ヨルさんと中年オヤジが『幸せ』になる話 (a-su)
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第一話
Aパート


 冬の気配を色濃く残した、雨の朝。

 給湯室でお茶汲みをしていた私は、「課長」のコーヒーにこっそりと()()()を入れました。

 

「ふ……ふふ……」

 

 私はヨル・ブライア。

 オスタニアの首都バーリントの市役所で、事務員として勤務しています。

 

「ねえちょっと、ヨル先輩はどう思います? キモくないです?」

 

「えっ、はい?」

 

 同僚であるカミラさんの声。

 慌てて顔を上げます。彼女は悪口に興じる人間特有のニヤケ顔で、こちらを見ていました。

 

「あ、あの、何がでしょうか……?」

 

「あのキモハゲ課長の話ですよぉ。最近ヨル先輩の事もジロジロ見てますよね。お尻触りたいとか思ってたりして」

 

 課長。これから鼻くそ入りのコーヒーを飲ませようとしている、()()()

 心が、嫌な音を立てました。

 

 

 

 

第一話

部下からも嘲笑される小太りで

キモいハゲオヤジの慰み者、

ヨル・ブライア

 

 

 

 

「…………そうですね。私も、キモイ、と思っています」

 

 私は努めて不快感を表情に出さず、笑顔で答えます。

 するとカミラさんは一瞬だけ驚いたような顔をした後、他の同僚とともに盛り上がり始めました。

 

「ヨル先輩でもキモいんだー! ですよねー! 私もああいう気弱そうなオッサンってマジ無理~」

 

 課長の悪口で、皆さんは給湯室に花を咲かせています。それは、いつもどおりの光景でした。()()()は、部下の皆さんからも嘲笑されているのです。

 

 悪口が楽しいかどうかは、ともかくとして。

 私も、課長には悪い印象を持っています。

 いえ、はっきり言って、嫌いです。

 とても、嫌悪しています。

 

「モテない中年が若い女に色目使うとかぁ、あり得なくないです?」

 

「ええ……」

 

「チビでハゲでなんか全体的に汚いし、『次長』とは大違いですよねぇ」

 

「…………」

 

 私は曖昧に微笑みつつ、一歩だけカミラさんから距離をとりました。

 

 私はヨル・ブライア。

 上司である課長、ミハエル・ゲルゲスという中年男に凌辱されている、二十七歳にもなって独身の冴えない()()()女です。

 

 

 ◆◆◆

 

 私は殺人を生業(なりわい)としています。

 平和に(あだ)なす悪人たちと見敵必殺の精神で対決し、力なき人々の安らぎを守る闇の仕事人。市役所の事務員とは世を忍ぶ仮の姿に過ぎません。

 

 組織によるコードネームは、いばら姫。

 自慢するようで恐縮ですが、仕掛けて仕損じ無しのスゴ腕と自負して、いました。

 三週間前、あのような失態を犯すまでは……。

 

『ブ、ブライア君!? ヨル・ブライア君か?』

『あっ』

 

 そう、ゲルゲス課長に目撃されたのです。

 彼はご家族とホテルのレストランに来ていました。私は標的を片付けた直後、彼とばったり出くわしてしまったのです。

 

『ああ……! やっぱりブライア君じゃないか!』

 

 私は対処を誤りました。

 直接手を下す事も、「部長」に報告して「お仕置き」してもらう事もできたはずです。

 

でも、彼の奥様と娘さんを見てしまったがために、その選択肢は消えてしまいました。

 課長にさえ黙っていてもらえれば、罪もないご家族を泣かせずに済む。そんな甘い考えに囚われたのです。

 

『ば、ばらされたくなかったら……!』

 

 浅はかでした。課長は私を脅迫し、関係を強要したのです。

 殺すという選択肢を放棄した世間知らずの殺し屋女に、為すすべはありませんでした。

 

『ぼ、僕は君の事が好きだったんだ!! ずっと好きだったんだ!!』

 

『や、やめて下さい…………! 私、経験が……なくて……』

 

『…………! う、うおおおぉぉぉ!!!!』

 

 後はもう、なし崩しです。

 課長に抱かれた回数は、すでに両手の指では足りません。何度も汚され、辱められ、私はもう逆らう事すら諦めてしまいました。

 

 こうして、ヨル・ブライアは卑劣な中年男の慰み者へと成り下がったのです。

 

 

 ◆◆◆

 

「ゲルゲス君! 君はいつになったら私の要求を満足できるようになるんだ!?」

 

「すっ、すみません……すみません……」

 

「まったくもう! 君みたいな使えない男が何で課長になれたのか不思議だよ!!」

 

 オフィスの廊下から、ゲルゲス課長が次長に叱責されている声が聞こえてきます。

 次長の声には怒りの他に、呆れと侮蔑の感情が入り混じっていました。

 

「やあ諸君、おはよう!」

 

 ドアを開けて、次長が入ってきました。生地のしっかりとした背広にはシワひとつなく、ブロンドの髪には一点の乱れもありません。

 

「「「「「おはようございます」」」」」

 

 快活な挨拶に、同僚たちは大きな声で応えました。私も、オフィスチェアごとくるりと回転して振り返り、笑顔を顔に貼り付けます。

 

「お、おはよう…………」

 

 その後ろから小さくなって現れた課長の事は、誰も見向きもしません。足取りは重そうで、くたびれた背広の背中が丸まって見えました。

 

「ブライア君もおはよう!」

 

「はい、おはようございます」

 

「どうだい? 最近調子は?」

 

「え……特に、変わりはないです」

 

「そうか。それは良かった! 君のような美人が元気でいてくれると私も嬉しいよ!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 次長は後ろから私の肩に手を乗せ、揉みほぐすようにして……体格も良く、男性ホルモンが溢れているような方なので、少し怖いです。

 

「ブライア君、今日の夜時間あるかな? 良かったら食事にでも行かないか?」

 

「え……? あ、えっと……」

 

 突然のお誘いに困惑していると、横からカミラさんが口を挟んできました。

 

「あー、次長ダメですよー。ヨル先輩はちょっと個性的って言うか、男性に興味無いんでぇ」

 

「む、そうなのかね? こんなに……美人なのに……?」

 

 次長の視線が、私の首筋から胸元へと移ります。その視線の動きに気づいた私は、反射的に両腕で胸を隠してしまいました。

 

「ははは、これは失礼! ほんの冗談さ」

 

「はあ……」

 

「では、私はそろそろ会議の時間だから失礼するよ。今日も一日頑張ろうじゃないか!」

 

 次長はそう言うと、足早に去っていきました。歩き方もサッサッと音がしそうなほど軽快です。

 

「はぁ~。次長って、洗練されてるって言うか、スマートですよねー」

 

「……はい」

 

 カミラさんは頬杖をついて、去りゆく次長の背中を眺めています。彼女の言葉どおり、次長の女性人気は高いものでした。

 若くして出世街道を突き進むエリート。美男子で仕事ができて独身というのは、「普通の女性」には魅力的に映るものなのでしょう。

 

「それに引き換え、課長ってばダサすぎですよねぇ」

 

「…………」

 

 その反対に、机に突っ伏してどんよりしている課長。私よりも背の低い小太りの体が、ますます縮んで見えます。

 私はコーヒーを載せたお盆を持って、立ち上がりました。

 

「おはようございます」

 

「お、おおヨルくんか。お、お早う」

 

 顔だけ上げて、私を見るなりびくりと怯えて、それから笑顔で取りつくろおうとする課長。

 

 四十歳になったばかりのはずですが、もっと老けて見えます。淋しくなった黒髪と、くたびれたスーツが余計にその印象を強めているのかもしれません。

 

「コーヒー、どうぞ」

 

「あ? ああ、ありがとう」

 

 私は、作り笑顔で()()()入りのコーヒーを差し出そうとしました。凌辱に対する、ささやかな意趣返し。

 ですが、私の手は宙でピタリと止まってしまいました。

 

「ヨルくん? どうかしたかね?」

 

「……何でもありません。コーヒー、冷めているみたい、ですから」

 

 結局私は、コーヒーを引っ込めました。

 別に、課長に優しくしたいわけじゃありません。あまりにも下らない事をしかけた自分に、少し腹が立ったのです。

 

「新しいのを、いれてきます」

 

「ああ、いや!」

 

 私が給湯室へ向かおうとすると、課長は慌てて立ち上がりました。

 

「あ、あの……何か?」

 

「いやあ、その…………『後で郵便局に手紙を出してきて欲しい』んだけど、頼めるかな」

 

「!」

 

 マイナスの感情が背筋を這い上がってきます。これは合言葉なのです。今夜、二人きりで会いたいという。私は彼の顔色を見ながら、はいとだけ答えました。

 

「そうか、じゃあよろしく頼むよ」

 

 課長は私に封筒を手渡すと、すぐに目を逸らしてしまいます。封筒には、落ち合う為の場所と時間が書かれた紙が入っているはずです。

 

 よほどの事がない限り、私はそこへ行かなければなりません。それが、脅迫によって押し付けられた秘密の契約。

 

「……分かりました」

 

「うん……。よろしく」

 

 

 ◆◆◆

 

「や、やあ、待たせたね」

 

「…………はい」

 

 午後六時。定時を過ぎてから少し時間を空けて、私たちは落ち合いました。冷え切った空気が、コートの上からも肌を刺します。

 

 ここはバーリントの中心から少し離れた歓楽街。

『オスタニアで最も罪深い1マイル』と称される、極彩色のネオンサインが輝く夜の街です。

 

 この通りでは、様々な人たちが酒を飲み、踊り、そして性を売り買いしています。

 いくつものガラス窓の向こうで、煽情的な姿の娼婦たちが道行く男性に媚を売っているのが見えました。

 

「は、はは、今日もすごい人だな。ヨルくんは、き、きれいだから、こんな所だと声をかけられて大変でしょう」

 

「はい」

 

 この寒さの下で脂汗を流し、声を上ずらせながら思いやる()()をする課長。私に話しかけることで、自分を鼓舞しようとしているのです。

 私はそんな彼を見て、やはり胸の奥で不快な音がするのを感じていました。

 

「わ、私は君の部屋でも」

 

「すみません、部屋は、許して頂けませんか?」

 

「い、いや! いいんだ! いいんだよ! すまないね!」

 

「いえ、ありがとう、ございます」

 

 この男を、家に上げる、なんて。心安らかに眠れる私の聖域を踏み荒らされるなんて、とても我慢できません。それだけは絶対に嫌でした。

 

「お腹は空いてないかい?」

 

「いえ、あまり」

 

 私は正直に答えます。この関係が始まってから飲み始めた避妊薬が、私の体から食欲を奪っていました。特に課長と会う夜は、何も口にしたくない気分になるのです。

 

「あ、ああ、そうか……。こ、今夜は冷えるからね。はは、あはは……」

 

 そんな私を見て、課長は悲しげな顔をしました。

 心の弱い人です。自分が女を傷つけていることに耐えられないのでしょう。軽蔑する一方で、憐れみを覚えてしまいます。

 

「そ、そうか。なら、行きましょうか」

 

「はい……」

 

 私達は並んで歩き始めます。課長は周囲をきょろきょろと見回しながら、私の腰に手を回してきました。

 

「な、何だか、寒いねぇ。ほら、くっついて」

 

「……」

 

 私は何も言わず、彼に身を任せました。だって、逆らえませんから。

 

 

 ◆◆◆

 

「ヨルくん……ああっ! ヨルくーん!!」

 

「っ……! ……終わりですか……」

 

 脈動が終わると、課長はゆっくりと体を起こしました。萎え始めたペニスを引き抜かれる瞬間は、何度経験しても背筋が粟立つような不快感を覚えます。

 

 課長が正常位で私を犯したのは、酒場の三階にある粗末な貸し部屋。壁は薄く、外を歩く人々の話し声まで聞こえてきます。

 

 本意ではありませんが、私にとってはもはや慣れ親しんだ場所でした。こんな所を使うのは酒場で出会った一夜限りのカップルか、娼婦と客か、さもなければ人の道に外れた男女くらい。

 

 そう、まさに今の私みたいに……。

 

「い、いつもごめんね、こんな普通じゃないモノで」

 

「いえ…………」

 

 彼が言うモノとは、ペニスのことです。確かにソレは、普通ではありませんでした。大きさもさることながら、とてもグロテスクなのです。

 

 全体に反り返って、ピンクの亀頭とどす黒い陰茎の段差がはっきりしていて、びっしりと浮き出た血管が脈打っていました。

 

 殺しの仕事で男性の裸体は度々目にしてきましたが、これほどまでにおぞましい、別の生き物のような男性器は見たことがありません。

 それが今、自分の中に挿入されていたと思うだけで吐き気がします。

 

「ふう……ええと、次は……『後戯をして、女の子の体を気遣ってあげましょう』……か」

 

 課長の言葉を聞いて、また心が嫌な音を立ててしまいます。それはまるで心臓に刃を突き立てられるような、鋭い痛みを伴うもの。

 

 ですが課長はそれに気付かないまま、ぎこちなく私の髪を撫で、額やまぶたに口づけをしてきました。私は目を閉じて唇を固く引き結びます。

 すると彼は苦しそうな声でこう言いました。

 

「ごめんねヨルくん、苦しかっただろう? ごめんね、ごめんね」

 

 私は課長の事が嫌いです。大嫌いです。こんな風に優しくされても、私の心は晴れません。もっと激しく乱暴に扱ってくれた方が、まだマシだと思うのです。

 

「つ、次は、気持ちよくしてあげるからね。もっと勉強して、上手にできるように頑張るからね。許しておくれよ、ヨルくん……」

 

 私は何も言わず、ただ膣内に射精された精液の感触に耐えるばかりでした。

 大丈夫、避妊薬は飲んでいます。もし妊娠してしまったとしても、そのときは堕胎すれば良いのです。お金ならあります。そうです、そのはずなのです。

 

「ええと、次は……『優しく体を触り、女性の快感を長引かせましょう』…………お、おっぱいにしようか。ヨルくん、いいよね」

 

「……どうぞ」

 

 許可を出した途端、課長の短く太い指が、恐る恐る乳房に触れました。脂肪の塊を鷲掴みにされ、むにゅっという嫌な感覚が全身に広がります。

 

「あっ……! ううっ……」

 

「ご、ごめんね! 痛い?」

 

「……いえ、平気です」

 

 こうなるまで自覚はありませんでしたが、私の体は男性に好まれるものらしいのです。

 恥ずかしながら中玉のメロンほどもある乳房は、服の上からでも目立つほどに膨らんでいます。

 

 課長も私の容姿をことのほか気に入っているようでした。血走った目で見つめ、「ふん、ふん」と息を荒げています。

 

「お、大きいねぇ……いつ見ても、素晴らしい、お、おっぱいだね」

 

 重みでほんの少し垂れ下がる、つりがね形をした脂肪と乳腺の固まりは、根本から薄紅色の先端まで約15センチ。

 

 乳房を支える下着はGカップ、市販品の中では最も大きなサイズを選んでいます。

 こんな大きなものをぶら下げていても、良いことなどひとつも有りません。肩こりと胸の揺れによる頭痛に悩まされ、殿方を喜ばせるだけです。

 

「あああ……すごい!」

 

 ……ほら。

 課長は感嘆の声を上げ、壊れ物を扱うような愛撫を始めます。短い指は小刻みに震えており、力加減を間違えていないか不安に思っているのがよく分かります。

 

「き、きれいだ、ヨルくん、ヨルくん……」

 

「……ありがとうございます」

 

 課長は、セックスの教本か何かをなぞっているようでした。褒め言葉も、手つきもそうでしょう。本当だったら嬉しいはずの言葉なのに、私には虚しく響くばかりです。

 

「優しくっ……ううっ……ヨルくぅん……優しくするから…………!」

 

 優しく? 違うでしょう? 

 あなたのそれは優しさなんかじゃなくて、ただの弱さからくる保身でしょう? 

 あなたはただ、自分の性欲を満たしたいだけ。私の体を使って、自分を慰めているだけ。

 

「どうぞ、好きな様になさってください」

 

 私はそう言って、体の力を抜きました。全てを受け入れるつもりで。そして早く終わらせてしまいたかったのです。

 

 課長は満足そうに微笑んで、私の汗ばんだ胸元に手を伸ばしました。愛おしそうに撫で回しながら顔を寄せ、先端を口に含んでちゅっ、ちゅっ、ちゅう……と子供のような音を立てます。

 

「うう……おいしいよ、ヨルくん……すごく、エッチだよ……」

 

「……」

 

 安心感でうっとりとしているような、幸福そうな、満ち足りた笑み。私の乳房に顔を埋める時、この人はいつも決まってこんな表情を浮かべるのです。

 

 頬がひきつるのが分かります。普通、脅迫で言いなりにした女にそんな表情を浮かべてすがりつくでしょうか? 

 

 ……普通。普通ってなんでしょう。

 

 普通に出会って、普通に愛し合って、普通にするセックスは、こんな苦痛と屈辱と嫌悪にまみれたものとは思われません。

 

 私だって女です。普通のセックスがしたい。普通の恋人同士でするような甘い愛撫で、身体中を優しく包んで欲しい。普通に笑い合いたい。恋をして、結ばれて、幸せな家庭を築きたい。

 

 ……なぜ私は、普通のセックスができないの。

 

 涙があふれそうになって、慌てて両手で顔を隠します。課長に見られたら、凌辱の時間が長引くだけですから。

 

 どうして泣くことさえできないのでしょう。人殺しだからでしょうか。殺めてきた悪人たちの恨みが、私を呪っているのでしょうか。汚れているから、普通の人に愛される事は永遠に無いのでしょうか。

 

 そうかもしれません。だって、そうでなければ。何の罪もなしに、こんな目に合うなんて。あんまり、じゃないですか。

 

「ああ、ヨルくん、好き、好きだよ、好き……」

 

「……」

 

 もう何度目の凌辱でしょうか。私の頭は麻痺していて、回数を正確に思い出すことすらできません。

 ただひとつだけ言えることは、この関係がまだまだ続くだろうということです。彼が飽きるまで、もしくは死ぬまでずっと……。

 

 もう、死んでしまいたい……。

 

 

 ◆◆◆

 

 ゲルゲスがヨルを愛撫していた時、その隣の部屋。一人の男が連れの娼婦そっちのけで、二人の声に聞き耳を立てていた。

 

「へ、へへ、まさかゲルゲスのクズと、あのブライア君がなあ」

 

 それは体格がよく、男性ホルモンが溢れているような、いかにもエリート風の男だった。

 

(続く)



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Bパート(♡)

 昨夜、課長のペニスが下腹部に残した重い感覚。深いため息が、私の口から押し出されました。

 

「ため息をつくと幸せが逃げるよ、ブライア君」

 

「あ、次長……」

 

 よく通る張りのある声。

 制服のまま庁舎の裏庭でベンチに腰掛けていた私は、ハッと我に返りました。

 

「そんなに暗い顔で。美人が台無しじゃないか」

 

「すみません……ちょっと疲れていて……」

 

 次長はそうかと頷き、隣に腰を下ろしました。

 

「……」

 

「あの……」

 

「いい天気だねえ。こんな日はのんびり昼寝でもしたいもんだ」

 

「はあ。まだ少し、肌寒いですけれど」

 

「ははは、違いない」

 

 朗らかに笑って空を見上げる仕草は、とても優雅でした。いかにも爽やかでハンサムなのです。

 

「──そういえば、ゲルゲス課長の件だが」

 

 ドキリとして、体が強ばりました。どうして私に課長の話を?

 

「私は彼をあまり評価していない。それは君も知っているだろう?」

 

「……はい」

 

 それどころか、毛嫌いしています。確か次長は三十五、課長は四十。五つも年上の部下をみんなの前で叱責する姿を何度も見ました。

 

 ……そのたびに屈辱に歪む、課長の表情。同僚たちの冷たい視線の中を歩く()()()は、まるで針のむしろの上にいるようで……。

 

「奥さんの家柄が良いだけで出世したような男さ。そのくせ一人前のつもりで頑張りたがる。無能な働き者ほど迷惑なものはないね」

 

「……そうでしたか」

 

 正直、課長が有能か無能かをつぶさに観察したことはありませんでした。私にとって市役所は正体を隠すための隠れみのであり、平穏無事に勤務できればそれでよかったからです。

 

 でも……課長の、奥様。私を凌辱する課長の配偶者、ひょっとしたら課長が愛してやまない相手かもしれません。

 

「課長の奥様は、官僚か何かのご令嬢だったのですか?」

 

「ああ、そうだ。お父上が財務省の高官でね。ゲルゲス君との娘も、今年名門校を受験する予定らしいよ」

 

「……」

 

 財務省の高官……名門校を受験……

 ……胸がムカムカしてきました。

 

 奥様。あなたが、もっとしっかりなさっていれば、課長が私を脅迫することもなかったのに。

 私の胸なんかに顔をうずめて、あんな幸せそうな表情を浮かべることもなかったのに……!! 

 

 心の中で毒づいていると、次長は私の顔を覗き込みました。

 

「ところでブライア君。悩み事でもあるのかね?」

 

 どきりとして思わず顔を逸らしてしまいました。もちろん、心当たりがあるに決まっています。

 

「力になるよ。君は美しい女性だ。もし何か困ったことがあったら私に相談して欲しい。どんな問題でも解決してみせるよ」

 

「ありがとうございます……次長」

 

 ……どうしたものでしょうか。

 

 次長ならば荒っぽい手段を使うことなく、奥様と娘さんを傷つけず、穏便に課長をどこかへ追いやれるのでしょうか。

 自分が世間知らずなことが悔やまれます。ですが、決断の時が来たのかも知れません。

 

「……実は私……」

 

 私は意を決して話し始めました。殺し屋という秘密は伏せ、しかし課長の非となる内容だけを()()摘んで、自分に都合よく……。

 

「……ほう! それは大変だ!」

 

 次長の反応は予想以上に大げさで、逆に面食らってしまいました。彼はすぐに立ち上がり、私に手を差し伸べてきます。

 

「よし、分かった! 私が君の助けになろう! 一緒に問題解決の手段を話し合おうじゃないか!!」

 

 ──こうして私は、蜘蛛の巣に自ら身を投げてしまったのです。

 

 ◆◆◆

 

 そこから先は、あっという間でした。次長は柔らかい態度とこなれた口説き文句で、心の隙間に潜り込んできました。

 

「ここは私の行きつけでね。居心地のいい店だよ」

 

 アフターファイブ、私は誘われるままバーに足を踏み入れていました。シックな雰囲気で統一された店内には、私と次長の他に客の姿はありません。

 

「えへぇ~、このお酒、美味しいれす~」

 

 火照った頬に手を添えて舌っ足らずな喋り方をしている私を見て、次長が微笑みます。

 切れ長の瞳に見つめられ、いつもの私なら赤面していたでしょう。ですが、今日は全然平気でした。

 

 だって次長が勧めてくれた「青いお酒」を飲むと、何だか色々な事が()()()()()()()()()()()んですも―ん♪ 

 

 ……んっ♡ 

 

「ほら、またこぼしてるじゃないか」

 

「ごめんなさーい♪」

 

 こぼれた水滴を、ハンカチで拭かれちゃいました。次長の手が私の脚に触れ、太ももを撫で上げてます。スーツのスカート越しでも触られている感触が分かっちゃいます。

 

(課長とは大違いです)

 

 課長の、あの怯えたような目付き、何かを期待するような手つき。次長はそんなものと無縁でした。私の体を()()()()()()()()()()()眺めながら、()()()触ってきます。

 

(あー、お酒おいしいなー)

 

 そんなことを考えているうちに、グラスは空になっていました。次長を見上げておかわりを要求します。

 

「おお、良い飲みっぷりだ。ブライア君は酔っても美人だね」

 

「えへへー……ふぁ……」

 

 ああ、気持ちいいです……♪♪ 

 ふわふわしています……♪♪ 

 ついつい、次長に頭を預けてしまいたく……

 うふふふふ……♡♡ 

 

 でもだめです、何か──()()()()()()()

 それは、とっても不快な感覚……

 おそらく危機感と呼ばれるものですが……

 

 今の私にとってはどうでもいいことです……

 そんなことよりも……

 

 ……あ、あれ? なんだか……

 頭がボーッとしてきて……

 うまく考えがまとまらないです……。

 

「へ、効いてきた効いてきた。乳もケツもデカいし、世間知らずの地味女もたまにゃ悪くない」

 

「……??」

 

 次長が何か言っているようでしたが、上手く聞き取れません。いえ、聞き取れても理解できなかったでしょう。

 次長が、私の胸に軽く触れてきます。

 

「……ッ!?」

 

「へへ……」

 

 頭の中がグチャグチャになりました。体の奥からマグマのような熱がこみ上げてきたのです。

 その熱さが喉を通って言葉になり、口から漏れ出ます。

 

「あ……ぁ……ああ……!」

 

「おやぁ? 大丈夫ぅ? 酔っちゃったかい?」

 

「は…………い……」

 

 私は危機感を覚えていました。情欲が、腰の奥深くでジリジリと煙を上げていたのです。それを認識した瞬間、自分の呼吸が荒くなっていることに気づきました。

 

 心臓が早鐘を打っています。体が熱い。特に下半身は熱の塊みたいでした。全身がじっとりと汗ばみ、ブラウスが肌に張り付く感触に思わず身をよじります。

 

「辛かったら、お手洗いに行ってくるといい。ここのトイレは個室だから、()()()()()()()()()からね」

 

 次長の声は優しくて、そして淫靡でした。私の耳に息を吹きかけながら囁きかけてきます。

 

「……はい……」

 

「へへっ」

 

 ぞくりと背筋が震えましたが、嫌悪感を感じる暇もありません。それよりもこの疼きを鎮めたくてたまりませんでした。

 

 ふらふらと立ち上がってカウンターに手を突き、よろめくようにして歩き出します。

 背後から投げかけられる視線は、私の腰やお尻を舐め回してくるようでした。

 

 

 ◆◆◆

 

 トイレの中は無人でした。一人用の個室で、腰かけ式の便器とお洒落な洗面台があります。芳香剤と洗剤の匂いが混じった独特な臭気が充満していました。

 

「……はぁ……んく……私、こんな顔で……ふ……ふあぁ……♡」

 

 鏡の中から、潤んだ瞳が物欲しそうに私を見つめ返してきます。瞳は潤んで、揺れて、まるで泣き出す寸前の子供みたいでした。

 そんな自分の顔を見ていると、ますます興奮してしまって……

 

「んっ……あっ……ん……く……あ、ああ…………鍵、鍵を、閉めないと……」

 

 ブラウスの上から乳房を揉みながら、震える手で後ろ手にドアの鍵を掛けます。カチャリという乾いた音がとても大きく聞こえました。

 

 ちゃんと鍵はかかったでしょうか。

 万に一つ、かけ損ねていたら。

 誰か入ってきてしまったら。 

 

 その恐ろしさに身震いしつつも、手は止まりません。それどころか激しくなる一方です。乳房をぐねぐねと歪めるように揉むたびに、甘い痺れが走ります。

 

「──あふっ!?」

 

 突然、脳天まで響くような刺激に襲われました。気づかぬうちに、乳房を揉むのと反対の手でクリトリスをまさぐってしまっていたのです。

 

 ストッキング越しとはいえ敏感な突起を弄り回しているのに、痛みなんてちっとも感じません。むしろ心地よさすら覚える始末です。指の動きに合わせて、腰が勝手にカクつきます……っ♡ 

 

「はぁーっ♡ はああぁっ♡♡ はっ♡ はぁん♡♡」

 

 私は二十七、世間では婚姻していないことを怪しまれる年齢の女です。性欲だってありますし、課長に犯されて処女でもなくなりました。

 それでもこれほどの情欲を感じたことはありません。酒精のせいだけではないはずです。

 

 ないはずだけど、ああ、もう……! 

 我慢できないッ!! 

 

「はぁ♡ はぁっ……♡ だめぇ……こ……こんな……こんなのぉ……!!」

 

 どうしよう……これ……! 

 すごすぎ……っ♡♡♡ 

 

 布越しなのにこんなに感じるなんておかしいです。絶対に変です。それなのに指が止まらないんです……っ! 

 

「ああ……ああっ……! 気持ちいいの、どんどん膨らんでくっ……すごいぃっ……♡♡♡」

 

 パンツの中はもうドロドロで……触る前から湿ってたんですけど……触ったら余計にヌルヌルになっちゃって……もう私、お漏らししちゃったみたいにびしょ濡れで……!! 

 

 ああ、私、ヨル・ブライアは、バーのトイレでしちゃってるっ♡ オナニーしちゃってますっ♡ 

 

「い、いくっ、イクッ、い、いっ、いぃっ……あ゛っ!!!」

 

 ビクビクって痙攣して、そのままトイレの床にしゃがみ込んじゃいました。

 こんな、私……私ぃ……! 

 

「はーっ、はーっ、ふうぅ……ううっ……」

 

 床に手をついて四つん這いになったまま荒い呼吸を繰り返します。頭がクラクラして何も考えられない。とにかくすごく気持ちよかったことしか思い出せません。

 

「……も……戻らなきゃ……」

 

 ふと思い至り立ち上がろうとしましたが、足に力が入りません。洗面台に手をかけて、なんとか立ち上がります。まだ余韻が残っているのか膝が笑ってしまっていました。

 

「あ、ああ、私……」

 

 洗面台の、鏡の中。そこに映るのは、見たこともないほどイヤらしい顔をした女性の姿です。

 顔は真っ赤に紅潮し、目は虚ろに濁っています。口の端からは涎を垂らし、半開きになった唇から赤い舌が覗いています。

 

 黒いスカートの裾から伸びる足は内股になってガクガクと震えていて、立っているのがやっとです。しかも、ストッキングが破けて露出した太ももの内側を、透明な液体が一筋伝っていました。

 

 それを意識した瞬間、ゾクゾクとした感覚と共にお腹の奥の方が切なくなってしまいます。

 

 まるで発情期の犬みたい……。

 ……これが私……? 本当に……?? 

 

(ど、どうしてこんなことに……?)

 

 原因は分かります。さっき飲んだ「青いお酒」のせいだということは間違いありません。

 

 でも、なぜ? 

 どうして次長が、とっくに汚れた私なんかを? 

 

「は、は、うう、ああ…………火が、火がついちゃってる……っ」

 

 体の奥底から炎が燃え上がっていて、それが私を苛んでいます。炎の正体については考えるまでもないことです。私は熱く疼くお腹に手を当てました。そうするだけでもピリッとした甘い感覚が走り抜けていきます。

 

(ああ……ここ……子宮だ……)

 

 私は知っています。そこが自分という女の中心であることを。

 

 だって、課長の大きなペニスが何度も何度もここに叩きつけられて、何度も射精されてしまったんですから。

 私の初めてを奪っただけでなく、その後も幾度となく犯されたんですから。

 

「ぬ、脱がなきゃ……」

 

 ふらつく足で何とか便器までたどり着き、そこでストッキングとショーツを脱ぎます。

 クロッチ部分が糸を引くほどに愛液でビショビショになっていて、脱いだそばから滴った蜜液がトイレの床を汚します。

 

「……っ……」

 

 便座に腰掛けるとひんやりとして少し気持ちいいのですが、火照った体にはそれも物足りません。すぐにもっと熱くなることは分かっていましたから。

 

「んっ、んっ……」

 

 右手の指を舐めて濡らし、それからそっと秘所に触れます。途端に電流のような刺激が背筋を駆け抜けました。体がビクッと跳ね上がり、脚が閉じてしまいそうになるのを必死にこらえます。

 

「あふぅぅっ!」

 

 陰唇はぱっくりと口を開き、物欲しそうに指の腹へ吸い付いてきました。それを押し戻すようにして、膣口に中指を沈めていく。すると待ちわびた刺激を与えられたと言わんばかりに、膣壁全体がきゅうっと収縮して歓喜に打ち震えました。

 

「あ、ああ、あ、あ、あ、あ、あ」

 

 最初は一本だけ、ゆっくり抜き差ししていたはずなのに、いつのまにか人差し指も挿入し、二本で膣内をかき回していました。

 ペニスとつながるために、拡張された女の(ほら)

 

「あは、すっかり広げられてしまいました……」

 

 誰に? 

 

 その瞬間、脳裏によぎったのは課長のことでした。この体は()()()を受け入れられるように作り替えられてしまったのです。 

 その事実がたまらなく嫌で、でもどうしようもなく興奮してしまいます。

 

「あぁ……すご……い……いい……いひぃ……♡」

 

 自分が唯一受け入れたモノの形、その大きさを想像して下腹部がきゅんと疼きます。膣内の天井部分を擦り上げる度に電撃のような快感に襲われ、背中が大きく仰け反ります。

 

 グチュッグチュッグチュッ、とはしたない水音を立てているのは、私の体から分泌される体液です。まるで失禁したかのように溢れ続け、あっという間に手首まで伝ってきました。 

 

「ふぅ……うう……!」

 

 次第に興奮で頭がぼんやりとして、妄想はエスカレートしていきます。 

 あの人の、課長の、大きくておぞましいペニス。

 

 亀頭の形。

 雁首の段差。

 肉茎の硬さ。

 血液の流れ。

 浮き出た静脈。

 汗と尿が入り混じったような男の臭い。

 昂ぶる体温と、熱病に浮かされたような言葉。

 

『好きだぁ、ヨルくんっっっ』

 

 何もかもが鮮明に蘇ってきて、そして……

 

「……っっ!!!」

 

 私は、二度目の絶頂に達してしまいました。頭の中が真っ白になり、全身が激しく痙攣します。

 そして数秒後に訪れる脱力感。私はそのまま、ぐったりと背もたれに寄りかかりました。

 

「……ああ………………♡」

 

 肩で息をしながら天井を見上げます。そこには一匹の蜘蛛がいました。冬なのに、たった一匹、来るはずもない獲物を待って複雑な巣を張る蜘蛛。

 

 じっと動かないその姿はどこか滑稽で、けれど何故か目が離せませんでした。

 私と同じ。来るはずもない幸せを、ただ待ち続けている……。

 

 ──ヨルくん! 僕のヨルくん! 

 ──君の事が好きなんだ!

 ──僕は君を愛している! 

 

 初めて犯された時、課長は無我夢中で腰を振りながらそんな言葉を叫びました。

 あれは、どういう意味だったのでしょう。

 

 まさか本気な訳がない……だって、だって……

 ……だって、あの人は最低な人です。

 

 奥様がいるくせに、娘さんがいるくせに、部下の私を脅迫して、無理矢理犯すようなひどい人なんですから。

 

 でも、だったらなんで、あんなに熱っぽい目で私を……あれは……その場の雰囲気に流された……だけ……? 口から……出まかせ……? 

 

「課長……」

 

 私の手は、いつの間にかブラウスのボタンを外して胸をはだけさせていました。

 簡素な白のブラに包まれた二つの膨らみを、両手ですくうように持ち上げます。柔らかいそれは、手の中でムニュリと潰れて谷間を作りました。

 

『ヨルくん、き、きれいだ、ヨル君、とても綺麗だよ……! 』

 

 課長は、この谷間に顔を埋めるのが好きなようで、幸せそうな顔で甘えられます。

 もちろん私は嫌悪感を感じるのですが、なんだか赤ちゃんを抱いているような気分を味わったのも確かです。

 

「……はぁ……」

 

 ブラを上にずらすと、乳房の全貌が現れます。とっくに成長期は終わり、芯も痛みもなく張り詰めた、成熟した女のもの。たっぷりとしたソレらは、自分で触ってもとても柔らかく、温かいものでした。

 

 大きくて、重くて、何の役にも立たない脂肪のかたまり。こんなものをぶら下げているせいで肩はこるし、戦う時は邪魔だし、服だって選ぶ必要が出てくる。

 

 そして、男性から欲望の対象にされてしまう。いい事なんて一つもありません。

 けれど。

 

「んん……イイ……♡♡」

 

 白い脂肪全体を掌で包み込みながら、親指を使って乳輪をなぞるように撫で回し、そのまま円を描くように優しくマッサージします。

 膣内をいじっている時の激しいものとは違う、ゆったりとした波のような快感……♡ 

 

「ああ……んっ……んふ……ふっ……」

 

 自分の体の一部とは思えないほどいやらしい形をしている二つのかたまり。それはいつも私を不安にさせると同時に、妙な期待を抱かせる存在でもありました。

 

 もし、もっと女性らしい装いで街を歩いたらどうなるでしょう? 

 すれ違う人が振り返るくらい魅力的な女性になれたなら、普通の幸せを手に入れることができるでしょうか? 

 

 素敵な殿方と街でデートしたり、お互いの家を行き来したり、将来を誓い合ったり。

 

 私より年上なら、連れ子がいるかもしれません。でも私は年の離れた弟をずっと世話していましたから、きっと仲良くできるはずです。愛情を注いで、賑やかで幸せな家庭を築けたら。

 

 想像するだけで、幸せな気持ちがこみ上げてきます。穏やかな快感の中で、私はそんな夢を見ていました。

 

 ──そして、いつか家族が増えたら、このずっしりと大きな乳房でお乳をあげるのです。

 

「はぁ……あ……あ……!」

 

 私は夢中で自分の胸にしゃぶりつきました。大きな乳房は自分で乳首を口に含むことができ、自慰の道具として使うにはもってこいなのです。

 

「んふーっ! んふーっ!」

 

 唾液まみれにして下品な音を出しながらすすり上げれば、頭の奥がジーンとして意識があいまいになっていきます。ただ目の前の肉塊を口に含み、舌の上で転がしてはチュパチュパ吸い上げる。それだけに夢中になれます。

 

 そうしているうちに頭の中が真っ白になり、ふわふわした幸福感に包まれるのです。その感覚は麻薬のように甘くて中毒性がありました。まるで赤ん坊に戻ったような安心さえ覚えて、いつまでも味わっていたいと思わせる何かがあります。

 

「ふーっ! ふっ……! ううう~!!」

 

 それでも、下半身はいつまで放っておくんだと不満を訴えてきています。子宮のあたりが激しく疼いて切ないのです。早く欲しい、満たして欲しいと訴えかけてきます。

 

「ぷあっ」

 

 乳房を口から離すと、先端からは涎の糸が伸びていました。それを絡め取るように人差し指でなぞります。

 

「ひひっ、ひっ、ひっ♡」

 

 乳輪の縁をくるっと一周させて焦らし、また中心部分をつつくようにして苛め抜きます。そうすると腰がガクガク震えてたまらなくなります。

 

(だめ……こんなの……我慢できない……)

 

 私の右手は自然と自分の下半身に向かって伸びていきました。陰毛を掻き分け、陰核に触れます。

 課長のアレと同じように充血して勃ち上がったクリトリス。おしっこも精液も出さない、ただ快楽のためだけに存在する、いやらしい女の器官。

 

「ははっ……すごい、おおきい……」

 

 あまりの勃起ぶりに、つい笑ってしまいました。海綿体と快楽神経の集合体はぷっくりと膨らんで、包皮からは先端がはみ出しています。 

 

「うぅ~……」

 

 またイキたい。切ない気持ちがどんどん強くなっていきます。今すぐシコシコと激しくシゴいてしまいたい。私は鼻息を大きくしながら股間に手を伸ばし、包皮に指をかけました。

 

「あっ、あ、あ……!」

 

 ゆっくりとむき上げていくと、痛いくらいに充血して肥大化した肉の芽が現れます。普段は隠れている陰核亀頭は、外気に晒されただけでピクンと小さく震えました。

 

「はあ……はあ……ああっ……!」

 

 私は口で大きく息をしながら、そこに指を触れました。軽く触れるだけで電気が走ったみたいにビリビリッと痺れます。

 

「ああ……っ、すご……っ、はぁ……っ」

 

 本で読みました。クリトリスは、性感帯の中でもペニスと同じくらいに有名だと。

 もちろん個人差はありますが、大体の女性はそこを弄られるのが大好きで、自慰行為を行う際には必ず触る部位だと書かれていました。

 

「ふうーっ、ふーっ……」

 

 私も、ここへの刺激は大好きです。目を閉じて鼻から息を吸い込み、指先を動かし始めました。

 優しく表面を撫でるだけのごく弱い上下運動です。しかし、たったこれだけでも凄まじい快感が得られます。

 

「いい、いい……これ……」

 

 気持ちいい。気持ちいいです。脳天まで突き抜けるほどの快感に全身を支配されます。指を動かすたびに電流のような衝撃が駆け抜け、頭の中にチカチカと火花が飛び散ります。

 

「はっ……はぅ……うぅぅぅぅぅ♡♡♡」

 

 オナニーというのは不思議なものです。こういう性的な事をほとんど知らずに育った私でさえ、これほどまでに強烈な快楽を得られるのですから。

 

 これはダメかもしれないと思うほどの快感なのに、どうしても手を止めることができません。むしろもっともっとと貪欲になり始めて、ますます強く激しくそこをコスろうとします。

 

「ひゃっ……あふっ……あ、あっ、あああっ♡」

 

 危うい部分を指の腹で撫で回したり、爪で引っ掻いたりしているうちに頭の中はどんどん真っ白になっていきます。何も考えられなくなっていって、気持ちいいってことしか分かりません。

 

「はひっ、あふっ、だめ、ダメ……もう……っ」

 

 右手が撫でる陰核と同時に、左手で乳房と乳首も可愛がってあげます。手のひらで乳輪をなぞるように撫でまわし、乳首をきゅっと摘みます。

 両方の刺激を同時に受けると、頭がおかしくなりそうなほどの快感が襲ってきました。

 

「うあ、ああ、ああ、ああああああ……っ♡♡」

 

 もっと、もっと強い刺激が欲しい。私は我慢できずに乳首に噛みついてしまいました。歯を立ててぎゅーっと引っ張ると、ビリビリと激しい快楽が押し寄せてきます。

 

「はぶっ、はぶはぶはぶ……!」

 

 私は夢中になって性感帯を刺激し続けました。

 左手は相変わらずおっぱいを揉んでいます。

 柔らかい脂肪の塊をグニュングニュンと変形させ、形が変わってしまうくらい強く握りつぶせば、下腹部がキュンキュンと痙攣して切なくなります。

 

「んひいぃ……ッ!!」

 

 そして右手はクリトリスをいじくり回して、親指でグリグリ押し潰すように刺激します。

 もうこれ以上はないというほど敏感になっているそこを撫で回し、摘まみ上げ、引っ張ったり擦ったりして虐め抜くのです。

 

「あっ♡ あ──っ♡♡ ア゛ァ──ッッ♡♡♡♡♡」

 

 もちろん女穴には指を二本入れてグチュグチュかき回していました。Gスポットと呼ばれる箇所を探り当てると、そこを指先でこすり上げるように何度も何度も往復させているのです。

 

「ああ、凄い、凄すぎるぅ……♡ ああ……♡♡♡」

 

 性の悦びが、まるで麻薬のように私を虜にして離してくれません。一度知ってしまえば二度と戻れなくなる魔性が、この肉体には宿っているのです。

 

「ふーっ♡ ふーっ♡ ごめっ♡ なさっ♡」

 

 私はいつしか、自分の体に申し訳なさを感じ始めていました。

 

 惨めなオナニーばかりさせて、ごめんなさい。

 成熟した女である『あなた』には、セックスを満喫できるポテンシャルがある。

 なのに『わたし』が不甲斐ないせいで、それを奪ってしまっているのだから。

 

 でも、でも、私だってセックスを楽しみたい。普通の女になりたいのです。普通の恋人を作って普通のセックスをして、結婚して子供を産むような普通で平凡な人生を送りたいのです。

 

 それなのに、『わたし』にはそれができないのです。脅されて、犯されて、いいように弄ばれているだけの存在なのです。

 

 だから私を許してください。

 この悦びを否定しないでください

 せめて、今だけでも忘れたいのです。

 傷ついた心を、淫らな電流で焼き尽くしてしまいたいのです。

 

「はむっ……んっ……んんーっ……」

 

 もうイク寸前でした。あとちょっとでイケるところまできてるのですが、決定的な何かが足りなくて最後の一手を打つことができないのです。

 

 あと少し、ほんの少しなのですが、それを超えるには「バーのトイレでオナニーをしている」という異常な状況が邪魔していました。

 

 こんな所で絶頂に達してしまったらどうなってしまうのか? そんな想像が脳裏をよぎってしまうと、どうしてもブレーキがかかってしまいます。

 

 でも止められません。不安感がどんどん高まり、頭の中ではガンガン警鐘が鳴り響いているというのに、しかしそれを凌駕する圧倒的な欲望に支配されているのです。

 

「きもっ……ちぃ……♡ ああぁあっ!! ああぁあああっ!!!!」

 

 怖い。一人で孤独に迎える絶頂が、たまらなく恐ろしいのです。自分が自分でなくなってしまうような、自分という存在が消えてしまうような恐怖が全身を支配します。

 

(誰でもいいから包んで欲しい)

 

「あっ、あっ、あっ」

 

 体が小刻みに震え出し、膣全体がきゅうっと収縮しはじめました。

 

(本当のセックスを教えて欲しい)

 

「うっ……うぅう~~……ッ!」

 

 その瞬間を待ちわびるように全身が硬直し、私は喉の奥から絞り出すような声で泣きました。

 

(愛されたい、求められたい、幸せになりたい)

 

「う~~……! うう~~~~~ッ!」

 

 下半身が浮き上がるような感覚に襲われて、視界がチカチカ点滅しだしました。

 

(どうして、どうして『わたし』はこんなにもいやらしい体にされてしまったんでしょう……?)

