ぼっちの兄もまたぼっち (差六)
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第一話「五月の脱ぼっち対策委員会」

初投稿です。よろしくお願いします。

オリ主君ですが、誰にもまったく名前を呼ばれなかったのでしばらく名無しのままです。




 この指とまれ。

今振り返っても、誰かの指に止まったことはないし、止めたこともない。

そんな僕のことを父さんと母さんはいつも心配してくれていた。

心配をかけたのは申し訳なかったけれど、友達ができないこと自体は気にしてなかった。

出来たこともないから友達のよさなんて分からなかったし、家族がいるだけでずっと幸せだった。

 

 事情が変わったのは妹が大きくなってからだった。

幼稚園に入った妹は、僕と違ってあの指にずっと止まりたがっていた。

でも出来なかった。指をくわえて、ただ羨ましそうに見つめるだけだった。

 

 幼稚園を卒園しても、小学校に入学しても、大きくなっても、それは変わらなかった。

僕も妹も、誰の指にも触れることはなかった。指を立てても、誰も触れることはなかった。

その度に落ち込む妹を見た。そうして傷付く妹を、僕はずっとなんとかしてあげたかった。

 

 

 

 

「これより、五月度の脱ぼっち対策委員会を始めます」

「い、いぇ~い」

 

 GW明けの五月上旬、ひとりの部屋で僕達は定例委員会を開いていた。

委員長は僕、副委員長は妹のひとり。以上二名の零細委員会。

兄妹二人してあまりにもぼっちだから、僕が小学校二年生の頃に立ち上げた委員会だ。

なお、次女のふたりは公園デビューをしたその日にこの委員会を卒業した。

僕もひとりもとっくの昔に置いて行かれている。兄と姉としての威厳はボロボロだった。

 

「では、先月の活動報告をお願いします」

「……だっ」

 

 ゴン、とちゃぶ台にひとりが勢いよく頭をたたきつける。

痛かったのか、別の理由か、とにかく報告は涙声だった。

 

「誰にもっ、話しかけられなかったっ……」

「…………ひとりからは?」

「むむむ無理だよ! そんなの、お兄ちゃんならわかるでしょ?」

「うん、ごめん」

 

 ぐるりと首を回したひとりにじっとりとした目を向けられる。

僕を含め、家族相手ならこんな風に自然に話せるのだけど。

普段のひとりはコンビニに行く時でさえ悲壮感を漂わせている。

あの情景を思えば、ひとりの言うこともよく分かる。分かってしまう。

 

「そ、そういうお兄ちゃんは?」

 

 聞きながらもひとりはちゃぶ台にぺっとりくっついたままだ。

もう全身で期待してないのがわかる。どうせお兄ちゃんも0人でしょって態度をしてる。

確かに三月は0人だった。声をかけようとしても誰も目を合わせてすらくれなかった。

先生すら声をかけてくれなかった。授業でも僕を飛ばして指名する徹底ぶりだ。

 

「もちろん、誰にも話しかけられなかったよ」

「も、もちろん……」

 

 でも四月は違う。僕は胸を張った。

 

「聞いて驚いて。7人に話しかけた」

「す、すごいっ」

「そして4人に泣かれて5人気絶した」

「!?」

 

 事実だ。

四月、クラス替えという絶好の機会を迎え、僕は接触を試みた。

初日前後左右の人にとりあえず話しかけてみた。全員まもなく気絶した。

後日委員決めのHR、くじ引きでクラス委員に選ばれた僕は、女子のクラスに話しかけた。

気絶した。委員決めもなぜか最終的に僕が全員指名した。ここはくじ引きとかじゃないの?

 

「びっくりするよね」

「あ、あの、お兄ちゃん元気出して」

 

 噛み締めるようにつぶやく僕の頭を、復活したひとりがおずおずと撫でてくる。

うちの妹は優しくて可愛い。こんなにいい子なのに、なんで友達ができないんだろう。

 

 お礼を言ってひとりの手を頭からどかす。まだ委員会の途中だ。

先月の失敗を超えて、今月からもっと頑張らなきゃいけない。

 

「そういう訳で、先月も成果はゼロです」

「うぅぅぅ、こ、高校デビューが……」

 

 高校一年生の四月という友達作り最大の機会を逃したことを痛感したのか、ひとりが溶け出した。

べちゃべちゃとした粘度のあるピンク色の液体がちゃぶ台に広がる。無理もない。

誰も私を知らないところで再スタートをするんだ、と張り切っていた姿は記憶に新しい。

そのために無理を押して金沢八景から下北沢まで二時間かけて学校まで通っている。

元に戻るようにひとりを捏ねながら、僕は言葉を絞り出した。

 

「大丈夫、まだ高校生活は始まったばかりだよ」

「は、始まったばかり……、あがっががが」

「あっ」

 

 励ますための言葉が追撃になってしまった。

捏ねていたひとりが粘度を失いサラサラと零れ落ちていく。

床のしみにならないよう、用意しておいたバケツに丁寧に入れていく。慣れたものだ。

始まったばかり、が不味かったのかな。

このままぼっちが続いて、三年間孤独の学校行事に臨む姿でも妄想したのかもしれない。

 

「型に入れておこう」

 

 三十分くらいかな。

 

 

 

「ごめんね、お兄ちゃん」

「ううん、こっちこそ不安にさせちゃったね」

 

 暇だったのでのんびり勉強をしているといつの間にかひとりが復活していた。

申し訳なさそうなひとりに笑いかけると、曖昧に頷きながら許してくれた。

ああいうことを言えばひとりが崩壊するのはわかるはずなのに、つい油断していた僕が悪い。

 

 気を取り直して委員会に戻る。まだ終わってない。

この委員会を始めて九年目。この程度の失敗は慣れっこだ。

 

「次に今月の活動計画をお願いします。何かありますか?」

 

 傷だらけの活動報告を終えて、本題の活動計画に移る。

今まではいわば反省会。これからが脱ぼっちのための活動だ。

 

 これまで数えきれないほどの計画を立て、実行してきた。

特にひとりがギターを始めてからは音楽関係の子に狙いを絞るようにした。

さりげなくバンドグッズを身に着けていくくとか、さりげなくCDを机に置いておくとか。

どれも全部失敗したけど。今のところ成功率はゼロだ。

 

「私に名案があります」

「なんと」

 

 ひとりが自信満々に手を挙げていた。心なしかドヤ顔だ。

滅多に見れないひとりだ。可愛い。ふふんっ、とか、どやっ、みたいな幻覚が見える。

 

 写真に収めたい気持ちをぐっと堪える。今はそんな暇はない。

ひとりが活動計画を、こんな風に自信に溢れて発表するのは珍しい。

中学生の頃にお昼の放送でデスメタルを流すんだー、と言っていたとき以来だ。

あれは大失敗で、後藤兄妹はやべー奴という風評を補強しただけだったけど。

 

「どんな作戦?」

「ちょ、ちょっと待ってて」

 

 見せた方が早いから、と言ってひとりは押入れを開けた。

今僕達がいるのもひとりの部屋だけど、あそこが真のひとりの部屋だ。

パソコンとかエフェクターとか、ひとりの私物は大体あそこに入っている。

だからひとりの部屋は、一見女の子のものとは思えないぐらい殺風景だ。

姿見と箪笥、ちゃぶ台くらいしかない。ここだけ見ればミニマリストみたい。

 

 ガサゴソとひとりが取り出したのは、大量のバンドグッズだった。

色とりどりのラバーバンドに山盛りの缶バッチとトートバッグ、そしてギターケース。

とどめとばかりにひとりは今も着ているピンクジャージのチャックを下した。

そこにはでかでかと英字が書かれたバンドTシャツがあった。

 

「ど、どう?」

「これは…」

 

 思わず息を呑む。これは間違いなく、

 

「バンド女子って感じがする」

「!」

 

 僕の返答にひとりの目が輝いた。

 

「これ皆つけて明日から学校行くってことでしょ?」

「う、うん」

「さすがひとり」

 

 いける。これならいける気がする。

全身から放たれる音楽女子アピール。間違いなく話しかけられる。

中学生の頃失敗した作戦と大差ない? いや、規模がまったく違う。

校則に違反しない程度のさりげないグッズやCDでは、気づかれてなかったのかもしれない。

このむせかえるほどのバンド女子感に気づかない人はいないだろう。

 

「缶バッチはトートバッグに? 全部つける?」

「うん! お願い!」

 

 そうして僕達二人は明日の準備に取り組んだ。

明日はきっと歴史的な日になる。ひとりに友達が出来る日だ。わくわくする。

 

「あ、Tシャツは今日着ちゃってるから別のにしなよ」

「えっ、でもこれお気に入り」

「だめ」

「……はーい」

 

 

 

「へへっ」

「……」

 

 次の日。学校が終わり、僕とひとりは公園で打ちひしがれていた。

僕が通っているのは下北沢高校で、ひとりは秀華高校。

学校が違うからいつもどこかに集まってから下校している。

今日ひとりが指定したのは、どっちの学校からもそこそこ離れた公園だった。

 

 公園で見つけたひとりは今朝登校時の様子から変わっていた。

ラバーバンドは消え、トートバッグは缶バッチが見えないように抱え込んでいる。

ジャージもいつものように首元まできっちり閉められている。完全なる敗北者の姿だった。

 

 曰く、大失敗だった、らしい。

教室に入った瞬間に注目は集めたそうだ。

その瞬間の冷え切った空気を思い出すだけで心臓が止まりそうになる、とひとりは溢す。

その後もちらっと目を向けられることはあっても話しかけられることはなかったみたいだ。

休み時間ごとに今日の秘密道具を外していく姿が鮮明に思い浮かぶ。胸が痛んだ。

 

「ごめんねひとり。無責任にいける、なんて言って」

「……ううん、お兄ちゃんは悪くないよ」

 

 考えてみれば、僕も陰キャでぼっちだ。

僕とひとり、二人のセンスで問題ないと太鼓判を押した時点で間違いだったのかもしれない。

第三者、ふたりでもいいから意見を聞くべきだった。

 

『あはは、おにーちゃん、おねーちゃん、ぴえろさんみたい』

 

 幻聴が聞こえる。

きっとこんな風にツッコミを入れて、僕達の暴走を止めてくれただろう。

ふたりは辛辣でも可愛いなぁ。思わず目が遠くなる。

 

「あっ」

 

 突然ひとりが声をあげ、公園の片隅を凝視し始めた。

何かと思えば、くたびれた雰囲気のおじさんがベンチに座るところだった。

僕達に負けないくらい、深い深いため息を何度も吐いている。

 

 お兄ちゃん、とひとりが僕の袖を引いた。ひとりの顔を見て頷く。

そう、この程度の失敗がなんだ。まだ僕たちは高校生、まだ諦めるには早すぎる。

おじさんもあんな暗い雰囲気を出してるけど頑張ってる。僕たちも頑張らなきゃ。

 

 そう思っていたらおじさんに女の人と子供が駆け寄っていった。

奥さんとお子さんみたいだ。さっきまでの雰囲気が嘘のようにおじさん、

いやお父さんは立ち上がると家族団らんしながら立ち去った。僕たちの目は死んだ。

 

「はぁ……」

 

 ひとりのため息が重い。ついでに何かぶつぶつ呟いている。

ごめんなさいとかすみませんとか、謝罪に聞こえないこともない。

多分さっきのおじさんに対して、一緒にしてごめんなさい、とか考えてるんだと思う。

 

 元々重かった雰囲気が、重力すら感じそうなほどどんよりとしている。

僕はともかくひとりは、このまま帰るのはちょっと辛いかもしれない。

今から二時間かけて帰るころにはお腹もすいて、もっと落ち込んじゃうかも。

最悪の場合、また僕が家まで担いで運ぶ必要がある。

 

「ひとり、僕ちょっとコンビニ行ってくるけど欲しいものある?」

 

 暗い目のままひとりは僕を見上げた。

光も何もない虚無の目。僕そっくりだ。慣れない人が見たら悲鳴を上げるかもしれない。

重症だ。このまま電車に乗せたら、二人ともテロか何かで捕まりそう。

 

「……コーラ」

「うん、他に何か食べる? 僕はコロッケとか買おうかなって」

「か、唐揚げ棒食べたい」

「わかった、ちょっと待っててね」

 

 よし、コンビニスナックとコーラに希望を託そう。ささっと買って、ささっと戻ろう。

出来る限りの速足で僕はコンビニへ向かった。だから僕がその声を聞くことはなかった。

 

 

「あーっ! ギターっ!!」

 

 

 

 この日のことを振り返るたびに思う。この時コンビニに行ってよかった。

あの人達の出会いを、僕が邪魔することがなくてよかったと。




感想や評価をいただけるととても嬉しいです。

次回のあらすじ
「卒業」


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第二話「脱ぼっち対策委員会が終わった日」

最初に二話くらい投稿したほうがいいと聞いたので、二話です。

前回のあらすじ
「妹に置いてかれた」


「思ったより時間かかっちゃった」

 

 コンビニへ向かってから二十分くらいして、ようやく僕は公園に戻ってこれた。

まさか僕の前に並ぶおばあちゃんが急に振り向くなんて。また気絶させてしまった。

なんとか現世に戻せてよかった。習っておいてよかったカムバック現世。

 

「あれ、いない」

 

 駆け足で公園に戻ってすぐ、ひとりがいないことに気がついた。

どこか、公園の外へふらっと出かけて行った、とは考えられない。

今日のひとりは重症だ。とっておきの策と一緒に自信も打ち砕かれた。

多分応急処置のために、自分の動画でも見てると思ってたんだけど、いない。

 

 今のひとりが自分から動けるとは思えない。

だから、外部によって動いた、動かされたという可能性が一番高い。

ぱっと思い浮かぶのは、妖怪みたいな言い方で失礼だけど、陽キャの類だ。

仲良しグループやカップルなんかが公園に近づいたら、本能のままひとりは逃げる。

 

 ただ、今公園には誰もいない。僕一人だ。

僕も陽キャやカップルの生態には詳しくないから、断言は出来ない。

だけどこんな短時間で、公園に出たり入ったりするのかな。

というか、こんなブランコとベンチくらいしかない小さい公園に来る?

 

 根拠が薄い。通りすがりの陽キャ説は違う気がする。

それじゃあ誰かに声をかけられたとか。誰かって誰。ひとりに声をかけるような知り合いはいない。

そんなのが出来たらすぐ僕に自慢してくれるはずだ。

 

 ナンパとか。いやありえないな。

確かにひとりはよく見ると、とても綺麗な顔立ちをしている。

小動物のような、時たまUMAのような、振る舞いだって可愛らしい。

でもいつも猫背で俯いてるから顔は見えず二重あごだし、知らない人の前だと大体UMAだ。

特に今日は大失敗したから暗黒オーラを纏っている。

声をかけられるならナンパじゃなくて珍獣ハンターか何かからだろう。

 

 声をかけられるもなし? じゃあ最悪誘拐とか。いやこれもないな。

さっきも思ったけどひとりはぱっと見の魅力に乏しいし、今日はギターを持ってて重装備だ。

無理やりどこかへ連れ去るのは難しい。というか、いざとなればあの子は物理的に爆発する。

公園に何の痕跡もない以上、物騒なことは起こっていない。

 

 何も分からないな。なんでもいいか、推理ごっこはもうおしまいだ。

頭の体操で冷静になった。とりあえず電話して、繋がらなかったらその時考えよう。

通話履歴の最新から、ひとりの番号を呼び出す。ワン、ツーコールの途中で無事に繋がった。

 

「も、もしもし」

 

 耳慣れた、控えめで可愛らしい声がした。

体から力が抜ける。自分でも思った以上に、相当動揺していたみたいだ。

ちょっと離れたぐらいでこれだ。自分でも心配性が過ぎると思う。

 

「よかった繋がった。ひとり、今どこ?」

「ど、どこって」

 

 あっ、と漏れた声が聞こえる。この感じは多分、連絡忘れてたな。

続けて置いていったことを謝られた。そこは別に気にしてない。本当だよ。

でも変に心配しちゃうから、メッセージくらいは送って欲しかったかな。

 

「ううん、大丈夫。それで今どこ?」

「い、今すたーりーってとこに向かってるみたい」

「向かってるみたい?」

 

 そんな、まるで誰かと一緒に行動してるみたいな発言。

どういうことだろう。まさか大穴のナンパ説が当たりだったのか。

 

「うん。それで、そこでららライブ、あれ、に、虹夏ちゃん?」

「えっ、ひとりちゃん、誰かと公園で待ち合わせしてたの!?」

「あっやっ、待ち合わせというか、お兄ちゃんが戻ってくるの待ってて」

 

 

 ひとりがしどろもどろに説明をしようとすると、女の子の声が電話から聞こえた。

本当に誰かいた。にじかさんというらしい。どこかで聞いたような気がする。

そんなことより、ひとりが人を名前で呼んでる。僕は腰を抜かしてベンチに座り込んだ。

 

「あっ、お兄ちゃん。に、虹夏ちゃんがお話ししたいって」

 

 そのにじかさんが、色々と説明してくれるそうだ。

助かる。ひとりはお話が苦手で、僕の理解力不足もあるけど説明が覚束ないことも多い。

スターリーという店名とライブという言葉で、大体事情は把握出来たつもりだ。

それでも答え合わせのためにも、詳しいことは聞いておきたい。

 

「も、もしもし。ひとりちゃんのお兄さんですか?」

「はい、もしもし」

 

 少ししてひとりとは違う、明るさと緊張の混じった声がした。

なんだろう、名前だけじゃない。声も、なんだか最近聞いたことがある気が。

 

「私、下北沢高校二年の伊地知虹夏です。ごめんなさい、ひとりちゃんのこと連れてっちゃって」

 

 いじちにじか、いじちさん、いじちさん………うーん。

 

「あっ」

「ど、どうしました?」

「あー、いえ」

 

 クラスメイトだ。覚えがあって当然だ。しかも先月話しかけて気絶しなかった貴重な人だ。

確かにあの伊地知さんなら、あの状態のひとりに話しかけられても不思議はない。

 

「えっと、それでですね」

 

 伊地知さんが言うには、今日彼女と友達の三人でバンドデビューの予定だった。

だけど当日にギターの子に連絡がつかなくなり、このままではライブができなくなるらしい。

それでサポートギターをしてくれる人を探している途中、公園でひとりを見つけたそうだ。

 

「凄い」

「え?」

 

 ひとりはお願いを断れないタイプだけど、そもそもお願いするのが難しい。

下手な人が近づけば逃げるか、文字通り破裂してしまう。言葉にすると意味が分からない。

そんなひとりが初対面の伊地知さんに、お願いされるままついて行っているなんて。

想像出来なかった偶然、奇跡だ。いや、感心しててもしょうがない。

 

「それで、ひとりにギターを?」

「はい、急な話で申し訳ないんですけど」

「ひとりがやると言ったのなら、僕からは何も」

 

 音楽に関して、僕がひとりに出来ることはほとんどない。

中学生の頃、ひとりがバンドを組みたがっていたことはよく知っている。

でも僕には何の手伝いも出来なかった。気絶キルスコアを伸ばしただけだった。

 

「あの、伊地知さん、妹は結構人見知りで、その、緊張しいです」

「あー」

 

 納得された。道中一度も目が合わなかったり、独り言を聞いたりしたんだろう。

 

「だけどそれ以上に頑張り屋なんです。だから、よろしくお願いします」

 

 だからどうしたって言うんだろう。自分でも何を言ってるのか分からなかった。

妹は、なんて言ったけれど、僕も立派な人見知りでコミュ障だ。妹のことを言えない。

 

「…ふふっ。はい! こちらこそよろしくお願いします!」

 

 僕のヘンテコな発言も気にしない様子で伊地知さんは返事をくれた。

今も心配は心配だけど、これなら期待してもいいかもしれない。

 

「やったねひとり、チャンスだよ」

「う、うん。頑張る」

 

 挨拶もそこそこに伊地知さんに電話を代わってもらう。

戻ってきたひとりの声には力があった。不安もプレッシャーも感じる。

でもそれ以上に、前に進もうとする気持ちを見せてくれた。

公園で纏っていた暗黒オーラはどこかにいってしまったようだ。

安心する僕に、それでね、とひとりは続ける。

 

「お兄ちゃんも来てくれる?」

「あ、僕は行けないよ」

「え、なな、なんで」

 

 一瞬で断る僕にひとりが絶句していた。

妹の晴れ舞台だ。僕も行っていいなら行きたい。でも行かない方が絶対いい。

 

「伊地知さん、多分クラスメイトなんだ」

「あっ」

 

 まったく自慢出来ないことに、僕は周囲にとんでもなく恐れられている。

視線があれば怯えられ、声をかければ震えられ、目が合えば気絶される。

今まで生きてきて、家族以外とまともに話せたことは数えるほどしかない。

誰かを怖がらせる振る舞いを自分からした覚えはないけど、小学校の頃からずっとこうだった。

 

 そんな僕が同行してしまえば、ライブどころではなくなってしまうかもしれない。

今日はひとりが主役だ。妹の邪魔なんて、何があってもしたくない。

それに伊地知さんがクラスメイトなら、当然僕を知って、僕を恐れている。

彼女も泣きも気絶もしなかったけど、膝が笑っていたのは今も記憶に新しい。

ひとりが僕の妹だと知られたら、降って湧いた奇跡的な関係は崩れるかもしれない。

 

「着いたよーひとりちゃん。あっそういえばうち地下だから電話通じづらいんだよね」

「えっ、ちょっ」

 

 スターリーに着いたようで電話が切れた。ツーツーと虚しい音がする。

 

「……大丈夫かな」

 

心配になって携帯を見つめてしまう。今からでも向かうべきだろうか。

首を振って心配を追い出す。終わったら連絡して、とだけメッセージを飛ばし携帯をしまう。

この心配もきっと杞憂だ。だって僕の妹は、あのギターヒーローなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとりが伊地知さんとともにライブへ向かってしばらく。

暇になった僕は近くの図書館で勉強をして時間を潰していた。

持ってきていたテキストも終わった。適当に本でも読むかなと立ち上がった時、携帯が震えた。

僕の連絡先を知っているのは家族だけだから、父母妹の誰かからだ。

多分妹、ひとりからだ。外はいつの間にか暗い。ライブも終わった頃だろう。

 

 やっぱりひとりからだった。スリープを解除すると同時に携帯が震える。珍しい。

ひとりはメッセージを一つ送るのにも通常の十倍くらいエネルギーを使う。

それなのに連続で来るなんて。そんなに元気いっぱいになれたのかな。

 

『終わりました』

『限界です』

『完熟マンゴー』

 

 意味不明だった。一級ひとり検定持ちの僕でもちょっと時間がかかる。

この感じ、失敗した? いや、ひとりの実力でそれは考えにくい。あの子はプロ並みだ。

じゃあバンドの人と何かもめたとか。ひとりはちょっと大変な子だからあり得る。

でもそんな風に誰かを傷つけたとしたら、ひとりはもっと焦っているはずだ。

今頃その人のために必死になっていて、僕へメッセージを送る余裕なんてないだろう。

悩みながら、僕は図書館を出てスターリーに向かった。住所調べといてよかった。

 

 

 

 スターリーに向かう途中、ピンクジャージがふらふらしているところを見つけた。

ひとりだ。頼りない足取りで駅の方へ歩いている。夢遊病者のようだった。

疲れ切った心では下北沢のお洒落な雰囲気に耐え切れなくて、本能で駅に向かっているのだろう。

ひとり、と声をかけた。

 

「っ、お兄ちゃ、あっ、すみっ、すみません」

 

 驚いて猫のように飛び上がり、目の前を歩く女の人にぶつかりそうになった。

女の人は気にせずひとりを一瞥するとそのまま立ち去った。

 

「お疲れ様、ひとり。ライブはどうだった?」

「うん、凄い楽しかった!」

 

 疲れを滲ませながらも、ひとりの笑顔は今年見た中で一番晴れやかだった。

僕もつられて嬉しくなる。その気持ちのまま、ひとりの成功を褒め称えた。

 

「よかった、大成功だったんだ」

「…………」

 

 笑みが凍る。ついっと目を逸らされる。あれ?

 

「ぜ」

「ぜ?」

「ぜ、ぜんぜんだめだった……!」

「えっ」

 

 

 

 なんでも、とんでもなく下手な演奏になってしまったらしい。

 

「ひっ、一人で弾くのとバンドで合わせるのって感覚が全然違くて」

「加えて人前だったから?」

「う、うん。だ、だめだめだった」

 

 例えるなら、そうだな、二人三脚が近いのかな。

一人ならどれだけ速い人でも、二人だと呼吸を合わせられないと走れすらしない。

ずっと一人でやってきたひとりでは、呼吸を合わせるなんて考えすらなかったのかもしれない。

この例えは言わないでおこう。ひとりが体育祭を思い出してまた失神しちゃう。

 

「それで。伊地知さんは?」

 

 誰かと合わせる経験不足と人見知りが合わさって、実力を全然発揮できなかった。

ひとりのことだから、上手ですよアピールとか演奏前にしている気がする。

その上で失敗したから、もっとダメージが大きくなってしまったってところだろうか。

 

「み、ミスりまくっちゃったーって笑ってた」

「それだけ?」

「う、うん。リョウさん、もう一人の人もMC滑ってたねーくらいで」

 

 やっぱり伊地知さんはいい人だった。もう一人のりょうさん? も器が大きい。

今度菓子折りとか送るべきかな。手渡しだと殺すことになるから、方法を考えないと。

なんて思ってるとひとりの爆弾発言に、僕は腰を抜かしかけた。

 

「だ、だから、次までにはクラスの人と挨拶できるようにしてきますって言ってきたよ」

「……つぎ?」

「う、うん、次」

 

 つぎ、すぐあとに続くこと。また、そのもの。

ひとりが、人とまた会う約束をしている。それも自分から。

 

「そっか、次か」

「えっ、なな何か変?」

「ううん、全然。全然変じゃない。素敵な目標だと思う」

 

 次また会おうねって約束は、ぼっちじゃできないことだよ。

気づいてないみたいだから、本人には伝えない。

時間を置いて自分で気付いた方が、喜びもきっと大きいはず。

 

「それでね、はじめてろいんこうかんして」

 

 もう脱ぼっち対策委員会なんていらないかもしれない。

結局ひとりは訪れた幸運を、自分の手でをつかみ取った。

あれこれやりながら、何一つ成果を出せなかった僕ではもう力不足だ。

ぼっちの僕が、非ぼっちの妹の人間関係に口を出すのはおこがましい。

 

「……ぅぇへへ、ドーム、アリーナ、武道館」

 

 肩の重みに、つい沈んでしまった思考から帰ってくる。

ひとりが可愛らしい寝言を漏らしていた。寝ちゃったみたいだ。

今日は色々、本当に色々あった。寝落ちするぐらい疲れちゃうよね。

 

「おやすみ、ひとり。今日はよく頑張ったね」

 

 起こさないよう、柔らかくひとりの頭を撫でる。

この子に明日も、今日みたいにいいことがたくさんありますように。

 

 

 

 

 

 

 次の日の夕方、帰り道の途中僕はひとりにしがみつかれていた。

ひどい顔をしていた。とても世間にお出しにしていい顔じゃない。

 

「何かあったの?」

「お、お兄ちゃ、ば、ばばっばばっ」

 

 なんて?




お読みいただきありがとうございました。

次回は二日後19日(木)になると思います。

次回のあらすじ
「修行」


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第三話「修行回」

感想、評価ありがとうございます。

修行回です。

前回のあらすじ
「妹がぼっちじゃなくなった」


「では脱ぼっち対策委員会、臨時会を開催します」

「お、お願いします」

「はーい!」

 

 ひとりが控えめに、ふたりが元気いっぱいに返事をする。

面白いくらい対照的だ。今日も二人とも可愛い、じゃなくて。

 

 ひとりが結束バンドとして初ライブをしてから一日。

どうして終わったはずの委員会を急遽再開催したのか。話は数分前に遡る。

 

 

 

「つまり、ライブにはノルマがあって」

「うん」

「今はノルマ達成できないからその分お金が必要で」

「うん」

「そのためにスターリーでバイトしなくちゃーってこと?」

「う、うん。お母さんから渡された結婚資金渡そうとしたら断られて」

「…………それはあとで叱らせてね」

「!?」

 

 夕食後、僕はひとりに泣きつかれながら話を聞いた。

バンドにバイト、急に色々変わるなぁ。ひとりはついて行けるのかな。

つい余計な心配をしてしまう。余計なお世話だ。今はお金のことを考えないと。

 

「うーん」

 

 正直に言うと、実はお金なら十分すぎるほどある。

ひとりがギターヒーローとして稼いだお金を使えば、ノルマ分くらい余裕だろう。

 

 ギターヒーロー。ひとりがネットで演奏を上げている時のハンドルネームだ。

最近は登録者も三万人を越え、再生数が数十万を超えることも珍しくなくなってきた。

ひとりの承認欲求をいつも満たしてくれていて、崩壊したときの応急処置にも使っている。

 

 ひとりは知らないけど、父さんと相談してギターヒーローの動画には広告がつけてある。

数年分の収益が貯まっているから、月数万円くらいのノルマなら軽く払えるだろう。

 

 でもこれ言うとなぁ、絶対このお金使いこむしなぁ。

三十万くらい試しに渡したら、変なことに二三日で使い果たしそう。

絶妙にいらないものを買ってきそう。ひとりに買い物のセンスはまるでない。

 

「ライブハウスのバイトってどんなことやるの?」

「えっ、あっ、き、聞いてない…」

「ちょっと調べてみようか」

 

 バイトしなくちゃいけない、の一言で意識が飛んだみたいだ。

奇声を上げて魂が抜ける姿が目に浮かぶ。初心者には刺激の強い光景だ。

そんな人相手に説明してもしょうがないから、説明は後回しにしたんだろう。

 

「清掃、受付、ドリンク、その他諸々って感じかな」

 

 ネットで調べると、ライブハウスのお仕事紹介ページが出てきた。

これによると、ライブハウスは法的なあれこれ回避のために飲食店として経営されているらしい。

だから自然とバイトの内容も、飲食店のそれと近くなるみたいだ。

 

「飲食、接客業かぁ」

「ひぃっ」

 

 ひとりが小さく悲鳴を上げる。無理もない。この間ひとりが言っていた。

(一財)全日本陰キャ協会によると、陰キャが最もしてはいけない仕事は接客業だという。

仮に務めてしまった場合、8時間以内におおよそ7割が死に至るらしい。

 

「はっ働きたくない、人と会いたくない、消えてしまいたい………」

 

 でも悲鳴で済むってことは、思ったより前向きみたいだ。

今も真っ青な顔で震えてるだけで五体満足だ。どこも露と消えていない。

心のどこかで、飲食業で働けば私も陽キャに近づける、とか考えてるのかもしれない。

これならいけるかな。励ますようにあえて軽く言ってみる。

 

「結構いい条件じゃない?」

 

 特に面接がないのがいい。面接があったら多分、ひとりはどこでも働けない。

というか、もしかしてここ以外ひとりが働ける場所ってない? 疑問形じゃない。ない。

……うん、これは黙っておこう。無意味に妹を傷つけてはいけない。

 

「伊地知さんも一緒なんでしょ?」

「うん。あと虹夏ちゃんのお姉さんが店長さんなんだって」

 

 それを聞くと、ますますいい条件な気がする。

妹の仲間ともなれば、よっぽどのことがなければ味方になってくれるはずだ。

きっと僕はそうする。断言出来ないのは、今までそんな存在がいなかったからだ。

 

 それでもひとりは俯いたままだった。何もかも不安なんだろう。

仕事が出来るか、接客なんて私には無理だとか、虹夏ちゃんに迷惑かけちゃうんじゃ、とか。

僕も接客業の仕事はしたことないから、偉そうにアドバイスなんて出来ない。

だから出来ることと言えば。

 

「じゃあひとり、練習しようか」

「えっ」

 

 そういうことになった。

 

 

 

「今日の活動は、バイトのイメージトレーニングです」

 

 そういう訳で、消滅したはずの脱ぼっち対策委員会が再始動した。

ばいと? とふたりは体を斜めにして全身で疑問を示している。可愛い。

抱っこしているぬいぐるみも同じように斜めになっていた。

 

「おにーちゃんお仕事始めるの?」

「ううん、僕じゃなくてひとりが」

「え!?」

「ライブハウスで、いらっしゃいませーってするんだよ」

「お、おねーちゃんが?」

 

 両目でうそーと言いながら、ひとりを見ていた。

気持ちは分かる。僕も昨日のことがなければ同じことを思っていたはずだ。

でもひとりが大ダメージを受けてるから、その目はやめようふたり。

 

「お兄ちゃん、なんでふたりを?」

「練習手伝ってもらおうと思って。僕だけだと緊張感ないし」

 

 自分で言うのもなんだけど、僕は妹達に甘い。

ひとりがどんな変なことしても、可愛いからいいんだよとか言いかねない。

同じ理由で父さんもダメ。なんなら僕以上に甘やかしてくる。

母さんは、うん、大事故になる予感がある。嫌な予感が止まらない。

ジミヘンが人間語喋れたら一番なんだけど、犬だし限界がある。

だからほどよく刺してくれるふたりがきっと適任だ。

 

「おにーちゃんがね、どうしてもふたりとおままごとしたいっていうから」

「おままごと……」

「まあまあ、気持ちの問題だから」

 

 誰もそういう仕事をしたことないからしょうがない。

買い物だって必要最低限しかしないから、店員さんの態度とかも記憶に薄い。

僕たちは雰囲気で練習しようとしている。募る不安を僕は無視した。

 

「とりあえず僕が店員さんやってみるから、ふたりはお客さんお願い。ひとりは見てて」

「はーい」

「…はーい」

 

 ふたりが部屋の外に出ていったのを確認して、よーいスタート。

 

「いらっしゃいませー」

「こんにちは! らいぶ見に来ました!」

「ありがとうございます。チケットはお持ちでしょうか?」

「ないです! ください!!」

「子供一人百円です」

 

 ふたりがはいどうぞ、と抱えていたぬいぐるみを差し出した。

えっこの子百円でいいの? それ確か前、父さんが買ってきたものじゃ。

ふたりの満面の笑みに何も言えず、僕はノートの切れ端を渡す。

 

「はい、ありがとうございます。こちらチケットです」

「ありがとうございます!」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「オレンジジュースください!」

「はい、どうぞ」

 

 渡した紙パックのオレンジジュースをふたりが受け取って、一旦終わり。

 

「お疲れ様。凄いねふたり、完璧だったよ」

「えっへん」

 

 ジュースを飲みながら、誇らしげにふたりは胸を張っていた。

どうして僕は今カメラを用意していないのか。自分の準備不足に腹が立つ。

僕の内心を悟ったのか、ひとりに何歩か引いた目をぶつけられた。

 

「次はおねーちゃんお客さんだよ。ふたりが店員さん!」

「えっ、わ、私が働くんじゃ」

「やだー、ふたり店員さんやりたいの!」

「まあまあ」

 

 見本が増えるからってことでひとりに納得してもらってテイク2。

廊下に出たひとりがガラリと扉を開けた。

 

「へ、へい大将。や、やってる?」

「いらっしゃいませー!」

 

 ジャンルが違う。それ食堂とか居酒屋じゃない?

なんて無粋なツッコみは、ふたりの鮮やかなスルーの前ではできなかった。

 

「ちけっとはお持ちですか?」

「は、はい。お願いします」

「おのみものはどうされますかー?」

「て、テキーラ一丁!」

 

 テキーラって。ふたりも首傾げてるし。

考えても分からなかったのか、そのまま僕に聞いてきた。

 

「おにーちゃん、てきーらってなに?」

「お酒だよ」

「む、おねーちゃん、おさけはだめだよ!!」

「あっ、す、すみません」

 

 五歳児に怒られていた。小さな背中がますます小さくなる。

小さいまま、こ、コーラください、どうぞー、のやり取りでこの練習は終わった。

これって練習になってるのかな。ちょっと自信がなくなってきた。

 

「じゃあ次は」

「あきちゃったから、ふたり下でお絵かきしてるねー!」

「……最後にひとりが店員さん、僕が客でやろうか」

「……うん」

 

 ぐだぐだだった。でもここまで来たらやりきるしかない。

変な意地になってきた。それを自覚しながら、僕とひとりはラストテイクに臨んだ。

 

「こんにちはー」

「い、いらっしゃいませー」

 

 もにょもにょとした歪んだ笑顔をひとりはしていた。愛想笑いのつもりだろうか。

僕としては味があると思うけど、他人が見るとびっくりするかもしれない。

それはそれとして、いらっしゃいませと言い切れたことだけでも褒めるべきだ。

 

「すみません、今日ここで結束バンドのライブがあるって聞いたんですけど」

「あっはい。絶賛ライブ中です」

「アドリブが早い」

「あっじゃじゃなくて、販売中です」

 

 練習だからなるべく基礎を重視したい。アドリブはやめてほしい。

 

「チケット持ってきたので、お願いします」

「おお、お預かりします」

 

 ふたりから預かりっぱなしのぬいぐるみをチケットとして渡す。

何故か腕をぷるぷるさせながら、ひとりは受け取った、ここは大丈夫だ、よかった。

 

「あっ飲み物もらえるんですね。どんなのあります?」

「あっ、ててテキーラです」

「オンリー?」

 

 どんだけテキーラ推しなの? 飲んだこともないのにその信頼感は何?

多分ライブハウス=パリピ=テキーラくらいのイメージなんだろうけど。

パリピだって多分、お酒以外も飲むと思うよ。

 

「すみません。未成年なんでお酒以外のものをお願いします」

「なっないです」

「ないんだ」

 

 これで終了。最後までぐだぐだの極みだった。

おままごとどころか出来の悪いコントだ。やらなくてよかったかもしれない。

 

「……えっ、スターリーってほんとにお酒以外ないの? ロック過ぎない?」

 

 それだと流石に心配になる。そんな盛り場みたいな所なら、妹を送り出すのに抵抗がある。

僕の疑問にひとりは目を逸らしながら答えた。

 

「あっあると思うけど、つい」

「つい、か。じゃあしょうがないね」

 

 しょうがない。

 

 

 

「なんとなく練習したけど、不安は取れた?」

「…………………………ぜ、全然」

 

 だろうね。僕も取れてないし、どっちかというと増えたし。

えっ、このまま本当にバイトするの? ひとり働けるの?

不安で頭がぐるぐるとしてきた僕の前で、ひとりが勢いよく顔を上げた。

その目には決意の青い炎が宿っていた。この目には見覚えがある。

 

「お兄ちゃん」

 

 僕を呼ぶ声は力強い。この声も目も、ひとりが強く決心した時のものだ。

いつもは意志薄弱なひとりだけど、この目の時は驚くほど強い意志を見せる。

あと、心臓に悪い行動ばかりする。まだ何も言ってないのに心配になってきた。

 

「私、風邪引いて休む!」

「馬鹿言ってないで早く寝なさい」

 

 デコピンして黙らせた。恨めし気な視線はスルー。

この後風呂に氷を入れようとしたり、下着で扇風機に当たろうとしたりしたから滅茶苦茶説教した。

 

 

 

 

 

「う゛う゛う゛う゛」

「はーい、唸らない唸らない」

 

 そして数日後の放課後、バイト初日の日。

唸るひとりの手を引いて僕はスターリーまで向かっていた。

本当なら伊地知さんに見つかる可能性があるから、あんまり僕は近づかない方がいい。

それでも付き添うのは、今日のひとりは何をするのかわからないからだ。

きっと逃げはしないだろうけど、お店に入れず日が暮れるまで店前に座り込むくらいはする。

そんなことにならないよう、送るだけ送るつもりだ。

 

「ほら、ひとりそろそろ着くよ」

「ううぅぅ」

 

 ひとりに気を配りながら歩いていると、もうお店の階段前まで到着していた。

この間は着く前にひとりを見つけられたから、実際に来るのは初めてだ。

やっぱり雰囲気がある。退廃的な薄暗さがロックって感じする。ロックわかんないけど。

 

「なんか雰囲気あるね」

「う、うん。私の家」

「じゃないよ?」

 

 暗くてじめじめしてるからか、ひとりは勘違いしているみたいだ。

緊張のあまりか、いつもよりちょっとおかしい。本当に大丈夫かな。

 

「お店の中で待ってればいいんだっけ?」

「う、うん。虹夏ちゃんそう言ってた」

 

 学校のことで少し遅れるからという連絡が伊地知さんから来ていた。

知ってる、同じクラスだし。だから今僕ここに来れてるんだけど。

 

 Starry、と看板がついている。間違いない、ここだ。

ひとりと一緒に階段を降りる。大きな、重そうな黒い扉があった。

気後れしているひとりの背中を軽く押す。

体勢を崩したひとりは扉に向かって進み、ドアハンドルを掴んだ。

 

 ハンドルを掴んだままひとりが僕の方へ振り返る。

僕が励ますように頷くと、ひとりも同じように頷いた。

頑張れ、ひとり。この間も大きな一歩だったけど、その扉を開ければもっと大きな一歩になる。

そうしてひとりは扉を開け、開けて、開けずに手を離した。いや開けないんかい。

 

「ご、五分ください」

「うーん」

 

 五分。あげたいのは山々だけど、いつ伊地知さんたちが来るのかわからない。

お店前は狭くて逃げ場所もないから、ここでずっと待つのは危ない。

ひとりの、いつもより青白い気がする手を取りハンドルに乗せる。その上に僕の手を被せた。

 

「じゃあひとり、せーので開けよう」

「せ、せーの?」

「僕も一緒に開けるから」

 

 まるで小さい子にやるみたいでひとりには申し訳ないけど、これ以外思い浮かばない。

ひとりも混乱しているからか、文句も言わず黙って頷いた。

よし、じゃあせーので開けよう、と声に出そうとした時、後ろから声をかけられた。

知らない女性の声だった。

 

「あー、チケットの販売は五時からですよ」

 

 振り返ると女性が一人立っていた。

髪を手元で遊びながら、鋭い目を気まずそうに明後日の方へ向けている。

 

 それはそうなるな、と思った。だって今の僕達凄い変な体勢だからね。

高校生くらいの男女が手を合わせて、一緒にドアを開こうとしているってなんだろう。

よく分からないけど、多分馬鹿かバカップルくらいしかやらないんじゃない?

僕たちは兄妹だから自動的に馬鹿になる。馬鹿兄妹だった。

 

「すすすす、すみません」

「い、いや、今はまだ準備中なんで」

 

 ひとりが僕の背後に回りながら、あまり見ない機敏な動きで何度も頭を下げる。

ただでさえ緊張しているのに、ヤンキーっぽい人に声をかけられてショートしていた。

カツアゲでもされたかのような勢いのひとりに、金髪のお姉さんは気圧されている。

準備中、ということはスターリーの人なのだろう。

 

 よく見ると、この人誰かに似ている気がする。

じっと見る。雰囲気はまるで違うけど、今日もなんだか見たような気が。

 

「……伊地知さん?」

「あ? ……どこかで会ったか?」

 

 僕の言葉に反応し、彼女は僕に視線を向けた。

その目はひとりを見ていた時よりも、ずっと厳しく鋭い。

知らない男に急に呼ばれたのだから無理もない。警戒心と猜疑心が見て取れた。

空気が張り詰めていく。でもそんな空気は、ひとりが声をあげたことで消え去った。

 

「あっ、もも、もしかして、に、虹夏ちゃんのお姉さんですか?」

「虹夏って、……もしかして君、この前ダンボールに入ってた子?」

「あっはい」

 

 本当にダンボール入ってたんだ。

あの日の私は完熟マンゴーだったとか、前にもひとりは言っていた。

正直意味がわからなかった。今もわからない。

 

「確か、マンゴー仮面だっけ?」

「あっはい! まままま、マンゴー仮面です!!」

「えっ、なんで嬉しそうなの?」

 

 喜ぶひとりに伊地知さんのお姉さんは戸惑っていた。

新しいあだ名に喜んでいると気づくのは、初対面だとちょっと難しいだろう。

首を傾げながらも伊地知さんのお姉さんは一度咳払いして、場を仕切りなおそうとしていた。

 

「そういえば虹夏が言ってたな、新しいバイトの子が来るって」

 

 とりあえず中入って、と言いながらドアを開けた。

 

 想定とは違ったけど、これで僕の出番は終了だ。

こうやって招かれてる以上、ひとりも店内に入らざるを得ない。断れない子だし。

お店の中入っちゃうと僕も出づらくなるから、この辺で挨拶してお暇しよう。

 

 僕が声をかけようとしたその瞬間、ひとりに思いっきり手を引かれた。えっ?

気を抜いていたこともあって、勢いのまま店内に連れ込まれる。あれ?

訳も分からずひとりを見るけど、こっちを見ないようにしていた。ひとり?

その状態でがさがさと鞄から何かを取り出そうとしている。

 

「あ、あの店長さん! ここ、これ履歴書です!!」

「ん、おー。やる気まんまんだな」

 

 ひとりが差し出した履歴書二枚を苦笑いしながら、お姉さんは受け取った。

いやあれ、二枚? なんで?

 

「後藤に後藤か。二人は兄妹?」

「あっ、はは、はい」

「……よく見ると、わりと、かなり、いや滅茶苦茶似てるな。あぁ、それでか」

 

 えっ、あれ、ひとり? なにやってるの?




星歌さんポイント
ぼっちちゃん
 妹のピンチを助けてくれた +50000
 妹のバンドに入ってくれた +50000
 可愛い +50000

後藤兄
 なんか怖い -10000
 ガンつけてきた -10000
 ぼっちちゃんの兄 +10000
 さっきのは妹庇ってたのか +10000
 なんだこいつシスコンか +15000


次回のあらすじ
「忍者」


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第四話「バイト断固拒否」

感想、評価ありがとうございます。

投稿日を前回書き忘れたので今日投稿します。

前回のあらすじ
妹に書類を偽造された。



「そういや言ってなかったな、私は伊地知星歌。ここの店長だ」

 

 伊地知さんのお姉さん、店長さんが自己紹介をしてくれていた。

だけど失礼なことに、僕はひとりのことをじっとりと見ていた。

なし崩し的に店内に連れ込まれ、履歴書まで勝手に出された。説明が欲しい。

ひとりも分かってるみたいで、僕の方をまったく見ようともしなかった。

普段避けるタイプの店長さんにしっかり向かい合っている。こんな時じゃなければ褒めるのに。

 

 僕たちの様子を特に気にせず、店長さんは難しそうな顔で僕たちの履歴書を見ていた。

というかひとり、いつの間に僕の分作ったの? そんな隙あったかな。 

 

「……虹夏からは新しい子は一人、って聞いてたんだが」

「いえ、僕はこの子を送り届けに来ただけなので」

 

 新しい子はこの子だけです、と答えると店長さんは顔一杯に?マークを浮かべていた。

履歴書二枚出されたのにこんなことを言われればこうもなる。僕もそうなってる。

ただ一人、答えを知ってる妹は今も目を逸らして黙っていた。

 

「は? じゃこれなに?」

「……妹が勝手に」

「マジかよ」

 

 ロックじゃん、となんだか面白そうに店長さんは呟いた。

え、これロックなの? ロックってなんなの? 犯罪なの?

 

 ロックはともかく、なんでこんなことをしたのかはひとりにしか分からない。

答えを求めてひとりをもう一度見つめる。今度は店長さんも見ていた。

二人分の視線にもじもじしていたひとりだったけど、やがてぽつりと答えた。

 

「ば、バイトは怖いけど、お兄ちゃんがいればなんとかなると思って」

「へぇ、頼りにされてんじゃん、お兄ちゃん」

「うぐっ」

 

 凄いニヤニヤしてる、滅茶苦茶からかわれてる気がする。

家族以外にされるのはなんだか新鮮だ。あとひとりに頼りにされてるのも嬉しい。

 

「妹に頼られてるんだし、君も働いたら?」

「いえ、僕が働くと多分ここ潰れます」

「えっ、何それ怖っ」

 

 ドン引きされた。でも本当にそうなると思う。

お客さんの精神力にもよるけど、スタッフと目が合う度に気絶しかけるライブハウスってなんだ。

どっちかというとお化け屋敷とかの類になるんじゃ。お化け屋敷『星空』が誕生してしまう。

 

「だっ、大丈夫、私もそんな自信がちょっとあるから」

「なにこの兄妹、雇うの止めようかな……」

 

 ひとりがフォローしてくれたけど、店長さんには逆効果だった。

僕はいいけどこの子は雇ってほしい。本人はまだ気づいてないけど、ここを断られると後がない。

あと僕がここで働けない理由はそれだけじゃない。もう一つの方も大きい。

 

「や、ひとり。それに前も言ったけど、伊地知さんに会うと不味いんだって」

「ん? あぁ、虹夏と同じ学校なのか。何が不味いんだ?」

 

 履歴書から顔を上げ、店長さんは僕を見た。

 

「それは」

 

 音がした。階段を降りる音。二人分の足音。

軽やかなそれは浮かれた調子でやってくる。まさか伊地知さんたち?

想定よりずっと早い。このままだとまずい。

 

 状況を確認する。外には逃げられない。入口は一つだけだった。

隠れる場所。カウンターの中、駄目だ、僕は関係者じゃない。

トイレ、遠くて間に合わない。天井、人類には無理。

 

 慌てて辺りを見回す僕を、ひとりはぎゅっと両手を握って見ている。

頑張って、と言いたげだった。無責任に応援しないひとりは偉いなぁ。

店長さんはまだニヤニヤしていた。誰よりもこの状況を楽しんでいた。

 

 そして時が来る。時間切れだ。もたもたしている間に選択肢は消える。

入り口前で足音が止まり、扉の軋む音がした。もう駄目だ、開いてしまう。

 

 瞬間、僕の脳裏に電流が流れた。一つ思いついた。あまりにも分の悪い賭けだ。

それでもこれからのひとりのためだ、挑むしかない、ここが僕の勝負どころ。

決意と共に、僕は鞄からあるものを取り出した。

 

「…………えぇ」

「やっほー、ぼっちちゃん! 今日はちゃんと中入れたんだね」

「ぼっち、よく来た」

「えっあっはい」

「ぼっちちゃん、お姉ちゃんと何してたの?」

「……軽い面接だよ。一応な。あと店では店長と呼べ」

「はーい」

 

 伊地知さんだ。声と名前で確信してたけどやっぱりそうだった。

あとりょうさんって、山田さんのことだったんだ。どうしよう、二人ともクラスメイトだ。

ますます僕のことを知られるわけにいかなくなった。思わず手に力が入る。

 

「早速だけど、お仕事始めよう! まずは清掃から!」

「お、おー」

「おー」

「あー、その前に虹夏。裏案内してあげて」

「裏?」

「荷物、その辺に置いとくと邪魔だろ」

「あっそっかー、ありがとお姉ちゃん!」

「おい、だからここでは店長と」

「こっちだよ、ぼっちちゃん! リョウも来て」

「あっはい」

 

「……行ったか。もういいぞ」

 

 店長さんが伊地知さん達を遠ざけてくれたみたいだ。

その隙に手に持っていた黒い布を下した。後藤流隠れ身の術。

なんかいけた。苦し紛れだったけど通用してしまった。

 

「えぇ……なんなのお前。忍者か?」

「昔父に教わってて」

「後藤家は忍者の家なのか……?」

 

 考えてみると父さんは自称窓際族だ。だけど家でお金に困ったことはない気がする。

ひとりの配信機材だって、おねだりすれば最初の頃は買ってくれていた。

会社でずっと寝てるような人が、どうやってそんなに稼いでるんだろう。

いやそんなまさか、本当に父さんは忍者だった……?

 

「で、ここまで避けるってなに、あの子と揉めてんの?」

「そういうわけではなくて」

 

 流石にあんなことまでして避けるなんて思わなかったみたいだ。

さっきまでのからかい混じりではなく、少し真剣な表情で店長さんが尋ねる。

いい機会だ。僕の事情を話して早く帰ろう。

 

「伊地知さんとはクラスメイトです。僕はクラスで恐ろしく浮いてるので、

ひとりの兄が僕だと知られると気まずくなると思います」

「じゃあ、虹夏とは別に?」

「はい。むしろとてもいい人だと思います」

「ふーん」

 

 バンドにバイトに友達。

僕が手伝ってあげられなかった多くのことを、彼女はひとりにしてくれている。

僕にとって彼女はもう大恩人だった。恐らく一生頭が上がらない。

 

「まぁいいか。んじゃばれない内にさっさと帰んな」

「はい、今日はすみませんでした」

 

 納得したかどうかは分からないけど、店長さんは許してくれた。

その言葉に甘えて僕は席を立つ。いつ皆がこっちに戻ってくるかわからない。

荷物を手に取り、入口に向かった。

 

「終わった」

 

 跳躍。ドア前の階段から飛び降り、死角に隠れる。

あれ、あれれ。皆裏の方へ行ったんじゃ。なんで山田さんが外から来るの?

入口を防がれている。これじゃ帰れない。

 

「……リョウ、お前あの子の案内してたんじゃないのか?」

「虹夏がしてるから」

 

 そういえばさっき山田さんは返事してなかった。

あの状態だとあんまり動きが見えなくて気づかなかった。

 

「じゃあぼっちちゃん、始めようか!」

「あっはい」

 

 伊地知さんたちも戻って来てしまった。

これで挟み撃ちの形になった。もう隠れる隙もない。場所もない。

どうしよう、終わった。見つかる。ごめん、ひとり。

 

 どうすればいいか分からず、身動きの取れない僕に店長さんが近づき囁く。

 

「じっとしてろ」

 

 そういうと僕に何かを被せた。視界が黒に染まる。

頭から手足の先まで何かにすっぽりと覆われている。

なんだこれ。触ると紙特有の滑らかさと、独特の分厚さを感じる。

ダンボールだこれ。

 

「あれ、お姉ちゃん何してるの、ってこれまだ取ってあるの?」

「……記念品だろ?」

「えー、これはちょっとなぁ」

「あっ私の完熟マンゴー……」

「いやぼっちちゃんのではないよ?」

 

 完熟マンゴー。確かに染みついたマンゴーの匂いがする。

そうかこれが完熟マンゴー。今の僕は完熟マンゴーなのか。

ひとりの言ってたことが完全に理解できた。

 

「あとで使うから、これはここに置いといて」

「お姉ちゃんなんでもそう言うけど、結局いつも使わないじゃん」

「いいから、店長命令だ」

「はーい」

 

 何故かはわからないけど、店長さんがさっきから凄い庇ってくれる。優しい。

他人にこんな好意的なことされるのは初めてだから、困惑してしまう。どうして。

優しさにはどう反応すればいいんだろう。何を返せばいいんだろう。

 

「あと少ししたらお客さん入り始めるから、それに紛れて帰りなよ」

 

 伊地知さんが僕から離れると、店長さんが声を潜めて伝える。

ここに来たのが四時半くらいで、チケット販売は五時からと入口には書かれていた。

暗くて時計が今は見えないけど、もう五時近くのはずだ。

そんな待たずに脱出の機会は来るだろう。

 

「あ、ぼっちちゃんの履歴書だ」

「ぼっちが正面向いてる。初めて見た」

「初めて目が合った気がするね。写真だけど」

「勝手に見るな。個人情報だぞ」

「あっと、ごめんねぼっちちゃん。でも置きっぱなしのお姉ちゃんが悪いんだよ?」

「今片付けようと思ってたんだよ」

 

 ひとりの履歴書があるということは、僕のも同じ場所に放置されている。

依然として大ピンチだ。見られた瞬間僕だとバレてしまう。

 

「んん? あれ、もう一枚あるよ」

「後藤……ぼっち、二枚書いてきたの?」

「えっあっはい」

 

 違うでしょ。君のは僕が作ったでしょ。

昨晩履歴書買い忘れたから行けないって言い始めたから、一緒にパソコンで作ったでしょ。

あっ、そのデータを元にして僕のも作ったのか。あんまり直さなくてもいいし。すっきりした。

 

「あー後藤、後藤と言えば、虹夏、なんかこの間言ってなかったか?」

「え?」

「いや、クラスメイトがどうとかこうとか」

 

 店長さんがまた誤魔化そうとしてくれた。

でもこれは多分僕への好意とかじゃないと思う。ちょっと探りを入れようとしてるのかな。

僕は見るからに怪しい変な奴だ。妹のクラスメイトだなんて言ってるし心配になるよね。

それにしてもこの人誤魔化し方下手だな。嘘とか苦手なのかな。

 

 店長さんの疑問に答えたのは伊地知さんじゃなくて山田さんだった。

 

「多分、魔王のことだと思う」

「は? 魔王?」

「あっ、あー、後藤くんのことかな」

「ま、魔王……」

「ぼっちちゃんのことじゃないよ、別の後藤くんの話だから」

「あっはい」

 

 今の僕は完熟マンゴーだからまったく周りが見えない。

それでも今ひとりがどんな顔をしているかわかる。

お兄ちゃん、高校でもそんな風に呼ばれてるんだ、って顔してる、絶対。

 

 

 

 ひとりは生まれてこの方、あだ名で呼ばれたことがなくて悲しみを背負っていた。

逆に僕は、小中高通じてとあるあだ名で呼ばれて悲しみを背負っていた。

それが魔王だ。いや現代社会だよ? なんでそんなファンタジー?

 

 きっかけは小学校一年生の入学式の日。

ほぼ幼稚園生の一年生は先生の言うことなんて聞かず、自由に暴れていた。

僕はそんな暴れっぷりについていけず、隅の方でいつも本を読んでいた。

そんな僕が気に食わなかったのか、ガキ大将だったらしい子が絡んできて本を取り上げた。

今思うと、あれはあの子なりの誘いだったのかもしれない。

本なんて読んでないで一緒に遊ぼうぜ、みたいな。

 

 でも当時の僕はそんなことに気付かなかった。

だから本を取り返そうとして、なんやかんやであの子が気絶した。

暴力とかは振るってないはず。ちょっと胸倉掴んで睨み合ったくらいだったと思う。

思い返すと柄が悪い。魔王かどうかはともかく、怖がられても無理はない。

 

 こうして入学一日目にやらかして、僕は小学生を始めて早々遠巻きにされた。

そしてその後も順調に被害者を増やし、一年経つ頃には魔王として学校中で語られていた。

遠く離れた下北沢でもそう呼ばれているのは、まあ、うん、三つ子の魂百までというか。

身に染みた魔王感は拭えなかったというか。僕は今日も恐怖の存在だ。

 

 

 

「魔王って、お前。なんだそのダサいの」

「いや、あれは確かに魔王。有識者の私にはわかる」

「リョウはなんの有識者なの?」

 

 店長さんは微妙な反応をしていた。急に魔王だなんだって言われてもそうなるよね。

魔王だなんてヘンテコな呼び方をされる人がもし他にもいるのなら僕も見てみたい。

対照的に山田さんはなんだか楽しそうな声色だった。えっなんで?

そのまま彼女は魔王について解説を始めた。仕事しなくていいの?

 

 曰く、睨むだけで人を気絶させた。

曰く、一瞬で人ごみを割り、通り道を作った。

曰く、毎日のように人を担いで連れ去り、どこかへ売りさばいている。

曰く、小中で地元を支配したから今度は下北沢を征服しようとしている。

 

 残念なことにどれも身に覚えがある。

人と話すと気絶されるのは日常茶飯事だ。昨日今日と彼女達も見ているはず。

電車とかも僕が乗るとそこだけスペースが空く。周りには迷惑だろうけど、これは便利。

人を連れ去ってる、というのはひとりのことだろう。

高校生になってから青春ダメージが増えたのか、四月の放課後は大体再起不能だった。

あまりにも高頻度だから、途中から街中でもお構いなしでそのまま持って帰っていた。

最後のは、自己紹介のやつかな。ひとりと一緒に一晩かけて考えたんだけど大失敗した。

思い出したくもないけど、なんかそんなこと言ったような気がする。

振り返ってみると、大体僕の素行が原因だ。変な笑いが出そうになる。

そしてまったく見えないのに店長さんの視線を感じる。痛い。

 

「詳しいねリョウ」

「うん、下校で一番ロックな存在だから」

 

 知らなかった、僕はロックだったのか。

もう音楽はやってないのに、いつの間にかロックになってたらしい。

 

「えっと、あっじゃあ、リョウさん話かけたりは」

 

 ひとりが自分から声をかけてる。これを見れただけで今日ここに来た甲斐があった。

しかもこれはきっと、僕が学校で山田さんに話しかけられるように誘導しようとしてる。

ひとり、いつの間にこんな高等テクニックを。今日も妹は優しさに溢れている。

 

「しない。近づいていいロックといけないロックがある」

「あっはい、そ、そうですか、へへ」

「またダメージ受けてる」

 

 駄目だった。あと僕は危険物だったらしい。

話しかけられても気絶するだけなのに。いやこれかなり危険物だ。納得。

ひとりが僕のために負傷していると、店長さんが三人に声をかけた。

 

「というかお前ら仕事しろ。そろそろお客さん来るぞ」

「やっば、ぼっちちゃんに全然説明できてない」

「あっじゃあ、きょ今日はこの辺で。お疲れ様でした」

「そこ、帰ろうとしないー! 今日はドリンクだけでも教えるから」

「あっはい。よ、よろしくお願いします……」

 

 これがトニックで、これがビール、それでこれがコーヒー。

時間がないからか早く、それでいてテンポよく説明をする伊地知さん。

ただそれだとひとりは覚えられない。慌てて目を回すだけだ。

どうするひとり。あとやっぱりこの間の練習全然役に立ちそうにないね、ごめん。

 

「カクテルは~」

「そのギターどこから出したの!?」

 

 新曲だ。歌にして覚えようって作戦みたい。

いい曲。焦燥感と劣等感との中に、ちっぽけだけど確かなやる気と決意を感じる。

秒で怒られ止められたけど。いくらライブハウスでもバイト中にギターは駄目みたい。

 

「お客さん来たけど入れていい?」

「もうそんな時間!? こ、こうなったらぼっちちゃん、ぶっつけ本番だよ!!」

「ええ!? も、もももも、もうですか」

 

 山田さんが声をかけると、二人はもっと慌て始めた。

ジタバタドタバタしている。そのあんまりな様子に店長さんがため息を吐いた。

 

「……今日は私が受付やるから、リョウもサポートしてあげて」

「いいの、お姉ちゃん?」

「いいから言ってんの」

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 

 

「ほら、今の内だ」

 

 完熟マンゴーが外される。やっと人間に戻れた。

ずっと真っ暗だったけど、ライブハウスが元々薄暗いこともあって目もすぐ慣れる。

一応警戒しながら入口の方へ向かう。大丈夫みたいだ。

 

「今日は大変な迷惑をおかけして申し訳ございません」

「ほんとだよ。なんでバイトの子一人迎えるのにこんなことしてんだ」

 

 入口、カウンターの死角で店長さんに頭を下げる。

疲れたーと肩を回す彼女に返す言葉もない。こういう時どうすればいいんだろう。

ここまで誰かに親切にしてもらったことはないから、どうしても分からないことがある。

 

「あの、どうして僕をこんなに助けてくれたんですか?」

 

 分からない。助けてもらえる心あたりなんてない。優しくされる覚えはない。

特に、どうして僕に対してそんなことをするのか。放っておけばよかったのに。

 

「あー、なんかそういう流れだったし」

 

 隠れたがってるやつを突き出すのも違うだろ、と店長さんは言う。

それと、と髪先を弄りながら、ちょっとだけ照れくさそうに続けた。

 

「まぁ、同じ妹を持つよしみってところかな」

 

 僕は何も言えず、もう一度深く頭を下げてからスターリーを後にした。

ひとりのバイトが終わるまで今日もどこかで時間を潰さないと。

 

 

 

 スターリー近くで待っていると、バイトを終えたひとりが歩いてきた。

家で言っていたバイト終了時刻を少し過ぎたくらいの時間だ。

途中で脱落することもなく、最後まで仕事を全うできたらしい。

だからか達成感に顔を赤くしてかニヨニヨしている。可愛い。

そして僕に気づいたようで走り寄ってきた。とても可愛い。

 

「お疲れ様、ひとり」

「お兄ちゃん、待っててくれたの?」

「うん、夜の下北を妹一人で帰らせるのは心配だよ」

 

 それに、と続ける。

 

「履歴書のこと、ゆっくり聞かせてほしいから」

「あ゛」

 

 餅みたいだった顔が石のように固まる。

ひょっとしなくても忘れてたなこの子。

初バイトで大変だったのは分かるけど、自分の犯した罪は償ってもらわないと。

 

「電車は長いよ~、いっぱい話せるよ~」

「お、お兄ちゃん。わ、私今日頑張ったよ?」

「そうだよね。初めてのバイトを逃げずにちゃんと出来た。凄い成長してるよ」

「えへへ」

「でも、いいことはいいこと、悪いことは悪いことだって昔教えたよね」

「うっ、で、でも、お兄ちゃ」

 

 くしゅん、と可愛らしいくしゃみをひとりがした。

一度で止まらず何回か続ける。あれ?

顔が赤い。興奮で赤くしていると思ってたけど、今僕は妹に説教の準備をしていた。

だからもういつもみたいに青くなってる方が自然だ。なのに赤い。

 

「ちょっとおでこ触るね」

 

 右手を自分に、左手をひとりの額に当てる。結構熱い。

熱だ。37℃は確実に超えている。

 

「風邪かな。ひとり、くしゃみ以外辛いところある?」

「えっ、ちょっと体がだるくて、頭が痛くて、ぼうっとするくらい?」

「どこを取っても風邪だよ」

 

 とりあえず制服の上着をひとりに着せる。

身長差があるからぶかぶかだけど着ないよりはマシだ。

 

 風邪か。こんなタイミングで引くなんて運が悪い。

いや逆か。なるべくバイトに行きたくないひとりとしてはいいことなのか。

氷風呂とか作ろうとしてまで休もうとしてたし。

 

「運がいいのか悪いのか分からないね」

「……」

 

 するするとひとりは視線をずらした。あれ? 

目が合わない。回り込む。逸らされる。回り込む。逸らされる。体調悪いのに素早い。

だけど甘い。フェイントを入れて視線の先に割り込む。捉えた。

 

「……昨日、何かした?」

「…………」

 

 図星だ。顔に書いてある。絶対何かした。

熱いお風呂に入れて、ドライヤーもかけてあげて、ほこほこの状態で布団に入れたのに。

まさかひとりに裏をかかれるなんて。こんな形で成長を感じたくなかった。

 

 今後のことも考えてこのまま問い詰めたいけど、今のひとりは具合が悪い。

電車のこともあるし帰ってからでいいだろう。なんなら治ってからでもいい。

 

「さ、ひとり乗って」

 

 ひとりに背中を差し出す。おんぶだ。

この年になってまでとは思うけど、意識の有無を問わず散々してきたから今更だろう。

無言のままおずおずとひとりが乗った。そのまま歩き出す。

 

「でも本当に頑張ったね。正直、途中で助けに呼ばれると思ってた」

 

 駅に向かう途中、背中のひとりに語りかける。

助けに呼ばれても応援くらいしか出来なかったとは思うけど。

最悪、完熟マンゴーとして潜入くらいはしたかもしれない。

 

「で、でも、勝手にお兄ちゃんの履歴書出したし、風邪も」

「さっきも言ったでしょ」

 

 ずれ落ちてきたひとりを背負いなおす。

しがみつく力が弱い。思ったよりひどい風邪もしれない。

 

「いいことはいいことだって」

「うん」

 

 それっきり暫く沈黙が流れた。時折ひとりがするくしゃみと咳だけが聞こえる。

駅にそろそろ近づくかなという頃にひとりがぽつりと口にした。

 

「……ごめんなさい。昨日風邪引こうとしてました」

「うん」

 

 それは知ってる。先を促した。

 

「ゆ、湯たんぽに氷水入れて、布団の中に隠してた」

 

 流石の僕でも妹の布団は触らない。ひとりもよく分かってる。絶好の隠し場所だ。

なんでこんな時だけ発想が柔らかいんだろう。ため息が漏れる。

 

「治ったら説教三倍ね」

「はいぃ」

 

 ひとりの小さな小さな声が、下北沢の街中へ消えていった。

 

「あっ、あと店長さんがいつでも働きに来いって」

「行けたら行くって伝えておいて」




「そういえばPAさん。私たち来た時隠れてましたけど、忍者ごっこでもしてたんですか?」
「? 私今日はずっと裏で仕事してましたよ」
「えっ」
「えっ」
「……じゃ、じゃあ、あれは誰、いや何?」
「何やってんの。そろそろ帰るよ」
「あ、お姉ちゃん! わ、私たち来た時、壁に隠れてた人いたよね!?」
「…………さぁ、何の話? ぼっちちゃんと私しかいなかっただろ」
「」

 しばらく閉店後のお店が怖くなりました。



感想、評価よろしくお願いします。
次回はおまけです。おまけなので21日(土)に投稿します。

次回本編のあらすじ
「女装」


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第四話おまけ「後藤ひとりの思うこと」

感想、評価ありがとうございます。

おまけです。別視点のお話なので本編は進みません。

お兄ちゃんはある意味ぼっちちゃんよりレベルの高いコミュ障です。





 初めてのバイトに目を回していると、完熟マンゴーが姿を消しているのに気付いた。

 

「あっあれ、完熟マンゴーがない」

 

 虹夏ちゃんも気づいたみたいで、きょろきょろと探している。

店長さんが記念品だから、と片付けずに隅っこに置いてあったはずなのに、影も形もなかった。

 

「本当だ。お姉ちゃん、どうしたの?」

「邪魔だから捨てた」

「記念品って言ってたのに!?」

 

 多分だけど、あの中にお兄ちゃんが入ってた。

その完熟マンゴーが消えたということは、お兄ちゃんもここから立ち去ったということだ。

なし崩し的にお兄ちゃんにも一緒に働いてもらう私の策は、完全に失敗してしまった。

 

 お兄ちゃんはいつも色々言うけど、ほとんどのお願いは聞いてくれる。

だからずっと断るこのお願いは本当に駄目なんだろう。

そんなに虹夏ちゃんたちと会いたくないのかな。

 

 ううん。お兄ちゃんが会おうとしないのは私のためを思って、というのは分かってる。

お兄ちゃん自身は会いたいとか会いたくないとか、そもそもなんでもいいと思っていることも。

小学校の頃、私があの後藤の妹だって避けられてたことを今も気にしている。

そんな風に避けられてなくても、私はきっとぼっちだったと思うから気にしなくていいのに。

自分で言ってて悲しくなってきた。

だ、だめだ。これ以上考えるとバイト分もあって心が折れてしまう……!

 

「ぼっちちゃん、ライブ始まるよ」

 

 私が自傷をしていると、虹夏ちゃんが教えてくれた。

さっきまでの慌ただしさ、私のせいもあるけど、が嘘のように無くなり、お客さんは皆ステージの方を見ている。

だから私もお客さんと同じようにライブを見ることが出来た。

お金をもらいながらライブも見れるっていいかも。いい条件だってお兄ちゃんが言ってたのはこういうことかな。

 

 それにしてもやっぱりライブっていいなぁ。かっこいい。

ステージで演奏する姿は輝いていて、お客さんも演者も一体になって楽しそうだ。

これを見ているとこの間の私って何だったんだろう。

完熟マンゴーって。ダンボール姿で走りまくって、誰とも顔を合わせず一人で終わった。惨めだ。

 

「すみません、カシオレください」

「ひ、あっ、はいっ」

 

 落ち込んでいる暇なんてない。今はバイト中。お客さんのお姉さんがカウンターに来ている。

思わず返事をしてしまった。はいって言っちゃった。言っちゃったから私がやらないと。

隣の虹夏ちゃんが心配そうに私を見つめている。逆サイドのリョウさんもだ、無表情だけど。

が、頑張ろう! ここまで迷惑かけっぱなしだ。挽回しないと!!

 

 教わったことをなんとか思い出してドリンクを用意する。蓋をして完成。出来た。

カウンターに戻ってお客さんに向かい合う。笑顔、頑張って笑顔を作るんだ私!

 

「お、お待たせしました」

「ありがとう」

 

 引き攣ってる。顔がぴくぴくしてる。

お兄ちゃんは味があるって言ってたけど、きっと気味が悪いと思う。

そんな私を見てもお客さんはくすりと笑ってお礼までくれた、いい人……!

 

 で、でも虹夏ちゃんたちに手伝ってもらわなくても対応できた。

これは凄い成長だと思う。きっと千歩ぐらい進んだ。後藤ひとり、バイト道を千歩くらい進めた。

自画自賛して、心の回復に努めていると虹夏ちゃんたちも褒めてくれた。やった。

 

「やったねぼっちちゃん! また一歩前進だね!」

「うん。よくやったぼっち」

「あっはい。へへっ……」

 

 今のたった一歩なんだ。力ない笑いをついしてしまう。

そんな感じで初日のバイトはなんとか無事に終わった。生きて帰れてよかった。

 

 

 

「仕事終わりで悪いけど、ちょっと来て」

 

 シフトの時間が終わって、一刻も早く帰ろうとしていると店長さんに手招きされた。

しょ、初日に呼び出し……! もしかしてもうクビ!? 使えなさ過ぎて損害賠償!?

ど、どうしようそんなお金なんてない。あったらバイトなんてしてない。

こうなったらロックな感じの飾りになって、それで払うしかない。

ライブハウスだし、磔刑になればなんかロックな感じになるはず。

 

「わっ分かりました。なっなるべく低いところにしてください」

「何の話? てか何で正座?」

 

 覚悟を決めて店長さんの前に正座する。ごめんお兄ちゃん。しばらく帰れません。

 

「あっお姉ちゃん。ぼっちちゃんいじめちゃ駄目だよ」

「いやいじめてない。なんか呼んだらこうなった」

「お姉ちゃんに急に呼び出されたら怖いって」

 

 正座のままがたがた震えていると、私の代わりに虹夏ちゃんが話してくれていた。

なんだろう。クビじゃないのかな。ほっとしたような、残念なような。

ちょっとして、虹夏ちゃんがしゃがんで話しかけてくれた。

 

「あのね、時給とかの話がまだ済んでないから、それだけ聞いていってほしいって」

「あっそうですね、してないです」

「時給あげて」

「馬鹿言ってないで働け」

 

 お兄ちゃんのことでバイトを始める前の時間は終わってしまった。

バタバタしてて、流れのまま働いたからそういう話は全然してない。

え、でも店長さんと二人で話すの? も、申し訳ないけど怖い。

今度お兄ちゃん連れてきてでいいですか。

 

「あー大丈夫だよぼっちちゃん。お姉ちゃん見た目怖いけどツンツンツンツンツンデレだから」

「長い。あと誰がツンデレだ」

 

 虹夏ちゃんが指先でつんつん遊びながら、店長さんをからかっていた。

店長さんはそれを聞いて鼻を鳴らして否定する。だけど怒ってるようには見えなかった。

私が変なことを、ふたりがいたずらした時のお兄ちゃんみたいだった。

 

 そう思うと、大丈夫、かも。

 

「いっいいい、行きます」

「……私ってそんな怖いか?」

「うん」

 

 店長さんの言葉に従って、私たちはお店のバックヤードへ移動した。

 

 

 

「座って。そんなに長くしないよ」

「あっはい」

 

 大丈夫って思ったけどやっぱり緊張する。店長さんが問題じゃない。私が問題だ。

家族以外の人と密室で二人っきり。こんな状況いつぶりだろう。ど、どどどうしよう。

 

「とりあえずこれ、返しとく」

「あっはい」

 

 渡されたのはお兄ちゃんの履歴書だった。忘れてた。渡したままだった。

自分で言うのもなんだけど、よく出来てる。特に写真は会心の出来だ。

お兄ちゃんのいい写真がなかったから、私の写真を色んなアプリで加工して作った。

おかげで今日は寝不足だ。それとバイトの疲れもあって頭も痛いし、ぼーっとする。

 

「あっ、あの、すみません。こんなことして」

「別にいいよ。最初は面食らったけど面白かったし」

 

 勝手に履歴書作って応募とか、バイトでするやつ初めて見た、と店長さんは笑う。

ただ、怒ってるかもしれないしちゃんと謝っておきな、と続いた。

怒ってはいないと思う。お兄ちゃんに怒られた記憶は小さいころから一度もない。

怒りはしないけど、きっとものすごいお説教が待っている。怖い。

 

 私やふたりが悪いことをしても、お兄ちゃんは感情のまま怒ったりしない。怒鳴りもしない。

それの何がどう悪くて、どういう事態を引き起こして、最終的にどうなってしまうか。

いつも通りの穏やかな声と喋り方で、理路整然にただただ淡々とお話ししてくれる。

いっそ怒ってくれた方が怖くない。最後の最後まで理詰めでお説教してくる。

心底心配してるのが伝わってくるから無下にも出来ない。辛い。

 

 今日のお説教は想像するのも恐ろしい。

履歴書のこともあるけど、氷湯たんぽまでバレたらどこまで続くか予想も出来ない。

最悪帰りの電車はずっと叱られっぱなしだ。震えが止まらない。

 

「あば、ばばば、ばばばばっば」

「どんだけ怖いの、あいつ……」

 

 私にかお兄ちゃんにか、もしくはどっちにも店長さんがドン引きしていた。

ああ、正気に戻らないと。こんなことばっかりしてるとどんどん二人っきりの時間が長くなる。

そう思って、頑張ってなんとか座り直した。

 

「それとこれが規則、これが契約書、これがシフト表」

「あ、わっ、あっ」

 

 店長さんがぽんぽんぽんといくつも書類を渡してきた。

も、文字がいっぱいだ。読めない。見てるだけで視界がくるくる回る。

 

「量もあるし、帰ってから読んどいて」

「あっはい」

 

 あと、と口にした後、店長さんが視線を逸らして口ごもってしまった。

な、なんだろう。何かまたこの一瞬で私やっちゃったのかな。

泡を吹きそうになっていると、そのまま店長さんが口を開いた。

 

「……ライブハウスって力仕事も多いから、男手あった方が楽」

「?」

「裏方は特にそうだから。お客さんと会わない仕事もあるって、伝えておいて」

「あっはい!」

 

「じゃあぼっちちゃん、またね」

 

 店長さんは別れ際そう言ってくれた。あだ名で呼んでくれた、店長さん優しい。好き!

 

 

 

 スターリーを出てしばらく歩いているとお兄ちゃんを見つけた。

街灯の近くに立って私を待っている。壁に貼られたチラシをなんとなく見ているようだった。

長い一つ結びした髪が光を反射していて、なんだかキラキラして見えた。

 

 お兄ちゃんの髪は長い。きっかけは私だ。

私が小さいころ、お兄ちゃんとお揃いの髪がいいと駄々をこねたとお母さんが言っていた。

それを聞いてお兄ちゃんは私のために髪を伸ばした。女の子だし長い方がいいかと思ったらしい。

 

 大きくなってからはお揃いがいい、とは私も流石に言わなくなった。

だけど今度は、私もお兄ちゃんも美容室に行けなくなって髪が切れなくなった。

私は単純に行くのが怖いから。お兄ちゃんは誰か死ぬかもしれないから行かないって言ってた。

そういう訳で、今も私たちは同じように髪を長くしている。

 

 私がお兄ちゃんの元へ歩いていると、それより前にお兄ちゃんへ近づく影があった。

女の人が二人。あれは、そんな、パリピ!? きっと私より少し年上、大学生くらい。

垢抜けた雰囲気で、全身からおしゃれ、リア充、陽キャ、三種のオーラを出している。

近づけない。今近づくとあのオーラで私は天に召されてしまう。慌てて近くの自販機裏に隠れた。落ち着く。

 

 自販機裏からそっと覗き込む。あの人たちは誰なんだろう。

お兄ちゃんの知り合いかな。多分違うと思う。

あんな知り合いがいたら、きっと私にパリピ師匠として紹介してくれる。

よく聞こえないけど、お兄ちゃんに話しかけたみたいだ。声色は楽しい、楽しそう、なのかな。

その声に反応してお兄ちゃんが彼女たちに視線を向けた。あっ。

 

「ひっ」

 

 ちょうど目を合わせようとしていた方の人が気絶した。

彼女たちに向けるお兄ちゃんの目には何もなかった。温度も色もない深い暗闇の目。

虫を見るような目という表現があるけど、きっとそっちの方が全然優しい。

一瞬目についただけなのに、背筋が凍り付いた。

 

 お兄ちゃんがお兄ちゃんが他人のことを見る時、そこには何もない。

親愛の温かさも嫌悪の冷たさも、喜びも悲しみも何もない。何一つ心を向けていない。

お前には無価値という価値すらないと、目が合った人は視線を通じて叩きつけられる。

 

 私なんかが語るのはおこがましいけど、本当の意味で他人に無関心な人はいないと思う。

嫌なものを見る時だって人の目には何かが、冷たさとか嫌悪とかが宿る。

私はクラスでぼっちだけど、クラスメイトだって私を見る時は戸惑いとかが映ってる。

うぅ、思い出すだけで心臓が。なんだか動悸がする。

 

 だけどお兄ちゃんは違う。家族以外に興味も関心も持っていない。

家族が関わらないと誰にでもあんな風に、何もかも飲み込むような目を向ける。

私は妹だから、直接その目で見られたことはない。こういう時に一瞬チラッと見るだけだ。

それだけでも胸を掻き毟りたくなるような不安と恐怖に襲われる。

 

「し、失礼しました!」

 

 お兄ちゃんと目が合って気絶してしまった友達を抱えるように陽キャの人は走り去った。

瞬き数回分だけ見ていたけど、それだけだった。何もなかったかのように視線を戻す。

 

 思うところはあるけれど、今日はもう帰ろう。

頑張りすぎて疲れた。お兄ちゃんのことも何でも、全部明日以降やろう。

私は自販機裏から出て、お兄ちゃんの所へ向かった。

 

 私を見つけたお兄ちゃんの目に色と温度が戻る。さっきまでのが嘘のような温かさだった。

いつものお兄ちゃんで安心した。ほっとして私の顔も緩む。

 

 お兄ちゃんは家族さえいれば幸せだ、と前に言っていた。

友達なんていなくても毎日楽しいよ、とも。どっちも本心だと思う。

それでも私は、お兄ちゃんにも家族以外で好きな人を作ってほしかった。

大変なことはいっぱいだけど、想像していた以上に嬉しくて、楽しくて、幸せな気持ちになれたから。

 

 私のような陰キャでも、虹夏ちゃんと奇跡みたいに出会えて、バンドを組めてバイトまで出来た。

先週までの私に言ってもきっと信じられない。自分自身にすら、いつもの虚言かってなると思う。

だからきっと、きっかけさえあれば変化は起きる。お兄ちゃんだって変われる。

いつかお兄ちゃんにも、家族以外を想えるきっかけを起こしたいな。

お兄ちゃんにおんぶしてもらいながら、そう思った。

 




「……」(お腹空いたなぁ。ひとりまだかなぁ)
「あ、お兄さんちょっといいですかぁ」
「……」(今までならもう家にいる時間だからなぁ、お腹空いたなぁ)
「よかったらなんですけど」
「……なんですか」(なんだろ、道とか聞きたいのかな?)
「私たちと遊びに、ひっ」
「えっ……し、失礼しました!」
「?」(何だったんだろ。お腹空いたなぁ。今度からおやつとか用意しようかなぁ)

よくわかる後藤兄の作画
家にいるとき きらら
外で家族、または家族関係者といるとき ギターヒーローもどき(目つき悪い)
家族関係ないとき R指定
          
今回はおまけなので、22日(日)に本編を投稿します。



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第五話「思春期に入ってからはつらい」

評価、感想ありがとうございます。

前回のあらすじ
妹が風邪を引いた。

喜多ちゃんと接点がどうしても作れなかったので無理やり作りました。


「起立、礼」

 

 スカートのひだを押さえて座る。何回かやっていたら慣れてしまった。慣れたくなかった。

動揺を抑えるためにジャージのファスナーをなんとなく弄る。

ジャージのピンク感がより目に映った。余計落ち着かなくなった。

 

「今日の数学は、この間伝えた通り小テストです。赤点の子には先生との楽しい楽しい補習です。先生楽しみです」

 

 見るからに明るい先生がそう言うと、小さく笑いが起きる。昨晩ひとりが言った通りだ。

あの陽キャ先生との補習なんてすればひとりは消滅するだろう。誰も幸せになれない。

 

「じゃあ問題配るから後ろ回してくださーい。裏返しのままだよ」

 

 手際よく先生が生徒にプリントを渡していく。

 

「は、はい、後藤さん」

「……」

 

 前の席の子がプリントを回してくれた。

今はあまり喋らない方がいい。目を合わせてから頭を下げ謝意を告げる。

何かを絞めるような、ひぇって声は聞かないふりをした。ひとりの評判が下がる音だと思う。

 

「それじゃ時間は30分。はじめー」

 

 プリントをめくる音が次々とする。僕も気が向かないけどそれに続いた。

名前欄の隣に『秀華高校 数A 小テスト③』と書かれている。

 

 そう、今僕は後藤ひとり(大)として秀華高校でテストを受けていた。

いや流石に駄目でしょこれ。なにやってんだろ僕。遠い目で昨夜のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 ひとりが風邪をひいて数日。おかゆを持ってきた僕を出迎えたのは土下座のひとりだった。

一旦おかゆを置く。熱いし溢したら危ない。火傷になったら大変だ。

置いてからひとりの方を向くと、まだ土下座していた。

まだ風邪治ってないんだから大人しくしていてほしい。

 

「お兄ちゃんに一生のお願いがあります」

「畳みかけてくるなぁ」

 

 これで何回目だろう。百回までは数えてたけどもう忘れた。聞いちゃうけど。

 

「聞くけど、先にご飯食べようか」

「えっ、うん」

 

 おかゆをお茶碗によそってひとりに差し出す。ちなみにあーんは初日に拒否された。

よしよし、もりもり食べてる。食欲も回復してきたみたいだ。だいぶよくなってきた。よかった。

おかわり、と出されたお茶碗にまたおかゆをよそう。このペースなら全部食べ切れるかな。

お茶碗を渡すと、受け取った途端にひとりはまた勢いよく食べ始める。

 

「ちゃんとよく噛んでね、おかゆだけど」

 

 食べながら無言で頷かれた。頷いてないで噛んで?

お腹が空いてるのもあるけど、よっぽど僕に一生のお願いがしたいらしい。

凄い嫌な予感するなぁ。でも兄として妹のお願いって断れないよなぁ。

 

 あっという間に食べ終わったおかゆを台所に戻し、ひとりの部屋に戻るとまた土下座していた。

これは、恐らく今まで一番の無茶ぶりになる。ここまで徹底した姿勢は見たことない。

聞かずに立ち去るのが一番な気がする。でも、食べてからとさっき言ってしまった。

妹との約束は絶対に破れない。兄としての鉄の掟だ。

 

「えーっと、それで、お願いって?」

 

 だからひとりに話を促した。

ひとりは顔を上げず、そのまま絞り出すような声で僕に告げた。

 

「お兄ちゃん、明日私の代わりに学校に行ってください」

「………………………………………………………………………………………は?」

 

 は?

 

 

 

 

 

 

 

「あ、明日数学の小テストがあって、欠席とか赤点は補習になるの」

「大変だね」

「数学の先生はとんでもなく陽キャで、一度補習してるところを見たんだけど凄い明るかった」

「ひとりには辛いね」

「あ、あんなところに放り込まれたら私は崩壊してしまう……!」

 

 ひとりが頭を抱えてうずくまる。補習の未来に絶望していた。

どこから出してるのか分からない、糸を引っ張るような声をしている。

というか、えっそれだけ? 補習がいやだから? それだけでこんな無茶ぶり?

 

「え、そのために?」

「う、うん。だ、だめ?」

「駄目に決まってるでしょ」

 

 何でいいと思ったの。風邪で頭がちょっと弱ってるのかな。

すげなく断る僕にひとりがしがみついた。体が熱い。まだ熱あるみたいだ。

 

「お、お兄ちゃん、お願い!」

「嫌だよ。だってひとりの代わりにってことは、僕に女装していけってことでしょ?」

「だ、大丈夫! お兄ちゃん美人だから」

「そういう問題じゃないよ?」

 

 今美醜の話はしてないよ。性別の話をしてるんだよ。

女装して学校行け、というのもいじめレベルだし、替え玉テストなんて停学退学ものだ。

バレた時のリスクが計り知れない。朝刊飾っちゃう。一面をもらっちゃう。

補習の雰囲気が嫌だ、でしていいことじゃない。僕達もう高校生だよ。

 

 いつもテスト前には泣きついてくるのに、今回は前日まで何も言わなかった。

初めてのバンドやバイトで頭が一杯で忘れてたんだろう。

これなら例えテストを受けられても駄目だったと、赤点を取ってたと思う。

 

「どうせひとりが学校行けてても赤点で補習でしょ」

「お、お兄ちゃんがいつになく冷たい……!?」

 

 こんなこと言われたら、いくら僕だってそうなる。

ひとりにもわかってもらわなきゃ。つんとした姿勢を維持する。

イメージするのはこの間の店長さんだ。

 

「だから風邪治してから補習は頑張って」

「そ、そんな私にはむり、むり、むむむむむむむむむむむむむむむ」

「あっバグった」

 

 首を、体を振り回して全身で拒絶している。

凄いスピードだ。食べたばかりだから気持ち悪くなっちゃうよそれ。

感心と心配をしていると部屋の扉が開いた。

 

「こら、ひとりちゃん病気なんだから遊んじゃ駄目よ」

「あそばないー」

 

 ドタバタしているのが聞こえたのか、母さんとふたりがそこにはいた。

腰に手を当てて怒ってますよ、とアピールしている。

ふたりはいつも通り可愛い。ささくれた心が和んでいくのが分かる。

 

「ふたり、お姉ちゃん病気なんだから今は部屋入っちゃだめだよ」

「えー、でもふたりもおにーちゃんとおねーちゃんとあそびたい!」

「遊びっていうか」

「むむむむむむむむむむむむむむむ」

 

 今も全身で拒絶運動しているひとりを見る。

確かに遊んでるように見える。本人全然楽しくないだろうけど。

というかいい加減止めよう。風邪がぶり返しちゃう。

 

 

 

 ひとりの暴走を止めてから母さんに事情を説明する。

当のひとりは案の定気持ち悪くなって布団に横たわっていた。

ふたりはそんな姉をぺたぺた触って遊んでいた。ほどほどにね。

 

 説明を終えると母さんは難しそうな顔をしていた。

娘がこんな妄言を言い出したんだからしょうがない。

いくらか悩んだ後、母さんは僕の両肩を掴んだ。

 

「……頑張って!」

「は?」

「がんばってー」

 

 何も分からないまま母さんのものまねをするふたりは可愛い。

母さんは訳分からない。今日の母さんは駄目な日の母さんだ。

 

「母さん、無理あるって、駄目だって」

「大丈夫よ、昔よく入れ替わって遊んでたじゃない」

「それ小学生の時の話」

 

 確かにひとりがどうしてもと言うから、学校行事を代わりにしたこともあった。

ただあの頃は男女の成長差もあって、大体同じくらいの身長だったから出来たことだ。

今は頭一つ分くらい僕の方が大きい。絶対無理がある。

 

「お祖母ちゃんも気がつかないくらいだったし」

「あれは気がついてたけどつけなかったというか」

 

 正確には気がついていたけど、自信が持てなくて言い出せなかった、が正しい。

もし間違えてたらどうしよう孫を傷つけちゃうとかなんとか言って、最終的に首を吊ろうとしたのも懐かしい。

お祖母ちゃんはとても繊細な生き物だから、なにかとすぐ死のうとしてしまう。

あれ以来お祖母ちゃんの前で入れ替わる遊びはやってない。長生きしてほしい。

 

「というか止めてよ。娘が変なこと言い出してるんだよ?」

「それはいつものことよ」

 

 確かに。

 

「いい、よく考えて」

「えー」

 

「このままひとりちゃんが補習を受けます」

「うん」

「ひとりちゃんは補習を耐え切れず脱走、単位が足りなくて留年、留年に心を病んで退学……!」

「ありえる」

 

 なくはないよね。なんなら留年していい機会だから、と言って進んで中退するかも。

今も行きの電車とかで高校中退したいってぼやいてるし。

 

「そ、そうなったらひとりちゃんは、もうっ」

「その時は僕が養うから」

「それはそれで別の心配があるの!」

 

 怒られちゃった。たまに言うけど別の心配ってなんだろう。

父さんも母さんも口を濁すばかりでいつも教えてくれない。

この剣幕だと母さんが譲ってくれないのは分かった。別の突破口を探すしかない。

 

「ほら、制服もないし」

「おねーちゃんいつも着てないよ」

「私と同じジャージ、前あげたよね。お兄ちゃん着てくれないけど」

 

 妹たちからの攻撃が激しい。ふたりの、無自覚の援護射撃が響く。

寝ていたはずのひとりが僕の背中に張り付いて恨み言を言う。

風邪で消耗してることもあっていつも以上に雰囲気がじめっとしてる。少し早い肝試しみたい。

でも僕の気持ちも理解してほしい。いくら僕でもあのジャージを着て外は歩きたくない。

だからあのジャージはしっかりと箪笥の中に封印してある。

 

「ふたり、取ってきてくれる?」

「うん! まってておねーちゃん」

 

 珍しくふたりがひとりのお願いを素直に聞くと部屋を出ていった。

ふたりはいつも僕の部屋で遊んでいるから、どこに何があるかは把握している。

あれを持ってくるのも時間の問題だ。

 

「う、上はよくてもスカートはどうかな」

 

 ひとりはいつも、上下ジャージの上にスカートだけ履いている。

本人曰く制服を着ているというアピールのためらしい。

気に入ってるみたいだから言えないけど、その格好も友達できない理由の一つだと思う。

とにかく、ひとりになりきるためには制服のスカートがいる。

僕は細い方だけどひとりのサイズは流石に着れない。

 

「あっここに大きいサイズがあるから」

「なんであるの?」

 

 僕の指摘にひとりは箪笥からスカートを取り出した。

前もって準備してた。絶対前々からいつか代わりに学校行ってもらおうって計画してた。

もうやらないって、小学校卒業式の日に言ったでしょ。

 

 ひとりがスカートを構えながら僕に近づく。妙な迫力があった。

その迫力に押され後ろに下がると何かにぶつかった。ふたりだった。

自分の体より大きなピンクジャージを持って満面の笑みを浮かべている。

肩を叩かれる。母さんが諦めろと視線で語っていた。僕は負けた。

 

 

 

「かみかざりもつけてー、かんせー!」

 

 着替えさせられた。姿見に目つきの悪い、完成度70%くらいの後藤ひとり(大)が映っている。

思ったよりひとりになった。横断歩道くらい距離あれば誤魔化せそう。

でもこれ、大体はピンクジャージのおかげだと思う。

髪飾りとジャージがあれば、誰でもひとりになるんじゃ。

 

「結構似てるけど、ひとりにしては凛々しすぎるかなぁ」

「あ、父さん。お帰り」

「ただいま、誰もいないかと思ってびっくりしたよ」

 

 お帰りー、と二人の妹が続く。

いつの間にか父さんが帰ってきていた。

誰も下にいないから、おかえりって言ってもらえなくて寂しかったらしい。

 

「前髪でもっと目元を隠すようにするといい感じじゃない?」

「ほんとだ」

 

 父さんのアドバイス通りにすると、85%くらいの後藤ひとり(大)になった。

でもやっぱり何度見ても、ピンクジャージがかなり強い。

ひとり≒ピンクジャージの法則が今成り立とうとしている。

 

「というかなんでひとりの格好してるの?」

「それは」

 

 かくかくしかじか。通じた。

 

「ひとり、補習が辛いのは分かるけどこれは駄目だよ」

「う、うぅ」

 

 よかった。父さんはこっち側だ。

ひとりも父さんに珍しくまともに叱られて、しゅんとしている。

このまま父さんが説得出来れば、あとは暴走気味の母さんを止めるだけだ。

 

「あれ、母さんは?」

 

 いつの間にか消えていた。見回しても部屋にはいない。

そういえば、おかえりも妹達の声しか聞こえなかった。

聞いてみると父さんも見てないらしい。どこ行ったんだろう。

探しに行くため部屋を出ていこうとしたところ、ふたりがあっと声を上げた。

 

「おかーさんね、きがえてくるって言ってたよ」

「着替え」

 

 親子三人で目を交わす。全員冷や汗が流れていた。もの凄い嫌な予感がする。

ひとりの土下座の時とは比べ物にならない。とんでもないものをこれから見てしまう気がする。

謎のプレッシャーに襲われ、身動きを取れないでいると目の前で扉が開いた。

僕たちの目もひん剥いた。

 

「制服なんて何年ぶりかしらー」

 

 母がいた。制服を着ていた。

は? きつ、いやきっつ、は? なんで? なにこのひと?

未だかつてないほど頭が回らない。動悸と吐き気がする。

目の奥が痛い。頭の中がチリチリする。は?

 

「あら、お父さん帰ってたの。お帰りなさい」

「えっあっ、ただいま……」

「見て、まだまだいけると思わない?」

 

 妄言を吐く母さんに父さんは動揺を隠せていなかった。

なんだこの人。なんでいきなり制服着てるんだ。それひとりのだよね。

訳が分からない。なにがなんなの。

 

 父さんに視線でメッセージを送る。ひとりも同じような目で父さんを見ていた。

つまり、なんでこんなことしたのか聞け、という思いだ。

 

(僕が!?)

 

 目で語られる。気持ちは分かる。でもあなたの奥さんだから。

お願いします、深々と頭を下げる。深い深いため息が聞こえた。

 

「あ、あの、なんで制服を?」

「お母さんがひとりちゃんの身代わりに行こうと思ったの」

「……………………は?」

 

 父さんも絶句する。時が止まった。

何もかも固まる僕たちを置き去りにして、母さんは妄言を続けた。

 

 お兄ちゃんに妹の真似をしてもらうのは、嫌がってるし流石に無理があると思った。

じゃあ誰が代わりに行けるかとなると私しかいない。

ものは試しと着てみたら意外といける気がした。

だから明日は私に任せて。

 

 以上を供述した。その目はキラキラと輝き、自信に満ち溢れていた。

僕達は溝川みたいな目で視線を交わした。どうするのこれ。どうしようもないよこの人。

 

「大丈夫よ。私に任せて」

 

 得意げに胸を張る母さん。その顔はどうみてもアラフォーのおばさんだった。

これは無理だ。どうしようもない。覚悟を決めるしかない。

僕がどうにかするしかない。

 

「僕に」

 

 おなかがいたい。

 

「僕に、行かせてくださいっ…………」

 

 明後日の朝刊はどうなるかなー、ははっ。

 

 

 

 

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

「今日のテスト結果は次の授業で発表するから、楽しみに待っててね」

「えーっ」

「はーい、じゃあ号令お願いします」

「起立、礼」

 

 なんかいけた。

 

 誰に何を言われることもなく、任務を完了してしまった。

お昼休みになって、周囲の生徒が席を離れる。先生も生徒も僕に触れなかった。

なんで? えっなんで? どういうこと?

 

 ひとりにお願いされたテストは四時間目。

だからその時だけ行けばよかったのに、変なやる気を出した僕はいつもの時間に登校した。

スカートを脱げばただの全身ピンクジャージなんだから、どこかで時間を潰せばいい。

そのはずなんだけど、自棄になっていた僕はそのまま秀華高校へ突撃した。

そして一時間目からきっちり全部の授業を受けた。誰にも気づかれなかった。なんで?

 

 明後日の方向に興奮していた頭が冷える。無事に終わったからいいか。

問題用紙に配点が書かれていたから、点数調整も簡単で助かった。

ちゃんと今回のひとりが取りそうな点に出来たと思う。

 

 よし、帰ろう。ここを逃すとずるずるとHRまで残っちゃう気がする。

立ち上がり、荷物を手に取る。でも何も言わずに帰るのはよくないな。

誰かに先生への伝言を頼もう。早退しますって。

声は、ぼそぼそと喋ればいいか。風邪で休んでたし、変な声でも違和感あるくらいで済むだろう。

声かけるのは、誰でもいいか。前の席の子に声をかけた。

 

「ちょっといい」

「は、はいっ」

 

 飛び上がるように驚かれた。というか実際跳ねた。

そんなびっくりするような声だったかな。

それとも後藤さんに話しかけられたからびっくりしたのかな。初めてだろうし。

どっちでもいいか。ここにいればいるだけバレる可能性が高まる。早く帰ろう。

 

「今日まだ具合悪いみたいだから早退するね」

「……」

「先生に伝えてくれる」

「ははは、はい。分かりました!」

 

 快く受け入れてくれた。ありがとう見知らぬ人。

お礼を言って教室を出る。僕が歩くと道が開いた。ひとりの振りをしてるのにいつも通りだ。

もう疲れた、僕の高校はいいや。今日は全部休みにして帰ろう。ひとりもいないし。

 

 それにしても、この高校は皆元気だ。帰り際改めてそう思う。

学校によって雰囲気が変わると聞いたことはあるけれど、こんなに違うなんて。

特に授業中の、のんびりとした空気にはびっくりした。

僕の学校は進学校ということあってか、授業中も空気が常に張り詰めている。

授業中の私語なんてここ一年くらい聞いたことない。もっと楽にしてもいいんじゃないかな。

 

 のんびりぼんやり歩いていると階段に差し掛かった。ここを降りれば昇降口だ。

階段も人通りが激しい。昼休みで生徒の出入りが多い内に、それに紛れて下校しよう。

 

「喜多ちゃん、前!」

「えっ」

 

 変な格好と慣れない環境、正体を隠すプレッシャー。結構疲れていたみたいだ。

僕としたことが、階段を登ってくる女の子に気がつかず衝突した。

そして彼女は僕の体に弾かれて、後ろに倒れようとしている。場所が悪い。

このままだと階段を転げ落ちて大怪我するだろう。

今そんな大事故起こすわけにはいかない。手を伸ばし、彼女の左手を掴んだ。

 

「!」

 

 ただ思ったより勢いがある。一応、このまま引き戻すことも出来る。

だけどそうすると、結構な負担が彼女の腕にかかるだろう。

彼女の丈夫さにもよるけれど、軽い捻挫くらいにはなってしまうかもしれない。

握った手は小さくて柔らかい。けれども指先だけは少し硬い。

その感触は僕に、ギターを始めたころのひとりを思い出させた。

しょうがない。彼女の勢いに引きずられるように僕も体勢を崩した。

 

「!?」

 

 痛くならない程度に彼女を引き寄せて体を入れ替える。これで最悪でも僕が怪我するだけだ。

このままだと階段に頭から落ちる、怪我どころか死ぬな。じゃあどうしようか。

そうだ、昔駅の階段でひとりが突然気絶したことがあった。あの時と同じ要領だ。

空いてる手を伸ばして階段につく、そして全身のバネを利用して跳ねた。

 

「!!??」

 

 踊り場に無事着地。点数を付けるなら10点だ。階段にいた他の生徒も思わず拍手している。

スターリーに行った時も思ったけど、実は僕は忍者だったのかもしれない。

これからは魔王じゃなくて忍者と呼んでほしい。そっちのが格好いい。

馬鹿みたいなことを考えながら彼女を降ろす。だけど立てずに、そのまま座り込んでしまった。

階段から落ちかけたんだ、無理もない。しゃがみこんで彼女の様子を確認した。

 

「怪我はない、大丈夫?」

「えっあっはい」

 

 ぐるぐるして目の焦点が合ってない。

人にぶつかったと思ったら、こんな風に振り回されたんだから当然だ。

ただそのおかげか、僕が話しかけても特に怖がっていないみたいだ。

申し訳ない気持ちでいっぱいになる。見たところ怪我はなさそうだ。

 

「あの、ありがとうございます……?」

 

 混乱しながらお礼まで言ってくれた。前をよく見てなかった僕が悪いのに。

きっといい子なんだろう。怪我をさせずに済んでよかった。ほっと胸をなでおろす。

 

「ううん、無事ならよかった。ごめんね、私前よく見てなくて」

「あっいえ、こちらこそ」

 

 僕が頭を下げると、釣られて彼女も下げる。

頭を上げた時、彼女の目にはいくらか平静が戻っていた。

まずい。ところでこの人誰だったかしら、的な視線を感じる。

悲しいことに今僕の格好はかなり特徴的、全身ピンクだ。

こんなピンクジャージを日常的に着ているのはきっと校内、東京でもひとりだけだろう。

このままだとひとりがピンク忍者になってしまう。早く逃げないと。

 

「喜多ちゃん、大丈夫!?」

 

 彼女の友達らしき人が駆け寄ってきた。

ますますまずい。目撃者が増える。僕は立ち上がって逃げる準備をした。

 

「本当にごめんね。あと、ギター頑張って。応援してる」

「えっ、あ、待ってください!」

 

 呼び止める彼女の声を後目に僕は逃げ出した。自己ベストだったと思う。

そのまま誰に止められることもなく学校を脱出し、僕は家に帰ったのだった。

それにしてもこのジャージ動きやすいな。なんかむかつく。

 

 

 

 

 

「お、おに、お兄ちゃん! テ、テスト赤点だったよ!?」

 

 後日、ひとりがテスト片手に殴り込んできた。上手くいったみたいだ。

 

「あ、ほんとだー。ごめんねー、調整ミスっちゃったー」

「棒読み!? わ、わざと、絶対わざと!!」

「そんなまさかー、はっはっはっはー」

 

 ぎりぎり赤点になるよう頑張った甲斐があった。

丸や三角を駆使して一点足りなくなるようにした。我ながら芸術的だ。

僕のうざったい笑いで限界を突破したのかひとりは崩れ落ち、バイブレーションを始めた。

 

「あ、あぁあぎぐぐぐぎぎ」

 

 こんな嫌がってると少しは罪悪感が沸く。

だけどここで僕が赤点回避したら、味を占めて絶対もう一回もう一回と続く。

小学校の運動会とか、結局ずっと僕が二人分走ってた記憶がある。

今回はなんとかなったけどいつか必ずバレる。そうなればおしまいだ。

だからここで決定的に、これは駄目って教えとかないと。

あと単純に僕が女装したくない。あのジャージ着たくない。

 

「ところでひとり、あれから誰かに話しかけられた?」

 

 話を切り替えるとひとりの震えが止まった。

思い出すように虚空を見つめる。何もなかったみたいだ。

 

「えっ、ぜ、全然」

 

 よかった。いやあんまりよくないことなんだけど。

誰もあの日を気にしていないし、階段のあの子も僕とひとりを結び付けられなかったみたいだ。

なんとかなってよかったよかった。無事解決だ。はっはっはっはっはー。




「今日の後藤さんなんかでかくね?」
「というか目がヤバいよ。休んでる間で何人か殺ってるって絶対」
「しかもさっき校内を跳ね回って移動してたらしいよ」
「えっ、怖っ。しばらくそっとしておこうか」
「賛成」

「2組の後藤さんだと思ったけど、違った。あの男の人、一体誰だったのかしら」

今日も秀華高校は平和です。やったね。

次は24日(火)投稿です。

次回のあらすじ
「写真」


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第六話「そうぞうせいの欠如」

感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

前回のあらすじ
妹が補習になった。




「あのね、結束バンドに今ギターボーカルがいないんだけど」

「うん」

「お兄ちゃんやらない?」

「やらない」

 

 そんな会話の数日後、ひとりからとある報告を受けた。

なんとひとりが自分でギターボーカルを探して勧誘したらしい。凄い。

同じ学校の喜多さんという子だという。聞き覚えがあるけど気のせいだろう。

しかも勧誘は成功して、無事に加入したとのこと。僕はこれから奇跡を信じることにします。

 

「ここ一か月くらいで見違えるほど成長したね」

「えっ、いやそんなこと、えへ、えへへへへ」

 

 全身から褒めて褒めてとあふれ出ていた。

今回は自分でもよくできたと思えたみたいで、承認欲求が爆発している。可愛い。

ひとしきり、十分くらいほめ続けていたら真っ赤になって溶けちゃった。とても可愛い。

でも話の続き聞きたいからさっさと復活させよう。凝固剤どこだっけ。

 

「ん゛ん゛、それで喜多さんは凄い陽キャで、こう、全身からキターンってオーラを出してるの」

「きたーん」

「うん、キターンって」

 

 きたーんって何? 陽キャってオーラ出せるの? 色んな物理法則に喧嘩を売ってる気がする。

でも考えてみたらひとりも陰のオーラをよく出すし、質量保存もよく無視する。

なんだ結構普通のことか。

人類の陽キャも似たようなことができるなら、逆説的にひとりも人類ってことになるな。

僕は理解を放り投げた。

 

「メンバーも揃ったから本格始動だね」

「うん、おれたち結束バンドの冒険はこれからだ!」

「終わっちゃう終わっちゃう」

 

 

 

 そんな風にひとりが輝いていたのが一週間くらい前のこと。

 

「お兄ちゃん、動画編集のやり方教えて」

「いいけど、作詞は?」

「……じゅっ、順調だよ?」

「そっか。じゃ、こっちきて」

 

 妹は現実逃避をしていた。

いつもしてると言えばそうだけど、今回は根が深い。

話はちょうど結束バンドのメンバーがそろった次の日まで遡る。

 

 

 

「お兄ちゃん作詞したことある?」

「……ないよ。創作系は苦手だから」

 

 帰り道、電車の中でひとりに突然聞かれた。

一から何かを作るのは昔から苦手だ。図工とかもずっと模写でやり過ごしてきた。

それにしても、急にこんなこと聞いてくるってことは。

 

「ひとりが作詞担当するの?」

「えっ、うん。作詞担当大臣になりました」

 

 そういうことらしい。ひとりが照れ笑いしている。

でもどこか誇らしげだ。作詞という大役を任せられたのが嬉しいのだろう。

僕もひとりのことが認められたみたいでとても嬉しい。

 

「そっか。図書室に通い続けた成果を発揮する時だね」

「うん! 九年間の積み重ねはこの布石だったんだ」

 

 いつもなら暗く振り返る昔のことも、今日は前向きに受け止めている。

バンドを組めるようになって本当によかった。伊地知さん達には足を向けて寝られない。

下北沢ってうちから見たらどっちだったっけ?

 

「完成したら僕にも見せてね」

「うん!」

 

 そして現在に至る。

ちょちょいのちょいと引き受けたのに、何も生み出せていない。

その現実から目を逸らし、ネットの世界に逃げ込もうとしていた。

でも最近投稿してなかったし、ちょうどいい機会かな。

結束バンドとしての活動も大切だけど、ギターヒーローも大事にしてほしい。

 

「編集って言っても、あんまりやることないんだけどね」

「そうなの?」

「うん。ギターヒーローの動画は、本当に演奏してるのをあげてるだけだから」

 

 精々始まりに曲名等々を付ける、終わりにチャンネル登録を促す。

手をつけるのはそれくらいで、残りは映っちゃいけないものが映ってないか確認するくらい。

一部の投稿者は色んな付加価値を考えて、動画作りを工夫している。

それも含めて一つの作品だし、中には僕でも感嘆させられるようなものもある。

だけど僕は、ギターヒーローの動画にそんな付属品を付けたくない。

ひとりの演奏は、それだけで誰かを感動させられる。僕はそう信じている。

 

「それはそれとして、やり方を知ってると便利かもね」

 

 出来ることが増えるのはいいことだ。

今は現実逃避の手段だけど、いつかどこかでひとりを助けるかもしれない。

なるべく分かりやすく、丁寧に教えるよう心掛けた。

 

「出来た!」

 

 五時間後、完成したのはエフェクト盛り盛り、眩しくてうるさいよくわかんない動画だった。

音はまったく弄ってないのになんかうるさい。

一度音量0にして再生してみる。凄い、何も聞こえないのにとんでもなくうるさい。

うっかりしてた。ひとりは盛れば盛るほどよくなるって考えだった。

 

 しかも動画コメント案がひどい。嘘100%だ。

ロインの友達1000人って。ここも盛るんだ。家族含めて六人くらいでしょ。

リア充っぽくしようとしてるエピソードも嘘くさい。タピオカの登場率がやたら高い。

飲んだこともないだろうに、どうしてここまで信頼してるのか。

僕が投稿関係担当していてよかった。父さんと母さんがこんなの見たら泣いちゃう。

 

「ボツです」

 

 長年温めていた自信作を捨てられたような顔をひとりはした。

というか実際温めていたんだろう。あの虚言を一瞬で考えたのなら、それはそれで心配だ。

僕だって断腸の思い、でもないな。躊躇の欠片もない。

こんなの投稿したらアカウントハックされたって思われる。

 

「息抜きはこの程度にして、作詞どうなってるか聞いてもいい?」

 

 更にもう一段階落ち込みそうだけど、聞くことは聞かないと。

気分は宿題について聞くお母さんだ。ここ数日捗った様子は見ていない。

中学時代の作詞ノート(呪詛)を確認したり、作詞の教材を読んだりはしていた。

 

 あと、思い出したくないけど、この間は部屋で踊り狂っていた。

あれは一体何がしたかったんだろう。どう見ても悪霊に憑りつかれている人だった。

久しぶりに父さん母さんと家族会議をした。

結果、今この部屋には盛り塩とお札がある。事故物件になってしまった。

それでも全然思い浮かばないようで、ノートの前で頭を抱える姿を何回も見ている。

 

「こ、こんな感じです」

 

 成果を見せてくれるらしい。ちょっと予想外。さっきみたいに誤魔化されると思ってた。

早速拝見。ぺらぺらとめくる。ふむふむ。なるほど。大体わかった。

 

「このサイン可愛くていいよね」

「あっお兄ちゃんもそう思う?」

「うん。今度色紙買ってくるから書いてほしいな」

 

 じゃなくて、歌詞読まないと。つい反応しちゃった。

もっとめくって歌詞のページにたどり着いた。たくさんの歌詞が並んでいる

何度何度も書き直した試行錯誤が伺えた。

 

「あれ、思ったより書けてる」

 

 僕の結構酷い感想にひとりは反応しない。

量の問題じゃない。歌詞の中身に納得いかないみたいだ。

よく読むと頑張れ、とか。夢は叶うよ、とか。前向きな言葉が多く散見される。

 

「青春応援ソング?」

「うん、喜多さんが歌うなら、こういう方向のがいいのかなって」

 

 喜多さん。オーラを放つ例の陽キャだ。

会ったことはないけど、想像もつかないほど明るい人らしい。

そんな人に合わせるなら、こういう歌詞になるんだろう。

あ、もしかして。

 

「この間の悪霊騒ぎはこのため?」

「あ、悪霊……うん。喜多さんの真似すれば、明るい気持ちが分かるかなって」

 

 嫌だけどよくよく思い出してみよう。

渋谷行く人とか、イソスタ映えとか、なんだか陽キャっぽいことを言ってた気がする。

てっきり、陽キャの幽霊にどこかで憑りつかれたのかと。

安心した。この部屋は事故物件じゃなかった。後でお札とかは回収しとこう。

 

「日本語も間違ってないし、歌詞としては成立してると思う」

 

 書かれた歌詞を全て読んだ。特に問題ないと思う。

ひとりらしくない歌詞ではある。前向きを言い訳に、明るい言葉を並べただけに見える。

でもこれは結束バンドの歌詞だ、ひとりのじゃない。

だからこの歌詞の良し悪しを、僕は判断できない。

僕の感想を聞いてもひとりの顔は曇ったままだった。

 

「納得してないんだよね」

「うん。む、無責任に頑張れとか書くと、動悸が止まらなくて」

 

 青春コンプレックスだ。バンド活動を始めてもまだ治ってなかった。

祝福、応援系の歌詞なのに、呪いを刻んだ人みたいになってる。

 

「僕は音楽関係のアドバイスなんて出来ないけど」

 

 昔はともかく、今は知識だってひとりの方が深いだろう。

 

「演奏でも作詞でも、ひとりが楽しくやれるのが一番大事だよ」

 

 上手いとか下手とか、いいとか悪いとかは全部どうでもいい。

これを聞いたら結束バンドの人達、ひとり本人だって怒るかもしれない。

それでも僕にとって一番大切なことは、ひとりが楽しんでやれることだ。

 

「だから、ひとりが納得できるまでやればいいと思う」

「お兄ちゃん……」

「あと、伊地知さん達に相談するのもいいんじゃない?」

「うっ、で、でも一週間経っても全然出来てないし」

「皆をガッカリさせたくないんだよね」

「うん、ちょ、ちょちょいのちょいって言っちゃったし……」

 

 本当に言ったんだ。

 

「大丈夫だよ。誰もひとりのこと責めないって。そんな人達じゃないでしょ」

 

 責めるような人ならきっと、もう結束バンドは解散している。

何分か悩んでからひとりは頷いた。相談を決意したみたいだ。

危険物か何かに触れるように、慎重に携帯に手を伸ばす。

まだ触れてすらいない。

それでも、自分から誰かへメッセージを送ろうとするひとりの姿に僕は感動した。

 

 そろそろ指先が届くかな、というところで携帯が突然震えた。着信だ。

メッセージが液晶に浮かぶ。決意に満ちたひとりの表情が凍り付いた。

そこにはこう書かれていた。

 

『明日お昼に下北駅集合だよ!』

 

 伊地知さんからのメッセージだった。

伊地知さんプロフィール画像アホ毛なのか、とどうでもいいことに気づいた。

駅集合ってことはどこかに遊びに行くのかな。

 

 ギギギ、と錆びた音をさせながらひとりが僕を見た。

あっ、また明後日の方向に強く思考を飛ばしてる。被害妄想だ。

 

「こ、これは、未だに歌詞を書きあげられない私を吊るし上げる会……!?」

「駅前でするの?」

 

 そんなことするならもっとそれっぽい場所を選ぶと思う。

一回しか行ってないけど、スターリーもそういう雰囲気あるよね。

だけど自分の妄想でいっぱいいっぱいのひとりは、僕の話を聞いてくれない。

ひとしきり頭を抱えてあわあわ言った後、勢いよく僕にしがみついた。

 

「お、おお、お兄ちゃん。明日ついてきて」

「いいけど」

 

 そういうことになった。

明日は同級生と妹をストーカーする日だ。捕まらなきゃいいな。

 

 

 

「ひとり、それいらない。絶対いらない。どこに隠してたの」

「え、でも、こういうのつけた方が良いんじゃ」

「本気の時でもいらない、むしろ本気の時の方がいらない」

 

 次の日、下北沢駅近くの物陰で僕とひとりはあるものを奪い合っていた。

ひも付きのフリップだ。『私は約束通りに歌詞を書き上げられませんでした。』と書かれている。

いつ作ったのこれ。今日少し眠そうだなって思ったけど、まさかこれのために夜更かししたの。

 

 必死の攻防により。無事没収出来た。改めてまじまじと見る。

本気で怒っている時にこれ付けて来られたら、逆に頭が冷える気がする。

そう考えると逆にありなのか。いや、今回は多分誰も怒ってないだろうけど。

名残惜しそうにフリップを見ているひとりはそっとしておく。これはあげません。

 

「あ、伊地知さん来たよ」

 

 僕たちがどたばたしていると、伊地知さんの姿が見えた。

今日も元気そうで何より、にこにことしていて機嫌もよさそうだ。

 

「ほら、全然怒ってないよ。むしろ楽しそう」

「も、もしかしたら私を吊るすのを楽しみにしてるのかも」

「魔王かな?」

 

 それは僕か。

あれが誰かを糾弾することを楽しみにしている顔なら、僕は二度と人を信じられない。

 

「ひとりももう行ったら?」

「もうちょっと、あと五分だけでも」

 

 集合時間にはまだまだ余裕がある。五分くらい行かなくても早いくらいだ。

ひとりには妙なタイミングで、頑固かつ変に自信を持つところがある。

歌詞について責任を感じているのか、今回の被害妄想は中々強かった。

 

 ひとりとぐだぐだしていると、伊地知さんに誰かが二人近づいた。

山田さんと、なんか見覚えあるな、あれが喜多さんかな。

確かにあの子の周りだけ光量が多く見える。凄いな物理。

 

「あの子が喜多さん?」

「うん、私が誘った、ぅへへ」

 

 この間の栄光が忘れられないのか、ひとりの顔が崩れた。

今壊れられると遅刻するから今日は褒めない。いや軽く頭を撫でるだけにする。

僕が褒めないのに耐えられない。情けない兄で申し訳ない。

 

 合流した三人はそのまま談笑を始めた。いい雰囲気だ。

繰り返しになるけど、こんな雰囲気で誰かを責め立てるようなことはしないだろう。

だから安心して行ってね、と伝えてもひとりは首を縦に振らない。

 

「お、お兄ちゃんなら、皆が何話してるか分かる?」

「うーん。この距離なら一応」

 

 かつて脱ぼっち対策委員会の活動として、読唇術を練習したことがあった。

周囲と話せない僕達が、会話をせずに流行を探るためだ。

最近使ってないけど、今も出来るはずだ。

大変だけどひとりが勇気を出すために必要なら僕も頑張れる。

物陰から三人の会話を覗き見た。これストーカーじゃない?

 

『それで伊地知先輩、今日は何するんですか?』

『ふっふっふー、それはね、っといけない。ぼっちちゃん来てからのお楽しみね』

『えー! 気になります!』

『じゃあヒントだけ! バンドっぽい活動を今日はします』

『バンドっぽい活動……!』

 

 案の定ひとりの懸念は杞憂だった。

吊るし上げではなくて、何かしらのバンドっぽい活動をするらしい。

それにしても山田さんまったく喋ってないな。ぼんやりしてる。というか寝てる。器用だ。

 

 ここまで聞いて腕に微かな力を感じた。見るとひとりが袖を引っ張っている。

会話の中身が気になるんだろう。僕は聞いたままをそのまま伝えた。

 

「バンドっぽい活動……?」

 

 ひとりも特に思い浮かばないみたいだ。

伊地知さんがあれだけ楽しみにしてるんだから、きっと悪いことじゃないだろう。

皆集合してるし、ひとりももう行くべきだ。僕はひとりの背中を押した。

 

「お、お兄ちゃん?」

「大丈夫。きっと今日も楽しいよ」

 

 物陰からひとりを追い出す。

最初こそ抵抗していたけど、最後には観念して押されるままだった。

そのまま伊地知さん達の所へまっすぐ進んでいく。

近づくひとりを見つけたのか、伊地知さん達が手を振ってひとりを呼ぶ。

その表情に険はない。何も心配はいらない。また素敵な思い出がひとりに出来るといいな。

 

 

 

 それはそれとして、実際今日は何をやるんだろう。気になる。

僕は誰に言われるまでもなく、引き続き皆の会話を覗いていた。

言い訳できないほどストーカーだった。

 

『あっ、お、遅れてすみません』

『皆今来たところだから大丈夫よ』

『そうそう、まだまだ時間前だし』

『…………ん、ぼっち。おはよう』

『えっ、お、おはようございます……?』

 

 思えば、こうしてひとりが結束バンドの人達と話しているのを見るのは初めてだ。

スターリーの時、僕は完熟マンゴーだったから見れなかった。

想像以上にちゃんと話せている。

 

『それじゃあ伊地知先輩、今日何するのか教えてください!』

『喜多ちゃんの期待に応えて発表します。……今日はアー写を撮ります!』

『あーしゃ?』

 

 検索するとアーティスト写真と出てきた。

宣材写真のことらしい。確かにこれからバンドとして活動するなら必要だろう。

 

その後はどこで撮ろうとか、前のはどんなのだったとか、明るく話し込んでいた。

これならもう心配いらないだろう。そろそろ離れようかな。

今日は下北沢周辺で撮影場所を探すらしいから、どこか別の地域に行こう。

 

 きっとそれが油断だった。最後の最後、僕は気を抜いた。

視線を切る瞬間に喜多さんという子と目が合った。彼女の目が大きく開く。

 

 そして僕も思い出した。あの忌々しい偽装登校の日、ぶつかってしまった子だ。

大丈夫だとは思ってたけど怪我はしてないようだ、と安心してる場合じゃない。

逃げよう。あの様子だとばっちり僕のことを覚えてる。

そんな、今日の僕はピンクジャージを着てないのに、どうしてバレたんだ?

それにしても、たまたまぶつかった子が妹のバンドメンバーになるなんて。

偶然って恐ろしい。世間って狭い。

 

 なりふり構わず僕は逃げ出した。

幸いなことに皆が一緒だからか、彼女が追いかけてくる様子はなかった。

 

 

 

 




喜多ちゃんは面食いなので見破りました。

よろしければ感想、評価をお願いします。


次回のあらすじ
「陽キャ」


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第七話「押しに弱い男」

感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

本編に色々書きましたが、私は御茶ノ水エアプで下北沢エアプ、ギターエアプです。
ついでに歌のテストは0点取ったことがあります。
にわか知識なので、何か間違えてても広い心で許してください。

前回のあらすじ
妹が作詞できなかった



『お洒落でハイソでパリピでロックな壁知ってる?』

『この世にないと思う。写真撮る場所探してるの?』

『皆で探してる』

『スターリー前とかは? あそこ僕好きだよ』

『虹夏ちゃんが嬉しいけど駄目だって』

『お店は駄目なのかな』

 

 そこから連絡がなかった。

既読すら付いていないから、誰かがいいところを見つけて撮影を始めたのかもしれない。

ひとりは写真写りが大層悪いから、きっと時間がかかるだろう。

あの子の写真を見てると、魂を抜かれるという昔の与太話を信じてしまいそうになる。

 

 それからしばらくして、携帯が着信を知らせた。ひとりからだ。

見てなかったのを謝る文面と写真が一枚、二件来ていた。アー写だ。

ちらりと見て、僕は携帯の画面を落とした。これは、外で見てはいけないものだ。

 

 写真は、四人で一斉にジャンプしているところを撮影したものだった。

ひとりはいつも通り俯いていたけど、伊地知さんと山田さんと手を繋いでいた。

伊地知さんは笑顔、山田さんは無表情、そこにひとりを拒絶する様子はなかった。

これ以上思い返すと、自分がどんな顔をしてしまうか分からない。家でじっくりと見よう。

 

 そういえばこの後はどうするんだろう。練習したり、遊んだりするんだろうか。

なるべく写真を視界に入れないようにして、ひとりにメッセージを送る。

するとすぐに、解散したけどリョウさんに歌詞の相談してくる、と返事が来た。

終わったら教えてね、とだけ送り携帯をしまう。

 

 もう結束バンドのアー写探索は終わった。

二人は下北で歌詞会議するそうだから、いつでも迎えに行けるよう僕もこの辺にいよう。

勉強はいいや。今日はもう集中できない。買い物、何か買うものあったっけ。

そういえば、ひとりの弦が少なくなっていた。

あの子に任せると領収書をよくもらい忘れるし、僕が買って帰ろう。エリクサーエリクサー。

 

 

 

 東京で楽器店と言えば御茶ノ水だ。

老舗から新規、大手から個人、多種多様な店が軒を連ねている。

ひとりがギターヒーローとして色々と必要になった時も、大体ここで買う。

どの店も僕達以上に音楽に造詣が深い店員さんがいて、困ったときは教えてくれる。

僕もひとりもあんまり店員さんに質問とか出来ないけど。

 

 ただ、ここ下北沢も実は楽器店が結構ある。

ライブハウスが多い街だから、当然と言えば当然か。

僕が今欲しいギターの弦のような消耗品は特に品揃えがいい。

ライブ前に皆張替えるだろうし、こういう現場近くではよく売れるのだろう。

需要と供給の産物だ。

 

 つまり、僕が何を言いたいかというと、これは現実逃避だ。

なんとなくの知識をなんとなく流して落ち着こうとしている。

頭の中で語るようにしているのもその一環だ。

でも、いい加減目の前の現実を受け入れなきゃいけない。

 

「あ、あの、この間の階段の方、ですよね?」

 

 目の前にあの喜多さんがいる。捕まってしまった。大ピンチだ。

 

 

 

 下北の適当なギターショップに入って、ひとりお気に入りの弦を僕は探していた。

ひとりは四六時中、暇さえあればギターを弾いている。

その分酷使するから、コーティング弦じゃないとすぐ弦が駄目になる。

その中でも特に長持ちするエリクサーをひとりは愛用している。

 

 個人経営の楽器店らしい雑多な雰囲気。

初めて入ったお店だからどこに何があるか分からない。もちろん店員さんはレジにいる。

だけど下手に僕が話しかけると気絶するから、営業妨害になってしまう。

時間はあるし、のんびり探そう。

 

 ふらふらと店内を彷徨う。品揃えはいい、よすぎてどこに何があるのか分からない。

店内には聞いたことのない曲が流れている。

尖りきった曲調に主張の激しい歌声。インディーズかな。この店と関係あるのかも。

 

 ぼんやり耳を澄ましていると、手を引っ張られる感覚がした。

びっくりした。BGMで誰かが近づいているのに全然気づかなかった。

振り返ると、僕は更なる驚きで目をひん剥いてしまった。

 

「ひっ!?」

 

 喜多さんがいた。どういうこと。なんでこんなところに。

それはいったん置いておこう。驚いた僕の目を見て、彼女もびっくりしている。

不味い。このままだと気絶されてしまう。どうにか落ち着かせないと。

 

「こんにちは」

「……はっ、あ、こ、こんにちは」

 

 現世に戻ってきてくれた。精神的に強い子で助かった。

そして胸をなでおろしていた僕に投げかけられたのがさっきの一言だ。

 

 

 

「あ、あの、この間の階段の方、ですよね?」

 

 怯えながらだけど、どこか確信を持っているようだった。

あの日の僕は85%くらいひとりだったはず。なのにバレるなんて。

いや、でも証拠なんてない。しらばっくれればそれ以上の追及は出来なくなる。

 

「ち、ちちっ、違うよ? なんこと?」

「……」

 

 めっちゃ噛んだ。なんことってどこの方言? 僕に演技力はなかった。

そんなことより、喜多さんの目に浮かぶ確信が強くなった。怯えはどこかへ行った。

じっと顔を見つめられる。目が合わせられない。視線がぐるぐる迷い続ける。

 

「この間はありがとうございました」

 

 そして深々とお礼を言われてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

あの日替え玉登校なんて馬鹿な真似をしなければ、喜多さんは危ない目に合わなかった。

階段から落ちかけた彼女を助けたのも、あの時事故が起きると面倒だと思っただけだ。

お礼を言われるようなことじゃない。むしろ僕は謝らなきゃいけない。

 

「……体は大丈夫? 怪我とかしてない?」

「! あ、はい!」

「あの時も言ったけど、改めてごめんなさい」

 

 お礼に謝罪で返答されて、喜多さんは戸惑っていた。

彼女からすればお互い様なのかもしれないが、僕からすればそうじゃない。

あれは僕の責任だ。

 

「僕がちゃんと避けるなり受け止めるなり出来てれば、あんな風にはならなかったから」

「でもおかげで怪我はしてません。ほら!」

 

 喜多さんはぴょんぴょんと飛び跳ねて健康をアピールしている。

確かに元気一杯だ。だけど無事とか無事じゃないとかの問題じゃない。

そう伝えると、彼女は難しそうな顔で黙ってしまった。

 

 しまった。僕の意固地のせいで困らせてしまっている。

内心あたふたしていると、喜多さんがふと口を開いた。

 

「私ギター始めたばっかりで、分からないことばかりなんです」

 

 ギターと間違えて多弦ベース買っちゃったし、と続ける。

突然の告白にちょっと驚く。確かにギターとベース、一番見た目が違うのは弦の数だ。

弦の数が同じ多弦ベースだと大きさくらいしかぱっと見で違いが分からない。

だから間違えても無理はない。喜多さんの名誉のためにも、そういうことにしておこう。

レジを通すときに気づきそうなものだけど。意外とそそっかしいのかな。

 

「だから、少し買い物に付き合ってもらえませんか?」

 

それがお詫びになるのなら。危険を承知の上で、僕は彼女に付き合うことにした。

 

 

 

「ギターの弦って、たくさん種類ありますけど何が違うんですか?」

 

 隣に立つ喜多さんが、むむむと商品棚を睨む。

説明しようと思ったけど、一度思い直した。あんまり頼られるのも不味い気がする。

話したのは数分にも満たないけど気付いた。この子は人の懐に入るのがとても上手だ。

接している内に、口を滑らしてひとりと兄妹だと知られてしまいそうだ。

 

 ちゃんと教えられて、かつ今後はこの人に頼りたくないと思われるようにしよう。

どうすればいいのか。そうだ、知識マウントを取ろう。ネットか何かで見たことがある。

こういう時に延々とマウントを取ると嫌われるって聞いた。

 

「乱暴に言うと全部違う」

「全部?」

「音域、硬さ、質感、丈夫さ、その他諸々。弦の種類によって全部変わるから」

「えっ、じゃあどういう風に選べばいいんですか?」

 

 悩まし気に歪む眉をますますひそめる。

いいぞ。ここで追撃だ。知識マウントをくらえ!

 

「ネットで調べたらエリクサーっていうのが良いってあったんですけど、凄い高くて」

「その分品質がいいんだ。他のよりずっと長持ちする。使い方次第で二か月くらい持つよ」

「そんなに。最初についてたの二週間くらいで駄目になっちゃったのに」

「いい弦だけど、初心者なら最初と同じニッケル弦を使えばいいと思う」

 

 どうしてですか、と彼女が指を添えながら首を傾げた。

あざとい仕草だと思った。なのに嫌味に感じない。恐ろしく様になっている。

あまり見たことないけど、これも一つの才能なんだろうか。

 

 彼女の疑問に答えるために、僕は指を三つ立てた。

 

「理由は三つ。まずエリクサーは丈夫なんだけど、その分弾き心地が特徴的になる」

「そんなに違うんですか?」

「うん。コーティングが強いとそれだけ滑りやすくなるから」

 

 手触りの感覚は大事だ。人によっては頭より体で覚えた方が早く上達する。

特に喜多さんはギターボーカルだ。両方とも頭を使ってやるのは難しい。

いざという時、体の感覚だけで演奏が出来た方が負担は少ない。

あと初心者の内に特殊な感覚を覚えると、後々苦労するかもしれない。

 

「二つ目に、丈夫で弦交換の機会が減るから」

 

 僕が指を二つにして言うと、彼女はますます混乱したようだった。

 

「言ってること反対で混乱するよね」

「い、いえ」

「弦交換って、ギターのいい勉強になるんだ。チューニングとか整備とか」

 

 お店に頼むことも出来るけどその分お金がかかる。

何より自分のギターは自分で整備出来た方が、愛着が沸くと思う。

そう伝えると、ふんふんと頷いていた。そして三つ目を促していた。

よし、いいペースだ。もう一度指を三本立てる。

 

「三つ目、さっきも言ったけど安いから」

「いいことはいいことですけど、そんなに推すほどですか?」

 

 聞くだけでなく、疑問はすぐに聞いてくれる。さっきから思ってたけど話しやすい。

これが陽キャの頂点が持つコミュ力。正直侮っていた。ここまで実力差があるなんて。

 

「弦の交換タイミングって最初の内は分かりにくいんだ」

「はい。私もいつ交換したらいいのかしらって思ってて」

「そうだね。変色しても音が変わっても、まだ音自体は出るから」

 

 つい使っちゃうってことも多い。

ひとりも最初の頃は父さんに言えず、どす黒いギターを抱えていたこともあった。

今では慣れたもので、自分から余裕を持ってしっかり張り替えるようになった。

 

「高い弦使うとまだいけるまだいけるって思いたくなるから」

「それで安いのなら交換しやすいってことですね」

「そういうことです」

 

 僕達高校生は大体が金欠だ。高いものを使うとつい惜しんでしまう。

気持ちは分かるけど、上達したいなら道具はちゃんと使った方が良い。

 

「あー、あと、ニッケルは一番基本の弦だから、基礎を学ぶにはちょうどいいと思う」

「四つになっちゃいましたね」

 

 からかうようにふふふと笑われる。負けた。

じゃない、おかしい。知識マウントをしっかり取ったはずなのに全然苦しげじゃない。

むしろ楽しそうだ。やっぱりネットに真実なんて転がってない。再認識した。

 

「太さも色々ありますよね。げーじ?」

 

 適当な弦を取って、喜多さんがこっちを振り返った。

太さの違いも大事だ。使った時に、弦の種類より分かりやすく変化が出る。

ただ、ここから更に詳しく説明しても、弦の種類と混ざって混乱してしまうかも。

ざっくり簡潔な説明にしておこう。

 

「細いほど抑えやすくて繊細な音、太いほど抑えにくくて力強い音が出るようになるんだ」

「これも、初心者向けとかってあるんですか?」

「一番細いの、エキストラライトがいいと思う。喜多さんは女の子だし」

「……」

「慣れるまで弾きやすいのが一番だよ。あとは弾き比べて合うのを探すのも面白いよ」

 

 長々と得意げに語ってしまったけど大丈夫かな。

ひとりと一緒に、音楽について勉強したのも前のことだ。

今では時代遅れのことを言ってるかもしれない。そのことも伝えておかないと。

 

「結論から言うと、困ったときは店員さんに相談しましょう」

「えっ、今までのは」

「僕は独学だから、変な間違いをしてるかもしれない」

 

 一年や二年でそう常識は変わらないと思う。

ただ独学だから偏りがあるかもしれないし、実践となるともっと自信がない。

なんだかんだでプロの店員さんに聞くのが一番だ。

 

 そう伝えると、喜多さんは今日一番眉間にしわを寄せていた。

もしかして効いた? マウントを取った後、それを投げ捨てる。これが最強の戦術なの?

ただそれも一瞬、満面の笑みに切り替わって僕の眼前に携帯を掲げた。

咄嗟に後ろに下がる。一歩目でぶつかる。商品棚だ。追い詰められていた。

 

「じゃあ責任取ってください!」

「えっ」

 

 重い剛速球が来た。責任。

 

「間違ってた時、私、文句言いたくなると思います」

「そうだよね。ここまで聞いたのにそうなったら僕もなる」

「でもその時、連絡先が分からないと言えません」

「うん」

「だから、責任取って連絡先教えてください!」

 

 逃げ場が無い。あれだけ長々と語って、あとは知らないよー、では済まない。

あの知識マウントがここに来て足を引っ張るなんて。

いやまさか、ここまで計算して話をさせた?

恐ろしい、これが陽キャのコミュ力……!? そんな訳ない、ただの自爆だ。

 

 ふざけてる場合じゃない。

目の前には三回しか見たことのない、ロインの友達登録画面が迫っていた。

目を逸らすと携帯も追ってくる。速い。逃げられない。圧が強い。

 

「ちょっと待って」

「はい、待ちます」

 

 勝利を確信した笑みだった。

観念してロインを教えるしかないだろう。問題はたくさんあるけど、一番は名前だ。

ロインを今僕はフルネームで登録している。完全に後藤だ。後藤100%だ。

ひとりと同じ学校のこの子に、名字だけでも知られるわけにはいかない。

どうにか別の名前にしないと。別の名前ってなんだ。何にすればいい。時間が無い。

喜多さんはニコニコと待っていてくれているが、あんまり時間をかければ不審に思われる。

あと数秒で決めなければ。あれしかない。僕は覚悟を決めた。

 

「…………友達登録ってどこの画面からするんだっけ?」

「えっ、あ、あのここからです」

 

 決めたのはいいけど、決まらなかった。

最後にこの機能使ったの四、五年前だから全く覚えてなかった。

 

 喜多さんにやり方を丁寧に教えてもらい、無事に登録できてしまった。

友達の欄に数年ぶりに新しい名前が増えた。後藤以外があるのに少し違和感がある。

喜多さんも無事に登録できたようで、僕の登録名にぎょっとしている。

 

「ま、魔王って」

「あだ名これくらいしかなくて」

 

 多分増えたとしても大魔王とかだと思う。

流石の彼女も引き気味に愛想笑いしていた。愛想笑いできるだけ凄い。

その愛想笑いも、すぐに本当の笑顔になっていた。切り替えが早い。

そして人差し指を頬に当てながら、そういえば、と口にした。

 

「魔王といえば、下校に魔王がいるって噂、聞いたことあります?」

 

 僕だよ、と伝えるべきだろうか。

失敗したと思うけど、今回喜多さんにそれとなく距離を取ってもらおうとしていたはず。

僕がひとりの兄と知られても、あれがお兄さんなの、大変ね、くらいを目標にしていた。

 

 自分で言うのもなんだけど、魔王はちょっと強すぎる。

この間の山田さんの話を信じると、僕は人身売買にまで手を出していることになる。

普通に犯罪者だ。そんな人の家族と関わりたくはないだろう。

少なくとも、ひとりがそんな人と接触しようとしたら僕は止める。

 

「相当危ない人らしいから、見かけても近寄らない方がいいよ」

 

 言わないようにしよう。何もかもバレませんように。

 

「……ふふっ、はい。気を付けます」

 

 そう答える彼女は、どうしてか微笑んでいた。

 

 

 

 いくつか弦を買って僕たちはお店を出た。

喜多さんの分も僕がお金を出した。彼女は遠慮していたが、いいからと押し切った。

 

「今日はありがとうございました。弦まで買ってもらっちゃって」

「ううん。こちらこそ」

 

 これくらいではお詫びにならないけど、せめてものだ。

ギターを始めたばかりらしいし、応援の意味も込めてある。

ひとりのためにも頑張って練習して、楽しく弾けるようになってほしい。

 

「それじゃあ先輩、また会いましょう!」

「うん、また。えっまた?」

 

 別れ際に喜多さんはそう言って、歩き去っていった。

あれ、また? また会うの僕達。本当?

 

 

 

 恐ろしく疲れを感じながら、頑張ってひとりと合流した。

聞かなくてもひとりの顔を見れば分かる。向こうは上手くいったみたい。

 

「ううん、あの歌詞はやっぱり駄目だった」

 

 そう話すひとりの顔は、言葉とは裏腹に晴れやかだった。

 

「リョウさんがね、私らしい歌詞を書くのが一番だって言ってた」

 

バラバラな個性が集まって、一つの音楽になって、それがいつか結束バンドの色になる。

だから無理して明るくしなくていい、暗くてもぼっちらしいのがいい。

山田さんはそう言っていたそうだ。

 

「あっ、あと、そんな歌詞を陽キャの喜多さんに歌わせるのも面白いかもって」

「あー、うん」

 

 あの子の陽キャパワーを思い知らされたから、なんとなく分かる。

納得した僕の様子に、ひとりはなんだか不思議そうにしていた。面識ないはずだからね。

今日は疲れたから、また今度このことは伝えよう。

 

「だから、自信はないけど、私らしいのを書いてみようと思う」

 

 言葉の通り自信はなさそうだった。だけど青い決意の炎が目に宿っていた。

今日山田さんと相談できてよかった。

一週間で書き溜めたものは無に消えたけど、それ以上のものが残った。

 

「ひとり、歌詞が出来たら写真立て買いに行こうか」

「?」

「アー写、飾る場所必要でしょ?」

「…………うん!」

 




恐らく読まれた方の多くが感じた疑問、

・なんで喜多ちゃん自己紹介しないの?
・なんで先輩って呼んでるの?
・そもそも素性とか、まず聞くべきことがあるでしょ

は第七話おまけ「めいたんていきたちゃん!」でなんとなくわかると思います。
明日投稿します。

よろしければ、感想、評価よろしくお願いします。

次回本編のあらすじ
「野草」


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第七話おまけ「めいたんていきたちゃん!」

感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

おまけです。いつもの半分くらいです。

私には喜多ちゃんが分かりません。



『虹夏ちゃんが嬉しいけど駄目だって』

 

 私がそうお兄ちゃんにメッセージを送っていると、虹夏ちゃんがじっと私を見ていた。

あっ、そ、そうだ。誰かと一緒にいるのに携帯を弄るのは、

お前と一緒にいるのつまんねーよってサインだって、何かで見た!

た、大変だ。否定しないと、楽しいよーってアピールしないと!!

一生懸命頭の楽しいボックスをひっくり返して、アピール方法を探したけど見つからない。

ウェイしか見つからない。私の楽しいボックス小さすぎる!

 

「ぼっちちゃん、もしかして誰かと連絡してる?」

「うぇ、ウェイ」

「ウェイ!?」

 

 ボックスの底の底までいきそうなところで、虹夏ちゃんがそう口にした。

そう言えば、結束バンドの皆の前で携帯を触っていたことはなかったかもしれない。

いつもそんな余裕なくていっぱいいっぱいだった。

あっ、その前にちゃんと答えないと。

 

「あっはい。お兄ちゃんにいい場所知ってる、って聞いてます」

「あー、あのお兄ちゃんか。ひょっとしてさっきのスターリーも?」

「あっはい。あそこ好きだからどうって」

 

 そっかー、照れるなーと虹夏ちゃんは嬉しそうに笑っていた。

こ、これが一般JKの照れ笑いの仕方! 可愛い! 私みたいに溶けてない!!

今更だけどショックを受けていると、右の方に陽のオーラを感じた。

喜多さんがいた。凄く近くにいた。うぅ、あまりの明るさに溶けそう。

私たちの会話を聞いてたみたいで、興味津々、キターンっと目が輝いている。

 

「後藤さん、お兄さんいるのっ?」

「あっはい。兄と妹が一人ずつ」

「いいなぁ、私一人っ子だから、兄妹って憧れてるの」

 

 お兄ちゃんも妹もいいなぁ、という喜多さんの目はますますキラキラしていく。

凄い。どんどん光量が増していく。眩しい。人はこんなに輝けるんだ。

本物の陽キャは自分から光るんだ。全然知らなかった。今度お兄ちゃんに教えてあげよう。

 

「ね、ね。やっぱり兄妹だから後藤さんにそっくりなの?」

「兄妹だからってそんな似るものでもないよ。ほら、うちもあんまり似てないでしょ」

「いや、虹夏たちはそっくり」

「えー、そうかなぁ」

「似てる。特にアホ毛が」

「ピンポイント!?」

 

 リョウさんも気づくと会話に入ってきていた。

皆がこっちを向いていた。も、もしかして、お兄ちゃんトークを求められてる……!?

そんな、初めてだから何を話せばいいのか分からない。

 

「えっと、顔立ちはそっくりだけど、顔つきは全然違うって言われました」

 

 昔、お祖母ちゃんに言われたことをそのまま言ってみた。

あれはお兄ちゃんと入れ替わって遊んでいた時だったっけ。

混乱して首を吊ろうとしたお祖母ちゃんが。立ち直ってから言ってたなぁ。

だから余計自信がなくなっちゃったんだーって。

あと、ふたりが私たちのアルバムを見て、おねーちゃんがふたりいる、って驚いてた。

そのくらい、昔の私とお兄ちゃんはよく似ていた。

 

「それって何が違うんでしたっけ?」

「顔立ちは顔のつくり、顔つきは表情とかも含むって書いてある」

「確かに、話し方とかぼっちちゃんと全然違ったよ」

 

 リョウさんの解説に、虹夏ちゃんが腕を組んでうんうんと頷いている。

お兄ちゃんは私と違って、人と話しても緊張はさせるけど自分はしない。

あの時も横で聞いてたけど、落ち着いてお話出来ていた。

そんな虹夏ちゃんを見て、また喜多さんが興奮し始めた。

 

「伊地知先輩、会ったことあるんですか!?」

「会ったことはないけど、ぼっちちゃんと初めて会った時に電話で話したよ」

「どんな人でした!?」

 

 なんだか喜多さんの様子がおかしい。

いつも私とは比較してはならないほど明るくテンションが高いけど、今はもっと高い。

そんなに兄妹の話がしたいのかな。

このまま近くにいたら明るさで浄化されてしまうかも。

 

「えっとね、優しそうだったよ」

「それで!」

「喜多ちゃんテンション高いなー。……あぁ、あとね」

 

 いたずらっぽい顔で虹夏ちゃんがこっちを見た。ニヤニヤと、猫のような目をしていた。

い、嫌な予感がする……!

 

「すっごいぼっちちゃんのこと好きだーって感じだったよ」

「なっ」

 

 危険球!!

いやお兄ちゃんが私のこと好きだっていうのは、いくら私でも分かるけど。

お兄ちゃんに聞いても、もちろん大好きだよ、としか返ってこないと思うけど。

人に言われると、なんだかすごく恥ずかしくなってくる!

 

「ぼっち真っ赤」

「可愛いけど大丈夫かなぁ。変形すると写真撮れないよ」

「変形!? 後藤さんって変形するんですか!?」

 

 落ち着こう。落ち着こう私。知ってることを指摘されただけ。

いつものこといつものこと。知ってること知ってること。

 

「電話口だけど、丁寧にぼっちちゃんのこと頼まれちゃった」

「そういうの聞くと、ますますお兄ちゃんお姉ちゃん欲しくなります」

 

 喜多さんが遠くを見始めた。本当にどうしたんだろう。

兄妹話を始めてから、喜多さんの様子がずっと変だ。

それとも私が知らないだけで、陽キャって学校外だと皆こんな感じなのかな。

つ、ついていけない。私レベルじゃ足元にも及ばない……!

 

 遠くを見つめていた喜多さんが、いつの間にかじぃっと私の顔を見つめていた。

な、なんだろう急に。そんなに見られても何も出せない。

このままだと意識が遠くなるから、目を合わせないよう視線を逸らした。

喜多さんは変わらず何かを確かめるように、私を見ながら問いかけてきた。

 

「顔そっくりってことは、入れ替わる遊びとかもしたことあるの?」

「あっはい。小さい頃はよく」

「へー、漫画とかでは見るけど、ほんとに出来るんだ」

「う、運動会とか、合唱コンクールとか、代わりに出てもらったこともあります」

「……ぼっちちゃんって、急に爆弾発言ぶっこんで来るよね」

「そこがぼっちの面白いところ」

 

 出てもらったこともある、というか、小学校の頃はほとんどお願いしてた。

自分でも、マラソン大会をお願いしたのは最悪だと思う。

小学校を卒業するころには、さすがにもう無理がある、と断られるようになったけども。

 

 入れ替わりというと、お兄ちゃんにはこの間は悪いことしちゃった。

いくら風邪で変になってても、この年になって女装して代わりに登校してもらうって。

でも、せっかく行ったんだから、テストはちゃんと点取ってくれてもよかったと思う。

あとなんだか何日か色んな人に凄く見られた。もしかして何かやった?

 

 お兄ちゃんへの感謝と恨み言を思っていると、とある壁が目についた。

一面に大きな木の絵が描かれていて、それを覆うようにツタがあちこちに伸びている。

絵だけど、日の光があたってなんだか本物のような、生命力のようなものを感じた。

 

 思わず見とれていると、周りに誰もいないことに気が付いた。お、置いてかれてる。

へへっ、私存在感ないから。いなくなって気づかれなくてもしょうがないよね。

そういえば中学生の時もそうだった。打ち上げ途中ではぐれても誰も気づかなかった。

結局お兄ちゃんが見つけてくれるまで放流されてたよね。

 

 じゃないじゃない。今昔のこと思い出してどうする!

いい場所を見つけたんだから、虹夏ちゃんに伝えないと。

そこで結束バンドのアー写を撮るんだ! 

 

 先に行ってた虹夏ちゃんたちに声をかけて、そこでアー写が撮影できた。

御見苦しいものを見せてしまったり、承認欲求モンスターに飲まれかけたりした。

でもなんとかなった。ちゃんと撮れた。うへへ。

 

 虹夏ちゃんに分けてもらった写真を見る。顔のにやけが収まらない。

家族以外と写真を撮れて、こんなに嬉しくなるなんて思わなかった。

この写真は部屋に飾ろう。たくさん飾って、この幸せな気持ちをもっと味わいたい。

 

 あっそうだ。これを見たらお兄ちゃんもきっと欲しがる。送ってあげよう。

 

「あっ、この写真、お兄ちゃんに送ってもいいですか?」

「うんいいよー」

 

 皆に許可をもらえたから、お兄ちゃんに写真のデータ送ろうとした。

一件読めていないメッセージがあったから、その返事も一緒に送る。一瞬で既読が付いた。

写真見てくれているみたいだ。喜んでくれるといいな。

 

 無事に撮影が終わった安心感。いい写真が撮れた満足感。お兄ちゃんへの自慢。

色んな気持ちで満たされていた私は、後ろから喜多さんが見ていたことに気付かなかった。

 

「やっぱり」

 

その呟きの意味も、まったく理解できていなかった。

 




「陽キャならこれくらい出来るだろう」
VS
「でも喜多ちゃん中身小学生だし」

私の中でこんな争いがありましたが、今回は前者が勝ちました。
ダークライは陽キャと相性が悪いので不戦敗です。


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第八話「家事の間も構ってほしくて料理は覚えた」

評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。

前回のあらすじ
陽キャに負けた。

山田はジェットコースターで腰を抜かす女(公式)


 昼休み、僕は今日もお昼を食べる場所を探していた。教室はちょっと空気が重い。

昼休みなのに一心不乱に勉強している人もいる。

あの人たちはいつご飯食べてるんだろう。

だから僕はいつも学校のどこか、人のいない適当なところで食べている。

ひとりはこういうの探すの上手なんだけど、僕はそんなにだ。

あの子みたいな定住の地を一年経っても見つけられていない。

だから今日も彷徨っている。

 

 ふらふら校内を歩き回っていると、校舎裏に着いた。

暑くなってきたからか、今日は人気が無い。ここでいいか。

裏口付近の影のある小さな階段に腰を降ろした。

弁当を取り出していざ食べようという時に、視界の隅で何かが動いた。

 

 あの辺には草しか生えてない。動物か何かかな。

よくよく見ると変なものが見えた。草から足先だけがちょこんと出ている。

それは、時折思い出したようにぴくぴくと動いている。儚い動きだ。

動いているというより、これから動かなくなるのが近そうだ。

あれ人だ。人が倒れてるのかな。

もしそうなら放っておくわけにもいかない。妹を持つ身として人道に背けない。

僕は弁当を置いてからその人へ近づいた。

 

「生きてますか」

 

 草の中を覗き込むと女の子が四つん這いになっていた。倒れてはいなかった。

当然と言えば当然だけど、うちの制服を着ている。

不審者ではないみたいだ。不審だけど。というかこれ山田さんだ。

いくら僕でも、ここまで近づけばクラスメイトぐらい分かる。

僕の問いかけに、彼女はこちらを振り向かずに答えた。

 

「もしゃもしゃ、ぎりぎり、もしゃもしゃ」

 

 なんか草食べてた。もしゃもしゃしてる。なんで? どういうこと?

それ食べれる草だっけ。カタバミかな、じゃあ大丈夫だ、たんとお食べ。じゃない。

生で食べるとあんまり体によくないよ、でもない。

なんだこの人。なんで学校に来てまで雑草食べてるんだ?

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 色々と。

 

「大丈夫じゃない、火の車。だからこうして草を食べて生きてる」

 

 平坦な声色の中に必死さが満ちていた。

それでも生きていこうという強い意志が伝わった。

雑草食べながらじゃなきゃかっこよかったんじゃないかな。

 

 それはそれとしてどうしよう。まさか食に困る人と出くわすとは思わなかった。

現代の貧困問題に学校で遭遇するなんて。

しかも知らない人じゃない、妹の仲間だ。こんな時の対応を僕は知らない。

お金渡すのとかってあんまりよくないよね。

妹と山田さんは仲良くても僕たちは全然だし。じゃあご飯あげればいいのかな。

 

 その時弁当のことを思い出した。そういえばまだ食べてなかった。

今日の弁当は僕が作ったものだ。渡しても大して惜しくない。

僕のお昼が無くなるけど何か適当に買えばいい。食堂もある。

 

「よければ、僕の弁当食べます?」

「いいの?」

 

 僕が声をかけると勢いよく山田さんが振り向いた。

そして目が合った途端表情が凍り付いた。

 

「ま!?……っ」

 

 そのまま気絶した。やっちゃった。駄目だったみたいだ。

不幸中の幸いと言っていいのか、四つん這いだったから崩れ落ちるだけで済んだ。

ちゃんと手からいったから、頭を打った様子もない。

 

 ただ、これどうしよう。

いつもは誰かが気絶したら、近くの友達とかが保健室まで運んでいる。

だけど今は僕達以外誰もいない。

この調子だとこれからも誰も来ないだろうし、ここは初夏の草むらだ。

放っておけばあちこち虫に噛まれてボロボロになる。僕がやるしかないか。

 

 一応脈と呼吸だけ確認する。大丈夫、生きてる。それから抱え上げた。

多分だけど、ひとりよりも軽い。感触からして肉付きもよくない。

あんまり食べてないんだろうか。食べられてないんだろうな。学校の草食べてるくらいだし。

 

 抱えて一度弁当のところまで戻って、下ろす。まだ保健室には運べない。

以前山田さんが言っていた人身売買の噂。このまま行くと、似たようなものが広まりかねない。

だけど今日の僕には考えがある。意気揚々と僕は上着を脱いだ。

 

 

 

 保健室は一階にある。昇降口も一階だから、校舎裏からでも移動距離自体はそんなにない。

今は昼休みだ。出歩く生徒は多くて、誰にも見られずたどり着くのは無理だ。

だからこそ今回の僕の策が輝く。

 

 堂々と上着で包んだ物体を抱えて歩く。もちろん中身は山田さんだ。

人を抱えて歩くから変な誤解をされる。こうして隠せば普段以上の恐怖は生まれない。

我ながらいいアイデアだと思う。それでも通りすがりの生徒にはぎょっとされるけどね。

今も一人の男子に三度見された。そんなに勢いよく振り向くと首痛くない?

 

 そんなこんなで保健室に着いた。休憩時間なのか保険医の先生はいなかった。

ベッドにも誰もいない。無人だった。好都合だ。山田さんを服から取り出してベッドに下す。

靴は脱がして、服は、いいか。息苦しくも無さそうだしこのままでいいだろう。

すうすうと静かによく寝て、いや気絶している。

 

 ミッションコンプリートだ。無事保健室までお届けできた。

達成感を味わっていると、ぐうっと大きな音がした。保健室は静かだからよく響く。

音の発生源を見る。山田さんだ。お腹の音だ。あんなに大きな音が出せるんだ。

人体って凄いな。変なところで感心してしまった。

 

 そういえば僕も山田さんも、まだお昼をちゃんと食べてなかった。

元々そのつもりだったから、僕は弁当を山田さんが寝ているベッド脇に置いた。

一応メモも残しておこう。草とはいえ、山田さんの昼食を邪魔してしまった。

気絶もさせちゃって食事の時間も奪ってしまった。草だけど。

そのお詫びだ。あと、妹の友達が延々と雑草を口にしていたのが見てられなかった。

 

 弁当は渡してしまったし、食堂でも行こう。

いつも混んでるらしいけど、僕が行くと一瞬で空くんだよね。便利。

 

 

 

 

 

「……ん、あれ。保健室? さっきのは」

「?」

「……弁当とメモ?」

「『山田リョウ様へ 応援してます。よければ食べてください。弁当箱は教室の隅にお願いします』」

「…………これは、いったい」

 

 

 

「あっリョウお帰り。遅かったねー、ってその弁当どうしたの?」

「……お供え物、だと思う」

「えっ罰当たり」

 

 

 

 

 

 弁当箱は気づくと教室の隅に置いてあった。中身はきれいさっぱりなくなっていた。

女の子には量が多めと思ったけど、食べきってくれたみたいだ。ちょっと満足。

 

 それにしてもまさか山田さんがご飯に困るほど貧しかったなんて。

音楽はお金がかかるから、バンドをやってる子は皆ある程度裕福だと思ってた。

そういえばひとりがリョウさんはベースが上手だと言っていた。

きっとそんな家庭環境が、彼女のハングリー精神を育ててきたんだろう。

ひとりに今日あったことも併せてそう伝えると、ひとりはきょとんとしていた。

 

「リョウさんちはお金持ちだって、虹夏ちゃん言ってたよ」

「え」

「というかリョウさん、ほんとに草食べてたんだ……」

 

 ひとりが伊地知さんから聞いたところによると、山田さんはとんでもなく金遣いが荒いらしい。

もらったお小遣いは音楽関係に一瞬で使い込むからいつでも金欠。

先日喜多さんから多弦ベースを買い取った時に、これから私は草を食べて生きていきます、と宣言したそうだ。

今日有言実行してたよ。

 

「ちゃんと食べられる草を選んではいたけど、大丈夫かな」

「あっでも、今度スターリーの給料日なんだって」

 

 ひとりが思い出したように口にした。

給料日。そうかひとりがバイトを始めてからもうそんなに経つのか。

風邪で行けない時も結構あったけど、それ以外はサボらずちゃんと働いていた。

 

「おめでとうひとり。よく頑張ったね」

「うん、何に使おうかな。新しいスコアとか、漫画の大人買いとか」

 

 お母さんとお父さんにケーキを買ってあげたりとか、ひとりが珍しく前向きに想像を巡らせていた。

いつになく嬉しそうで、この笑顔をこれから曇らせると思うと心苦しい。でも言わなきゃ。

なんのためにバイトを始めたんだっけ、って。

 

「ひとり、ノルマっていくらくらいだっけ」

「のるま?」

「うん。ライブのノルマ」

「あっ、……一万円くらい」

「今月のお給料は?」

「いちまんえんくらい」

 

 そう口にして、ひとりがおもむろにギターを取り出した。

 

「聞いてください。新曲『さよなら諭吉』」

「その諭吉さんまだ会えてないよ」

 

 いい曲だった。全体に溢れる哀しみと絶望、ひっそりと感じるほのかな怒りがいいね!

 

 

 

「給料日なら山田さんも当分は大丈夫かな」

「たぶん」

 

 即興ライブでちょっと落ち着いてくれた。

山田さんの時給は知らないけど、しばらく食うに困らない程度には残るはずだ。

よかった。同級生、それも妹の仲間が地面に這いつくばってるところなんて見たいものじゃない。

ほっとしていると、なんだかひとりがそわそわしていた。聞きたいことがあるらしい。

 

「どうしたの?」

「う、うん。お兄ちゃん、リョウさんのこと気にしてるから」

 

 仲良くなったの、と続いた。

確かに僕が家族以外を気にするのは珍しい。というかあったっけ。

なんでもいいか。誤解は解いておこう。まったく仲良くなってない。

 

「いや全然。だって山田さんが倒れたらひとりも大変でしょ」

「……うん」

 

 ちょっと落ち込んでしまった。僕と山田さんに仲良くなってほしいのかな。

自分だけ脱ぼっち出来たことを気にしてるみたいだ。別にいいのに。

ただその優しさは嬉しいな。今日もひとりは優しさと可愛さで出来ている。

 

「大丈夫だよ。なんとなく気にかけとくから」

「……うん、ありがとうお兄ちゃん」

 

 そう返事したひとりの顔は、何故か暗いままだった。

 

 

 

 ひとりの給料日から次の日、僕はまた校舎裏に足を運んでいた。

今日もお昼ご飯を食べる場所探しだ。誰もいなければいいけど。

 

「もしゃもしゃ」

 

 誰かいた。誰かというか山田さんがいた。また草食べてる。

え、昨日給料日だったはずだけど。またなんかもしゃもしゃ食べてる。

あれはスカンボか。ここ食べられる草ばっかりあるな。実は誰かの畑なの?

 

 というか、なんでまた草食べてるんだろう。もしかして好きなのかな。

それならこの間は悪いことをした。好きなものを食べる邪魔をしてしまった。

 

 なんとなく食べてる姿を見守ってしまう。何故か目が離せない。

何だろうこの気持ち。初めての感情だ。そわそわする。

 

「もしゃも、ぐっごほっ、うっ」

 

 あ、えずいた。やっぱり好きでも何でもないみたい。

だとすると尚更分からない。なんで草食べてるんだろう。

まさかもう給料を使い果たしたのか。

あれだけ貧乏していたから、もしかしたら借金とかしていたのかも。

それなら返済でまたお金が無くなってても不思議じゃない。

 

 どれでもいいか。今は苦しそうにしている山田さんに飲み物を渡そう。

お昼用に買っておいたリンゴジュースがある。紙パックの小さなやつ。お気に入りだ。ちょうどよかった。

 

「これどうぞ」

「けほっ、あ、ありがとう」

 

 顔の横に差し出すと、奪うように受け取られた。

プレス機で押されたような勢いで紙パックが縮んでいく。数秒で全て飲み干された。

良い飲みっぷりだった。腰に当てた手が、何とも言えない風情を出している。

 

「ん」

「良い飲みっぷりだね」

 

 飲み干した紙パックが帰ってきた。捨てといてってことだろうか。

そのくらいいいか。山田さんがここにいる以上、また別の場所でご飯食べようって思ってたし。

移動中にどこかのゴミ箱へ捨てよう。

 

 受け取ろうと手を伸ばした時、彼女が振り向いて目が合った。

 

「よろしっ、…………」

 

 そして気絶した。一瞬の出来事だった。

喜多さんは一回も気絶しなかったのに、もしかして山田さんってメンタル弱めなのかな。

気絶させた側が思うことじゃないな。反省しないと。早く保健室へ運ぼう。

 

 前回同様保健室へ輸送。今回も無事到着。相変わらず誰もいない。

そして山田さんを寝かせると、こっちも相変わらずお腹の虫が鳴く。今日も元気な音だ。

今日も何か置いておくべきだろうか。

 

 でも今日のお弁当はあげたくない。ひとりの給料日祝いということで、中身が豪華だ。

母さんが僕とひとり、それぞれ好きなものばかり詰めてくれた。だからこれは僕が食べる。

 

 代わりと言っては何だけど、おにぎりを置いておこう。

おやつ用に小さなものをいくつか用意してきた。傷みにくくするため海苔は巻いてない。

具もそのために塩と梅干の二種類だけだ。

 

 ひとりがバンドを始めて以来、家に着くのが結構遅くなった。

僕もひとりもまだまだ成長期だから、お腹が空いてそれまでもたない。

そのために用意した。ちゃんとひとりが食べやすいように小さく作ってある。

山田さんに渡すと今日のおやつがなくなっちゃうけど、一日くらい買い食いしてもいいだろう。

 

 おにぎりは教室に置きっぱなしだ、取りに行こう。あと、メモも教室で書いておこう。

どっちも何事もなく終わった。これを置いて、校舎裏に戻ってお昼ご飯だ。

 

 

 

「……また保健室? ……また、メモ」

 

 

 

 それにしても山田さんの食生活がここまで貧しいとは思わなかった。

食事は健康の源だ。あれじゃいつ体調を崩しても不思議じゃない。

余計なお世話ではあるけれど、彼女に倒れられるとひとりが困る。よって僕も困る。

何か対策を考える必要がある。どうしようか。

 

 一度問題をまとめよう。問題は山田さんがまともに食べてないこと。

原因はお金が無いから。で、お金が無いのは金使いが荒いから。使い道は音楽、だと思われる。

お金の使い方の矯正は無理だ。そこに踏み込むような関係じゃない。

お金が無いのも解決できない。貸し借りはよくないし、あげるのはもっとよくない。

となると、もう二回やってるし、食事の提供が一番無難かな。

 

 それじゃあやり方を考えないと。急に仲良くもない人に食べ物をもらっても困るだけだ。

まして相手が僕だ。魔王から受け取る食事って呪いとかかかってそう。

二回の成功体験を振り返ると、ファンからの差し入れ、という体を装えばいける気がする。

 

 あとはどうやって渡すか。これは今までの経験は使えない。

昼休みの度に気絶させるのはどう考えても駄目。ただの暴力だ。

堂々と渡すのは論外だし、朝早く来て置いておくというのも難しい。

あれ以上早く家を出るとなると、多分一週間くらいでひとりが不登校になる。

こういう時は、力押しだな。とりあえず明日やってみよう。

 

 

 

 というわけで次の日の朝。僕は山田さんの弁当を用意して登校した。

山田さん本人はまだ来てないけど、クラスメイトはもう何人かいる。

僕が教室に入ると、談笑していた彼らは散らばり、席に着いた。

それぞれ本を読んだり、勉強したり、皆机か前を向こうとしている。

僕は何もしないから、そのまま話してればいいのに。それはそうと、想定通りで都合はいい。

 

 山田さんは最後列の席だ。たとえ教室に人がいても、この状況なら後ろで僕が何をしていても分からない。

用意しておいた弁当とメモをそっと置く。周囲を確認するけど、僕に目を向けている人はいない。

 

よし、終了。力押し大成功だ。

あとは今日の山田さんの反応を確かめて、今後も続けるか決めよう。

僕がいると恐怖しか恐らく見れないから、山田さんが来るまでベランダに隠れておこう。

 

 少しして山田さんが来た。伊地知さんも一緒だ。今日も仲がいい。

 

「むっ、これは」

「どうしたの、リョウ」

 

 きらりと山田さんの目が光る。獲物を捉えた猟師のようだった。

早速僕が置いた弁当を見つけたみたいだ。

 

「またお供え物が届いた」

「お供え物というか、これファンからの差し入れ?」

「似たようなものだよ」

「似たようなものか?」

 

 両手で弁当を掲げる山田さんを、伊地知さんが呆れた目で見ていた。

そして机の上のメモを、訝しげに読んでいる。

 

「差出人書いてないけどこれ大丈夫、ってもう食べてる!?」

「朝、もぐもぐ、今日、もぐもぐ、食べてない」

「話すか食べるかどっちかにして!」

「もぐもぐ」

「やっぱそっちだよね……」

 

 思った以上に大成功だ。朝からがっつかれている。

あの分だと次からは弁当の量を増やした方がいいだろう。

 

 半分くらい食べて落ち着いたのか、山田さんが一度箸を置いた。

さっきまでが嘘のように、静かな目で伊地知さんを見上げる。

 

「今は、結束バンドにとって大事な時期だから。多少怪しくても、使えるものは使うべき」

「リョウ……」

 

 通じ合うように二人は見つめ合った。結束バンドにとって大事な時期。何かあるのかな。

 

「それ、いつ考えた?」

「今」

「絶対何も考えずに食べたでしょ!!」

 

 あの様子だと、明日以降も用意して大丈夫そう。

山田さんは飢えない。ひとりは友達が苦しまない。僕は間接的に妹に貢げる。

これが本当の三方よしというもの。めでたしめでたしだね!




下北沢高校とある男子生徒達の会話

「この間さ、あの人が、その、あれ持って歩いてたんだ」
「あの人? あれ?」
「ほら、あの、ま」
「分かった。言わなくていい」
「いや聞いてくれ。誰かに聞いてもらわないと、俺もうどうしたらいいか」
「……なるべく、簡潔に頼む」
「俺が昼休みに食堂に向かってたら、あの人が制服に包んだ何かを抱えて歩いていてな」
「あーもう聞きたくない」
「気のせいか、いつもより雰囲気は穏やかだったんだ」
「……いいことだろ?」
「俺もそう思った。思ってた。その服から人の腕が出てなければ」
「!?」
「ちらりとしか見えなかったけど、相当血色が悪かった。あれは、まさか、し」
「やめろ。やめよう。これ以上は触れるべきじゃない」
「いや、だけど」
「忘れよう。お前は何も見なかったし、俺も何も聞かなかったんだ。だろ?」
「…………あぁ、そうだな。悪い」

今日も下北沢高校は平和です。やったね!



次回のあらすじ
「公園」


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第九話「同い年との会話経験が皆無」

前回のあらすじ
弁当の配達を始めた

一万文字くらいになったので二分割します。



 放課後、僕とひとりは雑貨屋さんにいた。

本当は今日、ひとりは喜多さんと練習を予定していた。

それが喜多さんに急用が入り、一時間ほど後ろにずれることになった。

そのぽっかり空いた時間を使って、この前約束した写真立てを買いに来ている。

ここ数日何か悩んでいるようだったから、少し強引に誘った。

お店に入る前に、雑貨屋さんの雰囲気にひとりが飲まれたけど、いつものことだし割愛。

 

「写真立てってこんなに種類あるんだね」

 

 ガラスやスチール、木などでシンプルに作られた物。

色とりどりの模様で綺麗に飾られた物。

僕は知らないけど、何かしらの可愛いキャラクターが添えられている物。

ぱっと見ただけで数えきれないほどある。

 

「これなんて電飾付いてる」

 

 派手派手だ。これだと写真が脇役になりそう。

それともこれすら脇にどけるほど、煌びやかな写真を入れるのかな。

これとかひとり好きそう。ここにあの写真を入れることを想像すると少し面白い。

そういえば、さっきからひとりが反応してくれない。独り言になっちゃってる。

店内でもひきつけ起こしてるのかな。

 

 気になって探してみると、ひとりはお徳用コーナーにいた。

雑貨屋にもこんな所帯じみた場所あるんだ。初めて来たから知らなかった。

業務用なのか、一箱いくらで売られている物をひとりは見ていた。

僕が買ってあげる、と言ったから遠慮してるのかもしれない。

 

「ひとり、あっちに色んな種類のあったよ」

「あっ、でも、いっぱい欲しいから」

「いっぱい?」

 

 写真って一枚だけじゃ。あっもしかして、他にも結束バンドの写真があるのかな。

 

「あの、たくさん飾りたいから」

「アー写を?」

「うん」

 

 そういう訳ではなかったらしい。単純に一枚のアー写をずらっと並べたいみたいだ。

それだけ嬉しかったんだろう。友達と撮る写真って初めてだからね。

僕も嬉しかったけど、ひとりのそれはきっと僕より何倍も大きい。

 

「百個くらい欲しい」

「百」

 

 思ったよりいっぱいだった。確かにそれだけ買うとなると、綺麗なものでは僕の財布も厳しい。

百個か。全部置いたひとりの部屋を想像してみる。これはよくない。

 

「百個はスペースが厳しいと思う」

「!」

 

 ひとりの部屋は物が少ない。その分写真立ても置けそうだけど、空いてる場所は大体床だ。

今百個買っても半分以上は床に直置きになってしまうだろう。

きっと悪気がなくても足蹴にしてしまうこともある。いい気分には絶対にならない。

だから、模様替えでもしないと量を飾るのは難しい。

 

「そこで僕に提案があります」

「提案?」

 

 これだけ伝えてもひとりの気持ちを萎えさせるだけだ。

だから僕は代案を用意した。さっきひとりを探している途中にいいところを見つけた。

ひとりの手を取って、僕たちはそこまで移動した。

 

「量が駄目なら質を求めたいと思って」

「わ」

 

 到着した。ひとりの反応も結構いい。兄の面目を保てたかな。

 

「そういうわけで額縁です」

 

 小さい物をたくさん飾れないなら、大きい物を一つ飾ればいい。発想の逆転だ。

それに個人的な好みだけど、小さいのよりこのくらい大きい方が好き。よく見える。

ひとりも納得したみたいで自分好みのものを探し始めた。

あっ、その前に一つ言っておかないと。

 

「ほどほどのサイズが一番いいと思う」

 

 僕がそう伝えると、ひとりは首を傾げている。その手はA1サイズくらいの額縁に触れていた。

うん。大きいのって言ったらとにかく大きいの選ぶと思ってた。

 

「大きすぎるのもスペースが足りなくなるから」

「これくらいなら、多分部屋に入るよ?」

 

 確かにこれを抱えて階段登るのは大変そうだけど、運ぶのは僕と父さんだろう。

だからそこは問題ない。問題はそこじゃなくて。

 

「これからも写真はきっと増えるから、その分も空けとかないと」

「……あっそっか。うん、そうだね」

 

 あと、これ飾ると日当たりがすごく悪くなる。

今でも不思議とジメジメしてるのに、これ以上になると多分キノコとか生える。

 

 最終的に、一般的なA3サイズのものを買った。

額縁となると派手なのも多い。だけどひとり基準だと落ち着いたデザインのものだ。

梱包されたそれをひとりは大事そうに抱えている。

持とうかと言っても、持ちたいからと断られた。

そんなに喜んでもらえると僕も嬉しい。

 

 ふと携帯が鳴った。メッセージが来ている。喜多さんからだ。

 

『今日も練習頑張ります!』

 

 写真とかスタンプとか色々あったけど、要約するとこうなる。

あれから、ちょくちょくと喜多さんから連絡が来る。

文句を言うため、という名目だったはずだけど、それは一度も来てない。

代わりに今日みたいな報告? とか、ギターの相談とかは送られてくる。

家族以外と連絡を取ることが無いから、ここ最近ずっと不思議な気持ちだ。

 

 返事送らなきゃ。スタンプで来たらスタンプで返すのが礼儀だと聞いたことがある。

スタンプの画面をなんとか呼び出す。

この間喜多さんに勧められるまま買った、デフォルメされた虎のスタンプが並んでいた。

丸くて可愛らしい中に、どこか鋭い強さを感じるのが気に入っている。

 

 たくさんの虎の中から頑張って、を含むものを探す。

安くてたくさんあるのはいいんだけど探すのが大変だ。

あっ誤タップした。咆哮する虎が送られる。意味のない威嚇をしてしまった。

文章でごめんね、間違えました、とだけ短く送り、改めて目的のスタンプを送る。

今回は大丈夫だった。

数秒もしない内に返信が来る。陽キャの反応速度って凄い。陽の人だから光速なのかも。

笑顔一杯のスタンプだった。これでよし。

 

 そして喜多さんがこんなメッセージを送れるってことは、用事が済んだんだろう。

携帯も約束の時間が迫っていることを示している。

 

「ひとり、そろそろ時間になるよ」

「あっうん」

 

 額縁を抱えたまま、ひとりはスターリーの方へ歩き出した。持っていくんだ。

それを見送る。以前のようにもう僕が送らなくても大丈夫だ。

安心と寂しさが少し胸を過ぎる。結局悩みは聞き出せなかったな。

 

 何歩か進んだと思ったら、急に振り返って戻ってきた。忘れ物かな。

ちょっと困ったような顔をしている。そうじゃなくて悩みを相談してくれるみたいだ。

ひとりが葛藤を顔で踊らせているのを見守る。まとまるまで待とう。

案外時間はかからなかった。内容よりも、聞いていいのかどうかを考えていたみたいだ。

お兄ちゃんは、と切り出した。

 

 

 

「バンドとしての成長って何か分かる、か」

 

 ひとりと別れてから、僕は歩きながら考えをまとめていた。

あの後ひとりが説明してくれた。今度ライブをするのにオーディションを受ける必要があると。

 

 ひとりが歌詞を、山田さんが曲を完成させて、いざライブだという時に店長さんからストップが入ったらしい。

この間のようなライブでは到底させられない。

通常ライブではデモ音源を含む色々な方法で審査をしている。

今度の土曜日にオーディションをやるから、それを突破出来たらライブさせてやってもいい。

そして店長さんはぬいぐるみを抱っこしないと眠れない、と。

最後のはバラさないであげた方がいいよ。

 

 オーディションの合格基準は分からない。

ただ、店長さんをよく知る伊地知さんによると、技量だけを見てるわけじゃない。

バンドとしての熱量とか、成長とかを見せれば合格を勝ち取れるはず。

そのためにこれから猛特訓だー、となったらしい。

このタイミングで買い物誘ってごめんね。

 

 バンドとしての成長か。確かによく分からない。

何が成長なのか。何をもって成長とみなすのか。そもそも成長とは何か。

考えれば考えるほどドツボにはまりそうだ。

ひとりは真面目だから、ずっとぐるぐると考え続けてしまいそう。

 

 

 

 当てのないことを考え続けていると、いつの間にか暗くなっていた。

あんまり妹のことを言えない。僕もしっかりはまっていた。

というかここどこ? 目的地無しで、考えながら歩いていたから現在地不明だ。

 

 携帯を取り出して現在地、ついでに時間も確認。一時間以上経っていた。考え込み過ぎだ。

地図は懐かしい場所を示していた。ひとりが伊地知さんに誘われた場所、あの公園の近くだった。

なんとなく、寄ろうと思った。あそこはある意味、今のひとりの原点だ。

そこで立ち返れば、部外者の僕でも見えるものがあるかもしれない。

 

 そうして公園に向かった僕が見たのは、意外な人だった。

伊地知さんがいた。あの日ひとりがうなだれていた公園で、ブランコに座り込んでいる。

微かにブランコを揺らしながら空を見ていた。

 

 こんなところで何をやっているんだろう。

この間来た時も思ったけど、この公園は人通りが少ない。

これからますます暗くなっていくだろうから、ここに女の子が一人でいるのは危ない。

 

 危ないよって声をかけるべきかな。だけど今も伊地知さんとは接触を避けてる。

電話とはいえ話したこともあるから、話しかけるとあの時の兄ってバレるかも。

じゃあ見なかったことにしておく? 夜の下北沢は治安がそんなによくないのに?

どうしよう。さっきとは別に、また違う悩みが回り始めた。何が正解なんだろう。

 

 そわそわと落ち着かず、考えてしまう。すると視界の隅に青い服が見えた。

お巡りさんだ。僕をじっと見ている。目を付けられてる。どうしてだろう。

 

 一度状況を確認しよう。

公園に佇む女の子を遠くから男が見ている。しかも落ち着きなく、その様子はおかしい。

これは事案だ。見られて当然だった。まだ声をかけられていないだけ有情だった。

 

 しばらく僕を見ていたお巡りさんだったが、視線を伊地知さんに切り替えた。

物思いにふけっている彼女を見て何か合点がいったのか、手を叩いた。

そして僕にサムズアップした。なんで?

首を捻る僕に対してなんだか不満そうな顔をして、親指を立てたまま伊地知さんの方へ手を振る。

行け、ということだろうか。

 

 考えてみると、伊地知さんも僕も同じ学校の制服を着ている。

悩んでいる友達に声をかけようか迷っている、という構図にでも見えたのかもしれない。

友達ではないけど、迷っていたのは事実だ。お巡りさんの仕草がいいきっかけになった。

僕は彼女に一礼すると、そのまま公園へ向かった。いい笑顔で見送ってくれた。

 

 

 

 この公園は狭い。ブランコに座っていれば、人が入ってきたらすぐ見える。

けれど伊地知さんは僕が公園に足を踏み入れても無反応だった。

僕のことを怖がっていない、というわけではないだろう。ただ気づいてないようだった。

 

 そのままブランコに横から近づく。彼女の顔に、街灯と僕で出来た影が差す。

その変化に反応して、反射的に伊地知さんがこっちを向いた。

教室で見る明るい表情はそこにはなくて、迷子のような、何かを探している顔だった。

まあ僕の顔を見て恐怖に染まるんだけどね。気絶までいかなくてよかった。

 

「ご、ごごごごごっ、後藤くん!?」

「こんばんは」

「こ、こんばんは…………?」

 

 戸惑いながら挨拶も返してくれた。流石ひとりと友達になれる人だ。

ただ、長々と話すことはないし、言うことだけ言っておこう。

 

「ここ、暗いし人通り少ないから危ないよ」

「えっ、うん」

「……」

「……」

 

 ……

 

「?」

「?」

 

 返事はくれたけどそれだけだ。あれ伝わってない、どうしよう。次何言えばいいんだろう。

ここ最近、数人だけとはいえ話せたから忘れてた。僕ってひとりと同じくらい話すの下手だった。

 

 よくよく考えてみると、同い年の人とまともに話を出来たことがほとんどない。

年上の店長さんや年下の喜多さんは、家族との会話を応用すればなんとか出来た。

でも同い年の伊地知さんとはどうやって話せばいいんだろう。見本がない。

言うだけ言ったから立ち去ればいいの? それだけだと意味無い気がする。

ちゃんと話をしないと僕の言いたいことは伝わらない。

 

 話。会話。そう会話デッキだ。中学生の頃、脱ぼっち対策委員会で議題にしたことがある。

会話デッキを用意しておけば、僕達のような人間でもなんとか話せるようになるって。

ひとりと散々会話デッキバトルをした。確かその時、万能の初手があったような。

そうだ、思い出した。これならきっといける。

 

「……きょ、今日はいいお天気ですね?」

「!?」

 

駄目だった。

 




次回のあらすじ
「成長」


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第十話「妹の成長を想って」

感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

前回のあらすじ
「よわよわ会話デュエリスト」

コミュ障あるあるその1 一方的に話は出来る。キャッチボールは出来ない。



「……きょ、今日はいいお天気ですね?」

「!?」

 

 天気デッキは駄目だった。切り替えよう。

当初の目的を思い出そう。伊地知さんに話しかけたのは、彼女と仲良く話すためじゃない。

夜の公園に女の子が一人きりだと危ないから、明るい場所に移動してもらうためだ。

 

 僕の会話技術はゴミだった。

これで目的を達成するのは諦めて、他の手段でどうにかして移動してもらうしかない。

そうだ、怖がってもらおう。僕は大体の人に怯えられている。

これは伊地知さんにもさっき効いた。僕は黙って伊地知さんの横のブランコに座った。

 

「!?」

 

 ぎょっとして伊地知さんがこっちを見てくる。狙い通りだ、怖いだろう。

魔王とか呼ばれてる危ない男が、こんな暗い公園で隣のブランコに座ってきた。

半分犯罪みたいなものだと自分でも思う。そう遠くない内に伊地知さんも逃げるだろう。

 

「……」

「……」

 

 あれ? 逃げない。

びっくりして一回こっちを見たけどそれっきりだ。おかしいな。

まだ時間が足りないだけかもしれない。もう少し待ってみよう。

 

「……」

「…………」

「………………」

 

 どういうことだろう。この感じは初めてだ。反応すらしてもらえないなんて。

まさか僕無視されてる? 

意識しないよう努められることはあるけど、ここまで無反応なのは経験がない。

ここまでして動かないということは、この公園で待ち合わせとかしてるんだろうか。

分からない。こうなったらとりあえずもう一度、もう一度だけ直接言ってみよう。

 

「………………………ここ、暗いし、人通りも少ないし、帰った方が良いよ」

 

 そう言うと伊地知さんがこちらを向いた。不思議そうな顔をしている。

夏に雪を見たような目をしていた。丸くて大きな目が、ますます大きくなっていた。

 

「もしかして、心配してくれてる?」

 

 心配。僕は伊地知さんのことを心配してるんだろうか。

彼女が危ない目にあって、ひとりが傷つくことは心配している。

怪我か何かで、ひとりのバンド活動に支障が出ることは心配している。

 

 じゃあ伊地知さん本人は? 彼女がどうにかなったとして、僕は何を思うんだろう。

彼女はいい人で、妹の大恩人で友人だ。そんな人が不幸な目にあうことは気に入らない。

でもそれは、そういう出来事が嫌なのか、彼女がそうなるのが嫌なのか、どっちなんだろう。

僕はどう考えているんだ? 今思っていることは何だ? 感じていることは何だ?

はっきりしない。僕は頭を抱えてうなだれた。

 

「心配とは、想うとは、心とはいったい…………?」

「ラスボスみたいなこと言い出した!?」

 

 僕の呟きに伊地知さんが反応した。つい口にしてしまったといった風なツッコミだった。

これが芸人魂というやつだろうか。僕が目を向けると伊地知さんがぴしりと固まる。

ショートしてしまった。微かな震え以外動かない。普通の人ってどう再起動するんだろう。

ひとりと同じように斜めから軽く叩けばいいのかな。流石に叩いちゃ駄目かな。

一応この状態でも声は聞こえるだろうから、今のうちに重ねて言っておこう。

 

「ここで待ち合わせしてるのかもしれないけど、別の場所にした方が良いよ」

「…………はっ。いや、ここで何かしてる訳じゃ」

 

 意識を取り戻した伊地知さんが言葉を漏らした。

てっきり山田さんあたりと待ち合わせしてるのでは、と思っていたけど違うらしい。

じゃあここで何してるんだろう。

 

「じゃあここで何を?」

「うっ」

 

 分からないことは聞いてみよう。僕が人生で最初に覚えたことだ。

伊地知さんは僕に質問され縮こまっていた。これで逃げてくれても、答えてくれてもいい。

どっちに転んでもよし。この数瞬でコミュニケーション能力が向上した気がする。

コミュニケーション能力というか、これ脅迫に近いのでは。これ以上考えるのはやめよう。

 

「バ、バンドとしての成長は何かって、考えてました」

 

 返ってきたのは、ひとりと同じ悩みだった。でもなんで敬語?

 

 

 

「私、バンドやってるんだ」

 

 知ってる、妹もメンバーだよ、とは言えない。だからただ頷くだけにする。

黙って話を聞く僕を見て、彼女は続けた。

 

 今度オーディションを受けるんだ。

ライブをするためには、オーディションに受からなくちゃいけなくて、

そのために、バンドとしての成長をお姉ちゃんに見せつけようって。

そう皆に言ったんだけど、私が分からないんだ。バンドとしての成長が何かって。

何を見せれば成長で、どうすれば認めてもらえるんだろうって。

分からなくて、悩んで、気がついたらここにいたの。

この公園はね、今ギターやってる子と初めて会った場所なんだ。

その子はちょっと、だいぶ、いやかなり変わった子なんだけど凄くいい子で。

色んなことがあったけど、今の結束バンドがあるのはここであの子と会えたから。

だから、ここで考えれば答えが出るかなって思って、ずっと考え込んでた。

こんなに暗くなるまで悩むなんて、想像してなかったけど。

 

 伊地知さんはここまで言って、ため息を吐いた。

ひとりと同じように、ずっと悩んでいたらしい。

伊地知さん、と呼びかけるとさっきより少し落ち着いた様子で返事が返ってきた。

 

「何か飲めないものある?」

「えっ、特にないけど」

「じゃあお茶でいい?」

「う、うん」

 

 あれだけ話せば喉も乾くはず。話の途中だけど、近くの自販機でお茶を買って渡した。

渡してからしばらく手で遊んでいたけれど、やがて意を決して飲み始めた。

そんなに勇気必要?

 

「バンドとしての成長とは何か……」

 

 僕もここ一時間ほど考えていた。

ただ、僕と伊地知さんでは立場が違うから、その悩みの深さもきっと違う。

僕以上に悩んで迷っているはずだ。そんな彼女に僕から言えることなんてあるんだろうか。

いくらひとりが大切でも、僕は結局のところ部外者だ。

 

 それでも、と思う。ちびちびお茶を飲む伊地知さんを見る。

ほぼ脅迫みたいではあったけど、悩みを聞きだしたのは僕だ。

だからそれ相応の責任がある。僕なりに言えることは言おう。

 

「伊地知さん、もう一ついい?」

「えっと、どうぞ」

「結束バンドを組んでから、どんなことがあった?」

「どんなことって」

 

 僕の質問に彼女は首を傾げた。傾げながらも、ぽつりぽつりと少しずつ話し始めた。

 

「最初はリョウと二人だけだったんだ」

「うん」

「けど、えー、色々あって今は四人になって。結構、仲良くなれて。

最初は本当、本当色んなことでどうしようかと思ったけど、なんとかなって。

それで、今度のライブのためにオリジナルの曲も作ったんだ」

 

 作詞も作曲も私はしてないんだけどね、と居心地悪そうに続ける。

 

「あ、あと、アー写も新しく撮り直した。皆で色んな撮影スポット回ったなぁ」

「楽しかった?」

「うん。全部すっごく楽しかった」

 

 頷く伊地知さんは、僕を前にしても笑顔だった。

さっきまで怯えたり、戸惑っていたりしたとはまるで違う。

ただ素直な気持ちが零れ出たような、喜びと楽しさだけが詰まった笑みだった。

綺麗だな、と自然に思えた。

 

「なら大丈夫だよ」

 

 こんな顔が出来るなら、きっと何も問題なんてない。

伊地知さんはぽかんとした表情をしていた。

こんなに話してもらったのに、一言で返されたらそうなるよね。

僕も頑張って、思ったことを伝えないと。

 

「僕の考えでしかないけど、何が成長かなんて、自分で決めるものだと思うんだ」

 

 成長なんて、変化の一部を好き勝手に言い換えただけだ。

言う人、考える人がそれぞれ都合のいいように受け取るだけ。

僕が出したのは身もふたもない結論だった。

 

「皆とやったこと、変われたこと、嬉しかったこと、その全部が成長だと思う」

 

 ひとりのことを思い出す。

結束バンドに入ってから、あの子は変わった。

その日あった嬉しいこと、楽しかったことを、帰りに話してくれるようになった。

その表情は僕や自分を安心させるため、妄想を語っていた時とはまるで違う。

ずっとずっと明るくて、可愛くて、素敵なものだった。

 

「バンドのことを話してる時の伊地知さん、皆のことが大好きだって伝わったよ」

「そ、そう?」

 

 照れを誤魔化すように、伊地知さんがブランコを漕ぐ。

ちゃんと話を聞いてくれている。僕は安心して話を続けた。

 

「そんな人達と今まで頑張ってこれたなら、きっと大丈夫だよ」

 

 そう締めると、伊地知さんはたじろいでいた。

僕に言われても説得力がね、大好きな人達ってね、魔王が何言ってるんだってね。

なんか恥ずかしい。

 

「だとしても、ちゃんと伝わるかな」

「絶対伝わる。音楽は心の声だから」

 

 不安げな伊地知さんに僕は断言した。言葉とか、文章とかでの審査なら分からない。

でも、今回のオーディションはライブだとひとりが言っていた。

演奏なら、音楽なら絶対に伝わる。心を伝えるのに音楽以上のものはない。

ひとりがギターを手にしたあの日から、僕はずっとそう信じている。

あの子のギターが大好きで、僕が音楽をしない理由だ。

隠しておかなければいけないものまで、悪意まで音楽は伝えてしまう。

 

「だから、一生懸命演奏すれば絶対に伝わるよ。伊地知さん達の成長も、気持ちも、絶対」

 

 言い切った。全部僕の本心だ。それを聞いて、しばらく伊地知さんは黙っていた。

そして、なんだか穏やかな雰囲気になって、僕に問いかけてきた。

 

「……後藤くん、今日ちょっと雰囲気違うね」

「そう、かな?」

 

 僕の雰囲気が違う。こんな風に頑張って話すのは初めてだから、普段とは違うのかも。

魔王感が薄れているのかもしれない。魔王感ってなんだ。闇のオーラ? ゴトーン?

 

「うん。なんかお兄ちゃんっぽいね」

「実際、妹いるからね」

 

 ひとりとふたりの顔を思い浮かべ、ている場合じゃない。

何口滑らせているんだ、僕。僕後藤、ひとりも後藤。伊地知さん両方知ってる。

いい感じに話が出来て油断していた。自分からヒントをばらまいてどうする。

 

「ご、五歳になるんだ」

「へぇ、可愛い?」

「この世で一番」

「へ、へー」

 

 ふたりのことを言って、なんとか誤魔化せたかな。

気持ち伊地知さんに引かれた気がする。でも、気づかれてないからセーフ。結果オーライだ。

ちなみに、ひとりも可愛さランキング同率一位だ。

ひとりもふたりもジャンルは違うけど、世界一可愛い。

 

 それっきり会話は止まって、なんとなく弛緩した空気が流れた。

少しの間、二人とも何も話さずにただお茶を飲んでいた。

 

「よーし、オーディションに向けて頑張らなきゃ!」

 

 やがて、伊地知さんはそう言いながら、勢いよくブランコから立ち上がった。

両手をぐっと握ってやる気に満ち溢れている。

ここで見つけた時とは違って、目には輝きが戻っていた。

いつもの、いやいつもよりパワフルだ。僕の拙い意見でも、力になれたみたいだ。

 

「じゃあ私、練習行くね!」

 

 合わせて僕も立ち上がる。

まだひとりと合流する時間じゃないけど、ここにいる理由はもうない。

一緒に行く気はないけど、伊地知さんが明るい場所に着くまでは見守りたい。

見送るふりをしよう。出入り口に近づくと、彼女が振り返った。

 

「後藤くん、今日はありがとう」

「いや、むしろごめんね、無理に聞き出して」

 

 僕は僕の都合で聞き出して、好きなことを言っただけだ。

お礼をもらえるようなことはしていない。どちらかというと謝るべきことだ。

喜多さんのことといい、最近こんなことばっかりしてる気がする。

 

「そういえば、後藤くんはどうして私に話しかけたの?」

 

 普段の僕を知ってるからの疑問だった。学校では用がなければ他人に僕は話しかけない。

危ないからね。気絶して授業に出れなかったりすると、いくら僕でも罪悪感が沸く。

だからこそ伊地知さんは分からないのだろう。でも、答えは簡単だ。

 

「伊地知さんだから」

「え」

「伊地知さんが困っているみたいだから、力になれたらなって」

 

 彼女は妹の友達で大恩人だ。そんな彼女が困っていたら助けるのは当然だ。

だけどどうしてだろう。僕の答えに今日一番の百面相をし始めた。ひとりみたい。

バンドとしての成長を考えてた時より眉間の皺が深い。なんで?

 

「……またねっ!」

 

 僕でも分かる。今、伊地知さんは何か疑問を放り投げた。

そしてそのまま爆走してどこかへ走り去っていった。伊地知さんって結構足速い。

これだけ速いなら、見送らないでも平気だろう。

 

 安心した僕の肩を誰かが叩いた。振り向くと、さっきのお巡りさんが立っていた。

理由は分からないけど、慰めるように背中を撫でられる。どういうこと?

 

 

 

 あの後、時間を潰してひとりと合流した。

練習を終えたひとりはどこかすっきりとした表情をしていた。

バンドとしての成長、答えが見つかったんだろうか。

 

「ううん。いくら考えても分からなかった」

「でも解決した?」

「うん。成長が何か分からなくても、したいことは分かったから」

 

 この分なら僕の意見はいらない、余計なノイズになるだけだ。

そう思うほど、ひとりはいい表情をしていた。久しぶりに見る何の迷いもない顔だった。

オーディションは心配ない。無事突破できる。

そう信じるには十分すぎるほど、ひとりは今、僕に成長を見せていた。

 

「そっか。聞いてもいい?」

「うん。その、私、ちやほやされたくてギターを始めたけど」

 

 中学生一年生の頃、ひとりはとあるバンドのインタビューをきっかけにギターを始めた。

テレビで歓声を浴びるギタリストの、昔は陰キャだったという発言がきっかけだった。

ちやほやされたいから、陰キャでも輝きたいから、人気者になりたいから。

別に恥ずかしくない理由だと思うけど、いつも世界平和のためだとか誤魔化そうとする。

 

「今は四人で、結束バンドの皆で有名になって、皆でちやほやされたい!」

 

 だけど今日は違った。胸を張って、これが私だと主張していた。

最近、この子には驚かされてばかりだ。

スターリーへ通い始めて、結束バンドに入って一月二月くらい。

それが信じられないほど強く、大きくなっている。

 

「いい目標だね」

 

 バンド活動は始まったばかりだ。四人になってからは初ライブもまだ。

だからひとりは、これからもどんどん大きくなっていくだろう。

強くなって、友達も増えて、立派になって、いつか大人になる。

きっと、僕の手なんて必要ないくらいずっと。その時、僕はどうしてるんだろうか。

 

「そ、それで、メジャーデビューして、高校中退して、うへへ」

「目標……?」

 

 これは目標じゃなくて妄想か現実逃避だ。ひとりはどこか遠い世界へ心を飛ばしていた。

そういえば、そろそろ期末テストの時期だ。そのことを思い出したのかな。

どうやら、僕の手はまだまだ必要みたいだ。思わずため息を吐く。

それがどういう理由のため息なのか、僕にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 後日、週明けの話。

オーディションは無事通過したということで、僕も晴れやかな気持ちで登校していた。

別の問題も発生したけどそれはそれ。いつも通り隠れて山田さんの机に弁当とメモを置く。

 

 今日もよし。無事本日分の使命を果たした。あとは放課後ひとりと一緒に帰るだけだ。

それまで暇だな。早く学校終わらないかな。やること無いし勉強していよう。

 

 僕が机に戻り適当なテキストを取り出してすぐ、伊地知さんと山田さんが来た。

今日はちょっと危なかった。そろそろ、先に山田さんが来ていた時の対策を考えよう。

横目で山田さんの様子を見る。うん、弁当を提供する前よりずっと顔色がいい。

こうして結果が出ると達成感がある。山田さんの健康は僕が作った。

 

 だけど横の伊地知さんの様子がおかしい。

この間の百面相が継続している。あの顔ずっとしてると、顔が凄い筋肉痛になりそう。

あとついでに、僕のことをさっきからちらちら見てくる。何かついてるかな。

 

 不思議に思っていると、伊地知さんが僕の方へ向かって歩いてきた。

僕の周りの席は誰もいないけど、何か用事があるんだろうか。誰かに借りたものを返すとか?

歩いて来た彼女は僕の前で止まり、こちらへ向いた。酷く緊張しているようだった。

 

「ご、後藤くん。お、おお、おはよう」

「……おはようございます?」

 

 それだけ言うと、彼女は山田さんの元へ戻った。

彼女を迎える山田さんも、教室の他の生徒も、その様子を見ていた。

これは、あれだね。きっとまた、何か変な噂が生まれる気がする。

 

 




「お姉ちゃん、聞きたいことあるんだけど」
「オーディションの合格基準なら言わないぞ。ちゃんと練習しろ」
「そうじゃなくて、もし、もしもだけど」
「何、はっきり言って」
「悩んでるときに、君だからって助けてくれるのってどういうこと?」
「長いし分かりづらいな……それは、あれだ、なんというか、惚れてるとか?」
「……その人が、ものすごく悪い人だったら?」
「悪い人って、あー、あれだ。お前を殺すのは俺だ、みたいな」
「…………もー、なんなの、全っ然わかんない」
「え何なの怖っ……おい大丈夫か、オーディション延期するか?」
「しなーい、やるー」


夏休みにぼっちちゃんを怒らせるため、もう一周各メンバー回をしてから廣井回になります。

次回のあらすじ
「嫌悪」


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第十一話「知ってる心と気づけない思い」

感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。

前回のあらすじ
「お兄ちゃんはアホ」




 定期テストは地獄だ。年に数回あるこの時期、毎回僕は寝不足で死にかける。

僕のテスト勉強で、じゃない。そんなものどうでもいい。

ひとりの勉強を見るためだ。あの子に赤点を取らせないため、毎回死線をくぐっている。

 

 そんな地獄も今日でとうとう終わった。

今学期は色んなことがあったからか、いつもより、いつもよりずっと大変だった。

最悪、いくつか追試が簡単そうなやつを諦めようと思った。でも、なんとか勝てたと思う。

 

 横を歩くひとりを見る。不定形だ。何か理解できないものが、頭から飛び立っていく。

知識か理性か、それとも魂か。今の僕では把握できない。生きてるからいいや。

知識はまた詰め込めばいいし、理性も魂もその内帰ってくるだろう。

 

 もう疲れた。明日は土曜日だ。やらなきゃいけないことはたくさんある。

考えなければならないことも、山ほどある。でも今日はいい。疲れた。寝たい。

ふらふらと、ひとりと並んで歩く。いつも以上に、道行く人に僕達は避けられていた。

 

 そろそろ駅に着くかなというとき、携帯が鳴った。誰からだろう。

のろのろとした動きで手に取る。母さんからのお使い指令なら、見ておかないと。

液晶に映った文字に僕は凍り付き、立ち止まった。

 

 ずるずると移動していたひとりが、僕を置き去りにしているのに気付いた。

なけなしの体力を振り絞り、僕の元へ戻ってくる。そして寄り添うように止まった。

こんな状態でも、僕を心配してくれているようだ。優しい子に育ってくれた。

 

「ありがとう、大丈夫だよ」

 

 頭らしきところを撫でると、ふるふると震えた。照れているらしい。

こんな状態でもこの子は可愛い。

 

 ひとりに大丈夫と言ったけど、本当のところは大丈夫じゃない。

恐ろしいメッセージが僕に届いた。差出人は喜多さんだ。そこにはこう書かれていた。

 

『明日、二人でカラオケ行きませんか?』

 

 

 

 情けない話だと思うけど、僕は喜多さんが恐ろしい。

僕には、彼女が何を考えているのか分からないからだ。

 

 あの日、ひとりがアー写を撮った日に遭遇した時、僕はとても動揺していた。

無事、今では無事だったか怪しいが、ピンチを切り抜けて、帰りには安心していた。

だからあの時、気づくべきことに気がつかなかった。

 

 喜多さんは僕に多くのことを聞かなかった。まずこれがおかしい。

彼女は僕が女子の格好、一応女子の格好をしていたのを見ている。

そして推測だけど、校外の人間だというのも知っていると思う。

僕はかなり目立つ方だから、友達の多い彼女ならすぐに気づくだろう。

そんな怪しい男と出くわしたのに、何も聞かず、何故か頼りにされた。不可解だ。

もっと攻撃的な反応をしていいはずなのに、彼女は一貫して無警戒だった。

 

 喜多さんはいい子だ。あの階段の一件で恩を感じてくれたのかもしれない。

だとしても、お礼とかお詫びとか、そういったものはあの買い物で清算されたはずだ。

今みたいに連絡を取り合う関係になるのはおかしい。

ましてこのメッセージ。カラオケに、遊びに誘われるのはありえない。

知らない、分からない、理解できない。だから、知る必要がある。

彼女が何を知っているのか。何を求めているのか。

 

 彼女は結束バンドのメンバーで、ひとりの友達だ。

僕がこうして彼女に、ある意味弱みを握られている状況は望ましくない。

だからこそ、今日僕ははっきりさせるつもりだ。

 

「そういう訳でひとり、僕が死んでもなんとか生きて」

「えっ、お、お兄ちゃん死んじゃうの?」

「かもしれない」

 

 次の日、僕は出かける準備をしていた。

喜多さんの指定した時間はお昼ごろだったけど、場所が東京だ。遠い。

家からだと早く出ていかないと間に合わない。遅刻してしまう。

 

「ちょっと人に会いに、東京の方へ行くから」

「人に会いに。……えっ人に会いに!?」

 

 ひとりらしくない大声だった。そんなに驚く?

