先──九つの席がひとつには、誰かが座っていた。

 十七、八歳ほどの若い少年だった。

 彼は殆ど寝るような浅い座り方で本を読んでいる。

 伸びた前髪が目元にかかっているため全貌は分かりづらいが、その顔に特徴らしきものはない。

 ありふれた顔をしている。

 言うならば。

()()()()()()()()()()()()だ。

 もっとも、その顔から視線を下ろして腰に目をやると嫌でも視界に入る剣── “全を薙ぐ刀(エピソード)”は、全然ありふれていない、希少性の塊なのだが。

 

「ようシャルル」少年は会議室への来訪者を認めると、本から顔を上げた。「今日も元気そうだな──ところで、いつも言ってるだろ。ぼくの名前はトじゃない。   トだ」

 

「? またわけのわからないことを言ってるねえキミは」

 

「うーん……」トは天井を見上げて呻いた。「やっぱり伝わらないか……。これで何度目だ? まさかそこだけ聞こえてないってことはないだろうし……、なんでかなあ」

 

「いくら騎士団に友達がいないからって、奇行で気を引こうとしても逆効果だと思うよ?」

 

「前から思っていたけど、おまえは毒気のない顔をしている割に、軽率に毒を吐くよな」

 

「サボってた人は毒を吐かれても仕方ありません! ──それに!」

 

 形のいい目尻を吊り上げながら、シャルルはトの服を指差した。

 これまでの話から察するに、ふたりは同じ騎士団に所属している間柄なのだろう──しかしトが着ているのは『絶対人間騎士団』の軍服ではない。

 色味こそ軍服と同じ黒だが──それ以外の全てが違う。

 首まで閉じられた襟も。

 金色のボタンに刻まれた紋章も。

 軍帽の代わりに被っている帽子も。

 何もかもが──『絶対人間騎士団』の軍服どころか、()()()()のあらゆる服飾文化から外れていた。

 

「また変な服着てる! ちゃんと軍服を着なよ! いくら”剣客”だからって、いつまでもお客様気分なのは困るぜ?」

 

「いや、これにはワケがあってさ……、軍服より着慣れているこっちの方が動きやすいんだよ。ていうか、おまえだって他人に文句が言える服装じゃないじゃん──あと変な服って言うな。これにはちゃんと()()()って名前があるんだ」

 

「ガクラン? なにそれ。なんて意味?」

 

「ええと、たしか略語だった気が──『学』が『学生』の略なのは察しが付くけど、『ラン』はなんだったかな。わざわざ略すくらいなんだし、きっと長い言葉なんだろうけど」

 

「なーんだ、着ているトでも意味が分からない名前なんだね! ふふんっ、じゃあやっぱり変な服でいいじゃん!」

 

「くそっ……! もっと普段から身近な言葉の意味に敏感でいるべきだった……!」トは悔しそうに言うと、それまで開いてた本を閉じ、改めてシャルルと目を合わせた。「──ところで何か用か? わざわざぼくに小言を言う為だけに、探し回ってたわけじゃないんだろ?」

 

「あー! そうだった! 伝えることがあったんだった!」

 

 言われて気づいたのか、大声を上げた。

 シャルル・テーブル。

 何かと騒がしい人間である。

 

「いっ、いいかい? 聞いて驚くなよ?」

 

「うん」

 

「ふ、副団長が……、”流星流”に殺されちゃったんだって!」

 

「へー」

 

「ホントに驚かないやつがいるかアホー!」

 

 シャルルは容赦のないグーを放った。

 だが、線の細い体型から放たれた拳に力はなく、トの胸元でぽすりと音を立てて止まる。

 

「仲間が死んだんだよ!? だったらもっと驚くとか、それが無理でも悲しむとかさあ!」

 

「いや、だって、ミルドットって前から“流星流”について色々と対策を研究していただろ? あんだけ熱心に調べていたっていうのはつまり、裏を返せば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことじゃないか。そんなん戦う前から負けているも同然だぜ──あいつの策に“流星流”がどんな攻略法を考えたかまでは知らねーけど、きっと何もせずにそのまま戦ったとしても、副団長に勝っていただろうさ」

 

「『だからミルドットが“流星流”に殺される展開は予想できていた』……ってことかい? 酷い言い草だなあ」

 

「それで、“流星流”は今どうしているんだ? まさか騎士団の副団長を殺すような反逆者が、その後大人しく捕まったなんてことはねーんだろ?」

 

「行方不明。ミルドットの“全を薙ぐ刀(エピソード)”も一緒にね──あとついでに言うと、マフィとも連絡がつかなくなってるし! まあ、あの子は元からふらふらしがちだったし、体質的にミルドットみたいにどこかで死んでるなんてことはなさそうだから、安心していいんだろうけど」

 

「……へえ」

 

 その時、トの目に何らかの思惑が滲んだが、伸びた前髪に隠されていたので、シャルルはそれに気付かなかった。

 

「色々起きてるんだな」

 

「他人事みたいに言うなー!」

 

 再度、トの胸元でぽすりと音が鳴った。

 

「というわけで、いま騎士団は大忙しなんだから! 呑気に読書する時間はもちろん、会議室で顔を合わせてる暇さえもありません! もう他の団員(みんな)はとっくに動き出してるんだよ! 特にウーガは先日の巨人族の件を受けて、“ 最果てを視る弓(ピリオド)”の蒐集っていう最重要任務に出かけてるんだからね! トにだってやることはたくさんあるんだよ!」

 

 シャルルはそう言って、トの右腕を掴んだ。

 トはされるがままに引っ張り上げられたが、

 

「…………。ちょっと待てよ?」

 

「ん、どうかしたの? 言っておくけど、今更サボりの言い訳を思いついたって遅いからね?」

 

「いや違う。そうじゃない──あのさ、もう一度言ってくれないか。副団長を殺した剣術の名前を」

 

「え? “流星流”だけど」

 

「もう一度、ゆっくり」

 

「りゅ〜う〜せ〜い〜りゅ〜う〜」

 

「最初の3文字だけを」 

 

「りゅ〜う〜! ──ったく、なんなのさ! べつに初めて聞いた名前でもあるまいし」

 

「ああ、うん、そうだな。悪かった──」

 

 引っ張られていない方の左手で頬を掻きながら、ト・テーブルは誰に聞かせるわけでもない呟きを続けた。

 

「やっぱり聞こえてないわけでも、言えないわけでもなさそうなんだよなあ……」

 

 ◆

 

 『大いなる戦争』で何が起きたのかを説明するのは容易い。

 当時世界に住んでいた種族の全てが参加した戦争、の一言で済むからだ。

 では。

 それと同時期に発生し、勝るとも劣らない被害を残した『大いなる災害』についての説明もまた、同じく容易なのかというと──それは違う。

 たとえば『災害』と聞いて思い浮かべるものを片っ端から列挙していくとしよう。

 『大いなる災害』では()()()()()()()()

 天まで焦がすような大火災も。

 地上の全てを薙ぎ払う暴風も。

 海洋を死滅させる病毒も。

 おおよそ災害と言える類の全てが何の予兆もなく発生したし──どころか、誰もが思いもしなかったようなことまで起きた。

 たとえば、先程まで傷ひとつなかった城壁が突然崩壊した。空間が軋むほどの大音量が響くと同時に周辺の生物が魂が抜けたように死ぬこともあった。

 原理も法則も不明な災害の数々──多くの学者が、その真相を暴こうとしたが、成し遂げた者は現れなかった。

 災害同士に共通点があるとすれば、多くの命を奪ったことくらいであり。

 分かることがあるとすれば、何もわからず、故に恐ろしいということくらいだ。

 五〇年前に突然ぴたりとやんでいなければ、今頃世界に残る種族は、九と言わず零になっていただろう。

 そんなものを一言で説明するなんて──不可能だ。

 

 ◆

 

『絶対人間帝国』を出て西に進んだ先にあるトリエ山脈が、九世兵器集めの旅の最初の目的地だと教えられた時、レスコー・フォールコインは心配になった。

 この世に生を受けて十九年経つが、国の総力をあげて甘やかされてきた彼女に、登山の経験はない。なんなら屋敷の階段を昇ることさえ、滅多になかった。

 そんな自分に登山が出来るのだろうか──そう考えてしまうのも、当然である。

 だが。

 結果的に、レスコーのその心配は杞憂となる。

 なぜなら彼女が訪れた時、トリエ山脈に山は存在していなかったからだ。

 脈々と並んでいるべき山が、一峰たりとも見つからない。

 どころか、何もない。

 木も、草も、建物も──生き物も。

 前後左右どこを向いても生命の気配は欠片もなく、荒涼とした地面が地平線の果てまで広がっていた。

 

「……おかしいですね。たしか山脈って、もっと起伏の激しい地形をされているんでしょう? それともわたくし、砂漠を山脈と聞き間違えていたのでしょうか……?」

 

「砂漠だったとしてもおかしいだろう、この地形は」

 

 砂ではなく固い地面を踏みしめながらそう語るのは、レスコーの同行者にして雇い主であるマクガフィンである。

 小柄な体に似合わない軍服を着ている彼女は、大きすぎる軍帽の庇から覗く目で、隣の“流星流”を見上げた──ふたりの視線がかち合う。

 途端に、レスコーの胸はきらきらとした感情でいっぱいになった。頭が沸騰しそうなほど熱くなり、目元がにやあっと弛んでしまう。周囲に広がる荒地が花畑の幻覚で上書きされてしまいそうなほどの多幸感が、彼女の脳を満たした。

 そんな様子を見て、マクガフィンは「目を合わせるだけでこうなるとは、重症だな」と呆れた。

 旅を続ける上で“流星流”が必要ないま、軍服の少女はレスコーの誤解から生じた恋心を否定するつもりはないが、これ以上面倒くさい方向に勘違いが加速していったら、そうも言ってられなくなるのかもしれない。

 そんな風に考えながら──とりあえず、話をつづけることにする。

 

「ここはトリエ山脈で合ってる──正確に言うと、この地がその名で呼ばれていたのは、地平線の先まで山々が並んでいた、今から五〇年以上前のことになるがな。いま改めて名前を付けるのならトリエ山脈跡地、あるいはトリエ荒野、もしくは『火山の墓場』になるだろう」

 

「ふうん、たった五〇年で山脈から荒野に変わるなんて、自然の変化は凄いんですねえ」

 

「自然にこうなったわけではない」

 

 マクガフィンは訂正した。

 外見年齢と身長で言えばレスコーを遥かに下回る彼女が、あれこれと教える姿は、なんだかあべこべじみてて奇妙である。

 

「五〇年前、ここで『大いなる災害』が起きた──火山の噴火とはまた別種の、原因も理屈も一切不明な爆発だ。結果、トリエ山脈を形成していた山はひとつ残らず吹き飛び、あとにはこの荒野だけが残ったというわけだ」

 

「ふうん……、爆発で山が吹き飛ぶなんて、世の中には小説以上に奇妙な出来事があるんですね」

 

 その口調は相も変わらず気の無い声だったが、今回ばかりは彼女を責めることはできまい。

 地平線の端から端まであった山が全て吹き飛んだなどという荒唐無稽な話は、白ドレスの令嬢のイメージできる範囲を遥かに超えていたのだから。

 それはさておき。

 地理についての説明も済んだところで。

 彼女たちがこんな人気のないどころか、寄り付きもしなさそうな場所を歩いている目的──九世兵器について、話は移る。

 

「行き先にあるのが、なんの種族のなんて武器なのかはまだ聞いていませんけれど、こんな所に国を構えるなんて、よほど風変わりな種族なんですね」

 

「いや、ここに国なんてない──これから蒐集する“最果てを視る弓(ピリオド)”は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「?」レスコーはきょとんと首を傾げた。「荒地の真ん中に放っておかれているのですか?」

 

「そうではない──まずは“最果てを視る弓(ピリオド)”について、分かっていることを説明しておくか」

 

 マクガフィンは言う。

 

「”最果てを視る弓(ピリオド)”は巨人族に渡された弓だ」

 

「巨人族ってたしか、とても大きいんですよね。わたくしが住んでいた屋敷くらいなら軽々跨げるような身長をしていると、先代(おとうさま)から聞いたことがあります。それじゃあその”最果てを視る弓(ピリオド)”とやらも、相当な大きさをしているのでしょうか」

 

「そうだろうな。実物を見たことはないが、人間の身長に対する弓の比率を、そのまま巨人に反映したと考えれば、途轍もない大きさであることは間違いないだろう。振り回すだけで、他種族にとっては十分な脅威になるはずだ」

 

 だが、弓は振り回す為にあるのではない。

 本来の用途は──矢の射出である。

 

「人と人の戦争であれば盾で防げるような矢でも、巨人が放てばそうはいかない。着弾するだけで地形が変わる規模の衝撃が生まれるのだぞ? そんなもの、防御不能だ」

 

 巨人と、それ以外の種族のスケール差から生じる狂ったパワーバランスは、それだけで絶望的な情報だ。

 しかし。

 これはあくまで、巨人が普通の弓を使った場合の話である。

 ”最果てを視る弓(ピリオド)”の脅威については、まだ僅かしか語られていない。

 

「”最果てを視る弓(ピリオド)”は、番えた矢を発火させ、その炎熱を操作するという特性を持つ──と聞いたことがある」

 

「地形を変えるほどの威力を持つ弓に、炎……」

 

 どれだけ楽観的にイメージしようとしても、思い浮かぶのは災害じみた光景だ。

『全てが一斉に振るわれれば世界を九度滅ぼしかねない』と評される九世兵器の一角を担うには、十分な特性だと言えるだろう。

 迂闊に使われることなく、保管されておくべきだ。

 だが。

 

「先日、巨人族の国から”最果てを視る弓(ピリオド)”を盗み出したものが現れた──フンショという巨人だ」

 

「へえ、九世兵器を国から持ち出すなんて、まるで今のわたくしたちみたいですね」

 

「だな──だが、この巨人の場合、オレたちとはいささか境遇が異なる」

 

「境遇? 九世兵器ほどのものを盗み出したひとの境遇なんて、逃亡生活以外にないんじゃないですか?」

 

「それは九世兵器を重要視している人間の話だ」

 

 つまり。

 巨人は。

 

「重要視してなかったんだよ。全然。これっぽっちもな──だって、地形を変える威力の狙撃は普通の弓矢でも可能だし、矢の発火なんて──」マクガフィンは懐からチリ紙を取り出した。道中で食べた携帯食料に使われていた包装紙である。彼女が二、三言なにかを呟くと、それは発火し、瞬く間に灰となった。「九世兵器を使わずとも、執筆でじゅうぶん実現可能な現象なんだから」

 

 そもそも。

 九世兵器とは、各種族の戦力を均す為に作られた兵器である。

 そのコンセプトを踏まえて考えると、元から大きく、強く、戦力が高かった巨人族に、革新的で、前例がなく、代替の効かない兵器が渡されることなど──有り得ないのだ。

 当然、人間の”全を薙ぐ刀(エピソード)”のように十二個も渡されるなんてことも──ない。

 

「ひょっとすると巨人族は「管理の手間が省けてラッキー」程度に思っているかもしれんな。盗んだのが他の種族だったら、流石に焦ったかもしれないが──まあ、推測であーだこーだ言っても意味があるまいよ」

 

「なるほど。凄くおおらかな種族なんですね、巨人族って」

 

 レスコーはズレた感想を述べた。

 

「つまり、これまでの話を踏まえると、こういうことになるのでしょうか? ──巨人という集団から”最果てを視る弓(ピリオド)”を持ち出したフンショさんは、ただひとりこの『火山の墓場』に流れ着いた、と」

 

「そういうことだ──『流れ着いた』というより『拠点に選んだ』の方が正しいかもしれんが。オレが得た情報がたしかなら、ヤツはここに着いて以降、移動の様子を見せていないらしい」

 

 トリエ山脈跡地という広大な荒地は、大きな巨人が居座るにはこれ以上ない場所である。

 それに──

 地平線まで見渡せるほどに遮蔽物が排されているこの土地は。

()()()()()からしても、絶好のロケーションだろう。

 

「元々、オレが貴様との接触を決意したのは、ヤツが起こした盗難事件が原因でもある。重要視されていなかったとはいえ種族の管理下にあった兵器が個人の手に渡るなんて好機を見逃すわけにはいかないからな──一刻も早く戦力を整えて、蒐集に向かう必要があった」

 

「まあ!」レスコーの顔が、ぱあっと花開くように綻んだ。「それではフンショさんは実質、わたくしとマフィ様を巡り合わせてくれたキューピッドのようなお方なのですね!」

 

「え、あー…………、うむ」

 

「うふふっ、それじゃあ、会った時は一度お礼の挨拶をしなければいけませんね!」

 

「…………そだなー」

 

 あまりに頭お花畑な発言に、返事が鈍くなるマクガフィンだった。

 キューピッドって。

 フンショは天使族じゃなくて巨人族だと言ってるだろ。

 

「……貴様がフンショに恩を感じるのは勝手だが。戦いになったら手を抜くんじゃないぞ」

 

「ええ、それは心得ておりますわ!」

 

 心、の部分をやけに強調してレスコーは即答した。

 これだ。

 どれだけ恋愛脳になろうが──いや、なるからこそ──軍服の少女を優先順位の一位に据えるという白ドレスの令嬢の考えは揺らがない。

 だからマクガフィンは未だに、彼女の誤解を解く気になれないのだ。

 どこまでも利己的な考えだった。

 それはまあ──さておき。

 マクガフィンが知る”最果てを視る弓(ピリオド)”、及びその所有者フンショについての情報は話し終えた。

 

「どうだ? 九世兵器使いの巨人を相手に、“流星流”はどう戦うつもりだ?」

 

 我ながら意地悪な質問かな──と、マクガフィンは思った。

 彼女はこの問いにまで即答が返って来ることを期待していない。

 本来、人間にとって巨人相手の戦いは、軍隊を形成し、作戦を立て、犠牲が出ることを受け入れた上で実行すべきものである。

 単独でそれを成し遂げるなんて、絵空事だ。

 ましてやレスコーは、先週初めて剣を握ったばかりの箱入り娘。

 巨人、それも弓兵を相手にしての戦闘なんて、想像したことさえないだろう。

 とはいえ、問題はない。

 マクガフィン・テーブルは剣を握った戦闘に秀でていない分──“剣頭”ミルドットほどではないが──裏に潜んでの企みや悪巧みが得意だ。

 たとえレスコーが答えに窮しても、その時はマクガフィンがいくつか提案を──

 

「当然! 名案がありますわ!」

 

「…………」

 

 あるんだ。

 あまりの驚きで言葉を失った。

 一方、レスコーは自分が考えた名案を披露して、マクガフィンから褒められたいとでも思っているのか、口早に台詞を続ける。

 

「マフィ様は執筆がお得意なんですよね? それを活かした作戦──いわば、わたくしとマフィ様の共同作業で戦いたいと思っていますの」

 

「……ほう、どんな作戦だ?」

 

「執筆でわたくしに『体が巨人くらい大きい』という文章(テキスト)を書き込むのです」

 

「ん?」

 

「そうすれば、フンショさんと対等に戦えるのではないでしょうか? いやいっそ、『巨人よりも大きい』と書けば、勝ったも同然──」

 

「いや、無理無理無理無理! 無理に決まってるだろ!」

 

 焦るような声がそれ以上の台詞を遮った。

 

「『執筆で巨人以上の大きさに変わればいい』なんて、過去どれだけの輩が思いつき、そして失敗に終わったと思ってるんだ。もしそれが簡単に実現していれば、今ごろ世界はデカブツまみれだぞ」

 

「え、でもマフィ様は以前、こーんな長い刀を小さな指輪に変えていましたよね。あれくらいのスケールで変化が可能なら、逆に人間を巨人くらい大きくすることもできるんじゃないかと……」

 

「そもそもオレの執筆術『換言(クローゼット)』は身に付ける物に限られていてだな──それに、人間への執筆はそう簡単じゃあない」

 

『万物は、自身を表す文章(テキスト)を持った一冊の本である』。

 物理法則と並んでこの世界に横たわる、第二の法則だ。

 これに倣って言うと──生きて思考する人間が持つ文章(テキスト)の量は膨大である。

 指輪や刀では比べ物にならないほどに。

 文字通り、情報量が異なる。

 

「そんな膨大な文章(テキスト)に介入するような執筆は、それだけで高等な技術が要されるわけだ──というか、もし簡単にアレコレ書き換えられるなら、今頃オレがオレ自身を書き換えてるわ」

 

「言われてみればそうですわね」

 

「そもそも、技術的に可能だったとしても、この案は避けるべきだがな」

 

「あら、どうしてでしょう?」

 

「便利だからと好き勝手に執筆してみたとして──たとえば先ほどの貴様の提案を極端にすると──『大きくて』『強くて』『頑丈で』『速くて』『気合があって』『器用で』『賢くて』『幸運な』奴が出来たとする。そんな奴、どう思う?」

 

「…………。とても強いけど、変ですわね。なんでもありになると言いますか、めちゃくちゃと言いますか……」

 

「そう、なんでもありのめちゃくちゃだ。支離滅裂になっている。そんな執筆に整合性などあるはずもないのだから、せっかく加えた文章(テキスト)はすぐに崩れてしまう──下手をすれば、その崩壊に元からあった文章(テキスト)まで巻き込まれてしまいかねない」

 

「元からあった文章(テキスト)まで崩れたら、どうなってしまうのですか?」

 

「さあな。文章(テキスト)の崩壊は存在そのものの崩壊と同義なのだから、順当に考えれば死ぬのかもしれんが──ひょっとしたら『めちゃくちゃ』になったまま、中途半端に世界に残ってしまうかもしれんな」

 

「…………」

 

 それを踏まえて考えると、たったひとつだけとは言え、『対”流星流”』という前例のない文章(テキスト)を自分自身に執筆するというリスクの高い行動に踏み切ったミルドットは、騎士に相応しい勇気ある男だったのかもしれない──ともあれ。

 得意げに披露した名案がボツになったレスコーはしょんぼりと肩を落とした。……マクガフィンに褒めてもらえなかったことを残念に思っているのかもしれない。

 

「そんな、どうしましょう……。この作戦が駄目なら、あとはひとつくらいしか……」

 

「ふうん?」

 

 それはつまり、あともうひとつ、策を考えているということだ。

 箱入り娘には十分がすぎる発案能力である。

 いや──あるいは。

『殺しすぎる剣術』であるからこそ、何かを殺す方面に、発想力が長けているのかもしれない。

 

「なんだ、それは」

 

 聞かせてみろ──と。

 期待を込めて続けられるはずだったマクガフィンの声は、しかし、中断させられた。

 彼女がすれ違おうとした岩──その影から姿を現した大男が、その脳天に刀を思いっきり振り下ろしたからである。

 バヅンッ。

 そんな音を立てて、軍服少女は吹き飛ぶ。

 いや──吹き飛んだのは彼女の肉体だけではない。

 抵抗など無いように幼女の体を通過した刀は、そのまま荒地に接触し、そこを中心として凄まじい衝撃波を生んだ。

 まるで、地面の下に大量の火薬が隠されていたかのような威力だった。

 地面に亀裂が走り、砂塵が大量に舞う。

 当然、これだけの二次被害が生じれば、マクガフィンのすぐ横を歩いていたレスコーも無事では済まないはず──なのだが。

 

「……おやまあ」

 

 先ほどまで立っていた場所から五十歩ほど離れた位置で、レスコー・フォールコインは惨状を目にしていた。いったいどれほどの超速で動けば、たった一瞬でここまで離れることができると言うのか。

 

「…………」

 

 大男は白ドレスの令嬢の声を聞くと顔をそちらに向け、彼女が傷ひとつついていないことを確認すると、不愉快そうに目を細めた。

 

「今の……動き……、まるで体重がないかのような……素早い身のこなしだな……」

 

「“流星流”『肉喰(ししばみ)』──独自の歩法と重心操作で自身の重みをゼロに近づけた結果、高速での移動を可能にする技ですわ。本来なら、高速移動と共に剣を振って、目にも止まらない連続斬りをする技なのですけど」

 

「ほう……。ならばなぜ……、その本来の用途とやらで……おれを斬らなかった……?」

 

「え? だって貴方がフンショさんなのでしょう?」

 

 五十歩ほど離れた位置に居ながら、それでも首を上に向けなければ顔を合わせられない巨漢に対し、レスコーはそう言った。

 

「だったらまずは、わたくしとマフィ様を巡り合わせてくれたお礼を伝えてから殺した方がいいかなあと思いまして……」

 

「こいつはフンショじゃあない」

 

 割り込む声があった──荒地に撒き散らされた血肉の中心から。

 素っ裸のマクガフィンが、そこに立っていた。

 ぼさぼさの髪の隙間から生えている角は、今日も健在である。

 

「よく見ろフォールコイン。こいつの武器は弓じゃなくて刀だろう。それに、いくら大きいとはいえ、巨人ほどではあるまい。こいつが貴様の屋敷を跨げると思うか?」

 

 流石に外で素っ裸なのは寒いのか、適当な破片を執筆で衣服に変えながらマクガフィンは語る。

 それを聞き、レスコーはようやく自分の勘違いに気が付いた。

 

「たしかに……。では、この方はどなたなのでしょう?」

 

「『絶対人間騎士団』……“剣山”……ウーガ・テーブル」

 

 大男が答えた。

『絶対人間騎士団』──その名乗りが正しいのなら。

 彼の手にある刀は、全を薙ぐ刀(エピソード)十二本が内の一本ということになるのだろう。

 

「……それで、ウーガ。何の用でここに来た? オレの頭をカチ割るのに、どういう事情があったというのだ?」

 

「先日巨人族の手から離れたという最果てを視る弓(ピリオド)の回収──それと……さっきの一撃は“流星流”を狙ったものだ……。避けられた結果、隣にいたお前にだけ当たっただけだ……」

 

「事故だとしてもここは、愛すべき同胞に謝るのが礼儀だろ。いくらオレが()()()()()()だからって、ぞんざいに扱われるのはいい気がしないぞ?」

 

「……とぼけるのはやめろ」

 

 ウーガは、短く言った。

 

「先日のミルドットの訃報……“流星流”の腰に差された全を薙ぐ刀(エピソード)と、貴様の手にある指輪(エピソード)……そしておまえたちの様子を見たら、察しが付く……マフィ──いや、マクガフィン……おまえ、騎士団を裏切ったんだな……」

 

「裏切ったんじゃない。オレの目的と合致しなくなったから、別行動をとることにしただけさ。方向性の違い、というやつだ──九世兵器はオレが集める」

 

「理解しがたい……。騎士団という集団でやったほうが……蒐集の成功率は上がるだろうに……。今からでも戻ってこようという気には……ならないのか?」

 

「ならないね。逆に聞きたいが、仮に騎士団が全ての九世兵器を集めたとして──それを全て、同時に、オレ目掛けて使用することは可能なのか?」

 

「無理に……決まってるだろ!」

 

 ウーガが怒りで声を震わせるのも無理はない。

 九世兵器──その全てを同時に使えば、世界を九度滅ぼすとさえ言われる超兵器。

 そんなものを集めて、たったひとりに使用したとして──生じる被害がひとり分で収まるわけがないのだから。

 

「おまえの自殺に……おれたちを──世界を巻き込むつもりか……?」

 

「ああ、そうだ」

 

 マクガフィンは冷たい声で言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………呆れた」

 

 マクガフィンの目論見を知り、話し合いでの解決を諦めたのか。

 すっ。

 と、ウーガは刀を振り上げた。

 高く、高く──空高く。

 雲を貫くように、剣先を上に向ける。

 背が低いマクガフィンは勿論、レスコーであっても、首が痛くなるほどに見上げなければ、振り上げられた刀の先端を目にすることができない。

 冗談みたいな上段の構えだ。

 その姿、まさに“剣山”──剣の、山。

 ウーガは鋭い目つきのまま、視線をマクガフィンからレスコーに移した。

 

「ならば……、おれは……貴様の凶行をとめてやろう……。それが愛すべき同胞への……せめてもの情と言うやつだ……。まずは……、貴様の戦力である“流星流”から、この『上段爆衝(じょうだんばくしょう)』で片付ぎゃぶっ!!」

 

 突然、()()()()()()()()()が飛んできて、ウーガに直撃した。

 直径だけで彼の胴回りの三倍はある棒状の物体である。

 当たるどころか掠るだけで、即死は免れない威力を有していた──その上。

 先端がウーガに触れた途端、それが纏う炎は白く輝き、熱量を上げた。

 次の瞬間。

 ボッグオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッンッッ!!!!! 

 と轟音が鳴り。

 このトリエ山脈跡地にて。

 実に五〇年ぶりに、“剣山”ウーガ・テーブルという山が爆発した。

 

 ◆

 

 ウーガの剣を避けた際の一度目の肉喰(ししばみ)で、脚を温めていて助かった──と、レスコーは思った。

 いくら肉喰(ししばみ)が重さの無い神速を可能とする歩法とはいえ──もし、何の準備もなく爆風と爆熱が襲ってきたら、無傷で逃げられたとは思えない。

 一度目があったからこそ、二度目でベストコンディションを発揮できたのだ。

 

「ええと、マフィ様は……」

 

 ウーガが即死するような爆発が起きたのだ、すぐそばに居たマクガフィンが無事なはずがない。

 彼女は不死身なので、どこかでひょっこり生き返っているのだろうが──死因になったのが、これだけ大きな爆発である。

 復活の基点となる血肉が、いったいどこまで吹き飛んだのやら。

 マクガフィンを求めて、レスコーは荒地を歩き回る。

 爆発で吹き上がった砂塵で視界が悪い中での捜索は、結構な時間を要したし、途中で「もうマフィ様と会えないんじゃないか」と泣きそうになったが、それもまた杞憂だったようで──時間にすれば十分ほどで──マクガフィンは見つかった。

 服は新品に取り換えているものの、立ち上がってはおらず、大地に身を投げ出すようにして、仰向けに寝転がっている。

 

「わーっ! マフィ様!」

 

 感極まったレスコーは思わずマクガフィンの喉元に刀を突き刺しそうになったが、それよりも早くマクガフィンが「しー」と人差し指を立てた。

 

「静かに」

 

「…………」

 

 レスコーは大人しく指示に従い、コクコクと首を縦に振った。

 幼い言動は困りものだが、素直なのは助かる。

 そんな思考を脇に置き、マクガフィンは砂埃の隙間から見える空に注視した。

 地上で爆発が起きたばかりだとは思えない、晴天の青空である。

 

「……追撃は飛んでこないか」

 

「というと、先ほどのアレはやはり」

 

「ああ。フンショが撃った最果てを視る弓(ピリオド)に違いない」

 

 レスコーは先ほど見た物を思い出す。

 燃える矢──たしかに、マクガフィンが言っていた通りだが、アレは矢なんて言葉で収まる代物ではあるまい。

 炎を纏いながら高速で空を飛び。

 当たるだけで巨漢を即死させ。

 着弾と同時に爆発を起こすなんて。

 アレはもっと……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それほどまでに、次元の違う破壊力である。

 

「んー、でも……地平線には何も見えませんよ? こちらからフンショさんが見えないのなら、あちらからもこちらが見えないはずですよね? だったらどうやって最果てを視る弓(ピリオド)をウーガさんに命中させられたのでしょう?」

 

「まず、オレとウーガが起こした騒ぎが彼方まで届いていたという可能性があるが、だとすると射撃を一発で済ませているのが不可解だし、ああも正確に位置を探れるとは思えない──となると、『上段爆衝』の構えが原因だろうな」

 

 マクガフィンは言って、ウーガの構えを真似した。

 それは目立たないように小さく真似したというのもあるかもしれないが、それにしても、あまりにも様になってない構えだった。

 

「ただでさえ背の高いウーガが、更に剣を空高く掲げたのだ。こちらの視点からフンショが見えなくとも、あちらからは全を薙ぐ刀(エピソード)の先端が見えたとしても、おかしくあるまい」

 

 仮に。

 その推測が正しいのなら──いや実際、レスコー達から見えなかったフンショが的確な射撃を成功させた以上、この推測はまず間違いなく当たっているのだろうけど──それは、つまり。

 

「フンショさんは、地平線から飛び出す剣先すら見逃さないほどの視力をお持ちなのですね……」

 

「超常の兵器には超常の持ち主が引き寄せられるということさ。うちの騎士団のようにな──そうそう、騎士団と言えば……」

 

 マクガフィンは立ち上がった。

 服についた汚れを払いながら、彼女は地面に目をやる。何かを探すように視線を彷徨わせていたが、やがて、

 

「お、あったあった」

 

 と、しゃがんで手を伸ばした。

 そこには一本の刀が握られていた。

 ウーガ・テーブルの全を薙ぐ刀(エピソード)である。

 

「あんな爆発があったのに無事なんて、頑丈な剣ですね」

 

「九世兵器だからな。そう簡単に壊れる方が、無理がある──」マクガフィンは短く何かを呟いた。すると瞬く間に全を薙ぐ刀(エピソード)は指輪に変わった。「──オレの執筆のような例外を除けば、壊すどころか形を変えることさえ難しいぞ」

 

 言いながら、マクガフィンはウーガの全を薙ぐ刀(エピソード)で出来た指輪を、ミルドットの全を薙ぐ刀(エピソード)で出来た指輪を填めている隣の指に装着した。

 矢が飛んできた方角に目を向ける。地平線の上に、変化は見られない。

 

「……それにしても──世界最強種の巨人が放つ九世兵器の一射でも、殺せないとは、つくづく嫌になるな、この体は」

 

「あのっ……、マフィ様」

 

「どうしたフォールコイン」

 

「さきほど、マフィ様とウーガさんの会話を横で聞いていたのですけど、マフィ様は死にたいのですか?」

 

「……ああ、そうだよ。そういえば言っていなかったな」

 

 マクガフィンは軍帽を外した。その右額からは、一本の角が伸びていた。

 その特徴から、既に世界から消えた種族──巨鬼(オーク)矮鬼(ゴブリン)が連想させられるが、赤い木の枝のような形状は、どれにも当てはまらない特徴である。

 だいたい鬼たちに、不死身じみた特性があったなんて話は存在しない。

 

()()が直接の原因なのかは分からんが、オレは死ぬことができない。この特性を目当てにオレを迎え入れた騎士団が持つ最新の研究設備ですら、解明することはできなかった──だから、一斉に振るわれれば世界を九度滅ぼすと評判の九世兵器に賭けてみようと思ってな。いくらなんでもこの体に、世界九つ分の耐久力があるとは思えないし」

 

「……………………」

 

「随分とがっかりした顔をしてるじゃないか──失望したか?」

 

 折角同行してきた旅が、世界を巻き込む無理心中だったのだ。

 不満のひとつやふたつ、言われても仕方あるまい。

 もちろん、この場において、マクガフィンには言い訳や虚言を並べて胡麻化す選択肢もあった。

 しかし彼女はそれを選ばなかった。

 べつに、それは彼女の誠実さを意味していない。

 既にレスコーに殺意と恋心の誤認という大きな食い違いが起きている今、更に嘘を塗り固めてしまえば、無理が生じる可能性があった。

 下手をすれば──最初の勘違いまで含めて、台無しになってしまいかねない。

 元からありもしなかった恋さえ──失ってしまう恐れがある。

 それは困る──これから旅を続けていく上で非常に、困る。

 だから、マクガフィンは正直に告げたのだ。己の目的を。

 しかし、それを受けてのレスコーの返事は。

 

「いえ、失望なんて──ただ……、他の九世兵器なんかにマフィ様を殺されたくないなあ、と」

 

「……………………は?」

 

 レスコーは恥ずかしそうに──それこそ、告白する少女のような面持ちで言った。

 

「いつかマフィ様を完全に殺すのは、自分ひとりでありたいと、そう願っているわたくしとしては……」

 

「………………」

 

「他の九世兵器にマフィ様が殺されるなんて、想像するだけで悲しくなると言うか……」

 

「…………くくっ」

 

 マクガフィンは笑った。

 

「くくくっ──はっ、はははははははははははははっ!」

 

 それは彼女にしては珍しく、屈託のない笑い方だった。

 

「はははははははははははははははははははははははははははははっ!」

 

「ど、どうして笑うのです!? たしかに今の未熟なわたくしでは、マフィ様を殺すなんて夢のまた夢なのかもしれませんけれど、それでもいつか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ──はっ!? もしや独占欲が強すぎると呆れられた……!?」

 

「はははっ──いや、大丈夫。心配するな。むしろオレは貴様を見直したよ、フォールコイン」

 

 たとえそれが勘違いした恋であろうと──その根底には、絶対に揺るがない殺意があることを知り。

 この世界に己の死滅を心の底から願っている人物が確かにいることを知って。

 マクガフィンはたまらなく愉快な気持ちになった。

 笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭い、軍服少女は白ドレスの令嬢に言う。

 

「さてと、……そういえば作戦会議の最中でウーガが乱入してきたんだったな。貴様があとひとつ考えているというフンショ攻略法──それは、奴の弓術を実際に目にした今もまだ、有効か?」

 

「もちろん」

 

 全て集まった九世兵器でマクガフィンが自殺するか。

 完成した“流星流”でレスコーがマクガフィンを殺すか。

 どちらが先かは不明だが。

 ともかく今──彼女たちは最果てを視る弓(ピリオド)の蒐集へと動き出した。

 

「先程お見せした肉喰(ししばみ)と──そしてまだお見せしていない追尾(あとおい)の豪華二点盛で、最果てを視る弓(ピリオド)を攻略してみせますわ」

 

 ◆

 

「…………ん」

 

 巨人族の男、フンショは地平線の先でたなびく黒煙を眺めていた。

 上半身をはだけた簡素な衣服に、赤い髪。その顔立ちは人間でいえば三十代後半に見えるが、人間と巨人では寿命にも大きな差がある以上、外見から正確な年齢を推し量ることは不可能だ。

 その身長は──とても高い。

 彼を見た後では、人間の中では大きい部類にすぎないウーガなど、虫ケラにみえてくるだろう。

 

「…………終わった、か」

 

 何か剣の先端のような煌きが見えたので、最果てを視る弓(ピリオド)を射たのだが、それ以降動きらしきものは見えない。

 刀の大きさから考えて、相手は巨人以外の種族だったのだろう。矢が直撃しただけで即死だったに違いない。

 爆炎まで出したのは、オーバーキルだったか。

 

 ──…………いや、そんなことはない。

 

 生き物の死に様に、やりすぎ(オーバー)なんてものはない。

 派手であればあるほど、大規模であればあるほど──華々しく、素晴らしい末路になるはずだ。

 逆に。

 静かに先細りするような終わり方では──誰の記憶にも残らない。

 まるで使い古されて短くなった蝋燭。

 そんな末路では──それまで生きた意味がない。

 フンショはそのような哲学を持つからこそ、先程の一射を放ったのだし。

 最果てを視る弓(ピリオド)を巨人族の里から持ち出したのだ。

 

「もうこの弓にもだいぶ慣れてきたな。矢の補充が済んだら、そろそろ近場の国に向かうとするか。ええと……、ここから一番近い国はどこだったか」

 

 そんな風に呟きながら、矢の製作に戻ろうとした時。

 フンショは見た。

 地平線の先──黒煙の中から。

 人影が飛び出してきたことに。

 

「なッ……!」

 

 巨人の弓兵は驚いた。

 あの爆発に生存者がいたことに──ではない。

 地平線越しに見えたのが剣の先端だけである以上、敵の総勢は不明だった。ならば生き残りがいる可能性だって、まあ、完全にゼロとは言えないだろう。驚くには値しない。

 

「なんだ──あの軽々とした身のこなしは!? 重みがないのか……!?」

 

 彼が驚いたのは、飛び出してきた人影の移動速度──そのあまりの速さにだ。

 

「“流星流”──『肉喰(ししばみ)』」

 

 フンショが目だけでなく耳も良かったら、荒地を駆ける人影が呟いた言葉を理解することができただろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、燃える巨大な矢との打ち合いとなれば、流石にこちらが不利になるのは否めませんからね──なので今週は単純(シンプル)に。一気に間合いを詰めて、必殺を叩きこませていただきますわっ!」

 

 既に抜いている全を薙ぐ刀(エピソード)を揺らめかせながら、レスコーは一陣の白い風と化していた。

 依然として、彼女が放つ言葉はフンショの耳に届かない。

 けれども──武器を手に此方へ一直線に向かってくる相手を見た途端、彼は一本の矢を手に取り、最果てを視る弓(ピリオド)に番えた。

 ぎり──と、巨人の膂力で引き絞られる弦。

 その張力が最大限まで高まった瞬間──フンショは手を離し、びんっと弦が空を斬る音と共に、矢が放たれた。

 目にも止まらぬ速さだが、最果てを視る弓(ピリオド)が用いられている以上、それだけでは終わらない。

 矢の全身が燃え上がる──加えて、その後部から爆炎が噴出し、更なる加速を生んだ。

 文字通りの爆速だ。

 空を走る炎の矢。その姿はまるで流星。ひとたび地上に落ちれば、そこにある命を根こそぎ滅ぼす死の具現である。

 だが。

 対する剣士もまた流星──“流星流”当代、レスコー・フォールコインは迷いのない足取りで大地を駆け抜ける。

 結果──巨人に対する人間という的の小ささと、肉喰(ししばみ)の重さを無くす歩法術故の自由自在な足運びがあってこそだが──レスコーは限り限りのところで矢を交わした。

 背後で着弾と爆発が合わさった凄まじい衝撃が轟き、彼女の長い髪を靡かせる。

 それでも“流星流”の足は止まらない。

 地平線の端から端まであった両者の距離は、ぐんぐんと縮まっている。

 その事実にフンショは焦りを感じたが、すぐに対抗策を思いつく。

 

「いくら速くても──」

 

 第二射。

 先程と同等の速度で放たれた矢は、レスコーを狙ったものではなく──彼女の前方に広がる荒地を狙ったものだった。

 

「──足場がなくては走れまい!」

 

 着弾。地下深くへ指向性を持たせた爆炎。地割れと見まがう程に深く、巨大なクレーターが形成される。

 このままレスコーが直進してしまえば、彼女を待ち受けるのは奈落への落下だ。仮にそれを避けるべくルート変更、あるいは後退を試みた場合、多少の減速を余儀なくされる。

 その僅かな隙で射止めるべく、巨人の弓兵は既に三本目の矢を構えていた。

 

「止まるか? 曲がるか? 退がるか? ──どれを選んでも、次で決着をつける!」

 

 そう叫んだ時、フンショは気が付いた。

 こちらに迫ってる人間の数がひとりではなく──ふたりであることに。

 白ドレスの女の長身、その背中に隠れるようにして、負ぶわれている少女がいたことに。

 

「…………」

 

 まあ、だからといって、どうということはない。

 子供を背負ってあの速度で走れる女の身体力には感嘆するが、だからどうした。

 あんな重荷があった所で、戦闘の役に立つとは思えない。いっそ、その場で捨ててしまった方が──捨てた。

 本当に。

 ぽいっ、と。

 ゴミでも放るように。

 白ドレスの女が、それまで背負っていた少女を、刀を持っていない方の手で掴んで──自分の前方へと投げ捨てたのだ。

 

「──…………!?」

 

 フンショの脳裏を大量のクエスチョンマークが闊歩する。

 だが驚くにはまだ早い──これからもっと驚くことになるのだから。

 

「ふんっ!」

 

 そんな威勢のいい掛け声と同時に、いくつもの剣閃が走り、斬った。

 何を? ──()()()()()()()()()を。

 刃が体を裂き、小間切れに変える。

 そしてそのまま、白ドレスの女は走る勢いを落とすことなく──どころか加速さえして。

 クレーターの上──そこを彩る大量の肉片と血飛沫目掛けて跳躍した。

 普通ならそのまま重力に引かれて落下すべき行いだが──彼女は今、独自の歩法肉喰(ししばみ)により、体重が限りなくゼロに近づいている。

 それは──つまり。

 肉片や血飛沫にだって乗れるほど軽くなっているということであり──! 

 

「幼い頃に先代(おとうさま)から「先々代(おじいさま)肉喰(ししばみ)で空さえ飛んだ」と聞いた時は冗談だと思っていましたが──なるほど。こういう応用があったのですね」

 

 傍目から見れば空を飛んでいるとしか思えない疾走を行いながら、レスコーは呟いた。

 ひとつひとつは細かな破片になっているとはいえ──愛しいマクガフィンの死体を踏みつけての行軍である。

 無論、このまま走り続ければ、マクガフィンの死体で出来た橋は途絶える。

 お子様サイズの体をしている彼女の肉片を総動員しても、フンショどころかクレーターの対岸にすら届かないのだから。

 けれども、その心配をする必要は、ない。

 橋の長さが足りないのならば──材料を足せばいいのだから。

 

「ふんっ!」

 

 先程の焼き直しのような威勢のいい声を上げながら、レスコーは再度全を薙ぐ刀(エピソード)を振った。

 刃が走る先にあったのは、肉片のひとつから復活を終えていたマクガフィンである。

 再度、細切れになった死体が撒き散らされる。

 以後、これの繰り返し。

 レスコーはますます前に進み、ますます上へと昇っていった。

 

「………………!」

 

 フンショはレスコーが見せた奇抜な行動を受けて一瞬、呆けていたが、今になってようやく、事態の深刻性を知る。

 

 ──拙い。

 

 ──あの娘。おれの頭を狙っている……! 

 

 レスコーがあのまま何の妨害も受けずに直進し、足元に到着したとして、フンショは今ほど焦らなかっただろう。

 所詮は巨人と人間──フンショが少しでも身動ぎすれば、レスコーは足の裏の染みへと変わるのだから。

 だが──頭まで昇ってこられるのは──拙い。

 身長差という、種族間のアドバンテージを均されるのは──拙い。

 

「く……ッ!」

 

 その時になってようやく、フンショは第三射を放った。

 後方からの爆炎は勿論、上下左右に角度を付けた炎も噴出させ、軌道に変化を付けた矢である。

 だが炎の矢はレスコーの脇をすり抜け、遥か彼方へと飛んで行く。

 ──当たり前の話になるが。

 地上を平面的に移動する相手より、空中を立体的に移動する相手の方が、射撃の難易度は高い。

 ましてや、相手は理外の手段で空を駆ける“流星流”──いつの間にか両者の距離は縮み、ついにレスコーはフンショの顎の下まで到達していた。

 

「ここまで来れば聞こえますかね?」マクガフィンの肉片を踏みしめながら、レスコーは言った。「初めましてフンショさん。わたくしレスコー・フォールコインと申します。実は貴方に伝えたいことがあるんです──貴方がいてくれたおかげで、わたくしは素敵な人と出会えました。一生に一度あるかないかの、かけがえのない体験ができたのです。なんとお礼を言っていいのやら……」

 

 柔らかな声音と、顔に浮かべた微笑は、彼女の感謝を如実に示していた──ぎしりと腰の下で強く握りしめた刀の所為で、全て台無しになっているが。

 

「本当に、本当にありがとうございました。では──“流星流”追尾(あとおい)

 

 レスコーは真上に飛んだ。

 ただの跳躍ではない。

 その軌道のすぐ横にある、フンショの顔面を切り裂きながらの跳躍だ。

 

「うぐァ……っ!」

 

 顔を走る痛みにフンショは呻く。しかし同時に安心もしていた。

 たしかに今負った傷は痛手だが──致命傷というほどではない。

 所詮は人間と巨人──与えられる傷の大きさすら、体格差に比例するということだ。

 それに白ドレスの女は此度の空中移動で()の材料を補給していない。

 ならば彼女が跳躍の最高度に達した時、移動の足場は存在しないのだ。

 そうなれば落ちるだけ。

 そこを仕留めるなど、最果てを視る弓(ピリオド)を使わずとも──容易い。

 そのような企てを胸に、フンショは目だけ動かし、上空を見る。

 そこには、あとは落下するしかないはずのレスコーがいた──頭上で刀を構えた状態で。

 まるでこれから更に技を繰り出すかのように。

 いや、むしろ。

 これから繰り出す技こそが、本命であるかのように。

 

追尾(あとおい)──本来なら、片手で敵に致命傷を与えた後、手首の返しを利用して、傷口を逆方向からなぞるように二度目の斬撃を放ち、確実に殺す技なのですが……、巨人が相手だとこんな大掛かりな技になるんですね」

 

 二度目でようやく致命傷になりそうですし──と。

 そう言って。

 レスコーは落ちた。

 というより、振り下ろした。

 肉喰(ししばみ)を解除し、重力の勢いまで乗せた、特大の上段斬りを──! 

 

「う、ぐぐ──」

 

 頭上から降り注ぐ斬撃に、フンショは対応できない。

 というより、知らない。

 どんな種族よりも大きな巨人である彼が、人間に頭上を取られることなど、これが初めてなのだから。

 彼は知らない内に、レスコーにマクガフィンとの出会いという初めての体験を齎したが。

 レスコーもまた、フンショに初めての体験を与えていた。

 

 ◆

 

 信じがたい光景だ──完全に復活し、本日何度目になるかも分からない軍服の執筆を終えた後、マクガフィンはそう思った。

 不死身の彼女は世間一般的に信じがたい生物だし、更に言えば彼女が連れ歩いている“流星流”も『敵味方の両方から恐れられた殺しすぎる剣術』などという信じがたい流派なのだけども。

 それでも。

 巨人が頭に刀傷を負い、地面に倒れ伏している光景は、それら以上に信じがたいものである。

 

「…………」

 

 マクガフィンは倒れているフンショの左手に向かった。

 そこには最果てを視る弓(ピリオド)がある。

 まずは、それを回収しなくては。

 

「それにしても、本当に巨人を倒せるとはな……オレが体を張った甲斐が──切った張った甲斐があるというものだ」

 

「ええ! マフィ様がいなければ、どうなっていたことか……今回も、わたくしとマフィ様の力を合わせた勝利でしたわね!」

 

「ちょ、まて、その体でべたべたするな。全身が血でべたべたじゃないか。ええい、首を絞めるのは後にしろ。せっかく新調した服なんだぞ。執筆する手間を考えんか、手間を」

 

 はしゃぐレスコーのドレスは今となっては白い部分が全くない、赤ドレスに変貌していた。巨人の出血を間近に浴びたのだから当然だ。

 あとで執筆で替えの服を作ってやろう──そんな保護者めいたことを考えながら、マクガフィンが更に一歩、最果てを視る弓(ピリオド)に近づいた時だった。

 

 

 

 

 びんっ。

 

 

 

 

 と音が鳴った。

 倒れていたフンショの指先が、最果てを視る弓(ピリオド)の弦を弾いた音だった。

 次の瞬間。

 フンショの体が燃え上がった。

 その上に町を築けそうなほどに大きな体が、たった一瞬で、僅かな隙間もなく炎に覆われる。

 

「まだ息があっただと!? それに今のは──」 橙の熱波に顔を照らされながら、マクガフィンは目を見開いて驚愕した。「最果てを視る弓(ピリオド)の発火対象は矢だけでなく、弦に番えた物ならなんでも──所有者の体でも良いのか……!?」

 

 それは──つまり。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()最果てを視る弓(ピリオド)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──!

 

「……しかし、奇妙だな──それでやることが焼身自殺だと?」

 

 それは、世界を巻き込むほどに自身の死を望んでいる彼女だからこそ、導き出してしまった推測なのかもしれない。

 だが──違う。

 フンショは死ぬために自分を燃やしたのではない。

 生きるために自分を燃やしたのだ──フンショの体が。

 追尾(あとおい)で頭に致命傷を負って、動けないはずの体が。

 ゆっくりと──起き上がった。

 

「な……ッ!?」

 

「なにを……」炎の奥から、フンショの声がした。「驚くことがある小娘。この弓を狙ってきたのなら、特性も知っているはずだろ?」

 

 九世兵器のひとつ。

 巨人に与えられた弓──最果てを視る弓(ピリオド)

 その特性は、矢の発火と──炎熱の、操作! 

