日輪円舞 (こくとー)
しおりを挟む



 その少年は、街ではちょっとした有名人。

 

「はい、おつりの二百円ね」

「ありがとうございます」

 

 ダボダボのトレーナーの捲られた袖から覗く小さな幼い手が酒屋の店主である老婆からお釣りを受け取り、首から下げたがま口へと放り込む。

 そして、一リットルパックの焼酎二本とその他各種酒の肴が入ったビニール袋を両腕で抱え上げてフラフラと店を出て行った。

 その小さな背中を見送り、老婆はため息を吐く。そんな彼女へと声を掛けたのは、角打ちもしているこの店のカウンターで飲んでいた数人だ。

 

「また、天沢の所の孫が来てたのか?」

「まあね……ったく、質の悪い祖父も居たもんだ。なまじ、金を持ってるからか酒ばっかりあの子に買わせるんだからさ」

「んあー……?天沢ってぇと…………」

「ほら、山の地主さ。少し前に、息子夫婦が死んで、それから祖父の爺さんが孫を引き取ったんだ」

「…………あの子、五歳ぐらいじゃありませんでした?」

「だから、儂らもちぃとばかし気にしてんのさ。ただ、なあ?」

 

 酒の入った桝を揺らして、老人は眉根を寄せる。

 彼だけではない、店主の老婆もそれから酔って顔を赤くする他の客も。首を傾げるのは、この街に来て間もない四十代の男性だ。

 

「何かあるんですか?」

「…………」

「ろくでもない男さ。それこそ、あの男の孫だって言うのに、ボウヤは真面だからね」

「ええっと……?」

「あの男の奥さんは、体の弱い人でな。その事を知っていながら、奴は放蕩三昧。性格は悪くとも、金だけはあったからね。奥さんの方も殆ど借金のカタに出されたようなものだったのさ」

「そ、れは…………」

「奥さんが死んで、息子とも上手くいってなかったみたいでねぇ。何年も前に出て行ってそれっきりだったんだが、一年前に事故でその息子さんが奥さんともども亡くなってね」

「何でも親類縁者は、その爺さんだけ。引き取られなけりゃ、孤児院にでも入れられたんだろうが…………まあ、あの有様さ」

 

 飲み干された桝が置かれ、酒精のこもった息が吐き出される。

 ありふれた悲劇だ。事故にしたって、交通事故で原因は睡眠不足のトレーラーが突っ込んできた事だった。

 老人にしても、そう言う人間のクズの様な存在はそこらに転がっている。

 

 そんな噂をされる少年は知る由もなく、夕闇迫る帰路を急ぐ。

 赤みがかった毛量の多い黒髪をポニーテールのように纏め、五歳児にしては確りとした足取りで真っすぐに家へ。

 しかし、順調に進んでいたその足は、はたと止まる。

 夕日を背にして、田んぼ脇のあぜ道にて少年が見つめる先。

 

「……キュウリ?」

 

 緑色の細長い野菜、キュウリ。栄養価が無いだとか揶揄されるが、しかしカロリーなどが低いだけで決して栄養価の低い野菜でもない。

 ソレが今、少年が見つめる先に居た。

 精霊馬というものを知っているだろうか。お盆の期間にキュウリで馬を象った形代の事だ。

 少年の前に現れたのは、正にソレ。ただし、その大きさと異常性を加味すれば全くもって伝統の欠片も無いゲテモノなのだが。

 まず、ウマの足に当たるであろう部分は割りばしではなく、太さのある人間の腕。それが都合四本あり、細長い緑の胴体より突き出していた。

 更に、棘と思しき部分は幾つもの目玉によって代替されており、そのいくつかは少年を捉えて放さない。

 何より、その大きさ。

 大型のワゴン車よりも更に大きい。足代わりの腕は少年を軽くつかめる程度の大きさを誇る。

 

――――ハァ……ハァ…………

 

 頭部であろう部分が縦に裂け、細かくも鋭い歯が幾つも並んだ口が現れ、涎が流れる。

 紛う事無き、化物だ。少なくとも一般人が相対して無事でいられる保証など無い怪物が、今まさに畦道に立ち、少年と相対していた。

 一歩、その右前足が前へと踏み出される。いやに、踏み躙られる地面の砂利が音を立てる。

 

「………」

 

 少年は静かにその怪物を見据えていた。

 だが、徐に腕に抱えていたビニール袋を地面に下ろすと、その口を縛って袋の中に砂埃が掛からないようにする。

 次いで手を伸ばしたのは腰の後ろ側。

 ダボダボのトレーナーの裾を捲れば、その下には幼い少年には不似合いな物騒な代物が仕込まれている。

 黒塗りの飾り気のない匕首。短パンのベルトループとベルトに捻じ込む様にして固定されていた鞘より抜かれた白刃には一切の曇りなく、よく手入れされている事が分かるだろう。

 逆手から、順手へ。匕首ではあるが、少年の体格から加味すれば宛ら打刀の如し。

 一陣の風が吹く。

 

――――オ……ォオォォオオオオ……!

 

 砂埃を巻き上げて、怪物が少年を食らわんと迫る。

 しっちゃかめっちゃかに振り回される四本腕。馬などの哺乳類の走りではなく、虫かトカゲ染みたその動きのままに猛烈な勢いで迫ってくるその姿は、幾つもある眼球が血走っている事と、それから縦に割れた口も相まって死を覚悟するには十分すぎる絵面だった。

 だが、

 

「…………フッ」

 

 小さく少年の口から息が吐き出される。

 深く沈んだ体は、次の瞬きの間にその場から一瞬で掻き消えた。

 何が起きたのか普通ならば、分からないだろう。だが、この怪物は違う。

 キュウリの棘に当たる部分が眼球へと置き換えられているのだ。要は、死角が殆ど存在しないという事。

 突進からの急ブレーキをかけて止まる怪物。その全身の目が忙しなく動き、その幾つかが獲物を捉える。

 標的(少年)は、怪物の真上を取っていた。

 振り被る匕首。夕日を反射して怪しく光る白刃は、落下の勢いとその幼い体に見合わない腕力による初速を持って振り抜かれた。

 

――――ギィイイアアアアアアア!?!?

 

 刃渡りおよそ、二十センチ。キュウリの化物を輪切りにするには数十センチは足りない筈なのだが、そのヘタの部分から凡そ数十センチの所、縦に裂けた口の一部を巻き込んで斬り飛ばされていた。

 どす黒いともいえる血を傷から吹き出す怪物。その間に着地した少年は、すぐさま怪物へと向き直ると匕首を閃かせて駆け抜けていく。

 怪物の反対側へと少年が駆け抜け、少し砂埃を上げながら止まって匕首の血払いを一振り。同時に、怪物の痛みによる絶叫が止まり、その体は文字通りバラバラとなって道に転がっていた。

 ぴくぴくと痙攣する肉塊?を尻目に少年は匕首を鞘へと収めると、少し離れた位置に置かれたビニール袋へと近づいた。

 一瞬で斬殺したとはいえ、元々時間的にも余裕があった訳では無いのだ。早く帰らねばならない。

 五歳児には本来重いであろう袋を再び抱え上げて帰路を急ぐ足――――は、しかし再び止められる事になる。

 響くのは拍手の音。それも、少年の後ろの方から。

 

「こうして片田舎に足を運んでみるものだね。思わぬ掘り出し物が見つかる事もあるから」

「…………やっぱり、声を掛ける気になったんですか?」

「気付いてたんだ、やっぱり。まあね、デビルハンターが出張った訳でもないのに妙に悪魔の被害が少ない場所があって、その理由を担っているだろう子供が居れば声を掛けるんじゃないかな」

 

 地平線へと沈もうとしている紅い太陽を背に、その日の光にも負けない鮮やかな赤い髪の女性は無表情でありながら口元に僅かな笑みを湛えていた。

 白いシャツに黒のネクタイ、黒のパンツスーツ。宛らキャリアウーマンか、もしくは葬儀屋の様な出で立ち。

 特に、その端正な顔立ちに合わさる同心円状の瞳が印象的だろう。

 ジッと女性を眺めていた少年は、しかし不意に視線を切った。

 

「ごめんなさい。僕は、お爺様にこれを届けないといけないんです」

 

 胸に抱いた二本の焼酎パック+酒の肴入りのビニール袋を見せて帰宅したいという意思を示し話を打ち切ろうとする。

 別段、先の怪物退治を見られた事に対しては特に何とも思っていない。今の彼の中にあるのは、用事を済ませなければならないという思いだけ。

 女性はジッと少年を見つめ、徐にそのつややかな唇を動かした。

 

「それじゃあ、ついて行っても良いかな?私もキミに用事があるんだ」

「……少し歩きますよ?」

「ウォーキングは好きだよ」

 

 言って、彼女はスタイルの良い足を動かして少年の隣に並び立つ。

 

「荷物、持ってあげようか?」

「大丈夫です」

 

 警戒心からか、すっぱりと女性の申し出を断る少年。そのままスタスタと前へと歩いて行ってしまう。

 随分と大人びた、歳不相応の硬さを持った少年。だが、女性の興味対象は、そのような些事ではなかったりする。

 

(キュウリの悪魔を単独討伐……珍しくはないけど、あんな子供が、ね)

 

 少年が気付いていた様に、女性は最初から見ていた。

 明らかに、五歳児の身体能力と技のキレではない。

 

 所詮は暇潰し。彼女は、玩具を欲していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 夕焼けの邂逅から暫く。

 日もとっぷりと暮れて街灯の無い道は、月明かりだけが頼りだった。

 

「「…………」」

 

 畦道を行く二人の間に会話は無い。

 警戒心があるから、というよりも二人揃ってそこまで話題が無いから。

 ただ黙々と、しかし女性の方は少々歩調を緩めながら、暫く。

 山の入り口に足を踏み入れ少し上った所で大きな平屋が現れた。

 低い垣根から室内では明かりが点いている事は確認できるのだが、その一方で玄関は真っ暗。

 女性が目を細めるが、少年は躊躇なく玄関へと手を掛けてその引き戸を開いた。

 

「どうぞ」

「良いの?」

「こんな時間に、女性一人帰せませんから」

「…………君、本当に五歳児?」

 

 女性の問いに答える事無く、少年は真っ暗な玄関で靴を脱ぐと脇に揃えて室内へ。

 向かうのは、唯一明かりの点いている部屋だ。

 

「ただいま戻りました、お爺様」

「遅いッ!!酒を買うだけで何をちんたらしておる、この凡愚が!!」

 

 出入り口の襖を開けて帰宅の挨拶をすれば、返ってきたのは罵倒とそれから中身の入ったぐい吞みだった。

 割れないようにキャッチすると同時に、中に入っていた酒が零れて少年と床を濡らす。

 そのまま部屋に入ると、白髪の老人が付くちゃぶ台の上にぐい吞みを置き、更に買ってきた酒のパックを袋から出してつまみと一緒に置いた。

 ひったくる様にして、パック酒を手に取ると蓋を開け、先程投げて少年の手によってちゃぶ台に戻されたぐい吞みへと零れて、飛び散る事も気にも留めずになみなみと注ぎ、そして一気に煽った。

 この間に、少年は廊下に飛び散った酒を自分の着ているダボダボのトレーナーで拭う。

 無表情に、淡々と。それこそ、この年ならば泣き喚いてもおかしくない所業を受けながら、その表情筋はピクリとも動かない。

 入れ替わる様に部屋の入口に立つのは、女性の方。

 

「こんばんは」

「ああ゛?んだってんだ………んん?」

 

 酒精で血走った目が、彼女へと向けられる。

 鋭い、それこそ睨みつける様な目つきだったが、女性の端正な顔立ちとその服越しでも分かる抜群のプロポーションを確認すると和らいでいく。

 いや、寧ろ欲望の色が宿った下卑た視線だ。

 

「ヒッヒッヒ……あの凡愚も、中々役に立つじゃあねぇか。おい、ねぇちゃん勝手に人様の家に上がってんだから、酌の一つもしやがれ」

 

 手招きされ、女性は眉を顰め気付かれないように少年へと視線を向ける。

 

「…………」

 

 一つ頭を下げられた。どうやら、相手をせねばならないらしい。

 その小さな姿が廊下の暗闇へと消えた事を確認して、部屋の中へ。

 

「彼は?」

「あー?オレの孫だ。ちょうど、使い勝手のいい丁稚が欲しかったんでなァ、引き取ったんだ」

「成程」

 

 相槌を打ちながら、彼女はぐい吞みへと酒を注ぐ。

 注がれた酒を一気に飲み干して、上機嫌に老人はぐい吞みをちゃぶ台に叩き付けるように置いた

 

「気味の悪いガキだが、騒がねぇからな。まあ、この天沢元治の財産で食わせてやってるのさ」

 

 上機嫌に再び注がれた酒を飲み干して、老人は嗤う。

 そこから数度のお代わりとつまみを挟んで顔が真っ赤になると、そのままちゃぶ台へと突っ伏して眠り込んでしまった。

 起きないことを確認して、女性は立ち上がると部屋を出る。

 向かうのは、先程少年が消えた暗がりの方だ。

 暫く長い廊下を進めば、古風な台所へと辿り着いた。

 そして、

 

「お爺様は眠ってしまいましたか?」

「うん、ぐっすり。アレなら、明日の朝まで起きないんじゃないかな」

「そうですか」

 

 ダボダボなトレーナーから、丈の合わない甚平へと着替え、髪が湿った少年が夕飯を摂っていた。といっても、具無しの味噌汁におにぎり二つの質素すぎるものだが。

 

「何か拵えますか?」

「ううん、大丈夫」

「そうですか」

 

 頷き、おにぎりを頬張る少年。

 静かな時間が進み、時間にして十分ほどだろうか。

 慎ましやかな夕食を食べ終わり、食器を下げた少年は代わりに急須と湯呑を二つ用意して戻ってきた。

 

「粗茶ですが」

「ありがとう」

 

 受け取った湯呑からは、ふんわりと湯気と共に緑茶のいい香りが漂う。先程の、酒臭さとは大違いだ。

 一服。

 

「ふぅ……遅くなりましたが、自己紹介を。僕は、天沢エニシと言います」

 

 湯呑を置いて頭を下げる少年、エニシに対して女性もまた口を開く。

 

「よろしく、天沢君。私は、マキマ。国のデビルハンターをしているよ」

「でびる……?」

「悪魔狩りだよ。今回ここに来たのは、デビルハンターへの要請が出ていないのに、妙に被害が少ない地域という事で派遣されてきたの」

「はあ……悪魔というのは、あの化物の事ですか?」

「そう。人の恐怖と血を食らって生きる怪物。といっても、キミはあの悪魔を倒しきれてないんだけどね」

「?」

「キュウリの悪魔含めて、野菜系の悪魔は種まで燃やさないといけないの。バラバラにしただけじゃ、復活するよ」

「そう、ですか」

 

 マキマの言葉を受けて、しかしエニシは適当な相槌を返すだけだった。

 事の大事さに気付いていないのか、そもそも興味が無いのか。

 同心円状の瞳が細まる。

 

「驚かないね。君にとって脅威じゃないから、気にも留めないって事かな?」

「そういう訳では……あの時、僕の優先事項はお爺様にお酒を届ける事でした。それに、あの道は僕位しか通りませんし」

「キミは仕留められる?」

「はい。種から復活する事は初耳でしたけど、次からはそこまで刻めば良いですから」

 

 事も無げに、馬鹿げた事をエニシは宣う。

 ただ、それ以上語る気も無いのか口を閉じた彼は湯呑を呷る。

 マキマもつられる様に湯呑を傾け、少しの間が開いた。

 

「お爺様に引き取られて長いの?」

「一年前に……両親が事故に遭ってからです。悪魔に関しては……ここに来る前から、何度か」

「そっか。天沢君は短刀を使っていたけど、剣術に覚えがあるの?」

「え?……いいえ、ただお爺様から護身用に頂いているだけです。前は、ホームセンターの包丁を使ってました」

「見せてもらっても?」

「どうぞ」

 

 差し出された匕首を受け取り、マキマは軽く抜いてみる。

 曇り一つ無い白刃は、悪魔をバラバラにしても刃毀れの一つも起こしてはおらず、己が名刀であると言わんばかりに主張していた。

 ただ、やはり悪魔を狩るには心許ないと言わざるを得ない。

 そもそも、受け答えでバグるが五歳児が悪魔を狩るなどよっぽどだ。筋力、体力、身体のリーチ等々。全てが大人に劣る、筈。そして、悪魔というものはその大人を容易くぶち殺していく。

 

(そもそも、彼の身体能力がおかしい。ただの人間?フィジカルギフテッド?魔人じゃないのは確かみたいだけど)

 

 匕首を鞘へと納めて、マキマの目が細まる。

 悪魔の跋扈するこの世界において、契約を交わす事で超常的な現象、或いは技能を有する者も少なからず居る。

 ただ、大きな力には代償が必要。

 悪魔との契約などソレは顕著であり、肉体の欠損のみならず、寿命や感覚等も含まれる。

 では、この丁寧な少年はどうなのか。

 少なくとも、マキマは彼から悪魔の気配を感じ取ってはいない。

 何より、

 

「キミは、お爺様がもう長くない事を知ってるんじゃないかな?」

「はい」

 

 匕首を渡しながら問えば、これまたアッサリと頷かれる。

 その表情は変わらないままだ。

 

「その上で、言われた通りにお使いをしてくるんだね」

「それが、お爺様の願いですから。何より、僕はお医者様ではありません。お爺様はお医者様が御嫌いで、僕の言葉に動かれるような方でもありません。何より、一年前に僕がお爺様と対面したころには()()()()()()()()()。僕に出来るのは、お爺様の最期を看取る事ですから」

 

 淡々と、機械が吐き出すように言葉を連ねて、エニシは湯呑を手に取った。

 残酷な優しさだ。ここまで人間が出来ているのだ、自身の祖父がどうしようもないロクデナシである事は気付いている筈なのに、彼は態々付き合っている。

 ある意味では、悪魔の様な少年だ。

 もう一つマキマには気になる事があったが。

 

「キミは、相手の死期が分かるの?」

「いいえ。ただ、既にお爺様の内臓が限界だったのを()()ので」

「視た?…………随分と面白い事を言うんだね、天沢君」

「そうですか?」

「まるでキミは、人の中身が見えているみたいな言い草じゃないか」

「視えてますよ」

 

 肯定の返事が返ってきて、同心円状の瞳と黒い瞳が正面からかち合った。

 

「視えてるの?」

「はい」

「何時から?」

「物心がついた頃には」

「私も?」

「はい」

 

 言葉のキャッチボールが淀みなく行われる。

 エニシは、相手を透明にしてしまったかのようにその内臓を見る事が出来た。グロテスク極まるものだが、この視点になると彼の頭の中はあらゆる余分な要素が削ぎ落された凪の様な心理状態になる為、特段感想は抱くことは無い。

 同時に、彼が幼い身空で悪魔狩り等という事が可能な要因の一つでもあった。

 マキマの気配の質が変わる。

 

(欲しい……)

 

 彼女の内心は、これ一色。

 純粋な戦闘能力に加えて、奇妙な力。何より、幼児ならばまだまだ伸び代もある。

 マキマは強い。単一の戦力で見ても並大抵の悪魔もデビルハンターも相手にならない。

 しかし、だからといって常に孤高の単独行動を好むわけでもない。自分が手を下さなくても良いのなら、そちらの方が楽であるし。

 何より彼女は、“()”が好きだ。

 従順で、主人を一心に慕い、Noと言わないから。

 ついでに言うなら、()()というものも欲しいと思っていた所だった。

 

「ねぇ、天沢君」

「何ですか?」

「私のモノにならない?」

「?」

 

 思わぬ言葉だったのか、キョトリと年相応の表情を浮かべてエニシは首を傾げた。

 その姿は、マキマから見れば宛ら仔犬。

 利口で、愛想よく、大人しい。まだまだ世界の広さも知らない真っ白は、裏を返せば自身の色に染め上げることも出来るだろう。

 マキマは大袈裟に左手を広げる。

 

「私の下に来て、一緒に仕事をしよう。どうかな?デビルハンターとしての仕事なら、今までと変わらない。いや、今までと違ってキミには十全なバックアップを約束してあげる」

「…………お爺様が亡くなられるまでは、僕は動く気はありません」

 

 存外、頑固。

 しかし、マキマもまたこの機会を逃すつもりは毛頭なかった。

 

「――――これは命令です。私のモノになると言いなさい」

 

 同心円状の瞳が、幼い少年を捉えて放さない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 鯨幕が揺れる。高いところには踏み台を使って留め具を結び、それでも届かなければこれからの後見人となる赤毛の女性が括ってくれた。

 

「ありがとうございます、マキマさん」

「ん、大丈夫」

 

 頷くマキマの隣に立って、天沢エニシは一つ息を吐き出した。

 キュウリの悪魔を仮討伐し、彼女と出会った日から()()()()()()()()この日にたった二人の通夜と葬式を兼ねた催しが行われようとしていた。

 

 エニシの祖父が亡くなった。死因は、検死などが出来る訳では無い為ハッキリとはしないが、元々一年前の時点で既に内臓各種にガタが来ていたのだ。特に肝臓は、既に限界だった。

 祖父が亡くなり、しかし少し離れた町でも嫌われ者で、尚且つ身内は丁稚扱いの孫のエニシだけとくれば後の始末に困ってしまう。

 その手伝いとして、マキマが居た。

 彼女がこの家に来て一週間。

 正直な話をするならば、マキマ自身ここまでこの場に長居するつもりは無かったのだ。

 

(まさか、効かないとは)

 

 ポリっと頬を掻きながら、マキマは遠い目をした。

 一週間前のあの日、彼女は無理矢理にでも天沢エニシという少年を囲って連れて行くつもりだった。

 誘拐だと騒がれても悪魔が跋扈するこの御時世。交通事故のように、悪魔に襲われて命を落とす可能性も普通にある。

 何より、天沢家は街より離れている。余程の理由が無ければ町の住民が意味も無く訪れる事も無い。

 とにかく、常套手段が封じられた彼女は、しかしそれ以上の強硬手段に出る事無く、時季外れの休暇と洒落込む形で居座っていた。

 因みに、エニシの祖父の死因に、マキマは一切関わっていない。これは、断言する。彼の祖父の死因は不摂生によるもの。暴飲暴食に加えて深酒も合わされば体を壊す事は必然だった。

 

「本当は、お寺にお願いするんでしょうけど、僕は分からないので」

「それはこっちで、処理しておくよ」

「お願いします」

 

 仏壇の前に座って、エニシはジッと飾られた遺影を眺める。

 本当は色々としなければならないのだが、マキマのフォローがあってもごたごたするのが常。それこそ、顔も知らない様な“()()”が現れてもおかしくない。

 

 そんなごたごたを経て数日。

 

「忘れ物は無い?」

「はい」

 

 ダボダボのトレーナーに身を包み、背には何やら彼自身の身長に迫る棒状のものを突っ込まれた使い込まれた革製のリュックを背負ったエニシは玄関の前に居た。

 彼の隣に居るのは、ジャケットを脱いだ白のカッターシャツに黒のパンツスーツ、ネクタイを締めたマキマが立っている。

 既に、この土地、建物、そしてエニシの祖父が使いきれなかった財産の一部等々、相続を放棄した遺産の全てが国の国庫へと放り込まれる事になる。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 マキマが踵を返して手を差し出し、その白魚の様な指を小さな手が握った。

 もうここに、彼が戻ってくることは無いだろう。必要なものは、既に回収済みであるから。

 手を繋いで、畦道を行く。この間、エニシは一度として二度と戻る事のない家を振り返ることは無かった。

 

「寂しくないの?」

「元々、一年ほどしか居ませんでしたし。お爺様が亡くなれば、僕は孤児院に行くだけでしたから」

 

 淡々と言ってのけるエニシへと流し目を一瞬向けたマキマだが、特に何かを言う事はない。

 一週間程度だったが、彼の祖父は典型的な人間のクズをそのままに体現したような男だった。

 マキマを見る目は下卑たものであったし、その下心を一切隠そうとはしなかった。直接手を出さなかったのは、アルコールの中毒症状が進み過ぎて不能となっていたからだろう。

 家族の情というよりも、知ってしまったからという理由から一緒に居たエニシでなければ見捨てられても文句は言えないそんな男。

 話題に出る事も、もう無いだろう。

 暫く進めば街が見えてくる。その前に、黒い車が一台停まっていた。

 下りてきたのは、体格の良い角刈りの男。額にある斜めの傷が印象的だ。

 

「お待ちしてました、マキマさん。休暇はお終いですか?」

「まあね。一度東京に送ってくれる?」

「了解です………それで、そちらの子供は?」

 

 男の目がエニシへと向けられる。

 黒のスーツに身を包んだ彼と比べれば、巨人と小人。

 