逆の立場になった時を想像する。うん、そんなに驚く。納得。

 

 さっきまで土曜日を満喫した、とろけ切った顔をしていたひとりが顔を青くしている。

せっかくのお休みなのに心配させてごめんね。これは何を想像しているんだろう。

 

「は、はは、果し合い?」

「……ある意味?」

 

 ある意味そうだ。一対一の真剣勝負。向こうの気持ちは知らないけど、僕はそのつもりだ。

僕の返答に、ひとりはごくりと唾を飲みこんだ。いつになく真剣な顔をしている。

 

「お兄ちゃん、が、がん、ううん。生きて帰ってきて」

「ひとり。……大丈夫、お兄ちゃんは絶対帰ってくるよ」

 

 ひとりの手を握り、約束する。そうだ、僕はまだ死ねない。

この子がお嫁に行くまで、行く、行けるのかな? ……うん、これはちょっと違うな。

この子が将来、武道館に立つのを見守るためにも、今日は絶対生きて帰ってくるんだ。

負けるな僕。頑張れ僕。明日のひとりは僕の根性にかかっている。

 

「この子たち、本当に大丈夫かしら……?」

 

 そんな僕達の寸劇を、母さんが呆れながら見ていた。

 

 

 

 寸劇後、別れを済ませた僕は集合場所へ向かった。

人が多い。テスト明けの時期だからか、特に同世代が多く見られる。

見回してみても、人人人。喜多さんがもう来てるかどうかなんて分からない。

 

 これなら見つけるより、見つけてもらう方が早い。

僕はいつも通り前を見て、その中を歩き始めた。途端に人混みが割れる。

我ながら便利だ。僕を見ると大抵の人が避けるから、人混みを歩くのに苦労したことはない。

 

 適当なところで止まって、周囲を見る。目を逸らされた。

相変わらずの人混みだけど、僕の周りだけ誰もいない。ぽっかり空いている。

よし、これなら喜多さんも見つけやすいだろう。作戦成功だ。

 

 満足げにしていると、メッセージが届いた。喜多さんからだ。

カラオケ店のURLと地図が貼られている。それだけだった。なんだろうこれ。

疑問に思っていると、もう一文追加で飛んできた。

 

『目立ちすぎです』

 

 

 

「先輩、私でもあの中話しかけるのは無理です」

 

 地図に従ってお店の前に行くと喜多さんがいた。今日もギターを持っている。

むすっとした顔で、開口一番こう言われた。

喜多さんの言う通りだ。あの状況の中、僕に話しかけるのは相当難易度が高い。

ひとりにやってもらったら、二秒で消滅するだろう。

 

「ごめんね。待ち合わせするのって初めてで、話しかける側のこと考えてなかった」

「……気をつけてくださいね!」

 

 謝ると一瞬で許してくれた。結束バンドの人達は皆心が広い。

ひとりが入れたのがこのバンドで本当に良かった、じゃない。

いつものように結束バンドの人達へ感謝を表明してもしょうがない。

喜多さんに、今日の、今までの目的を聞かなきゃ。

 

「喜多さん、今日はカラオケって言ってたけど」

「はい! とりあえず、中入りませんか?」

「あっうん」

 

「喜多さん、今日のことだけど」

「先輩、フリータイムでいいですよね」

「えっうん」

 

「えっと」

「先輩はどの機種がいいとかありますか?」

「よく知らないから、喜多さんの好きなもので」

 

「先輩何歌います? 私、先に入れてもいいですか?」

「あっはい。どうぞ」

 

 喜多さんの真意を聞いてやるぞ、と思ったはずだった。

気がついたら入室していた。これが、陽キャの圧倒的コミュ力。僕は戦慄した。

彼女の強さを、まだまったく理解出来ていなかったようだ。

今も自然に歌いたい曲を入力している。つけ入る隙が無い。

 

 喜多さんのあまりの戦闘力に僕が震えていると、曲が流れ始めた。

確かこれは、春頃に流行った曲だ。ドラマか映画か、何かのエンディングだった。

歌詞は喪失の重みを前面に押し出しているけど、激しく明るい曲調でコーティングしてある。

ギターヒーローとしての演奏を動画サイトにあげた覚えがある。

ひとり好みの曲だったから、撮影も捗った。

 

 イントロが終わり、喜多さんが歌い始める。上手だ。

音程もリズムも、一度も外していない。

なんなら、こっちにウインクする余裕もある。なんでウインク? 

全身から歌うのが楽しいというのが伝わってくる。

いいことなんだけど、この歌詞でそれをやられるとほんの少し背筋が寒くなる。

 

 そんな調子で一曲歌い終えた。点数が出てくる。96点。高得点だ。

確かに上手だった。流石現役ギターボーカル。思わず拍手してしまう。

感心してモニターを眺める僕を、喜多さんは肩に力を入れたまま見ていた。

 

「その、どうでした?」

「凄い上手だった」

 

 拍手しちゃうくらい、と言って叩いていた手を挙げる。

すると、ようやく安心したように彼女は力を抜いた。

 

 点数画面が終わり、モニターにはCMが流れる。

喜多さんは次の曲を入れてなかった。もちろん僕も入れてない。

タブレットは机の上に置かれたまま、誰も手に取ろうとしない。

彼女はマイクを弄りながら目を遊ばせている。

言いたいけど、言いにくいことがあるらしい。

ちょうどいい。このタイミングで確認させてもらおう。

 

「喜多さん、今日は突然のお誘いだったけど」

「その、実は理由があって」

 

 何かしらの目的がちゃんとあったらしい。ちょっと安心した。

ただカラオケに行きたかったから、なんて言われたらかえって怖い。

彼女の返答を待っていると、意を決したように口を開いた。

 

「ボイトレに、付き合ってほしいんです」

 

 ボイトレ、ボイストレーニング。歌の練習。喜多さんは結束バンドのギターボーカル担当だ。

練習したい。上手くなりたいというのはよく分かる。

そのための努力なら、僕も喜んで、かはどうかは怪しいけど、手伝うつもりだ。

ただ、どうして僕に声をかけたんだろう。

 

「付き合うよ。付き合うけど、どうして僕?」

「先輩しか頼れる人がいなくて」

「メンバーの人達は?」

 

 伊地知さんが歌について詳しいかどうかは知らない。もしかしたら苦手なのかも。

だけど山田さんはコーラスも担当しているとひとりに聞いた。綺麗な声とも言っていた。

ひとり、ひとりは、うん。可愛い歌声だと思う。僕は好き。無限に聞ける。

 

「一人、詳しいと思う先輩はいるんですが、音信不通で」

「音信不通」

「あっでも、テスト後はいつもそんな感じだから、心配はいらないそうです」

 

 推定山田さんが音信不通。昨日はちゃんとテスト受けに来てたけど。

最後に見た山田さんの姿を思い出す。合格ハチマキを巻き、ずっとペンを握っていた。

嘘みたいに瞳を輝かせながら、目指せ東大と何度も呟いていた。病んでる。

いつ失踪してもおかしくない状態だった。あのままどこかへ消えたらしい。

 

 喜多さんに山田さんが大丈夫、と伝えたのは伊地知さんだろう。

彼女が言うんだから間違いない。その内山田さんは発見される。きっと。

 

「結束バンドの皆以外で、音楽に詳しそうな人って先輩以外知らなくて」

 

 そういうことらしい。未だにあの日失敗した、知識マウント作戦が足を引く。

あれのせいで、喜多さんの中で僕はすっかり音楽の識者になっているようだ。

歌。歌の練習に付き合う。ギターと違って、歌については本当に知識だけだ。

 

 ひとりは昔、ギターだけでなくボーカルもやりたがっていた。

ボーカルはバンドのフロントマンだ。承認欲求の塊の妹は、もちろん憧れていた。

ただ、ギターヒーローとして認められる内に、ギターへどんどんのめり込み、

いつしかボーカルについては何も言わなくなっていた。

 

 今もひとりがボーカルをしたいのかは分からない。

分からないけど、いつでもひとりがまた目指せるように知識だけは蓄えてある。

それを使えば、喜多さんの練習に付き合うくらいは出来るだろう。

 

「そういうことなら、練習はいくらでも付き合うよ」

「本当ですか! ありがとうございます!」

「だけど、歌に関してはちょっと知識があるだけなんだ。それでよければ」

「ぜひ!」

 

 こうして喜多さんの練習に付き合うことになった。

ん? あれ、ちょっと待って。今日の目的はともかく、今までのこと全然確認出来てない。

喜多さんの思惑とかまったく聞けてない。また謎が増えただけだ。

僕の名前も知らないはずだよね。いくらなんでもそんな人にお願いする?

だけど、謎のオーラを出し、やる気満々の彼女に聞ける勇気は僕になかった。

僕は弱かった。

 

 

 

 それから、声量とか表現方法について一緒に練習した。

歌には自信がないから、とにかく基礎と変な癖をつけないことを意識した。

喜多さんは、僕の拙い練習にも根気よく付き合ってくれた。

にわか知識を披露するのは、正直どこか恥ずかしくて後ろめたい。

それでも喜多さんを不安にさせないために、その気持ちは隠した。

 

 結構な時間練習して、今は休憩中。喜多さんには喉を休めてもらっている。

のんびりとしていると、喜多さんが話しかけてきた。

さっきまで紅茶を持っていたその手には、ギターが握られている。

 

「先輩、ギターの練習はしないんですか?」

「……ギターは、ほら、教える人が二人いるとね。混乱するかもだから」

 

 効率を考えるなら、確かに喉を休めている間にギターの練習をした方がいい。

だけど喜多さんにはひとりが教えている。

ひとりも彼女もそう言っていたから、本当のことだろう。

 

 喜多さんに言ったこともそうだし、そもそもひとりの方が教えるのも上手い。

あの子は躓きやすいところ全てで躓いて、その全てを自力で乗り越えた。

だからこそ、あらゆる場面で的確なアドバイスが出来る。

何より、ひとりはそういった時に相手に寄り添える。僕は他人に出来るか自信がない。

 

 僕に断られて、喜多さんは残念そうな顔をした。

それも一瞬だった。すぐにまた、いつものように光を放ち、僕にギターを向けてきた。

 

「じゃあ、先輩のギター聞かせてください!」

「いや、それは」

 

 ギターを弾いてほしい。いつか言われるかもとは思っていた。

ひとりの兄である以上、妹の足元にも及ばないけど、一応僕も弾ける。

弾けても、他人の前で僕は弾いていいとは思えない。何か言い訳を。

 

「あっ、楽譜かスコアが無いと弾け」

「ここにあります!」

 

 ジャン、と目の前に差し出された。あのバンド、と題名が書かれている。

見覚えがある、というか、これは結束バンドのオリジナルソングだ。

ひとりにこの間自慢された。そして演奏もしてくれた。一回だけ歌ってくれた。

心臓が止まりそうになるほど可愛かった。試験期間中の数少ない癒しだった。

 

 本番前の未発表曲。アマチュアとはいえ情報流出だ。断る口実にそこを突こうか。

喜多さんにはそんな意識ないだろうから、言えば止めてくれるかもしれない。

一緒に情報流出の大変さを語れば、気まずくなって今日の、これからの練習もなくなるかも。

そうすると、喜多さん落ち込むかな、傷つくかな。ならこれは止めた方が。

いや、別に喜多さんがどうなっても僕には関係ないはず。ない。そう、ない。

言った方がいい。うん、いい。さあ言おう、今すぐ言おう。

 

 ちらっと彼女を見る。キターン。幻覚が見えた。これは無理だ、断れない。

だけどこれは、彼女と距離を置くちょうどいい機会かもしれない。

僕の演奏は凶器だ。聞けば引かれるだろう。

 

 僕の演奏は凶器、そのままの意味だ。僕の演奏を聴いた他人は大体意識を失う。

自分でもまた気絶かと思う。本当にそうなんだからしょうがない。

 

 中学生の頃、ひとりが路上ライブに興味を示したことがあった。

路上でやる以上多種多様な人、危ない人とも接する可能性がある。

今より過保護だった当時の僕は、安全性を確認するために一人で路上ライブを試した。

結果として通りすがりの人も含め全員気絶した。一大事件だ。当然通報、連行された。

 

 幸い、けが人も死人も出なかったし、故意でもない。

というか、なんでそうなったのか誰にも分からないから、注意だけで終わった。

迎えに来た父さんも担当のお巡りさんも困惑して、むしろ同情してくれた。

 

 ただ、僕だけはなんとなく原因を理解している。目が合うと気絶するのと同じ理由だ。

僕が他人をどうしようもなく嫌いで、身勝手な怒りを抱いているからだ。

普段は頑張って隠しているから、家族も気づいてないと思う。

他人も気持ちも意識しないようにしてるから、他人に無関心くらいに思われてるはず。

 

 それでも演奏となると話が違う。音楽は心の声だ。

心の奥底にある思いもさらけ出してしまう。相手の心に届けてしまう。

目が合うだけで怯えられるような嫌悪や怒り。それを直に届けるんだから、気絶もするだろう。

 

 意識をして抑えれば、無感動な演奏にはなるけどいくらかは隠せる。

それでも夢中になると、ましてこんな不慣れな曲なら絶対に途中で漏れ出てしまう。

 

「あんまり、期待しないでね?」

「いえ!」

 

 それはどっちのいえ? 怖いから聞かない。

楽譜を受け取って読む。ひとりのものとは違う。リズムギター用だ。

ボーカルかつ初心者の喜多さんを思ってか、ある程度簡単にしてある気がする。

ひとりがこっちのパートも何回か弾いてくれたから、何となくは分かる。

これなら、まあ、いける、かな? 多分、弾けはする、はず。

 

 楽譜の確認を終えて、喜多さんからギターを借り受ける。

手ならしで軽く音を鳴らす。よく手入れがされている。いいギターだ。

考えてみれば、こういう曲を弾くのも久しぶりだ。

ギター自体はたまにふたりにお願いされて、ミニヨンズとかは弾いていた。

そのおかげか、手はちゃんと動く。よし、もうどうにでもなれ。

演奏を終えた時、喜多さんが生きていることを祈ろう。

 

 

 

「……たくさん失敗した」

 

 なんとか弾き終えた。正直な感想だ。

数えきれないくらいミスをした。思ってた以上に下手になってる。

この程度であんな偉そうなアドバイスをしてたなんて、恥ずかしくて顔から火が出そう。

 

 いや、僕の演奏の出来はどうでもいい。喜多さんの容態が第一だ。

意識を楽譜とギターから彼女へ移す。予想に反して、彼女はピンピンしていた。

よかった。目が合っても気絶しないように、演奏でも大丈夫だったみたいだ。

不思議だ。喜多さんは他人なのに、僕から悪意を感じなかったのだろうか。

 

「その、どうだった?」

 

 気になることは聞かないと。

恐る恐る尋ねると、喜多さんは変わらず笑顔で答えてくれた。

 

 まず喜多さんは演奏を褒めてくれた。凄い褒めてくれる。褒め上手。いい気持ち。

機会があれば、その調子でひとりのことも褒めてあげてほしい。

だけど、今僕が聞きたいのはそれじゃない。もっと感覚的な、こう、印象とかだ。

僕の求めに、喜多さんはいつもの、いつも以上の光量の笑顔をしてくれた。

 

「やっぱり、先輩も楽しそうに弾きますね!」

 

 あれー?

 

 

 

 そこからは、喜多さんに悪いけど気もそぞろだった。

別れ際、またお願いしますと言われたのは聞き間違いだったかな?

聞き間違いじゃないんだろうな。ロインに次の予定日が届いている。

結局何も喜多さんに確認出来なかったし、今日も僕は彼女に完敗した。

 

「ひとり、ちょっとギター聴いてくれる?」

 

 だけど今それは重要なことじゃない。もっと確認すべきことがある。

帰って早々、僕はひとりに声をかけた。

僕のギターを、自分を隠せているか確認してもらうためだ。

 

「……いっ、いつも通りだよ」

 

 僕の演奏を聴いて、ひとりは微妙な顔でそう言った。

何も心の込もっていない演奏。そう感じたんだろう。

言うべきか迷う顔も、言えずに飲み込んで出た言葉も、いつも通りだ。

ひとりに見抜かれてない以上、ちゃんと偽装出来ている。

そのことに安心しながら、どうして喜多さんが気絶しなかったのか。

どうして喜多さんは楽しそうと感じたのか、僕にはまったく分からなかった。

 




次回のあらすじ
「捕獲」


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第十二話「夏休みの生存戦略」

評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。

九千字超えたので二分割して投稿します。

前回のあらすじ
「陽キャには勝てなかったPart2」



 激動の一学期だった。十七年弱の人生で、一番多くの変化があった三か月だ。

ひとりに、妹に友達が出来て、バンドを組めて、来月にはライブまで開く。

これ以上ないほど、喜ばしい変化の、成長の日々だった。

 

 明日は終業式。

学校に行かなくてもよくなるから、ひとりの機嫌もきっと今日は最高潮だ。

期末テストも、無事に赤点無しで通過させてあげられた。今回は駄目かと思った。

そういう訳で、僕の機嫌も今朝からとてもいい。

今日用意した山田さんの弁当も、いつもよりちょっと気合を入れて作った。

 

 明日で学校も終わりだからか、珍しく教室の空気も緩い。平和だ。

早く山田さんの席に弁当を置いて、のんびりしよう。僕は彼女の席に近づいた。

 

 そしてその時、視線を感じた。見られている。ありえない。

確かに教室の空気は緩い。だけど僕への恐怖心が抜けきった、という訳でもない。

依然として皆前か机を見て、僕を視界に入れようとしていない。

 

 では誰が僕を。ぐるっと周りを見渡しても、こちらを向いている人はいない。

怪しいのは近くにあるダンボールだけ。ダンボール。まさかね。中に人がいるとか。

いや、自分が入ったことあるんだから否定できないよ。

 

「あ、ご、後藤くん。おはよう」

「……おはよう」

 

 ダンボールを見つめていると、伊地知さんが来た。あれから朝挨拶してくれる。

相変わらずの百面相だけど、前のように怯えられてはいないと思う。

僕がダンボールを見ていることに気付くと、彼女も視線を移した。

そして、眉を下げた。たまに見る呆れた時の伊地知さんだ。

 

「……リョウ、何やってんの?」

「今の私は空気。誰にも気づかれない」

「いやほんとに何やってるの?」

 

 山田さんの声がした。山田さん入りダンボールだったらしい。

伊地知さんじゃないけど、何やってたんだろう。

無情にも伊地知さんにダンボールを剥ぎ取られ、あーと情けない悲鳴を上げていた。

何故かカメラと虫取り網を持っている。少し早い夏休み気分?

山田さんは意外と怖がりみたいだから、気づかれない内に移動しておこう。

 

「くっ、虹夏、今私は生きるための作戦中。邪魔しないで」

「生きるためって、それが?」

 

 直前までダンボールを被っていた人が出来る表情じゃなかった。

顔がいい、とひとりがこの間言っていたけど、確かに絵になる。

言ってる内容と状況を除けば、凛々しい騎士のようにも見えた。

 

「私の机の上を見て」

「何もないけど」

「そう。ない」

 

 重々しい頷きだった。

 

「最近の私は、お供え物を当てにして生きてきた」

「毎日楽しみにしてたよね」

「でも多分、土日と同じく夏休み中はもらえない」

「きっと同じ学校の子だからね」

「そうなると私は夏休みを超えられない……!」

「家でご飯食べなよ」

 

 僕の弁当は思ったより当てに、楽しみにされていたみたいだ。作り手としては嬉しい。

ただ、流石に夏休みの間のことは考えてなかった。

いくら金欠でも、家にいればご飯は食べられると思う。複雑な家庭環境なのかな。

 

「やだ。面倒」

「お父さんとお母さんに絡まれるだけでしょ?」

「面倒」

 

 あの感じだと反抗期か何かだろうか。そこまでは気を配れない。

 

「で、ご飯の心配してたのは分かったけど、何してたの?」

「捕まえようと思って」

「は?」

 

 山田さんは手に抱えたカメラと虫取り網を、誇らしげに掲げた。

掲げられても分からない。伊地知さんも斜めになっている。

 

「お弁当の子捕まえて、夏休みも作ってもらう」

「恩を仇で返してる!?」

 

 表情を変えずに、ふふっと山田さんは笑っていた。

その笑みはどこまで本気か、いやあれ全部本気だ。飢えた獣の目をしてる。

だからああやって、自分の机を監視していたんだ。

 

 なんにせよ捕まるわけにはいかない。夏休みのことは後で考えよう。

今の錯乱した山田さんに見つからないよう、今日のご飯をお届けしないと。

 

「ファンの子にそんなことしちゃ駄目だよ!?」

「ファンなら私に尽くせて満足。私もお腹いっぱいで満足。ウィンウィン」

「べ、ベーシストだ……」

 

 話に夢中で、二人とも山田さんの机に背を向けていた。これはチャンスだ。

漫才で気が逸れている最中に、弁当セットを置いて離脱。

無事に今日の弁当も置けた。よし。

 

 僕が離脱して少しすると、山田さん達が弁当に気付いた。目を丸くしている。

ひとりがバンドを組んでから、隠れるの上手くなってきたな僕。

 

「もしや忍者……?」

「そんなわけないでしょ」

 

 

 

「リョウ、今日バイトでしょ。遅刻するとお姉ちゃん怒るよ」

「怒られてもいい。大義のためだから」

「大義?」

「命は大義だよ」

 

 放課後、弁当箱を回収しようとしたところ、山田さんと伊地知さんが待ち伏せしていた。

隠れて様子を見る。伊地知さんは付き添いで、山田さんだけが本気で待ち伏せてるようだ。

今朝と同じくカメラと虫取り網を構えている。カメラは何に使うんだろう。

 

 今朝一瞬の隙を狙われたからか、山田さんは弁当箱から、まったく目を離そうとしない。

これだと出し抜くのはちょっと難しい。置いて帰ろうかな。

でも今夏だし、一晩放置すると酷いことになりそう。持って帰って洗いたい。

しょうがない。ここは僕と山田さんの我慢比べだ。

今のところ、バイトの予定が入っている山田さんが不利なはず。

 

「リョウ、やっぱりやめた方がいいって」

 

 僕と山田さんの不毛な戦いが始まって数分、伊地知さんが切り出した。

 

「こんなに会わないようにしてるってことは、きっと何か事情があるんだよ」

「……」

「その子のためにも、夏休みは自活しよ。ね、リョウ」

 

 伊地知さんの提案に山田さんは少し考えて、黙ってこくりと頷いた。

そして弁当箱へ歩いて行った。あれ、食べ残しとかあったのかな。

伊地知さんも分からないようで、一緒に近づく。

弁当箱にたどり着いた山田さんは、何かをそこに差し込んでいるようだった。

 

「リョウ、これって」

「今日までのお礼」

「……こういうところがずるいよなぁ」

 

 そんな会話をして、彼女たちは立ち去った。念のためしばらく待つ。

部活動の声、音しか聞こえない。廊下で誰かが潜む気配もない。本当に帰ったみたいだ。

よかった。これで回収できる。

 

 安心して弁当箱を回収しようとした僕は固まった。ある物を見つけてしまったからだ。

そこにはチケットがあった。今度行う結束バンドのチケット。

なるほど、確かに弁当の作者が山田さんのファンなら、これ以上のお礼はない。

でも、僕これ二枚目。僕は分身出来ないから一枚しか使えない。

 

 

 

 ライブのための審査、オーディションは無事に終わった。

オーディション前になんやかんやあったけど、それも過ぎた話だ。

問題なのは、今目の前で謎の物体になろうとしているひとりだ。

 

「ノルマ五枚、の、ノルマ五枚、の、のるののののるまっまま」

「おにーちゃーん、おねーちゃんがこわれたー」

「あとで直しとくね」

 

 ノルマ、つまりチケットノルマだ。それぞれ各五枚ずつ売るよう言われたらしい。

ノルマを課された当初は、父母兄妹犬、と繰り返し安心していた。

僕は全然安心できないことに気付いていた。まず犬は、ジミヘンは無理がある。

だけど帰宅途中に指摘すると、家に帰れなくなると思ったから黙っていた。

 

 ご機嫌に、父母兄妹犬と唱えていたひとりだったけど、家に着くとすぐ父さんに言われた。

ジミヘンは流石に入れないと。続けて母さんに、ふたりも年齢的に無理と追撃を受けた。

家族でノルマはこなせない、そう気づいてしまったひとりは当然のように壊れた。

たった二枚、されど二枚。高い高い壁だった。

 

 これを見ると、僕も行かない方がいいかな、とは言えない。

もの凄く身バレの危険性が高いと思うけど、お客さんの一人としてなら行けるはず。

お客さんとして行けば気付かれても、何故か魔王がライブに来た、で済むだろう。

 

「その、ひとりちゃん。渡せるような友達は」

「おかーさん、おねーちゃんだれもおともだちいないよ」

「いるよ」

 

 ふたりの言葉にひとりが復活、復活してる? あれ復活って言っていいの?

起き上がったひとりがふたりに詰め寄った。ゾンビのような動きだった。

なのに滑らかだった。妹ながら不気味だった。

 

「おっお姉ちゃん話さないだけで学校に沢山友達いるよ家で話してないだけだよ

冗談でもそんな事言っちゃだめだよ」

 

 速かった。圧が強かった。あんな目でものを言われたら、何も言えないだろう。

人に向けていいものじゃない。

 

「人の痛みが分かる子になりなさい……」

「ご、ごめんなさい、おねーちゃん」

「そこまで」

 

 ひとりの頭にチョップを入れて緊急停止。

ふたりもデリカシーがなかったけど、怖がらせすぎ。人のしていい顔じゃない。

チョップの甲斐あって、ひとりは止まった。というか固まってる。

壊れたまま再起動したからバグったかな。

 

「もちろんだけど、僕もいないよ」

 

 母さんが何か言いたげだったから、先に言っておいた。

友達0人。多少話せる人はいるけど、それもひとりのバンドメンバー。販売元だ。

学校で、買ってね、と適当に声をかければ売れる気はする。でもこれ脅迫だ。

あと、自動的に結束バンドと僕が関係者になってしまう。

今までの努力が水の泡だ。だからこれはできない。

 

 予想していたのか、母さんも父さんも特に反応しなかった。

ひとりの友達出来た発言にもまだ半信半疑なくらいだ。当然の反応だ。

どうかと思うけど、今までの生活を思うと何も言えない。

 

 父さんと母さんは、自分たちで何とかしようと考えたようだ。

犬友に相談しようかとか、会社の同僚を誘おうかとか、ひとりに提案している。

聞こえてるのかどうか、ひとりは石像のままだった。時間かかりそうだ。

部屋で勉強して待っていよう。

多分自分で売るって言いだすから、いざという時のために準備だけはしておこう。

 

 

 

 それから今日に至るまで、ひとりから相談は受けていない。

暇さえあれば唸っているから、どうにかしようとはしているみたい。

もちろん行動に移してはいない。一応まだライブまで日にちはある。

あるけど夏休みに入ると人と接する、接してないけど、機会は激減する。大丈夫かな。

 

 僕は部屋で、山田さんからもらったチケットを見ていた。僕も僕でどうしよう。

もらうだけもらって行かないという手もある。

だけどそれだと、当日結束バンドを見に来るお客さんが一人減ってしまう。

きっと皆多くの人に聞いてもらって、ファンになってほしいはずだ。

 

 じゃあ僕は山田さんのチケットで行って、ひとりにもう一枚売ってもらうとか。

進捗確認も兼ねて、ひとりに聞いてみよう。

 

「ひとり、僕がチケット返すって言ったらどうする?」

「……………………ぇ」

「あ、いえ、すみませんなんでもないです」

 

 多分死ぬな。僕かひとりか、もしくは両方。

まだ死ねないから、このチケットは山田さんに返すしかない。

お礼としてもらったのに申し訳ないけれど、誰も死なないためにはこれしかない。

 




次回のあらすじ
「推理」


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第十三話「求められると弱い男」

感想、評価ありがとうございます。

前回のあらすじ
「魔王捕獲作戦」

当初の予定から少しルート変更しました。
その影響で三千文字ほど増えました。


『山田リョウ様へ お心遣いありがとうございます。ですが大変申し訳ございません。

私情都合のためライブへ行けません。応援しています。夏休みなんとか生きてください。』

 

「リョウ、大丈夫?」

「……」

 

 次の日、弁当に添えるように置いてあったチケットと手紙を見て、山田さんは黙り込んでいた。

ただじっとチケットを見つめて動かない。

プレゼントを突っ返されて落ち込んでるのかな。悪いことをしてしまった。

罪悪感が沸く。だけど、あれは受け取れない。

 

「ファンなのにライブにも来れないってことは、よっぽどの事情があるんだね」

「……」

「おぉ、今日のお弁当重い。中身はなんだろな~」

 

 俯く山田さんを励まそうと、伊地知さんはわざと明るく振舞っていた。

あの人にもどんどん貸しが積み重なっている。全て返せる日が来るんだろうか。

 

「虹夏」

「おっとごめんごめん。お弁当、ちょっと気になっちゃって」

「おかしいと思わない?」

 

 山田さんが顔を上げて、伊地知さんに問いかけていた。

その目に浮かんでいるのは落胆じゃない。疑念と知性だった。

ついこの間、テスト期間でしか見ることのなかったものだ。

 

「おかしい?」

「このチケット、返す理由が無い」

「えっ、行けないから返すってのは普通じゃない?」

「普通ならそう。だけどこの子は私のファンだよ。私からの贈り物というだけで価値がある」

「自分で言うか。……でも、確かにそう言われるとそうかも」

「それに私はこの子の顔も名前も知らない。黙ったままでもライブに来たかどうかは分からない」

 

 山田さんに釣られて、伊地知さんも考え込みだした。

そんなこと考えなくていいよ。なんか返されたで流してほしい。

 

「考えられる可能性は二つ」

 

 山田さんは指を二本立てた。

 

「そもそも私のファンじゃないか、もうチケットを持っているか」

 

 どっちも合っている。僕は別に山田さんのファンじゃない。

演奏を聴いたことも無いから、ファンになりようもない。

そんな僕の気持ちも知らず、彼女は、前者はありえないと指を折った。

伊地知さんも同意して頷く。

 

「ファンじゃないなら、こんな風に毎日お弁当用意しないよね」

「お弁当とメモを隠れて毎日供える。この子はきっと真面目で、自分の考えに素直な子」

「それがどうして、もうチケットを持ってるってことになるの?」

「発想を逆転させて考えてみた。返す理由じゃなくて、返さないといけない理由はあるのか」

 

 両手を使って、ひっくり返す手振りをしながら山田さんは推理を続けた。

 

「チケットの所在が曖昧になって起こるのは、観客が一人確定で減ることだけ」

「そう、だね。お金も、この場合はリョウが出すし」

「だからそこは問題ない。問題なのは」

「私たちの演奏を聴く人が、一人減る?」

 

 山田さんは頷いた。

それは確かに、僕が山田さんにチケットを返すことを決めた理由の一つだ。

まさか察せられるとは、それも山田さんにされるとは思ってもなかった。

 

「そんなことに気づくのは、気にするのは重度の真面目なファンだけ」

「なるほどー。……あれ? でもそれは返す理由で、元々持ってる理由にはならないよね」

「観客のことに気づいても、私からの贈り物だから一枚だけなら、って取っておくと思う。

でも、もう一枚となると気が引けるから、こうして返した。だからもう持ってるはず」

「うーん、推理にしては願望混じり過ぎな気がするけど」

 

 伊地知さんはあごに手を当てて考えていた。

そして山田さんはお腹に手を当てて、顔を青くしていた。

 

「……そう思わないと、胃が」

「あー、よしよし」

 

 伊地知さんが背中と頭を撫でていくうちに、山田さんも回復した。

それを確認した伊地知さんは、両手を握って気合を入れるように言った。

 

「じゃあ、リョウが売った相手の中にいるかもしれないね。心当たりある?」

「まったく覚えてない」

「そこは覚えてないの!?」

 

 気がついたらなんか売れてた、そう山田さんは言う。なんか売れてた。強者の発言だ。

日々ノルマ妖怪として着々に進化しているひとりに、その力を少しでも分けてほしい。

あの子本当に大丈夫かな。最近はチケットに謎のエネルギーを感じることがある。

気のせいか鳴き声もあげているような気もする。僕も疲れてるのかもしれない。

 

「覚えてないけど、ライブには必ず来るはず。そこで捕まえる」

「その計画まだ続いてたの……?」

 

 最後に山田さんが暗い笑みをして、虫取り網とカメラをどこからか取り出した。

そんなものどこに隠してたんだろう。伊地知さんじゃないけど、まだ諦めてなかったんだ。

僕が弁当の子だって気づかれるはずもないけど、ライブ当日はちゃんと気をつけないと。

 

「それにしてもどうしちゃったの、リョウ。こんなに頭使っちゃって」

「生きるためなら、私は何だってやる」

「うわー、かっこわるいー」

 

 

 

 終業式、HRも終わり放課後になった。これで夏休みだ。

ひとりの高校生活も、無事に九分の一が終わった。

四月頃は卒業出来るか怪しいところもあったけど、今はもうあまり心配してない。

これからもこの一学期のように、慌ただしいけど楽しい毎日が続くはずだ。

 

 ひとりは今日もスターリーで練習だ。帰りで合流するまで時間はある。

弁当箱を回収して、どこかで時間を潰そう。図書室で宿題やるのもいいな。

 

 僕は油断していた。今朝山田さんが思ったより落ち込んでなかったこと。

彼女の推理ショーで、ライブの時に捕まえると言っていたこと。

学校が終わって、もう他人と会わなくてもいいこと。

理由はたくさんあった。その分だけ、気が抜けていた。だから周囲への警戒がおろそかだった。

 

 僕が弁当箱を取った時、何かが開く音がした。

普通の扉の音じゃない、金属音。ロッカーか何かが開いた音。

振り向いた先に見えたのは、勢いよく開かれた掃除用具入れと転がる山田さん。

 

 まだ、諦めてなかった。

彼女はあんなことを言いながら、今日も弁当の子を捕まえようと網を張っていたようだ。

 

ようだとか言ってる場合じゃない。

幸い、勢いが良すぎたせいか彼女は転がり出て、うつぶせの状態だ。

こっちを見ていない。震えてもいないから、多分ここにいるのが僕とも気づいてない。

 

 この隙に逃げる、それは難しい。

掃除用具入れから飛び出した山田さんは、教室の出入り口付近に倒れている。

どこも打ってないし、僕と目も合ってない以上すぐに起き上がるはずだ。

だから教室を出て立ち去るまでに、必ず姿を見られる。

僕ほど髪の長い男子もいないから、後ろ姿だけでも絶対に特定される。

 

 じゃあベランダから飛び降りようか。ここは三階だ。このくらいならいける。

途中途中で手すりを使って減速すれば、怪我無く降りられる。

逃走経路を頭の中でイメージする。これも駄目だ。降りた先はグラウンド。

グラウンドにいる他の生徒は皆ジャージや練習着だ。制服姿の僕は悪目立ちする。

山田さんがベランダから下を覗けば、走り去る僕がよく見えるだろう。

 

 迷っている間に山田さんが動き出した。起き上がる、首が動く、こちらを向こうとする。

逃げる、隠れる、立ち向かう。どれを選ぶにしても、もう悩む時間は無い。

僕は一瞬で周りを見渡して、決断した。

 

「とらえた」

 

 僕が決断してすぐ、シャッターを切る音がした。同時にフラッシュも焚かれる。

弁当を確保する瞬間、弁当の子という証明、カメラはそのためにあったらしい。

あと一瞬躊躇していたら、そこに僕は映っていただろう。

ファインダー越しに見た光景に、山田さんは首を傾げていると思う。

 

「……ダンボール?」

 

 そう、ダンボールだ。昨日山田さんが被っていたダンボールがまだあった。

誰も片づけてない。夏休み前だし、捨てる場所ここから遠いし、面倒だったのかな。

今週の掃除当番のサボりに助けられた。僕は今、そのダンボールに隠れている。

まさか人生で二回も、それも同じ人を理由にダンボールに隠れることになるなんて。

 

「……」

「……」

 

 隠れて間一髪難を逃れた。でもそれだけだ。危機的状況なのは変わらない。

どう考えてもこのダンボールは怪しい。山田さんの席の横で、堂々と直立している。

変な人がここに入ってますよ、と全身で主張している。僕は不審者だ。

 

「……なにこれ」

 

 僕もそう思う。思わず同意してしまう呟きをして、山田さんは僕に近付いてきた。

そのまま確認するように周囲をぐるぐると回る。そして、ノックしてきた。

 

「もしもし、入ってる?」

 

 返事、すべきかな。このまま黙ってたら、なーんだただの空き箱かーってならないかな。

 

「入ってないなら、開けるよ」

 

 当然無理だった。山田さんがダンボールを掴んだ衝撃が、もろに伝わる。

少しずつ、持ち上げられる。このままだと御対面だ。きっと彼女はまた意識を失うだろう。

この間は突発的な出会いだった。だから記憶も曖昧だったみたいだけど、今日は段階を踏んだ。

目が覚めた時に弁当の子=魔王ということを、覚えているかもしれない。

 

「は、入ってます」

 

 彼女の問いに答えると、ダンボールの動きが止まった。そして下げられた。

そのまま滑るように山田さんが後ろに下がっていくのが、足音で分かった。

逃げられた、まさか、この声だけで僕だと気づかれた?

 

「男の子だったんだ」

「あっ」

 

 山田さんはここにいるのが男だと思ってなかったらしい。

薄々そんな気はしてた。ファンの子って言い方には、なんとなく女の子っぽい響きがある。

弁当を隠れて渡すというのも、男というよりも女の子がするイメージがある。

それなら女声に調整してから返事をすればよかった。

 

 しばらくの間、僕達は何も喋らなかった。

やりづらい。この状況の原因がほぼ僕にあるのは分かってるけど、何か反応してほしい。

出来れば早く立ち去ってほしい。僕の思いとは裏腹に、彼女はまた僕に近付いてきた。

そのまま自分の席に、僕の隣に座る。そして手をダンボールの上に乗せた。

 

「君がお弁当をくれた子?」

「あっはい」

 

 認めざるをえない。何も無いのにこんなことしてたら本当に不審者だ。

山田さんがこの箱を剥ぎ取らないのは、弁当の子が正体を隠したいことを知ってるからだろう。

そうじゃなければ問答無用だ。すると箱から魔王が飛び出してくる。とんだトラップだと思う。

 

「どうして隠れてるの?」

「色々あって」

「色々」

「はい。なんやかんやで」

「そっか。開けるよ」

「話します。話しますから、少し待ってください」

 

 誤魔化そうとすると、力技に出られた。今僕は圧倒的に弱い立場だ。

求められるままに話すしかない。話すにしても、どれを話そう。

当たり前だけど全部は無しだ。仮に全部を話してみたらどうなるか、想像してみた。

 

『実は君のバンドのギター、後藤ひとりは僕の妹なんだ。

妹がお世話になってるから、そのお礼として今まで弁当を用意してたんだ』

『ぼっちは、魔王の妹だったのか。そんな危険物はバンドに置いておけない。クビ』

『新しいギター、探さないとですね』

 

 多分こうなる。せっかく上手く回り始めたひとりの生活を、僕で壊す訳にはいかない。

かといって全部嘘も駄目だ。最近知ったことだけど、僕は嘘が下手な上に口が軽い。

誤魔化そうとしている内に、ポロッとひとりのことを話しかねない。

 

 ここは実践してみるしかない。

喜多さんに敗北し、伊地知さんに口を滑らせてから、僕は嘘の吐き方を勉強した。

本や論文からだから、机上の空論に過ぎないかもしれない。それでもやらないよりいい。

それらによると、全てが嘘というのはバレやすい、とのこと。

本当に隠したいことだけ嘘を吐いて、他は妥協して事実をそのまま話す。

これが嘘のコツらしい。まだ検証もしてないけど、やってみるしかない。

 

「その、僕は学校で浮いてて、そんな僕が表立って渡すと迷惑がかかると思って」

「そう。でも安心して、私も浮いてる」

 

 励まされた。他人に励ましてもらうなんて数年ぶりだから、少し嬉しい。

だけどこの励まし、大丈夫だから普通に弁当渡しに来て、って意味だよね。

それは認められない。やった時のことを想像もしたくない。

 

「ありがとうございます。でも、ごめんなさい」

「……分かった。もう一つ聞かせて」

 

 励ましを無下にされても、山田さんは特に気にしていなかった。

それ以上に聞きたいことがあるみたいだ。

僕が言うのもなんだけど、不審なところばかりだからね。何回聞いても足りないと思う。

 

「どこで私のファンになったの?」

「いえ、別にファンではないです」

「えっ?」

「あっ」

 

 またやってしまった。適当に何か言えばよかったのに。それこそスターリーでとかなんとか。

箱の中にいるのに、山田さんから変なプレッシャーを感じる。

ダンボールを掴まれた。実際に箱への圧力がどんどん増している。

 

「……開けるね」

「ごめんなさい、勘弁してください」

 

 誠心誠意謝ると許してもらえた。箱にかかる圧力が消える。

そっとその部分を内側から撫でてみる。へこんでる。

 

「じゃあどうして?」

「弁当を作ってた理由ですか?」

 

 そう、と短い返事だった。彼女からしたら、今全ての前提条件が崩れてしまった。

訳が分からなくて当然だと思う。それでも、全部は話せない。

 

「詳しくは話せません。ただ、お世話になったからです」

「お世話、私が?」

「はい、僕と、僕の大切な子が」

 

 ひとりから聞いただけ、その話だけでも僕は彼女に恩を感じている。

生まれて初めてあだ名を付けてもらった。

初ライブの緊張でどうしようもない時に励ましてもらった。

作詞を通じて、暗くて後ろ向きなところも個性として認めてもらえた。

これだけじゃない。僕が知らないところで、もっとお世話になってると思う。

そうだ。僕は伊地知さんだけじゃない。山田さんにも数えきれないほどの恩がある。

 

「だから、せめてもの恩返しです」

 

 そう伝えると、彼女は黙ってしまった。急に恩返しと言われてもピンとこないのかな。

ピンと来ない方がいいんだけど。あ、ぼっちのことかぁ、なんて言われたら僕の心臓は止まる。

 

 しばらくダンボールを触りながら、山田さんは考え込んでいた。

分からなくて手持ち無沙汰なんだと思うけど、怖いから触るのはやめてほしい。

彼女がその気になれば、一瞬で僕は外に出てしまう。真綿で首を締められているような気分だ。

やがて考えがまとまったのか、ダンボールから手を放し、山田さんが話し始めた。

 

「お願い聞いてくれたら、今日はこのまま帰るね」

「分かりました。どんなお願いですか?」

 

 夏休みも弁当を作ってほしい、とかかな。

僕も色々とあるから、毎日は難しい。山田さんのご飯のために、毎日下北まで来るのはつらい。

それでもたまになら、ひとりの送り迎えのついでになら大丈夫だ。

そう思っていたけれど、山田さんの要求は僕の想像を超えていた。

 

「連絡先教えてくれる?」

「連絡先、ですか。どうして?」

「夏休みもご飯作ってほしいから。お腹空いたら連絡する」

 

 冷静に考えると、かなり乱暴な発言だ。

秘密は聞かないでやるから、これからもご飯は作ってこい、みたいな。

そのはずなんだけど、なぜか僕は安心していた。

 

「ロインは事情があって使えないので、メールアドレスなら」

「うん。連絡取れるならなんでもいいよ」

 

 喜多さんとの戦いの結果、僕のロイン上の名前は魔王だ。

変えた当初は家族みんなにとても心配された。

魔王を自称し始めて、このまま世界征服に乗り出すんじゃないかとまで言われた。

そんなことしません。多分。

 

 下北沢高校で魔王なんて呼ばれているのは僕くらいだ。

他の高校ならともかく、この高校の生徒でふざけて魔王を自称出来る人はいない。

自ずと、こんな名前を付けているのは魔王本人ってことになる。

だからメールならと言ったところ、受け入れられてしまった。

 

「これ私のアドレスだから、あとでメールして」

「はい。ありがとうございます」

 

 ダンボールの隙間から、ちぎられたノート片を入れられる。

暗くてよく読めないけど、英数字がいくつか書かれているのは分かる。

山田さんのアドレスだろう。言われた通り、あとで空メールを送ろう。

 

 連絡先を受け取ると、山田さんは宣言通り立ち上がった。

ほっとする僕に、帰る準備をしながら彼女は声をかける。

 

「今度やるライブのチケットは持ってる?」

「持ってます」

「ちゃんと来てね」

 

 元々行くつもりだった。行くつもりだったけど、この分だともっと対策しなきゃ。

どんな変装をすればいいんだろう。最悪着ぐるみかな。夏場だし死にそう。

 

 ライブを思って憂鬱な僕を置いて、山田さんは教室のドアへ向かった。

戸に手をかける音がする。その時、思い出したように口を開いた。

 

「言い忘れてた、今までごちそうさま」

 

 そして僕の方へ振り返った。

 

「全部美味しかったよ」

 

 隙間からかすかに見えたのは、笑顔の山田さんだった。

その言葉を残して彼女は教室を去った。

伊地知さんが昨日言っていた、ずるいの意味が、なんとなく分かったような気がした。

 

 

 

 

「お兄ちゃん、それ何?」

「……僕のお昼?」

「えっ、こんなに?」

 

 夏休みが始まって数日、早速山田さんから連絡があった。メールにはたった一文のみ。

 

『そろそろカロリーゼロになる』

 

 とだけ書かれていた。もしかして、あれから何も食べてないのかな。

流石にそれは、いやまさかね、そんなわけとは思う。

思うけど、初めて校舎裏で見た山田さんの姿が目に浮かぶ。

お小遣いを使い果たして、草を食べる人だ。僕の想像をいつも超えてくる。

……最悪を想定しよう。何も食べてないかもしれない。

 

 そんな風に考えていたら、たくさん用意してしまった。

多分一週間分くらいある。保存も考えて、クーラーボックスで持ってきてしまった。

ひとりが不審に思うのも無理はない。僕だって、若干何してるんだろうって思ってる。

 

「ほら、その、僕、成長期だから」

「……そっか?」

 

 納得したような、してなさそうなひとりと一緒に下北沢へ向かう。

電車に揺られ、ぼーっと景色を眺めるひとりを見ながら、僕は考え事をしていた。

 

 あの日僕のことがバレても、そのままひとりが妹だとは分からないはず。

ただ山田さんが気絶して、今後弁当を渡すことがなくなるだけ。

彼女が不健康になるかもしれないけど、それだって究極を言えばどうでもいいことのはずだ。

なのにどうして、僕はあんなに必死になって隠そうとしていたんだろう。

電車に乗っている間なんとなく、ずっと考えていた。

 

 




今週の掃除当番は山田です。

次回のあらすじ
「魔王」


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第十四話「魔王の教室」

評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。

前回のあらすじ
「世界のYAMADA」



 下北沢高校の文化祭は規模が小さい。そして適当だ。

一般的なイメージの屋台や出店、イベントなどはほとんどない。

各クラスは適当な研究発表か何かだし、部活も活動報告くらい。

バンドのライブなんてもってのほか。祭りという言葉がさっぱり合わない。

 

 夏休みの登校日。そんな文化祭のための話し合いが、今僕のクラスで開かれていた。

 

「出し物について、何か意見がある人はいますか」

 

 教卓から、司会として僕が尋ねても誰も反応しない。

何かしら意見が出ないと進まないから、誰か何か喋ってほしい。

黒板で書記を担当している女子、文化祭実行委員の方を見る。

目を逸らされた。特に意見はないらしい。

 

 一応クラス委員の僕が、何故司会をしているというと、男子の委員が休んだからだ。

本来なら文化祭の出し物は、夏休み前に決めなければならない。

だけど、うちのクラスではまったく話し合いが行われなかった。

今日担任に言われるまで、そんなこと知らなかった。

そういう訳で、今こうして急遽話し合いの場が設けられた。この通り完全に停滞しているけど。

 

 教卓の上から教室を見渡す。誰一人顔を上げていない。

皆一様に、机の模様を一生懸命観察している。

別に普段はそれでもいいけど、今は話し合いに参加してもらいたい。

 

 誰か適当に指名しようか。僕が声をかけても問題なさそうな人。そんな人いる?

山田さん、は駄目だろう。きっと普通に気絶する。

箱越し、携帯越しにやり取りはしてるけど、対面ではちゃんと出来てない。

それに、そもそも今日来てない。休みだ。

お腹が痛いので休みます。あとで弁当は取りに行きます。肉がいいです、と昨晩連絡があった。

堂々としたサボり宣言だった。ご飯はくださいという図々しさが清々しい。

 

 じゃあ伊地知さん、彼女はちゃんと来ている。

朝、山田め、と口にしていたから、サボりのことを聞いたんだろう。

でもこの空気の中、名指しで呼ぶのもちょっと酷いかな。別の人で試してみよう。

 

「佐藤さん意見は」

 

 倒れた。次。

 

「鈴木君意見は」

 

 こっちも倒れた。駄目だ。

 

「保険委員、連れて行ってください」

「は、はいっ」

 

 四人くらいで抱えて出ていった。保険委員はクラスで二人だったと思うけど。

逃げたらしい。どうせ何も話さないだろうから、いてもいなくても同じだ。放っておこう。

 

 だけど困った。このままだと終わらない。

僕が何か適当な意見を言って、それを皮切りにしてもらおうか。

何を言おう。こういう時は冗談交じりの方がいい、と会議についての本に書いてあった。

 

「じゃあ、魔王のことでも発表するのはどう」

 

 空気が凍った。やっぱり滑った。

滑ったけど、ちゃんとオチというか、提案理由は言っておこう。

 

「君たちもこの話好きでしょ。最近、また新しい噂が出来たよね」

 

 校内で死体を運んでたとか、クラスメイトを下僕にしたとか。

元になった出来事にはなんとなく身に覚えがある。

 

 それにしても教室の空気が冷え冷えだ。

もしかして冗談だって分かってないのかな。

 

「冗談だよ。何か意見ある人はいますか」

 

 僕がそう言っても、まだ皆黙ったままだった。

口に出しにくいのかな。それなら一応あるものを用意してある。

委員の女子に言って、それを配ってもらった。

 

「口に出せないなら、書いて出してください」

 

 文化祭出し物についての提案書、というプリントだ。

こういうこともあると思って、先生に印刷してもらっておいた。

書いてもらう間に、先生へ状況を報告してこよう。このままだと結構時間かかりそうだ。

 

 教室のドアに手をかける。そうだ、出る前にちょっと発破をかけておこうかな。

今みたいに、俯くだけで何もしてくれないとどうしようもない。

 

「今から先生に報告してきます。戻る前に書き終えていなければ」

 

 書き終えていなければ、どうしよう。どうするつもりもないんだけど。

数秒考える。別になんでもいいや。何も言わずにそのまま職員室へ向かう。

言わなければ、きっとなんかいい感じに想像してくれるだろう。

僕が教室を出てから、にわかに騒ぎ出した教室の様子を見てそう思った。

 

 

 

 先生に時間がかかりそうと伝えて、帰りにトイレに行って、ついでに飲み物を買った。

これだけ時間を潰せば、ある程度意見も出揃っているだろう。

そう思って教室に戻ると、さっきとは打って変わって静かだった。

中から人の気配がしない。まさか、帰った?

 

 教室の扉を開く。予想した通り、一人を除いてほとんどの生徒がいなくなっていた。

会議進行のためとはいえ、ちょっと脅かし過ぎたかもしれない。

反省して、残った一人に声をかけた。

 

「皆は?」

「ご、後藤くん。えっと、帰っちゃった」

「伊地知さんは?」

「えっ、文化祭の提案書、代表して渡してほしいって頼まれちゃって」

 

 ちゃんと残すべきものは残してくれたようだ。

何も無いまま帰られたら、追いかけなくちゃいけないから助かる。

伊地知さんから提案書を受け取る。最初に配った時より分厚い。

数枚書いてくれた人もいたようだ。

 

「ありがとう」

「ど、どういたしまして?」

 

 あとはこの提案書の内容をまとめて、適当にやりやすくて人気のものを選べばいい。

学校へ出す申請書も含めて数十分もかからないだろう。

さっきまで想像してたより、ずっと早く帰れそうだ。

 

 自分の席に戻り、受け取ったプリントを確認する。

二年生ともなると、学校の色も分かっている。

提案されている出し物も、去年見た研究発表のようなものばかりだった。

これならどれを選んでも大した違いはなさそうだ。

 

 簡単に目を通し、顔を上げる。

伊地知さんが所在なさそうに、さっきと同じ場所に立っていた。

あれ、どうしたんだろう。帰らないのかな。

 

「伊地知さん、帰らないの?」

「えっ、いや」

 

 僕が尋ねると、伊地知さんは挙動不審になった。

今の質問は変じゃないよね。普段が普段だから少し自信がなくなる。

彼女は少しきょろきょろと視線を彷徨わせた後、息を整えてから確認してくる。

 

「後藤くん、何か手伝おうか?」

 

 伊地知さんは今日もいい人だった。手伝う理由はないのにこうして提案してくれる。

気持ちはとても嬉しい。だけど公私ともに忙しいらしい彼女の手を借りるのは気が引ける。

 

「ありがとう。でも大丈夫」

「大丈夫って、後藤くん一人でやるの?」

「慣れてるから平気だよ」

 

 そう答えると、なんとなく腰の引けていた伊地知さんが、眉をひそめた。

何だか思うところがあるらしい。なんだろう。

 

「このままだと、全部後藤くんに任せっきりになっちゃうから、手伝わせて」

 

 僕一人が準備している、という状況が気に食わないみたいだ。

それなら何かお願いしようかな。何か頼めること、そうだ。

僕は確認していた提案書を、伊地知さんに手渡した。

 

「それなら、出し物選んでほしいな」

「選ぶって、この中から?」

「似たようなものが多くて、どれにしようか迷ってたから」

 

 郷土研究とか歴史研究とかばかりだ。どれも面白みがない。

たまにメイド喫茶とか、欲望が漏れたものもあるけど、うちじゃ許可が下りないだろう。

ああいうのもやってみると楽しいのかな。でも僕が参加したら冥土喫茶になるだろうな。

 

 伊地知さんが提案書を確認している内に、申請書を書き進める。

何を選ぶにしてもきっと場所は教室だし、申請書の内容は大して変わらない。

伊地知さんが確認し終わる頃には、僕も作れるところは作り終えていた。

 

「いいのあった?」

「ほんとに似たようなのばっかだね」

 

 顔を上げた伊地知さんは微妙な顔をしていた。

あんなに催促して出してもらったけど、僕もそう思った。

どれを選んでもやることも、作業量も変わらない。

 

「しかも同数票の提案が四つもある」

 

 一番多いものにすればいいや、となっても同率一位が四つもある。

どれでもいいのに、なんだか選びにくい。困ってしまう。

 

「こういうメイド喫茶とか、ライブとかはうちの高校じゃ出来ないし」

 

 特徴的だった意見をつまんで見る。あっと伊地知さんが声をあげた。

僕が取り上げたもの、ライブと書かれたプリントを見る。

提案者名に伊地知虹夏と書かれていた。これ、伊地知さんの意見だ。

 

「伊地知さん、文化祭でライブやりたいの?」

「え、えっとー、無理だとは思うんだけど、出来たら楽しいかなーって」

 

 なるほど。伊地知さんはライブを開きたい。

 

「じゃあ僕、生徒会長にならないと」

「なんで!?」

 

 もの凄く驚かれた。その声で僕もびっくりした。

 

「えっ、なんで私がライブを開きたいと、後藤くんが生徒会長になるの!?」

「校則の変更とか、学校への運動とか、先頭に立ってやらないといけないし」

 

 普通に申請しても即却下されるだろうから、制度を変える勢いじゃないと。

そう語る僕を伊地知さんは、猫のような疑いの目で見ていた。なんで今その目?

 

「後藤くん、本当にやるの?」

「気は乗らないけど、伊地知さんのためになるなら」

 

 僕の返答に、伊地知さんはますます渋い顔をした。

最近見なくなっていた、あの百面相だ。今日も凄い顔だ。

その顔のまま、僕に尋ねてきた。

 

「……その、伊地知さんのためっていうのはどういう意味なの?」

 

 ひとりの大恩人だから、とはやっぱり言えない。

伊地知さんはとてもいい人だから、僕が兄でもひとりとの仲は変わらないかもしれない。

でも、かもしれないに賭けられるほど、僕は強くない。

僕は僕の評判を、噂を、僕を信用できない。

 

 だからまた誤魔化さないと。

この間の山田さんの時のように、僕と僕の大切な子のため、とでも言おうか。

でもあれも、よく考えると危険かもしれない。

 

 僕とひとりはよく似ている。苗字も同じ後藤だ。

隠している僕が言うのもなんだけど、今までバレてないのが不思議なくらいだ。

僕達二人の顔を知っていれば、血縁関係があることくらいすぐ分かりそうなのに。

実際小中学生の頃は、黙っても隠しても、すぐにバレてしまっていた。

 

 ただ、学校で流れている噂をまとめると、僕は冷酷無比で残虐外道、血も涙もない魔王だ。

家族とか大事な人とか、温かみのある言葉とはあまりにも縁遠い。

僕と誰かを結び付けるなんて発想自体が無いのかもしれない。

 

 だけど伊地知さんは、覚えていれば僕に妹がいることを知っている。僕が漏らした。

そして彼女は、ひとりの顔も僕の顔もちゃんと見たことがあるはず。

印象が違いすぎるからか、まだ気づいてはいないみたい。

だけど、いつ察してもおかしくないと思う。

 

 何がヒントになるか分からない。だから迂闊に山田さんの時と同じことは言えない。

それならひとりのこと抜きで、僕が伊地知さんに個人的に思うこと。

僕が伊地知さんをどう思っているか、を話せばいいのかな。

ちょっと考えてみる。うん、特に何にも出てこない、どうしよう。

十年以上僕の行動指針はひとりだ。あの子抜きで考えると、何もさっぱり思い浮かばない。

 

 黙りこくる僕を見て、伊地知さんが慌て始めた。

 

「えっと、ごめんね。話しにくいことだった?」

「こっちこそ、急に黙ってごめん。なんて言えばいいのか分からなくて」

 

 分からない。そうだ、そもそもこの状況が分からない。

どうして僕は、伊地知さんに手伝ってもらってるんだろう。

ずっと前、五月頃に僕は結束バンド関係者には接触しないと決めたはずだ。

今までも散々関わってきたけど、それは不可抗力だったり、人道的な問題だったりした。

 

 だけど、今のこの状況はどちらでもない。伊地知さんのお手伝いを僕が受け入れた。

拒否してもよかった。違う、拒否した方がよかった。なるべく接触の機会は減らした方がいい。

それなのに、どうして僕は彼女の提案を受け入れたんだろう。

他人が嫌いで、一緒にいるだけでストレスになるはずなのに、どうして。

 

「伊地知さんが伊地知さんで伊地知さんだから……?」

「私でゲシュタルト崩壊してる!?」

 

 頭の中で数人の伊地知さんが踊り始めた。なんだこれ。

駄目だ。自分でも何を考えているのかまったく分からない。

これ以上は多分頭がおかしくなる。一度全て放棄して、頭の中を空っぽにしよう。

 

「ちょっと混乱しちゃって、今頭空にして整理するから。ごめんね、えっと、なんとかさん」

「伊地知だよ!?」

「そうだった、ごめんね伊地知さん」

 

 頭空っぽにし過ぎた。危ない危ない。冷静さを取り戻そうとしていると、気づいた

伊地知さんが僕を見る目が、いつも山田さんを見る時のようになっていた。呆れられてる。

 

「……後藤くん、やっぱりなんかキャラ違うね」

「そうかな。魔王感が薄くなってる?」

「今は道化の方が近いよ」

「わーい?」

「えっ、喜ぶところ?」

 

 どんなものでも魔王よりはいいと思う。

それはそれとして、伊地知さんと話し始めてそこそこ経った。

先生を待たせてるし、いい加減出し物を決めた方がいいかな。

 

「そろそろどれにするか決めようか」

「情緒の急ブレーキ凄いね」

 

 決めると言っても、どれを選んでも変わらない。

こういう時はくじ引きとかで適当に決めよう。

僕は提案書を裏返しに持って、伊地知さんに差し出した。

 

「伊地知さん、どれか取ってくれる? それにするから」

「こんな適当でいいのかな」

「どれでも大して変わらないから」

 

 それに文句があれば僕に言うでしょ、と続けると、伊地知さんは乾いた笑いで誤魔化した。

言葉にしないあたり優しい。文句を言えるような人はいないと僕も思う。

引き攣った笑みを浮かべた彼女は、自分が取ったものを見て、更に引き攣った。

 

「ライブ、そっか。じゃあ伊地知さん、僕ちょっと生徒会室に行ってくるから」

「も、もう一回、もう一回引かせて!」

 

 泣きのもう一回で結局、出し物は下北沢高校の歴史になった。これ去年もやったよ。

 

 

 

 先生に報告して教室に戻ると、まだ伊地知さんがいた。

 

「大丈夫だった?」

「またかって顔はしてたけど、平気だったよ」

 

 僕もまたかって思ったからね。

二回目でこれなのに、先生はきっと十回以上やってる。そんな顔もしたくなる。

 

 よかった、と安心する伊地知さんを見て思い出した。まだお礼を言ってない。

 

「今日はありがとう、伊地知さん」

 

 伊地知さんは何のお礼か分からないようだった。

さっきのとは違って、この理由はちゃんと自分で分かってるから言える。

 

「手伝おうかって言ってくれたこと」

「や、それは私が気になっちゃっただけで、お礼を言われるようなことじゃ」

「それなら、僕のこれも言いたくなっただけだから」

 

 そう言うと、伊地知さんは、そっか、とだけ返した。

もうやることは終わったから、早く帰ればいい。

そのはずなのに、僕も伊地知さんもなんとなく教室にいた。不思議な状況だった。

その状況を破ったのは伊地知さんだった。

 

「あの、さ。後藤くんって、ライブとか興味ある?」

「うん。たまに行くよ」

「そっか。じゃあ私たちのライブ、来る?」

 

 誘われるなんて想像もしてなかった。驚きで体が動かない。咄嗟の事で返事も出来ない。

僕の沈黙を勘違いしたのか、伊地知さんは説明を始めた。

 

「前話したと思うけど、私バンドやってて、それで今度ライブやるんだ」

 

 知ってる。妹も出る。行く予定。色々返事は出来るけど、どれも口に出せない。

何を言っても、余計なことまで話してしまいそう。だからただ頷いて先を促す。

 

「それで、よかったらなんだけど」

 

 そこで区切って、伊地知さんは僕をちらりと見た。

僕の反応があまりよくないから、話してて不安になったのかもしれない。

 

 だけどここは安易に行くとは言えない。当日は変装して行くつもりだ。

こんな目立つ僕が行くというのにいなかったら、伊地知さんも探すだろう。

その調子で注意深く見られたら見破られるかも。それは色々と不味い。

どうしよう、何か、こう、曖昧な返事で誤魔化せないかな。

 

「どう、かな」

「……あっはい。行きます」

「なんで敬語?」

 

 なんで行くって言ったの?

 

 

 

 

 

「二枚、二枚、二枚」

 

 ひとりがノルマお化けになってかなり経った。

その間に新種に進化してしまった。今も二枚二枚と鳴き声をあげている。

これはちょっと可愛く、うーん、いや見慣れてくるとこれはこれで。

なんだか新しい扉を開けそうな気がする。

 

 馬鹿なことを考えている場合じゃない。

あれから結局、ひとりはチケットを売るための行動を何一つしていない。

休みの間、ギターを弾くか、チケットを呆然と眺めるか、何故か崇めるかしかしていない。

拝めば自動的にどこかへ売れていくと思ったのかもしれない。斬新な神頼みだった。

 

「ひとり、数えても拝んでも、チケットは売れないよ」

「二枚、二枚」

「そう二枚。誰か二人に売らなきゃ」

 

 こんな状態のひとりに、今から僕は酷な選択を迫る。

僕も心が痛い。だけどここは厳しくしなきゃいけない時だ。

ひとりの眼前に、とあるチラシを差し出した。

 

「今度、夏祭りがあるよね。その時一緒にチラシを配ろう」

「二枚、二枚」

「配るのは二枚じゃないよ。たくさん配って、買ってくれる人を探すの」

「に、にま、にまあぁああぁあぁぁあ!!」

「嫌なのは分かるよ。でもこうでもしないと、もう売れないよ」

「に、にま、にに」

「大丈夫、僕も手伝うから」

「……にー、にー」

「よしよし」

 

 よかった。ひとりも前向きに頑張ってくれるみたいだ。

決心した二枚妖怪ひとりを撫でる。不思議な感触。よしよーし。いい子いい子―。

 

「……お札、もう一回貼った方がいいかな」

 

 そんな僕達を見て、父さんは気を重そうに呟いていた。

 




次回のあらすじ
「酒粕」


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第十五話「酒の匂いのする不審者」

感想、評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「文化祭を支配する魔王」

ぼっちちゃんが女遊びの意味を理解してるかどうかは諸説あります。
この小説では兄妹共々分かってない説を採用しました。



 とうとう夏祭りの日が来てしまった。ひとりが死ぬ日だ。

だけど何回死んでも、今日はチケットを売り抜かなければならない。

既に他の皆は、ノルマをとっくに達成したらしい。

たった二枚だけど、ノルマを達成出来なければあの子はきっと引きずる。

ライブ当日まで、もしかしたら終わった後もくよくよする。

そんなこと、兄として認めるわけにはいかない。

 

「お巡りさん。僕はそのために声をかけていたんです」

「後藤君、君が噂みたいな子じゃないのは知ってるけど、流石にこれは」

「必要な犠牲でした」

 

 ひとりのため、僕は頑張った。

高架下でお手製のチラシを持って、色んな人に声をかけた。

結果は予想通りだ。死屍累々だ。あまりの惨状に、近所の交番からお巡りさんが来た。

顔見知りだ。子供の頃から何回も通報されているから、覚えられてしまった。

 

「必要な犠牲って、成果は?」

「もちろんありません」

 

 声をかけ次第すぐに逃げられる。ライブの話すら出来ていない。

だから成果なんて出る訳がない。そんな説明を聞いて、お巡りさんはため息を吐いた。

 

「それに後藤君、許可は取ってる?」

「はい。許可証はここに」

 

 ちゃんと警察署へビラ配りの申請書は提出して、道路使用許可証はもらった。

僕達はまだ子供だから、無許可でも見逃してもらえるかもしれないけど、違法は違法だ。

なるべくひとりに前科を与える可能性は減らしておきたい。

 

 僕の見せた許可証を前に、お巡りさんは微妙な顔をしている。

今回僕の行動に違法性は無いはず。許可は取ってるし、ギリギリ誰も失神してない。

僕の声かけ自体が犯罪、という意見は聞かなかったことにする。

 

「だとしても、この辺でビラ配りはもう難しいと思うよ」

 

 そう言ってお巡りさんが見せてくれたのは、とあるネット上の呟きだった。

 

『金沢八景に魔王出現』

 

 ゲームかな? 現実だ。そして僕だ。

もう僕がビラ配りのため、道行く人に声をかけていることが噂になっていた。

なるほど、だからさっきから人通りが少なくなっていたのか。

 

それにしても噂の回りが早い。呟いたのは近所に通う高校生。

名前は覚えてないけど、きっと同級生だったんだろう。

九年間で染みついた僕への恐怖が、この対応を産んだようだ。

 

 感心している僕をお巡りさんは気の毒そうに見ていた。

僕は気にしてないから、気にしないでほしい。

 

「分かりました。妹と合流します」

「その方が良い。あと、あんまり気にしないで。いややっぱり少しは気にして」

 

 この辺でのビラ配りは難しい。そう判断してひとりと合流することにした。

去り際、お巡りさんに気を使われる。久しぶりに会うけど、優しい人のままだった。

 

 ひとりと合流を決意したのは、今の呟きだけが理由じゃない。

ひとりからの連絡が途絶えたからだ。別れ始めは鬼のように連絡が来ていた。

無理、とか。助けて、とか。延々と助けを求められていた。

 

 兄的に頼りにされるのも、甘えられるのも嬉しい。

だけど、今日のこれは反応しちゃいけない。これでひとりは時間稼ぎも狙っている。

僕が助けに行けばよし。来なくても、僕の説得に対応していればそれだけ時間が過ぎる。

そうしてなるべく、ビラ配りの時間を減らそうとしている。

いつかの風邪の時みたいに、あの子はたまに小賢しくなる。

 

 そんな連絡が急に無くなった。

その内ヘルプが電話に切り替わると思ってたけど、そうならなかった。

いいことか悪いことか分からないけど、何かが起こったのかもしれない。

確認のため、僕はひとりがいる神社まで走って行った。

 

 

 

 僕が神社にたどり着いた時、そこにはひとりともう一人女の人がいた。

ひとりは立ち去ろうとしていて、女の人はそんな妹の手を握って何かを言っている。

ここから見えるひとりは怯え、戸惑っていた。

 

誰だあの女は。

 

 まず周囲を見る。二人以外誰もいない。単独だ。手には何も持ってない。

年齢は、恐らく二十後半から三十前半。肌つや、首元を見るとそれくらいだ。

服装はスカジャンにワンピース、下駄。どれもよれている。何日も洗ってなさそうだ。

足取りは不安定。近くに転がる紙パックを見ると、酒によるものか。

祭りだから羽目を外して酔っているのか、いや、関係ないだろう。

祭りを楽しみに来ているなら、もっと身綺麗なはず。一人というのも変だ。

それに祭りの屋台はここから遠い。あの様子でここまで無事に来れるとは思えない。

総じてあれはただの酔っ払い、ただの社会不適合者だ。

ひとりに近づけさせる訳にはいかない。早くどこかへ追い払おう。

 

「もったいないよ。もう少し続けてみなよ」

「妹に、何をしてるんですか」

 

 何かを言っていたようだが関係ない。いつもより低い声が出た。

奪うようにひとりを抱き寄せた。急に現れた僕に、ひとりは丸くしている。

 

「えっ、あっ、お、お兄ちゃん?」

「ごめんねひとり。遅くなっちゃった」

 

 ぺたぺたと顔やら体やら触って無事を確認する。

ひとりももう年頃だから、最近はあんまりこういうことはしないようにしている。

だけど今は緊急事態だ。くすぐったいけど我慢してもらう。よし、確認終了。

何ともない、よかった。無事だ。走ってきてよかった。間に合った。

何事もないようだから、名残惜しいけどひとりを解放し、背中に庇う。

そして、不審者に目を移した。

 

「あっ、もしかしてひとりちゃんのお兄ちゃん?」

 

 酔っぱらいは、真っ赤な顔で呑気に笑っている。

何だこいつは。自分でも目つきがきつくなるのを感じる。後ろのひとりが慌て始めた。

僕が社会不適合者を睨んでいると、赤い顔がどんどん青くなっていく。

その青さが最高潮に達した頃、おもむろに膝をついた。土下座だ。

えっ、怒ってはいたけど、そこまでさせるつもりは。

怒りより困惑が勝り始めた時、女の人が口を開いた。

 

「……風呂に沈めるのだけは勘弁して下さい」

「いえ、殺しまではしませんけど」

「えっ」

「え?」

 

 流石に酔っぱらって妹に絡んだだけで、殺そうとまでは思ってない。

しかもそんな、溺死だなんて残酷なこと考えもしなかった。

少し反省はしてほしいけど、それだけだ。

僕の返答に、酔いが醒めた様子の女の人、お姉さんはぽかんとしていた。

そんなに僕は殺意のようなものを出していたんだろうか。僕の方こそ反省しないと。

 

「えっと、ちょっとごめ」

 

 何かを確認したいのか、お姉さんは口を開こうとした。

その最中、顔が再び真っ青になる。また土下座でもするんだろうか。

 

「うっ」

 

 結果的に土下座の方がよかった。彼女は吐き始めた。汚い。

どうしよう。放っておきたい。僕もひとりも暇じゃない。

だけど今彼女が嘔吐してるのは僕のせい、いやこれ僕のせい? この人が飲み過ぎなだけじゃ。

どっちにしても、このまま見捨てたら今日の夢に出てきそうだ。それは嫌だ。

しょうがないから、僕達は彼女の介抱をすることにした。

 

 

 

「いやぁごめんねー、こんな迷惑かけちゃって」

「いえ、すみません。こちらこそつい威嚇してしまって」

「ううん、こーんな可愛い妹ちゃんだもんね。心配する気持ちは分かるよー」

 

 あれから何とか介抱して、お姉さんはなんとか立ち直った。

立ち直った当初こそ挙動不審だったけど、お酒を飲んだら復活した。

酔っ払いって不思議な生態をしている。

父さんも母さんもあまりお酒を飲まないから、こんな人見たことなくて驚く。

 

「そうだ、君には自己紹介してなかったね。

私こそが誰よりもベースを愛する天才ベーシスト! 廣井きくりでーす!!」

「そうですか。お疲れ様でした」

「お、お疲れ様でしたー」

「ってちょいちょいちょい、帰ろうとしないでー!!」

 

 酔っ払いってこんなに面倒くさいんだ。そういう驚きだ。

割と冷たい目を向けている自覚があるんだけど、廣井さんは怯まない。

クラスメイトならもう三回くらいは気絶してると思う。酔ってるから鈍感なのかな。

 

「廣井さん、僕今睨んでますけど怖くないんですか?」

「超ビックリした! 君目つき悪すぎ~。先輩より悪い人がいるとは思わなかったよ」

 

 けらけらと朗らかに笑いながら言われた。

あまりにも初めての反応だから、思わずたじろぐ。なんだろうこの人。

 

「でも、思ったよりお子様みたいだし、別にねー」

「お子様?」

「あっ気にしなくていいよー!」

 

 お子様。なんかこの人に言われるとむかつく。

だけどそれを表に出したらそれこそ子供だ。ぐっと堪えよう。

僕の内心なんて気にせず、廣井さんは話を変えた。

 

「あっそうだひとりちゃん。さっきも言ったけどもったいないよ。

もう少しだけでもいいから、ギター続けてみよ?」

 

 ギターを続けてみよう? ひとりがギターをやめる訳がない。

さっきの状況も考えると、危険な人に絡まれたと思って嘘を吐いたのかな。

いい判断だったと思う。次こんなことがあった時のために防犯ブザーを今度買ってこよう。

 

「あっいや、すみません、さっきの話全部嘘です」

「凄いすらすらと吐いたね!?」

 

 どんな嘘か詳細は知らないけど、嘘はひとりにとって一種の防衛反応だ。

追い詰められた時と、承認欲求が暴れた時と、見栄を張りたい時と、あとはえっと。

うん、この辺で考えるのをやめよう。この子結構嘘つきだった。

今度機会があったらよく話し合おう。

 

 ひとりと廣井さんの会話の裏で頭を抱えていると、また話題が変わったようだ。

ひとりが抱えていたチラシを持って、廣井さんは体全体を斜めにしている。また吐きますよ。

当然のように、チラシは家を出た時と同じくらいあった。

 

「それで、ひとりちゃん兄妹は何してたの?」

「えっ、えっと、チケット売ろうとしてて」

「なになに? 何のチケット?」

 

 関係ない、という前にひとりが話してしまった。

聞かれても問題ないしいいか。この人と関わるのが面倒なだけだ。

それに、ひとりの話すいい練習にもなるだろう。

一生懸命に廣井さんへ事情を説明するひとりを見て、そう思った。

 

 

 

「そっかー、ひとりちゃんは悲劇の少女だったんだね……」

 

 ひとりの説明を聞いて、廣井さんはさめざめと泣き始めた。怖い。

情緒が不安定だ。やっぱり近づいちゃいけない人なのでは。

一応逃走経路は確認しておこう。

 

「分かるよー。私も最初の頃はずうっと、苦労してたから」

 

 そう語る彼女の言葉は、過去を振り返るようだった。

ただの酔っ払いにしては言葉に実感と重みがある。

まだ半信半疑だけど、本当にベーシスト、バンドマンなのかもしれない。

 

「お兄ちゃんも偉いねー、妹ちゃんのために一緒に頑張ってて」

「僕がしたくてやっていることなので、別に偉くは」

「いやぁ偉い! 偉いよー、私は偉いと思うよー」

 

 落ち着きがない。しみじみとしていたと思ったら、僕に絡み始めた。ものすごい鬱陶しい。

何が琴線に触れたのか知らないけど、偉い偉いと言いながら、頭を撫でようとしてくる。

酔っ払いで不安定だから、無理やり抵抗すると危ない。怪我でもされたら大変だ。

諦めてさせたいようにさせた。酒臭い。ひとりが驚愕の目で見ている。

こんな情けない姿は見ないで欲しかった。

 

「そんな悲劇の兄妹のために、私、一肌脱ぎます!」

「!?」

 

 僕の頭を撫でるのをやめると、急に立ち上がり、自分のスカジャンに手をかけた。

ひとりはそれを見て、あたふたする。そして両手で僕の目を覆うようにした。

何も見えない。僕に彼女を見てほしくないらしい。僕も見たくないから大丈夫。

 

「一緒に路上ライブをして、チケットを売ろう!!」

 

 廣井さんがそう高らかに宣言した。

路上ライブという言葉にひとりの力が抜ける。光が戻った。

廣井さんはスカジャンを脱いだワンピース姿で、片手を高く挙げている。

脱ぐ必要あったんだろうか。

 

「ろ、ろろ、路上ライブ、ですか?」

「うん! 演奏して、聞いてくれた人にチケットを売るんだよ」

 

 路上ライブ。路上ライブか。

廣井さんがベーシストでもなんでもないただの酔っ払いで、適当に話している可能性を考える。

だとしても。

 

「いい、ですね。路上ライブ、僕は賛成です」

「ぃっ!? お、お兄ちゃん!?」

「おっ、やっぱりー? いいアイデアって自分でも思うんだ!」

 

 僕が賛成すると、ひとりは声にならない声をあげていた。

信じられないようなものを見た、裏切られたような顔をしている。

心が痛むけど、いい機会だと思う。

チケットを売るいいチャンスになるし、売れなくても本番前のいい練習になる。

 

 だけど多分、このまま僕がおすすめしても、ひとりは首を縦に振らない。

いつかのように、むむむと横に振る人形になる確率の方が高いと思う。

どうにかして説得しよう。僕はひとりの手を取った。

 

「ひとり、ちょっといい?」

「えっ、お、お兄ちゃん。わ、私、路上ライブ、むり」

「ひとりは人に話しかけるのと、ギターを弾くのどっちが得意?」

 

 唐突な僕の質問に、ひとりは首を傾げた。

よし、とりあえず横じゃなくて斜めに出来た。ここからが本番だ。

数回目を瞬かせると、かすれた声でギター、と言った。

 

「うん、ひとりのギターは上手で格好いい。僕も好きだよ」

「ぅへへ」

「凄い笑い方するねー」

 

 いいところなので廣井さんは黙っていてほしい。

まだ説得中だ。ひとりが冷静になる前に畳みかけないと。

 

「今日はひとり、苦手な声かけ頑張ってたよね。どれくらいやった?」

「……一時間くらい?」

「そうだね。苦手だけどたくさん頑張ってたね。偉いよ」

「そ、そう? で、でも私、全然配れてないよ」

「それを言ったら、僕だって全然だよ。成果無し。僕って今日ダメダメかな」

「! ううん、お兄ちゃんは頑張ってくれてたよ」

「ありがとう。だから、ひとりも同じだよ」

 

 いい感じにひとりの気持ちが緩んできた。罪悪感はもちろんある。

だけどここまで言ったのも、もちろん本心だから許してほしい。

 

 このタイミングで、僕は廣井さんに声をかけた。

話しかけられると思ってなかったのか、廣井さんがびくりとした。

そのままついでにお酒を飲んだ。飲まないと話せないのかな。

 

「廣井さん、路上ライブって何曲くらいやるんですか?」

「んー、日にもよるけどひとりちゃんは今日が初めてだし、一、二曲くらいかなー?」

「だって、ひとり」

 

 急転換してひとりに話を戻す。そんなすぐに戻ってくるとは思ってなかったようだ。

驚いている。僕はそれを狙っていた。この隙を突く。

 

「一、二曲、かかっても数分くらいだよ」

「えっで、でも」

「大丈夫。今日のひとりは苦手な声かけを一時間も出来た。そうでしょ?」

「うっ、うん」

「それなら、得意なギターを数分くらい簡単だよ」

 

 どうだ。この反応で、僕の作戦が成功か決まる。

 

「そ、そう、かな?」

「うん、そうだよ。ひとり、出来そう?」

「……やって、みる」

 

 勝った。

 

「というわけで、廣井さんお願いします」

「……君、やっぱりちょっと怖いかも」

 

 真顔だった。どうして。

何はともあれ、ひとりが了承してくれた。

冷静になると逃げるかもしれない。出来るだけ早く路上ライブの準備をしよう。

 

「あっ、そういえば私のベースってどこだっけ?」

「……」

 

 出来るだけ。うん、出来るだけ。

 




次回のあらすじ
「交番」


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第十六話「闘いに向けて」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「妹にしか勝てない男」


「む、無理。路上ライブなんて無理」

 

 廣井さんのベースを探し求めていくつも居酒屋を訪ねるうちに、ひとりが正気に戻った。

最善はあのまま流すことだったけど、予想はしてた。

今は僕と廣井さんの後ろを歩きながらぶつぶつと、無理無理繰り返している。むむむ妖怪だ。

今のところ、逃げ出す気配も壊れる気配も無いからそっとしておこう。

 

「それで、今どこに向かってるんだっけ?」

「高架下です。あそこの使用許可は取ってますし、今なら人通りがそこそこなので」

「えー、路上ライブに許可取ってんのー? 真面目過ぎだよ、ロックじゃないぞー」

 

 ビラ配りのために取っておいた許可証を見せると、廣井さんから何故かブーイングを食らう。

必要ないところでロックしてもしょうがない。

それに、限界ギリギリのひとりが今ロック的行動を取ると、多分法に触れる。

 

「ビラ配りのための許可なので、大丈夫かは微妙です。

ただ、近くのお巡りさんは知り合いですから、多少大目に見てくれると思います」

「知り合いのお巡りさん! なになに、やっぱり悪いことしてたの?」

 

 廣井さんが元々していたニヤニヤ顔を深めた。

やっぱりってなんだ。いや、初対面で自発的にだけど土下座させちゃったしな。

殺されそうとまで思われたんだから、そう見られてもしかたない。

 

「そんなことしてません。中学生の頃、ちょっとその辺の人を気絶させて回ってただけです」

「ちょっと……?」

 

 ドン引きされた。僕も同じこと聞いたら引く。

あの頃は焦ってたこともあって、今より積極的だった。その分被害者がたくさんいた。

廣井さんが醒めた酔いを取り戻すため、お酒を飲み始めた時、ひとりが僕の袖を引っ張った。

 

「お、お兄ちゃん。私、や、やっぱり自信ない」

 

 妖怪ではなくなったけど、腰は引けたままだった。

それでもやらない、逃げると言わないのは、一度やると言ってしまったからだろう。

ひとりは真面目で臆病だから、嘘以外の発言を撤回出来ない。

 

「だいじょぶだいじょぶ! 私がいるからなんとかなるよ!」

 

 そんなひとりを見て、安心させるように廣井さんが自分の胸を叩く。

気持ちはありがたいけど、自称天才である彼女の腕前は今も不明。

安心できそうもない。ひとりも、あっはい、と沈みながら返すだけだった。

 

「路上ライブも、意外とやってみればなんてことなかったよ」

 

 僕もひとりを励ますために、そう伝える。

ひとりも廣井さんも、僕の発言に驚いたのか勢いよく僕を見た。

 

「え何、君やったことあるの?」

「はい。中学生の頃に一回だけ」

 

 あれはどっちかというとテロだったけれども。

結果が結果だったから、ひとりにはやったことも連行されたことも言ってない。

言うつもりもなかったけど、ひとりが少しでも楽になりそうなら言うべきだ。

 

 僕達が説得しても、ひとりの顔は暗いままだった。

このまま何もしなくても、ひとりは演奏してくれると思う。

ただ、その場合きっと満足できるものにはならない。恐らくチケットは売れないままだ。

 

 僕が次の手を考えていると、廣井さんが持っていたお酒をひとりに差し出した。

これは何の真似だろう。とりあえず通報の準備をしておこう。

 

「あ、じゃあひとりちゃんもお酒飲む?」

「もしもし、警察ですか」

 

 本当に何の真似だろう。未成年飲酒をこんな堂々と勧めるなんて。

やっぱり悪い人かもしれない。僕がひとりを背中に隠すと、慌てて弁明を始めた。

 

「あのね、将来の不安とか、私にも嫌なことや苦しいことがいっぱいあるんだ」

「あっ、しょ、将来の不安ですか?」

「就職とか年金とか、色々大人にはあるんだよ」

「え、廣井さん年金払ってるんですか?」

「君思ったより口悪いね」

 

 驚きのあまり失礼なことを言ってしまった。

謝ろうと廣井さんの顔を見ると、自慢げにお酒を差し出された。いらない。

 

「でもお酒を飲むと全部忘れて楽しくなれる。私はこれを幸せスパイラルって呼んでるんだ~」

 

 負のスパイラルだ。

僕はそう思った。ひとりも似たようなことを考えているのが、表情から読み取れた。

そんな僕達の気も知らず、廣井さんは幸せそうにお酒を吸っている。

終末医療の現場を見た時のような、なんだか悲しい気持ちになってきた。

 

「だからひとりちゃんも、お酒飲めば何も怖くなくなるかもって!」

 

 一応優しさ、多分優しさから来た行動ではあったらしい。

法とか健康とか、信頼とかで受け取る気にはならなかった。

それに、と廣井さんは続ける。

 

「ひとりちゃんはなんとなく私に似てるからさ、大人になったら絶対ハマるよ!」

 

 人の可愛い妹と一緒にしないで欲しい。

そう伝えようと思ったけど、背中のひとりが震え始めた。

あ、まずい。廣井さんに言わないと。

 

「廣井さん、耳塞いでください」

「いいよ~」

「僕のじゃないです」

 

 酒臭い手をどけて、耳を塞がせる。そろそろ来るはずだ。

 

「あぎゃあああああああああああ!!」

 

 ひとりが吠えた。

廣井さんの言葉から、将来お酒に溺れた自分を想像してしまったんだろう。

押入れの中でお酒を飲み続けるひとりが僕にも見えた。おつまみを作る僕の姿も目に浮かぶ。

これは避けないといけない未来だ。

 

 普通の人ならすぐ逃げる惨状だったけど、廣井さんは相変わらず笑っていた。

爆笑しながら、ひとりを興味深そうに見ている。これがお酒の力なんだろうか。

 

「この子、思ったよりやばくない?」

「可愛いですよね」

「おっとー? 君もかー?」

 

 目が虚ろで叫んでいてもひとりは可愛い。当たり前のことを言ったのに驚かれた。

確かに最初は珍獣か妖怪に見えるけど、慣れてくると愛嬌を感じるようになる。

まだ素人の廣井さんには分からなくても当然かもしれない。

 

「この状態になるとしばらく動けないので、背負って行きます」

「やべー兄妹に拾われちゃったなぁ……」

 

 

 

 高架下に辿り着いた頃、ひとりが意識を取り戻した。

目を覚まして、自分がどこにいるか知ると、一瞬で顔を青くした。

目的地に着いたことを察したみたいだ。

もちろん、路上ライブをする覚悟はまだまだ決まっていない。

 

 幸いなことに、まだ路上ライブは出来ない。

廣井さんがアンプ等の機材をメンバーの方にお願いしたから、今はそれを待っている。

そのメンバーがお酒の生み出した幻覚という可能性も考えて、一応僕も話をさせてもらった。

その方、岩下さんは信じられないくらい、とてもしっかりした大人の人だった。

廣井さんについてひとしきり謝られ、お詫びとして機材を無償で貸してくれることになった。

そこでやっと、僕も廣井さんがバンドマンだと信じることが出来た。

 

 岩下さんは、悪いけどちょっと時間がかかるよ、と言っていた。

むしろ助かる。今日のひとりの説得は骨が折れそうだ。

騙し打ちのような形で、路上ライブを承諾させたのは僕だ。

責任を取って、ひとりが演奏できるようにしなければいけない。

 

 と言ってもどうすればいいんだろう。

物で釣る。ひとりは意外と物欲自体はそんなにない。欲しいのは称賛、承認だ。

さっきみたいに誘導する。流石にひとりも今は警戒してると思う。

それに、あんまり妹を騙すようなことはしたくない。これ以上は僕の心が持たない。

 

「ひとり、どうすれば勇気出る? そのためなら何でもするよ」

 

 名案が出ない以上、本人に聞くしかない。

何でもするという言葉に、ひとりの耳がぴくりと動いた。

よかった。やってほしいこと、僕に出来ることがあるみたいだ。

ひとりが話しやすいよう、なるべく穏やかに待つ。やがて、ひとりが口を開いた。

 

「お、お兄ちゃんも一緒なら、出来る、かも」

「…………え?」

 

 出てきたのは、予想外の要求だった。僕にも一緒にやってほしい。

呆然としていると、廣井さんに後ろから肩を組まれた。さっきより更に酒臭い。

弱い人なら匂いだけで吐いてしまうかもしれない。

 

「おっ、そうだよね。前やったことあるって言ってたし、一緒にやろーよ!」

「いや、ちょっとそれは」

「えー!? 何でもするってさっき言ってたよ!」

 

 同意するように、ひとりも僕を見つめてくる。じっとりとして、ほんのり半目だ。

納得いかない時、不満を持っている時にする目だ。普段は可愛いけど、今日は突き刺さる。

 

 そう、確かに何でもすると言ってしまった。吐いた言葉は飲み込めない。

兄として妹に嘘は吐けない。やるしかないのか。ただ、やるにしても問題がある。

二人の前に僕は指を三本立てた。そして、三つ問題がありますと言った。

 

「まず、今ギター持ってきていません」

「取りに行けばいいじゃん。ひとりちゃん、おうち遠い?」

「あっいえ、歩いてもそんなに」

 

 ひとりの言う通りご近所さんだ。

暑いけど、走れば岩下さんが機材を持ってくる間に往復できると思う。

 

「……二つ、人と目が合うと、気絶させちゃうんです」

「えっ何それ怖っ。でもサングラスか何かで隠せば平気っしょ?」

 

 意味が無いから試したことは無いけど、いける気はする。

年がら年中恐れられている僕だけど、気絶までされるのは目が合った時くらいだ。

サングラスのようなもので視線を、目を隠せば大丈夫かもしれない。

 

「み、三つ。ひとりと違って、あまりギター触ってないから人に見せられるものじゃ」

「って言ってるけどー?」

「……お兄ちゃん、最近あのバンド練習してるよね」

「うっ」

 

 今日のひとりはよく刺してくる。

ひとりの言う通り、喜多さんとカラオケに行った日以来、僕は時々演奏してみている。

あの日言われた喜多さんの、楽しそうだったという言葉が忘れられない。

喜多さんの目が曇っていたのか、僕が変わったのか。それを確認するためだ。

 

「あのバンド?」

「あっ、私たちのバンドの、その、今度ライブでやるオリジナル曲です」

「オリジナル曲! いいねー、いいよー! お兄ちゃんも弾けるならそれやろっか!」

 

 それにしてもここで裏目に出るなんて。

喜多さんに関わることで試したことは、大体裏目に出ている気がする。

駄目だ。ここまで来たら言うしかない。出来ることなら隠しておきたかった。

ひとりには後で不審に思われるかもしれない。

 

「あと、僕のギターを聴くと、恐怖で気絶する人が出ます」

「演奏で気絶? いいね、ロックだよそれ」

 

 個人的に最大の秘密は、ロックの一言で片づけられた。

いや、気にされないならいいんだけど、なんか、こう、釈然としない。

僕は何とも言えない気持ちで、家に向かって走り出した。もう言えることが無い。

 

 

 

 家にギターを取りに行き、途中であるものを買ってから走って戻った。

ひとりよりは軽いから、ギターを背負っていても走るのに支障はない。

そしてひとりと廣井さんの二人を預けていた交番まで戻った。

 

「ねー、なんで私たち交番に預けられてるの?」

 

 交番に届けた時、廣井さんは不満そうに言っていた。

僕からすると廣井さんは落とし物みたいなものだから、ある意味正しい届け場所だ。

この場合一割もらえるのかな。多分お酒しかもらえないからいらないな。

 

交番に届けたのは、はっきり言って僕が廣井さんをあまり信用していないからだ。

こんな日中からその辺で、酔い潰れて倒れるような人には妹を安心して預けられない。

家とここを往復する間に、目も当てられない状況になりかねない。

 

 だからちょうどさっき会ったし、信用も出来るお巡りさんに二人とも預けておいた。

交番に連れて行かれてひとりは真っ青な顔をしていた。変な妄想をしたからだと思う。

可哀想だけど、一番安全な場所だから少し我慢してほしい。

廣井さんはもしかしたら、何かでそのまま連行されるかもしれないけど、それはいいや。

その場合でもきっと機材は岩下さんが貸してくれるから、路上ライブは僕とひとりで出来る。

 

 僕が交番に戻ると、廣井さんの姿は見えなかった。まさか本当に連行されてしまった?

あの酔い方だと、法の一つや二つに触れていても不思議じゃない。

 

「あっ、お帰り、お兄ちゃん」

 

 僕が心中で廣井さんに別れを告げていると、奥からひとりが出てきた。

落ち着いたみたいで、交番に届けた時よりずっと顔色がいい。

 

「ただいま。廣井さんは何の罪犯したの? 器物破損?」

「えっ。お、お姉さんは機材が届いたからって、高架下に行ったよ」

 

 捕まった訳じゃないらしい。一安心、安心かな。安心しとこう。

もう岩下さんが機材を届けてくれたそうだ。お礼を言わなきゃいけない。

僕達はお巡りさんにもお礼と一言を伝えて、すぐに交番を後にした。

 

 

 

「志麻ならもう帰ったよ?」

 

 僕とひとりが高架下に戻ると、そこには廣井さんと機材しかなかった。

岩下さんはもう帰ってしまったそうだ。お礼を言い損ねた。

今度、今度があるか分からないけど、その時に言おう。

 

「それで、ギターとサングラス、ちゃんと持ってきた?」

「サングラスじゃないですけど、一応」

「えっ、これ、お祭りのお面……?」

 

 ひとりの言ったように、僕が持ってきたのはさっき屋台で買ってきたお面だ。

ふたりとたまに見る、日曜日の朝にやっているヒーロー物のボスのお面。

確か、なんとか魔王。僕にぴったりだと思った。

 

 最初は家で父さんからサングラスを借りようと思った。

だけど家に向かう途中、お祭りを楽しむ子供達を、着けていたお面を見つけた。

同じ隠すなら、隠れる面積が多い方がきっといい。

そう思った僕は、ここに戻る途中屋台に寄って買っておいた。

 

「なにこれ? なんかの悪役?」

「今やってる戦隊もののボスらしいです」

「おー、お祭り感あっていいねー!」

 

 よく分からないけど、廣井さんにも好評だ。

ひとりもぽけーと眺めるだけで特に何も言わない。

お面のせいでコミックバンド感が出そうだけど、怖がられるよりはいいと思う。

そうだ、これも持ってきたんだった。ひとりに確認しないと。

 

「ひとり、楽譜とスコア持ってきたけど、廣井さんに渡していい?」

「あっ、うん。もちろん」

 

 無事ひとりに許可も貰えたし、廣井さんにベース用の楽譜とスコアを渡した。

いいのー、と喜んで受け取った廣井さんは、数回目を通すと僕に返してきた。

返してきた? 酔ってて読めないのかな。

どういうことだろうと廣井さんを見ると、自信に溢れた笑みが返ってくる。

 

「大丈夫。もう弾けるよ」

 

 信用しちゃいけない発言。根拠なんてまるでない。

そのはずなのに、どうしてか僕達はその言葉を受け入れてしまった。

 

 とにかく、これで準備は整った。

機材は届いた。ひとりも受け入れた。僕も楽器と、顔を隠すものを用意した。

人通りもほどよい程度に戻ってきている。

あとはもう、気持ちの問題だ。僕もひとりも覚悟を決めるしかない。

 

 そうして僕達がそれぞれ準備を進めていると、既に終えた廣井さんに声をかけられた。

彼女はスカジャンを脱いだワンピース姿で、胡坐をかいて座っている。

格好も姿勢もだらしない。なのに何故か、どこか惹かれる貫禄があった。

 

「一応言っとくけど、今目の前にいる人は君達の闘う相手じゃないからね」

 

 僕とひとりの目を見ながら彼女はそう言った。さっきまでの曖昧で揺れている視線じゃない。

思わず目を逸らす。見抜かれるはずなんてないのに、どこか怖かった。

 

「敵を見誤るなよ」

 

 その言葉にひとりは困惑していた。闘う、敵、心当たりがないんだろう。

人前も、演奏するのも怖い。だけどそれを闘う相手、まして敵とは思ってないはず。

だけど僕は分かっている。

 

「大丈夫です。分かってます」

 

 ずっと前から、小学生の頃から知っている。他人は敵だ。

 

 

 





次回のあらすじ
「好意」


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第十七話「敵はどこにいる」

前回のあらすじ
「他人は敵」




 僕は他人が嫌いだ。

何が嫌いかなんて話、考えてもろくなことが無いからすべきじゃない。

だけどこれは僕の過ち、僕への戒めだ。だから、簡潔にまとめよう。

 

 小学校二年生の頃、僕は既に遠巻きにされていた。

入学式の日のトラブル、それから一年間続くあれこれ。

あの後藤、と言えば学校中で通じるくらいには悪名が響いていた。

 

 と言っても、僕はあまり気にしていなかった。

当時から周囲に関心が薄かった僕は、むしろ人に合わせる必要が無くなった、

これで好きなように本を読める、と喜んですらいた。

それ以上に考えが及ばないほど、あの頃の僕は馬鹿だった。

 

 自分の過ちを理解したのは二年生になってすぐ、ひとりの入学式の日だった。

幼稚園でまったく友達が出来なかったあの子は、心機一転してこの機会に頑張ろうとした。

実際に頑張って、勇気を出して、同級生に声をかけようとした。

そして、その同級生の親にそれは阻まれた。

 

「駄目よ。あの子、あの後藤君の妹なんでしょ」

 

 最初は意味が分からなかった。

なんで僕の妹であるだけで、ひとりが避けられてしまうのか。

困惑した。怒りもした。でも、最後には納得してしまった。

 

 僕の評判は最悪だった。それこそ、魔王だなんて大真面目に言われるくらいに。

そんな子の妹、関わりたいと思うだろうか。関わらせたいと思うだろうか。

僕だって思わない。それが答えだった。

 

 失敗に終わった入学式。それでもまだひとりは諦めてなかった。

僕も僕で、ひとりのために自分の評判を変えようと挑戦し始めた。

だけどそれからもずっと、僕は魔王で、ひとりの勇気を受け取ってくれる子はいなかった。

 

 ひとりに友達が出来なかったのも、度を超えたコミュ障になったのも、僕のせいだ。

まだまともだったひとりから、友達を作る機会を奪ってしまった。

コミュニケーション能力を磨く機会を潰してしまった。全て僕の責任だ。

僕がちゃんとしていれば、あの子はきっともっと、楽しい学校生活を送ることが出来た。

だからこの十年間、僕はひとりが友達を作れるようにずっと努力してきた。

結局、ひとりは自分でちゃんと友達を作れて、僕の力なんて必要なかったけれど。

 

 僕は、僕が嫌いだ。

ひとりのことをちゃんと見もせずに、僕を通じて拒絶した他人が嫌いだ。

自分だってこんな偏見で、関係のない他人を見ている。

それなのに僕は、身勝手な嫌悪と怒りを今も抱き続けている。

 

 

 

 

 

 演奏が始まってすぐに気づいた。

ひとりの調子がよくない。音が固い、迷っている、怖がっている。

思えば家以外でひとりの演奏を聴くのは初めてだ。

結束バンドに入った時に、人前で、誰かと一緒だとダメダメだとは言っていた。

それでも、まさかここまで落差があるとは考えていなかった。

 

 そして僕も、ひとりのことを言えるほど余裕はない。

最近練習していたと言っても、ひとりと比べればお遊びに近い。

間違えないように、気持ちを出さないようにするのに精一杯だ。

 

 そんなひとりと僕がいながら、なんとかライブが成り立っているのは廣井さんのおかげだ。

不安定な僕達を支えるように、時にスコア通りに、時にアドリブを入れてベースを弾く。

今までひとりの勉強のため、いくつかライブに行ったことがある。

その全てと比較しても、廣井さんのベースはずば抜けたものだった。

天才という自称も、今となっては信じられる。

 

 斜め後ろに立つひとりの様子を見る。俯き、目を閉じながら演奏している。

開始前廣井さんが言っていた、人目が怖いなら目をつむればいい、という助言を実践していた。

ひとりはよく押入れで演奏している。ほぼ真っ暗で視界が無いのは今と同じ。

それなのにここまで酷くなっているのは、人目が怖いから。

一緒に演奏している僕達と目が、心が合っていないから。

 

 ひとりの代わりをするように、僕は周囲を確認した。

足を止めて聴いているのは十人くらい。あとはちらりと見て通り過ぎて行くだけ。

少ないけれどこの路上ライブは、あくまでチケットを二枚売るためのものだ。

この十人、その内誰か二人の心を動かすだけでいい。

 

 だけどそんなこと、そんなことが本当に出来るんだろうか。

お面のおかげか、観客は誰も怯えていないようだ。

だけど隙間から見る限り、夢中で聞いているようでもない。

もの珍しさに足を止めた、というのが一番近いと思う。

 

 繰り返しになるけど、今の僕達の演奏は酷いものだ。

ひとりの不安定な旋律に僕の無感動な音。

廣井さんは上手いけど、あくまでも僕達のサポートに徹しているから目立たない。

 

 僕達が勝手にここで始めて、勝手に動揺して、勝手に不安になっているだけ。

今この人達はただ聞いているだけ。何も悪いことなんてしていない。

していないのに、僕はまた八つ当たりを、この状況に理不尽な苛立ちを覚えつつある。

そんな自分に更なる苛立ちを感じていると、声が届いた。

 

「が、がんばれー!」

 

 驚きで指が止まりそうになった。急いで心を閉ざす。感情を止める。

理性と感覚だけで体を動かすようにした。

 

 ありえないものを聞いた。がんばれ。ひとりにむけられたもの。

見ず知らずの人が、こんなものを聞いて、どうして。

お面越しに声の方を向くと、浴衣を着た女の人が二人いた。

 

「ちょっとあんた、何言ってんの?」

「だって、ギターの人なんか不安そうだったから、つい……」

 

 長い髪のお姉さんが、短い髪のお姉さんに問いかけていた。

ひとりを見つめるその表情に嘘はない。さっきの言葉にも嘘の響きは無かった。

この人は、本当にひとりのことを心配している。

 

 気がつくと、ひとりの音が安定していた。

俯いていた顔を上げ、閉じていた目も、片方だけ開けている。

半分の光で、他人を、観客たちを見ていた。

 

 分からない。どうして、どうしてひとりが今急に安定したのか。

どうして、あのお姉さんがひとりのことを心配してくれたのか。

他人なのに、何も知らないのに、あの子を心配する理由なんて、何一つないのに。

なんで、どうして、分からない。何も思い浮かばない。頭が疑問で埋め尽くされる。

 

 不意に、ベースの音が強く響いた。楽譜に無い不協和音。

廣井さんが間違えた? 違う、そんな訳が無い。ここまでの演奏で分かる。

あの人は絶対に、こんな単純なミスなんてしない。

思わず振り向くと、彼女は僕を見つめていた。それで分かった。

今のはきっと、僕に声をかけるためだ。

 

『敵を見誤るなよ』

 

 演奏を始める前、あの言葉を伝えた時と同じ目をしている。

同じ目をして、今もう一度僕に問いかけている。

あの時、僕は分かってると答えた。他人は敵だって。

でも僕は本当に、また同じことを言えるのだろうか。

 

 思えばここに立つまで、多くの人達に助けてもらった。

今日だけでも、お巡りさんに岩下さんに廣井さん。

あの人達がいなければ、こうして路上ライブなんて出来なかった。

 

 そもそも、こうしてひとりがライブなんて出来るのも、皆のおかげだ。

ひとりを見つけ出して結束バンドに、今の全てに連れ出してくれた伊地知さん。

個性を、ひとりを認めて、受け入れてくれた山田さん。

ひとりの勇気を受け取って、結束バンドに入ってくれた喜多さん。

皆のことを、結束バンドのことを、他人だから敵だなんて、僕は吐き捨てられるんだろうか。

そんなこと出来ない。考えるまでもなかった。僕はもう、皆のことを好きになり始めている。

 

 そう思った時、視界が広がった。お面が外れた。お祭り用だし、作りが甘かった。

演奏中だから、抑えることも掴むことも出来ない。そのままひらひらと地面に落ちる。

そもそも僕は、そんなことしようとも思えていなかった。目の前の光景に気を取られていた。

 

 さっきまで見えなかったものが、よく見える。足を止めた人、観客の姿、表情。

お姉さんのように心配する人、何かに感心する人、ただはしゃいでいる人。

色んな表情があった。だけど、そこに僕らを否定するような、拒絶や侮蔑の色はなかった。

 

 そうだ、僕の答えは変わらない。僕は他人が嫌いだ。

いつだって好き勝手に噂して、上辺や偏見で決めつけて否定する。

だけど今目の前にいる人達は、皆は、そうだ、きっと敵じゃない。

演奏を通じて、今こうして僕達のことをちゃんと見てくれている。

 

 僕は一歩下がって、ひとりの横に並んだ。今もひとりは片目で演奏している。

もったいないな、って思った。だから、触れる程度に背中を軽く押す。

この程度なら、ひとりの演奏は揺るがない。

驚いて目を見開いたひとりがこっちを向いた。

反射的にもう片方の目も開いている。よし、上手くいった。

 

 成功したことに笑みをこぼすと、ひとりは微かにむっとして僕を睨んだ。

珍しい表情だからいつまでも見ていたい。だけど、今ひとりが見るべきは僕じゃない。

僕は、正面を向くようひとりに促した。

 

 一瞬不満げだったひとりも、すぐにそれを忘れた。

観客の浮かべる表情が変わっていた。心配も感心も、全てひとりの演奏が興奮に変えていた。

今だってひとりの演奏は、ギターヒーローの時とは程遠い。

それでも、さっきまで失っていた力、心を揺り動かす不思議な魅力に満ちていた。

ひとりがギターをかき鳴らす度、その魅力は増していく。

その力に導かれるまま演奏を続け、僕達は最後の音を切った。

 

 

 

「結束バンドで、あのバンド、です。ありがとうございました」

 

 演奏を終えると、観客から拍手が起こった。たった十人程度。

それでもその拍手は、称賛は、笑顔は、僕達の心に響いた。

ひとりと一緒に、なんとなくその拍手にぺこぺこと頭を下げてしまう。

廣井さんはドヤ顔だった。流石現役のバンドマンだ。歓声に慣れている。

 

 頭を下げていると、遠くで僕達を見ていたお巡りさんと目が合った。

声には出さず、口の動きのみで問いかけてくる。もういいか、と。

さっきの演奏を思い出す。きっと今日はあれ以上に出来ない。僕は頷きで答えを返した。

 

「おーい、ここでの演奏はやめてくださーい」

「ぅぇっ!?」

 

 棒読みだった。もうちょっと演技してほしい。

それでもひとりには衝撃だったみたいで、胃がひっくり返ったような声を出している。

補導も逮捕もされないから、そんなに驚かなくても大丈夫なのに。

 

「ねー、許可証あるから平気って言ってなかった?」

「重いです。あれはビラ配り用だから、駄目だったみたいです」

「そっかぁ、じゃ、しょうがないねー」

 

 座っていたはずの廣井さんが、のしかかりながら聞いてくる。

二人を交番に預けた時に、お巡りさんに路上ライブをしていいか聞いたけど、駄目と言われた。

ただ、一曲くらいなら止められないかもなぁ、ともわざとらしく言っていた。

今回はその優しさに甘えさせてもらった。

 

「あのー」

 

 お面をつけてた怖い男、それに絡む酔っ払い、震え続けるピンクジャージ女子。

そんなヘンテコ三人組に声をかけてきたのは、あの浴衣のお姉さん二人組だった。

ここに来てから作った、チケット販売を知らせる貼り紙を持っている。

いつの間にか剥がれ落ちていたらしい。これを持ってきてくれるということは。

 

「すみません、このチケットってまだありますか?」

「二枚下さい!」

「えっあぇ」

「はい、どうどう」

 

 治まりかけていたひとりの振動がまた強くなった。

今度は喜びだと思うけど、一見さんには分からないだろう。

肩に手を乗せてなだめる。どうどう。

 

「一枚千五百円でーす! はい、まいどー!」

 

 いつの間に抜き取ったのか、廣井さんがお姉さん達と、チケットとお金を交換していた。

手癖が悪いけど、助かったから何も言えない。

 

「ありがとうございましたー! ほらほら二人も!」

「お買い上げありがとうございます」

「あっはい、あ、あっありがとう、ございます!」

 

 廣井さんに促され、僕とひとりもお礼を告げる。

噛みまくりのひとりのお礼も、彼女たちは微笑ましく見守るだけだった。

 

「路上ライブ、初めてだったけどよかったです!」

「次のライブも期待してます!」

 

 そんな期待の言葉も、ひとりと僕にかけてくれた。あれ、ひとりと僕に?

僕は次のライブ、というかこれからライブはしないけど。

 

「すみません、僕は結束バンドじゃないので、ライブには出ません」

「えっそうなんですか?」

「でも、僕よりずっと素敵な子が出るので、よければその子も応援してあげてください」

 

 喜多さんの姿を思い浮かべる。

厳しいことを言うと、喜多さんは歌もギターもまだまだだ。

それでもあの華やかさは、きっと彼女たちを惹きつけるだろう。

 

 僕の言葉にひとりが首を傾げている。喜多さんのこと知ってるのかなって顔だ。

そういえば、結局結束バンドメンバーとの関係は、色々あって何も話してない。

情けない話になるけど、いつかは話さないと。でも今日は疲れたし、今度でいいや。

 

 

 

「廣井さん、なんでそんな勢いよくお酒飲んでるんですか?」

「ヤケ酒だよぉ!!」

「えぇ……」

 

 二人組のお姉さんたちを見送って、片付けを進めていると廣井さんがお酒に溺れていた。

路上ライブもチケット販売も大成功に終わったから、やけになる理由は無いと思う。

無いのに浴びるようにお酒を啜る彼女に、僕もひとりも引いていた。

 

「二人ともライブ中にぐっと成長して、私は嬉しいけど、その若さが眩しすぎるんだよ……」

 

 二人とも。ひとりは分かるけど、僕も。僕も何か、成長できたのかな。

分からないけど、廣井さんがそう言うなら、きっとそうなんだろう。

さっきのライブを通じて、僕は彼女のことを信じつつあった。

このしおしおの姿を見ると、信じていいかちょっと迷いが出てくるけど。

 

「ねぇ、ひとりちゃんのチケット、もうないの?」

 

 片付けを終えた頃、廣井さんに問いかけられた。

ノルマは一人五枚。父母僕とさっきのお姉さん達で五枚。

ひとりが調子に乗って、十枚くらい余裕、とか引き受けてなければチケットはもう無い。

 

「あっ、ご、ごめんなさい。さっきので最後です」

「そっか、残念。当日買うしかないかー」

「えっ、き、来てくれるんですか?」

「もちろん! 私、もう二人のこと好きになっちゃったからさ」

 

 へらへらと笑いながら、廣井さんは恥ずかしいことを言っていた。

それは置いといて、ライブに来てくれるのは嬉しい。

だけどこのまま帰して、廣井さんは果たして当日ライブに来れるんだろうか。

お酒で行き倒れるような人だ。日にちと時間と場所、どれかを忘れそう。

 

「廣井さん、僕のチケット買いますか?」

「えっいいのー?」

「………………ぇ」

「はい、いいです。ひとりはその顔やめてね」

 

 死人が出そうな顔をしているひとりを置いといて、僕は廣井さんにチケットを売った。

やっぱりライブに行くのをやめた、という訳じゃない。

そうじゃないから、その顔は本当にやめてほしい。怖い。

 

「悪いけど今度スターリーに行った時に、僕の分はまたもらってきてくれる?」

「……あっ、うん。分かった」

 

 まだライブまで日にちはある。その間に僕の分は改めてもらえばいい。

そう伝えると、ひとりの顔は元に戻った。よかった。死ぬかと思った。

 

「あと、ロイン交換してくれますか?」

「なんか急にぐいぐい来るね。もしかしてー、お姉さんのこと、好きになっちゃった?」

「十段階中四くらいです」

「微妙だ!?」

 

 チケットを持っていてもなお忘れそうだから、連絡先も教えてもらった。

ただ、連絡先を交換した本当の理由は別にある。訃報用だ。

これで廣井さんに何か不幸があっても、僕にも連絡が来るようになった。

失礼な話だけど、彼女はお酒とか事故とかで知らない内に亡くなってそうだ。

ここまでお世話になったのだから、せめてお線香くらいはあげたい。

あとは、まあ、うん。何かあったら連絡があるかなって。

困ったことがあったら、こう、連絡してもらえれば、ね、何かお手伝い出来るかなって。

 

 ちなみにひとりは、僕の四点評価に驚きすぎて変なポーズをしていた。肩痛めそう。

家族以外は一律0点以下ってことを知ってるからね。

今は、そうじゃない人達がいることにも気づけたけど。これもその内話そう。

 

 

 

「じゃあひとりちゃん兄妹、またねー!」

 

 チケットを売って、ロインを交換して、今度こそ廣井さんと別れた。

とんでもなく変で、困った人だった。酔ってるし、吐くし、絡んでくるし。

 

「変な人だったね」

「……うん。でも、格好良かった」

「そうだね。僕も、そう思っちゃった」

 

 それ以上に格好いい人だった。不覚にもそう思った。

それに、大事なことも教わってしまった。

敵を見誤るな。何もかも敵視してしまう僕にとって、今日一番の収穫だ。

 

 ライブ中も思ったけど、今日だけで色んな人に、他人にお世話になってしまった。

廣井さんに岩下さん、お巡りさん、浴衣のお姉さん達、観客の方々。

他人は敵だ、とかなんとか言っておきながらこれだ。自分に呆れる。

でも、不思議と悪い気はしなかった。廣井さんの言う通り、成長出来たのかもしれない。

 

 今日を振り返って感慨にふけっていると、廣井さんが何故か引き返してきた。

忘れ物か何かかな。それとも機材が重いから手伝ってほしいとか。

それくらいなら、僕も喜んで手伝おう。

 

「チケット代で電車賃無くなりました。貸してください……」

「……ライブの日、返してくださいね」

 

 やっぱりこの人尊敬するのやめようかな。

 

 

 

 帰り道、ひとりと並んで歩く。お祭りの会場とは逆方向だから、人通りもほとんどない。

祭りの喧騒を遠く感じながら、のんびりと歩いていた。

慣れないことを多くした疲労感がある。そしてそれ以上の達成感があった。

 

 ひとりもそんな感じだ。疲れてはいるけど、嬉しさを隠せていない。

路上ライブの成功、チケットを売りさばけたこと、色んな喜びを噛み締めている。

喜び過ぎて、あんまりふらふらするから、途中からは手を繋ぐことにした。

 

 手を繋いでからは、僕が引き止めるからふらふらはしなくなった。

代わりに、手を気持ち振り回してはしゃいでいる。

もっと小さかった頃、小学生の頃を思い出す。

 

「よかったね、ひとり」

「うん!」

 

 声をかけてもニコニコしたままだ。

これなら、聞けるかな。今なら素直な感想を聞かせてくれそう。

楽しそうなところに水を差してしまうかもしれない。だけど聞かずにはいられない。

 

「今日の僕の演奏、どうだった?」

 

 途中、我を見失いそうになった。

誰も気絶してないから、なんとか持ち直せたとは思う。

だけど、もしかしたらひとりに気づかれてしまったかもしれない。

僕があんな汚い悪意を持っていることを、この子には知られたくなかった。

珍しく顔を上げて歩いていたひとりは、僕の質問を聞いて振り向いた。

 

「凄く楽しい、嬉しいって、伝わったよ」

 

 そう答えるひとりは、あの頃のような屈託のない笑顔をしていた。

 




次回のあらすじ
「逃走」


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幕間「後藤ひとりの相談事」

感想、評価、ここすきありがとうございます。


「あっ、あの、そ、そそ相談したいことがあるんです」

 

 お兄ちゃんとお姉さんと一緒に路上ライブをして数日後、私はスターリーに来ていた。

今日もライブのための練習と、嫌だけどバイトのためだ。

今は休憩中で皆とお喋り、いや私はほとんど喋ってないからお、喋りって言っていいのかな。

とにかく休憩中で皆がいる。どうしても相談したいことがあったから、勇気を出して声に出した。

 

「チケットのこと? 大丈夫よ後藤さん、気にしないで」

「うんうん、大丈夫、大丈夫だよ」

 

 喜多さんと虹夏ちゃんが優しく声をかけてくれる。

ノルマを達成したこと、相変わらず信じられてない……!

この間お兄ちゃんの分を追加でお願いしたら、凄い可哀想な目で見られた。

よく分からない見栄を張っていると思われてる、私でも分かる。

でももらえないとお兄ちゃんの分が無いから、無理を言ってもらった。

それ以来、リョウさんも含めて皆が優しくなった。消えてなくなりたい。

 

 って違う。チケットのことは当日になったら信じてもらえる、はず。

今相談したいのはそんなことじゃない。お兄ちゃんのことだ。

 

「あっいえ、そ、相談したいのはお兄ちゃんのことで」

「お兄さんのこと?」

 

 代表して虹夏ちゃんが声に出したけど、皆不思議に思っているみたい。

リョウさんですら、首を斜めにしている。

皆も、会ったことも無いお兄ちゃんについて相談されても困ると思う。

それもこんな、初ライブの前にされるなんて凄く困ると思う。

困ると思うけど、私が相談できるのなんて、家族と結束バンドの皆くらいしかいない。

だから、駄目で元々、言うだけ言おうと思った。言えてしまった。

 

 ど、どうしよう。まさか本当に口に出せると思わなかった。

相談しようと思った、で満足するつもりが、出来てしまった。

皆も不思議だなぁという顔をしてるけど、嫌だなぁって顔をしていない。

 

「あっ、その、最近お兄ちゃんの様子が変なんです」

 

 相談を受けてもらえてしまった。こうなったら、言うしかない。

私は、最近のお兄ちゃんの変なところを話し始めた。

 

 

 

「ちょっと、出かけてくるね」

「えっ、また?」

「うん、また。帰りは夕方くらいだと思う」

 

 お兄ちゃんは私と同じ、筋金入りのインドア派、のはず。

今まで、夏休みはずっと部屋で一緒だった。

私がギターを弾いている間、何もなければ一緒に何か勉強をしている。

何かあっても家事とか、ふたりと遊ぶとかで離れることは少ない。

部屋を、それこそ家を出るなんて、お母さんからのお使いとふたりの送り迎えくらいだ。

 

 それなのに、今年の夏はおかしい。

最初はテスト明けだったと思う。人に会いに、果し合いに行くって休みの日に出かけた。

凄く珍しいことだったから覚えている。

あのお兄ちゃんが、家で家族といられる時間を減らしてまで人に会うなんて。

よっぽど重要な事情があるんだなってその時は納得した。

帰ってきたお兄ちゃんは相当疲れていたから、凄い戦いだったみたい。

 

「ちょっと待って、後藤さん。その、果し合いって何なのかしら?」

「あっ、お兄ちゃんにどこ行くのって聞いたらそう言ってました」

「そ、そう。果し合い、果し合い……」

「?」

 

 その日一日だけだったら、何かあったのかなって思っただけだった。

でもそうじゃなかった。それから今日まで、何回かこういうことがあった。

途中から不審に思ってお兄ちゃんの様子を見ていたら、出かける前の日はいつも携帯を見てた。

家族以外の連絡先をお兄ちゃんは知らない、あっ今はお姉さんのもあるんだった。

でも、お兄ちゃんは訃報用って言ってたから、関係ないよねきっと。

というか、訃報用ってどういう意味なんだろう。

 

 

 

「あ、あの感じだと、む、無理やり誰かに呼び出されてるんじゃないかって」

「無理やり? お兄さんが?」

「無理やり……」

 

 虹夏ちゃんが不思議そうに聞いてきた。

あのお兄ちゃんが、誰かに脅されているとは思えない。思いたくない。

だけどいつもそうして出かける時は、何かを決意したような顔をしている。

なのに帰ってきた時は、完全敗北という文字を背負っている。

 

「あっ、お兄ちゃんは頭いいけど、時々抜けているところがあって」

 

 特にいいアイデアだ、なんて本人が思っている時は、大体変なことになってる。

あんなに様子が変だから、きっと今回は自称いいアイデアをいっぱいしたと思う。

だから、相当よく分からない状況に多分お兄ちゃんはいる。

 

「ご、後藤さん。ほら、お兄さんにお友達が出来たー、とかなら自然じゃない?」

 

 喜多さんが何故か焦りながら、ありえないことを聞いてきた。

友達。お兄ちゃんに。へっ。

 

「ふひゅ」

「凄いとこから声出すね」

「あっ、す、すみません。ありえないことを聞いてしまってつい」

「ありえないこと!?」

 

 お兄ちゃんはぼっちだ。しかも私と違って望んで一人でいる。

お兄ちゃんは他人に無関心だけど、意外と親切だ。困っている人を見たら助けようとする。

そうした姿を見ていれば、仲良くなりたい、仲良くなろうとした人もいたはず。

でもその全てを断って、お兄ちゃんは今も一人だ。それもまったく全然気にしていない。

むしろ家族といれる時間が増えて幸せ、くらいに思ってるはず。

 

「あっ、お兄ちゃんは家族以外に無関心なので、友達はありえないと思います」

「あ、ありえない、ありえない……?」

 

 さっきから喜多さんがずっと何かにショックを受けている。

なんでだろう。喜多さんは陽キャの中の陽キャ、クイーンオブザ陽キャだ。

友達がいないとか、いらないなんて発想が分からないのかもしれない。

 

「友達じゃないならー、もしかして彼女とか?」

 

 彼女。お兄ちゃんに彼女。へっ。

 

「ほひゅっ」

「デジャヴ!?」

「あーうん。こっちもなんだね」

 

 虹夏ちゃんの確認を、つい変な風に笑ってしまった。

笑ってしまった、じゃない! 相談に乗ってくれてるのに失礼すぎる!

そんな返答でも虹夏ちゃんはまったく気にしてなかった。よかった……

 

「友達でも彼女でもない人に、何回も呼び出されてるってことかぁ」

「け、怪我とかはしてないんですけど、いつも凄い大変そうで」

「それは確かに心配だね」

「……」

 

 虹夏ちゃんは、こんな私の個人的な相談にも親身になってくれている。

喜多さんは私の相談があまりにも理解できないみたいで、目を逸らして黙ってしまった。

うぅ、ごめんなさい。でも、私も吐き出さないと不安が、このままだと物理的に出てしまいそう。

 

「あっ、あと、もう一つ凄くおかしいところがあって」

「もう一つ?」

「あっはい。い、一緒に下北沢まで行くとき、荷物がたくさんなんです」

 

 虹夏ちゃんは、それの何がおかしいんだろうって不思議な顔をしていた。

あっ、駄目だ、言葉が足りてない。全然足りてない。もっと、ちゃんと話さなきゃ。

 

 

 

「……クーラーボックス?」

「これは、えっと、ご飯?」

 

 バイトや練習で帰りが遅くなる日は、お兄ちゃんも一緒に下北沢まで行く。

過保護だって本人も言ってるし、私もそう思う。

だけど夜の下北沢を歩くのは、正直まだ怖いから、来なくていいよとは言えない。

というか言っても、多分お兄ちゃんは隠れて見守ってくれる。

若干、結構気持ち悪いけど、その気持ちはうれ、嬉しいかな。どうだろう。自信が無い。

 

 それは置いといて、夏休みが始まってすぐ、この日もそうだった。

今までのお休みと一緒で、お兄ちゃんも一緒に行こうとしていた。

違ったのは荷物だ。いつもは、私と離れている間にする勉強道具くらいしか持ってない。

だけどこの日は、大量のおかずをクーラーボックスに入れて持ってきていた。

お弁当を持っていくことはあるけど、こんなことは今までなかった。

 

「ど、どうしたのこれ」

 

 私の問いかけに、お兄ちゃんは明後日の方向を見た。悩んでいた。

数秒その姿勢で悩んで、答えが返ってきた。

 

 

 

「成長期だから、ってその時お兄ちゃんが」

「ちなみに、どのくらいあったの?」

「あっ、えっと、一週間分くらいです」

「……それは、凄く変だね」

 

 神妙な顔で虹夏ちゃんは頷いてくれた。よ、よかった。やっぱりあれ変だったんだ。

あまりにも自信満々だったから、あの時はつい納得しちゃったけど、

いくらお兄ちゃんが男の子でも、あんなに食べれないと思う。

 

 虹夏ちゃんと一緒に悩んでいると、何か固い物がぶつかる音がした。

驚いて音の方を向くと、リョウさんがひっくり返っていた。

 

「りょ、リョウ先輩大丈夫ですか!?」

「うわっ、急に何してるの?」

「ね、眠気覚まし……」

 

 倒れていたリョウさんが、机に手を着いてよろよろと立ち上がる。

凄い痛そうだった。大丈夫かな。リョウさんはいつもと同じ涼し気な表情だった。

その顔のまま、私に問いかけてくる。あっ、でも涙目だ。

 

「ぼっち、それいつの話?」

「え、えっと、確か」

 

 終業式が終わって、天にも昇る気持ちだったから覚えてる。

日付を教えると、リョウさんは考え込むように黙ってしまった。

な、何かおかしなこと言っちゃったかな? 

 

「……きっとそれはボランティアだよ」

「えっ? ぼ、ボランティアですか?」

「そう。私のようにおなかの空いた子供たちに、愛の手を差し伸べている」

「リョウのは自業自得でしょ」

 

 虹夏ちゃんが呆れてリョウさんにツッコミを入れている。

ボランティア、恵まれない子に愛の手を。さっきの友達よりはまだありえるかも。

でもお兄ちゃんならそういう時、ご飯じゃなくてもっと根本的に解決しようとすると思う。

 

「ボランティアじゃないなら、誰か知り合いにあげてるとか?」

「し、知り合い……あっ」

「ぼっちちゃん、もしかして心当たり?」

 

 お兄ちゃんがそこまでするってことは、何か大きな恩を受けたってことだと思う。

大きな恩があって、ご飯を食べてなさそうな人。お姉さんだ。

 

『お腹空いて死んじゃうよ~』

『……お酒ばっかり飲むからです。ほら、これ食べてください』

 

 呆れ果てた目で見つつ、張り切りながら準備するお兄ちゃんが目に浮かぶ。

だって十点中四点もついてる。そんな人から求められたら、お兄ちゃんは頑張っちゃう。

 

 私は確認のため、お姉さんの連絡先を呼び出した。お兄ちゃんと一緒に私も交換してもらった。

少しの間、反応を待つ。呼び出し音が変わった。繋がった?

 

『おかけになった番号は、現在使われておりません』

「……こ、心当たりの人、もう死んでるかもしれません」

「えぇ……」

 

 

 

「まとめると、最近誰かに何度も呼び出されていて、かつ食べ物をたくさん運んでいる」

「あっ、はい」

「うーん、よくわっかんないなー」

 

 虹夏ちゃんが万歳して背筋を伸ばす。

わ、私なんかの相談のために、こんな大事な時期にこんなに悩ませちゃった。

ど、どうしよう。やっぱりいいですって取り消すべきかな。

いや、でも、虹夏ちゃん達優しいから、一度された相談って忘れられないかも。

忘れてって言われたら忘れられるものなのかな。

だ、駄目だ。相談されたことも、忘れてって言われたこともないから、全然分からない!

 

「よし、決めた!」

「ひぇっ」

 

 勢いよく机を叩いて、虹夏ちゃんが立ち上がった。

な、なんだろう。何を決めたんだろう。

 

「バンドTシャツの打ち合わせ、ぼっちちゃんの家でやろう!」

 

 え。

 

「それで、お兄さんの様子も見てみよう!」

 

 え、じゃない! もしかして、これは、私が相談したせい?

そのせいで、こんな大事なことを私の家で!?

 

「え、いや、私なんかのために」

「相談のことだけじゃなくて、私が単純にぼっちちゃんの家行ってみたいから」

 

 むしろ、口実に使って申し訳ないかなー、といたずらっぽく虹夏ちゃんが笑う。

あまりの眩しさに私が目を隠していると、喜多さんも手を挙げた。

 

「あ、はい! 私も後藤さんのおうち行ってみたいです!」

 

 こ、こっちも眩しい! キターンって音もする! 音も眩しい!!

 

「私も行く」

 

 あまりの眩しさに顔を伏せていると、リョウさんの声が聞こえた。

その声に、喜多さんは喜んで、虹夏ちゃんは意外そうな声をあげた。

 

「え、リョウも来るの? お婆ちゃん峠なんじゃないの?」

「確認したいことがあるから。あと、勝手に人のお婆ちゃんを峠にしないでほしい」

「お前が九回も送ったんだろうが」

 

 私を除いた三人で何か話してるけど、私の耳には届かない。

わ、私の家に、友達が、遊びに来る。それも、三人も。

どど、ど、どどどうしよう!? お、お兄ちゃんについて相談したらこんなことになるなんて!

こ、今度はお兄ちゃんに相談しなきゃ。

あっでも、お兄ちゃん皆が遊びに来るって聞いたら、きっと出かけちゃう。

それじゃ、皆が来てくれた意味がちょっとなくなっちゃう。

なんとかして、お兄ちゃんにバレないように皆に来てもらわないと。

 

 楽しそうな皆を見ながら、私はどうやってお兄ちゃんを誤魔化すか、

どうやって皆のことを歓迎すればいいか、店長さんに皆で怒られるまで、ずっと考えていた。

 




まだ会わないです。


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第十八話「兄と妹の頭脳戦」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「少し視野が広がった」

後藤家訪問が書けなかったので誤魔化しました。
代わりと言ってはなんですが、今回は短いおまけがあります。


 結束バンドのメンバーが、明日うちに遊びに来るらしい。

正確には遊びじゃなくて、ライブ用のバンドTシャツデザインについての打ち合わせだ。

だけどそれはうちじゃなくても、いつものスターリーでも出来ることだ。

だから、それを口実にして集まって遊ぶんだろう。

 

 何回か一緒にいるのを見たこともあるし、ひとりの話から仲良く出来てるのも知っていた。

それでもこうして、うちに遊びに来るという結果が出ると喜びも違う。

僕ははっきり言って浮かれきっていたけど、父さんと母さんはそうでもなかった。

むしろ、心配の色を深めているように見えた。

 

「どうしたの、ひとりの友達が遊びに来るんだよ。嬉しくないの?」

「いや、嬉しい。お父さん嬉しいけど……」

 

 父さんに聞いても、歯切れが悪かった。母さんも同じように、思い悩んだ表情をしている。

何か気になることがあるみたいだ。

父さんと母さんがそんな調子だと、僕も不安で喜びきれなくなる。

 

「その、さ。その友達、ほんとに実在してるのかな?」

「!?」

 

 非実在系の友人だと思われてる。

そんな、親として子供を信じて、信じ、信じられなくてもしょうがない気がしてきた。

 

 僕と同じくひとりは筋金入りのぼっちだ。

十年以上もひとりの友達を作るため、二人で色々と試してみたけど成果は無かった。

僕達の努力も失敗も、父さんと母さんはよく知っている。

あの無残な歴史を知っていれば、こうやって疑う気持ちも分かる。

 

「ほ、ほら、部屋にある写真見たでしょ? あれ、友達、メンバー」

「……うーん、でも、最近の合成技術は凄いから」

 

 子供より科学の方が信頼されている。

だけど、ひとりがあんな写真を用意するかというと、どっちかというとする。

それを友達と言い張るのも、どっちかというとする。

あんな写真を作れるのかというと、どっちかというと作れる。

何か反論しなきゃ、このままだと結束バンドが想像上の産物になる。

 

「これ、写真のデータ、未加工だよ。未加工だけど、四人いるよ」

「…………うーん、でも、最近は友達のレンタルっていうのもあるらしいし」

 

 恐ろしいほど信頼度が低い。

むしろ、十数年積み重ねたぼっちの信頼があまりにも重い。

二人にはあんまり心配をかけないように、一時期あることないこと話していた。

その負債が、今一斉に襲い掛かってきていた。

 

 僕が過去の過ちにボコボコにされていると、今まで重い沈黙を守っていた母さんが動き出した。

あの決意に満ちた顔は、絶対にろくでもないことを考えている。

 

「こうなったらお母さん、ひとりちゃんの同級生になるわ」

「やめて」

「大丈夫よ、高校生には何歳からでもなれるから」

「やめて」

「ほら、あの時見せた制服姿、まだいけたでしょ?」

「やめて」

 

 調べてみたら高校は既卒ならほとんどの場合、再入学できないらしい。よかった。

 

「いきなり何言ってるの?」

「お母さんが高校で友達を作って、それをひとりちゃんに紹介するって作戦よ」

「むむむ」

 

 認めるのが癪だけど、何故か成功しそうな気がする。

少なくとも、ひとりに紹介する段階までは上手くいくような気がしてしまう。

こと友達作りにおいて、僕達は母さんの足元にも及ばない。

なんだろうこの敗北感。ここ最近で一番悔しい。

いや、そんな馬鹿な事考えてもしょうがない。

 

「というか信じてないならさ、この大量の下拵えはなんなの?」

 

 父さんと母さんはあれこれ言ってはいたけど、昨日から大量に食材を準備していた。

どう見ても五人分以上、その倍以上はあると思う。買いだめにしてもあまりに多い。

明日皆が来るってことを信じてないと、用意しない量だった。

 

「万が一、万が一本当だったら大変でしょ?」

「万が一……うん。準備してくれてるから、何も言えないけど」

 

 万が一で済んでよかったということにしよう。

ほとんど信じてないのにこうして準備してくれるんだから、むしろ頭が上がらない。

 

「それに準備するの早いでしょ。皆来るの明日だよ」

「……なんというか、落ち着かなくてつい」

 

 落ち着かない気持ちは僕も分かる。ここ最近ずっと、僕もそわそわしている。

そうだ、準備といえば言っておかないと。

 

「僕の分は用意しないでね。明日は出かけるから」

 

 そう伝えると、父さんも母さんも心配の色をより深くした。

僕がひとりの友達を避けているのが分かったからだろう。

 

 実を言うと、皆のことが好きだと気づいてから、避ける必要はないかもしれないと思い始めた。

僕はともかく、僕がいるからひとりのことを嫌う、なんてこと皆はしないと思う。

そう信じてるから、その内ちゃんとした自己紹介をするつもりだ。

つもり、なんだけど、明日やるとすると、三人全員に一気にやることになる。

それはちょっとね、僕の心臓がね、多分破裂する。死ぬ。

だから、明日は一日中どこかへ出かけるつもりだ。まだ死にたくない。

 

「……そういえば、ひとりに買い物頼まれたんだけど、代わりに行ってもらってもいい?」

 

 重くなった空気を払拭するように、父さんが頼んできた。

気を使わせちゃったな、と思ったけど、ちょうどよかった。

今日は父さんと母さんが台所を使っているし、ひとりはずっとそわそわしてて落ち着かない。

ふたりはそんな姉で遊んでて、ジミヘンはそのお目付け役。なんとなく、手持ち無沙汰だった。

 

「いいよ。何買ってくればいいの?」

「横断幕の生地」

「横断幕?」

 

 なんで横断幕。

 

「なんか、こう、歓迎! みたいな文章を飾りたいんだって」

「……どこに?」

「ベランダ?」

 

 ひとりは初めての友達訪問に浮かれている。

なるべくいい思い出になるよう手伝いたいし、要望も出来るだけ応えたい。

だけど横断幕、横断幕かぁ。

 

「大きさとか、どういうの書くのとか聞いた?」

 

 首を横に振られた。横断幕はいいけど、ひとりのデザインセンスは独特だ。

何を書くかによって、買うべき下地の色とか大きさも変わる。

僕は確認のため、ひとりの部屋へ向かった。

 

 

 

「ひとり、入ってもいい?」

「……あっ、だだ、大丈夫、だよ」

 

 ノックをすると、妙にうろたえた返事だった。ここ数日ちょっと様子がおかしい。

浮かれているからだと思うけど、それにしては少し違和感がある。

何も無いのに、たまにじっと僕を見ている。その割に僕が目を合わせると、高速で目を逸らす。

何か僕に後ろめたいことがある時のひとりだ。

最初に見たのは、小さい頃僕の分のおやつまで食べた時だっけ。

今何を隠してるか分からないけど、どうしようもなくなったら教えてくれると信じよう。

 

 部屋に入ると、ひとりは部屋の飾りつけを終えようとしていた。

あちこちに風船や何かギラギラしたものがつけられている。

一番目立つのは、部屋の中央で回り続けるミラーボールだ。

この間から思ってたけど、これはいったいどこで買ったんだろう。

こんなの売ってるパリピ空間に、きっとひとりは耐えられない。通販かな。

 

「今から横断幕の生地買ってくるけど、どんなのがいいとかある?」

「あっ、お兄ちゃん行ってくれるの?」

 

 ぱっとひとりの顔が輝いた。ここまで喜んでもらえると、僕もやる気がある。

それからおずおずと、ひとりはリクエストしてくれた。

ベランダに飾れるくらいの大きさ、色は白、紐で括り付けられる奴。なるほど。

 

「手芸屋とかなら売ってるかな。確か駅前にあったような」

「あっ、えっと、そっちじゃなくて、あそこのショッピングモールに売ってると思う」

「あそこ、駅から遠いところの?」

「うん」

「分かった。じゃあ今から行ってくるね」

「あっ、お兄ちゃん。暑いし、重いし、その、ゆっくり」

「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」

 

 こうして僕は、生地を買いに手芸屋さんへ向かった。

 

 

 

 八月だから当然外は凄く暑い。

ひとりが心配してたし、ショッピングモールに着いてから一度休憩を入れた。

あの子は時々察しがいい。急いで買いに行けば、帰った時に多分気づかれる。

そうなると、僕に無理をさせたことを気にしてしまう。

ひとりには明日を目一杯楽しんでほしいから、あまり僕の事で心を揺らしたくなかった。

 

 明日、明日か。そのことでいくつか違和感がある。

一つ一つは気にしなくてもいいかもしれない小さなもの。

だけど僕の直感が、何かがおかしいと朝から叫び続けている。

ちょうどいい。休憩がてら少しまとめてみよう。

 

 まずはひとりの違和感、後ろめたさだ。感じるようなことあったかな。

強いて言うなら明日、皆が来るときに僕が家を出ることくらい。

それだってひとりは止めているのに、僕が勝手にしていること。

あの子は優しいから気にしてしまっているのかもしれない。

でも、それならもっと口に出して、明日も家にいてね、と言ってくるはずだ。

これじゃないのかな。確定出来ないから保留。

 

 次に父さんだ。なんで今日休みなんだろう。

家にいてほしくない、という訳じゃない。むしろいてくれると嬉しい。

そうじゃなくて、今日父さんは有給を使ってまで休んでくれている。

明日は元々休みだから、準備のためにわざわざ休みを取ってくれたのかもしれない。

 

 準備、そう準備にも引っかかることが多々ある。

食事の準備、下拵え。あれは、すぐにでも調理できる段階までしてあった。

もちろんあの状態で保存しておけば、明日調理しても大丈夫。

だけどあそこまで用意して明日に回すと、少し味が落ちると思う。

量が量とはいえ、そこまでして今日やる必要はないはず。

 

 そしてひとりの準備も少し変だ。部屋の飾りつけが完成しつつあった。

家に皆が来ると決まってから、あの子は毎日のように部屋の飾りつけを色々と試していた。

本番を明日に控えた今日、普段のひとりならもっと焦って試行錯誤が止まらないはず。

だけど、僕が部屋に行った時にはほとんど出来ていて、それ以上手をつけようとしていなかった。

 

 あとそういえば母さんは何故か化粧をしてた。服装も妙に気合が入ってた。変だ。

 

 違和感についてはこんなところかな。

ここまで考えて、確信は無いけど、全ての違和感を拭う答えは既に思いついている。

まさかとは思うけど、確認しなければいけない。僕はひとりに電話をかけた。

 

「も、もしもし。お兄ちゃん?」

「あっひとり、ちょっと聞きたいことが出来ちゃって」

「う、うん。何?」

 

 僕との電話なのに緊張が透けて見える。やっぱり何か隠してる。

これはそれを見抜くための電話だ。単刀直入に僕は問いかけた。

 

「伊地知さん達はもう来た?」

「うん、さっき着い……あ゛っ」

 

 その返答が答えだった。

 

「やっぱり、皆が来るのは今日なんだね」

 

 僕の覚えた違和感は、全てが少し早い、という点にある。

明日のための準備なのに、どれも今日既に終わっている。

今日やる必要のないもの、明日した方がいいと思うものまで全て。

これは明日皆が来る、という前提条件をひっくり返せば全部無くなる。

つまり今日が本番なら、何一つ違和感なんて存在しない。

僕が勝手に勘違いしている可能性も考えていたけど、ひとりの反応でそれもなくなった。

 

「えっ、ど、どど、どうして?」

「一日ずらした日を教える。いい作戦だったね」

 

 当日はともかく、前日なら準備のために必ず僕は家にいる。

この作戦なら僕の行動も場所も固定できる。

ひとりが思いつくとは思えないから、父さんか母さんが考えたのかな。

食事のことも考えると、あの二人もひとりに協力しているはず。

 

 今気づいたけど、こうして僕がお使いをしているのも作戦の内だろう。

家にいる間に皆が来ても、隙を見出して僕なら脱出できる。

だけどこうして外に出て、帰ってきた時に鉢合わせすれば逃げられない。

駅から離れたところを指定したのも、きっと途中で遭遇するのを防ぐためだ。

横断幕、横断幕は多分、本当にひとりは飾りたがっていると思う。

 

 それにしても、こんな作戦を立ててまで僕を皆に会わせようとするなんて。

バイトを始めたての頃はそんな節もあった。

だけど履歴書偽造のお説教も兼ねて、僕が会えない理由を話すとそれからはなかった。

 

「ひとりは僕に、皆と会ってほしいの?」

「えっと、その、皆にお兄ちゃんのことを相談したら、会ってみようってなって」

「相談? 僕のことで?」

「うん」

 

 兄が魔王として恐れられていて、みたいな相談ではないと思う。

魔王か、じゃあ会わないと、なんて勇者系の人は結束バンドにはいないはず。

他に、僕について相談する事なんてあるのかな。

 

「何を相談したのかって聞いてもいい?」

「あっ、えっとね」

 

 夏休みに入ってから、よく分からない外出が増えた。うん。

そしてたまに、意味わからないくらい荷物を抱えて下北沢に行っている。ほうほう。

もしかして変な人に脅されてるんじゃないかと心配している。なるほど。

 

「ごめんなさい」

「!?」

 

 僕がひとりに、結束バンドの人達との関係を黙っていたことが原因だった。

こんな大事な時期に、ひとりに余計な心配をかけた全責任は僕にあった。

 

「ちょっと、その、説明が難しいけど、危ないことはしてないよ」

「で、でも、いつも帰ってきた時は疲れ果ててるよ?」

「それは、なんというか、ほら、ひとりが結束バンドの人といるときと一緒だよ」

 

 音にならない疑問の声が届いた。もう少し詳しく言おう。

 

「楽しいけど、精神力を持ってかれるでしょ?」

「…………た、確かに!」

「それと一緒だよ。楽しい、うん、多分楽しんでたから」

 

 皆への好意を自覚してなかった頃の話だ。当時はそんなこと考えてもいなかった。

だけどカラオケ、あんな密室に喜多さんと、他人と一緒にいても全然苦しくならなかった。

だからきっと、無自覚だけど楽しかったんだと思う。

そっか、前に喜多さんが楽しそうな演奏って言ってたのは、実際に楽しかったからなのかな。

 

「詳しくは、そうだね、今度のライブが終わったら話すよ。結束バンドの人とも会う」

「ほんと?」

「約束する。嘘吐いたら好きにしていいよ」

「……や、破ったら、ほんとに好きにするよ?」

「守るから平気だよ」

 

 約束をして電話を切った。こうでもしないと、僕も皆に打ち明ける勇気が出せない。

ひとりに話して、怒られて、その後怖いけど皆にも話そうと思った。

きっと皆なら、驚きはするけど受け入れてくれると信じる。

駄目でも、受け入れてもらえるように頑張る。そうした方がいいと、そうしたいと思えた。

 

 ただね、こんな初ライブ前の大事な時にね、こんな告白されても困ると思うんだ。

そう、だから今こうして僕が逃げているのは、勇気が出ないからだけじゃない。

色んなことを考えての総合的な結論。決して怖いから先送りしてる訳じゃない。

誰にも聞かれていないのに、僕は心の中でずっと言い訳をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ没シナリオ もし普通に帰宅していたら

「正座に慣れたら」

あらすじ

 何も気づかず帰宅すると、そこには結束バンドの面々がいた。

笑顔の喜多、驚きに声をあげる虹夏、そして気絶する山田。

混沌とした状況は皮肉にも、ぼっちが静かにキレることで終結する。

怒りのぼっちを鎮めるために今、裁判の開催が決定した。

 

 

 8月某日、午後某時、後藤家二階ひとりの部屋。

今ここで、とある裁判が開かれようとしていた。

 

「えっと、弁護人、検事、立証の準備は十分ですか?」

「出来てます」

「はい! 大丈夫です!」

 

 伊地知裁判長が声をかけると、山田弁護人、喜多検事がそれそれ返事をする。

両者ともに自信に満ち溢れていた。どっちの返事も僕の不安を煽った。

 

「では喜多検事、冒頭陳述をお願いします」

「はい、今回の事件は、被告が原告である妹へ吐いたある嘘が発端でした」

 

 

 

 あれは確か、偽装登校をして喜多さんとぶつかった次の日くらいだったと思う。

ひとりが風邪を引く前にした、履歴書の偽造について僕は説教していた。

 

「履歴書はね、個人情報の塊なんだ」

「うっ、は、はい」

「勝手に作るのも応募するのも、罪には問われないよ。でも、倫理的にはどう?」

「よ、よくない、です」

「そうだよね。名前とか住所とか、知らない内に知られていたら怖いよね」

 

 ひとりの風邪が治るまで待っていたから、僕もすでに落ち着いている。

あの時は動揺で頭が回ってなかったけど、よく考えるとひとりならこれくらいやる。

履歴書や布団の中の氷、何も気づけないほどあの頃の僕は浮かれていた。

パニックになると明後日の方向に進む子なのは、とっくに分かっている。

今思えば、兄としてあれくらいの奇行は読んでおくべきだった。

 

 それはそれとして、お説教はする。駄目なことは駄目。

嫌われないといいな、と思いつつお説教を続けていると、ひとりが手を挙げた。

質問があるみたいだ。

 

「……お兄ちゃんはどうしてそんなに」

「スターリーでバイトしたくない理由?」

 

 控えめに頷かれた。

扶養の関係とかいくつか理由はあるけど、一番はもちろん僕の評判だ。

今のところ順調なのに、僕が理由でこの関係を崩したくない。

 

「僕とひとりが兄妹ってバレたら、また大変なことになるからだよ。だから」

 

 

 

「『僕は結束バンドの人とは関わらないよ』という宣言を被告がした、と原告は主張してます!」

「……被告、本当ですか?」

「はい、言いました」

 

 覚えてる。ひとりの複雑そうな顔も覚えてる。

自分で言うのもなんだけど、断言してた。力強く断言してた。腕まで組んでた。

僕の発言に、喜多さんは勢いよく机を叩いた。

 

「しかし、被告は関わらないどころかメンバー全員と交流を深め、遊んだりしています!」

「……」

「…………あの、後藤さん? いえ、あれは遊びじゃなくて、練習というか」

「……」

「あっ、そうね。休みの日に一緒に出掛けたら、それは遊びと同じね、うん」

 

 横に座るひとりに見つめられ、喜多さんはおとなしく座った。

怖い。さっきからひとりが何も喋らない。元々口数は多くないけど、何も喋らない。無。

 

「そ、それでは弁護人、冒頭弁論をお願いします」

「分かりました」

 

 呼ばれた山田さんが音もなく立ち上がった。

謎のプレッシャーが満ちる空気なんて気にしてないように、涼しい顔をしている。

いや違う。滅茶苦茶足震えてる。冷や汗かいてる。ひとりの重圧に負けてる。

 

「被告がしたのは、人命救助です」

 

 それでも、山田さんは高らかに、僕がしたのは人命救助だと主張した。

え、人命救助って何。急にどうしたの。

 

「被告は空腹の私を助けるため、毎日弁当を差し入れてくれただけです。

私と被告の関係はそれだけだから、特に遊んだりはしてません」

 

 そう言って、また静かに座り直した。えっ、それだけ? 弁護は?

あっ、これはもしかして。そうだ、違う。山田さんが弁護してるのは僕じゃない。

自分だ! 自分だけ助かろうと命乞いしてる!

 

「……」

 

 そんな山田さんをひとりはただ見ていた。何か喋って。

 

「で、では、被告。ここまでの冒頭陳述と弁論に言いたいことは?」

「特にありません。全て事実です」

 

 実際言えることはなかった。

ひとりにあんな宣言をしておきながら、結束バンドの皆に接触したのは事実だ。

なんだかよく分からない内に、連絡先を交換していたのもその通り。

僕は、妹にした宣言を全力で破っていた。罪深い存在だ。

 

「裁判長、僕は死刑ですか?」

「これそんな重いやつだったの!?」

 

 伊地知さんが設定を忘れて絶叫した。

妹との約束を破った。ある意味兄としては死んだも同然だ。

 

 神妙にする僕を、いつも山田さんを見るような目で伊地知さんは見ていた。

そして気持ちの整理をつけるように、一度咳払いしてから手を叩く。

 

「えー、じゃあ被告は有罪で。求刑はー、どうするぼっちちゃん」

「……」

「ぼ、ぼっちちゃーん、お願いだから何か言ってー」

 

 じっと伊地知さんを見ていた。やっぱり何も喋らない。

そんなひとりの様子に困り果てた伊地知さんは、もう一度咳払いして判決を出した。

僕達兄妹がご迷惑をおかけしてごめんなさい。

 

「と、とりあえず被告は隅っこで正座してて」

「そんな、僕は死刑じゃないんですか?」

「そっちが不服なの!?」

 

 思っていたより軽い判決が出た。

伊地知さんの指示通り部屋の隅に正座する。

これだけで本当に僕は許されるんだろうか。反省感が足りない。

僕のこの思いを伝えるために、どうすればいいのか。

少し考えて、思い出したものがあった。そうだ、あれを使おう。

 

「ジミヘン、ちょっとあれ取ってきて」

 

 裁判中おとなしく待っていたジミヘンにお願いする。

ジミヘンは驚くくらい賢い。こんな適当なお願いでも理解して聞いてくれる。

実際に少しして、僕が言ったあれを部屋から持ってきてくれた。

しかもお願いし忘れたマジックまで用意してくれた。流石の気遣いだった。

 

「ありがとう、ジミヘン。この後はふたりのことお願い」

 

 あれとマジックを受け取って頭を撫でる。

今一人で暇してるだろうふたりのことを任せると、一声吠えて部屋から立ち去った。

頼りになる背中だなぁと思いながら、受け取ったものに僕はマジックを走らせた。

 

『僕は妹に嘘を吐いた罪深い兄です』

 

 反省を示すため、僕はフリップを首から下げる。いつかひとりがやろうとしていたものだ。

あの時、これなら逆に怒られないかもと思ったから試してみた。

 

「え何それ、ふざけてるの?」

 

 伊地知さんの目はかつてないほど冷たかった。

 





次回のあらすじ
「台風」


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第十九話「嵐の中の静けさ」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「よく逃げる兄」


 結束バンドのライブ当日はあいにくの天気だった。季節外れの台風が直撃して、空は大荒れだ。

それでも電車が止まらなくてよかった。なんとか無事にスターリーまでたどり着けた。

今日はまだ皆に会わないと決めているから、ひとりには先に行ってもらった。

 

 ひとりと別れて、ある程度時間を潰してから僕もスターリーに移動した。

入口の扉付近を見ると、謎の物体が吊るされている。黒く滲んだ目で僕を見つめていた。

皆で作ったてるてる坊主だと言ってたけど、おまじないより呪いに使うものに見えた。

属性的には喜多さんより、僕とかひとりに近いと思う。

 

 扉を開けてそっと中を覗き見る。ひとりは、結束バンドのメンバーはいない。

お客さんはちらほら、既に何人かはいた。こんな天気だから、思ってたよりも少ない。

見回してみても、僕の知っている人、僕を知っている人はいなさそうだ。

これなら僕が入っても大丈夫かな。

 

 なるべく音を立てないように店内に入る。よし、誰も僕を見ていない。

このままライブが始まるのを静かに待つのもいいけど、まずは店長さんに挨拶しよう。

ひとりがいつもお世話になってるから、せめてそれぐらいはしないと。

 

 店長さんはすぐに見つかった。カウンターに伏せてる。

隣には黒髪のお姉さん、多分スタッフさんが座って背中を撫でてている。

具合悪いのかな。夏バテとか? そこも心配だし、声をかけよう。

 

「店長さん、お久しぶりです。大丈夫ですか?」

「えっ、ど、どうも?」

「そちらの方は初めまして」

「あっはい、初めまして」

 

 起き上がってこっちを見る店長さんは、顔全体に疑問を浮かべていた。

目じりにはかすかに涙が見える。そんなに体調悪いのかな。

 

 この様子だと僕のこと覚えてない、もしくは分かってない。

今日はちゃんと変装してきたから、その成果かもしれない。

かつらと眼鏡を取って、抑えていた髪も解放した。ちょっと涼しくなった。

 

「僕です。後藤です」

 

 名乗ると、店長さんの顔が白けたものになった。覚えられてはいた、ただ予想外に冷たい。

 

「なんだお前か。今日は来ないと思ったぞ、恩知らず」

「その節はすみません」

 

 初めてスターリーに来た日、色々と助けてもらったのにあれから一度も来ていない。

理由はもちろんあるけど、来れないこともなかった。恩知らず呼ばわりもしょうがない。

 

 店長さんに僕がなじられていると、横のお姉さんが興味深そうに僕を見ていた。

じっと見つめられる。今日は威嚇する気がないから、目も合わせられない。

微妙に居心地が悪い。

 

「もしかして、後藤さんの?」

「はい。兄です」

「なるほど、君が噂の。あ、私はここでPAをやってる者です」

 

 噂の。どんな噂だろう。

ほうほう、と僕を頭の天辺から爪先まで眺める姿に悪意は感じられない。

だから魔王云々じゃなくて、兄としての話だとは思う。

前と違って、ひとりの兄だと堂々と名乗る僕を店長さんは訝しげに見ていた。

 

「いいの? ぼっちちゃんの兄だって普通に言って」

「ちょっと心境の変化があって、覚悟を決めました」

「虹夏たちには?」

「まだです。でも、ライブ後には」

「ふーん。ま、頑張れよ」

 

 適当な言葉とは裏腹に、声色はどこか優しい。

それが分かってるのか、お姉さん、PAさんもくすくすと微笑んでいた。

店長さんはそんな僕達を睨むけど全然怖くなかった。僕を見習ってください。

 

 店長さんは僕達を睨むのをやめて、代わりに僕の持っているものを見た。

かつらと眼鏡。今日のために用意した変装セットだ。

 

「つーか、それなに?」

「変装です。今日はまだ隠しておきたいので」

「いや変装なのは分かるけど、なんでキノコヘアー?」

「ひとりと下北に馴染む変装ってなんだろうって話して、こうなりました」

 

 酒、タバコ、女遊び、その三つを兼ね備えた下北沢バンドマンスタイルがこれらしい。

以前山田さんがそんなことを言っていたそうだ。偏見に満ちている気がする。

馴染むかどうかはともかく、長い前髪と眼鏡で目が隠れるから、僕に合っていると思う。

説明している間に変装しなおした。昨日練習したから一瞬だ。

 

「どうですか、飲酒、喫煙、女遊びやってそうですか?」

「どう見られたいんだよ。というか、どれかやったことあるの?」

「ないです。未成年ですし、遊ぶ女の子の友達もいません、そもそも友達0人です」

 

 ひとりは卒業したけど、僕は今もぼっちだ。

胸を張って答えると、店長さんが頭を抱えた。その姿勢のまま聞いてきた。 

 

「……今日はずっとその格好?」

「一応そのつもりです」

「そうか。じゃあなるべく私の近くにいるようにしろ」

 

 近くにいろ。居場所に困っていたから助かるけど、どうしてだろう。

不思議に思っていた僕に、PAさんが耳打ちしてくる。

 

「メンヘラとか引き寄せそうな雰囲気しますから」

「メン、えっと?」

 

 メンヘラ、何かのスラングだったりするのかな。

聞いたことがあるような、ないような。どちらにせよ意味は知らない。

理解していない僕の様子を見て、PAさんは何か納得したように、なるほどこれはと呟いた。

 

「……んー、変な人を引き寄せそうだから、私が守ってやるって意味だと思います」

「そうなんですか? ありがとうございます」

「………………店内でトラブルが起こると面倒なんだよ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしながら言い放つ。顔は逸らしっぱなしだ。

僕でも分かる。照れ隠しだ。前も思ったけど店長さんは凄い優しい。

伊地知家の遺伝子にはきっと優しさが詰まっている。

 

 店長さんの言葉に甘えて、隣に座った。

店長さんは相変わらず、机にもたれて気だるそうな姿勢をしていた。

低気圧に弱い体質なのかな。その状態のまま顔だけ僕の方を向いてきた。

 

「そういえばお前一人か。お母さんとお父さんはどうした」

「妹を見てくれるはずだった祖母が来れなくなってしまって、二人とも家です」

「……それならしょうがないな」

「チケット買ってくれたお姉さん達二人も、こんな天気だと怪しいですね」

「ん? あとの一人はどうした、五枚売れたんだろ?」

「最近連絡が取れなくて、多分亡くなりました」

「は?」

 

 廣井さんは忘れてる、覚えててもどこかで行き倒れていると思ったから、昨日連絡した。

まったく繋がらなかった。使われていないという通知まで来た。

予想通り、多分亡くなったんだと思う。結局お線香はあげられなかった。ごめんなさい。

 

 しんみりと手を合わせる僕に、店長さんは引いていた。

微妙な空気になりつつあった頃、入口の扉が乱暴に開け放たれた。

 

「うぇ~い、ぼっちちゃん兄妹、きくりお姉さんが来たよー!」

 

 なんか来た。

 

「今日ってお盆でしたっけ?」

「あれ生きてるよ、足あるだろ」

 

 というか廣井だったのかよ、と店長さんが呟く。

よかった、生きてたんだ。無縁仏にお線香をあげずにすんだ。安心した。

それにしても世間って狭い。店長さんと廣井さんは知り合いだったらしい。

店内の視線を集めるのも気にせず、廣井さんがまっすぐこっちに向かってくる。

正確に言うと、千鳥足だからまっすぐじゃない。ぐねぐねだ。

 

「先輩久しぶり~、今日はライブ見に来ちゃいました~」

「うわっめんどくさっ、てか酒くさっ」

 

 そしてそのまま店長さんに抱き着いた。店長さんは嫌そうな顔をして鼻をつまんでいる。

今日も酒臭いらしい。僕とPAさんは、黙って椅子を動かして二人分ほど離れた。

 

「おまっ、おい、逃げるな!」

「あれー先輩、この子誰ですか? 若い燕ってやつですか?」

「何アホなこと言ってんだよ。自分が誰からチケット買ったのか忘れたのか?」

 

 店長さんの言葉に、廣井さんは興味の対象を僕に移した。

両肩を掴まれ至近距離で顔を覗かれる。今日も酒臭い。

既にPAさんはもっと遠くに避難している。早い、これが大人の処世術。

 

「ん~?」

 

 逃げようと思っても、逃げる場所が無い。じろじろと舐め回すように見られる。

酒臭い以外特に害も無いから、好きなように見てもらおう。変装のテストにもなる。

そう思ってたけど、なんだろう、落ち着かない。

考えてみると、僕はいつも怖がられているから、こんな風に見つめられることはない。

変な気分だ。そわそわする。こういう時、視線はどこに置けばいいんだろう。

 

「ここまで来てるんだけどなー、この眼鏡がいけないのかなー?」

 

 よく分からない気持ちに困惑していると、ひょいっと眼鏡を取り上げられた。

反射的に廣井さんの方を向く。目が合った。

一瞬硬直したけど、すぐに廣井さんの顔に笑みが広がった。

 

「あー! なんだ、君かぁ! びっくりしたー、なにそれイメチェン?」

「イメチェンじゃなくて変装です」

「変装? なんで?」

 

 かくかくじかじか。簡単に事情を説明した。

廣井さんは僕とひとりが兄妹だと知っている。無駄かもしれないけど、口止めもした。

僕の説明をふんふんと言いながら聞いていた彼女は、胸を叩いて宣言した。

 

「わかった! お姉さんにどんと任せて!!」

「いえ、何も喋らないでください」

「えー?」

 

 廣井さんは悪い人じゃない。尊敬もしている。それはそれとしてあんまり信用できない。

どんと任せたら、取り返しのつかない事態になりそう。

僕の気持ちが伝わったみたいで、不満そうに口をとがらせる。

そして店長さんを指さして、大体さ、と切り出した。

 

「魔王くらいなんでもないよ。君の横に座ってる人も魔王だよ」

「え?」

 

 思わず店長さんを見てしまう。二人分の視線を感じて、彼女は舌打ちした。

 

「なんかね、昔働いてた楽器店で凄い強権振るってて、御茶ノ水の魔王って呼ばれてたんだって」

魔王(サタン)……」

「その親近感に満ちた顔をやめろ」

 

 まさか僕以外にもこんなあだ名で呼ばれた人がいたなんて。

店長さんに制止されても、この親近感は止まらない。仲間、仲間がいる。初めての魔王だ。

自分で言うのもなんだけど、多分今目が輝いてる。生まれて初めてかもしれない。

 

 そんな感じで店長さんを見ていると、突然椅子を回転させられた。

ちょうど半回転して、僕は壁と向かい合うようになる。

そんなに鬱陶しい視線だったかな。だったら反省して謝らないと。

だけど違った。店長さんがこんなことをした理由はすぐに分かった。

 

「お姉ちゃん、お客さんどんな感じー?」

「……見ての通りだよ」

 

 伊地知さんの声だ。いつの間にか近くに来ていたらしい。

残念ーと彼女は声をあげている。一番残念なのは僕だ。

仲間を見つけた喜びに、完全に警戒を怠っていた。最近怠り過ぎだ。

 

 横目で確認する。四人いた。結束バンド勢ぞろいだ。

会場の様子が気になって、皆で出てきたみたいだ。

初めてのライブでこんな状況だから、心配してしまうのだろう。

 

 いつもならここで慌てふためくところだけど、今日は違う。

出くわすことも想定していたし、変装もしている。

直接話しかけられなければ、どうということもないはず。

 

「えっと、お姉ちゃん、この人達は?」

 

 そんな気はしてた。

こんな近くに座ってたら、姉の知り合いだと思うよね、確かに。

伊地知さんの疑問には、店長さんが答えてくれた。

 

「こいつらは、あー、あれだ、後輩だ」

「やっほー、ぼっちちゃん来たよー」

「あっ、お姉さん。よっ、よかった、生きてたんですね」

「生存確認が最初に出る人なの?」

 

 存在を主張している廣井さんを見て、ひとりが安心していた。

あの子もやっぱり僕と同じ心配をしていたみたいだ。

そして、わーわー言っている廣井さんを貫通して、僕にも視線が届く。

このまま廣井さんが誤魔化してくれると期待したけど、そうはいかなかった。

 

「あっ、この子はねぇ、ぼっ」

「おっとぉ、また酔ってるなぁ廣井ぃ」

「ばばばばば」

 

 素早いアイアンクローだった。

暴力はいけないけど、時として有効だということを学ぶことが出来た。

廣井さんは信用しちゃいけないなってことも学べた。

 

 この状況だと僕が返事をしないといけない。

アイアンクローからコブラツイストに移行した二人を見てそう思った。

だけど普段通りの返事じゃ駄目だ。この格好に相応しいものをしないと。

 

 演じろ。思い込め。再現しろ。

今の僕はバンドマン。酒、タバコ、女遊びを繰り返す下北マン。

明日を考えず、今日だけを思い、夜ごと享楽にふける人間。

それで、こう、なんというか、アンニュイな雰囲気で生きている男。

頭の中で設定をまとめ上げる。そう、これが僕の答えだ。

 

「……どうも」

 

 出せた言葉はこれだけだった。これただの不愛想な人だ。

僕は演技力もゴミだった。実践してみないと分からないこともあるよね。

 

「えっあっはい、どうも」

「……今日は、楽しみにしてます」

「よ、よろしくお願いします」

 

 それだけ言うと、そそくさと伊地知さんは引き下がった。

あれ、なんか上手くいった。まったく気づかれている気配はない。

どうしてかは分からない。まさか名演技だった? 下北マンってただの不愛想なの?

 

 僕が戸惑いを覚えていると、また入口が開く音がした。

そこにいたのは、あの日チケットを買ってくれたお姉さん二人組だった。

濡れたねー、なんて言葉を交わしながら入口をくぐる。こんな天気の中来てくれた。

 

「あっひとりちゃん!」

「あっ、き、来てくれたんですか……?」

 

 ひとりも駄目かと思っていたようで、声をかけられて表情を輝かせる。

比較的まともにひとりが対応をしてるのを見て、喜多さんは疑問に思ったようだ。

自然とお姉さん達に話しかけている。まったく物怖じしていない。流石だ。

 

「後藤さんのお知り合いの方ですか?」

「はい! 私たちひとりちゃんのファンです!」

「今日も台風吹き飛ばすくらいカッコいい演奏、期待してますね!」

 

 ファンからの声援に、ひとりは恍惚としていた。

慣れていない人には刺激が強い顔だ。あれを見られたら、お姉さん達も帰ってしまうかも。

幸いなことに、彼女達はひとりの様子に気づかず、店内を見回していた。

何かを探しているみたい。だけど見つからなかったようで、ひとりに問いかけていた。

 

「あれ、お兄さんは今日一緒じゃないの?」

「ぬへへぇ、私のファン……はっ、あっ、えっと、お兄ちゃんは」

 

 ちらりとひとりがこっちを見た。彼女達は僕の顔を知っている。

彼女達だけなら変装を解いても構わない。むしろ解いてお礼を言いたい。

だけど今日はそうもいかない。僕は黙って首を横に振った。ひとりに誤魔化してもらおう。

 

「あっ、お、お兄ちゃんはその、一日中壁になってます」

「壁!?」

 

 意味わからないけど、魔王よりはいいからいいや。

壁になった僕を探すように彼女達は、何故か喜多さんと山田さんも、店内をもう一度見回した。

その途中で目が合った。僕と分からないだろうけど、会釈はしておいた。

 

「……!?」

 

 すると身を隠すように逃げられた。慣れた反応だけど、ちょっと変な感じ。

いつもみたいな命の危険を感じたから、じゃない気がする。

この格好のせい? この変装本当に大丈夫かな。避けてくれるならいいのかな。

 

 顔に出さないよう悩んでいると、店長さんが廣井さんを床に放り投げた。

 

「もう本番近いぞ。遊んでないで調整しろ」

「うぅ、でもお客さんどれくらい来てるか気になっちゃって」

「客の数なんて関係ない。多くても少なくても、やることは変わらないだろ」

「そうだけどさー」

 

 いつの間にか、廣井さんはノックダウンされていた。

彼女を打ち倒した店長さんは、追い払うように手を振るう。

ぶーぶー言いながらも、伊地知さん達は言われた通りに引き返していった。

 

「……やっぱり、来てないかな」

「伊地知先輩、誰か探してるんですか?」

「あっ、いや、なんでもないよ」

「? それにしてもリョウ先輩の言ってたようなバンドマン、実在してたんですね!」

「あそこまでの完成度は中々ない。あれは相当遊んでる」

「正直ちょっと怖かったよ。あんな後輩がいるなんて、お姉ちゃんは流石だなー」

「…………あっ、へへっ、そっそうですね」

 

 皆がまた練習しに戻る中、最後尾にいたひとりがこっちを見た。

目が合ったから、微笑んで手を振る。ぎこちないけど両方とも返してくれた。

凄い緊張してる。大丈夫かな。無意識に手に力が入る。汗をかいていた。僕も緊張している。

 

 心配、焦燥、不安、たくさんの気持ちがお腹の中で渦巻いている。

だけど今日の僕はただの観客。ひとりのも自分のも、発散する事なんて出来ない。

息と心を整えて、時計を見る。そろそろだ。ライブが始まるまで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

「そういえば廣井さん、携帯繋がらなかったので心配しました」

「あっ、ごめんねー。ぶっ壊しちゃった!」

 




変装はキノコヘアーぼっちちゃんに眼鏡と女殴ってそうな雰囲気を足した感じです。

感想評価お願いします。

次回のあらすじ
「英雄」


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第二十話「見守る者の心得」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「星歌さんは優しい人」


「一つ言っとくけど、ライブ中は大人しくしてなよ」

 

 ライブが始まる直前、店長さんにそう言われた。言いたいことはなんとなく分かる。

 

「こんな天気だ、来た客も気が立ってる。そんな中で下手な演奏をしたら」

「その、素直な反応がある、ですよね」

 

 店長さんは意外そうな顔をした。

心外と言えば心外だけど、店長さんの知ってる僕は過激派のシスコンで魔王だ。

こうして事前に、優しく言い含めてくれるだけ温情かもしれない。

 

「ちゃんと聴いて、その反応なら仕方ないと思います」

「……意外だな。虹夏から聞いた話だと、もっとおっかない反応すると思ってた」

「いい気持ちはしませんけど、演奏を聴いてどう思うかはその人次第です。

その演奏がよくないものなら尚更です。むしろ、受け止めなきゃいけません」

 

 僕の言葉に、彼女は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。

納得していない、いやどちらかというと心配している。僕を、いや皆を?

その心当たりは僕にもある。

 

「店長さん。今日のライブは、失敗しそうなんですか?」

「………………なんでそう思った」

 

 まず、店長さんの言った通り雰囲気が最悪だ。

天気のせいもある。だけどそれ以上に味方がいないのが大きい。

皆が誘った中で来てくれたのは、お姉さん二人と廣井さんだけだ。

他の観客の目当ては結束バンド以外。当然皆を見る目は厳しくなる。

ホームなのに事実上のアウェイとなっている。

祭りの日、路上ライブで観客の方達に僕達は助けられた。

でも今回は最悪の場合、皆には逆の力が働くかもしれない。

 

 そしてこれが、今の結束バンドにとって初めてのライブだということ。

練習と本番は良くも悪くもまるで違う。二回しかライブをやっていない僕でも実感した。

特に、初心者の喜多さんにはその差異は重く響くはず。

 

 根本的に技量の問題もある。

伊地知さんと山田さんの腕前は分からない。だけどひとりと喜多さんのはよく知っている。

こんな状況だと、ひとりは路上ライブ序盤のような演奏になるかもしれない。

口には出せない、出したくないけど、あれは人前に出せるレベルじゃない。

 

 そして喜多さん。僕の責任も大きいけど、まだ歌もギターも物足りない。

練習でそれだから、初めての本番じゃどれほど力を出し切れるか。

半分も出せれば僕は褒めてあげたい。でもそれは僕だからだ。

他人、何も知らない観客からすれば、喜多さんの事情なんて関係ない。

 

 この二人をどれだけリズム隊、伊地知さんと山田さんが支えられるか。

今日のライブが無事に終わるかどうかは、二人次第だと僕は思ってる。

 

「これだけ悪条件が揃ってれば、嫌でもそんな想像をします」

「聞いてどうする。帰るか?」

 

 店長さんは挑発的に言った後すぐに、はっとして気まずそうに目を逸らした。

観客だけじゃない。店長さんも心がささくれ立っている。無理もない。

こんな中に妹が、伊地知さんが出るんだ。不安な気持ちにだってなる。

僕だって表には出さないけど、嫌な考えがぐるぐるしている。

 

「帰りません。今、僕に出来ることはありますか?」

「何?」

「何か皆の力になれることがあるなら、何でもやります」

 

 そう言うと、店長さんは手を顎に当てて考え始めた。僕はまったく思い浮かばない。

だけど数多くのバンドのデビューを見守ってきただろう店長さんなら、何かあるかも。

期待を込めて待っていたけれど、首を横に振られてしまった。

 

「…………ないな」

 

 店長さんでも、僕の立場で出来ることは思い浮かばないらしい。

思わず肩を落とすと、そこに大人しくお酒を飲んでいた廣井さんが手を回してきた。

頬と頬がくっつく。口が近いからその分息が直接かかる。恐ろしく酒臭い。

邪魔なのでどけようと顔を押すと、抵抗しながら話し始めた。

 

「えー、一番大事なのあるじゃないですか!」」

「廣井さん、今真面目な話なのであっちでお酒飲んでてください」

「声がでかい。あんまりうるさいと摘み出すぞ」

「二人ともツン激しいー。妹がいるとそうなっちゃうの?」

「は?」

「は?」

「あっ、ごめんなさい……」

 

 つい店長さんと二人して睨んでしまった。

さっきまでの勢いが嘘のように、廣井さんが縮こまる。

だけどすぐに廣井さんはお酒を口にし、気を取り直して宣言した。

 

「楽しむことだよ!」

「は?」

「だから、楽しむこと! しけた客相手じゃあ、やっててつまらないじゃん!!」

 

 一瞬何を言ってるのか分からなかった。楽しむこと。

だけどなるほど、確かに一番大事なことかもしれない。

自分のことを、やることを好きになって、認めてもらえるのは嬉しい。

反対に、敵意を向ける人、無関心な人をどう思うか、僕はよく知っている。

 

「……そう、ですね。確かに。楽しんでくれると、演奏する側も嬉しいです」

「でしょ?」

「認めるのが癪だけど、そうかもな」

 

 僕が肯定すると、店長さんも忌々し気に頷いた。

そんな僕達を見て、気分が良くなった廣井さんは、胸を張って得意げな顔をしている。

そして講師か何かのように指を一本、顔の横に立てた。

 

「そういうわけで君が、私たちがすべきことは、どんな演奏でも楽しく聞くこと!」

「ありがとうございます、廣井さん。また教えてもらっちゃいましたね」

「はっはっはー、師匠って呼んでもいいよー!」

「それは嫌です」

「あれー?」

 

 呼んでいいよー、てか呼んでよー、と絡みつく廣井さんを手で押さえる。

アルコールで力が抜けているからか、脱力していて妙に抑えづらい。

変な格闘を続けている僕達を無視して、店長さんはステージを見ていた。

 

「そろそろ時間だ」

 

 時計を見る。店長さんの言う通り、もうすぐ開催時間だ。

廣井さんが教えてくれたアドバイス、楽しんで聞く。頑張ろう。

だけど楽しんで聞くって、どうすれば出来るんだろう。とりあえず聞いてみよう。

 

「ところで廣井さん、楽しく聞くってどうすればいいんですか?」

「えっ、難しいこと聞くね。……可愛い子でも見てればいいんじゃない?」

「お前最悪だな」

「分かりました。ずっとひとりだけ見てます」

「お前も相当だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はじめまして、結束バンドです! 本日はお足元の悪い中お越しいただき、誠にありがとうございます!』

『あっはっはー、喜多ちゃんロックバンドなのに礼儀正しすぎー』

 

 そんな寒気を感じるMCから、結束バンドのライブは始まった。

無言でライブを見つめる僕の脇腹を、店長さんが肘でつつく。

 

「……大丈夫か。目つき悪いぞ」

「……いつもです。店長さんこそ、顔強張ってますよ」

 

 楽しく聞こう。笑顔で見守ろう。そう決めたはずだった。

そんな決意も空しく、僕と店長さんの顔は見事に引き攣っていた。

小声でお互いに指摘し合うけど、二人とも修正しきれない。

僕が言えたことじゃないけど、どっちも子供が見たら泣くような顔だと思う。

 

「二人とも顔怖いよ、もっと楽しく笑顔笑顔!」

「お前は逆にどうしてそんな笑えるんだよ」

「ゲロと一緒に人の心も吐いたんですか?」

「うわこわっ」

 

 僕達を尻目に、廣井さんはいつも通りの笑顔だった。

この地獄のような雰囲気で、この笑顔。信じられない神経だった。

 

「皆一生懸命演奏してる、微笑ましいじゃないですか」

「よくこの空気で言えるな」

 

 店長さんが顔を前に向ける。会場の空気は、ライブ中とは思えないほど冷えていた。

 

 想像していた通り、結束バンドのライブは上手くいっていない。

さっき寒気を感じたように、まずMCが駄々滑りだった。

面白くない中身に、僕と同じくらいの大根具合。掴みを完全に失敗した。

 

 そんな空気の中で始めたからか、演奏も正直酷いものだった。

この間僕達がした、路上ライブ序盤に匹敵するかもしれない。

むしろ廣井さんという調整役がいない以上、こちらの方が乱れている。

 

 まず期待をしていたリズム隊の二人、伊地知さんと山田さんが崩れてしまっている。

伊地知さん、ドラムは音が軽くて単調だ。肩に力が入っている。演奏に集中しきれていない。

視線の動きから緊張と、周りを意識しすぎているのを感じる。

バラバラになった演奏をまとめようとして、自分の演奏を出来ていない。

 

 山田さん、ベースは独奏している。伊地知さんとは逆だ。何も見ていない。

周囲の重圧から身を守るため、自分の世界に閉じこもっている。僕にも覚えがある。

演奏自体は上手い方だと思う。でも、それは個人としてだけ。バンドとしてじゃない。

 

 土台を作るべき二人が不安定だった。だから、それに乗るギター二人も揺れている。

喜多さんは予想通り実力を出せていない。いつも以上にミスが多い。

そのミスに引っ張られて、歌もおろそかになってしまっている。声は上擦り、時々ずれる。

この状況で歌詞を飛ばした様子が無いのは、むしろ褒めるべきかもしれない。

 

 ひとりは、安心しちゃいけないけど、思ってたよりもずっと大丈夫だ。

大体路上ライブ序盤と終盤、ちょうどその中間くらいの調子だと思う。

元々合わせるのが苦手だから、かえって不調な皆に釣られることなく演奏出来ている。

ただ、今のひとりでは、そんな皆を引っ張るほどの実力は発揮できない。

だから、マイナスではないけどプラスにもなれていない。

 

 バラバラな個性が一つになって音楽になる。いつか聞いた山田さんの言葉だ。

今のところ一つになれていない。実現出来ていない。理想にしかなっていなかった。

 

 

 

 そうして、盛り上がりをまったく見せずに一曲目は終わった。

ステージ上の結束バンドには、演奏を終えた安心感も、ライブを楽しむ興奮も見えない。

隠そうとはしていたけれど、ただ焦燥と不安だけが目に浮かんでいた。

 

「一曲目、ギターと孤独と蒼い惑星、でした」

 

 MCの伊地知さんと喜多さんの声が震えている。

その様子が見えているのか、見えていないのか、気にしていないのか。

とある観客が漏らした言葉が耳に届いた。

 

「やっぱり、全然パッとしないわ」

「早く来るんじゃなかったね」

 

 無神経な言葉に苛立ちを覚える。だけど僕にそう思う資格はない。

無関係なバンドがこの演奏をしていたら、僕も似たようなことを思うかもしれない。

もちろんこうして口に出すような、品のない真似をするつもりはない。

ただその態度は、気持ちは、演者にも伝わってしまうかもしれない。

 

 その観客二人から視線を切る。僕は八つ当たりしがちだ。

これだけ苛立ちの込もった状態で目が合えば、間違いなく気絶される。

今気絶者が出てしまえば、ライブどころじゃなくなる。

 

 一度深呼吸して、代わりにひとりを見ようとした。

そしてその途中にあの、ひとりのファンのお姉さん達が目に入った。

こんな演奏を聴いても、彼女達に失望した様子はなかった。

ただ心配そうに、不安そうにひとりを、ステージ上の皆を見ている。

今日もあの人達は味方でいてくれている。

 

 その表情を見て、僕の苛立ちは少し治まった。

そうだ、ここにいるのは敵だけじゃない。敵だとしても味方にしてしまえばいい。

あの子なら絶対に出来る。改めてお姉さん達からひとりの方へ目を向ける。

ひとりは、いつものように俯いていた。だけど僕が視線を移してすぐ顔を上げる。

自然と目が合う。少しの間、ほんの数秒間見つめ合う。

そこで僕が出来たのは、やるべきことは、笑顔で頷いて、背中を押すことだけだった。

今のひとりにそれ以上はいらない。必要ない。

 

「よかった」

「何?」

 

 店長さんの目じりが上がる。こんな状況で何を言ってるんだ、と目が語る。

さっきまでの僕も、よかったなんて言われたら同じ反応をすると思う。

今は違う。ひとりと目が合った。あの子の目に宿るものを見た。

緊張、焦り、動揺、あらゆる負の感情、心を沈めていくもの。

そして、それらを焼き尽くすほどに強い、青い炎のような意思。

 

「店長さん、このライブ成功します」

「は? お前、何を言って」

 

 ひとりが一歩踏み込んだ。そして本能のままにギターを弾き始める。

きっと打ち合わせなんてしていない。その証拠に他のメンバーも唖然と目を向けるだけ。

誰がどう見ても制御できていない大暴走。でもそれでいい。

 

 心に響く。私を見ろ。私はここにいる。私の声を、音を聞け。

ひとりの衝動が、願いが、思いが、欲望が、全て音楽として出力される。

ライブハウスにいる人全てを、今圧倒している。

 

 楽しんで聞く。そんな意識なんてする必要はない。

気持ちなんて、全てひとりが導く。連れていかれる。持っていかれる。

 

「僕のヒーローが、成功させます」

 

 僕が好きな、信じた、かつて全てを捧げると誓った僕の光が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、ひとり。かっこよかったよ」

「ぅぇへへ」

 

 ライブ終了後、打ち上げ前にひとりが一人になった隙を見計らって声をかけた。

一秒でも早く褒めてあげたかった。それくらい、あの時のひとりは輝いていた。

本当なら帰る時、二人で電車に乗る時まで我慢するべきだと思う。

だけど今の僕には、そこまで耐える余裕が無かった。

もう頭も撫でちゃう。抱き上げてくるくる回しちゃう。幸いどれも喜んでくれた。

 

「演奏もこの間の路上ライブよりずっとよかった。ううん、それよりあの時、よく踏み出せたね」

「ぬぅうへへへ」

 

 これ僕の話聞いてくれてるかな。笑い方変わってるし、多分聞いてくれてるよね。

ちょっと不安になる。この子本当にさっきと同一人物なのかな。あの輝きはどこへ。

いや、きっと今日の格好いいひとりは、もう疲れて眠ってしまったんだろう。

今ここにいるのは可愛い、うん、僕としては可愛いひとりだ。何の問題もない、はず。

 

 ひとりの不可思議な笑顔を楽しんでいると、やがて元に戻った。

正直ちょっとどうかなって思ってたけど、いざなくなると少し物足りない。

癖になる笑顔だった。またその内見せてくれるといいな。未来の笑顔に思いを馳せる。

当のひとりは、いつの間にか僕の手を握ってどこかへ連れ出そうとしていた。

 

「じゃあお兄ちゃん、打ち上げ行こう」

「僕は行かないよ?」

「???」

 

 ひとりは心底不思議そうな顔をしていた。こっちは文句なしに可愛い。

 

「ライブ終わったよ?」

「……ライブが終わったら、皆と会うって約束のこと?」

「うん」

「えっ、このタイミング?」

「うん」

 

 濁りの無い、綺麗な目だった。何の疑問も抱いていない、透き通った目だった。

これは本気だ。僕を打ち上げに連れて行って、皆に紹介しようとしている。

それは不味い。間違いなくひとりに怒られて、打ち上げが台無しになる。

 

「あっ」

 

 そんな時、聞き覚えのある声がした。振り向くとそこには伊地知さんがいた。

事件現場に遭遇してしまったような、酷く青ざめた顔をしている。

まさか僕だとバレて、でもそれだと変だ、おかしい。

最近の伊地知さんは僕を見ても怯えないでいてくれる。

 

 彼女は一瞬躊躇して、それから僕達の方へ早歩きで近づく。

そして僕を素通りしてひとりの手を握り、急旋回。そのまま僕に会釈した。

 

「お、お疲れ様です! ぼ、ぼっちちゃん、もう打ち上げ行こっ」

「えっあっでも」

「ね、皆待ってるから、ね!」

「あっはい」

 

 そうして勢いよくひとりを引っ張っていく。助かった。

あのままひとりにどうして、どうして、と詰められたら、多分何もかも白状していた。

一息ついて、そうだ、お疲れ様って言われたのに返してない。言わないと。

 

「お疲れ様です」

「えっあっはい」

 

 すれ違いざまに言って、僕はその場を立ち去った。

僕もひとりたちの打ち上げが終わるまで、どこかでご飯でも食べよう。

気分もいいし、何か豪華なものにしようかな。今日は焼肉だー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぼ、ぼっちちゃん、大丈夫? 何もされてない?」

「え、えっと、何もって何ですか?」

「それは、その、何というか」

「あっ、あの、ライブのことを褒めてもらってただけで」

「……私の早とちりかー。ちゃんと挨拶もしてくれてたし、失礼なことしちゃったかな」

「あっ、あとは、頭撫でてもらったり、抱き上げてもらったりとか、ふへへ」

「…………は? 今そこで?」

「へへっ、あっはい」

「………………ぼっちちゃん、これからは男の人に声かけられたら、必ず誰か呼ぶように」

「え?」

「いい? ぜっっったいに、一人でついて行っちゃ駄目だよ」

「あっはい」

 




次回のあらすじ
「焼肉」


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第二十一話「ぼっち達の対消滅」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「僕の英雄」


 今日は焼肉だー、なんてはしゃいでいたのがついさっき。

実際にこうして焼肉屋さんに来たのはいいけれど、今頭の中は困惑でいっぱいだ。

原因は出会ってからずっと、僕を睨み続けるツインテールの女の子。

この状況を作り上げた張本人、廣井さんは僕の膝に頭を乗せ、気持ちよさそうに眠っている。

なんだこの人。叩き起こしていいかな。とりあえず一度頭をはたく。起きない。

 

「ちょ、ちょっと、何姐さんの寝顔じっと見てるの! いやらしいわよ!」

 

 変な勘違いをしたのか、彼女は大きな声で叱りつけてきた。

僕がため息を吐いて視線を移すと、しっかり目が合った。今度こそ気絶してくれるかな。

震えて、体が斜めになって、だけど目を見開いて立ち直る。

僕が言っていいことじゃないけど、凄い根性だなと思った。

だけど最初は感心していたこの光景も、今はもう見飽きてしまった。

僕は気持ちと状況の整理のため、どうしてこうなったのかを振り返り始めた。

 

 

 

「打ち上げ、来ないのか?」

「はい。僕が行くとその、ライブの話どころじゃなくなる可能性があるので」

「あー」

 

 皆がお店に向かった後、店長さんは打ち上げに誘ってくれた。だけど僕は行けない。

この格好の僕はなぜか警戒されているみたいだし、変装を解けばそれはそれで大変だ。

魔王の襲来だ。どう反応されるか分からないけど、ライブの余韻は消し飛ぶと思う。

 

 僕の言葉に店長さんは斜め上に視線を飛ばした。気まずそう。

そんな僕達の様子を見て、廣井さんが後ろから僕の両肩を掴んだ。

 

「大丈夫ですよ先輩。私この子送ってくんで」

「何が大丈夫なんだ?」

「というか僕はひとりと一緒に帰るので、どこかで待ってるつもりですけど」

「えー、じゃあその間にどっかで一緒にご飯食べよ?」

「……」

 

 絶対今よりお酒飲むよね。凄い面倒くさそう。それは嫌だな。

僕の白けた顔を見て、廣井さんが地面に寝っ転がり駄々をこね始めた。

 

「いいじゃんいいじゃん! お姉さんとご飯食べようよー!!」

「……後藤、悪いけど頼んでもいい?」

「はい、店長さんにはひとりがいつもお世話になってますから」

「これ私の連絡先だ。どうしようもなくなったら呼んでくれ」

「大丈夫です。店長さんは伊地知さん達と楽しんでください」

「本当に悪いな」

「あれ逆じゃない? 私大人だよ?」

 

 大人は路上で駄々をこねないと思う。

ぶーぶー、本当に口でぶーぶー言い始めた廣井さんを連れて、僕はその場を離れた。

店長さんは初めて見るくらい、申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 

 

「廣井さん、何か食べたいものとかありますか?」

「うーんとね、とりあえず新宿行こう!」

 

 なんで新宿なんだろう。言葉に出す前に、僕の疑問を感じ取った廣井さんが続けた。

 

「言ってなかったっけ。私、新宿FOLTってところが本拠地なんだ」

 

 だから新宿の方がいいお店を知ってる、ということらしい。

廣井さん新宿の人だったんだ。それを聞くと、尚更あの日金沢八景にいた理由が分からなくなる。

出会えてよかったとは思うし、このことは考えないようにしよう。

 

 駅まで歩いて、電車に乗って、新宿駅に着いた。

着いたのはいいけど、電車に乗っている数分の間に廣井さんが寝てしまった。

揺すっても声をかけても、頬を叩いても引っ張っても起きない。

このままだと乗り過ごすから、とりあえず背負って降りた。服が酒臭くなりそう。

 

 駅のホームで、乗ってきた電車が走り去るのを見送る。これからどうしよう。

廣井さん寝ちゃったし、このままご飯食べに行くのも大変だ。

ご飯は食べないで家まで運ぼうかな。でも廣井さんの家を僕は知らない。

教えてくれるか分からないけど、聞くだけ聞いてみよう。

 

「廣井さん、お家どこですか?」

「おにころー」

 

 駄目だ、日本語が通じない。こうなると取れる方針は三つだ。

一つ、その辺に廣井さんを捨てる。いくらなんでも駄目だろう。

二つ、下北沢に戻って店長さんに押し付ける。これは論外。

今店長さんは伊地知さん達と打ち上げをしている。妹達の成功を祝っている途中だ。

同じ妹を愛する身として、その邪魔はしたくない。

 

 じゃあ三つ目だ。廣井さんを背負い直して、僕は携帯を取り出した。

新宿FOLTの場所を検索する。結構駅に近い。よかった。

廣井さんは重く無いけど、酒臭いからあんまり長い間背負っていたくない。

 

 三つ、新宿FOLTに届ける。一番無難だと思う。岩下さんがいればその場で預ける。

いなければそこの店長さんに、預かってもらえそうな人に繋いでもらう。

そんな人がいないなら、しょうがないから僕が起きるまで付き合う。

方針も決まった。僕は地図を見て目的地に向けて歩き出した。

 

 新宿の街を歩く。なんだか妙に視線を感じる。ざわざわと、僕らを見て呟いている。

最初は気にしないでいたけど、とうとう携帯を出して写真を撮る人まで出てきた。

許容範囲を超えたから、追い払うように視線を向ける。全員目を逸らして逃げ去った。

よし、退治完了だ。それにしても、こんな露骨に見られるのはなんでだろう。

 

 僕がある種有名だから、ではないと思う。

今のところ僕の悪名は、東京では下北沢周辺で収まっているはず。

新宿なんてほとんど初めて来た。それに今の僕は変装したままだ。

これはこれで悪い風体らしいけど、あそこまで見られるほどじゃないだろう。

 

 廣井さんを、人を背負ってるからかな。そんなに珍しい光景じゃないと思うけど。

今だって視界の隅に、酔っ払いが肩を組んで歩く姿がある。あれだって似たようなものだ。

 

 じゃあ背負ってる人、廣井さんが目立ってる、とか。

あれほどのベースの腕なら、それ相応の高名を誇っていても不思議じゃない。

だから、いや、でも廣井さんが酔い潰れてるなんてきっといつものこと。

こうして誰かに背負われてる姿なんて、新宿の人からすれば見慣れたもののはずだ。

 

 疑問を抱えながら歩く。暇つぶしも兼ねてるから、答えは出なくてもいい。

ちょうど目的地まで半分くらいに差し掛かったところで、小さな影が僕の前に飛び出して来た。

興奮のあまりツインテールを乱暴に振り回し、目は怒りに吊り上がっている。

 

「あ、あああ、貴方! きくり姐さんをどこに連れて行く気!?」

 

 その子は音が出そうな勢いで僕を指差し、がなり立てた。なんとなく小型犬を彷彿させる。

姉さん。廣井さんのことだろうか。なんだ、廣井さんも妹いたんだ。

全然似てないけど、そういう姉妹だっている。兄妹はみんな違ってみんないい。

 

 背中の廣井さんに声をかける。妹さんがいるなら、もう任せればいいだろう。

 

「廣井さん、妹さん来ましたよ」

「私ひとりっこだよ~?」

「あれ?」

 

 それじゃこの子誰? 疑わし気に視線を向けると目が合ってしまった。

ひゅっ、と音の無い悲鳴と同時に、彼女が崩れ落ちそうになる。

不味い。廣井さんを背負っているから、地面に倒れるまでに手が届かない。

 

「…………っ!」

 

 僕の焦りとは裏腹に、彼女は崩れ落ちそうな体を立て直した。凄い。

気絶しない人は今までもいた。だけど、倒れそうになってから立ち直る人は初めて見た。

思わず拍手をしてしまう。

 

「何拍手してるのよ!」

 

 怒られてしまった。今気絶しかけたのにこの子元気だな。

彼女の元気な大声で、背中の廣井さんが動き始めた。

眠そうにあくびをしながら前を見て、彼女を視界に入れた。

 

「……あれ、大槻ちゃんじゃん。おはよー」

「あっ、おはようございます。じゃなくて、姐さんその人から離れてください!」

「その人って、この子?」

「起きたなら降りてください。酒臭いです」

「女の子に酷いこと言うねー」

「……?」

 

 僕が言ったのは廣井さん相手だ。女の子とは一体誰のことだろう。

そんな僕の態度に何故か怒ったようで、廣井さんは臭いを擦りつけようとしてきた。

当然そんなことされたくないから、吹き飛ばない程度に加減をして廣井さんを降ろした。

文句を言いたげだけど、先に僕の疑問に答えてもらおう。

 

「廣井さん、この子のこと御存じですか?」

「もちろん! 大槻ヨヨコちゃん。私と同じとこが本拠地の、SIDEROSってバンドの子だよ」

 

 その紹介に、大槻さんは仁王立ちしている。片手で髪を払ってどこか自慢げだ。

そっか、廣井さんと同じ場所でバンドをしてるSIDEROSの。

 

「そうなんですか。僕は後藤です」

「…………………………それだけ!?」

 

 面白いポーズで驚かれた。廣井さんの知り合いってことは音楽関係だろう。

もしかしてその筋では有名だったりするんだろうか。

だとしても、申し訳ないけどまったく知らない。

最近は忙しくて、あまりその手のことを調べられていない。

 

 興味の無さが伝わる僕の返事に、彼女はますます腹を立てたようだ。

がるる、と唸り声が聞こえそうなほど威嚇されている。

ここまでまっすぐ敵意を向けられるのは久しぶりだ。懐かしい気分になる。

彼女がキーキー言ってるのを見て、廣井さんは首を傾げていた。

 

「もしかして大槻ちゃん、この子のこと気になるの?」

「当然じゃないですか!」

 

 そう彼女が言うと、廣井さんはいつも通りの笑顔で彼女と僕の手を掴んだ。

 

「じゃ、一緒にご飯行こうか!」

「えっ」

「えっ」

 

 僕達は廣井さんにそのまま引きずられていった。なんで?

