『裸の聖女』が世界を救うまでの物語 〜異世界召喚されてしまった少女は、早くおうちに帰りたいのです〜 (柴野いずみ)
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01:お風呂に入っていたら

 ……目を開けるとそこは、柔らかな光の差す大きな部屋でした。

 光源はどうやら、天井に吊るされた豪華なシャンデリアのようです。おとぎ話に出てくるようなキラキラした物で、実際にこの目で見るのは初めてでした。

 

 そんな華やかな広間の中で、私はただ一人呆然としていました。

 だってこの景色は、今までに見覚えのカケラもなかったのですから。

 

「落ち着きなさい聖。決して慌てちゃいけません。冷静に、冷静に」

 

 私は自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返しました。

 しかし、一体今何が起こっているのかは全然わかりません。一体ここはどこなのでしょう……?

 

 と、その時でした。

 

「セージョだ!」

「おぉ!」

「降臨されたのか」

「まぁっ」「あら!」

「セージョ様が現れたぞ!」

「セージョ様だわ。本当にいらっしゃったのね」

「セージョ様!」「セージョ様!」

 

 無数の声がして初めて、私はとある重大な事実に気づいてしまったのです。

 ――私を取り囲んでじっと見つめてくる、無数の人々の存在を――。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ――状況を整理しましょう。

 

 私の名前は早乙女(さおとめ)(ひじり)。どこにでもいるような、高校一年生女子です。

 ごく平凡な休日、ごく平凡な夏の夕方、ごくごく当たり前のように私は入浴の準備をしていました。

 

 両親が共働きの私は、小学生の弟の面倒を見ながら家事をしなくてはなりません。

 だから少しの間心を休めることができるお風呂は癒しそのものでした。

 

「皿洗いお願いしますね」

 

「わかったよ」

 

 今までゲームをしていた弟が、面倒臭そうに顔を上げます。

 私はそれを見届けると、浴室へと急ぎました。

 

 そういえば最近薄着でいると、弟から色っぽい視線を受ける気がするのですが、気のせいでしょうか……。そんなどうでもいいことを考えつつ、服を脱いで裸になり、湯船に浸かったのでした。

 ああ、気持ちいい。心が綺麗に洗われるようです。

 

 そのままリラックス……のはずが。

 

「そうだ忘れてた、明日は小テストがある日だったのでした!」

 

 ふと大事なことを思い出して、私は慌てます。どうしよう、勉強し忘れた部分があります。寝る前にやらないと。でも徹夜は嫌だなあ……。

 私はあまり成績のいい方ではないのです。まだ高一とはいえ、有名大学を目指すならば今からしっかり勉強しておかないとならないというのに。

 

 と、そんなことを考えていた、その瞬間のことです。

 

「……? 何でしょう、これは」

 

 最初に感じたのは、体の芯に訴えかけてくるような、妙な感覚でした。

 そして直後――突如として異変が起こりました。

 

「わっ」足元から、まるでスポットライトでも下から浴びせられたかのように、目も開けられないほどの眩い光がパァッと溢れ出したのです。

 一瞬で体がその白光に包まれてしまいます。あまりに急なことだったので、何がなんだか全然わかりません。

 

 悲鳴を上げようかと思い、しかし掠れた息が出るばかりです。

 戸惑いながらも立ち上がろうとした一瞬前、誰かの声がしました。

 

「――うかん」

 

 それと同時に私の意識はあっという間に薄れ、真っ白な光に飲み込まれていったのでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 そして冒頭に戻り、気づいたら見知らぬ場所にいたというわけです。

 あの、この状況は一体どういうことなのか誰か教えていただけませんか!?



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02:裸騒動

 よし。

 周囲の人々を見回しながら、私はゆっくりと事実を受け入れます。

 

 私を取り囲んでいる彼らは皆一様に、華やかなドレスや紳士服を着こなしています。まるで海外のパーティーか何かに出席するような格好をしているのです。

 一方私自身を見ました。………………裸。下着はもちろんのこと、ブラも、パンティも、何もかもを脱ぎ捨てた完全なる裸体でした。

 

 多くの人々の視線の集まる中、私の姿はなんとこの場に不釣り合いなことでしょう。

 というより――。

 

「いやぁぁぁぁぁぁっ――!!!」

 

 私は遅まきながら重大な事実に思い至り、思わず絶叫してしまいました。

 ……そう、そうなのです。私は今、明らかに百人以上はいるであろう人間に、ありのままの裸体を晒しているんです!

 

「セージョ様!」

「本当のセージョ様か?」

「あらあらまあまあ、どうしたことでしょう」

「はだ……ゲフンゲフン」

「まるで母なる者を体現しているようですわ」

「あっ……」

「裸!?」

 

 男性陣からの好色の視線が、女性陣からの驚き憐れむような視線が痛い痛い痛いっ。

 お願いですからそんな目で見ないで! 視線で犯さないでください、突き刺さって死にます! ……とにかく、

 

「服! 服です! お願いですから誰か服を持って来てくださいよぉ――!」

 

 私は人生最大の辱めを受け、悲痛な声をホール中に響かせたのでありました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 よく漫画などで主人公に風呂場を覗かれたヒロインが悲鳴を上げるなどの描写があったりしますが。

 あんなものではありません。この恥ずかしさはあんなのとはレベルが違いすぎますよ……!

 

 男たちの視線は、まるで獲物を得た獣のように見えます。おぞましく、身の毛がよだつ思いでした。

 

 叫んだものの、いくら待っても洋服が運ばれて来る様子はありません。どうやら皆も驚愕と共に困惑しており、それどころではないようです。

 これは相手側からするとラッキースケベなわけですね。女性の方々には嬉しくないことでしょうが。

 

 ある者は叫び、ある者は笑いを堪え、ある者は舌なめずり。静かだったこの場は一瞬で大混乱の渦に包まれました。

 

 仕方ないので私は近くに立っていた女性の羽織を奪って着ました。

 ごめんなさいっ。こうするしかなかったんです許してくださいと心で叫びながら。

 カーディガンのようなものを一枚纏ったところでもちろん薄着には違いありませんが、最低限の場所は隠すことができました。ブルブル、まだみられてます、怖いですぅ……。

 

 それから数分後になって、ようやく騒ぎが収まってくれました。

 よほどにショッキングなことだったらしく、失神しているご婦人方までいらっしゃいます。人ってそんなにすぐに気絶するものなんですね。……というよりむしろどうして私自身が気絶しなかったのかが不思議でなりません。

 

 ああ……。なんていうことでしょう。これ以上の悪夢があるでしょうか?

 いいえ、きっとどこを探したってないに違いありません。

 私が神様に何か悪いことでもしたんですか。恨みますよ神様。

 

 神の悪意しか感じない仕打ちに腹を立てつつ私が恐怖に震えていると、目の前に何者かが歩み出て来ました。

 輝かしい銀髪に澄み渡った菫色の瞳。恐ろしいほどの美貌の男性――と言っても、先ほど私を笑っていた一人なのですが――でした。

 警戒する私に彼は一言、

 

「ようこそおいでになられました。心からお待ちしておりましたよ、裸のセージョ様」

 

 そう言ってにっこりと微笑み、頭を垂れたのです。

 

 お風呂から急にわけのわからない場所に来たと思ったら真っ裸で、さらに、ようやく落ち着いたと思った途端に謎の美男子に意味不明な言葉を告げられる。

 今私が見ているのは現実ではなく、珍奇な夢か何かなのでしょうか……?



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03:ここはどこでしょう?

 ほっぺたをぎゅっとつねり、さらにもう一度つなり。

 それを何度か繰り返して私は確信しました。

 

「夢じゃない……ですね」

 

 今までの裸騒動がどうか夢であってくれと願ったのですが、思いは届かず。

 ここは確かなる現実のようです。

 

 けれどそれならむしろ、おかしくはないですか?

 

 だって、風呂場から突然にこんなホールに来ているわけですし。

 ……てか、ここどこですか?

 

 裸ショックで当然な疑問を後回しにしていたことを思い出した私は、唖然となりました。

 不可解すぎる。こんな場所、見たことも聞いたこともありません。

 

 私は一も二もなく、目の前の銀髪の美男子に問いかけていました。

 

「あなたは誰ですかここはどこですか私は誰ですか何の目的ですか!」

 

 おっと、怒涛のテンプレ質問を投げつけてしまいましたね。

 『私は誰ですか』は勢いで言いましたが、当然ながらわかっています。私は聖、早乙女聖です。

 でもそれ以外はわかりません。全部が全部謎なのです。

 

 青年はきっと何か言いたかったセリフがあったのでしょう。しかしそれを喉元で堪えたらしく、私の質問に答えてくれました。

 

「セージョ様、まずは……」

 

「あのあの、その『セージョ』って何なんです?」

 

「うん? えーと、それはですね」

 

「そもそもあなた外国人ですよね? どうして日本語しか喋られない私と言葉が通じてるんですか? 日本語ペラペラってことですか?」

 

 次々と湧いてくる疑問をぶつけていると、相手もさすがに口をつぐんでしまいました。

 ああ、やりすぎました? 私も混乱していて、少し色々と余裕を失ってしまっているのです。

 

「すみません。とりあえずあなたが誰なのか、ここはどこなのかだけでいいです」

 

 それを言うと、美男子は気を取り直したように口を開きました。

 

「お答えしましょう。一つ、俺はショーカンシャのアルデート・ビューマンです。そしてここはスピダパム王国の王城、一階の広間。ご理解いただけましたか?」

 

 うーん。

 意味不明な単語が多すぎて要領を得なかった私は、首を傾げることで答えを返しました。

 唯一まともに理解できたのは、ここがどこかの王城の広間であるということだけ。

 

 けれどスピダパムなんていう名の王国は聞いたこともありません。それに『ショーカンシャ』に関しては全く頭がついていきませんでした。

 

 今の時代、王国などと呼ばれる国家は少ないはずです。

 思いつく限りではヨーロッパにある数カ国と、その他有名な幾つかだけ。一応地理の勉強はしたはずなのですが、まさか私の知らない孤島にスピダパム王国という国家があるというのですか? もしもそうならどうして、日本にあるはずの我が家から突然そんなところへ移動してしまったというのでしょう?

 

 情報過多により脳がパンク寸前だったので、私は考えることを諦めました。これ以上思考すれば爆発してしまいます。

 とりあえず、銀髪美男子――アルデートさんに質問攻めを仕掛けるしかないようですね。

 

「はぁ。どうしてこんなことになったんですか……」

 

 ため息を吐き、肩を落とす私の様子を、その他の方々はただただ一心に見つめていました。

 私は一体、あなたたちにとっての何者なのですか?



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04:つまりこれって異世界召喚ですか?

 状況がだんだんと呑み込めて来ました。

 

 まず、意味不明だった単語について。

 『セージョ』は聖女、『ショーカンシャ』は召喚者、ということらしいです。

 

 それから、私がここ――王城の広間にいる理由。

 それは、召喚者であるアルデート・ビューマンさんが私を呼び出したからなんだとか。たまたま運悪くその時に入浴していた私は、裸のままで召喚されてしまったようです。

 

 そして、これらの情報を集めると浮かび上がってくる事実があります。

 もちろんこんなのは信じ難いし信じたくない話です。でも、そうとしか考えられないじゃないですか。

 それは、

 

「異世界召喚ってやつですね! ……はぁ」

 

 そう。私は今、ラノベなどで定番の異世界召喚というのを体験してしまっているようなのです。

 説明は不要だと思うのではしょりますが、まさか自分がそんな目に遭うだなんて思ってもみませんでした。トラックにも轢かれていないのに突然、裸のままでだなんて。

 

 でも、それなら全てのことに合点が行きます。

 ここの人々の髪色がカラフル――金髪や茶髪に加え、人間ではあり得ない青や緑、銀色――であること。

 スピダパムという国名に聞き覚えがなかったこと。

 

 お風呂で聞こえた最後の声は「召喚」と言っていたのだろうというのも、すぐにピンと来ました。

 

「ふむふむ。謎が解けましたね」と、探偵気取りで言ってみました。あっ、白い目で見ないでください!

 

 十代の平凡かつ健全な少年少女であれば、きっとその多くが一度は憧れるであろう異世界召喚。私も中学生の頃はそれを夢見て、色々厨二病なことを真面目な顔でしていたものです。

 けれど実際の異世界召喚を前にして、私は膝を折ることしかできませんでした。

 

 私は十五歳、ごく普通な女子高生なのです。

 そんな私が異世界などに来て独り。何が嬉しいのでしょう?

 

 家には弟を残して来てしまっています。「行ってきます」の一言も何も言わずに、です。

 きっと両親にも心配をかけてしまうでしょう。共働きで忙しいというのに、私の失踪を知ったらどんなに悲しみ、どれほど探し回るのでしょうか。

 けれどどんなに探したって私は見つかりっこありません。だって隔絶した世界にいるのですから当然です。

 

 私の頭の中にあるのは、ただただ不安だけでした。

 アルデートさんを見上げ、言ってみます。

 

「聖女だか何だか知りませんが、元の世界に戻してください。私には家族がいるんです」

 

 しかし彼は首を振りました。「俺は召喚はできるが、戻すことはできません」

 

 私は呆気に取られ、口をあんぐり開けることしかできませんでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 その後、アルデートさんの代わりに私の前に老いた男性が現れました。

 

 こんな、カーディガンを一枚羽織っただけの姿で向かい合うのは失礼なくらい、とても立派な男の人です。格好とファンタジー異世界であることからして、おそらく王族ではないでしょうか。

 そしてその私の予想は正しく、彼はスピダパム王国の国王でした。

 

「急なことで戸惑っておるだろうが、ともかく我らはそなたを歓迎するぞ、選ばれし聖女よ」

 

 昔、同級生の女の子がいたんですけど。

 私が「いつか聖女召喚されたいな〜」って言っていた時に、一度言われたことがあるのを思い出しました。

 

『仮に聖の言う通りの異世界があったとして、異世界召喚されるのはこの世界でも実力のある人よ。平民でそれも年少の者なんて選ばれるはずがないでしょう。あたしだって、できるものなら行ってみたいけどさ』

 

 その時は私もなるほどと納得せざるを得ませんでしたが、どうやらそうではなかったようです。彼女には過去発言を撤回し、謝罪していただきたい気分でいっぱいでした。

 平民でそれも何の特技もない私が聖女などに選ばれているのですから。

 

 そんなことを考え続ける私の内心など知らぬ顔で、王様は迎えの言葉を述べ続けます。

 そしてその後、こう言いました。

 

「前置きが長くなった。さて、聖女について語ってやろう。良いか?」

 

 全然何も良くはありませんけど、私に頷く以外の選択肢はなかったのでした。



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05:太古の大予言

「今回そなたが召喚された理由、それは太古の大予言にある。

 かつてのスピダパムの王、つまり我の祖先である初代国王デリックは、夢にこの世の女神が現れて予言を託されたという。

 そしてその言葉によると、こうだ。

『千の年、魔の手が世を脅かさん。それ阻止したくば九九九の年、聖女を召喚せよ』

 ちょうど今が九九九の年なのだ。翌年来る災厄が何であるのかまでは我らに知る由もないが、世界の破滅を防ぐためにも聖女召喚は必須であった。そして神に、運命に選ばれたのがそなたというわけだ。そなたには悪いがどうか役目を全うしてほしい。異世界からの来訪者ではあるが、褒美なら何でもやろう」

 

 王の言葉に私は、ごくりと唾を呑みました。

 過去の大予言とか、世界の破滅とか、運命とか。

 そんな大それた話を次々に聞かされて、少し……いえ、とんでもなく驚いてしまったのです。

 

 仮にこの世界に魔王のような悪者がいるとしたら、私は正義の名の下に戦わされる羽目になるのでしょうか?

 私は昔よくやっていたRPG系のテレビゲームを思い出しました。

 勇者と武闘家と戦士と魔法使い、そして聖女?でしたっけ。その五人グループで悪の大魔王を倒し世界を救うのだったはずです。

 

「……そんなのは絶対の絶対に嫌です」

 

 ボソリと呟きました。口の中だけで消えてしまうような小さな声ですが、そこに込めた意志と力は尋常じゃないものでした。

 もちろん、これが何かのゲームだというのであれば全然ウェルカムです。でもこれは現実。だとしたら、私は嫌でした。

 だって帰らなくてはいけないというのに。こんな見知らぬ世界で、何の関係もない人々のために尽くす? 馬鹿げているにも程があるじゃないですか。ゲームと違って現実は死んだら終わりなのです。わけのわからないことで死ぬなんて考えるだけでもおぞましいことでした。

 

 それに過去の大予言かどんなものなのかは知りませんが、これはれっきとした誘拐行為ではないでしょうか?

 人を勝手に呼び出して、そして帰れないシステムだなんていうのは。

 

「――謹んで、お断りします」

 

 私ははっきり、そう言いました。

 

 集まっていた方々――王族貴族であろう皆さんが、びっくり仰天しています。

 そんなに驚くことですか? 私がすんなり受け入れるとでも思っていたんでしょうけど。

 

「なぜだ。選ばれし聖女よ」

 

「私は誰かに選ばれた覚えなどありません。その女神とやらと言葉を交わしたことすらなく、どんな姿なのかもわからない私が選ばれるはずがないでしょう? それに残してきた家族がいます。今まで存在も知らなかったこんな異世界を救う義理なんてありません。私は早く帰って、テスト勉強しながら弟の面倒を見なくちゃいけないんです」

 

「てすと……とは?」

 

 眉を顰める国王に構わず、捲し立ててやります。

 

「早速裸を晒されて、ひどい辱めを受けて。これで快く聖女などになろうと思う人間がいるとでもお考えですか? あなたたちは私の体を目で犯したと、そういう自覚はないのですね?」

 

 一同の顔が蒼白になった気がしました。

 私は先ほどの裸騒動に対して、かなり、それはそれは腹を立てているのです。大体、裸体などというものは恋人――もっとも恋人はまだいませんが――や家族の前で晒すものであり、決して名前も知らない大勢の男女に見られていいはずがないではありませんか。

 

「ですのでお断りさせていただきます。過去の大予言が正しかったとしても、あなたたちは召喚する相手を間違えたんですよ、きっと。ですから帰らせてください。お願いです。帰らせて……」

 



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06:判定

「女神に選ばれておらぬから嫌と申すか。……ならば、聖女の資格を試すが良い」

 

 私の「お断りします」の一言に場が騒然となる中で、王は一人だけ動じていませんでした。

 

「…………聖女の資格って何ですか?」

 

「聖女の資格とは、聖魔法の有無で測る。聖魔法はとても希少なものであるからしてそれすなわち聖女の証となる。もしも結果、聖魔法の素質が見つからねばそなたは聖女ではない。逆に素質が見られれば、聖女となってもらう」

 

 私は慌てて反論しました。「それじゃあ私の意志もへったくれもないじゃないですか」

 

 感染症で、陽性だったら無症状でも入院させるみたいなそんな話を聞かされてはたまったものではありません。

 でも王は「これは決まりなのだ」と言いました。

 

「そもそも聖女でなかった場合、私はどうなるというのです? 家に帰らせてくれるならそれでいいのですが、きっとそうではないですよね? そんな条件で受けられるはずがありません」

 

「いや。もしもそなたが聖女と無関係なのであれば、我々が全力で手段を講じ、元の世界へ帰すことを約束しよう」

 

 ………………よし。

 ウダウダ言っていても仕方がありません。少しでも帰れる可能性があるのならやりましょう。やるしかないです。

 私に魔法なんかが使えるはずがない。これだけは自信を持って言えます。

 だって私は、現代日本の平凡すぎる女子高生。魔法なんぞが使えたら大騒ぎになっているはずですからね。

 

 そう思って私は、判定を受けました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 判定を行うのは、専門の人のようです。

 先ほどのアルデートという青年は、召喚魔法のみ担当らしいです。判定士さんが彼のようなイケメン貴公子だったら良かったんですけど、生憎腰の曲がった白髪のおじいさんでした。

 

 どうやら鑑定というのは胸に触らないとできないことなのだそうです。こんな老人に無遠慮に胸をベタベタ撫で回されるのは嫌ですが、我慢するしかありませんでした。

 

「では、行くぞい」

 

 老人の手が私の柔らかな胸に押し当てられます。

 思わず、今にも悲鳴を上げそうになるのを必死で我慢します。そんな私の胸の中をぬるぬるした何かが駆け巡りました。

 うう、気持ち悪い……。吐いてしまいそうでした。

 

 でもこれも帰るため。帰るためなら何でもすると決めた以上はやらなければならないと強固な意志で最後まで踏ん張り――。

 

 そして結果は、「反応ありですな」

 

「ふぇ?」

 

 正直、何かの聞き間違いではないだろうかと思いました。

 だってだって、そうでしょう? 今まで実在など信じていなかった魔法とやらが、私の体の中にあるというのですから。

 そんなはずがありません。何かの間違い。そんなはずがないに決まっているのです。そうでなくては、そうでなくては……。

 

 震えながら、それを隠しつつにっこり笑顔を作って「何の冗談ですか?」と言った私に、おじいさんは無情にも首を振りました。

 

「本物の聖魔法の輝きが見える。これは本物の聖女の印じゃな」

 

 その時、皆が「うおう」とか「本物……」とかを口々に言い、どよめきました。

 じんわりと、しかし確かに私の心に失望が広がっていきます。

 

 誰かこれを嘘と、夢と、幻と言ってはくれないのでしょうか。

 私は先ほど、危うい賭けに乗ってしまいました。すっかり自分の思い込みを過信して、その結果がこれです。もう私に言い訳の余地も逃げ道も残されてはいませんでした。

 

「――よってそなたを聖女と認める。異論はなかろうな?」

 

 きっとこの城から逃げ出したとして、元の世界に帰る方法はないのでしょう。

 ここが異世界であるということは色々なことを考えて間違いないわけですから。

 

「ごめん、なさい……」

 

 残して来た弟のことを思いました。

 彼は、突然消えてしまった私をどう思うのでしょう。母は、父は、私を探そうと必死になるのでしょうか。

 せめて一言ここにいるのだと伝えられればまだしも、その手段はないのです。私は一生行方不明のままで残された家族はどんな気持ちになるのか。

 

 でもそれを考えて何になるというのでしょう。私はもうすでに、最初から負けているのです。

 私は、大人しくこの状況に呑まれる他、ないのでした。



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07:聖女の役割

 私は、あの後しばらくしてから広間から出て、あてがわれた部屋へ行きました。

 あれ以上男どもの色欲に飢えた獣の如き視線を耐えるのは嫌でしたので……。それにしても、ファンタジー世界の貴族連中があんなに生々しいとは考えてもいませんでした。夢も何もありゃしませんね。

 

 私は部屋で、使用人らしき女性に説明を受けました。

 

 聖女がどのような仕事であるのか、や、最終的にはどうなると予言されているのか、とかです。

 

 聖女は主に、ヒーラー的な役割です。

 RPGなどでいうと補助的要素が強いですが、この世界ではそうではないらしいです。

 

 普通の回復より力の大きい『超回復』とでも呼ぶべき力が扱えるんだとか。これは「後日、ゆっくり」と意味深に言われました。

 

 ともかく、聖女の特別な力を使って、悪を滅ぼすのです。

 現時点では悪が何かは全くもってわかっていない様子。ボンクラすぎ……いえいえ何でもないです。

 

「時が来ればきっとわかるであろうと国王陛下はおっしゃっておりました。聖女様はその日のためにお心構えなどをしていればよろしいのです」

 

「でも私、魔法の使い方など全然わかりません。だって私の世界には魔法はなかったんです」

 

「そうでしょうとも。そこら辺もきちんと手配しておりますので、また後日」

 

 『後日』にすっごく嫌な予感がするのですけど……。ひとまずそれは置いておくとして。

 敵がわからず、従って勇者パーティーのようなチームを組むのかどうかすら怪しいまま、私はあやふやな立ち位置に立たされることになりそうです。

 