 

「まさか」マクガフィンは気が付いた。「炎を操ることで、それに纏われている体までも間接的に動かした……ということか!」

 

「御明察──名付けるなら『炎長戦(オーバーキル)』といったところか」

 

 フンショは完全に立ち上がる。

 炎の巨人が直立しているその姿は──不死身の少女よりも、伝説の殺人剣よりも、刀傷で倒れる巨人よりも──現実味がない、幻想的な光景だった。

 

「……理解しがたいな」

 

 フンショの威容を見上げながら、マクガフィンは呟いた。

 

「いくら間接的な操作で動かそうとも、それでは貴様の体が燃え尽きれば終わりではないか。そこまでして立ち上がる理由はなんだ?」

 

「……この世界は、もう終わりだ」

 

 フンショはマクガフィンの問いに答えず、語り始めた。

 

「『大いなる戦争』と『大いなる災害』が終わった直後の五十年前と比べれば、たしかに復興は進んだだろう……。だがそれだけだ。一度減った種族が数を増やすことは無く、息詰まるような停滞を長々と引き延ばしているにすぎん。このままでは世界を待ってるのは、実に緩やかで、つまらない終末だろう。そんな下らない終わり方をするくらいなら──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 淡々と、炎々と、巨人は語る。

 

「とはいえ、今の疲弊しきった九種族では『大いなる戦争』規模の戦争は起こせまい。理屈も原理も不明だった『大いなる災害』をまた起こすのも無理だ──だったらおれが『大いなる災害』の代わりに、この世界に終止符(ピリオド)を撃つしかないだろ?」

 

「つまり貴様は──世界を滅ぼす為に九世兵器を盗んだのか」

 

「ああ、そうだ。文句でも?」

 

「いや──奇遇なことに、オレも似た目的で九世兵器を求めていてな。まあ、オレの場合、『結果的にそうなってしまう』だけで、貴様と完全に一致しているのではないが──文句など、言えるはずもないよ」

 

「ふうん。俺以外にこんなことを考えていた奴が、他の種族にいたのか」

 

 炎の巨人はおかしそうに笑った。

 

「とはいえ、こんな風になっては世界を綺麗に終わらせるなんて、できなくなった──だけど、せめて自分の終わらせ方くらいはマシにしたいと思って、わざわざ起き上がったのさ」

 

「なんだ、結局自殺と似たような考えで火をつけたのか」

 

「少し違う──なあ」

 

 そこでフンショは、それまで話していたマクガフィンではなく、レスコーに向かって言った。

 

「娘……ああ、たしかレスコー・フォールコインといったか」

 

 フンショは最果てを視る弓(ピリオド)──九世兵器であるそれは、炎の巨人に握られているにもかかわらず、少しも焦げていない──を傾けて、言葉を繋いだ。

 

「もう一度再戦(やろう)ぜ」

 

「…………」

 

「どうせ死ぬなら炎に包まれて、死んでも動き回って、災害のように暴れながら死にたい……それが、俺が望む末路だ」

 

 当然。

 レスコーがこれに応じる義理は無い。

 最果てを視る弓(ピリオド)が炎で痛むことは無く、フンショの巨体が時を経るごとに焼滅している今、彼女が取るべき最適解は『マクガフィンを連れてさっさと逃げて、フンショが灰になった頃を見計らって最果てを視る弓(ピリオド)の回収に戻る』だ。

 しかし。

 

「ええ──そのお誘い。お受けしますわ」

 

 レスコーはにこやかな笑みをたたえながら、全を薙ぐ刀(エピソード)を鞘から抜いた。

 

「恩人からのお願いを無下にできませんもの──それに」

 

 レスコーはマクガフィンを見る。

 

「わたくしは、いつか不死身のマフィ様を殺してみせるんですもの──殺しても死なない巨人程度は、今ここで殺せるようにならなくちゃ」

 

「は、よく言うねえ。客観的に見てこの状況、おまえにとってかなり絶望的だと思うんだが」

 

「たしかに──強く大きな巨人で、九世兵器最果てを視る弓(ピリオド)の所有者で、今となっては致命傷を受けても燃え続ける限り動けるあなたを殺すのは難しいでしょう」

 

 そして──“流星流“は構える。

 真っすぐに整った中段を。

 

「だけど──殺してみせます」

 

 燃え盛る巨人から目を逸らすことなく、断言した。

 そして彼女は名乗りを上げる。遥か高くにある、巨人の耳まで届くように。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわ」

 

「巨人。フンショ──推して参る!」

 

 こうして。

 レスコーとフンショの戦いは幕を開けた。

 

 ◆

 

 レスコーとマクガフィンは荒地を歩いていた。

 血塗れだったレスコーの白ドレスはまっさらに新調され。

 マクガフィンの軍服には、新しいがらの腰帯(ベルト)が巻き付いている。

 レスコーは真新しいベルトをしげしげと見つめた。

 

「てっきり、最果てを視る弓(ピリオド)も指輪に執筆されるのかと思っていたのですが……ベルトになるんですねえ」

 

全を薙ぐ刀(エピソード)を含めた九世兵器すべてを指輪にしていっては両手が埋まるからな。拳の戦闘力だけがやけに高くなってしまうだろ。だからバランスをとることにしているんだ」

 

「ということは──これから旅を続けていけばいくほど、マフィ様がオシャレさんになるわけですか! 楽しみです!」

 

 それはつまり、これからフンショと同等か、それ以上の使い手たちとの戦いが続くという意味も含んでいるのだが──レスコーはそんなことを気にしていないようで、暢気な顔を晒していた。放っておいたら鼻歌を歌いそうなくらいだ。

 

「ところで、次はどこの何を集めに行かれるのですか?」

 

「お、珍しいな。最果てを視る弓(ピリオド)の時はオレが教えるまで次の目的地すら聞かなかった貴様が、自分から聞いてくるとは……」

 

「えへへっ、フンショさんとの戦いを経験して、思ったんですの──好きな人(マフィ様)のことは出来る限り知りたいって! だからわたくし気になるんです、今、マフィ様がどこに向かおうとしているかが」

 

「オレのことが知りたい、か……」

 

 マクガフィンは小さく──自分さえも気づかないほどに小さく、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「そんなこと、オレでも全部は知らないのに」

 

「? 何かおっしゃられましたか、マフィ様?」

 

「いや、なんでもない」

 

 ラブコメあるあるな会話を経て、マクガフィンは言う。

 

「次の目的地についての話だったな。ひとまず、ここを抜けてから話そうか。というか休憩がしたい。いくらオレが不死身だからとは言え、体のあちこちを切り刻まれて、一日に何度も執筆をさせられて、貴様と火達磨の戦いを間近で見せられたのだ──疲れんはずがないだろう」

 

「あらまあ、そんなに疲れておいでですか……。じゃ、じゃあ、ふひひっ、わ、わたくしが背負いましょうか? さっきみたいに」

 

「結構だ。子ども扱いするな」

 

「べつに子ども扱いなんて──」

 

 そんな風に。

 ふたりは和気藹々とした会話を交わしながら。

 華々しく終わった巨人、フンショを後にしたのだった。

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 

 

 順調に進むレスコーたちの旅! 

 

 次なる目的地は獣人の国! 

 

 対する敵はあらゆる武芸を修めた『獣人』の女王、クリフハンガー! 

 

 九世兵器一を包む鎧(プロットアーマー)を使う彼女に、レスコーはどう戦うか! 

 

 更にとんでもない事件まで起きてしまい……!? 

 

 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 第四話『一を包む鎧(プロットアーマー)』! 

 

 また読んでね!

 



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04.一を包む鎧(プロットアーマー) 問題編

 空に破滅があった。

 べつに、隙間のない曇天から雷と豪雨が降り注いでいたわけではない。

 太陽が長い間鎮座して、殺人的な熱波を発していたわけでもない。

 形を残した流星が降ってきていたわけでも──ない。

 震える体に無理をさせ、強引に顔を上げる。

 目に映るのは青空だ。

 どこまで見ても青、青、青。

 視界を遮る雲なんて一片たりもなく、大声を出せばどこまでも突き抜けていきそうな快晴がある。

 戦争の真っ最中にしては暢気すぎる青空だ。

 だけどわたしは確信している。

 そこにはたしかに破滅があるのだと。

 だって。

 そうじゃないと。

 村を襲ったこの惨状に説明がつかないのだから──

 

「…………」

 

 家の瓦礫は、わたしの下半身に重くのしかかっていた。

 なんとかして隙間から抜け出そうとするが、右足が動かない。

 瓦礫に挟まれているのだろうか。もしかしたら痛みを感じていないだけで、潰れているのかもしれない。あるいは鋭利な破片に貫かれて、神経が断裂しているのかも。いずれにせよ、自力での脱出は絶望的だった。

 母さん、父さん、妹、それに村のみんなは無事だろうか? 耳を澄ませてみる。だけど鼓膜を叩くのは人の声ではなく、火が燃える音だった。

 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。

 まるで地獄の拍手のような音。

 きっと、どこかの家が崩壊した拍子に、建材に火がついたのだろう。

 もしくは──空にいる『なにか』によって、燃やされたのか。

 火事はすぐ傍で起きているようで、じりじりと肌を刺すような熱が感じられた。

 

「ご、めんな……さい……」

 

 息をするのもやっとな口から溢れたのは、謝罪の言葉だった。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──ごめんなさい」

 

 何度も繰り返し、謝る。

 それが何に対しての謝罪なのか、自分自身すら分からない。

 自分は何を理由に。

 何に向かって。

 謝っているのだろう? 

 何もかもがわからない。

 ただ──そうしなければならないという確信だけがあった。

 こんな感覚は初めてだ。

 昔──まだ戦争も始まっていなかった頃、落雷で村の食糧庫が火事になったことがあり、当時のわたしは焼け落ちた倉庫の残骸を見て、自分ではどうしようもない存在であるはずの災害に対して、怒りを抱いたことがあった。

 だけど、今は違う。

 怒るなんて──無理だ。

 この惨劇を生み出した『なにか』に対して自分が出来るのは、武器を手に取り抗戦することでも、口汚く罵声を浴びせることでもなく、ただ謝罪を繰り返すことだけなのだと──本能的に理解する。

 理解させられてしまう。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 得体の知れない確信に突き動かされるまま、頭を垂れる。

 だけど、そんなわたしのちっぽけな謝罪など届いていないようで、破滅は続いた。

 二軒隣の家の残骸が音もなく消し飛んだ。前触れの無い突風が、石畳の道を抉った。空気まで焦がさんばかりの高熱が突然村を縦断した。木々が突然毒に蝕まれたように頽れた。

 災害、災害、災害──災害三昧。

 理由も理屈も原理も分からない災害が一方的に起き続ける。

 きっと、あと数舜の後には、わたしにもなんらかの災害が降りかかるのだろう。

『ごめんなさい』を繰り返しながら、そんな諦念を抱く──その時だった。

 影がわたしと空の間に立ち塞がるようにして、現れたのは。

 

「おやおや」

 

 場の雰囲気にそぐわない軽快な声を発するそれは人間だった。

 背丈は高いが、肉付きは少ない。全体的にひょろりとしている。更にそんな体躯を襤褸で覆っている。

 腰に剣を差しているものの、それ以外の外見から抱かれる頼りない印象と全くかみ合っていない。

 それは首から上だけを動かして、村の全景を──どこに目を凝らしても惨状しか目に映らない全景を確認する。

 

「……これまた随分派手にやらかしたのう」

 

 襤褸は腰の剣の柄に手をやった。

 

「なにを……するつもり?」

 

 わたしの言葉に襤褸は振り返る。こちらに向けられた顔は、意外そうな表情になっていた。これだけの惨状でまだ生存者がいるとは思っていなかったのだろうか。だとすると、わたしと空の間に割り込むような登場の仕方をしたのは、ただの偶然だったのかもしれない。

 

「なにって──斬るつもりじゃが」

 

「斬る? なにを?」

 

「この災害を起こした犯人を」

 

 言って、襤褸は横目で空を見た。

 そこには相変わらず、綺麗な青空が広がっているけれど、襤褸の目には『なにか』がハッキリと見えているのか、視線がはっきりと定まっている。

 

「無理よ……」

 

 わたしは言った。

 

「災害を斬るなんて無理に決まっているじゃない。突きで地震を止められないように、薙ぎで火事を消せないように、ただの剣術でアレを止められるはずが──」

 

「ああ、そうだな」

 

 襤褸は応えた。

 

「たしかに、これだけの災害を振りまくほどに強大な力を持ち、未だにその存在すら知られておらず、世界各地で起きている戦争と同等の脅威となっているアレを殺すのは難しいのかもしれない──だが殺す」

 

 襤褸は剣を完全に抜いた。

 瞬間、何か決定的な、超えてはいけないラインが超えられた──ような感覚があった。

 空から地上に区別なく災害を振りまいていた何かがこちらを、否、襤褸ひとりだけを明確に認識する。

 まるで、襤褸が『なにか』を敵と定めたことで、『なにか』も襤褸を敵と定めたかのように。

 たったふたつの敵意の交差。

 ただそれだけで、近くにいた私は息を止めてしまう。気を抜けば意識どころか命さえ持っていかれそうな恐怖が瞬く間に全身を支配した。

 しかし、襤褸は相変わらず軽薄で、頼りない雰囲気のまま剣を構える。

 それは剣をよく知らないわたしが見ても明らかな──美しい中段の構えだった。

 

「まあ、口でアレコレ言うより、行動で示した方が早かろう──()()の剣がアレに通じるか、とくと御覧じるがよい」

 

 そして襤褸は言う。

 己の剣の名を。

 

「“ 征流“──翼簒(そらとり)

 

 ◆

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわッ!」

 

「『一獣王国』。クリフハンガー──推して参るッ!」

 

 いきなりクライマックスみたいな盛り上がりたっぷりの叫び声によって、マクガフィンは叩き起こされた。

 

「…………ん」

 

 起床直後、頬の違和感に気付く。

 何かで濡れていた。

 泣いていたのか? 

 指を這わせて確かめてみる。

 血がべっとりとついていた。

 

「…………」

 

 どうやら()()()()()()()()()()()()()()()()()なんてセンチメンタルなイベントは自分とは無縁らしい──拭った血を払いながら、そう自己評価を下すマクガフィン。

 目を覚ました今となっては、どんな夢を見ていたかさえ思い出せない。

 長い夢だったような気がするし。

 一瞬で終わる夢だったような気もする。

 そもそも夢なんて見ていなかったのかも。

 ……まあ、夢の話はどうでもいい。

 今は現実の話をするべきだ。

 

 フンショとの戦いで見事“最果てを視る弓(ピリオド)”を蒐集してみせたマクガフィンとレスコーは、今週、第三の九世兵器“を目指して旅をしていた。

 次なる九世兵器を所有している種族は、獣人。

 読んで字の如く、獣特有のしなやかな身体能力や、鋭敏な五感などの特性を色濃く有する種族である。

 彼らは遥か昔から緑豊かな森を住処としていたが、『大いなる戦争』と『大いなる災害』の後は、大陸最大の森林地帯に集い、一獣王国を建国。以後、絶対人間帝国に負けず劣らずの復興を見せている。

 木々が鬱蒼と生い茂る森の奥深くを目指して、マクガフィンは歩いていたはずなのだが──記憶はここで途切れている。

 

「…………」

 

 軍服少女は自分が木に背中を預けるようにして座っていたことに気付く。

 振り替えると、幹に大きな罅が刻まれているのが分かった。

 続けて、後頭部を撫でる。頬と同じように血がべっとりとついていた。

 

「なるほど。つまり──フォールコインと一緒に森を歩いていたオレは、その道中、何かによって凄まじい勢いで吹き飛ばされ、背中から大木に激突。後頭部に強い衝撃を受けて気を失った後、死亡して、生き返った──ということか」

 

 ガッキイイイィインッ! という金属音が森に木霊した。

 レスコーが放った斬撃が、敵対者に受け止められた音だった。

 いや──より正確に描写するのなら。

 敵対者が身に纏っている()に受け止められた音だった。

 頭頂部に三角の出っ張りがふたつ、横に並ぶように生えている全身鎧である。

 今しがたレスコーが放った技が何なのかは分からないが、彼女が殺しすぎる剣術“流星流”の末裔である以上、尋常の技ではないことは確かだ。

 ましてや今、彼女の手にある得物は人間に与えられた至高の刀剣“全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 あらゆる点においてこの世のどんな刃物よりも優れた名刀である。

 これらふたつを合わせた一撃を正面から受け止めることが可能な存在なんて、九世兵器くらいしか──

 

「いや、待てよ? そういえば、あいつ──」

 

 そこでマクガフィンは思い出す。

 自分が目を覚ますきっかけになった、名乗りの口上を。

 

「クリフハンガーと名乗らなかったか?」

 

 それは、マクガフィンの記憶が確かなら──一獣王国の初代女王の名だ。

 そして、同時に──九世兵器の所有者として知られている名でもある。

 つまり今、レスコーの“全を薙ぐ刀(エピソード)”を受け止めた鎧は──

 

「“一を包む鎧(プロットアーマー)”──姉さま愛用の鎧だ」

 

 マクガフィンがもたれかかっている木、更にその背後から、声がした。

 振り替えると、そこには人影が立っていた。

 深い皺を刻まれた老婆だ。頭頂部からは狼のような耳が生えており、それによって彼女が獣人であることが証明されている。

 

「後ろから失礼。わたしは一獣王国の大臣にして偉大なるクリフハンガー姉さまの妹でもあるストライキという者だ。以後お見知りおきを」

 

「…………」

 

「姉さまの攻撃を受けたお前がまだ生きている原理はさっぱりわからないが、まあそう言うこともあるのだと納得しよう──()()()()()()()()()()()()()。見たところ、自分の身に起きたことを理解できていないようだが、欲しければ説明してやろうか?」

 

「……頼む」

 

「おまえたちは知らなかったかもしれないが、我々は先日の巨人族の“最果てを視る弓(ピリオド)”の件や、九世兵器の蒐集に乗り出したという絶対人間帝国の動向を、重く受け止めたのだ。警戒の網を広げ、最高戦力である姉さま自らが巡視に出向くほどにな──ましてや貴様らがやって来たのは“最果てを視る弓(ピリオド)”の所有者、フンショが根城としていた『火山の墓場』。そちらの方角から侵入者が現れれば、有無をいわさず襲うに決まっているだろう。その結果が、今のおまえの現状だ」

 

「…………」

 

 話を聞きながら、マクガフィンは分析する。

 背後にいるのは、ひとりだけではない。

 いつの間にか、森の木々に潜むようにして、何人もの獣人が現れていた。その数はマクガフィンが感知できるだけで軽く二十を超えているが、これはあくまでマクガフィンへの威嚇の為にわざと気配を発しているに過ぎない。入念に隠れ潜んでいる者まで含めれば、その数は二倍、三倍になるだろう。

 この人数で、この陣形。

 マクガフィンたちは完全に包囲されていた。

 あとは獣人たちの意思ひとつで、いつでも一網打尽にされるシチュエーションである。

 

「ああ、安心しろ」しかし、獣人の老婆は、そのようなマクガフィンの推測を見透かすような調子で言った。「おまえの連れが姉さまと戦っている間、我々が介入することはない──する必要がない、と言うべきか」

 

「……随分と信用しているんだな、自分の姉の優位を」

 

 だが、獣人の老婆、ストライキが言う通り、戦況はクリフハンガーの圧倒的な優位だった。

 

 キンキンキンキンキンキンキンキンキン! 

 レスコーがどれだけ剣戟を放っても、その全てが一を包む鎧(プロットアーマー)に弾かれてしまう。

 

「だったら……──」

 

 レスコーは全を薙ぐ刀(エピソード)を鞘に納めた。

 攻撃が通用しないと知って諦めたのではない。

 そんな降参じみた行動は、殺しすぎる剣術“流星流”の作法に無い。

 白ドレスの令嬢は、柄に軽く手を乗せて、腰を沈める。

 その構えから繰り出される技は──つまり。

 

「“流星流”──爪弾(つまはじき)!」

 

 いわゆる『居合切り』だ。

 納刀の際に沈めた腰を抜刀の瞬間に跳ね上げ、その勢いまで加えた“流星流”最速の技。

 横薙ぎの一閃が音を越えた速度で駆け抜ける。

 その威力は相手が並の鎧なら、まとめて両断してみせるほどである。

 だがクリフハンガーには──一を包む鎧(プロットアーマー)には。

 傷ひとつ──ついていない。

 

「すごいですわね」レスコーは平坦な声で言った。「先々代(おじいさま)が使えば空間そのものに消えない傷を残した、とされる爪弾(つまはじき)さえ受け止められるなんて……。九世兵器に共通する性質として“頑丈さ”があるのは先週のフンショさんとの戦いで存じていましたが、“一を包む鎧(プロットアーマー)”はその性質に更に特化させたような感じでしょうか」

 

「その通り」クリフハンガーが答える。「貴殿の“全を薙ぐ刀(エピソード)”が至高の刀であるように、“一を包む鎧(プロットアーマー)”もまた至高の鎧──これを着ている吾輩を殺せる者はいない」

 

 クリフハンガーの掌打が、レスコーの頬を掠めた。

 防具は九世兵器という一級品を用意している彼女だが、武具については何も装備していない。

 徒手空拳だ。

 もっとも、そこから繰り出される技の数々は──一級品。

 気を抜いて一発でも食らえば、白ドレスしか装備していないレスコーはたちまちの内にノックダウンされてしまうだろう。

 

「…………」

 

 攻防の中、レスコーは全身鎧の頭部を見る。

 通常の鎧なら、装着者の視界を確保するために隙間や穴が開いているべき部位だ。

 “流星流”の技巧を使えば、その僅かな隙間を通して()()()()()()()()ことも可能なのだが──“一を包む鎧(プロットアーマー)”にはそれがない。

 隙間どころか──継ぎ目すら、ない。

 徹底的に、外部からの害意を撥ね退ける作りをしている。

 通常、こんな構造の鎧を着て一番困るのは装着者自身だ。

 だって、外部の情報の供給源としてもっとも重要な『視覚』が閉ざされているのだから。

 戦う上でこれほど不便なことはあるまい。

 しかしクリフハンガーは、まるでそんなデメリットなどないかのように、すいすいと滑らかな動きで戦いを繰り広げている。おそらく獣人の鋭敏な五感──うち封じられている視覚を除いた四感を総動員することで、十全なパフォーマンスを可能にしているのだろう。

 

「それでは──これはどうでしょう?」

 

 レスコーは“全を薙ぐ刀(エピソード)”を背中の後ろまでおおきく振りかぶり──そして。

 

「“流星流”──心砕(こころくだき)!」

 

 まっすぐ振り下ろした。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)“が”一を包む鎧(プロットアーマー)“の頭頂部に直撃し。

 カアッッッアアアァンッ……! 

 と、一際甲高い音が鳴り響く。

 動きだけを切り取れば、先週、絶対人間騎士団のウーガが見せた上段爆衝と似たような上段斬りだが──ある一点が、決定的に異なっていた。

 振り下ろされた“全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 その刃の向きは──前後逆。

 つまり。

 レスコーが今しがた放った技“心砕(こころくだき)”は、ただの力強い峰打ちだ。

 だが──しかし。

 殺しすぎる剣術“流星流”は──峰打ちであっても敵を殺す。

 

「──…………!」

 

 クリフハンガーの動きが目に見えて鈍くなった。

 まるで──なんらかのダメージを受けたかのように。

 いや──実際。

 クリフハンガーはダメージを受けていた。

 鎧に阻まれて攻撃が通らない? ──ならば、どう対処するか。

 答えは単純。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “流星流”には──そんな無茶を可能とする技がある。

 

「よく知りませんけど、武術で言うところの“発勁”にあたるのでしょうか? ──“流星流”唯一の打撃技“心砕(こころくだき)”は、それを刀でおこなう技です」

 

 先々代(おじいさま)なら大地の奥深くにある核を狙って砕けたらしいですよ──と語るレスコー。

 無論、通常の刀でこんな乱暴な技を繰り出せば、一発で刀そのものがダメになってしまうはずだが、そこは流石、九世兵器。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”の刀身には罅ひとつ入っていない。

 致命傷の峰打ちという矛盾した攻撃を頭部に食らったクリフハンガーは、間違いなく瀕死だ。耳を澄ませば、鎧の中から「ごぽっ」と血を吐き出す湿っぽい音が聞こえる。

 己の勝ちを確信したレスコーは、続いて自分とマクガフィンを取り囲む獣人たちに剣を向けようとした。

 だが──

 

「ほう……、そんな剣術があるのか。驚いたな」

 

 鎧の中からそんな声がした。

 

「だが、発勁なんて使い古された技で吾輩を殺そうとしたのは悪手だったな。その程度の攻略法、これまでの五十余年で何人が試し、そして吾輩に返り討ちにされたと思っている?」

 

 先程まで声に混ざっていた湿っぽい音は消え失せて。

 崩れかけていた膝は、しっかりと体重を支えている。

 たしかな致命傷を受けたとは思えない、しっかりとした立ち方だ。

 強がり──には見えない。

 獣人の女王は今、完全な健康体であり、生きた強者のみが発することを許される闘気を、全身から迸らせていた。

 まるで時間を巻き戻して、心砕(こころくだき)の負傷をなかったことにしたかのような──! 

 

「では──そろそろ終わらせるか」

 

 その一言と共に──クリフハンガーの姿は消える。

 直後、レスコーの懐に“一を包む鎧(プロットアーマー)“が現れた。

 彼我にあった数歩分の距離を一瞬にして零まで詰めた獣人の女王は、前後に両足を揃えて軽くしゃがんだ。

 まるでダンスを舞うような軽やかな動きだが──それから繰り出されるのは、重厚極まりない一撃。

 名を──

 

面獣覆背(めんじゅうふくはい)!」

 

 叫びと同時に揃えていた足を踏み出し、背中から体当たりをする。

 只の体当たり──と侮ることなかれ。

 それは獣人の筋力を乗せた一撃だし──それに。

 この世で最も強固な鎧、“一を包む鎧(プロットアーマー)”の硬さを乗せた一撃だ。

 至近距離で獣人の奥義を受けたレスコーは、紙屑のように吹き飛ばされる。

 人ひとりが、一直線に吹き飛ばされる、その光景。

 それを見たマクガフィンは、ようやく理解した。

 自分は気を失う前に、あの技を食らったのだと。

 マクガフィンが食らい、マクガフィンが死に至った技──そんなもの。

 不死身でもないレスコーが食らえば──どうなる? 

 

「──……ッ! フォールコイン!」

 

「心配は……いりませんわ!」

 

 レスコーは叫び、空中でくるりと回転。吹き飛ばされる先に生えていた木の幹に両足からぶつかることで、衝撃を緩和する。

 

「攻撃の瞬間、肉喰(ししばみ)で後ろに飛ぶことで、衝撃を逃がしましたの」

 

 自身の健在をアピールするかのように、マクガフィンへ微笑を向けると、レスコーはそのまま地面に降り立った。

 

「それにしても──お強いですのね、クリフハンガーさん。先週のフンショさんみたいに、今週も一撃も貰わずに勝てるのかと思っていましたけど、甘い見通しでしたわ」

 

「当たり前だ!」

 

 答えたのはクリフハンガーではなく、マクガフィンの背後に立つ獣人の老婆、ストライキだった。

 彼女は熱の篭もった声で続ける。

 

「巨人、フンショの件は我々の耳にも届いていたが……、あいつが“最果てを視る弓(ピリオド)”を手に入れたのはたかだか数週間前だろう? たったその程度の月日で九世兵器を使いこなせるようになる訳があるまい──その点、偉大なる姉さまは“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着用して五十年になる! 誰よりも九世兵器に親しみ、誰よりも九世兵器に慣れている御方だ!」

 

 老人とは思えないハキハキとした声で熱弁されるのは、下手をすればフンショよりも九世兵器に触れている時間が少ないかもしれないレスコーにとって絶望的な情報だった。

 いや──仮にクリフハンガーが“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着て一日目になる新米だったとしても、状況は好転しなかっただろう。

 刃を通さない程に硬く、確かに与えたはずの致命傷がなかったことになる鎧なんて。

 いったいぜんたい──どうやって戦えばいいのだ? 

 どう考えてもラスボス、あるいは物語の終盤に配置されているべき敵だ。

 旅の道中で戦う相手が二人目の時点でこれなんて──あまりにもついてない。

 不幸すぎる。

 しかし、レスコーたちの不幸はそこで終わったようだった。

 いや──あるいは。

 不幸は重なると言うべきか。

 その場にいた全員が、まったく同時に、彼女の来訪に気付いた。

 白ドレスの令嬢も、不死身の少女も、全身鎧の女王も、獣人の部下たちも──その方向へと目をやる。

 森に並ぶ木々の一本──その上に、ひとりの女が立っていた。

 夜の闇のような黒い軍服。

 目深に被られた軍帽。

 腰に差された一本の刀──“全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 長い髪を煌びやかな髪飾りを使って、何本かの房に分けて束ねており、それぞれを派手な色に染めている。

 顔面には節足動物をモチーフにしたと思しき図柄と、同心円状の図柄が刺青で刻まれていた。

 まるで目立つこと──周囲の不快感を集めることを目的としているような風貌である。

 

「ぎゃはっ、ぎゃはぎゃはぎゃはぎゃはぎゃはぎゃはぎゃは!」

 

 下品な笑い声。

 視覚聴覚の両方から騒がしい女だ。

 

「やっと気づいてくれたか、皆々様ァ。本音を言えばもうちっと、“流星流”と“一を包む鎧(プロットアーマー)”の戦いを鑑賞していたかったが、ここらが限界かねェ」

 

 笑う闖入者に、その場にいた殆ど全員が言葉を失う。

 だが、ひとり──“剣鬼”マクガフィン・テーブルだけが、口を開いた。

 

「“孤剣”のマリエッタ──!」

 

「そうだぜェ。久しぶりだな、マクガフィン」

 

 マリエッタはかつての同胞を見下ろした。

 

「おまえたちの話は最初から聞いていたが、おまえと仲良さげな“流星流”が“最果てを視る弓(ピリオド)”の所有者と戦ったってことは……アレかい? “最果てを視る弓(ピリオド)”収集に向かったっきり連絡が取れないウーガの旦那はお前たちに殺されたってことかァ?」

 

「違う。アレはアイツの自爆みたいなものだ」

 

 自爆。

 たしかに、そんな言葉が似合う死に様ではあった。

 

「なにそれ超ウケる。あとで詳しく教えてくれよ……。しっかし、驚いたねェ。あんたが“流星流”を連れて旅をしているなんてなァ──」

 

「そのくだりはいい。先週やった」

 

 露骨な文字数稼ぎと思われるのは困る。

 

「あっそ……、つまり反論する気もないってことね──あるいは反論する暇があるなら戦って殺した方が早いって考えかァ? いいね。そういう考えは嫌いじゃねえ」

 

「…………」

 

「それに、この状況での戦いはアタシにとっても歓迎だ。何せここには──“流星流”が持つ“全を薙ぐ刀(エピソード)”と、マクガフィンが所有している二本の“全を薙ぐ刀(エピソード)”と“最果てを視る弓(ピリオド)”、そしてクリフハンガーが保有している“一を包む鎧(プロットアーマー)”が揃っているんだ。ここで全員殺せば、全部まとめてアタシのものになるんだろォ? 戦わない理由がないね」

 

 マリエッタは“全を薙ぐ刀(エピソード)”を抜刀した。

 ぎちぎちと──ぎこちない抜き方だった。

 剣術に慣れていないわけでは──ない。

 単に見る相手の不快感を喚起することだけを目的としているかのような。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、不気味な動作だった。

 

「それに、忘れてるんじゃねえだろうなァ、マクガフィン……。いくら戦闘に慣れていないあんたでも、この“孤剣”が、“剣帝”や“剣道”に並ぶ武闘派だってことくらい知ってるはずだ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 マリエッタは言う。

 楽しそうに。

 

「人剣流派生剣術『孤剣奮闘』──敵が多ければ多いほど強くなるこの“孤剣”に、この状況は最高だ」

 

 人剣流派生剣術『孤剣奮闘』。

 他者の気を引く格好、行動、気配、発言で戦場におけるターゲッティングを自身へ強制的に集中させる。

 相手に『マリエッタを攻撃したい』という催眠を仕掛ける。

 ただ、それだけの剣術。

 剣術と言っているが、それはいわゆる心理学だ。

 それだけ聞くと、単なる自殺行為にしか思えないが──それは敵が十人もいかない人数だった場合の話だ。

 たとえば今のように──何十人ものプレイヤーが、マリエッタの奇抜な風貌を目にしている今、全員が一斉に動いたとしよう。

 誰かの攻撃がマリエッタに届くよりも前に、同士討ちが発生するのは明らかだ。

 攻撃側の人数に対してターゲットがあまりにも少なすぎるのだから。

 自分に攻撃しようとした敵が、敵同士で傷つけあっている間に、マリエッタは悠々とそこら中にいる敵を殺していくだけである。

 敵が多ければ多いほど強くなる“孤剣”の名は──伊達ではない。

 

「この剣の恐ろしい所は、相手の体じゃなく心に作用する──つまり、どれだけ体を鍛えていようが、鎧で防御していようが、絶対にアタシを殺したくなって、乱戦に身を投じちまうってところさァ……ほら、マクガフィン。あんたの大事な“流星流”だって、今すぐにも動き出しそうだぜ──って、アレェ!?」

 

 マリエッタは驚きのあまり素っ頓狂な声を出した。

 仕方のないことだ。

 だって──レスコーがマクガフィンを拾い、迷いのない足取りでその場から素早く逃げ出したのだから。

 “孤剣”とは真逆の方向に一直線。

 

「くっ、何故効かねェ!? 待てっ、おい!」

 

 マリエッタは叫ぶが、レスコーは止まらない。

 追いかけようとするが、そうもいかなかった。なぜなら、マリエッタの周りには、既に『孤剣奮闘』で彼女を攻撃対象に定めている戦士がウヨウヨといるのだから。彼らを片付けなければ、レスコーを追いかけることは不可能だ。

 

「おい、フォールコイン……貴様、なんともないのか?」

 

 頭を蝕むマリエッタへの強い敵意を感じながら、マクガフィンは言った。

 

「え? 何の話です?」

 

 一方レスコーは平時の顔で答える。

 

「それにしてもマフィ様の同僚の……マリエッタさん、でしたっけ? 変な嘘をつかれる方でしたねえ。なんだか訳の分からないことをおっしゃっていましたけど、あんな格好をするだけで攻撃が集まるわけがないじゃないですか」

 

「…………」

 

 催眠が──効いていない。

 というより。

 催眠が効く心が──ないのか。

 マリエッタとの距離がどんどん離れ、やがて姿が見えなくなる。すると、マクガフィンにかかっていた『孤剣奮闘』の効果が薄れ、マリエッタへの攻撃衝動も段々と消えていく。

 そうして落ち着いてきたタイミングで、マクガフィンは口を開いた。

 

「ともあれ──この状況は好機だ。あの厄介な“孤剣”は勿論、あちらにターゲットが移ったことでクリフハンガーたちとも距離が取れたからな。この隙に作戦を──」

 

 立てるぞ、と。

 そう言いかけたタイミングで。

 マクガフィンは見た。

 レスコーが走る先に、人影が立ちはだかっているのを。

 頭頂部から二つの突起が横並びに生えた全身鎧。

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”。

 その着用者は──

 

「なっ──マリエッタの術中にかかったはずでは!?」

 

「この鎧を着た吾輩に、あんな子供騙しが通じるわけがあるまい──とはいえ、部下を放っておくわけにもいかぬからな。さっさと処理してきたぞ」

 

「処理……?」

 

「聞けば、あやつの剣術は大人数の標的を自分ひとりに集約することで攻撃の過集中を引き起こし、同士討ちを誘発させるようだが──そんな術理、誰よりも早く動いて奴を殺せるひとりの戦士がいるだけで容易く崩れるに決まっておろうが」

 

 そして、その戦士とは──クリフハンガーに他ならない。

 彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まあ、あんな三下はさておいて」

 

 さておかれるマリエッタだった。

 

「そこの軍服娘、作戦を立てると言っていたが……まさかこの吾輩とまだ戦うつもりでいるのか?」

 

 その質問は、軍服娘という呼びかけからも分かるように、マクガフィンに対して告げられたものだった。

 

「あの、ひとつ、とても気になることがあるのですけど……お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 しかし、答えるように声を上げたのは、レスコーだった。

 よく言えば物怖じしないが──悪く言えば空気が読めていない。

 心がない故に場の雰囲気を読む能力が致命的に欠けている女である。

 

「さっき、わたくしはたしかにあなたに心砕(こころくだき)で致命傷を与えましたよね? なのにどうして回復──というより、生き返ったのでしょうか?」

 

「……それを知って吾輩を殺す作戦を立てるつもりか?」

 

クリフハンガーはレスコーの唐突な質問に興味を持ったのか、そう返した。

 

「ええ、まあ、それもありますけど……」

 

 白ドレスの令嬢は微笑みながら言う。

 

「もしも、あなたが死なない理屈が分かった上で、殺せる方法を思いつけたら、マフィ様も殺せるようになるかもしれないなあ、と思いまして」




すみません! 遊戯王が楽しすぎて全然区切りの良い所まで行けませんでした。
解決編ではきっちり終わらせます!


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05.一を包む鎧(プロットアーマー) 解決編

「マフィ? ──ああ、そこの軍服娘のことか」クリフハンガーは兜の正面をマクガフィンに向けた。「吾輩の『面獣覆背』を受けても、何事もなかったかのように生きているから、何か装備に防御系の『執筆』でも刻んでいたのかと思っていたが……不死身の体だと?」

 

「原理はオレにもよく分からんがな」

 

 マクガフィンはそんな風に会話に参加した。

 敵対関係にあるクリフハンガーに対しては、本来いかなる情報であっても渡すべきではない。

 先日のフンショ戦のように、不死性を活かした作戦を立てにくくなるからだ。

 しかし現状、戦力的に圧倒的な優位に立ち、レスコーの生殺与奪の権を握っているに等しいクリフハンガーの興味を引ける材料があるのなら、出し惜しみせずに話すべきである。

 それで時間を稼げるのなら。

 マクガフィンはその間に、獣人の女王をどうにか出し抜く策を考えるだけだ──今のところ、そんな策を思いつく可能性は絶望的に低いのだけど。

 

「マフィ様は不死身の体に嫌気が差しているようでして、九世兵器を全て同時に使った自殺を企んでいるんです。だけど、わたくしとしては……、そんなこと、あってほしくないんですよねえ」

 

「当たり前だ。九世兵器全ての同時使用なんて、世界を巻き込む自殺も同然だ。殺してでも止めたくなる──いや、待てよ? だったらなぜ貴様は軍服娘の旅に同行するどころか、護衛のように戦っているのだ?」

 

「だって一緒に旅をしていないと、殺せないじゃないですが」

 

「…………なんだって?」

 

「わたくしは他の九世兵器ではなく、わたくしの剣で、不死身のマフィ様を殺したいんです」

 

「……ふはっ」

 

「だからその練習に、クリフハンガーさんを殺そうと……」

 

「ははははははははははははははははっ!」

 

 クリフハンガーの笑い声が森の木々を震わせた。

 殺しすぎる剣術を受けても、『絶対人間騎士団』の精鋭を相手にしても、物ともしなかった彼女が、今やいっそ苦しむかのように身を捩らせながら、大声を上げて笑っている。

 

「こっ、ふひひっ、この吾輩を……、獣人賊最強の武人を! 名を聞けばどんな精鋭でもすくみ上る女王を! 首を取ればそれだけで歴史に名を残すこと確実の英傑を! そこな軍服娘を殺す前座の踏み台としか見ておらんのか! はははははははっ! ──はあ、笑った笑った。こんなに笑ったのは五〇年ぶりだ! 笑い過ぎて死ぬかと思ったぞ!」

 

 その顔は兜に覆われていて見えないが、きっとその奥では満面の笑みがあるのだろう。

 先程まで漂わせていた、獣人の女王としての威厳たっぷりな態度が霧消していた。

 

「おい軍服娘、貴殿の連れは頭がおかしいな!」

 

「知ってる」

 

「むう……、先日のマフィ様といい、どうしてわたくしの殺意(こい)は笑われがちなのでしょう? 面白い冗談を言った覚えはないのですけれど」

 

「ああ、分かってる分かってる。吾輩も戦い続けて五〇年になる老練だ。貴様が冗談を言っていないことくらい、声を聞けば判別できるさ」

 

 しかし、だからこそ、笑わずにはいられない。

 九世兵器の蒐集という世界を敵に回すも同然な行為の最終目的が、マクガフィンというたったひとりの少女の殺害なんて──馬鹿げている。

 

「今まで様々な思想、理念に基づいていて戦う者たちと会ってきたが、貴殿のような輩は初めてだ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どうやら世界はまだまだ広いらしい」

 

 くつくつと、まだ収まりきらない笑いを溢しながら、クリフハンガーは言った。

 

「面白い。興が乗ったぞ──ここまで笑わせてくれた褒美として、貴殿が先ほど発した問いに答えてやろうではないか」

 

 レスコーの問いへの答え。

 つまり──流星流奥義“心砕(こころくだき)”を受けて確かに致命傷を負ったはずなのに、一瞬にして回復した理由を、クリフハンガーは語り始めた。

 

「たしかに先刻、貴殿の技は一を包む鎧(プロットアーマー)を飛び越えて、吾輩に致命傷を齎した──そしてその致命傷は、一を包む鎧(プロットアーマー)に備わる治癒能力によって完治されたのだよ」

 

「治癒能力……?」

 

「せっかくの九世兵器の特性が『ただ硬い』だけで済むはずがなかろう。むしろ真価はこっちだ──発勁のような鎧を飛び越える攻撃のみならず、疾患や老化、飢えなどで装着者が傷ついた時、この鎧はそれらを完全になかったことにする。まるで時計の針を巻き戻すかのように」

 

 装着者に何があっても、鎧を着た(はじまり)の状態に戻す。

 故に──“一を包む鎧(プロットアーマー)”。

 先日の“最果てを視る弓(ピリオド)”が、番えた物に瞬時に発火の文章(テキスト)を刻む弓なら。

 こちらは、中に入っている物の文章(テキスト)を保持する本棚、と喩えるべきか。

 だから“流星流”の心砕(こころくだき)による内部破壊から復活したし──マリエッタの『孤剣奮闘』による催眠も突破できたのである。

 

「吾輩が五〇年も一獣王国の女王として戦い続けていられるのも、この鎧のおかげだ。装着するだけで全盛期の肉体を維持できる鎧は、肉体ひとつで戦う吾輩と相性が良い。もしこれが無ければ、今頃は我が妹、ストライキのような老婆になっていたはずだし、前線からの引退を強いられていただろうよ」

 

 これで“一を包む鎧(プロットアーマー)”の謎は明らかになった。

 九世兵器という、本来なら重大な機密として扱われるべき兵器の情報にしては、実にあっさりとした開示だったが──これは別に、クリフハンガーの気前の良さを意味していない。

 だって、明かそうが明かすまいが、“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着ていれば無敵という事実は変わらないのだから。

 覆しようがないのだから。

『装着者に何が起きても始まりの状態に戻す』という不死性の理屈を知った所で、レスコーたちが有利になったとは言えない。

 なにも好転していない。

 なにも前進していない。

 むしろ絶望が増していく一方だ。

 

「さて、改めて聞こうか、客人共──この吾輩とまだ戦うつもりでいるのか?」

 

「もちろん」

 

 だが、レスコーは言った。

 いつだって即答の女である。

 

「『とても硬く』『装着者に何があっても元通りに戻す』鎧──そうと分かれば、殺せる策はありますわ」

 

「ほう……?」

 

 クリフハンガーには分かる。

 先ほどの発言が冗談じゃないとわかったのと同じように──今回も口から出まかせの虚言でないことが、理解できる。

 レスコーは嘘をついていない。

 クリフハンガーを殺せると、本気で確信している。

 もっとも──それが根拠不明の思い込みにすぎない可能性もあるのだが。

 しかし、“一を包む鎧(プロットアーマー)”の脅威を知った後も意気を消沈させていないその態度は、それだけでクリフハンガーの気を引くのに十分だった。

 

「大した人間だ。ならばその策とやら、すぐにでも試してみるか?」

 

「お断りしますわ」

 

 しかし、レスコーはその誘うような台詞に靡くことなく、いっそ蹴るような調子で言った。

 

「というより、時間をくださいまし。この策はわたくしだけでなく、マフィ様の助力も必要なんですの。なんの準備もなくよーいどんで達成できるものではありませんわ。ええと、そうですわね──明日の朝には披露できるかと」

 

「な、おい、フォールコイン……!」

 

 焦るような声でマクガフィンは言った。

 せっかく興が乗っていたクリフハンガーに対して「明日の朝まで待って欲しい」などという、水を差すような発言は、明らかに悪手だ。

 ふざけるな、と一撃の元に倒されても仕方のない場面である。

 そんな風に考えたマクガフィンだが──彼女は失念していた。

 自分の目の前に立つ全身鎧の獣人が、自分と同じように時間の流れから切り離された不死身の存在であることを。

 

「……よかろう。永遠の時間を持つ吾輩にとって、一晩待つ程度、苦にもならんからな」

 

 と、クリフハンガーは言った。

 いっそ楽しむような声で。

 彼女は立ったまま、脚の爪先で地面に何かを描き始める。やがて、それが簡略化された一獣王国の地図であることが分かった。

 その端にある一点を小さな丸で囲むと、

 

「明日の朝、ここに来い──決闘を執り行おうではないか」

 

 と言い残し、森の彼方へ姿を消した。

「逃げるなよ」とは──言わなかった。

 不要な忠告だからだろう。

 仮にレスコーたちが逃げた所で、追跡し、仕留めるだけの実力が、クリフハンガーにはあるのだし。

 それに──何より。

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”を相手に本気で勝つつもりのレスコーが、逃げるはずもないのだから。

 

 ◆

 

「随分と思い切った発言をしたな、フォールコイン──それにしても、準備に一晩もかかるなんて、よほど大掛かりな策なのか」

 

「いえ。二、三言打ち合わせをすれば、それで十分な策ですよ」

 

 そう言いながら、レスコーはようやくそれまで抱えていたマクガフィンの体を下ろした。

 

「ただちょっと、クリフハンガーさんの『面獣覆背』を受けた時に……傷までは出来なかったんですけれど、腕が痺れてしまいまして──回復する時間が欲しかったんです」

 

 わたくしはマフィ様のような不死身でもなければ、“一を包む鎧(プロットアーマー)”の所有者でもありませんから。

 と、レスコーは言った。

 

「わたくしのお願いを快く聞き入れてくれるのは予想外でしたけどね。やっぱり女王様たるもの、懐が広いんですねえ」

 

 白ドレスの令嬢は、先程まで自分の生命線を掌握していた相手を、純朴な表情で評する。

 

「もしクリフハンガーが貴様の発言を聞き入れずに、強硬的に決闘を始めようとしていたらどうするつもりだったんだ?」

 

「応じるしかなかったでしょうね──その場合、勝率は一割いくかいかないかまで下がりますけれど」

 

「…………」

 

 だとしても。

 先程までは絶無だった勝率が出てくるだけで、奇跡みたいな策である。

 

「まさか『執筆で自分の体にも“一を包む鎧(プロットアーマー)”と同じような特性を付与すればいい』なんて頓珍漢な発想じゃないだろうな?」

 

「違います! 執筆がそんな便利なものじゃないくらい、とっくに学習しましたもの! わたくしが考えた作戦は──」

 

 それから。

 レスコーが言った策は──本当に二、三言で終わる、実に簡素なものだった。

 それに──マクガフィンが懸念していたような荒唐無稽な絵空事でもない。

 理論上では実現可能だし、もし成功すれば、あのクリフハンガーさえ滅ぼせるほどの蓋然性を秘めている。

 

「……成功すれば、の話だがな──たしかに準備自体には一晩もかからないが、一晩程度の()()で成功まで持っていけるかどうか……」

 

「わたくしとマフィ様の愛の力が為すコンビネーションでどうにかできますよ、きっと!」

 

「…………」

 

 どんな根拠だ。

 たまにロマンチズムが暴走するのはどうにかしてほしい。

 

「まあ良い。まずは休憩できる場所を探そう」

 

 それからというものの。

 レスコーに休養を取らせた後、ふたりはたっぷりと時間をかけて、対“一を包む鎧(プロットアーマー)”の練習をおこなった。

 そして──ついに夜明けが訪れた。

 十分に練習を重ね、覚悟を決めたふたりは、クリフハンガーが描いた地図によって示された場所へと向かう。

 

「どうした、フォールコイン」

 

 道中、軍服の少女は言った。

 

「これから命を掛けた決闘をするというのに、随分と嬉しそうな顔をしているじゃないか」

 

「仕方ないじゃないですか──だって……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──と、そう考えたら、たまらない気持ちになってしまうんですもの」

 

「くくくっ、戦う前から勝った後のことを考えるんじゃない。『捕らぬ狸の皮算用』というやつだぞ」

 

「取らぬタヌキの……え、何ですかそれは?」

 

「騎士団のトという奴がよく使っていた言い回しだ」

 

「へえ、おかしな言い回しをされる方がいらっしゃるんですね。それに、名前もなんだか珍しいです。『ト』一文字だけって」

 

「あいつを構成するもので珍しくないものは、顔と体格くらいさ──まあ、珍しさで言えば、他の団員も引けを取らないがな。たとえば、単純な剣術の腕前だけで言えば団長を抜いて団内最強と目される“剣道”シギ・テーブルは──」

 

 と、そんな風に話しながら、

 ふたりは臆することなく、目的地へと向かい、そして到着したのだが。

 しかし。

 そこにクリフハンガーが現れることは──なかった。

 地平線から太陽が現れても。

 そのまま空高くまで登っても。

 全身鎧の女王が姿を見せることは無かったのだ。

 マクガフィンは最初、与えられた地図を此方が見間違えたのかと思い、焦った。

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい──まずい! 

 もしもこれでクリフハンガーが『時間を引き延ばしてやった決闘を蹴られた』と考え、憤慨すれば最悪だ。昨日の会話で乗った興など全て吹き飛び、遊びのない全力の殺意で持って襲い掛かってくることだろう。

 戦略上、そんな展開は勘弁だ。

 しかし、どれだけ地図を思い返してみても、それに示されていた場所は、この場で間違いない。

 それだけは確かだ。

 だったら何故──クリフハンガーは現れない? 