 

 

 

 そして現在に至る。

ちなみに廣井さんは着いて早々、人の膝で寝始めた。避ける隙もなかった。

なんだこの人。ここまで連れて来た責任を取ってほしい。でも何しても起きない。

一応廣井さんも実は女の人だから、どこまでしていいのか判断がつかない。

諦めて放っておくことにした。寝ゲロだけしないように注意しておこう。

 

 廣井さんを起こそうと試行錯誤していた僕を、大槻さんはきつい目で睨んでいた。

見るからにピリピリとしている。この人も面倒くさそうだ。

二人も面倒くさそうな人がいる。相乗効果で大変なことになりそう。

廣井さんと大槻さんは仲良しみたいだから、このまま押し付けて帰ろう。

 

「それじゃ僕は帰りますね」

「は? ちょっと待ちなさい。貴方には聞きたいことが山ほどあるのよ」

 

 立ち上がろうとした僕の腕を、彼女は身を乗り出して掴んでいた。

放してほしいな。そう思って目を合わせても、彼女は踏ん張って気絶してくれない。

仕方がないから、僕は席に座り直した。

 

「で、貴方はどこのバンドなの? その格好からして下北?」

 

 そういえば今の僕は下北マンだった。目隠しキノコに眼鏡だ。

見た目だけでそう見られるってことは、この格好は本当に下北バンドマンの最大公約数なのかも。

 

「いや、僕はバンドとかはやってないよ」

「その格好で!?」

「この格好は変装だから」

 

 そういえばもう変装する必要はない。僕はかつらと眼鏡を外した。

ネットで抑えられていた地毛が零れ落ちる。長い分量が多い。

それを見て、大槻さんは目を丸くしていた。

 

「髪、長いのね」

「色々事情があって、今は切れないから」

 

 僕の言葉を、ふうんと彼女は流した。

興味はありそうだけど、意外なことに踏み込んでこなかった。

 

「それで結局、姐さんとどんな関係なの?」

「ご注文お決まりですかー?」

 

 どう答えようか悩んでいると、店員さんがオーダーを取りにやってくる。

お店に入ってそこそこ経つけど、一度も注文していない。

いい加減何か頼めってことかな。適当にお肉を頼もうとすると、メニューを取り上げられた。

 

 大槻さんが高くメニューを掲げて僕を見下ろしている、つもりらしい。

身長差的に、彼女がただ上を向いているだけみたいになっている。少し間抜けだ。

呆れ混じりの僕の視線と彼女の視線がぶつかる。また気絶しかける。そして立ち直る。

頑丈だなって他人事のように思った。

 

「焼肉にはね、正しい食べ方があるのよ」

 

 ペラペラとメニューをめくりながら、得意げに語られる。

なんとなくそんな気はしてた。彼女は奉行系の人のようだ。

僕は好き嫌いもないし、注文してくれるなら任せよう。

またペラペラとめくる。また。もう一回。店員さんがじれてきた。

彼女もそれに気づいたのか、急いでメニューをめくって注文を決めた。

 

「……え、Aセット三人前で」

「正しい食べ方……?」

 

 うるさいわねっ、と嚙みつかれる。もう一度、さっきと同じように視線が交わる。

今度はひるむだけで気絶しない。慣れてきたみたいだ。

僕って慣れたら平気になるものなんだ。初めて知った。

 

 彼女と僕の生態に感心していると、膝の上に動きを感じた。ちょっとくすぐったい。

視線を下ろすと、笑顔の廣井さんと目が合った。

 

「私、お酒!」

「起きたなら起きてください」

 

 手を引っ張って体を起こさせる。

へらへらと笑いながら座り直す廣井さんに、大槻さんは僕へ向けたものと同じ質問をぶつけた。

 

「姐さん、こいつとどんな関係なんですか?」

「私とこの子はね、友達だよ!」

「と、友達、ですか?」

「ははは、廣井さん酔い過ぎですよ」

「全否定!?」

 

 廣井さんと会うのは今日で二回目。確かに僕は廣井さんのことは好きだし尊敬もしてる。

ただ、知ってることは凄腕ベーシストで、新宿の人で、お酒に飲まれてる人ってことくらい。

これ友達って言えるのかな。そもそも出来たことがないから、友達の定義が分からない。

 

「というか、どうすれば友達なんでしょう?」

「えー、そんなの簡単だよ。それはね………………」

「そんなのも分からないの? それは………………」

 

 沈黙が流れる。お肉が焼ける音。換気扇の回る音。食器の当たる音。環境音が空しく響く。

友達とは何か、誰も答えをくれない。目を見ようとしても、二人とも目を逸らす。

他のお客さんの、楽しそうな笑い声がした。余計空気が重くなった。

 

「お待たせしましたー、Aセット三人前と生大でーす」

 

 こんな重い雰囲気の中、平然と店員さんは配膳しに来た。これがプロ。

 

「……とりあえず、食べようか」

「……はい」

「……タンから焼きなさい、タンから」

 

 お肉は美味しかった。

 

 

 

 

 

「妹の路上ライブを手伝ってもらった、ね」

「なんやかんやで色々あって」

「なんやかんやで色々って、まぁいいわ。貴方、運がいいわね」

 

 食べながら事情を説明、説明になってないけど、話している内に大槻さんは矛を収めた。

そして今までで一番誇らしそうに、廣井さんの話を始めた。

 

「姐さんはね、あのSICKHACKのベースボーカルなのよ」

「へー、そうなんですか」

「貴方こっちも知らないの!?」

 

 机を思い切り叩いて怒られた。衝撃でたれが零れる。

紙ナプキンでそれを拭きながら、彼女は僕を睨んでいる。

当然途中で何度も目が合うけれど、もうまったく怯まなくなった。

 

 SICKHACK、言われるがまま調べてみると出てきた。

新宿を中心に活動するサイケデリックロックバンド。

どのサイトを見ても、廣井さんを始めとするメンバーの技量や音楽性が高く評価されている。

 

「へっへっへー、凄いでしょ。もっと尊敬してもいいよー」

「すみません、廣井さんへの敬意は今差し押さえされてて難しいです」

「差し押さえされるものなの?」

 

 それと同じくらい廣井さんの素行が酷評されていた。

ライブ中にお酒を吹く、観客の顔を踏む、歌詞を飛ばす、放送禁止用語を叫ぶ。

納得しか出来なかった。ひとりに変なことを教えそうになったらすぐに止めよう。

 

「新宿FOLTのチャンネルにライブの動画もあるから、後で見ておきなさい」

 

 私たちのもあるからそれも見なさい、と大槻さんは携帯を僕に突き付けた。

画面に映っているチャンネル名はそのまま新宿FOLT。帰ったら見よう。

その光景を見て、廣井さんが声をあげた。

 

「あ、そうだ! 大槻ちゃん連絡先交換しなよ!」

「はぁ!? え、姐さん、本気で言ってますか!?」

「だって大槻ちゃん友達いないでしょ? ほらほら貴重な同年代の男の子だよ?」

 

 廣井さんに肩を掴んで揺らされる。酔ってるから力加減を知らないみたいだ。

揺れる視界の中、大槻さんがもじもじしながら携帯を僕に差し出していた。

 

「しょ、しょうがないわね。貴方がどうしてもって言うなら」

「僕は、どっちでも、いい」

「そこはしてほしいって言いなさいよ!」

 

 半ば意地になっていた大槻さんと僕はロインを交換した。

いつも通りのことだけど、登録名の魔王には今回もドン引きされた。

そして対抗して、何故か新宿の魔王になろうとしていた。意味が分からなかった。

 

 

 

 そんな感じでバタバタしながらも、ご飯は食べ終わって今は会計を済ませようとしている。

そこそこいいお値段。それでも三分割すればそこまでじゃない。

僕が財布を取り出していると、廣井さんはそのまま外へ出ようとしていた。

 

「あれ、廣井さんお会計忘れてますよ」

「あっごめんねー、私今お金ないんだ!」

「えっ、それなのに僕の事誘ったんですか?」

「うん!」

「うんじゃないです。今また尊敬が差し押さえされました」

「なんで!?」

「驚かれたこっちが驚きます」

 

 そろそろ敬語が無くなるかもしれない。呼び捨てになる日も近い。

しょうがないから大槻さんと半分こだ。端数が出て一円割り切れない。

小銭をいくら持っていたか確認していると、眼前にお金が差し出された。

半分に一円足した額だ。大槻さんがドヤっとした顔をしている。

 

「私の方が多く払ったわよ」

「そうだね。凄いね。ありがとう」

「貴方本当にむかつくわね!!」

 

 大槻さんは最後まで僕に吠えていた。焼肉食べたから余計元気になった気がする。

 

 

 

「そんな感じで、何故か廣井さんと知らない人とご飯食べてた」

「お、お兄ちゃんが、いつの間にか陽キャに……!?」

「陽キャは何回も人を気絶させかけないと思う」

 

 ふらふらの廣井さんを大槻さんに押し、任せて、下北沢へ戻りひとりと合流した。

バンドの打ち上げと言っても高校生のものだ。僕が戻ってくる頃にはちょうど終わっていた。

その帰り道、ひとりと別れていた時のことを話していた。

いつもは僕が話を聞く側だから、こうしているのも新鮮な気分だ。

 

「それで帰り際、廣井さんにギターもっとやろうよって誘われた」

「えっ、お兄ちゃんもバンド組むの?」

「組まないよ。僕は音楽以外で出来ることをやりたいから」

 

 この間の路上ライブで事故が起きなかったのは奇跡だ。

ひとりがいて、廣井さんがいて、観客の方が皆いい人だった。だから何とかなった。

少しは意識も変わったけど、今も僕は他人が嫌いだ。

この気持ちがある限り、僕の演奏はいつだってテロになりうる。

 

 それに、音楽の道は険しい。全力のひとり程の腕があっても、成功できるか分からない。

人生は長い。何があってもいいように、僕はひとりの保険として生きていくつもりだ。

適当に士業の資格でも取って、この子を養う準備をしておかないと。

ひとりの確定申告をしたいから、税理士なんてどうだろうか。

 

「ひとりの方は何かあった?」

「……に、虹夏ちゃんに、ギターヒーローだってバレた」

 

 思わず足が止まる。数歩先で、僕が動かないことに気づいたひとりも止まった。

 

「どんな反応だった? 伊地知さん、なんて言ってた?」

 

 今のひとりの演奏とギターヒーローのそれはまるで違う。

ずっと隠してたのは、比べられて失望されるのが怖かったから。

伊地知さんなら悪い反応はしないはず。そう信じてる。信じたい。

それでも心のどこかで、嫌な気持ちが生じるのを抑えられなかった。

 

 ひとりは僕の問いかけに少しだけ考え込み始める。

そして見たことのない、恥ずかしそうな嬉しそうな、それでいて誇らしそうな笑顔で答えた。

 

「…………内緒っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姐さん、どうしてあそこまであいつに」

「あの子とっても面白い子でね、楽器弾けるのにバンドやってないんだ」

「それは、別に普通の事じゃ。音楽のやり方なんて人の自由です」

「今は妹ちゃんを支える方が楽しいみたい。その子も凄くいい子だよ。これから絶対伸びる」

「結束バンドの、後藤ひとり……」

「だけどもったいないなー」

「もったいないって、あいつそんなに弾けるんですか?」

「技術は全然荒削りだよ。ただ」

「ただ?」

「あの憎悪、いい音楽になりそうなのになって」

 




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次回のあらすじ
「激怒」


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第二十二話「怒れるぼっち」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「新宿にも魔王が生まれかけた」


「それで、喜多さんとは最近カラオケで歌の練習をしてて」

「……」

「山田さんとは直接会ってないけど、ご飯を提供してる」

「……」

「ほら、あの人ほっとくと草を食べて生きようとするから」

「……」

「伊地知さんとは、特に何もないかな。クラスメイトだからたまに話すけど」

「……」

「ほんとだよ? 連絡先も知らない、あっ、聞けば教えてくれるかな」

「……」

「あっはい。ごめんなさい。聞いてたらもっと駄目ですよね」

 

 ライブ翌日、ひとりに現状を説明した。そうしたらこうなった。

今はひとりの部屋でお互いに向かい合い、膝をくっつけながら正座している。

ひとりは俯いていて、つむじしか見えない。どんな顔をしているか分からない。

逃げる気はもちろんないけど、両腕の袖を摘ままれていて身動きが取れない。

この体勢でかれこれ三十分ほど、ずっとひとりは黙っている。

 

 これは、怒ってる、のかな。

ひとりは割と分かりやすい子だけど、この反応はどうなんだろう。

戸の隙間から、僕達を覗き見る父さんたちの顔を見た。

父さん、母さん、ふたり、ジミヘン、皆顔を横に振った。誰も分からないらしい。

 

 このままだと、どこまで怒っているのか、どうすれば許してもらえるのか、想像もできない。

僕が困っていると、部屋の外にいたジミヘンがこっちに駆け寄ってきた。

一度僕の膝を叩くと、ひとりの顔の下に身を寄せる。僕の代わりに確認してくれるみたいだ。

ひとりを見上げるジミヘンの様子は変わらない。尻尾もよく振っている。

僕の膝に登って元気づけるよう一度吠えると、そのままふたりの元へ戻って行った。

この感じだと、そこまで深刻に考えなくていいのかな。

 

 その時、机の上にある僕の携帯が震えた。誰かから連絡が来たようだ。

 

「おにーちゃん、電話よんでるよ」

「ふたり、取ってくれる?」

「はーい!」

 

 ふたりは喜んで僕の手元まで運んでくれた。

ひとりに摘ままれている体勢のままだから、このままだとひとりにも画面を見られる。

でも見られて困るようなこともないか。特に洗いざらい話した今なら、隠すことも無い。

 

 連絡は喜多さんからだった。

 

『また練習に付き合ってくれませんか?』

 

 いつもの練習の誘い。最悪、あるいは最高のタイミングだ。

ライブも終わったし、そろそろ僕とひとりについて打ち明けるつもりだった。

いい機会だから、この時に言おう。そう決めた僕の袖が強く引かれた。

 

「……一緒に行く?」

 

 ひとりは俯いたまま、黙って頷いた。

 

 

 

 初めての日以来喜多さんは僕を気遣って、人通りの少ないところを集合場所にしてくれる。

ただ、そういうところに喜多さんを一人で待たせるのは、僕が不安になる。

経緯はどうであれ、よそ様の娘を預かるのだから、危ない目に合わせる訳にはいかない。

なのでいつも、集合時間より早めに来るようにしている。

 

「喜多さんは、まだ来てないみたいだね」

「……」

 

 今日も三十分前には到着した。喜多さんの姿はまだ見えない。

ひとりも一緒だと、人通りの少なさがまた助かる。

原因の僕が言うのもなんだけど、ひとりはまだ摘まみ状態から回復していない。

今も僕の背後で、ずっと袖を摘まんでくっついている。暑い。

この中で人ごみに飛び込んでしまえば、どれくらいの被害が出るのか想像も出来ない。

 

 相変わらずひとりは僕に顔を見せてくれない。口も利いてくれない。

だけどこうしてくっついてくるし、声をかければ反応はしてくれる。

怒ってるのか怒ってないのか、何を考えているのか、どうしてほしいのか。

こんなにひとりのことが分からないのも久しぶりだ。

 

 ひとりの重圧を背中に感じながらしばらく待つと、見覚えのある人影が近づいてきた。

喜多さんだ。片手を挙げると、早足でこちらに歩いてくる。

 

「お待たせしました、先輩」

「ううん、今来たところだよ」

「ふふっ。先輩、いつもそう言ってますよね」

「本当のことだから」

「分かりました、そういうことにしておきます」

 

 喜多さんと挨拶を交わしていると、何故か背後のひとりが振動を始めた。

摘ままれている僕も一緒に震える。今日の振動は強い、震度五くらいかな。

これくらいなら平気だ。ひとりは置いといて、喜多さんに話をしないと。

 

「喜多、さん、カラオケ、行く前に、話したい、ことが」

「何の揺れですかこれ!?」

 

 僕の異常を確認するように、喜多さんは僕を観察し始めた。

そこで袖にかかった指を見つけたようだ。その指の主、ひとりを目にする。

大きな目がますます大きくなり、輝きが強くなる。あれ?

 

「あっ、今日は後藤さんも一緒なのね!」

「えっ、あっ、はい、い、一緒です」

 

 ひとりが喋ってくれた。やった、じゃない。

喜多さんは今確かに驚いた。驚いたけど、想像してたものじゃない。

どういうことだろう。僕が想像してたのはもっと違う。

 

『な、なんでここに後藤さんが!?』

『実は僕達兄妹なんだ』

『えぇぇぇぇぇ!?』

 

 みたいな激しいもの、系統的には幽霊を見た時のような、ありえないものを見た時の反応だ。

だけど今のは、驚きは驚きだけど嬉しい驚きというか、遊園地で出すような驚きだ。

なんというか、ギャーって言われると思ったら、きゃーって言われた気分。

上手く言語化出来ない。ちょっと混乱してるな。一度冷静になろう。

 

 一回深呼吸。よし。今の反応、知らないものを知った時のものじゃない。

だから僕の想像が正しければ、喜多さんは既に僕とひとりのことを知ってることになる。

どういうこと? 知ってたなら今までなんで、でもそれなら確かに今までの疑問点が。

いや、よく考えるとどっちでもいい。元々今日はそれを言いに来たんだ。

知ってても知らなくても何も変わらない。僕は喜多さんに切り出した。

 

「喜多さん、実は僕とひとりは兄妹なんだ」

「…………知ってますよ?」

「ぅうええええええ!?」

 

 決意を込めた言葉に返ってきたのは、困惑だった。

喜多さんの代わりに、ひとりがギャーって感じの声をあげてくれた。ありがとう。

当然そんな声をあげれば注目される。これだとゆっくり話も出来ない。

早くカラオケまで移動した方がいいな。

 

「喜多さん、事情を説明したいから移動してもいい?」

「は、はい」

 

 

 

「えっ、あれで隠してたんですか?」

 

 カラオケに着き、僕達の事情を聞いた喜多さんは開口一番こう言った。切れ味が鋭い。

僕の三大ゴミ技能、会話、嘘、演技は全部喜多さんには通じていなかったらしい。

もう身の程を知ってるから、力量を思い知らされても傷つかない。本当だよ。

 

「いつ兄妹だって気づいたの?」

「下北沢で一緒にお買い物した時には気づいてましたけど……」

 

 初手だった。僕のここ数か月の努力は何だったんだろう。

ロインを魔王にする必要なんてまったくなかった。無駄魔王だ。

ため息を吐く僕の背中を、ひとりが慰めるように撫でてくれた。

 

「ありがとう、ひとり」

「……」

 

 お返しに頭をそっと撫でる。抵抗はない。これはいいんだ。

だけどさっき喜多さんとは話していたのに、僕にはまだ口を利いてくれない。

僕達のその変わった様子を見て、喜多さんは首を傾げた。

どうして僕と話さないのか、分からないんだろう。僕も分からない。

 

「後藤さんどうしたの? 喉痛いの?」

「あっ、いえ、そういうわけじゃ」

「じゃあなんで先輩とお話ししないの?」

「そ、そそ、それは、その」

 

 それをそのままひとりにぶつけていた。強い。僕達じゃとても勝てない。

背中のひとりが視線を迷わせているのを感じる。ひとりがこうなったのは僕のせいだ。

僕が返事をしないと。

 

「これは僕が悪いから」

「そうなんですか?」

「さっきも言ったけど、僕は結束バンドと関わらないって言ったのにこれだから」

「それで後藤さんは怒って、怒ってる?」

「話してくれないし、顔も見せてくれないから分からない」

 

 喜多さんは僕の横に回り込み、ひとりの様子をじっと見ている。その姿勢のまま問いかけた。

 

「後藤さん、怒ってるの?」

 

 本当に強い。喜多さんは無敵だ。物怖じせず、気になったことを直接ぶつけている。

ひとりがそんな彼女に勝てるはずもなく、あわあわしているようだった。

 

「あっ、その、怒ってる訳じゃ」

「そうなの? じゃあどうして?」

「い、いま、お兄ちゃんと話すと、爆発しちゃうので」

「……先輩、後藤さんって爆発出来るんですか?」

「たまにするよ」

 

 喜多さんは部屋の入り口を横目で見た。逃げようとしている。

ひとりと仲良くし始めて数か月だ。その経験で本当に今爆発しかねないと思っている。

爆発自体はするけど、命に支障はない。喜多さんの誤解を解こう。

 

「大丈夫だよ。物理的な破壊力は無いから」

「ぶ、物理的じゃない方は?」

「あるけど、今のは多分嘘だから今日はどっちもないよ」

 

 僕の言葉を確認しようと喜多さんがひとりに目線を戻す。

普段からは想像できない反応速度で、僕の背中にひとりは姿を隠した。

この感覚、なんとなく覚えがある。あれは僕達がもっと子供の頃だった。

 

「こうしてると、小さい頃思い出すな」

 

 漏れ出た僕の独り言に、喜多さんは何故か目を輝かせて反応した。

 

「小さい頃ですか?」

「うん。小学校くらいまではずっと、こんな感じでくっついてたから」

 

 ひとりが一緒の時はこの子を守ろうって意識が強すぎて、周囲を威嚇していたかもしれない。

今思うと、あれのせいでひとりへの腫物扱いが加速してたような気もする。

自分の馬鹿さ加減を思い出して、深いため息を吐く。それに連動してひとりが飛び上がった。

 

「ぴょぉぉぉっ」

「こ、これは何ですか、先輩!?」

 

 謎の挙動を見せるひとりに、喜多さんが動揺している。

これは変な誤解してるな。訂正しておかないと。

 

「ひとりがこうして頼ってくれるのは、昔からずっと嬉しいよ。

ただ、ついでに自分の駄目なところというか、失敗も思い出しちゃっただけだから」

 

 そう伝えると、飛び上がって硬直していたひとりが、元の位置に戻った。

僕がこの体勢を昔から嫌がってたって、ひとりは多分勘違いしかけてた。

だけどちゃんと気持ちが伝わったみたいだ、よかった。

一安心していると、喜多さんが感心したように僕達を見ていた。

 

「先輩って、後藤さんの考えてること分かるんですね」

「兄妹だから」

「いいですよね、そういうの。家族の絆って感じがします」

 

 そこまで言って、喜多さんは言葉を切った。

そして少しの間考え込むと、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

怖い。喜多さんのいたずらに僕が勝てる気がしない。何をされるんだろう。

 

「一回、お兄ちゃんって呼んでみてもいいですか?」

「えっ、それは」

 

 否定の言葉を出す前に、強く袖を引かれた。今までで一番強い。

振り返るとやっぱり見えるのはつむじだけ。でも今だけは言いたいことも分かる。

心配しなくても大丈夫。僕の答えは決まっている。

 

「ごめんね喜多さん。僕の妹はひとりとふたりだけだから」

 

 ひとりの力が弱まった。喜多さんは、あれ、断られたのに笑顔のままだ。

 

「残念です!」

 

 むしろ笑みを深めている。残念だって気持ちが伝わらない。いたずら指数が更に増している。

今の答えにそうなる要素あるの? それとも断られることが前提だった?

それよりも、笑顔の対象がひとりになっているのが気になった。

 

 喜多さんはそのニマニマとした笑顔のまま、僕に、というよりひとりに近付く。

 

「ちょっと後藤さんお借りしますね」

「あっはい、どうぞ」

「あっ、えっ、き、喜多さん、どこへ」

 

 そして僕の背中から喜多さんはひとりを剥がした。手を取ってそのまま部屋の外へ向かう。

ひとりの疑問に答えるため、僕に伝えるために、喜多さんはウインクしながら口を開いた。

 

「女の子の内緒話をします!」

 

 女の子の内緒話。よく分からないけど、妙な圧力を感じる言葉だ。

だからそれ以上触れることなく、手を振って二人を見送った。

 

 

 

 数分もしない内に戻ってきた喜多さんの手には、見慣れたピンク色の物体が乗っていた。

 

「後藤さん溶けちゃいました……」

「まだ女の子の内緒話は難易度が高かったみたいだね……」

 

 喜多さんから元ひとりを受け取る。

とりあえず横の席に座らせ? 寝かせ? うん、置いておこう。

どう表現すればいいのか分からない動作をしている僕の前に、喜多さんが座った。

 

「先輩でも、今の後藤さんは分かりませんか?」

「物理法則も何もあったものじゃないから」

 

 一時期あらゆる理系科目が出来なくなったことを思い出した。

科学、物理学、生物学、ほぼ全ての基礎理論が信じられなくなった。

今は広い心で、何事も例外はあるよねと受け入れている。諦めたとも言う。

 

「そういう意味じゃなくて、何を考えてるか、です」

 

 遠い目をする僕を喜多さんは切り捨てた。最近は喜多さんも遠慮しなくなってきた。

それは置いといて、ひとりがいったい何を考えているか。僕もずっと悩んでいる。

 

「困ったことに、今回はあんまり分からない」

 

 ひとりは素直な子だ。

出力の段階で不可思議な動きをするから誤解されやすいけど、喜怒哀楽は分かりやすい。

楽しいときは楽しい気持ち、悲しいときは悲しい気持ちで一杯になる。

だから、僕は今回かつてない勢いで怒られると思っていた。だけど実際はこれだ。

黙っていた僕への怒り、教えてくれなかったことへの不安、僕が人と仲良くしていた喜び。

あとその他諸々の感情が入り混じっていて、ひとりが今何を考えているのか分からない。

 

「今の、あんまり分からないって言いませんよ」

「うーん、でも一番大事なところを理解できていない気がする」

 

 僕の所見を述べると、喜多さんはちょっと引いていた。兄妹ならこれくらい出来ると思う。

腕を組んで首を傾げる僕に、喜多さんは更に問いかけてくる。

 

「先輩は後藤さんが私たちと仲良くなって、寂しくありませんでした?」

「少しはね。それよりも、嬉しい気持ちの方が大きいから」

 

 一緒にいる時間が減って、もちろん寂しく思う時もある。

だけどそれ以上に、毎日楽しそうなひとりを見られる幸せの方がずっと大きい。

十年以上求め続けて、やっと手に入ったもの。目の当たりにする度に寂しさなんて消し飛ぶ。

 

 僕の返答を受けて、喜多さんは言葉に迷い始めた。

違う答えだと想像していて、その答えから言いたいことへ繋げようとしていたのかな。

しまった。喜多さんがせっかく話してくれようとしたのに。なんとか軌道修正しないと。

 

「実は狂おしいほど寂しい」

「極端ですね!?」

 

 なるべく真剣に伝わるよう、大真面目な顔で言ってみた。信じられた。

まさかここに来て、僕の演技力が向上している? 今更上がっても使いどころがない。

僕の失敗した軌道修正を受けて、喜多さんはまた別の質問に繋げた。

 

「えっと、それで先輩は私たちに、その、妬いたりしませんか?」

「嫉妬? そんなこと、したこともないけど」

 

 結束バンドの皆には感謝しかない。嫉妬なんてとんでもない。

僕がしてあげられなかったこと、僕達が出来なかったことをしてくれた。

神棚の一つや二つ作ろうかな、なんて思ったこともある。図面はもう作った。

 

 喜多さんは手を顎に置いたり、お腹の前で弄ったりし始めた。

また、言葉に迷っている。また迷わせてしまった。今度こそ正しい軌道修正をしよう。

 

「実は殺したいほど嫉妬してる」

「ま、魔王!?」

 

 喜多さんに呼ばれるのは初めて、新鮮な気分だ。

というか、やっぱり噂の魔王が僕ってことも知ってたんだ。

それなのに初対面の時からずっと、こうして普通に話してくれる。喜多さんはいい子。

 

 そんないい子の喜多さんは、僕の言葉で顔を真っ青にしていた。ごめんなさい。

 

「ごめん、怖かったよね。冗談だよ」

「き、気をつけてくださいね……」

 

 楽しくて自分の魔王感をうっかり忘れてた。はしゃぎすぎはよくない。

それにしても嫉妬、嫉妬か。今の状況に何か関係あるのかな。

 

「嫉妬がどうかしたの?」

「……本気で言ってますか?」

「うん」

 

 重い重いため息を吐かれた。僕を見る目も呆れ果てている。

喜多さんにこんな目で見られるなんて。動揺する僕へ彼女は告げた。

 

「じゃあ教えてあげません。女の子の秘密です」

 

 なるほど。

 

「兄じゃなくて、姉に産まれればよかったのかな」

「そういう問題じゃないですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、あの、喜多さん、内緒話って一体」

「ごめんね後藤さん、お兄さんと引きはがしちゃって」

「あっ、いえ、それは別に」

「一つだけ、伝えておこうと思って」

「な、なんですか?」

「大丈夫よ後藤さん。お兄さんのこと、取ったりしないから」

「な゛っあ゛ぁ゛」

「ふふっ、後藤さん真っ赤になってかわ、え、あか、赤過ぎない? というかこれ溶けてる!?」




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次回のあらすじ
「約束」


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第二十三話「情緒小学生三人組」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「クソボケ系兄」


注文した唐揚げとポテトの匂いでひとりが復活した。

 

「はっ」

「こんな風に好きなものを近づけると、復帰までの時間が短くなるよ」

「なるほど、勉強になります後藤博士」

「うん。喜多さんには期待してるから、よく勉強してね」

「はい!」

「あっ、あの、どど、どうして私を囲んでメモを?」

 

 自分の生態を喜多さんに教えている僕を見て、ひとりが困惑していた。

喜多さんはひとりと学校も学年も同じ、しかもギターは師弟関係だ。

結束バンドの中でも、一番ひとりと接する機会が多い。

今後のためにも、僕が教えられるひとりのことは出来るだけ伝えた方がいい。

 

 蘇ってしばらくの間、ひとりは呆然と僕達の様子を見ていた。

やがて溶ける前のことを思い出すと、再び僕の背中に隠れようとする。

ひとりのためにも、協力してくれた喜多さんのためにも、こんな状況は早く終わらせないと。

その両肩を掴んで、強引に僕の方を向かせた。もちろん目は逸らされる。けど関係ない。

 

「あのねひとり、大好きだよ」

「!?」

「きゃーっ!」

 

 喜多さんが黄色い声をあげた。反応しないようにしたけど、凄いびっくりした。

彼女の方からかつてないほど陽のオーラを、キターンって擬音を感じる。そっとしておこう。

今はひとりだ。唐突な発言に驚いたのか、反射的に僕を見て、目を見開いて固まっている。

 

「あんなに言ってたのに、ひとり抜きで結束バンドの皆と会っててごめんね」

 

 最初は兄として、人としての義務感がほとんどだった。

だけど皆と接していく内に、無意識だけど僕がそうしたいからしていた。

 

「今更他人のことを好きになれるなんて思ってなくて、僕も浮かれちゃってた」

 

 あんな状況、路上ライブの時のような状態じゃなければ、一生気づけなかったと思う。

言い訳や逃げる余裕もなかった。だから素直に自分の気持ちを認められた。

だとしても、好きの数が増えたとしても、元々持ってた好きは何も変わらない。

 

「好きな人は確かに増えたよ。増えたけど、一番好きなのは、一番大切なのはひとりだから」

「きゃーっ!!」

 

 喜多さんはタンバリンとマラカスを鳴らしていた。かなりうるさい。どこから持ってきたの。

興奮し過ぎてひとりみたいなことしてる。人は皆心にひとりを飼っているのかもしれない。

そんなこと今はどうでもいい。照れて意味不明なことを考えてしまっている。冷静に冷静に。

 

「えぁぇぇうぁあ?」

 

 ひとりはもっと重症だった。何語だろう。

でもしょうがない。突然兄に好きとか言われても気持ち悪いと思う。

だけどひとりが何を考えているか分からない以上、僕に出来ることは気持ちを伝えることだけだ。

 

 結構な時間、ひとりは宇宙と交信できそうな謎の声を発していた。

それを黙って眺める僕と喜多さん。怪しい教団みたいだった。

やがてそれも治まると、ちらりと僕を見た。やっと目が合った。

 

「ずっとひとりに隠してて、ごめんなさい」

「……………………わ、私も、ずっと黙ってて、ごめんなさい」

「ううん、全部僕が悪いから」

 

 いや私が、いやいや僕が、と譲らない僕達のことを、喜多さんは笑顔で見守ってくれていた。

 

 

 

「仲直りできてよかったですね、先輩」

「喜多さんのおかげだよ。ありがとう」

「あっ、ありがとうございます、喜多さん」

「いえいえ、どういたしまして。ところで先輩」

 

 僕達のお礼を受け取った喜多さんは笑顔だった。笑ってる、そのはずなのに威圧感がある。

何か怒ってる? 練習しに来たのに兄妹喧嘩に巻き込まれたから、それならとっくに怒ってるはず。

必死に原因を考える僕に、喜多さんは笑みを浮かべたまま質問をぶつける。

 

 

「果し合いって、なんのことですか?」

 

 

 果し合い? 僕も聞きたい。果し合いって何のこと?

心当たりがないから、ひとりに確認を取ろうとする。また目を逸らされた。

今度はさっきまでと違う。あれは気まずくて逸らしている。

その顔で思い出した。以前、喜多さんと会うことを果し合いって表現したことがあった。

 

「ごめんなさい」

 

 今日の僕は謝ってばかりだなって思った。

 

 

 

 喜多さんの怒りは、今度彼女の都合がいい時に、クレープを奢る約束をしたことで鎮まった。

なんでもSNSで評判で、いつも行列のできる大人気店らしい。

喜多さんと出かけることへの抵抗はなくなったけど、僕は今も魔王だ。

彼女の評判が落ちないよう、事件が起こらないよう、また何か対策を考えないと。

 

「そういえば、リョウ先輩と伊地知先輩にはいつ言うんですか?」

 

 喜多さんの言葉に、僕は渋い顔をしてしまった。

今日はもう疲れた。凄い疲れたのに、まだあと二人も打ち明けてない。

よく考えたらバレても大丈夫にはなったけど、絶対に言わなきゃいけないって訳じゃない。

別の要因もあったけど、喜多さん一人に話すのにこの労力。出来るだけ先延ばししたい。

 

「今度言うよ」

「今度っていつですか?」

「……そのうち?」

 

 すっとぼけた反応をする僕に喜多さんは頬を膨らませた。

許してはくれたけど、今も僕の背中に張り付くひとりがボソッと呟いた。

 

「お兄ちゃん、約束」

「うっ」

 

 当然ひとりは覚えていた。そして小さな声だったのに、喜多さんにも聞こえたみたいだ。

斜めになって僕とひとりを見ている。その視線に僕達が耐えられるはずもなかった。

 

「後藤さん、約束って?」

「あっ、皆とライブ終わった後に会うって約束です。破ったら僕のこと好きにしていいよって」

「好きにしていい…………」

 

 音がする。徐々に耳に入る。小さく響くキターンが、繰り返す度に大きくなっていく。

 

「先輩、約束破りましょう!!」

「き、喜多さん!?」

 

 この瞳の輝きはあまりにも危険だ。約束を破れば、どうなるか予想もつかない。

しょうがない。前々から仕込んでおいた布石を使うしかない。

 

「ひとり、確かに僕はライブ後に会うって言ったよ。だけどいつまでに、とは言ってないよ」

「!?」

「うわっ、先輩最低です」

「ふふふ、好きに言っていいよ」

 

 二人分の冷たい視線に虚勢を張る。胸が痛い。それでも僕はなるべく先伸ばしにしたい。

実際にこうして喜多さんに話すまで、ここまで勇気が必要だなんて思わなかった。

二週間分くらいの勇気は使った気がする。今は在庫切れだ。

 

「今日こうやって喜多さんに話すのも結構勇気が必要だったから、少し時間が欲しい」

「……うん、そうだよね。おに」

「後藤さん、ここで甘やかしちゃ駄目よ」

 

 ひとりが納得してくれそうなところで、喜多さんの妨害が入った。

甘やかしちゃ駄目。この言葉で甘やかされる側に立つことになるなんて。

密かに衝撃を受けている僕を放置して、喜多さんはひとりと話していた。

 

「後藤さん、夏休み最終日って空いてる?」

「あっはい。いつでも空けておいてます」

「いつでも……? 先輩も大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ」

 

 僕の答えを聞いてから、喜多さんは携帯を操作し始めた。

タップが早い。僕達の数倍だ。感心しているとひとりの携帯が着信音を鳴らす。

携帯を取り出し、画面に映ったメッセージを見て、ひとりが目を見開いた。

 

「えっ、き、喜多さん、これ」

 

 画面を指差すひとりの手は、ぷるぷると震えている。

よほど衝撃的なことが書かれていたようだ。僕の興味を察知したひとりが、携帯を渡してくれた。

念のため喜多さんの顔色を窺う。ニコニコと頷かれた。僕も見ていいらしい。

 

『夏休み最終日、結束バンドで江ノ島に行きませんか?』

 

 結束バンドのグループチャットに、この一文が書かれていた。

これ自体はとてもいいこと、嬉しいことだ。

夏休みに皆とどこかへ行きたいな、といつだかひとりは言っていた。

期せずして、その願望は叶いそうだ。だけど、これと僕に何の関係があるんだろう。

 

『いいね! 皆とどこかに行きたいって思ってたんだ!!』

 

 伊地知さんからすぐに返事が来た。彼女は乗り気だ。

既読数からすると、山田さんも見ているはずだけど返事は無い。

喜多さんは山田さんの反応を待っていたけれど、途中で諦めて僕を見て、宣言した。

 

「ここに先輩を連れて行きます」

 

 そんなことをすれば、何も知らない二人がそこで僕を見れば、一体どうなってしまうか。

よくて事情の説明で時間が取られて、予定が台無しになる。

悪くて、悪くては、想像しなくても大体分かる。大惨事だ。

 

「そんなこと言われても、僕はきっと逃げるよ」

 

 喜多さんに嫌われてしまうかもしれないけど、そうすれば何も起こらない。一番無難だ。

僕の堂々とした情けない発言を聞いても、喜多さんは身動ぎ一つしない。

人差し指を立て、出来の悪い生徒に教えるように、優しく語り掛けた。

 

「ふっふっふ、先輩、さっきお願いしたお店、調べてみてください」

 

 言われた通り検索してみる。喜多さんの言っていた通り評判がいい。

ぱっと見レビューサイトの評価も上々で、お店を取り上げたニュースなんかも出てくる。

これがどうしたんだろう。喜多さんの言いたいことが分からない。

彼女の様子を確認すると、得意そうな笑顔でヒントを出してくれた。

 

「ここの住所ってどこでしょうか?」

「…………こ、これは」

「約束、守ってくださいね?」

 

 江ノ島だった。まさか、あの約束をした時からここまで読んで、そんな馬鹿な。

またしても完全敗北を喫した僕の前で、ひとりは喜多さんを畏敬のまなざしで見ていた。

 

 

 

「どう打ち明ければいいと思う?」

 

 喜多さんに完膚なきまでに負けて、タイムリミットが出来た。

先延ばしを決意していた僕は、完全にノープランだ。

だから、人付き合いの女王である喜多さんに相談させてもらうことにした。

 

「伊地知さんは普通に話せば平気だと思うけど、山田さんが心配で」

「リョウ先輩には、ご飯を届けてるんですよね」

「うん。メールで指定された場所と時間に隠れて置く感じ」

「危ない運び屋みたいですね」

「実際何回かお巡りさんに声かけられたよ」

 

 同年代よりも、お巡りさんの方が話した回数は多い。慣れたものだ。

事情を説明して、クーラーボックスの中身を見せたら納得してくれた。

理由は分からないけど何故か、若いのに偉いねと褒めてまでもらえた。

何と勘違いしてたんだろう。山田さんの名誉のためにも確認はしなかった。

 

 喜多さんは乾いた苦笑いを浮かべていた。話の流れで言っちゃったけど、気にしないでほしい。

気を取り直して少し考えた後、喜多さんは一つ提案してくれた。

 

「それじゃあご飯のそばに隠れて、リョウ先輩が来たら飛び出して」

 

『こんにちは、魔王です! 実はひとりの兄です!!』

『う、うわー、ぼっちの兄は魔王だったのかー』

 

「なんていうのはどうですか?」

「結論から言うと、多分山田さんは死ぬ」

「突然の死!?」

 

 山田さんは意外と気が弱い。

僕が飛び出して一回、声をかけてもう一回、兄と名乗って駄目押しで更に一回。

スリーアウトだ。確実に意識を失うと思う。最悪命も逝く。

 

「今までも何回か山田さんに声をかけたことはあるけど、毎回気絶してるから」

「…………あの、本当に先輩と目が合うと、人って気絶するんですか?」

 

 喜多さんは疑わしげだ。そういえば、喜多さんの前で誰かを気絶させたことはなかった。

疑って当然だ。目が合うだけで気絶する。現代社会に生まれたファンタジーだ。

だけど悲しいことにフィクションじゃない。現実だ。僕がこうしてここにいる。

だとしても、じゃあ実践してみようか、なんてする訳にはいかない。

いくら僕でもそのためだけに、そんな暴力じみたことは出来ない。

 

「本当だけど、信じられないのも無理はないよね」

「試してみてもいいですか?」

「いや、流石に見知らぬ人でも生贄にするのはちょっと」

「そうじゃなくて、私にです」

 

 喜多さんは自分を指差していた。一瞬何を言っているのか分からなかった。

 

「私気絶ってしたことないので、一回してみたいです!」

 

 何故かキラキラとした、期待のこもった目をしている。

不思議な好奇心を喜多さんは発揮していた。しないで済むなら一生しない方がいいと思う。

 

 僕の返事も待たず、喜多さんは顔を覗き込んでくる。

廣井さんにやられた時も思ったけど、見つめられるのって緊張する。

落ち着かない。妙な心地がする。ふわふわした、変な浮つき方をする。

恥ずかしくなってつい目を、顔を逸らしてしまう。

 

「あっ、駄目ですよ先輩。目が合わないと、気絶って出来ないですよね」

 

 両手で顔を掴まれて、喜多さんの方へ向けさせられた。確かにそうだけど、無理だと思う。

無意識の内に溜めこんでいる敵意を伝えることで、多分僕は他人を気絶させている。

ただ、今の僕はもう喜多さんへの好意を自覚している。敵意なんて持ってない。

それを伝えれば、いや、この場にはひとりがいる。

この状況にまた何故か震えているけれど、話くらいなら聞ける状態だ。

敵意云々の話は、この子には一生しないつもりだ。だから今は伝えられない。

 

 喜多さんが満足するか、諦めるまで待とう。僕は観念した。

視線を喜多さんに戻す。彼女は目だけじゃなくて、僕の顔全体をじろじろ見まわしていた。

ほーとか、はーとか、感心したような声を漏らしている。目が合うと、にっこり微笑まれた。

この段階でまったく気絶する気配がないのだから、もう諦めてほしかった。

 

 そうやって待っていると、なんだか不思議と悔しくなってきた。

僕がこうして微妙な気持ちになっているのに、喜多さんは妙に楽しそうだ。

推測だけど彼女はもう気絶しようとか思ってない。別のことを目的にしている。

こうなったら僕も対抗して、喜多さんをじろじろ観察しよう。そして恥ずかしがってもらおう。

 

 改めて、まじまじと喜多さんの顔を見つめる。

女の子だなって思った。自分で言うのもなんだけど、馬鹿みたいな感想だ。

 

「喜多さんって女の子だったんだね」

「今までなんだと思ってたんですか!?」

「あっ、そうじゃなくて」

 

 うっかり漏らしてしまった独り言に、今までで一番大きな声を出された。

その喜多さんの目には、しっかりと怒りが燃えているのが分かる。

未だにくっついているひとりの震えが僕にも伝わる。なんとか喜多さんを鎮めないと。

 

 怒らせた女の人をどうすればいいか。

確か父さんが母さんを怒らせたときは、ベタ褒めして宥めていた。

ひとりには通じないから、あまりやったことはない。だけど他に参考に出来るものもない。

 

 問題はどこを褒めるか。僕は嘘が下手で、喜多さんは見抜くのが得意なようだ。

適当なことを言っても、すぐ気づかれて火に油を注ぐだけだろう。

だから大切なのは、本気で僕が凄いな、いいなと思うことを言うことだ。

ぼんやりと見ていたさっきと違って、真剣に喜多さんの顔を観察する。

 

「女の子だった、というか、女の子らしいなって思って」

 

 小さい女の子が想像する、素敵な女の子を具現化すると大体喜多さんになると思う。

お洒落で明るくて、優しくて友達も多い。まさしく理想的って感じだ。

ひとりは方向性が違うから言わないけど、ふたりには喜多さんみたいな子に育ってほしい。

 

 偏見だけど女の子と言えばファッションが好きだ。ここを褒めるのはどうだろう。

服装、喜多さんはお洒落さんだ。いつも違う服を着ている。どれも似合っていた。

きっと流行のものだったりするんだろう。だけど僕はファッション関係に疎い。

説得力がないな。ここはやめとこう。なら別のことを。

今気づいたけどちょっと化粧もしている。ナチュラルメイクというものだろうか。

これは、分からない。いくら僕でも化粧はさっぱり分からない。ここも触れないでおこう。

 

 というか顔を見てるんだから、ここを褒めた方がいいな。

喜多さんは目鼻立ちが整っているから、どこを褒めても嘘にはならない。どこにしよう。

少し悩むけど目、瞳かな。うん、僕が思う一番素敵なところは目だ。

二重で大きい綺麗な瞳。形もそうだけど、そこに映る輝きが僕は好きだ。

いつでもキラキラとしていて、心の底から今を楽しんでいるというのが伝わる。

僕と目が合った時でさえもその光は濁らない。太陽みたいだなって時々思う。

家の外で瞳の中に、恐怖と後悔以外を見せてくれる人はほとんどいない。

この輝きを見るたびに、僕はなんとなく許されたような、救われたような気持ちになる。

 

 顔というと、表情もいい。ころころと変わる、その全てが魅力的だと思う。

いつもの明るい笑顔。優しい時の静かな笑顔。今みたいに怒っている時でさえも。

いつだって生き生きとしていて、こっちまで元気をもらえる。

だから喜多さんといて、喜多さんを見ていて退屈することはない。いつまでも見ていられる。

 

 というわけで、顔について思ったことをそのまま伝えた。下手な嘘や誤魔化しは抜いた。

そして僕の言葉だけだと説得力がなさそうだから、ひとりにも同意を求める。

急に話題を振られてひとりは驚いていたけど、おずおずと同意してくれた。

 

「ね、ひとりもそう思うでしょ」

「う、うん。私も、き、喜多さんは可愛いと思います」

「ひとりは喜多さんのどこが好き?」

「うっうぇ!? え、ええ、えっと、私は」

 

 どうしよう。人のいいところ、好きなところを考えるのって不思議と楽しい。

だからそのままひとりと、喜多さんのいいところ談義をしようと思った。

だけどそれは、他ならない彼女自身に止められてしまった。

 

「……その辺で、もうその辺で、もう、お腹一杯ですっ」

 

 目の前に広げられた手のひらで、視界の大半は埋められている。

微かな隙間から見えた喜多さんは、顔を背け明後日の方向を見ていた。

髪から覗く耳は赤い。照れている、恥ずかしがっているらしい。よし。

一度怒らせてしまったけど、なんだかんだで当初の目的は達成できた。

そして初めて喜多さんに勝てたような気がする。やったね。

 

 勝利の喜びに浸る僕は、ひとりが極めて微妙な目で僕を見ていることに気がつかなかった。

そしてその後、時間をかけて落ち着きを取り戻した喜多さんと、歌の練習を始めた。

途中青春ソングを聞いてひとりがバラバラになったりしたけど、楽しい、身になる一日だった。

 

 そういえば結局、山田さん対策は何も決まらなかった。

だけど僕が打ち明けても、というか僕達のことを知っていても喜多さんは何も変わらなかった。

変わらない態度が、笑顔が、僕に勇気を与えてくれた。

彼女がくれたこの勇気を大切にして、山田さんにも話をしよう。

 

『そろそろ死にます』

 

 携帯に届いた久々のご飯催促メールを見て、僕は改めて決意を固めた。

 

 




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次回のあらすじ
「宿題」


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第二十四話「王様になってもう十一年」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「陽キャに勝てた」




 山田さんにご飯を届ける時、時間と場所は彼女が決めている。

行きつけのお店だったり、大きめのロッカーだったり、バリエーション豊かだ。

皆が家に来た辺りからしばらくの間、不思議と連絡がなかったけどやっと来た。

今回は下北沢高校、僕達の教室を指定された。

 

 なんでも、今日山田さんは先生に呼び出されたらしい。

前回の登校日が期限の宿題がいくつかあったのだけれど、彼女はその日さぼった。

その後それらをまったく提出せずに、最近までやり過ごしていた。そして雷が落ちた。

さっさと持ってこないと補習を受けさせる、と言われたそうだ。

 

 呼び出された時間はちょうどお昼ごろだ。それに合わせるように僕達もここに来た。

僕達、そう、ひとりも一緒に来てくれている。

理由は教えてくれなかったけど、きっと僕がちゃんと説明できるか心配してくれたからだ。

ひとりが直接説明してくれるとは思ってない。でも一緒にいてくれるだけで僕は頑張れる。

今は自分とは違う高校に来たことで、不法侵入で捕まらないかな、と怯えている。

何かあれば僕が責任を取って説明するから大丈夫。

 

 今日は山田さんに兄妹関係を打ち明けるつもりだ。

そのために二人して、僕達は教室で待ち伏せしている。いやこれかなり怪しいな。

さっき大丈夫って言ったけど、やっぱりこの状況を見られたら捕まるかもしれない。

ひとりには黙っておこう。今変形か変態されると、シャレにならない。

 

 色んな不安を抱えながら待っていると、廊下の方から小さな足音が聞こえた。

徐々に音が大きくなる、近づいてくる。歩幅や速さ、音の大きさからして山田さんだろう。

傍らのひとりに合図して、打ち合わせ通りに隠れた。

 

 それからすぐに、教室の戸がゆっくりと開かれる。物音はそこで止んだ。

何故か山田さんはそのまま中に入ろうとせず、立ち止まっている。

他に誰かが近くにいる訳でもない。教室を見渡しているのかな。何のためだろう。

 

「……ダンボールが二つ?」

 

 訝しげに山田さんが呟く。その声には警戒心が満ちていた。

彼女の言う通り、今教室には彼女の机を挟むようにダンボールが二つ配置されている。

今日持ってきた食事はその机の横に置いたから、回収にはそこまで行く必要がある。

 

「誰か、入ってるの?」

 

 声をかけられるが無視。まだ反応してはいけない。息を殺す。

また山田さんはしばらく立ち止まっていたが、そろそろと机まで歩み寄る。

声と同じく、警戒心の満ちた歩き方だ。猛獣に近づくようだった。

 

 ゆっくり、ゆっくりとした移動。それでも元々そんなに距離もない。

秒針が回りきる前に、山田さんは机の横までたどり着いた。

ほっと息を吐き、安心してクーラーボックスに手を伸ばす。油断している、今だ。

僕は被っていたダンボールを投げ飛ばし、山田さんの前に躍り出た。

 

「こんにちは、魔王です」

「こ、こんにちは、ぼっちです!」

 

 僕からワンテンポ遅れてひとりも飛び出す。

衝撃に目を見開く山田さん、そしてそのまま後ろに倒れていった。

地面に頭をぶつける前に支える。山田さんは白目をむいて気絶していた。

喜多さん発案の作戦、一応試してみたけど予想通り失敗した。

 

「りょ、リョウさん、気絶しちゃった……」

「しちゃったね。この山田さんどうしようか。一旦どこかに寝かせる?」

「えっと、このダンボールはどう?」

「そうだね、崩してその上に寝かせようか。僕がやるから、ちょっと山田さん持ってて」

「わっ、うん」

「重、くはないけど、気を付けてね」

 

 ダンボールを二つとも崩す。山田さんを寝かすには十分な大きさだ。

そしてひとりと一緒に山田さんを慎重に横にした。その時彼女の顔が視界に入る。

白目をむいて泡を吹いた、安らかとは程遠い表情をしていた。

そんな顔を見て、思わずひとりと顔を見合わせてしまった。

 

「やっぱり駄目だったね」

「……というかお兄ちゃん、なんで私もやってるの?」

「ひとりの愛嬌で僕の恐怖が中和されないかなーって」

「あっ愛嬌不足でごめんなさい……」

「ううん、ひとりは十分過ぎるほど可愛いよ。僕の魔王感が過剰なだけだから」

 

 やる前からうっすら、というよりはっきり分かっていたけど失敗した。

あの喜多さん発案の作戦だから、僕達には理解できない何かがあるかもと思った。

そんなことはなかった。予想以上に酷い結果になった。

白目で泡まで吹くなんて。気の毒だから目を直して、泡は拭いておこう。

ついでに念のため、呼吸と脈を確認しておく。どっちもある。生きてはいる。

 

 とりあえず山田さんを安静にさせたけど、この後どうしよう。

物思いにふける僕の腕をひとりが引く。ひとりの方を振り向くけど、僕を見ていなかった。

その視線はダンボールに横たわる山田さんに向けられている。僕もそれに倣う。

そしてすぐに気づく。山田さんの目が開いている。目が覚めている。今までよりずっと早い。

 

 じっと、山田さんは僕とひとりの顔を見比べていた。その途中何度も目が合う。

それでも山田さんは気絶していなかった。ただただ静かに、横になったまま僕達を眺めている。

やがて、ぽつりとつぶやいた。

 

「本当に兄妹なんだね」

 

 平坦な、事実を確認するような、誰に向けて言ったわけでもない呟き。

まさか、また? また僕が話す前に察してるの? 僕隠し事下手すぎじゃない?

この分だと、伊地知さんも既に知っているような気がしてきた。

これまでのことを思うとそっちの方が絶対にいいはず、そのはずなんだけど微妙に釈然としない。

 

 僕が自分と戦っている間に、山田さんは起き上がっていた。

普段教室で見るようなすまし顔だ。さっきまで泡吹いていた人とは思えない。

思えないじゃない。僕のせいなんだから、まずは謝らないと。

 

「山田さん、驚かせてごめんなさい」

「死ぬかと思った。お婆ちゃんが川の向こうで手を振ってた」

「えっ、リョウさんのお婆ちゃんってまだ生きてるんじゃ」

「バリバリ元気」

「知らないお婆ちゃんが手を振ってたの?」

 

 思っていたより元気だ。冗談をとばすような余裕すらある。

そして僕に対しても、特に恐れるようなこともなく普通に話してくれている。

その様子を見て、体から力が抜けるのを感じた。やっぱり緊張して強張っていたみたいだ。

 

「山田さんはもう知ってたみたいだけど、実はひとりの兄です」

「い、妹の後藤ひとりです」

 

 僕達の変な自己紹介を聞いて、山田さんはうんうんと頷いている。

そして親指を立て、無表情なのに伝わるドヤ顔で口を開いた。

 

「知ってた」

 

 だろうね。

 

「ところで、何故あんな真似を?」

「あれは山田さんに打ち明ける作戦を相談したら、喜多さんが提案してくれた」

「郁代め」

 

 山田さんが忌々しそうに呟く。

いくよ? 僕が首を傾げていると、ひとりが耳打ちしてくれた。

喜多さんの下の名前らしい。古風で上品で、いい名前だと思った。

 

「提案したのは喜多さんだけど、やるって決めたのは僕だから。本当にごめんね」

「おぉ、今私は魔王に許しを請われている……」

 

 僕に謝られて、山田さんは妙に感慨を深くしていた。許しを請うって。

 

「お詫びに出来ることがあればするから」

「お詫び……」

 

 お詫びの一言で、山田さんは考え込み始めた。彼女が僕に何を望むかなんて想像もつかない。

何にせよ喜多さんほど予想外だったり、僕の度肝を抜くようなものだったりしなければいいな。

 

「じゃあ、宿題手伝って」

 

 いくらか悩んで山田さんが見せたのは、今日彼女が呼び出された原因のものだ。

驚きの白さ。まったくやってない。これを片手に職員室まで行ったらしい。

とんでもない度胸だった。よく無事にここまで帰ってこれたね。

 

「それくらいなら。ひとりはどうする?」

「えっと、私は」

「ぼっち、帰らないで」

「えっ」

 

 宿題は二年生のもの。ひとりが手伝うのは難しいだろう。

迷うひとりの腕を山田さんが掴んだ。今までにない機敏な動きだった。

目を白黒とさせるひとりに、山田さんが迫る。

 

「二人っきりはまだきつい。だからお願い」

「あっはい。分かりました。」

 

 そういう訳で、三人で山田さんの宿題をすることになった。

何枚かのプリントとテキストを机の上に広げる。本当に全部やってない。

席について始めようとしたとき、大きな音が鳴った。腹の虫だ。

 

「先にご飯食べてからでいい?」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 例によって今回も、ご飯は不審なぐらいの量を用意してある。

だから僕とひとりも山田さんと一緒に食べることにした。

元々彼女との話が終わったら、どこかで適当に食べようと思ってたからちょうどよかった。

 

「はぐはぐはぐはぐはぐ」

 

 それにしても山田さんの勢いが凄い。さっきから何も喋らず、ただ無心に食べ進めている。

ここまで夢中になって食べてもらえると、作った側としても気持ちがいい。

僕は自分が食べるのも忘れて、その光景を見守っていた。

するとしばらく経って、自分が見られていることに山田さんが気づいた。

 

「そんなに見られてると食べづらい」

「ごめん。そんなによく食べてもらえると嬉しくて、つい」

 

 山田さんはそう伝える僕の事を、とても疑わしそうな目で見ていた。

そんな目で見るような台詞だったかな。僕から出た、という以外は普通の言葉だと思う。

そして彼女は目だけじゃなくて、ひとりに確認まで取り始めた。

 

「ぼっち、これは喜んでるの?」

「あっはい。す、凄く喜んでます」

「そっか。だったらもっと表情に出してほしい」

「出してるつもりなんだけど、そんなに出てない?」

 

 ひとりと山田さん、二人に大きく頷かれた。山田さんはともかく、ひとりにも。

思わず顔を揉む。僕はそんなに仏頂面だったりするんだろうか。

 

「ひとり、僕の表情って分かりづらい?」

「…………う、うん、家の外だと。あっ私は分かるから、大丈夫だよ」

 

 そう言いながら、ひとりは明後日の方向を見ていた。

念のため、念のために山田さんにも聞いておこう。

 

「山田さん、僕の表情って」

「無」

 

 無らしい。分かりづらいではなく無。仏頂面を超えて能面だ。

普段から気持ちを抑え込んで生活してるから、そうなるのも当然と言えば当然か。

誰にも指摘されたことがないから、気にしたことも無かった。

ひとり曰く家では大丈夫らしい。だけど結束バンドの皆と会うのは外だ。

ちょっとずつでもいいから、前向きな気持ちだけでも表に出せるようにしないと。

 

「前にも聞いたかもしれないけど、これ全部一人で用意してるの?」

 

 僕が密かに決意を固めていると、山田さんから声をかけてくれた。

その間も食べるスピードは変わらない。どれだけ飢えていたんだろう。

僕も食べている途中だったから頷いて返事をすると、山田さんがなんと箸を置いた。

 

「……やっぱり大変?」

 

 聞いたこともない遠慮がちな声だった。

こうして改めて作った人と対面すると、手間が気になったのかもしれない。

 

「最初の方はちょっとね。でももう慣れたから」

 

 夏休みに入ってから大量に作るようになって、初めの頃はかなり時間がかかった。

だけどそれも繰り返している内にコツを掴めた。今は一時間くらいで準備できる。

 

「だから大丈夫。それに僕が好きで山田さんに渡してるから、気にしないで」

 

 そう告げると、安心したように山田さんは再び箸を手に取った。

そのまま食事を再開すると思ったら急に、天啓でも受けたかのように声をあげた。

 

「好きでやってる……はっ、魔王から弁当を貢がれている私は、まさか大魔王……!?」

「ふふふっ、山田さんは面白い冗談を言うね」

 

 確かに、単純な構図にすると、僕が山田さんに貢いでいることになる。

魔王と呼ばれている僕が一方的に差し出している。どう見ても僕が下で山田さんが上だ。

そう考えると、山田さんが冗談交じりで言った大魔王って言葉は満更嘘でもない。

 

「今度から、そう呼ぼうか」

 

 大魔王、中々面白い発想だ。僕としても魔王仲間が出来るのは喜ばしい。

店長さんも魔王だと知った時の安心感と親近感。その味が忘れられない。

山田さんが大魔王になってくれれば、学校が楽しくなるかも。

 

「ね、大魔王様」

「ははーっ、調子に乗りました。お許しください、陛下」

 

 だから半ば本気で提案すると、何故か山田さんに傅かれた。

いつの間にか椅子から降り、床へ直に座り込んでいる。

頭は土下座もかくやというくらい下がっている。どうしてか、また怯えられていた。

まさか怒ってると思われてる? 自分の頬に触れる。まったく動いてない。

冗談を言うような顔をしてなさそうだ。誤解されるのも無理はない。

 

「全然怒ってないよ」

「ぼっち」

「あっはい。だ、大丈夫です。お兄ちゃんが怒ったところ、私は見たことないです」

 

 そこは意識してるからね。とりあえず山田さんを立たせて椅子に座らせた。

あんな恰好されてると落ち着かない。まだ気絶してもらった方がいい。

それよりもさっきの山田さんの言葉に、一つ気になることがあった。

 

「ところで山田さん、陛下って何?」

「魔王は思ってたよりも魔王じゃなかったから」

「新しいあだ名ってこと? それにしても何で陛下?」

 

 ドヤドヤしている顔で頷かれた。陛下、陛下かぁ。魔王じゃないけど、王様だ。

僕はそんなに偉そうな雰囲気でもしているのだろうか。自分じゃ分からない。

 

「私に大魔王の資格は無い。だからこれは貢物じゃなくて、下賜品ということで」

「ご飯なのに仰々しいね。貢いでいるってのは事実だから、それでいいと思うけど」

「私が駄目。それとも殿の方がよかった?」

 

 まだそれなら陛下の方がいい。思わず微妙な反応をしてしまう。

そんな僕とは裏腹に、ひとりは僕があだ名を付けられたことを無邪気に喜んでくれていた。

 

「よかったね、お兄ちゃん」

「……うむ」

「うむ?」

 

 せっかくだから、王様らしく偉そうな返事をしたら、思いっきり首を傾げられた。

今のはなかったことにしておこう。無理にあだ名通りにする必要なんてない。

山田さんは気持ちニヤニヤして僕を見ている。なかったことにしてほしい。

 

 

 

 昼ご飯を食べ終えて一息ついていると、山田さんが口を開いた。

 

「そういえば、虹夏も陛下のこと知ってるの?」

「自信なくなってきたけど、知らないと思う」

「自信ないの?」

「隠し通しているつもりだったのに、喜多さんにも山田さんにも見抜かれてたから」

 

 勇気を出して言ったのに、二人揃って知ってた、なんて言われたら自信だってなくなる。

どうせ僕は隠し事に向いていない。きっと伊地知さんにもどこかで勘づかれている。

少しやさぐれている僕に、山田さんが一つ提案をした。

 

「それなら試してみよう。二人とも、仲良くして」

「な、仲良くですか?」

「うん。仲良さそうな感じを出して」

 

 山田さんからよく分からないお願いをされた。話に脈絡が無い。

仲良さそうな感じを出す。どうすればいいんだろう。

ひとりの方を見ると、これまたよく分からないポーズを取っていた。

これに合わせればいいのかな。合わせても謎の儀式になるだけな気がする。魔王降臨の儀?

動き出さない僕を見て、山田さんは説明してくれた。

 

「写真に撮って送って、虹夏の反応を見る」

 

 もちろん僕の顔は写さないようにするとのこと。

写真と聞いて、ひとりは変なポーズのまま妙な顔をしていた。前衛芸術的だ。

これじゃ写真写りだって悪くなる。僕はひとりの頬に手を伸ばして、優しく揉み始めた。

 

「ほにーはん?」

「僕が言うことじゃないけど、表情が硬いよ」

「ふすふっはいほ」

「我慢してね」

 

 そうやって揉み込んでいると、不満そうなひとりが僕の顔に手を伸ばしてきた。

やり返すつもりらしい。当然の権利だと思ったから、大人しく僕も揉まれた。

しばらく二人して無言でお互いの頬を弄り合っていると、フラッシュが炊かれた。

びっくりしてひとりが手を離したから、僕も触るのを止めた。

 

「今の仲良さそうだった?」

「言ったのは私だけど、あそこまでやるとは思わなかった」

 

 山田さん的にかなり上々な仲の良さだったらしい。それならよかった。

伊地知さんに送る前に、撮った写真を見せてもらう。

もみくちゃになっていたけど、普段のひとりの写真よりずっと可愛い。後でデータをもらおう。

 

『ぼっちとぼっちの兄と遭遇した』

 

 写真とともに、山田さんがメッセージを送った。

一瞬で既読が付いた。緊張する。どんな返事が返ってくるんだろう。

あっ後藤くんだ、みたいなものが来たら、今日までの僕の努力は意味を持たなくなる。

いや、それはそれでやっぱり助かりはするけれど、複雑な気持ち。

 

『なんで教室で遭遇してるの?』

 

 もっともな疑問だった。その後もなんで二人は顔触り合ってるの、と真っ当な疑問が続く。

それらを完全にスルーして、山田さんは僕達に告げた。

 

「多分気付いてないね」

「これで分かるの?」

「私には分かる」

 

 僕からすると、今の伊地知さんのメッセージでは判断がつかない。

だけど山田さんは今日一番得意げな顔をしていた。自信に溢れている。

親友の勘というものだろうか。僕も家族のことなら勘が働くから、その感覚は分かる。

 

 山田さんの感覚を信じると、伊地知さんは僕のことをさっぱり気づいてなさそうだ。

喜多さんとの約束もある。なるべく早く伊地知さんに話をする機会を見つけないといけない。

 

「そうなんだ。じゃあ早く、夏休みが終わるまでに打ち明けないと」

「どうして夏休み中に?」

「あー、それはね」

 

 

 

「それで、夏休み中に言わないといけないんだ」

 

 山田さんが疑問に思っているようだったから、理由を伝えた。

喜多さんとの約束、江ノ島のこと、このままだと何も言わないまま連れてかれること。

ふんふんとそれを聞いた山田さんは、納得したように頷いた。

 

「郁代の唐突な誘いはそういう」

 

 そして再び携帯を弄りだした。

山田さんが携帯を操作してすぐ、ひとりの携帯が震える。メッセージが届いたようだ。

ひとりが僕に見せてくれた画面に映っていたのは、結束バンドのグループだった。

 

『私も行く』

 

 こっちも一瞬で既読が付いた。

付いたと思ったら、喜多さんから無数のスタンプが高速で送られてくる。

恐ろしいまでのはしゃぎようだ。山田さんの参加がそこまで嬉しかったらしい。

 

 そんな喜多さんの微笑ましい反応もまた、山田さんはスルーした。慣れてる。

スタンプ連打に飲み込まれていった、伊地知さんの珍しいね、という一言をじっと見ていた。

その姿勢のまま、彼女は僕に告げる。

 

「虹夏に会う場所は私がセッティングするから、任せて」

「助かるけど、いいの?」

「私にいい考えがある」

 

 そう言った山田さんは、とても悪い顔をしていた。

 

 

 

 こんな感じで山田さんにも無事、元々知ってたみたいだけど、無事に打ち明けられた。

まだ打ち明けていない伊地知さんについても、親友の山田さんが場所を用意してくれる。

帰り際、安心して清々しい気持ちで電車に乗っていた僕は、あることに気が付いた。

 

 あれ、あの人結局宿題やってないな。

 




山田は補習になりました。

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次回のあらすじ
「動画」


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第二十五話「まともな打ち明け話とその反応」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「山田の補習は長く続いた」


 山田さんがセッティングした場所は、スターリーのスタジオだった。

何か変な横やりや、他人の視線が入ることもなく、ゆっくり話すことが出来る場所。

そして伊地知さんが一番安心して話を聞ける場所、だかららしい。

彼女の親友である山田さんがそう言うのだから、きっとそうなんだろう。

 

 ちなみにレンタル代を払おうとしたら、店長さんに受け取ってもらえなかった。

この間廣井さんの面倒を見てもらったから、そのお礼で無料にしておく、とのこと。

とても申し訳なさそうに言われたから、多分照れ隠しとか優しさじゃなくて本心だと思う。

 

 そんな訳で僕は今、スタジオで伊地知さんを待っている。

落ち着かなくて集中できないことが目に見えていたから、今日は勉強道具も持ってきていない。

手持ち無沙汰でうろうろしていると、見かねた店長さんがお店のギターを貸してくれた。

 

『……そんな緊張してたら、話せるものも話せないだろ』

 

 こっちは間違いなく優しさだ。店長さんは今日も凄く優しい。

 

 

 

 手慰みにギターを弾く。誰もいないからのびのびとしたものだ。

気持ちがどうこう考えることも無く、ただ思うままに弦を弾く。

ひとりが動画にあげた曲、結束バンドの曲、適当に音を出す。

一区切り終えると、ぱちぱちと拍手が聞こえた。振り向くと伊地知さんが手を叩いていた。

周りを気にせず演奏するのは久しぶりだったから、まったく気がつかなかった。

 

「後藤くん、ギター弾けたんだね」

「少しだけ。お遊びみたいなものだよ」

「またまたー」

 

 ひとりと比べれば、僕のギターなんておままごとに等しい。

本心から僕はそう思っていたけれど、伊地知さんは謙遜として受け取ったらしい。

どっちでも別にいいか。無理して否定する必要もない。

 

 演奏のことはそこそこに、伊地知さんは僕を見て不思議そうな顔をしている。

僕がここにいることに疑問を抱いているんだろう。聞かない理由も無いから、直接尋ねてきた。

 

「後藤くんはどうしてここに? 私はリョウに、話があるからって呼び出されたんだけど」

「僕も似たような感じ」

「後藤くんも?」

 

 お願いしたのは僕だけど、時間と場所を指定したのは山田さんだ。嘘は言ってない。

リョウが、なんでだろうと呟く伊地知さんを見ないようにする。

話題を変えよう。少しでも深堀りされたら、ぐだぐだと全て話してしまいそうだ。

せめて伊地知さんだけにでも、分かりやすく整理した打ち明け話をしたい。

 

 話題を変える、話題、話題、何があるかな。

僕と伊地知さんで話せるもの。今まで彼女と話したことを思い出す。

そうだ、ライブ。登校日に、彼女にもライブに誘ってもらっていた。これだ。

 

「そういえば、伊地知さんライブお疲れ様。大変だったね」

「大変だったねって、後藤くん来てないでしょ」

 

 僕としては労りを込めて言ったつもりだった。

そのはずなのに、伊地知さんにじとっとした目で見られた。

そういえば彼女には姿を見せてないし、声もかけてない。

来てないと思われていてもしょうがないか。一応釈明だけはしておこう。

 

「伊地知さんは見かけなかったかもしれないけど、ちゃんと行ったよ」

「じゃあ来てないと分からないようなこと、何か教えてもらおうかな」

 

 どれにしよう、と伊地知さんは呟き考え始めた。

分からないことか。そうだ、ちょうどいい。考えている彼女を見て思い出した。

彼女にライブのことで、一つ言っておきたいことがあった。

 

「MCの漫才はもう少し練習するか、いっそしない方がいいよ」

「え」

「真面目過ぎってツッコミ、僕は好きだけどちょっと照れがあったよね」

「え、ちょ、ちょっと待って」

「いつもよりツッコミの切れがなかったから、もっと自然体でリラックスしよう」

 

 個人的にライブで、伊地知さんについて一番印象に残っていたことを話した。

あの驚きを隠せないほど寒かったMCのことだ。正直演奏より酷かった。

僕が思うに、あそこで会場を温められれば、皆いい演奏を最初から出来ていたかもしれない。

いつも山田さんとやっているどつき漫才なら、それが出来たかも。

 

「す、ストップ、ストップ!」

 

 僕の指摘を、伊地知さんは両手を滅茶苦茶に振り回して止めた。

もしかしてあの漫才、自信作だったりするのかな。だとしたら悪いことを言ってしまった。

言われた通りに待つ。伊地知さんが乱れた息を整えて、改めて聞いてきた。

 

「え、後藤くん本当に来てくれてたの?」

「ずっとそう言ってるよ」

「でも、探したけど全然見つからなかったし」

 

 僕のことを探してくれていたらしい。まったく知らなかった。嬉しい。

だけどあの日の僕は下北キノコマンだった。見つけられなくて当然だ。

それにしても、ここまで見つからないと少し自信が沸く。今度あれで学校行こうかな。

 

「あの日は変装してたから、見つけられたら僕が困っちゃうよ」

 

 変装、と伊地知さんが眉をひそめている。

同級生のライブを見に行くのに、普通変装なんて言葉は出てこない。

だけどここまでの人生で、自分が普通になれないことはもう知っている。

 

「あのライブ、伊地知さんの友達も来る予定だったでしょ?」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「自意識過剰かもしれないけど、僕がいると騒ぎになるかもしれないから」

「あっ、あーあーあー、なるほど」

 

 納得された。深く深く納得された。

伊地知さんは普段の僕をよく知ってるから、その惨状が目に浮かぶのだろう。

ただ納得はしたけど、まだ疑問が残っているようだった。

 

「変装って言っても、どういうの?」

「んー、ちょっと待ってて」

 

 説明しやすいように、あらかじめ店長さんからカツラを借りておいた。

伊達眼鏡は便利なことに気がついたから、最近持ち歩いている。

両方着けて変装完了。そんな僕を見て、伊地知さんは指差しながら絶叫した。

 

「あっ、あああああああ!!」

「どうも」

「キノコ!」

「キノコです」

 

 驚きのあまり語彙力が死んでいた。ふたりと同じくらいだ。

伊地知さんはひとしきり叫んでいたけど、まだ驚きが消化しきれないみたいだ。

動揺したまま、僕に確認を求めてくる。

 

「え、えぇ、あれ後藤くんだったの?」

「うん。ほら、目も隠れていいでしょ」

「いや目は隠れてるけど、もっとヤバいものが溢れてるというか」

 

 ヤバいものってなんだろう。

大槻さん以外あの状態で気絶させかけなかったから、普段よりは安全なはず。

伊地知さんは今まで以上に気まずそうにしていて、自分からは教えてくれない。

 

「PAさんも店長さんも、変なのに絡まれそうって言ってたけどそれのこと?」

「変なの、うん、ちょっと言いづらいけど、そんな感じ。というか、お姉ちゃんは知ってるんだ」

「色々と親切にしてもらったよ。優しくていい人だよね」

「いや、そんな。お姉ちゃん不愛想だし、怖いでしょ」

 

 姉が褒められて、伊地知さんは居心地悪そうにしている。でもどこか嬉しそうだ。

失礼かもしれないけど、店長さんに恐怖を感じたことはない。優しさはたくさんある。

僕を怖がらせたいなら、せめて喜多さん以上に強い人を連れてきてほしい。

 

 照れくさそうにしていた伊地知さんだったけど、少ししてその動きが止まった。

赤みがさしていた顔は白くなり、今日何度か見た、訝しげな表情を浮かべている。

また何か引っかかるようなことがあったんだろうか。

その表情のまま、おずおずと後藤くん、と声をかけてくる。

 

「ライブ終わった後、ぼっちちゃんに何してたの?」

 

 そういえば、我慢できずにひとりを褒めに行ったところを、伊地知さんに見られていた。

あの時もかなり警戒されていたような覚えがある。挨拶もそこそこに逃げられた。

相手が伊地知さんじゃなければいつものことだから、大して気にしていなかった。

ひとりに何してたのと言われても、特に変なことはやってないはず。

 

「何って、褒めてただけだよ」

「褒めてただけって、ほんとに?」

「本当だよ。あの時の演奏凄かったよね、感動しちゃった」

「うん、カッコ良かったなぁ、じゃなくて」

 

 もの凄くじっとりとした目で見られている。むしろ睨まれている。攻撃的な意思すら感じる。

伊地知さんにこんな風に見られるなんて、想像もしてなかった。つい動揺してしまう。

 

「ぼっちちゃんが頭撫でられたとか、抱き上げられたとか言ってたけど」

 

 それの何がおかしい、いやおかしいな。伊地知さんから見たらおかしい。

兄妹間ならともかく、男女の距離感としては駄目だと思う。

そしてまだ彼女には兄妹だって話していない。これから言うつもりだった。

 

 何も知らない伊地知さんからすると、僕がひとりに手を出していたように見える。

彼女からすれば、隠れて友達を狙おうとした男になる。しかもひとり相手というのが最悪だ。

よく見ると類を見ないほど可愛くて、拒絶する勇気のなさそうな気弱な子。

そんな子に何かをしようとしていた。なるほど、最低な男だ。

仮に僕がその現場を見たら、二度とひとりに近づけないようにするだろう。

そうじゃない、不味い。このままだと打ち明けるどころか、そもそも話を聞いてもらえない。

 

 説明しなきゃ、いや説明すると言っても何を言えば。

僕のゼロに近い嘘と演技力だと、何を言っても墓穴を掘る気がする。

どうしよう。じゃあ黙っていた方がいい? それじゃあ何も変わらない。

僕がどうしようもなく悩んでいると、伊地知さんから質問してくれた。

 

「何か下心とかあって、ぼっちちゃんのこと褒めてたの?」

「ないよ」

 

 即答で断言した。そんなものある訳がない。

僕がひとりに望むのは、幸せになってくれることだけだ。お返しなんていらない。

欲を言えば、嬉しかったことや楽しかったことを、いや何でもいい。

その日ひとりが思ったことや感じたことを教えてくれれば、それだけで満足だ。

 

 瞬きすら許さない速度で答えたから、伊地知さんは相当面食らったようだ。

そこでしなかった分だけ、瞬きを繰り返して僕を見ている。様子を観察している。

しばらくの間そんな風にじっと見られ続けたから、僕も動けなかった。

やがて満足したのか、伊地知さんはその目を止めて口を開いた。

 

「考えてみるとぼっちちゃんだからなぁ。変な見栄であんなこと言ったのかも」

 

 妹への信頼感が透けて見える発言だった。確かに言いかねない。よく分かってる。

普段なら悲しい気持ちになるところだったけど、今日のところは助かった。

ひとりの虚言癖に感謝しよう。いややっぱりやめとこう。兄として人として、それは駄目だ。

 

「でも後藤くん、なんかキザなところあるしなー」

「えっ、僕が?」

 

 キザ、そんなこと生まれて初めて言われた。

今までだって結構な種類の悪評を囁かれていた。だけど、大体どれも心当たりはあった。

だけどキザ、キザか。今回のはまったく思い当たらない。事実無根だ。

 

「ほら、前に私にさ、君のために、とかなんとか言ってたでしょ」

「言ってたね。でもあれは本心だから。今もそう思ってるよ」

 

 僕が納得いっていないのが伝わったのか、伊地知さんが補足してくれた。

彼女の言う通り、確かにそんなことは言った。二回くらい言った覚えがある。

だけどあれは本当にそう思っていた、そして今も思っている。

これはキザなんて言われるような、浮ついたものじゃない。純粋な感謝の気持ちだ。

だから反論したのだけど、伊地知さんは額に手を置いてため息を吐くだけだった。

 

「そういうことはね、普通素面じゃ言えないよ? やっぱり下心なの?」

「あれもそんな、下心なんて」

 

 本当になかったって言えるのかな。

いくら感謝していても、これまで伊地知さんと直接的に関わる必要なんてなかった。

公園の時も学校の時も、何かしら別の対応方法はあったはずだ。じゃあなんで?

少し考える。僕が結束バンドで一番信用しているのは、伊地知さんだ。

ひとりを直接誘ってくれたのもあるし、学校で普段の様子も知ってるからだ。

だからあの頃の僕でも無意識のうちに、仲良くなりたいなんて思ってても不思議じゃない。

え、不思議じゃない? いやあれまさか、僕は下心を持って伊地知さんと接触していた?

 

「あれ? 後藤くん心当たりとかあるの?」

 

 自分の心に愕然としていると、伊地知さんが僕の顔を覗き込んできた。

本当にある気がしたからぎくりとした。彼女は時々見る、猫のような目で微かに笑っていた。

 

「……伊地知さん、もしかしてちょっと遊んでる?」

「どうだろうねー」

 

 以前の僕なら分からなかっただろう。だけど今の僕は、喜多さんに鍛えられた身だ。

伊地知さんの言葉にはどこか、からかいのようなものを感じる。

何か言い返したい。だけど下手なことを言うと、またひとりに何したかって話に戻りそう。

 

 僕が伊地知さんのからかいを甘んじて受けていると、スタジオの入り口が開いた。

 

「へ、へい、開いてる?」

 

 不自然極まりない台詞とともに、ひとりが入ってきた。そのフレーズ好きだね。

多分山田さんの差し金だ。僕が追い込まれてきたように見えたから、ひとりを投入してくれた。

ちょうど会話が切れたタイミングだから、自然と僕らの目はそっちに向く。

二人分の視線を受けてひとりはびくりと震え、なかった。

 

「あっ、おはようございます」

「おはよう、ぼっちちゃん」

 

 震えず、自然に伊地知さんへ挨拶している。伊地知さんも当然のように返した。

数か月前には想像も出来なかったような、感動的な光景だった。

 

 僕がその光景を目に焼き付けていると、伊地知さんが僕を見ていることに気づいた。

僕の顔に何かを探しているかのようだった。多分、悪意とか下心とかだろう。

ひとりに対して、僕がそんなものを抱くわけがない。

だから、伊地知さんがやりやすいように目を合わせた。存分に探してほしい。

放置されたひとりが視線を彷徨わせているけど、多分すぐ終わるから、ちょっと待ってて。

 

 そう考えていたけれど、思ったよりも見られている。疑いが深い。

最近見られることには慣れたから、もう変に動揺はしない。伊地知さんが満足するまで待つ。

やがて納得した、どこか安心した様子で、彼女は僕の観察を終わらせた。

 

「うーん、これなら大丈夫かな」

 

 そう言うと、伊地知さんはひとりに駆け寄って、僕の方へ向き直った。

 

「一応紹介するね。この子はうちのギターのぼっ、後藤ひとりちゃん」

「……」

「……」

 

 知ってる。多分母さんと父さんの次によく知ってる。

 

「それでぼっちちゃん、この人は、ほら印象全然違うけど、この間ライブの後褒めてくれてた人」

「……」

「……」

 

 ひとりも知ってる。多分父さんと母さんの次によく知ってる。

 

「えっと、ちょっと怖いかな? でも大丈夫だよ、色々と誤解されやすいけど、こう見えて結構面白くて優しい人だから。しかも実は私のクラスメイト。名前はね、後藤…………ん?」

 

 そこまで言って、何かに気づいたように伊地知さんは言葉を止めた。

錆びついた音を出しながら、首を回して僕の顔を見る。穴が開きそうなぐらいよく見ている。

今日はよく伊地知さんに顔を見られる日だ。

 

「後藤……?」

 

 後藤後藤と繰り返す。繰り返して、僕とひとりを見る。見つめる。じっと見る。

二度見、三度見する。大きな目がどんどん見開き、丸くなっていく。

 

「ご、ごご、後藤!?」

 

 丸くなった目をぐるぐると回しながら、僕とひとりを何度も見比べる。

点と点が繋がって、線が出来て、察しがついてきたようだ。

これならもう、僕達のことを告げてもすぐ理解できるはず。ひとりを呼んで横に立ってもらった。

 

「兄です」

「い、妹です」

「え、ええ、えええええええええ!?」

 

 伊地知さんが今日二度目の絶叫を放った。

喜んでいいことじゃないけど、三人目でようやく予想してたリアクションをもらえた。

そう、喜んでいいことじゃないけど、なんだか嬉しくなってしまった。

 

 伊地知さんの絶叫を皮切りに、潜んでいた山田さんと喜多さんが流れ込んでくる。

二人の手には大きな文字で、ドッキリ大成功と書かれた看板が握られていた。

 

「やったぜ」

「大成功です!!」

「りょ、リョウ!? 喜多ちゃん!?」

 

 

 

「つーん」

 

 僕達の事情を、今回の説明を聞いている途中から、伊地知さんは大いに拗ねた。

口に出してつーんなんて言う人初めて、そういえば昔母さんが、いや初めて見た。初めてだ。

そう、初めて見るこの様子に僕は戸惑っていた。山田さんから聞いていた話と違う。

 

「山田さんどうしよう。伊地知さん怒らせちゃった」

「大丈夫。これは仲間外れにされて寂しくて、ポーズとして拗ねてるだけだから」

「そ、そうなんですか?」

「うん。構ってほしくてこんな風にしてるだけだよ」

「伊地知先輩、可愛い!」

「冷静に解説しないでくれる!?」

 

 私怒ってるよ、と吠える伊地知さんだけど、山田さんの解説のせいで誰も本気にしていない。

そんな僕達を見て、んもーと地団駄を踏み始める。その様子にひとりすら微笑ましげだ。不憫だ。

流石に悪いと思ったのか、山田さんが伊地知さんに寄り添い始めた。

慰めるように肩を叩き、背中を撫でている。友情を感じた。

 

「虹夏」

「だ、大丈夫。ちょっと取り乱しただけだから」

「これ見て元気出して。超面白いよ。ぷぷっ」

 

 意地の悪い笑いを零しながら、携帯を差し出して動画を再生する。

急にどうしたんだろう。僕から画面は見えないけれど、音声だけはよく聞こえた。

 

『後藤……?』

『ご、ごご、後藤!?』

『え、ええ、えええええええええ!?』

 

 伊地知さんの驚く声が再び、大きく響く。録画してたらしい。落ち着いて聞くと可愛い悲鳴だ。

始めはきょとんとしていた彼女だったけど、理解が進むたびに顔を赤くしていく。

そしてその赤さが頂点に達したところで、動画に負けないくらい大きな声で叫んだ。

 

「山田ァッ!!」

 

 友情ってなんだろう。

 




感想評価お願いします。

次回のあらすじ
「電車」


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第二十六話「ただ移動するだけの話」

感想、評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「カメラマン 山田リョウ
アシスタント 喜多郁代 
隠し撮り指導 伊地知星歌」

これからしばらく原作沿いです。


「先輩先輩、もう一回カツラ被ってください!」

「いいよ。……どう?」

「うーん、最初は怖かったですけど、これはこれでアリですね。危ない魅力があります」

「危ないって。自分で言うことじゃないけど、普段よりは怖さ減ってない?」

「怖さにも色々あって、普段はぎゃーで、今はきゃーって感じです」

「あー、なるほど」

「えっ、お兄ちゃん今ので分かったの?」

 

 喜多さんのリクエストに応えて、僕はもう一度下北眼鏡キノコマンになった。

どこがいいのか僕にはよく分からないけれど、どうやら彼女のお眼鏡に適ったらしい。

さっきから目をキラキラとさせて、僕の周囲を動き回りながら何度も写真を撮っている。

機敏な動きだ。喜多さん運動神経いいな。

 

 そのままパシャパシャと連射していた喜多さんだったけど、途中何かに気づいたように動きを止めた。

そしていつものように明るい笑みを浮かべて、ひとりの方へ振り返る。

 

「後藤さん、せっかくだからお兄さんと一緒に撮りましょう!」

「あっ、えっいえ、私は」

「後藤先輩も一緒に撮りたいですよね?」

 

 喜多さんは、今度は僕の方へ向きなおした。ひとりも一緒に、それはいいな。

この子は写真が苦手だから、僕がお願いしてもあんまり撮らせてくれない。

最近山田さんにもらったものが、確か高校生になってから四枚目だ。

これはチャンスだ。喜多さんの言葉に甘えさせてもらおう。

 

「そうだね、ひとりが嫌じゃなければ撮ってほしいな」

「い、嫌だ」

「……」

「……」

 

 即答だった。

 

「どうしても、嫌じゃなければ」

「ど、どうしても嫌だ」

「……」

「……」

 

 ひとりが顔を上げた。僕と視線がぶつかり合う。あまり見ない力強い視線だった。

絶対に撮られたくないという意思を感じる。瞬きすらしていない。目乾いちゃうよ。

あと、その強さは明日の朝まで取っておいてもらえると嬉しいな。

 

「隙ありっ」

 

 僕とひとりが目で戦っていると、喜多さんがその間に躍り出た。

さっきと同じく、シャッターを繰り返し切っている。僕もひとりもあっけに取られた。

我に返って慌てるひとりに、喜多さんが舌を出しながら謝る。今日も喜多さんはあざとい。

 

「ごめんね、後藤さん。でもほら見て、可愛く撮れたよ!」

「本当だ。ちょうど僕を見上げてたから俯いてない」

「い、いや、私なんてそんな」

「いつも言ってるでしょ。ひとりは可愛いよ」

「そうよ。後藤さんは可愛いの」

 

 僕と喜多さんで囲んで、何度も可愛い可愛いと繰り返すと、ひとりの防御も崩れた。

ちょっとその気になってくれたみたいだ。引き攣っていた表情がでろでろしてきた。

自分が可愛いことは信じられなくても、たくさん褒められて承認欲求が満たされたようだ。

 

「え、いや、そんな、ぬへっ、ぅぇへへっへ」

「でもその笑い方は可愛くないわね」

「僕は好きだよ。なんか粘着質なところがいいよね」

 

 ひとりの変な笑い方はいくら僕でも、初見はぎょっとすることも多い。

だけど見慣れてくるとそこにしかない、何とも言えない不思議な魅力を感じられる。

評論家のように頷き、ひとりの笑顔を噛み締める僕に喜多さんは引いていた。

 

「…………後藤先輩って、たまに気持ち悪いですよね」

「あっ、お兄ちゃんはいつもこんな感じです」

「イメージが崩れるような、そうでもないような……」

 

 そんな風に三人で和やかに話していると、後ろの方で骨の軋む音がした。

それは伊地知さんが山田さんを処刑、いやお仕置きしているところから聞こえた。

思わず僕達は目を合わせた。気にしないよう、意識しないようにしてたのに。

 

「おら山田ッ、早く消せッ!」

「ぎぶ、ぎぶ」

 

 皆で一斉に目を逸らした。近寄りたくない。巻き込まれたくない。

恥ずかしいところを撮られた伊地知さんの怒りは僕たちの、山田さんの想定を超えた。

僕が力で負けるはずはないけれど、それでも今の鬼気迫る彼女には変なプレッシャーを感じる。

動画を撮ったのはほかでもない山田さんだ。頑張って責任を取ってもらおう。

 

そうして逃げるように二人を意識から外してから、僕は喜多さんにあることを確認した。

 

「それで今日は、このまま江ノ島へ行くの?」

 

 何を隠そう、実は今日が夏休み最終日、あの約束の日だ。

本当はもっと早く伊地知さんと話がしたかったけど、山田さんが補習になって流れに流れた。

手伝うと言ったのに、完全に忘れていた僕にも責任の一端がある。

だから補習のお手伝いをしに、ここ何日か山田さんと学校に行っていた。

僕を五度見くらいした生徒もいたけど、これに懲りたらちゃんと宿題はやってね。

先生は、負担をかけてごめんなさい。でも大人なんだから気絶はしないでください。

先生の代わりに何回か補習を監督したので、何人も気絶させてしまいました。

これからは大槻さんのあの根性を見習って、頑張って立ち上がり続けてほしいです。

 

 終わったことだし、もういいか。何はともあれ今日は、皆が江ノ島へ遊びに行く日だ。

これまでの人生を振り返っても、長期休み最後の日をこんなに明るく迎えられるのは初めてだ。

例年ならひとりが絶望していて、僕はその励ましに奔走している。

去年は確か部屋に篭り、一日中何か呪詛のような不思議な音を奏でていた。あれはあれで好き。

今年も何もなければ、ひとりは錯乱のあまりサンバでも踊っていたかもしれない。

 

 だけど今年は違う。

ひとりは僕のことを心配しつつ、友達と遊びに行くという未知の予定に浮かれ慌てていた。

僕も伊地知さんのことは気がかりだったけど、そんなひとりを微笑ましく見守っていた。

 

「はい、伊地知先輩の怒りが鎮まったら行こうかなって」

 

 その伊地知さんの様子を確認する。今は卍固めをしている。

彼女に格闘技が出来る印象はなかったけど、堂々とした立ち回りだ。

そういえば店長さんも廣井さんに対して、鮮やかに技を決めていた。血筋なのかな。

現に山田さんには、タップをする余裕すらないように見える。

 

「……今日中に行けるかな?」

「だ、大丈夫、だと思うよ?」

「いざとなったら、私たちだけで行きましょうか」

 

 伊地知さんの猛攻を見て不安になった。言葉にはしないけど、二人も同じ気持ちみたいだ。

その時はその時だ。僕も覚悟を決めて、山田さんと道を共にしよう。

 

「そうなったら僕が伊地知さんを止めるから、二人は楽しんできてね」

 

 僕の言葉に二人はきょとんとした。正反対の二人が、並んで同じような表情をしている。

なんだか不思議な光景だ、なんとなく微笑ましい気持ちになってしまう。

そんな僕へ疑問を口にしたのは、やっぱり喜多さんだった。

 

「後藤先輩、何言ってるんですか? 先輩も一緒に行くんですよ」

「えっ、だけどほら、約束通りちゃんと、山田さんにも伊地知さんにも話したよ?」

「はい。でもそれはそれ、これはこれです。私は先輩とも一緒に行きたいです!」

 

 両手を握りしめた喜多さんに、元気よく詰め寄られた。

その勢いに思わず一歩後ろに引こうとすると、ひとりに腕を掴まれた。

ひとりの力じゃ僕は止められないから、そのまま体当たりするように突っ込んでくる。

 

「お兄ちゃんも一緒に来て?」

 

 そう言って僕を見上げるひとりの瞳には、大きな不安が宿っていた。

一度下を向いて、言葉にする時間を、勇気を溜める。

そして顔を上げ何が不安なのか、続けて僕に伝えてくれた。

 

「き、喜多さんと二人きりだと、多分私はどこかで死にます」

「死!?」

「…………そうだね」

「納得するんですか!?」

 

 恐らく、江ノ島に到着して日を浴びた瞬間に死ぬ。

今日はいい天気だ。八月も終わるけどまだまだ夏日。日差しは強くて明るい。

喜多さんは陽の子だ。今日は皆で遊ぶということもあって、普段よりも光が強くて多い。

このまま行けば、空と地上の太陽に挟み撃ちにされ、ひとりは蒸発してしまうだろう。

 

 ひとりのか弱さに喜多さんが唖然としていると、何かが崩れ落ちる音がした。

振り返ると額の汗を拭いながら、伊地知さんが僕らに近付いてくる。

山田さんは地面に倒れていた。僕は何も見ていない。

 

「あー、すっきりした。皆、待たせてごめんね」

「お、お疲れ様です!」

「あっ、お、お疲れ様です」

「お疲れ様です、伊地知さん」

「なんで皆して敬語?」

 

 あれを見せられて敬語にならない人はいないと思う。

頭を下げる僕達を、伊地知さんは不思議そうに見ていた。

 

「そうだ、伊地知先輩も後藤先輩を説得してください!」

 

 それはそれとして、喜多さんが僕の説得に伊地知さんを巻き込もうとしていた。

説得、と彼女は顔に浮かべる不思議をますます深めていく。

喜多さんから話を聞いて、納得した様子の伊地知さんは僕の方を向いた。

 

「後藤くんもついてきてね」

「気持ちは嬉しいけど、今日のは結束バンドの集まりでしょ? 僕は」

 

 にっこりと笑って、伊地知さんは僕の肩を掴んだ。いい笑顔だ。

いい笑顔だけど、さっきまで山田さんに向けていたようなものと同じ気配がする。

 

「まだ話の途中だよね。ゆっくり聞かせてね」

「あっはい」

 

 今日の僕に拒否権はない。店長さんにお礼を伝え、ギターとカツラを返却する。

それから、皆と一緒に僕もスターリーを後にした。

 

「誰も私を心配してくれない……」

 

 

 

「事情を聞いちゃうと、もう後藤くんのこと責められないなぁ」

 

 江ノ島までの道中で、僕は伊地知さんへの説明を再開した。

さっきは途中で山田さんが慰め、いやいたずらに走ったから中途半端になっていた。

僕をどう料理してやろう、という顔をしていた伊地知さんも、いつもの穏やかな様子に戻っている。

 

「ぼっちちゃんが後藤くんの妹って知ってたら、私話かけられなかったかもしれないし」

「えっ、どうしてですか?」

「いやー、そのー、ね、後藤くん怖がられてたし、実際私もちょっと怖かったし」

「後藤先輩って、そんなに怖がられてるんですか?」

 

 誤魔化すように話す伊地知さんを見て、喜多さんは心底不思議そうにしていた。

その様子を見て、伊地知さんは苦笑いを浮かべながら、ちらりと僕に視線を向けた。

学校でのことを話していいか、躊躇っているんだろう。ろくでもない話ばかりだからね。

だけどどうせ、調べればすぐ分かる噂だ。僕は頷いて続きを促した。

 

「ここからは、私が解説しよう」

 

 すると電車に乗ってから口を閉じていた山田さんが、僕の解説に名乗りを上げた。

最近少しずつ読めるようになってきた彼女の表情には、どこかワクワクしたものが浮かんでいた。

なんでワクワク、と思っていると、僕の疑問を伊地知さんが察してくれた。

 

「リョウは後藤くん、というか魔王の噂が好きだったから」

「なんでまた」

「この子変人が好きで憧れてて、それでその」

 

 この二十一世紀に魔王なんて呼ばれ、真剣に恐れおののかれているのは、確かに相当変だ。

伊地知さん曰く山田さんは変人マニアらしいから、興味を抱くのも自然かもしれない。

変人が好き。僕にはよく分からない世界だけど、趣味なんてそういうものだろう。

あなたには凄いものが憑いてます、と絡んでくるような、オカルト系の人にも会ったことがある。

それに比べれば噂の収集くらい、山田さんの趣味くらい可愛いものだ。

 

「任せて。郁代が引かないくらいにはマイルドにしておく」

 

 サムズアップしながら、自信満々に山田さんは宣言した。不安だ。

 

 

 曰く、生徒会選挙の応援演説で、現会長以外の候補者を全員気絶させた。

体育祭の騎馬戦に出場し、睨むだけで自軍も含め全選手を退場させて勝利した。

生徒指導の先生に呼び出されたが、逆に反省文を提出させた、等々。

 

「こんな感じで、学校では恐れられている」

「えっ、あ、あの後藤先輩」

 

 珍しく生き生きとした山田さんが早口で僕の噂を語る。本当に詳しい。

最初はまたまた、なんて言っていた喜多さんも今は戦慄している。

山田さんはこんな馬鹿みたいな噂話を楽しそうに、詳しく解説してくれた。

うん、こんな風に語ってくれた彼女には、ぜひ一言言っておかないと。

 

「ありがとう、山田さん。大分優しくしてくれたね」

「今ので!?」

 

 山田さんの話には、犯罪系や事実無根の噂話はまったく含まれていなかった。

全部僕にも心当たりがあるものだ。宣言通り、山田さんは気を使って話してくれた。

僕もその誠意に応えて、ちゃんとお礼を返さないと。

 

「お礼になるか分からないけど、今度の弁当は少し豪華にするよ」

「ははーっ。ありがたき幸せ」

「いやこっちはこっちでなんなの? ……まあ噂は噂だよ。本当の後藤くんはほら、こんな感じ」

 

 伊地知さんには僕と山田さんの関係がよく分からないらしい。僕も分からない。

彼女は僕達に呆れた目を向けていたけれど、同時に喜多さんへのフォローもしてくれた。

その心意気を無駄にはしない。僕も乗っからせてもらおう。

 

「……がおー」

「きゃー」

「なんで今茶目っ気出した?」

「和ませるタイミングかなって。どうだった?」

「…………後藤くんって、やっぱりぼっちちゃんのお兄ちゃんだね」

「ありがとう」

「褒めてないよ?」

 

 誉めてないらしい彼女は、そのひとりがまったく話に入ってこないのに気づいたみたいだ。

ひとりはさっきから電車の床とにらめっこして、ぶつぶつと何かを呟いている。

 

「ぼっちちゃんは、えっとあれ何してるの?」

「シミュレーションをしてる」

「シミュレーション?」

 

 伊地知さんがオウム返しすると、他二人も同じように疑問を顔に浮かべていた。

話していいのかな。ひとりの様子を見る。皆のことを見る。

話した方がいいな。皆なら、笑って受け入れてくれるだろう。

 

「僕もひとりも、こうやって遊びに行くのって初めてだから。どうすればいいのか分からなくて」

「そんなに気負わなくても大丈夫だよ」

「そうかもしれないけど、出来るだけ楽しくしたいし、なってほしいから」

「二人とも変なところで真面目だなー」

 

 くすくすと伊地知さんが、皆が笑う。おかしそうで、暖かい笑みだった。

話してよかった。これならきっと、ひとりが斜め上のことをしても大丈夫だ。

僕が胸を撫で下ろしていると、隣に座っていたひとりが断末魔をあげた。

 

「ぐふっ」

「ぼっちちゃんが死んだー!?」

 

 遺体の口に耳を寄せると、トロピカルラブフォーエバー、と謎の言葉を繰り返し発していた。

聞いたことのない言葉だ。ひとりの造語かな。それにしても発音がいい。

造語からして何か余計な事、海で遊ぶ陽キャカップルの様子でも想像したんだろう。

 

 首が変な角度でちょっと痛そうだから、僕の肩に乗せるようにする。

あと泡も吹き始めたから、ハンカチで拭い取っておく。これでよし。

適切な対処をする僕を、結束バンドの皆は何とも言えない感じで見ていた。

 

「手慣れてますね……」

「兄妹だから。そういう皆も見慣れちゃってるね」

「もう数えきれないくらい見ちゃったからね」

 

 目の前で友達が気絶したのに、誰も慌てていない。またか、くらいの反応だ。

伊地知さんも唐突過ぎる断末魔にツッコミを入れたくらいで、もう平然としている。

流石結束バンドだ、頼もしい。

 

「起こさなくていいの?」

「うん。昨日楽しみであんまり眠れてなかったみたいだから、ちょうどいいかなって」

 

 どうしようどうしよう、と着ていく服にも悩んでいた。全部ピンクジャージだったけど。

残念だけど、僕には何が違うのかさっぱり分からなかった。僕ならどれも着たくない。

だけど服なんて、自分が着たい物を着ればいいと思うから、特に何も言わなかった。

だからひとりは今日もピンクジャージだ。とっておきらしい。違いが分からない。

 

 泡さえ拭いてしまえば、気絶しているというより寝ているようにも見える。

安らかな寝顔だ。つられてつい、あくびをしてしまいそうになる。

慌てて嚙み殺したけれど、伊地知さんにはばっちり目撃されていた。

それからニヤニヤとからかうように、彼女は僕に尋ねてくる。

 

「あっもしかして後藤くんも、昨日寝付けなかったりした?」

「分かる? 僕も色々考えてたら夜更かししちゃって、十時くらいまで起きてた」

「小学生でももう少し起きてるよ?」

 

 ふたりを寝かしつけていると、僕もそのまま寝てしまうことも多い。

そして三時か四時には起きて、勉強なり家事なりしている。早寝早起きだ。

これ小学生というより、お年寄りの生活リズムのような気がする。

 

 

 

「……な、なつやすみ、あしたもなつやすみ、あさってもなつやすみ……」

 

 しばらく安らかに気絶していたひとりが魘され始めた。夢でも現実逃避している。

可哀想だけど、明日から普通に学校だ。せめていい夢を見れるように、そっと頭を撫でて宥める。

何度も何度も、慰めるように繰り返していると、やっと落ち着いてきた。

そんなひとりの様子を見て、山田さんが喜多さんに質問していた。

 

「ぼっちって、学校ではどうなの?」

 

 唐突だったけど、気になる山田さんの気持ちは分かる。というより今まで聞いてなかったんだ。

急な質問に喜多さんも驚いていたけれど、すぐに気を取り直して答えてくれた。

クラスが違うので、いつも直接見ているわけじゃないんですけど、と話し始める。

 

「いじめとか、そういうのはまったくないです。ただ、後藤さん引っ込み思案だから」

「あー、ぼっちちゃん中々喋ってくれないからねー」

「はい。なので皆どう接していいか、いまいち分からないというか」

「もったいない。こんなに面白いのに」

 

 三人で和気あいあいと、ひとりについて話していた。話しながら、ちらちらと僕に目を向ける。

 

「僕のことは気にせずどうぞ」

「いや無理があるから、気になっちゃうから」

「下手なことを聞いたら学校まで乗り込みそう。そして支配下に置きそう」

「大丈夫ですよ、先輩。そうなっても、私たちは先輩の味方ですから」

 

 かなり好き勝手に言われていた。だけど何も言えない。

だって実際に何かあると言われたら、半信半疑でも潜入調査とかしてしまうかもしれない。

そう考えると、皆よく僕のことを理解してくれているとも言える。前向きに考えよう。

 

 それにしても僕の行動はともかく、本当に僕のことは気にしなくていいのに。

 

「ひとりから学校の話は聞いてるし、友達がいない以外問題ないのは知ってるよ」

「友達いないのは問題では?」

「それはそうだけど、今は皆がいるから。そこも大した問題じゃないかなって」

 

 四月頃なら学校に友達を求めていたから、そこも問題だった。

だけど今は学校には喜多さん、学外には伊地知さんと山田さんがいる。

ひとりには広く浅くより、狭く深く人間関係を築く方が向いていると思う。

だからもう、学校の中で友達が作れなくても心配はしていない。

 

「ちなみに先輩その、言いにくい、そういう問題があったらどうしますか?」

 

 おずおずと、喜多さんがとても聞きにくそうに尋ねてきた。

彼女の想像するような問題は、少なくとも小中学の頃は一度も起きたことが無い。

ひとりが僕の妹だって皆知ってたからね。あの子に手を出すことは、僕に喧嘩を売るに等しい。

魔王に喧嘩を売るような人はいなかった。そして僕は、高校でも魔王だ。

だからそんな問題が起きたとしても、最悪僕が前に出れば問題ごとなくなるだろう。

 

「……その、僕が挨拶しに行けばどうとでもなるから、そこも心配してないよ」

 

 その返答に、三人は揃って目を見合わせる。

そして伊地知さんと山田さんが、労わるように励ますように、優しく喜多さんの肩に手を置いた。

 

「頑張って喜多ちゃん。いざという時は、喜多ちゃんが高校の平和を守るんだよ」

「勇者郁代、君の肩に皆の青春がかかっている」

「私には荷が重すぎますよ……」

 

 また好き放題だった。これもしょうがないね。

 




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「階段」


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第二十七話「五分の三が体力不足」

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前回のあらすじ
「下北沢魔王伝説その2」 


 

「やー、しらす丼美味しかったね!」

 

 江ノ島に着くと、潮の香でひとりの目が覚めた。

ちょうどいい時間だったし、伊地知さんたっての希望もあって、お昼ご飯はしらす丼を食べた。

その後は海を見たり、砂浜を歩いたり、山田さんと塩ソフトクリームを食べたりした。

ねだられると思ってたけど、自腹で買っていた。今日はお金を持っていたらしい。

 

 今は江ノ島本島の仲見世通りに辿り着き、皆でたこせんを食べている。

夏休み最終日ということもあって、人通りもそこそこある。

いつもならこの人達は僕を避けて通るけど、今日はそうじゃない。平然と僕を横切って行く。

十何年も見なかった様子だ。違和感がある。ちょっと不思議な気持ちだ。

 

「後藤先輩の威圧感は主に目から出てますから、こうして隠せば大丈夫だと思います」

 

 僕の魔王感問題は、喜多さんが解決した。今日の変装グッズを彼女が貸してくれた。

つばの長いキャップとサングラス。この二つでなるべく目を隠すようにしている。

これもこれで人相が悪い気もするけれど、夏の海沿いだ。似たような格好の人も多い。

なんでこれを、僕のサイズのものを持ってたのかは知らない、聞かない。きっと藪蛇だ。

 

 こんな簡単な変装で誤魔化せたのは目を隠したから、じゃない。

結束バンドのライブに行くために色々試したけど、それだけじゃ不十分だった。

サングラス程度じゃ、気絶こそ減ったけれど、怯えられるのは変わらなかった。

ならどうして今日は平気なのか。多分、僕が安心しているからだ。

 

 僕のこれは物理的なものじゃなくて、精神的なものが原因だ。

一人の時、ひとりと二人の時、僕はどうしても周囲を警戒してしまっている。

だけど今日は皆がいる。きっとそれで、僕は不思議なことに安心感を抱いている。

そう考えるとこの状態は、喜多さんに加えて、伊地知さんと山田さんのおかげでもある。

 

 なんとなく逃げない人混みを見ていると、たこせんを食べ終えてしまった。

ぼんやりとしていたからあまり覚えてないけれど、結構美味しかったような気がする。

皆の様子を確認するとまだまだ食べている最中だ。僕ちゃんと嚙んでたのかな。

自分のぼんやり具合を心配していると、その途中で喜多さんと目が合った。

彼女のたこせんを見ると、一口二口くらいかじった程度だ。僕まさか丸呑みにしてないよね。

ますます自分の意識が不安になっていると、その彼女に声をかけられた。

 

「先輩、イソスタ用の写真撮りたいので、カメラマンお願いします!」

 

 そう言われ、彼女の携帯を手渡された。もうカメラアプリが起動してある。

なんでもこのたこせんが大きくて可愛くて、映えるかららしい。これが可愛い、のかな。

女の子の感覚はよく分からない。いつかふたりも同じようなことを言うんだろうか。

 

 ニコニコの喜多さんと伊地知さん、気持ち表情の明るい山田さん、そして感動しているひとり。

皆に集まってもらって、何枚か写真を撮る。僕も欲しいから、後でデータをもらおう。

撮った写真を確認していると、いつの間にか近づいていた喜多さんに腕を掴まれた。

 

「じゃあ次は、先輩も入ってください!」

「結束バンドのイソスタ用なら、僕が写っちゃ駄目じゃない?」

「これは違うので大丈夫です」

 

 思い出用です、ということらしい。そういうことなら僕も撮ってもらいたい。

喜多さんに誘導されるままに位置に着くと、ひとりが隣に寄り添ってきた。

僕の顔を覗き込んでくる。写真を撮られているというのに、明るい顔をしている。

緊張で硬いは硬いけど、愛嬌の範囲で収まっている。今日は顔をほぐす必要はないようだ。

 

「はい、チーズ!」

 

 ふと気づいた。家族以外とこんな風に写真を撮るのって初めてだな。

 

 撮影後ひとりが感動で泣き出すハプニングがあったけど、僕達は再び仲見世通りを進み始めた。

その途中、僕は行列を見つけた。並んでいるのは女の子ばかり。持っているのはクレープ。

ピンときて店名を確認すると、僕の思った通りだった。喜多さんと一緒に行くと約束したお店だ。

 

「喜多さんが言ってたお店、あそこにあるみたいだよ」

「むむっ」

「ちょうどいいし、皆で食べに行かない?」

「むむむっ」

 

 近くを通りかかったから、皆で一緒に食べていけばいい。

そう思って提案したけど、喜多さんは難しい顔をして黙ってしまった。

何か問題があるのかな。少し心配になったけど、彼女はすぐその顔を引っ込めて、笑顔に戻った。

 

「今日は凄く混んでますし、また今度にしましょう」

「いいの?」

「はい。せっかく皆で遊びに来たのに、並んで時間を使っちゃうのはもったいないです!」

 

 確かに喜多さんの言う通りだ。今日も暑い。ここで並んでしまえば、体力も時間も無くなる。

クレープは美味しいかもしれないけど、そのために今日を使い果たすのはもったいない。

納得を深める僕に、彼女はどうしてかひっそりと、皆に聞こえないように伝えてきた。

 

「だから先輩も、また一緒に来てくださいね?」

 

 

 

 仲見世通りを進んでいくと、長い階段に到着した。江ノ島神社の大鳥居前だ。

ここを登ると江ノ島神社の各施設や展望台を回れるらしい。

大きな鳥居の朱が眩しくて、どこかめでたい雰囲気がある。

 

「さあ。ここから頂上まで登りましょう!」

 

 そんな鳥居をバックに、喜多さんが高らかに宣言した。

その言葉にひとりと山田さん、伊地知さんまでが顔を歪ませる。

 

「自力で上がって見る景色ほど、素敵なものはないと思いませんか……!?」

「いやそんなのはいい」

 

 喜多さんの説得に山田さんは凄く嫌そうな顔をする。あんな顔初めて見た。

その後も喜多さんが伊地知さん、ひとりと続けて声をかけるも微妙な反応が続く。

そして僕の番が来た。キラキラとした目で見つめられる。

 

「後藤先輩! 先輩は頂上からの景色、見たいですよね!!」

「うん。せっかく来たし、僕も見れるものは見たいな」

 

 僕の返事に彼女の輝きが増す。やっと賛同されて嬉しいみたいだ。僕も喜んでもらえて嬉しい。

その光に消されそうになりながら、他三人は裏切り者を見るような目をしていた。

この階段、確かにちょっとは長いけど、そこまでするほどかな。

ひとりは無理そうだけど僕が背負って行けばいいし、大丈夫だと思うけど。

 

 大丈夫だと、思っていたけれど。

 

「みなさーん、早くー!」

「……二人とも、大丈夫?」

「もう無理、景色とか知らん、どうでもいい」

「つ、疲れたー」

 

 五分もしない内に山田さんと伊地知さんがダウンした。階段脇の日陰に座り込んでいる。

特に山田さんはやさぐれた雰囲気すら醸し出している。神社で出すようなものじゃない。

想像以上に体力が無い。心配になって声をかけると、伊地知さんは驚きに目を丸くした。

 

「いやもうつらい、ってえ、後藤くんぼっちちゃん背負ってきたの!?」

 

 最初はしないつもりだった。僕はひとりに甘いけど、流石にずっとおんぶするほどじゃない。

だけどこの真夏に階段を文字通り、這いつくばって移動する姿を見てしまえば、もう無理だった。

そういう訳で僕はひとりを背負って階段を登ってきた。ちょっと暑い。

 

「うん。お婆ちゃんにも負けそうな速さだったから、つい」

「ついって、平気なの?」

「慣れてるから」

 

 最近はあまりないけど、昔は失神や錯乱状態のひとりを、よく担いで持って帰っていた。

その時はひとりの荷物も僕が持つ。ギターを持っていれば当然それもだ。

小中高と合わせて十年以上、そんな感じで背負い続けている。僕の体力はひとりが作った。

今日は確かに暑いし階段だけど、もっと悪い状況の時だってあった。これくらいは楽な方だ。

 

 伊地知さん達の休憩がてら話をしていると、背中のひとりが僕の右肩をちょんちょんと触る。

何か言いたいことがあるらしい。首を左に傾けて、顔を出しやすいようにする。

そこから身を乗り出したひとりは、僕達がいるのとは逆の階段脇を指差していた。

 

「お兄ちゃん、あっち、あっち見てっ」

 

 その先には、江ノ島エスカー乗り場と書かれた看板があった。エスカー、エスカレーターだ。

ひとり達のように体力が無くても登れるようにしてあるんだろう。それ参拝としてはいいのかな。

よく見てみると近くに券売機がある、有料のようだ。苦労の代わりにお金を払えばいいらしい。

なんとなく生臭さを感じた。いや現状維持費とかもあるから、それに使ってるんだろうけど。

 

「おぉ、文明の利器だー!」

「ぼっちナイス。でかした。流石。褒めて遣わす」

 

 僕は勝手に微妙な気持ちになっていたけれど、三人は現れた科学の結晶に色めき立っていた。

特に山田さんなんかびっくりするくらい喜んで、走るような勢いでひとりを褒めている。

階段で登っていくのはもう、完全に諦めたみたいだ。

 

「何かありましたか?」

 

 さっきまでの疲れが嘘のように皆がはしゃいでいると、上にいた喜多さんが駆け下りてきた。

皆よりよっぽど動いているのに軽やかだ。他三人を足しても、まだ喜多さんの方が体力ありそう。

 

 皆エスカレーターに夢中になっているから、代表して僕が説明した。

喜多さんは話を聞いていくうちに、どんどん眉を顰めていき、最終的にむくれてしまった。

 

「もうっ、階段で登りましょうよ!」

「嫌だ!!」

 

 山田さんの大声を初めて聞いた。そんな声出せたんだ。

彼女だけでなくひとりも伊地知さんも、もうエスカレーターの魔力に囚われている。

というかあれ、ひとりも? ひとりは別に乗らなくても僕が上まで運ぶのに。

 

「ひとりのことは僕が背負ってくから、階段でも大丈夫だよ?」

「ううん、こんな暑いとお兄ちゃんも大変だから」

「いや降りる気はないんかい」

 

 伊地知さんの言う通り、ひとりは今も僕に乗ったままだ。降りる気配はない。

ひとりを背負っている分疲れはするけど、こうして甘えてもらえるのは、兄として喜びを覚える。

それにこうして、僕を気遣ってくれるひとりの思いやりもまた嬉しい。

 

「ありがとうひとり、優しいね」

「へっぅへっ、そ、そうでもないよ」

「変則型DV……?」

 

 

 

 喜多さんは不満げだったけど、多数決に飲み込まれて一緒に券売機まで移動した。

そしていの一番に券売機までたどり着いた山田さんが、その表示を見て凍り付いた。

エスカーの利用券が三百六十円。展望台の入場券込みだと八百円だった。高いような安いような。

 

「喜多ちゃん、展望台は」

「頂上からの景色、きっと綺麗でしょうね……」

「だと思った」

 

 展望台行きが確定したから、八百円のチケットを買おう。

僕が財布を取り出そうとすると、後ろからひとり越しに力強く肩を掴まれた。

急に手が飛び出てきて、ひとりがぎょっとしている。振り返ると、山田さんが立っていた。

彼女は一度手を放したと思ったら、今度は正面から僕の両肩を思い切り掴んでくる。

 

「陛下、ベースに興味はない?」

 

 そして急に勧誘が始まった。視界の隅で、伊地知さんが呆れ始めた。

 

「陛下がギターを弾けるのは今朝聞いたから知ってる。中々上手かった、あれならすぐベースも弾けるようになるよ。ベースはいいよ。分かりにくくて地味というやつもいるけどそいつはなにも分かってない。ベースこそがバンドの中心、最重要ポジション。重低音とリズムでバンド全体を支えている。目立ちにくいのは確かにそう。だけどベースがいないと曲の重みがまるで違う。言ってみればバンドの影の支配者。ベースのない曲なんて、そうだね、陛下は料理が得意だから、料理に例えようか。ベースは、そう、出汁のようなもの。ベースがなければ曲がぼやける。ベースが曲の根幹を決める。ベースによって曲の雰囲気がまるで変わる。そして、ベースは他の楽器を引き立たせる。他の演奏をより魅力的に出来る。陛下はバンドを組んでないけど、ぼっちとたまに演奏したりするよね、きっと。ギターとギターで合わせるのも楽しいと思う。だけどベースで合わせるのはまた違った趣がある。陛下はぼっちを手伝うのが趣味だと聞いたから、ギターを支えるベースも絶対に気に入る。一度あの味を知ってしまえば病みつきになる。大丈夫、もしも不安なら私が教えてもいい。いつもご飯をもらってるから練習代はおまけする。ベースは私がたくさん持ってるから、どれか貸すよ。というか売るよ。どれがいい。好きなのを選んで」

「お茶飲む?」

「飲む」

 

 汗もかいてたし、あれだけ話せば喉も乾くと思ってお茶を渡した。

今日もいい勢いだ。そのまま全部飲み干された。あとで新しいのを買っておこう。

そんなことより、山田さんに確認することがある。

 

「お金無いの?」

「……ないです」

「ベース、売ろうとしてるの?」

「…………してます」

 

 たくさん話してくれたけど、言いたいことはこれだけのようだ。

ベースか。ちょっとくらいは興味があるけど、今は新しい楽器に手を出す余裕が無い。

最近外出が増えたから、予定よりも勉強に遅れが出ている。

山田さんに教えてもらえれば、きっと楽しいとは思うけど、まずやるべきことをやらないと。

 

「八百円くらいなら出すよ」

 

 そもそもこれくらいなら出してもいい。僕の言葉に彼女は顔を上げて表情をぱあっと輝かせる。

そしてもう一度顔を下げ、僕に跪いた。何度もやってるから様式美になってきた。

 

「ははーっ。私山田は、これからはより一層の忠誠を」

「やめんか恥ずかしい!」

 

 伊地知さんが思い切り山田さんの頭をはたく。確かに公衆の面前ですることじゃない。

それでも微動だにしないから、彼女の手を取って立ち上がらせる。

その様子を見届けた伊地知さんは、僕にもお叱りの言葉を飛ばしてきた。

 

「後藤くんも! リョウのこと甘やかしちゃ駄目だよ!!」

「弁当のことを考えると、これくらい誤差かなって」

「……なんか、ごめん。その内全部払わせるね」

「ううん、僕が好きでやってることだから」

 

 計算してないけど数か月は作っているから、最低でも一万円以上は山田さんに貢いでいる。

山田さんさえよければ卒業までは作るつもりだから、きっともっと貢ぐことになる。

保護者の伊地知さんに僕が謝られていると、問題の山田さんは喜多さんに手を握られていた。

エスカレーターで行くことになって抑えられていた光が、再び強くなっている。

 

「お金が無いならしょうがないですね! リョウ先輩、一緒に階段で行きましょう!!」

「……ぼ、ぼっち」

「山田さん?」

「なんでもないです」

 

 山田さんが返すとは思えないから、ひとりから借りようとするのは認められない。

あのぐいぐい来る山田さん相手に、あの子じゃ借金を断れないし、催促も難しいだろう。

最悪その場合は僕が間に入ればいいけど、そうするとまた山田さんが死ぬかもしれない。

せっかく仲良くなれたのだから、なるべくあんな姿は見たくない。

 

「くっ仕方ない、かくなる上は」

「…………何してんの、リョウ」

 

 僕に借金を阻止された山田さんが、突然伊地知さんの背中に張り付いた。

身長差があるから、上から覆い被さるようになっている。

僕もずっとひとりを背負っているから、似たような姿勢が二セットになった。

 

「今気づいたけど、これってある意味お揃いだよね」

「こんなお揃い死ぬほど嫌なんだけど」

「はっ、わ、私だけ、仲間外れ……!? お、お揃い、お揃いにしなきゃ」

「お揃いにトラウマとかあるの?」

 

 なんて話をしながらも、山田さんは黙って伊地知さんの背中に張り付いたままだ。

伊地知さんは鬱陶しそうに、肩から垂れる山田さんを睨んでいた。

これは結局、何がしたいんだろう。甘えたいのかな。答えは、張本人の山田さんが教えてくれた。

 

「私は、結束バンドのお荷物です」

「手荷物扱いで乗り切ろうとしている!?」

「さあ行け、虹夏号」

「えぇー」

 

 言われるがまま、伊地知さんは改札へ進んで行った。行くんだ。

 

「申し訳ございません。エスカレーターでそういった行為は危険ですので、おやめください」

「あっはい。すみません」

 

 そして当然だけど、受付のお姉さんに止められて叱られた。

恥ずかしそうに伊地知さんが、何故か満足そうに山田さんが戻ってくる。

そんな彼女の背中を伊地知さんは何度も叩いていた。

 

「んー、じゃあリョウ先輩の分、一人二百円ずつ出しましょう!」

「……しょうがないかぁ。二人はそれでもいい?」

「あっはい」

「いいよ」

 

 喜多さんの提案で、皆で山田さんのお金を出すことになった。

一人二百円出して、四人で八百円。ちょうど一人分になる。

集まったお金を、代表して伊地知さんが山田さんへ差し出した。

お礼を言いながら受け取ろうとする山田さんを一度止めて、彼女は言い含める。

 

「リョウはお金が出来たら、皆に何か奢ること。いい?」

「もちろん。この穢れなき目を見て信じて」

「お金の形にしか見えない」

 

 山田さんは皆のお金を、両手で大事そうに受け取った。

幼い子供のように目を輝かせて、八枚の百円玉を見つめている。

 

「おぉ、こ、これが結束バンドの結束力……! まさか私が、元気玉的展開を経験するとは」

「はったおすぞお前」

「どうどう伊地知さん。どうどう」

 

 こうして、何とか皆で江ノ島エスカーに乗ることが出来た。

そして危ないからひとりはここで降ろした。なんだかちょっと不満げだった。




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次回のあらすじ
「友達」


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第二十八話「人生で一番楽しかった夏休み」

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前回のあらすじ
「山田の所持金は39円です」


 いざエスカレーターに乗ってみると、思っていたよりも時間がかかった。

歩きと比較してもずっと速いはずなのに、一区間移動するのに数分は必要だった。

これだと僕と喜多さんはともかく、他三人だと厳しいものがあったかも。

少なくとも今みたいに、景色や会話を楽しむ余裕は無くなっていたと思う。

そう考えるとあの時、エスカレーターを見つけてくれたひとりはお手柄だった。

 

「……自分の足で歩けば、もっと景色が綺麗になると思うのになぁ」

 

 それでも喜多さんは、未だに少しむくれている。

せっかく遊びに来ているのだから、そんな顔をしていてはもったいない。

僕は僕なりに彼女の機嫌を取るため、エスカレーターだからこそ出来たものを指差した。

 

「喜多さん、あれを見て」

 

 言われるがまま、喜多さんは僕の指差す方向に視線を向ける。

その先には楽しそうな、壊れかけの山田さんとひとりがいた。

 

「最高の眺めと空気だね!」

「しゃ、写真でも撮ります?」

 

 山田さんは見たことのないほど満面の笑みを浮かべ、なんとひとりは写真の提案までしている。

ありえない光景だ。真夏の階段という絶望から救われたうえに、見慣れない、けれどもいい景色。

日常では起こりえない感情の落差が生み出した、深刻なバグのような状態。

きっとこんなことでもなければ、一生見ることもないだろう。

 

「歩いてたらきっと、あの笑顔は見られなかったよ」

「そう言われると、うーん」

 

 そして写真は写真でも、きっと遺影になっていた。

僕の説得に喜多さんが、一理あるかなどうかな、と悩み始めた。

とりあえず不機嫌そうな顔は引っ込んでくれた。よかった。

 

 僕が安心していると、壊れかけコンビに伊地知さんも加わって、三人で自撮りしていた。

知らない間に伊地知さんも故障していた。喜多さん以外皆暑さに弱い。楽しそうだしいいや。

ひとりも山田さんも笑顔の貴重なタイミングだ。喜多さんにも混ざるように勧めよう。

 

 そう思った瞬間、全員一気にしゅんとなった。何かを吐き捨てるような顔をしている。

原因は多分、彼女たちの横を通り過ぎたカップルだ。

遠目から見てもそのカップルたちは、なんだか辺り一面に幸せオーラを振り撒いている。

あれで正気に戻ったのかもしれない。いや、修理してくれたのだからむしろお礼を言うべきだ。

 

「……あの微妙な顔も、見れなかったよ」

「……そう言われても、うーん」

 

 ちょっと微妙な感じになったけど、喜多さんの機嫌は戻ったから作戦成功。成功だよね?

 

 

 そうして合間合間で参拝したり、お店を覗いたりしていると、展望台に辿り着いた。

早速入場してエレベーターに乗り、最上階へと向かう。

 

「見てください! 展望台からの眺めはもっと絶景ですね!」

 

 展望台からの絶景を見て、喜多さんがはしゃぎ出した。

目に焼き付けとかないと、と言いながら、携帯で写真を撮り始めた。目にじゃないんだ。

それはともかく、喜多さんの言う通り確かにいい景色だ。

今まで歩いてきたところ、これから歩くところ、そして海がよく見える。

写真や動画でも見ることは出来るけど、自分の目で見るとまた少し違った感じがする。

 

 そんな風に景色を楽しんでいると、ふと袖に違和感を覚えた。

いつものようにひとりかと思って振り返ると、今回は山田さんが僕を呼んでいた。

 

「ちょっとお願いしてもいい?」

「いいよ。どうしたの?」

「耳貸して」

 

 ごにょごにょと、山田さんの要望を伝えられる。

日本語としては分かるけど、なんでこんなことをお願いするのかは分からない。

分からないけど、せっかくのお願いだ。断ることでもないから、僕は受け入れた。

 

「あれ、リョウと後藤くんは?」

「さっきまで近くにいたんですけど、もう降りちゃったんでしょうか」

「あっ、えっと、あっちみたいです」

 

 腕を組み、出来るだけ偉そうに展望台の下を、そこにいる人々を見下ろす。

塵芥を見るような、温度の無い目をする僕の隣には、山田さんが執事のように控えていた。

 

「山田さん、ここからの景色どう思う?」

「はっ、愚かな愚民どもがよく見えます!」

「なんかやってるよ」

 

 容赦なくツッコまれる。見られたくないから移動したのに、もう見つかってしまった。

山田さんに続けるかどうか目で窺うも、続行の指示が出た。しょうがない。やりきるしかない。

僕はさっき山田さんに言われた台本を思い出して、口にした。

 

「愚民ね。彼らは彼らで懸命に生きている。そう否定してはいけないよ」

「ですが陛下、奴らは遥か昔神に打ち砕かれたことを忘れ、再びこのような塔を作っております」

「何の設定なの?」

「……その愚かさも、愚直と考えれば美点だ。よくも、悪くもね。導く者でそれは変わる」

「と、ということは、まさか」

「そう。だから僕が、天に立つ」

「ははーっ。魔王様の仰せの通りに」

 

 最後に山田さんがいつも通りに、いつも通りでいいのかな、傅いて終わった。

なんだろうこれ。やってる僕が言うことじゃないけど、なんだろうこれ。

とんでもなく痛々しい、恥ずかしい、くすぐったい。変な震えが起こりそう。

近付いてくるひとり達も、やった僕もひたすら首を傾げていた。

ただ山田さんだけは、満足そうにぱちぱちと拍手をしていた。

 

「ナイス魔王」

「なんか凄い恥ずかしかったんだけど、これ何、何の台本?」

「高いところから愚民を見下ろす魔王を見てみたかった。台本は普段の様子を見て私が作った」

「ぐ、愚民……えっ、お兄ちゃん学校だといつもああなの?」

「そんなことないけど。……そんなことないよね?」

「我ながらかなりの完成度だと思う」

「………………ごめんね、後藤くん」

 

 わざわざ展望台に上ってまで、何故か僕達は魔王ごっこをしていた。

ごっこ遊びなんて、家族以外と初めてした。

恐ろしく恥ずかしかったし、今も鳥肌が立ったままだけど、実はちょっと楽しかった。

そんな感じで楽しく話しながら、僕達は展望台を後にした。

 

「……景色見ましょうよ!!」

 

 

 展望台から降りて、ソフトクリームを買って一休み。

エスカレーターで登りはしたけど、それ以外はこの暑い中よく歩いたり立ったりした。

それに下りは自力だ。休める時に休んでおいた方がいい

 

「陛下、ソフトクリームありがとう」

「いいよ。代わりに今度、ベースのお話し聞かせてね」

「任せて。寝かせないぜ」

 

 山田さんは帰りの電車賃を除けば、もうアイスを買うお金すらなかった。

伊地知さんには、自業自得なんだから放っておきなさいと言われた。

言われたけど、あのうるうるとした目で見られると僕は弱い。妹達を思い出してしまう。

 

 だからついお金を出して、山田さんにアイスを買ってあげてしまった。

まあ、うん。さっきのベース勧誘を受けてちょっと興味出たのは事実だし。

実際弾くことが無くても、知識があって損は無いし。何かの役にたつかもしれないし。

 

「……おー、あれトンビじゃない?」

 

 心中で言い訳していると、伊地知さんは空を指差してそう言った。釣られて皆で空を見上げる。

そこにはトンビの群れがいた。特徴的な鳴き声が数多く耳に届く。

そういえば江ノ島近くは、こんな風にトンビが多いと聞いたことがあるような。

 

「……なんか、こっち狙ってません?」

 

 そしてそのトンビは人の食べ物を狙って、襲い掛かって来ることもあるとか。

その噂は本当のようだ。僕達の持つアイスを狙って、さっきから上空をくるくると回っている。

そこそこ数がいる。群れだ。そんなにいたら、僕達全員から奪っても足りないと思う。

 

「トンビも群れになると、こんなになるんだね。初めて見た」

「たくさんいるね。……はっ、も、もしかして、私より友達が多い!?」

「あれって友達なのかな、家族なのかな。どっちにしても、量より質だよ」

 

 なんてひとりと悠長に構えていると、伊地知さんと喜多さんが僕達の腕を引っ張っていた。

酷く慌てた様子だ。不思議に思ってひとりと顔を見合わせる。ひとりも僕と同じ顔をしていた。

 

「ふ、二人とも、なんでそんなにぼんやりしてるの!?」

「一回避難しましょうよ!」

 

 そうやって二人が僕達を連れて逃げようとするけれど、もう遅い。

彼女達の背後から既に一羽のトンビが、こっちに向かって飛んできている。

ここから逃げ切れるのは、僕達を置いて一人逃走した山田さんくらいだろう。

 

 ただ、そもそも逃げる必要なんてないのだけれど。

 

 僕は帽子とサングラスを外し、飛び込んでくるトンビの方へ視線を向けた。

ちょうど飛んできたトンビと目が合う。すると一瞬体を硬直させ失速し、墜落しそうになる。

よろよろとしてはいたけれど、そのままなんとか地面に、僕の前に着陸した。

そして、その一羽に続こうとしていた他のトンビ達は、Uターンして空に戻って行った。

ここまでは予想通りだ。これでもう大丈夫だとは思うけど、一応こっちも試しておこう。

 

「何か用かな」

 

 子供の頃に読んだ図鑑によると、トンビはカラスと同等、もしくはそれ以上に賢い鳥らしい。

だから言葉は分からなくても、こうして僕が問いかけた理由は察するかもしれない。

現にこのトンビは僕の声にびくりと震えた。まだ逃げる様子はない。もう一言付け加えよう。

 

「未遂だから、今回は許すよ。次は、どうだろうね」

 

 許すも何も無いし、次も特に考えてない。ただ、もう狙わないでねって気持ちが伝わればいい。

気持ちの籠った僕の言葉を聞き届け、トンビは羽を広げて大急ぎで空へと飛び去った。

そして群れに合流すると、ともに僕達の上から姿を消した。ちゃんと言うことを聞いてくれた。

よし。僕が達成感に浸っていると、ひとり以外の三人がドン引きしているのが見えた。

 

「えっ、ちょ、今の何?」

「僕達を狙わないでねってお願いしたら、聞いてくれたみたい」

 

 端的に言うと、僕は動物にも嫌われ、というより恐れられている。

身近なところだと、道端で犬や猫と遭遇すると、野良とか関係なく必ずお腹を見せられる。

動物園では檻越しに目が合うと、ほとんどの動物が丸くなってしまう。

だから僕は、ライオンや虎に勇猛さや格好良さを感じたことはほとんど無い。猫と同じに見える。

ちなみにジミヘンは例外。彼は僕とも仲良くしてくれる。賢くて優しい。いつも頼りにしている。

 

 僕が説明しても、三人ともドン引きしたままだった。むしろより引いていた。

 

「こ、これが魔王……ヤバいですね」

「そう、ヤバい」

 

 何故か山田さんだけは、ちょっと嬉しそうだった。今の光景が面白かったのかもしれない。

自分で言うのもなんだけど、確かに魔王感が強い光景だったと思う。

そんな皆を見て、ひとりが慌てて助け舟を出してくれた。

 

「あっ、あの、お兄ちゃんがゴミを出した日は、カラスがゴミ捨て場に近寄らないんです」

「そうそう。だから今のは、鳥除けみたいなものだから。ほら、案山子みたいな」

「えぇ、いや、えぇ……」

 

 僕もそれに同調させてもらったけど、誰も乗ってくれない。

そうしてしばらく皆引いていたけど、アイスを食べ終わる頃には元に戻っていた。

皆、ひとりだけじゃなくて僕にも慣れ始めていた。結束バンドは順応性が高い。

 

 

「ここでお参りしませんか?」

 

 アイスも食べ終えて下り道を歩く途中、とある社殿の前で喜多さんが提案した。

近くの案内文には、奉安殿と書かれている。ここには妙音弁財天が祀られているそうだ。

音楽、芸能の女神様だ。バンドとしてお参りするのに、これ以上の神はいないだろう。

 

 彼女の勧め通り、皆でお参りすることにした。賽銭箱に小銭を入れ、五人で並び手を合わせる。

合わせてはいるけど、実のところ僕は神様をまったく信じていないから、何も祈っていない。

どれだけ祈ったところで何も変わらない、変えてくれない。

何度かお百度参りをして実感した。祈りは無力だ。

 

 じゃあ手を合わせて何をしているのかというと、感謝をしていた。

ひとりが伊地知さんと出会えたこと。そして結束バンドに入れたこと。

伊地知さんだけじゃない、山田さん、喜多さん、店長さんに廣井さんや、ファンの方々。

ひとりが、僕が、色んな人に出会えてよかったと、ずっと思っていた。

だけどそんなこと、面と向かって言われても、皆困ってしまうだろう。

言いたくて、伝えたくて、でも誰にぶつければいいのか分からないこの感謝。

もやもやとずっと抱えていたから、今日はちょうどサンドバック代わりにさせてもらった。

 

「兄妹揃って、すっごく長くお祈りしてたね」

「えっ、そそ、そうですか?」

 

 お参りも終わって帰り道、伊地知さんが感心したように声をかけてきた。

そういえば、手を合わせるのを止めて目を開いた時に、ひとり以外から見られていた気がする。

皆よりも長くやっていた。そしてひとりは僕よりもさらに長かった。苦悶に満ちた表情だった。

あれは多分、夏休みの延長とかお金とか名誉とか、俗なことをお願いしていた。

妙音弁財天じゃなく、弁財天として考えても、お金以外はきっと管轄外だ。

それにどうせ、どんなお願いでも叶わない。そっとしておこう。

 

 お参りも終わって後は下るだけ。ゆっくりとあちこち歩いていたから、日も暮れてきた。

適当な雑談をしていたところ、夕焼けを見た喜多さんが唐突にテンションを上げた。

目を見開いたと思ったら、いきなり携帯を取り出して何か操作し始めた。

 

「き、喜多さん、どうかしたんですか?」

「後藤さん! この夕日、映えると思わない!?」

「えっ、あっ、はい。き、綺麗ですね」

「ちょうどこの近くに、有名な夕日の撮影スポットがあるらしいの!」

 

 夕日に負けないくらいに目を輝かせて、喜多さんはひとりに詰め寄っていた。

いつも通りひとりはそんな彼女に圧倒されて、首を縦に振る人形になっている。

その二人の様子を見て、やれやれとでも言いたげに、山田さんが呟いた。

 

「郁代は元気だね」

「せっかくだから撮りに行きましょう、後藤さん、リョウ先輩!」

「えっ」

「あっちょっ」

「伊地知先輩も後藤先輩も、早く来てくださいね!」

 

 そう言って、近くにいたひとりと山田さんを引きずりながら、階段を駆け下りて行った。

本当に元気だ。下手に止めると、反動でひとりと山田さんがどこかへ飛んでいきそうだ。

だからそのまま見送った。階段から落ちなければいいけど。

 

「行っちゃった」

「行っちゃったね。後藤くんは行かなくていいの?」

 

 気にはなる。気にはなるけど、僕はここにいた方がいいと思う。

 

「僕は、いいかな。伊地知さんもいいの?」

「私もいいよ。ちょっと疲れちゃって、喜多ちゃんに追いつけなさそうだし」

 

 そう言った伊地知さんの足取りは、本人の言う通り重い。

僕が行けば彼女を一人っきりにすることになる。皆で遊びに来て、それは寂しいと思う。

解決策も、あると言えばあるけれど。一応、念のために提案だけはしておこうか。

 

「おんぶしてもいいなら、僕が連れてくよ」

「えー、恥ずかしいからやだよ」

 

 言ってはみたけれど、緊急時ならともかく、僕も本気でおんぶする気はない。

くすくすと笑う伊地知さんにも、そんな気はなさそうだ。

だから喜多さんのことはあの二人に任せて、伊地知さんのペースで階段を降りていく。

 

「あの、伊地知さん」

「どうしたの?」

 

 そして気づいた。今がチャンスかもしれない。

 

「連絡先、交換してくれないかな」

 

 本当は今朝、打ち明け話の後に聞こうと思ってた。

だけど山田さんがお仕置されて、流れるように江ノ島まで移動したから、タイミングを逃した。

皆の前で改めて聞くのは、なんとなく気恥ずかしい。だから、二人っきりの今ならちょうどいい。

 

「僕、伊地知さんのだけ知らないから」

「そういえばそうだったね」

 

 喜多さんも山田さんも、必要が生じたから向こうから交換してくれた。

でも伊地知さんとはそういう関係にならなかったから、今までそんな機会が無かった。

 

「それでその」

 

 だけど今交換したいのは、必要だからとか、そんな理由じゃない。

 

「その、友達になってください」

 

 僕がそうしたいから、そうなりたいから。

 

「友達になって、もっと仲良くしてください」

「……」

 

 ロインを交換すれば、表記上は友達だ。でもそれだけじゃ、きっと友達とは言えない。

僕は皆を好きになって、皆と友達になりたいと、そう思うようになっていた。

だから勇気を出してそう言った。頭を下げて精一杯お願いする。

 

 だけど返事がいつまでも無かった。

思わず不安になって顔を上げると、彼女は目を丸くして固まっていた。

こんなことを言うのは初めてだから、また何か間違えてしまったかもしれない。

 

「駄目、かな?」

「連絡先はいいよ。でも、今から友達になるのは難しいかも」

 

 耳に入って一瞬はショックを受けた。受けたけど、伊地知さんの顔を見てすぐに消えた。

彼女は笑っていた。いつか見た微笑だ。今もまた、どことなくいたずらっぽさがある。

 

「だって、もう友達でしょ?」

 

 そう言ってもらえて、友達だと認めてもらえて、とても嬉しかった。

嬉しかったけど、その前の、一度下げる言い方はいらなかったと思う。絶対に必要なかった。

だから思わず、伊地知さんに文句を言ってしまう。

 

「……伊地知さんってたまに意地悪だよね」

「そんなことないって。仮にそうでも、それは後藤くんのせいだよ」

「僕のせいって、えっ、何か怒らせることしたかな?」

「ダメ、教えなーい。自分で考えてね!」

 

 僕が不満げに言っても彼女は取り合わない。

そんな風に、喜多さんに遅いと怒られるまで、僕達は二人でゆっくりと歩いていた。

 

 

 

 そうして夕日の中、皆と一緒に電車まで歩いて行って、この日のお出かけは終了した。

僕が参加するなんて思ってなかったし、した後も内心不安で一杯だった。

でも帰り道、幸せそうに笑うひとりを見て、今日のことを思い出して、僕もまた幸せだった。

こうして誰かと遊びに行くことがあるなんて、それが楽しいなんて、想像もしていなかった。

 

 振り返ってみれば、この夏休みはそんなことばかりだった。

他人を好きになれて、その人たちと遊びに行けて、友達にもなれた。

だから、少し照れてしまうけど、胸を張って言える。

今年の夏休みは、今までで一番楽しかった。この楽しいがずっと続けばいいなって。

 

 

 

 

 

 

おまけ 「帰りの電車のとある一幕」

 

「皆寝ちゃったわね」

「あっはい。そうですね」

「後藤さんは眠くないの? 私、起きてるから平気よ?」

「あっはい。行く途中意識がなかったので、全然平気です」

「そうなの? よかった、それじゃまだまだ楽しいが続くわね!」

「ぇへへ、はいっ」

 

「それにしても、後藤先輩まで寝ちゃうとは思わなかったわ」

「……お兄ちゃんも多分、緊張して疲れたんだと思います」

「そうなの? 全然気づかなかった。後藤さん、流石妹ね」

「そ、それほどでも、へへっ」

 

「……その、後藤さん、今日は楽しかった?」

「あっ、はい。た、楽しかったです、凄く。あっ喜多さんは?」

「私も、すっごく楽しかった! でも、二人が楽しめたか心配で」

「えっと、二人って、私とお兄ちゃんのことですか?」

「うん。特に後藤先輩のことは、半ば脅迫みたいに連れてきちゃったから」

「……」

「それにいつものことだけど、先輩今日も表情変わらないから、不安になって」

「…………きっ喜多さん!」

「わっ、ど、どうしたの?」

 

「きょ、今日はありがとうございました!」

「ほんとに急にどうしたの?」

「あの、今日のこと計画してくれて、お兄ちゃんのこと誘ってくれて」

「でもそれは」

「お、お兄ちゃんも、私と同じくらい楽しんでました、絶対」

 

「その、お兄ちゃんは、外じゃ絶対に寝ません」

「え?」

「テスト前とか、どんなに眠くても頑張って起きてます。で、でも今は、熟睡してます」

「そう、ね。そうだけど、それがどうかしたの?」

「えっと、だから、それくらい楽しかったんだと思います」

 

「お兄ちゃんはどんな時でも起きていよう、寝ないようにしようって、いつも意識してて」

「?」

「でも今日はそれを忘れるくらい、思わず体力使い切るくらい、楽しかったんだと思います」

「!」

「こんなお兄ちゃん、見るの初めてで、だから」

「うん」

「だから喜多さん、今日はありがとう」

「……うん!」

 

 

「ふふっ、こんなに喜んでもらえるなら、もっと早くみんなで遊びに行けばよかった!」

「えっ」

「うーん、そうね。後藤さん、冬休みは結束バンドと後藤先輩だけでずっと遊びましょう!」

「えっえっ」

「楽しみだわ~!」

「えっえっえっ」




感想評価よろしくお願いします。

次回のあらすじ
「相談」


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第二十九話「二学期の始まり」

感想評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「友達が出来たけどタイトルは変わりません」


 ある意味一学期と同じくらい、もしくはそれ以上に激動の夏休みが終わって、学校が始まった。

昨日は自信に溢れていたひとりだったけど、案の定朝はぐずっていた。筋肉痛だかららしい。

最後は喜多さんにひきずられてたし、あの下り道が効いたのかな。

 

 ふたりに虐められて朝から可哀想ではあったけど、この程度で休ませてはいけない。

ひとりが筋肉痛に慣れてないから騒いでいるだけで、触診したけど大したことは無かった。

実際電車に乗る頃には、時々痛そうにはするけどそれだけで、もう叫んだりはしない。

憂鬱そうに外の景色を眺める余裕も生まれていた。そして途中で眠った。

 

 そんなひとりが学校に辿り着くのを見送って、僕も高校に着いた。

山田さんの補習やら何やらで、夏休みの間も何回か来たから久しぶりという感じはしない。

でも生徒たちが僕を恐れ、道を空けてくれるこの感覚は懐かしい。

 

 昇降口を抜け、廊下を進み、教室へ進む。今日も道が広い。

僕が歩く度に廊下から人は減り、音が減り、静寂に満ちていく。

今日はちょっと遅くなってそろそろ始業時間だから、僕だけが理由じゃないと思う。多分。

 

 教室に着き戸を開けると、既に中は静かになっていた。

二年生の二学期にもなると、僕の登校時間もなんとなく知られている。

だからその前後にはこうして静かになり、ほとんどの生徒が席に着いている。

今日は中々来なくて皆そわそわしていたようだけど、入ってきた僕を見て机を眺め始めた。

この光景を見ると、なんだか学校が始まるって実感が湧いてきた。自分でもどうかと思う。

 

 そうして教室を見回していると、伊地知さんと山田さんと目が合った。

伊地知さんは手を振ってくれて、山田さんは手を合わせている。その動きはなんだろう。

もしかして、いただきますかな。気が早い。今日の分はまだ渡していない。

 

 僕が自分の席に着いた頃、ちょうどチャイムが鳴った。遅刻ギリギリだった。

同時に担任の先生が慌てて教室に飛び込んできて、下北沢高校の二学期は始まりを告げた。

 

 

 

 下北沢高校は進学校だから、始業式も授業があって、午前だけで終わらない。

ひとりのところは、午前中で終わりだと言っていた。

今はノルマ達成のため、伊地知さんにシフトを増やされてバイト中のはず。

 

 ひとりが頑張っているんだから、僕も頑張らないと。

そう決意して、今日はどこでお昼を食べようか考えていると、僕に忍び寄る影があった。

それはひもじそうな顔をして、縋りつくように僕の机にしがみついている。

その光景は、教室の中にざわめきを作り始めていた。

 

「陛下、お弁当下さい」

 

 そんな空気をものともせずに、山田さんは両手で皿を作り、僕を上目遣いで見つめていた。

もちろん今日も、山田さんの分も弁当は持ってきている。

ただ、僕が遅い時間に登校したのもあって、中々渡すタイミングが掴めなかった。

当然渡すつもりだけど、こんな公衆の面前では僕と山田さんの関係が知れ渡ってしまう。

 

「山田さん、皆の前で話しかけるのは」

「前も言ったけど、私も浮いてるから平気」

 

 だから早くお弁当下さい、と彼女は続けた。もしかして、お腹空いてて頭回ってないだけかな。

思わず呆れてしまう。何かを勘違いした山田さんは、目をうるうるとさせ始めた。

この人に今何を言ってもしょうがない。とりあえず持ってきた弁当を手渡した。

受け取ったそれを、山田さんは高く掲げて喜んでいる。

そこまで喜んでもらえると嬉しいけど、もっと周りの目を気にしてほしい。

 

 ざわめきと山田さんをどうしようか悩んでいると、伊地知さんが教室に入ってきた。

何かの都合で廊下の方へ行っていたらしい。戻ってきて早々教室の雰囲気に目を丸くしている。

そして悩む僕と弁当を掲げる山田さんを見てため息を吐く。吐きながら、僕らの方へ歩んでくる。

 

「こらリョウ、後藤くん困ってるよ」

「これはあれ、嫌よ嫌よも好きのうちだから」

「まだ嫌すら言ってないよ」

「大丈夫、私には分かってる」

 

 何故か山田さんは自信満々だった。

話しかけられて、確かに僕は嫌じゃないし嬉しいけど。そういう問題じゃない。

こうやって話すこと自体が問題だ。

 

 周囲を見る。僕の動向に注目している。興味津々だ。

仕方がない、被害が出るかもしれないことを承知で、周りを軽く睨む。

全員一斉に目を逸らしたから、誰も気絶しなかった。よく鍛えられている。

 

 それでも、これで少しの間はこっちを見ないだろう。

この隙に伊地知さんに手招きをして、顔を寄せてもらう。

机とにらめっこしてても耳を立ててるのは分かってるから、内緒話で説明しよう。

 

「僕と話していると、二人にも変な噂が流れるから」

 

 最初ちょっとくすぐったそうにしていた伊地知さんは、途中からどんどん真顔になっていった。

黙って僕の説明を聞いている。頷きもしないけど、話すのを止めると僕を見て先を促す。

そして僕が話し終えると、少しだけ目を瞑り、内緒話なんてなかったかのように口を開いた。

 

「後藤くん、一緒にご飯食べよ?」

 

 空気が凍った。ついでに僕の思考も凍った。伊地知さんまで僕の話を聞いてくれない。

固まって返事もしない僕に、伊地知さんは言葉を重ねてきた。

 

「嫌だったら、ちゃんと嫌だって言ってね」

 

 嫌な訳が無い。昨日の江ノ島で知ったことだけど、友達とご飯を食べるのは楽しい。

それに嫌だって、君とはご飯を食べたくないなんて言われたら、方便でもきっと傷付く。

だから嫌だなんて言える訳がなかった。せめてもの抵抗として、頷いて返事をする。

それでも伊地知さんは嬉しそうにしてくれた。無意味な抵抗だった。

 

「じゃあ決まりだね。どこで食べようか」

「私のとっておきを紹介しよう。なんと今なら無料で前菜もついてくる」

「それ雑草でしょ」

 

 伊地知さんと山田さんに引っ張られるように、僕は教室を後にした。

僕達が教室を離れてすぐ、クラスメイトの、男子と女子の悲鳴が聞こえた。

なんで悲鳴をあげたのか、これから何を話すのか、想像もしたくない。

今後のことを思うと、今からでも二人と別れるべきだ。

それでも僕は惜しくなってしまって、結局そのまま一緒に昼休みを過ごした。

 

 

 

 こうして時々、伊地知さんと山田さんと一緒にお昼ご飯を食べるようになった。

僕と表立って絡むことで何か二人に不都合が生じると思っていたけど、今のところはなさそうだ。

ただそれ以来、何か僕に用が出来た時は皆が二人を通すようになった。

二人とも後藤、というか魔王係になってしまった。とても申し訳ない。

そのことで何度か謝ったけれど、伊地知さんは別にいいよといつも許してくれる。

山田さんには、もうおかずのグレードアップを要求された。分かりやすくて助かる。

 

「なので、何かお礼が出来ればいいなと思ってます」

「……それを私に言ってどうする」

「店長さんはお姉さんだから、伊地知さんの欲しいものとか分かるかなって」

「知るか、というか知ってても教えない。自分で聞け、自分で」

 

 二学期が始まって少しして、ちょっとしたきっかけでスターリーを訪れた。

ちょうどよかったから、店長さんに相談したけど教えてくれない。ただ言うことはもっともだ。

僕のお礼なんだから、僕の気持ちが伝わるように考えないと。

 

 密かに気合を入れる僕を、冷ややかに店長さんは見ている。

その目線は時々僕じゃなくて、地面の方を、ゴミ箱の方へ向いている。

今日彼女が冷たいのは、僕の相談じゃなくてこっちが原因だろう。

 

「お前、この状態のぼっちちゃんを見て何も言わないのか?」

「文化祭のライブに出ようか迷ってて、相談しようかと思ったけど勇気が出ないみたいですね。

この後店長さん達に声をかけると思うので、よかったら聞いてあげてください」

「えっ怖っ」

 

 求められたから、ゴミ箱つむりのひとりが言いたいことを代わりに伝える。

それなのにドン引きされた。理不尽だ、と思ったけどそうか、そこじゃないか。

店長さんは言いたいことは、きっとこっちの方だ。

 

「あっでもこの後バイトなのにゴミ箱に入るのは、衛生的に不味いですよね」

「そこは大丈夫。それはぼっちちゃん専用だから」

「えっ」

「ちゃんと消毒してあるし、ゴミを入れたことも無い。ハーブのいい匂いまでするぞ」

 

 どこか得意げに店長さんが教えてくれた。言っていることも、得意げな理由も分からない。

ひとり専用。どういうことだろう。専用のゴミ箱って初めて聞いた。

スターリーって専用のゴミ箱支給してるの? 支給してどうするんだろう。

ひとりなら喜ぶかもしれないけど、普通の人がゴミ箱をもらってもどうしようもないはず。

 

「PAさん達にも支給してるんですか?」

「は? んな訳ないだろ」

「私もこんなものもらっても困っちゃいますよ」

 

 念のため確認すると、頭のおかしい人を見る目で見られた。これは間違いなく理不尽だ。

 

「……店長さんも、バンドマンだったんですね」

「どういう意味だコラ」

 

 僕の知る限り、バンドに携わる人は多かれ少なかれ、皆どこかおかしい。

今のところ伊地知さんはまともだけど、きっと知らないだけで変なところがあるはず。

だってあの山田さんの親友で、僕とひとりとも友達が出来ている。まともな神経じゃ無理だ。

 

 それに店長さんは、あの廣井さんの先輩だ。

とても口に出来ないような趣味を持っていても、正直不思議とは思わない。納得する。

僕は店長さんのことを尊敬している。なるべく維持したいから、深堀りはしないでおこう。

 

 店長さんの追及をかわしていると、ひとりがゴミ箱から這いずり出てきた。

どうやらゴミ箱の中で勇気がチャージ出来たようだ。

そのまま立ち上がり、僕の横に座って店長さんとPAさんに話しかけた。

そんなひとりから、ほのかにラベンダーの香りがした。店長さんは本当のことを言っていた。

 

「あ、あの、店長さんは、文化祭でライブした方がいいと思いますか?」

「一生に一度の青春の舞台だからな、迷ってるくらいなら出た方がいいんじゃない?」

「青春の舞台……」

「あー、私高校ろくに行ってないから、今適当なこと言ってるぞ」

「ちなみに私は高校中退です」

「青春の舞台……?」

 

 相談相手を間違えた、口以外の全てがひとりの感想を物語っていた。

話すだけでも整理がついたり、自分の気持ちが分かったりするから、無駄じゃないよ、多分。

店長さん達もなんとなく気まずそうだ。青春してない人に聞くべきじゃなかった。

 

「お疲れ様でーす! あれ、なんだ後藤くんも来てたの?」

「しかも集まって話し込んでる。レアな光景」

 

 そんな空気を切り裂くように、伊地知さんが元気よく入ってきた。

山田さんもよどんだ空気を気にせず、声をかけてくれる。よかった。なんとかなりそうだ。

 

「後藤さんが文化祭のステージに出るかどうか、悩んでるんですよ」

「え、文化祭の? いいねー、出ようよ!」

 

 予想通り、伊地知さんは乗り気だった。

山田さんは何も言わないけど、どこか楽し気だ。彼女もやりたいみたいだ。

その返答をひとりも分かってたらしい。だから用意していた質問を続ける。

 

「あっあの、文化祭でライブとかしたことあるんですか?」

「中学でやったよ!」

「私はマイナーな曲で、会場をお通夜にしてやったぜ」

 

 堂々としたお通夜宣言だった。胸を張って言うことじゃないと思う。

微妙に手と瞳が震えているような気もするけど、僕の勘違いだろう。こんなに自慢げだ。

山田さんから視線を外すと、何故か僕を見ているひとりと目が合った。僕にも確認したいようだ。

 

「え、僕? 僕はしたことないよ。ひとりも知ってるでしょ」

「でもお兄ちゃん、私に路上ライブのこと隠してたから」

「あれは、ほら、色々事情があって」

「……」

 

 そう話す僕を見るひとりの目は、微妙に冷たい。

隠し事をしていた僕が悪いけど、あれからちょくちょく疑われる。

自業自得だけど、切ない気持ちになる。なんでも信じてくれるひとりはもういない。

 

 そんな僕達を放置して、伊地知さんは出たいなーと何度も呟いていた。

 

「ほら、私たちの学校って全然文化祭盛り上がらないでしょ? だからやりたいなー、ライブ」

「そっか。なら僕が」

「はい後藤くんストップ。その話はもう終わってるからねー」

 

 ひとりと山田さんは分かってないようだけど、伊地知さんには止められた。

生徒会に掛け合おうとしたことがバレたみたいだ。

流石に生徒会長になろうなんてもう思ってない。だけど会長に要望を伝えるのは簡単だ。

彼には結構な貸しがあるから、お願いすれば喜んで何でも聞いてくれると思う。

 

「私もここ以外でオリジナル曲をやりたい。きっといい宣伝にもなる」

「うんうん。喜多ちゃんも色々頑張ってくれてるけど、実際に見てもらうのが一番の宣伝になると思う!」

 

 そうやって相談を続けていく内に、二人ともどんどん乗り気になっていた。

ひとりも引きずられるように、少しずつだけど前向きになっている。

それでも、どうしても不安を振り切れないようで、知らない校則を語りだした。

 

「で、でも、高校の文化祭って、青春ロックで盛り上げないと退学になるんじゃ」

「大丈夫。中学の頃だけどほら、お通夜の山田さんでもちゃんと高校生にはなれてるよ」

「その二つ名はやめてください。正直、今もたまに夢に見る……」

「強がりだったのかよ」

 

 震えていたのは気のせいじゃなかった。山田さんだからそうかなとは思ってた。

ちょっと意地悪だったかもしれない。明日は卵焼きを一つ増やしておこう。

僕の懺悔に気づかず、山田さんはひとりに寄り添ってくれていた。

 

「文化祭はきっと、いや絶対にここより多い人の前での演奏になるから、ぼっちの不安も分かる」

「確かに、そうだね。だからぼっちちゃん、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。

ぼっちちゃんたちの文化祭なんだから。ほら、来年も再来年もチャンスはあるし」

 

 伊地知さんと山田さんはやりたいな、とは言うけど無理強いはしなかった。

あくまでひとりに任せるという姿勢を崩さない。そしてひとりはまだまだ迷っている。

今すぐに決める必要がないのなら、もう少し時間が欲しいな。

 

「ひとり、提出期限っていつだっけ?」

「えっと、まだ一週間くらいあるよ」

「それなら、まだゆっくり考えられるね」

 

 そう言って、伊地知さんと山田さんの顔色を窺う。これでいいのかな。

すぐ僕の様子に気づいた二人は、明るく答えてくれた。

 

「私はどっちでもいいよ!」

「ぼっちに任せる」

「ね、二人ともそう言ってくれてるし」

 

 最後まで二人は明るく暖かく、ひとりの気持ちを尊重してくれた。

二人の気遣いを大切にして、一番ひとりに、皆にいい形になるようによく考えて。

あれ、二人? もう一人の子は、喜多さんの意見はいいのかな。

 

「そういえば、喜多さんには聞かないの?」

「……喜多さんに言うと、自動的に参加が決まりそうだから」

「確かに」

 

 伊地知さんも山田さんも、というか店長さんとPAさんまで深々と頷いていた。

陰口みたいでごめんね喜多さん。でも、僕も納得したから何も言えない。

彼女にはひとりが決意を固めるまで内緒にしておこう。

 

 

 

 そう思っていた次の日の昼休みのことだ。

ちょうどお昼を食べ終えた頃に喜多さんからメッセージが届いた。

なんだろう。今日はスタ練の日らしいから、練習の誘いじゃないと思う。また何か雑談かな。

喜多さんの話はよく分からないことも多いけど、刺激的かつ新鮮で、いつも面白い。

何も考えずに開いた画面には、一文と一枚の写真のみが届いていた。

 

『私は罪人です』

 

 そこにはフリップを首から下げ正座する喜多さんと、棺の中で横たわるひとりが写っていた。

よく見る光景だから特に何も思わなかった。精々が、これ誰が撮ったんだろうくらいだ。

 

「二人とも、ちょっとこれ見て」

 

 今日も一緒にご飯を食べてくれた伊地知さんと山田さんに声をかける。

僕の差し出した携帯を見て、またぼっちちゃん死んでる、とだけ伊地知さんが呟いた。慣れてる。

山田さんに至っては、一度ちらりと見ただけで何も言わない。日常風景になってる。

 

 別に僕はひとりの死体を二人に見せたかったわけじゃない。

僕の推論を理解してもらうためには、この状況を見せた方が分かりやすいと思ったからだ。

遺体のひとり、近くでへたり込む罪人の喜多さん。この光景から分かること、それは。

 

「喜多さんが文化祭ステージの申込、したみたいだね」

 

 つまり結束バンドの、秀華高校文化祭でのライブが決定した、ということだ。

僕の推測を聞いて伊地知さん、そして山田さんも顔を上げた。

二人とも、山田さんは分かりづらいけど、やる気に満ちた顔をしていた。

 

 そんな表情のまま、伊地知さんが僕をじっと見つめている。

何かあるのかな。僕から確認する前に、彼女がその何かを口にした。

 

「それじゃ、後藤くんに一つお願いしたいことがあるんだけど」

「いいよ。何でも言って」

「リョウに勉強、教えてあげてくれない?」

 




撮影したのはささささんです。

感想評価お願いします。

次回のあらすじ
「勉強」


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第三十話「進学校では学力=戦闘力」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「二学期初キルは喜多」


「連立方程式楽しい」

「凄いね山田さん、もう中一の数学は終わったよ」

「どや」

「自分の学年忘れてない?」

 

 伊地知さんにお願いされ、僕はスターリーで山田さんのテスト勉強を手伝っていた。

喜多さんがひとりを殺害したことは気になるけれど、それはそれだ。

二人ともその内来るだろうから、事情を聞くのはその時で十分間に合うだろう。

 

 時折山田さんの面倒を見つつ、僕達も僕達でテスト対策をそれぞれ行う。

ライブハウスとは思えない静けさの中、カリカリとペンの走る音と、何か液体を飲む音がする。

そっちの方は見ない。絶対面倒なことになる。なんであの人ここにいるんだろう。

伊地知さんに視線で問いかけると、無言で首を横に振られた。アンタッチャブルらしい。

 

 僕達はなるべく意識の外にそれを置いていたのだけど、向こうが許してくれなかった。

カランコロンと下駄を鳴らして近づいてきて、座っている僕の上に覆いかぶさってくる。

今日も酒臭い。

 

「ねー、なんで君たちライブハウスに来てまで勉強してるの~? 楽器を握れ、楽器をー」

「…………どうして廣井さんがここにいるんですか?」

 

 スターリーの開店まで、まだまだかなりの時間がある。関係者以外立入禁止のはずだ。

まさか廣井さんもここで働き始めたりしたんだろうか。それならこんなに酔ってないか。

そんな大事件があれば、ひとりもきっと僕に話してくれるだろうし。

 

 廣井さんは僕の疑問に答えてくれない。どいてもくれない。ただただお酒を飲んでいる。

代わりに伊地知さんがため息混じりに、むしろため息中心に教えてくれた。

 

「ライブの日以来、うちにシャワー借りに来たりするんだよね……」

 

 店長さんと廣井さんは先輩後輩関係だ。でも最近は会ってなかったらしい。

それがこの間僕達が引き合わせたせいで、再び縁が出来てしまった。

そしてそれから伊地知さん達に迷惑をかけてしまっているようだ。

 

「……ごめんね。僕達がライブに呼んだばっかりに」

「ううん。後藤くんのせいじゃないよ」

 

 伊地知さんはそう言ってくれているけれど、完全に僕達のせいだった。責任を感じる。

僕が謝って、伊地知さんがフォローしてくれて、何度もそんなことを繰り返す。

そんな僕達を見て、廣井さんが訝しげな声をあげた。

 

「あれ、なんか仲いいね。正体隠してるんじゃないの?」

「色々あって、その、友達になったので」

 

 照れるようなことじゃない。友達になれたのだから、むしろ誇らしげにすべき。

それなのに、口にするのはなんとなく気恥ずかしいものがあった。

思わず廣井さんから視線を外し、伊地知さんの方を見てしまう。ばっちり目が合った。

彼女は最近よく見る、いたずらっぽい猫のような微笑みを浮かべていた。

 

「後藤くんって、思ってたよりも照れ屋だよね」

「そうなのかな、ってあれ、僕そういうの顔に出にくいらしいけど、分かるの?」

「ふっふっふ、リョウで鍛えられてるからね!」

 

 今度は得意げな笑顔だ。ころころと変わって、どこか子供っぽい可愛げを感じる。

こういう顔をされると、たとえからかわれたりしてもつい許してしまう。

それどころか、こっちまでなんとなく楽しく、嬉しくなってしまう。愛嬌があるって得だ。

そうして伊地知さんと話していると、廣井さんが不満を滲ませながら口を挟んできた。

 

「えっずるくない? 私が言った時は全否定だったじゃん!」

「正直今も抵抗があります」

「なんで!?」

 

 廣井さんのことは好きだし、尊敬もまだ少しは残っている。

それはそれとして、会う度に何かしらの汚点を、関わっていいのかな、という面を見せてくる。

好意はあるけど、なんというか、両親に紹介したくない人を友達と呼んでいいのかな。

 

「陛下見て、出来た」

「早いね。……うん、全部合ってるよ。ここはもう完璧だね」

「どやぁ」

 

 廣井さんのことも僕の葛藤も気にせず、山田さんが勉強の成果を持ってきた。

軽く確認すると、全部出来てる。思っていたよりもずっと飲み込みが早い。

これならなんとか、中間テストまでに仕上げられるかもしれない。

 

「あれ、こっちの子とも仲いい。もしかしてこの子も友達?」

 

 放置された廣井さんだけど、それよりも目の前の光景の方が気になるようだ。

山田さんも友達なんだろうか。こういうことって、確認してからなるものなのかな。

でも伊地知さんは友達になってくださいって言う前に、もうなってくれていた。

分からない。僕は初めて友達が出来てから、まだ一か月も経たない身だ。

友達検定初級にすら届かないだろう。こういう時は聞いてみるしかない。

 

「僕達ってなんだろう。友達でいいのかな?」

「友達兼配下だよ。私は魔王軍大幹部」

「らしいです」

「え、意味分からない」

 

 最近の子怖い、と廣井さんはお酒を一気飲みした。

魔王軍はともかく、山田さんも友達でいいらしい。嬉しい。また友達が出来た。

そんな僕の内心を知ってか知らずか、廣井さんは山田さんの顔を見て唸り始めた。

頭に手を当てて、何かを思い出そうとしている。一瞬二日酔いで頭が痛いのかと思った。

少ししてあっと声をあげた。思い出したらしい。そして頭を押さえた。二日酔いでもあるらしい。

 

「そういえば君、私たちのライブによく来てたよね?」

「……?」

「ねーねー、ほら私のファンなら、いい感じに私の事フォローして!」

「…………すみません、どちら様ですか?」

「うぇっ!? えっ、あ、あれだよ? SICKHACKの天才ベーシストきくりちゃんだよ?」

「???」

「わ、私だよ? 私、忘れられるようなキャラじゃないよ……!?」

 

 衝撃のあまり、さっき一気飲みしたはずなのに廣井さんの酔いが醒めかけていた。

どこかひとりを思い出す慌てぶりで、彼女は山田さんの前で不思議な動きをしている。

流石に不憫に思ったのか、伊地知さんがフォローに入る。山田さんの肩に手を乗せ解説を始めた。

 

「あー、この子の記憶ところてん式なので、勉強すると音楽のこと全部忘れるんです」

「ところてん式!?」

「山田さんも結構人間離れしてるよね」

「そんなに褒めないで、照れる。それに、後藤兄妹には劣るよ」

「褒められてないし、それは誉め言葉でもないでしょ」

 

 廣井さんが絡んできて、案の定勉強する雰囲気ではなくなってしまった。

ただ、一番心配な山田さんの勉強が、想定よりずっとスムーズに進んでいる。

この辺りで一度休憩にしてもいいかもしれない。

 

 そんな風に思っていると、表の方から騒がしい音がした。

階段を乱暴に駆け下りる音がする。お客さんかな。

いや、スターリーは開店前だ。こんなに急いでくる人はいないか。

考えている内にお店の入口が力一杯、思いっきり開かれた。

 

「せ、先輩、大変です!」

 

 そこには血相を変えた喜多さんと、顔色の悪いひとりが立っていた。

よく見ると喜多さんは顔を真っ赤にして汗をかき、息も乱れている。駅から走ってきたのかな。

それならあのひとりの顔色の悪さも納得だ。飲み物とタオルを用意しなきゃ。

 

「ご、後藤さんが、後藤さんがっ」

 

 喜多さんはそう何度も言いながら、入口の階段も駆け下りる。

ひとりはもうついていけないようで、手摺にすがりつくようにしていた。ゆっくりでいいよ。

喜多さんはその勢いのまま僕達のところへ走り寄り、思い切りテーブルを叩いた。

 

「後藤さんが、馬鹿なんです!」

「知ってる」

「大声で何てこと言うの喜多ちゃん。後藤くんも何言ってるの」

 

 ひとりは可愛い可愛い僕の妹だ。でも可愛さで成績は誤魔化せない。ひとりの成績は悪い。

よければ多分、高校も僕と同じところに通っていた。受験したけど普通に落ちた。

あの頃は僕にも考えがあって、下北沢高校の受験は手伝わなかった。

 

「あっ、て、点数ひとりです」

「ほら、つられてぼっちちゃんもまた変なこと言い始めた」

 

 正確には点数ぜろにんだと思う。

もちろんこんなことを言えばひとりが傷つくから、何も言わない。胸にしまっておく。

代わりに飲み物とタオルを二人に渡した。想像はつくけど、話は落ち着いてから聞きたい。

 

「とりあえず、一回休憩しようか。風邪引かないように汗も拭いてね」

「ありがとうお兄ちゃん」

「あっ、ありがとうございます、後藤先輩」

 

 僕達の様子を、意外なことに廣井さんは黙って見ていた。

黙ってはいたけれど、じろじろと喜多さんのことを観察していた。

知らない酔っ払いにそんな風に見られては、いくら喜多さんでも感じるものがあったみたいだ。

さりげなく移動して僕の背中に隠れつつ、恐々と尋ねてきた。

 

「えっと、後藤先輩、この方は?」

「SICKHACKでベースボーカルをやってる廣井きくりさん。以前お世話になったんだ」

「どうもー、廣井きくりでーす! よろしくね!」

「はぁ、どうも。喜多です?」

 

 喜多さんはコミュニケーションの鬼だけど、流石に酔っ払いの対応には困っていた。

彼女のそんな反応も廣井さんはまったく気にしていない。これはこれでコミュ強と言えるのかも。

 

「それで、もしかしてこの子も?」

 

 紹介が終わると、廣井さんはまた確認してきた。そんなに僕の友達関係が気になるのかな。

喜多さんは、どうなんだろう。僕は友達だと、友達であってほしいと思っている。

それ以外になにかあったかな。彼女には、音楽のことやひとりのことを時々教えている。

何を期待してそんなことをしているか、今は彼女の力になりたいからだけど、きっかけは。

きっかけは、そうだ、僕がいない場所で、ひとりのことを助けてもらうためだ。

だから、そう、喜多さんと僕の関係は。

 

「…………後継者?」

「何の話ですか?」

 

 ひとり係の後継者だ。うん、最低だし、何より二人に失礼だ。この発想は捨てておこう。

よく分からないことを言われて不思議そうな喜多さんに、廣井さんの疑問を説明した。

それを聞いてすぐ、何の迷いもなく彼女は明るく答えてくれた。

 

「大切な先輩で、友達です!」

 

 ここが地下だってことを忘れるほど、眩しく輝く笑顔だった。

近くで浴びたひとりは、あまりの光量に目を押さえ、もだえ苦しんでいた。

そしてそれを正面から受け止めた廣井さんは、お酒を絶えず飲むことでなんとか耐えていた。

 

「うぅ、この明るさは肝臓にしみるよ……」

 

 肝臓は沈黙の臓器だ。それが悲鳴をあげるということは、そろそろ危ないのかもしれない。

 

 

 

「それで、中間テストで赤点を取ると補習で文化祭どころじゃ」

 

 騒ぎの元だった廣井さんが静かにお酒を飲み始めたから、今度は喜多さんから話を聞いた。

予想した通り、彼女が文化祭ステージの申請を出したらしい。

そのことをひとりと話している途中に、中間テストを、補習のことを思い出したそうだ。

 

 この慌てようだと、ひとりの小テストの結果でも見せられたんだろう。

ついこの間あったことは知っている。補習もないらしいから今回は対策しなかった。

だけど答え合わせと復習は一緒にした。一緒じゃないとやってくれないからね。

ちなみに自己採点だと0点だった。

 

 あれを見たならこれだけ焦って慌てる気持ちも十分わかる。

ちょっと勉強すればいいとか、そんなレベルじゃない。このままだと間違いなく補習だ。

ただ、定期テストであれば心配しなくても大丈夫だ。喜多さんを安心させよう。

 

「ひとりの一学期の期末テストの点数、喜多さんは知ってる?」

「え、合計六点くらいじゃ」

 

 五教科合計でそれはなかなか取れないと思う。

喜多さんの無残な予測を聞かされて、ひとりが地味にショックを受けていた。

可哀想だとは思うけど、あんな小テストを見た後だ。妥当と言えば妥当だ。

 

「ほらひとり、喜多さんにちゃんと言おう」

 

 僕の言葉に頷き、ひとりは自分の鞄を漁り始めた。

その中からクリアファイルに挟まれた、一学期の成績表を取り出す。持ち歩いていたらしい。

そしてひとりはその成績表を、ほんの少し自慢げに喜多さんに見せつけた。

 

「へ、平均六十点くらいでした……!」

「嘘ぉっ!?」

 

 喜多さんが今まで聞いたことのない汚い声を出した。それだけの驚きだったようだ。

想像の六十倍もひとりが優秀だったからだろう。元の想定があまりにも酷い。

 

「小テストはともかく、定期テストは僕も一緒に対策してるから」

 

 そしてその度に死にかけている。今回も僕の死は近い。夜更かししたくない。

僕の微妙な雰囲気を感じ取ったのか、ひとりがおろおろとし始める。

しまった。ひとりが気にしないようにって、いつも心がけていたのに。

 

「い、いつもごめんね、お兄ちゃん」

「ううん、気にしないで。大半は僕の拘りとわがままだから」

 

 謝るひとりをなんとか止める。実際、苦労の大半は僕が勝手にしていることだ。

楽をしようと思えばもっと出来る。僕がひとりのためにと、一人で拘っているだけだ。

そうして項垂れ沈む僕を見て、伊地知さんが納得したように声をあげた。

 

「だからいつも、テスト期間はあんなに殺気立ってたんだね。勉強のし過ぎかと思ってたよ」

「僕はどうとでもなるから、自分のことは関係ないよ」

「どうとでもなるかぁ。そんなこと言われると自信なくなるなー」

 

 そう言って、今度は伊地知さんが項垂れた。長い髪がテーブルに広がっていく。

ただそれも十秒もしないくらい。すぐに彼女は勢いよく起き上がり、目を見開いた。

握りしめた手を顔の前まであげて、ひとりのことを励ましていた。

 

「そっか。じゃあぼっちちゃんも勉強頑張らないとね!」

「なるほど……伊地知先輩も、一緒に頑張りましょうね!」

「お、おー! …………ん?」

 

 そんな様子を見て、喜多さんが優しく伊地知さんの頭の上に手を置いた。

先輩に対して失礼だとは思うけど、仲のいい女の子同士ならそんなものなのかな。

それよりも、どうやら喜多さんは重大な勘違いをしているみたいだ。

 

「喜多さん、伊地知さんは成績いい方だよ」

「えっ。……………………後藤先輩は?」

「後藤くんは学年一位だよー」

「わぁ、先輩凄いですっ、ね………………あれ、そうなると、ま、まさか」

 

 喜多さんが絶望の予感に震えていると、ずっと我関せずとしていた山田さんがペンを置いた。

そして僕にノートを見せてくる。心なしか自慢げだ。今日の彼女は幼い感じがする。

 

「陛下、英語終わった」

「……よし、全部出来てる。これで中一の勉強は終わり。山田さんは飲み込みが早いね」

「どやあぁ」

 

 ますます山田さんは得意げになって、仁王立ちまでしている。

もしかしたら中学生の勉強をしてるから、心までその頃に戻っているのかもしれない。

そんな彼女を見て、喜多さんは劇画のような、悲嘆と絶望に満ちた表情をしていた。

 

「う、うそ、うそよ、こんなの」

 

 彼女は事実を受け止められず、膝から崩れ落ちた。気の毒だけどこれが現実だ。

見かけによらず、山田さんもひとりに負けず劣らず勉強が苦手だ。

授業中に指名されて、彼女が分かりません以外のことを言った記憶が無い。

 

 間接的に馬鹿扱いされても、伊地知さんは特に気にしていなかった。

むしろ四つん這いで震えている喜多さんを、憐みを込めた苦笑いで見守っていた。

ひとりは、喜多さんが伊地知さんの頭をポンとしたあたりから、ずっとあたふたしていた。

そして今は喜多さんを心配そうに、僕を不安げに、交互に何度も見ている。

 

 僕が声をかけようと思っていたけれど、この分だとその必要もなさそうだ。

ひとりが勇気を出そうとしている。なら僕がすべきはその背中を押すこと。

僕の方へ再び視線が届いたとき、頷いてひとりのことを促した。

それを見てひとりも頷き返す。それから喜多さんの元へ歩み寄り、かがんで話しかけた。

 

「き、喜多さんは勉強得意ですか?」

「……はっ。わ、私も赤点までは取らないけど、そこまで勉強は得意じゃないわ」

「あっ、そ、それじゃあ一緒に勉強しませんか?」

 

 今ならお兄ちゃんもいますし、とひとりが続けて、喜多さんも僕を見た。

期待の込められた視線が二つ。どう反応すればいいんだろう。とりあえず手を振ってみる。

キターンという音が聞こえ、輝きが広がる。正解だったようだ。

 

 さっきまで山田さんとしていたし、ひとりには今までもずっと教えていた。

喜多さんは二人ほど重症じゃないようだから、そこまで負担にならないはず。

もう一人の教える側、伊地知さんも苦笑いを微笑みに変えている。

これなら大丈夫。きっと身になる勉強会になるだろう。

 

「よーし、じゃあ赤点回避のため、文化祭ライブのため、がんばろー!!」

「おー!」

「お、おー」

 

 そうして僕達は、テスト対策を開始した。

 




何位の魔王が一番怖いか考えた結果、学年一位になりました。

感想評価お願いします。

次回のあらすじ
「試験」


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第三十一話「テスト対策と結果」

感想評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「楽しい()勉強会が始まった」


「それで後藤先輩は、さっきから何してるんですか?」

 

 皆で勉強を始めてからしばらくして、喜多さんに声をかけられた。

勉強会が始まってからずっと、僕はパソコンを弄って作業を進めている。

間違っても勉強をしているようには見えない。彼女からすれば気になるだろう。

ちなみにこのパソコンはスターリーのもの。さっき店長さんにお願いして貸してもらった。

 

「これ? テストの予想問題作ってるところ」

 

 今日何もなければ作業をしようと思ってたから、作成途中のデータを持ち歩いていた。

毎回作っている定期テストの予想問題。もちろん僕のじゃなくて、ひとりのためのものだ。

今までたくさんのテスト対策を試してきたけれど、これが一番効果的だった。

 

 ひとりはいつも真面目に授業を受けている。ノートを見ればそれが分かる。

板書されたものは一文字も残さず写しているし、口頭での説明も意識があれば全部メモしている。

ノートだけなら間違いなく優等生だ。これさえあれば、どんな授業をしていたか完全に分かる。

 

 このノートと各小テスト、宿題の出し方、あとは参考程度にひとりからの印象。

これら全てを考慮し、どんなテストを出してくるかを予想して問題を作っている。

相当疲れるし、時間もかかる作業だ。何より他人の考えを読み解くのが、一番のストレスだ。

 

「今のところはこれで完成」

「あれでも先輩これ、中途半端、ですよね」

 

 勉強を中断して、パソコンの画面を覗き込んだ喜多さんは不思議そうにしていた。

まだ数問程度しか作っていない。彼女の言う通り、テストとしては中途半端だ。

だけどこれはひとり専用の予想問題だから、これでいい。

 

「ひとりの理解度に合わせて、テスト問題を作ってるから」

 

 これだけ言ってもよく分からないだろう。現に喜多さんは首を傾げたままだ。

理解されなくても問題ないけど、せっかく聞いてくれたのだからもう少し詳しく説明しよう。

 

「今のひとりが全力を出せて、多分三十点くらいかな。だから三十点分予想してる」

 

 ひとりは確かに勉強が苦手だ。それでも、0点を取るほど悪くもない。

じゃあなんで取ってしまうのかと言うと、テストという形式が苦手だからだ。

あの静けさ、緊張した、張り詰めた空気でひとりは委縮してしまう。

そして秒針がコツコツと知らせる、制限時間の存在もまたあの子に緊張を強いる。

こんな状態で何か分からない問題に引っかかってしまえば、そこでおしまいだ。

混乱して悪い想像ばかりしてしまって、テストを解くどころじゃなくなる。

 

 そういう訳でひとりはテスト本番にとてつもなく弱い。かつて1+1を間違えたこともあった。

そんなひとりだから、どれだけ勉強を、努力を重ねても点に繋がらないことも多い。

あまりにも不憫だから、ひとりが実力分点を取れるようにその分だけ予想問題を作っている。

いくらひとりが本番で緊張していても、まったく同じ問題なら流石に解ける。

 

「この実力分の調整が凄く大変で、配点の調整に時間がかかるんだ」

「そんな面倒くさいことしないでさ、カンニングしなよ、カンニング! それか教師脅すとかさ!」

「うっわ、最低だ、この人」

 

 喜多さんから受けたダメージが回復したのか、廣井さんが犯罪を推奨してきた。

誰にも言えないけれど、どちらも考えてみたことはある。

もちろん法的にも道義的にも駄目だから、絶対にやらないしやらせない。

ただ、そうでなくても無理だろう。ひとりがカンニングなんてしたら、罪悪感と緊張感で死ぬ。

僕が教師を本腰入れて脅すと、多分教師が死ぬ。どっちも死人が出る。

 

「というかそれだと、調整しないならどれくらいの作れるの?」

「大体同じのも作れるよ」

「本当? じゃあお願い、作って」

「駄目。山田さん、次は中二の問題だよ」

 

 というか、実際に中学生の頃一度作った。ほぼ一緒だった。そしてひとりが学年一位になった。

あの時の、調子に乗っていたひとりはとても可愛かった。総理大臣の座はもらったとか言ってた。

そして次のテストは慢心して勉強をサボったから、相当酷いものだった。

さっき喜多さんが言っていたように、総合六点だった。多分ビリだった。

 

「ひとりがまったく勉強しなくなるので、もう作りません」

「別によくない? 点数取れれば勉強なんてしなくていいだろ」

 

 ここまでずっと黙って僕達の勉強会を、廣井さんをスルーしていた店長さんが初めて反応した。

その言葉に、そうだそうだ、とでも言いたげに、廣井さんとPAさんが手を挙げた。

勉強できない組も微妙に賛成しようとしている。君達は集中してて。

 

「勉強はテストのためにしてる訳じゃありません」

 

 大学まで行けば違うのかもしれないけれど、高校までの勉強は手段に過ぎないと思う。

例えば国語なら読解力や文章力、生きていくために必要な日本語の力。

算数、数学なら、日常で使う単純な計算から論理的な思考能力。

英語は他文化を、社会は社会の仕組みを、理科は世界の仕組みを、それぞれ学ぶ。

それらを知って、学んで、身につけて。よりよい人生を送るための手段。

どの科目にも、勉強するだけの理由が必ずある。覚えれば、点が取れればいいって訳じゃない。

 

 ひとりには出来るだけ多くの可能性があってほしい。

今はギターヒーローとして、そして結束バンドのギターとして、毎日とても楽しそうだ。

だけど将来、また何かしたいことや成りたいものが増えるかもしれない。

そんな時にそれが叶う可能性を、僕は出来るだけ増やしてあげたい。

 

 音楽繫がりだけど作詞だって、ギターしかしていなければ出来なかったはずだ。

どんな理由であっても、あれはひとりが毎日図書室へ行って、本を読み続けた成果だ。

あんな風にどんな勉強が、どんな未来に繋がっているかなんて誰にも分からない。

 

「なので、ひとりにはちゃんと勉強してもらいたいんです」

「うっ」

「ぐっ」

「げっ」

 

 僕の話を聞いて、大人三人組が大ダメージを受けていた。もしかして皆勉強が苦手なのかな。

そういえば以前、店長さんは高校にほとんど行ってなくて、PAさんは中退だと言っていた。

廣井さんはよく知らないけど、結構無神経なことを言ってしまったかもしれない。

 

「あくまでも僕の考えなので、気にしないで下さい」

 

 押しつけがましい僕の持論だ。ひとりに拒絶されても仕方ないとも思う。

それでもあの子は受け入れて、こうしていつも頑張って勉強してくれている。

あの姿を見ると、僕も気合を入れてテスト作りを頑張ることができる。

 

「たとえ勉強ができ、いや、勉強関係なく皆さんのことは尊敬してます」

「本当? お姉さんのこと、尊敬してくれる?」

「……たぶん」

「自信が無い!?」

 

 廣井さんの問題は勉強云々じゃない。素行の問題だ。

僕の反応にまた廣井さんが何か言い始めた。だけど気にしないようにする。

今日の彼女は勉強の邪魔ばかりしている。ここで何か言えば、また皆の集中を削いでしまうかも。

 

 気を取り直して、パソコンに意識を移す。

文化祭が、結束バンドが関わっているからか、今回のひとりはよく頑張っている。

この調子で行けば、七十点を超える科目が出る可能性が高い。

これは、今までで一番難しいテスト作りになるかもしれない。ついため息を漏らしてしまう。

 

「せめて過去問があれば、もっと楽になるんだけど」

「もらってきましょうか?」

 

 僕の独り言に喜多さんが答えた。今、彼女はなんて言った?

その言葉に思わず反応してしまう。彼女がびくりと跳ねるのも無視して、両肩を掴んで確認する。

 

「喜多さん、今なんて?」

「わ、せ、先輩、近いです。えっと、二三年の友達から、もらってきましょうか?」

「出来るの?」

「は、はい。それくらいなら全然」

 

 二三年の、つまり二年分のサンプルが手に入る。この瞬間、僕の睡眠時間が確約された。

勢いよく掴んでしまった肩から手を放し、代わりに彼女の両手を優しく握る。

困惑する彼女を置いて、僕は膝をついて彼女に感謝を捧げた。

 

「今度、喜多さんの神棚作るね」

「かみ、えっ、神棚? え、なんで?」

 

 帰りにホームセンター寄らなきゃ。木材買いに行こう。

 

 

 

 しばらくそうして勉強をしていると、とうとう廣井さんが限界を迎えた。

皆が勉強に集中し始めて、まったく相手にされなくなったからだろう。

パソコンに向かう僕の背中を何回も叩いたり、肩を掴んで揺らしたりしてくる、

 

「ねー、つまんないよー。せっかく会えたんだから、お姉さんと遊ぼうよー」

「暇なら手伝ってください。ほら、ひとりが今悩んでる問題、一緒に解いてあげてください」

「しょうがないなー、どれどれ」

「あっ、ありがとうございます、お姉さん」

 

 ひとりの数学のプリントを、廣井さんが摘まみ上げて眺め出した。

数秒ほどは真剣な顔でじっと見ていた。だけどすぐに、高らかに笑い声をあげた。

 

「何これ全然わっかんない! あっはっはっはっは!」

「お前やっぱり馬鹿だったんだな」

「えー、じゃあ先輩やってみてくださいよ」

「…………なるほど、そういうことか。おい、お前分かるか?」

「私、高校すぐ中退したから勉強分かりません……」

「ふっ、なるほどな」

 

 何がなるほどなんだろう。格好つけるだけ格好つけて、店長さんはプリントをひとりに返した。

真っ白なままのプリントを、ひとりは悲しそうな目で見ていた。あとで僕が教えるね。

 

「え、お姉ちゃん大学行ってたでしょ!?」

「あのな、大学なんて選ばなきゃどんな馬鹿でも入れるんだよ」

「えぇ…………」

 

 伊地知姉妹がそんな微笑ましい、気がする会話をしている裏で、廣井さんが戻ってきた。

またお酒を啜りながら、僕の肩を何度も揺らす。そろそろ、一度ちゃんと言った方がいいな。

 

「というわけで私は戦力外です! だからね、お姉さんと一緒に遊ぼ?」

「廣井、邪魔だから向こうでお酒でも飲んでて」

「呼び捨て&タメ口!?」

 

 ついに全ての尊敬が差し押さえられた。敬語を使う気力も、さんをつける気もなくなった。

もちろん冗談だ。冗談だけど、一度自分を顧みてほしいとは思っている。

その想いも込めて呼び捨てにしてみたけれど、まったく伝わらなかったみたいだ。

いつかみたいに、地面に転がって子供のように駄々をこね始めた。

どうしようこの人。どうすれば静かに、大人しくなってくれるんだろうか。

……子供のように駄々をこねる。子供のように。そうだ、ちょっと試してみようかな。

 

 転がる廣井さんを止める。念のため、手を差し伸べてみても起き上がってくれない。

それならしょうがない。やってみるしかない。だからこれは、僕の好奇心でする訳じゃない。

そう自分に言い聞かせ、廣井さんの前でしゃがんで、いつもふたりにするように視線を合わせた。

 

「あのね、きくりちゃん」

「えっ」

「ごめんね。今は皆、頑張って勉強しているところなんだ」

 

 そう語りかける僕を、廣井さんは呆然と眺めていた。あれ、怒らない。

じゃあもう少し積極的にやってみよう。まずは片手で廣井さんの手を軽く握る。

そしてもう片方の手を伸ばして、そっと廣井さんの頭に乗せる。

ひとりやふたりにやるように、そのまま優しく撫で始める。なんかパサついてる。

 

「きくりちゃんが遊びたい気持ちは分かるけど、もう少し待てる?」

「あっはい。待ちます」

「いい子だね。その間はあっちで、星歌お姉さんと遊んでてくれるかな?」

「あっはい。行きます」

「うんうん、ありがとう。…………すみません、店長さんお願いします」

「お、おう」

 

 酔いが醒めたような、変な酔い方をしてるような、不思議な廣井さんを店長さんに預けた。

意外なことに、このあやし方は有効だった。無事に廣井さんは大人しくなってくれた。

でもこれかなり失礼だ。大人の人にやっていいことじゃない。

彼女が怒らないから、ついその優しさに甘えてしまった。反省して二度とやらないようにしよう。

 

「……………………………………先輩、私なんか新しい扉を開きそうです」

「死ね」

 

 

 

 廣井さんが静かになったおかげで、それからの勉強は捗った。

ひとりも山田さんもまだまだ不安ではある。あるけど、このまま頑張ればなんとかなるだろう。

 

 そんな感じで、この日から皆でテスト勉強をすることになった。

楽器は毎日触ってないとすぐに鈍るから、最低限だけ練習する。

バイトも店長さんが気を遣って、シフトを上手いこと減らして調整してくれた。優しい。

 

 テスト問題の作成は、喜多さんのおかげで随分と楽になった。

おかげでテスト期間なのにぐっすりと寝られた。今回僕は死ななかった。

お礼として、全力で作った予想問題をあげた。調整も何も気にしてない完全版だ。

多分満点を取れてしまうけど、きっと喜多さんなら大丈夫だろう。

 

 ひとりには家で、山田さんには学校で、時には二人同時にスターリーで勉強を教えた。

僕にとって勉強を教えること自体は苦じゃない。というよりもむしろ好きだ。

まして相手が妹と友達だ。二人は苦しかったかもしれないけど、僕は正直楽しかった。

 

 そんな楽しい中間テストも、そろそろ終わりを告げようとしていた。

四科目返ってきて、今のところ山田さんに赤点は無い。当然伊地知さんにも無い。

というか、彼女よりも山田さんの方が高い点数を取っている。なんだか理不尽なものを感じる。

 

「このテストで、最後だね」

 

 そして最後の数学も、直前の授業で返却が終わったところだ。

昼休みになって僕達は裏返しの、山田さんの解答用紙を囲んでいた。

いつもの涼しげな表情に、分かりづらく緊張を滲ませながら、山田さんが呟いていた。

でもおかしいな。僕達はともかく、彼女はもう自分の点は分かってるはずだけど。

 

「点数って受け取った時に分からない?」

「目を瞑って受け取ったから、全然分からない」

「えっ、なんで?」

「今日まで頑張れたのは二人のおかげ。だから、こうして二人と一緒に見たかったから」

 

 キメ顔だった。

隣で半目になっている伊地知さんがいなければ、僕も騙されていたかもしれない。

 

「単純に一人で確認する勇気がなかったからでしょ」

「……ふっ」

「ふっ、じゃないよヘタレ」

 

 軽く頭を叩かれて、山田さんの頭からカラカラといい音がした。

テストが終わったから、もう頭の中から知識が消えたらしい。恐ろしい早さだった。

 

 伊地知さんから鋭いツッコミをもらっても、山田さんの決心はつかなかった。

さっきから解答用紙を弄ってばかりだ。やがて、痺れを切らした伊地知さんが手を伸ばした。

 

「じゃあもう私がひっくり返すから」

「いや虹夏、ちょっと待って」

「待たない。私お腹空いたから、早くご飯食べたいの」

「私も空いてるよ。そうだ、ご飯食べてからにしよう」

「はいはい。見るよー」

「あー」

 

 山田さんからテストを奪い無情にも、いや無情じゃないな、親切に伊地知さんが点数を見た。

彼女は名前の横に書かれた数字を確認した後、一つため息を吐いて僕に解答用紙を手渡す。

僕も彼女に倣って中身を確認する。結論だけ言うと、結束バンドは無事に文化祭を迎えられそうだった。

 

 

 

 

 

おまけ「一方その頃の秀華高校」

 

「あっ、き、喜多さん、見てください。数学が七十二点も取れましたっ」

「……」

「あ、あれ、喜多さん?」

「……」

「あっ、す、すみません、七十点くらいで調子に乗って。こんな点数、喜多さんからすれば」

「……はっ、ご、ごめんね後藤さん。凄い、勉強した甲斐があったわね!」

「あっはいっ、これも喜多さんのおかげです。あっ、ありがとうございます」

「ううん、後藤さんが頑張ったからよ。あとは、先輩たちは大丈夫かしら?」

「えっと、あっ、い、今お兄ちゃんから連絡が来ました。リョウ先輩も大丈夫だったそうです」

「そうなの! よかった、じゃあもう安心して練習できるわね!」

「うっ、そ、そうだった、これで文化祭が。あっ、えっと、それで、あの、喜多さんは」

「……」

「あ、いえ、すみません、い、言いたくないですよね、テストの点数なんて」

「ひゃくてん」

「えっ?」

「ぜんぶひゃくてんだったわ」

「えっ」

「後藤先輩からもらった予想問題、そのまま同じものが出たから、全部解けちゃった」

「あっ」

「これ、やばいわね。次のテストも当てにして、勉強しなくなりそう」

「……それすると、六点くらいになりますよ」

「……合計?」

「……はい」

「……次から、もらわないようにするね」

「……私もお兄ちゃんに、渡さないよう言っておきます」

「……ありがとう、後藤さん」

「……いえ、兄がすみません」




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次回のあらすじ
「占術」


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第三十二話「魔王の占い部屋」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「今回の学年二位は山田」

新宿編が書けなかったので、今回と次回は時間稼ぎ編です。


 秀華高校の文化祭のことばかり考えていたけれど、実はその前に下北沢高校でも文化祭がある。

ただこっちの文化祭は祭り、というより文化的側面がかなり強い。

一般的な文化祭のイメージの、行ったことないけど、お祭りのようなものとはまるで違う。

実際登校日に決まった僕達の出し物も、下北沢高校の歴史というつまらないものだ。

 

 だから最近は存在を忘れていたし、来週開催と言われても、特になんとも思わなかった。

僕達の出し物は掲示物だ。それも去年とまったく同じ。流用すれば準備に一日もかからない。

そう思って高を括っていたのだけれど。

 

 それが突然、事情が変わった。結論から言うと、新しい出し物を考えなければならなくなった。

なんでも隣のクラスも、まったく同じ下北沢高校の歴史をやろうとしていたらしい。

またこれも同じく、去年のデータを流用して掲示物を作ろうとしていた。

そして、その流用するデータも完全に同じ。全てが一致していた。

 

 いくら適当な文化祭だと言っても、何もかも同じ出し物が並び合うのは流石に不味い。

夏休み明けの文化祭実行委員会でそう指摘され、どちらかは変更するよう言われたらしい。

幾度となく話し合い、最終的にジャンケンで決めることになり、そして僕のクラスが負けた。

そういう訳で急遽新たな出し物を、なんでもいいから用意する必要が出来た。

 

 といっても、それが判明したのが開催一週間前だ。

それから準備しようとしても、出来ることなんてほとんどない。当然クラスは荒れた。

ちなみにここまで発覚が遅れたのは、文化祭実行委員がずっと黙っていたからだ。

理由は何でも、死にたくなかったから、とのこと。それを聞いてクラスは落ち着きを取り戻した。

どうして死ぬのかは知らない。知らないけど、早めに報告した方が死ぬ確率は低いと僕は思う。

 

 そんな流れでクラスメイトも納得して、新しい出し物を決めよう、ということになった。

なったけど、まったく決まらなかった。何せあと一週間しかない。出来ることは限られている。

休憩所にしようという声もあったけど、今は禁止されていてそれも出来ない。

かつて全学年全クラスが休憩所にして、文化祭がお昼寝会になったから、らしい。

 

 一時間ほど悩んで、話し合って、結局またクジ引きに頼った。

当たりを引いた人が責任を持って、その人の一存で新しい出し物を決定する。そういう形だ。

 

「ひぇ」

 

 そしてまた僕が当たりを引いた。こういう時ばかり当たりを引く。

だけど考えてみれば、元々このクラスの出し物を決定したのは僕だ。

それがやり直しになったのだから、改めて僕が決め直すのは筋が通っているとも言える。

 

「なにか、希望がある人はいる」

 

 登校日の時のように、教壇に立ってクラスメイトに確認する。誰も何も言わない。

あの時と同じだ。違うのは、伊地知さんが苦笑いして、山田さんが寝ているところくらい。

僕もまったく希望がないから、彼らに文句は言えない。この分だと、また何も出ないだろう。

 

「何もないなら、前回の提案から無作為に出そうか」

 

 沈黙を肯定とみなして、先生に以前渡した提案書を持ってきてもらう。

そこから下北沢高校の歴史と、ライブやメイド喫茶など、絶対に実現不可能なものを抜く。

大体半分くらいにはなった。思ったよりも残っている。それをバラバラにしてかき混ぜる。

 

 そして適当に選ぼうとしたけど、駄目だ。僕はなんとなく、どれがどれか覚えている。

これだと無作為にならない。代わりに誰かに選んでもらわないと。

適当に声をかけると気絶されるから、お願い出来そうなのは伊地知さんと山田さんしかいない。

伊地知さんを見ると、しょうがないなぁといった顔をしていた。

山田さんを見ると、よだれを垂らして気持ちよさそうに寝ていた。

 

 よし、山田さんに決めてもらおう。乱雑にまとめた提案書を抱えて、彼女の席まで近づいた。

 

「山田さん、起きて」

「寝てます」

「寝ててもいいから、どれか選んで」

 

 半分以上寝ている山田さんに、紙の束を差し出す。

寝ぼけまなこで何がなんだか分かってなさそうだったけど、一枚取り上げてくれた。

それを受け取って、僕の方でも内容を確認する。

 

「……これなら、あと一週間でも間に合うかな」

 

 そこには大きな文字で、占い、と書かれていた。

 

 一度占いと決まれば、あとはとんとん拍子だった。申請も準備もすいすいと進んだ。

雰囲気に拘らなければ、占いに準備なんてほとんどいらない。各種道具と机を並べるくらいだ。

そして占いが出来る人、出来なくてもそれっぽく出来る人、絶対に無理な人。

適当に配分してシフトを作り、それで準備は終わり、なんとか無事に開催に漕ぎつけられた。

 

 

 

 以上、状況説明終了。今日はその文化祭当日だ。

今はもうお昼過ぎ、お昼ご飯を食べてから僕達のシフトが回ってきた。

それからしばらく経ったけど、まったくお客さんは来ない。閑古鳥が鳴いていた。

 

 僕達以外誰もいない、準備を終えた教室を見る。

窓という窓に暗幕を張り、中央には真っ黒いシーツに覆われた机が一つ配置されている。

その上には、演劇部から借りてきた大きな水晶玉が存在感を放っていた。

 

「いやー、全然お客さん来ないね」

「そうだね。というか多分、僕達の時間は誰も来ないと思うよ」

「来ないなら来ないで、別にいいよ。惰眠を貪る時間になる」

 

 そう言って、実際に山田さんは鼻提灯を膨らませ始めた。寝るのが早い。

そんな彼女を見ても、伊地知さんは苦笑いを浮かべるだけだ。いつものように叱りもしない。

伊地知さんも僕達二人と同じように、誰も来ないはずと思っているのだろう。

 

 三人揃って同じことを思っているのは、教室の入口にある張り紙のせいだ。

今教室の戸には、占いやってますという貼り紙がある。これは普通だ。

そして現在魔王タイム中という紙もまた、その横にでかでかと貼ってある。これは異常だ。

この魔王タイムという意味不明な言葉は、シフト分けの際に山田さんが急に作った。

 

 いくつか占いゾーンを作って、そこにそれぞれ一人ずつ占い担当を置く。

それが当初想定されていたローテーションだった。

その際各担当を決めるにあたって、主に僕が誰と一緒になるかでもめた。

 

 下手な配置をすれば、必ず誰かが犠牲になる。

どうすれば文化祭を平穏無事に終えられるか、またもや会議は荒れに荒れた。

友達も出来たし参加してみたかったけど、これだと難しいかな。

そう思って、円滑な文化祭のために当日は休む、と宣言しようとした。

だけどそれと同時に山田さんが手を挙げ立ち上がり、堂々と口を開いた。

 

「魔王タイムを作ろう」

 

 そんな山田さんの鶴の一声で、話し合いは終結した。

その時の彼女の、やってやったぜ、という顔が今でも忘れられない。口にも出してた。

 

 魔王タイム。山田さんの説明によると、僕一人で占いを担当するVIPタイムらしい。

何がVIPなのかとか、よく分からないことばかりだけれど、彼女の提案は皆を助けた。

クラスメイトは僕といて怯えなくて済むし、僕も文化祭に参加出来る。

 

 ただ実際に占いをするのは僕一人でよくても、受付とかでアシスタントが必要だ。

そこはいつもの流れで、魔王係の伊地知さんと山田さんが引き受けてくれた。

誰一人入ってこないこの感じからすると、もしかしたら僕だけでもよかったかもしれない。

 

「予想はしてたけど、凄い暇だね」

「ね、この後時間までどうしようか」

 

 そう言ってから伊地知さんは微かにあくびをした。山田さんに釣られたようだ。

今日はなんだか暖かいし、彼女はいつも色んなことを頑張っている。眠くなって当然だ。

だからそんなに恥ずかしがらなくてもいいと思う。

 

「伊地知さんも山田さんと一緒に寝たら?」

「……後藤くんも寝る?」

「僕は外だと眠れないから起きてるよ」

 

 この間の江ノ島帰りは例外だ。緊張しすぎて疲れてしまった。

特に最後の伊地知さんが効いた。かつてないほど気を遣ったから、精神力が空っぽになった。

だから元気な今日は眠れない。それに全員寝てしまうと、万が一誰か来た時によくないだろう。

 

「じゃあ私も起きてる。寝顔見られちゃうからね」

「……寝顔見られるのって、嫌なことなの?」

 

 この間ひとりと喜多さんにじっくり見られたらしいけど、特に気にならなかった。

僕が無頓着なのか、それとも男女差なのか。多分前者だ。そんな気がする。

そんな僕の変な疑問にも、伊地知さんはちゃんと答えてくれた。

 

「恥ずかしいから私はやだ。あとセクハラにもなるらしいから、後藤くんも気をつけてね」

「そうなんだ。……参考までに聞きたいんだけど、気絶顔はセーフだと思う?」

「えぇ、初めて聞く言葉だから知らない……」

 

 普通の寝顔より白目や泡を吹く気絶顔の方がよっぽど恥ずかしいはず。

そう思って聞いたのだけど、伊地知さんに審議を拒否されてしまった。

分からないけど、救命作業とかもあるし変に遠慮するのもよくないな。気絶顔はセーフにしよう。

 

「寝るのが駄目なら、うーん、何か二人で出来ること、遊べることは」

「それなんだけどさ」

 

 そこで言葉を区切り廊下側の、お客さん用の椅子に伊地知さんは腰を降ろす。

そして何かを期待するまなざしをして、僕を見上げた。

 

「後藤くん、占い出来るんだよね?」

「ちょっとだけね。昔興味を持ったことがあって」

 

 確か、ひとりが変形や変態をするようになった頃の話だ。三年くらい前かな。

あれを見て、僕はあらゆる物理法則が信じられなくなった。そして一時期オカルトに走った。

ひとりの生態やら僕の魔王感やら、科学じゃ理解できないものをなんとか解明しようとしていた。

もちろん儀式だとか、そういう危ないことはしていない。知識だけ、勉強だけだ。

あんなこと実践したら母さんが泣く。多分父さんも泣く。というか皆泣く。

 

 その流れで、占いについてもそこそこ勉強した。こっちは家族にも好評だった。

特にふたりと母さんはいつも喜んでくれた。ふたりは水晶やカードが綺麗だったからだと思う。

それで調子に乗って練習したから、僕もある程度は出来るようになった。

 

 ただ、どれだけオカルト方面から追及しても、ひとりのことも僕のことも分からなかった。

ついでに僕の魔王的評判がますます悪化したから、二か月くらいでオカルトは止めた。

あのまま続けていたら、僕を中心とした新興宗教でも出来ていたかもしれない。

だからもうやらないけど、あれはあれでいい経験だった。知らない世界を知ることが出来た。

 

「それでひとりと、少しだけ調べたことがあるから」

 

 こんなことを説明しても、多分引かれるだけだから一言にまとめた。

伊地知さんもそれで納得したみたいで、軽く流してくれた。

そしてどうしてそんな質問をしてきたか、その答えを口にした。

 

「後藤先生、私のこと占ってくれますか?」

 

 茶目っ気と愛嬌に溢れたお願いの仕方だった。喜多さんに負けず劣らずあざとい。

ふと気づいた。もしかして、これは噂に聞くフリというものかもしれない。初めて見た。

だとしたら伊地知さんのノリに合わせて、僕もそれっぽい雰囲気を作ってみよう。

 

「はい。それでは、い、お客様、本日はどのような未来をご所望ですか?」

「おぉ、それっぽい。えっとね」

 

 僕のセンスはずれてるらしいから、言ってみるまで合ってるか分からない。これは正解らしい。

僕の質問を受けて、彼女は顎に指を当てて目を瞑り、考え込み始める。

途中で何かを思いついたり躊躇ったりする様子はない。

すすっと何か出てこないことに苦しんでいる。この感じだと興味本位での提案だったようだ。

つまり今、伊地知さんには差し迫った重大な悩みは無いと考えられる。安心した。

 

「うーん、結束バンドの今後について、とかも出来る?」

「もちろんでございます」

「……ふ、ふふっ、ちょっと笑っちゃうから、そのキャラやめて」

「かしこまりました」

 

 フリに答えて笑われるということは、正解なんだ。そう思って続行したら、吹き出された。

そして水晶玉越しにパシパシと力無く叩かれる。真面目にやったのにツッコまれた。

なんでだろう。

 

 それはそれとして、結束バンドの今後についてか。どれでやろう。道具はたくさんある。

水晶。さっきの感じからして、これで雰囲気を出そうとすると爆笑されそう。

筮竹。こんな渋いやつ持ってきたの誰だろう。結構音が出るから、山田さんが起きちゃうかも。

おみくじ。これ質感が本物なんだけど、まさか神社から持ってきてないよね?