「今日から、私が面倒を見るの」

「天沢エニシです。初めまして」

「あ、ああ……マキマさんが?」

「心配しなくても、この子はこの歳で悪魔を殺せるから心配する事無いよ」

 

 事も無げに言うマキマの言葉に、男はギョッとエニシを見下ろした。

 自身の半分ほどの身長に加えて明らかに真っ当な扱いをされてこなかっただろう子供が、大の大人ですらも場合によっては苦戦、命を落とす悪魔を殺すと言われるのだから当然だろう。

 しかし、それ以上の説明をマキマはするつもりはないらしく、さっさと車の後部座席へと向かってしまう。

 男の方も、少しの間ジッとエニシを見下ろしていたがやがて一つ息を吐き出すと、徐に左膝をついて目線を合わせる。

 

「初めまして、天沢君、で良いかい?オレは、加藤。公安でデビルハンターをしてる。まあ、今回はマキマさんの運転手役だけどな」

「よろしくお願いします、加藤さん」

「あ、ああ………とりあえず、マキマさんの隣に乗ってくれ。あ、荷物は自分で持っておくかい?」

「はい。ありがとうございます」

 

 子供らしからぬ子供は深く一度頭を下げると、マキマが乗った方とは反対側の後部座席の扉の前へと足を向けた。

 立ち上がった、加藤は後頭部を掻く。

 体格差もあるが、彼の見立てではエニシは五歳程度。でありながら、対応の仕方が手慣れた大人のソレだ。調子も狂う。

 しかし、彼はマキマの部下。そしてマキマに対する敬意と信頼信用を持ち合わせた人間だ。

 そんな人間が、上司に異を唱える事などまず無い。何より、悪魔を相手取る職業だ。大抵の事を飲み下せないようならば、速攻で気が狂って死んでしまうのが落ち。

 気を取り直して自身も運転席へと向かう。

 エンジンをかけ、アクセルを緩く踏みながらクラッチを繋ぐ。数年乗っている為か、その出発は限りなくスムーズだ。

 街中を突っ切る中、エニシは窓から外を眺めていた。

 何度も通った酒屋のある商店街の前を通る時には、小さくだがしかし窓を開ける事無く彼は手を振る。

 祖父はどうあれ、街の人々は、少なくとも顔馴染みの酒屋含めた商店街の人間は少なからずエニシを気に掛けてくれていた。その事に対して、何も思わないほど彼は人でなしではない。

 バックミラーでその姿を認めた加藤は、一瞬止まるべきか、とも考えるが商店街を過ぎた時点でエニシが窓を離れた為その考えを打ち消した。

 車が完全に街を抜けた所で、エニシは一つ欠伸を零す。

 車酔いの生あくびかとも思われるが、その目がトロンとしている所から、単純に眠りたいらしい。

 靴を脱いで代わりに背負っていたリュックを床へと下ろして、本人はドアの方へと頭を向けて丸くなって横になる。

 再三再四となるが、彼は五歳児。栄養状態もそれ程宜しくない事も加味して、その体格は決して宜しくない。身長も低い。

 という訳で、後部座席で横になっても丸くなればマキマに足が当たる事も無い。

 しかし、目を閉じる前に腰の横を叩かれて、寝入りは中断。

 寝ぼけ眼のままに頭を少し上げれば、マキマが揃えられた自身の太ももをポンポンと軽く叩いている。

 

「こっちにおいで」

 

 バックミラーで、加藤がギョッとしているが呼ばれたエニシは、もう睡魔によって頭が働いていないらしい。

 少し、マキマの顔と太ももを見比べて体を起こすと、そのままポフリと見る人が見れば血涙を流しそうな女性のふとももを枕に寝息を立て始めていた。

 年相応の頬はふくふくとしており、マキマはそんな少年の頭を撫でる。

 バックミラーから後部座席を盗み見た加藤は、とりあえず口から零れそうになった。

 その容姿も含めて、マキマは公安部において人気だ。特に男性陣から。

 だからこそ、子供とはいえ男の子であるエニシが膝枕を、それもマキマからのお誘いで膝枕をされたなど知られればまず間違いなく面倒な事になる。

 幸いと言うべきか、加藤は上司としてマキマを慕えども男女の仲になりたいなどとは考えていないのだから。

 寧ろ、

 

(先の楽しみな少年だ……)

「…………指導してくれるのは良いけど、()()()で天沢君を見るのは止めておいてね」

 

 肉食獣の様な目をしている加藤に、マキマが釘を刺す。

 真面なように見えて、彼もまたデビルハンター。

 因みに、刺すのも刺されるのも大好きという結構アレ♂なタイプが加藤という男だったりする。

 そんな男が、幼いながらも顔立ちが整い、将来を約束された顔を持つ男児を見て何も感じないだろうか。

 答えは、否。既に、ロックオン済みである。

 

「ち、因みに、指導は誰に?」

「基本的には、私の仕事に帯同してもらうよ。そうじゃなかったら、岸辺さん辺りに任せるよ」

「そうですか……」

 

 心なしか萎んだ加藤だが、この変態も最低限度の仕事を熟せるデビルハンターだ。

 その上で、マキマは断言できる。現状の公安で、エニシに勝てる者はまず居ない、と。

 少なくとも、加藤はまず勝てない。襲い掛かれば膾にされて豚のエサとして処理されるのが関の山だ。

 

「んん…………」

 

 マキマの撫でていた手が閉じた瞼の近くを通ったからか、むずがるような声が車内に響く。

 

「…………やっぱり、自分に――――」

「却下」

 

 変態に付け入る隙を与えてはいけない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 衣食住足りて礼節を知る。要は、最低限の生きる為に必要な環境が整ってこそ、人の心というものは成長するという事。ザックリとしているが、今日を生きる事に必死な環境の人間に道徳心を説いても、説教垂れ流す人間の身包みを引っぺがされて売り飛ばされるのが関の山だろう。

 

「ネクタイは、確りと結ぶ事。良い?」

「むむ………難しいですね」

 

 グニグニと首元の黒いネクタイを弄りながら眉根を寄せるエニシ。

 今の彼は、黒のスーツに身を包んでいる。もっとも、五歳児故にその見た目はスーツを着ているというよりも、スーツに着られている、という印象の方が強いが。

 

 エニシとの邂逅を果たした地より戻って、東京へと帰ってきたマキマが最初に訪れたのは、上司である内閣官房長官含めた老人たち、ではなく衣料店。

 主に、公安御用達のそこでエニシのスーツを拵えたのだ。

 

「こちらのボウヤは、マキマさんの弟さんですかな?」

 

 そう声を掛けてきたのは白髪の目立つ丸眼鏡の品の良い老人。この衣料店のテーラーを務め、尚且つ店長でもある。

 

「ええ、まあ、そんな所です」

 

 曖昧に頷くマキマは、その場で膝を突き絡まり始めたエニシのネクタイを解いて結び直す。

 基本で簡単なプレーンノット。社会人になれば、ネクタイの結び方を使い分けるシーンというものもあるのだが、基本的にこれさえ覚えておけば早々困ることは無い。

 ここから、改めて黒のジャケットを羽織り直せば仕事のスタイルは完成だ。

 

「次からは、自分で結べるようにね?」

「はい」

 

 こくりと頷き、エニシは手の動きだけを真似して動かした。

 一度見ただけで手の動きは完璧だ。この辺りは、彼の無駄に高いポテンシャルが役に立ったと言えるだろう。

 その様子を確認し、マキマは立ち上がる。

 

「代金は、公安の方に。領収書を切らないといけないので」

「ええ、分かりました。今後とも御贔屓に」

 

 老店主に見送られ、二人は手を繋いで店の外へ。

 揃いのスーツを着た美女と美男子の組み合わせ。少年は幼かろうとも将来を約束された顔面の持ち主だ。

 そんな二人が道を行けば、多くは無い人通りの視線も独り占め、いや二人占めというもの。

 

「動きづらかったりはしない?」

「えーっと………少し着慣れない?です」

 

 周りの視線など気にも留めないマキマが問えば、エニシは首を傾げる。

 今まで体格に合わないトレーナーを着ていたのだから、逆に体にぴったりと合うスーツというものは慣れないものなのだろう。

 それでも、動きの疎外とまではなっていないのはテーラーの腕の良さが光る。

 歩道を進みながら、マキマは口を開く。

 

「これからキミは、私の仕事に帯同してもらう。その上で大切な事があるから、よく聞いておいて」

「はい」

「まず、公安の基本的な仕事は見回り。そして、悪魔を見つけても直ぐには討伐しちゃいけない」

「?何故ですか?」

「民間の請け負った仕事の場合があるから。基本的に、私たちの仕事は民間のデビルハンターじゃ手に負えない様な悪魔が相手だからね。逆に、民間でも倒せる相手を私たちが倒し過ぎると業務妨害になるから。悪魔取締法もあるからね」

「とりしまり?」

「悪魔の死体は、売れるの。それこそ、裏稼業の人間相手に数十万、数百万単位で取引される事もある。暴力団の資金源になったり、彼らが契約する悪魔のエサになったり、とにかく色々と厄介な事になりやすいから、規制するための法律。天沢君も、気を付ける様に」

「分かりました」

 

 簡素な説明を交わしながら、その足は信号によって止められる。

 大通りとそこそこの太さの通りが交差する十字路。時間帯が変われども、余程遅い時間でもなければ交通量も多い。

 

「マキマさん、悪魔ってこんな街中にも出てくるんですか?」

「勿論。あんな風にね」

 

 マキマが示す先。大通りに面したビルの一棟が大きく粉塵を上げて弾けた。

 降り注ぐ瓦礫、逃げ惑う人々。

 そして、斜めに抉れるように崩れたビルより這い出てくるのは、羽毛に覆われた異形。

 

「…………ハト?」

「鳩の悪魔、かな。随分と大きいけどね」

 

 通りに降り立つ巨体を眺めながら交わす会話としては、実に淡白。

 というか、鳩と称したが頭部並びに胸元までが羽毛に覆われ、両腕は翼と鉤爪のある手が一体化。下半身、というか腹部に至ってはゴリゴリに鍛え上げられた薄灰色の人間のモノ。足は鳥類のソレだが、直立二足歩行を可能とするその立ち姿は、鳩の皮を被ったプロレスラーか何かだろうか。

 

「ちょうど良いや。天沢君」

「はい?」

「アレ、斃してきて」

「良いんですか?その、民間?の人たちがいらっしゃるんじゃ…………」

「あの大きさになると、民間じゃ厳しいよ。私の方で事後処理はしてあげるからさ」

「分かりました」

 

 頷き、エニシは徐に腰の後ろへと手を伸ばす。

 実は黒いジャケットの裾からはみ出ていたのだが、彼は匕首を携帯していた。

 それを今、抜き放つ。と同時に前へと駆け出した。

 五歳児など、まだまだ体の動かし方も知らず、体力はあってもそれに合わせた身体能力というものはまだまだ、というのが普通。

 しかし、エニシは違う。

 上体を前へと倒し、極力両腕を振らずに短い脚を勢いよく回しながら前へ前へと駆けていく。

 目算で三十メートルから四十メートル離れていた筈の距離は、瞬く間に詰まり接敵。そしてここまで近づけば悪魔も迫ってくる少年を視認していた。

 

「ギョケッ!ニ、ニニニンゲン、カ!」

 

 黒目の大きな無機質な目が瞬き、ズラリと鋭い歯の並んだ嘴から漏れるのは甲高く軋んだような片言だった。

 そして、近付けばその大きさが嫌でも分かる。凡そ、十メートル程だろうか。その手は人一人掴んでも余りある。

 その手が、無造作に駆け寄ってくるエニシへと伸ばされた。この巨体だ。ただの匕首の一振りや二振り障害にもならない。

 強いて挙げれば、刺されると地味に痛い、というのがあるかもしれないが人間の新鮮な生き血を飲めばそんな傷一瞬で塞がる。

 だが、

 

「ギ?ギィィィィィャアアアアアアアアアアアア!?!?!?」

 

 絶叫が通りに木霊する。同時に血塊同然の血の塊が大通りのアスファルトを汚した。

 閃くのは銀の刃。無造作に伸ばされた鳩の悪魔の右手は、一瞬の間に血の塊となって切り刻まれてアスファルトの染みへと変えられてしまった。

 

「…………」

 

 白刃を染めた血糊を振るって払い、エニシは絶叫する悪魔を見上げる。

 巨体だろうと何だろうと、彼にとってみれば単純に切り刻む対象が大きくなっただけに過ぎない。

 

 天沢エニシは、生まれつき自身の体の使い方を無意識の内に知っていた。そして、その知識を十全に発揮できる身体機能を有していた。

 純粋な身体能力だけの話ではない。身体操作能力や、重心操作、神経掌握、そして呼吸術。

 生まれながらの戦闘者。それが、天沢エニシという存在の本質である。

 

 右手が切り刻まれ、ここで初めて鳩の悪魔は自身に向かってきた子供を敵であると認識した。

 遅きに失したと言わざるを得ないが。

 

「グ、グゾッ!………?」

 

 左手で握り潰そうとするが、次の瞬間その巨体は前のめりに倒れていた。

 何故倒れたのか、鳩の悪魔自身分かっていないらしく藻掻くが、しかし身動ぎをするたびにアスファルトを染める出血の量は増える一方。

 何が起きたのか、その答えは小さな剣士が握っていた。

 エニシの姿は、先程悪魔の右手を切り刻んだ位置から、鳩の悪魔を挟んで対角線上の反対側にあった。

 彼がそこに現れる直前、二つの銀閃が走っていたのだ。

 結果、二本の柱のように鳩の悪魔の両足、その膝から下が切断され悪魔当人の動きについて行けずに膝より上の体が道路に転がる事となった。

 一方的。だが、エニシの動きは止まらない。

 僅かな助走を挟み、その体は宙を舞う。

 天沢エニシに、剣術のたしなみは無い。彼の恐るべき太刀筋は、体が動くがままに合わせている部分が多々あった。

 正しい体の動きは、体が知っている。それをそのままに体現する。

 これに加えて、()()()()()を行う事によってその肉体は、宛ら神の寵愛のごとき力を発揮した。

 

「…………うん、良い拾い物だった」

 

 遠目に、匕首一振りで行ったとは思えないほど日輪の如し巨大な斬撃を鳩の悪魔に叩き込むエニシを眺め、マキマは一つ頷いた。

 鳩の悪魔程度、彼女にとっては十把一絡げに過ぎない。だが、チリも積もれば山となる、という言葉がある様に数が増えれば煩わしい。

 かといって、民間のデビルハンターでは対応が難しく、公安所属でも下手な者では返り討ちに遭いかねない。

 その点、エニシは合格花丸の満点だ。

 最初のビルの倒壊は仕方がないとして、後は殆どその場から悪魔を動かすことなく斬り殺した。血液の汚れはあれども、必要以上に抉れたり倒壊していないだけマシ。

 縦に真っ二つで切断され、ついでに心臓部を刺突で念入りに潰され絶命した鳩の悪魔。

 その巨体の上で、匕首の血を払ったエニシは悪魔が完全に沈黙した事を確認して飛び降りると、小走りにマキマの下へと駆け寄っていく。

 

「終わりました」

「うん、観てたよ。これなら、合格かな」

 

 常の微笑を口元に浮かべて、マキマは腰を曲げるとエニシの頬についていた乾き始めた血の汚れをハンカチで拭う。

 これで、血腥い背景さえなければやんちゃ坊主と世話焼きな姉、といった微笑ましい光景になったかもしれない。

 兎にも角にも、突発的な初陣はアッサリと幕を下ろしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 ペンの走る音が室内に響く。

 マキマの執務室。ガランとした印象を受けるこの部屋にて、部屋の主であるマキマは大きな執務机で書類仕事を熟し、その机の傍らに置かれた二枚の畳とその上に置かれたちゃぶ台の上でエニシは問題集を解いていた。

 

「…………出来た」

 

 走らせていた鉛筆を置いて、エニシは一つ息を吐き出す。

 大人顔負けの受け答えと言葉遣いをする彼だが、その実勉強は殆どしてこなかったりする。口調その他は、両親の影響からだ。

 とはいえ、普通の五歳児と比べれば圧倒的に知力が高い。今も、解いているのは小学生を終えて中学生の単元なのだから。

 

「マキマさん」

「ん?終わった?」

「はい、答え合わせお願いします」

 

 ノートと問題集を持って立ち上がったエニシは、そのままマキマへと一式手渡す。

 万年筆を置いたマキマは、赤鉛筆へと持ち替えると、さらさらとノートに踊る文字と、それから問題集の最後尾に設けられた答えを見比べていく。

 淀みなく丸が続くが、時折跳ねるペン先。

 

「…………うん。相変わらず、数学は少し苦手だね。それに合わせて、計算系は特に」

「うっ……すみません」

「歴史系や生物、国語は良いんだけど。典型的な文系だからかな」

 

 心なしか、括ったポニーテールを萎びらせながら俯くエニシ。

 算数までは、良いのだ。問題は、中学の数学から。特に関数系は鬼門だった。

 ノートと問題集を受け取って再び畳の上へと戻ったエニシを見送って、マキマもまた一つ息を吐く。

 天沢エニシは、人間の範疇の事であれば恐らく何でもできる。それが、マキマから見た評価の一つであった。

 本当ならば、勉強など特別する必要はない。義務教育に関しても誤魔化しがきくし、そもそもここまでの戦力を勉学にとられるほど、公安に余裕がある訳でもないので。

 言ってしまえば、暇つぶしだ。

 公安対魔特異課。それが、悪魔に対応するために設けられた課であり、マキマはこの部署の統括も担っている。

 見回りが仕事の一環であるとはいえ、一定以上の権限を持つ者には書類仕事というものが付いてくるのはどんな職種でも変わることは無い。

 例に漏れず、書類の整理を行うマキマだが、当然ながらエニシが手伝えることは何も無かった。

 彼の立ち位置は一応公安の預かりであっても、五歳児の子供。重要書類など任せられる筈もなく、そもそも公安内でも彼の事を知るのは極一部でしかない。

 結果、エニシは暇を持て余す。無論、あの暴虐爺の下で一年間丁稚扱いでも折れる事が無かった精神力は、一時間だろうと五時間だろうと微動だにせず待ち続ける事は可能だろう。

 しかし、待てる事と暇ではない、という事はイコールで繋がらない。間延びする時間を楽しめるほど、エニシは老成していなかった。

 そこで昨日の鳩の悪魔討伐の御褒美として、彼は暇潰しの為の勉強道具を求めた。

 

(次は、英語以外の言語でも教えようかな)

 

 そんな事を考えるマキマは、存外楽しんでいると言えるだろう。

 再び沈黙の帳が下りてきて、ペン先だけが紙と擦れ合う音が響く。が、その音も部屋に転がったノックの音によって中断された。

 

「呼び出しとは珍しいな、マキマ。俺に何の用だ?」

 

 部屋に入ってきた男は、開口一番そう問いかける。

 左の頬に口角から伸びる縫合後の目立つ男性だ。特にその黒く濁った目と、上司の前でも構わず傾けるスキットル。

 ノートから顔を上げたエニシは、首を傾げるがしかし何も言わず、再び問題集へと意識を戻していた。

 

「うん、岸辺さんに紹介したい子が居てね」

「…………そこのガキか?」

「そう。天沢君」

「はい?」

「挨拶」

 

 マキマに話を振られて、改めて顔を上げるエニシ。

 そのまま立ち上がると、畳の傍らに置かれた小さめのローファーに足を通して、男性の目の前まで歩いて行き、そして頭を下げた。

 

「初めまして、天沢エニシです」

「………おう。俺は、岸辺。公安対魔特異1課の所属だ」

「よろしくお願いします、岸辺さん」

「…………マキマ」

「言っておくけど、昨日の鳩の悪魔を殺したのは彼だよ」

「ほお」

 

 岸辺の目が改めてエニシへと向けられる。

 巨体、というのはそれだけでアドバンテージだ。

 大きな体を支えるために、相応の馬力を発揮する事が出来て、尚且つ小さな怪我程度では致命傷になりにくい。

 それも、人よりもはるかに強い力を発揮する巨体の悪魔となれば、討伐するには相応の装備と、経験。何より強力な悪魔との契約も必要となるだろう。

 徐に、岸辺はエニシの両脇に手を差し込むと自身の目線の高さまで彼を持ち上げた。

 

「悪魔を殺すとき、お前は何を思ってる?」

「?……人に危害を加えなければ良い、ですかね」

「人に危害を加えない悪魔が居たら、お前はどうする?」

「特に、何も」

「そうか」

 

 エニシの言葉を噛み砕くように、岸辺は数度頷き、徐にその手に僅かな力が籠り、

 

「――――嘘じゃなさそうだ」

 

 しかしその手はエニシを締め付けることは無かった。

 見れば、小さな手が両方前へと突き出され、その親指がスーツの上から岸辺の肩関節の辺りにめり込んでいるではないか。

 指先に走る痺れ。それは正確に神経の位置を親指が押さえているという事に他ならない。

 

「悪かったなボウズ。いや、エニシか。試すような真似して」

「いえ」

 

 下ろされたエニシの頭を撫でる岸辺。

 ごつごつとした戦う人間の手だ。ついでに、徒手空拳よりも得物を握るタイプの手。

 

(化物、か)

 

 小さな頭を撫でながら、岸辺は考える。

 彼もまた、幼少期から力が強かった。それは今も変わらず、人一人殴殺する事も容易い。悪魔討伐にも存分に活かされている。

 そんな彼から見ても、天沢エニシは異常だ。力もそうだが、一挙手一投足の身のこなしが最早子供のソレではない。

 

「エニシ、お前幾つだ?」

「えっと……五歳、です」

 

 小さな掌が向けられ、岸辺は唸る。

 

(五歳で、コレか)

 

 岸辺は人類最強かもしれない女を知っているが、目の前の少年の宿した才覚はソレを超えていそうだったから。

 顎を撫でて少しの思考を挟んで、ついでにスキットルの中身を呷ってからマキマへと目を向けた。

 

「仕事は、もう回してるのか?」

「暫くは私の供回りをさせるつもりだよ」

「護衛か?」

「それも兼ねてるけど、もっと言うなら経験を積ませるためかな。先はまだ、考えて無いよ」

 

 変わらない同心円状の瞳を見返し、岸辺は左の親指で額を縦になぞる。

 本音を言うならば、直ぐにでもマキマとエニシを分かれさせたいと彼は考えていた。具体的には、エニシの為に。

 しかし、マキマの方が明らかに手放す気配が無い。

 

(お気に入りって事か?……珍しい事もあるが、この才能なら悪魔の目も眩むか)

 

 現状ではどうすることも出来ない為、岸辺はこの思考を打ち切った。厄介な事になるなら面倒ではあるが、ソレはソレ。

 

「顔合わせって話だが、俺がこいつと仕事に出る可能性はあるのか?」

「私の手が離せなくて、天沢君を置いて行かなくちゃいけない時とか、かな。その時には、岸部さんにお願いしますね」

「そうか…………エニシ」

「はい」

「俺の事は、先生と呼べ。もっとも、お前に教える事になるとすれば悪魔に関する事と、その他座学程度だろうがな」

「岸辺、せんせい?」

「そうだ」

「分かりました。よろしくお願いします、岸辺先生」

 

 素直なのか単純なのか、アッサリとエニシは岸辺からの要求を受け入れ、再度頭を下げる。

 ジッと小さい頭のつむじを見下ろしてから、徐に岸辺はマキマへと目を向ける。

 

「なあ、マキマ。やっぱりコイツ、俺が――――」

「ダメ」

 

 にべも無し。ついでに席を立ちあがったマキマは、サラリとエニシの背後へと回ると後ろから包み込む様にその小さな体へと腕を回していた。

 見下ろす黒い瞳と、見上げる同心円状の瞳。

 不毛な睨み合いだ。その火種でもあるエニシはというと、困った様に眉尻を下げて自身の前に回されたマキマの腕を軽くつかんでいるだけだった。

 

 一応、この場での不毛なやり取りは、岸辺が引き下がった事で終わりを告げる。

 しかし、世界は荒れる。

 

 具体的には、今より凡そ一年後。1984年11月18日に起きる、とある一件から。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 一年。365日の経過が、長いか短いかはその人の感じ方次第だろう。

 少なくとも、天沢エニシとマキマの一年は血腥く、同時に濃密な時間であったと言える。

 

「…………ん」

 

 広々としたクイーンサイズのベッド。

 被っていた毛布を脱いで上体を起こしたエニシは、寝ぼけ目を少し擦って大きく伸びをした。

 時計を見れば、時刻は午前6時を少し過ぎた所。寝室に設けられた窓に掛けられたカーテンの隙間から朝日が射しこんでくる。

 もう一つだけ欠伸を零して、エニシは隣を見た。

 

「…………」

 

