風隠の刀使、荒魂を斬る (笛とホラ吹き)
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1:プロローグ

「しょ、勝負……あり!」

 

「嘘、だろう……?こんな、あっけなく……?」

 

 化け物め。

 

 行われた試合の決着を目の前にして、十条姫和は出かけた言葉を飲み込んだ。それは、それ程までに圧倒的であっけないものであった。

 

 折神家御前試合。『刀使』と呼ばれる少女達を育成する五つの学校──『伍箇伝』によって行われる剣術大会である。今日はその本戦に出場する2名の生徒を決める予算であり、姫和はその内の一人に己の友人である岩倉早苗がなると信じて疑っていなかった。もう一枠には自分が入り、岩倉と2人で本戦に出場する。そして……己は己の果たすべき目的を果たすのだと。そう、信じていたのに。

 

「勝者──堀川!」

 

 その岩倉が、4月に編入してきたばかりの下級生によって破られた。たったの一太刀ですら、交わすことなく。

 

 ──岩倉さん、怯えている……無理もない。見てるだけの私でも分かった尋常ならざる気迫、殺意。あんなものと正面から向かい合った彼女には、尚更キツいものだっただろうな。

 

 決着と同時に尻餅をついた岩倉は、対戦相手が場を去ったにも関わらず、未だに足が震えて立たなくなっている。上手く立てない友人を流石に見ていられなくなったのか、姫和はすかさずその場へ早足に岩倉へ手を差し出した。

 

「岩倉さん、手を貸す。……残念だったな」

 

「十条さん、ありがとう。ううん……私はきっと、負けるべくして負けたんだと思う」

 

「何?それは、どういう……」

 

 負けるべくして負けた。そう言った岩倉の態度を疑問に思った姫和は、何故そんなことを言ったのかと言葉の意味を問いかける。

 

 確かに、相手は姫和にとっても化け物かと思える程の強さを見せつけた。しかし同時に、岩倉のしてきた努力も彼女の培ってきた強さも知っている。決して、彼女がどこか劣るというようなことはなかったはずなのだ。

 

 言葉はまた紡がれる。岩倉は敗北を悟った理由がその『眼』であると、そう語り出した。

 

「あの眼……目が合った瞬間に分かったの。これが試合でなければ、あの子は必ず私を殺してた。あれは人を人として見てない……『荒魂』と同じものを見てる、そんな眼だったの」

 

 荒魂。それは古の時代より人々に災いをもたらす異形の存在にして、刀使が霊験あらたかな『御刀』を以て討伐を使命とするもの。

 

 岩倉が向けられたのは、彼女と荒魂を同一視する眼の視線であった。それは失礼なことだが、ある意味では実戦と同じように斬るべき敵を見据えていたとも言える。この戦いをただの『試合』として捉えていたか、または命奪り合う『真剣勝負』として捉えていたか。きっとそれが彼女との差だったのだろうと、岩倉は負けた理由を締め括るのだった。

 

 ──だとしたら。4月から編入してきたという奴はいったい、何があったからそんな眼をできるようになったんだ……?

 

 トーナメント表を一瞥し、姫和は岩倉を負かしてすぐに去った後輩の名を確認する。

 

 堀川百柄。学校の制服の上から更に紅白の和服を纏い、耳飾りや頭の花飾りなど多くの装飾品を身に付ける小柄な少女。二年の4月からの編入生ということで、その時期の珍しさから少し話題になっていたことを覚えている。

 

 あまり他の生徒と交流しないのか、その話題はすぐに廃れ聞かなくなっていったのだが……まさかこれ程までの実力の持ち主だったとは、姫和も流石に知らなかった。

 

 ──まぁ、いい。トーナメント的に私が奴と当たるとしてもその時は決勝……本戦進出はその時点で確約されている。私の計画に支障はない。

 

 堀川百柄に勝たなければ本戦に出られないというなら別だが、本戦に出るのは決勝に残った2人であり彼女と姫和は決勝まで戦うことはない。戦うことのない相手のことは意識から外し、姫和は己の戦う相手とその先にある果たすべき目的にのみ、意識を集中させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

 時は少し遡り、半年前。

 

 奈良県のとある小さな町が、荒魂の群れによって滅ぼされた。僅か数十人の生き残りは多くが被災後PTSDを発症し、復興及び社会復帰が可能になるまでは、まだまだ長い時間がかかるだろうと言われている。

 

 そんな中、被災者の多くが入院していたとある病院で一つの事件が起こった。患者が1人行方不明となったのだ。

 

 行方不明となった少女の名は堀川百柄。この荒魂被害で家族全員を失い天涯孤独となった彼女は、自身もあと数秒救助が遅れていたら死んでいたという瀕死の状態であった。救助された当時の彼女の姿を見た自衛隊員は、後にこう語っている。

 

 

『あの凄惨な光景を人間が作ったなんて、信じられないし考えたくもない』

 

 

 周囲には町を担当していた刀使をはじめとして多くの人々の死体が、そして力任せに祓われた荒魂が撒き散らした『ノロ』という物質が散らばり、百柄はその中心で、御刀を握りながら立ったまま意識を失っていた。そこで生きていたのは、堀川百柄ただ独りであった。

 

 御刀は選ばれし者以外にはまともに振るえない。つまり百柄は満足に扱えない他人の御刀を握り、その上であの地獄のような空間を1人で生き抜いたということになる。刀使どころか、剣術とも縁のなかったただの女子中学生が、だ。

 

 彼女の治療は困難を極めた。全身をズタズタに引き裂かれており血が少なかったのもそうだが、骨もまたボロボロで無事と言える部分を探した方が早いくらい。臓器に至っては胃袋と肺が大きな損傷を負っており、今後まともに食事を摂ることも困難になるだろうという有様。手術の成功など含めて全てが奇跡と、そう言い切れる結果であった。

 

「ハァ……ハァ……………行か、なきゃ……」

 

 そんな彼女が、病院から姿を消した。病棟スタッフを驚愕させるには十二分な事実。何せ今まで意識は戻っていなかった上に、例え目を醒ましたとして歩くどころか、身体を起こすことすらままならない重体であったはずなのだ。

 

 警察にも連絡が行き、関係各者が血眼になって百柄を探す中。当の本人は病院近くの森の中を彷徨い歩いていた。

 

 行かなきゃ。そんなことを言っているが、別にどこかに何か当てがあるという訳でもない。目的を持って歩いている訳でもない。理由も目的もなくただふらふらと、しかし確かな導があるかのように止まらずに歩いていた。

 

 

「あんな、こと……させちゃ、いけない」

 

 

「私が、斬らなきゃ」

 

 

「私なら、それができる」

 

 

「荒魂、全て……滅すべし」

 

 

「荒魂を、斬らなくちゃ」

 

 

 肺は片方が摘出され欠けており、目は視界が霞んで殆ど何も見えていない。全身に上手く血が巡っていないためか足取りも覚束ず、病院から抜け出した時にそのまま持ってきた点滴棒を支えにしなければ満足に立つこともできぬ有様。

 

 それでも尚、動けるのは。あの災害で体験した出来事が強烈なトラウマになっているからだろう。

 

 百柄は見てしまった。見上げる程に巨大な荒魂が建物を薙ぎ倒し、逃げ惑う人々を喰らう様を。肉が噛まれる咀嚼音が、骨が砕ける破砕音が、脳の奥で今も鮮明に鳴り響いている。生にしがみつくために逃げ惑う人の悲鳴と泣き声が、百柄の脳を揺らして止まない。

 

 百柄は見てしまった。討伐に駆けつけた刀使が6人がかりで荒魂に挑み、それでも返り討ちにされた瞬間を。人が人から物言わぬ肉と骨の塊に変わる瞬間を、希望が絶望に塗り替えられる瞬間を。真っ白になった頭を御刀が地面に落ちる乾いた金属音が、今この瞬間こそが現実であると百柄の意識を無理矢理にでも引き戻す。

 

 

 お前はここで死ぬのだ、と。

 

 

 百柄は戦った。ふらふらとした足取りで落ちていた御刀の一振りを拾い、油断して近付いてきた小型の荒魂一体の頭に叩きつける。霊験あらたかなる刀の力によって荒魂は弾け、周りの荒魂をもう一度戦闘態勢に入らせた。

 

 百柄は覚悟を決めた。正直ヤケクソな特攻を覚悟というのは違うのだろうが、それでも荒魂を倒せる力が自分にあるのなら、何が何でもこの空と大地を覆い尽くす群れを滅し切り、絶対に生き延びてみせると既に死んだ両親と己の心に誓った。

 

 百柄は戦った。そして結果──今に至る。

 

 生き延びこそしたが、その心身には小さくないダメージを負った。この世に荒魂が存在して、今も人の世を脅かしているという現実に我慢ならなくなってしまったのだ。身体の方は言わずもがな。

 

 刀使でもない一般人、それも災害時のように偶発的な御刀の所持すらしていない小娘にいったい何ができるというのか。他人が知れば100人が同じことを思うだろうが、百柄はあくまで大真面目にそんなことを考えている。自分ならできると──自分がそうするべきだと信じて疑っていないのである。

 

「あ……………」

 

 まぁ、そんなことできるはずがない。平坦な道を踏み外して転がり落ちていくような、自分の身体一つも満足に動かせない体たらくで。可哀想に、トラウマで頭がおかしくなった身の程知らずが1人、ここで儚い命を散らす。

 

 百柄の身体が山を転がり落ちていく。歩いていた道は割となだらかで平坦な方だったが、少し道を外れればそこは落ち葉や枯れ木、土で滑りやすくなっている急勾配。ところどころに生える木に身体をぶつけてピンボールのように弾かれ、ようやく動きが止まったその時にはもう百柄の身体は原型を留めぬ程にズタズタになっていた。

 

「いか、な……い……と。荒魂……が、くる……」

 

 驚くべきことに、百柄はここまでボロボロになりながらもまだ命を繋いでいた。支えとしていた点滴棒は既に手放しており、手術痕が開いて包帯も意味を成さなくなった。それでも、土の上を這いながら彼女は進む。最早亀やカタツムリの方が速く動けるだろうといった姿になっても尚、百柄が歩みを止めることはない。あの災害で体験したことは──荒魂への恐怖は、それだけ根強いものであるのだ。

 

「……」

 

 執念では、身体は動かない。少し前から降り始めていた雨が勢いを強め始めた頃、百柄は遂に腕の一本や舌の一枚も動かせなくなった。ゆっくりと重力に従うように瞼が落ち、灰色の瞳が霞んだ眼を覆い隠そうとする。

 

 耳はもう雨の音しか拾わない。鼻は災害の時からずっと機能していない。人生の終わりに見るという走馬灯はついぞ見えなかった。人生のこれを最期というにはあまりにも寂しい、とても静かで呆気ない幕引き──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と!?た…れ……まだ息……る……!」

 

「連……け…まだ間……う…死なせ…な!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────だがそれは。この場にいたのが百柄だけだったらの話。




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2:風隠の森

「あ……うぅ……?」

 

「目が覚めたか。だが身体は起こすな、できる限り安静にしていろ」

 

「怪我人はー」

 

「安静にー」

 

「してろー!」

 

「は?え……?な、に……?空飛ぶ鼬……?」

 

 百柄が覚醒した時、そこは天国でも地獄でもなくどこか懐かしい雰囲気の日本家屋の中であった。病衣と包帯は新しいものに付け直され、冷やした手拭いを額に被せられ、治療を受けている。頭は痛むし重いし気分としては最悪だが、不思議ともう自分が死ぬというような感覚は無くなっていた。

 

 目を醒ました百柄に声をかけたのは、長い黒髪をポニーテールに束ねた小柄な少年……と、色だけが違う同じ姿形をした謎の空飛ぶ鼬であった。

 

「取り敢えず、ここのことを教えよう。寝たままでいいから聞いてくれ。もっとも、そう簡単に受け入れられるような話ではないと思うが」

 

「きっとびっくりー」

 

「おっかなしゃっくりー」

 

「おったまげー!」

 

 空飛ぶ鼬のことは無視して、少年は百柄をここに連れてきた経緯とこの場のことを説明する。簡単に纏めると現在、百柄は神隠しに遭っている。

 

 ここは『風隠の森』と呼ばれる秘境。外界とは隔絶された言うなれば別世界であり、霧の出る満月の夜に、日本のどこかの森と存在が繋がってしまうのだという。少年はそんな外界と風隠の森が繋がる日に迷い込んでしまった一般人を、安全に元の世界へ返す役割を与えられているとのことであった。瀕死で倒れている百柄を見つけたのは、その見回りの途中であったという訳だ。

 

「俺はヒエン。君が死にかけていた理由は後で聞くとして……本当に運が良かったな。あの時、俺だけでは君の命を助けることはできなかった。お師匠がたまたま一緒でなかったら、君はそのままあの場で命を落としていただろう」

 

「お師匠……?」

 

「後で君の様子を見にくるはずだが……一応この場で知っておいた方が衝撃が少ないかな?この風隠の森の主人にして、天地揺るがす大風を司りし大魔王ナナワライ。大層で恐ろしい二つ名で呼ばれたりしているが、実態は心優しいお方だよ」

 

「大魔王……」

 

 聞き慣れない、そして信じ難い言葉ばかりが出てくる説明に、百柄の脳は混乱を極める。しかし今もこうして自分が生きていること、彼らが自分を死の淵から救ってくれたことは理解した。突拍子もないことについては受け入れるまでには少し時間がかかるだろうが、それも時間が解決してくれるだろう。百柄は災害の日から初めて落ち着いた気持ちで、ヒエンの言葉を飲み込んだ。

 

「助けてくれて、ありがとうございました」

 

「礼はいい。俺は見つけただけ……君の命を救ったのはお師匠だからな。礼ならお師匠に言ってくれ」

 

「分かった……大魔王様にも伝えておく『ぐぅ〜』あ」

 

「はは、生きてる証拠だな」

 

 まだまだ鉛でも着込んだかのように重たい身体を起こし、包帯まみれの頭を下げて助けてもらったことへの礼を言う。ヒエンはその言葉に対して謙遜し礼を受けることを拒んだが、百柄にとっては自分のことを見つけてくれたヒエンだって命の恩人。礼を言うのは当然のことである。

 

 それはそれとして、実際に自分を救ってくれた大魔王ナナワライにも後で礼を言うと約束する。その瞬間に緊張が解きほぐれたのか、百柄の腹の虫が大きな音を立てた。羞恥に包帯の下を紅潮させる百柄であったが、ヒエンはその様子を見てくすくすと微笑みながら、自身の横に置いてあったお盆を百柄に渡した。置かれていたのは重湯である。

 

「お腹が空いただろう、これでも食べてくれ。病み上がりに普通の食事はキツいだろうから、重湯を用意したんだ。おかわりも欲しかったらカマイタチに持って来させるから、遠慮なく言っていいからな」

 

「食べてー」

 

「食べてー」

 

「元気になーれー!」

 

「……いただき、ます」

 

 添えてあった木製のスプーンを左手に取り、ぎこちない動作で手を合わせる。小さく掬い取った一口を口の中にゆっくりと入れ、久しぶりのように感じる食物の温かみと優しい味が、百柄に今日何度目かの生の実感を与えた。

 

「良かった……!私、生きてて良かった……!」

 

「……うん。本当に、良かった」

 

 涙が溢れて止まらない。一度失ったと思っていた大切なものが、壊れかけながらもそこにある。重湯の一口一口が、己の命を生かしてくれる大事なものであることがよく実感できる。

 

 皿の中が空になるまで、百柄は何度も何度も己の命を噛み締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「意識が戻ったか、外の娘よ!よくぞあの重傷から生還できたものだ、素晴らしい生命力だな!」

 

「あ……あなたが、魔王ナナワライ……ですか?」

 

「いかにも!我こそがこの風隠の森を率いる首領にして天下無双の大天狗!その名もナナワライ様よ!」

 

「えっと……この度は、助けてくれて本当にありがとうございました」

 

 重湯を食べ終わってしばらくした頃、布団の中で大人しくしていた百柄の前に身長6・7mはあろうかという巨大な天狗が現れた。この天狗こそが風隠の森の主にして大魔王ナナワライ。想像していたよりも随分と気さくで陽気なナナワライの雰囲気に面食らいながらも、百柄は命を助けてもらったことへのお礼を言う。

 

 礼を受けたナナワライは、「しっかり礼が言えるのはいいことだ」と、豪快に笑いながら百柄のお礼を受け入れるのだった。

 

 フレンドリーで柔らかい態度ながら、その厳つい風貌に見合った威厳は兼ね備えている。これが大魔王と呼ばれる者の風格かと、百柄は眼前に座るナナワライの姿に小さく息を飲み込んだ。

 

「さて……目を醒ましていたのなら丁度いい。お主があの場で倒れていた理由を聞こうか。もちろん心苦しいだろうしな、思い出したくないというのなら無理はしなくていいのだぞ」

 

「私は……あれ?」

 

 ──どうして、あんな所にいたんだっけ?

 

 百柄は災害時の荒魂との戦いで、脳を損傷しており記憶の一部を欠落していた。特に隠す理由なんてないはずなのに、自分の中にこれまでのエピソードが少しも浮かび上がってこない。かろうじて思い出せるのは病院で意識を取り戻した時の瞬間と、腹の底から湧き上がってくる荒魂への怒りだけ。

 

 分からない。どうしても記憶を掘り返せなかった百柄はせめて、ありのまま今の状況を伝えた。

 

「ふむ……『怒り』、か。何があったのかは想像がつくな。恐らくはあの場に倒れていたのも、怒りが無意識にお主の身体を荒魂をどうにかせんと突き動かしていたのだろう。元より瀕死の状態でそこまで動けるのは凄まじい怒りと言う他ない、が。怒りでは何も成すことはできぬぞ、百柄よ」

 

「……それは、どういう意味なんでしょうか」

 

「怒りに限らず、これは強く重い感情の全てに言えることなのだが。感情それそのものを原動力にした行動は、すぐに冷めてしまうものなのだ。強い感情を持つことは大事なことだ。お主の荒魂への怒りもそうだがな。しかし、それでも怒りだけで動いてはいけない。感情はあくまで行動する理由の一つに過ぎぬ。努めて頭は冷静に、しかし己がそうしようとする理由は忘れず、そうして事を成すのだ」

 

「なる、ほど……?」

 

 怒りに身を任せてはいけない、というナナワライからの説教だということは分かったが。怒りながらも冷静にという部分は、少し難しくて百柄には理解が及ばなかった。怒ることと冷静でいることなどは相反する状態だと思うのだが、と。

 

「要は己の原点を忘れるな、ということだ。こうなりたい、こうしたい、あれが欲しい、許せない……原点とは即ち感情なり。ただ思うがままに動いたところで、どうなるかはたかが知れていよう」

 

「……なるほど。分かったような、気がします」

 

 今度のことは百柄にも理解できた。何せ怒りに身を任せて無意識で動いた結果が今なのだから。死の淵から戻って意識が曖昧になっていた時の出来事であるとはいえ、少しでもあの時の百柄に冷静に考えられる頭があったのなら、死に体で森の中を彷徨って更に瀕死の重傷を負うなんて馬鹿みたいな真似はしなかったであろう。

 

 怒りはあくまで行動の原点であり、原動力としてはいけない。思いのままなど、考えなしに身を滅ぼすだけ。ナナワライの説教が、百柄は今度こそ身に染みて理解できた。

 

「……怒りに身を任せないようにするなら、そうしないための手段が必要です。瀕死の人間をたちまち癒せるその力で、どうか私に荒魂と戦う力を与えてはくれませんか」

 

「ほう……いいだろう。確かに、行動とはゴールに繋がる手段と視点を持ってこそだ。荒魂と戦う力がなければ、行動もクソもないか」

 

「……!それじゃあ」

 

「しかし、だ。お主を救ったのはあくまでこの森に伝わる癒しの力。どんな怪我や病気もたちまち治せる龍のウロコと言えども、戦う力を与えるなどという効果は流石にない。だからその代わり、お主には我が七笑流の剣術を伝授してやろう!」

 

 七笑流剣術。その単語を聞いて、百柄は言葉にならないような高揚感を感じた。

 

 流石に不思議な力でパワーアップ……なんて美味い話はなかったが、それでも戦う力を得ることができるということへの喜び。荒魂と戦うために御刀を振るう刀使として、刀を扱うための剣術を修められるということへの期待。七笑流という、元の世界では聞いたことのない流派を習得することができるという特別感。

 

 今まで刀なんて縁のない生活を送ってきた百柄であったが、それでも内から湧き出すワクワクを抑え切れなかった。

 

「ヒエン!ハヤテ!」

 

「は、ここに!」

 

「お前達に妹弟子ができるぞ、先輩としてしっかり百柄の助けとなってやれ!」

 

「かしこまりました、お師匠!」

 

 ナナワライが名を呼ぶと、どこかで待機していたのかヒエンともう1人緑髪で鳥の仮面を被った少年が現れる。どうやら2人ともナナワライに師事している、百柄の兄弟子にあたる存在らしい。さっきヒエンと会話をしていた時は感じなかったが、そう言われると何だか強者のオーラのようなものを感じるようになった。恐らく気のせいだが。

 

「次にお主の世界と風隠の森が繋がる日まで、儂ができる限りお主を強くしてやる。病み上がりの身体には、キツい鍛錬となるだろうが……お主が望んだことだ。泣き言を言ってくれるなよ!」

 

「もちろんです。ご指導よろしくお願い致します」

 

 ──私は、強くなる。

 

 記憶がなくとも怒りを覚えるのは、自分がきっと荒魂にいいようにやられたからだ。荒魂に命を脅かされた恐怖が裏返っているからだ。冷えた頭でよく考えてみれば、自分の気持ちも理解できる。

 

 強くなれば、荒魂を倒せる。強くなれば、荒魂に怯えなくて済む。骨を折り、爪を剥がし、血反吐を吐く覚悟はできている。百柄はそんな思いの全てを背に乗せて、ナナワライに頭を下げた。自分が、そして他の人達が──二度とこんな思いをしなくても済むように。

 

 堀川百柄は、戦うことを決めた。



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3:七笑流剣術

「七笑流では、刀を鞘に収めている時と抜いている時で同じ技でも違う扱いになる。今から俺が手本として演舞を見せるから、それをまずは参考にして型を覚えていこう」

 

「動きの細かな違いなどは、間違えたその都度修正していけばいい……今は集中して、ヒエンの動きを背を吹き抜ける風のように追っていけ」

 

「では、お願いします」

 

「まずは『見る』ところからだ。観察眼を鍛え細部まで盗み取るのも大事な修行だぞ、見落とさぬよう心してかかれよ」

 

 ヒエンが七笑流の技を見本として繰り出し、百柄がそれを観察するということから修行は始まった。荒魂事件まで刀に触ったこともなければ、その経験も忘れている百柄にいきなり刀を握らせたところでできることなど何一つない。だからまずは、動ける者からそのコツを『観察して盗む』ところから始めていく。些細な動きも、見逃さぬように。

 

「最初は全ての基本となる技、【一閃】」

 

 腰を落として無駄な力を抜き、抜刀の瞬間一気に力を入れて刀を振り抜く。脱力状態との落差がより大きい程剣撃の威力と速度は増し、鍛錬を重ねれば目にも留まらぬ速さを出すことも可能となる。

 

 抜刀状態でも同じく脱力し、斬る瞬間に力を込めて振り切る。どこからでもどんな体勢でも、脱力さえできるなら成立させられる手軽さがこの技の魅力と言えた。納刀から抜刀への移行など、七笑流のあらゆる技へと繋げられる基本の技である。

 

 この技を習得しなければ、他の技もまともに成立しない。重要なものであるからか、見本を見せるヒエンの動きにも一段と熱が入っていた。

 

「次に、【草薙】」

 

 今度は【一閃】の時よりも更に深く腰を落とし、草の根を払うように刀を振るう。相手の足元を狙いまともな立ち姿を取らせなくし、崩すことを目的とした技である。

 

 コツは人を狙う場合、足首の方を狙うこと。そして斬ることそのものではなく崩しを目的としているため、振り抜く必要はないということ。そっと刃で撫でるように、草を根元から刈るように優しく。

 

 足元を崩すというのは、人でもそれ以外でも有効になりやすい常套手段。【一閃】との違いを踏まえて使い分けることができれば、この技の真価はその時初めてフルに発揮されるだろう。

 

「続いては、【石切】」

 

 この技は納刀時の動きが少し違う。脱力して落差から速度を生み出すところは同じだが、刀を抜かずに柄でそのまま殴るのだ。抜刀のアクションを必要としない分より早く動け、尚且つこの技の存在を知らない相手には不意打ちとして機能する。荒魂に対しては、あまり不意打ちとしては有効ではなさそうなのが痛いところ。

 

 しかし、この技の真価は抜刀時にある。ただ力を抜くだけではなく、筋肉や関節の動きをしっかりと連動させて力を無駄なく放つことで、一撃の威力は鋼の塊すらも砕き割る。その後刀を鞘に収める残心の動作も含めて、七笑流の『必殺』としての扱いを受けていると言えた。

 

 さっきまでと同じように刀を振っただけで、離れて見ていた百柄にも風圧と衝撃波が届く。ただの見せ技なので今回は空撃ちだったが、もしも何かしらの的や床に当てていたとしたら……その時の破壊規模を想像し、百柄は恐ろしさに身慄いした。

 

「少し趣向を変えて……【練気】」

 

 特殊な呼吸法で気を溜めて、それを全身に巡らせることで自身の能力を強化する。身体能力が活性化するだけでなく、自己治癒能力の向上や瞑想のように雑念を振り払う効果もあり、納刀抜刀に関わらず使える時に使っておきたい技である。

 

 隙のできやすい技であるため、抜刀中は相手の攻撃をいつでもいなせるように反撃の構えを取る。無防備だからと言って不用意に突っ込んでくる不用心な相手には、カウンターをかましてやろう。

 

 身体能力が上がるという触れ込みだが、ヒエンはどうやら元の時点で相当強いようである。あまり広くない道場の中では、彼が【練気】でどれだけ強化されたのかは実感し辛かった。

 

「まずは、この四つだな。ヒエンの動きを真似して取り敢えずやってみろ。しっかりと観察できていたなら形だけでも真似できるはずだ」

 

「分かりました……やってみます」

 

 木刀を握る腕に力が入る。初めての誰かに師事して剣術を修めるという経験、自分は弟子としてちゃんとやれるのだろうかという不安もあった。しかし強くなるためには、泣き言は言っていられない。

 

 百柄は深呼吸して集中力を高めていき、脳内に再生したヒエンのイメージを追って、四つの技を一つずつ丁寧に繰り出していった。

 

「うむ、形はサマになっているな。これを反復して形を真似るだけではなく、ごく自然に意識せずとも繰り出せるようになるのだ」

 

「練気が少し苦手そうだな。雑念があると集中し辛くなって気も集まらなくなる。余計なことは考えず全身に力を巡らせることだけに集中しろ」

 

「脱力から力を入れる動作に無駄がある。少しずつ力を込めていくのではなく、右から左へ一気に振れるようなイメージで力を解放するんだ」

 

「成程……アドバイス通りやってみます!」

 

 2人の兄弟子からのアドバイスを取り込み、もう一度百柄は刀を振るう。そう簡単に上達するようなものではないが、集中しひたむきに向き合うことで少しずつ動きを覚えていった。

 

 理屈で……頭で覚えるのではなく、考えずとも技を出せるよう全身に覚えさせる。早朝に始まった稽古はそのまま日が沈むまで続き、疲労で指一本動かせなくなった頃には、無意識の内に技を出すことができるようになっていた。

 

「目を醒ませ百柄、こんなところで寝ていたらまた身体を壊すぞ」

 

「うぅ……すいません、ヒエン兄さん」

 

「しっかりと飯を食い、明日に備えろ。ひたむき、がむしゃらなだけでは強い風は吹かせられない」

 

「ハヤテ兄さん……いただきます」

 

 気を失って倒れた百柄に、ヒエンが水を浴びせて意識を取り戻させる。その口調は病み上がりの身体で無茶とも言える努力をする妹弟子に対する心配な気持ちが聞いて取れ、ヒエンの心の優しさと気遣いが感じられた。

 

 気付けをされて起き上がった百柄には、ハヤテがおにぎりを渡してくれる。夕食はまた別にあるのだが、消耗し切った百柄では食卓に着くまで保たないだろうというハヤテの気遣いであった。

 

 大きめのおにぎりを三口で食べ切ると、おかわりを更にもう一つ渡される。疲れた身体に塩味が染みるおにぎりの中身には鮭や味噌などいろいろな具が入っていて、百柄はついついそれだけで満腹になるのではという程に食べてしまった。はしたない姿を見せてしまったと顔を赤くする百柄であったが、そんな姿を見たヒエンとハヤテはくすくすと微笑ましいものを見るように笑うのみ。

 

 ──うぅ、恥ずかしいところ見せちゃったなぁ。

 

 指摘してくれた方がいっそ楽になるのに。2人の優しさが、百柄の羞恥心に余計に火を付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「こんな時間にも刀を振るか……熱心なことだな」

 

「……あなたは?」

 

「そういえば名乗っていなかったか。私はオロシと言う、ナナワライが嫡子にしてお前の兄弟子ハヤテの実の兄だ」

 

「オロシ様、ですか。何の用で?」

 

 周りが寝静まった深夜。百柄が1人で日中に教わったことを反復していると、初めて会った相手からいきなり声をかけられた。オロシと名乗るその男には確かにナナワライの面影があり、親子というのはよく似るものだと百柄に思わせる。

 

 何の用でこんな夜中に道場に?とここにいる理由を聞いてみたのだが、その答えは特別大したものという訳ではなかった。風隠の森に迷い込んで、何の因果かナナワライに師事することになった少女がどんな人物なのかを見に来たというだけらしい。

 

「君のことは聞いている。外の世界に存在する災いを駆逐するための力を求めているのだったな。ここでの修行で、望む力は手に入れられそうか?」

 

「分かりません……私は、まだまだ弱いですから。それでもきっと、強くなれると信じてます」

 

 百柄がナナワライに弟子入りしたのは、荒魂を狩れる強さを求めてのこと。しかしそんな力が一朝一夕で手に入る訳もなければ、そもそもそんな力を手に入れられる保証もない。百柄に類い稀なる剣術の才能があるなら話は別だが、現状そんなことが分かるはずもない。

 

 オロシの質問には、言葉にこそなっていないがこんな意図があった。強くなれるかどうかも分からない修行を、勝手も何も分からない土地でよく知りもしない相手を信用してできるのか、と。

 

 百柄の答えに迷いはなかった。確かに強くなれるかなんて分からないが、それはあくまで今の自分が弱いから。弱いままではいられないから、迷っている暇があったらまず行動するのだ。

 

「ここで強くなれなくたって、元の世界にも刀使を育成する機関はちゃんとありますから。今の私が考えるべきことは……本当にここでの修行で強くなれるのかではなくて、どうやって修行の内容を身体に覚え込ませるかだと思うんです」

 

「成程……迷いはないようだな。七笑流の技の練度を上げていけば、いずれは私が其方に何かしらの技を教える機会もあるだろう。なるべく早くその時が来ることを、期待して待っているぞ」

 

 どうやら、オロシは百柄のことを気に入ってくれたらしい。いつか来るであろう百柄に技を伝授する機会を待っていると伝え、目的も果たして満足そうに道場を後にした。

 

 ──もっと、頑張ろう。

 

 百柄が強くなればなるだけ、また強くなる機会がやってくる。伝授された技術を確かにするべく、汗をかいた額を拭い、もう一度深い集中の中に意識を落とすのだった。

 

 ──全身から力を抜いて……抜刀の瞬間に一気に解放する!

 

 少しずつ少しずつ、前進していく。この1日だけで全てをマスターするということはなかったが、それでも経験値が一切ゼロだった最初の頃と比べれば月とスッポン。確かに巧くなっている。

 

 記憶の欠落した百柄には知らぬことだが、本職の刀使すら複数人で返り討ちにされた荒魂を、1人で狩り尽くすだけの力は元々備わっている。才能なら彼女の中に眠っているのだ。するべきは、七笑流の修行の中でその才能を引き出すこと。

 

 タイムリミットは霧が広がり、元の世界と風隠の森がもう一度繋がるまで。結果を言えばそれは果たされるのだが……百柄が自身の才覚を自覚できない今は、まだまだそれは夢の話。



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4:皆伝、そして帰還

「【一閃】!」

 

「──────はっ!」

 

「続いて【練気】、【紫電】、締めに【石切】!」

 

「ふっ……はっ、やあっ!」

 

 ナナワライの声に従い、流れるように次々と技を繰り出していく百柄。風隠の森にやってきてからおよそ四ヶ月の時が経ち、最初はぎこちなかった技も様になるようになった。新たな剣技も教わりオロシからは剣を使わない技も伝授された。

 

 最早、最初の頃とは比べ物にならない。百柄は剣士としての才能をメキメキと開花させ、その成長速度はナナワライをして『天才』とお墨付きを与える程であった。

 

 ──人体の急所を連撃で狙い……【練気】で溜めた気を放出するように素早く斬る!

 

 新たに習得した技【紫電】は、抜刀状態では息が切れるまで急所を斬り続ける連続攻撃。【練気】で力を溜めてから移ることで、より長くより鋭い連撃を可能とすることができる。百柄の技ならば、その持続時間はだいたい70秒くらい。この間は相手に対して常に後手を強制することができる、すこぶる凶悪な技と言えた。

 

 連撃の締めは、【石切】で。【紫電】の動きから淀みない繋ぎで刀を天に掲げ、一瞬だけ力を抜いてから一気に振り下ろす。力任せではなく全身の関節を連動させ無駄なく腕に力を送り、斬る瞬間に固定することで100%の破壊力を対象に伝える。

 

「おぉ、遂にあの巨大な鋼塊を砕いたか!」

 

「そよ風から大嵐へ、成る時が来たようだな……」

 

 ずっと兄弟子として修行に付き合ってくれたヒエンとハヤテが、【石切】で巨大な鋼の塊を粉砕した百柄の成長を見て感慨深そうに呟いた。少し前までは瀕死の重傷で包帯ぐるぐる巻きだったのに、今はすっかり中身まで傷は癒え、自分達とほぼ同じ高みまで技術を成長させている。それがまるで、自分のことのように2人には嬉しいことであった。

 

「うむ、見事だ!剣技に関してはもう、お主に教えることは何もないな!次は妖術か、オロシの奴から受けた教えを存分に引き出してみろ!」

 

「……っ!はい!」

 

 妖術……七笑流剣術とはまた違う、風隠の森に伝わる独自の技術。ただの人間である百柄には普通なら使えないのだが、彼女は治療に使われたナナワライの妖術と陰陽の龍のウロコの力により、その身体に妖力を宿すようになっていた。

 

 更に誰も気付いていないが、荒魂災害の時に倒した荒魂から取り込んでしまったノロも、治療時に妖力に転換されている。妖術を扱う基礎はしっかりと整っており、オロシはそれに目を付けて己が扱う風の妖術を百柄に仕込んだのだった。

 

「まずは……【天狗の風】!」

 

「空を自由に飛び回るか。よく力を御せているな」

 

「攻撃だってできます……!【菫の風】!」

 

「これは兄上の技!百柄、盗み取ったな!」

 

 オロシの得意技、扇に妖力を流し込み様々な効果を持った風を起こす妖術を、百柄は己の身一つで再現することに成功していた。道具はないしオロシと比べて妖力も劣る分威力は低いが、【菫の扇】と同じ毒を孕んだ風はしっかり再現されている。的代わりに用意された案山子が溶けてなくなった。

 

 兄の技を再現した百柄を見て、ハヤテが驚いたように言う。盗み取ったと言われると何だか感じの悪い受け取り方をしてしまうが、当然そんな悪い意味で言った訳ではない。

 

 ──でも、風そのものならともかく荒魂に毒って効果あるのかな?生き物じゃないけど……

 

 効果の程に疑問はあるが、それでも培ってきたものを信じて放つのみ。【練気】の要領で腕に妖力を集中させ、妖術を出しやすい状態を作る。印を結び呪文を唱え、相手を倒すイメージと、心の奥底から湧き上がる怒りを乗せて、奥義を撃ち放つ。

 

「奥義……【荒御魂の大嵐】!」

 

「これは……何と、見事な!」

 

 天狗の起こす風と遜色ない強さの風を起こしてみせた百柄に、ナナワライは心から感服する。その術を放って何がしたいのか、そういうイメージを明確にすることで、妖術の完成度が上がり威力がより増したのだ。そこに強い意志の力も乗せれば、百柄の妖力でも出力は凄まじいものとなる。

 

 大魔王すら唸らせる風を起こした百柄は、そのためにかなり無茶をしたのか空中でバランスを崩し地面に勢いよく落下した。人の形をした大穴を地面に開け、そこからゾンビのように這い出る。かなりの高度からの落下だったが、身体が強くなっていることもあり打ち身にすらならなかった。

 

「最後の最後でやらかしたな」

 

「らしいというか何というか……」

 

「うぅ……やってしまった」

 

「まったく、詰めの甘い……百柄よ。お主に最後の試練を与えよう。今日まで学んできたことの全てを引き出し、儂に一太刀浴びせてみせよ!それができればもう、貴様には皆伝をくれてやるわ!」

 

「分かりました。それでは師匠……その試練全力で当たらせていただきます!」

 

 おっちょこちょいなところはあるが、それでも培ってきたものは十分。ナナワライはもうすぐ元の世界へ帰る弟子に最後の試練として、自らと戦い一撃を入れてみせよと命じた。

 

 その言葉を聞き、ナナワライが自身の得物である扇を取り出したのを見て、百柄もやる気を出し右腰に下げた刀に手を当てる。ただの迷子である自分のために、命を救い薬と食事を用意してくれた。強くなりたいというわがままを聞き入れ、そのための手段を叩き込んでくれた。百柄はナナワライに、この風隠の森に返しきれない恩がある。

 

 次に霧が出たら、その時はもう元の世界に帰るべき時。受けた恩の全てを返すことはできない。

 

 だからせめて、弟子として自分が指導の末に強くなったのだということを証明する。教えられたことは確かに、自分の中で身を結んでいるのだと証明することが、百柄にできる恩返しなのだから。

 

 ──ここで、師匠を越える!

 

【練気】で雑念を払い集中を深め、刀の柄に手を添えて無駄な力を抜いていく。七笑流剣術の基本にして最速の一撃、納刀状態からの【一閃】を先制で振り放った。

 

「ふはは、崩しもなく刀を振ったところで儂には当たらんぞ!」

 

「くっ……流石は師匠です!」

 

 百柄に出せる中で最も速い一撃であったが、ナナワライはそれを事もなげに回避する。空中へ勢いよく飛び上がり身体を翻すと、そのまま風の勢いに乗って強烈なキックをお見舞いした。

 

 音速で近付く下駄の先を紙一重で避け、ギリギリのところで攻撃を掠めた頬に横一文字の赤いラインを刻まれた。攻撃を避けられたナナワライは止まるまでに多くの木々を薙ぎ倒し、もしも直撃したらどうなっていたかを百柄に想像させる。【練気】と妖力による身体強化で肉体のスペックは上がっているとはいえ、タダでは済まなかっただろう。

 

 ──面食らったけど、今の内に背後から!

 

 ブレーキのかかり切らない行動を制限されている内に、ナナワライの背後から力を溜めて【石切】を振るう。普通に刀を振ったところで天狗の風に押し負けて流されるだけ、ならば全ての力を動員する一振りで風に負けない馬力を生み出す。

 

「石……切りぃ!」

 

「甘いわァ!【天狗のうちわ】!」

 

 跳び上がったせいで踏ん張りが効かず、天狗のうちわがおこす風に阻まれる。もう少しで刃が届くという距離まで迫ることができたが、残念ながらそれだけで終わってしまった。

 

「【練気】……!」

 

「させんわ!そう易々とできると思うな!」

 

「いや……やって、みせます!」

 

「何だとっ!?」

 

【石切】だけでは足りなかった。百柄がナナワライに攻撃を当てるには、どうしても【練気】による身体強化が必要になる。百柄はそれを悟り呼吸法を実践しようとするが、ナナワライの方ももちろんそれを阻止するべく動く。

 

 天狗うちわが起こす突風で百柄を吹き飛ばし、気を練る時間を作らせない。しかし百柄の方も成す術なく吹き飛ばされたさっきとは違い、今度は地面にしっかり足を付けている。姿勢を低くして風の流れに抵抗しやすい体勢を作り、大地を両足で踏み締めて踏ん張りを効かせる。足の力で地面が抉れ、底の黒土が露出する中……【練気】の呼吸が成立し切ると同時に、百柄の身体は宙を舞った。

 

「間に、合ったあ!」

 

 練り上げられた気が全身に巡り、力が漲ってくるのを感じる。今この状態で【石切】でも撃てば、それはもう豪快な破壊を実現できるだろう。だが何の策もなく大技を撃ったところで、うちわでいなされるか普通に避けられるだけ。大技を当てるためにはそのための下準備が要るのだ。

 

【練気】が続く内に、ナナワライに一太刀当てるための布石を打つ。剣術だけではナナワライに届かないなら、妖術だって使えばいい。オロシから伝授された妖術は、何も空を飛べる【天狗の風】や毒を撒き散らす【菫の風】だけではないのだ。

 

「木々を運べ、【山吹の風】!」

 

 妖力が生み出す念力で、本来の風が持つ以上の揚力を生み出し重たい物も軽々と持ち上げる。その名が示す通りの山吹色の風は、百柄とナナワライの戦いの余波でへし折れた森の木々を浮かべ、その鋒をナナワライに向けて飛んだ。いわゆるサイコキネシスというやつである。

 

「小癪な!この程度の妨害で……儂の自由を妨げられると思うなァ!」

 

「当然です……欲しかったのは、その一瞬!」

 

「百柄の奴、またやるつもりか!?」

 

「加減を間違えればまた堕ちるぞ!」

 

「同じ失敗はしません!……【荒御魂の大嵐】!」

 

「奥義でくるか!【タロウボウの大風】!」

 

 己の差を串刺しにしようとする木々を苦もなく撃ち払ったナナワライだが、その対処に使った一瞬の間に百柄は次の手札を切った。台風もかくやという規模と禍々しい怒りを備えた漆黒の嵐、百柄が扱える中で最強の妖術【荒御魂の大嵐】。

 

 ナナワライもその脅威を感じ取り、自身も印を結び呪文を唱えた。己もまた、最強の風で怒りの大嵐を迎撃する。EX技【タロウボウの大風】で。

 

 ぶつかり合う二つの嵐は、ナナワライがやや優勢の状態で拮抗する。百柄も踏ん張っているが、風を起こすのは天狗の本領。偶発的に妖力を得ただけの人間である彼女では何もかもが負けている。

 

「ははは、人間の身で大した風だが……このナナワライを越えるには至らぬわ!出直してこぉい!」

 

「………………っ!」

 

「ははは……は?百柄の奴、いったいどこへ消えたっ……!?」

 

「これで……私の、勝ちだぁ!」

 

 百柄の【荒御魂の大嵐】は【タロウボウの大風】によって破壊され、操るものを失った嵐はもう一つの嵐によってかき消される。勝利を確信したナナワライであったが、同時に違和感も訪れていた。

 

 百柄の姿が見えないのだ。

 

 掻き消された黒い風と一緒に、その術者であった愛弟子までいなくなるというのは流石におかしい。ならばどこかに姿を隠しているはずだが、いったいどこに隠れているというのか。その答えはすぐに向こうの方からやってきた。

 

「七笑流、奥義──【天津甕星】!」

 

「ぐっ、おおあぁ……っ!見事だ、百柄よ……!」

 

 妖術が押し負けるのと同時に、黒い風が掻き消されるのに紛れて百柄はより高くへ飛んでいた。ナナワライの視界からも意識からも外れるくらい、遠く高い場所へ。

 

 そしてそこで、最後の一撃の準備をしていた。

 

 事前にしておいた【練気】に加え、【石切】の構えで最も威力を出せる体勢を取り、筋肉、関節、そして第六感まで含めた全ての感覚を動員し、自分に出せる最も速く重い一撃を繰り出す。

 

 全てを懸けた一撃、奥義【天津甕星】。自分自身の出す力に加えて天空からの落下速度が生み出すエネルギーが加わり、本来のポテンシャル以上の威力を発揮した最後の一撃。ナナワライに避ける暇も迎撃する余裕も与えず、翻した刀の峰がその胸を撃ち抜き地面に突き落とした。

 

 ここに、師弟の最後の戦いが決着する。

 

「よくぞ成し遂げたな、百柄よ。文句なし、お主はこれで七笑流の皆伝だ!胸を張って誇れ!」

 

「……今まで、ご指導ありがとうございました!」

 

「……おめでとう」

 

「ここに新たな風が吹くか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

 その日の夜は霧の出る夜であった。それは、つまり百柄が元の世界に帰れることを意味する。およそ四ヶ月近い風隠の森での生活に、遂に終わりの時がやってきたのだ。

 

「さびしーよー」

 

「かなしーよー」

 

「百柄ー、行かないでー!」

 

「怪我も治った、戦う力も得た。向こうでも達者でやれよ、百柄。これは俺からの餞別だ」

 

「我からも、これを。森に伝わる御守りだ」

 

「私からも贈り物を渡しておこう。龍のウロコから得た妖力はいずれ消えるが、この薬を飲めば妖力が君の中で安定化するぞ」

 

「……ありがとうございます。本当に、皆さんからはたくさんのものをいただきました」

 

 別れの前に、付き合いの深かった者達から別れの品が贈られる。ヒエンは自分が着ているのと同じタイプの着物と帯を、ハヤテからはカチューシャタイプの花飾りと、赤い耳飾りを。オロシからは得た妖力を無くさないようにするための薬を。

 

 貰った物を早速身に付け、全身を見せるようにその場でくるりと回る。何だか贈り物を通してみんなから見守られているような気がして、百柄は暖かい気持ちになった。

 

「最後に、儂からも渡しておこう。お主が七笑流を極めた印……陽剣【七笑】だ」

 

「師匠の名を冠する刀……ありがとうございます、大切に使わせていただきますね」

 

「ああ。お主は儂が育てた一端の剣士、荒魂などという怪異に遅れを取ることなどあるまい。くれぐれにも怒りに呑まれることなく、努めて冷静に生きていくのだぞ。息災でな」

 

「怒りは、あくまで原動力……ですね」

 

 分かっているならいいと、そんなことを言っているかのようにナナワライは笑った。そんな微笑みを見て満足そうに頷き、百柄は元の世界に帰るための一歩を踏み出す。送り出してくれる風隠の森のみんなに手を振りながら、霧でその姿が見えなくなるまで百柄は感謝と別れの言葉を叫び続けた。

 

「皆さーん!さようならー!本当に、本当にありがとうございましたー!長い間……本当にお世話になりましたー!」




よろしければ、評価・感想などをよろしくお願い致します。


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5:百柄と刀使

「……私、ここで倒れたんだね」

 

 霧が晴れた時、そこにもう風隠の森は影も形もなくなっていた。あそこで過ごした日々は夢幻のようなものだったのかと思えるが、身に付けた贈り物の数々と陽剣【七笑】が存在を証明してくれる。百柄の四ヶ月は確かに、そこに有ったのだ。

 

 元の世界に降り立って初めての場所は、記憶の中に薄らと残っていた始まりの場所。山を滑り落ちて瀕死の状態でヒエンに拾われた場所であった。

 

 当時は死にかけていて、あまり鮮明には出来事を思い出せないのだが。それでもこの命が救われた場所ということで、他の記憶が壊れて思い出せない中でもしっかりとここだけは覚えていられた。

 

「さて、どこに歩けば町に出るかな?」

 

 転がり落ちた結果、偶然に辿り着いた場所ということで。当然ここは山道からは外れている。一度整備された道に入ることができたらあとはそこを辿っていけばいいだけなのだが、そうできるようになるまでが大変そうだと百柄はため息を吐いた。

 

 かと言って、いつまでも立ち止まってはいられない。取り敢えず上の方に向かって歩いてみる。転がり落ちてここまできたのだから、上の方にはそれまで歩いてきた道があるはず……そんな予想で取ることにしたルートだったが。

 

「うわあああぁぁ!!」

 

「悲鳴……先の方から!」

 

 どうやら、このルートで正解だったらしい。

 

 男のものと思われる悲鳴を聞いて、百柄は割とのんびり歩いていた歩調を早め駆け足になる。こんな森の中で悲鳴を上げるような出来事といえば、それはつまり今にも死にそうになっているということなのだろう。

 

 森の中にある脅威といえば、百柄がやらかしたような滑落や猪や鹿といった野生動物の被害がある。しかしもっと可能性が高くて、その上で命の危険も段違いな相手もいる。

 

「荒魂……!こんなに早く、出逢えるとはね!」

 

「ミッ」

 

「……こんなものか?まぁ、小さかったし」

 

「あ、た、たすか、助かった……?」

 

 声の聞こえる方にさっさと移動したおかげで、男が殺されてしまう前に間に合うことができた。襲っていたのは案の定というか荒魂。小型の大したことのない雑魚であったが、戦う術を持たない一般人にはそれでも大きな脅威となる。男の血塗れの頭を荒魂が噛み潰そうとしていたが、それよりも百柄が御刀を振り下ろす方が速かった。

 

 斬られた荒魂は弾け、辺りに蛍光色の液体のようなノロを撒き散らして消えた。思っていたよりも呆気なく倒せたことに多少戸惑うも、まだまだ荒魂は数多くいるので、決して油断せず一体ずつ確実に斬り殺していく。例え百柄の一振りで散る儚い雑魚だとしても、そんなことは関係ない。

 

「七笑流──【紫電】!」

 

「ミッ」

 

「オブウッ」

 

「ェヅッ!」

 

「ギュッ」

 

 十何体かを斬ったところで、ようやく新手が来ることはなくなった。安全のためにあまり時間はかけていられないので、【紫電】の連続攻撃で片っ端から斬り殺したのがよかったようだ。

 

「大丈夫ですか、怪我はありませんか?」

 

「だ、大丈夫ではない、かも……助けてくれてありがとう、刀使さん……」

 

「今、携帯を持っていなくて。救急車は呼べないのでせめておぶらせてもらいますね」

 

「お願い、します……」

 

 ──私、刀使じゃないんだけどね。

 

 スマホも何も持っていないため、百柄には外と連絡を取る手段が一つもない。当然だが救急車を呼んで来てもらうこともできないので、せめてこれだけでもと男を背負って歩くことにした。既にだいぶやられていたのかあちこち流血しているため、怪我を悪化させないよう気を付けて。

 

 悲鳴を追って森を駆ける内に、気付けば道が整備されている所まで出てきていた。これを辿っていけば町に出られるはずと、百柄は道を踏み外さないよう慎重かつ足早に進む。

 

「何だろ……?町の方でも物音が酷いな」

 

「あ……ああ!そうだ、俺は、町が大量の荒魂に襲われたから逃げてきて、それでっ……!」

 

「……そういうこと、もっと早く言ってよ!」

 

「すっ、すまない!」

 

 町には確実に近付いてきているはずだが、いつまで経っても夜景の灯りが見えない。しかも爆発だったり何かが壊れたりするような、物騒な物音が少しずつ目立ってきている。そのことに違和感を覚え百柄がボソリと呟くと、男は思い出したかのように狼狽えながら町の現状を訴えた。

 

 当然そんな話は寝耳に水であるため、百柄は今更そんなことを言う男に悪態を吐きながら走る速度を更に一段階引き上げる。怪我人に少し大きな負担をかけることになるが、この際仕方がない。

 

「少し揺れますけど、病院まで飛びます!落ちないようにしっかり捕まっててください!」

 

「へっ、飛ぶっ?えっ、ああああ!!?」

 

 速度を上げて更に走ると、ようやく町の端の方が見えてくるようになった。建物が火を噴き空を荒魂の放つ橙色の光が埋める、これこそまさに地獄絵図といった状況。降り立って荒魂を殲滅してやりたいのはやまやまだが、優先するべきなのは怪我人を病院まで送り届けること。沸き立つ荒魂への怒りをどうにか心の底へ沈め、百柄は一直線に病院へ向かうべく空を飛んだ。

 

 起こした風に乗って飛行する妖術【天狗の風】で町を襲う荒魂をスルーしながら、一目散に病院に向かって飛んでいく百柄。背中におぶった男を振り落としてしまわないよう自分でも気を付けながら、どうにか妨害を受けることなく病院まで辿り着くことができたのだった。

 

「すいません、急患です!」

 

 荒魂に襲われた被害者は他にも数多くいるため、病院では医療従事者達が患者に迅速に対応できるよう体制を整えてくれていた。そのおかげかどうかは分からないが、救急車に頼らず怪我人を連れて来たことに関して小言を言われたりすることはなく、治療に必要な情報を提供するだけで済まされた。

 

 ──よかった。まぁ救急車に連絡する手段も暇もなかったし、仕方ない……よね?