 ひとまずマクガフィンは、レスコーをその場に置いて(万が一、クリフハンガーが遅れてきた時に無人だったら目も当てられないため)、郊外の森から、居住区に向かうことにした。

 もしもクリフハンガーに何か起きていたら、住民たちの間で話題になっているはずだからだ。

 物陰からの盗み聞きで情報収集をすることにしよう。

 しかし──その計画は未遂に終わることになる。

 なぜなら。

 物陰から盗み聞きするまでもなく、住民たちの間で話題になっている──騒ぎになっているクリフハンガーの現状は、居住区に付く前からマクガフィンの耳に届いたからだ。

 彼らが青ざめた顔で叫ぶ内容によると。

 一獣王国の女王は昨晩、死んでいたらしい。

『絶対防御』にして『原状回復』の鎧、“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着用した格好で。

 

 ◆

 

 もしも、この物語が推理小説だったら、“一を包む鎧(プロットアーマー)”という密室で起きた殺人という不可能としか思えない難題について、これからレスコー達を含めた王国内の容疑者を順繰りに紹介し、彼らの容疑やアリバイなどを洗いざらい並べ立て、いかにもトリックに用いられそうな不審な点を事細かに描写し、なんなら第二、第三の被害者まで出した後で探偵役を登場させ、とても鮮やかな解決編を提供すべき展開なのかもしれないが、第一話で述べた通り、この物語のジャンルはラブコメである。

 不可解な謎に挑むのではなく、不可解な恋に身を投じるレスコーの行く末を見届けるだけの小説だ。

 だいたい、人の命を守る探偵役とは真逆の所業を繰り返している主人公(レスコー)に、探偵役が務まるとは思えない。

 殺人鬼が探偵の小説って……。

 いや──絶対にないジャンルではないけども。

 

 ともあれ。

 探偵でもないただの剣士であるレスコーは、居住区付近から帰還したマクガフィンからクリフハンガーの訃報を聞いた時、

 

「ええっ!?」

 

 と目を丸めて驚くこともなければ、

 

「そんな……!」

 

 と昨日会話を交わした相手の死に、涙を流すこともなく、

 

「あら、そうなんですか」

 

 と気のない声で受け入れた。

 

「……貴様は本当に、オレ以外に対する興味が薄いな、フォールコイン」

 

 戦力として扱う自分にとっては好都合なのだが、ここまで反応が薄いと面を食らってしまう。

 驚かせたくて伝えたわけでもないのだが──驚いて然るべき情報ではあるだろう。

 実際、一獣王国の国民たちは蜂の巣を突いたような大騒ぎをしていた。

 

「そんなこと言われましても──クリフハンガーさんの殺す算段を既に立てていたわたくしとしては、彼女が死んでも意外性がないと言いますか……。トリックを知った上で推理小説を読んでいるような感覚なんですよね」

 

「まだ貴様が考えていたのと同じ策でクリフハンガーが死んだわけではないだろう?」

 

「“一を包む鎧(プロットアーマー)”の耐用年数が切れたとか?」

 

「んなわけあるか。神々が作ったとされる九世兵器が、たかだか五〇年の使用で限界を迎えてどうする」

 

「じゃあやっぱり、わたくしの策と似たような方法だとは思いますよ。それ以外に方法があるとは思えませんし」

 

「…………」

 

 たしかに、そうだ。

()()()()以外で“一を包む鎧(プロットアーマー)”の防御を破り、クリフハンガーが敗れるトリックがあるとは思えない。

 

「……まあ、『どうやって』はともかくとして、『いつ』『誰が』やったのかはわたくしにも分かりませんが……寝ている無防備な間に実行したのでしょうか?」

 

「“一を包む鎧(プロットアーマー)”ならば、睡魔さえも弾くだろうよ」

 

「だったら起きている間に殺されたことになりますね。これじゃあ『いつ』やったかなんて絞れません──それじゃあ『誰が』……」

 

「盗み聞きした話によれば、昨日クリフハンガーと交戦したオレたちが“一を包む鎧(プロットアーマー)”を無効化する卑劣な策を用意して改めて奇襲し、殺害したという噂まで流れていたぞ」

 

「それは(デマ)──……とは言い切れませんか。何もなければ、ここで殺すつもりでしたし──でも、時系列がズレていますよねえ。うーん、いったい誰が殺したのでしょうか?」

 

「…………いるな、ひとり。怪しい奴が」

 

 というより。

 容疑者になりそうな人物を、ひとりしか知らない。

 

 ◆

 

 その晩は、月が雲で隠れている暗い夜だった。

 女王が死んだ混乱が続く王宮の一室に、その人物はいた。

 不意に、風が舞い込む。

 窓を開けた覚えはない──彼女は咄嗟に、そちらへ顔を向ける。

 窓枠に立つようにして、白ドレスの女が佇んでいた。その両腕には軍服の少女をお姫様抱っこでかかえている。

 二階にあるこの部屋は地上から結構な高さがあり、王宮の近辺には何人もの警備が巡回しているはずだが、どうやってここまで昇ってきたのだろうか──なんて。

 そんな疑問は無意味。

 白ドレスの女、レスコーが使う“流星流”は、トリックもハウダニットも無視する超常の剣なのだから。

 

「こんばんは。夜分遅くに失礼しますわ。わたくし、レスコー・フォールコインと申します」

 

 レスコーは抱きかかえていたマクガフィンを床に下ろすと、恭しく頭を下げた。

 

「わたくしとしては別に、クリフハンガーさんを殺した仇であるあなたに復讐……、なんてことは考えていません」

 

「…………」

 

「『彼女はわたくしが先に殺すはずだったのに』という嫉妬も、マフィ様以外に抱くわけがありませんし……。なので極端な話、あなたを放って、このまま旅を先に進めることも出来たのですが──」

 

「…………」

 

「そんな格好をされているのでは、訪ねるしかありませんよねえ」

 

 レスコーが感情のない目で見つめる先には──全身鎧を身につけた獣人がいた。

 

「これまで五〇年もの間、国家防衛の象徴として在り続けていたクリフハンガーさんが没した今、せめて“一を包む鎧(プロットアーマー)”の健在だけでも誇示して、国民に安心を与えるべく、正式な継承者が決まるまでの間、唯一の肉親であるあなたに一先ず渡された──といった所でしょうか?」

 

「………………」

 

「あなたとは決闘の約束をしていませんし、殺したいとも思っていないので、よければここでそれを脱いでいただけると、何事もなく話が終わるので助かるのですが──ええと、誰でしたっけ?」

 

「ストライキだよ」マクガフィンが答える。「クリフハンガーの妹だ」

 

「そう、それです」

 

 レスコーはストライキに向き直った。

 

「どうですかストライキさん? 鎧を脱いで頂けませんか?」

 

「──偉大な姉さまを殺したのは私ではない」

 

 鎧の奥から響いたのは、昨日ふたりが聞いた、老婆の声だった。

 

「あら、マフィ様の推理が違っていたのでしょうか? まあ、そんなことはどうでもいいです。べつにわたくしはここに犯人を捜しに訪れたわけではありませんので──」

 

「偉大な姉さまを殺したのはお前たちだ、レスコー」

 

「……はい?」

 

 予想外の発言に、レスコーは首を傾げた。

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”の現所有者は淡々と語る。

 

「昔から、偉大な姉さまと私の間には覆しようのない隔たりがあった──武術の達人であり、人々をまとめ上げる求心力があり、そして女王の立場に相応しい高潔な精神を持っていた姉さまに、私なんかが追いつけるはずもなかった。ましてや“一を包む鎧(プロットアーマー)”が与えられ、姉さまが永遠の若さを手に入れた後では、その差は広がる一方──だけど、それで良かったんだ。むしろ誇りとさえ思っていた。だって、永遠に強くあり続ける偉大な姉さまから、妹として、国民として守られるなんて、これ以上の悦びはないのだから」

 

 だが。

 だけど。

 

「そんな偉大な姉さまを、お前たちが殺したんだ──変えたんだ」

 

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”には覗き穴が無いはずだが。

 ストライキが放つ鋭い視線で体を射貫かれるような悪寒を、マクガフィンは感じた。

 

「姉さまが殺すべき敵を見逃すだけでも普通じゃないのに……、どころか()()()()()()()()()()()おまえとの決闘を楽しみにしていたよ。国内の民や、私にだけ向けるべき視線が、外から現れたお前に向けられていた。もうあの時──私が尊敬していた偉大なる姉さまは死んでいたんだ」

 

「あんな嬉しそうな表情で、と言ったな」

 

 マクガフィンが口を挟んだ。

 

「ということはやはり──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あらゆる害を撥ね退け、光さえも阻み、装着者に何が起きても(はじまり)に戻す鎧。

 それはまさに、着る密室だ。

 絶対的な安全地帯は、所有者に安心を授けるだろうし。

 それに。

 孤独も与えるだろう。

 クリフハンガーは“一を包む鎧(プロットアーマー)”を五〇年間着用していたと言うが──五〇年もの間、一筋も光が入らない、暗闇に満ちた密室にひとりきりという環境で、人は正気を保っていられるだろうか? 

 無理だ。

 仮にそんなことが可能な者がいるのなら、それはレスコー・フォールコインのように精神に欠落を抱えた人でなしである。

 そんな者、元から正気とは言い難い。

 だから、普通なら“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着ていれば心が摩耗していくはずなのだ。

 ……もっとも、孤独の末に精神がやられたとしても、その場合は鎧の治癒能力によって、正気に戻されるかもしれないが──だからこそ、恐ろしい。

 狂ってもおかしくない環境で、狂うことさえ許されないなんて──そんなの。

 もはや、生き地獄だ。

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”は(はじまり)を包む鎧であると同時に──(ひとり)を包む鎧でもあったのである。

 

「そんな生き地獄で過ごしている割に、昨日のクリフハンガーはいささか情緒が豊かすぎたからな──まあ、当時は策を練るのに必死で、そんな些細な違和感にまで気が付かなかったが」

 

「…………」

 

「それに()()()()()()()()()()も合わさって、こう推理したのだよ──ひょっとしたらクリフハンガーは、気が置けない身内の前では鎧を外した普通の交流をしていて、その隙を突かれて殺されたのではないか、とな」

 

「…………」

 

「殺すだけで終わらずに、“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着せたのは良い判断だった、と褒めてやろう。(はじまり)を包む『現状回帰』の鎧では、着た時点で死体だったクリフハンガーを蘇らせることは出来ないが、女王の隠された息抜きを知らない外野からすれば、『鎧を着たまま殺された』ようにしか見えないのだからな。後に残るのは、絶対防御であるはずの九世兵器を装着した状態で死んだ、不可解な密室死体だけだ」

 

「そんな小細工の為に、偉大な姉さまの死体に”一を包む鎧(プロットアーマー)”を着せたんじゃあない」

 

「ほう? それは流石に予想外だ。ならば、なぜ?」

 

「私の敬愛で殺した姉さまを鎧に入れたら……、元の偉大な姉さまに戻って生き返ると思ったんだ」

 

「…………」

 

 マクガフィンは絶句した。

 代わりに「あらあらあらあら」とレスコーが反応を見せる。

 

「どうしましょうマフィ様。このお方、愛に盲目すぎて暴走しちゃってますよ。これ以上は、まともに話が通じるとは思えません」

 

「…………」

 

 お前が言うな、という喉まで出かかった台詞をぐっと飲み込むと、代わりに強気な声で、マクガフィンは言った。

 

「どうするもこうするも、おまえがやれることなど、いつだってひとつだけだろうフォールコイン」

 

「ええ、そうですね」

 

 ちゃき、とレスコーは”全を薙ぐ刀(エピソード)”を抜いた。

 

「これ以上言葉を交わしても意味がありませんし、ここはひとつ、愛に生きる女同士の戦いといきましょうか──勝った方の愛が強かったということにしましょう」

 

「…………」

 

 レスコーの抜刀に応えるように、ストライキは動いた。

 先代所有者であるクリフハンガーのように、武術の構えを取った──のではない。

 鎧の陰に隠れるようにして腰に差されていた一本の刀を抜いたのだ。

 その所作は、レスコーと瓜二つだったし──それに。

 引き抜かれた刀もまた、レスコーが握るそれと瓜二つだった。

 

「“全を薙ぐ刀(エピソード)”……!?」

 

 叫んだあとで、マクガフィンは思い出す。

『絶対人間騎士団』“孤剣”マリエッタ・テーブルが昨日、クリフハンガーに殺されていたことに。

 ならば、彼女が所有していた“全を薙ぐ刀(エピソード)”が一獣王国の手に渡るのは、ごく自然な成り行きではないか。

 がちゃり、と音を鳴らしながら、“一を包む鎧(プロットアーマー)”現所有者は、剣を構えた。

 最強の剣と──最強の鎧! 

 

「…………臆したか? 無理もない。ひとつあるだけで十分な脅威となる九世兵器がふたつもあるんだ。使っている私でさえ、身震いをしそうになるよ……どうする? 負けを認めるか?」

 

「たしかに──」

 

 しかし──レスコーは怯まない。

 

「わたくしよりも遥かに長い時間を生きた経験があり、絶対防御の“一を包む鎧(プロットアーマー)”を着用して、至高の名剣である“全を薙ぐ刀(エピソード)”を携えているあなたを殺すのは難しいかもしれません。だけど──殺してみせますわ」

 

 その構えは、いつも通りの──天上から垂らされた糸で頭を引っ張られているかのように、背筋がぴんと伸びた、美しい中段の構えだった。

 そして。

 “流星流”は静かに、力強く、鎧の剣士目掛けて名乗りを上げる。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわ」

 

「『一獣王国』。偉大な姉さまの卑小な妹。ストライキ──推して参る」

 

 開戦の合図と共に、両者は動き出す。

 瞬間、爆発が起きた──と見紛うような勢いで、レスコーの近くに立っていたマクガフィンの体が吹き飛んだ。

 理由は──言うまでもないことだが──レスコーが放った斬撃である。

 たった一瞬でいくつもの剣閃を走らせ、幼女の体を細切れにしてみせたのだ。

 夜の暗闇でただでさえ見通しの悪かった空間が、軍服少女の血肉で埋め尽くされた。

 

「目くらましのつもりか……?」

 

 しかしストライキは慌てない。

 何度も言っているが、“一を包む鎧(プロットアーマー)”に覗き穴は皆無。故に、視覚系の妨害は通用しないし、飛び散った体液が鎧の内部に流れ込むこともない。

 それはつまり、裏を返せば視覚以外の感覚で持って周囲を感知する能力が要されるのだが──そこはさすが、クリフハンガーの実妹にして、一獣王国の精鋭と言うべきか。

 ストライキは残った四感を総動員することで、相手の現在位置を探ることが可能だ。

 ほら、今だって、耳を澄ませばレスコーの足音が──爆発した。

 次の次こそ、本当に爆発が起きたんじゃないかと見紛うような──聴き紛うような爆音が、ストライキの耳を襲った。

 

「                                                                                                                                                                                                                                        !!!!!!!」

 

 文字で表現することが出来ない音が、耳朶を打つ。

 これが、白ドレスの令嬢というただひとりの人間の喉から発せられた声であると説明したところで、簡単に信じられる者がいるだろうか? 

 

「“流星流”──『声枯(こがらし)』」

 

 たっぷりの絶叫を終えた後、レスコーは小さく呟いた。

 

「本来なら大声を出すことで頭と体の潜在能力を引き出すという、いわばやる気や威嚇の意味しかない技なのですけれど──殺しすぎる剣術が扱えば、その大音声にさえ破壊力が伴うんですよねえ」

 

「音、か──たしかにそれもまた、この鎧を通過する攻撃だな……」

 

 ストライキはおもむろに体勢を立て直す。

声枯(こがらし)』は彼女の三半規管どころか内臓に重篤なダメージを与えたはずだが、その動きに不自然な乱れはない。

 “一を包む鎧(プロットアーマー)”の治癒能力は、今も健在のようだった。

 

「こんなものを永遠に浴びれば、姉さまでも無事で済まなかったかもしれないが、所詮は人間であるおまえの喉が出所になる技。呼吸の限界はどうしても存在する」

 

「ですよねえ。だから、この技を“一を包む鎧(プロットアーマー)”対策の切り札にする案は、最初からありませんでした」

 

「だったら、どうやって戦うつもりだ?」

 

 と──そんな風に。

 問いかけて。

 ストライキが“全を薙ぐ刀(エピソード)”を振りかぶりながら、レスコー目掛けて踏み切った、その時だった。

 彼女が装着している“一を包む鎧(プロットアーマー)”──その右脚部分のパーツがすぽっと勢いよく脱げたのは。

 

「──な……は、あ……?」

 

 前に踏み切ろうとしたタイミングで、片足にだけそんなことが起きたので、前進する勢いに左右で不均衡が生じてしまう。ストライキの体は左脚を軸に、糸を引っ張られた独楽のような回転を起こした。

 その時になってようやく彼女は認知した──己の背後にいた、マクガフィンの存在を。

 体が粉みじんになって吹き飛んだあと、己の足元を基点に復活していた彼女が、“一を包む鎧(プロットアーマー)”のパーツのひとつを外していたことを──! 

 

「その鎧には覗き穴がありませんし、一見して継ぎ目のようなものも見当たりませんけれど──だからと言って、分割ができないわけじゃあありませんよね? いくら“一を包む鎧(プロットアーマー)”といえども、獣人に渡されたばかりの、まだ装着者がいなかった頃は、中身は(からっぽ)だったはずなんですから。もしそれが本当にどこからも開けない密閉の鎧だったら今頃、誰も着れないはずです。そんな鎧に──価値はありません」

 

 いわば密室のパラドクス。

 その密室が安全であればあるほど、強固であればあるほど、堅牢であればあるほど──そこに這入って守られるべき命は、密室への入室が不可能になってしまう。

 だからこそレスコーは、昨日の時点で──「あれ? この鎧って、脱がせようと思えば、外から脱がせられるんじゃないですか?」と気が付いたのだし。

 今朝発見されたクリフハンガーの死体が、似たようなトリックで生成されたと理解していたのだ。

 そして今──ストライキが見せているように。

 右脚の爪先のパーツだけがすっぽ抜けて、鎧が完全に閉じられているとは言い難い現状において。

 鎧を脱いでいるとも言える現状において。

 果たして──“一を包む鎧(プロットアーマー)”の『原状回復』は正常に機能するのだろうか? 

 

「とはいえ、クリフハンガーさんが相手だったら、ここまで上手くいかなかったかもしれませんね──あの方なら、マフィ様弾幕のブラフと、声枯(こがらし)の妨害を浴びても、自分の足元に現れたマフィ様に気が付いたかもしれませんし」

 

「……ぐ、そ……んな──ッ!」

 

 呻くストライキは踏み切った勢いのまま、体を回している。

 そんな彼女目掛けてレスコーは技を打つ。

 “流星流”唯一の打撃技。

 背中まで大きく振りかぶられた刀。それを一気に振り下ろし、峰の部分で起こす、殺人的な破壊力。

 

「“流星流”──『心砕(こころくだき)』」

 

 ◆

 

 マクガフィンとレスコーは、その日の晩の内に一獣王国を後にしていた。

 鋭敏な五感を持つ獣人たちが張り巡らせた探知網を抜け出すのは、神経をすり減らすような難行だったが──“一を包む鎧(プロットアーマー)”の所有者との戦いと比べたら児戯も同然の難易度である。

 それに、クリフハンガーに続いてストライキが死んだとなれば、今朝以上の騒ぎが起き、正常な探知網の維持は困難になるだろう。

 ついでに言うと、今日が月の出ていない夜というのも、ふたりの逃避行に味方していた。

 

「今回はそんな風に執筆されたんですか」

 

 レスコーは横を歩くマクガフィンを見下ろした。

 そのファッションは今朝と比べるといくつかの差異がある。

 まず右手。

 ふたつだった指輪がみっつになっている。

 そして──軍服の上に重ねるようにして、外套を羽織っていた。

 元になったのが大柄な“一を包む鎧(プロットアーマー)”だったせいだろうか──かなりサイズのある外套である。

 今後、マクガフィンを示す時に用いる言葉を『軍服の少女』ではなく『外套の少女』にすべきか悩まされるほどに。

 

「あったかそうですね」

 

「そうだな。次の目的地は北だから丁度良い。いくら不死身でも寒いのは困る──そういえば」

 

 と。

 歩く速度を緩めずに、マクガフィンは言った。

 

「“最果てを視る弓(ピリオド)”の時はあの大きさ故に聞くまでもないと思っていたのだが、どうだ? “一を包む鎧(プロットアーマー)”を着てみようとは思わないか?」

 

 殺しすぎる剣術“流星流”に、名刀“全を薙ぐ刀(エピソード)”──そこに更に“一を包む鎧(プロットアーマー)”まで加われば、敵なしに違いない。

 しかし、マクガフィンの提案を受けたレスコーは──

 

「その提案はありがたいのですが……お断りします」

 

 と、答えた。

 

「殺しすぎる剣術に、自分の身を守る術は不要ですし──」

 

 それに。

 

「鎧なんか着て、マフィ様との間に隔たりが出来ちゃうのは、勿体無いじゃないですか」

 

 

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 

 

 

 

 

 

 着々と進むレスコーたちの旅! 

 

 

 

 次なる目的地はドワーフの国! 

 

 

 

 対する敵は……え、いない!? 

 

 

 

 それじゃあ九世兵器は……それも所在不明!? 

 

 

 

 見えない敵に、”流星流”はどう戦うか! 

 

 

 

 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 

 

 第六話『深奥を掴む軍勢(アンソロジー)』! 

 

 

 

 また読んでね!



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06.深奥を掴む軍勢(アンソロジー)

 

「なーんか拍子抜けしちまうよな」

 

 大陸最大の森林地帯にある『一獣王国』から見て北方にある、山岳地帯──雪山の一峰に、男は佇んでいた。

 年の頃は、三十から四十。黒の軍服を着ているものの、だらしない着崩し方をしており、一目見ただけでは軍人よりも、あてのない放浪者に見えなくもない。

 現在地は北国、それも山の斜面である。尋常ではない冷気を孕んだ風が空間をかき回し、空間を白く染め上げていた。

 しかし、そんな過酷な環境を、男は物ともしていない。

 吹雪に負けず劣らずの冷たい目で、気怠そうに辺りを見渡している。

 着こんでいるから寒さが平気──なのだろうか? 

 それはないだろう。

 見たところ、彼の装備は軍服だけだ。

 それに以外には何も着ていないし、何も持っていない。

()()()()()()()()()()()

 手ぶらの軽装である。

 登山に精通した者が見れば「山を舐めるな」と激怒しかねない格好だ。

 

「ドワーフっつう種族は、こんな上刀(ブレード)な雪山に棲んでいるんだから、さぞかし上刀(ブレード)な奴らなんだろうと思っていたが──期待はずれだったぜ」

 

 呆れたような口調でそう呟く彼の足元には──肉片が散らばっていた。

 いくつもの肉片──その総量からして、ひとりやふたりのものではない。

 少なくとも十五人分の命の残骸が転がっている。

 一緒に撒き散らされた血液で雪山の白が血の赤で上書きされていたが──ドワーフの血も人間と同じ赤色らしい──絶え間なく叩きつけている吹雪により、更に白で塗り替えられつつあった。このままあと数分もすれば、十五人分の残骸は完全に雪の下に埋もれるだろう。

 

「しっかし、どうしたもんかね」うっすらと積もっていた雪ごと肉片を足蹴にし、男は言う。「九世兵器の在処を尋ねてもこいつら全然答えないでやんの。どれだけ痛めつけても口を割らねーからうっかり殺しちまったが──もしかして在処を知らなかったって可能性もあるのかね? だとしたら上刀(ブレード)な冗談みたいに笑える話だが」

 

 ドワーフが暮らしているこの場所は、数歩先の景色が吹雪で塗りつぶされるような環境だ。

 せっかく“神々”から与えられた九世兵器が雪に隠れて行方知れずになったという事態も──なくはないだろう。

 

「もしもそうなら、九つ同時に扱えば世界を九度滅ぼせるとまで言われている九世兵器の扱いとしては、あまりにお粗末だな」

 

 その時、男の背後に気配があった。

 それを感じた瞬間、勢いよく振り返る。吹雪の垂れ幕の向こう側に、ドワーフの影がいくつか見た。

 両者の距離はおよそ五歩分。手ぶらの男では分の悪い状況だ──ったはずだが。

 

「残党か、もしくは増援か?」

 

 余裕のある声で男は言う。

 その手には。

 手ぶらだったはずの手には。

 一本の刀が握られていた。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 人間に渡された九世兵器、十二本ある刀剣が内の一本である。

 

「『衣合抜刀(いあいばっとう)』──手ぶらだからって油断して近づいたんなら、残念だったな」

 

 突如手に現れた“全を薙ぐ刀(エピソード)”に振り返った際の遠心力を乗せた薙ぎで、ドワーフたちを切り倒しつつ、男は言う。

 

「おれは『絶対人間騎士団』リィレロ・テーブル。授かった名は“剣呑”。どうしてこんな異名かっつーと──『衣合抜刀』」

 

 “剣呑”は刀を握っていない方の手も振った。

 するとその手にも二本目の刀が現れた。

 それは“全を薙ぐ刀(エピソード)”ではなく、帝国市場に流通しているごくごく一般的な刀剣だが──イキモノを殺すには十分な鋭さがある。

 二振り目の直後、一振り目の薙ぎから運よく逃れていたドワーフも、体から鮮血を撒き散らし、その場に崩れ落ちた。

 

「どんな物でもまるで体の中に呑み込むかのように服の内側に隠せる収納術『剣呑倉庫』の使い手だからさ」

 

『剣呑倉庫』。

 どんな物でもまるで体の中に呑み込むかのように服の内側に隠せる収納術。

 それはつまり──外見からでは武装の有無の判別が付かないということだし。

 取り出した剣を振るその時まで、正確な間合いを図れないということだ。

 手ぶらだと油断して近づいたら、そこは既に居合の射程距離だった──そんな状況を容易に作り出せるのである。

 たった二振りで新たな敵勢を倒してみせたリィレロだが、そこで気を抜くことは無い。

 彼は察知していた──雪景色の向こうに、まだ何人もドワーフがいることを。

 彼らがこちらを駆除すべき対象と見定めていることを。

 

「──上刀(ブレード)

 

 吹き荒ぶ雪風の寒気以上に、びりびりと肌に突き刺さる敵意を前に、リィレロは薄く笑う。

 まるでこれから始まる戦いを歓迎するかのように。

 むしろそういう展開こそ、己の本望だと言うかのように。

 異名を表すかの如き──剣呑な笑み。

 

「それに上刀(ブレード)な案も思いついたぜ。いっそのこと、ここでドワーフ族を全員ぶっ殺して、誰も邪魔する奴らがいなくなった後に、どこにあるかも分からない九世兵器を悠々と探すっつう名案をよ──だから、来いよ」

 

 “剣呑”は再度構えた。

 

「何人来ようが全員ぶっ殺してやる」

 

 ◆

 

 人間国家の精鋭、『絶対人間騎士団』は九世兵器の蒐集に動き出していた。

 それはしばらく前から団内で何度も議題に上がっていた計画的な活動だったが、しかし「なぜこのタイミングで始めたのか」となると、そこには突発的な理由がいくつか存在する。

 まずひとつ。

 巨人族に渡された九世兵器、“最果てを視る弓(ピリオド)”がフンショに盗難された──つまり、所有者が巨人族という種族全体から、たったひとりの個人に変わり、蒐集のハードルが格段に下がったから。

 騎士団はこの報せを好機と捉え、フンショが根城としている『火山の墓場』に“剣山”ウーガ・テーブルを送り込んだのである。よりによって“最果てを視る弓(ピリオド)”の所有者だったフンショが、騎士団の九世兵器集めの幕開けを担っていたのは、なんだか皮肉な話に思えるが──それはさておき。

 もうひとつの理由。

 それは『絶対人間騎士団』副団長“剣頭”ミルドット・テーブルが“流星流”レスコー・フォールコインに殺害され、人間の九世兵器“全を薙ぐ刀(エピソード)”を奪われたことだ。

 十二本もあるとはいえ、レガリアも同然な兵器が奪われたのである。そうなれば、以前から温めていた九世兵器蒐集を一刻でも早く推し進め、マイナスの埋め直しを図るのは当然の成り行きであった。

 ……そんな考えで動いた結果、騎士団は更にふたりの団員──ウーガ・テーブルとマリエッタ・テーブル──を喪い、二本の“全を薙ぐ刀(エピソード)”を失うことになるのだが。

 

「その上マフィが騎士団(おれたち)を裏切って“流星流”と行動を共にしていたなんて──こりゃあ、泣きっ面に蜂ですね」

 

 絶対人間帝国の中枢から少し逸れた場所にある中央居住区。

 そこを走る馬車の座席に、ふたりの人間が横並びになるように座していた。

 先の台詞はそのうちのひとり──腰に差している刀以外に特徴らしきものがない、『どこにでもいる普通の少年』が嘆くように言ったものだった。

 彼の手には一枚の便箋が握られている。騎士団のひとり、マリエッタ・テーブルから騎士団の各人に宛てられて送られてきたものの一通だ。そこには『マクガフィンと“流星流”が一緒に行動している所を発見した』『ふたりの装備や言動を見るに、騎士団を裏切ったと見て間違いない』という内容の文面が記されていた。

 

「続報が届いてない以上、マリエッタはこの後“流星流”と交戦し、死んだと見るべきでしょう──しかも、まさかあのウーガも死んでいたなんて……。こうなったらぼくが代わりに『火山の墓場』に行ってあげればよかった。『火山が爆発する』とかいうCHA-LA HEAD-CHA-LAみたいなことが起きた場所には少なからず興味がありましたし」

 

「……………………」

 

「マフィと“流星流”が所有している“全を薙ぐ刀(エピソード)”の数は四。マリエッタの目撃証言によると巨人の“最果てを視る弓(ピリオド)”までお得意の執筆で携行していることも明らかになりました。加えて、先日から耳に届いている一獣王国の騒動を聞く限り、“一を包む鎧(プロットアーマー)”までも蒐集しているらしい──こりゃ、ぼくたちも負けていられませんね。散っていった仲間たちの無念も背負って、どんどん蒐集していかないと」

 

「……それが分かっていて、どうしてこの場に現れた?」

 

 少年の隣の席に座っているのは軍服の女である。

「邪魔にならないように切った」と言わんばかりにざっくりと短く整えられた髪。右目は黒の眼帯で覆われているが、まるでその分の不足を補うかのように、残された左目が尋常ではない鋭さを有している。首から下が軍服に覆われているにも関わらず、その魁偉からは内側に秘められた肉体の練度が確かに感じられた。

 その腰には“全を薙ぐ刀(エピソード)”──それも左右それぞれに二本ずつ。

 計四本差さっている。

 人の手には余るはずの本数だが、女はそれが自身にとっての自然体であるように装備していた。

 

「ト、お前の任務はシャルルとシギのふたりと共に、小人と鳥人の戦争へ介入して両者の九世兵器を簒奪することであり、私のような国内各所の警備ではなかったはずだが」

 

「その前にひとつ訂正させてください──ぼくの名前はトじゃなくて、   トです」

 

「またいつもの狂言か。今はふざける時間ではないぞ」

 

「わーお……、そう真顔で言われると、いよいよこっちが間違ってるんじゃないかとさえ思えて来たや」

 

 折角した訂正が意味を為さないことを改めて知り、トは無力感で肩を落とす。

 

「……まあ、いいや。いや、良くない。名前がごっそり欠けた状態でしか伝わらないってのは、ぼくの肉体まで欠けたように感じられるし、 が伝わらないなら、さっきの『    ボール』ネタも意味以前に言葉の時点で伝わらないってことだから、ジャンプっ子であるぼくとしては全然良くないんだけど……、どうにもならないことでうじうじ言っても仕方ないし、ここはひとまず「まあ、いいや」で流すしかない──別に、サボりに来たわけではありませんよ、ブレスライザ団長」

 

 長々とした独り言を終えると、トは先ほど受けた問いにようやく答えた。

 

「同じ任務を帯びているシギとシャルルはとっくに帝国を出ていますが、ご安心を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。すぐにでもふたりに追いついてみせますよ──ただ、ちょっと用がありまして」

 

「私にか?」

 

「いえ、違いますよ。こうして団長に顔を合わせているのはただの偶然です。たまたま巡回中の馬車を見かけたので「せっかくだし、挨拶していくかー」と思っただけですよ」

 

「…………」

 

 相変わらず冗談みたいに訳の分からないことを言うやつだ、とブレスライザは思った。

 彼女にとってのトの評価は「得体の知れない奴」である。

 見たところ五〇歳どころか二〇歳さえ超えているようには見えないこの少年は、人間が暮らす唯一の土地である『絶対人間帝国』が建立した後で誕生したと見るべきなのだが、彼が国内のどこで誕生したのかは、明らかになっていない。

 ブレスライザが彼と初めて邂逅したのは一年前のことになる。

 当時彼女は既に『絶対人間騎士団』の団長であり、その日は反帝国主義者の集会を鎮圧すべく、たったひとりで会場に向かっていた。

 事前に聴いていた話によると、集会の人数は二百人を超えるらしい。どう考えても単独での鎮圧は不可能なのだが、それを可能にする実力があるのが、ブレスライザ・テーブルという戦士であった。

 今回の戦いも一瞬で片がつくだろう。

 そんな風に考えて、会場に着いた彼女を出迎えたのは、数多の反帝国主義者たち──ではなく、たったひとりの少年だった。

 軍服に似た色合いでありながら、軍服とは異なる様式の衣服に身を包んだ少年。

 彼の足元には、いくつもの人間が倒れていた。

 武器を持った反帝国主義者たちだ。

 彼らはブレスライザひとりで十分倒せると目されていた程度の戦力だが──それは逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな者たちが、たったひとりの少年に蹴散らされていた。

 

「何者だ?」

 

 警戒を込めた声でブレスライザは言った。

 

「   トです」

 

 対する少年は、緊張感のない声で答える。

 

「ぼくの名前はホス・   ト。いきなりで申し訳ないんですけれど──騎士団に入れてくれませんか?」

 

 以上、回想終了。

 もちろん、その後ブレスライザがふたつ返事で入団を許可するなどという生温い展開はなく、紆余曲折があった末に、トは“全を薙ぐ刀(エピソード)”を腰に差すことになったのだが──それから一年が経った今も、ブレスライザはトのことをあまり理解できていない。

 というか、騎士団の誰もが、彼を理解できていない。

 唯一、シャルル・テーブルがよく絡んでいる場面をよく見かけるが、それはシャルルが誰であろうと気兼ねなく声を掛けに行けるタイプの性格をしているからというのが大きな原因だろう。

 得体の知れない意味不明な団員──ト・テーブル。

 怪しい。とても怪しい。

 マリエッタからの手紙によって団内に裏切り者がいたと知った時、マクガフィンではなく、トのことだと思ったくらいである。

 そんな人物が今でも騎士団に所属することを許されているのは、ひとえに強いからだ。

 強すぎるからだ。

 もちろん、強さで言えば、ブレスライザは自分が一番だと思っているし、二番手に収まるのは“剣道”だろう。

 群を抜いた強さをしているのは自分たちだと──確信している。

 しかし一方でトの強さは──類を見ない。

 ナンバーワンではなくオンリーワン。

『絶対人間帝国』どころかこの世界の歴史にすら存在しない摩訶不思議な戦術を使うのである。

 いわば不死身のマクガフィンとはまた別種の──代替不能の団員だ。

 そんなものを手放すわけにはいくまい。

 それにトの言動は、その大半が意味不明なものだが、そこに帝国や騎士団への叛意は見られない。

 なんなら『九世兵器の蒐集』という荒唐無稽としか思えない計画を、国内の諸勢力の反発を押し切って実行に移す過程で、何度か尽力して貰った場面もあるくらいだ。

 得体が知れないが──いや、得体が知れないからこそ、騎士団への協力的な姿勢という確かな部分が目立って見えるのだろう。

 だからこそ彼は、今も騎士団に席を置いているのである。

 

「忘れ物を取りに戻って来ただけですよ」

 

 長々と行われたブレスライザの思考は、トの台詞で打ち切られた。

 それを聞いてようやく、彼女は少年が本を持っていることに気付く。

 トに対して散々訳が分からないと思っているブレスライザだが、そんな彼女でも、彼がいつも同じ本を携行し、飽きずに何度も読んでいることは知っていた。表紙だけ見ても意味不明な記号と、得体の知れない絵が描かれているだけで、どう読むかも分からない本をとても面白そうに読んでいる姿が奇異に見えたので、印象深い。

 しかし今、彼の手にあるのは──

 

「生物図鑑……? それも随分古いものだな」

 

「今は亡きミルドット副団長の本棚から拝借してきたものです。『大いなる戦争』と『大いなる災害』で滅んだ種族まで網羅している図鑑は、今やこれくらいしかないらしいですよ──あと他にも、歴史書をいくつか借りてきました」

 

「それらを回収しに、一旦戻ってきたというわけか。確かに忘れ物と言えば忘れ物だが……、わざわざその為にシャルルたちから一旦離れるほどか?」

 

「いやあ、どうしても気になることがあったもので」

 

 トは本を持っていない方の手で頬を掻いた。

 

「気もそぞろで()()に取り掛かったら、失敗するかもしれないでしょう? だから道すがら本を調べて、なるべく早く疑問を氷解しようと思ったんです。……それに、ひょっとしたら凄い発見ができるかもしれませんよ。世界を変えるほどの──いや」

 

 少年は言った。

 

「世界を終わらせるほどの発見が」

 

 ◆

 

 世界が終わった。

 そう思うほどに、視界が真っ白に塗りつぶされていた。

 ゴオオオオオオッ! と轟音が吹き荒ぶ。

 全身に叩きつけられる突風は常軌を逸して冷たく、当たった肌に罅が入って割れるのではないかと思わされるほどだった。

 

「さ、ささささっ、寒すぎるぞ! “一を包む鎧(プロットアーマー)”で作った外套ではどうにもならんではないか!」

 

 外套の少女──あるいは軍服の少女、マクガフィンは元から白かった顔を更に白くさせて叫んだ。

 場所は雪山。天候は猛吹雪だ。

 今週の目的地はこの雪山の頂上付近に居を構えるというドワーフの集落である。

 そこにあるという名前も知らない九世兵器を蒐集すべく、マクガフィンたちは過酷な登山に挑戦しているのだが──

 

「マフィ様、わたくし“最果てを視る弓(ピリオド)”の蒐集に向かう時に「今まで屋敷で暮らしていた自分に登山なんてできるのでしょうか」と思ったことがあるのですけれど……、これは想像以上に厳しいですわね……」

 

「言っておくが、これを登山の標準だと考えるなよフォールコイン。この雪山の環境が異常なだけだ──なんだこの猛吹雪は。この天候そのものが九世兵器だと言われても信じてしまいそうな吹雪ではないか」

 

 マクガフィンがそんな風に伏線じみたことを言うと、読者諸賢の中に勘違いする者がおられるかもしれないので、予め明言しておくが、今回登場する九世兵器は天候操作の機能を持っていない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 レスコーはいつもの白ドレス……ではなく、マクガフィンが事前に執筆で用意した防寒具を重ね着していた(「ああ! またマフィ様からプレゼントを貰えるなんて感激です! 肌身離しませんわ!」「防寒具だからな。肌身離さなくて当たり前だ」)。

 しかし雪山の寒波は、その防寒を古紙のように容易く貫通してみせた。

 

「これが登山……。お、恐ろしい敵ですね……」

 

「おいやめろ。いつどんな逆境に立たされても、即座に「だが殺す」の精神で乗り切ってきたおまえがそんな弱気なことを言ったら、まるで本当に打つ手がない絶望的な状況に陥ってるみたいだろ」

 

「……はっ! 名案を思い付きましたわ!」

 

「そう、その調子だ! いつものフォールコインに戻って来たじゃないか」

 

「今から服を脱いで、裸で抱き合いましょう! そうすれば、互いの体温で温まるはずです!」

 

「なに無茶なことを言ってるんだお前は!?」

 

「え、でも昔読んだ小説では、愛し合うふたりが雪山で遭難した際に、これで一晩を乗り越えたと書かれてて──」

 

 今日もレスコーの脳内にはお花畑が広がっていた。

 もっとも、このままではそのお花畑も極寒の雪景色に白く塗りつぶされてしまうのだが。

 寒さで普段以上に言動がおかしくなっている同行者に危機感を感じながら、マクガフィンは必死に頭を働かせる。

 上方に目を向けるが、ドワーフの住処は一向に見えない。というか数歩先から視界がホワイトアウトしている。これでは自分が山頂に向かって歩いているのかさえ定かではない。

 率直に言って、マクガフィンたちはいま、遭難していた。

 このままではふたりを待ち受けているのは凍死のみだ。

 まずい。

 それはまずい──と、普段から死ぬことに慣れており、完全な死を望んでいるはずのマクガフィンは考える。

 無論、たとえ凍死であろうが、マクガフィンの特異体質にかかれば一瞬で蘇生可能だ。

 しかし、ここは極寒の雪山──五体満足で蘇ったとしても、すぐさま冷気が体の自由を奪い、再度凍死に至ることだろう。

 あとはこれの無限ループ。

 何度も死んで何度も生き返っているだけの状態は、生きているとは言えない状態かもしれないが──死んでいるとも言えない。

 完全な死を望んでいるマクガフィンにとって、そんな結末は御免だ。

 なので彼女は考える。

 考えに考えて考える──どんっ。転んだ。マクガフィンとレスコーの位置関係はマクガフィンが前だったので、彼女が転べば、次はその真後ろを付いて来ていたレスコーが転ぶ番になる。

 普段の“流星流”ならお得意の肉喰(ししばみ)で素早く躱せたかもしれないトラブルだが、場所が場所だ。氷点下で筋肉が悴み、雪に足元を取られている状況では、繊細な歩法が要される肉喰(ししばみ)は使えない。

 結果、レスコーはあっけなく転んだ。マクガフィンに覆いかぶさるような格好で。

 ふたりの距離がゼロになる。マクガフィンのぼさぼさの髪の毛先が、鼻先にちくちくと触れる。

 瞬間、レスコーの顔が、かぁっと赤くなった。

 

「ひゃあっ!? ……す、すみませんマフィ様。で、でも、こうして密着すると体があったまるのは本当だったみたいですね。現にわたくし、まるでお風呂でのぼせたように体が──」

 

「それは殺意(こい)で昂ってるだけだ!」

 

「やっぱり一度、裸で抱き合うのを試してみるのはどうでしょう?」

 

 レスコーが防寒具を脱ぎかけたので慌てて止めながら(矛盾脱衣?)、マクガフィンが起き上がる。

 転んだ所為で余計な体力を使ってしまった。自分は何に躓いて転んでしまったのだろうか? ──そんなことを考えて目をやると、雪が不自然に盛り上がっている箇所があった。

 何かがあって、その上に雪が積もってできたかのような起伏だった。

 

「…………」

 

 試しに雪を払い除けてみる。

 死体が出てきた。

 雪の白とは真逆の黒い軍服に身を包んだ死体である。

 

「黒の軍服……、騎士団の方ですか?」

 

「ああ……、()()()()()

 

 歯切れの悪い答えを返すマクガフィン。

 彼女たちは協力して、雪の下から死体を引っ張り出す。死体のひとつやふたつで騒がなくなってきたふたりだった。

 しばらく検分した後、マクガフィンは口を開いた。

 

「こいつはおそらくリィレロだろう。“剣呑“のリィレロだ」

 

「こんな寒い雪山に軍服だけしか着ていないなんて、凍死でもされたのでしょうか?」

 

「その線は薄い──リィレロは『剣呑倉庫』という収納術の使い手だ。収納術とは言っているものの、その実態は奇術に近い。軍服の内側という非常に限られたスペースに大量の物を隠し、瞬時に取り出せるというものだ。たしかトがそれを見て、なんとかポケットみたいだとか訳の分からんことを言っていたな」

 

「ふぅん。服の内側に物を沢山隠せる収納術。つまり、どれだけ大荷物になっても外見的には身軽なまま行動できると言うわけですか──マフィ様の執筆とはまた別方向で、長旅に便利そうな技術ですねえ」

 

「『剣呑倉庫』を使えば、武器を隠して手ぶらのふりが出来るし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一見薄着に見えるこの格好も、こいつにとっては温室のような心地よさだったはずだ」

 

 だからこそリィレロは、極寒の雪山という環境に適任だと判断され、こうして送り込まれて来たのだろう。

 ついでに言うと、埒外の重ね着はそのまま鎧に転ずることが可能だ。“一を包む鎧(プロットアーマー)”ほどではないにせよ、かなりの防御力を誇ったに違いない。

 

「そんな人がどうして死んでいるんでしょうか……?」

 

「場所が場所だから、ドワーフの九世兵器を蒐集している最中だったのは確実だ。それに──」

 

 完全に雪から引っ張り出したことで露わになった右腕。

 そこには“全を薙ぐ刀(エピソード)”が握られていた。

 

「戦っている最中、それも剣を握ったまま死んでいる」

 

「? 『戦っている最中』と『剣を握ったまま』は自然と両立するのではないのですか?」

 

「通常はな。『剣呑倉庫』で衣服の内側に隠した刀剣を超速で抜き放つ『衣合抜刀(いあいばっとう)』を得意とするこいつの場合、むしろ戦闘中に剣を握っていることの方が珍しい」

 

「ええと、つまり……」

 

「リィレロは一度放った剣を(服の中)に納める暇もないほどの猛攻を受けて死んだということだ」

 

 なぜ、マクガフィンは雪の下から現れた死体を見て即座にリィレロと気付けず、歯切れの悪い台詞しか言わなかったのか。

 なぜ判別がついた後も、「おそらく」と曖昧な言葉を付け加えたのか。

 その理由はリィレロの顔にある。

 凄まじい損傷だった。

 凍傷とは別種の真っ赤な腫れが、全身くまなく刻まれ、鼻の骨が曲がっている。眼球は両方とも潰れ、歪な窪みが出来ていた。口内を見てみると、何本もの歯が根元から折れていた。

 明らかに集団暴行(リンチ)を受けた後だ。

 

「え、でもリィレロさんは『絶対人間騎士団』の団員なんでしょう?」

 

「そうだ。帝国の最高戦力として誇られる、一騎当千の精鋭のひとりだ」

 

 断じて噛ませ犬ではない。

 

「そんな方が大人数からの殴る蹴るで死ぬなんて──ありえるのでしょうか?」

 

「普通ならありえない」

 

 そう。

 ありえない。

 普通なら。

 しかし、それを『ありえる』に変えられる武力の存在を、マクガフィンたちは知っている──九世兵器。

 不可解に思えるリィレロの死には、それが関わっている可能性が高い。

 

「……いずれにせよ、行くしかないな。山頂に」

 

 リィレロが握っていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”を指輪に変え、彼を雪の下に埋め直すと、マクガフィンは改めて山の上方を見上げた。

 その先にある得体の知れないドワーフの領域を睨みつけるように──だが。

 決意を持って投じられた彼女の視線は、すぐ前にいた人影に止められた。

 それはドワーフだった。

 ドワーフの少女だった。

 レスコーとマクガフィンは、思わず身構える。

 しかし、少女はにこやかな──吹雪で太陽が隠された世界で、太陽の代わりをするかのような明るい笑顔で、こう言った。

 

「ようこそ、あたしの村へ!」

 

 ◆

 

 どうやらレスコーたちが歩いていたのは、もう殆どドワーフの集落の入り口付近だったらしい。

 ワバタと名乗ったドワーフの少女の案内に従って歩いていくと、家屋らしき影が見えてきた。

 まだ出会ったばかりの、それもこれから所有している九世兵器を奪おうとしている種族の子供についていくはどうかと思ったが、ワバタから敵意らしきものは感じられない。だったらひとまず、この土地に慣れている彼女に道案内して貰おう。

 どうせ現地人に見つかった時点で、隠れてこそこそと九世兵器を探すルートは潰されたようなものなのだから。

 

「いやー、お客さんが来るなんて珍しいなあ。それも遠い土地で暮らしている人間のお客さんなんて! 珍しいに珍しいが掛け合わさってめずめずらしくなっちゃう!」

 

「…………村人はどのくらいいるんだ?」マクガフィンが尋ねた。

 

「たくさんいるよ!」

 

「何人?」

 

「五十人くらい!」

 

 リィレロなら片手間で皆殺しにできる人数だな、と判断するマクガフィン。

 

「今日は特に吹雪いているから、みんな家に引きこもってるみたいだけど!」

 

「なぜおまえは外を出歩いていたんだ?」

 

「暇だから遊ぼうと思って! ──って、さっきから質問ばかりじゃない?」

 

「おっと、すまない」

 

 質問攻めしていたのは、聞きたいことが山ほどあったからというのは勿論だが、逆にこちらが質問されることを防ぐためだ。腹を探られれば痛いものしか出てこないマクガフィンたちにとって、そのような展開は避けたいものである。

 

「だったらこれで最後の質問にしよう──九世兵器を知っているか?」

 

 これはマクガフィンにとって、かなりの覚悟を要する問いかけだった。

 なにせ「自分たちはそれを狙ってここに来ました」と言ってるも同然の質問である。

 場合によっては、これだけで一発アウト。友好的だったワバタの態度が真逆に転じてもおかしくない。

 しかし、どうしてもマクガフィンは確認しておきたかったのだ。

 だってワバタの態度は九世兵器を所有している種族の一員としては、あまりにも──無警戒すぎる。

 外からやってきた、それも他種族の者を村に引き入れるなんて──普通ではない。

『絶対人間帝国』でそんなことをすれば、最悪の場合、外患誘致の罪で処刑だ。

 だというのにあまりにも警戒心のないワバタを不審に思い、マクガフィンは尋ねたのだが、その答えは、

 

「きゅうせ……何?」

 

 というものだった。

 

「あっ、もしかして流星兵器? 知らないなあ」

 

 レスコーが初めて聞いた時と同じ聞き間違いまでしている。

 嘘をついているようには見えない。

 この様子だと本当に知らなそうだ。

 しかし、それならそれで疑問が残る。

 ワバタの発言が確かなら、この村の人口は百人もいかない小規模なものだ。

 そんな狭い集落で九世兵器という他の何を置いても重要視すべき存在の情報が、子供にまで行き届いていないなんてこと──ありえるか? 

 

「いや、知らないなら、それでいい。色々と質問して悪かった」

 

「じゃあ次はこっちが聞いちゃお! ええと──」

 

 マクガフィンは、何を聞かれても当たり障りのない答えを返せるように、既に脳内で綿密なシミュレーションを終えている。

 この村を訪れた目的? どうしてレスコーが刀を持っているのか? その黒い軍服は? ──どんな質問でもどんとこいだ。

 

「マクガフィンちゃんとレスコーさんは──ふたりは、どんな関係なの?」

 

「…………」

 

 それは考えていなかった。

 改めて考えてみれば、聞かれて当然、想定して当然の質問であるはずなのだが──なぜかマクガフィンは考えていなかった。

 自分とフォールコインの関係? 

 そんなものがあるとして、それには──どんな名前がつくのだろう? 

 即答できず、沈黙を返してしまうマクガフィン。

 ただし『ふたり』の内のもう片方──レスコーは違った。

 

「恋愛関係ですわ!」

 

 いつだって即答が似合う女だ。

 その答えが合っているかは別として。

 

「あと将来を誓った仲でもありますの!」

 

 いつか必ず殺すという誓いだがな、とレスコーの発言に心の中で補足するマクガフィン。

 

「へえ、つまりあたしのおとうさんとおかあさんみたいなものかあ」

 

 まだ子供のワバタにはそもそも『恋愛』という言葉自体ぴんと来なかったのか、微妙な反応を返す。

 そこで、ワバタは足を止めた。家に到着したからだ。岩と木材を組み合わせて作られた、簡素な家だった。立方体に近い形をしている。

 屋内にはワバタの両親と思しきふたりの大人のドワーフがいた。

 マクガフィンが「旅の生物学者であり、雪山の生態系の調査に訪れていたのだが、遭難した」という大嘘をついたところ、ふたりは疑うことなく倉庫代わりの空き部屋を貸してくれた。

 娘と同様に、人を疑う邪念を感じられない。ドワーフに共通する性質なのだろうか? 

 

「山道で疲れたでしょ? なんかあったかいもの持ってくるね!」

 

 ワバタはそう言い残し、部屋を離れていった。

 

「さて、と」

 

 ようやくふたりだけになったことを確認すると、マクガフィンは切り出した。

 

「話を整理しよう。かつて、この集落に九世兵器が渡されたというのは、確かな情報だ。でなければ、リィレロがあそこまでやって来ていた理由に説明がつかん。しかし現地の子どもでも所有者どころか九世兵器の存在すら知らないとなると──かなり昔に失くしたのか?」

 

 それに、他にも気になることはある。

 集落の入り口付近で見付けたリィレロだ。

 五十人程度ではああなるはずがないリンチ死体はどうやって作られたのだろうか? 

 仮に。

 なんらかの理由でリィレロのコンディションが最悪で、村人が全員で襲い、奇跡的な確率で勝ったとして──集落総出でおこなわれたであろう壮絶なリンチを、ワバタが知らないはずがない。

 もし知っていたのなら、外部からの来訪者であるマクガフィンたちに対して、彼女はもっと警戒心を見せたはずだ。

 

「……いずれにせよ、情報が足りんな。他の住民にも尋ねてみるか」

 

「その必要はないと思いますよ」

 

 レスコーは平坦な声で言った。

 

「必要ないって……、フォールコインおまえなあ。いくらオレ以外の人間に興味がないからって、そこまで言うか? 現状、他の住民から情報を得ないと、オレたちは先に進めないんだぞ?」

 

「だって、この集落の住民はワバタさんしかいらっしゃいませんもの」

 

「……なんだって?」

 

「あ、正確に言えば『生きたドワーフはワバタさんしかいない』でしょうか」

 

「? 何を言っている? おまえだってさっき見ただろう、ワバタの両親を」

 

「説明するのが難しいんですけれど──彼らは生きている感じ? ()()()()()? がしないんですよねえ」

 

「殺せる感じ?」

 

 殺しすぎる剣術“流星流”の使い手だからこそ、他者の命の有無に敏感だと言うのか? 