 常に結んでいる三つ編みを解いたマキマが横向きに枕に頭を預けて眠っているのだ。

 というのもこの二人、というかエニシが住んでいるのはマキマの部屋だったりする。彼女が保護者でもある為当然ではあるのだが。

 常のキッチリとネクタイまで締めた姿とは違う、寝間着の無防備な姿は男であるなら垂涎ものだろう。

 もっとも、エニシは年齢一桁の子供。中身は育っているようにも思えるが、()()()()()には今の所反応していなかった。

 彼女を起こさないようにベッドを抜け出して、エニシが向かうのはキッチン。

 トースターにパンをセットして、冷蔵庫を開ける。

 朝食の準備、もとい家事全般がエニシの仕事だったりする。

 ベーコンと卵を焼き、サラダとしてレタスとトマトを水洗い。

 野菜の水気を切るために笊へと移し、それから薬缶に水を注いでコンロへと掛けた。

 コーヒーミルで豆を挽くのも、手間ではあれども一年続けていれば手慣れるというもの、手際よく一人分の豆を挽き終えて、ネルフィルターを準備。こちらも管理が面倒な代物だが、教えられたことを器用にこなすエニシは今の所ポカをやらかしたことは無かった。

 朝食の準備を一通り終えて、珈琲を淹れ終えた所で食卓のある部屋の扉が開かれる。

 

「おはよう」

「おはようございます」

 

 簡単なあいさつを交わして、この間にエニシは食卓へと朝食を並べていく。

 パン以外の一通りを並べてからキッチンへと戻ろうとするエニシ。だがその前に、後ろからするりと細い腕が回される。

 

「マキマさん?」

「んー…………」

 

 毛量の多い後ろ髪へと顔を埋めてくるマキマ。

 猫吸いならぬ、エニシ吸い。ここ半年ほどで、尚且つ家に居る時のみだがこうしてマキマはエニシを抱き寄せるとそのふさふさとした後頭部へと顔を埋める事が増えていた。

 

「朝ご飯を先に食べましょう?」

「…………そうだね。冷める前に食べようか」

 

 間が開けども、マキマは大人しく離れると食卓の席へと腰を据えた。彼女自身、食材を無駄にする様な事は先ずない。

 そんな彼女の席に焼きたてのトーストと、一人分程度に切り分けられたバターが二切れ乗った皿が置かれ。それからソーサーとコーヒーカップ、ミルクポッドとシュガーポットが置かれれば朝の準備は完了。

 

「「いただきます」」

 

 いつも通りの朝だ。朝食のメニューこそほぼ毎日変わるが、しかしここ一年で変わる事が殆ど無いのがこの光景。

 最初に、それこそマキマがエニシを引き取る際にも言ったように、ほぼ四六時中一緒に居る。

 仕事中然り、プライベート然り。ぶっちゃけ、岸辺が距離感に苦言を呈する程度にはかなり近い距離で一緒に居た。

 エニシが子供でなければ、男女の関係を噂されてもおかしくは無いだろう。それほどまでに、近い。

 

「そう言えば、天沢君。準備は終わった?」

「はい。でも、どうして急に海外出張に出るんですか?」

「少し欲しいものがあるから、かな」

 

 朝食を食べ進めながら、マキマは僅かに言葉を濁す。

 こういう場合、彼女には何を聞いても教えてくれない事をエニシはここ一年で学習していた。ついでに、彼としてもマキマの思惑がどうあれ、そこまで干渉する気が無い、という理由もある。

 ぼちぼち会話を交わしながら進んでいく食事。

 食べ終われば皿を重ねたエニシは、さっさとシンクへと二人分の食器を持ち込み、手早く洗っていく。ついでに、この間にお湯の残った薬缶をもう一度火にかけて温め直し、食後のコーヒーの準備を平行作業。

 シンク脇に置かれた水切り籠に食器と調理器具が並んだ所で、お湯が沸いた。

 コーヒーを一杯淹れ直してマキマの下へ。

 

「どうぞ、マキマさん」

「ん、ありがと」

 

 コーヒーカップを受け取って、マキマはその香りを味わいながら横目にキッチンへと再び戻っていく己の懐刀へと視線を送る。

 この一年ほどで、彼女の中のエニシへの評価は幾度となく上方修正を加えられてきた。

 悪魔討伐の実力は、止まる事を知らない。匕首一振りだけで、今まで掠り傷の一つも負う事無く様々な悪魔を討伐し続け、特に驚くのが野菜系統の悪魔。

 邂逅の折に、種まで焼かねばならないとマキマが言ったからか、エニシは細かな種の全ても匕首で切り伏せてしまったのだから。文字通り、細切れだ。

 加えて、木材、石材、鉄材、鋼材等々。材質問わずに切断する圧倒的な技量。宛ら日輪の如し軌道を描く斬撃。

 戦闘能力の高さもそうだが、更に家事の腕も一流。

 道具の扱い方などは一度教えればすぐに理解するし、マキマの好みも把握したうえで料理を拵える為ここ一年の家での食事が楽しく思える始末。

 知能も高く。一年で高校生の単元までこなしてしまった。無論、問題集を解いただけである為、学歴などの実績とはならないが、それでも十分破格。

 少なくとも、人間の範疇で見れば、一種の到達点。コーヒーカップを傾けて、マキマは目を細めた。

 正直な話、これから向かおうとしている目的の一つも保険の域を出ないのだ。ぶっちゃけ、懐刀として手元に置いているエニシが居れば、どうとでもなる。

 それでも自身の力の増強を行おうとしてしまうのは、未だに求めるものがあるせいだろうか。

 

 朝食の時間も終わり、歯磨きをして顔を洗って、身嗜みを整える。

 

「今日も、いつも通りですか?」

「そうだね」

 

 手慣れた様子で髪を後頭部で纏めたエニシは、そのままドレッサーの椅子に腰かけたマキマの背後に回ると踏み台を置いてその上に立ち、慣れた様子で櫛を通し始める。

 艶やかな傷みの一つも無い赤く長い髪。

 ある程度梳かした所で、エニシの指が躍る。

 するすると三つ編みが編まれていき、黒い髪紐で最後に留めればいつもの彼女の髪形が完成する。

 因みに、休みの日にはテレビなどで流れていたヘアアレンジを試していたり。

 揃いのスーツに身を包みネクタイを締め、更にマキマはロングコートを、エニシはピーコートをそれぞれ羽織った。

 

「……あ、天沢君」

「はい?」

「あっちの、大きい方を持っていかない?」

 

 マキマが示したのは、部屋の隅に立て掛けられた一振りの日本刀。

 薩摩拵えと呼称される、華美な装飾を省き実戦での取り回しを想定された黒塗りのソレはエニシが愛用している匕首と同様に家から持ち出した一振りだった。

 誕生日を迎えて六歳となったエニシだが、それでも体格が急激に変わった訳では無い。平均身長より僅かに大きい程度か。

 少なくとも腰には差せない。背負っても、鞘先を地面で擦ってしまうだろう。

 

「…………要ります?」

「今回は、相手が強いからね。それに、一度見ておきたいと思って」

「…………」

 

 どうやら引き下がらない。マキマの態度から察したエニシは、渋々刀へと近づくと両手で体の前に抱える様にして戻ってきた。

 

「片手で持てる?」

「はい」

 

 鯉口の辺りを左手で掴んで持って見せるエニシ。少し動かせば鞘先が床についてしまうが、普通に持ち歩く分には彼の力も相まって苦労は無いだろう。

 因みに、銃刀法違反に関しては、デビルハンター等という職業が罷り通る手前、あって無い様なもの。少なくとも、デビルハンターを生業にする者達にはそこまで関係ない。

 玄関を出て、半ば癖になっている手を繋いで二人は仕事へと足を踏み出していく。

 今回の仕事先は、世界の軍事的パワーバランスを担う国、というか共同体の一種。

 

 ソビエト連邦だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 凍てつく荒野に火花散る。

 

「ゴォォォォ…………」

 

 肺を震え上がらせそうなほどに冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、細胞の一つ一つに行き渡らせるように血を巡らせる。

 まるで黒曜石からそのまま削り出したかのような、艶があり深く引き込まれるような黒い刀身を持つ一振りの刀を手に、天沢エニシは凍った大地を駆け抜けていた。

 彼が相対するのは、見上げる程に巨大な異形の姿。

 銃だ。銃の塊。数える事すら億劫になるほどの膨大な数の様々な銃が集まり人型に近い形状を象り、それがそこらのビルを超える大きさとなっていた。

 

 “銃の悪魔”。昨今の不安定な世界情勢も呼び水となって出現してしまった最悪の悪魔の一体。

 

 数秒から数百秒という僅かな時間の上陸で千単位から数十万単位の人間が死んだ。

 それだけでなく、この巨体。ただ通過するという動作を行うだけで、人間の建てた建築物など紙くず同然に瓦礫の山と化してしまう。

 例え世界中の軍隊が集結しようとも、まず勝てない。それほどまでに、銃の悪魔は規格外の存在だった。

 そんな化物を打倒するのは、やはり()()()()()()

 ()()()()()()()を切り払って、エニシは一直線に銃の悪魔へと迫る。

 駆けながら、彼が思い返すのは戦闘前の要点。

 

『心臓を破壊しないようにね』

 

 機銃掃射の様な弾丸の嵐。一発一発が宛ら戦車砲を上回る様な破壊力だが、エニシには届かない。

 彼の周囲で火花が幾つも咲き誇り、駆け抜ける足元には残骸と成り果てた弾丸が敷物のように降り積もり、積み重なっていった。

 疾走、そして跳躍。

 迫るのは銃で構成された巨大な右腕。

 小さな黒い点が銃の悪魔とすれ違うと同時に、その巨大な腕は中程から切断。残骸となって崩れ落ちる事になる。

 

 正しく、化物。それも、この世の理を狂わせるような、埒外の怪物。

 

 規格外という点では銃の悪魔も十分に化物ではあるが、しかし足りない。

 頂点に近い存在であろうとも、ソレはあくまでもこの世の理の内側にあるピラミッドの頂点というお話でしかないのだから。

 銃の悪魔は、本来抱かない筈の恐怖を抱きながら、しかしどうすることも出来ない。

 世界を瞬く間に一周できるだろう機動力を持って逃げる事も考えるが、次の行動へと移そうとする時にはその巨体の一部が切り飛ばされているのだから。

 放つ弾丸は通じない。逃げることも出来ない。つまり、対面した時点で銃の悪魔の立場は完全に詰んでいた。

 特筆するようなことは、何も無い。そもそも、悪魔というのは超常的な能力を振るっているように見えて、その実態としては己自身の能力を大きく逸脱したような力は有していない。

 銃の悪魔を例とすれば、突き詰めればその能力は“弾丸を放つ”事。要は“銃”そのものの特性がそのままに反映され、それに加えて幾つかの特殊な効果が付随する。

 長くはなったが要するに、この“弾丸を放つ”という能力そのものが通じない相手には銃の悪魔は敵わない。いや、高層ビルを薙ぎ倒す馬力と海を一瞬で横断する機動力などを持ち合わせてはいる。居るのだが、しかし能力が通じない相手と言うのはそれだけ上位の存在。そしてそう言う輩は、銃の悪魔よりもそもそもの能力値が上の場合が多かった。

 

 結論、銃の悪魔の巨体は散々に斬り飛ばされ達磨にされると大地に転がる事になった。

 頭部の銃身も中程から斬られ、破損。

 

「…………」

 

 ()()()()()()()が無い事を確認して、エニシは遠くに突き立てていた鞘の下へと足を向ける。

 即死攻撃の嵐に晒されたエニシだったが、しかし息が荒れるどころか、擦り傷の一つもその体には刻まれていない。髪先が焦げた様子も、服の裾が破れた様子も無い。

 入れ替わる様にして痙攣する銃の悪魔の下へとマキマが向かう。

 

「強いでしょう?()()()()は」

 

 横を向く銃の悪魔の頭の側で、両手を後ろで組みいつもの微笑を浮かべるマキマ。

 

「そう、貴方は()()()()()()()()()。貴方は、敗者。こちらは勝者。()()()()()()()()?」

 

 マキマ(悪魔)は嗤う。

 銃の悪魔から何かが削ぎ落ち、そしてその首には鎖が巻かれていくような感覚を覚えさせる。心臓の鼓動が弱まり、その中から何かが抜け落ちていく。

 まるで急激に血を抜かれたように、銃の悪魔の意識はそこで完全に潰えてしまった。

 沈黙した巨体を少しの間眺めてから、マキマは顔を上げる。

 見るのは、小脇に刀を挟んで駆け寄ってくる少年だ。

 

「マキマさん?」

「……ん、帰ろうか」

 

 上がりそうになった右手を押さえて、マキマはサラリと帰宅を提案する。

 言ってしまえば、興味本位。

 この一年で、彼女は天沢エニシという少年に情を覚えていた。()()()()()を続け、その内部に温かな何かが生まれようとしている事も、自覚しつつある。

 しかし同時に、彼女は悪魔だ。その根底の在り方というものは変えられない。未だに、狂愛を向け続ける相手に対する歪んだ感情を消す事も出来ない。

 それに気付いているのかいないのか、エニシは何も言わない。

 マキマはマキマで壊れているが、しかしその一方でエニシはエニシで壊れてしまっているのだから。

 

 そもそも、彼の祖父がアレだ。そしてエニシの父親はその祖父の息子だった。

 そんな男の子供が、真面な人間に育つだろうか?Aガワだけ真面な地の透ける人間に育った。

 丁寧な口調と柔和な態度を仮面に張り付けるが、所々で粗暴で粗野な地金が覗く。酒癖も悪いが、しかしその一方で女好き。惚れ込んで結婚した()()()手を出すことは無かった。

 天沢エニシは、壊れている。彼は、愛が分からない。

 丁寧な口調も、穏やかな態度も。何れもが処世術によって磨かれたものでしかない。

 天性の肉体は圧倒的で、物心つく前の赤子の頃から頑丈さは指折り。大の大人の癇癪を受けたとしても痣も出来やしない。

 同時に、物心ついた頃には自分の力が相手を簡単に傷つける事も理解してしまっていた。

 つけっぱなしのテレビから世間一般を学習する傍ら、実の両親には殆ど奴隷の様な、空気の様な立場で諂う毎日。

 知識と現実のギャップは、感情を殺すには十分な物だった。精神崩壊が起きなかったのは、そのメンタルが鋼だったからだろう。

 

 互いが互いに壊れているからこそ、そしてどちらもが一定の領域に到達している為に一緒に居られるのだから。

 

「……マキマさん?」

「…………」

 

 エニシの後ろから腕を回して抱き着くようにして、マキマは彼の左頬に自分の右頬を摺り寄せる。

 変化の兆しはある。それは特別な契機が必要な訳では無く、積み重なった時間が自然と二人の関係を変化、そして安定させていく事だろう。

 

「この悪魔は、どうするんですか?止めを刺しますか?」

「うーん……いや、止めておこうか」

「?」

「銃の悪魔は、多くの人間を殺した。その恐怖の対象として、例え肉片になってもその力は完全には消し去れない。かといって殺して地獄へと送還した場合、再び力を取り戻した状態で出現するだろうね」

「……だから、放置を?」

「正確には、世界中の国が恐らく悪魔の肉片を分割管理、という形に落ち着くよ。互いが互いに監視し合うように、ね。大きく利権を取るのは、ソ連、次いでアメリカかな」

 

 ムニムニとエニシの頬を両手でこねながら、マキマは言葉を紡ぐ。

 銃の悪魔出現には、現在の世界情勢がその大きな要因として挙げられる。要は、大きな戦争が間近に迫る様な、そんな状況だったのだ。

 故に、この巨体を利用する。エニシに大分斬り飛ばされてしまったが、その飛ばされた部分もこの凍てつく荒野のあちこちに転がっていた。

 相互監視による、情勢の安定。何より、こちらの方がマキマにとっても予想が付きやすく、丁度良かったから。

 納得したのかしていないのか、エニシはそれ以上は何も言わず大人しく頬をこねられる。

 この日の事は、二人以外誰も知らない。だって、その方が都合が良いのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 銃の悪魔出現から、四年の月日が流れた。

 

「…………よし」

 

 鏡を見ながらネクタイを締め、天沢エニシは身嗜みを整える。

 十歳となった彼は、身長も140センチとなり平均身長より僅かに高い背丈となった。

 最初は着られていた様だった黒のスーツも、体格が確りし始めた辺りである程度見られる格好となっている。

 背負うのは、薩摩拵えの黒刀。腰の左側にジャケットで少し隠すようにして匕首を一振り忍ばせて、これにていつものスタイルの完成だ。

 ただし今回は、これに加えて一抱え程度の黒いリュックサックを背負う事になる。

 というのも、今回の仕事は少々遠出をする。その上、()()()()()()()()なのだから。

 

「忘れ物は無い?」

「はい」

「最悪の場合は、周辺被害も気にしなくて良いからね?」

「昨日も聞きましたね」

「大切な事だからね。万が一にも、私の懐刀が刃毀れする、だなんて思いはしなくても、ね?」

 

 玄関でローファーを履いたエニシと向かい合うように腰を曲げたマキマは、本心はどうあれ言葉を紡ぐ。

 

 事の始まりは、数日前の事。公安に対して、人員派遣の要請が行われた事にあった。

 それも、表立ってではなく秘密裏に。裏の、()()()()()()()だ。

 

「それじゃあ、行ってきます。マキマさん」

「うん。行ってらっしゃい、()()()()

 

 扉が開かれ、そして閉じる。

 一人に成った玄関で、マキマは一つため息を零していた。

 数日前の要請。その大本は、お隣中国の統治政府からのモノであった。より正確に言えば、香港政庁からの要請、と言う方が正しいだろう。

 イギリスの干渉を大きく受ける事になったその土地には、政治的空白地帯というものが存在していた。

 政治的な不安定、軍事的衝突などで大きく割を食う人々は皆こぞって香港へと集まり、その空白地帯へと身を寄せ合う事になる。

 結果として出来上がったのは、巨大なスラム街。

 九龍城砦。日本では、九龍をクーロンと呼んだりもするが、こちらは日本の造語であるらしく現地では通じない、とか。

 

 この政治的空白地帯において、悪魔の討伐、を隠れ蓑にした介入が今回の仕事。もう一つは、中国に居る腕利きのデビルハンターとの顔繫ぎ。

 因みに、更に表向き。つまりは、外交上の名目は日本政府によるイギリス、中国間の仲立ち。本来はアメリカの役割だが、そこに一枚日本が噛む形となっていた。

 本来ならば、マキマか岸辺の仕事であったのだが、生憎と二人揃って予定がある。

 岸辺は北海道へ。マキマは関西方面で、京都公安との打ち合わせ並びに視察。

 相手方との時間調整にも問題があり、どうしてもタイミングが合わない。そこで、白羽の矢が立ったのがエニシだった。

 ここ四年で、彼の立ち位置は公安最強をほしいままにしている。既に、彼が戦場へ出ればそれだけで悪魔との戦闘は終わるとさえ言われるほどに。

 たった十歳の子供におんぶにだっこなど、一端のデビルハンターとして恥だろう、と言うような者も居るが悪魔との戦闘は文字通り命懸け。無駄なプライドで死ぬぐらいならば、地べたに這いつくばって泥水を啜って、靴を嘗めてでも生き残る方がマシだった。

 

 マンションを出たエニシを出迎えるのは黒い車。降りてくるのは、見知った顔。

 

「やあ、天沢君。暫く振りだね」

「お久しぶりです、加藤さん」

 

 額に傷のある男、加藤。ここ数年を生きのこるベテランのデビルハンターの一人。

 とはいえ、ここ数年は彼の趣味嗜好の為にエニシとの交流は殆ど無かった。今回は、偶々手すきだったのが彼だけだったため。

 エニシが後部座席へと乗り込み、運転席へと加藤も乗り込む。

 滑らかな発進。

 

「それにしても、数年とはいえ随分と精悍になったじゃないか。身長も随分と伸びた」

「今、140センチ丁度です」

「へぇ」

 

 バックミラー越しに、きらりと加藤の目が光る。

 マキマから釘を刺されたあの日から、しかし忘れる事など出来るはずもない。それも、成長した姿を見せられれば舌なめずりの一つもしてしまうというもの。

 しかし、仕事は仕事。それも、今回の件は裏取引とはいえ国際関係に直接響く内容だ。

 ふと、加藤はバックミラーを盗み見た。

 未だに幼さは残っているが、初邂逅に比べればエニシは随分と大きくなった。

 

(何より、マキマさんの言う通り。いや、それ以上の戦果を挙げている)

 

 イカレ具合を求められるデビルハンターの世界だが、それでも年端のいかない子供を戦場に突っ込んで何とも思わない訳では無い。

 現に、エニシが本格的に動き出した当初は、反対の声も大なり小なりあった。表立ってのものではなかったのはマキマと岸辺が何も言わなかったから。

 その声が収まったのは、単独で大型の悪魔を討伐した事にあった。

 傷一つ負う事も無く、瞬殺。どんな悪魔も、匕首、もしくは体格に合わない刀を手に斬殺し一切の抵抗を許さない。

 今回の抜擢も、反対の声は一つも挙がらなかった。

 

「そう言えば、中国語は話せるのかい?」

「一応。といっても、岸辺さんのお知り合いとの顔繫ぎを兼ねてますからその人が日本語を話せるみたいですよ」

「岸辺先生の……」

 

 エニシの言葉に、成程と加藤も頷く。

 経験という点において、公安でも岸辺は頭一つ抜けている。そろそろ全盛期を過ぎつつあるのだが、それでも並大抵のデビルハンターや悪魔は一蹴するほどに。

 だからだろうか、彼もある程度の知り合いというものが居る。今回、エニシが厄介になる相手も中国に居り、元は公安に所属していたのだとか。

 因みに、エニシはというと、英語、中国語、ドイツ語、フランス語等々、様々な国の言語を勉強させられていたりする。

 程なくして、空港が見えてくる。

 

「…………飛行機、かぁ」

 

 去っていく車を見送って空港を見上げたエニシは、そんな事を呟いた。

 彼は、飛行機があまり好きではない。あの胃の底から持ち上げられるような感覚がどうにも体に馴染まないのだ。

 しかし渋った所で今更拒否できるはずもない。

 手続きをして、あれよあれよと指定された座席へ。金属探知機などは、元々許可証が発行されている為問題にならない。

 数時間のフライト。その間に、エニシは座席で資料へと改めて目を通していた。

 

「九龍砦……それから、三合会。警察の定期巡回でも一から十まで、完全には把握しきれていないんですね」

 

 建て増しに建て増しを重ねて、結果的に迷路のようになったスラム。一度入れば出られないとすらも言われる構造だが、しかしその実この評語はそれだけのものではない。

 というのも、九龍城は城と呼ばれているが、実際の所は元々の城砦は既に取り壊されている。その跡地に、多くの難民が集まりバラックを建て、更に政治的不安定によって多くの難民が流入。

 人の増加に対応するように、只管に無計画な増築が繰り返された結果でもある。ついでに、この建築が大きく周りに広がらなかったのは、あくまでも九龍城塞の在った地点が飛び地として成立する範囲であったから。

 イギリス領内であり、中国政府の統治は届かず。しかしその一方で、イギリスはイギリスで条約の結果手が出せない。

 そこで、先の評語。一度入れば出られない。

 迷うだけではないのだ。不用意に踏み込めば、その地の住人たちに身包みはがされかねない。

 ()()()()()に巻き込まれる可能性もある。その場合、死体は使える部分は再利用される事だろう。

 ここまで連ねたが、十歳の子供が向かう場所ではない。

 資料を片付けて、エニシは行き先へと思いをはせる。

 初めての一人海外はもう間もなくだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



四人の魔人はいつから一緒に居たんでしょうかね
この話では、原作の凡そ九年前となります











 同じアジアの国ではあるが、空気が違う。空港の出入り口で、天沢エニシは大きく息を吸い込んだ。

 煙たい様な、少し汚れの酷い空気。ただ、この空気に関してはお国事情というものが関わっていたりする。

 中国はその土地柄、気温が低い場所が多い。加えて、人口も多く、人口が多いという事は消費されるエネルギーというのも大きくなっていく。

 北京近郊には、火力発電所が多く。更に、一般家庭では石炭が現役の燃料である事が珍しくない。竈や暖房器具など。

 ただ、どれだけ空気が悪かろうと口元を覆う訳にはいかない。

 

「ボウヤが、エニシかな?」

「はい。クァンシさん、ですか?」

 

 右目を眼帯で覆った美女。そして、そんな彼女の周りに控える四人の女たち。

 彼女ら、正確には真ん中の眼帯の女性こそがエニシの待ち人。

 眼帯の彼女、クァンシは開いている左目を僅かに細める。

 

「岸辺に聞いた時には、何の冗談かと思ったんだけどね………まあ、良いか。これから、列車に乗って行くから。逸れないように」

「はい」

 