 

「私はこのまま、荒魂討伐に向かいます。怪我人の治療はよろしくお願いしますね」

 

「ええ、気を付けて。既に他の刀使さんが出動して対応してくれてるけど、荒魂の数が多過ぎて人手が全く足りてないみたいだから……」

 

「ありがとうございます。それでは皆さんもお気を付けて!」

 

「……最近の刀使さんって、飛べるのねぇ」

 

【天狗の風】で空を飛び、百柄は最も多くの荒魂が暴れている場へ直接向かう。何の脈絡もなく人間が空を飛んだのを見て、珍しいこともあるものだと首を傾げる看護師であったが、刀使ならそんな不思議なこともあるのだろうと自分を納得させて、意識を仕事に切り替えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「ギュメッ」

 

「まず、一匹……」

 

 現場に辿り着いた百柄は、早速暴れていた荒魂の1体を斬り捨てノロに変える。中型の個体だったこともあり森で斬った小型の群れよりは硬く手応えがあったが、普通に一撫で斬れる範囲。殲滅するのに何の問題もない。

 

 一体、そしてまた一体と、人を襲ったり、建物を壊したりしている個体から優先して斬る。助けた被災者は動ける者は学校などの避難できるところまで逃げるよう指示し、動けない怪我人はまだ壊れていない建物の中など安全な場所に避難させる。一般人を背にした状態での戦闘はなかなか骨の折れる難しい作業であったが、百柄はどうにか無傷で一帯の避難と荒魂殲滅を実現させたのだった。

 

「えーっと、東の方か……まだ戦ってる音がする」

 

 ──刀使ってどんな感じなんだろ?今までの反応からすると、空を飛んだりはしないようだけど。

 

 記憶のない百柄は、荒魂と戦う刀使という人間がどんなものかをよく知らない。知らないが、『敵の敵はそのまた敵』ということには流石にならないだろうとポジティブに考えて、未だに戦闘の続く音が聞こえる方向へ応援に行くことにした。

 

「くそっ、敵の数が多過ぎる……斬っても斬ってもキリがない!」

 

「真希!後ろ来ていますわよ!?」

 

「しまっ……ガハッ!」

 

「真希!?このっ、痴れ者が!」

 

「此花さん!?」

 

「寿々花おねーさん!?そんな不用意に突撃しても意味な……あぁ、危ない!」

 

「あっ……!」

 

 この荒魂災害に駆けつけた刀使達だが、その莫大な数を前にどうしても苦戦を強いられていた。十数人が戦闘に参加しておきながら、今尚継続して戦えているのは4人。『折神家親衛隊』と呼ばれる精鋭達だけであった。

 

 しかし連戦に次ぐ連戦で彼女らも少なからず消耗しており、その隙を突かれ一人が戦闘不能に。仲間がやられたことに憤った寿々花と呼ばれた少女が仇を討ちに走るも、怒りで煮えた頭では単純な突撃しかできず返り討ちに遭う。御刀を弾き飛ばされた上に仲間も自分のことで手一杯、まさに絶体絶命というこの状況。

 

 ー一ああ、一生の不覚ですわ……!

 

 やられる。自らの死を覚悟し目を閉じた寿々花であったが、攻撃は一向に訪れなかった。不思議に思い目を開けてみると、そこにいたのは自分達の把握していない謎の白髪の刀使がいた。

 

「ふう、こっちは間に合った……かな?」

 

「え……あ、あなたは……?」

 

「えーと……通りすがりの、一般剣士です」

 

「え!?何それ!」

 

「質問なら後で受け付ける。私は増援、今はこいつらを斬ることに集中して!」

 

「あっ……えっ、は、はい!」

 

 白髪の刀使の正体……百柄はすんでのところで守れた寿々花の質問に適当に答え、呆ける3人に残った荒魂の討伐に集中するよう伝える。ここでの百柄の働きはかなりのものであり、刀使達が何人も倒れた大群を瞬く間に斬り伏せ減らしてみせる。七笑流の技は【紫電】、息が絶えるまで続く連続攻撃で近付く端から荒魂をノロへ変えていった。

 

 予期せぬ強力な援軍に、心折れかけていた親衛隊も再起し気持ち新たに御刀を振るう。参戦した当初より人数は少なく、一人でどうにかできる範囲にはどうしても限界があるが。それでも今なら勝てるかもしれないという思いで、疲労で重たくなった身体を無理矢理動かした。

 

「……皆さん、スペクトラムファインダーの反応がなくなりました」

 

「お、終わったんですの……?」

 

「やった、勝ったんだよ私達!」

 

「……して」

 

 親衛隊の一人、皐月夜見の言葉は町を襲う荒魂が全ていなくなったという意味を持つ。それは即ちこの戦いが終わったということ。親衛隊は町を守り切ることができたのだ。

 

 疲労困憊、といった感じで寿々花は事が終わった安堵に大きく息を吐いた。しかしまだまだ後始末としてやるべきことが残っている。避難民や匿っている怪我人の救助もそうだが、自分達がやるべきことは目の前の謎の少女を連行すること。

 

 ──この方、普通に荒魂を斬っていましたが、写シも何も刀使としての技能を使っていませんでしたわ。少なくとも味方……ではありそうですけど、いったい何者なんですの……?

 

「あなたには私達について来てもらいますわ。聞きたいことがいろいろありますの」

 

「うん、私もそのつもりだった。でも、その前に」

 

「……?刀を振りかぶって、何を……っ!?」

 

「七笑流【石切】。油断大敵、ってやつだね」

 

「おお……鮮やかな一撃!」

 

 ──け、計測器にも引っ掛からなかった荒魂にどうして気付けてるんですの……!?本当に訳の分からないお方ですわね!

 

 地中に潜んでいた荒魂。戦いはもう終わったと油断しているところを襲おうとしたのだろうが、百柄はそれに気付いており荒魂が地面を割って頭を出したその瞬間に【石切】で粉砕した。

 

 飛び散ったノロが身体にかかり、ねっとりとした不快感と共に寿々花は更に疑念を募らせる。必ずや謎の少女の正体を暴いてやると、半ば逆恨み気味に決意を固めるのであった。

 

「それじゃ、連れてってもらおうかな」



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6:伍箇伝入学

 親衛隊に連れて行かれてからは、百柄はいろいろと情報を貰ったり吐かされたりした。

 

 貰ったのは刀使に関する基本的な情報や、今まで自分が死んだものとして扱われていたことなど。どうやら死にかけ満身創痍の状態で行方不明になった上に、森の中で百柄の血痕が見つかったことで滑落死したものとして捜査を打ち切られたらしい。

 

 つまり、この場の百柄の存在は死人が蘇って戻ってきたのと同じことなのである。死んだはずの人間の戸籍はどうやって復活させればいいんだと、役所の人間が頭を抱えていた。

 

 吐かされたのは行方不明になっていた間どこで過ごしていたのかということと、身に付けている飾りなどの道具……特に御刀をどうやって手に入れたのかということだった。

 

 元の世界に帰ってきた以上、風隠の森での生活は百柄にとっても夢のような出来事である。再度訪れることができるのかも分からないのだから、適当なことを言ったり、馬鹿正直に風隠の森について話したりする訳にもいかない。なのでそういった名称のことはぼかして、親切な人に拾われて怪我が治るまで世話になったという体で話すことにした。場所については移動の時に寝ていたのでよく分からないと言って誤魔化す。

 

 刀の出所に関しては、これなら荒魂を斬ることができると言われて渡されたと出まかせを言った。

 

 一般人である百柄が御刀を持っていること自体がおかしいので、剣術の修行を受けて皆伝の褒美に貰ったと、経緯を正直に話しても別によかったのかもしれないが。それを言ったら最後妖術などの特殊な修行のことも言わざるを得なくなり、面倒になりそうだったので誤魔化したのである。

 

 

 最終的に百柄にはもう一度『堀川百柄』としての戸籍が与えられ、刀使として伍箇伝のどこかに入学することが決められた。刀使でもなしに御刀を持つことは銃刀法に違反するので、それを「死人は犯罪を犯せないからセーフ()」ということにしてそのまま百柄を刀使に据えることで、犯罪をそもそも無かったことにしたのだ。

 

 国としても強い刀使が増えることは歓迎すべきことであるので、多少の違和感には目を瞑ってくれるし誤魔化されもしてくれる。百柄としても、刀使になった方が荒魂を斬るには都合がいいし、学校にもちゃんと通えるようになるということで条件を喜んで受け入れた。

 

「……と、いう訳で。あんたがこれから通うことになる伍箇伝の学校……平城学館の学長、五條いろはです。これからよろしゅうな、百柄さん」

 

「堀川百柄です。これからよろしくお願いします」

 

「制服、よく似合っとるなぁ。親衛隊を助けたって聞いとるし、あんたには期待してるわ。どうかその実力、うちで存分に発揮したってや」

 

「勿論です。頑張らせていただきますよ」

 

 頑張る、と言えば当然荒魂討伐のことだが、刀使が実力を発揮する場はそれだけではない。五條いろは学長の言う実力への期待とは、もう一つの戦いの場でのことも指しているのだが。百柄がそのことを理解するのは、もう少し先の話。

 

「本日より皆さんと一緒に学ぶことになりました、堀川百柄です。よろしくお願いします」

 

 五條と話していた学長室を離れ、クラスに入った百柄はまずは新入生恒例の自己紹介をする。この後はクラスメイトからの質問に答えるのだが、制服の上から着ている和服や若くしての総白髪など、興味を引く部分は数多くある。

 

「その花飾り、なんていう花なんですか?」

 

「制服の上からそんなの着けて良いんですか!?」

 

「流派を教えてください!」

 

「刀の好みなどは……」

 

「その白髪って染めたりはしないの?」

 

「刀使を目指したきっかけは?」

 

「……えーと。一つずつ答えていくから、ちょっと考えさせてくださいな……」

 

 絶え間ない質問攻めに、上手く答えを出せずたじたじになる。百柄が平城学館に入学して初めてのホームルームは、クラスメイトからの怒涛の質問攻めで終わるのだった。

 

「もう御刀は決まってるの?」

 

「連絡先交換しよう!」

 

「このマフラーとか見たことないデザインだけど、どこで買ったの?」

 

「授業で分からないところあったら、遠慮しないで言ってね!助け舟出すからさ!」

 

 一限の授業が始まるまで、珍しい二年からの編入生と交流しようとするクラスメイト達のコミュニケーションという名の波状攻撃は続いた。同年代女子の溢れんばかりのエネルギーに、記憶喪失の百柄は初めて浴びた太陽の光が如き眩しさを、彼女らから感じるのであった。

 

 ──これが、花の10代……青春ってやつ!

 

 自分もカテゴリは同じなはずなのに、何だか全く違う種類の生き物のようで。切れ目なく続くお喋りにどうにか対処しながら、年上の男や人外ばかりの風隠の森では経験することのなかった、ガールズトークという未知を百柄はできる限り楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「一年の初めでもやったが、新入りもいることだしもう一度刀使の技を基本から教えるぞ!堀川はよく観察して覚えるんだぞ!まずは【写シ】から!」

 

「はいっ!」

 

「成程、身代わりを作るのか……便利だね」

 

「よし、それじゃあ堀川もやってみるんだ!」

 

 写シとは、御刀の力によって肉体を霊体に変化させる技術。攻撃を受けても僅か痛みが出る程度にダメージを抑えてくれ、霊体が欠損したところで写シを戻せば身体は元に戻る。常に命の危険を伴う刀使の戦いには必須の技術であるが、精神と体力に大きな負担をもたらすため日に数度が限度である。

 

 百柄は教師の指示に従い、クラスメイトの実践を参考に自分でも写シを展開する。陽剣【七笑】は御刀とは違うのだが、御刀が持つ神力の代わりに天狗の妖力を大量に備えている。百柄個人が持つ妖力も併せれば、神力などなくても刀使の技術を再現するのには十二分であった。

 

 因みに。御刀は刀剣類管理局という組織によって管理されており、刀使となったことにより百柄の陽剣【七笑】もその管理下に入ることになった。あくまで形式上という形なので、殆ど持ち出しは自由にできるのだが。いくら刀使とはいえ業務に関係ないところで刀を持つのは違法なので、これからの百柄には自重が求められる。

 

 ──うん、【七笑】でも大丈夫だね。

 

 写シがしっかりとできていることを確認し、安心したように小さく相槌を打つ。町での戦闘の後親衛隊に指摘されたことだが、写シもなしに荒魂と戦うのはあまりにも異常。生身よりも遥かにリスクを軽減できるこの技を使わない理由はないため、御刀という訳ではない【七笑】で写シを展開できたことは百柄には朗報であった。

 

「それじゃあ試してみるぞ。はあっ!」

 

「お、ちゃんとできてるじゃん」

 

「筋がいいとはこのことだね」

 

「入学してすぐに御刀も持ってたし、ちょっと嫉妬しちゃうねー」

 

 写シがしっかりとできているかどうかを確認するため、教師が百柄の身体を刀で斬りつける。斬られた箇所は消失し傷痕を残したが、百柄には少しの痛みがくる程度で収まった。写シを解除すると付けられたはずの傷も消えて、成程これは便利な技術だと感心する。

 

 心身への負担の大きい技と聞いているが、実際やってみた結果、百柄にかかる負担はそれ程のものでもないことが分かった。神力と妖力では消耗が違うということなのだろうか。まぁ訓練の中でそれだけやるのと、実戦の中で他の技も併用したり、周りの敵や味方のことも考えたりしながらするのでは話が全く違うので、そう単純な話でもないのだが。

 

 ──ま、風隠の森での修行と同じこと。意識しなくてもできるようになるまで、何度だって繰り返せばいいんだ。

 

 やり方を知ったなら、後はそれを無意識でも繰り出せるように身体に覚え込ませればいい。面倒事が増えるのは、技を頭で考えて出しているから。頭で考えるのは敵味方や周囲の状況、守るべき者のことだけでいい。自分に思考を割いている内はまだまだ未熟なのである。

 

 その後も刀使の技の多くを実践する。速度を向上させる【迅移】に、写シで作り出した霊体の耐久力を向上させる【金剛身】、御刀の神力を自分に移して力を増す【八幡力】。神力を目と耳に集中させ視覚と聴覚を強化する【明眼】、【透覚】。

 

 クラスメイトを参考にやってみるが、これがなかなか難しい。身体強化の【八幡力】や【金剛身】は似た要領の【練気】を既に習得しているのでかなり早く習得できたが、他の三つ……特に【迅移】は速くなった自分を制御し切れず何度も壁とキスをする結果となってしまう。【明眼】【透覚】も程々を見極められず感覚が強くなり過ぎて、その反動が強い頭痛となって帰ってきた。

 

 ──うぅ、初見で成功とはいかないか……やっぱ見様見真似だけじゃダメだね。

 

 道場の床に寝そべって、ぐらぐらと揺れる脳味噌が鎮まるのを待つ。修行の途中で倒れることは何も初めてのことじゃないが、やはりやろうとしたことをやり切れずに終わるのは屈辱的である。百柄はこの悔しさをまた糧とし、必ずや刀使の技を習得してみせると誓うのだった。

 

「堀川さん、体調大丈夫?大丈夫だったらこれから一緒に遊びに行かない?みんなで堀川さんの歓迎会やるからさ!」

 

「お、お気遣いありがとう……うぷ。気持ちは嬉しいけどまた今度にして、お願い……」

 

「あ、ごめんなさい……また今度ね!今日はゆっくり休んどいて!また明日ね!」

 

「うん……お疲れ様でした……」

 

 まだまだぐらつく頭を抑え、ふらふらになりながらも百柄はクラスメイトの誘いを蹴って寮にあてがわれた自分の部屋に帰っていく。視界も揺れるせいでなかなか鍵穴を捉えられず、苛立ちと吐き気が込み上げてきて、ベッドに潜る頃には頭の中はそれはもうぐちゃぐちゃになっていた。

 

 ──気持ち悪い……!夜には、刀使の技の自主練しようと思ってたのにぃ……!

 

 凄まじい程の吐き気と頭痛で、ピクリとも身体を動かせなくなっていた百柄であったが。ここで一つの妙案が彼女の中に浮かんだ。百柄がオロシから教わった妖術の中には、傷付いた身体を癒す効果がある術がある。それを使えばきっとこの体調不良もどうにかできると踏み、早速試してみることにした百柄であったが……

 

「【叢穣坊の大風】……どわあああっ!?」

 

 体調不良の状態で、適切な妖術など使えるはずもない。案の定出力の調整を間違えた百柄は回復と引き換えに部屋の中を壊滅させ、日付が変わるまで説教と反省文を書かされることとなるのだった。

 

「反省は?」

 

「今度はっ……間違えません!」

 

 この時間は学校中に知れ渡り、百柄はクラスメイト達や他の生徒から危険人物としてしばらく距離を置かれることとなる。百柄は信用を取り戻すまでは針の筵に座るような生活を送らざるを得なくなるのであった。自業自得だ。



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7:VS獅童真希

「こんな夜中でも訓練か。精が出るな」

 

「あなたは……獅童真希さん、でしたっけ」

 

「おや、覚えててくれたのかい?確か君に名乗った覚えはないんだけどな」

 

「寿々花って人に聞きましたよ。同じ親衛隊とかいう組織の仲間だからって」

 

 月が北の空に浮かぶ夜、百柄は入学してからの日課である自主練に今日も励んでいた。

 

 どうやら今日は特別な日のようで、こんな真夜中にも関わらず自分を訪ねて人がやって来る。この世界に戻ってきて初めて出会った刀使、折神家親衛隊が一人獅童真希。その時の彼女は荒魂にやられて意識を失っていたので、他のメンバーから聞いた名前なのだが。百柄はしっかり覚えていた。

 

 真希がやってきた理由は、単純に百柄に興味があったから話をしにきたというものであった。部外者でありながら学校の中に平然と入れるのは、彼女が平城学館の卒業生だからであり、普段からこうして様子を見に来ることがあるからであった。流石にこんな夜中に来たのは初めてなのだが。

 

「訓練がてら、どうだい?」

 

「良いですね。先輩の胸をお借りしますよ」

 

 真希が御刀を抜き、百柄に突きつける。別に斬りたい訳ではなく、御刀がないと使えない刀使の技術を使えるようにするための気遣いである。百柄が苦戦しているのは剣術以外のところだと訓練の様子を観察して解っていたので、せっかくだしその手伝いをしてやろうという思いだった。

 

 互いに写シを展開し、霊体を作って生身の身体を真剣の刃から守れるようにする。技術の習得に苦戦する後輩に胸を貸すために、真希は先制で自分の方から動き出した。

 

「……成程。私達を助けてくれただけあって、剣の腕前は見事なものだ。苦手なのは神力を自己強化のために使うことかな?これだけの実力があるなら普通にできていそうなものだが、不思議だね!」

 

「同じような技なら、習得しているんですけどね。元々自分の中にはない力を使うってのが、どうにもやりにくいんですよね!【金剛身】や【八幡力】はまだマシな方なんですけど、【明眼】や【透覚】が本当に制御が難しくって!」

 

「難儀なものだよな。私も、習い始めの頃は制御に苦労したものさ!」

 

「最初の内が難しいのは、誰だって同じということですね!」

 

 七笑流の【練気】にも身体強化の効果があるが、これでは感覚はそこまで強化されない。慣れていない上に効果があり過ぎて、脳が増加する情報を処理し切れず酔ってしまうのだ。これでは他の技や七笑流剣術との併用どころか、写シの維持すらままならなくなってしまう。どうにかしたいとは思っているのだが、現状効果的な方法が思いつかない。

 

 陽剣【七笑】から引き出す妖力を少なくして強化幅を下げてみたり、事前に酔い止めを飲んで脳味噌への被害を抑えてみたり、【練気】や【金剛身】で自己強化することで脳を強くしてみたり、いろいろと思いついた方法を試してはみたのだが。あんまりどれも効果はなかった。

 

「【明眼】【透覚】を使いこなせれば、相手の動きが手に取るように分かるようになる!ひたすら身体能力を上げるのもそれはそれで効果的だが、情報のアドバンテージを取れるというのは、戦闘においてそれ以上に効果的だ!」

 

「……ぐうっ!身に染みて、分かりますね!」

 

 ──さっきから、動きを先読みされてる!私にもちゃんと【明眼】ができたなら、きっと同じことができるはずなのに……!

 

 会話しながら斬り結びながら、真希はそれが当然であるとでも言うように【明眼】や【八幡力】を併せて使っている。その上強くなった感覚に酔う様子も見えないし、どこかに巧く効果を制御するコツを見出すことはできないかと観察してみるが。身体の動きからでは大した情報は得られなかった。

 

「──────────【一閃】!」

 

「おっと……!居合斬りか、身の毛もよだつような凄まじい速さだ。一段階の【迅移】では、確実に回避が間に合わなかったな」

 

「刀使の技って、段階があるんですね。私そんなの初耳なんですけど」

 

「一段階目も満足にできないのなら、それより上を教えられることなんてないさ!」

 

「そりゃあそうですよね!すいませんでした!」

 

 至極当然のことを言われ、百柄もそれはそうだと返す。最初の段階すらも踏めぬ者が、その先になど行ける訳がないのだ。

 

 刀使の技はいくつかのものは段階毎に強化されていくものがあり、【八幡力】や【金剛身】、百柄がこれまた苦手とする【迅移】が該当する。強化は一番下から一つずつ段階を踏んで行われ、ステージが進む程強化幅も大きくなるが、その分効果時間が短くなる。達人ともなれば、段階をいくつかすっ飛ばして一気に最大までいくことも可能だ。

 

 真希が使ったのは【迅移】の二段階目。百柄の技の中でも最速の【一閃】すら回避できる速度を出すことが可能となるが、その分負担も大きいし効果時間も短い。回避したにも関わらず、いくらか距離を取って回復の時間を稼がなければならないくらいには実際紙一重であった。

 

 ……【金剛身】も【八幡力】も使わずに、生身でそんな速度を出せる百柄も実際異常なのだが。刀使としての技量で水を開けられている今は、そんなこと自慢できる状況でないのが惜しいところ。ちなみにこれは刀使としての技能を身に付けるための戦いなので、【練気】は使っていない。

 

「ぐっ……力でも、負けて、る……!」

 

「神力を受け入れるのはそんなに大変かい?御刀の持つ力はどこまでいっても君の味方だよ、そんなに拒絶されてちゃ御刀もヘソを曲げるさ。君が御刀の神力を上手く扱えないのは、君に御刀を受け入れるだけの器が無いからなんじゃないか?」

 

「そんなこと、言われましてもね……っ!」

 

 刃同士が重なり、鍔迫り合いが起こる。四段階の【八幡力】で強化された真希の膂力は、風隠の森で鍛えられた百柄のそれすら上回り彼女に膝を着けさせた。少し皮肉の混じった指摘も添えて。

 

 ──そもそも、【七笑】が内包してるのは神力じゃなくて妖力なんですけどねっ……!

 

 百柄の握る陽剣【七笑】は、魔王ナナワライから託された妖刀でありそもそも御刀ではない。同じことはできるし都合上御刀ということにしているだけであって、そもそも力の質が違うのだ。【写シ】などが成功したからといって、御刀と同じ要領で技を使えると結論付けたことがそもそも間違いだったのかもしれない。

 

「……あっ!」

 

「……どうやら、何か掴んだようだね。でも」

 

「あっ、刀……」

 

「残念だけど、決着だ」

 

 そこまで考えて百柄はようやく気付いた。しかしそれを実践する前に刀を弾かれてしまい、閃きの甲斐なく決着の時が訪れる。喉元に刃を突きつけられた百柄は写シを解いて両手を上げ、降参の意思を示すのだった。

 

 ──うぅ、負けてしまった。

 

 閃きに思考を奪われたせいで、真希の攻撃に対応できなくなり刀を弾かれるという負け方。かなり情けない負け方をしてしまったことに、己の不甲斐なさと師匠への申し訳なさで赤面する百柄。そんな彼女の姿を見て、真希は「それだけ悔しがれるのなら君はもっと強くなれるさ」と励ました。そういう気遣いがまた、悔しさを加速させる。

 

「本当なら閃きの内容も知りたいところだけど、残念ながらそろそろお暇する時間だ。ありがとう、君との試合は楽しかったよ」

 

「……そうですか。お時間いただきありがとうございました」

 

「どうも。……もうすぐ、折神家主催の剣術大会が開かれる。私はもう伍箇伝を卒業したから大会には出られないけど、君の活躍が見れることを楽しみにしているよ。それじゃ、訓練も程々にね」

 

「行っちゃった。……剣術大会、かぁ」

 

 どうやら、刀使の戦う相手は荒魂だけではないらしい。鍛えてきた成果を披露する場、剣術大会。七笑流剣術の修行を積み皆伝を貰ったとは言え、百柄が修行に費やせた期間は半年もない。周りを見渡せば自分以上のキャリアなどどこにだっている。

 

 そんな中、今の自分はどれだけ通用するのだろうか。荒魂相手なら負けるつもりはないが、刀使を相手にした今の自分の実力がどれ程のものなのかというのには興味がある。

 

 荒魂を斬るという目的があり、刀使と同じことができるのとそうした方が都合がいいから刀使の真似事をしているだけ。競える場があるのなら、全力で戦って自分の立場を確かめてみよう。

 

 ──そう、私はあくまで刀使の真似事をしているに過ぎなかった。そのことを忘れて、普通の刀使のようにやっちゃダメなんだ。

 

 剣術大会のことから今しがたの閃きの方に頭を切り替え、百柄は弾かれた刀を拾い構える。御刀から力を貰うという感覚がどうしても掴めず、そのせいでここまで苦戦していたが。そもそも七笑は御刀とは違うし神力も持っていない。御刀を使って技を出す刀使と同じ要領でやるということが、土台無理な話だったのだ。

 

 使う技は同じ、しかしそのための力は違う。参考にこそすれど全く同じではいられない。七笑の妖力を御刀の持つ神力と同じ目で見ていたのはそもそも間違いであった。

 

 ──神力は持ってないけど、妖力なら私も持っている。七笑に内包された妖力と、私の中に内包された妖力を繋げて一つの力として使えば……

 

「……できた」

 

 試みは成功した。【明眼】【透覚】を発動しているのに頭痛や酔いが起きない。自分以外のところから力を使おうとするから上手くいかなかったが、同じ力なのだから自分のものにすればいいのだ。何度もやって慣れている自分の中の妖力操作なら、反動なしで技を使うことができる。

 

 閃きが実を結んだことに思わず口が緩む。他の技も試してみたいと欲が出た百柄は、早速今の感覚を反芻し、【迅移】をはじめとした他の刀使の技でも同じようにできるよう練習を始めた。

 

「【迅移】の高速機動……うん、ばっちり制御できてる!【明眼】も【透覚】も、しっかり使えるから速い中でもちゃんと見える!聞こえる!私……技をちゃんと使いこなせてる!」

 

 ──【練気】と併せてみたり、妖力で技を使えるなら七笑なしでもできるんじゃない?ふふ、色々と試してみたいことが浮かんでくるなぁ!

 

 刀使の技を出すコツは掴んだ。後はこれを剣術大会の日までに扱い切れるようになるだけ。正直時間は全然足りていないが、刀使が相手だろうと負けるつもりは毛頭ない。師匠ナナワライと七笑流皆伝の誇りに賭けて、向かう相手は全て斬る。

 

 ──見てなよ真希さん。今度戦う時は、あなたにだって負けませんからね!

 

 夜空の下、百柄は刀を振るう。休みなく動く身体は疲労でかなり鈍くなっているが、その表情はそんなことも悟らせない満面の笑顔であった。



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8:剣術大会予選

「さて……いっちょ頑張りますか!」

 

 時は流れ、今日は剣術大会に平城学館を代表して出場する2人の選手を決める予選の日。トーナメント形式で勝ち抜いていき、決勝戦まで進むことができれば本戦出場が確約される。それまでに戦う相手も刀使の頂を目指して訓練を積んだ強者達、一筋縄でいかない勝負になるだろう。

 

 ──でも、だからこそ勝利には価値がある!

 

 強者達に勝ち決勝まで上がることができるということは、百柄に刀使としての実力がそれだけ身に付いたということ。勝利は己の成長の証であり、七笑流剣術の素晴らしさも喧伝できる。百柄は師匠より習った技に、それだけの自信と誇りをもって大会に臨もうとしていたのだった。

 

「どうか見守っていてください、師匠。あなたから受け継いだこの剣と技は、どんな相手にだって負けやしないと証明して参ります!」

 

 もう会うことはないであろう師匠に向けて決意を叫び、百柄は会場である道場に向かう。まだ見ぬ強敵達の存在に心を躍らせながら、空気を踏むように軽い足取りで一歩を踏み出した。

 

 ……百柄は初日のやらかし以降クラスメイト達からすら遠巻きにされていたため、他人とほとんどコミュニケーションを取れていない。寮の部屋を僅か1日で廃墟に帰るなど前代未聞。そんな馬鹿なことさえしなければ、友達もできていたし強敵達もまだ見ぬ存在にはならなかったのだが。今ではもう後悔しても遅過ぎる話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「それでは一回戦、岩倉早苗と堀川百柄。構え!」

 

「対戦、よろしくお願いします」

 

「……よろしく、お願いします」

 

 ──予選は、御刀使わないんだね。

 

 せっかく刀使の技能を鍛えてきたが、予選はまさかの木刀による試合で御刀は使わなかった。出鼻をくじかれた形にはなってしまったが、これはこれで百柄にとっては好都合。純粋な剣の腕前だけを競うというのなら、面倒なことをせずに自前の身体能力を押し付ければいいからだ。

 

 それに、もう一つ。

 

「始め──────────っ!?」

 

「え……?嘘、で、しょ……?」

 

 七笑流抜刀術の速さに加えて、百柄の風隠の森での修行によって人間離れした身体能力。それに刀を無駄なく振れる技術が合わされば、【写シ】による強化のない生身でそれを受けることなど、不可能に近い神業である。

 

「七笑流──────【一閃】」

 

「しょ、勝者、堀川!」

 

 七笑流【一閃】は、納刀状態では目で追うことすら至難の神速の居合斬り。生身の動体視力で追いつけるような、柔な技ではない。それができるという情報もないのなら尚更──他人とのコミュニケーションが少ない百柄の情報は、他の刀使には殆ど出回っていない。それ即ち、誰も百柄への対応策を持っていないことを意味する。

 

 ──うん。私、ちゃんと強いみたいだね。

 

「岩倉先輩。対戦、ありがとうございました」

 

「ねぇ、あれ見えた……?」

 

「目が全然追いつかなかった……御刀も使ってないのに、あんなのおかしいよ……どうやったらあんなに速く刀を振れる訳……?」

 

「化け物……」

 

 試合を観戦していた生徒達は、あまりの呆気なく一方的な決着に各々感想を述べる。その中に百柄に好意的な内容は殆どなく、彼女らの気持ちは「あんなのに勝たないと、本戦に出られないの……?そんなの絶対無理でしょ」というような形で概ね一致してしまっていた。

 

 当の本人はそんな周りからの評判などどこ吹く風といった様子で、勝利に気をよくしながら選手控え室に戻っていく。そんな軽い態度の百柄の姿を見た生徒達は、それを気味悪がり更に彼女と距離を置くことを決めるのだった。

 

 

「さてと。順調に勝ち上がって決勝までこれたのは良いけども……私の決勝戦の対戦相手は、果たしてどっちになるのかな?」

 

 

 その後も百柄は勝利を重ねていき、一足先に本戦への出場権を手に入れた。今は昼食に持参したおにぎりと豚汁を傍らに、決勝戦で戦うことになる相手がどちらになるかを予想している。どちらもベスト4まで残るに相応しい実力者だが、押しているのは長い黒髪をした三年の生徒。しかし相手も食い下がり猛攻に耐え忍んでおり、どちらが勝つのかまだまだ分からない。観戦する眼にどんどん熱が籠るのを百柄は自覚する。

 

 ちなみに。百柄は速過ぎて相手が見切ることすらほぼ不可能な【一閃】は封印し、最初から抜刀した上で【紫電】を中心に据えて戦っていた。対戦相手の強さを体感するためにそうしたのだが、相手の方が【一閃】を警戒する立ち回りをするため、あまり彼女らの強みは見られなかった。

 

 ──残念だけど、そういうのも全部ひっくるめて試合だからねぇ。

 

 他の生徒達が積んできた研鑽を知ることは叶わなかったが、残念ながらそれも試合の内。こうして横から観戦するだけでも満足するべきだと自分に言い聞かせ、おにぎりと一緒にそれでも惜しいと思う気持ちを腹の底に飲み下すのだった。

 

「お、終わった。十条姫和さん、か……」

 

 そんなこんなしている内に、もう一つの準決勝も決着が着いた。勝ったのは攻め立て押していた黒髪ロングの少女。百柄より一つ年上の先輩で、名前は十条姫和というらしい。

 

 何と言ってもその眼がいい。果たすべき目的だけを見据えて一直線といった感じの、覚悟と決意に満ちた力強い瞳。あの眼ができる人間の強さはそれはもう素晴らしいものとなるだろう。恐らく百柄の存在すら眼中に入っていないかもしれない。

 

「気に入らない、なぁ……」

 

 ああいう眼をする人間は嫌いじゃないが、それはそれとして気に入らない。遠い目標を真っ直ぐに見据えるのは構わないが、その道中には大きな壁があるのだということを分からせてやろう。見たいものだけ見て周りのものを見ようとしないその目に、堀川百柄という存在を刻みつけてやる。

 

 ──ふーん……?へぇ?

 

 試合を終えた彼女と目が合ったのだが、姫和の眼には百柄か道中で踏み潰す雑草や蹴り飛ばす砂利くらいにしか見えていないのだろう。これから戦うことになる相手だというのに、まるで関心のないような表情を向けられた百柄は本当に自分が眼中に入っていないと確信し、姫和に自分のことを忘れられないようにしてやろうと誓うのだった。

 

「堀川百柄……私は、負けんぞ」

 

 まぁ、それは百柄の主観であって。実際のところ姫和はかなり百柄のことを意識していた。若干の意識のすれ違いもありながら、もうすぐ行われる決勝戦に向けて2人の剣士は集中力を高めていく。戦いの刻が、着々と近付いていた。

 

「それでは両者、構え!」

 

「十条先輩──勝たせて、いただきますよ」

 

「……私も、こんなところで負けてはいられない」

 

「では、いざ尋常に──────」

 

 

 

 

「勝負!」

 

 

 

 

 審判が旗を振り、試合の開始が宣言される。合図と同時に2人は動き出し、互いの木刀を打ち合わせ鍔迫り合いが始まった。

 

 押しているのは百柄。力で勝る彼女は少しずつ前進しながら姫和を潰し、膝をつけさせることで試合を終わらせるつもりであった。姫和の方に力で劣る現状を覆す技があるかで戦局は変わるが、今のところそんな技を出す気配はない。

 

「どうしたんですか……!?このままじゃ良いとこなしで終わっちゃいますよ!」

 

「ぐぅ……何事も、タイミングが重要だ!」

 

「うおっと……流石、やりますね!」

 

 このまま地面まで潰され膝を着かせられるというところまで来たが、姫和は身体の捻りと刃を滑らせ流す動きで百柄の間合から脱出した。力をかけていた相手がいなくなったことで今度は百柄がバランスを崩してよろけ、その隙を後ろから姫和が刺そうと木刀を突き出す。

 

 しかし、百柄もまた接地させた右足を軸に身体を捻り180度後ろに逸らして姫和の刃を弾く。互いに一歩後退して間合いから外れ、短いながら警戒と膠着の時間が生まれた。

 

 

 ──やっぱり(やはり)、強い!

 

 

 お互いの強さを体感し、迂闊に動けば格好の的となることを悟った2人は警戒し足を止める。一挙一動を見逃さず観察し続けながら、百柄は自分の勝ち筋を探っていった。

 

 鍔迫り合いで押していけたように、パワーに関しては百柄に分がある。スピードも同様だろうが、それでも勝ち切るには至らなかった。百柄のやりたいことを姫和が見透かし対応したからだ。

 

 相手の動きを目線や力の入り具合から判断し次の行動を読み切る洞察力と、どうすればそれに対応できるのかを瞬時に理解し実行する判断力。素振りや筋トレを独りでやるだけでは培えないもの、幼い頃から多くの場数を踏んだ経験の力。刀を握ってたかだか半年の百柄では、今は到底辿り着けない境地に姫和はいるのだ。

 

 ──【明眼】【透覚】を使ってる訳でもないのに全部見透かされる。経験値ってのはつくづく偉大なものだね。だったら……

 

 経験値でパワーの差を埋められているのなら、その判断ができなくなるまで追い詰めればいい。相手より優れている部分を押し付けて、年季の差も意味を成さない状況を作り出す。そのためには──

 

「【練気】、七笑流──」

 

「っ……!」

 

「──────────【紫電】」

 

「……来い!」

 

 ──息吐く暇も、与えない!

 

 連続攻撃の【紫電】でその対応だけに思考のリソースを割かせ、反撃の隙を与えず押し切る。しかし息吐く暇もないということは、相手だけでなく自分もそうだということ。姫和が先に対応し切れなくなり百柄が勝つか、百柄の息が続かなくなり姫和が反撃で終わらせるかの根比べとなる。

 

 ──落ち着け。確かに速いし手数も多いが、私なら捌けないようなものじゃない!首、胸、足元……狙われる箇所も急所ばかりだから分かる、この嵐を耐え抜けば私の勝ちだ!

 

「凄い、姫和先輩あの攻撃を全部捌いてる!」

 

「お願い、あの化け物を倒して……っ!」

 

 緊張感の高まる攻防に、周囲の応援もどんどん熱が高まっていく。姫和への声援は彼女が百柄の攻撃を防ぐ度に少しずつその勢力を増していき、やがて道場全体を揺らす程の轟音となった。

 

「はぁっ!」

 

 百柄が斬る。

 

「ぐうっ……!」

 

 姫和が防ぐ。

 

 両者の剣は撃ち合う度に鋭さを増し、応援に後押しされるように表情にも熱を帯びる。それは絶え間なく動くことによる体温の上昇によるものか、それとも強者同士の戦いがもたらした気分の高揚によるものか。何にせよ、戦いはもうじき決着する。

 

「……………ぶっ、はあっ!」

 

「っ!この勝負は、私の……勝ちだ!」

 

 百柄が遂に息継ぎをした。それは攻撃を続けるだけの酸素がなくなったということであり、相手の目の前で致命的な隙を晒すということ。ここを勝機と見た姫和はすかさず木刀を掲げ、全力で百柄の脳天に向けて振り下ろす。息を切らし顔を地に向けている百柄に、それを避けることなど不可能。観客も審判も姫和の勝利を確信した、その時。

 

「この、瞬間を──待っていた!」

 

「なんだとっ……ぐうぅっ!」

 

 何と、完全に視界外からの攻撃であったのにも関わらず百柄はそれを回避し、姫和との立場を完全に逆転させた。

 

 最後の一撃を、受ける者から撃つ者へと。

 

 百柄は一撃分の余力を残した状態で、【紫電】を中断していたのだ。姫和が【紫電】は息の続く限り終わらない技だと誤認し、勝負を決めるつもりの一撃を繰り出すこの瞬間を作り出すために。

 

 中途半端なところで止めたとしても、姫和ならその経験でまだ余力を残していると判断できる。そう考えた百柄は、自分も限界ギリギリまで技を出し続けることで姫和を誘った。本当に崖っぷちに立っているのなら、絶体絶命の状況が演技かどうかなど分かる訳がないのだから。

 

「七笑流──【石切】!」

 

 何とか受ける体勢を作れた姫和は、最初の鍔迫り合いの時のように流して対処しようとする。しかしその選択は間違いだったと、彼女は木刀同士が触れ合った瞬間に気付いてしまった。

 

 七笑流【石切】。抜刀した状態で放つその一撃は筋肉、骨格、神経全てを使う最強の一振り。全身を全て捧げて放つそれは──

 

「がっ……!?」

 

「そ、そこまで!勝者──堀川!」

 

 石を超えて岩盤すらも容易く砕く、その名前すら見劣りする程の威力を生み出す。姫和が緩衝材代わりとなって威力が軽減されたにも関わらず、道場の床は破壊されその跡に彼女を飲み込んだ。

 

 これが決定打となり、審判が百柄の勝利として決着を告げる。元の世界に戻ってからは実質初めての格上との戦いに勝利し、百柄は未だ痺れ震える手を強く握りガッツポーズを作るのだった。

 

「十条先輩、対戦ありがとうございました。怪我はありませんか?」

 

「あ……ああ、問題ない。こちらこそありがとう、良い試合だったよ」

 

「……!機会があれば、またやりましょう」

 

「その時は勝たせてもらうぞ」

 

 ──あまり良い噂は聞かない子だが。実物はそれ程でもないのかもしれないな。

 

 床に埋まった姫和を引き上げ、対戦後の感謝を伝える百柄。相手に礼を尽くす姿を見て、姫和はそれまでの彼女に対する認識を少し改めた。そして自身も久しぶりに『目的』抜きで純粋な気持ちで剣を振れたことに感謝し、その手を差し出す。平城学館の予選大会は、対戦者同士の握手で終わりを迎えるのだった。

 

 平城学館『折神家御前試合』代表選抜大会──優勝者、堀川百柄。準優勝、十条姫和。



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9:剣術大会前日

「堀川さん、そろそろ移動の時間になるぞ。準備はちゃんとできているか?」

 

「あ、十条先輩。バッチリできてますよ。でないとこんな時間まで自主練はできませんよ」

 

「精が出るな、本当に。いつも暇さえあれば訓練をしているんじゃないか?」

 

「そうですね……私は経験値では他のみんなよりも数段劣りますから。暇を全て経験値に変えるくらいじゃないと、追いつけません」

 

 剣術大会本戦の前日。選手はこの日に会場入りするため百柄を呼びに来た姫和は、学校の屋上で真剣に素振りをする彼女に呆れ半分、感心半分といった感じで肩をすくめて笑う。

 

 どれだけ長くやっていたのだろうか、百柄は既に汗だくでタオルからも水滴が滴っている。刀を握って半年もないと話には聞いているが、それでもあの強さなのは、この真面目さがあるからなのだろうと感じる姫和なのであった。

 

 ──本戦もトーナメント形式。勝ち進めばどこかで会うだろうが、それが決勝なら……

 

 姫和にはこの大会で必ず果たさなければならないある目的がある。それは決勝まで勝ち上がることが前提の、皮算用も甚だしいものであるのだが。もし百柄と決勝で戦うこととなったら、刀使としての全力の自分との再戦を望む彼女には、申し訳ないことになってしまう。

 

 姫和の目的が果たされる時、大会は確実に台無しなものとなるし……何より彼女自身の命すら危ういものとなってしまうのだから。

 

「堀川さん」

 

「……?どうしました?」

 

「大会では同じ学校同士だからといって、最後まで対戦を避けられるということはない。途中であなたと当たることになったとしても、私は全力で戦うとここで誓おう」

 

「望むところですよ。私こそ、決勝以外だとしても全力で当たらせてもらいます」

 

 意図が分からないタイミングでの決意表明だが、百柄はそれを真剣に受け止め返す。戦いの場がどこになろうとも全力で当たる、姫和の宣言に含まれる想いを汲んで、百柄もまたそう宣言した。

 

「さぁ2人とも、車に乗りなさい。平城学館の名に恥じぬ素晴らしい戦いを頼むわぁ」

 

「……はい」

 

「期待しててくださいな」

 

 学校が用意した車に乗り込み、選手2人は会場へ送られる。1人は師匠より受け継いだ七笑流剣術の強さの証明と、多くの実力ある刀使としての先輩達への挑戦のために。1人はある『目的』のために今日まで研ぎ澄ましてきた太刀筋で、必ずや己が敵を斬り本懐を果たすため。

 

 理由は違えど、剣術大会にかける覚悟と真剣さはどちらも同じ。車内の空気は息の詰まるような緊張感に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「着きましたね、鎌倉。私は荷物を置いたら荒魂退治に行きますけど、十条先輩はどうします?」

 

「私は……試合の前に見ておきたいものがある」

 

「それなら別行動になりますね。どうせ帰ってくる所は同じですし、夜まではお互い好きに行動するとしましょうか」

 

「そうだな」

 

 会場のある鎌倉に到着し、まずは選手に手配されている宿を目指して2人は歩いていく。その道すがらこの後の予定について話していたのだが、お互いやりたいことが違うので、宿に帰るまでは別行動ということになった。

 

 百柄は支給品されたスペクトラムファインダーを片手に、虱潰しに鎌倉の荒魂狩りに。スペクトラムファインダーとは荒魂を感知するレーダーのような機械のこと。百柄は妖術を習得した副産物として人や物の気配を感じ取る能力を得たが、荒魂は内包するノロが余程多くない限りは、百柄の感知能力には引っかからない。そのため微弱なノロもしっかり捉えるこの装置の存在は、百柄にとっては渡りに船と言えた。

 

 屋外では屋内の荒魂を感知し辛かったり、またその逆もあるというのが玉に瑕だが。そんな時は自分の感知能力で見つければいいし、百柄はこの装置を支給された時からずっと重用していた。夜中学校を抜け出して荒魂を狩りに行く時に、何度となくこの装置のお世話になっている。

 

「それじゃあ先輩、また後で」

 

「ああ。あまり無茶な……」

 

 宿に着いて荷物を置いたら、百柄はスペクトラムファインダーの反応に従い、それが示す場所に向けて走っていく。姫和があまり無茶なことはしないよう気を付けろと言おうとした途中には、もう百柄の姿は小さく見えなくなっていた。

 

「……私も行くとするか」

 

 よく見たら百柄は写シを張っておらず、即ちこの高速移動は【迅移】なしでやっている。既に見えなくなった背中を呆れるような目で見届けると、姫和も自身の目的地に向けて歩き出した。

 

 剣術大会の正式名称、『折神家御前試合』の主催である折神の一族が住まう屋敷。宿からはかなり歩くことになったが、この巨大な屋敷を見れば疲労も吹き飛んだ。なぜなら姫和の『目的』は、決勝戦が行われるここに至ることで果たされるのだから。ようやく見えてきた終着点、無意識に御刀を握る腕に力が入る。

 

 ──逸るな。勝たねば何も始まらないぞ。

 

 既に目的に届いた気になっていて心を戒め、落ち着くために大きく深呼吸をする。心臓の鼓動が平常に戻ったのを確認し、姫和はもう一度真っ直ぐな目で屋敷を見上げる。

 

 ──折神紫……お前は必ず、私が……

 

「あっ……こ、こんにちは!その制服平城学館のだよね!あなたも明日の試合に出る人なの?」

 

「……そうだが」

 

 必ず……そこまで考えたところで、姫和の思考は横からかけられた声に中断させられる。見るとそこにいたのは平城と同じ伍箇伝の一つ、美濃関学院の生徒2人であった。どうやら彼女らもまた、姫和と同じ目的でここに来たらしい。口振りから察するにどちらも明日の剣術大会に参加する選手──つまり敵のようである。

 

 普段ならば、話しかけられたところで無視してその場から去るのがいつもの姫和なのだが。ここ最近同じ代表ということで百柄と稽古をしたり交流する機会が多かったからか、人当たりが本人の自覚がない程度だが柔らかくなっていた。

 

「えっと、いつ当たることになるかはまだ分からないけど……!もしも戦うことになった時は、どうか全力でぶつかってきてほしいな!」

 

「……そうさせてもらう」

 

「塩対応……」

 

「仕方ないよ、敵になるかもしれないもん」

 

 取り敢えず失礼のないように一言は返し、屋敷は見れたので戻ろうとした姫和。

 

 彼女の御刀【小烏丸】が美濃関の少女が持つ御刀に反応し一瞬光を放ったのはその時であった。何が起こったのか分からず柄を握り抜刀術の体勢を取る姫和だが、相手も同じように構えている。光を放ったのは少しだけだし、こんなところで御刀を抜いてもいいスキャンダルになるだけ。お互い今のことは気付かなかったことにして、またそれぞれの道を歩んでいく……

 

「あ、十条先輩こんな所にいたんですね」

 

「堀川さん……?何で空から降ってきたんだ」

 

「ま、ままま舞衣ちゃん!?人がっ、刀使が空から降ってきて親方が!」

 

「可奈美ちゃん落ち着いて!支離滅裂だよ!」

 

 そんな別れをぶった斬るように、空を飛んでいた百柄が姫和を発見し凄まじい勢いで降りてきた。刀使の強化された身体能力なら、建物の上を跳んで回るくらいは実現できるが、この辺りにはそんな跳び回るのにお誂え向きな建物などどこにもない。明らかに飛行してきた百柄を見て、美濃関の刀使2人は明らかな狼狽を見せるのだった。

 

 そんなことなど気にも止めず、百柄は動揺収まらぬ2人に気さくに話しかける。インパクトのある初対面からの割とフレンドリーな口調に、2人は困惑したまま何とか挨拶を返した。

 

「おや、その制服は確か美濃関の。あなた達が美濃関の代表ということなんですかね?」

 

「それはそうと、堀川さんはこことは真逆の方向に走って行ってなかったか?それかどうしてここまで辿り着いて……」

 

 姫和が問う。

 

 百柄が走っていった方向は、宿から折神家の屋敷に向かうのとは真反対のところ。それは百柄がぐるりと鎌倉を一周するように、荒魂を斬って回っていたということになるのだが……いくら何でも道のりを行く速度が速過ぎる。身体中にへばりついたノロからして激戦があったのだろうが、百柄のいつもと変わらない態度からはそんなことを読み取ることはできなかった。

 

「いやあ、小さいのからそこそこ大きいのまで結構いろんなのを斬ってきたんですけどね。この辺りでスペクトラムファインダーが、一際大きな反応を示したので様子を見にきたんですよ。でもすごい強い反応を見せてるのに、それらしい荒魂の気配はどこにも感じないんですよね……」

 

「ああ……それは」

 

「それは、折神家では荒魂を倒した後に出るノロを回収して保管する役割があるからじゃないかな?回収されたノロは『魂鎮めの儀』っていう儀式で荒魂にならないように浄化するんだって」

 

「へー!折神家ってそんなこともしてるんだね!」

 

「解説ありがとう、美濃関の人。えっと……」

 

「柳瀬舞衣です。こっちは「衛藤可奈美です!」明日の試合ではよろしくお願いしますね」

 

 強いノロの反応はあるが、探してもどうしても見つからないことを疑問に思っていた百柄。彼女の疑問は美濃関の刀使によって解消され、同時にまだ聞いていなかった名前も明らかになる。時間が経って困惑も収まったようで、可奈美も舞衣も本来の明朗な性格に戻っていた。

 

 ちなみに。スペクトラムファインダーが折神家に保管されているノロに反応したのは正解だが、実は荒魂を探して回っていた百柄も決して間違っていた訳ではない。彼女がそのことを知るのはもう少しだけ先の話なのだが……何にせよ折神家にはきな臭いものが眠っており、この場でそのことを知っているのは姫和だけである。

 

 ──ここで言うことなどできないがな。

 

 それを明かすつもりは、当然姫和には毛頭ないのであるが。

 

「えっと……それじゃあまた明日!当たった時はよろしくね!」

 

「可奈美ちゃん……宿はみんな一緒だから、きっと夜にまた会うことになるよ?」

 

「それならまた後で、ということで」

 

「……堀川さん、戻るぞ」

 

 予期せぬことはいろいろあったが、問題は何事もなく平城と美濃関の刀使達はその場を後にする。この後4人は宿の温泉で再会し、少しだけ交流を持つことになるのだが……大したイベントではないためそれは割愛させていただく。

 

「ふぅ……今日もいろいろあったな。明日は向かう敵全員ねじ伏せて……私が、頂点に立つ!」

 

 皆が寝静まったその日の夜に、百柄は今日の荒魂との戦いを反省しながら素振りをしていた。

 

 七笑流の技と刀使の技を合わせ切れず、どちらも中途半端になって【一閃】や【草薙】の一撃で倒せる雑魚に無駄に苦戦させられた。

 

 写シを展開し忘れたまま【迅移】や【八幡力】を使おうとして、技をスカし浅くないダメージを無駄に負ってしまった。【叢穣坊の大風】による回復がなければ、また病院の世話になっていただろう。

 

 明日戦うのは人間だし、殺傷能力が高過ぎる上に写シに対してどう影響を及ぼすか分からない妖術は自重する必要がある。今日の戦いとはまるで毛色の違う戦いが繰り広げられるだろう。それでも今日の反省は明日に活きると信じて、百柄は刀を握る集中力を更に高めていくのだった。

 

 ──待っていろ、明日!