「とにかく聖女様の最大の役割は、女神様に祈ること。天に世界の平和を祈ればきっと届きます」

 

 かなり抽象的なことを言われてしまい、困惑します。

 確かに巫女さんとかは祈ってますけど……あれって完全に専門職ですよ。

 本当の巫女さんとかを召喚するならともかく、信仰心がほとんどゼロの私に言われましても難しすぎ……はっきり言って無理というものです。

 

 全く、どうして私が選ばれたんだろう? 神は私を苦しめたい理由でもあるのでしょうか……。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ひとまずは薄い下着を着て、私は休むことになりました。

 どうやら、まだ日暮れではないらしいのですが、なんだか休んでいろと王様に言われたそうです。

 

 私はただただぼぅっと時間を過ごしました。

 あまりにも色々なことが起こりすぎて許容量オーバーです。今一体何が起きているのやら、うまく理解できていません。

 

 そうしているうちに、やがて夕食が運ばれてきました。

「どうぞ」と言い残して使用人の女性は部屋を立ち去ってしまいます。

 

 料理は決して悪いものではない――むしろ、最高級レストラン並みでしたが、私はちっとも食欲が湧きません。

 だって私、数時間前に夕食を食べたばかりでした。

 

 今夜の夕食は私が得意なチャーハン。習い事から帰って来た弟がお腹を空かせてパクパク食べてくれて、私も一緒に食卓を囲む。

 それが普通だったはずなんです。なのにそれが急に崩されて、私はここで一人。弟に料理を作ってあげることもできなければ一緒に食べることも、そして顔を合わせることさえも許されないのです。

 

 家族の顔が思い浮かびました。私たちのために一生懸命働いてくれている父と母の姿が。

 いつも大変なのに私たちが眠ってしまう前には必ず戻って、「おやすみ」の挨拶をしてくれるのです。

 

 早乙女家は、今の時代ギスギスした家庭が多い中で、とても居心地のいい温かな家庭でした。あの家が、先ほどまでそこにいたはずのあの家が、今はとても懐かしく思えました。

 

「帰りたい、です。こんな、こんなのって。ひどいっ……」

 

 理不尽を嘆いても仕方がないのはわかっているはずなのに、この不運をどうしても認めることができなくて。

 ポツリと、私の頬を一滴の涙が伝っていきました。



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08:聖女とかどうでもいいから帰らせて

 私はどうしようもない孤独感に苛まれ、せっかく出された夕食を食べることもせずに泣き出してしまいました。

 

 高校一年生にもなってこんなに泣きじゃくるなんていうのはみっともないでしょう。しかし、じゃあ私にどうしろと言うのですか。

 

 だって、ここは私の家じゃないのです。

 それどころか日本、いえ地球ではない別の場所。私は今この世界で、たった独りきりでいます。

 

 もちろん、部屋を出れば使用人の人や国王、貴族だって大勢いるのでしょう。そして聖女であるらしい私にペコペコするに違いありません。なんて言ったってここはファンタジー異世界ですもの、身分が絶対。聖女は王族に匹敵する役割を与えられるはずですから敬われること間違いなしに決まっています。

 でも彼らは、私とは違いました。私にとって彼らは完全なる異種族なのです。

 

 それも当然。このスピダパム王国に暮らす人々は、私よりも遥かに背が大きかったのですから。

 平均身長が女性でも二メートルほど。男性など高身長の人ではそれ以上は余裕にあるでしょう。

 そして髪の色だって、瞳の色だって、地球人ではあり得ないカラフルなものばかりです。

 

 似ているけれど全く別の……そう、気持ちの悪いエイリアンのように私は感じてしまうのでした。

 

 ならどうして言葉が通じているのかと言えば、それは聖女の力なのだとか。

 女神という存在に選ばれた私は、彼らの言葉が自然とわかるんだそうです。よくわかりませんが、神のご都合主義な悪意を呪いたくなりました。

 

 いっそのこと言葉が通じなかった方が良かったのではないだろうかと思いました。それならば聖女などという意味不明な仕事を強引に押し付けられるようなこともなかったに違いないというのに。

 

 

 どうして私は、こんな目に遭わされなければならないのですか?

 何か目をつけられるようなことをしたのでしょうか。私が何か悪いことをしたなら謝ります。

 

 ですからどうか、帰らせてください。

 聖女とか世界を救うとかはゲームやラノベでお腹いっぱいで、本当にどうでもいいんです。私、普通に生きたいだけですから。

 弟と両親と一緒に、小さな一軒家で仲慎ましく暮らしたい。私の願いはただそれだけなのです。

 

 なのでどうか助けてください。

 聖女なんていう役割は、巫女さんなどの専門的な人がやればいいでしょう?

 

 異世界を救えだなんて言われても、私はどうしていいのかわかりません。

 お願いします。心からのお願いです。

 ……私を、温かいあの家へ帰らせてください。

 

 

 ――いつしか私は、手を合わせて祈っていました。

 祈ることが聖女の仕事だというのなら、聖女という運命から逃げたいと祈るのは矛盾が生まれてしまいますが、私はそのことには気づきません。いいえ、気づきたくありませんでした。

 とにかく祈りました。天の上にいるであろう彼女――女神に届くように何度も何度も。

 このやり方では間違っているのでしょうか。でもやり方なんてどうでもいいではありませんか。だって祈りとは心であり、行為そのものではありませんから。

 

 そうして私はひたすらに祈りを捧げていました。

 祈って祈って祈り続けて、そして静かに呟きます。

 

「神様なんて、いないんですよ」

 

 夕食に口をつけると、私は涙を堪えながらそれを飲み込みました。

 その味はきっと美味しかったに違いありません。けれども私の舌には何の刺激も与えてはくれず、まるで砂つぶを食べているような気持ちになるだけです。

 

 巨人たちの国へやって来た異邦人は、帰る道標を持たず、ただただ悲嘆に暮れるしかありませんでした。



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09:肌を決めました

 ……神に願って、でも聞いてもらえずに絶望に沈んで。

 

 私は一体何がしたいんでしょう。

 ただ泣いているだけでは、何も変わらないというのに。

 

 私は自嘲気味にそう思いました。

 メソメソと泣いていることが馬鹿らしくなって、すぐに涙を拭いたのです。

 

 どうせ、聖女にならざるを得ないことは確定です。

 それは私がうっかり承認してしまったことですし、もし嫌がってもやらされるのでしょう。

 だからと言って逃げる場所はないのです。私はそれを受け入れることしか道は残されていないんです。

 

 けれどそんな私にだって、抗うことはできるのではないでしょうか。

 それは――。

 

「絶対に、家に帰ってやるんです」

 

 あの懐かしき……と言っても、異世界に来てから半日も経っていませんが、ともかく懐かしの我が家に帰るのです。

 なんとしても、帰ってやろうと決心しました。

 

 考えてみれば、聖女になればその方法を見つけることだってできるかも知れません。

 膝を抱えてうずくまっていても、きっとその道は開けないでしょう。ですが、自分からこじ開けたら見つかるかも。

 

 そう思うと、私の胸の内から何か温かいものが湧いて来た気がしました。

 

 私は独りでも、この地を生き抜いて帰らなければならないのです。大好きな家族の元へ。

 

 拳を握りしめました。

 まるで何かのアニメのヒロインみたい。ちょっと恥ずかしいかも……。

 でもいいのです。だって私は、この世界のヒロインになってやるんですから!!!

 

 聖女? お望み通り、なってやろうじゃないですか。

 そして世界を救って、何もかもを癒して癒して癒しまくって、無事におうちに帰り着きます!

 

 この時の私の脳はきっと、不安とか色々抱え込みすぎて爆発してたんだと思いますね。

 変な方向に吹っ切れてしまったので、なんだかとても清々しい気分になりました。まるで自分がスーパーヒーローにでもなったかのような感じでした。

 

「聖女でもなんでもどーんと来い! この(ひじり)にお任せください! 今の私は無敵です!」

 

 ……精神状態的にね。

 異世界がどれほど過酷なものかはわかりません。でも生き抜ける自信が私にはありました。だって聖女というキャラは、たいてい死なないものです。死んでも生き返るものです。

 

 いつか、家族に「ただいま」と言えるように頑張らなくては。

 薄い下着から飛び出した大きな胸を揺らしながら、私は力強く笑ったのでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 翌朝、目覚めた私はとてもスッキリいい気分です。

 我が家のベッドでなかったことが残念でなりませんが……王宮のベッドはふわふわで最高でした!

 

 差し込む朝日は眩しく、キラキラと輝いて見えます。

 この世界にも太陽があるんですね。正確に言うと太陽じゃないんですかね? まあそんなことはどうでもいいや。

 

 さてさて。今日から少しの間、この異世界で私は生きていきますよー。

 確か千の年がどうたらこうたら言っていましたね。ここでの一年がどれだけの時間になるかは知りませんが、後一年で災厄が訪れるはず。つまり、それさえクリアすれば私は帰れます! きっと!

 

 せっかく異世界に来たのですから、ずっとやりたかったことを色々とやってしまってもいいかも知れません。

 ゴージャスなフリフリドレス。お姫様の着るようなそれを、一度でいいから袖を通してみたかったんですよね〜。よし、王様に頼んで特注で作っていただきましょうっと。

 

 そうと決まればさっさとお願いしに行くことに越したことはありませんよね。私は見せてはいけないここやあそこが今にも見えそうな薄着姿のままで充てがわれた部屋を飛び出し、国王様のいる場所へ向かったのでした。



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10:宣言

「昨日は突然のことで取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」

 

 国王様のお部屋に通された私は、そう言って頭を下げました。

 何しろ昨日は急に異世界に呼び出された上に真っ裸でしたから……とんだ醜態を晒してしまったと思います。反省してもし切れない思いでいっぱいです。

 

 ちなみに部屋と言っても、寝室ではなく執務室のようなところです。王様は玉座に座ってふんぞり返っているだけのイメージがありますけど、実際は想像以上に大変な仕事なんでしょうね。王様の他にもたくさんの文官がいましたが、私が部屋に入るなりすぐに人はらいがされて私と国王様以外には誰もいなくなっています。

 

 国王様は少々私の訪問に驚いていたものの、すぐに「うむ」とまんざらでもない返事をくれました。

 それにしても改めて見てみれば、王様って結構かっこいいですね。燃えるような赤い髪に深い緑色の瞳。その二メーター越えの長身も極まって思わず平伏してしまいそうなオーラが漂っています。年齢は中年程度でしょうが若く見えました。

 そういえば異世界人の寿命って何歳くらいなんでしょうね? 地球人より体が大きいことを考えて平均百歳程度? それとも逆に中世ヨーロッパ風なありがち世界観だとすれば病気などで早死になのでしょうか。気になりますね。

 

 ……おっと。あらぬ方向に思考が飛んでいくところでしたね。

 私は要件を思い出し、改めて国王様に向かって高らかに宣言しました。

 

「私、決めました。聖女になります。聖女がどんなお仕事なのか、よくわからないんですけど……。そしたら家に帰れるかも知れませんし。ですから私、頑張ります!」

 

 昨日とは打って変わった私の態度を国王様はどう思ったのでしょう。

 しばらく静寂が落ちましたが、やがて、静かな首肯が帰って来ました。とりあえず認めてもらえたということでしょうか?

 そういえば、もしも私が今でも「嫌だ」と拒み続けていたらどうなっていたんですかね。もしかしたら拷問とか……? まさかせっかく呼び出した聖女を野放しにするわけがありませんもの。そう考えるとゾワっと寒気が走り抜けました。聖女になることを決意して良かったです……。

 

「――そなたが認めてくれたなら、こちらとしても手荒な手を使わずに済むので助かる。そうだ、では早速聖女歓迎会を開こうではないか」

 

「やっぱり手荒な手を使うつもりだったんですね……」

 

「まもなく準備させる。自室で着替えて待っているように。その格好ではいけないからな」

 

 あ、そういえば私、まだ寝間着のままでした。

 私は言われるがままにあてがわれた部屋へと足速に帰り、歓迎会とやらの準備を始めたのでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 歓迎会――と言ってもちょっと特別な朝食会という感じだそうです――までの間、私はちょっとおめかしされました。

 たくさんのメイドさんが私を取り囲んでお化粧してくれるのです。髪も綺麗にとかしてもらいましたしお肌のクリームなんかも塗っていただいてしまって、なんだかお姫様になったみたいでちょっといい気分でした。

 

 服は適当なワンピースを選んで着ます。日本では滅多に見かけないような乙女心をくすぐる可愛いピンク色のワンピースに決定しました。

 鏡で自分の姿を見てみたら聖女というよりはお嬢様という風なキラキラフリフリの女の子がそこにいました。馬子にも衣装とはこのことで、まるで私自身も輝いているように見えます。これ、いいですね。

 

 鼻歌なんか歌い出してしまいそうなほどのルンルン気分で私は再び部屋を後にします。

 聖女としての一番目の仕事は朝食会に臨むこと。とにかくいっぱい食べていっぱい楽しんで……じゃなかった、聖女の務めを果たすように精一杯頑張らねばいけませんね!



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11:ご馳走

 食堂に入った途端、鼻をつく香りに私は思わず目を見開きました。

 

「……いい匂い」

 

 一流レストランや高級ホテルでも滅多に見ないような高級料理の数々。それが私のすぐ前のテーブルの上に並べられていたのです。

 こんな物が出されるなんて、さすが王宮です。先ほどメイドさんが「それはそれは料理長がすごい方で」と力説していたのですが、それが嘘でないことは見ただけでもわかりました。

 

 食堂の席についているのは国王様と他数人。おそらく王族と思わしき、高価な服を着た人たちです。

 彼らは私を一斉に見ると、それぞれが反応を示しました。

 

「待っておったぞ、聖女よ」

「あなたが聖女なんですってねぇ。これからこの国を守ってくださいましね」

 

 国王様の隣にいるのがおそらく王妃様でしょう。男と見紛う巨体でありながら幽霊かと思うような青白い肌をしており、少しばかり不健康そうに見えます。

 一方でそのさらに隣には私より数歳下と思われる少女と少年がいました。異世界人で私より小さい人、初めてみました。もしかすると私が思っているよりも幼いのかも知れません。

 

「わあ、聖女様だー!」

「あなたが噂の裸の聖女ね。センスの悪いドレスを着て、はしたない」

 

 女の子の方は毒がきついですね。地味に傷つくんですが。

 他にも彼らの親族と思われる青年は私の胸をジィッと見ていますし、かなりお年を召したご婦人は私に身を擦り寄せて嫌悪の目を向けていたりしました。正直言ってかなり居心地悪いです……。

 

 私はすぐに食べ始めようと思ったのですが、そうはいかず、まずは自己紹介からということになりました。これが王族貴族のマナーとのことです。

 歓迎会の参加者はざっと十人近くいて、その挨拶を聞いているうちにご飯が冷めてしまいそうです。全部国王様とその弟の家族だというのですから多くて驚いてしまいます。でもこれくらいの数がいないと国の運営はやっていけないのでしょうね。ちなみに先ほどの少年少女は王女様と王子様みたいです。王女様、態度悪くないですかね?

 しかも聖女の歓迎会なのに王太子だとかいう人はどこかへ行ってしまっていていない様子です。王太子って次の国王なんですよね……? 顔合わせしないで大丈夫なのでしょうか?

 

 ――とまあ、色々言いたいことはありますがそれをグッと飲み込んで。

 

「皆さんありがとうございます。私は、ここと別の世界から来ました早乙女聖といいます。元の世界に帰るまでの間、お世話になります」

 

 そう頭を下げたのでした。

 ふぅ……。ようやく終わりました。これでやっと朝食にありつけますね。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「聖女の降臨を祝して、乾杯!」

「「「「「乾杯!」」」」」

 

 グラス――お酒のようなものが入っていますが子供たちも呑んで大丈夫なんでしょうか?――が軽く触れ合って音が鳴り、祝賀が始まりました。

 まだちょっとギスギスした空気は残っていますが、食べ始めた途端私のことなどどうでも良くなってしまったのかしてすでに存在感は薄れています。でもむしろ無視してもらった方が楽なので何も言いませんが。

 

 腹ペコだった私は、居心地の悪さも忘れ、お皿にがっつくようにして食事を平らげてしまいました。

 味わう暇さえないほどのスピードでしたけど、それでもその料理がどれだけ工夫された高級品なのかがわかります。王宮暮らしも悪くないかも……。

 いけないいけない、ついうっかりあまりの料理の美味しさにこの世界の虜になるところでした。なんとしても帰るのだと昨夜決めたばかりではありませんか。しっかり心を強く持たなければ!

 

 と、私が一人そんなことを考えていると、ふと王妃様から声をかけられました。

 

「それにしてもまさか本当に聖女が現れるだなんて思っていませんでしたわ。……あなた、本当に聖女なのでしょう?」

 

「はい。多分そうですけど……。それが、どうしたんですか?」

 

「私事で申し訳ないのだけど、実はわたくし、一月ほど前に魔物に襲われてしまって少々腕を怪我したんですの。それを治していただきたいと思いまして。聖女は浄化の力を持つと言われるでしょう? せっかくなら今、その力を見せていただきたいわ」

 

 じょ、浄化の力……。

 二次元しか聞いたことのない言葉に私は少し身を固くしました。しかも、それを今からやれと言われたのです。

 素敵な食事にすっかり緩み切っていた思考が一瞬で引き締まります。

 

 でもたくさんの王族に見られている上、王妃様からの頼みである以上、簡単に断れないことくらいはわかりました。

 スプーンを置き、一息つきます。そうやって気持ちを整えてからゆっくりと頷きました。

 

「できるかどうかはわかりませんが、やってみます」

 

 これが私の異世界での第一ミッション。家に帰り着くための第一歩に違いありません。

 そう信じ込んで私は、王妃様からの無茶振りを受けることに決めたのでした。



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12:聖女の力を試してみました

 朝食を終えてすぐに私の初仕事が始まりました。

 王妃様がドレスで隠していた二の腕の袖をたくし上げると、そこには青白い肌に獣に噛まれたらしき跡がたくさん。そこが黒く腐っていました。

 

「ど、どうしたんですかこれ……」

 

「言ったでしょ。母様は魔獣に噛まれたのよ」

 

 思わず息を呑む私に、王女様が吐き捨てるように言いました。そういえば先ほど、王妃様がそんなことをおっしゃっていたような。

 この世界にはやはり魔獣とかもいるんですね。噛まれただけでこんなひどい傷になるなんて……背筋がゾクゾクしてしまいます。

 

 私もいずれそんな野蛮な獣たちと戦わされることになるのでしょうか。怖い。帰りたい。

 

 ――でも今は、治療に集中です。

 私が本当の聖女であれば、この魔物の傷を治せるとのこと。魔物の穢れを取り払うことができるらしいです。

 しかしもちろん私は魔法など使ったことがありません。異世界系アニメ等々では、無自覚に魔法をぶっ放したりしますがそんなことができるのでしょうか。

 いえ、やるんです。やるしかありません。やれなければ帰れません。帰れなくては死んでしまいます。だから頑張るしかないのです!

 

 王族の皆さんが見守る中、私はそっと王妃様の二の腕に触れました。

 

「――!?」

 

 何ですかこの体温! 冷たっ!?

 まるで氷に触った時のような鋭い冷気を感じ、私は思わず手を離してしまいました。

 そしてすぐに、異世界人の体温と地球人のそれが一緒とも限らないということを思い出します。もしかして異世界の人って皆さんこんなに冷たいのですか!?

 

 そう思って国王様の方を見ると、まるで私の心を読んだかのようにこう言われました。

 

「驚いたろう。王妃の体は魔物に噛まれてからというもの生気を失い、まるで氷のようになってしまっておるのだ」

 

 ということは、肌が冷たいのは異世界人の特徴ではないのですね。ホッとしました。私、人に触れる度にこんな思いをしなければならないのかと想像してヒヤヒヤしましたよ……。

 でもつまりそれは、王妃様の体質が異常になっているということですよね。生気を吸い取られたんでしょうか。魔物、恐ろしすぎるんですが。

 

 私は恐る恐るもう一度やり直します。王妃様の肌に触れ……冷たいっ。でもなんとか我慢して手を押さえつけ、必死に「治れ治れ」と頭の中で繰り返し始めました。

 魔法を使うなら詠唱した方がいいのでしょうが、生憎私、呪文というものには疎いので知らないのです。もちろんあるRPGの回復呪文なら知っていますがこの世界で通用するとは思えませんし。

 

 王妃様を前にどれくらいの間念じていたでしょうか?

 すっかり手が冷え切って、こちらの掌から痛覚が失われ始めました。

 

 傷の状態を見ます。少しでもよくなっていることに期待していたそれは、しかし、黒ずんだままでした。体温も少しも戻っていないのは明らかです。

 必死に祈っているのにどうして届かないのでしょう。やはり祈るだけでは回復魔法が発現しないのでしょうか? では一体どうしたら……。

 私は焦りながら、胸の中で叫び続けます。

 

 ――治れ! 治れ! ヒーリング! 回復! 治癒ぅぅぅっ!

 

 けれど無情にもその心の声は届くことがありません。どんどん私の手が凍っていくばかりで、王妃様には何の反応も見られませんでした。

 

 私は、どうしたらいいのでしょう。私は確かに聖女のはずです。いまいち実感はありませんが昨日そう言われました。第一にそのためにこんな見知らぬ世界まで連れて来られたのですから、聖女であるべきなのです。

 なのにこんな傷一つ治せないだなんて情けないにもほどがありました。これがもし二次元ならば神に祈って『奇跡』を起こすところですが、早乙女聖にそのような力はなく、ただただ虚しい静寂が落ちるだけだったのでした。



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13:やっぱり魔法は無理です!

 私が悔しさに唇を噛み締めていると、王妃様が私の方を向いてにっこりと微笑みました。

 

「ありがとう。あなたに無駄な苦労をかけてしまいましたわね。所詮、この傷は治りっこないに違いありませんわ」

 

 そしてそっと、手を振り払われます。

 悴む手から徐々に感覚が戻るのを感じながら、私は、王妃様を救えなかったのだと理解しました。

 

 やはり、ごくごく普通の高校生でしかない私にはあんな傷を治すことなど無理だったのです。

 そりゃあそうでしょう。今まで魔法は存在すら信じていませんでしたしね。……まあ実際に『召喚魔法』というものでこの世界に連れて来られたので信じざるを得ないだけですが。

 

 本当に私は聖女なのでしょうか?

 昨日はあんな風に格好をつけて決心を固めはしましたが、実のところ、私は私が聖女であるかどうか、全くわかっていません。

 ただ異世界人たちがそう言っているだけで、私には何の力もないのではないでしょうか? そんな考えがふと浮かんでしまい、たまらなく不安になりました。

 

 だって聖女なのに怪我も治せないのです。

 お話の中の聖女はどんな傷でも癒し、人々に希望を与える存在である場合がほとんどですよね。私だってかつては憧れてすらいました。

 でも私がそんなおとぎ話のような存在になれるとは思えませんでした。聖女になれるだなんて馬鹿みたいなことを考えて、私はあまりにも調子に乗りすぎていたのです。

 

「……すみません。私は、聖女にはふさわしくなかったのかも、知れません」

 

「そんなことはないですわ。昨日あなたの中に聖魔法への属性があることは確認されたのでしょう?」

 

 王妃様があくまでも柔らかく微笑んでくれます。

 でもまだ王妃様の腕には黒い痕が残ったままでした。

 

 私は申し訳なさでいっぱいになりながら頷きます。

 

「聖属性というのが、何かはよくわかりませんけど。でも私、魔法は無理なんです……! 浄化の力だなんて、ありません」

 

「話には聞いていましたが、本当に魔法が何も使えないのですか? それほどに魔力量があって?」

 

 そもそも、紛れもない地球人である私にも魔力があるんですね。

 しかし例え魔力が高くとも、使えないものは使えないのです。

 

 項垂れる私に国王様が言いました。

 

「――すまなかった。魔法が使えないと聞いていたが、そなたが急にやる気になったので、もしや覚醒したのではと甘いことを考えてしまったのだ。きちんと教師はつけてある。安心しろ」

 

 あっ。そういえば、昨日そんなことを言われたような気が……?