 踵を返して颯爽と歩き出すクァンシ。

 その後をポニーテール女性と角のある女性、それから全身継ぎ接ぎの女性が続く。

 そして、

 

「ハロウィン!」

「…………ハロウィン?」

 

 頭部の右側の脳がはみ出し垂れ下がって結ばれ、右目が眼窩から零れたハートの瞳孔を持つ女性がエニシの側に着く。

 グロテスクな見た目だが、しかしその一方でエニシは彼女の口から出た言葉の方が気になるらしく首をかしげていた。

 

「ハロウィンって何ですか?」

「ハロウィン?」

「何です?」

「ハロウィン!」

「………?」

 

 要領を得ない。クァンシを見失わないように歩き出しているのだが、エニシの首は傾くばかり。

 交互にハロウィンと繰り返すアホの様なやり取りに、さしものクァンシも額に手を当ててため息を一つ吐き出した。

 

「ハァ……ロン、コスモを回収してくれるかい」

「了」

 

 角のある女性が動き、脳梁目玉零れ娘を回収していく。

 ついでに、追いついたエニシがクァンシを見上げた。

 

「クァンシさん。ハロウィンって何ですか?」

「海外のお祭りの事さ、ボウヤ」

「お祭り…………」

「ああ。そう言えば、日本ではまだまだ馴染みがないのか。クリスマスやら正月やらをちゃんぽんしているんだから、直ぐにでも受け入れられそうなものだけど」

「クリスマスは、知ってます。赤い服を着たお爺さんが忍び込んで、石炭で子供たちを殴りつける日ですよね?」

「スー…………因みに、ボウヤ。それ、誰に教わったんだい?」

「マキマさんと岸辺さんです」

「…………」

 

 クァンシは眉間を揉んだ。真面そうな澄んだ目をした少年が、とんでもない爆弾を落としていったのだから。因みに、悪い子をフルボッコにするブラックサンタはドイツの伝承に実際に存在する。

 エニシの知識は、このブラックサンタと通常のサンタクロースがごっちゃになっていた。

 

「…………ボウヤ。本来は違うんだよ。クリスマスに来るサンタクロースは赤い服を着ているが、ソレは返り血に染まったものじゃない」

「?じゃあ、どうして不法侵入するんですか?」

「……ピンツィ。私は、旅券を買って来るよ。彼に説明しておいてくれるかな?」

「分かりました~」

 

 駅へと足を踏み入れていくクァンシと他三名。

 待たされる事になったエニシは、隣の女性を見上げる。

 

「ボウヤは、何も知らないんですねぇ」

「結局、ハロウィンって何なんですか?」

「北欧のお祭りですよ。十月三十一日がそうですね。元々は北欧のケルト神話がもとになっているみたいです。“Trick or Treat”と唱えながら仮装をした子供たちが家々を回りお菓子を貰うか、貰えなければ悪戯をしてまた別の家へ」

「…………なんだか、強盗みたいですね」

 

 眉根を寄せるエニシ。彼の頭の中では、悪魔の様な仮装をした子供たちが玄関へと迫る様な光景が思い浮かんでいた。

 補足をすれば、ハロウィンは日本のお盆にも近いかもしれない。ついでに、カボチャをくりぬくのはアメリカ大陸が見つかってからで、それ以前はカブを用いるのだとか。更に、アメリカで定着した辺りで、宗教的な要素はほぼ廃されている。

 ポニーテールの彼女は、右人差し指を立てた。

 

「では続いて、クリスマス。いえ、貴方にはサンタクロースの方がいいでしょうか」

「不法侵入おじさんですね」

「本来の話は少し違うようですけどねぇ。良い子にしていたら、クリスマスイブの夜にプレゼントが貰えるんですよ」

「成程」

 

 頷くエニシ。そこに、マキマや岸辺に対する不満の様なものは見受けられなかった。

 そもそも、

 

「僕は別に、良い子じゃありませんからね」

 

 彼自身の認識として、エニシは良い子ではない。

 祖父を見殺しにした上に、悪魔とはいえ生きている存在をその手に掛けてきたのだから。

 結局、クァンシが戻ってくるまで、二人の間にはそれ以上の会話は為されないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1988年。この時代に高速鉄道などは未だに整備されていない。

 代わりに活躍するのが、現代の日本では廃れてしまった寝台列車である。

 中国の国土は広く、加えて主要都市が各地に散らばっている状態。それらに接続するように敷かれた鉄道網。

 

「それでも、三十時間はかかるんだけどね」

 

 寝台に腰掛け、傍らに座る二人の女性を愛でながらクァンシは暗い目を対面の寝台に座る少年へと向ける。

 北京から広州まで三十時間以上かかる。その為、出発はエニシが中国の地を踏んだ日の深夜からだ。

 窓の外は、闇が広がっている。

 五人で、寝台四つは狭いとも思えるが、しかし良い席を取ったお陰か比較的ゆったりとした広さがある。

 具体的には、ダブルベッドより僅かに狭い程度。二人で眠る事も難しくはないだろう。

 そして、クァンシと他四名は()()()()関係だ。

 

「ご飯とか、どうするんですか?」

「飲食用の車両に向かうか、途中で休憩のために止まる駅で買い込むかのどちらかだろうね。ボウヤも私たちと話せる程度には言語に苦労していないのなら挑戦してみても良い」

「僕、辛いのはあんまり好きじゃないんですけど」

「中華料理の全てが辛い訳じゃないさ。これから向かう広東の料理は、海鮮が多く高級志向な物もふんだんに使いながら、四川料理ほど辛くはない」

 

 他愛のない会話だ。

 両者互いの腹の内を探る様な事はしない。不毛であるから。

 クァンシにとっても、エニシにとっても、目の前の相手は仕事を共同する相手でありそれ以上でも以下でもない。

 内ゲバなど早々起きない。

 

 つまりは、事が荒れる場合は外からの持ち込みだ。

 

 深夜。時計の針が天辺を過ぎて一回りをした頃の事。

 クァンシは窓側の壁に凭れかかってグラスを傾け、彼女の太ももや肩を枕に角のある女性と、ポニーテールの女性が眠り。その上の段の寝台では継ぎ接ぎの女性と脳の零れた女性が休んでいる。

 その反対側、上の段の寝台でエニシは丸くなっていた。

 列車の揺れ以外は静かなものだ。

 

「……」

 

 だが、その静かな時間は唐突に終わりを告げる。

 鋭いクァンシの目が、扉へと向けられる。同時に、列車の揺れに合わせて転がったエニシが寝台から落ちると、その手には鞘に入ったままの匕首が握られ床へと着地。

 一瞬だけ、二人の視線が交錯し再び扉へと向けられた。

 引き戸の取っ手は、扉を挟んで連動する。つまり、向こう側で取っ手が動かされれば、部屋側の取っ手も動くのだ。

 列車の揺れ程度では決して動かない扉が僅かに開かれ、廊下に設けられた僅かな明かりが隙間から射しこんでくる。

 同時に、エニシが動いていた。

 引き戸が完全に開けられると同時に、前へと突っ込み肉薄。いつの間にか抜き放った匕首を右手に順手で携えて、扉の前に立った誰かの胸部を瞬きの間に刺突で穴だらけにしてしまう。

 何が起きたのか分からないままに絶命した誰か。その口から血が溢れる前に、エニシは左手で誰かの胸ぐらをつかむと部屋へと引きずり込み、同時に扉を静かに閉めた。

 時間にすれば、五秒ほど。その間で、部屋の中は一気に濃密な血のニオイが籠り始めていた。

 

「…………襲撃ですか?」

「大方、黒社会の連中だろう。彼らにしてみれば、九龍城(自分たちの縄張り)へと手出しをされる事は嫌だろうからね」

「どうしましょうか、コレ。一人だけじゃないと思いますけど」

「私たちの場所がバレていると仮定すれば留まるのは得策じゃないが…………かといって、旅が始まったばかりの現状、乗り換えるにも、ね」

「とりあえず、火の粉を払いましょう。死体の処理は面倒ですが、かといって下手に生き残らせると後に厄介を生むかもしれませんし…………」

「死体は、こっちで処理をしよう。ボウヤは狩っておいで」

「……了解です」

 

 一瞬だけ、()()()()四人へと視線を送り、エニシは廊下へと消えていく。

 静かになった室内。

 

「ロン。食べても良いよ」

「血!」

 

 嬉々として角のある女性が動き出す。

 この間にクァンシが考えるのは狩りに出た子供の姿。

 

(瞬きの間に、急所に五回の刺突。加えて弛緩した人間の体をああも簡単に、片手で動かす、か)

 

 クァンシ自身、出来る事だ。裏社会の下っ端にとられる命ならば、そもそも彼女はここまでデビルハンターとして生きてはいない。

 そんな彼女から見ても、エニシは異常だ。特にそのたたずまいと実力。

 というのも、パッと見では彼は十歳の子供でしかない。背中に刀を背負っていたり、スーツを着ていたりするものの十歳の子供でしかないのだ。

 でありながら、殺意も敵意も無く人一人を殺してみせた。“意”を消すとか、薄めるとかそんな事ではなく、まるで最初から持ち合わせていない様な()()()()()()()人一人殺めた。

 異常だ。そして、ぶっ飛んでいる。

 

「…………やれやれ、岸辺も随分と厄介なボウヤを送り付けてきたもんだ」

 

 夜はまだまだ明けない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 薄暗い廊下。窓から射す月明かりに照らされるのは一人の死神。

 

「くっ――――ッ!?」

 

 相対する男の一人が拳銃を懐から取り出し、その銃口を向けた。

 だが、その指がトリガーを引く前に死神は眼前へと迫っており、次の瞬間にはその意識は途切れて二度と戻って来る事はない。

 廊下を血で濡らす事は、本意ではない。そこで、エニシはとある方法を取っていた。

 超高速の刺突と、相手を透かして見る視界の二つを用いて、極力相手の体を傷つけないようにしながら主要内臓器官を破壊して即死させていくのだ。

 転がった死体を見れば、胸元がじんわりと赤く染まれども、それ以上の出血は見受けられない。

 目を見開いた死に顔はその死の突然さを如実に表していた。

 死体の上着で、白刃に僅かに残る血痕を拭いエニシは耳を澄ます。

 ガタゴトと線路を抜ける時に聞こえる音と、それから()()()()()を彼の聴覚は聞き取っていた。

 言語というモノは、同一の国内であろうとも地域によって大きく変わる。日本ならば東北と九州では方言に大きな違いがあるだろう。北海道や沖縄は、そもそも別の文化が混じる。アメリカでも、西部と東部、それから南部で発音だったりイントネーションに差がある。そもそも、イギリスとアメリカで同一の英語という言葉を使いながら、差があるのだ。

 中国語も、同じような物。北京周辺と、広東の方ではイントネーションというべきか、とにかく違いがあった。

 内容までは分からないが、数人と言った所か。

 現在、エニシが仕留めたのは三人。最初の一人と、次で部屋を出た直後にアンブッシュ出来た一人。そして、先程の一人だ。

 そして、考える。

 

(バレてる事は、確か。とすると、到着してからも気が抜けない。散発的に襲撃を繰り返されてもこっちが消耗するだけ、かな)

 

 残りを片付けながら、どのタイミングで漏れたのか、とも考えるがこちらはどれだけ考えても可能性の域を出ない。

 何故なら、人の口には戸が立てられない、から。

 今回の任務には、最低でも三ヶ国が関与している。加えて、そのうち一つがイギリスだ。

 外交問題において、この国ほど信用ならない場所もない。二枚舌の異名は伊達ではないのだから。

 瞬く間に襲撃者を一掃して、エニシは血のほとんど流れていない死体の襟元を掴んで引き摺って行く。

 合計で六人居た。脅威度という点では大した事無いが、一晩の襲撃者と見れば若干多い。更に、腕利きの暗殺者と言う事でもなく、チンピラの域を出てない。

 エニシは知らないが、襲撃者の持っていた拳銃は、精度の低い粗悪品だったりする。

 安価で大量生産が出来る。その一方で、安全面に問題があり、動作不良や最悪銃身そのものが弾ける可能性すらもあった。

 銃の悪魔の打倒から今日、世界的に銃は規制されている。所持は厳罰化され、凄惨な事件や事故などは報道も下火。

 

 だが、ゼロにはならない。彼らの持つコピー拳銃などもその一つ。

 

「終わりました」

「ん、お疲れ」

 

 部屋へと戻ったエニシを出迎えるのは、先と変わらない壁に凭れかかるクァンシの言葉。そして、口元を少し汚した四人の魔人達。

 

「人数は?」

「六人ですね。今晩だけなのか、それとも朝からも来るのか。少なくとも、今回の襲撃者は中国人だけだと思います」

「成程ね……癒着にしろ何にしろ、後ろ暗い連中とつるめば金になる。仕方がないね」

 

 やれやれと首を振るクァンシ。

 いつの時代も、政治と金は切っても切り離せない。そして、どの国でも一瞬で巨万の富を築ける可能性があるのは非合法の裏社会。

 薬物、金貸し、土地、銃火器その他諸々etc.

 裏社会の人間は、資金などを横流しにして。政治家は、彼らの障害となるものを己の権力を持って排除する。

 癒着だ何だと騒がれるが、バレるヘマさえしなければ誰しもやってる事だ。

 世界は潔白では回らない。

 

「とはいえ、移動手段はこの列車しかない。私としても、数十時間のドライブは御免被るからね」

「列車そのものを止められる可能性は、無いんですか?」

「そこまで大事になれば、揉み消す側も無理だろう。そんな事になれば、通じてる政治家の方は保身に走るさ」

「では、散発的な襲撃に備えるだけですね」

「そこは、個人で対応するとしようか」

 

 クァンシの言葉に頷いて、エニシは床に落としていた鞘を拾って匕首を収める。そして軽く跳躍してスルリと最初に使っていた上の寝台へと引っ込んでしまった。

 明らかに人間離れした身体能力だが、出会い頭に人間の急所を殆ど出血させる事無く貫いて殺す姿と比べれば、まだ見れたもの。何より、その程度驚くほどクァンシの肝は小さくない。

 お腹いっぱいになって眠る角のある女性の髪を梳きながら、窓から空を見上げる。

 夜はまだ、明けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広東省。南シナ海に接する南方にある省であり、その中でも更に南に行くと、香港やマカオなどが存在する。

 観光するにも楽しめる土地だが、生憎と今回のエニシは仕事でやって来ている訳で。

 

「これから乗り換えるよ」

「中国って広いんですね…………」

 

 ゲンナリと呟くエニシ。

 三十時間以上の列車旅で、襲撃の回数は八回ほど。

 何れもお粗末で、周りの乗客にバレる事無く仕留めて、処分することが出来た。

 大した脅威ではない。だが、例えるならば夏の夜に耳元を飛ぶ蚊の様なもの。ちゃんと対処しないと、血を吸われる(怪我をする)

 

「ボウヤは眠たそうですねぇ」

「寝る?」

「大丈夫です。徹夜は慣れてますから、仮眠を取れれば」

 

 少しは慣れてきたのか、ポニーテールの女性と角のある女性がエニシに絡む。

 頬を両手で挟まれてもみくちゃにされたり、豊かな髪を三つ編みにされたり。されるがままに、放置中。

 信頼関係、というよりは損得勘定。少なくとも、任務が終わるまではどちらも本格的に手を出す事はないだろう。

 タプタプと頬を弄ばれながら、待つこと暫く。漸く、列車が来た。

 六人掛けのボックス席を使う。

 

「見てください、クァンシ様」

「…………ボウヤ、少しは抵抗しても構わないよ?」

「大丈夫です」

 

 細い三つ編みを更に束ねて三つ編みにしたロープのようになってしまった髪に、流石のクァンシの眉間にも皺が寄る。因みに、エニシの頬も散々揉まれたせいか赤い。

 殆ど玩具の様な扱いだが、実の所今の彼の扱いはマキマの可愛がりとそれほど変わらなかったりする。

 彼女も彼女で、何かとエニシにべったりであるから。出会った当初とはまた違う、ねっとりとしたものが視線と態度に混じり、距離感も近い。

 マキマと比べれば、頬をムニられたり、髪で遊ばれたりする程度は大した事じゃない。

 流石に、齧ろうとしてきた時には押さえ込んだが。

 

 これから凡そ二時間弱の旅路。

 ()()()()()()()()()

 列車が動き出して、三十分ほど。六人の乗る車両には、客も疎らで閑散とした印象を受ける。

 日本とはまた違う見慣れない景色の車窓を眺めながらぼんやりとしているエニシ。そんな彼の今の頭はパンクロックファッションのようにトゲトゲしていた。

 正に遊ばれっぱなしなのだが、不意に彼の髪が炎のように揺らめいた。

 怒髪衝天、という言葉があるが、コレは怒りによって頭皮の血管が刺激されて、結果髪が逆立つ姿を表したものだとか。

 エニシは別に怒っていない。ただ、自分に向けられた脅威というモノを感じ取った為に、体が自然と反応していた。

 ほとんど反射的に、自分の髪を弄っていたポニーテールの女性とそれから近かった脳梁の零れた女性の肩辺りを押さえると座席頭を預ける部分よりもさらに下へとしゃがませる。

 何を、と思った時には、次の瞬間座席の上部、その一部を抉りながら数発の弾丸が飛ぶ。

 

「まだまだ、諦めない、か」

「言ってる場合じゃありませんよ。相手、そろそろなりふり構わずどんな手でも使ってきそうな雰囲気なんですけど」

「とはいえ、こうもパンパン撃たれちゃ、厄介だ。迂闊に頭を出せば撃ち抜かれる」

「むむむ………」

 

 やれやれと、首を振るクァンシ。

 彼女を見た後、エニシは徐に背負っていたサックのサイドポーチ部分のチャックへと手をかけた。

 狙いが甘いお陰で凌げているか、このままでは遅かれ早かれ、背後の背凭れ諸共撃ち抜かれてハチの巣になってしまう。

 という訳で、エニシが取り出したのは黒い棒状の物体。それも複数本。

 

「鏢かい?」

「棒手裏剣です。悪魔相手なら、牽制程度ですけど」

 

 言いながら、銃撃の隙間にエニシの腕が振るわれる。

 手裏剣というと、投げるもののイメージが強いだろう。まあ、実際投げて使うものなのだからその認識は間違いではない。

 しかし、手裏剣は“投げる”ではなく、“打つ”と言う。

 これは手裏剣の投擲が、感覚的には打ち付ける事に近いからだろう。

 エニシの手から放たれた棒手裏剣は、黒い軌道を描いて襲撃者の肩やら首筋、二の腕は手に深々と突き刺さり、その体を大きく揺らした。

 悲鳴が上がる。同時にそれは大きな隙でもある。

 

「「…………」」

 

 一瞬だけ二人の視線が交錯し、エニシとクァンシは互い違いに同時に駆け出す。

 瞬く間に骸が十は軽く出来上がっていた。

 

「また、銃。こうも簡単に、手に入るものですかね?」

「……」

 

 拳銃程度だが、銃火器の規制というモノはされている筈なのだ。少なくとも、チンピラもそうホイホイと本来ならば手に入らない、筈である。

 にもかかわらず、相手の武装は拳銃とナイフなど。貧弱な装備だが、それでも数を用意できれば制圧する事も難しくなるだろう。

 

 銃の悪魔が消えて、四年。世界は未だに、安定には程遠かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾壱

 九龍城。城と呼ばれているが、その実態は大規模なバラックによるスラム街だ。

 とんでもない人口密度と、互いに寄り掛かる様にして強度を補う建物が幾つも建てられた事で立体迷路の様な有様。

 

「南北、それから東西それぞれにメイン通路があって、そこから幾つもの通路の支線に分かれる構造さ。加えて、築年数が古い場所ほど土地が窪んでいく。気付けば土の壁に阻まれた、なんて事にならないように」

「分かりました。任務対象は、見つけた瞬間戦闘開始で良いですかね?」

「ああ。早い者勝ち」

 

 ひらりとクァンシが手を振って、彼らは分かれて九龍城へと足を踏み入れていく。

 外界に通じる場所は別として、その内部は薄暗い。空を見上げれば、別の建物の屋根が覆い被さるか、或いはコードの束が折り重なって殆ど見ることが出来ず。仮に見えても、息苦しさを覚える事だろう。

 何より、

 

(見られてる)

 

 身なりの良い十歳の子供が歩き回れば、嫌でも目立つ。

 一応、背中にはリュックと共に刀を背負っているが、見た目のせいでいまいち抑止力には成りえない。

 ただ誤解が広まってはいるが、九龍城内部はスラムではあるがそれでも一定のルールの様なものが存在してもいた。

 一つは、高さ。十四階建て以上の建物は建築できない。これは、近くの空港から離着陸する飛行機の妨げとなってしまうから。

 もう一つが、この九龍城を仕切る者達の顔を立てる事。

 九龍城内部には、あらゆる設備が揃っている。

 商店、美容院、学校、歯医者、肉処理業者、製麺所、起業家、娼館等々。劣悪な環境に加えて、衛生基準、防火基準、労働基準、その他諸々あらゆる基準が存在しない中で本当に多くの職を持つ人々がいた。

 ローファーの裏で黴臭い泥水を踏み、エニシは眉根を寄せる。

 日中であろうとも夜のように暗い。これはイコール風通しも悪いという事に繋がる。

 籠った空気は、様々なニオイが入り混じって鼻腔へと侵攻してくるのだ。ぶっちゃけ、臭う。

 加えて、視覚情報も中々に暴力的。

 

(暗い……それに、クスリも……)

 

 メイン通路から幾つも伸びる路地の一つ。

 暗く、先を見通す事に苦労するような通路には切れかけの蛍光灯が取り付けられ、その近くでは虚ろな目で虚空を食む、やせこけた男や、酷く薄着で段ボールを敷いて眠る女性の姿などが見受けられた。

 九龍城には、アヘン窟があった。それだけではなく、麻薬の取引なども横行しており、尚且つその手の余所者は暗黙の了解として無視される。

 犯罪の温床と見られるからこそ、この周辺の住民も近寄ろうとはしない場所。

 

 だからこそ、悪魔の隠れ蓑として見るならばこれ以上にうってつけの場所は無い。

 

 聞き込みが出来ない事を考えれば、後は勘で進むほかない。最悪、クァンシの方が先に見つける事を考えながらエニシは、一応の拠点を求めて歩き出す。

 九龍城は、その構造上通路のみならず、室内も漆黒である場合がある。

 日の光はおろか、そもそも窓すらない場合、あっても機能していない場合等々。とにかく室内が暗い。加えて、インフラ設備が整備されておらず上下水道にも難があった。

 その一方で、前述のとおり住人たちの結束は強く、そう易々と余所者が腰を据えられるような場所は無い。物理的にも。

 その点で言えば、クァンシたちはマシだ。彼女らは()()()()()()であるから、サラリと宿泊なども決めやすい。

 やはりここは短期決戦。日本を離れて数日だが、時間をこれ以上かけるのも宜しくはないという事で、エニシは再度気合いを入れ直していた。

 

「…………うん?」

 

 とりあえず、一度上に上がろうと階段へと足をかけたエニシは不意に視界の端に何かが蠢いた事を認めて、視線を向けた。

 先の通り、九龍城内部は薄暗い、というか暗い。しかし、彼は夜目が利いた。僅かな光源があれば、それほど周囲を見通す事にも苦労しない。

 ほとんど反射的に、エニシは腕を振るっていた。放たれるのは、袖口に仕込んだ棒手裏剣。

 黒い軌跡が伸びて、壁へと突き立つ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「……手がかり、見つかりましたね」

 

 棒手裏剣の回収ついでに近づけば、眼球はさらさらと黒い粒子へと崩れながら消えていく。

 血が出なかった。悪魔にも血が流れている事から、エニシは先ほどの眼球が悪魔、或いは魔人の能力の延長線のものであると当たりを付けていた。

 ザラザラと黒い粒子は風も無いのに一つの流れとなって暗闇の奥へと流れていく。

 

「…………」

 

 背負っている刀の鞘先を掴んで引っ張り下ろしたエニシは、そのまま鞘紐が巻かれた辺りを左手で掴み、直ぐにでも抜刀できるように鯉口を切った。

 誘いこんでいるのか、それとも知能が無いタイプなのか。少なくとも、今この状況では判断が付かない。

 油断なく、慢心なく、暗闇へと一歩を踏み出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クァンシ様、動かなくてもいいんですか?」

 

 ポニーテールの女性、ピンツィの言葉にクァンシは顔を上げる。

 五人は、九龍城内部へと足を踏み入れてすぐに娼館の一部屋へと転がり込んでいた。

 

「良いのさ。あのボウヤに任せておけばいい」

「まあ、確かにあのボウヤは強いみたいですけど……」

「強いなんてものじゃないさ。アレに勝てる存在は、人間にも悪魔にも早々居ないよ」

 