 それは──不死身ゆえに自分の生き死にすら曖昧なマクガフィンには、欠片も存在しない感覚だ。

 

「まるで等身大の人形みたいと言いますか……、他の住民が住んでいるという家からも、殺せる感じはしませんでした」

 

「……突拍子もない話だな。今のところ、根拠が貴様の感覚だけだし」

 

「それじゃあ、試してみます?」

 

「試す?」

 

 何を? ──と。

 そう言いかけたタイミングで、部屋の扉が開かれた。

 

「おまたせっ! あったかいお茶を淹れてきたよ!」

 

「“流星流”──」

 

 入室してきたワバタ目掛けて、“全を薙ぐ刀(エピソード)”が閃いた。

 触れれば絶死の殺人剣。しかし、それがドワーフの少女の命を絶つことはなかった。間に割り込むようにして滑り込んできた、彼女の両親に阻まれたからだ。

 二人分の血が飛び散る。致命傷を負ったワバタの両親は断末魔を上げる暇もなく動かなくなった。

 一部始終を見ていたマクガフィンとワバタは唖然とする。

 

「なっ……にをしているフォールコイン……? ついにオレ以外にも、むやみやたらと殺人衝動を向けるようになったのか?」

 

「わたくしの殺意はマフィ様専用ですよ──ただ試しただけです。この集落唯一の生きた住民であろうワバタさんに剣を向けたら、お二方がどうするのかを。案の定、予想通りの反応が見られましたね」

 

「娘が襲われたら庇おうとするのは当たり前だろうがッ!」

 

「そうなのですか? ──では、これはどうでしょう」

 

 呆然としてその場から動けなくなっているワバタ目掛けて、レスコーは二度目の剣を振る。

 彼女の両親が斃れた今、肉壁になってくれる者はいない──はずだった。

 しかし。

 どこからともなく現れた人影が剣の前に滑り込み、先ほどの繰り返しのようにワバタを守った。

 

「なに……?」

 

 マクガフィンは驚愕の声を上げた。

 割り込んできた影がドワーフ──それも、ワバタの両親と瓜二つの外見をしていたからだ。

 そして驚きはそこで止まらない。

 開かれたままの扉の向こう。

 そこには。

 何人、何十人もの、ワバタの両親そっくりなドワーフが犇めいていた。

 異様な光景にマクガフィンは息を呑んだが、そんな暇はない。

 ぎゅうぎゅうになっているドワーフたちは、やがて隣の部屋には収まりきらなくなり。

 壁を突き破って、レスコーとマクガフィンに迫り寄る。

 “流星流”は軍服の少女を抱きかかえ、回避しようとする。だが、相手はひとつの部屋に収まりきらないほどの大人数。室内に逃げ道などあるはずがない。

 故にレスコーは、ドワーフたちとは真逆に位置する壁を切り飛ばし、外へと退避した。

 四方八方を取り囲んでいた壁がなくなり、ふたりは再び極寒の風に襲われる──のかと思われたが、違った。

 外に出た後も、彼女たちは壁に囲まれていた。

 ドワーフたちが作る肉の壁に。

 その数──一〇や二〇では済まない。

 五〇なんて、優に超えている。

 数えきれない程の──軍勢。

 いったいどこに隠れていた? 

『剣呑倉庫』でも、これだけの大人数は仕舞えまい。

 マクガフィンは先ほど、自身の身分を生物学者だと偽ったが、それはあながち嘘ではない。自身の不死性を研究する過程で、生物学の分野では“剣頭”に負けず劣らずの知識を蓄えてきたからだ。そんな彼女の知見に照らし合わせると──こんな雪山にドワーフがこれだけ存在しているというのはありえない。もしもこれだけの大人数がコミュニティを形成して暮らそうとすれば、食糧不足であっという間に全滅だ。

 生態的に考えて、普通ならありえない光景なのである。

 

「それに──こいつら、数が増えていってないか?」

 

 マクガフィンは一瞬、自分の目を疑ったが、それが現実だと知り愕然とする。

 ただでさえ多いドワーフたちの集団は、時間が経てば経つほど、どこからともなく新参が登場し、その数を増していった。

 まさに理外。

 幻想としか思えない。

 しかしそれを現実に可能とする兵器が存在する。

 それは──

 

「九世兵器」マクガフィンは言った。「まさか、こいつらは全員──九世兵器で造られた人形なのか」

 

「やっぱり予想通りでしたわね」

 

 レスコーは小さく呟いた。

 

「『この村はワバタさん以外、生きていない人形なのかもしれない』という推測は先ほど申しましたよね。それを踏まえて、リィレロさんの死の謎を考えてみたところ──思いついたんです。住民のふりをしている生きていない人形を生み出せるような何かがあるのなら、それでリィレロさんでも圧倒されるような量の兵隊を生み出せるんじゃないかなあ、と」

 

「しかしリィレロは一騎当千の──」

 

「それでは相手が一万人だったら? 一〇万人だったら? ──無限だったら?」

 

「…………」

 

 つまりリィレロの敗因は──単純かつ圧倒的な兵力差だった。

 ドワーフの九世兵器は元々、何もない所からまるで生きているかのような人形を生み出すという無茶を可能にしているのだ──九つ同時に振るえば、世界を九度滅ぼせると言われるほどの代物。

 ならば。

()()()()()国に匹敵する程度の兵力は生み出せると見るべきである。

 

「とはいえ、結局はわたくしの感覚を根拠にした推測でしたので、ああしてワバタさんに斬りかかる必要がありました。この集落で唯一の生きたドワーフである彼女に何かあれば、きっと人形たちの方から何らかのリアクションが起きて、それが証拠になると思いましたので」

 

「…………もし貴様の推測が外れていて、実はここが普通の、何の変哲もないドワーフの集落だったらどうなっていたんだ?」

 

「ワタバさんが人形たちに守ってもらえず、死んでいただけですよ」平然と言うレスコー。「ところで、この九世兵器は何というのでしょう?」

 

「“深奥(アン)」「を掴む()」「軍勢(ロジー)”」

 

 周囲を取り囲むドワーフの人形たちが、ひとつの言葉を複数で繋ぐような喋り方で言った。

 

「それが我」「々の名」「前だ」

 

 ◆

 

 一〇年ほど前。

 ドワーフ族は絶滅の危機に瀕していた。

 元々、彼らは寒帯での生活に向いていない。たしかにドワーフは山を住処とするが、それは緑や鉱物が豊かな山であり、断じて、年中雪が降り積もる厳寒の死地ではない。生態の時点で、環境と致命的な不和を起こしているのだ。

 では何故、そこで暮らしているのかというと、答えは単純。

 そこ以外に場所がないからである。

『大いなる戦争』と『大いなる災害』は世界に途轍もない傷跡を残し、地図を小さくした。

 残された大地に、人間や獣人たちが国を構える中、ドワーフに残されていたのは北の山脈だけだったのである。

 それでもなんとか、雪山での生活を続けていった結果、ついに無理が生じた。

 このままではドワーフ族の未来には滅びしかない。

 だから彼らは考えた。

 この場所で生きていけないのなら──他の場所から奪えばいい。

 それを可能とする戦力を、彼らは有している。

 九世兵器──“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”。

 その特性は『軍勢作成』。

 ドワーフ族を模した人形の軍勢を、無尽蔵に生み出せるという代物だ。

 理論上は世界中をドワーフ族で埋め尽くすことが可能であるそれは、一度使えば、敵どころか世界さえ壊してしまいかねない兵器だが──種族の存亡がかかっている今、躊躇う必要はない。

 ドワーフ族の大部分は、そう考えた。

 大部分、は。

 それは──つまり。

 一方で、その方針に異を唱える勢力も、僅かながらに存在したのである。

 いくら種族の存亡がかかっているからとは言え、種族間の争いに繋がるような真似をするべきではない。また『大いなる戦争』を繰り返すつもりか──と。

 声高に、反対したのだ。

 結果、異なる意見を持つ両者は対立することになる。

 それは小さな諍いに過ぎなかったが、絶滅寸前のドワーフ族では、どんな小さな諍いであってもコミュニティの崩壊に繋がる危険性を秘めていた。

 事実。

 この対立をきっかけに、ドワーフ族内では内紛とも言える戦いが発生した。

 血で雪を汚し、血で血を洗うような、おぞましい戦いだった。

 結果的に、種族内の殆ど全員が死亡。僅かに生き残った、『他種族侵攻派』が命辛々“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”を起動させるに至ったが──深手を負っていた彼らは、九世兵器をまともに運用できないまま死んだ。

 こうして、村に残ったのは、所有者を失った九世兵器と。

 産まれたばかりの、ひとりの赤ん坊だけだった。

 “深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”はドワーフ族に与えられた九世兵器である。

 なので、『それ』は──起動したものの、ろくに運用されることがなかったそれは。

 たったひとり残された生き残り(所有者)の保護を、目的に設定した。

 

 ◆

 

「自律稼働し、唯一のドワーフ族の危険に反応する軍勢、か──だとしたら奇妙だな。もしこいつらの目的がワタバの保護なのなら、オレたちという部外者が村に入ってきた時点で、今みたいな状況になっていてもおかしくなかっただろうに」

 

「そのワタバさん自らが招き入れた客だったからではありませんか? 斬りかかった時点で、その特別待遇もなかったことにされたみたいですけれど」

 

「ふぅん……。どれだけドワーフに近く、喋る知能を有していたとしても──所詮は兵器。

 持ち主には逆らえない、ということか」

 

 喋っている間も“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”は数を増す。

 ぐんぐんと、ずんずんと、増え続ける。

 鼠算式に──増殖する。

 

「お前たちの目」「的がなん」「であろうと」「ここで排除する」

 

「──なるほど」

 

 絶望的な状況で、レスコーは不敵に呟く。

 

「無限に思える増殖を繰り返し、元から生きてもいない人形で、わたくしとしては活動がしにくい雪山をホームにしているあなたたちを殺すのは、たしかに難しいでしょう──だけど、殺します」

 

 そう啖呵を切った後で「あ」と気付いた。

 

「“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”さんたちはわたくしたちの蒐集目標である九世兵器そのものなんですし、殺すわけにはいきませんよね──どうしましょう?」

 

「こんなに多くなっても、元を辿れば、()()()()()()()()()()()()()()()()──言わば、“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”の本体が何処かにあるはずだ。それを探せばいい。それ以外は全員殺して構わん」

 

「数えきれないほどある人形の猛攻を受けながら?」

 

「そうだ」

 

「リィレロさんですら体力切れで負けた軍勢を相手にしつつ?」

 

「そうだ──無理か?」

 

「いいえ。やってみせますとも」

 

 頼りがいのある台詞を吐くと、レスコーは“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”の群れに突き付けるように、刀を構えた。

 それはいつも通りの──美しい、中段の構えだった。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわ」

 

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「九世兵器。“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”──推して参る」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 人形の大群が、雪崩のようにレスコーを襲った。

 三百六十度どの方角を見ても逃げ場のない、圧倒的な物量である。

 まるで世界そのものが“流星流”目掛けて縮小しているかのような、圧迫感のある光景だった。

 

「こういう対集団戦には、本来牙剥(きばむき)が適切なのですが、人数が人数ですからねえ……。なので今回は──四週間ぶりの、この技でいきますわ」

 

 その技のミソは、たとえ体力が尽きても、気力が果てても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()剣を振り続けられるところにある。

 たとえ敵が無限にも思える数の軍勢であろうと、無限の殺意を原動力して殺し続けるそれに、リィレロのようなエネルギー切れによる敗北は起こりえない。

 その技の名は──

 

「“流星流”──骨抜(ほねぬき)

 

 ◆

 

 登りは言うまでもないが、下るのも下るのでしんどいな、とマクガフィンは思った。

 

「というより、単なる疲労か──いくらオレが不死身でも、五日五晩も戦闘に付き合えば、疲れるに決まってる」

 

 びゅうと吹く雪風に煽られて、マクガフィンの胸元で何かが揺れる。

 それは銀のネックレスだ。

 ドワーフの大群を切り刻んだ末にようやく見つけた“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”の本体を執筆で書き換えたものである。

 本音を言えば、更に重ね着できる防寒具に変えたかったのだが、こんな寒さでは衣服がたかが一枚増えたところで大した防寒は期待できない。

 それに“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”を集めた以上、もうこの雪山に用は無い。

 再び訪れることもあるまい。

 ならば、下山した後ではただの邪魔にしかならない防寒具に変えるよりも、ネックレスのような小物に執筆した方がいいと、マクガフィンは考えたのだ。

 

「あらあら、お疲れですかマフィ様? よければおんぶしましょうか?」

 

「結構だ──というより、貴様は既に背負っているものがあるだろ」

 

 言って、マクガフィンは目深に被った軍帽の奥から、視線を投げかける。

 その先には、レスコーに背負われているドワーフの少女──ワバタが寝ていた。

 というより、気絶していた。

 無理もない──両親の姿を模した人形が目の前で殺された挙句、同胞のドワーフ族そっくりの“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”が万単位で切り刻まれる光景を目の当たりにしたのだから。

 精神に負ったショックを考えれば、このまま目を覚まさなくてもおかしくあるまい。

 

「集落が血肉でぐちゃぐちゃになって、住めなくなってしまったから、山の麓まで連れて行くんでしたっけ? マフィ様はお優しいんですね、うふふっ」

 

「別に、情が湧いたわけではない。世界を巻き込む自殺を企むオレに、そんなものがあると思うか? ──ただ、こいつの案内がなければ、オレたちは村に這入ることができなかったから、その返礼をしているにすぎんよ。それに──」

 

 “深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”との戦い、その最後、レスコーたちの手が本体まで届きかけたタイミングで、人形の残党が言っていた台詞を思い出す。

 ──せめて。

 ──せめて、あの子は生かしてくれ。

 ──殺さないでやってくれ。

 

「……………………」

 

 あの言葉には、ただの人形が発したとは思えない感情があった。

 感情がないレスコーと行動を共にしているから、より強く、そう感じられたのかもしれない。

 

「だいたい、ドワーフ族唯一の生き残りが、このままひとりで生き続けられるとは思えんが──そういう現実的な後先を考えずに、これまで十年間守り続けてきた子供の生存を願うというのもまた、感情的であるが故のことか」

 

「それにしても、“神々”が作ったとはいえ、生きて考える兵器だなんて、九世兵器は凄いですねえ──あんなもの、きっと他にはないんじゃないですか」

 

「だろうな」

 

 そんなことを言い合うレスコーとマクガフィンだが。

 これから六週間後。

 彼女たちは“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”以外の、生きた九世兵器を互いに目にすることになる。

 その遭遇は、レスコーたちの()()()()()の幕開けも意味する出来事になるのだが。

 ふたりはまだ──そんな未来を知らない。

 

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 とんとん拍子で進むレスコーたちの旅! 

 次なる目的地は吸血鬼の国! 

 そこでは既に、『絶対人間騎士団』の“剣聖”と吸血鬼・クラックベイによる、国を揺るがす規模の戦いがおきていて……!? 

 さらにマクガフィンに恋するライバルまで登場!? 

 恋も殺し合いも負けてられない! ”流星流”はどう戦うか! 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 第七話『天を侵す星(トリックスター)』!  

 

 また読んでね! 

 



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07.天を侵す星(トリックスター)-日没

 昼の中頃。

『絶対人間帝国』から大陸沿岸へと向かう陸路の途中にて。

 三人の男女が木陰で小休止をしていた。

 

「ねえ、ト」

 

 男とも女とも判別しがたい、中性的な顔をした軍服の人間が、覗き込むような姿勢で言う。

 愛らしくくるりとした眼球で見つめる先で、ひとりの少年が地べたに座っていた。

 この世界に類型が見られない奇妙な様式の服と、隣に寝かせている刀以外には外見的に目立つ特徴が見られない『どこにでもいる普通の少年』である。

 呼ばれた少年は、それまで読んでいた本から顔を上げた。

 

「ぼくの名前はトじゃない、   トだ──どうしたシャルル。なにか用か」

 

「いや、別に大した用ってわけでもないよ。読む本が元に戻ってるな~って思っただけ」

 

 少年の手にあるのはシャルルから見て奇妙な本だった。

 表紙に並ぶ解読不能な記号に、独特の画風で書かれている絵。

 人間のあらゆる文化が集う『絶対人間帝国』の隅々まで探しても、同じものがふたつと見つからなさそうな、奇妙な本である。

 しかしシャルルにとって、それは見慣れた本だった。

 なぜなら、トが日ごろからずっと愛読している本だからである。

 どれくらい『ずっと』かというと、騎士団に入団した頃からだ。同じ本を飽きもせずに繰り返し読み続ける彼の姿を見て、シャルルは「よっぽど好きなんだなあ」「もしくは読めもしない本を読んでるふりをして、変人アピールに必死なのかな」と思ったものだ。

 ともあれ、シャルルを含め、騎士団において、『変な本』とトは切っても切れない関係として認識されていた。

 しかし──トが読む本は、数日前から別のものに変わっていた。

 それは生物学の図鑑だったり、五〇年前の戦争について記した歴史書だったりと、学生や研究者が読みそうな本である。なんでも、わざわざ一旦帝国に戻ることになってでも、ミルドットの本棚から苦労して探してみせた学術書らしい。

 シャルルだったらページを開いて三分で眠くなりそうなそれらを、トはここに来るまでの道中で、暇を見ては読み漁っていたのだ。

 その変化には驚かされたし、てっきりトの振りをした偽者かと思ったが──まあ、読書の嗜好なんて人それぞれだ。

 ましてやトは普段から得体の知れない本を愛好しているのである。むしろ、まだどんな本か分かりさえする学術書を熟読している方が、受け入れやすいというものだ。

 そんな風に思っていたシャルルだったが──しかし。

 しかし、トが読む本は、今日になって元に戻っていた。

 意味不明な本から難し気な学術書へ──そしてまた、意味不明な本へ。

 難しさで言えば大差ないように思われるし、読んでる本が変わったくらいで一々そんなに気にすることかよ、と言われればそこまでかもしれない。

 だからシャルルは、ただ単にちょっとした雑談をする程度の感覚で、トに尋ねたのであった。

 対する少年の答えは、

 

「だって、もう読む必要がないからね。知りたいことは大体わかった。というより、()()調()()()()()()()()()()()()()は分かったというべきかな」

 

「ふうん、そうなんだ。何が知りたかったの?」

 

「きみがぼくをトと呼ぶ限り、理解できないことだよ」

 

「なにおう」

 

 まるでこちらの理解度に非があるかのような言い草に、シャルルは少しムッとした。

 

「そんなことばかり言ってたら、任務中に危なくなった時、助けてやんないからね!」

 

「いーよ。ぼく強いし。たかが()()()()()()中に危ない目に遭うことなんて有り得ないって」

 

「ムキーッ! あー言えばこー言うなあ! 生意気なんだからっ!」

 

 形のいい顔が赤くなり、怒りの形相を作った。中性的なその顔では、そんな風に表情を変化させたところで、まだ美しさの方が印象強く見えるのだから、美人というのはつくづく不思議である。

 

「シギもそう思わない!? いっそのこと任務中にふたりでトを裏切って、困らせてやろうぜ!」

 

「おい、そういう話はせめて本人(ぼく)が居ないところでしろ」

 

 ツッコミを入れるト。

 ふたりは同じ方向に目を向ける。

 そこには腰ほどの大きさのある岩があり、ひとりの女が座っていた。

 服装はシャルルと同じ黒の軍服。

 そして。

 長い──とても長い髪をした女だ。

 頭の後ろで一本の三つ編みにまとめられており、先端部分は足元に横たわっている。まるで地面を這う蛇みたいだ。これほどまでに髪が長いと、きっと岩から腰を上げたとしても、毛先が踝のあたりまで届いてしまうだろう。

 女は自分の”全を薙ぐ刀(エピソード)”を鞘から抜いて、何やら手入れのようなことをしていたが、顔を上げる。

 両目にかけた瓶底のように分厚い眼鏡──その奥にある眠たげな半目が、ふたりに向けられた。

 それに続いて──

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 無言。

 それだけだった。

 視線に視線を返しただけであり、言葉が伴っていない。

 耳が聞こえていないわけでは──あるまい。シャルルの呼びかけに反応したのだから。

 声が小さすぎるわけでは──あるまい。口も喉も一切動いていないのだから。

 無言、無言、無言──ただひたすらに、無言。

 

「…………」

 

 もはや圧さえ感じられるほどに重々しいシギの無言に、トも思わず口を閉じてしまう。

 シギ・テーブル。

『絶対人間騎士団』の団員にして──”人剣流(にんげんりゅう)”九十九代目当主。

 ”人剣流”とは『絶対人間帝国』が建立する以前どころか、『大いなる戦争』と『大いなる災害』よりも遥か昔に起源を持つ剣術である。

『人間が使う、人間の為の剣術』という思想を根底に持つこの剣は、その狙い通り、今現在では多くの人間に広まっていた。

『絶対人間帝国』において”人剣流”の名を知らない者はいないし、国が設立した教育機関のカリキュラムにさえ、この流派の基礎的な訓練が取り入れられているほどである。

 これほどまでに名の知れた剣術なんて、他には”流星流”くらいだ──もっとも。多くの人間から恐れられている殺人剣を、国民の殆どから慣れ親しまれている剣術と同列に語ったら、の話だが。

 そんな”人剣流”の──九十九代目。

 それがシギ・テーブルという人間だ。

 つまり彼女は人間という種族において剣術を語る場合の代名詞的な存在なのである。

 彼女が剣の道を歩むのではなく、彼女が歩いた道こそが剣の道となるのだ。

 故に付けられた名は──”剣道”。

()()()()()()()()()()()、『絶対人間騎士団』において最強の騎士である。

 

(だから──『異名に相応しい人物であれるよう、常日頃から口ではなく剣で語るようにしている』んだっけ?)

 

 仲間のプロフィールをトは思い出す。

 

(与えられた立場に恥じない姿を目指す姿勢には感服するけど……、それで出てくるのがこの異常なまでの無言ってのはなあ……)

 

 どうコミュニケーションを取ればいいんだよ、と。

 呆れたトだったが──そんな彼の横にいるシャルルは、

 

「やっぱりシギもそう思うよね!」

 

 と、溌剌とした声で言った。

 

「……………………………………………………………………………………」

 

「「でも裏切ろうとするのはよくない」? ……いや、アレは言葉の綾って言うか……ついカッとなって言っちゃったっていうか……もちろん、本気で言ったわけじゃないよ?」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

「ほんとほんと! だから安心して! これからの任務──『小鳥戦争』への介入にあたって、トが欠かせない戦力になるのは自分もよぉーく理解してるから!」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

「あはははっ! もちろん! シギにも期待してるよっ!」

 

「シャルル」

 

 トは我慢できずに尋ねた。

 

「おまえ、シギが何言ってるのか分かるの?」

 

「ん? そうだけど?」

 

「なんで」

 

「だって、ほら、仲間だし」

 

「理由になってねーっ!」

 

 目と目で通じ合う無言のコミュニケーションというやつか? 

 ”剣道”の目を見てみるが、そこにあるのは眠そうな半目だけだ。感情なんて欠片も拾えない。

 だというのにシャルルは、まるでシギが多弁に語っているかのように、彼女の意図を汲み取っているのである。

 

「…………。コミュニケーション能力ってすげえ」

 

 名前すらまともに認識されていない自分と、四六時中無言という会話以前の問題なシギが、誰とでもコミュニケーションを取れるシャルルと組まされたことに、単純な戦力以外の理由を見出した気がしたトだった。

 そんなこんなで。

『絶対人間帝国』の精鋭3人という破格の戦力は。

 大陸沿岸部へと脚を進めていく。

 その先に待ち構えているのが、地上に残る9つの種族が内のふたつ──小人と鳥人であり。

 それはつまりふたつの九世兵器もそこにあるということを意味している以上、その場にレスコーとマクガフィンが来訪することは、半ば確定事項だ。

 その時に起きる”流星流”とトの出会いが、ひとつの大きな謎を解き明かすきっかけになるのだが──

 それはもうしばらく先の話である。

 

 ◆

 

 不明国家という国がある。

 どういう国か分からないから、そのような名前をしているわけでは──ない。

 読んで字のまま。

 明るくない国だからだ。

 一年中。

 春も。

 夏も。

 秋も。

 冬も。

 朝も。

 昼も。

 夜も。

 その国が日の光に照らされることは無い。

 いつだって夜の帳が下りている、常夜の国。

 故に──不明国家。

 普通の国なら大問題である。日光が届かない土地で栄える命はないのだから。

 しかし、この世界にはひとつだけ、日光がなくても生きていける──どころか、むしろ、日光を嫌悪さえしている種族がある。

 その名は──吸血鬼(ヴァンパイア)

 

「シギたちはそろそろ目的地に着いた頃かな。いくら乗り込む先がふたつの種族間の戦争という、ここ五〇年では未曾有の戦地とは言え、騎士団の精鋭が三人も乗り込むんだ。きっと、いや、確実に任務を達成するだろう──わたしはそう信じてる」

 

 不明国家の門前。

 そこに黒装束の人間が立っていた。

 黒い。

 とにかく黒が目立つ。

 服装は上下ともに『絶対人間騎士団』の黒の軍服。更にその上に、帝国で最大の派閥を誇る宗教の、黒い神父服を羽織っていた。

 黒に黒を塗り重ねるような格好だ。

 顔そのものには爽やかな微笑を浮かべているが、細められた両目の奥には闇のような黒が広がるばかりである。

 まるで不吉や不幸と言った概念が人の形を得たかのような風体──しかも腰に目をやれば刀まで差しているのだから、その印象はますます濃くなる一方だった。

 男の名はサンヘルム・テーブル。

『絶対人間騎士団』所属の“剣聖”だ。

 

「さて、わたしと共に各地に散った隔地の同胞に思いを馳せるのもここまでにして、わたしはわたしの任務を全うするとしようか」

 

「舐められたものだ」

 

 そして──男の向かいにもまた、黒があった。

 影を切り取って素材にしたのかと思わされるほどに真っ黒な礼服に身を包んだ紳士だ。

 こちらは人間ではない。

 不明国家の住民──吸血鬼。

 嘲るように笑みを作る口元から覗く鋭い歯が、彼がその種族であることを証明している。

 黒と黒──人間と吸血鬼──神父と紳士。

 その対峙に、和やかな雰囲気は見られない。

 

「まさかたかが人間が、軍隊を引き連れるのではなく、単身で乗り込んでくるとはな……。吸血鬼の強さを知らぬわけではあるまい。『巨人五六人殺しのダンデール』や『緑の夜のラプトレ』の伝説くらい、君でも寝物語で聞いたことがあるだろう?」

 

「勿論あるとも。滅ぼすべき怨敵の悪評としてね」

 

 にこやかに弧を描く神父の両目。

 その両目に映る黒は闇のようだと思われたが──違った。

 それは闇ではなく──炎だ。

 憎悪と嫌悪と厭悪で燃え盛る、黒い感情の昂り。

 それが宿る両目で持って、神父は吸血鬼を見ていた。

 

「軍隊を引き連れる? とんでもない。吸血鬼などという畜生にも劣る種族を滅ぼす程度、わたしひとりで十分だ──わたしはそう信じてる」

 

 それに。

 

「このわたしがにっくき吸血鬼を相手にして、我を忘れずに仲間に配慮した戦いができる自信はないからね。わたし自身の手で尊い人命を危険に晒すことになるのは不本意だ──かつて、殺しすぎる剣術として味方からも恐れられた“流星流”の二の舞にはなりたくない」

 

「随分と嫌われたものだな。吸血鬼(俺様たち)がおまえに何かしたかね?」

 

「いいや、なにも?」

 

 答えながら、神父は刀を──人間に与えられた十二本の“全を薙ぐ刀(エピソード)”が一本を、鞘から抜いた。

 不明国家においても、その刀身が放つ妖しい光は健在である。

 

「わたしは生まれつき吸血鬼が、というか人間以外の種族が嫌いなんだよ。人間が好きすぎるから反動で他の種族が、と言い換えることもできるかな? ……まあ、とにかく、中でも吸血鬼が群を抜いて嫌いでね。だって、血を吸うのってばっちいじゃないか。そんな汚い生き物なんて、さっさと駆逐されて然るべきだよ──私はそう信じている」

 

「……呆れた性根だ。あまりに酷くて、言葉を失いそうになったぞ」

 

「気にしなくていい。どうせすぐに物言わぬ死体になるのだから」

 

 不明国家の空の下で光が灯った。

 サンヘルムが超速で振り抜いた刀が弾かれたことで、火花が生じたためである。

 何に弾かれた? ──答えは爪。

 紳士のしなやかな指から伸びた爪によって、弾かれたのだ。

 これまで所有者が何人も死に、その度にマクガフィンたちの手に渡っている為、分かりづらいかもしれないが──“全を薙ぐ刀(エピソード)”は折れず、曲がらず、欠けず、錆びず、この世の何よりも鋭い至高の名刀である。

 通常ならば生物の爪で弾けるはずがない。

 だが。

 

「巨人に並ぶ最強種の吸血鬼。その中でも最高峰と称される吸血貴族のこの俺様──クラックベイの肉体は元より至高! たかが刃物如きでは爪が欠けることさえありえんッ!」

 

 誇るように、高らかな声で叫んだクラックベイは、手刀をサンヘルムの喉元目掛けて走らせた。

 九世兵器とすら互角に渡り合った手刀である。人間の体に触れればどれだけ凄まじい破壊を引き起こすかなど、想像するまでもないことだ。

 巨人が大きく強いのと同じように──吸血鬼は、ただひたすらに強い。

 なんで? と聞かれても答えはない。魚が水中を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、『そういう生態』だからとしか言いようがないからだ。

 

「それは所詮、夜という限られた時間の中での話。弱点である日の光を浴びれば、たちまちの内に灰となって死ぬ──だが」

 

 神父は腰から下に力を込めて上半身を後退させ、クラックベイの爪撃を限り限りのところで躱した。

 背中を思いきり仰け反らせた姿勢のついでに空を見上げる。

 そこには夜空が広がるばかりだ。

 太陽の代わりのように、ひとつの球体が天上で光っているが、本物の太陽と比べればひどく頼りない、おぼろげな明かりである。

 ずっと長い間、この国に夜明けは訪れていない。

 九世兵器が与えられた、五〇年以上前から──ずっと。

 吸血鬼の天敵である日光が、一筋たりとも降り注いでいないのだ。

 

「噂を聞いただけでは半信半疑だったが、現地に訪れたことでようやく理解できた」“剣聖”は言った。空高く浮かぶ光球を見ながら。「あれが“天を侵す星(トリックスター)”──特性は『太陽光の吸収』。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 先程も述べたように、地上に生息圏を持っておいて太陽の恩恵を受けずに栄える種族は、吸血鬼という例外を除くと存在しない。

 それを前提として考えると、太陽光を完全に吸収する九世兵器” 天を侵す星(トリックスター)”を、もしも他国への攻撃に用いれば、甚大な被害を生むことは確実だ。

 それだけでも十分、恐るべき環境破壊兵器と言えるのだが──“天を侵す星(トリックスター)”を与えられた吸血鬼は、そのような使い方をしなかった。

 彼らは自国の領土内で、“天を侵す星(トリックスター)”を行使し、巨大な日傘を差すようにして空から降り注ぐ太陽光を遮り、不明国家を完成させたのである。

 日光に弱い吸血鬼が、いつでも万全で活動できる環境を作り上げたのだ。

 環境破壊兵器で──環境を開発してみせたのだ。

 

「ここが吸血鬼の領域なのは百も承知。だが騎士団の名に懸けて、絶対に勝ってみせるとも──わたしはそう信じてるッ!!」

 

「クククッ! ならばその信心諸共、貴様の命を砕いてみせようかアッ!!」

 

 爪が、剣が、牙が、刃が──交差する。

 それは傍目からすれば目に映らないほどの一瞬。その合間に、サンヘルムには十を容易く超える数の死線が襲い掛かる。しかし彼は、持ち前の技量でもって、その悉くをねじ伏せてみせた。

 クラックベイの爪撃が迫れば迎え撃ち、背後から他の吸血鬼が飛び掛かれば薙ぎ払い、時には大胆に踏み切ることで敵の懐に潜り込みもする。

 ひとつひとつが熟練の騎士の技。

 しかし、それでもまだ足りない。

 吸血鬼を──吸血貴族、クラックベイを狩るには、まだ足りない。

 実際、剣戟の合間に、神父は紳士へ致命傷に近い傷を何度か与えている。しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように傷が塞がっているのである。

 吸血鬼はただひたすらに強いだけでなく、治癒力までも優れているのだ。

 まさに──不死身、といってもいいのかもしれない。

 

「しかも、この特性は不明国家にいる限り、時間制限が存在しない。夜が明けようと、朝が来ようと、昼が訪れようと、俺様は強く、しぶといままだ──どうする? 今から尻尾撒いて逃げるかね?」

 

「馬鹿を言え」

 

 するとサンヘルムは一足で十歩ぶんほど退がり、その場で刀を右手だけで握り、真横に構えた。残る左手で刃の根元に触れ、そのまま指先を刃の先端へと滑らせていく。

 戦闘行動を中断して始められた奇抜な行動に、クラックベイは訝し気な目をする。

 強気な台詞とは裏腹に、降参するつもりなのか? と思ったが──違った。

 サンヘルムは斬るのを止めたが、戦いを止めたわけではなかった。

 刀を──“全を薙ぐ刀(エピソード)”を斬る以外の用途に使うことで、他の戦法を始めたのだ。

 

「執筆開始──“校正・陽光炉(ディスライク・ディスライク・ディスライク)”」

 

 瞬間、妖しく煌いていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”の刀身が、更に眩しく煌く。

 その光は刃物特有の冷たい光ではない。

 むしろその逆。

 温かな光だ。

 温かく、暑く、熱く、触れられない程に熱い、灼熱の光。

 

「刀身に『熱量の上昇』という文章(テキスト)を書き込んだ……のか!? この一瞬で!?」

 

 クラックベイは叫んだ。

 対象が意思の無い武具であり、執筆の結果起きる現象が『加熱』という単純なものとはいえ、これほどまでの変化をたった一瞬で起こしたサンヘルムは、騎士としてだけでなく、執筆家としても一流の人物だった。

 そして何より驚くべきは──これほどまでに熱量が上がり、今となっては赤熱を越えて白熱にまで至っているにも拘らず、未だに刀の形を保っている“全を薙ぐ刀(エピソード)”の耐久性だ。

 

「普通の刃物ではこうはいかない。執筆の最中で自分の熱に耐えきれず熔解してしまうのだから。並外れた耐久性を持つ九世兵器だからこそ可能な奥義。それが“校正・陽光炉(ディスライク・ディスライク・ディスライク)”だ──そして、ひとつ訂正しておこう」

 

 神父は再度構える。

 白く──恒星のように熱を放つ刃を。

 

「わたしが“全を薙ぐ刀(エピソード)”におこなった執筆は単なる『熱量の上昇』ではない。()()()文章(テキスト)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いわば太陽のパスティーシュだよ、これは」

 

 太陽のように光を放つ刃を。

 吸血鬼へと向ける。

 

「日の光が届かない不明国家において、たしかに吸血鬼は少しばかり調子が良いのかもしれない。しかし、このように“ 天を侵す星(トリックスター)”で下ろされた夜の帳の内側で、太陽のようなものを改めて出現させたら──光を覆う闇を更に光で満たしたら、どうなる?」

 

 この状況で吸血鬼(おまえ)はまだ、自分の強さを信じられるか? ──と。

 その言葉が合図であったかのように、刀身が放つ光は量を増した。

 世界が白一色に満たされる。

 瞬間。それまでクラックベイの補助として待機していた吸血鬼たちが灰になった。

 限りなく『太陽光』に近い光が、“天を侵す星(トリックスター)”で造られた暗闇の内側を駆け抜ける。

 その速度はまさに光速──いかに身体能力が高い吸血鬼でも、避けられない。

 キロ単位の半径を襲った光の爆発は、日の光から離れて久しい不明国家の住民たちを次々と殺していった。

 何秒、何分、何時間──永遠に続くかのように思われた光の奔流はだんだんと弱まっていく。

 白熱していた太陽は、今やすっかり元の“全を薙ぐ刀(エピソード)”に戻っていた。

 

「──フゥ」

 

 光の中心には“剣聖”が立っている。

 ひどく憔悴している。太陽に限りなく近い存在のそばにいたのだから当然だ。

 

「やはり消耗が激しいな、この執筆は……。だが、威力は見ての通りだ。この調子で不明国家を虱潰しにしていけば、ゆくゆくは奴らを根絶できるだろう──わたしはそう信じ」

 

 どすっ、と。

 鈍い感触があった。

 サンヘルムは視線を下ろし、自分の胸元を見る。そこから腕が生えていた。背後から刺された貫手である。

 

「油断したなァ、人間。まあ、あんな奥の手を使った後では、無理もないか」

 

 背後から声がする。

 

「お、おまえは……ッ」“剣聖”は血を吐きながら戦慄した。「さっき、“校正・陽光炉(ディスライク・ディスライク・ディスライク)”の光で死んだはずでは……!?」

 

「実際死ぬかと思ったさ──体に“天を侵す星(トリックスター)”を埋め込んでなければ、危なかっただろう」

 

「体に……“ 天を侵す星(トリックスター)”を……?」

 

「正確に言えば、“天を侵す星(トリックスター)”を元にした、小型の模造品(イミテーション)だがね」

 

 紳士は言った。

 小型化した“天を侵す星(トリックスター)”の模造品(イミテーション)

 もし、そんなものが実在するのなら。

 太陽光を遮る闇の真下で、“校正・陽光炉(ディスライク・ディスライク・ディスライク)”の光が展開したとしても──更にその光を吸収することで、死を免れることが可能だ。

 

「聞けば人間の国では“全を薙ぐ刀(エピソード)”を雛形にした刃物が流通しているというじゃないか。小人の国でも“地を支える毒(フェアリーテイル)”を元に様々な毒物と薬品を生産しているという噂を聞いたことがある。吸血鬼(俺様たち)がやったのはその延長線上みたいなもの──九世兵器の模倣だ。だって『国ひとつ覆えるほどの環境破壊兵器を、もし量産し、小型化できたら、どれほど便利だろうか』なんて、誰だって思うだろう? 長年かけて行ってきた研究だが、これがなかなかの難航でね……、こうして試作品が俺様の手に渡ったのは、つい先日のことだった」

 

 背後を取られているサンヘルムから、クラックベイの表情は見えないが。

 きっと、得意げな顔をしているのだろう。

 

「つまり、人間。お前は──『模造品』を使うという、こちらと同じような策を使った上で、俺様に負けたんだよ」

 

 嘲るようなその台詞に。

 サンヘルムは身を焦がすほどの、狂おしい怒りを感じた。

 だが胸を貫かれた今、身を捩るどころか、叫び声を上げることさえできない。

 こうして。

 “剣聖”は忌み嫌う他種族の国土にて没した。

 

 ◆

 

 突然の回想。

 

「実のところ、ぶっちゃけると剣術じゃあないんじゃよなあ、オレの“ 征流”は」

 

 それがいつ、どこで、どのような会話の流れを経て出てきた言葉だったのかは思い出せない。

 そもそもこれは実在する記憶だったのか。

 唯一確かなのは、その発言の主が全身を襤褸で覆った長身の人間だったことだけである。

 言葉の所々に虫食いのような穴が空いてるように聞こえるのは、あまりに記憶がおぼろげな所為か。

 それとも元々こうだったのか。

 

「剣術とは敵との戦いを成立させるために培われ、敵を殺すという最終目標の為に使われるものじゃろ。じゃが“ 征流”は文字通り を一方的に征するために生み出した技法(スタイル)。 を殺すなどという考えは、当然の前提。オレが目指すのは、更にその先──どう殺し、どう解体(ばら)すかじゃ」

 

「…………。肉や魚をただ斬るんじゃなくて、飾り切りに拘ってるみたいなもの?」

 

「そういうことじゃな。じゃから剣術というより、解体術と言った方が正しかろう」

 

 襤褸が言う『 』がどれほど恐ろしいのかを、当時の自分は知っていた。

 空から訪れ、世界をただ壊すだけの──災害。

 わたしの村も、アレに壊された。

 あんな殺せるどころか立ち向かうことさえ不可能なように思われる存在の殺害を当然の前提と言ってのける襤褸は、いったい何者なのだろう。

 果たしてこいつは人間なのか? 

 

「オレは見たままの人間じゃよ。というか寧ろ、オレの方が不思議に思えるんじゃがなあ──どうしておまえは を殺せると思えない? アレこそまさに、見たままの生き物じゃろう。どれほど強く見えても、所詮は生きた物じゃ。じゃったら、殺せるのは当然の道理じゃろうが」

 

「生き物? あの災害が?」

 

「ううむ……。やはりこのレベルの認識すら共有できぬのか。ここまで理解度に差があると話に困るのう」

 

「よく分からないけど、もしかして煽られてるのかしら?」

 

「ちがうちがう」

 

 襤褸は困ったように肩を竦めた。

 

「そもそも理解で言えば、殺し方にそこまで拘泥する意味が理解できないわ。あんな災害、殺せるのならただ殺すだけで十分じゃない」

 

「だって──勿体ないじゃろ? ただ殺すだけじゃ」

 

 襤褸が言った意味を理解できず、わたしは言葉を失った。

 

「あれだけ強く、恐れられている奴らが、オレ如きにただ殺されて終わりというのは、あまりに勿体ない。生きている今ですら、こんな風に識られておらんのじゃ。これでもし絶滅でもすれば、きっと()()()()()()()()()()かのように扱われることじゃろう──だから思ったのじゃよ。どうせ殺すなら、なにか意味のある殺し方をしてやりたい、とな」

 

「殺しておいて、意味がどうのこうの言うのは矛盾しているように思うのだけれど」

 

「ははっ、そうかもしれんのう」

 

 じゃが、と。

 襤褸は、夢を見る子供のように、純朴な目で語る。

 

「いつか──オレの“ 征流”が完成して、とびきり強い を殺したら──その死を何か意味のあることに使ってみたいのう」

 

 本当に、こんな会話があったのか定かではない。

 その夢が本当に語られたのかは曖昧だし。

 その夢がいつか叶ったのかさえも曖昧だ。

 生と死の境くらい──曖昧だ。

 

 ◆

 

 曖昧な生と死の境から、マクガフィンは復活した。

 両目を開ける。

 こちらを覗き込むレスコーの顔があった。

 膝枕スタイルでの起床である。

 

「おはようございます、マフィ様」

 

 目覚めの挨拶をするレスコー。

 いつも通りの爽やかな笑顔だった。

 

「……。何があってオレは死んだ?」

 

「おや、覚えておられないのですか? ……まあ、急にあんなものが頭にぶつかったんですし、仕方ないのかもしれませんね」

 

 そう語るレスコーが横目で見つめる先には瓦礫が転がっていた。

 マクガフィンの頭くらいの大きさをしており、その一部には真っ赤な血が付着している。

 

「地平線の向こうで何か光ったと思ったら、瓦礫が雨のように飛んできまして……、わたくしは全て避けたのですけど、瓦礫のひとつがマフィ様の脳天にぶつかったのです」

 

「…………」

 

 思えば、レスコーは以前から、ふたり一緒に危険に見舞われた時はマクガフィンを見殺しにして自分の安全を優先する節があった。

 ……まあマクガフィンの不死性を考えれば、それがもっとも合理的な判断であることは確かだし、そもそもレスコーはマクガフィンを見殺しにするどころか殺そうとさえしているのだけれども──……なんだかなあ。

 これではどちらが雇い主か分からない。

 微妙な気分になるマクガフィンだった。

 ──そんな私情はさておき。

 

「なるほど、地平線の向こうで光がね──光だと?」

 

 マクガフィンは切れ長の目を見開きながら、件の地平線に目をやった。

 ともすれば、己の死因を尋ねた時よりも疑問を抱えていそうな顔である。

 

「あの方角にあるのは『不明国家』だぞ? いったい、何があったというんだ?」

 



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08.天を侵す星(トリックスター)-夜明

 地平線に目を向けると、真っ暗な空があった。

 どれだけ雲が分厚く積み重なってもこうはならなさそうな暗闇である。

 

「“天を侵す星(トリックスター)”の『陽光吸収』によるものか。まさに不明国家……」

 

 実際に目の当たりにすると圧倒されるな。

 マクガフィンはそう考える。

 彼女は以前から、“天を侵す星(トリックスター)”について、いくつかの情報を得ていた。

 それらは全て、噂程度の不確かな情報ではあったものの、前回のドワーフの“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”のように、名前すら判明していなかったわけではない。

 だったらまず、全くの未知であるドワーフの九世兵器よりも、いくつかの情報が知れている“天を侵す星(トリックスター)”の蒐集を先におこなうべきだったのではないか? 

 そんな風に思わされるのは当然だし、実際、マクガフィンもそうしたかった──“天を侵す星(トリックスター)”を所有しているのが、吸血鬼でなければ。

 吸血鬼。

 巨人に次ぐ最強種として知られる種族である。

 姿かたちは人間と比べて然程変わらないものの、その膂力は巨人に並ぶという。

 単純に言って、化物だ。

 とはいえ、弱点がないわけではない。

 むしろ、ある。

 明確に、はっきりとした弱点が。

 それは日光。

 どれだけ強い吸血鬼でも、それを浴びてしまえば、たちまちの内に灰と化して消えてしまうのだ。

 ならばその弱点を突くような作戦を立てればいいのではないかと思わされるが──九世兵器、“天を侵す星(トリックスター)”によって昼を無くして久しい不明国家の現状を見れば、そんな計画は不可能だと言えるだろう。

 今となっては弱点が無いに等しい最強種。

 それが吸血鬼だ。

 そんな種族が集団的に管理している兵器の蒐集は、なるべく後回しにしたいところである。

 しかし、ここらで旅もようやく折り返し。

 レスコーの剣も、これまでの旅路で鋭さを増していったように思える。

 ならばそろそろ、向かうべきだろう。

 そう考えての来訪であった。

 しかし──まさか、不明国家が地平線の上に見え始めたところで謎の爆発が起き、その余波で飛んできた瓦礫に頭が潰されてしまうなんて事態は、まったくもってマクガフィンの予想外だった。

 まだ入国すらしていない時点でこれなんて──先が思いやられる。

 

「それに、吸血鬼はただ強いだけではなく、不死身じみた再生力という特性もある。殺しても死なないなんて、殺しすぎる剣術である“流星流”にとっては、天敵のような相手だと思うんだが……その辺りについては、どう思っているんだ、フォールコイン?」

 

 不明国家への道中で、マクガフィンは隣を歩くレスコーに尋ねた。

 

「不死身のような方たちとなら、今まで何度も戦ったことがありますし、今回もきっと殺してみせますわ」

 

 レスコーは言う。

 たしかに。

 “流星流”限定で殺されなくなる執筆を修めた騎士。

 炎熱操作の弓によって炎に包まれた体を強引に動かした巨人。

 どんな攻撃も撥ね退け、着用者が何らかのダメージを負えば時を巻き戻すかのように回復させる鎧。

 無尽蔵に湧いてくる軍勢。

 “流星流”の敵は、いつだって不死身めいていた。

 

「だからと言って『今回もきっと勝てるだろう』と楽観的に考えられるのは困るんだが……まあ。戦う前から『勝てるわけがない』と悲観的になられるのに比べれば、幾分かマシか」

 

「それにしても、種族的な特性としての不死身ですか。もしかしたらマフィ様って人間ではなく吸血鬼なのかもしれませんね。ほら、鬼のような角も生えてますし」

 

「おまえはこれまでに、オレが日光を浴びている姿を何度も目にしているだろ? だいたい、名前に『鬼』が含まれるとは言え、吸血鬼に角は生えておらんよ──それに」

 

「それに?」

 

「吸血鬼に共通するという吸血衝動もオレにはない。だからきっと、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その時のマクガフィンは、少し寂しげな顔をしていた。

 その不死性は人間離れしている。

 かと言って、諸々の特徴を踏まえて考えれば、吸血鬼でもない。

 そんな、種族的に宙ぶらりんでどっちつかずな状態にある彼女の心境は、如何様なものか。

 孤独や不安──といった言葉だけでは言い表せないだろう。

 少なくとも、感情が欠けているが故に、他者の感情を察する能力も欠けているレスコーでは、理解できない機微である。

 

「……オレが人間なのか、吸血鬼なのか、それとも他の何かなのか、おまえも気になるか、フォールコイン?」

 

「え? うーん……」

 

 レスコーは少し考えた後、次のように言った。

 

「そりゃあ、まあ、わたくしはマフィ様のことならなんでも知りたいと思ってますけれど──結局、人間でも吸血鬼でも、それ以外の何であっても、マフィ様はマフィ様ですよね」

 

「…………」

 

「だって、たとえ何者であっても、わたくしが(あい)してやまない御方であることに、違いはないんですから」

 

「…………」

 

「たとえマフィ様が虫さんであっても、わたくしは惹かれていたはずですわ──そう考えると……、ふふふっ、先ほどわたくしが確認しようとしたことは、些細な愚問だったのかもしれませんわね」

 

 にこっ、と。

 笑顔で、レスコーは言った。

 彼女がこの世でただひとり感情を向ける相手であるマクガフィンにしか見せない表情である。

 天真爛漫なその笑顔は、まるで子供みたいだ。

 子供みたいに幼くて、純粋で──故に、嘘がない。

 たとえ、その裏にあるのが殺意であっても、心からの笑顔であり、言葉である。

 感情が欠けているレスコーは、何かを感情的に評価するための基準が備わっていない。

 彼女がマクガフィンを溺愛してやまないのも、「顔が好みだから」とか「一緒にいて落ち着くから」といった心理的な理由があるからではなく、「好きだから好き」──あるいは「殺したいから殺したい」という評価ありきでの評価になっているのである。

 つまるところ、レスコーが今しがたマクガフィンに言った台詞も、見方を変えれば「マクガフィンが何者かなんてどうでもいい」という投げやりな意味になってしまうのだが。

 その言葉を受けた彼女は、少しだけ──

 

「そうか」

 

 気が、軽くなった。

 

「おや、どうなさいましたかマフィ様。掌で口元を押さえて顔を背けるなんて」

 

「む……な、なんでもない」

 

「そんなはずないでしょう。よく見たら耳が真っ赤になってるじゃありませんか。この前行った雪山って凄く寒かったですし、今になって風邪を引いたんですかね。熱を測りますから額をこちらに……」

 

「なんでもないったらない」

 

「ええ……、なんでもないのに顔を背けられるなんて、おかしい──はっ!? ひょっとして、先ほどの言葉が下手な惚気だと呆れられたのでしょうか? 『お前がオレに向ける愛は、言葉にすればその程度なのか』と!? この胸から溢れんばかりの想いを過小評価されてしまったと!? そんなの不本意です! レスコー・フォールコイン、一生の不覚!」

 

「なんでもないったらないってば」

 

「いっ、今一度チャンスを! わたくしがこれまで読んできたラブロマンスの知識を総動員して、とびっきりの殺し文句を送ってみせますから!」

 

「ええいっ、なんでもないと言ってるだろうが!」

 

 レスコーが強引にこちらを振り向かせ、ついでに“全を薙ぐ刀(エピソード)”で心臓を一突きしようとしてきたので、マクガフィンは制止の声を上げた。

 その顔は耳まで真っ赤になっていたが、それが大声を張り上げたことによるものか、それとも()()()()が関係しているのか──その答えは定かではない。

 顔の赤みが引くと、マクガフィンは「ごほん」と大きな咳払いをした。

 

「話が逸れたな。ここはもう不明国家の目と鼻の先なんだし、油断は禁物──」

 

 その時。

 辺りが闇に飲み込まれた。

 まるで、太陽光を吸収する“天を侵す星(トリックスター)”の射程圏内に這入ってしまったかのように──あるいは。

 “天を侵す星(トリックスター)”の方から、マクガフィンたちに近づいてきたかのように。

 

「その通り、油断は禁物だ」

 

 声がした。

 男の声だった。

 やがて、黒一色の空間の一点が輪郭を持つ。

 闇を型抜きするようにして現れたのは、黒い礼服を着た紳士だった。

 

「特に、俺様という災厄の前ではね」

 

「……この御方も騎士団の人ですか?」

 

 レスコーがそのような発言をしたのは、何もあてずっぽうの適当ではない。

 紳士の手に提げられている一本の刀──“全を薙ぐ刀(エピソード)”を確認し、それが騎士団に属する者のみ与えられることを知っていた上での推測である。

 しかし、マクガフィンは首を横に振る。

 

「こんな奴が騎士団にいた覚えはない──そもそもこいつは」マクガフィンは紳士の顔を見た。彼の口元からは、人間離れした鋭い犬歯が覗いていた。「人間じゃなくて吸血鬼だ」

 

「御明察、と言うには些か場の明度が足りないかな? と、まあ、こんな冗談はさておき──俺様はクラックベイ。不明国家を統べる吸血貴族が内のひとりだ」

 

 吸血貴族という自称に相応しい尊大な態度で、クラックベイは名乗った。

 

「この刀は、つい先ほど一戦交えた神父を殺して奪った物さ。最強である俺様に刃物の類など不要なのだが、こんなものでもあの“天を侵す星(トリックスター)”と同じ九世兵器だというのだから、無下に扱うわけにはいくまいよ」

 

「神父……なるほど」クラックベイの発言を自身の記憶と照らし合わせて、マクガフィンは答えを得た。「つまり、不明国家で先ほど起きたという光の爆発はサンヘルムの『校正・陽光炉(ディスライク・ディスライク・ディスライク)』だったのか」

 

「うむ、たしかに、そんな名前をしていたな」

 

 ところで──とクラックベイは話を続ける。

 

「あの神父の名前を知り、あいつと同じ刀を携えているということは」レスコーが腰に差している“全を薙ぐ刀(エピソード)”を横目で見ながら言う。「貴様らも不明国家に攻め込みに来たのかね? ──やれやれ。ヤツの言動を踏まえるに、他に仲間が控えている可能性はゼロだと思っていたんだが……。念のため、捜索に来て正解だったな、これは」

 

「不明国家を攻めに来たのは否定しないが、あの野郎(サンヘルム)の名誉の為に言っておくと、アイツとオレたちは仲間ではない。むしろ敵だ。ただ攻め入るタイミングが重なっただけにすぎん」

 

「ふうん……、そうか。まあ、人間の関係図など、俺様にとってはどうでもいいことよ」

 

 本当にどうでも良さそうに言うクラックベイだった。

 そして、ほんの少しの間を経て。

 

「──解せないな」

 

 マクガフィンは低く呟いた。

 

「解せない? 何が?」

 

「これまでの話で、だいたいのことは分かった……。だが、ひとつ分からない。ここはまだ位置的に不明国家の──” 天を侵す星(トリックスター)”の領域ではないはずだ。ならば、この状況はどういうことだ?」

 

 辺りを包む暗闇を見渡しながら、マクガフィンは言った。

 

「くくくっ、簡単なことよ」クラックベイは笑う。手品のタネ明かしでもするかのように。「ここにも“ 天を侵す星(トリックスター)”が現れただけさ」

 

「なに?」

 

「厳密には“ 天を侵す星(トリックスター)”のイミテーションだがね」

 

 誇るような口調で、クラックベイは自身の胸元を撫でた。

 

「俺様の体には小型化した“天を侵す星(トリックスター)”のイミテーションが埋め込まれている。故に、俺様を中心とした一定範囲内には不明国家と同じ環境が出来上がるのさ──原型(オリジナル)が空の一点に鎮座する『動かない”天を侵す星(トリックスター)”』とするならば、差し詰めこちらは『動く“ 天を侵す星(トリックスター)”』か。……くくくっ」

 

「まあ、動く星ですか」

 

 “ 天を侵す星(トリックスター)”で光を奪われた空間には場違いなほどに明るい声が投げ込まれた。

 レスコー・フォールコインの声である。

 

「それではまるで流星みたいですね。“流星流”のわたくしとして、ここは対抗心を燃やすべき場面なのでしょうか?」

 

「対抗心を燃やす? そんな必要はない」

 

 クラックベイは言った。

 

人間(おまえ)吸血鬼(俺様)の力関係では対抗など成り立たないのだから──それに、そもそも俺様は今日、これ以上戦うつもりはない」

 

 と。

 そう言って。

 クラックベイはマクガフィンに近づいた。

 踊るように優雅で、軽やかな足運びだった。

 彼はそのままマクガフィンの手を取ると、彼女に熱の籠った視線を向けた。

 そのような視線を真正面から浴び、少女は思う。

 つい最近、これと似たような視線を見たことがあるような──

 レスコーから、向けられたことがあるような──

 

「これから俺様は──彼女と結婚の祝儀を執り行うのだから」

 

「は?」

 

「は?」

 

 レスコーとマクガフィンの頭は真っ白になった。

 一気に話が飛んだ? 