 家に帰れないという悲しみのあまり忘れてしまっていましたが、ということは私ももしかして教えてもらえれば魔法が使えるようになるということ?

 というか国王様、なんでそれを知っていて私に王妃様の治療をやらせようとするんですか。覚醒って、ビッグイベントもないのにするわけないじゃないですか!

 

「どーせこんなエセ聖女に治せないに決まってるでしょ。お父様もお母様も騙されてるのよ」

 

 王女様がそんなことを言いましたが、隣の弟さんにぺちっと叩かれています。

 まあ、どちらかと言えば私は王女様の意見に賛同なんですけどね。私なんかが、少し練習したくらいで浄化の力とやらが使えるものでしょうか?

 

 ――そんな私の疑問をよそに、歓迎会はお開きになって早速私は魔法の使い方を教えてもらうことになりました。なんとも慌ただしい……と思いながらも私は状況に流される他ありません。

 

 王妃様には「もし魔法が使えるようになったら、またお願いできるかしら?」と笑顔で言われ、とりあえず了承しておきました。使えるようになったら、ですが。

 ファーストミッションに失敗してしまった分、私の肩にはものすごい重圧がかかっています。もしも訓練しても役立たずのままだったらガクブルな未来が待っている気が。

 なので先ほどの失態を取り返すべく、せいぜい努力するしかないのです。

 

「では、行ってきます」

 

 王族の皆さんに見守られながら、私はその教師とやらが待つ場所へと向かいます。

 はぁ…………。異世界に来てからというもの、次から次へ何なんですか、まったく。本当に神様を恨みたい気分です。



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14:まずは修行から

 ――何事もまずは修行から。

 

 ということで私は、王城の一角にある広い庭へやって来ました。

 あちらこちらで芳しい薔薇が咲き乱れ、眩しいくらいです。綺麗な写真集やテレビなどでしか見たことのないような光景に私は思わず目を見張ります。すごい……!

 

 と、異世界の薔薇園に感動していた時のことでした。

 突然、背後から声をかけられたのです。

 

「――聖女様、よろしいでございますか?」

 

「うわっ」

 

 あまりにも気配ゼロだったので、思わず飛び上がってしまいました。

 私が慌てて振り返ると、そこに立っていたのは…………巨人。

 

 いいえ、正しく言えば、見上げるほどに背の高い女性でした。

 

 身長は軽く三メートル近く。私の身長の約二倍です。

 身長に見合うだけ横幅も大きく、私基準で言えばガチムチ系女子と言っていいでしょう。その体型のインパクトはさることながら、彼女は全身に騎士の鎧を纏った非常に目立つ格好をしています。鎧なんて初めて目にしましたけど、まるでアニメの世界が実写化されたような感じです。腰には騎士剣と思わしきものが吊り下げられていました。

 白金の髪に灰色の瞳をしており、西洋美人的な風貌です。でも私としてはガチムチ系は苦手なので落第点ですけど……。

 

 と、こんなことを考えている場合じゃありませんでした!

 

「ええと……あなた、どなたです?」

 

「初めてお目にかかります。わたしはスピダパム王国騎士団所属の女騎士、ニニ・リヒトと申す者でございます。聖女様とお会いできたことを心から光栄に思う次第でございます」

 

 非常に畏まった喋り方と合わせて恭しいお辞儀をする巨人……じゃなかった、ニニさん。

 この世界って女の騎士様もいるんですね。

 腰を折り曲げてもなお私より身長が高いとか、どれだけなんですか。とツッコミたい気持ちをグッと堪えて。

 

「ニニさん、初めまして。私は、えっと、異世界から来ました聖女の早乙女聖です」

 

 この世界からしたら、私の世界は異世界ということでいいんですよね?

 たどたどしく挨拶をすると、ニニさんは私に優しく微笑みかけてくれました。

 

「わたしのことはニニと、そう呼び捨てにしてくださいませ。ただの平民上がりの騎士でしかないわたしと聖女様では格が違いすぎるというものでございますから」

 

 明らかに歳上――と言っても二十歳くらいに見えますが――な上に巨人なお姉さんを呼び捨てにするのは、かなり抵抗があるんですが。

 でも私は一応聖女なのです。ファンタジー世界でいう聖女は教皇と同じくらいに尊い存在とされるもの。だから騎士であるニニさんより確実に身分が高いはずでした。

 そこまで理解し、でもやはり歳上の方は敬うという日本の常識が抜けない私は、やや抵抗がありつつも彼女を呼び捨てにしました。

 

「に、ニニ。あなたがもしかして、私の教師ということなのですか?」

 

「左様でございます。わたしが聖女様に訓練を行わせていただくことになってございます」

 

 えぇぇ、こんな巨人さんと!?という言葉を寸手で呑み込み、私はニニさん改めニニの全身を再び見回しました。

 なんだか、少し怖そうなんですが。剣で切られたりしませんよね? ね?

 

「ご心配なさらずとも大丈夫でございます。わたしが主にお教えするのは魔法の使い方について。騎士剣で打ち合うようなことは、恐らくないと思われます」

 

 私の心を見透かしたようにそう言い、笑顔を見せるニニ。

 そこまで言われれば、大丈夫なような気もして来ました。というよりこの世界で生きていくにはやるしかないのです。勇気を出せ、聖!

 

「じゃ、じゃあ、修行よろしくお願いします!」

 

「こちらこそよろしくお願いいたします、聖女様」

 

 そんなわけで私の聖女修行が幕を開けたのでした。



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15:聖女の服は……ビキニ!?

 ニニとの修行が始まります。もちろん修行をする場所は、この薔薇の咲き乱れる庭園だそうです。

 修行って一体どんな内容なんでしょう? 痛くないものならいいなぁ、と思いつついると、ニニがこんなことを言い出しました。

 

「その前に一つ、聖女様にはお着替えをしていただきたく」

 

「え? お着替え? このドレスじゃダメなんですか?」

 

 ピンクのフリフリドレス。

 これ、かなりお気に入りなんですが。もしや聖女修行は結構泥まみれになったりするのですか? もしそうだったら嫌なんですけど……。

 しかし着替えの理由は私の想像したものとは違ったようです。

 

「火や水などといった攻撃魔法とは違い、光魔法は全身からその力を溢れ出させるという特徴がございます。聖属性の魔法を持っていらっしゃる方は希少……というより恐らくこの世界には聖女様以外には存在しないため、わたしはお見かけしたことがないのでなんとも言えないのでございますが、光魔法と聖魔法は系統が類似しているとのこと。ですから、肌の露出度は多い方が良いだろうと推測されるのでございます」

 

 うーん。

 まず、属性などがよくわからないのですが。え、光と聖って別の属性なのですか?

 私のファンタジー知識で言えば、火・水・風・土の四大属性に加え光・闇などがあることまでは知っています。でも聖魔法と光魔法は同じものだと思っていました。この世界ではどうやら別々のもののようです。

 

「聖属性と光属性の違いって何なんです?」

 

「――簡単に言えば癒しの力の強さでございます。わたしは実は光属性なのでございますが、治癒の力はわずか。その代わりとして光魔法は攻撃力に特化してございます。

 対する聖魔法は治癒の力が高く、穢れたものを浄化するという効力が非常に高いことから、癒しを専門とした魔法ということでございます」

 

 ふむ、納得しました。

 ニニって光属性なのですね。だから私の師匠に選ばれたのでしょう。光魔法は攻撃手段があると聞きましたが、どんなものがあるのか気になりますっ! まだこの世界に連れて来られてからというもの、単語を耳にするだけで魔法は見ていないのですよね!

 

 と、盛り上がってしまいましたが肝心なことを忘れていました。

 

「えっと。ところで着替えの服って何なんですか?」

 

「お持ちしてございます。どうぞご覧くださいませ」

 

 そう言いながらニニがどこからか取り出したそれ(・・)を見て、私は思わず絶句してしまいました。

 だってそれは――。

 

「び、ビキニ!?」

 

 純白のブラとパンティ。

 テカテカと輝くその衣装は間違いなく、水着――それも露出度を極限まで高くしたビキニだったのです。

 

「はい。聖女様はずいぶんと小柄でいらっしゃいますので子供用の物をご用意いたしました。それが聖女様のお洋服となりますが……お気に召しませんでございますか?」

 

 これ、本気で着るんですか?

 かなりエロいんですが、これ。太ももとか丸出しですし、なんなら胸も飛び出してしまいそうなんですが。うっかりR18になったりしませんよね?と心配になるくらいです。

 真夏のビーチに行くならともかく、普段からこれを着ろって……。乙女にこの格好をさせるなんて罰ゲームにもほどがありますっ。

 

 聖女と言うからには薄手のローブのようなものを着るかとばかり思っていたんですが、これは完全に予想外でした。

 

「も、もっとマシな服はないんですか……?」

 

「それが聖魔法を使うには一番都合がよろしいかと」

 

 確かにこれ以上に露出度の高い服はないと思います。ないと思いますけど。

 なんでビキニなんですかー! これって一番男の本能をそそるやつじゃないですか! 異世界人だってそうですよね? 昨日あんなに獣みたいな目で私を見てたんですから。

 これでは『裸の聖女』という不名誉な呼び名がさらに定着してしまいます。けれど、このビキニはどうやら私のためだけに作られた様子。そんなものをそう簡単に断ることはできず、結局、着させられました。

 

 全身の肌をさらけ出し、胸と尻だけを申し分程度に隠した純白のビキニ姿。

 うぅっ、恥ずかしくて死にます。死んでしまいますよぅ。

 

「とってもお似合いでございますよ、聖女様」

 

「嫌ぁっ。無理無理無理です! ああもう、お願いですからおうちに帰らせてくださぁい!」

 

 身悶えしながら絶叫する私を、ニニはどこか楽しげな笑みを浮かべて眺めているばかりで、助けてはくれません。

 こうして、私はこの破廉恥な格好のままで聖女修行を始めることになってしまったのです。



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16:初めての魔法

「聖魔法というものは先ほども申しましたように治癒と浄化に特化した魔法であり、その存在は非常に希少なものでございます。が、魔法を行使する時の基本はどの属性においても同じ。なのでまずはわたしが魔法を発動させるところを見ていただきましょう」

 

「はい」

 

 どうやら聖女修行の最初は、魔法に触れることから始めるようです。

 この剣と魔法――多分そうですよね?――な異世界に召喚されてしまってからというもの、当たり前のように魔法だの何だの言っていますが見るのはこれが初めて。ドキドキ……というより少し怖いです。よくゲームやら何やらで簡単そうに魔法を扱いますが、あれって絶対危ないじゃないですか。

 

 でもきっと練習しているであろうニニなら大丈夫ですよね、多分。仮にも騎士ですし。

 そう言って自分を落ち着かせ、私はニニの魔法を見せてもらうことになりました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「『ライト・ソード』!!!」

 

 ニニが天に剣を突きつけます。

 そういえば、初めて異世界の空を見ましたが地球と同じで綺麗な青です。この世界の大気の状態とかはどうなっているのでしょう。息ができるので地球と似ているのかも知れません。

 そんなどうでもいいことは置いておいて、ニニの握る剣からポワッと眩い光が溢れ出しました。それはたちまち空へ閃光を放ち、スゥッと昇っていって虚空へ呑まれていきました。

 

 ……その一部始終を目にした私は、ただ呆然とするしかありません。

 

「これが魔法でございます。わたしはこうして剣に魔法を込めることを得意としておりますが、魔法の発動方法はその人の素質や魔法属性によっても異なり、先ほども申しましたように聖女様は全身からそのお力を放つことになるのでございます」

 

「す、すごいですね」

 

「わたしなどまだまだでございます。わたしに魔法の才があると発覚してからまだたったの二年しか過ぎておりませんので、到底熟練された魔法などとは呼べるはずがございませんよ」

 

 そうなんですか……? 今の光線は少しの狂いもなく綺麗でしたし、まるで魔法のよう……じゃなく、間違いなく美しい魔法だったと思うんですが。初めての魔法に私、正直感動してしまっています。

 だって一度は誰もが憧れる魔法が今目の前で見られたのです! 本物の魔法が! 私の中にわずかに残っていた厨二病精神が沸き立つのを感じるのですがどうしたらいいのでしょうかこの興奮は!

 

「私を弟子入りさせてください!」

 

「はい、聖女様。国王陛下にあなた様を立派な聖女にせよと仰せ使っております故」

 

 ニニがそう言いながら深々と頭を垂れました。

 ……今更ですが王命なんですね、これ。というか王命という言葉をリアルで聞くとは思いませんでしたよ。

 

 ともかく立派な聖女目指して頑張らなくてはいけません。

 

 

「ではまず、初歩段階から始めましょう。魔法の発動に必要なものは念じることでございます。簡単な魔法であれば詠唱せずとも念じるだけで行使することができるのです。例えば……」

 

 それからニニは治癒魔法も見せてくれました。

 わざわざ爪で自分の手の甲を引っ掻き、血――異世界人の血も真っ赤なのですね――を流すと、そこにもう片方の手を当てたのです。そしてその手を離した時にはいつの間にか傷が癒えていました。

 

「体内の魔力を感じ、それを練って形として放出するのでございます。聖女様も一度お試しください」

 

 また同じようにしてわざわざ血を出したニニが、私へそっと手を差し伸べて来ます。

 …………。躊躇いなく自傷行為に及べるニニの精神力にもびっくりですし、その上先ほどの治癒魔法が凄すぎて声も出ないんですが。あれを私にもやれということでしょうか?

 

 できるとは思えませんが、これをやらないと何も始まらないようです。私は恐る恐るニニの熊のような大きな手に自分の手を重ねると、ぎゅっと目を閉じて念じました。

 

 治れ治れ治れ治れ治れ!!!

 

 ――しかし当然のことながらそう簡単に成功するはずもなく、王妃様の時と同様、ニニの傷は全く治っていませんでした。体内の魔力を感じろとニニに言われましたがそもそも魔力が何なのかもよくわかりません。つまり、またもや失敗でした。

 

「どうやら聖女様はまず、魔力というものについてのお勉強が必要なようでございますね。……なかなか遠い道のりになりそうでございます」

 

 ニニが少し困ったような、それでいて覚悟を決めた声で呟き、私を見下ろしています。私はその巨体に改めて圧倒され、思わず身震いしてしまいました。

 なんだか『お勉強』という言葉が怖いんですが……痛いことだけはしませんよね……? 不安になって来ました。



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17:聖女修行、厳し過ぎじゃありません?

「もう、ダメぇっ!」

 

 そう叫び、私は地面に勢いよく倒れ込みました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ……あれからニニの指導で修行を続けること、三時間。

 私はこの世のものと思えないほどの苦行に耐えかね、今にも気絶してしまいそうなほど消耗してしまっていました。

 

 まず、魔力の『ま』の字も理解できていない私に課されたのは、体内の魔力を感じること。

 大きく呼吸を繰り返し、大気中の魔素を体に取り込むことで魔力の流れとやらを感じるそうです。一応やってみましたが、案の定というかちんぷんかんぷんでした。

 

「魔力を感じるまでは魔法を使うことはできないのでございます。わたしの場合、最初は意識せずにやったのでございますが……聖女様は異世界から渡来した方ということもあり、魔力には慣れていらっしゃらないのかも知れませんね」

 

 それからは地獄でした。

 

 ニニは私に魔力を認識させるため、体に強制的に魔法を流すという荒っぽい方法を取ることに決めたようです。それを聞いても理解できない私へ、彼女はなんと――掌から閃光を放ちました。

 

「うがぁっ」

 

 直後その鋭い光が私の全身を貫き、まるで感電したかのような激痛が走りました。

 私は呻くことしかできず、その場に崩れ落ちます。瞼の裏に火花が散りました。本気で死ぬかと思いましたよ。

 

「今の光魔法によって体内の魔力の流れが刺激されたことでございましょう。しかしどうやら、まだ足りないようです。お覚悟はよろしいですか?」

 

「ちょ――、うわああああ!?」

 

 また、電流。今度は一度目より強い衝撃が体を駆け回り、一瞬意識が飛びます。かと思えばまた同様に全身に痛みが襲いかかってきて、声を上げることすら叶いません。

 

 しかも、やっと一息吐き、何か文句を言ってやろうとすると、「深呼吸して魔力を感じるのでございます」と厳しい声が飛んで来るのです。何せ相手は私の二倍も身長のある大女、怖くて逆らえず私はガタガタ震えました。

 ――何ですかこの罰ゲーム。死刑囚にでもなったような気分なんですが。

 

 もう一度深呼吸して念じてみましたが、体の中に蠢く虫のようなものを感じるだけで、魔法は出ません。

 するとニニが「もう少しでございますね」と笑い、その笑顔のままで私にまた光魔法を無理矢理流し込むのでした。

 

 体内で蠢く虫、失敗する魔法、電流。その繰り返しがしばらく続きました。

 これは地獄です。地獄以外の何者でもありません。苦しいと叫んでもやめてと喚いても、「もう少しでございます」とにこやかに言われ、雷の衝撃が降り注ぐばかり。

 しかもそんなに痛いのに怪我一つ負っていないのが悔しいところ。光魔法と言っても攻撃系ではなく、体内の魔力を活性化するためのものらしいです。よくはわからないのですが。

 

 そしてやっと、全身がぽわんと白く光り、何やら暖かなものが出た瞬間には――感動などという感情はどこにも残っていませんでした。

 こうして私は自分でもよくわからないままに、聖魔法という人生初の魔法を発動させていたのです。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「お疲れ様でございました。この目で直接聖女様のお力を見ることができるだなんて、わたしにはもったいないことでございます」

 

「…………」

 

 どうやら第一関門は突破した様子です。

 でも私は疲れ切ってしまっていて、ニニに言葉を返す力も残ってはいません。地面に倒れ伏したまま、露出しまくった全身の肌でチクチクした草の感触を味わっていました。

 

 聖女修行、ちょっと厳しすぎじゃありません? 心の中で文句を漏らしながら、私はこの先を憂鬱に思いました。もしもこんな苦行が毎日続くのだとしたら……私は耐えられるでしょうか。

 私はただの高校生なのに。どうしてこんな痛いことを体験しなくてはならないのか。理不尽さに涙が出ます。

 

 ああ、早く帰りたい……。



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18:光の騎士ニニ・リヒトについて

「何よ、朝はあんなにピンピンしてたくせに。まるで萎れた花みたいな顔してるじゃない」

 

「……」

 

「何か答えなさいよ、『裸の聖女』!」

 

 ニニとの修行からの帰り道。

 私はキィキィ喚く少女を前に、ただ突っ立っていました。……誰でしたっけこの人。頭が回らなくて思い出せないのですけど。

 

「えっと、あなたは……?」

 

「はぁ!? 何言ってんのこのポンコツ! 朝にきちんと名乗ってやったでしょうが! わたくしがこの国の第一王女のレーナ様よ!」

 

 ああ、王女様でしたか。そういえばそうでしたね。

 長い赤毛の王女様は、緑色の瞳で私をキッと睨んできます。私、今疲れてるんで今度にしてくれませんか?とはさすがに言えません。

 

「……さては『光の騎士』にたっぷりしごかれたわね? ふふ、異世界の平民である貴女があの女と向き合って生きて帰れるなんてすごいじゃないの。ほんの少し、褒めてやろうかしら?」

 

 こういう傲慢系の女性、私、嫌いなんですよね。

 なぜ誉めるのに『褒めてやろうかしら?』だなんて上から目線で言われなきゃならないんです? そんな方に誉められたって嬉しくないじゃないですか。照れ隠しということもあるかも知れませんが、この王女様は見下しオーラが半端ない。多分私より年少ですよね?

 

 色々ツッコミたいことがありましたがそれをグッと我慢して、気になったワードについて質問してみました。

 

「『光の騎士』ってニニのことですか?」

 

「そうよ。スピダパム王国騎士団副団長にして、平民上がりのくせに騎士の中では最強とも言われている女。それがニニ・リヒトよ。もしかして貴女、知らないの?」

 

「……まあ、昨日までこの世界のことすら知らなかったですし。王女様はニニと会ったことがあるんですか?」

 

「あるに決まってるでしょ。お兄様がニニと剣の稽古をしているところをわたくし、見たことがあるの。思い出すだけでムカムカするわ、あの女……! 兄様を負かすなんて! それも魔法でよ!? 兄様が魔法を使えないのは周知の事実でしょうが! なのにあの女、光魔法でいい気になりやがって。許せない!」

 

 勝手に一人でヒートアップしている王女様。兄様というのが誰だかはわかりませんが、可愛いお顔が台無しなくらい汚い言葉でニニを罵っています。そんなにニニに悪い思い出があるのでしょうか?

 たった今ニニに絞られまくった私としては、正直同感なんですけどね。

 

「ニニってそんなに強い方だったんですね」

 

「当たり前よ。光魔法なんていう卑怯な力を使って周りの騎士を圧倒したの。そうでもなくちゃ平民のくせに騎士になるなんてあり得ないわ!」

 

 ……少し話を聞きますと、どうやらこの世界では貴族階級的なものがあり、平民はかなり軽視されている様子。基本的には騎士になるのは貴族の令息だけと決まっているそうなのですが、平民の、それも少女であったニニは実力で騎士団をのし上がったそうです。

 改めて思いますが王族貴族やら騎士やら、聞きなれない言葉ばかり。まるでおとぎ話の世界みたいですね。

 

「ニニの腕が確かだったとすれば……私の聖女への道も近いってことですけど……厳しすぎます。今にも倒れそうです」

 

「ふふん。『裸の聖女』はせいぜいこの世界の厳しさを味わうがいいわ! ……というかなんでそんな服着てるわけ!? 男にでも遊ばれたいの!?」

 

「今更それですか……」

 

 いくら王女様でもこの破廉恥な服について言われたくないです。失礼です。羞恥心で今にも死にそうなんですから……。

 これ以上話すのが面倒臭くなり、私は何やら叫び続けている王女様を無視して自分の部屋へ向かってふらふらと歩き出しました。

 

 

 

 ――その後すぐに倒れてしまったらしいのですが、記憶にありません。



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19:王城での日々

「あれ……ここは」

 

 気がついたら私はベッドの上で横たわっていました。

 やはり我が家の硬いベッドではなく、ここは異世界で私にあてがわれた部屋の豪華すぎるベッドで間違いありません。でもおかしなことに、私は昨夜ここで眠った記憶がないのですが。

 

「やっと目を覚ましたのねこの馬鹿聖女!」

 

 首を捻りながら状況確認していると、突然頭上からキィキィ声が降って来ました。

 ああ……これは確かこの国の王女様でしたか。名前は忘れてしまいましたが。でもどうして王女様の声がするのでしょう?