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10:剣術大会本戦

「それでは双方備え、写シ……始め!」

 

 折神御殿での可奈美、舞衣との出会いから一夜が明け。遂に剣術大会本戦が始まった。

 

 初戦を飾った姫和は【迅移】を合わせた高速の一撃で相手の写シを破壊し、瞬殺劇で呆気なく勝負を終わらせてみせる。次に出番が来た可奈美は相手の素早い動きに苦戦させられるも、その動きをしっかりと捌き切り左腕を斬り飛ばして勝利。続いた舞衣も苦しい打ち合いが続く中、正眼の構えを崩さず最後まで自分の持ち味を活かして粘り勝ち。

 

 4人の中で残ったのは最終試合に控える百柄だけとなったが、それもまた一瞬で終わる。木刀ではなく七笑を握ることのできる本戦では、写シのダメージ肩代わりにより躊躇いなしで技を放てる上、武器の質が段違いであることで威力も大幅に増す。

 

 それに加えて、今日までの研鑽によりどうにか間に合わせた七笑流剣術と刀使の技の融合。真希と戦いいいとこなしで敗れたあの夜よりも、予選決勝で姫和と相対した時よりも。今の百柄はそんな過去のどんな自分よりも、間違いなく強い最強の自分であると断言できるだけのものがあった。

 

 相手もまた、予選を勝ち抜いてきた強者であるにも関わらず。それでも尚、百柄の技を見切ることは不可能と言って差し支えなかった。

 

「七笑流──────────【一閃】」

 

「きゃっ……!?」

 

 同じ技名だが、写シによる生身より強い霊体の構築と【八幡力】による膂力強化が加われば。その一振りは名前通りの閃光と化す。初見での対応などまず不可能、第一試合に続き完璧な瞬殺である。

 

 短めの技名を言い終わるのも待たず、刀は鞘から解き放たれ対戦相手を横一文字に斬り裂く。音をも置き去りにする閃光の一撃で、百柄は危なげなく二回戦へコマを進めた。

 

「そこまで!勝者、平城学館堀川百柄!」

 

「対戦、ありがとうございました」

 

 

「凄い……鋒が見えなかった、何て速さ……!」

 

「平城学館の派手な人……あんなに強かったんだ」

 

「……お前なら、これくらいはやるか」

 

 

 腰を抜かして立てない相手に手を差し伸べ、起こしてから礼をする。ぽかんと呆気に取られたような顔をしていた対戦相手も、決着が着いたことを受け入れたようで笑顔でその手を取り礼をした。

 

「初めて会った時からそうでしたけど……あの方、本当に強いんですのね。あの時は写シすら使えない素人同然でしたのに……たった一ヶ月程度の時間でここまで変わるものなのですね」

 

「御刀を持ってるだけ、みたいな状態でも荒魂相手に無双できるんだ。刀使の技をちゃんと使えるようになったらそりゃあ、このくらいにはなるさ。僕も自主練に付き合った甲斐があったかな?」

 

「真希……あなたそんなことしてましたの?」

 

「平城に戻ったらたまたま会ってね」

 

 観戦していた折神家親衛隊の面々も、百柄の成長ぶりに太鼓判を押す。

 

 親衛隊が初めて彼女と出会ったのは、連戦続きで疲弊していたとはいえ、自分達でも倒しきれなかった荒魂を倒す援軍としてだった。ばっさばっさと荒魂を斬り倒していく姿に、まだ世間にはこんなにも強い刀使がいたのかと感服したし、それを全部生身でやっていたと知った時なんかはもう、開いた口が塞がらなかった。

 

 そんな彼女が今、刀使の技術をものにして剣術大会で実力を遺憾なく発揮している。剣術だけで戦っていた彼女を知っている親衛隊としては、子どもの成長を見守るような気持ちであった。

 

「せっかくだし、僕らは彼女を応援しようか」

 

「そうですわね。正直、あの堀川さんが負ける姿はあまり想像できませんけども……」

 

 自分の応援がなくとも、百柄の負けを親衛隊2人はあまり想像できなかったのだが。それでも応援のあるなしで、パフォーマンスはかなり変わることがあるということも知っている。

 

 せっかくだし、彼女の強さを信じて優勝を期待している人間がここにいるということは知らせてやりたい。中にはそういった期待がプレッシャーになり潰れる者もいるのだが……流石に百柄はそんなタマではないだろうと、真希と寿々花は彼女を応援することに決めたのだった。

 

「堀川さーん!とても良い戦いでしたわー!次の試合も期待していますわよー!」

 

「あ、寿々花さん……応援、してくれてるんだ」

 

「僕達は君の強さをよく知っている。えこひいきになってしまうが……君の優勝を信じているよ!」

 

「真希さんもか……ふふ、やる気が出るね」

 

 かなり遠いところからだったが、叫んでくれたおかげでその場を後にしようとする百柄にも2人にの応援は届いた。実際のところ応援を力に変えられるタイプである百柄は、自分の優勝を信じて声援をくれたことに大いにやる気を出した。次の試合の百柄はきっと、初戦の時より遥かに強いだろう。

 

 同時に、周囲の警戒も更に跳ね上がる。一回戦を瞬殺で終わらせたことで各校の代表からは既に要警戒とされていたが、かつての剣術大会で結果を残している親衛隊のお墨付きもあるということで、少なくとも彼女らに匹敵するであろう力を持つと、百柄の実力の想定を大幅に引き上げるのだった。

 

「相性悪過ぎるんだけどなー。勝てっかなー」

 

「自分を信じて全力を尽くす!勝てる人間とはそれができる者のことデース!」

 

 

「百柄ちゃんっていうんだ……あんなに速くて鋭い居合斬り初めて見たよ!こんなに強い子と戦えるのが楽しみだなぁ……!」

 

「……それは無理だよ、可奈美ちゃん」

 

「え、どうして?百柄ちゃんの実力ならきっと次の試合も勝ち上がって……」

 

「……次に百柄ちゃんと対戦するのは私だし、可奈美ちゃんと戦うのも私だから」

 

 

「堀川さん……当たるとしたら決勝、か」

 

 勝ち残った者達も、それぞれが次の試合の勝利を信じて集中力と覚悟を高めていく。二回戦も姫和や可奈美は勝利を収め、最終試合である百柄と舞衣の勝負が始まった。

 

「美濃関学院柳瀬舞衣、平城学館堀川百柄!前へ!双方備え、写シ用意……始め!」

 

「居合同士の対決か」

 

「頑張れ舞衣ちゃーん!勝って私と戦おー!」

 

 ──可奈美ちゃん……待ってて。必ず勝つから!

 

 百柄と舞衣の戦いは、奇しくもお互い同じ構えを取るところから始まった。相手の呼吸を読み取り先手を打って、先に刃を届かせた方が勝つという単純明快な試合。

 

 舞衣の方は元々、居合をこんなところで見せるつもりはなかった。本来は予選で自分を負かした可奈美に勝つために捻り出したアイデアであり、可奈美と戦う時のとっておきになるはずだった。しかし相手は一回戦を同じく居合で勝った百柄。出し惜しみをしている場合ではないと判断し、ここで居合を解禁することを舞衣は決めたのだった。

 

「……どちらも動かないな」

 

「動けないのでしょう。お互い既に抜刀に繋がるだけの溜めは十分でしょうが、迂闊に動けば呼吸を崩されて致命的な隙を晒すことになりますから。我慢比べになりますわね」

 

「先に油断した方が負ける、という訳だな」

 

「どれだけの間待つことができるか。勝負の行方はそこにかかっていますわ」

 

 解除のざわめきも次第に収まり、じっとりと肌に絡みつくような緊張感が場を支配する。動きたくとも動けない、安易な先制攻撃に走れば自分の首を絞めてしまう。相手が痺れを切らして隙を作るまで待てる忍耐がなければ、この勝負は勝てない。

 

 一秒、十秒……刻一刻と時間は過ぎる。額から汗が滴り落ち床に染みを作る中、事態はようやく動きだした。

 

「すぅ──────……」

 

「ッ……!?」

 

 両者同時に息を吸い込む。あくまで相手を誘い込むための意図的な隙、だがそれを同時にやってしまったことでお互いに動かざるを得なくなった。罠ということは分かっているが、それでも降って湧いた好機を前に冷静に対処できる程、どちらも心が据わってはいなかった。待ち続ける時間が、神経をすり減らしていたのも要因かもしれない。

 

 お互いにお互いの罠に嵌った以上、もう勝負を分けるのはどちらの刃が先に届くか。二振りの御刀は相手の胴を切断するべく横一文字に振るわれ、刀が振り切られたその時舞衣の両脚が切断され……そして百柄の頭頂部が宙を舞った。

 

「ぐうっ……やられた……ッ!」

 

「堀川、写シはまだ維持できるか」

 

「ご覧の通りですが」

 

「ならばここまで!勝者、平城学館堀川百柄!」

 

 頭の一部を斬り飛ばされた百柄だが、写シはまだ維持できる範囲であり

 逆に舞衣の方は両脚を失ったことで立つことができず。審判は試合続行不可能と判断し、百柄の勝利を告げた。

 

 お互いに胴体を狙っていたはずだが、なぜ頭と脚が斬られたのか。それは百柄が抜刀の瞬間により深く腰を落とすことで、技を【一閃】から【草薙】に切り替えていたからである。

 

 いくら【一閃】が神速の抜刀術とはいえ、舞衣に呼吸を乱された状態ではとてもじゃないがベストの状態で技を放つことはできなかった。だから何とかできるように、より低いところを狙う【草薙】を放つことにしたのだ。脚を落とせば戦闘続行は不可能になるし、【草薙】はまだ見せていなかった技。

 

【一閃】の速さがなくとも大丈夫と信じて、舞衣に出遅れることを許容してでも腰を落とした甲斐があったと言えるだろう。事実百柄は、この試合に勝利することができたのだから。

 

「ごめん、可奈美ちゃん……負けちゃった」

 

「大丈夫だよ……私が仇を討ってくるからね!」

 

「あっちは凄いやる気出してるなぁ……昨日会った美濃関の子と連戦、かぁ……」

 

「何、堀川さんならきっと勝てるさ。相手がどれだけやる気になろうとも、最終的に勝つのは結局より強い方なのだから」

 

 意気消沈して戻ってきた舞衣を可奈美は力強く抱きしめ、仇討ちを宣言する。振り返って百柄と眼が合った彼女の顔は、明らかに百柄との対戦を楽しみにしているという表情だったのだが……まぁ何にしろ可奈美と戦うことに変わりはない。

 

 熱量の差に若干引いた百柄であったが、姫和のフォローもありすぐに気持ちを持ち直す。こっちはこっちで何だか元気がないように感じるのだが、前の試合で疲れているのだろうとスルーした。姫和は他人に踏み込まれるのを嫌がるので、あまりこういう時に問いかけたりするものではないと、百柄は学習しているのだ。

 

「それでは両者、前へ!」

 

「堀川百柄ちゃん……さっきまでの二試合を見てて分かったよ。あなたは強い、だけどこれは舞衣ちゃんの仇討ち……私は、勝つ!」

 

「衛藤可奈美さん、だったよね。それなら私も全力でお相手しようじゃないの」

 

「双方備え……写シ、始め!」

 

 準決勝、堀川百柄対衛藤可奈美の幕が開く。百柄は最初の一撃に【一閃】を選択せず、抜刀したまま正眼に構えた御刀を振りかぶった。既に【一閃】も【草薙】も見られている以上、放ったところで対策されている可能性は高い。だから居合斬りからではなく、普通に戦うことを選択した。

 

「【練気】……七笑流、【石切】──!」

 

「ッ……受けて、たーつ!」

 

 岩盤をも砕く一撃が【八幡力】と【練気】によって強化され、より破壊力を増した状態で可奈美の頭上に振り下ろされる。振り抜かれた刀は対象を凄まじい地響きを鳴らし、砕き割った。



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11:VS衛藤可奈美

「……やるね。いい判断だ」

 

「そんなこと……言ってる場合かなッ!?」

 

 百柄の渾身の力で放たれた【石切】を、可奈美は御刀同士がぶつかり合うのと同時に、横向きに力を加えることで力押しの方向を変換し、地面ではなく会場の仕切りにぶつけられる場所を変えた。

 

 普通に受けていたならば、百柄の膂力に打ち勝つことができずに地面に埋められていただろう。そのまま試合は続行不可能と判断され、可奈美は敗北を告げられていたはずだ。しかし、力を受ける方向が変わったことで、彼女は埋められるのではなく弾き飛ばされ、着弾点がより遠くなったことで対処する余裕も生まれた。

 

 その結果、身体を水泳のクイックターンのように捻ることで仕切りに着地し、それを蹴ることでより素早い反撃を可能としたのだ。

 

 ──試合エリア全体がヒビ割れてる、それだけ破壊力の高い一撃だったんだ。もしも、食らってたらタダじゃ済まなかったはずだけど……そんな大技を外して無事でいられる訳がないよね!

 

「はあああぁぁッ!」

 

「七笑流の技は──剣術だけじゃないんだよ!」

 

 地面に深く刺さって抜き辛くなった七笑をどうにか引き抜こうとする百柄だったが、それを果たす前に振りかぶられた可奈美の刃が、唸り声のような風切り音を上げて襲いかかる。刀を取り戻せないまま対処を迫られた百柄であったが、彼女はそんなこと屁でもないと言うかのように冷静に、そして大胆に対応してみせた。

 

 振り抜かれた刃が己を一文字に斬り裂く──そうなる直前に百柄は【八幡力】の段階を一つ押し上げてパワーを確保し、直接その刃を掴み取り止めてみせたのだ。いわゆる【真剣白刃取り】というやつなのだが、同時にあまりにも技術もへったくれもない力技でもあった。これでは【真剣白刃取り】ならぬ【真剣掴み取り】である。

 

 ──さて、ここからはどうしようかな?

 

 防いだのはいいが、ここから先どうすれば有効なダメージを与えられるのかが思いつかない。内掛けのような技でバランスを崩してから利き腕であろう右腕を極めて、可奈美の動きを完全に封じることを試みてみるべきか。

 

 それとも、腕に妖力を集め【練気】【八幡力】で強化した握力で御刀を握り潰してみるか。……とは言え御刀は折れないものだと聞いているし、試したところでまぁ無理だろう。この作戦はすぐに放棄し残った最初の案を採用する──つもりも、百柄には実は最初からなかった。

 

「あー、ら……よっ……とおっ!」

 

「あ、あわわ!私の【千鳥】がっ!」

 

 捕まえた御刀を思いっきり放り投げて、可奈美に取りに行かせる。その間に百柄は御刀を地面から引き抜き鞘にしまった。可奈美は背中を向けて走っていったため体術でどうとでもできたのだが、百柄はそれをせず可奈美を待つことにした。

 

 ──私の剣が見たいんだよね?だったらあなたが見れるだけ見せてあげる。だからさっさとその御刀拾って戻ってきなよ。

 

 可奈美の試合を観察していて、百柄は一つ気付いたことがあった。それは意識的なのか無意識でやっているのかは知らないが、彼女は対戦相手の実力を見るために手を抜くことがあるということ。手加減されている相手からしたら、たまったものではない侮辱的な行為であるが。百柄はむしろ七笑流の力を証明するため、そんなに見たいのならいくらでも見せてやるという考えでいた。

 

 この場合、お互い手加減をしているということになるのだが。百柄は技の方で手抜きをするつもりは一切ない。それでは技を出したとしても簡単に対処されてしまい、七笑流の剣術が対策の容易い安易なものであると思われる恐れがあるから。

 

 それに、そもそも真剣勝負の場で作戦でもなしに手を抜くなど百柄は好きではない。だから技を見せるためにある程度速度や力を緩めはするが、その技自体には何の手心も加えないというのが、可奈美に対する百柄の礼儀であった。

 

「……どうして待ってたの?御刀を手放させた時点でもう、勝負は殆ど着いてたのに」

 

「あなたのためだよ。前の試合を見てきたから私には分かる……私のことが知りたいんでしょう?私の剣ともっと戦いを続けたいんでしょう?だからその望み、叶えてあげる。振り切られないよう……ちゃんと追いついてきなよ」

 

「ッ……!じゃあ、心ゆくまでやり合おう!」

 

「七笑流──【草薙】」

 

 地面スレスレになるくらい体勢を下げ、百柄は七笑を抜き放つ。可奈美の足下を狙って振るわれた刀は可奈美がジャンプしたことで回避され、そのまま空を斬る。しかしそこで攻撃は終わらず、振り切った反動を利用して身体を一回転させ、次の攻撃の用意を始めていた。

 

「七笑流──【風車】」

 

 回転を利用して、扇風機のように回る刃の中に入った者を斬り刻む兄弟子ハヤテ直伝の技。本来はこの状態で相手に向かって突進していくのだが、今回は出した状況の都合でその場での回転のみ。

 

 ただ回って斬るだけでは、隙も大きいし格好のカウンターの的となるだけだが。百柄の身体能力ならばその回転の速さは小型の竜巻が如く、カウンターを差し込む隙など一切与えない。可奈美は竜巻の進軍を前に、御刀を弾かれないように強く握りながらひたすらに勢力が弱まるのを待った。

 

 ──大丈夫……確かに速いけど、回転している間は簡単に軸を曲げられない!あの腕が届く範囲にしか攻撃は来ないから、攻撃がどこに来るのか分かるなら抑えられる!

 

 ずっと回っているなら、いつか必ず百柄の三半規管には限界が訪れる。そうなればもうまともに立つことすら難しくなるし、当然だがこの回転連撃も使えなくなるだろう。一撃一撃が本当に重たく、力が抜ければ御刀を持っていかれそうになる。しかしこちらの握力の限界よりも先に、百柄のバランス感覚の方が崩れる。そう確信するからこそ、可奈美はこの連撃を耐える選択ができたのだ。

 

「可奈美ちゃん……お願い、堪えて!」

 

 

「よく目を回さずにいられますわね……」

 

 

「もっと遅けりゃあ反撃もできるんだがなぁ」

 

 

「流石に攻めが単調じゃないか?」

 

 ──うーん、【風車】じゃ埒が開かないか。だったら次の技に行ってみようかな?

 

 16度の撃ち合いを経て、百柄は回転をピタリと止めて可奈美の正面に向き直る。次が来ることを警戒していた可奈美は突然攻撃が終わったことに多少面食らうも、すぐに意識を切り替えて備える。回らなくなった百柄は明らかに力を溜めており、次の一撃を出させてはいけないと判断した可奈美は前へ飛び出して先手を打った。

 

 しかし、すぐに思い直し後ろに跳び退く。先手必勝のつもりで突貫したが、飛び込んだ先は死路だということを直感で理解させられたのだ。そしてその判断が正解だったことを、百柄の腕が振られることで可奈美はすぐに知ることになる。

 

「七笑流、【明星】だよ」

 

「うっひゃあ……なんて威力……!」

 

 陽剣【七笑】の刀身から弾ける紫色の電光は可奈美の鼻先を掠めて地面に当たり、刃が通った部分の床が消失した。砕けたとか斬れたとかそういう次元ではなく、焼け消えた。

 

 もしも御刀で受けていたらどうなっていたのかを想像し、可奈美はその恐ろしさに身震いする。御刀はかなり無茶な扱いをしても折れたりしない頑丈なものであるが、あれを受けていたら折れるを越えて消滅していたかもしれない。そうなれば、勿論御刀の先で守られていた自分も一緒に……

 

 ──でも、縮こまってちゃ勝てない!凄い威力の技だけど、撃たせなければ威力は0なんだから!

 

 何度か技を出されたことで、可奈美は百柄の大技はかなりの溜めか【練気】が必要になるということを理解した。【練気】はただの呼吸なので阻止するのは難しいが、溜めなら脱力を最後までさせる前にこちらから飛び込めば妨害できる。そうすれば百柄が出せるのは、溜めをあまり必要としない【一閃】【草薙】や【紫電】のみになる。受けることができる技なら、勝機を作れる。

 

「……御刀であんなことができるんですのね」

 

「彼女は僕らみたいな普通の刀使と違って、伍箇伝以外のところで戦法を学んでいるからな。地方に隠された特殊な御刀の使い方という訳かな?」

 

「流石にあれ程の強化は非効率ですわ。この試合が終わってからでも言っておくべきですわね」

 

「荒魂相手なら必要な火力さ。刀使相手には過剰なことは否定できないけどね」

 

 御刀から溢れた神力が電撃のようにスパークを起こし、それが触れたものを消し去る程の強烈な破壊力を生み出す。ここまでのことをできる刀使は流石の親衛隊でも見たことがなく、その威力の凄まじさと過剰さに恐れと同時に呆れを抱いた。

 

「七笑流──【紫電】!」

 

「こーい!」

 

 

「まぁ、本人も分かってるようですわ」

 

「いろいろ見せている、って感じだね」

 

 

「む……」

 

 単発の火力が高い技を見せたら、今度は絶え間ない連続攻撃。【練気】を使わず少しの息継ぎのみで技を始めたためそこまで長くは続かないが、それでも【風車】と違って狙える箇所が増える分より厄介なことになっている。

 

 可奈美は果敢に前に出て、【紫電】と打ち合うことを選択した。ただでさえ切れ目のない連撃の回避は難しいのに、それが【迅移】と【八幡力】で更に速く重いものとなっている。これをどうにかするなら自分も【八幡力】で身体強化し、真っ向から打ち勝つのが一番だと結論付けたのだ。

 

 首元、胸、足下、頭……人体の急所を狙って放たれる攻撃をギリギリのところで受け止め、百柄の息が切れるまでをどうにか凌いでいく。一つ読み違えればその時点で写シを剥がされるという極限の緊張感の中、可奈美はそんな恐怖など知らないとばかりに無邪気に、楽しそうに笑っていた。

 

 ──本当に、強い……!百柄ちゃんの剣をもっと知りたい……もっと見たい。

 

「ハァ……ッ!」

 

「……どいつもこいつも、しつこいねぇ!」

 

 ──よく見て、聞いて、感じ取って。百柄ちゃんの全てを……全身で味わって!

 

 可奈美は反撃の目処を立てた。【紫電】の連撃は【風車】と違って、狙われる箇所により多くの選択肢が生まれる。だが百柄の癖なのか、彼女が狙ってくる箇所は人体の急所に限定されている。つまりどこを斬ろうとしてくるのかが分かれば、そこにカウンターを合わせに行けるということになる。

 

 ──今までの技には、必ず終わり際の隙を潰す何かがあった。【紫電】のそれはきっと……連撃の終わりで油断する相手に叩き込むための、単発威力の高い一撃!【石切】か【明星】のどちらか!

 

 狙うは技を切り替える瞬間。連続攻撃が終わったと油断する相手を真っ二つにするための強撃、それを逆に狙い撃つのだ。

 

 その時がくるまでじっと堪える。いつか必ず反撃できる瞬間はやってくる。攻め気を心の奥底に押し留め、受けることだけに集中する。そうして何度かの御刀同士の打ち合いがあり──およそ一分の経過の後に、ついにその時はやってきた。

 

「ふぅ……七笑流、【石切】──────ッ」

 

「この時を……待ってたよ!」

 

 息継ぎ、即ち【紫電】を放ち続けるための息が続かなくなったことを示す合図。ここで一度大チャンスに釣られた自分を演出するため、可奈美はわざと前に出る。もう次の技に繋げる体力がないと思ってやってきたお間抜けさんだと、百柄にそう誤認させて大技を出させるために。

 

 案の定、百柄は七笑を上段に構え吸っていた空気を全て吐き出した。脱力、つまり【石切】を放つための予備動作である。ここまできたらもう、百柄は技を出すのを止められない。下段からの斬り上げで左腕を飛ばし、この試合を終わらせる。

 

「やあああぁぁ……ッ!!?」

 

「私も……この時を、待っていたんだよ」

 

 目論見は完全に成功した。可奈美は【石切】が振り下ろされる前に、百柄の利き腕である左腕を斬り飛ばすことで御刀も失わせたはずだった。もう試合は続行不可能、審判から試合終了が宣言されるはずだったのに……

 

 なのに。なのに百柄の御刀陽剣【七笑】は彼女の()()にしっかりと握り締められていた。百柄は可奈美が【石切】へのカウンターを狙っていることに最初から気付いており、その上であえて彼女に狙っていたことをやらせたのだ。

 

 試合を決める気で放った一撃、それで終わるはずだったので次を意識した体勢は取れない。反撃も防御も回避も不可能という、この状況を可奈美自身に作らせるために。

 

「それまで!勝者、平城学館堀川百柄!」

 

 可奈美の頭上を七笑が押し通る。生身なら真っ二つになっていた軌道で斬られた可奈美の写シは完璧に破壊され、可奈美は強制的に霊体から生身の人間に戻された。体勢は同じのままだが、起こったことをまだ頭が受け入れ切れていないのかその場から一歩も動けない。あんぐりと口を開け、ぱちぱちと瞼を開け閉めしていた。

 

 それが、審判が試合終了を告げる決め手となるのだった。




よろしければ、評価・感想などをよろしくお願い致します。


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12:姫和の不穏

「いやぁ……負けちゃったなぁ。どの辺で私の作戦に気付いてたの?」

 

「眼の動き。私のことを観察しているのが見えたから……きっと私の剣がどんな風に振るわれてるかは見破られてるものだと思ってた。でもそんな簡単に中断できるような技じゃないから……いっそのこと最後まで付き合うことにしたんだ」

 

「成程ぉ……深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだってやつだね!」

 

「……ま、そうなんじゃない?」

 

 可奈美が【紫電】に対応する傍ら、自分の剣筋を観察して反撃の機械を窺っていることを、百柄もまた彼女を観察して気付いていた。

 

 今は【紫電】を受け切ることで手一杯、でも最後には必ず、息継ぎのためにどこかで一度止まるタイミングがある。その瞬間を狙って踏み込んでくる相手を逆に狩るために、わざと一撃分の余力を残して【石切】を放つのが百柄の隙潰し。だからそれを利用してやろうと可奈美は構えていたのだが……

 

「【紫電】を受けるので精一杯なら、チャンスは最後にしかないからね。いつあなたが動いてくるかは流石に分かったよ」

 

 百柄もまたそこに罠を張っていた。実は可奈美の一回戦の試合で同じようなシチュエーションがあったのだが、その時も彼女は相手の利き腕を斬り飛ばすことで御刀を使えなくして勝利していた。だからまた同じ場面に出会った時、同じやり方で突破しようとしてくると睨んだのだ。

 

 持ち手を利き腕である左から右に変え、左腕は可奈美にくれてやることで油断を誘う。失敗した時のリカバリー案は考えていただろうが、作戦自体は成功しているのだからそれも使えない。動けない相手を斬るくらいなら、【石切】の破壊力のおかげで慣れない右手でも容易にできる。百柄は見事に可奈美を真っ二つにし、勝利したのだ。

 

「決勝、もう一人の平城の子……十条姫和ちゃんだったっけ?あの子とも戦ってみたかったけど負けたからには仕方ない!百柄ちゃん、あなたが負かした私達の分まで、しっかり戦ってきてね!」

 

「こちらこそ対戦ありがとう。衛藤さんが強かったおかげで、私もまた一つ成長できたよ」

 

「決勝戦、応援してるからね!あ、私の呼び名は可奈美でいいよ!」

 

「……可奈美。それじゃあ午後の決勝戦も、どうか応援してちょうだいよ」

 

 試合の後は固く握手を交わして、お互いの健闘を讃え合う。斬り合いを通して打ち解けた百柄と可奈美は名前で呼び合う仲となり、休憩を挟んで午後に行われる決勝も応援する約束を取り付けた。

 

 会話も終わり、可奈美は自分の応援に来てくれた美濃関のクラスメイト達のところへ行く。去り際に大きく手を振って別れた彼女に百柄もまた手を振り返し、姿が見えなくなったところで止めた。そのまま昼食の弁当を受け取りに行こうとするが、そこに何の用か姫和現れる。姫和が自分の方から訪ねてくることを珍しく思いながら、百柄は彼女に要件を聞くべく話しかけた。

 

「十条先輩、どうしたんですか?」

 

「ああ。特に用はな……いや、堀川さんは確かクラスで浮いていると言ってたのを思い出してな。なら一緒に昼食をどうかと思ってな」

 

「そうですか、お誘いありがとうございます。なら一緒にお弁当受け取りに行きましょう」

 

「……そうだな。混雑する前にさっさと行こう」

 

 何だか姫和の様子が不自然だが、まぁあまり自分を表に出さない人だしと自分を納得させ、百柄は様子を見ることにした。もしも他に何か自分に用事があるのならその時言ってくれるだろうと。今は弁当の方を優先しようと、そう決めた。

 

 弁当は思っていたよりもすんなりと受け取れ、2人は食べられそうな適当な場所を探し歩く。どこも既に多くの生徒達に陣取られており、最悪御屋敷の屋根の上にでも登ろうかと考えたが。その前に可奈美達と遭遇したことで、彼女らのグループと一緒に食べないかとお誘いを受けるのだった。

 

「あ!百柄ちゃーん!姫和ちゃーん!せっかくだし一緒にご飯食べよーよー!」

 

「どうします、先輩?」

 

「……断る理由もない、か」

 

 姫和に伺いを立ててみると、特に断る理由もないからと誘いを受けることになった。今までの彼女のイメージだと無視しそうなものだったが、普通に受け入れてくれたことを百柄は少し意外に思う。何かしら心境の変化でもあったのかもしれない。

 

 美濃関からの大会出場者である可奈美と舞衣以外にも、その友人達が何人かいたのだが。彼女らとも挨拶と自己紹介を交わしてから、レジャーシートにご一緒させてもらう。伍箇伝の学校同士ここでは腕を競い合うライバルなのだが、そんな関係でも険悪な雰囲気になることはなく和やかであった。

 

「ま、恨み節の一つ二つは言いたいけどね!舞衣も可奈美も堀川さんに負けちゃったんだから!」

 

「可奈美、十条さんとも戦うことを楽しみにしてたんだけどねー。決勝でしか当たれなかったのに、よりにもよって準決勝で……」

 

「勝負自体は紙一重だったから……」

 

「確かに負けちゃったのは残念だけど、百柄ちゃんとっても強かったし楽しかった!だから負けたことに関する悔いはないよ!みんなはああ言ってるけどあんまり気にしなくていいからね!姫和ちゃんには悪いけど、決勝は百柄ちゃんを応援するから!」

 

「……随分と仲良くなったんだな。これができるならどうして、平城では孤立しているのか」

 

「……それに関しては、ちょっとした思いつきにも耐えられない寮の軟弱さが悪いと思いまーす」

 

 いったい何のことかと可奈美達が興味津々で食いついてきそうだったので、百柄は適当なことを言って彼女らの追求をかわす。別に平城学館で自分が孤立していることを知られるのは別にいい。その理由が馬鹿みたいなやらかしの結果であるということを知られたくないだけなのだ。

 

 体調不良を治すために妖術を使おうとしたら、その体調不良のせいで調整をしくじり部屋をズタズタに破壊して、編入初日から反省文を書く羽目になるなんて恥ずかしい話は、できたばかりの友達には流石に知られたくないと思う乙女心なのである。

 

 そもそも、妖術のことを馬鹿正直に話せば確実に面倒なことになる。御刀の神力で代用して使えるのならまだいいが、それができないのなら自分の存在に強烈な違和感を覚えられることになるだろう。百柄は普通の御刀を持っていないため、それができるのかどうかを実験することができない。だから寮の事件のことも、ゴキブリに驚いてパニックを起こしたということにしているのだが……むしろそっちを知られる方が恥ずかしいだろう。

 

「決勝戦、どっちも平城って凄いよね!2人ともそれだけ頑張ってきたってことだし……平城には何か特別な修行法でもあるのかな?」

 

「そういうのは特にないんじゃないかな。私は剣術を習って半年も経ってないから、みんなに経験で追いつけるように練習を続けてるだけ」

 

「私も……特別なことはしていない。強いて言うのなら、幼い頃から刀使だった母に鍛えられてきたからということになるか」

 

「ほう……天才と英才教育って訳だね!」

 

 天才、そう言われると何だかむず痒いものを感じるのだが。百柄は普通半年足らずで剣術だけでなく刀使の技まで習得するのは、あり得ない速度だということを知っている。自分のやってきたことはまさに天才と呼ばれるに相応しい所業であり、ここまでで出してきた結果もまたそれを証明していた。

 

 ──それでもやっぱ、恥ずかしいんだよなぁ。

 

 百柄が剣術を身につけたのは、あくまで荒魂を斬るために。刀使を相手にして仲間割れのように刃を振るい、それで天才と持て囃されたところであまり嬉しさは感じないものなのだ。どちらかと言えば自分よりも七笑流剣術を褒められる方が嬉しい。

 

「2人とも、決勝戦頑張ってね!自分がその場に立てないのは悔しいけど……その分の念を込めて応援するから!」

 

「もう、それじゃ応援じゃなくて呪いじゃない」

 

「姫和ちゃんもそうだけど、特に百柄ちゃんは私達を負かして勝ち上がったんだから!ちゃんと私達の分まで楽しんでこなくちゃ許さないからね!」

 

「もちろん。私だけじゃない、この大会に出場した誰もが立ちたかった場所……そこに立った以上私は迷わない。私に剣術を授けてくれた師匠への感謝、私に刀使の戦い方を教えてくれた先生方やクラスのみんなへの感謝、私の前に立ちはだかる障害として全力で挑んできてくれた、可奈美達この大会で出会ったライバルへの感謝。そして……私が負かしてきたみんなの無念。全部の気持ちを刃に乗せて、私は戦ってくるよ」

 

「おおー!ばっちり覚悟決まってるね!」

 

 この大会を通して、百柄は刀使として大きな成長を果たした。使いこなせなかった【迅移】をはじめとする技を扱えるようになり、七笑流剣術との併用も可能になった。実戦経験豊富な先輩達との立ち合いの中で、目線や仕草によるフェイントや相手の少ない動作から次の動きを導き出す洞察力に、そんな中で相手を出し抜く駆け引きなどいろいろなことを学ばせてもらった。

 

 もともと、七笑流の強さを宣伝するために参加を決めた大会だったが。気が付けば百柄は七笑流の垣根を越えて多くの相手を吸収し、大会前よりも確実に強くなっている。そんな好敵手達の努力や願いを踏み潰して、百柄は決勝の舞台に立つ。多くの敗者に代わって戦う以上、半端は許されない。

 

 ──にしても十条先輩、様子がおかしいな。やっぱり決勝戦が何か関係あるのかな?

 

 戦う覚悟は決めた百柄であるが、一つだけ気になることがある。昨日の出発時からずっとどこか様子のおかしい姫和のことだ。思い詰めているようにも悩んでいるように見えるし、何かに悩み苦しんでいるように見える。聞いても話してくれないだろうし何があるのかは分からないが、どうでもいいことなら試合に持ち込まれても困る。どうせ分かることがないならと、百柄は姫和に一言声をかけた。

 

「十条先輩……あなたが何を思っているのか、何に悩んでいるのかなんて知りませんけど。試合が始まってもその様子が続くのなら、私は遠慮なくその隙突かせてもらいますよ」

 

「……そうだな。すまない、試合が始まるまでにはどうにか折り合いをつけるさ」

 

「しっかり楽しんできてね!」

 

「私達も、2人を応援してますから」

 

 まだ心配だが、姫和は試合までには冷静になってくれると約束した。ならば後輩としてはその言葉を信じて待つのが務め。それ以上姫和に対して何かを言うことはなく、百柄は姫和のことを知りたいと思う口と弁当箱を同時に閉じるのだった。

 

 決勝の試合会場に向かう直前、可奈美から激励の言葉がかけられる。百柄はそんな彼女らに振り返ることなくサムズアップを返し、意気を示した。いい試合をするから期待して見ていろ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「それでは折神家御前試合、決勝戦を行います。両選手は前へ」

 

「遂にこの時が来ましたね。平城の予選では見られなかったあなたの真の姿、見せてもらいます」

 

「……ああ、見せてやろう」

 

「双方備え。写シ……」

 

 互いに抜刀して構え、同時に写シを展開して試合開始に備える。

 

 

 

「……始め!」

 

 

 

 剣術大会、最後の試合が始まる。



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13:波乱

 互いに技をすぐに出せるよう構えを取る。百柄は【練気】から【石切】を出せる上段の構え、姫和は【迅移】から一気の突きを放つ【一の太刀】の構え。

 

【迅移】とは、時間の流れの違う世界に己の身を置くことで加速する技。段階を踏んでいくことで速度は上がり、三段階目ともなれば音速すらも超えることが可能となる。段階を踏む程に持続時間が短くなることが欠点。

 

 ──お互いに一撃ぶっぱの構えだ。これなら先に当たった方が勝つ……かな?

 

 普通なら段階を踏んで出力を上げていく必要がある【迅移】だが、姫和はそんな制約を無視して一気に出力を上げることができる。地面が砕けヒビ割れる程の踏み込みから放たれる一撃は、人体を銃の弾丸をも超える速度の一本の槍と化す。

 

 ──来る。【石切】、叩き込め!

 

 姫和の身体の揺らぎから技が放たれるのを察知した百柄は、【石切】でいつでも迎撃できるように刀を握る腕の力を抜いて待つ。姫和がどんな速さで向かってこようと、それよりも更に速く振り下ろして地面ごと写シを破壊する用意がある。

 

 いつでも来い。そう思って今か今かと姫和の攻撃を待っていたのだが……

 

「……すまないな、堀川さん」

 

 放たれた姫和の一撃は、百柄ではなく全く別の標的を捉えていた。

 

 決勝戦の観覧に訪れていた今大会主催、折神家当主にして最強の刀使とされる女。折神紫を斬るべくして、姫和の刃は彼女に向けられたのだ。

 

「え……!?」

 

「ひ、姫和ちゃん……何で……ッ!?」

 

「見て、紫様が襲われてるわ!」

 

「きゃー!」

 

 

 

 

 

 

「ぐうッ……!」

 

「それが、お前の【一の太刀】か?」

 

「まだ……まだだっ……ガハッ!」

 

「【菫の風】……なるほど、そういうことだったんですね。大会の前からあなたの様子がおかしかった理由、ようやく分かりました」

 

 姫和の放った渾身の一撃だが、折神紫はそれを容易く退け回避して見せた。突然の狼藉に観客が驚きのあまりパニックを起こしそうになるが、そんな背景を尻目に姫和は追撃を仕掛けようとする。しかしそれは百柄の【菫の風】によって阻止された。

 

【菫の風】は毒の風。その中身は効果の大小さまざまなものがあり、今回使ったのは身体中の筋肉を弛緩させ動けなくする神経性の麻痺毒。姫和がこの暴挙に出た理由を問うために、ワザと効力を通常より弱めて口くらいは動くようにしている。

 

 ──だから本戦の前に、あなたはあんなことを言ったんですね。決勝戦ではこうするつもりで、相手と戦う気がなかったから……

 

 決勝戦で当たったとして、その時自分は試合をすることができないから途中のことを言った。折神紫が試合を見に来るのは決勝戦のみ、だからそこ以外で当たることができていれば、姫和は百柄と御刀を持った全力状態で再戦できるはずだったのだ。

 

「十条先輩……あなたがこんなことをした理由なんて知りませんけど、眼中にないものとして扱われるのはやっぱり、気分悪いんですよ」

 

「堀川……さん……!」

 

「百柄、よくやってくれたな。今の技が何なのかは後で聞くとして……この暗殺者を連行するぞ」

 

「お任せしま……す……ッ!?」

 

 動けなくした姫和を親衛隊に引き渡し、後はあちらに任せて取り調べの結果を後日聞けばいい。そう思って真希に任せようと声をかけようとしたその時であった。

 

 ──荒魂ッ!?

 

 折神紫の風にたなびいた黒髪の中、そこに荒魂のそれと同じ橙色の光が見えたのは。

 

「七笑流奥義──────────【武甕雷】」

 

「百柄ッ……!?お前まで何故だッ!?」

 

「邪魔をしないでください……コイツは、コイツは生かしてはおけないッ!」

 

「ぐう……重たい一撃だな。どうやってそんな真似をしているのかは知らんが、貴様の技はまるで荒魂のそれだな」

 

 奥義を当たる寸前で受け止めた折神紫は、自身の御刀である【童子切安綱】と、【大包平】に神力を込めて百柄を押し返しながら彼女を煽る。師匠より授かった技を、憎き荒魂のそれと同じものとして扱われることは、百柄にとっては竜の逆鱗を鷲掴みにした上で舐め回すが如き所業。当然烈火の如く怒り狂い、刃を握る手にも力が入る。

 

「次同じことを言ってみろ……八つ裂き程度じゃあ済まさんぞ!」

 

「それは怖い。では……抵抗してみるとしよう」

 

 怒りのパワーが上乗せされて、百柄は紫の二刀が軋み震える音を立てる程に強く力が篭る。しかしあまりに直上的に動き過ぎたことで、紫に付け入る隙を与えてしまった。押し合いをしている中でわざと一歩引くことで百柄を前のめりにさせ、体勢を崩した彼女の無防備な横腹を一刀で斬り裂く。

 

 本来なら致命傷のダメージを負ったことで写シは儚くも砕け散り、百柄の生身の身体が数々の敵の前に曝け出される。それ自体は元々写シなんて使っていなかったので構わないが、最悪なのは奥義をいとも簡単にいなされやられたこと。まるで始めっから百柄がそうすると分かっていたかのように、丁寧で適切な対処だった。

 

 ──十条先輩の攻撃もそうだった……まるで未来が見えているかのような判断力!見えててもどうしようもない技ならあるけど、それはこの場で使ってはいけない技だし……どうする!?

 

「……──【山吹の風】」

 

「くっ……何て突風!近寄れませんわ……!」

 

「ごめんなさい、寿々花さん。今邪魔をされる訳にはいかないんです!」

 

「写シも失い、尚戦うか。だが奥義を簡単に打ち破られた上で……勝てると、思うのか?」

 

 ──思わない。というか仮にここでコイツを斬ったとしても……その後がキツい!

 

 写シの再展開はかなり精神的に辛いものがあるため難しいが、ここでこの荒魂を斬るのは妖術も隠さず使っていけばできるかもしれない。しかし普通にやったところでさっきのように対処されるし、そうさせないようにするなら、周りの人間全てを一緒に巻き込んでしまう。

 

 だから選ぶのは、逃げの一手。事情を知っている姫和を連れてこの場から遠ざかる。まずは情報を得なければならない。このままだと自分達はただの反逆者だが、折神紫の裏に潜む荒魂を見てしまった以上はそれに無関心ではいられない。

 

「【御伽莉花の幻】……」

 

「させると思うのか!?」

 

「いいや、やる。折神紫……いや、お前は必ず私が斬る。仕方ないからこの場は撤退するけど……首を洗って待っていろ!」

 

「いつの間に……もう追えん、か」

 

 オロシ直伝の妖術の一つ、【御伽莉花の幻】は相手を幻覚で翻弄する変則的な技。それ自体に攻撃力はないし、効果中あまり大きく動けば幻覚に紛れる自分を見つけられるため不意打ちにも向かない。しかし今のように攻撃力を必要としない場では、効果は覿面である。

 

 未来予知じみた紫の対応力の秘密はまだよく分かっていないが、目を誤魔化してやればそれも少しはやりにくくなるらしい。次に戦う時に役に立つであろう情報を得て、百柄は【菫の風】で気を失ったままの姫和を連れて屋敷を逃げ去った。

 

「すぐに追撃班を編成しろ!」

 

「紫様、お怪我はありませんか!?」

 

「奴らは絶対に逃がすな!」

 

 

「凄いね〜。刀使ってあんなことができるんだ!」

 

「百柄さん、あなたまでいったい何故……!」

 

「大丈夫だ、寿々花……捕らえれば、分かる」

 

「今は……命令を待ちましょう」

 

 

「何がどうなってんの!?さっきまで試合してたはずなのに……」

 

「可奈美ちゃん?大丈夫……?」

 

「え……あっ、うん……大丈夫だ、よ?」

 

「それは、大丈夫とは言わないよ……」

 

 折神紫暗殺未遂の一部始終を見届けてしまった者達がそれぞれの立場から動く中、可奈美は自身の御刀である【千鳥】の柄に手を添えたまま震えて動けなくなっていた。様子のおかしい可奈美に舞衣は心配して声をかけるが、彼女は心ここに在らずといった様子で上手く返事の一つもできなかった。

 

 ──無理もないか……せっかく楽しみにしてた決勝戦が、こんな形で台無しになったんだもの。

 

 舞衣はそう考えていたが、実のところ可奈美はそれで狼狽えている訳ではない。百柄の眼が折神紫の髪の中に荒魂の姿を見た時、可奈美もまたその姿を見ていたのだ。

 

 ──御当主様が襲われた瞬間……姫和ちゃんの時には何もないところから御刀を出してた。百柄ちゃんの時は百柄ちゃんが動く前から御刀を構えて防御の姿勢を取ってた……!