 

「……タロットでいい?」

「いいよー」

 

 今回は一番無難なタロットカードにした。

タロットは便利だ。カード一枚一枚がそれぞれ意味を持ち、それを読むだけで占いっぽさが出る。

ちょっと工夫をすれば配置だって自由自在だ。結果を恣意的に歪められる。

意味の読み上げも少し捻りを加えれば、良くも悪くも意見を調整できる。

よし、ろくでもない結果が出たら僕の方でなんとか軌道修正しよう。

 

 取り出したカード、大アルカナ二十二枚を山にしてから適当に崩す。

そして時計回りに回すように、カード全体をよく混ぜる。十分に混ぜたら再び一つの山にする。

今度はその山を三つに分けて、違う順番に戻して一つの山にする。これでシャッフルは完了。

 

 じゃあ次はスプレッド、どういう並べ方で占うかを決めよう。

なんとなく伊地知さんの様子を確認すると、想像よりも真剣な顔をしていた。

せっかくだしケルト十字とか、本格的なものにしようと思っていたけれど路線変更だ。

もしも悪い結果だった時に、あんまり真に受けられてしまうと僕も困ってしまう。

それに所詮占いだけど、僕の魔王感が妙な信憑性を生むかもしれない。

 

「伊地知さん、久しぶりだから簡単なやり方でもいいかな?」

「……あっ、う、うん。もちろん」

 

 じゃあワンオラクル、いやツーオラクルにしよう。

シンプルで分かりやすいし、結果と対策が出てくるから僕としても話しやすい。

そうと決まればあとは引くだけだ。山札をアーチ状に広げ、そこから二枚カードを引く。

 

伊地知さんにはすぐ見破られるだろうから、今回カードの操作はしていない。

悪い結果になったら、解釈を捏ねてなんとかまとめよう。

密かに決意して表にした一枚目は、逆位置の死神だった。伊地知さんの顔が歪む。

 

「うわ、なんか物々しいのが出てきた」

「これは死神だよ」

「えー、じゃあ悪いやつ?」

「正位置だったらそうだけど、今は逆位置だから違う意味。転換期とか新生とか」

 

 僕の説明に伊地知さんは感心したような顔をしている。擬音にするとほへーって感じ。

何か見たことがあるような表情だ。どこでだろう。今のところぴんとこない。

思い出せないし、彼女からの質問も無さそうだから、このまま二枚目のカードもめくろう。

二枚目、対策や改善方法を示すアルカナは正位置の審判だった。

 

「それでその時の心構えが、正位置の審判。これは許しとか福音とかだね」

 

 そう言って、伊地知さんの表情を確認する。さっきと同じ顔だった。

見覚えがあると思ったら、勉強を教えている時のひとりだ。つまりあんまり分かってない。

それなら長々と講釈を垂れるより、簡潔にまとめた方がいいかもしれない。

 

「まとめると、近々何か大きな変化が起きるけど、それを受け入れて進めば大きく成功できます」

「はー、なんか占いっぽいね」

「一応そうだよ?」

 

 伊地知さんにしてはだいぶボケた発言だった。誰一人来ないから気が抜けてるのかな。

僕と山田さんしかいないし、楽にしてもらえるならそれでいいか。

そう思ってカードを山に戻していると、彼女の視線を感じた。その目には興味の光が宿っている。

 

「ねぇ後藤くん、それ私にも出来るかな?」

「出来ると思うよ。乱暴に言えば、カードを引いて意味を読むだけだから」

「ほんとに乱暴だ」

 

 おかしそうに笑う伊地知さんに、簡単にシャッフルとカードの引き方を教えた。

タロット個々の解釈は複雑だし、人によって違うから今回は省略。引くカードも一枚にした。

本気でやるならともかく、それっぽい仕草が出来るだけでも、なんとなく楽しめると思う。

 

 占う人とされる人、立場が入れ替わったから席も入れ替えた。

席に着くとすぐ、わざとらしくコホンと咳を出し、どことなく偉そうに伊地知さんが問いかける。

 

「えー、では君、今日はどんな悩みがあるのかね?」

「伊地知さんはそういうキャラしていいの?」

「私はいいの」

 

 僕のはさっき吹き出されたから、疑問に思って尋ねると横暴な答えが返ってきた。

理不尽だ。だけどここで反論しても何の意味もないだろう。それになんとなく面白い。

胸を張って宣言する伊地知さんに、僕は大人しく頭を下げてお願いした。

 

「それじゃあ僕の人生について占ってください」

「おぉ、なんか重いなー」

「所詮占いだから気楽にやってください、伊地知先生」

「……ふっふっふっ、うむ、任せたまえ」

 

 頼りがいのある返事をした後、伊地知さんがカードをシャッフルし始めた。大雑把な手つきだ。

最近気づいたけど彼女は見かけによらず、なんというか、男らしいところがある。

そして親友の山田さんは逆に、時たま女の子らしい一面を見せる。女の子って不思議だ。

そんな占いとはまったく関係ないことを考えていると、伊地知さんがカードを引いていた。

 

「えっと、これって?」

「……逆位置の悪魔」

 

 彼女の引いたカードを見て、思わず見開いてしまった。

何が来ても僕が適当に語って、楽しく終わらせるつもりだった。でも、これが来るとは。

少しの間固まってしまった僕を見て、伊地知さんが焦り始める。

 

「も、もしかして悪い意味だったりする?」

「死神と同じで正位置ならね。でもこれは逆位置だから、解放とか自由とか、いい意味だよ」

 

 今回のお題は人生。人生における解放や自由、つまり悪習からの解放を示していると思う。

僕の悪習、悪癖、他人を皆嫌ってしまうこと。それから解放してくれた伊地知さんがこれを引く。

占いなんてまったく信じていないけど、偶然にしては面白い結果だった。

 

「ありがとう伊地知さん。これからも頑張れそう」

「よく分からないけど、それならよかった」

 

 

 

 そんな感じで、二人で占いしあったり、雑談したりして時間を潰していた。

その間もまったくお客さんは来ない。教室の前で止まる気配は何回かあった。

だけどすぐ、足早に立ち去っていく。絶対あの張り紙のせいだと思う。

 

「リョウの張り紙で皆引いちゃってるのかな」

「魔除けみたい。でも中にいるの僕だから、ちょっと違うかな。封印のお札とか?」

「また答えにくい質問するね」

 

 そんなことを話していると、再び入口に気配を感じた。

今度は中々逃げない。まじまじと教室の張り紙を読んでいるようだった。

そしてがらりと戸が開く音がする。とうとう恐れ知らずの勇者が来たのかな。

そう思って二人で入口を見る。だけどそこにいたのは、予想もしていなかったお客さんだった。

 

「ひとり?」

「き、来ちゃった」

 

 可愛い。

 





次回のあらすじ
「努力」


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第三十三話「僕が信じるもの」

感想評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「山田はよかれと思ってやった」


「こんにちはー!」

 

 ひとりに気を取られたけど、元気よく戸を開いたのは喜多さんだった。

二重の意味で予想外のお客さんが来て、僕と伊地知さんは揃って目を丸くする。

そして二人の後ろには、なんと店長さんまで立っていた。

 

「喜多ちゃんにぼっちちゃん、ってお姉ちゃん!?」

「なんだその反応。来ちゃ不味かったか?」

「いやそうじゃないけど、来ないって言ってたから」

 

 下北沢高校の文化祭も他と同様、一般のお客さんでも入場出来る。

出来るけど、その内容がとんでもなくつまらないことは周知の事実だ。

だからまったくと言っていいほど外部からお客さんは来ない。

前もってひとりに、聞かれたから喜多さんにもそう伝えたから、来るとは思わなかった。

 

「占いか。お前のところって、もっとお堅い感じじゃなかったか?」

「いやー、色々あって」

「つーか魔王タイムってなんだよ」

「い、いやー、色々あって」

 

 説明出来るはずの山田さんは今も寝ている。皆が来て騒がしくなったのに身動き一つしない。

そんな彼女を喜多さんは、キタキタ音を立てながらじろじろと眺め続けていた。

誰も止める気配はない。女の子が女の子の寝顔を見るのはいいんだ。勉強になる。

そうして山田さんの寝顔をひとしきり堪能していた喜多さんが、机の上のカードに気がついた。

 

「あっ、タロット。今ちょうど占いやってたんですか?」

「うん。後藤先生に占ってもらってたよ」

「ほほう。……じゃあじゃあ先輩、私もやってもらっていいですか!?」

 

 押しと圧力と光が強い。喜多さんも占いとか好きなんだろうか。

言われた通り僕がやっても構わないのだけれど、今日はひとりもいる。いい機会だ。

二人にはもっと仲良くなってほしいから、ここは任せてみよう。

 

「僕も出来るけど、せっかくだからひとりにやってもらったら?」

「えっ、後藤さんも出来るの!?」

「あっはい、い、一応」

 

 女の子は大体占いが好きだって偏見を、当時の僕は持っていた。

だから、ひとりも出来るようになれば友達を作る一助になるかも、とも考えていた。

それで一緒に練習したのだけど、そもそも占うためには自分から話しかける必要がある。

そのことを僕達は完全に忘れていたから、この作戦は根本から破綻していた。

 

「複雑にやると聞く方も大変だから、今日は簡単なやつにしたよ」

「あっそっか。なら、私もそうする」

 

 ひとりと喜多さんに、僕と伊地知さんはそれぞれ席を譲る。

その時にさりげなくひとりに釘を刺しておいた。

何も言わず放っておくと、見栄を張って難しいことに挑戦しそう。そして変な失敗をしそう。

焦るひとりとはしゃぐ喜多さん。最近見慣れた組み合わせを横目に、僕は店長さんに尋ねた。

 

「ひとり、やっぱり集中できていませんでしたか?」

「気づいてたのか」

 

 唐突な質問だったけど、店長さんはしっかりと答えてくれた。

傍目にも分かるほど、ひとりは練習に集中できていなかったらしい。

心当たりはある。皆分かっていると思うけど、確認のためにも僕は言葉にした。

 

「文化祭でちゃんとライブ出来るのか、ずっと不安になってるみたいです」

「そっか。それを見かねて喜多ちゃんが連れ出したって感じかな」

 

 無自覚だと思うけど、外に連れ出すショック療法を取るのがなんとも喜多さんらしい。

喜多ちゃんは優しいなー、なんて言っていた伊地知さんが、何かに気づいたように眉をひそめた。

 

「あれ、じゃあお姉ちゃんはぼっちちゃん達の付き添い?」

「……あぁ、道案内とか、そういうあれだ」

「えー」

 

 顔を背けながら店長さんが答える。どう見ても何かを誤魔化していた。

僕達が疑いのまなざしを向けていると、占いをしている二人が口を挟んできた。

 

「あっ、あれ、でも店長さん、その前にお出かけの準備してました」

「おめかしもバッチリって感じだったよね」

「おい、余計なこと言うな」

 

 店長さんが止めるけどもう遅い。伊地知さんは嬉しそうに、からかうように笑っている。

それを見て店長さんは、わざとらしく鼻を鳴らしていた。もう誤魔化せないと思います。

 

「別に、元々来るつもりだったとは言ってない」

「私、何も言ってないよ?」

「ぐっ」

 

 店長さんが話す度に伊地知さんのニヤニヤは深くなっていく。

微笑ましい光景だけど、このまま放っておくのも店長さんが不憫だ。

普段とてもお世話になっているし、ここは僕なりの助け舟を出してみよう。

 

「それで今日は、三人で来てくれたんですね」

「……あー、それが」

 

 僕の言葉に彼女は目を逸らした。今度は恥ずかしそうじゃなくて、気まずそうだ。

不思議に思った僕と伊地知さんが同時に首を傾げると、その答えが正門の方から聞こえてきた。

 

「ちょっと困ります! 校内での飲酒なんて、何考えてるんですか!?」

「酔っ払いが何か考えてるわけないだろー!」

「自分で言うのか!? というかその荷物は、え全部酒!? あなた本当に何なんですか!?」

「友達に会いに来ました、廣井きくりでーす! ごとうひとりくんどこー!!」

 

 なんか混ざってますね。そのツッコミは胸にしまっておいた。

廣井さんも一緒に来たけど校門で捕まったらしい。考えてみれば当然だった。

いつもそうだから忘れそうになるけど、あの振る舞いは社会的に色々なものに触れている。

どうしよう、迎えに行った方がいいのかな。店長さんを見ると、黙って首を横に振られた。

 

「今日は三人だ。よろしく」

「お姉ちゃんとぼっちちゃんと喜多ちゃんの三人だね」

「椅子三つ出しますね」

 

 そういうことになった。警察が来なければこのまま放っておこう。

 

 

 

 そんなことを話している間に、ひとりの準備も終わったようだ。

シャッフルしたカードを並べ、そこから一枚カードを慎重に抜き取る。その手は震えていた。

所詮占いだからこれで未来が決まる訳でもないのに、無駄に緊張している。

占われる側の喜多さんの方が苦笑いして、リラックスしているくらいだった。

そしてひとりは更に震えを強くしながら、引いたカードを表にした。

 

「あっこれは、ま、魔術師の正位置です」

「へぇ、これ魔術師っていうの。なんだかかわいいわね!」

「えっ可愛い……? あっ、これはチャンスや才能を示してます」

 

 だからその、と続ける。視線は彷徨っていて、どこにも自信を感じない。

だけどやがて喜多さんの顔へ目を向けて、一生懸命に語り掛けた。

 

「き、喜多さんなら、自信を持ってやれば、絶対大丈夫だと思います」

「後藤さん…………ありがとう!!」

「う゛っ」

 

 喜多さんの輝きにひとりの目が潰れた。いつものことだから僕ももう反応しない。

少ししてひとりも復活した。よく潰れるから治るのも早い。冷静に考えると意味が分からない。

 

「ほ、他に何かありますか?」

 

 喜多さんにお礼を言われて、ひとりもすっかりその気になっていた。

いたずらにカードをぺたぺたと触り、続いての占いごとを求めている。

そんな提案を受け、喜多さんはちらりと僕達を見てからひとりに答えた。

 

「んーと、そうね。……じゃあ次は恋愛運をお願い!」

「れ、れれれ、恋愛ですか!?」

 

 恋愛と聞いて、ひとりは無意味に切っていたカードを落とした。

そして顔を赤くしたり青くしたりしていた。信号機みたい。

恋愛を占ってほしいと言われたのだからしょうがないと思う。

ひとりに、そして僕にはまだ早いことだ。二人してその辺の機微がまったく理解できていない。

実際のところひとりはどうするつもりなんだろう。自爆するのかな。

 

「あっ、じゃ、じゃあこれで」

「おみくじ!?」

 

 悩んだ挙句、ひとりはおもむろにおみくじを取り出した。全てを神に任せようとしていた。

混乱しておみくじを振った後、縋るようにして僕を見上げてくる。

 

「お、お兄ちゃん、代わって」

「うん。任せて」

 

 妹に頼られたのだから、代わらない訳にはいかない。

期待に応えられるかどうかは別として、僕はひとりと入れ替わるように座った。

 

「喜多さん、念のためにもう一回、何がいいか教えてくれる?」

「恋愛運です。……何度も言うとなんか恥ずかしいですね」

 

 恋愛、恋愛か。

 

「じゃあこれで」

「天丼!?」

 

 僕もおみくじを取り出した。持ってきてくれた人ありがとう。使うとは思わなかった。

振ってみるとシャカシャカと景気のいい音がする。やっぱりこれって本物なんじゃ。

疑いを込めておみくじを振る僕を見て、喜多さんは目を白黒とさせていた。

 

「えっ、先輩がタロットとか、そこの水晶玉で占ってくれるんじゃ」

「他はともかく、恋愛系はちょっと」

 

 占いは示唆や兆候を読み解いて行うものだ。

さっきまでやっていたタロットなんかは分かりやすい。

引き当てたアルカナの意味から、それが指し示す事柄を読み解き、導き出す。

それが恋愛だと僕はさっぱり出来ないだろう。まったく経験がない。何も分からない。

 

「恋愛って全然分からないから、適当なことしか言えないと思う」

「そうなんですか? 先輩ならなんとかなりそうですけど」

「そこまで言ってくれるなら、一度やってみるね」

 

 出しっぱなしだったタロットをもう一度シャッフルし、一枚引き直す。

今回はワンオラクルだ。結果だけを表す。引いたカードは正位置の世界だった。

 

「完全調和を示しているから上手くいく、と思う」

「…………それだけ?」

「それだけ」

 

 もの凄い不満そうな目で喜多さんに見られている。仕方ない、もう一回だ。

次は伊地知さんの時と同じツーオラクルだ。現状訪れるだろう結果と、その対策を示す。

引いたのは結果が逆位置の戦車、暴走や失敗、停滞を意味している。

そして対策が正位置の太陽、成功や成長、幸福を表している。

戦車と太陽か。言葉の印象的にも、アルカナの意味的にも、どっちもなんとなく喜多さんっぽい。

示されたアルカナを、輝く笑顔で期待する喜多さんを観察する。言うべきことは決まった。

 

「……喜多さんらしく頑張れば、多分なんとかなるよ、きっと」

「そこまで適当なんですか!?」

 

 そう喜多さんはツッコむけれど、これ以上何を言えばいいんだろう。

今の僕では何一つ建設的な発言が出来ない。恋が愛がなんだって感じだ。答えをください。

そんな欠片も頼りにならない僕を見て、残念そうに伊地知さんが呟いた。

 

「恋愛は対象外かぁ。お姉ちゃんの婚期とか見てもらおうかなーって思ってたのに」

「お前なんてこと頼もうとしてんだ。余計なお世話だからほっとけ」

 

 そう言って店長さんは伊地知さんのつむじを押し込んでいた。

対抗して伊地知さんはサイドテールで反撃している。姉妹のじゃれ合いだ。

婚期、結婚運とかそういうことかな。それなら問題ないはずだから、僕は二人に提案した。

 

「結婚運なら出来るよ」

「なんで?」

 

 恋愛は感情だけど結婚は契約だ。そういう観点からなら僕でも分かる。

僕の提案を受けて、伊地知さんが嫌がる店長さんを、あれ、本気で嫌がってない気がする。

興味ないとか口にはしているけれど、本気で抵抗はしてない。ポーズだけだ。

そのまま、あくまでも仕方ないな、という姿勢を崩さず僕の前に座った。本当は気になるのかな。

 

 どっちでもいいか。妹の伊地知さんが何も言わないで見守っているから、僕もそれに倣おう。

カードをシャッフルし直して、アーチ状にして二枚引く。今回もツーオラクルだ。

そうして引いたカードを見て、僕とひとりは絶句した。

 

「……」

「……なんだ、どうした?」

「…………もう一回やらせてください」

 

 これは、駄目だ。どう読み取っても最悪だ。フォローしきれない。

ツーオラクルは簡単だから解釈が狭い。頑張っても言いつくろえない時がある。

カードを回収して再シャッフル。もう一度占う。

 

「おー、さっきより本格的だね」

「占いって感じしますね」

 

 当初伊地知さんにやろうとしていたケルト十字式に変更した。

このスプレッドなら拡張性が高いから、どうにかいい結果に落ち着けるはず。

カードを配置して、それぞれめくり結果を確認する。

 

「で、どうなの?」

「………………」

「おい、どうした。大丈夫か?」

「…………………………もう一回、もう一回だけお願いします」

 

 小アルカナも取り出す。大アルカナだけじゃ、たった二十二枚じゃ占い切れない。

もっとちゃんとやらないと。店長さんは少し怪しいところもあるけど、優しくていい人だ。

ただの偶然だとしてもこんな結果を見せる訳には、解説する訳にはいかない。

 

「………………………………………………………………………………」

「……何か言えよ」

「ごめんなさい」

「謝んなよ、そういうのが一番怖いんだよ!!」

「結婚だけが人生じゃないと思います」

「やめろ!!!」

 

 魂からの絶叫だった。そして涙目だった。

その声で山田さんが起きた。不思議そうに、勢ぞろいした結束バンドと店長さんを見ている。

 

「皆揃ってどうしたの。魔王タイムは一回五百円だよ」

「こんなに傷つけておいて、金まで取るのか……?」

「うち無料だよ」

 

 

 

 そんな感じで下北沢高校の文化祭は無事に終了した。

途中解放された廣井さんが来たくらいで、魔王タイム中は皆以外誰一人として来なかった。

結局いつもの人達と、いつものように話して遊んでいただけのような気がする。

それでも去年とは比較出来ないほど楽しかったから、思い出に残るものになった。

 

 この後クラスで打ち上げもあるらしいけど、色んな事情から僕は遠慮した。

伊地知さんも、多分山田さんも心配そうにしていたけれど、今回はそういう理由じゃない。

僕は僕の一番のために、今日はどうしても早く帰りたかった。

 

 僕の部屋でふたりをいつも通り寝かしつけ、そのまま寝そうになるのを必死にこらえる。

僕の予想が正しければ、もう少しで来るはず。もし来なければ僕から行こう。

そうして待ち始めてから数分くらいして、控えめに戸を叩く音がした。

ふたりを起こさないように静かに立ち上がり、戸に近付いてノックに答えた。

 

「起きてるよ」

「……もしかして、待ってた?」

「うん。来ると思ってた」

 

 戸を開けると、枕を持ったひとりが恥ずかしそうに立っていた。

高校に入ってからはなかったけど、昔は何か悩みや辛いことがあると、よくこうしてきた。

一緒に布団に入って、眠るまでずっとお話しする。いわゆる添い寝だ。

なんでも眠る前の曖昧な状態だと、いつもより上手く悩みが話せるらしい。

 

 ひとりとふたり、それに僕。三人で寝るのに一つの布団だと流石に狭い。

だからもう一枚、ひとりの部屋から静かに運んで、僕の布団の横に敷く。

その間ひとりは僕の部屋で、ずっともじもじと不思議な動きをしていた。

 

 準備が出来たから二人揃って布団に入る。それから寝返りを打ってひとりの方を向いた。

 

「今日はどうしたの?」

 

 本当は分かっているのに白々しいかな。

でも気持ちの整理もつくだろうから、出来ればひとりの方から話してもらいたい。

なるべく優しく聞いて、ひとりの決心がつくのを待つ。

 

「…………文化祭のライブ、私ちゃんと出来るかな?」

 

 予想通りの悩みだった。それならちゃんと答えを用意してある。

違う悩み、仮に恋愛とか言われてしまったら、そのまま僕が誰かへ相談したくなる。

そんなことはなかったから、僕自身の答えをひとりに告げよう。

 

「大丈夫だよって言っても、中々信じられないよね」

「うん。あっお兄ちゃんのことがじゃなくて」

「分かってる。自信が持てないんだよね」

 

 暗闇の中、ひとりが黙って頷く気配がした。ここまでは想定していた。

だから予め頭の中で組み立てていた通りに、僕はひとりに提案をした。

 

「ひとり、手相占いしようか」

「えっ?」

「手、貸してくれる?」

「う、うん」

 

 困惑しながらも差し出された左手を優しく握る。十数年握り慣れたそれを眼前に運んだ。

 

「……暗くて見えない」

「えぇ……」

 

 ひとりの手なんて散々見ているから、目を瞑りながらでも本当は出来る。

だけど今僕がしたいことは占いなんかじゃない。これはただの取っ掛かりだ。

握る場所を手のひらから指先に移動する。伝わる感触が、柔らかいものから硬いものに変わった。

 

「昔と比べると、指凄く硬くなったよね」

「いっぱいギター弾いたから」

 

 誇らしそうにひとりが答えた。薄暗くて見えにくいけど、きっとそんな顔もしているはず。

可愛らしいなと思うと同時に、昔を思い出してつい笑いが零れてしまった。

 

「ふふっ」

「……どうしたの?」

「ほら、最初の頃にさ、『ゆ、指が痛いっ。お兄ちゃん、私指もげちゃうかも!?』

って大真面目な顔で言ってたこと、思い出しちゃって」

「っ、っ」

「ひとり、ふたり寝てる、寝てるから」

 

 恥ずかしくなったひとりがぽすぽすと、空いた右手で僕のお腹を叩く。まったく痛くない。

こんな風にひとりが攻撃してくるのは珍しいから、ますます微笑ましくなってしまう。

僕がそういう反応をする度に、ひとりがまた同じように叩いてくる。無限ループだ。

 

「ごめんね、脱線しちゃった」

「……もう寝るっ」

「待って待って、言いたいのはここからだから」

 

 ついついひとりを可愛がってしまっていると、拗ねられてしまった。

何をやってるんだ僕は、自分の欲望に負けてる場合じゃない。やるべきことをやらないと。

そのために軽く繋いでいたひとりの左手を、両手でしっかりと握り直した。

 

「大丈夫、ライブは絶対に成功するよ」

 

 これだけだと根拠のない励ましだ。実際ひとりにも響いていないようだ。

だけど根拠は、僕の自信は、今この手の中にある。

 

「この指がそう言ってる」

 

 小さく暖かい手。それに似つかわしくない、硬くなったひとりの指。

ひとりの努力の結晶だ。触れるたびにいつも、僕は愛おしい、誇らしい思いになる。

 

「だって音楽は、頑張ってる人を絶対に裏切らないんでしょ?」

「えっと、それって?」

「自分で言ったのに忘れてる。ほら、前ふたりがタンバリンの練習してた時、言ってたでしょ」

「……?」

「いい言葉だなって感心したんだよ?」

 

 まったくひとりは覚えてないみたいだ。本当に感心して感動したのに。

友達と喧嘩して落ち込むふたりを慰めていた、あの時のひとりは立派なお姉ちゃんだった。

逆に考えよう。覚えてないぐらい、意識してないぐらい本人としては当然のことなんだ。

 

「ひとりがずっと頑張ってきたって、努力してきたって、僕は、この指は知ってる」

 

 ギターを始めてから、ひとりが弦に触れない日は無かった。

晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も、嬉しい日も悲しい日も、いつだってどんな時だって。

この三年間ひとりが練習し続けたことを、どれだけ努力を重ねてきたかを僕は知っている。

 

「そんなひとりを、音楽は裏切らないよ」

 

 音楽は頑張っている人を、努力を裏切らない。至言だと思う。

その言葉の通り、努力を、時間を積み重ねた分だけ、どんどんひとりは上手くなっていった。

ずっと努力が報われなかったひとりが、やっと頑張れることを見つけられた。

それを見て僕が、父さんと母さんがどれだけ嬉しかったことか。言葉になんて出来ない。

だから僕は音楽を信じられる。ひとりが、皆がライブを成功すると信じられる。

 

「大丈夫だよ。僕も皆も、今までの努力も、全部ひとりについてる、全部ひとりの味方だから」

 

 そこまで語っても返事はなかった。代わりにすやすやと、可愛らしい寝息が聞こえる。

寝ちゃった。今日は慣れない下高や久しぶりの占いで疲れただろうし、仕方ないかな。

繋がれたままの左手を離そうとする。動かない、握りしめられている。離してくれなさそうだ。

というより、そのまま腕ごと抱え込むように抱き着かれてしまった。

下手に解けば起こしてしまいそうだ。起こすのも忍びないし、今日はこのまま寝よう。

 

 僕が言えることは、言いたいことは大体言えたと思う。

だけど結局、ひとりがどこまで僕の話を聞いてくれたかなんて分からない。

どこまで僕の思いを、励ましを理解してくれたのかも分からない。

ただ、部屋に来た時よりもずっと安らかになった寝顔を見て、僕も安心して眠りに落ちた。

 




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次回のあらすじ
「新宿」


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第三十四話「店から一歩も出ていない」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「後藤兄妹はよく寝たが、星歌さんはその夜うなされていた」


「僕、あまりスターリーには来ないようにしようって思ってました」

「その割に最近よく来てるけどな。一応聞くけど、なんでだ?」

「僕が常連になると、スターリーがラストダンジョンとか呼ばれるかもしれないので」

「なんだそれ、言いたい奴には言わせとけ。それに魔王云々って、ある意味ロックで面白いだろ」

「そう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」

 

 今日も今日とて僕はスターリーに来ていた。今皆はスタ練中だ。

とある人に呼び出されて待ちぼうけを食らっていた僕に、店長さんは話しかけてくれていた。

暇だからちょっと付き合えと口にしていたけれど、半分くらいは嘘だろう。

この間のゴミ箱の件はどうかと思ったけど、店長さんは今日も優しかった。

 

「それによく考えたら店長さんも魔王ですし、ここって元々魔王城ですよね」

「やっぱりお前二度と来るな」

「ごめんなさい、冗談です」

 

 店長さんに頭を小突かれる。廣井さんに向けるものとは威力が違うから、ただのツッコミだ。

じゃれるようなものだ。こんな風に叩かれるなんて、今まで考えたこともなかった。

ちょっと嬉しくなって頭をさする僕を見ながら、彼女はため息交じりに聞いてきた。

 

「で、廣井からまだ連絡はないの?」

「はい。学校終わったらスターリーに来てねって、メッセージが来てからはまったく」

「あいつ、ひとんち勝手に集合場所にすんなよ」

 

 そう言いながらも店長さんは心配そうに、心配、まったく心配してなさそうだ。

どちらかといえば、いや今舌打ちした、どっちも何もない。完全に忌々しそうにしている。

優しい店長さんにこんな顔をさせるなんて、あの人はどれだけの迷惑をかけてきたんだろう。

そう思いをはせていると、入口が乱暴に開かれる音がした。

 

「やっほー、きくりちゃんが来たよ~!」

 

 噂をすればなんとやら。連絡ではなくて、本人が直接来た。

入口が開いたことで外から風が流れてくる。それは僕達の元までアルコール臭を運ぶ。

今日も廣井さんはお酒臭い。僕と店長さんは鼻をつまんだ。

 

 何とも言えない目で彼女を見ていると、目が合ってしまった。

元々浮かべていた笑顔をさらに深くして、のしのしふらふら階段を降りて近づいてくる。

無事に目の前まで来たと思ったら、そのまま僕の頭にしがみついてきた。お酒臭い。

 

「おっ、ちゃんと来てるね、偉いぞ~」

「こんにちは廣井さん。お酒臭いので離れてください」

「えー、やだー」

「これ多分なんかの犯罪だよな」

 

 相変わらず廣井さんは酔っ払いだ。今日も力ずくで引きはがすと危ないだろう。

だから言葉で伝えたけれど応えてくれない。店長さんも呆れながら見るだけだ。助けてくれない。

それどころか、何故か僕達の様子を撮影している。そして何か違うな、と言って携帯をしまった。

証拠写真でも撮っていてくれたのかな。裁判の時にください。

 

「そんなこと言う子にはね、お仕置だよ! この間の仕返しー!」

「店長さん、どこまでいったら反撃していいと思いますか?」

「一応言っとくと、子供が思ってるよりも酔っ払いはか弱い生き物だぞ」

 

 止めるどころか頭まで撫で始めてきた。廣井さんは妙に楽しそうだ。

この調子だとこのまま放っておけば、どこまでエスカレートするのか分からない。

さっき店長さんの言った通り、何らかの犯罪に発展する可能性もある。

だけど僕が反撃したら死ぬと言外に言われてしまった。どうしよう、どこまで我慢しよう。

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと、廣井さん何してるんですか!?」

 

 顔にまで手を伸ばしてきたらどうにかしよう。そう考えていると、救いの手が差し伸べられた。

伊地知さんの声だ。今は廣井さんで何も見えないけど、スタジオから出てきたらしい。

早足で近づいてきて、その勢いのまま廣井さんを引き剥がした。光が目に届く。

 

 急に明るくなったから眩しい。瞬きを繰り返して目を調整する。

普通に辺りが見えるようになった頃、心配そうな伊地知さんが映った。

 

「後藤くん、大丈夫?」

「ありがとう伊地知さん。なんとか大丈夫」

 

 そうして彼女から安否確認を受けていると、剥がされた廣井さんが不満そうな顔をしていた。

 

「妹ちゃん乱暴すぎだよー。ちょっとしたスキンシップじゃん、お堅いなー」

「いやいや、あれはちょっとを超えてますよ!」

「でも無抵抗だったでしょ。お姉さんにくっつかれて、君もなんだかんだ嬉しかったよね?」

「いえ、離れてくださいって何回か言いましたよ」

「それってあれでしょ、嫌よ嫌よも好きの内ってやつだよね!」

 

 無敵の理屈だ。山田さんも前そんなことを言っていた。ベーシストの間で流行っているのかな。

僕の何とも言えない気持ちと同様に、伊地知さんも半目で廣井さんを見ていた。疑いの眼差しだ。

僕達二人にそう見られても、廣井さんの根拠不明の自信はまったく揺らいでいなかった。

 

「いや後藤くんに限って、そんなことないと思いますけど」

「またまたー、私大人のお姉さんだよ? ほらほら、正直な感想言っていいよ?」

 

 そう言ってから、何故か彼女はしなを作った。伊地知さんは気味の悪いものを見る目をした。

正直な感想か。一番に来るのは当然お酒臭かっただけど、それは駄目だろう。

さっきも言ったけど受け取ってもらえなかった。これ以上言っても無駄な気がする。

 

 そもそも廣井さんはどうしてか、僕が喜んでいる、という意見に確固たる自信を持っている。

こうなると下手に否定するよりも、何か肯定的な感想を伝えた方が丸く収まるかもしれない。

例によって僕の嘘やお世辞が通じないだろうから、小さくてもいいから嬉しかったことを話そう。

 

 今ので嬉しかったこと。実は廣井さんの言う通り、僕は抱き着かれて喜んでいた。

やり方はどうであれ、好意を示してもらえるのはとても嬉しい。

僕の感覚だと抱き着くなんて、よっぽど好きじゃなきゃ出来ないと思う。

廣井さんの感覚にもよるけれど、それほど気を許してもらえている証と考えてもいいはず。

 

 だけどこれを言うのはよくないだろう。廣井さんは一応女の人だ。

さっきも考えた通り廣井さんがどう思ってるかは知らないけど、僕が褒めて味を占めたら大変だ。

あんまり誰彼構わず抱き着くようになれば、いつか危ない目に合ってしまうかもしれない。

 

 じゃあ他に何があるだろう。感覚。臭い。アルコール。駄目だ。お酒臭いしか出てこない。

こうなったら逆転の発想だ。お酒臭いからなんとか別の糸口を探そう。

なにかないかな。お酒、臭い、空気、空気? そうだ、僕は解放された時こう思った。

 

「……空気が美味しい?」

「えっ」

「解放された時の空気が、こう、なんというか美味しかったです」

 

 地下だけど江ノ島の時くらい美味しい。特に、変な臭いがしないところがいい。

正直な感想を伝えると、廣井さんと伊地知さんがずっこけた。

ずっこけたけど、その勢いのまま二人ともすぐに起き上がった。二人とも器用だ。

そして廣井さんは急にお酒を飲みだし、伊地知さんは神妙な顔になっていた。

ずっと黙っていた店長さんも似たような目で僕を見ていた。姉妹だからかそっくりだった。

 

 そんな事情聴取が終わると同時に、ひとり達もスタジオから出てきた。

ちょうど休憩時間か何かになったらしい。ひとりにあんな姿を見られなくてよかった。

三人ともすぐに、僕達のいるところへ近づいてくる。

 

「あっ、お、お姉さん、こんにちは」

「おーぼっちちゃん! 今日もぼっちって感じだねー!」

「えっ、あっ、はい、今日もぼっちです……」

 

 悪気は無いと信じたいけど、悪口にしか聞こえなかった。

事実、廣井さんを見て明るくなったひとりの顔が、また奈落に逆戻りした。

一瞬何でひとりがそうなったのか、廣井さんは気がつかなかったらしい。

だけどすぐに察して、慌ててひとりに駆け寄っていた。

 

「……あっ、ごめんね~ぼっちちゃん! あーよしよし、よしよーし」

「あうあぁぁあ」

 

 そう言ってひとりを抱きしめ、念入りに頭を撫でていた。

僕の時より抱き着き方も撫で方も深い。あれは色々と、相当辛いと思う。

助けようかと迷ったけれど、ひとりも廣井さんのことは慕っている。

本当に嫌だったらもう爆発か溶解しているはずだから、そっとしておいた。

 

 ひとしきり撫でて抱きしめて、廣井さんはひとりを解放した。

ぐるぐると目を回しているひとりを見て、なんだか満足そうにしている。

そうして観察している内に何か思いついたようで、そのままひとりに問いかけた。

 

「ねね、ぼっちちゃん、私に抱き締められたけど嬉しい? 何か感想とかある?」

「えっ………………………………………空気が美味しい、です?」

「分かる。変な臭いがしない、無臭ってところがいいよね」

「うん。あっ、江ノ島の頂上くらい美味しいです」

「そろそろ泣くよ?」

 

 ひとりと意見が合ったことで僕がはしゃいでいる横で、廣井さんが泣きそうになっていた。

そんな彼女に、今まで静観していた山田さんが近づく。珍しくその瞳は輝いていた。

 

「もしかして、SICKHACKの廣井きくりさんですか?」

「うん、そうだけど」

 

 ここまでの状況なんて何一つ気にしていない。山田さんは今日もマイペースだ。

そしてあまり見ない興奮した状態で、廣井さんに話しかけ続けていた。

 

「私、ライブよく行ってました」

「えっ」

「泥酔しながらのライブ、最高でした。顔踏んでもらったのもいい思い出です」

「あっ、うん。ありがとう」

 

 山田さんに、ファンに褒められているのに、廣井さんは釈然としない顔をしていた。

らしくない難しそうな顔で、山田さんの称賛に曖昧な相槌を打ち続けている。

何を悩んでいるのかは知らないけれど、大人しくなってくれたからよしとしよう。

 

 この隙に一つ確かめておきたいことがある。

そのために山田さんと廣井さんを放置して、僕は喜多さんに声をかけた。

 

「喜多さん、ちょっといい?」

「なんですか先輩?」

 

 返事の声色は明るい。笑顔は眩しい。今日も喜多さんは元気なように見える。

だからそのまま、僕は気になることを確認させてもらった。

 

「今日のひとり、集中出来てた?」

「はい、この間と全然違います! もしかして、先輩何かしました?」

「ううん、少し話しただけ。でもそっか、それならよかった」

 

 添い寝した日の翌朝、照れくさそうなひとりを見て大丈夫だとは思っていた。

思っていたけど、こうして喜多さんから報告を受けると安心感が違う。

彼女は僕が何をしたのか気になっているようだけど、言わないようにしよう。

この年になって兄と一緒に寝たなんて、ひとりも恥ずかしくて友達には知られたくないはず。

そうだ、ひとりがもう心配ないなら、喜多さんにも安心してもらわないと。

 

「ひとりはもう大丈夫だよ。だから、喜多さんもあんまり気にしないでね」

「…………えっ?」

 

 喜多さんが目を見開き何かを口にしようとした瞬間、ふいに僕の肩が掴まれた。お酒臭い。

それで分かった。廣井さんがいつの間にか、音も無く背後に立っている。

ぎょっとしている喜多さんを気にもせず、そのまま僕にそっと耳打ちしてきた。

 

「ねぇあの子、この間と反応が違い過ぎない?」

 

 勉強会の時と打って変わって、山田さんからの熱烈な歓迎を受けて混乱したようだ。

前に伊地知さんがしたと思うけど、ちゃんと理解してもらうためにもう一度説明しよう。

 

「試験勉強が終わったので、音楽の記憶を取り戻したらしいです」

「えぇ……」

 

 山田さんの生態に衝撃を受けて、廣井さんがまたお酒を飲み始めた。

このまま放置しておくと泥酔されて、今日呼び出された理由が分からなくなるかもしれない。

というか既に何もかも忘れている可能性もある。まずは話すだけ話してもらわないと。

 

「それで今日は、どんな用事があったんですか?」

 

 僕の言葉に、廣井さんは今思い出したとでも言わんばかりの顔をした。

本当に忘れていた。言ってよかった。酔っ払いに呼ばれるだけ呼ばれて終わるところだった。

 

「あっ、そうそう! この間皆の勉強邪魔しちゃったでしょ。そのお詫びに来たよ!」

「自覚あったんですね」

 

 伊地知さんの鋭いツッコミも気にせず、廣井さんは懐に手を突っ込んだ。

そこから五枚、何かチケットのようなものを取り出し、高く掲げた。

とても自慢げで誇らしそうな、明るい顔をしている。顔は赤い。今日もまだ黄色じゃない。

廣井さんがあれだけ嬉しそうにしている、ということはビール券か何かかな。

 

「お詫びとして、じゃーん! 私たちのライブのチケット、あげるよ!!」

「わぁ、ありがとうございます。これ、いつ開催ですか?」

「今日!」

「急ですね!?」

 

 ライブのチケットだった。僕も忘れていた。廣井さんはお酒の人じゃなくて、音楽の人だ。

それにしても喜多さんの言う通り急な話だ。あれ、今日? 今日なのに廣井さんここにいるの?

もらったチケットを見る。彼女の言った通り、今夜開催予定だ。ライブ直前って忙しいんじゃ。

 

「これからライブなのに、今ここにいても大丈夫ですか? 打合せとか、色々」

「……リハーサル、もう始まっちゃってるねー」

「……ライブハウス着いたら、謝りに行きましょうね」

 

 僕達にチケットをプレゼントするために、廣井さんはリハーサルに参加出来なかった。

そういうことにしておこう。酔いとかど忘れとか、そんな訳ないよ、きっと。

 

「えっと、いくらですか?」

「いいよいいよ! お詫びなのにお金取るって変でしょ?」

「でも、廣井さんからタダでもらうのは申し訳ないですし」

「え゛っ」

 

 普段辛辣な伊地知さんに優しく声を掛けられ、廣井さんは動揺していた。

財布を取り出す伊地知さんと喜多さんを止めることも出来ず、ただ慌てている。

そしてその気持ちをそのまま僕にぶつけてきた。

 

「ね、ね、私って、そんなに貧乏に見える?」

「事実貧乏ですよね。この間焼肉行った時、お金持ってなかったし」

 

 あの時は驚いた。何を思って僕の事を誘ったのか。今でも理解が追い付かない。

僕がお金を持ってなかったらどうするつもりだったんだろう。

そういえば大槻さんはあの時、廣井さんが金欠でも特に反応していなかった。

あれを思うと廣井さんが万年素寒貧なのは、新宿的には常識なのかもしれない。

 

「は? お前あの時こいつにたかったのか?」

「…………子供の金で酒を飲む。それもまた、ロックですよね」

「黙れクズ」

 

 しみじみと、大人として最低なことを廣井さんは言っていた。

それを見る店長さんの視線は、氷よりもはるかに冷たい。

振り返って僕を見る。その目は反対に暖かいものに変わっていた。そのまま頭を下げられる。

あの日廣井さんを頼んだことを申し訳なく思っているのだろう。

その姿は山田さんのことで謝る伊地知さんを彷彿とさせた。姉妹だなと思った。

こんなところで血のつながりを感じたくなかった。

 

「で、他になんかある?」

 

 気を取り直して、腰に手を当てた店長さんがその場の全員を見渡した。

ここでお金の沙汰を下してくれるみたいだ。さすが店長さん、頼りになる。

お金のこと、何かあったかな。記憶を掘り下げるのと同時に、ひとりがおずおずと手を挙げた。

顔は青く、手は震えている。それでも勇気を出して話してくれた。

 

「え、えっと、路上ライブの日、お兄ちゃんが電車賃、貸してました」

 

 しかも僕の事だった。僕のために頑張ってくれた。お金とかどうでもよくなるくらい嬉しい。

それにしても電車賃か。そういえばそんなこともあった。確か、ライブの日に返すと言っていた。

ライブ前は気にする余裕なんか無かったし、終わった後も大槻さんと廣井さんで手が一杯だった。

今思い返すとお金を返すって言った日に返さずに、そのまままた奢られようとしていたのか。

恐ろしいほど図太い根性だ。何も考えてないのかもしれないけど、ここまで来ると尊敬する。

 

 僕が廣井さんの性根に恐れ入っていると、伊地知さんが小さく声をあげた。

何か思い出したらしい。そして山田さんが目を逸らした。山田さんの借金のことらしい。

 

「そういえばリョウ、エスカー代は?」

「……それは今度奢るよ」

「あっ、あと、カレー代……」

「………………………………」

「山田さん?」

「ごめんなさい」

 

 山田さんはどこかでひとりにも借金をしていたようだ。そんな気はしてた。

借金を重ねているベーシスト二人を見て、店長さんが深く深く、重いため息を吐いた。

そして床を冷たく指差し、呆れ果てた目で債務者達に告げる。

 

「おらクズども、ちょっとここに並べ」

 

 こうして店長さんの計らいもあって、めでたく借金は清算された。

 

 

 

 廣井さんのライブのために新宿FOLTへ行く。

他人ばかりの、行ったことのない場所へ行く。なんの対策もなしに行けば大惨事になるだろう。

となるとまた何か変装をしないと。今日はどうしよう。どんな変装がいいのかな。

僕が考え始めると同時に、伊地知さんが同じ話題を振ってきた。

 

「後藤くん今日も変装するんでしょ? この間みたいに、帽子とサングラスにする?」

「あれ喜多さんのだったし、僕も持ってきてないんだよね」

「持ってますよ!」

「えっ」

 

 にこやかに喜多さんは、どこからともなく帽子とサングラスを取り出した。

なんで、どこに、疑問は多く浮かぶけど口に出せない。喜多さんも時々分からない。

だけど彼女はああでもと続け、誤魔化すように苦笑いしてから、それらをまたどこかへしまった。

 

「夜だとサングラスは危ないですね」

「あっじゃあお兄ちゃん、またカツラと眼鏡にする?」

 

 そう言ってひとりが変装セットを手渡してくれた。

キノコ眼鏡下北マン。今のところ誰も気絶させていない変装だ。

結束バンドの時もなんとかなったし、これが一番無難かもしれない。

 

「おぉ、魔王ナイトフォーム」

「何だその名前」

 

 そうして皆で僕の変装方法について話し合い始めた。いつも迷惑をかけて申し訳ない。

ただ一人、ぽつんと置いてかれた廣井さんが不思議そうに僕達を見ていた。

 

「えっと、君たち何してるの?」

「あっ、お兄ちゃんの変装をどうするか決めてます」

「変装? あー、そういえばこの間もそんなことしてたね」

 

 キノコキノコと思い出したように、楽しそうに呟く。

そして突然、僕からカツラと眼鏡を剥ぎ取った。変装が解かれてしまった。

これじゃただの魔王だ。このままだときっと被害者が出る。何をするんだろう。

僕の抗議の視線を感じ取ってなお、廣井さんは笑顔のままだった。

 

「大丈夫だよー、皆君のことなんて見ないって!」

「いや、でも」

「平気平気、ライブ中は絶対大丈夫! お姉さんたちのこと、信用してね!」

 

 そう言って笑う廣井さんの目には、一点の曇りも無い自信が浮かんでいた。




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次回のあらすじ
「魔性」


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第三十五話「新宿の魔物」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「山田の借金は原作より少なかった。廣井は逆に多かった」


「後藤さん、さっき何買ったの?」

「あっ、これは差し入れ兼お礼だよってお兄ちゃんが」

「お礼?」

 

 新宿行きが決定して用事が出来たから、少しだけ皆には待ってもらっていた。

その用事、買ってきた物を見て、喜多さんがひとりに質問していた。

彼女が代表していたけれど、残り三人とも同じ疑問を抱えているようだ。

いや、山田さんは違うな。あれは飢えた目だ。抱えているのは疑問じゃなくて食欲だ。

だけどこれは渡せない。これは路上ライブの時の、岩下さんへのお礼の品だ。

 

 以前からずっと、いつかお礼をしなきゃいけないとは思っていた。

いたけれど、どうしてもハードルが高かった。岩下さんのいる新宿FOLTは他人の巣窟だ。

無作為に僕が行けば多くの被害者を出して、かえって迷惑をかけてしまう。

ひとりにだけ任せるのはあまりに無責任だし、多分途中で行き倒れる。

 

 そういう訳で今の今まで先延ばしにしていたから、今日はいい機会だった。

それに岩下さんは電話で話した印象だけど、立派な、真っ当な大人のようだった。

高校生の、子供の僕達からお礼の品を送っても遠慮されてしまいそうだ。

その点差し入れという形にすれば、僕達も渡しやすいし彼女も受け取りやすいだろう。

 

 今回は差し入れとして、焼き菓子の詰め合わせとエナジードリンクを選んだ。

このチョイスは店長さんに相談したら教えてもらえた。差し入れとしては無難らしい。

今はひとりにお菓子を持ってもらって、エナドリは僕が抱えている。

その差し入れを見て、廣井さんが嬉しそうに話しかけてきた。

 

「二人ともありがとね。でも次からは、お酒貰えるともっと嬉しいな!」

「僕達未成年です」

 

 そうして差し入れを片手に、皆で新宿FOLTへ向かう。

途中ひとりが人通りの多さに帰りたくなったようで、僕にくっつき始めた。

最初に袖、それから指、手、腕と来て、最終的に背中に張り付いた。セミみたい。

腕あたりまでは微笑ましく見られていたけれど、背中になってからは呆れられている。

 

「後藤先輩、歩きにくくないんですか?」

「慣れちゃった」

 

 普段からひとりと歩く時は、速さやテンポを合わせるようにしている。

だからこの状態になっても、歩幅を意識するくらいであまりいつもと変わらない。

そんなことを話していると少し感心された。それ以上に呆れが増えた気もする。

 

 そのまま変則的二人三脚でしばらく歩いていたけれど、急に背中のひとりがもぞもぞし始めた。

なんだろう。落ち着くポジションを探していたりするんだろうか。

そのまま静観して歩いていると、唐突に何故か髪留めを取られてしまった。

まとめていた髪が解かれて、はらはらと背中のひとりに落ちていく。

 

「どうしたの、ひとり?」

 

 いたずら、ではないだろう。

ひとりは滅多にそんなことをしないし、する時はこんなものじゃ済まない。

髪は鬱陶しいからまとめているだけだ。こだわりも特にない。

だから解かれても構わないけれど、こんなことをしたその真意は気になった。

 

「髪のカーテン作れば、落ち着くと思って」

 

 髪のカーテンとはいったい。一瞬悩んだけれど、すぐに何を言っているか分かった。

僕の髪は長い。そこに潜り込んで背中に張り付けば、確かにカーテンに包まれるようになる。

言ってることは分かったけどそれでも謎だ。本当にこれで落ち着けるのかな。

 

「……落ち着く?」

「うん。完熟マンゴーより落ち着く」

 

 完熟マンゴー、つまりダンボールに勝った。これは喜ぶべきところなんだろうか。

そんなことを言うひとりは満足げだ。答えを聞いてもいまいちその感覚が分からない。

だけど言葉の通り、ひとりはさっきよりも本当に落ち着きを取り戻している。

この体勢で悪目立ち具合が強くなった気もするけど、ひとりがいいならいいや。

 

 そうして客観的に自分達の様子を想像していると、変なことに気がついた。

僕の髪とひとりの髪が繋がって、もの凄い長髪みたいに見えているはず。

なんだか面白い気がする。早速ひとりにも言ってみると、感心したように目を輝かせていた。

これは皆にも教えないと。新しい一発芸が出来てしまった。

 

「見て見て皆、一発芸」

「あっ、ちょ、超ロン毛です」

「……後藤くんって、実は馬鹿なの?」

 

 ベーシスト達には大うけだった。

 

 

 

 到着した新宿FOLTは、スターリーとも違う面白い雰囲気だった。

どこか重厚な、ピリピリとした空気が流れている。店内の客層もなんとなく柄が悪い。

そんな彼らから視線を感じる。彼らはじろじろと品定めでもするように、僕らを見ていた。

 

 皆はここの雰囲気に圧倒されてるようで、そんな視線には気づいてなさそうだ。

見慣れない僕達が入ってきたからか、廣井さんがいるからか、それとも特に理由もないのか。

何でもいいけど鬱陶しいな。皆にバレないよう、向けられた視線全てに丁寧に僕も返していく。

やがて一様に机か壁か天井を見始めた。チラシがたくさんあって読み応えあるよね。

 

 大体は退治完了したけど、まだ一つだけ視線を感じる。タフな人がいるようだ。

その視線にも同じように返す。するとそこには、見覚えのあるツインテールの子がいた。

 

「あっ大槻さんだ」

「げっ」

 

 もの凄く嫌そうな顔を大槻さんはしていた。気絶も怯えもしない。今日も大槻さんは元気だ。

ちょっと嬉しくなった僕を見て、喜多さんが不思議そうに口を開いた。

 

「後藤先輩、お知り合いですか?」

「うん。SIDEROSってバンドの大槻さん。歌もギターもとっても上手だよ」

 

 皆に紹介しようと思って、もう一度大槻さんのいた方を見たけど、そこには誰もいない。

今更彼女が気絶するとは考えられないけど、念のため床も確認する。こっちもいない。

首を傾げる僕を見て、廣井さんがおかしそうに笑っていた。

 

「大槻ちゃん人見知りだから、この人数にびびって逃げちゃったみたいだね」

「ひ、人見知り……」

 

 大槻さんが人見知りだと聞いて、ひとりが親近感を覚えていた。

面識は無いけど、ひとりは大槻さんの顔を知っている。動画で見たことがあるからだ。

 

 あれは、山田さんに打ち明け話をする前の日だったかな。

大槻さんに言われた通り、ひとりと一緒にSICKHACKとSIDEROSのライブ映像を見た。

そしてひとりは、そこに映る大槻さんの姿に衝撃を受けていた。

 

 彼女はある意味、ひとりがかつて夢見た形そのものだ。

卓越したギターとボーカルで観客を魅了し、歓声を浴びるフロントマン。

かつてふわふわと、なんとなく妄想していた姿が現実となってそこにいる。

しかも同年代だ。ひとりが意識しない理由はなかった。

だから会って仲良くなれれば、ひとりのいい刺激になると思ったのだけど。

 

 逃げられてしまったものはしょうがない。今日は廣井さん達SICKHACKが目当てだ。

大槻さんとのことはまた改めよう。皆がバンドを続けていれば、いつかまた会う日もあるはず。

 

 気を取り直して、先導する廣井さんに皆でぞろぞろとついて行く。

彼女はそのまま店内を我が物顔で、カランコロンと進んで行った。

そして店の奥に辿り着くと、座ってお金を数える男の人へ親し気に声をかけた。

 

「おーい、銀ちゃーん。きくりちゃんが来たぞー」

「あ゛ぁ゛?」

 

 声をかけられた彼は見るからにイライラしていた。そしていかつい見た目をしていた。

怒りの籠る鋭い眼光に大量のピアス、ジャラジャラと音を鳴らすシルバーアクセサリー。

見た目も振る舞いも、それなりに威圧感がある。僕以外の四人が息を呑む音が聞こえた。

揉め事が起こらないよう後ろに控えていたけど、前に出た方がいいかもしれない。

そうして一歩踏み出して、誰かの手でそれは止められた。伊地知さんの手だった。

 

「お、おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 

 若干怯えながらも伊地知さんが代表して挨拶をした。

僕は相手の、銀ちゃんと呼ばれた彼の反応を注意深く観察する。

あまり友好的なものでなければ、止めてくれた伊地知さんには悪いけど僕も動こう。

だけど僕の考えは杞憂だった。彼女の挨拶を見て、彼は両手を合わせて感激している。

しなやかな、女の子っぽい反応だ。失礼だけど驚いてしまった。

 

「そんなにビビらなくても大丈夫だよー。銀ちゃん見た目こんなんだけど、中身ただの乙女だからさ!」

「あら、随分可愛くてピチピチのお友達連れてきたのね! あたし、吉田銀次郎三十七歳よ」

 

 そう話す男の人、いや女の人の方がいいのかな。初めて会う性別の人だから判断がつかない。

一度横に置いておく。とにかく店長の吉田さんは、さっきと打って変わってとても優しそうだ。

後ろから見ていても、もう敵意や怒りは感じない。あれは多分廣井さんに向けたものだ。

ここでも怒りを彼女は買っているらしい。何をすればそんな各地で怒られるんだろう。

 

「驚かせちゃってごめんなさいね。つい怒っちゃって、恐かったでしょ?」

「い、いえ、大丈夫です」

 

 そう言いながらちらりと僕を見る。もっと怖い人を知ってますから、とでも言いたげだった。

思うところも無くは無いけど、結果的に伊地知さんの力になれている。気にしないでおこう。

微妙な気持ちを封じていると、視界の外から廣井さんを呼ぶ声がした。

 

「おい廣井、遅刻するなっていつも言ってるよな」

「もうリハーサル終わっちゃいましたヨ~!」

 

 声の主は黒髪の女性、その隣には金髪の外国の方がいた。

見覚えがある。ライブ映像で見た。ドラムの岩下さんとギターの、確か清水さんだ。

それぞれ苛立ちと不満を目に浮かべ、廣井さんにぶつけるように話している。

その途中にこっちに気づいたようだ、ちょうど一番前にいた伊地知さんに声をかける。

 

「もしかして、結束バンドの方ですか?」

「あっはい。そうです」

 

 そうしてその後、流れるように挨拶、自己紹介が済んだ。極めてスムーズに終わった。

これが真人間同士の会話。ここ数か月を振り返っても、初めて見るかもしれない。

なんて戯言を言っていてもしょうがない。今日の目的その一を果たそう。

 

 そう思って会話がひと段落したところを狙い、体勢を整えてからひとりと一緒に声をかけた。

 

「すみません、八月に機材を貸していただきました後藤です」

「お、同じく、ご、後藤ひとりです」

「……あ、あぁ、あの時の。あの後大丈夫でしたか?」

「はい。おかげで、無事にライブが出来ました。ありがとうございました」

「あっ、ありがとうございました」

 

 ひとりと一緒に頭を下げる。ライブのことだけじゃない。

今ここに僕がいられるのも、友達が出来たのも、考えてみれば彼女達のおかげだ。

そう考えると頭なんていくらでも下げられる。むしろ上げられない。

 

「お世話になったのに御挨拶が遅れました。申し訳ないです」

「あっありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。いつも廣井が御迷惑をおかけしてます」

 

 お礼を言いに来たのに、謝罪を言われてしまった。多分頭も下げている。

僕はそこまで迷惑をかけられていないから、なんだか恐縮してしまう。

伊地知家のことは、うん、黙っておこう。ライブ前なのに大変なことになりそう。

 

「これ差し入れです。よければ受け取ってください」

「あっありがとうございました」

「……なるほど。ありがとうございます。いただいておきますね」

 

 多分、お礼も兼ねてるって察せられてる。それでも受け取ってもらえた。

想像していた通り、大人でいい人だ。今日ちゃんとお礼が言えてよかった。

 

「あっ、ありがとうございました」

「あの、それでこの子はどうしてこんなにお礼を?」

「すみません。人見知りなので、お礼を言おうって気持ちだけが先走ってます」

 

 一緒にお礼を言おうね、と事前に言ったらこうなってしまった。

不思議な挙動だけど、ちゃんと相手にお礼の気持ちは伝わってる。僕としては合格点をあげたい。

そんなひとりに岩下さんが困惑していると、清水さんがこちらへ近づいてきたようだ。

 

「志麻、子供虐めちゃダメだヨ!」

「虐めてない。これは、あれだ、廣井のことで話してただけだ」

 

 そして清水さんは心底、とにかく心から不思議そうな声をあげた。

 

「ンー? というか、なんで君たちそんな体勢してるノー?」

「イライザ、デリケートなことかもしれないから」

 

 気まずそうに、触れたくなさそうに岩下さんは清水さんを注意した。

そんな態度にもなるだろう。僕とひとりは今、とても不可思議で失礼な体勢だ。

逃げたり崩れ落ちたりしないよう、僕はひとりを背負っている。

そしてひとりには、間違っても岩下さん達に被害を出さないよう、僕の目を塞いでもらっている。

控えめに言っても意味不明、狂気を感じる状態。冷静に対処してくれた岩下さんの情けを感じる。

 

「二人羽織初めて見たヨー!」

 

 若干違うと思う。だけど清水さんはとても楽しそうに笑っていた。

受け入れられてしまった。よく分からないけど、平和に済んだからよしとしよう。

 

 

 

 無事に挨拶も出来て、お礼も言えて、今日来た目的の半分は達成した。

今はもう半分の目的、廣井さん達と別れてライブが始まるのを待っているところだ。

いい場所を探して皆でうろうろしていると、思い出したように喜多さんが口を開いた。

 

「そういえば伊地知先輩、廣井さんのバンドってどんなジャンルなんですか?」

「知らないよ?」

「お風呂とかたかられてるのに!?」

 

 あまりにも適当な伊地知さんの返事に、喜多さんが目をひん剥いた。

その様子に伊地知さんが苦笑いしながら続けた。

 

「いやあの人、家で音楽の話まったくしないから」

「え、じゃあ何のお話ししてるんですか?」

「さあ?」

「さあ!?」

 

 欠片も興味を持ってなさそうな伊地知さんの返事に、再び喜多さんが叫んだ。

 

「廣井さんの言うこと真面目に聞いてたら、胃に穴が空いちゃうよ」

「えぇ……」

 

 僕なんてスターリーで会うだけでも、ごっそりと体力を持っていかれる時もある。

そんな廣井さんと自宅で過ごすストレス、どれほどのものだろうか。

以前伊地知さんにお礼しなきゃ、なんて漠然と思っていたけれど、もっと真剣に考えよう。

あと伊地知さんだけじゃなくて、店長さんにもお礼とお詫びに何かしよう。

 

「え、えっと、じゃあ後藤先輩、先輩はご存じですか?」

「一応ね。サイケデリックロックらしいよ」

「さいけ、えっと?」

 

 喜多さんは舌が回らないようで、言い切れないまま不思議そうな顔をしていた。

最近はあまり聞かないある種古典のようなジャンルだから、彼女が知らないのも当然だ。

しかし説明をするにしても、どうやってまとめよう。結構難しい。

 

 簡潔に説明するのなら、ドラッグのような曲調が特徴だよ、というのが一番近いと思う。

だけどこれは間違いなく誤解を招く。廣井さんがやっているというのも、もっと誤解を招く。

一回聴いてみればなんとなく分かると思うけど、その前に喜多さんは逃げるかも。

彼女の行動力は凄まじい。そして時々、ひとり以上に明後日の方向へそれを発揮する。

 

「サイケデリックロックは、ドラッグによる幻覚や感覚の変化をロックで再現しようとした音楽」

 

 僕が悩んだ一瞬の隙をついて、もう山田さんが解説を始めていた。

それを聞いた喜多さんは、予想通り目を丸く、大きくしていた

 

「えっ、それって」

「歪みやリズムを使って不可思議な世界観を構築するのが特徴的」

「いや」

「サイケデリックロックは1966年頃に誕生したから古典的ロックの一つだね」

「ちょ」

「当時はドラッグに関する危機感も薄くて演者も観客も皆キメていたらしいよ」

 

 喜多さんの疑問や不安を、山田さんは何も聞かず早口解説で全て踏み潰していた。

この分だとなんだかんだで大丈夫そうだ。喜多さんが変なことをする暇もない。

山田さんも暴走してるけど、喜多さんが相手してくれている。二人のことは放っておこう。

 

「前ライブの映像見たけど、廣井さん達凄い上手だったよね」

「うん。お姉さんだけじゃなくて、バンド全体のレベルが段違いだった」

「へー、普段の様子じゃ想像できないなぁ」

 

 見てないだけかもしれないけど、廣井さんが伊地知さんの前でベースを握ったことはない。

というよりもしかすると、楽器を持ち歩く姿すら見ていないかもしれない。

少なくとも僕は路上ライブの日以来見ていない。最近はお酒を持つ姿しか記憶にない。

 

「あっ、これ新宿FOLTのチャンネルです。み、見ますか?」

「……んー、見ない! ここまで来たら、本番まで楽しみに取っとく!」

 

 ひとりにそう答える伊地知さんは、見るからにライブの始まりを心待ちにしていた。

廣井さん本人はともかく、メンバーの二人や集まりつつあるファンの様子。

ライブ前特有の雰囲気が伊地知さんの期待と興奮を煽っていた。

そういえば、放っておいた二人はどうなったんだろう。大丈夫かな。振り返って様子を見る。

 

「という訳でサイケデリックロックは現在のロックにも多大な影響を与えている」

「はい」

「郁代も興味が湧いたなら一度聴いてみるといい。おすすめのアルバム貸す」

「はい」

「そっかじゃあ今度持ってくるね。あっ初心者は二枚目からがおすすめだよ」

「はい」

 

 山田さんの猛攻に破れて喜多さんは、はいと繰り返す機械になっていた。

そして山田さんおすすめのアルバムを借りることになっていた。

実際表現力の勉強に大きく役立つと思うから、僕からもおすすめしたい。

 

 そうして皆と雑談していると、何の前触れもなく、照明が落ちた。

急に出来た暗闇に、フロア全体からどよめきが広がる。再びひとりが僕の背中に張り付いた。

停電、ではないだろう。周りを確認すると、微かに何かの機材が光っているのが見えた。

耳を澄ませてもざわめきは観客からだけ、スタッフからはない。ということは、これは演出かな。

 

 周囲を観察していると、ステージの幕が上がり始めた。

同時に色とりどりの光が目に刺さるように輝き、心躍る音が響き出す。

ライブが始まった。それを察した観客達が一斉に、大きな歓声を上げた。

暗闇の中目を凝らしていたから、ステージの光がより一層眩しく見える。

なるほど。一度光も音もゼロにすることで、最初の注目度を引き上げてるのか。

 

 そんな風に冷静に観察出来たのはここまで、ライブ開始直後までだった。

何度も動画で見たから知っていた。来る途中、山田さんがバカテクバンドとも言っていた。

だから、SICKHACKが高い技量を持つバンドだと知っていた。知っているつもりだった。

そう、つもりだった。僕の認識はどこまでも甘かった。

 

 サイケデリックロックというジャンルは、その特性上スタジオでの演奏でこそ輝く。

そしてそれは動画よりも、現地で聴く方がより一層感じられる。

知識では理解していた。実感は、今追いついてきた。

 

 曲の特性上、リズムは不安定で音は歪む。それを岩下さんと清水さんは完璧に表現していた。

ドラム、岩下さんはどこまでも揺れて不安定な変拍子を完璧にとらえ、力強く叩く。

ギター、清水さんは幻想的な譜面をあくまでも冷静に、けれど魂を込めて弾いている。

 

そして何より、廣井さんのカリスマ性が、魔性の魅力が全てを支配していた。

ベースが上手いとか、歌声がいいとか、単純には、明確な言葉では語れない存在感がある。

危ないと、恐ろしいと、関わってはいけないと、頭では理解している。理性が警告をあげる。

それなのに魅了されて、引き寄せられて、まだ、もっと、ずっと聴きたいと思わされる。

きっとこれがサイケデリックロックの本質、ドラッグのような魅力と危うさなんだろう。

 

 吸い寄せられるように、演奏中の廣井さんと目が合った。

いつものとろけた目じゃない。どこか深いところへ引きずり込まれそうな、渦巻きのような目。

そんな目をしながら笑っていた。絡みつくような、妙な生々しさを含んだ笑み。

思わず目を奪われる。そしてそのままずっと、一度も目を離すことなんて出来なかった。

 

 廣井さんの言った通りだった。ライブ中、誰も僕のことなんて見ていなかった。

そして僕もずっと廣井さんを見ていたから、彼女以外と目が合うこともなかった。

ライブ中は絶対平気だと、そう断言した言葉の意味、その自信、その誇り。

それを僕が理解したのは、ライブが全部終わった後だった。




感想評価お願いします。

次回のあらすじ
「夕食」


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第三十六話「一つの終わりに向けて」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「廣井の尊敬ポイントが回復した」

尺の関係上大槻の出番とシリアスが消滅しました。ごめんね。


 ライブ終了後、SICKHACKの楽屋に廣井さんが招いてくれた。

結束バンドの皆は喜んでその招待に応じた。何せあのライブの後だ。

音楽に携わる者としては色々と聞きたいこと、話したいこともあるだろう。

 

 そうして楽屋にお邪魔してから時間が経って、自然と僕達は話す相手が別れていた。

ドラムでまとめ役の岩下さんと伊地知さん。ギターの清水さんと喜多さん。

山田さんはその間を飛び回り、自由に会話に加わっていた。

 

 そして廣井さんの担当は僕とひとり。ある意味いつも通りだ。

なんだかんだ廣井さんはとても話しやすい人だから、僕達としても助かる。

今は彼女を挟むようにソファーに座って、ライブのことについて喋っている。

 

「二人とも、お姉さんたちのライブどうだった? かっこよかった?」

「は、はいっ、凄く、凄くよかったです!」

「とても格好良かったです。今日誘ってくれて、ありがとうございました」

 

 ひとりと一緒に、二人揃って噓偽りの無い感想を述べる。

僕達の称賛とお礼を受けて廣井さんは鼻高々になっていた。

そんな状態になりながらも、どこか気遣うような微笑でひとりに目を向けた。

 

「もう元気出てたみたいだね」

「えっ?」

 

 意外そうにひとりが声をあげた。口にこそしなかったけど、僕も同じ思いだ。

まさかあんなだった廣井さんに、ひとりの心配が見抜かれていたなんて。

 

「勉強会の時、元気なかったでしょ? だから、少しでも励ませたらなって思ったんだけど」

「廣井さん、ちゃんと見ててくれたんですね」

「これでもお姉さんだからね! それに、ぼっちちゃんと私って似てるからさ」

 

 今聞き逃してはいけない発言があった。ひとりと廣井さんが似ている? 悪質な冗談だ。

自然と険しい顔になってしまいそう。廣井さんはそんな僕の眉間に手を伸ばして解し始めた。

 

「はいそこ怖い顔しないー。実は私高校の頃はね、教室の隅でじっとしてる根暗ちゃんだったの」

 

 それから、廣井さんはバンドを始めた経緯を教えてくれた。

昔は大人しい子だったこと。地味なまま生きたくないから、一念発起してロックを始めたこと。

最初は楽器店に行くのすら怖かったこと。初ライブの前、どうしようもなく緊張したこと。

それを誤魔化すためにお酒を飲み始めたこと。最後のはいらない。

 

「ぼっちちゃんがライブを、大勢の人の前に立つのが怖い気持ちも分かるよ」

「お姉さん……」

 

 どこまでも実感の篭った、僕には言えない優しい言葉だった。

僕に人を怖がる気持ちは分からない。他人は怖がるものじゃなくて、怖がられるものだ。

ひとりを思いやること、寄り添うことは僕にも出来る。でも共感するのは難しい。

それを廣井さんは見事にやりきってくれていた。

 

「だから私が先輩として励まそうって思ってたけど、先越されちゃったみたいだね」

「先越しました」

「おっ、ドヤ顔―」

「でも、ありがとうございます」

 

 ひとりのことを心配してくれる、好きでいてくれる人がいるのは、とても嬉しい。

僕のお礼を廣井さんは余裕たっぷりに受け取った。なんだか今日の彼女は大人に見える。

 

「お兄ちゃんからどんな励ましもらったか知らないけどさ、私からも言わせて」

「は、はい」

 

 膝の上で重なって縮こまっているひとりの手を、廣井さんが両手で握る。

普段の振る舞いのように乱暴じゃない。優しい、こわれものを扱うような手つきだった。

 

「ぼっちちゃんなら大丈夫だよ。路上でも箱でも、君は誰よりも輝いてた」

 

 いつもの力のないものでも、ライブ時のような獰猛さもない瞳。

優しく暖かい、伊地知さんや喜多さんとも違う、お姉さんのような柔らかい瞳。

そんな廣井さんとひとりの目が合う。ひとりも目を逸らしたりしなかった。

 

「君なら文化祭でも、絶対にいいライブが出来るよ」

「……はいっ!」

 

 そう言って力強く返事をするひとりの目は、ライブ前よりずっと輝いていた。

今日ライブに行って、廣井さんに誘ってもらえてよかった。

僕一人の励ましじゃ、ここまで前向きなひとりはきっと見れなかった。

 

「うんうん、じゃあ気合入れて頑張らないと、ね!」

「危ないですよ」

 

 ひとりの決意を受けて、何故か壁を殴ろうとした廣井さんの手を受け止める。

防音材だからそんなに硬くないけど、万が一でも怪我してしまう可能性がある。

こんなことで怪我をして、彼女がベースを弾けなくなるなんてもったいない。

 

「廣井さんベーシストなんですから、手は大事にしましょうね」

「……」

「廣井さん?」

 

 返事が無い。どこか呆然とした様子で僕が掴んだ自分の手を見ている。

しまった。もしかして、勢いよく止めすぎてどこか痛くさせてしまったかもしれない。

僕が確認のため口を開こうとすると、それより先に廣井さんが不思議なお願いをした。

 

「もっと、小さい子に言う感じで言ったら、聞くかも」

「えっ。…………………きくりちゃん、そんなことしたら危ないよ。めっ」

「……………………へへっ、はーい」

 

 二度とやらないと決めていたはずだけど、お願いされてついやってしまった。

あの廣井さんが大人しく言うことを聞いてくれる、これは便利な手法だ。

だから今後も使うべきなのかもしれないけど、さっきから何故か背筋が寒い。

僕は僕の勘を信じる。やっぱりこのやり方はよくない。封印しておこう。

 

「……廣井はもう、いやとっくに駄目だったか」

「新しいベーシスト、探さないとネー」

 

 冷めきった岩下さんと清水さんの声が、妙に印象に残った。

 

 

 

 この後お酒の入る打ち上げあるらしいので、その場は解散になった。

その別れ際、廣井さんにあることを言われたけど、今は考えないようにしよう。

せっかくの楽しい気分が台無しになる。あれを考えるのは、家に帰ってからでも遅くない。

 

 ちょうど夕飯時だったから、僕達もそのままファミレスへ移動した。

こうして皆とご飯を食べるのも二回目だ。ちょっと恥ずかしいけど心が躍る。

 

 今は席に着いて、何を食べるか決めようとメニューを眺めている。

今日の座り方は奥から僕、ひとり、喜多さん。安全性を考慮した座り方だ。

真ん中のひとりが持つメニューを覗き込んで、喜多さんが楽しそうに迷っていた。

 

「こうして見てると全部美味しそうで迷っちゃう……後藤さんはもう決めた?」

「ご、ごめんなさい、まだ全然です。お兄ちゃんはどう?」

「僕も全然。自分で決めるのって久々だから、なんか困ってる」

「久々?」

 

 僕は舌が子供だから、ファミレスで出てくるものは大体美味しく食べられる。

だからこそ迷う。お腹も空いたしご飯系か、それとも王道のお肉、ハンバーグ系か。

喜多さんは僕が迷っている、というよりその発言に違和感があったようだ。

首をこてん、と傾げながらその部分を復唱している。だから僕はその疑問に答えた。

 

「普段はふたりが食べたいものを頼んでるから」

「ふたりちゃんがですか?」

「ほら、ハンバーグとオムライスどっちも食べたくても、一人じゃ難しいでしょ? だから僕がもう片方を注文して、両方食べられるように半分こしてるんだ」

「へぇ、お兄ちゃんしてますね」

 

 ふたりは賢い子だからそれを狙って、わざとらしくどうしようかなー、なんて呟いたりもする。

その様子もたまらなく可愛い。兄馬鹿なのは分かってるけど、つい甘やかしてしまう。

最近あまり父さんのことを言えなくなってきた気がする。気をつけないと。

 

「お兄ちゃん、ふたりのこと甘やかし過ぎ」

「ふたりが産まれる前はひとりとやってたよ」

「…………う゛」

「なんかいいですね、そういうの」

 

 というか振り返ってみると、僕は昔からひとりにも、妹達にずっと甘々だ。手遅れだった。

そのひとりは甘やかされた過去を思い出してダメージを受けていた。

喜多さんはそんな僕達を見て、何故か癒されたような雰囲気で微笑んでいた。

 

「あっ、まだ前のページ見てたのに」

「時間切れだよ。あとでまた見て」

 

 僕達側はこんな感じでどこか和やかな雰囲気だったけど、向こう側はそうでもなかった。

伊地知さんと山田さんはさっきからメニューの取り合いをしている。

その争いに負けた伊地知さんが、睨むように山田さんへ告げた。

 

「というかリョウ、お金持ってないから何も食べれないでしょ」

「……お腹空いた。誰かお金貸して」

「あっみんな駄目だよ甘やかしちゃ。自業自得なんだからたまには痛い目見ないと」

「へ、陛下、郁代……」

 

 山田さんが縋るように僕達を見るけれど、伊地知さんが釘を刺す。

せっかく借金が清算されたのだから、健全な関係を保つためにもお金を貸すつもりはなかった。

喜多さんが財布を取り出そうとしたけれど、その牽制に伊地知さんが指を立てて口を開く。

 

「喜多ちゃん、駄目バンドマンに引っかからない!」

「うぅ、でも」

「彼氏にしちゃいけない3Bっていうのがあって、ベーシスト・ベーシスト・ベーシストなの!」

 

 全部同じだ。どれだけベーシストは彼氏に向かないんだろう。

僕が疑問を挟む暇もなく、伊地知さんは僕達三人に向けて忠告を放った。

 

「ぼっちちゃんも喜多ちゃんも気をつけてね、ついでに後藤くんも!」

「僕は男だけど」

「後藤くん仲良くなると、凄い隙だらけだから」

 

 ため息交じりのその言葉に、ひとりと喜多さん二人にまで頷かれた。

僕ほど他人に対してガードの固い人はいないと思うけど、友達になると違うのかな。

これまでを振り返ってみると、確かにその節はあった。隙だらけというか、僕は好きな人に甘い。

 

「伊地知先生、質問があります」

「ん? なにかね、後藤くん」

 

 伊地知さんの言う通りに気をつけようとすると、一つ気になることがある。

その確認のため、僕は伊地知先生に向けて挙手をした。

 

「逆に彼女にしちゃいけない3Bとかってあるの?」

「それは知らないけど、彼女でもベーシストだけは絶対に駄目」

「そっか、ならそうする」

 

 彼女なんてものが出来るかどうか、今の僕には想像すら出来ない。

出来ないけど伊地知さんがここまで言うのだから、そのアドバイスには従おう。

僕達の会話を聞いて、元々空腹に震えていた山田さんが更に震えを大きくしていた。

 

「そ、そんな、陛下にこのままなし崩し的に養ってもらう計画が……!?」

「これが典型的な3Bだよ」

「なるほど」

 

 勉強になる。というか山田さん、そんな計画練ってたのか。

謎の計画が失敗に終わった彼女は、何を思ったのかひとりに語り掛けていた。

 

「……ぼっち、私のことお姉ちゃんって呼んでもいいよ」

「えっ、嫌です」

 

 即答だった。

 

 

 

 そんなことを話していると、料理が届き始めた。

喜多さんに伊地知さん、ひとり。それぞれ注文したものが次々と並べられる。

そして最後に僕がお願いした料理が、大きな存在感を放ちながら配膳された。

 

「うわっ、これは」

「なんというか、山ですね。先輩、写真撮ってもいいですか?」

「どうぞ」

 

 悩みに悩んで僕が注文したのは、キングサイズのハンバーグだった。

頼んだ理由は二つ。一つは一度実物を見て見たかったから。想像よりも大きい。

思わず喜多さんが写真に撮ってしまうほどだ。

 

「これは一人で食べきるのは難しいかも」

 

 そしてもう一つの理由は、さっき考えた通り、僕は好きな人に甘いと思う。

よくないことだと分かってはいるけれど、ついこんな風にしてしまう。

 

「山田さん、悪いけど手伝ってくれる?」

「!!」

 

 飢えて死に向かっていた山田さんの目が、輝きを取り戻した。

僕のお願いに無言で何度も首を縦に振る。かつてない勢いだ。

 

「これくらい食べられるかな?」

 

 三分の一ほどを山田さんに分ける。物欲しそうな目だったからご飯や付け合わせも乗せた。

お皿に乗せられたそれらを見て、山田さんは感極まったように掲げた。

ご飯をあげるといつもこのポーズをしている気がする。何かの習性なのかもしれない。

 

「後藤くん」

「これは僕が手伝ってもらってるから、ね」

 

 苦しい言い訳染みた、というよりそのまま言い訳だ。伊地知さんに通じるはずもない。

彼女は呆れたまなざしを僕に向けていたけれど、ため息でそれを流して山田さんに注意する。

 

「リョウはちゃんと後藤くんにお礼しなきゃダメだよ?」

「もちろん。ご命令をいただければ、命に代えても何でもします」

 

 なんでも、と喜多さんが噛み締めるように復唱した。なんだか怖い。気にしないでおこう。

山田さんに命令したいこと、してほしいこと。特に思い浮かばない。

強いて言うならこれからも仲良くしてほしい、くらいかな。

でもこれは命令とかお願いとか、そういうことをしてはいけないものだと思う。

 

「……ギターの目立つおすすめの曲とか、今度教えてほしいな」

「それくらいならいくらでも。今度CDたくさん持ってくる」

 

 少し考えてこういう結論になった。山田さんに頼るなら音楽関係がきっと一番だ。

彼女がドヤ顔で返事をするのを見て、僕はその判断に自信を持った。

 

「結構細かい指定ですね」

「僕もひとりも流行りの曲は大体知ってるけど、それ以外がね」

 

 僕達は二人ともぼっちだったから、あらゆることへのアンテナが低い。

曲についても調べてすぐ出るようなものはともかく、それ以上となると知る機会も無い。

その点音楽に造詣が深い山田さんなら、マイナーだけどいい曲もたくさん知ってると思う。

 

 

 皆がご飯を食べ終えて人心地ついた頃、山田さんがテーブル脇のペンを取りだした。

 

「お腹いっぱいになったところで、セトリを決めよう」

 

 こうしてライブ後ファミレスに来たのは、ご飯を食べるためだけじゃない。

ライブの熱が冷めないままに、文化祭のセトリを決めるためだ。

ここからはバンドとしての真面目な話だ、部外者の僕は黙っていよう。

そんなことを考えていると、ちょいちょいと山田さんに手招きされていた。

 

「陛下、ちょっとこっち来て」

 

 言われた通りにすると、突然ヘッドホンを着けられた。いい音だけど音量が大きい。

何か意図があってのことだとは思うけど、今の僕にはさっぱり思いつかない。

だから一度ヘッドホンを外して尋ねると、山田さんはうきうきと答えてくれた。

 

「セトリは当日までのお楽しみ。サプライズだから聞いちゃ駄目」

 

 そんなことを言われてしまうと、ヘッドホンを着けざるを得なくなる。

サプライズ、これも初めての経験だ。だとしたらあまり皆の観察や推測もしない方がいいかも。

せっかく隠してくれているのに、事前に分かってしまうのは興ざめだろう。

 

『一つだけ言ってもいい?』

「なになに、もしかしてリクエストとか?」

 

 皆とは仲良くさせてもらっているけれど、僕は結束バンドの一員じゃない。

それは分かってるけど、どうしても一つだけアドバイスというか、言っておきたいことがあった。

ヘッドホンをつけていると上手く話せているか分からないから、紙に書いて意見を述べた。

 

『MCで漫才はしない方がいいと思う』

「やかましいわ!」

 

 僕の意見に山田さんだけは深く深く頷いてくれていた。

 

 

 

 僕が山田さんのヘッドホンで音楽を聴いている間に、無事セトリは決定したらしい。

皆の満足した様子と、期待と不安を抱えたひとりからすると、じゃない。

推測も予測もしない。さっき自分で決めたことを忘れていた。僕はただ楽しみにしていればいい。

 

 ご飯を食べて、やるべきこともやったから僕達も解散した。

歩いて帰る伊地知さんと山田さん、駅まで一緒の僕とひとりと喜多さんに別れる。

 

 ひとりの足取りは軽い。思い返すと、今日はたくさんひとりに嬉しいことがあった。

廣井さんのライブに行けたこと、励ましをもらったこと、皆でご飯に行ったこと。

これ以上は考えないけれど、セトリにもきっと喜ぶような何かがあったんだろう。

それが歩き方にも表れている。街中なのにちゃんと前を向いていた。

 

 そんなひとりとは対照的に、喜多さんにはどこか陰りがあった。

取り繕ってはいるけれど、普段が普段だからとても分かりやすい。心当たりはある。

彼女はこの間から、ひとりが文化祭ライブについて苦しんでいることに悩んでいた。

最終的に文化祭ライブの申請をしたのは彼女だ。今もその責任を感じているのかもしれない。

 

 ファミレスを出てしばらくしてから、喜多さんは何度も何かを口にしようとしては止めていた。

その度にちらちらとひとりを見ているから、ひとりに何か話したいことがあるようだ。

こうなると、多分僕はお邪魔虫だ。僕がいても話しにくくなるだけだろう。

 

「ちょっと用事を思い出したから、先に駅まで行ってるね」

「え? 一緒に行ってからでもいいんじゃ」

「ちょっとしたことだから気にしないで、二人はゆっくり来て」

 

 だから二人にこう告げた。ひとりは不思議そうにしていたけれど当然だ。

本当は用事なんてない。誤魔化すように言い切って、僕は足早にその場を立ち去ろうとした。

そうだ、その前に喜多さんに一声かけておこう。彼女なら大丈夫だとは思うけど、念のためだ。

 

「喜多さん、ゆっくりでいいからね」

「……!」

 

 僕が喜多さんだけにそう言ったことで、ひとりはますます不思議そうにしていた。

今日のひとりは楽しくて浮かれているから、まったく僕の意図が読めないらしい。

喜多さんは一度大きな目を見開いて、そのまま黙って一礼した。これで大丈夫。

もうここで僕がやるべきことは何もない。二人に一度別れを告げて駅の方へ向かう。

 

「あ、あのっ、後藤さん!」

「あっはい、な、なんですか?」

 

 歩き始めて少しして、背後からそんな声がした。だから僕は安心して足を進められた。

 

 

 

 図らずも一人になった。家に帰ってからゆっくりと考えようと思ったけど、いい機会だ。

ひとりと喜多さんが話をしている間、僕も考えるべきことをまとめよう。

別れ際にかけられた、廣井さんの言葉を思い出す。

 

「私の見てさ、君もバンドやりたくならなかった?」

「なりませんけど、どうしたんですか? この間からよく誘ってくれますよね?」

「だって君のあれ、いい音楽になると思うんだ。あれなら絶対上を目指せるよ」

 

 廣井さんは明るく、楽しそうに話していた。それを聞くこっちはとてもそんな気分になれない。

あれ。誰にも話したことのない僕の気持ちを、彼女はまるで分かっているように話す。

気づいているのか、適当に言ってるのか。良くも悪くも廣井さんだから判断がつかない。

後者だと無理にでも楽観して、僕は誤魔化そうと試みた。

 

「……あれって、何のことですか?」

「誤魔化さなくていいよ」

 

 彼女はいつかの、あの路上ライブの日のような、何もかも見透かすような目で僕を見ていた。

違う。見透かすような、じゃない。この目は、口ぶりは、完全に見抜かれている。

なんで。どうして。僕の驚きを置き去りにして、廣井さんは答えを口にした。

 

「君、他人のこと嫌いなんでしょ?」

 




感想評価お願いします。

あと五話くらいで一旦終わります。

次回のあらすじ
「初日」


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第三十七話「文化祭の始まり」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「廣井さんときくりちゃんが大活躍した」

今回アンケートを出してみたので、興味があればお答えください。


 秀華高校の文化祭が近づいて、僕はある問題に直面していた。

すなわち、どうやって被害者を出さずに文化祭に潜り込めばいいか、という話だ。

思い出したくもない、あの忌々しい女装した日の記憶からして、秀華高校は普通の大きさだ。

あそこの文化祭はとても盛り上がるそうだから、廊下なんかは凄い人混みになるだろう。

そんな中、僕が無策に行けばどうなるかなんて想像の余地もない。明日の朝刊を飾る。

 

 一番の対策は、もちろん行かない、ということだというのは僕も理解している。

ただ、これはこれでリスクがある。次の日のライブがどうなるか、まったく読めなくなる。

ライブについては何があっても行くつもりだから、前日試さなければぶっつけ本番だ。

 

 仮にライブ当日に誰かを気絶させたら最悪だ。そのままライブ全体が中止になる可能性もある。

その点初日に失敗しても、被害者には悪いけど文化祭全体への影響はあまりないはず。

だからこそ試運転と称して、僕は文化祭一日目にもどうにかして参加したいと考えている。

 

 一応既に作戦というか、解決策は思いついている。

だけどこれは僕一人ではどうしようも出来ない。皆の協力がいる。

ライブ直前にお願いなんかして大丈夫なのかな。でも、言ってみないと何も分からない。

だから駄目で元々、とりあえず伊地知さんと山田さんに話してみることにした。

 

「文化祭に行きたい」

 

 昼休み、出し抜けにそう言った僕を、伊地知さんと山田さんは不思議そうに見ていた。

焦り過ぎた、何も伝わっていない。我ながら唐突すぎる、もっと言葉を足さないと。

 

「ひとり達の、秀華高校の文化祭に、なんとかして僕も行きたい」

 

 そこまで言って山田さんは理解したようだ。なるほど、と一言零す。

対照的に伊地知さんはまだ不思議そうだ。行けばいいじゃん、とでも言いたげな顔をしている。

 

「行けばいいじゃん」

 

 実際言われた。咥え箸なんかして凄い適当な表情だ。行儀悪いよ。

僕が何でそんなことを言ったのか、まるで理解出来ていない様子だった。

思わず山田さんと顔を見合わせる。まさか僕達が伊地知さんにツッコむ側に回るなんて。

 

「虹夏、陛下は魔王だよ」

「あー、そういえば」

 

 天気の話でもするぐらい、適当で軽い返事だった。

魔王として重々しく扱われたいとはまったく思ってないけれど、それはそれとして引っかかる。

なんとなく微妙な気持ちになる。伊地知さんを見る目にも同じ気持ちが乗る。

僕の様子が変わっても、相変わらず彼女は適当なままだった。

 

「後藤くんの魔王っぽいところ、最近あんまり見てないし」

「今日も生徒にも先生にも避けられてるけど」

「お姉ちゃんも結構街中で避けられてるよ、特に小さい子とか」

 

 僕が言えた話じゃないけど、店長さんも怖がられるタイプの人だ。

見た目は派手な方だし目つきも悪い。それに口調も荒くて態度は乱暴なところがある。

だけど中身はとても優しくていい人だ。誤解されるのは、なんだかもったいなく感じる。

 

「魔王というよりも、なんだろ」

 

 咥えた箸をぷらぷらとさせながら伊地知さんは考え始めた。危ないしそろそろ注意しようかな。

それはそれとして魔王以外の印象か。鬼か悪魔、もしくは悪鬼とかだろうか。

魔王呼びが定着する前は、そんな呼び方もされていたような気がする。

だけど伊地知さんが思いついたのは、僕の想定から斜め上に飛んだものだった。

 

「そうだ! 大型犬に見える時のが多いかも」

 

 犬。

 

「陛下、大変だよ。アイデンティティが崩壊しかけてる」

「魔王は僕のアイデンティティじゃないよ?」

 

 十数年呼ばれ続けて来たから、魔王って呼ばれ方に変な愛着はある。

あるけれど、たとえ今日から魔王呼ばわりされなくなっても僕は困らない。むしろ助かる。

僕の返事に山田さんは、分かってないとでも言いたげに首を何度も横に振った。

 

「違うよ。陛下のじゃなくて私の」

「は? なんでリョウのが?」

「魔王軍大幹部という私のアイデンティティが、今無くなりかけている」

「それどうでもよくない?」

 

 僕もどうでもいいと思うけど、山田さんは真顔だ。まさか本気で言ってるのかな。

確かめるために顔を覗くと、真剣な眼差しが返ってきた。これは本気だ。

重ねて僕はどうでもいいけど、山田さんが求めるなら応えてあげたい。

 

「私が私であるために、陛下には今すぐ虹夏を驚かせてもらわないと」

「分かった。なんとかしてみる」

「なんだこいつら」

 

 だけど驚かせるといっても、実際どういうことをすればいいんだろう。

大抵の人は目が合うだけで意識が飛ぶほど驚いてくれるから、意識してやったことがない。

絶対に効果は無いだろうけど他に思いつかないし、一応目を合わせてみよう。

もしかしたら今の伊地知さん相手にも、小さじ程度には恐怖を与えられるかもしれない。

 

「……」

「……なに?」

「……」

「……」

「……」

「……あんまり見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

 ずっと見つめていると、少し頬を赤くした伊地知さんに顔を逸らされてしまった。

間違いなく恐怖じゃない、羞恥だ。絶対に違うとは思うけど、山田さんに判定を求めた。

 

「山田さん、これは?」

「ノー魔王」

 

 ノー魔王らしい。ノー魔王ってなんだ? とりあえず失格だということは分かった。

目が合っても見つめても、伊地知さんは恐怖を覚えてくれない。なら僕はどうすればいいのか。

考えよう、何かないかな。考えて考えて、苦し紛れに僕は適当な声を出した。

 

「………………が、がおー?」

「そういうところだよね」

 

 視界の隅で山田が崩れ落ちた。判定不要のノー魔王のようだ。

さようなら魔王軍大幹部山田さん。これからは自分の力で大魔王を目指してほしい。

机に伏せる山田さんを放置して、僕と伊地知さんで文化祭についての話を進めた。

 

「この間の新宿は、確か大丈夫だったよね」

「あの時は特殊な状況だったし、廣井さん達の力もあったから」

「それじゃあ、江ノ島の時みたいに変装すればいいんじゃないの?」

「あれだけだと、僕の魔王感が封じきれないんだ」

「今更だけど魔王感って何?」

 

 僕にも分からない。今日も僕はゴトーンと、元気に魔王をやっている。

十数年解明されていない謎の現象だ。もう解くことは諦めた。

だから別にいいとして、僕の生態について説明を続けよう。

 

「最近分かったんだけど、変装した上で友達といればある程度平気みたい」

「へー、不思議だね。よく分かんないけど、それなら大丈夫でしょ」

「えっ、どうして?」

「ん? だから大丈夫でしょ?」

「???」

「???」

「なんだこいつら」

 

 お互いに不思議そうにする僕達を見て、復活した山田さんが冷静にツッコんだ。

聞いたところ、伊地知さんとしては当然のように僕も一緒に行く予定だったらしい。嬉しい。

そういう訳で、僕の心配は杞憂でしかなかった。

 

 

 

 そして秀華高校文化祭、秀華祭の開催日をとうとう迎えた。

ひとりを送り届けた後、伊地知さんと山田さんとの待ち合わせ場所へ移動する。

合流した二人は、辺りの飾りつけや生徒を楽しそうに眺めていた。

 

「おー、凄い賑やかだね。これぞ文化祭って感じ」

「郁代みたいな子がたくさんいる」

 

 ついこの間あった下北沢高校の文化祭は、言葉を選べば地味だった。

それと比較にならないほどこの秀華祭は華やかだ。空間全てで祭りということを主張している。

入口で受け取ったガイドブックを二人は読んで、どこに行こうかなんて話している。

僕も混ざりたいけど、その前にやらなくてはいけないことがある。そのことを二人に告げた。

 

「まずはひとりを回収しに行こう」

「?」

 

 校舎裏のゴミ捨て場。ジメジメとしていて薄暗く人通りも少ない、というよりも皆無だ。

文化祭の喧騒がどこか遠くに聞こえ、静けさに満ちている。華やかな今日には似合わない空間だ。

そんな場所に、これまた雰囲気にそぐわないメイド服姿の女の子がぼんやりと座っていた。

ひとりだ。予想通りここにいた。座って何やら携帯を弄っている。どう見てもサボりだ。

その姿を見て、普通の注意じゃ足りない気がしてきた。ちょっと悪戯してみよう。

 

「後藤さん、サボりはいけませんよ」

「ぅっうえぇあ!? す、すみません、すみません!!?」

 

 悪い子にそう注意すると、飛び上がって驚かれた。死なないだけ平気な方だ。

ひとりは夢中で何度も頭を下げていたけれど、途中でやっとそれが僕だと気づいたらしい。

頭を止めて瞬きを繰り返しながら、僕の事を見上げた。

 

「お、お兄ちゃん?」

「うん。さっきぶり」

 

 声をかけたのが僕だと分かって、ひとりは安心したように頬を緩めた。

と思ったら今度は少しずつ不満が顔に表れ始めた。さっきのが悪戯半分だったのがバレたようだ。

 

「あっほんとにいた」

「魔王センサーは地獄耳」

「に、虹夏ちゃんにリョウさん!?」

 

 その不満も伊地知さんと山田さんに声をかけられたことでどこかへ消えた。

興味深そうにじろじろと見る二人に、ひとりは慌てふためいている。

そんな三人を見ていると僕の携帯が着信を告げる。喜多さんからだ。電話だから急ぎの用事かな。

出るとすぐ、喜多さんの慌てた声が耳に届く。

 

「もしもし、喜多さん?」

「あっ、後藤先輩! 大変なんです、実は後藤さんがいなくなっちゃって」

「捕まえたよ」

「早っ!? えっ、今どこですか?」

 

 場所を告げると、今行きますの一言と同時に電話が切られた。

そして駆けつけてきた彼女は、集まっていた僕達を見て目を瞬かせていた。

電話をしてから数分も経っていない、彼女も十分早い。

 

「それにしても後藤先輩、よく後藤さんが逃げたって先読み出来ましたね!」

「お兄ちゃんだから」

「というか、よく逃げた先も分かりましたね!」

「お兄ちゃんだから」

「それで全部押し通そうとしてます?」

 

 細かい根拠はたくさんあるけれど、説明していては切りがない。また後日だ。

今重要なのは、逃亡したひとりを保護したということと、これから護送するということ。

再逃亡を防ぐためにも喜多さんに手を繋いでもらい、僕はひとりに促した。

 

「じゃあひとり、そろそろ戻ろうか」

「うっ、うぅ、も、もう少しここにいちゃだめ?」

「駄目。きっとクラスメイトも心配してるよ」

 

 本当に嫌そうだから僕だってもっと時間をあげたい。だけどそれはいけない。

ひとりのことだから、多分トイレか何かを言い訳にして逃亡したはず。

信じて心配されても、サボりだとバレても、どっちも今後の学校生活に差し支えるだろう。

 

 クラスに友達を作るのはもう諦めているけれど、これはまた別の話だ。

平和に穏やかに学校へ行くためにも、与えられた役割は果たすべき。

そんなことを言ってひとりを説得していると、ようやく折れてくれた。

 

 折れてはくれたけど、ひとりの気は重そうだ。

喜多さんに手を引かれながらふらふらとしていて、まるで幽鬼かなにかのようだった。

そんな有様のひとりを見たからか、それとも単純に自分の興味のためか。

伊地知さんがガイドブックを片手に、出し物を指差しながら提案した。

 

「ここ気になるなぁ、ちょっと寄ってもいいかな?」

「……教室に戻る間にあるなら」

 

 伊地知さんの温情を受けて宣言通り、教室に戻るまで僕達は文化祭の出し物を見て回った。

お化け屋敷やらクレープやら射的やら、十分過ぎるほどだ。

ちなみにお化け屋敷については、僕は一歩も入っていない。教室の外でずっと待っていた。

怖いからじゃない。逆だ。僕が怖がらせてキャストが全滅するからだ。制圧してしまう。

 

 こうして皆で文化祭を満喫しているうちに、ひとりの心も回復してきたみたいだ。

ゴミ捨て場にいた時は青白かった顔に少し赤みがついてきた。友達と一緒で楽しいんだろう。

こうして遊んでいればどんどん働く時間が減っていく、というのも大きな理由だろうけど。

このままサボるのはひとりにもよくないから、いい加減クラスまで連行して行った。

 

 

 

 クラスメイトは戻ってきたひとりを暖かく迎えてくれた。

逃亡したひとりを責めるどころか、むしろ体調を心配してくれている。

そのせいで、いやおかげで罪悪感が刺激されて、仕事をするとひとりは自分で言った。

仕事、接客が無理だと思われたのか、ひとりは教室前で看板を持つ宣伝係に任命された。

 

「お、お兄ちゃん、一緒に立って」

 

 なんてお願いもされたけど、そのお願いは聞き入れられない。

近頃父さんのことを言えないぐらい妹達に甘くなっている気がしたからだ。一度引き締めないと。

それにこれはひとりの学校の、ひとりのクラスの出し物だ。僕は部外者、手伝えない。

そもそも僕が一緒に立っても宣伝にならない。増えるのは客じゃなくて死者だ。

 

 そうして一人で宣伝をすることになったひとりは、人混みにやられてまもなく気絶した。

心配だけど目の届くところにいるし、すぐに目が覚めるだろうからそのまま放置している。

ここで裏に控えさせると、これ幸いとこの後仕事を全てやらなくなるだろう。

 

 そんなひとりを横目で見守りつつ、僕は皆と一緒の席に案内されていた。

帽子にサングラスという不審者そのものの僕を見て、当初ひとりのクラスメイトには警戒された。

だけどすぐに喜多さんが色々と話してくれたおかげで、今は多分なんとか溶け込めている、はず。

流石喜多さんだ。何て言ったのか分からないけど、こんなスムーズに入れるとは思わなかった。

 

 喜多さんのおかげで一息つけた。おかげで教室内を、店内を見渡す余裕も出来た。

皆楽しそうで何よりだけど、その中で一つだけ気になる物を発見した。机の上のメニューだ。

書いてある言葉が分からない。日本語のようで日本語じゃない。なんだろうこれ。

 

「喜多さん、このメニュー日本語じゃないよ」

「日本語ですよ?」

「この、ふわぴゅあ、なんとかが?」

「はい、可愛いですよね!」

 

 他にもゆめかわとかやみかわとか意味の分からない言葉がつらつらと並べてある。

料理についてるのだから、何か食材や調理の仕方の名前なのかな。どれも聞いたことがない。

ユニコーンとオムライスってどういう繋がり? あれ卵生なの? 

訳も分からず僕がメニューと格闘していると、山田さんが何か面白いものを見つけたようだ。

 

「おぉ、世紀末的風貌の輩がいる」

「そんな人いるわけ」

 

 山田さんの視線の先、廊下には個性的な格好をした大男二人組が立っていた。

袖の無い学ラン、サングラスに下駄。そしてモヒカンに弁髪。服装も髪型も初めて見た。

伊地知さんは現実逃避でもするように、二度見三度見、四度見までしている。

 

「本当にいた!?」

「ああいう恰好のことを世紀末的風貌って言うの? 不良とかヤンキーとは違うのかな」

「えっと、ファッションだけじゃなくて、どこから説明すればいいか」

 

 ファッションには詳しくないけど、面白いジャンル名もあるんだな、と感心してしまった。

呑気に水を飲んで見学している僕の肩を、伊地知さんは全力で揺らしていた。

 

「じゃなくて! 後藤くん助けに行かなくていいの!?」

「そうですよ! だってあれ、世紀末ですよ!?」

「あの人達まだ何もしてないよ」

 

 確かに威圧的な風貌だけど、それだけだ。暴れまわっている訳でもない。

それに見た目の怪しさについては今日の、というより僕に何かを言う資格はいつも無い。

だからとりあえず静観していると、彼らはひとりに近付き始めた。あと一メートル。

 

「お嬢ちゃん、こんなところで看板持ってるくらいなら、俺らと遊ばなぁい?」

「ほ、ほら先輩、ナンパ、後藤さん思いっきりナンパされてますよ!!」

「本当だ。ひとりに声をかけるなんて見る目あるね」

「感心してる!?」

 

 ひとりはとてもとても可愛いけれど、その魅力は初見の人には分かりづらいところがある。

そこを見抜いたのなら中々だ。でもその距離感はいただけないな。あと三十センチ。

何があってもいいように入口を眺めていると、世紀末の彼らの様子が急に変わった。

ここからは見えないけど、ひとりが何かしたのかな。

 

「なっ、こ、こいつ、俺達のガン飛ばしにビクともしてねぇ!?」

「なんだこの液体は!? く、口から何か出てやがる!?」

「そ、それに、さっきから感じるこの悪寒はいったい、い、いやだ、まだ死にたくない!!」

 

 彼らは何かを恐ろしいものを見た、感じたように怯え切り、謝罪を叫びながら土下座した。

誰も傷つかない平和的解決だ。引き際をわきまえている人達でよかった。

あと一歩ひとりに近付いていたらどうしようかなと思っていた。

 

 縮こまった彼らが大人しく案内されて、僕達の横を通り過ぎる。何度見ても個性的な恰好だ。

思わずまじまじと見てしまう。それを感じたのか、彼らは僕へと視線をぶつけ返してきた。

そんなことをすれば当然だけど目と目が合う。そのまま凍り付いたように固まってしまった。

 

 彼らが動かなくなったことで、案内していた子も困ったように立ち止まる。

こうなったのは間違いなく僕が原因だ。僕が好奇心で彼らを眺め、目が合ってしまったから。

だから今回も僕がなんとかしよう。とりあえず声をかけてみる。救命作業でも声掛けは大切だ。

 

「あの子、僕の妹です」

「えっ」

 

 会話で大事なのは共通の話題。彼らについて分かるのは、世紀末とひとりに興味があること。

世紀末はさっぱりだからひとりのことを話してみた。パッとしないけど反応はもらえた。

今の目的は彼らの気付けだ。このまま何か反応を引き出そう。

 

「さっき、あの子に声をかけていましたね」

「す、すいま」

 

 実際のところ、僕は彼らに悪感情はそんなに持っていない。

彼らはひとりに声をかけていた。それはつまり、ひとりに魅力を見出したとも言える。

いい目をしている。それに考えてみると、ひとりがナンパなんてされたのは初めてかもしれない。

そうなると彼らはある意味記念すべき人達だ。見た目的にも覚えておく価値がある気がする。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

「あっな、なら」

「あなた達のことは、よく覚えておきますので」

「……ひぃっ」

 

 そう言うと弾けるように、逃げるように彼らは案内された席に着いた。

まるで何かを忘れるために、一心不乱にメニューを読んでいる。僕のことだろうね。

どこが琴線に触れたのか分からないけど、恐ろしいところがあったんだろう。

 

 どうでもいいか。大切なのは解決したこと。案内の子も怯えながら僕にお礼を言ってくれた。

 

「穏便に解決してよかったね」

 

 そう言って皆の方へ振り返ると、例のごとく伊地知さんと喜多さんに引かれていた。

山田さんだけは何故か嬉しそうに、いいものを見たとでも言いたげに、ほくほくとしていた。

どっちもよく見る、つまりいつも通りの反応だ。もう慣れた。

 

「……後藤くん、やっぱり魔王だよ」

「あれ?」

 

 伊地知さんの中で僕が大型犬から再び魔王にランクアップ、ダウン? したらしい。不思議だ。

 




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次回のあらすじ
「冥土」


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第三十八話「冥土行きメイド喫茶」

感想評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「ぼっち学第一人者による研究成果」

前回はアンケートにご協力いただきありがとうございました。
最終話で名前が出ることになりました。


 僕が犬か魔王か、そんなことはどうでもいい。

こうして席に着いているのに、話すだけで注文もしないのは迷惑になるだろう。

三人とも注文のことなんて忘れているみたいだし、僕からやっておこう。

 

「ひとりー、注文いいー?」

「はっ。うん、待ってて」

 

 安全の都合上、僕がお願いできるのはひとりだけだ。

そのためわざわざ入り口のあの子に呼びかけると、それで目が覚めたらしい。

持っていた看板をその場に置いて、とことこと僕らの元まで歩いてくる。

 

「……」

「……」

「……」

 

 ようやく僕に引くのをやめた皆が、何故かその様子を真剣に見ている。

あまりにも熱を感じるものだったから、ひとりはそのまま僕の後ろまで移動した。

そしてしゃがんで僕の背後に隠れながら、顔だけ出して怯えている。

 

「ぼっちちゃんって、改めて見ると可愛いよね」

「えぇ、とても。……そういえば、後藤さんだけなんだか服が違いますよね」

 

 喜多さんの言う通り、ひとりだけ他の子とは違うデザインのものを着ている。

長袖にロングスカートで全体的に飾り気がない。クラシカルな雰囲気がある。

何度見ても可愛い。ひとりにはこっちの控えめな、大人っぽい清楚な方が似合っていると思う。

僕の感想は置いておいて、一人だけそんな物を着てるから皆も不思議に思ったらしい。

 

「あっ、さ、サイズが合わなくて、変えてもらいました」

 

 サイズが合わないというのは、実はデザインを変えてもらうための方便に過ぎない。

はっきり言って、最初の服はちょっと露出が多かった。胸元は開いてるしスカートは短い。

普段のジャージ姿から分かるように、ひとりはそういう恰好は苦手だ。

あんな服を着ていれば、ただでさえ苦手な接客が余計に出来なくなるに違いない。

だから一緒に台本を考えて、担当者と話してなんとか今の服にしてもらった。

 

「……なるほど、サイズ」

「サイズ、ね」

 

 ひとりの言葉を聞いて、喜多さんと伊地知さんの視線の種類が変わったような気がする。

夏休み前の僕であれば、どんなものになったのかきっと判断できなかっただろう。

だけど僕は成長した。二人が抱えている感情も今なら容易に把握できている、と思う。

 

「いきなり嫉妬なんかしてどうしたの? 急に怖くなってるよ」

「シットシテナイヨ?」

「コワクナイデスヨ?」

 

 違うらしいけど変に片言だ。でもこれ以上触れない。きっとそっちの方がいい。

僕は成長したから分かる。これは藪蛇、地雷だ。何も言わずにそっとしておこう。

二人はそんなだったけど、山田さんの目は一貫していた。お金の目だ。

 

「今度ぼっちの水着でMVを作ろう」

「山田さん、怒らないからもう一回言ってくれるかな」

「……殺す前に一度話を聞いてほしい」

 

 あんまりふざけたことを言うから、つい耳を疑ってしまった。

恥ずかしがり屋のひとりに水着なんて着させて、その姿を全世界に晒上げる。

そんなことをすれば間違いなくあの子は引きこもりになるだろう。それは許されない。

 

「今はバンドも動画サイトの再生回数が正義。ここはぼっちにひと肌脱いでもらいたい」

「そういう方向は駄目。後藤家が許しません。NGです」

 

 ひとりは、ギターヒーローは小細工抜きでも百万を超える再生数を誇っている。

というか再生数なんてどうでもいい。妹のそんな恰好をネットになんてあげられない。

もし山田さんが本気で言っているなら、僕は彼女にトラウマを刻まなければいけなくなる。

お互いのためにもどうか冗談であってほしい。そもそも、あえてひとりがやる必要はないと思う。

 

「それにビジュアル方面で売りたいなら、山田さんが自分でやればいいでしょ」

 

 喜多さんをはじめとして、山田さんが男女問わず人気があることは僕でも知っている。

そんな彼女が水着でもなんでも、とにかくビジュアル方面に走ればいくらでも反響はあるはず。

そう思っての発言だったのだけれど、誰一人としてその意味を理解して無さそうだった。

そこまで分かりにくいことを言ったかな。もっと嚙み砕いてみよう。

 

「山田さんも美人さんなんだから、自分でやりなよってこと」

 

 そう言うと、同級生二人がありえないものを見る目に変わった。

そんな顔をされるような、そこまで変なことを言ったとは思えない。

代表して伊地知さんが、僕にそのありえないを確認してきた。

 

「えっそんなまさか、後藤くんにもそういうのって分かるの!?」

「僕はなんなの?」

 

 一応僕にも美醜の感覚くらいはある。そこにどうこう、というのを感じたことが無いだけだ。

そういうのだってきっと、もう少し大人になれば芽生えてくるはず。もう十七歳だけど。

仮にこのままでも、きっと後藤家の血はふたりが繋いでくれる。僕もひとりもそう信じている。

 

 僕が美人さんと言ったからか、山田さんは鼻高々になっていた。

彼女でも容姿を褒められると嬉しくなるらしい。分かりにくいけど少しご機嫌だ。

 

「ふっ、魔王に見初められた私…………陛下、いつでも一生養ってくれていいよ」

「それはちょっと」

「秒で振られた」

 

 鼻は一瞬で折れた。というか意図せず僕がへし折った。

面白いし高いままでもよかったけれど、彼女の誘いを断ったら一緒に折れていた。

山田さんのことは好きだけど、一生養うとなると友達とは違う関係になってしまう。

 

「ベーシストは駄目だって、伊地知さんこの間言ってたし」

「おっ後藤くんよく覚えてたね、偉いよー」

「……もしかして、これって犬扱い?」

「犬?」

 

 伊地知さんはギリギリ触れない程度の位置で、僕の頭を撫でるような仕草をしていた。

口にはしないけど、さっき魔王とか言ってたのにこれはどうかと思う。

そして呼んだのに注文もせず遊んでばかりいたから、とうとうひとりがじれてしまった。

 

「あっ、何か注文してください!」

「ごめんごめん」

 

 ひとりの一声に改めてメニューを確認する。謎の言語付きオムライスしかない。

喜多さん曰く日本語らしいけど、僕にはそうは思えない。意味不明だ。

このままだと頼めないから、これらが何なのかひとりに教えてもらおう。

 

「ひとり、このゆめ、かわとか、何? どういうオムライスなの?」

「全部普通のオムライス、全部一緒だよ。全部冷食」

 

 メイド服で全部予算を使ってしまい、名前でかさ増ししているだけらしい。

ただ、綺麗にオムライスを作るのって意外と大変だ。それも大量にとなると出来る人は少ない。

衛生面のこともあるし、何もなくても最終的には冷食になっていたと思う。

 

「あと、この美味しくなる呪文って何? תבקש משאלהとか?」

「なんて?」

「願いを叶えたまえー、みたいな」

「今日魔王アピール激しいね」

 

 メイド喫茶は隠語で、実態は冥途喫茶なのかと一瞬思ってしまった。

僕の馬鹿な勘違いを伊地知さんが訂正しながら教えてくれた。

 

「そうじゃなくて、おいしくなーれ、みたいなおまじないだよ」

「おいしくなーれ……?」

 

 おまじない自体は分かるけど、あれって小さい子のためにやるものじゃないのかな。

痛いの痛いのとんでけー、とかそういうやつ。今もふたりにはたまにやっている。

ぴんと来てない僕を見て、何かを思いついた伊地知さんはとても悪そうな顔をした。

 

「それじゃあメイドさん。この人に美味しくなる呪文、教えてあげてくださ~い!」

「えっ」

「お客様は魔王様だよ。早くして」

「楽しんでますね……」

 

 ニヤニヤと笑う伊地知さんと山田さんはとても楽しそうだ。

かくいう僕も、どんなことをしてもらえるのかちょっとわくわくしている。

ひとりは慌てながら、喜多さんは呆れながら、僕達悪い先輩のことを見ていた。

 

「あっふわふわぴゅあぴゅあみらくるきゅん、オムライス美味しくなれ……へっ」

 

 先輩達に無茶ぶりされて、ひとりなりに頑張っていた。

一生懸命歪な笑顔とハートを作り、なんとかおまじないをしようとしていた。とても可愛い。

なんかべちゃって音がしたし、おまじないより呪い感が強いけど、その努力は評価したい。

 

 なにはともあれ、まずは実食だ。おまじないが本当に効いたか試そう。

とりあえず一口味わって食べる。少し考えてもう二口三口、続けて食べてみる。

 

「……なるほど、これがおまじないの効果、すごいね」

「何も分かってないですよね?」

「だって味変わってないよ」

 

 何の変哲もない冷食の味だ。際立って美味しくも、不味くも無い普通の味。

僕はそう感じたけれど、対面の山田さんと伊地知さんは極めて微妙な顔をしていた。

 

「さっきよりパサついてる気がする」

「気のせいだって。味覚も料理も科学だよ」

「夢も希望も無い」

 

 気分や体調によって味覚は変わるけど、それにしたって限度はある。

この一瞬でそこまで変わるのなら、おまじないじゃなくて何か盛られたことを疑った方がいい。

ひとりのおまじない付きオムライスを黙々と食べ進めていると、急に喜多さんがやる気を出した。

 

「駄目よ後藤さん! それじゃ愛情がちっとも伝わらないわ!!」

「あっはい。す、すみません」

 

 喜多さんはおまじないに一家言あるようだ。師匠かなにかのようにひとりを叱り飛ばしている。

 

「いい? 今から私が、本当の美味しくなる呪文を見せてあげるね!!」

 

 彼女が立ち上がり片手を上げると、どこからかキターンという音が響き始めた。

同時に未だ光源の分からない光も放たれた。今日も喜多さんは物理法則を無視している。

喜多さんオンステージだ。そうして彼女はノリノリで呪文を唱え始めた。

 

「ふわふわ~ぴゅあぴゅあ~、みらくるきゅんッ☆ オムライスさんっ、おいしくなぁ~れっ♡」

 

 ひとりと違ってどこまでも明るいものだった。追加した身振り手振りにもキレがある。

何よりも恥じらいが無い。笑顔、おまじない、ポーズ、全てに自信が満ち溢れている。

この感じ、どこかで見たことがあるような。テレビか何かだったかな。

 

「ケチャップの程よい酸味とソースの甘さが溶け合い、温かな家庭を感じる味に変わったっ!?」

「んまっんまっ」

 

 物思いにふける僕はともかく、二人には呪文が効いたようだ。

さっきまでのしけった顔が嘘のように、オムライスを美味しそうに頬張っている。

喜多さんは僕にもそうなってほしいみたい。期待を全面に出してきらきらと僕を見ている。

それを裏切って申し訳ないけれど、僕には多分あんな反応は出来ないだろう。

だからせめて、おまじないの感想だけでも伝えておこう。ちょうど思い出した。

 

「喜多さんのおまじない、教育番組のお姉さんみたいだったね」

「予想外の感想!?」

 

 ちなみに味はまったく変わらなかった。料理は科学。

 

 

 

 そうしてオムライスを食べ終えて退席するはずだったのに、僕達はまだここにいる。

というか、僕以外は何故かメイド服に着替えて働き出している。

きっかけはひとりのことを心配してくれた、クラスメイトの女の子のお願いだった。

 

「喜多ちゃん、さっきのすっごく可愛かったから、よければメイドさんやってくれない?」

「もちろん、いいわよ!」

 

 快諾した喜多さんが着替えて。

 

「先輩達も思い出作りにどうですか?」

 

 そんな風に伊地知さんと山田さんも誘って、二人とも着替えて。

 

「わぁ、皆さんとってもお似合いです! あのー、お手伝いもお願いしてもいいですか?」

「いいよー」

「いいけど、私は高いよ」

 

 こうして皆手伝いに回ってしまって、僕だけ取り残されてしまった。

僕も何かさせてもらった方が、でもひとりからおねだりされたのに断ったばかりだ。

ここでやってしまうと、私が言っても聞いてくれないのに、と拗ねてしまうかも。

それにそもそも、僕が手伝えることなんてないだろう。きっと何もしないことが一番の手伝いだ。

 

 そうなると、僕は座席的にも魔王的にもさっさと退店すべき。

そう思って席を立つと、にこやかに接客をしていた喜多さんに止められた。

そのまま背中を押されて教室の奥、入口から一番目立つ席に座らされる。

 

「先輩は、ここに座っててください!」

「僕もう食べ終わってるし、手伝いも出来ないよ?」

「いいからいいから。あっサングラスと帽子外しますね」

 

 止める暇もなく両方とも奪われる。こうなると下手な動きは出来ない。

誰もいない方に視線を移して、ただじっとしているほかない。僕も机とか天井とか見ていよう。

そうして僕が困っていると、隣にひとりが力なく座り込んできた。

 

「戦力外通告を受けた……」

「よしよし」

 

 結束バンドの三人が着替えたことで人手が余り、休憩していいよと言われたらしい。

言った子に恐らく他意は無い。言葉通り休んでね、という意味しか無いはずだ。

それを説明してもどうにもならないから、いつも通り僕はひとりをただ慰めていた。

 

 やることも無いし、ひとりも話す気分じゃなさそうだから、二人してぼーっとしていた。

目立つ席で何も食べず、注文もせず、ただただ座っているだけだから当然注目もされる。

そんなに見られると鬱陶しいし、ひとりも怯えるから視線を返したい。だけど我慢しないと。

 

 数分ほどそうしてじっとしていると、今度は山田さんが僕達の元へ歩んできた。

ついさっきまでメイド服だったのに、今度は燕尾服に着替えている。執事かな。

服装はともかく、どうして僕がここにいるのか、何か理由を知ってるかもしれない。

 

「山田さんこれは、僕は何をして、ううん、何をさせられてるの?」

「郁代から説明されてない?」

 

 まったくされていない。そう答えると、山田さんは顎を手に乗せて考え始めた。

恰好が恰好だから絵になる。視界の隅で、ひとりのクラスメイトが黄色い声をあげていた。

彼女達の視線も声も気にせずに、思考をまとめた山田さんが僕の役割を教えてくれた。

 

「陛下には客寄せパンダになってもらう」

「きゃ、客寄せパンダ?」

 

 僕の代わりにひとりが驚きを口にしてくれた。言葉の意味は分かる。

分かるけど、急に客寄せパンダになってくれ、なんて言われても困惑しか出来ない。

そもそも僕に人を寄せる力は無い。逆なら、遠ざけるのには自信がある。

 

「僕を見て近づく人はいないと思うけど」

「遠目なら違うよ。陛下は顔がいい。そして喋らなければ貫禄がある」

「喋ると?」

「面白いから私はいいと思う」

 

 褒めてるのか褒めてないのか、山田さんが解説を続けた。

 

「とにかく、そんな陛下がメイドを従えていれば」

 

 山田さんがそこで溜めた。従えていれば、なんだろう。魔王城にでもなるんだろうか。

 

「そう、店がロイヤルになる」

「ロイヤル」

 

 意味が分からなくて復唱してしまった。店がロイヤルになるって何。

ひとりに確認しようとしても、首を横にブンブンと振られてしまった。

僕達兄妹にはお店がロイヤルになるなんて概念は無い。意味不明だ。

 

「ロイヤルになる。つまり、いるだけで店のランクが上がる」

「文化祭の出し物にランクとかあるの?」

「きっとオムライスの値段を五百円から千五百円にしても問題ないくらい」

「冷食にそれは詐欺じゃ」

「メイド喫茶なんてそんなもんだよ。水が無料なだけ良心的」

 

 開き直るように言っていた。そんな阿漕な商売なの?

彼女の言葉を疑って、会話中に失礼だけど軽く検索してみる。本当だった。

メイド喫茶は冥土喫茶だ。こんな恐ろしい業界だとは知らなかった。

 

「だから陛下は、ここで客寄せパンダ、いや客寄せ魔王として偉そうにしていてほしい」

「客寄せ魔王……?」

「私とぼっちが傍で控えているけど気にしないで」

「えっ、わ、私もですか?」

「今の私は執事だから、メイドも必要だよ」

 

 それで説明が終わったのか、山田さんは空いている席に偉そうに座った。

山田さんも偉そうにするんだ。というか、控えるのに座るんだ。

なんて思いはしたけれど、どうでもいいことだから何も言わないことにした。

 

「これで店は大儲け、私は座ってるだけでギャラがもらえる」

 

 そう言って山田さんは不敵な笑みを零した。彼女がこうやって笑うってことは失敗するな。

 

「来ると思う?」

「来ないと思う」

「だよねー」

「うん」

 

 なんてひとりと話してたけど、その後客足は急に加速した。

伊地知さんが大量に外から連れてきたからで、僕がどうこうというのはないと思う。

妙に視線を感じはしたけれど、目立つ席で居座っていればそうもなるだろう。

 

 理由はともかく、そうして増えたお客さんを伊地知さんと喜多さんが中心になって捌く。

ちょっと困ったお客さんがいたら山田さん、酷い時は僕が視線を向ける。ひとりは僕の癒し。

そんな感じでどんどんお店は回転して、気付けばオムライスは完売していた。

 

「ギャラ、私のギャラはどこ……?」

「もらえる訳ないでしょ。オムライス無料にしてもらっただけありがたく思え!」

 

 山田さんのたくらみも虚しく、当然のごとくギャラなんてなかった。

 

 

 

 文化祭を満喫して、明日のためにスターリーへ向かう途中、伊地知さんが急に声をあげた。

あげたと思ったら、どことなく恨めし気に僕をジトっとした目で見ている。

 

「そういえば、感想聞いてないんだけど」

「感想?」

 

 そんなもの、いつ求められていたっけ。横のひとりは首を傾げるばかり。

喜多さんは、うんうんと頷いている。そして山田さんはなんだか余裕だ。なんのことだろう。

思いつかない僕の様子に、伊地知さんは頬を膨らませて付け足した。

 

「だから、後藤くんの感想! メイド服の!!」

 

 目まぐるしく状況が動いていたから、何か口を挟む暇もなかった。でもそれは言い訳だ。

おめかしした女の子は何があっても褒めなさい。この間母さんが、真似してふたりも言っていた。

もちろんいくらでも褒めることは出来る。だけど、その前に一つ確認しておかないと。

 

「どのくらい話してもいい?」

「どのくらいって、何が?」

「感想のこと。あんまり長く話しても困ると思うから」

 

 以前カラオケで喜多さんを褒めた時、帰り道ひとりにとても叱られた。

褒めすぎはよくないこと。言葉を選ぶこと。考えてから喋ること。ひとりに言われたくなかった。

だから前もっての確認だったけど、それもなんだか伊地知さんのお気に召したらしい。

斜めになっていた機嫌が元通り、それ以上によくなっているのを感じた。

 

「えー、なに後藤くん、そんなに思うところあったのー?」

「うん。似合ってたから、結構話せると思う」

「ふっふっふ、いいよ、好きなだけ話して!」

 

 どんと来い、と伊地知さんは胸を張っている。

好きなだけ。本当にそんなに話していいのかな。わくわくしてきた。

念のためひとりを見ると、少し迷ってから諦めたように頷いた。

 

 ひとりから許可をもらえた。つまりこれは無暗無用な褒めじゃない。

それなら僕も遠慮はいらないだろう。全力で褒めよう。どこから話そうかな。

頭の中で伊地知さんへの誉め言葉を整理していると、喜多さんが急に顔を赤くした。

 

「……あ゛っ!? い、伊地知先輩、それは止めた方が」

「なんで? 喜多ちゃんは気にならないの?」

「それは気になりますけど。そうじゃなくて、後藤先輩は加減を知らないから」

「加減?」

「えっと、じゃあまずはね」

 

 スターリーへの道すがらずっと伊地知さんを褒め続け、秀華祭一日目は無事に終わった。

楽しい一日だったけど、時間の関係で伊地知さんのことしか話せなかったのは唯一の心残りだ。

 

 

 

 

 

「なあ、帰ってからずっと顔赤いけど平気か? 明日本番なんだから早く寝なよ」

「……お姉ちゃん、誉め殺しって実在するんだね」

「えっ何の話?」

「ほんとに死ぬかと思った…………」

「えっ何怖っ」

 




途中のはエキサイト翻訳なので気にしないでください。

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次回のあらすじ
「直前」


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第三十九話「幼児の集まり」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「魔王はメイド好きという噂が新たに生まれた」


「くらえー!」

「ひぇっ」

 

 視界が広がる。目の前には、僕を見て怯える人がいた。

 

「ふういん!」

「ほっ」

 

 温かなもので目を塞がれる。安堵に息を呑む音が聞こえた。

 

「やっぱりくらえー!」

「ひぇっ」

「きゃっきゃっ」

 

 温かなものが消え、再び目が見える。眼前からは恐怖の、頭上からは楽しそうな声がした。

いい加減そろそろ叱ろう。人様に迷惑をかけてしまっているし、教育にもよくない。

このままだといつか、魔王を従える大魔王に成長してしまう。

 

「ふたり、他人をおもちゃにしない」

「はーい、ごめんなさーい」

「すみません、ご迷惑をおかけして」

「い、いえ」

 

 僕達の謝罪を受けて、その人はそそくさと逃げるように立ち去る。

怯え切ってはいたけれど、気絶まではしていない。家族でのセーフティもしっかり効いていた。

お礼代わりに頭上の、肩車をしているふたりを撫でる。そしてもう一度確認を取った。

 

「ふたり、お父さんとお母さんと一緒じゃないけど寂しくない?」

「おにーちゃんがいるから大丈夫!」

 

 僕の頭を抱きしめながら、ふたりはとても嬉しいことを言ってくれた。

そしてその体勢のまま得意げに語りだした。先生ぶっていて可愛い。

 

「あとね、こういうときに夫婦は愛を深めなきゃいけないんだって!」

「そうなんだ。ふたりは物知りさんだね」

「えっへっへー、えっへん!」

 

 文化祭二日目、結束バンドのライブのために後藤家四人で秀華高校へ訪れていた。

早く着いたから出し物を見て回っていたのだけど、途中で父さんと母さんとは別れた。

文化祭を回っている内に青春気分を思い出して、二人でデートをしたくなったらしい。

そういうことならと、僕達は喜んで二人を送り出した。両親が仲良しなのは僕達も嬉しい。

制服着てくればよかったわー、なんて妄言は聞かなかったことにした。来年が怖い。

 

「次はどこ行こうか?」

「えっとねー」

 

 そうして校内を歩いていると、ふとここではありえない臭い、アルコール臭を感じた。

ここは高校だ。どう考えてもお酒がある訳が、取り扱っている訳がない。

だからこれは誰かが持ち込んだか、もしくは飲み込んで来たかのどちらかだ。

そして、そのどちらもしそうな人を僕は知っている。しかも今日ここに来ると言っていた。

 

「おにーちゃんどうしたの?」

「……ううん、何でもないよ」

 

 立ち止まって辺りを警戒する僕の耳へ、不思議そうな、舌足らずな声が届く。

あの人のことは好きだ、尊敬も回復した。だけど間違いなく教育に悪い人だ。

この間言われたこともあって気まずいし、申し訳ないけど気づかなかったことにしよう。

 

「おっ」

「あっ」

 

 そう思った矢先に見つけてしまった、しかも目が合ってしまった。

慌てて逸らすけど意味は無い。見なくても、こっちに向かってくるのが分かる。

逃げようかな。ふたりを肩車している今はそれも難しい。この人混みだ。下手に動くと危ない。

 

「やっほー、きくりちゃんだよー。こんなとこで会うなんて奇遇だねー!」

「……」

「あれ、ねぇ無視ー? お姉さんのこと無視するなんて酷くなーい?」

 

 言葉と行動を迷っていると、廣井さんがいつも通り僕に絡んで来ようとする。

今日もお酒臭い。僕一人なら甘んじて受けるけど、今は守るべきものがある。

ふたりにこんな臭いは嗅がせたくない。そんな可哀想なことはさせられない。

妹を守るため、僕は暴力を解禁した。

 

「せいっ」

 

 アイアンクローだ。以前店長さんがやっていたのを真似してみた。

痛くするのは心が痛むから、手加減をして廣井さんの勢いを抑えるくらいにする。

急に頭を掴まれた彼女は、不思議そうにしながらも狙い通りに立ち止まってくれた。

 

「おぉ? どうしたの、君から手出してくるって珍しいね。なにこれ?」

「アイアンクローです」

「えー、これがー? あっはっはっはー、よっわっ!」

 

 ほとんど触るくらいだったから、廣井さんの力でも簡単に払われてしまった。

そのまま僕に近付き、いつものように肩なり腰なりに絡んでこようとする。

そこで初めて頭上のふたりに気づいたようだ。

 

「あっ、小さいぼっちちゃんだ!」

 

 廣井さんは弾んだ声を出すけれど、こっちはそんな余裕はない。お酒臭い。

気のせいじゃなければ、いつもより臭いが強い。いつもより酔っぱらっている。

そして僕が臭いを感じるのだから、ふたりにもそれは届いてしまう。

 

「なんかへんなにおいする……」

 

 そう小さく零して、ふたりは僕の髪に顔を埋めた。いやいやと首を振っているのを感じる。

その感触が僕に間違いを教えてくれた。躊躇っている場合じゃない。一番大事なのは妹だ。

心を鬼にしてもう一度廣井さんの頭に手を置き、今度はちゃんと力をこめた。

 

「ごめんなさい廣井さん」

「えっなにが、あいたっ、いた、いだだだだ!?」

 

 僕は柔らかいリンゴくらいなら握りつぶせる。昔やって母さんに叱られた。

本気でやったらどうなるか分からないから、廣井さんの悲鳴で威力を調整した。

今はいい感じに元気な悲鳴をあげている。これくらいがちょうどいいようだ。

 

 酔っ払いとサングラスの不審者がそんなことをしていれば、当然遠巻きにされる。

緊急避難のためにアイアンクローをしたけど、この後どうしよう。

廣井さんが大人しくなったら連れて行くか、それともその辺に捨てるしかないかな。

 

「お前ら、何してんの?」

 

 こんな、誰もが目を逸らして逃げる状況に介入したのは店長さんだった。

 

「店長さん、こんにちは」

「お、おう。えっと、それ何?」

「店長さん直伝アイアンクローです」

「んなもの教えた覚えはない」

 

 直接は教えてもらっていないけど、見て学ばせてもらった。だから直伝だ。

僕の言葉と技に呆れ果てながらも、店長さんは廣井さんを回収してくれた。

 

「おら廣井、離れろ外だぞ。捕まりたいのか?」

「お、おぉ、頭が割れる」

「いつも二日酔いで割れてるだろ。なんだ、今日はこの辺か?」

「あだだだだだだ」

 

 痛みに苦しむ廣井さんの頭を、店長さんは容赦なく追撃していた。

廣井さんが離れることで悪臭が、アルコールの匂いが薄れていく。

ようやく僕の頭から顔を離せたふたりが、目の前の知らない大人二人を見て疑問の声をあげた。

 

「おにーちゃん、この人たちだれ?」

「……うーん、お兄ちゃんとお姉ちゃんが、お世話になってる人?」

「じゃあ、ごあいさつしたいからおろして!」

 

 頭をはたきながら催促されたから、大人しくふたりを肩から降ろす。

地面に降り立ったふたりは、元気一杯折り目正しくお辞儀をした。可愛い。

 

「後藤ふたり五歳です! いつもおにーちゃんとおねーちゃんがおせわになってます!」

「おー、ちゃんと自己紹介出来てる、凄い。私はきくりちゃんだよ、よろしくねー」

「ふたりは賢い子ですから。上手に御挨拶出来て偉いね」

「ふふんっ」

 

 上手に自己紹介出来たふたりは、鼻を鳴らして自慢そうにしている。とても可愛い。

廣井さんはともかく、店長さんは何故かふたりの様子を見て固まっている。微動だにしない。

まさかふたりがあまりにも可愛くて身動き一つ取れないのか、なんてね。そんなことはないか。

小さい子に避けられがち、と伊地知さんが言ってたし、対応に困っているのかもしれない。

ふたりが自己紹介を待ってるから、僕の方で店長さんのことを紹介しよう。

 

「こちら伊地知星歌さん。前家に来た、虹夏さんのお姉ちゃんだよ」

「虹夏ちゃんの!? はじめまして!」

「あ、あぁ。はじめまして」

 

 結束バンドが家に遊びに来た時、すなわち僕が逃げた時、ふたりは皆にとても懐いたらしい。

一番は喜多さんだけど、それに負けないくらい伊地知さんのことも好きになったと聞いている。

その彼女の姉と分かって、ふたりが店長さんを見る目は光り輝き始めた。

 

「おねーちゃんは虹夏ちゃんみたいに髪結ばないの?」

「えっと、私は」

「結んだ方が可愛いよ! ふたりやってあげるね!」

 

 ふたりは店長さんの髪形を伊地知さんと同じにしようと、彼女の髪を弄り始める。

伊地知さんの髪形は結構難しいから、ふたりが作っているのは単なるサイドポニーだったりする。

店長さんは困惑していたけれど、ふたりが触りやすいように屈んでくれた。

 

「すみません店長さん。すぐに止めさせます」

「……いいよ別に。好きにさせてあげな」

 

 初対面の子に髪を触られても店長さんは気にしていない様子だ。

それどころか、態度はぎこちないけれど所作から優しさが滲み出ている。

考えてみれば彼女も僕と同じ妹持ちだ。小さい女の子に優しいのは当然なのかもしれない。

 

「はー、器用な子だねー」

「……おにーちゃん」

「あら、逃げられちゃった」

 

 廣井さんに呼びかけられて、ふたりは僕の後ろに隠れた。

失礼な態度ではあるけれど、彼女は見るからに怪しい人だ。

この対応は叱るべきことじゃない。むしろ褒めるべきことだ。危機管理意識がしっかりしている。

ただ廣井さんは、色々とあるけど、そこまで悪い人ではないと思いたい、多分、きっと。

自信がなくなってきた。それでもふたりの不安は取り除かないと。

 

「ふたり、この人は」

「?」

 

 なんて説明すればいいんだろう。改めて考えてみると不思議な関係だ。

恩人とかどうとか、語れることはたくさんある。でもふたりにはまだ難しいだろう。

この子にも分かるよう簡単に説明するなら、あれしかないか。僕は渋々口にした。

 

「…………お兄ちゃんとお姉ちゃんのお友達だよ」

「あっ、とうとうデレた?」

 

 デレたなんて言葉は知らないけれど、なんとなく意味は分かる。

にやついた廣井さんに若干引っかかるものはある。でもふたりを安心させるために飲み込んだ。

 

「おにーちゃんとおねーちゃんの!? こんな人が!?」

 

 ふたりの大きく可愛い目が零れ落ちそうになっていた。そこまで驚くんだ。

こういう人が、そもそも僕とひとりに出来た、理由はいくらでも思い浮かぶからしかたない。

とにかく、僕達の友達と分かったことで、ふたりの警戒も少しだけ収まった。

 

「変な臭いするけど、それには悲しい理由があるから言わないであげてね」

「はーい!」

「あれ、これほんとにデレてる?」

 

 こうして出くわしてしまったものはしょうがない。

そのまま店長さん、廣井さんと一緒に少しだけ文化祭を回った。

幸い廣井さんが取り押さえられることも無く、ライブの時間まで楽しむことが出来た。

 

 

 

「ご両親と合流しなくていいのか?」

 

 体育館へ移動してすぐ、店長さんに気を遣われた。

ちらちらと廣井さんを見ていたから、逃げる口実を作ってくれたのかもしれない。

 

「もう会場にいるって連絡があったので、あとで探します」

 

 父さんが結束バンド以外のライブも見たくなったらしい。

若い子のフレッシュな演奏を聴いて、青春の情熱を感じたいからとか。言葉選びに年齢を感じる。

それなら迎えに来てもらうより、こっちで二人を探した方がいいだろう。

 

「それに、廣井さんのお世話を店長さんだけに押し付けられません」

「いつも悪いな、助かる」

「ふたりもお世話するよ!」

「ふたりちゃんもありがとう」

 

 元気よく返事するふたりの頭を店長さんは右手で撫でる。左手は繋いでいた。

元々ふたりは物怖じしない、人見知りしない子だ。僕達の妹とは思えないほど人懐っこい。

それを差し置いても店長さんにはよく懐いていた。

今だって彼女に買ってもらった飴を舐めながら、ニコニコとご機嫌そうに笑っている。

 

「お世話なんて必要ないよー? 今日はお酒も持ってないしさー」

「持ってなくても酔ってるじゃねーか」

「先輩、この子の文化祭でね、私も学んだんですよ」

 

 ちっちっちっ、と指を振りながら胡乱げに廣井さんが語る。どうせろくでもないことだ。

 

「お酒を持ってたら学校には入れない、でも手元になければ?」

「なんだこいつ」

「ずばり、持ち込まなきゃ、現場を押さえられなければいけるってね!!」

「マジかこいつ」

「そのために今日は飲み溜めしてきました! はっはっはー、私てーんさーい!!」

「駄目だこいつ」

 

 実際こうして入って来れてるし、昨日は世紀末の人達も見た。

魔王なんて、なんと二日連続で潜り込んでいる。秀華高校のセキュリティは甘い。

 

 今日はお酒を持ってないと、廣井さんは熱心に主張していた。

その言葉の通り、いつもの大きな酒瓶も紙パックも確かに手に持ってはいない。

でも怪しいものだ。あの廣井さんがお酒を持たずに外を歩けるとは思えない。

 

「店長さん、廣井さんの胸元触ってください」

「ん? 急にどうした?」

「ちょっと確認してもらいたいことがあって」

 

 さっきから気になっていた。廣井さんの胸あたりに不自然な膨らみがある。

恐らくあれだと思うけど間違っていたら、というか合ってても僕では触れない。

こんな変なお願いでも、疑わずに店長さんは聞いてくれた。

 

「きゃーえっちー」

「こいつ殺してぇ……」

 

 廣井さんの棒読みの嬌声は店長さんの殺意を呼び起こしていた。

それを受けてか、心臓をもぎ取るような勢いで店長さんは手を伸ばす。

その手が廣井さんの胸元に着いた頃、怒りに満ちていた店長さんの顔が疑問に変わった。

 

「なあ、瓶みたいな感触するんだけど」

「……き、気のせいですよ。ほふー」

「おねーさん口笛ド下手だね」

 

 音にもなってない下手な口笛で廣井さんは誤魔化そうとしていた。あれはお酒だろう。

あんなことを言いながらも、彼女は学校にお酒を隠して持ち込んでいるようだった。

アルコール依存症は病気なんだと、悲しい気持ちとともに実感した。

 

 出来れば没収したいけれど、そうなれば確実にひと悶着起こる。

そして廣井さんは退場だ。最悪そのまま警察まで連行だ。流石にそれはちょっと。

この場は一旦見逃して、あとでお話しさせてもらおう。店長さんとそう決めた。

 

「にしてもお前、よく気づいたな」

「半分勘です。それより、飲ませないように注意しましょう」

「しましょう!」

 

 飲み溜めしてきたという言葉の通り、廣井さんは普段より酔っぱらっている。

この状態でいつものように一気飲みでもしたら、そのまま吐いてしまいそうだ。

ライブハウスとかならともかく、高校でそんな事件が起こればライブは中止になる。

大惨事を防ぐためにも、僕達は廣井さんの飲酒を止める決意を固めた。

 

『続いては、結束バンドの皆さんです!』

 

 そうして話をしている内に、舞台上の準備も完了したようだ。

司会の紹介とともに暗幕が上がり始める。それと同時に歓声もあがり始めた。

 

 歓声、特に喜多さんを呼ぶ声が数多く響いている。流石の人気だった。

加えて山田さん、伊地知さんを呼ぶ声もちらほらと聞こえる。他校の生徒なのに不思議だ。

元々のファンなのかな、それとも昨日のメイド喫茶で知ったのかな。あれも宣伝になったらしい。

 

 予想はしていたけど、ひとりは呼ばれていない。というか名前を知ってる生徒がいないと思う。

あの子もそれを察して暗い顔をしていた。でも、すぐにそんな気持ちも晴れるだろう。

ふたりが百点満点の笑顔で、ひとりのために大きく息を吸い込んでいた。

 

「おねーちゃーん!!」

「ひとりちゃーん!」

 

 ひとりの目が輝いた。ふたりと同時に誰かが、どこかで聞いた声がひとりを呼んでいた。

路上ライブの、スターリーにも来てくれたお姉さん達だ。文化祭にも来てくれるなんて。

本当にひとりの、結束バンドのファンになってくれたらしい。

 

「ひとりー!」

「きゃー! ひとりちゃーん!!」

 

 父さんと母さんも大きな声でひとりを呼んでいた。父さんは既に若干涙声だ。早い。

 

「あっ、おとうさんとおかあさんだ!」

「わっふたりちゃん、ちょっと待って」

 

 ひとりを呼ぶ声で、父さんと母さんのことをふたりは見つけたようだ。

その方向へ駆け出していく。手を繋いでいた店長さんも一緒だ。

店長さんがいればふたりは大丈夫だ。こちらを振り返る彼女に手を振って、僕はそれを見送った。

僕も行くと廣井さんを見る人がいなくなる。何より彼女を両親の前に連れて行く訳にはいかない。

そんな僕の気も知らず、廣井さんはご機嫌にひとりのことを呼んでいた。

 

「うぇ~い、ぼっちちゃーん、お姉さん達もいるよ~!」

 

 ひとりの目が淀んだ。呼ばれて嬉しい声とそうでもない声があると思う。

 

 僕も本当なら声に出して応援したい。だけど僕は目立つ訳にはいかない。

それでも存在だけでも、ここで見守ってるよと伝えたかったから、大きく手だけ振った。

隣の廣井さんがひとりの注意を引いてくれたから、あの子も僕を見つけられたらしい。

ほんのり頬が緩んだのが分かる。少しでもひとりの力になれていればいいな。

 

「こんにちはー! 結束バンドでーす!!」

 

 歓声が落ち着いたころ、喜多さんが元気よく挨拶をした。

夏休みの時とは違って、余裕と自信を感じる声だった。表情も明るく楽しそうだ。

緊張も適度にあるように見える。少し心配してたけど、これならきっと大丈夫だ。 

 

「色々話したいんですけど、私たちのMCはつまらないらしいのでやめます!」

 

 喜多さんの勢いのいい諦めに笑いが起きた。ややうけだ。

結束バンドのMCが笑いを取れたことに感動していると、僕に視線が突き刺さった。

伊地知さんが凄い見てくる。重圧を感じる。僕を見てないで演奏に集中して。

 

「なので自己紹介代わりにまず一曲、聴いてください!」

 

 その一言とともに、僕の人生を変えるライブが始まりを告げた。




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次回のあらすじ
「星々」


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第四十話「星々を見上げて」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「魔王二人と妖怪を率いる五歳児」

Q 後藤家両親に聞いた、兄妹の似ているところは?
A 暴走癖 独り相撲が得意 極端から極端へ走る ほか 



「一曲目、忘れてやらない、でした!」

 

 一曲目の演奏が終わり、喜多さんがそう宣言すると歓声が沸き上がる。

夏休みの時とは比較にならないほど、ライブ会場は想像以上の盛り上がりを見せていた。

そして皆もあの時と比べてずっと上手く、ずっと安定して演奏出来ていた。

 

 特に喜多さんの上達が著しい。ギターもかなり安定しているし、歌にも気持ちが乗っている。

手拍子で観客を盛り上げ、ウインクを振り撒く余裕すらある。今日の彼女は絶好調だ。

伊地知さんも落ち着いているし、山田さんも周りをよく見て合わせている。

そしてひとりもライブにしてはよく弾けている。何より、とても楽しそうだ。

 

 これなら皆大丈夫、今日のライブは安心して楽しめそうでよかった。

そう思っているはずなのに、何か違和感が、どこか引っかかるものがある。

答えを求めて廣井さんの方を向くと、彼女も何かを考え込んでいた。

 

「……廣井さん、気のせいじゃなければ」

「ぼっちちゃんのチューニング、全然安定してないね」

 

 彼女までそう感じたのなら、この感覚は絶対に間違いじゃない。

そしてひとりがそれに気づかないはずが、直そうとしないはずがない。

つまり技術で修正出来ないこと、おそらく機材トラブル、ギターの不調だ。

 

 チューニングの異常、弦かペグか。いずれにせよ修理は難しい。

文化祭ライブの持ち時間は十五分。一曲四分と仮定すると、三曲やるから間は一分程度。

ペグはもちろん、弦の張替すら時間が足りない。あと二曲、だましだまし乗り切るほかない。

 

「そろそろ二曲目行きます! 結束バンドで『星座になれたら』!」

 

 そうして廣井さんと現状把握をしている間に、二曲目が始まろうとしていた。

星座になれたら。曲名を聞いてひとまず安心できた。この曲なら大丈夫だ。

以前完成した時にひとりが聴かせてくれた。なんとなく譜面も覚えている。

例え弦が一二本使えなくても、なんとか弾ききれる、誤魔化しきれるはず。

 

 そのはずなのに、ひとりは浮かない表情を、不安を顔に張り付けていた。

嫌な予感がする。あの子はいったい何を考えているんだろう。何が不安なんだろう。

弦が全て同時に切れるとか、非現実的で後ろ向きな想像でもしてるのかな。

 

 その答えはサビに入り、とうとう弦が切れてしまった時に分かった。

一弦が切れたひとりはその場にしゃがみ込み、二弦の調整をしようとする。

だけどそれも上手くいかないようだ。どうやらペグも壊れてしまっているらしい。

それを見て廣井さんが、らしくない焦った声をあげた。

 

「二弦のペグも、あれじゃソロなんて出来ないぞ……!?」

「……ソロ?」

 

 廣井さんが零した言葉を、僕は間抜けにもオウム返しする。

ソロ。聞き間違いであってほしかった。けれど彼女はいつもと違う真剣な眼差しをしていた。

 

「サビの後の、ぼっちちゃんのギターソロのことだよ。もしかして知らなかったの?」

「サプライズだから楽しみにしてねって、内緒にされてて。……それじゃ」

 

 無意識のうちに、舞台上のひとりへと視線が向かう。

今まで見た中で一番酷い表情をしていた。怯えと恐れ、不安や後悔、そして自責と絶望。

見ていられなくなるほど重い、暗い感情が逆巻いている。そしてそれは僕にも生まれ始めていた。

ここで機材トラブルなんて起きるのか。音楽までひとりを、ひとりの努力を裏切るのか。

 

 ひとりの頑張りは、努力は、いつだって報われなかった。いつだって裏切られてきた。

勉強はあの子を裏切った。どれだけ勉強しても、テストにそれは反映されなかった。

運動はあの子を裏切った。たくさん練習を重ねても、体は追いついてきてくれなかった。

それでも音楽は、音楽だけはひとりの頑張りに応えてくれた。応え続けると思っていた。

それなのにここで、こんな大事なところで裏切るのか。

 

 違う、これは余計な思考だ。捨てろ。今考えるべきはそれじゃない。問題の解決策だ。

問題、ギターが壊れて演奏出来ない、ギターソロを乗り越えられないこと。

どうすればいい。ギターが駄目、一番簡単なのはギターを交換すること。

代えは持って来ていない、交換の当て、他の演者、軽音部、交渉時間、技術、不可能だ。

次、ギターの修理。弦を張り直す、弦はある、ペグが壊れてる、時間も無い、無理だ。

 

 じゃあ他に、何か、何かないのか。出てこない。違う、出ないじゃない、出せ。

何のためにいる。発想を変えろ。問題はなんだ、本当にギターが壊れていることか。

問題は、障害の本質は音が出ないことだ。そこを見失うな、もう一度よく考えろ。

 

 音。弦。チューニング。考えてもいたずらに同じ単語が回るだけ。内から答えは出せない。

だから発想を求めて周囲を一度観察する。ひとり、皆、廣井さん、客。人人人。

他人ばかり。無駄な苛立ちが募る。それが漏れてたのか、廣井さんが心配そうに声をかけてくる。

 

「ねぇ、ちょっと大丈夫?」

 

 それで、一つ思いついた。

 

「……廣井さん、お酒出してください」

「急にどう」

「お願いします。早くしてください」

「いやなんで」

 

 説明する時間も惜しい。説明すれば、きっと説得もしなきゃいけなくなる。

最悪廣井さんを気絶させて無理やり奪う。どうせこれから問題を起こす。一つ増えても関係ない。

そう考えて、何も抑えず我慢せず、乱暴にただ要望だけを口にした。

 

「いいから、出せ」

 

 勢い任せの言葉は功をなして、廣井さんは一度大きく震えた後、黙ってお酒を渡してくれた。

瓶みたいと店長さんが言ってた通り、出てきたのはカップのお酒。一段階目はクリアだ。

二段階目、大きさを測る。以前試した時より大きいけれど、ひとりならなんとか出来ると信じる。

 

 そして三段階目、どうやって中身を失くすか。

その辺に捨てる。多くの目がある。大騒ぎになって、すぐに先生が飛んでくる。ライブは中止だ。

外に捨てる。そんな時間は無い。行って帰って、その時にはすべてが終わっている。

廣井さんに飲んでもらう。ライブ前考えた通り、その場で嘔吐するだろう。どうしようもない。

そもそも他に空き瓶が転がっていないか、周囲を確認しても影一つ無い。

だから、実質選択肢は一つだけだ。僕が飲むしかない。どんな結果になってもだ。

 

 恐らく、これを飲めば僕は退学になる。

他校での未成年飲酒。下北沢高校は厳しい校則だし、僕は生徒指導にも目をつけられている。

目撃者はこんなにもいる。ライブを動画に撮っている人もたくさんいる。証拠には事欠かない。

お酒を口にして無事に済む可能性はほぼない。だけど、だとしても、飲むべきだ。

今思いつく方法はこれしかない。出来るのは僕しかいない。だから、僕はやらないといけない。

 

 そう思っているはずなのに、手が止まる、躊躇してしまう。

 

 退学になれば、僕が下北沢に行く理由はなくなる。ひとりの付き添いも、もういらないだろう。

今のあの子は一人で学校にも、バイトにも行ける。何より結束バンドの皆が付いている。

お役御免だ。僕がいなくても、心配しなくても、絶対になんとかやっていける。

 

 だからそうなれば、僕が皆と会うことはなくなる。

ただでさえ僕は評判が最悪なのに、飲酒で退学なんて実績も今度はついてくる。

そんな人と関わっていいことなんて何一つ無い。悪いことばかりだ。負担になるだけ。

だから退学になったら、僕はもう皆と会うつもりは無い。

 

 迷いが出てくる。僕がこんなことやらなくても、なんとかなるんじゃないか。

未練が出てくる。せっかく友達が出来たのに、全て投げ捨てないといけないのか。

僕の弱さが僕を止めようと、言い訳や逃げ道を延々と囁いてくる。余計なノイズだ。

 

 このまま何もせず、ライブが失敗に終わったらどうなるか考えてみろ。

失敗した文化祭ライブを、今もお通夜のような会場を思い出すと、以前山田さんが言っていた。

あれは選曲が原因だったそうだ。言ってみれば、彼女の趣味と周りがすれ違っただけだ。

でも今は? 自分の機材トラブルが原因で、そんな空気を生みだしたら、皆に味わわせたら?

ひとりはどう思うだろう。どれだけ傷を負うだろう。二度と立ち直れないかもしれない。

皆だってどうなるか。山田さんのようにトラウマになってしまうかもしれない。

最悪、これがきっかけで何か亀裂が生まれてしまうかもしれない。

 

 一度大きく深呼吸する。未練や迷いもまとめて吐き出すように、大きく、大きくする。

僕がどうなろうとやらない理由はない。数字で見ても一対四。心で見ればそれ以上だ。

守れるものと比べて失うものなんて軽いもの、所詮僕の感傷でしかない。

 

 理由を並べて、震えも心も無視して蓋を開ける。あとはこれを一気に飲むだけだ。

自分の背中を蹴り飛ばすために、最後にもう一度だけ舞台を見上げる。ひとりと目が合った。

暗く淀み、混乱し絶望している。それでも、まだあの子は諦めていなかった。それで決心した。

 

 未練なんて起きないように、何も考えずにお酒を飲むことだけを意識する。

周りはもう見ていなかった。だから僕は、横から伸びる手にまったく気がつかなかった。

 

「ごめん父さん、母さん」

「謝るくらいならするな」

 

 何を言われたのか認識する前に、頭に衝撃が走りお酒が奪われる。叩かれた。

急な痛みと声に、反射的に振り返る。いないはずの店長さんがそこに立っていた。

驚きに目を白黒とさせ、この期に及んで言葉も出ない僕へ彼女は問いかける。

 

「これ、飲めばいいのか?」

「……え」

「違うのか?」

「あっはい、空き瓶が必要で」

 

 僕の返事に彼女はそうかとだけ呟いて、そのままお酒を一気に呷った。

白い喉をこくこくと鳴らして、勢いよく流し込んでいく。

予想もしてなかった救いの手、でも駄目だ、これじゃ間に合わない。

もうすぐサビが終わる。ギターソロが来る。全部終わる時が、すぐに来る。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫そうだよ」

 

 ずっと黙っていた廣井さんが、何も見えていないような適当なことを言う。

こんな状況で、なんでこんなお気楽な言葉を。反感を覚えて、何かを言おうとして。

 

 

 その時、ギターの音色が響いた。

 

 

 ギター、ソロ? ひとりじゃない。あの子は今弾けない。なら、もう一人しかいない。

喜多さんが、どこかで見たような姿勢と弾き方で、ギターを奏でていた。

この譜面も僕は知らない。元々なかったはずだ。ならこれも今日のために追加されたもの?

いや、違う。ひとりの表情が、喜多さんの演奏がそうじゃないことを教えてくれた。

これはアドリブ。喜多さんが、伊地知さんが山田さんが、ひとりを助けるために音を繋いでいる。

 

 呆然と眺めるだけの僕に喜多さんは一瞬だけ視線をくれた。

励ますように、勇気づけるように笑ってくれた。

その笑みは緊張と不安で歪んでいて、今まで一番下手だった。でも一番格好いい笑顔だった。

 

 何も見えていないのは廣井さんじゃない、僕の方だった。

喜多さんの勇気も、伊地知さんと山田さんの信頼も、僕は何一つ見ていなかった。

僕は、僕達は、もうぼっちじゃないことを忘れていた。

 

「ほら」

 

 その間に店長さんはお酒を飲み干していて、空になった瓶を僕の胸に押し付けた。

お礼を言おうとして彼女の方を向くと、一発強めにデコピンされる。痛い。

デコピンした後、より強く僕に瓶を押し付けて一言だけ彼女は告げた。

 

「後で説教だからな」

 

 そうだ、今はお礼も謝罪も抗議も全て後回しだ。今はこれをひとりに届けるのが最優先。

一礼だけして、頭を上げると同時に舞台の傍へ駆け寄る。そしてあの子の名前を呼んだ。

 

「ひとりっ!!」

 

 名前を呼ばれたひとりの瞳にはもう絶望なんてない。ただ強い意志だけが浮かんでいた。

喜多さんの、皆の思いは伝わっている。ひとりへの期待、友情、信頼、全て伝わっている。

だから何も心配せずに瓶を滑らせた。ちょうど目の前で止まったそれをひとりは拾う。

言葉はいらない。これが何か、何をすればいいか、言わなくても分かってくれる。

 

 拾った瓶をギターに合わせ、たった一度弾く。それだけでひとりは全ての音階を把握した。

常人には出来ない桁外れの神業だ。そのまま予定していたギターソロへと移行する。

 

「あのギター、何やってるんだ?」

「よく分からないけど、スゲー」

 

 ひとりのボトルネック奏法に観客がざわつき始める。

あれがどれほど恐ろしいことをしているのか、正確に把握している人はほぼいないはず。

それでもその姿が、音が、演奏が、観客達を圧倒していた。

 

「まさかとは思ったが、マジでボトルネック奏法かよ」

「あれならチューニングなんて関係ないですからね!」

「だとしても、こんな土壇場でやるか普通?」

「あの子なら出来ます」

 

 根拠は思い出の中に、僕達の人生に数えきれないくらい転がっている。

ひとりはギターの練習をする中で、歯ギターやら背ギターやら、特殊な弾き方も練習してきた。

ボトルネック奏法もその内の一つだ。フレットを使わずに無限の音を出す弾き方。曲芸の類だ。

にもかかわらず、ひとりはこれまでと遜色ない、いやそれ以上の演奏をしている。

冗談半分でも練習しておいてよかった。芸は身を助けるって本当なんだ。

 

 やがてギターソロも終わり、曲はラスサビへと移っていく。

かつてない危機を乗り越え、天井を見上げるひとりにはただ達成感だけが満ちていた。

その姿を見て、ようやく安心して、急に足腰から力が抜けた。おかしいな、立てない。

 

「お、おいっ、大丈夫か?」

「すみません、なんか、力が入らなくて」

「見事に腰抜けてるねー」

 

 情けないことに、安心し過ぎて腰が抜けてしまったらしい。

膝から崩れ落ちそうになる僕を、咄嗟に店長さんと廣井さんが支えてくれた。

助けてもらってなんだけど二人ともお酒臭い。それなのに、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 僕はもう、音楽がひとりを裏切ったかどうかなんてどうでもよくなっていた。

あの子は努力して、頑張って、裏切らない大切なものをとっくに手に入れていた。

舞台上のそれを、星々を見上げて、ひとりが培ってきたものを僕は噛み締めていた。

 

「……バンドって、いいですね」

「今更かよ」

 

 二人ともおかしそうに笑ってくれた。

 

 

 

 二曲目が終わって、伊地知さんがMCを始めた。喜多さんと違って相変わらずぎこちない。

ちゃんと聞くべき、黙っているべきだけど、僕はどうしても今話したいことがあった。

 

「廣井さん、誘ってくれたこと、あれのことなんですけど」

「考えてくれた?」

 

 さっきの僕の言葉もあってか、廣井さんは嬉しそうに反応する。だけど、今からそれを裏切る。

 

「僕はやりません。やりたくありません」

「………………へぇ、なんで?」

 

 廣井さんの目が鋭くなる。嘘を許さない、見透かすようなあの目だ。

構わない。元々嘘なんて吐くつもりはない、全部本心だけで話すつもりだった。

 

「……廣井さんが言ってた通り、僕は人が、他人が嫌いです」

 

 僕の言葉に、支えてくれている店長さんがぎょっとしていた。

急に変な話をしてごめんなさい。でも多分、今じゃないと話せないんです。

 

「噂や偏見で勝手に決めつける人が嫌いです」

 

 誰も彼も話したことも無いのに魔王だなんだと、好き勝手に噂して面白がっている。

そのくせ関わろうとすれば気絶するか逃げるから、文字通りお話にもならない。

誰も僕を知らない下北沢へ来てもそれは変わらなかった。僕はここでも魔王だった。

原因が僕にあるのは分かっている。それでもそれは、僕が僕を、他人を諦めるのには十分だった。

 

「結束バンドの皆のことも嫌いだと、どうでもいいと思ってました」

 

 伊地知さんのことは、よく見る背景くらいにしか捉えていなかった。

喜多さんのことは、通りすがりの物くらいにしか思っていなかった。

山田さんに至っては大嫌いだった。今思うと、あれは嫉妬と八つ当たりだ。

 

「だけど好きになりました。一緒にいるのが楽しくなりました」

 

 いつの間にか他人なのに大切になっていた。一緒にいたいと思えるようになっていた。

そう感じる自分が信じられなくて、路上ライブの日までずっと、無意識の内に否定していた。

信じられない、これも違うな、僕は怖かったんだ。好きになるのが、好かれてると思うのが。

 

「友達っていいなって思えるようになりました」

 

 家族以外の優しさを、楽しさを、好きって気持ちを、皆が教えてくれた。

そしてそれをもっと感じたいと、もっと誰かと友達になりたいと思うようになった。

 

「僕は誰かを好きになりたいです」

 

 今も僕は他人が嫌いだ。嫌いだけど、好きになりたい。

 

「好きになって、友達を作りたいです」

 

 嫌いなのに、好きになって仲良くなりたい。友達になりたい。

これは矛盾だ。そんなことは分かっている。それでも。

 

「だからあれは、あのギターは弾きたくありません」

「……そっか」

 

 廣井さんが言ったあれは、あの音は、僕が他人を嫌っている証のようなもの。

それを堂々とひけらかすのは、他人が嫌いだと広言するのと同じだ。

そんなことをしていては、いつまでも僕は誰かが嫌いで、誰からも好かれないだろう。

今まではそれでもよかった。だけど僕は欲深くなってしまった。

 

「ごめんなさい。あんなに誘ってくれたのに」

「謝らなくていいよ。だって音楽なんだよ? なら楽しく出来なきゃダメでしょ」

 

 廣井さんはそう優しく言ってくれるけれど、僕は寂しさを抑えきれなかった。

彼女はお酒以上に音楽を愛していると思う。今まで絡んでてくれたのは、あの音が理由だろう。

鬱陶しい時もよくあったけれど、いざなくなると思うと喪失感が大きい。

 

「何か勘違いしてそうだから言っておくけど」

「?」

 

 そんな僕へ彼女は加減無しにデコピンを放った。くらうのは今日二回目だ。

痛くなかったけど、突然の攻撃に驚く僕を廣井さんは指さす。なんとなく不服そうな顔だ。

 

「ギターだけじゃなくて、君のことも私は好きだからね!」

「……はい、ありがとうございます」

 

 今日の、いや今日も僕は何も分かってないな。下げた頭をがしがしと乱暴に撫でられる。

甘んじて受けていると、いつの間にか撫でる腕が一本増えていた。

こっちも雑な手つきだけど、どこか少し手慣れているような感じがする。

 

「……店長さんもやるんですか?」

「別にいいだろ。あんな話黙って聞いてやってたんだから、お前も少し黙ってろ」

 

 そう言われてしまうと何も言えない。今日は店長さんに助けられっぱなしだ。

今も勝手に身の上話を聞かせてしまったし、言われた通り黙っていよう。

そうやってしばらく、二人から乱暴な優しさを受け取っていた。

 

「じゃあ後藤さん! せっかくだから何か言って!」

「あっ」

 

 そんな不思議な時間も喜多さんの一言で終わりを告げた。

急に話を振られたひとりが、弦が切れた時くらい顔を真っ青にして震えている。

あれは駄目だ。今日はもう何も無いと思っていたけれど、最後に一つ仕事が出来てしまった。

 

「すみません店長さん、廣井さん。もう一個だけお願いしてもいいですか?」

「ここまで来たらなんでも言え」

「いいよ!」

 

 今日は変なお願いばかりしている。そしてどれも聞いてもらっている。

廣井さんにすらしばらく頭が上がらない。困ってしまうけど、どこか嬉しい。

 

「合図をしたら、この方向に僕を投げ飛ばしてください」

 

 今回のも相当変だ。二人とも首を傾げていたけどまた聞いてもらえた。

だから僕も安心してひとりの様子だけ観察できる。顔色を、表情をよく見る。

焦って、悩んで、思い出して、そして決心する。きっとこのタイミングだ。

 

「今です」

「おらっ」

「へいっ」

 

 二人に投げ出された僕がよろめきながら歩きだすのと同時に、ひとりがステージから跳んだ。

やると思った。まったく話せないけど、それでも会場は盛り上げたいという欲が出たんだろう。

廣井さんのライブでも参考にしたんだろうけど、観客に備えが無ければただのボディプレスだ。

誰も受け止めるはずがない。このままではただの飛び降り自殺と変わらない。

 

 それも僕がいなければの話だ。ライブ中は結局何も出来なかったから、これくらいしないと。

入らない力で何とか位置を調節して、ひとりの落下ポイントまでたどり着く。

大人二人の力が良かったのか間に合った。無事に落ちてくるひとりを抱き止められた。

 

 入らないなりに工夫して、膝、腰、腕、全身を使って衝撃を和らげる。

消化しきれなかった分は、受け身の要領で一二回地面を転がってなんとかした。

腕の中のひとりを確認する。目をぐるぐると回して気絶しているけれど、それだけだ。

怪我も無い。自分のも含めて頭は守れたから、特に心配もいらないだろう。

 

 一安心して立ち上がろうとして、まったく手足に力が入らないことに気がついた。

あれ、おかしいな。腰が抜けてた足はともかく、手は動くはずなのに。

それどころか視界まで、思考までかすみ始めた。どういうことだろう。なんだこれ。

 

 どんどん意識が薄くなっていく。そこでやっと気がついた。これ気絶だ。僕気絶しかけてる。

なるほどこれが気絶。他人には数え切れないほどさせてきたけど、自分がするのは初めてだ。

どうして急に。緊張と安心の連続で脳が混乱でもしたのか。今更どうしようもないか。

にしても気絶ってこんな感じなんだ。ふわふわする。なんだかおかしい、笑える。不味いなこれ。

 

「ご、後藤さん、先輩、大丈夫ですか!?」

「すごーい、おねーちゃんがおにーちゃん倒した!」

「まさか、魔王を討つ勇者がぼっちだったとは。この私の目をもってしても見抜けなかった」

「言ってる場合か節穴ァ!!」

「おー見て見てー、二人ともいい寝顔ー。あっ私も寝ちゃおー。おやすみー!」

「てめー永眠させてやろうか!? んなことより担架、誰か担架持ってこい!!」

 

 今までは周りになかった、そんな賑やかな会話を耳にしながら僕の意識は落ちていった。

 




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最終回のあらすじ
「名前」


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最終話「ひとりの兄もまた一人」

感想評価、ここすきありがとうございます。

前回のあらすじ
「勇者ぼっち誕生」


「私、ひとりちゃんを支えられるようになるね」

 

 喜多さんのその声で目が覚めた。肌に伝うシーツの感触。ほのかに感じる消毒液の匂い。

気絶した僕達はどうやら保健室に運ばれたらしい。救急車を呼ぶほどじゃなかったようだ。

起き上がる前に手足の指先を動かしてみる、両方とも力が入る。大丈夫そうだ。

 

「お兄ちゃん!」

「先輩! 大丈夫ですか!?」

「おはよう。平気だよ」

 

 起き上がると、ひとりと喜多さんが心配そうにしていた。

返事もそこそこに僕はベッドの縁に座り直し、ひとりへ向けて腕を開いた。

 

「ひとり、おいで」

「えっあっうん」

 

 そして呼びかけて、とりあえずひとりを抱きしめた。

 

「!?」

 

 喜多さんが驚愕だかドン引きだかしてるけど気にしない。今の僕は気絶明けだ。

だから急に頭のおかしいことをしてもしょうがない。意味不明の言い訳を自分で並び立てる。

目をひん剥く彼女は放っておいて、僕は腕の中のひとりに問いかけた。

 

「ひとりは大丈夫? 痛いところとか無い?」

「お、お兄ちゃんが受け止めてくれたから、平気」

「よかった。でも今度からはやる前に相談してほしいな」

「……うん、ごめんなさい」

 

 話しながらさりげなく、ひとりの頭を撫でて触診する。たんこぶも切り傷も出来ていない。

抱きしめた腕を調整して反応を見るけど、特に何ともない。言葉の通り怪我はないらしい。

ひとりが無事でよかった。じゃあ次、ライブの方はどうなったんだろう。

 

「そういえば喜多さん、あの後ライブはどうなったの?」

「え、その体勢のまま聞くんですか!?」

「うん」

「曇りなき目!!」

 

 ツッコミながらも喜多さんは、僕達が気絶した後のことを教えてくれた。

当たり前の話だけど、あの後結束バンドのライブは中断となった。

残念だけど、リードギターが二重の意味で壊れてしまったから当然だろう。

ついでに廣井さんが本気で寝てしまったから、店長さんが担いで退場したそうだ。お疲れ様です。

 

 その後は予定より遅れたけど、無事に他のバンドもライブが出来たらしい。

よかった、僕達のせいで彼らの頑張りを無にしてしまうところだった。

というか何故か、あのダイブと気絶で会場は更に盛り上がったそうだ。ロックって分からない。

 

「あの、お兄ちゃん」

 

 ロックについて哲学的思考に陥りつつあった僕を、ひとりが連れ戻してくれた。

回した腕で僕の背中を叩いた後、顔を見上げながらおずおずと尋ねてくる。

 

「どうだった?」

 

 どうだった。何がどうだった? そう迷ったのも一瞬で、答えは簡単だ。

今日のライブの感想だ。怪我と現状の確認でそこまで頭が回っていなかった。

いつもいの一番に言っていたのに、ずっと触れなかったから心配になったのかな。

 

 なんて言おう。頑張ったねとか、よく諦めなかったねとか、偉いねとか。

兄として妹に言いたいことはたくさんある。だけど、今言うべきことは違うはず。

今求められているのはバンドマンの、ギタリストのひとりへの言葉だ。

 

「凄く格好良かった」

 

 だから、これ以上はいらない。兄としてじゃない、一人のファンとしての思いだ。

ステージに立って演奏する姿は、何があっても諦めなかったひとりは、とても格好良かった。

そう伝えると、目と鼻の先でひとりは恥ずかしそうに、嬉しそうに微笑んでくれた。今は可愛い。

 

「喜多さん」

 

 彼女にも感想を伝えないと。そう思って呼びかけると、何故か目を閉じて腕を開いていた。

なんだあれ。何かのポーズ? まるで何かを待ってるような、迎えるような。

いやまさか、そんなはずないとは思うけど、僕が彼女にも抱き着くと勘違いしてるとか。

少し観察しても喜多さんは微動だにしない。完全に待ちの姿勢だ。どうしよう、困った。

 

「ひとり、どうしよう」

「えっえっ、わ、私に聞くの?」

「行くのもよくないけど、行かないのも不味い気がする」

「な、ならもう、好きにするしかないんじゃ」

 

 行くと何かが終わる予感がするし、行かないのも喜多さんに恥をかかせてしまう。

迷いすぎて若干彼女の顔が赤くなってきた。勘違いに気づいたのかもしれない。

そのタイミングでようやく一つ思いついた。作戦のため、まだ胸の中のひとりを反転させる。

 

「ごめんねひとり」

「えっ、わっ!?」

「ん!? あ、あれ? ひとりちゃん?」

 

 そのまま背中を押して、喜多さんの腕の中にひとりを飛び込ませた。

ひとりも喜多さんも、急にお互いの顔が目の前に現れて困惑しているようだった。

絶対に無いとは思っていたけど、嫌がってはなさそうだ。作戦その一成功だ。

 

「失礼します」

「!?」

 

 そして作戦その二、僕と喜多さんの間にひとりを挟んでみる。

直接するのは色々問題があるけれど、これならギリギリいけるかも。

 

「ぐふっ」

 

 いけなかった。友達との抱擁は、密着はまだ刺激が強かったらしい。

僕と喜多さんに挟まれてひとりは死んだ。死んでも緩衝材になってくれていた。出来た妹だった。

突然の抱擁に突然の死。喜多さんは目を白黒とさせていたけれど、それだけだった。

 

「ひ、ひとりちゃん、また気絶しちゃいましたけど……」

「そうだね。でも、かえってちょうどいいか」

「ちょうどいい、ですか?」

「ひとりの前だと言えないけど、喜多さんにどうしても伝えたいことがあって」

「……言えないこと?」

「大切なことなんだ。でもあの子の前だとちょっとね」

 

 僕の言葉に喜多さんは何故か生唾を飲み込んで、あたふたと髪を弄り始めた。

 

「あっ、ど、どど、どうぞ」

 

 そして何故かひとりのようになっていた。ギターはいいけど、生態は真似しない方がいいよ。

喜多さんが何を考えているか分からないけど、このままじっとしていてもしょうがない。

ひとり越しとはいえ抱きしめた状態だ。長々とするのもよくない。早く言ってしまおう。

 

「喜多さん、今日はありがとう」

「え、えっと?」

「あの時ひとりを助けてくれて。ギターソロに挑戦してくれて」

「あ、あー、そういう」

 

 今度は何故か、喜多さんは自分の頬を引っ張っていた。訳が分からない。痛くするよ。

その痛みで冷静になったようで、彼女はどこか落ち着いた様子で語りだした。

 

「だけど、あれは私のわがままみたいなものですから」

「わがまま?」

「はい。格好いいひとりちゃんを、私が見たかったんです」

「……そっか、じゃあ半分だけ取り下げるね」

 

 喜多さんは不思議そうな顔をして、ただ首を傾げるだけだった。

もう半分の心当たりがないんだろう。だけどそっちの方が本命だ。

 

「そう、半分。もう半分は、ここからがひとりには聞かせられないところ」

 

 さっきひとりのことを褒めたのに、これから話すことを聞けば拗ねてしまうかも。

拗ねるのはいい方で、下手をすればいじけてしまう可能性もある。だから聞かせられない。

 

「今日は喜多さんが一番格好良かったよ」

「……ひとりちゃんじゃなくて、ですか?」

 

 頷いて返事をすると、喜多さんは僕がひとりを抱きしめた時よりも驚いていた。

僕がこんなことを言うなんて想像もしてなかったのだろう。

自分で言うのもなんだけど、僕が家族より他人を高く置くなんて。

半年前の僕に話しても一笑されるくらいありえないこと、僕自身信じられない思いだ。

 

「歌も演奏も凄く上手くなってた。あれからたくさん練習したんだね」

 

 どっちも最後に聞いたのはいつだったか。

歌はひとりとのことを打ち明けた時、ギターはそれこそ夏休みのライブだったはず。

それからは文化祭の準備で忙しくて機会がなかった。だから僕の驚きもひとしおだった。

 

「特にあのギターソロは感動したよ」

「あれは無我夢中で、それにたくさん失敗もしちゃいましたし、私まだまだです」

「技術はその内追いつくよ。でも気持ちは、勇気は違うと思う」

「……そうでしょうか?」

「あそこでひとりを見て、皆を信じて、勇気を出せたこと。あれは喜多さんにしか出来なかった」

 

 ひとりを助けたいという優しさ、ひとりなら打開するという信頼、そのために踏み出せたこと。

そのどれもが眩しくて、格好良くて、僕は彼女のことがまた好きになった。

 

 この気持ちはどう伝えればいいんだろう。

スキンシップは駄目だ。今だって僕としてはギリギリの行為。これ以上は友達のラインを超える。

じゃあ言葉にするしかない。でもただ単純に褒める、好きだと伝えるのもなんだか芸がない。

少し考えて、寝起きにとてもいいものを耳にしたことを思い出した。僕も参考にしよう。

 

「今日は素敵なものを見せてくれてありがとう、郁代さん」

「……」

「あれ郁代さん、もしもし郁代さん? 郁代さん、郁代さーん?」

 

 郁代さんがひとりを名前で呼んでいたのを真似させてもらった。

名前呼び。これもまた一つの親愛表現だ。他人をちゃんと名前で呼ぶのって初めて。

呼び方を変えただけなのに、距離が近づいた気がしてそわそわする。不思議な感じだ。

 

 僕なりに勇気を出したけど、郁代さんは何も反応してくれない。止まったままだ。

もしかして、また何か不味いことをしてしまったのかな。どこだろう。

僕が悩み始めると同時に、急停止していた彼女が強烈な震えと共に何かを発し始めた。

 

「さ、さささんづけはだめよしわしわがもっとしわしわにしわしわしわしわ」

 

 壊れちゃった。

 

 

 

「おーいぼっちちゃん、後藤くん、起きたー?」

「お腹空いた。早く起きないと打ち上げ置いて行くよ」

 

 増えた死体をどうしようか悩んでいると、保健室の扉が開いた。

あまりにも僕達が遅いから、二人ともしびれを切らしたらしい。助かった。

 

「おはよう二人とも。ライブお疲れ様」

「おは…………なんで後藤くん以外気絶してるの? なんかした?」

「何もしてないのに壊れた」

「なんかした人が言うやつ!」

 

 経緯を話すと伊地知さんが説明してくれた。曰く、喜多さんは名前で呼ばれるのが苦手らしい。

しわしわネームだからだそうだ。郁代、綺麗でいい名前だと思うのに。

さん付けでしわしわ限界突破したから気絶したんじゃないか、というのが伊地知さんの見解だ。

しわしわ限界突破ってなんだろう。何も分からないけど、名前呼びは一旦諦めることにした。

 

「というか、喜多ちゃんのこと名前で呼んだんだ」

「うん。そうやって指摘されると、なんか恥ずかしいね」

 

 たかが違う呼び方を試しただけ。それだけなのに、不思議な気恥ずかしさがある。

それを見抜いたのか伊地知さんは、僕を試すように自分のことを指差し聞いてきた。

 

「私は?」

「伊地知さん」

「そうじゃなくて」

 

 誤魔化してみたけどまったく通用しなかった。伊地知さんは手ごわい。

もちろん彼女が言いたいことは分かっている。私は名前で呼ばないの、ってことだろう。

呼びたいけれど、今日は疲れた。急ぐことでもないからもっと余裕がある時にしたい。

 

「……今日はもう勇気が無いから、また次の機会にお願いします」

「ふーん、ほーん、へー」

 

 僕の返事を伊地知さんはにやにやと受け取った。猫っぽい耳やら目やらの幻覚が見える。

これなら名前で呼んでも大丈夫そうだよかった嬉しい、とでも思い込んでおこう。

それ以外特になんとも思ってない。本当だよ。本当。

 

「じゃあ楽しみにしとくね!」

 

 そう明るく言ってから、彼女は気絶組の面倒を見始めた。

何か僕も手伝おう。そう思って動こうとすると、突然腕を引かれる。

振り返ると山田さんが物欲しそうにしていた。お腹の音がうるさい。

 

「陛下お腹空いた。何かちょうだい」

「のど飴しか持ってないよ」

「ありがとう」

 

 ポケットに入っていた唯一のお菓子を取り出すと、その瞬間に奪われた。

まだあげるとも言っていないけど、山田さんがご満悦だし別にいいか。

その飴をころころと口の中で転がして、彼女はとてもご機嫌そうだった。

 

「今日の後藤兄妹は中々ロックで面白かった」

「その言い方演奏じゃなくて、ひとりのダイブのことだよね。あれを褒められても」

「それもだけど、陛下のもだよ」

「僕の気絶もロックなの?」

「そっちじゃなくて、廣井さんから奪ったやつ」

 

 その言葉でぴしりと体が固まったのが、自分でも分かった。

今日廣井さんから強奪したのは、あの時あの場所の、あのお酒しかない。

 

「もしかして、見てた?」

「バッチリ」

 

 ステージ上でやりなよ、と言いたくなるくらい見事なウインクとサムズアップだった。

今日の山田さんは周りをよく見ている、なんて思っていたけれど、余計なものまで目にしていた。

飲酒は結局未遂だったけど、皆に知られると余計な心配をかけてしまうかもしれない。

それに振り返ると、凄い空回りと思い上がりで恥ずかしい。山田さんには黙っててもらわないと。

 

「……内緒にしてね」

「ふっ、とうとう陛下の弱みを手に入れた。これから私の下剋上が始まる」

「今度から弁当作るのやめようかな」

「ははーっ、申し訳ございませんでしたー」

「うむ、許して遣わす…………ふふっ」

 

 久しぶりの様式美だ。変なやり取りではあるけれど慣れてしまった。

そのことがなんだかおかしくて、自分で言っててつい笑ってしまった。

山田さんはどうしてか目を見開いていたけれど、その後は同じように笑ってくれた。

そうして伊地知さんがひとりと喜多さんを復活させるまで、二人して微かに笑い合っていた。

 

 

 

 慣れのおかげか介護のおかげか、それほど時間もかからずに二人とも復活した。

これから皆は打ち上げだ。見送ろうとした時に、僕は大事なお願いを思い出した。

 

「打ち上げ前で悪いけど、皆に一つお願いしてもいいかな」

 

 なんだろうと顔を見合わせてから、皆こちらを向いてくる。聞いてくれるようだ。

山田さんだけ対価を求めて手を伸ばしてきたけど、伊地知さんに叩き落とされていた。

これなら僕も口に出せる。今日最後の勇気を頑張ってひねり出した。

 

「今日のライブでファンになったから、皆のサインが欲しい、です」

「ファンかー、なんだか照れるなー……………あれ、ちょっと待って」

 

 最初は嬉しそうにしていた伊地知さんが、段々と怪訝な顔になっていく。

腕を組んで考え込んだ後、驚きと疑念を全面に押し出して声をあげた。

 

「え、じゃあ今まではファンじゃなかったの?」

「うん」

「素直!」

 

 僕の返事に伊地知さんだけじゃなく、喜多さんも山田さんも不服そうにしていた。

喜多さんなんかチクチクと僕の脇腹を攻撃してくる。痛くないけどくすぐったい。

 

「えー先輩、それは薄情じゃありませんか?」

「…………逆に聞くけど、今までファンになる要素ってあった?」

「薄情を重ねて来た」

 

 三人に、よく見るとひとりもだから四人全員に軽く睨まれる。

そうなる気持ちはよく分かるけど、僕の言い分も聞いて欲しかった。

はっきり言って、今までバンドとして皆のファンになる理由はほぼ無かった。

 

「だって僕が見たライブって、夏休みのあれだけだよ」

「うっ」

「言いにくいけど、あれでファンになるのは難しいよ。なるとしてもひとりのだよね」

「お、おっしゃる通りです」

「他に見てるのは普段の漫才くらいだから、ファンになってもお笑いとしてかな」

「今日言葉のナイフ鋭くない?」

 

 今日は緊張したり捨て鉢になったり、挙句の果てに気絶までしてしまった。

そのせいで普段よりもブレーキが緩んでいるような気がする。

よくないことだ。僕は調子に乗りやすい方だから、もっと気を引き締めないと。

 

「まあいいや。とにかくサインサイン、何に書けばいい?」

「あっ私色紙持ってます」

「用意いいねー。あっ後藤くんが今日欲しがるって予想してたとか?」

「あっ求められたらいつでも書けるように、毎日持ち歩いてます」

「ぼっちちゃん……」

 

 初めて作詞をした時にサインを作ってから、ひとりの鞄には常に色紙が入っている。

もちろんその時にひとりのサインはもらった。僕がサインをもらった第一号だ。

ちなみに父さんは二号、泣いて悔しがっていた。でもあげない。あれは僕のだ。

 

 「ふむ、では私から書かせてもらおう」

 

 ひとりが伊地知さんに渡そうとした色紙を、山田さんが横から手に取った。

同時にサインペンも手にして、当然のような顔をして色紙にペンを走らせる。

とても慣れた手つきだった。ひとりのように、彼女も密かに練習しているのかもしれない。

 

「……あっ! なんで真ん中に書くの!?」

「結束バンドの中心は私だから当然。陛下も嬉しいよね?」

「ひとりのがよかった」

「がーん」

 

 書いてもらってしまったものはしょうがない。

空いているところに皆にも書いてもらった。急な話だったけど、皆サインは考えていたようだ。

最後に喜多さんが書き込んで四人揃った。喜んで受け取ろうとすると、山田さんが口を挟む。

 

「待った郁代、転売対策に宛名も書いて」

「リョウじゃあるまいし、そんなことする訳ないでしょ」

「失礼な、私だってしないよ」

「じゃあ喜多ちゃんのベースって、今どこにあるの?」

「………………ベースを愛する人のところ、かな」

「リョウ先輩……?」

 

 山田さんのすっとぼけた返事に喜多さんは愕然としていた。悲しい事件があったらしい。

その影響かは知らないけれど、宛名を書く彼女の手はすっかり止まってしまった。

 

「き、喜多ちゃん、どうしたんですか?」

「………………………………………後藤先輩の名前って陛下と魔王、どっちでしたっけ?」

「えっ」

 

 空気が凍った。

 

「き、喜多ちゃん……?」

 

 ひとりにすら信じられないようなものを見る目を向けられ、喜多さんは大いに動揺している。

それでもなんとか僕達を納得させようと、頑張って言葉を並べ始めた。

 

「だ、だって、リョウ先輩、先輩のこと陛下って呼んでますし、先輩魔王って呼ばれてますし!」

「陛下はあだ名だよ。私が名付けた」

「うわドヤ顔。あー魔王が先だし、あれもあだ名というか異名というか、とにかく違うよ」

 

 比較出来ないほど名前よりも魔王の方が呼ばれている。そっちの方が通りはいい。

それはそれとして喜多さんの発言が冗談じゃないことが分かり、微妙な空気が流れた。

なお山田さんだけは感心し始めた。相変わらず不思議な感性だった。

 

「ここに来て薄情ナンバー1を狙ってきたか。さすがナチュラル鬼畜郁代、侮れない」

「ナチュラル鬼畜郁代!?」

 

 言い訳も受け取られず鬼畜の烙印まで押された喜多さんが、耐えかねたように主張した。

 

「だってしょうがないじゃないですか! 私、後藤先輩に自己紹介してもらってません!」

「…………そういえば、そうだね」

 

 喜多さんは恨めし気だ。教えてもらってないのに、と目が語っている。

でも僕から言わせてもらえば、ずっと自己紹介する隙も無かった。あの頃の喜多さんは怖かった。

 

「名乗っても無いのにぐいぐい来るから、正直怖かった」

「えー、後藤くんでも怖いとかあるの?」

「名前は聞かないのにロインは聞いてくるし、そのままカラオケにも呼び出されるし」

「えっ、喜多ちゃん怖っ」

「いやそんな大げさな」

「えっ、郁代怖っ」

「リョウ先輩!?」

 

 驚愕に震える喜多さんに目もくれず、山田さんがちらちらとひとりに視線を送っていた。

なるほど、フリだ。ひとりもちゃんと理解したようで、何回か唾を飲んだ後で叫んだ。

 

「あっ、えっええっ、きききき、喜多ちゃん怖っ!!」

「ひとりちゃんの反応の方が怖いわ」

 

 そんな茶番を挟んで一息つくと、今度は僕が皆に注目され始めた。

期待やらなにやら、とにかく何か好意的な目、肯定的な目で自己紹介を求められている。

今までは想像もしていなかった状況だ。想像出来ないことで嬉しいことが起きるようになった。

これからはきっとこんなことも増えていく。そう考えると胸が嬉しさで一杯になる。

 

「じゃあ改めまして、僕の名前は」

 

そんな気持ちを抱きながら、僕は生まれて初めて望まれて自己紹介をした。

 

 

 

 

 

 お父さんに土下座しよう。

 

 大変だったけど楽しかった文化祭ライブと、その打ち上げを終えて私は決意した。

だ、だって、お父さんから借りてた、あんなに大事にしてたギター壊しちゃった。

ことあるごとにあのギターを抱えて自慢話をよくしてた。あれはお父さんにとっての青春だ。

何度も聞かされて凄く鬱陶しかったけど、それはそれ、これはこれ。ちゃんと謝らないと。

 

「お兄ちゃん、一緒に土下座して」

「ギターのことなら、父さん気にしてないと思うよ」

 

 一人での土下座は寂しいから、お兄ちゃんにもお願いした。私は何を言ってるんだろう。

自分でも意味不明なお願いだったけど、お兄ちゃんは全部分かってるみたいだった。

気もそぞろにしながらも、袖を摘まむ私を慰めるように頭を撫でてくれた。

 

「むしろガンガン壊せ―、くらいは言うんじゃない?」

「そうかな、怒ってないかな」

「平気平気。喜んで破壊用のギターカタログとか出してくるよ、きっと」

「えぇ……いくらなんでもそれはないよ」

 

 そう言ってお兄ちゃんは私を励ましてくれるけれど、視線はこっちに無い。

ずっと手に持った物を楽しそうに眺めている。見るからにご機嫌なのが伝わる。

こうして私が話しかけているのに見てくれないのは凄い珍しい、というか初めてかもしれない。

珍しいなと思っただけで、それ以外は別に何も感じてない。本当に。本当。

 

「……サイン、そんなに嬉しかった?」

「うん。あっ、今度これ用の額縁買ってこないと」

 

 お兄ちゃんが実用品以外を欲しがる。これもまた凄く珍しい。

殺風景な部屋からも分かるように、お兄ちゃんは趣味で何かを買ったりはしない。それなのに。

密かに驚いて、それに気づかないお兄ちゃんへ更に驚いていると、ふたりが部屋に入ってきた。

 

「おにーちゃん何見てるの?」

「サインだよ。今日結束バンドの皆に貰ったんだ」

 

 嬉しそうに言うお兄ちゃんに、ふたりも興味を引かれたみたい。

お兄ちゃんの元へ歩いて膝の間に座り込んだ。そしてお兄ちゃんが持つサインを覗き込む。

最初は綺麗だー、と喜んでいたふたりだけど、何か変なものを見つけたらしい。

むむむと眉をひそめている。私のサインがダサいとか言われなければいいなぁ。

 

「んー? でもおにーちゃん、これおねーちゃんのだよ?」

 

 私の? 意味が分からなくてお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんも私を見ていた。

二人して首を傾げる。そんな私たちを見て、ふたりがサインの一か所を指差す。

 

「だってここ、ごとうひとりくんへって書いてある」

「……ふたり、漢字読めるの?」

「読めるよ! これがごとうで、こっちがひとり、だよね!」

「凄い、ふたりは頭がいいね。将来は学者さんかな」

「えっへん!」

 

 鼻を高くして胸を張るふたりに、まったく嘘の様子は見えない。

えっ、本当に読めるの? そんな、私があのくらいの時にはひらがなも怪しかったのに。

ま、不味い。このままではあと数年もしたらふたりに学力で抜かれる……!

お姉ちゃん因数分解も出来ないのって煽られる……! 実際苦手だから何も言えない!

 

「はい、おねーちゃんどうぞ! もうなくしちゃ駄目だよ!」

 

 未来のふたりに怯えていると、今のふたりが私の膝に座っていた。

まま、まさか、既に因数分解を!? 馬鹿な妄想に一瞬気を取られる。そんな訳ない。

ふたりが差し出していたのは、お兄ちゃんがもらったサインだった。

 

「はっ、あ、ありがとうふたり。だけどこれはお兄ちゃんのだよ」

「ここにひとりって書いてあるよ? おねーちゃんの名前でしょ」

 

 忘れちゃったの、とでも言わんばかりにふたりがサインを私の顔に押し付ける。

よ、読めない。この至近距離じゃそもそも読めない。真っ暗で線しか見えない。

のしかかるふたりをお兄ちゃんがどけてくれて、ようやくふたりの言ってることが分かった。

お兄ちゃんの名前を読み間違えていた。紛らわしいからしょうがないと思う。

 

「これお兄ちゃんの名前だよ。ひとりとも読むけど、お姉ちゃんの名前はひらがなで書くから」

「漢字って難しい……」

 

 ふたりに勝った。いや園児に勝ってどうするの。負けたらもっとどうするの。

葛藤する私を気にせず、気に出来るのお兄ちゃんくらいだけど、ふたりは別の漢字を指差した。

 

「じゃあおねーちゃん、こっちはなんて読むの?」

「これは、おうえんだよ」

「おねーちゃん漢字読めるんだ!?」

「私高校生だよ!?」

 

 ふたりは舌を出して冗談だよーなんて言っている。あざとい。将来が怖い。

 

「ひとり、そのまま全部読んであげたら?」

 

 妹の将来をあらゆる意味で恐れていると、お兄ちゃんから提案があった。

サインは普通の書き方より読みづらいから、ふたりに教えてあげなさいってこと?

その考えはちょっと意地悪なお兄ちゃんの顔で、どこかへ飛んで消え去った。

 

「お姉ちゃんがちゃんと漢字を読めるって、証明しておかないと」

「お兄ちゃん?」

 

 冗談だよ、とお兄ちゃんはいたずらっぽく笑っている。お兄ちゃんもあざとい。将来が怖い。

いやお兄ちゃんの将来を心配してる場合じゃない。私の方がずっと怖い。

気を取り直してふたりの持つ色紙に指を置き、皆のサインを確認した。

 

「これが虹夏ちゃん」

「かわいいー!」

「こっちが喜多ちゃん」

「きれいー!」

「それで、リョウ先輩のがここ」

「じみー!」

「ほ、本人に言っちゃ駄目だよ?」

 

 前リョウ先輩が家に来た時も、ふたりはベースが地味だと言い放って怒りを買っていた。

優しいけど大人げないところがあるから、小さい子とは相性そんなによくないのかも。

あんまりないと思うけど、お兄ちゃん抜きで二人が会う時は私が頑張らないと。

 

「おねーちゃんのは?」

「…………こ、これ」

 

 決意に満ちた私の気持ちは、ふたりのきらきらした疑問の眼差しで再び荒れ始めた。

ふたりは私に容赦が無い。そして時々、いや基本的に舐めている。

だからもし私のサインが気に入らなければどんな反応をするか、想像もしたくない!