 

 その時私は思い出しました。あの巨人――ニニにたっぷり痛い目を見せられ、ふらふらになっていたことを。

 きっと私はあのまま倒れてしまったのでしょう。修行一日目にしてぶっ倒れるなんて、我ながら情けなさすぎます……。

 

「それにしても意外ですね。最後に喋っていたのが王女様といえ、あなたが無関係の私なんかの枕元にいるのはちょっとおかしくありません?」

 

「何よ、わたくしがここにいるのが気に入らないというの!? 目の前で倒れられてもみなさい、そりゃ少しは心配するじゃない! ……あっ、別に貴女を気にしたわけではなく、せっかく召喚した聖女がたった一日で使い物にならなくなったら、父様の威信が失われるからよ!」

 

 赤毛をぶんぶん振り乱しながら怒鳴る少女の姿が私の目の端に映りました。こうして見ると少し可愛いかもしれません。可愛いなんて思うのは失礼なんでしょうか。

 まあ、確かに召喚してすぐに聖女がこんなことになるのは困りますよね。でもニニの修行があまりにもきつかったんですよ。あれ、もはや拷問でしたもの。

 あれをきっと明日もするんでしょうね……。それだけで気が滅入ります。

 

 ため息を堪えながら身を起こすと、私は今も相変わらずのビキニ姿であることに気づきます。改めて恥ずかしいと思いつつ、寝間着を探して適当に羽織りました。

 この世界に季節という観念があるのかは知りませんが、もし冬が存在するとしたらビキニはきついですよね。でもニニが言っていたによれば露出が多い方が力が出しやすいんですよね。ああ、困った。

 

「何考え込んでんのよ『裸の聖女』。まだ昼よ。さっさと聖女としての務めを果たしなさい」

 

「聖女の務めって何ですか?」

 

「結界を張るとか病に苦しむ民を治療して回るとかよ」

 

 ……いや、それハードル高すぎですって。私にできるとでもお思いですか?

 そうツッコミたくなるのを必死に我慢し、私は曖昧に首を振っておきました。未だニニにしごかれたのが効いており、全身が痺れるように痛んでいます。

 

「はぁ、仕方ないわね。じゃあわたくしが特別にこの城を案内して差し上げるわ。ついて来なさい」

 

 いや、王女様、私まだ体力回復してないのですけど……。

 そう言う暇もなく、私は王女様に手を引かれて無理矢理連れ出され、城中を回らされることになったのでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 結果から言いますと、スピダパム王城巡りはなんとか無事に終わりました。

 仲良く手を繋いで走っている私と王女様を見てメイドの皆さんにニヤニヤされたり、ニニに見つかって思わずガタガタ震えてしまったりしたのですが、そこは割愛。

 

 お城にはおとぎ話に出て来そうな宝石や高価な骨董品が山のようにあって、その都度驚かされてしまいました。宝石一つで家が買えてしまうんじゃないかと思うくらいの価値はありそうです。異世界凄すぎ。

 

「どう? 多少は気が紛れたかしら」

 

「はい、元気になったみたいです。王女様、ありがとうございました」

 

「ふんっ。エセ聖女、貴女はこれからしばらくこの王城で生活するのだから慣れておきなさいよ。じゃあ、わたくしは弟の面倒を見なければならないから」

 

 最初は嫌な奴――王族に対しては失礼な言い方なのかも知れませんが――と思っていた王女様ですが、意外にいい子のようです。気づいたらこの世界に来てから一番親しい間柄になっていました。

 ちなみに年齢は十歳。予想以上に幼かったので驚きですが、なんだか妹ができたみたいな感覚です。今日初めてあったはずなのに不思議な話ですけどね。

 

 

 ……ともかくそんなこんなで気づいたら二日目が慌ただしく終わっていて。

 三日目の朝、またニニにたっぷり魔法を使う方法を叩き込まれてヘトヘトになったりしつつ、あっという間に時間が過ぎていきます。

 

 家に帰れないのがたまらなく寂しくなる日もありましたが、意外にも王城での日々は楽しいものでした。

 毎日贅沢すぎるご馳走ばかりですし、話し相手は王女様がいたのでちっとも困りません。庭園を散歩するだけで夢心地になれました。

 

 私はいつしか、こうして非現実的な時間を過ごすのも悪くないなぁと思うようになっていたのです。

 まさかこれが順応という奴でしょうか。住めば都とよく言いますがあれは本当だったのですね。怖いくらいです。

 

 ただまあ、相変わらず聖女修行は地獄級の過酷さなので嫌なんですけどね……。頑張る他ないので仕方がありません。



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20:この世界の歴史について教えてもらいました

「はぁ……はぁ……」

 

「お疲れ様でございました、聖女様。日を追うごとに確実に実力が上がっておりますので明日もまたどうぞ励んでくださるようお願いいたします」

 

 優雅な微笑を讃える女騎士、ニニの前で、私は地面に膝をついていました。

 始めてからもう七日ほどになるでしょうか。毎朝毎朝修行を繰り返しているのですが、この疲労感といったらありません。毎度一日中走ったのかとでも思うほどに疲れてしまうのです。

 

 私、体力にはそこそこ自信のある方だったんですけどね。まさかこれほどに魔法というものがきついとは思ってもみませんでした。

 一回魔法を放つだけでまるで全身の力が奪われたかのような感覚に襲われます。まあ、実際魔力というのはエネルギーのようなもので、それが抜けていくわけですからね。

 ニニ曰く私はまだ魔力制御というものをできておらず一度に魔法を放出しすぎてしまうようです。今日はその訓練で二十回近く魔法を使わされ、もう体力など残っていません。最初の時のように気絶しないのが不思議なくらいです。

 

 そろそろ自室に帰ろう、私がそう思っていた時、ニニが意外すぎることを言ったのです。

 

「……聖女様、お疲れでございましたら薔薇でも見ながらお茶などいたしませんか?」

 

「お茶、ですか?」

 

 いつもは私への魔法講義を終えると、すぐにどこかへ行ってしまうニニ。

 それもそのはず、『光の騎士』と呼ばれる彼女は国中から引っ張りだこなんだそうです。聖魔法ほどではありませんが光魔法も貴重で、それもここまで強い光魔法を扱うのはこの国の中では彼女ただ一人なのだと教えられました。ニニってそんなにすごい人だったんですね。忙しいのに私なんかに教えてくださって……なんだか申し訳ないです。

 そんな彼女が私をお茶へ誘うなんて、思わず仰天してしまうほどでした。もしかして、私があまりダメすぎなのでお説教を喰らうのでは……? そんなことを思いつつニニを見ると、彼女は、「別に何の思惑もございませんよ」と笑い、

 

「ただ、休憩がてら、聖女様に少しこの国の歴史をお教えしておいた方がよろしいかと愚考いたしまして。聖女様はこの国のことはあまりご存知ではないとお聞きしてございます」

 

「はい。スピダパム王国なんて国、召喚される前は全然知らなかったですから」

 

 いわゆるゲーム転生やら物語転生のようなものだったら予備知識があるのでしょうが、私はあくまでもある日突然呼び出されただけなので知るはずがありません。

 

「世界を救うお方としてこれから活躍していくであろう聖女様にとって、この国や世界のことを知っておくのは必要不可欠なことでございます。わたしのお話にしばしお付き合いいただけないでございましょうか?」

 

 ああ。確かに、この国のことを何も知らないと、後々困りそうですよね。

 私はニニに頷き、二人だけのお茶会を開くことになりました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「聖女召喚の際、この国に危機が迫っているという話は耳になさいましたか?」

 

「ええ、まあ。なんだか太古の大予言とか言ってたあれですよね?」

 

「そうでございます。初代スピダパム王国国王デリック陛下が女神のお告げを聞き、予言なさったとされております」

 

 そう。そのために私はこの世界に呼ばれたんですよね。

 でも私、正直色々と疑問があるんです。そのデリックとかいう昔の国王様ですが、女神様のお告げを聞いたというのは本当なのでしょうか? ただの妄言では? そもそも夢で聞いたんですよね?

 しかし王国の騎士たるニニの前でそんな無礼なことを口にすることもできず、私はそれ以上何も言いませんでした。

 

「約千年の昔、この世界には大きな災いが降りかかったと言い伝えられてございます。それが一体何であったか、今を生きるわたしたちには残念ながら詳しいことはわからないのでございますが。

 それを阻止なさったのがデリック陛下でございました。しかし千年の時が経った時……今から言いますと来年にあたる年にはもう一度、厄災が訪れることは間違いございません」

 

 この話は召喚された直後、国王様にも聞きました。

 でも、千年前にも大惨事があったんですね。その時は聖女を呼ばなかったんでしょうか。少し気になるところですが、質問する間もなくニニは話し続けます。

 

「それからデリック陛下のお力によりたくさんの国家が生まれ、そのうちの一つがスピダパム王国でございます。陛下のおかげで国は栄え、その後もずっとこうして国が続いているのでございます。……しかし千の年をもうじき迎える今は各地に魔物が溢れて不穏な空気が流れ、あまり平穏とは言えませんが。

 ですから聖女様にはこの国を、世界を救っていただきたい。それが現国王様の意志であり、この国、いいえ、世界の総意でございます。あなたのような小さな方に勝手なお願いを押し付けるなど本来であれば許されることではございませんが、どうぞ、お力を貸していただいたいのでございます」

 

 紅茶のようで紅茶ではない甘いお茶を飲みながらのニニの話。

 なんだかかなり壮大な話を聞かされた気がしました。そしてこの国の行く末が私にかかっているのだと言われると、改めて責任の重大さを感じます。……私には少し、いいえだいぶ重すぎやしないでしょうか。

 でも、

 

「もちろんです! 全ては家に帰るため、私も協力します」

 

「……聖女様は正直でいらっしゃるのでございますね」

 

「ええ。私、お人好しではありませんので」

 

 ニニに苦笑されましたが、誘拐同然に呼び出されたわけですし全面的に好意的というわけにはいきませんよ?

 まあ、だからと言って見捨てるつもりもありませんが。

 

 ここの世界の人たちは私と全く違う異種族です。

 誰を見ても巨人だらけで、髪の色も目の色もまるで私と違います。でもここの人たちも私と心を通わせることのできる相手だと知ってしまった以上、放置しておくなんてさすがにできませんでしたから。

 

 

「ごちそうさまでした。そういえばお茶会なんてしたのは初めてです。お話を聞かせてくださりありがとうございました」

 

「こちらこそでございます。では聖女様、また明日」

 

 幾許か体力が回復したのを確認すると、私はそっと茶会の席を立ちました。

 ニニが笑顔で私を優しく見送ってくれました。これがあの鬼コーチ……じゃなかった、お師匠様とはとても思えません。

 でもこの国の人々を思ってのこと。そう思うと少しニニを許せるような気がしました。

 

 そんな彼女を振り返りながら私は、明日も聖女修行、もとい苦行に耐え忍ぼうと思ったのです。



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21:私も無双したいです

 聖女修行は、順調に――毎日辛いのは変わりありませんが――続いていました。

 修行開始から十日以上が経過し、魔法の行使にもそれなりに慣れて来た今朝は、なかなかにいい感じで魔法が出せました。全身が白光に包まれ、それを放つと癒しの力になり、傷を少しだけ治すことができたのです。最初のあのダメダメっぷりから考えれば信じられないほどの進歩でした。

 

 それにしても自分が魔法などというわけのわからないものを当たり前のように使う日が来るなんて、夢にも思いませんでした。

 でも今の私ができるのは、少しの治療程度。今の段階ではきっとニニの治癒の力の方が高いに違いありません。

 

「せっかく魔法が使えるなら、無双とかしてみたいんですけどね……」

 

 昔読んだ異世界系の話では、修行などせずにバンバン魔法が使える主人公ばかりだったのですが、どうやらそんなのは私には縁遠い話のようなのですよ。

 現実を突きつけられたような気分ですが、それでも私だって活躍したい。本当に小さな治癒魔法を使えただけでも奇跡なのでしょうがそれでは満足できないのです。

 

 その日の修行の時、ニニにそのことを言ってみました。

 

「格段に強くなる方法とか、ないんですか? 今のじゃしょぼくてとても立派な聖女とは言えないと思うんです」

 

「格段に強くなる方法、でございますか……。段階を踏んでお教えするつもりだったのですが、よろしいのですね?」

 

 はい、と私が頷くと、ニニは微笑み、

 

「では敵を祓う術をお教えいたしましょう。この小型魔物を使って」

 

 手のひらの上に乗せた小型魔物――見るからに凶暴な紫色のウサギを私の目の前へ持って来ました。

 

「うわっ」

 

 何なんですかこのウサギ。いつの間に出して来たんですか。というよりこのウサギ、何に使うんです!?

 心の中で疑問を叫ぶ私にニニは説明してくれます。

 

「これは騎士団の練習によく使われる魔物の一種でございます。牙が鋭く食欲が激しいですが、騎士団によって調教され制御されているので、わたしたち人族を襲ったりはいたしませんのでどうぞご安心を。

 この魔物に魔法を放ち、邪の気を祓うことで完全消滅させること。それがこれからの聖女様の課題といたしましょう。それと同時に治癒の魔法も強力なものにしたいのでしたら、現在行使されている魔法の一つ上級のものをお教えいたします。かなり過酷にはなると思いますが、聖女様ならきっとできます」

 

 ……。

 この魔物と戦うんですね。うん。正直言って怖いです。今にも噛みつかれそうですもの……。

 無双したいなどと言い出した先ほどの自分を強く恨みました。さらに修行がハードになったじゃないですか。こんな毒々しいウサギを倒さなくてはいけない上、しかも治癒魔法の方の訓練も厳しくなるなんて。

 でもきっとこの修行に耐え抜いたらきっと立派な聖女になっているのでしょう。自分の失言を悔やみながらも私は、頑張れば早く帰れると自分に言い聞かせました。

 

 ――その日からたっぷりしごかれ、魂の抜けた抜け殻になったのは言うまでもありません。

 制御されていると言っていたはずのウサギはなぜか私を見るなり目の色を変えて噛みつかれましたし、魔物を祓う聖魔法を覚えるのもそれはそれは大変でした。ようやくウサギを倒した頃には全身ボロボロになってしまっていて、ニニの魔法がなければ死んでいたところだったそう。

 その一方で上位版治癒魔法である『ヒール』を教えてもらいましたが、その都度体力を使いすぎてその度倒れてしまう始末。我ながらなんとも情けない話です。

 

 やはり物語などと違って現実には無双の道はかなり遠いようです……。



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22:光の騎士からの試練①

 過酷な訓練を積み重ね、何日目になったでしょう。

 もう数えるのも嫌になってしまいました。後から思ったのですが、日記とかつけていれば良かったです。もう今が何日なのかわからないので手遅れなんですけどね。

 

 ともかく、そんなある日のこと。

 私がもはや歩き慣れた道のりを進んで薔薇の咲き乱れる庭園へ向かうと、そこにはいつも通り長身の騎士ことニニが待っていました。

 

「聖女様、おはようございます。今日は心地の良い朝でございますね」

 

「そうですね」

 

 ここ数日、雨が降っていたので訓練は闘技場という今は使われなくなった施設で行うことになっていましたが、狭いので魔法を失敗すると壁に穴を開けまくって大変でした。

 ちなみに異世界にも雨が降るのかと驚いたりしたのですが、それはさておき。

 

「今日もよろしくお願いします」

 

 頭を下げると、ニニはしばらく沈黙した後薄い笑みを浮かべて、

 

「聖女様。本日は訓練はやめにいたしましょう」

 

 と、予想外のことを言ったのです。

 

「え。それってどういうことですか。もしかして……私、立派な聖女として認められたとか!?」

 

「気が早いでございますよ、聖女様。わたしの目からして聖女様の動きはかなり洗練されて来ました。しかしそう簡単には立派な聖女として認めるわけには参りません。ので、わたしから試練を課し、それに乗り越えられた場合のみ認めて差し上げましょう」

 

 ようやくこの苦行が終わるのかと一瞬目を輝かせた私は、ニニの言葉を聞いて固まりました。

 

「もし、突破できなかったらどうなるんですか?」

 

「今よりさらに厳しい修行が必要でございますね」

 

「――!」

 

 それって失敗したら地獄じゃないですか!

 でも同時に突破さえできれば聖女修行が終わるということ。もうウサギに齧られたり体に魔力を強制的に流し混まれたり魔力不足とやらでぶっ倒れたりせずとも良くなるのです。

 私はしばし悩んだ後、頷きました。

 

「やってみます。ニニの試練。それをクリアさえすればいいんですよね。大丈夫。大丈夫です、多分。大丈夫ですよね?」

 

 後半自信がなくなって来ましたが、それでもやってやろうと拳を固めます。

 ニニは「それでこそ聖女様でございます」と私に尊敬の目すら向け、準備に取り掛かるということでどこかへ行ってしまいました。

 

 試練というものが一体どんなものなのか。私はそれに耐え切れるのか。

 わかりませんがいつものごとくやってみるしかありません。失敗したら……それまでです。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「わたし一人では公正な判断とは言えませんので、我が騎士団の騎士たちをお呼びいたしました」

 

 帰って来たニニが引き連れていたのは、おそらく百人以上と思える騎士の方々。

 あの……公正な判断とやらにこれだけの数が必要なのでしょうか。騎士様たちにもお仕事があるのでは? 私はそう思いましたが、口には出さずにおきました。

 

 私を見た瞬間、男の騎士の半数以上から好色の視線が飛んで来ました。ですよねー。こんな格好をしていたら誰でも見たくなってしまいますよね。

 

「聖女様、大丈夫でございますか? お顔が真っ赤でございますよ」

 

「だ、大丈夫です。あはは」

 

 本当は大丈夫じゃありません。最高に恥ずかしいです。

 ニニは心配げな顔をしながらも「なら良いのでございますが」と流し、本題に入ってくれました。

 

「では早速、わたしから聖女様への試練を行おうと思います。審査員はスピダパム王国騎士団所属の騎士。――では、第一の試練でございます」

 

「――」

 

「この小型魔物百匹の浄化と討伐。全て消滅させた時点で試練のクリアといたします」

 

 ニニの声と一緒に現れたのは、信じられないほどたくさんの紫ウサギたち。

 私に恨みでもあるのか何なのか、この子たちったら私を見た瞬間にそれまでおとなしかったのが猛獣に変わるんですよ。ニニ曰く、『聖女様は聖なる力が強うございますから、邪悪な者としては消し去りたい存在なのでございましょう』とのこと。消し去らないでほしいんですけどね。むしろ邪悪な者は逃げたくなるんじゃないかと思うんですが。

 まあ、そんなわけで例によってウサギたちは目を真っ赤に染めて敵意満々です。……これだけの数を私一人で相手するなんて、無茶にもほどがあるんですが。

 

「これより、第一の試練、開始!!!」

 

 ――紫色のウサギが私めがけて一斉に飛びかかり、牙を向けて来ます。

 ニニたち騎士が庭園の外側で見守る中、一人中央に取り残された私は彼らの格好の餌食。しかし逃げ出したら終わりなので対決するしかありません。

 

 私は悲鳴を上げながら魔力を発動させました。



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23:光の騎士からの試練②

「来ないで来ないで来ないで!!!」

 

 めちゃくちゃに叫びながら、全身からぽわんとした柔らかい白光を放ちました。

 これはニニから教えてもらった破邪の魔法。「聖女特有の魔法で、これを浴びた魔物は全て死滅するのでございます」だそうです。

 

 そしてニニの言葉の通り、白光に包まれた瞬間、紫のウサギの影が一斉に消えました。あれほど元気いっぱいに私を狙っていた魔物たちは一瞬にして光の粒子となって消えていきます。

 

 けれど知性のないウサギたちはいくら仲間が死んだところで攻撃を止めようとしません。

 次々と飛びかかってくるウサギの群れに、私は脇目も振らず破邪の魔法を放ち続けました。

 

 ――でもこれってかなりまずい状況なんですよね。

 

 ニニ曰く、試練は三つ。だというのに私は、魔法を節約せず行使し続けているのです。

 魔法を使うには魔力が必要で、魔力切れを起こしたらそこで終わりです。きっと魔法なしでは後二つの試練は乗り越えられないでしょう。だというのにあまりにもウサギたちが激しすぎて魔法の手を緩めることができません。

 

 私の魔力量は多いそうなのですが、体力がついていかずに倒れてしまう可能性もあるらしく。

 つまりこの戦い、早く済ませるに越したことはないのでした。

 

 いくら魔法があれば大丈夫だと知っていても、目をギラギラさせた魔物たちを前にして私の足は思わずすくんでしまいます。

 しかし、待っているだけではいけません。私は聖魔法の力を一段階上げて、勇気を出して叫びました。

 

「ブレイキング・イーヴィル!」

 

 ……破邪という意味らしいです。技名を叫ぶのはお決まり展開ですが、実際やってみるとなんというか、恥ずかしくて顔から火が出そう。これを余裕でやれる人がもしいるとすれば尊敬してしまいますね。

 詠唱した瞬間、一気に先ほどの比にならない眩い光が溢れ出し、私は思わず目を閉じました。

 

「はぁっ……はぁ、はぁっ……!」

 

 そして光が収まり、目を開けると――。

 そこには先ほどまであれほどたくさんいたはずの魔物の姿は、どこにも見当たりませんでした。いつも通りの庭園が広がっているだけです。

 つまり、

 

「ただ今の試練、聖女様の突破により、終了でございます」

 

 ニニの宣言が高らかに響き渡りました。

 ああ、一応、これで第一関門クリアですね……。けれど安心してはいられません。なんたって、試練は残り二つなのですから。

 まだ三分の一かぁ。立っているのもやっとなんですけどね。

 

 そんなことを内心でぼやいているうちに、早速、次の試練の幕開けがなされようとしています。

 

「――では早速、続いての試練の内容をご説明いたします。来たる厄災に備え、聖女様のお力を試すものでございます。

 奇跡を起こし、傷を癒すこと。これが聖女様のお役目でございます。そこで、」

 

 ニニは他の騎士たちに指示を下し、どこからか無数の担架を持って来させました。

 担架には布がかぶせられていましたが、おそらく怪我人が寝かせられているのだろうと思いました。

 

「この方々を残らず治療することを第二の試練といたします。制限時間は正午になるまででございます。では……始め!」

 

 布がパッと取り払われた瞬間、私は思わず「うぇ」と声を漏らしてしまっていました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 リアルで血を見るとこんなに気分が悪くなるものなのですね。

 あまりにも自分の肝っ玉を甘く見ていた私は、その怪我人たちを前に嘔吐しそうになっています。

 

 私が治療することを課せられた怪我人たちは、おそらく五十人ほどでしょうか。

 腹を切られたり、腕がなかったり、頬が割れていて傷口からひどく膿んで腫れ上がっていたり……。場合によっては腰から下がないなんていう人もいて、この上なく凄惨な状況でした。

 

 これは全て魔物の被害者。近年になってスピだパム王国の各地に現れるようになったという大型の魔物は、こうして多くの人に被害を与えたといいます。

 とりあえず死なない程度にニニが治療したらしいですが、それでもこの状況。傷が塞がらずに血が流れ続けているのです。

 

 ――これを治すのが、私の役目。

 

 またも突きつけられる無茶ぶりに目を回しそうになりながら、私は、恐る恐る怪我人へと近づいて行ったのでした。

 

 

 



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24:光の騎士からの試練③

 第二の試練は、とにかく自分との戦いでした。

 医者でもない私が、これほどの大怪我の人を癒す。当然私なんかが血に対して耐性があるわけがなく、今にも吐きそうになりながら、それでもグッと我慢して怪我人の体に触れます。

 

 ――冷たい。

 

 魔物被害者だからなのか、王妃様の時と同じような感覚でした。いいえ、こちらの方がもっとひどいかも知れません。

 何しろ魔物に噛まれただけでなく、足や腕を失っていたりする人もいるくらいなのですから。

 

 私の浄化と治癒の力は、少しでも彼らの役に立つことはできるのでしょうか。

 私は大きく深呼吸をして、それから意を決して治癒を始めました。

 

「ヒール」

 

 ぽわんと温かな光が私の体から溢れ、それが怪我人の肌を優しく照らします。

 そのまま光を巨大化させ、青白い肌を包み込むようにして癒しの力を流し込みました。

 

 練習次第では魔法もこんなに簡単に使えるようになるのですね。王妃様の時を思い出しながら、私は自分で少し驚いてしまいます。まあ、あれほど厳しい修行の後ではこれくらい当然かも知れませんが。

 ……そんなことを考えていると魔法が乱れますね。集中集中。

 

「うっ……うぅ」

 

「大丈夫。大丈夫ですから」

 

 呻く怪我人に、私は優しい声音で笑いかけました。

 本当は私、すごく怖くて仕方がないのですけどね。でもそんなのは内緒です。

 

 そのうち、怪我人の青白かった肌が少し色味を帯びて。

 氷のようだった体温も元通りになり、魔物に噛みつかれた部分もどす黒いものから正常な色に戻っていきました。

 

 後はタオルで血を拭き取れば終わりです。もう血は出ていませんでした。

 

「一人目の治療……終わりましたっ」

 

 とはいえこれはほんのまだ序の口。

 後何十人もを、今のようにして治して回らなければならないのです。

 

 私が倒れる方が先か、治し終わる方が先か。

 そんな思いで次の患者の方へ歩いて行きました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ――結果から言えば、第二の試練はクリアしました。

 あれほどいた怪我人を全て治し、彼らを癒し切ったのです。

 

 今にも倒れそうなヘトヘト具合。視界がぐらんぐらんします。

 

 聖女という仕事はブラックです。ブラックでしかありません。

 こんなに過酷な仕事があるでしょうか? 精神的にも肉体的にもダメージが大きい。お医者様は本当にすごいのだと改めて思いました。しかも自分の体力を使って人を癒す異世界の医師であるところの聖女というのはさらに労働的に厳しく、私のような人間に簡単にできるものではありませんでした。

 

 それでも、ふらふらな足で立ち、私は第三の試練に臨みます。

 ニニが最終試練の内容を告げました。

 

「最後の試練の内容をご説明いたします。来たる厄災に立ち向かうべく聖女様の力――戦力を試すものでございます。厄災が何であるかがわからない以上、戦力を兼ね備えておく必要があるからでございます。

 わたし、ニニ・リヒトとの素手での対戦。これに聖女様が勝たれた場合、全ての試練クリアとなります」

 

 ――あはは。そりゃ、いくら何でも無理ですよ。

 私はどこかぼんやりとした頭でそう考えながら、庭園の中央へやって来るニニを見つめました。

 

 今にも倒れそうな私と、全身ピンピンな上に修行を積んだ年数が違うであろうニニ。

 普通に考えて私に勝ち目などありません。が、試練は、彼女に勝てと私に強いるのです。

 

「――では、第三の試練を開始いたします」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「聖女様、お覚悟――!」

 

 叫びながら騎士剣を持たずに素手で飛びかかって来るニニを、私はただ、全力の魔力を放って弾き返しただけです。

 別に何を考えたわけでもありませんでした。ただ、やらなければと思った、それだけのこと。

 

 気づいたらあたりが白い光に包まれていて、その向こうでニニが驚いた顔で固まっているのが見えました。

 一体それが何を意味するのか、私には理解する余裕もありませんでした。ガタリと膝から地面に崩れ落ち、地面に横たわって白い白い真っ白な景色を見つめます。

 

 これが聖魔法の光。なんて温かなのでしょう。春の日差しのように心地よく、眠たくなってしまいます。

 遠くでニニの悲鳴とその他大勢の歓声が聞こえましたが、もうそちらに顔を向けることすらできません。そっと目を閉じ、光に身を預けながら、私の意識は闇に沈んでいきました。

 

 

 

 ――この時私が勝利したということを知ったのは、それから三日後のことです。



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25:へっぽこ聖女の誕生

 ニニからの試練の後、私の意識が戻ったのはたっぷり三日が過ぎてからのことでした。

 

 数日と経っていないのにまた倒れてしまうだなんて……。しかも三日も意識不明だったとは、私、体力なさすぎじゃありませんか?