 いや、そうだとしても、明らかに敵対的な雰囲気で登場していたクラックベイがマクガフィンとの結婚を決意するなんて場面に着地するなんておかしい。

 

「おかしいと思うか? 俺様だって自分が人間の、それも少女に惚れるなんて、おかしいと思うとも。……やれやれ、小児性愛(ペドフェリア)のケは無いと思っていたんだが──けれども。一目惚れしてしまった以上、仕方あるまい。他の何を偽れようとも、己の恋心に嘘はつけないのだから」

 

「…………」

 

「ああッ!」クラックベイは身を捩らせて悶えた。最強らしからぬリアクションである。「こちらを見上げるその瞳! そう! それだとも! その目に宿る意思に! なにか途轍もない目標を見据えているその双眸に! 俺様の心は射貫かれたのだ!」

 

「…………」

 

「ああ、皆まで言うな。お前がなにを不安に思っているのかなんて、言わずとも分かってる。なぜかって? 俺様はおまえの(つがい)なのだから当然さ。わざわざ言わせるなよ恥ずかしい──人間と吸血鬼の結婚を周囲が認めてくれるのかが不安なのだろう?」

 

「…………」

 

「当然、不明国家内の各方面から反対されるだろう。吸血鬼にとって人間はただの食料に過ぎんのだからな。俺様だって同胞が人間なんかと結婚しようとしたら、全力で反対するさ。だが安心しろ。俺様は最強だ。俺様達の結婚に反対する不届き者がいれば、そいつらの意見を封殺してやる。虐殺的に封殺してやるとも。なんなら実際に殺してやってもいい」

 

「…………」

 

「人間の価値観はよく分からんが、そこは寛大な俺様らしく、こちらが合わせてみせるとも。いや、むしろ合わせさせてくれ。これから俺様がおまえ色に染められていくのかと思うと、未来が薔薇色に思えてくるぞ。くくくっ!」

 

「ちょっ、ちょっと待ったっ!」

 

 レスコーが声を張り上げた。

 クラックベイの突拍子もない発言に、元から無い心どころか頭まで空っぽになっていた彼女は、今になってようやく我に返ったのである。

 

「急に何を言っているんですか!? 会ったばかりのマフィ様にけっ、け、けけっ、結婚なんて……ダメです!」

 

「ふうん、マフィというのか。いい名前だな。ますます好きになった」

 

 クラックベイはレスコーの発言の都合の良い部分だけ切り取り、マクガフィンにより一層熱い視線を向けた。

 反対意見の部分は無視している。

 封殺すらしていない。

 けれどもめげずに、レスコーは続ける。

 

「そもそもマフィ様はわたくしと将来を誓い合った仲なんです!」

 

 何週間か前に似たような台詞を聞いた気がするな、と既視感に襲われるマクガフィンだった。

 

「マフィ様が不死身なのはご存知で!?」

 

「おまえのおかげで今知った。なるほど、不死身。それは都合がいい。種族間の寿命差を気にせずに生きていけるなんて、これから恋仲になる俺様達にとっては朗報でしかないのだから」

 

「貴方と一緒に生きる!? それは無理ですね! だってマフィ様は死にたがっているんですから! だから、自分を殺せる九世兵器を蒐集するために世界を巡っているんですよ! わたくしと! 一緒に! まあ、わたくしは九世兵器なんかにマフィ様を取られるつもりもないんですけれど! いつか完璧な“流星流”でマフィ様を殺してみせるつもりなんですけどっ!」

 

 普段以上に饒舌になっているレスコーだった。

 相手が知らないマクガフィンの情報を話すことで「こっちの方が詳しいんだぞ」というマウントを取ろうとしているのか。だとしたら今のところ、ただの情報漏洩にしかなっていない。

 子供じみた対抗心である。

 ともすれば、先ほどクラックベイに「ここは対抗心を燃やすべき場面なのでしょうか」と言った時以上に対抗心が剥き出しだ。

 

「──フォールコイン、おまえ……」

 

 マクガフィンは困惑する。

 今のレスコーは、いくら自分(マクガフィン)が関わっているとはいえ、感情的になりすぎていないか? 

 彼女にここまでの情緒はあっただろうか? 

 普段から垂れ流しにしている恋心ならともかく、ここまで嫉妬や対抗心を露わにしているレスコーの姿なんて見るのは、初めてだった。

 脳内に広がる花畑が、嫉妬で炎上してしまっている。

 

 一方、クラックベイは、無関心な目でレスコーを見ていた。

 

「マフィが死を望んでいるだと?」

 

 先程までマクガフィンに投げかけていた熱烈なプロポーズとは打って変わり、その声から熱が失われている。

 発言の先にあるレスコーを凍てつかせんばかりの冷やかさのみが込められている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そもそも人間よ──どうして、お前はマフィの自殺の手助けをしている?」

 

「え」

 

 そこで、それまで勢いよくまくしたてられていたレスコーの口舌は、ぴたっと止まった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 俺様なら共に生き続けたいと思えるような未来をふたりで作っていこうと考えるがね。なのに、自らの手で殺そうとするなんて……、それは愛していると言えるのかね?」

 

「え、あ、あう……」

 

 レスコーに対して、それは禁句だった。

 これがいつも通りの彼女だったら、敵の言うことなんかに耳を貸さず、“全を薙ぐ刀(エピソード)”でクラックベイを八つ裂きにして終わりにしていたのかもしれないが──今のレスコーはいつも通りではない。

 自分からマクガフィンを奪った恋の好敵手(ライバル)という未知の存在と遭遇し、平常時から程遠いコンディションにあるのだ。

 そもそも客観的に見て、レスコーがマクガフィンを愛しているのかというと──そんなことはない。

 絶対に。

 白ドレスの令嬢が軍服の少女に向けているのは、純度百パーセントの殺意だけだ。

 そして、レスコーの真に厄介な点は、そんな特大の自己矛盾を抱えているにも関わらず、それをまったく自覚していないことだ。

 だからこそ、こうして第三者の視点から、その歪さを指摘された時、逃げることができなければ、ごまかすこともできず──こうして固まってしまうのである。

 そんなレスコーの様子を見て、クラックベイは溜息を吐いた。

 

「やれやれ──これではどちらがマフィの運命の相手に相応しいかなど、一目瞭然だな」

 

「待て」

 

 声がした。マクガフィンの声だ。

 クラックベイの胸元に引き寄せられ、彼を見上げているマクガフィンの目は、心なしか、いつもより鋭くなっているように見えた。

 

「勝手に結論付けるな。オレの運命は俺が決める。オレが死ぬかどうかもオレが決めることだし、オレが誰と共に生きるかもオレが決めることだ。お前が割って入る余地なんてない」

 

「もちろん、俺様は君を尊重してみせるとも、マフィ。だがその上で、君を愛するひとりの吸血鬼として、ひとつ忠告させてもらうが──そうした決断の末に引き連れているのが、あんなトチ狂った人間なんて、まともじゃあないぞ」

 

「黙れ。お前に何が分かる。レスコーはオレに付いていくために、九世兵器の蒐集という無理難題にも付いてきたんだぞ」

 

「九世兵器くらい婚約指輪を用意するついでに蒐集してやってもいい。あの女よりずっと上手く、ずっと早く蒐集してみせよう。もっとも、それを自殺に使われるのは勘弁だがな。なんなら今から蒐集の旅に出かけるか? 世界一周の新婚旅行(ハネムーン)だ」

 

「──くくくっ」

 

「……? そんなにおかしかったか? 冗談のつもりで言ったんじゃあないが」

 

「ああ、おかしいとも。爆笑必至の冗談だね」

 

 くつくつと、馬鹿にするような笑い声を漏らしながら、マクガフィンは言った。

 

「だってお前──さっきから自分がレスコー(あいつ)より強いことを前提に話しているじゃないか」

 

「…………なに?」

 

 クラックベイは眉を顰めた。

 

「──そりゃあ、そうだろう。だって俺様は吸血鬼だぞ? 周囲一帯を夜にする”天を侵す星(トリックスター)”のイミテーションも所有している。それはつまり、世界中で、時と場所を選ばずに無敵であれるということだ。たかが人間に劣るはずがない」

 

「さて、どうだか。まだ戦ってもいないのに、よくもまあそこまで自信ありげに断言できるものだな」

 

「…………」

 

 それ以上、クラックベイは声を発しなかった。

 マクガフィンは自分にとって不愉快な言葉しか吐き出さない口が止まったのを確認して満足気な表情になると、レスコーへと顔を向けた。

 

「おい、フォールコイン!」

 

 叫ぶ。

 耳から直接、活を注入するような大声で、叫ぶ。

 

「いったいいつまでぼうっとしているつもりだ! いい加減剣を抜け!」

 

「…………」

 

「いいか、よく聞けよ──今までオレの不死性を利用するために解剖してきた奴はいくらでもいた! 異端として排除するために武器を向けてきた奴もいた! だけど──本当に、心から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()() おまえしかいなかったんだよ! 代わりなんて他にいないんだ!」

 

「…………!」

 

「お前は俺を殺したいと思い、俺は死にたいと思っている! 元からふたりで完結している関係じゃあないか! そこにぽっと出のよく分からん奴から横槍を入れられただけで、お前はなにもできなくなってしまうのか!? 違うだろ! オレの知るおまえなら、こんな邪魔者なんて行間で殺して突き進んでいたは、ず──」

 

 マクガフィンの声はそこで止まった。

 声を出す喉に、大きな牙が突き刺さったからだ。

 クラックベイ──吸血鬼の牙である。

 人差し指ほどのサイズがある指は深々と突き刺さり、声だけでなく、血をどんどん奪っていく。

 一方的に、抵抗すら許さず、命の源を、簒奪していく。

 たっぷり十秒ほど、その光景が続いた後、クラックベイはマクガフィンの喉から口を離した。

 体内の血液が急激に減少したことでマクガフィンは気を失う。クラックベイは彼女の体が斃れないように抱えると、そのまま地面にそっと横たえさせた。

 

「……少し黙らせるつもりで吸うつもりだったが、吸い過ぎてしまったな。……くくっ、こんなに美味な血は初めてだ。やはり、運命を感じずにはいられない──さて」

 

 言って、レスコーに視線を移す。

 酷く気怠そうな視線を。

 

「本来なら貴様程度の雑兵、文字通り歯牙にもかけないのだが──愛するマフィからああ言われたからな。とても気が載らないが、殺すことにしよう。目を覚ましたマフィに貴様の死に顔を見せて、驚かせてやる」

 

「………………」

 

 対するレスコーは黙りながら剣を抜く。

 

「ほう」

 

 クラックベイは言う。

 

「あくまで抗戦するつもりか。この、強く、不死身で、常夜の吸血鬼に」

 

「たしかに──」

 

 レスコーは言った。

 その言葉には、先ほどまでの弱弱しさはない。

 いつも通りの──ただひとりのみに向けられる殺意だけが込められている。

 

「絵物語の題材にもなるような怪物・吸血鬼で、不死身じみた生命力を持っていて、“天を侵す星《トリックスター》”のイミテーションによって昼でも夜でも気にせずに戦えるあなたを殺すのは難しいのかもしれません──だけど、殺してみせますわ」

 

「なぜ、そう言い切れる」

 

「マフィ様を愛してるから」

 

 いえ、少し違いますわね──と、レスコーは言いなおす。

 

「マフィ様からの(想い)に応えたいから──ですわ」

 

「なるほど。イカれてる」

 

 これ以上の会話は無用と判断したのか、クラックベイは構えた。

 爪の先端を相手に向ける、蛇拳のような構えである。

 対するレスコーの構えも、既に完了している。

 それはいつも通りの──美しく整った、中段の構え。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺して参りますわ!」

 

「吸血貴族。クラックベイ──推して参る!」

 

 どん、と後方に押し飛ばすような衝撃があった。

 同時に、クラックベイの視界が光った。

 しかし、それは一瞬のことで、瞬く間に闇へと落ちる。

 いや、元から“天を侵す星《トリックスター》”のイミテーションによって、周囲に闇が立ち込めていたが──この暗闇は、それとは違う。

 空間的な暗闇というよりも──視覚的な暗闇だ。

 吸血貴族は失明していた。

 

(両目を突かれただと──?)

 

 吸血鬼の体は他の種族と比べて頑丈だ。それは前回、クラックベイがただの爪で“全を薙ぐ刀(エピソード)”の斬撃を受けていたことからも明らかである。

 しかし眼球は、それほどでもない。

 粘膜であり、肉体構造における弱点であるそれらは──やはり、他の種族と比べれば十分に頑丈ではあるものの──爪ほどの耐久性はない。

 押し潰されれば失明だってする。

 たとえば、凄まじい勢いで空気を押すことにより、突きの衝撃を遠距離に届ける技をまともに受ければ──

 

「流星流──“落目(おちめ)”」

 

 クラックベイには見えていなかったが。

 その時のレスコーは、右手だけで握った“全を薙ぐ刀(エピソード)”を前方に大きく突き出すように腰から上を殆ど半身になるまで傾けていた。

 

(なにが起きた? 先程の燃える刀(ディスライク・ディスライク・ディスライク)のように、執筆でも使ったのか? ……フン。人間らしい小細工だな。この俺様に傷を与えたのは見事だが──この程度の傷、俺様の体にかかれば、すぐにでも回復す、る……)

 

 クラックベイはたしかに知っていた。

 マクガフィンが不死身であることを、レスコーから聞いて、知っていたのである。

 しかし、彼はそれを重要視しなかった。

 その時の彼はマクガフィンへの求愛に夢中で、レスコーの台詞を殆ど重要視していなかったし──それに、なにより。

 元から不死身に近い生命力を持つ彼にとって、マクガフィンの不死性なんて、驚くに値しないのだから。

 普段生活していて、二足歩行や肺呼吸の特異性を気にかける人間などいないのと似たようなものである。

 だから、それについて深く考えることはなかったし──重大にとらえることもなかった。

 もしも彼が、人間と同じ尺度を持ち、マクガフィンの不死性を看過できない異常として受け止めていたら──

 

 ──彼女の血を吸うなどという迂闊な真似は、絶対にしなかっただろう。

 

(──な、んだ?)

 

 その疑問を最後に、クラックベイの思考は途絶えた。

 これまでに経験したことが無いほどの激痛が、眼窩を襲ったからである。

 あまりの痛みで、真っ暗な視界に稲光の幻覚が走る。口からは文字で表現できない絶叫が溢れ出た。吸血鬼特有の青白い肌からは、更に血の気が失われている。

 眼球の再生が滞っているわけでは──ない。

 むしろ、クラックベイの生命力は普段以上になっていた。

 普段以上になりすぎていた。

 潰れた眼球周辺で肉が盛り上がり、血管と神経を押し潰す。

 のみならず、その暴走じみた再生は、他の組織まで侵食し始めていた。

 まるで──マクガフィンの血を摂取したことで、この異常が起きたかのようだ。

 ただでさえ生命力に優れている吸血鬼の体が、正体不明の不死性を取り込んだことで、ネジが外れている。

 注ぎ込まれた力に、肉体という器が耐えられていない。

 

(な──んだ──体の、中を駆け──巡る──この力は──ただの人、間が持っていいものな──のか?)

 

 そして。

 永遠にも思える激痛の最中。

 刹那に等しい一瞬にて。

 クラックベイは感じた。

 それはあまりの痛みで生じた、ただの幻覚だったのかもしれない。

 しかし彼は、たしかに感じたのである。

 自分の体内から翼を広げて飛び立とうとする『何か』を。

 そしてそれが、吸血鬼よりも強く、恐ろしい存在であることを──本能的に理解した。

 その理解がトドメだった。

 得体の知れない『何か』を感じ取ったクラックベイは恐慌を来す。

 眼球の修復どうこう以前に、精神的な意味で戦闘の続行が不可能な状態になっていた。

 クラックベイは終わっていた。

 しかし、彼が終わっても──それは終わらない。

 殺しすぎる剣術は──終わらない。

 吸血貴族の身に起きている異常なんて知ったことではないと言わんばかりに、殺戮を続行する。

 

「“流星流”──」

 

 小さく呟いて、刀を構えなおし、白ドレスの令嬢は言う。

 

「──鱗削(うろこそぎ)

 

 ◆

 

「ぐっ…………ふぅ……うぅう……」

 

 クラックベイは、地面に倒れていた。

 今の彼の状態は、死体と言っても過言ではない。

 いや事実、一度は死んでいた。

 だからこそ、レスコーはクラックベイが死んだものと思い、彼を倒した後、マクガフィンを起こして不明国家へと去っていったのだ。もちろんその際には、クラックベイがサンヘルムから奪った“全を薙ぐ刀(エピソード)”まできっちりと忘れずに持ち去っている。

 しかし、クラックベイは蘇った。マクガフィンの血を介して体内に取り込んだ『何か』によって、遅まきながら再び命を得たのである。

 彼は今、レスコーたちを追う形で地面を這っていた。

 

「はっ……はっ、ぐう……あぁあ……」

 

 呻き声を上げながら、ずるずると前進する。

 今の彼に、レスコーにリベンジしようなどという考えはない。

 そんな信念は、とっくのとうに折れた。

 クラックベイがこうして、レスコーたちを追うように、不明国家に向かっているのは、彼女たちと同じく、“ 天を侵す星(トリックスター)”が目的である。

 

 ──五〇年もの間、不明国家に夜を齎してきた“天を侵す星(トリックスター)”。

 それが一時も休まずに吸収し続けていた太陽光は果たして、どうなった? 

 順当に考えれば、“天を侵す星(トリックスター)”の内部に貯蔵されているのだろう。

 五〇年分の太陽光の光と熱──それら全てを一時も逃さずにかき集めたエネルギー。

 その総量は、まさに天文学的な数字である。

 そして。

 そんな”天を侵す星(トリックスター)”が貯蔵しているエネルギーを一気に解放したら──何が起きるか。

 一瞬で生じるエネルギーの拡散──それは所謂、爆発だ。

 環境破壊兵器であった”天を侵す星(トリックスター)”は、転じて爆弾へと変わるのである。

 しかも、ただの爆弾ではない。

 五〇年分の太陽光という、天文学的なエネルギー量を火薬代わりにした爆弾である。

 ならば、それによって生じる被害も、天文学的なそれとなるはずだ。

 かつて起きた『大いなる災害』のように、山脈が一瞬で更地に──程度で済むはずがない。

 地形なんて変わって当たり前。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それこそ世界を九度滅ぼせるほどの──九世兵器の名に相応しい破壊を生むに違いない。

 そしてクラックベイは──小型版“天を侵す星(トリックスター)”の試作品をいち早く所有できるほどに、“ 天を侵す星(トリックスター)”の研究に深く携わっている吸血貴族は、その爆発を意図的に起こす仕組みも、知っている。

 

「ぐっ……が……か、完璧な死を迎えてみたいんだってな……マクガフィン」

 

 クラックベイは息も絶え絶えな声で言った。

 

「だったら俺様が与えてやろう。俺様はおまえの運命の相手になれなかったが、おまえを愛したひとりの男として……げほっ、最期におまえが望むもの()を贈ってやる……共に生きられないのなら、せめて心中しようじゃないか」

 

 無論、そんな事態を招いてしまえば、この世の何よりも太陽光に弱く、“天を侵す星(トリックスター)”の直下に国を構えており、クラックベイの同胞である種族、吸血鬼が真っ先に絶滅してしまうのだが、彼はそのことを毛ほども気にかけていない。

 ……いや。

 さすがに一瞬くらいは頭を過ったかもしれないが、そうだとしても、すぐに「それがどうした」と切り捨てただろう。

 今の彼にとって、何よりも優先されるのは「自分がマクガフィンに何をやれるか」なのだから。

 これまで話についてきてくれている読者諸賢なら、とっくにご存知かと思われるが──恋に盲目となっている者の辞書に、躊躇の文字は存在しないのである。

 故に、肉片は前進する。

 狂気目掛けて──凶器(トリックスター)目掛けて。

 すこしずつ、進んでいく。

 しかし、その前進を阻むものが現れた。

 

「おやおや──随分派手にやらかしたのう。流石、()()()()

 

 身長は高く、ひょろ長い。そんな全身を黒い襤褸で覆っており、傍目から見た印象は、虚空に引かれた一本の縦線のようだ。

 口調は老人のように古風だが──その年齢は定かでない。

 襤褸に覆われて顔が見えないから──ではない。

 その風貌が、その声が、まるで靄でもかかったかのように、曖昧だからだ。

 仮にクラックベイが五体満足の健康体でこの場に立ち、吸血鬼として鋭敏化された五感で持って襤褸を観測しようとしても、『そこに何かいる』以上の結果は得られなかっただろう。

 故に、今の彼は、先ほどの襤褸の台詞を──

 

「な、んだ……? 風でも……ぐっ……吹いたか……?」

 

 そんな風に受け取った。

 

「そうじゃない……、と訂正した所で伝わらないから困るのう、とほほ」

 

 嘆く襤褸。

 とはいえ、その表所は見えないので、彼が本当に嘆いているのかは定かではない。

 襤褸は顔を下げ、地面に転がるクラックベイを見た。

 

「生命力の暴走──吸血鬼が の血を直接呑めば、そうなるに決まっとるじゃろ。 以外でアレに耐えられるのは、『人を分断つ血(ネヴァーエンディング)』だけじゃよ……。まあ、お前が の血を呑んで体が壊れずとも、オレの孫が勝っていただろうがな──というのは、いささか身内贔屓が過ぎるかのう」

 

 襤褸は言う。

 

「ともあれ──オレの孫とアレが一緒に旅をしているなんてなあ。なんだか運命的というか、世間の狭さを感じるのう……というより、両者に元からあった縁が引かれあったという感じか?」

 

「な……んだ? この、音は? 幻聴か? う、うるさ……い……。なぜ鳴り止まな──」

 

「“ 征流“──鱗削(うろこそぎ)

 

 そこでクラックベイの声は途絶えた。

 というより、息絶えた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「“天を侵す星(トリックスター)”の()()()使()()()に感づいておったのは、製作者として褒めてやりたいところじゃが、それを使う相手がオレの孫の恋人となれば、止めないわけにはいかんじゃろ……。人の恋路を邪魔するやつは死んでおけ」

 

 襤褸の手には一本の剣が握られている。

 それは持ち主の格好に似て、年季のある剣だった。

 しかし、見る人が見れば驚くことだろう。

 何故ならその剣は──一般的に世界で最も優れた剣とされる“全を薙ぐ刀(エピソード)”以上に、美しく、鋭く、そして兵器としての並々ならぬ圧力を発していたのだから。

 

「それにしても……孫たちは、なにやら“ 製兵器”──いや、世間では九世兵器と呼ばれていたんだったか──を集めておるようじゃのう。“天を侵す星(トリックスター)”は……まあ、これから余裕で蒐集するとして、次に向かうのは“地を支える毒(フェアリーテイル)”か“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”あたりか? じゃったらオレもそちらに──いや」

 

 襤褸は言う。

 

「“ 世界を翔ぶ杖(スラップスティック)”で待とう。うん、それが良い。あそこなら存分に孫をもてなせそうじゃ」

 

 自分の言葉に自分で満足しているかのような、そんな声だった。

 

 

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 段々と進むレスコーたちの旅! 

 

 次なる目的地は小人の国! 

 

 そこはなんと、鳥人との戦争の真っ最中で!? 

 

 更には騎士団の刺客が三人も現れて……!? 

 

 かつてない規模の戦いの中で、”流星流”はどう戦うか! 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 第九話『地を支える毒(フェアリーテイル) そして 雲奥にて唄う砲(ライトノベル)』! 

 

 また読んでね! 

 



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09.地を支える毒(フェアリーテイル) あるいは 雲奥にて唄う砲(ライトノベル)

全開8.5話でお茶を濁しましたが、少数の入ってるナンバリングが嫌だったので、前回投稿分の前編と新しく書いた後編を合わせた9話で投稿します。
一応、8.5話はもう読んでるよって人の為に、両編の区切りにを置いています。


 

 白魚のように細く、しなやかな指が刀の柄に絡み、力が込められる。

 すうっ、と抵抗なく引き抜かれた刃は、銀色に閃いた。

 この世全ての刃物が発する輝きの中で、一番美しい輝きである。

 そして──それ以上に美しいものが、近くにあった。

 それは刀の持ち主だった。

 男とも女とも判別しがたい、中性的な美貌を持つ人間である。

 肌は滑らかで、染みひとつない。まるで普通の人間とは、肉体の組成からして異なるかのような美しさである。

 着ているのは軍服と踊り子の中間のような様式をしている黒い衣服であり、その黒さによって、その人間の肌の白さがより一層引き立っていた。

 そんな美しい人間が、上空を覆う木々の枝葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日に照らされている姿は、まるで舞台上で照明を浴びる役者のように見えた。

 それは美しく。

 美しく。美しく。

 美しく。美しく。美しく。

 美しく──どこまでも美しい。

 だが──しかし。

 

「………………」

 

 麗人と対峙している小人の戦士は、まるで猛獣と遭遇したかのような反応を見せていた。

 顔を歪め、じっとりとした嫌な汗を、頬に滴らせている。

 彼は、かつて感じたことがないほどの緊張を味わっていた。

 それは麗人が現れたのが小人と敵対関係にあり、何度か武力的衝突が続いている鳥人の生息圏がある方角だったからというのもあるが──理解してしまったからだ。

 刀を抜く。

 たったそれだけの所作を、一目見て。

 その人間が持つ実力の高さを、小人の戦士は理解してしまったのである。

 

「『絶対人間騎士団』。“剣舞”、シャルル・テーブル」

 

 唐突に、麗人は名乗った。

 まるで子守歌でも歌うかのような、安心感のある声音だった。

 

「ボクたちはいま、鳥人に協力していてね。もし良かったら、そっちの偉い人に伝えてくれない? 『鳥人の勢力には人間のちょー強い騎士が付いたから、早く降伏した方がいいよ』って」

 

 その言葉により、小人の戦士が抱える緊張が限界に達した。

 この人間は敵だ──そう決断する。

 

「──“飛蝗”!」

 

 次の瞬間、彼は地面を蹴っていた。

 

「おお~」

 

 小人の戦士の凄まじい疾走を目の当たりにして、シャルルは目を丸めた。

 そんな反応を見せるのも、無理はない。

 人間の歩幅で言えば十歩分の前進を、人間の膝にも満たない身長をしている小人が一足でおこなったのだから。

 しかも、小人の戦士は手ぶらではない。

 その手には暗器が握られている。両端が鋭くとがれた、金属製の棒だ。その先端には、毒が塗着されている。“地を支える毒(フェアリーテイル)”によって、小人族のみが発見し、開発された毒だ。外部に類型など存在しない。小人ではない人間であり、耐性どころか解毒剤さえ有していないシャルルがこれを服せば、たちまちの内に死ぬだろう。

 必殺の暗器を手に、小人の戦士は地を駆ける。

 それに対し、シャルルが取った行動は、その手に握った刀──“全を薙ぐ刀(エピソード)”を構えることだった。

 ゆっくりとしたその動作には、相変わらず緊張感がない。

 どう考えても、構えが完了するよりも先に、暗器が体に突き刺さる方が早そうだ──が。

 その動きは。

 緊張感がなく、ゆっくりとした、その動きは──美しい。

 そんな考えが、ほんの一瞬だけ、小人の戦士の脳裏を掠めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 小人の戦士は、胴体が真横に切り離された状態で地面に転がっていた。

 断面からは内臓が零れ落ち、血が止めどなく溢れ出している。

 絶命が約束されたも同然な惨状だった。

 何が起きた!? 

 彼はたしかに、必殺の暗器を握りしめて、シャルルに飛び掛かっていたはずだ。

 なのにどうして、こうなっている?

 シャルルの動きは速くはなかった。暗器が眼前に迫っている状態でも、構えが完了していなかったほどである。

 あの状態から遅れを取り戻すには、小人の戦士の動きが止まりでもしなければ──

 

「止まってたんだよ、実際」

 

 心中を見透かすような声が、上から響いた。

 美しい声だった。

 

「我流“美仞麗駆(びじんれいく)”──ほら、美しい景色を見たら、時間を忘れて呆然としてしまうことってあるだろ? ボクの剣舞はそれを意図的に引き起こすものでね──ボクの美しさに一瞬でも心を奪われた者は、体の自由までも奪われる。そうして隙だらけになったところを、悠々と斬るってスンポーなのさ」

 

 つまり──

 構えようとするシャルルに美しさを感じた時点で、この決着は確定していたのだ。

 

「ま、普通の剣だと、構えてもいない段階でここまでの効果を発揮できないだろうけどね。観賞用の刀としても一級品である“全を薙ぐ刀(エピソード)”が、ボクの美しさを引き立ててくれるからこそ、可能な芸当だよ」

 

 人間は語る。

 その顔は──相変わらず美しい。

 まるで、小人ひとりを斬った業なんて、背負っていないかのように、清廉潔白な美しさのみが、そこにある。

 

「ウチの騎士団で一番強いひとを決めるなら、団長か、シギか、あるいは──こんなことアイツの前で絶対に言ってやんないけど──トになるんだろうけど……、一番美しく戦えるのは、絶対にボクだけだよ。だから、キミは運がいいね。最期にボクという、この世でとびっきり美しいものを見れたんだからさ」

 

 その言葉を聞いて、小人の戦士の意識は途絶えた。

 彼が目を覚ますことは、二度となかった。

 

 ◆

 

 数日後。

 大陸の沿岸付近に広がる樹海にて。

 樹の海、という字面に相応しく、そこは四方八方が木々で埋め尽くされていた。

 部外者の侵入を阻むかのように形成された、緑の大海原である。

 地面に視線を下ろしても、獣道を見つけることさえ困難であり──上を見上げれば、伸びた枝葉によって空の大部分が覆われていた。

 九世兵器“天を侵す星(トリックスター)”によって昼を失っていた不明国家ほどではないが、時は真昼だというのに薄暗くて不気味である。

 そんな場所に──ふたりの女がいた。

 拵えた焚火を前に、横並びになるようにして座っている。どうやら長旅の合間の休憩時間のようだ。

 ふたりのうち、片方は白いドレスに身を包んだ長身の女である。

 こんな人里離れた樹海ではなく、どこかの屋敷にでもいそうな令嬢だ。

 しかも彼女のすぐそばには、一本の刀が横たわっている。

 森、令嬢、刀──どこまでもちぐはぐなこの組み合わせは、場の不気味さをより一層際立たせていた。

 しかし当の本人である白ドレスの令嬢──レスコー・フォールコインはそんな不調和など気にしていない、あるいは、気にするような心など備えていないようであり、

 

「はい、あーん」

 

 と、ニッコニコの笑顔で、枝に刺して焚火で焼いていた肉を掴むと、もうひとりの女──軍服の少女、マクガフィン・テーブルの口元に近づけた。

 

「…………」

 

 レスコーの「あーん」を見て、マクガフィンは無言になる。

 その格好は普段通りのオーバーサイズの軍服だが、一カ所だけ、いつもと違う点が存在していた。

 それは両目に掛けられた、黒いつるの眼鏡だ。

 こんなもの、先週まではたしかに存在していなかったはずである。

 その正体は吸血鬼に与えられた九世兵器──環境破壊兵器にして惑星規模の爆弾、“天を侵す星(トリックスター)”だ。

 マクガフィンは執筆によって眼鏡に書き換えたそれを、かけているのである。

 今から眼鏡キャラになるなんて、全十二話の折り返しをとうに過ぎた時点でおこなうイメチェンにしては大胆がすぎるが──奇妙なことに、マクガフィンはその眼鏡を完璧に着こなしていた。

 まるで自分の体の一部であるかのように──着こなしている。

 彼女は眼鏡の奥にある瞳に怪訝な感情を滲ませながら、

 

「……なんだ、それは」

 

「『あーん』は『あーん』ですわ!」

 

「答えになってない」

 

「恋人たちが食事中によくやる、愛の儀式らしいですよ。むかし読んだ絵物語によく書かれていましたわ」

 

「前々から思っていたが、お前の読書遍歴は少々偏ってないか?」

 

 遍歴ならぬ偏歴だ。

 

「幼い頃は、寝る前にメイドがよくラブロマンス作品を読み聞かせてくれたんですよ──それでは……ささっ! さあ! あーん!」

 

 ぐいいっ、と更に口元に寄る肉。

 マクガフィンは口を閉じ、それ以上の侵入を拒絶する。

 べつに、レスコーから『あーん』のひとつやふたつ、受け取っても良さそうなものだが──そこで素直にそうするのは、なんだが恥ずかしい。

 世界を巻き込む自殺という、命知らずにして恥知らずに思える目標を掲げているマクガフィンでも、恥の感情くらいはあるのだ。

 

「わたくし、いつかマフィ様と『あーん』をするのが夢だったんです」

 

「おまえとは今までに何度も食事を共にしてきたが、こんなことは一度もしてこなかっただろう。どうして今になってやりたがる」

 

「だって……先週、ようやくマフィ様から愛の言葉を受け取れたんですもの。ふたりの関係がここまで進んだ今こそ、夢の『あーん』を実行すべきだと思ったんです」

 

「あぃ……っ!?」

 

 マクガフィンの声が裏返る。

 首から上が真っ赤になっていた。目の前で燃えている焚火以上に真っ赤である。

 一方、レスコーはうっとりとした顔で、枝を握っていない方の手を頬に添えながら、次のように言った。

 

「忘れもしませんわ、あれは不明国家でクラックベイさんと戦っていた頃──まさかマフィ様も、わたくしのことをあそこまで大切に、そして熱烈に思ってくれていたなんて……わたくし、感激しましたわ!」

 

「そ……、そっ、そんなこと……言ったか?」

 

 かつてないほどに挙動不審になるマクガフィン。

 いま自分がいる場所が樹海ではなく海だと勘違いしているかのように、視線があちこちを泳いでいる。

 

「絶対に言いました。よければ、今から一言一句違わずに復唱してみせましょうか?」

 

「よせ、わかった。だから言う必要は──」

 

「『いいか、よく聞けよ──」

 

「やめろ!!」

 

 それから、すったもんだで色々あり──レスコーの口を封じようとしたマクガフィンが逆に口に肉を突っ込まれそうになったり、ついでに刀でめった刺しにされそうになったりと──微笑ましいの一言で済ませるにはやや血生臭い場面もある掛け合いがあった後。

 

「いやあ、それにしても」

 

 育ちの良さが伺える優美な所作で自分用の肉を飲み込むと、レスコーは言った。

 

「いま改めて振り返ってみても壮絶でしたね、不明国家での戦いは」

 

「…………そうだな」

 

 肉汁でべとべとになった口を拭きながら、マクガフィンは答えた。

 

「吸血鬼との戦いがそう簡単に済むとは思っていなかったが、あの戦いは想像以上だった。世界に残る九つの種族の内、巨人に並ぶ最強種という評判は以前から知っていたものの……、その凄まじさを知識ではなく、経験で思い知らされたな」

 

「とくに吸血貴族界“十字館”との戦いは大変でしたね」

 

「たしかに」マクガフィンは頷く。「悪夢のような戦いだった。入国前に会ったクラックベイとの戦いが、前哨戦に過ぎなかったと思い知らされたよ。オレは直接戦ってはいないが、あんな絶望的な状況には、二度と立ち会いたくないね」

 

「不明国家の果てにある崖まで追い詰められた時は流石にもうダメかもしれないと思いましたわ。……あそこでマフィ様が“翼簒(そらとり)”を用いた作戦を思いついてくれなければ、今頃どうなっていたのやら」

 

「あの作戦はオレひとりの手柄ではない。あれを実行に移せたのはレスコー、おまえの剣の腕があったからだ。どちらかひとりだけでは、あの地獄を切り抜けることなんて、不可能だった──と、まあ、一週間前の話を振り返るのはさておき」

 

 不意に、マクガフィンは顔を上げ、レスコーを見る。

 眼鏡のレンズが焚火を反射し、橙色に瞬いた。

 

「今週の話に戻るぞ──いまオレたちが向かっているのは、小人の国だ」

 

「へえ、小人さんの国ですか。強いんですか?」

 

「いいや、まったく──吸血鬼と戦った直後では、他のどんな種族について語っても『強くない』と言いたくなるが、それを抜きに語っても、小人は弱い。とびきり弱い。それは数多くの歴史書が語っている。なにしろ、体格(サイズ)の時点の他種族と比べて圧倒的に劣っているんだからな」

 

「へえ」

 

「だからと言って油断するなよ? 小人が弱いのはあくまで種族としての話であって、九世兵器が与えられている以上、奴らもまた、世界を滅ぼすほどの武力を持っているのは確かだ」

 

「油断なんてしませんわ。マフィ様の為になら、わたくしはいつだって本気で戦ってみせます!」

 

 相変わらず、口から空気の代わりに砂糖を吐き出しているんじゃないかと思うほどに甘ったるい愛の言葉を垂れ流しているレスコーだった。

 

「だけど……、うーん」ふと、レスコーは何かを考えるように、顎に指を添えると、「歴史書に書かれるほど弱い種族、ですか」と呟いた。

 

「どうした。なにか気になるのか?」

 

「ええ──だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『大いなる戦争』と『大いなる災害』。

 五〇年前に世界を襲った、歴史上最大最悪の事件。

 その惨劇から巨人が生き延びた理由は──分かる。

 吸血鬼が生き延びた理由も──分かる。

 他の種族も、時の運だったり、戦略だったりを用いて、生存したのだろう。

 しかし、小さな体格という明確なディスアドバンテージがある小人が、絶滅を免れたというのは変だ。

 おかしい。

 レスコーからそのような素朴な疑問を投げかけられたマクガフィンは「ああ、そのことか」と言って、台詞を続けた。

 

「その理由なら、それこそ歴史書に……って、箱庭育ちのおまえは知らんか」

 

 レスコーは、“流星流”の末裔である。

 国を挙げてのスポイルによって、刃物から隔絶した暮らしを強制され、代を重ねるごとに戦力を減衰させられていた家系の一人娘だ。

 そんな彼女の近辺に、まさに戦いそのものの記録である歴史書など、存在を許されるはずがない。

 さきほど言っていたように、レスコーは幼少期、寝る前にメイドからラブロマンス作品の読み聞かせをされていたらしいが、フォールコイン家に派遣されていた使用人たちの多くに、絶対人間帝国の息がかかっていた可能性が高いことを踏まえて考えると、その読み聞かせのチョイスもまた、“流星流”から牙を抜くための策だったと推測するのは、考えすぎではないだろう。

 ……もっとも、その結果出来上がったのが、恋と殺意の区別ができていない剣士である以上、その策は失敗だったとしか言えないが。

 ともあれ、そんな偏った知識しか得られない環境にあったレスコーが、歴史なんて知っているはずもなかった。

 ましてや──自分とは種族の違う小人にまつわる歴史なんて。

 

「ならば教えておこう。それに樹海(ここ)は小人だけでなく、鳥人の生息圏も近い──両者を立て続けに相手にすることになるかもしれない以上、知っておいて損はない歴史だ」

 

「? どういう意味でしょうか、それは」

 

 小人の歴史に、鳥人も関係があるみたいな言い方ではないか。

 近い場所に棲んでいるから、関係があるのだろうか。

 

「近い場所に棲んでいるから、というより、そこに棲むしかなかったんだよ、小人と鳥人(そいつら)は。五〇年前からな」

 

「……他に棲む場所が無かったと?」

 

「そうだ」

 

 肯定するマクガフィン。

 

「五〇年前、小人と鳥人は種族的に弱い立場にあった。まあ、端的に言えば、迫害されていたというわけだ。歴史書曰く、たとえ戦争や災害がなくとも、絶滅していておかしくないほどだったらしい。だからこうして、大陸の端も端な沿岸部にある樹海まで追いやられてしまったんだ」

 

「そうなんですか」

 

「そして──そのタイミングで『大いなる戦争』が起きた」

 

『大いなる戦争』。

 力を持つ種族ならその全てが参加していたほどの、大規模な戦争。

 しかし。

 それは──逆に言えば。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ましてや彼らが住んでいたのは、大陸の端も端の僻地。

 隣人との戦いに夢中になっている他種族に、そこまで手を伸ばす余裕など、あるはずがない。

『大いなる戦争』という、参加した種族がひとつ残らず大打撃を受けた戦争に、勝者なんて存在しないのだが。

 しかし。

 それでもしいて、勝者を挙げるとするならば。

 それは──そもそも戦争とは無関係の位置にいた種族だったといえるだろう。

 

「まあ、一方であまねく種族を無差別に襲った『大いなる災害』の被害はキッチリ受けたらしいがな。それでも、五〇年前に世界で起きたふたつの惨劇の内、その片方を免れて、結果的に種族の存続に繋がったのは、結果だけを見れば幸運だったと言えるだろう。まあ、その幸運の前提に迫害の歴史があったのは、なんだが皮肉に思えるが」

 

「へえ、そんな事情があったんですねえ」

 

 講義を受ける生徒のような反応をするレスコーだった。

 

「それにしても──迫害から逃げるために同じ地に逃げ込み、共に『大いなる戦争』と『大いなる災害』を生き延びたなんて。きっと、小人さんと鳥人さんの間には、固い絆のようなものが結ばれているんでしょうねえ」

 

「そんなことはない」

 

 マクガフィンはきっぱりと否定する。

 

「えっ、どうしてです? ふつう、同じ苦境を共有した方たちは、仲良くなるのが定番なのではないですか」

 

「それはお前がよく読んでいた本の中だけの定番だ。現実は違う」

 

 そもそも。

 同じ苦境を共有したら仲良し、なんて理屈が普遍的なものであれば。

『大いなる戦争』と『大いなる災害』という特大の苦境を経験した世界の全員は、いまごろ、争うことなく平和になっていたはずだ。

 騎士団は他種族から九世兵器を奪おうとしていないし。

 “流星流”が数多の敵を斬り殺すこともない。

 そんな、平和で事件の無い、実に平穏な世界になっていただろう。

 

「むしろ、小人と鳥人の関係は最悪だ。同じ被差別的な立場だったこそ『せめて、あいつらよりは優れていたい』という対抗意識が芽生え、その感情が五〇年かけて熟成された結果、今では戦争一歩手前まで来ているらしい」

 

「ふうん……?」

 

 納得したようなしていないような、疑問形の相槌。

 喜怒哀楽といった基本的な感情さえ欠けているレスコーにとって、種族間の対立的な感情は、とりわけ難解な話だったらしい。

 ……と、まあ。

 こんな風に小人と鳥人の歴史についての講釈を受けたわけだが、なにもこれは、レスコーにとって必須の知識というわけではない。

 マクガフィンが最初に述べた通り、「知っておいて損はない」程度の情報だ。

 今後必要になるのは──『大いなる戦争』と『大いなる災害』から五〇年が経ち、九つ残った種族のうち、唯一、明確な敵対関係にあるふたつの種族が、どのような戦い方をするのか、である。

 

「とはいえ、先ほど言った通り、小人と鳥人は戦うことなく『大いなる戦争』を切り抜けた種族だからな──必然的に、戦闘の記録はほとんど残っていない」

 

 ただひとつ──そう言って、軍服の少女は人差し指を立てた。

 

「小人は弓矢を使う──と、噂で聞いたことがある」

 

「弓矢ですか。フンショさんと被りますね」

 

 もっとも──あの戦いで用いられたものを、世間一般の『弓矢』と同じカテゴリに入れてしまえば、どこかから異論が、それこそ弓矢のように飛んできそうだが。

 レスコーの脳裏に、かつてフンショとおこなった戦いの記憶が蘇る。

 飛来する巨大な矢。天まで焼き尽くすほどの火炎。地面を揺るがす大爆発──スケールの大きな熱戦だった。

 いま改めて振り返ってみても、勝てたのが奇跡みたいな戦いである。

 

「一方で、小人に与えられた九世兵器の詳細ははっきりとしている──名は”地を支える毒(フェアリーテイル)”──毒だ」

 

「毒」

 

「厳密には毒の源泉──と聞いている。少量でも致死量になる、類例のない未知の毒を無限に湧き出し続ける、自動的な工房のようなものらしい」

 

「それは……危険な兵器ですわね」

 

 九世兵器が各種族の戦力を均す為に生み出されたという通説に倣えば、五〇年前には種族的に弱い立場にあった小人族に強力な兵器が渡されるのは当然なのかもしれなかった。

 だとすれば、マクガフィンが“地を支える毒(フェアリーテイル)”の情報を知っていたのも納得である。

 兵器であれ、戦士であれ、強ければ強いほど、噂となって広まりやすいのだから。

 それから、マクガフィンとレスコーは、マクガフィンが“地を支える毒(フェアリーテイル)”について事前に知っていた情報を元に、色々と対策を検討した。

 焚火を前に──ふたりきりで。

 その時だった。

 焚火を挟んだ向こう側──樹海の木々に挟まれた闇の奥から、何者かの気配がしたのは。

 

「…………」

 

 その来訪にいち早く気が付いたのはレスコーである。

 殺しすぎる剣術“流星流”の末裔であり、それ故に、“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”との戦いにおいて見せたように、他者の命を把握する第六感めいた感覚を有している彼女は、まだ姿さえ見えていない何かの命を敏感に感じ取ると、脇に寝かせていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”を掴み取った。

 そもそも──視線を遮るものが多い樹海の中とは言え、敵地の近くで焚火などという目立つような真似は、余程の理由が無ければやるまい。

 しかし、彼女たちには、その『余程の理由』があったのだ。

 今からふたりが向かおうとしているのは小人の居住地──小さな、人の、居住地である。

 必然的に、その地域の面積も小さいことが予想される。

 そんな場所を、樹海の中から見つけ出すのは困難だ。

 大量の人材を動員して調査を実施できるならともかく、たったふたりだけでそれをおこなうのは、現実的ではない。

 なのでマクガフィンは考えたのである──探すのが難しいのなら、あちらから見付けてもらおうと。

 そうしてふたりは休憩もかねて焚火を作り、立ち上る煙をどこかから見付けるであろう小人族が何らかのアクションを起こすのを待っていたのだ。

 なので、今のこの展開は、レスコーとマクガフィンにとって、予想された展開でもあった。

 ただ、そこにはひとつ、重大な予想外が混ざっていた。

 それは、その場に現れたのが小人の誰かではなく、

 

「……………………」

 

 人間だったことだ。

 女である。

 黒い軍服を着て、腰に刀を差している。

 長い黒髪を一本に束ねており、両目には眼鏡。マクガフィンが掛けている“天を侵す星(トリックスター)”製のそれとは異なり、野暮ったい瓶底だ。

 

「貴様は──」

 

 その姿を見て、マクガフィンは反応を見せた。

 その来訪に真っ先に気付くのは、レスコーではなくマクガフィンであるべきだったかもしれない。

 なぜなら、その軍服眼鏡の女は──かつての同胞。

 絶対人間騎士団の団員なのだから。

 

「──シギ・テーブル……」

 

「……………………」

 

 己の名を呼ぶ声に対し、眼鏡の軍服は無言を貫いている。

 言葉を発せないかのように──否。

 無言こそが唯一、己の言葉であるかのように。

 

「お知り合いの方ですか、マフィ様」

 

「お前にも何度か話したことがあると思うが──“剣道”の名を持つ、“人剣流”の当主だ。単純な剣の腕前だけで言えば、団内最強と名高い女だよ」

 

 そう説明している間も、マクガフィンはシギから目を離せずにいた。

 一瞬でも目を離せば斬られる──そんな風に確信させられる圧力を、総身から放っていたからである。

 シギは相変わらず無言であり、その様子はともすれば存在感を薄れさせるかのように思われるが──そんなことはない。

 剣を携え、そこに立つ──それだけで、人剣流の当主は自己の存在を雄弁に物語っていた。

 

「まさか小人の九世兵器を蒐集する道中でおまえと遭うとは」

 

「…………」

 

「オレとしては、おまえはてっきり、団長と一緒に帝国の防衛に当たっているのかと思ったが」

 

「…………」

 

 何を言っても無言しか返ってこないシギに対し、マクガフィンは心中で舌打ちを鳴らす。

 相変わらずやりにくい相手だ。

 直接戦闘に使える能力が不死性くらいしか無く、それ故に口先を用いた舌戦を得意とするマクガフィンにとって、『何も喋らない』というシギの特性は厄介なことこの上ない。

 この世に存在しない幽霊を相手に殴り合いをしているような気分になってくる。

 

「与えられた“剣道”の名に相応しくあるために、剣でしか語らないようにしている──んだったか? フン──今でも、そんなバカげた誓いを守っているなんて、尊敬に値する愚かさだな」

 

「……………………」

 

 まさか、マクガフィンの幼稚な挑発が通じたわけではないだろう。

 そもそもシギは、この場に登場してからずっと、視線をかつての同胞であるマクガフィンではなく“流星流”のみに向けている。

 自分が見るべき相手は、それしかないとでも言わんばかりに、凝視している。

 なので──シギがおもむろに刀を抜いたことに、マクガフィンの台詞が関係しているはずがなかった。

 きっと何も起きていなくても、“剣道”は抜刀をおこなっていたはずだ。

 対するレスコーもまた、殆ど同時に“全を薙ぐ刀(エピソード)”を抜く。

 “人剣流”に“流星流”。

 どちらも帝国において広く名の知れた剣術であるが──後者は『大いなる戦争』でのみ活躍し、その後は帝国によってひとつの屋敷に封じられていた、一子相伝の剣。

 故に、両者が剣を交えたことはない。

 今日この日が、ふたつの流派が剣を交わす、記念すべき初試合であった。

 

「はじめましてシギさん」

 

 中段に構えた剣を突き付けながら、レスコーは言った。

 その顔には友好的な微笑を浮かべている。

 

「お噂はかねがね。お強い方だと聞いていますわ」

 

「…………」

 

 ふたりの間に挟まれた焚火の火が、不自然に揺らめいた。

 “最果てを視る弓(ピリオド)”のように、炎を操作する異能が行使されたわけではない。

 ふたりの剣士が発する剣気の衝突が、歪みの形で空間上に表出し、炎が揺らめいたように見えた。

 それだけだ。

 対峙するだけでこれほどの怪奇現象が起きるとは──両者が持つ腕前の高さが窺えるというものである。

 と、その時。

 

「…………………………」

 

 不意に、シギが構えを解いた。

 抜いていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”をだらりと下げ、両手両脚を脱力する。

 よく達人が会得しているとまことしやかに噂される、『構えない構え』というやつではない。

()()()()()()()()()

 先手を取ることは勿論のこと、後手の迎撃すらも放置している格好だ。

 “流星流”ではなく、剣を習い始めたド素人であっても、太刀を叩き込めそうなほどに、何処から見ても隙だらけだ。

 

「……どういうおつもりで?」

 

「………………」

 

 シギは答えない。

 

「まさか……「先に打ってこい」と? 誘っていらっしゃるのですか?」

 

 シギは答えない。

 どころか首を縦に振って、肯定することもない。

 だが──()()()()()()()()()()()()()

 敵を前に構えを解かれ、あえて先手を譲られるなんて、普通なら侮辱と捉えて、激昂してもおかしくない行動である。

 普通なら。

 だが──レスコーは普通ではない。

 彼女は、侮辱を感じるような情緒と無縁の生き物である。

 故にレスコーは、シギの行動を「強い人には余裕があるんですねえ」程度に受け止めると、せっかく渡された先手を十全に活かすべく、技を出した。

 “流星流”が生み出した、必殺の技を。

 

「流星流──“骨抜(ほねぬき)”」

 

 それは不死身の生物、マクガフィンに向けられる無限大の殺意(あい)に他者を巻き込む技である。

 凄まじい量の殺意を浴びて体が強張っている敵を、これまた無限大の殺意(あい)のままに駆動するレスコーが滅多切りにするという、『殺しすぎる剣術』の名に相応しい奥義だ。

 生きて、終わりのある定命の生物であれば、殺意の恐怖から逃れることはできない──! 