 

「かわいいね! ふたり一番好きだよ!」

 

 幸い今回は好評だった。よかった。ボロクソに言われたら立ち直れないところだった。

 

「ふたり、これは?」

「むぅ、もう読めるよ!」

「じゃあお兄ちゃんに読んで教えてくれる?」

 

 一通り皆のサインを読み終わったところで、お兄ちゃんが横から宛名を指差した。

復習とかそういうのじゃない。ただお兄ちゃんが読んでもらいたいだけだと思う。

 

「おねーちゃん、せーので読もうね!」

「えっ、私も?」

「うん! はい、サイン持って!」

 

 良くも悪くも、ふたりにお願いされて私が断れるはずもない。

お兄ちゃんも期待の眼差しをしている。そんな風に見られると私もやぶさかじゃない。

だからふたりの掛け声に合わせて、一緒にサインの宛名を読みあげた。

 

『後藤一人(かずと)くんへ これからも応援よろしく!』

 

 私たちが読むのを、お兄ちゃんはニコニコと笑みを浮かべながら聞いていた。

その笑顔が、このサインが、宛名が、もうお兄ちゃんがぼっちじゃない証のような気がして。

それがたまらなく嬉しくて、私もつい笑顔になってしまった。

 




ご愛読いただきありがとうございました。


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「ギターを買いに行かない話」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

文化祭飲酒未遂について
 ぼっち まったく気づいてない。そんな余裕はなかった。滅茶苦茶心配されたのは知ってる。
 虹夏  気付いてない。位置的に手元が見づらかった。
 喜多  様子は見てたけど、まさか飲酒しかけだったとは思っていない。
 山田  全部見てた。意図も大体察している。大満足。



 文化祭翌日、今日もまた僕はスターリーを訪れていた。今日の目的は二つある。

まず一つ目を果たすため、僕は店長さんと向かい合って座っていた。

なんとなく期待に胸を膨らませている僕を見て、彼女はとても気味悪そうにしている。

 

「あのさ、わざわざ自分から説教されに来るか普通?」

「せっかくの機会なので」

 

 今日の第一目的、昨日ライブ中に言っていた説教をしてもらうためだ。

よくよく振り返ってみれば、家族とお巡りさん以外からの説教なんて十数年振り。

不謹慎なのは分かっているけれど、どんな言葉をかけてもらえるのかわくわくする。

 

「あー、自分から言っといてなんだけど、こういうの苦手だからさっさと終わらせるぞ」

「お願いします」

「いいか、周りをもっと信用しろ。もっと頼れ。もっと自分を大切にしろ。以上だ」

 

 周りを、他人を信用すること、頼ること。以前までの僕には発想すらなかったこと。

今となっては否定なんて出来ない。昨日といいこれまでといい、色んな人に助けてもらっている。

それでも店長さんから見れば、今の僕ではまだまだ足りないのだろう。

そんなことをしていいのか、それは正しいことなのか、分からないけど気には留めておこう。

 

「はい、心に刻みます」

「……無視されるのもムカつくけど、重く取られ過ぎるのもなんかアレだな」

 

 そう言いながら店長さんは僕の頭に手を乗せて、そのままぐるぐる回し始めた。

これも説教の一種かもしれないから、無抵抗のまま振り回される。視界が回る。

揺れる視界の隅に、なんだか楽しそうな店長さんと微妙な顔の伊地知さんが映っていた。

 

「二人とも何してるの?」

 

 訝しげな彼女の声に、店長さんの動きが止まる。僕の視界も定まってくる。

ジトっとした目を伊地知さんはしていた。何かを疑うように僕達を見比べている。

説教について、ではないように見える。もっと別の、何か重大な問題を考えているようだった。

 

「……なんでもいいだろ」

「妹の友達撫で回しておいて、なんでもいいじゃ済まないよ」

 

 撫で回すというよりは、振り回すの方が近い表現な気はする。

どっちにしても、他所の子供にするべきことではないのは確かだ。

僕は嫌じゃなかったけれど、そんなものを見れば伊地知さんだって不審に思うだろう。

 

「というか今更だけど、お姉ちゃんたちライブ中もくっついてなかった?」

「…………別に、どうでもいいだろ」

「いやよくないよ。廣井さんはともかく、お姉ちゃんまで危ない道に行こうとしてるの?」

 

 店長さんの下手な誤魔化しで、伊地知さんの視線はどんどん強くなっていく。

伊地知さんが何を疑問に思っているのか、はっきり言って僕には分からない。

だけど店長さんが口ごもる理由は分かる。僕の暴走がバレないようにしてくれている。

僕を庇って疑いを受けている。だから僕も、店長さんのために何か弁明しないと。

 

 そのためにも危ない道とは何か考えよう。僕と店長さんを見て出てきた言葉だ。

ついでに廣井さんは既に歩んでいるらしい。彼女の名前が出てくるということはお酒の話かな。

でも今お酒は関係ないはず。僕は当然として、店長さんも素面だ。となるとなんだろう。

 

 廣井さんの危ない道、心配なところを無差別に考えて、そこから連想してみるか。

素行、金銭、将来、健康等々。数えきれないほどあるけれど、どれも店長さんにはピンと来ない。

とりあえずこの中で、店長さんにも関係あるかもしれないものを聞いてみよう。

 

「店長さん、もしかして肝臓悪いんですか?」

「なんの話だよ」

「大丈夫そうな気がしてきた」

 

 僕の質問はまったくの見当違いだったらしい。伊地知姉妹に揃って呆れた目で見られる。

そのおかげか伊地知さんの目から、さっきまでの真剣さはどこかへ消し飛んでいた。

それでも疑念自体は残っていたようで、軽い調子ではあるものの僕にもそれをぶつけてくる。

 

「後藤くんに聞いた方が早いか」

「危ない道の話?」

「まあ、そんなところ。文化祭ライブの時さ、なんでお姉ちゃんとくっついてたの?」

 

 それなら単純な話だ。お酒がどうこうとかは関係ない。嘘を吐く必要もない。

少し恥ずかしいけれど、ありのままを話しても問題ないはずだ。

 

「あれは腰が抜けちゃって、それで店長さんが支えてくれたんだ」

「えっ、後藤くんそんなことになってたの?」

「情けない話だけど、ひとりのソロが無事に終わって安心しちゃって」

「そっか、ギター壊れてたもんね」

 

 説明を聞いてやっと、伊地知さんは安心した様子で胸をなでおろした。

妹がピンチを切り抜け、無事に演奏出来たから腰を抜かす。大げさな反応ではある。

だけど彼女は、僕が重たいシスコンだということをよく知っている。納得もするだろう。

 

 ただ、その安堵の表情も一瞬しか見ることが出来なかった。

僕と店長さんから視線を外した彼女が再び半目に、呆れと疑いの混じった目に戻る。

そんな目になっても、今度は僕も不思議に感じない。その内聞かれるとは思っていた。

 

 彼女の視線の先で、ひとりが何かキラキラと輝きながら、ご機嫌に掃除をしていた。

そしてふと顔を上げると、喜多さんとひとりの目が合う。彼女もひとりの観察をしていたらしい。

だけどひとりは目を逸らさず、それどころかにこりと微笑んで、お辞儀をして再び掃除に戻る。

その様子を見て喜多さんは、お化けでも見たかのように顔を真っ青にしていた。酷い反応だった。

 

「…………そのぼっちちゃんだけど、なんで今日あんなにいい笑顔なの?」

「可愛いよね」

「もうツッコまないよ?」

「店長さんもそう思いませんか?」

「えっあっおう」

「お姉ちゃんを巻き込まないで?」

 

 ひとりが謎のパワーを放ち輝く理由。それを語るには、昨夜の後藤家会議まで遡る必要がある。

怪訝そうな伊地知さんと店長さんに説明するため、僕はそのことを思い出した。

 

 

 

「お父さん、ギター壊してごめんなさい」

「管理が甘くてごめんなさい」

「いいよいいよ! 元々年期入ってたし、それにステージでギター壊すなんてロックだろ?」

「おぉ……」

 

 あの後もひとりはずっと、お父さん怒らないかな、と部屋でぐずぐずしていた。

放っておくと切腹か土下座くらいはしそうな気配がしたから、背中を押して僕も一緒に謝った。

ただ、僕が伝えた想像の通り、父さんはまったく怒っていなかった。むしろご機嫌だ。

その様子と僕の顔を見比べて、ひとりは感嘆のため息を漏らしていた。

 

「どうしたのひとり? お父さんのロック振りに感動した?」

「えっ……うん、それでいいよ」

「あれ、ちょっと反応雑じゃない?」

「思春期の娘なんてそんなものよ」

 

 おざなりなひとりの対応に不思議そうな父さんだったけど、母さんが宥めてくれた。助かった。

深入りされてポロっと、お兄ちゃんが言ってた通りだ、なんて零したら面倒なことになる。

息子の予想を超えたロックを見せてやる、とか意地を張って妙なことをしかねない。

母さんほどじゃないけど父さんも、時々僕達の親だということを見せつけてくる時がある。

 

「なんならもっと壊そう! 最近は破壊するためのギターとかもあるらしいし」

「じゃあ破壊用のカタログとか用意してる?」

「いや、そこまでは期待してないかな……」

 

 ここは外した。僕もまだ読みが甘い。

 

「そ、それでその、修理にも時間がかかるし、その間練習も出来ないし」

 

 もじもじと、指を弄って絡ませながらひとりが本題を切り出した。お小遣い交渉だ。

実はそんなことをする必要ないことを僕は知っている。でもそれは言い出せない。

自分から相談してお金のお願いをする、それが母さんからの条件だったからだ。

ギターは高いし、それだけの大金を渡すなら出元についても説明することになる。

そうなると僕と父さんに、その条件を否定する理由はなかった。

 

「新しいギター買いたくて、それで、お小遣いの前借を」

「ギターなら、お兄ちゃんのを借りればいいんじゃないかしら」

「えっ」

 

 修理ってどれくらいかかるのかお母さん分からないけど、と母さんは続けた。

打ち合わせに無かった展開だ。ひとりが言うならもちろん貸すけど、どういうつもりなんだろう。

不思議に思って母さんに目で問うと、ウインクが返って来た。無駄に上手い。

 

 ウインクはともかく、母さんにも何か考えがあるらしい。ここは少し黙っておく。

母さんに出鼻を挫かれるとは想像もしていなかったのか、ひとりは戸惑っていた。

それでもと、ひとりはもう一歩踏み込んで続きを口にした。

 

「その、二本目が欲しいです」

「ギターって一本あれば十分じゃないの? 本当に必要なの?」

 

 これから渡すお金はひとりが自分で稼いだお金だ。ここまで出し渋らなくてもいいはず。

母さんが意地悪でしている訳ないから、何かひとりのためなんだろうけど。

そんな僕の疑問には、ひとりの言葉が答えてくれた。

 

「……うん、今日必要だった」

「壊れちゃった時?」

 

 黙ってこくりとひとりが頷く。言葉にならない強い後悔と、新たな決意が目に浮かんでいる。

そんなひとりのことを、母さんはいつものように温かい優しい瞳で見ていた。

それで分かった。母さんはこれが見たかった。これを確認したくて、あんなことを言ったんだ。

 

「ちゃんと私が準備してれば、きっとあんな風にはならなかった」

 

 ライブをする上で予備を持って来なかったのは、確かに迂闊だった。

だけどそれは僕も同じだ。当然想定してしかるべきことなのに、何も考えていなかった。

妹と友達のライブ、それにサプライズ。浮かれ切っていた僕の責任でもある。

 

「だから次は皆に迷惑をかけないためにも、二本目のギターが欲しい、です」

「ひとり、これを使いなさい!!」

 

 もう耐え切れないとでも言わんばかりに、父さんがお金を取り出した。

普段の生活ではまず見ることのないような大量の一万円札。

父さんは見せつけるようにして、ひとりの前にそれを広げていた。ドヤ顔だった。

 

「父さん、まだ母さんが確認してる途中だよ」

「でももういいじゃないか! ひとりがこんな立派なことを言うなんて、お父さん感動した!!」

「あらあら」

 

 言葉の通り父さんは半泣きだった。年のせいか最近涙腺が緩い気がする。

母さんは話を遮られてしまったけれど、特に気にしていない様子だ。

ひとりの決意を見て、思いを聞いて、もう納得したらしい。僕も満足だ。

 

 ただ、ひとりはそんな僕達のやり取りなんて気にもしていなかった。出来ていなかった。

目の前のお金に、全ての注意を完全に奪われていた。ただし、それは興奮じゃない。

何か悪い想像でもしているのか、真っ青な顔でお金を見ていた。

 

「な、なな、なにこのお金!? お、お父さん、闇営業!?」

「してないよ。お父さんのことなんだと思ってるの?」

「じゃ、じゃあお兄ちゃんが闇営業!? 闇侵略!?」

「してない。僕のことなんだと思ってるの」

 

 そもそも闇侵略って何。

 

「これはひとりの、ギターヒーローの広告収入だよ」

 

 目を白黒と、ぐるぐると回しながら混乱するひとりに、僕と父さんでなんとか説明した。

ギターヒーローの活動が軌道に乗った時、父さんと母さんに相談したこと。

その話の中で動画広告について父さんが提案して、実際にやってみたこと。

想像以上にギターヒーローの動画が伸びて、かなりの広告料が貯まっていること

せっかくだから僕が補填できる範囲で、そのお金を使って資産運用していること。その他諸々。

なるべく丁寧に根気よく、ひとりが理解できるまで父さんと話し続けた。

 

 

 

 そしてひとりは調子に乗った。

 

「ふへ、ぬへっ、ぬふへへへへへっ」

 

 一万円札を眺めて悦に浸るその姿は、妹ながら表に出せるものじゃなかった。

その表情のまま何を思ったのか、七並べのように床へ一万円札を並べ始める。

それが終わると、今度は一つ一つ指差して数え始めた。独特な数え方だった。

 

 いち、に、さん、と興奮と喜びを隠せない声でお金を数え続ける。これで四回目だ。

最初は一緒に数えて遊んでいたふたりも、今はもう飽きて下へ行ってしまった。

一回目は信じられないように。二回目はとにかく楽しそうに。三回目は浸るように。

それぞれ侘び寂びがあったのだけれど、ふたりにはまだ分からなかったようだ。

 

「お兄ちゃん、これ何枚あると思う?」

 

 下ろして来たの僕だから知ってる、とはこんな嬉しそうな顔の前では言えない。

 

「んー、三十枚くらい?」

「つまり三十万!」

 

 考える振りをするため一瞬溜めて答えると、ひとりはまた楽しそうに声を上げた。

それでようやく満足したのか、やっと床に並べていたお金を拾い上げ、まとめ始める。

その途中、何気ないようにしてひとりが聞いてきた。

 

「お兄ちゃん、何か欲しい物ある?」

「その気持ちだけで嬉しいよ。自分のために使ってね」

「……うーん、自分のため?」

 

 自分のため、自分のためと繰り返していたひとりが、急に息を呑んだ。何か思いついたらしい。

欲しい物を思い出した、じゃない。したいことが実はあった、でもない。

あの感じはおそらく、後ろ向きに全力で走るような発想が今、ひとりの脳裏をよぎっている。

 

「い、今十月で、ライブのノルマが一万円だから、十万円のギターを買えば」

 

 二十万余る。それで何を、あぁなるほど、きっとバイトの話だろう。

予想していた使い道の中でもかなり穏当な方だ。これなら僕が口を挟む必要もない。

密かにしていた警戒を緩めて、お金を掲げてはしゃぐひとりを見守る。

 

「これがあれば、高三の夏くらいまでバイトしなくて済む!?」

 

 暗算にかかった時間はおよそ二秒。こんな時だけ計算が早かった。

 

 

 

「という喜びで、今日はあんなに輝いてる」

「えぇ……」

 

 店長さんもいるし、ギターヒーローのことは抜いて簡単に説明した。

話し始めは楽しく聞いていた伊地知さんも、今ではもの凄く渋い顔になっていた。

その表情に非難を混ぜながら、彼女は僕の肩を軽く叩いてくる。

 

「後藤くんちゃんと止めてよ」

「バイト辞めるって言える勇気が出せたなら、それも成長の一つかなって」

「いやいやいや」

 

 見た目からか表面的な言動からか、ひとりは店長さんを怖がっている。

それでもと勇気を振り絞り、自分の気持ちを伝えられるのなら、それはそれでいい。

バンドを始める前なら絶対に出来るはずもなかったこと。これもある種の成長だ。

 

「それに働く皆を見てたら、辞めるのを止めると思うよ」

 

 自分だけ仕事をせず、悠々自適に過ごす度胸なんてひとりにはない。

仮に辞めると言い出せても、練習やライブでスターリーを訪ねる内に心が折れるだろう。

だから止めてないと告げると、伊地知さんも納得したようだった。

 

「……ぼっちちゃん、バイト嫌なのか?」

「バイトというか、知らない人と接するのがですね」

「まあ、分かってたけどなぁ」

 

 ずっと黙って話を聞いていてくれた店長さんが、落ち込んだ声とともに机に沈んで行った。

しまった。バイトとはいえ、従業員から全力で辞めたいと宣言されたようなものだ。

例え分かっていても、経営者の店長さんからすればショックを受けるのも当然だろう。

デリカシーがあまりにも欠けていた。また今日も反省することが増えてしまった。

 

「あっあああの、店長さん!」

 

 この状況、何と言ってフォローすればいいんだろう。何も思い浮かばない。

そうして悩む僕を尻目に、光り輝くひとりがとうとう店長さんに声をかけた。

店長さんが弱ったのをチャンスと見て挑みかかったのかもしれない。あの子は時々卑劣だ。

 

「……何?」

「あっえ、えっと、ば、ばばバイトのことで」

「バイトが、何?」

「あっ、え、ああ、あっと、えっ」

 

 ただ、出せた勇気はそこまでだった。輝きを失ったひとりが僕の背中に潜み始める。

今日はここまでかな。怯えながらも声をかけられただけ、この子にしてはよく出来た方だ。

そう思っていたのだけれど袖を引っ張られて、まだ諦めていないことを悟った。

 

「お、お兄ちゃん、代わりに言ってっ」

「キラーパスだ」

 

 引っ張られるまま腰を落とすと、耳元でひとりがごにょごにょと何か囁き始めた。

今までお世話になりました。今日でバイト辞めます。ありがとうございました。どうかお元気で。

なるほど、言いたいことはよく分かった。絶対に僕からは言わない。代わりに何を言おう。

 

「店長さん、何か欲しい物とかありますか?」

「え」

「バイトの話どこ行った?」

「それはあとでひとりから言います」

「!?」

 

 裏切られたような瞳でひとりが僕を見上げてくる。

胸が痛むけれど、僕から伝える訳にはいかない。それだと何の意味も無い。

説得や慰め、言い訳などなど、色んな気持ちを込めてひとりの頭に手を乗せた。

 

「こういうことは自分で言わないとね」

「うぉぅ……」

 

 納得か諦めからか、謎の鳴き声を出しながら、ひとりは萎れて崩れ落ちていった。

それをバラバラにならないよう僕が丁寧に成形している様子を、店長さんは何故か撮影していた。

時々こうしてひとりの、たまに僕のも、写真を撮っているけれど、理由がまったく分からない。

まさか店長さんに限って、単純に盗撮をしているだけ、なんてことはないだろう。

きっと何かしらの理由があるはず。次に撮っているところを見たら教えてもらおう。

 

「すみませんお待たせして。それで、何かありますか?」

「特にないけど、急にどうした?」

「この間のも含めてお礼がしたくて」

 

 出会ってからずっと、店長さんにはお世話になりっぱなしだ。

その度に感謝の気持ちは伝えているけれど、もうそれだけでは足りないくらいだ。

この辺で一度何か言葉以外、ものや行動でお礼をしておきたい。

そう思って言ったけど、店長さんの反応はあんまりよくない。頬杖をついてため息を吐かれた。

 

「別に、どれもお前のためにやった訳じゃない」

「だとしても、です。出来ることがあれば何でも言ってください」

「何でもって。そこまで言うなら、まあ何か考えとく」

「よろしくお願いします。待ってます」

 

 思わず頭を下げて頼み込む。そんな僕を見て、彼女は薄く笑っていた。

 

「ふっ、なんでやる側がお願いしてんだよ」

「……ほんとだ、変ですね。それだけお礼がしたいってことにさせてください」

「たまに馬鹿だなお前」

 

 そう言って軽く鼻で笑った後、店長さんはいつかのように僕の額を指で弾いた。

意地の悪い振舞だけど、悪意はまったく感じない。からかいは十分に感じる。

その表情はどことなく、いたずらっぽい時の伊地知さんを彷彿とさせる。

だからその時と同じように僕もまた、なんとなく楽しくなってしまった。

 

「やっぱりあやしい……」

 

 なお、その伊地知さんは何故か、再び疑いの目を僕らに向け始めていた。

 

 

 

「で、ぼっちちゃん。バイトの話って?」

「……こ、これからも誠心誠意頑張らさせていただきましゅ…………」

「あっ、うん。よろしく?」

 

 結局言えなかった。まだまだ成長が足りない。

 




次回「ギターを買いに行く話」
来週二十七日投稿予定です。


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「ギターを買いに行く話」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 ひとりが退職を諦めた頃、ちょうど皆でギターを買いに行く時間になった。

今日の目的その二だ。ひとりと、皆と一緒に御茶ノ水まで買い物に行くこと。

わざわざ僕まで同行している理由は、ひとりからとあるお願いをされたからだ。

 

「あっ、こんなにお金持ち歩くの不安だから、お兄ちゃんに持ってきてもらいました」

「でっかい財布だなぁ……」

 

 正直僕も不安だった。大金を持ち歩いているという意識が、ひとりに不審な動きをさせそう。

それに急な大きい収入は、気を大きくさせるという。少なくとも昨日のひとりはそうだった。

気が大きくなった、調子に乗ったひとりがどう暴走するのか。僕にも未だ読み切れない。

道中事故や事件を引き起こさないか密かに心配だったから、ひとりのお願いは渡りに船だった。

 

 

 

 そういう訳で結束バンドと僕の五人で御茶ノ水までやって来た。

数多く並ぶ楽器屋さんの看板に、喜多さんは何枚か写真を撮った後、感心したような声を上げた。

 

「ねえひとりちゃん、どうしてこんなにたくさん楽器屋さんがあるんだろうね?」

 

 元々距離感の近い子だったけど、文化祭以来喜多さんはなんだか積極的に感じる。

今もひとりの腕に抱き着くようにして密着している。仲が良さそうでなによりだ。

慣れたのかひとりも以前のように死にかけていない。このままもっともっと仲良くなってほしい。

 

「あっそれは」

「そ! れ! は!」

 

 喜多さんの疑問に答えようとしたひとりの声は、より大きな同じ言葉でかき消された。

山田さんだ。極々稀に見る、きらきらとした目を浮かべながら二人に迫る。

そしていつか新宿で喜多さんをロボットにした時のように、勢いよく喋り始めた。

 

「明治時代に日本で最も古い歴史を誇るプロオーケストラが結成されてから都内で」

 

 早口だ。淀みなく出てくる知識もだけど、この速さで話し続ける肺活量と滑舌の良さも凄い。

 

「山田さんって音楽の歴史にも詳しいんだね。さすが」

「これくらい基礎知識だよ。自慢にもならない。どやっ」

「じゃあそのドヤ顔はなんだ?」

 

 伊地知さんのツッコミもまったく効いていないようで、山田さんはなおも語り続けた。

音楽情報の詰め込み教育だ。人によっては聞くだけで意識を持っていかれるだろう。

この後は買い物なのに、ここで体力を使い果たすのはもったいない。

聞いていて楽しくもあるので、山田さんの対応は僕が引き受けることにした。

 

 そうして山田さんの解説を聞き始めてから十分程して、伊地知さんの足が止まった。

視線の先には大きな楽器店。まずはここに立ち寄ってみることにしたらしい。

 

「ここ入ってみようか」

「イシバシ楽器店。いいところなんですか?」

「お姉ちゃんが前働いてたんだって」

 

 ついでにさっき、山田さんが老舗として名前を上げていたお店でもある。

次々と皆がお店へと入っていく中、ひとりが僕の腕を掴んで引っ付いてきた。

そのまま顔を埋めて隠しながら、周囲を警戒するように辺りを窺っている。いつものやつかな。

 

「皆もいるけど、今日も必要?」

「喜多ちゃんも虹夏ちゃんもいるから、逆にもっと必要かも」

「言われてみればそんな気もするね」

 

 人当たりがよくて話しかけやすそうな二人がいる。僕達だけの時よりも狙われる可能性は高い。

声をかけられ、この子のギターを探しに来たと話を振られ、そのまま死ぬ。目に浮かぶようだ。

そうしてまごまごしているところを、先に入った三人に見られていた。

 

「ありゃ、またくっついてる」

「さっきまで普通だったのに、急にどうしたんですか?」

 

 喜多さんの言う通り、外からお店に入った途端これだ。不思議にも思うだろう。

僕から説明してもいいけど、練習のためにも話せるところはひとりに話してもらいたい。

そう思って顔を埋めているひとりに合図をすると、数秒沈黙した後に口を開いた。

 

「あっこ、これはトーテムポールです!」

「お兄さんでしょ!?」

 

 魔除け的な意味を考えるとあながち間違いじゃない。でも伝わらないと思う。

 

「魔王型トーテムポール……はっ、新しい物販品になる?」

「ならないならない」

 

 ひとりの発言がインスピレーションを刺激したのか、山田さんが変なことを言い出した。

そもそも僕はメンバーじゃないから、物販で出されてもファンだって困ってしまうはず。

そんな僕の言葉もどこ吹く風に、山田さんは安心して、と続けた。まったく出来ない。

 

「私たちのも作ってガチャガチャで売る。陛下はシークレット枠。これは売れる」

「売れない売れない」

「リョウ先輩、おいくらですか?」

「買わない買わない」

 

 山田さんの明後日方向への商品開発はともかく、この体勢の意味は伝えておこう。

今後もこういう機会があるかは分からないけれど、ひとりの生態は理解してもらった方がいい。

ただ、油断すると僕の悪意と偏見が滲み出るはず。言葉を選んで話さないと。

 

「これは、そうだね。虫よけみたいなものかな」

 

 虫よけ、ひとりが店員さんに話しかけられないようにするためだ。

向こうも仕事でやっているのに、虫扱いはとてつもなく失礼なのは分かっている。

だけど買い物中にちらちらと眺める、隙を窺う姿勢はある意味虫より鬱陶しい。

それで声はかけてこないのが何とも言えない。出来ないのなら、気にしなければいいのに。

 

 そしてひとりの場合、店員さんの存在は鬱陶しいでは済まない。

視線は身体を崩壊させるプレッシャーになるし、声かけは殺人事件を引き起こす。

お客さんが一人減って、代わりに死体が一つ増える。お店としても迷惑だろう。

 

 なんてことを慎重に説明すると、色々あるんだねーの一言で済まされた。

疑問には思うけれど、今更この程度で驚いたり引いたりはしないようだ。慣れって凄い。

とりあえず納得はしてもらえたようだから、僕達はそのまま店内を進んだ。

 

「で、喜多ちゃんは二人を見て、何をそんなに悩んでいるの?」

「どちらから行こうか迷ってて」

「……怖いから、何を迷ってるかは聞かないよ」

 

 そんな会話があったなんて露知らず、僕とひとりは店内図を探していた。

僕達兄妹にとって店員さんへの質問は最終手段だ。自分で商品の場所を把握する必要がある。

幸い今日は、エレベーター前にあったのをひとりが見つけてくれた。

 

「一階が雑貨と消耗品、二階が楽器で、三階がハイエンドの売り場だって」

「ハイエンド? そういう楽器があるのかしら?」

「あっ、高級品のことです。さ、三十万くらいから、数百万くらいするものもあって」

「す、数百万!?」

 

 喜多さんが驚きの声を上げる。店内だからか小声で叫んでいた。器用だ。

数百万、と彼女はもう一度囁くように呟いた。それほど衝撃だったらしい。

そんな喜多さんを気遣ったのか自分が見たいからか、山田さんが身を乗り出した。

 

「気になるなら見に行ってみようか」

 

 妙にもったいぶった、格好つけた姿勢で山田さんがエレベーターのボタンを押す。

 

「私のハイエンド、見せてあげる」

「リョウ先輩……!」

「リョウのじゃないよね」

 

 

 

 三階ハイエンドの売り場に到着してすぐ、伊地知さんと喜多さんは隅に身を寄せた。

降り立った直後はウキウキしていたけれど、値札を三度見してからはすっかり怯えてしまった。

今では商品棚に近寄ろうとすらしない。ずっと遠目で見ている。

 

 僕はというと、ひとりと山田さんの三人でギターを物色していた。

山田さんはのびのびしているけれど、ひとりは隅っこ二人組以上に委縮して僕に張り付いている。

これだとギター選びなんて出来ない。取っ掛かりのため、適当なギターをひとりに見せてみた。

 

「ひとり、これなんてどう?」

「……うぇっ!? お、お兄ちゃん、これ四十万だよ、予算オーバーしちゃう」

 

 仰天した後、何も触れないようにと、かえって僕に張り付く力が強くなった。

腕がぷるぷるしているから渾身の力なんだろう。だけどまったく痛くない。心配になる非力さだ。

ひとりのトレーニングメニューを考えていると、山田さんが僕の指差すギターに目を向けた。

 

「ほう、中々お目が高い。家にあるよこれ」

「どんな感じ?」

「低音の響きが気持ちいい」

 

 低音が得意なギター。重苦しい曲が好みのひとりにはぴったりかもしれない。

もう一度勧めようと視線を向けると、頭を寄せたまま首を横に振る、むむむ妖怪がそこにいた。

おでこが擦れちゃうからやめさせる。今度はその横のギターに狙いを変えて話を振った。

 

「それじゃひとり、これは?」

「は、はは、八十万!? だ、駄目だよ。この階にあるの全部予算以上だよ」

「このくらいなら追加で下ろしてくれば平気だよ」

 

 念のためカードは持って来ているから、近場のATMに行けばすぐ引き出せる。

そう告げるとひとりはおずおずと、埋めていた腕から顔を出して聞いてきた。

 

「…………私のお金って、そんなに貯まってるの?」

「それは内緒」

「……私のなのに」

 

 最近八桁になった。父さんと母さんにお願いして、新しい口座を作ってもらわないと。

ひとりに教えると高校中退だー、とかなんとか、いらない皮算用を立てそうだから言わないけど。

あと、山田さんが不気味に目を光らせてるから尚更言えない。絶対言わない。こっち見ないで。

 

 そんな風に僕と山田さんが平然としていたからか、隅っこコンビも緊張が解れて来たようだ。

少し動きは固いままだけれど、三階に降りた時ほどじゃない。興味深そうにギターを眺めている。

 

「ねぇねぇひとりちゃん。ハイエンドって、そんなに普通のと違うのかな?」

「あっ、ど、どうでしょう。高い分だけやっぱりいいんじゃないでしょうか」

 

 どうでしょう、なんて言ってるけれど、父さんのあのギターも実は相当なものだ。

ひとりは気づいてないし、僕も教えていない。知ったら多分持ち歩けなくなる。

それを知ってる僕も、聴き比べや弾き比べなんてしたこともないから説明が難しい。

こういう時こそ詳しい人に頼るべきだ。早速店長さんの説教を実践しよう。

 

「そこのところどうなんだろう、山田さん」

「もちろん違う」

 

 彼女がこうまで断言するのだから、ひとりにはこの階で買ってもらうべきだろうか。

バンドとしてははまだまだだけど、ギターヒーローとしてのひとりはプロレベルだ。

そう考えるとむしろ、ここにあるギターくらいの方が相応しいのかもしれない。

 

 もちろんひとりのお金で買うのだから、ひとりの意思が一番大事だ。

それはそれとして、余裕があるのだからいい物を買った方がいいと思う。

 

「だけど買う時に、値段で判断するのはよくない」

「音が違うのに?」

「音も含めて、一番大事なのは自分が気に入ることだよ」

 

 だからどうやって説得しようかな、なんて考えは山田さんの言葉で止められた。

 

「これから長い付き合いになる相棒なんだから、何よりも自分の感覚を大切にした方がいい」

「リョウにしてはまともなこと言ってるけど」

 

 いい言葉だけど、身持ちを崩すほど機材に入れ込む人の言うことではなかった。

伊地知さんも同じようなことを思ったのか、いつものような目を山田さんに向けていた。

年少二人は純粋に尊敬の眼差しだ。その純粋さを大事にして欲しい。

 

「というわけでぼっち、私このベース欲しい」

「あっえっ?」

「はいはい皆下行くよー」

「ひとりちゃんも一緒に行こうね!」

「あっはい」

 

 そして山田さんは、自分でその尊敬を蹴散らした。

今日ずっとひとりを見る目が怪しいと思っていたら、そんな狙いがあったらしい。

もちろん伊地知さんが見過ごすはずも無く、山田さんを置いて階段を降りて行った。

残るのは立ち去るタイミングを失った僕と、物欲しそうにベースを見つめる山田さんだけ。

 

「……陛下、買って?」

「だめ」

 

 

 

 ハイエンドのコーナーを冷やかした後、二階に降りて改めて楽器を物色する。

考えてみれば家で弾くならともかく、持ち歩くならこっちの方がいいだろう。

それに三階で山田さんが言った通り、結局は本人が気に入るものを選ぶのが一番だ。

 

「こんなにギターが並んでると、なんだか壮観ねー」

「で、ですね。ちょっとわくわくします」

「……このベースいいな。今度買おう」

 

 ギタリスト三人組がわいわいと盛り上がるのを、伊地知さんは一歩後ろから眺めていた。

一人だけドラマーでそこに入れないからか、その背中にはどことなく寂寥感が漂っている。

皆ギターに夢中で誰もそれに気づいていないようだ。この間は僕が話し相手になっておこう。

 

「伊地知さんはギター弾いたりしないの?」

「私は小さい頃からずっとドラム一筋だよ」

「ずっとなんだ。だから伊地知さんのドラム叩く姿って、なんだか貫禄あるのかな」

「貫禄って。何それ褒めてるの?」

 

 そう言ってくすくすとおかしそうに笑った後、伊地知さんは軽くため息をついた。

 

「でもこういう時に疎外感が凄いんだよね。これが漫画でよく見るドラマー孤独問題なのかな……」

 

 ドラマー孤独問題なんてまったく知らないけど、寂しそうな伊地知さんは放っておけない。

落ち込んだ彼女を慰めるため、僕はその辺にあったギターケースを背負わせた。

 

「……何してんの?」

「気分だけでもギタリストになってもらおうと思って」

「優しさが斜め上!」

 

 ただ咄嗟の判断だったからか、背負わせるサイズを間違えてしまった。

僕が今回手に取ったのは、ギター複数に加えて色々詰め込めるかなり大きいタイプだ。

伊地知さんが小柄なのもあって、妙にちんちくりんな印象になっている。

 

 伊地知さんのツッコミで、喜多さんと山田さんがこちらを振り向く。

喜多さんはいつもの楽しそうな、山田さんは少し悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「わぁ! 伊地知先輩、ギター始めたての小学生みたいで可愛いですね!」

「喜多ちゃんもしかして喧嘩売ってる?」

「あっちに小学生向けの初心者用ギターセットあったよ。買えば?」

「お前は売ってるよな」

 

 方向性はともかく寂寥感は吹き飛んだ。伊地知さんも元気にツッコんでいる。

楽しそうだけど今あそこに混じると、何を言っても伊地知さんに油を注ぐ予感がする。

だからひとりの方へ向かった。さっきから一本のギターを熱心に見ているのに気がついたからだ。

 

「ひとり、それ気に入った?」

「うん。これカッコいいなって。どう?」

「……いいね。僕も好きだよ」

 

 ひとりの指差すギターを確認する。価格は六万円ほど。デザインもひとりにしてはシンプル。

値段は問題なくて、見た目もひとりのお気に入り。僕から言うことは何もない。

ならあと確認すべきは音くらいだ。こればかりは触ってみないと分からない。

 

「じゃあこれ、試奏させてもらおっか」

「う、うん。お兄ちゃんお願い」

 

 くるりと店内を見渡して、商品整理をしている店員さんを見つけた。あの人にしよう。

彼女を見るだけ見て、動き出そうとしない僕を喜多さんは不思議に思ったようだ。

 

「先輩、店員さん呼ばないんですか?」

「呼び方をちょっと考えてる」

 

 なにせ無作為に呼べば死ぬ。

今日もサングラスはかけてるし、皆だって一緒にいる。だけど安心は出来ない。

僕は店員という人種が苦手だ。その気持ちがどこまで影響するのか分からない。

 

「なんだ、それなら任せてください!」

 

 どんと胸を叩き、僕達が何かを言う暇も与えず、喜多さんは店員さんの元へ歩んで行った。

そして声をかけ、何やら談笑している。背中しか見えないから、何を話しているかは分からない。

そのまましばらく楽しそうに話し続けていた。初対面でもあんなに会話できるなんて流石だ。

 

 数分ほど適当に楽器を見ていると、喜多さんが戻って来た。店員さんは一緒じゃない。

にこにこ笑顔の喜多さんだけだ。何かの都合で断られた? それなら笑っていないはず。

なんにせよとりあえず聞いてみよう。僕の質問に、彼女は自慢げに携帯を取り出した。

 

「喜多さんどうだった?」

「見てください! ロイン教えてもらいました!」

「………………な、なんでやねん!!」

「いきなりの関西弁!?」

 

 謎の関西弁はともかく、ひとりは僕の言いたいことを代わりに言ってくれていた。

戸惑う僕達を、喜多さんも同じように不思議そうな顔で見比べていた。

もしかして、当初の目的を忘れている、とか?

 

「あの、店員さんは?」

「あっ」

 

 きれいさっぱりだった。会話が盛り上がり過ぎたせいかもしれない。話し上手も時には仇だ。

気まずそうに指を絡ませ、視線をあちこちに彷徨わせた後、彼女は自分の額を軽く叩いた。

 

「…………てへっ?」

 

 喜多さんは今日もあざとい。最近は安心感すらある。

 

 

 

 その後改めて喜多さんに店員さんを呼んでもらい、試奏をさせてもらった。

一回弾いたらひとりはもっと気に入ったみたいで、そのギターを買うことになった。

今はちょうど会計が済んだところだ。そうだ、あれも忘れないようにしないと。

 

「領収書お願いします」

「かしこまりました」

 

 経費申請用の領収書だ。弦のような消耗品も含めて、確定申告の時に使っている。

誤差と言えば誤差かもしれない。でもひとりのためになることだ。

どんな些細なことであっても、出来ることがあれば僕は何でもしてあげたい。

 

「ひとり、ギターはどうする?」

「えっと、私が持つ。持ちたい」

「分かった。ちょっと重いから気を付けてね」

 

 元々使っていたのは父さんからのお下がりで、一応ずっと借りてる状態だった。

つまりこれはひとりにとって、初めての自分専用ギターだ。愛着だって湧くだろう。

その気持ちが伝わるくらい、感慨深げにひとりはギターを抱えている。可愛い。

そんなひとりを見て店員さんも微笑ましげだ。うちの妹は世界一可愛いから仕方ない。

 

 嬉しそうだけど早足のひとりに続いて、皆でぞろぞろとお店を出ていく。

その途中伊地知さんがいないことに気がついた。振り向くと店員さんに話しかけられている。

店長さんが昔働いてたらしいから、その関係かな。親し気な明るい雰囲気に見えた。

だけど話し終えてこちらに歩いてくる伊地知さんは、変に疲れたような顔をしていた。

 

「なんかげんなりしてるけど大丈夫?」

「……お姉ちゃんここで働いてた時、御茶ノ水の魔王って呼ばれてたんだって」

 

 そうか、ここが魔王生誕の地。そう思うとなんだかこのお店が好きになってきた。

これから何か買う時は、なるべくここを利用しよう。

 

 

 

 その時ふと気がついた。意図せず二人きりになれた。この隙に伊地知さんにも聞いておこう。

文化祭前からしようしようと思っていたのに、ここまで引っ張り続けている。

このままだと素性を話すときみたいに、どこまでもぐたぐたとしてしまいそうだ。

 

「そういえば伊地知さん、店長さんにも聞いたけど何か欲しい物とかある?」

「どしたの急に?」

「これも同じだけど、伊地知さんにも何かお礼がしたくて」

 

 お礼、と呟き返す伊地知さんに心当たりはまったくなさそうだった。

魔王係を始めとした多くのこと。彼女にとっては何でもないことかもしれない。

だけど僕にとっては大恩だ。返すべき、報いるべき大切な思い出だ。

それを聞いた伊地知さんは器用なことに、温かいけど呆れ気味な目をしていた。

 

「気にしなくていいのに。友達でしょ?」

「その言葉に甘えすぎるのも、あんまりよくない気がして」

「前から思ってたけど、後藤くんって頭カチカチだよね」

 

 そう言ってコツコツと僕の頭を叩こうとするけれど、背伸びしてて大変そうだ。

親切心で少し屈んでみると、軽くこつんと頭に伊地知さんの手が触れる。

思い通り叩けたのに、満足と不満が同居した表情をしていた。触れないでおこう。

 

 欲しい物欲しい物、と伊地知さんは呟き考えている。未だ何も出てこない。

店長さんにもだけど、突然すぎたかな。少し反省していると、彼女があっと声を上げた。

 

「何かあった?」

「後藤くんというか、ぼっちちゃんへのお願いなんだけど」

「ひとりに? それなら僕も一緒にお願いするよ」

 

 そう言うとちょっとだけ恥ずかしそうに、それでいてはっきりと、彼女はお願い事を口にした。

 

「ギターヒーローさんの宅録、聴いてみたいな」

 




次回「宅録の話」です。
多分分割二話になります。


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「宅録の話 上」

感想評価、ここすきありがとうございます。

九千字超えちゃった、長過ぎだし添削しよう、と思い文章を見直しました。
最終的に一万五千字を超えたので、二分割で投稿します。


 宅録を見学したい、という伊地知さんのお願いを、ひとりは快く受け入れた。

今日はその約束の日だ。呼び鈴が鳴ったから、準備をしているひとりに代わって玄関へ向かう。

扉を開けると、伊地知さんがひらひらと手を振りながら立っていた。

 

「やっほー、お邪魔しまーす」

「いらっしゃい、外寒くなかった?」

「ちょっとだけね。あっ、これお土産」

「わざわざありがとう」

 

 玄関でそんなやり取りをしている間、伊地知さんはじっと僕の顔を見続けていた。

二人で会話してるのだからおかしいことじゃないけれど、どうにも視線の圧が強い。

話すために見ているというより、観察されているような心地がする。

 

「もしかして僕の顔、何かついてる?」

「いやぼっちちゃんが、お兄ちゃんは家では表情豊かです、って言ってたからさ」

 

 確かにそんな話を聞けば、伊地知さんからすれば気になるのも当然だ。

彼女の視線に釣られて自分の顔を触ってみる。特にいつもと変わらない気がする。

その感触と伊地知さんの表情で察するけど、念のために確認はしておいた。

 

「どう? 表情出てる?」

「全然」

 

 一言で切り捨てられた。僕の鉄仮面は周囲への警戒と無関心から出来ている。

家という自陣で大事な友達を出迎える。それでも無意識の警戒を消せていない。

好きとか大切とか思いながらも、どこかで僕が一線を引いていることの証明だ。

そのことにちょっと落ち込んでいると、伊地知さんが下から僕の目を覗き込んでいた。

 

「そんな気にしなくても大丈夫だよ」

「……僕の表情、変わってないんだよね?」

「うん。まったく全然」

「じゃあなんで分かるの?」

「後藤くん、分かりにくいけど分かりやすいから」

「それどっちなの?」

「内緒だよー」

 

 そう言って逃げるように二階へ向かった彼女を追いかけ、僕も階段を登る。

以前一度来たから、伊地知さんもひとりの部屋は分かっているはず。

その証拠に部屋の前にはいたけれど、何故か躊躇するように戸にかけた手が止まっていた。

 

「ひとりの部屋はそこだよ」

「うん。……一応聞くけど、今日もミラーボールとかある?」

「今日は収録するから無いよ」

「無かったらあるのか……」

 

 多分飾り付ける。ひとりなりに頑張った、精一杯の歓待表現だから受け取って欲しい。

微妙な顔の伊地知さんが元に戻るのを待ってから、部屋の戸を開けた。

その音に反応して、緊張と喜びで凝り固まったひとりがこちらに振り向いた。

 

「ぼっちちゃん来たよー、今日はよろしくねー」

「あっ虹夏ちゃん、い、いらっしゃい」

「はー、ここにある機材全部使うの?」

「あっはい。ここの三脚にカメラを置いて、ここに繋いで」

「分かってたけど本格的だなぁ」

 

 ほへー、とでも表現すべきか、伊地知さんが感心したような音とともに機材を見ている。

この隙だ。彼女が気を取られている間に、ひとりに近付きもう一度だけ確認を取る。

 

「ひとり、僕の顔どう?」

「え」

「ほら、表情」

「あ、あぁー」

 

 納得の声とともに、ひとりは僕の顔をまじまじと眺めた。

僕単独ならともかく、妹と一緒であれば何かまた変わるかもしれない。一筋の希望だ。

気まずそうな顔ですぐに消えたけれど。そんなことだろうとは思ってた。

そして何故かひとりはペタペタと僕の顔を触り、頬を引っ張ったり伸ばしたりし始めた。

 

「顔ほぐしても、そもそも動いてないから変わらないよ?」

「そうじゃなくて、私がこうやって笑顔を作れば、なんとかなるかも」

「なるほど、妙案だね。でもこれだとひとりからしか見えないよ」

「あっそっか。じゃ、じゃあ後ろからやるね」

「お願い」

 

 ひとりの提案を受け、後ろから僕の顔を操作してもらう。

変なことをしている自覚はあるけど、半ば意地だ。伊地知さんは気にしてなくても僕が気にする。

ひとりの顔面操作術を信じて僕はなすがまま、伊地知さんに話しかけるのを見守った。

 

「あっ虹夏ちゃん、み、見てください、これが笑顔のお兄ちゃんです!」

「ふぉうふぁは?」

「えっリアル福笑い……?」

 

 

 

 こんな風に話しているのも楽しいけれど、伊地知さんの希望もあって早速収録を始めた。

収録の間、彼女はずっと難しい顔をしてひとりの演奏を聴いていた。

 

「……」

 

 ギターヒーローとしてのひとりの演奏は圧倒的だ、伊地知さんが気圧されても不思議じゃない。

もしかしたらバンドの時と比較して、何か考えることがあったのかもしれない。

だとしてもそれは僕が触れることじゃない。結束バンドの皆で解決すべきことだ。

だから今は思考にふける伊地知さんを連れ戻すため、軽い調子で声をかけた。

 

「これで収録は完了。あとはちょっと編集しておしまい」

「……はっ。そ、そっか。編集は後藤くんがしてるの?」

「編集も含めて、投稿関係の細々としたところは僕が担当だよ」

 

 動画を編集する暇があるなら、その時間で練習なり、更に動画を撮るなりした方がいい。

そう考えて僕が編集をやらせてもらっている。それにこういう細かいことは僕の方が得意だ。

 

「じゃあコメントとかも後藤くんが?」

「一応ね。ほとんど書いてないけど」

 

 作詞作曲編曲、加えて収録CDや配信サイトくらい。それ以上は必要ないからだ。

僕としてはそう思っているけれど、どうやら彼女達は違う考えを持っているようだった。

 

「ちょっと味気ないし、もっと何か書いてもいいんじゃない?」

「で、ですよね!!」

「わっびっくりした」

 

 伊地知さんの言葉は、ひとりの琴線に触れてしまったらしい。

ひとりが久しぶりに大きな声を出して、自分の考えを主張しようとしていた。

 

「あっ、前からもっとたくさん書いて欲しいって言ってるのに、お兄ちゃん聞いてくれなくて」

「僕がこういうの考えるの苦手だって知ってるでしょ」

「だったら私が書くのに、それも許してくれないし」

「えー、後藤くん酷くなーい? ぼっちちゃん文章書くの上手じゃん」

「あっへへ、あ、ありがとうございます」

 

 何も知らない伊地知さんが、囃し立てるように言ってくる。

彼女はまったく理解していない。ひとりの書くコメントが、どれだけのものか。

でもそれは責められない。伊地知さんが見たことのあるひとりの文章は、きっと作詞くらいだ。

あれはきちんと推敲して日本語訳したもの。いつも書きたがる煮凝り、虚言とはまるで違う。

 

 いや、逆に考えよう。これはいい機会だ。僕以外にもストッパーが欲しいと思っていた。

今この場所でひとりの虚言を、その恐ろしさを、伊地知さんにも体感してもらおう。

 

「……じゃあひとり、試しにこの動画のコメント考えてみて」

「えっ、いいの?」

「確認したいから投稿はしないでね」

「うん!」

 

 いきなりの無茶ぶりにもかかわらず、ひとりは意気揚々とキーボードを叩き始めていた。

これはまた、長い間温めてきた恐ろしいものが出てくる予感がする。

楽しみだなー、なんて呟く伊地知さんの隣で、僕は戦慄を抑えきれずにいた。

 

 

 

 そうして完成してしまった、ひとり渾身の文章。伊地知さんは目をひん剥いた。

 

「うわ」

 

 何の意味もない言葉。それなのに、全てが伝わる感想だった。

彼女の顔が画面とひとり、僕の顔を何度も往復している。僕が言うことじゃないけど、気の毒に。

気が滅入るけど、僕もひとりの作ったコメントを改めて確認した。

 

 その前に、一度投稿した曲について整理する。別に見るのを躊躇してる訳じゃない。本当に。

今日の曲は、ここ最近でヒットしたアクション映画のエンディングテーマだ。

幸いひとりが問題なく見られるものだったから、参考にするため二人で一緒に見に行った。

人間関係がこじれたヒューマンドラマや青春系だと、将来を悲観したひとりが途中で死ぬ。

 

 映画のストーリーは、悪い奴がいた、だから倒した、くらいのシンプルを極めたもの。

その分アクションや画角、テンポ等に力を入れていて、僕達でもかなり楽しめた。

エンディングテーマも同じく、曲自体は単純で弾きやすい、初心者でも弾けるくらいだ。

だからこそ演者の技量、センスの差が浮き彫りになる。流行りもあるけど、今回選んだ理由だ。

 

 この辺にしておこう。こうした情報を踏まえた上で、僕は覚悟を決めた。

 

『おはこんばんにちはろー!! ギターヒーローでーす!!!!!!!!☆(ゝω・)V

今日弾く曲はあの大人気映画のエンディングテーマ! 皆はもう見た? (*>ᴗ<*)

私も大好きなカレと昨日一緒に見に行ったヨ! ✧⁠◝⁠(⁠⁰⁠▿⁠⁰⁠)⁠◜⁠✧

あっ言ってなかったけど私、カレシいるの! ガチ恋勢はごめんね!!』

 

 ここで僕は限界を迎えた。今日の破壊力は四割くらいだろうか。

この後も十行ほど嘘八百が並べてある。僕からは何も言えない。感想は控える。

 

「ど、どうですか?」

 

 どうして僕らのこの反応を見て、こんな自信満々に聞けるんだろう。

聞かれた伊地知さんは口をパクパクとするばかりで、何も言えない。それはそうだ。

衝撃と困惑を煮詰めたような表情で僕に助けを求めている。

この状況、ひとり、伊地知さん、どこから手をつけたものか。

聞きたくないけど、とりあえず確認だけさせてもらおう、聞きたくないけど。

 

「ギターヒーローさん、質問よろしいでしょうか?」

「あっへへっ、な、なんですか?」

「このカレシというのは?」

 

 残念だけどひとりにそんな存在はいない。というか、ここでの彼氏は文脈的に僕のことだ。

この文章に文脈があるのかは考えないことにする。日本語のはずなのに、脳が拒否する。

僕の当然の疑問に、ひとりは僕よりも不思議そうに返してきた。

 

「お兄ちゃんのことだよ?」

「どうして兄から彼氏にダウングレードを?」

「えっダウングレードなの?」

 

 伊地知さんが反射的に口を挟んできた。家族から他人になってるんだから大幅ダウンだ。

 

「前お兄ちゃんが、女の子相手だと変な絡み方する人がいるって言ってたから、男の人の存在も匂わせた方がいいのかなって」

「それで彼氏?」

「あっあと、リア充アピールがしたかったです……」

「なるほど?」

 

 とんでもない虚言とはいえ、ひとりにはひとりなりの理屈があった。

僕の鬱陶しいお説教を気にしてくれていたのも嬉しい。だけどこれは駄目だ、色々と。

 

「結論から言うとボツです」

「えっなんで?」

 

 よくそんな顔出来るね。

 

「まず、嘘はよくない」

「……お兄ちゃんもずっと嘘ついてた」

「ほんとにごめんね。でも今は関係ないよ」

「お兄ちゃんも一回したから、私も一回してもいいと思う」

「それは屁理屈。というか、これまで僕の一万倍は嘘ついてるよね?」

「い、一万は言い過ぎ! せめて、千倍くらい……?」

「十分多いよ」

 

 皆のことを黙っていたこと、まだ根に持たれていた。僕が言うことじゃないけどかなり長い。

僕とひとりがコメントについて言い合いをしている間に、伊地知さんの正気も帰って来たようだ。

彼女はごほんと咳払いを一つしてから、この無益な争いに介入してくれた。

 

「二人とも、どっちにしても嘘はよくないよ」

「虹夏ちゃん……」

「そもそもこれ悪いのはセンスだよね」

「虹夏ちゃん!?」

 

 時々伊地知さんは恐ろしいほど率直だ。切れ味が違う。

とりあえずこれで二対一。一旦このコメントを却下するのには十分な根拠になる。

伊地知さんの言葉に震えるひとりに向けて、パソコンを求めて手を伸ばした。

 

「それじゃひとり、コメント書き直すからパソコン返して」

「……へ、へへ」

 

 僕の要求にひとりは誤魔化すように笑っていた。嫌な予感がする。

 

「と、投稿しちゃった」

「……あれを?」

「え、えへへ」

 

 一瞬耳を疑った。可愛い、じゃない。不味い、ギターヒーロー最大の危機が今訪れていた。

 

「た、大変だよ後藤くん! このままだとチャンネル登録者が十万は減るよ!?」

「最悪アカウントごと消されるかもしれない」

「そこまで酷いの!?」

 

 ひとりがショックを受けていたけれど、今は対応できない。ギターヒーロー消滅の危機だ。

すぐに確認すると、事前に投稿日時を予告していたからか、既にコメントがついていた。

 

『通報しときました』

『ウイルス対策はしっかりした方がいいですよ』

『クソみたいな文章だな』

『無理して若い頃の服着てる母ちゃん見た気分』

『最初は笑えたけど読んでる内に涙が止まらなくなった』

 

 ボコボコだった。これ以外のコメントも、乗っ取りの心配と文章への酷評しかない。

そっと閉じたパソコンをひとりが手渡してくる。そしてそのまま僕に土下座をした。

 

「……これからもコメントはお願いします」

「はい」

 

 慰めの言葉は思いつかなかった。無力な兄でごめん。

 

 

 

 コメント欄を修正して再投稿した。悲しい事件だった。

起きてしまった悲劇を変えることは出来ない。僕達に出来るのは忘れることだけだ。

いややっぱりひとりには覚えておいてほしい。反省してほしい。推敲してほしい。

 

 気を取り直して、伊地知さんの質問タイム続行だ。

まだまだ気になることがあるようで、彼女は投稿したばかりのパソコンを弄っている。

そしてギターヒーローのプロフィールにある、SNSのアカウントへマウスを動かした。

 

「じゃあこのトゥイッターとイソスタも後藤くんが?」

「僕が管理してる」

「やっぱり。この淡々とした事務連絡感は後藤くんだよね」

 

 投稿日の予告をしたり次回投稿分の一部をあげたり、ちょっとした宣伝にしか使っていない。

それ以外は何もしていない。今後もひとりの日常などを伝えるつもりは無い。

僕はギターヒーローのために、ひとりのプライベートを切り売りする気はなかった。

 

「この何も語らないところが、仕事人って感じしてたなぁ」

「そういう意図は無かったけど」

「このジャージとか部屋とかも、全部身バレ対策か何かだと思ってたよ。まさか素だったなんて」

 

 ひとりが照れたように後頭部へ手を置いた。どこを褒められたと思ったの。

とりあえず便乗して僕もひとりの頭を撫でる。伊地知さんの冷えた視線は気にしない。

 

「ギターヒーローのじゃなくてさ、自分のは二人ともないの?」

 

 二人揃って首を横に振る。ひとりはともかく、僕は作ろうだなんて考えたこともなかった。

自分の活動を他人に伝える。他人の活動を見る。どちらにも僕は価値を見出せない。

でもそれはあくまで僕の価値観だ。伊地知さんなら、何か別の答えを知ってるかもしれない。

 

「そもそもあれって、何のためにやってるの?」

「喜多ちゃんは、楽しいのおすそ分け~って言ってたね」

 

 まったく共感出来ないけれど、喜多さんらしい素敵な考えだ。

そうは思いつつ、それ以上の関心を抱けない。ただ、ひとりの方は興味がありそうだった。

分かりやすくそわそわしている。伊地知さんもそれに気づいたようだ。

 

「ぼっちちゃん、作ってみる?」

「えっ、そ、それは」

 

 ちらちらと、上目遣いで僕の様子を窺っている。僕からの許可が欲しいみたいだ。

禁止したところで隠れて作りそう。そもそも僕に、ひとりの行動を禁じる権利はない。

 

「せっかくだし、教えてもらったら?」

「……いいの?」

「僕が許すとかの話じゃないからね」

 

 いつかひとりの言動に僕が干渉できなくなる、してはいけなくなる時が必ず来る。

その時のためにも、どこかで経験を積んだ方がいいとは常々考えていた。

SNSで何かを発信することは、言葉を扱ういい訓練になるかもしれない。

それにギターヒーローのアカウントならともかく、ひとり個人なら見る人も少ないはず。

たとえ虚言を振り回しても、そこまで大きいダメージを受けることはないだろう。

 

 伊地知さんに教えてもらいながら、ひとりはアカウントを作成した。

やたらとタピオカに拘って伊地知さんを辟易させながらも、無事に登録出来たらしい。

瞳をキラキラと輝かせながら、嬉しそうに自分のアカウントを眺めている。可愛い。

 

 早速出来立てのアカウントで音楽関係の呟きを読んでる途中、気になるものを見つけたようだ。

 

「まい、にゅー、ぎあ……?」

 

 聞き覚えの無い言葉だ。SNSだけで通じるスラングか何かだろうか。

確認のため画面を見せてもらうと、機材の写真だけが投稿されている。これはなんだろう。

伊地知さんには心当たりがあるようで、僕達にどういうものか解説してくれた。

 

「新しい機材や楽器を買った時にね、こうやって写真をあげるんだ。そうするとたくさんいいねがもらえるの」

「しゃ、写真をあげるだけでこんなに……!? そんな、こっちの方が全然コスパいい!?」

「なんのコスパ?」

 

 承認欲求と時間のコスパだと思うけど、お金や継続性を考えるとそんなによくない。

一度身につければずっと使える技術の方が、総合的にはコスパがいいはずだ。

そんな僕の考えはともかく、ひとりは既に承認欲求に飲まれつつあった。

 

「……お兄ちゃん、私もマイニューギアしていい?」

「ひとりのアカウントだからね、僕に聞かなくても大丈夫だよ」

 

 嬉々としてこの間買ったギターの写真を投稿していた。当然だけど反応はない。

むしろさっき出来たばかりのアカウントに、そんな劇的な反応がある方が怖い。

それでもひとりは不満げだ。承認欲求が満たされていないらしい。

 

「お、お兄ちゃんのギターも使っていい?」

「いいけど、もう少し時間置いた方が反応あると思うよ」

「う、うぅうぅん……そうする」

 

 ひとりは早くもSNSの沼に浸かりつつあった。予想はしていたことだ。

この辺りで一度、何かしらのブレーキをかけておいた方がいいかもしれない。

伊地知さんも似たようなことを思ったようで、脅かすようにとあるアカウントを見せてきた。

 

「んー、ぼっちちゃんこの人の投稿見てごらん」

「……高い楽器、凄い頻度で売り買いしてますね」

「そう。この人はね、マイニューギアの悪霊に憑りつかれてしまったんだよ」

「あ、悪霊ですか?」

「一席語ります。怪談『my new gear…』」

 

 突如始まった伊地知さんの怪談を楽しみながら、なんとなくその人の呟きを眺める。

楽器の写真、買い取り募集、楽器の写真、買い取り募集、その繰り返し、マイニューギア中毒だ。

半年くらい前までそんな感じだったけど、六月ころから少し様子が変わっていた。

時々弁当の画像が混じるようになる。なんとなく見覚えがあった。

 

「マイ、ニュー、ギアァァァァァ!!」

「ひっ、ひぃえぇぇぇぇ!?」

 

 怪談のオチなのか伊地知さんが大声を、合わせてひとりが悲鳴をあげた。それで思い出した。

 

「これ、僕の作った弁当だ」

「え?」

 

 僕の呟きに、遊んでいた二人も画面を覗き見る。

最後に投稿された画像。弁当の写真は、ちょうど昨日僕が山田さんに渡したものだ。

 

「これ、もしかしてリョウ?」

「は、ハンドルネームも世界のYAMADAです」

「まんまだね」

 

 隠す気が欠片もない、自己顕示欲の塊のような名前だった。

楽器を買っては見せて売り、買っては見せて売り。改めて見ても不思議な行動だ。

重ねて不思議なことに、どれも結構ないいねがついている。僕には分からない世界だ。

 

「あと僕が作った弁当、自作の体で紹介してるね」

「山田はさぁ……」

 

 こっちはこっちでそこそこいいねがついていた。

 

「あいつにそんな見栄があったなんて。勝手に使われてるけど、後藤くんこれいいの?」

「それは別に。でも嘘で褒められて、山田さん虚しくないのかな? 恥を晒してるだけだよね?」

「……たまに後藤くん、すっごくきついこと言うよね」

「伊地知さんには負けるよ」

「!?」

 

 心外だ、なんて顔をしているけど、無自覚だったことに僕もびっくりだ。

お互いの驚愕で生まれた一瞬の沈黙は、ひとりの勢いよく立ち上がる音で消え去った。

 

「お、お兄ちゃん! 虹夏ちゃん!」

 

 呼びかけると同時に財布を掴み、戸を開け放つ。テキパキとしている。アクティブひとりだ。

 

「ちょ、ちょっと行ってきます!」

「車に気を付けてねー」

 

 声をかける僕に目もくれず、ひとりは家を飛び出して行った。

急に叫んで、唐突にどこかへ駆けていく。結構な奇行だ。驚かれて当然の行動。

にもかかわらず、伊地知さんは平然とお茶を飲んでいた。貫禄すら感じる。

 

「ぼっちちゃん、あれどこ行くのかな?」

「マイニューギアしに行ったね」

「承認欲求に弱すぎる。そんなお金どこに、あっギターの!?」

「一万円残して回収したから、そこまで散財出来ないと思う」

 

 承認欲求に勝っても負けても、大したものは買えないはず。

精々エフェクターを一、二個程度。あとは買えても弦とかの消耗品くらいかな。

マイニューギアというには少し寂しい。ただの備品購入だ。

 

「あの勢いだとその一万円使い切っちゃいそうだけど、それでもいいの?」

「一人で買い物出来ただけ感動する」

「初めてのお使いか何か?」

 

 たった一万円でそんな成長が見れるなら、安い買い物だよ。

そんな僕の返答に帰って来たのは、ただただ深いため息だけだった。




次回「宅録の話 下」です。
ぼっちちゃんのコメントセンスが真似できません。


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「宅録の話 下」

感想評価、ここすきありがとうございます。

この小説に恋愛及びラブコメタグはついていません。


 あれから伊地知さんは、どうしてか口を閉ざしてしまった。

代わりに視線を感じる。さっきから黙って僕の顔を見ている。もの言いたげな視線だ。

こういう時の彼女は、僕の中の何かを確かめようとしていることが多い。

 

「ねね、後藤くん」

 

 話しかけながら彼女は音も無く近寄って来て、触れるか触れない程度の距離で止まった。

そのまま何故か顔を耳元に寄せて囁き始める。普通に話せばいいのに、急にどうしたんだろう。

 

「二人っきりになっちゃったね」

 

 彼女の言う通り、確かに二人きりだ。今家には僕達以外誰もいない。

父さんは仕事で、母さんはふたりと友達の家へ遊びに出かけている。

皆帰って来るのは暗くなってからだと思うから、しばらくはこのままだ。

 

「そうだね。ひとりが帰ってくるまでどうする? 何かして遊ぶ?」

「……」

 

 彼女は返事もせずに、黙って僕の目を覗き込んでいた。からかいの気持ちが見え隠れしている。

最初は照れくさかったけど、これも今では慣れてしまった。そのせいで余計な考えまで浮かぶ。

これ、避けてみたらどうなるんだろう。沸き上がる好奇心を僕は抑えきれなかった。

 

「……」

「む」

 

 避けてみる。眉をひそめた伊地知さんが僕の視線を追った。

 

「……」

「むむっ」

 

 もう一度、今度は顔ごと背けてみる。彼女は身を乗り出して、その動きに追従した。

 

「……」

「むむむっ!」

 

 もう一回、今度は身体ごと。立ち上がってまで彼女は追いかけていた。

 

「……」

「むーっ!」

 

 どうしよう。困った、これ凄く面白い。

ちょっとした出来心でやってみたけど、想像以上だ。楽しい、やめられない。

右を向けば右へ。左を向けば左へ。右左右右左右に見せかけてまた左。伊地知さんを振り回す。

 

 何度か繰り返していると、息も絶え絶えな伊地知さんが、半分睨むようにして聞いてきた。

 

「……ね、ねぇ後藤くん」

「なに?」

「もしかしなくても、私で遊んでる?」

「楽しいよ」

「もうー!!」

 

 我慢の限界を超えた伊地知さんが僕に襲い掛かってきた。

僕の顔を掴もうと両手を伸ばしてくる。直接動きを抑えて目を合わせるのが狙いだろう。

見られて困ることなんてない。だから合わせてもいい。でも楽しいからもっとやりたい。

 

「んなっ!?」

 

 なのでとりあえず避けた。伊地知さんの全力が虚しく僕の横を通り抜ける。

信じられないような顔でこっちを見てたから、目を合わせ、ちゃ駄目だった。

横目でその反応を楽しんでから、何食わぬ顔で元の姿勢に戻る。

 

 難なく避けられたのがよほど衝撃だったのか、彼女はわなわなと震えて動かない。

このままにらみ合いを、目が合ってない、いや合わせないためだけど、続けてもつまらない。

もっと伊地知さんに構ってもらいたいから、ちょっと挑発してみよう。これくらいならいいよね?

 

「……ふっ」

「!?」

 

 伊地知さんの目が更に吊り上がった。もう少しで星歌さんと同じくらいになりそうだ。

 

 

 

 そうしてしばらくの間攻防を繰り返し、伊地知さんは体力の限界を迎えつつあった。

江ノ島の時も思ったけど体力が無い。これ、バンドマンとしては結構な弱点じゃないか。

喜多さん以外の三人は、楽器の練習より体力づくりから始めた方がいい気がしてきた。

 

 そんな馬鹿なことを考えるくらい、目の前の伊地知さんは顔が赤く息が荒い。

こうなるよう仕向けたのは僕だけど心配になる。思わず声をかけると思い切り睨まれた。

 

「大丈夫? 何か飲み物持ってこようか?」

「いい! 捕まえて目合わせるから座ってて!!」

「今目合ってるよ」

「もうそういう問題じゃないの!!」

 

 だいぶムキになっている。珍しい。

 

 余裕ぶって構えていると、とうとう伊地知さんが飛び込むように突撃してきた。

狙ってないとは思うけど、恐らく彼女が僕を捕まえられる唯一の方法だ。

避けるとそのまま床に墜落して痛い思いを、最悪怪我をする。だから受け止めるしかない。

 

 なるべく伊地知さんが痛くならないよう、衝撃を殺しながら受け止めた。

いくら彼女が小柄でも勢いがあるから、当然のように僕は押し倒される。

伊地知さんは疲労と達成感を滲ませながら、そんな僕の上に跨っていた。馬乗りだ。

 

「……はぁ、はぁ、や、やっと捕まえた」

「お疲れ様、頑張ったね」

「むぅ、なんで全然悔しそうじゃないの?」

「こんな風に遊ぶの初めてで、凄く楽しかったから」

「……そういうこと言うんだ、ずるいなぁ」

 

 伊地知さんはその体勢のまま、両手を伸ばして僕の頬に添えた。

 

「じっとしててね」

 

 言われなくてもそのつもりだった。だけど彼女の髪が顔にかかってくすぐったい。

それにこのままだと目にも入りそう。失礼を承知の上で払った。

それでもすぐに顔まで戻ってきてしまう。もうちょっと、根の方から払わないと意味がなさそう。

そうして手を伸ばすと温かい、何か柔らかいものに触れた。伊地知さんのほっぺだった。

予期せず触れたものに、彼女は触れられたことに、僕達は揃って固まってしまった。

 

 謝らないと。遊びの延長線上とはいえ、女の子の顔に触れてしまった。

そう考えた、考えているはずなのに、僕の口から出たのはまったく別の言葉だった。

 

「虹夏さん」

 

 急に名前で呼ばれて、彼女は大きな目をますます丸く、大きく見開いていた。

失敗した。いつか呼ぼうとは思っていたけれど、どうしてこんなタイミングで。

気まずさに目を逸らそうとする僕を咎めるように、彼女は両手に力をこめた。

そしてもっと顔を近づけて、微かな笑みを浮かべながら、からかうように尋ねてくる。

気のせいか、手から伝わる頬の熱が少しずつ熱くなっているように感じた。

 

「なあに? そんなに私のほっぺ触りたかったの?」

「……ごめんね、すぐ離すから」

「いいよ」

 

 僕の頬に添えていた手を片方離し、そのまま自分の頬へ、頬に触れる僕の手へ重ねる。

離そうとした僕の手を抑えるようだった。実際どうしてか、僕は手を離せなかった。

彼女はまったく力を入れていなかったのに。

 

「私もこうして触ってるから、お互い様だよ」

 

 お互い様。本当にそうなんだろうか。男女で違いがあるべきだと思うけど。

そんな思考も口から出ない。ただ、そっか、と返すことしか出来なかった。

彼女もそうだよ、と口にするだけで、それ以上の言葉はお互いに出てこなかった。

 

 そのやり取りをしてからしばらく、僕達は黙ってお互いの頬を触り、見つめ合っていた。

この状況は、いったいなんだろう。ほとんど自分で招いたくせに、僕は何も分かっていない。

戸惑う僕の意識を連れ戻すように、虹夏さんは添えた手指で僕の頬を押し始めた。

 

「……ちょっと硬い」

「男だから、女の子と比べるとね」

 

 お返しとばかりに、ほんの少しだけ力をこめる。温かくて柔らかい、優しい感覚が返って来る。

ひとりともふたりとも違う、初めて触れる他人の感触。違和感を覚えるべきだ。

それなのに、僕は違和感どころか安らぎを覚えている。僕は自分が分からなくなりつつあった。

 

「そういう虹夏さんは柔らかいね」

「その、女の子だから」

 

 消え入りそうな声で、虹夏さんが囁くように答えてくれた。

髪から覗く耳はすっかり赤くなっていて、とても照れている、恥ずかしがっているのが分かる。

それでも何故か、彼女は目を逸らすことも、手を外すことも、僕の上から降りることもなかった。

 

 僕は今からどうすればいいのか、どうしたいのか。何も答えが出ない中、玄関の開く音がした。

ひとりが帰って来た。偶然も含めて、僕が本当に困った時あの子はいつも助けてくれる。

ちゃんと手洗いうがいでもしてるのか、ひとりはすぐに二階へ上がらず下でどたばたしていた。

 

 今日のひとりはとても間がいい。そのまま戻ってきたら、この状況を見られるところだった。

はっきり言って誤解を招く体勢だ。どんな誤解、いやそんな誤解。駄目だ、僕も混乱している。

とにかく、この隙に体裁を整えないと。このままだとなんやかんやで最終的に僕とひとりが死ぬ。

ひとりに気づいていないのか、今もぼーっと僕を見つめる虹夏さんに声をかけた。

 

「虹夏さん」

「……なあに?」

「えっと、ひとり帰って来たよ」

「……………うん」

「だからその、そろそろ降りた方がいいんじゃないかなって」

「………………………………………………………あ゛っ!?」

 

 ここまで言ってようやく、虹夏さんは自分の体勢を思い出したようだ。

元々赤かった顔を更に、これ以上はないんじゃないか、というくらいまで真っ赤に染めた。

そして血の流れと同じくらいの勢いで、手を離して立ち上がった。

 

「あっ」

 

 平静を失っているのに、慌ててそんな風に動けばバランスだって崩す。

立ち上がりきれなかった虹夏さんが、今度は僕に覆いかぶさるようにしてきた。

一度離れた視線がもう一度交わる。さっきよりも更に近い、文字通り目と鼻の先に顔がある。

 

「あっ、え、や」

 

 言葉を忘れてしまったかのように、虹夏さんは意味のなさない音を放ち続ける。

僕としても、何を言えばいいのか分からない。どういう顔をすればいいのかも分からない。

だからかもしれない。自分でもありえない、馬鹿みたいなことを口にしたのは。

 

「……もう一回、やる?」

「っ!?」

 

 さっきこれ以上はないくらい、なんて思ったけどそれは間違いだった。

彼女はさらに真っ赤に、そして目をぐるぐると回しながら、今度は無事に立ち上がる。

ふらふらとしながらも、置いてあった自分の荷物を持って廊下へ滑り込んだ。

 

「あ、え、えっと、わ私帰るね!」

「まだそんなじ」

「今なら家に着く頃にはいい時間だし! お、お姉ちゃんのご飯も作らなきゃだし!」

「なら送」

「お、お邪魔しましたー!!」

 

 階段から転げ落ちるんじゃないか、と心配になるような勢いで虹夏さんは飛び出して行った。

あんな風に駆け出して大丈夫かな。心配だけど、追いかけるともっと酷いことになりそう。

ベランダに出て、玄関から出て来た彼女の様子を窺う。危なそうならここから止めに行こう。

 

 駆け足と早足の中間くらいの速さで歩いていた彼女は、道路の一歩手前で足を止めた。

そして慌ただしく、けれどきちんと右左を確認してから、再びスピードを上げて歩き去っていく。

虹夏さんはいつも通り、車や道路に十分気を付けていた。あれなら余計な心配はいらない。

とりあえず無事に帰れたらロインをくれるよう、連絡だけしておけばいいか。

 

 部屋に戻るといつの間にか、廊下からひとりがひょっこり顔を出していた。

 

「た、ただいま。虹夏ちゃんが凄い勢いで出てったけど、何かあったの?」

「おかえり。あったというかしたというか。ごめん、説明が難しい」

「???」

 

 あれが言いふらしてはいけないことだってくらい、いくら僕でも分かる。

幸い正直に感想を伝えたことで、ひとりもそれ以上の追及はしてこなかった。

 

「そういえば、ひとりは何か買えた?」

「えっと、うん。一応」

 

 話を変えるため、実際に興味があったため、ひとりに確認を取る。

疲れ切った様子を見せながらも、無事帰って来たひとりは小さな紙袋を抱えていた。

ちゃんと買い物できたらしい。何を買ってきたにしても立派な成果だった。

 

「お、お金が無くて、これしか買えなかった……」

「……まあ、学生らしいニューギアでいいんじゃない?」

 

 ひとりが袋から取り出したのは、可愛らしいピンク、赤、黄色、青、黒のピックセット。

お金が無いという言葉には疑問が残るけど、もう何かに使った後なのかもしれない。

明後日学校に行った時、念のため山田さんにも聞いてみよう。第一容疑者だ。

 

 

 

 買ってきたピックを早速きれいに並べて、ひとりは写真を撮りだした。

本当にこれでマイニューギアするらしい。SNS本当に始めさせてよかったのかな。

今更だけどちょっと心配になって来た。あんまり依存するようだったら携帯の契約を見直そう。

 

 僕の不安なんて知らない様子で、ひとりはわくわくした顔で写真を撮り続けている。

わくわくというかどろどろしてきた。いいねへの期待に胸を膨らませ過ぎた結果だ。

確実に裏切られるだろうから、慰める準備だけはしておこう。

 

 ぼんやりとひとりの様子を眺めながら、僕はさっきのことを思い出していた。

虹夏さんはいったい何がしたかったんだろう。あの状況は僕のせいだけど、きっかけは彼女だ。

きっかけ、二人っきりと伝えた後に僕の反応を確かめようとしていた。どうして?

僕の中に答えはない。もしくは今の僕では見つけられない。なら外に求めるしかない。

 

「ひとり、二人っきりだね」

「? うん、お母さんたち遅いね」

 

 試しにひとりに言ってみたけれど、少し不思議そうにするだけだった。

間違いなく虹夏さんが求めた反応じゃない。こうなったら率直に聞こう。

 

「変な質問なんだけど、ひとりは二人っきりって聞いたらどんな連想する?」

 

 ひとりの顔がみるみるうちに青くなっていった。

 

「……も、盛り上がらない会話、冷えていく空気、じ、地獄のような空間っ!!」

「ごめん、ありがとう、その辺でもういいよ」

 

 聞き方も聞く人も間違えた。ガタガタと震えるひとりを慰めるように撫でる。

そうしている間にどんどんひとりがもたれかかってきて、ほとんど抱き着くようになった。

文化祭以来、ひとりのスキンシップが昔と同じに戻りつつある。これもまた僕が招いた状況だ。

 

 僕は高校生になる頃、ある考えからひとりと距離を取ろうとしたことがある。

というよりひとりどころか家を離れて、東京で一人暮らしをしようと考えていた。

妹達の猛烈な反対、父さんと母さんの説得、僕の本心。色々あってそれは取りやめた。

 

 ただ、ひとりも何か感じることがあったのか、僕に甘えるのを少し控えるようになった。

寂しく思う気持ちもあったけど、僕がきっかけで、しかも自立にはいいことだ。

それでも本当に辛い時、大変な時、どうしようもない時は頼って甘えてもいい。

気づくと僕達の間には、自然とそんなルールが出来ていた。結構な頻度でその機会はあったけど。

 

 その暗黙の了解を、あの文化祭の日僕は破った。つい抱きしめてしまった。

だからこうしてひとりが甘えてくるのを、僕に抑える権利はない。

それにひとりはあの頃と比べてずっと大人になった。甘え方にも節度があるはず。

どれも言い訳だ。自覚しながらも僕は、抱きしめる手も、撫でる手も止めることが出来なかった。

 

 そうして自分を騙してひとりを甘やかしていると、なんだかもぞもぞとひとりが動き出した。

様子を見るとすんすんと鼻を動かして、何度も僕の胸元の匂いを嗅いでいた。その度に首を捻る。

まさか臭いとか言われるのかな。試しに嗅いでみても、今はひとりのしかしない。

それに自分のものは分かりづらいという。僕は世のお父さんと同じ恐怖を覚えつつあった。

 

「どうかした?」

「……ううん、なんでもない」

 

 なんでもありそうな様子で、ひとりは顔を上げた。釈然としない、難しい顔をしている。

仮に臭かったらすぐに言ってくるか、慌てふためいた顔をしているはず。そこは一安心だ。

代わりに別の疑問は生じたけれど、こっちに緊急性はなさそうだ。のんびり構えよう。

 

 一安心したところで、自分がえらく喉が渇いていることに気がついた。

虹夏さんで、いや虹夏さんと遊び始めたあたりから何も飲んでいない。

途中途中緊張するポイントがあったせいで、渇き方もひとしおだ。何か取ってこよう。

 

「何か飲み物取って来るから、一旦放してもらってもいい?」

「あっ」

「ひとりの分も持ってくるよ。飲みたいものある?」

「え、えっと、あっ、私が取って来る!」

 

 液体だったら染み込むくらいに僕へ寄りかかっていたひとりが、急に立ち上がった。

まるで僕に冷蔵庫を開けられたら困るみたいだ。後で開けに行こう。

 

 

 

「お、お待たせ」

 

 戻って来たひとりは僕に背を向け、足の間に入るように座り込んだ。

ひとりの膝の上のお盆には、コップになみなみと注がれたコーラが乗っていた。零しそうで怖い。

それともう一つ、何か薄くて包装されたものをお盆の下に隠し持っていた。お菓子か何かかな。

 

「こ、コーラでよかった?」

「うん、ありがとう」

 

 持って来てもらってなんだけど、絶妙に飲みにくい。特に置き場所が鬼門だ。

ひとりの膝、つまり体の上。この世で最も安定しない場所と言ってもいい。

言おうかなと思ったけど、僕に体を預けてコーラを飲むひとりはご機嫌に見える。

置かずに一度で飲み干せばいいか。僕はどうしようもなく甘かった。

 

 自分の駄目さ加減を見て見ぬふりをして、気を付けながら僕もコーラを飲んだ。

飲んでいる間、何度かひとりはお盆の下のものを気にしていた。

指先で弄って、ちらちらと僕を見てからまた戻す。

気づいてー、言ってー、と伝えているようにも見えた。

普段ならそれも見えないふりをして、ひとりに頑張って勇気を出してもらっている。

だけど今日はもう、心が甘やかす方に傾いてしまっていた。僕も疲れてるのかもしれない。

 

「ひとり、お盆の下のってなに?」

「あっ、え、えへ、えっと、これは」

 

 望まれるままに聞いてみると、ひとりはぱあっと嬉しそうな顔をした。可愛い。

こういう顔を見ると、ついつい甘やかしたくなるからずっと控えていたのに。

今日はもう駄目だ、せめて明日以降も引きずらないことだけ頑張ろう。

 

「ぷ、プレゼント!」

「……プレゼント?」

「が、額縁買ってきたから、プレゼント」

 

 間抜けにもオウム返ししか出来ない僕に、ひとりは説明を続けた。

 

「サインの色紙額縁に入れようかなって、この間お兄ちゃん言ってたから」

 

 そんなことも言っていた気がする。文化祭後の夜、サインを眺めながらだったかな。

結局どうするか決め切れなくて、サインは今も僕の机の中に大事にしまいこんである。

 

「覚えててくれたんだ?」

「いや、その、マイニューギアする時に雑貨屋の前通って、それで思い出して」

「ううん、思い出してくれただけでも嬉しいよ。その上用意までしてくれて」

 

 ひとりは少し気まずそうだったけど、覚えてくれていただけでも嬉しいのに、それ以上だ。

あと、これでお金が無いって言ってた理由も分かった。山田さん疑ってごめん。

 

「開けてみてもいい?」

「ど、どうぞ」

 

 包装紙を丁寧に剥がして畳む。これも大事なプレゼントの一部だ、もちろんとっておく。

言葉の通りちゃんと額縁が出てきた。ずっとひとりが触っていたからか、ほんのり温かい。

それをしげしげと眺める僕のことを、ひとりが喉を鳴らしながら観察していた。

 

 落ち着いた黒い縁に、ピンクの星が散りばめられている額縁。いつもの色合いだ。

昔からひとりがくれるものは、黒を基調とした中にピンクが差し色されていることが多い。

身につけるものから飾るもの、幼稚園の時にくれた似顔絵までピンクが混じっていたっけ。

小さい頃は女の子っぽく感じて、正直苦手に思うこともあった。

それでも毎回毎回渡されている内に、今ではすっかり好きな組み合わせになってしまった。

 

 昔を懐かしんでいる場合でもないか。僕が何も言わないから、ひとりの震度が上がり始めた。

このままだとお盆が吹っ飛ぶ。やるべきことを、いや、やりたいことをしよう。

 

「ひとり、一旦お盆机に置いて」

 

 言われるがまま立ち上がり、ひとりは抱えていたお盆とコップを机の上に置いた。

そしてまた僕の足の間に戻って来る。今日はここが定住の地らしい。

僕としても都合がいい。沸き上がる気持ちのままに、後ろからひとりを抱きしめた。

 

「わっ」

「ありがとうひとり。嬉しい、うん、本当に嬉しい」

 

 僕からもやってどうする。そんな自分からの指摘を僕は無視した。今日はもうしょうがない。

回した腕をひとりのお腹の前で組んで結ぶと、そこにひとりも手を重ねて来た。

なんとなく子供の頃を思い出す。小学生の間は、大体いつもこんな格好で過ごしていた。

 

 しばらくそうしていると、ひとりが思い出したように声を上げ、僕を見上げた。

 

「あ、あとね、お母さんたちにもケーキ買ったよ。ワンホールのやつ。冷蔵庫に入ってる」

「……大きいの買って来たね」

「そっちの方がたくさん食べられるから」

 

 以前バイトの初給料が入った時、似たようなことをひとりは言っていた。

あのお金はノルマに消えてしまったけれど、その時の気持ちもまたひとりは覚えていた。

 

「私が切ると、凄い形になりそうだから」

「うん」

「お兄ちゃんに切ってもらってもいい?」

「任せて」

 

 ここ最近ひとりの成長がどうとか、僕は偉そうに考えていた。

そんなこと考えなくてもよかった。この子は、僕の知らないところでずっと大人になっていた。

嬉しいような、寂しいような。複雑な気持ちを隠すように、僕はひとりを抱く腕に力を込めた。

 




余談ですが、ぼっちちゃん曰く兄のイメージカラーは黒だそうです。

次回「距離感の話 姉編」です。多分また二分割です。


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「距離感の話 姉編 上」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 今年の春から、私を取り巻く環境は大きく変わった。

ギターが逃げたり戻ってきたり、色んな意味でとてつもない子が入ってきたり、ライブをしたり。

バンドに限った話でも今挙げたこと以外にも、数え切れないほどたくさんのことがあった。

大変だったことも含めて、そのどれもが今となってはいい思い出だ。

 

 そして学校生活においては、彼と友達になったことが最も大きい変化かもしれない。

彼、後藤一人くん。バンドのとてつもない子、ぼっちちゃんのお兄ちゃんでもある。

そんな後藤くんは私の通う下北沢高校で、一番の有名人だと言ってもいい。

 

 下北沢の魔王。彼は心からの恐怖と畏敬から、こんな馬鹿みたいな呼ばれ方をしている。

馬鹿みたい、なんて呆れたように言えるのも、私が彼と友達になれたからだ。

それまでは私も彼を怖がっていたし、彼の威圧感(本人曰く魔王感。なにそれ?)は今も健在だ。

その証拠に今日も、彼と目が合ったクラスメイトは泡を吹いて気絶していた。

彼はいつもと同じ無表情で、いつものようにその子の介抱をしながらぽつりと呟く。

 

「なりたいとなる。当たり前だけど別の話か」

 

 誰に聞かせるわけでもない独り言。どういう意味なのか私には分からなかった。

 

 後藤くんと目が合うと気絶する。意味不明だけど周知の事実だ。

それを聞いても、何を馬鹿なと笑う人がほとんど。でも一度見れば心に刻まれる。

熱も光も持たず、何の感情も宿さない、星の無い宇宙のような瞳。

ただただ虚ろで見るだけで、目が合うだけで、大事な何かが削られていくような心地すらする。

こうして仲良くなった今でも、あの目を見ると心臓がキュッとしてしまう。

それなのにどうして、私は後藤くんの目を追ってしまうのか。

 

「後藤くんおはよう!」

「おはよう、伊地知さん」

 

 これが答えだ。何もない瞳に、私を見つけた途端に灯がともる。温かで嬉しそうな光が宿る。

目は口程に物を言うなんて言葉があるけれど、彼の瞳はいつだってそれを証明している。

恐ろしい魔王が、私を見る時はただの優しい男の子になる。その落差が私の中の何かを刺激する。

 

 彼の数少ない友達、私のバンドメンバーもこの変化には気づいてないと思う。

喜多ちゃんは目というか、いつも顔全体を見てるから細かい動きには鈍感だ。

リョウは微妙にトラウマなのか、仲良くなってはいるけど目を合わせるのは今も避けている。

 

 だからこの動きを知っているのは、私と多分もう一人、妹のぼっちちゃんだけ。

自分でもちょっとないな、とは思うけど、なんとなく優越感を覚えてしまう。

そういうわけで何かあれば、今もついつい彼の目を見てしまう。変な癖がつきそうで怖い。

 

 

 

 突然話は変わるけれど、私にはお姉ちゃんが一人いる。

照れ屋で素直じゃなくて意地っ張りでツンツンツンツンデレな、優しくて大切なお姉ちゃん。

 

 そのお姉ちゃんと後藤くんが、最近あやしい。

まず距離感がおかしい。妙に近い。ベタベタしている。この間なんか頭撫でてた。

文化祭の時もくっついてた。後藤くんは腰が抜けてたからって言ってて、あの時は納得した。

だけどそれにしたって変。おかしい。あんなにくっつかなくてもいいよね?

 

 それに一昨日、つまり後藤家へ遊びに行く前日、お姉ちゃんとこんな会話があった。

 

「あっお姉ちゃん、明日友達の家遊びに行ってくるね」

「おー、リョウのところか? あんま遅くなるなよー」

 

 私の方を見向きもせず、寝っ転がって雑誌を眺めながらの適当な返事。

そんな気のない言い方に、ちょっとした悪戯心が沸いた。お姉ちゃんがそんな態度なのが悪い。

なるべくなんでもないように装って、さりげなさを意識して口を開く。

 

「ううん、男の子の家」

 

 それを聞いたお姉ちゃんはずるりと、勢いよくソファーから落下した。

 

「…………はあ!? ちょ、ちょちょ、ちょっと待て、どういうことだ!!??」

 

 想像以上の慌てぶりだ。悪戯が上手くいって、思わず笑みがこぼれる。

いつものお姉ちゃんなら、私の笑顔を見て察すると思う。でも今日は違った。

 

「えっ、ちょ、男って、え、誰だ!?」

「ふっふっふ、誰だろうね」

「いや今そういうのはいいから、早く言って!?」

 

 私の肩を掴んで、ぐわんぐわんと揺らすように尋ねてくる。ちょっと力が強い。痛い。

どんどん動揺が強くなっていくお姉ちゃんを見て、私もほんのちょっぴり反省した。

追及があるかもだけど、彼の名前を出せばお姉ちゃんも少しは落ち着くだろう。

 

「後藤くんだよ」

「なんだあいつか」

 

 すん、なんて音が聞こえてきそうなほど、急にお姉ちゃんは白けた。

今度はこっちが困惑、慌てる番だ。どうして後藤くんの名前が出た瞬間にそうなるの?

 

「えっ、急に冷めすぎじゃない?」

「だってあいつんちってことは、ぼっちちゃんも一緒だろ」

「うん。というか、本当はぼっちちゃん目当てだし」

「だろうな。あー、慌てて損した」

 

 やれやれ、なんて態度を隠そうともせず、お姉ちゃんは再びソファーに横になる。

釈然としない私に気づいているのか、いないのか、だらだらした姿勢のまま続けた。

 

「それにあいつなら、別に二人きりでも大丈夫だろ」

 

 なんなら泊まってきたらどうだ、なんてことまでその時は言っていた。

半笑いの冗談交じりの発言。でもその声には、はっきりとした信頼が込められていた。

 

 

 

 私はその信頼を確かめたかった。彼を疑っている訳じゃない。私だって信じている。

それでもお姉ちゃんがそれだけ言う根拠を、私は探していたのかもしれない。

それとついさっき、お姉ちゃんに悪戯が成功して調子に乗っていたこともある。

いつも落ち着いている彼の、あんな風に慌てる姿が見てみたいな、なんて思いもあった。

 

 それがまさか、あんなことになるなんて。今思い出すだけでも顔から火が出そう。

二人きりだねって言って、ちょっと意識させて、からかえたらなって。その程度の考えだった。

それが、あ、あんな恰好で、顔を触り合って、見つめ合って、名前まで呼ばれて。

私たちの信頼通り、後藤くんは、その、それ以上は、そういう素振りはまったく見せなかった。

それでも、あんな大胆なことをされるなんて、男の子を意識させられるなんて思わなかった。

彼にそんなことをするような欲があるなんて、想像もしていなかった。

 

「……あ゛ぁ゛―」

「ずっと顔赤いし、変な声出てるけど大丈夫か? 熱ある?」

 

 あれ、でも待って? よくよく思い出してみると、彼がしたことは全部先に私がしたことだ。

見つめたのも、頬を触ったのも、その感触を楽しん、いや、その感想を言ったのも。

彼から、彼だけがしたのは名前で呼んだことくらい。びっくりしたけど、変なことじゃない。

逆に私だけがしたのは、お、押し倒したこと? い、いや、そんな、まさか。

こんなの、どっちがアレかなんて考えるまでも無い!?

 

「に゛ゃああああああああああ!!」

「うおっ!? えっ怖っ急に何? 家行ってぼっちちゃんうつった?」

 

 駄目だ、これ以上考えると頭が馬鹿になる。最初の疑問に戻ろう。頑張って戻ろう。

どうしてお姉ちゃんが、あそこまで後藤くんのことを信頼してるのか。それが分からない。

というかそもそも後藤くんと仲良くなってるのもおかしい。二人ともそんなに接点ないでしょ。

クラスメイトはあんなだし、私とリョウだって友達になったのは一年以上経ってから。

ほんの数回しか会ったことないはずなのに、あれはおかしい。絶対変。絶対何かある。

 

「……じー」

「え、なんで私のこと睨んでるの?」

 

 でもお姉ちゃんに直接聞いたところで、からかわれて真面目な答えなんて返ってこない。

後藤くんなら真剣に答えてくれるだろうけど、どうせヘンテコな回答しか出てこないはず。

だったらもう、自分で調べてみるしかない! 自分の目で、耳で確認するしかない!

これは、決して明日以降後藤くんとどう接していいか悩んでるから、という訳じゃない!!

 

「よし!」

「最近妹が分からない……」

 

 

 

「という訳で、お姉ちゃんと後藤くんの関係について調査したいと思います」

「協力します!」

「…………帰っていい?」

「ダメ。今日バイトでしょ」

「じゃあ仕事しろよ」

 

 そして次の日。今日はバイトで皆が集まる。せっかくだから調査の協力をお願いした。

リョウがまさかの正論を言ってきたけど無視。時には正論よりもっと大事なことがある。

私は一人だけ状況を理解出来てなさそうなぼっちちゃんにも同意を迫った。

 

「ね、ぼっちちゃんも変だと思わない?」

「あっ、へ、変と言えば変ですけど、仲良しならいいんじゃ」

 

 結構変な疑いについて話しているのに、ぼっちちゃんにしては平然と聞いていた。

そういえば昔、お兄ちゃんに友達? 彼女? へっ、とかなんとか言ってた気がする。

後藤くんとそういうことについて、考えがまったく結びつかないのかもしれない。

 

「ひとりちゃん、この場合の仲良しっていうのは、いわゆる友達的な仲良しじゃなくてね」

「はぁ」

「あー、もう言っちゃうけど、男と女的に仲良くなってる疑惑なのよ!」

「…………お、おお、男と女!?」

「いやそこまでは言ってないけど……」

 

 仲良過ぎで変だな、とは思うけど、いくらなんでもそこまでは考えてない。

二人を宥めるために言ってみたものの、喜多ちゃんの興奮は治まってくれなかった。

 

「いえ伊地知先輩、男と女の行きつく先はいつだって一つです!!」

「……もしかして昨日、変なドラマとか見た?」

「はい! 面白かったです!」

「喜多ちゃんは素直だなぁ」

「そうですか? ありがとうございます!」

「褒めてないんだよなぁ」

 

 私と喜多ちゃんがアホな会話をしている間に、身震いしていたぼっちちゃんも少し落ち着いた。

意外と冷静な感じで眉をひそめ、何かを考え込んでいる。そしてボソッと呟いた。

 

「で、でも店長さんって私たちより、お母さんたちの方が年近いですよね?」

「……それ、お姉ちゃんには言わないであげてね」

 

 そうしてなんとかぼっちちゃんを巻き込もうとしていると、リョウが唐突に電話をかけた。

 

「……もしもし陛下?」

「!?」

 

 相手は後藤くんだ。私たちが面倒だから、直接聞いて終わらせようとしているのかもしれない。

通話設定をスピーカーにしたのか、リョウの携帯から後藤くんの声が響いた。

 

『もしもし山田さん、どうしたの? お腹空いた?』

「空いてるけどそれは後で。陛下って、店長のことどう思ってる?」

『どうって。急にどうしたの?』

「好きとか嫌いとか、そういう答えが欲しい」

 

 リョウらしい、率直で簡潔な聞き方だった。かなり聞きにくいことだけど何も気にしていない。

そして聞かれた後藤くんも気にしない人だから、間髪入れずに返事をしていた。

 

『優しくていい人だよね。好きだよ』

「ぎゃあ!」

「に、虹夏ちゃん、き、喜多ちゃんが倒れました!?」

『……喜多さんの悲鳴が聞こえたけど、何かあった?』

「気にしないで。大丈夫、郁代の脳が壊れただけ」

『それは大丈夫じゃないよ?』

「今から直すからちょっと待ってて」

 

 そう言って電話を保留にした後、リョウは喜多ちゃんに近付いた。

 

「りょ、リョウ先輩、私はもう駄目です……」

「郁代、こっち向いて」

 

 机に染み込むようにしていた喜多ちゃんの肩をリョウが叩く。

そして反射的に顔を上げた喜多ちゃんの顎に手をあてて、そのまま顔を覗きこんだ。

手慣れてるなこいつ。

 

「あっ顔が良い……。脳が再生する音がするわ…………」

「の、脳が再生……? 喜多ちゃん、頭大丈夫ですか……?」

「色んな意味で駄目かもしれないね」

 

 喜多ちゃんも喜多ちゃんで、意味の分からない反応をしていた。

最近は後藤兄妹にのめり込んでると思ってたけど、まだリョウにも未練があるみたい。

復活したけど恍惚としている喜多ちゃんを放置して、リョウは電話に戻った。

 

「おまたせ。修理して来たから安心して」

『……ごめん、脳が壊れたところから理解が追い付いてない』

「それでいいよ。陛下はそのままでいてね」

『えぇと、うん。山田さんがそう言うなら』

 

 納得したような、してなさそうな声が携帯から聞こえた。

後藤くんはあれで純粋というか幼いというか、その手の知識に疎いところがある。

あざといなこの人、みたいな目でたまに見てくるけれど、実は一番あざといのは後藤くんでは。

そんな考えは、彼の爆弾発言でどこかへ消し飛ばされた。

 

『そうだ山田さん、星歌さんに伝言してもらってもいいかな』

「!?」

 

 名前で呼んでる!? さしものリョウも驚いたようで、一瞬言葉に詰まっていた。

それでも自称クール系変人の意地か、なんでもないように返事をしていた。

 

「……いいよ。何の話?」

『ありがとう。今日の約束だけど、少し遅れますって伝えて』

「分かった。言っとく」

『お願い。よく分からないけど、星歌さんの携帯繋がらないんだ』

 

 通話の終了音が店内に虚しく響いた。その音が緊張感を謎に引き立てる。

誰かがごくりと喉を鳴らしたタイミングで、裏からお姉ちゃんが出てきた。

自然と私たちの視線はお姉ちゃんの元へ集まっていく。

 

「……なんだお前ら、雁首揃えて私の顔見て」

 

 微妙にお姉ちゃんは怯えていた。喜多ちゃんなんか目がギラギラしてるからしょうがない。

 

「店長、陛下から伝言」

 

 張り詰めた空気なんてリョウは気にしてないみたいで、普通にお姉ちゃんに話しかけていた。

 

「一人からか。なんて?」

「ん?」

「今日の約束少し遅れるって」

「ふーん。それはいいけど、なんであいつ直接連絡してこないんだ?」

「んん??」

「携帯繋がらないって言ってたよ」

「……あー、電源切りっぱだった。そうだ、あいつ来たら裏に通してくれ。お前らは入るなよ」

「んんん???」

 

 名前で呼んでる? 連絡先知ってる?? 裏に通せ、お前らは入るな???

 

「……………………これは、深い調査が必要ですね」

「頼りにしてるよ喜多ちゃん。ぼっちちゃんは……」

「あっえっ、が、頑張ってください?」

「うーん、まあしょうがないか。後は任せてね!」

「……なんか楽しそうだなお前ら」

「私はそうでもない」

 

 

 

 それからしばらく掃除やセッティングなど、真面目にバイトをしていた。

今日は調査するから、そのためにも早く仕事を終わらせないと。喜多ちゃんと張り切って働く。

ちょうど掃除が終わった頃に、玄関が開く音が店内に響いた。

 

「お邪魔します」

 

 後藤くんが来た。見慣れた無表情で、入口から店内の様子を窺っている。

顔を見て、つい昨日のことを思い出して、私は咄嗟に喜多ちゃんの後ろに隠れた。

幸い彼はぼっちちゃんを見つけて手を振っていたから、私には気づかなかったみたい。

 

「伊地知先輩、どうして隠れるんですか?」

「い、いやー、ほら、今日はこれから調査だから、ね?」

「なるほど?」

 

 ひとまず納得してくれた喜多ちゃんの背後から、入口の後藤くんの様子を観察する。

近くで当日チケットの確認をしていたリョウが、すぐに気づいて声をかけていた。

 

「陛下、店長が直接裏に来いって」

「ありがとう。伝言のお礼と言ってはなんだけど、ふたりとクッキー焼いてきたんだ。どうぞ」

「どういたはぐはぐ」

「よかったら皆で食べて」

「ありがはぐはぐ」

「……皆で食べてね?」

 

 通りかかるスタッフの人へ挨拶しながら、後藤くんは裏へと歩いて行く。

勘違いかもしれないけど、足取りが軽い気がする。喜多ちゃんにもそう見えたらしい。

 

「後藤先輩、なんだか楽しそうですね……」

「それだけお姉ちゃんに会えるのが嬉しいのかな?」

「くっ、先輩も所詮は男の子……! 萌えキャラには弱いのね………………!?」

「人の姉萌えキャラ呼ばわりするの止めてくれない?」

 

 確かにお姉ちゃんそういうところあるけども。

 

 

 

 さて、後藤くんが来ちゃったわけだけど、これからどうしよう。

お姉ちゃんは入るなって言ってたし、正面から行けばきっと怒られる。それに気まずい。

何かいい方法がないかなぁ。そんな風に彷徨っていた視線が喜多ちゃんの目と合った。

 

「任せてください!」

 

 さすが喜多ちゃんだ、頼もしい! きっと何か、慎重に探っていく作戦があるに違いない。

ふんす、みたいな音が見えるほど胸を張った喜多ちゃんが、堂々と店の裏を進んで行く。

するとすぐに裏、スタッフルームに着く。ここからどうやってバレないように調査するんだろう。

 

「たのもー!!」

「喜多ちゃん!?」

 

 まさかの正面突破だった。

 

「事は一刻も争います! それに正義はこちらにあります!!」

「えぇ……」

 

 人選間違えたかもしれない。でも残りはぼっちちゃんとリョウ。正解がない。

開け放たれた部屋の中から、お姉ちゃんと後藤くんがぽかんとこっちを見ている。

二人とも大量の書類に囲まれながら、隣り合って一台のパソコンの前に座っていた。

肩と肩が触れ合いそうだ。そういう雰囲気じゃなさそうだけど、やっぱり距離は近い。

 

「……お前ら、入って来るなって言わなかったか?」

「言いました!」

「えっ、分かってるのに入って来たの? なんで?」

「正義のためだからです!!」

「ごめんちょっと意味分からない」

 

 言いつけを破られて、普段のお姉ちゃんならもう怒ってるはずだ。

でも喜多ちゃんがあまりにも堂々としているせいで、怒るに怒れない、むしろ混乱していた。

頭の上に疑問符を浮かべ続けるお姉ちゃんに代わって、今度は後藤くんが尋ねてきた。

 

「二人ともどうかしたの? 何かトラブルとかあった?」

「いえ、今目の前にあるトラブルを解決しにきました!」

「ごめん僕もちょっと分からない」

 

 後藤くんもやられた。同じように疑問でいっぱいの様子で首を傾げている。

 

「目の前のトラブル……」

 

 一見意味不明の言いがかりみたいな言葉だけど、お姉ちゃんには心当たりがあったみたい。

横目でちらりと、奥の方に溜まっている書類を確認していた。あれがトラブル?

遠くて細かいところは読めない。請求書、という文字だけが僅かに読めた。

 

 しばらく喜多ちゃんの言葉に二人して頭を悩ませていたけど、揃って理解を放り投げた。

それでお姉ちゃんは余計なことを思い出したらしくて、目を吊り上げて私たちを睨む。

 

「なんにせよお前ら、私の言いつけ破ったな?」

「え、えっと、その」

「えっともそのもない」

 

 一度落ち着いてしまえば、喜多ちゃんの勢いも何も関係ない。

気まずげに顔を伏せる私たちを見て、大きなため息を吐いた後お姉ちゃんは告げた。

 

「とりあえず表出て正座しろ」

 

 当然のように調査は失敗に終わった。喜多ちゃん、やっぱり正面突破は無茶だよ。




次回「距離感がおかしい 姉編 下」です


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「距離感の話 姉編 下」

感想評価、ここすきありがとうございます。


「私とこいつがどうこうって、意味分からないんだけど……」

 

 あれから私たちは、『私はむっつりです』という謎のフリップとともに、正座させられていた。

後藤くんがダンボールを敷いてくれたから、辛うじて地べたではないけど心に来る。

そんな屈辱的光景を前にして、それぞれ呆れ、心配、疑問、嘲笑の表情を浮かべている。

まだ状況を把握してなさそうな後藤くんが、なんとなく読み上げるように呟いた。

 

「むっつり……」

「脳内ピンクの頭思春期って意味だよ」

「えっ、そ、そんな意味でしたっけ?」

「これでも控えめな表現」

 

 自分は違うからって、リョウが好き放題言っている。

文句を言おうと口を開こうとすると、お姉ちゃんにじろりと睨まれてしまった。

そして何故か面白そうに口を歪ませた後、後藤くんの方へ視線を移した。

 

「一人、お前がこの色ボケ小娘ども説教しろ」

「色ボケ……。あの、そういう分野は苦手なので、きっと上手く話せません」

「別に何言ってもいい。多分お前がやった方が効く」

 

 その言葉に首を捻りながらも、後藤くんはそうですか、と指示を受け入れていた。

そのまま私たち二人と同じ目線までしゃがんで、しっかりと目を合わせて来る。

相変わらず後藤くんの目はお喋りだ。まったく怒っていないのが伝わってきた。

 

「えっと、二人ともその、年頃だから、そういうことへの興味が強いのは、うん、普通だよ」

 

 ただ、ものすごく戸惑ってるのと、ものすごく気を遣われてるのが代わりに分かる。

 

「だけどね、それで約束を破ったり、あの、関係を邪推したりするのは、あんまりよくないよね」

 

 つらい。優しいのがとてもつらい。癪だけどお姉ちゃんの言う通りだ。

お姉ちゃんに叱られるより、後藤くんにこうして諭される方がずっとつらい。

というか、男の子にこういう方面で窘められるのがとてもとてもつらい。

喜多ちゃんは分からないけど、私は昨日のこともあって超大ダメージだ。

 

 いたたまれなくなって悶絶する私たちを、遠くから山田が囃し立てていた。

 

「やーい、むっつりー」

「あっ、え、えっと」

「ぼっちも言っておいた方がいいよ。むっつりにむっつりなんて言える機会はそうそうない」

「あっはい? む、むっつりー」

 

 ぼっちちゃんまで悪い先輩に影響されて、酷い罵倒を私たちに放っていた。

私たちは恨めし気な視線を返すことしかできない。そしてぼっちちゃんは死んだ。

 

「まあお前ら二人がむっつりなのはいいとして、なんでそんな風に思ったんだ?」

「お姉ちゃんたちがあやしいのが悪い!」

「逆ギレかよ」

 

 私たちの抗議にお姉ちゃんと後藤くんが目を合わせる。そして同時に首を傾げた。

不思議そうだけどそういうところだよ! なんだか通じ合ってる感じのそういうところ!!

 

「つーかあやしいってなんだよ。どこ見たらそうなるんだ?」

「どこもだよ! なんでお姉ちゃんたち、名前で呼び合ってるの?」

「そうだそうだー! わた、いや伊地知先輩たちは名字なのにおかしいです!」

 

 その言葉にちょっと気まずくなって視線を落とす。もう呼ばれてます。

なんとなく言い出しづらくて黙っていると、後藤くんが喜多ちゃんを宥め始めた。

 

「郁代さんちょっと落ち着いて」

「うっ」

 

 喜多ちゃんも死んだ。正直ちょっとだけ安心した。それはともかく、名前で呼んでる理由だ。

じーっとお姉ちゃんのことを見ていると、面倒くさそうにしながらも口を開いた。

 

「だって後藤って呼んでると、ぼっちちゃんが反応するからさ」

「あー」

「一々ビクッとしてるの見てたら、なんか可哀想になってきて」

 

 何度かそんな場面は見た。後藤くんが呼ばれるたびに、飛び上がり震える姿は不憫だった。

二人ともぼっちちゃんのことが大好きだから、そう言われると納得できてしまった。

 

「じゃ、じゃあなんで後藤くんも名前で呼んでるの!?」

「ついこの間、金曜日のことなんだけど」

 

 お姉ちゃんが廣井さんを新宿へ返送しているところに出くわしたらしい。

それを黙って見送る後藤くんじゃないから、手伝って一緒に新宿FOLTまで運んだそうだ。

そこでこんなやり取りがあったと話してくれた。

 

『店長さん、廣井さんどこに置けばいいですか?』

『その辺放っておけばいいわよ~』

『燃えないゴミにでも出しとけ』

 

『店長さん、廣井さんがお酒欲しいって暴れ始めました』

『あら、そろそろ殺そうかしら~』

『瓶に水でも入れて渡せ』

 

『店長さん、廣井さんが目を覚ます前に帰りませんか?』

『まあ情熱的。でもごめんね~、まだ私仕事中なのよ』

『そうだな。面倒なことになりそうだし、さっさと帰るか』

 

『……』

『……』

『……紛らわしい!!』

『お二人とも店長さんですからね』

 

 スターリー内ならともかく、外には店長なんてたくさんいる。伊地知も二人いる。

一々確かめたりするのは面倒だから、私のことは名前で呼んでもいい。

 

「そういう流れで、星歌さんって呼ばせてもらってる」

「……廣井さんめ!」

「おいおい、あいつは悪くな、いや悪いな。いつも悪い」

 

 そう、廣井さんが悪い。今度うちにお風呂借りに来ても追い返そう。

 

「次、連絡先は!?」

「連絡先って。それくらい知っててもおかしくないでしょ」

「おかしい!」

「なんか後に引けなくなってないか?」

「なってない!!」

 

 興奮を抑えられない私を前にして、お姉ちゃんがまたため息を吐いた。何その反応。

 

「夏休みのライブあったろ? あの打ち上げの時、こいつに廣井引き受けてもらったんだよ」

「また廣井さんか!!」

「それで何かあったら連絡しろって。まあ、緊急連絡用だな」

 

  納得した、してしまった。廣井さんのことを押し付けるなら、私も連絡先くらい交換する。

というかあの時から、もう廣井さんの面倒を見てたんだ。後藤くんは色々大丈夫なのかな。

お姉ちゃんに限った話じゃなくて、人の事ばかりでちょっと心配になる。

 

「さ、最後! 今日裏で何してたの!?」

「うっ」

 

 ここで始めて、お姉ちゃんが気まずそうに目を逸らした。

まさかまさかの反応。本当にお姉ちゃん、何か人に言えないことをしてたんじゃ。

目線を迷子にしているお姉ちゃんに向かって、後藤くんが耳打ちした。距離が近い。

 

「星歌さん、内緒にしなくてもいいんじゃ」

「いやでもな、私にも大人としてのメンツが」

「ここで答えないと、私へのメンツがもっとひどいことになるよ!」

 

 そこまで私ががなり立てると、ようやく観念したようだ。

深い深いため息とともに、お姉ちゃんは口を開いた。もの凄く言いたくなさそうだ。

 

「……あー、帳簿、見てもらってた」

「は?」

「だから帳簿。一部金額が合わなくてな、確認してもらってた」

「いや、え? 帳簿?? え???」

 

 帳簿。意味は分かる。分かるけど、どうして後藤くんに確認してもらってるの?

 

「どうするかなって考えて、こいつ成績よかったよなって思い出したから、この間頼んでみた」

「引き受けました」

 

 そういえばさっきも請求書と書かれた紙が、机に散らばっていたような気がする。

確かに出来そうと言えば出来そうだけど、それにしたって高校生に頼むなんて。

呆れて物も言えない。それでもせめて、ツッコミくらいは入れておきたい。

 

「成績と簿記の知識は関係ないよ……」

「頭いいならそれくらいどうとでもなるだろ」

「それ馬鹿の発想だよ」

「なんだとこら」

 

 そうしてお姉ちゃんと言い合っている内に、なんとなく説教は終わった。

 

 

 

 説教と正座も終わって、死んでた二人も生き返って、お客さんが入る前の最後の休憩時間。

どうしようもない疲労感を覚えながら、一人落ち着いていたリョウをつい褒めてしまった。

 

「にしてもリョウはずっと冷静だったね」

「一々そんなこと気にするほど、私はお子様じゃないから」

「くぅ、悔しいけど、クールなリョウ先輩も格好いい!」

 

 むかつく、でも何も言えない。言葉の通り、私が慌ててる間もリョウは落ち着き払っていた。

そんな私たちを見て、ぼっちちゃんをあやしていた後藤くんが不思議そうに口を開いた。

 

「あれ? でも山田さんも、この間似たようなこと聞いてきたよね」

「ちょ」

「最近店長と仲良さそうだけど、もしかしてそういうあれなのーって」

 

 後藤くんの言葉を受けて視線を向けると、リョウに思い切り目を逸らされた。

なるほど、掘り下げていけばこれが露呈するから、今日はずっと否定的だったのか。

 

「おい」

「……」

「おいこらむっつり山田」

「その呼び方はやめて」

「むっつり先輩……」

「ほんとやめて」

「………………や、やーい、むっつりー」

「やめてください」

 

 お互いにむっつりと罵倒し合う私たちを見て、お姉ちゃんはまたため息を吐いて言い捨てた。

 

「……お前らもう、むっつりバンドに改名したら?」

「絶対嫌だ!!」

 

 

 

 バイトの時間が終わってお姉ちゃんに報告しに行くと、スタッフルームには後藤くんしかいなかった。

 

「あれ、お姉ちゃんは?」

「タバコ吸ってくるって、さっき出てったよ」

 

 お姉ちゃん、なんて間の悪い。まだちょっと気持ちの準備が出来てない。

気まずい空気が流れる前に何か言わないと。何か、何か話題。あっそうだ。

 

「あーっと、えーっと、ご、ごめんね、後藤くん」

「何の話?」

「ほらその、それ、帳簿の」

 

 机の上に広がる書類とファイルを指差すと、後藤くんもピンと来たみたい。

さっきよりも増えている気がする。私たちが働いている間、彼もお手伝いしていたのかな?

どう考えてもこれ高校生に、それも無償でやらせることじゃないよ。

お姉ちゃんへの文句と後藤くんへの申し訳なさが胸を過ぎった。

 

「気にしないで。これは星歌さんに前お願いした、ほら、お礼の一環だから」

「あー、あれ」

「それに実践するのもいい勉強になるから、むしろ僕の方こそお礼言わなきゃかな」

「なにそれ、それじゃいつまで経ってもお礼終わらないよ?」

「困ったことにそうなんだよね」

 

 大真面目に言うから、ちょっと笑ってしまった。そして安心した。

あんなことがあって普通に話せるか心配だったけど、始めてしまえば全然平気だ。

ほっとしたのもつかの間、後藤くんの次の言葉で、私はまた追い詰められようとしていた。

 

「そういえば虹夏さん、昨日のことなんだけど」

「は、はい」

「なんで敬語?」

 

 そりゃ敬語にもなります。むしろなんで後藤くんは平然としてるの?

憮然とした気持ちを抱えていると、突然彼が立ち上がり私の方へ歩いてくる。

そして目の前で止まると、じっと私の目を覗き込む。どこか緊張が透けて見えた。

 

「虹夏さん」

「はいっ」

「昨日はごめんなさい。調子に乗り過ぎました」

 

 それから90度まで頭を下げた。急に謝られて、何も反応できない私に向かってなおも続ける。

 

「あの時も言ったけど、友達とじゃれ合って遊ぶなんて初めてで、羽目を外し過ぎました。友達とはいえ、女の子にすることじゃなかったから、ごめんなさい」

 

 そんなことを言われて、そんな姿勢を見せられて、それはもうたくさんのことを思った。

プラスもマイナスもある。だけど一番に思ったのは、しょうがないなぁってことだ。

勇気を出して、昨日と同じように両手を後藤くんの頬に伸ばす。そして、少しだけ引っ張った。

 

「痛い?」

 

 後藤くんは瞬きを繰り返しながら曖昧に頷いた。瞳にはただただ疑問と不安だけが映ってる。

本当は痛くないけど私の行動が分からなくて、なんとなく頷いてるんだと思う。

しょうがないなってまた思った。彼も、私もしょうがないなって。だから水に流そう。

 

「ならこれでおしまい! 後藤くんも、もう気にしないでね!」

「……ありがとう」

「それに昨日はその、私もちょっと雰囲気に流されてたし、私にも責任はあるから」

 

 その時後藤くんの目がきらりと光った気がした。えっ、何その目、知らない。

 

「……そうなると、僕も虹夏さんのほっぺ引っ張った方がいいのかな?」

「え」

「だって今、私にも責任あったって言ってたし」

 

 それは言葉の綾、いや、でも、私がムキになったことがきっかけだった気もするし。

 

「で、でも、後藤くんさっき女の子がどうこうって」

「そうだけど、お互い様なんでしょ? 昨日も今日も言ってたよね」

「……それはそうなんだけど」

 

 答えに窮する私に、後藤くんは昨日と同じようにそっと手を伸ばしてきた。

咄嗟のことに目を瞑ってしまう。肩に力が入る。心臓が跳ねる。それだけだった。

そして、予想に反して私の頬に触れたのは、硬くて冷たい感触だった。

 

「冷たっ!? え、何これ、箱?」

「クッキー。今日ふたりと焼いたの詰めて来た。よかったら星歌さんと食べて」

「えっと、ありがとう?」

「山田さんに皆で食べてって渡したけど、一人で全部食べちゃったみたいだから」

 

 リョウは一言もそんなことを言ってなかった。あいつ最初から独り占めする気だったな。

予想外のことで心が追い付かない。なんとなく手の中で、受け取った箱を転がしてしまう。

そのひんやりとした冷たい感触が、私にさっきのやり取りを思い出させた。

 

「……触るんじゃなかったの?」

「謝ったばかりなのにやらないよ。さっきのは冗談。びっくりした?」

「すっごく。……後藤くん、なんかちょっと意地悪になったね」

「最近よくからかってくる人がいるから、その人の影響かな」

「む、私のせいって言いたいの?」

「心当たりあるならそうかもね」

 

 今まで見たことのないからかいの光が、後藤くんの目に宿っていた。

楽しそうにきらきらと輝きながら、小さい子のような悪戯心がどこか滲み出ている。

これが私の生み出してしまった怪物。喜多ちゃんに見せたら大変なことになるかもしれない。

 

「今日虹夏さんと会えてよかった」

 

 戦慄に震える私とは対照的に、後藤くんは胸をなでおろすように口を開いた。

 

「無事に帰れたって連絡はもらえたけど、やっぱり心配だったから」

「その、それもごめんね。急に帰ってびっくりしたよね」

「僕が悪いのは分かってる。でも今度があれば、その時は送らせてほしいな」

 

 打って変わって、からかいなんてなかったように、今度は優しさと心配だけが感じられた。

なんとなくずるいなって思った。何がずるいんだろう。考える前に扉が開いた。

 

「……そろそろいいか?」

「お、お姉ちゃん!?」

 

 いつの間に。もしかして、今までの会話も聞かれてたの?

慌てふためく私を置いて、後藤くんはファイルを片手にお姉ちゃんに近付いていた。

 

「星歌さん、帳簿の確認終わりました」

「おう、お疲れ。原因分かった?」

「ドリンクの仕入先から、二重で請求されてるところがありました。ここだけ締め日が違うので、行き違いがあった可能性があります。他も含めてリストにしたので、後で確認してください」

「……マジで出来たのか。ありがとな、助かった」

「いえ、何かあったらまた呼んでください」

 

 お姉ちゃんの馬鹿の発想通り、後藤くんは帳簿のことを何とかしたらしい。

お礼を言われて満足そうにしながらも、彼は手早く荷物を片付けて出口へ向かう。

 

「じゃあ虹夏さん、また明日学校でね」

「あっうん、ま、また明日」

 

 それから手を振って後藤くんは、何事もなかったかのように立ち去った。

この後ぼっちちゃんの帰り支度を待って帰るんだろう、いつも通りに、普通に。

何がどうしてか分からないけど、ずるいなって、私はまた何かに感じていた。

 

 なんとなく、意味もなく、彼が出て行った扉を眺めてしまう。

彼に向けてか私に向けてか、お姉ちゃんは感心したように苦笑いを浮かべていた。

 

「あれはそのうち、相当悪い男になるな」

「……今も魔王だよ」

「なんだ、とっくに手遅れか」

 

 そう言って笑ってから、何故かお姉ちゃんは私の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。

当然髪が乱れてぐしゃぐしゃになる。お姉ちゃんを睨んでも、もっと楽し気にするだけだった。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

「ん?」

「お姉ちゃんはどうして、後藤くんのこと信用してるの?」

「なんだ、またむっつりか?」

「そうじゃなくて! ……そうじゃなくて」

 

 そうじゃなくて、なんなんだろう。

続きを待って、私にも分からないことを察して、それからお姉ちゃんは考え始めた。

 

「……色々あるな。リョウとか廣井の扱い方とか」

「二人との接し方?」

「どっちも面倒な上に大変だけど、いつもちゃんとやってるだろ?」

 

 リョウは気難しい子だ。今まで私以外とは友達になろうともしなかった。

自分のことに口出しされるのは嫌うのに、全肯定やスルーも嫌がる偏屈さがある。

廣井さんは言わずもがな。酔っ払いの相手はいつだって面倒くさくて大変だ。

確かに後藤くんは嫌な顔一つせず、表情変わらないけど、そんな二人と仲良くやっている。

でもそのくらいで、お姉ちゃんがあれだけの信頼を見せるのかな。

 

「それだけ?」

「あとはぼっちちゃんの面接の時とか、ライブの時のあれこれとか」

「……なんか、たくさんあるね」

「思いのほか出て来たけど、一番はこの間の文化祭だな」

 

 そこで言葉を区切って、お姉ちゃんはどこか遠くを見上げた。

あの日からたまに見る、何かを懐かしむような、悔やむようなまなざしだった。

 

「あれであいつが、あの頃の私よりずっと大人で、ずっと子供だって分かったから」

「大人で、子供?」

「……まあどっちかつーと、心配が増えたとこもあるけどな」

 

 困ったように笑うお姉ちゃんは、追いつけないほど大人っぽい表情をしていて。

そんなものを見せられると、私にはもう憎まれ口を叩くことしか出来ない。

 

「…………お姉ちゃん、無理してカッコつけて言わない方がいいよ。全然似合わない」

「ふっ、まあお前には一生分からないかもな」

「何それ、馬鹿にしてるのー?」

「そうじゃない。立場が違うってだけの話だ」

「立場って何? さっきから分かんないよ」

「いいんだよ、それで」

 

 適当で乱暴で、誤魔化すような言葉。

そんなものでも優しく撫でられながら、想いを感じるように言われたら、納得するしかない。

PAさんがお姉ちゃんを呼びに来るまで、私は黙って頭を撫でられ続けていた。

 




次回は「距離感の話 妹編」のはずでしたが、なんか気持ち悪くなりました。
なので予定を変更して「喜多ちゃん先生のコミュニケーション教室 護身編」を投稿します。


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「喜多ちゃん先生のコミュニケーション教室 護身編」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 小テストが近いから勉強を教えて欲しい、と昨夜喜多さんからお願いされた。

図書館は話せない、カラオケは喜多さんが歌う、スターリーは星歌さんに迷惑をかける。

そういう訳でファミレスの一角を陣取って、今日は勉強会を行っていた。

 

「ひとり」

「シャー芯、2Bでも大丈夫?」

「平気。ありがとう」

「……じーっ」

 

 喜多さんが見てくる。

 

「お兄ちゃん」

「はい消しゴム。確か家にも無かったから、帰りに買おうか」

「うん。ありがとう」

「……じーっ!」

 

 喜多さんが凄い見てくる。

 

「あっ、き、喜多ちゃん、どうかしました?」

「……ひとりちゃんと後藤先輩って、仲いいですよね」

 

 その圧力に屈してひとりが声をかけると、喜多さんが唐突にそんなことを言ってきた。

 

「そう見えるかな。ありがとう」

「えっと、どういたしまして?」

 

 家族と仲がいい、もしくはよさそう。僕が言われて嬉しい言葉ランキング五位だ。

ちなみに一位は家族を褒められること、二位は家族からのお礼。毎日言いたいし言われたい。

ただ、喜多さんにとってそれは枕だったようで、本題を慎重に切り出して来た。

 

「それでその、二人って距離感近い、ですよね?」

 

 距離感。この間聞いたばかりの単語だ。だからつい、もう一個の方を口に出してしまった。

 

「……またむっつり?」

「その話はやめましょう」

「…………や、やーい」

「ひとりちゃん」

「はい」

 

 珍しくすんとした喜多さんに鋭く呼ばれ、ひとりもしゃんとした返事をしていた。

触れられたくないらしい。山田さん曰く脳みそピンクの頭思春期。当然といえば当然か。

これ以上は気まずくなるだけだから、僕も喜多さんの言葉へ意識を切り替えた。

 

「距離感が近いか」

 

 なんとなく隣のひとりを見ると、ひとりも僕の方を向いていた。ポケポケとした顔をしている。

ひとりはいつも可愛いけれど、こういう時はマスコット的愛らしさが強く出てくる。

もっとよく見たいから優しく前髪をかき分け、確かめるように少し摘まんだ。口実作りだ。

 

「ちょっと前髪伸びたね。今度の休みに切ろうか」

「お願いします。あっ長さは」

「目元が隠れるくらい?」

「うん」

「僕はもうちょっと切りたいけど、駄目?」

「駄目」

「無理?」

「無理」

「残念?」

「残念……じゃない!」

「引っかからないか、残念」

「……もう」

 

 非難の目を誤魔化すために、乱れてしまったひとりの髪を整える。

今日もツヤツヤサラサラだ。手入れをさせてもらってる身として、満足感と達成感を覚える。

いやそうじゃなくて、今は喜多さんの言ったことについて改めて考えないと。

距離感が近い。そんなこと言われても、僕達は家族で兄妹だ。この世にこれ以上近い関係はない。

ここで近づけないのなら、人は誰とも寄り添えなくなると思う。

 

「兄妹ならこのくらいが普通だよ」

「今のやり取りの後でよくそんなこと言えますね!?」

「でも確か、喜多さんは一人っ子だったよね。なら分からなくてもしょうがないか……」

「なんでちょっとマウント取って来たんですか?」

 

 思わず同情してしまった僕に、喜多さんは白い目でツッコミを入れてくる。

出会った当初と比べて、彼女もかなり遠慮が無くなってきた。気安くなってきたとも言える。

前向きにそう考え喜んでいると、彼女は物言いたさをさらに深めた目で言葉を続けた。

 

「というか、座る位置がちょっともうおかしいです」

 

 座る位置、僕とひとりがぴったり隣り合って、テーブルを挟んで向かいに喜多さん。

これのどこが、いや、確かにおかしい。この座り方は駄目だ、よくない。彼女の言う通りだ。

勉強を教えてと言われて来たのに、これじゃひとりに付きっ切りに見える。あまりに不誠実だ。

 

「気付かなかった、ごめんね。今までずっと二人だったから、隣に座るの癖になってて」

「そこじゃないです。いえ、眼福なのでそれはいいんですけど」

「が、眼福……?」

「それに、私がそっちへ行けば解決します!」

 

 ちょっと狭くなるけどそれも一つの解決方法だ。こっちに来てもらおう。

スペースを作るためひとりに奥に行ってもらおうとすると、喜多さんに止められた。

 

「先輩、ひとりちゃん、ちょっと間開けてくれますか?」

 

 言われるがまま間を開けると、その間に喜多さんが座った。そこなんだ。

 

「これで解決ですね!」

「……教える僕が、間にいた方がいいんじゃ」

「これで解決ですね!!」

 

 これで解決らしい。そういうことになった。

喜多さんはいつにもまして煌めく笑顔だ。わざわざ曇らせる必要もない。

改めて気合も入ったようで、彼女は両手を胸の前で握りしめ、何かに燃えていた。

 

「さあひとりちゃん、分からないことあったらいつでも聞いてね!」

「あっはい、ありがとうございます。喜多ちゃんも、何かあればお兄ちゃんに聞いてください」

「そこは自分じゃないのね」

 

 それにちょっと視点を変えてみれば、これはこれで別の勉強になる。

友達と一緒に勉強すること、教わること、お話しすること。どれもコミュニケーションの練習だ。

普通の勉強なら家で僕が教えられる。でもこれは外でしか、今ここでしか出来ない。

ならどちらを優先すべきかは明白だ。初めは驚いたけれど、喜多さんの選択は正しかった。

 

「あっ、あの、喜多ちゃんこれは?」

「ちょっとじっとしててね」

 

 なんて物思いにふけっていると、何故か喜多さんがひとりに密着し、腕に抱き着いていた。

両手を使っている喜多さんはもちろん、ひとりもこの状態じゃ勉強なんて出来ない。

少し早いけど休憩したいのかな。意図を掴めない僕へ、喜多さんがにこやかに問いかけた。

 

「後藤先輩、この状況を見てどう思いますか?」

「勉強する気ないの?」

「厳しい!? もうちょっと優しくお願いします!」

「……仲が良さそうで僕も嬉しい?」

「もう一声!」

「これからも、末永くひとりをよろしくね?」

「重い!」

「あっ、お、お兄ちゃんのこともよろしくお願いします」

「二重で重い!?」

 

 やっぱり重いらしい。自覚はしてたけど、他の人の意見も聞けてよかった。

それはともかく、いったいどんな反応を期待していたのか。喜多さんが例を挙げてくれた。

 

「なんか近いなぁ、ベタベタしてるなぁ、とか思いませんか?」

「……うーん、でも仲良しならそんなものじゃない?」

「なるほど、やっぱりそうなりますか」

 

 なるほどにやっぱり、要領を得ない返事だ。ひとりも首を傾げている。

ただ一人喜多さんだけが、ふむふむと何かを納得したように何度も頷いていた。

 

「お待たせ―」

「待たせてごめん。責任取って帰るね」

「帰るな帰るな。勉強しろ」

 

 そうこうしているうちに、虹夏さんと山田さんもやってきた。

僕達に小テストはないけれど、宿題が大量に出された。しかも提出しなければ補習付き。

今日の勉強会は放っておくと確実に補習行きになる、山田さんのためのものでもある。

 

「むむむっ、君たちー、ペンが止まってたみたいだねぇ」

「てへっ、ごめんなさーい」

「す、すす、すみません!」

 

 ペンを放り投げて抱き着く喜多さんと、されるがままのひとりを見て虹夏さんが注意する。

ただ、微笑ましげでふざけ混じりだ。欠片も怒ってない。ひとりは分かってなさそうだけど。

ちなみに山田さんは意にも介さずメニューを開いていた。今日お金持ってるの?

 

「それで、何話してたの?」

「ちょっとひとりちゃんと後藤先輩の距離感について話してて」

「距離感?」

 

 二人とも嫌そうな顔をした。

 

「私が言うことじゃないけど、人の距離感にあんまり口出すのはよくないよ」

「分かってます。でも今のうちに話しておかないと不味い気がして」

「不味い? 何が?」

「先輩があまりにも隙だらけなところです」

 

 隙だらけ。以前虹夏さんにも言われた言葉だ。

納得するところもあったけど、何度も指摘されるほど重大な問題ではないと思う。

だけど喜多さんにとってはそうじゃないようで、やけに深刻そうな表情で言葉を続けた。

 

「間に挟まりたい私としては、最近凄く心配になってきて」

「しれっととんでもないこと言ってない?」

「……郁代もヤベー奴になってきたね」

「いえ、それほどでもありません!」

「褒めてな、いや、ヤベー奴=ロックだから褒めてるのか……?」

「私に聞かないでよ……まあ隙だらけって言っても後藤くんだし、そこまで心配しなくても平気じゃない?」

「……そうですね、ちょっと見ててください」

 

 そこで話を区切り、ひとりを解放した喜多さんは僕の方へ向き直った。

そして上目遣いで僕を見つめて、首を傾けながらお願いを口にした。変なプレッシャーを感じる。

 

「先輩先輩、手繋いでもいいですか?」

「……この流れで繋ぐと思う? それに、そういうのはよくないよ」

 

 家族や幼い子は例外として、理由も無く男女で手を繋ぐのは、いわゆる深い関係の人達だ。

僕と喜多さんは友達、自惚れでなければ仲良し、ではあるけれど、そういう関係じゃない。

だから何かしらの事情がなければ、手なんて繋ぐつもりはない。

 

「先輩は御存じないかもしれませんけど、最近は友達でも普通に繋ぎますよ?」

「そんなの聞いたこともないよ。女の子だけの話じゃない?」

「性別で判断するなんて時代錯誤です! それに、友情に男女も貴賤もありません!!」

「ゆ、友情……うっ」

 

 未だに青春コンプレックスを抱えるひとりが、友情という言葉の輝きに身を焼いた。

それは置いといて僕が渋っていると、喜多さんがおずおずと顔を覗き込んで来た。

 

「……駄目ですか、先輩?」

 

 手、手を繋ぐか。一般的な倫理観からしたら、さっき僕が言った通りのはず。

それに喜多さんにとってこのお願いは、僕が隙だらけというのを証明するためのもの。

だから応える必要はない、とは思うのだけど、彼女の目を見ると気持ちが揺らぐ。

演技かもしれない。誘導かもしれない。だけど微かに、ほんの少しだけそこに怯えを感じる。

自意識過剰だとは思う。でも、これが僕の拒絶への恐れなら。

 

「いいよ、どうぞ」

「いやチョロすぎでしょ」

 

 虹夏さんのツッコミは無視。僕が一番分かってる。

差し出した手を喜多さんは喜んで握った。女の子らしい、小さくて柔らかい手だった。

でも指先だけ少し硬い。ギタリストの指になってきた。僕はこういう努力の跡を見るのが好きだ。

 

「またちょっと硬くなった。喜多さんはいつも頑張ってて偉いね」

「あ、ありがとうございます」

 

 そしてそれを見つけると、ついつい褒めたくなってしまう。悪癖だ。

手か言葉かどっちもか、とにかく頬を緩めた喜多さんは、今度はひとりへ手を伸ばした。

 

「じゃあひとりちゃんも手、繋ぎましょうか!」

「えっ、じゃ、じゃあ?」

「さあ!!」

「あっはい」

 

 言われるがまま、ひとりは喜多さんと手を繋いだ。僕以上に隙だらけな気がする。

 

「コンプリートです!」

「こいつ強いな……」

 

 僕とひとりと繋いだ手を上にあげ、喜多さんはチャンピオンのように勝ち誇る。

何とも言えない気持ちで喜多さんを見ていると、向こう側のひとりも同じような顔をしていた。

そうして気持ちを共有していると、喜多さんは一転心配そうなまなざしを僕達へ向け始めた。

 

「とまあこんな感じで、二人とも押せばいけるので私は心配です」

「二人ともなら、僕よりひとりの方を心配して欲しいな。女の子だし」

「ひとりちゃんは多分、いざとなったら爆発でも何でもすると思うので」

「……あー」

「それにひとりちゃんには先輩がいます。でもその先輩が押しに弱いのが、一番心配なんです!」

 

 そこで一度、喜多さんは躊躇うように言葉を止めた。ほんのりと頬が赤い。

それでもと決意を固めたみたいで、目を伏せて指をもぞもぞさせながら続けた。くすぐったい。

 

「……ぐ、具体的に言うと、その、気がついたら誰かに押し倒されてそうで」

「ぶふっ」

 

 虹夏さんが吹き出した。故意ではないけど、前科持ちだからしょうがない。

だけどそれを知られるのは、彼女も僕もとても気まずい。僕の方でこの話題は流そう。

 

「またまたー、そんなことないよ」

「……嘘と誤魔化し、今度一緒に練習しましょうね?」

 

 一瞬で見破られた上に、優しく諭されてしまった。僕は弱い。

 

「どうせ廣井さんだとは思いますけど、気を付けたほうがいいですよ」

「そ、そうだよー、ちゃ、ちゃんと警戒しよーねー」

「なんで棒読み?」

 

 今日の虹夏さんは恐ろしく嘘と演技が下手だった。ふたりの方がよほど上手だ。

もしかして僕もこのレベルなんだろうか。それなら本当に練習しないと不味いな。

密かに決意を胸にしていると、喜多さんが指を一本立てて話を続けた。

 

「それで、どうして後藤先輩がそんな感じなのか考えて、一つ思いつきました」

「その心は?」

「ずばり、距離感の基準がひとりちゃんじゃないかって」

 

 距離感に限らず僕の基準はひとりだけど、その言葉の意味はよく分からなかった。

皆も同じだ。一様に首を傾げ、喜多さんの話の続きを待っている。

注目を集めて心なしか満足げな彼女は、鞄から十数枚の写真を取りだした。

 

「これは店長さんからもらった写真なんですけど」

「あっあの、こんな写真いつ撮って」

「見てくださいこの距離感!」

「どれも目線がカメラにないんだけど、これ盗撮だよね」

「全部ぴったりくっついてます!!」

 

 兄妹揃って無視された。やっぱり星歌さん、ひとりのこと盗撮してるよね。

近い内にスターリーに行って、ちょっとお話ししないと。主に倫理や法について。

それはそれとして、写真の確認はしておく。僕としても気にはなる。

 

「……あっこのひとり可愛い。この写真もらってもいい?」

「お、お兄ちゃんやめて」

「あっ、いつも可愛いとは思ってるけど、これは特に写真写りがいいから」

「そこじゃないよ」

 

 ひとりの珍しく鋭いツッコミを受け止めながら確認すると、言われた通りどれも密着していた。

腕や肩、背中、全身。とにかくどこかしらでくっついている。想像以上にベタベタだ。

 

「ほんとだ。見事に全部くっついてる」

「見慣れた光景」

「そう、このひとりちゃんとの距離感、つまりゼロ距離が先輩にとっては自然なんだと思います」

「あー、だから時々急に、びっくりするくらい近くなるのかな?」

「……そんなに近い時ある?」

「ヤバい」

 

 僕にとって家族、好きな人はどこまでも近くて、他人はどこまでも遠いものだった。

だから家族以外との関係において、僕は無知な上に酷く感覚がずれている。

聞きかじりのにわか知識でなんとか取り繕って来たけれど、虹夏さん曰くヤバい時があるらしい。

 

「先輩なりに色々考えてるのは分かります。それでもこんな感じに勢いと理由を付けられると、すぐ受け入れちゃうのが問題です!」

「犯人が言うのか」

「なんとなく分かったけど、それって問題なのかな?」

「大問題です!!!」

「声でかいな……」

 

 喜多さんはボーカルで鍛えられた声量を遺憾なく発揮していた。ライブで発揮してほしい。

 

「親しい人からぐいぐい来られたら、先輩は拒めますか?」

「大丈夫だと思うけど。それに、僕と仲良い人はそんな悪いことしてこないよ?」

「誰でも魔が差すことはあります。何か間違いがあってからじゃ遅いです!!」

 

 虹夏さんが目を逸らした。もう終わったことだから、お互い気にしないようにしようね。

 

「先輩がいつも心配してくれるように、私だって先輩のことが心配です」

「その気持ちは嬉しいよ、ありがとう。でもほら、僕に近付いてくる人なんていないし」

「私は近づきましたよ?」

「来ても、僕が好きになるかどうかはまた別の話だし」

「……先輩は、私のこと嫌いですか?」

「好きだよ」

 

 握られたままの手に力を込めた。喜多さんの頬に赤みが増していく。

どう考えても誤解を招く発言だ。だけど嫌いだなんて誤解をされるよりはずっといい。

 

「明るくて前向きなところとか、何事にも積極的なところとか、凄く尊敬してる」

「あっいえっ、そこまで求めては」

「この手も、頑張り屋さんなところも好きだよ。努力を、ううん、なんでも楽しめるところも」

「い、いったん、この辺でやめましょう!」

 

 喜多さんからストップがかかったことと、白けた冷たい目線が数多く寄せられたから止めた。

いけない、いざ好意を伝えていい状況になると歯止めが利かない。これも悪癖だ。

この感じがきっと、さっき言われたヤバい距離感なのだろう。確かに家族以外には近すぎる。

 

「……そういう、軽々しく好き好き言うところも問題だよね」

「面目ないです。これからは気を付けます」

「ほんとに気を付けてね。ほんとにだよ?」

 

 棘のたっぷり詰まった言葉が虹夏さんから送られた。視線も同じくらい突き刺さる。

軽々しく言ってるつもりはないけれど、言葉は相手がどう受け止めるかが何より大事。

あの虹夏さんにこんな態度を取らせるのだから大問題だ。もっとよく考えないと。

 

「……こ、こういう感じで、これから先輩が誰かと仲良くなる可能性はいくらでもあります」

 

 喜多さんはしどろもどろになっていて、手にも少し汗を感じた。それでも手は離さない。

一度大きく咳払いをして、それで気持ちを切り替えたのか、真剣なまなざしで続けた。

 

「その中にいけない人がいるかもしれません、廣井さんみたいな」

「さっきから名指しが酷いね……でも、廣井さんもいい人だよ」

「そういうところが先輩の隙です」

 

 確かに廣井さんは、一般的な尺度で測ればちょっといけない人かもしれない。

だけどあの人は何の関係も無い、それも敵意を向けていた僕を助け、導いてくれた優しい人だ。

調子に乗るから絶対言わないけど、彼女のことは人生の恩人だと思っている。

たとえこの気持ちが隙になるとしても、僕は一生彼女に感謝し続けるだろう。

 

「すみません先輩、こんな失礼なこと長々と話して」

「ううん、さっきも言ったけど、心配してもらえるのは嬉しいから」

 

 この気持ちは間違いなく本心だ。それでも、言われたことには戸惑いが残る。

距離感。そんなもの、いったいどうやって注意すればいいんだろう。

 

「でも距離感かぁ。こういうのって経験だから、いきなりちゃんとするのは難しいよね」

「そうですね……とりあえず迷った時は、一度立ち止まった方がいいと思います」

「立ち止まって、どうするか考えて」

 

 考えて、それでどうにかなるのかな。堂々巡りになるだけのような。

迷ったのは一瞬だった。それでも喜多さんは察したようで、僕に提案してくれた。

 

「なら先輩、困ったことや分からないことがあったら、なんでも私に聞いてください!」

「僕はこんなだし、結構変なこと聞くと思うけど、それでも大丈夫かな?」

「はい! いつでも私なりにお答えしますから、遠慮しないでくださいね!」

 

 そう胸に手を当て答えてくれた喜多さんは、陰り一つ無い笑みを浮かべていた。

こんなことを言ってもらえて、こんな笑みを見せてもらって、遠慮する方がきっと失礼だ。

彼女の優しさと思いやりに感動していた僕は、山田さんたちの会話を聞き取れなかった。

 

「……これで陛下と距離を縮めた人の話は、全部郁代の耳に届くようになったね」

「えっ、ど、どういうことですか?」

「あそこまで言われたら、陛下なら何かあれば必ず相談する。郁代もそれくらい分かってるはず」

「?」

「誰を警戒すべきか、郁代はいつでも分かるようになったってこと」

「け、警戒? えっ、な、なんのですか?」

「……ぼっちはやっぱりいいね。愛い奴、愛い奴」

「りょ、リョウさん? えっえっ?」

「……え待って、じゃあまさかこれって、未来への牽制が目的ってこと!?」

 

 お礼を伝える僕を前に、何故か皆は蜘蛛の巣に絡めとられる蝶を見るような顔をしていた。

そして喜多さんは、これまた何故か、どこか深みを感じる笑みを浮かべていた。

 

「ありがとう喜多さん。その時はよろしくね」

「先輩、私いつでも待ってますからね!」

「こっわぁ……」

 

 

 

「ところで後藤先輩、実はもう聞きたいことあったりしますか?」

「……あると言えばあるけど、人に聞いていいことか分からなくて」

「そういうことこそ聞いてください! 大丈夫です、誰にも言いませんから!」

「そっか、そうだね。……ごめんなさい、聞きます」

 

 これは軽々しく聞いていいことじゃない。しかも蒸し返しだ。それでも確認したい。

済んだ話だけど、僕の中には未だ戸惑いが残っている。今謝って、後でもう一度誠心誠意謝ろう。

周りにばれないように、虹夏さんへ軽く頭を下げた。彼女は絶句した。

 

「じゃあ、頬を触りながら見つめるのってどういう意味? どうすればよかったのかな?」

「それはもうほぼ告白なので、先輩の気持ち次第……えっそんなことされたんですか!?」

 

 だいぶ偏った意見な気がする。参考にしていいのか分からない。

虹夏さんの方を見ると、頬を紅潮させながら、首を壊しそうな勢いで首を横に振っていた。

サイドテールを何度もぶつけられて、山田さんが極めて微妙な表情を浮かべている。

 

「それを受けて、同じことを返したら?」

「完全に告白返し……えっそんなことしたんですか!?」

「いや? 友達の話? だよ?」

「私たち以外に友達いるんですか?」

 

 いません。でも友達の話でもあるので、本当のことを言ってます。

というか嘘でしょ。喜多さんの言うことが事実なら、いつの間にかカップル成立してる。

念のため虹夏さんを確認すると、顔を両手で覆って蹲っていた。微かに震えているのが分かる。

雰囲気に流されたとかなんとか言ってたし、そんな気はなかったんだろう。

ついでに山田さんからはじっとりした視線を向けられている。今はスルーしておこう。

 

 若干混沌としつつある状況の中、何も気づいていなさそうなひとりが疑問の声をあげた。

 

「あっ、あれ? でも、喜多ちゃんも確か前」

「ひとりちゃん、物事には時と場合とタイミングってものがあるのよ」

「あっはい」

 

 夏休みにカラオケで、ひとりとの関係を打ち明けた時の話だろう。

ものすごく顔をぺたぺた触られて、ものすごく顔も目も見られたような記憶がある。

時と場合とタイミングが違うから、告白系の行動じゃないらしい。違いがよく分からない。

 

「それで先輩、他には何かされましたか?」

「えっと」

 

 これも聞いていいのかな。既に虹夏さんは限界に見える。僕も追い打ちはしたくない。

だけど何度も繰り返される、キターンというサーチ音から逃げられる気がしない。

腹をくくろう。虹夏さんには今度、精一杯のお詫びをさせてもらおう。

 

「……じゃあ、馬乗りは?」

「確実に痴女ですね、通報しておきましょう。今廣井さんは新宿ですか?」

「やめてあげて?」

 

 虹夏さんが崩れ落ちた。分かっていたことだけど、もう今日は勉強会なんて出来なさそうだ。




この話の間は勉強しなくていいから楽だな、と思って山田は静観してました。

次回「話の話」です。


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「話の話」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 十一月の定例ライブを明日に控えた今日、またしても僕はスターリーを訪れていた。

そしてまた星歌さんに相手をしてもらっている。忙しいのにいつも申し訳ないです。

ただ、今日は彼女に大事な用事があって来た。感謝と謝意を封じて、やるべきことをやろう。

密かにそんな決意を固めていると、星歌さんはいつものように頬杖をついて僕を見ていた。

 

「にしても、お前が相談に来るなんてな。私の説教が効いたか?」

「はい。信じたい、信じてみようと思って今日は来ました」

「……お、おう。真面目に返されるとなんかこう、困るな」

 

 誤魔化すように彼女は頬をかき、落ち着かない様子で前髪を弄り始めた。

信じたい。紛れもない本心だ。以前までの僕ならスターリーじゃなくて警察へ行っているはず。

最後までこの信用が続いて欲しい。無駄と知りながらも、僕はそう願わずにいられなかった。

 

「……その、僕は星歌さんのことを尊敬しています」

「なんだ急に」

「スターリーが順調なのも虹夏さんがあんなに優しいのも、星歌さんの人柄あってだと思います」

「…………………………………………相談しに来たんじゃないのか? 何も無いなら追い出すぞ」

「すみません、前置きです。話しづらくてつい」

 

 顔を背けながら星歌さんは言い捨てた。耳が赤いことは触れないでおこう。

どうせここから青くなる。というか、そのくらいの気持ちになってもらわないと困る。

僕は迷いを捨てて、明後日の方向を眺める彼女へ本題を告げた。

 

「相談したいのは、ひとりの写真についてです」

「――」

 

 人は言葉で凍り付くことが出来る。新たな発見だった。

 

「正確には、星歌さんが盗撮している写真についてです」

「……なんのことだ?」

「してますよね? これ、証拠です」

 

 先日の勉強会後、喜多さんから借り受けた写真を取り出し、並べた。

途端に星歌さんの目があちらこちらに泳ぎ始めた。あまりにも分かりやすい。

挙句の果てに下手くそな口笛まで吹き始めた。元バンドマンならもう少し上手であってほしい。

 

「これはあれだ、何かあった時の、そう記録用のだから」

「星歌さん」

「いやその、見守ってるだけ」

「伊地知星歌さん」

「私は何もしてない。何が悪い」

 

 強情だ、自白してくれない。こうなったらアプローチを変えて、情に訴えてみよう。

僕は携帯を取り出して、バンドミーティングをしている虹夏さんの写真を何度も撮った。

目の前で唐突に盗撮し始めた僕を見て、星歌さんは目じりを上げながら声を荒げた。

 

「おい、何やってんだ?」

「虹夏さんの写真撮ってます。つい撮りたくなってしまって」

「は? お前よく姉の前でそんなこと言えるな。それ盗撮だぞ」

 

 どの口が。言葉は飲み込めたけど、心は我慢できなかった。自分でも白い目になるのが分かる。

 

「星歌さん」

「はい」

「これが僕の気持ちです。分かっていただけましたか?」

「はい、すみません」

 

 目に見えて星歌さんはしょんぼりしてしまった。出来れば僕も帰ってふて寝したい。

その気持ちを抑えて、僕は彼女へ相談を続けた。今日は怒りに来た訳じゃない。

 

「先に言っておくと、写真を撮ること自体はそれほど怒っていません。むしろ心配しています」

 

 その言葉に顔を上げた星歌さんは、見るからに困惑していた。当然の反応だ。

さっき自分がされた時の様子からして、妹の盗撮なんて彼女も許せないはず。

僕も相手が彼女でなければ怒って、というか法的な手続きを進めている頃だ。

 

「僕の確認出来た範囲では、まだギリギリ辛うじてきっと法には触れていないはずです、多分」

「そこまで言う?」

「ただこの手の犯、じゃなくて行為は、エスカレートする傾向があるそうです」

「犯罪……」

 

 刑法のみで考えれば、まだ逮捕まではいかなかったような覚えがある。

これ以上となると知らない。そこまでいくと心情も含めて、僕も庇うのが難しくなる。

 

「僕は星歌さんのことが好きです。出来ることなら、刑務所になんて叩き込みたくありません」

「……お前なぁ、よく恥ずかしげもなく」

「星歌さんは恥ずかしがってください」

「はい、ごめんなさい」

 

 再び星歌さんは九十度の礼を取り、僕へ向けて謝罪した。それはいらない。

僕は彼女を裁判所まで連れて行きたくないだけだ。そのためにもある提案をした。

 

「依存性のある行為は、一度で止めるのは難しいと聞きます。まずは数を減らしましょう」

「依存性って、別にそんな。いや、その目はやめて」

「……一日三枚くらいから始めましょう。それと確認のため、撮った写真は僕に送ってください」

「確認? なんの?」

「色んな一線を越えてないかの確認です」

「……一線って、どこのラインだ?」

「もしかしてギリギリを探ってますか? そのくらい自分で考えてください」

「じゃあもし一線を越えたら?」

「二度と写真なんて撮れると思わないでくださいね」

 

 言葉が強くなってしまった。怒ってない怒ってない。僕は冷静、ひとりの兄。優しく優しく。

 

「…………一線、一線なぁ」

 

 星歌さんはそんな僕にも怯えず、懲りずにラインを探っていた。もう駄目かもしれない。

そうして無力感を覚えていると、袖に力を感じた。ひとりがいつの間にか後ろに立っている。

 

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

「もちろん。ミーティング中だけど、どうかした?」

「虹夏ちゃんが連れてきてって」

「分かった。じゃあ星歌さん、これで失礼します」

「……おう」

 

 机に伏せて思考にふける星歌さんを残し、僕はひとりに連れられて行った。

 

 

 

「あっ、お、お兄ちゃん連れてきました」

「ありがとー、ぼっちちゃん」

 

 ひとりにお礼を告げる虹夏さんは、どことなくぽやぽやしていた。

会議中にしては緩い雰囲気だ。まだ終わってはいないようだけど、どうしたんだろう。

ひとりに手を引かれるまま座ったところで、虹夏さんがゆるゆると問いかけてきた。

 

「なんかお姉ちゃん頭抱えてるけど、何話してたの?」

「……法と倫理の話?」

「じゃああれ知恵熱かー」

 

 それくらい悩んでくれていると考えるべきか、そもそも悩んで欲しくないというか。

一度脇に置いておこう。後はもう、星歌さんの良心と理性に期待するしかない。

 

「それで、今はバンドミーティング中だよね。僕は何をすればいいの?」

「よくぞ聞いてくれました! 今日の議題は『今後の目標』なんだけど」

 

 ババン、みたいな音を出しそうな勢いで、白紙のスケッチブックを見せつけ彼女が宣言する。

 

「目標が、思い浮かびません!!」

「えー」

 

 胸を張ってあまりにも堂々と言うものだから、つい呆れた声が出てしまった。

 

「だってさー、まさかノルマ達成がこんな早く出来るなんて思ってなくてさー」

「いいことだよ。あ、そういえば言ってなかった、おめでとう」

「ありがとー」

 

 力のないお礼が返ってきた。彼女の言葉通り、最近の目標はノルマ達成だった。

それが想定よりずっと早く出来たことで、なんだか気が抜けてしまったようだ。

前にも見たけど、この状態の垂れ虹夏さんはあまり頭が回らない。他の人にも聞いてみよう。

 

「虹夏さんはこんなだけど、三人とも何か無いの?」

「物販の売上をもっと上げたい」

「……せ、世界平和?」

 

 お金が欲しいとちやほやされたい。二人ともいつも通りだ。どちらもすぐ叶えるのは難しい。

だから最後の一人に期待のまなざしを送ると、珍しく眉を斜めに考え込んでいた。

 

「喜多さんは何かある? 何でもいいよ」

「……その、具体的なことじゃないんですけど」

「平気平気。こういうのは思ったままのことを言うのが一番だよ」

 

 そう背中を押すように告げると、喜多さんはちょっとだけ照れ臭そうに口を開いた。

 

「このままずっと、みんなで楽しく続けられたらいいなって」

「……こういう時の喜多ちゃんは可愛いのになぁ。このこのー」

「わっ伊地知先輩、くすぐったいですよ、もうー!」

「よきよき」

「きゃー!? リョウ先輩の手が私の頭に!!??」

「反応違い過ぎない?」

 

 喜多さんの可愛らしい目標をきっかけに、三人がわちゃわちゃし始めた。微笑ましい光景だ。

それを前に何故かひとりは、おもむろに僕の頭を撫で始めた。いや、本当になんで?

 

「……なんで僕に?」

「じょ、女子高生の間には、混ざりにくくて」

「君もでしょ。じゃあ連れて行きます」

「!?」

 

 驚愕に固まるひとりを抱えて、楽しそうにしている三人の元へ近づいた。

その後のひとり曰く、喜多ちゃんの髪はサラサラでいい匂いがした、女の子って凄い、とのこと。

時々、本当に時々だけど、もしかしてこの妹は半分くらい弟なんじゃ、と思う時がある。

 

 

 

 そんな一幕もあったけど、今はこれからの目標を考える時間だ。出た意見を一度整理しよう。

 

「お金が欲しい、ちやほやされたい、仲良くやっていきたいかぁ」

「お、お兄ちゃん、ち、違うよ? 世界平和だよ?」

「ごめん言い間違えた。どれもいい目標だけど長期的だね。何か分かりやすくて短期的なものは」

 

 喜多さんの考えは素敵だったけれど、今後の目標としては少し弱い。

山田さんのもひとりのも、今すぐどうこうするのは難しい。出来ても邪道だ。

頭を悩ませている僕へ、喜多さんが視線を向けて来た。期待のまなざしを返されてしまった。

 

「じゃあじゃあ、後藤先輩は何かありませんか?」

「僕、一応部外者なんだけど」

「いいからいいから。何でも言うのが大事なんでしょ?」

「……それなら、何かのフェスに応募してみるとか」

「フェス?」

「駅で見かけたやつなんだけど」

 

 なんとなく気になって、もらっていたフライヤーを取り出した。

 

「未確認ライオットに、閃光フェスティバル?」

「それは十代向けのフェスだね。他にもいくつかあるよ」

 

 前二つと比べると中小規模になるけれど、他のフェスについても調べておいた。

はっきり言って、どれも今の結束バンドには厳しい。だからその分目標には相応しいとも思う。

 

「この、どれかに応募したらってこと?」

「分かりやすい目標になりそうな気がして」

「……うーん」

 

 虹夏さんは悩まし気に腕を組んだ。そうなる気持ちも分かる。

フェスに応募すれば、確実に演奏や人気の競い合いになる。メジャーを目指す人達も多く出る。

まだそんなことを皆は意識していないだろうから、ちょっと重い目標かもしれない。

 

「まだまだ期限は先だから、気が向いたら応募してもいいんじゃないかな」

「ありがとう後藤くん。皆でよく考えてみるね」

 

 感謝して受け取ってもらえただけいいか。これ以上は結束バンドで決めるべきことだ。

 

 僕も含めて目標を一つずつ出したことで、なんとなく会議が一区切りした空気になった。

流石喜多さんというべきか、それを敏感に察知したようで、新たな話題を口に出した。

そして何やら巨大なサイコロを机の下から取り出した。どこかで見たことあるような気が。

 

「そういえばひとりちゃん、掃除してたら見つけたんだけど、これ何か知ってる?」

「あっ、こ、これは、思い出のサイコロです」

「思い出?」

 

 喜多さんと同じように僕も首を傾げた。あんなもの一度見れば忘れないから初対面だ。

不思議そうな僕達へ苦笑いを浮かべながら、虹夏さんが説明をしてくれた。

 

「あー懐かしいね。初めてのバンドミーティングで使ったやつだ」

「これミーティングで使うんですか?」

「あの頃はぼっちちゃんと何話せばいいか分からなくて、リョウと相談して用意したの」

「……そんな相談したっけ?」

「いやこれリョウ発案なんだけど、ほらこのバンジーとか」

「えっバンジー? これ当たったらどうするつもりだったんですか?」

「さあ? 飛ぶんじゃない? 知らないけど」

「適当!?」

 

 雑極まりない山田さんの返事に驚きながらも、喜多さんの目はサイコロから離れない。

気持ちキラキラしている気がする。回したいのかもしれない。僕もちょっとだけ分かる。

 

「伊地知先輩、これ回してみてもいいですか!?」

「いいよー! ぶつけないようにだけ気を付けてねー?」

「はい! あ、コールもお願いします!」

「ノリノリだなぁ。えーっと、なーにが出ーるかなー」

「ありがとうございます! さあひとりちゃんも先輩も!」

「えっ、わ、私たちもですか?」

「もちろん!」

 

 言われるがまま僕もひとりもコールに参加した。なに出るかなー。思ったより楽しかった。

 

「学校の話、略してガコバナー」

 

 そうして出てきたのは、山田さんの読み上げ通りガコバナ、学校の話だ。

楽しく回したのはいいけれど、これ一体誰が主体になって話すんだろう。

 

「ガコバナガコバナ、何かありますか?」

「……じゃあ陛下、なんで下高選んだの?」

「聞いたことなかったね。あんな遠いのにどうして?」

 

 山田さんのふりにより僕が主体になった。それはいいけど、下校を選んだ理由か。

声高々に言える理由じゃない。それでも隠すほどでもない。軽く言えば流されるかな。

 

「………………誰も、僕を知らないところへ行きたかったから?」

「またか!!」

「またなんですか!?」

「あっはい。私もです。お、お揃いです。へへっ」

「嫌なお揃いね!!」

 

 察するにひとりもこのサイコロで同じように話を振られ、同じように返したんだろう。

喜多さんの言う通り嫌なお揃いだ。でも嬉しそうなひとりを見て、少しだけ喜ぶ自分が悲しい。

 

「ガコバナ繫がりですけど、先輩たちって学校ではどうなんですか?」

「……あんまりここと変わらないかな。違いは、魔王係としてお世話してもらってること?」

「魔王係ってなんですか!?」

「陛下と目が合うと普通の人は気絶するから、間に私たちが入ってる」

「……毎回聞いてますけど、それ本当なんですか? 私一度も見たことないです」

「もうばったんばったんよ」

「そんな勢いで!?」

 

 今日は話しかけられることが多かったからか、十六人もやってしまった。

その内ほとんどが文化祭とかダイブとか、うわごとで身に覚えのあることを呟いていた。

おかげであんなに声をかけられた理由もよく分かった。家に帰ったら対処しよう。

 

「あっお兄ちゃんたちが何話してるのか、私も気になります」

「あれ、ひとりちゃんも知らないの?」

「あっはい。私の話聞くばっかりで、自分のことはあんまり話してくれなくて」

「……今までは、今日は何人気絶させたかー、くらいしか話すことなかったから」

「戦国かよ」

 

 後藤家は戦国一家じゃないから、家では学校の話はしなかった。

それはともかく、僕達が学校でどんなことを話しているか。記憶の海から引っ張りださないと。

 

「というか今日私たちって、どんな話してたっけ?」

「えっと確か、豚汁に入れる芋の話とか」

「あっそうそう、サトイモかジャガイモかって話した!」

「所帯染みてますね……」

 

 雑談なんてお互いの共通項からするものだから、僕達が所帯染みた会話をするのも当然だ。

虹夏さんとは料理とか家事とか、そういう家の事について話すことが比較的多い。

 

「あの後調べたら、サツマイモ入れる家もあるらしいよ」

「ほほう、試してみようかな。お姉ちゃん、今日豚汁でいいー?」

 

 美味けりゃ何でもいいぞー、 という声がカウンターから帰って来た。一番困るやつだ。

 

「お芋の話はこの辺にして。じゃあリョウ先輩とはどんなお話を?」

「あっそれ私も気になる。私いない時、何の話してるの?」

 

 好奇心に溢れた視線を三つもらった。その期待に応えるためにも、記憶を掘り返す。

山田さんと何を話しているか。少し考えて、もっと考えて、ちょっと困ってしまった。

代わりに答えてもらおうと彼女を見ても、黙って視線を返されるだけだった。お手上げだ。

 

「……僕達、今日何か話したかな?」

「……特に?」

「急に不仲疑惑が芽生えてきた」

「あっ、あわわ、わわばばばわっ」

 

 兄と友達の不仲疑惑にひとりが震え始めた。また変な誤解と妄想をしている。

あの話さなくてもいい空気も好きなんだけど、それを伝えてもひとりは納得しない気がする。

もっと分かりやすい、僕と山田さんが仲良さそうな話は何か。そうだ、あれなら大丈夫かな。

 

「話じゃないけど、先週行った映画は面白かったね」

「劇伴目当てで行ったけど中々だった。特に中盤の公園のシーンがよかった」

「映画? 一緒に見に行ったの?」

 

 初めて家族以外の人、というより付き添い以外で映画に行った。

なにせ映画は長い。一時間から、大作になると三時間以上するものもあるという。

一人で行けば僕が楽しむためだけに、その分時間を浪費することになる。それはもったいない。

 

「山田さんがタダ券もらったからって誘ってくれて」

「えー、私たち誘われてませんよ?」

「私以外その日バイトだったから」

「んじゃしょうがないかー、残念ー」

 

 それ以前にもらったチケットは、年齢制限付きのホラー映画だった。

文化祭のお化け屋敷での様子からして、見れば二人とも大変なことになるだろう。

 

「もしかして、他にもどっか行ったりしてる?」

「えっと、先々週は古着屋さんに連れてってもらった」

「古着屋? どうしてまた」

「陛下がファッションのこと聞いてきたから、レッスンしてあげた」

 

 心なしか満足げに山田さんが腕を組む。

 

「たまには男物を選ぶのも悪くない。結構面白かった」

「と言いつつ、スカートとか着させようとしてたよね?」

「てへっ」

「何ですかそれ、楽しそう! それも誘ってくださいよー!」

「私も見てみたかったなー。というか後藤くんって、服に興味とかあったんだ」

「僕のというか」

 

 ちらっと横のひとりを見る。それで二人には伝わった。

古着屋で着せ替え、お兄ちゃんが陽キャリア充に、と震えていたから本人には伝わらなかった。

こうなるからひとりには話していなかった。今頭の中ではパリピの僕が躍っているんだろう。

 

「……服装なんて個人の自由だと思うけど、たまには違うのも着てほしいから」

「…………うん、頑張って」

「応援してます!」

 

 熱いエールを送られてしまった。気持ちは嬉しいけど、未だ勝利への道筋が見えない。

親子そろって連敗中だ。最近母さんはもう諦めて、自分が着たい服を買っている節がある。

暗い未来に沈む僕とは逆に、山田さんはウキウキとした様子で声をかけてくる。

 

「ウケがよさそうなの着せられたら写真送ってね。物販で売る」

「それはしない、絶対」

「ケチ」

「前も言ったけど、自撮りでもすればいいでしょ」

「……結束バンドは、ビジュアル売りはしないから」

「今メンバー売ろうとしてたよね?」

「でも大売れ間違いなしとまで言われると、いくら私でも流石に照れる」

「そこまで言ってないよ?」

「しょうがないから陛下には、三十パーセント引きで売ってあげる。特別だよ。ぽっ」

「いらない」

 

 私が買います、と興奮し始めた喜多さんを押さえていると、虹夏さんがほっこりしていた。

ほほほとでも言いそうな、妙に包容力のある笑みだ。というか実際声に出していた。

 

「なんだ二人とも仲良しじゃん。お姉さんは嬉しいよ、ほほほ」

「お姉さんというには小さい」

「うるさい九月生まれ、五月生まれにひれ伏せ!」

「……僕は四月生まれだから、二人ともひれ伏す?」

「ははーっ」

「ははーっ……なら陛下のこと、お兄ちゃんって呼ぼうか?」

「それはひとりちゃんが拗ねちゃうから駄目です!!」

「ぼっちちゃん、そんな可愛い反応するんだ……」

「すっごく可愛かったです!!」

「見たんだ、というか呼ぼうとしたんだ……」

 

 そのひとりは唐突に恥ずかしいことを暴露され、ドロドロに溶けていた。

人目を避けるためダンボールを被せておく。これで五分もあれば復活するはずだ。

周りは慣れ過ぎてもはや反応すらしない。そのまま会話を続けようとしていた。

 

「それでそれで、他にもどこか遊びに行った?」

「他には、そうだ、文化祭の後くらいにホームセンターにも行ったよ」

「ホームセンターって遊びに行くとこ?」

「僕は用事があったから。山田さんは、チェーンソーが見たかったんだっけ?」

「そう。ピザカッターみたいなやつが見たかった」

「え、なんで?」

「ロマンを感じたくて」

 

 部屋の神棚を増改築するため、木材を見に行った時の話だ。

実際に買うのは家近くの店だけど、設計段階で材質を確かめてイメージを固めたかった。

そこに山田さんが付いてきた形だ。ついでだから僕もチェーンソーの見学をした。

彼女の言う通り巨大なチェーンソーには不思議なロマンがあって、二人してはしゃいでしまった。

 

「あの時キャンプ用品も見てたけど、山田さん興味あるの?」

「あると言えばある。でもキャンプ場まで行くのめんどい」

「最高にキャンプに向いてないセリフだな!」

「もしやりたくなったら誘ってね。テント張りとか火おこしくらいなら出来るから」

「ちょっと意外です。ひとりちゃんそういうの苦手そうだから、先輩も興味ないと思ってました」

「ひとりは確かにそうだね。僕は、小さい頃父さんに教えてもらったから」

 

 キャンプに限らず海やら山やら、色んな所へ連れて行ってもらった記憶がある。

当時は二人して家にいたいな、と感じていたけれど、今思えばあれも父さんと母さんの愛情だ。

理由は違えど閉じこもりがちな僕達兄妹を心配して、外にも目を向けるようにしてくれていた。

 

「ならバーベキューもよろしく。あっカレーも食べたい」

「図々しいなこいつ」

「その時は結束バンド皆と行けたらいいね」

「あっいいですね! キャンプと言えば夏ですから、来年の話でしょうか?」

 

 自分が家族以外と、鬼が笑うような話をするなんて想像もしてなかった。

そしてひとりが死んでいる間に、来年のお出かけが決まりつつあった。

ものすごく渋るとは思うけど、行けばきっと楽しいから頑張って説得しよう。

 

 僕がそうして気を逸らしている内に、また話題が変わろうとしていた。

女の子の会話が移ろいやすいってのは本当なんだ。変な感心をしてしまった。

でも会話の内容は、感心している場合じゃなかった。

 

「……今更だけど虹夏のこと、いつの間にか名前で呼んでるね」

「ほんと今更だね。そこ触れるのかー」

「私も気になってました! もしかして何かあったんですか?」

「な、何かあったというか、なんというか」

 

 この間喜多さんに相談した後、恥ずかしそうな虹夏さんにとてもとても怒られた。

ああいうことは、たとえ絶対にバレないとしても秘密にしなければならない、らしい。

そのこともあって、あの日のことについてはどれも言い訳と誤魔化しを用意してある。

 

「元々呼ぼうとしてたから、会話の流れで呼んだだけだよ」

「そ、そうそう!」

「……ふーん、そうなんだ」

「喜多さんのことも呼びたいけど、呼ぶとダウンしちゃうから」

「やですねー先輩、私の名前は喜多喜多ですよ? だからもう名前で呼んでます!」

「無理があるよ郁代さん」

「……くっ、うぅ、ふ、はぁ、はぁ。だ、誰のことですか?」

「あ、耐えた」

「……」

 

 このまま慣らしていけば、その内普通に呼べそうだ。隙を見てこれからも呼ぼう。

なんて皮算用を立てていると、山田さんが不思議とむっつりと、なんだか不満そうにしている。

何か気に食わないことがあったのかな。心配になる僕とは裏腹に、虹夏さんが突然興奮し始めた。

 

「後藤くん後藤くん!」

「どうしたのそんな楽しそうにして」

「リョウが拗ねてる!」

 

 拗ねてる。なんで?

 

「一人だけ名前で呼ばれる気配が無いから、ちょっと拗ねてるんだよ!」

「別に拗ねてない」

「この子まとめられるのも嫌だけど、仲間外れも嫌いだからさぁ」

「嫌いじゃない。私はロックの申し子、じゃんじゃん仲間外れにして」

 

 山田さんは繊細さんだから、そんなことをしたら泣いてしまうと思うけど。

確認を兼ねてじっと彼女のことを見ていると、そっと目を逸らしながら口を開いた。

 

「……でも陛下がどうしてもって言うなら、好きに呼んでもいいよ」

「かっ可愛い……格好いいリョウ先輩もいいけど、可愛いリョウ先輩も素敵……!」

 

 どことなく星歌さんを思い出す振る舞いだ。なら呼んで欲しいってことかな。

そういうことならと、今日までずっと考えていた彼女の新しい呼び方を口にした。

 

「じゃあよろしくね、山田」

「いやなんでやねん!!」

「……はっ。あっ、え、えっと? な、なんでやねん!?」

 

 力強いツッコミを三つと弱いのを一つ貰った。ひとりもちょうど生き返ったらしい。

状況を把握出来なくても、なんとか流れに乗ろうとする姿に成長を感じる。

 

「いや違うでしょ。後藤くんこれは違うでしょ、駄目でしょ」

「今のは無いです。ありえません」

「……えっえっ、こ、こんなに責められるなんて、お兄ちゃん、な、何したの?」

 

 かつてないダメ出しだった。今までで一番ボコボコに言われている。

ただ、それでも僕にだって一応の言い分はある。せめてそれを聞いてからにしてもらいたい。

落ち着いて理由を告げるため、僕の腕に縋りつくひとりを宥めながら説明を始めた。

 

「僕なりにこう、呼び方のバランスを考えてて」

「何それ?」

「結束バンドって皆それぞれ、呼び方が違うでしょ?」

 

 ひとりちゃん、ぼっちちゃん、ぼっち。喜多さん(今は喜多ちゃん)、喜多ちゃん、郁代。

虹夏ちゃん、伊地知先輩、虹夏。リョウさん、リョウ先輩、リョウ。バリエーション豊かだ。

 

「だからなるべく、呼び方は被らない方がいいのかなって」

「どんな配慮? そもそも喜多ちゃん被ってるし」

「ひとりがその辺気づかなかったのかなと」

「えっ!? ご、ごご、ごめんなさい!?」

「大丈夫よひとりちゃん。先輩が気を回し過ぎなだけ、それも変な方向に」

 

 僕が勝手に予測していたことだけど、そんな法則は無かったらしい。

そうして二人に叱られている僕を見て、山田さんがおかしそうに息を漏らしていた。

 

「陛下、それなら尚更駄目だよ」

「尚更なの?」

「山田は虹夏のツッコミ専用の呼び方だから」

「……なるほど、盲点だった。あれって虹夏さん専用だったんだ」

「そんな訳ないでしょ。後藤くんも納得しない!」

 

 もう一度鋭いツッコミをもらって、僕の妄言へのお叱りは終わった。

終わったのはいいのだけれど、今度は期待というか好奇心というか、色々籠った視線に囲まれた。

こんなに見られてしまうと、いくら僕でも流石にちょっとやりづらい。

それでも、ここまで来て逃げるわけにはいかない。覚悟を決めて山田さんを見つめた。

 

「改めて言うとちょっと照れるけど、これからもよろしくね、リョウさん」

「……うん、よろしく、か、陛下」

「あっ照れてるー」

「照れてない」

 

 こんな感じで、スターリーは今日も平和だった。

 




次回二期第一話「地雷原でタップダンスする女」
オチが思い浮かんだので、完結設定を外して本編を再開します。


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二期第一話「地雷原でタップダンスする女」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

後藤一人くんのプロフィール(抜粋)
好きなもの「家族、友達、努力」
嫌いなもの「自分、他人、偏見」


 バンドミーティングから一日経って、今日は月一定例の結束バンドのライブの日だ。

いつもなら虹夏さん達と一緒に行って、緊張するひとりを励ましている頃だ。

ただ、今日はちょっとした用事があったから、先に行ってもらって僕は別行動していた。

その用事も思いのほか早く終わった。想像してたよりもずっと話の分かる人でよかった。

これで今日やるべきことはもう何も無い。一仕事終えて気分良くスターリーへ向かう。

 

 文化祭ライブを通じて皆一つ成長したようで、前回十月のライブはトラブルも無く成功した。

加えて今月はノルマだって達成出来た。きっと先月よりも安心して臨めるはず。

だからあとはライブを楽しむだけ。そんな呑気なことを、まだこの時の僕は考えていた。

 

 

 

 スターリーに到着して早々、見覚えのない女の人が皆に話しかけているのを見かけた。

手が隠れるほどの長袖に、天使の羽がついた派手な鞄。随分特徴的な恰好だ。

確かこの間、リョウさんが教えてくれたジャンルだ。痛い系? 地雷系? と言っていたような。

今日から結束バンドは新衣装、長袖のパーカーに衣替えしたのにインパクトで負けている。

ただ下北沢はサブカルの街。その辺を歩けばもっと奇抜なファッションの人も多くいる。

最も特徴的なのは、注目すべき点は、服装ではなくその話し方にあった。

 

「皆でずっと楽しく続けることです!」

「あっ、世界平和……」

「あ、あはは~、目標がたくさんあるのはいいことですね~」

 

 途中からの聞き耳だから、前半はよく聞こえなかった。察するに今後の目標か何かだろう。

メモを片手に問いかけるように話しかける姿は、まるで取材か何かのようにも見える。

取材。もしかして、あの人は記者? あまりいい思い出の無い職業の人だ。少し気分が下がる。

確認したいけど、直接聞く訳にもいかない。だから近くにいたPAさんへ挨拶も兼ねて聞いてみた。

 

「PAさん、あれはいったい?」

「音楽系のフリーライターらしいです」

 

 バンド批評サイトへ記事を提供しているフリーライター、ぽいずん♡やみ(14歳)。

PAさんが彼女の名刺を見せながら教えてくれたけど、飲み込むまで少しかかりそうだ。

なお名刺には(17歳)と書かれていたが、二重線が引かれて(14歳)に訂正されていた。

予想した通り記者らしいけど、それ以外が僕には理解できない。この業界そんな人ばかりだ。

 

「それでその、ぽいずんさん? やみさん? は何をしに?」

「下北沢で活躍中の若手バンド特集の取材、と本人は言ってましたね」

 

 自分で言いながらも、PAさんはその言葉を信じてなさそうだった。僕も同じ意見だ。

ファンとしてはどうかと思うけど、結束バンドが活躍中だなんて口が裂けても言えない。

今もノルマはギリギリ達成できるくらいだし、腕だって隠れた実力者、という訳でもない。

知名度だってほぼ無い。知る人ぞ知る、どころかほとんど誰も知らない。

 

 となると、彼女には何か別の狙いがあると考えた方が自然だ。

今日のライブに本命の取材対象がいるとか、ここで誰かを探しているとか。

いずれにせよ、これ自体はいい機会だ。取材を受けた経験はいつかきっと役に立つ。

僕が出ると大惨事になる可能性が高いから、とりあえず黙って見ておこう。

 

「おいあの女やべーぞ! これ見てみろ」

 

 そう思ったのもつかの間、星歌さんが携帯片手に僕とPAさんのところへ飛び込んで来た。

挨拶もそこそこに、言われるがまま画面を覗く。佐藤愛子アンチまとめとかなんとか書いてある。

佐藤愛子。あの記者の人の本名だろうか。いい名前だからこっちを名乗ればいいのに。

 

「あー、アンチのまとめですね。よくあるやつです」

 

 妙に実感の籠った声でPAさんが教えてくれた。初めて見たけどよくあるやつらしい。

そのサイトには本名、年齢、連絡先、出身校まで晒されていた。ネットの闇を感じる。

というか本当は二十三歳なんだ。およそ十歳のサバ読み、ここまで来るとむしろ称賛してしまう。

 

 そして熱心な人がいるようで、今日秀華高校へ不法侵入したらしいことも書いてあった。

ここにもアポ無しで来たあたり、これも取材か何かかな。嫌な予感が増してきた。

気を落ち着けるため、諸々の確認のため、まずは僕に出来ることをしておこう。

 

「星歌さん、この人の書いた記事とかって読めますか?」

「ん? あぁ、まとめに載ってるみたいだな」

 

 そのページを開いてみると、バンドのくだらないゴシップや下世話な噂話ばかり並んでいた。

それでも読まずには何も言えない。掲載されている全ての記事をざっと読む。つまらなかった。

だけどこれはアンチのまとめだ。恣意的な選択や文章の改変などがあるかもしれない。

 

 念のためばんらぼ、例のバンド批評サイトも確認し、佐藤さんが書いた記事を探す。

記者名がないことも多くて断言はできない。それでも文体で見分けて片っ端から読んでおく。

少し引っかかるところはあったけど、こちらも大体同じだ。読むだけ時間を無駄にした。

サイト自体も閲覧数稼ぎ目的の、いわゆる炎上系ゴシップ記事の方が多いようだった。

 

 これで偏見まみれだけど彼女の、佐藤さんの素性はおおよそ分かった。

ただ、それで余計に分からなくなった。何を求めて彼女はここまで来たんだろう。

考え始める前に、思い出したような、それでいてわざとらしい彼女の声が聞こえた。

 

「あ! そういえばなんですけど、そこのギターの方ってこの間ダイブで話題になってましたよね!?」

 

 そういうことか。

 

「ねぇねぇなんでダイ、ひぃっ!?」

「うわっ、ど、どうしたんですか!?」

「ご、ごめんねー、なんだか急に寒気がして」

 

 狙いはひとり、正確には文化祭ライブのダイブのようだ。あれなら確かにゴシップにはなる。

昨日知ったことだけど、トゥイッターで拡散され話題になり、一時期バズったらしい。

今更ながら後悔が残る。もっと早く気づいて、もっと早く対処しておけばよかった。

そうしてもっと前に話をつけてくれば、あんな人が来ることもなかっただろう。

 

 そう、今日の寄り道は、あの動画を投稿した人とお話することだった。

拡散した動画を全て消すことは難しい。下手に触れると、余計に被害が増える可能性すらある。

だから静観するしかないけれど、この流行りも所詮は一瞬だけ。すぐに廃れていくはず。

 

 それはそれとして火元、投稿主を許すかどうかは別の話だ。むしろ許す理由がない。

その人が今回のことで味を占めて、再びひとりの学校生活を投稿する可能性もある。

それも許す理由はない。なので特定して、一時間ほどお話させてもらった。

 

 そういう訳で火元を断って、この問題は解決したと踏んでいたけれど、まだ続きがあった。

僕の怠惰が予想もしてない面倒な人、面倒な状況を呼び込んでしまった。

それにしても、高校生のダイブを書くだけで仕事になるんだろうか。疑問だ。

 

 どうでもいいか。彼女がただのゴシップ記者だと分かった時点で、僕の興味は尽きた。

確認出来た記事の範囲からすると、彼女の記者としての能力には疑問が残る。

ファンも信者も生み出さず、アンチばかり増やしていくような取材、記事。

周囲の評判だけで人を判断すべきじゃないけれど、少なくとも警戒はしてしまう。

 

 また、服装や言動、態度、名刺、その他ほぼ全て。いずれも僕の不信を煽る。

総じて信用、信頼のおける人とは思えない。今のところ関わるだけ損だと言ってもいい。

さっさと片づけた方がいいだろう。そのために立とうした僕を星歌さんが止めた。

 

「待て、私が行く」

「いいんですか?」

「周りを頼れって言ったのは私だぞ? それにこういうのは、大人の仕事だからな」

 

 僕の頭に一度手を乗せてから、颯爽と星歌さんは佐藤さんの元へ歩んで行った。

格好いい、頼りになる背中だ。この分だと僕の出番は必要なさそうだ。

僕とPAさんが見守る中、星歌さんが毅然とした態度で佐藤さんへ注意をした。

 

「……すみませんが、うちでの迷惑行為はやめてくれませんか?」

「ふ、ふえぇ、ご、ごめんなさぁいぃ……」

 

 こってりとしたあざとさだった。胸やけしそうだ。遠目で聞いていても心なしか気が滅入る。

この距離でそうなのだから、至近距離で直撃した星歌さんがどうなるか。自明の理だった。

 

「セ、セツドノアルコウドウヲオネガイシマスネ」

「はぁ~い☆」

 

 顔を真っ青にした星歌さんが、項垂れながら帰って来た。そのまま力無く椅子に座る。

さっきまでの格好良さは嘘のようだった。敗北者の姿だった。

 

「星歌さん」

「いや待て、言いたいことは分かる。でも待って。おぇ」

 

 本気で辛そうな星歌さんの背中を、PAさんと二人で慰めるように優しくさする。

ただの痛い恰好をしたゴシップ記者だと思ったら、とんだ強敵らしい。

まさかあの星歌さんが、ここまでこっぴどくやられてしまうなんて。

 

 星歌さんが負けてしまった以上、彼女をなんとかするのは僕の役目だ。

だとしても、短絡的に気絶させるなんて暴力的手段は取れない、取りたくない。

それに相手は曲がりなりにも記者だ。変に反感を買って目をつけられるのも鬱陶しい。

ここは適当にいなして、何も書けないように帰らせるのが一番無難だろう。

 

「……星歌さん、僕が着られるジャケットってありますか?」

「おぇぇ……、おぉ、あるけど、どうするの?」

「カツラと一緒に貸してください。あの人は僕がなんとかします」

「貸す貸す。悪いけど、頼む」

 

 

 

 僕が準備を終える頃になっても、佐藤さんはしつこくひとりに絡んでいた。

 

「ねぇねぇねぇねぇどうなんですかー?」

「あっえっあっあっ」

 

 幸か不幸か、ひとりの人見知りが上手い具合に作用していたらしい。

知らない人にしつこく詮索され、ひとりは不定形となって虹夏さんに纏わりついていた。

失言どころかものも言えない状態だ。間に合ったことに安堵しながら、僕は作戦を開始した。

 

「…………結束バンドさん、そろそろ準備お願いします」

「えっ、ごっ」

 

 作戦と言っても大したものじゃない。スタッフのふりをして声をかけるだけ。

そうしてこの場を離れる口実を用意して、皆には裏の方へ逃げてもらう。

わざわざ変装したのは、あの動画には僕も映っているからだ。バレたら面倒なことになる。

 

 変装した僕が突然話しかけてきたことで、その場の全員が目を丸くした。

佐藤さんも含めて驚きすぎじゃない? そんな変なところあったかな。

なんでもいいか。もう一回念押しして、誰でもいいから僕の意図をくみ取ってもらおう。

 

「……ちょっと押してるんで、早めにお願いします」

「あっはい、分かりました! 皆行こう!」

「ひとりちゃんしっかり掴まっ、私これどこ掴んでるのかしら!?」

「あ、ちょ、ちょっと!」

 

 佐藤さんには見えないよう、皆には分かるように奥を指差す。それで伝わった。

虹夏さんと喜多さんが、未だ形を取り戻していないひとりを引きずって走り去る。

反射的にか、皆を追いかけようとした佐藤さんの前に立つ。行かせない。

奥に入ってさえしまえば、そこからは関係者以外立入禁止だ。そのために時間を稼ごう。

 

「……すみません、チケットはお持ちですか」

「あっ、え、い、いえ!」

「……では、こちらでご購入お願いします」

「は、はいっ」

 

 僕は既にこの人へ悪感情を抱きつつある。だからきっと、目が合えば気絶させてしまう。

視線を合わせないよう声をかけ、意外にも素直な反応をした彼女へチケットを売った。

時間も稼げたし、結束バンドの売り上げも一枚伸ばせた。我ながら一石二鳥、よくやった。

ちなみに、彼女は財布も羽付きで毒々しい色合いだった。キャラが徹底していた。

 

 

 

「あれー? 零号くんどうしてまたそんな格好してるの?」

「おー、悪い男フォームだ。何か悪事でも働くんですか?」

 

 時間稼ぎに成功してライブ後の対応を考えていると、一号さんと二号さんに声をかけられた。

彼女たちとは先月、十月のライブで改めて挨拶と自己紹介をさせてもらった。

もちろん名前も交換した。なのにどうして、こんな風に呼び合っているかというと。

 

『番号で呼び合うのって、なんかファンクラブ感あってよくないですか?』

『いいよねー、こう、結束感あるよね。あっもしかしてこれ、結束バンドにかかってる?』

『じゃあお二人が一号さんと二号さんだから、僕は三号と呼んでもらえるんでしょうか?』

『うーん、でもお兄さんを差し置いて、一号二号を名乗るのは抵抗があるなぁ』

『私たちはファン歴三か月だけど、もっと長いはずだもんね』

『……だけど今更、二号の名を失うのは惜しい!』

『うわ力強っ。いや、私は三号でもいいけど』

『何それ!? 一号としての誇りはないの!?』

『えぇ……』

『あの、僕が結束バンドのファンになったのは今月からなので、別に三号でも』

『ひとりちゃんのファンになったのは?』

『十五年と八か月くらい前ですね』

『うわぁ……』

 

 そんな会話もあって零号を襲名し、今日もそう呼んでもらっている。

あと数字を主張することで、将来的に古参感をアピールしたいらしい。

大学生ともなると着眼点が違う。そう目を輝かせる僕へ、一号さんは呆れた目を向けていた。

 

 夏休みに受けた恩やひとりのファンということもあり、僕も二人となら普通に話せる。

お二人も僕の評判を知らないのか気にしないでいてくれるのか、今みたいに話しかけてくれる。

友達よりは遠いけど他人よりは近い、そんな不思議な関係だ。これからも大切にしたい。

 

「ひとりちゃんが悲しむから、あんまりやんちゃしちゃ駄目だよー?」

「違います。少し長くなりますけど、あの人対策です」

「えっ、ああいう子好みなの?」

「もっと違います。それにあの人、お二人より年上です」

「えぇー、嘘ですよねー?」

 

 そのためにも年齢も含めて、ぽいずん♡やみ(14歳)さんのことを二人に説明した。

真剣に聞いてくれた二人だけど、(14歳)辺りでドン引きしていた。

ふたり二人分のサバ読みだ。僕も最初は脳が理解を拒んだから、気持ちはよく分かる。

 

「あまり行儀のいい方ではないようなので、ひとりに関わって欲しくなくて」

「話は分かりましたけど、なんでその格好?」

「動画には僕も映ってますから、そのままだと僕も取材されちゃいます」

「あっそっか」

 

 そんな風に事情を話して、その後も雑談を続けている内に時間が来たようだ。

準備を終えた結束バンドがステージ上に立っていた。相変わらずひとりは俯いている。

その様子を見て二号さんはキャーキャー言っていた。見方が通だ。よく分かっている。

 

「おはようございまーす! 結束バンドでーす!」

「こらこら喜多ちゃん、今の時間はこんばんはでしょー?」

「えー、こういう業界ならいつだって、おはようございます、ですよねー?」

「この業界人気取りー!」

 

 相変わらずMCは面白くないけれど、不思議なことに聞いていると気持ちが安らぐ。

ささくれ始めていた心が落ち着いてきた。もしかしたらリラックス効果とかあるのかもしれない。

文化祭の笑いはきっと奇跡か偶然だから、こっち方面を伸ばした方がいいと個人的には思った。

 

「あっ始まりましたね」

「ライブに集中しましょう!」

 

 始まった結束バンドのライブを、佐藤さんはつまらなそうに、興味なさそうに聞いていた。

ちゃんと聞いているだけまだいい方か。あの人への期待値は相当低くなっている。

あれならもう様子を窺う必要もないかな。僕もライブを楽しみたいからこの辺にしておこう。

 

「———っ!?」

 

 そう思い、視線を切ろうとしたその瞬間、弾かれたように佐藤さんは顔を上げた。

さっきまでの無気力な姿とはまるで違う。食いつくようにステージ上を見ている。

その瞳にはギラついた輝きが宿っていて、否が応でも僕に警戒心を呼び起こさせた。

 

 何を見ている? あの人の目は今どこに、ひとりのところ、ひとりの何を見てそうなった?

演奏を聴いて、ステージを見て、そこからひとりの何を見つけられる?

ひとりが本当は上手いということ? それだけで、あんな劇的な反応を見せるだろうか。

あれは、あの顔は、探していた何かを見つけたような、秘密を暴いた時のような、そんな反応だ。

 

「うそ、ううん、そんなはずが、でも、この音は」

 

 演奏と歌声が響く中、佐藤さんの小さな声がどうしてか耳に届いた。

困惑と混乱、動揺、そして何よりも興奮をその声からは感じ取ることが出来た。

無意識なのか、胸の前で握った手には力が入り、震えているのがここからでも分かる。

 

 秘密、嘘、音、ひとり、ギター。根拠のない妄想を閃いた。でも僕は確信してしまった。

僕は兄としてあの子を守らなきゃいけない。だから最悪の場合を想定しておこう。

精度を高める、余計な動きをしたら止めるためにも、このライブ中は佐藤さんを観察しないと。

 

 それにしてもどうして、ライブの度に何かしらトラブルが起きるんだろう。

ライブに来るのはもう四回目なのに、まだ一回しか心おきなく楽しめていない。

皆に見られる訳にはいかないから、僕は心の中で大きくため息を吐いた。

 

 

 

 僕の心配をよそに、ライブ自体は無事に終わった。

とりあえず最悪のパターン一、途中興奮のあまり暴走する、は起こらなかった。

密かにほっと息を吐く僕に、ライブを満喫した様子の一号さんが誘いをかけてくれた。

 

「これから差し入れ渡しに行くけど、零号くんも一緒にどうですか?」

「僕は」

 

 どうすべきか。ここに留まって佐藤さんの監視を続けるべきか。

それとも何かあった時のために、皆の近くに控えておくべきか。

言葉を止めた僕を不思議そうに見つめる二人を置いて、一度佐藤さんの様子を確認する。

 

 彼女はどこから取り出したのか分からないほど、大きなヘッドホンを着けていた。

そして鬼気迫る、という表現がぴったり当てはまるほど、真剣な表情で携帯を見つめている。

あの様子だと、恐らく動画か何かを見ているようだ。ほぼクロと言ってもいいだろう。

あれを放っておけば、気になって何も手につかない気がする。

 

「すみません、やるべきことがあるので」

「あー、頑張ってくださいね!」

「ありがとうございます。お二人はひとりのこと、よろしくお願いします」

「任せて!!」

「また急に勢いづく……」

 

 急にやる気と元気を出した二号さんと、少し気疲れした一号さんを僕は見送った。

 

 そうしてしばらく監視を続けていると、答え合わせの時間が来た。

どこか緊張感を漂わせた佐藤さんが動き出し、皆の元へ近づいていく。

止めるべきか、それとも言わせるべきか。メリットデメリットを秤にかける。

合ってた場合、間違ってた場合。それで起きること、予想されること。

 

 合ってて、言われて、それを知る人。星歌さん、リョウさん、喜多さん、一号さんと二号さん。

知ってどうするか、何を思うか、ひとりを傷つける結果にならないか。亀裂が生まれないか。

僕が勝手に最悪を想像していると、ふとこの間、星歌さんに言われた言葉が脳裏を過ぎった。

 

『もっと周りを信用しろ』

 

 考える。少なくとも虹夏さんは、八月の時点であれを知っても何も変わらなかった。

喜多さんは、驚きはするだろうけどきっとそれだけだ。凄いわねーの一言で終わる可能性もある。

リョウさんは、下手すると驚きすらしないかもしれない。お金の無心は増えるかもしれない。

星歌さんは大丈夫。一号さんと二号さんも、純粋にひとりを褒めてくれるだけのはずだ。

なんだ、僕は誰のことも疑いすらしていない。信じることが当たり前になっていた。

 

 おかしくて誇らしくて、そんな場合じゃないのに内心少し笑ってしまう。

それならここですべきは静観だ。ある意味、これもいいきっかけとも言える。

出来ればひとりから打ち明けて欲しかったけど、このままだと墓まで持って行きそうだったし。

 

「あなた、ギターヒーローさんですよね!?」

 

 青ざめるひとりの顔を見て、穏便に済めばいいな、なんてことを思った。

 

 

 

 佐藤さんが皆の前でひとりをギターヒーローと呼んだこと。それ自体はそこまで問題じゃない。

いつかは話さなければいけないことだったし、バレても何も変わらないと信じている。

 

「あっえっ、ぎぎぎぎ」

「その歌うようなビブラートのかけ方! 所々に滲み出る演奏の癖!! 間違いない、ギターヒーローさんですよね!!!」

 

 問題はこの人だ。ゴシップ記者である彼女に、ひとりの正体を知られたこと。

星歌さんに頼んで理由を付けて、口を滑らす前にスターリーから追い出すことも出来た。

だけどそれでは、この人がひとりの何に気づいたのか把握出来ない。

過去の仕事からして、確証が無くても記事にする可能性がある。最悪妄想で暴露されかねない。

それを防ぐため、彼女のスタンスをより深く知るため、今は遠くから観察している。

 

 ひとりが青くなり、佐藤さんが熱くなっていく中、ぽかんとしていた喜多さんが口を開いた。

 

「……あの、ギターヒーローって?」

「は!? あんたまさかギタリストのくせに、ギターヒーローさんのこと知らないの!!??」

 

 掴みかかるような勢いで、佐藤さんは喜多さんを睨みつける。そして口が悪い。

あの高カロリーなぶりっ子は、どうやらキャラを作っていたらしい。むしろ安心した。

あれが天然ものだとすると、僕はこれから人間の可能性に怯え続けることになる。

 

「三年前オーチューブに突然現れた、超凄腕の現役学生ギタリスト! 何も語らずただひたすらにギターを奏でるその姿はストイックで! 飾り気のない部屋、ボロボロのジャージがミステリアスさを醸し出しつつ! 少しずつ大きくなっていく手や身長が、あどけなさを感じさせて! そのギャップが、魅力が、全てがカリスマに繋がってるのよ!!!!」

「あっはい」

 

 喜多さんが引く程度の熱量で、佐藤さんはギターヒーローについて語り続けた。

なんというか、こう、予想していた反応というか、話し方というか、とにかく違う。

ダイブについて聞いていた時のように、もっと下世話な好奇心が出てくると思っていた。

 

「はぁー! それにしてもまさか、まさかこんな場末でギターヒーローさんに会えるなんて!! いやぁどんなゴミ記事作ろうとしても、足使って探してみるものね!!!」

 

 佐藤さんは相変わらずあらゆる言動で、僕の信用と好感度の底を削っていく。

それはそれとして、彼女がギターヒーローのファンだということはよく伝わった。

そして彼女が見つけた秘密が、予想通りのものだったことも分かった。

 

 以上を踏まえてこの人を、この発言をどうするか。誤魔化すか、認めるか。

今のところ、ひとりがギターヒーローだという証拠はない。根拠は彼女の耳だけだ。

にもかかわらず確信してるのが厄介だけど、やり方次第で対処は出来るはず。

 

 皆の反応確認も兼ねて周囲を見渡す。その途中で虹夏さんと目が合った。

その瞬間、何故か飛び上がるほど驚かれたけれど、すぐに力強く頷きを返してくれた。

 

「そ、そんな訳ないじゃないですか~。ちゃんとこの子のこと見てください! これが、あのギターヒーローさんに見えますか!?」

「こっこれ……」

「……ふむ」

 

 誤魔化す方がいい、と虹夏さんは判断したらしい。

八月からずっと内緒にしてくれていた彼女だ。今日もひとりの気持ちを汲んでくれている。

それを見た喜多さんとリョウさんも、事情を知らないなりに協力してくれた。

僕達はいい友達を持った。

 

「そうですよ! ひとりちゃんはミステリアスというよりも、ただの変な子です!!」

「そんな格好いいカタカナじゃなくて、奇妙とか奇怪とかの方が似合う」

「へ、変な子……奇怪……」

 

 ひとりはダメージを受けているけれど。出来ればもうちょっとだけでも容赦してあげてほしい。

 

「むむむ」

 

 バンドメンバー全員から全否定され、佐藤さんにも迷いが生じたらしい。

それでも一度目を閉じた後、カッと見開いて叫ぶようにして彼女は断言した。

 

「……やっぱり、あなたがギターヒーローさんですね!!!」

「なんで!?」

「この絶妙に社会から外れた抜け感、そこから滲み出るカリスマ性が隠せてませんよ!!!!」

 

 さっきからこの人、滅茶苦茶ひとりのこと褒めるな。これだと多分無理だ。

 

「あっいや、違っ、えへっ、違いますよ、へ、ぬぇへへへっ」

「絶対この子だ!!!!」

 

 分かっていたことだ。そもそもひとりは、僕より数段嘘と隠し事が下手だった。

 

 

 

 佐藤さんが反応の薄いメンバーに憤慨したり、逆に感嘆した一号さん二号さんに感心したり。

そこからは想像していたより穏やかな状況が続いていた。出る幕が無いから僕は蚊帳の外だ。

ちょっとだけ拍子抜けして、もう変装を解こうかなという時に佐藤さんからある提案が出た。

 

「そうだ! うちの編集長に掛け合って、業界の人に紹介してもらえるように言っておきますね!」

 

 うちの編集長。彼女はフリーらしいから、ばんらぼというサイトのだろうか。

あのサイトのか。中々もらえない機会ではある。それでもあまり素直に受け取れない。

僕はなんとなく警戒心を抱いていたけれど、皆は素直にはしゃぎ始めた。

 

「え!? それって結束バンドがデビュー出来るかもしれないってこと!?」

「すごーい、もうメジャーデビュー!? えっ、やだ、なんかドキドキしてきた!」

「へ、へへ、うへへっ」

「もうひとりちゃんったら、にやけ過ぎよ」

「喜多ちゃんもだよ~」

「虹夏もね」

 

 皆ひとりが勧誘されたことを、我が事のように喜んでくれていた。我が事のように。

いやもしかして、本当に自分達のことだと思ってる? だとしたらそろそろ介入しないと。

今までの言動からして、佐藤さんは遠慮のない言葉をぶつけてくるはず。

遠目からの様子見をやめ、近づこうとした僕の肩を誰かが掴んだ。

 

「……星歌さん?」

「ちょっと落ち着け。まだお前が出るには早い」

「でもこのままだと、皆きっと嫌な思いをします。避けられるなら避けた方が」

「……それでも、この先どうするにしても、ここらで一回言われた方がいい」

 

 星歌さんも佐藤さんがどんなことを言うのか、大体想像がついているらしい。

それでも僕を止めるのは、きっと見ているものが違うからだ。どっちが正しいのか。

この場合、正しいも何もないか。あるのは優先順位の違いだけ。何を望んでいるかの違いだ。

 

「結束バンド? え、何の話?」

「……え」

「私が言ってるのはギターヒーローさんのことだけ。他のメンバーのことなんて言ってないわ」

 

 考えている間に、佐藤さんの口はもう開いてしまっていた。止めるにはもう遅い。

呆然と声を漏らす虹夏さんを見て、星歌さんの手が僕の肩に食い込み始める。

 

「結束バンドはー、高校生にしてはまあまあだけど、よくある下北系って感じだしー」

 

 しんと静まり返る空気なんて気にもしてないのか、彼女は言葉を続ける。

 

「ていうか、ガチじゃないですよね?」

 

 その言葉で、完全に空気が凍り付いた。

 

「見たところ客も常連だけで、それなのに宣伝とかも全然やってないみたいだし。これでプロ目指してるはちょっとねぇ」

「……っ」

「あっギターヒーローさんはもうプロとしても通用するので、こんなところじゃなくて、もっとちゃんとしたバンドに入った方がいいですよ!」

 

 そろそろいいんじゃ。これ以上佐藤さんに喋らせても、ろくな言葉は出てこないと思う。

確認のために僕の肩を握りしめる、心配になるほど白い手に触れた。痛くしてなければいいけど。

無意識だったのか、星歌さんは目を見開いた後慌てて離してくれた。肩に手形が残ってそうだ。

 

「あっ、わ、悪い、痛かったよな?」

「平気です。星歌さんこそ指大丈夫ですか?」

「……生意気なやつめ」

「あの、カツラがずれるので今はちょっと」

 

 僕の訴えを無視して、星歌さんは頭をガシガシと撫で続けた。頭が揺れる。

その手つきがいつも以上に乱暴だったから、それ以上は止めずに彼女が満足するのを待つ。

この間に確認しておこう。星歌さんが落ち着き次第、出来るだけ早く行動したい。

 

「それで星歌さん、いい加減あの人追い出してもいいですか?」

「あぁもう大丈夫だ。というか助かるけど、ほんとに頼んでもいいの?」

「一番嫌いなタイプなので、早くいなくなって欲しくて」

 

 思わず口に出してしまった言葉に星歌さんが手を止めて、目を更に大きく丸くしていた。

僕の事情を知っていても、誰かを直接嫌いと言ったのは初めてだから驚いたのかもしれない。

自分のことではあるけれど、僕もこんな一瞬で個人を嫌いになれるとは思っていなかった。

 

「じゃあ頼むけど……あー、殺すなよ?」

「努力します」

「努力じゃなくて約束して?」

 

 苦笑いの中に本気のお願いを滲ませながらも、星歌さんは背中を押してくれた。

当然だけど、もちろん殺す気なんて無い。気絶も出来る限りさせるつもりは無い。

あの人とはなるべく口を利きたくないから、手短に用件を済ませて帰ってもらおう。

そんな後ろ向きな決意と共に、冷たく重い空気の中へ足を進めた。

 




次回「ブーメラン」です。


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第二話「ブーメラン」

感想評価、ここすきありがとうございます。

※ 彼は虹夏ちゃんの夢について一ミリたりとも知りません。


 僕が最悪な雰囲気の元へ近付いても、周りはまったく気づいてなさそうだった。

皆の目はその中心である佐藤さんと、彼女に纏わりつかれているひとりに集まっている。

結束バンドもファンの一号さん二号さんも、あれだけ冷たくあしらわれてはそうもなるだろう。

 

「ではギターヒーローさん、取材と紹介の話をしたいのでご予定聞いてもいいですか!?」

「……う、うぅ」

 

 といってもどうするか。佐藤さんの言葉を撤回させることは出来ないし、その必要もない。

事実は事実だ。そこを無理やり捻じ曲げても何の意味も無い。下手な慰めにもならない。

とりあえず帰ってもらうか。ここに居座られると、それだけでも悪影響がありそうだ。

 

「お話し中のところすみません、少しよろしいでしょうか」

「……あなたはさっきの」

 

 まずは何よりひとりを守ろう。適当に声をかけて、佐藤さんの注意を引く。

その隙に二人の間に入り込んで、彼女に詰め寄られていたひとりを背中に庇った。

ただ背中じゃ満足出来なかったのか、ひとりはジャケットの中にまで潜り込もうとしていた。

 

「あっお兄ちゃん、お、遅いよ。避難させて」

「ごめんね。でもそれは駄目」

 

 事情があったとはいえ、佐藤さんの話を見過ごしていたのは事実だ。謝るほかない。

それはそれとして、そこに潜り込まれてしまうと真面目な話なんて出来なくなる。

なのでひとりと攻防を繰り広げていると、佐藤さんが驚きの声を上げた。

 

「お兄ちゃん……ってあなた、ギターヒーローさんのお兄さん!?」

「はい。この子のマネージャーのようなことをしています」

「マネージャー、ですか? あなたが?」

 

 僕の言葉を受けた佐藤さんは、確かめるようにひとりの方へ目を向ける。

ようやくジャケットに入ることを諦めたひとりが、顔を半分出しながらなんとか答えた。

 

「あっ、ほ、本当です。編集とか、投稿とか、SNSのこととかやってもらってます」

「ほうほう!」

「あっあと、法律とか、お金のこととか、難しいことは全部」

「……ほう!」

 

 途中、お金の話あたりで佐藤さんの目がすっと細くなった。どこか暗い疑りが見える。

どうせ何か下世話な勘繰りでもしてるんだろう。僕がその目をしたいくらいなんだけど。

彼女はそんな疑念なんて露も漏らさず、甘ったるい声で問いかけてきた。

 

「それではマネージャーさん! 一つお聞きしたいことがあるんですが」

「なんでしょうか」

「ギターヒーローさんのSNSなんですけど、素っ気なさ過ぎませんか?」

 

 意外なところを聞かれた。不躾な質問をされるとは思っていたけど、意図が読めない。

彼女の表情には、依然として疑いと緊張が見える。何を探られている? 考えても答えは出ない。

会話したくないけど、様子見を兼ねて少し話してみるか。口を閉じてさっさと帰って欲しい。

 

「……宣伝を多くした方がいい、と」

「はい! もっと再生数が伸びると思いますけど、しないんですか?」

「その予定はありません。失われるものがあるからです」

 

 目の前の佐藤さんと同じように、背中のひとりが首を傾げるのが分かった。

この子に伝えるつもりは無かったけど、これくらいなら言っても大丈夫かな。

 

「透明性です」

「……とーめいせい?」

「宣伝に力を入れればキャラが、色が付きます。色は人を近づけ、遠ざけ、イメージを作ります」

 

 僕の魔王なんてその極地だろう。会ったことも無い人にすら僕は恐れられている。

おかげで喜多さんと会話するまで一年生と、後輩とまともに話す機会は一度も無かった。

 

「この子の演奏を聴く時、それが余計な色眼鏡に変わる可能性を危惧しています」

 

 色が薄いとはいえ、ストイックというキャラが付くのは予想外ではあった。

偏見と言えば偏見だ。それでも幸い、演奏に余計なノイズを生むようなものではなかった。

佐藤さんへそんなことを説明していると、ひとりが後ろから袖を引っ張ってきた。

 

「……お、お兄ちゃん、どういう意味?」

「出来る限り偏見無しで、ひとりの演奏を聴いてもらいたいってこと」

「そ、そんな理由が……言ってくれればよかったのに」

「あんまり難しいこと言って、ひとりに変な意識させたくなかったから」

 

 ひとりは気にしいだ。一つ言うと十は気にしてしまう。

キャラを付けないという意識が、演奏に乗る感情をどこかで阻害してしまうかもしれない。

僕が聴きたいのは、してほしいのは、ひとりの想いが全て籠った演奏だ。だから言わなかった。

 

「ですがそれでは、視聴者を増やす手段が減るのでは?」

「……私の役目は、この子が自由にギターを弾ける環境を整えることですから」

 

 これは僕のエゴだ。ひとりはより多くの人に認められたいと、いつだって思っている。

それを果たすためなら佐藤さんの言う通り、僕も宣伝を始めとした努力をするべきだ。

だけど僕がそんなことをすれば、きっとひとりは今以上に数を気にしてしまう。

 

「それにこの子なら、実力でなんとでも出来ます」

 

 ひとりは優しい子だ。宣伝に力を入れて結果が伴わなければ、きっと自分のせいだと思い込む。

そして良くも悪くも、これまで以上に数を伸ばすためギターを奏でる機会が増えるだろう。

僕はそれを望んでいない。ひとりには義務でギターを弾いてほしくない。音楽を楽しんでほしい。

これもきっと重い気持ちだ。佐藤さんは当然として、ひとりにも伝えるつもりは無い。

 

「……なるほど、マネージャーさんもストイックなんですね!」

 

 どうでもいいけど勝手に納得したらしい。訂正する必要も無いから放っておく。

不思議と佐藤さんの目が和らいた気がするけど、そんなことより確認すべきことがあった。

 

「もしかして、これは取材でしょうか」

「あぁ失礼しました! ほんの雑談です。すみません、つい気になってしまって!」

 

 佐藤さんはそう言って、ウインクしながら自分の頭を軽く叩いた。油断も隙も無い。

僕が言わなければ、このままなし崩し的に取材にもつれ込んだかもしれない。

もっと警戒しないと。相手は記者で大人だ。この手のことは僕よりずっと上手のはず。

 

「ささっ、じゃあ改めて取材と紹介のお話を、とりあえずどこか喫茶店にでも」

 

 取材と紹介、どうするべきか。僕は今のところ彼女のことを、欠片も信用出来ていない。

でもこれはギターヒーローへの、ひとりへの話。最終的にはひとりの意思が一番大事だ。

そのひとりは背中に擦りつけるように、ぶんぶんと首を横に振っていた。ならもう迷いはない。 

 

「いえ、どちらも結構です。お疲れ様でした」

「えっ?」

 

 当然の返事をしたはずなのに、何故か佐藤さんは呆然としていた。

 

「……あの、今なんて?」

「どちらも結構ですので、お疲れ様でした。お帰りはあちらです」

「え、ちょちょ、ちょっと、取材ですよ!? 業界への紹介ですよ!?」

「はい、承知しておりますが」

 

 取材による知名度の確保、業界への伝手。どちらも魅力的な話ではある。

でもギターヒーローとして表に出ることを、今ひとりは望んでいない。断るには十分な理由だ。

それに僕はこの人も、この人の伝手も信用できない。だから僕にも受け入れる理由が無い。

 

「は? え? い、いい話ですよね、どうして」

「そうですね……」

 

 なんて言って説明しようか。心のままに語れば、ただの罵詈雑言になりかねない。

柔らかく話しても、出来るかどうかは置いといて、この人は聞いてくれなさそうだ。

面倒だけど一つ一つ順序だてて説明しよう。心を出せないなら理屈を出さないと。

 

「先ほどの結束バンドへのお言葉ですが」

「……まさか、それが気に入らないから、とか言いませんよね?」

「いえ、いくらかは的を射ていると思います」

 

 僕が平然と同意したことで皆の顔が沈み、空気が重くなった。

背中のひとりが、服の裾を力一杯握りしめてくる。どれも気づかないふりをする。

嘘は吐けないし、今はこの人をどうにかするのが先決だ。そのためにも僕は言葉を続けた。

 

「ですが、こたつだな、と感じて」

「?」

 

 唐突に出てきた場にそぐわない言葉に、緊張に満ちた空気が少し弛緩した。

ただ一人、意味に気づいた佐藤さんだけが、顔を真っ赤にして声を荒げる。

 

「こ、ここ、こたつ記事ってこと!?」

「すみません、二文字くらい省略せず話すべきでした」

 

 なるべくこの人と話す言葉を減らしたい、と思っていたら逆に増やしてしまった。

駄目だな、横着すると余計に手間が増える。こういう時こそちゃんと話さないといけない。

 

「結束バンドに知名度が無いことも、動画サイトやSNS等宣伝活動が足りないことも事実です」

 

 動画サイトへの投稿はしていないし、喜多さんが管理しているSNSはほぼ美容系になっている。

まして音楽系サブスクの利用なんて、考えたことすらないかもしれない。

ライブだってホームのスターリーでやるだけで、別のライブハウスの下調べもしていない。

路上ライブやフェスへ参加する等、ファンを増やそうという気概を感じる行動も特にない。

本気でメジャーデビューを目指すというには、佐藤さんの言う通り確かに甘い姿勢だ。

 

「しかしそのどれもが、適当に検索すれば分かることでもあります」

 

 検索して出てくるのは工具の結束バンドについてばかり。好評も悪評もほとんどない。

逆説的にこれだけでも、バンドの結束バンドが無名なのがすぐに、誰にでも分かる。

 

「演奏へのお言葉も具体性に欠けていて、乱暴に言えば聴かなくても言えることでした」

 

 高校生にしては、下北系、どれもメンバーやホームを見れば出せる言葉だ。説得力が無い。

 

「また、貴方が過去に書かれた記事もいくつか拝読いたしました。以上を踏まえて私は」

 

 貴方のことを信じられないと思いました。ちょっと直接的に過ぎる気もする。

残念ですが今回はどちらもご遠慮させて、今度は迂遠過ぎる。これじゃ断れない。

こんな下劣な三流ゴシップライターに、いやこれ、ただ罵倒することが目的になってるな。

 

 適切な表現を考えて、さっき佐藤さんが言っていたことを思い出した。

あれくらいがちょうどいい気がする。だからそのまま引用させてもらった。

 

「ガチじゃない方に、妹をお任せするのは難しいと判断しました」

「……は?」

「ガチじゃないですよね」

 

 どうして佐藤さんは目を丸くして驚いて、そんなにショックを受けているんだろう。

まるで傷か何かを抉られたかのように、酷く辛そうな表情を一瞬だけ見せた。

自分が言われてそこまで傷つくことなら、他の人にも言わなければいいのに。

 

 音楽に、バンドにガチな人であれば、高校生の文化祭でのダイブなんて記事にしないはず。

拙いライブであっても、それが真剣なものであればきちんと耳を傾けるはず。

バンドの金銭トラブルや痴情のもつれなど、炎上目的の記事ばかり書かないはず。

 

 全部社会を知らない子供の理屈だ。大人だから、仕事だから、何か事情があるのかもしれない。

でもガチ、本気であり続けることは、子供であり続けることでもあると僕は考えている。

言い訳を並べて自分の怠慢から目を逸らし続けるのなら、その人はもうガチじゃない。

 

「今日は秀華祭でのダイブを取材しに来たとお聞きしましたが」

「あっ、そ、それは」

「あの日、この子がボトルネック奏法をしたのはご存じでしたか」

「は、え、ぼ、ボトルネック!? 本当なんですか!?」

「あっえ、演奏中に弦とペグが壊れちゃって、でもソロがあったので、それを弾くために」

「しかも即興!? さすがギターヒーローさんね……」

 

 感心する佐藤さんとは逆に、僕の中でまた彼女の評価が下がっていった。

こんなことも知らなかったのか。秀華高校へ取材に行ったらしいけど、何してたんだ?