 煙草をふかして、クァンシは左目を細める。

 一発必中の棒手裏剣、超接近戦での短刀術。加えて、旅の間は一度も抜かなかった背中の刀。彼女の見立てでは体術に関しても相当な力量。

 これで、十歳。末恐ろしい、なんて言葉では足りない。

 

「日本か……」

 

 その昔、クァンシも日本に居た事がある。というか、元々は公安の所属で、岸辺との繋がりもそこから来ている。

 彼女が何を思って公安を抜け、中国でフリーのデビルハンターをしているのか。それは、彼女しか分からない。

 ただ、デビルハンターの仕事は公私問わずに過酷だ。それでも、後者の方がまだマシであるかもしれない。

 なまじ強いからこそ、多くを見送ってきた。

 しかし、あの子供を見ていると思うのだ。

 

 ()()()()()()、と。

 

 同時に、何を馬鹿な、と嗤う自分も居る事を知りながら。

 そこで思考を打ち切ったクァンシは、魔人達を愛でる事を再開する。

 そもそも、ここ数日で色々と()()()()()()。発見報酬がある訳でもなく、結局悪魔さえ殺せれば良いのだから、探索は連れに任せてしまえばいい。

 

 事が動いたのは、デビルハンター一同が九龍城内部へと侵入を果たして、数時間後の事。

 ()()()()()城が大きく揺れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高度数千メートル。そこを一機の、飛行機が飛んでいた。

 黒鉄の機体、その後方の垂直尾翼の辺りに描かれているのは、“()()()()()”。

 胴体に設けられたハッチが開き、そこから外気に晒されるのは、小柄な姿。

 頭部はフルフェイスのヘルメットに包まれている為に伺えず、身に纏うのは黒い襤褸切れの様な外套。

 ハッチから吹き込んでくる風に煽られたのか、それとも自分の意思で前へ出たのか、小柄過ぎるその体は僅かに揺れて前へと飛び出していく。

 先の通り、高度数千メートルだ。そんな場所から、パラシュートも無しに自由落下を敢行すればその先に待つのはミンチよりも酷い有様だけ。

 にもかかわらず、落下する誰かは頭を下にして真っすぐに地面を目指していた。

 はためく外套。その首元が大きく揺れて、白く細く頼りない首筋が露となる。

 地面が近づいてくる。正確には、異様に建造物が密集したエリアが迫ってくる。

 残り距離が千を切った所で、落下する誰かは徐に風の抵抗の中で右手を己の首筋に向けて伸ばした。

 風ではためく外套の下、首にはチョーカーの様なものが確認できる。その右側に何やらリングがあり、そこに右手の指を掛けたのだ。

 それは、安全ピンだった。人体に付いている事はまずあり得ない付属品。

 引き抜かれ、その頭部が大きく弾け飛ぶ。

 首から上で煙が上がり、その煙も吹き荒れる風によって一瞬のうちに霧散。煙の下に現れた存在もまた露となった。

 

 爆弾頭。頭部の大きさが反映された流線型の様な異形頭。

 

 加えて、襤褸切れの様な外套の下にはダイナマイトを幾つも幾つも束ねた前掛けの様なものが現れており、ソレが風に揺れていた。

 変身した影響か落下の速度が増した。

 宛ら、見た目そのままの空襲爆撃。

 弾着と共に、その体は大きく爆発。城塞の一部を吹き飛ばし、連鎖的に凭れかかる様にして支え合っていた一部建物も巻き込んで崩落していった。

 

 第三勢力の介入。それは、中国よりも更に北の大国。

 世界の軍事バランスを握ると同時に、国単位での機密を多く抱える。

 

 今回の参入は、中国から流れた武器のルートを抑えるため。そしてあわよくば、その大本の確保。

 ソビエト連邦の参戦によって、事態は混沌へと転がり落ちていく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾弐

 その悪魔は、力という点ではそれほど優れている訳では無かった。

 悪魔の力は恐怖と認知度。

 恐れられ、怖れられ、畏れられ、そして広くその名を知られる事により力を増す。

 

 その悪魔の名は、“鉄粉の悪魔”

 

 中心となる核と、それから身体を構成する黒い粒子の大群によって形どられた異形型とも呼ばれる悪魔の内の一体。

 その力は、決して強くはない。応用性は高いものの、それを活かす知能も無ければ、名も知られておらず力も弱い。

 精々が、細々と人間を襲ってその血を啜り、肉を食らう位のもの。

 

 だが、転機は突然に訪れた。

 それは四年前のあの日の事。頭上を通り抜けた巨体と、それからその巨体から()()()()()()()

 これが悪魔に大きな力を与える事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天沢エニシは、生まれながらの天性の強者だと言える。才覚のみで人類の最高到達点を軽々と超えるのだから。

 だが、だからといって彼の前に存在する遍く全てが容易く打倒できる相手かと問われると、微妙な所だ。

 これは彼の実力が通じない、というよりも単純に戦術的な問題から生じる欠点。

 数十キロ離れた場所からミサイルの絨毯爆撃を受ければ、流石に対処できない。狙撃なども、同様。躱せても反撃に移れるかどうかはまた別の話。

 

「むむむ…………」

 

 四方八方から放たれる弾丸たち。

 それらを時に躱し、時に切り払いながらエニシは唸っていた。

 宙に浮いていた眼球が解れて現れた黒い粒子。これを追って踏み込んだのは九龍城内部でも古い範囲のビルの一棟だった。

 内部は、通路と同じように暗く、黴臭く、饐えたニオイがする劣悪な物。

 加えて、踏み込んだ瞬間幾つもの黒い銃口が、壁や天井、床から生えてきたのだ。宛ら、雑草のように。無造作に、一切の規則性も無く、その一方で銃口は侵入者(エニシ)へと向けられていた。

 四方八方からの射撃は、常人はおろか並大抵の悪魔だろうが一瞬で蜂の巣になってしまうだろう。

 だが、生憎とエニシは()()()()()()

 マズルフラッシュ程度しか視認できないであろう暗闇の中で、涼しい顔のまま刀一振りで迫りくる弾丸の全てを切り払い、掠り傷の一つも負う事はない。

 エニシが困っているのは、どの程度壊していいのかが分からない点。

 ビルその物と悪魔が融合していると仮定すれば、その戦力を削ぐためにビルの倒壊を狙うのも一つの戦術としては正しい。

 だが、ここは九龍城。互いが互いに支え合うようにして並び立ったスラム街。要は、絶妙なバランスで成り立った積み木の街。

 そんな場所を一部とはいえ大きく損壊させてしまえばどうなるか。そんな事は考えるまでもなく明らかだろう。

 悪魔討伐が主目標とはいえ、エニシとしては必要以上に現地住民の生活を脅かしたいとは思わない。

 とりあえず進みながらも、名案は浮かばない。相手も、弾切れする気配はない。

 ある意味では、膠着状態。やろうと思えば打破できるが、生憎とそこまで追い込まれる気配がエニシには無い為、もう暫くこのままだろう。

 

 ()()()()()()()

 

「……む」

 

 何十発、何百発目の弾丸を弾いた所で、エニシは後方へと跳躍。

 ここまで何の問題も無く進み続けていた敵の突然の後退に、銃口も追いつかないのか大きく乱れ、あらぬ方を撃ってしまう。

 だが、エニシが見るのは更に先。

 向かおうとしていた階段脇の薄汚れた黒い壁。色は兎も角、特筆するようなことはない壁だ。

 そこが今、弾け飛んだ。木端微塵に粉塵散らして盛大に。鉄筋コンクリートだろうと関係なく。

 ぶち抜かれた壁。そこより現れるのは、黒い異形の頭部をした小柄な陰。

 止んだ銃撃の中で、エニシは首を傾げた。

 

「子供?」

 

 お前が言うな、と言う話だが十歳の彼から見ても小柄な人影は更に小さかった。

 だが、小柄な誰かは人間ではない、と声高に宣言する。

 異形の頭部。空襲爆弾の様な見た目をした流線型に、胸より下に垂れ下がるダイナマイトの束による前掛け。更に両腕は、導火線が無数の束になって手の形を象ったかのような見た目。

 明らかな異形。しかし同時に、エニシは別の情報も読み取っていた。

 

(仲間じゃない、か)

 

 チラリと流し見た周囲の壁や天井、床から生えていた銃口がエニシとそして乗り込んできた異形のどちらを狙うべきか、と右往左往していた。

 何より、異形の乗り込んできた穴の向こう側。

 

 ()()()()()

 

 ぎゅうぎゅう詰めの九龍城では、屋上に上がる位しなければ見えない空が、今確かに見えたのだ。

 それに加えて、無数の瓦礫と黒煙を上げる炎。粉砕されたビルと、粉塵の海。

 エニシが気に掛けていた町の保全を一切の躊躇もなくぶっ壊した。

 悲鳴と、泣き声が聞こえる。

 

「…………」

 

 スッと、エニシの目が細められた。同時に、先程までいまいち本気になり切れなかったスイッチが入る。

 視線を上下に走らせ、刀を握った右手がブレる。

 円形の穴が開き、一切の躊躇なくエニシはその中へと飛び込んだ。

 先程まで、態と銃撃の相手をしていた。そう言われてもおかしくない圧倒的な機動力を持って、彼は漆黒のビル内をフロアを斬り拓きながら上へ上へと駆けあがっていく。

 乱入してきた異形の目的は分からないが、しかし現状の最優先事項は悪魔の討伐。

 故に、エニシは()()()()()()()()()()

 被害は最小限に、しかし討伐対象には最大限のダメージを与える。

 十三階建て。建築基準ギリギリの高さを数秒とかからずに駆け上がり、その体は屋上の床面でもある天井を切り刻んで突破、空の下へと躍り出た。

 黒曜石のように深い黒を有した刀身が、怪しく光を反射する。

 重力に引かれる体。

 穴の開いた屋上に接地した瞬間、日輪の如し斬撃の嵐がビルを襲う。同時に、神業が行われてもいた。

 ビルと言うのは、極論すれば直方体だ。

 エニシが敢行したのは、屋上からビルの枠組みだけ残して、内部フロアの全てを切り刻んでぶち抜くという荒業。

 恐るべきは、一度としてのその足が落下する先の床を踏まない点。時折、窓を突き破った瓦礫の破片が外へと落ちていくが、残りの瓦礫は真っすぐに真下へと手のひら大の細かさ以下にまで切り刻まれながら落ちていく。

 小さな瓦礫でも、その総重量は数百、或いは数千トンは下らない。如何に悪魔と言えども、この重量が圧し掛かれば、潰される他ない。

 もっとも、ソレは無抵抗な場合に限るのだが。

 十を超えて、そろそろ地上と言った所で、エニシの視界の端で降っていく瓦礫の一部が重力に逆らうように上へと弾けた。

 爆発。それも一度や二度ではなく、複数。瓦礫の一部が赤熱する程度には断続的に降り注ぐ瓦礫へと向けて放たれ続けていた。

 同時に、この連続の爆発はエニシの気遣いというモノを無に帰すことにも繋がってしまう。

 爆発によって生じる振動とエネルギーは、空気を伝う。この揺れによって、如何に鉄筋コンクリートとはいえ、粗雑な造りであるビルの枠組みは耐えられない。

 見る間に崩壊し、彼が造った床の瓦礫の雨よりも更に大きな瓦礫の塊となって、無惨にも崩れていく。

 辛うじて保っていた均衡が崩れた。周囲のビルも幾つかが巻き添えを食らって、この辺一帯は瓦礫の山へと変わってしまう。

 

「…………ハァ」

 

 舞い上がって付いた粉塵の一部を手で払い、一変して見通しの良くなった一帯を見回してエニシは一つため息を吐きだした。

 ここまで派手にするつもりはなかった。だが、最早その願いは届かない。

 いったいどれほどの人間が、この崩壊に巻き込まれただろうか。

 何事も、上手くはいかない。

 ただ、この件で中国もイギリスも日本に対して苦情を言う事はまず無いだろう。

 彼らにとっても、九龍城というモノは目の上のたん瘤であり、悩みの種でもある。

 行政はそう簡単に手が出せず、統治も出来ないがその一方で行政サービス、電力確保や上下水道の供給、ゴミ処理などは行わなければならない。

 薬物は蔓延し、不衛生。治安は劣悪。正直な所、悪いところを上げ続けようと思ったならば、キリが無い。

 その点、今回の崩壊を口実として政府の介入が可能となるだろう。

 だが、まずは事を治めねばならない。

 見れば、瓦礫の一部が吹き飛び、爆弾頭の異形が這い出てきていた。

 その左腕は、二の腕の中ほどから無くなり、右腕は肘より先が黒い煙を上げて燻っている。纏っていた襤褸布のような外套は完全な襤褸となって千切れて落ちた。

 直後に、両腕の傷と乏しき部分が爆発して、元通り。

 その一方で、異形とエニシの中間地点辺りには、瓦礫のあちこちから流れ出た黒い粒子が形を取らんと円形に纏まり、その中心に核を置いて黒いデッサン人形の様な人型を取ろうとしていた。

 自然と三角形の様な立ち位置となる三者。

 

「――――随分と派手にやってるじゃないか、ボウヤ」

「僕としても、不本意なんですけどね」

 

 そこに合流してきたのは、隻眼の美女。

 クァンシは、エニシが対峙する異形二体へと目を向ける。

 露骨に眉を顰めたのは、爆弾頭を見た時だった。

 

「アレは?」

「さて……身体構造は、人間のソレですけど。心臓部は、悪魔のモノですね。腕一本生やせる再生能力と、殆どビル一棟分の瓦礫の雨の中で原形を保てる爆発能力があります」

「悪魔の方は?」

「そちらはサッパリ。ビルと同化していたみたいですけど、あの体は黒い粒子で構成されてました。核を中心としている悪魔で、その核を潰せば討伐は可能です」

「攻撃手段」

「銃を造ってました。恐らく、粒子を集めて肉体を構成したのと同じように、集積して圧縮。形を整えて疑似的な物品としての能力を発揮していると思います」

「成程ね……」

 

 齎された情報は、どちらも厄介。しかし、圧倒的に爆弾頭の方が鎮圧には手間がかかるだろう。

 少しの逡巡を挟んで、クァンシは徐に眼帯へと手をかける。

 

「ボウヤ。()()()には当たらないように」

 

 己の右目に右手を突っ込むという異常事態。そして、そこから引き抜かれるのは一本の矢。ただそれは、通常の矢とは違い、鏃がダガーの様な形状となっているもの。

 同時に、その頭部と両腕から血が吹き上がり、変身する。

 現れるのは、巨大な一対の角が弓のようにも見える右目より引き抜いた矢の鏃と同じもので毬栗のようになった頭部に、ボウガンのようになった両腕を持つ怪物。

 

「…………ご同郷ですか?」

「種は一緒だが、同郷じゃないね。それにしても、ボウヤ。驚いていないようじゃないか」

「まあ……()()()()()()()()()()()

「…………つくづく思うよ。ボウヤは随分と、得体が知れない」

「それは、お互い様だと思いますけど」

 

 異形と化したクァンシの隣で、改めてエニシは前を見た。

 爆弾頭は臨戦態勢。足に力が入り、重心が前にある所から突っ込んでくるだろう。一方で、悪魔の方は体から切り離した黒い粒子が集まって、幾つもの人間の頭ほどの大きさの球体を象って浮かんでいる。

 何かの予備動作か、仕込みか。とにかく仕掛けてくることは明らか。

 

 どこかの排水管が壊れたのか、嫌に水滴の音が辺りに響く。

 一つ、二つ、三――――

 

「「「「!」」」」

 

 そして、四者は動き出す。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾参

 四者同時に動き出した戦場。しかし、その狙いがそれぞれに互い違いに、と言う訳では無かった。

 

「ギギ……!」

 

 エニシ、爆弾頭の両者はそれぞれに一目散に、悪魔の下へ。クァンシの矢も同じく、悪魔へと向けられる。

 この場に居る者達の中で、三人には共通する目的がある。

 

 それが、悪魔の討伐(確保)

 

 確かに悪魔以外の相手も厄介だが、そもそもの目標を先に仕留めることが出来たのならば、後は戦う必要もない。

 故に、元凶を潰す。

 当然ながら、悪魔もまた迎撃に動いていた。

 “鉄粉の悪魔”。その操る黒い粒子は、全てが鉄粉である。

 この鉄粉を押し固める事で銃を創り出し、鉄粉の燃えやすい性質と、それから九龍城内部で排出される排泄物、屋上で自然と生えた草木、そして死体を用いた硝石。

 以上を組み合わせた疑似火薬を取り込む事で、“銃”の製造を行うことが出来た。

 これが、現状の九龍城を根城とした三合会の資金源の一つ、武器売買のカラクリ。黒社会の人間は、対価として悪魔へと一定数の人間を与える事で取引を成立させていた。

 そしてこの鉄粉、銃を象るだけではない。押し固めれば硬質な盾にも、そして矛にもなりえた。

 悪魔の周囲に浮かぶ球体が形を変えて板の様になり、それらは迫りくる矢と、爆発から本体を守る働きをする。

 攻守ともに万能。元が弱小悪魔とは思えない鉄壁ぶり。

 しかし、

 

「ヅッ!?」

 

 どれだけ圧縮、硬質化しようとも宛ら豆腐の如し。

 鉄粉の塊よりも更に深い黒をした刀身は、容易に悪魔の防御を切り捨てるとその本体の核ギリギリの所を切り裂いていく。

 エニシにしてみれば、攻守万能な力も言ってしまえば中途半端の域を出ないものでしかない。

 ぶっちゃけ、最初の接敵時の様に核を隠した状態で飽和射撃をする方がまだ勝算があった筈なのだ。

 下がろうとする悪魔。だが、その出足に矢が飛んで来る事で阻止され動けない。防御に回す鉄粉も斬られて霧散し、再構築、と言う流れを繰り返すばかり。

 しかしここで、目的の差異が如実に表れる。

 爆弾頭にしてみれば、半殺しにしてでも悪魔の確保を求められる。最悪、死ななければそれで良い。何なら、適当な死体でも使って魔人を生み出しても良い。

 だが、殺されるのはダメだ。その点で、エニシとクァンシの二人とは共同歩調をとる訳にはいかなかった。

 その戦闘スタイルは、実にシンプル。

 まだまだ粗さの目立つ格闘術に、爆発を加えて一発一発の破壊力を底上げする。若しくは、密着状態の自爆などだろうか。

 エニシも幼いが、爆弾頭の体つきは更に幼い。寧ろ、貧相と言っても差し支えない。

 それでも任務遂行の為に戦わねばならないのは、忠誠心などではなく、()()()()()()()()

 爆発が、今まさに悪魔を切ろうとするエニシを襲う。

 一瞬で、その体は爆炎の向こうへと消える。が、しかし次の瞬間には悪魔の防御板と纏めて切り刻まれて陽炎となって消えていた。

 傷一つ無いエニシの姿に、爆弾頭が僅かに震える。

 力を得て、並大抵の人間はおろか、悪魔だろうと爆殺できるだけの実力を得た。今回の任務に単独に送り出されたのも今までの成功あってこそ。

 にもかかわらず、今はどうか。自分よりも僅かに年上だろう子供に手も足も出ない。

 今のところは、自分にヘイトが向いていない為あくまでも攻撃に対する防御止まりだが、少しでも相手の考えが変わればまず間違いなく膾切りにされる。

 恐怖。与える側である悪魔ですらも震え上がらせる、圧倒的な力。

 

(化物め……)

 

 相手によっては自分に向けられるであろう言葉を、クァンシは内心で呟く。

 粗雑な造りであるとはいえ、ビルを一棟刀一振りで倒壊させる実力もそうだが、今も悪魔を攻め立てつつ爆弾頭の攻撃を斬り捌き、()()()()()()()を余裕を持って見もせずに躱している。

 疑似的な三対一ともいえる状況。だが、掠り傷の一つはおろか、毛筋の一本も飛びはしない。

 ()()という言葉すらも、最早陳腐に思える。

 

「ギ、ガァアアアアアアアアア!!!!」

 

 悪魔が作り物の口で吠える。

 数年前の一件で、強くなった。少なくとも、己を馬鹿にする様な他の悪魔を血祭りに上げた事もある。

 今も、爆弾頭と歪な矢を放つ同族の様な敵の攻撃を鉄粉の盾で防ぐことが出来ていた。ジリ貧かもしれないが、それでも瞬殺されるようなことはない。

 問題は、斬りかかってくる子供。

 爆弾頭と、()()()()()()が無ければ勝負は一瞬で決していた事だろう。

 それほどまでに、その漆黒の切っ先が狙う先は悪魔の核に近かった。

 このままでは殺される。悪魔にもある生存本能がプッシュしてくるその背中。

 

「オ゛ォォォォ…………オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」

 

 仕込んでいた鉄粉含めた、九龍城内部に張り巡らされていた悪魔の鉄粉の全てが悪魔自身の下へと集まってくる。

 圧倒的な装甲と、同時に攻撃能力を有した形態。漆黒の、巨人の様な姿。

 だがしかし、得てして追い詰められた状態での巨大化と言うのは負けフラグ。

 そもそも、見上げる十数メートル程の巨体など、エニシにしてみれば()()()()()

 彼は知っている。更なる暴力の化身を、彼でなければ文字通り木っ端微塵にされて殺されていたであろう相手が居るという事を。

 何度目かの爆発を切り払って、エニシは跳んだ。

 彼の目には、悪魔の核がどこにあるのかハッキリと見えている。

 例え、巨体内部を出鱈目に動かして狙いを外そうと画策しようとも、()()()()()()()()()()()()()()()

 引き絞られる右腕。左手を前へと突き出しサイト代わりに狙いを定める。

 出鱈目に動き回る核。しかしその実、どんな動きにもパターンというモノは存在した。

 これは、巨大化した体が人型である事にも要因の一つとされる。

 胴体内部を動き回るだけではなく、腕や頭部、足に至るまで動き回ってしまっていた。そして、体の末端へと移動すれば、どうしても“戻る”というプロセスが必要になる。

 如何に、巨木の様に大きな腕や足をしていようとも、胴体内を動き回るよりは圧倒的に動ける範囲が狭い。

 

「――――フッ……」

 

 その切っ先は空気の壁を優に越えて、音を置き去りにした。

 突き技だ。だが、その破壊力は宛ら迫撃砲のソレ。

 

「ギッ……ガッ……………!?」

 

 悪魔の左肩を中心にして、巨大な円柱でも突き抜けた様な大穴を穿たれてその巨体の動きは止まる。

 同時に、少し離れた地点で肉の塊が潰れる音と共に、薬莢の様な肉片が転がった。

 ぶち抜いた核の行方を目で追っていたエニシは、その肉片が落ちる様子を見ていた為、着地と同時にそちらへと足を進める。

 拾い上げれば、脈の様な皺が浮かぶ代物。

 

「………?」

 

 首を傾げるが、ポケットから取り出したハンカチで包んでそのままジャケットの内ポケットへとねじ込んだ。

 事態はこれにて終了、とはいかない。

 その場にエニシがしゃがむと、彼の頭部が在った地点を爆発が通過していった。

 

「僕としては、ここで手打ちでも良いと思うんですけどね」

「ッ!」

 

 下がるエニシを前に、遮二無二爆弾頭が突っ込んでくる。

 力量差が分からない訳では無い。無いが、何の成果も無く国へと帰れば、どんな目に遭うのか分からないのだから必死にもなる。

 それ程までに、先程エニシが拾い上げた肉片には価値があった。

 

『ソレを寄こせ!!』

 

 拙く甲高い子供の声。加えて、その言語はロシア語。

 如何に訓練を施されていようとも、実態は七歳の子供でしかないのだ。どうしても堪えきれない部分があってもおかしくはない。

 目当ての悪魔は殺された。敵は、自分が苦労するような相手を苦も無く殺した。悪魔の力を使っている様子もない。

 

 怖い、恐い、怖い。透明すぎる目を向けられるだけで、背筋が凍る。

 

 そして、恐怖は人の頭を曇らせた。

 

「ガッ――――!?」

「隙だらけだな」

 

 そんな声が聞こえたかと思えば、次の瞬間には爆弾頭の両腕が肩の辺りを境目に吹き飛ばされる。

 同時に、エニシが切り払ったのは二つの矢だった。

 

「ボウヤ、ソレを貰っても良いかい?」

 

 矢を放った主であるクァンシが顎をしゃくって示したのは、項垂れて座り込む爆弾頭。

 

「手土産の一つでもあれば、こっちも色々と都合が良いんでね」

「…………」

 

 クァンシの言葉を受けて、改めてエニシは爆弾頭を見下ろした。

 目的の悪魔は打倒した。それはつまり、クァンシたちの協力関係も終わりという事。だからといって直ぐに敵対するほど、エニシは情を捨て去れるタイプでもないが。

 そして、考える。

 このまま引き渡したとして、どうなるのか。

 