 

「あ、あ、もう、もう……っ!」

 

 腰が勝手に浮いてカクカク動き出します。

 

(誰の? 誰の? 誰の責任?)

 

「課長……っ、ゲルゲス課長……っ」

 

 気がつくと、彼の名前を呼んでいました。すると突然、全身にびりびりと流れる甘い電撃。

 手が勝手に動き出し、クリトリスを指先で摘んで擦り合わせてしまったのです。

 

「んふぅ!? あ゛あッ♡♡♡ あああぁぁん♡♡♡♡」

 

 今までで一番大きな波が訪れました。あまりの気持ちよさに目の前が真っ白になり、一瞬意識が飛びかけます。それでも手を休めることはしません。

 

「あっ! あっ! ああ~っ♡♡♡」

 

 私の口はだらしない声を漏らしながら、パクパクと魚みたいに開閉を繰り返しています。

 

(すごいすごいすごいすごいすごい♡♡♡♡♡)

 

「は、う、うう、うううっ、ううううっ!!!」

 

 視界に無数の星が散って真っ白になり、全身が震えて汗が噴き出します。頭の中で光が明滅し、理性も何も吹き飛んでしまいました。

 

 一瞬の空白。そして──

 

「あ゛ぁぁあ~~~~~っっっっっ!!! ♡♡♡♡♡」

 

 獣のような叫びを上げながら、私は便座の上でオーガズムを迎えたのです。体中の筋肉が強張り、足先がピンと伸びてしまいます。靴の先が床を滑り、体はずり落ちる寸前でした。

 

 ビクンッと背中が大きく仰け反ります。喉からヒューッと笛のような息が漏れ、呼吸さえままなりません。

 ガクガクガクッと全身の痙攣が続き、尿道からプシッと音を立てて液体が迸ります。それは勢いよく噴き出して、トイレの壁や床に撒き散らされました。

 

「───────────ッ」

 

 声にならない声が喉から絞り出されます。私はきっと、恍惚とした表情を晒していたことでしょう。全身を駆け巡る快楽物質が脳を犯し、思考がどろどろに溶け出していきます。

 

 ああ、きもちいぃ……♡ 

 最高で最低な時間です……♡♡ 

 

 

 ◆◆◆

 

 やがて絶頂の波が引いていきます。私は全身汗だくになりながら、力なく便器のフタにもたれかかりました。

 

 頭がぼーっとして上手く考えることができません。まだ手足がビクビクと痙攣しています。息が苦しい。呼吸が乱れすぎて酸素が足りないようでした。

 

「……ふぁぁ……ぁ……あぁ…………♡♡♡」

 

 ああ、ああ……もうこのまま死んでしまいたい。嘘でまみれた関係から解放されて、何も考えずに消えてしまえたらどんなに楽でしょう……。

 

「はあ……ああ…………」

 

 放心状態で虚空を見つめていた時です。がちゃりと音がして、誰かがトイレに入ってきたのです。

 

「ッ!?」

 

 反射的に顔を上げれば、そこには次長の姿がありました。生地のしっかりとした背広にはシワひとつなく、ブロンドの髪には一点の乱れも見えません。

 

「へへっ……お楽しみは終わったようだねぇ」

 

「ひっ……! み、見ないで……!」

 

 しかし今、彼はその整った顔を醜悪に歪めていました。瞳は爛々と輝き、粘ついた視線で見下ろしています。

 

 何を? 

 

 もちろん、バーのトイレで乳房を露出し、スカートをまくり上げ、乳首や陰核や女穴を指でいじくり回して体液まみれで絶頂した淫乱女のことを、です。

 

(続く)



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Cパート

「へへっ……お楽しみは終わったようだねぇ」

 

「ひっ……! み、見ないで……!」

 

 次長の視線はまるで肉食獣のそれ、今から獲物を捕食するのだと宣言しているかのよう。

 

「君みたいな美女が、こんな場所でオナニーしているなんて驚いたよ。おかげでこっちはギンギンだ。責任取ってくれよ?」

 

「何を……!」

 

 いくら世間知らずの私でも、罠にかかったことくらい理解できます。危険な男に秘密を打ち明け、のこのこと酒場に連れ込まれ、あげく薬物の入った酒を口にして!

 

「何を? 決まっているだろう、セックスだよセックス。体を使って私の性欲を解消してくれと言っているんだ」

 

「ひぐっ!」

 

 いきなり髪を掴まれて引っ張られます。無理やり立たされ、逞しい腕で拘束され動けなくなってしまいました。

 

「いやぁ……!」

 

「しーっ、大きな声を出さないで。さあ、上に部屋を取ってあるから行こうか」

 

 酒と薬……恐らくは違法ドラッグの影響で、思うように力が入りません。引きずられるようにして歩き出します。

 

「う……あ……」

 

「よしよし、良い子だ。──たっぷり可愛がってやるぞ」

 

 ◆◆◆

 

 抵抗らしい抵抗もできないまま手を引かれ、私は酒場の貸し部屋に連れていかれました。

 その間の記憶はありません。気づいたらベッドの上で服を脱がされていました。

 

「おいおい、スカートまでベトベトじゃあないか。これだからオナニー女は困るな」

 

「……ひっ!」

 

 悲鳴を上げようとした口を手で塞がれました。男の荒い息遣いが顔にかかり、全身が粟立ちます。

 

「……ふぅぅぅ……ふぅぅ……」

 

 生暖かい吐息が耳にかかってゾクリとします。嫌悪感と恐怖感とが入り混じり、涙となって頰を伝いました。

 男はそれをべろりと舐めとります。生臭い唾液の感触に鳥肌が立ちました。

 

「なっ……なんっ、っ、こんなっ」

 

 痺れる舌を必死に動かして問い返そうとしますが、まともな発音ができません。

 男はせせら笑います。そして私の顎を掴んで無理やり自分の方に向かせました。間近で見た男の目は、欲望に満ち満ちています。

 

「昨日、隣の部屋で君の喘ぎ声を聞いてね」

 

「……!!」

 

「いやあ、エロい声だった! スモーキーなのに透明感があって、色んな喘ぎ声の中でも一発で聞き分けられたよ! 私もあんな声で喘がせてみたいと思ってしまってね!」

 

「…………」

 

 私は言葉を失いました。あまりにもあんまりな発言に怒る気力すら湧いてきません。ハンサムでスマートなエリート? 虚像とのギャップに、意識が遠のいていく気さえしました。

 

「カマトトぶるなよ、ブライア君。キモデブオヤジのゲルゲスともヤッてるんだろ?」

 

 頰に手を当てながら耳元で囁く男を、首を背けて拒絶します。こんな卑劣漢を信用して秘密を打ち明けてしまった自分の愚かさが、呪わしくてなりません。

 

「ちっ。そうだ、それに……君の弟さん、外務省の職員だったかな? 確か今は外勤として海外に行ってるんだったか」

 

「……ッ」

 

 びくり、と肩が震えます。

 ユーリ。私の大切な弟。

 

「弟さん、悲しむだろうね。姉さんが子持ち中年ハゲオヤジの慰み者になってるなんて知ったら」

 

「──あ、あの子には言わないで……」

 

 一番言われたくない言葉でした。心の奥深くにまで突き刺さってしまう、毒。

 手足から力が抜けていき、視界が暗くなっていきます。絶望という名の、闇。

 

「ははっ、ようやく大人しくなった。女はそうやって男に従順にしていればいいのさ」

 

 勝ち誇った男は、びたびたと頬を叩きながら私を嘲笑います。

 悔しい、悲しい。涙が滲んできました。この男の前で泣きたくなんかないのに、後から後から溢れてきます。

 

「くくっ、ゲルゲスのお下がりってのが気に入らんが……まあ、そんなことはどうでもいいくらいに、君はエロい。たまらんなあ……!」

 

「……ッ」

 

 男なめずりをしながら体を視姦してきます。その視線に晒された肌がぞわぞわと粟立つような不快感を覚えました。

 

「どれ、それじゃあそろそろ本格的に始めようか。私好みの女に変えてやろうっ!」

 

「──やめっ……!!」

 

 男の指が下着の中に潜り込み、ぬらぬらと濡れた割れ目を撫で始めます。たったそれだけのことで腰が砕けてしまいそうになりました。薬で疼く体が、どうしようもなく反応してしまうのです。

 

「…………ッ」

 

 太く長い指が中に入り込み、お腹側のざらついた部分を引っ掻きます。そこを擦られた瞬間、電気が走ったかのような衝撃に襲われました。腰が浮き上がりそうになります。

 

「あ……ああっ」

 

「おおう、アツアツのトロマンだなぁ」

 

 勝ち誇ったような笑い声と共に、ぐちゅぐちゅと激しい水音が鳴り響きます。下半身から広がる甘い痺れが子宮を震わせ、指の動きに合わせて腰を振りたくってしまいそうです。

 

「ははっ、オナニーで狂うより私のほうがイイだろう?」

 

「うっ、ううっ」

 

 もっとして欲しいと思ってしまった自分を激しく嫌悪しながら、首を横に振って拒みました。

 けれど体の反応までは誤魔化せません。無意識のうちに、両足は左右に広がってしまっています。まるで続きを促すかのように……。

 

「おお、そんなに私のが欲しいのか? ならちゃんとおねだりしてごらん」

 

 男が顔を近づけてきました。アルコールと加齢臭が入り混じった口臭が鼻につきます。

 

 私は、私は……。

 私は、思い切りツバを吐きかけてあげました。

 

「!? こ、このアマっ!」

 

 次長は目を見開きましたが、すぐに怒りの形相に変わります。平手打ちが飛んできました。頬を打つ音が室内に響き渡ります。

 

「きさま! 誰に向かってそんな態度をしている!?」

 

「……げほっ、はぁ、はぁ……」

 

 口の中が切れたようです。鉄錆の味が広がります。痛みのおかげで少しだけ理性を取り戻すことができました。

 

「ぐっ……! このアマ、優しくしていればつけあがりやがって……!」

 

 次長は顔を真っ赤にして、どうやら本気で怒っているようです。その顔を見てほんの少しだけ溜飲が下がる思いがしました。こんな人にも逆鱗というものがあったのですね。

 

「いいだろう、君がそういう態度に出るのなら、私にも考えがある」

 

 次長は、ズボンのポケットの中から小さなケースを取り出しました。その中には、一本の、注射器が入っています。中身は青い液体。

 

 あの青い酒に混入されていた、違法ドラッグ! 

 

(じか)は効くよ、ブライア君。直はよぉ~~くキクんだぁ~」

 

 下卑た笑いを浮かべながら私の腕を掴みます。薬液を打たれたら、私はどうなってしまうのでしょう。

 

「一度打ったら、もう元には戻れないぜぇ~♡ ヒヒッ♡」

 

 注射針の先端から目が離せません。その先からピュッと飛び出した透明な雫を見て、心臓が縮み上がります。

 

「や……いや……嫌……」

 

 抵抗する意思はあるのですが体が動きません。頭ではわかっているのです。こんなものを打たれてはいけないと。

 

 しかし体が言うことを聞きません。逃げ出そうという意志とは裏腹に、体は両腕と両脚をだらしなく開いたまま硬直しているのです。

 

「ふひひひひひ……良い顔だねえ……」

 

「あ……」

 

 薬液をたっぷりと吸い込んだシリンジが、胸へと近づきます。恐怖のあまり歯がガチガチ鳴りました。

 

 ですが諦めるわけにはいきません。手慣れた手口、犠牲者は私だけでないはずです。今まで何人が、このベッドで? 

 そう思うと、許せない、立ち向かわなくては、と思う気持ちが湧いてきます。だから──

 

「……ッ」

 

「さあ、さあさあさあさあさあさあぁああ!!」

 

 その時でした。

 

「やぁめろぉおおぉおぉぉぉおおおおお!!!」

 

「うおっ!?」

 

 どかん、と大きな音。誰かが次長に体当たりをしたのです。

 不意討ちを受けた次長は、体勢を崩してベッドから転げ落ちました。床に倒れた拍子に注射器が手から離れ、コロコロと転がっていきます。

 

「なっ、お前、尾けてきたのか!?」

 

「ヨルくんに触るなぁぁぁあああっ!!!」

 

 その人物は、私をかばって立ち塞がりました。

 くたびれたスーツを着た男。小太りで、背が低くて、ハゲていて、汗っかきで、キモくて、私を脅して凌辱する最低の中年男、ミハエル・ゲルゲス課長だったのです。

 

「……え?」

 

 あまりに意外な展開だったので、脳がついていけません。

 課長? 課長が、私を助けに? 

 なぜ、どうして、あなたがここに?

 

「ゲルゲス、おいこら、このクソデブぅっっ!」

 

「がふっ!」

 

 鼻血が飛び散り、課長はベッドから吹き飛ばされます。飛び掛かった次長の拳が顔面を打ち抜いたのです

 

「はあー、はあー、この、この、無能の分際でよくも私の、私の邪魔を……」

 

「ふ、ふひっ! ふひひひぃいぃぃ、撮った、撮ったぞ次長!」

 

 奇声を上げながら、課長は立ち上りました。脳震盪を起こしているようでフラフラしています。ですがそんなことは気にも留めず、カメラを片手に掲げて叫びました。

 

「証拠を押さえたぞ!! お前が、違法な薬物を使用する場面をなぁああぁあ!!」

 

「うっ、うおっ……!?」

 

 狂ったように叫び続ける姿に、次長のほうが気圧されています。私はといえば、どこか現実感のない思いで課長を見つめていました。

 

「これを公開すればお前は終わりだあっ! 懲戒免職だあっ! クビだあぁっ! 無職だあぁぁああああ!!!!」

 

 だってそうでしょう? まさかあの卑劣な男が私を助けてくれるなんて、夢にも思わなかったのですから……。

 

「それが嫌なら、二度とヨルくんに手を出すんじゃあないッ! いいか! わかったかぁあああ!?」

 

 それはまさに魂の叫びでした。私? 私のために、こんな事を? 

 

「……ッ」

 

 次長の顔が見る間に赤く染まっていきます。血管がぶち切れそうな勢いで激怒していました。

 

「貴様ぁあぁああああああッ!! ゴミ野郎が、気取るんじゃねえっ!」

 

 激昂した次長が、再び飛びかかりました。たくましい三十五歳のエリート男が、運動不足で四十歳の小男に掴みかかります。

 

「よこせっ、カメラだ、カメラを寄越せえぇえええぇぇえっっ!」

 

「誰が渡すかぁあああ!」

 

 体格差は圧倒的でしたが、課長は凄まじいまでの執念を見せました。必死に体を丸め、体を盾にしてカメラを守り通そうとしたのです。

 

 揉み合う二人の男。激しい取っ組み合いが始まりました。次長は体格で、課長は執念で、お互いにマウントを取り合うような形で、床の上をゴロゴロ転がり回ります。

 

「おらあぁぁっ!!」

 

「うぐっ、ぐううぅぅっっ!」

 

 やがて均衡が崩れました。先に動きを止めたのはゲルゲス課長で、馬乗りになった次長が拳を振り下ろしたのです。

 

「あがっ!」

 

「よこせっ、よこせぇえぇぇええっ!!」

 

「誰が渡すっ、あがっ!」

 

 二度、三度、四度……鈍い殴打の音が響き渡り、殴られるたびに悲鳴が上がります。

 でも課長は決してカメラを手放そうとしません。何度も何度も殴りつけられながらも決して諦めませんでした。

 

「ヨ、ル……く……ん……に、逃げ……」

 

 途切れ途切れの声で呟き続けるのは、私を脅迫して凌辱した憎むべき男でした。私の純潔を奪い、胸に顔を埋めて好きだ、好きだと繰り返してきた相手なのです。

 

「私は君が好きだったんだぁ……好きだったんだよぅ……君だけが私に優しくしてくれたから……君が笑いかけてくれたから……君の笑顔だけが私の救いだったんだぁ……」

 

「やかましいぞクズゥッ!」

 

「ぐ……ッ、逃げ、逃げろぉ!」

 

 私は何も言えません。言えるはずがありません。

 

 何を言っているのでしょうか? 

 いったい何を言っているのでしょうか? 

 

 私の事を好き? 今までの言葉はうわ言でも、受け売りでもなくて、本心からのもの……? 

 

「笑わせるなクソ無能! お前のような、嫁の実家しか取り柄のない中年オヤジが、好きだのなんだの身の程知らずにも程がある!」

 

「う……ぐぅ……!」

 

 馬乗りになった次長が吠え、容赦のない罵詈雑言を浴びせかけながら拳を振りおろし続けます。素人の殴り方ですが、一撃ごとに課長の血飛沫が飛び散り、眼鏡や鼻骨が折れます。

 

「だいたい何だそのダサいスーツは!? センスのかけらもない! 髪もボサボサ! 肌も手入れが甘い! こんな汚い中年親父が女に好かれるわけないだろう! キモイんだよ! キモイんだよ! キモイんだよ!」

 

「あっ、あ、う、……っっっ!!!」

 

 それでも、まだカメラだけは手放しません。それどころか強く握り直すことで抵抗の意思を示しました。

 

「いつまで経っても部下の信頼を勝ち取れない! 仕事もできない! 給料泥棒! 役立たず! 社会のダニ! 底辺の中の底辺! 無能の無能の無能のカスっ! いい加減気づけ、このクソオヤジがっ!」

 

「……っ」

 

 課長の瞳から涙の粒が溢れ出し頰を伝います。それはきっと痛みのせいだけではなく、悔しさや惨めさや情けなさといった感情が入り混じっているのでしょう。

 

「くっ。ははっ。見ろよブライア君、このみっともない泣き顔をよお~?」

 

 フラフラになった課長の首根っこを捕まえて引き起こします。そして私の顔の前に突きつけました。

 

「うっ……うぅ……ッ、逃、げ……っ」

 

 確かにみっともない姿です。センスのない眼鏡は粉々だし、髪は乱れ放題、唇は切れて血まみれで、頬も腫れ上がっています。

 顔中をボコボコに腫らしたその姿を見ていると、なんだか無性に腹が立ってきました。

 

(こんな人が……私の……私の……!)

 

「ほら、ほら、見ろよ。私のほうがゲルゲスなんかよりよっぽど魅力的だろう?」

 

 次長はこれ見よがしにネクタイを外し、ワイシャツを脱ぎ捨てていきました。声には得意の響きがあり、自信に満ちています。

 

 確かに顔は整っているし、体型もガッチリして引き締まって、年齢よりもずっと若く見えます。割れた腹筋や太い腕も課長と比べたらずっと男らしい。

 

「ほら見比べろ、言ってやれ! 『このハゲオヤジ、キモイ! 次長の方が魅力的』ってよぉ!」

 

「…………そうですね。私も、キモイ、と思っています」

 

 ああ、吐き気がこみ上げてきました。

 

 ミハエル・ゲルゲス課長。本当に醜い人です。脅して犯した女を守るため必死になって、ボロボロに傷ついて。こんなに無様で滑稽な人を私は他に知りません。

 

 この男と出会ってしまったばかりに、私の人生は全く別のモノへと変わっていくのでしょう。これから、()()()()をかけて、まだ予想もできない方向へと……。

 

「……おえっ」

 

 吐き気が止まりません。でもそれは、嫌悪感からくるものではなくて……修練を重ねた殺し屋の肉体が、体内の異物を排除するために動き出した結果。

 課長の奮闘が、力を蓄える時間を与えてくれた。

 

「おえぇぇええええ……」

 

「あ、ああっ……ヨルくん」

 

「ハ ハ ハ! ほら見ろ! 吐くほどキモいってさ!! ざまあみろゲルゲスゥウウッ!!!」

 

 次長は、勝ち誇って大笑い。心底嬉しそうでした。課長の顔は青ざめていき、決壊した涙腺からは止めどなく涙が溢れ出します。

 

 思わず、微笑んでしまいました。()()()()()()()()()()()()ながら、心の底から可笑しくて笑ったのです。

 

 男って、本当にバカなんですね。女が言うキモイとか魅力的とか、そんな下らない言葉で一喜一憂して。()()()()は、そこに無いのに。

 

 さて、いつまでも馬鹿なことを続けていても仕方ありませんね。

 ──そろそろ、終わりにして差し上げましょう。

 

「もう一回言ってやれブライア! 今度はもっと大きな声でだ! 『ゲルゲス、キモイ!』ってさあぁ!」

 

「──いいえ。キモいのはあなたです、次長」

 

「なっ!?」

 

 ああ、スッキリしました。こんなに晴れやかな気分になったのはいつ以来でしょうか? 

 

 驚く次長の顔を真正面から見据え、すっくとベッドの上に立ち上がります。

 手足に力がみなぎり、筋肉が活性化して、視界に映る全てがクリアになりました。脳のリミッターが外れる音さえ聞こえそうです。

 

 ここにいるのは、ただの哀れなヨル・ブライアではなく──

 

 

 

女はし屋だった。

 罪なき人々のため、の仕事に身をやつす

 コードネーム、〈いばら姫〉。

 

 

 

「キモいのはあなたです、次長。ただ気まぐれに女の体を弄びたいだけ、それだけのために違法な薬物を使用するなんて最低です。気持ち悪いです。軽蔑します。吐き気がします」

 

 殺意に気づいたか、次長が後ずさりました。

 

「……ま、ま、ましな方を選びなよ、ブライア君っ。私は仕事もできるし、女も腐るほど抱いてきた、君を満足させてやれるっ。それにゲルゲスと違って独身だ。君の頑張り次第じゃ、いずれ結婚することだって……!?」

 

「国をむしばむ魔の薬、法も許さぬ人でなし、私が掃除(しまつ)いたします」

 

「ヒッ!」

 

 コキンと鳴った指、気圧された短い悲鳴。

 

「お命、頂戴してもよろしいでしょうか」

 

 跳躍。

 数多の女が魔悦に泣いたベッドが軋み、私を宙に舞い上がらせます。視界が急転回する間に、両腕は次長の頭部を捕らえていました。

 

「……っ、かっ」

 

 即死させたかったので、空中で体をひねって首をへし折ります。

 

 ゴキッ。

 

 小気味良い音を聞きながら着地すると、首と胴が反対を向いたゴミが、どさりと足元に転がりました。

 

「お掃除、完了です」

 

 ◆◆◆

 

「大丈夫ですか? 弱いのに無理をしてはいけませんよ?」

 

「は、はい……すみません……」

 

 ここは私の部屋。後始末を組織に依頼して、こっそり課長を連れ込んだのです。

 今頃は専門の「業者」があの部屋をキレイにしていることでしょう。薬物の出どころもいずれ判明するはずです。

 

「敬語なんて必要ありません。私たちは上司と部下ですよね?」

 

 傷の手当てをしてあげながらニコリと微笑むと、包帯だらけでベッドに横たわる課長が居心地悪そうにしました。

 

「は、はいっ、わ、わかったっ、わかったよ……ヨルくん……」

 

「ええ、それで結構です」

 

 ……まるで怯えた小動物みたいで、とても可愛らしいですね。このまま食べてしまいたいくらいです。ついつい包帯を巻いた指を唇に押し当てて、歯で甘く噛んでしまいます。

 

「あ、あの、その、手……」

 

「うふふ……」

 

 ほとんど家具もない部屋ですが、絶対に課長を入れたくなかった私の聖域。

 でも、今日からは違います。淋しかった部屋の空気に課長の体臭が混じっても、不思議と嫌な感じがしません。いいえ、それどころか……。

 

「ねえ、課長? どうして私を好きになったのですか?」

 

「そ、それは……」

 

 少しいじめたくなって尋ねれば、課長は顔を真っ赤にして口ごもりました。もう、往生際が悪い。私は課長のお腹に手を当てて、ちょっと圧をかけてあげました。それだけで情けない声を出して震えます。ああ、面白い。

 

「ひっ!? や、やめてぇ……!」

 

「早く教えてくださいよ~。私も知りたいんです。あなたが私なんかを好きになってくれた理由が」

 

 自分で言うのもなんですが、市役所での私は浮いた存在です。ただ正体を隠すため、波風立てずに人間関係をやり過ごす「個性的」な職員。

 

 そんな私に好意を抱く人間がいること自体信じられませんでした。しかもその相手がよりによって自分の上司だなんて! 

 

「うっ……うう……」

 

「教えてくれないと、こうですよ? ふふっ」

 

 再びお腹を撫でてあげました。手のひらから伝わる内臓の感触はとても柔らかく、力加減を間違えれば殺してしまいそうです。それが楽しくて面白くてたまりません。

 

「うぁあっ……! き、き、君が書類を拾ってくれて、その時に手を握ってくれたんだっ! ぼ、ぼくはその日から君の事が頭から離れなくなってっ! き、気づいたら君を好きになっていたんだっ!」

 

「……えっ? それだけ? 手を握って、えっ、たったそれだけのことでですか……?」

 

「……うん」

 

 恥ずかしそうに頷く、四十歳で小太りで頭が薄くて包帯まみれのおじさん。でも、その仕草は幼い少年のようでした。

 

(ああ、この人、本当に私のことが好きなんだ)

 

 笑われるでしょうか。子供のような理由で恋をされて、それが不思議と嬉しくて、胸が切なくなるなんて。

 

 でも、笑わないでください。私は二十七歳まで恋を知らずに生きてきました。こういうものなんだと、今ここでインプットされてしまったのです。

 

 疑う気持ちはカケラも湧きません。だって課長は、私のために傷つき、私のために涙を流してくれたのですから。

 

 ただ、でも。

 

「……だからって、私を脅して犯した事実は消えませんよね?」

 

「うぐっ!?」

 

 ギクリとした様子の課長に顔を近づけます。私の吐息が頰にかかると、ビクビク震えていました。……やだ、可愛いです。すごく可愛いです。だからもっと虐めたくなります。

 

「じゃあ課長。今ここで、もう一度私を脅迫してください」

 

「……へっ」

 

仕事(ころし)、また見られちゃいました。私、あなたの口封じをしたいのですが?」

 

 にっこりと笑ってみせます。課長は怯えきった表情で硬直していました。それでも目を離さないでいてくれることが嬉しかったです。

 

「さあどうぞ。私の弱みを握って、脅して犯して、無理やり従わせてください。抵抗できないように縛っていただいても構いませんよ?」

 

 ベッドに上がり、一枚一枚ゆっくりと脱いでいく様をしっかりと見せつけます。ブラジャーを外す時にはわざと胸を揺らし、パンティに指をかけてスルリと脱ぎ去る時には脚を広げてあそこを見せつけるようにします。

 

「う、うおっ、うおっ、うおっ……!」

 

「あはっ、すごい目……っ」

 

 下着を全て取り去った私は一糸まとわぬ姿で課長の上にまたがります。そして、彼のシャツに手をかけると、ボタンを引きちぎるようにして脱がせていきました。

 

 次第に、課長の呼吸が荒くなっていく。ギラギラとした目が私の肢体に釘付けになり、熱い視線が女の芯を炙るようです。

 

「……! ば、ばらされたくなかったら……!」

 

「そう、それです……!」

 

 ああ──ゾクゾクします。この官能は、忌まわしい薬物の後遺症だけではないと信じたいです。

 

 これから私は、どんな風に汚されてしまうのでしょう? きっとあの、

 

 テントのように張り詰めたズボンの下にある、

 命の危機でビンビンに勃起している肉棒が、

 私のナカを抉って貫いて掻き回して、

 子宮の中にたっぷりと熱い精液を吐き出して、

 そして──ああ──とっても楽しみです!!

 

 私、ヨル・ブライアは、生まれて初めてセックスの予感に心を躍らせていました。

 

(続く)



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Dパート(♥)

 深夜、私のプライベートな寝室にて。

 私、ヨル・ブライアは、生まれて初めてセックスの予感に心を躍らせていました。

 

「……! ば、ばらされたくなかったら……!」

 

「そう、それです……!」

 

 ああ──ゾクゾクします。この官能は、決して薬物の後遺症だけではないと信じたいです。

 課長も血走った目で私のあちこちを見ながら、「ふん、ふん」と息を荒げています。眼鏡をはずした彼の瞳は、私への愛欲でギラついていました。

 

 ……彼? 私、いま課長のこと「彼」って……

 カレ……? 

 ……いつだか、カミラさんが言っていました。

 

『ヨル先輩モトがいいんだから、お洒落すればカレシくらいすぐできると思うんですよぉ!』

 

 い、いけませんよヨル。私たちは恋人ではないのですから。

 私はただ……その……そう、セックスしてみたいだけ。冴えない殺し屋女を本気で好きになってしまったおバカで可愛い男の人と、気持ちいいことをしてみたくなっただけなのです! 

 

(浮かれて「カレシ」なんて思わないようにしないと……)

 

「ヨルくん、僕の隣に来いっ、命令だ、脅迫だぞっ」

 

「あ、はい、わかりましたっ」

 

 言われた通り、課長の右隣で横になります。彼は……違う、課長は、嬉しそうに鼻息を荒くしました。きっと自分が優位に立っていると感じ、興奮していらっしゃるのでしょう。

 

「さ、触ってもいいかな」

 

「あの、脅迫……」

 

「あ、そうだ、さ、触らせろ! その大きなおっぱいに触りたいんだ!」

 

「……ふふ」

 

 すっかり欲望に塗れた顔に吹き出してしまいました。鼻の穴を膨らませて必死に叫ぶ様子が、たまらなくおかしいのです。

 

「あはっ、いいですよっ、うふふ、私の身体、好きなだけ凌辱してくださってかまいませんよっ」

 

「ほ、本当か!?」

 

「はい。課長のしたいこと、ぜーんぶ叶えてあげます」

 

 横を向いて、誘うように手を差し伸べます。何しろ乳房が大きいもので、こういう姿勢では右のおっぱいが左のおっぱいに乗っかって重いのですけれど……。

 

「おおっ、右のおっぱいが左のおっぱいに乗っかってっ、すごっ、で、でかいッ」

 

 ……もう、そんなにはしゃいで。

 熱い視線がおっぱいの歪んだ輪郭を撫でまわして、むずがゆいです。

 

「大きいねぇ、大きい、いつ見ても、素晴らしいおっぱいだぁ……!」

 

 乳房に顔をうずめてきました。それぞれメロンほどもある脂肪の間に、男性の頭がすっぽり収まっています。むにゅり、と形を変える自分の胸を見て、私は恍惚のため息を吐きました。

 

 そのまましばらく、まるで赤ちゃんのように甘えてきた後、不意に頭をもたげたかと思うと……唇が、突然乳首に吸い付いてっ。

 

「んああっ♡」

 

 ビクンッと体が跳ねてしまいます。

 左の乳首を、ちゅううっ♡ と音が立つくらい強く吸われ、舌で転がされていきます。

 もう片方は手のひらに包まれて揉まれていました。指が乳肉の中に沈み込んできます。

 

「あはぁ……やだぁ、はずかしぃ……ひゃぁん、そこダメェ、乳首噛んじゃだめぇっ、あんっ、やぁあん……♡」

 

 課長はうっとりとしながら両胸を楽しんでいました。その仕草は無垢な赤子のようであり、同時にもう若くない男性の粘っこい性欲を表すものでもありました。

 

 相反する二つの感触、とっても楽しそうで、んんっ、見ているだけで、あ、んぅ、気持ち、いい……。

 

「うふふ、本当に好きなんですねぇ……。あっ、んんっ、ふぁんっ、きゃうん、ちくびカリカリしちゃ、いやぁ……」

 

「はぁ、あぁ……す、すごい、柔らかいよ、すごいよ……」

 

 すごいすごいと褒められると、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

 ふんふん、指が沈み込むほどのボリュームがありながら張りもあって? 柔らかくて形も良い? 

 ふふ、そうですね、そうでしょうとも! 

 

 手前味噌だけど、だって立派な男性がこんなに夢中になるくらいなんだから。私のおっぱいは素敵なんですっ。ええ、間違いありません。

 

「もっと好きにして良いんですよ? ほらぁ……」

 

「え、あ、あう……」

 

 ついついサービスしちゃいます。頭を抱きかかえてあげると嬉しそうな声を出しました。ふふっ、かわいいです……♪ 

 

「ふん、ふんっ、ほうっ」

 

 鼻息が荒いです。まるでケダモノみたい。

 でも仕方ないですよね。だってヨル・ブライアは課長好みの女。手を握っただけで恋してしまうくらい、理想の異性像だったんですからっ♪ 

 

「はあぁ……あったかい……汗のいい匂いがする……癒されるなぁ……」

 

「課長は消毒液の臭いですね」

 

「……すまん」

 

「うふ、いいんですよ。私のために傷つき、私のために泣いてくださった証ですから」

 

「ううっ……! 好きだヨルくん……! 好きだよっ!」

 

「……ありがとうございます」

 

 私も自分の体が好きになれそう。胸が大きくて良かったと思えるのは初めてです。()を悦ばせるのに最適な、脂肪と乳腺の塊であるこのバスト。

 

「うふふ、可愛い」

 

「むぐ?」

 

 私は、胸の間に課長の顔を挟み込んでぎゅっと押しつぶしました。窒息寸前まで追い込んだところで解放して、また挟んでを繰り返します。

 

「うぷっ、もご、ぶぐっ、うぼぁ……おぶっ……ううっ」

 

「苦しいですか? 気持ち良いですか? どっちも? どっちなんでしょう? ちゃんと教えてくださーい」

 

 私は今、ものすごく嗜虐的な気分になっていました。ちょっと力を入れれば、彼は窒息して死んでしまいます。なのに逃げようとせず、私に身を委ねて乳房の間で悶えるばかりなのです。

 それは、信頼と好意の証……♡

 

「ふふふっ♪ かわいい♪」

 

「もご、はあ~っ……うぅ~」

 

 そろそろ楽にしてあげましょう。口を離してあげると、大きく深呼吸し始めました。

 

「すーはーっ、すうぅぅ~~っ! あ~いい匂いだあ~!」

 

「……あはっ♡」

 

 離れてもなお、私の匂いを、体臭を、夢中になって嗅いでいるのです。体臭とは分泌物の匂いで、分泌物とは細胞の代謝産物……つまり生きている証、人間の証明、肉体の個性そのもの。そんなものを愛しそうに吸い込んでいるのです。

 

 それってすごく嬉しいことじゃありませんか? 私は、彼に必要とされている。そう感じることができて、とても幸せ……だから、もっともっと求めて欲しい! 

 

「……ねえ、こっちも触ってくださいませんか?」

 

 そう言って課長の手を取り、秘密の部位をアピールします。そこは熱く湿り気を帯びていて、指先が触れるたびネチョリと湿った音を奏でていました。

 

「おお……!」

 

 二つの目がぎらりと輝きます。身を起こして、視線は私の下半身を舐めるように這い回り、太もも、ふくらはぎ、膝裏、くるぶし……足先に至るまで観察されていきます。

 比例するように、私の呼吸も荒くなり、ああ、見られるだけでこんなに興奮するだなんてっ。

 

「なんてエッチな脚なんだろう。しっかりと筋肉がついてしなやかで、それでいてむっちりして実にいやらしい。最高だよ、本当に最高だ……!」

 

 そう言いながら私の脚を持ち上げて広げさせます。私の肉体に対する賛美の言葉が次々と溢れ、それがあんまりにも嬉しくて身をよじります。

 彼が私の身体に性欲を露わにしてくれていると思うと、それだけで、もう!

 

 ヨル、『あなた』ったらどれだけ淫乱な女なのですか……! 

 

「さあ、さあ、ここを開いて見せてくれっ」

 

「はい」

 

 私は自らの指先で陰毛をかき分け、割れ目を広げました。そこはもうドロドロに蕩けてしまっていて、充血した粘膜がヒクついています。

 

「はあうぅっ……♡」

 

 軽くイッてしまいそうになりました。愛液がトロッと溢れてシーツに垂れ落ちていきます。それをすくい取って口に含むと、苦いようなしょっぱいような。

 きっとこれは官能の味。ヨル・ブライアが興奮を感じている証拠なのです。

 

「……ッ」

 

 彼の喉がゴクリと鳴る音が聞こえます。視線はソコに釘付けでした。

 

「な、舐め、舐めっ」

 

 声を上ずらせておねだりしてくるので、えっと、脅迫されている私としては、応えてあげなければいけないのですけど……。

 

「お、お口ではちょっと……く、臭いと思うので……その、シャワー浴びてからじゃダメですか……?」

 

 私、仕事上がりにお酒を飲んで、おまけに薬物を飲まされて、ついでに人の首をへし折ったそのままなのです。でも課長は許してくれそうにありません。

 

「そんな! ダメだ! 今すぐ舐めさせてくれなきゃ嫌だ!!」

 

「そ、そんなに叫ばなくてもぉ……」

 

 あまりの必死さに呆れちゃいますが、そ、そこまで私の恥ずかしい所が舐めたいのですね……? そんなに、そんなに、そんなに……っ! 

 

「わ、わかりました、わかりましたから、あの、落ち着いてくださいね?」

 

 ベッドに座り直すと、脚をM字にしてぱっくりと開帳しました。

 

「……っ!」

 

 課長の視線が局部に突き刺さります。そんなに見つめないでくださいよぉ……。恥ずかしくて死んじゃいますぅ……。

 

「で、では、どうぞお好きになさって下さい」

 

 課長がゆっくりと顔を近づけます。時折舌なめずりするような音を漏らしながら近づいてくるその様子は獲物を狙う蛇のようでもあり、一方でご馳走を前にした犬のようにも見えました。

 

「へっ、へっ、ニオイが濃いぃい……!! ヨルくん、ヨルくんのおまんこ……! はぁっ、あぁっ、んくっ」

 

 息がかかるくらい近い距離で匂いを嗅いでいます。鼻息が陰毛を揺らしてくすぐったくて、でもそのゾクゾクが癖になりそうでした。

 

(私の匂いを嗅いでるんだ……おま、おま、おまんこの……!)

 

 そう考えると、火照りきった女陰はますます熱を帯びて、中からトロリとした液体を垂れ流してしまうのです。

 

「ああっ……」

 

 鼻息が肌に触れるたび、そこから熱が広がり全身が甘く痺れていくような錯覚を覚えます。

 早く触れて欲しい──期待感から、私の呼吸がどんどん荒くなって。やがてついに舌先が到達し──クチュリと音を立ててクリトリスに触れます。

 

「ひぅっ!?」

 

 熱く濡れたものが敏感な部分を圧迫しました。舌が上下に動くたび、腰が浮いてしまいます。ぞわぞわとした感覚が背筋を駆け上って、モヤがかかったように思考が鈍ります。

 

「あっ……あっ……あぁっ……!」

 

 私はただ喘ぎ声を上げることしかできませんでした。課長の唾液と混ざり合った粘液が音を立ててかき回され、ぴちゃぴちゃと卑猥な音を奏でています。その音がまた私を興奮させるのです。

 

「あっ♡ すごいぃ♡ これしゅごいぃ……!」

 

「くちゅくちゅ……じゅるるるっ……ちゅっ……れろ……っ」

 

 クリトリスの根元から先端まで舐め上げられ、吸われ、転がされ、甘噛みされます。私はぎゅっと目を閉じて快感に耐えようとしました。すると彼は更に強く陰部に顔を押し付け、激しく動かし始めたのです。

 

「あ、すごいぃ♡ すごすぎるぅ♡ こんなのはじめてぇ……!!」

 

「んはぁ……れろぉ……んぷ、んぷ」

 

 彼のしている事は今までと変わりません。セックスの教本で身に着けたらしい、オーソドックスなクンニリングス。それなのに今までよりずっと刺激的で気持ちよくて、身をよじりながら陰核の快楽に悶絶するしかありませんでした。

 

「やぁんっ♡ きもちいぃっ♡ らめぇっ♡」

 

 どうしてこんなに感じてしまうのか……。

 私でしょうか? 私の心と体が淫らな欲望に支配されてしまったのでしょうか。それとも単に彼を深く信頼した結果なのでしょうか? 

 

 いずれにせよ、私の身体はすっかりおかしくなってしまったようでした。彼が舌を動かさなくても自然と腰を動かしてしまうほどです。足をM字に開いて性器を差し出す恥ずかしい格好で、男性の舌が欲しくて腰をヘコヘコ動かし媚びているんです……! 