 でもまあ、アレほどの過酷労働をしたのだから仕方ありませんね。約百匹を相手にして、五十人ほどの大怪我をした人々を癒し、それからニニを打ち負かせだなんて無茶ぶりにもほどがありましたから。

 

「そ、そういえば私、試練にクリアしたんですか……?」

 

 見舞いに来てくれたニニに私が尋ねると、彼女は静かに頷き、

 

「もちろんでございます。聖女様は確かにわたしを圧倒し、立派な聖女として認められたのでございます」

 

 私が勝ったのだという事実をはっきりと教えてくれました。

 どうやらニニと私の対戦が始まった直後、素手で攻撃してきたニニに向かって私は聖魔法の、それも最大級の威力の結界を張ったらしいです。

 結界はあの庭園中に広がり、ニニを吹っ飛ばしたようで、これで私の勝ちとなったのだとか。その時にはすでに私は気を失っていたのですが……。

 

 いまいち実感のない勝利ですけど、これでもうニニの厳しい修行は受けなくてもいいということですよね。それだけで私がこの勝負に挑んだ甲斐があったと思えました。

 

「本当にお疲れ様でございました聖女様。厳しい訓練に耐えられたあなた様ならきっと、これからのどんな苦難にも立ち向かえることでございましょう」

 

「……そう、ですね。こちらこそありがとうございました」

 

 この程度でぶっ倒れている人間がこれからあるかも知れない謎の苦難とやらに本当に太刀打ちできるかはわかりませんが。

 せっかく勝ったことですし、今は細かいことは気にしないことにしましょう。

 

 今この瞬間から私は本物の聖女として認められたということなのですよね。

 こんなへっぽこに聖女という役割が務まるのかどうか。それは私にはわかりません。ただ、何とも言えない使命感のようなものが背中にのしかかってきたように感じられたのでした。

 

「――さて。では長居しても聖女様のご負担になりますからわたしはこれにて失礼いたします。ではまた」

 

「はい」

 

 ではまた、ということは後日に何かあるのでしょうか。気になりますが我慢我慢。

 とりあえずせっかくフリーになったことですし、のんびりでもしますか。でものんびりすると言ってもこちらの世界にはゲームだの漫画だの娯楽系のものが一切ないのですよね……。いつもは次の修行の際にどうやって上達してニニを見返してやるかの思考に沈んでいたのですが、もうその必要もありませんし。

 

 と、早速暇を持て余していた時のこと。

 

「『裸の聖女』! 気がついたって本当なのかしら!?」

 

 そんな風に喚きながら、勝手に私の部屋へ飛び込んで来た人影がありました。

 赤毛にエメラルドのような瞳の可憐なその少女は、言うまでもなく王女様でした。ずいぶんと騒がしい入室ですね。私、起きてからまだ三十分も経っていないんですけど配慮とかはないのでしょうか。

 

「……王女様、『裸の聖女』って呼ぶのやめてくれませんか? 恥ずかしいんですが」

 

「事実だから仕方ないでしょうが! ……わたくしに反論できるくらいなのだもの、すっかり回復したようね。こちらがどれだけ迷惑したかも知らないでいいご身分だわ!」

 

「つまり王女様は私の心配をしてくださったんですね?」

 

「心配なんかしてないわよバーカ!」

 

 王女様は相変わらず元気で、と同時に配慮という観念が欠如しているようです。まだ十歳だから仕方がないのでしょうか……。

 でもしばらくギャアギャア騒いでいると、私も少しずつ調子が戻って来ました。まだ身体中が重い感じがしますがある程度なら動けそうなので、ベッドから立ってみることにします。

 

「立てました。ニニは魔力がどうだか言っていましたが、そこまで問題なさそうですね」

 

「ふーん。あれほどの魔力を使って三日で体力が戻るとは、まあ、その……珍しい人間ね?」

 

「魔力という観念が正直よくわからないのであれですけど、私が異世界の人間だからなんでしょうか。でもできるだけ魔法は使いたくないです。疲れますから」

 

「聖女のくせに怠惰なこと」

 

 ……私は聖女である以前に一人のか弱い女の子なので。

 そう言おうと思いましたが、この世界での私の存在価値が聖女である以上、ただの少女でいられないのも事実。私は言葉をグッと飲み込みました。

 

「それで、王女様は私の様子を見に来てくれただけですか? 何か急いでいたご様子でしたけど」

 

「あっ、そうだったわ! 『裸の聖女』、正式な聖女に選ばれたのならとっとと母様の傷を治しなさい! これは王女の命令よ」

 

「私さっきも言いましたけどできるだけ魔法は……」

 

「いいから来なさい!」

 

 そう言うなり王女様は私の腕をがっしりと掴み、勢いよく部屋の外へ駆け出してしまいます。

 そうすると当然私はついていかざるを得ないわけで、床を引きずられるようにして彼女の後を追うことになりました。

 

 ――これ、寝起きの人間にする仕打ちじゃないと思うんですが。この国の人たちは揃いも揃って私を過労死させる気なんですかね?

 そんなツッコミすら口から出ないまま、私は王妃様のいるという場所へ連れて行かれたのでした。



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26:王妃様の傷を癒してみせます

「母様、『裸の聖女』を連れて来たわ」

 

 王女様に引っ張られやって来たのは王妃様のお部屋。

 豪華な金銀の装飾に彩られた扉の向こうに王女様が呼びかけると、すぐに扉が開いて王妃様が出て来ました。

 

 王妃様は相変わらずの病的な色白さで、あの魔獣に噛まれた傷が未だ治っていないことが一目でわかりました。ニニの話によると魔獣の毒はその者の生気を奪うのだそうです。だから体温も氷のように冷え込むのだとか。

 こうしてまじまじと見ていると、生きているのが不思議なくらいに生気が感じられないのがわかりました。

 

「――レーナ。ニニに先ほど聖女様が目覚めたと聞きましたわ。お疲れの聖女様をここに連れて来るだなんていけないではないですか」

 

「ふ、ふん。こんなへっぽこ聖女に気遣う必要なんてないわ、母様」

 

「へっぽこなどと言うものではありません」

 

「むぅ」

 

 出会って早速叱られた王女様は頬を膨らませてわかりやすくむくれてしまいました。こうしているとかなり幼い子供のようで可愛らしく見えます。……と、思っていたら睨まれました。怖い怖い。

 

「レーナは本当に仕方のない子なんですから。聖女様、娘が申し訳ございませんわ」

 

「は、はい……。私は別に大丈夫です。一応」

 

 まだ息切れはしていますが。

 そんな私は当然のように心配されることはなく、ふくれっ面の王女様が言いました。

 

「『裸の聖女』。ニニに認められたんでしょう? さあ、早く母様の傷を治して差し上げなさい」

 

「はい。王妃様、できるかはわかりませんが私にもう一度やらせてください」

 

 異世界召喚された翌日のあの失態を取り返そうと心に決めて、私は王妃様に頭を下げました。

 王妃様は「大丈夫ですの?」と不安げでしたが、今にも死んでしまいそうな王妃様を見れば私も放っておく気にはなれません。力一杯頷いて見せました。

 

「わかりましたわ。聖女様の優しさに心から感謝いたします。ではどうぞわたくしのお部屋へ入っていらして」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 王妃様のお部屋は部屋一つで広めのリビングくらいはあると思えるほどの立派な部屋でした。今更ですが王族凄すぎます。しかも寝室と個室が別々にあるというのですからさらに贅沢ですね。あ、ちなみに今招かれているお部屋は個室の方なんだそう。寝室は国王様との相部屋らしいです。

 

 ……と、そんなことはともかく、私は早速王妃様の治療を始めることにしました。

 ドレスの袖をたくし上げてもらうと、以前と変わらぬ、いいえ、もっとひどく黒ずんだ傷跡が剥き出しになります。k軽く手で触れると、氷を軽く通り越しているのではないかと思えるほどに冷え切っています。

 

 ――これを今度こそ治してみせる。それが聖女としての役目です。

 

 私は聖女認定試験――勝手にそう呼んでいます――の第二の試練の時を思い出しながら、深く深呼吸をして、正魔法の力を高めます。

 そして白い光を全身から放出しました。

 

「ヒール」

 

 すると部屋中に温かな光が広がり、あっという間に満ちていきます。

 王女様が「ひぃっ」と悲鳴を上げているのが聞こえましたが、これは危険な光ではないので大丈夫ですよ、と笑いかけ、さらに王妃様への癒しの力を強くします。

 

 ――前とは格段な違いを手応えとして感じました。それどころか、認定試験の時よりも魔法がより使いやすくなっている気がします。もしかすると体力切れで倒れる度に体が慣れてくるのかも知れませんね。

 そして光が徐々に収まって来た頃には、先ほどまでは確かに王妃様の二の腕にあり、存在を主張していたはずの黒いアザのような魔獣の噛み跡はすっかり消えてしまっていたのでした。

 

「……すごいですわ」

 

 王妃様が驚いた顔でそう言いました。見ると、あれほど青白かった彼女の顔色が少し良くなったような気がします。聖魔法、確かにすごい。

 

「はぁ、はぁ……。そう、ですか。ありがとう、ございます……」

 

 いくら慣れて来たとはいえやはり魔法を行使するにはそれなりの体力がいるらしく、ますます息切れしてしまいます。

 でも王妃様が笑顔を見せてくれたのでそれで良しとしましょう。これであの時のリベンジはできたはずですから。

 

「母様! 本当に治ったの!?」

 

「ええレーナ。聖女様はやはり予言の通りの素晴らしいお方でしたわ」

 

「……。とにかく母様の病気が治って良かったわ!」

 

 それから王妃様と王女様は、私のことなどそっちのけで抱き合い歓喜していました。

 ああ……仲の良い親娘なのですね。何はともあれ、私がお役に立てたようで本当に良かったです。

 

 異世界で課された私への第一ミッションはこうして無事にクリアしたのでした。

 



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27:王女様から認めてもらえました

「母様のお怪我を治したこと、褒めて遣わすわ」

 

 ――王妃様の治療を成功させ、彼女から何度も感謝されながら部屋を出た後のこと。

 王族、それも王妃というやんごとない身分の人と対面したことと、聖魔法を使ったせいでまたもや疲労している私に、まるで配慮のない大声で王女様がそんなことを言いました。

 

 褒めて遣わすって……と思いつつ、それが彼女なりの最大限の感謝の気持ちなのだろうなと思い直し、私はツッコミを入れるのを寸手のところでやめます。

 隣を歩く王女様の横顔を見ると、とても晴れやかでした。ずっと母親が命の危険にあったのにそれが全快したのですから、きっと嬉しいのでしょう。

 

「私も最初の頃より随分成長したってことですよね」

 

「そうかしら? すぐに倒れるから心配……じゃなくて、迷惑をかけられてばかりなのだけれど?」

 

「まあ、それは言い訳できないです。聖魔法を使うのって、結構しんどいんですよ? グラウンド何周もしたみたいにヘトヘトになりますから」

 

「ぐらうんどが何かはわからないけれど。貴女はそもそもこの世界の人間じゃないのだし、あれだけ使えれば上等なのかも知れないわね。……ま、まあ、わたくしには到底及ばないけれどね」

 

 そう言って胸を張る王女様。ですが彼女が魔法を使っている姿は見たことがないのですが?

 

「異世界人の貴女はきっと知らないでしょうから教えてあげる。実はわたくし、時属性の魔法を使えるのよ! どう? 驚いたでしょう!」

 

「時属性!? つまり、タイムリープしたりできるってことですか!? 初耳なんですけど!」

 

「タイムリープって時間遡行のことよね? おとぎ話にはそんなものもあるけれど、実際の時魔法でそれをするのは無理よ。わたくしができるのはせいぜい時間を停止させたり、鈍化や速度を上げるくらいかしら」

 

 時魔法と聞いてタイムリープを真っ先に思いついて興奮してしまいましたが……でもよくよく考えてみれば時間停止もかなりすごいです。というかそんなものが現実にあるこの異世界って、今更ですがかなりファンタジックな世界ですよね。

 この世界の魔法とやらはそんなものまであるのかと驚く他ありませんでした。

 

「時魔法というのは聖属性と氷属性と並び立つほどで、神の祝福とも呼ばれる非常に珍しい属性なの。その三属性を持つ者を見るのはわたくし、貴女が初めてよ」

 

「へぇ、なるほど。つまりその珍しい属性持ちだから王女様は私に親近感が湧いたということですか。道理で仲良くしてくださると思いました」

 

「別に親しくなんてしてないわ! たまたま傍に置いてやっているだけよ。少し甘やかしたらつけあがるんだから。本当に貴女は聖女とは思えない悪い女ね!」

 

 これが仲が良い以外の何だというのでしょう。私は少なくともこの世界に来てから一番親しくできたのはこの王女様だと思っています。一緒にいて会話するとすぐにこうして大きなリアクションが返って来るので面白いですしね。

 王女様の方だって私を遠ざけないところを見ると、きっとまんざらじゃないんだとと思います。

 

「…………。と、ともあれ、貴女の功績は認めるわ。これからもせいぜいこのスピダパム王国のために精進なさい」

 

「わかりました。できるだけ頑張りますね」

 

 もちろん、私が頑張る理由は家に帰るためだけなんですけどね。それでこの国に住む人たちも助かるなら一石二鳥というものです。

 これでニニにも王女様にも、立派な聖女として認められたようです。これからますます大変なことに巻き込まれる気がしてなりませんが、それには耐えるしかないでしょう。

 聖女として活躍し、この国に降りかかる災厄とやらを早く退けて役目を果たしてしまうのが一番なのですから。



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28:異世界は不便だらけ

 修行を終えてゆっくり過ごす日々。

 と言っても王女様やその弟の王子様にまで振り回されたりして大変なのですけど、それでも久々に心と体を休めるいい機会です。私はそれを満喫するつもりでした。

 

 しかしそんな余裕ができたからこそ、気になってしまうことというのもあって。

 

「私、この世界には色々と問題と思うんです」

 

 ある日、私の部屋へいつも通りに上がり込んで来ている王女様に、私は言いました。

 きょとんとする彼女らに向かって声を大にしたいことがあるのです。

 

「第一に、鍵がない! 王城なのに! 誰でも無断で部屋に入り放題じゃないですか!」

 

「カギ? 急に何のことよ?」

 

 首を傾げる王女様。しかし私は彼女を無視して続けます。

 

「第二に娯楽が何もない! 小説も漫画もテレビも映画も……。スマホすらもない……」

 

 これはかなり痛手。

 この世界の文明はまだそこまで進んでいないのか電子機器は一切なく、何も娯楽がありません。こんな生活をどうやって現代日本で暮らしていた女子高生に耐えろというのでしょう。不便。不便すぎる。

 

 でもこんなことは私にとって些細なことに過ぎません。

 私が最もこの世界に対して不満な事柄があるとすれば、それは――。

 

「……ここ、お風呂、ありませんよね!?」

 

 そう。そうなのです。

 この世界に来てからというもの、私は一度も入浴したことがありませんでした。日々の修練に疲れ果てていて今までずっと気にならなかったのですが、こうしてのんびり過ごすようになると真っ先に気になるのがお風呂です。

 メイドさんたちがしっかり身体中を拭いてくれるので衛生的には問題ありませんが、やはりお風呂でゆっくりしたいところ。しかしこの世界にはお風呂という風習自体がどこを探しても見当たらないのです。

 

「わざわざ大声で言わなくてもいいわ。それに、そんな下等なもの、いらないに決まってるじゃない」

 

「か、下等なものって! お風呂は心身共に温めてくれる癒しアイテムなんですよ!?」

 

「そんなわけないでしょうが。平民が使う薄汚れた水浴び場だって、しっかり勉強で習ったんだから。……ああ、そうね。確かあなた元々異世界の平民だったわ。だから泥水に入りたいのね。やめときなさい、そんなものに入ったら聖魔法が鈍るわ」

 

「いや別に私、泥水に入りたいわけじゃないんですけど……。私の世界とこの世界のお風呂の認識、なんだか違ってません?」

 

 それから詳しく話を聞いてみると、この世界のお風呂は基本川の水を溜めて入るらしいのですが、何しろ雑菌だらけですからあまり体に良くないのだとか。従って、入浴というのはあくまでも貧乏な平民の風習で、清潔な王族貴族は蒸しタオルで体を拭くのが常識なんだそうです。

 

 確かに文明レベルを考えて、それは普通のことなのかも知れません。元の世界でも国によっては衛生状況が良くないどころか水がないという話さえありましたし。

 納得はしました。でも、これ以上お風呂のない生活には耐えられないでしょう。そこで私はふといい案を思いつきました。

 

「実は私が暮らしていた世界では、汚い水を綺麗にする仕組みがあるんです。それや聖魔法をうまく利用して、この王城にお風呂を作ってみませんか?」

 

「なんでわざわざ」

 

「お風呂に入った方がきっと聖女の力が向上すると思うんです!」

 

 ――多分そんなわけはないのでしょうけど、その方がスッキリしますからね。

 

 聖女の力の話を出すと、王女様はしばらく考え込んだ後、「なら仕方ないわね」と頷いてくれました。

 第一と第二の問題はともかく、このお風呂問題はなんとか改善することができそうです。いくら家に帰るためとはいえしばらくこの異世界で暮らす以上、過ごしやすいように生活環境を整えておくのは大事なことですよね。同時にこの国のためにもなるのですから、これも聖女の仕事の一つ! 決してサボっているわけじゃありませんよ!