 

「たしかに絶対人間騎士団の“剣道”であり、九世兵器“全を薙ぐ刀(エピソード)”の所有者であり、“人剣流”の当主であるあなたを殺すのは難しいでしょう──でも、殺してみせま──」

 

 ──はず。

 だった──

 

「──すわッ!?」

 

 レスコーの視界が上下逆さまにひっくり返る。

 転んだ!? 

 このタイミングで!? 

 違う。

 転ばされたのだ! 

 “骨抜”によって殺意のままに滅多切りにする為に、レスコーが間合いの内に踏み切ったタイミングで、シギは刀の峰を使って、レスコーの足を思いっきり横に払ったのである。

 結果、レスコーは腰を中心に空中で半回転したのだ。

 驚くべき早業であるが、真に驚くべきはそこではない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なにが……起きたのでしょう?」

 

 地面に倒れた状態で、レスコーは言った。

 屋敷育ちの令嬢であり、そして、これまでの戦いで常勝し続けているが故に、レスコーにとって地面に倒れ伏すというのは初めての体験だった。

 一連のやりとりを傍で見ていたマクガフィンもまた、レスコーと同じように今しがたの出来事を疑問に思っていた。

 そして、その解に辿り着くのは、彼女の方が早かった。

 

「まさか……怖くないのか! “流星流”の殺意が!」

 

 驚きを隠しきれない声で、マクガフィンは言った。

 “人剣流”は『人間が使う、人間の為の剣術』である。

 それを極めたシギは『何かを斬る』という分野において、人間の中で一番長けている人間だ。

 それは帝国中の誰もが認めるだろうし──それに、彼女自身も自覚していることだろう。

 現に、“剣道”の立場に相応しくあるべく四六時中無言でいるというストイックな行動に、その自覚が色濃く現れている。

 そんな人物にとって、殺しすぎる剣術“流星流”もまた、『数多くいる、斬り倒せる対象のひとつ』でしかないのだ。

 故に怖くない。

 レスコーが発する殺意で足が竦むこともない。

 だって、どれだけ彼女が殺意を発した所で──こちらはいつでも殺すことができるのだから。

 かつて執筆『一字褒貶(アンチ・ヘイト)』によって“流星流”に対する万全な防御をおこなっていたミルドット・テーブルですら、“骨抜”を前に一歩も前に進めずに倒されたというのに──執筆を一文字も用いずに、精神的な防壁を完成させているシギは常軌を逸していた。

 

「………………」

 

 “人剣流”はただ静かに、“流星流”を見下ろす。

 その口は何も語らない。

 瓶底眼鏡の奥で佇む瞳で語ることもない。

 しかし、その剣は──先ほど、レスコーが見せた“流星流”最終奥義『骨抜』に対して、剣の峰で脚を払うという、真剣勝負の最中でおこなわれたとは思えない、子供の悪ふざけじみた行動は。

 まるで──「“流星流”はこんなものなのか」と。

「数多の騎士団を尻目に、九世兵器を蒐集してきた“流星流”はこんなものなのか」と。

 呆れた声で語っているかのように聞こえた。

 その声は、普段、心が無い故に他人の心情を察する能力に致命的に欠けているレスコーであっても──否、シギの剣を実際に受けたレスコーだからこそ、はっきりと聞き取ることができた。

 そして、その声は、こう言い換えることもできる。

「“骨抜”──つまり、レスコーがマクガフィンに向ける殺意(あい)は、この程度なのか」とも。

 

「…………っ!」

 

 それにレスコーは激昂した。

 さきほど戦士として軽んじられるような構えを見せられても熱くならなかった頭に、血が上る。

 

「そんなこと、ありま──」

 

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”を握る手に力を込め、一息で立ち上がろうとする。

 立ち上がって技を打つのではなく、立ち上がりながら技を打つ──そんな、神速とも言える行動だ。

 しかし、その神速に存在するはずもない隙を突くかのように、『人間が使う、人間の為の剣術』は振るわれた。

 

「………………………………」

 

 何が起きたのか分からなかった。

 暗い樹海に刃の輝きが幾つか走り。

 瞬きひとつにも満たない刹那のあと。

 レスコーの体から──切傷が生じた。

 全身から血飛沫が散らされる。

 立ち上がりかけていた膝は崩れ。

 力強く握っていた刀は手を離れ。

 どさ、と。

 真っ赤に染まった白ドレスが、再度地面に倒れ伏した。

 

「なっ──フォールコイン!? 大丈夫か!?」

 

 マクガフィンが叫んだが、名前を呼ばれた当人であるレスコーが返事をすることはなかった。

 その余裕がないのか、気を失っているのか──それとも、死んだのか。

 不確かだ。

 なので、不確かな状態を確かにすべく、シギ・テーブルはレスコーの頭を足の左右で挟むようにして立つと、両手に握った“全を薙ぐ刀(エピソード)”を振り上げた。

 

「やめろ!!」

 

 悲鳴のような大声でマクガフィンは止めようとするが、シギがそれに答えることは無い。

 彼女はいつだって剣で語る。

 今だってそうだ──掲げた“全を薙ぐ刀(エピソード)”を振り子時計のようにスイングし、レスコーの首を刎ね飛ばさんと──

 どごっ。

 と樹海に音が木霊した。

 断頭の音ではない。

 弾頭のような音だった──放たれた弾頭がぶつかるような、鈍い音である。

 音の発生源はシギの頭からだった。

 小さな何かが尋常ではないスピードで、彼女の頭部に飛来したのだ。

 普通なら、衝突した時点で頭が四散していてもおかしくない──それほどの速度と衝撃である。

 だが、シギの頭は原型を保っていた──小さな何かが頭部に触れる寸前で、レスコー目掛けて走らせていた“全を薙ぐ刀(エピソード)”の軌道を変え、防御に回したからだ。

 つまり、さきほど響いた『だんっ』は“全を薙ぐ刀(エピソード)”の側面と、小さな何かがぶつかって生じた音だった。

 

「こううん、ですね」

 

 小さな何かは舌足らずな声を発した──そう、それは弾頭ではない。

 動き、喋る、小さな生き物。

 すなわち、小人である。

 

「『鳥人』とてをくむどころか、なかまたちをなんにんもころした『人間』に……ううん、それだけじゃない。とおいむかしに、ごせんぞさまをいじめていた『人間』に、こうしてふくしゅうできるなんて。ぼくは、とても、こううんです」

 

 その声には。

 小さな体から発しているとは思えないほどに重々しい憎悪が含まれていた。

 小人は自身を受け止めた全を薙ぐ刀(エピソード)の側面に足を乗せると、そのまま膝を伸ばす。たったそれだけで、彼の体は人間の歩幅で言えば二十歩ぶんの距離を跳んだ。小人の影が、樹海の奥に消えていく。

 そして小人は──ひとりだけではない。

 一度その姿を見れば、否が応でも気配が感じとれてしまう。

 木陰に、草葉の後ろに、枝の上に──いくつもの気配があった。

 小人たちが、蟲のように犇めいている。

 樹の根元の瘤からひとりの小人が現れる。さきほどシギを襲ったのと同じ小人だ。彼は足の左右を平行に向くようにして前後に並べると、足首を曲げ、膝を曲げ、腰を曲げ、そして上半身まで曲げた。そのままだと前に転んでしまいそうだが、限り限りの所で安定している絶妙なポーズである。屈んだ上体からそれぞれ右前方、左前方に両手を伸ばし、指先を地面につける。完全な密着ではなく、指先が軽く触れる程度だ。

 前から見たら両手で弧を描いているように見える。

 もしも──この場に居合わせていた騎士が“剣道”シギ・テーブルではなく、“剣客”ト・テーブルだったら。

 小人が取った奇妙な構えを見て、『クラウチングスタート』という言葉を連想していただろう。

 そして、マクガフィンは

 

「弓……?」

 

 を連想した。

 小人は弓を使う。

 話に聞いていた通りだが、まさかそのままの意味ではなく、弓を形象した構えを取るという意味だったとは──! 

 

「弓走術──“蜂”」

 

 小人はそのまま足の裏に力を込める。大地を蹴った反作用で突き上げられた彼の体は、そのまま凄まじい速度を獲得し、疾駆した。

 まるで前方に落下しているかのような疾走──その先に立つシギ目掛けて、彼は敵意を隠そうともしていない。

 そして──他の小人たちもあとに続く。

 ひとりひとりが矮小、されど超速の軍勢が、ただひとりの人間に殺到する様は、まるで集団で外敵を包んで熱殺せんとする蜜蜂みたいだ。

 いや──それは比喩で済んでいないのかもしれない。

 なぜなら、小人たちの手には、それこそ蜂の尻に生えている針のように、細長く、先端が鋭く研がれた暗器が握られていたのだから。

 持ち主のサイズに沿った、小さな暗器である。これでは刺したところで、肉を越えて臓器までダメージを与えることはできないだろう。

 しかし、彼らは小人だ──神々から毒を生み出す九世兵器“地を支える毒(フェアリーテイル)”を渡された小人である。

 ならば、その暗器の鋭い先端に何も細工が施されていないと考える方が、不自然であろう。

 ひとつひとつが致死の猛毒を持つ暗器の大群。

 だが、()()()()で狼狽える“剣道”ではない。

 彼女は小人たちを邀撃すべく、“全を薙ぐ刀(エピソード)”を振ろうとした──が。

 音が、爆ぜた。

 

「                                                  !!!!!!!!!!」                                          

 

 文字で表現できない爆音が放射状に響き渡る。

 その場にいた全員の鼓膜が激痛に襲われた。

 小人たちは勿論、先ほどまで涼しい顔をしていたシギですら、煩わしそうに耳を塞いでいる──というより、彼女が一番、被害を受けていた。

 なぜなら、その爆音は彼女の足元──そこに倒れているレスコーの喉から迸ったのだから。

 いったい誰が信じられようか。

 全身からに重傷を負っている令嬢が、空間さえ軋ませるほどの大音声を発しているなんて。

 

「                                      !!!!」

 

 レスコーは叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。

 肺に残っている空気の限界まで──限界を超えても、叫ぶ。

 ただ叫ぶだけではない。

 彼女はおもむろに立ち上がった。

 動くたびに傷口から滴った血が地面を濡らすが、そんなことに構わず立ち上がる。

 そして、完全に立ち上がると、

 

「りゅ……う……“流星流”──『声枯(こがらし)』」

 

 掠れた声でレスコーは言った。

 周囲に犇めいていた小人たちは、全員動けなくなっている。

 人間でさえ聞くに耐えない音の波である。体の小さな彼らにとっては、全身を叩く物理的な攻撃に感じられたことだろう。

 とはいえ、レスコーが『声枯』を発したのは、小人たちを一掃するためではない。

 今の今まで倒れ伏していた彼女が、彼らの存在を把握していたわけがないのだ。

 そもそも、音響攻撃というのは『声枯』の副産物でしかない。

 それの本来の用途は、大声を出すことによる脳と体の活性化だ。

 つまり。

 戦闘不能に陥っていた自分の体に活を入れるためだけに、レスコーはこれだけ広範囲に渡る攻撃をおこなってみせたのである。

 

「すいません……少し眠っていましたわ……」

 

 その手には“全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 戦闘を続行するつもりらしい。

 だが──

 

「でも……もう、完璧に目が覚めました……。ぜひ、もういちど勝負を………………ぁう」

 

『声枯』で取り戻した活力も、そこで尽きた。

 意識を失ったレスコーは、みたび地面に倒れる。

 元々、シギに斬り倒された時点で限界だったのだ。

 体力でも気力でもなく、殺意が続く限り動き続ける『骨抜』を使えば、ここからでも戦闘を続行できたかもしれないが──その『骨抜』はすでに一度、敗れている。

 

「……………………」

 

 そして今も──シギは無言だった。

 彼女は“全を薙ぐ刀(エピソード)”を握り、先ほどの動きを再現(トレース)するかのように、振り上げる。

 あとはこのまま振り下ろせば、“流星流”の頭は跳ね飛ばされるだろう。

 それで、おしまいだ。

 だが、そこで──シギはバランスを崩した。

 左側に──ぐらり、と。

 また何処かから小人が飛んできた──のではない。

 ひとりでに体が揺れたのだ。

 それは小さな揺れであり、倒れるほどではなかったが──手元が狂った。

 結果、振り下ろされた刀は、レスコーの体を断つことなく、虚空を通過した。

 

「…………………………」

 

 疑問形すらない無言を続けているシギだが、彼女の心中を察するのは、今回ばかりは容易い。

 なぜ、自分の体は突然バランスを崩したのか? ──だろう。

 小人族の毒を気づかない合間に服していたから? ──違う。

 “剣道”たるものそんなヘマをしないし、仮に、万が一そうなっていた場合、九世兵器製の猛毒を受けた彼女の身に起きる症状はバランス感覚の消失ではなく、死のみだ。

 しかし他に考えられるバランス感覚消失の原因と言えば──三半規管へのダメージ──音。

 つまり──『声枯』だ。

 

「……………………」

 

 まさか、こんな展開を見越して、レスコーは『声枯』を発したわけではあるまい。

 しかし、結果的に──“流星流”の技により、“人剣流”の剣は逸らされた。

 その事実が、シギの心中にどのような影響を齎したのかなど、測れない。

 今も彼女は無言で、無表情のままなのだから。

 

「……………………」

 

 シギはレスコーを見下ろす。

 そうして──

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 たっぷりと、長い長い無言が続いたあと。

 シギは静かに剣を納めた。

 そのまま踵を返し、来た道を戻っていく。

 

「見逃された……のか?」

 

 不死身の体ゆえに『声枯』のダメージからいち早く復帰し、一部始終を見ていたマクガフィンは、“剣道”の姿が完全に見えなくなると、ぽつりと呟いた。

 ひとまず、シギ・テーブルという最大の脅威が去ったわけだが──ここで安心するわけにはいかない。

 なぜなら、ここは依然として敵地。どころか、状況だけ見れば小人から囲まれているも同然の状況である。

 今は『声枯』によってひとり残らず地面に倒れているが、もしも彼らが起き上がれば──レスコーとマクガフィンをすんなりと見逃すはずがあるまい。

 一度起きたことが二度目もあるとは限らないのだ。

 むしろ『声枯』を発したレスコーを危険人物として真っ先に排除しようとする可能性の方が高いだろう。

 そうなると、ふたりの旅はここで終わりである。

 

「……聞こえるか、小人たち」

 

 なるべく小さな──『声枯』でまだ痛むであろう小人たちの鼓膜を過度に刺激しないような声で、マクガフィンは言った。

 返事は無かったが、構わず続ける。

 

「もしかしたら誤解が生じているかもしれないから予め訂正しておくが、鳥人と手を組み、おまえたちの同胞を殺したというあいつらと、オレたちは仲間ではない。むしろ敵だ」

 

 さきほどの戦闘の最中で小人のひとりが言っていたことを思い出しながら語る。

 

「とはいえ、五〇年前にお前たちを迫害した人間であることは否定しない。オレはともかく、そこで倒れているオレの………………連れは、間違いなく人間(そう)だからな。だが、ここでひとつ交渉を持ち掛けさせてもらおう。お前たちにとっても悪くない話だ。憎悪のままにオレたちを排除するのは、この提案を聞いた後でも遅くないはずだ──おまえたちの事情は、これまでの話で理解した。おおかた、鳥人についた人間によって、戦力を削られているんだろう?」

 

 だったら──と。

 マクガフィンは言った。

 

小人(おまえたち)にはオレたちが付こう」

 

 力強く、断言する。

 

「とはいえ、実際に戦うのはオレではない。オレは見ての通り貧弱な非戦闘員でね──実際に戦うのはそこで倒れている、オレの連れだ」

 

 マクガフィンは視線をレスコーに移す。

 全身に刻まれた傷口は痛々しく、今も尚、血を盛らし続けているが、息はあるようだ。

 ──このまま放っておけば、遠からず息絶えるだろう。

 

「だから、まずはあいつを治療してやってくれ──そうしたら、鳥人側に着いた人間どころか、鳥人を全滅させてみせようじゃないか」

 

 

 大陸沿岸の樹海と、山の麓の境にある地帯。

 そこは世界に残った九つの種族のひとつである鳥人の住処なのだが──そこにはいま、鳥人ならぬ人間がいた。

 数はふたり──少年と、男か女なのか判別しがたい中性的な人間だ。

 衣服は両者ともに黒。

 しかし、その様式は異なる。

 少年が着ているのは、この世界のどこにも似たものが見当たらなさそうな珍しい様式の服であり、中性的な人間は軍服と踊り子の中間のような格好をしていた。

 緑豊かな鳥人の領域に、黒一色の目立つ服を着ている人間がいれば、どこからか鳥人が飛んできて、異物の排除を開始しそうなものだが──そんなことは起きていない。

 数週間前ならともかく、今現在において──彼らはこの土地にとっての異物ではなくなっていた。

 

「ホッホッホゥ」

 

 声が降り注ぐ。

 ふたりの人間は顔を上げ、声がしたほうを見た。

 樹海に犇く木々の一本──その樹冠の頂点に、ひとりの鳥人が降り立っていた。

 

「ごきげんよう、トにシャルル」

 

 腕の代わりに白い、毛量の豊かな羽を生やした男である。

 両目は殆ど線と言ってもいいくらいに切れ長。口元に浮かべられている余裕ありげな微笑。全体的に優美な雰囲気を漂わせている鳥人だった。

 

「やっほー、首長サマ」

 

 中性的な人間──シャルル・テーブルは、ひらひらと右手を振る。

『首長』と呼ばれる者への挨拶にしては、いささか軽く思える態度だったが、見ていて無礼さではなく親しみを感じられるのは、彼(彼女?)が持つ人間的な魅力のおかげだろうか。

 

「どうも、首長」

 

 少年──ト・テーブルも続けて、ぺこり、と小さく頭を下げる。

 そして。

 

「まずは訂正をさせてください。ぼくの名前はトじゃない──   トです」

 

「はあ? 何を言っている? そなたは相変わらず、冗談のセンスがないな」

 

 まあ、そんなことより──と。

 首長は高見を維持しながら、

 

()退()()は順調かね?」

 

 と尋ねた。

 

「……ええ、順調ですよ」

 

 トは答える。

 鳥人の首長は小人族との戦いを『虫退治』と呼ぶことに拘っていた。

 彼曰く、

「五〇年前まで、小人は人間をはじめとするいくつかの種族から、昆虫に分類されていたと聞く──ならば、奴らを殺すことは虫退治と変わらんだろう?」

 という理屈らしい。

 ……それを言えば、鳥人だって五〇年前までは鳥類に分類されていたということを、トは歴史書や生物図鑑から学んでいるのだが──そんなことを首長に主張するなどという空気の読めない行動を、彼はしない。

 シャルルもしない。

 いま、この場にはいない無口なシギは言わずもがなである。

 なぜなら彼ら騎士団は現在、鳥人と手を組んでいるのだから。

 同盟関係に亀裂を入れるような発言は御法度だ。

 

「(それにしても──手を組む、か)」

 

 その言い回しは、ひょっとすると不適切なのかもしれない。

 鳥人は、その名の通り、腕の代わりに翼が生えているのだから。

 なので正しくは「手と翼を組む」と言うべきなのだろう。

 

「(まあ、言葉の上だけの些細な、どうでもいい話だけどな──しっかし、腕ではなく翼が生えている種族ねえ……。そりゃ、かつて弱い立場にいて迫害されていたってのも納得だぜ)」

 

 空を飛べば巨人の頭上を追い越すことさえ出来るというのは、大したアドバンテージに思えるが──一方で、腕が無いということは、イコールで道具を扱う能力に欠けるということである。

 道具を持てないし。

 掴めないし。

 握れないし。

 操れないし。

 摘まめないし。

 引っ張れないし。

 弾けないし。

 使えない──。

 文明の発展に道具の存在が不可欠である以上、そのディスアドバンテージは深刻すぎる。

 どれだけ飛行能力に優れていようが、他の種族が飛び道具を発達させてしまえば、その瞬間に鳥人の優位は大きく下落するのである。

 だから鳥人は落ちぶれた。

 撃ち落されるように──落ちぶれたのだ。

 故に、こうして樹海の奥深くの僻地に、小人と一緒になって逃げ込んでいるのである。

 ……と、こんな風に長々としたトの思考が、首長に届いているはずもなく。

 トの報告を受けると首長は、

 

「順調か、それは結構。ホッホッホゥ」

 

 と、機嫌良く笑った。

 白く大きな翼で口元を隠しながらの、上品な笑い方である。

 

「害虫が地上から一匹でも多く減るのは喜ばしいことよ──しかしだね、少々時間がかかりすぎではないかな?」

 

「…………」

 

「そもそも、何度かに分けて襲撃をおこない、虫の戦力をじわじわと削いでいく──というそなたたちの作戦は、時間がかかりすぎているように思えてならん。そなたたちの実力なら、虫を一夜で絶滅させることなど容易かろう?」

 

「……それは流石に、ぼくたちを買い被りすぎですよ」

 

 トは言った。

 

「それに、短時間で彼らを一気に叩くというのは、危険です──小人に渡された九世兵器、“地を支える毒(フェアリーテイル)”はご存知でしょう?」

 

「もちろん──致死の猛毒を生み出す兵器だったか」

 

「ええ、そうです。そんなものを持つ彼らが、降参の余地もなければ冷静に考える暇もなく攻められれば──最悪の場合、「どうせ死ぬのなら」と自暴自棄になって“地を支える毒(フェアリーテイル)”の毒を周囲一帯に散布する可能性がある。そうなれば、樹海の少なくない面積が汚染され、生物の住めない死地となるでしょう」

 

 そうなるのは困る。

 “地を支える毒(フェアリーテイル)”産の毒によって、小人の居住地を中心とした樹海の一部地域が侵入不可の死地と化すというのは、それはつまり──“地を支える毒(フェアリーテイル)”の蒐集が不可能になるのと同義なのだから。

 九世兵器の蒐集を目的に活動している絶対人間騎士団として、そのような展開は絶対に避けたいところだ。

 

「九世兵器はいずれも世界を滅ぼす力を持つ兵器ですが、“地を支える毒(フェアリーテイル)”は範囲と殺傷力ともに強大だ。そんなものを持つ彼らとの戦争では、敵の全滅ではなく降伏を狙った方が──」

 

「……はあ」

 

 それ以上の説得を遮るように、首長は溜息をついた。

 形の整った眉をハの字に傾けて、トの発言に心の底から呆れている。

 

「トよ、余はそなたらの優秀さを認めているが……なにやら色々とわけの分からんことを考えているのだなあ──毒の散布? それがどうした? 我らは土地が欲しくて虫を殺しているのではない。絶滅だよ、絶滅。種族的な全滅だ。仮に降伏してきた所で殺すだけよ。あんな矮小な奴らが住んでいた土地など元から欲しくもないし、手に入った所で使うつもりもない。毒で自爆するなんて、むしろ虫の巣にはお似合いの末路だろうよ。ホッホッホゥ」

 

「……………………」

 

 そりゃ、あんたたちにとっては、それでいいんだろうな──とトは思う。

 現在、前線を張って小人を攻めているのは絶対人間騎士団の構成員だ。

 “地を支える毒(フェアリーテイル)”が広域的な運用がされれば、真っ先に影響を受ける危険な役どころである。

 

「(あるいは、そういう展開こそが最良だと思っているのかね──小人も、外部から来た人間も死んで、鳥人のひとり勝ちで終わるって展開が)」

 

 トは溜息を吐きたくなった。

 やっぱり諸々のリスクなんて考慮せずに、騎士団三人で小人と鳥人をまとめて相手にしていればよかったかな──と思う。

 まあ、外からやってきて、いきなり協力を申し出てきた輩に回ってくる役どころなんて、危険であって当たり前なのだが──。

 第三勢力として排除されずに済んだだけで、御の字と言えるだろう。

 

「とはいえ現状、そなたらが我らにとっての重要な戦力になっているのは確かな事実。明確な利敵行為をしない限りは大目に見てやろう」

 

「──戦力、と言えば」

 

 美しい声が続いた。

 シャルル・テーブルの声だった。

 

「それこそ鳥人にもあるでしょ? ボクたち騎士団どころか、小人の“地を支える毒(フェアリーテイル)”にも匹敵する──同格の戦力が」

 

 九世兵器。

 かつて『大いなる戦争』と『大いなる災害』を生き延びた九つの種族に“神々”が齎したとされる兵器群。

 それはもちろん、小人のみならず、鳥人にも与えられている。

 

「──“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”のことか」

 

「うん」

 

「我らに与えられた崇高なる兵器が、虫のそれと同格扱いされるのは本意ではないが……そういえばそなたらには、まだ一度もアレを紹介したことがなかったな。であれば、”雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”が”地を支えし毒(フェアリーテイル)”と同格などという勘違いをしてしまうのも仕方なかろう」

 

 ふむ──と。

 首長は眼下のふたりが腰に差している“全を薙ぐ刀(エピソード)”を交互に見やると。

 

「よし。いい機会だ。そなたらには何度も世話になっている上に、今もこうして人間の九世兵器を見せてもらっている──こちらもそろそろ開示しておくとしよう」

 

 意外だな、とトは思った。

 話の流れがここに行き着くように、シャルルが持ち前の話術を駆使した結果ではあるのだけど──それにしても、こうも気前よく“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”について教えてもらえることになったのは意外である。

 九世兵器は秘中の秘。

 普通なら無闇に──それも、他種族の者に明かすべきではない代物だ。

 現にトたち絶対人間騎士団が知る限り、鳥人の“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”は、その名前以外の一切合切が謎に包まれていた。

 だからこうしてトたちは、鳥人と共同戦線を張って、その正体を探ろうとしていたのである(これはあくまで理由のひとつであって、他にも“地を支える毒(フェアリーテイル)”と正体不明の九世兵器のふたつを同時に相手取るリスクなどの様々な要因が合わさった結果、絶対人間騎士団の面々は鳥人に協力しているのだが)。

 まさか本当に「“全を薙ぐ刀(エピソード)”を見せてもらったから」という返報的な理由なのか? 

 それはない──トは鳥人の首長と出会ってまだ数週間しか経っていないが、それでも彼の傲慢な性格はよく理解しているつもりだ。

 自分が何かを与えられたら、礼に何かを返そう──などという殊勝な考えを備えているとは思えない。

 ……ひょっとすると。

 さきほどトが“地を支える毒(フェアリーテイル)“を話題に上げた際に、その脅威を強調するような語り口だったことが、何かと小人を下に見たがる鳥人の対抗心に火をつけたのだろうか。

 自分たちが与えられた兵器だって凄いんだぞ──と。

 誇示したくなって、開示に踏み切ったのかもしれない。

 あくまで推測に過ぎないが。

 

「まあ、開示するもなにも──そなたらは、この樹海において“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”の在処を何度か目にしているはずなのだがな」

 

「? どういうことです?」

 

「そこら辺にあるってコト? 空気みたいに?」

 

 シャルルは言った。

 

「違う──が、惜しいな。空気という発想は、いい線をいっておる」

 

 シャルルの推測に対して意味深長なことを言いながら、首長は顔を上げた。

 それに倣うように、トたちも首を更に後ろに傾ける。

 視界いっぱいに空の青が飛び込んだ。

 所々に雲が浮かんでおり、東の一点には、一際大きなものが──

 

()()()

 

 伸ばした羽の先端で大きな雲を指し示しながら、首長は言った。

 

「しばらく見続ければ分かるが──あの雲は動かない」

 

「…………」

 

「…………」

 

 騎士団のふたりは無言で空を見上げる。

 一秒……、十秒……──、一分。

 首長の言葉通り、大きな雲が東の一点を離れることは無かった。

 どれだけ時間が経っても──微塵も動かない。

 まるで、そこだけ気流が止まっているかのようだ。

 気象学の常識に反する光景である。

 いったいいつから、あの雲はあそこにあるのだろう? 

 つい先ほど? 

 今朝から? 

 トたちがこの地を訪れた時から? 

 鳥人と小人の戦争が始まったときから? 

 それとも──五〇年前から? 

 

「“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”は、あの中を飛んでいる」

 

 謎に包まれていた九世兵器は──雲に包まれていたのだ。

 なるほど。

 まさに“()()にて唄う砲”である。

 

「……へえ、『ラピュタ』みたいだ」

 

「らぴゅ……? なんだそれは?」

 

 トが呟いた耳慣れない言葉に首長は戸惑ったが、一方で、彼の奇怪な言動に慣れているシャルルは、調子を崩さずに次のように言った。

 

「アレだけ大きな雲に隠れてるってことは……“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”自体の大きさも、それなりにあるのかな?」

 

「うむ。人間のそなたらに分かりやすく喩えるなら、城程度の大きさだ」

 

 首長は言った。

 まるで実際に、あの雲の中を覗いて、“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”を目視したことがあるかのような口ぶりである──いや。

 実際、彼には、そのような経験があるのだろう。

 腕の代わりに立派な翼を持ち、空を飛べる鳥人である首長は、幾度となく、空高くに位置する九世兵器を訪れたことがあるに違いない。

 そして──

 

「(なるほど)」

 

 トは納得する。

 首長がこうもあっさり“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”の情報を明かした理由が、今になって分かったからだ。

 空中に浮かぶ九世兵器なんて──その存在を知った所で、鳥人以外に使えるわけがない。

 飛行能力を持たない人間では、雲の奥に手が届くはずがないのだから。

 だから──どれだけ自慢した所で、奪われる心配がない。

 きっとそんな風に高を括って、首長は話しているのだろう。

 

「(食えない奴だ)」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、トは心中で毒づいた。

 

「──全体を覆い隠している雲は、“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”の特性と関係が?」

 

「勿論だとも」首長は頷いた。「我らの九世兵器は空気の流れを操る」

 

「空気?」

 

 シャルルが反応した。

 先ほど「空気という発想は、いい線をいっている」と評されたことを思い出したのだろう。

 

「空気の流れ──つまりは気流だよ。気流を生み出し、気流を強め、気流の向きさえ思いのままにする」

 

 気流の操作。

 その説明が真実なら。

 “雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”は、大気という、この世でもっとも普遍的な存在を司る兵器だと言える。

 そして、大気を操れるということは──気象も操れるということだ。

 この世全ての気象現象は、大気の流れによって成り立っているのだから。

 巨大な雲を空の一カ所に留めるなんて序の口。

 竜巻に豪雪、暴風雨に雷撃など、数多の天災を意図的に引き起こせるのである。

『九つ同時に使えば世界を九度滅ぼせる』と呼ばれる九世兵器の一角を担うに相応しい、最悪の気象兵器である。

 説明を終えると、首長は得意げに笑い、

 

「どうだ? まさに空の支配者たる我ら鳥人に相応しい兵器だろう?」

 

「そうですね──戦争で使ったことはあるんですか?」

 

「ない」

 

 きっぱりと、首長は言う。

 

「たかが虫退治に崇高な兵器を持ち出せば、“神々”から怒りを買いかねんからな」

 

「……そうですか」

 

 小人を見下している首長らしい理由だが──それだけではあるまい。

 なにせ、首長の説明が正しければ“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”は、空そのものを武器として扱えるに等しい特性を持つ。

 影響を与える範囲で言えば、猛毒を生み出す“地を支える毒(フェアリーテイル)”に並ぶ──どころか上回る兵器だ。

 そんなものを小人が住まう小さな居住地だけに狙いを定めて運用するのは難しいだろう。

 気流の操作によって引き起こすのが暴風であれ、雷撃であれ──隣接する土地に棲む鳥人たちまで、被害を受けかねない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 ──と、そんな風に。

 話が一区切りしたタイミングで。

 トたちの背後から影が現れた。

 人間の女である。

 瓶底の眼鏡。一本の三つ編みにまとめた長い黒髪。黒い軍服。

 腰にはトたちと同じ刀を差している。

 

「シギ!」

 

 シャルルは顔を明るくすると、シギに駆け寄ると再会のハグをした。

 

「おかえり! 今日は早かったね!」

 

「……………………………………」

 

「『人間が使う、人間の為の剣術』人剣流が小人にも通じているみたいで何よりだよ」

 

「……………………………………」

 

「──あれ? いつもと様子が違わない?」

 

「……………………………………」

 

「もしかして、何かあった?」

 

「…………………………………………」

 

 シギはいつも通りの無表情であり、外から見て内心を窺い知ることなど出来るはずもないのだが、卓越したコミュニケーション能力を持つシャルルは、彼女の佇まいから何らかの違和を感じ取った。

 そして──“剣舞”は理解する。

 “剣道”の身に何があったのかを。

 

「“流星流”と戦っただって!?」

 

「…………………………」

 

「……そっか。小人の国付近で……“流星流”とマフィが……」

 

「…………………………」

 

「一度は殺す寸前までいったけど……へえ、そんなことがあったんだ……で、“流星流”が再戦できるようになるまで──万全の“流星流”を殺す為に見逃すことにしたんだね……シギらしいや」

 

 シギは首肯することさえないが、シャルルは彼女の意思を次々と汲み取っていく。

 まるで饒舌な説明を受けているかのように。

 “流星流”。

 それは絶対人間帝国において、『殺しすぎる剣術』として恐れられている殺人剣だが──騎士団に所属するシャルルにとって、その名は別の意味も持つ。

 それは──仇だ。

 “剣頭”、ミルドット・テーブル。

 “剣山”、ウーガ・テーブル。

 “孤剣”、マリエッタ・テーブル。

 “剣呑“、リィレロ・テーブル。

 “剣聖”、サンヘルム・テーブル。

 ここ数か月で連絡が途絶えた絶対人間騎士団の騎士たちの名前である。

 とはいえ、実際に“流星流”が命を奪ったのは、最初のひとり、ミルドット・テーブルだけだ。

 それ以外の団員は皆、九世兵器の所有者や、九世兵器のレプリカの所有者や、九世兵器そのものに殺されている。

 けれど、そんなこと、遠く離れた地で別任務にあたっていたシャルルにとっては知らないことだし──知ったことではない。

 そもそも、ひとりだけであっても、“流星流”が騎士団のメンバーを殺したのは事実だ。

 それに──

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 仲間想いのシャルルにとっては、それだけで許しがたい。

 

「…………“流星流”」

 

 ぽつり、と呟くシャルル。

 今や、その端正な顔面は、憎々しげに歪んでいた。

 

「“流星流”ッ!!」

 

 胸中に渦巻く憤怒と共に大声を吐き出すと、シャルルは走り出した。

 たったひとりで。

 脇目もふらずに。

 行き先は──問うまでもないだろう。

 自分の発言(?)がきっかけでシャルルが暴走したことを知ると、シギは後を追ったが、その頃には、麗人の姿は樹海の奥深くまで消えていた。

 

「……すごいな」

 

 ふたりが去った後で首長は言った。

 

「あそこまで怒りを露わにしているシャルルは初めて見た。同盟を組んでいる今、暴走じみた独断専行はよしてもらいたいが──どうやらこの地に現れた不穏分子を排除しようとしているらしいし、ならば止めはせんよ──さて、そなたはどうするつもりかな? ト」

 

 首長はそう言って、視線をトのほうに向けようとしたが──そこに“剣客”の少年は立っていなかった。

 まるで最初からそこにいなかったかのように、姿を消していた。

 

 ◆

 

 その木が異常を宿しているのは一目瞭然だった。

 色が違う。

 樹皮が真っ黒だ。

 まるで焼け焦げているかのように──黒い。

 幹から伸びる枝も黒い。当然、そこに付いている葉まで黒一色だ。

 きっと花が咲けば、それもまた黒なのだろう。後に実る果実だって、そうに違いない。

 何処に目をやっても黒一色。

 見るだけで目がくらみそうになるくらいに毒々しい。

 その異様な色味は、周囲に生える他の木々と比べれば明確である──と言いたいところだが、その比較は実現できない。

 なぜなら、周囲に木が生えていないからだ。

 木々が犇めく樹海にて、この黒い木の周囲だけ──人間の歩幅で言えば、百歩分の距離だけ、木が一本も生えていなかった。

 否──生えていないのは木だけではない。

 草さえ生えていない。

 剥き出しになっている地面には、虫の一匹さえ見当たらない。

 まるで木を中心とした一帯が、生物の存在を許されない死地になっているかのようだった。

 そんな場所に、マクガフィンは立っていた。

 

「…………」

 

 双眸から発する鋭い視線を、黒い木に注いでいる。

 木の幹には(うろ)があった。

 人間の大人でも背筋を伸ばしたまま這入れそうな、巨大な洞である。

 その中にあるのは空洞──ではない。

 何かが垂れ下がっている。

 洞の天井から真下に向けて、鋭い先端を突き出している。

 最初にそれを見た時、マクガフィンが連想したのはつららだった。

 あるいは鍾乳石。

 もしくは──()()()()

 材質は見るからに木製ではない。

 木に後付けで入れられた異物であることは明白だった。

 ぽたり、ぽたり、と。

 つららのような何かは、その鋭い先端から定期的に液滴を落としている。

 色は透明だが──目に見えないおぞましい瘴気が感じられた。

 呑むのは勿論、触れることさえ危険だろう。

 どころか、気化したそれが漂う空間にいることさえ、命に関わるに違いない。

 洞の下部に目をやると、液溜まりができていた。

 きっと長い間液滴を吸い続けたことで、この木は黒くなったのだろう。

 毒々しい黒さを得たのだろう。

 

「これが“地を支える毒《フェアリーテイル》”──毒を自動生成する兵器か」

 

 マクガフィンは言った。

 ここに“地を支える毒(フェアリーテイル)”があると小人から聞いて、彼女はやってきたのだが──毒で汚染された死地に生身で立っているにも関わらず、彼女の体に異変は起きていない。

 いや──正確に言えば、ここにたどり着くまでに何度か異変があった。

 ざっと二百六十回ほど。

 その殆どが死に至るレベルの異変だったが、マクガフィンはその身に宿る不死性により、二百六十回蘇っていた。

 どころか、その過程で毒への抗体を獲得し、今や体調不良に陥ることなく、“地を支える毒(フェアリーテイル)”の前に立っているのである。

 

「……たかがこの程度で耐性がつくなんて──どうやら、この九世兵器もオレの野望を叶えるには足らないようだな」

 

 マクガフィンは嘆くようにそう言った。

 このまま洞の内部に手を伸ばし、執筆をおこなえば、それだけで“地を支える毒(フェアリーテイル)”の蒐集が完了する状況である。

 しかし、彼女はそれをしない──今のところは、まだ。

 そんなことをすれば、小人が敵に回るからだ。

 五〇年かけて“地を支える毒(フェアリーテイル)”と付き合ってきた小人たちは、その毒を研究し、学習し、理解している。

 その学習深度はオリジナルの“地を支える毒(フェアリーテイル)”を用いずとも、それを元にしたいくつもの毒の開発に成功するほどまでに至っていた。

 今や小人は“地を支える毒(フェアリーテイル)”抜きでも、恐るべき毒使いの集団なのである。

 そんな彼らを、そう易々と敵に回すわけにはいかない。

 少なくとも、レスコーの治療を任せている今は。

 ……そもそも、マクガフィンがこの場を訪れた目的は“地を支える毒(フェアリーテイル)”の蒐集でなければ、「小人の九世兵器を一目見ておこう」という観光気分ですらない。

 ただ──なんとなく。

 レスコーが治療を受けている最中に、なぜか心が落ち着かず、ひとところに留まっていられなくなり、つい、ここまで足を延ばしてしまったのだ。

 結果、マクガフィンの身には二百六十回の死と蘇生が生じたが、それらは彼女の心境に少しの変化も与えなかった。

 心中には今も変わらず、形容しがたい不安が渦巻いている。

 ──レスコーの治療は無事に済むのだろうか? 

 

「……まさか、オレがアイツにあそこまで入れ込んでいるなんてな」自嘲するように笑うマクガフィン。「アイツに会ったばかりのオレが知ったら、どんな顔をするのやら」

 

 足音がした。

 マクガフィンは振り向く。

 防護服で身を包んだ小人が立っていた。

 ここは“地を支える毒(フェアリーテイル)”産の毒で汚染された死地。本来ならば、このくらいの装備をして這入らなくてはならないのである。

 

「こんなところにいましたか。さがしましたよ」

 

 防護服の覆面で顔が見えないが、聞き覚えのある声だった。

 たしかレスコーの治療を依頼する過程で、言葉を交わした覚えがある。

 

「ぼうごふくをきなくてもへいきなんて、あなたはずいぶん、がんじょうなんですね」

 

「体が特別製なものでね──それで、どうした? オレの連れの治療は順調か?」

 

「おわりました」

 

 早すぎる。

 現在の時刻は夕方。シギとレスコーの真昼の戦闘があってから、まだ四半日も経っていない。

 普通なら、そんなに早く治療が終わるわけがないだろう。

 しかし、マクガフィンは小人の言葉に驚くそぶりを見せる事なく、

 

「そうか、感謝する」

 

 と、礼を述べた。

 

「さすが小人族だな──毒は勿論のこと、製薬の技術力まで高いとは」

 

 小人族が“地を支える毒(フェアリーテイル)”を元に、毒のみならず薬品を生産していることは、有名な話であった。

 薬も過ぎれば毒となり──毒も適度に使えば薬となる。

 そういうわけで、世界一の毒物製造兵器(フェアリーテイル)を渡され、その研究を重ねていた小人族は今や、世界一の薬学をも有していた。

 世界一の薬学にかかれば、重傷者の治療を四半日足らずで終わらせることなど、容易かろう。

 他にも、たとえば──先程のシギとの戦いにおいて、小人の戦士が見せた異常な脚力。

 あれは特別な薬によるドーピングで強化されたものである。

 そして──薬で強化されているのは、脚力だけではあるまい。

 膂力。体力。生理現象。代謝。スマートドラッグを使えば、脳にまで。

 薬学的に改造可能な部分には全て、何かしらの手を加えているはずだ。

 毒と薬を持つ小人族は、五〇年前のように、小さく弱いままではない。

 ……もっとも、そうして強くなった今も、鳥人と騎士団の連合に劣勢が続いているあたり、小人族の元々の弱さが窺い知れるというものだが。

 

「すでに、おつれのかたは、めをさましています── このままくすりのしょほうをつづけて、えいようをとれば、ひとばんもしないうちに、はだのきりきずさえなくなるでしょう」

 

「それはすごい──()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──ただ」

 

「ただ?」

 

「おつれのかたのようすが、おかしいのです」

 

 ◆

 

 様子がおかしいもなにも、レスコーの様子がまともだったことなんて、これまでの旅路で一度たりともなかったのだが──それはともかく。

 一際大きな木の陰に隠れるようにして設置された治療所。

 そこにレスコー・フォールコインは、仰向けで寝ていた。

 その目はうつろだ。

 感情のないレスコーの目は元来、うつろなのだが──今はそれに輪をかけてのうつろである。

 感情どころか意識さえなさそうな虚無。

 それが両目合わせて、ふたつぶん。

 

「…………………………」

 

 ふと、レスコーの脳裏に記憶が蘇る。

 気を失う前の──“人剣流”に為すすべなく斬られた記憶が。

 その記憶は痛々しく──苦々しい。

 思い出したくもない。

 べつに、負けたことが悔しいのではない。

 レスコーに、そのような対抗心は皆無だ。

 ただ──愛しているマクガフィンの前で負けたことが、嫌だった。

 

「(マフィ様に、いいところのひとつも見せられずに、シギさんに負けてしまいましたわ……)」

 

 しかも、レスコーからマクガフィンへの愛の証である“骨抜”が破れてしまうなんて──

 再戦の為に立ち上がるも、一太刀も振れずに倒れてしまうなんて──

 かっこわるい。

 みっともない。

 思い出すだけで顔を両手で覆って「うぅ゛〜……」と呻き声をあげてしまう。

 今のレスコーは落ち込んでいた。

 それも──めちゃくちゃに。

 感情のない彼女らしくないが──一方で、マクガフィンを愛している彼女らしくもあった。

 誰だって、好きな人の前で格好悪い姿を見せてしまったら、こんな風に落ち込むに決まってる。

 

「──なるほど。たしかに、様子がおかしいな」

 

 頭上から声がした。

 顔を覆っていた両手を除ける。

 マクガフィンが、冷ややかな目でこちらを見下ろしていた。

 

「ま、マフィ様……」

 

 仰向けのまま、レスコーは弱弱しい声で言う。

 

「シギさんとの戦いでは……お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「……………………」

 

「不死身でもないシギさんに、ああもこっぴどくやられてしまうなんて……しかも、往生際悪く再戦を申し込んでおいて、気を失ってしまうなんて……恥ずかしいですわ」

 

 レスコーは言う。暗い声で。

 

「この程度で躓いてしまうようなわたくしが、果たしてマフィ様を殺すことができるのでしょうか──むぐっ!?」

 

 マクガフィンは膝を曲げてしゃがむと、手に持っていた携帯食料を、レスコーの口に突っ込んだ。

 乱暴ではあるが──レスコーが熱望していた『あーん』である。

 

「落ち込んでうじうじと考える元気はあるらしいな──なら、さっさと栄養をとれ。傷を治せ。そして次こそシギに勝て、フォールコイン」

 

「むっ、むむむっ、むぐむぐ……」ごくん、と携帯食料を嚥下するレスコー。「でっ、でも! シギさんには、 “流星流”が! “骨抜”が! わたくしの愛が通じなかったんですよ!? もう一度戦っても勝てるかどうか──」

 

「そうは言っても、オレは既にお前が騎士団に勝つと、小人に宣言してしまったからなあ──それに」

 

 とん、と。

 マクガフィンは作った握りこぶしを、レスコーの胸の中央に落とした。

 

「たかが一度負けたくらいでなんだ。たしかにお前の“恋心(骨抜)”は一度、“剣道”に敗れたが──それで何を失った?」

 

 否。

 レスコーは何も失っていない。

 命も。

 剣も。

 技も。

 マクガフィンも。

 恋も──失っていない。

 

「そして今や、受けた傷も小人の薬で殆ど元通りになっている。傍目から見て、おまえが負けたことなど、誰にも分からんよ──だから、そこまで落ち込むな。いつも通り『だけど殺す』の気概を見せてみろ」

 

「…………」

 

「改めて問うぞ、フォールコイン。オレの為にシギを──いや、シギだけではないな──鳥人の勢力全員を、殺せるか?」

 

 たしかに、今のフォールコインはプラスマイナスゼロの状態だ。

 何も得ていないが──何も失っていない。

 とはいえ、それは彼女の現状だけを見た評価であり──シギに負けたという過去は変わらない。

 このまま“流星流”が“人剣流”に再戦を挑めば、次こそ殺されて、全てを失ってしまうことになるだろう。

 だけど──それでも。

 マクガフィンは、レスコーを見捨てずに、頼ってくれる。

 ()いを──向けてくれている。

 ならば──愛する者からの求めに対し、レスコーが返す答えなど、ひとつしかあるまい。

 

「ええ、勿論」

 

 その目は既にうつろではない。

 きらきらと、恋心で輝いている。

 

「次こそは勝ってみせますわ!」

 

 きっぱりと、いつも通りの調子で、そう言った。

 

「それでいい」

 

 マクガフィンは満足げに頷くと、曲げていた膝を伸ばし、立ち上がった。

 その顔にはいつも通りの──悪そうな笑みが浮かんでいる。

 

「それに、なにも無策でシギと再戦させるつもりはない。ちゃんと、策は考えている。オレの策略とおまえの剣術があって初めて成り立つ策なんだが──やれそうか?」

 

「やれます!」

 