 

 無から御刀を取り出すことも、未来予知のように起こる前の攻撃に対応することも、いずれも普通の人間には到底不可能なこと。つまり折神紫は人間ではない……そういうことに、なってしまう。

 

 でも、それをここで明らかにしたところで何の意味もない。折神家当主への侮辱として逆に自分が糾弾されることになるし、人間が実は荒魂だなんて気が狂ったと思われてしまいだ。

 

 今の自分にできることは情報を集め、折神紫の裏に潜む荒魂に気付いたことを悟られないよう密かにどうにかする手段を探すこと。深呼吸して乱れた心を整え、可奈美は重要参考人として自分達を取り囲んでいた刀剣管理局の職員に向き直った。

 

「……ご同行願おうか」

 

「はい」

 

 折神紫は、その様子を遠くから見ていた。彼女と同じ御刀【千鳥】を持っていた、かつての同輩を懐かしむように。そして同じく【小烏丸】を手にした後輩のことも。

 

 

 ──千鳥に小烏丸。まだ幼い二羽の鳥よ……

 

 

「千鳥はまだ、羽ばたかんか」

 

 そして、可奈美を嘲るように嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「……ッ!……ここは?」

 

「目が醒めましたか、十条先輩。私達は鎌倉市内のどこかの廃ビルに隠れています。事後承諾になって申し訳ないですが、管理局からの追跡を避けるためデバイスの類は別の所は置いていきました」

 

「堀川さん……何故あなたまで……!あなたは私の邪魔をしていたじゃないか……!」

 

「見てしまったんですよ、私も。アレを見てしまった以上見て見ぬふりはできませんでした。折神紫の中に潜んでいた荒魂……十条先輩がいきなりの狼藉を働いたのは、アレが原因なのでしょう?」

 

 逃げてからしばらくして、隠れ場所として選んだ廃ビルの中で姫和は目を醒ました。迅移を段階を無視して一気に引き上げる奥義【一の太刀】を使ったのと百柄の【菫の風】の毒もあり、コンディションは最悪と言える状態だったが……

 

 百柄は逃げる時、この廃ビルに入る前にスマホやスペクトラムファインダーといった機器類を、全て手放してきていた。GPSなどから居場所を探られ見つけられるのを恐れてのことだが、スペクトラムファインダーと国からの支給品である百柄のスマホには細工がされているため正解である。

 

「堀川さん……今からでもあなたは戻れ。私と一緒にいては同じ反逆者として扱われ」

 

「てますよ。私も折神紫に斬りかかりましたから」

 

「はあっ!?ちょっと待て、何てことをしているんだお前は!?奴を攻撃するということは、折神家に奴が統括する刀剣類管理局……ひいては日本全国を敵に回すということなんだぞ!」

 

「そんなことはどうでもいいです。私が刀使になったのはこの世に害をもたらす荒魂を斬るため……刀使を統べる長が荒魂だなんて、見過ごすことも許すこともできませんから」

 

 百柄が斬りかかった理由。それはただ単に折神紫が荒魂だったという訳ではない。御刀を用いて荒魂を斬ることを生業とする刀使を統括する、刀剣類管理局。その長が荒魂にいいように操られている、もしくは荒魂そのものだったということが、百柄にとっては許せなかったのだ。

 

 それではまるで、命懸けの刀使の戦いが全て茶番のようになってしまうではないか。荒魂の下荒魂を斬るだなんて、それを滑稽なことであると言わずに何と言おう。

 

「知ってること、話してくれませんか。あなたが事に及んだ理由や、折神紫のこと。ここまできた以上は道連れです。どうか私に、あなたが背負った重荷を共に背負わせてください」

 

「……分かった。好きにしろ」



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14:逃避行

「今から二十年前、相模湾大災厄という事故が起きたことは知っているな?」

 

「いえ……」

 

「嘘だろ?刀使なら確実に授業の中でも教わるし、毎年必ずニュースにも載るだろう!」

 

「私、半年前以前の記憶がなくて。それより以前のエピソードは全く思い出せないんです。授業でも聞いた覚えがないので、多分範囲外ですね。ニュースは普段からあまり見ません」

 

「そんなことになっていたのか……」

 

 百柄を共犯とすることを決め、姫和は意を決して今回の事件に隠された秘密を話そうとした。しかし百柄の記憶喪失とそれに伴う知識の不足が露呈し、いきなり出鼻を挫かれる。

 

 突然の暴露に頭を抱えてるが、まぁ知らないのならそこも説明してやればいい。手間は増えるがそれ以上のことはないので、姫和は今日いろいろあって乱れていた精神を落ち着かせてから、改めて百柄に必要な話を始めた。

 

「まぁ文字の通り相模湾で起きた事件だ。江ノ島に現れた史上最悪の大荒魂を、それを折神紫をはじめとする6人の刀使が討伐したという内容だが。その中には私の母もいたんだ」

 

「十条先輩のお母様、ですか?」

 

「ああ、折神紫の他の5人は今の伍箇伝の学長達のこと……6人の中に母は含まれていない。世に知れ渡っている記録からは抹消され、大災厄ではいなかったことにされたが。母には唯一、大荒魂を完全に討ち滅ぼす力が備わっていたそうだ。世界を滅ぼしかねないと人々から恐怖された大災厄……忌むべき存在を消し去る力を」

 

「でも奴は今も尚生き延びて、折神紫として社会に潜んでいる。つまりはそういう訳、ですね」

 

 その後、刀使の力を使い果たしたことで姫和の母は少しずつ弱っていった。姫和が何とか支えることで保たせていたのだが、去年遂に……

 

「その時私は誓ったんだ。母さんがやり残した務めを代わって私が果たす、と。母さんの命を奪って尚人の世に潜み続ける奴を討つと!」

 

「……そういうことだったんですね。教えてくれてありがとうございます。十条先輩がずっと心の内に抱え込んでいたこと、少し分かります。私も家族を荒魂に殺されたそうですから」

 

 半年前の災厄で脳を壊された百柄は、風隠の森で目醒める以前の記憶がない。当時の自分にいったいどんなことがあったのかは、戻ってから残されていた記録を探ることで知った。

 

 家も、通っていた学校も、一緒に暮らしてきた家族も、共に学んできたクラスメイトや友達も。関わりがあったであろうと警察から百柄に渡された名簿に書かれていた名前は、全てが災厄の犠牲者一覧に登録されていた。

 

 心底胸の奥がムカつくのを感じた。顔も名前も思い出せないかつての大切な人達。みんな……みんな死んでしまって悲しいはずなのに、百柄の眼からは涙の一滴すら落ちもしない。死者の冥福を祈り黄泉路へ送り出すことも、その死を悼む気持ちになれないのではできやしない。心に在るのはただこの惨状を生み出した荒魂への怒りだけ。その激しい怒りがまた、百柄の心を酷く苛立たせていた。

 

「何も分からない。それ故か私には大切だった誰かの死を悲しみ涙を流すことも、その死を悼み手を合わせることもできませんでした。それくらい記憶がなくてもできるだろうとは、自分でも思っているんですが……何も知らない、分からない癖にただ人が死んだから手を合わせて悲しむ。そんな半端なことをしたくはなかったんです」

 

「お前もお前で、大変だったんだな」

 

「そうですね。記憶を無くした私に残ったのは刀と七笑流剣術……命を助けられた時にそこの人達から教わった、荒魂を斬る術だけでした」

 

「それでか。聞いたことのない流派だったのは」

 

 百柄のことを聞いて、姫和は彼女の強さの理由が分かったような少しだけ気がした。

 

 一度死にかけた上に記憶を失い、残ったのは荒魂に対する怒りとそれを滅ぼすという使命感だけ。それだけを支えにして、アイデンティティを保たせてきたのだ。百柄は実際半年前に初めて刀を握ったということは聞いている。たったそれだけの短い期間でこの強さに至ったのは、そうでもしていないと自分が分からなくなるから、そうするしかなかったということもあるのだろう。

 

「……待て。じゃあ私を動けなくしたあの変な風はいったい何なんだ?あんなこといくら御刀に神力があるからと言っても、できる訳が……」

 

「私の持つ陽剣【七笑】は、実際のところ御刀ではないんですよね。確かにこの刀に荒魂を斬るだけの力はありますが、あるのは御刀が持つような神力ではなく、妖力と呼ばれるものです。私が使っていた風はその妖力を使ったもの……刀だけでなく私自身にも妖力があるので、七笑を持たずとも妖術を使うことはできます。ほら、この通り」

 

 指先で小さな旋風を起こし、百柄は姫和に妖術がどのようなものであるかを見せる。刀使とは全く違う力を使っていることは、余計な揉め事の元になり得るので言わないようにしていたのだが……流石にあんな大勢が見ている場で使った上に、これからは一緒に行動することになる姫和にも隠しておくのはフェアじゃない。

 

 妖力は神力の代わりになるということは、百柄は身をもって知っているが。その逆は御刀を持っていないため試せずじまいで分かっていない。せっかくだしこの機会に確かめてみようとも思ったが。

 

「やっぱり、難しいですかね?」

 

「そうだな……【一の太刀】はかなりの無茶をするから身体に大きな負担を強いる。使った後は反動でしばらくの間は写シも貼れないくらいには、弱体化してしまうんだ……」

 

「十条先輩にも【御伽莉花の幻】が使えれば逃亡に役立てられたんですけど……今のコンディションではしょうがないですね。私が幻覚を作り出して外見を誤魔化すので、しばらくはそれでいきましょう。私の幻は精度が完璧じゃないので、注意深く観察されたら違和感に気付かれてしまいますが」

 

「……ないよりはマシ、か。やってみてくれ」

 

 その指示に従い、百柄は姫和と自分を幻で覆い見た目を別人に変化させる。本家であるオロシと違って百柄の幻術は完璧でないので、あまり本物とかけ離れた体格にはできないし、指先や鼻など端の部分が曖昧な作りになって見る者に違和感を生じさせてしまう出来となっている。

 

 それでもマスクや手袋で誤魔化せる範囲であるので姫和はこれでいいと納得し、百柄を連れて本来の目的地を目指すことにした。

 

「取り敢えず、ここを出よう。鎌倉市内ならいずれは捜索の手がここにも来るはずだし、ある神社にもしもの時のための軍資金を隠している。それを回収してから東京方面まで逃げるぞ」

 

「東京方面ですか?」

 

「伍箇伝のある地域は全て、折神紫の目が届く場所だと思った方がいい。この辺りならばまだ追っ手の包囲網も薄いだろう」

 

「成程、それならマスクどうぞ。手袋も」

 

 造形の曖昧な部分を覆い隠し、近くに刀剣類管理局の回し者がいないことを確認してから2人はこっそりと廃ビルを出ていく。姿を変えたおかげか特に怪しまれることはなく、何事もなく姫和が軍資金を隠していた神社まで辿り着くことができた。

 

「ちょっと【御伽莉花の幻】切りますね……あまり長い間使ったことないから疲れる……」

 

「ありがとう。うん……置き引きもされずちゃんと残っているな。心許ない額だが、これでしばらくは何とかなるだろう」

 

「まぁ……あんな周りに大勢の刀使がいる中で暗殺仕掛けて、まんまと逃げおおせられるなんて普通は思いませんからねぇ」

 

「その通りだな。さて、東京までの道のりを行く手段だが公共交通機関はリスクが高い。お前の空を飛ぶ妖術で行くことも選択肢だが、トラックなどの荷台に隠れて便乗するのがいいだろう。どうせどこも検問はしているだろうし、隠れ場所があった方が撒ける可能性も高まる」

 

 別に【御伽莉花の幻】で見た目を誤魔化せば妖術を知らない相手は欺けるだろうが、それはそれで百柄に大きな負担を強いることになる。追っ手の検問にいつかかるか分からない以上は、負担の大きい技を使ってはいられない。

 

 幸いなことに、この辺りは近くにスーパーマーケットがある。そこに納品に来るトラックに身を隠すことができれば、普通人が乗ることがない荷台までは検問でも深く確認はされないだろう。鎌倉さえ出られれば東京までの道のりも開ける、そういう判断だったが、その前に一つ壁が立ちはだかる。

 

「……見つけたよ。姫和ちゃん、百柄ちゃん!」

 

「可奈美……ッ。よく来たね、あなたが刺客か」

 

「堀川さんっ、ここで戦闘は」

 

「分かってますよ。十条先輩は下がって回復に専念していてください」

 

 刀剣類管理局が派遣した追っ手、その中の一人である可奈美に逃亡する前に見つかった。

 

 可奈美は取り調べで暗殺事件に関しては何も関係ないということを証明され、その後は2人を捕らえるための捜索隊の一員として派遣された。百柄には空を飛んだり姿を消したりと、様々な不思議な術を使われるが。それでもそう簡単に遠くまでは速度的にいけないはず。だから身を隠しやすいところにいる……そう判断して屋敷から近場の隠れ家にできそうな場所を虱潰しに探していき、ようやく見つけたという訳である。

 

「可奈美ちゃんだけじゃなく、私もいます」

 

「舞衣もか……悪いけど、ここで足踏みする訳にはいかなくてね。戦闘になるというのなら怪我させることも辞さないけど……どうする?」

 

「怪我……?百柄ちゃん……そんなことを言ってる時点で甘いよ。私達は御当主様を殺そうとしたあなた達を、死体に変えてでも連れてこいっていう命令を受けてるんだよっ!?」

 

「そんなことはしたくありません……どうか大人しく投降してはくれませんか、2人とも!」

 

 大人しく捕まることを促されるが、そんなことは土台無理な話である。百柄は姫和を後ろに庇いつつ2人と斬り結び、逃げ道を探す。正門の方は舞衣が塞いでおり、塀には登れそうだが姫和を抱えながらでは恐らく逃げ切れないだろう。

 

 ここで手こずって応援を呼ばれては、更に対処のしようがない状況になってしまう。道中で追っ手を撒くために使った【御伽莉花の幻】で自分もかなり妖力を消耗しているが、この状況では出し惜しみをしている場合ではない。

 

「【太郎坊の大風】────!」

 

「ッ……【金剛身】!あっ、舞衣ちゃん!?」

 

「きゃっ……!」

 

「人の心配、してる場合かい」

 

 妖術を使ったとて、生半可な威力では【金剛身】で防がれてしまう。なので百柄は自分の使える中でもかなりの威力を出せる技を選択した。想定通りに【金剛身】で身を吹き抜けるような突風を堪えようとする可奈美と舞衣であったが、舞衣の方は身体を支え切れず吹き飛ばされ外まで弾かれる。可奈美はそれを見て助けに行こうとするも、友人がやられたことに動揺した一瞬で阻止されてしまった。

 

 可奈美は剣撃をどうにか受けているが、百柄はどうも準決勝で戦った時のような覇気がないことに違和感を抱いた。あの時の彼女なら、連撃の隙に反撃の一つでも差し込みそうなものだがそれがない。心が迷い揺らいでいる、斬り合いを通してそれが手に取るように分かった。

 

 ──まさか、ね。

 

「……可奈美。あなたもアレ、見たのかい?」

 

「……御当主様の髪の裏、のこと?」

 

 正解だった。百柄が折神紫の裏に潜む荒魂の存在に気付いた時、タイミングを同じくして可奈美もまた気付いていたのだ。

 

 揺らいでいるのはそのせいだろう。今自分は刀剣類管理局の命令で百柄と姫和を追っている。それはつまり折神紫の……荒魂のために仕事をしているということになるのだから。

 

 ──だったらここで、可奈美も引き込む!

 

「分かってるなら話は早い。可奈美……あなたにも私達と一緒に来てもらうよ。でなければここで私はあなたを斬る。あなたなら舞衣を悲しませるようなことはしないと、信じて答えを聞こうか」

 

「っ……!わかっ、たよ……!」

 

「助かるよ。……舞衣!御刀を置いて、膝を着いてもらおうか」

 

「……!?分かった」

 

 ──ごめんね。

 

 舞衣が従って御刀を手放したのを見て、百柄はすぐに【御伽莉花の幻】をもう一度使う。大技を使って居場所がバレているかもしれない今、しんどくても早く抜け出す必要があった。

 

「みんな……可奈美ちゃん、大丈夫だよね……」

 

 可奈美が折神紫に荒魂の影を見たことを、舞衣は彼女に聞かされて知っていた。だからこそ百柄は可奈美を連れ去ったのだろう、折神紫を斬る刺客の一員となってもらうために。

 

「学長が渡してくれた紙……」

 

 捜索にかかる前、美濃関の学長から「困った時に開きなさい」と渡された1枚の紙がある。きっとあれが可奈美の助けになると信じて、舞衣は誰もいなくなった神社を去り報告に向かった。



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15:東京にて

「……どうにか検問は潜り抜けたか」

 

「生きた心地がしませんでしたね」

 

「うぅ、心臓バクバク……聞こえちゃうかと」

 

 舞衣を撒いた百柄達3人は、予定通り近くのスーパーマーケットに停まっていたトラックの荷台に隠れて検問をやり過ごした。高速道路に入ってしばらくは安泰になり、安心したことでここまでのことを整理する余裕も出てくる。

 

 可奈美が持っていた荷物に、姫和が神社に隠していた軍資金と百柄が持っていた財布。逃げる直前に可奈美にはスマホとスペクトラムファインダーを手放させたので、こちらから連絡する手段はなく当面の活動資金もあまり多くはない。なるべく短い間にもう一度態勢を整えてからでないと、折神紫に挑むことは叶わないだろうという状態だ。

 

「改めまして、もう一度自己紹介をしておくね。私は衛藤可奈美。美濃関学院二年生で、剣術の流派は柳生新陰流です!」

 

「……十条姫和。平城学館の三年生で、流派は鹿島親當流だ」

 

「堀川百柄です。平城学館の二年からの編入生で、流派は七笑流。いろいろ私に聞きたいことはあると思うだろうから……今の内に質問して」

 

「はい!あの風起こしってどうやってるの?」

 

 東京に着くまでは少しかかるので、百柄は今の腰を落ち着けられる内に2人が自分に問いたいであろうことを質問させる。すると可奈美は元気良く手を上げて、想定内の質問をしてくれた。

 

「私が荒魂に殺されかけた時……荒魂の持つノロが私の中に入って留まり続けていたんだそう。それが治療された時に薬によってノロが変質して、妖力と呼ばれる力に変わったんだ。私が使っている妖術をや刀使の技は、この妖力を元にしているんだよ」

 

「へー……世の中不思議なこともあるんだね!」

 

「本当に感想はそれだけでいいのか……?」

 

「私の陽剣【七笑】にも妖力が宿ってるから、私は刀を持ってても持ってなくても、刀使と同じことができる。七笑は御刀ではないんだけど、真似事くらいならできるから……もしもそれすらできなかった時を考えると、その時は結構面倒なことになってただろうね」

 

 御刀を用いて荒魂を斬るのが刀使ならば、百柄はあくまでその真似事をしているだけ。最初は写シすら使っていなかったと伝えると、可奈美も姫和もそれはもう驚いていた。写シなしで荒魂と戦うなど自殺しに行くに等しいのだから、それはそうか。

 

「妖力で御刀の代わりができるなら、その逆ももしかしたらできるかもしれないからね。東京に着いていい感じの隠れ場所を見つけたら、その時に可奈美に試してもらおうかな」

 

「えっ、いいの!?こういうのなら先輩の姫和ちゃんにやってもらった方がいいんじゃ……」

 

「私は今は写シも貼れん。御刀を扱えるコンディションではないから、お前がやってくれ」

 

「そういうこと。【天狗の風】や【御伽莉花の幻】を使えるようになれば、私の負担も減らせるし逃走にも有利になれるから、是非ともやってほしいね」

 

 後で可奈美に妖術を試させることを決定し、その後は姫和の持っていたアナログのスペクトラム計やそれぞれの剣術の技についての話になる。お互いの技から他の人にもできそうなものを教え、折神紫ともう一度相対した時に手札を増やしておくのだ。

 

 車中の話し合いは盛り上がり、試すことをできないのは残念だが交流は深まった。東京に着いたトラックから適当なところで降りて身を隠すまで、意見の出し合いは続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「……この辺ならば、人目にもつかないか」

 

「結局廃ビルの中ですね」

 

「ずっと緊張感高かったから、疲れちゃったや」

 

「コンビニ辺りで何か買ってこようか?」

 

「いや、それなら私が行こう。堀川さんは可奈美に妖術を試させてやってくれ」

 

「分かりました、それじゃあお願いします」

 

 という訳で。姫和がコンビニに食べられる物を買いに行っている間に、百柄と可奈美は妖術の練習をしてみることになった。

 

 まずは写シを展開し、御刀の神力を扱える状態に身体を変化させる。この状態なら百柄と使っている力以外の条件は同じ、神力による妖力の代用が可能かどうかを試せるようになった。百柄は手始めに掌から風を出してみるよう指示を出す。

 

「霊体の中に巡っている神力を自覚し、それを一つの点に集中させた上で風に変換する。理屈としては【金剛身】や【八幡力】と同じ……神力を身体強化のためではなく、外に出すために使うんだ」

 

「えーと……上手くイメージできないなぁ……百柄ちゃん、ちょっとお手本見せてくれない?」

 

「初めてはそりゃあそうだよね。こんな感じで掌から風を起こすんだ。他に何かイメージするのに良さそうなのは……かめ○め波とかがいいかな?」

 

「かめ○め波……なるほど!こうだああっぶ!」

 

 似たようなものとして提示したのは、平城学館に入ってから見た国民的漫画の必殺技。可奈美もそれを知っていたようなので、モーションを真似しながら風を出そうと腕を突き出す。すると突風が可奈美を天井まで突き飛ばし、受け身も取れぬままに背中を強打して撃ち落とされてしまった。

 

 ──……ま、成功はしたか。

 

 見事なまでの自爆を見せてくれたが、可奈美にも妖術を使わせることには成功した。身体を打ちつけて気を失っている可奈美を叩き起こし、百柄は次の技のレクチャーに入る。

 

「うわあっ!?気を失ってた……」

 

「神力でも妖術を使えることは分かったから、次は術をコントロールできるようにしていこう。さっきので放出のコツは掴めたでしょ?この通り、まずは状態を目で見て把握しながら調整する。練習を重ねればいつかはノールックで特に意識せずとも調整できるようになるはずだけど、今はとりあえず自分の目で程度を判断していこう」

 

「うん……できたけど、わわっぷ!これとっても難しいね!油断してなくてもすぐ飛ばされちゃう」

 

「私も最初はそんなだったよ。昼夜を問わず練習を続けて、少しずつものにしていったんだ」

 

 何度も自分の風に吹き飛ばされながらも、可奈美は諦めず制御の特訓を続ける。あまり素質がないのかそれとも単に難易度が高いだけか……結局姫和が戻ってくるまでに成功することはなく、食事のために特訓は中止となった。

 

「……私が買い物でいない間に、随分とボロボロになったんだな」

 

「なかなか上手くいきませんね。使えるには使えるということは分かりましたが、実戦に耐え得るようにするにはまだまだかかるでしょう」

 

「本当に難しいんだよこれ……!百柄ちゃんは使えるようになるまでどれくらいかかったの?」

 

「……風を出せるようになるまでで丸一日。制御できるようになるまでに5日。自分を浮かせる【天狗の風】と物を浮かせる【山吹の風】を習得するまでに一月くらい。そこからの【菫の風】みたいな応用技は使うだけなら一発だったかな」

 

 風隠の森では剣術と並行での練習だったし、病み上がりで上手く身体も頭も働かなかったので、あまり素早い飲み込みという訳にはいかなかった。森を出る前に習った技は全て習得したので、最終的には良くできた弟子という扱いだったが。

 

 ──最初の内は、可奈美以上に失敗してたな。

 

 習いたての頃に、さっきの可奈美のように自分を天高く打ち上げて、首の骨を折ってしまったことを百柄は昨日のことのように思い出した。妖術の師であるオロシの真似をして、百柄が人に物を教えるようになったからだろう。

 

 あの森で習ったこと、授かったものが今こうして役に立っている。百柄はもう二度と会うことはない彼らの姿を思い出し、少しだけ感傷的な気分に浸るのだった。

 

「そういえば私達こんな所にいるけどさ、ホテルとか使っちゃダメだったの?今ならまだ追っ手も追いついて来てないだろうから、普通に部屋を借りても大丈夫だと思うんだけど……」

 

「あんまり他人を巻き込むのもあれだからね。なるべく今の私達に関わる人間は少なくした方がいい」

 

「そういうことだな。別に今日一日くらいなら何とかなっただろうが、堀川さんの言う通り巻き込まれる者をいたずらに増やす必要はない」

 

「なるほどぉ……あ、そうだ。ウチの学長から困った時に見るといいって渡された紙があるんだった」

 

 当たり前のように人のいない廃ビルを隠れ場所に選んだが、その必要はなかったのでは?と可奈美は疑問を呈する。帰ってきた答えに一応納得した様子を見せると、何かを思い出したかのように鞄の中を探り始める。取り出したのは1枚の紙であった。

 

 美濃関学院の学長、羽島江麻から預かった小さく折り畳まれた1枚の紙。何が書かれているのかと開いてみると、そこには達筆な文字で誰かの連絡先が記されていた。

 

「誰の番号だろ……2人は見覚えある?」

 

「いや、ないね。公衆電話からタウンページ借りて確かめてみようか?」

 

「そうだな……いったいどこに繋がる番号なのかは知らんが、伍箇伝の学長は敵側だろう。調べておいて損はないはずだ」

 

「うーん……でも、シチュエーションに少し違和感がありますね。可奈美はもう取り調べも済んでいて潔白が証明されたから、私達の追っ手として選ばれたんだよね?だったらもう、その困った時ってのは過ぎてるはずだよ」

 

 言われてみれば、と可奈美は首を傾げる。確かにもう取り調べも終わっているし、暗殺に協力していないという結果も出された。何かを渡すなら取り調べの前に渡すのが普通だし、そもそも取り調べ中は荷物は没収されるので連絡はできない。

 

 となると、羽島学長のいう「困ったこと」はそことは関係ないものになる。暗殺者の協力者として疑いをかけられる以外に、困りごととして考えられることがあるとすれば……

 

「まさか……学長も知っているのか?折神紫が大荒魂だということを」

 

「あり得なくは、ないんじゃないですか?伍箇伝の学長は、20年前に大荒魂討伐に加わっていた人達だそうですし……持っている権力的にも深いところを知れそうですから、折神紫の正体について知っていてもおかしくはないと思います」

 

「じゃあ……この番号は、私達に協力してくれる人の番号ってこと?」

 

「迂闊に連絡をかける訳にはいかん。百柄の言う通りまずは番号の主の確認をしよう」

 

 もう一度姫和が外に出て、その辺の公衆電話からタウンページを探しに行く。百柄と可奈美はその間にまた妖術の練習を行う。割と近くにあったようで姫和はすぐに戻ってきたが、妖術練習の方はやはり一筋縄では終わらなかった。

 

「……あまり大きな音を立てるなよ」

 

「すいませーん……」

 

「取り敢えず見てみましょうか。この本に載ってる番号だと助かるんですけどね……」

 

「090……多過ぎるな。これは骨が折れるぞ」

 

 合致する番号を、紙を参照しながらタウンページから地道に探していく。かなりの重作業になるかという予想だったが、番号の主は思いの外あっさりと見つかった。あ行の名前なのが幸いであった。

 

「……恩田累、か」

 

「やっぱり聞いたことのない名前ですね。学長から頼れと言われるくらいですから、やはり刀使の関係者とかでしょうか」

 

「取り敢えず明日、電話して尋ねてみようよ。知ろうとしないことには何も始まらないよ」

 

「そうだな、今日は休むか。交代で見張りを立てて眠ることにしよう」

 

「あ、それなら私ずっと起きてられますよ」

 

 いろいろとあり、今日はもう3人とも疲労がかなり溜まってしまっている。なので普段から徹夜に慣れている百柄が見張りとなることで、今日はもう休むことにした。

 

「すまないな、堀川さん」

 

「任せてごめんね、百柄ちゃん。……おやすみ」

 

「おやすみなさい。ゆっくり休んでて」

 

 ──さて、何事もなければそれでいいけど。

 

 夜が明けて2人が起きるまで、百柄は不審な人物が来ないよう見張り番をしていた。結局誰も来るようなことはなかったが、百柄にとってはかなりの緊張感を伴った夜になったのであった。



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16:しばし息抜き

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 

「おかげ様でな。夜間、見張り中特に変わったことはなかったか?」

 

「何も。風を吹かせて辺りの人影の動向を探ってもみましたが、怪しげな動きをしているシルエットは見つかりませんでした。十条先輩の予想通り伍箇伝のある方を優先して、こちらの方はまだ手が回っていないんだと思います」

 

「そうか……ありがとうな、堀川さん」

 

 陽が昇る頃に起きてきた姫和に挨拶し、百柄は夜の間のことを報告する。といっても別に大したことはしていないし、何かしらのイベントがあったという訳でもなかったが。

 

 百柄の報告を受けて、姫和は改めて彼女に頭を下げて礼を言う。本来ならばこんなことに巻き込むつもりではなかったのに、いつの間にやら共犯として共に行動させるようになってしまった。百柄が自分からそうしたのが原因と言われればそれまでだが、そもそも独りで全てを終わらせるために動いていたのだから、やはり責任は感じるのである。

 

「……どういたしまして、その言葉は受け取らせていただきますよ。私が自分から飛び込むことを選んだ道ですから、気に病むのはどうかこれっきりにしてください」

 

「……分かった。ならば、お前には最後まで付いてきてもらうぞ」

 

「もちろん、最初からそのつもりですとも。死なば諸共、ですよ。して……あなたはいつまでぐっすり寝てるんだい、可奈美!」

 

「ひゃあああん!?て、敵襲、敵襲ー!」

 

 2人が話している中、呑気に寝息を立てている可奈美の尻を叩いて百柄は無理矢理起こす。いきなりの強い刺激で飛び起きた可奈美は、錯乱して御刀を持ちながら隠れ家中を走り回る。あまりにうるさいので足を引っ掛けて転ばせてやり、そこでようやく暴走は収まった。

 

「寝ぼけ過ぎ。ちゃんと目を覚ましなよ」

 

「うう、ごめん……」

 

「まぁ過ぎたことだ。今日は食事にしてから恩田累の電話番号に電話を掛けてみるぞ。どういう人物なのかはまだ分からんからな……用心するに越したことはない。繋がった時はくれぐれも慎重にコミュニケーションを図ることだ」

 

「味方だといいね!」

 

 取り敢えずまずは食事から。昨日と同じように姫和が買い物へ行き、百柄と可奈美はその間は妖術を練習する。【御伽莉花の幻】で見た目を偽装しているとはいえ、用心はしなければならない。姫和の買い物はそれなりに時間がかかったため、空き時間で百柄は可奈美が自爆せずに済む程度には、風をコントロールさせることに成功した。

 

「おお……!見て見て百柄ちゃん!私、自力で風のコントロールができてるよ!」

 

「上等上等。次はそれを意識せずともできるくらいに習熟させてみようか。【天狗の風】で空を飛ぶのなら、目で見てその都度風力を調整していたんじゃ到底間に合わないよ」

 

「むむむ……難しそうだけど、頑張ってみる!」

 

「はいじゃあ、もう一度やってみようか」

 

 その後の成果は振るわなかったが、可奈美は少しずつ妖術の基礎を身に付けていった。姫和が戻ってくる頃までには、見ながらのコントロールはかなり様になるようになるのだった。

 

 姫和が買ってきた弁当とお茶を分けながら、3人は輪になって朝食の時間を始める。まだ早い時間で半額のシールが貼られた生温かい弁当は、彼女らの口にはあまり合わなかったようで。レンジで加熱されて微妙な感じになった漬物を齧りながら、百柄はせめて、弁当本体と漬物は分けながら温められないものかと考えるのであった。

 

「うーむ……無駄遣いもできないし、なるべく安いものを選んで買ったのだが。そうなるとやはり味の方はあまりよろしくはないな」

 

「コンビニ弁当は初めて食べましたけど、これなら自分で作った方がいいかもしれませんね。これでは剣術大会の昼休憩で配られた弁当とは味が比べ物になりませんよ」

 

「あれと比べちゃしょうがないよ。私はいくらでも食べられそうだったもん。これ食べ終わったら恩田累さんなら電話かけに行くんだよね?」

 

「ああ、公衆電話から電話をかけるだけだし行くのは1人でいい。また私が行く……と言いたいところだが、電話ボックスは袋小路になるから私ではもし追っ手に悟られた時逃げられないだろう。この任はお前に任せてもいいか?百柄」

 

 もしもの時を考えて、連絡を取るのは逃走手段の豊富な百柄がやることになった。可奈美はまだまだ妖術を扱うには未熟で、姫和は回復し切っていないため選択肢は元々ないのだが。

 

「それじゃあ行ってきますね。連絡がついたらすぐに戻ってきますんで」

 

「気をつけてね!」

 

「よろしく頼むぞ」

 

 可奈美からメモを受け取り、隠れ家から一番近くにある電話ボックスに入って番号を入力。待機音が少しの間ループするのを聞きながら、恩田累が出てくるのを待つ。

 

 1コール、2コール、3コール……

 

「はい、もしもし?恩田ですが」

 

「恩田累さん、ですか?こんな朝早くから連絡してすいません、美濃関学院学長羽島江麻からの紹介で掛けてきた者です」

 

「あー!話は学長から聞いてるよ。折神紫様の裏に潜む大荒魂……それを斬ろうとした子達の手助けを頼まれて欲しいってね。羽島学長には昔よくお世話になったから、二つ返事で頼まれたの!」

 

「……知っていたんですね」

 

 どうやら、羽島江麻は折神紫と大荒魂のことを最初から知っていたようである。

 

 彼女もまた、折神紫に潜む大荒魂をどうにかしてやりたいと思っていたのだろう。今回の暗殺未遂事件をそのチャンスとし、どうにか自分達の勢力圏に入れて協力関係を築きたいと思った。しかし百柄と姫和は平城学館の生徒であるため、接触するには一工夫加える必要がある。

 

 そのための工夫として使ったのが、百柄と大会を通して関わりを持った可奈美と舞衣。特に可奈美の方は事情を知ってしまった気があるので、彼女を何らかの形で暗殺犯に巻き込ませて、2人の協力者とすることで接点を無理矢理作ったのだ。

 

「……あんまり納得いかないって感じだね?」

 

「ええ。事情を知って尚動けずにいた可奈美に理由を与えたかったという意図もあるでしょう。あの子は私達のことを友達と認識していましたから、下手に動けなかった当時の状況は、とても歯痒いものだったはずですから。……でも、それでも教師が生徒の気持ちを利用して誘導するようなやり方は、私はいい気にはなれません」

 

「うん……その気持ちは理解する。それでも羽島学長もようやく巡ってきたチャンスを逃したくなかったから、こんなことをしたんだということをどうか知って欲しい。あなた達の行動で管理局に混乱が引き起こされた今こそが、大荒魂を討伐するまたとない大チャンスだということを」

 

「……ま、ここで言い争いはしません。可奈美が良ければ私もそれでいいですので」

 

 自分から首を突っ込んだ百柄と違って、可奈美は取り調べでも無関係と判断されている。本来ならばこんなことに付き合う必要はないはずなのだ。

 

 大荒魂の姿を見てしまったから、与えられた任務をこなす腕に迷いが生まれた。そのせいで試合では互角だった百柄に遅れを取り、こうした人質という体で行動を共にすることになってしまった。本当なら大荒魂なんて見なかったことにして、何事もなくまた任務に赴くこともできたはずなのに……

 

 それでもあのトラックの中で事情を説明してからは、可奈美は共犯となる道を選んだ。彼女の中で納得しているのなら、百柄はもうそれ以上食ってかかるつもりはない。可奈美が考えた上で出した結論に任せる、そう決めていた。

 

「家の住所を教えておくから、メモを取って19時くらいにそこに訪ねてきてちょうだい。あなた達なら大丈夫とは思うけど、くれぐれもその前に捕まるなんてことがないようにね!」

 

「19時ですか?それはまたどうして」

 

「仕事があるのよ!一応私、会社勤めの社会人だからね!」

 

「……ああ」

 

 まさか何かしら罠でも……と思ったが、百柄は理由を聞いてすぐに納得した。確かに社会人なら普通は朝から晩までは働いている。家で仕事をしている訳でもなければ、そんな時間に家を訪ねたって無駄足になるだけである。

 

「分かりました。では、そのくらいの時間にお伺いさせていただきますね」

 

「待ってるよー。それじゃあね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「という訳で、19時までは特に予定のない時間となりました」

 

「あ、じゃあさじゃあさ!せっかく東京にいるんだし町の中を探索してみようよ!ずっと隠れ家に篭ってても気が滅入るだけだよ!」

 

「馬鹿、それでは追っ手に見つかる可能性が」

 

「いいんじゃないですか?東京なら人通りも多くてカモフラージュは簡単ですし、むしろコソコソしてるよりも堂々と町中にいた方が追っ手の目を欺けると思いますよ」

 

「む……それも一理ある、か?」

 

 行動を決定する姫和がその言葉の道理を考えだしたところで、有無を言わせず理論を捲し立てて町に出るように意見を流す。ゴリ押しでどうにか東京を探索する決定を得た2人は、狐に化かされたような怪訝な顔をする姫和を尻目に、しめしめ上手くいったとほくそ笑むのだった。

 

 こうして向かった先は原宿。取り敢えず人の多そうな場所ということで選ばれたが、東京に初めてやって来た百柄と少なからず憧憬があった可奈美は眼を輝かせて辺りを見回していた。

 

「凄ーい……高いビルばっかり!おっきいね!」

 

「あまりはしゃぐな、怪しまれるぞ」

 

「だって、テレビと本物じゃ全然違うもん!」

 

「ところで、どこか行く当てはあるんです?」

 

 初めてやって来た都会にテンションを上げるのもいいが、まずはどこに行くかを決めよう。百柄はそういった遊びや観光などに詳しくないので、2人に委ねることにする。

 

「まずは服を探そうか……この逃避行がいつまで続くかは分からんが、その間ずっと制服という訳にもいかんからな……」

 

「さんせー!」

 

「では、服屋を探してみましょうか」

 

 姫和の方針に従い、3人はまずは新しい服を求めて服屋を探すことにした。あまり今の所持金に見合うような安い店はなかなか見つからず、探すのにはかなり苦戦したが。最終的には安くてそれなりにおしゃれな服を買うことができた。

 

「堀川さんは装飾が多いから、服が違ってもあまり変わってる感じがしないな」

 

「パーカーに帯は流石に合わないよ、百柄ちゃん」

 

「うーむ……流石に外しておくべきか」

 

 約束の時間まで、3人は東京のいろいろな所を回り楽しんでいった。なるべく目立たないよう自然に楽しそうに振る舞うというのもあるが、それ以上に普通に楽しかったのだ。

 

 これから先、遠くない未来で3人はもう一度折神紫に挑むことになる。その時にこの逃げ回った時間を後悔することのないよう、やってみたいと思ったことは取り敢えずチャレンジしてみた。この息抜きの時間が、プレッシャーを鎮められるように。

 

「チョコミントが歯磨き粉と同じなどという例えは使い古された骨董品だぞ!そんな四方八方から言い尽くされた例えは禁句と言っていい!」

 

「ご、ごめんなさい……!?」

 

「……まぁ、美味しいし何でもいいですよ」

 

 ……いろいろなことを、楽しんでいった。



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17:協力者……?

 ピンポーン

 

 約束の時間になり、電話で教えられた住所まで来た3人は部屋のインターホンを鳴らす。そうしたらすぐに「はーい」と返事が返ってきて、家主が扉をガチャリと開けた。

 

「失礼します。朝方こちらに連絡をした堀川百柄という者ですが、恩田累さんで間違いないですか?」

 

「うん、ここであってるよー。手前の白い髪の子が堀川百柄ちゃんでー、黒髪の子が十条姫和ちゃん、茶髪の子が衛藤可奈美ちゃんでしょ。さ、上がって上がってー」

 

「では、上がらせていただきますね」

 

「し、失礼します!」

 

「お邪魔します……」

 

「よろしくね、後輩達ー」

 

 指定された住所の主、恩田累はビールの空き缶を片手にぷらぷらと振りながら、百柄達3人を取り敢えず歓迎する。いつ仕事を終えて帰ってきたのかは知らないが、既に結構顔が赤い。どうやらかなりの酒呑みであるようだ。

 

 玄関から部屋の様子が少し見えるが、かなり物やゴミが散乱しており片付けが苦手もしくはものぐさな性格であることが窺える。初日にズタズタに破壊してしまい、いろいろなものが散らばってしまった寮の部屋を思い出すので、勘弁してほしいものだと百柄はそんな感想を抱いた。

 

 ──いろいろ汚い部屋って、あまりいい気持ちにならないよね。分かる。

 

 チラリと後ろを振り返ると、どうやら姫和も可奈美も同じような感想のようだった。2人とも足を踏み入れるのを躊躇っているのが挙動で分かる。顔に嫌がる気持ちがはっきり出ているが、恩田累は特に気にすることもなく先頭を歩いていた百柄に紙袋を投げ渡した。

 

「あはは、散らかっててごめんね。一人暮らしだとどうしても掃除する時間も気力もなくてさー。それは私からの奢りだから、遠慮なく食べなー」

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

「ふふ、百柄ちゃん以外の2人はすっごい怪しい奴を見るような顔だねぇ。まぁ私と話をしたのは百柄ちゃんだけだし、しょうがないけど」

 

 恩田累の正体は、今はもう御刀を返納して引退した美濃関学院出身の刀使であった。つまるところは可奈美の先輩である。学長の羽島江麻には現役の頃からよく世話になっており、卒業後もこうして何かあった時には連絡を取って助け合う仲であるため、こうして3人を受け入れたという訳である。

 

 姫和は元刀使という話を聞いて、刀剣類管理局の回し者かと疑ったが。本人の言葉を信じるのならばそんなことはあり得ない。一応は彼女を信用してみることにして、今後もできるだけ慎重に付き合っていくことにした。

 

 ──嘘をついてるような雰囲気はないか。先輩と可奈美の噛み合わなさをコント扱いして、げらげら笑えるような人だし今のところは大丈夫そう。

 

 元刀使という話を聞いた時、姫和と違って可奈美は特に疑うこともせずに、恩田累の流派を聞こうとしていた。その2人の合わないところを見て大笑いできるのなら、あまり今くらいのレベルで警戒するのは過剰だろうと、彼女を少しだけ信用することを決めたのだった。

 

「あなた達の事情は聞いてるけど、余計な詮索はしないようにしとくわ。心も身体も疲れてるでしょうし今日はゆっくり休んでって、家の中の物は好きに使っていいからねー。おやすみー」

 

「おやすみなさい」

 

「あ……」

 

「取り敢えず、シャワー借りよっか?」

 

 家の中の物を好きにしていいということだけ3人に伝え、恩田累は自身の寝室に行った。その後ろ姿を見送った百柄は、可奈美の言う通りシャワーを借りて身体を清めることにする。マンションの割には風呂場は広くのびのびと使え、思っていたよりも至福の時間を得ることができた。

 

 ほかほかに温まった身体を拭きつつ与えられた客間に戻ると、先に風呂に入っていた可奈美と最後になる姫和が何か話をしていた。どうやら折神紫の裏に潜む大荒魂について、可奈美がどのようなものを見たのかを話しているようである。

 

「堀川さん。可奈美が見たという大荒魂の姿は大きな目玉のようだったそうだが、お前のところからはどんな風に見えていた?」

 

「私も同じような感じですよ。ノロ特有の橙色をした眼が睨んできたような感じで……折神紫は先輩の攻撃を防ぐ時に、御刀を無から取り出していたんですけど……その前兆みたいな感じでしたね」

 

「何というかさ、刀使が写シを貼った時と似たような感じだったんだよね。霊体を前に出して本体は隠世に引っ込ませるみたいな……その時に御刀も一緒に出てきたって感じ」

 

「隠世から御刀を取り出す……そんなことが」

 

 普通、この現世と隠世は行き来できるような場所ではない。そんな場所に御刀を隠しそして取り出すなど、できるとは到底思えない行為なのだが……折神紫は実際にそれをやって、姫和の暗殺から身を守っている。いったいどんなカラクリが、そこまで考えたところで姫和は思考を打ち切った。別にここを深く考察したところで、次の機会に活かせる訳でもないのだから。

 

「姫和ちゃん……改めて聞くけど、もう一度御当主様の暗殺に挑むつもりなの?」

 

「……当然だ。二度目などないとは思っていたが、命ある限り諦める訳にはいかない。何度だって奴に挑み、そして斬ってみせるさ」

 

「……多分無理だよ。今のところ何となくでしか言えないけど、御当主様の強さは次元が違うような気がするんだ」

 

「確かに、あの速さの不意打ちを防ぐには未来でも見えていないとって感じでしたもんね」

 

 姫和の奥義【一の太刀】は、【迅移】の段階を一気に引き上げることで銃の弾丸をも超える速度で攻撃する必殺の突き。同じく【迅移】を使っていない者には目で追うことすら不可能な速さを出せるはずだが、その一撃を折神紫は容易に防いでみせた。

 

 二度目など警戒されて、出したとして更に悪い結果を生むだけになるだろう。ただでさえ一度繰り出せば反動で、しばらくの間写シも貼れなくなる程に消耗する技。それすらも通用しないとなると姫和にはもう切れる手札がない。可奈美はその点を踏まえた上で、暗殺は不可能と断じていた。

 

「ま、何のための協力者かって話です。私も同じく折神紫を斬ろうとした暗殺犯ですから、十条先輩への協力は惜しみませんよ。あの場では周りの人間を巻き込んでしまいかねないので、使うことはできませんでしたが……私の妖術は、例え折神紫が未来を知っていようとも、それで簡単に避けられるようなチャチな技ではありません」

 

「……頼もしいな。成り行きでのことだが今は協力者がいる、可奈美が考えている程絶望的な実力差はないはずだ」

 

「うん……うん?そういえばお前達、私は迅移で加速していても気付かなかったのに、よく奴の動きを眼で捉えられたな?」

 

「眼が良くなければ修行で死んでましたので」

 

「勘が働いた……ってのもあるかな?」

 

 話の中で、姫和は百柄と可奈美の眼が異常に良いことに気が付いた。よくよく考えれば【一の太刀】を使っていた姫和は、普通なら眼では追えない程に速いはずだった。それを防げたことから折神紫の速度はそれ以上だったと分かるが、なのに見切ることができるのは尋常ではないという他ない。

 

 百柄は七笑流の修行の中で、実戦で腕を磨いている内にこの視力が備わった。可奈美に関しては……本人もあまりよく分かっていないらしい。ぽりぽりと頭を掻きながら、勘の一言で片付けていた。姫和はそれを聞いて、「そうか……」と小さく呟くだけに留める。理由がないならそれで別にいい。

 

「恩田さんも寝てることですし、私達も今日はもう休みましょうか?せっかく布団で眠れるんですから今の内に有り難みを享受しておくべきですよ」

 

「……して、お前は起きて警戒か?」

 

「昨日も徹夜してもらったのに、今日もしてもらうんじゃ申し訳ないよ!今日は私が見張りをしておくから、百柄ちゃんこそゆっくり休んで!」

 

「……途中から私が交代する。そういうことだから堀川さん、お前も英気を養っておけ」

 

 夜もかなり更けてきたし、そろそろ明日に備えて休むことを提案した百柄。昨日と同じように自分が見張りとして起きていようとしたのだが、可奈美と姫和の強い勧めで、無理矢理に布団の中に捩じ込まれることとなった。

 

 ──そういや私、平城の大会予選の時からずっと寝てないな。……甘えさせてもらおうかな。

 

 布団の柔らかな暖かみが優しく百柄を包み、抗い難い眠気を与えてくる。瞼が落ちてくるのを自覚した百柄はこの際2人の好意に甘えることにし、襲いくる睡魔に身を任せることにした。

 

 百柄が目を醒ましたのは、夜が明けすっかり陽も昇った午前7時のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「……よし、全快だ!」

 

「これで十条先輩にも妖術を教えられますね」

 

「……やる時は屋上だぞ?」

 

「分かってますよ」

 

 写シを展開し、姫和は身体中に漲らせた神力を電光として弾けさせる。もう【一の太刀】による体力の消耗からは、完全に回復したらしい。

 

 妖術を教えても大丈夫にはなったが、人の家であるこの場でやる訳には当然いかない。マンションの屋上へ【天狗の風】で移動し、人が来ることのないそこで練習をさせることにした。

 

「十条先輩は筋が良いですね。私は風の制御を身に付けるのに5日かかったんですけど、この様子なら今日中には飛行もできそうですね」

 

「そうか?しかし妖術……凄い力だ。こんなものを隠していたとはな」

 

「隠していたのはそうですけど……やはり強い攻撃術となると、かなり範囲も広くなりますから。巻き込み事故を防ぐためには、刀一本でどうにかせざるを得なかったんです」

 

「と言いつつ、刀だけでも強いじゃないか」

 

 姫和はなかなか筋が良く、死にかけで長く練習ができなかった百柄や要領のよくない可奈美よりも効率よく風の扱いを覚えていった。目視での風力の調節から、無意識での調節までをものの数時間で身に付け短時間であるが浮遊も可能とした。

 

 百柄自身はこれだけできるようになるまでかなりの時間がかかったので、その上達の速さに嫉妬しない訳でもない……が、姫和が目的のために新たな力を手に入れて喜ぶ姿を見れば、そんな気持ちは何処へと消え去り微笑みだけが表情に残った。

 

「今日の練習はこの辺にして、続きは明日にしましょうか。写シをいつまでも貼り続けるのも疲れるでしょうし、そろそろ恩田さんも仕事から帰ってくる頃合いでしょうから」

 

「そうだな。間借りの礼に、食事の一品でも作っておくか」

 

 疲労で姫和が風の制御を保てなくなってきたところで、百柄は練習を中断して部屋に戻るよう提案をする。時刻も午後5時を回り、家主もそろそろ仕事を終えて帰ってくる頃。練習に一区切りをつけるには丁度いい時間であった。

 

「先輩、料理できるんですね」

 

「母の世話をしていた頃に少し、な」

 

 恩田累が帰ってくるまでの間に、冷蔵庫の中身を活かして夕食を2人で作る。可奈美が部屋の中を掃除していたのと合わせて、帰ってきた恩田は感動のあまり涙を流しそうになっていた。




よろしければ、評価・感想などをよろしくお願い致します。


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18:強襲

「高津学長、逃亡者2人と人質の居場所を特定できました」

 

「よくやった。成程、美濃関学院出身の元刀使……逃亡者はどちらも平城の生徒だ、恐らくもともとはなかった縁に違いない。くく、羽島学長……墓穴を掘ったな!」

 

 報告を聞き、鎌府女学院学長高津雪那は勝ち誇るかのように高笑いを上げる。これで奴らを捕らえれば敬愛する折神紫に良い報告ができる……あの学長達よりも、彼女からの覚えが良くなると。

 

 折神紫暗殺未遂の報告を聞いてから、高津雪那はずっとこの機を狙っていた。側に付いておきながら暗殺犯を取り逃す親衛隊にも、追っ手として派遣されていながら返り討ちに遭い、むしろ人質として連れ回されている美濃関の刀使にも、腹立たしい思いはあるがそれはそれ。

 

 手柄を奴らに渡すことなく、自分の育てた鎌府の力で立てることができる……雪那はずっとこの時を虎視眈々と狙っていたのだ。

 

「奴らが匿われている部屋……その持ち主の名は恩田累、現在は八幡電子に勤務か。沙耶香!」

 

「……はい」

 

「あなたは今すぐ東京へ向かい、潜伏する暗殺犯供を討ち取りなさい。あなたは確かに剣術大会で敗れはした……でも、私のあなたへの評価は変わらないわ。あなたこそが我が鎌府女学院の誇る最強の刀使なのたから……」

 

「……分かりました」

 

 雪那は呼び出した沙耶香の髪を撫で、彼女の耳元でそう呟く。脳味噌の奥深くまでその言葉を染み込ませるように、深く、甘く……

 

 命令に逆らうという選択肢はない。沙耶香はその言葉に粛々と従い、自身の御刀を手に取って東京へと向かっていった。その佇まいはまるで、与えられた命令のみに反応し動く人形や機械のようで。立ち去る彼女の後ろ姿を見送った鎌府の刀使は、心の底を弄るような強烈な不快感を覚えていた。

 

「……堀川百柄は沙耶香に勝った相手に勝った危険な刀使。沙耶香を行かせたはいいが、任務の遂行に少し不安が残るな。あまり借りを作りたくはないのだが……保険はかけておくべきか」

 

 沙耶香が去った後、雪那はすぐさまスマホを取り出し『保険』に連絡をかけた。沙耶香が任務を成功させ、必ずや鎌府に折神紫暗殺未遂犯撃破の功績を持ち帰れるように。

 

 正直なところ、雪那としてもあまり頼りたくない相手ではあるのだが。実験のために必要なノロの回収を秘密裏に頼んでいたり、既に何度かはその手を借りているので、連絡に躊躇いはない。1コールですぐに出てきてくれた相手に対して、彼女はそれはもうヒステリックに騒ぎ立てた。