 

 ということで私と王女様は早速、お風呂作り計画を開始するべく相談を始めたのでした。



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29:お風呂作り

「お風呂に必要なのはまず水ですよね。それから浴槽、タオル、石鹸……。石鹸は色々道具が必要でしょうから、悔しいですが今回は諦めましょうか。他には……」

 

「どうせならわたくしが入るのに相応しい華やかなものにしたいわ。『裸の聖女』、なんとか考えなさい」

 

「華やかなお風呂ですか? じゃあ、色付きの入浴剤とかバスオイルとか。これも作るのが大変そうですけど」

 

 私の快適な異世界生活のため、私と王女様はまずお風呂に必要なものを作ったり集めたりすることになりました。

 タオルはこの世界でも普通に使われているようなのですぐに手に入るでしょう。ですからまずは、

 

「浴槽から作りましょう。……でもどうやって作るんでしょうか」

 

 プラスチックなどの使い勝手がいい素材がないらしいので、木材で作るしかありません。小さな木材をつぎはぎしただけでは水が漏れてしまいそうですから、大きなものを削って浴槽にするのが一番でしょう。素材はクワの木が水に強いと聞いたことがあります。

 ……が、問題はクワやそれに似た植物がこの世界に存在するかどうか。少なくとも草花があるのは庭園で確認済みですが、ここへ来てからというもの大きな木を見たことがありません。もしもあったとして、それをうまく削ることができるかどうかも自信がありませんでした。

 

 でも、そんな心配は『お風呂に入ってリラックスしたい!』という私の欲望の前にはあっさり負けてしまいました。

 自分でできるかどうかわからない時。こんな時は人任せに限ります。

 

「よーし。とりあえずはニニのところに行きましょう! ニニならきっと色々知っているはずです!」

 

「えっ、ニニに!?」王女様は明らかに嫌そうな顔をしました。「わたくし、ちょっと……」

 

「別に今日は地獄の修行を受けに行くわけではないですから大丈夫ですよ。それに、何かをやる時は大人の知恵も大事でしょう?」

 

 ――まあ、ニニは二十歳と聞きましたしこの世界の成人が何歳なのかは不明ですけど、そんなことは些細な問題です。

 

「……仕方ないわね。貴女だけじゃ頼りないからわたくしが同行してやるわ」

 

「ありがとうございます」

 

 そんなわけで、ニニがいるであろう騎士団の駐留場へ二人で向かいました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「お風呂、でございますか。身体を清潔に保っておくことは確かに大切なことでございますね。聖女様の世界ではそのような文化が」

 

「文化と言いますか。中世時代からあるそうですし、この世界の文化レベルを見るとないのが不思議なくらいですけど」

 

 汚らしいイメージがある中世時代ですが、家に浴槽はなかったものの、実は風呂屋という店に通って庶民でもお風呂に入っていたりしていたそうです。歴史に詳しかったクラスメートの受け売りですが。

 それはともかく、

 

「浴槽というのを作ろうと思っているんですが適当な木があるかどうかわからなくて。太くて水に強そうな植物、ありませんか?」

 

「木……でございますか。王都周辺にはございませんが、わたしの出身の町ではよく見かけておりました。懐かしいものでございますね。

 水に強い木と言えば、模擬戦の際に使われる木剣の素材が適当かと思われます。木剣の生産地をあたってその木材を取り寄せることも可能でございますよ」

 

「本当ですか! じゃあ、よろしくお願いします」

 

 意外なことにすぐにいい返事がもらえました。これは大きな収穫です。

 

「光の騎士、浴槽には華やかな装飾が欲しいから金銀の飾り付けを同時に用意なさい。わたくしも入るのだからそれに相応しいものにしないといけないわ」

 

「了解いたしました、レーナ殿下。王族貴族の方々にとっては汚い印象のあるお風呂に殿下が入られるのは意外でございますが。聖女様に説き伏せられたのでございますか?」

 

「と、説き伏せられたですって!? 不敬な物言いはやめなさい。首を刎ねるわよ!」

 

「首を刎ねるって暴君のセリフですからやめてくださいね王女様」

 

 そんな風に言い合いつつ、ニニにはそれ以外にも必要なもの……入浴剤やバスオイルなどの作り方についてもいい案を出してくれました。やはりニニは頼りになりますね。

 数日後には木材が届くだろうとのこと。私たちはその間、入浴剤などを作っておかないといけません。

 

「王女様、手伝ってください。私は紫粉を集めておきますから、王女様は香水と油を探しに行ってください」

 

「……貴女は人使いが荒いわね。もしも聖女じゃなければ不敬罪に問われるところよ」

 

 ぶつくさ文句を言いつつきちんと協力してくれる王女様。

 私はニニにお礼を言うと早速、入浴剤の原料――紫粉と呼ばれる着色料を入手するべく動き出したのです。

 



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30:宮廷料理人の協力

 私と王女様は手分けして紫粉と香水を入手することに成功しました。

 

 そこから入浴剤とバスオイルを作ります。現代的なものがないのでなかなかに苦戦しましたが、水に溶かしたりして工夫し、何度も失敗しつつ数日がかりで完成させました。

 

「香り高く見た目も美しい……! 可憐で高貴なわたくしにぴったりだわ!」

 

「自分で可憐とか高貴とか言えてしまうことにドン引きなのですが……」

 

「何か言ったかしら?」

 

「言ってません」

 

 そんなこんなしているうちにまもなくニニが発注してくれた大きな木材が届きました。

 木材というよりはとんでもなくでかい丸太です。確かにこれをうまく削ることができれば浴槽が簡単に作れるでしょう。

 

「どうやって削ります?」

 

「聖魔法はそういうことに向かないし、わたくしの時魔法もいまいちなのよね。悔しいけれどこれまたニニにやらせるしかないわ」

 

「ニニって結構有名な騎士様なんですよね? お忙しいんじゃ……」

 

「いいのよあんな平民風情。こき使ってやらないと勿体無いでしょう」

 

 こんなことまで頼んでしまっては悪い気がしてなりませんが、他の手も思いつかないのでニニに申し訳なく思いつつ私は頷きます。

 

 それから再びニニの元へ赴くと、彼女は「聖女様のためなら」と意外にも快く私たちのお願いを受け入れてくれました。そしてなんとその場で剣を抜いて木材を真っ二つにしてしまい、浴槽を作り始めてしまいました。

 

「す、すごい……。ニニって何でもできるんですね」

 

「何でもできるというわけではございませんよ。少し魔法の才と縁に恵まれただけの、ただの平民でございますから。聖女様はわたしを買い被りすぎかと」

 

 その割には喋りながらあっという間に木材を風呂桶の形に変えているのですが……。それも私の知る浴槽とほぼ同じです。簡単に形状を話しただけなのに、すごすぎやしませんかね。

 それはさておき、ありがたく浴槽を受け取れば、これでいよいよお風呂に必要なものが揃いました。

 後は事前に用意していた、洗濯で使う水を聖魔法の力で浄化した聖水を浴槽に満たせば完成……。

 

「ってちょっと待ってください。大事なことを忘れていました!」

 

「何よ急に。大事なこと? まさかまた手をベタベタにして何か作らせようという気じゃないでしょうね?」

 

 バスオイル制作の時に手を油まみれにしたのが王女様の中ではトラウマになっているようです。あれくらい別になんてことないんですけどね。

 ……そうではなく。

 

「お風呂にとって最も欠かせないもの、それは火です!」

 

「火? 水に火を入れたところで消えるに決まってるじゃないの」

 

「わかってませんね。お風呂の水が冷たくてどうするんです。温かいからこそお風呂はリラックスできるんですから!」

 

 力説する私に、王女様は「そ、そうなの……」と一歩後ずさってしまいました。私、実は大のお風呂好きなので、結構こだわってしまうのです。

 

「木の破片はありますけど、手で火を起こすのって大変ですよね。でもこの世界には多分マッチもライターもなさそうですし」

 

 そう言って考え込んでいると、気を取り直したらしい王女様が「何言ってるのよ」とおかしそうに笑い、こんなことを言いました。

 

「火魔法の使い手に頼めば一発じゃないの」

 

「そんな魔法が使える人がいるんですか?」

 

「ええ、もちろんよ。火がなくては料理ができないことくらい、異世界人でもわかるわよね? 宮廷料理人の扱う火魔法は一般的な魔石で起こす火よりずっと精度が高いから、その力を借りるといいわ」

 

 宮廷料理人! そんな人がいるんですね。確かにこの王城ではあれほど美味しい料理が毎日出て来るのですから、専門の職人さんがいて当然ですよね。

 火の魔石というのがあるのも初耳ですが、宮廷料理人さんの魔法はかなりすごいとのことなので、頼ってみる価値はありそうです。

 

「行ってみましょう」

 

「わたくしは疲れたから、一人で行って来なさいよ」

 

「……なら私が一番風呂に入っていいなら」

 

「王族たるわたくしを優先しないだなんて、なんて不敬な奴なのかしら!」

 

「いいから行きますよ」

 

 もはや慣れればこの王女様の扱いなど容易いものです。

 そのまま王城の厨房へ直行し、宮廷料理人さんに会うことになりました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「おぉ! 王女殿下に聖女様ではございませんか! ワタシの料理を褒めに来てくださったのですかな?」

 

 厨房――想像以上に広くて立派です――に入った途端鼓膜を震わせた声に、私は思わず彷徨わせていた視線をその人物へ向けました。

 

 白いコック帽に似たものを被り、エプロンをしたそこそこ背の高い男性。この人が宮廷料理人で間違いないでしょう。

 

「こんにちは。いつも料理、美味しくいただいてます」

 

「そうでしょうそうでしょう!!! ワタシの作るもので失敗作など何一つないのですよ! さあさあ、もっと褒め称えてくださって構いませんよ!」

 

「うるさいわよ料理人。確かに貴方の料理はなかなかだけれど、その態度が気に入らないわ。改善なさいといつも言っているでしょう」

 

「ははは! 照れ隠しとは、王女様もやりますなぁ!」

 

 ……少し話すだけでわかりました。この人、なんかテンションがおかしいです。ぐいぐい来ます。今まで異世界人には数えるほどしか会っていませんが、なんだか変な人の確率多いですよねぇ……。

 でもどうやら悪い人ではなさそうなので安心です。早速本題を切り出すことにしました。

 

「あの、宮廷料理人さんは火魔法が使えるんですよね?」

 

「はい! おそらくスピダパム王国内では最上級と言っていいでしょうなぁ!」

 

「その魔法で少し協力してほしいことがあるんですけど」

 

「いいですとも! ワタシの素晴らしい腕でどんなお悩み事でも解決して見せましょうぞ!」

 

 自信満々ですね……。まだ私、用件も言っていないのですが。

 でもまあ快く引き受けてもらえたので良しとしましょう。私は頭を下げました。

 

「じゃあ、ぜひよろしくお願いします」



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31:裸事件再び!?

 喋り方が奇抜でどうにも馴染めない宮廷料理人さんですが、その腕は本人の言う通り確かでした。

 

 私のすぐ目の前でボワッとものすごい勢いで火を両手に灯して見せたのです。それだけでも驚きだというのに、赤や青、白に黄色とどんな色の炎でも出して見せるのですからそのすごさと言ったらありません。

 そうやって魔法で生み出した炎を薪代わりの木片に焚べ、火力をますます上げていきます。そして浴槽に聖水を溜め、熱すると……。

 

「熱っ!?」

 

 思わず叫んでしまうほど熱々なお風呂が出来上がっていました。

 

「すごいでしょう素晴らしいでしょう最高でしょう! このワタシの見事な炎が途中で消えるなんてことは決してありません! ワタシが常に完全に操っておりますので暴走する心配もなし! 我ながら天才ですなぁ!」

 

「……自画自賛は置いておくとして、これは確かになかなかね。平民が入ると聞く泥水とは大違いだわ。……よく考えればこれを広めたら王家への信頼はさらに大きくなるわね。でかしたわ料理人! これでこの国は安泰よ!」

 

 宮廷料理人さんも王女様もなんか思考がぶっ飛んでいますけど、そんなことはどうでもいいのです。

 とにかく大事なのはこれでやっと念願のお風呂に入れるということ! 異世界召喚後初のお風呂に胸が躍りました。

 

「早速入りましょう!」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいっ。先ほど貴女にきちんとついて行ってやったのだから、わたくしが一番風呂のはずでしょう」

 

「このお風呂にはまだ誰も入っていないんですよ? もしも聖水が人肌に合わなかったりしたら大変じゃないですか。なのでやはり、私が確認のために一番最初に入ることにしました。これは王女様を気遣ってのことです」

 

「絶対嘘よ! 『裸の聖女』、貴女、最高に意地の悪い奴ね! 見損なったわ!」

 

 ギャアギャア喚いて憤慨する王女様ですが、このお風呂の安全性が確かではないのは本当のことですから仕方ありません。まあ、一番風呂に入りたいのが本音なんですけどね。

 ともかくお先に失礼して私から入ることになりました。

 

 私は浴室――と言っても王城の空き部屋の一つを借りただけなのですが――に入り、白いビキニを脱ぎ捨てて、久々のお風呂へと足を踏み入れたのです。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ああ、やっぱりお風呂は癒されます〜」

 

 キラキラと輝く聖水の中に身を沈め、私は入浴を存分に楽しんでいました。

 この聖水が光を放っているのは、聖魔法のおかげ。元々泥などで真っ黒に濁っていた水に軽く浄化の魔法をかけただけでこんな特別な水になってしまったのですから驚きです。

 

 従って薬湯的な効果もあるらしく、聖女修行の後遺症が残っていた全身がスゥッと軽くなったような気がします。聖水すごい。

 しかし、紫色の入浴剤の色が聖水の輝きによってかき消されてしまうかと思いきや、きちんと入浴剤も存在を主張していて光を薄紫に染め上げていました。バスオイルの優雅な香りもあって、なんとも幻想的なお風呂です。

 

「これに入り続けられるなら元の世界に帰らないでもいいかも……いやいやいけませんいけません、家族をこれ以上心配させるわけにはいかないんですから」

 

 今頃両親や弟は、どうしているんでしょうか。

 私を必死で探してくれているかも知れないと想像し、少し胸が痛くなりました。いくら探したって私はあの世界のどこにもいないのです。

 早く戻らなければ。異世界生活に馴染んでしまって薄れかけていた決意を改め、背筋を正した、ちょうどその時でした――。

 

「『裸の聖女』! 遅いわよ、とっととわたくしに譲りなさい!」

 

「ひゃう!?」

 

 お風呂にずかずかと無遠慮な邪魔者(王女様)が入って来たのは。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「うぅ、セクハラですぅ! 私、もうお嫁に行けません……!」

 

「ギャーギャーピーピーうるさいわね。侍女にだって裸を晒してたでしょうが。いい加減機嫌を直しなさいよ」

 

「メイドさんにだって裸は見せてません! 体は自分で拭いてましたから! 王女様、乙女心をズタズタにしておいてその物言いはひどいです! 本当にただじゃおきませんからね!」

 

 私は王女様へ向かって怒鳴っていました。本当なら不敬罪とやらで捕まるらしいですが、この際そんなのは知ったことじゃありません。

 すっかりのリラックスタイムを邪魔されたんです。最低ですよ……!

 

 王女様が突然浴室へ乱入して来て私は大混乱、その間にしげしげと裸を凝視されてしまいました。さらに、「チビなのに意外と胸が大きいじゃないの」だなんていう完全セクハラ発言までされたんです。今時ラノベでもありえないこの展開。いくら同性とはいえ許せません。

 どうして異世界に来てからずっとこんなに裸ばかり見られなきゃいけないんですか。異世界の神様は私の裸がそんなにお好きなんでしょうか。

 

 ショックを受けて部屋で泣き伏せる私に、王女様は謝るどころか「あのお風呂とやらはなかなか良かったわ。でかしたわね『裸の聖女』!」などと言って来ます。彼女の辞書には反省という言葉はありません。

 まるで一気に天国から地獄に落ちたかのような最悪の気分でした。

 

 はぁ……神様がいたら本気で恨みたいです……。

 

 

 

 ――こうして異世界初の入浴式は、再びの裸事件を前にして台無しにされたのでした。



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32:泣き虫聖女と王女様のくだらない勝負

「大体貴女は文句が多すぎなのよ。わたくしへの敬いが足りていないわ!」

 

「それはそっちこそですっ! 気遣いってものができないんですか? 私、傲岸不遜な方は嫌いなんです」

 

「なんですって!? わたくしがお淑やかではないというのね。そうなのね! 貴女はわたくしの家庭教師じゃないのよ! そんな口ばかり利いていたら無礼討ちするわよ!?」

 

「じゃあ私は聖女を辞めます!」

 

「それは無理な相談よっ」

 

 裸事件のショックでまだ涙が止まらない私に、王女様が次々と罵声を浴びせて来ます。

 彼女のことを慣れれば扱いやすいなんて思った私が間違いでした。彼女は私の手に負えるような代物ではありません……。

 せめてそっとしておいてほしいのにと思いつつ私の部屋で――もちろん王女様が勝手に乗り込んで来ているのです――つまらない喧嘩をしていると、彼女がさらにこんなことを言い出しました。

 

「わかったわ。わたくし、今お風呂に入ってとても機嫌がいいの。だから貴女の不敬、今は全て許してやりましょう。その代わりわたくしと勝負するのよ!」

 

「勝負って何です……?」

 

「決まっているじゃない。わたくしが勝ったら『裸の聖女』、貴女はわたくしの下僕となりなさい。わたくしが負けることなどあり得ないけど、万が一そんなことがあれば、あなたの望み、何でも叶えてやるわ!」

 

 ――また何か始める気ですか。

 私は呆れて王女様を見ましたが、どうやら彼女は本気のようです。身長が同じくらいなので忘れそうになりますが彼女、まだ十歳なのですよね。子供相手に「馬鹿らしい」と一蹴するのもなんだか気が咎め、私は渋々頷きました。

 

「何でも叶えてくださるんですね?」

 

「……そうよ。まさかこのわたくしに勝てるとでも?」

 

「勝負って、どんな勝負なんです?」

 

 途端に王女様は黙り込んでしまいました。案の定、内容は何も考えていなかったようですね。

 

「ならこうしましょう。実は私の地元に、いい勝負の方法があるんです」

 

 

 ……というわけで、私と王女様は追いかけっこをすることになりました。

 小学生の頃によくやった懐かしの遊び。高校生になって追いかけっこをするなんて少し恥ずかしくもありますが、ここは異世界なので笑われる心配はありません。

 

「制限時間は夕食ができるまで。逃げていい場所は王城内ならどこでもとしましょう」

 

「……ふん。なかなかに面白そうな遊びじゃないの。では早速やらせていただくわ。その鬼とやらはわたくしで構わないよね?」

 

「いいえダメです。歳上のお姉さんである私の方が鬼です」

 

 ルールを知っているも提案したのも私ですしね。

 私がそう言うと、王女様は悔しそうにしながらも認めてくれました。

 

「仕方ないわね、わたくしは鬼であろうとなかろうと勝ってみせるわ。いくら貴女の世界の遊びだからと言って、わたくしに勝てるだなんて思い上がらないことね。絶対にぎゃふんと言わせてやるんだから」

 

 王女様はエメラルド色の瞳に敵意を漲らせ、私の方を睨んで来ます。私は涙を拭い、できるだけ不敵に見えるように笑みを浮かべました。

 

「そちらこそ聖女を侮らないことです。私、強いんですよ?」

 

 こうして、私と王女様のくだらない勝負が始まったのです。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 …………そして数分後、私は、追いかけっこを選んだことを非常に後悔していました。

 

「ふふっ、どうよわたくしの時魔法の効果は!」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべる王女様。一方の私は体を固められて動けなくされていました。

 ――時間停止。この世界で数えられるほどしかいない時魔法使いである王女様の力で、私の体は時間から切り離されて停止させられています。

 

 最初に『魔法は禁ずる』とでもルールを付け足しておくべきでした。まさかこんな形で動きを封じられるとは思ってもみず、こんな失態を犯してしまったのです。しかも追いかけっこが始まって五秒もせずにこの有様なのですから情けないです。

 でも文句を言うこともできません。心臓すら止まってしまっていて、この恐ろしさと言ったらありませんでした。

 

「さあ『裸の聖女』。さっさと降参なさい」

 

 ――と言われましても、声が出せないので降参すらできないんですが。

 

 一応制限時間は夕食までと決めていますが、それにしたってたっぷり半時間ほどあります。その間中固められ続けていてはたまったものではありません。

 私の聖魔法で対抗できるでしょうか。先ほど聖水に入ったおかげで私の魔力はかなり回復し、高まっています。今ならなんとかやれるような気がしました。

 

「――――」

 

 無言で聖魔法を念じます。

 努力のおかげで無詠唱でもある程度使えるようになっており、全身からパァッと浄化の光が溢れ出します。そしてしばらくすると私の体を覆っていた時魔法の効果が消え、動けるようになっていました。

 

「な、なんですって!? わたくしの時魔法が破られるだなんて……」

 

「はぁ、はぁ……。言ったでしょう。聖女を侮らない、ことです……」

 

 笑うのは今度は私の番です。

 ただし、かなり怖かったので未だに震えている上、一発の魔法だけで体力を想像以上に消耗してしまいましたが。

 

 フラフラになりながらも私は王女様に追いすがります。慌てて逃げ出したところを見れば、どうやら彼女の中にももう一度魔法を使うほどの力が残っていないように見えました。

 追いかけっこの再開です。

 

「に、逃がしませんよ……!」

 

「いい気にならないで! そんな千鳥足でわたくしに勝てると思っているの?」

 

 私の聖魔法は攻撃には向いていません。なのでただひたすらに走るのみです。

 でも確かに王女様の言う通り、聖魔法を使ってしまった私では王女様に敵いそうもありません。重たそうなドレスを着ている割には王女様の足は速いのです。これは厳しい。

 私の名誉のためにもなんとかこの追いかけっこには勝たなければならず、私は必死で思考を巡らせます。

 

 ――そしてふと、いい案を閃きました。

 できるかどうかわからない手ですが、やってみるしかありません。

 

「『裸の聖女』などわたくしの足元にも及ばないわ!」

 

「それはどうでしょう、ねっ」

 

 聖魔法は攻撃はできません。が、聖なる光で目眩しくらいはできるのです。

 ニニとの戦いの時に使った最高級の輝きの聖魔法を、私は躊躇いもなく放ちました。その瞬間視界全体が真っ白に染まります。

 

「わっ。す、スロー!」

 

 王女様が何やら私に魔法をかけて来たようですが、聖魔法をめちゃくちゃに溢れさせた今の私には効きません。

 そのまま彼女がいるであろう場所に迫り、細い腕をグッと掴みます。そして私は叫びました。

 

「捕まえ、ました!」

 

 その時間近で目にした――周囲が眩しくてはっきりは見えなかったのが残念ですが――王女様の慌てた顔はかなりの見ものでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 かくして意外にも私の勝利という形で勝負は呆気なく幕を下ろしました。

 ……その後、またもや魔力切れを起こしてしまい、駆けつけたニニたち騎士団にお叱りを受けたのは言うまでもないことです。



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33:舞い込んできた話

「あれだけ大口を叩いておいて負けるだなんて情けないですね。何はともあれ私の勝利です」

 

「あ、あれは卑怯よ!」

 

「何が卑怯なんです? 時魔法で私の体を固めたの、お忘れですか? あの方がよほど卑怯だと思いますけど」

 

 ニニにたっぷり叱られた後、私は王女様に勝利宣言をしていました。

 悔しげに歯噛みする王女様ですが、余裕ぶっこいていた彼女の方が悪いのです。舐めプしている方が負けるのはお決まりですからね。

 

「王女様、私が勝ったら何か一つ、お願い聞いてもらえるんでしたよね?」

 

 王女様は渋々と言った様子で頷きます。よほど私に負けたのが嫌だったのでしょう。

 でも約束は約束です。私はしばし考えた後、こう答えました。

 

「……じゃあ、私が元の世界に帰ることができるよう、協力してください」

 

「協力? 悪いけど、いくらわたくしでもあなたを送り返すなんてことは不可能よ? それに聖女に帰られては困ってしまうし」

 

「ええ。ですから、ただ手伝ってくれるだけでいいんです。私がきちんとこの世界で聖女として活躍し、そして無事に帰れるよう、その方法を一緒に探してほしいんです」

 

「――。そんなことでいいの?」

 

 不思議そうな顔をする王女様。きっともっと大きな願い事を言われると思っていたんでしょうね。

 でも私は早く家に帰ることができれば何でもいいのです。それに、

 

「王女様と仲良くなりたいと、私、思ってましたから」

 

 これでもこの異世界で最初にまともに言葉を交わし、時に喧嘩し、一緒にお風呂を作った仲ですからね。

 そう答えた途端、王女様に「馬鹿ね!」と思い切り頬を殴られました。意味不明です。

 

「わ、わかったわ! 貴女の願い、聞き入れてやろうじゃないの! その代わりわたくしのことはレーナ様と、そう呼びなさい! いいわね『裸の聖女』!」

 

 なぜ拳を振るわれたのに名前呼びを許されたのかはわかりませんが、とにかく王女様、もといレーナ様が協力してくれるなら良かったと私は思い、微笑んだのでした。

 しかしまさかこの時の会話のおかげで後に彼女を危険な旅に巻き込んでしまうことになるなど、私は思ってもみなかったのです。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 レーナ様とのことがあった翌日のこと。

 朝風呂から上がって少しダラダラしていると、私の部屋をノックする音が聞こえました。

 

「はーい?」

 

 一瞬レーナ様かと思いましたが、扉を開けてみるとそこに立っていたのは長身の女性、ニニでした。

 

「聖女様、おはようございます。今朝は大切なお話がございましてやって参りました」

 

 そう言って頭を下げる彼女は、いつも以上にかしこまっている様子です。

 私は「大切な話?」と思わず首を傾げました。

 

「聖女様はこのスピダパム王国南部に、王立学園というのが存在しているのをご存知でいらっしゃいますか?」

 

「お、王立学園、ですか?」

 

 もちろん知りませんが、王立学園といえば二次元のなんちゃって貴族たちが通う、通称貴族学園のことでしょうか。

 まさかこの世界にそんなものがあるとは思ってもみず、正直かなり驚きました。この世界の文明レベル的にみて教育は発達していないかと思っていたからです。

 

「王立学園とは、王族や貴族などのやんごとない身分の子息子女が通う国の教育機関でございます。聖女様のご年齢は確か十五歳とお聞きしておりますので、最終学年への編入などはどうかと、学園長のジュラー侯爵様から打診がございました」

 

 私が、この世界の学園とやらに通う。

 何の前触れもなく舞い込んで来た想定外の話に頭がついて行きません。

 

「な、なんでですか。そりゃあ確かにまだ高校生ですし勉強しなきゃいけないのはわかりますけど、この世界の危機を救うのが私の役目なんですよね? 早く厄災を祓わなければいけないんじゃないんですか?」

 