 

「本当にダイブのことしか頭に無かったようですね」

「うっ」

「少しでもライブの話をしていれば、すぐ分かることだとは思いますが」

「……それは」

 

 自然と言葉がきつくなってしまう。このざまで、よくもあそこまで偉そうに。

いや、それは違う。この人がどうであれ意見は意見。事実は事実。分けて考えるべきだ。

熱くなってるな、冷静に冷静に。ひとりの前だ、穏やかに穏やかに。どうか落ち着いて。

 

「………………なら私が」

 

 そうして自分を落ち着けていると、少しの間俯き黙っていた佐藤さんが顔を上げた。

 

「私がガチって分かったら、ギターヒーローさんへの取材と紹介、受けてもらえますよね!?」

「はぁ」

 

 誰もそんなこと言ってないのだけれど、佐藤さんは一人で勝手に盛り上がっていた。

僕にとってガチとは、命を、人生をいつでも捧げられるほどの意気込み、気持ちを意味する。

ひとりに、家族にかける僕の想いくらいは最低でも欲しい。現状期待薄だ。

 

 しかし何をもって自分がガチだと、彼女は証明するつもりなんだろう。

信用信頼は過去の積み重ねだ。今日の言動と過去の記事、それを打ち消す何かがあるんだろうか。

何でもいいから帰ってほしい。そんな気持ちを抑えていると、彼女は結束バンドの皆を指差した。

 

「あんたたち!」

「は、はいっ!?」

「しょうがないから、特別にアドバイスしてあげる!」

 

 結束バンドへのコメントを通じて、音楽への姿勢と知識を僕に証明するつもりらしい。

正直あまり期待していないけれど、外部の業界人? からアドバイスをもらえる貴重な機会だ。

中身によっては参考になるかもしれない。聞くだけ聞いてみて、駄目そうなら止めよう。

 

「ギターボーカル! あんた楽器始めて何年!?」

「えっ、は、半年くらいです」

「……半年にしては、よくやってるわね!!」

 

 喜多さんの経験が思ったより浅かったからか、そこで佐藤さんは一度言葉を止めた。

それでも数秒ほど考えた後、滑らかに口を動かし始めた。柔軟な反応だ。

 

「でもそれが通じるのは、あんたのことを知ってる人だけ。客にはそんなこと関係ない。それに半年にしてはって評価は、あんたの演奏が舐められてる証拠よ」

「っ」

「それが嫌ならもっと練習しなさい、歌もね。どっちも基礎は固まってきてる。ここからどこまで伸びるかはあんた次第よ。ギターボーカルはバンドのフロントマン。あんたたちが、結束バンドがどこまで伸びるのかも、あんた次第になる。気張りなさい」

「……はい!」

 

 喜多さんの元気のいい返事を満足そうに受け止めてから、佐藤さんは虹夏さんを指差した。

 

「次、ドラム!」

「は、はい!」

「あんた、何のためにいるの?」

 

 その言葉に虹夏さんが肩を震わせた。

 

「周りを見てるのも分かる。それに合わせてるのも分かる。どっちも高校生にしてはよく出来てる。でもそれだけよね。今の時代、欲しい音があれば打ち込みでもなんでもやり方はある。周りが欲しい音も、合わせる音も、機械でも出せる。ミスしない分あんたよりマシかもね」

 

 喜多さんの時より格段に容赦が無い。背中を握るひとりの手に、力が入るのが分かった。

抑えるように、慰めるように頭を撫でる。今のところ止める必要は無さそうだった。

 

「だからもっと自分を出しなさい。合わせるのもいいけど、自分が引っ張るぐらいの気概を持った方がいいわ。ドラムはバンドの中心。あんたの色でバンドの色が決まるの。自分が、自分たちがどうなりたいか、しっかり考えなさい。芯の無いバンドに未来なんて無いわ」

「……はい」

 

 俯く虹夏さんを一瞥してから、佐藤さんはリョウさんへ視線を移した。

 

「で、ベース」

「……」

「あんた、なんでベース弾いてるの?」

 

 佐藤さんの声色は心底不思議そうだった。

 

「ベースの仕事分かってる? 例外はあるけどリズム隊よ? それがまあ自分に酔って、あんた何がしたいの?」

 

 語尾が全て上がっている。声色通り、何もかもが疑問に感じるらしい。

 

「あんたが高校生にしてはかなり上手いのは分かったけど、それだけ。自分の世界に浸りたいなら、自分が目立ちたいだけなら、さっさとベース捨てなさい。捨てられないなら、周りのための演奏くらいマスターしなさい。あんたなら出来るでしょ?」

「……」

 

 リョウさんはいつものようなすまし顔だった。手に力が入ってることを除けば。

 

「それじゃ最後に、ギターヒーローさん」

 

 呼ばれたひとりが、僕の背中でびくりと震えた。この子にもあるんだ。

 

「えっと、ギターヒーローさんはー、もっと人前に慣れましょうね!」

「あっはい?」

「あ、あと、客席ともメンバーとも、もっと目が合うようになると、もっといいかもしれません!」

「あっはい」

 

 ひとりは最後まで甘々だった。僕としてはここで一番語って欲しかった。

 

 

 

 四人分のアドバイスで話疲れたのか、一つ息を漏らしてから佐藤さんはこちらへ振り向いた。

言うことを言ってすっきりしたのか、さっきよりも澄んだ目をしているような気がする。

 

「……これでどうですか? 私の話、受けていただけますか?」

「いえ、結構です」

「あれぇ!?」

 

 率直に答えると、何故か佐藤さんは素っ頓狂な声を上げた。

 

「私結構語ったわよ!? アドバイスも! ガチじゃないとこんなに話せないでしょ!?」

「はい、辛辣でしたが貴重なお話をいただきました」

「ならどうして!?」

 

 まさか再び断られるなんて想像もしてなかったのか、佐藤さんは声を荒げている。

取り繕っていた敬語もキャラも投げ捨てていた。そんなに意外だったのか。

この感じだと行き違いがあったみたいだ。恐らく彼女は、僕が断った理由を勘違いしている。

 

「……一番難しいと感じたのが、能力ではなく信用の問題なので」

「えっ」

 

 あれでもちゃんと聴いていたんだなぁと感心はしたけれど、それだけだった。

音楽に関するものはともかく、人としての信用はまったく回復していない。

どうすれば上がるのかは僕にも分からないけれど、わざわざ考える義理も無い。

 

 聞くことは聞いたし、これ以上この人と関わっても時間を無駄にするだけだ。

さっさと帰ってもらおう。そして二度とスターリーの敷居を跨がないでもらおう。

そんな内心に出来るだけ蓋をして、佐藤さんを出口へ誘導しようとした。

 

「それではお帰りください。本日はありがとうございました」

「ちょ、ちょっと待って! 次、次のアポを」

 

 縋りつくように佐藤さんが僕へ絡んで来ようとする。本当に鬱陶しいな。

つい見下すように視線を下げてしまう。それが失敗だった。

彼女は(14歳)を自称するだけあって小柄だ。そんな人が近づいてくればどうなるか。

 

「こひゅっ」

 

 前髪も眼鏡も飛び越えて、僕と直接目が合う。すると当然気絶する。やってしまった。

これなら最初に問答無用で気絶させてた方が、心情はともかく問題は少なかったかもしれない。

床に転がる彼女を見て反省していると、頭に何かが乗せられた。星歌さんの手だ。

振り返るとなぜかガスマスクを着けた完全防護状態だった。あざとさにも効果あるのかな。

 

「すみません星歌さん。僕は結局」

「……事故だ事故、気にするな。ほら、呼吸はあるし」

 

 そう言ってもらえたけれど、じわじわと反省と自己嫌悪が湧いてくる。暴走してしまった。

この気持ちは後にして、まずはこの人をどうするか考えないと。まさか放置する訳にもいかない。

 

「星歌さん、これどうしましょう?」

「もえないゴミかなぁ……」

 

 

 

 後処理は私に任しとけ、口止めもしておくと宣言した星歌さんに僕達は追い出された。

そして予定していた打ち上げも中止して、力無く解散した。あれだけ言われれば無理もない。

僕はというと、何も言えずに皆を見送った。これもまた、僕が今日反省すべきことだ。

 

 帰り道、そんなこともあって僕は落ち込んでいた。深い深いため息が止まらない。

それに気づいたひとりがぎょっとした顔を、というか動きをしていた。

 

「す、凄いため息。お、お兄ちゃん、大丈夫?」

「……うん、ごめん、大丈夫だよ」

 

 ひとりの前で漏らしてしまうほど、自己嫌悪が抑えきれていない。

佐藤さんへ向けた言葉全てが、今僕を責めている。なんだあの偉そうで攻撃的な言動は。

他人を嫌うのはもうしょうがない。それで自然と態度が固くなるのも、まだ妥協できる。

それでもあんなに傷つけるような、悪意を込めた振る舞いはしちゃいけなかった。

一度大義名分を得ればこれか。自分の子供っぽさに失望を禁じ得ない。

 

 それに、ガチじゃないですよね、はいくらなんでもない。

今日の僕の失敗で、これが一番恥じるべきことだ。思い出すだけで顔が熱くなりそう。

何がちょうどいいだ。どう考えても意地の悪い意趣返しにしか思えない。

 

 彼女は信用出来ない。でもそれは、彼女の伝手全てが信用出来ないという意味じゃない。

僕に結束バンドの皆がいるように、彼女が紹介する中には信頼のおける人もいたかもしれない。

だから僕は皆のフォローと当たり障りのない対応をして、この機会を利用するべきだった。

子供の頃から何も成長していない。僕はまたひとりから、貴重なきっかけを奪ってしまった。

 

 しかも一番大事なギターヒーローについての口止めは、まったく出来ていなかった。

星歌さんがしてくれるそうだけど、それもどこまで通じるか。何から何までどうしようもない。

結局一番ガチじゃなかったのは僕だ。感情に流されて、やるべきことを何一つ出来なかった。

 

「……お兄ちゃん、私たちってガチじゃなかったのかな?」

 

 心中で今日のことを整理して、再び反省を積み上げていると、ひとりが小さく零した。

僕の反省も後悔も一度心の隅に置いておこう。こんなもの、後でまとめて処理すればいい。

一瞬考えて、正直に話すことにした。今のひとりなら最後まで聞いてくれるはずだ。

 

「そうだね。ガチって言うには、色々甘かったかもしれない」

「……」

「でもそれって悪いことなのかな?」

「……え?」

 

 僕の言葉が余程意外だったのか、ひとりは足を止めて顔を上げた。

さっきまで不安と悲しみに揺れていた瞳が、今はきょとんと丸くなっている。

 

「ガチで、本気でやるってことは、自分の全てを捧げることだと僕は思う」

「す、全て?」

「これは僕の基準だから、言い過ぎかもしれないけどね」

 

 重い重いと言われる僕の考えだ。一般的にはこの半分くらいでも十分のはず。

 

「そんな姿勢でいれば楽しいことだけじゃない。辛いこともたくさんある」

 

 何事にも入れ込むだけ反動がある。その分だけ、苦しむことだって増えていく。

 

「努力が報われないことだってきっと、ううん、絶対にある」

 

 報われない努力がどれだけ虚しいか、僕はよく知っているつもりだ。

どれだけ手を打っても、どれだけ頭を捻っても、ひとりに友達が出来なかったこと。

あの苦しみと無力感を知りながら、それを誰かに強要することなんて出来ない。

 

「ひとりも喜多さんも、バンドを始めてまだ半年でしょ?」

「うん、喜多ちゃんは楽器も半年」

「だからまだ、楽しいだけでもいいんじゃないかな、って考えてた」

 

 なんなら、ずっとそれだけでもいいとも思っている。音楽への向き合い方は人それぞれだ。

メジャーデビューを目指すことだけがバンドとしてのあり方じゃない。

音楽は窮屈なものじゃない、楽しんでやった方がいいと、かつて廣井さんが教えてくれた。

 

「ガチなほどいい、それだけが正しいだなんて思ってない。そんなのつまらないよ」

「……でも」

 

 僕を見上げるひとりの目には迷いが浮かんでいる。怯えも不安もある。

そして、それ以上の決意に満ちていた。成長したひとりならこうなるとも思っていた。

絞り出すような声で、それでもあらゆる気持ちを混ぜながらひとりは続けた。

 

「それでも、私は」

「大丈夫だよ。僕はいつだってひとりのことを応援してる。一緒にいるから」

「……ありがとう、お兄ちゃん」

 

 たとえどんな道を選んでも、僕はひとりの味方であり続ける。

そんな気持ちを込めてひとりの手を取って、そのまま途中まで繋いで帰った。

手に残る努力の感触が、僕とひとりの背中を押してくれているような気がした。

 

「じゃ、じゃあお兄ちゃん、明日も一緒にスターリー来て?」

「あっごめん、明日は用事あるから行けない」

「……えぇええええええええ!?!?」

「大きい声出せるようになったねー」

「あっえっ、い、一緒だって今言ったよ!? また嘘!?」

「またって、いや今そこはいいか。さっきのはほら、決意というか心意気というか」

 

 そうして歩き始めとは打って変わって、いつもより騒がしいくらいで僕達は帰り道を歩いた。




次回「新宿のチワワ」です。


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第三話「新宿のチワワ/私なりの反抗期」

感想評価、ここすきありがとうございます。

一話一ぼっちちゃんを遵守した結果長くなりました。


 結束バンドは今、バンドミーティングをしている頃だろうか。

気にはなる、なるけれど、僕はあくまで皆の友達兼ファンでしかない。

これ以上出しゃばればその領分を超える。そうすれば絶対悪い結果になる。

 

 だから今日の約束は、ある意味渡りに船だった。自然とスターリーから離れられた。

行けばなし崩し的にミーティングへ参加し、そのまま色々話して提案もしていたかもしれない。

僕は隙だらけな上に甘い。落ち込んだ皆に対して、毅然とした態度を取れる自信が無い。

 

「今日は誘ってくれてありがとうございます、廣井さん」

「急にどうしたの? まぁいいやーどういたしまして!」

 

 隣の廣井さんがいつものような、ふにゃふにゃと溶け切った笑みを浮かべた。

今日の約束、すなわち新宿FOLTへSIDEROSのライブを見に行くこと。

先週廣井さんから唐突に誘われたライブが、気まずい僕を助けてくれていた。

 

「でもお礼なら、大槻ちゃんに言った方がいいよ」

「チケットを用意してくれたのは大槻さんですから、もちろん伝えるつもりです」

 

 大槻ヨヨコさん。新宿FOLTで活躍するSIDEROSのギターボーカルの人。

縁あって、というか廣井さんに強引に連れられて、一度だけ食事をしたことがある。

加えて何故かその時に連絡先も交換した。しただけで、結局ほとんど連絡はしていない。

その程度の仲なのに、わざわざ僕を呼ぶなんてどうしたんだろう。

 

「あいつ一度もライブ見に来ないじゃない、ってキャンキャン言ってたよ~」

「誘ってもらえて嬉しいのは本当なんですけど、どうして大槻さんは僕を?」

「あー、私のせいかも」

 

 廣井さんは気まずそうにお酒を口にした。あんまり気まずさが伝わらない。

 

「ほら、君のギター。例のあれ」

「そんな濁さなくても大丈夫ですよ」

「あれあの子の前で褒めてたから、なんかライバル意識持っちゃったのかも」

 

 僕の感情、もっと言えば他人への身勝手な嫌悪が乗った演奏。

廣井さんが言うには、上手く調理すればいい音楽になるそうだ。実際何回も誘ってもらえた。

僕の都合もあってお断りしたけれど、大槻さんにはそんなこと関係ないだろう。

 

「そうは言っても僕は少し弾けるだけで、バンドマンでも何でもないですよ?」

「大槻ちゃん思い込み激しいからねぇ……」

「それはなんとなく分かります」

 

 初めて会った日も大槻さんは、廣井さんを背負う僕を女衒か何かだと勘違いしていた。

キノコ状態だったから誤解を招きやすい、とは言っても限度がある。半分くらいは彼女の責任だ。

だから今日会うのも少し心配なのだけれど、廣井さんはいつも以上にお気楽そうだった。

 

「だけどね、お姉さんの勘が言ってる。君と大槻ちゃんはきっと相性がいい!」

「……絡まれた記憶しかありませんが、廣井さんがそう言うなら」

「おにころもそう言ってる!」

「今信憑性が消えました」

「えー!? だっておにころだよー?」

「だっての中身が分かりません」

 

 お酒は喋らない。何か聞こえたとしたらそれは幻聴、ただの飲み過ぎだ。

僕の反論が余程気に食わなかったのか、廣井さんは口をとがらせてしまった。

 

「そんなつべこべ言ってないでさ、友達欲しいんでしょ? ならこういう時頑張らないと!」

「……それ言われると、ちょっと弱いです」

 

 文化祭ライブのあの日、僕は友達を作りたいと廣井さんと星歌さんに告げた。

今のところ成果はゼロだ。気絶のスコアだけはどんどん上がっている。今日は二人。

それなのに立ててもらったお膳を投げ捨てるのは、あまりにも道理にかなっていない。

 

「せめてライブが終わった後に挨拶させてください」

「もちろん! 大槻ちゃん以外が気絶したら大変だからねー!」

 

 

 

 そんな風に言われて、僕もほんの少しだけその気になっていたのだけれど。

 

「貴方、今更何しに来たの?」

 

 新宿FOLTの入口で僕を睨みつける大槻さんは、殺気を感じるくらいには鋭い目をしていた。

とてもじゃないけど歓迎ムードとは思えない。むしろこの間より反感が強い。

そして間髪入れずに僕を指差し、糾弾するように大きく声を上げた。

 

「見せびらかすように姐さんまで連れて、相変わらずいやらしいわね!」

 

 全部にツッコミを入れたい。それをぐっと我慢して、最初の疑問を口にした。

 

「今日はライブを見に来たんだけど。それに誘ってくれたのって大槻さんだよね?」

「は? 馬鹿にしてるの? 私たちのライブは一昨日!!」

「えっ? でも廣井さんが今日だって」

「えっ」

 

 空気が停止した。僕と彼女が同時に首を傾げ、また同時に廣井さんの方を向く。

その廣井さんは手に持ったくしゃくしゃのチケットを三度見してから、馬鹿笑いをしていた。

 

「あっほんとだー! あっはっはっはっはー、ごめんね~日にち読み間違えてた!」

「……気にしないで下さい。自分で確認しなかった僕が悪いです」

「そ、そうよ、この程度自分で確かめておきなさい! 小学生でも出来るわよ!!」

「あれ、なんか責められるより辛い」

 

 悲しそうにお酒を啜る廣井さんは置いといて、それならどうしようか。

今からスターリーに向かう訳にもいかないし、どこかで終わるまで時間を潰すのが一番かな。

これ以上ここにいても、きっと廣井さんからお酒臭さを移されるだけだ。

 

「それじゃ大槻さん、今日はお邪魔しました。僕はこの辺で」

「待ちなさい。貴方には聞きたいことが山ほどあるの」

 

 デジャヴだ。前回も同じような言葉で引き留められた覚えが。

 

「貴方ね、ロイン交換したのにまったく連絡してこないってどういうこと?」

「そう言われても、大槻さんと話すことなんて特に思い浮かばないし」

「はあ!? わ、私とは、話もしたくないってこと!?」

「そうじゃなくて。ロインで何話せばいいのか分からなくて」

「……紛らわしいこと言わない! 何話すかなんて、そんなの何でもいいでしょ?」

「そこまで言うなら、それこそ大槻さんから連絡くれればよかったんじゃ」

「なっ、よくそんな無茶ぶり出来るわね!?」

「えー」

 

 大槻さんが噛みついてくるのを僕が受け流す。そんなことをしばらくやっていた。

強い言葉で理不尽なことを言われている気がするのに、不思議と嫌な気持ちにはならない。

吉田さんに怒られるまで、廣井さんはそんな僕達をにっこり微笑みながら眺めていた。

 

 

 

 お店の前で騒いじゃ駄目、という真っ当なお叱りを受けた僕達は、そのまま店内へ移動した。

大槻さんはまだ何か言い足りなそうだったし、僕も時間と居場所に困っていたからだ。

角のテーブルを陣取ってほっと一息ついていると、吉田さんが飲み物を渡してくれた。

 

「はいリンゴジュース、お待ちどうさま」

「ありがとうございます。お代は」

「いっっっつも廣井が迷惑かけてるから、そんなのいらないわよ~」

「えっと、じゃあ吉田さん、お言葉に甘えていただきます」

「もう、この間も言ったでしょ、私のことは銀ちゃんって呼んでって」

「すみません。お姉さんをちゃん付けで呼ぶのって、なんだか照れてしまって」

「あら恥ずかしがり屋さん。でも男の子ってそういうものよね」

「そうだ! ならちゃん付けに慣れるために、私のことはきくりちゃんって呼んでみよー!」

「背筋が寒くなるので嫌です」

「あれー?」

「……あんた前から言おうと思ってたけど、高校生は犯罪よ」

「あれれー?」

 

 最後に廣井さんへよく分からない釘を刺してから、吉田さんは仕事へ戻っていった。

厚意でいただいたリンゴジュースを早速いただく。スターリーのとは違って甘さ控えめだ。

これはこれで美味しい。満足そうな僕へ、大槻さんは珍獣でも見るような目を向けていた。

 

「……貴方、妙に馴染んでない?」

「廣井さん送るのに何回か来てるから、それで自然と」

「その割に遭遇した覚えがないけど」

「不思議だよね。正直避けられてるんじゃって思ってた」

 

 実際結束バンドの皆と来た時は避けられた、というより全力で逃げられた。

それもあって他の人と同じように、結局大槻さんにも避けられていると思っていた。

 

「そんなことっ」

 

 つい漏らしてしまった本音を聞いて、大槻さんは机を叩きながら立ち上がる。

彼女も反射的に声を上げてしまったらしい。咳払いをしながら、恥ずかしそうに座り直した。

そしてほんのり赤い顔で僕を睨みながら、澄ました言葉で誤魔化した。

 

「私はそんな陰険なことしない。貴方がどうとか関係ないから、変な勘違いはしないように」

「ありがとう大槻さん」

「何が?」

 

 大袈裟に鼻を鳴らしながら、彼女はそっぽを向いた。星歌さんで慣れておいてよかった。

春頃の僕では、大槻さんの優しさなんてほとんど理解が及ばなかっただろう。

 

「……一応聞くけど、一番最近来たのはいつ?」

「確か先々週の金曜日、だったかな」

「確認するからちょっと待ちなさい」

 

 大槻さんは生真面目だった。取り出した携帯を素早く操作し、スケジュール帳を確認している。

 

「……その日はここでスタ練の予定だったけど、幽々がなんか騒いで場所を変えたのよね」

「あーあれ凄かったねー。半狂乱って感じだった」

「半狂乱って。具体的にはどんな感じでした?」

「えっとねー、すっごくお酒飲んだ時の私みたいな」

「怪獣じゃないですか」

「今日は私をいじめる日なの?」

 

 ぶーぶー言いながら、廣井さんは僕の膝を占領しようと這いずり始めた。ふて寝するらしい。

下手に反抗すると、膝の上で吐くぞ、と脅されるので放っておく。もう諦めた。

大槻さんも凄い目で睨んではくるけど止める気配はない。彼女も諦めていた。

 

「そういえばあの時あの子、魔王様が、魔王様がーとかなんとか言ってた」

「……」

「貴方確か、下北沢の魔王とかいうトンチキな呼ばれ方されてるのよね?」

「呼ばれてはいるけど。でも大槻さんのメンバーとは会ったことないよ」

「本当? この子のこと、見たことないの?」

 

 そう言って大槻さんが僕の眼前に突き出してきたのは、SIDEROSのアー写だった。

この中のゴテゴテした恰好、ゴスロリという服装の子が件の内田幽々さんらしい。

見ていて何か、記憶のどこかに引っかかる感触はある。でもそれ以上はなかった。

 

「……うーん」

「もしかして、本当に見覚えあるとか?」

「ある気はする。でもごめん、はっきりしない」

「あんなキャラ濃い子相手に? 嘘でしょ……?」

 

 誰であってもどうせ気絶するだけ。だから他人のことなんて覚える必要はない。

そんな考えをしていた時期もあった。今思えばあまりにも幼稚で傲慢だ。恐ろしく恥ずかしい。

だから内田さんとも、そんな恥知らずな頃に出会っていたのかもしれない。

 

「……この時ほどは騒いでないけど、幽々が怖がって予定を変更したことが最近何回かあった」

 

 この後大槻さんが教えてくれた日は、全て僕がここに来た日と一致していた。

そう告げると彼女は疑いで一杯の、とてもじっとりした目を僕へと向けて来た。

 

「やっぱり貴方、昔幽々と何かあったんじゃ」

「そう言われても、僕がトラウマになってる人なんて数えきれないし」

「えぇ……」

 

 例えば同級生なら一つや二つ、僕が原因のトラウマがあるはずだ。当然ドン引きされた。

犯人が言うのもなんだけど、彼らが勝手に怖がってるだけだから責任なんて取れない。

でも今回は話が別だ。何の関係も無い大槻さんに迷惑をかけてしまっている。

だから内田さんの事情を確認して、可能であれば何とかする義務が僕にはある。

ただ、これ以上考えても記憶が蘇る気配はない。こうなったら本人に聞くしかないか。

 

「それなら大槻さん、悪いけど電話して聞いてもらってもいいかな?」

「はあ!? 電話!?」

 

 声が大きい。

 

「じゃあメッセージか何かを」

「はあ!? メッセージ!?」

「何ならいいの?」

 

 もっと声が大きい。

 

「くっ、電話……着信拒否されたら立ち直れない……メッセージ、既読スルー……」

 

 ひとりみたいなことをブツブツ言いながら、大槻さんは項垂れた。これは駄目そうだ。

なら廣井さんはどうだろう。リーダーの大槻さんが尊敬してるし、一応新宿FOLTのエースだ。

連絡先くらいなら知っているかもしれない。膝の上でうたた寝している廣井さんへ問いかけた。

 

「廣井さんはその方の連絡先ご存じですか?」

「ちゃっきょー」

 

 廣井さんはもっと駄目だった。こうなるとどうするべきか。考えるまでも無かった。

 

「それじゃあ、SIDEROSの予定表とかあったら教えてくれないかな?」

「は? 何で?」

「僕が来るとその人が怖がって、大槻さんにも迷惑かけちゃうし」

「……」

「でも予定は未定だよね。いざという時に僕が来ると、その人が発狂して困っちゃうか」

「…………」

「そうだ、なるべくここにはもう来ないようにするから」

「………………あー、もう!!」

 

 しびれを切らしたかのように大槻さんが立ち上がり、また僕を指差し宣言した。

 

「今電話するから、ちょっと待ってなさい!!」

 

 さっきまでの葛藤が嘘みたいに、彼女は迷いなく携帯を操作し電話をかける。

そして一言二言会話したかと思えば、僕の眼前へ通話中の携帯を勢いよく突き出した。

 

「ん!」

「ありがとう、大槻さん」

 

 差し伸べてもらった優しさをなるべく丁寧に受け取る。そして耳に当てた。

 

「もしもし」

『あ、も、もしもし~』

 

 耳に届いた女の子の声は、間延びした口調に似合わない緊張に満ちていた。

震えからは恐怖も伝わる。聞き覚えはないけどこの感じ、本当に会ったことがあるかもしれない。

 

「突然の電話で失礼します。後藤一人と申します」

『ご、後藤一人。も、もしかしてそのお声とお名前、ま、まま魔王様であらせられますか~?』

「……はい。恥ずかしながら、横浜と下北沢でそう呼ばれています」

「えっ、貴方横浜でもそんな呼ばれ方してるの……?」

 

 むしろ本家本元だ。校内で収まっている下北沢と違って、横浜では市内全土に知れ渡っている。

 

「僕が貴方にご迷惑をおかけしていると聞きました。ですが心当たりが無くて」

『ひっ』

「申し訳ないのですが、よければ事情をお教えいただけますか」

『はひっ』

 

 もの凄く怯えられている。普段はこうなる前に気絶されるから、ある意味新鮮な反応だ。

なんて僕が反省もせず感心していると、思い切り後頭部を叩かれた。痛くは無いけどいい音だ。

振り返ると目を釣り上げた大槻さんが、ハリセン片手に憤っている。どこから持って来たの?

 

「貴方ね、何私のメンバー怖がらせてるの!?」

「そんなつもりは無かったけど」

「なくてもそんな無機質に問い詰められたら、誰だって怖くなるに決まってるでしょ!!」

 

 無機質な声。他人相手には感情を抑えて話しているから、そうなっている自覚はある。

ギターほどではないけれど、何も考えずに話せば色々と漏れ出てしまう可能性が高いからだ。

ただ、元々恐ろしい相手から無機質に詰められたら、それはそれで怖くもなる。怯えて当然か。

 

「えぇと、怖がらせてすみません内田さん。そういうつもりはなくて」

『……え』

「僕も緊張してたみたいで、つい声が固くなりました。ごめんなさい」

「ついで済むレベルじゃなかったけど」

「じゃあうっかりしてたから?」

「言い方の問題じゃ、いや言い方の問題なんだけど! 貴方本当に面倒ね!!」

「大槻さんにそれを言われると、僕にもちょっと思うところが」

「何それ!?」

 

 内田さんそっちのけで言い合いをしていると、くすくすと小さな笑い声が電話から届いた。

怯えも緊張も感じ取れない。どうやら今の大槻さんとのやり取りが効いたようだ。

 

『……魔王様、なんだか雰囲気変わられましたね~』

「そうでしょうか? 本当なら嬉しいです」

『…………はい、本当に』

 

 それから内田さんは、打って変わって落ち着いた様子で事情を語ってくれた。

 

『魔王様が近くにいると、ルシファーとベルフェゴールちゃんが平伏してしまって~』

 

 随分仰々しい名前だけど、ペットか何かだろうか。ライブハウスに連れてきてもいいのかな。

でも廣井さんが自由に行き来出来るのだから、今更何が入ってきても問題ないのかもしれない。

 

『でもこうしてお話し出来て、二人とも安心出来たみたいです~』

「二人?」

『先ほどお話しした、ルシファーとベルフェゴールちゃんです~』

 

 匹や頭じゃなくて人。もしかして家族とか友達とかだったのかな。それにしては名前が。

ご両親が熱心なサタニストなのかもしれない。何にせよ考えない、触れないようにしよう。

 

「それで内田さん、突然ですけど僕達って会ったことあるんでしょうか?」

『あら、忘れられてしまったんですね、悲しいです~』

「ごめんなさい、うっすら覚えはあるんですが」

 

 横の大槻さんにもの凄いジト目で睨まれた。彼女の予想通り、僕達は面識があったらしい。

それが分かっても相変わらず僕の記憶は蘇らない。ここまで来ると正直申し訳ない気分になる。

僕のそんな気持ちが伝わったのか、内田さんはフォローするように続けてくれた。

 

『実際お会いしたのは一度だけですから、当然かもしれませんね~』

「それでも内田さんが覚えているのに、なんだか申し訳ないです」

『いえいえ。魔王様は一度体験したら、二度と忘れられませんから~』

 

 体験って。そうは思ったけど反論出来なかった。

 

『確認ですけど魔王様は、SIDEROSのことはご存じでしょうか~?』

「はい、大槻さんがその関係で内田さんのことを教えてくれました」

『ヨヨコ先輩はSIDEROS以外に繋がりが無いから、そうだとは思ってました~』

「ちょ、ちょちょっと、どういう意味!?」

 

 大槻さんはぼっち。薄々感じていたこと、そして廣井さんが暴露していたことだ。

僕だって人のことは言えない。慰めも出来ない。ここは聞こえなかった振りをする。

 

『では今度ライブを見に来ていただいたついでに、お話出来ればな~と』

「一度見たいと思ってましたから、僕は大丈夫です。大槻さん、次のライブって」

「……次のはもう売り切れてるから、その次の方にしときなさい。当日買えなかったら困るでしょ」

 

 さっきスルーされたから不機嫌そうに、それでも親切に大槻さんは教えてくれた。

当日券を買うとなると、確実に人混みへ飛び込むことになる。すると誰かが犠牲になるだろう。

ここは大槻さんのアドバイス通り、次々回のライブにした方が無難だ。

 

「じゃあさ~、クリスマスにうち来なよ!」

「廣井さん、起きてたんですか?」

「今起きた!」

 

 なお、目は覚めたけど体は起こしていない。僕の膝に頭を乗せたままだ。

 

「私たちクリスマスにライブやるんだけど、その時大槻ちゃん達にゲストやってもらうんだ」

「姐さん、せっかく私たちの音を聴かせるんだから、ワンマンの時の方が」

「よく分かんないけど、終わった後なんか話すんでしょ? ワンマンの後そんな体力残ってる?」

「うっ」

 

 痛いところを突かれた、とでも言うように大槻さんが息を呑んだ。

廣井さんの言う通り、疲れ切った身体で僕のような刺激物と接するのは大きな負担になる。

内田さんも電話はともかく、実際に顔を合わせても大丈夫かどうか、まだ判断が付かない。

だからいい機会、なんだけど日にちが問題だ。クリスマスの夜は予定がもう入っている。

 

「クリスマスか……」

「なに、まさか予定あるとか言うつもり? いやらしいわね」

「前から薄々思ってたけど、大槻さんってむっつりだよね」

「は、はあ!? はあああ!?!? はああああああああ!?!?!!?」

『もしかして魔王様、もうご予定あるんですか~?』

「家で妹のためにサンタ役やるので、あんまり遅くなるとちょっと厳しいです」

「大丈夫大丈夫! 大槻ちゃんたちもいるからそこまで遅くならないよ!」

 

 なら、まあ大丈夫かな。最悪の場合、翌朝までにプレゼントを枕元に置ければいい。

それに考えてみれば、ひとりだってクリスマスは結束バンドの活動があるかもしれない。

そうなると、家のクリスマスパーティー自体をずらしてもらうのが一番無難だ。

今日帰ったら父さんと母さんに相談して、その後ふたりにも許しを乞いておかないと。

日取りが固まりつつある中、荒れ狂っていたのに放置されていた大槻さんがぽつりと言った。

 

「というか別に、ライブ関係なく会ってもいいんじゃないの?」

『いえ、その~、私にも気持ちの準備が必要なので~』

「どんだけトラウマになってたの……?」

 

 ここでも僕は何も言えないから、そこには触れず約束の確認をした。

 

「分かりました、ではクリスマスに。……あの、もう僕が行っても平気ですか?」

『はい、もう大丈夫です~。今の魔王様は、昔よりずっと怖くないので~』

 

 その会話を最後に通話が終わった。想像よりもずっと和やかにお話し出来た。

予想外の達成感に包まれながら、僕は大槻さんへお礼と携帯を返した。

 

「ありがとう大槻さん、おかげで内田さんともちゃんと話せた」

「……あの子と約束もしたし、来月はちゃんと来るんでしょうね?」

「もちろん。今度は絶対に行きます」

「ふんっ、ならクリスマスまで、首洗って待ってなさい!」

「わぁ大槻ちゃんいいドヤ顔だー。この子来てくれるのそんなに嬉しい?」

「き、気のせいです!」

「そこまで歓迎してもらえると僕も嬉しいな。凄く楽しみになってきた」

「だから気のせいって言ってるでしょ!? 調子に乗らないで!!」

 

 大槻さんと話すのは今日が二回目だ。過ごした時間だって片手で数えられるほど。

それなのにどうしてか、肩の力を抜いて自然と話すことが出来ている。

廣井さんが言っていた相性がいいって言葉も、今なら信じられるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 あのライブから、あの記者の人が来てから一日経って、私は決意を胸にスターリーを訪れた。

その決意とは、この間お兄ちゃんが言っていた未確認ライオットに出場すること。

そこでグランプリを取って、結束バンドの、皆の力を証明すること。

 

 私なんかがこんな提案していいのか、皆が受け入れてくれるのか、バンドが嫌になってないか。

勇気を振り絞るまで、たくさんの不安があった。それでもなんとかフライヤーを取り出せた。

そして幸いなことに、皆も私と同じように未確認ライオットに出場しようって思っていたみたい。

 

 こうして決意を分かち合った私たちは、これからに向けてのバンドミーティングを開始した。

 

「じゃあまずは、未確認ライオットについて皆で確認しよう!」

 

 あっ、こ、これは、昨日お兄ちゃんが言ってた流れの通りだ!

急いで鞄の中から、昨晩お兄ちゃんが作ってくれたカンペを取り出す。今日の会議用だ。

そのまま三ページ目、未確認ライオットの審査についての欄を読み上げた。

 

「あっ、『審査は四段階に分けて行われます。初めに三月〆切のデモ審査』」

「ど、どうしたの、ひとりちゃん?」

 

 急に話し始めた私に、喜多ちゃんがあっけに取られている。

何か返したい。でも読みながら反応するなんて器用なこと、私には出来ない。

もう必要ないかもしれないけれど、ここはたくさん読んで、私のやる気を皆に見せないと。

 

「『その次にネット投票、三段階目が対バンライブ。そして最終審査がフェス形式です』」

「……よく調べてるね、ぼっち」

 

 なんとかつっかえずに読んでいるとリョウ先輩から褒めてもらえた。顔がにやけてしまう。

私が褒められて嬉しいし、お兄ちゃんの努力も認められて嬉しい。二重にいい気分だ。

よし、この調子のままどんどん読み進めて、どんどん皆から褒めてもらおう!!

 

「あっ『どれも求められる力は異なりますが、まずはデモ審査を乗り切るために、バンドとしての基礎を固めていくのをお勧めします。そのためにも、練習及びライブの回数を増やすべきでしょう。ライブについては場慣れや知名度の確保、お金の関係から路上ライブもした方がいいと思います。場所によって許可証が必要なところや、暗黙の了解で見過ごしてもらえるところもあるそうなので、事前に確認しておくと無難です。おすすめの場所をいくつかピックアップしておきました。よければ参考にしてください。十二ページに記載してあります。また、ネット投票を見据えて、加えて客観的な実力を測るためにも演奏を動画化し、どこかへ投稿するのもいいかもしれません。ライブの動画データや使用許可については、星歌さんに確認してください。お願いすればどちらもいただけるはずです。なお、星歌さんが好意でスターリーでのライブを何度もやらせてくれる可能性もありますが、なるべく遠慮した方がいいでしょう。以前ひとりが言っていたように』」

「ちょ、ちょちょいちょい、ちょっと待って? ぼっちちゃん一旦落ち着いて?」

 

 褒められて調子に乗って、勢いのまま読んでいると虹夏ちゃんに止められてしまった。

はっとして顔を上げると、さっきとは違ってなんだか皆から距離を感じる。

も、もしかしてやり過ぎた? 急に読み過ぎて飛ばし過ぎた? な、何が悪かったのかな。

 

「えっ何今の? なんか急に凄い情報量叩き込まれたけど」

「あっ、昨日調べて暗記してきました」

「じゃあそれ何?」

「お、お守り? です?」

「すぐばれる嘘を吐かない」

「ご、ごめんなさい」

 

 に、虹夏ちゃんに叱られてしまった。しかもなんとなくお兄ちゃんっぽい言い方だ。

ま、まさか私へのお説教マニュアルとか、配ったりしてないよね? 可能性があるのが怖い!

駄目だ、考えても不安になるだけ。気がつかなかったことにしよう。そんなものは無いんだ。

とりあえず、皆が興味津々に見ているこのカンペの説明をしよう。

 

「あっ、お、お兄ちゃんが昨日作ってくれた、今日のカンペです」

「後藤くんが……」

 

 数時間で作ったものだからあまり当てにはしないでね、とは言ってた。

それでも私が空で何か話すよりずっと参考になるはず。私は今日、自分の言葉で話しません!

私の暗い決意とは反対に、虹夏ちゃんはいいことを思いついた、みたいな顔で話始めた。

 

「……前からちょっと考えてたんだけど、後藤くんマネージャーとかやってくれないかなぁ」

「あ、いいですね! 元々一緒にいることも多いですし、色々手伝ってもらってますし!」

「いるだけでボディーガードにもなる」

 

 お兄ちゃんをマネージャーにしよう、と皆盛り上がってるけど、私はそれどころじゃない。

このことについては特に言われてた。えっと、マネージャーについては、確か十七ページに。

 

「『申し訳ないのですが、それは出来ません』」

「へ?」

「あっ、か、カンペにそう書かれてて」

 

 きょとんとする皆から目を逸らすため、私はカンペに意識を集中させた。

 

「『結論から言うと、結束バンドが崩壊する可能性が高いからです。僕は』」

「……ぼっち?」

 

 変なところで言葉を止めたせいで、リョウ先輩が不思議そうな声を出した。

でもまた私はそれどころじゃない。お、お兄ちゃんはこれ私が読むってこと知ってるよね?

なのになんでこんなこと書いてるの? あぁぁあぁあ゛あ゛、こんなの皆の前で読みたくない!

読みたくないけど、皆の待つ目には逆らえない!! お腹痛い!!! 

 

「あっぼ、『僕は皆様のことが好きですが、ひとりのことはもっと大好きだからです』」

「なんであの人急にのろけてるんですか?」

 

 喜多ちゃんの白い眼と声が突き刺さる。心を無、心を無にする。私は機械。

ただこのカンペを読み上げるだけの機械。だから何も感じずただ読み進めるだけ。

 

「『皆様も既にご存じでしょうが、僕は過干渉で過保護な人間です。幸いにしてひとりの生態とは相性が良く、これまでは問題なくやってこれました。しかし、マネージャーという立場を得た僕は、それを皆様へも向けてしまうかもしれません』」

「そんな、過干渉って言われても、先輩になら別に」

「『過干渉についてですが、喜多さんにはSNSの頻度を下げてもらおうとするでしょう』」

「……あんまり先輩に頼り過ぎるのもよくないですよね!」

「喜多ちゃん?」

「『リョウさんには家計簿をつけてもらいます。その他については、枠が無いので割愛します』」

「……陛下にはいつも迷惑かけてるから、これ以上はね」

「山田?」

「『虹夏さんには特にありません。最近寒くなってきたので、体には気をつけてください』」

「…………なんとなく悔しいのは分かるけど、私のこと睨まないでくれない?」

 

 微妙な空気になってしまった。こ、この空気の中続きを読むの?

しかも、また読みたくない、読みにくいことが書かれてる。でも読む以外選択肢が無い。

こんなことなら、スターリーに持ってくる前にもっとちゃんと確認しておけばよかった。

 

「あっ『それだけならまだしも、先ほど述べたように僕はひとりを一番大切に思っています。そして僕は感情的な人間です。意識無意識問わず、恐らくひとりびいきの判断を下してしまうはずです。そんな歪な行動指針の持ち主がマネージャーでは、いつか取り返しのつかない事態を起こすでしょう』」

「それじゃあ、今までみたいなお願いとかもしない方がいいのかなぁ」

「あっ『マネージャーは出来ませんが、僕に手伝えることがあれば何でも言ってください』」

「……なんでもとか言うならさ、別にマネージャー引き受けてくれてもよくない?」

「えっと『やることは変わらないかもしれませんが、大義名分の有無が大きく違います』」

「むぅ、反応予想されてるのがなんかムカつく……」

 

 カンペをそのまま読み上げていると、虹夏ちゃんが膨れて頬杖をついた。

わ、私の言葉で、いやお兄ちゃんの言葉なんだけど、こんな反応をさせてしまった。

しかもなんだか、空気がさっきよりも重くどんよりとしたものに変わりつつあった。

 

「というか昨日、先輩私たちのことはフォローしてくれませんでしたよね……」

「あぁそっかぁ。じゃあこれ体のいいお断りなのかな……」

「…………はぁ」

 

 ど、どど、どうしよう!? お兄ちゃんが結束バンドを見捨てるなんてことはありえない。

私にとって結束バンドはもう体の一部、いや半身、いやもう人生そのものと言ってもいい。

だからお兄ちゃんはこれからもずっと、結束バンドとだって一緒にいるはず。

だけど私じゃそんなこと上手く説明出来ない。出来るお兄ちゃんもこの場にはいない。

こ、こうなったらもう、何か一発芸で空気を換えるしかない!

 

「さっきから聞いてりゃ随分女々しいな。お前らそれでもロッカーか?」

「……お姉ちゃん重い。どっか行って」

 

 私がギターケースを開く間に、店長さんが虹夏ちゃんにのしかかるようにしていた。

虹夏ちゃんの抗議なんてものともせず、それどころか呆れを隠さずため息まで吐いている。

 

「あのなぁ、そもそもマネージャーになってください、なんて頭下げるのがおかしいんだよ」

「お願いするんだから、何もおかしくないでしょ」

「おかしいよ。逆だ逆」

 

 そう言ってから挑発的な笑みを浮かべて、私たち全員の顔を見渡した。

 

「バンドマンならファンに、マネージャーやらせてくださいって頭下げさせるくらいじゃないと」

「!」

「あんなチョロい馬鹿相手に無理なら、それこそメジャーデビューなんて夢のまた夢だろ?」

「……うっさい! 言われなくても分かってるよ!!」

「おーこわ。急に元気になりやがって」

 

 そうして乱暴にあしらわれたのに、店長さんは不思議なことにどこか嬉しそうだった。

どうしてだろう、なんて考える間もなく虹夏ちゃんが私たちの顔を見回す。

さっきまでと違って、明るくて優しくて強い光が、私の好きな虹夏ちゃんの輝きが戻っていた。

 

「……皆、もう一個だけ目標増やしてもいいかな?」

「もちろんです!」

「ぼっちちゃんも、リョウもいい?」

「あっはい!」

「……しょうがない」

 

 私たち全員の同意を受けて、虹夏ちゃんがよし、と大きく声をあげる。

そしていつもバンドミーティングで使っているスケッチブックへ、乱暴にペンを走らせた。

その勢いのまま滑らせて、書き終わったそれをまた勢いよく机へ立てた。

 

「じゃあ今後の結束バンドの目標は、未確認ライオットで優勝すること! そして」

 

 そこで一度言葉を区切り、虹夏ちゃんはちょっと悪そうな笑みを浮かべた。

 

「後藤くんにマネージャーやらせてくださいって、自分からお願いさせること!!」

 

 もう一度私たちを見渡す虹夏ちゃんに合わせて、私も皆のことを見る。

虹夏ちゃんだけじゃない。喜多ちゃんも、あのリョウ先輩でさえ口角を上げている。

びっくりして固まってしまった私の肩を、喜多ちゃんが楽しそうにつついてくる。

 

「ひとりちゃん、悪ーい顔してるわよ?」

「えっあっ、わ、私もですか?」

 

 言われて、触って、それでやっと私も同じような顔をしていることが分かった。

考えてみると、お兄ちゃんの決心に真っ向から反抗して覆そうなんて初めてのことだ。

気づいた途端に胸がざわめいて落ち着かない。ドキドキして、ワクワクしてきてしまう。

お兄ちゃんなりの気遣いを、考えを無にしてしまうのに、それがなんだか楽しみだ。

この気持ちが、この胸の高鳴りが、私なりの反抗期なのかもしれない。ふいにそう思った。

 

「よーし、これから忙しくなるよ、頑張っていこう!!」

「おー!!」

「お、おー!」

「……おー」

 

 こうして私たちは決意も新たに、未確認ライオットへ向けて活動を開始した。

 

 

 

「それはそれとしてこのカンペは使おう」

「せっかく用意していただいたのに、もったいないですからね!」

「ていうか分厚いなこれ。何ページあるの?」

「あっ一夜漬けだから三十ページしか用意できなかったって」

「十分多いよ」




次回「妹の知らない友達」です。


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第四話「妹の知らない友達」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 時が流れるのは早いもので、気が付けばあの日からもう一か月以上が経っていた。

僕が大槻さんとじゃれている間に、皆は未確認ライオットへ応募する決心をしたらしい。

その証拠にここ一か月はこれまでとは比べ物にならないほど、練習の密度も熱も増えていた。

 

 その良し悪しを語る資格を僕は持っていない。正しくは得る権利を投げ捨てた。

そのこともあってしばらくの間、僕は大きな恐れを抱きながら日々を過ごしていた。

だけどそれも僕の杞憂だった。あんな態度を取った僕にも、皆は普段通りに接してくれた。

ただあれ以来、時々妙に悪そうな笑みで見てくるのが気にはなる。でも聞かないようにしている。

悪戯か何かを計画しているのかもしれない。それくらいは甘んじて受け止めよう。

 

 

 

 例によって今日はスターリーでの月一ライブ、その十二月版だ。

たった一月とはいえ、これまでの努力が問われる大事なライブ。見るだけの僕にも緊張感がある。

あるというか、さっきまでは確かにあった。今は変な脱力感に飲まれつつある。その原因は。

 

「あっ零号君聞いて聞いて! この子ね、結束バンドのファンなんだって!」

「つっきーちゃんって言うんだよ~!」

「あっ、え、その」

 

 今日も来てくれた一号さんと二号さんは、見慣れない大人しそうな女の子と一緒にいた。

その子はマフラーへ埋めるように顔を伏せ、その上眼鏡までしてるから顔が分かりにくい。

分かりにくいけど、どう見ても大槻さんだ。予想外の来客で少し対応に困ってしまう。

どうしたものかと悩む僕を置き去りに、二号さんは興奮気味に話を続けていた。

 

「あのね、知り合いから結束バンドのこと聞いて、居ても立っても居られなくなったんだって!」

「いやーいざこうしてファンが増えてみると、自分のことみたいに嬉しいね!」

「あっちが」

 

 どこまでも舞い上がっていく二人のテンションに、大槻さんはただ戸惑っていた。

彼女が今日スターリーに来た理由について、なんとなくだけど僕は察している。

それを考えると、結束バンドのファン扱いなんて心外のはず。怒ってもおかしくない。

にもかかわらずこうして困ってしまうあたり、大槻さんも大概人がよかった。

 

「……つっきーちゃん、私服は大人しいのが趣味なんだね」

 

 そういうところを見てしまうと、僕も大槻さんのことを放っておけなくなる。

せめてもの助けとして声をかけると、彼女の顔がぱあっと明るくなった。

と思ったらいつものように腕を組んで、明後日の方向を睨み始めた。やっぱり大槻さんだ。

 

「いつもの格好いい服も似合ってるけど、今日のは優しい雰囲気があっていいね」

「よ、余計なお世話だから黙ってて! あとつっきーちゃんはやめなさい!!」

「自分から名乗ったのに」

 

 いつものように吠え始めた大槻さんを、これまたいつものように僕は宥めようとする。

その光景を前に一号さんと二号さんは揃って目を丸くして、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。

 

「えっ零号君知り合いなの?」

「はい、大槻ヨヨコさんと言って新宿の」

 

 そこで思い切り袖、というより腕を思い切り引かれた。力加減がまったく無い。

この手の行動に慣れてないらしい。逆らわずに腰を落として、大槻さんの元へ耳を寄せる。

 

「ちょっと! 見て分からないの、今日はお忍びなの!」

「……それでその格好? じゃあSIDEROSのこととかは内緒にした方がいい?」

 

 無言でこくこくと、勢いよく頷かれた。ならどう紹介すればいいのかな。

 

「えっと、新宿の方で、廣井さんを通して知り合った人で」

「へー、零号君そんなお友達いたんだ」

「友達というか」

 

 僕と大槻さんって、そこまで仲良くなれたのかな。大槻さんはどう思ってるんだろう。

彼女の様子を窺うと、勝ち気な瞳の奥に微かな期待の色が見て取れる。いや、なんの期待?

目を合わせながら言葉に詰まった僕達を見て、一号さんがにやにやとした笑みを浮かべた。

 

「えー、じゃあもしかして彼女とかー?」

「ぶーっ!?」

「違います。この間も似たようなこと言ってましたけど、そういうの好きなんですか?」

「もちろん! そういうの嫌いな女の子はいませんよ~」

「ひとりは」

「ひとりちゃんは例外!!」

 

 ぴしゃりと二号さんに切り捨てられてしまった。一号さんは辟易としていた。

触れてはならない気配がする。最近多いな。これも水に流してどこかへ捨てておく。

 

「どうなのどうなの~?」

「さっきも言いましたけど、そういう関係ではありません」

「じゃあやっぱり友達?」

「えっと、恥ずかしい話どこからが友達なのか、未だによく分かってなくて」

「ふむふむ、じゃあ私たちは?」

「……ファン仲間?」

「えー、友達じゃないの? 私たち大学で、高校生の男の子と友達になったーって話してるよ?」

「そんなつもりなかったけど、あの時はマウント取れて凄く気持ち良かったよね……!」

「誤解されるからそういうことは言わない。あっ写真とかは見せてないから心配しないでね?」

「はあ」

 

 失礼だけど気の無い返事をしてしまった。マウント、僕で、よく分からない。

 

「僕と友達だとマウントが取れるんですか?」

「えっと、結果的になったってだけで、それは全然目的じゃないからね、本当」

「そこは疑ってません。ただ、どこでそうなるのかが分からなくて」

「あー、そういう」

「ひとりちゃんのお兄ちゃんって感じするねー。どう説明すればいいのかなぁ」

 

 疑問のままに聞いてみると、二人とも悩み始めてしまった。ちょっと申し訳ない気分になる。

だから自分で問題を解消するために、蚊帳の外だった大槻さんにも同じ質問をしてみた。

 

「大槻さんは分かる?」

「分かるけど癪だから教えない」

「じゃあヒントください」

「じゃあってなによ、じゃあって」

 

 まったく、とため息と言葉を吐きながらも、大槻さんは顎に手をあて顔を伏せる。

ヒントを考えてくれている。十秒ほど経った後、彼女は焦りきった表情で指を立てた。

あんまりいいものが思い浮かばなかったらしい。そんな真剣に考えなくてもいいのに。

 

「…………し、思春期に入ると、気になり始めるものって、なーんだ?」

「パス」

「パス!?」

 

 ここまでの話や大槻さんのヒントからすると、おそらく異性か何かの話の可能性が高い。

だとすると未だ僕には早い問題だ。たとえ考え込んでも、理解も納得もきっと出来ないだろう。

だからそこで疑問は打ち切って、大槻さんへお礼を告げた後一号さん二号さんに向き直った。

 

「友達だと言っていただけるのは嬉しいです。これからもよろしくお願いします」

「固いなぁ。でもそこもいいところだからなぁ」

「うんうん。それじゃあ改めて、つっきーちゃんとはどういう関係なの?」

 

 一周回って最初の質問に帰って来た。僕が彼女とどういう関係なのか。

嘘を吐いても見栄を張ってもしょうがない。現状と正直な気持ちをありのままに語ろう。

 

「……大槻さんは友達でもありません」

「うっ」

「ありませんけど、今一番友達になりたい人です」

「おーっ!?」

 

 僕の言葉に、一号さんと二号さんがそろって黄色い声を上げた。

多分二人が期待しているような言葉じゃなかったと思うけど、どこが琴線に触れたんだろう。

言われた大槻さんと言えば、あちこち目線を彷徨わせていて落ち着きがなかった。

そして一通り店内を見渡して指をもじもじと合わせた後、横髪を弄りながら口を開いた。

 

「ま、まあしょうがないわね。貴方が、まあ、その、どうしてもって言うなら」

「じゃあいいです」

「ちょっと!? 今一番とか言ってたじゃない!!」

「ごめんね、さっきのは冗談だから」

「どっちが!? ……まあ今なら? ちゃんと言えば、と、友達になってあげなくもないけど?」

「じゃあどうしても」

「何その言い方、誠意が感じられないから嫌! もっとちゃんと言い直しなさい!!」

「どうしてもなりたいです。どうかよろしくお願いします」

「………………………………ふんっ、そこまで言うならまあ、しょうがないからなってあげる!」

 

 無事友達になれた。なってもらえたけれど、ついそこで本音を僕は漏らしてしまった。

 

「……やっぱり大槻さんって、僕と同じくらい面倒くさい人だよね」

「!?」

「零号君が見たことないくらい生き生きしてる……!」

「ライバル出現だって教えてあげないと!」

 

 そういう感じで、ライブが始まるまで今日も大槻さんと遊んでいた。

 

 

 

 今回のライブは特に何事もなく終了した。落ち着いて聴けたのは二回目だ。

その一回目の先々月から先月、それから今日のライブ。同じ一か月でも皆の成長は段違いだった。

やっぱり明確な、そして高い目標があると、それだけやる気やモチベーションも上がっていく。

そう考えると、佐藤さんの来店はある意味いい発破になった。二度と会いたくないけど。

 

 一号さんと二号さんも、レベルの上がった結束バンドのライブに大満足のようだった。

でも大槻さんだけはライブ中も、ライブが終わった後も眉をひそめて難しい顔をしている。

ずっとこんな顔をしていればボロが出て、一号さんと二号さんへ何か失言をしてしまいそうだ。

 

「大槻さん、ちょっと来てもらってもいいかな?」

「急に何? あの二人には聞かせられない話?」

「そんなところ。一つ聞きたいことがあって」

 

 それで彼女達を傷つけてしまうのは、大槻さんだってきっと不本意なはず、

なので結束バンドの出番が終わって機材入替の時間、大槻さんを連れて二人から離れた。

ついでに確認したいこともあったからちょうどいい。今のうちに聞いておこう。

 

「大槻さんは結束バンドのこと、SICKHACKの前座として認められそう?」

「……バーターのこと、知ってたのね」

「虹夏さんが、えっと結束バンドのドラマーの人が、今日教えてくれたから」

 

 今日、学校からスターリーへ向かう道中のことだ。

突然廣井さんから、クリスマスライブにゲスト出演して欲しい、との依頼が虹夏さんへ届いた。

大きな会場とそれを埋め尽くす観客。経験を積みたい結束バンドにとっては願ってもない話だ。

ただ大槻さんからすれば当然面白くない。苛立ちや反感を持ってもおかしくない。

だから結束バンドがゲストに見合うかどうか、それを判断しに今日は来たんだろう。

 

「……そうね、前見た動画の演奏よりはまあ、いくらかマシだったけど」

「はっきり言っても大丈夫だよ。大槻さんが言うなら、悪口とかそういう風には思わないから」

「別に、そんな心配してない」

 

 それから何度か咳払いして口を開いた大槻さんは、いくらか躊躇っているように見えた。

 

「全然足りない」

 

 それでもきっぱりと断言した。

 

「さっきも言ったけど、動画で見た演奏よりずっとよくなってた。一か月でよくここまで、とも思った」

「うん、僕もそう思った」

「でもまだ姐さんたちとは、ううん、私たちとやるのにも、まだ全然足りない」

 

 その口ぶりには自分達の実力への自負と、ほんの少しだけ情けが感じられた。

これならもっと踏み込んでもいいかもしれない。僕は大槻さんの優しさを当てにした。

 

「足りないところ、具体的に聞いてもいい?」

「……長くなると思うけど」

「僕は大丈夫。大槻さんさえよければ教えて欲しいな」

「じゃあ、まずはリードギターから」

 

 大槻さんが口を開くのと同時に、僕は携帯のメモ帳アプリを起動させた。

 

 宣言通り、それから長い間大槻さんは結束バンドの改善点について語ってくれた。

どれくらいかと言えば、機材入替が終わり、次のバンドの出番が終わった後もまだ話している。

これだけ長く長く続くと、僕としても気になることが出来てしまう。

 

「それでボーカルも声はいいけど迷いがあって。……はっ」

 

 その思いが伝わったのか、指を立てて喋り続けていた大槻さんの動きが急に止まった。

錆びついた音を立てながら僕の方を向こうとして止まる。視線だけはちらちらと向けている。

ちょうどいいタイミングだ。彼女が止まらなければ、僕から言おうと思っていた。

 

「大槻さん」

「な、なに? 言っとくけど、教えてって言い出したのは貴方の方だから」

「たくさんお話ししてもらったし、喉乾かない? よければ何か貰ってくるよ」

 

 僕の気になったこと。何も飲まずにこんな話してもらって、大槻さんの喉が痛まないかどうか。

まだ生で聴いたことはないけれど、動画や配信で確認した限り彼女は素晴らしいボーカリストだ。

僕から聞いたこととはいえ、結束バンドへのアドバイスのため彼女へ負担をかけるのは心苦しい。

僕の問いかけに何故かしどろもどろになりながら、大槻さんはゆっくりと頷いた。

 

「え、えぇ、じゃあ、お願い」

「ちょっと待っててね。あっ何か苦手なものとかある?」

「ない、けど」

 

 なら適当に、炭酸以外のものをもらってこよう。

 

 

 

「お待たせ。甘いのと甘くないのどっちがいい?」

「……なら甘いの。あ、お金は」

「大丈夫。星歌さん、ここの店長さんが今日は奢ってやるって言ってくれたから」

 

 飲み物を貰いに行く途中、あいつ誰だ、と訝し気な星歌さんに話しかけられた。

大槻さんの素性は言えないから、友達です、とだけ返すと飛び上がるほど驚かれた。

その後は一転上機嫌になって、お祝いに飲み物を奢ってくれた。星歌さんは今日も優しい。

 

 残った甘くない方、ウーロン茶を飲んでいると、また大槻さんがちらちらしていた。

当然気になるから視線を返すと、勢いよくそっぽを向いてジュースを飲み始める。

そんな勢いだからすぐに無くなる。それで手持ち無沙汰になったのか、今度は手慰みを始めた。

そうしてしばらく時間をかけてから、おずおずと話しかけてきた。なんとなく小さな子のようだった。

 

「……怒らないの?」

「何が?」

「何とも思ってないなら、別にそれでもいい」

「何ともは思ってるよ。たくさんアドバイスしてくれてありがとう、大槻さん」

「……………………ふんっ」

 

 大槻さんはいつものように腕を組み、同時に鼻を鳴らして斜め上を見る。

よく見る動作のはずなのに、どこか喜びと安心が伝わってくるような気がした。

 

 

 

 その後全てのライブが終わり、観客が帰っていくのを見て大槻さんが腰を上げた。

 

「いい加減そろそろ帰るから。あんまり長居するとバレそうだし」

「一号さんと二号さんに挨拶しなくてもいいの? 二人とも仲良くしたそうだったけど」

「……うっ、う゛ぅぅうう、きょ、今日のところは帰る。その、よろしく言っておいて」

 

 断腸の思い、というものを初めて見たかもしれない。それくらい唸っている。

頼まれてしまったけれど、二人ともこっちに駆け寄って来ているからもう手遅れだ。

 

「あーいたいた、二人とも探したんだよー?」

「ひゃぁ!?」

「わぁ凄い反応。つっきーちゃん驚かせてごめんね」

「い、いえ、大丈夫……」

 

 大槻さんは胸に手をあて、息を切らしながらなんとか答えていた。

断腸の上に飛び上がるほどの驚きだから無理もない。用件は僕が引き受けよう。

 

「それで二号さん、どうかしたんですか?」

「どーもこーもないよ! せっかくだからつっきーちゃんのこと、皆にも紹介しようと思って!」

「えっちょ」

 

 救いを求める目で見られてしまった。誤魔化しを求められている。

嘘と誤魔化しの下手な僕だけど、それが分かってからもう数か月が経った。

さすがにそれだけあれば、改善は出来なくても対策くらいは立てられる。それを実践した。

 

「……大槻さん、この後の予定は大丈夫?」

「!」

 

 対策、問いかけにして代わりに答えてもらうこと。

これなら嘘も誤魔化しもない。他力本願だけど、僕が話すよりはよほどいい。

その証拠に一号さんも二号さんも、疑いのない目を僕と大槻さんに向けていた。

 

「予定? もしかして何かあるの?」

「えっ、えぇ、その、と、友達と会う約束してて。しかも今すぐ行かないと間に合わなくて」

「そっかぁ残念。でも約束ならしょうがないよね」

「むしろそんな忙しいのに来てくれて感謝、って感じだね!」

「い、いえ、別に」

 

 納得どころか残念そうに、その上感謝まで示す二人に大槻さんはまた胸を抑えていた。

今度は罪悪感だ。僕も実は覚えている。だけど本当のことを言う訳にもいかない。

親し気に手を振ってくれる二人を背に、僕と大槻さんは出口まで歩いて行った。

 

「で、なんで貴方はついてくる訳?」

「せめて出口までは見送ろうかなって」

「……まあ、好きにしたら?」

 

 大槻さんは僕の方を向きながらそっぽを向くという、変に器用なことをしていた。

つまり彼女は前をまったく見ていなくて、目の前で開いた扉に反応も出来なかった。

 

「あ痛ぁっ!?」

 

 ぶつかり転げ落ちそうになる大槻さんをキャッチする。見送ろうとしててよかった。

それにしても、こうして抱えてみると彼女もかなり細くて小さい、そして軽い。

楽器も歌も体力仕事なのに、僕の周りは皆こんな感じだ。もっと食べた方がいいと思う。

 

「いたた、あれ、私倒れてない……?」

「大丈夫? どこか捻ったりしてない?」

「え、えぇ、大丈夫。そっか、貴方が。あり、あっ、え」

 

 ほっとした様子で大槻さんが僕を見上げる。そしてすぐに顔を赤く染め始めた。

自分の体勢を理解したらしい。何かを叫ぼうとした瞬間、別の声が割り込んだ。

 

「あ~! 二人ともそんなにくっついて、いつの間にそんな仲良くなったのー!?」

 

 廣井さんが僕達を指差して叫んでいた。大槻さんとぶつかったのは彼女のようだ。

大股開きでしりもちをついて、誤魔化すように後頭部へ手を回している。

体勢とぶつかった時の様子からして、二人とも頭は打っていないはず。なら平気か。

目を丸くしている大槻さんを降ろしてから、しゃがんで廣井さんと目を合わせた。

 

「結構な勢いでぶつかりましたけど、廣井さんも大丈夫ですか?」

「平気平気ー! あ、でもなんか立てないから手貸してー?」

「それ大丈夫じゃないんじゃ。とりあえず手を」

「待ちなさい。私が手を貸すから貴方のはいらない。まったく、油断も隙も」

「はいはい」

「はいはい!? 何その反応!?」

 

 そんな風に入口で、しかも客のほとんどいなくなった状況で騒げば当然注目を集める。

ひとりは注目だけでなく、僕を心配して駆け寄ってまでくれていた。嬉しいけど、状況が状況だ。

 

「お、お兄ちゃん大丈夫? ……え、その人誰?」

 

 僕の傍にいる大槻さんを見て、ひとりが凍り付いた。ややこしいことになりそうだ。

 

 

 

 そして予想通り、本当にややこしいことになった。

入口でひとりに捕まった僕達は、何故か今結束バンドに囲まれるように立っている。

そしてじろじろと好奇心やら何やら、とにかく色々籠った視線で突き刺されている。

大槻さんの顔が、別の意味で廣井さんの顔も青くなってきたから、まずは僕から切り出そう。

 

「こちら大槻ヨヨコさん。新宿FOLTをホームにしているSIDEROSのギターボーカルさんです」

「……」

「あれ、ねぇねぇ私のことは紹介してくれないのー?」

「ややこしくなるからお前は引っ込んでろ」

「……こちら廣井きくりさん。SICKHACKの天才ベーシストさんです」

「すんのかよ」

「やったー! いぇーい、きくりちゃんだよ~!」

「いいのかよ」

 

 忙しいからと放っておくより、ちょっとだけでも構った方が満足して大人しくなる。

幼い頃のひとりやふたりと接していく中で学んだことだ。廣井さんにも通じてしまった。

それはもういい。逐次ツッコんでくれる星歌さんとは逆に、一切反応しない皆の方が気掛かりだ。

 

「ね、ねえちょっと、誰も反応しないんだけど。私のこと誰も知らないの?」

「そんなはずは無いと思うけど。同年代で活躍中の人だよってこの間紹介したし」

「あ、あらそうなの、ふふっ、じゃなくて、じゃあこの空気は何?」

 

 大槻さんの言う通り、不思議と空気が重い。感じたことのないプレッシャーだ。

こそこそと僕達が相談し合っている今も視線を感じる。これが射貫かれるって感覚なんだろうか。

廣井さんはいつも通り周りのことなんて気にしていなくて、愉快そうに声を上げていた。

 

「大槻ちゃん今日可愛い格好だね! おめかししてきたの?」

「あっ」

 

 廣井さんの指摘に思わず顔を見合わせた。眼鏡にマフラー、おさげが目に入る。

眼前の大槻さんはメタルなんて縁もゆかりもなさそうな、大人しい女の子のように見える。

これだと面識が無ければとぴんと来ないはずだ。いそいそと彼女は変装を解き始める。

途中脱いだコートとマフラーの処理に困っていたから、手伝いを申し出た。

 

「コートとマフラー、あっちに掛けておくね」

「あ、ありがとう」

 

 受け取った二つを片付ける間に、大槻さんは髪型も整え終わっていた。見慣れた彼女の完成だ。

そして彼女は仁王立ちをして、髪を払いながら高らかに宣言した。気持ちのいいドヤ顔だった。

 

「改めまして、そうです、私が大槻ヨヨコです!」

「……あっどうも」

 

 だけどもその声はスターリーに虚しく響くだけで、それ以上の反響は返ってこない。

ドヤ顔を収め、気持ち身を縮めながら大槻さんが僕の両肩を掴んだ。力が入って震えている。

 

「……ねぇ、ほんとに貴方私のこと紹介した? リアクションうっすいんだけど」

「ちゃんと見開きでしたよ」

「見開きって何?」

 

 ひとりのために作った即席資料には、同世代で一番の人、一番のバンドだと記載しておいた。

あの後もあれを使ってるらしいから、一度か二度は皆もそのページに目を通してるはずだけど。

 

 こそこそ話していたのは僕達だけじゃなかった。結束バンドも同じようにこそこそしていた。

ひとりですら顔を寄せ合っているから、何を話しているか聞こえないし読み取れない。

囁きだけが聞こえるライブハウスという異常な状況は、虹夏さんが手を挙げたことで終わった。

 

「質問があります」

「……えーっと」

「ドラマーの伊地知虹夏さん」

「伊地知虹夏、特別に答えてあげるから感謝しなさい」

「……なんでさっきから後藤くんが仲介してるの?」

 

 代表して虹夏さんが話しているけれど、どうやら結束バンドの総意らしい。

後ろで喜多さんとひとりが何度も頷いている。リョウさんもじっと僕を見ている。

もう一つの疑問、なんでこの人こんなに偉そうなんだ、は誰もしないようだ。

 

「大槻さん人見知りだから」

「べ、別に知らない人と話すのが少し苦手なだけ。変な勘違いしないで」

「それが人見知りだよ。あと大槻さんは友達だから」

「ふ、ふんっ、ならま」

「えぇえええええええぇええぇえぇぇぇ!!??」

「私の正体より驚きが大きい!?」

 

 ひとりが石となり、虹夏さんと喜多さんが抱き合い、リョウさんが食べていた草を落とした。

僕をよく知る皆からすれば驚天動地の衝撃だろう。これで済むなら、まだ穏やかな反応だ。

とりあえずひとりを戻そうと全身を解していると、復活しかけの状態で僕を咎めてきた。

 

「えっ、と、友達って、お、お兄ちゃん、また隠れてたくさん会ってたの?」

「またって、何その引っかかる言い方。それに大槻さんと会うのは、今日で三か四回目だよ」

「さ、さんかよん!? そ、そんな回数で!?」

「そんな、あの先輩が!?」

「ありえない。きっと何か怪しげなあれこれがあったはず」

「怪しげなあれこれって何?」

「ちょめちょめ」

「何も分からない!?」

 

 かなり好き勝手に言われていた。でも僕も同感だから文句は言えない。

なので黙って受け入れていると、置いてけぼりの大槻さんが再び僕の耳元に寄ってくる。

 

「……ねえ、貴方の友達って、宇宙人か何かなの?」

「大槻さんもその一人だよ」

「えぇ……」

 

 もの凄く嫌そうな顔をしながらも、彼女は友達じゃないとは言わなかった。

曖昧な空気になったからこれで打ち切ろうとした瞬間、今度は喜多さんが元気に手を挙げた。

 

「は、はい!」

「……」

「ギターボーカルの喜多い」

「喜多喜多です!」

「……喜多喜多さんです」

「えっそんな名ま……いえ、うん。何かしら、喜多喜多」

「それで呼ぶんだ……」

 

 時々発揮する大槻さんの懐の深さに、虹夏さんが呆れと感嘆を漏らしていた。

喜多喜多と呼ばれた喜多さんはというと、鋭いキターン音を出しながら僕を指差している。

 

「質問は先輩にです。先輩、大槻さんのこと私相談してもらってません!」

「うん。僕もした覚えない」

「もう! 遠慮しないでくださいって言ったじゃないですか!」

 

 人間関係で気になったこと、分からないことがあった時はいつでも相談に乗ってくれる。

先月約束してくれたことだけど、大槻さんについては一度も話していない。必要ないからだ。

 

「遠慮はしてないよ。大槻さんなら別に何でもいいかなって」

「何でも!? この間から思ってたけど、貴方私の扱い雑じゃない!?」

「……考えてみると、そうだね、ごめん。自分でもよく分からないけど、大槻さん相手なら大丈夫だって思って、つい遠慮が無くなっちゃうみたいなんだ」

「それならまあ、じゃあ、しょうがないわね、許してあげる。私に感謝しなさい」

「いつもありがとう大槻さん」

「……ふんっ」

「えっ何この空気」

 

 結束バンドが困惑に揺れる中、廣井さんはやっぱり空気に飲まれず平然と口を開いた。

 

「そういえばさー、なんで大槻ちゃんここにいるの?」

「うっ」

 

 言葉に詰まる大槻さんを見て、何故か廣井さんが急にニコニコし始めた。

そのまま僕に近付くと、後ろから両肩を掴んで強調するように揺らしてくる。

 

「もしかしてー、この子に会いに来たとかー?」

「そうなの? 嬉しいな、ありがとう」

「何言ってるの!? 貴方はもう知ってるでしょ!?」

 

 今のは半分助け舟のつもりだったのだけど、大槻さんに沈められてしまった。

冗談でもいいから認めておけば、彼女の本当の狙いは隠し通せたはずだ。

会話としては当然の流れで、廣井さんがもう一度同じことを問いかける。

 

「じゃあなんでー?」

「それは、その」

 

 僕を見て、結束バンドを見て、また僕を見る。そして大槻さんは口を閉ざした。

いくら彼女でも正面から、貴方たちじゃ役者不足よ、なんて言う気にはならないらしい。

少し空気が固くなった、気まずい沈黙が流れそうになった時、虹夏さんが廣井さんへ頭を下げた。

 

「あっ廣井さん、クリスマスのライブのゲスト依頼、ありがとうございます! 今たくさんライブしたいので助かりました!」

「いいよー気にしないでー! なんか飲み会明けに気づいたら送られてたからさー!」

「えっ」

「びっくりするよねー、魔法みたいなこともあるんだなぁ」

「姐さん、今の本当ですか?」

 

 けらけらと笑う廣井さんを見て、大槻さんの額に青筋が走った。

 

「酔った勢いで結束バンドのこと推したって」

「もしかして、それが不満で今日は来たの?」

「……そうです! そんな適当なやり方でっ」

 

 そして火が付いたように大槻さんが声を荒げて、瞬く間に廣井さんに消された。

 

「つまり大槻ちゃんは、私の目が節穴だって言いたいの?」

 

 静かな言い方だった。いつもの大声と比べると半分もなかったかもしれない。

だけど込められた圧力は比べものにならなくて、大槻さんどころか空気まで黙ってしまう。

大槻さんは下唇を噛んでいるし、皆はオロオロしている。ひとりは窒息して死にそうだ。

そして星歌さんを見ると、顎で廣井さんを指していた。何とかしろってことらしい。

 

「廣井さん、ちょっといいですか?」

「見て分からない? 今大槻ちゃんと話してるんだけど」

「そのことで僕もお伝えしたいことがあって」

「……いいよ、言ってみな」

 

 無事に許可を貰えたので、一緒にしゃがみ込んでから顔を近づけた。お酒臭い。

大きな声で話すことじゃない。大槻さんは恥ずかしがり屋だから尚更内緒にするべきだ。

 

「多分大槻さんは、焼きもちを焼いてるんだと思います」

「……ほうほう、へー」

「尊敬する廣井さんが、結束バンドを贔屓してるように見えて面白くないのかと」

「うんうんなるほど分かってるよー」

 

 いつも以上に適当な返事と反応だ。本当に分かってるのかな。

疑いのまなざしを向けると、さっきとは打って変わって温かい目で見つめられた。

その上僕の頭まで撫で始めた。あまりにも温度差があり過ぎて、思わず驚いてしまう。

 

「あの、これ何ですか?」

「いやー、こうして大槻ちゃんのために動く君を見てると、弟子の成長が嬉しくて!」

「弟子ではないです」

「あと私とおにころの目に狂いが無くて嬉しくて!」

「おにころに目は無いです」

「ごめんねー。二人とも真面目で可愛いから、ついからかいたくなっちゃってー」

「からかいにしては本気の目に見えました」

 

 僕の返事を最後まで聞かず、廣井さんは全身を使って立ち上がり両手を広げた。

突然の奇行だけどひとりで慣れてるし、廣井さんは酔っ払いだ。大槻さん以外誰も反応しない。

満面の笑みを浮かべる廣井さんを見て、彼女だけは真面目に困惑していた。

 

「さあ大槻ちゃん! 私の胸に飛び込んでおいで!!」

「えっ、きゅ、急にどうしたんですか?」

「……えぇいまどろっこしい!! 私から行くね!」

「きゃっ、ね、姐さん? びっくりするからこういうのは」

 

 注意するような話し方だけど、まんざらでもなさそうだ。声が笑っている。

でも鼻は曲がってそうだ。微妙に詰まった声をしている。お酒臭いよね、よく分かる。

そんな微笑ましい、微笑ましい? 光景は、廣井さんが顔を青くした瞬間に終わりを告げた。

 

「……あっごめん大槻ちゃん、ハグしたら衝撃で胃が、うぷ」

「ぎゃー!? と、トイレ、姐さん早くトイレに!?」

 

 そうして廣井さんがトイレでひとしきり吐いた後、二人は連れ立って帰って行った。

スターリーに残ったのは、濃厚なアルコール臭と微かな吐瀉物の臭い。あと微妙な空気。

なんとなく誰も何も口を利かない中、ひとりが僕の袖を引いてからひっそりと耳打ちしてきた。

 

「……お兄ちゃん、結局大槻さんって何しに来たの?」

「……先輩としての激励、かな?」

 

 変に軋轢を生んでもしょうがないから、適当な返事を僕はした。

大槻さんからもらった指摘を柔らかく言い換えて、後で結束バンドのロインに送ろう。

そうすれば、多分僕のこれも嘘ではなくなるんじゃないかな、きっと。




次回「クリスマスライブ前」です。


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第五話「クリスマスライブ前」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 十二月二十四日クリスマスイブ、SICKHACKのライブに結束バンドがゲスト出演する日だ。

父さんと母さんに相談した結果、後藤家クリスマスパーティーは明日やることになった。

そのことでふたりが予想以上に怒ってしまい、一時期は僕だけでも残ろうかと考えた。

最終的には母さんが説得してくれたおかげで、明日一日中三人で遊ぶ約束をして許してもらえた。

 

 とても助かったけど、男の浮気心をいい感じに操るのが大人の女よ、って説得はどうかと思う。

それで納得するふたりもどうかと思う。ついでにどうしてひとりも感心したように頷いてたの?

今回僕は何も言えないから、その辺りの話は全部父さんに任せよう。後はよろしくお願いします。

 

 そうして無事に予定が空いたから、僕も一緒に新宿FOLTへ向かっている。

僕はこんなに早く行く必要はないけれど、今日はクリスマスイブだし荷物もある。

ひとりを放っておくには心配事が多すぎた。僕はこの期に及んで過保護で過干渉だ。

 

 物思いにふけりながら歩いていると、ぴかぴか笑顔の喜多さんが話しかけてきた。

クリスマスイブだからかいつもより光が強い。イルミネーションより光り輝いている。

 

「オーバーサイズコート……後藤先輩、リョウ先輩との勉強が活きてますね!」

「……もしかして、前話したファッションのこと?」

「はい、それ今年のトレンドですよね!」

「そうなんだ、全然知らなかった。毎年こんなコート着てるから偶然だよ」

「じゃあそれ後藤くんの趣味ってこと?」

「趣味というか」

 

 軽く説明をしようとしたところで、横のひとりが僕の前に躍り出る。

そのまま僕のコートをおもむろに開いて、そこに飛び込んできた。もう限界のようだ。

 

「お、お兄ちゃん、入れて、無理、リア充の空気で死ぬ」

「いいよ。先に荷物貸してね」

「お、お願いします」

 

 受け取ったギターケースを背負う間に、ひとりは僕の懐に潜り込もうとする。

もう一つの荷物も調整し終わる頃には、完全に体勢を整えきっていた。

僕のコートの中から顔だけ出して、あたりを警戒するように見回している。

 

「こういう時のため」

「またシスコンか」

 

 呆れ果てた虹夏さんの声も慣れたものだ。今更引かれるかもなんて心配はしない。

まだ説明が終わってないから、納得されるかどうかはともかく続きを話そう。

 

「この時期はカップルが増えるから、幸せオーラで苦しいんだって」

「いやまあなんとなくそうだとは思ってたけど。ぼっちちゃん、そんなに違う?」

「あっか、完全防御態勢です。カップルもイチコロです。へへっ」

「……なるほど。陛下、私も入れて」

「駄目」

「じゃあぼっち、入れて」

「えっ!? ど、どうぞ?」

「やったぜ。お邪魔します」

 

 ひとりが僕と自分のコートの前を開けると、リョウさんがそこに入り込んで来た

マトリョーシカというか三人羽織というか、とにかく人が増えてますます変な体勢だ。

喜多さんが頬を膨らませながら口を開いたから、もっと大きく変になりそうだった。

 

「あっずるい! リョウ先輩、私も入れてください!!」

「しょうがない。おいで郁代」

「きゃー!」

 

 これで四人羽織だ。もはやよく分からないおしくらまんじゅうになっている。

テンションが高くなったのか、さらに光輝く喜多さんが虹夏さんへ手を広げていた。

 

「さあ次は伊地知先輩ですよ! いつでも来てください!!」

「行かないよ。なんだこの集団」

 

 虹夏さんの目が空気より冷たいのと、着ぶくれしすぎて危ないから解散した。

幸せいっぱいの寒空に放り出されたひとりと山田さんが、肩を寄せ合って震えている。

 

「うぅ、し、幸せオーラが突き刺さる……」

「くっ虹夏のせいで、リア充どもの空気が私たちを蝕んでいく……!」

「なんで私が責められてるの?」

 

 二人のクリスマスだのリア充だの、そんなうめき声で思い出した。

どうでもいいことではあるけれど、クリスマスに絡んでちょっと気になることがあった。

冬空へと消えかけているひとりを再びコートへ入れてから、改めて喜多さん先生に質問してみた。

 

「そういえば喜多先生、恋愛関係で一つ聞いてもいいですか?」

「れ、恋愛関係。恋バナ、まさか恋バナですか!? 先輩、誰か好きな人でも!?」

「そういうのじゃないけど、この間から誰かに聞きたいなって思ってたことがあるんだ」

「むぅ、いやでも、恋愛に興味を持っただけでも成長した方……?」

「そうだねぇ。あの後藤くんが大人になったもんだ……」

「二人とも何目線なの?」

 

 生暖かい目線を向けられた。虹夏さんはともかく、年下の喜多さんにされると違和感が凄い。

だけど教えを乞うているのは僕の方だ。ぐっと飲み込んでから、重ねて喜多さんへ問いかける。

 

「なんでクリスマスが近づくと、急に恋人を作りたがる人が多いの?」

「あー、それかー」

「恋人同士って好きだからなるんだよね。でもこれってなんだか色々逆じゃない?」

「……どうしましょう伊地知先輩! 思ってたより純粋な疑問です!!」

「いつでも相談に乗るって言ったのは喜多ちゃんでしょ。なら頑張ってよ」

「そこをなんとか!」

 

 えぇ、と声を漏らしながらも虹夏さんは目を閉じ、腕を組んで、数十秒考え込んだ。

それから気まずそうに目を開いた後、近くのイルミネーションの方を向きながら答えを出した。

 

「………………………………ほら、冬は寒いから、人恋しいとか?」

「エアプがよく語る」

「なんだと貴様」

「街中、街中だからやめよう。せめて立ち技にしよう」

 

 アキレス腱固めへもつれ込もうとする虹夏さんをなんとか抑え、穏便に済ませてもらう。

無事コブラツイストを決められるリョウさんを見ないふりをして、もう一度疑問を投げかけた。

 

「じゃあ虹夏さんとリョウさんのこと誘ってた人達も、皆人恋しかったのかな」

「げっ、見てたの?」

「見てたよ。二人とも人気者だなって思った」

 

 虹夏さんもリョウさんも、ここ最近異性から声をかけられるところをよく見た。

二人ともクリスマスの予定を聞かれたり、一部の人には誘われたりしたらしい。

 

「でもあれって、二人のことが好きだからって訳じゃないよね」

「おー、はっきり言いますね」

「だって本当に好きなら、僕が見ても近づいても逃げないはずでしょ?」

 

 全員が全員、僕が視界に入れた、もしくは僕を入れた瞬間逃げ出していった。

僕だって最初の頃は悪いな、と思った。きっと彼らだって勇気を出して話しかけたはず。

その勇気を無遠慮に踏み潰してしまった。いくら他人相手でも流石に罪悪感を抱く。

 

 でもよく考えると、僕が近づいたくらいで逃げてしまう程度の気持ちだ。大したものじゃない。

恋ではないけど大槻さんは廣井さんのため、初対面の僕に立ち向かい気絶もしなかった。

本当に虹夏さんとリョウさんのことが好きなら、誰にだって同じことが出来るはず。

 

「……先輩たち、学校で彼氏出来る可能性ゼロになってますけど、いいんですか?」

「楽でいい。むしろ助かる」

「私もバンドに集中したいし、今はいいかな。それに」

 

 そこでちらりと僕達を見て、虹夏さんは言葉を止めた。僕とひとりも理由の一つなんだろうか。

確かに虹夏さんに彼氏が出来れば、きっとひとりは何度も死ぬだろう。僕は、どうなるんだろう。

いくら考えても想像もつかない。だから横に置いて、今度は喜多さんにも聞いてみた。

 

「喜多さんも誘われたりしてない?」

「それはまあ。でも安心してください、結束バンドがあるので全部断ってます!」

「人間関係で喜多さん以上に信頼出来る人はいないから、何も心配してないよ」

「……信頼が嬉しいような、ちょっと寂しいような」

 

 微妙に憮然とした顔になりつつも、喜多さんはすぐに笑顔を取り戻してくれた。

その後指を一本立てた。喜多さん先生登壇の時間だ。僕は話を聞く姿勢を整えた。

ついでに虹夏さんはその時、気づいてはいけないことに気づいてしまったようだった。

 

「それで先輩、さっきの質問なんですけど」

「……あれ? 喜多ちゃん答えられるなら、さっき私が恥かく必要はなかったんじゃ」

「色々あるとは思いますけど、一つはきっかけなんじゃないかなって」

「きっかけ?」

「そういうお誘いの口実というか、きっかけというか。普通に誘うのって、凄く勇気がいるので」

 

 なるほど、そこも逆なのか。クリスマスを目的じゃなくて、手段として考えている。

 

「それなら僕にも分かるかもしれない」

「えっわ、分かったんですか!?」

「きっかけが重要なのは、僕もよく知ってるから」

 

 あの日あの時、ひとりと虹夏さんが出会わなければ、今この時はあり得なかった。

今の全てはあそこから始まった。あれがなければ、なんて想像はしたくもない。

 

「あれ、そういうことなら邪魔しない方がいいのかな」

 

 あの時僕がひとりの傍にいたら、幼い頃のようにあのきっかけも潰してしまっていたはずだ。

今はともかく、当時の虹夏さんは僕を恐れていた。きっと僕を見れば逃げてしまっただろう。

同じようにいつか大切になる誰かの思いを、関係を、今も知らずに壊している可能性がある。

 

「僕から見て軽い気持ちでも、本人からしたら大事なことかもしれないし」

「後藤くんほど重症な人はいないと思う。それに私は、一緒にいて欲しいな」

 

 そこまで言った後、虹夏さんは手をパタパタと振りながら、どこか慌てた様子で言葉を続けた。

 

「あっいやその、断るのも結構気を遣うからさ。それで、申し訳ないけどいい口実になってて」

「そういうことならどんどん使って。虹夏さんの力になれるなら僕も嬉しい」

 

 他人の気持ちやきっかけよりも、虹夏さんの方が比べ物にならないくらい大切だ。

例え誰かの可能性や幸せを消すことになったとしても、それで彼女の役に立てるなら。

そんな内心は隠して軽い感じで告げると、彼女はそっとはにかみながらお礼を言ってくれた。

 

「……ありがとう。たくさん使わせてもらうね」

 

 そんな虹夏さんをリョウさんが鼻で笑っていた。

 

「つまり虹夏は、これからもたくさん誘われる自信があるんだね」

「なっ」

「あー確かにそういう自信が無いと、今のは中々出てこないですよね」

「は、あわわ、に、虹夏ちゃんはモテモテのリア充……!?」

「……………やーい、リア充ー?」

「いや最後のはなんか違くない!?」

 

 四連続でからかわれた虹夏さんが、頬を真っ赤に染めながらリョウさんに襲い掛かった。

ついさっきよりも容赦が無い技をかけている。この遠慮のなさは仲の良さだ、多分。

 

「こ、このやま、山田ァ!!」

「あば、あだだ、これは八つ当たり八つ当たり」

「うっさい!」

 

 そうして色んなことを誤魔化していると、コートの内からひとりがそっと僕の胸を叩いてきた。

水晶みたいに綺麗な瞳に純粋な疑問を浮かべている。どうやら気づいてしまったらしい。

残酷なことはしたくないという僕の願いも虚しく、ひとりは首を傾げながら尋ねてきた。

 

「あ、あれ? お兄ちゃん、そういえば私聞かれてない。私には聞かないの?」

「……ごめんね」

「!?」

 

 

 

 そんなこんなで気づけば新宿FOLTに着いていて、今は結束バンドのリハーサル中だ。

SICKHACKとSIDEROSは既に終わった。分かっていたこととはいえ、レベルが違った。

この期に及んで技量の上昇、改善なんて出来ないから、やるべきことは今できる最高をすること。

 

 そんなこと言われなくても分かっているはず。それでも音がいつもより走っていた。

加えて喜多さんは声が出せていないし、ひとりはダンボールを求めて彷徨っている。

慣れないライブハウスに格上の対バン相手、それ以外にも緊張する理由には事欠かない。

なんとか解してあげたいとは思うけど、こういう時に緊張する気持ちがいまいち分からない。

時間だけはたっぷりあるから、その間で何かしら言葉なり行動なり考えておこう。

 

「……酷いリハーサルね」

 

 隅の方で大人しくリハーサルを眺めていると、大槻さんが声をかけてきた。

開口一番結構な言葉だ。振り向いて何かを言おうとして、思わず口をつぐんだ。

とんでもない顔色だ。目つきも凄い。誤解なく言えば、全体的にキマッている。

 

「大槻さんこそ酷い顔色だけど大丈夫?」

「当然でしょ。ライブ前よ、万全に仕上げてきたに決まってる」

「昨日いつ寝た?」

「……九時には、それはもうぐっすりと」

 

 徹夜らしい。顔色と大事に抱えているエナジードリンクでそんな気はしていた。

指摘しても頭に血を登らせて、かえって大槻さんに負担をかけるだけ。だから何も言わない。

 

「まあいいわ。とりあえずついて来なさい」

「どこに?」

「楽屋に決まってるでしょ。さっさと幽々に会ってもらいたいの」

「それってライブ後の約束じゃ」

 

 首を傾げる僕を見て、大槻さんが大きな大きなため息を吐いた。

そして強引に僕の手を掴むと、ぐいぐいと引っ張って行こうとする。全力だと思うけど弱弱しい。

これで万全というならそれはそれで心配だ。無駄な体力を使わせないために抵抗はしない。

やがて楽屋の前に辿り着くと、彼女はもう一度ため息を吐いてから扉を指差した。

 

「……中入れば分かるから」

 

 手を引かれるまま楽屋に入ると、顔と名前だけ知っている女の子が三人いた。

マスクの人が長谷川あくびさん、ふわふわした人が本城楓子さん、そして最後が内田幽々さん。

失礼が無いよう今日来る前に調べておいた。ちゃんと顔と名前も一致している。

 

 その三人は見るからに変な状況だった。にこにこの内田さんを挟んで抱き着き、震えている。

大槻さんが結構大きな音を立てながら扉を開けたのに、まったくこちらに気づいていない。

三人とも一点を、楽屋のテーブルに置いてある何かを熱心に見ていた。あれは、人形かな。

 

 そこには綺麗な女の子の西洋人形が二体、行儀よくこちらを向いて座っていた。

両方とも上品かつ豪奢なつくりの服を着ていて、髪もよく手入れされている。

よほど大切にされているらしい。おかげで瞳にきらきらとした、命の輝きに似た何かすら感じる。

人形相手におかしいかもしれないけれど、眺めている内に目が合ったような気さえした。

 

「ひぃっ!?」

「う、うう、動いたっ!?」

 

 そう感じた途端、立っていたそれらが入口の方へ、僕達のいる方へ崩れ落ちた。

膝をつき、片手は胸の前に回っている。跪いているような、という比喩が一番近いかもしれない。

面白いことにまるで自分からそうしたみたいに、二体ともまったく同じ体勢を取っていた。

 

「あっ、ああ貴方たち、お、おおお、落ち着きなさい!」

 

 一番落ち着いた方がよさそうな声を大槻さんが出して、やっと三人とも僕達に気が付いた。

人形が倒れた瞬間と同じくらい目を見開いて、僕と大槻さんを見比べている。

こうなると挨拶せざるを得ない。まずは大丈夫そうな内田さんから声をかけた。

 

「内田さん久しぶり、でいいのかな」

「もちろんです。お久しぶりです魔王様~」

 

 長谷川さんと本城さんに挟まれながら、内田さんはにこやかに挨拶を返してくれた。

電話だけじゃなく、実際に会っても大丈夫だった。なら残りの二人はどうだろう。

 

「突然入ってきてすみません。僕は後藤一人と言います」

「あっど、どうも長谷川あくびです。ヨヨコ先輩から聞いてたんで、だだ、大丈夫です」

「ほ、本城楓子ですっ。よ、よよ、よろしくお願いしますっ」

 

 簡潔に自己紹介をすると、青い顔をしながらも二人とも同じようにしてくれた。

さっきから目が泳いで、あちこちを見回しているから目が合わない。

気の毒ではあるけれど、おかげで二人を気絶させずに済んだ。不幸中の幸いだ。

 

「それでどうして抱き合ってるんですか? ライブ前のルーティーンとか?」

「そそそ、そんなルーティーン聞いたことないっす!」

「ゆ、ゆゆゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆの人形が、急に動き出してっ!!」

 

 ゆが一杯だ。どこからが名前なのか分からない。

この場で一番冷静かつ楽しそうな内田さんが、笑顔のまま説明してくれた。

 

「魔王様が来ると知って、ルシファーとベルフェゴールちゃんが緊張してしまったみたいで~」

「……もしかして、この子達のこと?」

「はい~」

 

 念のため確認すると、まさかの人形だった。有機物を想像していたからちょっとだけ驚く。

そうして言葉を詰まらせた僕を見て、内田さんが声を落としながら尋ねてくる。

 

「……あの、意外でしたか~?」

「実を言うと、少しだけ」

 

 人形、人形か。世界には人形を通じて周囲と繋がる人もいるという。

内田さんがそういう人であった場合、緊張しているのは彼女本人ということになる。

もしくは彼女の口ぶり通り、実際に人格がある可能性。オカルトだから何も根拠はない。

かといって悪魔の証明だから否定も出来ない。どちらにせよ、やることは変わらないか。

 

「こんにちは、後藤一人です。今日はライブを楽しみにしてきました。よろしくお願いします」

「!?」

「僕も慣れない人と環境で緊張してるので、お互い楽に出来るといいですね」

「ありがとうございます~。二人ともそう言って貰えて喜んでます~」

「よかった。出来れば仲良くしてもらえると、僕も嬉しいです」

 

 突然人形に話しかける僕に、長谷川さんと本城さんがぎょっとしていた。

大槻さんは露骨に、こいつ正気か、みたいな目を向けてくる。僕はいつだって正気のつもりだ。

誰かが大切にしている物事はなるべく自分も大切に扱う。人として当然のことだ。

 

「ま、また動いたっす!?」

 

 その時立てていた膝が崩れて、まるで平伏しているかのように体勢を変えた。それも同時に。

偶然だろうか、何かの技術だろうか、それとも本当にオカルトだろうか。どれであっても面白い。

僕は感心して二体の人形を見比べていたけれど、内田さんを除く三人は顔を真っ青にしていた。

 

「あらあら~、二人とも魔王様のお言葉に感動して平伏しちゃいました~」

「そうなんだ。でも僕はさっき言った通り、二人には楽にしてもらいたいな」

「これだとちょっと難しいですね~」

 

 頬に手をあて上機嫌に笑う内田さんは、人形達に触る気配すら感じない。

なら楽にしてもらうには、僕が自分でやるべきか。そのためにまずは許可を取ろう。

 

「じゃあ内田さん、少しだけこの子達に触れても大丈夫?」

「えぇ、大丈夫ですよ~」

「ありがとう。せっかく綺麗なお洋服着てるのに、こんな姿勢じゃ汚れてもったいないから」

 

 人形達を抱き上げる前に、ポケットから予備のハンカチ、ひとりが忘れた時用を取り出す。

軽く広げてからテーブルの上に敷き、座る場所を用意した。後は移動させるだけだ。

ひとりとふたりが赤ちゃんの頃を思い出して、あの時のように人形達を優しく抱える。

それから服装を整えながら、二体ともそっと座らせた。これならもう倒れないはず。

 

「これで大丈夫。二人とも座って楽にしてください」

「……魔王様」

 

 そう声をかける僕に内田さんは再び、さっきよりも更に声を落としていた。

丁寧にやり過ぎたかもしれない。僕は人間以外相手にも加減や距離感を知らないらしい。

そんな後悔を抱く間もなく、内田さんがゆったりとした動きで僕の前に跪いた。

 

「ははーっ、この内田幽々、今後とも魔王様の配下として精進いたします~」

「今度は幽々がやるの!? というか今後とも!?」

 

 その時ガチャリと、楽屋のドアが開く音がした。誰か入ってくる。

直前の足音、ノックが欠片も無かったこと、諸々考えて結束バンド、虹夏さんが開けたんだろう

入口の方へ顔を向けると、予想通りドアノブを握った虹夏さんが笑顔で固まっていた。

 

 スターリーに慣れ過ぎたこと、緊張していること、色々あってノックを忘れたのかもしれない。

普段の彼女ならすぐに意識を取り戻して、今頃非礼を詫びているはず。だけどまだ硬直中だ。

楽屋に入ろうとしたら、友達がまた人を跪かせていたのだから固まりもする。つまり僕のせいだ。

なんて説明しよう。そう悩み始めた瞬間、楽屋を覗き込んで来たリョウさんが目を見開いた。

 

「あ、新たな魔王軍配下だと……!? 私のアイデンティティが、再び危機に……!」

 

 それまだ続いてたんだ。

 

 

 

「結束バンドの皆さん、今日はお願いしますね」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いしますっ!」

「あーそんな緊張しなくても大丈夫っすよ~」

 

 その後長谷川さんの執り成しのおかげで、あんな状況からでもなんとか持ち直すことが出来た。

それどころかスムーズに自己紹介を終えて、今はバンドの垣根無く穏やかに雑談をしている。

おかげで皆の肩から、少しずつ力が抜けていくのを確認出来た。それで僕も安心した。

 

 ただ、ひとりは初対面の人と話なんて出来ないから、いつも通り僕と一緒にいる。

そして落ち着きなく楽屋のあちこちを見回しながら、思い出したように話しかけてきた。

 

「そういえばお兄ちゃん、あれ無くても大丈夫だったの?」

「うん。ルシファーさんとベルフェゴールさんのおかげで平気だったみたい」

「……だ、誰それ?」

 

 当然の疑問だ。紹介を兼ねて話そうとした時、僕の後ろから内田さんがにょきっと生えてきた。

 

「この子達のことですよ~」

「あっあわたっ!? にに、人形!?」

「あら、驚かせてすみません~」

 

 ひとりが椅子から飛び上がり転げ落ちそうになったから、手と腰を掴んで元に戻す。

かなり激しい動きだったのに動揺一つせず、内田さんは興味に瞳を輝かせ始めた。

 

「ところで魔王様、あれとは~?」

「あぁ、あれのこと」

「わぁ」

 

 片隅に置いていたダンボールの集合体を指し示した。グレート完熟マンゴーだ。

新しいライブハウスに怯えるひとりのため、昨夜父さんが夜なべして作った。

それをひとりが貸そうとしてくれていた。結局使わなかったけど、その優しさは勇気になった。

 

「僕と目が合うと、いや内田さんなら多分知ってるよね」

「もちろんです~。なるほど、今の魔王様ならこれでも大丈夫なんですね~」

 

 感心したようにグレート完熟マンゴーに近付き、内田さんはちょんちょんと触っている。

そうして離れた隙を縫って、慌てたひとりが僕にのしかかるように耳打ちしてきた。

 

「お、お兄ちゃん、ももももしかして、あの人も友達?」

「違うよ。ただ、昔会ったことはあるみたい。ひとりは心あたりある?」

「……ぜ、全然ない」

「私も妹様とお会いするのは初めてですね~」

「あっえっ、は、ははは初めましてっ!」

「初めまして~妹様も凄いものがお憑きなんですね~」

「……すごいもの?」

 

 内田さんは会話の内容はともかく、話し方はとても穏やかでゆったりとしている。

声も小さい方で、何より陽のオーラが無い。ひとりにとっては話しやすいタイプの人だ。

だから僕が間に入ることで、この三人でもなんとか雑談を続けられた。

 

 

 

 緩やかな時間が過ぎる中、誰とも会話せず一人虚空を睨んでいた大槻さんが突然声を上げた。

 

「結束バンド。さっきのリハーサルみたいな演奏なら、ここじゃ通じないから」

 

 それで、穏やかだった空気が一瞬で霧散した。

 

「たまたまゲストに呼ばれたからって調子に乗らないことね。今日の主役は姐さんたちSICKHACKよ。それに今の貴方たちが私たちSIDEROSと肩を並べようなんて、思い上がりも甚だしいから」

 

 大槻さんがそう言い捨てると、今度は嫌な沈黙と重い空気が楽屋に流れ始めた。

横のひとりは当然として、虹夏さんも喜多さんも困ったような顔をして俯いてしまう。

どうにかして空気を入れ替えようと考えた時、長谷川さんが唐突に声をかけてきた。

 

「魔王さん魔王さん」

「なんでしょうか?」

「魔王さんは、ヨヨコ先輩が何言いたいのか分かりますか?」

「緊張して演奏が固くなってますよ。普段通りの貴方達なら大丈夫なはずです。今日はゲストだから気楽にやりましょう。失敗しても、私たちが盛り上げるから心配しなくてもいいですよ?」

「……七十点! 合格っす!!」

 

 よく分からないけど合格を貰えた。でも七十点か、結構低い点数だ。

 

「どこで三十点落としちゃいました?」

「ちょっといい方向に捉えすぎっすね。ヨヨコ先輩は普通にアレなところあります」

「あくび!?」

 

 なるほど。そういうことなら僭越ながら言っておこう。

 

「大槻さん照れくさいのは分かるけど、ああいう絡み方はもったいないよ」

「……いつ、誰が、そんなことしたっていうの?」

「今、大槻さんが」

「してない!」

「あとライブ前だし、あんまり大きい声は出さない方がいいよ」

「誰のせいだと思ってるの!?」

「あっそうだ、じゃあのど飴舐める?」

「話聞いてる!? ……甘いやつよね?」

「蜂蜜レモン味」

「じゃあもらう。……ありがとう」

 

 ムカつくけど美味しい、と呟いたきり大槻さんが黙ったことで空気から緊張が掻き消えた。

それはいいけど大槻さんのさっきの言葉と現在進行形の睨みで、ひとりがマナーモードになった。

その治療に集中していたから、虹夏さん達から感じる視線や会話については把握しきれなかった。

 

「いやぁ、ヨヨコ先輩に男友達が出来たって聞いた時は心配したけど、なんか大丈夫そうっすね」

「あの廣井さんのお気に入りで、その上魔王様って聞いてたから、気が気じゃなかったよねっ!」

「……あー、うちの子の兄が御迷惑をおかけしてます」

「あれその言い方だと、あの人マネージャーとかじゃないんすか?」

「そこがちょっと複雑な話で。今色々と計画中なんだ」

「なんか面白そうな気配がする! 打ち上げの時に教えてねっ!」

 

 そうして再び生まれた穏やかな空気は、ライブ開始まで続いた。

 




最近暑いので、評価や感想など頂けると励みになります。
次回「クリスマスライブ後」です。


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第六話「クリスマスライブ後」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 スターリークリスマスパーティー兼クリスマスライブ打ち上げ兼星歌さんの誕生日パーティー。

三重におめでたい席で、しかも友達と過ごす初めてのクリスマスパーティー。

ひとりのテンションと緊張が高まるのも当然で、それは見た目にも表れていた。

どこかで見た星形のサングラスによく分からない襷。やる気に満ちていて微笑ましい。

けれどそれらを着用したまま参加するのは、少しだけ問題があるように思えた。

 

「ひとり、サングラス着けたままだと食べにくくない?」

「じ、実はちょっと。暗くて見にくい」

「だよね。襷も汚れちゃうかもしれないから、一緒に外しておこうか」

「あっうん。そうする」

 

 ひとりは緊張すると不器用になるから、視界まで悪いと色々汚してしまうかもしれない。

いそいそと外した物を受け取ってギターケースに入れていると、なんだか熱い視線を感じた。

リョウさんが僕、というより僕の皿の上に残るポテトをじっと見ている。微動だにしない。

今の今まで僕以外が凄い勢いで食べ進めていたから、もう残っているポテトはこれだけだ。

 

 あんなに食べたのにまだお腹空いてるのかな。それとも、もう体力が無いのかな。

新宿から戻る時からそうだったけど、生気を感じなくて酷く疲れているように見える。

あれでリョウさんは結構繊細な方だから、今日のライブはかなり緊張したのかもしれない。

 

「リョウさん眠そうだけど平気? あっちで仮眠取る?」

「大丈夫、今は眠気より食い気。今日は食い溜めの日だから」

「そっか。じゃあたんとお食べ」

「わーい」

 

 残ったポテトを半分渡すと、両手を挙げて喜んだ後その手で食べだした。

今日も気持ちいいくらいの食べっぷりだ。生きるために食う、という決意がとても伝わる。

ほっこりした気分になっていると、大槻さんもまた僕へと鋭い視線をぶつけていた。

 

「大槻さんもまだ食べたいの?」

「いらない。そんなにポテトばっかり食べてられない」

「じゃあピザ食べる?」

「そっちもいい。というかどんだけ食べさせたいの? 貴方親戚のおばちゃんか何か?」

「大槻さん細いから心配になって。もっと一杯食べた方がいいよ」

「親戚のお婆ちゃんか何か? というかそれセクハラだから」

「そうなんだ。ごめんね、次から気を付ける」

「私以外に言ったらビンタよビンタ」

 

 そんなことを言われると気になってしまう。好奇心のまま傍らのひとりに試した。

 

「……ひとり、ピザ食べる? もっと食べて大きくなろうね」

「あっうん。ありがとう」

「リョウさ」

「食べる」

「大槻さん、言ってみたけどビンタされないよ?」

「安心しなさい、今から私がするから」

 

 僕の座るテーブルにはひとりとリョウさん、そして大槻さんが同席している。

最初はこの組み合わせで大丈夫かなと心配していたけれど、今のところ穏やかに過ごせていた。

僕以外とはお互い誰もまったく何も話していないことなんて些細な問題だ。気にしない。

 

「後藤先輩、内田さんが呼んでますよ~」

 

 そうしている間に内田さんからとうとうお呼びがかかった。あの話の時だ。

入念な対策をするために、隣でチキンを食べ進めているひとりに声をかける。

 

「じゃあひとり、ちょっと手伝ってもらってもいい?」

「うん。グレート完熟マンゴーの出番だねっ」

 

 そうして全身をダンボールに包まれていると、喜多さんが白い目で近づいてくる。

呼んでも来ないから直接声をかけに来たらしい。申し訳ないけどまだ準備が出来ていない。

 

「……いや、何してるんですか?」

「見ての通り、グレート完熟マンゴー装着してる」

「いや何してるんですか?」

「ぐ、グレート完熟マンゴーに搭乗してます?」

「言い方の問題じゃないのよ」

 

 彼女が言いたいのは、なんでグレート完熟マンゴーを、ダンボールを着込んでいるかだろう。

他人事なら僕だって馬鹿らしいと思う。だけど僕には切実な理由があった。

 

「いつもの気絶対策だよ。喜多さんにもこの間、記者の人で見せちゃったでしょ?」

「……あれ見た以上もう疑いませんけど、でもサングラスとかで十分なんじゃ」

「今日はちょっと自信が無いから」

 

 これからどうなるか、はっきり言って内田さんとの過去次第だ。

よくない過去であれば僕の心証は大きく下がる。つまり、彼女を気絶させる可能性が高まる。

連鎖的に長谷川さんと本城さんを傷つける可能性もまた、大きく上昇してしまうだろう。

 

 いつまで経っても来ない僕達にしびれを切らしたのか、内田さんもこっちにやって来た。

 

「魔王様どうされたんですか~?」

「待たせてごめんね。念のために気絶対策してるところ」

「あぁでしたら、この子達をお持ちください~」

 

 そう言って彼女が差し出してきたのはあの人形達、ルシファーとベルフェゴールだった。

言われるがまま二人を抱えると、彼女はにっこりと笑みを深めて満足そうにしている。

 

「こうしてだっこしてると、威圧感が減るから平気ってことかな」

「そうではなくて~、この子達の闇パワーで魔王様のアレが和らぐと思います~」

「や、闇パワー……」

 

 ひとりが戦慄したように呟く。どちらかというと、僕のアレ扱いのが引っかかる。

命名されても困るけど、内田さんからしてもアレとしか言いようが無いのか。

 

「なら内田さん、少しの間お借りします」

「いえいえ~、ではよろしくお願いします~」

 

 そう言って彼女は僕の横に腰を降ろした。そしてにこにこと楽しそうな笑顔を向けられる。

この感じだと不安に思わなくてもよさそうだ。暗い過去ならきっとこんな笑みはもらえない。

どうやって切り出そうかなと考えていると、向こうのテーブルからぞろぞろ皆がやって来た。

 

「後藤くんに昔の知り合いなんていたんだねー」

「幽々の知り合いっていうのも中々レアっすから、私らも驚きっす」

「どんな話が出てくるのかなー。楽しみだね、はーちゃん!」

 

 いやなんで? こっちとは違って、向こうのテーブルは真っ当に盛り上がっていた。

わざわざ僕の話なんて聞かなくてもいいはず。むしろ聞いて欲しくない。確実に恥ずべき話だ。

なんとか戻ってもらおうと考える僕の肩を、星歌さんが優しく叩いた。

 

「諦めろ。こういう時の女には逆らわない方がいい」

「というか星歌さんも来るんですね」

「……誕生日会で放って置かれるとな、いつも以上に惨めな気持ちになるんだよ」

「ごめんなさい」

 

 

 

 ライブ終了後に話す予定だった、僕と内田さんとの過去について。

あの時あそこで会ってました。そうなんだ、覚えてなかった。ごめんなさい。

そのくらいで終わると思っていたのに、変に大事のように扱われている。

 

 この感じだと梃子でも動かなそうだ。それに数でも負けてる上に、相手は全員女の子。

僕が口で勝てる道理も無い。だから星歌さんの言う通り観念して、この中で話を進めるほかない。

 

「それで内田さん、僕達ってどこで会ったのかな?」

「これを見れば思い出していただけるかと~」

「……ファイル。中見てもいい?」

「どうぞ~」

 

 ファイルを開くと、中には幾何学的な文字や図形、星図や陣などが書き連ねられていた。

その合間を縫うように、見慣れた筆跡で日本語が書き殴られている。昔の僕の字だ。

思い返して、そうじゃないかなとは考えていた。予想通り、僕が彼女と会ったのは中学生の頃だ。

 

「……そっか。あの頃なら絶対に覚えてないな」

「え、ちょ、ちょっと、もう分かったの? 結局どういう関係?」

「えっと、買い手と売り手かな。これ、僕が作った写本」

「写本っすか?」

 

 日常生活では中々出てこない言葉だからか、長谷川さんが不思議そうにオウム返しをしてくる。

そこの説明からしようか。こうして囲まれた以上、周りにも分かるよう話した方がいい。

 

「前虹夏さんに、占いに興味を持ってた時期があったって話をしたと思うけど」

「あぁうん。文化祭の時の」

「あれ半分しか言ってなくて、本当はオカルト全般について調べてたんだ」

「へー、なんでそんな誤魔化すようなこと?」

 

 こういう時は論より証拠だ。そっと視線をテーブルの反対側へと向けた。

すると釣られて皆の視線も同じように動いていく。そこには興奮を露わにするリョウさんがいた。

 

「ま、魔王の黒魔術……!?」

「こんな反応されるから」

「なるほど。ごめん、続けて?」

 

 無事疑問も解けたようだから、説明を続けよう。

 

「それで色々集めてたんだけど、興味が尽きた頃処分に困っちゃって」

「興味本位なんですけど、どういうものがあったんですか?」

「本当に色々ですね。占い用の水晶とかカードとか、あとは魔導書とか」

「水晶……!」

 

 語っている途中、水晶のあたりから本城さんが興味に目を輝かせた。

あの頃二人で立てた、女の子は大抵占いが好き説は当たっていたのかもしれない。

今のひとりなら自分から話しかけて、友達作りに利用出来るかも。今度提案してみよう。

 

「あっそれを買ってくれたのが」

「私です~」

 

 にこにこと内田さんがファイルを持ってアピールしていた。

 

「おかげでサタン様との繋がりが強くなってもっと力をいただけました~」

「改めて、あの時は怖がらせてしまってごめんなさい」

「いえいえ~、魔王様に地獄へ落とされたのも今ではいい思い出ですから~」

「どんな会話よ」

 

 真っ当極まりない大槻さんのツッコミは無視。今拾うと横道に逸れる。

 

「基本ネットのやり取りで済ませてたんだけど、魔導書の時に一回だけ会って取引したんだ」

「魔導書? 後藤くんがわざわざ会うって、そんなに高いものなの?」

「金額もあるけど、何より古くて貴重品だったから。間に誰かが入ると取り扱いが心配で」

 

 金額も当時価格で数十万は超えていたはず。ちょっとした手違いが大きな問題になりかねない。

だから一番酷い頃の僕でも取引先、内田さんと会うという決断をした記憶がある。

そうして対面で七回気絶させた後、無事に交渉は終わった。無事の意味が分からない。

ちなみにこの時のお金は、全部ギターヒーローの機材代へと消えた。ひとりにはもちろん内緒だ。

 

「よくそんなの持ってたね。どうやって買ったの?」

「買ってないよ。誕生日に道端で知らないお婆さんから、捧げものですって渡された」

「ヤベー奴だ!? えっなんで受け取ってるの、断りなよ!?」

「それが僕に本を差し出した瞬間気絶しちゃって。しかも起きたら起きたで記憶喪失になってて」

「えっ」

「それで警察に保護をお願いしたら、その人数年前に神隠し事件にあった人らしくて」

「えっ」

「ご家族の方は感謝してくれたけど、本とその人がどこから来たのかは分からなかったらしくて」

「えっ」

「家族の方はもちろん、警察も本のことは気味悪がってたから僕が引き取った。いい話だよね」

「どこが!?」

「家族が待っててくれてたあたり? それでそろそろ不味いなと思って、オカルトはやめた」

「もう手遅れでは? えっ大丈夫なの、なんか色々危険じゃない?」

「大丈夫です、魔王様には凄いものが憑いてる、いえもう魔王様が凄いことになってるので~」

「らしいよ。安心だね」

「どこが!?!?」

「…………………………なぁ、私の誕生日会で怖い話するのやめてくれないか?」

 

 他にもこの本に纏わる話はたくさんあるけれど、星歌さんの鶴の一声で中断となった。

夏場にするような内容だ。間違っても誕生日会にするものじゃないから、打ち切りは当然だった。

 

 

 

「え、え~では、そろそろ店長さんへのプレゼントタイムに移りまーす!」

 

 僕が壊してしまった空気を直すかのように、喜多さんがマイク片手に宣言した。

声に釣られて彼女の方を向くとすぐに目が合う。そしてパチリとウインクをくれた。

いつも喜多さんには助けられっぱなしだ。今日のも含めて、いつかまとめてお礼をしよう。

 

 その喜多さんはハーバリウムと花のリップを星歌さんにプレゼントしていた。

トップバッターというハードルを容易かつ見事に突破していた。さすが喜多さんだ。

星歌さんもおしゃれなものをもらって、なんだかんだ言いながら頬を緩めている。

 

「じゃあ次はリョウ先輩、お願いします!」

「……陛下、プレゼントって大事なのは、値段じゃなくて気持ちだよね」

「胸を張ってそう言えるなら、それはその通りだと思う」

「ぐっ、よ、用意してきます……」

 

 良心の呵責に負けたリョウさんが席を立ち、スターリーの外へ飛び出した。

お金も考えも無さそうだけど大丈夫かな。隣のひとりも心配そうに入口を見つめている。

 

「あっリョ、リョウ先輩行っちゃいましたけど、大丈夫でしょうか?」

「平気平気。どうせなんかエピソード付きの雪だるまとか作って持ってくるだけだよ」

「えぇ、やめてよそういうの。可哀想で捨てられなくなるだろ……」

 

 そんな虹夏さんの予想を裏切るように、数分もしない内にリョウさんは戻って来た。

気持ち顔をしかめながら、肩を組んだプレゼントを誇るように星歌さんへ見せつける。

 

「じゃーん、店長の可愛い後輩をプレゼントでーす」

「うええぇぇぇぇぇえ!! やっぱここにいら~! わたひずっとまってたのに~~!!」

「捨ててこい」

 

 にべもなく切り捨てられて、廣井さんは床に転がり駄々をこねた、そしてそのまま寝た。

いったい何しに来たんだろう。分からないけど、とりあえずタオルケットをかけておいた。

なおさっきまで会場にいなかったのは、円滑な進行のため今日は呼ばれなかったから。無情だ。

 

「……あー、じゃあ次後藤くん」

 

 アルコールで再び壊れた雰囲気を戻すため、虹夏さんが司会を続ける。僕の番だ。

 

「虹夏さん、実はひとりと合作のプレゼントだから、二人一緒でもいいかな?」

「合作ってことは、何か手作り? よかったね、お姉ちゃん!」

「……まあ、うん」

 

 星歌さんは自分の毛先をくるくると指に巻いて、机を見ながらそっけなく答えていた。

僕達のプレゼントに期待と喜びを感じてくれているらしい。まだ何も渡していないのに嬉しい。

額面通りに受け取り顔を青くするひとりを促して、二人で星歌さんの前まで歩いた。

 

「星歌さん、誕生日おめでとうございます。そしてありがとうございます」

「お、おめでとうございます。あっありがとうございます」

「あぁこっちこそ、いや待て、ありがとうってなんだ?」

「誕生日って無事に一年過ごせたお祝いと、生まれてきてくれたことへ感謝する日ですよね?」

「後藤家クソ重いな……」

 

 表現の仕方さえ間違えなければ、感謝や親愛はどれだけ大きく重くてもいいと思う。

お礼もプレゼントも誕生日に送って当然だ。今日の表現は何一つ間違えていないはず。

そんな自信に満ち溢れながら、僕はひとりの背中を押した。渡すのは僕じゃなくひとりだ。

頭を下げてプレゼントを掲げている姿は、まるで賞状か何かを手渡すみたいだった。 

 

「ど、どどどど、どうぞ!」

「二人ともありがとうな。開けてもいいか?」

「ど、どどどど、どうぞ!」

「……ぼっちちゃん、大丈夫?」

「ど、どどどど、どうぞ!」

「星歌さんが開ける間に直しておきますね」

「お、おう」

 

 緊張のあまり壊れてしまったひとりのほっぺをぐにぐにと触り、意識を現世に呼び戻す。

抗議の視線を送れるほど復活する頃には、ちょうど星歌さんも中身を机の上に並べ終えていた。

彼女が丁寧に丁寧に置いてくれたのは、僕達が作った動物のあみぐるみ達だ。

 

「これはぬいぐるみ、いやあみぐるみか?」

「はい。こういうのが好きだって以前伺ったので、二人で作りました」

「別に、好きって訳じゃ」

 

 もにょもにょと星歌さんが何かを呟くけれど、目はあみぐるみから離れない。

かなり気に入ってくれたようだ。だからひとりはそんなに怯えなくてもいいよ。

 

 星歌さんは机に手と顎を乗せ、じーっとあみぐるみ達を眺め続ける。

黒いギターを抱える猫背のピンク色の虎。アホ毛が特徴的なドラムの前に座る黄色い兎。

明るい笑顔でマイクスタンドを持つ赤い犬。愛嬌のあるクールな表情でベースを掲げる青い猫。

僕達の作ったそれらをひとしきり観察した後、彼女はその体勢のまま僕を見上げた。

 

「デフォルメ効かせてるけどこれ、結束バンドだよな」

「やっぱり分かりますか? いざ作るとなると迷ってしまって、つい」

「お前が作りそうなものって考えたら、まあ分かる」

 

 もの作りは音楽と同じく、精神の発露の一種だと僕は考えている。

だからそもそも苦手なのもあるけれど、適当に作ればきっととんでもないものになる。

なので僕が好きで大切にしたいもの、そして星歌さんも同じように思っているもの。

共通して大事な結束バンドをモチーフにさせてもらい、今回はあみぐるみをひとりと作った。

 

「はー可愛く出来てるねー。これ私たちなの?」

「うん。この虎がひとりで兎が虹夏さん。喜多さんが犬でリョウさんが猫」

 

 ちなみに誰がどの動物かは、ふたりと一緒に動物図鑑を見ながら決めた。

なお、ひとりだけは僕が選び直した。いくらなんでもダンゴムシは悲しいものがある。

次点はツチノコだった。一応そっちは作ったけれど、あれは今日もふたりの枕元にある。

 

「だからこの間、私たちのこと人形にしていいか聞いてきたんだね」

「正直、お前も蠟人形にしてやろうか、みたいな意味かと思った」

「蠟人形は作ったことないなぁ」

「ツッコむところそこですか?」

「でも興味はあるから、今度リョウさんで試しに作ってみてもいい?」

「しょうがない。陛下のためなら一肌脱ごう。取り分は七三ね」

「売り物じゃないからゼロゼロになるよ」

「ツッコむところそこですか?」

 

 物が物だからか、結束バンドの皆がプレゼントの周りに集まって来た。幸いなことに好評だ。

今も熱心にあみぐるみ達を見つめる星歌さんの上から、興味深そうに覗き込んでいる。

 

「後藤くんはともかく、ぼっちちゃんも編み物出来たんだね」

「あっはい。で、でも、お兄ちゃんにたくさん手伝ってもらったので」

「最初だけだよ。途中からは一人で上手に出来てた。焦らなければひとりは器用な方だから」

「確かにどれをどっちが作ったのか、見ても全然分かりませんね」

「ひとりと虹夏さんは僕が作って、喜多さんとリョウさんはひとりが作ったよ」

「ほほう。ちなみに、その分担の理由は?」

「ひとりが自分を作ると大変なことになるのと、虹夏さんは一番難しいから」

 

 ひとりに任せると虹色の虎が出てくる可能性が高い。もしくは大阪のおばちゃん系の虎。

そして虹夏さんは頭頂部の髪、あの特徴的なアホ毛の再現がやたら難しかった。

謎の躍動感と生命力を表現するのに、おおよそ製作時間の八割は持って行かれた気がする。

 

 ほーとかへーとか、感嘆と喜びを漏らしながら、星歌さんはあみぐるみ達を眺め続けていた。

その様子を見ていると、なんとなくはしゃいでいる時のふたりを思い出す。失礼だからやめよう。

頭を振って自分を誤魔化していると、星歌さんがふと気づいたように声を上げた。

 

「ところで、四人だけか?」

「えっと、練習で作ったギタ男君なら家にありますけど」

「ギタ男君って何? それじゃなくて、ほら、もう一人いないのか?」

 

 ひとりのイマジナリーフレンドです、とはさすがにここでは言えない。

ギタ男君はともかくもう一人。もしかして、自分も人形にして欲しかったんだろうか。

確かに星歌さんあってのスターリーで、スターリーあっての結束バンドだ。

こうなることを予想して、ちょっと大きめの兎を作っておくべきだったかもしれない。

 

「あっあの!」

 

 また作って今度持ってこようか、なんて考えていると、ひとりが星歌さんに声をかけた。

慣れてないから必要以上に大きい。当然注目を集めたけれど、それに負けずに言葉を続けた。

 

「こっ、これも一緒にお願いします!」

 

 そう言ってひとりが出してきたのは、ピンク色の本を抱えた黒い虎だった。

 

「ひとり、それは」

「せっかく作ったならそれも貰っとくよ。ありがとうぼっちちゃん」

 

 僕が何かを言う前に、星歌さんがひとりの手からあみぐるみを受け取る。

そのまま結束バンドのあみぐるみ達が並ぶテーブルへ優しく置いた。意味深な行動だ。

思わず非難の目を向けようとするも、頭の上に手を置かれてしまった。読まれている。

こうなると、苦し紛れの言葉以外何も返せない。それ以外は汚い言葉しか思い浮かばない。

 

「……虎が二体だと、バランス悪くないですか? 一体で十分です」

「こっちの方がしっくりくる。少なくとも、私はそう思ってるよ」

 

 優しくて温かくて、見透すような言い方だった。だから僕は黙るしかなかった。

 

 

 

 僕の内心はともかくプレゼントの時間は無事終わり、再び歓談が始まっていた。

いつまでも引きずっててもしょうがない。今はめでたい席、気持ちを切り替えよう。

 

「そういえば、ライブの方はどうだったんだ?」

「ふふん。ライブはね、みんな大盛り上がりでモッシュにダイブにサークルまで出来てね」

「へーそりゃ凄い。それで一人、どうだった?」

「お姉ちゃん!?」

 

 何の感情も籠っていない相槌を打ってから、星歌さんは僕へと問いかけてくる。

虹夏さんの言葉は一から十まで噓八百だったからしょうがない。星歌さんならそれくらい分かる。

とはいえ聞かれた僕も、正直なところ返事に困る。あまり盛り下げるようなことは言いたくない。

 

「……この間のスターリーでのライブより、またよくなってたと思います」

「あんま甘いこと言うなよ。こいつら本気にするぞ」

「僕も本気です。緊張はありましたけど、それ以上に成長が見えました」

「そうかなぁ。いやぁ、褒めてもらえるとやっぱり嬉しいねー」

「ですです! もっと頑張るぞーってなりますね!」

 

 長々と語る場じゃないから手短に済ませたけれど、それでも喜んでもらえた。

ほっと一息吐いていると、にやりと星歌さんが意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「ほーん。じゃあ点数にすると?」

「えっ」

 

 嫌な聞き方だ。でも言うしかない。

 

「……三十点くらい?」

「赤点!?」

 

 絶対評価と相対評価は大きく違う。ついでに主観と客観はそれ以上に違う。

ファン目線ならともかく、メジャーを目指すというラインで見るなら全然足りない。

僕の採点に虹夏さんは机に突っ伏して、懺悔でもするかのように星歌さんへ打ち明けた。

 

「……………実は普通にアウェーで、いまいち盛り上がりに欠けてました」

「だろうな。まあ、初めての箱ならそんなもんだよ」

 

 慰めるように笑って、星歌さんは虹夏さんの頭を撫でる。僕のフォローをしてくれている。

いや、そもそもあんな聞き方されなければ言わなかったから、これってマッチポンプじゃ。

釈然としないでいると、突然大槻さんが立ち上がって、雪崩もかくやの勢いで口を動かし始めた。

 

「え、演奏の出来とライブの盛り上がりは別だから! リハーサルの時は心配したけど本番は前の時よりずっとよくなってたし! 初めての箱なんて緊張でガタガタになるところもあるのに貴方達はしっかりと実力を発揮出来てたし! それに盛り上がりに欠けてるとか言ってたけど大体どこも最初はそんなものでしかも気づいてなかったみたいだけど意外とノってる観客もちらほらいたしそれだけ出来ればまあ今の貴方達なら上出来だと思うしそこで満足しない向上心はいいんじゃないかしら今回も気になるところはまとめておいてあげたからあとで聞いて直しておけば次のライブはきっともっと」

「長谷川さん、これは?」

「あー魔王さんが楽屋から出て行ったあと、ヨヨコ先輩皆さんの背中押してたんすよ、大丈夫だーいけるーって。んでこれだったんで、責任感じてんじゃないかなと」

「なるほど、勉強になります」

「貴方たちは何を言ってるの!?」

「あっ大槻さん飲み物どうぞ。今日もたくさん話してくれてありがとう」

「貴方私の話いつも聞かないわね! 飲み物ありがとう!!」

「なんでこの人達お礼言い合ってるんすかね?」

「さあ?」

 

 よく分からないけど上手く回っているから、これが僕達なりのコミュニケーションなんだろう。

 

「でも、今日あそこで演奏させてもらえてよかったよ。今の私たちじゃ絶対出来ない経験させてもらえたから。おかげで目標までの道筋が見えたというか、近づけた気がする」

「目標ってなにー?」

「実は未確認ライオットっていうフェスに出場したくて。この間、記者の人が来たんだけど」

 

 それから虹夏さんは、佐藤さんが来た日のことについて語り始めた。

ひとりの、ギターヒーローのことは上手いこと濁してくれている。今日も虹夏さんは優しい。

僕はまだSIDEROSの人達を信用出来ていないから、その心づかいが嬉しかった。

 

「うわぁ失礼な話っすね」

「まぁ図星というか、正論なところもあったから。それにその後後藤くんがボコボコにしてたし」

「ぼ、ボコボコ? や、やっぱり魔王様って呼ばれるだけはあるっすね……」

 

 また一歩引かれた気がする。多分一番距離が近かったのは、新宿の楽屋で挨拶した時だ。

その様子を見た虹夏さんは、慌てて僕のフォローに回ってくれた。その気持ちだけで十分だ。

 

「あっもちろん手は出してないし、悪口とかも言ってなかったよ。ただ、だからこそというか」

「先輩のこと怒らせたくないなって心底思いました」

「あれは心折れる」

「いったい何言ったんすか……?」

「……人の振り見て我が振り直せ?」

 

 一言でまとめるとそうなる。ただやっぱり納得出来ないようで、彼女は首を傾げたままだった。

同時にひとりも同じようにしながら、不思議そうな顔で問いかけてきた。

 

「あっあれ、お兄ちゃん、あの時怒ってたの?」

「……怒るというか、迷惑だし面倒だから、早く帰って欲しいなって思ってた」

「あれでイラつくレベルだったのか……」

 

 ひとりにバレないよう誤魔化したけれど、実際怒りまでは届かなかった覚えがある。

失望や軽蔑、呆れとかの方が恐らく近い。いずれにしても、どれも口にする必要は無い。

汚い、攻撃的な気持ちなんて表に出さない方が絶対にいい。嫌な気持ちになるだけだ。

 

「言い損ねてたけど皆、あの時はごめんね」

 

 だけどこっちは出した方が、いや出さなければいけない気持ちだ。

 

「結束バンドのためにはもっと穏便な対応をすべきだったのに、乱暴にしちゃったから」

「……安心しました。実は私たちガッカリされちゃったのかなーって心配しちゃって」

「ちょっと喜多ちゃん」

「それは無いよ。僕は皆も、皆の音も好きだから。これはきっと、ずっと変わらない」

 

 そこまで言うと、虹夏さんがなんだかニヤニヤしながら近くに寄って来た。

なんだろう。また何かからかってくるのかな? それならカウンターの準備をしておこう。

 

「そ・れ・じゃ・あー、マネージャーも、実はやりたかったり?」

「ひとり、グレート完熟マンゴー片づけるから手伝ってもらってもいい?」

「あっうん」

「無視!?」

 

 その後も音楽だったり学校だったり、何でもない雑談をしている内にクリスマスパーティーは終わった。

 

 

 

 その帰り道のことだ。駅までの道中で、大槻さんがいつものように突然大声を出した。

 

「結束バンド! 私たちも未確認ライオットに出るから!!」

 

 脈絡のない宣言に大槻さん以外がぽかんとしていた。SIDEROSのメンバーもだ。

独断なのかな。後で揉めなければいいけど。こっちも心配だけど、今は目の前のことだ。

誰の反応も無くて顔を赤と青にしている大槻さんのためにも、会話を動かさないと。

 

「よかったね、皆」

「……えっ、な、何が?」

「これでグランプリの条件、分かりやすくなったでしょ?」

 

 今度は僕の言葉に誰も反応してくれなかった。大槻さんも首を傾げて何も言わない。

お返しの助けは期待出来そうにないから、自分で補足の言葉を続けて話した。

 

「これからは大槻さん達を超えればグランプリだよ。ほら、ずっとシンプルになった」

 

 音楽には文字通り影も形も無い。分かりやすい正答も判断基準も無い。

だからグランプリを、一番を取ると言っても、明確な目標が今までは無かった。

だけどSIDEROSが出るとなれば話は別だ。これほど分かりやすい壁も無い。

 

「……今日のライブ見た後なのに、簡単に言ってくれるなぁ」

「元々簡単なことじゃなかったでしょ?」

「それはそうなんだけどさー」

 

 もう一度繰り返し、そうなんだけどさ、と言いながら虹夏さんは僕を小突いてきた。

真似するように喜多さんと山田さんも小突いてくる。コートの中のひとりまでもだ。

じゃれつく僕達を呆れた目で見ながら、大槻さんがいつものように髪を払ってから腕を組んだ。

 

「まあ、そうね。貴方たちがどこまで上がれるか、楽しみに」

「……つーかヨヨコ先輩、何でも勝手に決めるのやめて欲しいって、前も言いませんでした?」

「うっ」

「そういうところですっ! そういうところで皆辞めちゃうんですよ?」

「幽々はいいですけど~、ルシファーとベルフェゴールちゃんはご機嫌斜めですよ~?」

「うっうぅっ、す、すみません。で、出てもよろしいでしょうか……?」

「しょうがないっすねー」

「しょうがないなぁ」

「しょうがないですね~」

「はい、私はしょうがない女です……」

 

 ここが路上じゃなければ、大槻さんは正座でもしていたかもしれない。

そんな大槻さんと愉快な仲間達を眺めながら、虹夏さんがおかしそうに呟いた。

 

「大槻さんのワンマンバンドって噂だったけど、実際は全然違うね。ボコボコだ」

「所詮噂は噂だよ。当てになんてならない」

「……確かにそうですね! ね、伊地知先輩!!」

「そうだね。うん、そうだった。そんなこと、私たちもとっくに知ってたね」

 

 生暖かい視線を喜多さんと虹夏さん、そしてリョウさんからも向けられてしまう。

どこかむずむずするから視線を逸らしても、今度はひとりが気遣うように手を撫でてくる。

そうしてなんとなく居心地の悪さと気恥ずかしさを感じながら、クリスマスの夜は更けていった。




次回「めでたい赤とそうでもない赤」です。


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第七話「めでたい赤とそうでもない赤」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 クリスマスを通り過ぎればあとはもう年末まで一直線だ。

実際大掃除をしたり、家族とおせちを作ったり、確定申告の準備をしている内に昨年は終わった。

今日は一月一日、正月。そんなめでたい日の朝から、僕はひとりにしがみつかれていた。

 

「お、お兄ちゃん、一緒に行こ? 行かないと、私も行きません!」

「僕は行けない。喜多さん待ってるよ。一度約束したなら行かないと」

「う、うぅ、お、お兄ちゃんがあんなこと言うから」

「それはごめん。でも理由言わないと、ひとりも納得してくれないでしょ?」

「し、したけどしてません!」

 

 下北沢の神社へ初詣に、喜多さんと一緒に行く行かない。僕達はそれで揉めていた。

昨晩深夜、あけましておめでとうのメッセージと共に、初詣のお誘いが喜多さんから届いた。

朝気づいてひとりに話すと、どうやら僕達二人に送っていたらしい。

迷いながらも行きますと返事をしたひとりだったけど、僕の話を聞いて顔を青くしていた。

 

「さっきも言ったけど、東京の神社に行けば、喜多さんの友達に遭遇する可能性が高いから」

「ならこの辺、この辺の神社に、喜多ちゃんに来てもらえば」

「それはそれで僕の元同級生を気絶させることになるよね。新年からそれはちょっと」

 

 そんなことをすれば、こんな日から働いている救急隊の方々へ大きな迷惑をかけることになる。

ただでさえ忙しい方々なのに、僕のせいで手を煩わせるのはあまりにも申し訳ない。

僕の意思が固いことが分かったひとりは説得を諦め、僕の前に回り込んで身をかがめた。

 

「……どうしたのひとり?」

「こ、こうなったら、私がお兄ちゃんを運んで持ってく!」

「おぉ」

 

 いつもとは逆パターンだ。出来るかどうかはともかく、その判断に至るなんて。

妹の成長に感動しながら、物は試しと僕は脱力し、ひとりに身を任せてみた。

 

「ぬ、ふん、のぅ、ごふっ、とぁっ」

 

 女の子が出していいのか迷う声を漏らしながら、ひとりは懸命に力を入れていた。

それでも僕を一ミリも持ち上げることは出来ていない。浮かぶ気配すらない。

やがてひとりは諦めて部屋の隅に体育座りして、ぼうっと天井を見上げるだけになってしまった。

 

「……私は非力なゾウリムシです」

 

 この具合だと約束の時間までにひとりが復活出来るか分からない。どうしようか。

あれ、でもこれ口実に使えないかな。ひとりが駄目そうだから僕も行けない。よくない考えだ。

それでも楽しみにしてる喜多さんには悪いけど、僕もひとりも正月くらいは家にいたい。

やるだけやってみよう。聞くだけ聞いてみよう。僕は思いつきを試すため、携帯を取り出した。

 

『ひとりが壁と同化し始めたから、今日は行けないかも。ごめんね』

 

 数秒もしない内に返信が来た。見るのが怖い。

 

『江ノ島 約束 利息』

 

 いつもスタンプやら自撮りやらなにやら、煌びやかなメッセージを喜多さんは送ってくれる。

そんな彼女からこんなものを届けられると、いくら僕でも若干の恐怖を覚える。

残念ながら僕にもひとりにも、彼女にロックオンされた時点で他に選択肢なんてなかった。

 

『ひとりと伺わせていただきます』

 

 そうメッセージを打ってから着替えて、体育座りをしているひとりを抱える。

向かうは下北沢。新年の朝から僕は喜多さんに敗北していた。最後に勝ったのはいつだろう。

 

 

 

 東京都世田谷区下北沢の某神社、ここが喜多さんと約束した集合場所だ。

さすがに二時間も経てばひとりもすっかり人間に戻っていて、二本足で歩いている。

ぐだぐだしていたせいか、喜多さんが真面目だからか、僕達より早く彼女は来ていた。

 

「お待たせ喜多さん。あけましておめでとうございます」

「あっあけまして、おめでとうございます」

「私もさっき来たところです! 二人とも、あけましておめでとうございます!」

 

 あの恐怖のメッセージなんてなかったかのように、喜多さんは今日も輝く笑顔だ。

初日の出よりよほど光っていて、なんだかめでたさすら感じてしまう。拝もうかな。

隣のひとりを見ると既に拝んでいた。行動が早い。なら僕も続かせてもらおう。

 

「ひ、ひとりちゃん、先輩? 拝むの気が早すぎませんか?」

「だ、大丈夫です、合ってます。今喜多ちゃんを拝んでます」

「私を!? えっちょ、ま、まさか先輩もですか!?」

「うん。喜多さんってなんか赤っぽいし、御利益ありそうだから」

「そんな雑な理由で!?」

 

 ついでに言うと今日の喜多さんは白いコートだ。紅白感があって更にめでたさが増している。

 

「もう! そんなことしてないで、早くお参り行きましょうよ!」

「はーい」

「あっはーい」

 

 そうして喜多さん先生に率いられ、僕達は神社の中へ足を踏み入れた。

参拝へ行く途中、喜多さんは迷いなく手水を取りに行き、その後はちゃんと参道を通っていた。

完璧な作法だった。僕がどうこう言う隙も、必要もまるでなかった。

 

「そろそろ私たちの番ですよ。お賽銭準備しておきましょう」

「あっはい。えっと、小銭は」

「はい五円玉。落とさないように気を付けてね」

「うん。ありがとう」

 

 参拝についても綺麗なものだった。いつもの明るさとは違う、上品で丁寧な二礼二拍手一礼。

前々から感じていたけれど、実は喜多さんもいい所の子なのかもしれない。

ひとりが十二個目くらいのお願いをしているのを見ながら、そんな風に思った。

 

「よし! それじゃ次はおみくじです!!」

「はーい」

「あっはーい」

 

 もうなすがままだ。二人揃って手を引かれるままおみくじの列まで移動する。

大人しく列に並んでいる途中喜多さんがひとりへ、楽しそうに注意を呼び掛けた。

 

「ひとりちゃん、引いても開けるのは待っててね。皆で一斉に見て、わーってやりたいから」

「あっはい。ちょ、ちょっとワクワクしますね」

「でしょ? ふっふっふー、ひとりちゃん大凶だったらどうするー?」

「あっえっ…………せ、責任を取って、腹を切ります」

「切腹!?」

「ひとりの運勢が悪くても、皆のが悪くなる訳じゃないから心配しなくてもいいよ」

「あっそういう。……まだまだひとりちゃん検定二級は遠いですね」

「喜多さんなら大丈夫。いつでも質問は受け付けてるからね」

「はい! よろしくお願いします、先生!!」

「……あっあの、もう正気に戻ったので、本人の前でそういうのは」

 

 そんな茶番が終わる頃には、三人ともおみくじを引き終わっていた。

落ち着いて読むために人混みから逸れて、横道の木の下へと移動する。

そして喜多さんの、せーの、という言葉に合わせ、僕達はおみくじを一斉に開いた。

 

「やった、私大吉です! 二人は」

「あっ大凶です」

「僕も」

「えっ」

 

 はしゃぐ喜多さんを尻目に、僕とひとりはいつも通り大凶を引いた。何回連続かは忘れた。

並ぶ大凶のおみくじを見て、一瞬大慌てした喜多さんだったけど、僕達の様子を見て落ち着いた。

僕はともかく、ひとりですら平然としているからだ。

 

「……大凶引いたのに、二人とも全然気にしてませんね」

「あっあんまりおみくじ信じてないので」

「僕も」

「えー、落ち込んで欲しくはないですけど、えー」

 

 今度は唇を尖らせてしまった。今日も喜多さんの表情は忙しくて、見ていて楽しい。

だけどひとりはそう思ってないみたいで、焦って視線を彷徨わせた後何か話し始めた。

 

「あっあの、実は去年も私たち大凶引いたんですけど」

「逆に運いいわね」

「それで二人とも、待ち人来たらずってずっと書かれてて」

 

 ちらりとひとりが僕を見上げた。続きを言って欲しいらしい。でもスルーだ。

この話はこれからが一番大事なところだから、そのままひとりに話してもらいたい。

そう思って背中に触れると、僕を軽く睨んだ後、照れ臭そうにしながら続けてくれた。

 

「で、でも、その、去年私たちには、喜多ちゃんも、虹夏ちゃんもリョウ先輩も来てくれたから」

「ひとりちゃん……!!」

 

 きらきら、いやギラギラとした輝きとともに、喜多さんがひとりの両手を握りしめる。

過去最高に眩しかったけれど、ひとりも目を守りながらはにかみ喜んでいるように見えた。

喜多さんが携帯を取り出し、カメラを向けてくるまでは。

 

「ひとりちゃん、今のもう一回言ってくれない!? 次はちゃんと録画するから!!」

「えっ」

「録画したのをね、今度伊地知先輩とリョウ先輩に見せてあげたいの!!」

「えっえっ」

「きっと二人とも喜ぶわ~! もしかしたら感動しちゃって泣いちゃうかも!!」

「えっえっえっ」

「あっ私たちってことは、先輩もそう思ってくれてるってことですよね!!!」

「思ってるけど、ひとりに言ってもらったことを後悔し始めてるところ」

「またまた~先輩も恥ずかしがり屋ですね!!!!」

 

 虹夏さん早く帰ってきてくれないかな。

暴走する喜多さんを相手にするには、僕達兄妹ではあまりにも無力だ。

そんな僕達が彼女を止めるのに、結局それから十分くらいかかった。

 

 

 

 なんとか落ち着いて、落ち着かせて、僕達は境内のベンチに腰を下ろしていた。

入口近くで配っていた甘酒を手に参拝中の人を眺めていると、喜多さんが間延びした声を上げた。

 

「先輩たち今日来れないの残念だったわねー」

「あっはい。えっと、虹夏ちゃんは親戚のお家に帰省してるんでしたっけ?」

「そうそう。それでリョウ先輩はお婆ちゃんが危篤なんですって! 大丈夫かしら~」

「十三回目だから大丈夫じゃない? それだけ行けば通い慣れてるよ」

 

 その時ふと視線を感じた。この感じは知らない人から複数、含まれた感情は恐らく好奇心。

視線の方向からするとひとりは見えていない。つまり向けられているのは僕と喜多さんの二人。

そこに恐怖はない、つまり僕を知ってる人じゃない。視線がぶれない、つまり偶然じゃない。

となると、喜多さんの知り合いに見つかってしまった、と考えるのが一番自然だ。

それなら振り向かない方がいい。近づいてくる前に、喜多さんに言って確認してもらおう。

 

「喜多さん、向こうにいる人達って知り合い?」

「えっ? ……あっはい、クラスメイトです! みんなー、あけましておめでとー!!」

「え゛っ」

 

 ひとりが凄い声を出した。僕も正直驚いた。ノータイムで声をかけるとは思わなかった。

喜多さんに呼ばれたからか、視線の主達がぞろぞろと近づいてくるのが分かった。

相変わらず好奇心を強く感じる。こうなるとひとりにも喜多さんにも悪いけど、そろそろ潮時だ。

 

「喜多に、後藤さんだっけ? あけおめー。揃って初詣?」

「うん。もうお参りもおみくじも済ませちゃった。さっつーたちは?」

「ウチらはこれから。そうだ、この後カラオケ大会開くんだけど来る?」

 

 そう誘いの言葉を投げかけて、その子はひとりと喜多さんの返事を待っていた。

予想に反して彼女はひとりのことも知っていて、しかも友好的だ。少し感動した。

 

「どうしましょうか先輩~ってあれいない!?」

「あっ、お、お兄ちゃん、ほんとに逃げちゃった…………」

「逃げた!? この一瞬で!? ど、どうやって!?」

「あっお兄ちゃんはかくれんぼが得意なんです」

「いや限度があるでしょ!?」

「一度も見つかったことがないので、ふたりの友達からは幽霊のお兄ちゃんって呼ばれてます」

「魔王といい幽霊といい、先輩酷いあだ名ばっかりね……」

「あっちなみに私は暗すぎて、幽霊のお姉ちゃんって呼ばれてます……」

「聞きたくなかった!!」

 

 二人揃って幽霊兄妹呼ばわりされているのは、悲しいことに事実だ。

間違っても気絶させるわけにはいかないから、会わないようにしていたらそうなっていた。

ひとりは特に何もしていない。むしろ優しくしようとしていた。子供は残酷だった。

 

「それじゃあ仕方ないから先輩は諦めて、ひとりちゃんはどうする?」

「うえっ!?」

「カラオケ行く? 知らない子多いけど大丈夫かしら?」

 

 心配そうな声を出しているけれど、喜多さんは期待を、キターンを抑えきれていない。

喜多さんの輝き(初日の出版)を正面から受けたひとりに、またもや選択肢なんてなかった。

 

「うぇ、うぇ~い! し、新年カラオケ大会やや、やっちゃいましょうか~!!」

「いいねー、ノリノリじゃん。あっ言い忘れてたけど、ビリは罰ゲームだからね」

「え゛っ」

「大丈夫よひとりちゃん! 私がなんかこういい感じにしてみせるわ!!」

 

 喜多さんのひとり理解度は、夏とは比べ物にならないほどに上昇している。

だから引きずられていくひとりを、僕は木の上から安心して見送ることが出来た。

 

 という訳で今日も時間が出来てしまった。ひとりを置いて先に帰ることは出来ない。

カラオケや罰ゲームでペラペラになったあの子を、家まで背負って帰る任務があるからだ。

それまでどうやって時間を潰そう。今日は財布と携帯くらいしか持っていない。

正月だから開いている施設は少ないし、だからこそ多くの人がそこに集まってしまう。

 

 少しだけ考えて図書館を探すことに決めた。この時期なら受験生くらいしかいないはず。

彼らは僕がいようといまいと、元々机とテキストにしか目を向けていない人達だ。

だから一番パニックが起こる確率は低い。そうして立てた計画は、鳥居をくぐった瞬間瓦解した。

 

「ねぇー? このお酒全然アルコールの味しないよー?」

「そりゃ米麴で作った甘酒ですから。というかお姉ちゃんそれ何杯目?」

「十杯目だよ。なのに全然酔えないからさー」

「……誰かー、この人追い出すの手伝ってー」

「そんなー」

 

 もの悲しい悲鳴と共に、僕の目の前にべちゃりと何かが倒れ込んで来た。

それは死にかけの虫か何かのように震えた後、ガバっと勢いよく顔を上げて辺りを見回す。

通りすがりの小さい子供達がそれを見て泣き始めた。泣けることなら僕も泣きたい。

お正月からこんなところで、こんな状態のこの人を見たくなかった。

 

「あっおはよー、じゃなくてあけおめー。こんなとこで会うなんて奇遇だね」

「………………あけまして、おめでとうございます、廣井さん」

 

 この体勢を前に果たしておめでとうなんて言っていいのか。僕は疑問を止められなかった。

失礼だけど寝そべる廣井さんを観察してしまう。いつも以上にボロボロの服装と風体。

新年なのにみすぼらしい。悲しくなってきた僕の視線を勘違いした彼女は、にへらと頬を緩めた。

 

「なーにーそんなお姉さんの顔見てー。美人だなーとか思ってる? いやー照れるなー」

「同じ赤なのに、どうして廣井さんの顔にはめでたさがないんだろうなーって考えてました」

「……ヤケ酒だー! 付き合えー!!」

 

 この廣井さんを放置するのは心配だし、一緒にいると時間が早く進むからちょうどよかった。

両手を挙げて憤る彼女に手を差し伸べて立たせた後、服についた土ぼこりを叩いて落とす。

手触りからして恐らく三日くらいは洗濯していない。悲しみがより一層深くなっていく。

 

「へっへっへー、ありがとうね!」

「どういたしまして。さっき倒れてましたけど、痛いところはありませんか?」

「頭!」

「実は僕も痛くなってきました」

 

 こうして廣井さんが同行することになったから、図書館には行けなくなってしまった。

代わりに僕の魔王的なものが薄まったおかげで、適当なお店には入れるようになった。

入れるようにはなったけど、酔っ払いを連れて行くのって営業妨害にならないんだろうか。

 

「ヤケ酒は止めますけど、廣井さんはどこか行きたいところってありますか?」

「お酒飲みたいから居酒屋! あっでもお金持ってないや」

「じゃあ駄目ですね。他にはどこか」

 

 考え始めたその時、腐敗臭を感じた。洗ってない犬より酷い、ドブのような臭いだ。

どこからその臭いが来たかなんて、僕からはとても口に出来ない。胸が痛くなる。辛い。

 

「……」

「あっまた私のこと見つめてるー。そんなに見たいの? 素直じゃないなー」

「………………………急に銭湯に行きたくなったので、よければ付き合ってもらえませんか?」

「むむっ、もしかして、お姉さんの湯上り姿見たいの? 男の子だねぇ」

「………………………………………………………………………そうですね。もうそれでいいです」

「ひ、悲嘆と慈愛に満ちた視線……!?」

 

 廣井さんは恩人だ。恩人には人間の尊厳を守ってもらいたい。そんな感傷が僕にもあった。

だから出来るだけ早足でかつ誰の目にも止まらないよう、開店している一番近い銭湯へ向かう。

調べるとスーパー銭湯だった。複合施設、今の状況としてはちょうどいい。

着いたらすぐに入店。廣井さんが何か言う前に入場券を買い、タオルと館内着をレンタルする。

そしてそれらを彼女に押し付けた。僕の勢いに目を白黒とさせる彼女へ更に続けた。

 

「お風呂に入った後でいいので、中にある洗濯機で今着てる物は洗濯してください」

「えーそんなお金ないよー?」

「小銭渡しときます。足りなければ後で言ってください」

「もう百円あればお酒買えるのになぁ。ちらっちらっ」

 

 はっきり言って、今の僕に余裕はない。冗談にも満たない戯言に付き合う気力は無い。

それを理解してもらうため、今日も僕は非礼を承知で言葉を叩きつけた。怒ってはいない、多分。

 

「廣井」

「うっす」

 

 

 

 僕はこういう銭湯だとかプールだとか、いわゆる水系統の施設にはあまり行ったことが無い。

人を殺す可能性が高いからだ。転べば死ぬし、溺れれば死ぬ。気楽に行くには危険すぎる。

それでも正月にしては空いていたから、なんとか今日は無事に過ごせた。死者ゼロ人だ。

 

 お風呂上り一息ついて、休憩スペースの隅の方でフルーツ牛乳を飲んでいると、肩を突かれた。

ひとりのような控えめな触り方だ。あの子はここにいない。なら店員さんだろうか。

注意深く、間違っても気絶なんてさせないようゆっくり振り返ると、予想外の人がそこにいた。

 

「あ、あがりましたー、なんて」

 

 廣井さんだ。髪を下ろしていて、浴衣のような館内着に身を包み、所在なさげに立っている。

いつもとは何もかもが違うから、一瞬知らない人かと思ってしまった。今も目を疑っている。

そうしてじろじろ無遠慮に全身を観察していると、彼女はもじもじしながら聞いてきた。

 

「な、なに、そんなにじっと見て。ど、どこか変?」

「変というか、もしかして廣井さん、今素面ですか?」

「…………うん」

 

 こくりと、小さく廣井さんが頷いた。いつもの大袈裟な動きと比べると、十分の一くらいだ。

そして顔を上げた後もこちらを見ずに、斜め下の木目を数えるように彼女は続けた。

 

「なんかね、甘酒って二日酔いとかにいいらしくて。私さっきたくさん飲んだから、それで」

「…………」

「あっう、疑ってる? ほら、このページに書いてあるよ、嘘じゃないよ」

「いえ、素面の廣井さんに会うの初めてなので、少し驚いてました」

「……そうだっけ?」

 

 首を傾げる角度も控えめだ。重力に負けていない。なんだこの感想は。今僕は動揺している。

いったん落ち着こう。この人は廣井さんだ、知らない人じゃない。友達で大切な人だ。

だから警戒も動揺も必要ない。いつも通り、安心して話しても大丈夫なはずだ。

 

「そういえば廣井さん、さっきまで着ていた服は」

「あっうん。言われた通り洗濯機に入れてきたよ」

「ありがとうございます。すみません、さっきは強く言ってしまって」

「お金だって出してもらってるのに、そんなこと。あっ、今度ちゃんと返すね」

 

 自主的にお金を返そうとしている。もしかしたら、この人は廣井さんじゃないかもしれない。

違う、そうじゃない。それはさっき確認したことだ。戻ってどうする。何を考えている。

思考を戻すため、指を擦り合わせて気まずそうな廣井さんのため、僕は横の床を軽く叩いた。

 

「立ってるのも疲れるでしょうし、廣井さんも座ったらどうですか?」

「そ、それじゃあ、失礼します」

 

 僕の勧めに彼女は、いそいそと僕から二人分離れて座った。凄い距離感を覚える。

 

「……なんか、遠いですね」

「そ、そう? いつもこんなもんじゃない?」

「いつもの廣井さんなら、膝枕、いや僕の上に座って来てもおかしくないです」

「うっ」

 

 そう指摘すると、彼女は苦し気に胸を抑えた後、今度は両手で頬を押さえた。

その頬はうっすらと赤く染まっている。これはまさか、あの廣井さんが、恥を覚えている?

 

「その、いつもごめんね。あちこち触ったり、だ、抱き着いたりして」

「もう慣れたから平気です。でも危ないから、あまりやらない方がいいと思います」

「……はい、気を付けます」

 

 縮こまってかすれた返事をする彼女は、本当に反省しているように見えた。

それでもじもじとまた余計に距離を取られそうだったから、僕の方から近づいた。

いつもよりは少しだけ遠い、半人分くらいのところに腰を下ろす。

 

「……えっと、君は近くない?」

「こんな遠いと逆に落ち着かなくて。すみません、嫌でしたか?」

「別にいいけどさ、君こそ気を付けた方がいいんじゃない、こういうの」

「よく言われます。でも廣井さんなら大丈夫だと思ってるので」

「ずるい言い方だなぁ」

 

 そう言うと彼女は体育座りをして、自分の膝に顔を埋めてしまった。

それからしばらく沈黙を守った後、覗き込むように僕を見て、静かに問いかけてくる。

 

「………………ね、幻滅した?」

「何にですか?」

「その、素面の私に。こんな暗くて、弱そうで」

「しません」

 

 なんとなくだけど、自分を卑下する言葉が続きそうだったから無理やり打ち切った。

そんなこと聞きたくないし、言わせたくもない。廣井さん本人であってもそれはさせない。

あっけにとられる彼女へ、ついでだから素面についても感想も伝えることにした。

 

「穏やかで優しそうで、いつもの廣井さんより僕は好きです」

「………………うーん、それはそれでなんだか傷つくなぁ」

「別にいつもの廣井さんを貶しているつもりは無いんですが、難しいですね」

「そうだぞー、乙女心は難しいんだぞー」

「乙女?」

「あっ酷い!」

 

 言葉とは裏腹に、笑いながら廣井さんが叩いてくる。威力も触れるようなものだ。

 

「あれはあれで賑やかで楽しそうで、嫌いじゃないです」

「嫌いじゃない止まりなんだ」

「ええと、それにこういう柔らかい部分を見せてもらえると、信頼されている気分になれるので」

「あっ誤魔化したー。初めて会った時より、なんだかちょっと悪い子になったね」

 

 そう言ってから控えめに、彼女はくすくすと小さく笑い声を零していた。

なんだろう、もの凄くやりづらい。柔らかくて繊細で、どこか絡みつくような感覚がある。

あまり会ったことの無い、周りにいたことのないタイプの人だ。いや廣井さんなんだけど。

 

「あのね、一人君」

「すみません、ちょっと調子に乗りました」

「君もね、もっと見せてもいいんだよ?」

 

 予想外の提案だった。もっと見せてもいい。柔らかいところ、弱いところを。誰に、どうして?

意味が分からなくて言葉に詰まる。そんなことする理由も意味も、暇も権利も僕にはない。

それに誰にも教えるつもりのなかった秘密は、もう廣井さんにはバレてしまっている。

 

「廣井さんには見せてるつもりです。一番の隠しごとだって、もう知られてます」

「全然だよ。それに、私にじゃなくてさ」

 

 その先を彼女は口にしなかった。しなかったけど、誰のことを言っているのか分かってしまう。

いや、違う。ヒントなんて何も無い以上、これは理解じゃなくてただの願望だ。浅ましいな。

彼女に、自分に感じた苛立ちを抑える。それでも出せた言葉はどこか不貞腐れたものだった。

 

「……廣井さんも星歌さんも、お節介ですよね」

「君にだけは言われたくないなー」

 

 それを言われるとぐうの音も出ない。今こうしてここにいること自体が相当なお節介だ。

だとしても僕はやらない、やれない、やる訳にはいかない。これ以上迷惑をかけたくない。

現状は奇跡だ。この先を望めば欲でわがままになる。それは許されない。

 

「とにかくそんなこと出来ません。押し付けるのは、それこそお節介だけで十分です」

「困った子だねー。大槻ちゃん以上に問題児かも」

「心外です。訂正してください」

「大槻ちゃん相手だと、君ちょっとキャラ変わるよね」

 

 同等ならともかく、大槻さん以上となると認められない。

そんな微妙な気持ちを汲み取ったのか取ってないのか、おかしそうに廣井さんは笑みを零した。

 

「あーあ、あと何年かしたら、一緒にお酒も飲めるんだけどなぁ」

「幸せスパイラルですか? あれは人として出来ません」

「そこまでやろうとは言ってないよ。お酒飲んで、それでちょっとした愚痴と言えるといいねって」

 

 昔父さんが言っていたような気がする。飲み会とはすなわち愚痴会だと。

お酒を飲んで、代わりに愚痴を吐き出して、次の日から頑張っていくためのものだと。

まだまだ先のことだけど、いつか僕もそんなことが出来るようになるんだろうか。

 

「お酒飲めるようになったら、今まで以上に絡まれそうですね」

「……いや?」

「大変そうだなとは思うけど、それ以上に楽しみです」

「ほんとかなー? 酔っ払いの相手面倒だなーとか思ってない?」

「思ってません。もし思っていたら、とっくに廣井さんとは縁を切ってます」

「あ、あははー、悲しい説得力」

「繰り返しになりますけど、廣井さんとお酒を飲めるようになるのは楽しみです」

 

 いい機会だから言っておこう。素面の今ならもしかしたら届くかもしれない。

 

「だから廣井さんもそれまで、ううん、ずっと元気でいてくださいね」

「……ん」

 

 さっきの僕と同じくらい曖昧な返事だった。それでも聞いてくれただけいい。

一仕事終えた気になって、残っていたフルーツ牛乳を口に含む。真面目に話すと喉が渇く。

その時廣井さんから視線を感じた。じっと僕の顔を眺めている。それもそうだ、当然の反応だ。

 

「すみません気づかなくて、廣井さんも何か飲み物欲しいですよね」

「あっいいよ別に。さっき甘酒たくさん飲んだし、お金無いし」

「誘ったのは僕なのでそれくらい出します。買いに行きましょう」

 

 座り込む廣井さんに手を差し伸べて、そのまま売店まで一緒に歩く。

多分だけどここの品ぞろえはいい方だ。冷蔵庫にはたくさんのお酒が並んでいる。

きっと廣井さんが好きなものもある。変に真剣な表情の彼女に飲みたいものを聞いた。

 

「それで、どのお酒がいいですか?」

「……今日は、コーヒー牛乳にしとこうかな」

「えっ」

「何その意外そうな声。あんなこと言われたら、いくら私でも一本分くらいは頑張るよ」

 

 拗ねたような声を出しながら、廣井さんは缶ビールを通り過ぎてコーヒー牛乳を籠に入れた。

本当にお酒じゃなくてもいいらしい。新年の奇跡に感動した僕は売店を見回した。

 

「嬉しくなってきたのでもう一つ何か奢ります。何がいいですか?」

「……じゃ、じゃあお酒を、なーんて」

「水でも飲んでてください」

「じょじょ、冗談だって。そんな怖い顔しないでよ」

「僕も冗談です」

 

 いつもよりずっと控えめに絡まれながら会計を済ませる。レジの人には訝しげに見られた。

無遠慮だけど無理もない。血縁関係もなさそうな男女、それも大人と子供の組み合わせ。

片方は酷くおどおどしていて、もう片方は表情一つ動かない無愛想。危ない気配がする。

でも今更の話だ。彼女を連れて歩く時点で、そんな視線を向けられることは覚悟している。

それにこの程度なら。休憩所まで戻って来てから、後ろを歩いていた彼女の顔をじっと見る。

 

「きゅ、急にどうしたの? 私の顔、なんかついてる?」

「廣井さんの顔がついてます。今日も見られてよかったなって思ってました」

「……本当、悪い子になってきたね」

 

 今日はとてもいいものが見れた。この程度の苦労や気疲れなんて安い買い物。

それからは喜多さんからのSOSがあるまで、二人でのんびりと牛乳を飲んでいた。

 




次回「バンドは家族 表」です。


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第八話「バンドは家族 表」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 新学期が始まってしまうと、スターリーでのバイトもまたすぐに始まってしまった。

あぁ、どうして休みはこんなに早く終わっちゃうのかな。帰って来て冬休み。ビバ冬休み。

布団とコタツが恋しい。みかんも恋しい。家から一歩も出なくていい、穏やかな日々が恋しい。

そんな馬鹿みたいなことを考える私を放置して、虹夏ちゃんが重々しく口を開いた。

 

「リョウが学校とバイトに来なくなってから五日。そして後藤くんがお見舞いに通うようになってから三日が経ちました」

 

 そこで言葉を区切り、虹夏ちゃんは嫌そうに隅の方をちらりと見た。私もそれを追う。

追ってから後悔した。見なきゃよかった。どんよりとした黒い何かが視界を横切った。

 

「………………生きるのしんどい。病むわ」

「見ての通り、喜多ちゃんがそろそろ限界です」

「あっはい」

 

 そろそろというか、私にはもうとっくに限界なんて超えているようにも見える。

あのいつもキラキラ輝いて私を焼いてくる喜多ちゃんが、今は私と同じ種類の波動を放っている。

むしろ私よりよっぽど暗くて黒い気すらする。私が言っていいことじゃないけど凄く怖い。

私は自分のことを棚に上げて、体育座りで俯く喜多ちゃんから目を逸らした。あれはヤバい。

 

「あっ喜多ちゃんもですけど、リョウ先輩も心配です。こんなに来ないことって初めてですよね」

「ちょくちょくサボることはあったけど、ここまで長いのは初めてだね。どうして」

「それは恋ですよ!!」

「うわ」

 

 ぶつぶつと何かを呟いていた喜多ちゃんが、急にいつも以上の大声を出した。

当然私は固まって何も出来ない。虹夏ちゃんもびっくりして身を引いている。

そんな私たちを気にしないで、喜多ちゃんは高らかに自説を語り始めた。

 

「絶対恋です、男です! 女が突然変わる時、そこには大抵男の影があるんです!!」

「き、喜多ちゃん?」

「リョウ先輩も後藤先輩もあんなだから油断してたわ~! 間に挟まる隙も無いなんて~!! いつでも相談してくださいってあれほど言ったのに!! …………こうなったら今からでも強引に? いや、そんなことしたら先輩凄く叱ってきそう……でもそれはそれで? あぁ私はどうすれば、悩ましいわ~!!!」

 

 頭を抱え狂乱したように叫ぶ喜多ちゃんは、衝動のままに床を転がり始めた。

今日お兄ちゃんがいなくてよかった。もしいて見たら、ますますどうなっていたか分からない。

混乱に目を回す私の横で、虹夏ちゃんがいつも私に向ける視線を喜多ちゃんにぶつけていた。

 

「あっあの、初めて実感したんですけど」

「喜多ちゃんがヤバい奴だってこと?」

「あっそれはもう知ってます。自分より焦ってる人がいると落ち着くって、本当なんですね」

「確かにこれ見ると、なんか正気に戻らざるを得ないよね」

 

 いつも一緒にいるお兄ちゃんは落ち着いてて、焦った様子なんてほとんど見せない。

というか私がアレだから、私以上に慌てる人を見るなんて考えもしなかった。

その喜多ちゃんは、今度はどこか悔しそうに震え始めた。本当にヤバい。どうしよう。

 

「私はリョウ先輩の娘なのよ。それなのに、その私に何の断りも無いだなんて!」

「そろそろマジでヤバいなぁ」

「はっ、ちょっと待って。そうなると、後藤先輩は私のパパ……?」

「行くところまで行ったなぁ」

「子は鎹って言うわよね。つまり、私はもう間に挟まっている……?」

「家系図でもいいのかぁ」

 

 あまりにも喜多ちゃんが壊れすぎて、頼みの虹夏ちゃんもツッコミが雑になってきてる。

こ、これは不味い。虹夏ちゃんが喜多ちゃんを放置すれば、私が二人っきりになっちゃう。

人間関係初心者マークの私が、今の喜多ちゃんの対応なんて出来る訳が無い!!

どうしよう、あっそうだ、こういう時は病院だ。お兄ちゃんも、迷うくらいなら行こうねって言ってた。

 

「あっあの、喜多ちゃん大丈夫ですか? 駄目そうなら、今日は休んで病院に」

「えぇ、平気よ。心配してくれてありがとう、ひとり叔母様」

「お、おぉ、おばっ!?」

「あーやめて喜多ちゃん、今ぼっちちゃん貴重なツッコミだから持ってかないで?」

 

 お、おば、叔母さん? この年で叔母さん? 衝撃のあまり意識が飛びかける。

お兄ちゃんは結婚出来ないだろうから、ふたりが大人になってからだと思ってたのに。

泡を吹きそうになる私だったけど、虹夏ちゃんが叩いて修理してくれた。ギリギリセーフ。

 

 頭をぐるぐる回して、なんとか現世に意識のピントを合わせる。現実を見なきゃ。

現実、そう、現実。今一番現実に近いのはなに、そう、虹夏ちゃん。虹夏ちゃん見なきゃ。

ぐるぐるした頭と目で虹夏ちゃんを見ていると、視線に気づいた虹夏ちゃんが苦笑いした。

その時ふと思った。そもそもどうして二人が付き合ってることになってるんだろう。

 

「喜多ちゃん的には女が突然変わるのは男の影響だーって確信してて、んでリョウが仲いい男の子って後藤くんだけだから、それでじゃない? まあ結論ありきで発狂してるよね」

 

 口に出してないのに虹夏ちゃんが答えてくれた。いや多分これ、ぽろっと言っちゃってた!

うぅ、これもいつかなんとかしないと。お兄ちゃんがいたらさりげなく止めてくれるのに。

お兄ちゃん、そう、お兄ちゃんは本当にリョウ先輩と付き合ってないのかな。

喜多ちゃんの勘違いだと思うし、私も全然聞いてない。でもなんとなく、断言出来ない。

 

「あっあの、虹夏ちゃんは、変な勘違いしないんですか?」

「勘違い? なんの?」

「そ、その、お兄ちゃんとリョウ先輩が」

 

 そこまで聞いてピンときた虹夏ちゃんが、ますます苦笑いを深めた。

そしてそのまま両手を大きく横に振って、半笑いの声で否定した。

 

「あー、ないない。ないでしょ、あの二人なら」

「えっと」

「だってあのリョウに、あの後藤くんだよ? ありえないって。ぼっちちゃんもそう思わない?」

「あっはい。私もそう思います」

 

 想像以上に全否定だった。ありえないって断言までしてもらえて私も安心した。

お兄ちゃんに彼女が出来るなんてありえない。作りたいとも思ってない。私もそうは思ってる。

だけど最近のお兄ちゃんは私でも分からない時がある。あの、なんだか怖い大槻さんのこととか。

 

 それに恋愛なんて私にはまったく全然分からない。というか考えることすらおこがましい。

だから少し、ほんのり、ほんのちょっとだけ、もしかしたらって気持ちもあった。

でもあの虹夏ちゃん、超絶モテモテリア充の虹夏ちゃんがそう言うなら間違いない。よかった。

 

「えっと話戻すね。後藤くんの報告によると、リョウの作曲が上手くいってないみたい」

「あっはい。根を詰めてやってるよって聞いてます」

「だからしばらく様子を見ててあげてね、とも言ってたね」

 

 昨日一昨日と、帰り道でお兄ちゃんに聞いたら教えてくれた。

体調不良とか病気とかじゃないから大丈夫だよ、とも付け加えてた。

でも上手くいってないって聞くと心配になっちゃう。今回の作曲には凄いプレッシャーがある。

だってこれは未確認ライオットのために作るもの、今までで最高を目指すためのものだ。

私だって全然手をつけてないけど、この後する作詞のことを考えるだけで胃が、あがががが。

 

「そんでさっきあった連絡がこれ」

「えっと、『皆が来てくれたら解決するかもしれない』?」

「後藤くんもこう言ってるし、気にもなってたから一回家まで行ってみようか」

「あっはい」

 

 リョウ先輩のお家、どんなところなんだろう。あっお土産とか用意した方がいいのかな?

で、でも行き慣れてる虹夏ちゃんは手ぶらだし、そういうのは必要無いのかな?

どうしよう分からない。友達の家初めて。お見舞いも初めて。お兄ちゃんはどうしたんだろう。

一人で混乱しかけてたけど、喜多ちゃんが大きな声を上げたから何とか意識を戻せた。

 

「パパとママのところ行くの!?」

「パパとママ違うよ?」

「分かりました! さあ二人とも、早くパパとママに会いに行きましょう!!」

「なんも聞いてない分かってない。先に病院行こうかなぁ」

「あっ、か、帰って来れないかもしれないので、それは止めた方が」

「ぼっちちゃんも言うようになったなぁ」

 

 

 

 虹夏ちゃんに先導されるまま歩いて行くと、大きな大きな豪邸の前で止まった。

えっま、まさか、ここがリョウ先輩のお家? お嬢様だって言ってたけどここまで?

戦慄に震える私を尻目に、虹夏ちゃんはとても自然な様子でその豪邸を指し示した。

 

「という訳で、じゃーん。ここがリョウのお家でーす」

「わぁ凄い豪邸、ここが今日から私のお家なんですね!」

「に、虹夏ちゃん、やっぱり先に病院行った方がよかったかもしれません」

「……リョウの親病院やってるから、お邪魔してから考えようか」

 

 喜多ちゃんは元々結構ヤバい人だけど、ここまでじゃなかった。

お兄ちゃんとリョウ先輩が付き合ってるという、ありえない勘違いのせいでこうなってしまった。

いつもの太陽みたいなものとは全然違う、どこか狂気的な輝きが今も目に宿っている。

 

 諦めの詰まったため息を吐きながら虹夏ちゃんがインターホンを押す。迷いが無い。

えっわ、私まだ心の準備が出来てない。知らない人と、友達の家族と会う覚悟出来てない。

あっでも、リョウ先輩が出る可能性もある。じゃあリョウ先輩来いリョウ先輩来い!

そんな私の願いは叶わなかったけれど、代わりに慣れ親しんだ声が来てくれた。

 

『はい、どちら様でしょうか』

「……あれ、もしかして後藤くん?」

『そうだよ。そっちは虹夏さんと』

「私もいますよ~!!」

「あっわ、私もいるよ……?」

『よかった、皆来てくれたんだ。今開けるからちょっと待ってて』

 

 ぷつりと接続の切れる音がして、それからすぐに門の鍵が開いた。お兄ちゃんが開けてくれた。

だけど私たちは疑問に縛られて一歩も動けなかった。なんでお兄ちゃんが?

 

「……なんで後藤くんが来客の対応してるんだろう?」

「やだなぁ伊地知先輩。そんなのここに住んでるからに決まってるじゃないですか~」

「ちょっと黙ってて。壊れた喜多ちゃんの世界に引きずられそうになる」

 

 暗い瞳でケラケラ笑う喜多ちゃんに、虹夏ちゃんはチョップを入れていた。喜多ちゃん怖い。

どうしようもなくただオロオロしていると、お兄ちゃんが玄関から迎えに来てくれた。

 

「いらっしゃい、って僕が言うのもなんか変だよね」

「変というか不思議というか。リョウのお母さんとお父さんはどうしたの?」

「話せば長い、というより更に変な話になるんだけど」

 

 お兄ちゃんと虹夏ちゃんが話し始めたから私は手持ち無沙汰だ。

喜多ちゃんを見ると震えてしまうから、誤魔化すようにリョウ先輩のお家を見回す。

凄く広い。庭だけでこんなにある。感心してくるくる回っていると、テントを見つけた。

テント? 庭にどうして? じっと見ていると、寝袋が転がっているのが分かった。

中身が入ってるのもすぐ分かった。というかあれ、リョウ先輩だ!?

 

「あっあんなところにリョウ先輩います!」

「……なんだあれ」

「一応キャンプ中?」

「いや家の庭じゃん。めっちゃパソコン弄ってんじゃん。キャンプ舐め過ぎでしょ」

 

 呆れ果てた声と顔でボコボコに言いながら、虹夏ちゃんは早足でテントに近付く。

慌ててついて行くと、その足音でリョウ先輩も気づいたようでこっちに振り向いた。

寝袋からは出てこない。ころころ転がっていた。顔だけ出ててなんだかシュールだ。

 

「あれ、皆来たんだ」

「いい加減一度様子見ておこうと思って。で、これ何?」

「どこか遠くへ旅立とうとしたけど、面倒だから庭で妥協した」

「何割妥協した? 九割か?」

 

 いつもみたいに漫才を始めた二人を見て、なんとなく私はほっとしていた。

虹夏ちゃんも鋭いツッコミを入れているけれど、どことなく声も表情も明るい。

やっぱりなんだかんだ言いながら、虹夏ちゃんだってリョウ先輩のことを心配してた。

そんな暖かい気持ちも、喜多ちゃんがリョウ先輩にしがみつくことでどこかへ飛んでった。

あまりにもあんまりな様子だったから、さすがのリョウ先輩もぎょっとしている。

 

「そんな、私を置いて遠くへ行こうとするなんて! それネグレクトですよ!!」

「…………えっ?」

「もう、リョウ先輩には私を育てる義務があるんですから、しっかりしてください!!」

「………………………これ、郁代どうしたの?」

「何もしてないのに壊れた」

「それは何かした人の、じゃなくて、なにこれ」

「喜多ちゃんの残骸」

 

 虹夏ちゃんはそう吐き捨てた。私は震えてお兄ちゃんに縋ることしかできない。

そのお兄ちゃんは不思議そうに数秒考え込んだ後、そっと囁くように問いかけてくる。

 

「ひとり、喜多さんどうしたの?」

「えっと、お、お兄ちゃんとリョウ先輩を、お父さんお母さんだと思ってる?」

「なるほど、なるほど? えっどういうこと?」

 

 かくかくしかじか。頑張って今日の喜多ちゃんと、これまでのことを説明する。

我ながらたどたどしいものだったけど、お兄ちゃんはすぐに理解して納得してくれた。

それで何度か頷いた後、いい考えを思いついた、とでも言うように喜多ちゃんに声をかける。

 

「郁代ちゃん、大丈夫だからちょっと落ち着いてね」

「…………!? ぱ、パパ嫌い!!」

「嫌われちゃった。年頃の子って難しい」

「後藤くん、ややこしくなるから黙ってて」

 

 虹夏さんがぎろりと、店長さんのようにお兄ちゃんを鋭く睨んだ。

に、虹夏ちゃんが着々とストレスを溜めて来てる! 不味い、このままじゃ収拾がつかない!

一人で大慌てしていると、何かが転がる音と楽しそうな明るい声が耳に届いた。

 

「リョウちゃーん、バーベキューの準備出来たよ~!」

「あっリョウのお母さんとお父さんだ」

「げっ」

 

 若々しい男の人と女の人が、幸せいっぱいといった風にカートを転がしてきた。

あれがリョウ先輩のお父さんとお母さん。見かけた瞬間リョウ先輩はテントに飛び込んでた。

持って来たカートの上には美味しそうなお肉や野菜が乗っている。見てるとお腹空いちゃう。

 

 リョウ先輩のお父さんとお母さんとはいえ、初対面の人と目なんて合わせられない。

そんな言い訳を元に、カートの上の食材たちを眺める。うちの今日の晩御飯はなんだろう。

なんてぼんやりしていると、突然リョウ先輩のお母さんがお兄ちゃんへ宣戦布告した。

 

「さあ一人ちゃん、お母さんの座をかけてバーベキュー勝負よ! 今度こそ負けないわ~!」

「毎度妻がすまないね、一人君」

「こちらこそ毎日押しかけてすみません。それなのにお相手までしていただけて嬉しいです」

「むむむっ、その謙虚さと寛容さ、お母さんポイント三百点追加よ~!」

「……ありがとうございます?」

 

 勝負、お母さんの座、お母さんポイント。意味不明な言葉の羅列。

前もって聞いてた私はともかく虹夏ちゃんは、今の喜多ちゃんすら首を傾げて固まってしまった。

そんな私たちに気づいたリョウ先輩のお母さんが、ますます明るい笑みを深めた。

 

「虹夏ちゃんに、後ろの二人はバンドの子たち、一人ちゃんの妹ちゃんとお友達よね。いつもリョウちゃんと遊んでくれてありがとね~」

「よかったら君たちも食べていく? たくさんあるから遠慮しないでね」

 

 話しかけられてびっくりしたから、迷わずお兄ちゃんの背後に回ってからお辞儀する。

それから挨拶を終えた喜多ちゃんと虹夏ちゃんが、お兄ちゃんに詰め寄ろうとしていた。

 

「ご、後藤先輩、これは、いったいどういう状況なんですか!?」

「そうだよ。私後藤くんはお母さんに歓迎されて、お父さんには警戒されてると思ってた」

「……どこから話せばいいのかな。最初来た時は、虹夏さんの言った通りだったんだけど」

 

『えっと、君はうちの娘とどういう関係なのかな?』

『クラスメイトで友達です。あとバンドとしてはファンでもあります』

『リョウちゃんそうなの? 他にも何かあったりしない?』

『………この人はいつもご飯を作ってくれて、悪いことをすれば叱ってくる人。そうか、陛下は』

 

「私のお母さんですって、リョウさんに紹介されちゃって」

「正気か?」

「それで対抗意識持たれちゃって、ここ三日間お母さんの座をかけて勝負をしてる」

「えっなんで勝負? まさかその座欲しいの?」

「いらない。でも友達のお母さんを無下には出来ないから」

 

 意味の分からない会話をお兄ちゃんと虹夏ちゃんがしている横で、また喜多ちゃんが震えた。

目は虚ろでどこか遠くを見ている。空の向こうの何かと交信しているようにも見える。ヤバい。

 

「あっあの、喜多ちゃん大丈夫ですか?」

「私はリョウ先輩の娘、そしてリョウ先輩は後藤先輩の娘? いったいどういうことなの……?」

「こっちのセリフだよ」

「えっじゃあもしかして、後藤先輩は私のパパじゃなくてお婆ちゃん……!?」

「駄目だ。もう完全に脳が壊れてる」

「そんなまさか、挟まれたい私が、後藤先輩でリョウ先輩を挟むことになるなんて……」

「縦でもいいの?」

 

 喜多ちゃんも虹夏ちゃんも、限界ギリギリに見えてきた。もう駄目だ。もう一回だけ言おう。

今ならお兄ちゃんもいるし、私が言いきれなくて変な風になっても、なんとかしてくれるはず。

 

「あっき、喜多ちゃん、今日はもう帰りませんか? た、多分喜多ちゃんも疲れてます」

「いえ大丈夫。まだ私はいける。安心して、ひとり大叔母様」

「お、おおお、おおおお!?」

「……あーもう帰って寝てー。もうめんどくせー」

 

 とうとう虹夏ちゃんまでやさぐれてしまい、全てを放り出そうとしていた。

なのにお兄ちゃんは動揺一つしていない。虹夏さんいると楽だな、くらいには思ってそう。

その証拠に何も気にして無さそうな感じで、私たち皆に問いかけてきた。

 

「そういえば、皆来てるけどスターリーの方は大丈夫?」

「大丈夫って何が?」

「だって確か今日も、三人ともバイトだったよね?」

「あっ」

 

 発狂しかけていた喜多ちゃんも、ぐったりしていた虹夏ちゃんも、もちろん私も。

三人とも一斉に動きが止まった。そして数秒後、再起動した虹夏ちゃんが大慌てで声をあげた。

 

「や、ヤバい。お姉ちゃんに四人まとめて殺される!」

「あ、あばば、あががが」

「言ってなかったんだ。なら僕が代わりにスターリーに行って、お手伝いしてこようか?」

「いいの? というか働けるの?」

「裏方くらいなら大丈夫だよ。それに今一番皆のことが必要なのは、リョウさんだと思うから」

「後藤くんさえよければお願いしたいけど。リョウがねぇ、あいつそんな殊勝な奴かなぁ……」

 

 首を傾げすぎて斜めになる虹夏ちゃんを置いて、お兄ちゃんはリョウ先輩の両親に近付いた。

それから一言二言話すと、残念そうな二人にお辞儀して迷いも遠慮も無く家に入っていく。

少ししてから戻って来たお兄ちゃんは、すっかり帰り支度を済ませていた。

そこでリョウ先輩もやっと気づいたみたいで、テントから顔だけ出してお兄ちゃんを見上げていた。

 

「帰るの?」

「うん、スターリーの人手が足りないみたいだから。それにここからはバンドの話でしょ?」

「……ファン的に、残るという選択肢は」

「無いよ。大丈夫、自分と仲間を信じて」

 

 弱ったように、甘えたように声を出すリョウ先輩を、お兄ちゃんが励ましていた。

いったい何の話なんだろう。なんとなく聞きづらい。帰りに聞いたら教えてくれるかな。

 

「それとリョウさん、明日からは学校に来てね」

「行くから弁当もよろしく。あれが無いと生きていけない」

「お昼代取っておこうって考えは無いの?」

「無い。それに美味しくて好きだから、お金あっても食べさせて欲しい」

「……リョウさんは、人にお世話させるのが上手だよね」

「どやっ」

 

 今度は逆にお兄ちゃんは困ってそうで、リョウ先輩はドヤ顔になっていた。

でも、お兄ちゃんはそれ以上に嬉しそうだった。きっと、またリョウ先輩のお世話が出来るから。

リョウ先輩がお世話させるのが上手な人なら、お兄ちゃんはお世話するのが好きな人だ。

十五年以上してもらってる私が言うんだから間違いない。いやこれ自慢できることじゃない!

 

 一人で頭を抱えていると、いつの間にか私と虹夏ちゃんたちは家の前まで移動していた。

訳が分からなくて右手に感じる温かさを追うと、喜多ちゃんの手と笑顔が待っていた。

連れてきてもらっちゃった。も、申し訳無い! 恐縮する私を尻目に、虹夏ちゃんが呼びかける。

 

「リョウー、寒いから先部屋行っててもいいー?」

「鍵開いてるから好きに入って」

「えっ!? りょ、リョウ先輩の部屋、勝手に入ってもいいんですか!?」

「全然いいよー、私が許可する! あっでも、部屋中に楽器転がってるから気を付けてね」

「……じゃあ私の多弦ベースも、そこにあるかもしれないんですね!!」

「喜多ちゃん、まだ諦めきれてなかったんだね…………」

「ひとりちゃん、伊地知先輩、私の心のためにも、捜索手伝ってください!!」

「あっはい」

「色んな意味で手遅れじゃないかなぁ」

 

 やる気と元気と狂気と、ちょっぴり悲壮感に満ちた喜多ちゃんに、私たちは引きずられていく。

開け放たれた扉が閉まっていく。その向こうにはお兄ちゃんとリョウ先輩が見える。

リョウ先輩は迷いなく門へ歩くお兄ちゃんの後姿を、何故かじっと眺めていた。

 

 

 

 その後はリョウ先輩の部屋に行って、皆でセッションして、それで作曲の感触を掴んで。

たくさんの心配が解決した。新しい問題、作詞のことは忘れます。気にしません。心が折れる。

 

 今はリョウ先輩のお母さんとお父さんが用意してくれたバーベキューをしている。

肉も野菜もとてもおいしい。だからお兄ちゃんに申し訳なくなる。私たちだけでしていいのかな。

さっき連絡したら、僕のことは気にしないで楽しんでね、って言ってくれたけど。

何かお土産を、いや、バーベキューにお土産ってあるの? あっても言い出す勇気はない。

そうして葛藤しながら食べ進めていると、虹夏ちゃんが唐突に口を開いた。

 

「そういえば、この三日間どうだった?」

「何が?」

 

 不思議そうな返事をしながらも、リョウ先輩の箸は止まらない。

その様子に呆れ果てた目を向けながら、虹夏ちゃんは言葉を続ける。

 

「いやずっと後藤くんにお世話されてたんでしょ? ある意味マネージャー先行体験じゃん」

「あっ言われてみるとそうですね! どんな感じでしたか?」

「……」

 

 そう言われてやっとリョウ先輩の動きが止まった。一度箸を止めて思考に沈む。

さらっと感想が返ってくると思っていたのに来ない。ま、まさかお兄ちゃん何かやっちゃった?

 

「あー、言ってた通り過干渉とか凄かった?」

「あ、ああ、兄がすみません!!」

「そんなことはなかった、というかほとんど傍にいなかった」

 

 傍にいなかった? 慌てていた私も含めて、皆で首を捻ってしまう。

そんな私たちに教えるように、リョウ先輩は遠くで花火を準備する両親を指差した。

 

「あの人たちの防波堤になってもらってたから」

「えぇ……気の毒に…………」

「ナイス肉壁だった」

「いや言い方」

 

 リョウ先輩は虹夏ちゃんの鋭いツッコミにもまったく動じていない。いつも通りの二人だ。

だけどそこから先はいつも通りじゃなかった。続いた話し方に私は腰を抜かしかけてしまった。

 

「でも、陛下に来てもらえてよかった。これは確か」

 

 噛み締めるような、感謝の篭った言い方。普段のリョウ先輩ならしない話し方。

陛下は魔王らしく超いい壁だったーがっはっはー、なんて言葉を予想してた私はびっくりだ。

私ほどじゃなくても、虹夏ちゃんも喜多ちゃんも驚いているみたいだ。

 

「……そんな殊勝になるなんて、なんかあったの?」

「教えてください、リョウ先輩!!」

 

 その証拠に虹夏ちゃんは、目を丸くしながら慎重に探ろうとしている。

それに続いて興味津々の喜多ちゃんも、リョウ先輩に勢いよく詰め寄っていた。

でも私は何もしない。黙る。空気になる。だ、だって、昨日までのことならほとんど聞いてる。

今日あったことだって、きっと帰り道でお兄ちゃんに教えてもらえる。それを悟られたくない!

空気、そう私は空気。黙ってバーベキューする空気。あっここ焦げてる。取っておこう。

 

 私が空気と一体化し、焦げ取りバーベキューマシンになる中、リョウ先輩が動き出した。

持っていたお皿と箸を置くと、体を斜めにしながらウインクし、人差し指を唇の前で立てる。

そして跳ねるような声と動きで、私たちにこう告げた。

 

「秘密っ」

 

 それを見た、聞いた虹夏ちゃんは、バーベキューの火が消えそうなほど冷たい声を発した。

 

「…………何そのクソあざとい仕草」

「虹夏の真似」

「は!? えっ、私そんなことしてないよね、喜多ちゃん?」

「あー」

「納得の鳴き声!? ぼ、ぼっちちゃんは」

「……………」

「無言で焦げと戦ってる!? 無視!?」




次回「バンドは家族 裏」です。


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第九話「バンドは家族 裏」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 一月冬休み明けの昼休み、僕は虹夏さんと二人で昼食をとっていた。

いないもう一人、リョウさんの弁当から卵焼きを摘まみつつ、虹夏さんが問いかけてくる。

 

「後藤くんちの卵焼きって美味しいけど、なんか不思議な味するね。これ何入れてるの?」

「甘酒と白出汁。この間ちょっと気になったから実験してみた」

「じゃあこれ実験作かぁ。リョウの弁当って、そういうのにも使ってたんだ」

「せっかくだからね。家族に出す前に色々と試させてもらってる」

「うんうん。ただ飯食わせてやってるんだから、それくらいはしていいと思う」

 

 音楽とかファッションとか、知らないことを教えてもらっているから厳密にはただ飯じゃない。

庇っているようにしか聞こえないから口には出さない。僕とリョウさんが納得していればいい。

だからこれは問題じゃない。今日の、ここ数日の問題は、彼女が連日休み続けていることだ。

 

「で、そのリョウだけど、結局学校にも来なかったね」

「昨日と一昨日、バイトも休んだんだっけ?」

「この分だと今日もだね。お姉ちゃんのブチギレレベルがどんどん上がってくよ。今は鬼レベル」

 

 両手の人差し指で作った角を虹夏さんは頭の上でアピールしていた。

僕からすると目の前の彼女と同じくらい、星歌さんも微笑ましくて優しい人だ。

鬼のよう、と言われてアピールされても、まったく恐ろしさも緊張感も伝わらない。

 

「星歌さんってそんなに怒るの? 全然想像つかない」

「怒る怒る。あーそっかそういえば、なーんかお姉ちゃん、後藤くんには甘いからなぁ」

「確かにいつも優しくしてもらってるけど。でも虹夏さんにはもっと優しいよ」

「えー、そんなことないよ。すぐ意地悪言うし、素直じゃないし、からかってくるし」

「それも優しさだって。ほら、僕も同じシスコンだから、そういうのよく分かるんだ」

「嫌な方向に説得力出してきた」

 

 うんざりしたような半目で見てくるけれど、事実だからしょうがない。僕達はシスコンだ。

出力の仕方は違うけれど星歌さんも妹を、虹夏さんを愛している。これも間違いなく事実だ。

 

「それで話戻すけど、そろそろリョウのことどうにかしないと」

「土日挟んじゃうからね。どうして休んでるのか、虹夏さんは分かる?」

「多分作曲のことで悩んでるんだと思う。私、プレッシャーかけちゃったかも」

 

 後悔と反省を滲ませながら、ため息と同時に虹夏さんが吐き出した。

それから気を取り直すように首を振り、腕を組んでから言葉を続ける。

 

「だからどうにかするって言っても、何したらいいのか分からないんだよね」

「とりあえず様子見に行く? 会って話せば何か変わるかもしれないよ」

「でも今日私、というか皆バイトなんだ。私たちまで抜けるとお姉ちゃんがどうなるか」

「なら、僕だけでも行こうか?」

 

 僕の提案に虹夏さんは目を丸くしていた。そんなに意外なことかな。

 

「……いいの?」

「僕も気になるから。万が一、普通に病気とかかもしれないし」

「それは億が一無いと思う。あいつは体調悪い時、めっちゃアピールしてくるタイプだから」

 

 言われてみると確かに目に浮かぶようだ。これ見よがしに咳とかしそう。

だから休むとか、代わりにあれやって、とかも言いそう。これ以上は陰口だ、やめておこう。

僕が自制をしている間に、虹夏さんは難しそうな顔になっていた。そのままぼそりと呟く。

 

「あー、でもそっかぁ家か、家なんだよなぁ」

「家……そっか、御家族も当然いるよね。なら挨拶とかお土産とか用意した方が」

「いやうん、ここで言っても何の対策も出来ないし、後藤くんが考えると逆にあれな気もするし」

「虹夏さん?」

「もしかしたら奇跡的に、溺愛同士で何か化学反応が起きるかもしれないし」

「あの?」

「……無理だったら、いつでも帰って来ていいからね!」

「えっと、はい、頑張ります」

 

 こんな風に不安を煽るだけ煽ってから、虹夏さんは僕を見送ってくれた。

 

 

 

 そうして向かったリョウさんの家。困惑されながら通された玄関で爆弾発言が落とされた。

 

「この人は、私のお母さんです」

 

 そんな意味不明な紹介もあり、当然ながら山田家に一波乱が起きた。

混乱に目を白黒とするお父さん、立場を取られ卒倒するお母さん、何故か満足げなリョウさん。

そして僕は動けない。訳が分からな過ぎて、どうすればいいのか判断もつかない。

 

 この状況を終わらせたのは、いち早く立ち直ったリョウさんのお母さんだった。

彼女はなんとか身を起こすと、目じりに涙を溜めながら僕を指差し、宣戦布告した。

 

「こ、こうなったら、リョウちゃんのお母さんの座をかけて勝負よ~!!」

「えっ」

「ま、ママ、気持ちは分かるけど、お見舞いに来てくれた子にいきなりそんなことは」

「ならパパは、この人は私のお父さんです、って女の子紹介されても我慢できるの!?」

「……悪いね後藤君、少し付き合ってくれないかな」

「えっ」

 

 リョウさんのお父さんまで乗り気になってしまうと、僕にはどうしようも出来ない。

これを何とか出来るのは、彼らの娘のリョウさんだけ。その彼女は既に逃走の準備を進めていた。

 

「じゃあ陛下、あとはよろしく」

「待ってリョウさん、この状況から逃げないで、責任は取って」

「今作曲のインスピレーションが降りてきた。じゃんじゃん書ける気がするから止めないで」

「それ嘘でしょ。眠気しか顔から伝わってこないよ」

「くっ見破られるとは。さすがは私のお母さん」

「む~」

「これ以上煽らないで?」

 

 それから勝負の準備をしてくる、とリョウさんの御両親は言い残し、家の奥へと消えて行った。

取り残された僕へリョウさんが歓迎するように両手を広げ、ふざけたことを言い出した。

 

「改めていらっしゃい、お母さん」

「こんな大きい娘を持った覚えはありません」

「ネグレクトされた。よよよ」

 

 わざとらしいウソ泣きをしながら目じりを拭う。ネグレクトってなに、意味は分かるけどなに。

やがて演技も飽きたのか、彼女はいつものケロっとした顔に戻りそのまま質問を続ける。

 

「まあいいや。それで陛下は、今日何しに来たの?」

「バイトも学校も休んでるし、連絡も取れないから心配になって」

「……それはごめん」

「それでお見舞いに来ました。こっちこそ突然来てごめんね」

 

 僕の謝罪に彼女は黙って首を横に振った。よかった、最悪帰れ、とか言われると思ってた。

一安心したところで、届け物があったことを思い出した。また忘れる前に渡しておこう。

 

「あと、はいプリント。月曜までの宿題も持って来たよ」

「げっ」

 

 もしかしたらやっぱり帰れって言われるかもしれない。そんな顔になった。

幸いそんなことはなかったけれど、代わりに揉み手をしながら凄い勢いで迫って来た。

 

「陛下、私は今未確認ライオットのための作曲という重大な仕事中」

「宿題は代わりにやらないよ?」

「この前の、結束バンドのためならなんでもやるっていう陛下の言葉、感動した」

「やらないよ?」

「……」

「……」

 

 睨みあい、にはならない。後ろめたいのか今もトラウマなのか、彼女は視線を逸らした。

そしてそのまま照明を眺めながら、話まで逸らそうとした。そこまで宿題やりたくないの?