 

「あぁぁっ……やだっ、だめぇっ……♡ もっと舐めてください……♡ お願いですからぁ……」

 

「ふ~っふ~っ」

 

 熱い舌が、はしたない腰の動き、止まらない嬌声に合わせてうごめきます。ぬめった軟体動物みたいに動いて、私の股間にある最も敏感な部分を刺激し続けていました。

 

 にゅるんっ、ねちょんっ、という粘着質な音と呼吸音が混ざり合って聴覚を犯していきます。

 それだけでなく、鼻腔にまで染み渡るほどの強い匂い、それは課長の発する体臭、汗とも違う独特の臭気……雄の、フェロモンでしょうか。

 

(男の人の臭い……えっちな匂い……)

 

 身体が火照って、次から次に汗が流れ落ちていきます。首を左右に振っても髪を振っても、フェロモンは振り払えない。それどころかますます濃厚になっていくのです。

 

(あうぅ♡ 頭がおかしくなりそうですぅ……♡)

 

 いつの間にか、自分の指で乳首をいじっていました。男性にアソコを舐められながら、自分で自分の胸を刺激してしまっているのです。気付いた瞬間、自分の変態性を感じ、背徳感がゾクゾクと背筋を駆け上がりました。

 

「あはぁっ♡ だめ、ちくびいぃ……ひいっ!?」

 

「ちゅうううううっ……!」

 

「あひぃいいっ!? すわないれくらはいぃ♡」

 

 クリトリスを思いっきり吸い上げられて、背中が大きく仰け反ります。ビリビリとした強烈な快感が脳天を貫き、頭の中で何かが弾けて、意識が真っ白に。全身の筋肉が硬直してガクガク痙攣しています。

 

 イッた──そう理解するまでにしばらく時間がかかってしまいました。

 

「……んっ……♡ ぁ、やっ……♡」

 

 余韻に浸りながら、絶頂直後のクリトリスを優しく愛撫される快感に酔いしれて……

 

「ああ、ああ、私、私、初めてイカされちゃいましたぁ……♡」

 

 うっとりと、甘いため息が止まりません……♡ 痺れるクリトリスをあやすような舌使いが、とても心地良くて……このままずっとこうしていたい気分になります……♡ 

 

「──っぷぁっ!」

 

「……はあぁ~っ」

 

 課長は大きく息を吐きながら顔を上げました。口元はびしょ濡れになっていて、それが私のせいだと思うと……課長が私のために汚れてくれたのだと、そう思うとなんだか、ふわふわとした幸福感に包まれていきます。

 

「ああ……なんて美しいんだ……」

 

 恍惚とした表情で呟いている彼は、とても幸せそうで嬉しそう。嬉しくてたまらない様子で私を見つめ、お尻を撫で、太ももにキスして、黒々した陰毛の一本一本を口に含んでいやらしい液を吸い取っています。

 

「じゅるる……ちゅうううう~っ……ごくっ……はぁ~っ、おいしいよ……君のお汁……」

 

「いやぁ、やぁ♡ そんなこと言われたら恥ずかしいですぅ♡」

 

 自分でも信じられないくらいに甘い響き、媚びるような声色で応えてしまいます。恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しい気持ちの方が大きくて、頬がだらしなく緩んでしまうのを止められません。

 

「えへ……えへへぇ……♡」

 

「ヨルくんっっ、次は穴舐めるぞっ、いいなっ? 舐めていいよなっ?」

 

「はいぃ……♡ お願いしますぅ♡」

 

 私が了承するや否や、彼は再び顔をうずめてきました。舌はクリトリスの根元を通過して、生温かい唾液をべっとりと塗りたくりながら、膣口に向かって下降します。そして次の瞬間には、熱くて柔らかいものがぬぷっと侵入してきたのです。

 

「んひぃっ!? いっ……! ひゃうぅっ! ひゃあんっ!」

 

 ぬめった肉の塊が執拗に膣口をこね回し、入り口をこじ開けようとしています。固く尖らせた舌先でグリグリと穿たれ、思わず悲鳴が漏れてしまいました。

 

「はぅっ……! はぁあっ……♡」

 

 舌がうねってナカに入り込み、内壁をこそぎ取るように舐めまわします。膣内に挿入されたことで空気が押し出され、ちゅぽっ、ぢゅぽぉっと下品な音を奏でていました。

 

 恥ずかしくて耳を塞ぎたいのですが、自分でも信じられないのですが、私の両手は彼の頭を押さえつけて離してくれません。むしろもっともっとと引き寄せるような動きすら見せてしまっています。

 

「あぁっ、やだぁ……恥ずかしいです……んくぅうッ♡ ぅうう゛ッ♡」

 

「うぶぶっ……ふっ、ふううぅぅ~~~……うぶっ……あむ……」

 

 恥ずかしいポーズ、ふしだらな所作。

 背筋がぞくぞくと震え、もう何も考えられずされるがまま。下半身は完全に脱力して、まるで腰が抜けてしまったかのよう。けれど、上半身だけはしっかりと彼を離さないから不思議です。

 

(あっ──くる──きちゃう──もう──あっという間──に──!)

 

 二度目の絶頂がすぐそこまで迫っていました。びちゃっびちゃっと体液が飛び散るほどの激しい愛撫で、下半身が溶けてなくなってしまうのではないかと錯覚するほどの快楽が駆け巡っています。

 

(イク、イク、イかされちゃいます、またイカされちゃいますっ)

 

 全身が熱く痺れて、視界がチカチカと明滅しています。私の身体はとっくに限界を迎えているのに、それでもなお彼はクンニを続けています。

 

「ぁ、あ、あッ♡ イっ、イクぅ……♡ ヨルはぁ、またイキましゅぅ……♡」

 

 私はぎゅっと目をつむり、歯を食いしばりました。少しでも長く刺激的な時間を味わいたかったからです。

 でも、その時……。

 

「い、いててててて!」

 

 突如、課長が苦悶の声を上げました。何事かと思って目を開けると、顔を押さえてうずくまっていたのです。

 

 殴られた傷が痛み始めて、苦しいのでしょう……と頭では分かりました。ですが、私はムカムカした気分を抑えられません。

 

 激しく愛さ……愛撫されて、絶頂寸前まで高められていたというのに……そんな時に急に苦しみ始めるだなんて……!

 

 そんな理不尽で不条理な憤りが、あっという間に心を支配して。気付けば叫んでいました。

 

「何をしているのですか、情けない! 私を脅してレイプするのではなかったんですかぁっ!?」

 

「え!? いや、だって痛いんだよ、本当に痛くて……!」

 

「なーんだ、できないんですね!?」

 

 不思議な感覚でした。頭がカッカッと熱くなるほど興奮しているのに、どこか冷めた目で俯瞰している自分もいます。けが人の課長を責めて、どうなると言うのでしょう。

 

 でもでも、だって我慢できないんです。

 この人が悪いんです! 

 

「何度も何度も私を脅迫して痛がらせた癖に、自分が痛くなったらやめるんですね!? もういいです、じゃあいいですからさっさと出て行ってください!!」

 

 まずいことを言おうとしている。自覚はありましたが、止めることはできませんでした。

 

「こんなの、次長の方が素敵な男性だったって、私がそう思っちゃってもしょうがありませんよねぇっ!!」

 

「……え……」

 

 言った瞬間、胸の中にぽっかりと穴が開いたような喪失感を覚えました。課長の表情が凍りついたからです。自分で殺した人を引き合いに出して、煽るなんて。我ながら最低なことをしてしまったと思います。

 

 ……でも、でもでも、だからって、課長相手に遠慮してどうなるというのですか? この人は命をかけて私を欲しがったのです。だったら私がどんなワガママ言っても許されるはずじゃないですか!!! 

 

「ねえ、私の事がお嫌いですか? 軽蔑しますか!? もしそうだと言うなら……きゃっ!?」

 

「う、う、うおおおおおおぉぉぉッ!!」

 

 突然でした。急に起き上がった課長が雄叫びを上げ、両腕で力強く抱きしめてきたのです。対面で、お互い座ったまま、力いっぱいギュウゥッと抱き締められていきます。

 

 でも痛くない。

 

「あ、あ」

 

 むしろ心地良い抱擁に包み込まれて、自分でも気づかないうちに声が出ていました。ベッドが軋む音とスプリングの振動が、やけに生々しくて。

 

「くそぉっ、くそぉっ、あんな奴に負けてたまるかぁぁっ……! 僕は君が好きだっ! 君は僕の女だっ! 絶対に誰にも渡さないっ!」

 

「うふっ、ふうっ、う、ううっ……!」

 

 ああ、ああ、心がゼリーのようにぷるぷる震え、ううん、肌から伝わる熱で溶けてしまいそう。溶かされた心のシロップが、涙になって頬を伝い落ちていきます。

 

 その涙を、彼が唇で吸い取ってくれました。きっと今、私の顔、だらしないことになってるんでしょうね。恥ずかしいなあ。

 

 そのまま、ベッドに押し倒されます。背中に感じる冷たいシーツの感触も気にならなくて、ただ体温を味わうことに夢中でした。

 

「はあ、はあ、課長っ」

 

「なにっ、なんだぁっ?」

 

「き、き」

 

「き?」

 

「キスしてくださいぃ……」

 

 気づいたら求めていました。初めて、自分から課長の唇を求めたのです。

 

「キ……ス……?」

 

「だめ…………?」

 

 彼はびくんっと目を見開き、すぐに応えてくれました。唇が触れ合った瞬間、全身を襲う痺れるような快楽。

 

「んっ……ふぅ……んむっ……んん~っ……♡」

 

 唇同士のつん、つんという軽い接触だけでしたが、それだけでも信じられないくらい気持ちいいです。お互いの吐息を交換し合うだけの行為なのにどうしてこんなに幸せなんでしょう? 

 

「ちゅぱ……れる……ちゅっ……」

 

 やがてどちらからともなく舌を伸ばし、にゅるにゅると絡め合わせ始めました。くちゅくちゅと唾液が混ざり合って泡立ち、いやらしい音が漏れ聞こえます。

 

 流れ込んでくる唾は苦くて生臭くて美味しくなんてないのに、頭の中がふわふわしてきて何も考えられなくなってしまいました。ただただ幸せで、胸の奥がきゅぅぅっと締め付けられてたまらなく切ない気持ちになるんです。

 

(この気持ち……これって……)

 

 唇を離してから数秒間、見つめ合いました。

 

「か、課長……」

 

「好き……好きだ……ヨルくん……僕だけのヨルくん……」

 

 後戻りできない所まで踏み込んでしまった、そんな不安感。なのに恐怖ではなく期待でゾクゾクする、とってもいけない感覚。これって、恋、なんでしょうか。わからないけれど、もっとこの人が欲しいと思うのはいけないことでしょうか。

 

 彼の手が、私の胸を優しくほぐすように揉んできます。

 

「……っ、はっ……んぅ……♡ 課長っ、またキスしてください……」

 

「うぐっ……! あぅ、ああっ……!」

 

 また唇を奪われてしまいました。口内を蹂躙され、舌の裏をれろれろと舐められ、ぞくぞくとした快感が背中を駆け抜けます。

 

「はっ、んんっ……ちゅっ……んっ……ふぅ……んむっ……んん~っ……♡」

 

 頭がぼーっとしてきました。こんな風にキスを楽しむのは初めてで、息継ぎの仕方もわからないから酸欠で頭がクラクラです。

 気持ちいいのが止まらない。ずっとこのまま繋がっていたいと思いました。

 

「……ぷはぁっ!」

 

「あっ、やっ……もっとぉ……」

 

 なのに彼は唐突に、口を離してしまいました。もっとして欲しい。そう思って舌を伸ばすものの、顔を逸らされてしまいます。

 どうして? どうして意地悪をするのですか? 思わず両手で肩を引き寄せようとすると……

 

「い、いててててて!」

 

 痛そうに顔をしかめています。そういえば怪我をしているんでした。でも、でもでも、そんなの知ったことじゃありません! 

 

「はやくぅ……」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ……! き、傷に響くんだよ……! そ、それに……」

 

「い、いやん、いじわるしないでぇ……♡」

 

 あ、あれ? 私、今「いやん」なんて言いました? え、やだ恥ずかしい……ああもう、顔が熱い! 顔だけじゃなくて体まで熱く……! 

 

(ううー……!)

 

 両手で顔を覆い隠します。指の隙間から課長の様子を覗き見ると、彼も顔を真っ赤にして目を泳がせていました。

 ああ、この人本当に私のこと好きなんだなぁと確信できてしまいます。

 

「そ、そんな声で言われると我慢できなくなるだろ……! ううっ、痛くな、痛くないぞぉっ」

 

 ベッドに立ち上がった課長は、興奮のあまりズボンの股間部分をはち切れさせています。はち切れそう、ではなく、文字通りボタンが千切れる寸前でした。

 

「うっ……! ぬ、脱がせてくれ」

 

「……はい」

 

 私は膝立ちになると、ゆっくりとファスナーを下げていきました。そして下着ごと下ろすと、ボロン、と飛び出るペニス。私はそいつが与える圧迫感に息を吞み、ごくりと喉を鳴らしました。

 

「きゃっ……!」

 

 むわっと広がる雄の匂いに、頭はくらくら。鼻の穴を広げて嗅ぐと、まるで脳みそを直接犯されているような錯覚に陥ります。柔らかい神経細胞に直接刻み込まれるような、濃い匂い。

 

 早く欲しい……。

 

 たまらない気分でした。今までは苦痛と嫌悪しか感じられなかった男性の象徴。でも、その人そのものを見直した今は、なぜか愛しくてたまりません。

 

 グロテスクで醜悪で汚いイチモツ。でもコレが私を満たしてくれるのだと考えるだけで、さっきまでキスしていた口内に涎が溢れて止まりませんでした。

 

「ふう、ふう、いいかい? もういいかな?」

 

「……はい、来て下さい……♡」

 

 仰向けになって股を開き、両手を顔の横に置いて彼を迎え入れる姿勢を取ります。恥ずかしいのですが、これも脅迫……もういいか、セックスを楽しむためです♡ 

 

「いくよ、入れるからねっ……おおっ!?」

 

「あ、あっ! ♡」

 

 彼のペニスは大き過ぎて、受け入れるだけでも一苦労。まるで杭を打つように体重をかけながら押し込まれ、お腹の奥深くにまで侵入してくる異物感に息ができなくなってしまいます。

 

 でもお腹の中でどくんどくんと脈打つソレの存在感はとても強く、内側から食い破られてしまうのではないかとさえ思いました。

 

「はぁーっ、はぁーっ、だ、大丈夫!? 痛くない!? 平気!?」

 

 心配そうに顔を覗き込みながら尋ねてくるのですが、私の方はそれどころではありません。

 

「ごめっ、ごめんなさいっ♡ あぁぁイくッ……♡ イくっイくッ♡ イッグぅぅううううっ♡♡♡」

 

 全身に電流が走ったかのような衝撃、入れられただけで絶頂に達してしまったのです。

 爪先から頭のてっぺんに至るまで強烈なオーガズムを感じ取り、頭の中が真っ白なペンキで塗りつぶされたような感覚に襲われ続けていました。

 

「おっ……! おおお……! すごいよ……! 

 ヨルくんのっおまんこスゴい!」

 

「すきっ……これ好きっ……♡ ああ……ああ……! あっイくッ……♡」

 

 ああ、こんなの嘘です。あり得ません。こんな簡単にイカされてしまうなんて、あり得ない。

 

「ひぐぅッ……♡ あっあっあっあぁあぁっ♡ イクぅっ♡」

 

 ですが、現実に私は何度も達していました。自慰やクリトリスでの絶頂とは比べ物にならないほどの幸福感。

 

 グロテスクな男根をぱっくり咥えこんだ膣穴からどろどろと愛液が溢れ出し、子宮口がパクパク開いて亀頭の先端を咥えこんでいました。彼のモノを離すまいと、必死に吸い付いているのがハッキリ感じられます。

 

 ああ、だめです、こんなの絶対だめです。

 これが本当のセックス。自分で選んだ男性に生殖器官を埋め尽くされる、喜びと快楽の儀式。

 

「す、すごっ、君のナカすごく熱くてトロトロしてて、なのにキュンキュン締め付けてきてっ」

 

「……かちょぉ……♡」

 

 うわ言のように彼を呼びました。自分でも驚くほど甘い声で、たくましいペニスの持ち主をうっとりと見上げています。

 

 全身で悦びを噛みしめる私はどんな表情をしているのでしょうか? きっとだらしなく緩み切った顔をしているはずです。こんな顔を見せるなんて恥ずかしいけれど、でも止められないのです。

 

 だって、本当のセックス、すごく気持ちいいんですもの……♡

 

「ヨルくん、きれいな顔がゆるんで、か、か、可愛いよぉ……!」

 

 声が上ずっています。どうやら私のとろけきった表情にドキドキしてくれているようです。

 

 嬉しい……♡

 もっともっと好きになってほしい……♡ 

 

 だから、おねだりする事にしました。ぽろぽろと悦びの涙を零しながら、彼に懇願します。

 

「かちょう……キス……きしゅぅ……」

 

「……うん」

 

「えへー……んっ……」

 

 唇が触れ合いました。

 キス。ペニスを挿れられながらのキス。

 両腕を首に回してしがみつき、夢中で舌を伸ばします。唾液を交換し合いながら粘膜を擦り合わせると、それだけで甘イキしてしまいます。

 

(課長、課長、課長……!)

 

「ん、んちゅ……ちゅるっ♡ ……んくッ……♡ んっ……んんんっ♡ んんん~♡」

 

 唾液を交換し合い、相手の舌に歯を立てないように気をつけて愛撫する……なんだか自分が自分じゃないみたい。心も体もとろとろに蕩けきってしまっています。

 

(ああっ、幸せ……!)

 

 絶頂の余韻に浸りながらの、甘い甘い口づけ。このまま時間が止まってしまえばいいのにと思うほど幸せな時間です。彼が唇を離せば、私からチュッチュッとついばんでキスを迫ります。

 

「あン、もっとしてください……♡ ちゅっちゅっしたいれすぅ♡ ちゅっちゅっ♡ ちゅぅぅ♡」

 

「うっ……! ああ……!」

 

 唇を塞がれると嬉しくて、またイッてしまいました。膣内が激しく収縮し、よりいっそう強く彼のモノを抱きしめてしまいます。そのたびピクンと反応するのが可愛くて仕方ありません。

 

「んふ♡ んんー、ぅんっ♡」

 

 突き刺されたまま腰を浮かせて、ねっとりと円を描くように腰を振る。恥ずかしくてたまらない、でもせずにはいられない求愛のダンス。彼は小さく声を上げました。

 

「ううっ……!」

 

「あんっ♡ うごいてくださぃ……♡」

 

「う……うん……」

 

 上の口でもお願いすると、彼はさっそく動き出してくれました。根元まで入りきったところから、ゆっくりと引き抜いていくのです。

 

「さ、最初はゆっくりね……いーち、にーい」

 

「……ッ!」

 

「さーん、しーい、ごーお、ろーく……」

 

 まるで幼稚園児の遊戯のような掛け声に合わせ、内壁が引きずられるような感覚がします。膣内の粘膜がカリ首に引っかかれ、腰骨に響くような刺激が与えられました。

 

「ひぃ……っ! あ゛っ! あ゛ぁぁああっ♡」

 

 私は歯をカチカチ鳴らして必死に耐えようとしますが、駄目でした。ああっ、気持ち良すぎて、頭がおかしくなりそうです……! 

 

「っあ……♡ あ゛ぁぁーっ♡」

 

 みっともない嬌声がこぼれ出て止まりません。自分の声とは思えなくて、耳を塞ぎたくなります。 けれど両手はシーツを掴んで離しません。むしろより一層力を入れて握り締めていました。

 

 だって気持ちいいから。気持ちよくて幸せだから。ずっとこの状態を維持したいと思ってしまうんです。

 

「つ、次は速く……! それっ!」

 

「──ッ!」

 

 再び最奥まで突き込まれました。ぐいっぐいっと二段階に分けて入り込んでくる太くて長いモノ。内臓を圧迫されてしまい呼吸もままなりません。

 苦しいはずなのに、それなのに──気持ちいいんです! 

 

「あーっ、あーっ、ひっ、ひいぃっ!」

 

 喉を震わせて絶叫する私に構わず抽送が始まります。激しく腰を打ち付けられて、ふだん私の寝ているベッドが大きく軋みました。

 

「ヨルくんっ! ほらっ! ここだろう!? ヨルくんの気持ちいいところはっ!」

 

「あ、ああっ! 

 ああぁぁぁああああ~~~~~っっっ!!」

 

 弱点を見つけられてしまったみたいです。その一点だけを集中して責め立てられると、もうどうしようもなくなってしまいました。

 

(あ、あたまのなかぐちゃぐちゃになっちゃうぅぅ……!)

 

 私は快感と多幸感に酔い痴れ、イぐっイぐぅッ♡とだらしない喘ぎ声を出しながら何度も何度も絶頂を迎えてしまいます。

 

「イっぐッぅぅぅ~…………ッッ!!!」

 

 絶頂に次ぐ絶頂で、思考回路はショート寸前です。目の前がチカチカして意識を失いそうになりますが、すぐに次の波が押し寄せてきて無理矢理覚醒させられてしまうのです。

 

(こ、こわいっ……こわいぃぃ……!!)

 

 自分が自分でなくなってしまうような恐怖、でもそれを遥かに上回るほど気持ち良い。心と体がバラバラになってしまいそう、怖い、けど、それ以上にもっとして欲しい。もっと私を抱きしめて、心を気持ちよさだけで一つにして欲しいっ♡

 

「うう……っ! おおおおッッ!!?」

 

 課長の行為はやがて終わりに向かい始めました。ストロークの間隔が狭まっていき、ドクン、ドクンと心臓の音が高鳴ります。その瞬間が近付いてきていると分かるのです。

 

 終わり。それは膣内射精である事は言うまでもありません。

 

「ヨルくぅん! イクよ! いっぱい出すよ! 受け止めてね! 全部! 全部ぅ!」

 

 ……ああ、それにしても。恐ろしいのは、オンナの肉体です。二十七歳になるまで男を知らなかった私の中のオンナは、今まさに種付けをされようとしている男のイチモツに吸い付き、絡みつき、その欲望を叶えようと必死なのですから。

 

 そんな自分の体に戦慄を覚えながらも、しかし悦楽が絶え間なく沸き上がってきます。体の奥底に熱い奔流が流れ込み、歓喜に打ち震える瞬間が目前に迫っているのですから……! 

 

「ああ~っ! ああ~っ! 出る! もう出ちゃうよ! あーっ! あーっ!」

 

 動きが激しくなり、私の胸に顔を埋めてきました。彼もオトコの限界が近いようです。

 

(ああ……! ああ……! くる……! くる……!)

 

 期待で子宮口が痙攣し、膣壁全体が蠕動し、ペニスを奥へ奥へと誘い込み、射精を乞うて、そしてついにその時が訪れたのです。

 

「……うっ!」

 

 子宮口に亀頭を押し付けたまま、課長のモノが爆ぜました。

 

「あ゛っ♡ あっあっあっ♡♡ あっあっあっ♡♡ あっあっあっ♡♡ あっあっあっ♡♡」

 

 熱い精液を注がれている最中もピストン運動は続きました。亀頭の先っぽをぐりぐり押し付けてくるせいで、ナカに出しながらクリトリスを弄り回されるという拷問のような快楽を与えられてしまいます。

 

(きもぢいいぃぃ……ぎぼぢいぃよぉ……♡ ああっ……)

 

 クリトリスと膣の複合的な快感と、ナカダシされている幸福感。思考がどんどんぼやけて、女に生まれて良かった……と心から思います。こんなに気持ちいい事をしてくれる殿方に巡り会えるなんて本当に幸運です。

 

 もっともっと、この悦楽を味わっていたい……。

 

「ああ……ヨルくん……」

 

 課長の短く太い指が、私の胸の谷間を這い回ります。指の間に乳首を挟み込むと、恐る恐るの力加減で乳房全体を揉みしだきました。

 とても優しい手つきに、絶頂快楽の余韻がじんわりと引き延ばされてゆきます。

 

(……あぁ……)

 

 絶頂の波が終わりを迎えた頃、私はふわふわの陶酔感に包まれていました。汗まみれになった肢体はぐったりとして、涎や鼻水まで垂れ流し。

 それでも、いつまでもこうしていたい。心地良い倦怠感の中で、本気で思ってしまいます。

 

「ああー、ヨル君、好き、好きだよ……」

 

 ()()()も、どうやら同じ想いのようでした。上に覆い被さったまま荒い息を整えています。

 

(ああ、しあわせぇ……)

 

 このまま溶けて無くなってしまいたいと思いながら、私はそっと目を閉じました。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 それから一週間後の、晴れた朝。

 私は市役所の給湯室でお茶汲みの仕事をしていました。課長にお出しするコーヒーの香気が鼻をくすぐります。爽やかな朝にはぴったりの香り。

 

「……♡」

 

 淹れたてのコーヒーを、あらかじめお湯で温めたマグカップに注ぎます。冷めたコーヒーを、()()()に飲ませたくないですから。

 

「今週末うちでパーティーやるんですよぉ、ヨル先輩もよかったら来てくださぁい♪」

 

 カミラさんが声をかけてきました。

 

「ぜひ、パートナーとご一緒にぃ……」

「すみません、お断りします」

 

 即答です。もちろんお呼ばれするのは嬉しいのですが、彼女の魂胆は分かっています。だってその笑顔がとってもいやらしいんですもの。

 

「う、えっと……」

 

「私、お付き合いしている方はいませんので」

 

「せ、先輩って二十七でしたっけ? 独り身の女って不審がられますよぉ? カレシ作っておいた方が」

 

「問題ありません」

 

「……ヨル先輩、なんか感じ悪くなってません? ちょっと課長に気にいられてるからって……」

 

 カチンときました。この方がこんな調子なのはいつもの事ですけど、今日は特に酷いです。

 

「あんなモテない小太りキモオヤジ、どうせ先輩の無駄に大きいお尻触る度胸もないんですから……」

 

「カミラさん」

 

 ぴしゃりと名前を言い放ちます。こういう言葉は許せませんでした。上司に対して失礼ですし、何より事実に反します。

 

「課長は素敵な男性です」

「へっ」

 

「……」

「…………」

 

「それに度胸もあります。私がどれだけ嫌と言っても無理やり触ってきますもの」

「…………」

 

「………………」

「……そですかー」

 

 何か思うところがあったのか、彼女は黙って出て行ってしまいました。唖然、という感じの表情をしていた気がします。

 

 もしかしたら、課長の意外な一面を知って幻滅してしまったのでしょうか……? 

 だとしたら申し訳ありませんね……でも事実なんですから仕方ないじゃないですか……ねえ? 

 

 

 ◆◆◆

 

「ヨルくん? 『後で郵便局に手紙を出してきて欲しい』んだけど、頼めるかな」

 

「はい、お任せください♡」

 

 今日も、課長から〈脅迫状〉をいただきました。きっと私の部屋で会いたいという内容でしょう。そのお誘いに胸が高鳴ります。ドキドキワクワクが止まりません。

 

(ふふっ♡)

 

 デスクに座る課長を盗み見ながら、私は足取り軽くオフィスを出ます。心はウキウキ、スキップしたい気分でした。

 

 まあ、正直、浮かれていました。だからすっかり失念していたのです。

 課長には奥様と娘さんがいらっしゃるという、そもそもの発端を……

 

 

 

 

(第一話 部下からも嘲笑される小太りでキモいハゲオヤジの慰み者、ヨル・ブライア 了)

 

(第二話 最近笑われなくなってきた小太りなハゲオヤジの不倫相手、ヨル・ブライア に続く)




 ここまでお読みいただきありがとうございました。

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第二話
Aパート


(死にたくない! 死にたくない!!)

 

 そう恐怖する男は、悪漢だった。

 だが今は、怯えた小動物のように木箱の陰で身を隠している。

 

 窓から射す夕日が、コンクリートの床を照らしていた。その上に、赤い液体が広がっている。仲間たちの血だまりだ。

 

 コツンという足音。だだっ広い倉庫内を駆け巡ってきた音の波が、男の鼓膜を震わせる。

 コツンともう一度、今度はより大きく。

 

「ひ……! …………!」

 

 悲鳴を上げそうになり、慌てて口を閉じる。波の音が、荒い呼吸音を包み込んでくれた。

 きっと。恐らく。

 

 悪漢たちの根城だった港の倉庫は、いまや血まみれの死体置き場と化していた。三十人はいたはずの仲間たちは皆、無惨な屍となって転がっている。

 

 もはや動く者は、〈彼女〉以外にいなかった。

 

 

 

第二話

最近笑われなくなってきた小太りな

ハゲオヤジの不倫相手、

ヨル・ブライア

 

 

 

 コツ、コツと靴音が近づいてくる。そのリズムは、まるで死へのカウントダウンのようだ。

 

(いやだ! 死にたくない! なんで俺が!)

 

 彼は誓って殺しも人身売買もしていない。ただ、違法薬物をさばく組織の幹部というだけだ。()()()()()()()()と手を組み、女を淫らに狂わせて人生を滅茶苦茶にする薬を密輸した。それで大金を稼いだだけなのである。

 

(たったそれだけなのに! おかしいだろっ!)

 

 足音が止まった。

 

「国を蝕む魔の薬。法も許さぬ人でなし。本来なら、人民警察*1にお任せするところですが」

 

「ひ…………うっぐっ!?」

 

 衝撃。男の総身が宙に浮く。視界が回る。

 激痛。背中から叩きつけられたのだ。

 絶息。一瞬意識が途切れて、そして戻ってくる。

 

 いつ、どのようにどうされたものか。倒れ伏した彼の胸元には、金の短剣が生えていた。切っ先は見事に心臓を貫いている。

 

「行きがかり上、私が息の根を止めさせていただきますね」

 

 彼を見下ろす、美しい女。瞳は血のような赤、髪は夜の帳を思わせる黒。肌は月光を照り返す雪のごとく白かった。それでいて首から下は生々しい女体の曲線を描き、張り詰めた乳房が黒のドレスをこんもりと押し上げている。

 

(ああ、こんな女をヤクで狂わせて輪姦(まわ)したかったなぁ…………)

 

 もう叶わない下卑た妄想を最後に、彼の魂は地の底へと旅立った。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 ゲルゲス課長の寂しかった頭は、思い切りよく全部剃り落とされていた。たっぷりオイルが塗られ、照明を受けたその様は。

 

「電球に、ピカリと光るハゲ頭……」

 

 ぼそっと呟いた金髪の市役所職員カミラは、ゲルゲス課長の仕事っぷりをじっと観察していた。

 

「おーい、○○君! この書類のここ、誤字があるぞぉ」

 

「あっ、すみません……!」

 

「最近どうだね? 体調管理はしっかりしてるかい?」

 

「おかげさまでっ! いや~課長に負けてらんないっすよ~!」

 

「そうかそうか! この書類も誤字を除けばいい出来だ! その調子で頼んだよぉ~」

 

「うっす! ありがとうございます!!」

 

 ここ最近の彼は、控えめに言っても絶好調だ。キモ暗いオーラは鳴りを潜め、謎の自信で満ち溢れている。くたびれていたスーツも体型に合わせて新調し、革靴もピッカピカ。

 

(ああいうの、回春って言うのかしら。あー、あー、キモッ)

 

 お洒落なカミラからすれば絶妙にダサいというか、二十年前の〈イケてるおじさん〉像をそのまま真似したかのような出で立ちだ。

 

 しかし男性陣の受けはいい。カミラの彼氏も

『年上のおじさんが努力して変わろうとしてるんだ、男なら俺も負けてられるかーって思うものさ』

 などと爽やかに申しており──要するに、ゲルゲス課長は男を上げてしまっている。

 

 女性陣は激変の理由が分からずに不審がっているが、カミラだけはおおよその検討がついていた。

 

(絶対よ、間違いないわ。ヨル先輩の影響よ)

 

 最近のヨルは、浮ついている。初めての恋に夢中な中高生のように。妻子持ちの中年男と不倫しているとは思えない陰の無さは、フワフワで真っ白な綿菓子を思わせる。

 

 そのくせ妙に婀娜(あだ)っぽい*2仕草を見せる時もある。そんな時は、必ずと言っていいほど課長の熱くてキモい視線が注がれているのだから! 

 

(市役所で不倫なんて、ヤバすぎる……!)

 

 叫びだしそうになり、とっさに唇を噛む。

 行政情報を取り扱う市役所において、不倫なんてご法度中のご法度だ。下手をすればスパイ容疑がかかるし、下手しなくてもバレれば間違いなく、クビ! 

 

(知りながら黙ってた私も何言われるか……! そんなの絶対にごめんだわ!)

 

 このままではいけない。幸いにして(?)今のところ誰も気づいていない。だがそれも時間の問題、ならば先手必勝でこちらからアクションを起こすべきだ。

 

 カミラにはアテがあった。彼氏のドミニク、そしてドミニクの友人であるユーリ・ブライア。ヨルが自慢げに話していた、弟の存在である。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 部長室の窓から入り込む西日は、夕日の赤から夜闇の藍色に変わってゆくところでした。

 

「ただいま戻りました、部長」

 

「はい、〈出張〉ご苦労様でした」

 

 私、ヨル・ブライアより遥かにたくさんの殺しを経験された〈部長〉の声は平静そのもの。老紳士然としていながら眼光鋭く隙のない佇まいからは、殺し屋稼業の年季を感じずにはいられません。

 

「これで次長の後始末も終了だ。密輸に手を染めていたとは驚いたが、我々〈ガーデン〉の構成員に手を出したのが運の尽きでしたね」

 

「あはは……」

 

 私は愛想笑いで応えました。課長との事は、何も報告していません。

 あの人を〈お仕置き〉されるわけにはいかないのです。悟られないようにせねばなりませんよ、ヨル! 

 

「彼は優秀だったが、それだけ妬まれてもいた。男同士のコミュニティから爪はじきにされ、女を弄ぶ事にのめり込んでいったようです」

 

「そうでしたか」

 

「嫉妬の心は人を醜くする。アナタも気を付けて下さい。職場では目立たず、プライベートも平穏無事でいるように」

 

「はい」

 

 もう。お年を召した方は、どうしてこうお話が長いのでしょう。次長なんかの話より、私は早く家に帰りたいのです。

 

 なぜって今夜は、課長とおうちデートっ。二人で食事をして、テレビを見て、もちろんその後は……ムフフですっ♡

 

「ところで、ゲルゲス課長のことだが」

「うえっ!? あ、はい?」

 

 思わず変な声が出てしまいました……っ。そんな私に構わず部長の話は続きます。

 

「彼は、最近評判を回復している。目の上のたんこぶだった次長がいなくなったせいか、ずいぶん仕事熱心になったとか」

 

「あ、は、はあ」

 

「アナタ、同じオフィスでしょう。最近の彼はどんな調子なのか、少し教えてもらえませんか?」

 

「……ええー……っと……」

 

「どうかしたかね? 彼に何か問題が?」

 

「……いえ別にありませんっ!」

 

 結局その後、私はうっかり課長との関係を喋らぬように神経をすり減らし続けながら根掘り葉掘り……ううぅ……課長と過ごすはずの時間がどんどん目減りして、いつの間にか外は真っ暗に……。ぐすん。

 

 

 ◆◆◆

 

「ん……ちゅっ♡」

 

 唇が離れる瞬間の音が、やけに大きく響きました。自宅の狭いシングルベッドで抱き合っていると、二人の体臭が混じり合ってくらくらしてしまいます。

 

「はあ、ふう……」

「課長……♡」

 

 私の下で、小太りなおじさんが荒い息を整えていました。ぽっこりしたお腹に汗の玉が浮いていて、それがたまらなく愛おしい。だって私とのセックスを夢中で楽しんでくれた証なのですから。

 

「ねえ……もう終わりですか……?」

 

 明日から連休ですから、私は一晩中だって構わないのですが……。課長が困ったように苦笑します。

 

「……ヨルくん」

 

「はっ、はいっ」

 

「……いや、その……そろそろお腹が空いてきたなあって思ってね……」

 

「……そ、そうですね……夕食がまだでしたね……すっかり忘れてましたぁ……えへへっ……」

 

 食事もせずに玄関で後ろから、ベッドで前から下からと何度も体を重ねた私たちでしたが、言われてみると確かにお腹がペコペコです。

 

「……でも、課長のコレ、お腹の中で固いままですよ……? もうちょっとだけ……ね?」

 

 そう言って腰をくねらせてみせました。左右だけでなく上下に動かすと、揺れる乳房に課長の視線が吸い込まれていきます。

 

 ほら見てください、私のおっぱい、こんなに大きいんですよ♡ むぎゅむぎゅ揉んでください、吸ってしゃぶって甘噛みしてください♡♡ 

 

「……ほおっ、ふおぉ……だっ、だめだよヨルくん」

 

「んもう……分かりましたぁ……」

 

 私が離れると、抜け出たペニスは避妊具の中にたっぷりと白いものを残していました。薄い青色のゴムの中、精液の白が毒々しいまでに映えて見えます。

 

(すごい量…………♡)

 

 ゴムを外してあげると、生臭い匂いが広がりました。鼻の穴をヒクつかせるくらい濃厚なザーメンの香りに、子宮の奥が疼きます。

 

(ああぁ……こんなの見たら……またシたくなっちゃう……)

 

 私は避妊薬の服用を止めていました。おかげで体調が良くなって、前よりもセックスを楽しめるようになった気がします。なんて言うか……本能がうずくというか……♡ 

 

 ◆◆◆

 

 体を許した男性と、二人きりの夕食。キッチンの灯りに照らされて輝くナイフとフォークは、どこか誇らしげにすら見えました。

 

「わあ、美味しい! なんだかお店の味みたいです!」

 

「それは良かった。作った甲斐があるよ」

 

 時間も遅いですから、パンにハム、それとチーズを切ってお皿に載せただけ。でも、課長がサッと作ってくれたリンゴと赤キャベツのサラダはとても華やかで美味しかったのです! 

 

 私がリンゴを好きと言ったのを覚えていてくれたんです。爽やかな酸味が塩気の強いハムによく合って……でも……

 

「すみません、私、家事はお掃除しか出来なくって……料理はさっぱりなんです」

 

「き、気にしないで。僕は慣れっこだから大丈夫さ」

 

「うう……」

 

 申し訳なくてうつむく私ですが、課長は苦笑いしつつフォローして下さいました。女として情けない限りです。

 

「あ、はは、仕方ないよ。食事は女性が作るべきなんて固定観念、今の時代は通用しないんだ」

 

「そうでしょうか……課長はいつもご自分で作られてるのですか?」

 

「うんまあ……うん」

 

 そう言うと課長は、少し恥ずかしそうに目を伏せました。

 

「……できる限り、自炊するよう言われてるんだ」

 

「そうなのですか? 奥様は……あっ」

 

 ……奥様。娘さん。

 ……家庭。家族。

 ……自炊? 家庭と、家族があるのに? 

 

「……ヨルくん、その……明日からの休みなんだけどね、家族とスキーに行くことになったんだよ」

 

「……そう、なんですか」

 

「……ごめんね、せっかくの連休なのに」

 

「謝らないでください。私たち、そんな風に気を使う関係じゃないですよね?」

 

 食卓は静かになりました。カチ、コチと時計の針が進む音。壁掛け時計さん、残り時間を教えてくれているつもりなのですか? 余計すぎるお節介というものですよ。

 

「いつも、一人でお食事されてたんですか?」

 

「え、ああ、そうだね。娘はふだん寮だし、妻も婦人会や習い事で忙しいから……」

 

「それじゃあ寂しいですね」

 

「いやあ、ははは……」

 

 手を伸ばして、彼の皿にサラダを取り分けます。

 

「もっと召し上がってくださいね。ソーセージやチーズばかりだと、いつまでも体脂肪が減らないんですから」

 

「あ、はは……健康診断の結果がちょっと心配だったから、気を付けることにするよ」

 

 私は笑顔を絶やさないように努めました。頬が引きつらないように、声が震えないように、意識して。

 

「スキーだなんて、素敵なご家庭じゃないですか」

 

「……ごめんね。本当に済まない」

 

「いいんですよ、そんな他人行儀なこと言わなくたって。私なら大丈夫ですから」

 

 上手くできている自信はありませんけど、とにかく笑わなければと思いました。

 だって私、これから彼を困らせるのですから。気取られない程度に深呼吸して息を整えます。

 

 さりげなく、さりげなく、何気ない口調で──

 

「──どちらのスキー場へ行かれるんですか?」

 

(続く)

*1
秘密警察とは異なる、いわゆる普通の警察

*2
美しくなまめかしい。色っぽい。



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Bパート(♡)

 トンネルを抜けると、そこは雪国でした。朝の光を受けて、白銀の世界が輝いています。

 

「さむいさむい……うぅ……」

 

 寒さが身に染みます。私、ヨル・ブライアはオスタニア北方に向かう列車の()()()()()()()()()いました。もちろん防寒服は着ていますが、時速八十キロで冷気にぶつかれば凍えるに決まっています。

 

「ふぅ……はぁ……」

 

(私、なんでこんな馬鹿げた事をしているのでしょう……)

 

 不倫関係にある課長がご家族とスキーに行くからと、それとなく場所を聞き出して、後を尾けて。

 万一にもバレないようにと、スキー場に向かう列車の屋根に張り付いているわけですが……

 

(バカみたい……)

 

 行かないでって、言えばよかったんです。服のすそでも掴んで、すがりついてでも止めればよかったんです。

 

 ……そうしたらきっと、課長は私のことを一番に考えてくれた……きっと奥様や娘さんより私を優先してくれた……。

 

「……寒い……」

 

 列車はスキー客を乗せて、北国の大地を疾走しています。今頃、課長はご家族と一緒に朝食を食べている頃でしょうか。奥さんとお子さんに囲まれて、温かいスープでも飲んで……私のことなんか忘れているのでしょうか……。

 

 想像するだけで涙が滲んで……冷気ですぐに凍りついてしまいました。

 

 ◆◆◆

 

 窓際の席からは、スキー場が一望できます。真っ白な雪に覆われたゲレンデでは、大勢の人が思い思いに滑ったり雪だるまを作ったりして遊んでいました。

 ごく普通のカップルや家族たちの光景。

 

「ね、ねえティーナ」

 

「ティーナは止めてパパ。あと話しかけないで、息がクサイ」

 

「ご、ごめんよマルティナ……」

 

(あれが思春期というものなのでしょうか)

 

 スキー場のラウンジで、私はそれとなくご一家の様子を観察していました。外の風景と対象的な、寒々とした親子の会話。父親であるゲルゲス課長は、娘さんの冷たい態度に傷つき、意気消沈しています。

 

 課長と、肥満……ええと、ふくよかな奥様。反対にスラリとした娘さんの三人家族が、同じテーブルについて飲み物を飲んでいます。どこか冷たい緊張感を漂わせながら……。

 

「マルティナ? あなたまたそんな砂糖の塊みたいなジュースを飲んで。 お肌に悪いわよ?」

 

「ママに言われたくない」

 

 娘さんはストロベリーシェイクをストローで吸いながらそっぽを向いていて、ご両親と目を合わせようとしません。

 

 きつめの顔立ちは奥様にそっくりで、課長とはあまり似ていません。長い茶色の髪をまっすぐ背中まで伸ばしているのが印象的です。

 

「……?」

 

 彼女は私に気づくと、軽く会釈をしてきました。すっと伸びた背筋には気品があり、育ちの良さを感じさせます。

 私も微笑み返しますが、内心は少し焦っていました。変装は正直苦手なのです。

 

「ね、ねえエリー、スキー楽しみだね。ほら、新婚旅行以来だし……」

 

「ねえマルティナ、今日はインストラクターを頼んであるのよ。ママと一緒に練習しましょうね」

 

「…………」

 

 夫に目もくれない奥様を見て、知らず知らずのうちに拳を握りしめてしまいました。いったい、何様なんでしょう。せっかく課長が……。

 娘さんは娘さんで、母親の言葉に返事もしないし……。

 

「は、はは……本当に楽しみなんだなあ……」

 

 課長は肩を上げ下げしていました。それは彼が筋肉の緊張を感じていることの証左。ストレス反応を和らげようとする仕草なのです。

 ムカムカしてきて、私はホットココアを一気飲みしました。

 

 ◆◆◆

 

 少し、勘違いをしていたのかもしれません。

 

「エリー? ティーナ? 一体どこに……」

 

 私は、課長にも〈普通の家庭〉があるのだと思っていました。暖かくて幸せな、帰るべき場所がちゃんとあるのだと。

 

「そ、そんなぁ、エリー、ティーナ!」

 

 それは大きな間違いだったようです。課長がお手洗いに立った短い間に、奥様と娘さんはどこかに行ってしまいました。取り残された課長はオロオロするばかりで、とても見ていられません。

 

 考えてみれば当然なのでしょう。ちゃんとした家庭のある人間が、殺し屋女を脅迫して抱きついてくるわけがありません。私の胸に顔を埋めて、好きだ好きだと愛をささやくはずもありません。

 

「うううっ……ぐすっ、ひぐっ……エリー、ティーナぁ……僕は僕なりにっ、頑張ろうとして……!」

 

 課長は泣きながら二人を探し、ラウンジを出て雪原の中をさまよっていました。

 私は少し離れた場所から、そんな彼の姿を眺めています。冷たい風が頬を撫でていきました。

 

「ふ、ふふ」

 

 彼は、家庭を持っていたのです。暗い影に包まれ、冷たく凍りついた家庭を。愛や思いやりの暖かい光を、持っていなかったのです。だから私を脅迫して、だから私に縋りついてきたのです。

 

「ふ──ッ!!」

 

 ゴキッ、と指の骨が鳴りました。知らず知らず、ポケットの中で両手が人を殺すためのカタチに変わっています。

 私だったら、スキーに連れてきてもらったのが私だったら。奥様や娘さんがいなくて、代わりに私が一緒にいたら、あんな顔はさせなかったのに。

 

「うううっ……ひっく……エリー、ティーナぁ……どこ行ったんだよぉ……なんでいなくなるんだよぉ……」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、よろよろと歩く課長。おぼつかない足取りで周囲を見回して──私の視線に気づいて振り向きます。

 

「あっ」

 

「こんにちは、課長。いいお天気ですね」

 

 

 ◆◆◆

 

「パパ?」

 

 マルティナ・ゲルゲスは見た。自分たちを探しに出たらしい父親が、長身の女に引きずられる姿を。二人は、ゲレンデの木陰に入っていった。

 

 ◆◆◆

 

「ちゅふぁ……んっ、んっ」

 

「むぷぁっ! ちょ、ヨルくん……んむぅ!?」

 

 木陰に連れ込んで唇を奪えば、課長は目を白黒させて驚いていました。構わず舌をねじ込み、歯茎の裏から上顎に至るまで蹂躙します。

 抵抗しようともがく手を掴んで拘束し、グイグイと木の幹に押し付けて逃げ場を奪ってしまいます。

 

「んーっ!? んんーっ!! っぷはっ、や、やめっ──」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ふぁぁ」

 

 息が苦しくて一度顔を離すと、粘っこい唾液が何本も糸を引きました。口元を押さえて真っ赤になっている課長。私は、言葉に表せないほどに荒れ狂った嵐のような感情に支配されていました。

 

 この人が欲しい。あんな女たちに渡したくない。今すぐこの場で○してやりたい……! 