 

「遅い!私が連絡したらすぐに応答しろと何度言ったら理解するのだ貴様は!?」

 

『……うるせえなぁ、ババア。てめえの声は耳にキンキン響いて不愉快なんだよ』

 

「貴様には、口の聞き方にも気を付けろと言ってあるはずだがな?長く連絡していない間に、貴様は脳味噌を漂白でもされたのか?」

 

『チィッ……で、今度は何の用だ」

 

「今回の紫様暗殺未遂のことは、貴様も話に聞いているだろう?奴らの居場所を特定したため、私の配下の刀使を1人向かわせた。貴様にはその子の支援をしてもらおう、その力でな」

 

『……いいだろう。報酬はいつも通りだ』

 

 話はついた。雪那はこれで暗殺犯討伐が盤石なものになったとほくそ笑み、その功名心と独占欲に塗れた醜悪な面をより歪める。

 

 今回の件で最も不確定な要素は、暗殺犯の片割れである堀川百柄の使う奇っ怪な技の数々。自在に風を操り空を飛んだりするなど、鎌府の最新研究でもあり得ない無法。こちらもノロの研究をしてきた雪那にとっては、他の四学長に並ぶくらい嫉妬の炎が燃えるものだが……そんな彼女もかけた『保険』がどうにかしてくれる。

 

 最早失敗はあり得ず、これで紫の寵愛を自分だけが受けられるようになる……雪那の心はそんな醜い欲望でいっぱいになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「うーん、美味しい!仕事から帰ると美味しいご飯が待ってるっていいもんたねぇ。部屋もみんな綺麗になってて、まるでここに初めて引っ越してきた時みたいだったよー。ありがとね」

 

「掃除は私が!お料理は姫和ちゃんと百柄ちゃんが協力して作ってくれました!」

 

「私は手伝っただけですがね」

 

「……それは作ったに含めていいと思うぞ」

 

 仕事から帰ってきた恩田累も含めて4人で食卓を囲み、和気藹々と夕食を摂る。恩田の口から放たれる相変わらずの軽口をいなしつつ、肉じゃがなどをはじめとした献立を食べる。あまり会話に入らずに黙々と食べていた百柄は一足先に食事を終え、食器洗いをしていたのだが。部屋に戻ろうとしたところで恩田に引き止められ、食卓に戻ることとなる。

 

「ふー、美味しかったわ。3人ともウチにお嫁に来てこれからも一緒に住まない……と、言いたいのはヤマヤマなのだけど。ちょっとみんなに見て欲しいものがあるから、少し時間もらえるかな?」

 

「何だろ?」

 

「行けば分かるよ」

 

「行くか……その前に食器の片付けからだな」

 

 先に食べた後の片付けを終え、3人は累の部屋についていく。電気が消えて薄暗い部屋の中に、一台のパソコンがドカンと鎮座していた。

 

 映っているのはチャット画面。累が事前に誰かと連絡を取り合っていたその履歴であった。

 

「ファインマン……グラディ?」

 

「グラディってのは私のことねー。質問にはあなた達の好きなように答えてみて」

 

「『立ち向かう覚悟はいいか?』か……そんなものイエスに決まっているだろう」

 

「『今日という日は完璧になった』ですか。住所が記されてますけど、ファインマンはこの場所にいるということなんですかね……ッ!?恩田さんを守りながら逃げてください可奈美、十条先輩!」

 

 記載された住所をメモに取る手からボールペンを投げ捨て、百柄は七笑を抜いた。すると部屋の窓ガラスが粉々に破砕し、外からやって来た刀使による強襲がくる。鎌府の制服を着た少女は、剣術大会で可奈美と戦っていた彼女──糸見沙耶香で。しかし正気を伴わないその佇まいは、剣撃を受けた百柄に確かな違和感をもたらした。

 

 ──こいつ、意識を無くしてるのか。行動に思考を伴わないから無駄なく体を動かせるし、リスクも気にせず戦うことができる。

 

「舐められたものだよ、まったくね……ッ!」

 

「……」

 

 可奈美達が部屋を出たのを確認し、百柄は無意識で行動する沙耶香の腹を蹴り飛ばす。自分で開けた穴から外に追い出された沙耶香は、【迅移】の速さで空中で体勢を立て直しながら、追撃のため自らも外に出た百柄に斬りかかった。

 

「空中で……私に勝てると思うなッ!」

 

「……ッ!!?」

 

 壁を蹴ることで沙耶香は降りてくる百柄に近付き間合いに入れるが、踏み締める地面のない空中は百柄の領域。【天狗の風】で沙耶香の一撃を空振りにさせ、そのまま背後を取ると制服の襟首を掴んで地面に叩きつける。

 

 マンションの10m以上ある高さから、受け身も取れずに地面に堕ちた沙耶香。写シが剥がれて生身の己が剥き出しとなるが、息を荒げるだけであまり堪えた様子がない。随分と人間味を感じさせない仕草に着地した百柄は警戒を見せるが、沙耶香が次の行動に移ったのは、百柄が刀を構えようとしたその瞬間であった。

 

「【菫の風】──は、効かないか……」

 

「……」

 

「……一言くらい、喋ってほしいんだけどね」

 

「……」

 

 ──無意識のままに、私の風に対抗できる技を使ってるのか。【菫の風】には【金剛身】、【山吹の風】には【迅移】、そして剣術で互角に戦うための【八幡力】。

 

 どの技も1段階目までしか使えない百柄よりもら明らかに強く、段階が進むと持続時間は落ちるという話なのに解除される気配がない。このまま戦いが続けば、生身で神力を使い続ける沙耶香には重大な反動がやってくるだろう。

 

 そうなる前に、一瞬で終わらせる。

 

 百柄は沙耶香の剣を弾いて距離を取ると、七笑を鞘にしまい力を抜いて腰を落とす。七笑流最速の技である【一閃】で、彼女の身に不幸な事故が起きる前に終わらせる構えであった。

 

 ともすれば、その一撃が『不幸な事故』になってしまうかもしれないが。【一閃】は七笑流の技の中でも最も多く振ってきた技、自分なら加減ができると信じて百柄は刀を抜いた。

 

 

 しかし……

 

 

「ッ………!?誰だ……!」

 

「忍法【身代わらせの術】……」

 

 百柄の渾身の【一閃】は、新たなる敵の横槍によって沙耶香に届く前に防がれてしまった。間に割り込んできた誰かが真っ二つになったと思ったら、それが丸太に変わってそれも霧になって消える。

 

 突然の出来事に困惑するが、百柄の勘はそれよりも逃した可奈美達の方が危ないと伝える。自身の勘に従い駐車場の方を振り向くと、3人が乗り込みこれから発車するという車の背後から、無数のクナイと手裏剣がまさに襲いかかるところであった。

 

「──【太郎坊の大風】ッ……痛……!」

 

「……」

 

「ふむ、浅いか……これなら攻撃する順番は逆でも良かったな」

 

「やーっと、姿を見せたか……」

 

 咄嗟に大技を出して、車が血染めの棺桶となることは防いだが。代償として百柄は写シを剥がされた上に腹に御刀を貫通させられてしまう。じくじくと血が滲み出し、百柄の着ている白い着物を赫く黒く染めていく。臓物に直火を当てられたような激しい痛みに脳味噌が悲鳴を上げさせようとするが、鋼のように理性を固めて我慢した。

 

 腹を貫く刃を掴み、これ以上動かせないようにしながら百柄は新たな刺客に名を尋ねる。姿を見せた忍者装束の男は百柄と同じ白髪を夜風にたなびかせながら、呟くようにその名を名乗った。

 

「俺の名は零。風魔の……いや、今や俺は抜け忍。ただの零だ」

 

「して、何の用だいコスプレ野郎」

 

「鎌府女学院学長、高津雪那より貴様らを抹殺せよと依頼を受けた。別に恨みがある訳でもないが、これは任務。そのお命頂戴するぞ」

 

「やれる、もんなら……やって、みな!」

 

 零を名乗った男の狙いは、百柄と姫和をこの場で始末すること。写シを剥がされている上に腹を刺されて動けない今の百柄は、それを遂行するのに最高の状況であった。

 

 しかし、当然のことだが百柄だって始末すると言われて無抵抗でいる訳がない。掴んだ刃をわざと更に深く自分に食い込ませ、距離が近くなった沙耶香に後頭部の頭突きを食らわせ失神させる。無意識を超えてしまえばもう、技を出すも何もない。これで二対一だけは防ぐことができるようになった。

 

「先輩!可奈美!私は後で追いつくから、今はあなた達だけで行ってください!こいつはここで私がどうにかしてみせますから!」

 

「ぐうっ……任せたぞ!無事でいろよ!」

 

「百柄ちゃん……!」

 

「ごめんね百柄ちゃーん!無理はしないでねー!」

 

「白い制服の女子は人質と聞いていたが……随分と仲が良さそうだな?まぁいい、どちらにせよ彼女も始末する対象に加わっている」

 

「だから……やらせると、思ってるのか?」

 

 腹が焼けるように痛い。それでも目的地まで追わせないように、こいつはここで百柄がどうにかするしかない。相手は無傷な上どんな手札を持っているのかも分からず、失神させた沙耶香もすぐに起き上がってはこないという保証はない。あまりもたもたしていると相手の増援もやってくる、百柄にとっては恐ろしく辛い戦いになる。

 

 ──それでも、ここでやるしかない!

 

 深呼吸をして余計な力を抜き、【癒やしの風】で刀を抜いた腹を止血する。そのままマンションを出ていく累の車を守るように立ち位置を変え、百柄は零と目線を合わせて相対した。

 

「車は追わせない……お前はここで斬り殺す」

 

「強がりは見苦しいぞ。大人しく死ね」

 

 野良試合、堀川百柄VS抜け忍の零。命をかけた戦いの火蓋が斬って落とされた。



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19:VS抜け忍の零

「どうした、あの写シとかいう技を使い直さなくていいのか?女の身体能力で俺に勝てると思っているのか?だとしたらお前は……」

 

「うるさい。私がそんじょそこらの女の子達と同じか弱い身体だと思うなよ」

 

 零と百柄の戦いは、マンションの駐車場を舞台として行われている。柱や停められている車を時に足場として、時に相手の攻撃を肩代わりさせるための壁として使い、お互いに敵の隙を窺いながら致命の一撃を与えるチャンスを狙っていた。

 

 ──ぐっ、うぅ……本当に、ちゃんと堪えてないと意識が飛びそうになる……!あの子から受けた傷が深過ぎるんだ……!

 

 今のところ流れは拮抗していて、どちらが有利不利とも言い難い状況。しかしこの流れのまま戦いが続けば、不利になっていくのは腹に傷を負ってしまった上に、写シを一度剥がされて精神的にもかなり消耗している百柄の方であった。

 

 零を斬ることだけを考えていないと、意識が傷の方に割かれて『痛い』、としか考えられない状態になってしまう。しかも零は身長が高く腕も長いため間合いが百柄よりも広い。攻撃を受け流したり躱したりする技術も百柄より遥かに巧い。心技体全てにおいて、百柄は零に上をいかれている。

 

「【練気】……ッ!」

 

「貴様のその技の数々は……風隠の森の一派と同じものだな。何故貴様がそれを習得しているのかには興味はないが、七笑流の剣士と戦える機会はそうそうあることではないからな。あまり早く自滅してはくれるなよ?」

 

「調子に乗るなよッ……【石切】!」

 

「【シビレ斬り】!」

 

 二振りの刃が激突する。【練気】で威力を大きく引き上げた百柄の【石切】だったが、零の攻撃とは相殺されるだけで有効打とはならなかった。痛みが確実に百柄を蝕み、【練気】でも威力を補うだけになるくらい、刀を握る力を弱らせているのだ。

 

 鍔迫り合いから刃を巧みに動かして、零は百柄の体勢を崩し刀を握る指先に一撃を掠らせる。全身を麻痺させ動けなくする神経毒が塗布された刀はその効果を確実に発揮し、百柄から身体の自由を奪った。

 

「くそ……【菫の風】!」

 

「毒の風か。毒を盛られたから盛り返すなど、今時子どもでもしない単純な発想だな。だが残念……俺にはそもそも毒は効かん」

 

 全身の力が抜け、立つこともままならなくなった百柄に踏ん張って堪えることができなくなった腹の傷の激痛が襲いかかる。全身から氷のように冷たい汗が流れ、頭の片隅に『死』の予感がよぎる。

 

 そんな悪い考えを振り払い、百柄は【菫の風】を発動させる。零にはそれがやられたからやり返すという、とても単純な思考回路で放たれた技に見えたようだが……そんなことはない。

 

 ──かかったな。【菫の風】は毒の風……だけど毒としてしか使えない訳じゃないんだよ!

 

「何だとッ……!?」

 

「ちぃ、浅かったか」

 

 右から斬りかかる零に応戦するため、百柄も刀を右腕に持ち替えて【一閃】を放つ。最短距離から斬れるようにわざわざ利き腕でない手を使ったが、すんでのところで避けられてしまった。

 

 攻撃を紙一重で回避した零は困惑する。自身の刀に塗り込んである神経毒は、特に即効性と持続性に優れた代物。一度血管から入り込めば3秒と経たず全身を巡り、身体の自由しまいには心臓や脳の働きを停止させ命を奪う。刀使なら【金剛身】で少しは抵抗できるが、零から見て百柄にそれを使っている様子はなかった。

 

 ならば何故、百柄は毒への抵抗どころか解毒すら可能としていたのか。その理由が【菫の風】を解毒薬として応用することであった。

 

 オロシ直伝【菫の風】は、悪しき力を纏った菫色の風に吹かれた者に毒を与える技。その内容はある程度自分でコントロールできるのだが、どんな毒も使い方によっては薬となる。百柄は【菫の風】の効果で神経毒と相殺させられる毒を作り出し、それを自分に当てることで解毒を可能としたのだ。

 

「痺れ毒は通用しないか。ならば我が術技によって直接葬るのみ!」

 

「写シ……ッ!?」

 

「何だ小娘……目を醒ましていたのか」

 

「高津学長の敵……私が、斬る」

 

 ──ちくしょう、全然気付けなかった……!

 

 一発虚を突いたことで、百柄の精神も少しは落ち着いてきた。剥がされた写シを貼り直して次からの攻勢に備えようとしたが、展開し切ったその瞬間に百柄の写シはまたしても剥がされてしまう。覚醒した沙耶香が背後から袈裟斬りにしてきたのだ。

 

 気配に全く気付かなかった。もしも写シの展開が遅れていたら生身が斬られていただろう。そうなればもう深手も深手、肩口から股の方まで刃を通されて致命傷になっていた。

 

 写シをすぐに無くしたせいで、精神的にかなり消耗してしまった百柄。自分のコンディションから恐らく写シの再展開は不可能だと推察し、一旦距離を取ると【天狗の風】で浮遊する。

 

「数に対抗するには……機動力!」

 

「……斬る」

 

「無意識は動きが読めんな……臨機応変にいくか」

 

 自己暗示で無意識の状態になることで、行動から思考の無駄を省き神力の消耗を抑える技。その名を【無念夢想】というそれを操り、沙耶香は読めない動きで百柄を翻弄する。そして零は空中をアクロバティックに動き回る百柄を捉えつつ、沙耶香の邪魔にもならないよう、自身の立ち位置を把握しながら手裏剣やクナイを投擲。

 

 ──……物量が、多過ぎる!

 

 建物を破壊してしまうため使いたくないが、こうも苦戦するのなら【荒御魂の大嵐】のような大技も選択肢に入れなければならないか。沙耶香を的確に援護するように飛ぶ手裏剣を【山吹の風】でどうにか弾きながら百柄はそんなことを考える。

 

 ──いや、ダメだ!もっと頭を回せ、こいつらを倒すための策を全身全霊で考えろ!

 

 そしてすぐに思い直した。荒魂を斬るために自分は刀使になったが、荒魂を斬ろうと思ったのは町を破壊し人々に恐怖を与える荒魂を、許すことができなかったからだ。なのにそんな自分がいくら仕方ないとはいえ町を壊す真似をすれば、それはもう荒魂の所業と何ら変わらない。そんなことを百柄は絶対に受け入れられない。だから百柄は町を壊すことのない方法で、この2人をどうにかして倒す方法を考えなければならないのだ。

 

「まずは零……お前からだ」

 

「あっ……」

 

「【練気】……七笑流──【紫電】!」

 

「観念したか、【邪剣乱舞・改】!」

 

 一旦【天狗の風】で自分を後ろへと強く押し出した百柄を、沙耶香はすぐに追いかけていく。高津学長から受けた命令を遂行する、それだけを使命として残した空っぽの心で。【無念夢想】の力で一気に段階を引き上げられた【迅移】は、零を振り切った百柄の高速飛行にも優に追いつく速さ。しかしその速さをもたらす無意識は、命令遂行以外を考えないが故に百柄の狙いに気付けない。

 

 零と沙耶香の距離を十分に離すと、百柄はすぐに踵を返して今以上の速さで零の方へ向かった。百柄の目的は2人の距離を引き剥がし、一対一で戦える状況を作ること。超物量と優れた射的能力で援護に回る零の方から斬るために。

 

 目にも留まらぬ連撃、しかし零もまったく劣らぬスピードで百柄と斬り結ぶ。

 

 頭、首、胸、腹、股、足元……互いの急所を狙う一発一発を冷静に捌きながら、致命の間合いで死をも恐れず刃を振るう。一進一退の攻防が繰り広げられているが……力と体力で上回り、かつ無傷の零の方へ次第に流れは傾いてくる。

 

「っ………ぶはぁ!」

 

「その体調で我慢比べなど愚の骨頂。己の頭の悪さを嘆きながら死ぬがよい」

 

「その刃は……絶対に受けないッ!」

 

「……往生際の悪い」

 

 振り下ろされる剣を百柄は七笑で受け、受け止め切れずに吹き飛ばされ駐車場の柱に激突する。柱が派手な音を立てて粉塵を広げながら崩れ落ち、受け身を取れず倒れた背中に瓦礫が降り注いだ。止血した傷に石飛礫が当たり激痛をもたらす。あまりの痛みに胃の中の物を全て吐き出してやりたい衝動に駆られるが、何とか我慢した。

 

 とても危ないところだった。攻撃を受ける瞬間に蹴りを入れて若干威力を殺せた。おかげで致命傷は免れることができたが、受け身を上手く取れずに倒れたことで左腕を折ってしまっている。二の腕の真ん中くらいから突き出た白い骨が、百柄が重傷であることをこれでもかと主張していた。

 

「……追いついた、斬る」

 

「挟み撃ちだ。これで終わらせる」

 

「お命……頂戴」

 

「──────────【叢穣坊の大風】!」

 

 百柄が叫ぶと、その折れ曲がった左腕から翠色の風が吹き荒れる。強烈な風圧に吹き飛ばされた2人は咄嗟に地に膝を突いて体勢を立て直すと、身体に違和感があることに気付いた。

 

 百柄から受けたダメージが消えている。零は蹴られた腹の痛みが、沙耶香はマンションで空中から墜落させられた時と、頭突きを受けた額、そして写シを貼って消耗した精神力が。何より【無念夢想】が解けてしまっている。

 

 ──あ、れ?私は何をして……そうだ、私は人を斬ろうとしてて……私は……人斬り……

 

「うっ……ええええ!」

 

「小娘!?くそ、この期に及んで役立たずめ!」

 

「そんなこと言ってやるなよ。自分の意識を塞いでまで頑張ってたんだよ?むしろここまでよくやってくれたって、褒めてやるべきだ」

 

「貴様……その技は!」

 

 自分のしようとしていたことを正気の状態で自覚したせいか、沙耶香は嘔吐しながらその場でうずくまり動かなくなってしまう。完全に戦意を喪失した彼女を叱責する零であったが、直後に歩み寄ってきた百柄が全快していることに更に驚いた。

 

 七笑流剣術を使うことは知っていた。天狗の妖術を使えることもそう。しかし今の技を使えるということは知らなかった。いや、あの技を魔王ナナワライ以外の者が使えるなんて知りたくもなかった。

 

【叢穣坊の大風】、あらゆるものに癒やしを与える天狗の奥義。それを使える人間が目の前にいるだなんて、零にとっては任務を放棄してそのまま逃げ帰ってもいいと考えるくらい、それはそれは恐ろしいことであった。

 

 零がまだあちらの世界にいた時、天狗達とは何度か相対した経験がある。その度にあの癒やしの風で何度ダメージを与えても回復され、まるで不死身のように目の前に立ちはだかられた。その時のトラウマを今、零は刺激されていたのだ。

 

「これで振り出し……お互い万全の状態だ。このまま第二ラウンドと洒落込もうか!」

 

「……ッ!俺を舐めるな、小娘ェ!」

 

 体力全快で第二ラウンドが始まるが、実は両者共に本調子ではない。百柄の【叢穣坊の大風】は傷を治せはしても失った体力は戻らず、また技自体でも大きく体力を消耗する。自分の妖力を使って回復を行う以上、そこだけは回復させるためのリソースがないからだ。

 

 零の方もまた、かつてのトラウマを刺激されたことで心が揺らいでしまっている。ただでさえ浅い傷も治り百柄と違って体力も回復したが、そのせいで動きには大幅な翳りが見えていた。

 

「【シビレ斬り】ィ!」

 

「七笑流──【草薙】!」

 

「ぐあっ……!?」

 

「七笑流──【風車】!」

 

 零の刀を腰を深く落として回避し、そのまま抜刀術【草薙】をお見舞いする。間合いが遠く掠っただけだったが、刃は確かに脛を裂いた。振り抜いた勢いを殺さず身体を回転させ、更に追撃の【風車】を放つ。これを受けたら死ぬと判断した零は痛みを堪えて後ろに跳び、これを回避。百柄もまたこれを追いかけてすぐさま追撃を仕掛ける。

 

「七笑流──【明星】ッ……!?」

 

「【身代わりの術】……これで貴様も終わりだ!」

 

 妖力を電気に変換し、渾身の【明星】を振り抜いた百柄であったが。それが当たったのは零ではなく彼が身代わりとして残した丸太。刀がアスファルトの地面に突き刺さり抜けなくなるのを見て、零は勝利を確信し最後となる一撃を用意した。

 

「【虚空剣──────────」

 

「ぐっ……【石切】!」

 

「【零】!」

 

 この世界に辿り着き、生き抜く中で編み出した零の奥義【虚空剣零】。百柄の【石切】と激突したその一撃は、押し合いの後に陽剣【七笑】をへし折り百柄の身体を首元から斬り裂いた。

 

 血飛沫が舞い、斬り離された二つの身体が地に堕ちて倒れる。もうピクリとも動かないそれの首を胴体から離し、光の消えた瞳と目を合わせてようやく零は任務を達成した──

 

「──【御伽莉花の幻】」

 

 

 ──そんな幻影を、見ていた。

 

「なっ……!?」

 

「七笑流奥義──【燕枯】」

 

 七笑流の奥義……【紫電】とは似て非なる、複数の点を超高速の連撃によって『同時に』斬る離れ業である。電光に変換された妖力が威力を更に後押しすることで、この技は不可避な必殺となる。

 

 いつでも出すことはできない。零が勝利を確信し立ち止まったからこそ、この技を繰り出すだけの隙が生まれた。トラウマを思い起こさせる相手と長く相対していたくないという、零の焦りがこの結果を作ったのだ。

 

 急所にキツい連撃を食らい、倒れた零は痙攣したまま動かない。『命だけはある』というべきとても惨めな姿であった。

 

「忍者が騙されてちゃあ、世話ないね」

 

 刀を鞘にしまい、百柄は呟く。

 

 恩田累宅強襲から始まった野良試合は、これにて百柄の勝利で幕を閉じた。



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20:山中の逃走劇

「うっ、ぐうう……俺、は……」

 

「やっとお目覚めかい。随分とぐっすりだったね」

 

 意識を取り戻した零が最初に見たのは、仰向けに倒れる自分を見下ろす百柄の姿であった。その左手には既に御刀が握られており、下手に動こうとすれば斬られるということは考えなくても分かる。零はなるべく百柄を刺激しないよう注意しつつ、彼女の行動を待った。

 

「あんたの雇い主に伝えときな。私達に刺客を差し向けたところで、返り討ちに遭うだけだからやめておけ、ってさ。今回はその命だけは見逃してあげるから……さっさと私の前から去ね」

 

「……そうさせて、もらおうか」

 

 ザクリ、アスファルトの地面を百柄の刀は軽々と貫通して零の首スレスレに刺さる。もしも自分達が再会するようなことがあれば、今度は一切の情けも容赦もかけないという意思表示。氷を直接耳に当てられたかのような冷たい声色が、その行為の説得力を大いに強めていた。

 

 零としては当然、自分のトラウマと同じ力を持つ上に、実力でも上回る相手にこれ以上突っかかりはしない。百柄の要求を二つ返事で聞き入れると、身代わりだけを残してこの場を去っていった。

 

 ──ちゃんと行ったか。じゃあ、次は。

 

 零の気配がもうしないことを確認すると、百柄はすぐに彼のことを意識から除外し、足早に沙耶香のところへと向かっていく。【叢穣坊の大風】で意識を取り戻してからの彼女は、自分のしようとしていたことの重大さに気付いたことで、精神崩壊を起こし激しく嘔吐する程の重症となっていた。流石に今は少しは落ち着いているが、流す涙だけは変わらず激しく溢れている。

 

「戦いなら、もう終わったよ」

 

「うあっ……!あっ……ああっ……!」

 

「お仲間もとっくに逃げたし……あなたもこれ以上戦う必要はないはずだよ」

 

「私、は……私はッ!」

 

 まだ錯乱しているのか、百柄に声をかけられた沙耶香は差し伸べられた手を跳ね除け、百柄から逃げるように大きく後退る。その手には御刀が握り締められたままであり、まだこの場から逃げ出してやりたいという恐怖と、命令を果たさねばという学長への忠誠心がせめぎ合っているのが分かる。

 

「私はッ……高津学長の、お役にッ……!」

 

「捨て身、か……くだらない」

 

 頭をブンブンと横に振り恐怖に蓋をし、沙耶香は【無念夢想】で無意識に堕ち、【迅移】で勢いのままに百柄に御刀を突き立てる。

 

 百柄はそれを避けることなく、逆に攻撃の間合いに入り込んで刀を突く腕を取る。そのまま空いた右手で御刀を奪うことで、沙耶香を完全に戦闘不能の状態にした。【無念夢想】は解け、写シも御刀を奪われたことで消えてしまう。百柄はここでようやく沙耶香の無力化に成功したのだった。

 

「価値のないものを捨てたところで、捨て身の威力はたかが知れてる。自分の値打ちを知らない者の捨て身なんて、何も怖くない」

 

「何、で……殺さない、の……?」

 

「私の剣は荒魂を斬るためのもの。人斬りなんてロクでもないことをするために、今日まで鍛えてきた訳じゃないんだよ。あなたはどうなのかな?その剣を振るってきたのは、ただ学長の期待に報いるためだけ?それとも、他に理由はある?」

 

「私のっ、理由……?」

 

 百柄は努めて冷静に問いかけ、沙耶香に刀を振るう理由を考えさせる。それは沙耶香の頭の中に大きな迷いを生み出し、彼女の高津学長に尽くす以外になかった思考を呼び覚ました。

 

 しかし、今まで忠誠心以外は何もなかった沙耶香には負担の大き過ぎること。金槌で殴られたように痛む頭を抱え込みながら、うめき声と目尻に涙を溜めて蹲る。そんな彼女に百柄は【叢穣坊の大風】を与えて頭痛を取り払ってやると、痛みが消えて顔を上げた沙耶香にもう一度手を差し伸べた。

 

「きっと答えが出る日はくるさ。だから無理に理由を見つけようと焦らなくていいんだよ。あなたの剣に見つけた答えが乗った時……今度はまた違う形で勝負をしよう」

 

「あっ……あの……」

 

「あの剣術大会であなたが戦う姿を、私はとってもカッコいいと思った。結局その機会が来ることはなかったけど……私はあなたと試合をすることも楽しみにしてたんだよ。それじゃあまた、私は私のやるべきことを果たしに行くから」

 

「あっ……」

 

 短い会話を打ち切り、百柄は先にファインマンとの合流地点に向かった3人を追いかける。背後から沙耶香の「御刀……返して……!」という声が聞こえてきたが、また【無念夢想】で追いかけてこられても困るのでそれは無視する。

 

 ──さて、無事でいてくれるといいけども……

 

 空を飛びながら考えるのは、可奈美達が無事に合流することができたかどうか。彼女らの無事を祈りつつ、百柄は痛む頭と怠い身体に鞭打って全速力で【天狗の風】を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

 一方その頃。百柄の時間稼ぎで先に行った可奈美と姫和は、検問に遭ったことで累とは別れ徒歩で合流地点に向かっていた。車から降りてからかなりの距離を歩いたが、まだまだ目的地は遠い。会話もなしに黙々と歩いていた2人だったが、しばらくして思い出したかのように姫和が口を開く。

 

「そういえば、お前は人質として私達について来ているのだったな。協力者を得られるようになった以上はもう、お前がついてくる意味もなくなる。ここで別れてお前は所轄に保護を求め──」

 

「今更だよ、姫和ちゃん」

 

 そう、可奈美がここにいるのは逃げる時に百柄が人質という体で一緒に連れてきたから。本当ならこうして一緒に逃げる意味はなく、むしろさっきの強襲の時に向こうについても許された立場である。

 

 姫和としても、ただ折神紫の本性を見てしまっただけの者を巻き込むことは忍びない。どうかここで踵を返して伍箇伝に戻って欲しいと思っていた。

 

「姫和ちゃんが戦う理由、トラックの中で聞いた時なんて重たい理由なんだろうって思った。百柄ちゃんが戦う理由、こんな悲しい理由で握られる剣もあるんだってすっごく驚いた。私は2人が戦う理由を知って……それを知ったのなら、少しでも助けになってあげたいって思った。だからこうなったのは偶然でも、ここにいるのは私の意志!今更降りるなんてできる訳ないよ!」

 

「可奈美……すまな……いや、ありがとう」

 

 可奈美の決意に、姫和は巻き込んだことへの謝罪ではなくその覚悟への礼で返した。これで可奈美も大荒魂討伐の同士……もう後戻りはできない。

 

 また移動を再開すると、今度は天気が急に荒れ出し強い雨が降ってくる。道路脇の林に避けて雨宿りしつつ進むことにしたが、この後すぐに彼女らは雨宿りよりも、さっさと進むのを優先するべきだったと後悔することになる。

 

「照合完了……完全一致。捕縛対象十条姫和及び、救出対象衛藤可奈美両名発見。これより捕縛並びに救出作戦を開始します」

 

「ブッヒャヒャヒャヒャヒャ!」「ブリュリュリュリュリュウ……!」「ニョッホゥ……!」「ブブブブブ……!」「ブビビビビィ!」「ンギョギョギョギョギョ……!」「ふかもりゃあ……」「ブリブリブリブリブリブリ!」「ブリュー!ブリュー!ブリュー!」「ブッギョギョギョ!」

 

「うるさい……さぁ行きなさい、ブリュー達」

 

「御意!」

 

 追っ手はもう、すぐそこまで迫っていた。

 

 折神紫親衛隊第三席、皐月夜見。剣術ではあまりこれといった長所を持たない彼女だが、彼女には一つ他の刀使とは違う特異な点がある。それが『己の体内に注入したノロから、人為的に荒魂を生み出すことができる』という点であった。最も今の彼女はそこから更に特異に変質しているのだが……

 

 腕にノロが封入されたカートリッジと御刀を刺し荒魂……ではない何かを生み出していく。まるで魚に人の肢体を繋ぎ合わせたかのような姿をしたそれを、夜見はブリューと呼んだ。百柄も知るかの世界において、とある海域を支配した魔王の操る尖兵と同じそれを、夜見は操っているのだ。

 

「……ッ!?可奈美、追っ手が来ている!このまま全速力で走って逃げるぞ!」

 

「えっ……うわあああ半魚人!?ゾンビ!?何なのあれ!?じ、【迅移】!」

 

 それは体色も合わさって、まるで意志を持った土砂崩れに襲われているかのようであった。一段階目の【迅移】と遜色ない速さで襲うブリューの大群を撒こうと2人は必死で走るが、あちらの方が僅かに速く次第に距離を詰められていく。

 

 このままでは追いつかれる。逃げても埒が明かないと判断した姫和は可奈美にも足を止めさせ、逃げるのではなく応戦することにした。

 

「で、でもどうするの!?刀一本2人だけじゃどう考えても捌き切れない数だよ!?」

 

「……百柄から教わっただろう、こんな時のために使う技を!」

 

「あっ……そうだね!1人じゃまだまだ力不足だけど、2人で力を合わせれば……いくよ!」

 

「──────────【山吹の風】!」

 

 百柄から教わった、御刀の神力を代わりに使って発動する妖術。突風を引き起こすそれの攻撃範囲は御刀一振りとは比べ物にならず、習ったばかりで未熟な使い手である可奈美と姫和でも、神力を合わせて放つことで十分な威力を発揮する。

 

 目論見は大成功を収め、土砂崩れのように襲うブリューの群れは大半が風に煽られ飛んでいった。それでもかなりの数が残ったが、さっきまでと比べればあまりに少ない。姫和はこれならいけると踏んで突撃することを選択し、可奈美も追従した。

 

「くそっ……思っていたよりも強い、が……やはり戦うのを選んで正解だったな!」

 

「うん!ここで数をできるだけ減らして、合流地点まで持ち込まないようにしよう!」

 

「……そうは、いきません」

 

 ブリューの攻撃は【金剛身】を貫き、写シに生身を殴られたかのような鈍いダメージを与える。一段階目の【迅移】より速い移動速度もそうだが、対して強そうでもない見た目の割にかなり強い。と言っても勝てない程ではないので、順調に数を減らすことができていたが。ここでブリューだけでは手に余ると判断した夜見も前線にやってきた。

 

「親衛隊第三席、皐月夜見と申します。我が主人折神紫の命により、十条姫和の捕縛並びに衛藤可奈美の救出に参ったのですが……」

 

「……」

 

「……」

 

「どうやら、どちらも捕縛すべきようですね」

 

 再びカートリッジを刺しノロを補充すると、次は腰に下げていた瓢箪の中の液体を浴びた。溢れた分が地面に落ちると、それは蒸発して空気へと還っていく。【バルバドスの水】、服用した者に超人的な剛力と酩酊をもたらす曰く付きの品である。

 

 明らかにヤバい、可奈美も姫和もその脅威を肌で感じ取った。もし【八幡力】を最終段階まで進めたところで、これ程強くなれるかどうか……ブリュー召喚といい明らかな外法を使う相手を前に、2人は御刀を握り直し気を引き締める。

 

「姫和ちゃん……ここで倒さないとマズいよね?」

 

「ああ……やるぞ、可奈美!」



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21:VS皐月夜見

 外法で人外の強化を得た夜見に加え、【金剛身】すら貫く破壊力を誇るブリューの群れ。多勢に無勢という状況の中、どうやってこれを切り抜けるか。そのための策の一つとして、可奈美は百柄から教わったもう一つの技を行う。

 

「ブーリュリュ!」

 

「ブリァ!あいつ、棒立ち!」

 

「ふんっ……可奈美をやらせはしないぞ!」

 

「では……我が僕ブリュー達よ、あなたらに更なる力を与えます。その力を以て……必ずや十条姫和と衛藤可奈美の両名を捕えなさい」

 

「ギョ御意!」

 

 夜見の命令に返事をしたブリューから、べきべきと不気味な音を立てて姿を変えていく。体格は一回り以上大きくなり、体色も人間なら死体かと思うくらいの白から漆黒へと変わった。形も半魚人といったブリューの姿から、チョウチンアンコウそのままのような姿に変化した。

 

 魔界魚ブブリ、あちらの世界では食用として広く知られているらしい魚だが……この場においては凶悪極まりない敵である。

 

「ブブリァ!」

 

「うっぐ……パワーが、増しているだと……!?」

 

 ブリューの頃でさえ、【金剛身】を貫く攻撃力と【迅移】でも振り切れない速さを持っていた。それが更に強くなってしまったことで、技の段階を引き上げても尚力で上回られてしまっている。出力を三段階目まで上げれば、更に上回り返すことはできるだろうが。それをやれば今度は強化を持続させることができずジリ貧になってしまう。姫和は力でも速さでも体格でも数でも上回る敵を相手に、可奈美を守って立ち回らざるを得なくなっていた。

 

 ──落ち着け。力や速さで負けていようとそれで全てが終わる訳じゃない。ここまで戦ってきた限り奴らは身体能力一辺倒……肉体で劣るのなら、技で上回れ!不利を覆せ!

 

 未知の相手に対し少々浮ついてしまったが、姫和は構えを改めることで心を引き締める。ただ能力のままに暴れ回るだけの相手など、己が長年母と共に培ってきた剣術の敵ではない。落ち着いて戦うことができたなら負ける相手ではないし、そもそも今は躍起になってまで勝つ必要はない。

 

「ブリュウ!?こいつ、つよい!」

 

「みんなやられていっちゃう!」

 

「怯むことなく進みなさい。それがあなた達の存在意義でしょうに」

 

「ギョ、ギョイ……!」

 

 攻撃を受け流し、同士討ちを誘い姫和はブブリ達を巧くいなして数を減らしていく。大した成果を挙げられぬまま消滅していく彼らに業を煮やし、夜見も直接参戦する。流石に【バルバドスの水】で酩酊していても親衛隊の実力は確かであり、超強化された膂力も相まって、ブブリとは比べ物にもならない力と技術で姫和を押していく。

 

 ブブリとブリューもその数と力で夜見を援護し、このまま後退させられて、可奈美のところまで辿り着かれてしまうというところであったが。可奈美はその前に技を成立させ、【バルバドスの水】並に強化された力で参戦した。

 

 七笑流【練気】。百柄が使うそれは戦いの中でも一瞬の呼吸だけで成立させることができるが、可奈美では習って時間が経っていないことと、もともとそこまで器用でもないことが合わさり、百柄のように攻防の中で瞬時に使うということはできない。その代わりに、準備時間という隙を設けてでも長く呼吸をすることで効果時間を延長し、【練気】を何度も使う手間を省いているのだ。

 

「お待たせ、姫和ちゃん!【練気】のパワーアップって凄いんだよ!今なら何でもできちゃいそう!」

 

「なら、その力でこいつらを倒すぞ!」

 

「もちろん!一緒に頑張ろうね!」

 

「……ブリュー、ブブリでは力不足。私も一杯では足りないようですね」

 

 ブリューを消滅させて無駄死にを減らし、夜見は【バルバドスの水】をもう一杯浴びる。更なる能力の向上と引き換えにより酷い酔いに苛まれるようになるが、彼女はそれで構わないと思っている。この身この力は全て、あの方の役に立つために存在しているものなのだから。

 

「フラフラだけど……大丈夫なのかな?」

 

「敵に情けをかけるな。来るぞ!」

 

 可奈美と姫和、夜見は同時に突撃しそれぞれの御刀を撃ち合わせる。連携して力で勝る夜見をブブリを減らしながら押していき、少しずつ戦局は2人の方へと傾いていった。

 

 ──【八幡力】でも力負けするパワーは確かに凄まじいものだが……どうやら、スピードはそこまで変わっていないようだな!

 

 ──この魚もだいぶ数が減ってきた……親衛隊の人の強化がどれだけ続くか分からないけど、この戦い有利なのは私達の方!だって強化が解ければ酔っ払いだもん!

 

 ──まるで、古くからの付き合いであるかのような綿密な連携……ブブリの力と数を以てしても軽くあしらわれますか。このままでは任務達成は難しいでしょうね……仕方ありませんか。

 

「わっ……危なかった!」

 

「距離を離されるな、追いかけろ!」

 

「ブリィ!夜見様の邪魔させない!」

 

「あなた方の相手は骨が折れそうですので……奥の手を使わせていただきます」

 

 カートリッジからノロを補充する、しかし今回は一本ずつではなく温存していた分を全て。せしめて12本のカートリッジを消費した夜見は、ごそごそ懐を探ると蒼黒い玉を取り出した。注入されたノロが玉を通じて妖力に変換され、再び夜見の体内へと還っていく。

 

 あまりにも禍々しい玉の纏う雰囲気に、2人はブブリの相手をすることも忘れて立ち止まった。この雰囲気は知っている、妖術を使う人間ならば身近なところに1人いるから。しかし百柄のそれとは似ていても全く違うと分かる禍々しい威圧感。こんな人間が存在していいのか、そう思わせるくらい圧倒的な力と破壊を予感させてきた。

 

「『海王のオーブ』……使った時、辺り一帯への影響が大き過ぎるため使用は控えるよう言われているのですが。あなた達2人を捕らえるには必要なことと判断しました。……【うずしお】」

 

「うっ……わあっ!?」

 

「可奈美ィ!【天狗の風】!」

 

「空を飛んで逃げましたか。ならば撃ち落として渦に呑み込んでしまいましょう……【収束ウォーターレーザー】」

 

「速過ぎる……生身に食らえば肉片だぞ!?」

 

 大質量の渦巻く水が襲いくる。とてつもない迫力とプレッシャーに気圧され、足を動かせなくなってしまった可奈美を姫和は【天狗の風】で無理矢理に地面から引っこ抜き救出した。

 

 可奈美も【天狗の風】は使えるのだが、不安定な上に渦に呑まれそうな恐怖も相まって、選択肢から外れてしまっていたのだ。今回はその後に放たれた水のレーザーも回避に成功したため、姫和の判断が功を奏した形になる。

 

「あっあっ、ありがとう姫和ちゃん!」

 

「言ってる場合か!次は弾幕で来るぞ!」

 

「……【水鉄砲】」

 

「可奈美、全力で回避し続けろ!」

 

 助けてもらった礼を言う暇もなく、次の攻撃を避けなければならなくなる。一発一発が木々をへし折る威力の弾幕を紙一重で避けながら、それを放つ夜見の元へ近付くのを狙う。ウォーターレーザーも変わらず放たれているし、一度でも被弾してしまえば渦に落ちてお陀仏だろう。無傷が絶対条件の回避はどうにか続いているが、避けられているだけで近付くことができない。歯痒い気持ちを覚える2人であったが、それは夜見もそうであった。

 

 ──しぶといですね。環境破壊は後で始末書を書くことになるので観念してほしいのですが……

 

「────いつまで時間をかけるつもりだ?」

 

「……え?うっ……う、ああああああ!!?」

 

 弾幕の密度をもっと上げられないか。それを試そうとした時、手に持っていた海王のオーブが妖しく光り輝き声を発した。今までも使う機会はあったがこんなことはなかった……夜見がそう疑問を覚えるよりも先に、オーブから溢れ出した蒼と黒のオーラが彼女を包み取り込んでしまう。

 

「ひ、姫和ちゃん!今あの玉が光って、それで親衛隊の人がの、呑み込まれちゃって……!」

 

「ノロの注入にあの玉……外付けの力を正しく扱い切れずに暴走させてしまった、というところか」

 

「我が名はバローロ……この世全ての海を統べる魔王であったが……それも過去の話よ。今の我にその力は見る影もない……このような小娘を依代として使わねば、現界も満足にいかぬ有様よ。だが久方振りにこうして顕現することができた……ならば海王の矜持として、この地上を破壊し我が楽園たる水底へと沈めてやろう!」

 

「そんなことは私達がさせない!」

 

「ここで貴様を斬り、その野望は阻止する!」

 

「ならばやってみせろ……いでよ我が僕、『魔海王タツドン』!」

 

 そこで力を使い果たしたようで、バローロは消え去り夜見は糸の切れた操り人形のように倒れる。地面を抉り削っていた渦も共に消え去り、残ったのはバローロが描いた魔法陣と、そこから現れた一頭の漆黒の竜の姿だけであった。

 

 魔海王タツドン。そこに存在するだけで暴風雨を呼び起こす、海の魔王が誇る暴虐の化身。

 

 もともと、夜見に襲われる前から天気は崩れ雨が降り始めていたが。タツドンが現れたことで風雨は更に勢力を増し、台風一過と遜色ない暴力的な雷雨が巻き起こされることとなる。

 

「ギャオオオオオオォ!!」

 

 その咆哮がより雨を強め、山中であるにも関わらず時化が呼び起こされる。まだ2人は飛行中なので地上がいくら荒れようと、あまり関係ないのが幸いであるが……

 

 ギロリ、とタツドンの狂気を孕んだ眼球が可奈美と姫和をそれぞれ捉える。どうやらここでようやく2人の存在を把握し、狩るべき獲物として見定めたようであった。

 

「……さっきみたいに力を合わせるぞ。堀川さんがやるようにできれば……!」

 

「確か、こうだったよね……」

 

「──【タロウボウの大風】」

 

「ラギャアアア……!」

 

 イメージするのは、神社で戦った時に百柄が使っていた暴風の妖術。2人分の神力とイマジネーションでどうにか術は成立、次はこのまま放たずに風を御刀に留められるようにする。圧縮して小さく纏めることで、一点にかかる威力をより高いものにする狙いがあるのだ。

 

 2人とも分かっている、たかが数日程度の修行でどうにかなる程妖術は甘くない。風を一点に留めるただそれだけの工程で意識が飛びそうになるくらいの負担がのし掛かってくる。それでもここでやらなければ、タツドンが呼び起こすこの暴風雨に山を沈められてしまう。泣き言や言い訳をしている暇も時間もない。

 

 少し【タロウボウの大風】が安定してきた頃、タツドンの方にも変化があった。威嚇するように咆哮を繰り返すだけだったのが、喉に大量の圧縮された水を溜めている。夜見が使っていたウォーターレーザーよりも、遥かに規模も威力も桁違いなレーザーが放たれる。それを察した2人は風が安定している今の内に、勝負を着けることを決めた。

 

「一発勝負だ……いくぞ、可奈美!」

 

「うん……必ず勝つ!」

 

「ギャアアオ!」

 

「ソレハヤラセナイ。【金剛立ち】……アナタタチハワタシガマモル」

 

「えっ……ろ、ロボット?」

 

 同時に放たれた攻撃、暴風を纏う二振りの御刀とウォーターレーザー。二つの攻撃が激突する寸前にその間に割って入った影が一つ、人間と変わらないシルエットをした白いロボット。バリアのようなものを展開しレーザーと剣撃を弾くと、そのまま可奈美と姫和の襟首を掴んで何処かへと飛んでいった。

 

「ま……待って!あのドラゴンが……!」

 

「そうだ、あれは絶対に野放しには!」

 

「タツドンハモウモンダイアリマセン。ワガブカガアナタガタニカワッテタイショイタシマス。キニナルトイウノナラバドウゾ、ソノヨウスヲゴジシンノメデオタシカメクダサイ」

 

 タツドンを野放しにしてはおけない、自分達を掴んで逃げるように飛ぶロボットにそう抗議する2人であったが、ロボットは代わって対処するから任せておけという。

 

 見えたのは衝撃的な光景であった。大量の大きな脚を備えたロボットがタツドンに貼り付き、一斉に自爆を行っていたのだ。断続的に繰り返される爆破には流石の海の暴君も耐え切れず、口から水ではなく黒煙を吐いて地に倒れ伏す。そのまま一度大きく反り返ると、ピクリとも動かなくなった。

 

「ほんとに、倒しちゃった……」

 

「何なんだ、あいつらは……?」

 

「ソノシツモンニハノチホドオコタエイタシマスガユエ、シバシゴシンボウクダサイ。コノママワレラガホンキョチ、石廊崎マデチョッコウイタシマスノデオチナイヨウニゴチュウイヲ」

 

 石廊崎……それはファインマンから送られたメールに載っていた彼との合流場所である。それを知っているということはつまり、このロボットは仲間であるということ。このような得体の知れないロボットを製造したとは、ファインマンとは一体何者なのだろうか……疑念を深めたのを察したか、ロボットは2人の知りたいであろうことを答える。

 

「ワタシハ『ロボ零式』トモウシマス。コレカラヨロシクオネガイシマス、ドウシヨ」

 

 無機質な機会音声のはずなのに、その声色は迷った幼子を慰めるような優しさを纏っていた。



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22:その頃

「沙耶香!あなたという子は……なんという失態を犯してしまったの!居場所を特定し、奇襲をかけて増援まで使っておきながら……!そこまでやって尚返り討ちに遭い、標的を討ち漏らすとは!どうやら私はあなたを過大評価していたようね!」

 

「申し訳……ございません……」

 

「あの出来損ないもそうよ……!私の研究を離れた力まで勝手に使用したにも関わらず、標的の討伐も人質の救出も失敗!ろくに御刀も扱えず、紫様に温情で拾っていただいただけの半端者が……我が鎌府の刀使を差し置いて紫様より命令を賜っただけでも許せぬのに、その上で失敗して紫様の顔に泥を塗る結果で終わらせるとは!」

 

「……」

 

 百柄が襲撃を返り討ちにした夜、鎌府女学院では学長高津雪那によるパワハラが行われていた。自分が手塩にかけて育てた最高傑作の刀使が、一月前に伍箇伝に来たばかりのぽっと出に負けた上、万全を期すために遣わせた抜忍の零も一緒にやられ今では連絡もつかなくなった。彼にはこれまでもそれなりに多くの仕事を任せてきたし、これからもそうするつもりであったのに。何もかもが上手くいかない現実に腹を立て、雪那は強く爪を噛んだ。

 

 御前試合で負けたことはまだいい。反逆者に返り討ちにされたことも、任務成功率100%という彼女の長所が消え失せてしまったがまだ許せる。零がこちらへ失敗の連絡や、謝罪もなしに姿を眩ませたことも。彼に支払った報酬の前金が完全に無駄金になったこともまぁ我慢できる。

 

 雪那が何より許せなかったのは、沙耶香が御刀を奪われたことであった。御刀は刀剣類管理局の下で決して悪用されないよう厳重に管理され、選ばれた刀使のみがそれを振るうことができるのだ。御刀を奪われるということは、それを管理する立場にある刀剣類管理局……ひいてはそれを統括する折神紫の顔に泥を塗るということ。

 

「沙耶香!あなたはその失態で紫様の名誉を穢したのよ、この責任をいったいどう取ってくれるというのかしら?妙法村正に選ばれ、紫様のお役に立つためだけに存在しているあなたが……己が仕える主の名誉を貶める。その罪は重いわよ」

 

「……処罰なら、何なりと」

 

「殊勝な態度ね。ならばあなたの処分は追って後日沙汰を出します。それまで取り調べ室で自分の力不足を反省していなさい。今夜はもう、この部屋から出ることは許しませんよ!」

 

「……了解」

 

 その命令に沙耶香は粛々と従う。元より御刀のない刀使にできることなどないし、罰されるべき失態を犯したのは自分であるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

 無機質で冷たい取り調べ室のパイプ椅子に座り、朝が来るのをじっと待つ。その間中ずっと沙耶香の頭の中には、百柄からの言葉が渦巻いていた。

 

『あなたがその剣を振るってきたのは、ただ学長の役に立つためだけ?』

 

 剣を振るう理由……改めて考えてはみたが、何も思いつかない。きっと最初から沙耶香はそうだったのだろう。多くの刀使には何かしら……例えば故郷を荒魂に破壊されたからだとか、人々を守れる力を手に入れるためだとか、そういった刀を振る理由が大なり小なりあるはずなのだ。

 

 なのに自分はどうだろうか。刀使の才能があったからという理由で伍箇伝に入学し、御刀に選ばれてから学長に見初められて、その才能をより伸ばすという理由で、ノロを人体に注入し刀使の力を引き上げるという実験に協力した。そこには沙耶香自身の意思など何一つない──

 

 ──ただ選ばれたから。ただそうするのが良いことだと言われたから、そうしただけ。自分では何も考えず、何も感じず無のままでいることはある意味とても簡単で、楽な生き方だった。

 

「私、は……」

 

 あの戦いでは、そんな安易な生き方を続けてきたツケを支払わされたのだ。いざ【無念夢想】が解けて意識を取り戻してみれば、そこにいたのは自分のしようとしたことを受け入れられず、ただ駄々っ子のように泣き叫ぶだけのちっぽけな自分自身。何の覚悟も持たずに握られる御刀の、何ともちっぽけで軽いことか。

 

 ガタガタと身体が震える。縋るものも何もない冷たい取り調べ室の中では、迷いと恐怖でいっそう背筋が凍えるのを感じた。刀を握る覚悟を、人を斬るということがどういうことかを知ってしまったから余計に怖い。このまま無感情で空っぽだった自分に戻れたら、それはどれだけ楽なことだろうか。

 

「えっと……失礼します」

 

「え……」

 

「いた……あなたが沙耶香ちゃん……だよね?」

 

「あなた、は……?」

 

 無駄な考えは来訪者によって打ち切られる。取り調べ室で沙耶香が謹慎させられているということを知った舞衣が、彼女を訪ねてきたのだ。

 

 訪ねてきた用事はもちろん、拐われた親友可奈美の安否。初対面の相手だし別に答える義理も義務も沙耶香にはないのだが、彼女は舞衣からの質問には拒否することなく答えていた。自分でもなぜそうしたのかは分からない。舞衣の必死で慌てた様子に感化されてしまったのか、それとも……

 

「良かった……可奈美ちゃんは無事なんだね!」

 

「……」

 

「あっ……ごめんなさい!沙耶香ちゃんの前で言うのは無神経過ぎだったね……!」

 

「負けたのは事実……別に構わない」

 

 会話が続かない。用事を終えて話題がなくなったということもあるが、沙耶香の返答が一言や二言で終わるせいで、会話が弾むことなくすぐに打ち切られてしまうのだ。おかげ様で、取り調べ室の中にはとても微妙な空気が漂っていた。

 

 ──あ、よく見たらあの頬……赤くなってるのは腫れてるから……?