(十中八九、実験にでも回される)

 

 別段関りなど無いのだから放っておいても良いのだが、自分よりも年下で尚且つ()()()

 見捨てるには、少々後味が悪すぎた。

 左手で少し顎を撫でると、改めて顔を上げる。

 

「クァンシさん」

「ん?」

「僕と戦う事になっても、彼女は欲しいですか?」

 

 ゆっくりと持ち上げられる右手の刀。

 切っ先を向けられただけだ。距離にしたって十分に空いている。クァンシならば、大抵の相手は近づける事無くハリネズミへとジョブチェンジさせることが出来るだろう。

 だが、エニシは違う。この程度の距離は一跨ぎであるし、不意を打っても殺せるビジョンが見えない。

 クァンシの脳内で算盤が弾かれる。この間、僅か0.5秒。

 

「…………ハァ、降参」

 

 言うなり、変身も解けて緩く両手が挙げられた。

 もし仮に、力づくで奪い取ろうとすれば相応の反撃を貰うだろう。その結果、死ぬような目に遭い、尚且つ今後もしも接触の機会が回ってきた時に不都合が生じる事になりかねない。

 どんな悪魔を前にしても死ぬ姿を想像できない少年のヘイトを買うぐらいならば、クァンシは安全な道を選ぶことにした。

 目下の懸念事項を一つ解消し、改めてエニシは爆弾頭へと目を向ける。

 

「僕として、これ以上君と戦う理由がありません。このまま退いてくれるのなら何もしない事を約束しましょう」

「…………」

 

 ロシア語でスラスラと語ったエニシ。

 そんな彼を見上げる爆弾頭は、迷っているらしく返事が直ぐに返って来る事は無かった。

 補足をすれば、爆弾頭にも、そしてクァンシにも、明確な“死”は存在しない。

 一時的に死亡させる事が可能でも、一定の動作、或いは血を摂取させる事で復活する。悪魔以上の不死性を有し、魔人を超える力を人型で振るい、より強く血液という存在に依存する。

 

 この日の邂逅は、後にちょっとした厄介事を運んでくる。無論、今のエニシがそれを知る事は無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾四

 期間にして、凡そ一週間を少し過ぎた位。

 久しぶりに踏んだ日本の地で、天沢エニシは一つ息を吐き出した。

 白いシャツに黒いネクタイを結び、下は黒のスラックスとローファー。刀を背負って、その上から更にリュックを背負ったその格好は、凡そ一週間ほど前に、日本を旅立った時と同じような恰好だ。

 

 ()()()()()()()()()。後、今の髪形は長い三つ編みを一本垂らしたようなもの。

 

 手続きを終えてロビーへと足を進めれば、賑わいを見せているが、その一方で妙な空白も出来上がっていた。

 

「――――マキマさん」

 

 久しぶりに見た、綺麗な赤毛。

 思わず声を掛ければ、同心円状の瞳が向けられそして軽やかな足取りで近付いてきた。

 

「お帰り、エニシ君」

「はい、ただいま帰りました」

 

 頷く同居人を前に、マキマは薄く微笑むと僅かに腰を曲げて顔を近づけた。

 そして右手を持ち上げて、見慣れない髪形となったエニシの髪を撫でる。

 

「お揃いだ」

「はい。ピンツィさんに、してもらいました」

「へぇ……」

 

 僅かに、マキマの目が細くなり声のトーンが下がる。

 一応、岸辺からの説明でエニシの同行者が女性である事は聞き及んでいた。

 その時には適当に返したのだが、こうして手を出されたという現実を直視すると胸の内に言い様の無い黒い感情が浮かんでくる。

 ドロリとした熱と重さを持った感情。名前を付けるならば、“嫉妬”だろうか。マキマ自身は自覚していないが。

 撫でる様に右手が動いて三つ編みを撫で、その一番下で留めている髪紐へと触れる。

 前に、エニシの髪を纏める為にマキマが贈った髪紐だ。シンプルながら激しい動きにも付いてこれるだけの強度を持つ逸品。

 結ばれたソレを、サラリと外せばそこまで確りと固定されていた訳でもない三つ編みはアッサリと解れてしまった。

 

「マキマさん?」

「少し後ろを向いてくれる?」

 

 周りの目など気にしない。肩を掴んで振り返らせて、三つ編みをしていたために絡まった髪へと手櫛で軽く梳かしていく。

 特別な手入れなどはしていないが、その黒髪に指の引っかかる様な傷みは無い。

 手慣れた様子でマキマの手が動けば、瞬く間にエニシの髪は再び三つ編みに。正確には、マキマと同じ髪型へと変わっていた。

 

「これで良し……ふぅ」

 

 髪紐で留めた所で、マキマはエニシの首へと腕を回した。

 互いの頬が擦れ合う距離。リュックと刀が間にあるとはいえ、随分と近い。

 

「色々と聞きたい事はあるけど、まずはご飯でも食べに行こうか。なにが良い?」

「…………白いご飯?ですかね。麺やおかゆはよく食べてましたけど」

「それじゃあ、お寿司に行こうか」

 

 離れながら、右手でエニシの左手を取る。

 周りからは似ていない姉弟の熱烈な再会劇に見えていた。知らぬは、当人たちばかり。

 外で待たせている車に向かう道すがら、マキマは問う。

 

「そう言えば、エニシ君。上着は?」

「寒そうな子が居たので、その子にあげてしまいました」

「キミは、変わらないね」

 

――――私は、こんなにも揺らいでいるのに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 庶民では踏み込むことは愚か、場所すらも知らない店、というモノが世の中には存在する。

 店主含めた従業員は、何れも口が堅く、尚且つ個室などには基本的に足を踏み入れない。

 

「悪魔の様な人間?」

「正確には、悪魔に変身できる人間、ですかね」

 

 そう言って、エニシは稲荷寿司を頬張った。

 対面のカウンター席ではなく、小さな個室が幾つもあるその寿司屋のとある一室。

 メニューは無く、その日の仕入れ次第で内容が変わり、客が注文する上で聞かれるのは食べる量位か。

 一枚板の座卓を挟んで向かい合った二人の話題は、専ら顔を合せなかった期間の事。

 

「会ったの?」

「二人ほど」

「殺せた?」

「いいえ。真面に戦ってませんから」

 

 食事をしながら交わすような会話ではないのだが、二人の顔色はちっとも変わらない。

 殺し殺されは、デビルハンターの常。率先した話題では無いものの、それでも日常会話の一幕に血腥さが見え隠れする。

 

「そうだね……昔は、彼らにも名前が在ったんだよ」

「昔は?」

「今は無いの。仮称としては、“武器人間”かな」

「武器………」

「彼らは、自分の体に変身するためのトリガーを有している。通常の人間には見られない部分がね。加えて、不死身だ。首を刎ねて一時的に殺すことが出来たとしても、血を補給させるか、或いはトリガーを再使用する事で復活できる」

「便利ですね」

「そうでもないよ。出血多量で動けなくなることは、人間と同じ。死ななくても、行動不能にすることも出来るからね」

 

 キミなら造作もないよ、とマキマは湯呑に口を付けて傾ける。

 マキマの言葉を受けて、エニシは件の二人を思い出す。

 確かに、人体を貫いて粉砕して余りある破壊力の矢を遠方から撃ち続けるクァンシと、人体程度軽く吹き飛ばせる爆弾頭は、どちらも強大な力を有しているのだろう。

 少なくとも、そこらのデビルハンターや悪魔では敵わない。

 しかし、エニシの危機感を煽るには力不足と言わざるを得ない。彼にしてみれば、死なないだけで巻き藁と何ら変わらないのだから。

 因みに、彼のジャケットは件の爆弾頭にあげてしまった。マキマにバレれば、修羅場ってしまうだろうがエニシがそこに思い至る事はない。詳しく説明を求められればアッサリと語ってしまうだろう。

 

 ポツポツと言葉を交わしながら、良い時間になった頃。

 寿司下駄の上も綺麗になり、湯呑も空。

 

「それじゃあ、帰ろうか」

「…………そう言えば、マキマさん。僕が居ない間に、家の掃除ってしましたか?」

「……」

 

 立ち上がったマキマへと真っすぐに向けられる目。

 同心円状の瞳がそれを確りと受け止め、そのままスッと逸らされる。

 

「マキマさん?」

「…………」

「掃除、してないんですね?」

「…………」

「出張は、何日もかからないって話でしたよね?」

「…………」

「……とりあえず、寝室だけは掃除しますからね?」

 

 いつもの微笑を浮かべたまま、一切隣を歩くエニシに目を向けようとしないマキマ。

 仕方がない。だって、ホテル暮らしの方が楽だもの。料理や掃除は、ぶっちゃけエニシがやった方がマキマより上手なのだもの。

 歩いて帰る道すがら、コンコンとエニシのお説教は続く。

 結局、マキマがエニシの後ろに回り込んで頬を両手で挟み込む事で黙らせる事に。そのまま久しぶりの感触をここぞとばかりに堪能した。

 

 そして漸く辿り着いた我が家。

 

「お風呂に入ろうか」

 

 靴を脱いだマキマの第一声である。寿司を食べに行くのと同じような気軽さ。

 正直な話、エニシの置かれた環境が悪すぎた。

 一応、体を拭いたりはしていた。ニオイのきつくなる様な物もなるべく食べないようにしていた。ホテルでもシャワーを浴びた。

 しかし、()()()。正確には、()()()()()()()()()()()

 マキマにとって、ソレは不快だ。気付いたのは、エニシの髪を結び直している時。

 

「?とりあえず、掃除をしてからですね」

 

 そしてエニシは気付かない。

 彼の頭の中では使った下着や、シャツの洗濯から今日までの部屋に溜まった埃払いや風呂の掃除、それから冷蔵庫の中の賞味期限並びに消費期限の確認作業等々。兎にも角にも、風邪明けの主婦の様にやるべき家事があるのだから。

 クルクルと動き回るエニシ。硬くなった食パンやら、萎びたレタス、皺の多いトマト、色の悪い肉など色々と発掘された冷蔵庫は中々に悲惨だったと言える。

 幸い、明日はゴミ収集日。黒いゴミ袋に一通りの期限切れ食材を突っ込んで口を閉じ、更にその上からもう一枚ゴミ袋を被らせた。

 整理を終えて掃除機を手早く掛けて、続いて風呂掃除。

 マキマは手伝わないのか、と言う話だが中途半端な手伝いと言うのは逆に仕事をこなしている側からすれば要らぬ世話である事が珍しくない。

 少なくとも、エニシの場合は手伝いがあるよりも一から十まで一人で熟した方が速い。

 暫くして、

 

「沸きましたよ、マキマさん」

「ん。それじゃあ、入ろうか」

 

 呼びに来たエニシを伴って、マキマは浴室へ。

 補足をすれば、疚しい事は一つもない、と記しておくとしよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾五

 中国での一件から、二年。

 天沢エニシは、十二歳となった。

 相変わらず学校には通っていないが、マルチリンガルに加えて問題集ならば高校生辺りの問題もスラスラと解けるようになった今日この頃。

 この日、エニシは岸辺に呼び出されていた。

 向かうのは、公安対魔特異1課。

 因みに彼の立ち位置としては、マキマ直属として課に依らない能動的で自由な行動が許されている。

 

「こんにちは。岸辺課長に呼ばれてきました、天沢です。岸辺課長は、いらっしゃいますか?」

「来たか」

 

 扉を引き開けて入室したエニシを、低い声が迎える。

 最奥のデスク傍に立つ岸辺と、それから黒髪ショートカットの真新しいスーツに身を包んだ少女と女性の中間の様な美人が、彼の視界に飛び込んでくる。

 少し首を傾げながらも、エニシはこの二人の下へ。

 

「エニシ。こいつは、姫野。筋が良いんで、今は俺が鍛えている所だ。姫野、コイツは天沢だ」

「…………子供?」

「初めまして、姫野さん。天沢です」

「え、あ、うん……初め、まして?」

 

 ぺこりと頭を下げるエニシに、釣られる様に姫野もまた頭を下げた。もっとも、その頭の中は混乱したままだったが。

 当然の反応だろう。彼女はまだ、新米。鉄火場を数度経験してはいるが、その付き添いには岸辺が居たのだから。

 まだまだ世間一般の価値観が抜けきらない者にとってみれば、小学生程の子供がスーツを着て刀を背負っている姿などコスプレ程度にしか見えないだろう。

 

「今回の任務は、お前たち二人に行ってもらう」

「は!?ちょ、師匠!?」

「エニシ。姫野をよく見ておけ、適宜対応してやれ。任務に関する書類は、ここに置いておく」

「分かりました」

 

 焦る姫野だが、岸辺は取り合う気が無いらしくさっさとコートを手に取るとソレを羽織り、スキットルを片手に部屋を出て行ってしまった。

 左手を振って見送ったエニシと、それから唖然と酒浸りの背中を見送る事になった姫野。

 

「……さてと」

 

 言われた通りに、エニシは簡素なデスクに置かれた書類へと目を通し始める。

 場所は、東京郊外。民間のデビルハンターが受けた依頼であったが、予想以上の実力を持つ相手であったらしく複数の死者を出した結果、公安へとお鉢が回ってきたようだ。

 

「ふむ……いつも通り、ですね」

 

 民間の厄介事を対処するのも、公安の務め。同時に、公安所属のデビルハンターの殉職率が高い要因の一つでもある。

 資料にある程度エニシが目を通したころ、漸く放心していた姫野が帰ってきた。

 同時に、彼の両肩に手を置いて詰め寄っていたが。

 

「…………本気なの?」

「一応、職歴で言えば僕は姫野さんより先輩ですよ。公安所属は七年目です」

「なっ……キミ、今幾つ?」

「十二歳です」

「五歳から!?」

「元々、悪魔は狩ってましたから……それより、行きますよ。岸辺さんが、車の手配もしてくれたみたいですから」

 

 愕然とする姫野を尻目に資料をバインダーに閉じたエニシは、デスクに置かれたステンレス製の本立てにソレを納めて踵を返す。

 周りでは、残っていた1課の面々が姫野へと生暖かい目を向けていた。

 彼らもまた、エニシの姿に驚いた過去がある。少なくとも、岸辺の指導を受けた者は基本的に顔合わせ並びに、同乗任務へと連れていかれるためだ。

 先を行くエニシを慌てて追いかける、姫野。その表情には、困惑と不安が見て取れる。

 

「この際、キミが付き添いなのは良いよ。えっと、天沢君?」

「はい」

「なるべく前に出ないで。私を盾にしても良いからさ」

「………」

 

 返事をしないエニシだが、その内心では成程と頷いてもいる。

 この隣を歩く新人は、優しい人なのだろう、と。一般的な価値観を持ち、岸辺の言葉で言う所の“頭のネジが固い”人物なのだろう、と。

 エニシから見れば、人間的に好ましい。デビルハンターはイカレていないとやってられないが、中には変な方向にぶっ飛んでいる様な者もいるから。

 それから、幾つかの情報共有をしながらロビーへと付けば、そこで待っていたのは赤毛の同居人様。

 

「マキマさん」

「今から仕事、だね。今日は、とんかつが良いな」

「分かりました。帰りに、材料を買ってきますね」

「あと、犬を飼いたいな」

「ダメです。最終的に、僕が世話してる光景しか浮かびませんから」

 

 確りとNOを突き返すエニシ。断り方が、どこぞの家庭のお母さんのよう。

 そして、これまた呆気にとられる姫野。

 と言うのも、エニシの隣に立つ彼女だが、一度としてマキマはそちらへと視線を向けないのだ。まるで、見えていないかのように。

 少しモヤッとするが、しかしその一方でここで角を立たせる理由もない。大人しく、隣で置物へと徹していた。

 

「それじゃあ、僕らは行きますから。また、後で」

「早く帰って来てね」

「分かってますよ」

(いや、カップルか夫婦?)

 

 二人のやり取りを見せつけられている様な立場である姫野は、内心でそう思うが、しかし口には出さない。空気を読む女なので。

 時間も押しているという事で、エニシは会話を打ち切った。

 会釈をしてマキマを通り過ぎて出入り口へと向かう二人。

 その背中を、ジッと同心円状の瞳が見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本の大都会である東京。

 高度経済成長期を経て、ビルが立ち並び大通りが張り巡らされ、空は排気ガスで汚れている。

 しかしその一方で、都心より離れた郊外では自然豊かな地域というモノも存在していた。

 

「そう言えば聞きたかったんだけど、天沢君」

「はい?」

「今回って、何で私と君の二人なの?」

 

 後部座席に並んで座り、姫野は手持無沙汰にそんな話題を切り出した。

 キョトンと姫野を見たエニシは顎を掻くと空中へと視線を走らせる。

 

「デビルハンターの基本陣形が二人一組だから、ですかね。最悪の場合片方が生き残って情報共有を促す為」

「それは知ってる。師匠にも言われたから」

「後は、頼る事を覚えてもらうため、じゃないですか?」

「頼る?」

「デビルハンターは、命を懸けたお仕事です。入局して一年で鬼籍に入る人も珍しくはありません。ただ、その死因は微妙に違うんです」

「へぇ」

「一つは、単純に実力不足。二つ目は、復讐心に囚われた視野狭窄。主にこの二つですね。通じている部分もあるんですが、微妙に差があるので分けました」

「前者は兎も角、後者は?よく分からないんだけど」

「この御時世ですからね、悪魔に対する憎しみの強い人は多いですよ。特に、六年前の銃の悪魔に対する恨み辛みを糧に、公安の門戸を叩く人は多い」

「…………」

「そう言う人に限って、焦って悪魔討伐に走り、結果相手の力量も測れずに失敗。寧ろ、血肉を提供して悪魔を強くしてしまった、何て事も良くあります」

 

 人間が悪魔を討伐するには相応の道具と、それから経験、技術が必要になってくる。

 これら要素を無視できるのは、エニシの様な人類のバグのような存在位。

 

「そして、ここから負の連鎖に繋がる場合があるんです」

「負の連鎖?」

「前にあったのは、仇の悪魔を見つけて特攻、殉職。その友人だった人が仇討ちに走ってこれまた殉職。岸辺さんと僕に話が来た時には、十人以上がその悪魔にやられてしまいました」

「そ、れは……あり得るの?」

「怒りと憎しみは人に爆発的な力を()()()()()()()()()()。しかし、感情の一つで力量が大きく変わる事はありません。寧ろ、必要以上の力が入って結果自分の力量を十全に発揮することが出来ない場合も珍しくないんです。何より、視野も狭くなりますからね。一人で挑んで殺されて、再び別の人が一人で挑んで倒せる可能性何てほぼ無いんです。ただでさえ、人不足が否めない業界で感情一つで死なれ続けるのも困ります」

 

 溜息を吐くエニシ。そして、同じく運転手もうんうんと頷いていた。

 六年前の銃の悪魔出現から、デビルハンターを志す者が増えた。しかし、その一方で憎しみに飲まれて特攻、殉職という流れが後を絶たないのもまた事実。

 エニシ自身、そう言う職員を何人も見てきた。その尻拭いの回数も既に両手の指では到底足りない。

 

「…………君は寄り掛かられる側な訳だ」

「回数的には、そうですね。ただ、今回の任務に関しては今後も組む可能性がある事を考慮しての配置だと思いますよ?近々、悪魔との契約を勧められるんじゃないかと思います」

「そう言えば、天沢君は悪魔との契約はしてない訳?」

「はい。必要性を感じないので」

「ふーん……」

 

 頷いたエニシだが、彼は知らない。裏でマキマが、その辺りの契約その他を止めているという事を。今回の件も、岸辺が無理矢理書類を押し通したという事を。

 着実に、彼の周りは赤毛の女性に埋められつつあると言う事を。

 天沢エニシは、まだ知らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾六

 まだまだ新米のデビルハンターである姫野は、未だに悪魔との契約には漕ぎつけていない。

 これは、岸辺の方針だ。悪魔の力を頼りにする事も、悪い事ではない。が、最後にモノを言うのは地力に他ならない。

 体術を仕込み、武器術を仕込み、悪魔の思考回路と次の行動を予想するだけの知識を付ける。それだけやっても、死人は後を絶たない。

 

「ッ!」

 

 姫野がこの一発を躱せたのは運が良かったからだろう。

 古木などが折れて出来上がった山中のギャップ。

 見通しの良いこの場で、姫野は体を横に投げ出すように大きく回避を見せていた。直後に、彼女の背後にあった巨木がその幹を大きく粉砕され薙ぎ倒されていく。

 

「よ、よよ避けるなッ、よ」

 

 残骸となった丸太を蹴り飛ばして突っ込んだ森の中から這い出して来るのは、三メートル程の異形だ。

 黒い外骨格に鉤爪の鋭い四本の腕。異様に発達し、鋭い棘のある両足と、それから頭部に揺れるのは二本の触覚。背中には薄い二枚の翅が重なり合っていた。

 この異形こそ今回の民間から上がってきた依頼内容の相手。

 

 “蟋蟀(コオロギ)の悪魔”

 

 昆虫系の悪魔というのは、その名の由来となった種の特徴を持つ者が多い。

 加えて、強い。純粋に、フィジカルが人間のそれとは一線を画すのだ。

 先程も、殆ど消えたようにしか見えない速度で跳び蹴りを放ってきており、姫野が躱せたのは相手が直線運動しかできない知能と、性能しかなかったから。

 手数は二倍、脚力は数十倍。とてもではないが、新人が相手取れるような存在ではない。

 

「交代です、姫野さん」

「ッ、何とか出来るの!?」

 

 ふらりと姫野と悪魔の間に立つエニシ。

 その背に鋭い声が飛ぶが、何の返事も返すことなく彼は自身の愛刀を引き抜いた。

 構えない。ただ、両手順手で柄を握り、その切っ先は地面に向いたまま。強いて挙げれば下段の構えなのだが、構えと呼ぶには脱力が過ぎる。

 悪魔は首を傾げる。知能が低いと先の述べたが、裏を返せば本能が鋭いという事でもあるのだ。

 その、生存本能に目の前の子供は引っかからない。

 殺意も殺気も無く、ただただそこに無表情で突っ立っているだけ。

 悪魔は、醜悪な口に笑みを浮かべた。

 

「お、お前食いでが、な、なな無ざぞう、だ!うじろの゛奴を渡せば、み、見逃してやる、る」

「――――結構です」

 

 その声は、()()()()()()()()()()()

 

「えっ…………」

 

 呆然とした声を漏らしたのは、姫野。

 彼女は一度も瞬きをした覚えもない。にも拘らず、気付いた時には目の前からエニシの背中は消えており、いつの間にか相対していた悪魔の更に向こう側へとその背中は動いていた。

 何が起きたのか、何をしたのか。欠片も分からなかった。

 

「カッ――――!?」

 

 ビクリ、と悪魔の体が跳ねる。同時にその体はバラバラの肉片となってその場に崩れ落ちてしまう。

 成人男性の掌に収まる程度の肉片の山。誰が成したかなど一目瞭然。

 その斬殺劇の主であるエニシはというと、刀を鞘へと収めて踵を返し、徐に肉片の山を物色し始めた。

 表面を軽く漁り、その中の肉片の一つに手を突っ込む。

 引き摺りだすのは、彼が指で摘まみ上げることが出来る程度の大きさの何かだった。

 

「何、ソレ」

「銃の悪魔の肉片ですよ」

「ッ………」

 

 座り込んでいた姫野の目の色が変わる。

 彼女がデビルハンターを志した切欠が、正にその悪魔であるのだから。

 気付いているだろうに、エニシは肉片をポケットから取り出したハンカチで包むと、そのまま懐へと仕舞ってしまう。

 

「僕ら公安のデビルハンターには、この銃の悪魔の肉片を回収する事も仕事の一つになります」

「…………何で、そんなものがある訳?」

「六年前に出現した銃の悪魔は、その巨体と圧倒的な移動スピードの結果、末端部位が空気との摩擦に付いてこれずに脱落しているんです。この脱落した肉片を悪魔が取り込む事で強力になります」

「今回も、そうだった訳ね」

「事前に分かるものではありませんけど…………公安に回ってくる仕事の場合は確率は高いですよ。確実ではありませんけど」

「…………」

「破壊は、極力無しです。已むに已まれず、或いは広範囲攻撃に巻き込んでしまった場合などはその限りではありませんけど」

 

 恨み辛みは並々ならぬものがある。しかしその一方で、激情任せにエニシに飛び掛かってもいなされるのが落ち。同時に、肉片持ちの悪魔の実力というモノも知ることが出来た。

 