 

 でもそんなことはできません。私は代わりとばかりに彼の首筋に口づけしました。痕が残るほど強く吸って、噛みついて、舐め回して、彼のすべてを味わい尽くそうと必死になり、夢中で貪りました。

 

「はぁっ♡ ちゅっ♡ ちゅぅ……♡ 課長ぉ♡」

 

「ちょっ、待っ……ひぃっ」

 

 彼の耳たぶを甘噛みして、そのまま舌先でチロチロと弄びます。まるで毒を流し込むかのように、熱い吐息を吹きかけながら耳元で囁きます。

 

「課長……あなたが欲しい」

 

「……あぇ?」

 

「やん……止まらなくなっちゃう……♡」

 

 耳に唇を押し当てて、舌でねぶりながら何度もキスをして、そしてまた首筋に戻って同じことを繰り返す。

 

「ちゅぅっ、ぢゅぷっ、れろぉっ♡」

 

「ひぁぁぁ……やめぇ……」

 

 そうしているうちにどんどん興奮してきて、私は自分の胸を彼に押しつけながらひたすら愛撫を続けました。ブラジャーの裏地に胸の先が擦れ、それだけで甘い痺れが走ってきます。

 

「れろぉっ、じゅるるるっ♡ はぁ、はあ……課長ぉ……」

 

「あああぁぁ~……」

 

 夢中になって愛撫していると、次第に抵抗する力が弱まっていきました。恐怖や戸惑いの色が薄れていき、トロンとした目つきになっていきます。

 

 ああ、舌に伝わる汗の味すらも愛おしい。この人は今この瞬間だけは私のものなんだと実感できて嬉しくなる。もっともっと、全部欲しくなってしまう。

 

 もういっそ、このまま食べてしまおうか。首筋に嚙みついて肉を食いちぎって血を啜り、肉片を咀嚼して飲み込んで、内臓を取り出してぐちゃぐちゃにして舐めてしゃぶって胃の中に収める。

 

 そうしたら、あの女どもは悲しむのでしょうか。普通の人間は、家族を食べられたら悲しむのでしょうか? それとも怒りますか? 復讐したいと思うのでしょうか? 

 

(どうでもいい)

 

 そんなことより今はただ、この燃えるような欲望に身を任せていたい──

 

(……ああ)

 

 ふと気づくと、私の腰はパンティがよじれるほどに激しく動いていました。無意識のうちに指を伸ばして自慰行為に及んでいたのです。

 

(ああ、やだ……)

 

 恥ずかしくなった私は一旦動きを止めましたが、身体は貪欲に刺激を求めていました。いくらもしない内にまた動き出してしまいます。ズボンの上から股間をいじり、胸を彼にこすりつけ、唇は肌を求め続けていました。

 

「あっ、ああっ♡ だめぇっ、止まらないぃ……っ♡」

 

「うう……あ……あっ」

 

 されるがままになっている課長も、いつしか腰をビクビク震わせています。その手を取って、ズボンの横から私のヒップに導いてあげると、素直に従ってショーツに指を這わせてきました。

 

 寒さで冷えた手でお尻を撫でられて、ゾクゾクした感覚が走り抜けます。ピリッと電撃が走ったような快感に身をよじると、彼もビクッと震えて手を離してしまいました。しかしすぐに思い直したのか、恐る恐るといった様子で再び触れてきてくれます。

 

「ひゃぁん……」

 

 今度は割れ目に沿って指が這い回っていました。思わず声が出てしまうくらいに気持ちが良くて、お腹の奥からじゅんっと蜜が溢れてくるのを感じます。腰の奥が熱を持ち、自然と両足が大きく開いてしまいました。もっと触ってほしいという意思表示です。

 

「はああっ……課長、そこぉ……」

 

「え……? こ、ここ……?」

 

「はい、そうです、そこを撫でてください……」

 

 私が誘導すると、課長はおずおずと指先を動かしてくれました。不器用ながらも優しく、丁寧に触れてくれるのが伝わってきます。

 

「あんっ、やっ、すごいです、課長……上手です……」

 

 割れ目の中にある大事な穴に触れられると、ジンッとした快感が広がりました。自分で触る時とは全然違う、腰が抜けそうな程の気持ちよさ。私は背筋を仰け反らせながら、たっぷりと甘い息を吐きだしました。

 

 課長の肩に頭を預けてもたれかかり、指を動かされるたびにビクンビクンと跳ね上がります。

 

(気持ちいいっ♡ すごくいいっ♡ 頭の中をグチャグチャにかき回されてるみたいっ♡ こんなの初めてっ♡)

 

 自分でもどうかと思うほどに、私は燃え上がっていました。理性が愛欲の熱に焼き切れ、身体が性欲に支配されていくのがわかります。もう止められません。

 

「はぁ、はあぁっ、課長……課長……! あぅっ、うううんっ……」

 

 舌を震わせながら顔を近づければ、何も言わずとも察してくれました。そっと唇が重なり合い、どちらからともなく舌が絡まり合っていくのです。

 

 ニュルニュルと互いの唾液を交換し合いながら貪り合う様はまさに獣のよう。でも今の私たちにそんなことを感じる余裕はありません。ただひたすらに互いを求め続けました。

 

「んちゅ♡ んむぅ♡ ふぁぁぁ♡」

 

 頭がぼうっとしてきて、思考がままなりません。それでもなお求め続けるうちに、彼の指が膣口につぷんと入ってきました。

 

「……っ! んむっ、ふぁ♡ やんっ♡」

 

 彼の顔を両手でつかみ、フーフーという鼻息を当てながら舌を突き出します。はやく♡ はやく♡ とせがむように。

 

 それに応えた彼が中指を沈めてきて、ぬるりと入り込んできた感覚に背筋がぞくぞく震えました。ゆっくりゆっくりと進んでくる感覚にゾワゾワしながら身をゆだねていると、やがて根元まで入り切ったところで止まります。

 

「んふぅ……♡」

 

 私が鼻にかかった声を漏らすと、彼は探るようにして指先をクイクイと動かし始めました。

 

「きゃうんっ! はっ、はあっ、ひぁう……!」

 

 クチュクチュと音を立てながらかき混ぜられ、お腹の裏側の弱いところを何度も何度も擦られます。そこはクリトリスの裏側で、快楽を感じるための神経が集まった敏感な場所でした。

 

「ふっ、んくっ、はぁ……♡」

 

 課長は私の弱点を探り当てるのがとてもお上手なんです。だって課長、私のことが大好きですから……♡ 

 

「あう、やんっ、はぁっ、あぁん……ひぁう!」

 

 互いに見つめ合いながら、私たちは舌を絡ませ合います。口をぽっかりと開いたまま夢中で唇を合わせ、歯茎の裏や上顎や頬の内側などを舐めまわします。

 

 その間も膣内をかき回す指の動きは止まらず、私は身体をくねらせながら悶え続けました。フーフーと発情しきった()()()()()の吐息を彼の口内に送り込み、お返しとばかりに唾液を流し込まれます。

 

 私は喉を鳴らしてそれを飲み干しました。ごくっ、ごくっと飲み込む度に、彼の体液を身体の中に取り込んでいるのだという事実に脳髄が痺れていきます。

 

「んんくっ、むうっ……ぷはぁっ」

 

 息が続かなくなったので唇を離しましたが、舌だけは名残惜しそうに絡みついたままでした。ねろんねろんといやらしく蠢きあい、そして再びキスをします。

 

(ああ……幸せぇ……♡)

 

 彼とひとつになる悦びに浸りながら、夢中になって舌を絡め合っていく私。その間にも、アソコは彼の指をくわえ込んで離そうとしません。

 

 それどころかねちゅねちゅと愛液たっぷりに、奥へ奥へと引き込もうとしていて、自分の身体なのにまるで言うことを聞きませんでした。まるで別の生き物のように熱く火照った粘膜がうねり、指をしゃぶっているのです。

 

「えひひっ♪ ちゅっ♡ ちゅぅっ♡」

 

 唇を重ねながら笑います。きっと今の私の顔はとてもだらしなくなっていることでしょう。ですが、そんなことはどうでもいいことです。それよりも今は、もっと彼を味わいたいのですから。

 

 そうして愛撫し合っているうちに、段々と絶頂感がこみ上げてきて、身体がぶるぶると痙攣し始めました。

 

「んふ、かちょ、イキそ、イキそうれす……!」

 

「いいよ、イって……」

 

「はいっ、ッッ、い、イクッ!!」

 

 大きく背中をのけぞらせて達しました。手足が震え、視界も歪んでしまいます。熱い波が押し寄せてくるような感覚を堪えきれず、私は大きな声で叫びました。

 

「……っ!? はああっ! あっあっあああぁぁぁぁ~~~~~っっっ!!!」

 

 見上げた空には樹氷が立ち並び、太陽の光を反射してキラキラと輝いていました。吐く息は白く染まり、吹きつける風が頬をなでるたびピリピリとした痛みが広がります。

 私は、その美しい光景をぼんやりと眺めていました。

 

「……綺麗……」

 

 いくら人目がないとは言え、ゲレンデの木陰で空を見上げて絶頂感に身を委ねているなんて、こんなの普通じゃありませんよね。

 

 でも仕方ないじゃないですか。他にどうすればあの感情(さつい)をコントロールできるのか、私にはわからなかったんですから……

 

 ◆◆◆

 

「っ────うそっ」

 

 マルティナ・ゲルゲスは見た。父ミハエル・ゲルゲスと、見たこともない長身の美女が木陰で抱き合う姿を。熱烈に交わされる唇を。

 そして、父の手で股間を弄ばれて性感の高みに導かれた美女の姿を。

 

 ドサッと、樹上から雪の塊が落ちる音がした。

 

(続く)



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Cパート

「おえぇぇえっ……!」

 

 ユーリ・ブライアは便器に顔を突っ込み、胃液と共に朝食の残骸を吐き戻していた。脳裏には、情報屋から買った資料に書かれた内容が焼き付いて離れない。

 

(姉さんっ……! 姉さん姉さん姉さん姉さん姉さんっ……!!)

 

 それは姉が歓楽街に出入りしていたという情報だった。ある特定の中年男とともに、酒場の貸し部屋に入る姿が何度も目撃されたらしい。

 

 それだけではない。情報屋は、姉が住むアパートを一晩見張ったと言う。そうして、姉が件の中年男を出迎え、腕を組んで建物内に入っていく姿をカメラに収めていたのだった。さらにその数時間後、再び二人が建物から出てくる姿も。

 

 友人を通して寄せられた、姉が職場の上司と不倫をしているという噂話。それらを裏付ける、写真に写る親密な男女。

 

「ミハエル・ゲルゲスっ、楽に死ねるとおもっ、おええぇ……っ!」

 

 姉の色っぽい顔がフラッシュバックして、ユーリは嗚咽しながら嘔吐し続けた。

 

 ◆◆◆

 

 スキー場の冷気が、火照った顔に心地いいです。

 

「やあん……課長の、カチンコチン……」

 

「おぉっ、ほおぉ」

 

 ズボンの上から股間をさすり、硬く張り詰めた感触に得も言われぬ興奮を覚えます。

 

(おっきくなってるぅ……♡)

 

 ズボンの上から撫で回しているだけで、ビクビク震えるペニスの反応。我慢できなくなってしまい、ベルトを外してジッパーを下げました。

 

 ズボンの中から現れたパンツは大きく盛り上がっていて、先端には小さな染み。

 そこに顔を近づけ、匂いを嗅いでみました。

 

(すごい濃いぃ……♡)

 

 蒸れたような男性の匂いにクラクラします。鼻先を押し付けたままスーハーしていると、さらにムクムク♡と。下着をズラせば勢いよく飛び出してきたものが頬に当たり、ヌラヌラした汁が私の肌を汚しました。

 

「さ、寒いよヨルくんっ」

 

「ええ、冬だし、ここはお外で……あは、ホカホカ湯気が出てますよ……」

 

 青筋の浮く太い肉茎から、目が離せません。鼻先を近づけるとツンとした雄の匂いが鼻腔を満たし、脳がジンと痺れました。

 

(今ここでなら……いいえ、今日こそ)

 

 私はまだ、お口でこれに奉仕をしたことがありません。だって怖かったから。もし歯が当たったりしたら、それで課長に嫌われたら……そう思うと怖くてたまらなかったんです。だから今までずっと避けていたのです、が。

 

(これを、食べてみたい)

 

 口に含みたい。頬張って味を堪能したい。喉の奥まで迎え入れて思いっきり吸い付きたい……!

 

 そんな妄想をしながら亀頭の先っちょにチュッとキスをすると、ビクビク震えて悦んでくれました。

 

「あっ、ヨルくんっ、そんなぁっ……!」

 

「んっ、ちゅっ、課長ぉ♡ あーん……♡」

 

 私は意を決して口を開き、舌を出し……

 ドサッと、樹上から雪の塊が落ちる音がしました。

 

「やめなさいよッッッ!!!」

「!?」

「ティーナ!?」

 

 まさかの出来事でした。突然背後から怒声が聞こえ、それと同時に背中へ衝撃が走ったのです。どうやら誰かが突進してきたようで、そのまま押し倒されてしまいました。

 

「あ、あら?」

 

 私はびっくりしていました。まさか、素人さんにマウントポジションを取られるだなんて。

 

 地面に仰向けになった私に覆い被さるのは、マルティナさん。今、私がペニスを咥えようとしていたゲルゲス課長の娘さんで、普段は寮住まいで、反抗期で、お父さんの息が臭くて鬱陶しくて、ええと、それからそれから……。

 

 それから、青く燃え上がるような瞳で私を睨みつけていました。まだ明るい太陽がブラウンの髪を輝かせ、まるでスポットライトを浴びているかのようで。

 

「なんなのよアナタはっ!」

 

「は、はあ……」

 

 思わず気の抜けた声がこぼれてしまいます。うーん、雪が首筋に当たって冷たいですね。

 

 課長は顔を真っ青にして固まってしまっていますし、一体どうしたものやら。私たちの間を行き来する彼の目は、助けを求めているようにも見えました。もう、しっかりして欲しいです。

 

「ティ、ティーナ、待って」

 

「パパは黙んなさい! それからズボン履いてっ!!」

 

 課長を一喝したマルティナさんは、私の肩を押さえつけながら続けます。

 

「なんなのよって聞いてるのよ!! アナタ一体どういうつもりなのッ! うちのパパの、パパのっ、おっ、おっっ……ッ!」

 

「おちんちんですか?」

 

「バカッ!! 口に出すんじゃないわよッ!!」

 

 どうしましょう。なんだかものすごい剣幕で、酸欠気味なのか顔を真っ赤っかにしながら叫んでいます。怒り顔は誰でも怖いものですけど、特にこの子はキリッと整った顔立ちなので、余計に迫力があるというかなんというか……

 

「なに余裕ブッこいてるのよ!? アナタおかしいんじゃないの!? なんで顔色も変えないのっ!? それにさっきしてたことも信じられないわ! なんであんなことしてるのよッ!?」

 

 ああそうだ、前にテレビドラマで見たことがあります。たしかこういうのを、鬼のような形相と言うのでしたっけ? 

 

「どうして貴方が怒るんですか?」

「はあ!?」

 

 は? 

 

「はあって、何がですか? マルティナさんはお父さんをいないものみたいに扱ってましたよね?」

「う……!?」

 

 少しずつ、自分の声が上ずってきているのがわかる。

 

「なのにいきなり割り込んできて、一体何なんですか?」

「なによ!?」

 

 なぜでしょう? わからないけれど、まるで心臓が耳に移動したかのように、鼓動の音がハッキリと聞こえます。血液が顔に巡って、頬がカッカと火照っていくのを感じました。きっと今、私の顔は熟れたトマトみたいに真っ赤になっていることでしょう。

 

 一体何なんですか? 旅行に連れてきてくれたお父さんを邪険にして、勝手にどこかに行って、一人ぼっちにさせて、涙を流すほどに傷つけて。

 

 ()()が来なければ、私はあの人を食べられたのに。

 

「何様のつもりなんですか? 娘? 親子がなんなんですか? ただ血が繋がっているだけの他人じゃありませんか」

 

「なっ……!」

 

 一瞬目を丸くした後、マルティナさんの眉がつり上がります。そして私を睨みながら歯を食いしばり、拳を握り込み始めました。

 

「ティーナ、止めなさい! その人に手をあげちゃ駄目だ……!」

 

「黙っててって言ってるでしょッ!!」

 

 彼女が手を振り上げます。そんな事をすれば当然、私の上半身がフリーになるわけで。

 右手で、彼女を突き飛ばしました。

 

「────っ!?!?」

 

 誓って言います。手加減はしました。それでもマルティナさんはポーンと宙を舞い、頭から雪の中に突っ込んでいきます。

 

「ティーナッッ!!!」

 

 衝突の寸前で、飛びついた課長によって受け止められました。衝撃で雪が飛び散り、白い煙のように辺りに漂っています。

 

「う、ううっ」

 

 彼は雪の上にひっくり返りながらも、ぐったりしたマルティナさんを抱きとめていました。

 

「課長、……どうして」

 

「かっ、家族だからだよ」

 

「あんなに冷たくされて、それでも家族なんですか?」

 

「ぼ、僕が家族って言ったら家族なんだ」

 

「……ただ血が繋がっているだけじゃないですかっ」

 

「ティーナは僕の宝だ、宝物なんだよっ。君が言ったことは間違ってないけど、でも、でも僕はこの子の父親でありたいんだ……」

 

 よろよろと起き上がった課長は、雪の上に額を擦りつけるようにして頭を下げました。

 

「娘が迷惑をかけたね。この通り謝るよ、申し訳ない……」

 

「…………!!!」

 

 私は、マルティナさんを強く睨みつけました。彼の宝とやらは、父親にすがりついて小さく縮こまっていて、それでいてこちらを見る瞳は敵意に満ち満ちていて……ああ。ああ、そうですか。今分かりました。ようく分かりました。

 

 この娘は自分が愛されることを当然だと思ってるんだ。父親に好きって伝えなくてもいいと思っているんだ。……なぁんだ、難しく考えること無いじゃないですか。

 

「ごめんなさい課長、マルティナさん。私こそ乱暴してしまって、本当にすみませんでした」

 

 私は、二人を視界にしっかりと収めて笑顔を作りました。後ろに回した手は、ワナワナと震えていますけど。

 

「バーリントに帰ります。課長? また私の部屋に来てくださいね」

 

 ちろりと舌を出します。

 

「私、いろいろ準備してお待ちしていますから。気持ちいい事、たくさんしましょうね♡」

 

 誘惑するように唇を濡らしてからウインクをしてみせれば、課長の顔はみるみる真っ赤に染まりました。

 

「パパッ!!」

 

「ご、ごめん」

 

 踵を返す私の背中に、憎悪の視線が突き刺さります。

 

(ふふん)

 

 さあ、善は急げです。肥満体の奥様や幼稚な娘さんには真似のできないエロティックなおもてなしで、課長を虜にしなくては。

 冷たくて寒いゴカテイになんか、帰りたくないって思わせてみせますとも。

 

 

 ◆◆◆

 

 その翌日、まだお日様が空の高いところにある時間に、私はアパートでウンウン唸っていました。

 

「ど、どれがいいんでしょう……?!」

 

 ベッドの上に広げたのは、歓楽街の服屋で買い込んだいかがわしい衣装の数々。娼館ご用達の品なので、とても露出度の高いものばかりです。

 

 私はその中から一つ、下着を手に取りました。毒々しい紫のランジェリーで、ブラのフロント部分は細い紐のみ、というか網目状になっているんです。ショーツも同様、下着というより、おっぱいやお尻のラッピングといったほうが正確かもしれません。

 

「これを着けて、課長の前に……い、いやいや……」

 

 次は、ちょっとはマシそうな黒のミニスカート。ああダメ、いけません……下着が見えてしまいそうなギリギリの長さで、ちょっと屈めばお尻まで見えてしまいそうです! 

 

「こ、これが給仕の服!? こんな格好で働くだなんて信じられません!」

 

 ウサギをモチーフにしたヘアバンドとレオタード、あと燕尾服風のジャケット。ウサギは1年を通して発情期だから、というコンセプトらしいです。なんだかすごくエッチです! 

 

「す、透け透けです! こんなに肌が見えていいんですか!?」

 

 薄いピンクのネグリジェ、着心地は悪くないですけれど身体のラインが丸わかりです! こんなの着て眠れるわけがありませんっ、襲ってくださいと言っているようなもの……ま、まあ課長相手なら襲われても……♡ ……ではなくてっ!!

 

「にゃ、にゃおーん……?」

 

 キャットスーツ……猫耳と尻尾はいいとして、乳頭とワレメのところがパックリと割れているなんて恥ずかしすぎます!! こんなものを着て、にゃおんにゃおんと鳴くだなんて恥ずかしくて死んでしまいそう……! これはさすがに却下ですね……

 

 あ、こちらはどうでしょう? 可愛らしいフリフリのついたエプロンドレス。ベース色は黒で大人っぽく、丈も長く太ももの中ほどくらいまでは覆ってくれそうですね。これならなんとか耐えられそう……

 

「ご主人さまぁっ♡ ご飯ですか? お風呂ですか? それともエッチなヨルをお召し上がりになりますか~?」

 

 ダメです! これも恥ずかしいやつでした!

 結局、何を着ても恥ずかしくなりそうで決めかねてしまいます。困ったことになりました……

 

「それにメイク、髪型、香水、会話術、……あとお料理も練習しなきゃですよね……」

 

 ちょっと甘く見ていたかもしれません。私には足りないものが多すぎます。少しばかり若いとかセックスできるとか、それだけでは女として不完全だと聞きました。……とにかく、やれることを全部やって、課長を振り向かせなければ。

 

 ジリリリリッ!!

 

「ひゃっ!?」

 

 突然鳴り出した電話に飛び上がってしまいました。受話器を取って、深呼吸してから応対します。

 

「はい、ブライアです」

 

『姉さん。元気?』

 

「ああ、ユーリ!」

 

 それは離れて暮らす弟の声でした。戦争で親を失った私たち姉弟は、たった二人の大切な家族。でも、

 

「どうしたのユーリ? なんだか元気がないみたい。声もガラガラだし、風邪ひいちゃったのかな? 大丈夫? ちゃんとごはん食べてる?」

 

『うん……』

 

 弟の声は沈んでいて、心配になってしまいます。だってそうでしょう? たった一人の弟が落ち込んでいるのなら、励ましてあげたいと思うのは当然のことですもの! 

 

「どうしたの? 悪いものでも食べたのかしら?」

 

『……姉さん、そろそろ結婚とかどうなの。いい人いないの?』

 

「…………………………えっ」

 

 唐突な話題転換に思考停止してしまい、思わず固まってしまいます。

 

『今の僕があるのは姉さんのお陰だから、感謝してるんだ。姉さんには、ううっ、幸せに、幸せになってほしいんだよっ!』

 

「ちょ、ちょっと待ってユーリ!? どうしていきなりそんな話になるの!?」

 

『どうもこうもないよ! なんであんな中年オヤジとっ!』

 

 ───────バレた。

 ゲルゲス課長との関係が、どうしてユーリに。

 

「な、な、なんっ、なんのことかしらっ!?」

 

 声が裏返ってしまう。いけないと思っていても動揺してしまう私。

 

『誤魔化さないでよ姉さん! 僕は聞いたんだ! 市役所の友達から! 上司と不倫してるって! 歓楽街で男と腕組んで歩いてたって!!』

 

「あっ」

 

 そう言えばありましたねそんなこと。あの頃は嫌々でしたけど。

 

「ち、違うのよユーリ。ほら、ええと、この世には似ている人が三人はいるってよく言うでしょう?」

 

『知らないよそんなの!!』

 

「あ、あのねユーリ、ええと、その、そう、あの人はその、パパみたいな人で……」

 

『はぁ?』

 

 私の説明を聞いているうちに、だんだんとトーンダウンしていく声。

 

『……つまり仕事上の付き合いで、食事したりプレゼントされたりしたってこと?』

 

「そ、そうなのよ!」

 

 私は心の中でホッと一息つきました。とりあえず難を逃れ

 

『そんなわけあるかぁあぁぁあぁぁああ!!!』

 

 てませんでした! むしろ逆効果だったようです! 弟がこんなに声を荒げるところを初めて知りました! 

 

『もう許せない! 姉さんに嘘をつかせるなんて、あのオヤジぶっ殺してやるぅッ!』

 

 ブツッ! ツーッ、ツーッ……

 

「ひっ」

 

 切れた電話を前に、恐怖に震えあがります。ああ、どうしようどうしましょう?! ユーリはいい子ですけど、万が一課長に危害を加えてしまったら!! でも私がいくら弁解しても聞いてくれそうにないし……!?!?!?

 

 ピンポーン♪ 

 

(今度は誰えぇっ!?)

 

 再び鳴るチャイム。急いで玄関に駆け寄り、ドアスコープを覗き込みます。そこには、

 

「え、課長!?」

 

 昨日スキー場で別れたばかりの課長が、花束を持って立っていました。

 

(ど、どど、どうしてこんな早くここに?!)

 

 私は行きと同じに無賃乗車で帰ってきたのですが、ちゃんとチケットを取るにはそれなりに時間が必要なはずです。まさか、すぐに私を追いかけてきてくれたのでしょうか? 

 

「あ、あ、あ」

 

 胸の奥から湧き上がってくる感情が言葉にならず、私はぱくぱくと口を開閉させてしまいます。ああもう、嬉しいやら困るやらでどうしたらいいのか分かりません!! おもてなしの準備なんかまだ何も……そうだ! 

 

「ヨルくん? 昨日のお詫びに……できたらドアを……」

 

「はい、はい、只今! でもちょっと待っててください!!」

 

 飛びつくようにしてクローゼットを開け、唯一のよそ行きを着込みます。それから髪を手で整え、鏡に向かって化粧を施しました。よしっ! 完璧です! 

 

 勢いよくドアを開けた瞬間、課長がたじろぎました。

 

「ヨルくん、その格好……こ、殺しのときの……」

 

 まるでお化けにでも会ったかのような反応です。失礼な話ですね。私ですよ私。あなたが愛して止まない不倫相手のヨル・ブライアです! 

 

「えへん、えへん。いらっしゃいませ、お客様」

 

 いつも着るリトルブラックドレスに、サイハイブーツ。スカートの裾を両手で摘み上げ、軽く膝を曲げて挨拶します。角度的に胸の谷間が見えるようにするのも忘れません。

 

「本日は、〈いばら姫〉がお相手させていただきます♡」

 

 上目遣いで小首を傾げてみせれば、ゴクリと喉を鳴らす音がしました。

 

(続く)



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Dパート(♥)

「本日は、〈いばら姫〉がお相手させていただきます」

 

 上目遣いで小首を傾げてみせれば、ゴクリと喉を鳴らす音がしました。

 

「さあ、お入りください」

 

「……失礼するよ」

 

 ドアを閉めると、部屋の中は静寂で満たされました。課長の右手には、大きな花束があります。

 

「こ、この花はっ」

 

「とっても綺麗な花ですね♪ まずはこちらへどうぞ。美味しいお茶とお菓子を用意しますね」

 

「え、あ、はい」

 

 リビングへ案内する間も身体をくっつけ、腕を抱き締めて胸を押し付けながら歩きます。

 

「ヨルくんっ? なんだか積極的すぎやしないかい」

 

「うふ、そうですか? コートをお預かりしますね」

 

 ジャケットも脱がせ、ハンガーにかけます。そのまま後ろから抱きついて、首筋の匂いを嗅いで……

 

「ヨッ、ヨルくんっ」

 

「うふふ、ドキドキしちゃいましたか、お客様ぁ♡」

 

 シャツの上からおっぱいをむにゅっと押し付けるサービスも忘れません。二人の間で潰れた乳房が、いやらしい曲線を描いています。

 

「あ、あの、話したいことが」

 

「まあまあ……ちゅっ」

 

「うわわっ」

 

「ふふ……照れてるんですね、可愛い……」

 

 ほっぺたにキスされて狼狽する課長。そんな彼をぐいぐい引っ張り、強引にソファに座らせてしまいます。

 

「さあ、お茶を淹れますから座っていてくださいね」

 

 

 ◆◆◆

 

 お湯を湧かす間、課長はテレビを点けて待ってくれていました。ふふ、勝手知ったる他人の家……というやつでしょうか。

 

「~~~♪」

 

 ああ、心が踊ります! さ、ポットに茶葉を入れてお湯を……

 

「あつっ」

 

 熱湯の入ったティーポットに触れた手を、思わず引っ込めてしまいます。いけないいけない! 〈いばら姫〉ともあろう者が浮き足だって……!

 

 いいですか、今の幸せに満足してはいけないのです、ヨル。私の目的は、課長を虜にして冷たいご家庭に帰さないということ。今日から、私たちは他人じゃなくなる。ここは彼の家になる。

 

 ですからここは、押しの一手なのです。とにかくスキンシップを繰り返し、従順で彼に都合の良い女を演じるのです。エロティックなおもてなしでどんどん誘惑、押せ押せ〈いばら姫〉なんです! 

 

「お待たせしました~」

 

 テーブルにカップを置き、課長の左側に座ります。

 

「お砂糖とミルクはどうされますか?」

 

「あ、あの」

 

「お砂糖とミルクは?」

 

「……両方たっぷり入れてくれ」

 

「はい、かしこまりました」

 

 紅茶を注ぎ、スプーンでかき混ぜてから差し出します。受け取った課長は一口飲み、ほうと息をつきました。

 

「……おいしいね」

 

 そう言ってくれるのは嬉しいですが、まだまだ序の口です。肩を触れ合わせて腕を抱き、しなだれかかるみたいにしてくっつきました。二の腕に押し当てた膨らみが柔らかく形を変えています。そして耳元で囁くように吐息を吹きかけ、

 

「……なんでもおっしゃって下さい。私、課長のためならなんだってしますよ……?」

 

「な、なななっ!」

 

 目を白黒させる課長にくすくす笑いを漏らしつつ、チュウっと左の頬に吸い付きます。緊張で流れた汗のしょっぱさが舌の上に広がりました。もっと欲しくなってしまって、ついぺろぺろと頬を舐めまわしてしまいす。

 

「は、はう、やめっ、ヨルくぅぅん!」

 

 顔を真っ赤に染めた課長が可愛らしい声で抵抗しています。

 

「ん、ぺろ、れろっ……お気になさらず、お茶を召し上がられててください」

 

 ちゅぱっ、ちゅぱっと頬肉を食み、唇で挟み込み、舌でチロチロとくすぐります。顎のラインに沿って舌を這わせ、耳たぶを軽く甘噛みし……

 

「んっ、ちゅっ、ちゅううっ……」

 

「く、くすぐっ……たいよっ……ヨルくぅんっ……」

 

 舌先を尖らせ、耳の穴の中に差し入れていきます。ぴちゃぴちゃという水音を直接流し込んで聴覚を犯していくのです。ビクビク震える身体に愛おしさを感じながら、舌をさらに奥へ奥へと伸ばしていきま─────っていけません! 

 

(目的は誘惑、誘惑、 誘惑……!!)

 

 いけないけない、危うく目的を忘れるところでした。自分の欲望は捨てて。もっともっと攻めないと。この状態から、もっといやらしい言葉を囁いて……

 

「んふぅ~♡ 課長のお耳おいひぃれすぅ~♪ あまぁい蜜でふやかして、食べちゃいたいれすぅ……ねとねとぉ……♡ ねばぁ~っ♡」

 

 耳朶にしゃぶりつき、音を立てて啜り上げます。唾液まみれになった耳をふーふーと冷ましてからまた咥えて……何度も何度も繰り返します。言葉も少しずつ変えて、

 

「課長のぉ……えっちぃ匂いも味もだいしゅきぃぃ……♪ れるれるっ……ちゅっ、ちゅー♡」

 

「はぁっ……はぁあっ……」

 

「んふぁっ……オチンチン舐めてもいいれしゅかぁ……? いいって言ってくれたらぁ……舐めてあげますよぉ……?」

 

「そ、それはぁっ……!」

 

「言わないならこのままずっと、ずーっとペロペロしちゃいまひゅよ? 課長はぁ……どうされたいんれすか?」

 

 ズボンの上から優しく撫で回し、勃起している部分を掌で転がすように弄びます。二枚の布の中で窮屈そうに膨らんでいるソレが愛おしくて堪りません。早くこれを口に含んで愛したい……そんな衝動に駆られながらも、なんとか理性を保って奉仕を続けます。

 

「ほ、僕は、話をしにっ」

 

「ぢゅぷっ……んんっ……ぷはっ、はあむっ、あ・と♪ 後で聞きますから、今は私と遊んでください♪」

 

「ああっ!?」

 

「ふふっ、ほらほら、素直に言ってくださらないとぉ……もう一生してあげませんよ?」

 

 課長の巨根は、ズボンにくっきりとしたシルエットを描くほど膨張していました。それを人差し指と親指でくりくり♡ しながら、耳元に囁きかけます。甘い言葉で誑かし、その気にさせてしまうのです。

 

「ううぅっ」

 

 真っ赤な顔で苦悶する彼はとても可愛らしかったです。でも、私はまだ満足できません。唾液まみれになった唇を一旦離し、今度は首筋に狙いを定めます。血管の上をなぞるように舌を這わせ、頸動脈の辺りを強く吸い上げました。

 

 少し跡がついてしまいましたが……まあ良いでしょう。どうせ今日は全身にご奉仕するつもりですから。

 

「ねぇん、お願いでしゅうぅ……私にごほーしさせてくらさいぃっ♡」

 

「こ、こんな事どこで、ヨルくんっ」

 

「んふ♡ 歓楽街で、えっちな本を買ってぇっ……こんな気持ちいいことしてあげたいなぁって思って練習してたんですぅ……えへへへぇ~♡」

 

 右手を取ってドレスの上からお乳の肉を触らせてあげると、ついに我慢できなくなったのか、ぼそりと呟きました。

 

「……お願いするよ……」

 

 言いながら、体の力を抜いてくれます。天井を見上げてソファに寄りかかり、私が触りやすいようにしてくれています。

 

「うふふ、無理強いしてごめんなさい。課長のこと、お口で気持ちよくしてあげたくってぇ……」

 

 昨日はマルティナさんに邪魔されてしまいましたからね。このチャンスを逃すわけには……じゃなくて、課長だってフェラチオは初体験のはずです。その衝撃はきっと忘れられないものになるでしょう。

 

「じゃあ、失礼しまーす……」

 

 ベルトを外し、はち切れんばかりに膨らんだズボンのチャックを下ろすと、むわっとした熱気が立ち昇っていました。

 

「ね、課長」

 

「な、な、なんだい……?」

 

 下着に手をかけると課長の肩が震えます。恐怖でしょうか? 期待? いずれにせよ私のやることは変わらないのですが、やり方には色々あります。

 

「このまま、ソファの上でしますか? それとも、下に降りて前で?」

 

「ど、どう言う意味だい? 何が言いたいのかな?」

 

「それはぁ……」

 

 姿勢を直して、ソファの上に伏せるようにしながらパンツに頬ずりします。布越しに感じる熱さが愛しくてたまりません。

 

「ほら、この格好なら私のお尻触りながら……♡」

 

「ううっ」

 

 伏せたまま、ドレスに包まれたお尻を振ります。鍛え上げた筋肉と体脂肪がバランスよく備わった自慢のヒップを、誘うように左右に振ってみせます。

 

「ほら、触ってくださぁい」

 

「う、ううぅ」

 

 課長の指が伸びてきます。さわ、さわっと表面を撫でるような手つき。

 

「うふん……♡」

 

 ゆっくりと、腰骨のあたりからお尻の割れ目にかけて指先が滑り下りていきます。触れるか触れないかのギリギリの力加減でなぞられると、ゾクゾクとした快感が生まれました。

 

「あっ♡」

 

 なんでも、人間にはC触覚線維と呼ばれる神経が全身にあるらしいです。細くて繊細で、人と人との接触に特化した、いわば愛撫を感知するためのセンサー。それが鋭敏に反応しました。

 

「ヨルくん……」

 

「あんっ♡」

 

 名前を呼ばれただけなのに胸が高鳴りました。子宮の奥から熱い液体が溢れてきています。

 

「下に降りて、前からならどうなるのかな……?」

 

「え、えっとぉ……はい♡」

 

 言われるままに体勢を変えます。ソファを降りて、彼の両足に割り込むように座り込みます。そうして顔を近づけていき……そっとペニスに口づけを捧げました。

 

 ちゅっ──

 

「は、う……」

 

「下に降りて、前からだとぉ……ちゅ、ほらぁ、白くて丸い、課長の大好きな()()()()を好きなだけお触りいただけますよぉ? あーん……んべぇー……」

 

 口を開けたまま舌先を伸ばし、男性の下着に唾液をたっぷり垂らします。もちろん、胸の谷間をアピールすることも忘れません。ビスチェタイプのブラによって作られた丸みのラインを余すところなく見せつけるのです。

 

「お好きですよね……?」

 

 上目遣いで問いかければ、課長がごくりと唾を飲み込む音が聞こえました。

 

「す、すきだ、ああ、ヨルくんの、おっぱ……」

 

「ふふ、お好きなようにどうぞ」

 

 そう言って、再び唇を近づけます。舌の腹を、竿の根本に押し当てるようにして、そのままスライドさせます。

 

「んー……れろぉー…………♡」

 

 裏筋を舐め上げるようにして、亀頭の方へ移動させていくのです。1秒に五センチ進む程度の速さを意識して、じらすようにゆっくり、じっくりと。C触覚線維の集まった、男性の最も敏感な部分へ近づいてゆきます。

 

「うっ……くうっ……!」

 

「ほらぁ、早くおっぱい触ってください……」

 

「うう……」

 

「ねえ……お願いだからあ……っ」

 

「うっ、ううっ……!」

 

 とうとう我慢できなくなったのか、課長の手が胸元に伸びました。最初は遠慮がちに、おそるおそる、やがて大胆にお乳の肉をドレスの上から揉みこんでいきます。

 

「……やわらかいなあ」

 

 うっとりと呟く声はどこか夢見心地でした。私も気持ち良くて、特に強く感じてしまったのは……

 

「あんッ♡」

 

 乳首を爪でカリッと引っ掻かれた瞬間でした。反射的に変な声が出てしまって、慌てて手で口を塞ぎます。課長を見ると目を丸くしていました。

 

「……痛かったかい?」

 

「やん、そんなこと……課長専用のおっぱい、好きなだけ堪能してください……」

 

 ちゅっとカリ首にキスしてあげると、ドレスの胸元から侵入してきた手がおっぱいを掴み上げました。むにゅむにゅといやらしく形を歪められながら揉まれると、甘い吐息が漏れてしまいます。ドレスがずり落ち、女の果実がこぼれ落ちました。先端は既に硬く勃起しています。

 

「恥ずかしい……んふっ♡」

 

 乳房全体が持ち上げられ、離され、重力に従って下向きに垂れ下がったところでまた掴まれます。下から上へ何度も揺らされて……その度に、あっあっと声が上がりそうになります。

 

「はあっ、ふうっ、下着、あっ、降ろしますねっ」

 

「うん、うんっ、フェラチオっ、ヨルくんのお口でっ、ああっ、ああっ」

 

 すっかり発情してしまった課長はうわ言のようにつぶやき続けています。両手で私のお乳を掴んだまま、鼻息荒く見つめています。

 

(嬉しいっ……こんなに興奮してくださって……)

 

 期待に応えようと、まずは下着のゴムを口で咥えて、少しずつ下ろしていって……課長も腰を浮かせてお手伝いをしてくれました。二人の共同作業で、課長が股間にお持ちのそれはそれは立派なものが姿を現わしました。勢いよく飛び出した肉棒が鼻に当たります。

 

「んっ♡」

 

 濃厚な匂いが鼻腔に流れ込んできました。青臭い性臭。雄の匂い。口の中にどっと唾液が溢れてきます。

 

「はぁっ、はぁっ、ヨルくんっ、僕のしゃぶって……っ」

 

 両手でおっぱいを楽しみながら、お口のご奉仕を要求してくる彼に対して、私は……

 

「……ッ……♡」

 

 顔を近づけ、ペニスの根っこと陰嚢の間に鼻をうずめます。蒸れた汗の匂いと、アンモニアの混じった強烈な匂い。私は興奮を隠しきれませんでした。すんすんと鼻を鳴らして、愛しい人の大事な部分をたっぷりと嗅ぎ回ります。

 

「っ……ふっ、ふっ……♡」

 

 それだけでおまんこから愛液が溢れ出してしまいました。自然と太ももをこすり合わせてしまい、パンティがぬちゃぬちゃと卑猥な音を立てます。

 

「ああぁ……そ、そこじゃない、ちがうぅ……」

 

 課長は物足りなさそうに喘いでいました。

 

「もっと先の方……裏側の……」

 

「はぁい、先っちょにキスしちゃいますねぇ……」

 

 焦らしプレイに耐えかねた課長は自分から要求してきます。彼の要望通り、唇をゆっくりと竿先に近付けていきました。あと数ミリという距離まで近付いてから動きを止め、そこで唇をとがらせて……

 

 ちゅっ──

 

 唾液で湿らせた唇の先端だけを触れ合わせました。すると、課長の口から切ない声が漏れます。私は嬉しくなって何度も何度も繰り返しました。

 

 ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ──

 

 小鳥のような、啄むようなキス。グロテクスなペニスに唇を捧げるたび、恥ずかしさと愛しさが胸いっぱいに広がりました。体の中でどんどん大きくなっていき、思考を狂わせてしまうのです。

 

 ちゅ、ちゅっ──ちゅぱっ──

 ちゅぅぅ──ちゅるるるるる──

 

 いつしか無心になって、夢中で亀頭を吸い続けていました。ぷっくり膨らんだ鈴口から透明な汁が滲んでいます。舐め取りたくて舌を伸ばすと、どうぞと言わんばかりに鈴口が開いて、液滴が膨らみました。