 

 どうにかコミュニケーションを続けられないかと会話の糸口を探していた舞衣だが、話題の代わりに沙耶香の頬が赤く腫れていることに気付いた。初めは体温の高い子なのだろうとか思い、特に気にしてはいなかったのだが……気付いてしまっては放っておくことはできない。

 

「ちょっとごめんね……頬、腫れてるから」

 

「え……」

 

「任務では怪我した人の応急処置をすることもあるから、簡単な治療道具はいつでも使えるように持ち歩くようにしてるの。ちょっと染みるかもしれないから、少し辛抱して……はい、できた!最後に痛いの痛いの〜飛んでいけ!えへへ、子どもっぽい言い方でごめんね?上の妹がこういうの好きなんだ」

 

「別に……気にしない」

 

 赤くなっている部分を消毒し、その上から清潔なガーゼで覆いテープを止める。仕上げに痛みを何処へと飛ばす魔法の呪文をかければ、それで応急処置は完了する。最後の呪文が子供騙しっぽいことを自嘲する舞衣であったが、沙耶香にはそれがじんわりと心に染みて温かい気持ちにさせてくれた。

 

「後はこれ、可奈美ちゃんが拐われてから心を落ち着けるために作ったたんだけど……落ち着くまでやってたら作り過ぎちゃってたから。沙耶香ちゃんが良かったら、食べてくれると嬉しいな」

 

「……クッキー?」

 

「趣味なんだ。あんまり長居して見つかったら怒られちゃうから、私はもう行くね。御前試合で可奈美ちゃんと試合してくれてありがとう。可奈美ちゃんのこと教えてくれてありがとう。あの子剣術の勝負が大好きだから……また、勝負してあげてね」

 

「あ……待っ、て……」

 

 用事も済んだし、長居して高津学長に見つかったら面倒だからと退室する舞衣。しかし沙耶香はドアを開けた彼女の袖を掴み、消えるような震えた声で引き留めた。

 

 衝動的な行動なので、自分でもなぜそうしようと思ったのかが分からない。何か舞衣に対して用事があるから引き留めたはずなのに、その用事が少しも思い浮かばないのだ。自分でやっておきながら困惑して停止する沙耶香であったが、そんな彼女に舞衣は優しい笑みで落ち着きを促す。心に整理がついて話せるようになるまで、いくらでも待ち続けてあげるから。目線と表情で雄弁に語っていた。

 

「あ……あ、ま……舞衣、は……どうして、御刀を振るってる……の……?」

 

「刀使になったきっかけ……ってことかな?それなら私は……見過ごせなかったから、かな。私に力があって、それで守れる誰かがいるなら……私は刀を振るえる。美濃関に入って可奈美ちゃんと出会ってからは、一緒に強くなっていくのが楽しくてそれも理由になってるけど……やっぱりきっかけと言えば私はそれだね」

 

 舞衣の話す理由を聞いて沙耶香が思ったことは、『やっぱり……』であった。空っぽな自分とは違う理由のある剣。ひたすら真っ直ぐに『誰かを守れる力を得る』という目的を果たすため、舞衣は御刀を振るっている。断固として語れる理由を持つ舞衣の姿が、沙耶香にはとてつもなく眩しくて……そして溢れた涙で滲んで見えた。

 

「だ、大丈夫……!?」

 

「教えて……舞衣。私は、どうすればいい……?」

 

「……沙耶香ちゃんのお話、聞かせて?」

 

「うん……」

 

 堤防が破れ崩れるように、沙耶香の口からは迷いと悩みが飛び出していく。どんなに考えても分からなかったことを、出せなかった答えを求める感情が爆発して舞衣に降りかかる。舞衣はそれをしっかりとその胸で受け止め──彼女なりの見解を、迷える沙耶香に示してみせた。

 

「沙耶香ちゃんがどれだけ苦しんだか、よーく分かったよ。高津学長のためにっていうのが今までの戦う理由だったなら、まずはその前提からぶっ壊しちゃおう!まずはここから出るよ!」

 

「で、でも今日はここからでちゃダメって……」

 

「……苦しい時、辛い時は逃げたって良いんだよ」

 

 戦う理由がないのならば、これから新しく作っていけばいい。そのためにまずは今の戦う理由である雪那の元を飛び出す。命令があるからと取り調べ室を出るのを躊躇う沙耶香であったが、舞衣は彼女の手を握ると確かな口調で言い切った。

 

 ここにいることが辛いのなら、空っぽのまま戦うことが苦しいのなら。そんなところにいつまでも残り続ける必要なんてない。自分が幸せになれないような居場所なんて、捨ててしまえばいいと。舞衣はそう言って、沙耶香を空気の冷たい取り調べ室から連れ出していった。

 

「美濃関に行こう、沙耶香ちゃんが編入できないか羽島学長に頼んでみるよ。大丈夫……生徒のために親身になってくれる人だから、きっと沙耶香ちゃんの助けになってくれるよ」

 

「美濃関まで……どうやって行くの……?」

 

「これでも私ね、結構お嬢さまってやつだから……人を呼ぶことも簡単にできるんだよ」

 

 

「あれれ〜?沙耶香ちゃんじゃーん?高津のおばちゃんの言いつけ破ってー、こーんなところで何をしようって言うのかなーっ?」

 

 鎌府の敷地から出て、少し離れた所で柳瀬家の使用人に連絡し迎えに来てもらう。そうして美濃関のある岐阜まで逃げた後で、羽島学長に沙耶香を保護してもらうという算段だったのだが……逃避行には追っ手が付き物、ということなのだろうか。

 

「ダメじゃん沙耶香ちゃん、おばちゃんの言うことはちゃんと聞かなきゃ!沙耶香ちゃんがあんまり悪い子だとー、怖ーい刀使さんの『おもちゃ』にされちゃうんだから……ね!」

 

 折神紫親衛隊第4席、燕結芽が御刀を抜き逃げる2人の前に立ちはだかる。



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23:親衛隊の実力

「あっはは〜!おねーさん達、ちょっと弱過ぎじゃな〜い!?2人がかりで私1人にこんなに苦戦するってー、修行が足りてないんじゃなーい!?」

 

「ッ……強、い……!」

 

「言うだけのことはある、って感じ……!」

 

「そりゃーそーだよ!私は紫様の親衛隊第四席なんだからね!数字は実力順じゃなくて年功序列だから実力差は関係ない……紫様の部下の中じゃあ、私がいっちゃん強いんだもんねー!」

 

 結芽の鋭い剣筋に苦戦する舞衣と沙耶香。御刀を持っていない沙耶香のことも、結芽は構わず攻撃の対象としてくる。しかし回避するくらいなら何とかできたため、傷は負っていないが……写シがあるのとないことでは、肉体のスペックも、攻撃に晒されるプレッシャーも、行動を続けるための体力も断然変わる。舞衣がいなければ、瞬殺されて学長の元に連れ帰られていただろう。

 

 その舞衣もかなり苦しんでいた。可奈美に勝つために多くの技を習得し、そして鍛え上げてきた彼女でも軽く上回られる相手の実力。相対した時の圧の重さだけで言うならば、神社で戦った時の不思議な術を使う百柄よりも遥かに上であった。

 

「沙耶香ちゃん、下がってて……!御刀がない状態で勝てる相手じゃないから……ッ!」

 

「そーそー!せーっかく、高津のおばちゃんが沢山褒めてる沙耶香ちゃんと遊べると思ったのに!御刀持ってないなんて思わないじゃん!?生身で写シの身体に勝てる訳ないんだしさー、大人しく捕まるのを待っててよ!」

 

「ううん……!沙耶香ちゃんは私が守る……高津学長のところには連れて行かせない!」

 

「へぇ……おねーさん、あんまり強くないのに結構頑張るじゃん!やっぱりお友達のため?」

 

「そうだね……ッ、それも、あるけど……!」

 

 語り合う中斬り合いも続くが、やはり結芽は強くじりじりと押されていく。パワーもスピードもそうだが、一挙一動のクオリティが舞衣のそれとは全く違うのだ。

 

 すぐには戦いが終わらないように、少しずつ嬲り殺しのように舞衣は斬り刻まれていく。写シがダメージを肩代わりしてくるとはいえ、それでも多少の痛みはあるのだ。それが全身に少しずつ、終わることなく続くとなれば……舞衣の受けている苦しみは相当なものとなるだろう。見ていられないあまりの痛々しさに、沙耶香は心から叫んだ。

 

「やめて……やめて、舞衣!私が逃げようとしなかったら……鎌府に帰ったらそれで済むから!あなたが傷付く必要なんて……ない!」

 

「本当に……それで、いいの?」

 

「え……?」

 

「さっき、その怪我治療した時……私の妹の話したよね。とってもわがままで甘えん坊……なのに本当に困っているときに限っては、助けてって言ってくれないの。どんなに辛くても苦しんでても、絶対に弱音は吐かない……おかしいよね」

 

 舞衣が沙耶香を助ける理由……それは、妹の姿と彼女が被って見えたからであった。辛いはずなのに弱音を吐くことができず、孤独を抱え込んで自分の中だけで終わらせてしまう。そんな沙耶香のことを放っておくことができなかった。だって──

 

「──私は、沙耶香ちゃんよりも少しだけお姉さんだから……!戦う理由は、それで十分……!」

 

 妹を守るのは、姉の務めなのだから。

 

 自分が戦う理由を言葉にしたことで、より強く覚悟が固まったのだろう。舞衣の剣は撃ち合う度次第に鋭さを増していき、遥か格上である結芽にも傷を与えられるようになった。【迅移】も【八幡力】も出力がどんどん上がっていき、このままいけば格上狩りもあり得る……と思わせたが。

 

「アハッ……いいよ、いいよおねーさん!こんなにできる人だなんて思ってなかった!おねーさんのこと舐めてたよ!」

 

「あなたにも負けない……沙耶香ちゃんのために、私は勝つ!」

 

「本当に凄い気迫だね……でも!」

 

「ッ……きゃっ!?」

 

 舞衣の怒涛の連続攻撃に、反撃の隙もなくじりじりと押されていく結芽であったが。大振りの攻撃に受け止めるのではなく後退を選択し、空振りを誘うことで無理やり反撃の糸口を作り出す。体勢を立て直す前に舞衣の写シは斬り裂かれ、御刀は弾き飛ばされて沙耶香の目の前で地面に突き刺さった。

 

「私に勝つには、まだ力が足りなかったね……!」

 

「うぅ……沙耶香ちゃん、逃げて……!」

 

 御刀を失えばもう、刀使と言えども普通の少女と何ら変わらない。それを分かっているからこそ舞衣は自分の身を顧みることなく、沙耶香にこの場から逃げるように伝えた。

 

 生身のまま逃げたところで、結芽は【迅移】を使えるため結局捕まることになるが。それでもこの場に残り続けるよりは可能性はある。

 

「……逃げない!」

 

「え……!?」

 

「へぇ……まさか、その御刀で戦うつもり?他人の御刀じゃあ実力の一割も出せないで……しょ!?」

 

「舞衣の頑張りを……無駄にしたく、ない!」

 

 舞衣のことなんて見捨てて、一目散に逃げれば良かったのに。沙耶香はそうせずに結芽と戦い舞衣を庇う道を選んだ。きっと今までの彼女ならば絶対に選ばなかった選択肢……初対面の相手でも、真摯に向き合った舞衣の態度が選ばせたのだ。

 

 ──胸が苦しい……心が痛い。でも……私だけが逃げる訳には、いかない!

 

 どこまでも高津学長に任せて、自分で戦う理由を持たなかった沙耶香に、舞衣は『戦う理由なんてこれから作っていけば良い』と言ってくれた。それが沙耶香にはとても嬉しいことで……そして、絶対に失いたくないと思える気持ちであった。

 

 だから沙耶香は戦う。【無念夢想】……今は余計なことは考えなくていい。舞衣を守るために全力でその力を振るえと、自分自身に言い聞かせる。

 

「ウッソでしょ……自分のじゃない御刀でどうしてこんなにやれるの!?これが、高津のおばちゃんも唯一『天才』って認める才能……!」

 

「ああああああああぁぁッ!!」

 

「凄い……凄いいいよ、沙耶香ちゃん!」

 

「ここで……あなたは倒す!」

 

 思考を経由せずとも、身体が最も効率の良い動きを判断してその通りに動く。【無念夢想】の境地がもたらす最適解が、自分の御刀を持たないハンデと元々の実力差を中和してくれる。どうせ及ばないとタカを括っていた相手が、予想外に高い実力で食らい着いてきてくれる。結芽はそのことに喜び更なる実力を解放する……沙耶香もまた、食い下がる。

 

 舞衣もまた、自分が逃げることも忘れて倒された場で戦いに見入っていた。さっきまで自分が戦っていた結芽はまだ実力を隠していて、沙耶香も自分のでない御刀でそれと互角に斬り結ぶ。2人のその力がよく分かるからこそ、目を離せないでいた。

 

「頑張って……勝って、沙耶香ちゃん!」

 

「うん……私が、勝つ!」

 

「ふーんだ……いくら沙耶香ちゃんだって、そんな御刀でいつまでも保つ訳ないでしょ!」

 

「うっ……まだ、どこにそんな力が……!」

 

 均衡が崩れる。互角だった斬り合いは次第に結芽が押していくようになり、合わない御刀を使う負担から沙耶香の動きが段々悪くなっていく。このままでは負ける、捕まって高津学長の元へ連れ戻されてしまう。そうなったら自分を連れて逃げようとした舞衣はどうなる?都合を考えず好きなように使える実験台として、自分以上に過酷な実験をさせられるかもしれない。

 

 そんなことにはさせられない。何かここから事態を好転させる手段はないか──無意識が疲労で重たくなった身体を動かす中、沙耶香は思考をフル回転させて答えを探し求める。

 

 

 ──────────あった、勝つための一手!

 

 

 ヒントは見つかった。御前試合の百柄と可奈美の試合……あの時の百柄と同じことができたら、結芽に勝つことも不可能ではない。百柄の技は聞いたこともない流派だし、実際に体感したのも無意識の時だったのであまり自覚がない。

 

 しかし、それでもやるしかない。

 

「ふーん……?眼の色が変わったね。いったい何を狙ってるって言うのかな!?」

 

「あなたを倒す……そのための一手!」

 

 大事なのは技を出す隙を作ること。見様見真似でやる分本家よりも威力はもちろん、技の速度や精度なども大幅に落ちる。だから確実に技を成立させるための隙を、こじ開けなければならない。

 

 ──けど、速過ぎる……隙を作る暇がない!

 

 しかし、結芽程の実力者を相手に隙を作り出すことはとても困難なことであった。ただでさえ結芽を相手に防戦一方なのに、そこから一歩先に踏み出すのは並大抵の難易度ではない。このまま続けていてもジリ貧になるだけだし、何処かで勝負に出なければならないのに……どうしてもそのチャンスを掴む機会すら、見出すことができなかった。

 

「あっ……高津学長!?」

 

「えっ……」

 

「ええっ!?ちょっと遊びたかったからワザと報告してなかったのに!どうして高津のおばちゃんここに来て……いないじゃん!?」

 

「……ありがとう、舞衣」

 

 舞衣が機転を効かせ、結芽の意識を逸らすことで隙が生まれた。この機を逃さず沙耶香は御刀を上段に構えて力を抜く。残る神力の全てを刃に集約して放つ最後の切り札──七笑流【石切】。

 

「うっ……けど、こんな大振り……ッ!」

 

 騙された結芽は沙耶香に意識を戻すが、既に御刀は振り下ろされている。【迅移】の出力を最大まで引き上げどうにか回避を狙う……しかし結芽が跳ぶよりも早く、刃は振り切られた。

 

 地面まで当たった刃はアスファルトを砕き、粉塵を広く撒き散らす。もくもくと噴き上がる灰色の煙が晴れて視界が戻った頃、結芽の前からは沙耶香も舞衣もいなくなっていた。

 

「ははっ……出し抜かれちゃった。間に合わなくて足をやられちゃったし……こりゃ、負けだなぁ」

 

 写シを解除し、結芽は霊体から生身の自分に戻っていく。回避が間に合わず両脚を完全に斬り落とされてしまったが、やられたのはあくまで写シ、解除すれば五体満足に戻るのだ。

 

 しかし、かなり長い間写シでいたのともう視界外に消えられたこともあって、彼女らを追うのはもう不可能になった。戦っていたのがバレたら高津学長もうるさくなるし、追跡は諦めて今日のことは秘匿することに結芽は決めるのだった。

 

「ごほっ……はは、今回は結構保ったかな……」

 

 刺すような胸の痛みに、結芽は忌々しそうに顔を歪ませる。今回は戦闘中に発作が起こらなかったので長続きした方と言えるのだが……これが忌々しいものであることに変わりはない。

 

 今日はもう帰って寝よう……せっかくの楽しかった時間を台無しにしないように、結芽は騒ぎを嗅ぎつけた警察が来る前にこの場を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「お迎えに上がりました、舞衣お嬢様」

 

「柴田さん、急な連絡だったのにありがとうございます。それに羽島学長も……?」

 

「事情を聞かせてもらったのよ。美濃関よりも匿うのにちょうどいい場所があるから、向かうのならばそっちにしましょう。とにかく今はここを離れることを優先するのよ」

 

「という訳です。ささ、行きましょうか」

 

 結芽を撒いた後、柳瀬家に連絡を入れてしばらく経ったところで執事が迎えに来てくれた。一緒に羽島学長も乗っていたのが気に掛かったが、どうやら家が学院の方にも情報を入れておくべきと判断して来てもらったとのことである。

 

 沙耶香を美濃関に保護してもらう……舞衣が考えていたのはそんな案だったが、羽島学長はもっと良い保護先を用意してくれていた。しばらくの間車に揺られて着いたのは、地方の長閑な小村……という名目でカモフラージュされた、秘密組織『舞草』の隠れ里であった。

 

「あっ……舞衣ちゃーん!沙耶香ちゃんも!?」

 

「可奈美ちゃん!?どうしてここに……本当に良かったよ……ずっと会いたかったんだよ!沙耶香ちゃんも可奈美ちゃんに会いたいって、車の中でずっと言ってたし!」

 

「舞衣はもっと言ってた……」

 

「……ふふ。良かったな、可奈美」

 

 離れ離れになった親友との再会。沙耶香の強襲から始まった逃避行の末に、可奈美と姫和はロボ零式によりこの隠れ里まで連れてこられたのだ。それは舞衣と沙耶香がここに着いたタイミングの少し前のことであり、ほとんど一致した時間であった。

 

「いろいろあったけど、これでずっと一緒だね!」

 

「あれ……そういえば、百柄ちゃんはいないの?」

 

「彼女ならまだ来ていないよ。元の合流地点に目印を立てておいたから、それを見つけていればじきに辿り着くだろう。とりあえず今は、君達だけでも歓迎しよう!ウェルカム、舞草!」

 

「ねねー!」

 

「会えて光栄だよ、勇敢なる叛逆者達に……そしてその仲間達!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「あまり傷付く前に、降参してはくれないか」

 

「恩のあるあなたと敵対するのは……私達としても忍びありませんの」

 

「悪いけど……無理な相談だね」

 

「異分子よ……ならばここで死ぬがいい」

 

 可奈美・舞衣・姫和・沙耶香が、舞草に合流したちょうどその頃。百柄はといえば親衛隊2人と折神紫本人による襲撃を受けていた。先の戦いから休む暇もなく続く戦いに、既に疲労はピークに達し写シを貼ることすらままならない。

 

「私は、死ぬ訳にはいかないんだ」

 

 それでも己の本懐を果たすべく、百柄は刀を握る手に力を込める。



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24:三対一

「真希さんも寿々花さんも、ノロを利用して自分を強化していたんですね。そりゃあ強い訳ですよ」

 

「嫌味な言い方だね。荒魂に対抗するために使えるものは使っていく……それだけのことさ」

 

「まだ実験段階ゆえに、全ての刀使が使える方法という訳ではありませんが……いつかは【八幡力】に並ぶ強化手段として、普及していくはずですわ」

 

「実験動物ってことですか……それは殊勝な心掛けですね!」

 

 真希と寿々花の2人を相手に、百柄は苦戦を強いられていた。合流地点に向かう途中でこちらを捕捉している2人を見つけた時、百柄はこのまま飛び続けたところで逃げられないと踏んだ。例え捕まることなく辿り着けたとしても、潜伏している相手の方に迷惑がかかってしまう。そうしないためにも必ずここで振り切っておく必要があったのだ。

 

 戦うことを決めはしたが、度重なる大技の使用で百柄は体力も妖力も尽きかけており、正直に言って全く余力がない。全快時を100とすると今の彼女は10〜15もあれば良い方である。気力と根性で保たせているが、ガス欠は時間の問題である。

 

「技にあの時程のキレがないな!そんな鈍らな太刀筋でいったい何を斬るというんだい!?」

 

「そもそも二対一……写シも満足に貼れないような者が勝てる勝負ではありませんわ。大人しく御刀を置き、投降してくださりませんこと?」

 

「そいつは、無理な注文ってやつです……よ!」

 

「これはっ……危、なっ……!」

 

「ぐうぅッ……まだ、いったいどこにそんな余力を残して……!」

 

 挟み討ちの態勢で、真希と寿々花は上下から百柄を狙ってくる。既に百柄の写シは剥がされてから再展開されておらず、どちらだろうと食らってしまえば致命傷は免れない。

 

 首を落とされるか、両脚を失うかという地獄のような二択を迫られる百柄であったが……もちろんそんな選択肢選ぶはずもない。七笑流【風車】で二つの斬撃をほぼ同時に弾き出し、首を狙っていた真希を蹴り飛ばして包囲から脱出した。かなり無茶をした脱出方法であるが、百柄はそれを悟られないよう涼しい顔で微笑みを作る。それが親衛隊のプライドを刺激し、彼女らに本気を出させてしまう。

 

「手負いの獣とはいえど──なりふり構っていては負けてしまいますわね」

 

「S装備、展開──ここからが本番だよ」

 

「なら、私も……奥の手を使いましょうか」

 

「何……?」

 

 ストームアーマー……略称S装備と呼ばれる刀使の戦闘を助けるアーマーを身に纏い、真希と寿々花は更なるパワーアップを果たす。ただでさえ強敵の2人が更に強化されて立ちはだかるなんて、百柄としては勘弁してほしいところであったが。不幸中の幸いというべきか、切り札なら百柄にもある。

 

 ──さて。力を貸してもらうよ……妙法村正!

 

 右腰に下げている二振りの刀。一本目はもちろん愛刀である陽剣【七笑】だが、二本目は沙耶香から回収した御刀妙法村正。本来御刀は御刀に選ばれた者以外ではまともに扱うことができない……しかし御刀に選ばれていない百柄には、まだ選ばれる余地がある。

 

 村正の柄を握る右腕から、妖力ではない別の力が巡っていくのが強く感じられる。それは普通の刀使が操る力──すなわち神力。妙法村正はこの修羅場を切り抜けようと手を尽くす百柄に、その力を貸すことを選んだのだ。

 

「写シ……!?もうそんな気力もなかったはず!」

 

「慌てるな、寿々花!百柄が満身創痍であることに変わりはない、S装備分の力の差は結局埋まってはいないんだ!落ち着いて戦えば、数でも余力でも上をいく僕達が勝つ!」

 

「そ、そうですわね、その通りですわ!」

 

「違いますよ……まさか、新しい写シを貼るためだけの二刀流な訳がないでしょう」

 

 両手の刀を逆手持ちに変え、百柄はS装備を身に付けた2人との戦闘に臨む。イメージするのは師匠ナナワライの息子にして兄弟子、ハヤテの操る忍者のような二刀流。あちらとは違って百柄のそれ太刀の二本持ちのため、勝手は全然違うが……その分はこれまでの経験とフィーリングで補正する。

 

 それにただの二刀流ではない。妖術の風を纏って縦横無尽に飛び回りながら、辺りの木なども使った立体的な立ち回りで真希と寿々花を翻弄する。この動きができること以外は全てが不利のため、百柄の神経は油断のないように研ぎ澄まされていく。少しでも動きを誤ればそれで終わりの極限の中、彼女はこの時間を楽しむかのように笑っていた。

 

「何を笑っている……!」

 

「気に障ったならすいません。楽しいと思えるものはしょうがないんですよ」

 

「減らず口を……さっさと倒れなさい!」

 

「いいえ、倒れるのはあなた達ですよ!」

 

 

 

 

「真希、寿々花……このような死にかけの鼠如きに何を手こずっている……?」

 

 

 

 

「紫様!?」

 

「どうしてあなたがここに……!?」

 

「親玉が直々にくるのかい。私も随分と高い価値を付けられたものだね……ッ!」

 

「堀川百柄……イレギュラーにその存在が許される道理はない。貴様の命はここで終わりだ」

 

 天下五剣の名を冠する御刀、童子切安綱と大包平を携えた折神紫の乱入。上司が介入してくることは知らなかったようで、真希も寿々花も紫の姿を見て驚きの声を上げる。

 

 突然の乱入者による不意打ちがあったが、百柄はどうにかそれを受け止め弾いた。刀使は歳が若い程御刀との相性が良くなるそうだが、折神紫の年齢はアラフォーに達しているはず。それなのに未だ御刀を握れば最強の刀使と謳われる実力、それが誇張でも何でもないことを百柄は思い知った。

 

 ──ただの一撃が凄く重い……こいつ1人だけでもまともに相手するのは辛い、か……

 

 増援が来たのでこれで三対一。折神紫を守る私兵や警察も姿は見えないが、どこかで百柄を捕らえるため介入してくるかもしれない。攻撃を受け止めて芯から痺れる腕に【癒やしの風】を当てながら、百柄はこの状況を切り抜ける手段を考える。そうして考えた結果、出てきた結論は──

 

「【叢穣坊の大風】……!」

 

「御刀の神力を使って回復したか。だがそれでもう御刀は使えまい」

 

「紫様、我々が援護致します!」

 

「紫様にお手を煩わせてしまうこと、申し訳ございません!」

 

 今できる限りの回復をして、正面からこの3人を討ち倒す。

 

 御刀でも妖術を使えることは知っていたが、百柄が御刀を握ったのは今回が初めてのためあまり神力を引き出すことができなかった。せっかくの【叢穣坊の大風】も全快とまでは至らず、妙法村正は使えなくなったがまだ疲労感が残ってしまっている。

 

 それでも傷は治ったし、自分のものでない力で回復できたことである程度は体力も戻った。後はもう自力で上回れるかどうかの勝負……負けたところで何の言い訳もできない。

 

 ──せめて、折神紫だけでも斬る……!

 

 例え敗北しようとも、折神紫だけは道連れにする覚悟で百柄は七笑を握る腕に力を込める。息を吸い百柄が一歩を踏み出したのと、3人が飛び出したのはほぼ同時のことであった。

 

「七笑流──【草薙】!」

 

「ふんっ……こんなものが今更通じるとでも!?」

 

「──【御伽莉花の幻】」

 

「偽モノ……ッ!?きゃあっ!」

 

 わざと見切れる程度に抑えて【草薙】を放ち、それを回避して反撃しようとした寿々花を、逆に罠に嵌めてやる。【御伽莉花の幻】で自分の位置を誤認させ、見当違いの場所に攻撃させる。寿々花の見ていた幻影が掻き消えて彼女が気付いた頃には、本物による攻撃が届いている。

 

 ──まずは、1人。

 

 思っていたよりも早く、1人をノックアウトさせて戦線離脱させることができた。この調子でまた次の1人を倒したいところだが、警戒度も高くなっているしそうは問屋が卸すまい。実際折神紫の二天一流による攻撃は重い上にとても速く、こちらの対処に手間取っていれば真希がその隙を突いてくる。そうしてちくちくと写シを削られていく内に、体力と精神力も擦り減っていくのだ。

 

「はああああああぁぁ!!」

 

「【練気】──七笑流、【明星】!」

 

 刃がぶつかり合う。S装備と五段階に達した【八幡力】によって強化された真希の一振りと、奥義を除けば七笑流の技の中で最も高い威力を誇る、百柄の納刀【明星】の激突。一瞬の鍔迫り合いの後に百柄は真希を吹き飛ばし、力比べに打ち勝った。

 

 吹き飛ばされたがすぐ向かってくる真希と、致命の一撃を狙う紫を警戒しつつ百柄は納刀する。2人がどう来ようとも対応できる、【一閃】の構えでくるならこいと意思を示す。そんな構えを見た真希は【迅移】を三段階まで引き上げ、だったら望み通りにしてやろうと御刀を振りかぶった。

 

 ──この距離なら抜刀は間に合わない、例え間に合ったとしても紫様をどうにもできない!百柄、この戦いは君の負けだ!

 

 いくら【一閃】が神速の抜刀術とはいえ、真希の方が今の場合は速く動ける。百柄のポテンシャルが真希の想像を超えていて、【一閃】が実はこれまで以上の速さを出せるかもしれない。その場合はタイミングをずらして紫が自由に動けるようになるし、勝利は揺らがない。そのはずだったが……

 

「がっ……!はっ……!?」

 

「七笑流──【石切】」

 

 納刀状態で放つ【石切】は、抜刀せずに刀の柄で攻撃する技。威力こそそこまで強いと言えるようなものでもないが、抜刀動作を必要としない故小さいモーションで放つことができる。勝ちを確信している時に食らった初見の技……流石に避けられるはずもなかった。

 

 鳩尾への一撃で、思いっきり腰をくの字に曲げてやった百柄。そのまま真希の後頭部へ鞘に納めたままの刀を叩きつけ、その意識を刈り取り写シの維持も不可能な状態にする。

 

 ──これで、後は折神紫ただ1人!

 

 倒れた真希には目もくれず、百柄は紫の方へ向き直りノータイムで彼女に突撃する。ここで折神紫を討つことができれば、姫和も可奈美も逃避行をせずに済むようになる。内に潜んでいた大荒魂のことも公表され、百柄の罪も少しは軽くなるだろう。だがそれを実現させるには、ここで百柄が折神紫に勝つことが前提となる。その実現は──百柄の体力では不可能なことであった。

 

「ぐっ……!」

 

「軽いな。疲れているからか、刀の一振り一振りが苦し紛れで破れかぶれ。さっさと私を斬って楽になりたいという思いが見え見えだ」

 

 対抗する術がもうない。【一閃】の速さはもう見る影もなく、【石切】【明星】は地面に刺さることもないだろう。妖術はそれを使うための妖力がもうすっからかん、木枯らし一つ起こせやしない。

 

「奥義──【天津甕星】!」

 

 最後の力を振り絞って奥義を放つ。既に固く絞った雑巾をまだ捻るかのような愚行だが、それが一撃分の元気を捻り出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────────【覇星剣】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所詮は雑巾から捻り出した、雨雫の一滴にも満たない微かな力。そんな中で気力体力万全の折神紫を相手に、敵うはずもなかったのだ。



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25:祟神の一助

「ほう……この一撃を耐えるか。だがその足掻きももう終わりだ。安らかに……眠れ」

 

 百柄の奥義【天津甕星】と紫の【覇星剣】による衝突は、紫の勝利で終わる。土煙が晴れて姿が見えた百柄はうつ伏せに倒れ動かなくなっており、その手に握る陽剣【七笑】も、刃が中程からへし折れて限界を保たなくなっていた。

 

 それでもまだ、息がある。不完全な状態で放った奥義であったが、【覇星剣】の威力を多少なりとも減らすことはできていたようだ。それが紫の一撃で致命傷を負うことを、本当にすんでのところで防いでくれていたのである。七笑がへし折られてしまったことも、攻撃のエネルギーを刀の方に分散させることで、百柄が受けるダメージをある程度は減らす役割を果たしている。

 

 奇跡に近い状況で、百柄は命を繋いでいた。

 

 しかし、紫にダメージを与えられずに五体満足で残してしまった以上は、この奇跡が長続きすることはあり得ない。現に【覇星剣】を撃たなかったもう一振りの御刀で、もう一度【覇星剣】を放ち百柄にトドメを刺す用意を整えていた。

 

「これでもう……異分子に惑わされることもない」

 

「おっと……それは早とちりだなァ」

 

 右腕に握る童子切によって放たれた【覇星剣】の威力は、左腕の大包平で放った先のそれとは比べ物にならない。既に意識も抵抗する力もない的を相手に容赦がない、と知らぬ者に罵られても仕方のない絵面であるが。紫はそれでも百柄を確実に殺すことを選んだ。

 

 最初の内は、鎌府の実験を元にノロ漬けにして手駒として使おうかとも思っていたのだが……自分を相手にした時の並々ならぬ殺意から、それを諦めて殺すことにしていたのだ。そこには未来すら見通す眼に映らなかった彼女への、紫の無自覚なくらいに小さな恐れがあった。

 

 先程の一撃よりも大きな爆音と衝撃波で、道路は粉々に崩れ林は引き裂かれる。生身の人間が食らえば肉片の一つも残さない大火力であったが、百柄の五体は正常な形を保っていた。余波だけで数十m先までも破壊を伝播させる一撃から、何者かが百柄を守り切ってみせたのである。

 

「何者だ?貴様……!」

 

「問われたところで……答える名はねェ!」

 

 頭から一本の大きな角を生やした、全身に血管が浮き出たかのような紋様が刻まれた大男。その身の丈に見合う大ぶりな剣を振るい、紫を敵と見定めて斬りかかる。二本の太刀を交差させて攻撃を受け止めた紫であったが、その途端に地面が陥没し身体を地中に埋められそうになる。そうなる前に脱出はしたものの、警戒度は更に跳ね上がった。

 

 紫と大男の戦いは続く。倒れた百柄を守るように出てきた場からあまり離れず戦う男と、あわよくば諸共斬り殺すことを狙っている紫。しかしなかなか隙を見出せず、紫は苦戦することとなる。

 

 ──ちィ、隙がない……粗暴な口調と乱暴な剣筋からは想像もできん繊細な立ち回りだな。

 

 二天一流を、ハンデを付けて尚も軽くいなす男が何者なのかは気になるところだが。厄介者なら早急に始末するに限る。御刀に込める神力の量をもっと増やし、【八幡力】と【迅移】を強化する。そのままでは打ち勝てないのなら、力と速さのゴリ押しで押し通るのだ。

 

「貴様の目的は、堀川百柄の救出か?既にそいつは虫の息……助ける価値などないと思うが」

 

「ごちゃごちゃうるせえ……コイツはなぁ、オレにとっちゃあ姪みたいなものなんだよ……!姪っ子が死にかけてるのを救うことが、何かおかしなことだと思うのかァ、てめェは……!?」

 

「成程、縁者か」

 

「随分と百柄を虐めてくれたみてェだから……その礼をくれてやるよ。こいつでなァ!!」

 

 男から放たれる荒魂のそれにも似たプレッシャーに紫は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに気を取り直し【覇星剣】の構えを取る。第六感と眼が全力でこれからの脅威を警告し、紫に対抗するのではなく逃げるよう語りかけてくる……しかし紫はそれに耳を貸すことなく両手の御刀を振りかぶった。

 

「──────【横一文字】ィ……!!」

 

 その言葉と共に、乱暴に薙ぎ払われた男の大剣が紫の横腹に突き刺さる。反応する間もなく圧倒的な破壊力によって写シが破壊され、紫の生身の身体は道路脇の林を掻き分けて、ここから遥かに遠い場所へと飛ばされていった。

 

 見えなくなった紫のことなど忘れて、男は倒れたまま動かない百柄の方を見る。その力なく垂れた身体を優しく抱き上げると、彼女ごとその存在感が薄れていき、そこにいた誰かがいたという痕跡すらも消え去った。誰もいなくなった破壊の跡には冷たい木枯らしが一陣、ぴゅうと吹いていた。

 

「まだ息はあるなァ……死ぬなよ、百柄……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

 百柄が目を醒ましたのは、赤と黒に埋め尽くされたそれ以外の何もない空間であった。

 

 風隠の森での修行中、遊びに来たというナナワライの盟友に戯れで連れてこられたことがある。この世全ての悪意と呪いを司りし祟神の根城……ここは隠世。百柄が今いるこの場所は、『死後の世界』と呼んで差し支えのない場所である。そして、彼女をここに連れてきたのは──

 

「まさか、元の世界に帰ったのにあなたと再び会うことになるとは思いませんでしたよ……お久しぶりですね、スサノヲ様」

 

「挨拶なら構わねェよ……それよりもお前、身体は大丈夫なのか?一応治癒は施したが、それまでお前ずっと死にかけてたろう」

 

 黒い靄のような何かを椅子代わりにしながら、スサノヲは酒を煽りつつ百柄の体調を気遣う。粗野な口調や態度と祟神という存在で恐れられている彼であるが、百柄とは友達の弟子に自分でも稽古をつけてやったという関係。お互いにそこまで悪い間柄という訳ではない。

 

 ……もっとも。スサノヲがつけた稽古といえば圧倒的な力でボコボコに打ちのめすくらいで、百柄の糧になったことといえば、格上に対しても諦めずに勝利を狙う心意気くらいなのだが。

 

 それはそれとして、久しぶりの再会ということで百柄も少しだけ嬉しさを感じた。百柄の人間関係は全て風隠の森から始まったものであるため、そこで出会った人達との再会は、彼女にとってとても嬉しいものであるのだ。もう二度と巡り逢うことはないと思っていたから、尚更。

 

「私の身体なら大丈夫ですよ。治療してもらいましたし……というかどうして、スサノヲ様がここにいるんですか?いや、隠世のことじゃなくて」

 

「ふん……オレらの世界からお前らのところに流れていった技術やモンスターを利用して、何か悪巧みをしている奴がいることは知っていた。だがオレが知ったところで、そんな無闇に干渉して良いようなものでもねえ……だから静観を決め込んでた。そしたらお前が殺されかけたのを見て、こりゃあいけねェと助けに行ったって訳よ」

 

「そうだったんですか……私はまた、皆さんに命を救われたんですね」

 

「そういうことだな。ちなみにまだお前をあそこへ帰すつもりはねェぞ。今のまま戻ったところであの折神紫とかいう奴にやられるだけ……かわいい姪に同じ轍は踏まさせねぇ。お前を元の世界に帰すのはお前をパワーアップさせてからだ」

 

 パワーアップ。スサノヲの提案はとても魅力的なものであるが、どのような方法で行われるのか皆目見当がつかない。少し内容が心配になった百柄が首を傾げていると、スサノヲの背後から小さな白い蛇を思わせる竜が姿を現す。竜は百柄と目を合わせると素人目でも分かるような笑みを浮かべ、百柄の胸に飛び込んでいく。抱きしめたそれは爬虫類の鱗のひんやりとした感触と、生物の温かみを併せ持っており、何だか不思議な可愛さがあった。

 

「しろちー!」

 

「スサノヲ様、この子は……?」

 

「そいつはシロッチ。オレが大昔に斬り殺してやった祟竜ヤマタノオロチ……その子どもだ」

 

「……そいつはまた、大層な子で」

 

 自分が抱いている小さな竜は、どうやらとてつもない力を秘めた邪悪な存在であるらしい。そのことを知ってこんなにかわいいのに……と残念に思った百柄であるが。感じてみれば確かに、スサノヲにも劣らぬ禍々しい力を持っているのが分かる。

 

「コイツが持っている祟りの力を全て、お前に譲渡させる。失敗すれば祟りに取り殺されるリスクこそあるが……成功すればお前は強大な力を手に入れた新たな祟神となるんだ」

 

「私が、祟神に……なれる、でしょうか?」

 

「なれるさ。お前は七笑流剣術を半年にも満たない僅かな期間でものにしてみせた……ヒエンもハヤテもそうはいかなかった、お前は紛れもない天才ってやつだ。お前なら必ず、やり遂げられる」

 

「……分かりました。シロッチ、お願いね」

 

「しろちー!」

 

 百柄は祟神になる覚悟を決めて、シロッチに利き腕を差し出した。死のリスクこそ確かに存在はしているが、そもそも折神紫に負けて隠世に来た時点で死んでいるようなもの。生きてもう一度戦えるチャンスがあるだけでも儲け物である。

 

 荒魂を斬る……記憶を失った百柄に残ったのは荒魂への恐怖心と敵愾心だけであった。そのために七笑流剣術を修め、そのために伍箇伝に入学して刀使となった。荒魂を斬りこの世から消し去ることだけが唯一残ったアイデンティティ。荒魂に負けてしまった自分にはもう何の価値も残っていない、そのはずだったのだが……

 

 ──十条先輩、可奈美……もう少しだけ待っててください。あなた達だけに辛い思いは絶対にさせませんから……!

 

 今の百柄には友達がいる。己が振るう刃で守りたい人がいる。その人達を守るために、百柄は生きて帰らなければならないのだ。それでも今の自分では力不足……百柄には絶対に、祟神に成らなければならない理由があった。

 

「しろつちー!」

 

「うっ……!ぐっ……ううううううぅぅ……!!」

 

「耐えろよ、百柄……そして至れ、神の境地へ!」

 

「ハァ……ハアッ……!」

 

 シロッチが百柄の左腕に噛みつき、そこから祟りを流し込んでいく。その負担に百柄は全身が掻き回され崩れ落ちるような苦痛を味わい、立つことすらままならず膝を抱えて蹲る。

 

 祟りを受けるというのは、例えるなら決して楽には死なせてくれない猛毒を飲まされること。それも漏斗を口に固定されて、流し込まれるのを拒否することも不可能な状態でだ。その苦痛たるや想像を絶するものであり、百柄が今受けている苦しみは計り知れるものではない。

 

 ──抑え込むんじゃ、ない……!自分の中に祟りを受け入れて、真に一つになるんだ……!