 まだ作戦の概要さえ聞いていないのに間髪を入れずに答えた。

 普段通りの即答──すっかり本調子に戻っている。

 

「なにをすればよいのでしょう?」

 

「とにかく“流星流”で一番速い技を使え」

 

 与えられたアドバイスは、ひどくシンプルなものだった。

 

 ◆

 

 樹海の景色なんて、この地を訪れて一ヶ月も経っていないレスコーたちにとっては右も左もわからなかったが、それでも、小人の案内によって、鳥人の国との境界線付近を訪れることができた。

 飛べない人間が、鳥人の国から小人の国まで最短距離でまっすぐ攻め込もうとすれば、ここを通らなくてはならない。

 罠を警戒すれば別ルートを迂回するだろうが──それは弱者の考えだ。

 己の強さに誇りを持つ絶対人間騎士団の強者が、そんな思考をするはずがない。

 シギが再び現れるとすれば、ここ以外にありえない──そんな場所に、レスコーとマクガフィンは陣取る。

 日はとっくに沈んでいた。

 元から薄暗かった樹海は、今となっては完全に闇に包まれている。

 ふいに、闇の中で何かが動いた。

 桃色の髪だ。

 宵闇の中では目立つ髪色をしている、中性的な風貌の人間が、迷いのない足取りで、こちらに向かって走っていた。

 

「おや」

 

 マクガフィンは少し、驚いたような声を漏らした。

 

「シャルル──! あいつもここに来ていたのか。てっきり、ここにはシギひとりしか来ていないかと思っていたんだが……」

 

 そのタイミングでシャルルもマクガフィンとレスコーの姿を認めたらしい。

 

「マフィ! それに──“流星流”ッ!!」

 

 可愛らしい顔のどこから出ているのか不思議に思えるほどに力のある怒声を張り上げた。

 顔面は憤怒の形相で固まっているが──そんな風になってもなお、シャルルが備える美しさは寸毫も欠けていないのだから、美人というのは不思議である。

 

「やっと見つけたよ……! よくも──よくも仲間をッ! ミルドットを殺してくれたな!」

 

 ざっ、ざっ、ざっ。

 足早な歩調でレスコーたちとの距離を躊躇いなく縮めながら、シャルルは言う。

 その手は既に、腰に差した刀に触れていた。

 

「“流星流”! シギはキミを見逃したらしいけど、ボクはそんなことはしない──仲間の獲物を横取りするのは気が引けるけど、それ以前にキミは仲間の仇だ──ここで殺す!」

 

 チョークのように白く細長い指に力を込めて、抜刀。

 その勢いのまま、レスコーに斬撃を叩きこもうとする。

 “人剣流”のシギや、薬で埒外の瞬発力を得ている小人たちと比べれば遅いが、しかし、この場において速度は重要ではない。

 だって、どれだけ遅くとも──その剣は必中なのだから。

 

「食らえ! ──『美仞麗駆(びじんれいく)』!」

 

 “剣舞”が独自に開発した剣術──『美仞麗駆(びじんれいく)』。

 武術であり、舞術の剣。

 シャルル・テーブルが帝国最強の剣士集団・絶対人間騎士団の一員である所以の技だ。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”を手に戦場を駆けるその美しさに一瞬でも見惚れた者は、忘我におちい──レスコーは地面を蹴って、前に飛び出しながら、刀を抜いていた。

 

「え」

 

 “流星流”が見せた予想外の動きに、シャルルは目を丸める。

 無理もない。

 相手に防御も回避も応戦も許さない剣術を、絶対の自信を持って発動したはずなのに、“流星流”がよどみない動きで抜刀していたのだから。

美仞麗駆(びじんれいく)』が効いていない──これっぽっちも。

 

「……残念だが」マクガフィンは言った。「精神攻撃(そういうの)が効かないのは、孤剣(マリエッタ)との戦いで説明済みだ」

 

「な──ッ!?」

 

 ──それに。

 恋する乙女は盲目と、よく言うではないか。

 だから、シャルル・テーブルがどれだけ美しくても、その美貌がレスコーの瞳に映ることはない。

()()()()()()()()()()()()()、一途な“流星流”の想いが揺らぐわけがないのだ。

 ときめくのも、落ち込むのも、怒るのも、喜ぶのも──いつだって。

 レスコーの()()()()()()()()を動かすのは、マクガフィンただひとりなのだから。

 だから、“流星流”は止まらない。

 “剣舞”の命を奪わんと、刃を走らせる──だが。

 

「わ──ぁっ」

 

 ぐいっ、と。

 唐突に、シャルルの体が後退した。

 意図してそうしたのでなければ、反射的に飛び退いたわけでもない。

 後ろから引っ張られて、そうなっていた。

 

「──あら」

 

 シャルルの美貌を真横に斬り飛ばすはずだった斬撃を空振らせながら、レスコーは呟く。

 その視線の先には──

 

「またお会いできましたね、シギさん」

 

 “剣道”が立っていた。

 鞘に納めた“全を薙ぐ刀(エピソード)”の先端をシャルルの襟に下から差し込むようにして引っかけて、ぶら下げている。

 

「…………………………」

 

 シギは無言のまま、鞘を傾けてシャルルを下ろす。

 シャルルは何事かを言おうとしていたが、シギの顔を見た途端、言葉に詰まった。

 “剣舞”がその時、“剣道”の無言から何を汲み取ったのかは定かではないが──

 

「……わかったよ。元々、キミが戦う予定だったもんね」

 

 と言い残し、退がった。

 シャルルは理解したのだろう。

 たしかに“流星流”は仲間を殺した、絶対に許せない敵だが──『美仞麗駆(びじんれいく)』が通じないのなら、勝てない。

 ならば、シギ・テーブルに任せるしかない。

 

「………………………………」

 

 シギは無言のまま、レスコーに視線を送る。

 まじまじと。

 じっくりと。

 じろじろと。

 感情の無いレスコー以上に、何を考えているのか窺い知れない視線が、白ドレスの令嬢の全身に注がれる。

 

「そんな風に確認する必要はありませんよ。わたくしはもう、元気いっぱいです──なので、再戦を受けていただけませんか?」

 

「…………………………」

 

 シギは何も言わなかったが──刀を抜いた。

 それが答えだった。

 “流星流”と“人剣流”。

 共に人間の歴史に名を残す剣術の流派。

 その第二試合がいま、始まろうとしている。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 ふたりの間の空間に、罅が入った。

 二名の達人が発する剣気にあてられて、空間が硝子のように固まり、重圧に耐えきれず、砕けそうになっているのである。

 あとほんの少し──なにかが通りがかるとか、音が鳴るとか──ちょっとした刺激が放り込まれるだけで、両者の間に横たわる空間は完全に罅割れる。

 それが開戦の合図となるに違いない。

 幾許かの時が経ち──その時は訪れた。

 びゅう、と。

 一際強い風が吹き、樹海の枝葉を揺らしたのだ。

 そして──何かが砕け散る。

 それと同時に、レスコーとシギは動いた。

 夜の闇で視界は不良。されど彼女たちが互いを見失うことはない。

 両者は引かれあうように、走り出す。

 そして、その瞬間──

 

「──なあ、シギ」

 

 マクガフィンの攻撃が──

 

「お前は今、“人剣流”を正しく使えているのか?」

 

 口撃が、始まった。

 

「“人剣流”は『人間が使う、人間の為の剣術』──だったか? なるほど、御立派御立派。惚れ惚れする理念だ。何百年も続いただけのことはある」

 

 しかし、とマクガフィンは言う。

 悪そうな顔で。

 

「だが、その理念は今もまだ十全に守られていると言えるのか? 鳥人との同盟で、人間だけでなく鳥人の為にも“人剣流”が使われているこの状況は、果たして『人間の為の剣術』と言えるのかな?」

 

「…………………………!」

 

 それは──ただの揚げ足取りだ。

 確かにシギは鳥人の勢力で“人剣流”を使っているが──その大元には、絶対人間騎士団の任務である九世兵器の蒐集という目的がある。

 だから、今もシギは“人剣流”を『人間の為』に使えているのだ。

 ──と、こんな風に。

 口にすればたった二、三言で論破できる。

 だが──口ではなく剣で語るという縛りを自身に課しているシギにはそれができない。

 反論が不可能なのだ。

 そして──剣で語るという唯一の発信手段も、「今のシギの剣は“人剣流”として正しくないのでは?」という疑いがかかっている今、迂闊におこなえなくなっている。

 己の剣に並々ならぬ誇りを持つが故に──剣に迷いが生じていた。

 

「(舌戦において、何も喋らない相手ほど、やりにくい相手はいないと思っていたが、それは間違いだったな)」

 

 剣鬼は、ほくそ笑む。

 

「(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!)」

 

 とはいえ、この口撃だけでは勝負の決め手にならない。

 精々、シギの剣に迷いを混ぜ、その動きをほんの少し鈍らせるだけだ。

 その鈍りだって、あと何秒持つか分からない。

 だから、決め手は策の残り半分──レスコー・フォールコインが請け負った。

 

「流星流──」

 

 刀を鞘に納め直した状態から放つ、超高速の居合切り。

 それは──記録によると、初代が使えば空間そのものに消えない傷を残したとされる最速の奥義。

「とにかく“流星流”で一番速い技を使え」というマクガフィンからの注文に最適な技である。

 

「──“爪弾(つまはじき)”!!」

 

 ◆

 

 びゅう、びゅう、びゅう。

 どうやら、先ほどの一陣だけでは収まらなかったようで、風は、今もどこからか吹いていた。

 さわさわと、枝葉の擦れる音が辺りに木霊する。まるで木々の囁きのようだった。

 宵の闇の中。

 “流星流”と“人剣流”の決着は、そこにあった。

 “流星流”は刀を振り抜いた状態で立っており。

 “人剣流”はそれから少し離れた位置で倒れている。

 というより──斬り倒されている、というべきか。

 彼女の右の脇腹には大きな傷があった。今しがたレスコーが“全を薙ぐ刀(エピソード)”を用いた“爪弾”でもって刻んだものだが、何も知らずにそれを見て、刀傷だと理解できるものはいまい。

 肉が抉れている──ごっそりと。

 臍に届きそうなまでの、大きな傷である。

 中に納まっているであろう内臓はあちこちに吹き飛び、樹海の緑を血肉の赤で装飾していた。

 

「──勝ちましたわ」

 

 レスコーはマクガフィンがいるほうを振り返り、己が勝利を宣言した。

 

「とはいえ、わたくしだけでは、あり得なかった勝利ですね……マフィ様の策のおかげです」

 

「賭けの要素がかなり強かったけどな──シギが己の誇りに執着している人間だったからこそ、可能な策だった。これでもし、こいつが普段のフォールコイン(おまえ)のように他人から何かを言われたところで聞く耳を持たずに『だが殺す』の精神で突っ走れるような奴だったら、こうも上手くはいかなかっただろう……。それにしても、シャルルまで現れたのは予想外だったな」

 

 そう言って、マクガフィンは樹海を見渡したが、桃色の髪が視界に入ることは無かった。

 シギが倒される場面を見て、逃げ出した? 

 あの仲間想いのシャルルが? 

 

「いや、増援を呼びに行った可能性もあるか。そもそもこの地は、小人と鳥人という二つの勢力の衝突地帯。ならば、帝国から送り込む騎士が複数人であってもおかしくあるまい──シャルルはたしか、トと仲が良かったし、あいつもここにいるのかもしれないな」

 

「……ええと、つまり?」

 

「この地での戦いはまだ終わりではないということだ。気を引き締めてゆ、くぞ──ッ!?」

 

 勝って兜の緒を締めるようなマクガフィンの台詞は、しかし最後の最後で締まることなく、驚きで声が上ずることになった。

 まるで、ありえないものでも見たかのような反応である。

 レスコーはすぐさま、マクガフィンの視線の先に目をやった。

 そこにはシギ・テーブルが倒れていた。

 否──

 起き上がっていた──! 

 

「馬鹿な!」

 

 そんな感想が思わず口をついて出てしまうマクガフィン。

 無理もない。

 シギは脇腹の五割近くを斬り飛ばされたのだ。

 立ち上がるどころか、生命活動を続けることさえ難しいはずである。

 なのに“人剣流”は立っていた。

 いや──それは完全なる自立とは言い難い。

 体幹を支える胴体の筋肉の右半分が欠損した今、上半身を起こす力は皆無。

 どれだけ下半身に力を込めても、腰の上は萎びた植物のように折れ曲がってしまっている。

 そのままではバランスを崩し、再び地面に倒れてしまうのは必至だ。

 なので彼女は、両手で握っている抜き身の“全を薙ぐ刀(エピソード)”を己の右側の地面に突き立て、杖のようにしていた。

 まるで体全体でアーチを描くような──ひどく不格好な体勢。

 見ているだけで痛々しい。

 体のあちこちからみしみしという音が聞こえてきそうだ。

 だが──それでも。

 そんな姿になってでも、シギは起き上がるのを諦めなかった。

 剣を握るのを──諦めなかった。

 そして──

 

「がっ──ごっ、は──」

 

 鼓膜を叩いたその音を、マクガフィンは最初、吹きすさぶ風が効かせた幻聴だと思った。

 だって、ありえないだろう。

 シギ・テーブルが声を発するなんて。

 だが、その音は幻聴ではなかった。

 

「“に、ん……剣りゅ……う”……。きゅう、じゅう……九代、目。シギ……、テーブル──推して……参る」

 

 “剣道”の名に相応しくあるために続けていた無言の誓い。

 それを破ってでも、シギは名乗った。

 一度自分に敗北を味合わせた者を相手に、名乗らなければならないと。

 再戦の為にはそれが必要なのだと。

 そう──思ったのだろう。

 そして──その名乗りを受けて。

 

「──思えば、わたくしから名乗ることはあっても、相手から名乗られるのは、これが初めてですわね」

 

 レスコーは再度、刀を抜き、構えを作った。

 それはいつも通りの美しい、中段の構えである。

 

「“流星流”レスコー・フォールコイン──殺してまいりますわ」

 

 繰り出す技は既に決めている。

 今のシギは、真昼の戦いのように、“流星流”に対して絶対的に優位であり『あれ』を完璧に無効化できる状態であるとは言い難いし──それに。

 やはり、ここで今一度、マクガフィンへの殺意(あい)を示しておきたい。

 そんな想いを胸に、レスコーは飛び出す。

 

「“流星流”──骨抜(ほねぬき)!」

 

「“人剣流”──人剣道(にんげんどう)!」

 

 そして、

 

 ◆

 

 びゅうびゅうと音を立てながら風が樹海を駆け抜ける。

 それに混ざるようにして走る、桃色の髪があった。

 シャルル・テーブル。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 顔中に汗が張りついているが、それは今しがたおこなっている疾走が原因ではあるまい。

 騎士団のひとりが、この程度の運動で汗をかくはずがない。

 故にその発汗は、恐怖や驚愕といった心因に由来するものだった。

 

「しっ──シギまで……、あのシギまでやられるなんて!」

 

 瞬きをすれば瞼の裏にその時の光景が蘇る。

 “流星流”に右脇腹を斬られ、地面に頽れる仲間の姿が。

 

「………………!」

 

 歯噛みするシャルル。

 本音を言えば、今からでも“流星流”がいる場所に引き返し、“全を薙ぐ刀(エピソード)”で斬りかかりたいのだが──自分がそうした所で、無駄死ににしか繋がらないことを、シャルルはよく知っている。

 理解してしまっている。

 たった一合の交差で──理解させられた。

 

「だけど──一度、トと再会すれば……トと協力すれば、どうにかなるかもしれない! アイツは言ってることがよくわかんなくて、よく意味不明に呆れてくる変な奴だけど──なんだかんだ言って、結構頼れるやつなんだから──」

 

 その時である。

 シャルルの体が浮いたのは。

 さきほどシギがやったように、襟に鞘を引っかけて吊るされているのでは──ない。

 どこかから吹いてきた突風によって、持ち上げられたのだ。

 シャルルは騎士を名乗るにしては線の細い、華奢な体格をしているが──ひとりの人間が浮くほどの風は、異常である。

 いや、そもそもさっきから──“流星流”と“人剣流”の戦いが始まった時も、一度は倒れたシギが立ち上がった時も、そして今も──風が吹きすぎじゃないか? 

 風──気流──空気の、流れ──

 

「まさか──さっきから吹いているこの風は……ッ!」

 

 宙を舞いながら“剣舞”は気付き、空の一点に浮かぶ、巨大な雲に目を向ける。

 だが──気付くのが遅かった。

 夜の闇を引き裂くようにして、閃光が走る。

 直後に轟音。

 それが都度()()()()()ほど。

 鳥人が持つ万能の気象兵器“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”が生み出した雷撃(ライトニング)である。

 一方、風もますます強くなってゆく。

 樹海に立ち並ぶ木々の数々を、その風力だけで根元から引っこ抜いていた。

 人間でさえ宙を舞うような風である、どこかにいる小人たちが無事なはずがあるまい。

 今や、大陸沿岸の樹海は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 

「(急にどうして? まさか鳥人が──?)」

 

 いや、それはない。

 今しがた起きている破壊は、小人の居住地どころか鳥人の住処を越えて、大陸沿岸一帯に齎されていた。

 いくら鳥人が飛行能力に優れる空の支配者であっても、支配している空がこの荒れ様では、十全な飛行はできないだろう。

 これではまるで、鳥人と小人の無理心中である。

 小人を毛嫌いしている鳥人が、そんな選択をするはずがない。

 

「それじゃあ──()()雲奥にて唄う砲(ライトノベル)()()()()()()()()──ッ!?」

 

 と。

 そんな悲痛な叫びが。

 シャルルの最期の言葉になった。

 どこかから風に乗って、殺人的な速度で飛んできたこぶし大サイズの岩が、その美貌をぶち抜いたからである。

 頭部を襲った衝撃で思考が明滅する中で、シャルルが最期に思ったのは

 

 ──トは無事かな。

 

 だった。

 そして、そのまま“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”が生み出した数多の異常気象は、“剣舞”のみならず、樹海に住まう生命を次々と殺していき──

 

 ◆

 

 気が付くと、レスコーは樹海ではない場所に立っていた。

 前を見る。一面の白。

 右を見る。一面の白。

 左を見る。一面の白。

 後ろを振り返る。やはり、白。

 

「あれ? ……おかしいですね。さっきまで樹海にいたはずでは?」

 

 ここには樹海の緑も、夜の黒もない。

 白の絵の具を何度も重ね塗りしたかのように、白一色の世界である。

 

「ええと……」自分の身に何が起きたのか分からないレスコーは、一旦状況を整理することにした。「たしか、シギさんを倒し……たと思ったら、また起き上がられて、再戦することになって……それで、決着がついたと思ったら、急に風が……それに雷も……そして──そして?」

 

 そして、何が起こった? 

 ここが樹海ではないのなら──どこなのだろう? 

 

「天国だよ」

 

 声がした。

 そちらを向く──先ほど見た時には白しか確認できなかった方位だが、今は人がいた。

 白とは真逆の黒。

 見たこともない様式の服に身を包んだ少年である。

 腰には一本の刀を差していた。

 

「『天使族の国』を略しての『天国』らしい──はじめまして“流星流”。前々からあんたとは、ふたりきりで誰にも邪魔されずに話してみたいと思っていてね。そしたら、ちょうど近場に現れたと聞いたんで、()()()()()()()()雲奥にて唄う砲(ライトノベル)()()()()()()()()()()()()()()()()()、ここまで来てもらったんだ」

 

 まあ、そのついでに鳥人と小人も死んだけど──と。

 やや伸びすぎの感がある黒髪をくしゃくしゃと掻きながら、少年は言った。

 “雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”を──地上からは手の届かない空に浮かぶ気象兵器を奪ったと、そう言った。

 さらりと。

 こともなげに。

 まるで──距離や隔たりといったものを無視した移動が出来るかのように。

 自分はそんな、三次元的な障害に縛られる存在ではないかと言うかのように。

 どこにでもいそうなその顔に──レスコーは見覚えが無い。

 

「あの、どなたですか……?」

 

「おっと、いけないいけない──まずは自己紹介からだったな」

 

 そこで一拍間を置いて、少年は言った。

 

「ぼくの名前はリュウト──リュウト・テーブルだ」

 

 レスコーはその名を──はっきりと聞いた。

 

 

 

 次回予告! 

 

 続々と進むレスコーたちの旅! 

 

 ところがなんと……ええっ!? 次の舞台は天国!? 

 

 死んじゃったってこと!? 

 

 しかも、突然現れたリュウトはどうやらレスコーに用があるみたい!? 

 

 ”流星流”と”剣客”の邂逅は、いったい何を引き起こすのか!? 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 第十話『始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)』! 

 

 また読んでね! 

 

 



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10.始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)

屠龍之技(とりゅうのぎ)』という言葉がある。

()()()というRPGであれば間違いなく高火力の攻撃技に位置付けられているであろう字面からは、強大で物々しい意味を見いだしそうになるけども、実の所そんな大層な言葉ではない。

 そもそも龍は架空の生き物だ。

 RPGならぬ現実においては空高くや山奥の秘境を探し回っても見つからず、そんな彼らを殺す技術を磨いたところで使う機会に恵まれるはずもない。

 そして──使われない技術に価値はない。習得するのにどれだけの苦労がかかろうと。

 まさに無用の長物。

 そんなものを学ぶのに時間を費やすくらいなら、漢字のひとつでも覚えた方がまだ有益である。

 ゆえに『屠龍之技』という言葉の意味は『学んでも無駄な技術』が正解なのだ。

 

「(だから父さんと母さんは『屠龍之技』とは真逆の『価値のある技術』をたくさん学んで欲しいという願いを込めて『屠龍』をひっくり返した『龍屠(りゅうと)』と、ぼくに名付けたんだっけ)」

 

 我が子の健やかな成長を祈る親心には感謝してもしきれないけれど、だからといって自分の息子の名前に『屠』という、世間一般の観点では印象があまり良くない漢字を入れる感性はどうなんだ──と。

 どこにでもいる普通の高校生、保巣(ほす)龍屠(りゅうと)はそんなことを思っていた。

 続けて彼はふと疑問に思う。

 どうして自分は今、己の出生にまつわるエピソードを思い出しているのだろう──と。

 その理由はすぐに見当がついた。

 死にかけているからである。

 コンクリートの地面に寝転がって。

 大量に血を流しながら。

 死にかけていた。

 そんな状態ならば──死に際に流れる走馬灯よろしく己の出生について思いを巡らせても不思議ではあるまい。

 

「(……どうしてこうなったんだろう。いつも通りの日常を過ごしていたはずなんだけど)」

 

 一週間の始まりである月曜日の朝。

 いつも通りの時間に起床し。

 いつも通りの身支度を整え。

 いつも通りの時間に家を出て。

 いつも通りの通学路を歩いていた。

 どこを切り取っても普段と代わらない日常だった。

 非日常が割り込む余地があったとは思えない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などという非日常が割り込む余地なんて──あるはずがなかった。

 けれども実際に龍屠の朝は非日常に塗り潰され、彼はこうして現在進行形で死にかけているのである。

 頭がぱっくりと割れており、そこに収まっていた内容物が体温と共に漏れ出ている。被っていた学帽では大した防御にならなかったようだ。

 早朝の地面はまだ太陽の光を吸収しておらず冷たい。そんな場所に寝転がっているものだから、龍屠の体は冷える一方だった。

 その感覚が不快なのですぐにでも起き上がりたくなったが、これまでの十七年の人生で一度も曲がったことがない角度を向いている手足では、その望みを叶えられそうにない。寝返りすら不可能だ。

 周囲に群がっている人影は事故を目撃して悲鳴を上げたり、無遠慮にスマートフォンのレンズをこちらに向けていたりしているが、龍屠がそれらを煩わしく思うことは無かった。

 というより──煩わしく思うことさえできなくなっていた、と言うべきか。

 今の彼は周囲の音を聴きとれなくなっていたのだから。

 トラックとぶつかった衝撃で鼓膜が破れたか。それとも地面に撒き散らされた頭の内容物の中に、聴覚に関わる分野が混ざっていたのか。それを確認しようとしたわけではないけれど、龍屠はなんとなく自分から離れた位置に意識を向ける。そこには使い続けて二年になる通学鞄が転がっていた。事故の衝撃で留め口が外れたらしく、中に入っていた教科書たちが辺り一面に散乱している。

 ……まあ『散乱』とは言っても、本来ならそれらに記されている知識が納められるはずだった龍屠の脳味噌と比べれば、いっそ大人しい、整列とさえ言える散らばり具合なのだが。

 撒き散らされた各々がまだ原型を保っているぶん、まだテキストたちのほうが軽傷と言えるだろう。

 

「………………」

 

 続けて懐に意識を向ける。そこに抱きかかえている物の無事を確認すると、龍屠は安堵した。

 ──などと書くと、まるで彼がトラックから猫や子供を庇って重傷を負った心優しい少年であるかのように思われるかもしれないが、それは誤解だ。

 龍屠の懐にあるのは猫でなければ子供でもなく──そもそも生き物ですらない。

 ビニール袋に入った本だ。

 通学路の道中のコンビニで買った、今日が発売日の国民的週刊少年漫画雑誌である。

 彼はそれをとても大事そうに──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──庇うようにして抱いていた。

 そんな献身の結果、この凄惨な事故現場においてその漫画雑誌だけは唯一無傷を保っていた。

 

「(突っ込んできたのがトラックじゃなくて投げナイフだったら、DIO戦の承太郎みたいに無事で済んだかもしれないな。……まっ、そんなことをしたら折角のジャンプが傷つくからやらねえけど──愛する漫画雑誌を庇って死ねるなら本望だぜ)」

 

 その心中に偽りはないらしく、龍屠の口元は満足げに綻んでいた。

 自分の身を呈して守るとは、なんと見上げた漫画愛だろうか。

 だけど──しかし。

 その結果、愛する漫画を二度と読めなくなっては本末転倒である。

 それは龍屠も心のどこかで思っていたらしく、死への一路を進んでいく意識の中で「ああ、でも」と彼は思う。

 

「(せめて──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())」

 

 それを最後に保巣龍屠の意識は途絶えた。

 交通事故という悲劇的な、しかし彼が暮らす国においては案外そう珍しくもない、ありふれた死因によって、その人生は幕を下ろす──

 はず──

 

「……………………あれ?」

 

 ──だった。

 

「え、どこだここ?」

 

 気付いたら見知らぬ場所に立っていた。

 辺りを見渡す。草原がなだらかな稜線を描きながら、地平線の先まで続いていた。空を見上げれば、地方都市育ちの龍屠では見たこともないほどに星いっぱいな夜空が広がっている。息を呑むほどに美しい絶景だった。

 どういうことだ? 

 自分が先ほどまで居たのは朝の通学路だったはずだ。しかし今いるのは夜の草原。場所どころか時間まで変わっているではないか。

 そもそも──見知らぬ場所に()()()()()という時点でおかしい。

 龍屠の手足は先ほどの交通事故であらぬ方向に折れ曲がり、正常な直立が不可能になっているはずなのだから。

 

「………………」

 

 それまで夜空に向けていた視線を下ろし、己の体を確認する。

 いつも通りの制服姿だった。

 黒の学ランには経年劣化以上の損傷は見られないし、血は一滴もついていない。学帽を脱いで頭を掻きむしってみたが、それで頭蓋骨が開いて中身が零れるなんてことも起きなかった。

 トラックとの衝突で負ったはずの傷が完全に癒えている──消えている。

 左手にはコンビニのビニール袋。中には漫画雑誌。取り出して表紙を確認すると、確かに今朝購入したものだった。

 

「……どういうことだ?」

 

「もしかして鞄がないことを気にしていますか」

 

「おわァッ!?」

 

 突然の声に驚いた龍屠はその場で飛び上がる。それもまたトラックに轢かれた体では出来ないはずの行動だったが、今の彼の体は十全にそのリアクションをやってのけていた。

 声がした方を振り返る。

 少女が居た。

 白い少女だった。

 髪は白く、肌も白い。

 夜の暗闇の中で彼女が立っている空間だけが、修正液を垂らしたかのように真っ白になっている。

 

「申し訳ありません。死んだ時に手元に無かったので、その雑誌しか持ってこれなかったんです」

 

「死んだ時……?」

 

 やっぱり自分は死んだのか。

 

「それじゃあここは……死後の世界なのか?」

 

「否定はしません。人間が死後にたどり着く結末のひとつという意味では、間違いではありませんから」

 

「回りくどい言い方だな」

 

「いわゆるアレですよ。ええと……、そちらの世界ではなんと呼ぶんでしたっけ……たしか」

 

 少女は暫く悩んでから、「ああそうそう」と思い出した風に、こう言った。

 

「異世界転生というヤツです」

 

「異世界転生……って、あの異世界転生?」

 

 その言葉は龍屠でも知っている。

 Web小説を中心として漫画やアニメと幅広い媒体で取り扱われているジャンルだ。あまりに流行りすぎて、今となっては一周回って死語みたいなものである。

 漫画に殉ずるほどのサブカルオタクである龍屠が、その言葉の意味を知らないわけがない。

 トラックでの交通事故──

 この世のものとは思えない絶景──

 人間離れした雰囲気の少女──

 そして、異世界転生──……

 

「……ふうん。なるほど、話が読めてきたぜ」

 

 龍屠は小さく呟いた。

 自分の死を知らされた直後だというのに、その口調はにわかに明るくなっている。

 きっと「読めてきた」という話の内容に気を良くしているのだろう。

 こういう非日常なら大歓迎だ、と言わんばかりの調子である。

 それもそのはず。

 保巣龍屠はフィクションを愛する年頃の少年なのだ。

 異世界転生というフィクションそのものな言葉を聞いて、テンションが上がらないはずがない。

 

「ぼくはこれからどこに転生することになるんだ?」

 

「そうですね──ざっと一〇〇〇億ヶ所ほどでしょうか」

 

「え?」

 

「剣と魔法の世界」とか「魔王の脅威に晒されている世界」といった世界観の説明ではなく、一〇〇〇億などというバカみたいな数字で返ってきた回答に面食らう。

 そんな龍屠を置いてけぼりに、少女は淡々と話し続けた。

 その声は白く──白々しい。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──あなたにはこれから、それら全てを渡り歩いて、終わらせてきて欲しいんですよ」

 

 まるで近所のコンビニまでの買い物を頼むような、軽い言い方だった。

 

「もうとっくに滅んでいてもおかしくないのに蛇足で続いている世界を滅ぼし(打ち切っ)て、その運用に使われているエネルギーを回収し、新たな世界を誕生させてきてください」

 

 異世界を、転生させてきてください──と。

 そう言った。

 

 ◆

 

 そして現在。

 

「ぼくの名前はリュウト。リュウト・テーブルだ」

 

 白一面の天国──天使族の国にて、少年は名乗った。

 

「はあ、そうですか」彼と対峙している白ドレスの令嬢は気の抜けた声で呟くと、その長身を折り畳むようにして会釈した。「はじめましてリュウトさん。わたくしはレスコー・フォールコインです」

 

「あんたに話したいことがあるとは言ったけど、その前にひとつ訂正させて貰おうか。ぼくの名前はトじゃな──」

 

 何やらいつも通りの口上を紡ごうとしていたらしいリュウトの舌は、しかしその中途で止まった。

 その顔は驚愕で引き攣っている。

 レスコーは首を傾げた──なにか驚くようなことを言っただろうか? 

 

「……あっ。もしかして名前にテーブルが入っているということは騎士団の方ですか?」

 

 だったら騎士団の敵である“流星流”ことレスコーの名前を聞いて、そのようなリアクションを見せてもおかしくは──いや、待て。

 そもそもリュウトは名乗る前からレスコーのことを知っているような口ぶりではなかったか。

 たしか──「はじめまして“流星流”。前々からあんたとは、ふたりきりで誰にも邪魔されずに話してみたいと思っていてね」。

 そんなことを言っていた気がする。

 体感的にはもう五ヶ月以上前に言われた気がする台詞だが、はっきりと覚えている。

 あんな知った風な口を聞いていたリュウトがレスコーの名乗りを受けて驚くわけがないだろう。

 それじゃあいったい──彼は何に驚いたのだろうか? 

 レスコーが疑問に思っていると、リュウトはぽつりと呟いた。

 

「……もう一度、ぼくの名前を言ってくれないか」

 

「え? リュウトさんですよね? リュウト・テーブル」

 

 かつてマクガフィンの台詞を一言一句違わずに記憶していると豪語してみせたレスコーだが、そんな抜群の記憶力がなくとも、たった数秒前に名乗られた名前くらい覚えていて当然である。

 なのでそれはレスコーにとって何気ない返答だったのだが──少年の何かしらの琴線に触れたらしい。

 彼は「ふう」と感慨深そうに溜息を吐くと、

 

「いやあ……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 と、興奮を隠しきれない声で呟いた。

 

「ちょっとこれからぼくが言う言葉をそのまま復唱してくれないか? ──ドラゴンボール」

 

「ドラゴンボール」

 

神龍(シェンロン)

 

神龍(シェンロン)

 

「ドラゴンズ・ドリーム」

 

「ドラゴンズ・ドリーム」

 

青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)

 

青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)

 

「オシリスの天空竜」

 

「オシリスの天空竜」

 

「邪王炎殺黒龍波」

 

「邪王炎殺黒龍波」

 

「九頭龍閃」

 

「九頭龍閃」

 

「天翔龍閃」

 

「天翔龍閃」

 

「BLUE DRAGON ラルΩグラド」

 

「BLUE DRAGON ラルΩグラド」

 

龍頭戯画(ドラゴンヘッド)

 

龍頭戯画(ドラゴンヘッド)

 

竜星群(ドラゴンダイブ)

 

竜星群(ドラゴンダイブ)

 

「木刀の竜」

 

「木刀の竜」

 

「竜爪拳」

 

「竜爪拳」

 

酒龍八卦(しゅろんはっけ)

 

酒龍八卦(しゅろんはっけ)

 

火龍皇(かりゅうどん)

 

火龍皇(かりゅうどん)

 

「神龍寺ナーガ」

 

「神龍寺ナーガ」

 

「ヒリュー」

 

「ヒリュー」

 

「DR」

 

「DR」

 

「ルリドラゴン」

 

「ルリドラゴン」

 

「龍紋鬼灯丸」

 

「龍紋鬼灯丸」

 

「竜の紋章」

 

「竜の紋章」

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)

 

「バッカスドラゴン」

 

「バッカスドラゴン」

 

剣竜(テュガテール)

 

剣竜(テュガテール)

 

「やっぱりちゃんと聞こえてる!!」

 

 諸手を挙げんばかりの勢いで喜ぶリュウト。

 片やレスコーが抱いているクエスチョンマークは膨らむ一方だった。相手が言った台詞をそのまま復唱しただけで感激されるなんて、初めての体験である。

 普段は突飛な言動で周りを──主にマクガフィンを──振り回すことが多い彼女だが、今回は真逆の構図が生まれていた。

 

「ぼくの台詞をそのまま復唱しただけだって? とんでもない。この世界の住民は、それさえ出来ないんだぜ。ぼくの名前を正確に聞き取れたのだって、あんたが初めてだ」

 

「そんな馬鹿な……。嘘でしょう?」

 

「嘘じゃないさ。現にこれまでシャルルも、団長も──あんたの相方のマフィだって、誰もぼくの名前を正しく認識することはできなかったんだ。リュウトではなくトと呼ばれるたびに、無駄だと分かっていても涙ぐましく訂正を試みたものさ」

 

「ト」という言葉を聞いて、レスコーはようやく思い出す──これまでの旅路で何度か、マクガフィンの口から『ト・テーブル』なる騎士についての話を聞いていたことを。

 思い返せば、“剣鬼”が語っていたトの外見的特徴──目元にかかる程度の長さの黒髪、異様な黒服、若い風貌──は目の前に立つ少年とおおむね一致していた。きっと彼がその人なのだろう。

 たしか異名は──“剣客”だったか。

 文字通り『絶対人間帝国』の外からやって来たという()士の()人である。

 人間でありながら人間の居住区域外の出身という来歴はそれだけでも珍しいが、それ以上に珍しい、というより珍妙──というより奇妙なのは、彼の言動であるという。

 曰く、話していて訳のわからない事をしょっちゅう言い始めるらしい。

 造語症。変人。奇人。妄想癖──“剣客”を指してマクガフィンがそんな言葉を並べていたのを聞いた当時のレスコーは、「きっと本当に訳の分からないことを話す人なんでしょうねえ。まあ仮に会う機会があったとして、わたくしが彼とおこなうのは話し合いではなくて殺し合いになるのですし、これはあまり意味のない情報になるのでしょうけど」と思っていたものだが、実物は想像を遥かに上回る意味不明さだった。

 ともあれ、こうしてマクガフィンから聞いた話を思い出したことで、リュウトが主張していた「これまで誰も自分の名前をちゃんと聞き取れなかった」が嘘ではないことをレスコーは理解した。

 

「誰も聞き取れないぼくの言葉を、どうして自分だけは聞き取れるのか──」

 

 リュウトは言う。

 

「理由が気になるだろう?」

 

「いいえ全然」

 

「ははっ、そうだよな。周りとの差異ってのは一度認識するとなんだか気持ち悪く感じて、理由を知りたくなるものだよな。異世界転生者のぼくとしては結構共感できるよ、その気持ち──って、知りたくないのかよ!」

 

 そもそもレスコーは感情面において周囲との著しい差異を抱えておきながら、それを全く気にかけずに二十年近くの人生を過ごしてきたのである。今更周りが聞き取れない言葉のひとつやふたつを自分だけが聞き取れたところで、それは彼女の興味を引く事柄になりえない。

 そんなわけで“剣客“が披露した鮮やかなノリツッコミを冷ややかにスルーしたレスコーは、氷を思わせる声音で次のように言った。

 

「話はこれで終わりですか? だったら、もう失礼しますね──ええと、ここって天使族の国なんでしたっけ? 出口はどこにあるのでしょう」

 

()()()()一度死んだ人間が、死後の領域である天使族の国(ここ)から出る手段なんてない……らしい。たしか副団長(ミルドット)の蔵書に、そんなことが書かれてた」

 

「それは困りましたね」自身の死というショッキングな事実を告げられているにも関わらず、レスコーの様子は相変わらず淡白だった。「わたくしには生きてマフィ様とやらなくてはならないことがありますのに」

 

「そもそもぼくの話はまだ終わっていないよ」

 

「あれだけ話したのにまだあるんですか?」

 

「さっきの龍にまつわるジャンプ用語の列挙を会話にカウントしているなんて、あんたがコミュニケーションをどう捉えているのか不安になるぞ……──あれはちょっとしたアイスブレークみたいなものじゃないか、“流星流”」

 

 少年は改めて白ドレスの女を呼ぶ。

 

「続きは歩きながら話すとしよう。付いて来てくれ」

 

 そう言うと、白一色の世界の一方向を指差した。

 適当に示した──ようには見えない。

 そちらに進んだ先に、何らかの目的地(ゴール)があるのだろう。

 大陸沿岸地帯全域を巻き込むほどの大破壊を用いて“流星流”を天国に招い(ころし)てでも連れて行きたいほどの目的地が。

 死後の世界である天国なんて、まさに終着点(ゴール)そのものであるとしか思えないが──ここから更に目指すべき場所が存在するとでもいうのだろうか? 

 

「はは。死後の世界はゴールそのもの、か。かつてのぼくだったら、深く考えもせずに同意していたはずだけど、今となっちゃあ反論のひとつはしたくなるな──「いやいや、人生なんて、ものによっては死んでからの方が長いんだよ。ソースはぼく」ってね」

 

「あなたがどういう人なのかマフィ様から予め聞いていましたけど、なるほど、そういう奇言を用いられるんですね」

 

「かつての仲間を旅の相方にどう紹介していたんだ、あの“剣鬼”は……。まっ、いいや。ぼくが抱えている事情についても、道すがら説明するとしよう」

 

 そう語るリュウトの足は、先ほど示した方角へと歩き出していた。

 その背中に向かって、レスコーは首を横に振る。

 

「申し訳ありませんけど、あなたのお誘いに乗る訳にはいきませんわ。わたくしはこれから、マフィ様の元へ帰る方法を探さなくてはいけませんので」

 

「だったら尚更ついてきた方がいいと思うけど」振り返りもせず“剣客”は言う。「この世界であんただけが『龍』を意味する言葉を理解できるように、何にでも例外というものはある──()()()()()脱出手段がない天国にもね。もしも付いて来てくれたら、ここから脱するための例外的な手段について、教えてさしあげようじゃないか」

 

「帰る方法があるのなら今すぐ教えてください。さもないと乱暴な手段を取らせていただくことになりますよ?」

 

 レスコーは腰に差した刀の柄に手を載せた。

 先ほどまでの淡白な言動が嘘みたいな激情的な態度である。よほど早くマクガフィンの元に帰りたいのだろう。

 世に広く知られた殺人剣“流星流”からの脅し──常人であれば恐怖に震え上がるそれを耳にしたリュウトは、しかし「ははっ、まいったな」と軽く笑って人差し指でこめかみを掻くだけだった。

 顔色ひとつ変わっていない。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とでも言わんばかりの態度である。

 

「そう焦るなよ“流星流”。死後の世界でまで生き急いでちゃ世話ないぜ。正確な居場所が分からなかったあんたを確実に殺す為に国ふたつを巻き込むような災害を起こしてまで、こうして面談の場を設けたんだから、少しはぼくの話に耳を傾けてくれたっていいだろうに──それに、何もせずにここからすぐに帰るのは、あんたにとっても、とっても損になるんだぜ」

 

「どういう意味ですか?」

 

「だってここは天使族の国。つまり世界に残された九つの種族がうちのひとつの生息圏だ」

 

 それは──つまり。

 レスコーたちが探している九世兵器が内のひとつの所在地でもあるということだ。

 

 ◆

 

 回想その二。

 

 龍屠は自他ともに認めるサブカルオタクである。

 娯楽が飽和しているこの時代において、某週刊少年漫画雑誌作品を筆頭に、ありとあらゆるフィクションを鑑賞してきた。そのひとつに異世界転生というジャンルがある。

 一口に異世界転生と言っても、その内容は種々様々だ。

 英雄として世界を救うために戦う正統派はもちろん、SFやミステリといった他ジャンルの要素を含有している意欲作、戦いとは無縁なスローライフを謳歌する作品だって珍しくない。中には英雄ではなく悪役として転生した主人公が世界を支配しようとするアンチヒーロー作品だってあった。

 しかし──一〇〇〇億個の世界を滅ぼすための異世界転生は初耳だ。

 神話みたいなスケールの数字を耳にして龍屠が唖然としていると、白い少女は何を納得したのか、ぱんと手を打った。

 

「あっ、そうですよね。いきなり異世界転生と言われたら色々と気になることがありますよね」

 

「え? ああ、うん」

 

「たとえば『着の身着のまま異世界に行けっていうのか?』とか──その点につきましてはご安心を。これから異世界を巡るあなたにピッタリの贈呈品を用意していますので」

 

 それ以前に聞きたいことが、それこそ一〇〇〇億個ほどあったのだが、ここで話を遮ったらよりややこしいことになりそうだったので突っ込みの言葉をグッと飲み込む龍屠だった。

 それに──白い少女の言葉の先に興味もある。

 贈呈品と彼女は言ったのだ。

 それはいわゆる──

 

転生特典(チートスキル)というやつです」

 

 少女の言葉を聞いた瞬間、龍屠の脳裏に再度、これまで見聞きしてきた数多の異世界転生作品の記憶が溢れ出す。

 物語の中で活躍する主人公たちはその多くが転生の際に強力無比な能力を与えられていた。中には一見使い所の分からない微妙なスキルを持つ者もいたが、そういう場合はスキルに隠された真価が後になって明らかになる展開がつきものだった。

 そんな彼らと同じ体験を、これから自分はするのだ──と自覚する龍屠。

 心臓が熱い。先ほど急激に下がったテンションが元に戻りつつあるのだ。

 早すぎる心変わりだが仕方あるまい。

 与える側が直々に『チート』と大仰に言っている特典である。期待するなという方が無理な話だ。

 一〇〇〇億個の異世界転生については未だに乗り気にならないけれども、まずは自分に贈られるという異能の内容だけ聞いても損はないのではなかろうか。

 

「しかも贈るスキルはひとつだけではありません。ふたつあります」

 

「ふたつも!?」

 

 一〇〇〇億に比べれば木端みたいな数だが、今日まで異能とは無縁の人生を歩んできた凡人である龍屠にとっては、破格に思える数字だった。

 

「まずひとつ目は『無限枚舌(バットトーカー)』」

 

「おお……!」

 

「どんな世界のどんな地域の言語も読み書きでき、自在に話せるようになる能力です」

 

「おぉ?」

 

「この能力ひとつで、転生先の現地人とコミュニケーションが取れなくて困る、なんて事態とも無縁でいられますよ」

 

「……………………」

 

「おや、どうなさいましたか? 見るからに落胆されていますけど──もしかして能力名がお気に召さなかったのでしょうか? 一応、他にネーミング案が八〇億個ほどありますけど」

 

「口に出す数字をいちいち大袈裟にしないと気が済まないのか、あんたは? ──いや、べつに名前が気に食わないって訳じゃあ……」

 

「歯切れの悪い言い方ですね。まるでネーミング以外に気に食わない点があるみたいじゃないですか。遠慮せずに仰ってください。これから転生されるあなたには少しでも懸念事項を抱えていてほしくありませんから」

 

「じゃあ言うけど──その能力って普通なら異世界転生においてデフォルトで持っているべき能力なんじゃないか?」

 

 他言語の理解。

 字面だけならチートの名に恥じない超常的な力である。

 だけど、こんなもの──母国語の通じない異世界に出向く上では必要最低限の装備だ。

 言うならば、これから海外旅行に出かける人に現地語の辞書を渡すようなものである。

 世に数多ある異世界転生作品の中には、主人公がこの最低限の装備すら持たずに四苦八苦しながら転生先の言語を学んでいく作品がないわけではないので、彼らと比べれば龍屠はまだ恵まれていると言えるのかもしれないが──チートスキルと言われておいて渡されるのがこれなのは、なんだが肩透かしだった。

 

「なるほど、そういう理由だったのですね。とはいえ落胆されるにはまだ早いかと。私が与えるスキルはこれだけではないのですから」

 

 そういえばそうだ。

 渡される異能はふたつだと、少女は言っていたはずだ。

 龍屠は若干の期待を込めて、次の台詞に耳を傾けた。

 

「ふたつめは『超長跳躍(ロストホームラン)』。次元や距離の概念に縛られることなく、異世界間を自由に移動できる能力です。これさえあれば、一〇〇〇億個の世界のどこにだって一瞬で移動できるようになりますよ」

 

言語(辞書)の次は移動手段(航空券)だったか……」

 

 こちらもこちらで充分すごい能力ではあるのだが、一〇〇〇億個もの異世界を渡るのならば、あって当然の能力である──というか、無いと異世界転生が詰む。

 

「おや、不満が解消されていないように見えますけど、ならば逆にあなたが考えるチートスキルとはどういったものなのでしょうか?」

 

「それは……そうだな、たとえば手から炎が出るとか」

 

「炎ぐらい道具が揃えば未開の原始人でも点けられますよ」

 

「無双の剣術を習得しているとか」

 

「剣という、いつ無くなるのか分からない消耗品が手元にあることが前提の無双なんて、完璧な無双とは言えないのでは」

 

「大勢の軍団を支配するとか」

 

「これから滅ぼす世界で軍団を作ることほど無意味なことはないと思いますが」

 

「時間を止めるとか」

 

「どうせ相手を怒らせたことがたったひとつの単純(シンプル)な答えになって敗北しますよ」

 

「異能が原則ひとりひとつなのに、自分だけたくさん使えるとか」

 

「いくら異能が豊富でも使うのがあなたひとりだけでは、手数の多さに振り回されるのがオチになるのでは」

 

 このような会話が小一時間ほど繰り返され、先に根を上げたのは龍屠の方だった。

 異世界転生とは本来、もっと夢のあるイベントだったはずではなかろうか。なのに聞かされるのは夢のない答えばかり。なんだか嫌になってきた。

 と、そこで龍屠はあることに気がついた。

 これから彼が任されようとしているのは一〇〇〇億の異世界転生だ。

 一〇〇〇億。

 言うまでもなく膨大な数字である。

 仮にひとつの世界での仕事を一秒で終わらせるという驚異の作業効率で進めていったとしても、すべての異世界転生を終わらせるのにかかる時間は一〇〇〇億秒。年数に換算するとおよそ三一七〇年。人間の寿命の耐用年数を大幅に上回っている。

 これでは──一度死んだ身で寿命がどうのこうの気にするのはおかしいのかもしれないが──龍屠が一〇〇〇億個の異世界転生をするなんて、そもそも無理なのでは? 