 

「んちゅ、んむ、んふ、おいひ……」

 

「あっ、あっ、ヨルくんっ、すごいよっ、気持ちいいっ」

 

 ああ、課長のお顔が見たいです。今どんな表情をされているのでしょう? ちらちらと視線を送ってみると、彼は顔を真っ赤にして私を見つめていました。その熱い眼差しを受けてますます気持ちが昂ぶっていくのを感じます。

 

 ちゅっ──ちゅうっ──ちぅうっ──♡♡♡ 

 

 最後に強めに吸い付いてから口を離しました。完全に屹立した陰茎は赤黒く張り詰めていて血管が浮き出ています。

 

 グロテスクな様相なのに目が離せません。初めてのころピンクだった亀頭は、いつの間にか色素が沈着してどす黒く変色していました。

 

「うふふ、素敵です……課長のおちんぽさん、とても逞しくて男らしくてぇっ……ちゅっ、ちゅっ……♡」

 

 脈動する熱い海綿体の感触をじっくり確かめていると、脳味噌の奥が痺れてきました。口では言えないような下品な妄想ばかりが頭の中を駆け巡ります。

 

 おちんちんの先っぽを口に含んで舐め回してみたいとか、頬ずりしながら玉袋を優しく揉んだり吸ってみたりしたいとか、あるいは喉の奥まで迎え入れてもみくちゃにしてあげたいとか……そんな破廉恥なことばっかりが頭に浮かんでしまいます。

 

「……んぷっ♡」

 

 でも、まだだめです。我慢しないといけません。だって、これは喜びを分かち合うセックスではなく、誘惑するための前戯なのですから。私が気持ちよくなるのではなく、彼を喜ばせるための愛撫をしなければ。

 

 もっともっともっと気持ちよくなってもらって、いっぱいいっぱい私に溺れてもらわないといけないのですから……

 

「……はぁーっ……すぅー……ふぅー……」

 

「ああ、ヨルくんの鼻息が熱いよ……」

 

 大きく深呼吸して気持ちを落ち着けます。大丈夫、まだ慌てるような時間では──いえ、既にもう手遅れな気がしなくもないですが。

 

 屈強なペニスから放たれる強烈なオス臭さのせいで頭がクラクラしますし、何より私自身、これ以上欲求に耐えられそうにありません……っ♡ 

 

「いただきますぅ……あーむっ!」

 

 ついに口に含みます。口内に広がる苦味のある塩気と独特の風味。歯を立てないように気をつけながらゆっくりと奥へ導いていきます。

 

 舌の上を滑るように、血管の形をなぞるように。上顎の裏や頰肉に押し当てるようにして……喉奥に導くときは舌を使って──

 

 えずきそうになるのを堪えながら飲み込んでいきます。全部入りきらないので、根本の方は手で擦り上げるようにして……

 

「ぐぽっ……じゅるるぅっ……ずろろろっ! んぶっ、ちゅぶぅぅ……!」

 

 ああ、すごい……♡ こんなの初めてぇ……♡ 口の中いっぱいに課長を感じてるぅ……♡ 

 

「ふぐっ……ふむう゛う゛う゛うぅぅぅっっ♡♡♡」

 

「あ、ああぁ、すごっ、すごい……これがフェラチオか……ヨルくんのお口が……あったかくて、ぬるぬるで、絡みついてきてぇ……うあああっ!!」

 

「んぷぁっ……♡ 課長、大丈夫ですかぁ?」

 

 一度吐き出して、上目遣いで見上げます。課長は息を荒げながら何度も頷いていました。

 

「す、すごく気持ち良かった……」

 

「んふふ、よかったぁ……んちゅっ、ちゅっ……課長が喜んでくれて……嬉しいです……」

 

 唇で啄みながら微笑みかけると、課長の目の色が変わりました。

 

「ッ……ヨルくんっ、もう一度咥えてくれっ」

 

「はいっ♡」

 

 再び口の中に招き入れます。今度は最初から激しく、頭を振って唇全体でペニスにご奉仕しました。わざと下品な音を立ててしゃぶります。

 

「んふっ、むちゅっ、ぢゅぼっ、んふーっ♡」

 

「ああっ、あああっ!! いいっ、いいよっ、ヨルくぅんっ、あああぁっ」

 

「んーっ、ふっ、ふっ♡」

 

「やばいっ、それっ、気持ちいいぃっ」

 

 私は舌を使いながら頭を前後させ続けました。

 ああ、余計な思考がふわーっと遠のいていってしまいます。ただ目の前のことだけ、課長とのお口セックスのことだけ考えていたい。

 

 背筋はピクピク震えっぱなしでした。全身が敏感になっていって今にも達してしまいそう。おまんこからはとめどなく愛液が流れ出してしまいます。パンティはもうぐちゃぐちゃでした。

 

「ぢゅぶっ、んぅっ、んぶっ♡ れりゅぅ~♡」

 

「くっ!? ああそれヤバいヤバいっ」

 

 裏筋を舌でなぞりながら強く吸引すると、課長が仰け反りました。構わずそのまま続けていると、ああっああっという悲鳴とともに腰が大きく跳ね上がります。

 

「ふぶっ、んん〜っ♡」

 

「だ、だめだっ、射精()そうっ、ヨルくっ──」

 

 切羽詰まった声で名前を呼ばれました。一層強く吸い上げながらストロークの速度を速めます。

 

(あぁ……くるっ♡)

 

 その瞬間を待ち望んでいました。

 体が強張ります。

 下腹部に熱が集まってくるのを感じます。

 心臓がドキドキしています。

 期待感に心が踊ります。

 そして──

 

「──んんんんン~~~~~~~!」

 

 喉の奥に向かって、粘っこいものが叩きつけられました。私は喉を鳴らして飲み下そうとするのですが、あっと言う間に口内に逆流します。舌の上でドロリと溶けて、生命の芳香を放つ男性のエキス。

 

「んぐぐぅ……んんん……」

 

 それでもなんとか全てを嚥下しきろうと努力しました。一滴残らず搾り取ろうと一生懸命お口で締め付けて、放出されるリズムに合わせてゆっくりと顔を上下させていきます。

 

「んじゅう……ん、んじゅう、んっ、こくっ」

 

 ようやく勢いが失われていく頃を見計らって口を離しました。唇の間からは精液と唾液の混ざった液体が糸を引いて垂れ落ちます。慌てて口元を拭っていると、課長が荒い息のまま問いかけてきました。

 

「どうだった……?」

 

「……へ? 何が、ですかぁ……?」

 

 痴呆のように聞き返す私に対して、彼は興奮気味に語り始めました。

 

「だから……その、僕の、その、美味しかったかどうかって」

 

「……ああ、はい、とっても……」

 

 私は口元についていた残滓を指ですくい取り、口に含みました。それから少しの間もごもごとした後、唾液と一緒に飲み込みます。

 んくっ、という音とともに喉が動くと、胃の中から全身にかけて、じんわりとした温かさが広がりました。ああ……♡

 

「……とっても濃くって、ネバネバしてて、熱くて……とても、美味しいですよぉ」

 

 恍惚とした表情を浮かべて感想を述べます。ああ、なんて呑気な声をしているのでしょう。

「そっか」と満足そうに笑う課長。やったぁ……課長が笑ってくれています。それが嬉しくて私も笑顔になりました。

 

「えへっ」

 

 幸せです。本当に嬉しい。課長とのセックスはいつだって幸せなひと時です。

 私はすっかり油断していました。だから、服を着直した課長が立ち上がって花束を手にした時も、床にぺたんと座り込んで呆けたままだったのです。

 

「プレゼントですかぁ? ありがとうございますぅ~」

 

「そうだけど、そうじゃないんだ」

 

「……え?」

 

「アヤメと、ユーカリの葉と、赤いバラ。花言葉は、『私は優柔不断を止め、あなただけを誠実に愛する』……花屋で選んでもらったんだ」

 

 課長はぐっと身を屈めて私と目線の高さを合わせました。眼鏡の奥にある瞳は、迷いに揺れています。けれど口元だけは笑みを浮かべていて──なんだか寂しそうでした。

 

「今日は、これを君に渡すか、それとも、君と別れて妻──エリザベートに渡すか、決めにきたんだ」

 

 

 ◆◆◆

 

 課長が語ったのは、奥様との過去。話しぶりは流暢でなく、途切れ途切れの調子でしたが、私は黙って耳を傾けました。

 怯えて逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えつけて、だって、課長が辛そうな顔をしていたから。

 

「妻とは政略結婚だった。僕の実家はそこそこ羽振りのいい工場でね。戦争で両親と一緒に焼けちゃったけど」

 

「新婚旅行はスキーに行ったんだ。そのゲレンデも、ウェスタリスに占領されて軍事基地にされてしまった」

 

「エリーが……エリザベートがマルティナを身ごもっていたとき、僕は志願して戦地にいたんだ。義理の父は財務省の高官だから、出征しても大丈夫だと楽観していた。愛国心に夢中だった」

 

「だけど……帰ってみたら違ったんだ。新居は灰になっていたよ。近所の人に訊いて回ったら、どうやら空襲があったらしいことが分かった」

 

「…………」

 

 話が進むにつれて課長の顔から表情が消えていきます。まるで感情を押し殺しているようでした。

 戦争。私とユーリを孤児にした()()戦争が、この人の人生にそんな傷を与えていたなんて。

 

「妻は生きてた。マルティナはとっくに生まれてた。焼け野原で小さな赤ん坊を抱えて途方にくれていた彼女の、僕を見る目といったらなかったよ……」

 

 あの女。

 

「恐怖と軽蔑がない交ぜになった、おぞましいものだった。“夫”でも“父親”でもなく、ただの不気味なモノとしか見ていなかったよ……っ!」

 

「どうして、離婚されなかったんですか?」

 

 課長は黙って首を振りました。

 

「できるはずないと思った。マルティナは僕の希望だった、エリザベートとマルティナだけが僕に残された全てだったんだ。それなのに別れるなんてできなかった……僕が我慢すれば全部元通りになるって信じたかったんだ……」

 

 そうして奥様に冷遇されながらも、マルティナさんを大切に育てた。娘を育てるために必死に働いたとも。幸いにも彼女は健やかに育ったけれど、母親が父親をいないものとして扱う家庭は、課長の心に深い傷を残した。

 

 そんな中でも、課長はずっと奥さんを愛していたのです。愛そうとしていたのです。

 馬鹿な人。

 

「もう無理だと思った瞬間もあった。それでも諦められなかった……たとえ一生報われなくても構わない。そう思ってきた」

 

「…………」

 

「僕には責任があるんだ。彼女に償いをする義務がある。どんなに蔑まれようとも彼女のそばにいなければならない──でもマルティナのために、少しでも前に進もうとして、それで今回だ」

 

 そう言って目を伏せる彼を見て、私の胸に沸々と怒りが込み上げてきました。

 

「よくもそんな事を。今更!? 散々私に酷いことしておいて! さんざん踏みにじっておいて! どの口が言っているのですかっ!?」

 

 課長は私の怒声にビクッと肩を震わせました。

 

「そ、それは悪かったと思っている! 許してくれ! 脅迫なんてどうかしていたんだ! あの時はどうかしてたんだっ!」

 

「そんな事どうでもいいです! もうそんな事は気にしていません! 私が怒っているのはそんなことではありませんっ!!」

 

 そう──そんなことはどうでもいいんです! 今重要なのはそこじゃない! 

 

「私の気持ちは!? あなたといると幸せな私の気持ちはどうなるんですか!?!?」

 

 立ち上がって、苛立ちの気持ちを叩きつけるように怒鳴り散らします。

 

「この部屋にあなたが会いにきてくれるのが嬉しかったっ!! 抱きしめてくれるのが幸せだったっ!! なのにっ、あなたが悲しそうな顔でっ、あんな女に冷たくされてっ!!!」

 

 振り回した手が、ティーポットを壁まで弾き飛ばします。ガシャンと音を立てて割れると、真っ赤な紅茶が流れ出してしまいました。

 

「あなたを守ってあげたいと思った私の気持ちも分かってください!! あなたのためなら何だってしたいって思ったんですよ!! その気持ちを無駄にしないでくださいよっ!! バカぁっ!!!!」

 

 感情が昂りすぎて涙まで出てきてしまいました。泣きたくないのに。泣きたいわけじゃないのに……私ったら……本当に情けない女です……。

 

「なんで分かってくれないのぉ……」

 

 泣き崩れてしまった私を課長はおろおろしながら眺めていました。やがておそるおそる近づいてきて、そっと抱きしめます。

 

「嬉しい……嬉しいよ、ヨルくん」

 

「……あんな女が、私よりいいんですか……?」

 

「そうじゃない、そうじゃないんだ……君とエリーじゃ比べ物にもならない。優しさも、強さも、心の広さも違う。君は素晴らしい女性だ。脅迫だって、君があんまり魅力的なものだから、頭がおかしくなったんだ……最低だよ、僕は……」

 

 そう言いながらも、抱きしめる腕の力を緩めてくれません。背中に回された手は強く私を締め付けています。絶対に離さないぞと言わんばかりに、強く強く抱き締められているうちに、心が満たされていく気がしました。

 

 この人にとって私は特別なんだって思うだけで嬉しくなります。ああ、やっぱり私はどうしようもなく、この人に恋をしてしまったんだ──

 

「好きです……課長、ううん、ミハエルさん……お願い、私を選んで……」

 

「…………」

 

「なんでもします……なんだってします……どんな扱いを受けたっていいですから……だから、私を捨てないで……ずっと側に置いて……」

 

 はっと、ミハエルさんが息を飲む気配。私は体を離して彼を見つめます。

 

「好きって言って……」

 

 何もかも、全てが変わってしまいました。

 キモくて卑劣な中年男は、いつの間にか愛しい年上の男性に。

 脅迫で体を凌辱されていた冴えない独身女は、彼に縋り付いて捨てられまいと必死な小娘へと成り下がってしまいました。

 

 もう取り返しがつかない。でも、ダメなんです。手放せるはずがありません。

 もし。もし彼があのむごい妻を選んだのなら、いっそこの手で……

 

「どんな扱いをしてもいいのかい?」

 

 ミハエルさんの声が耳元で囁かれます。ぞくぞくっと背筋を走る快感と甘い痺れが私の心を満たします。

 

「はいぃ……♡」

 

「マルティナと仲良くできる?」

 

「はい……♡」

 

 奥様はともかく、マルティナさんとなら仲良くなれるかもしれません。あの子、意外とファザコンの気がありそうですし。

 

「僕を、愛してるかいっ?」

 

「はい……♡」

 

「僕のっ、赤ちゃん産んでくれるのかっ!?」

 

「はひぃ♡ 喜んでぇ♡」

 

 お腹の中に、彼の赤ちゃんを宿す。考えただけでお股から愛液が溢れ出してきます。

 

「避妊具無しでハメ倒していいんだなっ!? 妊娠したらちゃんと産んでくれるよねっ!?」

 

「……っ!」

 

 返事の代わりに、両手で彼のシャツを引き裂きます。乱暴に、チョコレートを食べたがる子供みたいに。ボタンが飛び散ります。

 

「発情しすぎだろっ、この淫乱女っ! 僕みたいな情けない脅迫男には似合いの相手だなッ!」

 

「そうですっっっ!!! 私は小太りでキモいハゲオヤジにお似合いのっどうしようもない変態女なんですぅぅぅぅぅぅっっっっ!!!!」

 

 乱暴な言葉を投げかけられるたびに体が熱く火照っていくのを感じます。革のベルトを力任せに引きちぎると、ズボンがずり落ちて下着が現れました。

 

 そこから飛び出たのは、太くて長いペニス。ビンッビンに張り詰めて脈打つ血管、亀頭の先端からは透明な汁が漏れ出ています。雄々しくそそり立つ男根を目にした途端、子宮がきゅんとうずくのを感じました。

 

(あれが欲しい……!)

 

「はははははっ、君のような下品なメス犬なら大歓迎だっ! あいつとは別れて、君を妻として飼うっ! 頑張って孕ませてやるから覚悟しろぉっ!!!」

 

「こんな淫乱女を脅迫しちゃうおじさんを、放っておくなんてできません! 私がお世話してあげます!! お仕事も家事もセックスも全部任せてくださいぃぃぃっ♡♡♡」

 

 そうして二人でゲラゲラ笑いあいながらキスを交わしました。唇を離せば淫乱、ヘンタイ、中年、行き遅れ、ハゲオヤジ、とお互いに悪口を言い合って、またキスをして。そうして舌を舐め合い、唾液を交換し合うのです。

 

 腰から力が抜け、私たちは自然と床の上で折り重なっていました。

 

 ◆◆◆

 

 室内には男と女の匂いが充満していました。男の体から発せられる汗の匂いと女の甘酸っぱい体臭が入り混じっているのです。私は〈いばら姫〉のドレスのまま、正常位で凶悪なおじさんペニスを突っ込まれて何度も絶頂を迎えていました。

 

「お゛ッ♡ ひぎィィィッ♡♡」

 

 ごちゅっごちゅごちゅっ!! パンッパンッ! バチュバチュッ!!!

 

「ぅん────ッ! しゅごいっ、イクっ、イキっぱなしになってりゅっ♡♡」

 

 頭を突き抜けていくような鋭い快感! 私のそこはとっくにとろけきっていて、太い肉の棒を咥え込んで離そうとしません。キュンキュンと疼いて精液を待ち望んでいるのです。その状態でズコズコと巨根をピストンされると、あまりの快感に気絶してしまいそうになります。

 

「ひゃうんっ! おっぱいだめぇっ、乳首噛んじゃやらぁっ! あ、あっ、そんな強く吸っちゃらめぇっ! いひっ、いぐっ、イギましゅうぅっ!!」

 

 ビクビクと震える私に構わず、ミハエルさんの手は乳房の淫靡な柔らかさを堪能しています。指先で乳首をくりくり弄び、口に含んでチューチュー吸い立てるのです。まるで赤ちゃんが母親の母乳を求めるように。

 

「はぁんっ、ちくびいいっ、きもち、いいですっ! もっと吸ってくださぁいっ! おまんこずぽずぽしながらミルクちゅうちゅうされるのすごいぃっ!!」

 

 でも、体は知っているんです。私の男がどんなに優しいかを。愛情の深さを。彼はただ欲望のままに犯しているわけじゃないんです。望むことを察してくれています。だからどんなに激しく犯されても怖くありません。安心して身を委ねられます。

 

「ああっ、出るよっ! ドスケベなお姫様にご褒美ザーメンいっぱい種付けしてやるっ!!」

 

「いや、いやぁっ、まだしたい、まだセックスしてたいですっ、おねがい、出さないでっ、たくさんズコズコしてくださいっ!!」

 

 膣をねじ開かれ、子宮を歪める存在感に涙し、肉壁をえぐる摩擦の刺激に耐え切れず潮を吹き散らして、それでも私は必死で訴えかけます。すると彼は意地悪そうに笑いながら言いました。

 

「じゃあ、止めてやる」

 

「ああ……あああ……♡」

 

 そんな……ひどい……こんなに気持ち良いのに……あと少しなのに……どうして……止めるんですか……♡ 

 

「やだやだぁ……イカせてくらさい……最後までして……お願いしまひゅ……♡」

 

 私は縋り付くような呻きを漏らしました。みっともなく腰をくねらせておねだりします。快楽を求めてひくつくあそこから溢れるいやらしい液が、床に垂れ落ちて。それが余計に切なさを募らせていきました。

 

 ミハエルさんは私の顔をあやすように撫でまわし、耳元で囁きます。

 

「ほら、どこに出して欲しい?」

 

「お、おまんこの中……ミハエルさんのおちんぽミルク、私の一番奥に注いで欲しいれす……」

 

 恥ずかしくて消え入りそうな声で答えます。顔から火が出そうなほど熱くて、ニヤニヤして私を見ているミハエルさんの視線も興奮を煽る材料になりました。

 

「はは、よく言えたね。可愛いよ、好きだ……」

 

 そう言って、私の頭を撫でてくれます。それだけで胸の奥に暖かいものがこみ上げてくるようでした。

 

「それじゃあ、いくよ……」

 

「はい……中、中に下さいっ……あなたを感じさせてください……!」

 

 ミハエルさんが、ゆっくり、じっくり、焦らすような速度で抜き差しを始めます。ぬぷ、にゅぷっ、じゅぶっ……少しずつ出し入れされる度に、快感の火の粉が燃え上がっていきます。

 やがて彼の先端が子宮口を押しつぶした時、頭の中は真っ白になり、目の前に火花が飛び散りました。

 

「ん、ん、ん……くぅぅぅぅっ!!」

 

 強烈な電流が全身を貫きました。腰が跳ね上がり、ガクガク痙攣する体を押さえつけるように抱きすくめられます。同時に、熱い迸りが子宮を満たしていく感覚。

 

(これ……精子……? うそぉ……前とぜんぜん違うぅ……♡)

 

 膣内射精の経験はありました。でもその頃は嫌々の関係だったり、避妊薬を飲んでいたりで……

 

「あ、あ、あ、あぁっ、あぁあぁぁーっっ♡♡」

 

「おおぉー……妊娠しろ〈いばら姫〉……! 君は僕のものだっ、誰にも渡さないぞぉーっ!」

 

 どくんどくんと脈打ちながら注ぎ込まれる精液は粘度が高くて、子宮の壁に当たる度に痺れるような快感に襲われます。

 突き抜ける電撃が体の芯を貫いて、何度も何度も繰り返し襲ってきます。そのたびに意識が飛びそうになるほどの衝撃に襲われるのです。

 

「はひっ、はひぃっ、はひぃっ、お、おぉおっ、ほぉっ、おほっ、ひぃっ、ひぃっ♡」

 

 気持ちいい、気持ち良すぎておかしくなる。快楽でドロドロに爛れていく頭の片隅で、こんなの知ったらもう戻れないと思いました。私は今、本当の意味でこの男の女になったんだ。この人無しでは生きていけない体にされてしまったんだ。

 

 それなのに嫌な気持ちは微塵もなくて、むしろ喜びすら感じていて──快感が迸る身体から魂が抜け落ちて、心がふわふわ浮いているような不思議な心地でした。

 

 全身が汗まみれで、息は荒く、心臓は早鐘のように鼓動を刻んでいます。私は仰向けになったまま、全ての力を抜いて天井を見つめていました。舌の上を出入りする空気は、だらしのないアクメ声になって出ていきます。

 

「へぇぇ……ぇうぅぅ……ぇえええぇ…………」

 

 ジリリリリ……

 

 長い長い絶頂の余韻に浸りながら、ゆっくりと息を整えていると、電話機がけたたましい音を立てて鳴り響きました。

 

「ヨルくん、電話だよ」

 

 覆いかぶさっていたミハエルさんが言うのですが、私はとても動く気になれず黙って首を振るだけです。頭の中にあるのは、次はどんなセックスをしようかという思考ばかり。

 

「うふ……ミハエルさん、私、いやらしい服をたくさん……紫の下着に、ミニスカートに、透け透けのネグリジェに……」

 

「わーお」

 

 私の中で、むくむくと膨らんでくるペニスの感触。それを感じるだけでまた軽くイッてしまいそうになります。

 それからそっと唇を重ねられました。甘くて濃厚な口づけ。電話のベルも鳴り止んでいます。

 

「ぷは……あと、ウサギさんとかネコさんのエッチな服とか……たくさん用意してありますから、楽しみにしていてください♡」

 

「そりゃすごい。君がどれだけ変態なのか楽しみになってきたよ」

 

 私は、自分から腰を上げて動き始めました。そうして彼を迎え入れるための誘惑に励むのです。

 また一つ、愛の証をこの体にっ

 

 ジリリリリ……

 ジリリリリ……

 ジリリリリ……

 

「もうっ、なんなんですか!?」

 

「しょうがないよ、きっと大事な用なんだ」

 

 彼はのっそり起き上がり、受話器を取って私の耳に当てました。私がのろのろと体を起こすと、背中に手を回して支えてくれます。

 

「はいもしもし……ユーリ!!??」

 

 聞こえてきたのは、弟の声でした。そして伝えてきたのは、凶報でした。

 まだミハエルさんの妻だったあの女、エリザベート・ゲルゲスが、スキー場で滅多刺しにされて死んでいる姿が発見された、と。

 

 私とミハエルさんの前に、またも新たな壁が立ち塞がったのです。

 

 

 

 

(第二話 最近笑われなくなってきた小太りなハゲオヤジの不倫相手、ヨル・ブライア 了)

 

(第三話 妻を失って悲しみに暮れている酒臭いハゲオヤジの愛人、ヨル・ブライア に続く)




 ここまでお読みいただきありがとうございました。

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第三話
Aパート


 かつてのミハエル・ゲルゲスは妻を愛していた。

 若きエリザベートは品格と教養を兼ね備えた令嬢であり、妻として申し分ない相手だったからだ。

 

 そんな彼女を一人置き去りにして、ミハエルは出征*1した。苛烈を極める戦争の中で、政府から愛国心を煽られたミハエルは、親族の復讐と共に祖国の勝利を願ったのだ。

 

『ミハエル、そりゃあいけねえよ。嫁さんは大事にしてやれや』

 

 クソまずい缶詰のレーションをかきこみながら、戦友のハンスはそう言った。男なら女を守れ、子供を守れ、と真新しい頬の切り傷を歪めて笑った。

 家族(ファミリー)のために戦う、それこそが男の本懐だと、彼は言っていた。

 

 その戦友も銃弾に倒れた。小隊が敵に待ち伏せされた時、迫る銃弾から身を挺してミハエルを救ってくれたのだ。幸い一命は取り留めたが、後方に送られたあと行方知れずとなった。

 後で知ったことだが、彼の故郷は終戦間際に砲撃で壊滅したという。

 

 ……回想は、そこで終わる。

 

「吐けッ!」

 

「あ、ぐっ」

 

 頬にめり込んだ鉄拳が、ミハエルの意識を揺り戻す。

 窓もない秘密警察*2の取調室は暗く冷え切っており、わずかな電灯の明かりがユーリ・ブライアの激した顔を照らし出していた。

 

「吐けよミハエル・ゲルゲス! お前が女房を殺したんだろォ!!」

 

「っ、てない……僕じゃない…………ッ!!」

 

 さらに殴打してくる。ミハエルと情を通じたヨル・ブライアの弟は、嗚咽のような金切声を挙げながら拳を振り下ろし続けた。

 

「このクソオヤジがぁ! なんで姉さんがお前なんかと!」

 

「ガハッ……!」

 

 拳。糾弾。激痛。罰。償い。罪。

 

(すまない、ハンス。僕は結局、過ちを犯した。家族を台無しにしてしまったんだ……)

 

 戦友に詫びながら、ミハエル・ゲルゲスは再び意識を喪失した。

 

 

 

第三話

妻を失って悲しみに暮れている

酒臭いハゲオヤジの愛人、

ヨル・ブライア

 

 

 

 ミハエル・ゲルゲスは吐かなかった。旅支度をしながら、ユーリは感情のままに机を蹴りつける。

 

「くそっ……役立たずの人民警察*3めっ!」

 

 ミハエルの動向を探り始めた矢先、その妻エリザベートがスキー場のホテルで死亡した。しかも、全身をめった刺しにされた惨殺死体となって発見されたのである。

 

 すぐさま連行したミハエルは頑として犯行を認めない。現地警察はクロだという証拠どころか、アリバイがあるという目撃証言を上げてくる始末だ。

 もはやユーリは、自分で現地に向かうより他になかった。

 

「僕の手でケリをつけないと……なんとしても、あのゲロカス野郎が犯人だってことを証明しないと……!」

 

 ────でなければ殺人の嫌疑が、姉にかかってしまうではないか! スキー場でゲルゲス一家に近づく姿を目撃されたヨル・ブライアに!! 

 

 姉には動機がある。ミハエルの不倫相手だからだ。行き遅れの年増女が職場で嘲笑されるキモイ中年ハゲオヤジなんかに入れ込んで、嫉妬から本妻を殺してしまった。オスタニアの常識では、そう解される可能性が十分にある。

 

「うぷっ……!」

 

 猛烈な吐き気が込み上げ、ユーリはトイレに駆け込んだ。胃の中のものを吐き出すが、透明な液体しか出てこない。ここ数日ユーリはろくに食事をしていなかった。

 

「ゲホッ……ハァー……ハァー……」

 

 荒い息を吐きながら拳を握り込む。爪が手のひらに食い込んでいく。

 汚らしい豚野郎のせいで最愛の姉が殺人犯呼ばわりされるなど、断じて許せない。許せるはずがない。なんとしても真犯人を突き止める。

 

 だがもし、万が一にも姉がクロだったら──

 

「……り、つぶしてやるっ…………! いやっ、握り潰さなければならないッ!」

 

 自分の人生と引き換えにしてでも、そんな証拠は握り潰さなければ。

 

 爪が皮膚を突き破り、鮮血が滴り落ちる。

 血。そうだ、自分と姉は血を分けた姉弟、この世にたった二人の家族。家族の過ちは、家族の手で拭わなければならないのだ。

 

 

 ◆◆◆

 

 ミハエルさんの自宅で過ごす爛れた生活は、二日目の昼を迎えていました。

 

「あ゛っあ゛っあ゛っ! それダメっ! やめへぇっ!! あぐっ! ひぎぃっ! あひっ!」

 

 私を組み敷いたミハエルさんが激しく腰を振りたくり、乱暴に抽送を繰り返します。陰部は荒淫による炎症でヒリヒリと痛み、セックスの気持ちよさを感じられなくなっていました。

 

「ごめんねっ、ヨルくん、ごめんねぇ……! でも気持ちいいよ……! 最高だよ君は……! 君さえいてくれたらぁっ……!」

 

「ぐっ、だっ、だいじょうぶ、ですぅっ……! 私で気持ちよくなってぇ!」

 

 私は必死に笑顔を取り繕います。彼の苦痛を和らげたくて、悲しみを少しでも癒したくて。

 

「ああっ、あああっ……! 出るよっ、出ちゃうよぉ……! 受け止めてくれぇ!」

 

「はいぃ……いっぱい出してぇ、私の中にたくさん射精してください……」

 

 熱いものが弾けました。膣内に注ぎ込まれる熱にうっとりと浸ります。お腹の奥にじんわりと広がる心地良い暖かさ。でも、

 

「は、あぁ……ううっ、エリー、ごめん、ごめんなぁ……」

 

「……!」

 

 奥様の名前。暖かさが冷たい嫌悪感に変わって、心臓のあたりをじわじわと締め付けてきました。

 私の男は、エリー、エリーと繰り返し死んだ妻の名前を呟きながら精液を流し続けています。

 

「はあ、はあ、エリー……」

 

「……ミハエルさん」

 

 私は涙に濡れた顔へと手を伸ばしました。殴打の跡が色濃く残った頬の、ガーゼの端から血と膿が滲み出ている部分をそっと撫でます。

 

「ごめんなさい……弟がひどいことを……」

 

「いいんだ、いいんだよぉ、僕が悪かったんだ、僕が、僕があっ、うう、ううっ、エリー……」

 

 ユーリは、いつの間にか国家保安局のホープと呼ばれる人間になっていたのです。その弟が、彼に与えた傷跡。私の非難に応えようともせず捜査に戻っていく弟の、その背中を思い出すたびに……。

 

(ああ、いけない)

 

 ミハエルさんがこんなに苦しんでいるのに、泣いてどうするんです。もっとしっかりしないと。ヨル・ブライアは彼の愛人なんですから。

 

(こんなときにこそ、この体を使って慰めてあげないと)

 

 たまたま人より魅惑的だった体を、ちゃんと活用しなくてはいけません。オンナの体は、愛する男性に喜んでもらうためのもの。そのための肌であり、乳房であり、性器なのです。

 

「……ん」

 

 唇を触れ合わせれば、ツンと鼻をつくアルコール臭。痛みを紛らわせるために、私が飲ませた蒸留酒の匂いです。

 

「酒臭いよね、ごめん」

 

「ううん、いいんですミハエルさん、ミハエルさん……ちゅっ、ちゅむっ、んちゅっ……」

 

 首に手を回し、さらに深く口付けを交わします。いやらしく、丁寧に、彼の性欲を喚起するように。

 今だけ。この苦しみは一時のもの。きっと私たちの潔白は明らかになる。弟が必ず証明してくれるはずです。

 

 それまで、私は彼と共にいる。奥様を殺害した嫌疑で尋問され、痛めつけられ、アルコールで痛みをごまかすダメなおじさんの、全てを受け入れてみせます。

 

 ……ごめんなさい、ユーリ。本当に、こんなつもりじゃなかったの。

 

 ◆◆◆

 

 夕方、分厚いドアをトントンとノックすると、わずかな沈黙の後で返事が返ってきました。

 

「…………はい」

 

 かすれ、震えて、上擦った声。ミハエルさんの娘、マルティナ・ゲルゲスさんの声です。

 

「マルティナさん、一緒にお食事を……」

 

「話しかけないで! アンタの声なんか聞きたくない!」

 

 拒絶の声は悲鳴のようでした。ドアの向こうで泣いている女の子の姿が目に浮かぶようです。

 

「ママを返してよ、人殺し!!」

 

「私は奥様を殺していません。本当です」

 

「ウソつき! じゃあ、じゃあなんでっ、パパとイヤらしい事ばかりしてるの!?」

 

「…………」

 

 返す言葉もありません。

 奥様を喪うばかりか手ひどく痛めつけられたミハエルさんは、酒精と女の体に溺れることで心の傷を癒やそうとしていました。

 そんな彼に尽くそうとして、昼も夜もなくセックスし続けているのは他ならぬ私自身なのです。

 

「気持ち悪い! 吐き気がする! 汚い! 死ね!!」

 

 ドアの向こうから聞こえてくる声は、まるで獣のような唸り声になっていきました。

 

「お願いします、せめてお食事だけでもとってください。でないと、ミハエルさんに申し訳が立ちません!」

 

「……!!」

 

 名前を出した瞬間、扉越しに怒気が膨れ上がります。殺意、と言ってもいいでしょう。

 

「やめてよ! あんな男、もう父親なんかじゃない!!」

 

「え……」

 

「ママのこと忘れて、別の女を連れ込んで……最低のクズだわッ!」

 

 激昂のあまり声が裏返っています。

 

「アイツなんて嫌いよ!! 大ッ嫌い!! 死んでしまえばいいんだわッ!!」

 

 叩きつけるような叫び。

 ……今ほど、自分が戦災孤児であることを呪った経験はありません。分からない。分からないんです。親を想う子の気持ちが、私には分かりません。

 

 憎んでいるの? 

 甘えたいの? 

 恨んでいるの? 

 ……それとも、抱きしめて欲しいの? 

 私には、あなたの気持ちが何も理解できない。

 

「……お食事、ドアの前に置いておきますね」

 

 逃げるように廊下を戻ると、無人のダイニングに二人分の料理が並んでいました。テーブルにぽつんと取り残された、冷めた二皿。屋台で買ったブルート・ヴルストというソーセージに、大好物のリンゴソースをかけたもの。

 

 フォークを突き立て、口に放り込んで嚙み締めると、生臭い鉄分たっぷりの香りが広がりました。

 

 豚の血液から作られたヴルストは、宗教によっては禁忌(タブー)とされることもあるそうです。

 でも私は、血とリンゴが作り出す蠱惑的な味わいが好きでした。甘さの中に潜んだ塩気と香味は、まさしく罪の味と呼ぶにふさわしいもので……。

 

「……あきらめ、ませんから」

 

 握りしめた鉄のフォークが、(きし)みを上げながらひしゃげていきました。

 

 ◆◆◆

 

 深夜。ミハエルの頭は、アルコールでぐにゃりと歪んでいた。

 

「あああっ! 神よ! 僕を罰してください……! 僕は地獄へ堕ちます……!」

 

 酔いのせいで呂律の回らない舌で、うわ言のように呟き続ける。震える指は聖書のページをめくる事もできず、ただただ無為に紙面を撫でていた。

 

 ふと顔を上げると、ベッドサイドに置かれた鏡に映る自分の姿が見える。禿げた中年太りの男だ。醜く肥えた体に醜い顔を貼り付け、醜い心を宿した怪物──それが自分だった。

 

「ああ、エリー……ヨルくん……僕なんかのせいで……すまない、すまないっ……!」

 

 妻の名を呼び、愛人の名を呼び、泣きながらグラスを呷る。悲しみはない。妻への愛はとっくに枯れ果てて、義務感だけで続けてきた夫婦だった。それでも涙が止まらないのは、後悔と情けなさからだ。

 

「ゲホッゲホッ……! はぁっ、はぁーっ……」

 

 ヨルを追いかけてスキー場を離れなければ、妻を守れたのでは? 娘を悲しませずに、ヨルに負担をかけずに済んだのでは? 

 家族を守るという、戦友との約束を守れたのでは? 

 

 悪夢のように胸苦しく攻めてくる自責の念に耐えかねて、ブランデーの瓶に直接口を付けてしまう。喉奥に流れ込む琥珀色の液体が、焼け付くように胃の中へと滑り落ちていく感覚。空になった瓶を投げ捨てようとして──

 

 その視線が、ドアの方へ釘付けになる。

 

「……えっ……?」

 

 愛人のヨルだ。間違いだらけの自分を好きになり、体を許し、尽くし、そして寄り添ってくれている、健気で一途な黒髪の美女。

 

「どう、して……」

「あはっ」

 

 ミハエルが目を白黒させたのは、古代の罪人じみたヨルの姿だ。縫い目のない一枚の亜麻布に頭を通し、腰帯で止めただけの簡素な衣服。長身で豊満な彼女だけに手足はむき出しで、豊かな乳房やお尻がチラ見えしていた。

 

 下着も着けていないらしく、歩くたびに両足の付け根にある茂みが見え隠れしている。首には、革の首輪まで嵌められていた。

 奴隷かあるいはペットとも思わせる姿だが、ヨルの顔は神妙そのものだ。ただ一点、赤い瞳が濡れて輝きを増しているのを除けば。

 

 困惑する彼の前で、ヨルは床に座り込むと三つ指をついた。それから深々とこうべを垂れて、額を床へ擦りつける。その姿勢のまま放たれた言葉は、男をさらに狼狽させるものだった。

 

「ミハエルさん……いいえ、ご主人様……」

 

「ヨ、ヨルく──」

 

「──この度は大変なご迷惑をおかけしました。どうぞ、私を罰してください」

 

「ちょっ、ちょっと待っ」

 

「なんでもします。どうか、償わせてください」

 

「おっ、落ち着いてっ」

 

「すべて私が、悪いんです。ご主人様は何も悪くありません。だからお願いです、私を罰してください」

 

 ヨルは、伏した姿勢のままゆっくりと、体ごと後ろに振り向いた。白く艶めかしい肌に包まれた臀部豊かな肉付きが、ミハエルの視線を絡め取る。

 

「うっ」

 

 男は息を呑んだ。美しい尻だった。柔らかそうな曲線を描く双丘は、はちきれんばかりの瑞々しさを湛えて張り詰めている。長くしなやかな脚部は鍛え上げられており、曲線美はため息が出るほどだ。その間に覗く黒い陰毛さえもが、情欲を搔き立てる。

 

「ああ……」

 

 酒精でしびれた脳髄が、甘く蕩かされていくようだ。娼婦でもやらないような破廉恥な愛人の姿を見て、ミハエルは無意識に熱い吐息を漏らしていた。アルコールとメスの匂いに酔いしれ、呆けた顔で涎を垂らしてしまう。

 

(これは、夢か?)

 

 自分の願望が見せる淫夢だとしか思えなかった。あのヨルがこんな淫らな姿で跪き、自分に許しを乞うなどあり得ないことだ。

 

 悪いのは自分なのだ。勝手に従軍して妻を苦しめ、ヨルを脅迫して関係を結び、あげく愛人を選んで妻を死に至らしめた。そんな男が彼女を罰する? ありえない。できるわけがない。なのに、彼女は自分を責めろと言ってくる。

 

「お願いです……どうか……許されたいのです」

 

(ヨルくんは悪くないむしろ謝るべきなのは僕の方だ許してくれだなんておかしいよ僕が君を罰するなんて許されるはずがないんだ)

 

 混乱したまま言葉を探して逡巡している間に、彼女は腰を持ち上げ始めた。ぷりんっ、と弾むように形の良い巨尻が揺れ、甘い蜜の香りが立ち込める。薄桃色の粘膜がわずかに覗く割れ目もあらわになっていき──そこでミハエルは立ち上がった。

 

(ああ、ダメだ。こんなことは許されない。僕は大人として、夫として、父として最低なことをしようとしている)

 

 だが、もう止まらなかった。欲望を抑え込もうと必死に抵抗するものの、彼の視線はもはや二つの桃果実から引き剥がすことができない。気がつけば、ふらふらと愛人の尻に向かって歩き始めていた。

 

「あっ、あああ……っ!」

 

 心の海に嵐が吹き荒れ、大波を立てていく。遭難した船がやっと見つけた浮島は、さながら人食いの女神が住まう楽園だった。ミハエルの理性を溶かし尽くす、誘惑と堕落の罠だ。

 

「あはっ……」

 

 両手でむんずと鷲掴みにする。柔らかな感触が手のひら全体に広がっていった。指が沈み込み、反発するような弾力性を感じさせる極上の尻たぶ。男の欲望をそのまま形にしたような感触、触り心地の良さへ夢中になるあまり我を忘れてしまいそうだ。

 

「あっ、ああぁ……お願い、罰して、許されたいの、だからどうか、ヨルのお尻をペンペンって叩いてください……」

 

「あ、ああっ! ……そっ、そんなこと……!?」

 

「おおきな手で痛いくらい強く……私のいやらしいデカケツをぶってください……おねがいします……」

 

「うおっ!? うお、おおっ!!」

 

「おねがぁい……お願いしますぅ……おねが……いいっ……!」

 

 ミハエルの右手が、何かに引っ張られたように振り上がる。追い詰められて弾力を失っていた心は、今や水風船のように膨らみきって破裂せんばかりだった。

 

「お、おねが……お願いしますっ……どうか、お慈悲を……!!」

 

「……ッ!!」

 

 渾身の力で、右手を振り下ろす。ぱあん! と小気味よい音を立てて、手が柔らかい肉を叩く。甲高い悲鳴が上がり、白いヒップが揺れた。

 ミハエルの体を駆け巡った快感が弾け飛ぶ。それは、今までの人生で一度も味わったことのない強烈なエクスタシーだった。

 

(続く)

*1
軍隊に加わって戦地に行くこと。

*2
反体制分子や外国のスパイの監視・摘発などを専門に扱う、いわゆる政治警察のこと。

*3
秘密警察とは異なる、いわゆる普通の警察



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Bパート(♥)

 マルティナ・ゲルゲスは、父ミハエルを愛している。ハゲで小太りでキモいけど、自分が世界で一番だと言ってくれるからだ。

 

 でも初潮を迎えてからは、父と距離を取るようになった。心が好きだと感じても、体が拒んでしまうのだ。授業では、女の本能が近親者を遠ざけるように作られているのだと教わった。

 

 不幸だったのは、母がそれを歓迎したことだ。昔から険悪だった仲はさらに悪化し、母は父の存在そのものを無視するようになった。まるでいないものとして扱うようになったのだ。

 

 妻にも娘にも冷たくされ、父はどんどん卑屈になっていった。そして──愛人を作ってしまったのだ。

 

 ヨル・ブライア。市役所に勤める父の部下で、二十七歳の行き遅れ。でも、地味目なだけでモデルのような長身に豊満なスタイルの、凄い美人だ。何より、驚くほど父に惚れている。でなければ、野外で父のアソコを咥えようとはすまい。

 

 そして、恐ろしい。異様に力が強いし、自分が馬乗りで殴り掛かっても眉一つ動かさず、涼しい顔で反撃してきた。あの女は、明らかに普通じゃない。

 

 今や父は、母の葬儀も終わっていないのにヨルを家に迎え入れ、いやらしい事ばかりしている。あの女も口では自分を気づかっているけれど──

 

(ママを殺したのが、もしアイツだったら)

 

 それは『家の中に、モンスターがいる!』ということだ。マルティナは、小鳥のようにぶるぶると震えて部屋に閉じこもるしかなかった。

 

「うう……トイレ行きたい……!」

 

 だが二日目ともなると、膀胱が悲鳴をあげはじめる。深夜一時。暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱きながら縮こまっていた少女は、とうとう観念して起き上がった。

 

「こ、怖い……」

 

 しかし明かりをつければ、その光の中に怪物が浮かび上がってきそうな気がする。ぶるりと体を震わせて躊躇するも、尿意には逆らえない。意を決してベッドを出ると、部屋のドアを開いた。廊下の窓から青白い月光が射し込んでいる。

 

 しんとした静寂の中、自分の足音だけが小さく響く。いや、

 

「………………て、……………………いっ♥」

「ひっ!!?」

 

 かすかに女の声が聞こえた気がして、思わず小さな悲鳴を上げた。恐怖心が身体を支配し、歩みはどんどん遅くなっていく。一秒がとても長く感じられた。

 

 声は、トイレまでの途上にある父の部屋からだ。鍵はかけられていないはず。だからマルティナは、ドアを開けて父に助けを求めることができる。そして、こっそりと覗き見ることもできる。父と、恐らくはヨルがどんな事をしているのかを────

 

「ひ、っ……」

 

 とうとう足が止まる。扉の隙間から見えたのは、裸の男女だった。

 

 ◆◆◆

 

 ミハエルは渾身の力で、右手を振り下ろす。ぱあん! と小気味よい音を立てて、手が柔らかい肉を叩く。甲高い悲鳴が上がり、白いヒップが揺れた。

 

 体を駆け巡った快感が弾け飛ぶ。それは、今までの人生で一度も味わったことのない強烈なエクスタシーだった。

 

 暴力的でありながら甘美で、心がとろけるような陶酔感に体が支配される。視界がチカチカ明滅するほどに気持ちよくて──たまらない。

 

「はぁ、はぁっ、あぁっ……!?」

 

「あんっ、ああっ、ありがとうございますぅっ! ごめんなさいっ、いけない子でごめんなさぃいっ! いっぱい罰してくださいっ、ああッ、もっとぉ……っ!!」

 

 もう一度手を叩きつければ、ヨルは嬉しそうに尻をくねらせて悦んだ。右へ左へ揺れる尻肉は、打ち据えられるたび衝撃を跳ね返してプルンと弾ける。まるで誘うように腰をくゆらせ、男の手に自らの肌をこすりつけてくる。その扇情的な動きに、ミハエルの自制心も崩れていった。

 

「はぁっ、はぁっ、ああっ……ヨルくん、ヨルっ……はぁーっ……はぁーっ……」

 

「罰してください、何度も叩いて、ひどい言葉で痛めつけて、お酒なんかより私の体に溺れてくださぃっ、あっ、あっ、ああっ!」

 

 燃える。心の中に溜まっていたヘドロのような感情が、真っ赤な炎を上げて燃え盛る。その油田に火を点けたのは、ヨルだ。この一途で健気な愛人が、この素晴らしい肉体が、ミハエルを狂わせようとしているのだ。

 

 自分のために! ヨルは、ミハエルの心を救うために尻を差し出している!! 