「いいえ。厄災が訪れるまでには少々の時間的余裕がございますし、聖女様には色々と知っておいていただかなくてはならない知識などがございます。ある程度のことはわたしがお教えできますが、それはほんの初歩的なこと。それに、聖女様の後ろ盾となるべく人材を探すためにも、学園というのはうってつけの場所なのでございます。もちろん聖女様が異世界の方である以上、多少の偏見などはあるかも知れませんが……」

 

 つまりは、しばらくこの世界で暮らすのだからそれなりの知識を身につけておけという話なのでしょう。

 せっかく王城での暮らしに慣れて来たと思った途端これです。私は思わず頭を抱え、呻く他ありませんでした。



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34:拒否権はない

 ニニが部屋を出て行った後、私はうんうん唸りながら悩みに悩みまくりました。

 王立学園への入学。なんとか公爵だか侯爵の打診と言ってましたよね。もちろん受けた方がいいのでしょうけど……。

 

「せっかく作ったばかりのお風呂の癒しを捨てるなんて、絶対に嫌です!」

 

 お風呂はレーナ様が大層気に入ったようで、これから徐々に広められる予定だそうですが、まだ多くのお風呂は泥水同然とのこと。

 この王城から離れればお風呂に入りたくとも泥水に浸からなければなりません。それを考えるとどうにも行く気がしませんでした。

 

「勉強なら家庭教師みたいな人をつけてもらえないものでしょうか……。それにここを離れることになったら」

 

 一人きりになってしまいますもの。

 レーナ様は私と同じくらいの背丈のくせに十歳と、まだ王立学園に入学する年頃ではないらしいのです。つまり私が入学してしまえば、彼女と離れ離れにならざるを得ません。

 

 もちろんニニだってそうです。レーナ様もニニも傍にいてくれなくなってしまったら、私はこの世界で生きていける気がしませんでした。

 

 打診してくれた公爵だか侯爵様には悪いですが、ここはとりあえずお断りしましょう。悩んだ末にそう決断し、私はsの旨を伝えるべく国王様に会いに行きました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 …………しかしそんな私の考えはあまりにも甘すぎたようで。

 

「聖女よ。悪いがそなたに拒否権はない。これは王命だ。王立学園に通い、学ぶこと。そなたには非常に申し訳ないが、これも聖女の務め。どうかわかってほしい」

 

 国王様にそう言われ、私の意思はあっさり否定されてしまったのです。

 もちろんわかっていますよ? 私が名ばかりの聖女で、意見が尊重されないことくらい。でもこれは少し酷すぎると思いました。

 

「なんとかならないんですか。私、ここから離れたくありません」

 

「光の騎士に言われたろう。学園に通う意味は、勉学だけではない。交流を持つことが大切なのだ。それにすでに、ジュラー侯爵との交渉は成立している。今すら反故にすることもできんのでな」

 

 抗議してみたものの、どうやらもう決定事項のようです。

 私は改めて実感しました。この世界での私の扱いなど、『聖女』という道具でしかないということを。

 

 レーナ様と親しく過ごしているうちに忘れそうになっていましたが、この王国は私を勝手に呼び出した――本当のことを言ってしまえば誘拐した上に、聖女という役目を押し付けたのです。そんな人間たちに私が何を言っても無駄というものでしょう。

 国王様の隣にいた王妃様がすまなさそうに私を見つめて来ますが、だからと言って何かフォローを入れてくれるわけでもなく、私は嫌でも頷くしかありませんでした。

 

「わかり、ました。もう決まってしまったことなら仕方ないですよね……。出発はいつですか?」

 

「できれば今すぐにでもだな。だがまあ多少の準備は必要であろうし、明日あたりが妥当だろう」

 

 明日ですか……。あまりにも急すぎる話に驚きつつ、反論を許されていない私は、思わず歯を食いしばりました。

 事前にわかっていたことならもっと早くに知らせてくれれば良かったのに。おそらく私を言いくるめるため伏せていたのだろうと思うと腹が立ちましたが、もはや怒っても仕方がないのです。私が何を言っても無駄なのですから。

 

「心配するでない。学園にはたくさんの子息子女が通っておる。すぐに友好関係を築くこともできよう」

「ごめんなさいね。異世界の平民であるあなたには厳しい日々になるかも知れないけれど、あなたの楽しい学園生活を祈っていますわ」



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35:入学準備!

「はぁもう……。どうして私がこんな目に」

 

 そんな愚痴を言いながら、私は最低限の荷物をカバン――布製ですがスーツケースみたいな形をしています――に詰め込んでいました。

 荷物と言っても大したものはありません。今私が着ているものと同じ純白のビキニが複数、そして寝間着が数着だけというなんとも貧素な内容です。私物は全て元の世界に置いて来てしまっていますからね。本当にこれだけの荷物で生きていけるのかと不安になってしまうくらいです。

 

「でも弱音ばっかり吐いていてはいけないんです。もっとしっかり気を持たないと。それに王立学園い行ったら何かいい出会いがあるかも知れませんし」

 

 思わず嫌なことばかり考えてしまうのを精一杯に誤魔化し、私は自分にそう言い聞かせました。

 そもおもこの見ず知らずの世界でたった数日でレーナ様と仲良くなれたのです。他の人とだってすぐに友達になれるはず。私、元々陰キャではないので友達はそれなりにいたのです。

 

「そもそもそこまで不安視することじゃありません。本番は来年の災厄とやらなんですから」

 

 それまでにせっかくの異世界を堪能しておかないともったいないですし。

 そう考えると途端に心の重荷が晴れていくような気がしました。物は考えようとは言いますが、考え方を少し変えるだけでここまで変化があるとは思いませんでした。時には諦めも肝心なのですね。

 

「よーし。こうなったら学園生活とやらを思い切り楽しんじゃいましょう」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 そうして荷物をまとめ終えるとすぐに、再びノックの音が響きました。

 どうやらまたニニが来たようです。王国一、二を争うほどの実力者なのに私にかまけてばかりでいいのかと思わず心配になってしまいます。

 

「ニニ、今度はどんな用です?」

 

「聖女様、学園入学の準備をしていただきたく」

 

「それならもうやりましたよ? 荷物というほどの荷物もないですし」

 

「いいえ、お洋服などのことではございません。学園に編入する際は履歴書が必要ですから、それを作成しなければなりません。そういえば聖女様は異世界からいらっしゃったのでございますから、身分証などはお持ちでございませんよね?」

 

「ええ、まあ」

 

 どうやらこの世界でも入学には身分証が必要なようです。不正入学を防ぐためなのだそうで、思っていたよりセキュリティが高いことに驚きました。

 なんだか面倒臭いですが文句を言うわけにもいかず、私は履歴書を作らされることになりました。

 

 と言っても大したものではありません。名前、住所、生まれた土地、身分などを言い、ニニに記入してもらうだけ。なんだか雑用係をさせてしまって申し訳ないです。

 まもなく作業が終わり、それを国王様に提出すれば私もこの世界の住民として認められたのだそうです。よくよく考えてみればすでにこの世界にかなりの日数滞在していたのにまだ身分証を持っていなかったことが不思議ですけどね。

 

「お疲れ様でございます聖女様。後は学園についてのルールをまとめた書類をお持ちいたしましたので、お部屋でゆっくりお読みくださいまし。本来であればわたしがお教えして差し上げたいのですが、わたし、平民ですから学園に通ったことがございませんので」

 

「はい、わかりました。本当に何から何までありがとうございます。これからしばらくニニと一緒にいられないのは心細いですけど、私、頑張りますね」

 

「どうぞ頑張ってくださいませ」

 

 そう言って静かに部屋を出て行ったニニを見送った後私は、彼女に手渡されたやたらに分厚い本――王立学園のルールブックに目を落とします。

 しかし、そこにびっしりと並んだ文字らしきものが全く読めないことに気づいたのは、それからすぐのことでした。



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36:王城の人たちとのしばしの別れ

「はあ!? 明日出発ですって!?」

 

「……はい。急なことなんですけど」

 

 エメラルドの瞳をこれでもかと見開いて驚くレーナ様に、私は申し訳なく思いながらも答えました。

 

 ――この世界の文字が読めないという重大な事実に初めて気づき、書類を取り落としてしばらく呆然としていた時。

 いつも通りノックもなしに扉が開かれ、赤毛の少女、レーナ様が大慌てで駆け込んで来たのです。そして入って来るなり言い放ったのが冒頭の言葉でした。

 

 彼女は顔を真っ赤にしてかなり憤慨している様子です。そんな姿がとても可愛らしく思えてしまうのですから不思議なものです。

 

「どうして急に、わたくしへの断りもなしに出ていくなんてことを決めるの。そんなことわたくしが許さないわよ!」

 

「そんなこと言われましても……。当然、私だって嫌だと言ったんですよ? でも国王様にどうしてもと言われてしまって。王命に反して首を切られるのは御免ですし、学園に行くと色々都合がいいみたいですから」

 

「父様の……」

 

 国王様の命令と聞かされては、さすがのレーナ様も反発できないのでしょう。

 彼女は悔しげに桜色の唇を噛みました。

 

「なら、わたくしも……」

 

「言うと思いましたけどダメです。レーナ様は大人しくお城で待っていてください」

 

 思っていた通り学園について来たがったレーナ様ですが、私はバッサリと彼女の言葉を切って捨てました。

 つい昨日に「家へ帰るために協力してほしい」だなんて言っておきながら、自分から離れる私のことがレーナ様は許せないのでしょう。一緒に行けたらいいのに……と私ももちろん思いますが、しかし無理なものは無理なのです。

 

「きっとすぐに帰って来ます。約束しますから、ね」

 

「むぅ……。『裸の聖女』のくせに偉そうに」

 

「その膨れっ面もなかなか可愛いですよ?」

 

「な、何よそれ! わたくしを馬鹿にしているのね!? この〜!」

 

 それからしばらく、赤面して怒鳴りまくる部屋の中で追いかけっこをして、私たちは別れの寂しさなんてすっかり忘れて走り回ったのでした。

 

 

 …………ちなみに異世界との言語の違いで読解不能だった学園ルールブックは追いかけっこに紛れて部屋の隅に押しやられ、数日後にぐちゃぐちゃの状態でメイドさんに発見されることになるのですが、それはまた別の話。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「……じゃあ、行って来ます」

 

 荷物片手に別れを告げる私を見送ってくれるのは、たくさんの人たち。

 

「そなたの幸運を願っておる」

「あなたの力があればどんな苦難にも立ち向かえることでしょう。応援していますわ」

「聖女様ー! 行ってらっしゃーい! また今度ね!」

「聖女様素敵!」「行ってらっしゃいませ」

「聖女様! 必ずやまた会いましょうぞ! その時にはたっぷりの絶品料理を用意しておきますからな!!!」

 

 国王様、王妃様、王子様やメイドさんたち、それに宮廷料理人さんまで。

 それからもちろん、ニニにレーナ様もいました。

 

「聖女様、ご同行できず申し訳ございません。多忙でなければせめて学園までは付き添いをさせていただきたかったのでございますが……。学園で聖女様が楽しい日々を送れますよう、心よりお祈りしてございます」

 

「『裸の聖女』! せいぜいわたくしのいない場所でも無様な裸を晒し続けて笑い者になるのね。噂を耳にする日を楽しみにしているわ!」

 

 相変わらずな彼女の様子に思わず頬が緩んでしまいます。

 騒々しい見送りに手を振り、私は微笑みながら王城の門をくぐって外へ歩き出しました。

 

 この世界に来てから初めての、外。

 城の前庭は庭園と同じく美しい花々が咲き乱れており、さらにその先には……。

 

「――馬車!」

 

 優雅な白馬が引く馬車が私を待ち構えていました。

 その馬車は古い映画で見るような……乙女のロマンそのものでした。

 

 私は思わず駆け出し、馬車の方へと勢いよく駆け出して行ったのです。

 



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37:父様の懸念とわたくしの不安 ――レーナ視点――

 本当にあの『裸の聖女』ったらお気楽だわ。

 先ほどまで寂しそうな顔をしていると思えば馬車を見た途端にはしゃいで走り出すんだから、お子様よね。

 

 まあ、彼女がいなくなってやっとわたくしも落ち着けるわね。ここ数日はずっと振り回され続けていて大変だったもの。

 彼女は一体どういうつもりでわたくしに絡みついてばかりいたのかしら。他の奴らと違ってわたくしに媚びることも敬うこともいないし、わけのわからない女だわ、まったく。あんなのが聖女でこの先大丈夫なのかは不安だけれど、少なくとも悪い奴じゃないししばらく様子見してやるとするわ。

 

「ふぅ……。ではわたくしは早速、お風呂の心地を一人で堪能するとしようかしら」

 

 馬車が走り出したのを見てわたくしは踵を返し、一人そう呟く。

 『裸の聖女』が残して行った一番の功績と言えばあのお風呂よね。平民の入るものは泥水同然だと聞いていたけれど、あの聖女が持ち込んだ異世界のお風呂は最高だもの。

 いつも一番風呂に入れなかったから不満だったけれど、今日は聖女に邪魔されないから気楽だわ。

 

 

「あの聖女がいないとものすごく静かね……」

 

 今は兄様もいないし、六歳の弟は初歩的な王子教育のために部屋に閉じ込められている――何度も逃げ出そうとするからそうなったのだけだが――だから、わたくしは暇だ。

 いつもなら聖女に構ってやっていたのだけれど今日からはそうもいかない。兄様、早く帰って来てくれないかしら。

 

 わたくしの兄様でありこの国の王太子、エムリオ・スピダパムは今、各地の視察で忙しいらしい。

 例年であれば夏季休暇中である現在は王城に戻って来てくださるのだけれど、今年はあちらこちらで魔獣による被害やら原因不明の異常現象が起きているからそれを突き止めるために頑張っていると聞く。兄様は立派な騎士でもあるからそれがお仕事なの。

 だからそのことに不満はないのだけれど、昨日までの騒がしさに慣れてしまって、こうして一人でぼぅっとしている時間が暇で仕方ないわ。

 

 兄様の婚約者のセルロッティ姉様のお屋敷にでも遊びに行こうかしら? でもダメね。先触れなしで行くのは失礼にあたるし、せっかくのお休みなのだからセルロッティ姉様もゆっくりしたいでしょうし……。

 ああもう、なんだかうずうずするわ。わたくしはたまらなくなって部屋を飛び出し、父様と母様のところへ行くことにした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「あの娘を学園に送り出したはいいが……。例の聖女がこの先厄介事を引き起こさんか、余はどうにも心配でならん」

「あなた、何をそんなに心配なさっていますの? わたくしは彼女は聖女として有り余るほどの素質があると思いますわ。もしかしてあなたはあの聖女のことを信じていらっしゃらいませんの?」

 

 父様の執務室に行くと、父様と母様の話し声が聞こえて来た。

 どうやら『裸の聖女』について話しているらしい。

 

 お話している時は邪魔してはダメだと父様にいつも言い付けられている。わたくしは「つまらないの」と言って引き返そうと思ったが、すぐに足を止めて思いとどまった。父様と母様があの聖女の話をしているなら、少しくらい聞いて行こうかしら。

 あんなポンコツ聖女であっても一応、わたくしの名前を呼ぶことを許してやった間柄ではあるものね。

 

 扉の前で盗み聞きするのははしたないことだけれど、少しくらいはいいわよね?

 

「信じていないわけではない。聖魔法の大きさもこの目で見た。聖女の力は充分であろうよ。だがな……実は余の最大の懸念は、厄災が訪れる前に聖女が問題を起こしてしまわぬかどうかだ」

「問題……? 確かにマナーはまるでなっておりませんけれど、身につければいいだけではなくて?」

「それがだな。調べてみると聖魔法には特別な性質があるらしく、あれの傍にいる人間は心が浄化され、感化されてしまうという現象があるらしいのだ。あれを学園に入れるのは余は反対だったのだが、ジュラー侯爵がどうしてもと言ってきかぬから」

「まあっ! それは本当ですか?」

 

 つまり……どういうことかしら?

 わたくしがあの聖女といて悪い気がしなかったのは、あんな不躾な態度を許せたのは、彼女の魔法のせいだというの?

 

「同性であれば多少の友好的な感情を抱く程度で済む。だが、異性であればそれは確かなる好意となる、と文献にはあった。過去にも微弱な聖魔法を持った女がいて、彼女は庶子でありながら王族を惑わせて国を混乱へ陥れたらしい」

 

 父様の言葉を聞いてわたくしは息を呑み、動けなくなってしまった。

 そして同時にとあることに気づいてしまう。

 

 ――この休暇期間が終われば学園には兄様も通う。兄様がもしも、万が一、聖女に惚れ込むようなことがあったら。

 そのせいでうつつを抜かし、セルロッティ姉様を蔑ろにするようになってしまったら。

 

 兄様とセルロッティ姉様は政略的な婚約関係にしては仲がいい方だと思うわ。それに兄様は断じて愚かではない。だからそんなことにはならないと信じたいけれど、わたくしの胸に不安が広がっていく。

 兄様は優しいからこそ、あの聖女と一度親しくなってしまったら……一体どうなるかはわからないわ。

 

「ああ、『裸の聖女』――どうか兄様と出会わないでちょうだい」



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38:初めての馬車はドキドキ

 自分の人生の中で馬車をリアルで見る機会があるだなんて、思ってもみませんでした。

 

 立派なたてがみをふさふささせた二頭の白馬。その馬が繋ぎ止められている馬車本体はあちらこちらに散りばめられた装飾が金や銀に眩しく輝いています。

 馬車の中は非常に広い造りとなっており、まるでおとぎ話の中のお姫様の乗り物のようでした。

 

「でもそれもあながち間違っていないんですよね」

 

 この国には現に王様や王女様といった絵本の中の世界と言ってもおかしくないような人々がいるのですから、馬車があって当然なのでしょう。

 私は目をキラキラさせながら初めての馬車にそっと乗り込みました。

 

 座席は革製のようで座り心地がいいです。こんな広い場所にたった一人で座っていいのでしょうかなんて思いつつ、馬車の隅っこに腰掛けます。

 と、ちょうどその時。

 

「よぅ嬢ちゃん。あんたが聖女様だべか?」

 

 馬車の前方から突然声がしたので私はギョッとしました。

 馬車の中には誰もいないのに……と思って前を見てみれば、そこには見知らぬ男性が。

 

「私は聖女の早乙女聖ですけど……。ど、どなたですか?」

 

「おらか? おらはこの馬車の御者だべ。ある程度腕っ節があるからお城で重宝されとるんだ」

 

 御者台から身を乗り出したのは熊のような巨漢。御者さんのようです。

 いきなりの田舎なまりにかなり驚きはしましたが、そういうことなら安心です。一瞬誰か別の怖い人が乗っているんじゃないかなんて考えてしまいましたよ。

 

「そうですか。じゃあ馬車の運転、よろしくお願いしますね」

 

「おうよ」

 

 御者さんが手綱を握ったらしく、ガタン、と一度大きく揺れてから、ゆっくりと馬車が走り出します。

 王城からの旅立ち。私はなんだか浮かれてしまい、思わず歓声を上げました。

 

「いざ出発!ですね」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 横手の窓を開けると、そこから涼やかな風が吹き込み、私の髪を静かに揺らしました。

 そしてふと窓の外に目をやれば、そこに広がっていたのは石畳の古風で美しい街並み。それはまるで映画の中の世界のようで、その信じられない光景に目を瞠る他ありません。

 

 馬車がガタガタと揺れています。馬車での旅ってこんなにお尻が痛いものなのですね……。知りませんでした。でもそんなことすら楽しく思えるのですから不思議です。

 私にとって今目にしている景色や体験は何もかもが新鮮であり、これ以上なく胸がドキドキと高鳴っていました。

 

「やっぱり異世界、すごいです……!」

 

 誘拐されるようにしてやって来たのもあって、最初はあれほど嫌に思っていた異世界。ですがその実、素晴らしい場所なのかも知れないと私は思いました。ずっと城に閉じこもっていたことを勿体なく思ってしまうくらい外は魅力的なもので溢れています。

 大きくて立派な家の数々、道端を飛び交う元気な人々の声。私のいた世界では見られないほどの活力が街の中に満ちていたのです。

 

 そうして私がはしゃいでいる間にも馬車はガタゴトと音を立ててながら走り続けています。

 私の馬車旅はまだ始まったばかり。御者さんによると、今いる場所……王都というところを抜けるには、一日以上はかかるそうです。

 その間、ゆっくりとこの旅路を堪能することにしましょう。



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39:異世界デパートに寄り道

 ガタンっ。

 今までにない激しさで馬車が揺れ、私はハッと目を覚ましました。

 

 どうやら馬車の中でうとうとしてしまっていた様子。あんなに高かったはずの日はかなり傾きかけていて、どうやらもう夕刻が近いようでした。

 こんなところで寝ていたせいでしょう。全身、特にお尻が痛みます。早く馬車を降りたくてたまらなくなりました。

 

「御者さん。次に停まるまで、どれくらいかかります?」

 

 まさか馬車だって一日中走り続けたりはしないでしょうからね。馬を休めなければいけないですし。

 そう思って訊くと、どうやら夜中遅くに王都のはずれにあるというとある小さな宿で一泊する予定なのだそうです。つまり、今からたっぷり五時間以上あります。

 それまでこの揺れに耐えられるような気はしませんでした。

 

 しかし、どうしようかと思いながらチラリと窓の外に目をやった私は、その時ちょうどいいものを見つけたのです。

 

「あの。あそこにあるお店、何でしょう」

 

「あすこって何だべか?」

 

「あれですあれ。お屋敷みたいに大きな建物。飾り付けがとても綺麗なお店です」

 

「ああ、あれか。あれは最近王都にできたばかりのデパートっちゅう店だべな。老若男女に大人気だとかで、連日人がいっぱいなんだべ」

 

「えっ、あれがデパートなんですか!? ぜひ行きたいです!」

 

 まさかこの世界にもデパートがあるだなんて思いませんでした。私は驚きつつも、すぐに連れて行ってくれるよう頼みます。

 御者さんは「寄り道は許されてないのだけども……」と少々不満げにしつつも、可愛い女の子の頼みだからと言って許してくれました。私、そんなに可愛くはないのですけどね。

 

 というわけで早速、異世界デパートへ寄り道することになりました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「おらは馬車守りしとくから嬢ちゃんは一人で楽しんできな。あんまり長居すると置いて行っちまうから、なるべく早くしな」

 

「わかりました。すぐに戻ります」

 

 デパート――と言っても、レンガ造りのお屋敷のような見た目で、私の知るものとは大きく違っていますが――の前で停車した馬車から降り、回転扉を開けて私はデパートの中へと足を踏み入れます。

 すると、御者さんの言っていたことは本当のようでデパートは大勢の人でごった返していました。しかも異世界人は皆私より大きい人ばかりなので、圧が半端ないです。

 

 まるで巨人の世界に迷い込んで来た小人――大して違いはないのですが――のような気分です。しかしそんなことが気にならなくなってしまうほど、デパートは素敵な場所でした。

 

 天井にいくつも吊り下げられた優美なシャンデリア。あちらこちらの店先に並ぶ小洒落たワンピースの数々。この世界では文明がそこまで進んでいないせいでエスカレーターやら店内案内の声などは聞こえて来ないので静か。甘く柔らかい香水の香りがあたりに満ち溢れています。

 

「可愛らしいお店がたくさんありますね。服屋にお菓子屋さん……。あっ、あっちにアクセサリー店らしきものが!」

 

 人混みをかきわけ、私はその店の前へ走って行きました。

 やはりアクセサリー店で間違いないようです。仲の良さそうな恋人がお揃いのアクセサリーを選び、笑い合っていたりします。そこに一人きりの私が入るのは少し肩身が狭い気がしましたが、思い切って入ってみます。

 

 そこに並べられていたのは、お城で目にしたような金や銀、高価そうな宝石などではなく、ガーネットに似た赤黒い石でできたネックレス、白のドライフラワーで作られたブレスレットなどでした。

 しかしどれもデザインが可愛く、乙女心をキュンキュンさせられてしまうものばかりです。

 

「こっちの青っぽい石の指輪もいいですねっ。でもやっぱり異世界用だからかしてブカブカか……。じゃあこっちはどうでしょう? おっ、可愛い!」

 

 私は今でこそ聖女などと呼ばれていますが、元は普通の女子高生。デパートでのお買い物などは大好きなのです。特に可愛らしいものに目がない自負があります。

 ウキウキしながら店内を歩き回り、時間ほど悩みに悩んだ結果、大きめのネックレスとイヤリングを買うことにしました。せっかくの異世界、少しくらいお土産があってもいいですよね。

 そう思ってお店の人に声をかけようとし……私はふと、とある重大なことに気づいてしまいました。

 

「そういえば私、お金持っていませんね」

 

 今更すぎる気づき。

 この世界に来てからというもの、私は通過という概念をすっかり忘れてしまっていました。料理はただで美味しいものを食べさせてもらっていましたし、何かを買うような機会もまるでなかったからです。

 ですからこんな当たり前のことに思い至ることができなかったのでしょう。王城を離れる時、レーナ様にでもお願いしてお小遣いをもらっておくべきでした……。

 

「まあ、それにしたって通貨単位がわからないんですけど。まさか日本と同じってことはないでしょうしね。はぁ……。御者さんならお金を持っているでしょうか」

 

 御者さんは確か、今晩は宿に泊まるとか言っていたはず。何かしらお金になるものは持っているはずです。

 貸してもらえるかどうかはわかりません。でもせっかく選んだこのアクセサリーを諦めたくなかった私は、すぐさま店に背を向け、一旦馬車に戻ることを決めました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 デパートを出て御者さんを説得し、お金を出してもらっていくつかの小物アクセサリーを購入する。

 ただそれだけの話だったはずなのですが……。

 

「色っぽい格好してるじゃねえか、姉ちゃん」

「お望み通り遊んでやるぜ。ひひひ」

 

 なぜか数分後、私はいかにも怪しい感じの男の人たちに取り囲まれてしまっていました。一体どうしてこんなことになっているのでしょうか……?