「…………悪魔の契約って直ぐにでも出来ると思う?」

「可能ではあると思いますよ。公安が管理する悪魔も居ますし、個人的に契約する、という方法もあります」

「公安に?」

「有名どころなら、狐の悪魔じゃないですかね。彼女は、イケメンなら契約対価もそこまで取らずに頭部を貸してくれます」

「狐、ねぇ」

「補足をすると、対価が重いからといって必ずしも強力な悪魔という訳では無いんです。彼らにとっては欲しいものを指定して、その代わりに自身の力の一部などを貸しているに過ぎないんですから。この辺りは、僕よりも岸辺さんの方が詳しいでしょうから、そちらにお願いします」

 

 基本的に、悪魔に善意を期待してはいけない。

 そもそも根本的に彼らは別の存在であるのだから、人型に近ければ思考回路も似てきて友好的な場合もあるが、それでもやはり()()()()()()。どこまで行っても悪魔は悪魔だ。

 エニシは、チラリと姫野へと視線を向けた。

 諭す気も、復讐を止める気も、彼には無い。ただ、気に掛けるだけ。少なくとも、同じ任務を受けた際には守る位はする。

 

 数度の深呼吸を経て、姫野は立ち上がる。

 複雑な心境であろうとも、仕事を前にそれらを飲み込む精神性を彼女は、既に持ち合わせ始めていた。

 

「…………そう言えば、天沢君は師匠の事をさん付けで呼んでるけど、なんで?」

「何年か前に、任務をご一緒した際に免許皆伝と言われたからですよ」

 

 話を変えるために姫野は、少し気になっていた事を問うていた。

 因みに、その時の任務では背中合わせに戦う事になり、人も悪魔も入り乱れる様な乱戦となっていたりする。

 更に補足をすれば、エニシは岸辺に戦い方を習ったりはしていない。精々が悪魔に関する知識と経験則を座学ついでに教わった程度だ。

 兎にも角にも、任務は呆気なく終了。見回りついでに、詰所へと戻るだけ。

 

「報告書の方は、僕の方から上げておきますから、姫野さんは上がってもらっても大丈夫ですよ」

「え、良いの?」

「はい。任務が他に入っているようなら、そっちに行ってもらいますけど…………」

「ええっと……うん、特に入ってないかな。でも、本当に良いの?」

「僕から言い出した事ですから。それに、デビルハンターの仕事は激務です。羽を伸ばせるときに伸ばしておいてください」

 

 ひらりと手を振って、エニシは姫野を送り出す。

 悪魔とのやり取りは、命のやり取りだ。当然ながら、ソレは大きなストレスとなる。

 無論、折れるようなら退職をするかもしくは、民間に移るか、或いは死ぬか。選択肢などこれ位。その一方で。続ける意欲がある新人に対しては、教導係が折を見てガス抜きをさせる事も多いのだ。

 万年人不足の組織。見込みのある者が、少しでも長く籍を置いてくれた方が何かとはかどる。

 姫野を送り出して、エニシが向かうのは一課の部屋。その部屋の隅に設けられた面談スペースで報告書を仕上げていく。

 数年で随分と慣れた書類仕事。走らせるのは、ボールペン。

 そんな彼とテーブルを挟む様にして、誰かがドスリと黒い革張りのソファへと腰を下ろした。

 

「姫野はどうだった?」

「筋は良いと思います。銃の悪魔への憎しみは見て取れましたけど、ソレはソレ、と心に蓋をする程度は出来るだけの理性もありました。懸念点としては、一般人に近い感性を如何に覆すか、ではないですかね。あの人は、優しい人です」

「そうか……」

 

 小さく言葉を返して、岸辺はスキットルを呷る。

 姫野を先に休ませたのは、彼女自身を休ませる他に直接こうして岸辺への報告を行うためでもあった。

 言葉は交わしていない。最初の悪魔の資料に紛れ込ませており、視界の端に要件を捉えた時点でエニシが回収、破棄済みである。

 

「悪魔を殺すには、頭のネジを緩める必要がある。どれだけ化物と頭の中で理解しても、生き物をそのまま殺す事には抵抗を覚えるからな…………酒でも飲ませるか」

「姫野さんは、まだ十八じゃありませんっけ?ダメですよ、未成年飲酒は後にも尾を引くんですから」

「……お前は、別の面でイカレてるな」

「僕の話は良いじゃありませんか。後、姫野さんは近々悪魔の契約をしたいと言ってくると思いますよ。岸辺さんの方で選定してあげてください」

「契約か……お前ならどうする、エニシ」

「そうですね……姫野さんの身体能力なんかは、あくまでも鍛えた人の範囲を大きく逸脱する事はないと思います。ですので、悪魔の一部を借り受けて攻撃する狐の悪魔の様なタイプが良いんじゃないですか?」

「俺も同感だ。寧ろ、俺やお前、()()()みたいに白兵戦も熟せるデビルハンターはそう多くない。そうするか」

「そう言えば、クァンシさんからこの前、手紙が届きましたよ」

「ほお……アイツが、手紙?」

「はい。といっても当たり障りのない近況報告でしたけど」

「アイツがタバコ、酒、女の他に筆を執る、か。想像つかねぇな」

 

 昔からの知り合いであり、同時に並々ならぬ感情を向けた相手の思わぬ一面。

 とはいえ、嫉妬など別段覚えはしない。子供相手に目くじらを立てる筈もなく、というか彼だって寧ろ目の前の子供を可愛がっている大人の一人だったりする。

 

「……っと、書けました。岸辺さんのデスクに置いておけばいいですか?」

「ああ、それで良い。この後は、用事はあるのか?」

「スーパーによって、夕飯の買い物をしますよ。今日は、とんかつです」

「そうか」

 

 余談だが、デビルハンターを続けていると肉が食えなくなる者が居る。理由は御察しだ。

 丁寧に挨拶して報告書を提出して退室していったエニシ。

 

 強い子供。()()()()()()

 なまじ、こんな血腥い世界に生きているからか、岸辺は破綻する人間というのを何人も見てきた。

 そんな彼から見て、エニシは壊れた上で常人と同じ振る舞いが出来る異常者、といった所か。だからこそ、デビルハンターとしての仕事を一切瑕疵無く熟せるのだが。

 気に掛けているが、気に掛ければ気に掛ける程、彼の飲酒量は増える一方だ。

 

「……ハァ…………」

 

 多分に酒精を含んだ熱い息が、ヤニに黄ばんだ天井に漂っていく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾七

 公安所属のデビルハンターは、立ち位置としては公務員だろうか。

 命を懸ける職業であるから、福利厚生は充実している。しかし、その一方で殉職率離職率の高さから休日の緊急呼び出しを受ける事も職員によってはあり得た。

 だからこそ、本当に何もない休日というのは貴重だ。

 

「それじゃあ、行こうか」

「はい」

 

 白いシャツにカーディガン、ジーンズといった出で立ちのマキマと、黒いパーカーにチノパンを穿いたエニシの二人は、この日揃って休日の外出と相成った。

 得物は無し、という訳でもない。エニシのサイズの大きなパーカーに隠れるようにして、匕首を仕込んでいる。

 完全なプライベートである為、足となる様な者もいない。となれば自然とマンションを出てからの移動は歩きとなる訳で。

 

「平日に私服で居るなんて、なんだか悪い事してる気になりますね」

 

 自然と、どちらからともなく繋がれた手を気にすることなく、エニシはそんな事を言う。

 始まりは、彼が確りしていても幼い少年であったから始めた事。しかし、十二歳となった今でも二人揃えば自然と手を繋いで歩くようになっていた。

 普通ならば、気恥ずかしさであったり、社会的な一般常識であったりを照らし合わせてエニシの方から離れそうなものだが、ここで意味を持つのが学校へと通う事の無かった今まで。

 要するに彼は年の近い相手との関係が皆無であり、接する相手は年上であり尚且つデビルハンターという事も手伝って一癖も二癖もある輩ばかり。

 例を挙げれば、アル中。アー♂な奴。レズ。碌な選択肢がない。

 何より、マキマも振り払うような事はない。寧ろ繋いだ手を放さない状態でムニムニと手の感触を味わうように握ったり緩めたりを繰り返していた。

 髪色の似ていない姉弟。少なくとも、周りからはそう見えるだろう。

 

「とりあえず、デパートに行きますか?」

「うーん……それも良いけど、今日はもう少し歩こうか」

 

 信号待ちをしながら、決めるのは今日の予定。

 そもそも、この二人の物欲はそこまで強くない。少なくとも、エニシは特別欲しいものが無く。強いて挙げれば得物である刀の手入れ道具位であり、それらも公安の伝手で良質なものを取り寄せてもらっていた。

 一方でマキマも似た様なもの。

 もし仮に、エニシと同居していなければ彼女は多数のペットを飼っていただろう。特に、犬。

 しかしそれは仮定の話。犬など飼っていないし、寧ろマキマが一方的にエニシからのお世話を甘受しているのが今の関係性。

 信号が変わり、二人は歩き出す。

 

「それじゃあ、何を食べるか、だけでも決めておきませんか?昼食、夕食。作るなら、材料も幾つか買う事になると思いますし」

「今日は、外食にしよう。エニシ君の料理は美味しいけど………今日は一日、私の側に居て」

「分かりました」

 

 アッサリと頷くエニシだが、中々な事を言われている自覚はあるのだろうか。

 しっと(嫉妬)りしている。前を向いているから気付かないが、マキマの言葉に、視線に、態度に、雰囲気に、どうしようもない湿()()が確かにあった。

 大きくなった。出会って七年ほどだろうか。百六十センチに迫る身長となったエニシの顔は、随分と近づいたと言えるだろう。

 背だけではなく、体格も大人の男性のものへと徐々に近づいている。

 

 ソレが、()()()()()()()()()()()()

 

 天沢エニシという少年が、育てば育つほどに嫌でも自覚させられる時間の流れの違い。

 寿命の概念がほぼ存在しない悪魔にとって、人間の寿命(たかだか百年)など瞬きの時間でしかないだろう。

 

「――――マキマさん?」

 

 不意に、エニシが立ち止まった顔を覗き込んでくる。

 ぼんやりとしたあどけなさを感じる整った顔立ち。お揃いという事で纏められた、太さのある三つ編み。

 頬を撫でれば、擽ったそうに、少し困った様に寄せられる整った眉。

 

「…………何でもないよ」

「そう、ですか?」

「うん、そう。行こうか」

 

 まだ、時間はある。繋ぎ直した手を、指を互いに絡み合うような、()()()()()へと変えながらマキマは頭の中で計画を練っていく。

 幸いというべきか、エニシは警戒心が薄い。加えて、マキマに対する警戒心は更に薄く、気を許しきっていると言えるだろう。

 問題は、彼の有能さ。

 ぶっちゃけ、悪魔の案件は彼さえ放り込んでおけば何とでもなる、という空気が公安の中には少なからずあった。

 良くはない。如何に強くとも、彼は未成年の十代前半の子供でしかないのだから。

 使い潰されるほど脆くは無いが、一人への依存は組織の腐敗並びに劣化へと通じてしまうのが、世の常というもの。

 かといって、完全にマキマが独占する事は難しいのもまた事実。

 公安という組織そのものは、いまだ彼女にとって有用であるから。何より、彼女自身の慢心があるとはいえ、肉体的な強度は人間のソレと大差ない。この弱点を補強する上でも、現状契約を破棄してしまう事は難しい。

 

(あの力があれば…………)

 

 脳裏をよぎるのは、とある存在の力。

 彼女はソレを、本来ならばこの世に不必要であろう事柄を消し去るために使うつもりだった。

 しかし、今はどうだろうか。

 もし仮にその力を手にして――――果たして彼は、離れていかないだろうか。

 弱くなった。そう言われればそれまでかもしれないが、確かに彼女は脆くなった(情を持った)。少なくとも、彼女の本性を知る者達からすれば弱体化していると判断されても仕方がない。

 それでも、それでもだ。

 

 今はどうしても、この(温かさ)を放したくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「契約か……」

「はい。その…………天沢君に、師匠の判断を仰げ、と」

 

 スキットルに口を付けながら、岸辺はその目を細めた。

 弟子である姫野が自分の元へとやってきたのは、出勤してすぐの事だ。蟋蟀の悪魔を討伐した時から暫く経っており、整理する時間が欲しかったのだろう、と彼は分析していた。

 それにしても、

 

「てっきり、自分で候補を絞って来るかと思ったが……存外、冷静だな」

「それも、その……天沢君が。悪魔の契約は重ければ良い訳じゃない、って」

「至言だな。悪魔との契約は、向こうからじゃなくこっちから対価を提示するべきだ。その場合の方が主導権を握りやすい」

 

 酒を呷りながら、岸辺は頷いた。

 危険を伴う契約。慣れておらず、或いは力を求めるがあまりに主導権を完全に持っていかれてしまえば必要以上に持っていかれる場合が珍しくない。

 

「まあ、前々から言ってるように、悪魔に善意を期待するな。奴らがどれだけ人間に寄り添おうとしてもその本質は悪魔のまま。癇癪に任せて人を殺す。契約にしてもそうだ。悪魔の言葉に惑わされるな」

「人型の悪魔と契約すべきですか?」

「必ずしも、そうとは言えない。お前がゴリゴリの前衛ならその選択肢もあったが……鍛えた人間の域を出ないのなら、契約するのは異形系だ」

 

 悲しいかな、どれだけ鍛えても人間が完全にフィジカル面で悪魔の全てを打倒する事はまずあり得ない。

 一部例外を除けば、という話にもなるが少なくとも姫野という女性の身体能力は鍛えた人間のソレ程度。根っからの超人染みた者たちには劣る。

 岸辺の言葉を受けて、姫野が思い出したのはエニシの言葉。

 

「狐の悪魔、とかですか?」

「アレは、人間の男にしか扱えんだろう。面の良さを求める面食いだ…………一つ、候補が無い訳じゃない」

「?ソレは一体どんな悪魔なんですか?」

 

 問われて、岸辺は再度スキットルを呷った。

 自分で言い出したが、あまり気乗りしていないらしく、しかしその一方で姫野が自力で辿り着いた上でどんな契約を交わすのか心配でもあった。

 

「……ハァ…………悪魔の名は――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――やれやれ、とんだオフでしたね」

 

 匕首に付いた血を払って、エニシはため息を一つ零した。

 彼の足元では、今まさに絶命した悪魔の巨体が転がっている。

 流れは、偶然が重なっての事。街をぶらりと散策していた二人は、夕方近くとなって夕食を取るために歓楽街の近くまで足を延ばしていた。

 そこで、民間のデビルハンターがこの悪魔を討伐しようとしていたのだが、どうやら派遣された者がヘボだったらしく悪魔の逃走を許してしまった。

 そして、あろうことか逃げた悪魔は真っすぐに二人の下へ、正確にはエニシの下へと迫ってきた。

 悪魔の手傷は、人間の血肉で癒される。

 ぱっと見で子供でしかないエニシを食らわんとしたのだ。

 本来、公安は民間の案件へと手を出してはいけない。棲み分けの為でもあるし、線引きをしておかなければ色々と面倒を呼び込んでしまう。

 しかし、今回は仕方がない。反撃せねば、食われかねなかったのだから。

 匕首がパーカーの後ろより引き抜かれ、交差は一瞬。

 場面は台詞へと戻る。

 

「どうしましょう、マキマさん。始末書を書かなくちゃいけませんかね?」

「今回は、緊急避難が適用されるよ…………ね?」

 

 後ろ手に組んだマキマが問うのは、エニシではなく悪魔を追っていた警察官たちだ。

 

「自己防衛の為の緊急避難。()()()()()?」

「は、はい!その通りです!!!」

「行こうか、エニシ君」

 

 ニッコリと張り付けた笑みを向けられた警官は、勢いよく敬礼を返すしかない。

 彼は知っていた。目の前の女性が、遥か上の身分を持つ事を。そして、悪魔を殺した少年が公安においての暴力装置としての側面を持つ事を。

 報酬を払えば、民間の方も黙るだろう。正面切って公安と対立しようなどというバカは、まず居ないのだから。

 その場を離れた二人は、既に悪魔の事など頭には無い。

 

「何を食べようか」

「マキマさんの希望は無いんですか?お肉とか、お魚とか、お野菜とか」

「そうだね…………それじゃあ、肉にしようか」

「色々ありますね。ステーキ、焼き肉、串焼き、ハンバーグ、あと……」

 

 指折り料理を上げていくエニシと、そんな彼の言葉に頷くばかりのマキマ。

 彼女にとっては、夕食など何でも良いのだ。それこそ、隣の少年が居れば、それだけで良い。

 夜の帳は、静かに東京を覆っていくのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾八

 子供の成長の速さ。それは、存外馬鹿にならないもので。

 つい先日幼稚園だったと思えば、気付けば小学校卒業などザラにある。

 

「そう言えば、エニシ。お前、幾つになった?」

「今年で、十七ですよ」

 

 スキットル片手に問うた質問に返ってきた答えを受けて、岸辺はふと遠い目をする。

 デビルハンターの経歴で、十年は長い方だろう。少なくとも、それだけの年数を生きてきた者たちはほんの一握り。

 酒精で脳を侵しながら、岸辺はペンを走らせる少年を見やる。

 出会った頃と比べれば、面影はあれども既に大人の男としての要素の方が圧倒的に多いだろう。

 身長も百八十を超えて、その上まだまだ成長途中。そして、背が伸びるに合わせて肉体に積載される筋量も増えるからだろう実力の方も留まる事を知らない。

 本来ならば、部隊長、或いは岸辺と同じように一課を背負っても良いほどの実績と実力を有している。にも拘らず、彼は未だにフリーのまま。正確には、課に左右されない特殊な立ち位置。

 今も、1課の端に置いてある面談スペースを使って書類を仕上げていく。

 それもこれも、

 

「――――エニシ君」

 

 この三つ編み悪魔の我儘だ。

 ハイライトの消えた目で、岸辺は何も言わずに視線を送るが彼女はこちらを一瞥しようとすらしない。

 マキマが変わったのは、彼が見た限りでエニシの影響が大きい。というか、それ以外にあり得ないと断言できる。

 何故なら、彼女にとって悪魔であろうとも人間だろうと、全て支配する対象でしかないのだから。

 マキマには、マキマ独自の視点から世界を平和に持っていこうとする考えが確かにあった。その為に、手段を選ばないという点も。

 だが、今はどうだろうか。スルリと、すり寄るようにエニシの背後へと回り、ソファの背凭れ越しに彼の体に腕を回して頬を摺り寄せる。

 砂糖でも吐きたくなるほどに、甘ったるく、まるで()()()()()()()()()()()()()()過剰ともいえるボディタッチの頻度と密度だ。

 加えて、絡まれている側のエニシは顔色一つ変えはしないのが尋常ではない。

 そして顔色を変えないというのに、優しい微笑を口元に湛えて左手でマキマの頬を撫でながら、右手で残りの書類を片付けていくのだ。

 

「…………甘ぇ」

「?お酒、変えたんですか?」

「そうじゃねぇよ……ハァ」

 

 やってらんねぇ、とソファの背もたれに深く体を沈めて、スキットルの飲み口を口に咥えた岸辺は天井を死んだ目で眺める。

 悪魔が上司になった時、岸辺はいざという時は彼女を殺すつもりだった。

 デビルハンターとして、悪魔を信用信頼しない。悪魔は悪魔、という考えに則っての事。

 だが、最早過去形だ。

 マキマが変わった、というのもある。悪魔らしさと言うべきか、そういう部分が薄れたというか、削れたというか。

 代わりに、まるで人間の様な、しかし人間よりも圧倒的に暗く、黒く、深い、ねっとりとしたコールタールの様な仄暗い感情が生まれている。

 そして何より、まず間違いなくこの世界中の悪魔含めた生物の中でぶっちぎりに強い、天沢エニシという人類のバグとでも言うべき存在。

 この男一人が敵に回るだけで、国の軍隊全てを投入しても勝てるビジョンが見えないという地獄がそこには出来上がる。

 諸々の要因も相まって、静観と言う選択肢を取る事になる。

 程なくしてペン先の走る音も消え、エニシはペンを置いた。

 

「さて、と。これで終わりですかね」

「ん」

 

 押し示された書類を手に取った岸辺は、その中身へと視線を走らせ不備が無い事を確認。行って良い、と手を振った。

 一礼して去っていくエニシと、そんな彼にぴったりと寄り添ったマキマ。

 何やら談笑しているようだが、そこまで近づく必要があるのか、と岸辺は思ったり。

 血腥い世界の中での、ほんの少しの気の抜けた平和な時間。

 新人が一律に入ってくる、少し前の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃の悪魔の被害から、凡そ十年ほどか。

 今でも、恨み辛みというモノは根深いもので今年も、その悪魔への復讐を目指して公安の扉を叩く者たちが居た。

 

「傷、大丈夫ですか?」

「………うん」

「なんでしたら、今日は僕だけでも――――」

「いや、今回の新人は私の新しいバディだからさ。でも、私がこんな様じゃもしもがある。その時、頼むよ」

 

 右腕をギプスで固定し、右目に包帯を巻いた姫野の隣で所在なさげにエニシは腰の左側に差した愛刀の柄頭へと左手を乗せて撫でる。

 彼女との仕事は久しぶりの事だ。そして、その間に五人のバディを失っても居た。

 仕方がない、という点は否定できない。どうしたって、この仕事は一年間死人が出ない方がおかしいと言われるほどなのだから。

 実際問題、公安最強に位置するエニシが寝食を忘れて駆け回っても、きっと被害はゼロには出来ない。

 端的に言って、姫野の心は傷だらけだった。

 死んだ者が弱かった。ただそれだけの事と割り切れたなら、その傷は仮に負ったとしてももっと小さく、そして浅く済んだだろう。

 過去に、エニシが表面的に割り切る事が出来る性格と称したように、彼女は仮面を被る事が上手い。

 会話が途切れて僅かな間が開き、不意にエニシが顔を上げる。

 

「来たみたいですね」

 

 言って、彼は数歩下がって壁へと凭れかかり、腕を組んで傍観の構えとなる。

 入れ替わる様に現れたのは、真新しい黒のスーツに身を包んだ青年。

 

「姫野さん、ですか?」

「そう。早川アキ君、だっけ」

 

 確認するように呟きながら、同時に姫野は目の前の青年の瞳に宿った色を見て僅かな嫌悪感を滲ませた。無論、ほんの少しで周りに気取られるようなものでもない。

 その色を良く知っていたからだ。要は、同族嫌悪。

 

「ありふれた質問だけど、どうしてデビルハンターになったの?」

「…………俺の家族は、銃の悪魔に殺されました」

「復讐、ね」

 

 予想通りの回答。自由な左手で僅かに手櫛を通してから、感情を殺した目を新たなバディへと向けた。

 

「私のバディはキミで、六人目。全員死んでるの。使えない雑魚だから死んだ――――アキ君は、死なないでね」

 

 ある意味では、コレは彼女からの優しさと、同時に心が上げる悲鳴の残滓だったのかもしれない。

 死なないでほしい。死ぬぐらいならば、逃げてほしい。そんな気持ち。そして同時に、目の前の彼、早川アキは自分の目的を果たすまでは逃げない事もまた察していた。

 何故なら、自分がそうだから。同時に目的(復讐)が無かったならば、とっくの昔に彼女は壊れていただろう。

 踵を返して先へと進んでしまう姫野。一方で、早川が目を向けたのは初対面のやり取りに口を挟まなかったエニシだ。

 視線を向けられ、組んでいた手を解いて壁から離れたエニシは少し困った笑みを浮かべた。

 

「気にしないでください。姫野さん自身、少し整理がついていないだけですから」

「貴方は……」

「僕は、天沢エニシ。今回限りの付き添いですよ、早川さん。あ、僕の方が年下ですから呼び捨てでも大丈夫です」

「と、年下?おま……いや、先輩、ですよね?」

「ええ、まあ。今年で十七ですから、今は十六ですね」

 

 唖然、と言うべきか。早川自身、成人に達してはいないが、それでも高校卒業年数は過ぎている。

 驚いた様子の早川に対して、エニシは手を振ると先へと進む事を促した。

 今回限りの同行と言うのは、本当。その目的は、先の通り負傷の厳しい姫野のフォローと言うのが一つ。

 もう一つは、新人である早川アキの実力並びに精神性の見極め。

 実力不足ならば、教導担当となる岸辺へと斡旋し。ある程度の腕を認めれば、契約する悪魔の選別を行う事になる。

 

 余談だが、エニシの実力を後に間近で見る事になった早川は、エニシへと剣を習いに行き何故だかマキマに門前払いを受ける事になったりする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾九

 目覚めの朝。例え、前日にどれだけ遅く寝たとしても正確な体内時計に従って体は勝手に覚醒する。

 

「………む」

 