 だから叩く! 何度も何度も叩き、その度に自分が堕落していくのがわかる。それがたまらなく気持ちいい……! 

 

「ふぅーっ、ふうっ、ああ、ヨル、ヨルっ……!」

 

「ああッ、はぁんっ、ご主人様、ご主人様ぁっ……!」

 

 ヨルの肌に打ち付ける手が痛い。自制を失い、力加減ができていないからだ。それでも、ヨルは痛みを感じていないかのように、むしろ自分から体をぶつけてくる。

 

「は、はやくっ、早く罰してぇっ、痛くしてぇえっ……!」

 

「あはぁっ、はぁ、ヨルっ、ヨルっ、ヨルっ……!」

 

 思考が焼き切れ、まともな思考回路が失われていく。ただ目の前の女の肉を貪り、壊そうとするケダモノへと成り果てる。その破滅的な感覚がたまらなくて、さらに力を込めてしまう。

 ばちん、と大きな音が響き渡る。

 

「あ゛ああぁぁ──ーっっ♡」

 

「はははっ、すごい声だ! 甘い声だ! この淫乱めっ、変態めっ」

 

 何度も何度も手を振り下ろす。そのたびに尻肉が波打って歪み、赤い跡が残る。白い肌を彩る痣は痛々しくも淫靡で、余計に欲情をそそられてしまう。この魅力的な女に傷をつけることを許されているのが自分だけだという優越感に震えが走る。

 

「ひぃっ、ひっ、ひぎぃっ、ぐうぅ~~っ♡」

 

「全部お前のせいだ! お前がエロいから悪いんだっ!」

 

「はひっ、はひぃっ、わ、私のせいですっ、ぜんぶっ、私のせいなんですっ、ごめん、なさいっ、ごめっ、なさぃぃっ♡」

 

「そうだっ、お前のせいなんだっ、僕がお前を脅迫したのもっ、お前がエロ女だからだっっっ!!!」

 

 言った。自分の罪を彼女に押しつける最低な言葉を言った。言ってはいけない言葉が、こんなにも心地良い。脳味噌がぐずぐずに溶けていくような酩酊感が全身を駆け巡っていく。

 

 そう、自分が悪いんじゃない。悪いのは彼女なのだ。だってヨル・ブライアはこんなにも魅力的で淫らなのだから。ミハエル・ゲルゲスをこんな最低のクズにした責任は全て彼女にあるのだ。

 

「このエロ女、淫乱、変態っ、売女がぁ!!」

 

「はい、そうですぅぅっ、私は最低のバカ女ですっ、ご主人様を誘惑してすみませんっ、だから罰してくださいっ、もっともっともっと私をいじめてぇええっ♡」

 

 ヨルが腰を振って尻を突き出してくる。ふりふりと振られる彼女の下半身に目を奪われると、もう他のことは何も考えられなくなる。

 

「このっ、このぉっ! お前はどうしようもない色狂いだっ、どうしようもない変態だぁあっ!!」

 

「はいっ、はい、そうですぅうっ、わたしはダメなメス奴隷ですぅっ、ダメダメ人間ですぅっ♡ ああぁああッ♡」

 

 ヨルの声に応えるように、勢いよく手を振り下ろした。乾いた打擲音と共に尻肉が大きく波打つ。手のひらの痛みが、ますます興奮を高めてくれる。

 

「謝れ! 謝って反省しろ!! ほら謝れよ!! 今までの悪行をすべて懺悔するんだ!!」

 

「ご、ごべんなざいっ、ごめんなさいっ、わたしなんかがご主人様を誘惑してっ、奴隷のくせにっ、こんなにエッチな体でっ、ご主人様とセックスしたくてたまらなかったんですぅうっ、ご主人さまとエッチしたいばっかりに、誘惑して脅迫してもらっちゃったんでずぅううぅっ♡」

 

 馬鹿げたことを叫びながらも、ふたりは燃え上がっていく。それにつれてミハエルの心が軽くなり、罪悪感が薄れていく。

 

「謝れっ、謝れよっ、僕のためじゃないっ、僕のせいじゃないっ、君が勝手に誘惑したんだっ、僕を誘惑して脅迫させたんだっ、僕は悪くないっ、悪いのは君だあっ!」

 

「はい、そうですっ、私が悪いんですっ、全部私が悪いのっ、だから、だから罰してっ、私のことぶってくださいっ、お願いしますっ、お願いしますっ、お願いだからっ……」

 

 体の芯から熱くなっていく。胸の奥底から衝動が溢れ出してくる。

 

「このドスケベ淫乱女めっ! 僕の気も知らないでっ、勝手に会いに来やがってっ! お前のせいでエリーを守れなかったんだっ! そのせいで君の弟に殴られたっ! この役立たずのクソビッチめっ!!」

 

「あ゛ああぁっ♡ 申し訳ありませんっ、申し訳ありませんっ、許してくださいっ、ああぁあっ♡」

 

 人であれば言ってはならないはずの、誇りも矜持もすべて投げ捨てた言葉を投げかけながらスパンキングを続ける。その度に、彼女の口からは謝罪と嬌声が漏れ続けた。

 

「許さねえぞっ、絶対に許さないからなあっ! いいか、罰してやるっ、罰してやるっ、罰してやるからなぁああっ!!」

 

「ああっ、ああッ! お願いしますっ、どうかお願いしますっ! どうかこの卑しい牝ブタを躾けてくださいませっ! なんでもしますっ、なんでもしますからぁあぁあっ!!」

 

 ヨルは、とうとう自らを動物だと貶めはじめた。犬が尻尾を振るかのように、ぶんぶんと尻を左右に振りながら懇願の言葉を叫び続ける。そのあまりに無様な姿に、征服欲が満たされると同時に嗜虐心が煽られる。

 

(そうだ……僕はもっとこのメス豚をしつけなければいけないんだ……)

 

 自分は正しい。これは正当な罰だ。彼女が自分を惑わすのなら、それを叱ってやらねばならないのだ。

 

 ──背筋が震えて止まらない。

 

 犯しつつある罪の甘美さが、アルコールなど比較にもならないほどミハエルを酔わせる。自分は今、とんでもない罪を犯している。その事実がどうしようもなく心地良い。

 

「よしいいぞ、よく言えたなっ、ご褒美だっ、お仕置きしてやるっ、そらっ、くらえ!」

 

「きゃううううんっ♡ ああぁあっ、お尻ペンペンっ、ぺんぺんされちゃってますっ、おしおきされてるぅううッ♡」

 

 手に入る力はますます強くなり、容赦のない平手打ちを叩き込んでいく。パァン! と音を立てて叩くたびに、ヨルは犬のような声で啼き叫び身をよじらせた。お尻をくねらせて身悶えする姿は発情期のメス犬そのもので、あまりの淫猥さにミハエルの嗜虐心はどんどん煽られていった。

 

「どうだっ、うれしいかっ、嬉しいか!? 僕の愛がわかったか!?」

 

「は、はひぃっ、わかりまひたっ、わかりましたっ、うれひいれすぅっ、はぁあ~ッ♡」

 

「じゃあもっとくれてやるっ、ほらぁッ!!」

 

 叩く、叩く、叩く。並みの女性であればとっくに痛みで泣き出しているだろう強さだが、ヨルは愉悦に満ちた悲鳴を上げて尻を振るだけだ。悦びが音楽となって部屋中に響き渡り、その甘美な旋律に酔いしれるミハエルもまた恍惚に頬を緩ませる。

 

「そら、これでもか! これでも足りないのかっ!!」

 

「あひいっ、ひぃいいいっ♡ もっとっ、もっとしてぇっ、もっと激しくしてぇえっ♡」

 

「そうか、そんなに欲しいか! ならもっと叩いてやるぞっ!」

 

 手首にスナップを効かせ、思い切り叩きつける。パンッと小気味よい音が響き、白いヒップがぶるんと震えた。

 

「あはああぁっ、そうっ、そうですぅっ、もっと罰してくださぃいっ、私に罰をくださいっ、このっ、このクソ女の私に罰を与えてぇっ♡」

 

「ああ罰してやるとも! お前みたいな変態はこうしてやらなくちゃわからないんだっ!」

 

「ひゃあああっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃっ♡ でもやめないでっ、もっともっと叩いて痛めつけてくださぃいぃ~ッ♡」

 

 ばちん、ばちんと何度もスパンキングを繰り返すうちに、次第に頭の中が真っ白になっていく。肩が痛むくらい強く叩けば叩くほど、酩酊感に支配された男はエクスタシーへと昇り詰めていくのだ。

 

(ああ、最高だ……)

 

 このままずっとこうしていたかった。叩かれるたび甘く切なく響くヨルの悲鳴は、麻薬のようにミハエルの頭を狂わせていく。理性は消え失せ、代わりに本能が剥き出しにされていく。

 

「ははっ、ははっ、手が痛いなぁ、でも最高だよ! 君の体は最高の玩具だなぁっ!!」

 

「ああんっ、ありがとうございますぅっ♡ いっぱい叩いてくださいっ、痛くしてぇえっ♡」

 

「ふははははぁっ!! ……ああそうだ、いいものがあるぞ?」

 

 バチン! と鋭い音が鳴る。ヨルの尻を打ったのは、寝室用のスリッパだった。レザー素材でできたそれをムチの代わりとして振りかざすと、面白いように肌を打つ音が響く。

 

「はぁあッ……あぁっ……あはぁっ……♪」

 

「お、おお……」

 

 白い肉のたわみが、手で打った時と明らかに違う。衝撃を受け止めた尻肉は潮のように揺れ動き、震えている。ぶるんと波打っかと思うとまた元に戻るを繰り返す様は圧巻だった。皮下脂肪だけでなく、肉そのものが一定のリズムを刻んでいるのだ。それはまさに官能的と呼ぶにふさわしい光景だった。

 

「……素晴らしい……」

 

 ヨルの体には傷ひとつない。ただ赤い跡だけが刻まれており、それもすぐに消えるのだろう。しかしそんな事実はもはやどうでもいいことだった。

 

「すごい、すごいっ……なんて見事な尻だ……まるで生きている宝石じゃないか……!」

 

「えへ、えへへ……♡」

 

 叩かれて熱を持った尻肉を優しく撫でさすると、嬉しそうに身を捩らせる。その姿が可愛くてたまらず、何度も何度も愛撫した。神々しいまでの柔らかさ、力強く反発してくる弾力、何よりその曲線が美しい。形、大きさも、質感も全てが芸術品だ。

 

「はっ、はぁっ、はぁーっ……はぁっ……」

 

「はぁ、はぁ……」

 

 二人の呼吸が絡み合い、空間を濃密な空気が満たしていく。ヨルの息づかいを聞いているだけで達してしまいそうなほどだ。ミハエルの股間ははちきれんばかりに膨張し、この女をなぶらせろと叫んでいる。

 

「……はぁ……」

 

 ヨルが、ゆっくり振り返る。赤い目を流して、たよりなげな表情のままこちらを見上げる姿にぞくりと背筋が震えた。

 

「お楽しみ、いただけてますか……?」

 

 ふふ、と小さな笑いが漏れ聞こえる。

 ──嗚呼、彼女は今、自分を誘っているのだ。

 

 それが、男自身も知らなかった新たな欲望の扉を開いた。愛もないが打算もない。自分のためだけに作られた極上の料理を前にした時のような渇望が、胸の中をじりじりと焦がしていく。

 

「こ、このっ、このぉぉ……!!」

 

「ふぁあんっ♪ は、歯がっ……いやぁんっ……」

 

 たまらずミハエルは噛みついた。自らも獣のように四つん這いとなり、震える肉に唇で吸い付く。歯を立てて、何度も何度も咀嚼するように噛みついてやった。その度に上がる嬌声がたまらない。彼女の尻はこんなにも美味だったのだと初めて知った瞬間だった。

 

「はっ、はぁーっ、はぁ──っ、そ、そぉ、そぉですっ、食べてっ、私を味わってくださぃぃっ♡」

 

 遭難者に魔女が麦粥を差し出したなら、どんな反応をするだろう? もちろん喜んで食べるはずだ。目の前に出されたものはなんだって食べなければならない。それが毒入りだとわかっていてもだ。今のミハエルはまさしくそんな、餓死寸前の状態だった。

 

「んふっ、ふぅーッ、おいしいですかっ、私のカラダ、美味しいですかぁっ、私の味を覚えてくださいっ、私をあなたのものにしてくださいっ♡」

 

 だからミハエルは夢中で貪った。柔らかい太ももを撫でまわしながら、熱い果実のような肉尻を鷲掴みにして、しゃぶりつき舐めまわす。言葉もなく豚かなにかのように鼻息を荒くして、夢中になってむしゃぶりつく姿は滑稽ですらあった。

 

「ぶひっ、ぶっ、ぶっひ、ブヒッ、ブヒィイッ!」

 

「ああっ、うれしいですっ、私なんかをこんなに求めてくれてっ……ぶっ、ぶっひ、ぶっひぃいぃい~~~♡」

 

 醜い男の本性を目の当たりにしてもなお、ヨルの歓喜に満ちた声は止まらない。彼女は自ら豚の声真似をしながら、男と同調するかのように下品な鳴き声を上げた。

 

「ぶうっ、ぶひ、ひひひぃんっ♡ ぶひひぃ~ん♡」

 

「ぶひっ、ぶひっ!」

 

 ヨルとミハエルとは互い互いを楽しませ、そしてひき寄せる。そのために存在していたかのように、ぴったりと嵌りあい、今や二人一組となった二匹の家畜となっていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、きっと恐怖を感じたことだろう。それほどまでに醜悪でおぞましい光景であった。だが当人たちはそれに気づかず幸福に浸っている。

 

「ぶひ、ぶひぃ~んっ!! すごっ、お尻すごいっ♡ もっと食べてぇ~ッ♡」

 

「ぶひいいっ! がふっ、うまっ、ケツっ、うまぁ~っ!!」

 

 ミハエルは尻に顔を埋め、思う存分味わった。尻はもちもちでどこまでも歯に心地よい。──これがヨルなのだ。ヨル、ヨル、ヨル! ヨルの味がする! 

 

 ヨルは己の全てを惜しみなく投げ出して、自分をミハエルの目に家畜以下として映しだしてくれている。はた目から見れば無様なことこの上ないのだろうが、ミハエルにとってみればこれ以上に喜ばしいことはなかった。

 

「ぶひぃっ、ひぎっ、ぐひぃっ♡」

 

 だから彼女を徹底的に嬲ることで愛を示す。彼の性根に巣食う支配欲とサディズムはヨルの献身に屈服し、その無様な姿をあらわにしていた。

 

「はぁああッ♡ はぁあッ♡ あぁあッ♡ あッはぁあ~~~ッ♡」

 

 やがて二人は結合する。余計な布は脱ぎ捨て、互いに互いを豚だと思い込んで、一匹の家畜になったつもりで性器と性器をくっつけ合う。それはセックスなどというお上品なものではない。獣のそれだ。発情したオスとメスがする、なんの目的もない畜生同士の交尾だった。

 

「ひぐぅううッ♡ ちんぽきたぁあッ♡ ぶひひぃ~ん♡ イクッ♡ メス豚イキますっ♡ イキますっ♡ ぶひぶひぃ~♡」

 

 ヨルはすぐさま絶頂に達してしまった。獣の姿勢でペニスを挿入された瞬間、尻をぶるぶると震わせ、足をばたつかせて絶頂を迎えたのだ。

 

「あっ♡ あ゛~~~ッ♡ しゅごいっ♡ しゅごいっ♡ おまんこ気持ちいぃいいいっ♡ もっとぉっ♡ もっと奥までぇッ♡ ずぼずぼってぇっ♡ おほぉおおおぉおっ♡」

 

「ぶひッ!? ……ぶひ、いひひぃっ!」

 

 のけぞって、うずくまって、痙攣して、男根への屈服を全身で示す黒髪の美女。ブタ男はブタ女の尻を力いっぱい叩きながら、激しいピストン運動を繰り返す。

 

「ひいぃいぃいぃっ♡ イグッ♡ イグゥウウッ♡ ぶたチンポ気持ちいいっ♡ ぶたマンコほじられるのすきっ♡ アクメきちゃうっ♡ イグッ♡ またイっちゃうっ♡ ぶひッ♡ ぶっひいぃいぃ~ッ♡」

 

「お、お、おお……っ!」

 

 快楽に狂った絶叫が、寝室に響き渡る。一度、二度、三度。絶頂のサインである連続的な痙攣が繰り返されるたびに、ヨルの膣がきつく収縮して肉棒を締め付ける。精液を一滴残らず搾り取ろうとするかのようなその動きに、ミハエルは低く唸った。

 

「ぶひひひ……っ、ぶひぃ~っ、ぶひぃ~っ……!!」

 

 互いに互いを豚だと思い込んで、一匹の家畜になったつもりで交尾する。その倒錯的なシチュエーションは素晴らしい音楽と同じように心を慰撫し、同時に激しく燃え上がらせた。

 

 どぷっ! と、勢いよく放たれた精子が子宮を叩く。

 どくんどくんとポンプのように脈動し、子種を流し込んでいく。

 

「はぁ……はぁ……んっ……んんぅっ……♡」

 

 ヨルはうっとりと目を閉じ、最後の一滴まで飲み干そうと腰をくねらせる。その姿がなんとも艶めかしく、射精中のペニスがまた一回り大きくなる。

 

 ようやく全て出し切って、ミハエルは満足げに息をついた。ぬるま湯のような心地よい疲労感に浸りながら、未だ繋がったままの二人の接合部を見やる。

 

(ああ……なんていやらしい光景なんだ)

 

 自らの肉棒が突き刺さっている穴。そこは、ひくっ、ひくっと震えながら白濁液を吐き出し続けていた。とめどなく溢れるそれは、二人のつなぎ目から漏れ出て、床へと滴っていく。

 

「ああ……」

 

 ミハエルは結合を解くと、ヨルの髪をつかんで上向かせた。

 

「ぶひぃ~……?」

 

 彼女はぼんやりとした表情でこちらを見上げる。半開きの口から唾液が溢れ、ぽたりと床に落ちた。

 

「ほら、舌を出してごらん」

 

「ぁえ……?」

 

「舌だよ、ほら」

 

「……はい……れろぉ……」

 

 言われた通りにした彼女の舌を、ミハエルは指で摘んだ。

 

「んむ……ふ……」

 

 そのまま引っ張って、引き伸ばす。

 

「ふぁ、はふぅ……」

 

「ふふ、豚さんみたいだ」

 

「う、んぅ……豚ですぅ……あなたと同じ、醜い豚です……」

 

「うん、そうだね。僕と同じだ」

 

「はい……私、醜いです……」

 

「そうだ、僕も本当に醜くて、どうしようもない男だ」

 

 そう言って笑うと、魂がふわっと浮くような、不思議な感覚がした。自分の醜さを認めて、肯定されて、こんなにも嬉しいだなんて。

 

「ああ、ヨルくぅん……ありがとう、君がいてくれてよかったよ」

 

「わ、私も、あなたに出会えて、幸せです」

 

 見つめ合うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。最初はただ親切にされて好きになり、脅迫して、救って救われ、官能でつながった。いつしかその関係には愛すら芽生え、今、確かな形となっている。

 

「ヨルくん、ヨルっ、約束してくれ、二度と僕から離れないって……! 僕がどんなにバカになっても、君だけは側にいてくれるって……!」

 

「はう……っ♡」

 

 ミハエルはヨルを床に押し倒し、上から覆い被さるようにして抱き締めた。互いの体が密着し、心臓の鼓動や体温が伝わってくる。それだけでもう、達してしまいそうなほどの快感が襲ってきた。

 

「はぁ……はぁ……ヨルっ、ヨルっ、僕は君のものだ、だから君は僕のものだって今すぐ約束してくれ……!」

 

「……あ……ぅ……」

 

「……頼む、早く言ってくれっ! じゃないと頭がおかしくなりそうなんだっ!」

 

 僕のものだ。彼女のこの顔も、髪も体も、心も全部僕のものだ。そう思えば思うほど心の芯が燃え、さらなる熱を孕んでいく。まるで麻薬だ。脳を溶かす甘い蜜のように、彼女なしでは生きられないほどの依存性を秘めている。

 

「はい、はいっ、私は、あなたのものですっ、あなたのものですっ!」

 

「ずっとだよ、一生だ、死んでも永遠に、ずっとずっと、ずーっと一緒だよっ」

 

「は、はひっ、わかりましたっ、わかりましたからっ、そんなにコーフンしないでくださいぃいっ♡」

 

 力ずくで押し返される。ヨルの力強さは本物で、それがまた興奮を煽った。しゃがみ込んだヨルと、立ち上がった自分。怒張したペニスはちょうど彼女の顔の真正面にあり、むわっと蒸れた匂いを彼女の美貌に擦りつける。

 

「うぅ……♡」

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 二人は荒い息遣いのまま見つめ合った。潤んだ瞳に自分の姿が映っている。そして、その瞳の中の自分もまた、ヨルの姿を捉えていた。

 

「はぁー、はぁー、ヨル、ぶつぞっ」

 

「え、あ、はいっ」

 

 今度こそ、完全に、自分は悪くない。スパンキングの快楽を教え込んだのは他ならぬ愛しいヨル自身だ。ならば責任をとってもらう必要がある。

 

「お望み通り、ぶつよ。ヨルを僕のペニスでぶつ。ぶちのめす」

 

「あ、あ、ああ、あの、その」

 

「なんだ」

 

「お、お手柔らかにお願いします」

 

「ダメだ」

 

「うひっ♡」

 

 それこそ豚のように、ヨルが小鼻を鳴らす。びくんっとペニスが跳ねると同時に、びゅっと我慢汁が飛び出した。

 

「ああぁあぁ~~~っ♡」

 

 それを顔に受けて、悲鳴じみた嬌声を上げる美女。その頬をビクつくペニスで突いた。

 

「ぶっひぃ~っ♡」

 

 豚の鳴き声をあげて、悦ぶヨル。その無様な姿に胸が締め付けられる思いだった。

 ──あぁ、可愛い。ヨルくんはどうしてこんなにも可愛らしいんだろう。

 そう思うと自然に腰が動く。左右に振って、ヨルの頬にぺちぺちとペニスを叩きつけた。

 

「ぶひぃっ♡ ぶひぃ~っ♡ ぶひぃ~っ♡ ぶひぃ~♡ ぶひぃ~っ♡」

 

「ふひっ、ふひひひひひひひぃ~っ!」

 

 ぺちん。ぺちん。

 ペニスが左右の頬を叩くのを、彼女は嬉しそうに受け入れた。豚のように鼻を鳴らしながら喘いでいる様は、実に滑稽だ。

 

 なんてことだ。これが自分たちの愛なのか? 信じられない光景だった。自分とヨルがこんな風になれるなんて、こんな醜態を晒すなんて、誰が想像できただろう。

 しかしこれは夢ではない。紛れもない現実であり、これからずっと続いていく未来なのだ。

 

「ぶひぶひぃ~っ♡ 約束するぶひ~っ♡ 私はミハエルさんのもので、ずうっとそばにいるぶひぃ~っ♡ 死ぬまでいっしょで、死んでもずぅっといっしょぶひぃ~っ♡ ぶひぃ~っ♡」

 

「ぶっひぃぃいぃ~っ!!」

 

「ぶひぃいぃいぃ~っ♡」

 

 彼女はさらに顔を差し出す。ミハエルは尻に力を入れ、力強く腰をふる。顔を打つペニスは加速し、びちっ!! べちゃっ!! ばちゅっ!! と強い音をひびかせる。

 

「ぶっひぃいぃいぃ~っ♡ ミハエルさんのチンポっ、おぶっ、硬くて、ンッ、ぶほっ、すごぉおぉおっ♡ おぼっ、ぶっひぃぃいぃっ♡ ちんぽビンタいいっ♡ ぶひひひぃぃっ♡」

 

「ぶひひひぃぃっ! もっと鳴けっ、ぶひぶひ鳴いて媚びろっ!」

 

「ぶっひいぃいぃいっ♡ は、はひぃぃっ♡ 私、ミハエルさんに叩かれて嬉しいですっ! 叩いてくださってありがとうございますぶひぃぃっ♡ もっともっと叩いてくださいぃっ! 私のブタ面見てくださいぃっ! ブッヒィイィィッ♡♡」

 

 豚の鳴き真似をしながら、必死に腰を振るミハエル。きっと哀れで、見るに耐えない姿だろう。

 だが、それでも彼の目には愛する女の姿が映っていた。美しく一途なヨル・ブライアが、ブタ面で自分に媚びる姿。

 

「もっと、ぶって、あんっ、あなたにならっ、どんな乱暴されても、ぶひぃっ、ぶひぃ~っ♡ ぶひぃ~っ♡ ぶひぃ~っ♡」

 

 彼女の乱れる姿を見て、股間は熱く昂っている。その熱はどんどん膨れ上がり、今にも破裂しそうなほどだった。

 

「ふごぉっ、ふごぉ~っ」

 

「ぶひぃ…………♡ なんでも、言うことを聞きます……ぶひぃ……だから、お願い……ぶひぃ……♡」

 

 ヨルは切なげな瞳で懇願する。一本の肉棒を通じて、ふたりの心が繋がっているかのようだった。それはまるで神聖な儀式のようで、ふたりだけの絆を確かめ合っているかのようだ。

 

「ふぐぅ……んふっ……ふぐっ……ふぎぃ……ふぎぃ……」

 

「んふぅぅぅ……ふぎぃぃ……ふぐぅぅ……」

 

 よがり声はもうどっちのものか分からなかった。互いの体が溶け合い、境界線が曖昧になっていく。中年男のチンポと美女の肌が密着し、熱が混じって一つになる。

 

「ふぎゅぅ……ヨル……ヨル……っ」

 

「あっ……ミハエルさん……ミハエルさん……っ」

 

 どぷっ、どぴゅっ、どぷんっ。大量の精子がヨルの顔中に浴びせられた。どろどろした白濁液が彼女を汚していく。

 

「はひゅ……んむ……れろ……ちゅぷ……んむ……んむ……」

 

「はっ、はっ、はぁ、はぁあ……」

 

 手も触れずに放たれた黄ばんだ粘液が、ヨルの顔を白く染めていく。男の目を吸い寄せるその美しい顔を、卑しい欲望で穢している。ゆるんで少し開いた唇と、エロチックな視線とが、ますます男を奮い立たせた。

 

「はあっ、はぁっ、うはぁぁっ」

 

 射精はいつまでも終わらない。びゅくびゅくと精液が発射され続け、ヨルの肌や髪を汚す。粘ついた液体が彼女の顔にまとわりつき、まぶたの上に垂れ下がった。

 

「んむ……はぁ……♡ 美味しい……ミハエルさん……♡」

 

 長い指ですくうようにして唇に運ぶと、ヨルはそれを舌で舐めとった。夢中になったようにぴちゃぴちゃと指をしゃぶる姿はいやらしくも愛らしい。まるで子猫がミルクを舐めているようだ。

 

「ヨル、ああ、ヨル……君は最高の女性だ……世界で一番素敵だよ……世界で一番大切だよ……愛してる……」

 

 精液を垂らして笑うヨルの姿に、ミハエルは陶酔する。こんなにも美しいものが他にあろうか。こんなに可憐で清楚なのに、中身は淫乱で淫蕩で猥褻でどうしようもない女だ。自分にぴったりの、世界で一番の女だ。

 

 悦びに震えるミハエルだったが、その思考は突然遮られる。ギイッと音を立てて、扉が開いたのだ。

 

 ◆◆◆

 

 熱いザーメンに酔いしれていた時、不意に部屋の扉が開く音がしました。反射的にそちらを見ると、扉の隙間から中を覗き込む視線と目が合ったのです。

 

「えっ……マルティナさん?」

 

「ティーナ!?」

 

「は……♡ ぁ♡ あ……!?」

 

 そこにいたのはマルティナさんでした。パジャマ姿で、ぺたんと座り込み、呆然とした顔で私たちを見つめています。右手がズボンに潜り込んで、ぐちゅぐちゅと水音を鳴らしていました。かすかに漂うアンモニア臭は、愛液とはまた別のもの。

 

 見られた。途端に羞恥心が込み上げてきて、頬が燃えるように熱くなるのを感じます。私はとっさに胸を腕で隠し、身を捩りました。

 

「い、いやぁっ!」

 

 咄嗟にそう叫びましたが、それが悪かったのか。魂が抜けたようだったマルティナさんの顔が、みるみるうちに険しくなっていきます。

 

「パパ……何してるの……?」

 

 その声は冷たく、鋭い刃のように私の心を抉ります。心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなるのを感じました。

 どうして、ここに? いつから、そこにいたのですか? 疑問はいくらでもありますが、うまく言葉になりません。頭の中が真っ白になり、冷や汗が噴き出してきます。

 

 ミハエルさんも同じような状態らしく、顔を真っ青にして口をパクパクさせていました。

 

 ──あ、これはまずいですね。

 直感的にそう思いました。立ち上がったマルティナさんが、真っ直ぐにお父さんの胸へ飛び込んでいったからです。

 

 そして、私は見逃しません。彼女が拳を握り、それを思い切り振りかぶるのを。

 ゴチィンッ!! とても痛そうな音が響き渡り、ミハエルさんはその場に崩れ落ちました。

 

「げほぉ……ティ、ティーナ……」

 

「パパのばかっ! 信じらんないっ! 最低っ! クズっ! クソ親父っ!!」

 

 何度も何度も殴りつける彼女の表情は、まるで鬼のようでした。

 頰が腫れ、鼻から血を流すミハエルさんの姿を見て、私は呆気にとられるばかりです。

 

「私が世界一じゃなかったの!? ティーナが世界一だよって言ってくれたじゃない! うそつき! バカ! 変態! 死ね! 死んじゃえ!」

 

 彼女は怒りのあまり我を忘れているのか、大声で喚き散らしています。その目尻には涙が浮かんでいて、表情からは強い憎悪が見て取れました。殴られている当のお父さんは、最初こそ痛みに顔をしかめていましたが、今はどこか達観した様子でされるがままになっています。

 

 やがて、ひとしきり殴った後、彼女は大きく息を吐き出しました。肩で息をして、呼吸を整えようとしています。

 

「……もういい。パパは私がいらないんでしょ? じゃあ出てく、そのブタ女と一緒に住むなりなんなりすればいい! もう知らない! パパのことなんて大嫌い!」

 

 そう言って彼女は部屋を飛び出していきました。ばたんと扉が閉まる音がして、部屋は静寂に包まれてしまいます。

 残されたのは気まずい空気……いえ、ミハエルさんが立ち上がりました。

 

「ティーナのところに行ってくるよ」

 

 ◆◇◆◇◆

 

 夜の帳が降りた静かなスキー場は静寂に包まれている。それを破るように、ユーリの怒声が窓ガラスをビリビリと震わせた。

 

「警部補、何回言ったら分かる!? このナイフはミハエル・ゲルゲスの部隊にだけ支給されたものだ! 犯人は奴だ! 間違いない!」

 

 唾を飛ばして怒鳴り散らす。明らかに平静を失っているユーリを、白髪の警部補が面倒くさそうに見やった。

 

「しかしですね、捜査官殿? そのナイフが教えてくれるのは、奴の部隊の〈誰か〉が犯人だ、ということだけ。そうじゃありませんか?」

 

「きさっ……貴様ァっ! このナイフが凶器だ! そして奴は夫人と大声で揉めていた! これだけで十分だろうがッ!」

 

「落ち着いてくださいよ、ブライアさん。姉上の事で焦る気持ちは分かりますがね……」

 

「ぐぬぅッ……!」

 

 家名を出され、言葉に詰まるユーリ。警部補はこの道四十年の大ベテランであり、これまで数々の犯罪者と対峙してきた古強者だという。対するユーリは政治犯の取り締まりが本職であり、犯罪捜査は門外漢だった。

 

 だが、そんな事は言っていられない。現地に来て分かったことだが、姉は既に疑惑をかけられていた。焦りが正常な判断力を奪い、一刻も早く証拠を掴まなければ、ミハエルを逮捕しなければと、ユーリの頭はそれだけで埋め尽くされている。

 

「いいですか、もう一度説明しますぜ」

 

 苛立つユーリとは対照的に、警部補は極めて冷静であった。くたびれたコートから手帳を取り出し、ことさらにスローな口調で話し始める。

 

「殺人事件の動機ってのは、おおよそ五つに分類されます。金銭的動機、感情的動機、人間関係のトラブル、精神的病理、そしてプロの犯行」

 

「知ってるさそんなことッ!」

 

「まあまあ最後まで。エリザベート氏は何も盗られていない。そして犯行現場には、犯人に関する一切の痕跡がない」

 

「ああ! このナイフと、全身の刺し傷を除けばね!」

 

「そう、その二つだけが目立つ。他は恐ろしいくらいにキレイな現場だ。十五年も市役所に勤めてるミハエル氏の犯行現場とは思えない。ええと、あれ、何て言いましたっけ、ほら、あれ……」

 

「……演出されている、と言いたいのか」

 

 秘密警察のホープたるユーリのアンテナが、ピンと立った。警部補がにんまり笑う。

 

「つまり、アンタはこう言いたいのか。これはプロの犯行だと」

 

「その通りですよ、ブライアさん。ほら、キャンデーでも舐めませんか」

 

「…………もらおう」

 

 ユーリの頭が、少しだけ冷える。姉が殺しのプロであるハズはないからだ。

 

「……好きな味だ、これ」

 

「でしょう? 私も気に入っているんですよ」

 

 糖分は脳の疲れを癒す。怒りに燃える頭を冷やしてくれる。

 キャンディーは、姉の好きなリンゴ味だった。

 

「だがそれにしては、エリザベートはめった刺し、過剰なくらいの暴力で殺されている。あれはプロのやり口か?」

 

「そう、ちぐはぐでしょう? 一般的な殺人事件の現場とは明らかに異質、犯人の精神的病理を感じますね」

 

「……」

 

「誰かいませんか。ミハエル氏と同じ部隊に所属していた経験があり、ゲルゲス一家に感情的なしこりがあって、しかも頭のいかれた殺しのプロを知りませんか」

 

「……そう言われてもな」

 

「お願いしますよ。こういうのは保安局さんの専売特許じゃないですか」

 

 ユーリの脳内で、退役軍人の顔写真が次々めくられていく。多いのだ、苛烈な戦争を経験したために政府を恨む連中というのは。だから情報はデータベース化されており、ユーリはそれを明瞭に記憶している。

 

「……駄目だ、該当者はいない。あの部隊に所属していた人間は全員、書類上問題なしという事になっている」

 

「戦中ならどうです。戦争のどさくさで身元を消去した兵隊や、捕虜になって魂を売ったヤツ、そういう連中はたくさんいるはずだ」

 

「それなら、本局だ。戦前から身元不明の政治犯を専門に取り締まる部署がある。そこの管轄だろう」

 

「へへ、流石は国家保安局のホープ様だ。頼りになりますねえ」

 

「……ふん、よく言う。知ってたんだろう」

 

 見事に操縦された気分だが、悪い気はしなかった。ユーリの至上命題は姉を守る事で、そのためなら自分のプライドなど安いものだからだ。

 

「そうそう、若者はそうでなくっちゃ」

 

「僕はもう二十歳だ」

 

「ほう、二十歳! ああいや、若いってのは素晴らしい事ですなあ。後悔しない内にやりたいことやっとかないと損ですよお」

 

「説教は結構だ。僕は姉さんさえ……」

 

 ユーリは口をつぐんだ。プロの警官にいらぬ口を利くものではない。

 

「……今に見てろよ、ロートルが。事件を解決して、アンタの経歴に泥を塗ってやる。せいぜい今のうちにのんびりしておけ」

 

「へへへ、楽しみにしてますよ、若き捜査官殿。まったく、ジジイをいつまでも働かせる国なんてロクなもんじゃないですからな」

 

「逮捕されたいのか?」

 

「おおっと、口が滑りましたな。……期待していますぜ、必ず、この残忍な人殺しをアゲてください」

 

「言われずとも」

 

 

(続く)

 



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Cパート

 街並みが深い夜に包まれ、点滅する照明が不規則に舗道を照らしていた。その中で、パジャマ姿のマルティナが足早に走り抜けていく。瞳には怒りと涙が滲んで、足取りは荒い。

 

 目的地はない。ただ、人のいない方へ。誰も追ってこない場所へ。走る音は遠くの喧騒にかき消され、耳に届く警察のサイレンが煩わしかった。

 

(どうしてっ、なんでっ)

 

 心はぐちゃぐちゃだった。つい先ほどまでのことを思い出すだけで吐き気がした。

 

 もう十五歳なのだ。なのに父とヨルの情事を覗いて、思わず自慰をして、ちょっと漏らして、挙句の果てに『私が世界一じゃなかったの』なんて。

 

 恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて、悲しくて、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、自分でも何がなんだか分からない。

 だけど、ただ一つはっきりしていることがある。

 

「私、絶対に認めないんだからっ……!」

 

 あんな女、認めたくない。怪物め。ブタ女め。人殺しめ。ちょっと顔が良くて背が高くてオッパイが大きくて、パパが大好きだからって調子に乗って。

 

 あの女のせいでママは死んで、パパまでおかしくなったんだ。あいつが全部悪いんだ。あいつさえいなければ、こんなことにはならなかったんだ……! 

 

「あの化け物めっ……くそっ、くそぉっ……」

 

 悪態をつくも、涙は止まらない。頰を伝う水滴を拭うこともせず、マルティナは走り続けた。

 だが、そんな激情も長くは続かない。気づけば心にも体にも力が入らなくなって、人気のない路地裏に座り込んでいた。

 

「……っ……うぅっ……」

 

 お尻が冷たい。石段の上は湿っていて冷たかったけれど、それ以上に心が冷え切っていた。これからどうしたらいいのだろう。答えのない不安に押し潰されてしまいそうだった。

 

「おーい、お嬢ちゃんどうした? 大丈夫か?」

 

 声の方を見ると、三人組の男が立っていた。全員ニヤニヤとした薄笑いを浮かべていて、一目でろくでもない連中だと分かる。

 

「ひっ……だ、大丈夫ですから」

 

「おいおい、大丈夫じゃねえだろ。泣いてんじゃねえか」

 

「へへ、けっこう可愛い顔してるじゃねえか」

 

「俺たちが慰めてやるよ」

 

 男たちは笑いながら距離を詰めてくる。その視線は明らかにマルティナの身体を、それも舐め回すように見ていて、嫌悪感に鳥肌が立った。

 

「やっ……やめて……」

 

 逃げようと腰を上げるが、もう遅い。男のひとりが後ろから抱きつくよう拘束してきたのだ。

 

「やめ……やめなさいよっ」

 

「おーおー怖えな。威勢がいいねぇ」

 

「おほっ、案外胸あるじゃん。発育いいなぁ~」

 

「うひ~お尻もプリップリだぜ」

 

 男たちは下卑た笑みを浮かべると、乱暴にマルティナの身体をまさぐり始めた。抵抗も虚しく、パジャマの中に手が侵入してくる。生温かい体温を感じて、悪寒が全身を駆け巡った。

 

「やだっ、気持ち悪いっ、触らないでっ」

 

 必死にもがくものの、がっちりと抱きしめられているため逃げられない。あまりの恐ろしさに、目尻にじわりと涙が滲んだ。

 

「……助けてっ、パパ……ぁっ」

 

 父を呼ぼうとする声が、途中で途切れてしまう。大きな声をあげれば父が助けてくれる。きっと自分を探してくれているはずだからだ。

 

 でも、そうじゃなかったら? 

 本当は、私のことなんてどうでもいいと思われていたとしたら?

 今もまだ、あの女とやらしい事をしていたら? 