 そんな疑問を口にすると、少女は

 

「ああ、そういえばその世界の人間は寿命が一〇〇年程度しかないんでしたね。失念失念──では不老の能力『満つるこの魂、飛躍まで(スローライフ)』を差し上げましょう」

 

 と、ついでのように正真正銘のチートじみた異能をあっさりと渡してきたのだから、龍屠はいよいよもって気が遠くなった。

 一〇〇〇億とかいう馬鹿げた数字を聞いてから気乗りしていなかった異世界転生だが、その提案者の行き当たりばったりで杜撰な対応を見ていると、ますます気が削がれる。というか不安になる。少女が気付いていないだけで、実はこの異世界転生には他にも大きな穴が存在するのではないかと思わずにはいられない。

 

「そもそもぼくなんかに異世界を滅ぼさせる必要はあるのか? だってあんたは神なんだろ」

 

 そう名乗られたことは一度もないが、これまで得た情報を統合して考えると、そう断定して間違いあるまい。

 少女も、その呼び方を否定する素振りを見せなかった。

 

「だったらあんたが直接一〇〇〇億個の世界とやらを滅ぼせばいいじゃないか。所詮はただの人間にすぎないぼくがやるより、ずっとうまくいくと思うぜ」

 

「それはもう試しました」

 

「え?」

 

「正確には私の現し身による異世界(の)転生ですけどね。私が直々に世界に降臨しようとすると、エネルギー効率や世界の許容量的な問題が発生してよくないので──世界の根底に横たわる法則を否定できる権能を持つ現し身を作って、異世界に派遣したのです」

 

「世界の根底に横たわる法則……?」

 

「あなたの世界で言うなら、質量保存や万有引力といった物理法則を例に挙げれば分かりやすいでしょうか。あるいは生物学におけるメンデルやルブナーとか──その世界がその世界たりうるために欠かせないルール、と言い換えてもいいでしょう」

 

 私の現し身はそのルールに縛られず、どころか破壊することさえできるのです──と、少女は言う。

 龍屠はイメージした。

 一から十を生み出し、重力に縛られず、光速を突破し、三法則を無視した運動をする現し身とやらを。

 当然、多少の差こそあれ生物全体に共通する寿命の概念も無視できるのだろう。

 いわば存在そのものが世界そのものへのメタ。

 ただそこにいるだけで世界観を崩壊させる異物。

 異世界を転生させるなどという荒唐無稽な計画の実行犯にはこれ以上なく適当な配役だろう。

 

「……異世界転生者というより、魔王と呼ぶべき怪物だな。勝てるわけがない」

 

「そりゃあ()の現し身ですからね」

 

「だったら尚更解せないな。どうしてそいつじゃなくてぼくに任せる? あるいは、ぼくにその法則否定の能力を与えてくれたっていいじゃないか」

 

「既に失敗したからですよ。現し身による異世界転生が」

 

 少女はあっさりと、混じり気のない声で言った。

 

「最初の何件かは順調に滅ぼせていたんですけどね。途中で邪魔が入りまして」

 

「邪魔だって? いやいや……、その現し身とやらは訪れた世界の法則を無視できるんだろう? たとえ最強であろうと無敵であろうとチートであろうと──誰であろうとその世界の法則に縛られて生きているんだったら、そんな例外じみた怪物を相手に邪魔どころか、抵抗さえできないんじゃないか?」

 

「おっしゃる通りです。なので実際に現し身の邪魔をしたのもまた、例外じみた存在でした」

 

「例外?」

 

「異世界転生者」

 

 今日だけで何度聞いたか分からないほどに使い古された言葉を、少女は口にした。

 

「と言っても()の管理下ではない、非公認な別口かつ非合法な別枠の、偶発的な事故での異世界転生者でしたけどね──まったく、いったいなんだったんでしょうかあれは──とにかく、どんな経緯(いきさつ)であれ起きた結果は異世界転生。つまりは世界にとっての異物。それもまた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です。私の現し身が持つアドバンテージは何ひとつさえ効きませんでした──結果、その転生者に現し身は敗北し、私は現し身を用いた計画を諦めざるを得なくなったわけです。たとえ第二、第三の現し身を作って再挑戦したところで第二、第三の転生者に邪魔をされれば、たったそれだけで終わりですからね」

 

「…………」

 

「かといって一〇〇〇億の世界分のエネルギーがこのまま無駄に浪費されるのを黙って見過ごすわけにもいきませんでした。早急に次なる案を考える必要があったのです。そこで白羽の矢が立ったのが──」

 

「ぼくか」

 

 小さくため息を吐き、右手で眉間の皺をほぐす。今日だけで一生分の難しい顔を作っている気がする。

 先ほどまで少女がやけに微妙な異能を渡してくることを奇妙に思っていたが、この前日譚を聞かされれば納得がいった。

 何せ、世界そのもののメタとも言える強大な権能を持つ現し身ですら失敗した計画である。むやみやたらと強いスキルを持たせたところで、うまくいくとは限らないと反省するのは当然だ。

 

「でも無理だよ。無理無理。(あんた)の現し身ですら失敗した計画なんだぜ? どこにでもいる普通の高校生であるぼくなんかにできるわけが──」

 

「おや? そうですか? 私の計画を頓挫させた異世界転生者と同じ世界出身の同じ年代の同じ種族を使えば上手くいくと思っていたんですけれど」

 

TCG(トレーディングカードゲーム)のプレイヤーが大会優勝者のデッキレシピをコピーするような発想でぼくを選んでいたのかあんたは!」

 

「それに言い忘れていましたけど、ロハでこの仕事を任せるわけではありません。あなたが望むのならあのトラックとの交通事故をなかったことにして、元の世界のあの時間に蘇らせてあげますよ」

 

「自分ひとりの命のために一〇〇〇億個の世界の命を殺せってか? ──そりゃあフィクション愛好家のぼくにとって『ひとりの命か、世界か』なんてのは慣れ親しんだ命題だけど……、その天秤に乗せられるのが美少女の命ならともかく、自分なんかの命だったら遠慮するぜ。もう片方の皿に乗せられる世界の数がひとつじゃあなく一〇〇〇億なら、なおさらだ」

 

 これは何も、龍屠の自己肯定感が特別低いことを意味していない。

 誰だってそうだろう。

 一〇〇〇億個の世界よりも自分の命が大切だと臆面もなく断言できるエゴイストなんて、そうはいない。いるとしたら相当なロクデナシだし、そんな人物が一〇〇〇億個の異世界転生などという難行を遂行できるとは思えない。

 世界のエネルギー効率なるなんともスケールの大きな悩み事を抱えている少女には残念なことだろうが、彼女の期待に応えてやれる人材はそう簡単には現れないだろう──龍屠はそう思った。

 

「……むう。どうしても嫌だというのであれば、あなたの意思を尊重しましょう。あなたが辞退するのでしたら、他の方に任せるとします。替わりはいくらでもいますので」

 

「そりゃありがたい。そうしてくれ」

 

 異世界転生の誘いを断るということはつまり、このまま龍屠の魂は異世界に渡ることなく死ぬということになる。

 だがそれの何が悪い。

 普通はそれが順当な末路ではないか。

 そりゃもちろん、死後の世界への恐れがないわけではない。

 自分は果たして天国に行けるのだろうか。親より先に死んだら問答無用で地獄行きなんだっけ。そもそも自分がイメージするような宗教観の死後は実在するのだろうか? ──考え出せばキリがなく、胸の奥から不安が湧いてくる。

 けれどもそんな未来も、神の尖兵として一〇〇〇億個の世界を滅ぼすなどという地獄みたいな巡礼と比べれば、遥かに天国だ。

 喜んで賽の河原で石を積み上げようじゃないか──と。

 そんな風に。

 龍屠が諦めをつけようとしていた──その時だった。

 少女が尋ねたのは。

 

「でも、いいのですか?」

 

 そして彼女は続けて言う。

 たった一言、少年に問いを投げかける。

 

「──────────────────────────?」

 

 その声は相変わらず白く──白く。

 白々しく。

 いっそ相手を馬鹿にしているような台詞だったが。

 しかし。

 龍屠の心を塗り替えるのには十分な一言だった。

 

 ◆

 

「……と、こんな成り行きで異世界転生することになったんだ」

 

 再び現在。

 天使族の国、天国にて。

 

「最初は苦労したよ。異能をみっつも持っているとはいえ、基本的な身体能力は何も変わっていないんだもん。どんな言語でも読み書きできて、異世界間を自由に移動できて、不老なだけのどこにでもいる普通の高校生。ただそれだけさ。空を飛べるようになったわけでなければ、山を片腕で持ち上げられる怪力を獲得したわけでもなく、吸血鬼に変異したわけでもない──そんな奴がたったひとりで世界を滅ぼすなんて、普通なら無理な話だよ」

 

 そう語る少年の黒い背中を見つめながら、レスコーは白一色の世界を歩いていた。

 普段の彼女なら他人の話なんて右から左へ素通りさせているのだが、語り手が天国からの帰投手段を知っているのならば、そうはいかない。それに加えて、どうやらリュウトは天使族の九世兵器についても知っているらしい。ならば一見無駄話としか思えない長広舌から重要な手がかりが飛び出してくる可能性は十分あるだろう。レスコーはマクガフィンの講釈を拝聴する時と同程度の集中力で持って、リュウトの話に耳を傾けていた。

 しかし現在、その内容の半分も理解できていない。

 聞こえないのではない。

 意味が分からないのだ。

 そもそもイセカイテンセーって何? 

 屋敷暮らしのひきこもりで本とは竹馬の友であったレスコーは人より語彙が豊富である。しかしリュウトは、そんな彼女でも耳馴染みのない言葉を口から吐き出していた。

 造語としか思えないほどに聴きなれない単語が頻出するぶん、ワードサラダよりも奇怪なトークである。

 コミュニケーションの断絶としか言えない現状だ。

 けれどもレスコーはヒアリングを放棄しなかった。

 たしかに彼女はリュウトが語る内容の半分も理解できていない。

 しかし、それは逆に言えば──()()()()()()()()()()()()()()()ということである。

 話の所々で稀に姿を現す理解可能な部分をつぎはぎにつなぎ合わせることでおおまかな文意を推測するのは不可能ではない。

 そもそもレスコーは感情が生まれつき欠落しているにもかかわらず、二十余年もの間、人間の情動的な営みの代表とも言える読書を嗜んできたのだ。登場人物がどうして泣いたり笑ったりしているのか分からない物語を読み進めるのに比べたら、虫食い問題じみたエピソードトークの理解は遥かに容易だと言えよう。

 そんな解読作業の結果、リュウトがとても遠く離れた土地の出身であり、誰かの頼みで色んな場所を巡っていることを、彼女は知った。

 そして──この世界を滅ぼそうとしていることも。

 

「…………」

 

 その情報を得て、レスコーが取り乱すことは無い。

 自分の死さえも無感情に受け入れた彼女が、たかが世界の滅亡程度で心が動くはずなどないのだから。

 “流星流”は“剣客”の話を聞きながら、その後を追うだけである。

 

「それでもなんとか必死に()()をこなしていったんだけど、五件目か六件目に訪れた異世界がいわゆる『剣と魔法の世界』でね──魔法というのは、この世界で言うところの『執筆』みたいなものだ──おおいに浮かれたよ。『ここで魔法を覚えたら、今後の仕事が楽になる』ってね」

 

 まるで遥か昔のことを懐かしむような声でリュウトは語る。どんな年嵩に見積もっても二十歳は超えていなさそうな外見には似つかわしくない佇まいだ。

 

「親から貰った名に懸けて色々と習得したよ。八大元素に干渉する初歩的な魔法は勿論のこと、その世界では禁忌として秘されているものまで幅広くね。魔力伝導の効率を高めるために特別製の杖まで手に入れたものさ。……で、そんな努力の甲斐あって、その世界をなんとか()()させて、意気揚々と次の世界に行ったんだけど……、愕然としたよ。それまで使えていた魔法が急に使えなくなったんだから」

 

 当時を思い出して気が重くなったのか、リュウトは溜息を吐いた。

 

「これは後になって分かったことなんだけど、どうやら魔法のような異能は他の世界では使えないらしい。オカルティックな言い方をすれば世界ごとに異能のエネルギー源が異なり、オタク的な言い方をすれば世界観が異なるからだ──知った当時は心が折れかけたよ。それまで必死こいて学んできたスキルがふりだしに戻ったんだからさ。……これがRPGだったらコントローラーをぶん投げてるレベルのリセットだけど、いかんせん現実なもんで諦めるわけにはいかない。だからぼくは方針を転換することにした。習得する技能を剣や格闘といった肉体に依るものに限定することにしたんだ。自分の身ひとつで実現できる技なら、世界が変わっても使えるからね。そんなわけで異世界転生の中で鍛錬を重ねていった結果、この世界で“剣客”として働ける程度の剣術を身に着けることが出来たというわけさ」

 

「世界を滅ぼすのが目的と、先ほど仰っていましたね」

 

 白ドレスの令嬢が口を挟んだ。

 

「“剣客”として騎士団に入る必要はあったんですか?」

 

「あったとも。世界を滅ぼすと言っても、ぼくひとりでやれることなんて微々たるものだ。いくら剣術の腕を高めた所で、国ひとつさえ滅ぼせやしないだろう。優れた個人が万軍を圧倒するなんて、それこそ異世界ファンタジー小説の中だけの話なのさ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。元々この世界は五〇年前にとっくに滅んでいてもおかしくなかったくらいには危うい均衡の上に成り立っているんだ。そんな状況でひとつの国が他国に喧嘩を売るような真似──たとえば九世兵器を奪うとか──をすれば戦争が勃発し、そのまま世界の滅亡まで一直線ってスンポーさ」

 

 まるで世界滅亡専用のマニュアルをそらんじるような口調で語るリュウトだった。

 いったい何度()()()()()を繰り返せば、こんなこなれた雰囲気を身に着けることができるのだろうか。

 

「仮に兵器の蒐集が全てうまくいったとしても、それはそれで上々だ。『全て同時に使えば世界を九度滅ぼす』なんていわく付きの代物が一ヶ所に集まるという、終末時計残り一秒な状況が完成するんだから」

 

「だから騎士団に入ったと」

 

「そう言うこと。これでも裏では色々と暗躍していたんだぜ? 副団長(ミルドット)団長(ブレスライザ)にあれこれ吹き込んだり、関係各所に根回しをしたりとかさ。……まあその結果、兵器蒐集の機運の高まりを感じ取ったマフィが騎士団に先んじて謀反に踏み切ったのは、ちょっと予想外だったけど」

 

「ふうん」

 

 じゃあこの人もある意味では──『最果てを視る弓(ピリオド)』を持ち出したことが騎士団とマフィに九世兵器の蒐集を決意させる転機となったフンショのように──自分とマクガフィンが巡り合うきっかけになったひとりなんだな。

 今まで少し邪険に扱っていたけど、話を聞き終えた後で礼のひとつは言っておいた方がいいかもしれない。

 レスコーはそんなことを考えた。

 どこまでいっても思考回路がマクガフィンひとりに集約される女である。

 

「あと、神から受け取った異能──特に『超長跳躍(ロストホームラン)』には助けられたね。さすがは転生特典(チートスキル)。最初は異世界間の移動にしか使えない能力だと思っていたけど、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と解釈を拡大したところ、大いに化けた。今では疑似的な瞬間移動として重宝しているよ。これがあれば普通なら何日もかかる長距離移動が苦じゃないし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()

 

「瞬間移動、ですか」

 

 曖昧で意味不明な言葉の海から意味を解せたフレーズを拾い上げるレスコー。

 

「もしそんな能力が本当に使えるのなら、わざわざこうして歩かずに目的地まで一瞬でひとっとびすればいいのではありませんか?」

 

「やだなあ。そんなことをしたら、あんたと話す時間まで一瞬で終わってしまうじゃないか。それに──おっと」

 

 と、そこで。

 リュウトは脚を止めた。

 彼の背後を歩いていた白ドレスの令嬢は、前触れのない急な停止に面食らったものの、ぶつかる寸前で立ち止まった。

 少年の肩越しに前を見る。代わり映えしない白景色が広がっていた。続けて後ろを振り返ってみたが、そちらにも白一面の世界。景色には僅かな変化も見られない。これほどまでに視界が一色で固定されていると、自分は歩き始めた地点から一歩も進んでいないんじゃないかと思いそうになるが、歩数に換算すれば五千歩以上歩いたのは確実だった。

 

「ここが目的地ですか?」

 

「いや違う。ぼくが目指しているのは、ここからもう少し真っすぐ行った先さ」

 

「はい?」

 

 じゃあどうしてここで止まるんだ、と首を傾げるレスコー。

 長話で疲れたから小休止したいのだろうか。それなら別に構わない。目的地は『ここからもう少しまっすぐ行った先』だと判明したのだ。リュウトが休んでいる間にさっさと向かって、この不毛な時間を少しでも早く終わらせよう──と。

 そんな風に。

 団体行動という概念が欠如しているレスコーが、リュウトを横から追い越すようにして一歩を踏み切った。

 その時だった。

 音が聞こえたのは。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 それは遠雷じみた音だった。

 ボリューム自体はとても小さい。

 元からそうなのではなく音源がかなり遠くにあるのだろう。どれだけ近く見積もっても地平線を越えた遥か先から響いてる。彼我の間に隔たる距離が音を削いでいるのである。

 いずれにせよレスコーにとっては意識しなければ気付かない程度に些細な音だった。

 しかし──一度意識してしまえば、それを無視するのは不可能だった。

 レスコーに心は無い。

 だから彼女はこの不可解な音を聞いて、驚いたり訝しんだりするといった情緒的な反応を見せることはなかった。

 だが肉体的な反応は違った。

 彼女の心臓は掴まれたように縮み上がり、視界が歪む。膝の下から力が抜けてその場に倒れた。起き上がろうとするが、腕が痙攣して使い物にならない──天敵を前にした虫が起こす擬死みたいな反応だ。

 それはまるで──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その様子だと聞いてしまったみたいだね──”始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”を」

 

 少年の声がした。

 

「天使族に与えられた九世兵器だよ。音響兵器だ」

 

 淀みないその声は平時のそれであり、謎の音による悪影響は見られない。

 知った風なその口ぶりから察するに、おそらく彼は謎の音が届く範囲を予め把握しており、先ほどはその限り限りの地点で立ち止まっていたのだろう。

 

「音響兵器と聞くと、暴徒鎮圧用の非殺傷性のものを連想するけれど、九世兵器に名を連ねている以上、そんなチャチな性能では済まない──それから発せられる轟音は、聴く者の聴覚どころか命さえ蝕む死の音さ」

 

「死の……音?」

 

 聴くだけで死ぬ音だと? 

 信じがたい兵器だが、刻一刻と死に向かいつつある自分の体が、それをただの妄言ではないと主張する。

 

「普通なら聞いた瞬間に即死していてもおかしくないんだけどね。()()()()で済んでいるのは、ひとえにあんたが“流星流”だからかな」

 

「ど……、どうしましょう……このままだとわたくし、死後の世界で死ぬという、わけのわからないことになってしまいますわ」

 

「落ち着きなって。『殺しすぎる剣術』と恐れられた“流星流”なら、このくらいのピンチは()でもないだろ?」

 

「ですけ、ど……こんな有様では剣も握れないのに……どうすれば」

 

「以前、ぼくは副団長(ミルドット)が遺した資料をいくつか読んだことがある」

 

 話の流れを無視して唐突に、リュウトは自分の身の上話に戻った。

 

「あの“剣頭”はあんたらのことを過剰に恐れていたから、蔵書の中には“流星流”に関するものもいくつかあったんだけど──ほら、“流星流”にはあるんだろ? 剣を使わずに出せる技が」

 

「あ」

 

 言われてはたと気付く。

 リュウトの言う通り、“流星流”には剣を用いずとも敵の殺傷を可能とする技がいくつかある。

 しかもその内のひとつは──音の技だ。

 

「                                   !!」

 

 気が付くや否や、レスコーはそれを放っていた。

 恐怖に怯える悲鳴より甲高く、敵対者に浴びせる怒号より雄々しい大音声──“流星流”『声枯(こがらし)』。

 喉から迸る爆音に、彼方からの音は掻き消される。

 するとそれまでレスコーの体を蝕んでいた本能的な死も薄れていった。

 叫び続けて数秒経つと腕の痙攣が治まった。レスコーは叫ぶ勢いを衰えさせないまま立ち上がり、リュウトがいる方を向く。黒髪の少年は『声枯(こがらし)』の大音声に支配された空間の中でも涼しい顔をしており、レスコーと目が合うと片手を用いて前方を示した。「そのままお先にどうぞ」と言いたげなジェスチャーである。言われずとも元からそうするつもりだったので、レスコーは前に向き直ると、そのまま歩き始めた。

 歩く。

 叫ぶ。

 歩く。

 叫ぶ。

 歩く。

 叫ぶ。

 叫び(あるき)続ける。

 ひたすらまっすぐ。

 白一面の世界を切り裂くように。

 “声枯(こがらし)”で発する声は常人であれば五秒ともたずに息が尽きるほどの大声である。一時も休まずにそれを維持しながらの行軍なんて常軌を逸しているのだが、レスコーは当たり前のようにそれを敢行していた。

 音源である“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”に近づけば近づくほど、こちらに届く死の音はボリュームを増していく。“流星流”は負けじと“声枯(こがらし)”の出力を上げた。

 

 ──そうして、しばらく歩いた先で。

 

 レスコーは匣を見付けた。

 白い匣だった。

 白と言っても、周辺の景色のようなまっさらな白ではない。

 どことなくくすんだ、灰色に近い白だ。

 一辺の長さはレスコーの足から膝程度。

 小さくは無いが大きくもない──その気になれば両手で抱えて持ち上げられそうな立方体である。

 天板を見ると引き戸のように開放されており、そこから音が絶え間なく鳴り響いていた。

 

「(これが……“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”)」

 

 レスコーは匣に近寄ると、開放されたままの天板を掴んだ。硬くてざらついた触感から判断するに材質は石、あるいは骨なのかもしれない。指一本にも満たない厚さだ。手に力を込める。抵抗はない。油を差した蝶番でも使われているかの如く滑らかに動いた。

 天板はそのままするすると動き。

 そして──やがて。

 ぱたん。

 と、小さな音を立てて閉じた。

 同時に、それまで天国に鳴り響いていた死の音がぴたりとやむ。

 どう考えてもこの程度の厚さの天板では封じられないボリュームだったはずなのだが、それでもたしかにやんだのだ。

 伝説に語られる九世兵器のひとつとは思えないほどに拍子抜けする終幕だった。

 

「おつかれさま」

 

 死の音とは程遠いあっけらかんとした声。

 振り返るとそこにはリュウトがいた。まさかあの大音声の中、後を追って来たわけではあるまい。前触れのないその登場は、まるで本当に瞬間移動でも使っているかのようだった。

 

「さすがは“流星流”。音すら殺してみせるとはね。これにて()使()()の九世兵器は蒐集完了だ。おめでとう」

 

 そんな労いの言葉を聞いて、レスコーは「そうだ」と思い出す。

 自分がいるこの場所は天使族の国であり、たった今無力化した“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”は天使族の兵器である。

 だというのに彼女はこれまでの道中で天使の姿を見ていない。自国の兵器を蒐集せんとする不届き者がいれば、“不明国家”の吸血貴族たちのように国家総出で立ち塞がってもおかしくないはずなのに。

 これまでレスコーの行進を遮るものは誰ひとりとして現れず、道中で視界に映ったのは白い風景だけだった。

 

「そんなことはない。あんたはずっと天使たちを見ていたんだぜ。もう一度よく、目を凝らして見てごらん」

 

「……?」

 

 意味が分からなかったが、先ほど彼から貰ったアドバイスが“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”の封印に繋がった実績がある以上、ただの妄言と切って捨てるわけにもいかない。レスコーはひとまず、リュウトの言葉に従って辺りを見渡してみた。

 とはいえ右を見ても左を見ても白ばかり。

 天使なんてどこにもいるわけが──違和感。

 もう一度よく見る。

 そこにあるのがただの白ではないという疑いを持って、目を凝らす。

 そこまでして──ようやく気付いた。

 天国の白景色が無数の何かで構成されていることに。

 それは──雪? 

 綿? 

 いや、そのどちらでもない。

 

「……()?」

 

 地面を埋め尽くすほどに膨大な数の羽。

 それらが散らばっていたことで、この世界の白さは成り立っていたのである。

 

「じゃあ、その羽は誰の物なのか? ──なーんて疑問は、ここが天使族の国である以上、答えが分かり切っているよな」

 

 ぐり、とリュウトは足の爪先を立てて地面に擦りつけた。羽の地層が捲れ、その下から何かが現れる。それは死体だった。血の気を失って、天国の景色にも負けないくらい肌が真っ白になっている天使の死体だった。

 

「ぼくが愛してやまない作品の巻頭歌である『我々は/血の海に/灰を浮かべた地獄の名を/仮に世界と/呼んでいるのだ』を捩って言うなら、さしずめここは『死体の海に羽を浮かべた天国』ってところかな」

 

 冗談めかした声で言いながら、リュウトは再度足を動かして死体を埋め直す。

 これまでの道中で白景色が途絶えたことは一度もなかった。それら全てが天使の羽で出来ていたというのなら──その下には夥しい量の死体が埋まっていたことになる。

 

「言っておくけれど、ぼくが殺ったんじゃあないぜ。あんたをここに連れてくるためだけに小人族と鳥人族をまとめて滅ぼした身で言っても説得力がないかもしれないが、これはマジだ──ぼくたちが到着した頃には、とっくに“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”が起動し(ひらい)ていて、それを聞いた天使たちは全員絶命して倒れていたんだよ」

 

「どうしてそんなことに? 大規模な自殺でもしたんですかね?」

 

「自殺というより自滅なんじゃないかな。あんたたちが筆頭になって巻き起こしている九世兵器絡みの争いの話はこの天国まで届いていただろうし、それを知った天使たちがいつか自分たちの九世兵器も狙われるかもしれないと焦って「やられる前にやっちまおう」と”始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”を引っ張り出すのはありえる話だ」

 

「その際に国内で偶然“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”が起動してしまい、国中に死の音が響き渡ってしまったと?」

 

「そういうこと」

 

 そんなうっかりミスでひとつの国家が全滅してしまうだなんて冗談みたいな話だが──レスコーは既に知っている。”始まりを覆う匣《ライナーズノーツ》”と同じく九世兵器に名を連ねるクローン軍団生成兵器“深奥を掴む軍勢(アンソロジー)”で自滅したドワーフ族の村という前例を。

 だったら天使族の自滅も、九世兵器という強大な力を渡された種族の末路としてはよくある一例に過ぎないのだろう。

 

「蓋を閉じる直前の“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”の効果範囲と白景色の範囲が一致しないのは、起動直後はもっと広範囲に音が響いていて、時間が経過するごとに減衰したってことなのかな──やれやれ、それにしても先の“地を支える毒(フェアリーテイル)”といい今回の“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”といい、なんだかぼくと相性の悪い範囲型の兵器が続くなあ。せっかく瞬間移動スキルを持っていても、飛んだ先に毒や死の音があれば即死しちゃうんだからね」

 

「相性、ですか」

 

 それで言うとレスコーは、リュウトとは逆に“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”との相性の良さを感じていた。

 音の九世兵器に、音の技で対抗。

 まるで──そう。

 “声枯(こがらし)”は音で広範囲を攻撃する技でなければ、自分に活を入れる技でもなく、先ほどのあの状況──”始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”と対峙する為だけにあった技だったのではないかと。

 そんな風に思わされるほどに最適(マッチ)勝負(マッチ)だった気がする。

 

「まあ、この感覚はわたくしの未熟な精神が生み出した錯覚なのかもしれませんけれど」

 

「いや、そんなことはないよ。大正解だ」

 

 リュウトはレスコーの何気ない一言を肯定すると、彼女の横を通り抜け、そのまま“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”の閉じた天板の上に腰かけた。

 

「話を遮る騒音も収まったことだし、続けるとしようか。ぼくの昔話を。この世界の昔話を。そして──」

 

 “流星流”、()()()()()の昔話を。

 

 ◆

 

「東西東西……なんて持って回った言い回しは、白一色でどっちが東でどっちが西かも分からないこの場所では不要かな。そもそもこれからぼくが話を聞かせるのは、あんたひとりだけなんだし」

 

 リュウトは小さく笑うと、本題に入った。

 

「ぼくは今までいろんな世界を巡ってきた。よくあるファンタジー小説みたいな中世ヨーロッパ風の世界や、人間ではなく機械が生態ピラミッドの頂点に立っている世界、とある有名アクションRPGみたいにダークな雰囲気が漂う世界……、その全てを滅ぼしてきたわけだけど、ふたつとして同じものは無かったし、どこでだって『無限枚舌(バットトーカー)』は効力を発揮していた。ぼくはどんな世界でも自分の名前を名乗れていたわけだ」

 

()()()()()()()()──と。

 強調するような口調で少年は言う。

 

「『龍』という言葉だけが聞き取られないおかしな世界はここだけなんだよ。その異常に気付いて真っ先に疑ったのは『この世界には元々龍の概念がないから聞き取られない』という可能性だった。だけどその推測はすぐに棄却された。だってぼくがこれまで巡ってきた中には龍の概念そのものがない世界なんて両手で足りない数あったけど、そこでだって『(リュウ)』の音自体は伝わっていたんだからね。それじゃあ他にどんな可能性があるだろうと考えて、次に閃いたのは『この世界の生物はリュウの音だけが聞き取れない』だった。けれど“流星流(りゅうせいりゅう)”なんて名前の流派が広く知られていることが分かった時点で、その発想も取り下げることになった」

 

 “剣客”は言う。

 それひとつで天使族を鏖殺してみせた音の九世兵器に腰かけながら。

 

「子供の頃『刑事コロンボ』が好きだったせい……ってわけじゃあないけれど、こまかいことが気になると答えが知りたくなるものだろう?」

 

 不感症なあんたには共感しにくいことかもしれないけどさ──とリュウトは付言する。

 

「というわけで、この世界を滅ぼす傍らにリュウの謎についても調べるべく、ぼくは歴史書や生物図鑑を紐解くことにしたんだ──時に“流星流”。あんたは『大いなる災害』を知っているかな?」

 

「数か月前にマフィ様から教えられたばかりですけれど、一応は。五〇年前に『大いなる戦争』と共に世界を襲った災害群の総称……ですよね?」

 

「具体的に何が起きたかは?」

 

「ええと……」レスコーは中空に視線を見つめながら過去にマクガフィンから教えられた世界史の記憶を掘り起こす。「火災に暴風、病毒──災害と言える現象の全てが発生したと。珍しいものだと、前触れなく城壁が崩れたとか。ああ、そうそう。他にも、突然大きな音が鳴り響いて、辺り一帯の生物が死に絶えたとか、も………………あれ?」

 

 災害例の最後の例を語っているさなか、ようやくレスコーの中で何かのピースが噛み合った。

 辺り一帯に死を振りまく轟音? 

 それはまるで──つい先ほど対峙した“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”みたいではないか。

 それだけではない。

 火災といえば“最果てを視る弓(ピリオド)”を想起せずにはいられないし、病毒と聞いて今のレスコーが真っ先に連想するのは“地を支えし毒(フェアリーテイル)”である。暴風に至っては、気流を司るという鳥人族の“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”で殺されたばかりだ。

 九世兵器──その全てが同時に使われれば、世界を九度滅ぼすとされる兵器群。

 それはまさしく()()()()()()()だが、実の所は──

 

()()()()()()だった? 五〇年前に世界を襲った『大いなる災害』の正体は、九世兵器だったと……?」

 

「惜しい。九〇点」

 

 リュウトは両手の指で三角形を作った。

 

「『大いなる災害』の正体は九世兵器──()()()()()()()()()()

 

 突拍子もない話だった。感情が無く、それ故に目の前で起きた異常な現実を感情に流されることなく「そういうものなんだな」と受け止められるレスコーですら、すんなりと飲み込むのが困難な程である。

 

「鋭い爪を素材に(エピソード)を、強固な鱗を素材に(プロットアーマー)を……ってな具合に作ったんだろうね。この”始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”の場合は声帯を素材にしているのかな?」

 

「ありえないですよ、そんなの。もしそうなら、炎を撒き散らし、暴風を吹かせ、病毒を蔓延させ、その他様々な災害じみた現象を起こせる生物が、かつてこの世界に実在したということになるじゃないですか。もしそうなら目撃例が記録に残っているはずですし……、そんな生き物、吸血鬼や巨人以上の出鱈目ではないですか」

 

「そうだね。架空の生き物なんじゃないかと思いたくなるくらい非現実的だ。だからこそ、この世界の人々は『それ』を恐れたし──現実として認識出来なかった」

 

 恐怖ゆえに『それ』を視認できず、それが齎す破壊を理解不能な災害としてしか認識できなかった。

 ひとつの生物としての記録が不可能だったのだ。

 そして──災害から五〇年経った今もその恐怖は、この世界の住民たちに根付いている。

 だから彼らは『それ』の名前すら認識できないのだ。

 

「だけど異世界人(ぼく)は違う。異世界レベルの岡目八目でこの世界の歴史を調べたぼくだけは理解できる。記録に残された『大いなる災害』の正体が生物であり──ぼくが知るところの『龍』だったことを」

 

「龍……」

 

 それは最初に確認すべきことだったのかもしれないが。

 レスコーは『龍』が生き物の名称であることを、この時になってようやく知った。

 これだけでも彼女の世界観を揺らがせるに足る事実だったが、

 

「そして」

 

 リュウトの話はまだ終わらなかった。

 

「歴史を調べていく中でもうひとつ、気付いたことがある」

 

「他にも何か?」

 

「『大いなる災害()』が観測された場所のいくつかで、現れたと記録されているんだよ」

 

「何が」

 

「“流星流”が」

 

 ぴん、と。

 立てられた指先が、レスコーの顔目掛けて突き付けられた。

 

「初代“流星流”……、あんたにとっての先々代(おじいさん)が戦ったとされる場所・時期と、『大いなる災害』の発生地・時期──これらを年表上で重ね合わせると、いくつか一致する箇所が現れる。全部ってわけじゃあないが、偶然では済みにくい程度に有意性のある一致だ」

 

 リュウトは淀みなく続ける、

 

「このことから、こんなことが考察できないかい? ──“流星流”は龍と戦っていたのだと」

 

 それどころか。

 

「龍を全滅させて、その死体で九世兵器を作り上げたのだと」

 

「……それは流石に考えすぎではないですか?」

 

 レスコーは控えめな声で反論した。

 

「そもそも龍なる生物がいたことさえ、まだ半信半疑だと言うのに……、先々代(おじいさま)がそれと戦っていたと言われて、そう易々と信じられるわけがないでしょう。先々代(おじいさま)は当時、“流星流”として世界各地の『大いなる戦争』に引っ張りだこだったと聞きますし、だったら歴史上で観測された戦闘のいくつかが『大いなる災害』と重なっていたとしても不思議ではなりません。結局、全てはただの偶然ではないのですか? ──それに」

 

「それに?」

 

「世界中を巻き込む大規模な災害を、たかがひとりの剣士が全滅させるなんて、いくらなんでも無茶がすぎるのでは」

 

「そんなことはない。現に“流星流”の末裔であるあんたは、この世界で唯一、龍を認識できているじゃないか」

 

「それが勝ち負けに関係あるとは──」

 

「おおいにあるね。相手をひとつの命として認めることは、相手を殺すスタートラインに立てているということなんだから」

 

「……………………」

 

 それは感情のないレスコーであっても──否。

 “流星流”という殺人剣の使い手として、これまで様々な猛者たちと死合ってきたレスコー()()()()()、反論しがたい理屈だった。

 それに“流星流”が龍と戦うための流派だったという仮説が事実なら、先ほど“声枯(こがらし)”で以て──龍を原材料にしているという九世兵器── “始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”と対峙した時に感じた相性の良さにも説明がつくではないか。

 

「『“流星流”はこの世で唯一龍を認識できる人間が興した龍殺しの流派であり、その継承者ならぼくの名前も聞き取れるんじゃないか』──出来る事なら初代に会って検証してみたかった仮説だけど、記録によれば彼はとうの昔に行方知れずになっているらしいし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこうして妥協して三代目であるあんたと会話の場を設けたわけだけど、無事考察が当たっていたみたいで何よりだよ」

 

「はあ。そうですか」

 

 気の無い声だった。

 自分の祖父が『大いなる災害』と戦うどころかそれを滅ぼして九世兵器を作り上げたなどという仮説はやっぱり未だに眉唾な気がするが、ここで更なる反論をしてディベートの活発化を試みるほどレスコーは話したがりではない。

 そもそも彼女の最重要目的は何か。

 “剣客”との対談ではない。

 天国からの帰還だ。

 なにやら重大な真実を立て続けに曝露された気もするが、だからと言って初志を忘れてはならない。

 そろそろ話の軌道を過去から今──天国からの帰還手段について切り替えよう、と。

 そんな風にレスコーが思案した──その時だった。

 リュウトが話を再開したのは。

 

「さて“流星流”。以上を踏まえて、あんたに頼みがある」

 

「また頼み事ですか?」

 

「まあそう言わずに聞いてくれよ。究極的に言えば、ぼくはこの頼みを告げるためだけにあんたをこの場に呼んだようなものなんだから。それに、べつに大した頼みじゃあない。内容を知れば、きっと快諾してくれるさ。少なくとも『一〇〇〇億の異世界転生』よりは簡単な頼みだよ──だって」

 

 あんたが今やっていることにも繋がる話なんだから──と、“剣客”。

 続けて彼は言う。

 

「ぼくの代わりにこの世界を滅ぼしてくれないか?」

 

 ◆

 

「既に話した通り、ぼくはこの世界を滅ぼす為に活動している。その為には全力を尽くすつもりだけど──省ける工程があるんだったら省きたいし、アウトソーシングできる作業があるならそうしたい」

 

 たとえば。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 かつて「世界を滅ぼせる可能性があるから」という動機で絶対人間騎士団に加入したのと、根本的な考えは同じだ──なるほど、

 こんな頼みをするのなら、ふたつの種族の居住区を巻き込む規模の大破壊を起こしてまで、レスコーと密談の場を設けようとしたのも納得である。

 世界滅亡なる計画は、誰にも盗み聞きされるわけにいかないのだから。

 

「実際このやり方で成功したことがこれまでに何度かある。こと異世界転生において、競合他社はむしろ大歓迎なのさ」

 

「先ほど、ご自身が陰でおこなってきた努力を自慢げに話されていましたけれど、ここに至ってわたくしに丸投げすると?」

 

「その通り。ぼくが求めているのはべつに『自分の手で異世界転生を成し遂げた』という名誉(不名誉?)じゃあないからね。『自分が訪れた世界が滅んだ』という成果だけさ」

 

 世界を終着させようとしている人物の発言なのに、己の仕事への執着が薄い。

 いや、寧ろ──一〇〇〇億の異世界転生という無理難題に音を上げずにいるには、このくらいの冷めた態度がベストなのだろうか。

 

「どうだい、世界を巻き込むマフィの自殺を手伝っているあんたには、断る理由の無い頼みだろ?」

 

「まあ、たしかに……そうですけれど」

 

「だろう? じゃあ、よろし──」

 

「ただし」

 

 リュウトの視界が肌色で塗りつぶされる。

 

「返事をする前に二点ほど、確認事項が」

 

 レスコーが握り拳から人差し指と中指を立ててリュウトの眼前に突き付けていた。『2』を示すというより目潰しみたいなポーズだが、“剣客”はそれに臆することなく涼しい顔をしている。

 

「ひとつ、これを受諾したら今度の今度こそ、わたくしに天国からの帰還方法を教えること」

 

「おっけい。必ず教えるとも」

 

「ふたつ、たしかにわたくしはマフィ様の本願を叶えるために精一杯のお力添えをするつもりですが、もしかすると九世兵器の蒐集は道半ばで頓挫するかもしれません」

 

「え?」

 

 それまで保っていた平静な態度が、ほんの少し崩れた。

 

「どうしてだ?」

 

「九世兵器ではなくわたくし自身の剣で以て、マフィ様を殺すつもりだからです」

 

「は、え、殺す? どういうこと? 初耳だぜそれは。あんたはマフィを好いているんじゃなかったのか?」

 

「好きではありません。大好きです」

 

「些細なニュアンスの違いはさておくとして、そんな歯の浮くような台詞を恥じることなく言えるくらいには想いを寄せている相手を殺すってどういうことだよ。矛盾しているじゃあないか……いや、待てよ? それを言えば、そもそもあいつの自殺を助けている時点でおかしいのか? じゃあ別に、自分自身の手で殺そうとしても矛盾は……ない? うへあ……、この世界で初めて感じるタイプのカルチャーショックだ──それにしても、マフィの兵器蒐集が途中で止まるかもしれない、か。うーむ……」

 

 リュウトはその場で腕を組み、しばらく何事かを思案すると、

 

「まっ、別にいいか」

 

 と頷いた。

 

「あんたの殺る気がどれだけ高かろうが、このまま話が進めば『九世兵器集結による世界滅亡』√に至る可能性が一番高いのは変わらなそうだからね。それに仮にマフィがあんたに殺されたとしても、その時は『“剣鬼”ほどの不死身を殺せる脅威』がこの世界に誕生することになる。そうなれば、まあ、遅かれ早かれ世界の寿命が来るだろうよ。どっちに転んでもぼくの目論見通りだ」

 

「何をおっしゃっているのかよく分かりませんけれど、納得していただけたようでなによりです。でしたらこちらも、あなたの頼みを引き受けるとしましょう」

 

「それにしてもあいつを殺すって……『一〇〇〇億の異世界転生』を敢行中のぼくが言えたことじゃあないけれど、かなりの無理難題に挑戦しているなあ、あんた。同じ騎士団に所属していた都合上、ぼくもあいつの不死身ぶりはよく知っているけども、あいつの不死性って世界観からの浮きっぷりから察するに……──ああ、いや、これ以上ぼくがあれこれ言うのは野暮ってものか」

 

 そこら辺の真相については次回に持ち越しということで。

 そうして話がまとまると、リュウトはそれまで腰かけていた“始まりを覆う匣(ライナーズノーツ)”から立ち上がった。

 腰に提げていた刀に手を遣り、そのまま柄を引き抜く。しゃらんと鋭い音を立てて刃が露わになった。

 剣の名は“全を薙ぐ刀(エピソード)”。

 “剣客”曰く、龍を素材に作られた超兵器である。

 

「それじゃあ()ろうか」

 

「はい?」

 

 レスコーは首を傾げた。

 

「どうして急にバトルに? これまで散々虫食い問題じみた会話をしている気分になっていましたけれど、これでは単語どころか展開レヴェルで話が飛んでいませんか? あなたの頼みを断ったのならともかく、了解したのに戦いを仕掛けられるのはおかしい気がするのですけれど」

 

「世界滅亡という一大事業を任せる以上は念の為、あんたの実力をこの身で測りたいと思うのは人情ってものだろ」

 

「要は力試しですか」

 

「他の理由が欲しいのなら……そうだな。ぼくから“全を薙ぐ刀(エピソード)”を奪うつもりでかかってきなよ」

 

 “剣客”は見せびらかすようにして刀を振った。

 

「……それに、これまで散々あいつらを利用して、どころかあんたを天国に呼び出すついでにシャルルたちを殺したとは言え、一応ぼくは絶対人間騎士団のメンバーだからね。だったらここで仲間の仇であるあんたと(けん)を交わすだけに留まらず、剣を交わそうとするのは、至極当然の展開だ」

 

「妙な所でお仲間さんに律儀なのですね。世界を滅ぼそうとしている割にやけに人間味があるというか」

 

「ぼくの自己分析によると逆だな。世界を滅ぼし回っている人でなしだからこそ、人の心に留まろうと必死に、出来る範囲で人間味のある言動を模倣しているんだよ」

 

 それで言うとリュウトが『龍』に限らずこの世界では通用しない言葉を多用しがちなのも似たような心理が原因なのかもしれない。

 かつて暮らしていた世界を連想させる言葉を使うたびに、彼は自分が神の尖兵ではなかった頃の──『どこにでもいる普通の少年』だった頃の自分を思い出し、その想起で以て、心を人間に繋ぎ止めようとしているのではなかろうか。

 ともあれ。

 自分の心すらよく分かっていないレスコーにとって、そんな心理は知ったことではない。

 相手が剣を抜いたのなら、こちらも剣を抜くだけだ。

 そもそもレスコーにとってリュウトは、いつか会う時があればその時は戦うことを想定していた相手である。ならば今のこの状況は既定路線の展開と言えるだろう。むしろ、話が単純になってくれて助かる。

 そんな風に思いながらレスコーは刀を抜き、いつも通りの中段に構えた。

 

「それにしても一〇〇〇億の世界を滅ぼす、ですか。ひとつの世界を滅ぼすだけでもこれだけ大変なのに、その一〇〇〇億倍なんて……どれだけの労力がかかるのか、想像もつきませんね」

 

「そんな苦労をしてでも蘇らなきゃいけない理由があるんだよ。そこら辺の事情についてはさっき話したろ?」

 

「そういえばそうですね──ええと、たしか」

 

 レスコーは先ほどリュウトから聞いた身の上話を思い出そうとしたが、それよりも少年が口を開く方が早かった。

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』──神からそう言われたんだ」

 

 そうだった。

 マンガという概念をリュウトと共有できていないレスコーにとっては覚えにくい台詞だったが、たしかにそう言っていた気がする。

 “剣客”は両手で握っていた刀を片手に持ち替え、空いた片手を懐に突っ込むと、そこから何かを取り出した。それは大判の本だった。ややぶ厚めであり、その表紙にはレスコーがこれまでに見たことが無い記号と絵が載っていた。所々がよれていて、年季を感じさせる本だが、逆に言えば経年劣化以外の損耗は見られず、どれだけ丁重に扱われているかが窺い知れた。

 

「次回で最終回だったんだ」

 

 どこにでもいる普通の少年は、ぽつりと呟いた。

 

「『ワンピース』の最終回まで──あと一週間だったんだよ」

 

 彼が何を言っているのかをレスコーは理解できない。

 共感など出来るはずもない。

 ただ──その口調から。

 マクガフィンについて語っている時の自分に近しいものを感じ取った。

 

「それを思い出しちゃ、死んでも死にきれないよな。心変わりだってするもんだぜ──『ワンピース』の最終回を読むためなら、ぼくは世界をいくらでも滅ぼしてみせる」

 

 そんな風に宣言すると、リュウトは本を仕舞い、

 

「だから“流星流”。ぼくにあんたを魅せてくれ。心置きなく、この世界の滅亡を任せても良いと思わせてくれよ」

 

 改めて剣を構えた。

 大まかな姿勢は半身。刀を握った両手を肩と眉間の中間辺りまで上げており、その切っ先はレスコーへと向けられている。

 

「これはかつて滅ぼした世界で習得した流派の構えだ。この流派の面白いところはファンタジー生物を形象した技を使うところでね。たとえばユニコーンを象った突きや、スライムを象った受け技とかがあるんだが、大技にあたる()()は龍を模した構えだ──龍殺しの流派と対峙するには、うってつけの技だろ?」

 

「たしかに絶対人間騎士団の“剣客”であり、理解しがたい言葉を用いる奇人であり、そして龍を模した剣で戦うあなたを殺すのは難しいでしょう。でも、殺してみせ──ああ、いや、今回は殺しちゃ駄目でしたね」

 

「はははっ、いいよいいよ。殺す気でかかってきな。あんたの本気が見たいこっちとしてはその方が助かる。ぼくも手を抜かずにいくからさ──『ダテにあの世は見てねえぜ』」

 

 リュウトがなにやら決め台詞──の引用? ──じみたことを言ったのを切欠に両者は地面を蹴り、引かれあうようにして超高速で距離を詰めた。

 “剣客”が構えるは龍を模したと言う謎の剣術。そこから放たれるのがどのような技なのかは未知数だ。

 対するレスコーが放ったのは──

 

爪弾(つまはじき)!」

 

 だった。

 先刻の“剣道”との戦いにおいて決め手になった技をこの場でも選択したのは、なにも、その成功体験に引きずられてのことではない。

 相手がどんな技を使ってくるのか分からない? ──だったら、技を放って来るよりも前に斬ればいい。

 そのような判断に基づいて、最速の技である『爪弾(つまはじき)』を選択したのだ。

 “全を薙ぐ刀(エピソード)”の冷たい煌きが空を裂き、“剣客”の胸元に迫る! ──斬った! 

 白ドレスの令嬢は確信した。

 しかし──斬撃が一閃するよりも早く、黒い靄のようなものが現れた。

 それは黒く、黒く、黒く──ただ黒く。

 覗き込めば()()()()()()()()()()に繋がっていそうなほど黒い。

 リュウトの胸元を横薙ぎにするはずだった“全を薙ぐ刀(エピソード)”の切っ先は、黒い靄を通過した。空気よりも無抵抗な感覚がレスコーの手に伝わった。

 

「あっぶねー……──たしかそれって、初代が使えば空間そのものに消えない傷を残したっていう技だろ? 容赦ないな……」

 

「……なんですか、それ?」レスコーはリュウトの胸元を漂う黒い靄を示した。

 

「なにって──空間そのものに走る斬撃(つまはじき)を避けるために空間に縛られなくなる異能(ロストホームラン)を使っただけだけど」

 

 リュウトが事も無げにそう言っている間に黒い靄はその体積を増やしていく。最初は胸元の染み程度の大きさだったが、言い終える頃には首から下を塗りつぶすまでに至っていた。

 

「危機一髪で避けられたって感じだが、こりゃどう見ても僕の負けだな。たかがデモンストレーションで、こんななりふり構わない緊急回避をさせられたんだからね──やっぱりこの世界を滅ぼすのはあんたに任せることにするよ、“流星流”」

 

 靄に隠れた向こう側から鞘に収まった刀が飛んできた。リュウトの“全を薙ぐ刀(エピソード)”だった。レスコーはそれを咄嗟にキャッチする。

 

「約束通りあげるよ──ああ、そうそう、約束と言えば他にもしてたんだったな」

 

 黒い靄が更に体積を広げた。

 その速度は凄まじく、瞬く間にレスコーの足元まで到達し、蝕むようにして彼女の体を飲み込んでいく。

 

「それじゃ、あんたを還すついでに、ぼくは次の世界に行くとしようかな──後は任せたぜ」

 

 この茶番はリュート・テーブルが──保巣龍屠(リュートホス)がお送りしました。

 その声を最後に、レスコーの視界は完全なる暗黒に包まれた。

 

 ◆

 

 種を明かすと、リュウトが言う『天国からの脱出手段』は、彼が持つ瞬間移動能力『超長跳躍(ロストホームラン)』だった。

 この能力を持つ彼に這入れない場所はない。

 遠く離れた樹海だろうと、宙に浮かぶ気象兵器だろうと──死後の世界である天国だろうと。

 どこにだってひとっとび。

 この話のジャンルがファンタジーバトルではなく推理小説だったら即座に出禁を食らいかねない能力である。

 彼はそれを使って、本来なら脱出不可能な天国からレスコーを還したのだ。

 ……そんな方法で天国を行き来できるのなら、最初から“雲奥にて唄う砲(ライトノベル)”での大量殺戮などというはた迷惑な真似をせずに、レスコー個人を狙って移動させれば良かったのではないか? 

 そんな風に思われる方もおられるかもしれないが、先ほどリュウトが述べていた通り、樹海にいた時点で彼はまだレスコーの正確な位置を知らなかった。そんな訳で手っ取り早く彼女を天国に連れていくべく、大雑把な、しかし確実な大規模破壊を実行したのである。

 それに──そもそも。

 リュウトは元からこの世界を滅ぼすつもりであり、他者の命に配慮なんてしない。

 だって、最後は全員殺すのだから。

『こうすれば確実だ』と判断すれば、何百、何千もの犠牲者が出る手段だろうが、味方が巻き込まれる計画であろうが平気で選択できるのである。

 見た目こそどこにでもいる普通の少年だが、その本質はどうしようもない異物。

 かつて彼が想像した『一〇〇〇億の世界より自分を優先するロクデナシ』そのものなのだ。

 そんな彼から世界滅亡の任を託された“流星流”がこれからどうなるかは、追々語るとして──ともあれ。

 レスコーが目を覚ました時、周囲にあったのは白一色の天国ではなく、荒れ果てた樹海だった。

 いや──それを樹海と言っても良いのだろうか。

 頭に『元』、あるいは末尾に『跡』とつけることさえ無理なんじゃないかと思えてくるほどに、その樹海は荒れていた。

 まともに立っている樹は一本もなく、地面のあちこちが抉れている。遠くには黒煙がもうもうと立ち上っているのが見えた。先の落雷で火災が発生しているのだろう。

 かつてあった豊かな緑は面影すらない。

 まるで巨人が大きなスコップでやたらめったらと土を掘り返したかのような──そんな荒れ具合だった。

 

「…………」

 

 ゆっくりと起き上がる。体に覆い被さっていた木屑や土がぱらぱらと音を立てて落ちた。自分の体に目を遣るが、これだけの大破壊の渦中にいたにも関わらず、傷らしき傷はついていなかった。つい先ほどまで死後の世界に行っていたとは思えないほどの健康体である。

 それとも、先ほどまで自分が見ていたのは、ただの夢だったのだろうか? 

 そんな風に思ったが、ふと目を遣った先には自分のものではない“全を薙ぐ刀(エピソード)”と白い匣が転がっていた。

 どうやらあの夢みたいな記憶は現実だったようだ。寝起きでぼやけている頭で、そう判断する。

 ひとまず戦利品を回収すべく、レスコーはふたつの九世兵器に近寄った。

 その時だった。

 

「レスコー!!」

 

 自分の名前を呼ぶ誰かの声が聞こえたのは。

 顔を確認せずとも誰何できる。

 こんな死屍累々の荒地で声を発せられる人物なんて、ひとりしかいないのだから──それに。

 その声はとても久しぶりに聞いた気がする、懐かしい声だった。

 倒木の陰から現れた軍服の少女──マクガフィンは、レスコーを見つけると駆け寄ってきた。

 不死身である彼女は、樹海を襲った大破壊の中でもノーダメージで済んだはずなのだが、その顔は途轍もない憔悴の跡が見えた。

 

「無事だったか!! 全然見つからないから死んだかと思ってい──むぐっ!?」

 

 途中で台詞が途切れたのは、レスコーがマクガフィンを思いっきり抱き寄せ、その顔を胸元に埋めさせたからである。

 

「無事ですとも! マフィ様より先に死ぬようなわたくしではありませんわ!」

 

 胸元でマクガフィンがばたばたと暴れている気がするが、白ドレスの令嬢はそれに構わず抱擁を続ける。

 久方ぶりの再会を祝すように。

 愛情を注ぐように。

 絞め殺すように。

 強く、強く、強く──マクガフィンを抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次回予告! 

 

 徐々に進んでいくレスコーたちの旅!! 

 

 次の舞台はエルフの国!! 

 

 いったいどんな恐ろしい兵器が待ち受けているのか……ええっ!? 

 

 そこにあるのは兵器ではない九世兵器!? 

 

 いったいどういうこと!? まさかのコンセプト崩壊!? 

 

 おまけに謎の人物がレスコーたちの前に現れて……!? 

 

 次回! ソードエピソード! 

 

 第十一話『世界を翔ぶ杖(スラップスティック)』! 

 

 また見てね! 

 



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