 

「宿題をやらずに音楽に耽る。これってロックじゃない?」

「それはロックじゃなくてただのわがまま。何も格好良くないよ」

「…………お母さんみたいなこと言うね」

「最初にそう呼んだのはリョウさんでしょ」

「そうだった」

 

 なるほど、とでも言うように手を打つ。納得されても困る。僕はお母さんじゃない。

でも言ってもどうせ無駄だろうから、リョウさんがこれにも飽きるまで放って置こう。

それよりも今は作曲のこと、彼女の悩みのために力になることが先決だ。

 

「宿題は一旦置いといて、他に何か出来ることはある?」

「何の話?」

「作曲のお手伝い。終わらないと、いつまでも学校来れないでしょ?」

 

 定期テストを除いてリョウさんの成績は悪い。ついでに生活態度も酷い。

遅刻やサボりは数えきれないし、課題はほぼ提出せず、授業は聞かずに寝てばかりいる。

このまま休み続けると留年まで視野に入るから、早く学校に来て欲しい。あと僕が寂しい。

 

「宿題以外、宿題以外……」

「それ以外なら何でも言ってね。リョウさんの力になりたいから」

 

 その時御両親が消えた先から、さっき聞いた覚えのある声がした。ついでに視線も感じる。

振り向くと隠れきれていない頭が二つ縦に並んでいた。隠れる気あるのかな、あれ。

 

「ね、ねぇパパ、リョウちゃんたち何話してるか聞こえる?」

「ごめんねママ、あんまりはっきりとは。でも何回かお母さんって言ってるみたい」

「くぅ、わ、私のリョウちゃんが取られちゃう、早く勝負しないと!!」

 

 別にリョウさんを取るつもりはないし、お母さんの座なんてもっといらないのだけど。

というかどっちももらっても困る。そうして困惑する僕の肩を、リョウさんがそっと叩いた。

 

「それじゃ作曲してる間、あの人たちの相手お願い」

「………………………他に無い?」

「無い。よろしく」

 

 無いらしい。思わずため息を吐きそうになる僕へ、彼女は迷わず追撃を加えた。

 

「あと土日はもっと干渉が強いから、明日と明後日もお願い」

「えっ」

 

 

 

 そんな任務をリョウさんから預かって三日目、日曜日。

 

「この頃のリョウちゃんは、お人形さんみたいに可愛かったなぁ……」

「こういう服も似合うんですね。今はあまり見ないので新鮮です」

「でしょ~? あっいくら魅力的でも、あんまりジロジロ見ちゃだめよ。女の子はそういうの分かるんだから」

「妹にも以前同じようなことを言われました。気を付けるようにします」

「妹さんってことは、バンドメンバーの子?」

「そちらではなくて下の子、五歳の子の方です」

「あらおしゃまさん。可愛い盛りじゃない~」

 

 僕はリョウさんのお母さんとお父さんと仲良くなっていた。

 

「はっいけないいけない。さあ一人ちゃん、そろそろお母さん勝負の時間よ~!」

「分かりました。次は何をしますか?」

「そうね、じゃあ人生ゲームはどうかしら~。パパも一緒にやりましょ~」

「僕も参加していいの?」

「もちろん、こういうのは人数多い方が楽しいのよ~」

 

 そんな風に三人でわいわいしていると、呆れ果てた声がリビングに響いた。

 

「勝負はどうした、勝負は」

 

 リョウさんだ。普段の冷めた目が、冷たさを感じるくらいにまで更に沈んでいる。

対照的に御両親二人は輝きだした。喜多さんみたいだ、なんて言ったら怒られるかな。

何故か二人とも感極まって何も言わない様子だから、僕の方から彼女も誘おう。

 

「リョウさんも一緒にやる?」

「やらない」

「まあまあ一人君もこう言ってるし、リョウちゃんもどうだい?」

「だからやらないって。というか、えっなんで仲良くなってるの?」

 

 なんでって、なんでだろう。僕にも分からない。答えを求めて二人の方を見る。

自然と目が合うけれど、まるで気絶する気配は無い。代わりにサムズアップが二つ返って来た。

 

「お母さんの座を巡る戦いの中で、熱い友情が芽生えたのよ~」

「いい戦いだったねぇ。あれをずっと見てたら、誰だってこうなるよ」

「私の知らないところで、いったいどんな戦いが……?」

「ロインも交換したわ~」

「したよ~」

「マジかよ」

 

 もの凄く疑わし気に見られるけれど、そんな特別なことは何も無かったはず。

あれから今日まで、リョウさんの昔話を聞きながらお母さん勝負を引き受けていただけだ。

ちなみにそれっぽい勝負は最初だけだった。料理や洗濯、掃除など、すぐにアイデアが尽きた。

途中からはチェスとかトランプとか、何故か一緒に遊んでもらっていた覚えしかない。

 

「寂しいけどしょうがない。リョウちゃん抜きでゲームを始めようか」

「それじゃリョウちゃんトークを続けるために、アルバム持ってくるわね~。さっき九歳編十三巻が終わったから、次からは十歳編よ~」

「は?」

「確かこの年からベースを始めるんですよね。楽しみです」

「あら覚えててくれたの~? 嬉しいわ~」

「当然です。お二人のお話は愛情に溢れてて、聞いていてとても楽しいので」

「あらあらお上手ね~」

 

 リョウさんのお母さんは、ほほほ、と照れた様子で微笑んでいる。嘘を言ったつもりはない。

この三日間でよく分かった。御両親揃ってリョウさんのことをとても深く愛している。

そして僕が言うのもなんだけど、過干渉で過保護なのも分かった。鬱陶しく思うのも無理はない。

それでもその愛情の大きさと重さにはどこか共感出来て、安心感すら僕は覚えていた。

 

「陛下、もういいから」

「えっでもリョウさんトーク気になるし」

「なんで浸食されてるの?」

 

 だからそのままリョウさんトークを聞こうとしていると、その彼女に腕を引かれた。

僕を椅子から引きあげようと思い切り力を込めている。眉間に皺が寄っていて顔も赤い。

かなり本気だ。珍しいものを見たなぁなんて思いつつ、僕は抵抗して座り続けた。

 

「じゃあリョウちゃんトーク十歳編始めるわよ~」

「や、やめ」

「リョウちゃんはね~あの頃からツンデレさんでね~」

「やめろッ!!」

 

 

 

 そうして引きずられるようにして、リョウさんの部屋まで連れてこられた。

ギターやベース、バイオリン等々、種類を問わずあちらこちらに楽器が転がっている。

しかも見る限りハイエンドばかり。金欠にもなる。というか、よくそれだけで済んでいる。

 

「酷い目にあった」

「お疲れ様」

「半分以上は陛下のせいだけど、分かってる?」

「そう言われても、相手してねって言ったのはリョウさんだし」

「ぐっ」

 

 うめき声とともに深いため息を二回ほどしてから、リョウさんは顔を上げた。

それから部屋の入口に近付くと扉を開け、顔を出して辺りを窺う。両親を探しているようだ。

 

「……見に来てないよね」

「来ないと思う。さっきお願いしたら、頑張って我慢するって言ってもらえたから」

「本当に?」

「ハンカチ噛みながらだけどね」

 

 実際にそんなことする人初めて見た。しかも夫婦揃ってやってた。仲良し、夫婦円満だ。

さっき見た新しい夫婦の形を思い出しながら、僕は僕と、リョウさんの三日間の成果を確認した。

 

「それでここ三日は解放されてたけど、調子はどう?」

「……まだ全然」

「落ちてるこの曲は?」

「ボツ。こんなつまらない曲じゃ、デモ審査も通らない」

「そうなんだ。それはそれとして聴いてみてもいい?」

「駄目。ファンにこんなの、聴かせられない」

「そっか。残念」

 

 ちらっと見た限り、同じような曲が辺り一面に転がっている。

どうやら想像してたよりもずっと作曲は難航しているらしい。というより、自信が無いのかな。

僕はひとりと違って、一瞬譜面を見ただけじゃ曲を把握しきれない。聴かないと何も言えない。

この場合何をすべきなのか。頭を悩ませていると、リョウさんが変な質問を投げかけてきた。

 

「……もしも」

「?」

「……陛下は、もしも私たちがデモ審査で落ちたら、どうする?」

 

 突然のもしもに驚いてしまった。落ちたらどうするか、考えたことも無かった。

一人で悩み続けていたせいで、いつも以上に彼女は繊細になってしまっているようだ。

とにかく何か返さないと。こういう時は黙っているのが一番よくない反応だ。

 

「…………残念会を開く?」

「それだけ?」

「えっ、じゃあそうだね、残念ライブもやってみるとか」

「残念ライブって何?」

「ごめん、言ってみただけだから、僕もよく分からない」

 

 自分で言っておいてなんだけど、本当に残念ライブって何だろう。

落選者同士で集まって合同ライブでも開くんだろうか。それはそれで面白そうだ。

ただこれはリョウさんの求める答えじゃないだろう。現に若干彼女の目が座っている。

 

「それくらいしか思い浮かばないけど、他に何かあるの?」

「……」

 

 他に何か特別な行事でもあるのかな。こういうことに関わるのは初めてだから知らない。

僕の疑問が本気だと伝わったのか、長い長い沈黙の後、消えるような声で彼女は答えてくれた。

 

「……………………………………………………………………………………ファンをやめる、とか」

 

 ファンをやめる、誰が、話の流れとしては僕が、えっ僕が? どうして?

本当にまったく分からなくて困惑する。なんでそんなことで僕が、そんなことを。

だからマナー違反と知りながらも、オウム返しをすることしか出来なかった。

 

「……なんでやめることになるの?」

「本気でやってその程度なら、失望されてもおかしくないから」

 

 一度整理しよう。リョウさんは本気で言ってるように見える。

デモ審査に落ちた程度で僕がファンをやめると思っている。舐められたものだ。

なんて言おうか。二秒考えて決めた。こういう時は極論だな。大袈裟に言おう。

 

「今からあえて誤解を招くような言い方をします」

「?」

「だから誤解しないでね」

 

 疑問を全身に浮かべながらも、リョウさんは頷きを返してくれた。言質は取れた。

なら普段は言えないことを、言ってはいけない本心を、大袈裟に言わせてもらおう。

 

「未確認ライオットのグランプリを取れるかどうかなんて、僕はどうでもいいと思ってる」

 

 僕の言葉にリョウさんは目を見開いた。驚き、怒り、悲しみ、様々な感情が揺れている。

そのままそれを言葉にしようとした瞬間、何かに気づいたように飲み込んだ。前置きしてよかった。

 

「どうでもいいってそれはっ…………あっこれが誤解?」

「そういうこと。もうちょっとだけ聞いてくれるかな」

「……うん」

 

 落ち着きを取り戻した彼女は言葉少なく頷いた。ここからが勝負どころだ。

 

「グランプリも落選も、結局は知らない他人の評価に過ぎない。それでファンになるとかならないとかは絶対に無い。何一つ関係無い。僕は僕が好きだと思ったから、結束バンドのファンなんだ」

 

 紛れもない本心だ。他人が称賛しようとこき下ろそうと、僕の気持ちは変わらない。

もちろん皆が褒められたら嬉しいし、貶されたら不愉快にはなる。でもそれ以上は無い。

そんな話をリョウさんは黙って聞いていた。とりあえず、このまま続けよう。

 

「ひとりから聞いたよ。バラバラな個性が集まって一つの音楽になって、だっけ?」

「名言みたいに言われると恥ずかしい」

「ううん、実際凄くいい言葉だと思う。これ聞いて、初めてリョウさんのこと好きになれたし」

「……………………えっ初めて?」

「あっ気にしないで、言葉の綾だから」

 

 危ない危ない。これは言わなくてもいいことだった。墓まで持って行くべきことだ。

誤魔化しも兼ねてさっさと話を進めよう。追及されるとまた別の話になってしまう。

 

「文化祭のライブはそれが出来てたと思う」

「それで、あの時ファンになったって?」

「うん。初めて今までずっと見たかったものを見られて、聴きたかったものを聴けたから」

 

 互いに支えて、支えられて。信じて、信じられて。

十年以上ひとりが求め続けたもので、僕がどうにかすべきで、なのにずっと出来なかったこと。

今と比べれば拙いライブだった。それでも、一番感動したライブはあの時だった。

 

「僕はリョウさんのファンで、友達だから。ありのままのリョウさんが見たい、見せてほしい。自分を信じて、自分を出した音楽を聴かせてくれたら、それだけで十分だよ。失望なんてしない」

「さらっと難しいこと言うね」

「……そうだね。確かに、一番難しいことかもしれない」

 

 だとしても僕が望むことはそれだけだ。僕の気持ちに限れば、周りの評価なんてどうでもいい。

その気持ちが伝わったのか、それともここからが本題なのか。彼女は更に不安を口にした。

 

「……陛下はそうでも、皆はもうバンドが嫌になるかもしれない」

「そんなことはないと思うけど」

「もしもの話」

「じゃあもしそうなったら、一緒に皆を説得しよう」

 

 僕の言葉にリョウさんがばっと顔を上げた。そして目が合う、今度は逸らされない。

こんな風にちゃんと目が合うのは初めてかもしれないな、なんて場違いなことを思った。

 

「また一緒に音楽やろうって。バンドを組もうって」

「…………嫌がってても?」

「嫌がってても。僕がずっと結束バンドの音楽が聴きたいから」

 

 もうひとりには後が無いから、とか理由は並べられるけど、結局は僕がそう望んでいるから。

酷いエゴだと自分でも思う。だけど、今は正直な気持ちを告げるのが一番のような気がした。

 

「結構、身勝手だね」

「ファンなんてそんなものでしょ」

「確かに」

 

 そこで初めてリョウさんが笑ってくれた。三日目でやっとだ。ようやく胸を撫で下ろす。

これならもう僕に出来ることは、僕の出番は無い。あとは皆の、結束バンドの仕事だ。

そう判断して話を区切る。振り返ってみると話にまとまりがない。まだまだ修行が足りない。

 

「以上です。ごめん、結局上手く言えなかった気がする」

「……陛下が私のことを好きすぎることだけはよく分かった」

「それが伝わったならよかった」

 

 結局のところ、僕はただのファンに過ぎない。専門的な指摘や助言をする立場にない。

仮にあったとしてもするつもりはなかった。そういう干渉は、きっとリョウさんも嫌だろう。

だから僕に許されるは、気持ちを伝えて応援すること、優しく彼女の背中を押すことだけだ。

こんな反応がもらえるのなら、ちゃんと伝えられたんだろう。長々と話し続けた甲斐があった。

そうして僕は一安心していたけれど、対照的にリョウさんは変に神妙な表情を浮かべていた。

 

「そういうこと軽々しく言うなって、前虹夏に怒られてなかった?」

「軽々しくじゃないよ。真剣に言ってる」

 

 目が合ったままそう告げると、返って来たのは今日一番のため息だった。

酷い時の虹夏さんと同じくらいだ。呆れと何かを強く感じる。嫌悪は無いからいい。

我ながらどうかとは思うけど、こんな反応されるのはもういつものことだった。

 

「……そっか、だから虹夏はたまにこんな風に」

 

 そんなよく分からない呟きをした後、リョウさんは唐突に入口近くまで移動した。

それから扉を開いて外を指差すと、再び意図の読めないおねだりを僕にしてくる。

 

「……外でキャンプしたいから、テント張ってきてくれる? 場所はあの人たちに聞いて」

「それはいいけどこの時期に? 風邪引いちゃうよ」

「寝泊まりはしない。ちょっとだけ外の空気に触れたいだけ」

 

 それでもわざわざテントを張るまでもない気がする。なんならベランダで十分じゃ。

疑問から動き出そうとしない僕を見て、彼女はそっぽを向きながら理由を重ねた。

 

「…………しばらく顔、冷やしたいから」

 

 そう呟く彼女の髪から覗く耳は、赤く染まっていた。

 

 

 

 それからはテントを張って、皆が来て、代わりにスターリーで働いて、ひとりを迎えに行って。

今はもう皆と別れて、ひとりと二人での帰り道だ。やっと気を落ち着けられる。

 

「ひとり、バーベキュー美味しかった?」

「うん! あっご、ごめんね、お兄ちゃんは食べてないのに」

「楽しめたならよかった。それに僕も、夕飯は食べてきたから大丈夫だよ」

「えっが、外食出来たの?」

「星歌さんが行きつけのところ誘ってくれて、それでご一緒させてもらった」

「て、店長さんと? だ、大丈夫だった?」

「もちろん大丈夫。スターリー近くにある洋食屋さんでね、ハンバーグ食べたけど美味しかったよ」

 

 路地裏にひっそりとあるお店だった。連れて行ってもらえなければ一生行けなかったはず。

お店の人や店内の雰囲気も落ち着いていて、ひとりでもなんとか行けそうなくらいだった。

そして何より味もいい。そんなところも知ってるなんて流石は星歌さんだ。

 

「他にもオムライスとか唐揚げとか、ひとりが好きなのもたくさんあったよ。今度行こうか」

「……お兄ちゃんが食べて覚えて、それを家で再現するのは?」

「ちょっと難しいかなぁ。やっぱりプロは違うよ」

 

 腕か食材か機材か、それとも全部か。とにかく味の深みが違う。プロの仕事だった。

あれだけの味を出すには、きっと本格的に料理の道を進む必要がある。そこまでは出来ない。

僕の返事に落胆したものの、ひとりはすぐに気を取り直して、別のことを問い直してきた。

 

「そういえばお兄ちゃん、今日はリョウさんとどんな話したの?」

「今日もリョウさんというより、御両親二人との方が話してた気はする」

「……お母さんポイント、どれくらい貯まった?」

「一万超えたあたりから数えてない」

 

 貯まるとどうなるのか、何ポイントでどれくらいお母さんなのか、意味はあるのか。

楽しそうだったから止めなかった。でも何もかも分からないから、途中で考えるのはやめた。

そもそも僕はお母さんじゃない。目指してもいない。せめてお父さんにして欲しい。

 

「お母さん云々はもういいよ。とりあえず、リョウさんのスランプが終わってよかった」

「…………か、代わりにこれからは、私のスランプが始まります」

「もう始まってるんだ」

「だ、だって、これからの作詞を考えると、ぷぷ、ぷプレッシャーが」

「手伝えることがあったら言ってね。徹夜と宿題以外ならなんでもやるよ」

「あっじゃあ、数学のプリントと英文翻訳を代わりに」

「それは一緒にやろうね」

 

 がっくりとひとりは項垂れてしまった。いつも断ってるのに、どうしてまだ諦めないのか。

この分だと徹夜もしそうだ。バイトや練習のスケジュールも考えると、一徹は見過ごそう。

それ以上は止める。徹夜してもどうせ授業中に寝るだろうから、自己満足で不健康になるだけだ。

 

「そんなにプレッシャー凄いのは、未確認ライオットのことがあるから?」

「それもあるけど今回の曲凄い良くて、見合うものって考えると、うっ、い、胃が重たい……!」

「ただの食べすぎじゃない?」

 

 からかうように言ってみると背中を叩かれてしまった。最近のひとりは手が出るようになった。

虹夏さんの影響かな。大体僕が悪い時だし、僕以外にすることもないだろうから、別にいいか。

 

「ごめんごめん。ひとりがそれだけ言うってことは、そんなにいい曲だったんだね」

「うん、ってあれ、お兄ちゃんは聴いてないの?」

「聴いてはないよ。でも言うだけ言った甲斐はあったなって」

「?」

 

 それにしても、自分を信じて自分を出して、か。

 

「ふふっ」

「あっど、どうしたの?」

「ううん、ごめんね、なんでもないよ」

 

 どの口が言うんだか、笑える。




次回「アラサー女性三人組が男子高校生に女装を強要する話、または事案」です。


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第十話「アラサー女性三人組が高校生男子に女装を強要する話、または事案」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。

多分キャラ崩壊してます。原作はきっともっとライトです。


 リョウさんが学校に来るようになってから数日が経った。

今日も今日とて僕は放課後スターリーへ向かっている。今朝星歌さんに呼ばれたからだ。

用件はまだ聞いてない。妙に口ぶりが重かったけれど、時期的に確定申告の話とかかな。

何であれ頼られたなら頑張ろう。そんな決意とともに、僕は入口の重い扉を開いた。

 

「いや~先輩可愛いですね~。私が男だったら付き合いたいくらいですよ~」

「は? 誰がお前なんかと付き合うか。冗談は酒だけにしろ」

「…………失礼しました」

「あっ」

 

 そして閉じた。僕は何も見なかった、聞かなかった。今ここには誰もいなかった。

記憶をシャットアウト。感情を閉じ込める。意識を一定に留める。その上で判断した。

今日は帰ろう。それだけを考えてUターンすると、肩を全力で掴まれた。振り向きたくない。

 

「おい待て」

「僕は何も見ていません。今日は用事があってスターリーには来れませんでした。さようなら」

「いやお前の用事はここにある。いいから入れ、入って。この格好で外にいたくない」

 

 強引に振り向かされて、改めて視界に入ってしまう。目を瞑ろうにも体が動かない。

諦めて目の前の光景を確認する。ピンクのカーディガン、ブレザーにスカート。学校の制服だ。

毎日どこかで見ている服装。それが僕を壊そうとするのは、誰が着ているか、ということだった。

 

「……なんで、制服着てるんですか、星歌さん」

「……………………………」

 

 僕の質問に星歌さんは何も答えず、頬の紅潮をますます深めていくだけだった。

 

 

 

「つまり、廣井さんが星歌さんの私物を勝手に持ち出して、その上で着るように唆したと」

「それはその通りなんだけどさ~なんか言い方にトゲ無い?」

「ありません」

「あるよー。普段はもっと優しい言い方じゃん」

「だとしたら、見たくもないもの見せられたせいかもしれません」

 

 思わず吐き捨てるように言ってしまった。苛立ちが隠せていない。もっと冷静にならないと。

そんな僕の言い方に縮こまって座っていた大人二人が、ますます小さくなってしまった。

星歌さんと、彼女と同じく何故か制服を着ていたPAさんだ。こっちは黒いブレザーだ。

 

「……お見苦しいものをお見せしてごめんなさい」

「今なら現役女子高生とも張り合えるかも、なんて思ってごめんなさい……」

「あっいえ、そんなことは。お二人ともよくお似合いだと思います」

 

 これは本心だ。制服を着なくなってから十年は経っているだろうけど、違和感はあまりない。

二人とも美人だから似合っているし、少なくとも諦観や絶望は湧いてこない。なんだこの感想。

 

「本当ですか? 私たち、現役の子たちに負けてませんか?」

「それは分かりませんけど。その、見てて吐き気はしないので」

「基準が酷くない?」

「うぅ、は、吐き気……」

「ほらまた泣き出しちゃった」

 

 僕の下手な感想にPAさんがさめざめと泣き始めてしまった。どうしよう。

変な話、泣かれてしまうのが一番困ってしまう。気絶や嘔吐、溶解の方がまだ慣れている。

自分で言っててどうかと思う。駄目だな、まだまだ動揺している。落ち着け。

 

「すみません。大人の制服姿に嫌な思い出があって、つい反射的に」

「随分限定的なトラウマだけど、何かあったの?」

「おい馬鹿やめろ、掘り下げるな」

 

 星歌さんが止めてくれたけれど、もう遅かった。脳裏にあの姿が過ぎる。止められない。

心が萎れる。気分が下がる。目の前が暗くなる。それでもなんとか、一言だけ口に出来た。

 

「………………………………………………………………………以前、母が」

「うっっっわ」

「悪い、もういい。聞いて悪かった。あと廣井は反省しろ」

「ご、ごめんね、一人くん」

「僕のことはいいです。皆さんも、このことは黙っておくので気にしないでください」

「……」

 

 僕の言葉に何故か大人三人が目を交わし合い、同時に大きく頷いた。嫌な予感がする。

そして代表して星歌さんが僕に近付くと、思い切り肩を組み意地の悪い声で囁いた。

 

「じゃあ、お前にも何か着てもらおうか」

「……はい?」

 

 日本語が繋がっていない。じゃあとはいったい。何かって、まさか制服、女装のこと?

意味が分からない。何がどうして僕がそんなことをすることになるのか。やりたくない。

そんな思いを込めた返事を聞いても、星歌さんは気にせず首に回した腕に力を入れた。

 

「いいか一人、秘密を守らせるにはな、弱みを共有するのが一番なんだよ」

「そこにも着てない人います」

「そいつはいい。酔っ払いが何言っても誰も信じないからな」

「あっ先輩酷い!」

「うるせー、お前は黙って見たいか見たくないか言え」

「見たーい」

 

 女装は普通に嫌だ、嫌だけど、それ以上に引っかかるところがあった。

 

「……そんなに僕は口が軽く見えますか?」

「いや、お前なら絶対に話さないって信じてるよ」

「星歌さん……」

 

 信用されていない気がして、なんだか寂しくなってしまった。

そんな甘えから出た言葉を星歌さんは優しく、それでいて力強く否定してくれた。

当然嬉しくて誇らしい気持ちにはなる。なるけれど、またしても引っかかってしまった。

 

「だったら女装なんてする必要ないんじゃ」

「それとこれとは話が別だ」

「別なんですか?」

「別だ」

 

 別らしい。いやまるめ込まれてどうする。別でも何でも、もう女装なんてしたくない。

そう告げても通じない。目の前の大人二人は妙にはしゃいでいて、説得しても意味がなさそうだ。

こうなったら残った一人、まだまともそうなPAさんになんとか仲裁を頼もう。

 

「PAさんも二人を止めてください」

「……前から思ってましたけど、後藤君は肌も髪も、男の子なのに綺麗ですよね」

「えっと、はい、どうも?」

「何か手入れとかされてます?」

「特にしてません」

 

 ぴきりと、何かが切れた音が聞こえた。

 

「これだけ綺麗なら、きっと女装もとても似合いますよ」

「PAさん、あの、どうして怒って」

「こいつ肌ケアに月三万は使ってんだよ。それなのに男子高校生に負けたからキレてる」

「キレてませんよ? というか人のプライベートを暴露しないでください」

 

 どう見ても怒ってる、控えめに言っても苛立っている。というかこれ八つ当たりじゃ。

でも昔、怒っている女の人に正論を持ち出すのは自殺行為だ、と父さんが言っていた。

それにさっきから制服姿に何度もケチをつけてきた。そのツケ分も怒っているのかもしれない。

だから今必要なのは真実じゃなくて納得だ。彼女を説得出来る材料をなんとか絞り出そう。

 

「あっ僕も肌ケアやってました。思い出しました」

「…………どんなものを?」

「化粧水です。僕がやらないと私もやらないってひとりが言うので」

「…………………他には?」

「それ以外は、特に」

 

 僕の言葉にPAさんはニコリと微笑むと、そのまま星歌さんの元へ歩んで行った。

 

「店長、後藤君は黒のセーラーが似合うと思います」

「王道だな。だがあえてフリフリで行くのはどうだ?」

「悪くないですね。ギャップで映えそうです」

 

 説得は失敗した。それどころか身の毛もよだつほど恐ろしい会話を始めてしまった。

思わず震えそうになる僕の肩を廣井さんが叩く。楽しそうな笑顔と酒臭さが癪に障った。

 

「諦めなって。人生そういう時もあるよ」

「廣井さん、持ってるお酒全部出してください。捨てます」

「あっごめんて、悪かったって! ちょ、服引っ張らないで、脱げる、脱げるから!!」

「脱げたら制服でも何でも着ればいいじゃないですか」

「酒臭いからそいつには着せたくない。一人、もう観念しろ」

「嫌です。帰ります」

「強情だな。そうだ、女装したらあれだ、私が何でもお願い聞くから、な?」

 

 僕の頑なな態度を前にして、今度は懐柔しようと星歌さんが提案してくる。

それにしたってなんでもって。冗談だとは思うけど、気軽に出していい条件じゃない。

 

「そこまでして僕に女装させたいんですか?」

「ここまで来たらもう意地だ。ほら、何かない?」

 

 ここが分水嶺だ。僕の直感がそう告げた。女装を避ける境界線がここにある。

断っても無駄な以上、星歌さんの方から無理だと言わせなければ、僕に未来は無い。

だから何かここで無理そうな、それでいて引かれない程度のお願いをするべきだ。

 

 でも意外と難しい。これと言って思いつかない。一般的な尺度がはっきりしない。

仮に逆の立場で考えたとしても、星歌さん相手なら大抵のことは許せてしまう。

それでも考えて考えて、ふたりがこの間得意げに語っていたことを思い出した。これにしよう。

 

「なら女装する代わりに、星歌さんの髪触らせてください」

「なんだそんなことか。じゃあこっちに来な」

「あれ?」

 

 あまりにもあっさりと了承されてしまい、ついそのまま星歌さんの元へ近づいてしまう。

彼女はそんな僕の手を取ると、躊躇なく自分の髪に絡ませた。滑らかで艶やかだ。

それから何度か手櫛をすると、ニヤリと悪戯っぽい微笑を浮かべた。虹夏さんそっくりだ。

 

「はい触った。これでもう契約成立だから」

「星歌さん、髪は女の命とも言うらしいです。軽々しく触らせちゃ駄目ですよ」

「お前は昭和の母ちゃんか。サイズ確認するからじっとしてろ」

「そもそもなんで僕が着れる大きさの服持ってるんですか?」

「そういうこともある。これは着れそうで、こっちは、無理か」

「どういうことですか、というか話聞いてます?」

「聞いてる聞いてる。スカート短くてもいい?」

「せめて長くしてください」

 

 僕は無力だった。

 

 

 

 そして数分後、僕は女装を強要されていた。足元がすーすーする。

小さい頃を思い出して、少し懐かしくなるのがなんか嫌だ。ますます微妙な気持ちになる。

顔に出ないからか、元々気にしてないのか、大人三人組はそんな僕の前でも楽しそうにしていた。

 

「おー、一人ちゃん美人だねー」

「……似合うとは思ってましたが、まさかここまでとは。店長は」

「……………」

「あっ駄目ですね、集中してます」

 

 特に星歌さんは瞬き一つしていない。目が乾いてしまいそうだ。そんなに見なくても。

なんとなく恥ずかしくなってきたから身をよじると、また少し彼女の目が見開いた。目力が凄い。

そんな星歌さんに被さるように廣井さんが絡む。それでも星歌さんは身じろぎ一つしない。

 

「ところで先輩、なんで黒いセーラー服?」

「襟とかリボンで肩幅が誤魔化しやすいからだ」

「へーそうなん」

「同じ理由で髪も普段まとめているのを肩口に下ろした。元が長くて綺麗だからウィッグは無し、そのままで十分通じる。あと髪飾りも無しにした。もちろん着けたいのも結構あったけど、ちょっと今回のコーディネートには合わなそうだ。だから次回以降に期待してくれ。そうだな、ついでだから全身語るか。じゃあ上からいくぞ。上半身一押しのポイントは、萌え袖だ。元々手の甲を隠すために用意したんだけど、今急に来てる、正直計算外だった。いくら一人でもこの格好は恥ずかしいみたいで、さっきから仕草に照れが滲み出てる、指先にもだ。普段は良くも悪くも堂々としてるから、こうして縮こまってるのはなんか新鮮だ。いいよな。それでずっともじもじしてるから、さっきから袖からちらちら指が時々見える感じになってる。ちょっとしたフェチだ、これもいいよな。次に下半身、ここは男女差が大きいから一番大事なところだ。当然黒タイツは履かせたうえでロングスカートにした。もちろん体つきを誤魔化すのも大きい理由の一つだけど、一番は今回のテーマが世間知らずの陰気なお嬢様だからだ。こいつそういうところあるだろ? たまに虹夏たちも言ってるけど、落ち着いてるくせに妙なところで変に無知で純粋なとこ出してくるからな。余計なお世話だけど心配になる時もある。ちょっと別の話になるけど、マネージャーのことだってそうだ。傍から見ててたらその辺でやってる奴よりよっぽど献身的なのに、正式になることだけはなんでか断ってる。やりたきゃやればいいのにな。その辺今日は聞こうと思ってたんだけど、いやまあそれは、今はいいか。今は女装の方が大事だ。で、スカートの話に戻るけど、ロングスカートはいいよな。じっとしてれば清楚さと知性を感じさせて、動いてふわりと広がるときは隠れた幼さが浮き出てくる。これが見たくてロングを選んだ。あえてミニというのも選択肢にあったけど、結果的にナイスチョイスだった。あぁ待て、言いたいことは分かる。確かに胸の赤いリボン以外上から黒黒黒で、一見辛気臭くて地味な印象になる。そこでこれ、白いマフラーの出番。首元を隠すことで男っぽさがぐっと減るし、アクセントで黒と白、大人びた雰囲気と純粋な幼気さ、矛盾した両方の魅力がより映える。まあそうだな、モノトーンなんて大人し過ぎない? っていうお前の気持ちも分かる。だがシンプルイズベストだ。素材を生かしてこそ一流、飛び道具に頼るようじゃ三流だ、ロックじゃない。そうだ、言い忘れてたけど化粧はしてない。ここもぶっちゃけ迷ったんだが、今回は無しだ。テーマのこともあるし、何より元々色白で肌も綺麗だから必要ない。ナチュラルメイクよりナチュラルのがいい。すっぴんだからこそ生まれる色気もある。まあなんだ、とにかく今日はいい勉強になった……」

「めっちゃ語るじゃん、こわ……」

「……リアルで怪文書垂れ流す人、初めて見ました」

 

 長々と続いた星歌さんの語りに、二人ともドン引きしているようだった。僕はよく聞こえない。

というのも解説始め頃に、廣井さんが僕を守るように抱き寄せたからだ。ついでに耳も塞がれた。

丸っきり子供扱いだ。それでも目の前で急速に酔いが醒めていく彼女を見ると何も言えない。

 

 星歌さんは何を話したんだろう。いや、それを知らせないためにこうしてくれている。

僕に出来ることは、何も気づかずに廣井さんの背中を撫でること、感謝することだけだ。

その感触と匂いでちゃんとお風呂に入っていることが分かった。現実逃避でも安心出来た。

そんな僕の様子を確認したPAさんは、空気を軽くするよう、あえてからかうように聞いてきた。

 

「なんというか、スカート履き慣れてますね。もしかしてそういう趣味が?」

「ありません。小さい頃ひとりと入れ替わる遊びとかしてて、それで慣れただけです」

 

 今ではすっかり履かないけれど、小学生くらいまでは時々ひとりもスカートだった。

だから遊びやら身代わりやらで入れ替わる僕も、必然的にスカートを履く機会があってしまった。

というかあの子にスカートでの振る舞い方を教えたのは僕だ。まったく誇りに思わない。

 

「ぱっと見女の子だけど、声出すと男だってわかっちゃいますね」

「それのどこが問題なんですか?」

「なら裏声で話してみたらどう?」

 

 廣井さんがお酒を飲むのを介助しつつ、PAさんの冗談に答えていく。

すると無事現世に戻って来てしまった星歌さんが、ウキウキしながら提案してきた。

 

「そうだ、せっかくだからぼっちちゃんの声で頼む。どうせ出来るんだろ?」

「どうせってなんですか、どうせって。出来ますけど」

「マジで出来るのかよ」

「んんっ、あー、あーあー」

「おーほんとにぼっちちゃんだー」

 

 ひとりの代わりに電話するために会得した技術だ。幸いなことにここ半年は使っていない。

星歌さんのきらきらとした期待の目が突き刺さるし、ここまで来たらもうやってもいい。

でも言うことを聞きっぱなしというのも癪だ。ちょっとくらい悪戯したって許されるだろう。

 

「……これでどうですか、星歌先輩っ?」

「うっ」

 

 星歌さんが死んだ。いやなんで?

 

「先輩には刺激が強かったかー。じゃあじゃあ次は私のこと呼んで?」

「廣井さんは制服着てないので呼びません」

「ケチー」

「…………廣井先輩」

「おー!? 急になんだか先輩欲が増してきた! 何か奢ってあげるね!」

 

 雨か槍が降るようなことを言ってから、廣井さんはポケットを漁り始めた。

出てきたのは、ゴミ、チケット、ゴミゴミゴミ、何かの袋、ゴミ、そして財布。

上機嫌に開いたそこには何も入っていなかった。これ財布もある意味ゴミの一種なんじゃ。

 

「お金無いや。やっぱり何か奢って?」

「廣井さんが僕を先輩って呼ぶなら考えます」

「……うーん、師匠としてのプライド、うーん、お酒、うーん」

 

 だから廣井さんの弟子になった覚えはないのだけれど。いつも彼女は聞いてくれない。

恒例のやり取りに不思議な安堵を覚えていると、PAさんに肩を何度か叩かれた。

今度は彼女が期待の滲んだ笑みを浮かべつつ、自分を指差し問いかけてくる。

 

「それなら私は?」

「えっと、じゃあPA先輩?」

「あっ部活っぽくて想像よりずっといいですね。なんだか青春気分が蘇ってきます」

 

 高校一年で中退した人が何を言ってるんだろう。生まれてないものは蘇らない。これは妄言だ。

いやいけない。しょうがないこととはいえ、気分がささくれている。このままじゃ不味い。

取り返しのつかないことになる前に、さっさとこの意味不明な状況を終わらせないと。

 

「星歌さん、そろそろ起きてください」

「……おいおい先輩をつけ忘れてるぞ、しっかりしてくれ」

「こっちのセリフです。まだ寝てます?」

 

 目の前で手を振ってみると、その通りに瞳が動いていく。その目は虚ろだ。

なんとなく指に変えて振ってみると、こっちでも変わらない。なんか駄目そう。

駄目なら駄目で都合がいい。この隙に早く着替えさせてもらおう。

 

「それで、もういい加減着替えていいですか?」

「駄目だ」

 

 力強い即答だった。僕を見つめるまなざしも、見たことのないくらい強いものだった。

こんなところで見せられても困る。もっと格好いい、真面目な場面を用意して欲しい。

呆れてものも言えない僕の代わりに、やっとPAさんが執り成しをしてくれた。

 

「店長気持ちは分かりますけど、そろそろ皆さん来る時間ですよ」

「ぐっ、ならせめて、写真だけでも」

「嫌です」

「安心しろ、私も一緒に写る」

「どこも安心出来ません」

「いいからいいから。じゃあこのカメラ使って撮ってくれ」

「……店長、これお店の機材じゃ」

「店長特権だ。ほら一人、こっちに来い」

 

 特権を振りかざして星歌さんが渡したのは、普段ライブで使っている機材だった。

間違っても制服のコスプレと女装のために使う物じゃない。でも止める人はいない。

僕も言われるがまま星歌さんに近付く。すると肩を組まれた挙句頬まで引っ張られた。

 

「表情硬いぞ、ほぐしてやる。……ほんとに肌もちもちだな」

「ひゃへへふははひ」

「そろそろシャッター押しますよー?」

 

 PAさんの呼びかけに、星歌さんは僕の手から顔を離した。肩は外れていない。

もうなんか色々どうでもいいか。これさえ終わればとりあえず女装も終了だ。

諦めてカメラの方を向く。そしてシャッター音と同時に、入口が開く音がした。終わりが来た。

 

「えっせ、えってん、えっおに、えっえっえっ」

「うっわっ、お姉ちゃんたち何やってるの?」

「もしかして何かの罰ゲームですか~?」

「げっ」

 

 それが誰の声だったのかは分からない。もしかしたら僕のだったかもしれない。

とにかく、ひとり達に見られた僕達は固まり、絶望の声を上げることしかできない。

その中でただ一人、いつも通りの恥しかかいていない廣井さんが動き出した。

 

「いやぁ当たり前だけど、先輩たちとは輝きが違うなぁ」

「うわなんですか、いきなり気持ち悪いこと言い出して」

「妹ちゃんは今日も塩だなー」

「うぅ、これが現役、十代の光、過ぎ去った青春、消えた未来と過去…………」

「あ、あのーPAさん?」

 

 大人二人が虹夏さん達に絡んでいる内に逃げよう。こんな姿は見られたくない。

だけど星歌さんが放してくれない。それどころか組んだ肩の力はますます増している。

 

「星歌さん放してください。このままだと見られちゃいます」

「いや許さん。お前もドン引きされろ。同じ哀しみを背負え」

「趣旨変わってません?」

 

 背負うのが弱みから哀しみに変わっている。どちらも背負いたくない。

無理やり引きはがす訳にもいかず、なんとかもがいていると足音が近づいてきた。

一番見られたくない子の足音だ。その子は、ひとりは僕の姿を見て愕然としていた。

 

「お、お兄ちゃん、その格好は」

「あっひとり、これは」

「ま、まさか、私の代わりに学校行くための練習……!?」

「違うよ?」

 

 まだ狙ってたのか。自分の恰好も忘れて思わずツッコんでしまう。

それが失策だった。ひとりの声に釣られて、入口近くにいた二人がこっちに寄ってくる。

 

「ぼっちちゃん、お姉ちゃんも魔が差しただけだからあんまり、あっ」

「そうよひとりちゃん、大人にはそういう時が、あっ」

 

 そうして結局残り二人にも見られてしまった。二人して目を白黒としている。

ここから誤魔化す方法は。いやそんなものはない。もう確実にバレている。

無駄な抵抗をしようとする僕へ、信じられないものを見る目をしながら二人が声をかけてくる。

 

「ご、後藤先輩……?」

「人違いです」

「いや無理があるよ。ぼっちちゃんめっちゃくっついてるじゃん」

「……人違いです」

 

 言い訳も何も思い浮かばない。ただ否定する事しか出来ない。それ以上は無い。

そんな僕を見て地獄の底から湧き出たような、深い深いため息を虹夏さんは吐き出した。

 

「………………………………………お姉ちゃんさぁ、普通に引く」

「!?」

 

 その矛先は星歌さんだった。追い詰められる僕を見てニヤけていた顔が凍り付く。

 

「えっあっ、な、なんで私?」

「どう考えても後藤くんが自分から女装する訳ないでしょ」

「も、もしかしたら、そういう趣味があるかもしれないだろ?」

「後藤くん」

「待て、繊細な趣味だからな、本人の口から言わせるのはどうかと思うぞ」

「往生際悪いなぁ……」

 

 もう一度同じようなため息を吐いてから、虹夏さんはひとりの方を向いた。

 

「そこのところどうなの、ぼっちちゃん」

「あっお兄ちゃんは私がお願いしても、いつもやってくれません」

「……まあそういうことらしいから、これもお姉ちゃんのせいだよね」

 

 どういうことだよ、というツッコミを懸命に堪えながら虹夏さんはまとめた。

堪えてるけど、意思は十分に伝わる。ちくちく刺さる視線を感じる。説明したくない。

そんな思いから、いや純粋な感謝の気持ちから、僕は速やかに彼女へ礼を告げた。

 

「分かってくれてありがとう、虹夏さん」

「後藤くんも後藤くんだよ。なんでもかんでも受け入れちゃ駄目って言ったよね?」

「そうですよ先輩、もっと隙だらけの自覚を持ってください!」

「ごめんなさい」

 

 今日の僕に勝てる相手はいない。叱られたら謝るほかない。反省はしてます。

だからきっちり頭を下げたのだけれど、反応が無い。またもや視線だけは感じる。

顔を上げると、ついさっきの星歌さんのようにじーっと全身を見られてしまっていた。

 

「……それにしても、改めて見ると」

「……えぇ、これは」

 

 上から下までジロジロと、二人に無遠慮に観察される。出来れば見ないで欲しい。

そんな願いも虚しく、引き続き眺め尽くされる。その上カメラまで虹夏さんは手に取った。

 

「お姉ちゃん、このカメラ借りるね」

「あっおい、それ仕事用の高い奴だから」

「借りるね」

「はい」

 

 さっきまでの強さはどこに行ったのか、星歌さんは弱弱しかった。

僕にそれを気にする余裕はもうない。今は眼前で仁王立ちする虹夏さんを注視している。

彼女はその体勢でカメラを抱えたまま、おもむろに自分の怒りをアピールしてきた。

 

「後藤くん、私は怒っています。何度も何度も言ってるのに、相変わらず隙だらけなことに」

「それは、悪いとは思ってるけど」

 

 心配してもらっているのに、それを無為にしている自覚はある。申し訳なさもある。

そのはずなんだけど、嫌な予感が止まらない。反省すべきなのに、今すぐ逃げ出したくなる。

自分のそんな予感が正しかったことが、彼女の次の一言で分かってしまった。

 

「なので断腸の思いで、後藤くんには辱めを受けてもらいます」

「えっ」

「一度思い切り痛い目を見れば、もっと警戒心を持てるようになると考えたからです」

 

 辱め、痛い目、そしてカメラ。まさか彼女は。

 

「そういう訳で今から撮影会をしまーす!」

「いえーい! 撮影会でーす!!」

「全然苦しそうじゃないけど、いえーいとか言ってるけど」

「断腸の思いです!」

「まったく伝わらないよ?」

 

 虹夏さんは猫みたいにニヤニヤしているし、喜多さんはギラギラした笑みを浮かべている。

断腸どころかわくわくしか感じない。どう見ても、考えても楽しんでいるようにしか見えない。

 

「ふっふっふー、覚悟してね後藤くん」

「安心してください先輩! ちゃんと可愛く撮りますから!!」

「虹夏、レフ板ここでいいか?」

「……お姉ちゃん立ち直り早いな」

 

 撮影会なんて開かせる訳にはいかない。準備に夢中になってる今が最後のチャンスだ。

この隙に逃げよう。動き出そうと一歩踏み込んだ瞬間、後ろから思い切り抱きしめられた。

こんなことをするのはひとりか廣井さん、そして廣井さんは隅で酔い潰れている、つまり。

 

「ひとり、放して」

「や、やだ。これでお兄ちゃんが女装に慣れたら、昔みたいに身代わりをお願い出来る……!」

「なんて邪な考えを」

 

 僕の羞恥心もだけど、そもそも一番の問題は体格と身長だ。流石にもう誤魔化せない。

何度も言ったことだけど、ひとりは納得してくれない。なんとかなる、といつも言う。

なんともならない。なんとかなって欲しくない。僕にだって一応プライドはある。

 

「えっと恥ずかしいから、写真はやめて欲しいな」

「やめない。さあ後藤くん、男らしく覚悟するのだー!」

「大丈夫です! 一瞬で終わりますから!!」

 

 僕の懇願を二人は一蹴した。迷いの欠片も無く、躊躇なく撮影の準備を進める。

こうなったら仕方ない。僕は僕の尊厳を守るため、やれることを全力でやり抜くだけだ。

 

「それじゃ先輩撮りますよー?」

「いいよ、いつでも来て」

「おっ諦めたのかなー?」

 

 諦めというか、準備はもう出来ている。スカートでも体は動く、なら問題ない。

喜多さんがシャッターを切るのと同時に体を動かす。右へ左へ、時々回転なんかもして。

そんな僕の様子を見て、虹夏さんと喜多さんはからかうように声をかけてきた。

 

「無駄な抵抗だなぁ」

「かえって躍動感あるいい写真になっちゃいますよー?」

 

 無駄かどうかはすぐに分かる。僕は何も返さず、そのまま動き続けた。

 

 

 

 そして数分後、ようやく満足したのか喜多さんがカメラを下した。

 

「さあて、どんな写真が撮れたかな~っと」

「私思わず連射しちゃいました! きっといいの撮れてますよ!」

「喜多ちゃんは撮るのも撮られるのも上手だからねー、楽しみだなぁ」

 

 僕は不安だ。果たして狙い通り、なんとか最低限は出来たのか。

その答えは驚愕する二人の顔が教えてくれた。よかった。あの様子だと成功したらしい。

 

「か、顔だけどれも写ってない……!?」

「全部髪とかひとりちゃんで隠れてます!?」

 

 失敗も数多くしているけれど、僕ほど自分の目線に気を付けて生きている人は少ない。

だからこそ意識すれば、シャッターを切るタイミングで顔を隠すなんて簡単に出来る。

疲れるからやりたくはない。でも女装写真を残すよりはずっといい。それは嫌だ。

 

 ちなみにずっと顔を隠す、なんてやり方をしないのは、二人の選択肢を狭めるためだ。

写真を撮るという行為に夢中になっている間は、きっと中々冷静になれないはず。

僕が一番恐れているのは、写真ではなく動画という発想をされることだ。あれは逃げきれない。

そのためにもあえて僕は、唖然としてこちらを見る二人に挑発的な物言いをした。

 

「無駄だったね」

「むかっ。そういうこと言われると、俄然やる気が出てくる」

「私にも意地があります! 絶対に先輩の写真、撮ってみせます!!」

「挑戦は受けるけど、一度ひとり置いてもいい? 目回しちゃったみたいだから」

「私に任せろ」

 

 こうして始まった僕達の戦いは、補習で遅れたリョウさんが来るまで続いた。

机に伏せるひとりと虹夏さん、息も絶え絶えでカメラを構える喜多さん、女装の僕。

意味不明な状況を見回した彼女は、心底不思議そうに首を傾げてこう言った。

 

「……結束バンドのMVって、陛下の女装ショーだったっけ?」

 

 絶対に違う。




次回「公園デビュー」です。

そろそろ総合評価一万に届きそうなので、よければ評価ください。感想とここすきも欲しいです。


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第十一話「公園デビュー」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 制服や女装がどうこうというふざけた騒ぎからしばらくして、結束バンドの新曲が完成した。

今日はそのMVを撮影する予定らしい。リョウさん曰く『MVは現代のバンドの必修科目』だとか。

動画で音楽を楽しむ人が多い現代では、彼女の言う通りバンドとしてMVは避けて通れない。

 

 避けては通れない、と言ってもどうやって撮影するつもりなのかは気になっていた。

自分達で撮るのか、なんとかお金を出してどこかに発注するのか、それとも何か他の手段か。

特に思いつかなかったから、念のために格安の業者を調べていた。けれど結果的に必要なかった。

 

 虹夏さんが一号さん二号さん、美大の映像学科生である彼女達にお願いしたからだ。

友達を頼る。今まで僕の選択肢に無かった手段、そして今は取れる手段だ。今度参考にしよう。

以前彼女達の作品は見せてもらったことがある。素人目だけれど面白いものだった。

そういう訳で僕は安心して、スターリーのカウンターで星歌さんの髪に櫛を通していた。

 

「……なぁ、お前はMV会議参加しなくてもいいのか?」

「声をかけられてないので。それより、危ないのでじっとしててください」

「…………つーか、なんで私はお前に髪弄られてるんだ?」

 

 じっとしてて、というお願いを無視して星歌さんはこちらに振り向いた。

心底不思議そうに、首を何度も左右に振っている。失礼だけど幼い子どものような仕草だ。

それでも今日ばかりは心当たりが無いとは言わせない。あの日のことを思い出してもらう。

 

「この間の制服の時の話です」

「あっあーそのー、えっとー、この間はごめん、悪かった」

「気にしないでください。僕も気にしないようにします」

「……ほんと?」

「本当です」

 

 思うところはあるし遺恨も正直少しはある。だけど引きずってあれこれする方が嫌だ。

それにあの日の彼女は目がキマっていた。制服姿を見られた羞恥心で冷静じゃなかったんだろう。

だからもういい。あれは酔ってたようなものだと思うようにする。今はもっと重要なことがある。

 

「それよりあの時、星歌さんの髪触る代わりにって話をしましたよね」

「あぁうん。触らせてやったろ?」

「不公平だと思って」

 

 僕の言葉に星歌さんは再び首を傾げた。言葉が足りなかったみたいだ。

僕としてもあまりあの日のことは思い出したくないから、どうしても少なくなってしまう。

 

「僕は三十分以上あんな格好してました。でも髪触ったのは一瞬です」

「あー、時間がってこと?」

「はい。なので僕には、その分だけの権利があるはずです」

 

 そんな僕の主張に、星歌さんはどこかからかうような笑みを浮かべた。

 

「そんなに触りたかったの? なんだ、お前にも一応そういうのあったんだな」

「いえ、辱めたくて」

 

 ぴしりと、星歌さんが凍り付く。

 

「は? えっ、ど、どういう意味?」

 

 繰り返し疑問と質問の声を上げる彼女は、相当狼狽しているように見える。

当然の反応だ。なんだ辱めたくてって。言葉のチョイスがおかしい、変態的だ。

思っていたより女装を強要されたことを根に持っているのかもしれない。とりあえず弁明しよう。

 

「僕と同じくらい恥ずかしい思いをして欲しくて」

「そういうことか。いや、あれ以上だと、私は社会的に死ぬぞ……?」

「大丈夫です、社会には出しません。僕の目の前で死んでもらいます」

「魔王……?」

「魔王です」

 

 魔王歴十年を超えたベテランだ。どこにも誇れるところはない。

そんな風に星歌さんとふざけ合っていると、冷たい声を後ろからかけられた。虹夏さんだ。

 

「……後藤くん、なんでお姉ちゃんの髪弄ってるの?」

「あっ虹夏さんちょうどよかった。大人がするには一番恥ずかしい髪型って何だと思う?」

「えっ、えっと、つ、ツインテールとか、くるくる巻きの」

「ありがとう、試してみる」

 

 巻くとなるとヘアブラシだけじゃ足りない。用意しておいたヘアアイロンを取り出す。

取り出したのはいいけれど、流石にアイロンを黙って使うのはよくない。髪が痛む可能性もある。

許可をお願いして、駄目なら妥協してただのツインテールで恥ずかしがってもらおう。

 

「星歌さん、アイロン使ってもいいですか?」

「おう」

 

 二つ返事をもらえたから、そのまま星歌さんの髪を巻いていく。目指せくるくるツインテール。

そうして再び星歌さんの髪を弄りだした僕へ、虹夏さんが絞り出すようにもう一度聞いて来た。

 

「いやそれもなんでそんな質問?」

「星歌さんを辱めたくて」

「は?」

「出来た。どう?」

「どうって、いや、は? えっどういうこと?」

 

 星歌さんそっくりのリアクションだ。姉妹もやっぱり反応が似るんだな。

なんて感心してもしょうがない。かくかくしかじか。今度は誤解されないよう、詳細に説明する。

引き攣っていた虹夏さんの顔は説明が進むたびに緩まり、最終的にいつも通りの半目になった。

 

「仕返しの規模が小さい……肝心のお姉ちゃんは」

「ふっ」

「なんでドヤ顔してるのこの人……?」

 

 それは僕にも分からない。辱めるつもりだったのに、どうしてか胸を張っている。

 

「それで、どう?」

「きつい」

「!?」

 

 虹夏さんの切れ味は格段だった。星歌さんの謎のドヤ顔は見事に切り伏せられる。

机に顔を伏せる姉を冷たい目で一瞥すると、彼女は気を取り直して僕の手を取った。

 

「もうお姉ちゃんはいいよ。とにかく後藤くん、ちょっと来てくれる?」

「何かあった?」

「MVの意見結構出たから、まとめるの手伝って欲しいなーって」

「もちろん。それじゃ星歌さん、失礼しました」

「おー、ちゃんとやれよー」

 

 力無く手を振る星歌さんを置いて、虹夏さんとともにミーティングまで移動する。

その先で一号さん二号さんの二人が、ホワイトボードを前にしてなんだか慌てていた。

二人とも近づいてくる僕達を見て顔をほころばせる。歓迎されてるらしい。

 

「あっジカちゃん、ぜっくん連れて来てくれたの?」

「よかったー、もうどうしようもないかと思った」

 

 ジカちゃん、虹夏さんのことだ。この間遊びに行った時にそうなったらしい。

ついでにぜっくんは僕のことだ。零号君って呼びにくい、という声があったのでこの間変わった。

そう呼ばれる僕達へ、微妙に納得して無さそうなひとりがぼそっと呟く。

 

「ぜっくん……」

「ひとりもひーちゃんとか呼んでもらう?」

「む、むむむ無理無理無理、し、死んじゃう」

 

 久しぶりのむむむ妖怪だ。全力で手と首を振り回す姿は今日も可愛い。

ひーちゃんってあだ名、可愛くていいと思うけどな。リョウさんには悪いけど、ぼっちより好き。

でも試しに呼んでみたらものすごく渋い顔をされたから、誰か代わりにしてくれないかな。

なんて考えを出す場じゃないから、素知らぬ顔をしてファンの二人に問いかけた。

 

「どうしようもないって、何かあったんですか?」

「とりあえずこれ見てくれる? さっきまでのミーティングで出たアイデア集」

「特に関係の無い女が泣く、踊る、走る、ドジョウ掬い、えっドジョウ掬い? ……いやうん、犬と子供を出す、たくさんタグを付ける、タイトルを【神回】楽器屋で百万使い切ります【プレゼント有】にする」

 

 なるほど、これは。

 

「いい感じですね」

「正気!?」

 

 裏切られたような目と声を向けられた。最近はよく正気を疑われる。多分まだ大丈夫だ。

それを証明するために、そして会議を進行させるために僕は説明を続けた。

 

「これだけアイデアが出るのはいいことだと思います」

「確かに数は出てるよね、数は。でもそれがいいの?」

「それだけ意見が出しやすくて、それだけ積極的だって証拠ですから」

 

 内容はともかくいいことだ、内容はともかく。ただ、ひとりは帰ってからお説教だ。

多分犬はリョウさんアイデアで、子供はひとりが乗っかった。そして当てはふたりのことだろう。

勝手に妹をMVに出しちゃいけません。またネットリテラシーを詰め込まないと。

 

 お説教の内容はまた後で考えるとして、今はMVの内容だ。

ホワイトボードを確認してから周りを見る。すると喜多さんがうずうずしていた。

まとめようと思ったけど、あの感じだとまだアイデアがあるのかな。さりげなく聞いてみよう。

 

「こんなにたくさん出してくれたけど、まだ何か思いつく人はいるかな?」

「はいはい! 私いいの思い浮かびました!!」

「ごめん喜多さん、聞く準備するからちょっと待ってもらってもいい?」

「もちろん待ちますけど」

 

 喜多さんがあそこまで自信満々ということは、どうしても聞く準備が必要になる。

聞く準備と言ってもそう大したことじゃない。立ち上がり、ひとりの後ろへ歩いて行く。

そうしたら後はこの子の耳を塞ぐだけ。両手を耳に当てて終了、喜多さんに呼びかける。

 

「じゃあお願いします」

「えっとですね、高校生のカップルが海辺のデートしてるんですけど、途中で喧嘩しちゃって。そこで結束バンドの演奏を見て、色々あって仲直り! ラストはキスしているところを私たちが祝福する、どうですか!?」

「……MVとしては王道だね。でも今回は難しいかもしれない」

 

 喜多さんが人差し指を顎に付け、不思議そうに首を傾げた。やっぱり説明は必要か。

始めようとしたその瞬間、ひとりが耳にかかっていた僕の手をどけて振り向き、先に口を開いた。

 

「お兄ちゃん、どうして今耳塞いだの?」

「高校生カップル、海、デート」

「うぷっ、も、もういい、あっありがとう」

「なるほど、諦めます」

 

 結果的に説明の手間が省けた。ありがとうひとり。今日もこの子の説得力は凄い。

していいのか分からない感謝を捧げつつ、もう一度皆の様子を窺う。今度は何も無さそうだ。

 

「他に何か意見ある人はいる?」

「……」

「じゃあアイデア出しはこれくらいでいいかな。次は意見の整理をしよう」

 

 意見の整理。自分で言っておいてなんだけど、相当難しい気がする。

出されたアイデアを確認してもてんでバラバラだ。闇鍋染みたものしか作れなさそう。

だけどこれは素人の意見。セミプロとも言える二人なら、また違った考えがあるかもしれない。

 

「一号さん二号さん、今出た意見全部詰め込むことって出来ますか?」

「無茶ぶりだよ!?」

「ですよね。という訳で詰めていこうか。皆、これだけは譲れないってポイントはある?」

 

 二人でも無理らしいから取捨選択の時間だ。どれが大事なのか僕には分からない。

それぞれ一押しのポイントを教えてもらって、その上で判断する、してもらおう。

 

「うーん、これだけはってなると、意外と難しいね」

「カップ、いえ、そこを無しにすると、あんまりないですねー」

「……ふむ、水着かそれともコスプレか」

「や、やっぱり犬と子供。ジミヘンとふたり」

 

 またバラバラだ。バラバラな個性が一つになって、とは言うけれど限度がある。

その証拠に一号さんの額に青筋が見えてきた。限界を迎える前に、僕の方から水を向けよう。

 

「一号さん二号さんはどうですか?」

「……えっ私たち!?」

「撮影も編集もお二人がされますから。ぜひ意見をお聞かせください」

 

 恐らく結束バンドに任せると何も決まらない。楽しく騒ぎ続けて今月が終わる。

ここは監督に剛腕を振るってもらおう。選ぶなり全部捨てるなり、彼女達の意思に任せる。

無責任な僕の押しつけから十秒ほどしてから、一号さんが独り言のように呟いた。

 

「……もっとシンプルでいいと思う」

 

 その言葉を誰かが確認する前に、今度ははっきりと言い切った。

 

「結束バンドはそのままでも魅力的だから、下手な小細工はいらないと思います」

 

 そう断言した一号さんのことを、僕も含めて皆がじっと見つめていた。

視線の量と熱量に驚いたのか、照れてしまったのか、彼女は誤魔化すように続ける。

 

「なんて、その、ファンとしての贔屓目が入ってるかもしれませんけど」

「もう、そこで遠慮してどうするの! 私感動したよ!!」

「あんたを感動させてどうすんのよ……」

 

 口には出していないけれど、結束バンドも一号さんの言葉に感動しているようだった。

喜多さんなんか目をキラキラと、実際に何か不思議な光を発しながら二人の方を見ている。

あれは本当になんだろう。沸き上がる好奇心を抑えながら、会議を進めるために口を挟んだ。

 

「僕は賛成。奇抜だったり派手だったりするのもいいけど、これが初めてのMVだから」

「あー、そういうバンドだって思われるかもってこと?」

「アー写の雰囲気にも合わないからね。それに基本も出来てないのに応用編は難しいよ」

 

 ちょっと違う例えになるかもしれないけれど、僕とひとりのコミュ力なんかがそうだ。

普段はまったくなのに、突然面白いことをしようとしてドン引きされる。そんなこともあった。

そういうことは基本的な距離感を理解して初めて出来ること。基礎基本は何より大事。

MVの方向性がこうして決まると、喜多さんが名残惜しそうにホワイトボードを指差した。

 

「じゃあこのアイデアはみんなボツってことですか?」

「ボツというより、次回以降に回す感じかな。せっかく出してくれた意見だしもったいないよ」

「出した側が言うことじゃないけど、あれどう使うの?」

「……どんなハサミにも使い道はあるから」

 

 多分。

 

 

 

 その後一号さんの指示により、結束バンドとともに僕も近所の公園まで移動した。

ついて行ってもやることも無いし、僕は最初スターリーで留守番しようと思っていた。

思っていたけれど、星歌さんが突然声をかけたことでその考えはご破算となった。

 

「あー待て。確かに機材は貸すって言ったけど、部外者が監督なら無しだ」

「えー!? なにそれ、そんなの聞いてないよ!?」

「今言ったからな。知らないかもしれないけど、こいつら高いんだぞ」

 

 彼女の言葉通りスターリーの機材は高価なものばかりだ。高校生じゃ逆立ちしても買えない。

保険には入っているけれど、壊してしまったらことだ。だから貸したくない気持ちも分かる。

そんなことをぼーっと考えていたから、突然星歌さんに背中を叩かれて驚いてしまった。

 

「だからこいつも連れてけ。今日の機材の監督責任者だ」

「えっ、でも、僕も部外者じゃ」

「うちの確定申告までやっといて、それは無理がないか?」

 

 星歌さんの苦笑いに返す言葉も、いや、苦し紛れの文句すら言う権利を僕は持たない。

こんな風なお膳立ても、強引に背中を押してくれるのも、全部僕が原因だからだ。

全ては僕が中途半端だから。立場と責任からは逃げるのに、関わることはやめられていない。

それでも星歌さんや廣井さんは僕を責めず、何も言わずにただお節介を焼いてくれる。

情けなさと恥ずかしさでため息を吐きたくなる。皆の前では出来ないから、帰ってからしよう。

 

 そういう訳で僕も同行している。機材監督責任者といっても何もしていない。見てるだけだ。

撮影は今のところ順調とも不調とも言えない。初めてならきっとこんなものなんだろう。

自然な振る舞いという一号監督のリクエストには誰も応えられていない。皆肩肘を張っている。

 

 虹夏さんは緊張に満ち溢れているし、喜多さんはカメラを意識しすぎてポーズまで取っている。

リョウさんは何も気にしてない、ふりをしながらちらちらカメラを見ていて一番不自然だ。

そして残る一人は問題外。声でもかけようかなと考えていると、一号さんに話しかけられた。

 

「ぜっくん、ひとりちゃんどうにかならない?」

 

 彼女の視線の先で、ひとりが木陰に隠れながらダンゴムシを突っついていた。

落ち込んでる時はブランコ、そうでもない時は木陰。あの子の公園での基本スタイルだ。

自然体で、というリクエストに応えるとああなる。良くも悪くもあれがひとりだ。

 

「……あれはあれで可愛いですよね」

「……いいよね」

「駄目だこいつら」

 

 二号さんと頷き合っていると一号さんに呆れられてしまった。ジト目が突き刺さる。

二人が虹夏さんと仲良くなってから、どうにも僕への対応が似てきたような気がする。

なんとなく友達っぽい扱いに喜んでいると、苦笑いの二号さんが言葉を繋いだ。

 

「まあ冗談はともかく、ひとりちゃんはいつも猫背で俯いてるのが、その、ちょっとね」

「どうしても二重あごになっちゃうから、可愛く撮りようがなくて」

 

 僕は本気だったけど今言ってもしょうがない。監督達が言うんだからそうなんだろう。

どうすべきか三人で頭を悩ませていると、ひとりを除く三人が僕達に近付いてくる。

 

「撮影止まってますけど、どうかしたんですか?」

「あっと、ごめんね喜多ちゃん。ちょっとひとりちゃんの撮影方針考えてて」

「ぼっちちゃんの?」

「ほら、あんな感じだから」

 

 ダンゴムシと友達になっているひとりを見て、三人とも納得したようだった。

いや、喜多さんは納得したけどしていない。俯くひとりを見た途端、決意に満ちた表情になった。

そのままずんずんとひとりに歩み寄ると、両肩を掴んでから顔を寄せる。

 

「……ひとりちゃん、ちょっと立ってみて!」

「えっ、き、喜多ちゃん?」

「いいから、ね?」

 

 差し伸べられた手を掴んでから、言われるがままひとりは立ち上がった。

落ち着かない様子できょろきょろとするひとりへ、喜多さんは容赦なく追撃を加えた。

 

「それじゃ気を付け! 顔上げて! じっとして!」

「あっはい!」

「軍隊式だ……」

 

 喜多軍曹の呼びかけにひとりは勢いよく顔を上げ、そのまま彼女と目を合わせた。

その瞬間彼女が輝いた。そのまま興奮してひとりを指差しながら、黄色い声で叫び出す。

 

「きゃー! これよこれ~!! アイドル事務所入れると思いませんか~!?」

「…………うっ眩しい」

「ビジュアル担当いけますよね~!? このまま売り出しましょうよ~!!」

「十秒も持ってないけど……」

「あっ後藤先輩もどうです!? 魔王系アイドルとか興味ありませんか!?」

「まったくないかな」

「そもそも魔王系アイドルって何……?」

 

 思い切り偏見だけど大衆、どうでもいい他人に媚びを売るのがアイドルの仕事だ。

恐らく世界一僕に向いていない。やる気も無いしやり方も分からない。興味も無い。

だから一生関わることも無いだろうから、気にするだけ無駄だ。どうでもいい。

そんなことより一つ興味が沸いた。好奇心のまま実験をするため、ひとりに声をかける。

 

「ひとり」

「?」

「気を付け、こっち見て、じっとしてて」

「あっうん」

 

 そのまま十秒数える、それでも視線は落ちない。僕が言えば平気らしい。

考えるまでも、実験するまでもなかったかもしれない。だってこれがいつも通りだ。

僕と話す時は必ず顔を上げている。目も合う、というよりひとりの方から合わせてくる。

 

「うん、今日も可愛い。このまま撮影に参加出来ない?」

「む、無理無理! い、一歩でも動いたら、私はダンゴムシになります」

 

 そう言ってから一歩も動いてないのに、そのままダンゴムシになってしまった。

ころころしていて可愛いけれど、間違いなく一般受けはしない。結束バンド受けはどうだろう。

 

「……MVにダンゴムシを映すのは?」

「無し」

「無い」

「無しです」

 

 結束バンドも駄目だった。予想通りだから何も言わず、とりあえず震えるひとりの背を撫でる。

そんな僕とひとりの顔を見比べながらリョウさんが呟く。微妙ににやけていて悪そうだ。

 

「……陛下とぼっちって似てるよね」

「兄妹だからね」

「髪も同じくらい長いよね」

 

 もう言いたいことはよく分かった。先んじて釘を刺そう。

 

「代わりはやらない。というか出来ない。身長とか違うでしょ」

「そこは遠近法で」

「顔だって今は似てるの範囲だから、誤魔化すのは無理だよ」

「そこも遠近法で」

「説得したいならもっと真剣にやって?」

 

 あまりにも適当だ。そして遠近法への信頼度が高すぎる。

第一ひとりがどうこうとかバンドメンバーじゃないとか以前に、僕が映るには問題が山積みだ。

 

「そもそも僕が出ると呪いのMVになると思う」

「の、呪い?」

「僕がトラウマの人が見たら気絶するよ」

「いやそんなまさか、いやね、そんなね、はは」

 

 虹夏さんは乾いた笑いをあげた。質の悪い冗談か真実か、半信半疑なんだろう。

僕としても半分は冗談だ。いくらなんでも写真や動画だったら、普通は気絶させずに済む。

それはそれとして僕がトラウマの人は、一般的なPTSDの症状には襲われるかもしれない。

 

「……よし、やめよう!」

 

 熟慮の末虹夏さんが宣言する。賢明な判断だった。

 

 

 

 さっきの茶番も含めて遊んでいる間に、皆の緊張も解けてきたようだ。

撮影を始めた頃に比べてずっと自然体に振舞えている。このままなら順調に進めそうだ。

もちろんひとりは何も変わっていない。相変わらずダンゴムシでMVには映せない状態だ。

このままじゃMVも何も無い。どうしたものかなと眺めていると、一号さんに肩をつつかれた。

 

「ねぇねぇぜっくん、提案があるんだけど」

「提案。ひとりについてですか?」

「そうそう。ちょっと耳貸して」

 

 手招きをされたので言われた通り耳を寄せると、そのままごにょごにょと囁かれた。

なるほど、確かにそれならいけるかもしれない。僕に声をかけた理由もよく分かった。

でも倫理的にいいのかな。というか星歌さんはなんでこんなもの持ってるんだろう。

まさかまだあれ続けてるのかな。だとしたら、近いうちにもう一度お話しないと。

一号さんが重ねてお願いしてきたから、その疑問は一旦棚上げした。

 

「ね、どう? 協力してくれない?」

「このままだとひとりちゃんだけ、演奏シーン以外全カットになっちゃいそうなの」

「そんなにですか?」

「うん。恐ろしく映えないから」

 

 悲しいほど率直な言い方だった。二号さんも無言で何度も頷いている。

盲目的なファンの彼女でもこれだ。世の人が見るには耐えられないものなんだろう。

僕が見てないところで撮れてないかな、という一縷の望みは断たれた。そういうことならやろう。

 

「分かりました、任せてください」

「お願い。その間私たちはジカちゃんたち撮ってるね」

 

 そう言って僕の準備を手伝ってから、彼女達は虹夏さん達の方へ向かった。

僕は僕の仕事をやろう。二人とは反対側、木陰に座り込むひとりに前まで歩く。

それからしゃがみ込んで、労わるようにひとりと目を合わせる。疲れ切っていた。

 

「お疲れ様。やっぱりカメラあると緊張しちゃう?」

「溶けてないだけでも褒めて欲しい……」

「そうだね。吐いてもないし、逃げてもない。今日は頑張ってるよ」

「そ、そうかな、うふへへっ」

 

 照れと喜びの入り混じった笑みをひとりは浮かべている。この感じだと大丈夫そうだ。

安堵と罪悪感を抱えながら手を差し伸べる。そしてひとりが疑問を口にする前に提案をした。

 

「だから、ちょっと休憩にしようか」

「えっいいの?」

「こっそりね。今はあっち撮ってるみたいだから」

 

 そうして指し示す先には、リョウさんへバックブリーカーを決める虹夏さんがいた。

 

「おら、真面目にやれ!!」

「ぎぶぎぶぎぶ」

「きゃああ!? リョウ先輩ー!?」

 

 バイオレンスだ。誰も止めずに撮影してるけど、あれはMVにしてもいいのかな。

プロレス団体のPVだと思われそう。喜多さんの悲鳴もいいアクセントになっている。

それにしても日々虹夏さんの力量は上がっているな。いつか本当にプロレスデビューするかも。

なんて戯言を適当に考えながら、ひとりの方へ向き直った。

 

「さすがに公園からは出られないから、適当にどこかで休もう」

「えっとね、じゃあこの中がいい」

 

 ひとりが指差したのは大きな公園によくある、穴のある謎のドーム状の建造物だ。

名前の分からない謎の遊具はかなり大きい。ひとりと二人で入ってもまだ余裕があるくらいだ。

なるほど、ここなら外からは見えない。ひとりの手を引いて慎重に中へ入る。

 

「頭ぶつけないように気を付けて」

「うん、っと、わっわ」

「しっかり捕まっててねー」

 

 バランスを崩したひとりを支えてそのまま座らせる。そして僕も横に腰を下ろした。

中は薄暗くじめっとしていてひとり好みだ。この子はこういうのを見つけるのが上手い。

ほっと一息吐いてから、ひとりの緊張と僕の罪悪感を紛らわすため、適当な雑談を始める。

 

「それにしてもこの年になって、初めて友達と公園で遊ぶなんて思わなかったね」

「……これって、遊んでるって言ってもいいのかな」

「いいんじゃない? 皆遊具とかで遊んでたし」

 

 その時はっと気づいたようにひとりが声を上げた。

 

「じゅ、十数年ぶりの公園デビューだねっ」

「周回遅れ凄いなぁ。でも僕達らしいか」

「ふたりはもうとっくに済ませてたのに……」

「じゃあ今度ふたりのこと、先輩って言わないとね」

「ふ、ふたり先輩。うぅ、また家庭内ヒエラルキーが下がっていく……」

 

 あまりにも真剣に落ち込んでいるから、ついおかしくなって笑ってしまった。

それにむすっとして僕を見上げたひとりは、僕の表情を見て目を見張った。

 

「あ、あれ、お兄ちゃん、表情」

「動いているね。こうしてると、家で二人っきりの時みたいだからかな」

「うん。押入れの中みたいで落ち着く」

 

 いつの間にかリョウさんの断末魔も喜多さんの悲鳴も消えたから静かなものだ。

落ち着いていいのかどうかなんて疑問は捨て置く。あっちは監督達に任せよう。

僕はこっち、ひとりに伝えるべきことを伝えなきゃ。

 

「……公園デビューの話だけど、ひとりは去年の五月にはもう出来てたよ」

 

 僕の言葉にひとりは一瞬ぽかんと口を開けたけれど、すぐにピンと来たらしい。

 

「虹夏ちゃんのこと?」

「うん。バンド参加してくれないー、いいよーってそれっぽくない?」

「こ、公園デビューにしては難易度が高すぎる……!?」

「でも出来て、今もこうして続いてる。ちゃんと友達になれてる」

 

 僕と比べるまでも無くひとりは立派だ。この一年、この子には驚かされっぱなしだ。

謙遜するひとりを何度も褒めていると、段々顔が緩む、むしろ溶けるようにでろでろしてきた。

やり過ぎたかな。でもたまにはいいか。僕にだって自由にものが言いたい時もある。

 

「……わ、私のこと、先輩って呼んでもいいよ?」

「調子に乗り始めた」

「え、えへっへへ、で、でも公園デビューは私が先輩だから」

「事実だから否定出来ない。ひとり先輩め」

「ぬえへへへ、へへへっ」

 

 小突くようにいつもより荒っぽく頭を撫でてみる。小さく楽しそうな悲鳴が上がった。

それからひとりの方も対抗するように、ぐいぐいと頭を手のひらへ押し付けてきた。可愛い。

 

 そうしてふざけ合ってじゃれ合って、遊び終わった後は二人でゆっくりしていた。

家でもここまではしない。本当に公園デビューをしようとした頃に戻ったみたいだ。

懐かしさと満足感に浸りながら中に残る落書きを眺めていると、ひとりがおずおずと尋ねてくる。

 

「ね、ねぇお兄ちゃん」

「んー?」

「あっあのね」

 

 そこで言葉を区切ったひとりは、何故か緊張に息を呑んでいた。

これは、あぁ多分、あのことを聞かれるな。どうやって誤魔化そう。本当のことは言えない。

 

「……お兄ちゃんは、どうして」

「あっ二人ともこんなところにいた」

「駄目よひとりちゃん、カメラから逃げちゃ!」

「二人だけで休憩はずるい」

「おぶわぁっ!?」

 

 その時突然穴という穴から結束バンドが生えてきた。ひとりほどじゃないけど僕も驚いた。

そして助かった。ほっと胸を撫で下ろす僕の隣に、リョウさんがするすると座り込んでくる。

 

「なるほど、ここは落ち着く。でかしたぼっち、ナイススポット」

「こらこら落ち着かない。まだ撮影中でしょ」

「誰かさんのせいで腰が痛いから、休憩は必要」

「誰かさんが真面目にやらないからでしょ」

 

 リョウさんだけじゃなく、虹夏さんも喜多さんも入り込んでくる。狭くなってきた。

窮屈そうに僕とは反対側に座りながら、それでも喜多さんは瞳を、全身を輝かせる。

 

「こうして狭い所に集まってると、なんだか秘密基地みたいでいいですね!!」

「うお眩しっ。ここでこの光量とは、郁代めやりよる」

「この光ってどこから来るんだろうね、ってもう私座るとこないじゃん」

「だったらひとりちゃんが先輩の上に座ったらどうかしら?」

「いやいくらぼっちちゃんでもそれは」

「あっはい、移動します」

「いいのか」

「?」

「そこを疑問に思うのか」

 

 ひとりが僕の足の上に乗るのを見て、虹夏さんがいつも通りの呆れた声を出す。

遠慮なく座り込んで来たひとりが僕の手を取り、そのままお腹の前に動かして組ませた。

 

「……狭くなったね」

「うん」

 

 元が小さい子のための遊具だ。いくら大きくても高校生が五人も入れば満員になる。

右に動けば虹夏さんに、左に動けばリョウさんに、足を動かせば喜多さんにぶつかる。

体だけじゃない、視線もそうだ。どこを向いても誰かと目が合う。なんとなく逸らしてもだ。

かつては嫌で嫌でしょうがなかった状況。でもこの窮屈さが、今の僕には心地よかった。

 

 

 

 結局五人で休憩を取った後、MVの撮影を再開した。

ひとりは変わらず映えていない。それでも対策はもう終わったから問題は無い。

ある程度撮ったところで必要分は揃ったのか、一号さんが皆に新しく指示を出した。

 

「それじゃあ次は演奏シーン撮るので、移動お願いしまーす!」

「はーい!」

 

 元気よく返事する虹夏さんと喜多さんが、残り二人を引きずっていく。

その隙に一号さん二号さんが僕の方へ駆け寄って来た。作戦の進捗確認だ。

 

「さてぜっくん、作戦はどうだった?」

「えっと」

「ちゃんと撮れたかな~?」

 

 僕相手なら自然体なひとりに目をつけて、一号さんがと二号さんが考えた作戦。

星歌さんから借りた機材に混じっていた小型カメラを僕に付け、こっそりとひとりを撮影する。

誤魔化さずにはっきり言ってしまえば隠し撮り、盗撮の類だ。褒められた手段じゃない。

 

「……一号さん、これ破棄してもいいですか?」

「上手く出来なかった?」

「いえ、よく撮れたとは思います」

 

 さっき確認はした。場所が場所だったからか、普段外では見れないひとりの姿がよく撮れた。

満面の笑み、悪戯っぽい顔、拗ねた表情、むすっとした半目。我ながらいい仕事をした。

だけど、だからこそ、これをこのまま世間に出していいのか、僕は迷ってしまった。

 

「よく撮れたならなんで、あっ世界にひとりちゃんの可愛さがバレるのが嫌なの?」

「あのね、あんたじゃないんだからそんなこと」

「それもあります」

「いやあるんかい」

 

 虹夏さんには劣るものの、中々いい切れ味のツッコミを一号さんに入れられた。

それから彼女は呆れを苦笑いに変えた後、僕の言葉尻を捕らえてくれた。おかげで話しやすい。

 

「それもってことは、別に理由があるの?」

「……去年までのひとりなら、カメラを向けられた時点で土管に引きこもってました」

「まあうん、想像つくよ」

 

 僕のたどたどしい説明に相槌を入れてくれた。ならこのまま続けよう。

 

「今日だってずっと猫背で俯いてて、カメラは満足に見ていません。それでも逃げてはいません」

「うん」

「ひとりはちょっとずつだけど成長してます。きっと、これからも大きくなっていきます」

「……うん」

「いつになるかは分かりません。でも自然に撮影も出来る日が来るかもしれません。だから」

 

 説明なのか、お願いなのか、自分でも分からないどっちつかずの言葉達。

それでも二人とも最後まで聞いてくれた。それから一号さんはにっと笑みを浮かべ、力強く頷く。

 

「ん、分かった。消そっか!」

「……いいんですか?」

「小細工なしって最初に言ったのは私だからね!」

 

 この映像を使った方がよりよいMVになるかもしれない。僕でもそう思う。

実際作る二人なら、僕以上に見えてるものがあるはずだ。それでも我儘を受け入れてくれた。

感謝と申し訳なさとその他、複雑な気持ちが生まれつつある。そんな僕へ改めて確認してきた。

 

「その代わり、ひとりちゃんの出番ほとんどなくなっちゃうけど平気?」

「そこは本人の問題なのでしょうがないです」

「あーというかむしろ、ぜっくん的には安心なのかな?」

「可愛さバレちゃうと大変だからねー」

「……あんまり蒸し返さないで下さい。恥ずかしいです」

 

 振り返ってみると相当気持ち悪い発言だ。自分で自分に引く。

にもかかわらず二人とも楽しそうに弄ってくる。気にしてないのか、気にしてもらっているのか。

そんなことを考えていたからか、次の一号さんの行動を僕は止められなかった。

 

「そうだ、消す前に確認しちゃおっと。MV作者の特権だー」

「どんなひとりちゃん撮れてるかなぁ」

「あっちょっと」

 

 小型カメラは繊細で壊れやすい。それに掴みかかる訳にもいかない。だから止められない。

僕はただ、二人が映像の確認をするのをじっと眺めて待つことしか出来なかった。

そうして再生が終わると、二人は同時に顔を上げた。同じくニヤニヤからかうように笑っている。

 

「シスコーン」

「ブラコーン」

「……ブラコンは僕に言われても」

「いやいや絶対ぜっくんのせいだから」

「そうだよー? ちゃんと責任取らないとね!」

 

 これ以上責任を取るとなると、もうどうすればいいのかさっぱり分からない。

額に手を当て真剣に悩む僕を見て、一号さんも二号さんも面白おかしそうに笑みを零していた。




次回「求められると弱い女」です。


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第十二話「求められると弱い女」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 撮影から一週間ほど経って、とうとう結束バンドのMVが動画サイトに投稿された。

リョウさんの曲、ひとりの歌詞、皆の演奏に一号さんと二号さんの撮影と編集。

多くの努力のおかげか、今のところ再生数は上々だ。以前のライブ映像とは比べ物にならない。

 

 ひとりもそれが嬉しいのか、一日に何度も再生数を確認するようになった。

その度に自分の出番の無さを嘆いている。僕もその度に責任と罪悪感を覚える。

それからギターヒーローのコメント欄を見て復活している。無限ループだ。

これもネット依存症の一種かもしれない。経過観察をしっかりしておかないと。

 

 こうしてMVも完成して、結束バンドの活動は極めて順調だ。抱えた問題は大体無くなった。

強いて言えば未確認ライオットのことだけを考えるなら、今のうちに知名度を稼ぐべきではある。

あくまで推測に過ぎないけれど、このままだとネット投票の通過は厳しいものがあるだろう。

加えてその後のライブ審査、フェス審査だって元のファン数がものを言う。現状は心もとない。

 

 だけど急に知名度を稼ぐ手段なんて碌なものは無い。悪名だけが募る可能性もある。

それになにより、結束バンドは未確認ライオットのためだけのバンドじゃない。

将来を思うなら今まで通り地道に進んだ方がいい。焦ってもいいことは何一つ無い。

 

 それにファンの立場でこれを言うのは、活動方針を決めさせようとするのはどうかと思う。

どう考えてもただの厄介系ファンだ。存在そのものが結束バンドへの迷惑になってしまう。

そうならないようにしばらく大人しくしていよう、なんて考えは、喜多さんにすぐ粉砕された。

MVの再生数が一万を超えた頃、彼女は深刻そうな表情でひとりを伴い相談をしに来た。

 

「先輩、出来ればはっきり言って欲しいんですけど」

「うん」

「私の歌って、何か違和感ありませんか?」

 

 違和感ときた。それだけだと何とも言えない。下手な口を利く前に状況を確認したい。

ひとりは、駄目そうだ。びっくりして喜多さんの顔を見てる。相談内容は知らなかったらしい。

ならしょうがない、喜多さんに直接聞こう。この様子ならまだ自分から話せる内容のはずだ。

 

「……ちょっと整理したいから、喜多さんの思う違和感を教えてくれる?」

「MVを何度も見てる内に、私の歌だけなんだか浮いてる気がして」

「浮いてる?」

「はい、いい曲なのに私が歌うと微妙というか、しっくりこないというか」

 

 微妙かどうかはともかく、しっくり来てない原因には心当たりがある。

ただ、これは教えてもいいものなのか。最低でもひとりとリョウさんの意見は聞きたい。

ちょうどついて来てるし、ひとりにはこの場で確認しておこう。

 

「ひとりはどう思う?」

「え゛っ!? あ、いや、き、喜多ちゃんの歌は上手です。微妙だなんて」

「ありがとう。それで喜多さん、リョウさんと虹夏さんには?」

「聞いてないです。まずはひとりちゃんと先輩に相談しようと思って」

「なら確認したいことがあるから、二人にも話していい?」

 

 頷きが返って来た。それなら遠慮なく聞かせてもらおう。でもその二人は今日バイトだ。

突然電話するのも迷惑になる。とりあえずロインを送ってみて、反応があるか確かめる。

すると虹夏さんの方は音沙汰なかったけれど、幸いリョウさんからはすぐに返事があった。

 

『バイト中ごめんね。喜多さんの歌のことで確認したいことがあって』

『?』

『自分の歌に違和感があるみたい。歌詞の無理解が大きいと思うけど、教えてもいい?』

『?』

『陰キャの歌詞を陽キャが明るく歌うのがギャップで面白いって、前ひとりに言ってたよね』

『!』

 

 楽してるなあの人。バイト中に答えてくれるのだから感謝すべきなのに、微妙な気持ちになる。

そんな気持ちに蓋をして僕の考えを伝えた。この手のことは彼女に相談するのが一番だ。

 

『今の状態も貫けば、いつか一種の魅力になると思う。だからリョウさんの意見を教えて欲しい』

『なるほど』

 

 たった四文字だけどやっと日本語が返ってきた、なんて思うとすぐに新しいメッセージが届く。

 

『郁代が自分で気付けたならいいよ』

 

 お礼のメッセージを返しても既読は付かなかった。星歌さんにバレたかな。

星歌さんが見てくれるか分からないけど、リョウさんのためにフォローを送っておこう。

そうして携帯をしまう僕へ、喜多さんが待ちきれない様子で顔を覗き込んできた。

 

「先輩たちはなんて?」

「虹夏さんは繋がらなかったけど、リョウさんは答えてくれた。まとめると、頑張って、かな」

「……やっぱりこういう時は練習あるのみ、ですよね!」

 

 喜多さんはいつだって頑張り屋だけれども、時々明後日の方向に走り出してしまう。

なんとなくだけど今日はその時のような気がした。放って置くと変な状況になりそう。

付き合った方がいいのかな、でもさっき大人しくしようって決めたばかりだしな。

そんな迷いも彼女に破壊された。良し悪しはともかく、いつだって彼女は僕から迷いを奪い去る。

 

「じゃあ師匠! 今日もお願いします!」

「し、師匠?」

「うん。ほら、ひとりちゃんが拗ねちゃった時みたいに、時々一緒にカラオケで練習してたから」

「す、拗ねてません」

 

 師匠だなんて呼ばれたけれど、もう僕から喜多さんに教えられるようなことは少ない。

元々歌自体は彼女の方がずっと上手だったから、話せたのは基本的な知識と技術くらい。

それもここまでの月日で伝えきれた。これ以上は専門的、素人が無暗に語ると返って悪影響だ。

 

 だから今は専門家の意見が欲しい。喜多さんより上手い歌手だったり、トレーナーだったり。

ただお金はあまり使えない。僕が出してもいいけれど、それは色々と領分を超えてしまう。

そんな条件でも二人だけ当てはまる人は思いつく。とりあえず、ダメもとで頼んでみよう。

 

 

 

「という訳で本日の特別講師、大槻ヨヨコさんです」

「よろしくお願いします!」

「よ、よよ、よろしくお願いしますっ」

「大槻ヨヨコよ。言っとくけど、私の指導は厳しいから」

 

 見慣れた仁王立ちと腕組み、そして髪を払う仕草。いつも通りの偉そうな大槻さんだ。

今日は講師だからか、そんな振る舞いもしっくりくる。案外向いているのかもしれない。

戯言染みたことを考えているのがバレたのか、彼女は僕へ不機嫌そうに掴みかかって来た。

 

「って何やらせるの!? 私、今日はただのカラオケだと思って来たんだけど?」

「……もしかして今のノリツッコミ? 初めて見た。いいもの見せてくれてありがとう」

「話聞いてる? あと喧嘩売ってる?」

 

 僕の両肩を全力で握りしめて、至近距離で睨みつけてくる大槻さんは今日も元気だ。

メッセージのやり取りや電話はともかく、顔を合わせたのは今年初めてだ。なんだか安心した。

僕のそんな気持ちも腹立たしいようで、今度は揺らし始めた。気持ち悪くなる前に止めよう。

 

「騙し打ちみたいになってごめん。正直に言ったら来てもらえない気がして」

「……まあそうね。ちなみに、私が来なかったらどうしてたの?」

「廣井さんにお願いしようと思ってた」

「え゛」

 

 僕の言葉に喜多さんの顔が大きく引き攣った。そうなる気持ちも十分に分かる。

分かるけれど、こと歌について廣井さんは彼女よりはるか高みにいる。頼らない手は無い。

かかるお金も精々お酒代くらいだ。上手くいけば一番費用対効果は高くなる、上手くいけば。

 

「姐さんに頼られるよりかはマシか。ちょうど暇だったし、しょうがないから付き合ってあげる」

「ありがとう。あと本当のこと言うと、僕が大槻さんの歌が聞きたいなって思ったのもある」

「……最初からそれを言いなさい。まったく」

 

 やれやれ、とでも言いたげな様子だったけど、見るからに斜めだった機嫌が直っている。

そんな彼女とほっと一息吐く僕を見て、喜多さんが失礼なことをポツリと呟いた。

 

「この人たち、チョロい同士だから仲いいのかしら……?」

 

 否定は出来なかった。幸い彼女には聞こえていないようだから、僕も聞こえないふりをする。

余計な言葉を続ける、もしくは気づいてしまう前に、さっさと練習を始めさせてもらおう。

 

「じゃあまずは先生、お願いします」

「先生はやめなさい」

 

 恭しく頭を下げる僕の頭へチョップを入れてから、大槻さんはデンモクを弄りだす。

 

「……何歌おうかなー、なんとなくさ行の歌手の気分だなー、さ行のしかなー」

 

 ちらちらと僕達を見ながら、彼女は懸命にアピールを繰り返した。何か探して欲しいのかな。

放置するのも可哀想だからもう一台のデンモクを手に取り、ヒントの通り検索してみる。

しから始まる歌手・グループの欄を眺めていると、見覚えのある名前がそこにはあった。

 

「……あっSIDEROSの曲入ってるんだね」

「ほんとだ、凄ーい! さすがですね!!」

「ふふん! ちょうどいいからこれ、歌ってあげる」

 

 ちょうどいいも何もないと思う。先生の機嫌を損ねてはいけないから口には出さない。

モニターに映る曲名とSIDEROSの名前を前にして、喜多さんが興味深そうに僕の腕を引いた。

 

「先輩先輩、カラオケってどうすれば入れてもらえるんでしょうか?」

「リクエストがたくさんあれば大丈夫らしいよ」

「えっそ、そうなの?」

「宣伝にもなるし、いつか結束バンドも挑戦してみるのもいいかもね」

 

 結束バンドのSNSアカウントは未だ美容アカウントのままだ。それでもフォロワー数は多い。

リクエストの必要数が分からないから何とも言えないけれど、その内お願い出来るかもしれない。

結束バンドが有名になれば、いつかファンが先に動く可能性もある。いずれにしても楽しみだ。

 

 こんな雑談も大槻さんが歌い始めたことですぐに止まる。ちゃんと聴かないのはもったいない。

言うまでも無いけれど、彼女はカラオケでも途轍もなく上手だ。僕達は聞き入ってしまう。

特に喜多さんは沈痛とも言えるような表情で、ひたすら真剣に耳を傾けていた。

 

「……」

 

 きっと自分と比べてしまっているんだろう。元々が段違いの上に、今日の彼女は悩んでいる。

呼んだ僕が言うことではないけれど、この歌声は大きなプレッシャーになるはずだ。

それでも彼女なら、このスランプを乗り越えてもっと大きくなれると信じている。

無駄な祈りなのかそれとも信頼なのか、判別つかない気持ちを感じていると歌が終わった。

 

「とまあ、こんな感じね」

「……あっ、じょ、上手でした!」

「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの」

 

 鼻を鳴らしながら当然のように答えるけれど、どう見ても大槻さんは上機嫌になっていた。

前から思っていたけれど、彼女も中々の承認欲求モンスターの持ち主だ。ひとりに匹敵するかも。

なんて失礼なことを考えつつ、僕も無心なつもりで拍手をした。ますます上機嫌になった。

それが幸いしたのか、彼女はそのまま自然に喜多さんへマイクを譲り渡す。

 

「さ、じゃあ次歌いなさい」

「えっ、わ、私?」

「アドバイスが欲しいんでしょ? 気分がいいから聞いてあげる」

「ありがとうございます、先生!」

「だから先生はやめなさい!」

 

 きーきゃー言う大槻さんをスルーして、喜多さんは緊張した面持ちで立ち上がり歌い始めた。

こちらも当然ながら、喜多さんだって十分上手い方だ。声も綺麗で耳に心地いい。

ただ、やはり大槻さんと比べると何段か落ちる。彼女も分かっているのか、声に落ち着きが無い。

そしてどこか緊張感が漂う中彼女の歌が終わり、そのまま窺うように大槻さんへ目を向けた。

 

「ど、どうですか?」

「……」

 

 大槻さんは質問に答えず、新しく何曲か入力した。どれもここ一二年で流行った曲。

ジャンルもバラバラ、曲調もバラバラ。幅広く歌わせて、喜多さんの実力を測りたいのかな。

入力を終えた大槻さんは、反応が無くて困っていた喜多さんへ、お構いなしに問いを投げた。

 

「貴方、今入れた曲歌える?」

「はい、大丈夫です」

「全部歌ってみて。話はそれから」

 

 それだけ言って、再び腕と足を組んで座ってしまう。

喜多さんが困惑して僕の方へ振り返ったから、頷いて歌うよう促した。今は言葉はいらない。

それから喜多さんが歌う間、じっと大槻さんは彼女のことを観察し続けていた。

 

「それじゃ最後に、グルーミーグッドバイ、だっけ。ちょっと歌ってみて」

「えっと、私たちのはカラオケに入ってませんけど」

「知ってる。アカペラでも音源流してでもいいから」

「点数出ないけど、いいんですか?」

「点数なんてどうでもいいの。ほら、早く」

 

 手をパンパンと叩いて急かす姿はまるで先生だ。怒られるからもう言わない。

ここまで来ると喜多さんも分かって来たのか、それ以上何も言わずに歌い始める。

MVと比べると声が揺れている。彼女の迷いが、そのまま歌声に現れてしまっていた。

 

「なるほどね、大体分かった」

 

 彼女が歌い終わるとすぐ、曲げた人差し指を顎に当て、大槻さんは納得したように一人呟いた。

 

「自分の歌がしっくりこない、違和感がある、だっけ?」

「あ、はい! ちゃんと歌ってるつもりなのに、なんだか浮いてる気がして」

「そりゃそうなるわよ。ここまで聞いた限り、貴方は曲の意味を」

 

 ここでようやく気付いた。これ言ってもらっちゃいけないものだ。リョウさんに止められてる。

慌てて割って入るように、大槻さんのアドバイスに口を挟んだ。大失敗した。

 

「あっごめん大槻さん、一個伝え忘れてた」

「今話してる途中。それよりも大事なこと?」

 

 彼女の容赦のない、鋭い眼光が突き刺さる。それでも言わなければいけない。

大槻さんを手招きして部屋の隅まで来てもらい、二人には聞こえないよう小さく告げた。

 

「実は喜多さんが自分で気付くまで、歌詞関係のこと言うのは止められてて」

「なっ、それ言おうと思ってたのに! そんな大事なこと、もっと早く言いなさい!!」

「ごめんなさい、カラオケ楽しみ過ぎてて忘れてました」

「……次から注意すること、いい!?」

「はい。ごめんなさい」

 

 まったく、と呆れを欠片も隠さず呟いた後、大槻さんは腕を組み考え込み始めた。

指先でとんとんと自分の腕を叩く。何も出てこない。斜め上を見上げる。何も出てこない。

顔が赤と青になってきた。それでも何も出てこない。申し訳ない気持ちで一杯になってきた。

僕の方で何か時間を稼ぐべきか、やっとそんなことを考えた時、彼女も口を開いた。

 

「……あー、カラオケとレコーディングやライブは別、まずこれは分かる?」

「えっと、はい」

「だからいくら上手くても、カラオケ気分で歌ってたらどうにもならない。ボーカルはバンドのフロントマンで顔なんだから、音程が合ってればいいってものじゃない。そして今の貴方はそれ以上が出来てない」

「………………はい」

 

 大槻さんのボルテージが上がっていくのと同時に、喜多さんのはどんどん下がっていく。

まだ止めるべきじゃないな。今のところは真っ当な指摘とアドバイスに留まっている。

よく様子を見て、どちらかがラインを越えそうになったらブレーキをかけよう。

 

「つまり今のところ、結束バンドのボーカルは別に貴方じゃなくても」

「あっあの!!」

 

 その時、ここまでずっと黙り続けていたひとりが、唐突に大声を上げて立ち上がった。

大槻さんも喜多さんも、そして僕も、予想だにしていなかったから驚いて固まる。

その隙を縫ってひとりは、大きな声を保ったままさらに言葉を続けていった。

 

「いっ言ってることは正しいのかもしれませんけど、結束バンドのボーカルが喜多ちゃんじゃなくてもいいだなんて、そ、そんなことはないです!!」

「ひとりちゃん……」

 

 ひとりが喜多さんを、友達を庇うために声を張り上げて抗議した。

当然感動した。感動したのだけれど、今は両手を挙げて素直に喜べない。

だって大槻さんのあの言動は僕にも大いに責任がある。というか九割僕のせいだ。

 

 だから責任を取ろう。このまま放って置いたら今日の練習が終わってしまう。

大槻さんにあまりにも申し訳がないし、喜多さんにとってもせっかくの機会がもったいない。

 

「でもそれは、客には関係ない」

「……え?」

「前に佐藤さん、あの記者の人が言ってたこと。これは事実だと思う」

 

 僕が口を挟んだ、それも大槻さんを庇ったのがよほど意外だったのか、ひとりが目を見開いた。

それでも目が合えば落ち着く。喜多さんもひとりの様子を見てから、じっと続きを待っている。

とりあえず、喜多さんを否定するためじゃない、ということは分かってもらえたようだ。

 

「ひとりも虹夏さんもリョウさんも、ついでに僕も、喜多さんのことが好きだよ。一緒にいたいと思ってる。それだけで結束バンドのギターボーカルは喜多さんがいいって理由になる」

「……」

「でも繰り返しになるけど客には、外の人にそんなことは分からない、関係無い。このまま音楽を続けていけば、さっきみたいな心無いことを言う人も出てくるかもしれない」

 

 心無いことのあたりで大槻さんが微妙に凍り付いていた。続きを聞いて欲しい。

 

「だからそんな意見を吹っ飛ばせるようになろう、って大槻さんは言いたいんだと思う」

「違う、言ってない」

「大槻さん……!」

「だから言ってない!!」

 

 強く否定する大槻さんの言葉は喜多さんに届かない。彼女は前向きモンスターだ。

ちょっとした謙遜や誤魔化しは全て前向きに捉えてしまう。ある意味一番厄介だと思う。

燃え上がる彼女とそれに焼かれるひとりを視界に入れてから、僕はそっと大槻さんに耳打ちした。

 

「ごめん大槻さん、僕が呼んだのに悪者みたいになっちゃって」

「…………今日奢るなら、特別に許してあげる」

「元々そのつもりだったよ。食べ物とかも奢るから、気にしないで注文してね」

「ならそうね、この無駄に高くてでかいパフェとかピザとか頼もうかしら」

「えっと、お手柔らかに?」

「しないに決まってるでしょ。今日は財布を空っぽにしてあげるから、覚悟しておきなさい!」

 

 得意げに、そして意地悪に言う大槻さんは楽しそうに笑っていたから、僕もやっと安心出来た。

 

 

 

「私ちょっと休憩入ります! 歌はひとりちゃんにバトンタッチ!」

「えっあぇっ、ぱ、パス!」

「なら後藤先輩にパス!」

 

 大槻さんの激励(僕の解釈多め)により、改めて喜多さんに大きな気合が入った。

それはそれとして休憩するらしい。三十分くらい歌いっぱなしだったから当然だ。

そしてひとりに拒否されたマイクが僕の方へ飛んできた。ひとりを見習ってパスしよう。

 

「じゃあ僕も大槻さんにパス」

「パス禁止。バリアー」

「戻ってきちゃった」

 

 バリアーに突っ返されたマイクを見て、つい残念な気持ちを漏らしてしまう。

あんまりにもそれが露骨だったのか、大槻さんは意外そうに目を丸くしていた。

 

「……貴方もしかして、歌苦手なの?」

「苦手というか、歌うよりも聴く方が好きだから」

「えーでも先輩も上手じゃないですかー。色々教えてくれましたしー」

 

 抗議するような喜多さんの言葉を聞いて、大槻さんの目がきらりと鋭く光った。

既にプロの領域にいる彼女に、僕の素人指導を聞かれるのは相当恥ずかしい。

それがバレてるのか別の理由か、なんだかニヤニヤしながら彼女は続きを促した。

 

「へえ、どんなこと?」

「お腹から声出してーとか、抑揚は曲全体を見てつけようねーとか」

「ふーん、なら先生の歌、聴かせてもらおうかしら」

「恥ずかしいから先生はやめて欲しいな」

「貴方から言い出したことでしょ、貴方から!」

 

 ごもっともだ。どの口発言だった。

 

「御託はいいからさっさと歌いなさい」

「はーい」

 

 大槻さんにぴしゃりと叱られてしまったから、素直にデンモクを操作して曲を入れる。

適当にランキングから知ってるものを選んだ。秋口に流行ったドラマのエンディングテーマだ。

ドラマはまったく見てないけれど、ひとりがギターヒーローとして演奏したから曲は分かる。

 

 人類皆兄弟的な歌だ。僕の兄妹はひとりとふたりだけだから、まったく共感出来ない。

それもあるし、なんとなく歌もギターのように警戒してしまうから、心の籠らない歌い方になる。

そんなつまらない歌でも採点するのはカラオケマシン。音程は合ってるから点数は高い。

 

「おー九十点。さすがですねー」

「お、お疲れ様、お兄ちゃん」

「……なるほど、使える」

 

 明るい拍手と控えめな拍手を貰う。偉そうなものは貰えず、代わりに物騒な呟きが聞こえた。

今のを聴いて出た言葉、使える、大槻さんの真面目さと優しさを考えると意味は推測出来る。

的外れな可能性もあるから、ダメ元でのお願いも兼ねてマイクを彼女に差し出した。

 

「それじゃ大槻さん、パス」

「まだパス禁止。今度はこれ歌いなさい」

「そろそろ大槻さんの歌聞きたいです」

「……いいから。今は黙って歌いなさい」

「黙ってたら歌えないよ」

「うっさいわね! 小学生か!!」

 

 肩をぺちんと叩かれてしまった。自分でも今のは子供っぽいと思う。ちょっと恥ずかしい。

そんな自分を一度脇に置いて、モニターに浮かぶ曲名を確かめる。これも去年流行った曲だ。

確か承認欲求を拗らせた歌。世界中に認められたい、好かれたい、みたいな歌詞だったはず。

 

 大槻さんがどこまで僕のことを理解しているか、それは分からない。でも選曲はばっちりだ。

これなら特に意識しなくても、僕の歌は彼女の狙い通りになるはず。そう考えると気が楽だ。

そうして歌い終わって出た点数は九十三点。満足げに頷いて、彼女は僕に手のひらを向ける。

 

「よし、じゃあマイク貸して」

「どうぞ。同じ曲だよね?」

「……よく分かったわね」

「なんとなくね。あとはよろしくお願いします」

 

 そう告げて頭を下げる。顔を上げた瞬間見えたのは、ニヤッと崩れた笑顔だった。

それも瞬きの後には消えていて、いつもの鋭さが戻っていた。でもまだちょっと嬉しそう。

視線に気づいたのか彼女は恥ずかしそうに僕を睨んだ後、思い出したように喜多さんを呼んだ。

 

「あっそうだ、歌う前に喜多喜多!」

「あっは、はい!」

 

 まだそれで呼ぶんだ。というかそうか、本当の下の名前知らないのか。

ここで名前を呼んで、喜多さんの調子を崩す訳にもいかない。今日も黙っておく。

 

「今からこいつと同じ曲歌うから。何がどう違うのか、よく聴いておくのね」

 

 喜多さんの返事を待たず、大槻さんはマイクに、歌に集中し始める。

そこからは凄かった。あまりにも語彙の無い感想だけど、そうとしか言いようが無い。

ブレス、抑揚、緩急、あらゆる技術を使い、大槻さんは歌で心を表現していった。

マシンの出した点数こそ僕より低かったけれどとんでもない。文字通り桁が違う。

その結果を確認した後、冷たいほど静かな声で彼女は喜多さんの方を向いた。

 

「それで、どっちのがいいと思った?」

「……後藤先輩の方が点数高かったから、先輩の方が」

「は? 点数じゃなくて、貴方の感想、貴方のよ」

「…………大槻さんです」

「当然ね、うん、当たり前、当たり前よね。耳は腐ってないみたいで安心した」

 

 多分もっと別のところで安心したと思うけど、何も言わないでおこう。

大槻さん相手だと僕はなんだか面倒くさくなる。多分変な指摘の仕方をしてしまう。

今は真面目な、大事な話の途中だ。何も気づかないことにして、何も口を挟まないでおく。

 

「じゃあどこを聴いてそう思った?」

「……大槻さんの方が、感情が伝わるというか、心を揺さぶられるというか」

「どうしてそうなったの?」

「多分ですけど、気持ちが籠ってたから。歌詞が、突き刺さったから?」

「それをするには?」

「どういう歌か、分かってないと」

 

 喜多さんが大きな目を更に見開いた。これは、自分で気付けたでいいのかな。

かなり大槻さんが誘導した気もするけれど、はっきりとしたことは何も言っていない。

どちらにせよ今更だ。こうなった以上、こちらの方向に合わせて練習を進めていこう。

 

「そっか、そうだわ、当たり前じゃない!」

「あっえっき、喜多ちゃん?」

「私分かってなかった! なんとなく、楽しく歌ってたわ!」

 

 ぴょんぴょん跳ねる喜多さんにいきなり手を握りしめられて、ひとりは困惑している。

そして迷いながら立ち上がり、彼女に合わせるよう自分も跳び始めた。高さとテンポが全然違う。

微笑ましいその光景を眺めながら、胸をなで下ろしていた大槻さんへ思ったことを告げた。

 

「大槻さん、やっぱり先生向いてると思うよ」

「だからやめなさいって。柄じゃないから」

 

 何度も怒られた言葉だ。だけど今度は彼女も、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 それからは歌詞に沿って、曲の意味を考えながら歌う練習をした。

喜怒哀楽、それ以上にもっと複雑な感情。心は難解だから、一朝一夕に出来るものじゃない。

それでも大槻さんの指導の下、各種表現方法を少しずつ学んでいった。

 

 楽しい充実した時間は早く過ぎていく。あっという間に利用時間は終わってしまった。

一瞬延長も考えたけれど、既にかなり喜多さんの喉や頭に負担をかけた。これ以上は毒になる。

そう判断して今日はお開きとなり、全員で駅までの帰路を歩いているところだ。

 

「今日はありがとうございました、セカンド師匠!!」

「セカンド師匠!?」

「先輩が一人目なので、大槻さんは二人目です!!」

 

 喜多さんに悪意は無い。感謝にほんの少し茶目っ気を混ぜているだけだ。

だから僕を睨まれても困る。セカンド師匠らしい寛大な心で弟子の気持ちを受け止めて欲しい。

 

「……もうセカンドでも何でもいいか。とにかく、私が教えた以上情けない歌は許さないから」

「はい、セカンド師匠!」

「やっぱりそれやめて。なんか腹立つ」

 

 今日一日でだいぶ大槻さんと喜多さんは打ち解けた。喜多さんはもう友達だと思ってるかも。

ひとり、ひとりは今日もずっと大槻さんを警戒してビクビクしていた。残念だけど仕方ない。

似てるところもたくさんあるけれど、今のところ二人はどうにも噛み合わせが悪い。

 

 僕の当てにならない勘だと、一度打ち解ければとても仲良く出来る気はする。

だけどあの喜多さんが二人を強引に引き合わせていない以上、きっとまだその時じゃない。

その証拠に喜多さんはひとりを大槻さんから遠ざけ、前の方を先導するように歩いている。

 

 その背中を見ていると突然彼女が振り向き、さりげなくウィンクした。

何度も思い知ったことだけど、この手のことは到底僕じゃ敵わない。

心の中で彼女へ頭を下げてから、気を取り直して今度は大槻さんに下げた。

今のうちに僕からも今日のお礼を告げておこう。直接無理に頼んだ以上、それが筋だ。

 

「今日は突然呼んだのに来てくれてありがとう」

「……今日はもういいけど、今度また同じ誘い方したら怒るから」

 

 ぷいっとそっぽを向きながら、彼女に次の怒りを宣告されてしまった。

さっきまで楽しそうだったのに、そんなにセカンド師匠が嫌だったのかな。いや違うか。

改めて話をしたことで、騙し討ちされた時の怒りが蘇ってしまったのかもしれない。

 

「いきなり図々しいお願いをしてしまってごめんなさい」

「そこは別にいい。そうじゃなくて、その、勘違いする文章というか」

「勘違い?」

 

 そんな変な文章を送ったかな。確か、今日暇だったらカラオケどうですか、くらいだったはず。

彼女が変な捉え方をしたのか、僕がまたよく分からないことをしたのか。確かめる方法は無い。

だって直接聞くときっとヒートアップする。迷っている間に大槻さんが答えを叫んだ。

 

「……………………………………………遊びに誘われたかと思ったの!!」

 

 急な大声に前を歩く二人がびっくりして振り向いた。手を振って心配無いことを告げる。

出来れば喜多さんに相談したいけどそうもいかない。僕一人でなんとかしないと。

 

「遊びって、今日のこれ?」

「急にカラオケ行かないって誘われたら、誰だってそう思うでしょ!?」

「……果たし合いとかは?」

「普通そんな頭おかしい発想しない!!」

 

 僕は頭がおかしいらしい。とっくに知ってた。今更大槻さんにお墨を付けてもらっても。

だからそんなことはともかく、彼女の疑問を改めて考える。遊びの誘いだと思ってた。

 

「遊びに誘う、大槻さんを」

「…………何その反応。私を誘う発想なんて無いとか言いたいの?」

「無いというか、誘ってもよかったの?」

「は?」

 

 間の抜けた返事だった。僕の確認に気を削がれたらしい。怒りもどこかに落ちて行った。

この隙に弁明というか、僕なりの遠慮、理由を話しておこう。彼女なら分かってくれるはず。

 

「大槻さんはいつも忙しいだろうから、そういう誘いはしない方がいいのかなって」

「なら今日のは何なのよ」

「打算と計算です。色んなものにかこつけて誘いました」

「正直に言えばいいってものじゃない!」

 

 馬鹿正直に打ち明けた僕の頭を何度も叩きながら、大槻さんが同じくらいため息を吐いていた。

それから音の出そうな勢いで僕の眼前に指を置くと、目を泳がしながら宣言する。

 

「いい? そういうのは私が決めるから、貴方は余計なこと考えなくていいの」

「うん、ありがとう」

「お礼も遠慮もいらない。…………と、友達って、そういうものでしょ?」

「僕が言いたいからお礼は言わせて欲しい」

「ほんとに話聞かないというか、ああ言えばこう言う奴ね」

 

 そんな言葉とは裏腹に大槻さんは穏やかに笑っていた。珍しい表情で、多分初めて見た。

こんなこと思うべきじゃない。それでも、これだけで今日彼女を呼んだ甲斐があった気がする。

まさか言葉にする訳にもいかないから話を逸らす、いや元に戻して改めて彼女へ聞いた。

 

「じゃあ大槻さん、どこか行きたいところとかある?」

「どこでもいい。その次、私が行きたいところ誘うから」

「もうその次あるんだ」

「何? 嫌なの?」

「ううん、逆。嬉しい」

「……あっそ」

 

 

 

 ちなみに次の日、あれだけ言ったのになんで誘って来ないの、という電話が来たのは別の話だ。

そんな暇も余裕も無かったなんて、きっとただの言い訳だろう。




次回「妹体験記 上」です。


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第十三話「妹体験記 上」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 どうしてこんなことになったのか。このフレーズを思い浮かべるのも何回目だろう。

自分の無力を嘆く時、世の理不尽さに憤る時、ひとりが何かやらかした時、色々あった。

今日のこれはここ一年で急激に増えつつある時、まるで意味が分からない時だ。

 

「兄さーん、そろそろお茶にしましょー?」

「ありがとう、喜多さ、郁代。これが終わったら行くから」

「えっとね、実はそろそろじゃなくて、もう淹れちゃったの。だから一緒に来て?」

「分かった、そういうことなら。……というかその、名前平気なの?」

「もう慣れた、というか家族だし平気よ! だから兄さんも早く慣れてね?」

 

 満面の笑みを浮かべる郁代にダメージを受けた様子は無い。慣れたというのは本当なんだろう。

それどころかどこか楽しそうに僕の腕を取り、そのまま部屋の外まで引っ張っていこうとする。

ひとりとふたりがそれを戸の傍で眺めている。瞳に宿る感情は対照的だ。許可したのは君でしょ。

どうしてこんなことになったのか。もう一度同じことを考えながら、昨日のことを思い返した。

 

 

 

 大槻先生の特別教室からの帰り道、喜多さんが突然僕達と同じ電車に乗って来た。

記憶が確かなら彼女は逆方向の電車に乗って帰るはず。最初は間違えたのかと思った。

控えめにそれを指摘したひとりに向けて、喜多さんは致死量の光と言葉を放った。

 

「今週末、ひとりちゃんたちのお家泊まってもいいかしら!?」

「え゛っ」

「さっき大槻さんから教えてもらったことだけど、バンドのためにも曲の理解をもっと深めた方がいいと思うの。それでひとりちゃんには、歌詞を直接解説してもらえればなーって」

 

 喜多さんはいつも真面目で一生懸命で、ついでにこうと決めたら一直線な人だ。

そんな子に明確な課題と目標、解決策を導けばこうもなる。ちょっと考えれば納得は出来た。

慌てふためくひとりとは違い、彼女を止める理由は無い。後藤家はひとりの友達をいつでも歓迎します。

 

「……あっ! か、歌詞の解説なら、別に家に来なくても、スターリーでも出来ますよ?」

「そうね。でもそれだけじゃ不十分、きっと全然足りないの」

「た、足りない。何がですか?」

「理解度よ! ひとりちゃんの歌詞ってすっごく難しいじゃない? だから歌詞を理解するなら、もっともっとひとりちゃんのことも知った方がいいと思うの。ううん、私が知りたいの!」

 

 キターンキラキラと、笑顔と言葉が飛んできた。直撃したひとりの目と耳が潰れる。

ひとりは片手で目を抑えながら、もう片方で僕の腕に縋るようにもたれかかってくる。

ちょうどいい。ひとりのお願いとは関係なく、そろそろ口を挟もうと思っていた。

断る口実にするつもりはないけれど、いくつか聞いておかないといけないことがある。

 

「喜多さん、お泊りすることは御家族に伝えた?」

「さっきロイン送りました! 結構友達の家には泊まるので、これで大丈夫です!」

「僕がいることは?」

 

 それがどうしたんですか、と言わんばかりに喜多さんは首を傾げる。

どうしたもこうしたもない。気が抜けた考えだ。油断が過ぎて心配になる。

 

「異性の友達がいる家ってなると、御両親も心配すると思う」

「あっ、あー、そういう。でも先輩なら大丈夫じゃないですか?」

「て、適当……」

 

 あまりにも雑な返事にひとりが呆れた声を出す。僕も出そうになった。

男っぽさが薄いのは自覚してる。それでも、一応僕だって男だ。年頃の子なら警戒した方がいい。

だけど目の前でへらへら笑っている喜多さんには、警戒心がさっぱり感じられなかった。

 

「お説教染みたことは言いたくないけど、もっと危機感というか、警戒心持った方がいいよ」

「それ先輩が言うんですか? それに大丈夫ですよ~先輩ほど安全な人いませんから~」

「……僕は多分、この辺で一番危険な生き物だよ?」

「先輩が? ふふふっ、たまにはそういう冗談も言うんですね!」

 

 ものすごくさらっと流された。安心安全認定、喜ばしいはずなのに微妙に釈然としない。

その気持ちが伝わったのか、何故かちょっとだけ自信に溢れた表情を彼女は浮かべた。

 

「あっもしかして、何かしちゃう気なんですか?」

「何もしないよ。そうじゃなくて、心構えの話」

「むっ」

 

 得意げに歪んでいた口が今度はへの字になった。どこかが気に食わなかったみたいだ。

どこか。まさか、何もしないの部分? だけど男女のどうこうって話じゃないだろう。

友達同士のお泊りなら、お遊びの悪戯くらいあって当然ってことなのかな。よく分からない。

 

「……じゃあ、何かしようか?」

「何かって何ですか?」

「…………えっと、寝起きドッキリとか」

「ドッキリで何やるんですか?」

「………………時計のアラームを、一時間くらいずらすとか」

「安心安全ですね!!」

 

 断言されてしまった。しかも今度は、どこか見守るような微笑までおまけされた。

なんだろう。これを年下の子にされていると思うと、さっきよりますます釈然としない。

僕が黙ったことで納得したと思ったのか、喜多さんはひとりに狙いを戻して両手を合わせた。

 

「とにかく勉強のためにも、今日泊めてくれないかしら? お願いひとりちゃん!」

「あっああの、えっと」

 

 改めてのお願いにひとりはなんとか抵抗しようとしていた。だがそれも無駄なことだろう。

ゴリ押しの喜多さんにひとりが勝てたところを見たことが無い。僕も勝てたことは無い。

僕達に出来るのは覚悟を決めることだけ。だからなるべく優しく、ひとりの肩に手を置いた。

 

「頑張ろう」

「……う、うぅ、そ、そんな」

 

 地獄に落ちたような反応、友達が泊まりに来る時のじゃないな、なんて他人事のように思った。

 

 

 

 そうして喜多さんのお泊りが決まったから家に連絡すると、家族みんなが大喜びした。

その喜びがあふれたのか、玄関先でクラッカーまで持ち出していた。僕もやりたかった。

そんな大騒ぎで迎えられたのにも関わらず、彼女はまったく動じていない。それも当然か。

なにせ彼女は陽キャの中の陽キャ。ひとりに言わせてみればクイーンオブザ陽キャ。

この程度のサプライズならきっと、両手の指じゃ足りないくらい経験しているはずだ。

 

「あっ喜多さん、ちょっと待って。紙ふぶきついちゃってる」

「えっどこですか?」

「襟足のところ。取るからじっとしてて」

「ありがとうございます!」

 

 喜多さんとそんなやり取りをしていると、なぜか父さんと母さんが僕達をじっと見ていた。

しかもちょっと見ないくらいニコニコしながらだ。多分、夏休みに皆が来た日と同じくらい。

家族とは言え、黙ってそうして見られると妙な心地がする。ちょっと怖いから聞いておこう。

 

「……二人とも、急にどうしたの?」

「なんでもないわよー、ほほほ」

「そうそう、なんでもないなんでもない、ふふふ」

「絶対あるでしょ。何その笑い」

「ふふふー」

「ほほほー」

「せめて喋って?」

「ふふふーほほほー」

 

 重ねて聞いてみても、同じように揃ってふふふ、ほほほと返されるだけ。

途中でふたりも加わったからもう何も分からない。喜多さんもいるし、これ以上はやめておこう。

それでもと、せめて文句を込めた視線を投げかける。笑顔が深まった。何の意味もなかった。

 

「先輩って、お家だとあんな感じなのね」

「あっはい。あんな感じです」

「はーなんだか意外だわー」

 

 

 

 賑やかな夕食が終わり、その後はお風呂。諸々の都合により今日は順番が指定された。

お客さんの喜多さん。ひとり、母さんとふたり、僕、父さん。母さんの鶴の一声だった。

きっとお泊り系作法でそうなるんだろう。喜多さんが遠慮する以外、特に異論は無かった。

 

 お風呂から上がってひとりの部屋へ向かうと、喜多さんがひとりをじっと眺めていた。

見られ続けているひとりは、居心地悪そうにしながらも普段通りギターの練習をしている。

これはどういう状況なんだろう。てっきり喜多さんにひとりが質問攻めされてると思っていた。

 

「二人とも何してるの?」

「ひとりちゃんを観察してます!」

「あっか、観察されてます」

 

 なんでもひとりの日常生活を観察して、その生態を明らかにするつもりらしい。

しばらくの間喜多さんは、感心した様子でひとりの練習を見ていた。だけど途中で飽きたらしい。

眠たげに欠伸をしそうになってから、僕の視線に気づいて恥ずかしそうに噛み殺した。

 

「えっと、ひとりちゃんっていつも何時くらいまで練習するんですか?」

「……寝るまで?」

「えっ」

 

 ここ数年は大体ひとりより先に寝てしまうから、正確な時間は分からない。

それでも自己申告によると、遅くとも十二時を超える頃には布団に入っているらしい。

今は九時近くだから、あと三時間くらいはこのままだろう。そう告げると喜多さんは絶句した。

 

「じゃあ私、このまま動かないひとりちゃんをずっと見てるんですか!?」

「手は動いてるよ。ほら、ギター弾いてる。上手だよ」

「そんなのつまらないです!!」

「喜多さん、ヘッドホン着けてるけど聞こえるから。ひとりにもそれ聞こえるから」

 

 演奏を止め、ヘッドホンを外したひとりが申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「つ、つまらない女ですみません……」

「あっ! ご、ごめんね、その、つい本音が出ただけで他意はないから!!」

「威力上がってるよ」

 

 もはや純粋な暴力だ。胸を打たれたひとりはギターを抱えたまま横になる。

喜多さんは慌てふためいていたけれど、僕は感心していた。傷が思ったよりも浅い。

その証拠に人の形を保っている。そして慰めているとすぐに復活した。丈夫になってきた。

それで喜多さんも安心したらしくほっと一息ついて、今度は僕へ視線を向ける。

 

「そうだ先輩、ひとりちゃんが練習してる間私と」

「おにーちゃんもう寝る時間だよー!」

 

 彼女がそう言って身を乗り出してきた瞬間、ふたりがツチノコ片手に部屋の戸を全力で開いた。

寝る前なのに元気一杯だ。それなのに布団に入るとすぐ寝てしまうから、子供って不思議。

そんな疑問と癒しと和み、その他諸々を感じつつ、傍に駆け寄るふたりを抱き止めた。

 

「ふたり、お部屋に入る前はノックしようね」

「はーい、ごめんなさーい」

「ここはひとりの部屋だから、それはお姉ちゃんに」

「おねーちゃんごめんねー?」

「あっうん。お姉ちゃんは全然大丈夫だから」

 

 自分でも口うるさいとは思う。だけどこの手のマナー、習慣は幼い頃から身に着けた方がいい。

幸いにしてひとりもふたりも、いつも僕の注意を素直に聞いてくれている。今日も一安心だ。

ほっとしながら立ち上がり、ふたりと一緒に僕の部屋へ向かおうと戸を開いた。

 

「それじゃ二人ともおやすみ。あんまり夜更かししないようにね?」

「はーい!」

「はーい」

「はーい!」

「ふたりは今から寝るんだよ?」

 

 ふたりは二人に合わせて明るく返事をしていた。喜多さんがうつったかな。

いいところはどんどん真似して、悪いところは反面教師にして健やかに育ってほしい。

手を引かれて布団に連れ込まれながら、そんなことを思って眠りについた。

 

 そして翌朝。リビングで勉強していると、喜多さんが力無く部屋に入って来た。

 

「おはよう喜多さん。昨日はどうだった?」

「……結局寝落ちしました」

「……練習で疲れてただろうから、しょうがないよ」

 

 

 

 朝食の後、喜多さんはひとりを伴って忙しそうに家中を動き回っていた。

途中聞いたところによると、なんでもひとりについて家族みんなにインタビューしているらしい。

ひとりを眺めていても眠くなるだけだから、周りから掘り下げるよう方針を切り替えたみたいだ。

 

 僕はというと、その様子をのんびり見物しながら勉強なんかして、休日を満喫していた。

僕がいると話しにくいこともあるだろうし、その内僕にも同じように聞いてくるはず。

ひとりについては詳しく、ついでに聞いてくるだろう僕については当たり障りなく。

そんな答えを考えて二人が来るのを待つ。待ってたけれど、いつになっても聞きに来ない。

 

「じーっ」

 

 正確に言うと来てはいる。喜多さんがソファーの横から顔だけ出して、僕を覗き見ていた。

瞳に宿る興味の光はいつも以上に爛々と輝いている。父さんと母さんは何を言ったんだろう。

聞こうと思って振り向くと素早く隠れてしまう。体勢を戻すと再び視線を感じる。

 

 これはおそらく、昨日のひとりみたいに僕も観察されている。どうして僕を?

ひとりに事情を、いや近くにいない。この分だと一人で部屋まで逃げ帰っている。

母さんは洗濯中、父さんはふたりと楽しく遊んでいる。ならジミヘンに聞くか。

 

「ジミヘン、何があったの?」

「ワンワン、ワンワンワンッ!」

「そこをなんとか。今度ジャーキー買ってくるから」

「ワンちゃんと会話してる。先輩そういうところもあるのね……!」

 

 ボールで遊んでいたジミヘンを呼んで横に座ってもらい、事情聴取させてもらう。

その様子を喜多さんは相変わらず隠れながら、妙にキタキタした目で観察していた。

こっちはとりあえず放っておこう。ジミヘンが教えてくれるなら何も問題は無い。

 

「ワンワンッ、ワン!」

「……好き嫌い。えっと、ひとりの?」

「!?」

 

 ジャーキーに釣られたのか、ジミヘンは滑らかに口を動かし始めた。

喜多さんがひっくり返って目の前に転がって来たけれど、今は無視してジミヘンの話に集中する。

当然今なら捕まえられるけど、僕から聞き始めたのに話の途中で席を立つのは失礼だ。

親しき中にも礼儀ありという。家族相手でも、いやだからこそ、そこに甘えすぎちゃいけない。

 

「ワンワワンッ!」

「あれ、僕のなんだ。大体の物は食べられるって知ってるはずだけど」

「ワンワンワワンッワンワン!!」

「あぁ食べ物の話じゃないんだね。じゃあなんだろ?」

「……くぅーん」

「そこは内緒、というか口止めされてるんだ。なら大丈夫、無理には聞かないから」

「ワンッ!」

「ううん、こちらこそ教えてくれてありがとう」

 

 僕はまだ力不足だ。ジミヘンの言いたいことは三分の一も理解できていないだろう。

どうやら父さんが口を滑らせたのと、母さんが何か余計なことを言ったことだけは分かった。

肝心の内容は分からないけどよしとする。とりあえず喜多さんはおびき出せた。

 

「それで喜多さん、さっきからどうしたの?」

「……じ、じーっ!」

「続けるんだ」

 

 僕としては別に見られ続けるのは構わない。でも喜多さんにとっては時間の無駄だろう。

今回のお泊りは、彼女がひとりを理解するためにしている。僕を観察していてもしょうがない。

それをそのまま言っても聞いてくれそうにないから、別の角度から僕は切り込んだ。

 

「喜多さんそういえば、前約束したクレープ屋さんなんだけど」

「……先輩、忘れてなかったんですね」

 

 視線の種類が変わった。もの凄いジト目になった。胸が痛いけど作戦は順調だ。

 

「まあいいです。それで、いつ行くって話ですか?」

「あそこ閉店したって知ってる?」

「…………ええぇぇぇ!?」

 

 ジト目を大きく見開いて、喜多さんが驚きに声を張り上げた。知らなかったらしい。

想像以上の驚きだ。この分だと、閉店の理由を聞いたら飛び上がってしまうかもしれない。

 

「なんでも江ノ島で営業してる内に仏の道に目覚めて、今はタイまで修行に行ってるらしいよ」

「そんな馬鹿な話があるんですか!?」

「うん。江ノ島にあるのは神社なのに、目覚めるのは仏教って不思議な話だよね」

「そこじゃないです」

「あぁでも明治になるまでは仏式も混じってたそうだから、そういう意味では問題無いのかな」

「どうでもいいです」

 

 僕の疑問を冷たく切り捨てた彼女は、またソファーに隠れてしまった。

それから拗ねたような、責めるような口調でちくちくと僕を突き刺してくる。本当にごめん。

 

「むぅ、先輩が中々一緒に行ってくれないから……」

「ごめんね。えっと、そうだ。ならお詫びに、僕に出来ることならなんでもするから」

「……なんでも!? 今、なんでもって言いました!?」

「聞ける範囲でね。公序良俗に反するのは駄目だよ」

 

 なんでもする、無警戒だけど言われる方も結構困る言葉だ。僕もラインが分からなかった。

リョウさんならともかく、錯乱してない喜多さんならそこまで危ないことは言わないはず。

僕はそんな浅い想定をしていた。当然のように彼女はその想像を軽々と越えていく。

 

「じゃあこのお休みの間、先輩の妹やらせてください!!」

 

 この子は何を言ってるんだろう。

 

「よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?」

「先輩の妹になりたいです!!」

「…………ごめん、もう一回だけお願い。あと理由もつけて」

「つまりですね、ひとりちゃんのことを理解するなら、先輩の妹になるのが一番なんです!!」

「本当にごめん。何度言ってもらっても分からない」

 

 もう日が昇ってからしばらく経つけど、まだ寝ぼけてるのかな。意味が分からない。

コーヒーでも淹れてこようかな。それも限りなくどす黒いもの。きっと目が覚めるはず。

喜多さんブラック飲めるといいな、なんて変な願いごとを僕は抱き始めた。

 

「ひとりちゃんと先輩のご家族からお話聞いて、これしかないって閃きました!!」

「視野が狭くなってるだけだと思う」

 

 聞いた結果がこれって、いったい二人は何を言ったんだ。ますます聞きたくなくなる。

興味は増すけど嫌気も増すという不思議な気持ちになりながら、彼女の話の続きを待つ。

 

「だって先輩の話をすると絶対ひとりちゃんが、ひとりちゃんの話をすると絶対先輩が出てくるんですよ?」

「大体セットで動いてたからね」

「そう、セットです!! 先輩とセットになれば、ひとりちゃんの気持ちが分かるはずなんです!!!」

 

 テンションが高い。声も大きい。ご近所迷惑になってなければいいけど。これは現実逃避だ。

 

「という訳で、私は先輩の妹になります!!」

「駄目です」

「秒殺!?」

 

 どうしてそこまで驚いているのか。まさかこれが受け入れられるとでも思っていたのか。

確かに公序良俗には反していないはず。血の繋がりが無い兄妹も世の中にはたくさんいる。

だとしても僕達には約束がある。あの時、そういう呼び方はしないとお互い決めたはずだ。

 

「結構前、八月くらいにそれは駄目だってことになったよね?」

「ひとりちゃんが嫌がったからですよね。ふっふっふっ、安心してください!」

 

 全くできない。むしろ不安はどんどん募っていく。

 

「もう、ひとりちゃんから許可はもらいました!!!!」

 

 テレビか何かだったら、ババン、とでも鳴っていそうなほど彼女は胸を張っていた。

そんな変な嘘を吐く理由は無いはず。だけど時々喜多さんは驚くほど変になる。

一応念のためにと部屋まで移動して、ギターの練習をしていたひとりに確認した。

 

「喜多さんが妹になるの許可したって本当?」

「うん」

 

 特になんとも思って無さそうにひとりは頷いた。あの時のような反発はまるでない。

ちょっとした兄離れかな。寂しくなるけどいつかは起きること、むしろ遅いくらいだ。

胸の寂寥感を達成感で埋めようとしていると、ひとりが両方とも雑にどけてきた。

 

「いいって言わないと、土日が喜多ちゃんで埋まっちゃうから……」

 

 ひとりは打算的だった。もっと言えば僕は生贄だった。僕の情緒を返して欲しい。

咎めるような僕の視線を受けて、ひとりはそそくさと部屋から逃げて行った。転ばないようにね。

視線を戻すと喜多さんが両手を握り、キターンという音と光を四方八方に飛び散らかしている。

最初に言いだしたのは僕。今逃げ道を潰したのも僕。ならもう、しょうがないか。

 

「………………まあうん、じゃあ、うん。しょうがないから、うん、じゃあ、いいよ」

「やった! 短い間だけどよろしくね、兄さん?」

 

 嬉しそうに、そしてからかうように上目遣いで喜多さんが呼んでくる。

そんな彼女の瞳は悪戯っぽく輝いていた。そっちがそういうつもりならと、僕も同じように返す。

 

「こちらこそよろしくね、郁代」

「うっ」

 

 前途多難だ。

 

 

 

 名前で呼ばれて悶え苦しんでいた郁代は数秒で蘇った。さん付けじゃなきゃここまで早いのか。

なら普段も呼び捨てならいいのかな。でもそれってちょっと距離感おかしくないかな。

ヤバいと言われたあの日以来、それまで以上にその辺りの感覚に自信が無い。だからやめとこう。

 

 気を取り直して郁代の様子を確認する。ご機嫌そうにキタキタと光っている。

ふと目が合うとにっこり微笑んでくれた。気のせいか、いつもより明るくて柔らかい雰囲気だ。

未だにひとりは帰ってこないし、郁代もにこにこしてるだけ。落ち着かないから話でもしよう。

 

「それで妹になるって、具体的に何するの?」

「……妹って何なのかしら?」

「そこから?」

 

 何も具体的に考えて無いみたいだ。やっぱりこれただの思いつきなんじゃ。疑念が深まる。

僕の呆れが十分に伝わったのか、郁代は視線をあちらこちらに飛ばした後指を一本立てた。

何か思いついたらしい。どこか得意げな様子で、僕に向けて握った手をマイク代わりに差し出す。

 

「じゃあ兄さんにとって妹って?」

「……うーん」

「あれ、そこで悩むの? 兄さんなら僕の全てー、とか言うと思ってたわ」

「いざ言葉にしようとすると、なんだか難しくて」

 

 人生、希望、幸福、光、例える言葉ならいくらでもある。それこそ僕の全てでもいい。

でもそのどれもが大げさで、なんというか白々しい。空虚で無意味な羅列に思えてくる。

それでも何か、一言でまとめられるものはないか。少し考えると、無意識に言葉が漏れた。

 

「……杖」

「えっと?」

「あっごめんね。今のは関係ないことだから」

 

 これは駄目だ。僕の面倒な事情と気持ちを説明しないと、まったく意味が分からない。

そして誰にも教えるつもりはない。妹に縋らないと生きていけないなんて、言えるはずもない。

他に考えよう。そもそも僕は妹達をどう思っているか。これからどうなって欲しいのか。

何よりも大切で、愛していて、幸せになってほしい。突き詰めてまとめるとこれだけだ。

 

「さっきも言ったけど、言葉にするのは難しいんだ」

「ふむふむ」

「だからそのまま、言葉には出来ないほど大切な存在、かな」

「おー」

 

 何故か感心された。ほとんどいつも言ってることだから、てっきりドン引きされると思ってた。

いったい何が違うんだろう。普通の女の子の感覚は分からない。人生で一二を争う難しい問題だ。

答えの無い問いに悩んでいると、郁代がどこか期待した様子で自分のことを指差していた。

 

「じゃあじゃあ兄さん、今は私もそれくらい大事ってこと?」

「郁代は仮免妹だから(仮)が付くよ」

「仮免!? (仮)!?」

 

 僕達がそんな漫才を繰り広げていると、階段を上る音が二つ聞こえてきた。

そのまま部屋に入ってくる。ほとぼりが冷めたと思ったのか、ひとりがふたりと戻って来た。

逃走のお詫びのつもりか、人数分の飲み物とお菓子をお盆に乗せて持っている。

そんなひとりに郁代は同じ質問をぶつける。びっくりしてひっくり返さなければいいけど。

 

「ひとりちゃんにとって妹って何かしら?」

「えっ、い、生き方?」

「なんか深いわね……ふたりちゃんにとっては?」

「妹? ふたりのことだよ!!」

「この子強いわ……」

 

 ひとりもふたりも勢いで答えているから参考になるかは怪しい。そもそも何の参考なのか。

妹になる、ならないなんて馬鹿みたいなことは考えたことが無いから、僕も何も分からない。

思考に暗雲が立ち込める中、ふたりがひとりの足を無意味に叩きながら聞いてくる。

 

「おにーちゃんたち何してるの? 遊んでるならふたりも混ぜて!」

 

 名目上バンドとして、ボーカルとしてより高みに行くための活動中ではある。

ただどんな遊びよりもよほどふざけている状況だと思う。妹になるってなんなの?

誰も止めないから遊んでるとふたりは思ったみたいで、遠慮なくひとりの足を抱いて引っ張る。

それで倒れそうになるひとりにきゃっきゃっと喜ぶふたりへ、郁代がにじり寄った。

 

「そうだふたりちゃん、私先輩の妹になりたいんだけど、妹って何すればいいのかしら?」

「喜多ちゃん、おにーちゃんの妹になりたいの?」

「うん。ひとりちゃんの気持ちを知るために、先輩の妹になりたいの!」

「???」

 

 傍から聞いていても意味の分からない会話だ。現にふたりも小首をかしげている。

それにも郁代はおかまいなしだ。ふたりの手を握って光り輝きながら教えを乞いていた。

 

「だからふたりちゃん、妹のやり方教えてくれるかしら?」

「えー喜多ちゃんわからないのー?」

「私一人っ子だったし、そういう人もいなかったから全然なのよ」

「うーんと、いいよ! 喜多ちゃんなら特別に教えてあげる!」

「ありがとう!」

 

 可愛らしいドヤ顔で大仰に頷くと、ふたりはとてとてと僕の前に歩いてくる。

何か実践するのかな。じっと動くのを待っていると、僕の胡坐の上に座って抱き着いて来た。

 

「おにーちゃん!」

「なーに?」

「えへへっ、なんでもなーい!」

 

 可愛い。心のままに頭を撫でて耳をくすぐると、楽しそうに体を震わせた。

すると仕返しとばかりに僕の脇に手を伸ばしてくる。くすぐったいというよりこそばゆい。

抵抗のために抱き上げて、そのままくるりと一周する。きゃーという黄色い声が耳に届く。

結構気に入ったみたいで頬を上気させながら、ふたりは満面の笑みで郁代の方へ振り向いた。

 

「こうやればいいの!! あっおにーちゃん今のもう一回やって、もう一回!」

「もう一回だけね。あと気持ち悪くなったら言うように」

「はーい!」

「こ、これが真の妹パワー……!?」

「あっあの、私も妹です、一応、本物の」

 

 ひとりのアピールを郁代はスルーした。

 

 そうして何回か遊んでいる内に満足したらしく、ふたりは手を振りながら部屋を出て行った。

とんとんとんと階段を降りる音はリズミカルだ。少し心配したけど目は回ってないみたい。

無事降り切ったことを確認してから、目をぐるぐるさせて混乱している郁代へ注意を向けた。

 

「よ、よーし! じゃあ、私も行きます。兄さん、手を広げて!」

「広げません。思春期の兄妹はそんなべたべたしないよ」

「先輩がそれ言うんですか!?!?」

 

 よほど衝撃的だったのか、先輩後輩関係に戻っていた。そんなに驚くことなのかな。

僕も十六年近く兄をやっている。その中で兄としてのモラルは日々磨いてきたつもりだ。

妹とはいえ年頃の、思春期の女の子には無暗に触れるべきじゃない。語るまでもない一般常識だ。

じゃあなんでひとりちゃんはいいの? 言葉にせずとも郁代からそんな強い疑念を感じる。

 

「ひとりはまだ思春期来てないから」

「えっ私来てないの?」

「えっ来てたの?」

 

 思わず確認してしまう。ひとりの思春期っぽいところ、どこかあったかな。反抗期、ない。

血縁のある異性を避ける。父さんとも仲いいし、僕とは大体一緒にいる。その上くっついてくる。

異性に興味関心を抱くようになる。人のことは言えないけれど、欠片も持ってなさそうだ。

心身の成長に伴う精神の不安定化。生まれてからずっと不安定だから判別がつかない。

その他精神的な変化。最近急成長中だけど、変化は特にしていない。以上を踏まえると。

 

「やっぱり来てないよ」

「……そ、そう言われると、まだ来てない気がしてきた」

「もっと自信を持って!? ひとりちゃんそろそろ高二よ!?」

 

 体も心も成長には個人差がある。遅い早いはあっても、いい悪いはきっとない。

そんな表面的な言葉で思考を誤魔化す。正直僕も怪しいからひとりのことは言えない。

反抗期、血縁のある異性を避ける、異性への興味関心。僕も覚えがない。自信もない。

 

「とにかく、僕と郁代は一つ違いです。もっと節度ある兄妹をしましょう」

「あっ分かった!」

 

 僕の提案を郁代はまるっきり無視した。明るい表情で両手を合わせている。

全然話を聞いてないのに、いったい何が分かったんだろう。多分妄想か何かだと思う。

郁代はにやにやとした笑みを浮かべながら、からかうように僕の肘を指でつつく。くすぐったい。

 

「お泊りの話の時も思ったけどー、もしかしてー、兄さんの方が意識しちゃってるのかしら~?」

「……? ………?? ………………???」

「純粋な疑問!?」

 

 あまりにも的外れなことを言われてしまい、つい全力で考え込んでしまう。意識とは。

真剣に悩む僕を見て郁代が愕然としていた。自信とアイデンティティが崩壊したような顔だ。

このまま続けると偉いことになりそうだから、強引にでもまとめて話を逸らしておこう。

 

「ふたりはああ言ってたけど、甘えるだけが兄妹じゃないよ。もっと別の方法を考えよう」

「……あっあの、お兄ちゃん」

 

 郁代が萎れているのをいいことに話していると、今度はひとりが僕の肘をつついていた。

不思議に思ってひとりを見ると、指を細かく落ち着きなく動かしている。この動きは、廊下かな。

ひとりの指示に従って廊下の方を向く。戸から顔を半分だけ出した母さんと父さんが立っていた。

 

「こ、後輩の女の子に、兄さんって呼ばせて妹をさせている……!?」

「そんな、女の子の友達が出来たと思ったら、いきなりこんな倒錯的なプレイに走るなんて……!?」

 

 きっと恐ろしく変な誤解をされている。二人のあの絶望的な表情を見ればよく分かる。

作詞に悩んで部屋で踊り狂っていた、あのパリピひとりを見た時と同じような顔をしていた。

これだと僕からの説明じゃ納得してもらえないだろう。色んな意味で喜多さんじゃないと駄目だ。

 

「喜多さん、悪いけど説明お願い」

「…………やだなぁ、妹を名字で呼ぶなんて変よ。ね、兄さん?」

「……郁代?」

「なんですかー兄さーん?」

 

 昨日今日で一番の、意地悪そうな微笑だった。ニヤニヤ以上の表現が見当たらない。

それを見て母さんが崩れ落ちるのを父さんが支えた。もう大事故、大惨事だ。どうしようもない。

結局この誤解を解くのに、それから一時間以上かかった。あと郁代は正座させた。




次回「妹体験記 下」です。

おまけ
反抗期      微妙に母親には当たりが強い
血の繋がった云々 同上
異性への関心   むっつりの時のあれ+裏設定
心身の不安定化  御察し
その他精神的変化 一話からここまでの変化
総評       来てる


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第十四話「妹体験記 下」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。
どこまでも長くなりそうだったので、一部楽をしました。許してください。


 両親の誤解が無事に解けてから少しして、母さんがのほほんとした顔で僕に聞いて来た。

 

「かずくん、ひとりちゃんの制服知らない?」

「……なんで探してるの?」

「お母さん着るから」

「……………………なんで?」

 

 反射的に浮かんだ気持ちを堪える。今まで魔王をやっていなければきっと耐えられなかった。

それくらい訳が分からない。どうして娘の制服を着ようとするのか。しかも友達が来てる時に。

まさか自分が女子高生として混じれば、もっと盛り上げられるとか考えているのか。

 

 母さんはひとりと同じく、変なところで妙なところに頑固な自信を持つ時がある。

だからこの変な発想が否定しきれないのが怖い。あり得ると考えてしまう自分が憎い。

僕のそんな恐怖と憎しみを置き去りにして、母さんは終わった話を蒸し返そうとしていた。

 

「あのね、喜多ちゃんを妹にしようとするなんて、お母さんちょっと歪んでると思うの」

「それはさっき説明したでしょ。結束バンドの活動だよ」

「そんなバンドの活動、お母さん聞いたことありません!」

 

 それは僕もそう思う。ロックには退廃的なところもあるけれど、こんな前例は多分無い。

 

「その気持ちは分かるよ。でもそれで、なんで母さんが制服着ることになるの?」

「喜多ちゃんの代わりに、お母さんが妹になろうと思って!」

「…………母さん、今日は約束あるでしょ? 早く行けば?」

「息子が厄介払いしてくる! 冷たい!!」

 

 冷たくもなる。喜多さん以上に意味が分からない。母さんが妹、日本語にならない。

口を開くまでも無く、僕のそんな疑問は伝わったらしい。すぐに理由を話し始めた。

その様子はなんだか得意げにも見えた。複雑な気持ちの方はまったく伝わってないみたいだ。

 

「まず、お母さんとかずくんは血の繋がった家族です」

「はい」

「そしてかずくんが小さい頃から、お母さんはずっと一緒です」

「はい」

「ひとりちゃんにも同じことが言えます。つまり私≒ひとりちゃんで、私≒妹になります」

「寝言?」

 

 まだ錯乱してるのかな。三段論法のつもりかもしれないけど、まったく成立してない。

というか成立するように整えても段差が大きすぎる。文字通り発想が飛躍している。

だけど僕の指摘は何一つ聞いてもらえなさそうだったから、あえてその理屈に乗ることにした。

 

「その理屈だとひとり≒母さんにもなるから、ひとりが僕のお母さんになっちゃうけど」

「……!!?? い、妹を、お母さんにしたいの!?!?!?」

「そろそろ怒るよ?」

 

 一応冗談のつもりだったのか、てへっとでも言いたげに自分の頭を叩いていた。

年を考えて欲しい。世の中には冗談で済むことと済まないことがある。これは後者だ。きつい。

僕のそんな冷たい視線を受けて、母さんは追加で舌を出した。引いてるんだから足さないで。

 

 それからしばらくすると、僕達以外の家族は予定通りに出かけて行った。

父さんは午後からの仕事へ、母さんとふたりは一緒に友達の家に遊びに行くため。

静かになった家の中で、そっと僕の手を引く人がいた。不味い、すっかり忘れていた。

 

「あ、足の痺れが限界です……も、もうやめてもいいですか……?」

「ごめん喜多さん、色々あって忘れてた。もういいよ」

「うぅ、酷いです、兄さん……」

 

 そう言い彼女は座布団から横に崩れ落ちた、と思ったらフローリングの冷たさに飛び上がる。

そしてその動きで足をぶつけると、痺れのあまり震えながら床を転がり始めた。痛そう。

陸に打ち上げられた魚みたいってこういうことか。そんな酷い感想を持ってしまった。

それはそれとして兄さん。あんな騒ぎになったのに、この期に及んでまだそう呼ぶのか。

 

「大丈夫? というか、まだこれ続けるの?」

「と、当然です。いえ、当然よ。まだ全然、妹のこともひとりちゃんのことも分かってないから」

 

 喜多さんはあれだけ正座してもなお、明後日の方向に走り続けようとしていた。

この子は痛い目じゃ学ばないのかもしれない。今度から説得方法は別のものを用意しておこう。

それは今後のこととして、今は彼女が何を口走るかちゃんと聞いておかないと。

 

「そうは言うけどどうするの? 結局妹になってどうするかなんて、全然決めてなかったよね」

「ふっふっふー、安心して兄さん!」

 

 ついさっき聞いた言葉だ。そしてさっきと同じく、またもやまったく安心できない。

そんな僕とは逆に郁代は満面の笑みで胸を張り、どこまでも自信に溢れた様子で携帯を出した。

 

「伊地知先輩に今、妹は何をすればいいんですかって聞いてます!」

「えっ、虹夏さんにこの状況のこと伝えたの?」

「はい!」

 

 はいじゃない。どうしてこの子はいつも、周囲に混乱をばら撒こうとするのか。

虹夏さんもそんな相談されてもきっと困る。というか訳が分からなくて逆に聞いてくるはず。

ドヤ顔の郁代に何か言おうとしてすぐ、僕の携帯が着信を告げた。思っていたよりも早い。

郁代に一声かけてから携帯を手に取る。画面は見てない。十中八九虹夏さんだろう。

 

「もしもし虹夏さん。先に言っておくとごめん。僕もよく分かってない」

『……妹をよその女と間違えるなんて、お兄様酷いわっ』

 

 僕は電話を切った。液晶には通話終了の文字と、山田リョウという名前が浮かんでいた。

確か今日、あの二人は一緒にバイトだった。だから横で見て聞いて、というところかな。

なるほど、つまり愉快犯。来週の弁当は貧相にしておこう。おにぎり二つと沢庵三枚だ。

来週の献立を決めていると、再び携帯が動き出す。今度はちゃんと虹夏さんだった。

 

「……もしもし」

『………………や、やっほー、お、お兄ちゃん?』

「そっか。切るよ」

『わっ待って待って!?』

 

 愉快犯は複数犯だった。虹夏さんには何で返せばいいんだろう。特に思い浮かばない。

来週星歌さんに聞いてみよう。恥ずかしい話の一つや二つは教えてくれるかもしれない。

密かな決意ともに虹夏さんからの弁明を待った。彼女までやるんだから、何か理由があるはず。

 

「今の何?」

『いやぁその、いわゆる悪乗り?』

「全然面白くなかったから、もう一生やらないでね」

『辛辣!』

 

 具体的に言えばいつものMCをはるかに上回る、いや下回るほどつまらなかった。

独創性や勢いを加味すると、ひとりの武田信玄にも数段劣る。表には出せない冗談だ。

脳裏に浮かぶ酷評をしまいつつ、話を流して本題へ移るように電話を続ける。

 

『今度はこっちだよ。そもそも今何してるの?』

「簡単に説明すると」

 

 かくかくしかじか。なるべく簡潔に、要点だけまとめて話すように心がけた、頑張った。

虹夏さんから伝わる困惑が大きくなった。僕もますます混乱が深まった。なんだこの状況。

こうなると郁代も話に入ってもらわないと意味不明だ。通話をスピーカーへと切り替える。

 

『とりあえず、ヤバい時の喜多ちゃんだってことは分かった』

「いやいやそんな」

『押しかけ妹は実際ヤバい』

「リョウ先輩まで!?」

 

 信じられない、みたいな声を上げているけれど、向こうの二人の方が信じられないと思う。

僕もあっち側ならそう感じていた。というよりも、そもそも既に電話を切っているはず。

そう考えると二人はとても付き合いがよかった。別に付き合わなくてもいいのに。

 

『というかあれ、そのぼっちちゃんは?』

「僕に喜多さんを押しつ、任せて、上で練習してる」

『漏れてるよー?』

 

 虹夏さんこそ苦笑いが漏れていた。笑って誤魔化せるのなら僕も笑っておきたい。

変な無念を感じていると、微妙に苛立ったような星歌さんの声が携帯から聞こえた。

 

『おいお前ら、バイト中に楽しく電話なんていい度胸だな?』

『あっちょ、ちょっと待ってお姉ちゃん! 今バンドの大事な話してるから!』

『あぁん? なんだ大事な話って』

 

 ボーカルの訓練に繋がるからこれは大事な話のはず。なのにそうとは思えない。

虹夏さんも同じような思いなのか、星歌さんの質問にすぐ答えられていなかった。

代わりにリョウさんが、何故かやけにキリっとした声で、そのままズバリを伝える。

 

『郁代がよりよい妹になるための話』

『は?』

『郁代がちゃんとした妹になれるかどうかで、結束バンドの今後が決まる』

『……よく分からんけど、とりあえず二人とも減給な』

『なっご、ご慈悲、ご慈悲を!!』

 

 リョウさんが両手を合わせて拝む姿が目に浮かぶ。見慣れた光景だ、想像する必要もない。

だから僕は慌てることもなく、それどころか虹夏さんに聞きたいことがあったのを思い出した。

 

「そういえば虹夏さん、最近一つ聞きたかったことがあるんだけど」

『この状況で聞くの!? いいよ、早くしてね!!』

「ぼっちざろっくって何?」

 

 電話の向こうで虹夏さんが固まったのが分かった。まずは全部話そう。

 

「この間ひとりが自伝のタイトル考えてて、これが最終候補だったんだ」

『ぁ』

「面白くていい言葉だなって思ってたら、虹夏さんの言葉だよってひとりが教えてくれて」

『あ、ぁぁ』

「もしかして、ひとりのロックだからぼっちざろっくなの? 結束バンドもだけど、虹夏さんって意外とダジャレ好きだよね」

『……ギャー!?』

 

 羞恥の叫びとともに電話が切れた。恥ずかしい話を星歌さんに聞かなくてもよくなった。

意図せず出来た反撃にちょっとした満足感を覚えていると、横腹を指で何度も突かれる。

そっちを向くと郁代が頬を膨らませ、私不満があります、と目で語っていた。

 

「切れちゃった。もう、兄さんが変なこと言うからよ?」

「今日の郁代には言われたくないかな」

「あーあ、店長さんにも妹のこと聞きたかったのになぁ」

「郁代も減給されるだけだよ」

 

 もちろん冗談半分だろうけど、星歌さんは度が過ぎれば本当に減らす人だ。

ノルマはもう大丈夫かもしれない。でもバンド活動にはとにかく色々とお金が必要になる。

こんな馬鹿みたい、というか馬鹿そのものの話でお金を減らすのは、それこそ馬鹿らしい。

 

「知恵袋の虹夏さんとも相談出来なくなったし、もう止めない?」

「駄目よ兄さん、まだまだ付き合ってもらうんだから!」

 

 まだまだ続くらしい。この土日、と彼女は要求していたから、まだ半分も終わっていない。

誤魔化しきれない疲労感を覚えていると、対照的に楽しそうな郁代が携帯を僕へ見せつける。

 

「これ見て! じゃーん!」

 

 郁代が自慢げに見せた画面には、何かのアンケートが映っていた。

 

「……これは、何のアンケート?」

「妹アンケート!」

「妹アンケート」

「色んなシチュエーションで、妹的にはどうするんですかって聞いてみたの!」

 

 昼食を始めとした数多くのシチュエーションごとに、多数の質問が並んでいる。

その全てに虹夏さんは回答していた。彼女が律儀だったことを今日ほど恨んだことは無い。

 

「あっリョウ先輩も答えてくれてる! 嬉しいけど先輩一人っ子だし、参考には出来ないわねー」

「……」

 

 話せばまたややこしいことになりそうだから、僕は沈黙を守った。

そんなことよりと、アンケートの内容を確認する。とにかく数が多い。いつ用意したんだろう。

嫌な予感がして顔を上げた。晴れやかな笑顔の郁代と目が合う。ますます予感が募る。

 

「もしかしてこれ、全部やるの?」

「当然!!」

「当然……」

 

 当然、当然。経験で分かる。こういう時の郁代は無敵だ。誰が何を言っても聞かないだろう。

付き合うか逃げるしかない。そしてなんでもすると言った以上、逃げるという選択肢は無い。

それならばと、僕は郁代に一声かけた。どうせなら道連れは、いや、検証する人は多い方がいい。

 

「ひとり呼んでくるから、ちょっと待ってて」

「はーい!」

 

 とりあえずあの子は巻き込もう。僕を生贄にして逃げようとしているけれど、そうはいかない。

子どもの間はともかく、大きくなれば自分の行動、発言には責任を持たなければいけない。

この言葉の意味を文字じゃなくて体と心で学ぶ、とてもいい機会になるはずだ。

 

 部屋で練習中のひとりを半ば強引に連れ出し、郁代の元へ連行していく。

ギターの邪魔をされてむっとしていたひとりも、あれを前にして困惑を隠せていなかった。

 

「あっあの、これから何するんですか?」

「見て見てひとりちゃん! これ、伊地知先輩から貰った妹アンケート!」

「いっ妹アンケート……?」

「これを実践して、妹への理解を深めていくの!!」

「???」

 

 なにそれ、と言わんばかりにひとりが僕を見る。僕も聞きたい、そしてさっき聞いた。

でもよく意味が分からなかった。というかなんだか、趣旨がずれてきている気がする。

ひとりを理解するための活動のはずなのに、何故か妹への理解を深めようとしている。

 

「よーし、じゃあ頑張っていくわよー!!」

「お、おー?」

「……おー」

 

 でもどこの何を、どう指摘すればいいのかまるで分からないから、もう流されることにした。

 

 

 

Q3.お昼ご飯ってどうしてますか?

 

「さて、そろそろお昼ね! 伊地知先輩はいつもお昼作ってるらしいから、私も見習って」

「あっうちは違います」

「……えっ?」

「あっお父さんとお母さんがいない時は、いつもお兄ちゃんが作ってます」

「そういう訳で、僕の妹なら座って待っててね。卵使いたいから、お昼オムライスでいい?」

「あっはい、じゃなくて、うん」

 

「ひとりー、卵ふわふわのでいいー?」

「あっえっと、今日は薄焼きのがいい」

「……んー、じゃあこれは僕のにして。郁代はどうするー?」

「私は何でも大丈夫だから」

「遠慮しないでなんでも言ってねー」

「それじゃあ、あの、上に乗せてから開くのって出来る?」

「出来るよー、ちょっと待っててー」

 

「待っててくれたんだ。二人ともありがとう」

「兄さんの顔見て、ちゃんといただきますって言いたかったから! ね、ひとりちゃん!」

「あっはい」(ふ、普段は先に食べてるなんて言えない……)

「そうだ兄さん、いただきますの前に一ついいかしら?」

「……嫌な予感しかしないけど、何?」

「おまじない、お願いします!」

 

「……ふ、ふわふわー、ぴゅあぴゅあー」

「………………そんなんじゃ駄目よ兄さん!」

「えっ」

「もっと堂々と! あとこう、腰の切れをこう!!」

「なっなんかスイッチ入っちゃった……」

 

 

Q7.洗濯ものって店長さんのも畳んでるんですか?

 

「天気ちょっと怪しい。郁代、悪いけど洗濯物入れてくれる?」

「うん、任せて! そうだ、畳んだ後はどうすればいいかしら?」

「畳むのはひとりがやるから、入れるだけでいいよ。僕はその間掃除してる」

 

「……さすがに恥ずかしいし、洗濯物任せてもらえてよかった」

「あっ喜多ちゃん手伝います」

「ありがとう。ひとりちゃんだっていくら兄妹でも、下着見られたりするのは嫌よね?」

「……? あっ別に気にしたことないです。たまに畳んでもらってますし」

「えっ」

 

「ジミヘンも床掃除上手になったね」

「ワンワンっ」

「分かってるよ、今度ちょっといいおやつ買ってくるから。……ん?」

「おっ、おお、落ち着いてください、喜多ちゃん! はやっ、早まらないで!」

「止めないでひとりちゃん! わ、私も妹だから、兄さんに下着を畳んでもらわないといけないの!!」

「……ジミヘン、お願い」

「ワン!」

 

 

Q4.おやつ一緒に作るのとかちょっと憧れます!

 

「伊地知先輩曰く、たまに作ったお菓子を店長さんに食べさせてるとか。ひとりちゃんは」

「あっはい、たまにお兄ちゃんが作ったのを食べてます」

「知ってたわ。お昼があんな感じだったから、そうじゃないかと思ってた」

「あっで、でも、お手伝いくらいはしますよ?」

「!?」

 

「つまり、一緒にお菓子作ればいいの?」

「多分そんな感じ!」

「材料あったかな。ちょっと見てくるね」

 

「意外とまだまだあった。これなら大抵のものは作れるよ。何がいい? 何でもいいよ」

「何でもって一番困っちゃうなぁ。何がいいかしら」

「そうだ、決める前に教えて。郁代は普段お菓子とか作る方?」

「えぇと、実はそんなに。たまーに気が向いた時くらい」

「それなら、そうだね。この間作ったチョコソース余ってるし、シフォンケーキにしようか」

 

「このさっくりかき混ぜるっていうのが難しいのよねー」

「ここだけ明確な数字とか無くて、急に感覚的になるからね」

「そうなんですよねー。えっと、これでどうですか?」

「……うん、いい感じ。郁代は上手だね。そんなに、なんて謙遜いらないよ」

「本当? やった!」

 

「そういえば、ひとりちゃんはどんなお手伝いするの? たまに器用だから成型とか?」

「あっ味見です」

「……は?」

「あっ私の舌は正確だって評判なんです。へ、へへへっ」

「えっちょ、味見って。それは」

「郁代」

「兄さん、これってお手伝いじゃ」

「ひとりはね、味見が上手なんだ」

「あっうん」

 

 

Q5.晩御飯もやっぱり伊地知先輩が作ってるんですか?

 

「夕飯は兄さん作らないの?」

「手伝いくらいはするよ。でもそれ以上は母さんが嫌がるから」

「えっそうなんですか?」

「娘のおふくろの味が、お兄ちゃんの味になっちゃうーって」

「なるほど」

 

 

Q11.一緒にお風呂ってなんだか姉妹感ありますよね!

 

「…………」

「ど、どうしました?」

「あの、二人はその、一緒にお風呂とかは」

「いくらなんでも入らないよ」

「そ、そうです。さすがに入りません」

「で、ですよねー。よかったー、安心したわー」

「そうそう。もう高校生だし色々問題があるよ。それに狭いし」

「あっそれに、お風呂は足を伸ばして入った方が気持ちいいですし」

「……あれ?」

 

「ひとり、髪乾かすからおいで」

「うん、お願いします」

「……昨日も思ったけど、ひとりちゃん自分でやらないの?」

「あっお兄ちゃんがやらせてくれないので」

「えっそうなの?」

 

「だってひとり凄い雑にやるから。あれだと髪痛んじゃうよ」

「そんなになの?」

「うん。大雑把にタオルで拭いて、適当にドライヤーかけておしまい」

「……へぇ」

「郁代?」

 

「ひとりちゃん、私が乾かし方とか手入れの仕方とか、全部教えてあげる」

「えっ、き、喜多ちゃん? べ、別にお兄ちゃんがやってくれるから」

「いいから、教えるから、こっち来て」

「お、おお、お兄ちゃん、喜多ちゃんが、た、たすけ」

「……あっ電話だ。ごめんちょっと外すね」

「おっ、お兄ちゃん!?」

「大槻さんからだから長くなるかもー。郁代ー、あとはお願いー」

「任されたわ!!」

「あっあわ、あわわわ」

「あわわじゃないわよ。せっかく綺麗な髪なんだからもっとちゃんとしないと」

「あああわわわ、あわわ、ぶくくぶく」

「そこで泡になるのは反則じゃない!?」

 

 

 

 こんな感じで三人一緒に一日を過ごした。一応、楽しいことは楽しかった。

ただ、どう頑張っても郁代を妹とは思えなかった。大袈裟だけど本能が違うと叫んでいる。

それでも彼女が何か掴めたらと、その一心でこのごっこ遊びを懸命にやり抜いた。

 

 そうして眠る前、一日妹を体験した郁代から総評が発表された。

 

「ひとりちゃん」

「あっど、どうでしたか、私の妹っぷり?」

「……妹以前に、女の子として終わってるわ!!」

「!!??!?」

「知ってたけど!!!」

「!?!?!?!?!?」

「ダブルタップはやめてあげて」

 

 ひとりがこうなったのは僕にも大いに責任がある。だからそれ以上の追撃は見過ごせなかった。

というかひとりの考え、気持ちを知るのは一体どうなったんだろう。まさかこれ、徒労?

 

 

 

 不安半分で眠りについて、翌朝起きて、まったくそれが減っていないことに気がついた。

そして早朝四時、ふたりを起こさないようにリビングのこたつで勉強していると、物音がした。

なんだろうと目を向けると、音の先で郁代がふらふらしながら眠たげに目を摩っていた。

 

「……おふぁようございます~」

「おはよう郁代、早いね」

「先ぱ、兄さんを、妹らしく起こそうと思ってー」

 

 妹らしく。虹夏さんの回答には、毎朝星歌さんのことを起こしている、と確かに書かれていた。

ちなみにひとりに起こしてもらったことはほぼないから、これも僕達には当てはまらない。

郁代は頼りない足取りで僕の元へ近づくと、そのまま座り込んでこたつに潜り込んだ。

 

「兄さんって、いつもこんなに早いのー?」

「寝るの早いからね。三時か四時には起きてるよ」

「うぅ、寝る前に聞けばよかったわー」

 

 後悔を滲ませながら、彼女はぐったりとこたつに頭をくっつけてしまう。

落ち込んでいるとかではなく、こうして単純に元気がない姿はなんだか新鮮だ。

見るからに眠気に負けかけている。病気ではなさそうだから、特に心配はしなくてもいいだろう。

 

「もしかして、夜更かしでもした?」

「いっぱいしました……だから余計眠いのよ…………」

「いい話出来たみたいだからよかったけど、あんまりしないようにね」

 

 僕の相槌に郁代が勢いよく顔を上げた。眠たげだった目が見開いて僕を見つめている。

 

「わ、分かるんですか?」

「いつも見てるから分かるよ。昨日より、ずっと晴れやかでいい顔してる」

「……そっか」

「あーでも凄く眠そうだから、僕の気のせいかもしれないね」

「なっ、も、もうっ」

 

 からかいに反応して、こたつの中で郁代が僕の足を押すように蹴る。本当に元気になった。

ここ二日くらい郁代はおかしかった。いつものおかしさとは違う、どこか焦ったものだった。

それが今は無くなっている。ひとりと夜更かしして、きっと何か素敵な話でもしたんだろう。

 

「ちなみに、どんな話かは」

「女の子の秘密ー、内緒ー」

「残念。それじゃ聞けないね」

 

 女の子の秘密じゃしょうがない。僕は一生立ち入っちゃいけない場所だ。

そう諦める僕を見て悪戯っぽく笑った後、郁代が小さくくしゃみをした。

今は二月、冬真っ盛りだ。こたつに入っていてもあの薄手のパジャマじゃ寒くて当然だ。

 

「何か温かいもの淹れてくるね。ココアでいい?」

「あっ勉強中なのに悪いから、私が」

「いいからいいから。えっと、今は妹なんでしょ? なら甘えて、ね?」

「……じゃあお願い、します」

 

 勉強なんてそれこそいつでも出来る。だけど郁代に温かいものを渡すのは今がいい。

キッチンに移動して手早く牛乳を温めて、お客さん仕様でココアパウダーを多めに入れる。

数分もしない内に出来上がった。食べ物は、まだいらないかな。もう少し様子を見て決めよう。

そしてココアと一緒に戻ってくると、郁代はこたつに突っ伏して静かに寝息を立てていた。

 

「寝ちゃった、かな?」

 

 さっきは軽く興奮していたけれど、夜更かししてこんな時間に起きたなら眠くもなる。

二度寝自体はいい。でも場所が問題だ。こたつだと風邪を引いてしまうかもしれない。

だから起こそうと呼んでも揺すっても、まるで起きる気配はない。よく寝ている。

 

 どうしよう。こうなると僕が布団まで運ぶくらいしか思いつかない。でもそれっていいのかな。

拙い僕の倫理観からすると、寝ている女の子に無断で触るのは言語道断、許されない行為だ。

だけど彼女が風邪を引いてしまったら、それこそ許されないし許さない。少しだけ悩んでしまう。

 

 結論はすぐに出た。まあ、いいか。今の郁代は名目上僕の妹だ。怒られたら後で謝ればいい。

雑に考えをまとめて、こたつから彼女を引っ張り出しそのまま抱えた。驚くほど軽い。

よくひとりを、成り行き上他の子を抱えたこともある。その中でも一番軽かった。

 

「……カロリー、どこに消えてるんだろう」

 

 想像より楽々と階段を上っていると、思わず疑問が口から零れてしまった。

郁代から定期的に送られる自撮りや、更新頻度の高いSNSにはよく流行のスイーツが映っている。

撮るだけで残したり捨てたりする子じゃないから、あれは全部きちんと食べきっているはずだ。

だとするとこう、なんというか、もっと肉付きがよくてもいいと思う。少し心配になる軽さだ。

 

 余計な心配を抱いているとひとりの部屋の前に着いた。静かに戸を開けてそのまま入る。

部屋ではひとりがうつ伏せで寝ていた。こっちも寝息が深い。よく眠っている。

ひとりの頭の先にあるのが郁代の布団だろう。軽く中を触ってみると、幸いまだ温かい。

このまま使っても問題なさそうだ。静かに優しくゆっくりと、丁寧に郁代を横にする。

 

「これで、よし、と」

 

 無事に布団まで届けられた。このまま寝られれば朝までぐっすりだろう。

一安心して、何の気なしに部屋を見回す。顔を突き合わせるような布団の並べ方だ。

きっと昨夜はそんな感じで、夜通しお喋りして過ごしたんだろう。想像するだけで微笑ましい。

 

 その気持ちのままに、寝ているひとりの頭を撫でて毛布をかけ直す。

ひとりは物理的には丈夫だけど、意外と風邪は引きやすい。寒くなると大変だ。

出来ればうつ伏せも直したい。でもさすがにそれは色々と無理がある。

 

 諦めて立ち上がろうとして、何の気なしに郁代の方を見た。安らかな、幸せそうな寝顔だ。

以前虹夏さんに見ちゃ駄目、と言われてはいる。それでもつい見て、なんだかほっとしてしまう。

他人を、郁代を見てそんな温かい気持ちになる自分に、どこか不思議なものを感じた。

 

 出会った時の僕にとって彼女は、喜多郁代はひとりの勇気の象徴でしかなかった。

あの子が誰かに踏み込んだ、他人のために恐怖を乗り越えた証。僕とは違うという証明。

それ以上でもそれ以下でもない。喜多郁代という個人はどうでもよくて、興味も関心もなかった。

 

 それが変わったのはいつのことだろう。

小さな好意はずっと積み重なっていた。でもきっと一番は、あの打ち明け話の時だ。

彼女は僕の評判を知っても、いや最初から知っていても、それを表には出さなかった。

 

 下北沢の魔王。馬鹿みたいな名前と嘘みたいな恐怖の逸話。まともな人間にはつかないもの。

そんな相手だ。逃げてもよかった、避けてもよかった。今まで誰もかれもがそうしてきた。

でもその彼女はどちらもせず、自分の目と耳で僕を知ろうとした。僕と関わろうとした。

そして何よりも、ひとりが僕の妹と知っていても、彼女はひとり自身を見てくれた。

どれだけそれが僕の救いになったのか。彼女はきっと気づいていないだろう。

 

 気付かない方がいいな。余計なことを考えさせて、変な気遣いをさせてしまうかもしれない。

そんなものはいらない、必要ない。僕は一緒にいられれば、いさせてもらえればそれで十分だ。

それだけで僕はまだ大丈夫なのだと、まだ自分を諦めなくてもいいと、そう信じることが出来る。

 

 僕は重くて距離感が変で、言葉の加減もよく分かっていない、未だに人間関係初心者マークだ。

そんな僕でも分かる。僕の感謝は伝えられない。困惑させるだけで、かえって迷惑になるだけ。

勝手に感じて、勝手に重くしているだけの気持ち。文字通り重荷にしかならないだろう。

 

「いつもありがとう」

 

 だからそれだけ告げた。

 

「何かあったら、ううん、何も無くても手伝うから、いつでも言ってね。なんでもするから」

 

 聞こえてないことをいいことに、性懲りもなくまたなんでもいいなんて言ってしまった。

これもきっと言われたら困る言葉で、ついでに僕の本心、言っておきたい言葉でもある。

言うだけ言ってすっきりした。気分も新たに今度こそ立ち上がる。早く戻らないと。

いつまでも妹と友達の寝顔は見ていられない。バレたら相当気味の悪い行為だ。

 

「お休み二人とも。また今日もよろしくね」

 

 名残惜しいけれど、それだけ言って僕は部屋を後にした。

 

 

 

 こうして一昨日のカラオケから続いた、喜多さんのスランプに関する問題は解決した。

出だしはともかく、途中途中意味の分からないことが続出したけれど、終わり良ければ総て良し。

何より解決の一手になったのが、ひとりとのお喋りでよかった。あの子は本当に成長している。

結束バンドもそうだ。僕の予想を超えてまとまって、日々バンドとして高みへと昇っている。

 

 この分だともう、僕の手伝いなんて必要ないかもしれない。どの立場で言ってるんだか。

ほっとした気持ちも残念な思いも全て圧し潰す。これこそいらない、必要ない、無用の長物だ。

ひとりが楽しくやれているのならそれでいい。それだけを思って、僕は一人勉強を再開した。

 

 

 

 

 

おまけ 後藤家インタビュー一部抜粋

 

「ひとりちゃんは小さい頃から人見知りで引っ込み思案でね、物心ついた頃はよくお腹に戻りたがってたわねぇ。私が難しいかなぁって言うと、今度はかずくんのお腹に潜り込もうとしてね、それでかずくんが頑張って抱っこしてたんだけど、二人して丸くなってるのが可愛くて可愛くて! 二人はあの頃からずーっと仲良しの兄妹よ。……仲良過ぎかなーって思うこともあるけど。えっと、かずくんのことも聞きたいの? あの子は昔から好き嫌いが激しくてね、正直すっごく心配してたけど、喜多ちゃんみたいなお友達が出来てほんとよかったわ~。ちょっと気難しい子だけど、よければこれからも仲良くしてあげてね」

 

「僕とひとりは、家族カースト最下位を争ういいライバルだよ! ちなみにトップがお母さんで、次にふたり、ジミヘンって順番だよ。えっ一人? あぁあの子はちょっと複雑で、一人以外はお母さんと同じかちょっと下くらいだと思ってるんだけど、本人が一番下に置いてるんだ。親子なんだし気にしなくてもいいって、何度も伝えてはいるんだけどね。あの子はとても生真面目な子だから、ずっと小さい時のことを引きずってて。それに好き嫌いなんて誰にでも、おっと、これは違う話になっちゃうから、気になるなら一人に聞いて。もしかしたら、君達になら話せるかもしれないから」

 

「おねーちゃんもおにーちゃんもね、幼稚園で幽霊って呼ばれてるんだ! しかもおにーちゃんはね、魔王ってあだ名もあるの、凄いよねー! この間もね、一緒に買い物に行ったらたくさんお辞儀されてたんだよ! おにーちゃんその時なんだか寂しそうだったけど、ふたりが王子様みたいだね、って言ったら笑ってくれて、じゃあふたりはお姫様だねって言ってくれたんだ! だからね、おにーちゃんが王子様だから、ふたりはお姫様なんだよ! ……えっ、おねーちゃん? おねーちゃんもおにーちゃんの妹だからお姫様になるの……? ……お姫様の幽霊? それとも幽霊のお姫様……?」

 

「ワンワンワンッ! ワンワン、ワン、ワンワンワンワンッ!!」

(兄弟はどうも同族が苦手、というより嫌いみたいでなぁ、散歩中も出くわすとピリピリしてていけねぇや。まあそれで俺がこの辺のボスやれてるとこもあるんだけどよ。それでシェパードやらドーベルやら、ああいうのが俺に腹見せてくんのは中々痛快でな、特に縮こまったあれが、っといけねぇ悪い悪い、嫁入り前の娘に聞かせる話じゃねぇな。んで兄弟達の話だっけか? 二人とも見ての通りよ、なりこそでかくなったが中身はてんで変わってねぇ、今も揃って甘ったれのままだぜ。そこが可愛いとこでもあるんだが、いつになったら大人になるんだか。そんなんだけどよ、これからもまあなんとか頼むわ。俺の大事な家族だからよ)




ジミヘンの口調がよく分かりません。
次回「チョコを貰うだけの話」です。
バレンタインの存在を忘れてたのでこれから書きます。


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第十五話「チョコをもらうだけの話」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。
時系列的には今回冒頭、喜多ちゃん特訓回、バレンタイン当日になります。


 MVを撮影した帰り道の途中、突然一号さんに呼び止められた。

 

「あっぜっくん、ちょっといい?」

「はい、何でしょうか?」

 

 振り向くと、どこか上機嫌に一号さんが微笑んでいた。二号さんも同じ笑みを浮かべている。

そして楽しそうに鞄から何かを取り出すと、それを僕の方へと差し出してくる。

 

「次いつ会えるか分からないから、じゃじゃーん!」

「チョコです、どうぞー!」

「……ありがとうございます?」

 

 綺麗にラッピングされた四角い物を手渡された。チョコレートらしい。

これは、なんだろう。プレゼントは嬉しいけれど、いきなりどうしたんだろう。

疑問に首を傾げる前に、いつのまにか横にいたリョウさんが僕の腕を引いていた。

 

「陛下陛下、私はしょっぱいものがいい」

 

 しょっぱいものがいい。お弁当のリクエストかな。一応いつも味のバランスは考えている。

だけど寒いと味が分かりにくくなるらしいから、もっと刺激的なものが欲しいってことだろうか。

僕がピンと来てないのを悟ったのか、彼女は僕の目を覗き込みながらおねだりを続けた。

 

「甘いものはたくさんもらえる予定だから、しょっぱいものがきっと欲しくなる」

「こいつ時も物も図々しいな」

「欲しい物を欲しいって、ちゃんと伝えるのは大事なことだよ」

「一理あるのがうざい」

 

 撮影で疲れているのにも関わらず、いや疲れているからか、虹夏さんのツッコミは鋭い。

それよりリョウさんの言葉の意味を考えないと。適当な返事は後々大変なことになりそうだ。

たくさんもらえるの部分は置いといて、甘いもの、つまりお菓子。しょっぱいお菓子が欲しい?

 

「……煎餅とか?」

「いいね。海苔が付いてるともっといい」

「いやチョイス。和」

 

 適当に思いついたものを口に出すと、リョウさんからいいねを貰えた。

そんなに煎餅食べたいのかな。煎餅は焼きたて以外なら、きっとその辺で買った方が美味しい。

今度リョウさんのお母さんとお父さんに話してみよう。言えば一緒に焼いてくれそう。

 

「というか後藤くんからもらう気満々ってどういうこと?」

「陛下は絶対くれる。私はそう信じてる」

「確かにそんな気はするけどさぁ」

「リョウ先輩、私も当然あげますよ!!」

「期待してる」

「きゃー! 映えるチョコ作ってくるので待っててくださいねー!」

「喜多ちゃんは幸せそうだなぁ……」

 

 結束バンドがそんな漫才をしている横で、ぼうっと手に持ったチョコを眺めてしまう。

そんな振る舞いが気になったのか、ファンの二人は少し気まずそうに僕の様子を窺った。

 

「……あー、もしかして、甘いの苦手だった?」

「あっそうなの? そっかぁ男の子だもんね。そういうこともあるかぁ」

「甘いものは好きです。そうじゃなくて、えっと、その」

 

 素直に聞いていいものなのか、つい口を濁してしまう。だけどそうしていてもしょうがない。

聞かないで中途半端にした方が、いつか困ったことになる。疑問は早めに解消させるべき。

それにこのまま誤魔化して二人に不安を残すなんて、そんなことはしたくなかった。

 

「すみません。そもそもこれって今、何の話をしてるんでしょうか?」

「えっ」

 

 空気が凍り付いた。よく凍らせる僕だから分かる。これは、理解不能な時のだ。

 

「ひとり、分かる?」

「えっえっえっ」

「バグった。じゃあ青春系の何かなのかな」

 

 青春系の話題、お菓子、チョコに煎餅。繫がりが見えない。記憶と知識を掘り下げる。

ピンと来ない、話題が話題だから当然か。もうちょっと汎用的な考えにして広げよう。

僕が無知を披露していると、少し離れたところで虹夏さんが喜多さんに指示を出していた。

 

「……喜多ちゃん、ゴー」

「えっ私ですか!? こ、こういう時は伊地知先輩の出番です!!」

「いつも私ばっかは不公平だよ。たまには頑張って」

「えー」

 

 二人が僕への説明を押し付け合っていると、横のリョウさんが僕の正面に移動した。

そのまま僕をじっと見つめると、指を三本僕の眼前で立てて問いかけてくる。クイズ形式だ。

 

「ヒント、二月十四日、チョコ、プレゼント。答えは?」

「……バレンタインデー?」

「正解。これで分かった?」

「まだちょっと。どうして僕にチョコを?」

「えっ」

 

 再び空気が凍った。またもや理解不能の空気になった。この頻度は初めてだ。

 

「至急翻訳班の応援求む」

「リョウ先輩が救援求めてるわ! バグってる場合じゃないわよひとりちゃん!!」

「あぅあがあばば、はっ!?」

 

 喜多さんの懸命な、もしくは強引な介護により、ひとりは無事に人間に戻ることが出来た。

しかしすぐに再びピンチが訪れる。喜多さんがバレンタインについて問い詰め始めていた。

 

「えっえっと、うちのバレ、バレンタイ、おえっ」

「頑張ってひとりちゃん! 今が踏ん張り時よ!!」

「ば、ばば、ばっ、……あっ! れっ例のあれは、家族でチョコのケーキを作ってるんですけど」

「ぼっちちゃんの家って仲良しだよねー。やっぱり後藤くんも参加してるの?」

「あっはい。お兄ちゃんもお父さんもです」

「お父さんも料理上手かったよね。お菓子も作れるんだ」

「あっはい。そっそれで私はこれで、お兄ちゃんはあれで、しかも家の外では何もなかったので」

「えっ、先輩今までもらったことなかったの!?」

「あっはい。そういうのは全然」

「……じゃあバレンタインを、家族での行事だと思ってるとか?」

「たっ多分そうです」

 

 どうやらひとりの説明が終わったらしい。虹夏さんと喜多さんは悩むように腕を組んだ。

 

「これは、一から説明しないと駄目そうですね」

「あーでもなんかそれ、ちょっと恥ずかしいね」

「分かります。なんというかこう、照れちゃいますね」

 

 そう言って、今度は二人揃ってもじもじと照れ始めた。ひとりはそれを見てうじうじし始めた。

今のやり取りに何か女子力でも見つけたんだろう。そして自分と比較して卑下している。

後で慰めるポイントと言葉を探していると、リョウさんがくいくいと僕の袖を引いた。

 

「陛下はバレンタインのこと勘違いしてるよ」

「そうなの?」

「うん。教えてあげる」

 

 そこからリョウさんの解説が始まった。バレンタインは家族でやるイベントじゃない。

友人や恋人、または好きな人へ好意を伝えるためにチョコを渡す日のことだと。

特に力を入れて語られたのは、外国では男女やチョコに限らず、親しい人同士で贈っていること。

そんなにお菓子欲しいのかな。そう思ってしまうくらい、彼女の態度は清々しいほど露骨だった。

 

「だから何かください」

「あいつに恥は無いのか……?」

 

 虹夏さんはリョウさんに呆れていたけれど、それ以上に僕は自分に呆れていた。

ちょっと真面目に思い返せば分かることだ。自分の周りにはなくても世間にはある。

自分が貰えるなんて考えてもいなかったから、そもそも発想に無かった。恥ずかしい。

 

「ケーキ作りかぁ。後藤くんのことだから、とんでもないの作ってそうだね」

「あっ、よ、よければ見ますか?」

「えっ写真あるの?」

「あっはい。お兄ちゃんがアルバムにしてくれたのが残ってます」

「そんじゃせっかくだし見せてもらおうかな。どれどれ~?」

 

 恥を覚えている場合じゃない。楽しそうな結束バンドへ背を向ける。 

とにかく意図が分かった以上、改めて二人へお礼を言わないと。違う、伝えたい。

 

「一号さん二号さん、チョコありがとうございます」

「いやいや、そんな改められると照れちゃうって」

「そうだよー。というかじゃあこれ、ぜっくんにとって初めてのチョコなんだ」

「あっそっか。ならもっといいやつ買ってくればよかったかな?」

「そんな、こうしていただけるだけで本当に嬉しいです」

 

 以前リョウさんが誤魔化すために言っていたことだけど、プレゼントは価格や質じゃない。

当日会えないかもしれないからと、わざわざ今日持って来てくれた気持ちが何よりも嬉しい。

少しでも伝わればと何度もお礼を言っていると、一号さんがもう一つチョコを鞄から取り出した。

 

「むむっ、こうなったら、二号にあげるつもりだったのもあげる!」

「えぇ!? それなら私は一号の分あげる!」

「えっと、そうなるとお互いの分は?」

「なくなっちゃった」

 

 あっけらかんと一号さんは言い放った。なくなっちゃったって。

貰えるのは確かに嬉しいけれども、それで二人がお互いの分を失くすのはなんだか違う気がする。

どうしようか、僕に何が出来るのか。一瞬考えて、一つ思いついたからそのまま実践した。

 

「なら僕からお二人にお返しします。こっちが一号さん宛で、こっちが二号さんにです」

「おぉ、チョコロンダリングだ。初めて見た」

「モテる悪い男の裏技だー。ぜっくん悪い子だー」

「あっすみません。確かにこれ、かなり失礼ですよね」

「ふふふっ、冗談だよ。でも、本番は気を付けた方がいいかもね」

 

 貰い物をそのまま横流しする。言われた通り、どう考えても質の悪い行為だ。

自分の無礼に焦ったものの、冗談半分で二人とも流してくれた。当日のお返しは奮発しよう。

何を作るか頭の中で整理していると、虹夏さんが肩に手を乗せてきた。その目は暗かった。

 

「後藤くん、バレンタインのチョコは作ってこなくていいから」

「えっでも」

「いいから。あれは女の子が主役の日だから。プライドを粉々にする日じゃないから」

 

 彼女の手にはひとりの携帯が握られていて、そこには六年前の写真が映っていた。

あれは確か、父さんと二人ではしゃいで作ったチョコタワーケーキ。

一メートルを超えた辺りで母さんに叱られた記憶がある。今となってはいい思い出だ。

 

 

 

 そしてバレンタインデー当日。当たり前だけど、僕の生活は特にいつもと変わりなかった。

一方リョウさんの周りは女子が、虹夏さんの周りは男子が一日中ウロウロしていた。

この間教えてもらったことだけど、バレンタインも一つのきっかけになるらしい。

 

 きっかけ、チャンス、契機。誰にでも等しくあるべきもので、かけがえのない大切なこと。

あの日リョウさんも虹夏さんも気にしない、と言ってくれたけれど、僕の方が気にしてしまう。

だから今日は二人から離れる時間を増やして、彼、彼女らが近づくチャンスをなるべく用意した。

 

「リョウさん凄いね。これ全部チョコ?」

「これで一月は生きていけるぜ。どやっ」

 

 その結果がこれだ。紙袋四つ分、大量のチョコをリョウさんは抱えていた。

 

「お店開けそうなくらいあるね」

「……なるほどお店。そういう選択肢もあるのか!」

「無いよ! 何贈り物をお金にしようとしてるの!!」

 

 虹夏さんのツッコミがリョウさんの頭に突き刺さる。今日も景気のいい音がした。

そのリョウさんとは対照的に、彼女の両手には通学鞄以外何も無い。いつも通りの姿だ。

あんまりまじまじと見ていたからか、彼女は僕の視線にすぐ気づいた。

 

「ん? 後藤くんどうしたの?」

「……えっと、虹夏さんはあんまり貰ってないね」

「いや私女子だから、今日普通貰う側じゃないから。リョウが特別なだけ」

「そういうものなんだ」

「そういうものです。なんか気になったの?」

「今日一日男子生徒が虹夏さん見てソワソワしてたから、あの人達渡してないのかなって」

「……あー」

 

 僕の疑問に虹夏さんは、どこか気まずそうに頬を軽くかき始めた。

彼女に禁止されてしまったから僕は何も持って来ていない。しかし彼らはそうじゃないはず。

もし何か伝えたいことがあるのなら、きっと今日はそれを話すいいきっかけに出来るだろう。

そのために彼らは鬱陶しくも、虹夏さんの周りをウロチョロしていた、と僕は考えていた。

だけどこの反応を見る限り、僕の考えはまるで的外れらしい。じゃああれはなんだったんだろう。

 

「あれは虹夏から貰えないかなって期待してる人達だよ」

「あの人達って、虹夏さんと仲良かったっけ?」

「あー、それは」

 

 虹夏さんはますます気まずそうになって、明後日の方向へ視線を逸らした。

もしかして僕と親しくなってから離れた人だろうか。そういう人間もいたことは知っている。

思考が暗い方向へ走りそうになった時、リョウさんがしれっとした顔でそれを切り捨てた。

 

「全然」

「……全然仲良くないのに、チョコ貰おうとしてるの?」

「そう」

 

 チョコは友好の証なのに、ほぼ他人が貰おうとしている。彼女は頷くけれどよく分からない。

いやこれもきっかけなのかな。チョコを貰うことで新たに仲良くなっていこう、みたいな。

でもそれっておかしい。それなら自分から行動するのが筋だ。待ってどうするんだろう。

 

「えぇと、仲良くはないけど、なんとなく貰えないかなって期待して付き、ウロウロしてるの?」

「その通り。例えゼロに近くても期待せざるを得ない、悲しき性ってやつ」

「そうなんだ。欲しいなら欲しいって言えばいいのにね」

「いやさすがにそれはちょっと」

「ねー」

「忘れてた。この二人はそういう奴だった……」

 

 虹夏さんは呆れた言葉を漏らしたと思うと、今度はにやにやし始めた。

 

「あれー? でもそういえばー、私そういう言葉聞いてないなー?」

「私も聞いてない」

「僕も聞いてない」

「いや後藤くんが言うんだよ!?」

 

 彼女がからかってくるのもすっかり慣れた。おかげでこうしてすんなり受け流せる。

自分の成長に満足していると、それが伝わったのか呆れた半目を向けられる。こっちも慣れた。

僕のそんな様子を見て、彼女は何故か呆れを引っ込めて、今度は愉快そうに微笑んだ。

 

「まあ今持ってないから、お願いされても困っちゃうんだけどねー」

「……虹夏、チョコちょうだい」

「あっ僕も欲しいです」

「困らせに来たのが二人! 仲良しか!!」

「仲良しだって。ちょっと照れちゃうね」

「へっへっへ、私と陛下の仲だから当然」

「照れるな! なんか腹立つ!!」

 

 最近恒例になって来たトリオでのコントをこなしつつ、スターリーまで向かう。

なんでも家の冷蔵庫が一杯だから、お店の方にチョコを置かせてもらっているらしい。

星歌さんは今日も優しい。ほっこりしていると、何かに気づいたリョウさんが眉を顰める。

彼女の視線の先、スターリーの入口前に何故か大槻さんが立っていた。

 

「むっ、入口近くに不審者がいる」

「不審者って、あれ大槻さんでしょ。うちに何か用事なのかな?」

「何だろうね。せっかくだし、ちょっとびっくりさせてくる」

「せっかくだし?」

 

 疑問で一杯の虹夏さんと、我慢出来ずチョコを食べ始めたリョウさんを置いて先に降りる。

ターゲットの大槻さんはいつかのひとりのように、ドアハンドルを掴んでは離していた。

もう片方の手にはそこそこ大きい紙袋を持っている。大手の百貨店のものだ。買い物帰りかな。

大槻さんはしばらくドアの前で悩んだ後、ハンドルにその紙袋を引っ掛けて大きく頷いた。

 

「……これでよし!」

「何がいいの?」

「に゛ょ゛ん゛!?」

 

 聞いたことのない凄い声が出た。一流のボーカルは音域が違う。変な感心をしてしまった。

ヘンテコな声を出した大槻さんは、これまた変なポーズで固まっている。身動き一つしない。

そういえばつい声をかけちゃったけど、まだ驚かせてない。今更だけどやってみよう。

 

「……わっ」

「ぎょわぁ!?」

 

 また違う変な声が出てポーズも変わった。叩くと鳴る玩具みたいで面白い。童心に帰った心地。

いや童心に帰ってどうする。いくら大槻さん相手でもこれはよくない。一度仕切り直そう。

まだ遊び足りない気持ちを抑えつつ、出来るだけ穏やかな声と口調を意識して、再び声をかけた。

 

「こんにちは大槻さん。まだ開店前だけど、今日はどうしたの?」

「ご、ごごっごご、あ、あ、ばばば」

「びっくりさせてごめんね。まさか、ここまでになるとは思ってなくて」

「……っ! ……っ!!」

 

 大槻さんは僕で気絶しないから、精々が小さく悲鳴をあげるくらいだろう。

予想に反してこれだ。僕は楽しかったけど彼女はそうじゃないはず。もっと反省しないと。

その思いで無言の肩パンを甘んじて受ける。例のごとく受ける場所は調整した。

 

 何度も何度もパンチを放っていたからか、それとも怒りと羞恥で興奮しているからか。

大槻さんは中々見ないくらいに顔を赤くして息を切らしていた。申し訳なさが募っていく。

もう一回ちゃんと謝ろう。そう思った瞬間、紙袋をぐいぐいと胸に押し付けられた。

 

「ん!」

「えっと、くれるの?」

「ん! ん!! ん!!!」

「どうも、ありがとうございます?」

 

 紙袋がくしゃくしゃになってしまう前に、彼女から丁寧に受け取って皺を伸ばした。

中には包装された何かが二つと手紙が一つ。確認するよう彼女を見ると、斜め上を眺めていた。

それでも視線はちらちらとたまに僕へ向かう、反応待ちだ。なら僕から聞こう。

 

「もしかして、これチョコ?」

「……ん」

「そっか、嬉しいな。ありがとう大槻さん」

「…………ふんっ」

 

 チョコを貰えたのは嬉しい、これは本当だ。でもそろそろ日本語を話して欲しい。

 

「おぉーチョコだ。よかったね、後藤くん!」

「!?」

「陛下もなんだかんだで貰えてきたね。あとでちょっとちょうだい」

「!!??」

 

 僕が大槻さんと遊んでいる内に、二人もスターリーの玄関前まで来ていたらしい。

二人して僕の両肩口から顔を出して、受け取ったチョコを興味深そうにジロジロ眺めている。

するとリョウさんが手を伸ばして来たから避ける。まだ伸ばすからもう一度避ける。

そんなことを繰り返していると、驚いて黙っていた大槻さんが真っ赤な顔で僕を指差した。

 

「こっこれで」

「あっほっといてごめんね、大槻さん。お礼は来月ちゃんと」

「これで、勝ったと思わないことねー!!」

「……何の話?」

 

 やっと日本語が出たけれど、まるで意味は分からない。大きな謎を残して彼女は走り去った。

あまりにも唐突な大声だったから、しつこくチョコを追いかけていたリョウさんも動きが止まる。

というか勢い余って転びかけていたから支えて、ついでにそのまま聞いてみた。

 

「バレンタインって、勝ち負けとかあるの?」

「男女なら多分無い。でもツンデレは日本語が不自由だから」

「言い方」

 

 

 

 中に入ると、取ってくるから待っててね、という言葉を残して二人は奥へ消えて行った。

手持ち無沙汰になってなんとなく店内を見回す。バレンタインっぽい装飾がちらほら見える。

行事に乗るのは果たしてロックなのか。でも安易に逆らうのも、またロックじゃない気もする。

適当にロックの深淵を探っているとPAさんが近づいて来たから挨拶を交わす。

 

 思えば今僕の中で、彼女との関係が一番不思議だ。彼女のことは特に好きでも嫌いでも無い。

だから目が合っても気絶しないし会話は出来る。この関係を知人、知り合いと言うのだろうか。

そんなものまで出来るなんて。変な感慨を抱いていると、彼女がおもむろに何かを取り出した。

 

「後藤くん、よければこちらどうぞ」

「ありがとうございます。PAさんからいただけるとは思ってませんでした」

「私、というよりスターリースタッフ皆からですね」

 

 スタッフの皆さんから。PAさん以上に関わりが無い。ますます貰える理由が分からない。

不思議そうに首を傾げる僕を見て、彼女はくすくすと笑みを零しながら言葉を続けた。

 

「この間ピンチヒッターで来た時、たくさん力仕事してもらいましたから」

「あれくらい、別にお礼を言われるほどでは」

「いえいえ。うちは女性スタッフばかりなので、凄く助かりました」

 

 それに、と彼女は付け加える。

 

「店長の面倒なツンデレに、いつも付き合って貰ってるお礼でもあります」

「分かりました。そういうことならありがたくいただきます」

「何のお礼だよ、全員給料下げるぞ」

「あっと、仕事仕事~」

 

 わざとらしい声を出しながらPAさんは逃げ出した。判断も逃げ足も速い。

星歌さんは苛立たし気にそれを見送ると、今度は対象を僕へと変えた。

 

「ったくお前もお前だ。色々否定しろ」

「すみません。確かに星歌さんからツンというか、厳しくされたことはないです」

「そこじゃねーよ」

 

 ペシペシと硬い何かで頭を何度も叩かれる。僕が何の反省も見せないからかすぐ止めた。

それから一つため息を吐いた後、それを僕の頭の上に乗せた。微妙にアンバランス。

手に取ってみると赤い包装に可愛らしい動物のイラストが並んでいる。これもチョコだ。

 

「これ、貰ってもいいんですか?」

「……私もライブハウスの店長だからな。一応イベントには乗る義務がある」

「ありがとうございます。大切にします」

「すんな、食え」

 

 星歌さんは僕の額を軽く弾いてから、あぁそうだと呟き、また新しい紙袋を僕の手に乗せた。

 

「えっと、追加ですか?」

「私からじゃない。これはSICKHACKから」

「……廣井さんからじゃなくて、ですか?」

「一応あいつのも入ってるらしい。けど持って来たのは岩下だ」

 

 岩下、岩下志麻さん。SICKHACKのドラマーをやっている方だ。間接的な大恩人でもある。

僕はそう思っているけれど、彼女としては廣井さんの知り合いAくらいの認識のはず。

間違ってもチョコを貰うような関係じゃない。ギターの清水さんにも同じことが言える。

 

「お疲れ様でーす!」

「おっお疲れ様でーす……」

 

 降って湧いて出た謎に頭を悩ませていると、ひとりと喜多さんがスターリーに到着した。

バレンタイン当日ということもあり既にボロボロだ。生きていることが奇跡に近い。

対照的に喜多さんはいつも以上にキタキタだった。多分ひとりのダメージに一役買っている。

 

「二人ともお疲れ様」

「おつか、お、お、おおお、お兄ちゃん、そ、そそそ、それは!?」

「チョコだよ。貰えちゃった」

「えー!? 先輩、誰から貰ったんですか?」

「これは廣井さんからだって」

「……お姉さんから? お、お酒じゃなくて?」

「もしかしたらそうかもしれない」

 

 そんなやり取りをしていると、リョウさんと大きな袋を持った虹夏さんが戻って来た。

 

「陛下の手持ちが増えてる。誰から貰ったの?」

「スターリースタッフの皆さんと、星歌さんと、あとSICKHACKの方達から」

「へー、お姉ちゃん、へー」

「……なんだ、何か文句か?」

「お願いだから、ほんと犯罪はやめてね?」

「そういうんじゃねーよ!!」

 

 伊地知姉妹がじゃれ合いをしているのを横目に、僕は手に持ったチョコの説明をしていた。

こうして貰えても、意図が読めないと素直に喜べない。僕に心当たりはまるでなかった。

でもバレンタインにも詳しいだろう喜多さんなら、何か分かることがあるかもしれない。

 

「SICKHACKの方たちから? 後藤先輩、あの二人とも仲いいんですか?」

「数回しか会ったことないよ。皆と新宿FOLTに行った時と、廣井さんを送った時くらい」

「……本当は?」

「本当だから。前科あるけど本当だから」

 

 ひとりがじっとりとした視線をぶつけてくる。十二月の大槻さんでますます疑いが強くなった。

喜多さんも苦笑いするだけで止めてくれない。自業自得だから受け止めるしかないのか。

変な覚悟を決めかけていた僕を助けてくれたのは、手紙を片手にしたリョウさんだった。

 

「陛下陛下」

「どうしたの?」

「はい、手紙」

「……手紙?」

「なんか中に入ってたよ」

「なんでお前は当然のごとく人の荷物漁ってんだよ」

 

 SICKHACKからの贈り物に入っていたらしい。これを読めば謎が解けるかも。

早速封を開けて読み始める。皆も気になるのか、手紙から目が離せていない。

なお、リョウさんは勝手に袋を漁ったことを怒られて、星歌さんにウメボシを食らっていた。

 

「なんて書いてありました?」

「喜多ちゃん、人の手紙なんだから」

「『拝啓、後藤一人様』」

「へ?」

 

 虹夏さんの言うことは正論だ。いつもなら僕も同じようなことを言っていただろう。

だけど手紙の内容が内容だったから、彼女のツッコミが今は欲しかった。

 

「『余寒のみぎり、後藤様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 先日のお正月では廣井がご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございませんでした。また挨拶が遅れましたことも、重ねてお詫び申し上げます。しかしながら三が日明けに素面の廣井を目にした時は、まるで夢でも見たかのような心地でした。聞けば後藤様より、酒量を減らすよう勧められたとのこと。我々一同感謝の言葉もございません。

 つきましては感謝の気持ちを込めまして、心ばかりの品をお送りいたしました。ぜひご笑納いただければ幸いに存じます。

 今後とも廣井を含め、よりいっそうのご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

                                       敬具』」

「お歳暮!!」

 

 期待通りのツッコミを虹夏さんはしてくれた。やっぱりこれその類だよね。

僕の個人的感情を抜きにすると、確かに廣井さんは色々とお詫びした方がいいことも多い。

岩下さんはしっかりとされた方だから、彼女の代わりに贈ったのかもしれない。

 

 謎が解けてすっきりした。そういうことなら素直に受け取って喜ぼう。

いただいたチョコを整理してまとめている内に、もう一つの手紙のことを思い出した。

そういえば大槻さんから貰った袋の中にも手紙が入っていた。こっちも読んでみよう。

 

「『魔王様へ。昨年はヨヨコ先輩が大変お世話になりました』」

「嫌な予感がしてきた」

「『お礼を兼ねてバレンタインチョコを送ります。今後ともヨヨコ先輩を末永くよろしくお願いします』」

「天丼!! 新宿のバレンタインはこうなの!?」

 

 多分違うと思う。

 

「……よし、新宿の話はもう横に置こう! 今はこれ!」

「あっ伊地知先輩、あの時はごめんなさい! どーしても外せない用事があって!」

「いいよいいよ! あとは仕上げだけだったし、喜多ちゃん以外戦力にならなかったし……」

「え? 私と入れ替わりで来た、リョウ先輩とひとりちゃんは?」

「美味しかった」

「えっ、りょ、リョウ先輩?」

「あっ美味しかったです」

「ひとりちゃん?」

 

 結束バンドは皆で一つのチョコを作ろう。虹夏さんがそう提案したらしい。

曰く、それぞれ渡すとお返しが大変になる、バランス調整、四対一なら勝てるはず、などなど。

意味の分からない理由もあったけれど、彼女が言うんだから必要なことなんだろう、きっと。

僕は一つでも貰えればそれだけで凄く嬉しいから、何かを言うこともなかった。

 

「じゃあ後藤くん、そろそろ言ってもらおうかなー?」

「え、えっ? な、何をですか?」

「欲しいものは欲しいって、ちゃんと言うべきって話」

「おーいいですねー! 私もそれ聞きたいです!」

 

 どうやら僕はとても余計なことを言ってしまったらしい。

虹夏さんはついさっき見たニヤニヤした笑みを再び浮かべている。

分かりにくいけどリョウさんも楽しそうだし、喜多さんなんて言うまでもない。

 

 ひとり、ひとりはなんとか周りに合わせようと、頑張ってニヤニヤを作っている。

ドロドロぐちゃぐちゃとしていて大変だ。不思議な可愛さはあるけれど、長く持たないだろう。

スターリーをこれ以上事故物件にする訳にはいかない。意を決して僕は口を開いた。

 

「……皆からのチョコが欲しいです。だからその、ください」

 

 実際言ってみると想像以上に照れくさくて、なんだか恥ずかしくなってしまった。

だけどそれ以上の嬉しさと喜びを渡してもらえたから、勇気を出した甲斐があった。

 

 

 

 帰りの電車、僕にもたれにかかっていたひとりがふと顔を上げた。

 

「そういえばお兄ちゃん。結局チョコ何個貰えたの?」

「えっと、十二個かな」

「おっ、おお、お兄ちゃんも、モテモテのリア充……!?」

「そういうのじゃないと思うよ」

 

 その分野ではずぶの素人にも満たない僕だけど、そのくらいは理解しているつもりだ。

なんというか、こう、色恋事はこう、きっと何かが違うはず。本当に僕は分かってるのかな。

揺らいだ自信は投げ捨てる。僕には縁もゆかりも無いことだから、考えてもしょうがない。

 

「あとでひとり達から貰えたら十三個だね」

「……私たちからの、いるの?」

「一番欲しい」

 

 例え他の誰かからどれだけのものを送られても、一番は家族からのものだ。

正直な気持ちを率直に告げると、ひとりはちょっと安心したように微笑んだ。

それで心が興味に傾いたのか、今度は僕の持つ紙袋にさりげなく目を向け始めた。

 

「見る?」

「……いいの?」

「見るくらい全然。あっでも先に食べないでね」

「たっ食べないよ!」

 

 自分の出したちょっと大きな声に驚いて、周りに誰もいないことにひとりはほっとした。

それから恨めし気にじとっと僕を睨んでから紙袋を手に取って、中身を確認し始める。

途中までは戦慄したような表情で数を数えていたけれど、ふときょとんとした顔になった。

 

「あれ? か、数が、合わない?」

 

 そう言って、もう一度ひとりは指折り貰ったチョコを数えていく。

 

「嬉し過ぎて、数が数えられなくなっちゃった!?」

「そこを疑うの?」

 

 顎が取れそうなほどの驚きと心配をぶつけられた。嬉しいけれど自失まではしていない。

このままだと妄想が行き過ぎてシートのシミになりそうだったから、もう一つの袋を取り出す。

ちょっとした事情から別に分けていたチョコだ。この子には見せても平気だろう。

 

「間違ってないよ。名無しの匿名希望さんから三つ貰ったから」

「えっ!?」

「ほら、この三つ」

 

 差し出されたチョコを見て、ひとりはますます心配そうに顔を歪めた。また変なこと考えてる。

 

「だっ大丈夫なの? もしかしたら、ばっ爆弾とか」

「心配してくれてありがとう。でも平気、僕に悪戯出来る人なんていないよ」

 

 配線は無さそうだし重さも違うから爆弾は無いはず。そもそもここは日本だ。

そんな頓珍漢なものとは別として、安心して受け取っている根拠は他にもある。

 

「それに、なんとなく誰からなのかは分かってるから」

「えっ、だっ誰?」

「内緒。秘密にして欲しいから匿名なんだろうし」

「……むっ」

 

 ひとりのもの言いたげな目を受け流す。推測通りなら、尚更この子には言えない。

貰ったのは最近流行の有名店の物、ここ一年見慣れたリボンで包装された物、五円チョコと花。

もう回収したけれど、それぞれ丁寧にメッセージカードまで添えられていた。

 

『こちらこそ、いつもありがとうございます!』

『みんなには内緒だよ』

『六倍返し期待してる』

 

 ホワイトデーは大変そうだ。いつもの十倍はお返しを作らないといけない。

その苦労をどこか楽しみにしている自分に気づいて、ちょっとだけおかしくなった。

 

 

 

 

 

「……匿名入れても十一個。あれ、やっぱり数合わないよ?」

「そっか、説明し損ねてたね。ほら、この間チョコ持って帰って来たでしょ?」

「うん。ってえっ、あれもバレンタインのチョコなの?」

「そうだよ。一昨日遊びに行った時、リョウさんの御両親から貰ったんだ」

「!?」




次回「言って言われて十数年」です。


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第十六話「言って言われて十数年」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 今日は、私の天下だ!!