 

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、マルティナの声は凍り付いたように出てこなくなった。

 

「へっ、無駄無駄。こんな時間にこんな場所に来るやつなんかいねえよ。諦めて大人しくしとけや」

 

「そうそう、気持ちよくしてやるからさ。ほら、力抜けって」

 

 男たちが耳元で囁く。熱い吐息がかかり、マルティナはぎゅっと目をつむった。

 

 その時である。

 

「なんだぁてめ……ぎゃっ!?」

 

 突然、男の悲鳴が上がった。

 驚いて目を開けると、マルティナを羽交い締めにしていた男が地面に倒れている。何が起こったのか分からず混乱していると、後ろに誰かが立っていることに気づく。

 

「なっ……何なのよ……」

 

 それは奇妙な人物だった。身長は2メートルを超えているだろうか。フード付きのコートを羽織っており、顔は見えない。体格が良く、がっしりとしている。右手の杖は、先端がナニかで濡れていた。

 

「こ、この野郎っ!」

 

 残りのふたりが殴りかかるが、マルティナには何が何だか分からなかった。だって、次の瞬間には、すでに決着がついていたのだ。彼らは皆倒れ伏していて、ぴくりとも動かない。

 

「あっ、あのっ……」

 

 あまりに早い展開に呆然としてしまう。何か言おうとすると、男はこちらに向き直った。ちらりと見えた頬には古い傷跡がある。

 

「あの、その、えっと……」

 

「マルティナちゃんは、どうしてパパに助けを求めなかったんだ?」

 

「え……?」

 

 出し抜けに問われ、言葉に詰まる。穏やかな口調で、優しい声だった。だから、なぜ名前を知られているのかという疑問は浮かばなかったのだ。

 

「さっき、パパを呼ぼうとして止めたろ? なんでだい?」

 

「え、あ、そ、それは……その」

 

 羞恥に頬が熱くなる。まさかパパの女に萎縮して止めましたなんて言えない。

 

「パパに愛想が尽きたのかな? それともママを殺した怪物が怖かったのかな?」

 

「へ……」

 

 心臓が大きく跳ね上がる。なんでヨルのことを? いや、そもそも何者なのだろう。それに今の言葉、まるで母が殺されたことを知っているかのような口振りではないか。まるでずっと近くで見ていたような……

 

「良かったら、ハンスおじさんが悩みを聞いてあげようじゃあないか……なあに、心配はいらないさ……おじさんは、パパの友達だからね……」

 

 

 ◆◆◆

 

 夜闇は濃く、冬の空気が耳や鼻の粘膜を鋭く刺します。コート姿で探しに出て正解でしたね。

 

「よっ、ほっ、よいしょっ」

 

「うわ、うわっ、わっ……!」

 

 屋根から屋根に、ミハエルさんを背負ったまま飛び、着地し、また跳躍する。それを何度も繰り返します。そのたびに彼は情けない悲鳴をあげていました。

 

 風が顔に叩きつけられて痛かったですが、それよりも背中に伝わる鼓動の方がよっぽど痛くて。

 ……大丈夫ですよ、きっと見つかりますから。

 

「ティーナ、ティ、ティーナッ!」

 

「くんくん……うーん、こっちですね」

 

 匂いをたどって走っていきます。しばらく進むと、だんだん人の数が減ってきました。街灯も少なくなり、いわゆるスラムと呼ばれる区域に入ったようです。戦災孤児とか犯罪者の類が多いのですが……。

 

「ティーナがこんな、治安の悪い所に……!」

 

「私とユーリも、一時期住んでいましたよ」

 

「え、す、すまない。そういうつもりじゃ……」

 

「いえ、別に。悪いのは貧乏ですから」

 

 今はむしろ懐かしいです。あれから何年も経っていますし、今はもう少しマシになっているといいんですが。

 背中のミハエルさんが、猫のように体を縮めました。

 

「ヨルくん……ヨル」

 

「はい?」

 

「君たち兄弟も、あの戦争で失ったんだね」

 

 ああ。そう言えば、話したことありませんでしたっけ。目の前のことを片付けるのに夢中で、すっかり忘れてました。

 

「もしかして、それで殺し屋に?」

 

「ええ、まあ」

 

「ごめんね、聞こうとも思わなくて」

 

「気にしなくてもいいですよ。よくある話ですしね」

 

 戦争で親がいなくなって、孤児院はどこも満杯で、何が何でもユーリを守ろうと思って、殺しをやって、〈ガーデン〉のスカウトを受けて……。

 足を止めて、ことさら明るい声を作って言いました。

 

「過去なんか、気にしないで? 私があなたと考えたいのは、もう未来の話だけですから」

 

「そう……だね」

 

 背負われたままの姿勢で、彼が微笑む気配がしました。なんだかこそばゆい気持ちになってしまいます。

 

「うん……僕も、もっと強くならなきゃね」

 

「これからを決めていきましょう。ふたりで」

 

「うん、ふたりで」

 

 それからは二人とも無言で走り続けました。

 やがて、匂いのもとと思われる場所が見えてきます。無事だといいんですが……いえ、望み薄、みたいですね。

 

「血の匂いがしますっ」

 

「血っ!?」

 

 鼻孔に流れ込んできたのはマルティナさんの濃い匂い。それから血と、肺が腐り落ちそうな悪臭。

 

「降りますっ、舌を噛まないでくださいねっ」

 

「ちょっ待っ……」

 

 そのまま石畳の上に飛び降りました。いちおう衝撃を殺して着地したので、痛くはなかったはずです。

 

「うう……ひどい臭いだ……」

 

「ええ、いったい何が……」

 

 背中から降りたミハエルさんが、目を皿のようにしてマルティナさんの姿を探し始めました。私もマルティナさんと声を上げようとした、その瞬間でした。

 

「────っ!?!?」

 

 背筋につららを突っ込まれたような、強烈な悪寒を感じたのです。

 暗闇を稲妻のように駆ける、濃密な殺意。向かう先は間違いなく私……いえ、私だけではなく、前方にいるミハエルさんも! 

 

「ミハエルさん!」

 

「えっ!?」

 

 とっさに彼を抱きしめ、振り返りながら腕を突き上げます。重い衝撃が走りました。

 

「ぐっ……!?」

 

 咄嗟に受け止めたその杖から、まるで岩石でも落ちてきたかのような重量感を感じます。腕に抱いたミハエルさんの重みがなかったら、きっと踏ん張れていなかったでしょう。

 

「ほう……やるな、女……っ」

 

 コートを身に着けた大男。フードの奥の目が、私を見据えています。男の口元がニヤリと歪んで、頬の古傷も一緒に吊り上がりました。そこには紛れもない悪意、人を殺すことに躊躇いがない獣じみた残虐性があったのです。

 

「く、くうう……! うりゃああっ!!」

 

「ふ……」

 

 渾身の力で杖をひねると、相手がバランスを崩しました。ミハエルさんを突き飛ばしながら、渾身のヒザ蹴りを叩き込みます。ドガッという手応え。異様な柔らかさ。耐衝撃スーツ!? 

 

「だとしても!」

 

「うおっ!」

 

 コートをつかみ、力ずくで振り回せば、遠心力で男の身体が宙に浮き上がりました。さらに振り回して地面へと叩きつける──!! 

 

「……くはっ!」

 

 ダメ、ガードされている! 打撃は効果が薄い! 

 

「ならっ!」

 

 引き起こし、後ろを取ります。護身用の短剣を抜き放ち──

 

「動かないで下さい! いくら重装備でも、喉を掻き切られればっ」

 

 背後から、喉元に刃を突きつけました。相手の動きが止まります。

 

「やれやれ、まさかこうもあっさり背後を取られるたあ。今どきは女もなかなか侮れないねえ」

 

「黙ってっ……」

 

 詰めていた息を吐き出して、私はミハエルさんの無事を確認しました。街灯に照らされた彼の顔は、真っ青になっています。

 

「大丈夫ですか? ミハエルさん」

 

「ハンスっ!?」

 

「え?」

 

 いえ、それどころではありませんでした。怯えた魚のように目と口をぱくぱくさせて、彼は震えていたのです。

 まるで幽霊でも見たかのように。

 

「よう、ミハエル。相変わらず辛気臭ぇツラしてん、なっ!!」

 

 反転、肘打ち。短剣が手を離れて宙を舞い、同時に私の右腕が絡め取られます。

 

「ぢっ!」

 私の左肘。ガードされる。

「やる!」

 相手の手刀。廻し受け。

「はぁっ!」

 こちらの左フック。バックステップ。

「おおっ!」

 男の右ストレート。引きつけてかわす。

「はあっ!」「くっ!」

 渾身のハイキック。スウェーで回避される。

 足先がフードをすぱりと切り裂く。

「ははっ!」「あぶなっ!」

 膝裏へのローキック。後ろに跳んで避ける。

 ごろごろと転がり、ミハエルさんの側へ。

 

「……上手いッ!! それに速いッ!!」

 

「こっちのセリフだ。まさか今のを避けるとはねぇ」

 

 フードを外すと、中から現れたのは40代くらいの、壮年の男性でした。無精髭を生やし、目つきの悪い顔をしています。頰には大きな傷跡があり、歴戦の勇士であることを窺わせました。

 

「ハンスっ、ハンスっ、生きて、生きていたのかいっ!?」

 

「はは、そうとも。十五年ぶりだなぁ、オイ」

 

 しかし、なによりも特徴的なのは皮膚の色です。顔全体が石像のような灰色で、まるで生気がありません。どこか、死体のように。

 

 その顔に冷ややかな、意地の悪い笑みが浮かびます。視線が私の体を這い、まるで値踏みするみたいにじろじろと見てくるのです。

 

「い~い女じゃねえか。コートを着ててもわかるぜ、乳も尻もデカくて最高だ。そそられるなぁ」

 

「……ハ、ハンス? 何を言っているんだ……?」

 

「とぼけんなや。アソコの具合はどうだった? 女房より良かったろ?」

 

「なっ」

「──────」

 

 一瞬の間をおいて理解しました。この男は、私とミハエルさん、そして彼の家庭に何があったのかを知っている。どうやって? なぜ? いつどこで知ったのだろう? 

 

 まさか、奥様が殺されたスキー場で? 

 

「う……エリーとは、復員してから一度もっ」

 

「はっは、真面目に答えんなや。マルティナちゃんが聞いたら悲しむぜ?」

 

 その言葉に、ミハエルさんは息を呑みます。

 

「なんで君がマルティナの事を……!」

 

「ずっと見てたからさ、ミハエル。お前が十五年、家族とどんな暮らしをしてたか」

 

 区切り区切り言うたびに、男は口の端を吊り上げていきます。灰色の肌がますます死者めいた雰囲気を増していき、見ているだけで背筋が寒くなりました。

 

「お前は立派だったよなあ。俺との約束を守って、家族を大事にして、邪険にされてもよ、男らしかったよなあ……」

 

 右足を上げ、石畳を砕く勢いで踏みつける。まるで地の底から響くような音に、私たちはビクッと肩を震わせました。

 

「なのになあ、その女はなんだよ、そのエロい身体したアバズレはよお!!!」

 

 叫びながら石畳を蹴りつけます。それだけで砕けた破片が飛び散り、周囲の壁にビシビシと突き刺さりました。明らかに常人の域を超えた脚力です。

 

「ハンス、よくもそんな、こと……そんなこと!!」

 

「そんなこと!? 男の矜持より若い女が大事か! 俺との約束よりそいつとオマンコするのが大事かァ!? あぁっ!? 言ってみろよこのクソ野郎!!」

 

 怒鳴り声に気圧されて、ミハエルさんが怯みました。それでも必死に反論しようとします。

 

「違う、僕はっ……」

 

「違わねえよ!!」

 

 男が地団駄を踏むたび、地面に亀裂が走りました。私たちとの距離を詰めながら、なおも声を荒げます。私はミハエルさんを抱えるようにして後退せざるをえません。

 

「おい、なんだ?」

「あっちか!?」

 

 いけない、人が集まってくる。このままじゃ、人的被害が出ます……! 

 

「……だからよお、構わねえだろ? お前の家族、俺が活用してやっからよぉ」

 

「活用、だって……?」

 

「そうだとも」

 

 ニタリと笑って、ハンスと呼ばれた男が言いました。彼の視線が私に向けられます。背筋にぞくりとしたものが走りました。恐怖のようでもあり、興奮のようでもあり、ともかく嫌な感覚でした。

 

「お前のガキは預かった。返してほしけりゃ、お前ら二人が出会った場所まで来な。そこできれ~いな花火を見せてやるよ」

 

「待っ……!!」

 

「ミハエルさんダメ!」

 

 跳躍し、飛び去ろうとするハンスにミハエルさんが追いすがろうとします。ですが私が腕をつかんで止めました。足元に転がってきたのが、閃光弾だと気づいたからです。

 

 爆発音が轟きました。爆風が私の髪をなぶり、視界が白く染まります。

 煙が晴れると、そこにもう男の姿はありませんでした。

 

「ハンスゥゥウゥゥッッ……!!!」

 

 バーリントに戻ったユーリが、ハンスこそ奥様殺しの真犯人であると突き止めたのは、二日後のことです。

 そして、ハンスがマルティナさんを人質に取り、バーリント市役所を占拠する事件が起こるのも──。

 

 

 ◆◆◆

 

 私はカミラ。バーリント市役所に勤務する、金髪ウェーブヘアのモテカワお姉さんよ。

 

 でもって今は、職場を占拠したテロリストにナイフ突きつけられてオシッコ漏らしそうな状態ってわけ。どいつもこいつもオフィスから逃げ出して、残されたのは私に犯人、それとパジャマ姿の女の子一人。

 

 それから、規則正しくカチッカチッてカウントダウンを続ける爆弾ね。これが全部爆発したら市役所がまるごと吹き飛ぶんですって。タイマーは三時間に設定されてるわ。

 

 あっはっは……ヤバくない? 

 

 私とパジャマの子……ええと、マルティナちゃんの余命はあと三時間。その間に政府がハンスの要求を飲まなければ、私たちの人生はジ・エンド! ああ、窓から差し込む朝日が天国からの迎えに見えるわあ……。

 

「ふええぇぇ……誰か助けてぇ……」

 

「ははは、不運だったなあ。便所行ってる間にみんな逃げちまってよお」

 

 情けない声を出す私に、石像みたいな灰色の顔をニヤリと歪めて、犯人のおっさんがエラッそうに言うのよ。なによ、でっかい頬傷なんてこさえちゃって、今どきワイルド退役兵ルックとか時代遅れなのよ! 

 

「安心しな。この爆弾のサイズなら一瞬で逝けるぜ、なんにも苦しくねえ」

 

「それのどこが安心できるっていうのよー!?」

 

 あいたっ! 腹蹴られたわ! 乙女……じゃないけど、暴力振るうとかサイテー! 

 

「ひぃぃ……ちなみに、どんな要求なのかしらっ?」

 

「簡単なことだぜ。現政府の解体。ウェスタリスとの休戦破棄。それから──」

 

「呑むわけないでしょ!? あんた自殺志願者なの──うひっ!」

 

 首筋を冷たい感触が撫でていく。ああやばい死んじゃう! こんな時代錯誤なキモオヤジのせいで死ぬとかマジ勘弁なんですけど!! 

 

「てか、くっさ! アンタ風呂入ってる? せめて一週間に一回はシャワー浴びなさい! 不潔だわ!」

 

「はは、そりゃ悪かった。薬を打つとどうしても血が臭うんでね」

 

「は、はあ……」

 

 ヤバい、けっこうイケボだわ。この人に殺されるならそれはそれで悪くないかも……じゃなくて! 

 

「アンタ、どう見てもまともな人間じゃなさそうね」

 

「違えねえ。俺はまともじゃねえ。だが狂ってもねえ」

 

「……どういう意味?」

 

「はは、知りたいか?」

 

「べ、別に興味ないけど、話したいなら聞いてあげてもいいわよ?」

 

 ちょっとでも長話させて、警察が突入するまでの時間を稼ぐための演技ですぅ。我ながら名女優っぷりが泣けてくるわね。

 

「じゃあ話してやるよ。俺の過去を、全部、余すことなく、洗いざらいなぁ」

 

「あ、いや、やっぱいいです。そういうの、なんか怖いし、あっそうだ、朝のコーヒーでもいかが? 給湯室で淹れてくるわよっ」

 

「ははは、おいおい、そう遠慮すんなや。俺も誰かに知ってほしいんだよ」

 

 そう言って、男の手が私の首に……うっそでしょマジ? 私いま首絞められてるの? あ、息できない苦しいこれほんとに死ぬ奴じゃん待ってまってお願いやめt………………

 

「ひ、ひっ、ひいっ……!」

 

「安心しな、これくらいで死んだりはしねえよ。そうだな、あれは俺が戦友の命を救って大怪我して、後方に送られた時のことだ──」

 

 やっば、やっば、視界が度の合わないメガネをかけたみたいにぼやけてる。息ができない。喉から笛みたいな音が出る。

 

「──そんで、プロジェクト・アップルって言う、超人兵士を作る計画があってな?」

 

 

 ◆◆◆

 

「プロジェクト・アップルと呼ばれた有機生命体兵器(Bio Organic Weapon)の開発計画。旧政権下で行われた非人道的な実験は、国家機密として闇に葬られました」

 

 オスタニア某所の緑豊かな豪邸。闇の組織〈ガーデン〉の本拠地です。

 その庭園で、私は〈店長〉からハンスの話を聞いていました。店長は相変わらず植木の剪定をしながら、天気の話をするように淡々と語ります。

 

「ハンスは、その計画の被験者でした。特殊な血清を投与され、後天的に超人の力を得たのです」

 

「だがプロジェクト・アップルは失敗に終わった、と聞いております」

 

 同席していた部長が割り込んできました。黒縁のメガネをギラリと光らせて、一歩進み出ます。

 

「その通りです。プロジェクトに成功例はなく、ハンスも精神の平衡を欠いた欠陥兵器でした」

 

 ぱちん、ぱちん、と小気味よい音を立てて枝が切り落とされていきます。

 

「そして故郷の壊滅、親族の全滅を皮切りに、彼は兵士でもなくなった。東西両国の政府を恨み、平和を憎み、テロに走るようになったのです」

 

 ぽとんと地面に落ちたのは、花の蕾がついた枝でした。花弁はまだ開いていません。店長はそれを拾い上げると、ゴミ箱に放り込みました。

 

「結局、ウェスタリスの〈黄昏〉という凄腕スパイによって殺害されたはずでしたが」

 

「生きていて、そして今度はオスタニアでのテロを始めた……」

 

 振り返った部長が、じろりと私を睨みました。眼差しは氷のように冷たく、それでいて燃え盛る炎のような激情も感じます。

 

「失態だったな、ヨル・ブライア」

 

「はい……」

 

 部長の叱責に、思わず肩を縮めてしまいます。

 

「分かっているのか? 市役所はしょせん隠れミノだ。あろうことか、上司と不倫関係になるなど……」

 

「申し訳ございません……」

 

 私は深々と頭を下げました。ハンスが市役所を占拠した時、ミハエルさんとの関係を打ち明けざるを得なかったのです。

 

「しかも、その事がハンスの凶行を招いた。君と関係を持ったゲルゲスへの怒りから彼の妻を殺害し、娘を誘拐した。あまつさえ君が取り逃したせいで、白昼堂々、おおっぴらに市役所を占拠する始末だ!!」

 

「申し訳ありません!!」

 

 さらに深く頭を下げます。ミハエルさんとの歪な関係が生み出した不幸、巻き込まれた関係ない人たちへの申し訳無さ。それより何より、〈ガーデン〉が彼を口封じのために殺害しやしないか、その不安が私を苛むのです。

 

「……まあ、いいではありませんか」

 

 ややあって、店長が口を開きました。声には慈しみのような気配がありますが、それが逆に恐ろしいです。

 

「師として、色恋の手ほどきをしなかった私の落ち度でもありますからね」

 

「それでは規律が緩みます!」

 

 即座に反論した部長にも、店長は動じません。穏やかなバリトンボイスがかえって不気味でした。

 

「分かっていますね、いばら姫? なんとしてもハンスを始末しなさい」

 

「はい、もちろんです」

 

 自分の目つきが、どんどん険しくなっていくのが分かります。〈いばら姫〉として殺しを請け負う時にだけ現れる顔です。

 

「そして、全ての目撃者を抹殺するのです。ミハエル・ゲルゲスも、マルティナ・ゲルゲスも」

 

「いいえ、それはできません」

 

 でも次の瞬間には、私はヨル・ブライアの顔へと戻っていました。

 

「ブライア!」

 

「……なぜですか?」

 

「あの人達は、ヨル・ブライアの家族(ファミリー)になるからです」

 

 胸を張って、私は宣言しました。

 

「スカウトされた時にお伝えしたはずです。〈いばら姫〉は私の家族を守る為の殺し屋だと」

 

 私が殺し屋になるのは、家族を守るためだと、そう伝えました。それは今でも変わらぬ〈いばら姫〉の起源です。

 

「だから、あの人達を手にかけるのはご容赦ください。たとえ刺客を差し向けられても、これだけは譲れません」

 

「ふむ……」

 

 思案げに目を細める店長。私の心臓はもうバクバクです。胃がいくつあっても足りないほどの圧迫感に、わあっと叫びだしたくなるのを必死にこらえます。

 果たして、店長の口から出たのは──。

 

「分かりました。あなたの意志を尊重しましょう」

 

 あっさりとした承諾でした。まるで最初からそうするつもりであったかのように。拍子抜けしてしまって、ついぽかんと口が開きそうになります。

 

「店長、それでは規律が……」

 

「構いませんよ。これが〈いばら姫〉を最も有効に使う方法。世界を美しく保つために、彼女は必要なのです」

 

 部長の苦言も、ぴしゃりと跳ね除けてしまいました。どうやら本気みたいです。

 

「期待していますよ、いばら姫。新たな家族が、あなたを強くしてくれる事を祈っています」

 

「はいっ」

 

 待っていてくださいね、ミハエルさん。マルティナさんを、きっと二人で助け出しましょう。

 

(続く)



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Dパート

 ハンスが市役所を占拠して、二時間後。爆破が予告された刻限まで、あと一時間。

 

 当然政府が要求を呑むわけもなく、市役所はぐるりとバリケードに囲まれて完全に孤立しています。爆弾が爆発しても周辺への影響を抑えるためですが、人質救出は半ば放棄されていると言っても過言ではありません。

 

 そんな緊迫した状況の中、私とミハエルさんはユーリと対面していました。仮設対策本部のテントの中です。机を挟んで相対するのは、私たち三人だけでした。

 

「ミハエル・ゲルゲス課長、奴はお前を交渉人に指名している。平和のために死んでこい」

 

「ユーリ、なんて口の利き方なの! まずは謝りなさい、えん罪で拷問までしておいて!」

 

「も、もういいよヨル、ユーリ君を許してあげて」

 

「ヨル!? 呼び捨て!? しかも寛大なところを見せて!? 姉さんにいい顔しようってのか!? このキモデブハゲオヤジがッ!」

 

「ユーリ!」

 

 こんな事している場合ではないのですが、どうにも我慢がなりません。一方的に暴力を振るっておいて、謝罪もせず上から目線の態度。姉として許せるものではありません。

 

「謝罪ができないなら、姉弟の仲もこれまでです! 今後二度と私に関わらないで!」

 

「なっ、そ、んな、姉さん! いやだ!」

 

「嫌なら謝りなさい! 悪いことをして、謝ることもできないような子に育てた覚えはありませんよ!」

 

「……ち、チクショウ……」

 

 うなだれるユーリを見て少し胸が痛みますが、ここは心を鬼にしなければいけません。立派になったと思っていましたが、まだ姉の出番は必要そうです。

 

「ごめんなさいは?」

 

「っ……ごめん……なさい……」

 

 蚊の鳴くような声でしたが、確かに言いました。

 

「私に言ってどうするの? あなたが傷つけた人に謝るの。ユーリはかしこい子でしょう?」

 

「わ、わかった……」

 

 素直になった弟が、ミハエルさんに向かって頭を下げます。……全身をわなわな振るわせているのは頂けないですが、まあ良しとしましょう。

 

「…………も、も、も、もっ」

 

「も?」

 

「申し訳なかったです!! すいませんでしたァっ!!」

 

「あ、うん」

 

 見事なジャンピング土下座を決めてくれました。うんうん、よくできました。

 

「ち……ちくしょぉぉおおおぉぉぉっ! 姉さんを横取りした豚野郎に頭下げるなんてぇっ……!」

 

「ぶ、豚……」

 

「え、えへへ……♡」

 

 二人で顔を見合わせます。これはちょっと、怒るに怒れないというか。

 

「僕に分からない話題で通じ合うなぁぁあっ! くそっ、くそっ……そ、それでだけど、ミハエル・ゲルゲスは正門から……」

 

「ユーリ」

 

「ゲ、ゲルゲスさんは正門から庁舎に入り、三階にある自分のオフィスに向かってくれ。ハンスはそこを交渉の場に指定してる」

 

「ありがとう、ユーリ君」

 

「狙撃班の準備はしてあるから、なんとかして窓際に誘導しろ。奴が見え次第、奥さんの仇を討って娘さんを助けてやるさ」

 

 ミハエルさんの目が見開かれました。温和な顔を当惑したように曇らせ、口をぱくぱくさせています。

 

「なんだ」

 

「た、助けてやれないかな……ハンスのこと……」

 

「はあ? あんた自分が何言ってるか分かってるのか? やつはテロリストだぞ。庇えば、あんたもスパイ疑惑がかかる」

 

 呆れたようなユーリの返答に、ミハエルさんが肩を落とします。

 

「わかってる、でも、ハンスは命の恩人なんだ。僕が娘を育てられたのも、お姉さんに出会えたのも、ハンスのおかげなんだよ」

 

「それが情状酌量の理由になるとでも? 国家を甘く見るな」

 

「でも、僕は……」

 

「でもじゃない。今のあんたはテロに巻き込まれた被害者で、これからは人質解放交渉に挑む英雄と報道される。妙な恩返しを考えて、姉さんに迷惑を及ぼさないでくれ」

 

 辛辣な弟の言葉に私は思わず顔をしかめましたが、ミハエルさんは悲しげに目を伏せるばかりです。

 

「ああそうさ、僕はあんたが嫌いだよ。いっそ死んでほしいと思ってる。だからって、姉さんに害が及ぶような死に方は認めないからな」

 

「でも、ハンスは……」

 

「ハンスがどうした。あいつはただの戦友だろ? 姉さんの家族は、僕たちだけだ」

 

「え……」

 

 僕…………たち? 

 ユーリは背を向けてテントを出て行こうとしますが、ぎりぎりで立ち止まると振り返りました。

 

「ゲルゲスさん。あんたの頼みを聞く気はないが、その欲深さだけは買ってやる」

 

 欲深さ……まあ……。

 

「あ、ありが」

 

「だけどな」

 

 遮るように、吐き捨てました。

 

「もし次に姉さんを泣かせたら殺すぞ。国家反逆罪で投獄して処刑してやる」

 

 それだけ言い残すと、今度こそ出て行ってしまいました。残された私たちは、しばらく無言で見つめ合います。

 

「……み、認めてもらえたのかな?」

 

「ユーリはいい子なんです。これからもっと仲良くなれますよ」

 

 私はミハエルさんをぎゅっと抱きしめました。彼の胸の中に渦巻く不安を拭い去るように、強く、強く。

 

「ヨル……?」

 

「きっと大丈夫です。ふたりでマルティナさんを取り戻しましょう」

 

 もちろん私もこっそり市役所に入り込むのです。暗殺者〈いばら姫〉として、彼の家族として。

 

「うん、ありがとう。ティーナもいい子なんだ。これから仲良くしてあげてね」

 

「はい!」

 

 

 ◆◆◆

 

 ──とは言ったものの。お父さんに抱き着いて唇を押し付けているマルティナさんを見ていると、後ろから刺してしまいたくなりますね。

 

「む、むぐ……」

 

「ぷはっ、パパ、パパッ、ティーナが一番でしょっ、ティーナが世界で一番だよねっ、ねえ、ねえってば、ちゅぅっ」

 

「んっ、んむー!」

 

 だってマウス・トゥ・マウスですよ? 分かりますよ、命の危機でファザコンをこじらせて、お父さんに捨てられるかもと必死ですがりついてるんでしょう。だからって、そんな勢いでしなくてもいいじゃないですか。

 

「よそ見とは余裕だな女ァ!」

 

「ひゃぁっ!?」

 

 ついそちらに奪われていた注意力が、一気にハンスの方に向き直りました。太い杖が私を捕らえんと迫ってくるのを、

 

「うっ……!?」

 

 咄嵯に身をひねって避けることしかできませんでした。一瞬遅れて、鋭い突風が頬をかすめていきます。超人兵士の一撃は重く鋭く速く、かわしたのに〈いばら姫〉のドレスが千切れて肌が露出しました。

 

 私は地面に転がるようにして間合いから逃れますが、ハンスの猛攻は止まりません。邪魔なスチール机を粉砕しながら猛牛のように突き進んできます。あの杖なにで出来てるんですか!? 

 

「ぎゃーっ! 助けてヨルせんぱぁぁぁい!」

 

 悲鳴をあげるのは、ここに囚われていたカミラさん。手足を椅子に縛り付けられ、恐怖に引きつった顔で身をよじっています。うう、今は助けられません…………! 

 

「おおぉりゃあァッ!!」

 

 咄嵯にしゃがみ込んで振り下ろしの一閃を回避します。反撃のために繰り出した足が、

 

「うごっ」

 

 狙い通りにハンスの顎を跳ね上げます。そのまま喉元を破らんと繰り出した短剣が、

 

「がぎゃっ!」

 

 頬を貫通したというのに、ハンスはものともせずに私を払いのけようとしました。慌てて後ろに飛び退ります。

 

「ふひ、ヒヒッ、いいぞぉ、いい動きだ」

 

「……」

 

 気持ち悪い笑い声を上げながら短剣を抜き、折れた歯を吐き出しています。

 

「どこの組織か知らないが、乳尻だけが取り柄の有象無象とは違ぇなぁ、ええ?」

 

「下品な人ですね」

 

 私の返事にまた笑い声を漏らして、ぺっと血を吐き飛ばしました。

 

「ま、お育ちが悪いもんでね」

 

「それに、品性もない」

 

「ヒ、ひひひひひひっ! 言うねぇ、タフな女は嫌いじゃねえぜ。だがなぁ、あんまりナメてくれるなよ。俺はこれでも元軍人、しかも超人兵士だ。てめえみてえな小娘一匹にやられるわけねえだろ!」

 

 再び突進してくるハンス。対する私は、

 

「よっ、ほっ、はッ!」

 

 大振りの攻撃を見切り、軽い身のこなしでかわし続けます。ですが、

 

「うおおおぉぉぉぉっ!!」

 

「ふっ、くっ、あ痛っ!?」

 

 重い! 速い! そして痛い! 鉄をも砕く杖は、かすめるだけで骨まで響くようです! なんて馬鹿力……! 

 

「よくも痛いですむもんだ、化けもんがぁ!」

 

「あなたに言われたくありません!」

 

 追撃を間一髪のバックステップで回避。しかしすぐに距離を詰められ、無慈悲な追撃が迫ります。

 右、左、右、左。ハンスの攻撃には隙がなく、全てに必殺の意志があります。攻撃速度も精度もパワーも、超人兵士の名に恥じないものでした。

 

 おまけに耐久力も桁違いに高く、一発殴った程度ではとても止まりません。ダメージによる鈍化が期待できないのです。

 

 紙一重で凌ぎながら後退を続けますが、とうとう壁に追い詰められてしまいました。左右への逃げ場はなく、前後に動くにはあまりに距離が近すぎます。

 

「ふーっ、ふーっ、ハ ハ ハ、やるな女…………! ここまで手こずったのは〈黄昏〉以来だ……!」

 

「そ、それはどうもありがとうございます……」

 

 黄昏と言えば伝説のスパイですよね? 比べられて悪い気はしませんが……! 

 

「せんぱい、もっと頑張ってよぉぉぉ! なんでか知らないけど強いんでしょ!? 爆弾のタイマー、あと十分切ってるよぉぉぉ!!」

 

 カミラさんが半泣きで叫びました。見れませんけど、カチッカチッというタイマーの音は確かにずっと聞こえ続けています。

 

「見ろよアバズレ、あっちの方はもうグチャグチャだぜ」

 

「え? ……あー」

 

 ハンスの言葉に釣られて視線を向けると、キスを続けるマルティナさんがパジャマの前を開いて、ノーブラの可愛いおっぱいをミハエルさんの胸板に押し付けている所でした。

 

「あんな女いやっ、んむーっ、ティーナがお嫁さんになるからっ、んーっ、んんんーっ、ママの代わりになるからっ、ちゅうううっ」

 

「っぷはぁっ、ま、待ってティーナ、落ち着いて」

 

「なんで!? どうして他の女に優しくするの!? やだ、そんなのやだ、お願い、捨てないで、ずっとそばにいて、どこにも行かないで、好きなの、大好きなの、パパの全部が好きなの、愛してるの、だから、だから、だからぁ……」

 

 うわぁぁぁあん、と子供丸出しで泣きじゃくるマルティナさん。しかも顔が、若い時の奥様とそっくりらしいんですよね……私の中で、黒い炎がメラメラと燃え盛ります。

 

「ハ ハ ハ! お前のせいだぜ女、お前がミハエルを惑わさなきゃ、あの家族が狂うことはなかった!」

 

「──はんっ」

 

「あ?」

 

 いけない、思わず鼻で笑ってしまいました。だって、あまりにも可笑しいことを仰いますから。ハンスは苛立たしげに、

 

「おい女、今笑ったか?」

 

「いいえ、気のせいですよ。そんなことより、早くかかってきて下さい。私、退屈してきました」

 

「人の家族をぶち壊しておいて……このアバズレがッ!!」

 

 自分を棚に上げて怒りに燃えるハンス。その表情を正面から見据えて、私は獰猛な笑みを浮かべます。歯をむき出しにして、獣が唸るように。

 

「ハンスさん、一ついいことを教えてあげます」

 

「あぁ?」

 

「家族って、愛です。奥様はあの人を愛してなかった。私は愛してる」

 

 右手の短剣をくるくる回しながら、左手で胸をぎゅっと押さえます。ミハエルさんが大好きな、まるくて大きな膨らみ。そしていつか、あの人の子供に乳を与えるであろう、母性の象徴。

 

「そしてミハエルさんは、私とマルティナさんを愛してる。ほら」

 

 短剣で指したミハエルさんは、いたいたしい泣き声をあげる娘の頭をそっと撫でながら、慈しみに満ちた目で見つめています。

 

「う、うう……大丈夫、パパはずっとティーナのそばにいるよ。だから泣かないで。よしよし、いい子だね、可愛い子だね、大好きだよ」

 

「ひっく……本当……? 本当に、ティーナがいちばん? ティーナのこと、嫌いになってない……?」

 

「もちろんさ。何があっても変わらないよ」

 

 その眼差しは、間違いなく親が子に向ける愛情に満ちていました。そこには一片の欺瞞も虚飾もなく、ただただ無償の愛だけがありました。

 

「…………」

 

「いい光景ですよね。私も戦災孤児なので、ああいうのを見ると少し羨ましくなります」

 

「…………戦場も知らん小娘が、下らねえこと言いやがって」

 

「私、二十七です。どっちかと言えば行き遅れの部類ですよ」

 

「それがどうしたよ」

 

「あなたも、いい年をしたオヤジになってるという話です。もう止めましょう?」

 

 両手を上げて降伏の意を示しました。ミハエルさんも、すがるような声で戦友に呼びかけます。

 

「ハンス頼む、爆弾を止めてくれ! 君が祖国を憎む気持ちは分かるけど、もう充分だろ!」

 

「黙れミハエル、今さら止められるかよ! この役所は首都の顔! 爆破すれば俺の勝ちだ! ヒヒヒッ、それで終わりだ! 狂った平和も、狂った戦後も、全部が台無しになる!」

 

 ハンスが吠えました。杖を握り直して臨戦態勢に入ります。まだやる気ですか。

 

「ハンス!」

 

「俺は正気さ! 狂ってるのは時代のほうだ!」

 

 ハンスはカミラさんを指さしました。わなわなと震えながら、

 

「お前だって分かってるだろうが! こいつらに蔑まれてただろうが! 誰も彼も、守ってやった男たちを蔑みやがる! 犠牲になった女子供を忘れてやがる!」

 

「っ……」

 

 ハンスの絶叫に、カミラさんが息を呑みました。ハンスはなおも叫びます。

 

「無かったことにして髪を染め、ピアスを付けて着飾り、映画館で戦争を見て馬鹿笑い! 暖かい部屋でチンポしゃぶって股を開く! 俺が戦って救った女どもがァ!!」

 

「それでも、僕らみたいな中年オヤジが足を引っ張るべきじゃないだろう!」

 

「うるせぇ! 男の風上にも置けねぇクソ野郎のくせに、口先だけは一人前か!?」

 

 ハンスの叫びは、まるで悲鳴のようでした。その手に握られたのは、爆弾の起爆装置です。

 

「へえ。ミハエルさんが死んでもいいんですか」

 

「かまやしねえ! そいつの命は俺が救ってやったもんだ!」

 

「それ、正気で言ってるんですか?」

 

「正気なんざとっくに消えたさ! ダチのために、超人兵士になった時からな!」

 

 ハンスがスイッチカバーを開きました。

 

「じゃあ、もう遠慮はいりませんね」

 

 私はあえてゆっくりと歩み寄ります。気負いない、自然な動きに努める。まるで、おはようございます、今日もいい天気ですね……と、隣人に挨拶するように。

 

 すとん、と、短剣がハンスの首筋を貫きました。

 

「あ」

 

 園長直伝の暗殺奥義──無より来たりて。

 ハンスが取り落とした起爆装置は、私の手に収まりました。そのまま握りつぶします。

 

「これで、おしまいですね」

 

「な、な……」

 

「死ぬ前に、あと一つだけ。人を見れば女アバズレ乳尻エロいって、正直キモイんですよ」

 

「うぐっ、ぐはっ、がっ、ごぼっ……」

 

「お命、頂戴してもよろしいでしょうか」

 

 跳躍し、空中で体をひねって首をへし折ります。熊かと思うほど硬い骨でしたが、力ずくでねじ伏せました。ごきん、という感触が伝わり、ハンスが白目を剥いて倒れ伏します。

 

「はぁ、はぁ、ふうっ、はあ……」

 

 崩れ落ちたハンスの体を見下ろして、私は何度も息をつきました。ああ、良かった。なんとかなりました……!

 

「うひーっ…………」

 

 乾いたうめき声をあげて、カミラさんが失神したようです。なんて言うか、血なまぐさくて申し訳ないことをしましたね。後で謝っておかないと……というか、どうやって正体を誤魔化しましょうか。

 

「ヨル、ありがとう……」

 

 振り向くと、ミハエルさんと目が合いました。彼は悲しげに首を振ります。

 

「ごめんなさい、殺すしかありませんでした」

 

「いいんだ。あのまま罪を重ねるよりは、よっぽど良い」

 

 そう言って彼はマルティナさんに向き直りました。そして、優しい笑顔で語りかけます。

 

「もう大丈夫だよ、ティーナ」

 

「パパ……! ごめんね、ごめんねぇ……!」

 

「パパこそ、ティーナの気持ちを考えてあげられなくてごめんよ」

 

 抱き合う二人を、私はどこか遠くに見ていました。家族は強いなあ、と素直に感心してしまいます。

 

(終わりましたね)

 

 爆発まであと五分、ギリギリセーフと言ったところでしょう。後は爆弾処理班の手に委ねるだけ。

 ──そう思った時、

 

「ヒヒっ」

 

「…………は?」

 

「残念だったな女!」

 

 ハンスが起き上がりました。首の骨を折ったはずなのに、頭を九十度横に傾けたまま、平然と立ち上がったのです。その異様な光景に、一瞬私の思考が停止しました。怪人は血泡を吹きながら、

 

「ぐふっ、ぶふっ……! 心臓と脳さえ残ってりゃあよぉ……俺は死なねえんだよォ……!」

 

 そう絶叫して、口から真っ赤な液体を噴き出しました。噴水のように飛び出るそれを、しかし私は呆然と眺めることしかできません。

 え? え? 何ですかアレ? 超人を作る血清って、一体ナニから作ったんですか!? 

 

「ふーっ、ふーっ、ひ、ひぃーっ、痛ぇ、痛えよおぉ! だが、おかげで目が覚めた! ミハエル! 一緒に死のうや!!」

 

 首が折れているにも関わらず、力強く大地を踏みしめています。コートを捨て、耐衝撃スーツも脱いでしまうと、石像めいた灰色の胸板には無数の亀裂が入っていました。中から覗く肉色の組織はどくんどくんと脈打っているように見えます。まさか心臓が露出しているんでしょうか。

 

 私は思わず後退りしていました。あんな人間、見た事がありません。もはやヒトの形をした別の生き物です。

 

「間違いだった! 生きてた事が間違いだった! 生き延びた事が間違ってた! 家族を守れなかった人生は終わって当然だったんだ!! ミハエル、お前もだ!!」

 

「ハンス!」

 

「心配すんな! 娘も一緒に殺してやらぁ!!」

 

「おじさん!?」

 

 驚きの声をあげるマルティナさん目掛けて、怪人が飛びかかります。何も考える時間がない。彼女に飛びついて、殴打を背中で受け止めることしかできませんでした。

 

「がッ!? ぐうぅっ、ぎ、いぃッ、あっ、ああっ……!!」

 

 背中に凄まじい衝撃。肺の空気が押し出され、呼吸が止まります。マルティナさんを抱きかかえたまま床の上を転がり、壁に当たってようやく止まることができました。

 

「ゲホッ、ゴホ……ッ、ううっ、うう、うぁッ」

 

 背中から胸にかけて激痛が走り、視界がちかちかと明滅しています。痛い、熱い、苦しい。脂汗が止まらない。涙が滲んできます。

 そんな私を、マルティナさんが心配げに覗き込みました。彼女の体に傷はありません。どうやら守りきれたようです。

 

「おばさん……どうして!?」

 

「おばさんじゃないです……まだ二十七歳ですっ……」

 

「なんで私を庇ったの? 私が死ねばよかったんじゃないの?」

 

 なんで、と言われると。なんでなのでしょうね。口が無意識に動きました。

 

「愛って、戦いだと思うので…………」

 

「なによそれ、わけわかんない」

 

「あはは、そうですよね。私、変なことを言って……ごほッ」

 

 咳き込むと、口の中に鉄臭い味が広がりました。喉の奥から生温かいものがこみ上げてきて、たまらず吐き出します。それは真っ赤な色をした水溜まりになって床に広がりました。

 

「あは……私、貴方のお父さんを愛していて、お父さんがあなたを愛しているから、だから……私も、あなたを愛せるようになりたいんです」

 

 私は壁に手をつきながら立ち上がりました。視界が歪み、世界が二重になって見えます。でも、心は一つに定まっていました。

 

「……私、あなたのお母さんになれるように頑張ります」

 

「バカじゃないの」

 

 吐き捨てるように言われました。その目には怒りの色が。やはり、ダメですか。こんな体たらくでは、信じてもらうことすらできないのでしょうか。

 

「……あなたは本当にいい子なんですね。私、そんなあなたに酷いことをしてしまいました。本当に、ごめんなさい」

 

「何よ急に、やめてよ!」

 

 視界の隅で、怪人がミハエルさんの首を絞めているのが見えました。

 愛し方が違っていても、同じ人を愛する者同士ならわかり合える。わかり合いたい。わかり合おう。その戦いを始めるために、

 

「お父さんは、私に任せてください。あなたは逃げてっっ!!!」

 

「ヨルさん!!!」

 

 走り出す。

 ミハエルさんは必死に酸素を求めて喘ぎ、苦悶の表情を浮かべていました。まだ間に合う。間に合ってほしい。

 

「がっ、がふっ、ぶぶっ」

「あああ、あああああああぁ!!!」

 

 ヨル・ブライアは吠えました。喉の痛みなど気になりません。突っ込んでいくと、ハンスはミハエルさんを投げ捨てて拳を振り上げました。

 怪人のハンマーパンチ。両手を組み合わせての降り下ろし。よけ切れません。だから傷を追った猪のように、捨て身で突っ込みます。

 

「死ねえぇ!」

「死んで、たまるもんですかあぁぁっ!!」

 

 交差させた腕で、一撃を受けました。重い、そして硬い。左腕が砕ける音。体が潰れていく感触。

 

「ぐぐっ…………ぐおおぉっ!?」

 

 重い金属的な衝撃音が二度、めちゃくちゃになったオフィスに響きました。それは銃声。

 

「がっ、ぐえっ、ミハッ……?」

 

 よろめくハンス。訪れた好機。

 

「うううぅ──────うああぁぁぁっ!!」

 

 右の抜き手。人を殺してきた手を、ヒトを殺すためのカタチに変えて。狙うは敵の露出した心臓!