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40:悪い男に攫われたようです

 デパートの中を歩くのは大変で、気づけば自分が今どこにいるのかわからなくなっていて私は混乱していました。

 そんな中でも必死に出口を探して歩き続け、やっと回転扉が見えた時にホッと安堵したのも束の間。なんと、扉を出てみればそこは元来た入り口と全く違う場所だったのです。

 

「店内に地図もない上入り口が二つあるとか……地獄ですか」

 

 しかしそれは地獄の始まりに過ぎませんでした。

 引き返そうかと悩み、人が多いので外回りで歩こうとしたのが後から考えると馬鹿でした。太ももも二の腕も丸出しの、非常に際どい格好をしている今の私が一人で外を出歩いたらどうなるか。それをすぐに思い知らされることになります。

 

 ……元の出入り口を見つける前に、いかにもチンピラという風貌の男たちに見つかってしまったのです。

 

「なあ、そこの姉ちゃん。俺たちと遊ばねえか?」

 

 目の前に現れた黒服の男五人組を見て、私は頭が真っ白になってしまいました。

 すぐに逃げれば良かったのでしょう。でも実際こんな場面に陥って、普通の女の子であれば逃げられないと思います絶対。しかも相手は異世界人で私の身長より一メートル近く高いのですから足がすくむのも当然です。

 そうして私はあっという間に囲まれてしまいました。

 

 この時魔法を使えば跳ね除けられたのですが、咄嗟にそんなことが思い浮かぶはずもなく、私はタジタジとなって男たちに尋ねました。

 

「あの……わ、私を、どうするつもりです?」

 

 わかりきった質問。ですがこれしか浮かばなかったのですから仕方ありません。

 

「決まってんだろ。さあ、俺たちについてこいよ」

 

 そう言いながらおそらくリーダー格であろう中年男性――毛髪が抜け切っているので仮にハゲ男と呼びます――が、何やら物騒な銀色のものを私へ突きつけて来ました。

 異世界でもナイフってあるんですねという現実逃避な考えをしつつ、私は誰か助けに来てくれないだろうかと思ってあたりに視線を巡らせました。

 

 でもデパートの外は、デパート内の人の多さが信じられないくらいにひっそりしていて見たところ誰もいません。私が乗って来た馬車もどこにも見当たらず、御者さんに助けを求めるのは無理だろうということがわかってしまいました、その前に私が殺さるに決まっています。

 

 ――これってかなりマズくないですか?

 

 心の中の呟きに反し、私は引き攣った笑いを浮かべながら頷くしかありませんでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 そんなわけで私は、異世界チンピラに捕まってしまったわけですが。

 どうやらひどいことをされるのは後回しのようで、手足を縛られ目隠しと猿轡的なものまでかまされて荷馬車に放り込まれました。

 

 とりあえず一安心……。ですが、とても胸を撫で下ろせる状況ではありません。

 今の私の状況を一言で言ってしまえば、羽目を外して単独行動した隙に誘拐されている馬鹿な女、以上です。我ながら情けないを通り越して救いようがありません。少しデパートでお買い物……のつもりがこんなチンピラに絡まれたどころか攫われるというのは、あまりにもひどい話です。

 物語であれば世間知らずの箱入りお嬢様的ポジション。ですがこれは現実です。最悪死にます。死ぬよりひどい目に遭う可能性だってあります。それだけは嫌でした。

 

 今も私の周りには三人ほどの男がいて、ずっと見張られている状態です。私を見ては好色丸出しの会話をしています。どうやって彼らを撒いて逃げ出すか、それが問題です――。



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41:白馬の王子様はいない

 状況は異世界へ来てから最悪と言えるでしょう。

 何せ、今私は誘拐されてどこかへ連れて行かれる最中です。味方はいませんし、この先一体どうなるか予想もつきません。でもきっとされるがままになっていたら悪いことが待っているということだけは言えます。

 

 手も足も縛られ、目隠しに猿轡。完全なる拘束状態なわけですから、逃げ出すにしても身動きが取れません。この状況で唯一取れる手段があるとすれば。

 

 ――魔法、しかありませんよね。

 

 前に一度、レーナ様の時魔法で時間を止められた時、無詠唱で大きな魔法が使えたことがありました。あの時の要領でやれば拘束を解くことも可能かも知れません。

 ……仮に拘束が解けたところで果たして逃げられるかどうかはわかりませんが、聖魔法自体に浄化の力がある以上、このお腹真っ黒な人たちを退けることもできる可能性もありますし。

 

 私は覚悟を決めました。女は度胸です。聖女とやらになってしまった以上、やる時はやらねばならないのです。こんなことで負けてしまっていては襲い来ると噂の災厄に勝てるわけないのですから。

 

 負けるな聖。やるのです。私なら、やれるはず。

 自分にそう言い聞かせながら、大きく――と言っても猿轡のせいでうまくできませんが――息を吸い、それから私は浄化と魔除けの聖魔法を、思い切り放ちました――。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「あ、れ……?」

 

 目隠ししていても瞼を焼き焦がすほどの眩い光が収まった後、私は思わずそんな腑抜けた声を上げてしまっていました。

 声が出るということは猿轡は吹き飛んだようです。……が。

 

「縄が、解けてない……?」

 

 体を起こそうとしたその瞬間、文字通り手も足も出ないことに気づきました。

 雁字搦めにされているこの状況を考えれば、拘束されているままだと考えるべきでしょう。目隠しだって取れていません。あれほど大きな魔法を行使したというのに、です。

 先ほどの聖魔法は体感的に言うとニニからの試練を受けた時に使ったものとそう変わらない大きさのはずです。それなのに――。

 

「うわあっ!?」

「ぐぁっ」

「な、なんだ!?」

 

 そう思っていた瞬間、男たちの絶叫が聞こえ、私の意識はまたしても途切れました。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ――この世界はどこまで私に優しくないのでしょう。

 私は一応女の子です。それに仮にも聖女なのでしょう? そうであればもっと優しくしてくれたって、いいじゃありませんか。

 

 なんでこんなに苦痛を味わなければならないのか。朦朧とする思考の中でこぼれた愚痴は、誰の耳に入ることもなく消えていきます。そもそも声にすらなっていないのですから当然ですけど。

 

 ああ……神様、どうして私にそんなに恨みがあるのですか。私が何か悪いことをしましたか。見知らぬ世界に誘拐しただけじゃ飽き足らず、白馬の王子を寄越すことすらなく私をこんな形で貶めて楽しいのですか。

 暴れれば暴れるほど手足を縛る縄がキツくなり、締め付けられていきます。抗うことも許されない地獄でした――。

 

 

「……い。おいっ。何してんだこらぁッ! 畜生、魔法を使いやがったな!」

 

 男の怒声で、私は現実と夢の境目から引き摺り出されることになりました。

 意識が朦朧としていたのはあれからどれくらいの間でしょう。一瞬のようにも長い間だったようにも感じられますが、私にはまるでわかりません。

 なんとか状況を把握しようと思っていた途端にガン、と腕を殴りつけられます。痛い。生まれてこのかた殴られたことなどなかったやわ(・・)な私は、それだけで泣き叫びたくなりました。

 

 ドタバタと二つの足音が近づいて来ます。

 

「魔道具の猿轡は砕けているが縄は切れてねえ」

「ってことはこいつ光魔法の使い手か? おい女、答えろよ!」

 

「ひぃっ!」

 

 恐ろしくて思わず悲鳴が漏れます。

 私は賭けに失敗したのです。こんな状況では逃げることなどできません。かといってもう一度魔法を使う力もないですから、このままやられるしかないでしょう。

 

 絶体絶命、でした。



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42:まさか一巻の終わり?

 人生においてどうしようもない時って、あるじゃないですか。

 諦めも肝心とよく言いますよね。……でも今の私の状況は、詰みでありながら諦めたら終わりなのです。手も足も出ないとはこのことだと思いました。

 

 もっと殴られたり言葉にはできないようなひどいことをされるかと思っていたのですが、実際そうはならず、再び私は先ほどにも増してキツくキツく雁字搦めにされることになりました。縛られた全身がぎしぎしと軋むような音を立てて痛み、思わず口から呻き声が漏れます。

 一方で男たちは何やら相談を始めていました。私の聖魔法で五人中の三人が吹き飛ばされ、怪我を負ったらしいのです。ざまぁ見ろと言いたいところでしたが『その程度』でしか済んでいないということでもありますし、第一、彼らの怒りを昂らせるという良くない方向に作用してしまっていました。

 

「クソ。あの女!」

「あの威力は凄まじかったぞ」

「ただの女って舐めてたのがいけねえな。もっととっちめてやらねえと」

「男三人をぶっ飛ばせるくらいの魔法が使えるってことはお貴族様じゃねえのか? それだったら身代金要求した方が」

「護衛もつけてねえし、あんな格好したのがお貴族様なわけあるかよ。とっとと娼館に高値で売っ払っちまおうぜ」

 

 娼館。あまり聞き慣れない言葉ですが、つまり夜の店、ですよね。

 夜の店に身柄を売られた時の未来は見え見えです。しかもこんな男たちが出入りするような場所なわけですから相当治安が悪いでしょう。そんな人間の権利を無視された玩具になるのは当然ながら嫌でした。

 

「誰か助けて……」

 

 か細い声で呼んでも当然のように誰も来ません。

 魔法で体力を消耗してしまったのか全身に力が入らず、もはや暴れることもできませんでした。暴れたところで男たちに殴られて失神させられるのがオチでしょうし。

 

 今ここにニニが来てくれたら……とふと思いました。彼女であればあんな男たちくらい一太刀でやっつけられるに違いありません。

 レーナ様なら、時魔法で彼らの体を停止させることもできるでしょう。今朝別れたばかりだというのに彼女たちのことがひどく懐かしく思えます。

 

 それから次に思い浮かんだのは残して来た家族の姿でした。……もう会うことはできないのでしょうか。そう思うだけで涙が出そうです。また会いたい、その一心で今までの日々を耐えて来たのに、こんなところで、こんな形で終わってしまうだなんて。

 

 私にもっと力があれば。聖魔法だってきっとチート級のすごい力なんだと思うんです。ただ、私がそれをうまく扱えていないだけで。

 こんなイベントがあっても覚醒できない自分に嫌気がさします。物語だったら「神様っ。私に力を貸して!」みたいな感じで覚醒するのがお約束でしょう。どうして私は覚醒できないどころか八方塞がりで娼館送りにされなければならないのですか。

 

 胸の中に湧き上がって来たのは運命という名の不条理への怒り。そしてこんな事態に陥っている自分への情けなさ、でした。

 

 ――いいじゃないですか。こうなったらヤケクソです。全力で抗ってやろうじゃないですか!

 

 再びやる気が込み上げて来て、口元に小さな笑みが浮かびます。

 それからなけなしの声を大にして力一杯叫びました。

 

「チンピラの皆様方。どうぞ私の話を聞いてください!」

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「――聖女、だと?」

 

「はい。私は聖女。この国に呼ばれてやって来た、偉大なる聖女なのです! 聖女にこんな仕打ちをしたら国王様が黙っていませんよ? それに私はこの国の王女様の大親友! 『光の騎士』ニニとも仲良しで、私が娼館に売られたとあらばあなたたちの首はポーンですよ! さらにさらに! 私はこの世界でただ一人魔物の傷を治癒できるんです! そんな人材がいなくなれば、あなた方がもし魔物に襲われた時、どうなると思います? 私を犯したって娼館に売りつけたっていいことは何もありません! 死! 死があるのみなんです! そんなのあなたたちも私も嫌でしょう? だから私の即時解放を求めます!」

 

 ……私がとった最終手段。それは脅しでした。

 いかに悪いチンピラさんでも、これだけ言ったらさすがに怯むはずです。国王様と繋がりがあって、かの有名な――と言っても、実は彼女の話はほぼ知らないのですが――『光の騎士』のニニと知り合いで、しかもこの世界で重宝される聖女という存在。そうと聞かされてもなお私を連れ去ろうなんて思う愚者はいないでしょう。

 

「さあ。おわかりになりましたか? 大人しく解放してくれればこの件は不問と――」

 

「何言ってんだお前。そんな戯言を俺たちが信じるわけねえだろ。馬鹿か?」

 

 しかし、私のあまりにも甘い考えはこの暴漢たちに通用するはずがなかったのです。



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43:現れた仮面の剣士

 ――私の脅し作戦は、失敗に終わりました。

 聖女だと言えば誰でも信じてくれるだなんて、よくよく考えてみればそれこそ愚かな話でした。王城でいた皆さんは召喚されたと知っているからこそこんな小娘を聖女だなんて言ってくれていただけで、チンピラの方々がそんな話を信じてくれるはずないのに。

 

 ああ、またやらかしました。今度こそ一巻の終わりです。もう打てる手がありませんから。

 

「で、偽聖女のお姐ちゃんは何がしたかったわけだ? あぁ? もしかしたら俺たちが、『聖女様スゲー!』ってなるとでも思ってたのかなぁ〜?」

 

 声音こそ甘ったるいものの、男が完全に殺意に近い感情を込めて私を見ているであろうことがわかります。目隠しのせいで目は見えないのですが間違いありません。

 私は思わずビクッとなりながら、先ほどまでの威勢は何処へやら、小さな声で答えました。

 

「本当、なんです。信じてくださいよ……」

 

「信じられるか。とにかくそのうるさい口を閉じろ!」

 

「わぷっ」

 

 思い切り胸ぐらを掴まれ、その上口を手で塞がれます。

 かと思えば地面に押し倒され、男の一人がのしかかって来ました。目隠しが剥がされ、男の醜い顔が視界いっぱいに広がります。

 どうやらいよいよ終わりのようです。他四人の囃し立てる声とのしかかってくる男の獣のような興奮した呼吸の音を聞きながら私は、恐怖に震え、目から涙が溢れ出すのを感じていました。

 

 ――ああ、私のことなんて、誰も助けてはくれないのですね。

 

「そこまでだよ、悪人ども」

 

 だから、たとえそんな声が聞こえたって、幻聴に決まっています。

 仮に私にのしかかっていた男の首が落ちていたとしても、それは幻覚に過ぎないのですから――。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ひ、ひぃぃぃっ――」

「だ、誰だお前はッ!?」

「なんてことしやがる!」

「そこの女の仲間か!?」

 

 男たちの悲鳴のような叫びが聞こえ、一気に周囲が先ほどまでと違う騒がしさに包まれました。

 ニヤニヤして私を見下ろしていたはずの男の顔はありません。代わりにそこには銀色の剣のようなものが見えており、私の頬に赤いものが滴り落ちて来ます。

 

「ボクは別にそこの女の子の知り合いじゃないよ? 通りすがりの剣士とでも名乗っておこうかな? ……女の子をいじめるとはボクは同じ男として感心しない。いいや違ったか。キミたちは獣だったね」

 

 そして私の頭上から降り注いで来たのは、男性――それもまだ幼い少年のような声でした。しかしその声音とは裏腹に、静かな怒りが込められているのがわかります。

 

 私はもしかすると、頭がおかしくなったのかも知れません。こんな幻覚と幻聴、おかし過ぎますもの。

 男の首が切り落とされて転がっていて、どこからともなくやって来た剣士に庇われている。そんなことが私の身の上に起こるわけがありません。

 なのにそれは確かに目の前で繰り広げられている事実であるかのように進んで行ったのです。

 

「クソっ。だから誰だって言ってんだよ!」

 

「キミたちにボクが名乗る義理はないよ。ボクはそこまでお人好しじゃないからね?」

 

 叫ぶ男に音もなく剣が向けられます。

 剣を持っているのは、血のように赤黒い仮面をした黒マントの男性でした。彼は続けます。

 

「キミたちを誘拐犯として拘束する。逆らわない方が身のためだよ」

 

「なっ、何言ってやがる」

 

「そんなナイフを向けてどうするのかな? ボクの剣の腕に敵うとでも思っているんだったらやってみてもいいけど?」

 

「――ッ!」

 

 男が激怒し、仮面の剣士に突っ込んで行きました。

 しかし、

 

「できればボク、手を汚したくないんだけどなぁ」

 

 そう言って肩をすくめる剣士によって、また視界が真っ赤なもので埋め尽くされ、男の断末魔が上がったのでした。



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44:本物の……

「立てるかい?」

 

「は、はい……」

 

 仮面の剣士に手を差し伸べられた私は、彼の手をとって立ち上がりました。

 縛られていた分手足が痛い……。もちろん縄を解いてくれたのは彼です。

 

 あの男五人組が全滅させられたのは、あれからまもなくのことでした。

 正確に言えば二人死亡、三人拘束。私にとってはあれほどに恐ろしかった男たちが、剣士一人に震え上がったのですから相当なことです。

 目の前で人が死んだなど私も信じられませんでした。しかし縄を解かれ助け起こされた今ようやく、状況を把握することができて来ました。

 

「うっ、うぇっ……」

 

 強烈な血の匂いと転がる男の生首に、思わず吐き気が込み上げて来ます。

 人の死に立ち会うのはこれが初めてでした。しかも、こんな派手な惨状を見てしまうだなんて、誰が想像できたでしょう。

 

 私は仮面の剣士の前で、しばらく吐き散らかしてしまったのでした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 ようやく吐き気がおさまった頃、私はなぜか剣士に背負われていました。

 いくら運んでもらうためとはいえ密着がすごいです。血生臭いことがあったのでドキドキできる雰囲気ではありませんが、それでも体が熱くなってしまいます。

 

「も、もう大丈夫、です。ありがとうございました」

 

「そうかい? なら良かった」

 

 でも降ろしてくれる気配は一向にありません。両手で拘束した男たち三人を引きずっている上に私を背負うなど大変に違いないのに。

 私はなんと言ったらいいか迷い、とりあえず適当なことを口にしました。

 

「どこへ向かってるんです?」

 

「騎士団詰所。一応これでもボクは騎士の端くれなんでね」

 

「えっ、騎士様なんですか!」

 

 ニニの着ていた騎士服とは装いが大きく違うので気づきませんでした。

 まあ、この剣士が嘘を言っていないという保証もないのですけど、先ほどの剣捌きを見る限りそんなこともないでしょうね。

 

 白馬の王子様なんてやって来ないと思っていたのに、仮面の騎士というお助けキャラが現れるとは……。神様、恨んでごめんなさい。感謝します。

 

「助けていただき、本当にありがとうございます。あのままじゃ私死んでるところでした」

 

「いいんだ。たまたま通りかかっただけだし、ああいう奴らは見つけ次第拘束・または斬り捨てるようにって騎士団の規則で決まっているからね。……でもキミのような女の子が助けられたなら、ボクとしても嬉しいよ」

 

 仮面で顔は見えませんが、私の方を振り返った剣士は笑っているように見えました。

 私はそんな彼を見つめながら、ふと、尋ねたのです。

 

「そういえばまだ剣士様のお名前を伺っていませんでした。教えてくれますか? あっ。こういう時は先に名乗るのがルールですよね。私は早乙女聖。これでも一応、聖女をやってます」

 

「そうなんだ。……って、聖女!?」

 

「はい。別に信じていただけなくても結構ですけど」

 

 聖女と言った瞬間、剣士が目の色を変えました。そんなにおかしな発言だったでしょうか? ……よくよく考えてみると確かにおかしな発言でした。この国で聖女の知名度がどれくらいかは知りませんが、少なくともあの男の人たちには信じてもらえませんでしたし。

 でも剣士が驚いた理由はなんだか違ったようです。

 

「そうか。もう聖女召喚の儀が終わったのか。しかし、この子が聖女? どう見ても子供に見えるんだけど……。でも確かにロッティの言ってた通りの風貌だし……。なら、どうしてあんな風なことに」

 

「あ、あのー?」

 

「ああ、ごめんね。少し情報を整理してた。……ボクのことは詰所で話すよ。ここで言うとちょっとまずいからね」

 

「はい。わかりました」

 

 てっきり『名乗るほどの者じゃない』と言われるパターンかと思いましたが、どうやら名乗ってはくれるようです。

 ただし私はそれまで、詰所とやらまでの道を彼の背中で揺られなければならないようでした。十五歳の乙女にこれは、恥ずかしすぎます……。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 詰所にはおとぎ話の中から出て来たような騎士様がたくさんいました。

 

 剣士が男たちの身柄を引き渡すと、騎士の一人がギョッとした顔をします。おそらくは拘束された男の方ではなく剣士を見て驚いたようでした。

 

「も、もしかして貴殿、いや、貴方様は」

 

「気にしないでくれ。別に歓迎とかはいなくていいからね」

 

 なぜこの剣士様は歓迎をわざわざ断っているのでしょう。というより、状況から見て普通であれば歓迎されるような立場の方なのでしょうか?

 謎の剣士の正体を考えている時、ちょうど彼から「約束通り話をしよう」と詰所の談話室というところへ呼ばれました。考えるより行った方が早いようです。私は彼について行きました。

 

 

 ――そして、騎士団詰所の談話室にて。

 

「ここでいいだろう。……待たせて悪かったね。

 まず先ほどの非礼を詫びさせていただこう。キミは知らないかも知れないけど、本来なら婚約者ではない異性に触れるのはマナー違反にあたる。状況が状況とはいえ、手を取ったことやおぶったことを許してほしい。

 そしてキミが訊いてくれたボクの名前だけど。聞いて驚かないでね。

 ボクはエムリオ・スピダパム。スピダパム王国騎士団所属の騎士にして、この王国の王太子でもあるんだ」

 

 赤黒い仮面を外し、燃えるような赤髪と綺麗なエメラルドの瞳を晒した少年は、そんな衝撃事実を堂々と明かしたのでした。

 

 

 どうやら、私を救ってくれたのはただのさすらいの剣士などではなく、白馬に乗ってはいないですが本物の王子様だったようです――。



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