 

 百柄がするべきは、この祟りを従えるでも抑え込むでもなく融和し一つとなること。人を呪い傷付けるための祟りを誰かを守るために使うことは、力の本質ではないため難しいかもしれない。

 

 それでも百柄はできると信じて、祟りを少しずつ自分の中に受け入れていった。いったいどれ程の時間が経っただろうか、膝を抱えて蹲っていた百柄が再び顔を上げた時。

 

「しろつちー!しろつちー!」

 

「成功……したようだな。おめでとう」

 

「何だか……不思議な感じです」

 

「その力があれば、どんな相手だろうと負けるようなこともあるまい!行ってこい百柄、お前の使命を果たしてこい!」

 

「はい!」

 

 百柄は祟神として、完全な存在と成っていた。



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26:嵐の最中で

「祟神に成って、隠世と現世を自由に行き来できるようになったのはいいんだけど……まだ帰らない方がいいって私の勘が告げてるんだよね。いったい何があるっていうんだか……ねえ?」

 

「しろちー!」

 

「あなたも着いてきちゃったんだねぇ……私の分霊みたいなものだし、別にいいんだけどさ」

 

「しろつちー!」

 

 祟神となったことを示す紋様を撫でながら、百柄は頭上に乗るシロッチに話しかける。祟りを受け入れ同化したことで、百柄とシロッチは一心同体のような関係性となった。なのでシロッチが着いてくることは普通のことなのだが……小さくて可愛い見た目で戦闘の場にくっついてくるというのは、心配になるというものである。

 

 本人……いや、本竜はそんな百柄の気持ちを知ってか知らずか能天気に声を上げているが。そういうところもまた可愛くて、これから戦いに行くというのにほっこりした気持ちになってしまう。

 

「シーローつーちー?」

 

「うん……この世界から、折神紫に潜んでいた荒魂のそれと同じ気配を感じたんだ。スサノヲ様と一緒にいた時は特に何も感じなかったんだけど……祟神に成って、感知能力が上がったのかな?」

 

「つーち!」

 

「ふふ……全然何言ってるか分からないや」

 

 大荒魂の気配を感じる場所へ向けて、百柄は更に速度を上げていく。現世で折神紫と共にいるはずのそれがなぜ、隠世にいるのかは分からないが……今ならそんな事情関係なく斬れるはず。もしかしたら現世にいるのは違う個体の可能性もあるし、自分が隠世にいる今の内に、こっちの大荒魂は確実に倒しておかなければならない。

 

 しかし、事は百柄の都合だけで回っているのではない。大小様々な荒魂が無数に進行方向から現れて彼女に襲いかかる。どうやら大荒魂の方も、百柄が向かっていることを察知しているようだ。

 

 ──簡単にやらせる気はない、ってことね。

 

 上等だ。

 

 百柄は右腰に下げた七笑を抜刀すると、折れた刃に妖力を込めて再生させていく。百柄の妖力を吸ってむくむくと刃は伸びていき、数秒と経たずに元の長さを取り戻した。感触を確かめるように軽く振ってみると、余剰な妖力がカマイタチのように飛んでいき荒魂を斬り飛ばす。自分がかなり強化されていることを自覚し、百柄はこの力をコントロールする必要性を感じるのだった。

 

 幸いなことに、力をコントロールするための素材なら向こうからたくさん送られている。本命と出逢うまでの肩慣らしとしては、丁度いいウォーミングアップである。

 

「さて……祟神私の初陣だ!」

 

「しろちー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「タギツヒメ、かぁ……私や百柄ちゃんが見たあの眼はそういう名前だったんだね。姫和ちゃんは既に知ってたの?」

 

「母の手紙でな」

 

「別に疑ってた訳じゃないけど……可奈美ちゃんの言ってたことは本当だったんだね。他にもいろいろ驚く話ばっかりで……あの可奈美ちゃん達を連れてきたロボットとかもそうだけど」

 

「……あれは、本当にびっくりした」

 

 舞草に入った可奈美達は、状況や事情の説明も兼ねて様々な情報を与えられた。20年前に起きた相模湾大災厄の更に詳しい話や、可奈美と姫和の母がどのように関わったのかということ。折神紫の裏に潜んでいる荒魂の名前に、舞草の助けになっている無数のロボットと、その開発者であるドクトルのことなど。頭がパンクしそうになるくらいたくさんの情報が一気に与えられた。

 

「お母さん達のこともびっくりしたけど……それ以上に別世界なんて本当にあったんだね」

 

「百柄ちゃんが使ってる妖術も、その別世界で覚えた技っていうことなんだよね……いったいどういうきっかけで、覚えることになったんだろう?」

 

「タギツヒメは、その別世界の力を手に入れた上で悪用し、その上で復活しようとしている……私達が想定しているよりも、奴の力は遥かに上回っているのかもしれないな……しかも、それがどういうものなのかという知識が、私達にはそう簡単には得られないときた」

 

「味方もたくさんいて心強いけど、その分敵も強大で尚且つ意味不明……厳しい戦いになりそう」

 

 ロボ零式をはじめとするロボット達を造ったというドクトルから聞いた話は、可奈美達に大災厄の真実以上の衝撃を与えた。

 

 現代社会でも成し得ないオーバーテクノロジーの数々に、人間以外にも数多く存在している多種多様な知性種族。タギツヒメがその世界と繋がりを得て更なる力を得ているという情報は、彼女らに多大な緊張感を与えるには十二分であった。

 

 同時に納得もいく。百柄が使っていた聞いたことのない流派の剣術のことや、風を自在に操る不思議な妖術のこと。彼女もまたあちらの世界と何らかの関わりを持っており、その関係でこれらの技を習得したのだろうということが分かった。百柄は半年程前に、死にかけたところを親切な人達に救われたという話は聞いている。その人物像や過ごした場所については言葉を濁していたのはつまり、そういう訳だったのだろう。

 

 ──百柄ちゃん……大丈夫かなぁ。

 

 未だに連絡のつかない友達、当然だが可奈美も姫和も彼女のことを強く心配している。自分達にも勝利したことのある彼女なら、そう簡単に敗北したり捕まったりすることはないだろうが……それでも心配なものは心配であった。

 

「堀川さんならきっと、大丈夫だ……だから私達は私達の役割を果たすぞ、可奈美」

 

「うん……!私達がちゃんとしてなかったら、百柄ちゃんが殿になった意味がないもん!」

 

 友の献身に報いるためにも、2人は必ずタギツヒメを討たなければならない。改めて覚悟は決めつつもこの場は休むことにする。逃亡に情報収集にやることがたくさんあって、今日は疲れているのだ。

 

 明日に備えて布団に入る。久しぶりの何も警戒する必要のない睡眠は、2人を速攻で深い微睡の中へと落としていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「やっぱり、お母さんだったんだね」

 

「そんなこと言われてもなぁ……私は17歳の藤原美奈都だし。可奈美のお母さんな私とも違うと思うんだよねぇ……ややこしいけど」

 

「うん……分かってるよ。そういえば前に話した友達のお母さんが篝さんらしいよ!姫和ちゃん!」

 

「ええっ、あの篝が結婚できたの!?って、それは私にも言えることだったか……」

 

 夢の中の出来事。可奈美はいつも眠りについた時は同じ夢を見る。母と同じ名を持つ少女といろいろなことを語り合ったり、試合をして剣の腕を高めていったりと。少女の正体がかつて大荒魂と戦った際の母の姿だと分かったのは驚きもあったが、それ以上に納得があった。

 

「最近何か迷ってるみたいだったけど……今の可奈美はとってもいい顔してる。その友達とやらが理由なのかな!」

 

「うん……姫和ちゃんの話を聞いて、あの子が倒すべき荒魂が、思っているよりも遥かに強大だということを知って……私も覚悟を決めた。姫和ちゃんに比べれば大したことないものだけど……絶対に死なせたくないから、使命を果たしたその後は、笑っていてほしいから。頑張るって決めたの」

 

「うんうん、分かるよその気持ち!私も友達のためなら命の半分くらい惜しくないもん!」

 

「そこは全部じゃないんだ……それに、もう1人の友達も……百柄ちゃんも、命を張って私達のために追っ手を引きつけてくれた。だからその恩にも報いていかなくちゃ、いけないんだよね!」

 

 話を聞いていた美奈都だが、すぐにそんな辛気臭い話よりも試合をしようと御刀を抜く。可奈美の持つそれと同じ【千鳥】を構え、いつものように修行がてら楽しむのだ。

 

「よろしくお願いします、お母さん!」

 

「やめてよ、私はまだそんな年齢じゃないし!」

 

 母として扱われるのは恥ずかしいのか、お母さんと呼ばれた美奈都は顔を赤らめ口を尖らせる。結局呼び名は今までと同じく師匠で統一され、気を取り直して心ゆくまで2人は試合を楽しんだ。

 

 夢の中はあまり時間が進まない。結構な数の試合をしたが現実の可奈美はまだまだ夢現である。目覚めてここのことを忘れるまではまだ少し猶予があるので、美奈都は可奈美の話を聞いてから気になっていたことを聞いてみた。

 

「あのさぁ、お母さんな私ってどんな感じだった?お父さんとはどうやって知り合ったの?」

 

「全然変わってないよ!その御刀を左右に持ち替える癖とかもそう、師匠と同じまんま!お父さんとの馴れ初めは……一応聞いてはおくけどさ、多分覚えてないなぁ……」

 

「あー、目が醒めたら忘れるんだっけ?じゃああんまり期待はしないでおこうかな!さ、続き続き!」

 

「はい、師匠!」

 

 夫との馴れ初めを知りたがる乙女の一面を見せた美奈都であったが、分からないと知るやすぐに気を取り直して試合を再開する。可奈美も試合の誘いに快く乗っかり、夢の中の戦いは可奈美が目を醒ます朝方まで休むことなく続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「ロボ零式が回収したこのアンプル……中身はほとんど残っていませんでしたが、想像通りのものなら折神家と鎌府が行っている非道……人と荒魂を融合させる研究を白日の下に晒すことができます。これは我々長船が預かり解析しますね」

 

「任せたよ。こちらの世界の産物に関しては、私も専門外だからね」

 

「何、きっと無駄にはならんさ!小さな叛逆者達とドクトルのロボが、危険を顧みない覚悟で手に入れたプレシャスなんだからな!」

 

「よろしくお願いします……くれぐれも、我が家には悟られぬようお気を付けて」

 

 誰もが寝静まった真夜中、舞草を率いる大人達は可奈美・姫和と夜見の戦いから回収したアンプルを解析するべく、長船女学園へ車を出した。

 

 長船女学園学長、真庭紗南。

 

 異界から来た研究者、ドクトル。

 

 S装備開発者、リチャード・フリードマン。

 

 紫の妹にして舞草の首魁、折神朱音。

 

 折神紫とその背後の大荒魂を討つべく、彼らもまた戦っている。来たるべき決戦の日に備えるために準備を整えているのだ。

 

 あまり中身は入っていなかったが、皐月夜見の使用していたアンプルの中身は恐らくノロ。これを暴き晒すことができたら、紫を守っている権力という盾を弱めることができるはず。そのためにもここは細心の注意を払って動かなければならない。長船で解析を進めるのが最も安全であるため、アンプルは長船預かりとなった。

 

「ドクトル、ロボ達のメンテナンスなどは大丈夫なのですか?」

 

「あまり大丈夫ではないね。一応決戦まで保たせることはできると思うが、その時に戦力として使えるのはほんの一部になるだろう。あの魔海王タツドンを倒すためにも、何機かを自爆させたし……」

 

「必ず間に合わせますよ!そうでなければドクトルに力を貸してもらった意味がない!」

 

「よろしく頼むよ、私がこの世界に来たのは偶然のことだが……滅びを見て見ぬふりはできないからね」

 

 ドクトルはこの世界を滅ぼしかねない存在が自分のいた世界の力をも利用していることを知り、そんなことはさせられないと舞草に協力していた。そのための戦力として自身の製造したロボがいるが、活動させるためのエネルギーや、メンテナンスのための機材の調達が難しく、ロボ達を戦わせられる時間はあまり多くない。そのため早く決戦の日を迎えたいという焦りがあった。

 

 とはいえ、焦ったところで状況は悪いようにしか変わらないし良いことは何もない。今できることはアンプルの解析を待ちながら、送られてくるノロを祭事によって鎮めることのみ。

 

 もどかしくとも、今は待つしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ……見つけたぞ、朱音」



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27:お祭り

「わぁ……来てすぐなのに、お祭りに参加できるなんてラッキーだね!」

 

「うん、とっても賑やかだね」

 

 舞草に加入して数日、今日は隠れ里を賑わすお祭りの日である。みんな華やかな浴衣に身を包み髪を結っておめかししていたが、折神紫や大荒魂という敵がある中で、こうも浮かれててもいいのかという疑問もある。

 

 そうして苦言を呈するのは、姫和と舞衣の2人であったが。可奈美はお祭りなんだから浮かれて楽しまないでどうするんだと反論する。それでもまだ納得いかない様子の2人であったが、可奈美の意見を後押しするように味方は現れた。

 

 長船女学園高等部一年、益子薫。

 

 同じく高等部一年、古波蔵エレン。

 

 舞草の先輩として、可奈美達にいろいろと世話を焼いている彼女らの教育係でもある。2人が助け舟を出してくれたことで、可奈美は形勢が変わったと目を輝かせる。どうやら本当にお祭りを心ゆくまで楽しみたいと強く思っていたらしい。

 

「可奈美の言う通りデース!刀使にも息抜きは必要ですヨー☆」

 

「だいたい、しっかり浴衣着てんじゃん」

 

「よ、用意されてたから……」

 

「皆さんとってもお似合いですヨ!」

 

 浮かれるのはダメと口では言っても、浴衣は普通に着ているし、本当は楽しみたいというのが態度でバレバレである。それを指摘されて図星を突かれたことに顔を赤くする2人であったが、姫和の方はすぐに気を取り直して屋台の方へ向かっていく。

 

 何も言わずに歩いていく姫和に、可奈美はどうしたのかと問いかけるのだが。返ってきた答えには思わず笑顔を作ってしまった。

 

「……行くんじゃないのか?お祭り。浮かれるのは制服がクリーニングから戻ってくるまでだがな!」

 

「よーし、楽しんじゃおう!」

 

「まったくー、素直じゃないんデスから!」

 

「ツンデレってやつだな」

 

「そこ、うるさいぞ!」

 

「……照れ隠し」

 

「ふふ……私たちも行こっか、沙耶香ちゃん」

 

 たくさん並んだ屋台に向けて、みんなで思い思いに好きなところを回っていく。可奈美と姫和が最初に行ったのはチョコバナナ屋台。姫和が好物であるチョコミント味のチョコバナナを見つけ、テンションを爆上げしていたのを見た可奈美は、その組み合わせはどうなんだと思わなくもなかったが……嬉しそうだったので、黙っておくことにした。

 

「チョコミントバナナ……やはりチョコミントは市民権を得つつあるということか!」

 

「チョコミントはチョコミントで分けて食べた方が美味しいと思うんだけどなぁ……」

 

 舞衣とエレンは金魚掬い。小さく脆いポイ一つで大量に金魚を攫っていくエレンの業前は、不慣れな舞衣の技術とは比べ物にならず。舞衣が何とか一匹目を捕まえた頃には、エレンは既に十数匹を捕まえてたくさんの袋を両手いっぱいに持っていた。

 

「凄いね古波蔵さん、私は一匹掬うだけでへとへとなのに……」

 

「金魚掬いにはコツがあるんデース!次やる時は舞衣にもレクチャーしてあげマスよー!」

 

 沙耶香と薫は焼き物系の店を回る。とうもろこしや大判焼きなど美味しそうなものを、思い思いに買ってきては食べ歩く。大口を開けて楽しみにしていた焼きとうもろこしをペットにとられて、薫は大怒りで走ってどこかへ行ってしまったが。

 

「こらぁねねー!オレのもろこし返せー!」

 

「ねねー!」

 

「行っちゃった……すっごく速い……」

 

「待ちやがれー!」

 

 ねねは荒魂であるが、スペクトラムファインダーに反応しないという特殊な存在である。薫の属する益子家をある代からずっと支えてきた守護獣とされているが、守護獣として働いているところを薫は見たことがないらしい。今のところはただのすけべな畜生である。

 

 いなくなった者は置いておいて、それぞれ好きなことをしてきた後は再び集合して、今度はみんなで一緒に出店を回る。戦うべきその日がいつ来るのかはまだ分からないけれど……その時がいつ来たって可奈美達は戦える。

 

「はい沙耶香ちゃん!わたあめも美味しいよ!」

 

「りんご飴もあるよ」

 

「うん……美味しい……」

 

「楽しんでくれて良かったデスねー!」

 

 しっかりと、英気を養っていった。

 

「次、あの射的やってみたい……」

 

「それじゃあ行ってみようか?」

 

「景品たくさん打ち取っちゃおう!」

 

「ねへへへへ……ねねー!」

 

 今度は射的に向かおうと話していた沙耶香と舞衣のところへ、いつの間にか逃げ仰せていたねねがその胸の中へと飛び込んでいく。ターゲットは舞衣の年齢は相応に育った胸。ねねは大きな胸やそうなる将来性のある胸が大好きなのだ。

 

「ね、ねねちゃん!?あンっ……ちょっと、そんなところ触っちゃダメ……!」

 

「はは、舞衣ちゃんふかふかで柔らかいもんね!」

 

「ええ……止めないの……?」

 

「少しは自重しろ、この荒魂!あまり他人に迷惑をかけていると投げ捨てるぞ!」

 

 ふかふかの感触を楽しむねねであったが、その様子を見かねた姫和によって舞衣から引き剥がされ放り投げられる。困っていた様子の舞衣を助けようとした行動だが……その行動原理にはおそらく、自分はされたことがないという恨みも入っている。何せねねは、小さく将来性のない胸には興味を示さず見向きもしないのだから。

 

「おい!ねねはオレのペットだって言ってんだろうがこのエターナル胸ぺったん女!」

 

「はあ!?誰がエターナルだって!?」

 

「お前しかいないだろ!」

 

「あはは……あの、ありがとう……」

 

 低レベルな争いを尻目に、神社の方では祭りのメインイベントが行われようとしていた。御神体としてノロを祀り、安らかな眠りに着いてもらえるよう祈る……刀使の起源でもある巫女が執り行う、とても大事な式である。

 

 そもそもノロとは、御刀の原料となる『玉鋼』という鉱石を精錬する工程の中で分離された不純物のことを指す。出涸らし的なものとは言えノロだってあくまで神聖なもの、普通にやって消滅させられるものではない。加えてノロは結合しやすい性質も持っており、これらが合わさることで『荒魂』となる恐れが出てくるのだ。

 

 日本が近代化していくにつれて、ノロにも軍事利用のために目をつけられるようになった。当時の折神家によって、各地の社に祀られていたノロは回収され研究のため管理されるようになる。そうしてだんだんとタガが外れていき……その驕りのツケが、20年前の相模湾大災厄に繋がることとなる。

 

「ノロの結合……スペクトラム化が進む程、彼らは知性を獲得していった。『荒魂が人間以上の知性を得る』という、20年前の大災厄で隠蔽された真実がそこにあったんだよ」

 

「ノロが……知性を」

 

「つまり、ノロをたくさん集めたら頭のいい荒魂になっちゃったーって、そういうこと?」

 

「平たく言えばそういうことだな。これから我々が戦おうとしている相手はただの荒魂ではない……ともすれば神にすら等しい存在かもしれないな。彼らの眠りを妨げてはならなかったんだ……彼らは人が御刀を手にするために、無理矢理産み出された犠牲者なのだから。ちゃんと見ておきなさい……刀使として御刀を手にする以上は、巫女としての務めも君達は継いでいかなければならない」

 

 リチャードの言葉を聞いて、巫女としての務めを強く意識するようになった可奈美達。しかし可奈美は何かの違和感が、喉元まで引っ掛かるような感覚を覚える。それが何なのかを記憶の中から探り出していくと、答えは割とすぐに見つかった。

 

 それはこの場にいない百柄のこと。百柄が使っている妖術の源である妖力は、彼女が荒魂に襲われて死にかけた時に入り込んだノロが、命を助けられた時に変質したものだと言っていた。そして逃亡中に戦った追っ手の皐月夜見も、恐らくノロを自身に注入した上で妖術を扱っていた。それらはノロが御刀で祓う以外では、消滅させられないというこれまでのこととは矛盾する。

 

 このことをリチャードに質問してみたが、答えを返したのは彼ではなく、あちらの世界の人間でより妖力に詳しいドクトルであった。

 

「妖力に変わったところで、それが本来人間の持たない力であることは変わらない。妖力を手にするということは少し極端だが、人間であることを止めるということでもあるんだよ。可奈美君と姫和君が戦った折神紫の親衛隊が、海王バローロに意識を乗っ取られてしまったように……どのようなリスクが降りかかるかが分からない。私としてはおすすめしたくはない方法だね」

 

「成程ぉ……ん?じゃあ、その妖力を特に何事もなく使ってる百柄ちゃんって実はヤバい?」

 

「百柄君のことは君達の話でしか知らないから、断言することはできないが……恐らく彼女が妖力を得たのは天狗達が支配する風隠の森だと思う。あそこで死にかけた人間を治せるものといえば、陰陽の龍が落とす鱗や、森の支配者である魔王が巻き起こす癒やしの風くらいしか思い浮かばないな。話によれば彼女が使うのは天狗の妖術……何事もないということはつまり、百柄君はもう半分天狗と同じような存在になっているということだろうね」

 

「百柄ちゃんは天狗だったのかぁ……だからあんな風に自在に風を操れたんだね」

 

 百柄の強さの理由に納得すると同時に、タギツヒメの強さを想像し身慄いする。それだけでも多くのノロが融合し産まれた大荒魂……それが、別世界の強力な力と共に蘇るのだ。百柄を強者たらしめる天狗の妖術や、皐月夜見の水を操る妖術にも勝るとも劣らないだろう妖術を引っ提げて。いや……ドクトルのように妖術以外の力かもしれない。

 

 そう思うと少し恐怖が湧いてくるが、可奈美は覚悟を以てその身慄いを止める。相手が誰であろうとどれだけ強大であろうと、可奈美は既に戦う覚悟はできているのだ。

 

「ドクトル、どうか……力を貸してくださいね」

 

「もちろんだよ。タギツヒメを斬るために最前線で戦うことになるだろう君には、こいつをプレゼントしておこう。姫和君の分も渡しておく……きっと心強い味方になってくれるはずさ」

 

「植木鉢……ですか?」

 

「ただの植木鉢じゃあない。植えられている球根は大樹竜ルートドラゴンという、私達がいた世界のドラゴンの卵なんだ」

 

 ドラゴンの卵、その言葉に可奈美はテンションを高調させていく。絵空事かノロが姿を模すだけの存在でしかなかったドラゴンが、自分達の味方となり一緒に戦ってくれるというのだ。それでテンションが上がらない訳がないのである。

 

「ありがとうございます、ドクトル!この球根も大事に育てて立派に成長させて見せます!」

 

「頑張って。御刀の神力を与えると成長が強く促されるそうなので、常に側に置いておくと育ちやすくなると思うよ。……祭りが終わるまではまだまだ時間はある、最後まで楽しんでくるといい」

 

「はい……行ってきますね!姫和ちゃーん!」

 

「ふふ……」

 

 もうすぐ祭りの時間は終わるが、まだまだ回っていないで店はたくさんある。可奈美はそれらもみんなで制覇してやろうと、姫和達みんなを連れて元気良く駆け出していった。

 

 使命を忘れて楽しめるのは今だけだけど……またみんなでこんな風に、楽しい時間を過ごせたらそれはどんなにいいことなのだろうか。そんなことを考える可奈美なのであった。




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28:終局の一夜

「いやぁ……楽しいお祭りだったね舞衣ちゃん!」

 

「うん……本当に楽しかった。可奈美ちゃんが百柄ちゃんに拐われた時も……沙耶香ちゃんを鎌府から逃がす時も……居ても立っても居られなくて、自分で動こうとして……ここまできた」

 

 祭りも終わり、可奈美達は温泉に入って今日の疲れを癒していた。舞衣はお湯に浸かりホッと一息つくと、可奈美の言葉に今日までに起こった出来事を振り返る。

 

 姫和による折神紫暗殺未遂事件から始まり、その追っ手として自分達が選ばれた。見つけた姫和とその協力者である百柄を相手に戦闘になるも、百柄の謎の力によって敗北し可奈美を拐われてしまう。可奈美の安否を気にする中で出会った沙耶香から助けを求められ、そのために動いたら親衛隊第四席燕結芽との戦闘となり、逃走後はそのまま舞草に身を寄せることになった。

 

 今日に至るまで、いろいろなことを聞かされていろいろなことを知ってしまった。正直なところ話に聞くだけでは大荒魂の脅威も、状況がどのようになっているのかもあまり理解できなくて……可奈美と再会した後の姫和に「お前は戦わなくてもいい」と言われたことで、自分が今ここにいる意味を考えるようになったのだ。

 

「お母さんと同じ御刀を持つ2人──きっと可奈美ちゃんと十条さんが出会ったのは、運命だったのかもしれないね」

 

「ごほっ、ごほっ……!」

 

「あ、姫和ちゃん?何やってんのこんなところで」

 

「う、うるさい!お前達が勝手に私に気付かず運命だの何だの話し込んでただけだ!」

 

「え〜ホントにー?隠れてたんじゃなくてー?」

 

「うるさいぞ可奈美!」

 

 星と月に照らされた夜空がノスタルジックな気持ちにさせたのか、しみじみとした顔で舞衣は運命を口にする。そのキザとも言える台詞が心に刺さったようで、隠れて2人の会話を聞いていた姫和は思わずお湯を飲んでむせ返ってしまう。

 

 姿を現した姫和を揶揄う可奈美であったが、舞衣の方は真剣な面持ちで彼女を見つめていた。それは多くのことを見て、聞いて、考えて……己の果たすべき答えを見つけた一端の刀使の顔であった。

 

「……十条さん、私だって孫六兼元に選ばれた刀使です。全ての人々を助けるには、私では力不足かもしれませんが……それでもタギツヒメのことを知ったから……この手にできることがあるのなら、私は何とだって戦います」

 

「……本当に、いいのか?」

 

「ええ。……可奈美ちゃんは本当に強いです、あなたと可奈美ちゃんならきっと、タギツヒメだって討ち果たすことができるでしょう。だから私は、あなた達を必ずタギツヒメの元まで送り届けます」

 

「本気……なんだな」

 

「舞衣ちゃん……!あ、花火!」

 

 舞衣の覚悟を応援するように、ちょうどいいタイミングで花火が空に弾けた。色とりどりの炎の花が夜空を明るく照らし、満天の星々と共に地上に美しい明かりをもたらす。温泉に浸かりながら綺麗な花火を眺めるというのもまた乙なもので、可奈美などは大きくお湯の中から身体を浮かせ、最高のシチュエーションに見入っていた。

 

 ──百柄ちゃんも、この花火を見てるのかなぁ。

 

 炎天が瞳を照らす中で、思い浮かべるのは未だに一切音沙汰のない友人のこと。百柄は追っ手を撒いて無事に逃げおおせることができただろうか。折神の手下に捕まって、拷問や尋問を受けたりはしていないだろうか。心配は尽きないが百柄は自分にも勝てるくらい強いし、きっと自力でどうにかしたとかで大丈夫だろう。そう思い込むことで気泡のように湧き出る不安を抑えつける。

 

 思えば、姫和とは大会中もお風呂などで出会う機会があったが。百柄とはお屋敷をはじめに見に行ったあの時以来、こうして裸の付き合いをするような機会はなかった。

 

 いろいろとお互いのことについて話す機会こそそこそこあったが、みんなでこうして楽しんでいる中に彼女だけいないというのもまた、寂しいものだと思ってしまう。

 

 ──早くまた、会えるといいな。

 

 七笑流の技を教えてもらったこと、追っ手の強襲から逃げるため殿を引き受けてくれたこと。可奈美も姫和もまだ、面と向かってお礼を言うことができていない。なるべく早くタギツヒメを討って百柄との再会を果たそうと、強く決意するのであった。

 

「ん……?あの花火だけ様子がおかしく……!?」

 

「きゃっ……!?」

 

「何だ……何が起こっている!?」

 

 可奈美が百柄のことを考えている間に、舞衣と姫和はかなり交流を深めたようで。会話をしている内に照れで耳まで真っ赤になった姫和は、そんな姿を見られまいと温泉から出ようとする。

 

 爆発が起きたのは、その時だった。

 

 最初にそれを見つけた可奈美も、花火の様子が何だかおかしいなぁ?くらいにしか考えておらず。そのせいで彼女らは、敵の奇襲を前に後手に回らざるを得なくなってしまう。

 

 なるべく早く脱衣所まで走り、着替えて御刀を持ち外で避難誘導をしている先輩の所まで向かう。大規模テロへの関与の疑いで舞草の首魁である朱音を引き摺り出し、捕らえる気でいる県警や自衛隊をどうにかいなしながら行動する。相手は公権力であるために迎え撃つにしても迂闊なことはできない、状況はかなり悪いと言えた。

 

「カナミン達は私達と来てくだサイ!」

 

「う、うん……っ!」

 

 タギツヒメとの長い長い戦いの一夜。その火蓋がここで切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「斬っても斬ってもキリがない……いったいどれだけノロを溜め込んでいたんだか」

 

「つーちー!」

 

 祟神の力を持ってしても殲滅し切れない程の物量に辟易した様子を見せる百柄とシロッチ。祟りによって折れた刀身が元通りに再生した、陽剣【七笑】改め呪剣【七笑】の斬れ味は凄まじく。一振りするだけで数体の荒魂をいっぺんに刈ることができる優れものであったが、斬っても斬っても次から次へと湧いてくる。かなりの足止めを食らっており、大荒魂の思い通りなのが少し腹立たしく思う。

 

 そしてここまで斬って思いつく。自分には剣術だけでなく妖術だってあるのだから、そっちによる広範囲攻撃で一気に滅してやればいいのだと。

 

 ──感覚は……いつも通り。

 

 空いている右手で印を結び、【太郎坊の大風】を巻き起こす。祟神の呪われた妖力によって風の軌跡は赤と黒に染まっており、耐性の薄い者が見れば恐怖で卒倒するだろうという禍々しさがあった。風は百柄を中心として嵐のように吹き荒び、荒魂共を構成するノロを吹き飛ばし祓っていく。祟神という神の力によって祓われることで、本来消し去ることのできないノロが完全に消え去っているのだが……その知識がない百柄には知らぬことであった。

 

「うん……これで大分見晴らしも良くなった」

 

「シーローつーちー!」

 

「あっちの方角だね……大荒魂がどこに逃げようと地の果てまでも追いかけてやる。逃げ場なんてないってことを思い知らせてやるよ」

 

「つーち!」

 

 何度散らしたところで、新たがまたどこからともなく現れて百柄の行く手を塞ぐ。しかしさっきまでとは違い百柄には苛立ちも焦りもない。培ってきたものが、鍛え積み重ねてきたものが助けになってくれていることを理解しているから。

 

 行く手を塞ぐ壁があるならば、何度でもこの刃と風で破壊して見せよう。そして百柄は荒魂を祓うという本懐を果たすのだ。

 

「呪われろ──【荒御魂の大嵐】」

 

「つー……ちー!」

 

 先程の【太郎坊の大風】よりも、遥かに威力も規模も段違いな嵐が荒魂を引き裂く。吹き荒れる嵐それそのものが、中に入ってしまったものを斬り刻みペーストに変えてしまう凶器。しかも一度放てばそれで終わりということはなく、勢力を落とし消滅するまでいつまでも猛威を振るい続けるのだ。

 

 更に追い討ちとして、シロッチの【祟神の呪い】が振り撒かれる。例えどうにか嵐から逃れることができたとしても、どこまでも祟りが荒魂を追いかけて取り殺すのだ。最早百柄の進行を荒魂共に止める手段などどこにもなく……それからしばらく隠世をまた渡って、遂に大荒魂と対峙する。

 

「初めまして、かな?大荒魂さん」

 

「人間如きが……誰の許しを得てここにいる!」

 

「私はスサノヲ様に連れてこられたからねぇ、強いて言うなら彼に貰ってるかな?」

 

「戯言をッ……我が領域から出ていけ!」

 

 遂に出逢った大荒魂──タギツヒメは誰も入り込めぬはずの隠世に現れた百柄に敵意を向け、自身の御刀である【鬼丸国綱】と【大典太光世】を抜刀し斬りかかる。それを見て百柄も二刀流には二刀流で対抗すると言わんばかりに妙法村正を抜き、二刀の構えでタギツヒメを迎え撃つ。

 

 ──大荒魂と言われるだけあって、流石にそこらの荒魂とは一線を画す強さだね。まさか荒魂が剣術を使ってくるとは予想外だったけど……

 

 大荒魂が隠れ蓑としていた折神紫は、二天一流の技を以て百柄を圧倒したが。それはあくまで折神紫の技術であって、荒魂のものではないと思っていたのだが。どうやらそれは違ったらしい。折神紫と目の前にある大荒魂では体格や使っている御刀が違うので一概には言えないが、技の冴えやキレはどちらも似通っている。受けた際の一撃の重みは大荒魂の方が断然上であるが。

 

「現世の私にすらでも足も出ないような雑魚が、どのようにしてここに来たのかは知らないが……現世に置いている分身と違って私は本体、折神紫にすら勝てない雑魚が勝てる相手ではないぞ!」

 

「ふーん?ここでお前を斬れば折神紫は解放されるし十条先輩達も戦わなくて良くなる訳だ。そりゃあいいことを聞かせてもらった」

 

「世迷い事を……抜かすなァ!」

 

「そっちこそ……人が弱いまま、いつまでも変わらないと思うな!」

 

「つちつちー!」

 

 隠世にいる方のタギツヒメは、言わば残してある保険のようなもの。例え現世で折神紫と共にある自身がやられ消えたとしても、隠世にいる自分が残っている限り死ぬことはない。それに加えて借り物の身体ではなく自分自身が戦っているため、自分の力を無駄なく完全に使うことができるのだ。百柄が戦って負けた折神紫よりも、このタギツヒメの方が断然強いと言っていい。

 

 しかし裏を返せば、ここでタギツヒメを斬れば本体が消えるということになる。もしかしたら現世にいる方も一緒に消えて、可奈美達が戦う必要をなくせるかもしれないのだ。

 

 一度は負かした相手ということで、舐めてかかっているタギツヒメであるが。今の百柄は数多の祟りを取り込み、神と呼ばれる者達と同格の存在となっている。格という面で見るならば、神ですらあると謳われたタギツヒメと同じであるのだ。舐めてかかってどうにかできるような相手であるはずがない。

 

「くっ……キサマ、どこにそんな力が……!」

 

「今日まで、いろいろな人達に助けてもらった……力を貰った。全ては大荒魂……お前を斬り人の世の平穏を守るためだ。今この戦いがそれを成す場なのだから、そりゃあ力も湧くってものだよ」

 

「調子に乗るなァ!【覇星剣】!」

 

「【横一文字】────」

 

 右手に握る鬼丸に力を集中させ、溢れ出す力を新たな刃としてリーチと威力を引き上げる。20年前に力の大半を失い折神紫の中で雌伏の時を過ごしていたが、隠世の本体は力を蓄える中で別世界の存在を知り、そこの力や技術を紫を通して自分や部下に与えていった。この【覇星剣】もその一つ。この技をどうにかできた者など、1人しかいなかったはずなのに──

 

「がっ……!?」

 

「七笑流──【石切】!」

 

 ──百柄はその男と同じ技で、【覇星剣】を引き裂いてみせた。忌々しい男と同じ技を使ってきただけでも驚くことなのに、技同士で撃ち負けたことに動揺し【石切】をモロに食らってしまう。七笑から流し込まれた妖力が、呪いのようにタギツヒメを蝕み犯していく。20年前に感じた以上の確かな死の気配に、タギツヒメは冷たい汗を流した。

 

「キッ……キッ、サマァ……!!」

 

「いい顔だ。もっと歪ませてやるよ……?」

 

 傷口を抑え悪態をつくタギツヒメに、百柄は追撃を仕掛けようとするのだが。ふと頭の中に浮かんだビジョンに行動を中止させられる。

 

 見えたのは、親衛隊燕結芽に追いかけられる可奈美達のビジョン。その中でも御刀を持たないことでただ逃げることしかできない沙耶香であった。これを見せているのは妙法村正、ここではなく沙耶香と共に戦わせてほしいということなのだろう。百柄は御刀から感じたものを汲み取り、スサノヲがそうするように現世に繋がる扉を開く。そこから村正を投げ入れて沙耶香に渡した。

 

 ──借りてたままでごめんね、返すよ。

 

「さて……仕切り直しだね。第二ラウンドといこうか……って、お前なんて名前だっけ?」

 

「……我が名はタギツヒメ。名乗ったからには必ずや生かしては帰さぬぞ」



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29:VS燕結芽

「折神紫親衛隊第四席、燕結芽!私抜きで楽しいこと始めちゃあダメでしょ!?」

 

「あの子、鎌府で会った……!」

 

「燕……結芽……!」

 

 舞草の面々は折神朱音を護衛する班と、機動隊を迎え撃つ班の二手に分かれ行動する。可奈美達が合流した護衛班は、米軍の潜水艦なら簡単に手出しはできまいと潜水艦を目指していたが……その道中も多くの機動隊が待ち構えている上に、刀使の写シを対策した装備が苦戦を強いてくる。それこそ彼女らの命すらも考慮せずに。

 

 ここまで機動隊が攻撃的になっているのは、官給品であるスペクトラムファインダーが御刀に反応するよう細工が為されていたからである。折神家支給のスペクトラムファインダーは、折神紫やその配下が取り込んでいるノロには反応しない細工がもともとされているのだが。単なる隠蔽工作でしかないそれとは、今回の件は卑怯さが違う。

 

「本当に反応が……!」

 

「撃て!あれは人ではない、荒魂だ!」

 

 何せ、これなら刀使達を荒魂として殺す名目ができてしまうのだから。

 

 舞衣の高精度な【明眼】と【透覚】を頼りに、迂回ルートを通るなど対策しつつ潜水艦に向かう。本来のルートには既に待ち伏せが入っており、彼女がいなければ激戦は必至だったであろう。そうして何とかここまで来ればもう……という所まで辿り着いたのだが、敵もそこまで甘くはなかった。

 

 折神紫親衛隊第四席、燕結芽の襲撃である。

 

 地上での待ち伏せではなく、ヘリコプターを使った上空からの索敵と奇襲。ただの不意打ちでは終わらず味方に位置を知らせる効果もある、二重の効果を持った襲撃。この時点で後手に回ってしまった舞草では手も足も出ず、大半がやられてしまった。

 

「おねーさん達、弱すぎー。こんなんでよく紫様に刃向かおうなんて気になれたよねー?」

 

「ぐっ、う……ノロに頼るような刀使に……負けはしないッ……!」

 

「……チッ」

 

「グアァァッ!!」

 

「これはぜーんぶ私の実力なの!私、戦いに荒魂の力なんて1ミリも使ってないし!」

 

 自分のことを愚弄する刀使を斬り刻むと、結芽は警戒して構える中で可奈美に目をつける。彼女こそがこの中の誰よりも強く、自分の戦闘欲を満たしてくれる相手だと確信して。

 

 突撃を千鳥で受け止めた可奈美は、そのまま皆を下がらせて1人で相手することを選んだ。潜水艦を目指してまた走っていくのを確認し、自分は結芽の相手に集中する。剣筋の鋭さも一撃の重さも今まで戦った誰よりも重く、可奈美は苦戦を強いられることを確信したが……それ以上に、結芽の剣から感じる焦りのようなものに違和感を覚えた。

 

「あはは!流石おねーさん、初めてあなたを見た時からずっと思ってたんだよ!あなたなら私を満足させられる戦いができるって!」

 

「ぐうっ……速い……!」

 

「あなたを倒せば、私は……ッ!」

 

「倒されは……しないっ!」

 

 猛攻の中に一瞬できた隙に割り込み、可奈美は手痛い反撃を食らわせる。写シに大きなダメージを受けたじろぐ結芽であったが、すぐに構えを取り直し可奈美に警戒を解かせない。

 

 ──凄い気迫だけど……どうして、こんなに……哀しいような、気持ちになるんだろう?

 

 すぐに落ち着きを取り戻したことから、勝ちを急いでいるという訳ではなさそうだ。しかし何故だか焦っているような、急いでいるような……そんな気持ちが撃ち合った刃から流れ込んでくる。いったい何をそんなにとも思わなくもないが、今は敵の事情を考えている場合ではない。結芽が次の攻撃に入るのを見て、可奈美はその考えを止めた。

 

「さて……いくよ、おねーさん!」

 

「私は可奈美……衛藤可奈美だよ」

 

「可奈美ちゃん!もっと、もーっと楽しもうね!」

 

「……そう、だね!」

 

 より斬り合いは激しさを増していき、【迅移】の段階も上がって常人には最早、視認すらもできない領域に2人は入っていく。そんな激しくボルテージの高まっていく戦況を、伍箇伝の一つ綾小路武芸学舎学長の相楽結月は、ヘリコプターの上からジッと眺めていた。

 

 恐らくは最期となる、結芽の戦いを。

 

 どんな結末になろうとも、必ずその姿を記憶に焼き付けてやる。その覚悟で他の戦場に向かうでも部下に指示を出すでもなく、結月は結芽が刃を振るい戦う姿を眺めていた。本当ならこんな願い聞いてやるつもりはなかったのだが……いつか教え子になるはずだった少女の願いを、どうしても結月には無下にすることができなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「いたぞ、撃て!撃て!」

 

「朱音様とグランパはこっちへ!追っ手は私達で引き受けマス!沙耶香ちゃんも行ってくだサイ!」

 

「クッソ……何なんだこの矢は!?」

 

「刀使の写シ対策だろ!やられはしないが、身体に刺さって残り続ける地味に厄介なやつだ!」

 

「あの方々は命令に従っているだけです、どうか手荒な真似はなさらないようお願いします!」

 

「あーもう!ホントに厄介だな!」

 

 ヘリコプターの灯りを辿ってやって来た追っ手に遂に追いつかれてしまい、姫和達も機動隊からの攻撃を受けることになる。相手は荒魂ではなく命令に従っているだけのただの人間であり、あまり手荒な反撃をすれば余計にこちらを不利にしてしまう。とても厄介な相手であり薫は悪態をつくが、沙耶香は別のことを思っていた。

 

 ──私に、御刀があったら……!

 

 今の沙耶香は御刀を持っておらず、刀使であるのに戦うことができない。戦えないから……戦おうとしても無駄だから、みんなに守られるばかりで何もできない。自分の無力さを忌々しく、そして腹立たしく感じていた。

 

 今は戦うべき時なのに、自分にはそのための力がない。数多の矢の雨に晒されて危機に陥っている舞衣を助けてやりたいのに、そのための土俵に上がることもできない。

 

「あっ……沙耶香ちゃん、避けた!」

 

「えっ……」

 

 そうやって余計なことを考えているから、自分にも矢が迫ってきていることに気付かない。避けるには遅すぎるタイミングでようやく沙耶香が迫る矢に気付いた時、彼女の鼻先を擦る程近いところに何かが降ってきた。それはもう眼前まで迫ってきていた矢を叩き落として地面に突き刺さる。刀使になってから長年付き合ってきた、相棒の姿。

 

 ──妙法村正……もしかして、百柄が?

 

 突如現れた愛刀に困惑するが、柄を握ればそれまで何があったのかが朧げに流れてくる。どうやらあちらでもいろいろあるようだが、それでも沙耶香のために御刀を返してくれたらしい。写シを貼ると今まで感じたこともないような力に溢れていて、沙耶香はそれはもう驚いた。すぐにいいことだから問題ないと切り替えるのだが。

 

「沙耶香ちゃん!」

 

「お待たせ……ここからは、私も戦う」

 

 いつもより強化されている【迅移】で戦場を駆け回り、機動隊を一人ずつ気絶させていく。刀の峰による殴打で意識を刈り取るとこで、最低限の負傷で戦闘不能にさせられる。しかしそれだけではそう簡単に人は気絶なんてしない。沙耶香は殴る瞬間に御刀から、神力ではない謎の力が流されていることに気付いていた。

 

 ──百柄の妖力ってやつ……かなぁ?

 

 妖力というよりは祟りなのだが、何にせよ機動隊を最低限のダメージで無力化させてくれるのはありがたい。【八幡力】を必要せず人を気絶させることができるのだから、その分神力を節約して立ち回ることもできるし【無念夢想】も必要としなくていいのが大きい。

 

「強いぞ!容赦はするな!」

 

「相手は荒魂だ!隙を見せればこっちがやられる、やられる前にやれ!」

 

「荒魂が……人を荒魂呼ばわりするか……!」

 

「そんな言葉……聞かなくていい」

 

 荒魂扱いに怒りを見せる姫和に、沙耶香は聞く耳を持つ必要はないと嗜める。【無念夢想】を発動し意識を身体に移して、どんな言葉も響かない自分を作り出し戦う。相手がどんなことを叫ぼうと喚こうと沙耶香の心には響かない。機動隊は手も足も出ず沙耶香の峰打ちに全員沈むこととなった。

 

 追っ手を全滅させ、【無念夢想】を解いて沙耶香は姫和の方に向き直る。こんなところで怒っている暇はないと、彼女に声をかけた。

 

「姫和の戦う理由はそうじゃない……でしょ?」

 

「そう、だな。礼を言う」

 

「ッ……これは、可奈美ちゃんの方角……!?」

 

「可奈美……!親衛隊がまた、別世界の力を使ったのか……!?こうしては」

 

 機動隊は全滅したが、可奈美が戦っている方角から大きな爆発音とノロのような色をした何かが飛び散ってくる。それに皐月夜見との戦いを思い出して危機感を覚えた姫和は、彼女の助太刀に行こうと飛び出そうとするが。沙耶香がそれを制止する。

 

「私が行く……姫和はあまり消耗しない方がいい」

 

「大丈夫、なのか……?」

 

「沙耶香ちゃん、あんまり無理は……」

 

「大丈夫……百柄が、憑いてる」

 

 理屈はよく分からないが、今の沙耶香には百柄が力を貸してくれている。相手が親衛隊最強であろうとそう簡単にやられはしないし、そもそも二対一になる。勝てる算段は十分にあると踏んでいるからこその行動であった。

 

 あまり離れてはいなかったので、可奈美の所へはすぐに辿り着く。そこで見た光景は……無傷のまま困惑するように佇む可奈美と、黄色と黒に彩られた禍々しい気配に包まれる結芽の姿であった。

 

「可奈美……これは、どうなってるの!?」

 

「沙耶香ちゃん!?見ての通り……結芽ちゃんも別世界の力を使ってきたところだよ」

 

「別に……強くなった訳じゃ、ない、けどね!」

 

「ッ……助太刀する!」

 

 斬りかかる結芽の一撃を受け止め、沙耶香は以前よりも心なしか彼女の剣撃が軽くなっていることに驚く。あんなに禍々しいオーラを漂わせて如何にも強くなりましたという雰囲気を出しているのに、その実全くそんなことはない。想像していた強さとのギャップに少なからず動揺した。

 

「いったい、何があったの?」

 

「分かんない、戦ってる内にいきなり血を吐いて倒れたと思ったら……あんな感じになったの!」

 

「だって、もったいないじゃん!こんなに楽しい時間を荒魂に乗っ取られたり、決着前に倒れて終わるだなんて……!そんなの、私は望まない!」

 

「そう……だったらここで、倒れてもらう!」

 

 結芽は幼い頃から類い稀なら剣術の才を発揮し、刀使としてその将来を期待されてきた。先輩達を鎧袖一触で薙ぎ倒し、同年代でもライバルになれるような者など存在しない、隔絶した強さがあった。

 

 しかし、結芽の人生は順風満帆なものになることはなかった。治療法のない原因不明の病に倒れ、その才覚を発揮することなく一生を終える……誰にも看取られることなく、孤独に。その運命を変えてくれたのが、折神紫であったのだ。

 

 ──選べ。このままここで朽ち果てるか……残り短い命で、鮮烈にその存在を刻み込むか。

 

 結芽は選んだ。生きて自分という存在の煌めきを焼き付ける──例え永らえようと、残り短い命であるということを知りつつも。ノロを取り込んで動くことはできるようになったが、病の進行が止まった訳ではない。少しずつ病魔に蝕まれていく身体の活動時間は日に日に短くなっており、最近では10分程度の運動ですら血を吐くようになった。

 

「最期まで……私は、輝くんだァ!」

 

「結芽ちゃん……!」

 

 今動けているのは他でもない、結芽の執念の賜物である。この身朽ち果てようとも鮮烈に輝きその存在を忘れられないものにしてやるという、強い精神が織り成す悪鬼の醜宴。

 

 敵であるということは最早関係ない──可奈美も沙耶香も、その覚悟を汲み取った。手加減も出し惜しみも一切せず、全力で彼女の剣と撃ち合う。この時間を心に刻み込むように……燕結芽という刀使の存在を、決して忘れないように。

 

 そして、最期の時が訪れる。

 

「がっ……は、ああぁ……!」

 

「結芽ちゃん……!大丈夫……?」

 

「ねぇ、おねーさん。私達こんな形で出会わなかったら、お友達になれてたかな……?」

 

「きっとなってたよ。結芽ちゃんが同じ学校にいたなら、私は毎日試合を申し込んでる……結芽ちゃんの太刀筋をもっと見たいからっ!」

 

「私も……きっと、なってるはず」

 

「ふふ……同じ学校かぁ。いいね!」

 

 口元に付いた血を拭い取り、結芽は立ち上がって最期の構えを取る。それを見た可奈美は沙耶香を下がらせ、自分だけでその最期の一撃を迎え撃つことを決めた。

 

 耳を澄ませば、風の音しか聞こえない……それ程静かな空間に、土を蹴る音が響き渡る。二つの太刀が互いを斬るべく交差し、そして振り抜かれて両者がすれ違う。しばらくの間はどちらも斬られてなどいないかのように仁王立ちしていたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、おねーさん。私……強かった?」

 

「うん……とっても、とっても強かった」

 

「あはは……そうか。そっかあ……ありがとう」

 

「……対戦、ありがとうございました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……倒れたのは、結芽の方であった。



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30:大荒魂顕現

「うっ……がっ、あああぁっ……!」

 

「結芽ちゃん……っ!」

 

「可奈美、妖術で治せない……!?」

 

「……ッ!やってみよう!」

 

 最期の斬り合いは可奈美の勝利で終わり、最後の一滴まで力を使い果たした結芽は、糸の切れた操り人形のように力無く倒れ伏す。そこにもうヘリコプターで飛び込んできた時のような、エネルギッシュな雰囲気はどこにもなく。今にも消えてしまいそうなくらい弱々しくなっていたのだが……実際にそうなるのだと可奈美と沙耶香に告げるように、黄色と黒のオーラが暴走を始めた。

 

「アハ……大丈夫だよ、おねーさん」

 

「結芽ちゃん!今は喋ったら……!」

 

「変な力に手を出したから……そのバチが当たったんだよ。こうなることは……分かってた」

 

「ダメ!絶対助けるから!」

 

 もともと、ノロでも体調の維持が満足にできなくなった時の最後の切り札である。紫もいざという時以外は絶対に使うなと念押ししていた力、何かしら反動があることなんて分かっていた。

 

 外付けの力に頼って暴れたツケを払うだけ、だから何も可奈美達が気にすることはないのに。可奈美も沙耶香も決して結芽を消えさせまいと、やったこともない妖術に全力を尽くしている。しかし所詮は猿真似の風。悪鬼に魂を差し出す代償を覆すような出力にはなり得ない。神力を無駄遣いしながら結芽が消える様を見ていることしかできなかった。

 

「もう……やめておけ。彼女は私が看る」

 

「綾小路の……相楽学長」

 

「早く行け、こんなところでのんびりしている暇はないはずだ。さっさと仲間達の元へ戻れ」

 

「っ…………はい!」

 

 もう何も言うことはない。2人は学長の言葉に従って潜水艦に向けて走った。力はあったのに何もできなかったという、後悔と無念を連れて。

 

 

『選ぶがいい。このまま朽ち果て誰の記憶からも消え失せるか──それとも、刹那の間でも光り輝きその煌めきを焼き付けるか──お前を見捨てた全ての者達に』

 

 

「もう……おしまいかぁ……」

 

「……」

 

「負けちゃったなぁ……みんなにもっと、もーっと凄い私を焼き付けてやりたかったのに……」

 

「結芽……楽しかったか?」

 

 身体が朽ち果てていく中、結芽を抱いて相楽結月は歩いていく。醜宴を終えた彼女の身体はもう半分も残っておらず、ただでさえ軽かった体重は持ち上げるのにも片手で足りる程になっていた。

 

 いろいろな相手に勝って勝って、勝ち続けて己の価値を世界に刻みつけるのが、結芽の望みだった。

 

 最期の戦いは敗北に終わった、歓迎するべきではない結果かもしれないが……死にゆく中でこんなにも笑える彼女を見たら、結月にはもう何か気の利いたことを言ってやることもできない。だから交わす会話はただ一つ……その人生は結芽にとって、幸せなものであったのかということ。

 

「──────────うんっ!」

 

 その答えは、聞くまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「観念しな、タギツヒメ……もう新しい手下を生み出すノロもないみたいじゃないか」

 

「この我が……人間、如きにィ……!」

 

 隠世での百柄とタギツヒメの戦いは、百柄の優勢でそろそろ決着が着こうとしていた。頼みの綱である【覇星剣】も切り札だった【星辰の一撃】も百柄を倒すには至らず、逆に返り討ちに遭う。そこからはノロを切り離し荒魂に変えてけしかけつつ、隙ができたら攻撃を仕掛けるというヒットアンドアウェイ戦法をつかっていたのたが、それも見事に対処されてしまった。

 

 あまり小さくすると【太郎坊の大風】で近付く間もなく消滅させられてしまい、大きくしようするとノロの消費が激しく、自分が戦える頭脳と身体を維持できなくなる本末転倒な事態となる。ジリ貧の状態をずるずると続けている内に、ここまで追い詰められてしまったのだ。

 

 ──何か、小さくなってるような……弱体化してるって訳ではなさそうだけど……

 

 余裕のあるようなセリフを吐いてはいるが、百柄にも警戒していることがあった。タギツヒメの身体が最初の頃よりも明らかに縮んでいるのだが、力が全く落ちていないのだ。

 

 ノロを失って弱まっているのなら、ジリ貧になんてならず瞬殺されていたはずだが。事実タギツヒメはここまで粘り、まだ百柄にトドメの一撃をやらせないでいる。少なくともまだ何か、隠していることがあると見ていいだろう。劣勢になっていることに憤るような言葉は、それを悟らせまいとするカモフラージュと見るべきか。

 

「【呪剣──」

 

「【天翔る剣──!」

 

「──────────アメノハバキリ】」

 

「スタァ……ぐあああっ!」

 

 七笑に祟りを纏わせ、強化された刃で敵を斬り裂く【呪剣アメノハバキリ】をモロに食らい、タギツヒメは傷口から大量のノロを噴き出しながら苦悶の叫び声を上げる。演技であるならばあまりにも迫真過ぎる叫びは、百柄に今の攻撃はちゃんと有効打になったと確信させた。間に挟まったことでタギツヒメを守るように御刀はへし折られ、戦う術も奪うことができた……しかし当のタギツヒメ本人は、その土壇場の中でも余裕の笑みを崩さなかった。

 

 ──やっぱり、何か隠してるな……奥の手を切られる前にここで終わらせないと!

 

 タギツヒメが何を企んでいようと、決して何もさせないよう百柄は追撃の力を溜める。刀身に纏わりつく妖力と祟りが雷鳴の軌跡となって弾け、これで後は思いっきり振り下ろせば……七笑流【明星】の完成である。

 

「……っ!外した!?」

 

「ははは……貴様が我を警戒して、力を出し惜しんでいてくれたおかげだな。最早この場の我を斬ったところで、タギツヒメは終わらぬ!貴様は我の力を見誤ったばかりに、我を祓うことのできる千載一遇のチャンスを手放したのだ!」

 

「何だと……ッ!!?」

 

「最早隠世にも用はない。私は本体を現世の折神紫の元へ移した……20年刀使共にコツコツと集めさせたノロで、我は完全復活を果たす!貴様が付けた傷も癒える……全て無駄に終わるのだよ!」

 

 百柄と戦っている中で、タギツヒメは本体の機能を折神紫の中にいる分体に移動させていた。このまま百柄と戦っていても勝ち目はないと踏み、ある種の賭けに出たのだ。

 

 百柄に最初から【呪剣アメノハバキリ】のような大技を使われていれば、タギツヒメはなす術なく祓われていただろう。しかし百柄は大荒魂の未知なる力を警戒し、一気に力を解放するというようなことを控えていた。その慢心とも取れる立ち回りをしてくれたおかげで、タギツヒメはこの作業を行うだけの余裕を得ることができたのである。

 

 ──くそ、やられた!