 

「がッ、ぐあああぁああぁっ!」

 

 ──貫いた。指先が分厚い筋膜をブチッと破り、大動脈を裂いた感触が確かにありました。

 それでもハンスは腕を振りかぶり、私の顔面を殴り付けようとします。

 

「ハンスゥゥゥゥゥウ!!!」

 

 激昂し叫ぶミハエルさんの手で弾倉が回転し、さらに二発の銃弾が怪人の顔面を撃ち抜きました。私はよろめくハンスの頭を掴み、渾身の力で膝蹴りを叩き込みます。

 ぐちゃり、という音と共に、鼻骨ごと頭蓋の中身がつぶれる感触がありました。

 

「かっ、がは、おごぉ……」

 

 今度こそ絶命したか、床に崩れ落ちる怪人。勝った。──そう思った瞬間、信じられないことが起こりました。

 

「ぶふぅーっ……ぶふぅぅーっ……!」

 

 ハンスが私の足を掴んでいるのです。脳も心臓も破壊されているはずなのに……! 

 

「ひっ……!」

 

 恐怖のあまり悲鳴を漏らした私を見て、怪人が勝ち誇ったように笑いました。

 

「ひーっ、ひひひひひひひ、死んでも、死んでも、俺は死なねえぞ……! お前らみんな、道連れにしてやる……!」

 

「……ハンス、お前」

 

「なんだよ、ミハエル……怖い顔するなよ……俺よりそいつを選ぶのかよぉ……! 戦友より、女の方が大事かぁ……男の友情より、エロい愛人かよぉ……!」

 

「ああ、そうだ」

 

 私の男が、震える体を後ろから抱きしめてくれました。その温もりが、私の心を溶かしていきます。

 

「あん…………♡」

 

 乳房や、腰を見せつけるように撫でられて、甘い声が抑えられません。

 

「いい女だろ、ハンス。胸も尻も大きくて、それでいて全身きゅっと締まってる。僕の女だ。このカラダも、ココロも、髪の毛一本に至るまで全部」

 

 そう言って、彼は私の首筋に口付けを落としました。甘い痺れが脳髄から全身に広がって、私は恍惚の溜め息をつきます。

 

「ミハッ、ミハッ、ミハエルゥゥッ! 殺してやるぅぅッ!! まずはお前を半殺しにしてェッ! 女をぐちゃぐちゃになるまで犯してお前を殺すッ!! ヒヒヒヒヒィッッ!! ヒヒッ! ヒヒヒヒヒィィッ!! ヒヒャハハハハァッ!! ハハハハハハハァァァッッッ!!!」

 

「僕はこの子と幸せになる。先に地獄で待っててくれ」

 

 離れていくミハエルさんの体温に後ろ髪を引かれながら、私はハンスの頭をむんずと掴みました。

 そしてそのまま力任せに床へと叩きつけます。何度も何度も何度も。

 

 ぐしゃり、と何かが割れる嫌な手応え。頭部が完全に破壊されたようです。ですが私の手はまだ止まりません。

 

 何度も何度も何度も何度も叩きつけて。やがて動かなくなったそれを見下ろしていると、血塗れの手をぎゅっと握りしめられました。

 

「お疲れさま、ヨル」

 

「はい……お疲れ様でした、ミハエルさん」

 

 私達は自然と顔を寄せ合い、唇を合わせました。

 バタバタという足音。遅ればせながら駆け付けた爆弾処理班でしょうか。

 口づけの恍惚に浸りながら、私は意識を手放しました。

 

 ◆◇◆◇◆

 

 ハンスの死から、一か月が経ちました。教会で荘厳な雰囲気に包まれた追悼ミサが行われています。祭壇には、美しい花々に囲まれたエリザベートさんの遺影が飾られており、神父様が祈りを捧げていました。

 

「祈りましょう、主の慈しみのうちに」

 

 静かなオルガンの音色に合わせて、讃美歌が流れ始めます。喪服姿の人々がひしめき、亡き人の冥福を祈っていました。

 

 その中に一人、マルティナさんが泣きながらミサに参加しています。彼女の涙は止まることなく、肩を震わせて悲しみに暮れているのです。そんな娘に寄り添い、ミハエルさんがそっと肩を抱いていました。

 

 ろうそくの炎が揺れ、その光が教会内に幻想的な雰囲気を作り出しています。誰もが厳かな空気の中、神の御前に跪き頭を垂れていました。

 

 私は…………形だけ、それらしい態度を取っています。殺し屋で、ミハエルさんの愛人ですから。

 

 ◆◆◆

 

 緑豊かな墓地には、整然と並ぶ墓石が静かな時間を刻んでいます。その内のいくつが私の殺めた人達なのでしょう。私が奪ってきた人生の数なのでしょうか。

 

 最近、よく考えます。私に普通の幸せを掴むことができるのかと。罪深い殺し屋が恋をして、結ばれて、幸せな家庭を築けるのだろうかと。きっと、難しいと思います。けれど……

 

「さよなら、ママ」

 

 墓前に花を供えたマルティナさんは、どこか寂しげに呟きました。

 

「私は今、とっても幸せだよ。どうか神様の下で安らかにお眠りください」

 

 車に戻ると、すぐにミハエルさんがエンジンをかけました。車はゆっくりと走り出し、窓の外では景色が後ろへと流れていきます。

 

「ね、ヨルさん」

 

「はい、マルティナさん」

 

「今日はアレ食べたい。ソーセージにりんごのソースがかかったやつ」

 

「ああ、ブルートヴルストですね」

 

「そう、それ! あのちょっとクサいけど美味しい奴!」

 

「じゃあ、今から食べに行きましょう」

 

「やったぁ! さっすがヨルさん、わかってるぅ~!」

 

 にこにこと頷く少女に微笑み返すと、ハンドルを握るミハエルさんを見遣りました。まっすぐ前を向いて運転を続けています。

 

「ティーナ、パパも一緒に行っていいかな?」

 

「えー。どうしよっかヨルさん? いいよって言おうか?」

 

 意地悪っぽく笑う娘の声に、バックミラーに映る彼の顔が苦笑します。私もつい吹き出してしまいました。

 

「ミハエルさん、いいですよ」

 

「ははは、ありがとう。じゃあいつものレストランに電話して…………」

 

「いえ、それもありますけど。私たちのことも、いいですよって」

 

 そう言うと、彼は面食らった顔をして固まってしまいました。でもそれは一瞬のことで、みるみるうちに耳まで赤くなってしまいます。そんな彼の反応を見てくすくすと笑う私と、不思議そうな顔をする少女。そんな私達を乗せて車は走る。

 

 ミハエルさんがプロポーズしてくれたのは、ちょうど一週間後のことでした。

 

 

 

 

(第三話 妻を失って悲しみに暮れている酒臭いハゲオヤジの愛人、ヨル・ブライア 了)

 

(エピローグ 再婚して人生順風満帆な小太りでキモいハゲオヤジの後妻、ヨル・ゲルゲス に続く)




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エピローグ(♥)

 初夏の陽射しが眩しく、今日も暑い日になりそうです。私は元同僚と一緒にカフェを訪れていました。

 

「二名様でお待ちのゲルゲス様~」

 

「はいっ、ヨル・ゲルゲスですっ。ゲルゲスでございますっ♪」

 

「……すみません店員さん、この色ボケと別の席にしてもらえますか」

 

「カ、カミラさぁん!」

 

 

 

 

エピローグ

再婚して人生順風満帆な小太りで

キモいハゲオヤジの後妻、

ヨル・ゲルゲス

 

 

 

 

「で? 私に相談ってなんなのよ。どう見ても幸せそうだし、とっとと帰って再婚したての旦那様と乳繰り合ってなさいよ」

 

 運ばれてきたアイスティーをストローで啜りながら、カミラさんは不機嫌そうに言いました。事件の後、私の正体を忘れてもらうために〈ガーデン〉がセラピー(暗示)を施したのです。そのせいか妙に気安い態度で接してくるようになりました。まあ、嬉しいことですけど。

 

「それが……カミラさんにしか相談できないことなんです」

 

「……なによ」

 

 興味を引かれたようで身を乗り出してきました。その態度に満足しながら、私は小声で言います。

 

「……そのぅ……む、娘が」

 

「課長の連れ子でしょ」

 

「娘ですっ」

 

 ぐっと拳を握り、真剣な眼差しで答えます。連れ子でも大事な娘ですっ。

 

「はぁ……それで、娘さんがどうしたのよ。あんたが寿退職したせいで仕事押し付けられてるんだけど、休日に呼び出すくらい大事な用なんでしょうね」

 

「ううっ、いろいろ申し訳ありません……その、娘が……『エッチの声がうるさい』って言うんですぅ」

 

「帰るわ」

 

「ああっ、待ってくださいぃ! 真剣に悩んでるんです! カミラさんだけが頼りなんですぅぅ! お願いします! 話だけでも聞いてくださいぃぃぃっ!!」

 

 慌てて引き留める私を見て観念したのか、溜め息をついて席に座り直しました。

 

「ったく、あのヨル先輩がこんな色ボケになっちゃうなんて……ホント人生って何があるかわからないものね」

 

「ありがとうございます! お礼にケーキも頼んでいいですからね」

 

「当たり前じゃない。私、このミルフィーユにするから」

 

「私はこのアップルパイに」

 

「あんたは喋りなさいよっ」

 

 

 ◆◆◆

 

 食事を終えれば、皿洗いは私の担当です。何しろ料理の手伝いができないので……。

 

「ヨルは皿洗いが上手だね」

 

「えへへー」

 

 流し台の前で、私の後ろに立った旦那様が耳元で囁きます。そう、私の旦那様であるミハエルさんです。旦那様の、ミハエルさんですっ。

 

「エプロン姿も似合っているよ。まさに良妻って感じだ……」

 

 今日の部屋着は、赤い肩出しのニットワンピース。あらわな肩に顎を乗せた旦那様がしみじみと言います。吐息が耳にかかりくすぐったい。身を捩りたくなるのを我慢しながら、私は泡だらけのスポンジを皿に滑らせます。

 

「それにポニーテールがよく似合ってる。うなじが見えるとドキドキするなぁ……」

 

「あ、あはは……ミハエルさん、もしかして酔っぱらってます?」

 

「まさか。僕はヨルに酔っているだけだよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 頬が熱くなってきました。初めて交わったころのオドオドした中年オヤジはもうどこにもいなくて、すっかり自信に満ちたスキンヘッドのイケオジに変貌しています。

 

 私を褒め称える言葉だってスラスラと出てくるようになって、歯の浮くような台詞でカラダの芯を炙ってくるようになっていました。その豹変っぷりが、また……イイ♡

 

「んふふぅ~♡」

 

「ん? どうしたんだい?」

 

 もちろん私も、以前のように遠慮することはありません。だって、私達は夫婦になったんですから。

 

「だんなさまぁ……♡♡♡ ……んむぅ♡」

 

 首だけで振り返り、唇を重ねます。

 

「むぅ♡ んっ、へむっ、ちゅぷっ♡ じゅりゅっ♡ ぷはっ♡ はぁーっ……♡ もっとぉ♡ んむぅっ♡♡♡」

 

 舌を絡ませ、唾液を混ぜ合わせ、唇を吸い、お互いの口腔内を貪るように愛撫し合います。舌の先から根元まで味わい尽くすように、何度も何度も。

 

 濃厚なキスでお腹の奥がキュンキュン疼いて、子宮からとろとろ愛液が溢れてくるのがわかるくらい。エプロンの上からまさぐる手が胸の膨らみに触れ、硬く尖った先端をカリカリと引っ掻かれます。痺れるような快感が広がり、腰が砕けそうになってしまいます。

 

「んふ、はむぅ、ちゅっ、はむっ、むぐぅっ、むぶぅ、むぐっ、はふっ、はひゅっ、ふぁ、はぁん……♡」

 

 やがて離れる唇。名残惜しくて、つい舌先が突き出してしまいます。透明な橋が二人の間に架かり、ゆっくりと崩れていきました。

 

「……あふ、だんなしゃま、もっろちゅーしてくらさい……ひゃぁっ!?」

 

 私が言い終わる前に抱き寄せられました。腰と背中に回された腕が強く抱き締めてきて、お尻に固くなったおちんちんを押し付けられます。

 

「ヨル、このまましてもいいかい……?」

 

 熱っぽい声で囁かれると、全身がゾクゾクと震えました。シンクの縁に手を乗せてお尻を突き出し、潤んで濡れた目と火照った顔を彼に向けます。

 

「ど、どうしましょうか……ここ、お台所ですしぃ…………♡♡♡」

 

「ふふ、そんな目をして言っても説得力がないな」

 

 背後から覆い被さってきたミハエルさんが、私の体をまさぐりながら耳元に唇を寄せます。

 

「そういう気 になってきたんだろう? 僕の奥さん」

 

「んんっ、はぁあっ♡」

 

 奥さん。奥さん。奥さん。甘い囁きに、頭の芯がとろけていくのを感じました。

 

「ヨルの可愛いところを見たいんだ。ヨルを気持ちよくさせたいんだよ」

 

 耳たぶを食まれ、首筋を吸われ、大きな手がおっぱいを揉みほぐす。下腹部がいっそう切なくなり、足の付け根の奥がジュンと熱くなりました。ああ、そう、今の私はミハエルさんの奥さんなのです。夫に求められて断る理由など、何一つとしてないのです。

 だから、

 

「い、一回……一回だけですよ? マルティナさんが戻ってきたら見られちゃいますから、一回だけ、おちんちんでおマンコたくさんホジホジしてびゅーってしたら終わりですからね?」

 

「うん、わかった」

 

「ちゃんと全部ナカに出してくださいね?」

 

「約束するよ」

 

「うふん……♡ じゃあ早く、いっぱい愛してください、あなたぁ……♡」

 

 甘え声でおねだりすると、ワンピのスカート部分がまくり上げられました。あらわになる黒のショーツとガーターベルト。ひんやりとした空気が内腿を撫でていき、それすらも快感に感じてしまいます。

 

「エッチな下着だね」

 

「あんっ、あなたがプレゼントしてくれたんじゃないですかぁ……♡」

 

「そうだったね。ヨルが僕のモノって証拠を刻み込んでおきたかったんだ」

 

「えへっ、えへへぇ……♡♡ わたしはずっと、あなたのものれすよぉ……? ♡♡♡」

 

 肩越しに振り返って見つめると、彼がごくりと唾を飲み込む音が聞こえました。股間では、パンパンに膨れ上がったズボンがテントを張っています。そのシルエットはあまりにも卑猥で、見ているだけで子宮がきゅんきゅん切なくなりました。早く、あの逞しい肉槍でメチャクチャに犯してほしい……! 

 

「ねぇん、旦那様ぁ……はやくぅ……♡」

 

「えっろ……まずはこのいやらしいデカ尻にお仕置きしてやるか」

 

「あぁっ♡」

 

 大きな両手でぐにっと強く掴まれて、それだけで軽くイってしまいそうでした。そのまま前後に揺さぶり、弾力を楽しむように何度も力を込められて……その度に私は甘い声で鳴いてしまうのです。

 

「あぁん、そんな、そんな、揉むだけなんてぇ……♡♡♡」

 

「なに? これだけで十分気持ちよさそうだけど」

 

「やぁんっ、意地悪しないでくだしゃいっ、わたしの、いやらしいデカ尻、おしおきビンタしてっ、ばちーんて叩いてほしいんですぅぅっ♡♡♡」

 

 ふりふりとお尻を振ってアピールします。この大きくて柔らかいお尻を叩いてもらえないなんて、こんな生殺し状態耐えられない! 

 

「ヨルは本当にマゾだなぁ……いいよ、たっぷり虐めてやるからな……!」

 

 ぺちん! と軽い音が鳴り響きました。じんじんする痛みが心地良くて、思わずだらしない笑みがこぼれてしまいます。

 

「うへへぇ、ありがとうございますぅ……♡♡♡ もっと、もっとください……っ♡♡♡」

 

「なら、こういうのはどうだ?」

 

 ぱちんっ! と一際高い音が響きます。さっきよりも少し強めに叩かれ、ジンジンした熱が尾てい骨から頭頂部まで駆け抜けていきます。

 

「きゃうっ♡ し、子宮にひびくぅ……っ♡♡♡ これしゅきっ、だいしゅきれすぅ……っ♡♡♡」

 

「全く、救いようがないな……」

 

 呆れたような声。でも、その奥には隠しきれない興奮が滲んでいるのを、私は見逃しませんでした。その証拠に、私の尻をこね回す手つきには遠慮がありません。パン生地でも捏ねるみたいに、いやらしく、執拗に。

 

「ヨルはホントに変態だな。こんな痛いことをされて悦ぶだなんて」

 

「ひぁぁっ♡ だって、それは、あなたが私をこうしたからぁっ、責任取ってくださらないと……ッ♡♡♡」

 

「そうか、それじゃあ責任を取らないとな」

 

 彼は性急な手つきでショーツを膝まで下ろしてくれます。ぐっしょりと湿ったクロッチ部分から、粘ついた愛液糸を引きました。

 

「はーっ、はーっ、もう準備万端じゃないか……。どうして欲しいのか言ってごらん?」

 

「あ、あ、あ、あ……、わ、わたし、の、おまんこに、旦那様の、おっきくて、ぶっといおちんぽ、入れて、ずぽずぽっ、シてほしい、です……♡♡♡」

 

「いい子だ。一気に入れるよ」

 

「あ、あ、入って……ん♡ ……うむぅ…………♡」

 

 太く長いものが膣内を満たし、奥まで届いているのがわかります。待ち望んでいた圧迫感に悦びの声が漏れてしまうのを、キスで封じられてしまいました。

 

 ずりゅっ♡ にゅるっ♡ ぢゅぶっ♡ ぬるっ♡ 

 

 粘膜同士が擦れ合う卑猥な水音が鼓膜を震わせます。膣奥が突かれるたびに脳天まで突き抜けるような衝撃に襲われ、中腰になって踏ん張っていないと崩れ落ちてしまいそうでした。

 

「むふーっ、んむぅぅうっ♡ んんぅぅ~~~ッ♡♡」

 

 私はシンクの縁に両手をつき、体を支えています。背後のミハエルさんは私に乗りかかるようにして、夢中で抽送を繰り返していました。後ろから密着されているのに、温もりが伝わるのは露出したお尻とお口の周りだけ。着衣エッチのもどかしさすら快楽へと変わり、全身を蕩かせるような法悦感に浸ります。

 

(ああ、素敵です……とっても素敵な気分です……♡♡♡ もう私、普通の奥さんにはなれないかもぉ……♡♡♡)

 

 義理の娘が二階で勉強しているのに、台所で服を着たままサカっちゃうなんて、絶対にイケナイことなのに。いけないことだからこそ、背徳感がスパイスとなって興奮を掻き立ててくるのです。台所に漂う洗剤の香りが私のメス臭さを引き立てて、まるでここで致すのが正しい行為であるかのように錯覚してしまいます。

 

「はむっ、ちゅぷっ、れるっ、んふ、んふぅぅぅ……っ♡♡♡ んちゅっ、ちゅっ、ちゅぅぅぅ……♡♡♡」

 

 ミハエルさんに口を塞がれているので、鼻呼吸するしかないのですが、そのせいもあって彼の匂いをいつもより強く感じます。禿頭には滝のような汗が流れ、汗と脂の混じった濃いオスの匂いが彼の興奮度合いを物語っていました。

 

「んぅっ、ふぅっ、ふぅんっ、んむぅっ♡」

 

 上も下も繋がった状態で、激しく求め合います。彼が私の膝を持ち上げると、片足立ちになり挿入角度が変わったことで新たな刺激が生まれました。さらに強く抱きすくめられ、全身を使ってズボズボされます。体が溶けてしまいそうなくらい熱くて、汗が止まらないくらい暑い。

 

(これだめぇっ! 深いぃっ! おくに刺さるぅっ!)

 

 最奥部に先端が突き刺さるたび、意識が飛んでしまいそうな快感が襲ってきます。その度に脚から力が抜けて、結合が深くなり────―。

 

「さっきからうるさいのよ二人ともっっっ!!!」

 

 …………まあ、バレないはずがないですよね。

 

 ◆◆◆

 

「と、いうような事がありまして」

 

「娘さんに同情するわ」

 

 細部を端折りつつ説明した私に、テーブル向かいのカミラさんは呆れたように言いました。

 

「アンタも課長も何考えてんの? キッチンでヤろうとする普通?」

 

「すみません……つい盛り上がってしまって……」

 

 言い訳の余地もありません。結婚して舞いがったせいで色々と歯止めが効かなくなっていました。

 

「てか、思春期の子供がいる家で致すとか、親失格じゃないかしら」

 

「うう、仰る通りでございます……」

 

 私はテーブルに額を擦り付けて平伏します。カミラさんの言うとおり、家の中でコトに及ぶなどあってはならないことでした。反省しきりです。もし娘に嫌われてしまったらどうしよう……ああぁぁ……。

 

「……まぁいいけど。で、これからどうするの? 子供、欲しいんでしょ」

 

「……」

 

 言葉に詰まってしまいます。正直、私も若くありません。性欲や情熱を抜きにしても、ミハエルさんとセックスレスになってしまうのは避けたいところです。しかし……。

 

「娘さん、来年は受験なんでしょ。せっかく相談してくれたんだから、言うけど。どっちかが家を出たほうがよくない?」

 

「そ、それは……」

 

 確かにその通りなのでしょうが、後妻の私がマルティナさんを追い出してしまうなんて。まるで童話の継母そのものではありませんか。

 

「…………」

 

「決めるのはアンタよ。でも、課長とも本人ともよく相談しなさい? 円満な家庭を作りたいならね」

 

 それだけ言うと、彼女はグラスに口をつけました。私もつられてミルクティーを口に含みます。少し冷めてしまっていましたが、優しい甘さが染み渡りました。

 

 ◆◆◆

 

「私、寮に戻ろうと思うの」

 

「そんな」

 

 その日の夜でした。私を散歩に誘ったマルティナさんがそう言ったのは。

 

「誤解しないで、ヨルさん。パパと仲良くしてくれてるのは、実はけっこう嬉しいんだよ? 私が知ってる夫婦とは全然違う明るさがあってびっくりしちゃった」

 

 夜風が木々を揺らし、木の葉のざわめきを運んできます。私とマルティナさんはベンチに並んで腰掛けていました。彼女の横顔には寂しそうな色が浮かんでいます。

 

「でもね、いつまでも甘えてちゃいけないと思うんだ。邪魔するのは嫌だし、もうすぐ十六歳だし、それにさ」

 

 義理の娘は、ころんと私の膝に頭を預けてきました。柔らかな髪をそっと撫で、先を促します。

 

「空に、てんびん座、見えたでしょ」

 

「はい」

 

「どっちかに傾いちゃったらダメなんだよ。きっと」

 

 てんびん座は、正義の女神アストライアーが掲げた天秤から名付けられました。天上の神々の裁判に用いられるこの天秤は、正義のハカリとも呼ばれています。

 

「それって、どういう……?」

 

「私、新しい家族がほしいんだ」

 

 思わず息を呑んだ私をよそに、少女は星空に向かって語り続けます。

 

「世界で一番大事なパパ。優しくて綺麗なお母さん。二人の間に生まれる、弟か妹。私とは反対側のお皿に乗ってくれる、誰か」

 

「……マルティナさん」

 

「ティーナって呼んで、お母さん」

 

 夜空を見上げるマルティナさんの瞳は、銀河のように美しく輝いています。その目は未来を見つめ、キラキラと希望に満ち溢れているようでした。

 

「笑って見送って? それが、今の私たちに必要な家族の形だと思うんだ」

 

 そう言って微笑む彼女に、私は返す言葉を一つしか持ちませんでした。

 

「ありがとう、ティーナさん」

 

 

 ◆◆◆

 

 私とミハエルさんは、夜景を見下ろしながら軽くキスしました。ガラス張りの壁からは美しい街明かりが見えます。ホテル高層階からの眺めは格別で、日常を忘れて夢心地になれる空間です。

 

「きれいだ」

 

「はい、とても」

 

「ヨルくんの方がもっと綺麗だよ」

 

「ふふ、お世辞がお上手ですね」

 

「本気だよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 ストレートに口説かれるとちょっと恥ずかしいですが、嬉しく思います。そして、胸の奥にほんのりとした熱が灯りました。

 

「ティーナも、いつの間にか大人になっていたんだね」

 

「はい」

 

 ティーナさんが家を出て寮に戻ったのは、昨日のこと。それまでの間、私とミハエルさんは触れ合いを絶って生活していました。

 

「僕は情けない父親だね。娘の成長にも気づけず、君に寂しい思いをさせてしまって」

 

「いいえ、そんなことありません。あの子が決めたことですから、私たちは応援しましょう」

 

「うん、そうだね」

 

 私はミハエルさんに肩を抱かれ、身を寄せます。いつもの黒ではなく、白一色のドレスに身を包んだ私を、彼は優しく抱きしめてくれました。

 

 今日は特別な日。結婚式も新婚旅行もしなかった私たち夫婦の、初めてのセレモニーです。ウェディングなんて大層なものではありません。二人きりでレストランで食事をして、最後にホテルのスイートルームで愛し合うだけです。

 

 それでも、私は十分幸せでした。愛する人の腕に抱かれ、子供を授かるために体を重ねるのです。これ以上の喜びはありません。生理周期も管理し、排卵日の予測もバッチリです。私はもう、いつでも孕める体になっているのです。

 

「愛してるよ、ヨルくん」

 

「私もです、ミハエルさん」

 

 愛に愛を返して微笑みます。彼もまた微笑んでくれて、穏やかな時間が過ぎていきました。

 やがて彼が耳元で、

 

「そろそろ、いいかな」

 

「……はい♡」

 

 頷くと、ゆっくりとベッドに押し倒されます。純白の花嫁衣装がシーツの上に広がりました。彼の唇が耳に触れ、首筋を這い、胸元へと下りていきます。

 大きな掌がバストを包み込みました。繊細なタッチで揉み解され、胸の先端を指先で転がされると甘い痺れが全身を駆け巡ります。下腹部の奥がキュン♡ と切なくなりました。

 

(ああ……もう、欲しい)

 

 完全に成熟し、女として熟れきった体は、早く彼の子種が欲しいと叫んでいます。子宮を疼かせ、愛液を垂らし、女陰を潤ませ……もう我慢できないほど発情しています。彼に愛されたくて堪らないんです。

 スカートをたくし上げられ、下着を脱がされました。濡れそぼった陰唇を指で開かれ、彼の視線がそこへと注がれます。

 

「あ♡ あぁ……♡」

 

(見ないでください……はずかしいです……)

 

 羞恥に身を焦がしながらも、秘所を隠すことはしません。それどころか自ら股を開いてしまいます。はしたない女だと思われたい。淫らだと蔑まれたい。辱められたいと、本能が求めているのです。

 

「すごいね、ヨルくんのここ。見たことないくらいヒクついて、僕を誘ってるっ」

 

 彼も興奮してくれているようです。鼻息荒く、膣口に顔を寄せて匂いを嗅いできました。

 

「ああ…………♡ あなたの妻は、ヨル・ゲルゲスは、発情期で、こーふんしていて……もう、赤ちゃんを作る準備できてますからっ……はやくっ……」

 

 自分から足を開き、腰を浮かせて挿入をねだります。すると彼はごくりと生唾を飲み込んで、腰の下に枕を入れてくれました。

 膣口が上を向き、子宮が下になる。ペニスが入りやすく、旦那様がピストンしやすく、そして精子の泳ぐ白い粘液がより多く流れ込む体勢です。

 

「じゃあ、いくよ?」

 

「きて♡」

 

 ついにその時がやって来ました。待ち焦がれていた瞬間です。亀頭が入口に触れただけで、脳髄が蕩けるような快感が押し寄せてきました。

 ──ヌプッ♡ ──

 ゆっくり侵入してくる肉の棒。これ以上なく反り上がった愛しのソレが、私の膣内を押し広げながら進んできます。

 ──ニュププ……──

 

「あ、ぁあっ♡」

 

 熱い。焼けてしまいそう。火傷してしまいそうなほど熱くて、硬くて、太い。

 ──グチュッ──

 一番奥まで届いた時には、二人とも汗びっしょりになっていました。結合部からは泡立った愛液が溢れ出し、内腿を伝って流れ落ちていきます。私のナカはもうすっかり出来上がっていて、ドロドロに溶かされていました。

 

「あ、あ、あなたの精子くださいっ、ここにいっぱい注いで下さい!」

 

 必死に懇願します。精液を注ぎ込まれた時の幸福感を思い出し、今日なら何倍にも増幅されて感じられるだろうという確信がありました。

 

「うっ……くっ……!」

 

「ひゃああっ♡♡」

 

 突然始まった激しい抽送。パンッパンッ! と肉を打つ音が響き渡ります。奥深くまで突き入れられ、引き抜かれたかと思うと、再び根元まで埋め尽くされる衝撃に翻弄されてしまいます。

 

「あ──っ♡ いま卵子出ちゃってますっ♡♡ せーえき出されて受精しちゃう準備ばっちりの淫乱妻おまんこになっちゃってますぅっ♡♡♡」

 

「うおおっ、うっおおっ!!」

 

 獣のような咆哮を上げるミハエルさん。私を孕ませることしか頭にない雄の顔。いつも穏やかな夫とは別人のように荒々しい姿ですが、そのギャップにゾクゾクしてしまいます。

 ──ぐぽっ♡ どちゅっ♡──

 ──ぱちゅんっ♡ ばちゅんっっっ♡♡♡──

「あなたのものにしてぇっ♡ ぜんぶあなたのものにしてくださぃぃっっ♡♡♡」

 

 ベッドが激しく軋み、壊れてしまうのではないかと思えるほどの激しさです。しかしそんなことを気にする余裕はありませんでした。頭の中は真っ白で、ただただ快楽を求めることだけに夢中になっています。

 

「じゅせいっ……♡ じゅせいっ……♡ なかだししてくださいぃっ♡ わたしのことめちゃくちゃにしてぇえっ♡」

 

 足を絡めてホールドし、絶対に逃さないよう拘束しました。これでもう、逃げられる心配はありません。

 

「あ、あなたしか考えてませんからっ、ヨルはあなたのものです、だから、わたしをはらませて、わたしにあなたを刻んで、永遠に、忘れられないように、たくさん、あなたの子を、産みたいんですっ」

 

 口をぱくぱくさせながらなんとか言葉を紡ぎます。その間も動きは止まりません。ラストスパートに入ったのか、より一層速くなっていきます。

 

「あーっ♡ あ──っ♡ すご、これ、すごいのくるぅうう~~~っっっ♡♡♡♡」

 

 子宮口を強くノックされ、意識が飛びそうになります。子宮がきゅんきゅん収縮し、膣壁が痙攣するように蠢き、全身の筋肉が強張ります。

 

「イって! イって! イってください!! あなたの赤ちゃんしか妊娠しない女です! ヨルは、んおっ……お゛ぉぉおおおおっっっ♡♡♡♡♡」

 

 子宮を潰されそうな勢いで叩きつけられ、その瞬間、視界が白く染まりました。

 頭が爆発したような錯覚に陥ります。バチバチと火花が散って、体が浮き上がるような浮遊感に襲われました。

 

「す、すきぃ! だいしゅきれすっ! あいしてます、ミハエルさん、ヨルのだんなしゃまぁぁっっっ♡♡♡♡」

 

 呂律の回らない舌で必死に愛を伝えます。彼の背中に腕を回し、爪を立てて抱きしめました。すると、今までにないほど強く抱き返されます。

 

「ぐぅううう、ヨル! 君を妊娠させるから! 絶対に僕の子供を産んでもらうからっ!!!」

 

「はいっ、あなたの精子で、に、妊娠っ、妊娠っ、させてくだしゃいっ♡」

 

「絶対に妊娠させるからな! 君の子宮に全部流し込むからなっ!!」

 

「はい、はい、はいぃっっ♡♡♡」

 

 何度も何度も頷きあいます。たまらなく心地良い孕ませコミュニケーション。逞しい男根で穿たれ、孕ませようと必死になるオスのピストンで攻め立てられるたびに絶頂に達してしまいそうです。

 

(好き♡ 好きです♡ もっと欲しいです♡)

 

 体の奥で何かが弾けたような気がしました。同時に、これまで感じたことのないような深い絶頂へと押し上げられます。

 

「あぁあああっっ~~~~~っっっ!!!!!」

 

「絶対に、絶対に、妊娠させる! 種付けだ! 孕め、孕め、孕めぇえっっっ!!!」

 

「はひっ♡ はい、はい♡ はりゃむ、はりゃみます♡ あ♡ あ♡ い、イク♡ イキます♡ イッちゃ……~~~ッッ♡♡♡♡」

 

「君のマンコは僕のものだ! 君の子宮は僕だけの物だ! 誰にも渡さないぞ!!」

 

「はい♡ はい♡ ヨルの子宮も卵子も、ぜんぶぜんぶミハエルさんのものです♡ あなた専用のメスです♡ ヨルのこと、いっぱいいっぱい孕ませて、ママにして下さいっ♡」

 

「出る、出すよ、孕め、孕めぇええっっっ!!!」

 

「あ♡ あぁ♡ あっ♡ あああああ~~~ッッッ♡♡♡♡」

 

 子宮口にぴったりと密着した状態で、灼熱の奔流が解き放たれました。大量の白濁液が注ぎ込まれ、膣内を満たしていくのを感じます。

 

「くっひいいいいぃ~~~~~っっっ!!! ♡♡♡♡♡」

 

 凄まじい量のザーメンが膣内を満たしていきます。まるでマグマが噴き出たかのような熱量でした。あまりの圧力に膣が押し広げられ、子宮口がこじ開けられてしまいました。

 

(あっつい……♡ おなかのなかやけちゃう……すごい、すごいよぉ……)

 

「ああ、僕は、いま、君を妊娠させてるんだ…………なんて幸せなんだ……」

 

 お腹の中でドクンドクンと脈打つ感覚がありました。彼がまだ射精をしているのです。膣内を一杯に満たし、溢れさせまいとフタまでしながら、私を征服せんと追加の精液を吐き出しています。

 

「ふあぁぁ……♡ ふあぁぁ……♡」

 

 彼の腰に両足を絡めてがっちりホールドしたまま、私は全身を弛緩させ、夢のような快感の余韻に浸っていました。

 ──ずぷっ……──

 長い時間をかけてようやく彼が引き抜かれ、栓を失った秘所からドロドロとした白濁が流れ出してきました。

 

(ああ……こんなに沢山……)

 

 勿体ない……そう思った瞬間、再び下腹部の奥がキュン♡ となり、新たな子種が欲しいと訴えかけてきました。子宮口がヒクつき、早く受精したいと叫んでいます。

 

「ひ、ひ、ひぃ、ん、すきぃ……♡」

 

「ああ、ああ、このドスケベなメスブタめ……そんなに子種がほしいか!」

 

 私の痴態を見て興奮したのか、再び大きくなったペニスで秘所の入口を擦り上げてきました。それだけで甘い痺れが背筋を駆け上がり、思考能力を奪っていきます。

 

「あ、あ、は、はひい……ほしいれす……ぶうっ、ぶひぃっ、ぶっひぃぃっっ……あなたの精子で、はらませ、て、くだしゃい……♡♡♡」

 

 豚の鳴きまね。彼と私の愛を表現する、ドーブツの声。

 

「ぶひっ、ぶひひっ、かわいいよ、僕の奥さんは世界一のブタさんだよ!」

 

 彼も興奮してきたのか、私の上に覆い被さるようにして腰を振り始めました。そして何度目か分からない膣内射精が始まります。

 

「ぶひぃぃ~~~~~~~っっっ!!!!」

 

 それからも、後背位で、対面座位で、様々な体位で、数え切れないほど中出しされました。もう何度絶頂に達したかも分かりません。ただ気持ちよくて幸せで、ずっとこのまま繋がっていたいと思っていました。

 

(ああ、ミハエルさん、ミハエルさん……)

 

 朦朧とする意識の中、彼にしがみつくようにして抱き締めます。背中に回された腕にも力が込められていました。ひたすらセックスして、ルームサービスでお腹を満たし、お風呂で紅潮した肌を洗い流して、またセックス。

 

 もちろんナマ性交です。彼の赤ちゃんを産むのですから当然のことです。ベッドの上で四つん這いになり、後ろから突かれ続けながら、

 

「あ──っ♡ あ────っ♡ も、もう死んじゃいます、死んじゃうぅっ♡」

 

 獣のような声を上げていました。お尻の穴まで指で犯されながら、胸を揺らして快楽を貪ります。

 

「ほらっ、ちゃんと締めろ! ケツ穴ほじられて感じてるのか!?」

 

「ひゃ、ひゃいっ♡ 感じちゃってましゅっ♡ は、早くイって、ヨルに精液くださいっ♡」

 

「うおおおっ、ヨル、ヨルっ、中に出すぞ! 受精しろ、受精しろっ!!」

 

「は、はひっ♡ 受精しましゅっ♡ あなた専用おまんこ、あなた以外のおちんちんじゃイケない体っ、ドスケベ発情いばら姫まんこ、たっくさん種付けしてくださいぃっ♡♡♡」

 

 何度も淫語を言い、卑猥な単語をエスカレートさせ、淫らな行為をヒートアップさせていきます。

 何度も何度も何度も、

 

 ──どぴゅどぴゅっ──

「お゛っ♡ お゛ぉおおっ♡ お゛ほぉお゛おおおっっ♡♡♡」

 

 ──びゅるるるるるっっっ──

「お゛お゛お゛お゛~~~~~~~ッッッ♡♡♡ イグッ♡♡ まんこイグッ♡♡ 子宮イってるっ♡♡ お゛ほっ♡ んお゛っ♡ お゛おぉおお~~っっ♡♡♡」

 

 ──どぷどぷっ──

「お゛~~~~~っっ♡♡♡ しゅごいぃぃぃっ♡♡ しゅごしゅぎましゅっ♡♡ あ゛ぁぁああっっ♡♡♡ 子宮っ♡♡ 子宮あちゅいのぉっ♡♡ 赤ちゃんできるっ♡♡ 絶対妊娠するっ♡♡ んあ゛あ゛あ゛あ゛~~っっ♡♡♡♡」

 

 ──ぼびゅっ、どぷんっ、どくんっ、びゅくっ、どっくんっ──

「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゙あ゛~~~~~~っっっ♡♡♡♡」

 

 何度も、何度も、何度も……………………♡ 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

「はーい」

 

 ドアベルの音を聞いて、玄関に向かいます。臨月のお腹に配慮しながらゆっくりとドアを開けると、そこには見知った顔がありました。

 

「こんにちは、ゲルゲス夫人」

 

 最近お隣に越してきたフィオナ・フォージャーさんです。

 肩まで切り揃えられた銀髪に、すらっとした体型。かなり背が高くスタイルも抜群ですが、ポーカーフェイスのせいでどことなく冷たい印象を受ける方です。

 ですが、

 

「あら、どうなさったんですか? そんな深刻そうなお顔で。外は寒いでしょう。どうぞ、上がっていってください」

 

「は、はい」

 

 なんだかとても緊張した様子です。家に上げて暖かい紅茶を飲ませると、彼女は意を決したように口を開きました。

 

「実は……娘の教育について、夫人に相談をと考えまして……」

 

「まあ、私に?」

 

 私が首を傾げると、彼女はこくりと頷きました。実のところフィオナさんも子連れの男性と再婚されていて、私と似たような境遇だったのです。

 なので私も彼女にシンパシーを感じており、こうして時々話し相手になったりしていました。

 

 ちなみに、娘さんの名前はアーニャさん、旦那さんはロイドさん…………だったかしら? 

 

「娘を、その…………厳しく躾すぎではないかと、夫から責められ、よく喧嘩になってしまいます」

 

「厳しいって……どんな風にですか?」

 

「それは……鞭を使うような……」

 

「まぁ」

 

 それはいけませんね、と、私は眉を寄せました。言ってはなんですが、ずいぶん古い教育論です。

 

「暴力はいけません。それに、女の子なのよ。もっと優しくしてあげないと」

 

「しかし、私は、それが親の務めだと思います。あの子が受験に失敗しでもしたら」

 

「まあ」

 

 あの小さなアーニャさんがお受験? まだ言葉もたどたどしいのに、なんだか信じられません。勉強嫌いのようだけど……大丈夫かしら? 

 

「心配なのは分かりますが、もっと信頼してあげても良いと思いますよ。何より、自分が一生懸命やっていることを否定されるのは辛いものですもの」

 

「……はい」

 

 納得していない様子のフィオナさん。この方に必要なのは心の余裕、言い換えれば旦那さんとの信頼関係なのだと思います。うーん、そうですねえ……。

 

「じゃあせめて、ご主人とお話するときのコツを教えて差し上げましょう」

 

「コツ?」

 

 ええ、と微笑んで見せます。夫婦円満の秘訣はコミュニケーション。分けても、

 

「たとえば……ごにょごにょ」

 

「え!? そ、そんなことを!?」

 

 顔を真っ赤に染める彼女。初心な反応に微笑ましく思いながら、そっと耳打ちします。

 

「ごにょごにょ…………」

 

「脅迫プレイ!? エッチなドレス!? ぶ、豚の鳴きまね!?」

 

 夫と楽しんできた数々のプレイを列挙すると、彼女は素っ頓狂な声を上げました。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。せんぱ……夫とそんな淫らなこと、できません!」

 

 まあ、可愛い。白い肌に羞恥の色が浮かび、瞳がうるんでいます。ちょっと苛めたくなっちゃいますね♪ 

 その後もアレコレと主人とのエッチで得た知識を披露していきます。彼女は耳を真っ赤にして、

 

「……わかりました。参考に致します」

 

 と消え入りそうな声で頷くと、お邪魔しましたと言って出ていきました。さて、どうなるでしょうか。とっても楽しみです♪

 

「あっ」

 

 お腹の赤ちゃんが動きました。お隣さんとの話で刺激を受けたのでしょうか? 

 

「……そろそろ出産準備しなきゃ」

 

 まだ見ぬ我が子が、元気で産まれてきてくれますように。そう念じながら、私は窓を閉じて暖房を入れ直しました。

 

 

 ヨルさんと中年オヤジが『幸せ』になる話 完




 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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 やっと完結できました。途中、ひと月も更新が空いてしまいましたが、プロット通り書ききれたので満足しています。更新が止まっていた間はバイオハザードRE4に没頭していました。ヒロインのアシュリーでこちらの短編を書いたので、よろしければ一読ください。

 次回作は、「五等分の花嫁」を原作にしたハーレムもので「五つ子が全員オレの肉便器www #悪魔のアプリ#洗脳ハーレム」と題して投下します。

 タイトル通り、今回は「世界の支配者」系のリベンジとして、自分的課題である「悪人の主人公」「不条理に凌辱されるヒロイン」「人格を毀損するエロシーン」の貫徹をテーマにしています。ぜひ御笑覧ください!


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