 瞼を開けたエニシは、自分の右半身、取り分け右腕に引っ付く熱に片方の眉を上げた。

 目だけで見れば、赤い髪の毛が確認できる。

 二年ほど前に、ぐんぐんと背が伸びて同時に体格も確りとしてきたエニシに合わせて新調したキングサイズのベッド。

 縦は2メートル程、横幅1.8メートル程。かなりの大きさで、これ一つ置くだけで寝室の大部分が埋まってしまった。

 そんな広々としたベッドではあるのだが、しかしその使用面積は広くはない。寧ろ、狭いとすら言えるだろう。若しくは、無駄。

 というのも、共に寝ているマキマが引っ付いてくるから。

 就寝時は、並んで寝るとはいえ十分に寝返りを打っても大丈夫な程度の距離感を持って眠る様にしている。

 しかし、起きる時には大抵上記の様な状態となっていた。

 エニシは、眠る時の姿勢から一切動かない為、動いているのはマキマで確定。基本的に、エニシの右腕を抱き枕の様にして眠っている。

 成人していないとはいえ、既に日本人の平均身長を超えて確りとした大人の男としての体格を得ているエニシと、中身はどうあれ抜群のプロポーションを誇る美女、マキマ。

 そんな二人が同じベッドで寝て――――何も起きてはいなかったりする。

 

 ()()()()

 

 原因というべき物の一つに、エニシの枯れっぷりが挙げられるだろうか。

 ぶっちゃけ、この年頃の男性ならばその性欲は、猿同然だろう。有り余る体力と好奇心が、そのまま精力へと還元されているかのような漲りっぷり。

 ソレが、エニシには無い。淡々としており、同時に生理現象としてのそういう反応はあれども、それ以外ではほぼ何もない。

 性欲が無い、と言う訳では無いだろう。何せ、人間の三大欲求の一つで後の世代に子孫を残すという観点からも多くの生物が切っても切り離せない欲求なのだから。

 エニシも、人間だ。超然的な部分があれども、この本質は変わらない。

 この枯れっぷりの原因の一つは、マキマにある。

 補足をすれば彼女が何かしらの方法でエニシの性欲をぶち殺した、と言う訳では無い。

 事は単純、幼少期からの積み重ねだ。

 愛を知らずに幼少期を過ごしたエニシに対して、マキマは出会ってから間があったとはいえ、彼女なりの愛情を注いで接してきた。

 

 過剰ともいえる、ボディタッチと共に。

 

 母のようであって、母ではない女性。エニシの立場からすれば、マキマという存在は保護者であれども肉親ではない。

 そんな女性から日夜、手を引かれ、抱き着かれ、背負われて過ごしてきた。

 

「…………」

 

 無言で空いた左手でその指通りの良い髪を梳いて、頬を撫でれば僅かに瞼が揺れる。

 エニシがマキマに抱く感情を呼ぶとするなら、ソレは“愛”だろう。しかし、それは“恋愛”ではなく“親愛”に近い。

 大切に思っている事は間違いないだろう。少なくとも、彼の中での優先順位は知り合いの中でもマキマが最も高いのだから。

 

「…………おはよう、エニシ君」

「おはようございます、マキマさん」

 

 朝の挨拶を交わして、今日もまた始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男が刀を振るう時、そこには日輪が見える。

 

「――――フゥ」

 

 血払いの為に振るわれた刃から血糊が飛んでアスファルトを汚す。

 凡そ十年以上使っているが、刃が草臥れる様子も無ければその他にガタが来る様子も無いのは手入れを確りとしているからか、或いは別の要因か。

 刀を鞘へと収めれば、事が終わったと判断されたのか周りを囲んで規制線を張っていた警官隊の一人が駆け寄ってくる。

 

「お疲れ様です」

「はい。そちらも被害などは出ていませんか?」

「天沢君が来る前に民間のデビルハンターが数人と、警官の方で数人出た位さ。寧ろ、大型の悪魔を相手に被害は少ない方だろうよ」

「そうですか……後は、お任せしても?」

「ああ」

 

 顔馴染みの警官に断りを入れて、エニシはその場を離れた。

 遠くへと行く背中を見送りながら、警官の胸の内に過るのは苦い感情だ。

 悪魔と対峙するのは、何もデビルハンターだけではない。警察官もまた、通報を受ければ連携をすれども、時間稼ぎに突っ込まされる、或いは見回り途中で悪魔と出くわしてその命を落とす事も珍しくは無かった。

 腕利きのデビルハンターが暴れれば、それだけその被害も少しは軽減される。だが、だからといって子供におんぶにだっこな立場に甘んじられる程、彼は人間性を捨て去る事など出来はしなかった。

 

 そんな苦々しい思いを抱かれているとは露と知らず、エニシは見回りと言う名の散歩を再開していた。

 彼の基本の行動範囲は首都圏内。その行動法は徒歩だ。

 ぶっちゃけ、やろうと思えば高速道路を生身で疾走する事だって可能な彼にとって、車による移動など正直行動制限以外の何物でもない。

 街中を刀を差して歩くスーツ姿の青年。時代錯誤か、治っていない中二病、或いは危険人物か。兎にも角にもいい印象を持たれないだろう見た目であれども、当人は気にしない。

 自然と避けられて開いた道を歩き、時折適当な店のショーウィンドウを眺めて首を傾げ、信号を待って横断歩道を渡って、街の喧騒に紛れる異音や異臭に気を配る。

 そしてその足が向かったのは、とある公園。

 広くも無く、狭くも無く。しかし周囲の植え込みの影響で、外から中を確認するとどうしても幾つかの死角が存在し結果時間帯によって不良のたまり場になっている様な、そんな公園だ。

 

「…………お久しぶりです」

「ああ、久しぶりボウヤ」

 

 振り返ったエニシと相対する、眼帯の麗人。

 

「それにしても、今日はどうしたんですか?応援要請は………出てませんよね?」

「観光だよ。あっち(中国)で大物を仕留めてね。羽休め代わりに出てきたのさ」

「ピンツィさん達も、ですよね」

「彼女たちは、公園の入り口近くで待ってもらってるよ」

 

 煙草へと火を着けて、紫煙をなびかせるクァンシ。

 彼女が日本に居るのは、先の言葉通り羽を伸ばす為。ドンパチは不本意であるし、そもそも日本は公安含めた別のデビルハンターの領域だ。そこで無造作に悪魔を殺せば無駄な諍いを生む事になる。

 

「それにしても、随分と大きくなったじゃないか、ボウヤ。もう、そう呼べないか」

「呼び方は、好きにしてもらっていいですよ。一応、僕はまだ成人してませんし」

「…………そう言えば、私との初仕事がそもそも十の頃だったか」

 

 あの得体の知れない子供が随分と大きくなった。クァンシは隻眼を細めて、同時にその実力の底知れなさを無意識の内に感じ取っても居る。

 強い、弱い、と論じる領域に無い、と昔にも思ったが今は最早その時とは文字通り桁違い。

 その異様な在り方の為に、気付けた、というのもある。

 

(友好)の関係で会えたのは、ある意味こっちの僥倖か。幾ら積まれても、敵対はしたくないね)

 

 間違いなく殺される。いや、クァンシはその体の特殊性から死なないのだが、仮に悪魔の力を用いても敵わない。そう判断した。

 クァンシの頭の中の算盤など知る由もないエニシはというと、

 

「暫く、こっちに居るんですか?」

 

 気の抜けるような事を聞いてくる。

 仕事として敵対しなければならないならば刀を抜くだろう。

 しかし、そうではない。クァンシは本当に観光の為に日本を訪れているし、であるのならエニシとしても旧交を温める事にも抵抗はない。

 

「まあ、ね。ガイドでもしてくれる気か?」

「そこまで詳しくは…………精々が、お店を紹介するくらいですよ。個室で、尚且つ魔人にも物怖じしなくて料理が美味しい。そういうお店は限られますし」

 

 周りの目を気にするほどナイーブな面々ではないが、それでも不躾な視線というモノは大なり小なり影響を与える。

 その点、エニシからの申し出はクァンシとしては渡りに船だ。自分達は気にせずとも、積み重なれば煩わしい。

 幸いと言うべきか、金銭面は気にする必要が無い。

 煙草を半分ほどまで吸い、クァンシは目を細めた。

 

「なら、ボウヤに案内してもらおうか。そういう店なら、勝手を知ってる人間が居た方がいい。何なら、ボウヤの方からも何人か見繕えばいいさ」

「食事会、って事ですか……あ、でも、日時の擦り合わせはどうしましょう?」

「私たちの泊っているホテルの住所を教えておこう。後は、受付に伝えておけば良いさ」

「成程、分かりました。僕が選んだ人で良いんですよね?」

「ああ。もっとも、()()()()()()方がいい。今後も考えて、ね?」

 

 含みのあるクァンシの言葉だが、エニシもその辺りは了解しているつもりだ。

 

 混沌の食事会、開宴



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

弐拾

カクヨムに少々浮気しておりました








 とある料亭。

 知る人ぞ知るその店は、政財界の重鎮から芸能界の大御所、筋者の大親分等々。実に様々な界隈の大物が訪れるそんな場所だった。

 人気の理由は、店の主人から従業員に至るまでの教育の行き届いた口の堅さ。もし仮に、拷問されたとしても決して口を割らないとまで噂される程の徹底振り。

 加えて、料亭と銘を打っているが客の注文に必ず応えるというポリシーを持っており、洋食、中華、フレンチ、イタリアン等々実に様々な料理を調理、提供する店でもあった。

 

「――――はぁ……」

 

 グラスを傾けて酒精を呷り、酒気を多分に含んだ息を宙へと吐き出して和座椅子の背もたれに体を預けるクァンシ。

 彼女と対面するように卓に着いた岸辺も同じく常よりも死んだ目を虚空へと向けて、無心で猪口に徳利を傾けては呷るを繰り返していた。

 

「岸辺、上司の手綱は握っておくものじゃないか?」

「握れると思うか?」

「…………悪い」

 

 二人の死んだ目が交錯する。

 

 事の発端は、少し前の再会。そこから、決まったエニシ主催の食事会。

 

――――『へぇ、貴女が』

 

 無言のハンズアップ。

 エニシが連れてきたのは、岸辺とそれからマキマの二人。正確には、岸辺には声をかけてマキマは勝手についてきた形だ。

 なんて化物を連れてきたんだ、とクァンシは遠い目をしたがソレを止めたのもエニシである。

 マキマの手を引いて店まで歩き、その間には初対面時の威圧感は何処へ置いてきたのか雲散霧消。視線の一つも寄こさないおまけ付きではあったが、それでも安全装置として彼が働いたのは事実だった。

 とりあえず、積もる話もあるという事で魔人四人とエニシとマキマ、そして岸辺とクァンシの組み合わせで隣り合った部屋に分かれていた。因みに、襖を取り払えば大座敷にもなる部屋だ。

 

「……最初は、俺はアイツを殺すつもりだった」

「あの化物を?……冗談キツイな。そこまで耄碌したのか?」

「言っただろう、“だった”ってな。マキマは、支配の悪魔は変わった。それが表面的なものかは分からないが、それでも確かに。十一年前、別の化物(天沢エニシ)を見つけてからな」

 

 猪口を呷り、岸辺の脳裏を過る幼い姿。

 あの時が明らかな転換点だった。その時のマキマの内心など知る由も無いが、今ではどろりと凄まじい粘度を持った“愛”を自身の養い子へと向けていた。

 

「アイツにとって、自分以外の他者との関係は自由自在に変えられるものでしかない。人間であれ、魔人であれ、悪魔であれ、等しくな。だからこそ、能力を介さない関わりに飢える」

「……そもそも、あのボウヤは一体何なんだ?身体能力、剣技。アレで純正の人間だっていうんだから、余程だろう?」

「さあな。お前もよっぽどだと俺は思うが……とにかく、エニシが来てマキマは変わった。良い変化、と言っていいだろ」

「私含めて、ボウヤに近付く輩には軒並み威嚇するのに、か?」

「それこそエニシが止めるだろ。アイツが居ない場でまで、マキマはあの態度じゃない。逆に、エニシが同席すれば、余程の事が無い限りエニシはマキマの暴走を止める」

「そのよっぽどが来ない事を祈るよ」

 

 暴走するマキマが止まらないという事は、エニシが止めない、というパターンと()()()()()()というパターンがある。

 前者は、余程不興を買うなりしなければ起きないだろう。問題は、後者。

 

「あのボウヤが酷い傷を負っている姿なんて想像できないな」

「同感だ。エニシが大怪我負うような相手が出てくるなんざ、世界の終わりだろ」

「なら、病気か或いは事故」

「その手の話も、聞かねぇな。少なくとも、俺が出会ってから今日までエニシは病気になった事が無い」

 

 人間か?改めて、二人の脳裏を過ったフレーズである。

 

「何はともあれ、ボウヤには感謝しないと。アレと敵対したくないよ、私は」

「俺だって、やらなくて良いならやらねぇさ」

 

 大人組が再度大きなため息を吐いていた頃。

 襖の向こう側では、また別のやり取りが。

 

「コレ、悪魔にも効くの」

「是的、勿論。クァンシ様もトロトロになる一品ですよ~」

 

 ポニーテールの魔人であるピンツィとマキマが膝を突き合わせて何やらこそこそと取引を行っていた。

 この二人、というか四人の魔人達は最初こそマキマに恐怖していた。自分達を一瞬で殺せるような相手が出てくるのだから。

 だが、当の恐れられている本人、いや本悪魔の全ては一人の少年に向けられたまま。

 視線も、意識も、体も、感情も全てが凝縮し、濃縮されて押し固められた全てが、だ。

 これらに名を付けるならば、“愛”だろうか。“恋”ではない。

 “恋”は焦がれるものであり、“愛”とは注ぐものだから。

 

 ピンツィからして、このマキマの“愛”に対して共感を覚える部分がある。

 

 魔人達は、皆クァンシへと全てを向けていた。そして、マキマはエニシへと全てを向けていた。

 

「エニシ、おかわり」

「口の周りが汚れてますよ、ロンさん」

「ハロウィン!」

「コスモさんは、もう少し落ち着いて座ってください」

「……」

 

 故に、エニシに三人がお世話されていても、ソレはマキマからすれば他所の犬の世話をしている様な事でしかない。

 寧ろ、甲斐甲斐しく世話を焼く姿は、()()に役に立つかもしれない情報でもある。

 ロンの口の周りを拭って食事を再開させるエニシ。その首へとスルリと細い腕が回された。

 

「私も一口欲しいな、エニシ君」

「良いですよ。どれを取りましょうか」

 

 和洋折衷様々な食事が並ぶ中、見える様に、と首を傾けたエニシ。

 その年々逞しくなり続ける背中には、二つの大きな肉まんが形を変えるほどに密着、押し付けられているのだが彼の顔色は欠片も変わらない。

 それどころか、摘まんだ刺身の一切れをわさびを溶いた醤油に浸してマキマへと差し出す始末。

 口の周りを汚しながらローストビーフを咀嚼するロンは首を傾げ、飲み込み、

 

「エ――――むぐっ」

「はー、ロンはこっちに来てもらいましょーう」

 

 声を掛けようとしたところで、横合いからピンツィが回収。見えている地雷に水泳の飛び込みのように飛び込まれては巻き込まれてこちら迄爆殺されかねない。

 魔人達が離れ、自然とエニシの隣にマキマが座る。

 しなだれかかる様にその肩へと頭を預けた。

 

「……大きく、なったね」

「そうですね。マキマさんと出会ったのは五歳でしたから」

「うん……ふふっ、あの頃の君は本当に小さかったからね」

 

 今でこそ、エニシは年相応以上に背が高く、みっちりと肉の詰まった体をしている。だが、マキマと出会った当初は瘦せっぽちの子供でしかなかった。それでも並大抵の輩よりは遥かに強かったが。

 ドロリと、胸の内に澱が淀んだ。

 

「君は、私のものだよ、エニシ君。私の、私だけの、懐刀(所有物)だ」

 

 スルリ、とマキマの指がエニシの頬を撫でる。

 その指が顎へと掛けられ、緩く己の方へとその端正な(かんばせ)が向けられた。

 

「ん……」

「!」

 

 一気に顔が近づき、唇が触れる。

 エニシの目が見開かれるが、しかし振り払うような素振りはない。

 触れるだけのバードキスだ。()()

 唇が離れ、同心円状の瞳が蠱惑的に、緩む。

 再度、その透き通るような白い肌が今度は耳元へと近づけられ、

 

「続きは、部屋でしようか……?」

 

 首の産毛を逆立たせるような、そんな色香をたっぷりと含んだ魅力的な声がエニシの耳より脳へと達した。

 常人ならば、その声だけで性の天辺へと連れて行かれそうなものだが、生憎とこの男は常人ではない。

 目を見開けども、腰砕けになる様子もなくその返答とでも言うようにその細い腰へと剣を握る武骨な手が回された。

 

 マキマは、時計の針を進める事にしたのだ。既に植えられていた種を発芽させる、そんな感覚で攻め手を変えた。

 契機は、ピンツィとの会話。

 悪魔だろうと、魔人だろうと、そのどちらでもない存在であろうとも、性的快楽は存在するのだ。

 無論、マキマにも。

 だから、()()()()。悪魔だろうと、魔人だろうと、興奮して()()()()()()()()()()お薬を。

 天沢エニシは、マキマを拒まない。彼女からの接触、その一切合切を振り払う事無く、成されるがままを受け入れている。

 例えそれが毒物であろうとも、彼女が求めれば一息に飲み干す事だろう。そんな事は、心配するだけ杞憂と言う他ないが。

 

 程なくして、襖が取り払われて合流して行われていた食事会は、良い時間にもなったという事で解散の流れとなる。

 その後、何が行われたのかはご想像にお任せしよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

弐拾壱

 雰囲気が変わる。食堂にて年下の先輩の前の席に座った姫野は、その変化を何となく感じ取っていた。

 因みに、隣でかつ丼をがっつく相方に気付いた様子はない。

 

「天沢君、何かあった?」

「はい?」

 

 声を掛けられたエニシは、首を傾げる。これは、姫野の問いが抽象的過ぎた。

 しかし、問うた姫野自身ハッキリとその違和感を感じ取れていないのだから質問も具体的なものにはならない。

 小鉢の切り干し大根を消費しながら、再度エニシは首を傾げる。

 彼自身に、自分の雰囲気が変わったという自覚は無い。そもそも周りからの視線を気にしないエニシにとって、面と向かって何か変わったか、と聞いてくる者が希少だ。

 少し考えこみ、

 

「――――あ」

 

 思い当たる。

 ここ最近の自分の変化。しかし、それは別に声を大にして言う事でもない訳で。

 

「何か思い当たった?」

「ええ、まあ……良い事?はありましたよ」

「へぇー。何というか、一皮むけた?みたいな感じだよ」

 

 そうですか?と首を傾げるエニシだが、ぶっちゃけ一皮むけるどころの話ではない。

 天国にも上る様な、しかし地獄の底にまで引き落とされてしまうかのような、そんな一夜を経験してしまえば誰しも大人になるというもの。

 一つ補足をすれば、超人(天沢エニシ)の体力は底無しであった。

 もりもりとカツ丼を食べ進める早川が、そこで声を上げる。

 

「天沢さん」

「何ですか?」

「後で、少し稽古を付けてもらって良いっすか」

「ちょっと、アキ君。君この前、その件でマキマさんに断られてたじゃん」

「でも、新しく契約したこいつ(悪魔)を使いこなすなら近接戦は必須ですし」

 

 早川が示したのは、足に立てかける様にして置かれた日本刀、のようなもの。

 一見、普通の刀だ。だが、その鞘は直刀のものの様に真っすぐでその上、円筒形。長さこそ、打刀ほどではあるが刀を見慣れた者ほど違和感を覚える形状をしていた。

 因みに、早川がエニシにさん付けと敬語を使うのは、敬意を払える年下の先輩であると認識されているから。

 スッと、姫野の目が細められる。

 

「アキ君」

「奥の手なのは、分かってます。でも、勿体ぶっていざという時使いこなせないなら、意味ないじゃないですか」

「でも……」

 

 姫野が渋るのも、無理はない。

 早川が手にしたソレは、悪魔との契約を経た結果得たものであったから。

 一度代償を支払えばいい、姫野のものとは違う。強力な一手ではあっても、その代償は余りにも大きい一品。

 しかし、彼の懸念も正しい。

 どれだけ強力な攻撃も、相手に効果を発揮できなければ意味など無い。

 最後の一口を食べ終えて、エニシは箸をおいた。

 

「稽古の件は、受けましょう。マキマさんには、僕の方から言っておきますから」

「っ、天沢君……!」

「ただし、早川さん。一つ、約束をしましょうか」

「約束?」

「はい。その剣に頼り切りにならない事」

「……」

「強力な悪魔の能力は、相応の代償を強いられます。僕は、貴方を死へと走らせるために、剣を教える訳じゃありません」

 

 きっぱり、とエニシは言い切った。

 悪魔と戦う術というのは、悪魔を殺すために有ると同時に、悪魔から生き残る為にも存在する。極論、相手を殺せたのなら自分は自然と生き残れる可能性が残るのだから。

 一般的な感性からは外れているとはいえ、エニシ自身好き好んで相手に自殺の為の手段を与えたいとは思わない。

 やるならば、生き残ってほしい。そう思う。

 黙ってしまった二人。エニシは席を立つ。

 

「それじゃあ、姫野さん、早川さん。予定が決まり次第、連絡しますから」

「……私も?」

「岸辺さんに、もし僕が誰かの面倒を見る時に巻き込んでくれ、と頼まれてましたから」

 

 存外あの人も甘い、と酒浸りのおじさんを思い浮かべながらエニシは柔らかな笑みを浮かべてお盆を手に返却口へ。

 岸辺は、優しい。その見た目や態度からは分かりにくいが、一度懐に入れたものをそう簡単に投げ捨てることが出来ない程度には。酒の量が増えるのも、偏に酒精が切れれば蹲って動けなくなってしまう頭を騙し続ける為。

 とはいえ、酒で祖父を亡くしたエニシとしては、酒浸りであり続けるのも程々にしてほしいと思ってもいる。

 口には出さないが、彼にしてみれば岸辺は、両親や祖父と比べても遥かに家族らしい扱いをしてくれた。

 褒める時には、褒めて。窘めるべき時には、窘める。デビルハンターとして、そして酒カスとして少々、いやかなり世間一般常識から外れる事もあるものの、それでもDV家族よりは遥かにマシだろう。

 食器を返して、食堂を出たエニシ。不意に、そんな彼の背後に気配が現れる。

 

「どうしました、マキマさん」

「ん……補充、かな」

 

 簡単な会話を交わしながら、エニシは自身の腰に回された腕を手に取るとスルリと手繰り寄せて、背後から抱き着いてきたマキマを自身の前へと連れてくる。

 そこから流れるような動作で、彼女の背と太ももの裏へと腕を回して抱き上げた。

 

「ふふっ……良い子だね」

「部屋まで運びますね」

「部屋でお終い?」

「……」

 

 首に腕を回して顔を近づけ微笑むマキマに、エニシは黙り込む。

 あの夜から、二人のもといマキマからの詰めてくる距離というものが更に近づいていた。精神的にも、肉体的にも。

 ソレが不快か、と問われればエニシは質問してきた相手を斬ってしまうかもしれない。要するに、不快ではないし、寧ろどこか心が震える気がする。

 問題としては、TPOを弁えない点だろうか。

 

 ただ、マキマはマキマで何の理由も無く惚気ている訳でもない。

 彼女は、凡そ十年ほど我慢し続けていたのだ。執着のキッカケは、出会った直後から。

 それから、砂に水が染み込む様に、或いは雨垂れが石を穿つ様に、彼女の中で天沢エニシという少年の存在は大きくなり続けていった。

 更に、明確な()()()()()()としての意識は、数年前の銃の悪魔襲撃だろうか。

 気紛れな拾い物は、やがて自身の懐刀となり、そして今では居て当たり前の存在へと変わっていった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 驚異的な力を有するマキマであっても、どうしようもない事というものが存在する。

 “寿命”。物理的に死ぬ姿の想像できない超人(天沢エニシ)であろうとも逃れる事の出来ない生物的な運命の終点。

 マキマは、この運命を捻じ曲げるつもりだ。

 だが、彼女が当初描いていた力は使えない。

 

 何故なら、彼女にとってエニシ以外は有象無象に過ぎないのだから。

 

 無自覚にイチャイチャと同僚その他から排出される砂糖を量産しながら辿り着くマキマの執務室。

 扉が閉まり、マキマを下すその瞬間、

 

「ん……」

 

 唇が触れ合う。

 ただ触れ合うだけのキスだ。それでも、視線が絡み合うには十分すぎる。

 

 マキマは、準備を進めている。だが、成立させるのは今じゃない。

 エニシの肉体は、年を経るごとに右肩上がりどころか、反り返ってしまいそうなほぼ垂直の成長曲線を経て強くなり続けている。

 彼女は待っている、最も実るであろうその瞬間を。そして、その時を迎えた時、

 

 天沢エニシの体は、大きく変えられる事になる

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。