 

 出し抜かれていたと知り、百柄はすぐに現世に戻って折神紫の方を斬りに行こうとするが、それを阻止するための手駒をタギツヒメは揃えていた。『あちらの世界』で力を得るために回らせていた現世のとは別の分身が洗脳し連れてきた、あちらの世界の名だたる強者達。それらが百柄が現世に向かうことを阻止するべく、彼女の前に立ち塞がる。

 

 

 スサノヲの子孫『ミコト・ヤマト』

 

 闇に堕ちた愚王『狂王マルドク』

 

 暗黒を振り翳す剣士『魔界騎士エッジ』

 

 陰陽を束ねし者『渾沌龍タイチーロン』

 

 

 単体でも一筋縄ではいかぬ強者を、全て撃ち倒さねば百柄は現世に戻れない。更にそれだけではなく追い打ちをかけるように、百柄も知っている制服と知らないアーマーを着けた、複数人の刀使もやって来て百柄に刃を向ける。

 

 ──あの制服、確か綾小路の……!

 

 面倒なことに、彼女らを斬り殺しては百柄の人を守るために荒魂を斬るというアイデンティティが崩壊してしまう。だからあちらの世界の戦士達はともかく、刀使を殺すなど論外なのだが……それをするにはあまりにも骨が折れるし、時間が足りない。

 

「残念ながら、我では貴様には勝てんようだ。だから此奴らと遊ばせてやる。せいぜい楽しんでくるといい」

 

「待て、タギツヒメ……ッ!」

 

「あの方の元へは、行かせん」

 

「あまり私を舐めるなよ……すぐに終わらせる!」

 

 現世に消えていくタギツヒメを追えず、百柄は行く手を阻む彼らと戦うことになる。すぐにでも終わらせてタギツヒメを追うべく、百柄は祟神としての力を全開にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「みんな、遅くなってごめん!」

 

「何とか無事に戻って来れた……」

 

「可奈美ちゃん、沙耶香ちゃん!」

 

「君たちは無事だったか。良かった……各地に潜伏中の舞草のメンバーと連絡が取れない。それどころか長船と美濃関に、平城までテロリストへの関与の疑いで封鎖されたようだ」

 

「……真庭学長は?」

 

「すまない……わからないんだ」

 

 どうにか欠けることなく集合できたが、状況はかなり悪くなっている。伍箇伝は折神家の息がかかっていなかった三校が封鎖され、そこに通っていた刀使は御刀を没収されることとなる。この隠れ里以外にもいた舞草のメンバーも連絡が付かず、既に機動隊にやられていることが予想される。対折神紫にかけられる戦力は大幅にダウンしていた。

 

「……………!?」

 

「何だ、この感覚……!?」

 

「分かりまセン、こんなの初めてデス!」

 

「ど、どうしたんだ!」

 

 意気消沈しているところに更に追い打ちをかけるように、刀使だけが大きな地震のような衝撃を受ける感覚を体感する。この衝撃の正体を唯一知る朱音はもうこの時が来たということを知り、こんな時に起きるなんてと絶望する。

 

 そう、これは大荒魂出現の前兆なのである。

 

 この現象が起きた以上、もう大荒魂討伐に一刻の猶予もない。この20年の間に折神家が集めたノロの量は、大災厄の時を優に超える。しかし伍箇伝は封鎖された上に、舞草はほぼ壊滅。刀使に戦える者は結芽のせいで可奈美達しかおらず、ドクトルのロボも零式以外は、戦闘にはあまり向かないタイプのものばかり。

 

「打つ手なし、だ……!」

 

 悔しそうにそう言うリチャードに、姫和も反応し拳を強く握り込む。しかし可奈美はその手を更に優しく包み、緊張を和らげてやった。

 

「大丈夫……重い荷物も6人で持てば、かなり軽くなるものだよ」

 

「あなた達、まさか……」

 

「ゴエイ、センドウハワタシニオマカセヲ」

 

「頼んだよ零式。私は要塞型四式のエネルギーチャージに入るから……どうかお前の力で、あの子達を導いてやってくれ」

 

 確かに舞草は壊滅した。援軍を期待できた伍箇伝も封鎖されて身動き取れなくなった。しかしそれは戦いを放棄する理由にはならない。

 

「6人分のS装備を託す!どうか……タギツヒメを討ち、世界を救ってくれ!」

 

「あなた達だけに命運を任せることを、本当に申し訳なく思います。どうか……皆さん無事に帰ってきてください、私達の最後の希望よ」

 

「部下が私達の世界の力を使っていたんだ……タギツヒメが使ってこない道理はないだろう。どんな未知と相見えようと、覚悟だけは失わないようにね」

 

「はい……行ってきます!」



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31:隠世の戦い

「駆け回れェ、テアマト!!」

 

「くぅ……意外と、隙がない」

 

 魔獣『テアマト』を手繰り、豪快で大味な攻撃をせっかちにも仕掛けてくる狂王マルドク。ナナワライ達天狗が使う風の妖術とは毛色の違う、剣に風を纏わせる乱舞【狂風の乱撃】は脅威の一言。少しでも擦ればそこから、肉体を風に削り取られるプレッシャーは、祟神と化した百柄でさえも精神的にかなり重たいものであった。

 

「【業剣……クサナギ】ィィ!」

 

「……七笑流──【石切】!」

 

 祟りの力とはまた違う、禍々しい力を【草薙剣】に込めてヤマトは力任せに振り翳す。百柄も負けじと【石切】で受け止めるが、マルドクの攻撃を避けていく中で飛び上がっていたことが災いし、踏ん張り切れずに打ち負けてしまう。かなり遠くへ弾かれてしまうところであったが、エッジの追撃が戦場を離れることを許さない。

 

「【魔剣の一撃】……喰らうがいい!」

 

「……っ!さっせ、るかぁ!」

 

 魔剣ダインスレイヴの一撃が、百柄の魂を求めて黒く線を描く。百柄は吹き飛ばされる勢いに逆らうことなくむしろ風を吹かせて更に勢いを付け、魔剣が振り切られる前にエッジに体当たりを仕掛け彼を撃ち落とした。空中で衝突したことで吹き飛ばされる勢いが死に、百柄に着地のチャンスが来る。だが着地点には戦士達の隙をフォローするように、操られた刀使達が待ち構えていた。

 

「全員【八幡力】を引き上げろ!仕留めるぞ!」

 

「ああもうッ……!あなた達は邪魔だっての!」

 

 操られた刀使は全部で7人。全員がS装備で強化されている上に【八幡力】による強化もあり、殺す気で戦えないのに数も質も無視できないという面倒な相手となっている。

 

 とりあえず対策していないことを期待して、着地までの短い間を【菫の風】で埋める。様々な災いをもたらすこの風だが、彼女らは術の発動に合わせて【金剛身】を発動し防いでみせた。毒を防ぐにはそれを跳ね除けられる強い身体を作ること……初見のはずの技であるのに、しっかりと対策ができていることに百柄は表情を歪ませた。

 

「ギャアアアアア!!」

 

「うるっせえ……お前は黙ってろ!」

 

 明滅する渾沌の龍が放つ咆哮は、無限の虚無が広がる隠世をその響きだけで震わせる。耳すらも通さず身体の芯を揺さぶるような大声に、耳を塞ぐこともなく百柄はまた飛び上がった。地上にいては刀使達が鬱陶しいし、タイチーロンを放置していては上空から際限なくブレスを吐かれ邪魔をされる。だからまずはあの龍を撃ち墜とす。

 

 耳を劈くような咆哮を放つ五月蝿い口から横一文字に斬り裂いてやるために、百柄は七笑に妖力を注ぎ空中で刀を構えた。七笑流の技ではなく、かつてスサノヲが龍を斬った時の技。その名が示す通り龍を殺すための一撃。

 

「龍殺剣──【アメノハバキリ】!」

 

「ゴァアアアアア!!」

 

 龍の顎を上下に引き裂くように、百柄の振るう刃がタイチーロンを斬り開く。灰色を濁った赤と青の光で包む渾沌の龍は、ブレスによる抵抗もままならずそのまま二つに裂かれてしまった。

 

 分たれた龍の半身は、それぞれがまた新たなる一匹の龍として形を成していく。無理矢理混ぜ合わせられた『陽龍ヤンシェンロン』と『陰龍インシェンロン』が、互いの姿を取り戻したのだ。相反する一対の龍は己を取り戻したことへの歓喜か、それともタギツヒメに操られていた己への怒りか、百柄への威嚇とは違う咆哮を上げる。

 

「グオオオオオォォ!!」

 

「グギャアアアアアァァ!!」

 

 それぞれの身体を絡み合わせながら、二匹の龍は宙を舞うように空を飛ぶ。黄金や真紅の光を纏い絢爛豪華に天を行く陽龍と、漆黒と深蒼の光を纏い何かを祝うように飛ぶ陰龍。やがて存分に舞い続けた二匹は跡形もなく消え去り、百柄の手元にはかつて何度も手にした龍の鱗が遺されていた。

 

「これは……あなた達の、だったんだね」

 

「チィィ……あのトカゲ共、役に立たねえな!」

 

 風隠の森で傷を癒していた時は、ナナワライの風が主な回復源であったのだが。内臓が負った傷を治すのには違う物が使われた。それがあらゆる病気を癒すと謳われる陰陽の龍の鱗であり、百柄がその持ち主を見たことはなかったのだが……ここで初めて出逢うことができたという訳である。

 

 ──私を、強くしてくれてありがとう。

 

 既にいなくなった二匹に、百柄は心の中で感謝をしつつ背後から迫るマルドクの刃を受け止めた。

 

 百柄の妖力の元となったのは体内に残留したノロであるが、竜の鱗が宿していた力もまた、彼女に本来人間が持つはずのなかった力を与えていた。この力があったから百柄は戦えるようになったし、この力があったから祟神となって渾沌に呑まれた二匹を救うことができた。いろいろなものに助けられてきたということを、嫌という程自覚する。

 

「てめェだけで、どうにかできると思うな……!」

 

「次こそは、我が魔剣の錆としてくれる!」

 

「追い続けろ!奴に着地する隙を与えるな!」

 

「邪魔すんじゃねェ!こいつを殺すぐらい俺1人で十分だァ!」

 

 言い争っている割には、戦士達は協力する姿勢を取っている。ヤマトの【ヤキヅナギ】によって燃え盛る炎を、マルドクの【狂風の乱撃】が巻き起こす風で広げて百柄の行動を制限しつつ、2人への対処に意識と手数を割かせて本命のエッジの一撃。

 

 斬った者の魂を吸い取る魔剣【ダークエッジ】の一撃ならば、祟神と化した百柄であっても致命傷となり得る。

 

 当たれば、の話だが。

 

 百柄も別に、あちらの世界で修行だけをしていた訳ではない。本を読んで様々な伝説や逸話についてを学んだり、ナナワライと交友関係にある強い戦士達と交流して戦う者の心構えを学んだり。たまには森の外に出て、ヒエンやハヤテ達に連れられて遊びに行ったりもした。そんな訳であちらの世界のことはそれなりに百柄も知っているのだ。

 

 ダークエッジの凶悪さも当然、知っている。だから百柄はあの刃にだけは触れないよう、常に注意を払いつつ動いていた。そのおかげでこの絶体絶命とも言える状況も、切り抜けることができたのだ。

 

「……まず、1人目」

 

「バカッ……な……………!!」

 

 エッジの身体を突き上げるように、下から風を吹かせて体勢を崩す。突然の出来事に驚きながらも剣を振り抜いたことは流石だが、あまりにも手元が狂い過ぎたせいでそこにもう百柄はいない。虚しく空を斬ったダークエッジを握る腕をぶん殴り、根本の方からへし折ってやる。痛みに悲鳴を上げる間も与えずそのまま袈裟斬りにし、エッジは致命のダメージを負ったことで、負け惜しみの言葉とダークエッジだけを遺して消滅した。

 

 持ち主を喪った魔剣を握り、百柄はその闇の力を自分のモノとする。シロッチから吸収した祟りと同様に取り込もうとしたのだ。

 

 魔剣から流れてくる力は、祟神となった今でも強力と実感できるものであった。しかしそれは同時に『敵の魂を刈り取れ』『敵を刻み血を吸って完全なものへと至れ』という、剣の意志も伝えてくる。もちろんそんなことを聞く気はないので、力だけ貰った後で粉々に破壊してやったのだが。

 

「こんクソアマアァ……!テアマト、潰せ!」

 

「シロッチ……そろそろ、いいんじゃない?」

 

「……ッ!!マルドク、避けろォ!」

 

「カロロロロ……」

 

 エッジがやられたのを見て焦りが出たか、マルドクは己の跨るテアマトに命じてその質量で百柄を押し潰さんとする。

 

 しかし百柄は余裕を貫いており、彼女の一言によってマルドクとの立場は一変した。百柄の足元から三つの首に祟りの札を下げた、純白の鱗と真紅の瞳を持つ神の龍。シロッチの真の姿『祟竜ヤマタノオロチ』の権限である。

 

 元から使える訳ではなかった。この姿になるには時間がかかるため、百柄はタギツヒメと会敵したすぐ後にはシロッチを退避させ、ヤマタノオロチの姿となるための力を溜めさせていたのだ。もっともそれはタギツヒメには間に合わず、こうして足止めの戦士如きに使うこととなってしまったのだが。

 

 ヤマタノオロチの中央の首に乗り、テアマトに騎乗するマルドクと条件を対等にする。あくまで対等なのは一匹とペットに乗ったというだけで、肝心のペットにはあまりにも大きな格の違いがある。これからマルドクは、全身全霊を以てそれを理解させられてしまうのだ。

 

 体長4mはあろうかというテアマトの体躯が、ヤマタノオロチの胴体にすら劣るという屈辱。怒りにワナワナと震えるマルドクの耳に、ヤマトの警告が入ってくるのを遅れさせてしまった。仲間の制止も聞き入れることなく、飛び出すという悪手を取ったのは、軽々と見下ろされるこの屈辱を晴らすためという意味も大きかったのかもしれない。

 

「ぐっばああぁぁぁぁぁ……!!」

 

「シロッチ、やりな……【叢雲の尾】。回れ」

 

 三つの首が同時に【水鉄砲】を放ち、それが一つとなって更なる破壊力と規模を伴った一撃となりマルドクごのテアマトを押し潰した。テアマトが飛びあがろうとした矢先のことであり、流されて離れたマルドクは無事であったが、テアマトは水圧で潰されて完全なツブレ……いや、クサレトマトと化していた。

 

 悶絶するマルドクに、そのまま【叢雲の尾】を慈悲として食らわせてやる。マルドクを倒すためではなくあくまでも、彼の心の内に巣食い彼を操っている何かを破壊するために。

 

 回転するよう指示したことで、周りで待機して見守っていた綾小路の刀使達にも当たり彼女らを正気に立ち返らせる。S装備を破壊したことで彼女ら操っていたノロの効果も消えたのが、おそらく洗脳を解除する決め手となったのだろう。S装備を失った彼女らはすぐに正気に立ち返るが、自分たちのしたことを自覚する前に【叢雲の尾】によって現世に強制送還させられた。

 

 心の中の闇を破壊されたことで、マルドクの額に青筋をいきり立たせた険しい顔も格段に柔らかくなっていく。百柄が知識として知っているメソタニアの素晴らしい王子は、己の意思と行動を縛り付けていた悪意から解放されたことで、とても穏やかな表情で元の世界へと戻っていった。

 

「さて、これで後はあなただけだね」

 

「てめェも、御先祖様と同じ……!ぶち殺す!」

 

 敵は一気に数を減らし、残るはミコト・ヤマトのみとなる。彼の憎悪に応えるように被っている冠が禍々しい光を放ち、それがヤマトの力を引き上げると同時に戦いの合図となるのだった。



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32:VSミコト・ヤマト

「ギャアア!」

 

「下がってなシロッチ。こいつは私だけでやらせてくれるかい?」

 

「ギャア!」

 

「てめェ一人だと……!?舐めてんじゃねえぞ!」

 

 ヤマトとも戦う気なシロッチを下がらせ、百柄は単騎で彼と向き合うことにした。それを舐められていると感じたヤマトは、百柄に対して青筋が切れて額から血を流す程の怒りを見せる。とはいえシロッチを下がらせた理由は、ヤマタノオロチを対タギツヒメの戦力として見ているからであるため。別に彼を侮っている訳ではないのだが。

 

 そんな事情を知るはずもないヤマトは、草薙剣を振るい百柄と互角の斬り合いを繰り広げる。しかし祟神となった百柄にも勝るパワーで、ヤマトは次第に有利を引き寄せていく。刃が重なり合う度に強くなっていく力に百柄はその源泉を探るが、そんなことをさせてくれる程、ヤマトは甘くはない。

 

「業剣【クサナギ】ィ!」

 

「がっは……この、やってくれるね!」

 

 力の源泉を探る、そのためにヤマトの攻撃から意識を逸らしてしまったことで、その油断に草薙剣の一突きをモロに受けてしまう。胸の上辺りから肩の方までを貫通し、刃の抜けた傷口からは呪いの影響かドス黒く染まった血が噴き出していった。

 

 もし反対側に受けていたら、痛みで刀も握れなくなっていたであろうダメージ。【癒やしの風】なら回復することはできるが、それでもバカにならない傷を負ってしまった。

 

 ──油断したなぁ……しっかし、最初に見た時はここまでの力は感じなかったのに。いったいどこから力を得てるっていうんだ?

 

 タギツヒメの兵士として最初に現れた時、ヤマトからは今程の力は感じられなかった。だからこうして最後まで放置され、残されたのだが……今の彼はこの通り、百柄にも勝る力がある。踏ん張り切れなかったせいで力負けした、最初の技の撃ち合いとは違って。今度は純粋に相手のパワーに耐え切れずにやられてしまったのだから。

 

「【横一文字】……七笑流、【一閃】!」

 

「御先祖様の猿真似がァ……そんなモノで打ち勝てると思うな!【ヤキヅナギ】ィ!」

 

 スサノヲの技、全体重を刀を横長にする一振りに乗せて放つ【横一文字】。それを【一閃】に応用することで、百柄は七笑流最速の技に更なる重みを与える。伝説に聞く先祖の技を下敷きとして使われたことにヤマトは激怒し、草薙剣の軌跡に立つ火柱は怒りを燃料として更に火力を増した。

 

 ──成程、あの冠がそうか……ッ!

 

 またしても打ち負けた上に、着物の袖を焼かれて百柄の焦げた左腕が露出する。しかし今度はタダでやられた訳ではなく、ヤマトの強くなっていく力の源泉を見つけ出すことができた。ヤマトが被っているあの冠がそうであるようだ。

 

 なんの変哲もない飾りのような面だが、ヤマトが感情を昂らせる度に禍々しいオーラを発して彼に力を与えている。そしてその度にヤマトは昂ったまま気持ちを抑えられなくなり、どんどんその昂りの向くままに暴走していく。アレを放置しておけばそのまま心が限界を超えて憤死してしまうだろう。彼は恩のスサノヲの子孫であるし、あんな厄介な物自分から付けるとは考え難い。ほぼ確実にアレを通してタギツヒメに操られていると思った方がいい。

 

 そうと決まれば、百柄が目指すべきはあの冠を破壊すること。マルドクが心の内にある邪悪を破壊されて正気に戻ったように、ヤマトも冠さえ無くなれば元に戻るかもしれない。

 

「狙うは頭、か……簡単にはいかないな」

 

「何をぶつくさと……くっちゃべってんじゃ、ねぇぞ!業剣【クサナギ】ィ!」

 

「っ……【山吹の風】!」

 

「そんなそよ風が……効くかァ!!」

 

 祟神に勝るとも劣らない、業剣【クサナギ】に込められた膨大な量の呪い。無い地面に踏み込みでクレーターを作る圧倒的な脚力と、並の剣ならば柄を握り潰される握力が呪われた剣を支え、百柄の剣も風も意に介さず斬り裂く圧倒的な一撃となる。

 

 どう狙うかを考えている間に迫る一撃に、百柄は【山吹の風】で迎撃を試みる。物を浮かせて運ぶことに特化した山吹色の風で、草薙剣を浮かせて何とかできないかという期待だったが。普通に失敗して刃に眼前まで迫られてしまった。

 

「呪剣【アメノハバキリ】!」

 

「互角、か……所詮は紛いもん、御先祖様には遠く及ばねえカスだ……気に入らねえ!」

 

「さっきから聞いてりゃ、御先祖様御先祖様……!そんなにスサノヲ様が特別か!?」

 

「あいつの武名が轟く限り……俺は御先祖様の添え物にしかなれねェ!武名を轟かせるのは……あんたじゃない!俺なんだよ!」

 

「ガキが……わがまま言ってんじゃないよ!ていうかそういうことは、本人に直接言いな!」

 

「分かったような口を……聞くなァ!」

 

 呪剣【アメノハバキリ】と、業剣【クサナギ】の力は互角。それがヤマトにはいたく気に入らない様子であり、スサノヲと比較しては百柄では足りないと彼女をこき下ろす。百柄としてもこの場にいない人間と比較されることも、それで勝手に失望されてこき下ろされるのも不愉快なこと。2人の戦い模様はまるで、子どもの喧嘩のようにしょうもないものとなっていた。

 

 呪われし二振りの刀が撃ち合い、互いに持ち主の腕を弾き飛ばす。何度も何度もそれこそ馬鹿の一つ覚えのようにそれを繰り返して、コイツには負けたくないと意地を張り合うのだ。冷静に考えなくとも他にいい手段はいくらでもあるだろうに、彼女らはそれでも打ち勝つことにこだわった。

 

 

 

 

 ──御先祖様の影がチラつくこのガキに。

 

 

 

 

 ──力不足を他人のせいにするわがまま野郎に。

 

 

 

 

 ──絶対、負けられない!

 

 

 

 

 タギツヒメにより着けられた【マガツヒの冠】によって、ヤマトの中のスサノヲへの嫉妬心や劣等感が増幅されてしまっている。抑えつけていた気持ちが表に出てきているだけだが、この気持ちに折り合いをつけられない限りは例え、冠を破壊したとしてもヤマトはどうにもならないだろう。ムカつく相手とはいえ、荒魂に洗脳されている被害者をただ斬るだけで終わらせようとは思えない。百柄はヤマトのことも救うつもりでいた。

 

 負けられないことに変わりはないが、それ以外の思いだってもちろんあるのだ。

 

「【ヤキヅナギ】ィィィィ!」

 

「【練気】──七笑流【石切】!」

 

「チィィ……!吹き飛べや、業剣【クサナギ】!」

 

「呪剣、七笑流──【石切】ィ!」

 

 燃える剣と、【練気】によって強化された剣の一撃は完全に相殺され2人の手が残る。そのまま体勢を整えてもう一度渾身の一撃を放てば、今度は両者共に弾かれることなく鍔迫り合いが始まった。

 

 マガツヒの冠がヤマトに力を与えるように、祟神の呪いも百柄の血肉に変わる。今や互いの力関係は完全に互角の状態となっており、勝負を決めるのはどちらが最後まで意地を張り切れるか、というところにかかっている。

 

 そうなれば、どちらが勝つのかは明白だろう。

 

「グッ……ウウウウウゥゥ!!」

 

「私の……勝ち、だ!」

 

 鍔迫り合いを制し、ヤマトが握る草薙剣を弾き飛ばした百柄。勢いそのままに七笑をマガツヒの冠目掛けて振り下ろす。ヤマトを操り力を与える呪いの源泉だけあって硬く、【石切】でも一撃ではヒビを入れるだけに留まったが。それ以上に百柄に打ち負けたという事実が、ヤマトの心にヒビを入れた。

 

「クソ……俺は……俺は!」

 

「その後をちゃんと言え!」

 

 脳天から突き抜ける衝撃を受け、ダメージの大きさにヤマトはたたらを踏む。だが身体と冠に受けたダメージ以上に、スサノヲの紛い物でしかない百柄の攻撃にやられたことによる精神的ダメージの方が彼の中ではより多くを占めていた。

 

 頭上から滴る血を拭くのも忘れ、弾かれてその辺りを舞っている草薙剣に目を向ける。よたよたとした足取りで、手放してしまったそれを再び握ろうと歩を進めるが……そうは百柄が許さない。

 

 千鳥足な内に冠を破壊するため、間合いを詰めてヤマトを手で、足で、刀でボコボコにする。あまりの硬さに少しずつしかヒビが入らず、舌打ちをする百柄であったが。それでも亀の歩みでも破壊を進めることはできているので、諦めずに何度も抵抗するヤマトごと冠を打ち据えた。しかしどうしても少しずつしか壊せない焦りがでたか、ヤマトを冠ごと蹴り飛ばした方向を、草薙剣が揺蕩っているところにしてしまった。

 

「あ、やっべ……ミスった」

 

「さっきから好き勝手やってくれやがって……御先祖様はもう関係ねェ!てめェはこいつでぶち殺してやらァ!!【大禍津火剣】!」

 

「……今が一番、いい眼をしてるね。【祟神剣】」

 

「灰になれやァァァ!!」

 

 草薙剣に呪いの文字が刻まれ、禍つ火を纏って巨大化した刃が百柄を襲う。プライドも対抗心もコンプレックスも、全てをかなぐり捨てて放った全力の一撃。百柄もまたその全身全霊を全力の呪いを以て正面から迎え撃つ。祟神の呪い文字を呪剣【七笑】に刻んだ【祟神剣】は草薙剣と交差し、その刃を完全にへし折り消滅させた。

 

 呆気に取られる暇もない。最強最高の一撃が破られたことにショックを受けるよりも先に、百柄の追撃がマガツヒの冠を襲う。何度も何度も執拗な攻撃を受けて耐久が限界に達していた冠は、ついに堪え切れず音を立てて粉々に崩れ落ちた。

 

「……俺は。俺の剣は、どうだったか?」

 

「強かったよ。あなたならスサノヲ様だって超えられるはずさ。だから……これからはあんなものには頼らず、自分の力で歩いてみな」

 

「……そうか。……ありがとうよ」

 

「あんまり強くなり過ぎるもんだから、消耗が凄くなったよまったく……恨み言しか出ないよ、もう」

 

 マガツヒの冠が破壊されて正気に戻ったか、ヤマトは少し考えるように立ち止まり百柄に問う。いくら研鑽を積んでも『スサノヲの子孫』としか見られないコンプレックスが、タギツヒメに操られてしまう隙を作った。百柄の言葉はヤマトのその心を蝕んでいた劣等感を、的確に消し去ってくれた。

 

 力は冠に与えられたものでも……それを扱う技量と耐え切った器は、紛れもなく彼が最初から持っていたモノなのだから。

 

 劣等感と支配から解放され、ヤマトは満足したような顔で隠世から消えていく。その後ろ姿を見届けた百柄は、想定以上の消耗をさせられたことへの文句を土産として渡したのだった。

 

「さて……終わったよ、シロッチ。さっさと現世に戻って十条先輩達の助太刀に行こう」

 

「グァァ!!」



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33:大荒魂タギツヒメ

「ッ……!相模湾沖より、高速で接近する飛行物体あり!数は6、『舞草』によるミサイル攻撃と予想され──これは!?」

 

「ミサイルでなければ何だ!?」

 

「いったい何事なんですの!?」

 

「これは……S装備の射出コンテナです!着弾予想地点は──ここです!奴ら、この折神邸に向かって飛んできています!」

 

 飛行物体接近のアラートに、観測官である男が全員に警告を出す。ミサイル攻撃だと思われたそれは実際にはS装備を載せたコンテナであり、敵がそれだけを送ってくるとは考えられない。つまりあの中には6人の敵が詰まっているということになる。

 

 ──やってくれるね……!

 

 この回復に専念したい時に来るな、と真希は心の中で愚痴を吐く。百柄にやられた時のダメージがまだ残っているせいで、彼女も同じく百柄にやられた寿々花も本調子ではない。百柄自体はあの後に紫の手で直接葬られたそうだが……正直あの常識の捉えどころがない少女が、そう簡単に死ぬとは2人にはどうしても思えなかった。だから百柄との再戦を見据えて、身体を休めていたのだが……どうやら敵はその暇を与えてはくれないらしい。

 

 まぁ、当たり前のことだが。

 

 そんな怨みはさて置いて、真希と寿々花は自身もS装備を装着し迎撃の用意をする。まだまだ身体は重く本調子には程遠いが、百柄に敗北した後で紫に授けられた更なる力もある。折神家親衛隊の筆頭と二番手として、そう何度も賊にやられる無様な姿を晒す訳にはいかない。反応の鈍い身体を不屈の闘志だけが突き動かしていた。

 

「……行くぞ寿々花。迎え撃つ」

 

「ええ……いい加減、決着を着ける時ですわ」

 

 オペレーターから情報を逐一受け取りつつ、賊の予想目標地点に先回りする。断続的に響き渡る衝突音を聞いて賊が襲来したことを悟り、そう遠くない会敵の瞬間に備え気を引き締める。

 

 戦いの刻は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「……また、戻ってきたんだね」

 

「全員と出会った御前試合の舞台……まさかこんなに早く戻って来れるとは思っていなかった」

 

 地面に着弾したコンテナから出てきた、タギツヒメ討伐の最後の希望となる6人。

 

 

 平城学館、十条姫和。

 

 美濃関学院、衛藤可奈美。

 

 美濃関学院、柳瀬舞衣。

 

 長船女学園、益子薫。

 

 長船女学園、古波蔵エレン。

 

 鎌府女学院、糸見沙耶香。

 

 

 ドクトルのもたらした技術で強化された、特製のS装備を着込んで準備は万端。後は折神紫──タギツヒメに向けて、全力で突っ走るだけ。

 

「ドクトルのおかげで、S装備の稼働時間は予備電池を含めてだいたい3時間くらいになってマス。制限時間には余裕があるように見えマスが……当たり前デスけど、そんなことはありまセン」

 

「みんなで協力して、スムーズにタギツヒメの元を目指すぞ。なーにこっちにゃあ同じ志の仲間が6人もいるんだ、いけるいける」

 

「ねねー!」

 

「……私は常に前面の敵を討つ、後ろの仲間に構っている余裕はない。だから舞衣……この作戦の指揮をお前に任せてもいいか」

 

「姫和ちゃんが……歩み寄ってる!?」

 

 短かったが、舞草での日々を通して姫和は舞衣の人となりや能力を知っていた。彼女の高い空間把握能力や統率力を活かし、この即席部隊をリーダーとして率いてほしいと要請したのだ。

 

 とても珍しいものを見てしまい、可奈美が揶揄うようにそんなボケたことを言う。それに姫和はキッと一瞬睨みつけるだけで済ませ、そのままもう一度舞衣の方を向き直った。例え過ごした時間は短くとも確実に仲を深めた友人へ、彼女への万感の信頼を込めて思いを伝えるのだ。舞衣の指示があれば絶対に折神紫の元へ辿り着けると。

 

「お前の指示の下でなら、絶対に折神紫の元へ辿り着くことができる……お前にはその力がある」

 

「十条さん……」

 

「姫和でいい。後ろは任せるぞ、舞衣」

 

「……うん、姫和ちゃん!」

 

「よっしゃ、道案内はねねに任せろー!」

 

「ねねねー!」

 

 ノロの気配を機械より繊細に探れるねねの案内を先頭に、6人は折神邸のある方角に向けてひたすらに走っていく。向かう方向は姫和が持つアナログのスペクトラム計が指す方向でもあり、そこに折神紫がいることはほぼ間違いないだろう。

 

 そこにあるのは、折神家が回収したノロを保管するための祭壇。屋敷の最奥にある当主以外立ち入ることのできない禁足地である。

 

「みんな待って、いる!」

 

「やっぱり、すんなりとはいかないよね……!」

 

 舞衣の【明眼】が向かう先の景色を捉え、待ち伏せがあることを看破しみんなの足を止めさせる。最初に第三席皐月夜見が可奈美、姫和両名と出くわし戦闘になり退けられる。次に第四席の燕結芽による舞草強襲と可奈美との一騎討ち。これは沙耶香の乱入と結芽の持病、そして最期を看取った相楽結月によって終わった。

 

 残っているのは、あと2人。

 

「ここから先は通す訳にはいかないな……君達なら必ず来ると思っていたよ」

 

 第一席、獅童真希。

 

「本当に……飽きさせない方々ですわ。あなた達の忌々しいその顔、二度と見なくて済むよう心身共に打ち砕いて差し上げましょう」

 

 第二席、此花寿々花。

 

 折神紫へ続く道を阻むのは、最後にして忠誠心も実力も最強の2人。それが自分達と同じくS装備を身に着けて門の前で仁王立ちしているのは、見る者が見れば殺到する程迫力ある絵面であった。

 

「既に堀川百柄は討った。君達も命をいたずらに失わせるような真似はせず、大人しく降参してはくれないか?」

 

「百柄ちゃんが……!?」

 

「嘘だ、そんな訳がない……!」

 

「本当のことです。彼女は紫様の手によって直々に討たれましたわ……最後の最期まで、意地汚く抵抗していたと聞いています。あなた方もあまり抵抗するような態度を取るのならば……彼女と同じ場所へ旅立っていただきますわよ!」

 

 百柄が倒されていることを言い、特に関係の深い可奈美と姫和の動揺を誘う。結局舞草にいる内に再会することは叶わなかったが、きっとどこかで潜伏して時を待っているはず……そう信じていた気持ちを破壊してくるこの言い草は、2人の心を揺さぶるにはいささか火力が高かった。

 

 百柄の死という情報による先制攻撃、更に加えて物理的な追撃。後手後手になった可奈美と姫和には対応し切れない技の数々に、少しずつ写シへの傷が重なっていく。尻餅を突いた隙を狙って放たれた大振りの一撃を受け止め、鍔迫り合いの中でふと真希と眼を合わせると。そこには荒魂のそれと同じような黄色い煌めきが見え隠れしていた。

 

 ──その眼……荒魂に身を堕としてでも、紫を守るというのか……!?

 

 何とか尻餅突いた体勢から立て直し、真希がノロを受け入れた理由について考える。彼女がノロを受け入れた理由は単純明快……荒魂の被害に怯え悩まされる人々を、この手で確実に守ることができるだけの力を手に入れることを欲したから。

 

 力無き正義は無力であり、理不尽に命を奪われる人達を守るなんて到底できない。そのための力を与えてくれるのならば、真希にとっては折神紫の正体などもどうでもいいことであった。

 

「力を与えてくれるなら……紫様が例え神であろうと鬼だろうと、僕は一向に構わない!」

 

「ところがどっこい」

 

「横槍ダイナミックゥゥゥゥッ!」

 

「わぶっ!?こっのお……!」

 

 姫和がやられてしまう。その瞬間に薫とエレンは連携攻撃で真希の一撃を阻止した。全長2mは超えるだろう圧倒的長さの愛刀【袮々切丸】でエレンをホームランし、突撃させることで姫和と真希の距離を突き放つ。その間に薫が姫和を掴み、【八幡力】で可奈美のところへ投げ飛ばした。

 

「さっきから何をふざけているんですの……ッ!」

 

「あなたの相手は、私達です!」

 

「……舞衣と一緒に戦う。私が守って見せる」

 

「ここはオレ達に任せて先に行け、ってな!」

 

「作戦の発案はマイマイですけどネ!」

 

「みんな……」

 

「行こう、姫和ちゃん!みんなの頑張りを……百柄ちゃんの犠牲を、無駄にしちゃいけないよ!」

 

「ソノトオリ。カナミ、ヒヨリ、ワタシノテヲトッテクダサイ。ゼンソクリョクデヒコウシマス、ユエニヨイニゴチュウイヲ」

 

「零式さん、お願いします!」

 

 S装備の射出コンテナを迎撃するミサイルを相手に奮戦していたロボ零式だが。この度は折神家のオペレーター達を全滅させ、通信網を潰してから前線に戻ってきた。

 

 挨拶もそこそこに、可奈美と姫和に両手を差し伸べて彼女らを掴み空を飛ぶ。ロボシリーズ最初にして最高の傑作に恥じぬ圧倒的な出力で、出し抜かれて尚も撃墜を試みる真希達を振り切った。そこには白い光の軌跡だけが残り、誰かがいたという痕跡などどこにも残っていなかったという。

 

「何なんだ、あのロボットは……!?」

 

「舞草はあんなのも造っていたんですの……!?」

 

「オレ達にも正直よく分からん。分かっていることは一つだけ……アレとアレの主人は、平和を望む穏やかで優しい人だったことさ!」

 

「そんな平和を愛する人達が、わざわざ手を貸してくれているのがこの戦いデース!絶対に、負ける訳にはいきまセーン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜

 

「ココデスネ。コノサキノトビラカラトテモツヨイノロノケハイヲカンジマス。オリガミユカリハココニイルトミテマチガイナイデショウ」

 

「覚悟はできているか?可奈美」

 

「……大丈夫。開けていいよ」

 

「……行くぞ。泣くか笑うか、これで最後だ」

 

 禁足地の扉を開き、ロボ零式を先頭として可奈美と姫和は中へ足を踏み入れる。そこにはもう二振りの御刀を携えた、折神紫が仁王立ちの状態で不敵な笑みを浮かべながら待ち構えていた。

 

「戻ってきたか、幼き二羽の鳥よ……巣立ちを迎えたかそれとも未だ雛鳥のままか、その剣を以て証しを立てるがいい。そうだな……部外者にはここから消えてもらうとするか」

 

「零式さん、危ない!」

 

「モンダイアリマセン。【金剛立ち】」

 

「これは……タツドンから私達を守った技?」

 

 百柄との戦闘経験から、イレギュラーが存在することを許せなくなっていた紫は、真っ先にロボ零式から潰すべく彼女に【覇星剣】を叩き込む。百柄の奥義にも勝る一撃が、大荒魂の完全復活により大幅に強化されて襲いくる。しかし身体を防御特化に再構築し全てを受け止める【金剛立ち】の前に、あえなく弾かれて終わった。

 

「最後に聞く。お前は折神紫か?それともタギツヒメなのか?」

 

「その問いの答えは────こうだ」

 

「……成程。あなたがタギツヒメなんだね」

 

「ココカラガホンバンデス。マモリハワタシニオマカセクダサイ、ドウカゼンリョクデコノダイサイガイヲオワラセテヤッテクダサイ」

 

 内側から溢れ出したノロが、『折神紫』の身体を包み込んで変化させていく。人のシルエットが段々と歪な形になっていき、やがてまた人型に戻っていくが……そこにもう折神紫の姿はなく、白と橙色に彩られた大荒魂がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我の名はタギツヒメ。さぁ……見せてみろ」



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34:龍と鳥

「母のやり遺した務めを果たすため……ここで必ずお前を斬る!」

 

「いいだろう……やってみせろ!」

 

 S装備の補助が【迅移】の段階移行をよりスムーズに行わせ、二段階まで上がった速度で姫和はタギツヒメに特攻を仕掛ける。それを補助するように可奈美も背後に回って挟撃の態勢を取り、ロボ零式がいつでも間に入って、タギツヒメの攻撃から2人を守れるよう待機する。

 

 防御をロボ零式が担ってくれるので、可奈美と姫和は攻撃に専念すればいい。守りを捨てひたすらに敵を斬るべく振るわれる剣は、それに相応しい相当なプレッシャーを相手に与えることができる。しかしタギツヒメはそれに動じることなく、両者を同時に相手取る道を選んだ。

 

「────覇星剣、【星辰の一撃】」

 

「ッ……カナミ、ヒヨリ、ワタシガマモル!」

 

 二段階の【迅移】による、拳銃の弾丸にも似た速度の挟み撃ち。タギツヒメはそれをまるで最初からどこに攻撃されるかを知っているかのように平然と受け止め、押し返した上で反撃を繰り出した。

 

 御刀が持つ神力と、自身の中にあるノロを用いて刀身を何倍にも延長。【覇星剣】から更に身体をコマのように回転させて、二振りの刃で同時に敵を斬る必殺【星辰の一撃】。ほぼ変わらないタイミングでの2人同時の攻撃ともなれば、流石にロボ零式といえど一つしかないボディでは守り切れない。

 

 ──ワタシハ、ミンナヲマモル!

 

 仕方なく、ロボ零式は自身の左腕パーツを分離し攻撃と可奈美の間に挟ませることで、彼女を【星辰の一撃】から守ってみせた。姫和の方は本体が割って入ることで防ぐ。分離したことで【金剛立ち】モードが解けてしまった左腕は、呆気なく破壊されて爆散してしまったが。狙い通り2人に無傷で攻撃をやり過ごさせることには成功していた。

 

「零式さん……ッ!大丈夫ですか!?」

 

「モンダイハアリマセン。ワタシノヤクメハアナタタチヲ、タギツヒメノコウゲキカラマモルコト……ソレデハカイサレルノナラバホンモウデス」

 

「くっ……お前の頑張り、無駄にはしないぞ!」

 

「無駄だ。どれだけ貴様らが身体を張り協力しようとも……我が『眼』はその全てを捉える!」

 

 その言葉の通り、タギツヒメの動きは2人と一機を圧倒していた。どんなに攻撃をしようともそれは避けられ受け止められ、攻撃から庇おうとするロボ零式をすり抜けて2人に当たる。動きを読んでいるだとか、反応が早いだとか、タギツヒメのそれはそういう次元の話ではない。本当に全てを見透かしているかのように、圧倒的であった。

 

 その秘密は眼。『龍眼』と呼ばれるそれは見た者の身体能力や思考、秘めた可能性などありとあらゆる事象を看破する。そうして視えた情報が未来視として視覚情報に現れることで、タギツヒメは先読みにより常に最善の一手を打てていたのだ。

 

「そうか……あの時、不意打ちだったはずの私の攻撃を受け止められたのも……堀川さんのいきなりの裏切りに対処できたのも……!全てはその眼があるからこそ、成し得たものだったのか……!」

 

「そうだ……我には全てが視えていた。お前達を殺すくらいはいつでもできた。だがそれをせずに敢えて解き放ったのは、お前達と邪魔な舞草を接触させ同時に潰すつもりだったからだ。結果お前達は我の目論見通りに動き、我が張り巡らせた全ての糸を手繰り寄せ舞草は壊滅に至った。そしてお前達もまた我に殺されるべく、こうして戻ってきた」

 

「させっ……ない!」

 

「ほう……成程?千鳥を継ぎし娘はなかなかの成長を遂げているようだな。未だ羽ばたくこともできぬ小烏とは違って」

 

 S装備を破壊され、写シも解けてしまった姫和に止めを刺そうとするタギツヒメ。それを阻止するべく無我夢中で飛び出した可奈美の一撃は、避けられることも止められることもなく、御刀を振り下ろそうとしたタギツヒメの右腕を貫いた。この未来が見えていなかったことに驚くタギツヒメをよそに、可奈美は姫和を抱えて距離を取る。どうにか姫和が殺される最悪の事態は避けることができた。

 

 ──もしかして、未来視は完璧じゃない?

 

 今の動きを読めていなかったということは、タギツヒメにも見えないものがあるということ。まだ復活したばかりで身体が鈍っているとか、視えるものが多過ぎて処理し切れないとか、だいたいそんな感じの理由が考えられる。後者の理由ならまだ付け入る隙があるが、前者だった場合は慣れられる前に倒せなければ余計に手が付けられなくなる。可奈美は姫和を立たせると、彼女にさっき以上の速攻を皆で仕掛けることを提案する。

 

「零式さんも攻撃参加お願い!この戦い、あんまり時間をかけてちゃいけないみたい!」

 

「リョウカイ。コウゲキモードイコウシマス」

 

「そうだな……何度だって、斬ってやる!」

 

「小賢しいことを考える……だが、貴様らに視えた希望など地に堕ちた一雫の水滴に過ぎぬ。我が眼をどうにかすることもできぬ貴様らに、初めから一分の勝ち筋もないということを知れ!」

 

 タギツヒメの言う通り、龍眼をどうにかしなければ可奈美達に勝ち目はない。どんな攻撃も防御もすり抜けられてしまうのでは、そもそも同じ勝負の土俵にすら立てないのだから。どうにかしようと躍起になる程、思考はそれだけを考えるようになってドツボに嵌っていく。視野が狭くなれば今までできていたこともできなくなり、相手の好き勝手を許してしまうようになる。

 

 そうなればもう腰も引けて、本来の実力の一分も発揮することができずに負けてしまうのだ。

 

 どんなに細かい作戦を練ろうと、どんなに密度の高い連携を繰り広げようと。それをする人間の心が負けてしまっていては、良いパフォーマンスなど見込めるはずもない。この場で頼みにできるのは機械故に感情に流され辛いロボ零式だが……タギツヒメも当然それを分かっているが故に、彼女は真っ先に命を狙われる立場となる。

 

「あぁっ……!」

 

「ぐっ、うう……!」

 

「筋は良いが、まだまだ貴様らの母親の腕には遠く及ばん。まずは鉄屑、貴様を破壊する。雛共の心を折るのはそれからゆっくりとしてやろう!」

 

「ヤラセハシナイ。フタリハコノセカイヲマモルサイゴノキボウ──ワタシハ、ヤクメヲハタス!」

 

 2人と一機の連携攻撃を、タギツヒメは龍眼を以て的確に対処し各個撃破してみせる。可奈美のS装備も破壊され、姫和は新しく貼り直した写シをまたしても剥がされてしまった。残ったロボ零式は倒れた2人を庇うように、タギツヒメの前に立ちはだかり彼女らを守るべく拳を振るう。

 

 しかし、既に可奈美を守るために右腕を犠牲にしている上三対一でも軽くいなされた相手。たったの一機それも万全でない状態で、いくら戦闘兵器とはいえ勝てる訳がなかったのだ。

 

「零式さん……っ!」

 

「カナミ、ヒヨリ……コノバハカイフクニセンネンシテイテクダサイ。シンリキヲモタナイワタシデハタギツヒメハドウアッテモタオセマセン。カノウセイガアルノハアナタタチダケナノデス。アナタタチノタメニシヌノナラバ……セカイヲマモルタメニシヌノナラバ、ドクトルモワタシモホンモウデス」

 

「ならば、貴様はネジの一本も遺させんぞ!」

 

「く、そぉ……!」

 

 龍眼による先読みがもたらす未来予知で、ロボ零式は少しずつダメージを与えられていく。攻撃モードに移行したことで【金剛立ち】状態のような硬い防御力は無くなり、御刀の一振りが彼女への甚大なダメージとなる。純白のボディは大部分が剥がれて中の回路が露出し、ズタズタになった配線は火花を上げるようになった。ここでタギツヒメが攻撃を止めたとしても、もう機能停止は確実だろう。

 

 ──私が……私がっ、もっと強かったら……!

 

 零式さんに、自己犠牲を強いる必要なんてなかったはずなのに。可奈美は無様にやられて地面に這い蹲る己の弱さを恥じ、歯噛みする。もっと強ければこんなことにはならなかった。もっと強ければこの世界の問題に零式を巻き込まずに済んでいた。全て己が弱かったから、こんなことになったのだ。

 

「可奈美……?」

 

 心が奮い立つ。ダメージでまともに動かせないはずの身体が地面を踏み締めて立ち上がる。その様子を見た姫和は可奈美がおかしいと気付いたが、そう指摘することはできなかった。

 

「【ハドウホウ】……ッ!」

 

「それが振り絞った成果か。良い火力だが……我を倒すには至らぬ。もう足掻く時間は終わりだ、いい加減貴様も楽になれ」

 

 残りエネルギーを振り絞った最後の一撃は、避けるまでもなくやり過ごされてしまった。御刀で受け止めるでも耐えるでもなく、ただ平然と食らった上でノーダメージでいられただけ。打つ手のなくなったロボ零式はもう、立ち尽くすしかなかった。

 

 仲間が折れた中でもできる限りを尽くしたロボ零式の頑張りに敬意を表し、一撃でスクラップにしてやると宣言するタギツヒメ。【覇星剣】が振り下ろされるのを、可奈美は間に割って入り止めた。

 

「何……?」

 

「ありがとう零式さん。あなたのおかげでもう一度立ち上がれた……後はどうか、任せて」

 

「……カナミ。デハ、アトヲタクシマス」

 

「ふん……雛鳥が立ち上がったところで、結果は何も変わらんわ!」

 

 ロボ零式のスクラップを防ぎ、その戦いを継いだ可奈美。彼女の稼動ランプから光が消えたのを見届けると、涙を拭ってタギツヒメを斬るべく刀を握り地面を蹴った。

 

 ──何だ、こいつの剣は……!?何故衛藤可奈美ではなく、違う刀使の姿がよぎる……!?

 

 可奈美と斬り合う中で、タギツヒメは不思議な感覚に襲われる。自分と今斬り結んでいるのは目の前にいる可奈美のはずなのに、何故か違う刀使の姿が被って見えるのだ。

 

 太刀筋が違う。衛藤可奈美の剣術ではなく、彼女がこれまでに見て受けてきたあらゆる強者の剣術を再現し振るっているのだ。次から次へと川の流れのように切り替わる太刀筋に、龍眼の情報処理が追いつかなくなってきている。タギツヒメも知っている太刀筋から、知らない誰かの太刀筋まで──ありとあらゆる剣術の先に、かつて彼女を死の間際まで追い詰めたあの剣が現れた。

 

「藤原……美奈都……!あり得ん、あり得ない!」

 

「らしいね!でも……ここで終わりじゃあない」

 

 20年来のトラウマを掘り起こされ、タギツヒメの心にも重大な乱れが生じる。この隙を逃さず可奈美は次の剣術へ太刀筋を切り替える──彼女が恐れ排除しようとした、イレギュラーの剣へ。

 

「御当主様は返してもらうよ、タギツヒメ!」

 

「その構えは──まさか、貴様!」

 

「七笑流──【石切】!」

 

「ぐっ……うう、おおおおぉぉ!!」

 

 見通された未来を斬り崩す。可奈美の必殺の一撃はタギツヒメの身体に一本線を引くように、綺麗にその肉体を両断した。内に留めきれなくなったノロが飛び出していき、素体として囚われていた折神紫の姿も見えるようになる。今がタギツヒメを討つ技を決める絶好の好機──可奈美は今を逃してはいけないと、姫和に向けて叫んだ。

 

「姫和ちゃん、一緒に……!」

 

「ああ……今度こそ母の務め、全うする!」

 

 五段階の【迅移】を使える者は存在しない。それをした者は隠世に囚われ、二度と現世に戻ってこれることはなくなるからだ。タギツヒメを滅ぼす一手とは、この五段階迅移を利用した真の【一の太刀】によって隠世へ永遠に幽閉することである。

 

 それは使用者の命を引き換えにする、言わば道連れの技。タギツヒメが20年前これを逃れることができたのは、姫和の母柊篝が犠牲になることを拒んだ藤原美奈都の献身と、彼女らを取り戻したいと願ってしまった折神紫の心の弱さが要因である。しかし今いるのは姫和と可奈美の2人だけ──心を揺さぶれるような相手はいない。

 

 ──我は……我は、滅びぬ!

 

 このまま【一の太刀】を受ければ、待っているのは十条姫和と共に永遠に隠世に封じられる未来。そんなことは到底看過できないと、タギツヒメが自身もどうなるか分からない『最後の切り札』に手をかけたのと、姫和の太刀がその身体を貫いたのは、ほとんど同時のことであった。



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