 

「うへ、へへ、えへへへっ」

 

 みんなから貰った誕生日プレゼントを抱きしめて、私はそう確信していた。

今日は二月二十一日。何を隠そう私の誕生日、私が生まれてしまった日だ。

あっ駄目だ駄目だ。お兄ちゃんが悲しそうにするからこの言い方はしないって前決めた。

 

「いやー、ここまで喜んでもらえると祝い甲斐あるよねー」

「うむ。ザ・有頂天」

「甲斐はありますけど、これ大丈夫なんでしょうか? その、なんか溶けてますよ?」

「いつも通りじゃない?」

「そういえばそうでした」

 

 それに今年はこうして家族以外にも祝ってもらえた。嬉しくてプレゼントを抱く腕に力が入る。

袋の擦れる音、硬い箱の感触、花? の匂いが、全部現実のことだって私に教えてくれる。

友達からプレゼントを貰えたのも、友達とファミレスで一緒にお喋りしてるのも、全部現実だ!

 

「おーい、ぼっちちゃーん?」

「うぇへへへ……」

「あー駄目だねこれ、何も聞こえてないや」

「楽しそうですし、戻ってくるまで放っておきましょうよ」

「そうだね。あっ喜多ちゃん、撮り直した歌聴いたよ~すっごいよくなっててびっくりした!」

「そうですか? ありがとうございます!」

「よく通るようになってた。よかったよ」

「え、えへへっいやぁ、そんな褒めないでくださいよー」

「郁代も溶ける?」

「溶けません」

 

 私がこんな風に祝ってもらえたってことは、お兄ちゃんも同じようにしてもらえるのかな?

お兄ちゃんはまだ結束バンドの一員じゃないけど、みんなと友達なのは私と一緒。

それに四月になる頃には、もう観念してマネージャーになってるかもしれない。

 

「それはいいんだけど、結局あの妹云々はなんだったの?」

「秘密の超特訓です! ひとりちゃんと兄さんのおかげでなんとかなりました!」

「何回聞いてもわっかんないなー」

 

 兄さん。そのワードで現実に意識が戻った。

 

「はっ!」

「おっ戻って来た。ということでぼっちちゃん、本当にそんな訳わかんないことやってたの?」

「あっはい。喜多ちゃんが私たちの妹になってました」

「……ちょっと待って。私、ひとりちゃんの妹にはなってないわよ?」

「えっ?」

「というか誕生日的に、私の方がお姉ちゃんよね?」

 

 突然叩きつけられた喜多ちゃんからの挑戦状に、私は目を白黒とさせてしまった。

喜多ちゃんがお姉ちゃん。嬉しいような、何よりも恐ろしいような。家が安住の地じゃなくなる。

じゃなくて。そんな感情よりもっと大切な、私にだって譲れない一線がそこにはあった。

 

「あっで、でも、私の方が妹歴は長いです」

「おぉ、ぼっちが食い下がってる。珍しい」

「下がり方よく分かんないけどね。別にどっちでもよくない?」

「あっあんまりよくは」

「……確かに! どっちもありですね!!」

「あっあれ?」

 

 妹と姉、凄く大事な違い。それをなんとか話そうとした決意は、すぐ無駄になった。

 

「戦おうとしたのに梯子外されてる……」

「哀れぼっち」

 

 キラキラと輝く隣の喜多ちゃんに、私はまた溶かされてしまいそうになっていた。

か、勝てない。もうずっと分かってたことだけど、私じゃ喜多ちゃんには勝てない……!

 

「私一人っ子だから、どうしても兄弟姉妹に憧れがあるんですよー」

「それで後藤家に目をつけたの?」

「姉妹はひとりちゃんとふたりちゃん、兄は後藤先輩、兄さんで埋まったので、後は弟ですね!」

「犯行予告?」

 

 というかあれ、喜多ちゃんなんだか、凄い自然にお兄ちゃんのこと兄さんって呼んでる。

私がいいよって言ったのは、あの土日だけだったはずなのに。もうとっくに終わってるのに。

ピカピカした喜多ちゃんに私がそんな指摘を出来るはずも無かった。やっぱり勝てない……!!

 

「兄さんと言えば、後藤先輩は今日来ないんですか?」

「陛下は家で全力を尽くすから、体力を温存しておきたいんだって」

「冗談、いや冗談じゃないんだろうなぁ……」

「あっはい。今朝そう言ってました」

「本気だったかぁ」

 

 本気も本気だと思う。去年一回吐かれたけど、お兄ちゃんは基本嘘なんて言わない。

その嘘だって、吐きたくて吐いたんじゃないはず。お兄ちゃんなりの考えがきっとあった。

それはそれとしてむっとしたから、これからも言い続けよう。嘘吐いたお兄ちゃんが悪い。

 

「先輩の誕生日プレゼントって凄そうですよねー。なんか家とかくれそう」

「いやいや、後藤くんも一応高校生だから」

「それに魔王だから、家じゃなくて城だと思う」

「後藤キャッスル?」

 

 ご、ごご、後藤キャッスル!? 唐突に生まれた新用語に心が揺れる。

元々いつか成功してビッグになったら、タワマンの最上階に住むつもりだった。

でも城、キャッスル。言われてみると確かに、お兄ちゃんにはそっちの方が似合うかもしれない。

しかも後藤キャッスル。どうしよう、凄くいい響きだ! よし、未来予想図を修正しよう!

 

「それで、実際どんな感じなの?」

「後藤キャッスル……へへっ、はっ!」

 

 並んで玉座に座る光景。そんな妄想を切り裂くように、虹夏ちゃんの声が耳に届く。

あ、危ない、今はこんなこと考えてる場合じゃない! ちゃ、ちゃんと答えなきゃ。

でも口で説明出来ない気がしたから、私はジャージのファスナーを下ろした。

 

「あっ、きょ、去年はこれでした」

 

 いそいそとジャージの上を脱いで実物を、下に着ていたそれをアピールする。

袖にピンクのワンポイントが入った黒いカーディガン。去年お兄ちゃんがくれたもの。

……しまった! こんな風に出せば当然みんな服を、私のことをじっと見てくる!

お、落ち着かない。結束バンドのみんなだからまだいいけど、変な汗が出てきそう。

 

「これって、カーディガンのこと?」

「あっはい」

「というかぼっちちゃん、中にブラウスは着てたんだね……」

「あっはい。せめてこれくらいは着ようね、ってお兄ちゃんが」

 

 お兄ちゃんにジャージで登校を認めさせるため、何度も脱ぼっち委員会で意見をぶつけ合った。

最終的な決め手はお兄ちゃんの、中にTシャツだけ着てると運動部みたいだね、だった。

そんな勘違いをされたら私は死んでしまう。その日から大人しくジャージの中はブラウスにした。

 

「ひとりちゃん、もしかしてそれ」

「あっお兄ちゃんの手縫いです」

「……あの人、ちょくちょく女子力見せつけて来ますよね」

「なんかもう逆に知ってたって感じするよ」

 

 お兄ちゃんはいつでもお嫁に行けると、お母さんがこの間太鼓判を押していた。

行先無いでしょってお兄ちゃんは言ってたけど、それを聞いてもお母さんは微笑むだけ。

不気味に、当てがあるように笑うお母さんに、私とお兄ちゃんはその時顔を見合わせてしまった。

 

 ま、まさかお見合いとか? 私はあれだし、ふたりもまだ小さいしどうなるか分からない。

このままだと後藤家が途絶える可能性が高いから、今のうちにお兄ちゃんをお嫁に出すとか!?

考えてて思った、ありえない。そんな誰も幸せにならないこと、お母さんはしない。

 

「じゃあもしかして、このマフラーと手袋も?」

「あっ両方ともお兄ちゃん作です」

「全身兄コーデ!」

「あっジャージは私が選んだので、全身じゃないです」

「謎のこだわり!?」

 

 いくらお兄ちゃんでもジャージは縫えない。だから私が全身兄コーデになる日は来ない。

なぜかそれにびっくりしている虹夏ちゃんへもう一つ、いつも貰っているプレゼントを伝えた。

 

「あっあとは毎年、何でも言うこと聞く券一枚くれます」

「幼稚園児なの?」

「よ、幼稚園児……」

 

 虹夏ちゃんの容赦のないツッコミにちょっと心が折れそうになる。幼稚園児。

言われた通り本当に幼稚園の頃からずっと貰っている。返せる言葉なんて何も無い。

で、でもこれは私の生命線。間違ってもいらないとか、他のものが欲しいとか言えない!

 

「何でも言うこと聞く券、都市伝説だと思ってた。どんなの?」

「あっこれです」

「持ち歩いてるのね……」

「あっはい。いざという時用です」

「どんな時?」

 

 お兄ちゃんはいつも私に優しい、というより甘々だけど、時には聞いてくれないお願いもある。

そんな時これを使うと、大体のことは折れて言うことを聞いてくれるようになる。

一年でたった一回の大事な権利。いつもすぐ使っちゃうけど、一枚だけずっと取ってある。

本当にどうしようもなくなる時が来たら、心折れて引きこもる時が来たら使う予定。

これを使ってお兄ちゃんに一生養ってもらうのが、私の人生における最終生命線だ。

 

「なんでもって、どれくらいなんでもなの? 本当になんでも?」

「あっ意外とそうでもなくて、たとえばテストとか、入試とかは代わりに受けてくれません」

「そりゃ断るよ」

「……それは詐欺だよぼっち。文句言った方がいい」

「いや詐欺以前の問題でしょ」

「あっでも、プレゼントにそういうこと言うのは」

「例え贈り物でも間違ってるなら言わないと。言いにくいなら、私もついてくから」

「リョウ先輩……」

「それで詫び券として、新しいの一緒に貰おう!」

「こいつ……」

 

 珍しく瞳を輝かせるリョウ先輩に向かって、虹夏ちゃんは冷たい呆れた目を向ける。

逆に喜多ちゃんはキタキタと、楽しそうにそんなリョウ先輩のことを眺めている。

いつもの光景。不安になることもたくさんあるけれど、去年まで知らなかった幸せないつも。

そんな喜びを嚙み締めている間、ふと思った。お兄ちゃんは今頃、何してるんだろう。

こんなに楽しいんだから、お兄ちゃんも何も気にしないで来ればよかったのに。

 

 

 

 ひとりは今頃、誕生日会を楽しんでいるところだろうか。

未確認ライオットへのデモテープ発送期限が迫る中、皆はあの子の誕生日を祝ってくれた。

迷いも焦りもきっとあるはず。それでも、それに浸らず祝ってくれることが嬉しかった。

 

 ひとりにとって初めて家族以外に、友達に祝ってもらえる誕生日。

兄の僕がいると友達から、というのが薄れてしまう気がしたから、今回は遠慮させてもらった。

家で全力を尽くしたいというのもある。そして更にもう一つ、本人には言えない理由があった。

 

「これは、ちょっと違うかな……」

 

 御茶ノ水の楽器店、去年皆と一緒にひとりのギターを買いに行ったお店。

今僕はその店内でぐるぐると商品を見て回り、ついでに頭もぐるぐる回して悩んでいた。

悩みの種は、何を贈ればいいのか。そう、僕はこの期に及んで誕生日プレゼントを選んでいた。

 

 今更誕生日当日になってプレゼントを探しているのには訳がある。

端的に言えばプレゼントが被った。父さんと同じギターケースを選んでしまっていたからだ。

昨夜夕飯の後、父さんと当日の打ち合わせをしている時に判明した。

 

 父さんは、僕が別のを用意するよ、と言ってくれたけど、生憎今日も仕事だ。

自称窓際でも間違いなく、学生の僕よりずっと忙しい。仕事終わりに探すのは大変だろう。

だから僕が用意し直した方がいい。そう何度も説得して、やっと受け入れてもらえた。

 

 説得は出来た。ただ、その後で僕は困ってしまった。何を用意すればいいんだろう。

ひとりはあれで結構好みにうるさい。よく吟味しないと大喜びさせるのは難しい。

あの子のことは分かっているつもりではあるけれど、今もセンスの理解は追いつけない。

だからこの短期間に焦って選べば、ひとりに満足してもらえないかもしれない。

 

 それでも時間は有限だ。なんとかひとりと合流するまでに、あと一二時間で見つけないと。

刻一刻と迫る制限時間と戦う僕の背後へ、誰かが迫ろうとしていた。足音と気配で分かる。

店員さんかな。あんまりずっとウロウロしていたから、とうとう声をかけられてしまうかも。

 

 だけどそれにしては違和感がある。それならここまで足音を殺さなくてもいいだろう。

じゃあまたいつものあれかな。まだ春になってないのに気が早い新入生だ、鬱陶しいな。

別に、誰でもいいか、確認してから対応を決めよう。そうして振り向くと同時に声をかけられる。

 

「……わっ!」

 

 威嚇するように両手を挙げて、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべる大槻さんがそこにいた。

ただ、タイミングがタイミングだからか、その笑顔はどこか引き攣っているように見える。

僕としても予想外の人だったから、黙って彼女のことを観察することしか出来なかった。

この感じはおそらく、バレンタインの時の仕返しか何かをしたかったのかな。

 

「……」

「……」

「……なんか言いなさいよ」

「……び、びっくりしたー、脅かさないでよー?」

「やっぱ閉じときなさい!」

 

 恥ずかし気にぴしゃりと言い放ち、いつも通り大槻さんは斜め上を向いた。天井好きだね。

たっぷり十秒ほど眺めて満足したのか、彼女は僕に視線を戻して咳ばらいを何度か重ねる。

 

「まあいいわ。それで、貴方こんなところで何してるの?」

「ひとりの誕生日プレゼント探してるんだ」

「ふーん。……べ、別に興味無いけど、あの子の誕生日っていつ?」

「今日」

「今日!?」

 

 驚きに目を見開く大槻さんに、事情を簡単に説明する。

プレゼントが被ったこと、まだ迷っていること、時間がそんなにないこと。

全て聞き終えた彼女は腰に手を当てため息を吐き、呆れた様子を隠しもしなかった。

 

「被りを気にするなら、もっと前に確認しておけばいいのに」

「返す言葉も無いです。そうだ大槻さん、今時間ある?」

「えっあぁ、まあ、あるけど」

 

 一瞬詰まりながらも帰って来た言葉に嘘は無さそうだ。

以前彼女も言ってくれたし、これなら遠慮しなくてもいいだろう。

落ち着きなく僕の答えを待つ彼女へ、僕はまたしてもお願いを口にした。

 

「よければプレゼント選ぶの、手伝ってくれない?」

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返した後、今日もまたいつもの素振りと共に彼女は頷いてくれた。

 

 

 

 それから数分後、僕達は揃って楽器店の外へ出ていた。

 

「思ってたよりあっさり終わったわね。貴方本当に悩んでたの?」

「後押しが欲しかったんだ。迷ってたけど、大槻さんが言うなら間違いないと思うから」

「そ、そう? まあ、私はあれだからね、そう、説得力の塊だから」

 

 ひとりと大槻さんはセンスが似ている。だから彼女のお眼鏡にかなうものなら大丈夫だろう。

今年のプレゼントは彼女一押しのリズムマシンにした。実際に今も愛用しているらしい。

家にも一応あるけれど、それとは性能がまるで違う。しかも結構お値打ち品だった。

作曲にも使えるから、今後ひとりの活動が広がる時にきっと力になってくれるだろう。

 

 お店の前で突っ立っているのは、特に僕がすると迷惑になるから、そのまま駅の方へ歩く。

大槻さんも自然とそれについてくるのを見て、ふと疑問が湧いた。彼女は何しに来たんだろう。

 

「そういえば大槻さん、一緒に出ちゃったけどいいの?」

「何が?」

「何か買いたい物とかあって、あのお店来てたんじゃ」

「……」

 

 ぴたりという擬音そのままに、彼女の歩みも動きも止まる。目だけはぐるぐると泳いでいた。

それでもじっと見てればその内目が合う。その瞬間全力で、顔ごと思い切り逸らされた。

ますます大きな疑問を抱く僕へ、誤魔化してますという雰囲気全開の彼女が口を開く。

 

「あ、あー、あれよ。なんとなく、ギターとか見たかっただけだから」

「というかもしかして、お店に入る前から僕のことつけてたのって大槻さん?」

「………………分かってたなら、さっさと声かけなさいよ!!」

「暴力はよくないよー」

 

 今日も肩を掴まれて、全力でぐわんぐわんと振り回される。元気一杯でなによりだ。

彼女が満足する、もしくは息を切らすまで待つ。勢いが弱まった辺りでそっと彼女の手を外した。

やっと話せる。次からはもっと早く逃げよう。これ僕も大槻さんも疲れるだけだ。

 

「ストーカーの類だとお店に迷惑かけちゃうから、買い物終わってからしようと思ってて」

「大袈裟な奴ね。まさか、そんなことされるような心当たりでもあるの?」

「うん。たまにされるから、また今日もかなって」

「えっ」

 

 主に僕の噂話を面白がって確かめに来る人、つまり暇な人達、ついでに嫌いな人種だ。

春が多いから、多分新入生が半信半疑か冗談半分で見物しに来るんだろう。そして気絶する。

それでまた僕の噂話が更新される。負の循環だ。再来月も例年通りそんな感じになるはず。

 

「…………………そ、その、元気出しなさい。その内きっと、何かいいことあるから」

「ありがとう大槻さん。でも大丈夫、毎年のことだから気にしてないよ」

「ま、毎年」

 

 戦慄しながらも励ましてくれる大槻さんには悪いけど、もうどうでもいいことだった。

最初はともかく十年も続いていると、こんなことでも慣れて、よくも悪くも無関心になる。

強いて言うなら、僕に気づかれないように気絶して欲しい。介抱はなるべくしたくない。

 

「そんなことより大槻さん」

「いやそんなことって」

「まだ時間大丈夫? さっきのお礼させて欲しいんだ」

 

 そんなつまらなくてどうでもいいことより、僕も楽しいことを考えていたかった。

 

「別にお礼されるほどのことじゃ」

「……実を言うと、これは口実で」

「ん?」

「あんまり時間無いけど、その、一緒に遊ばない?」

 

 ついこの間大槻さんから言われたこと。おまけに電話で説教を貰ったこと。

あの時は喜多さんが暴走していたから、とても誘えるような余裕なんて僕にはなかった。

幸い今日はある。口実もある。時間も少しだけならある。だから勇気を出した。

 

「……しょうがないから、付き合ってあげる!」

 

 この一年、僕の勇気は報われ続けている。今までと比べて反動が怖いくらいだった。

 

 

 

「それで偶然大槻さんと会って」

「……遊んでたの?」

「うん」

「…………ずっと?」

「はい」

「………………こっち来ないで?」

「あっはい」

 

 家での誕生日会が終わってから勉強していると、ひとりに今日のことを聞かれた。

プレゼント云々はともかく、大槻さんと会ったことは隠すようなことじゃない。

その後一緒に遊んだこともだ。一時間くらいしか遊べなかったけど、とても楽しかった。

ひとりの誕生日は家で祝うから、それまでは英気を養う時間。それが僕の言い分だった。

 

「……」

 

 ひとりの言い分はこうだった。何も口にしてないけど伝わる。

さっきからもの凄くじっとりとした、ぐさぐさ突き刺さる視線をぶつけてくる。

耐え切れなくて顔を逸らすと、音もなく膝がぶつかり合うほど近づいて、両手を掴んでくる。

そしてそのまま下から覗き込むように僕に顔を寄せてきた。逃げられない。

 

「……」

「やっぱり僕が混じると、友達からのお祝いって感じが薄れると思うんだ」

「…………」

「それにほら、一応僕も男だから。女の子だけの方が皆もやりやすいだろうし」

「………………」

「うん、なんとなく気に障るのは分かるよ。でもその分、家でお祝いを」

「……………………」

「あっはい。そういう問題じゃないですよね」

 

 口で話してほしい。ここまでじっと目が合い続けていれば、九割以上ひとりの気持ちは分かる。

でもその残りが大事なことかもしれない、それで致命的なすれ違いが起こるかもしれない。

そのまま言葉にしても今日は聞いてもらえなさそうだ。放っておけば何日続くのか。

いつかの夏休みを思い出す。あの時は喜多さんが助けてくれた。今回もそうするべきか。

 

 いや、そんなことは出来ない。今日は妹の、ひとりの大切な誕生日だ。

しかも初めて友達に祝って貰えた、きっと人生で一番楽しかっただろう誕生日。

僕の迂闊な、ちょっと納得してないけど、迂闊な行いで、それを台無しにしたくない。

今こそこの半年の成果を、他人と関わり続けることで得た成長を発揮する時だ。

 

 方針と決意は固まった。なら次はどうするか。ひとりに捕まっている以上今は動けない。

多分離してくれないし、無理やり振りほどいたらきっともっと傷つけてしまう。

じりじりと妹に追い込まれつつある時、突然救いの手が僕に差し伸べられた。

 

「ワン!」

 

 いつの間にかジミヘンが部屋まで来て、存在をアピールするように声を上げていた。

彼が自分から二階に上がるのは珍しい。今来たのはおそらく、この不穏な空気を察知したから。

さすがジミヘン、後藤家で一二を争う勘の持ち主。いざという時一番頼りになる。

視線を向けると彼は意図を察して、堂々とした足取りで悠々と僕の横へ歩いてくる。

 

「ジミヘン、悪いけどお使いお願い」

「?」

「あれ取って来て。ほらあの、僕の部屋のテーブル裏に隠してるやつ」

「ワンワン!」

 

 あれとかあのとか、要領を得ない説明とお願い。人間でも分かりにくいと思う。

それでもジミヘンは一声鳴くと、今度は駆け足で迷いなく部屋から出ていく。

そして時計の針が一周するより早く、紙の封筒を一つ咥えて僕の元へ戻って来た。

 

「ワンッ!」

 

 彼はそれからその封筒を僕の膝に落とし、しっかりやれよ、とでも言うように一度吠える。

ついでに膝も叩いてから、静かに部屋を後にした。犬とは思えないほど凛々しい背中だった。

いつもありがとうジミヘン。感謝の気持ちを込めて、明日のおやつは豪華にしよう。

 

「……???」

 

 僕とジミヘンのそんなやり取りを見て、ひとりが思い切り首を傾げていた。

そんな場合じゃないけど可愛い。今日で十六歳だけど、十年前と変わらないあどけなさがある。

僕が見てるのに気づいて、急いで表情を引き締め直そうとする姿はもっと可愛かった。

 

「……」

 

 そんな気持ちをおくびにも出さず、いや出てるなこれ、ひとりの目が強くなってる。

この兄は、みたいな目が強くなってる。僕にひとりの気持ちが伝わるんだから、逆もそうなるか。

これ以上の墓穴を掘る前にこの封筒の中身を見てもらって、それで納得してもらおう。

 

「ひとり、これ開けてくれる?」

 

 誤魔化すようにお願いすると、ひとりはジト目を僕に向けながら封筒の中身を取り出した。

その中身をちらりと見て大きく目を見開いた後、三度見繰り返して驚きを露わにする。

 

「…………………………………………こ、これは!?」

 

 驚きのあまりひとりは声を出してしまっていた。それほどの衝撃だったらしい。

そこまでかな、なんて思いつつ、誠意をもってひとりに向けて頭を下げる。

下げた先に映るひとりの両手。そこには、僕お手製の何でも言うこと聞く券が握られていた。

 

「今年はもう一枚追加するので、それで許してください」

 

 僕は妹を物で釣ろうとしていた。普通に最低だった。

 

「……」

 

 僕の最悪な懇願を聞いてなお、ひとりは無言のままだった。やっぱり駄目かな。

顔を上げてひとりの様子を確認して、そうでもなさそうなことが見て取れた。

ひとりはじっと手に取った何でも言うこと聞く券を見て、何かを真剣に考えていた。

 

「……これ」

「うん」

「これ、今使ってもいい?」

「どうぞ」

 

 今すぐ使いたいほど、何か僕にお願いすることがあるらしい。何だろう、これは分からない。

疑問と不安を抱えながら、ひとりが券を持って机に向かい、ペンを取るのを見守る。

言った言わない、使った使ってないの問題を防ぐため、いつからかあの券は記入式にした。

 

 そうやって見守る時間は一瞬で終わる。想像よりずっと早くひとりは書き終えた。

すぐにひとりはペンを置いて記入済みの券を持って戻り、また膝をぶつけてくる。

ということはそれほど長くない、複雑じゃない、シンプルなお願いのようだ。逆に怖い。

ひとりに伝わらないようその気持ちはすぐに圧し潰し、なるべく穏やかに券を受け取った。

 

「お、お願いします」

「……拝見します」

 

 なるべく穏便なお願いがいいな。そう思って券を見た僕の全身に、その時衝撃が走った。

 

『来年はみんなと一緒にお祝いしてください』

 

 反射的に顔を上げると、今度はひとりが僕から目を逸らしていた。さっきとは逆だ。

ただ、僕は目を合わせようとはしない。ここで無理強いするとひとりは溶けてシミになる。

その代わりに軽く抱き寄せて、今まで何度も言った言葉を再び口にした。

 

「誕生日おめでとう。あと、生まれて来てくれてありがとう」

「……うん」

「これからもよろしくね」

 

 胸の中で無言のまま頷くひとりを見て、僕はまた今年も確信した。僕の妹は世界で一番可愛い。

昨年は色々あったけれど、僕は性懲りもなく気持ちの悪いシスコンのままだった。




次回「路上ライブセルフ出禁」です。
今更ですがアー写撮影回で、喜多ちゃんが一人君を捕まえられたのは偶然じゃありません。
下北で魔王様発見、みたいなSNSの投稿から場所を絞って捜索したからです。


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第十七話「路上ライブセルフ出禁」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。
なんかぬるっと総合評価一万を超えててびっくりしました。嬉しいです。


 僕の目の前でリョウさんを先頭に、虹夏さんと喜多さんが跪いていた。

 

「ははーっ陛下、こちらをお納めくださいー」

「……これ何?」

「ははーっ、デモテープでございますー」

 

 デモテープ。未確認ライオットの音源審査で発送するものだ。それは見れば分かる。

分からないのはそれを僕に差し出したことだ。今更音源を確認して欲しいなんてことは無いはず。

じゃあ何かのついでに送って欲しいのかな。でもその程度で跪きはしないだろう。

 

「えっと、ポストか郵便局まで持って行って欲しいってこと?」

「ははーっ、そんな恐れ多いことはまさかー」

「というかリョウさんはもういいとして、なんで二人も跪いてるの?」

 

 彼女とは冗談でこういうやり取りをすることもある。でも二人、虹夏さんと喜多さんとは無い。

僕の心からの疑問に、虹夏さんが大袈裟に作りきった声で答えを返した。彼女も大根だ。

 

「ははーっ、送る前に念を送っていただきたくー」

「それももういいよ」

「そう? じゃあやめるね」

「リョウが一番にやめるの!? 言いだしっぺなのに!?」

 

 虹夏さんのツッコミを置き去りにして、リョウさんは何のためらいもなく立ち上がる。

遅れて二人が立つのを待ってから、改めて僕はこの行動について尋ねた。

 

「それで、念って何?」

「いやなんというか、いざ送る段階になると、願掛けとかなんとかしたくなって」

「先輩の念が籠ればきっと効果抜群だわ、って思いました!」

 

 だからさっきから延々と、ひとりは九字を切ってるのか。護身の術だから使いどころが違うよ。

ついでに邪心も入ってそうだからますます意味はなさそうだ。賞金のこととか多分考えてる。

それにしても念か。僕が込めてもただの呪いになりそうだけど。送り先も寺とかに変わりそう。

 

「皆はもうやったの?」

「もちろんです! こう、はあー! って!」

「はあ」

「気合が足んないよ! もっと、はああああっ!! って感じでお願い!」

 

 今のは相槌だから特に念は込めていない。そしてするともまだ言っていない。

その程度いくらでもやるつもりだ。でもその前にどうしても、確認したいことが出来てしまった。

 

「一つ思ったんだけど」

「?」

「僕と喜多さんの念って、なんだか相殺しそうじゃない?」

「……あー」

 

 その後協議の結果、今回僕の念は不採用になった。

 

 

 

 そんなことがあったのが先週のこと。結束バンドは今日、路上ライブをやろうとしていた。

提案したのが十一月で今は三月。これまで音沙汰が無かったから、やらないのかと思っていた。

外は寒すぎるからとか、新曲が出来ていなかったからとか、理由はいくらでもつけられる。

十一月の気温ならまだ大丈夫だとか、今までの曲だけでも十分だとか、反論もその分出来る。

 

 多分、結局は自信が無かったんだろう。あれだけ佐藤さんに言われた直後じゃ委縮もする。

だからこそ、今こうして路上ライブに踏み出せることが結束バンドの成長を証明している。

ファンとしては誇らしい。その内心と相反する行動を取る僕へ、ひとりが冷たい視線を突き刺す。

幸い何でも言うこと聞く券は、もう先週の宿題に使っていたからそれだけで済んでいた。

 

「なっなのに、路上ライブは見に来ないの……?」

「薄情ですよねー」

「ねー」

 

 元々路上ライブとなると、はたして僕が見に行ってもいいのかどうか迷っていた。

休日の下北沢駅前。どれだけ楽観的に考えても、下高の生徒が通り過ぎる可能性は高い。

そんなところにのこのこと顔を出せば、必ず僕の姿を見られてしまうだろう。

 

 それどころか下手をすれば、地元の元同級生と出くわすことすらあるかもしれない。

そうなれば僕にとっても結束バンドにとっても最悪だ。きっとまた嫌な噂を流される。

悪名は無名に勝るとは言うものの、過去が残り続ける現代社会ではそうもいかない。

 

「……先輩、本当に来ないんですか?」

「ごめんね、今日はどうしても外せない用事があって」

「そう、ですか」

 

 もう一度だけ喜多さんが確認するように尋ねてくる。今度はより真剣に、より不安そうな声で。

初めての路上ライブ。そもそもライブ自体が久しぶり。解決したはずのスランプ。

どれも彼女の心を揺さぶる。後ろ向きな考えが浮かんでしまうのもしょうがないだろう。

 

 ここまでしょんぼりとされてしまうと、消えたはずの迷いが再び首をもたげてくる。

それを敏感に察したのか、ひとりが僕の袖を何度も引きながら確認を重ねて来た。

 

「……ほんとに来れない?」

「本当」

「ほっ、ほんとにほんと?」

「本当に本当。行けることなら行きたいんだけど、ごめんね」

「……………………じゃ、じゃあ、頑張る」

「ひとり?」

「が、頑張るから、大丈夫。わっ私も、喜多ちゃんも」

 

 言ってしまった、と言わんばかりの表情をしながらも、ひとりは言葉を取り下げなかった。

これなら大丈夫だ。こういう時のひとりは頼りになる。きっと喜多さんを支えてくれる。

僕の手助けなんて必要ない。むしろ諸々の差し引きでマイナスにしかならない。

 

 そうは思いつつ、未練がましく後ろ髪を引かれる自分がいることにも気づいている。

だからあのメッセージは、迷いを振り切るいい口実になった。もちろん口には出さない。

場が纏まりかけた時、一人沈黙を守っていたリョウさんが唐突に机を叩き立ち上がった。

 

「……私とその用事、どっちが大事なの!?」

「うわ何、急に面倒なこと言い出して。誰かの物まね?」

「将来の虹夏」

「は?」

「虹夏は絶対重くて面倒な女になる。私の全財産を賭けてもいい」

「無いじゃん」

 

 今日も衰えない切れ味を見せた後、虹夏さんは不満げに皆を見回した。

きっと、そんなことないですよー、みたいな言葉を求めていたんだろう。

でも彼女の願いは叶わなかった。目が合った誰もが、そっと視線を逸らして呟く。

 

「あー」

「あっあぁ」

「……あー」

「三連続!?」

 

 向こうで仕事をしていた星歌さんすら、釣られて納得の声を上げていた。

僕は何も言ってない。何も思ってない。そうだ、約束の時間が近いからもう行かないと。

頬に突き刺さる強い視線を意図的に無視して、僕は確認のために携帯を取り出した。

 

『話したいことがあるから新宿まで来なさい』

 

 有無を言わせない、彼女らしいメッセージがそこにはあった。

 

 

 

 言われるがまま新宿FOLTへ向かうと、そこにはSIDEROSの面々が揃っていた。

四対一になるのかと一瞬警戒したものの、一人と三人に分かれて座っていたから安心した。

その気持ちもすぐ消えた。開口一番大槻さんが放った言葉が僕の意識を切り替えさせた。

彼女は僕が席に着くや否や、おもむろに自分の携帯を取り出し、とある動画を僕に見せつけた。

 

「このギターヒーローって貴方の妹、あの後藤ひとりよね?」

 

 どこから漏れた? 知ってる人、結束バンド、スターリー、ファンの二人、ありえない。

大槻さんと彼女達に直接的な繋がりは無い。彼女は未だ誰とも連絡先を交換出来ていない。

なら彼女個人ではなくもっと大きく漏れた、それもない。ギターヒーローのSNSは今日も静かだ。

もし何かあれば大なり小なり、ここにも動きがあるのが自然だ。よってこれも除外する。

 

 ならあの記者か、だがこれも考えにくい。記者にとって情報は金と同じ意味を持つ。

意味も無く教える理由は無い。まして大槻さんと彼女の間に伝手があるとは考えにくい。

だがそうと決めつけるのも早計。予想できないこともある。直接確認した方が確実で早い。

 

「どうして、そう思ったの?」

「えっ!? えっと、く、癖が一緒だからよ。特にこの、ビブラートのかけ方とか」

「真似してるだけかもしれないよ」

「ギターの癖なんて早々真似出来ない。貴方でもそれくらい分かるでしょ?」

 

 腕や指の長さ、形、体格、リズム感やセンス、感情。そこから生まれる演奏の癖。

この癖を真似るのは至難の業で、一定以上のギタリストにとってはある意味指紋のようなもの。

素人や初心者ならともかく、大槻さんほどの人ならそれくらい気がついて当然だろう。

予想していなかった僕が間抜けだったと言ってもいい。佐藤さんの件から学んでなかったのか。

そんな自省も今はどうでもいい。最優先事項は、彼女にどう答えるかだ。

 

「ねえ、聞いたんだからちゃんと答えなさいよ」

「……」

「ねえってば」

 

 素直に認める。これが一番楽だ。頷くだけでいい。でもそれは許されるのか。

ひとりはきっと許してくれる。だけどそんな不義理を、無責任を誰よりも僕が許さない。

人の、妹の秘密を勝手に言いふらす。人として、兄として到底認められない。唾棄すべき行為だ。

 

「え、えっと、おーい?」

「……」

「…………も、もしかして無視!? ねえ、無視なの!?」

 

 なら誤魔化すのか。僕に声をかけた時の大槻さんは、確信に満ちた目をしていた。

大変な時の喜多さんほどじゃないにせよ、彼女もこうと言ったら聞かないタイプの人だ。

下手な否定や言い訳では余計な問題を生み出しかねない。そして誤魔化しも失敗するだろう。

 

「……………………あ、あの」

 

 回答を保留して考え込んでいると、大槻さんが今度は珍しく控えめな声を出した。

さっきまでの問い詰めるようなものじゃない。これなら反応しても大丈夫だろう。

 

「何?」

「………………………………た、タイム!!」

「どうぞ」

 

 僕としても時間は欲しい。ここまで言い淀んでいる時点で答えは言っているようなものだ。

だからこの先はどうやって口止めをするか、大槻さんとその仲間達をどう抑えるか考えるべき。

彼女の性格と今彼女達がここにいることからして、既に話してしまっているだろう。

四人全員の口を閉ざすものを、何か有効な交渉材料を僕は持っていただろうか。

 

 善意で黙っていてくれる、なんて期待はしない。根拠にするには薄い。吹けば飛ぶようなもの。

なんとなく察して秘密にしてくれるかもしれない。でもそのなんとなくは簡単に反転する。

SIDEROSのメンバーはきっといい人達だろうけど、それだけで他人を信用なんて出来ない。

 

「あくび、あれどういうことなの? なんか滅茶苦茶怖いんだけど!?」

「……ギターヒーローさんってずっと、顔も名前も出してないじゃないっすか」

「それがどうしたのよ」

「つまり素性を隠してる訳っす。なのにヨヨコ先輩がいきなり、しかも暴くように言うから」

「警戒されるのも当然ですよ!」

「あれは魔王度数十四%くらいですね~。二十%を超えると気絶するので気を付けてください~」

「魔王度数って何!? あの怖いやつならもう嫌よ!?」

「おぉ~経験済みなのにあの態度、流石ヨヨコ先輩ですね~」

 

 二つ隣のテーブルで話しているから、どうあっても会話が聞こえてきてしまう。

それによるとどうやら、やはり大槻さんはもうメンバーに話してしまっているらしい。

どうしたものか。口止めが必要だけど、考えてみるとそんなこと碌にしたことが無い。

 

 今まで誰もが僕の前では口を噤んでいて、逆に噂話は知らないところで流され続けた。

だからさっぱり方法が分からない。ぱっと思いつくのは手荒い手段だけ。

まさか友達の友達に危害を加える訳にもいかないから、そんなことは絶対に出来ない。

内心頭を抱えて悩んでいる間に、大槻さんが気まずそうに戻って来る。

 

「えっと、その」

「……」

「さっきのは、ナシ!!」

 

 そして戻ると同時に、両手で大きくバツを作って宣言した。力技っす、という呟きが薄く響く。

思わずあっけにとられる僕に気づかないのか、大槻さんはそのまま話を続けた。

 

「えぇと、そう、ここからが本題。貴方、動画の投稿とかしたことあるかしら?」

「本当に変わってる?」

「変わってる。いいから答えて」

 

 口止めについては帰るまでに考えよう。悪意がなければその間は広がらない。

片隅での思考を続けながら、大槻さんの問いかけへ今度は素直に返答した。

 

「あるよ。それがどうかしたの?」

「そ、そう、よかった。それで、その」

「……?」

 

 再び大槻さんは言葉を濁し始めた。いつかのように手をもにょもにょと合わせて動かしている。

もしかしてこの感じだと、ギターヒーローの話は枕でしかなかったのかな。なら悪いことをした。

僕がここまで過敏な反応をするとは予想もしてなかったはず。ちょっと罪悪感を覚える。

でもそれはそれとして対策は練っておこう。どこまでなら法と倫理は許してくれるだろうか。

 

 僕のそんな物騒な考えは、幸い周りには伝わっていないようだ。たまには仏頂面も役に立つ。

そうしてじっと考えながら大槻さんを見ていると、外野の方が先に耐えられなくなったらしい。

 

「は、はーちゃん、私もう見てられないよ!」

「駄目っす。ここで助け舟を出したら、ヨヨコ先輩は一生あのままっす」

「ルシファーが言うにはツンデレを極めて一生独り身になるか~、チョロさを極めて一生玩具になるかだって~」

「はわわっ。が、頑張って黙るねっ」

「貴方たち、さっきからずっと聞こえてるからね!?」

 

 外野の応援、応援? に大槻さんが顔を真っ赤にしてがなり立てた。

それから大きく咳ばらいを一つ二つ重ねた後、いつもの態度でぽつりと呟いた。

 

「……私、何でも一番じゃないと気が済まないの」

「うん」

「例えギターヒーローだろうとなんだろうと、誰に負けたくない」

「……」

「そのためなら努力なんて惜しまない。だから、その」

「うん」

「これから動画撮るから、手伝って」

「分かった。それくらいなら喜んで」

「……そう。じゃあ、よろしく」

 

 そっぽを向いての言葉。僕がそれに何かを返す前に、外野の感動が耳に届いた。

 

「……わ、私、なんだか泣いちゃいそう!」

「ウチもっす。我が子が飛び立つ時って、こんな感じなんすね……」

「幽々も~。二人ともハンカチ貸してあげる~」

「もう、さっきから本当にうるさいわね!!」

 

 とうとう大槻さんが怒って立ちあがる。それでも三人とも微笑ましげにするだけだった。

 

 

 

 ふんすふんすと憤る大槻さんをなんとか宥めて、僕は改めて本題について尋ねた。

 

「それで大槻さん、動画って何を撮るの?」

「ふふん、聞いて驚きなさい」

「わー」

「聞いてから、というか冗談でももっと驚きなさい!!」

 

 気のない拍手で迎えると怒られてしまった。僕に演技を期待されても困る。

それにギターヒーローを相手にするということは、彼女も弾いてみたを投稿するのだろう。

なら言葉で表せるのは曲名と演奏法くらいだから、驚くにはインパクトが足りない。

 

 彼女はそんな僕を一瞥して鼻を鳴らしてから、どこか自慢げに傍らの袋を引き寄せる。

そしてそこから何かを、コーラとメントスを取り出し、大きく胸を張って宣言した。

 

「なんと、メントスコーラよ!!」

「…………………………………………………………え?」

「思ったよりいい反応ね。もしかして、貴方知らない?」

「いえあの、知ってます」

「ならわざと驚いたの? へぇ、やれば出来るじゃない」

 

 大槻さんは僕の反応にご満悦だ。一方僕はそれどころじゃない。メントスコーラって。

一縷の望みを持って彼女の顔を覗き見る。上機嫌に笑っている。嘘も冗談も見当たらない。

どうしよう、さっきとは別の意味で手に負えない。時間が欲しくなった僕は手を挙げた。

 

「…………あの、大槻さん」

「何?」

「すみません、タイムください」

「認める」

 

 鷹揚に頷いた大槻さんに感謝を告げてから、他メンバーのいるテーブルへ移動する。

なるべく接触しない方がよかったけれど、背に腹は代えられない。僕一人では無理だ。

僕はまず一番まともそうな長谷川さんへ、大槻さんの正気を確かめさせてもらった。

 

「長谷川さん、あれは」

「ヨヨコ先輩はマジっす」

「マジ」

「はい。本気と書いて、マジと読むっす。ガチでもいいっす」

 

 人にとやかく言う資格が無いほど僕のセンスはずれている。その程度は自覚している。

それでも言わざるを得ない。本気なのか。本気で今時メントスコーラなんてやろうとしてるのか。

ちらっと僕を待つ大槻さんを見る。ドヤ顔だ。残念ながら、やはり冗談じゃなさそうだ。

 

「……説得は?」

「ヨヨコ先輩が聞くとでも思ってるっすか?」

「内田さん、本城さん」

「無理ですね~」

「無理ですっ」

 

 セカンドオピニオンを求めると匙を三本投げられてしまった。こんなにいらない。

本当にいいのか。もう一度だけ聞こうとすると、テーブルをトントンと叩く音が聞こえた。

振り向くと大槻さんが待ちきれないとばかりに指を動かしていた。更に不機嫌そうに声を上げる。

 

「ねえまだなのー? タイム長いわよー?」

「魔王さん、ヨヨコ先輩が呼んでるっす。あとはお願いします」

「えっいいの? このままだと多分、大槻さん駄々滑りで大やけどするよ?」

「……傷つくことで、学ぶこともあるっす」

 

 SIDEROSの教育方針はスパルタだった。

こうして無事にメンバーから許可をもらえてしまったから、大人しく席に戻る。

 

「お待たせ大槻さん」

「本当よ。それじゃ、早速準備するから手伝って」

「その前に、もうちょっとだけいい?」

 

 それでもと、僕はまだ無駄な抵抗を続けようとしていた。

友達の赤っ恥をできる限り減らしたい。それくらいの人情は僕にもあった。

 

「またタイムなの? 許してあげるからさっさと済ませて」

「そうじゃなくて。準備した後だけど、一回リハーサルやってみない?」

「リハーサル?」

「うん。大槻さんこういうの初めてだよね。だから練習が必要だと思うんだ」

「……練習ねぇ。確かに、貴方の言いたいことはよく分かる」

 

 大槻さんは僕の知る中でもかなり真面目な人だ。だからこの提案なら乗るはず。

その予想に反して、彼女はどこか乗り気じゃないようだった。どこが気になるんだろう。

 

「でもそれだと、生のリアクションが映えないと思わない?」

「……生のリアクション?」

「一回でもやっちゃうと初めての、生きたリアクションが出来ないと思うのよ」

「なるほど?」

「いい? 視聴者やファンはいつだって、最高の私を求めてるの」

「はあ」

「求められたなら応えないと。まあ、バンドマンじゃない貴方には難しい話かしら」

 

 そう訳知り顔で語られる。なんか腹立つな。

 

「………………とりあえず、一回撮ってみようか」

「ふーん、リハーサルはいいの?」

「一回目がよかったら終了で、駄目だったらそれを見て改善する感じでいこう」

「なんかそれっぽいじゃない。じゃ、やってみましょうか」

 

 内心を押し殺して僕は撮影を開始した。撮影中、どこか虚しさが止まらなかった。

 

 

 

 人生で一二を争う無駄な時間を使い、撮影が終わった。やっと終わった。

今はざっくりと編集も済まして、簡易な完成品を大槻さんに確認してもらっている。

感じたことのない疲労感を覚えていると、どこか楽しそうな彼女が僕へ感想を求めた。

 

「それで、この動画どう? いい感じよね」

「……オブラート欲しい?」

「必要ないでしょ。さ、早く言いなさい」

 

 どうしてこんなに自信満々なんだろう。疑問とともに僕はオブラートを投げ捨てた。

 

「存在が認められない」

「零点以下!?」

 

 この動画は間違いなく大槻さんの汚点になる。断言してもいい。

力強く言い切る僕の様子を見て、さも意外だとでも言うように大槻さんは慌て始める。

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと! どこがそんなに駄目なの!?」

「全部」

「全否定!?」

 

 褒められるところはない。

 

「ま、まあ? 確かに絵面は地味かも、うん。そこは認める。でもほら、私の映りはよくない?」

「そこが一番駄目だよ」

「私が!?」

 

 控えめに言って目が死んでいる。ダンゴムシを眺めている時のひとりといい勝負だ。

そして身内贔屓だけど、あの状態のひとりにある可愛さがここにはない。何も無い。虚無。

この感想を伝えても怒らせるだけだから、別の角度から総評を考えて告げた。

 

「……大槻さんの動画を見る人には、目的があります」

「急に何?」

「格好いい大槻さんを見に来た人や、面白いものを見たい人、なんとなく見た人。色々います」

「そ、それで?」

「この動画は、その全ての人を失望させます」

「……そこまで言わなくてもいいでしょー!!」

 

 総評を告げ終わると同時に、彼女は両手を伸ばして机に突っ伏してしまった。

それから駄々っ子のように手と足をバタバタとさせる。思い通りにいかない時のふたりのようだ。

あまりにも予想だにしていなかった行動に、僕はただ声をかけることしか出来ない。

 

「あっあれ? あの、大槻さん?」

「ふんっ」

「あーあー、やっちゃったすねー、魔王さん」

 

 私拗ねてます。彼女がそんなポーズをし始めると、長谷川さん達が近寄ってきた。

よかった、解説が欲しかったところだ。僕の求めを察したのか、内田さんが口を開く。

 

「ヨヨコ先輩は~、否定され続けるとすぐ拗ねちゃうんですよ~」

「され続けるって。えっと、この程度で?」

「火に油、火に油ですっ!」

 

 本城さんの言う通り、僕の言葉は彼女の怒りをさらに燃え上がらせた。

斜め三十度だった顔が今は四十五度まで上昇している。怒りってそこで測れるのか。

 

「つーん」

「大槻さんごめんね、つい強く言っちゃって」

「ふんっ、つーん」

 

 口で言うんだ。このツッコミは油じゃすまないだろうから、胸にしまっておいた。

それにしてもどうしよう。以前虹夏さんがこうなった時はリョウさんがうやむやにしてくれた。

じっと大槻さんを眺めて考え込む僕へ、長谷川さんが適当に声をかけてくる。

 

「ほっといていいっすよ」

「えっ、それは」

「その内寂しくなって丸くなるんで、それまで待ってればいいっす」

 

 同級生にする対応じゃないな、まるで幼児相手みたいだ。でも言う通りにしよう。

 

 だけど大槻さんをしばらく放置するとなると、僕もやることが無くて困ってしまう。

他のメンバーと時間を潰せばいいのかもしれない。ただ、僕は残り三人とは親しくない。

辛うじて内田さんは変な敬意と好意を僕に向けているけれど、二人はそうでもないだろう。

お互いの認識はきっと大槻さんの友達。まさに友達の友達という関係だ。接し方に迷う。

 

「……大槻さんが復活するまで、機材の確認とかしてます」

 

 迷うくらいなら関わらない方がいい。そう思って機械と友達になる方を僕は選んだ。

さっき大槻さんの恥を撮影中に少し触って気づいたからだ。これ、買おうと思っていた機材だ。

高い買い物だから失敗はしたくない。せっかくだから使い心地を試させてもらおう。

 

「ヨヨコ先輩、無駄にいい機材買って来たんすよ」

 

 そうして静かに機材を弄ろうとしたはずなのに、何故か三人ともついてきた。

それどころか長谷川さんは僕に話しかけてもくる。とりあえず、目だけは合わせないようにした。

 

「これなんて五万すよ、五万。メントスコーラ用なんて冗談じゃないっす」

「ひ、ひえー。コーラ何本買えるんだろうねー?」

「もったいないお化けが出てきそう~。むしろそれが狙いなのかな~」

 

 本城さんと内田さんが会話を繋いでくれるものの、まさか無視する訳にもいかない。

明らかに最初は僕へ話しかけていた。なら僕がなんとかして、ちゃんと何かを返さないと。

 

「……えっと、長谷川さんはこういう、撮影機材とか詳しいんですか?」

「プライベートでゲーム実況とかやってるんすよ。そんで流れでって感じっす」

「ゲーム実況」

 

 間抜けにもオウム返ししてしまう。ゲーム実況、名前だけは知っている。

その反応で僕がピンと来ていないのを察したのか、彼女は意外そうに目を丸くした。

 

「魔王さんは実況とか興味ないタイプっすか?」

「実況というか、ゲーム自体ほとんどしたことがないので、あまりよく分からなくて」

「へー、珍しいっすね。男子ってなんか、ずっとゲームか何かで遊んでるイメージがあるっす」

 

 それは偏見、いや偏見なのかな。未だに僕は同性同年代の友達がいない。

だから偏見なのかも分からない。なんとなくだけど、一生分かることはない気もする。

 

「……それじゃ、やってみます?」

 

 そう言ってから、長谷川さんはどこからかゲーム機を取り出した。

実を言うと興味自体はある。今までやるべきことばかりだったから、こういうのは避けてきた。

ただ僕と彼女は友達でもなんでもない。それなのに借りてもいいんだろうか。

 

「さっきも言いましたけどほとんど触ったことなくて、上手く遊べるかどうか」

「私が教えるんで大丈夫っす。というかこれ四人用なんで、皆でやりましょう」

「そういうのもあるんですね」

「まあ一人用のもあるんすけど、今日は四人もいるのにもったいないっす」

 

 それにと、長谷川さんは今も拗ねている大槻さんを横目で見て続ける。

 

「皆で楽しそうに遊んでた方が、ヨヨコ先輩早く戻ってくるんで」

「ふらふら~ってワンちゃんみたいに来るんですよ、可愛いですよねっ!」

「天岩戸作戦です~」

「そういうことなら、よろしくお願いします」

 

 その後僕がようやくボタンの配置を覚え始めた頃、大槻さんは戻って来た。

渋々と言った顔で、あくまでも仕方ないわね、という態度を全面に押し出していた。

でもどこか寂しさや混ぜて欲しい、みたいな気持ちが隠せていない。なるほど、犬っぽい。

ちなみに彼女はその後周りに喧嘩を売り過ぎて袋叩きに合い、最下位になって再び拗ねた。

 

 

 

 それからしばらくゲームをして、各々用事があるということで解散になった。

あれほど考え込んでいた口止めは、必要がなくなったから結局していない。

ゲーム中に大槻さんがそっと、他のメンバーに聞こえないよう僕に囁いたからだ。

 

「……後藤ひとりの話なら、私に任せなさい」

 

 唐突な言葉だった。自分でもそう思ったのか、彼女は言葉を続ける。

 

「私は絶対に誰にも言わないし、あの子達にも言わせないから」

「……ごめん」

「謝る意味が分からない。誰にだって、秘密にしておきたいことくらいある」

 

 彼女がわざわざこうして伝えてくるくらい、僕の不信は露骨だったんだろう。

仲間を、友達を疑われて面白いはずもない。それでも彼女は全て水に流してくれていた。

その上彼女はなおも僕に親切と優しさを、忠告まで与えてくれた。

 

「……でもこれからもバンドを続けるなら、気づく人はもっと出てくる」

「うん」

「そしてそいつらの物わかりがいいなんて保証はない。ろくでもない奴もいるでしょうね」

「……分かってる」

「だからそれまでに、ちゃんと身の振り方を考えておいた方がいい」

 

 きっと彼女からしてみれば、これはあくまでもギターヒーローについての話だ。

それでもそれは、今日一番僕に突き刺さる言葉だった。ちゃんと身の振り方を考えろ。

何もかもが中途半端な僕は、それじゃいけないよと、釘を刺されたような心地になった。




次回「合法的に嘘を吐ける日」です。


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第十八話「合法的に噓を吐ける日」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 結束バンドのミーティング中、突然喜多ちゃんが重々しく口を開いた。

 

「後藤先輩の、びっくりした顔が見たいです」

「……じゃあ次の路上ライブは来週の日曜で決定ねー」

「流された!?」

 

 喜多ちゃんのその発言に、虹夏ちゃんは何の反応も見せなかった。

さ、さすが虹夏ちゃん。横で聞いてるだけの私がこんなにびっくりしてるのに。

それでも不服そうな喜多ちゃんを確認すると、虹夏ちゃんは一つため息を吐いて話を戻す。

 

「びっくりした顔って。そもそも私、真顔以外見たことないんだけど」

「私もです。でももう、一年くらいの付き合いなんですよ? そろそろ真顔以外も見たいです!」

「だからってびっくり選ぶ?」

「どうせだし、意外性のある方がよくありませんか?」

 

 二人の言う通り、お兄ちゃんは家の外だとずっと無表情だ。ぴくりとも動かない。

家だといつもころころ変わるのに、あんなに固まってて攣っちゃったりしないのかな。

そんな疑問と一緒に喜多ちゃんの熱弁を眺めていると、リョウ先輩が突然鼻を鳴らした。

 

「……ふっ」

「えっ何今の笑い」

「ふぉっふぉっふぉ」

「いやほんとなに?」

 

 虹夏ちゃんが困惑して問い直しても、リョウ先輩は不思議な笑いを続けるだけ。

その内色んなことを諦めて、虹夏ちゃんは喜多ちゃんの話に乗り始めた。

 

「そっちの方が早そうだから聞くけど、何をどうするつもりなの?」

「よくぞ聞いてくれました!!」

「聞かせたの喜多ちゃんだからね?」

 

 虹夏ちゃんの呆れとツッコミを喜多ちゃんはスルーした。

 

「明日、エイプリルフールじゃないですか」

「んと、そこでびっくりするような嘘吐こうってこと?」

「はい! そのために皆さんにも協力してもらいたくて!」

「嫌な予感しかしないけど、何を手伝って欲しいの?」

「えっとですね、伊地知先輩には」

 

 ニコニコキタキタした喜多ちゃんが、虹夏ちゃんに近付いてひそひそ話をし始める。

な、なんだろう。何を話してるんだろう。そわそわびくびくしてしまう。だってひそひそ話だ。

陰キャが目の前でされると落ち着かないことランキング堂々の一位、ひそひそ話!

流れ的に絶対に私の話じゃない、なのにびくびくする! は、早く終わって!

 

「……うっわ、本気? どうなるか分からないよ?」

「大丈夫ですよ~。そういう時は祝福するって、前に先輩おっしゃってましたから~」

「そりゃ本当ならするだろうけど、冗談だったら普通に怒るんじゃ」

「それはそれでありですね!」

「無敵か……?」

 

 虹夏ちゃんが恐れおののいて身を逸らす。喜多ちゃんは何を提案したんだろう。

聞くに聞けない私を置いて、今度は喜多ちゃんがお兄ちゃんへの不満を口にした。

 

「あれから後藤先輩、結局一回も路上ライブ来てくれないじゃないですか」

「そう、だね。なんだかんだでずっとだね」

「しかもどんどん理由も適当になってくじゃないですか」

「うん」

「だからこれは抗議です! びっくりさせた後、どうして来てくれないのか問い詰めましょう!」

「……そう言われると、なんか私もその気になってきちゃった」

「よかった、じゃあお願いします!」

 

 お兄ちゃんが路上ライブに来てくれない、来られない理由。私はなんとなく分かってる。

きっとマネージャーを引き受けてくれない、引き受けられない理由と一緒だ。

でもどうすればいいのか分からない。私が言っても多分、お兄ちゃんは悩んじゃうだけ。

 

「リョウ先輩もいいですか?」

「……なら郁代、こういうのはどう?」

「えっ!? ははー、それなら驚き二倍ですね! 流石リョウ先輩です!」

 

 それでも言った方がいいのかな。もしかしたら私が気にしすぎてるだけかもしれない。

寒いのが嫌だから来ないだけかもしれない。お兄ちゃん寒いのも暑いのも得意だけど。

花粉症対策で来ないのかもしれない。お兄ちゃん花粉症でも何でもないけど。

そうしてずっとお兄ちゃんのことを考えていたから、急に話かけられて心底驚いた。

 

「じゃあ最後にひとりちゃん!」

「えっわ、私もやるんですか?」

「当然よ! この作戦はひとりちゃんの協力が一番大事なんだから」

 

 私の協力が一番大事。その言葉が私の全身を貫いた。

 

「わ、私いないと駄目ですか?」

「うん! ひとりちゃんがいないとどうにもならないの!」

「……そ、それじゃあ、しょうがないですね、へ、えへ、でへへっ」

 

 私がいないとどうにもならない。再び私に衝撃が走る。

お兄ちゃんのことを考えている場合じゃない。今、私が求められている!

喜多ちゃんに寄せられた期待に応えるため、私の中のやる気が燃え上がろうとしていた。

 

「この子将来大丈夫かな……」

「陛下がなんとかするから平気」

「あっちはあっちで心配なんだよなぁ……」

「そっちは四天王の私がなんとかするから、安心してていいよ」

「一番心配なのがなんか言ってる。というか残り三人誰?」

 

 

 

 その日僕は喜多さんに呼ばれ、開店前のスターリーにお邪魔していた。

電話やメッセージだと難しい、どうしても直接会って話したいことがあるらしい。

いつでも彼女の力になると僕は決めている。そこまで言われて行かない理由は無かった。

 

「今日は先輩に相談というか、報告したいことがあって」

「うん」

「実は、その」

 

 実際に顔を合わせた彼女はどこか気まずそうに、そしてもじもじと何かを迷っていた。

彼女がこうして言い淀む時は大抵、大変な問題かろくでもない話が出てくることが多い。

なんとなく今日は、ろくでもない日のような気がした。そして残念なことにそれは当たった。

 

「ひとりちゃんに、彼氏が出来たみたいなんです!!」

「………………………………………………………………………………………………………………」

 

 ひとりに彼氏。流石に一瞬だけ思考が止まる。

 

「むむむっ、もしかして先輩、信じてませんね?」

「……まあ、うん」

「ちょっと待っててください! 今から証拠見せます!」

 

 喜多さんは携帯を取り出し、鬼のような勢いで操作する。ぼんやりとそれを見て思い出した。

そういえば今日は四月一日、エイプリルフールだ。じゃあこれは喜多さんなりの嘘で冗談か。

 

「これ見てください! ひとりちゃんと彼氏のツーショットです!」

「……………………………………………………………………………………………………これが?」

「そうです! いやぁ彼氏さん、中々綺麗な顔立ちしてますよねー」

 

 喜多さんが僕に見せつけた写真には、青い顔をしたひとりの肩を抱く誰かが映っていた。

動揺はしない。だって加工はしてあるみたいだけれど、どう見ても男装した喜多さんだ。

それを指摘しようとして思いとどまった。これってそのまま言ってもいいんだろうか。

 

 誰も僕には言われたくないだろうけど、嘘なんて大体はバレるものだ。

それもイベントにかこつけて吐く、こういう遊び半分のものならなおさら。

喜多さんがそれを分かっていないはずもない。見破られることくらい予想しているはず。

 

 そもそもエイプリルフールは、冗談交じりの嘘を吐きあって楽しむものらしい。

ある種のイベントやお祭りのようなもの。だとしたらここは乗っかるべきだ。

現に今嘘を吐いている彼女はキタキタと輝いていて、とても楽しそうにニヤニヤしている。

曇らせる必要も無い。わざわざ考えてきてくれたのだから、僕も出来るだけ付き合いたい。

 

「そっか。ひとりに彼氏か……」

「どうです先輩、びっくりしました?」

「びっくりというより、対応に困ってるかな」

 

 本心だ。彼女に付き合うと決めたけれど、そもそも僕は嘘も演技も大根を極めている。

下手に動きを見せれば気付かれていることがバレる。そうすればきっと興ざめだろう。

どうしようか。そうだな、嘘も演技もやめるか。質問という形でこの流れを続けよう。

 

「妹の彼氏……どう接すればいいんだろう?」

「そっち行くんですね。てっきり、彼氏なんて認めーん、みたいになるかと」

「そんなこと言わないよ。ひとりを好きになってくれる人が増えるのは嬉しい」

「うーん、なるほど」

 

 この流れはプランBね、と喜多さんが零した。聞こえないように言って欲しい。

ただそれで、彼女が何かしらの作戦を立てて嘘を吐いていることが分かった。

乗ってあげたいけれど、そうすると僕は不自然になる。しばらく僕のペースにさせてもらおう。

 

「喜多さんは、この人がどういう人なのか知ってる?」

「え、えぇと、まあ、わりと」

「よければ教えて欲しいな。きっと素敵な人だと思うから」

 

 我ながら酷なお願いをしている。聞いた後で気づいた。逆の立場なら僕はとても出来ない。

でも喜多さんはやっぱり大したもので、ほんの少し悩んだだけですぐ滑らかに口を回し始めた。

 

「見ての通り、とっても明るい人ですね! 聞いたところによると、勉強も運動もそこそこ出来て、友達もたくさんいるらしいです! あとはイソスタなんかもやってて、結構フォロワーも多いみたいです!」

 

 自分のことを話しているのに、まったく欠片も照れや躊躇いが感じられない。

自己評価と自己肯定感がとても高い。僕とひとりも見習った方がいいのかな。

 

「そうなんだ。それだけ聞くと、ひとりと合うかちょっと心配になるね」

「でも実は似てるところもあって、二人ともバンドを通じて、じゃなくて、二人ともバンドを一生懸命頑張ってやってます!」

「この人もバンドやってるんだ」

「えっあぁ、まあ、はい!」

「じゃあバンドを通じて知り合ったのかな?」

「仲良くなったのはそうですけど、きっかけはわた、この人が、校内でギター弾いてるひとりちゃんに話しかけたからです。ギターがすっごく上手で、感動しちゃって、あっしちゃったって! それで色々あって仲良しになれました!」

 

 ひとりから喜多さんと出会った経緯はずっと前に聞いている。

それでもこうして本人から聞くと、また違った喜びを感じる。今日来てよかった。

噛み締めてつい質問を止めたからか、彼女は自己紹介を打ち切って僕に問い直そうとする。

 

「どうですか先輩。ひとりちゃんのこと、この人に託せますか?」

「うん、喜多さんなら安心して任せられるよ」

「えっ?」

「あっ」

 

 しまった。思いがけず嬉しいことを聞けて気が緩んだ。うっかり失言してしまった。

喜多さんの大きく見開いた目が、一瞬のうちに細くなる。そこにはどこか鋭い光が宿っていた。

 

「……バレてしまっては仕方ありません」

「えっとね喜多さん、僕は」

「ひとりちゃん、ちょっと来てー!」

 

 僕が何か言い訳をする前に、彼女は大きな声でひとりを呼んでいた。

するとカウンター裏からひょっこりと顔出したひとりが、そのまま歩み寄ってくる。

ずっと気配は感じていたけど、隠れていた理由は分からなかった。喜多さんの作戦の一部らしい。

 

「ひとりちゃん、プランMの時間よ!」

「あっえっ、ほ、本当にやるんですか?」

「当然! ひとりちゃんも先輩のびっくりした顔見たいでしょ?」

「あっ結構見てます」

 

 だから聞こえないようにして欲しい。とにかく喜多さんには、まだ何か作戦があるようだ。

じっとそれを待っていると、二人は僕の前に並んで手を繋ぎ、胸を張って宣言した。

 

「私たち、結婚します!!」

「し、します」

 

 そう来たか。

 

「……結婚って、十八歳からじゃないと出来ないよ」

「そうですね、だから事実婚です!」

「そもそも女の子同士って、日本で結婚出来たかな?」

「分かりません! なので事実婚です!!」

 

 喜多さんが全てを勢いで押し通そうとしてくる。もっと下調べしてから騙しに来て。

こんな文句もこのキラキラとしたドヤ顔の前では無力だ。どんな言葉も意味を持たない。

狙いを変えよう。ひとりに質問したら、この子がどんな返しをしてくれるのか確かめたい。

 

「ひとり、本当に喜多さんと結婚するの?」

「や、病める時も健やかなる時も、ち、誓います!」

「早い早い」

 

 ひとりは嘘とかそれ以前の問題だった。暴走して結婚式の彼方へ向かっている。

それがかえっていつものような態度だから、むしろ逆に真剣味を帯びている。

最初に嘘だと気づいていなければ、少しだけ本当に信じてしまったかもしれない。

 

「もちろん兄さん、私も誓いますよフフフ」

「……貴様のような妹を持った覚えはなーい」

「えー、さっきそういうこと言わないって言ったじゃないですかー」

「ごめん、実はちょっと言ってみたくて」

 

 でも気づけたから、こうしてふざける余裕もある。言ってみたいことも言えて満足した。

ただ楽しいは楽しいけれど、この嘘はいつになったら終わるんだろう。切りどころが見えない。

そんな疑問を隠してひとりと喜多さんと遊んでいると、突然肩を誰かに叩かれた。

 

「な、なあ、話してるところ悪い。今いいか?」

 

 そう僕に話しかける星歌さんは、ゾンビのような青白い顔で冷や汗をかいていた。

 

「もちろんです。……星歌さん顔色凄いです、大丈夫ですか?」

「とりあえずこっち来てくれ。それで分かる」

 

 偽装妹夫婦に一声かけた後、真っ青な星歌さんについて行く。

彼女をここまで動揺させるなんて、いったい何が。いや、なんでもいい。

どんなものであれ、僕に出来ることがあるのなら対処しよう。せめてもの恩返しだ。

そう力んで向かった先で、虹夏さんがリョウさんと腕を組んで立っていた。

 

「私たち、結婚します!」

「しゅ、祝福してねー?」

 

 こっちもか。

 

「い、妹が、妹が3Bの餌食に……」

「落ち着いてください」

「出来るか馬鹿! あ、あのリョウだぞ? 金クズクソヒモ草食ヘタレわがままベーシストのリョウだぞ……!?」

「ぼろぼろ悪口出ますね」

 

 そして僕もそれを否定出来ない。リョウさんにそういう一面があるのは事実だ。

個人としての彼女は好きだけど、同じタイプの人をひとりの結婚相手とは認め辛い。

そう考えると星歌さんの衝撃も納得する。付き合いが長い分、色々と想像してしまうのだろう。

 

「あっ陛下、私たち結婚するからご祝儀とスピーチよろしく」

「ゆ、友人代表のスピーチをー、後藤くんにお願いしたいなー?」

「おめでとう、任せて。ちょっと星歌さん借りるね」

「軽く流された!?」

 

 今にも吐きそうな星歌さんを放ってまで、二人の冗談に付き合う暇は無い。

ふらふらとした彼女を支えながら誘導し、偽装夫婦二組目から離れた椅子に座ってもらった。

そこで顔色を確かめるためにしゃがんで手を握ると、光の無い瞳と目が合った。

 

「……一人、合法的な殺人方法とか知ってる?」

「教えません。しっかりしてください星歌さん、あれは嘘です」

「私だってそう思いたいけど、万が一があるかも」

「それに二人とも女の子同士です」

「だけどほら、最近はそういうのもよくあるって聞くし」

「何よりも今日、エイプリルフールです」

「あっ」

 

 気の抜けた声を星歌さんが上げた。動揺のあまり思い至らなかったらしい。

少しずつ光と温かさが戻るのを確認しながら、僕のいた状況についても説明する。

似たような目に合っていた僕の話を聞けば、きっと彼女も理解が進むはずだ。

 

「僕も星歌さんに呼ばれるまで、喜多さんに似たような嘘を吐かれてました」

「なんか隅っこでやってると思ったら、んなアホなことやってたのか」

「それでさっきひとりも来て、僕も二人に結婚しますって言われました」

「あぁもう完全にグルだな、嘘だな。はー、安心した」

 

 軽い言い方だけど心底安心したようだ。深い深い溜息を吐きながら僕の肩を叩いてくる。

さっきまで本当に心労か何かで倒れそうだったから、赤みの戻ったその顔を見てほっとした。

それもつかの間、星歌さんは緩んでいた眉を再び顰め、偽装夫婦二組を睨み始めた。

 

「……安心したら、なんかムカついてきたな」

「冗談の一種ですし、そんなに怒らなくても」

「にしたって言っていいのと悪いのがあるだろ」

「これってその類なんですか?」

「そうだよ。あー危なかった。危うくリョウの墓用意するところだった」

「お墓用意してあげるなんて、星歌さんはやっぱり優しいですね」

「えっ」

「えっ?」

 

 仮にどうしようもない人が、リョウさんのことではない、ひとりに近付き傷物にしたとしよう。

その場合僕はお墓なんて用意出来ない。もっと狭量で大人げない対応をしてしまうだろう。

今日も星歌さんの優しさを見つけて喜ぶ僕に、彼女はどこか引いたような目を向けていた。

 

「なんか怖いから深掘りはしない。それで一人、お前はどうする?」

「どうって、何をですか?」

「嘘、吐かれっぱなしでいいの?」

 

 ニヤリと、星歌さんは悪戯っぽく口角を釣り上げた。

 

「面白い嘘思いついたから、ちょっと付き合え」

「ご存じでしょうけど、僕は嘘も演技も苦手です」

「知ってる知ってる、私の傍で黙って立ってればいいから」

 

 ほら来な、と言われ、なんとなくそのままついて行く。星歌さんはどんな嘘を吐くんだろう。

ちょっとだけワクワクしながら虹夏さん達のところへ戻ると、二人ともまだくっついていた。

 

「店長の可愛い妹はいただいたぜー」

「い、いただかれちゃったぜー?」

 

 僕が言えることじゃない、じゃないけど、最低の下をくぐり抜ける演技力だ。

よくこれで嘘を吐こうと思ったな。内容ではなくて、その度胸につい感心してしまった。

僕が黙って三文芝居を眺めていると、星歌さんは穏やかに微笑んで二人に祝福を告げた。

 

「そうだな、おめでとう」

「あっあれ? お姉ちゃんお祝いしちゃうの?」

「結婚はめでたいことだろ? それに、私からも言うことあったの思い出した」

「え?」

 

 虹夏さんがそれ以上の言葉を発する前に、星歌さんが強引に僕の肩を抱き寄せた。

揃って目を丸くする目の前の二人、いや遠くも含めて結束バンド四人に、彼女はこう宣言する。

 

「こいつ、私のだから」

「!?!?!?!?」

「もう手出しすんなよ、小娘ども」

 

 いつの間にか僕は星歌さんのものになったらしい。こういう方向性か。

結束バンドがそういう嘘を吐いたから、彼女もそれに合わせることにしたんだろう。

ぼろを出さないよう身動きが取れない僕は、暇つぶしにこの嘘を選んだ理由を考えていた。

 

「えっえっえっえっえっ」

「なっ、ばっ」

「……ほほう」

 

 エラーを起こしたひとり、姉の犯罪に顔を信号にする虹夏さん、感嘆の息を漏らすリョウさん。

三者三様の反応だ。衝撃という意味では、彼女達の嘘を遥かに超えているかもしれない。

その出来に星歌さんは満足したようで、虹夏さんに容赦のない追撃を加えていた。

 

「ほーら虹夏、お兄ちゃんだぞー。確か小さい頃欲しがってたよなー?」

「なっえっちょ、なな、何言ってんの!?」

「私のものってことはそういうことだろ。こいつ、義理の兄貴になるから」

「ばっ、ご、後藤くん! 後藤くんも何か言いなよ!」

 

 結婚を通じて他人が妹に、家族になる。以前までの僕ならありえないと切り捨てていた状況。

でも諦めていた友達も出来た、ありえないことが起きた。なら別のありえないも起こり得る。

もしかしたらいつか、僕も誰かと結婚するかもしれない。そんな可能性が生まれた。

 

 その時相手に兄妹がいれば、その人達は僕の兄妹にもなる。つまり家族になる。

でもこの間喜多さんが妹になろうとした時に分かった、他人を家族と思うのは心底難しい。

それでもその困難からは逃げられない。僕に出来ることは、いつも通り努力を重ねることだけだ。

 

「頑張ります」

「何が!?!?!?」

 

 僕の決意表明に虹夏さんが絶叫した。今日一番の大声だった。

 

 こうして元々混沌としていた場がますます深みを増してきた。収拾つくのかな、これ。

そんな状況の中喜多さんは一人どこか暗い目で、何か独り言をぶつぶつと呟いていた。

 

「………………私とひとりちゃんがくっつくと後藤先輩が兄さんに、兄さんが店長さんとくっつくと伊地知先輩が姉妹に、それで伊地知先輩とリョウ先輩がくっつけば」

「き、喜多ちゃん?」

「名実ともにバンドは家族!! おめでとうございます!!!!」

「お、おう」

 

 全力で祝福されてしまった。まさかの反応に星歌さんも驚きを隠せていない。

その隙に喜多さんはひとりの手を引いたまま僕達に歩み寄り、そのまま頭を下げた。

 

「という訳で兄さん、妹さんを私にください!」

「どうぞ」

「おっお兄ちゃん!?」

 

 どうせエイプリルフールだからと、ひとりを快くお嫁に送り出す。幸せにおなり。

ハンカチを適当に振る僕を見てひとりが体を崩壊させ始めた。そろそろネタ晴らしの時間かな。

タイミングを窺いつつ喜多さんと一緒にひとりを直していると、今度はリョウさんが動いた。

 

「それじゃあ義姉さん、妹を私にちょうだい」

「死ね」

「あれ?」

 

 にべもなく切り捨てられた彼女が首を傾げる。星歌さんは冗談でもお嫁に出したくないらしい。

何が問題なのかは、二人の名誉のためにも考えないことにした。気持ちはよく分かる。

 

 八割方修理を終わらせたところで、虹夏さんがリョウさんから離れ、僕の傍でしゃがんだ。

膝に両手を乗せて僕をちらちらと覗く姿からは、相当の動揺が窺い知れる。

 

「……ね、ねぇ後藤くん、その、ほんとなの?」

「何が?」

「その、お、お姉ちゃんのものとかどうとか」

 

 そう尋ねる彼女の顔は、嘘を吐かれた時よりもずっと赤く青くなっていた。高低差が酷い。

さっきの星歌さんのようだ。そう感じたから、僕は再び同じ対応を取った。

 

「本当に虹夏さんがリョウさんと結婚するなら、そうかもね」

「なっ」

「あーやっぱりバレちゃってますよねー。いつから気づいてました?」

「……写真を見せてくれたところから?」

「初っ端!? もう、それなら最初に言ってよー!」

「せっかく楽しませてくれようとしてるのに、それはちょっと悪いかなって」

「そういうのじゃなかったんですけどねー……」

 

 じゃあどういうのなんだろう。嫌な予感がしたからその疑問は棚に上げた。

 

 

 

 その後結束バンドがスタ練に向かってから少しして、スターリーの入口が開いた。

 

「せんぱーい、今日もシャワー借りに来ましたー!」

「貸さない、来るな、帰れ」

「えぇー!? 先輩ひどーい!」

「酷いのはお前の酒癖だろ」

 

 いつも通りに酔いどれた廣井さんが、星歌さんの厚意に甘えに来ていた。

それをさらりと拒否され彼女は、ウソ泣きをしながら僕の傍に寄ってくる。当然お酒臭い。

彼女は僕にその臭いを擦り付けるように抱き着いて、そのまま耳元で同意を求めてくる。

 

「ねー? 先輩酷いよねー?」

「……オブラートいりますか?」

「私と君の間にそんなのいらないよ!」

「酷いのは廣井さんです」

「ショック!!」

 

 そう言いながら、廣井さんはお酒を口にした。これを酷い酒癖と言うんだろう。

そんな彼女を見て星歌さんが再び口元を歪める。まさか、廣井さんにも言うのかな。

予想は当たっていた。星歌さんは僕から廣井さんを引き剥がし、また嘘を吐いた。

 

「そうだ、お前にも言っておかないとな」

「わっ、えっ、せ、先輩?」

「こいつ私のものだから、もうちょっかい出すなよ」

「………………………………………………………………………………………………え」

 

 アルコールで赤くなっていた顔が、さーっと血の気が引いて青ざめていく。

心配に、可哀想になるほど青白くなった廣井さんが、大慌てで携帯を取り出した。

 

「み、みみ、未成年略取!? つ、つつつ、通報しなきゃ……!」

「……星歌さん、止めた方が」

「大丈夫だ。見ろ、手が震えてまともに操作出来てない」

 

 星歌さんが冷静に指摘する通り、廣井さんは110番すらまともに入力出来ていない。

何度試しても繋がらず、最後に辛うじて時報を鳴らすと力無く床に膝を着いてしまう。

 

「くっ、ごめん一人くん。満足に警察も呼べないお姉さんを許して……」

「久しぶりに可愛げのある姿見たな」

「これ可愛げですか?」

 

 何故かそれを微笑まし気に、満足そうに眺める星歌さんを尻目に、僕は廣井さんに近付いた。

エイプリルフールの嘘は楽しむためのもの。困らせたり悩ませたりするためじゃない。

内実はどうあれここまで落ち込ませてしまうのなら、さっさとネタ晴らしをするべきだ。

 

「廣井さん、エイプリルフールです」

「……へ?」

「あれは星歌さんの冗談です。だから通報しなくても大丈夫ですよ」

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す間に、失われた血色が少しだけ戻る。

何口かお酒を口にすると完全に真っ赤な顔に、いつもの廣井さんになっていた。

 

「よかったぁ、先輩がとうとう行くとこまで行っちゃったのかと思ったよ~」

「これ、相当荒唐無稽な嘘じゃありませんか?」

「リアリティの無さが逆にあり得るみたいな? 先輩あれだし」

「あれって。そういうのじゃ無いので大丈夫です」

「まあそりゃそうだよね~。はっはっはー…………」

「廣井さん?」

「……いやうん、でも本当に気を付けてね」

「あっはい」

 

 僕と廣井さんのそんな会話を聞いて、星歌さんが心底不満そうにぽつりと呟いた。

 

「……どいつもこいつも、私のこと疑いすぎじゃない?」




次回「春の嵐が来る前に」です。

私事ですが、最近PCの調子が著しく悪いです。
一応今月末までの予約投稿はしてありますが、コメントの返信や誤字脱字修正が滞ってしまったら察してください。


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第十九話「春の嵐が来る前に」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 四月某日ひとりの部屋で、とある委員会が再び開催されようとしていた。

 

「ではこれより、脱ぼっち対策委員会特別会を開催します」

「よ、よろしくお願いします」

 

 脱ぼっち対策委員会。かつてひとりに友達を作るため、僕達二人でしていた活動だ。

昨年五月虹夏さんのおかげで無事に解散したはずなのに、どうして再開催となったのか。

時期的に予想はついているけれど、もしかしたら他の理由があるかもしれない。

デリケートな問題だったら大変だ。探りがてら、ひとりに改めての確認をする。

 

「……いきなりだけど、ひとりってもうぼっちじゃないよね?」

「うん。へ、えへへっ、へへ、もう、友達います」

「そうだよね。じゃあ、今日のこれはいったい?」

 

 浮かれ切ってドロドロとした、とても可愛らしい笑顔をしていた。デリケートじゃなさそうだ。

安心して今度はストレートに切り込むと、途端にひとりは文字通り固くなって正座になる。

その上カタカタと震え始めた。この感じはきっと、明日からの学校についての話だろう。

 

「明日から、新学期が始まります」

「そうだね。春休みは短かったなぁ」

「……う、うぅ、いつまでも寝られる生活、こたつに潜り続ける日々が、再び終わりを」

「あぁそうだ、こたつもいい加減しまわないとね」

「こ、こたつだけは、もう少しだけでもこたつだけはっ」

 

 腰に抱き着かれた上に縋られてしまった。そこまでこたつが惜しいのかな。

昨日母さんが、学校始まったらクリーニング出そうかしら、と言っていたことは黙っておこう。

これ以上希望を奪われたら、ひとりは明日学校に行けないかもしれない。

 

「それで新学期ということで、クラス替えがあります」

「うん」

「私は死にます」

「生きて」

 

 ひとりはその宣言とともに机の下に潜り始めた。結論が早すぎて止める暇も無かった。

健やかに生きて欲しいから引きずり出す。それでもひとりは床にへばりついたままだった。

今年も重症だ。だからひとりが話す気持ちになるまで、そっと背中を撫でながら待つ。

しばらくの間続けていると、うつぶせのまま自嘲するような声でひとりは口を開いた。

 

「別にクラス替えで変わるような人間関係は無いけど、でも」

「それでも、急に環境が変わるのが怖いんだよね」

「……うん」

 

 ひとりが言い淀んだ先を代わりに続けると、静かにこくりと頷いた。

この子は繊細だから、人間関係に限らず変化そのものを怖がっている。それでも必ず明日は来る。

だからせめて前向き、とまでは言わなくても、何か少しだけでも希望を見せてあげたい。

数秒程頭の中を探ってから、僕は今日も友達に頼ることにした。

 

「でも、見方を変えればチャンスじゃない?」

「……何の?」

「喜多さんと同じクラスになるチャンスだよ」

 

 ひとりの瞳がぱっと輝いた後に、今度は底知れぬ暗さを纏い始めた。花火みたい。

 

「あれ、喜多さんと同じクラスは嫌?」

「それは、嫌じゃないけど」

「なら何が、あー、喜多さんの友達かな?」

 

 無言でぶんぶんと、ひとりが勢いよく首を縦に振る。そこまで嫌なんだ。

 

「喜多ちゃん一人ならともかく、集団で来たら私は燃え尽きます」

「確かに、お正月の時も凄かったからね」

「……お兄ちゃんは逃げたよね?」

 

 藪蛇だった。責めるように刺してくるひとりの視線から目を逸らす。

逃げないと大変なことになったと思うけど、この子からしたらそれはそれ、これはこれだ。

徐々に重くなっていくプレッシャーから逃れるために、僕は苦し紛れの励ましを捻り出す。

 

「喜多さんの友達なら、ほら、その、きっといい人達だし、大丈夫だよ」

「い、いいとか悪いとかじゃなくて、属性の問題だから」

「皆明るそうだったからね。参考までに聞くけどその人達、お正月はどんなお話してた?」

「……うぇ~い?」

 

 なんとか対策を講じようとした結果、何も分からないことが分かった。

思い返すまでも無くひとりはあの時死んでいた。記憶が無いのも当然だった。

これ以上掘り返せるのはひとりの傷だけ。あの日のことは、お互いのためにそっとしておこう。

 

「それでひとり、その格好は?」

 

 話を切り替えるために、さっきから気になっていたことを指摘する。

ひとりの恰好。ヘアバンド、サングラスに派手なネックレス、そしてバンドTシャツ。

腕には大量のラバーバンドを着けて、缶バッチを敷き詰めたトートバッグを抱えていた。

強烈なデジャブを感じる姿だ。あの日のことが、いい思い出と悪い思い出が同時に蘇る。

 

「相談したかったのはこの格好のことで、そ、その、似合う?」

「可愛くて格好いいよ。今年はメジャーバンドで攻めるんだね」

「うん。去年のあれは、ちょっとマイナー過ぎたかなって思ったから」

 

 去年のあれ。バンド女子感を出して、同じ趣味の人にアピールをすること。

そして話しかけてもらい、そこからなんとかかんとかして友達になること。

人任せな上に肝心なところが抜けている。それでも、きっかけになる可能性はある。

 

 今回はメジャーバンドを推すことで、より幅広くターゲティングするようだ。

確かに対象が増えれば増えるほど、可能性は大きくなる。更に言えば、前回と今回は状況が違う。

昨年の文化祭ライブを通じて、ひとりがバンドマンだと校内でも広く周知されているはず。

その前提知識があれば周囲もまた、去年とはまったく違う反応を見せるかもしれない。

 

 僕としてはこう考えている。何も嘘は無い。だけど一般的にはどう見えるんだろう。

前回僕とひとりのセンスは大敗北した。それを覆すほどの成長を僕達は出来ただろうか。

とても申し訳がないのだけれど、僕は欠片も自信が持てない。二人分だとなおさら持てない。

 

「格好もだけど、自己紹介はどうする? また一緒に考える?」

「実はそれも、もう考えてたりして」

「本当? 凄いねひとり、今年は用意周到だ」

「えへへっ、ま、まあね!」

「よければ聞かせて欲しいな」

「うん!」

 

 可愛い。これなら何の苦も無く友達なんて出来るはず。毎年こう思って外してるな。

自分の節穴具合を改めて確認しつつ、体は機械的に撮影の準備をし始めた。恐らく必要になる。

それを見て嫌がるひとりからも、練習用という名目でお願いしてなんとか許可を貰えた。

 

「あっ後藤ひとりです……」

 

 その瞬間、ひとりはカッと目を見開いた。

 

「あだ名はぼっちで~す! 名前の通りリアルぼっちなのだ!」

 

 それからひとりの自己紹介が続いた。思っていたよりも長い。

内容は、どうだろう。ちょっと自虐ネタがしつこい気もする。人によっては気にするかも。

それはそれとして、普段あまり見れないおどけた素振りをするひとりはどこまでも可愛い。

 

「…………欠点は人の目を見れないこと、あって必ずつけちゃうこと! ってそこ笑うな~!」

 

 虚空へ楽しそうにツッコミを入れてから、ひとりはいつものすんとした顔に戻る。

これで自己紹介は終わりらしい。不安そうに眼を泳がしながら一礼して、僕の横へ正座した。

 

「い、以上です」

「結構長かったけど、カンペ持って無いよね。全部覚えたの?」

「うん、頑張った」

「そっか。今年はいつも以上に本気だね」

「や、やっぱり分かっちゃう?」

「ひとりのことだからね」

 

 その言葉にひとりは嬉しそうに体を揺らすと、手を重ねながらじっと僕を見上げた。

隠し玉か何かがまだあるみたい。ひとりから言ってくれるのをしばらく待つ。

一分くらいすると覚悟が決まったようで、ひとりは立ち上がってギターを手に取った。

 

「あとね、一発芸も用意したんだけど、見る?」

「ぜひ」

「……武田信玄の軍配!」

 

 前にも見たことあるものだった。実はお気に入りだったらしい。

面白いかどうかはその人のセンスによるだろう。僕は微笑ましくて可愛いと思う。

分かっていたけれど、やっぱり僕は駄目だ。ひとりが何をしても可愛く感じてしまう。

録画しておいてよかった。これを使えば第三者からの、冷静な指摘をもらえるはずだ。

 

『明日のひとりです。採点してください』

 

 ひとりの自己紹介動画と共に、喜多さん先生へメッセージを送る。今こそ彼女に頼るべき時。

コミュニケーションのプロである彼女ならきっと、問題点と改善点を洗い出してくれる。

それから一分も経たない内に絵文字も写真もスタンプも無い、ただ文字だけの文章が届いた。

 

『今から三人でコミュニケーションの勉強をしましょう』

 

 採点どころか赤ペンを投げ捨てられてしまった。

 

 それからしばらくの間、電話越しに喜多さんからの説教、もとい指導が続いた。

まず恰好は全てボツになった。そんな予感はしていた。やはりあれは駄目らしい。

ごちゃごちゃしてダサい、意味が分からない、むしろ怖い。ヒッピーか何かに見える。

そもそも普通に制服を着た方がいいと言われた。どれもどうしようもないほど正論だった。

 

 そして自己紹介も全てボツになった。そんな予感もしていた。もう全部駄目らしい。

なのだって何。自虐が痛々しい。全てが痛々しい。ボケもツッコミもあまりにも下手。

いっそ何も喋らない方がいいとまで言われてしまった。気づくとひとりは死んでいた。

こうして僕は改めて、自分とひとりのセンスへの信頼を捨てた。そうだとは思っていた。

 

 そんな喜多さん先生の特別講義が終わってから、ひとりがおずおずと僕に問いかける。

 

「お兄ちゃんはクラス替え怖くないの?」

「全然」

 

 僕にとってクラス替えは模様替えの一種だ。恐れる要素は何一つない。

精々が登校する教室が変わったな、なんとなく景色が変わったな、くらいの感慨だけ。

平然と答える僕に、ひとりがどこか脅かすような口ぶりで言葉を投げかけた。

 

「で、でも、虹夏ちゃんたちとクラス別れちゃうかもしれないよ?」

「それも無いだろうから、本当に心配してないよ」

「?」

 

 またしても動揺一つ見せない、それどころか自信を見せる僕にひとりが首を傾げた。

 

 翌朝始業式の日、例年通りひとりは今日もトイレに立てこもっていた。

毎年毎年、どうしてこの日は押入れじゃなくてトイレを引きこもり先に選ぶんだろう。

まさか僕が入れないからかな。いくら僕でも、さすがに妹のいるトイレには突入出来ない。

 

「おにーちゃん、おねーちゃんがトイレ占領してる!」

「ひとりー、お腹は大丈夫ー?」

「あっ、あっあうん、だ、大丈夫、でも、あと三十分は入っていたい……」

「えー!? おねーちゃん早く出てよー! ふたりもトイレ使いたいー!」

「我慢して。今お姉ちゃんは自分と戦ってるの」

 

 だとしても放っておくことは出来ない。このままだとふたりがお漏らししてしまう。

最悪僕が近所のコンビニか公園へ抱えて行くつもりだけど、これはそういう問題じゃない。

何もしなければただでさえ低いひとりの姉としての尊厳が、間もなく死に至るだろう。

 

 さてどうしよう。経験上立てこもりの説得は、とにかく話を聞くことが大切だ。

相手の要求をよく聞いて、そこから本当に求めるものを探して交渉する。それがコツ。

でも今日はそんな時間は無い。うかうかしてると遅刻するし、ひとりとふたりが手遅れになる。

 

「……おにーちゃん、おねーちゃんトイレしてるの?」

「多分してない。籠りたいから籠ってるだけだと思う」

「そうなんだ。じゃあふたり、おかーさんにお願いしてくるね!」

 

 僕が悩んでいる間にふたりが動き出した。母さんに頼む、一体何を、説得とか?

答えが出る前にふたりが走って戻ってくる。その手には五百円玉が握られていた。

まさかと思いつつそれを見ていると、ふたりが胸を張って得意げに説明してくれた。

 

「この間ね、これでトイレの鍵開けられるって教えてもらったの!」

「……誰に?」

「はるちゃん!」

 

 ふたりの幼稚園の友達だ。末恐ろしい。

 

「おにーちゃん、これで開けてもいーい?」

 

 そう問いかけるふたりの瞳は、期待でキラキラと輝いていた。可愛い。

はるちゃんに開け方を教えてもらったあと、どうしても試してみたかったんだろう。

その好奇心は責められない。むしろこうして今日まで我慢していたのが、とてもとても偉い。

 

 それにこれが上手く行けば、手詰まりだった状況が全て解決する。ふたりさまさまだ。

トイレを無理やり開けるのは当然よくないけれど、立てこもるのがそもそもの問題だ。

ひとりには諦めてもらおう。突入するのは僕じゃなくてふたりだし、まあいいんじゃないかな。

だいぶ適当になってきた思考を自覚しつつ、僕はふたりにゴーサインを出した。

 

「そうだね。じゃあふたり、お姉ちゃんのことお願い」

「いいの!?」

「えっお、おに、お兄ちゃん!?」

「うん。でもし本当にトイレだったら、僕もごめんなさいするから呼んでね」

「わかった! おねーちゃん開けるよー!」

「ちょ、ふ、ふた、ふたり、ちょっと待って!」

 

 こうしてこの後無事にひとりを家から連れ出し、今年度も登校することが出来た。

毎度毎度気を付けてはいるんだけど、隙を縫ってトイレに駆け込まれてしまう。

最低でもあと一回はクラス替えがある。来年のため、もっと対策を練り直しておかないと。

 

 

 

「今年度もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ひとりと別れ下北沢高校に着いて早々、僕は虹夏さんに今年度の挨拶をしていた。

深々と頭を下げる僕に合わせて、彼女も丁寧にお辞儀を返してくれた。

そして顔を上げた時にはにっこりとした、いつもの安心する笑顔がそこにはあった。

 

「って、なんだか無駄に丁寧になっちゃったね」

「そうだね。クラス替えで友達に会うって初めてだから、ちょっと作法が分からなくて」

「作法て」

 

 僕の言葉に彼女は苦笑いを浮かべた。こういう時の作法は特に無いらしい。勉強になる。

感心を深める僕から彼女は視線を横にずらし、笑みもまたずらした。というかジト目になった。

彼女の視線の先ではリョウさんが、らしくないほどしゃんとした姿勢で仁王立ちをしていた。

そしてその体勢のまま、これまたらしくないほどきちんとした声で決意表明し始める。

 

「この山田リョウ、今年度も課題、移動教室、食事、その他諸々寄生させていただく所存です!!」

「もはや清々しいな……もう、今年は絶対面倒見ないからね!」

「リボン直してくれてありがとう」

「あっ!? み、見ないからね!!」

 

 虹夏さんは言葉とは裏腹に、リョウさんの乱れたリボンを直してあげていた。

無意識の行動だったらしい。その証拠に、はっと気づいた瞬間乱暴にリボンを解いて後ずさる。

リョウさんは胸元のリボンをじっと見た後、今度は僕に迫りそれを差し出した。

 

「じゃあ陛下、お願い」

「やらない。いくら友達でも、こういうの異性に頼むのはよくないよ」

「やってるやってる。後藤くんやってるよ」

「……あれ?」

「陛下もありがとう」

 

 虹夏さんのツッコミ通り、無意識の内に僕もリボンを結んでいた。おかしいな、いつの間に。

倫理的に駄目、だとは思うけど、リョウさんは嬉しそうだし、虹夏さんも止めまではしない。

でも今後は気を付けよう。どこかで一線を引いておかないと、どこまでも許してしまいそうだ。

 

「ふっふっふ、今年は最初から寄生相手が二人もいる」

「もー、だからリョウと一緒のクラスは嫌だったのにー!」

「巻き込んでごめんね」

「……なんで後藤くんが謝るの?」

 

 悔しげに虹夏さんが漏らすのを聞いて、つい謝罪の言葉を放ってしまった。

当然彼女は、そしてリョウさんも不思議そうに僕の顔を見る。ピンと来てないようだ。

それなら言わなくてもよかったかな。そうは思いつつ、口に出したのは僕だから説明した。

 

「多分だけど、二人が一緒のクラスなのは僕のせいだから」

「どういうこと?」

 

 根本的な話として、僕は学校でほとんどの人とまともにコミュニケーションが取れない。

教師も含めて大抵の人が、目が合うだけですぐに意識を失う。原因も僕以外は知らない。

とんだ危険人物で問題児だ。そのくせ成績はいい。学校もきっと扱いに頭を抱えている。

 

「しかし、そんなのと話を出来る生徒が二人、去年突然現れました」

「あー、そっかー。とうとう魔王係が学校公認になったんだね……」

 

 虹夏さんがどこか遠い目を浮かべた。本当に申し訳ない。いつもお世話になってます。

そんな彼女とは対照的に、リョウさんは怪しく瞳を光らせながら何かを呟いた。

 

「……なるほど。なら何か貰えてもいいはず」

「は?」

「学校が陛下のお世話を頼むなら、それ相応の態度を見せて欲しい」

「あのさリョウ、そういうのは」

「確かに」

「本人が納得するの!?」

 

 虹夏さんは驚くけれど、僕はリョウさんの発言も一理あると考えていた。

僕という扱いが面倒でややこしいものを任せるのなら、一定の便宜くらいあってもいいはず。

誰に話をつけるのかは後で決めるとして、まずはこちら側の要求を固めておこう。

 

「じゃああとで交渉してこようか? リョウさんは何が欲しい?」

「有給」

「魔王係に給料発生してないよ?」

「それは休まない。授業の方が欲しい」

「そっちも発生してないよ?」

 

 とぼけた顔でリョウさんは変な要求をしていた。授業の有給、出席か何かになるのかな。

僕のお世話をするってことは学校に来ているから、あまり意味は無さそうだけども。

真面目に僕が検討し始めると、虹夏さんは呆れた顔で僕達二人を見比べる。

 

「そもそもリョウはいっつも後藤くんに面倒見てもらってるでしょ。まず自分がなんかしなよ」

「おぉ、言われてみれば納得。じゃあ陛下、私に何かして欲しい?」

「急に言われても」

 

 特別リョウさんに求めることは無い。ぱっと出てくるのは、健康でいて欲しいな、くらいだ。

あとは、お腹が空いても野草を生で齧るのはやめてほしい、とか。これも似たような意味だな。

真面目に頼むようなことは見当たらないから、適当な冗談でお茶を濁すことにした。

 

「それなら、弁当作りの有給ください」

「それだけは勘弁してください」

「土下座!?」

 

 思わず見惚れてしまいそうになるほど鮮やかで、無駄のない土下座だった。

冗談じゃ済まなかったらしい。彼女からしてみれば一食減りかねない話だから当然だ。

それはともかく、いつまでも友達にこんな格好は、土下座なんてさせられない。

僕は彼女の傍に膝を着けて、鞄から弁当を取り出し差し出した。

 

「冗談だよ。はい今日の分」

「おぉ、神よ……」

「魔王だよ? あ、いや、魔王扱いも困るけど」

「なんだこの会話」

 

 虹夏さんのツッコミでオチがついたところで予鈴がなった。そろそろ教室に入ろう。

教室にいると僕達以外誰も話さなくなるから、今朝も時間になるまで廊下で話していた。

付き合ってくれた二人には感謝と申し訳なさしかない。やっぱり僕が何かお礼をするべきだ。

なお、自己紹介の時間は例年通りお通夜のように静かだった。今度はお経でも唱えようかな。

 

 

 

 こうして今年度は穏やかに始まったと、この時の僕は愚かにも考えていた。

それが勘違いだと思い知ったのは、それから十日ほど経った朝のことだった。

 

「ねー聞いてるー!? お姉ちゃん酷いと思わないー!?」

 

 ジタバタと手を動かして、頬を膨らませた虹夏さんが不平不満をぶちまける。

いつかの大槻さんのようだ。ただ、あれよりはずっと素直でどこか微笑ましい。

この気持ちを悟られたら矛先が僕に向きそうだから、飲み込んで相槌を続けた。

 

「聞いてるよ。どうせ他の箱じゃ伸びないからやめとけ、だよね」

「ほんと酷いよね! もー、どうしてあんな意地悪ばっか言うんだろ」

 

 星歌さんには確かに素直じゃないところがあって、虹夏さんを構うようなことも言う。

だけどいつでも虹夏さんのことを想っている。だからこの頭ごなしの否定にも理由があるはず。

彼女にそれを直接確認したい。でも今席を外すとバレて、ますます拗ねてしまう予感がする。

それにそもそも、星歌さんはこの時間だと多分寝ている。確認も何も出来なさそうだ。

 

「まあまあ、ほら、星歌さんにも何か考えがあるはずだから」

「むっ、後藤くんはお姉ちゃんの味方なの?」

「そういう訳じゃないけど」

「じゃあなんなのー?」

 

 なんなのと聞かれても困ってしまう。誰が誰の味方とか、そういう話は今していない。

見たことないくらい虹夏さんは意固地になっている。リョウさんが両手を挙げる訳だ。

そっと様子を窺うと、彼女は素知らぬ顔、じゃなくて気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

「もう、せっかく新しい箱からオファーが来たのに……」

 

 救援の芽が無いことを確認している間に、虹夏さんが今度はしょんぼりし始めた。

降って湧いたチャンスに誰も乗って来なくて、少し落ち込んでしまったのかもしれない。

そんな彼女を見ながら、僕は落ち着くためにも一度情報を整理することにした。

 

 ことの経緯はこうだ。路上ライブの帰り道、結束バンドのアドレスにあるメールが届いた。

それは池袋のとあるライブハウスからの、ブッキングライブの出演オファーだった。

ほぼコネだった新宿FOLTを除くと、結束バンドにとっては初めての出演依頼。

結束バンドが、虹夏さんが飛びつくのも、舞い上がるのも正直言って無理はない。

 

 そして星歌さんがそれとなく引き留めようとするのも、僕はなんとなく理解出来る。

誤解を恐れずはっきり言えば、このオファーは、このライブハウスはものすごく怪しいからだ。

 

 まずオファーのメールは文体、内容、その他諸々全てが引っかかる。

特に気になるのが、ハードでロックな結束バンドの音楽性云々、という一文。

他はともかくここだけは見過ごせない。音楽関係で働く人間が書いていい文章じゃない。

ロックの定義は人によるけれど、結束バンドのジャンルは間違いなくハードロックではない。

結束バンドの曲を聴いたこともないのか、寝ぼけているのか、どちらにせよ信用は薄れる。

 

 次に評判が悪い。誰よりも悪い僕が言うことじゃないけれど、あまりいい噂が無かった。

虹夏さんの目を盗んでちょっとずつ携帯で調べていくと、いくつかのレビューを発見した。

そこには客層が変だとか、セトリが気持ち悪いだとか、低評価とともにそんなコメントがあった。

 

 変に、気持ち悪い。気になるコメントだったから、こっそりと少し深めに調べることにした。

その流れで評価者についても確認し、SNSを辿るうちにその人達のアカウントを見つけた。

それでかたや地下アイドルの、かたやメタルバンドの熱狂的なファンであることが分かった。

更にこの二つのグループのSNSを詳しく見ると、両者とも同日同会場でライブを開催していた。

言うまでもないことにその会場は、結束バンドが今回オファーをもらったライブハウスだった。

 

 以上二点から察するに、ここのブッキング担当者は恐らくとても適当な人だ。

バランスも何も考えず、ただその日入れられそうなバンドをとにかく敷き詰める。

すると雰囲気はぐちゃぐちゃで気持ち悪くなるし、ファン同士もお互い面食らってしまう。

この低評価とコメントは、きっとそんなところから生まれてしまったんだろう。

 

 ただ、これらはあくまでも推測だ。メールが適当でも評判が悪くても、僕は実物を知らない。

もしかしたらメールは打ち間違いかもしれない。評判は根拠のない噂話かもしれない。

仮に僕の推測が当たっていたとしても、今はもう改善しているかもしれない。

無理のある擁護だ。それでも偏見と噂話だけで切り捨てるなんて、僕はやりたくなかった。

 

「そうだ虹夏さん、突然だけど今日放課後空いてる?」

「空いてるけど。一緒にお姉ちゃんと話に行こうって言うなら、私行かないからねっ!」

「一緒に来て欲しいのはそうだけど、そっちじゃないよ」

 

 加えて今日の虹夏さんは酷く拗ねている。正面から説いても逆効果になる気がする。

それでも念のために確認はしておきたい。前評判抜きにしても、初めての箱は下見した方がいい。

だから一つ、彼女を巻き込むとある提案を僕は投げかけた。

 

「どうせならそこ、一緒に確かめに行こうよ」

 

 そう誘う僕を、彼女は目を丸くして見上げていた。




次回「喧嘩は青春の華」です。
余計なことをしなければあと十話、中途半端ですが第二十九話が最終回になると思います。


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第二十話「喧嘩は青春の華」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 放課後提案に乗ってくれた虹夏さんと二人で、僕達は例のライブハウスへ向かっていた。

他三人は今日バイトだ。一緒に活動出来るよう、結束バンドのシフトはなるべく固まっている。

というか星歌さんが時折しれっとお願いしてくるから、僕が固まるよう調整している。

その度にお駄賃はいただいているけれど、そもそも僕はスターリーのアルバイトですらない。

これといい確定申告のことといい、もしかして半分くらい僕が店長の仕事をやってるのでは。

 

「私の個性ってなんだと思う?」

 

 そんな戯言を考えていると、虹夏さんが唐突にそんなことを言い出した。

そう問いかけながら僕を見上げる瞳には不安と期待、相反する二つの光が浮かんでいる。

今日の彼女は機嫌が悪い。下手に答えれば大火傷しそうだから、とりあえず探りを入れよう。

 

「個性ってどこの話?」

「なんでもいいよ、見た目でも中身でも」

 

 なんでも。最近よく聞く、言ってしまう言葉だ。相変わらず扱いに困る。

とにかく見た目でもいいらしいから、虹夏さんを上から下までじっと見てみる。

個性、言い換えれば特徴、周りとの差異、目立つところ。色々比較して考える。

 

 まず思いつくのは小柄なこと。周囲と、平均と比べても小さい。怒られるな、ボツ。

この期待のまなざしはきっと、個性は個性でも長所を、素敵なところを求めている。

幸い虹夏さんは魅力的な人だから、適当にどこを取り上げても褒めることは出来る。

それこそシンプルに顔立ちが整っているとか、綺麗な髪をしているとか。

 

 でもそんな簡単な、誰にでも言えるようなことでいいのかな。

虹夏さんなら僕に言われなくても、これくらいの誉め言葉なんて何度も貰っているはず。

それなのにこうして聞いてくるってことは、もっと他の何かを求めてるってことだろう。

どうしよう。言われたらすぐ納得出来て、しかもまだ誰も褒めてなさそうなところ、どこだろう。

 

 そんな迷走の果て、僕は極めて馬鹿みたいな結論に至った。

 

「……アホ毛?」

「そこ!?」

「元気があっていいよね」

「髪に使う言葉かな!?」

 

 見事に不正解を引き当てたらしい。見てて楽しいから、僕は本当に好きなんだけど。

虹夏さんとしては気に入らないようで、頬を膨らませて今朝のような雰囲気を纏い始めた。

このままだと不味そうだ。言い訳も兼ねて、あんなことを言い出した理由を伝える。

 

「他に見た目で個性の話ってなると、普通に褒めるだけになりそうなんだ」

「……じゃあ止めた方がいいね」

「そう?」

「そう。その、反応に困るから」

「それなら中身の方で考えるよ」

「……見た目アホ毛で終わりかー」

 

 困るって言ったのは虹夏さんなのに、どこか不満げにそう零す。これも不正解だったかな。

今更撤回は出来ないから、次の個性、中身の方を褒めてなんとか挽回することにしよう。

ただ、こっちはある意味見た目より繊細な話になる。深く考えるためにまず牽制を入れた。

 

「えっと、やさ」

「あっもう喜多ちゃんが言ったから、優しいと絵が上手いは駄目だよ!」

「もうちょっと待っててください」

「はーい、楽しみにしてまーす」

 

 僕の牽制は一瞬で潰された。喜多さん、出来ればもっと意外性を攻めて欲しかった。

今もスターリーでキターンとしているだろう彼女を、ちょっとだけ恨めしく思ってしまう。

その気持ちが活力になったのか、意外と早く別の個性を虹夏さんに伝えられた。

 

「人望、とか」

「えー、それ個性?」

「立派な個性だよ。虹夏さんの人望無しじゃ、結束バンドは成り立たないから」

 

 まず、ひとりは虹夏さんが声をかけてくれなければ、きっと今頃退学でもしていただろう。

結束バンド云々どころか人生の恩人だ。今は関係ない話だから、この先は割愛する。

次に喜多さん。虹夏さんが彼女の逃亡を許していなければ、彼女は復帰なんて出来ていない。

加えて虹夏さん抜きだと波長の合う相手がいなくて、活動そのものが苦痛になるかもしれない。

最後にリョウさん、彼女は言うまでもない。虹夏さんといない彼女なんて想像も出来ない。

多分どこかで野垂れ死にしているか、誰かに刺されて死んでいる。命が虹夏さんのおかげだ。

そんなことを虹夏さんに説明すると、彼女は手をぱたぱたと振って照れていた。

 

「いやぁ大袈裟じゃない?」

「むしろ控えめに言ってるよ。虹夏さんあっての結束バンドだから」

「えー、そうかなー?」

 

 念押しするよう重ねると、ますます虹夏さんは照れ臭そうに片手を頬に当てて喜ぶ。

ここがチャンスだ。正直なところ、この先ライブハウスで何があるか分からない。

もしかしたら、いや予想が正しければ、彼女はおそらく嫌な思いをすることになる。

 

 そんな時気持ちが萎えていれば、それがそのまま大きな傷になってしまうかもしれない。

だから彼女にはなるべく気持ちを強くもって、心の体力を保ったままでいて欲しい。

そのために僕はこの方向で言葉を続けた。どこまで持っていけるかな。

 

「なんというか、バラバラな人達を支える縁の下の力持ちというか」

「……ん?」

「目立たないけど一番大事な人というか」

「んー?」

「そう、まさに結束バンドの結束バンドというか」

「えーもー、結局地味じゃん私ー。しかもなんか上手いこと言おうとしてるしー」

 

 さっきまでの照れた様子から打って変わって、再び彼女は口を尖らせてしまった。

地味。そこが今回の地雷ポイントだったらしい。ものの見事に僕は踏んでいた。

内心焦りを覚えていると、彼女はそんな僕の顔を覗き込み、今度は何故か破顔する。

 

「でもありがと。なんかちょっと安心した」

 

 見当はずれのことを言って、言葉が足りなくて、加えて地雷まできっちり踏んで。

それでも最後の最後には穏やかに笑ってくれたから、僕もようやく胸をなでおろせた。

 

 

 

 そんな空気を保てたのは、件のライブハウスに着くまでだった。

 

「……」

「……」

 

 結論から言えば、事前に調べた評判はおおよそ合っていた。

ライブハウスに入店した僕達を待っていたのは、バリエーション豊かな観客達。

老若男女が勢ぞろい、服装も全身ビリビリのロックな人から着物で決めた人までいる。

 

 僕と虹夏さんも驚いたけれど、彼らはそれ以上に面食らい合っていた。

どこか緊張感に満ちた静かな空気の中、お互い様子を見るようにちらちらと視線を送る。

とてもライブを楽しめる雰囲気じゃない。全員が全員、軽い症状の時のひとりのようだった。

 

 そしてその空気はライブが始まっても、いや始まることでより強くなっていった。

 

「虹夏さん、この曲って」

「デスメタルだね」

「……さっきのは」

「……レゲエ、だと思う」

「…………最初に聞いたのは」

「…………どう聞いても、演歌だったね」

 

 観客の種類を確認した段階で、ある程度の覚悟は決めていたつもりだった。

でもその想像よりもずっと滅茶苦茶な組み合わせだ。恐ろしく食い合わせが悪い。

その証拠に今懸命に歌っているバンドには悪いけど、いまいち会場が盛り上がっていない。

 

「うわー、なんか怖いね……」

「デスメタだっけ? 頭痛くなりそう」

「ていうかこれ歌? 叫んでるだけじゃない?」

 

 デスメタルは元々聞く人を選ぶジャンルだ。騒音にしか思えない人もいるだろう。

不意打ちで聞かされたら、こんな感想が出てくるのも仕方ないのかもしれない。

 

「……チッ」

 

 そしてそれを聞かされたファンがこんな反応をするのも、また仕方ないのかもしれない。

素肌に革ジャンという、時代と季節を無視した男性が苛立たし気に舌打ちをする。

それから同じような恰好の、恐らくはファン仲間に鋭く目配せをして何か相談し始めた。

何をするつもりだろう。予想がつかないから、念のため虹夏さんを背中に隠した。

 

「……ど、どど、どうするよ。他の観客達、全然盛り上がってねぇぞ!」

「そんな、この神曲でぶち上らねぇ奴がこの世にいんのか!?」

「つってもよ、流石に着物の爺ちゃん婆ちゃんは無理がねぇか? 下手したらそのまま逝くぜ?」

「いや俺デスメタはまったの、祖母ちゃんが目覚ましに流してたからなんだけど」

「ヤベーなお前んち」

 

 見た目よりずっと穏やかな人達だったらしい。これなら物騒なことにはならないだろう。

急だったとはいえ、とても失礼なことをしてしまった。反省して内心彼らへ頭を下げる。

そして更に失礼を重ねることを承知の上で、彼らと他の観客の様子を観察し続ける。

これは未来の結束バンドも陥る状況だ。よく見て把握して、対策を立てる必要がある。

 

 そうしていまいち盛り上がりに欠けたまま、デスメタルバンドの演奏は終了した。

ステージから撤収する演者は心なしか肩を落としていて、ファンも視線が落ちている。

それ以外の観客は逆にどこかほっとしたように、同じファン同士で顔を見合わせていた。

 

 これはライブ終了後の反応としては、最悪の部類と言ってもいいだろう。

演者もファンも満足出来ず、それ以外にはやっと終わってくれた、とまで思われている。

楽しむことも楽しませることも出来ていない。大失敗のライブだ。

 

 ただ、こんな反応になったのは今のバンドが未熟だったから、ではない。

あくまで僕の感想になるけれど、彼らの演奏はデスメタルとしてはとてもよかった。

激情を感じさせる大胆な叩き方をしながらも、丁寧にリズムを刻んでいくドラム。

滅茶苦茶なリフを乗りこなし、お互いに音を高め合っていたツインギター。

幅広い音域を駆使し、地を這うような低音から高音の絶叫までこなすボーカル。

どれも高レベルで、無理にでもひとりを連れてくればよかったかな、と思うほどだった。

 

 にもかかわらずこんな結果になったのは、観客に伝わらなかったのは、今日の構成のせいだ。

ちゃんと相応の、それこそデスメタルバンドだけを集めれば、こんなことにはならなかった。

それを理解しているのか。これを目のあたりにして何を考えているのか。反省しているのか。

確認するために、ついさっき見つけたブッキングマネージャーの方へ視線を向けた。

 

「ふごー、ふごー」

「ちょ、柳さん! さすがに寝るのは不味いですって!」

 

 あの人は駄目そうだ。今も、結束バンドの時にも役には立たないだろう。

 

「……ぐすっ」

 

 虹夏さんも方向は違えど似たような気持ちを、失望を抱いたんだろう。

振り向かずにポケットからハンカチを取り出して、彼女の手にそっと乗せた。

 

「ハンカチ、よければ使って」

「……持ってる」

「そっか。でも出しちゃったから持っててくれる?」

「…………うん」

 

 僕の拙い言い分を聞き入れて、虹夏さんは両手でハンカチを受け取ってくれた。

彼女がそれを目に当てるのを確認してから改めて考える。これからどうしよう。

いや、考える必要も無いな。見るべきものは見られた。確認すべきことは確認出来た。

これ以上ここにいても、ただ虹夏さんが辛い思いを重ねていくだけだ。

 

「出ようか」

 

 鼻を啜りながら頷く彼女の手を引いて、僕達はライブハウスを後にした。

 

 

 

 ライブハウスを出た僕達は、あてもなく池袋を彷徨っていた。なにせ二人とも土地勘が無い。

帰るか、どこか適当なお店に入るか。一瞬迷ったけれど、虹夏さんは今も半泣きでぐずっている。

これだと変に注目を集めてしまうだろうから、もっと人目の少ない、落ち着ける場所を探した。

そして最後には人気のない、どこか寂れた雰囲気の公園に僕達はたどり着いた。

 

「温かくて甘いのと、冷たくて甘いの、どっちがいい?」

「……甘いのしかないの?」

「こういう時は甘いのが一番だから」

「じゃあ、温かいの」

「どうぞ。気を付けてね」

 

 その公園のベンチに項垂れて座る虹夏さんに、自販機で買った飲み物を手渡す。

受け取ったそれを両手で握る彼女は力なく、そしてほんの少しほっとしたように零した。

 

「…………あったかい」

 

 軽く冷ましておいて正解だった。このぼんやりとした感じだと、熱いまま渡したら危なかった。

彼女の様子を注視しながら僕も座る。日が沈んだからか、四月でもベンチはひんやりしている。

温かいの二本でよかったかもしれない。気を紛らわすためにそんな後悔を抱いた。

 

「……どうしよう」

 

 それからしばらく黙って座っていると、虹夏さんがかすれた声で呟いた。

誰かに聞かせるつもりのない、心から、感情から零れ落ちたような言葉だった。

だから僕は何も言わず、ただ彼女が考えたことを、思ったことを受け止め続けた。

 

「私、散々みんなのこと乗せちゃった。お姉ちゃんは止めてくれてたのに、意地張って絶対出るって言って、なのに確認もしないで」

「……」

「もうライブの告知しちゃったし、もうチケットも売っちゃった。もう、もう中止になんて出来ない」

「……」

「あ、あんなところでやったら、みんな気持ちが萎えちゃうかも。せっかくここまで頑張って来たのに、新曲もMVも路上ライブも、一緒に頑張ってこれたのに」

 

 そろそろいいかな。

 

「予行練習になりそうだから、これはこれでいいんじゃない?」

「……え?」

 

 信じられないものを、理解不能なものを見るような、そんな表情で彼女は顔を上げた。

涙で滲む瞳には、今も無表情の僕が映っている。こんな時も動かないのか、こいつ。

僕のことはどうでもいいか。そんなことより彼女を励ますのが、今は何よりも大切なことだ。

 

「未確認ライオットのライブ審査の内容、覚えてる?」

「えっ、う、うん、もちろん」

「じゃあ問題です。ライブ審査には、普通の対バンライブとは大きく違うところが一つあります」

「え、えっ?」

「それはどこでしょう。五秒以内にお答えください」

「え!?」

 

 ごー、よーん、とあえて間延びした声でカウントダウンすると、彼女は慌てて考え始める。

乗ってくれてよかった。ここで流されたら二人揃って膝を抱えることになっていた。

いーーーーち、と出来るだけ伸ばすと、そこでやっと彼女は答えを出してくれた。

 

「す、凄く緊張する?」

「違います。正解は、観客の取り扱いです」

「?」

 

 きょとんと僕を見つめる瞳は、涙を少しの間忘れているようだった。

こんなふざけた言い方をした甲斐はあった。第一目標はとりあえず達成出来た。

次は第二目標だ。通じるか分からないけど、この短い間に立てた理屈を聞いてもらおう。

 

「普通の対バンライブなら盛り上げるのが目的だから、ある意味一緒に演奏するバンドは味方だよね。でもライブ審査は違う。審査員と観客の投票で通過出来るかどうか決まるから、あれは競争、戦いの一種だよ。票の、言ってみればファンの奪い合いになるはず」

 

 僕の長々とした説明に虹夏さんは曖昧に頷いた。もうちょっと頑張ろう。

 

「結束バンドは本格的に活動してからまだ半年ちょっとで、はっきり言うとファンも知名度もまだまだ少ないよね。だから審査を通過するにはそこで新しくファンを増やすか、他から奪わないといけない」

「……?」

「そして次のライブはきっと、畑違いの人をファンに出来ないと成功するのは難しい」

「あっ」

「奪う、とまでは言わないけどね。これって、ライブ審査に似てると思わない?」

 

 途中で声をあげたあたり、虹夏さんも僕の言いたいことを分かってくれたようだ。

ならこれ以上の説明はくどくなるだけ。冗談も混ぜてこの辺で終わりにしよう。

 

「そう考えると、虹夏さんは考え無しなんかじゃないよ。むしろ慧眼、計画的かもしれない」

「…………ふふふっ、なにそれ」

「付け加えると二つ先の審査をもう見てるから、実は凄い自信家なのかもしれない」

「もうっ、分かってて言ってるよね!?」

 

 怒ったふりをする虹夏さんは、あのライブハウスを出てから初めて笑っていた。

未だに目は赤いし潤んだままだけど、少しは落ち着けたみたいだ。やっとちょっと安心。

今なら別の話を、これからの話を進めても、きっと彼女も聞いてくれる。

 

「そういう訳で、今からデータ送るね」

「どういう訳? というか何の?」

「あそこで一緒にライブやるバンド、というより演者の」

 

 メモ帳アプリにまとめていたデータを虹夏さんの携帯に送信する。

演者の名前、ジャンル、当日の順番などなど。軽くしか調べられなかったからその程度しかない。

ずらずらと送られてくるそれらを見て、虹夏さんは再び目を大きく丸くしている。

 

「いつの間にこんなの調べてたの?」

「さっきちょこちょこっと。凄いよね、バンドはもう一組しかいなかったよ」

「……おぉ、しかもまたデスメタル。屍人のカーニバルってごついな」

 

 他は地下アイドルの天使のキューティクルと、臼井さんという方。

地下アイドルの方はともかく、臼井さんについては何も分からなかった。

SNSもやっていなくて、評判も特に見当たらない。最近活動を始めた人なのかもしれない。

 

「臼井さんは置いといて、これで他の客層がなんとなく予想つくと思う」

「アイドルファンとデスメタルファン? うわぁ凄い地獄絵図」

「そこに結束バンドのファンも来るよね」

「地獄」

 

 法被を着て団扇を持つ人と、素肌に革ジャンの人に囲まれる一号二号さんを幻視する。地獄だ。

 

「それでどうやって対策するのかだけど、ごめん、これはちょっと分からない」

「ううん、私も全然思い浮かばないから」

 

 当日は臼井さん、地下アイドル、デスメタル、結束バンドという順番で演奏する。

聴いたことのないセトリだ、想像が追い付かない。対策も同じくついてこれない。

首を傾げても答えは出ない。僕の隣で虹夏さんも同じようなポーズで悩んでいた。

 

「曲の工夫、は難しいから、それ以外だと挨拶とか?」

「つかみは大事って言うもんね。うーん、MCの工夫MCの工夫」

「……漫才はちょっと、あれだから、出来れば止めた方が」

「どうしてそこはいつも辛辣なの!?」

 

 事実を言うだけで辛辣になるのなら、そこはもう虹夏さん達の問題だと思う。

これを言えばますますなんだかんだと文句が出てくるから、そのまま水に流した。

 

「僕達二人だけで考えててもしょうがないし、皆と一緒に考えた方がいいよ」

「あー、そうだよね。言いづらいけど言わないと駄目だよねー……」

「大丈夫。皆びっくりはするだろうけど、萎えたり嫌になったりはしないから」

 

 精々リョウさんが、あとで星歌さんが少し弄ってくるくらいだろう。

喜多さんはどこでもキターンとするし、ひとりはどこでも嫌がるから何も変わらない。

虹夏さんもそれは分かっているだろうけど、どうしても勇気が足りないようだった。

 

「じゃあ、えっと」

「うん」

「その時一緒に来て、一緒に説明してくれる?」

「もちろん」

「ありがとう、よろしくね!」

 

 ぱっと花開くような笑顔を見せた後、彼女は何か思い返すように空を見上げた。

それから突然苦笑いを浮かべたと思うと、次はどこか照れたような笑みで僕を見つめる。

 

「なんかずーっと、後藤くんには手伝ってもらってばっかだね」

「そうかな? そんな大したことはしてないと思うけど」

「してるよ。リョウが引きこもった時は様子を見に行って、面倒まで見てくれてたでしょ。喜多ちゃんのことも、未だによく分からないけど、色々歌のこととか協力してくれてたみたいだし。それに、今日だって」

 

 膝の上で飲み物を転がしながら、彼女はちらちらと僕の様子を窺う。

 

「えっとね、こんなに協力してもらってるのに、ただのファンってのも変だと思うんだ」

「……」

 

 その先は読めたから、何も考えずにいつも通りの言葉を用意した。

 

「だからさ、やっぱりマネージャーやってよ」

「ごめんね、それは出来ない」

 

 未確認ライオットに応募することになって以来、時々言われる、誘われる言葉。

僕が返す言葉はいつも同じで、彼女も残念そうにそっか、とだけ返して諦める。

ずっとそれだけで済んでいた。でも今日は違った、彼女の状態を僕は甘く考えていた。

 

「……なんで?」

 

 さっきまでのやり取りが嘘だったかのように、冷えた言葉だった。

彼女はその温度を保ったまま、詰め寄るように言葉を続けた。

 

「こんなに、こんなにいつも助けてくれてるのに、なんで?」

「ファンで友達だから、皆の力になりたいだけだよ」

「それなら、マネージャーになってもいいでしょ」

「よくないよ」

「なんで? どうしてそういうこと言うの?」

「マネージャーは出来ないから。それに別に、今のままでもいいんじゃないかな?」

「そんなの、中途半端だよ!」

 

 中途半端。内心自分でもずっと思っていて、棘のように刺さり続けていた言葉。

とうとう虹夏さんにまで言われてしまった。情けなくて恥ずかしくてため息が漏れる。

 

「そう、だよね。そう、中途半端は駄目だよね」

「……じゃあ!」

 

 いつかこうなる日が来ると、僕はどこかで予想していたのかもしれない。

それくらいなんてことでもないことを言うかのように、僕は彼女に告げていた。

 

「もう、こういうのはやめるよ」

 

 虹夏さんが凍り付くのを見ないふりして、僕は続けた。

 

「今まで偉そうに口出ししてごめん」

「え、な、まって」

「もうしないように気を付ける。もう何も言わないようにするから」

 

 彼女が呆然と漏らした言葉を遮って、矢継ぎ早に言うべきことだけを並べていく。

その途中で我に返った彼女は、勢いのままベンチから立ち上がり、僕と正面から向かい合った。

今顔は見れない、見たくない。公園に転がる落ち葉へ無意味に視線を移す。

 

「な、なんで、そうなるの!?」

「関係者でもなんでもないのに口を挟むのが、元々どこかおかしかったんだよ」

「なら今からでも、マネージャーでもなんでもなればいいでしょ!?」

「ごめん、それは出来ない」

「……っ! だったらせめて、理由くらい教えて!」

「前ひとりから聞いたと思う。僕は」

「ぼっちちゃんを贔屓するとかなんとか言ってたこと? でもそんなの、どうにだって出来るよ!」

 

 ひとりに伝言してもらったマネージャーを出来ない、唯一皆に伝えられる理由。

元から期待はしていなかったけれど、予想通り虹夏さんにはまったく通用しなかった。

それどころか彼女を更に怒らせ、更にムキにさせて、詰問を重ねる燃料になる。

そして彼女がそれを向けた先は、僕が誰にも踏み込まれたくないところだった。

 

「それとも、他に何かあるの?」

「言えない。…………言いたくない」

 

 ずっと抑えている理由、言い訳、感情。誰であっても、僕はこれを伝える気は無い。

彼女にも家族にも、僕が他人が嫌いなことを知っている星歌さんと廣井さんにもだ。

小さな声で彼女の懇願を拒絶すると、彼女は同じくらい微かな声でぽつりと零した。

 

「……私たちが、駄目なバンドだから?」

「違うよ」

「私がこんなだから?」

「違う」

「じゃあなんで!?」

 

 なんで、なんで、なんで。何度も繰り返される言葉。聞きたくない言葉。

言えないって、言いたくないって何度も何度も言っているのに、彼女は聞いてくれない。

クリスマスに彼女自身が言ったこと、断るのにも結構気を遣う。それも分かってくれない。

自分の不誠実さを棚に上げて、ため息が自然と漏れ出ていく。虹夏さんはしつこい。

 

「…………はぁ」

「ぁ」

「言いたくないって、さっきも言ったよね。いい加減しつこいよ」

「……で、でも! 言ってくれれば、教えてくれれば、私がなんとか出来るかもしれないし」

 

 そして何よりもこの言いぐさが、いや、頭では分かっている、これは虹夏さんの厚意だ、

こんなにも酷く拒絶する僕にわざわざ踏み込んで、その上手まで貸そうとしてくれている。

こうして口論になっている今でさえ、彼女は優しさを僕に見せていた。

 

 そうだ、理解している。これは八つ当たりだ、彼女が知らないのは僕が話さないから。

だけど、それでも、どうしても、彼女の絞り出した言葉がどうしようもないほど癪に障った。

まるで彼女に伝えれば、自分が手伝えばどうにかなるような、解決出来るような口ぶりが。

そしてそんなことは絶対に無いのに、僕の苦痛を、家族の苦労を軽く見られた気がして。

 

「何もしなくていい、これは僕の問題だ。君には関係ない」

 

 だから、そんな言い方をしてしまった。

 

「……っ」

 

 息を呑む音に反射的に顔を上げる。僕を映す彼女の目には涙と、微かな怯えが見えた。

立ち上がろうとした足を、伸ばしかけた手を、かけようとした言葉を全て押さえる。

今何をしようとした。どの口で、どの立場で、原因の僕が何をしていいと?

 

 謝る? 謝ってどうする、話すのか。そんなことは出来ない、したくない。

僕は何もせず、何も出来ず、ただ彼女が目尻に涙が溜まるのを黙って見ているだけ。

やがて彼女は袖で乱暴に自分の目を拭うと、僕をキッと睨んで小さく呟いた。

 

「もう、いい」

 

 そしてもう一度、今度は大きな声で叫んだ。

 

「もういいよ! バカ!!」

 

 その言葉を残して彼女は公園から走り去った。当然追いかけることなんて出来ない。

あの方向は大通り、まっすぐ道なりに進めば駅に着く。あの状態でも迷いはしないはず。

暗くなってきたけどまだ早い、怪しげな人達の働く時間じゃない。女の子一人でも平気。

追わない、送らない言い訳を積み重ねていく。その度に何か不快なものも胸に募っていった。

 

 念のために星歌さんに連絡するべき。もし虹夏さんの帰りが遅れたら彼女も心配する。

リョウさんにも伝えないと。このままだときっと、明日学校で迷惑をかけてしまう。

そうだ、喜多さんにも話さなきゃ。この大事な時期に、虹夏さんを動揺させてしまった。

 

 もちろんひとりを迎えに行った後、あの子にもちゃんと報告しておかないといけない。

そのためにも早く立ち上がらなきゃいけないのに、どうしてか足に力が入らない。

駄目だ、今はまだ動けない。諦めてなんとなく空を見上げる。星は見えなかった。

 

 

 

 それから池袋でのライブの日が来るまで、僕と虹夏さんは一度も口を利かなかった。

当然学校でもだ。彼女と一緒にいるリョウさんとも、ほとんど会話はしなかった。

ただ一度だけチョップと共に、どっちもどっちだから早く済ませてね、とは言われた。

 

 そんな状態でライブに行けるはずもなく、僕はその日何もせずに家でじっと過ごした。

ひとりが教えてくれたところによると、最終的にライブは大成功に終わったらしい。

冒頭のMCで観客の心を掴み、その後の演奏でジャンル違いの人達をも魅了出来たそうだ。

 

 僕が何かをする必要なんてもちろんなかった。分かっていたことを再認識しただけだ。

安心すべきなのに、誇らしく思うべきなのに、どこか寂しく思う自分を恥じる。何を今更。

僕はいなくても大丈夫、何の問題も無い。僕は必要ない。それをもう一度強く刻んだ。

 

 

 

 そしてその次の週、ひとりが僕の腕を取って何度目か分からないお願いをする。

 

「お兄ちゃんも一緒に遊園地行こう?」

「行かない。行く理由が無いよ」

 

 スターリースタッフの慰安兼池袋でのライブ打ち上げのため、週末よみ瓜ランドへ行くらしい。

ただでさえ他人が多い、僕にとって面倒な場所。なにより今は虹夏さんと会いたくない。

リョウさんとも喜多さんともだ。行かない、行きたくない理由だけがいくつも重なっている。

いくらひとりのお願いだとしても、行こうという気持ちは欠片も浮かんでこなかった。

 

「……どうしても?」

「どうしても。ひとりは楽しんできて」

「………………………………………………………………………分かった」

 

 全身から渋々としたオーラを出しながら、やっとひとりが僕のことを放してくれた。

この子が心配してくれているのは分かる。迷惑をかけているのは申し訳なく思っている。

でも今虹夏さんとの間にあるのは譲れない一線だ。僕はあれを超える訳にはいかない。

 

 僕から手を離したひとりは、鞄から唐突に自分の財布を取り出した。

そこから何かを取り出すと今度は机に向かう。何のつもりか分からない。

聞くべきか藪蛇か。考えを進める前に、ひとりが再び僕の前に立ち上がった。

 

「お兄ちゃん」

「ひとり、だから僕は」

「こっこれ、お願いします!」

 

 そう言ってひとりが僕の胸に押し付けたのは、予想もしていなかった物だった。

毎年一枚だけあげている、もう今年の分は使って無いはずの、何でも言うこと聞く券。

これはずっとひとりが隠し持っていた、いざという時用の最終手段。人生最後の命綱。

 

『一緒に遊園地来てください』

 

 そこにはただ一文、それだけが書かれていた。




こういう話は早めに済ませたほうがいいらしいので、
次回「決戦の遊園地」を水曜日に、
次々回「大天使の宣戦布告」を土曜日に投稿します。


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第二十一話「決戦の遊園地」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 太陽の中で僕は夕暮れが一番好きだ。

一日が終わったという達成感、家に帰れるという解放感。家族の顔を見られる安心感。

そんな後ろ向きな考えだけじゃない。どこか寂しいけれど落ちつく、あの美しい光も好きだ。

 

 その夕日の差す観覧車の中、好きな光に包まれているはずの僕はどうしようもなく揺れていた。

 

「は、話してくれるまで、放さない」

 

 そう脅すように告げる虹夏さんは宣言通り、僕を逃がさないように抱き締めてくる。

いつかの休みの日のような、あれよりもずっと現実感の無い状態。混乱が収まらない。

何をどうしていいのか、何がしたいのか分からない僕は、代わりに今日のこれまでを思い返した。

 

 

 

 慰安兼打ち上げ場所の遊園地、よみ瓜ランドに着いて早々大人三人が堂々と声を上げた。

 

「しんどい」

「だるい」

「吐きそう」

「やさぐれ三銃士! せ、先輩、なんとか言ってください!」

 

 黒くて青い顔色と発言を前に、喜多さんは人生の終焉を見たような顔で叫んでいた。

それから僕へ助けを求めるように駆け寄って来る。申し訳ないけど期待には応えられない。

 

「帰りたい」

「先輩までやさぐれてる!?」

「やさぐれ四天王」

 

 人が多い場所はとにかく気を遣う。それがこういう行楽地ならなおさらだ。

他人が嫌いな僕だけど、別に苦しんで欲しいわけでも不幸になって欲しいわけでもない。

とりわけ幸せそうな家族連れには、出来る限りそのまま今日を楽しく過ごしてほしい。

何より今日は虹夏さんとのことで気まずい。何が言いたいかというと帰りたかった。

 

「……聞いてた話よりずっと重症ですね」

「虹夏は分かってたけど、陛下も思ってたより面倒だった」

「あっ兄がすみません……」

「二人の問題だから、ぼっちが謝ることじゃないよ」

 

 こそこそ固まって何かを話し合う三人を、虹夏さんが寂しそうに眺めていた。

仲間外れみたいになってるからかな。多分僕達のことを話してるからだと思う。

どうしよう。いつもならここで僕から話しかけるけど、声をかけてもいいのかな。

 

「……!」

 

 迷って悩んで、一歩踏み出そうとしたところで彼女に気づかれた。

 

「ふ、ふんっ、つーん」

 

 どこかの大槻さんのような振る舞いをしながら、虹夏さんは僕から顔を逸らす。

今声をかけても駄目そうだ。そんな言い訳を用意しながら、浮いた足を元に戻す。

 

「なんであいつ、あそこまであざとく育ったんだろうな……」

「店長の妹だからじゃないですか?」

「おい、どういう意味だ?」

 

 一人手持ち無沙汰で本当に帰りたくなった頃、何かが僕に覆い被さってくる。

すっかり慣れてしまったお酒の匂いとともに、廣井さんが肩口から顔を覗かせた。

 

「一人くん今日元気無いね。二日酔い?」

「未成年です。元気が無いのは、多分気のせいです」

「そっか。じゃあお姉さんと一緒にお酒飲もうか!」

「じゃあってなんですか、じゃあって」

 

 お酒を飲むのはありえないとして、廣井さんと一緒にいるのはいいかもしれない。

今虹夏さんと一緒にいるのはとても気まずい。どうすればいいのかまったく分からない。

どうしたいのかも分からない。自分のことなのに、僕は何も分かっていなかった。

 

「先輩は、こっちです!」

 

 廣井さんに誘われるまま動こうとした僕を、喜多さんはそう言って引き留める。

こっち。結束バンド皆と遊ぼうってことだろう。気持ちは嬉しいけれど行きにくい。

彼女からすればそれもお見通しのようで、それでも僕を説得しようとしていた。

 

「喜多さん、分かってると思うけど今日は」

「それでも来てください! 先輩はこっち来ないと危ないです!」

「危ないって、何が?」

「そ、その、なにか吸われちゃいますよ!? 若さとか!!」

 

 喜多さんの何気ない言葉が大人達の胸を貫いた。

 

「んなもん吸わねーよ、てか吸えねーよ……」

「吸えるものなら吸いたいですよね……」

「私たちが吸えるのは、精々お酒とタバコくらいだよ……」

「し、真やさぐれ三銃士……」

 

 その衝撃は大人三人のやさぐれを急速にインフレさせ、僕のそれを置き去りにした。

それからは空元気に酒盛りを始めてしまったから、もう完全について行けない。

途方に暮れて三人組を眺める僕に、虹夏さんがそっぽを向きながら小さく呟く。

 

「……来たいなら、来ればいいんじゃない」

「いいの?」

「……別に、私がどうこう言うことじゃないし」

 

 

 

 虹夏さんの許しをもらったから、結束バンドの最後尾について歩く。

大人達はお酒と仲良く遊ぶらしいので置いてきた。今日は廣井さんが三人もいる。

そうして園内を進んでいると、謎の着ぐるみが僕達の前に姿を現した。

燕尾服を優雅に着こなす紳士的なイノシシ、この遊園地のマスコット瓜ボーだ。

 

「あっあそこに瓜ボーいるよ!」

「私イソスタ用の写真撮りたいです! ひとりちゃん、伊地知先輩、一緒にお願いします!」

「えっあっわ、私もですか?」

 

 イソスタモンスターと化した喜多さんに、ひとりと虹夏さんが引きずられていく。

位置、角度、場所等、あらゆる要素を考慮し写真を撮り続ける彼女はプロさながらだった。

付き合わされて体力を削られていく二人を眺めていると、不意にリョウさんが僕の袖を引いた。

 

「今日中にケリつけてね」

「……」

「こういうこと言うと虹夏は意固地になるけど、陛下は違うでしょ?」

 

 意固地にはなっていない、と思う。譲れない一線があるだけ、いやこれがそうなのかな。

無駄にリョウさんを悩ませてもしょうがないから、その疑問は胸にしまった。

代わりに虹夏さんをよく知る彼女へ、何か打開策を求めて相談をさせてもらう。

 

「でも、どうすればいいのかな」

「虹夏が聞きたいこと、話せばいいんじゃない?」

「それは言いたくない」

「じゃあ分からない。お手上げ」

「リョウさんでそれなら、僕はますますお手上げかな」

「でも頑張って。私は早く前みたいに、面白美味しくお昼を食べたい」

 

 今でも僕と一緒にお昼を食べたいと、一緒にいたいと言ってくれている。

彼女の気持ちと言葉は途轍もなく嬉しかった。だからこそ手ごたえが無いことが申し訳ない。

その上一つ、余計な思い上がりと心配まで浮かんでしまう。

 

「……リョウさんは僕に」

「陛下に?」

「ううん、ごめん。何でもない」

「私はどっちでもいい」

 

 僕の中途半端な質問に、彼女は正面から答えてくれた。

 

「やりたければやればいいし、やりたくないならそれはそれで」

「そっか」

「陛下の好きにするのが一番だよ」

 

 そこで言葉を区切って彼女は遠くを、何かを懐かしむように見上げる。

 

「無理にやらせても、結局バラバラになるだけだから」

 

 薄く微笑んで僕にそう告げる彼女は、どこか寂しげにも見えた。

 

 

 

 一つ目のアトラクション、お化け屋敷にたどり着くと喜多さんが見るからにそわそわし始めた。

何か企んでいるらしい。誰もまったく触れないから、いつも通り虹夏さんが代表して踏み込む。

 

「で喜多ちゃん、それ何?」

「クジです!」

「なんの?」

「もちろんペア決めのです!」

 

 そう高らかに宣言する喜多さんはとてもキタキタ、いやニヤニヤしていた。

その時点でもう嫌な予感がしていた。今思えばあそこで何か言うか、いっそ止めればよかった。

虹夏さんの手前大人しくしておこう。そんな甘えた考えの結果がこれだ。

 

「……」

「……」

 

 僕と虹夏さんは見事ペアになり、お手本のように気まずい空気でお化け屋敷を進んでいた。

明らかに何か仕組まれていた。だってくじ引いた後、喜多さんガッツポーズしてたし。

でもそんな過ぎたことを気にしてもしょうがない。今はこの気まずさをなんとかしたい。

 

「……虹夏さんは確か、こういうの苦手だったよね」

「……心配しなくても平気だよ」

 

 話をまくらごと打ち切って、虹夏さんは僕から顔を背けたままずんすんと歩いて行く。

僕の心配をよそに進めるのはいいけれど、そろそろビックリポイントが来そうだ。

特にあそこ、あのこれ見よがしに配置してある井戸なんて、何も無ければ逆におかしい。

 

「……さら」

「………………………………………さらって何?」

「何も言ってないよ」

「え、じゃあ」

 

 彼女が僕へ振り返ろうとしたその瞬間、あの井戸からぬるりと人影が躍り出る。

その人影、幽霊役のスタッフさんは、凍り付く虹夏さんへ影のように囁いた。

 

「お皿一枚、一枚足りない」

「ひっ」

「どこ、私のお皿。私のお皿はどこ……?」

「きゃ、きゃああああああああああああああ!!」

「……」

 

 両手を挙げて悲鳴をあげる虹夏さんを見て、その幽霊は成仏しそうなほど満足げに頷いていた。

その後僕の方へ振り向いたから、しっかり目を逸らす。じゃないと幽霊が死んでしまう。

でも失礼な気がしたから会釈をすると、向こうも返してくれた。幽霊としてそれはいいのかな。

 

 役目を果たした幽霊が井戸の中へするすると戻るのを確認して、僕は虹夏さんに歩み寄った。

 

「……僕が前歩くからついてきて」

「……な、なんで?」

「えっと、そうすれば怖くない、よね?」

「こ、怖くないから。別に、平気っ」

 

 意地に、意固地になってそう宣言した彼女は、なおも一人お化け屋敷を進む。

ただ、その勢いはさっきと比べ格段に落ちていた。右手と右足が同時に出ている。

その上注意力も落ちたようで、さっきよりも見え見えの罠に彼女はまったく気がつかなかった。

 

「うらめしや~」

「に゛ゃああああああ!!」

 

 曲がり角からずっと僕達を待ちわびていた幽霊が、突然虹夏さんの前に躍り出る。

腰を抜かしかねない、凄くいいリアクションだ。スタッフさんも驚かせ甲斐あるだろうな。

スキップしながら立ち去る幽霊を見て、足見せてもいいのかな、なんて余計な心配をした。

それはどうでもいいか。駄目で元々、もう一度だけ彼女に提案してみよう。

 

「えっと、やっぱり僕が」

「……い、いい! 大丈夫だからっ!!」

 

 それでも彼女は僕を頼ることなく、震えた足で前に前にと進んで行く。

結局彼女は何度も何度も悲鳴をあげながらも、なんだかんだ一人でお化け屋敷を完走した。

 

「作戦失敗、ですね。むむむっ、結構自信あったんだけどなぁ」

「虹夏があんなに根性出すとは思わなかった。ところでぼっち、そろそろ帰って来て」

「……うぇっ!? あっす、すみません! こ、ここは?」

「もう外よ、安心して。ふふっ、なーんだひとりちゃん、そんなにお化け屋敷怖かったの?」

「えっ!? あっじゃあ私、怖いのでお化け屋敷に戻ってますね……」

「外のが怖いの!?」

 

 

 

 その後もジェットコースターをはじめとしたアトラクションで、皆は何かしていたようだ。

クジの細工やら何やら、きっと僕と虹夏さんが仲直り出来るように色々と試してくれていた。

そのどれもを僕の無力で無駄にした後、僕は大人三人組と合流しようとしていた。

 

「あれ、一人くんどうしたのー?」

「皆アシカショーを見に行くらしいので、一旦別れました」

「なんだ、お前そういうの嫌いなのか?」

「嫌いではありません。ただ」

 

 ジミヘン以外の動物は特に好きでも嫌いでもない。他人と違って思うところもない。

ただ一つだけ、問題はいつも通りあった。僕が行けば大事故大惨事が起こり得る。

 

「僕が見に行くと、アシカの水死体ショーになる確率が高いので」

「……それはちょっと、マニアックがすぎるな」

「なので少しの間お邪魔させてください」

「いいよいいよー、ここ座って!」

 

 廣井さんが空けてくれたスペースに腰を下ろす。ずっと緊張していたからなんだか疲れた。

そんな僕へ気遣うような視線を向けながらも、星歌さんが曖昧な口調で呼んでくる。

 

「それで一人、その、どうだ?」

「何がですか?」

「いやお前そりゃ、なぁ?」

 

 彼女の聞きたいことは分かる。虹夏さんとどうなったか。それでも僕は誤魔化した。

状況は朝とほとんど変わっていない。同じように僕は、未だに自分の気持ちも分かっていない。

困ったように頬をかく彼女から顔を逸らすと、その先には真っ赤な顔の廣井さんが待ち受けていた

 

「聞いたよー、妹ちゃんと喧嘩してるらしいじゃん!」

「おま」

「一人くん喧嘩なんて出来たんだねー。お姉さんちょっと安心しちゃった!」

「……安心するところなんですか?」

「するよ、するするー。そうですよねーせんぱーい!」

 

 喧嘩なんてしない方がずっといいはずで、それで安心する理由が分からない。

心からの疑問に廣井さんは適当に何度も頷いた後、星歌さんに同意を迫った。

その彼女とは言うと、明らかにピンと来ていない様子で腕を組み首を傾げていた。

 

「……いや、喧嘩なんて誰にでも売れるだろ?」

「あー先輩喧嘩っ早いからなぁ。んじゃPAちゃんはどう?」

「えぇ、ここで私に振るんですか……?」

 

 かなり雑に振られたのにも関わらず、PAさんは真面目に考えてくれた。

やがて袖の中で指を振りながら、僕に向かって教え込むように語り始める。

 

「うーんとそうですね。喧嘩なんて相手に興味が無いと出来ないから、とかでいいんですか?」

「それはどういう」

「例えば後藤くん、何か意見が食い違ったとして、私と喧嘩しようと思いますか?」

「……」

 

 目を逸らすしかなかった。

 

「ふふふっ、予想通りでもちょっと傷つきますね」

「その、PAさんのことが嫌いとかそういうのではなくて」

「面倒だし別にいいかって、流せてしまうんですよね」

 

 とんでもなく失礼なことを承知の上で、彼女の言葉に頷いた。今嘘は吐けない。

彼女の言う通りだ。人の意見を、気持ちを変えるのには酷く体力と時間を使う。

大切な人ならともかく、どうでもいい相手にそこまでする気にはとてもなれない。

 

「喧嘩って相手に向かい合わないといけませんけど、それってすっごくエネルギーがいるじゃないですか。こっちの気持ちを思い切りぶつける分、相手の気持ちも思い切りぶつけられますし。そんな疲れること、どうでもいい相手にやろうなんて考えません。それに気持ちをぶつけるのって、良くも悪くも相手を想ってないと出来ないことですよ」

「……」

「まあ喧嘩を売るのが生き甲斐の人もいますけど、後藤くんはそういう子じゃないでしょう?」

「そう、ですね」

「だから後藤くんが喧嘩を出来るってことは、それだけ相手を想っているってことなんじゃないかと」

 

 PAさんがそう締めると誰も何も言わず、僕達三人は黙って彼女のことをじっと見ていた。

その不気味な無反応に彼女はじりじりと退き、ビールを一口飲んで僕達へ目配せする。

 

「……あの、せめて何か反応をいただけると」

「お前説教とか出来たんだな……そこにびっくりしたわ……」

「失礼すぎません?」

 

 あまりにもあんまりな発言に、PAさんもさすがに抗議の声を上げていた。

その様子を眺めながら彼女の話を、虹夏さんと喧嘩したことの意味を僕は考えていた。

想ってないと喧嘩なんて出来ない、その通りだと思う。今まで家族以外としたことなんてなかった。

 

 あの日譲れなかったこと、彼女の言葉が気に障ったこと、今日も引きずっていること。

そのどれもが僕が彼女を大切に想っている証拠。そう改めて感じる、彼女は僕の大事な友達だ。

 

「どうすればいいのかは分かりませんけど、やりたいことは分かりました」

「よければ聞かせてもらってもいいですか?」

「虹夏さんと仲直りしたいです」

 

 僕と彼女が揉めた理由、マネージャーをやるかやらないか。その理由を言うか言わないか。

今もやれないし言わないし言いたくもない。ここが譲れない以上、根本的な解決は難しい。

それでも、だとしても、我儘だと分かっていても、虹夏さんとは仲直りがしたかった。

 

「それでその、どうすればいいのか、一緒に考えてもらってもいいですか?」

「乗りかかった船です。もちろんいいですよ」

「ありがとうございます。こういう場合、まず謝った方がいいんでしょうか?」

「悪手ですね。下手に謝罪から入ると、逆に燃え上がる可能性があります」

「なるほど。じゃあやっぱりじっくりと話した方が」

 

 友達との喧嘩なんて初めてで、僕の相談はまとまりがなくて恐ろしく拙いものだったはず。

それでもPAさんは最後まで話を聞いて、その上アドバイスまで都度加えてくれた。

また恩を感じる他人が増えてしまった。気づけばもう両手じゃ足りないくらいだ。

 

「……あれ、なんか私のポジションが取られた気がする」

「まあまあ先輩、別にいいじゃないですか! とにかくお酒飲みましょう!」

「……そうだな、飲むか!!」

 

 

 

 虹夏さんと仲直りする。そう決めたのはいいものの、僕は未だ決定打を打てていない。

あれやこれやとしている間に時間は過ぎ、最後のアトラクション、観覧車まで来てしまった。

 

「やっぱり遊園地の締めと言えば観覧車です!」

「……これもクジあるの?」

「これは用意してないですね」

「でもこれ、四人乗りって書いてあるよ?」

「そこはほら、詰め込めばなんとかなりますよ!」

「安全保障に喧嘩売ってる」

 

 観覧車の乗り場には遊園地のスタッフさんがいるから、そんなことしたら止められる。

喜多さんもそのくらい分かっているはずなのに、それ以上は触れず楽しそうに順番を待っていた。

そうしてとうとう僕達の番が来ると、彼女はまず僕を観覧車へ乗せようとする。

 

「じゃあ先輩から乗ってください!」

「え、僕から?」

「こういうのは大きい人から乗る物ですよ」

「なるほど。レジ袋に入れる時とかもそうだよね」

「例えが主婦! ……はっ」

 

 今日も虹夏さんの芸人魂に触れるとツッコミはしてもらえる。でもそれ以上が出来ていない。

どうすればいいんだろう。何度目か分からない問いとともに、言われるがまま観覧車へ乗り込む。

大人しく座って待っていると、今度はリョウさんが虹夏さんに指示を出していた。

 

「次、虹夏乗って」

「えっ? 大きさで言うなら次はリョウじゃ」

「大きいの入れた後は、小さいので調整するから」

「なんだとぅ……」

 

 リョウさんを鋭く睨みながら虹夏さんが観覧車に乗り、僕と対称の位置へ座り込む。

彼女は一度僕へちらりと視線を向けた後、落ち着かなさそうに扉の方を向く。目も顔も合わない。

本当にどうすればいいんだろう。途方に暮れる中、喜多さんがとんでもないことを言い出した。

 

「私たちは三人で乗るので、スタッフさんお願いします!」

「かしこまりましたー」

「えっ」

「なっ」

 

 またやられた。これもさっきまでのクジとかと同じ、僕達を仲直りさせるための作戦。

だとしてもこれは厳しい。今虹夏さんと二人きりにされても、きっとまた上手くいかない。

彼女も僕と二人きりなんてたまったものじゃないのか、慌てて立ち上がり外へ出ようとした。

 

「ちょ、ちょっと待って、これは」

「に、虹夏ちゃん!」

「……ぼっちちゃん?」

 

 その時ひとりが扉の前に立ちはだかり、僕達が何かをする間もなく頭を下げた。

 

「お、お兄ちゃんを、お願いします!」

 

 その言葉と姿にあっけにとられた虹夏さんは、僕はまったく動けない。

スタッフのお姉さんはその隙に手早く観覧車の扉を閉めて、にこやかに声をかけてくる。

 

「ごゆっくりどうぞー」

 

 なんか違うニュアンスが含まれていた気がしたけれど、それに触れる余裕は無かった。

 

 

 

「……」

「……」

 

 気まずい。

 

「……」

「……」

 

 観覧車に乗って数分が経つけれど、その間も会話なんて何一つない。

虹夏さんはずっと窓から景色を眺めていて、目を合わせることも顔を見ることも出来ていない。

いや、出来ていないじゃない。この状況はひとりが、皆が見るに見かねて作ってくれたもの。

僕が遊園地に来れたのも、今ここにいるのも皆の優しさのおかげ。それに応えなきゃ。

その一心で虹夏さんに向かって声を絞り出した。多分、今までで一番か細い声だった。

 

「あの、虹夏さん」

「……何?」

「仲直りがしたい、です」

「え?」

 

 あまりにも率直すぎる僕の言葉に、虹夏さんは顔を逸らすことを忘れてぽかんとしていた。

 

「虹夏さんが聞きたいことは話せない、話したくない。それでも、前みたいに仲良くしたい」

「……」

「ごめん、虫のいい話なのは分かってる。だけど」

 

 下手な小細工や言い訳はかえって怒らせるだけ、ありのままの気持ちを伝えた方がいい。

PAさんに相談に乗ってもらった結果、結局正面から話すのが一番という結論になった。

僕のそんな子供染みた懇願を聞いて、虹夏さんが思い切りため息を吐く。

 

「……後藤くんって、ほんとずるいところあるよね」

「えっ今のどこかずるしてた?」

「そうなんだけどそうじゃないというか。そういうところというか」

 

 よく分からないことを彼女は言う。詳しく聞きたいけれど、今はそんな状況じゃない。

だから黙って話を待つ。もう一度深いため息を吐いた後、彼女は景色を眺めながら続けた。

 

「あのね、私だってもちろん、前みたいにしたいよ」

「それなら」

「でも分かんなくて怖いんだ」

 

 その時視線が僕に戻って来る。そこには確かに、どこか恐れと不安が滲んでいた。

 

「いつもは優しく手伝ってくれるのに、マネージャーだけはどうしてやってくれないのか」

「だからそれは」

「言いたくないのはもう分かってるよ。だから、その理由だけでも」

「それも言いたくない」

「でも教えてくれないと、どうにも出来ないでしょ!?」

「大丈夫、どうもしなくていいよ。前も言ったけどこれは僕の問題で、虹夏さんには全然関係ないことだから」

「……っ!」

 

 僕の言葉の何が気に食わなかったのか、彼女の目が星歌さんのように吊り上がる。

そして怒りのまま何か言いたげに立ち上がった瞬間、観覧車が突然動きを止めた。

 

「わっ」

 

 感情のままに動いた彼女に踏ん張る余力なんて残っていなくて、当然のようにバランスを崩す。

いつかのように受け止めようと反射的に体が動く。でも僕もあの日と違って冷静じゃなかった。

気まずさのあまり観覧車の大きさを忘れていたのか、勢いよく立ち上がり頭を思い切りぶつける。

 

 そこに虹夏さんが突っ込んで来たから、とても受け止めきれずに僕も体勢を崩す。

そのまま一度座っていた席に衝突し、それから滑るように二人揃って床に落ちて行った

凄まじく頭と腰と背中が痛い。けれど胸の中の彼女は瞬きを繰り返すだけで痛がる様子は無い。

一応当初の目標は達成出来た。安心する僕とは対照的に、彼女は慌てて僕の頭に手を伸ばす。

 

「ご、後藤くん大丈夫!? な、なんか凄い音してたよ?」

「……平気。虹夏さんこそどこか痛いところとかない?」

「あっ! だ、大丈夫です……」

「ならよかった」

 

 敬語はスルーした。前も何故かそうだったけど、その時も教えてもらえなかった。

抱き止めた虹夏さんをそのままに、窓から外の様子を窺う。特に乗る前と変化は無い。

街の電気は点いているし、園内の人々にも焦った様子は無い。地震や停電じゃなさそうだ。

 

『大変申し訳ございません。電気系統の安全確認のため、一時的に停止いたします』

 

 答えはアナウンスから振ってきた。観覧車自体にトラブルが起こったらしい。

 

「きゅ、急に電気トラブルって、どうしたんだろうね」

「ひとりが溶けて、電気系統に絡みでもしたのかな?」

「否定しきれないこと言うのやめて……」

 

 遊園地という陽キャ、リア充、カップル、幸せの巣窟。ひとりの天敵が集う場所。

今の今まで人の形を保っていたことが奇跡。観覧車に乗って気が抜けたのかもしれない。

それで溶けてずるずると、とか。いやありえない話だ、多分、きっと、うん。

 

「しばらく動かなそうだから、今のうちに座り直した方が」

「……」

「虹夏さん?」

 

 当然の提案をした僕を無視して、虹夏さんは僕の頭に置いていた手を背中に回した。

そのまま力を入れて、顔も僕の体に寄せてくる。有体に言えば、突然僕のことを抱き締めてきた。

意図が分からず読めず困惑のまま彼女を呼ぶと、やがておずおずと何かを口にする。

 

「は、話してくれるまで、放さない」

「……えっ?」

「後藤くんが理由話してくれないと、私も放さない!」

 

 虹夏さんが壊れた。

 

「放さないって、観覧車降りるまで?」

「そ、そうだよ。ずっと、ずっとこうしてるから」

「それなら降りるまで黙ってるから、意味無いと思うけど」

「……この観覧車の説明、読んだ?」

「一通りは」

 

 看板とかポスターとか、文字があるとなんとなく目で追ってしまう。

観覧車に並んでいる途中、説明や注意事項があったから自然とそれも読んでいた。

僕の返事に虹夏さんはぎこちなく頷くと、それ以上に硬い声と表情で問いを続ける。

 

「それでその、そういうことが禁止されてるってのも、見た?」

「どれのこと?」

「………………その、イチャイチャ的な」

「えっと、あぁ、うん、一応」

 

 彼女がここまで言い淀むイチャイチャ的なこと、恐らくはいわゆる性的な何かのことだろう。

もちろん明記はされていなかったけれど、禁止事項の内、風紀や秩序を乱す行為に含まれるはず。

でもそれがどうしたって言うんだろう。どう考えても僕達にはまるで関係の無いことだ。

 

「こ、ここ、こんな格好してるところ見られたら、そういう誤解されちゃうかもね?」

「このくらいなら、ただくっついてるくらいじゃされないと思う」

「で、でも、私が言っちゃったら!?」

 

 言う、何を、性的云々、あぁ、襲われてますとかそういうことかな。脅しの類か。

それなら確かにこの体勢、状況証拠と手や服についた繊維で色々問題を起こせそうだ。

法的なことは難しくても僕を社会的に貶めるのは簡単、やり方次第では殺すことも出来る。

そしてその場合、被害は僕だけにとどまらない。また家族を僕のせいで傷つけることになる。

そのつもりなら本気で抵抗しよう。そう思った矢先、彼女がとんでもないことを言い出した。

 

「わ、私が、この人を襲ってますって!!」

「えっ」

 

 予想だにしていなかった犯行宣言に、警戒心を忘れてつい声を漏らしてしまう。

そんな僕を置き去りに、虹夏さんは真っ赤な顔で目をぐるぐるとさせながら言葉を並べ続けた。

 

「襲ってるのは私だから、怒られるのも私!」

「虹夏さん、ちょっと落ち着いて」

「が、学校にも連絡行っちゃうかも。うちの学校厳しいから、こ、こんなことしたって知られたら停学とか、もしかしたら退学とか」

「いやそこまでは」

「男の子を襲って退学になったとか、そんなことになったらご近所で噂になっちゃうよね、きっと。そ、そうしたらもう、二度と表なんて歩けないよ」

 

 壊れた虹夏さんが滅茶苦茶なことを言っている。僕の制止はまるで届かない。

無理やり止めようとすれば、狭い観覧車の中ではどうあっても彼女に痛い思いをさせてしまう。

そうして手と言葉の置き場に困っていると、不意に彼女はひっそりとした声を出す。

 

「だから、だからね後藤くん」

 

 そう言って、不安そうに僕を見上げる。

 

「あたしのことを助けてくれるなら」

 

 ぎゅっと、僕を抱く腕を強くする。

 

「あたしのことを大切に想ってるなら、後藤くんのことを教えて」

 

 今日はやられてばかりだ。教えるまでも無く、彼女はもう僕のことをよく理解してくれていた。

そうじゃないとこんな馬鹿なこと、自分を人質にするなんて変な手段、普通は取らない。

そうだ、彼女が今僕に向けているのは脅しなんかじゃない。何よりも耐え難い信頼だった。

 

「……はぁ」

「ぁ」

 

 一つ、重いため息を吐く。虹夏さんが身を硬くするのが伝わった。

心が揺れてしまうから、それを無視して一度目を閉じ考える。僕はどうすればいいのか。

とっくに結論は出ていた。変えようがなかった。どちらが大切かなんて比べるまでも無い。

 

「虹夏さんがこんなに卑怯な人だったなんて、全然知らなかった」

「女の子にはみんな、そういうところがあるんだよ?」

「いい勉強になったよ。次は、次があったら、もう乗らないようにする」

「……それじゃあ!」

 

 さっきまでの不安に曇ったものから一転、彼女の声も瞳も喜色に染まる。

そんな表情で聞くような話じゃない。ただの愚痴で、きっと面白くもなんともない。

 

「暗くてつまらない、辛気臭い話だよ。それでも」

「それでも聞きたい、聞かせて」

「……分かった」

 

 それを伝えても彼女の様子は変わらない。だからここに来て、ようやく僕も覚悟を決めた。

 

「僕はもう、迷惑をかけたくないんだ」

 

 それから僕は、誰にも漏らしたことのない弱音を話し始めた。




次回「大天使の宣戦布告」です。
大体お察しだとは思いますが答え合わせをします。


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第二十二話「大天使の宣戦布告」

感想評価、ここすきありがとうございます。


「僕はもう、迷惑をかけたくないんだ」

「……どういうこと?」

 

 僕の漏らした弱音に、当然のことながら虹夏さんが不思議そうに聞き返す。

どこから話せばいいんだろう。誰にも伝えるつもりはなかったから、まるでまとまりがない。

話すべきことと隠すべきこと。頭の中で仕分けしていると、突然彼女に釘を刺される。

 

「全部話して」

「まだ、何も言ってないよ」

「何話そうか、迷ってる気がしたから」

「……よく分かったね」

「後藤くん、自分で思ってるより結構分かりやすいよ」

 

 今も表情は変わらないのに、その言葉の通り、随分と内心を見抜かれるようになってきた。

それなら彼女の言葉に甘えよう。まとまりがなくても分かりにくくても、最初から話そう。

 

「ひとりが小学生になった時の話なんだけど」

「うん」

「あの子は僕のせいで避けられてたんだ」

 

 唐突に始めた昔の、それもひとりの話。関係無さそうなそれも彼女は聞いてくれた。

 

「今ほどじゃないけど、僕はもうあの頃から魔王って呼ばれてたから」

「……そうなの? なんでかって聞いてもいい?」

「入学式の日に揉めた子が、発作か何かで気絶しちゃったのがきっかけだったと思う。でもそれ以上は、なんでだろうね」

 

 僕と睨み合った子が突然倒れ、その上全身を痙攣させながら気絶した。

幼い子供には衝撃的な光景だっただろう。動揺一つ見せない僕が恐ろしく感じたのも無理はない。

でもその後、どうしてここまで来てしまったのか、それはもう分からない。思い出せない。

 

「今更どうでもいいよ。とにかく僕はもう腫れ物で、ひとりはそれの妹だった」

「それで、避けられちゃった?」

「あの子、あの後藤君の妹でしょって。友達を作ろうって、せっかく勇気を出したのにね」

 

 当時も人見知りだったひとりにとって、それがどれだけ勇気の必要なことだったか。

想像するだけで心が締め付けられるように痛む。僕はとても大切なそれを無駄にしてしまった。

その感傷を振り払う。一生背負うつもりだけど今は必要ない、しまっておこう。

 

「そんな感じで僕はずっと、ひとりのきっかけを何度も潰してきた」

「潰して来たって、そんな」

「事実だから」

 

 滑稽な話だ。あの子に可能性が多くあって欲しいとか、偏見で見ないであげて欲しいとか。

それを言う僕が誰よりもあの子の可能性を奪い、誰よりもあの子を取り巻く偏見を作って来た。

虹夏さんは否定するけれど、彼女もまた僕のこの持論を補強した一人だ。

 

「それに虹夏さんも、僕の妹だって知ってたら話しかけられなかったかもって、前言ってたよね?」

 

 夏休み、僕達の関係を打ち明けた時に虹夏さんが漏らした言葉。本心で事実だろう。

ひとりと虹夏さんが出会ったあの日あの時、もし僕が傍にいたら、兄妹だと分かっていたら。

彼女は声をかけなかったはず。別の人を探しに行ったはず。また可能性を潰していたはず。

 

「うっ、そ、それは」

「気にしてないよ。誰だってそう思うのが当然だから」

「嘘」

「……本当は気にしてます。ごめんなさい」

「謝るのはこっちだよ。ごめんね、あの頃はそんなに傷つくなんて、想像もしてなかった」

 

 僕を抱く腕が慰めるように強くなる。その分だけ胸が痛くなった。

 

「虹夏さんは凄く優しいよね」

「と、突然どうしたの?」

「だからこそ辛いんだ。きっとあの日からこれまでで、十年間で、虹夏さんみたいな人達ともすれ違ってきたはずだから」

 

 少しだけ周囲と関わることが出来るようになって分かった、分かってしまったことがある。

世の中には優しい人がたくさんいる。ひとりを受け入れてくれる人は想像以上にいる。

そのおかげで、そのせいで、僕はとある妄想が捨て切れなくなった。

 

「僕がこんなじゃなければ、ひとりにもっと早く友達が出来たんじゃないかなって」

「そんなこと」

「無いかもしれない。でも可能性を否定は出来ない」

 

 ひとりは変わっている子だ。弱気で内気で、なのに変なところで自信家で、強情で。

そして何より優しい子だ。人を想えて、誰かのためなら頑張れて、勇気を出せる子だ。

虹夏さんの時のようなきっかけさえあれば、友達なんていくらでも作れたはずだ。

 

 僕の妄想に虹夏さんはそれ以上何も言わず、ただ僕の背中を優しく摩る。

こんな暗くて面倒な話、もういいって言ってもいいのに。言ってくれてもいいのに。

苛立ちなのか、安らぎなのか、自分でも分からない気持ちを抑え、僕は話を続けた。

 

「ひとりだけじゃない。父さんにも母さんにも、ずっと迷惑ばっかりかけてきた」

 

 子供の問題は親の責任。小さい頃はなおさらそういう風に見られていた。

そしてそんな頃から僕は大人にも恐れられていて、その恐怖を彼らは僕の両親にぶつけていた。

僕が怖いなら避け続ければいいのに。逃げて関わりを全て断とうとすればいいのに。

どうしてそれをせず、不平不満を代わりに二人に向けようとするのか。今も意味が分からない。

 

「何か起きる、ううん、起こす度に学校に呼び出されて、どんな教育されてるんですかって。面白いこと言うよね。教育でこんな風になるなら、それこそ僕が教えて欲しいよ」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、胸の虹夏さんが少し震えた。この辺でやめるべきか。

全部話してとは言ってくれたけれど、だからってなんでも言っていい訳じゃない。

何の意味も持たない愚痴で彼女の耳を汚したくない。残りは手早く済ませよう。

 

「保護者達も家族そろって腫物にしてきたけど、今ならその気持ちも少しは分かっちゃうんだ」

「そうなの?」

「僕だって僕みたいな人に、ひとりを近づけたくないから。だから誰かに文句を言う資格は無いよ」

 

 それに一番文句を言いたい相手は僕だ。自分相手なら資格はいらないし、毎日だって言える。

なんとなくここで言葉が区切れた。虹夏さんは口を閉ざしてじっと話の続きを待っている。

でも、もういいか。これ以上話しても多分、意味不明な恨み言しか出てこないからまとめる。

 

「そんな風に僕はいるだけで家族に、大事な人達にずっと迷惑ばかりかけてきた」

 

 僕のせいで詰られる父を見た。父さんはその週末、僕を遊びに連れて行ってくれた。

僕のせいで頭を下げる母を見た。母さんはそんな日でも僕の好きな物を作ってくれた。

僕のせいで避けられる妹を見た。ひとりはそれでもずっと、僕と一緒にいてくれた。

 

 今も時々夢に見る。そしてその度に僕は僕を、他人をもっと嫌いになる。

もちろん原因が僕にあるのは分かっている。僕が普通の子ならこんなことにはならなかった。

それでもこの身勝手な恨みつらみを、今も僕は捨てきれずにずっと抱えている。

 

「もしマネージャーになんてなったら、いつか結束バンドにも似たような迷惑をかけると思う」

 

 ファンはいい。あれは勝手になるものだ。どのバンドにも迷惑な客やファンはいる。

友達もまだいい。あれは勝手に自称出来る。いざとなれば一方的に言ってるだけと言い張れる。

でもマネージャーは駄目だ。あれは契約関係、お互いに認めなければ絶対になれはしない。

そして一度立場を得て動いてしまえば、それを見られたら、もう誰にも言い訳出来なくなる。

結束バンドは僕の関係者になってしまう。そうすればきっとまた迷惑をかけてしまう。

 

「もう嫌なんだ。僕のせいでこれ以上、大事な人達に迷惑をかけるのは」

「……後藤くん」

 

 僕が弱音を吐くと、虹夏さんは心配そうに名前を呼んでくれる。

これもある意味、迷惑をかけてしまっている、と言ってもいいかもしれない。

だからそれも含めてこれ以上をなくすため、改めて話の根本へと立ち返る。

 

「だからごめん虹夏さん、やっぱりマネージャーは」

 

 話を、説明を締めようとすると、胸元にあった虹夏さんの顔がやっと離れた。

離れていく温もりに目を瞑り一息吐こうとした瞬間、今度はそれがおでこにぶつかった。

驚きに目を開くと視界一杯に虹夏さんの瞳が映る。あたたかな輝きが僕を射貫く。

 

「まだだよ」

「え?」

「まだ教えてくれてない理由、あるよね?」

 

 心臓が止まるかと思った。

 

「それだけで後藤くんが手伝ってくれないって、あたしは思えない」

「十分だよ」

「ううん、足りない」

 

 苦し紛れの誤魔化しは彼女にまったく通用しない。その目にも言葉にも確信があった。

特に瞳は隠した何もかもを見抜いているような心地すらして、僕を酷く動揺させる。

にもかかわらず、何故かその輝きから僕はずっと目を離せなかった。

 

「もし後藤くんの言った通り本当に迷惑がかかるとしても、後藤くんなら人の目でも何でもそういうの全部誤魔化して、あたしたちのことを助けて手伝ってくれる」

「……僕が、そこまですると思う?」

「信じてる」

 

 ただ一言で、信頼で、僕の悪あがきは切り捨てられた。だから話すしかなかった。

 

「……こっちはもう、本当にただの弱音なんだ」

「うん」

「全部全部僕が勝手に思ってることで、誰がどうとかでもなくて」

「うん」

「だからさっきまでの話もだけど、聞いても何も意味なんて」

「それでも聞かせて。後藤くんのこと知りたい」

 

 今度こそ僕は観念した。こんな話でも、僕でも求めてもらえるのなら応えるしかない。

さっきからくっつけられていたおでこを外して、今度は僕が彼女の背に手を回す。

マナーにも倫理にも反する行為。それでもこうでもしないと、とても続けられない。

 

「わっえっ、ご、後藤くん?」

「……ごめん。さっきの体勢だと多分、話せない」

「あっ! あ、あたしこそ、ごめん」

 

 何がごめんなのか、それを考える余裕もない。

ただ幸いなことに、虹夏さんは驚きに一瞬身を硬くしただけで受け入れてくれた。

こうすれば彼女の顔を見なくて済む。そして彼女に僕の顔を見られずに済む。

これからの話はあまりにも情けなくて恥ずかしくて、顔なんて合わせていられない。

 

 背に回した手に力を入れて彼女を抱き寄せ、肩の上に、耳元に顔を近づける。

横目にちらりと映る彼女の耳は赤く染まっていて、相当無理をしていることが見て取れる。

こんなことは早く終わらせよう。長くしても僕も彼女も苦しい思いをするだけだ。

その一心で今まで誰にも、家族にも伝えたことのない本音を、僕は初めて口にした。

 

「自信が無いんだ」

 

 言ってしまった。それでもきっと、これだけじゃ虹夏さんには伝わらない。

だから恥を忍んで言葉を重ねる。何の自信が無いのか。どうして無いのか。

 

「十年かけても結局、僕はひとりのために何も出来なかったから」

 

 そう続けると、虹夏さんは疑問に思い切り首を捻った。

 

「……あれだけシスコンやっておいて?」

「細々としたことはやってたよ。でもあの程度、誰にでも出来るから」

「出来るかなぁ……」

 

 どれも時間を積めば誰でも出来ること。僕が僕だからしてあげられたことなんて何一つない。

ギターは独学か父さんが、勉強は学校が、日々の生活は母さんが。僕がいなくても代わりはいる。

むしろ僕はずっとあの子の領域に立ち入って、我が物顔で干渉して、出来ることを奪っていった。

本当にひとりのことを想うならもっと自立させるべきだ。もっと干渉を減らすべきだ。

そう思っているのに、分かっているのに、僕は今日もひとりから離れられていない。

 

「何より一番大事なことで、ひとりが欲しかったことで、僕は何一つ力になれなかった」

「それって」

「友達を作ること」

 

 十年間二人で色々と試して、努力して、全部報われなくて、何もかも意味が無くて。

本当のことを言うと、僕はもうずっと前から諦めていた。頑張っているふりだけしていた。

僕は当然として、どうあってもひとりにも友達なんて出来ないと。だけどそれは大きな間違いだった。

 

「でも虹夏さんがくれたきっかけを、あの子は自分一人でものに出来た」

 

 大抵のことは努力すればどうにでもなった。勉強も運動も家事も、音楽だって。

それでも人間関係は、友達は、ひとりの一番大事なことだけはどうしても何も出来なかった。

結局ひとりは全部自分の力で、友達も居場所も手に入れた。僕は最後まで無力だった。

 

「こうして虹夏さんと話せてるのも含めて、僕がおこぼれを貰ったくらい」

 

 今僕が親しくしている、出来ている、させてもらっている人達は、皆ひとりを通じて出会った。

皆ひとりが先に出会って、仲良くなって、それから恥ずかしいことにそのおこぼれを貰って。

もしかしたら大槻さんだけは違うかもしれない。でも彼女との出会いは廣井さんがきっかけだ。

そしてその廣井さんとも、ひとりがいなければどうにもならなかっただろう。

 

「その後も、僕はひとりの助けになれなかった」

「そんなことないって。ぼっちちゃんの力になってたところ、たくさん見たよ」

「ううん、僕が何もしなくても多分、何も変わらなかったと思う」

 

 結束バンドについても性懲りもなく、あれこれとあの子にお節介を焼いてきた。

だけどそれがあってもなくても、きっと今とほとんど状況は変わっていないだろう。

皆は仲良くなって夏休みにライブをして、ピンチを乗り越えて、文化祭のライブも成功させる。

その後佐藤さんが来て、色々言われてもへこたれずに未確認ライオットへ挑戦する。

 

 こんな考え自体が恥知らずで図々しくて気持ち悪い。それでも思わずにはいられない。

僕がいたことで変わったことは無かった。僕が変えられたことは何一つ無かった。

出来たことと言えば精々、僕のせいで生まれたマイナスを自分で帳尻合わせした程度。

僕の存在が皆の何かを左右したことは、これまで一度として無かった。

 

「マネージャーとしての仕事も、そうなるかもしれない。大事なことだけ出来ないかもしれない」

「それとこれとは、全然違うよ?」

「そうだね、ひとりのことは根拠にならない。でも不安なんだ」

 

 マネージャーにとって一番大事なこと、仕事、役割なんて今の僕には分からない。

出来るか出来ないかなんて、それこそ判断出来ない。それでも僕は怖かった。

また無力なのが。また迷惑をかけるのが。また、ただの重りになってしまうのが。

 

「そんなことないよ、大丈夫って言ったら、後藤くんは安心してくれる?」

「……ごめん」

「だよね。そのくらいでなんとかなるなら、きっと後藤くんはこんなに苦しくないよね」

「そう言ってもらえるのは本当に嬉しいんだ。でも、僕が僕を信じられないから」

 

 僕への不信を改めて声に出すと、虹夏さんは何か考え込むように押し黙る。

それとは逆に彼女の心臓がより雄弁に、鼓動がもっと早くなるのが伝わって来る。

まだ何か言いたいけど、言いにくいことがあるらしい。ここまで来たら全部聞こう。

やがて彼女は深呼吸を数回した後、覚悟を決めたかのように再び話し始めた。

 

「……あたしには」

「うん」

「あたしには悔しいけど、後藤くんの不安とかトラウマとか、そういうのを失くす力は無いと思う」

「ずっと言ってる、そんなこと押し付けたりしないよ」

「でもね、それでも一つだけ絶対違うって、絶対に間違ってるって言える」

「……え?」

「おこぼれなんかじゃないよ」

 

 その言葉の意味が理解出来なくて、僕は彼女が再び口を開くのを待った。

 

「あたしと後藤くんがこうやっていられるのは、友達になれたのは、後藤くんのおかげだよ」

 

 僕のおかげ。ますます意味が分からなくて、僕はさっきの彼女のように首を傾げた。

するとこつんと彼女の頭にぶつかる。慌てて頭を離す僕に、彼女は苦笑いで答えた。

 

「ね、後藤くん、一回緩めて」

「ごめん、苦しかった? というかもう放すべきだよね」

「ううん大丈夫。これはちゃんと、顔を見て言いたいだけだから」

 

 言われるがまま力を抜いて顔を離し、さっきまでのように向かい合う。

相変わらず耳も頬も赤いままだったけれど、不思議と穏やかな笑みを彼女は浮かべていた。

 

「六月くらいに公園で声かけてくれたこと、覚えてる?」

「うん、もちろん」

「あの時はびっくりしたよ。まさかあの後藤くんに話しかけられるなんて」

 

 あれは確かひとりが、虹夏さんがバンドとしての成長とは何かについて考えていた頃だ。

暗い公園でブランコに乗る彼女を見つけて、何かを心配して声をかけた記憶がある。

 

「しかもいきなり、今日はいいお天気ですね、だよ?」

「それはもう忘れて」

「だーめ、忘れてあげない」

 

 半笑いの彼女とは違って、こっちは恥ずかしさしか感じない。

今なら分かる。天気デッキは実は上級者向けだ。僕程度ではまだ扱いが難しい。

くすくすと笑っていた彼女だったけど、今度は一転少し不満そうに僕の背中を軽く叩く。

 

「しかも急に隣に座ってくるし。今だから言うけど、あれ結構怖かったよ」

「そこはその、ちょっと狙ってたから」

「えっなんで?」

「あそこ結構暗かったから、女の子一人じゃ危ない気がして。だから怖がらせたら明るい場所に、安全な場所に行ってくれるかなって」

「……そういうところ、ほんとずるい」

 

 そう言ってから彼女はもう一度だけ気持ち強く、それでいて優しく僕の背中を叩いた。

僕のあれはずるかったのかな。口じゃ出来なくても行動ならって思ったんだけど。

それを確認する前に彼女は話を再開した。これはいつか機会があれば聞いてみよう。

 

「ぼっちちゃんとあたしが友達になれたのは、あの日あたしが声かけたからって言ってたよね」

「うん、虹夏さんがひとりを見つけてくれたから」

「あたしと後藤くんも同じ。後藤くんがあの時あたしを心配してくれたから。だから今があるんだよ」

「……同じなのかな?」

「同じだよ。それに、あたしだけじゃない。リョウも、喜多ちゃんもそうだと思う。リョウの体を心配して、隠れてお弁当を渡してくれたこと。喜多ちゃんも言ってたよ、危ないところを、悩んでいるところを助けてもらったって。それも全部、後藤くんからやってくれたこと」

「それは、皆がひとりの友達だから」

「それは後藤くんがあたしたちを気にした理由でしょ。あたしたちが後藤くんのことを、その、好きになった理由じゃないよ」

 

 だから、と震えた声で彼女は続ける。

 

「おこぼれなんて言わないで」

 

 目と目が合う。だから分かる、伝わる。虹夏さんは今本気でこれを言っている。

 

「あたしの友達を、馬鹿にしないで」

 

 その上で彼女は、これまでで一番の無理難題を僕に告げた。

 

「虹夏さんはいつも、難しいことばっかり言うよね」

「難しくても、無理でも、絶対許さないから」

「……そっか」

「絶対だから、約束だからね」

 

 絶対ならしょうがない。無理を通すためにも、これからはもっと頑張らないと。

そんな内心を見透かしたように、彼女は僕に大きい釘を刺して来た。

 

「でもあんまり頑張らなくていいから」

「……えっじゃあどうすれば」

「頑張らなきゃ駄目な時は、ううん、そうじゃなくてもいつでも来て。愚痴でも相談でも、何でもいいからもっと話そ?」

「そんな迷惑になること」

「ならないよ、友達との話だもん。それに、今までずっとあたしたちが聞いてもらってたから。いい加減そろそろ返さないとね」

「たちって。勝手にそんなこと言ってもいいの?」

「いいんです。リーダーの特権だよ!」

「横暴だなぁ。人望減っちゃうよ?」

「あたしは結束バンドの結束バンドなんでしょ? だから大丈夫!」

 

 弱いところを見せられるようになれたら、誰かに愚痴を零せるようになれたらいいね。

お正月、廣井さんにそう言ってもらった記憶がある。あの時僕はそれを否定し拒絶した。

そんなことは出来ないと、僕にそんな弱音は許されないと、ずっとそう思っていた。

 

 だけどこれも違った。僕はいつも思い違いをしてばかりだ。

家族じゃなくても僕が僕を許さないことを、認めないことを絶対に許してくれない人がいる。

僕の自由な気持ちを縛る、酷く横暴な振る舞いだ。でもそれがどうしようもなく嬉しかった。

この気持ちをどれだけ伝えられるかは分からないけれど、それでも精一杯込めよう。

 

「虹夏さん、あの」

「うん、何?」

「ありがとう。その、こんな話聞いてくれて」

「ううん。こちらこそ、言いにくいのに話してくれてありがとう」

 

 体は動かせないからお互いに首だけ下げて、どこか不格好にお礼を言い合う。

改めて思う。これこんな真面目な話をする体勢じゃないな。おかしくて笑いそうになる。

というかそうだ、もう話すことは話した。こんな問題だらけの状態は早く終わらせた方がいい。

僕がその提案をする前に、突然虹夏さんが思い出したように疑問の声を上げる。

 

「そういえば、なんで話したくなかったの?」

「それは、その」

「なんとなく今教えてくれた方は分かるけどさ、最初の方はどうして?」

「……言わなきゃ駄目?」

「だーめっ!」

 

 笑顔で一閃されたから僕は諦めた。

 

「えっと、皆優しいから、もし話してもそれでもいいよって言ってくれそうで、断る理由にならなそうで、しかもそんなこと言ってもらえたら、きっと僕もその気になっちゃうから」

「うん」

「でもその後、実際に迷惑をかけそうなのは目に見えてるし、それはとても申し訳ないし」

「ふんふん」

「……」

「後藤くん」

「……それで、その、皆に嫌われたり後悔されたりしたら、もう立ち直れないなーみたいな」

「………………ふんっ!!」

「頭突きはやめて。痛いし危ない。色々危ない」

「やめない。お仕置きだよ!」

 

 ごりごりと頭突きの延長でおでこを擦られる。痛いというよりくすぐったい。

目の間に虹夏さんの顔が、怒ったような笑顔があるのもなんだかくすぐったい。

そうして色んな意味でお手上げになりつつある中、突然観覧車の扉が開いた。

 

「あっ」

「あっ」

「あっ」

 

 僕と虹夏さんと観覧車スタッフのお姉さん、三人同時に声を上げる。

こんなものを見られてしまったら、見せられてしまったら、こんな声も出したくなる。

そう、僕達は観覧車が動いていたことも、到着しそうなことにもまったく気がついていなかった。

 

「……あっ、ぁっぁぁ」

 

 虹夏さんのうめき声が耳に刺さる。見ていられなくて視線を逸らすと視線がぶつかる。

観覧車の順番待ちをしている人達が、好奇心全開で僕達二人のことを眺めていた。

とりあえず今一人減ったけれど、それでも両手両足を使っても数え切れないほどいる。

 

 これだけの数、突き刺さる視線全てを処理したら確実に新聞沙汰だ。

虹夏さんも真っ赤にした顔を僕の胸に埋め、身動き一つしない。このままじゃ降りられない。

状況を確認した僕は混乱し、この上なく馬鹿みたいなことをスタッフさんに聞いていた。

 

「……延長ってありますか?」

「ちょ」

「こちらの方にお願いしまーす」

「あるの!?」

 

 驚愕して顔を上げた虹夏さんに向けて、スタッフさんが二枚何かのチケットを取り出す。

それを見た彼女が一瞬で沸騰する。見下ろす耳はさっきよりも赤くなり、今は燃えそうなほど。

何のチケットなんだろう。覗き込むと、それはこの遊園地と提携しているホテルの割引券だった。

 

「ごゆっくりどうぞー」

「ああああああああああ!!!」

 

 虹夏さんはキレた。

 

 

 

 その後暴れかけた虹夏さんを引きずるように走り、僕達は遠く離れたベンチにたどり着いた。

息を切らせて今にも死にそうな彼女を座らせ、適当な飲み物を買って戻り、僕も横に座る。

 

「はあ、はあ、はあ」

「大丈夫? 飲み物買って来たけど飲める?」

「の、飲む。というかなんで、後藤くんは息切れてないの……?」

「鍛え方が違うから」

 

 伊達に十年以上ひとりを背負ってはいない。僕の足腰はひとりの賜物だ。

 

「もうすっごく恥ずかしかった、死ぬかと思った!」

「真っ赤だったね。破裂しそうで心配したよ」

「……そういう後藤くんは、ぜんっぜん照れてないよねー」

「もっと恥ずかしい話、虹夏さんにしたばっかりだったから」

「うわー、責めづらい理由で攻めてきたー」

 

 苦笑いとともに彼女は両手を挙げた。わざとらしいおどけ方だ。気を遣ってくれている。

やがて彼女はその笑みを収めると、やがて観覧車の時のように再び真剣な顔になった。

僕から話せることはもう何も無いと思うけど、まだ話の続きをするのかな。

 

「ねえ後藤くん、最後にもう一つだけ聞かせて?」

「……ここまで来たらなんでもいいよ。でもここだと」

「あっ大丈夫。さっきみたいなその、深い話じゃないから」

 

 深いというか不快というか。とにかく、さっきの僕の弱音とはちょっと違うらしい。

考えてもキリが無いから打ち切って、一つ頷いた後彼女の質問を待つ。

 

「結局後藤くんはやりたいの、やりたくないの?」

「それは」

 

 僕の本心はどっちなんだろう。やりたい気持ちは当然ある。皆の傍にいたい、力になりたい。

でもそれと同じくらい、傍にいて迷惑になるのは怖い。そうなるくらいならやりたくない。

迷いに目を伏せる僕を見つめて、不思議なことに彼女はにっこりと笑みを浮かべる。

 

「教えてくれてありがとう」

「まだ、何も言ってないけど」

「ううん、伝わったから平気!」

 

 そう言って勢いよく立ち上がった彼女は、くるりと振り返り僕を指差す。

 

「あの、虹夏さん?」

「だからこれはね、あたしからの宣戦布告!」

 

 その唐突な宣言に、僕はただ驚いて彼女の顔を見つめることしか出来ない。

そんな様子がお気に召したのか、彼女は満足げに笑みを深めて続ける。

 

「あたしが、あたしたちが絶対正直にさせてあげる!」

 

 夕日は後光で雲は羽。

 

「覚悟して待っててね、一人くん!!」

 

 夕焼けを背負って微笑む虹夏さんは、まるで天使のようだった。

 

 

 

 虹夏さんが僕から指を下ろしてすぐ、結束バンドの三人が駆け寄って来た。

 

「あっ先輩たちいたー! もう、二人とも探したんですからねー!!」

「ごめんね、あの辺り人が多いから移動してた」

「それならそれで連絡くらいしてください!」

「いやーほんとごめんね?」

「り、リア充の間を何度も通って来たから、なんだか意識が朦朧と」

「ひとりもごめん。謝るから現世に戻って来て」

 

 ぷんすこ怒る喜多さんと半透明のひとりはいつもと同じ、見慣れた態度と振る舞いだ。

どうやらさっきのことは見てないし知らないらしい。今更の心配だったけど安心した。

密かに胸を撫で下ろしていると、黙って僕らを見比べていたリョウさんが一言発する。

 

「それで、どう?」

「どうとは?」

「二人とも、もう大丈夫?」

 

 リョウさんの問いかけに、僕達は二人揃って同時に顔を見合わせる。

僕は変わらず無表情のまま、虹夏さんはそれでも柔らかい笑顔を向けてくれた。

これなら大丈夫、胸を張って言える。僕達は仲直り出来た。前みたいに、前以上に仲良くなれた。

 

「ご迷惑をおかけしました」

「えっと、この通りです」

 

 一緒に頭を下げた後、彼女はそっと僕に近付いて腕にくっついた。なんだか近い。

友達の距離感にしては近すぎる気がする。でも仲直りの証明にはちょうどいいのかな。

それを見た喜多さんはニヤリとした笑みを浮かべると、悪戯っぽく僕達に絡んでくる。

 

「……どの通りですか~?」

「えっ」

「どの通り?」

「どど、どどどどどど、どどどどどどどどど?」

「どういう?」

 

 喜多さんとリョウさんが楽しそうに、ひとりがドリルのように疑問の声を上げる。

どう見ても考えてもからかいが九割、それでも残りは真剣に心配されている、多分。

上手い対応が思い浮かばない僕は、虹夏さんにこっそりと囁いた。

 

「どうしよう虹夏さん。今何か求められてるよ」

「どうせからかってるだけだし、無視してもよくない?」

「でもほら、ずっと心配かけちゃってたし」

「あー、うん。そうだよね……」

 

 こそこそと二人で相談していると、恨めしそうな、それでいてとんでもない棒読みが耳に届く。

 

「……虹夏と陛下のために今日空けたのになー、一週間も予定ずらしたのになー」

「元々審査発表日のはずだったんですけどねー。あーあ、当日怖いなー、落ちてたらどうしよー」

「い、一次審査落ち……!? ちゅ、中退が遠のく…………」

「急に申し訳なさが消えてきたんだけど」

「まあまあ。何でもいいから、やるだけやっておこうよ」

 

 僕も正直萎えてきたけれど、額に苛立ちを浮かべる虹夏さんをなんとか宥める。

ひとりに喜多さんにリョウさん、それに星歌さんをはじめとした大人の人達。

色んな人に気を回してもらったおかげで仲直り出来たのは事実だ。イラッとしたのも事実だけど。

 

「では仲直りの証明として、一発芸やります」

「なんか始まりましたよ」

「み、見てください、超ロン毛!」

「虹夏が馬鹿になった」

「あっそ、それは、後藤家秘伝の一発芸じゃ」

「いやこれ思い付きでやってたよね?」

「そうだ、じゃあひとりも混ざる?」

「あっえっ、ちょ、超々ロン毛!!」

「ぼっちも馬鹿になった」

「元からじゃないですか?」

「!?」

 

 変なことや馬鹿なことを言ったりしたり、それに呆れたりツッコんだり。

そんな僕達のいつものようなやり取りを、大人三人は遠くから不思議そうに見ていた。

 

「……あいつらあれ、何やってんだ?」

「さあ? でもあの感じ、仲直り出来たってことじゃないですか?」

「それじゃ祝い酒だー!」




以上答え合わせでした。後半の理由も分かっていた人は魔王検定一級です。
分かった方も分からなかった方も、せっかくなので評価と感想をお願いします。
次回は通常投稿で「現実逃避をしよう!」です。


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第二十三話「現実逃避をしよう!」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 その日強い言葉で喜多さんに呼び出された僕は、スターリーのカウンターに座っていた。

僕の横に座る彼女は全身から不安と緊張を放出して、その気持ちのまま身を乗り出してくる。

 

「この不安、どうやって誤魔化せばいいでしょうか?」

「練習でもしてればいいんじゃない?」

「そういうのじゃないんですよ!!」

 

 思ったことをそのまま告げると、掴みかかるような勢いで真正面から怒られてしまった。

それから出来の悪い生徒に教え込むように、彼女は腕を組みながら僕に語り掛ける。

今日の喜多さん先生だ。でも残念ながら、今回は講義というより抗議のようだった。

 

「いいですか先輩。今日はとうとう、未確認ライオットの一次審査の結果が出る日です」

「そうだね」

「結果が気になって気になって、さっきから何も手が付きません!」

「うん、見て分かる」

「その上で、どうやって気を紛らわせばいいでしょうか!?」

「やっぱり練習してた方がいいよ」

「むむむっ」

 

 最初の提案を曲げずにいると、恨めし気に睨まれてしまった。じとっとした視線が突き刺さる。

でも全然怖くない、むしろ微笑ましい。喧嘩を売ってるみたいだからその感想は胸にしまった。

その代わりにどうして練習を推すのか、今度は僕が彼女にその理由を説明する。

 

「通過してもまだまだ先はあるし、落ちてもバンドが終わる訳でもないし」

「くっ、どうしてここで正論言うんですか!?」

 

 この段階まで来れば自分がやるべきこと、出来ることはもうとっくに終わっている。

あとは待つだけなのに緊張しても意味が無い。してもしなくても、結果は何も変わらない。

それなら無駄に気を揉むよりも勉強なり練習なり、次に繋がる何かをしていた方がいい。

ただ、あくまでこれは理屈の話、当事者の彼女からすれば難しいのかもしれない。

 

「でも皆からしたら無神経だったよね。ごめん」

「あっいえ、こっちこそすみません。不安でつい当たっちゃって」

「気にしないで。これくらいで喜多さんが安心出来るなら、いくらでもしていいよ」

「今、なんでもって言いました?」

「そこまでは言ってないかな」

 

 勝手に許容範囲を広げようとしたから釘を刺す。そこまで今日は許していない。

誤魔化すようにウィンクをする、思っていたよりも余裕のある彼女が不意に表情を崩した。

その視線の先には僕も意図的にスルーしていた、怪しげな儀式を行う集団がいた。

 

「はーっ通れー! はーっ通過しろーっ! はあー!!」

「うっうおぅうぅぉぉおう……」

「すこーすこー」

 

 一人は眉間に皺をよせ何かを祈り、一人は現世から離脱し、一人は完全に寝ていた。

喜多さんはそんな、おおよそまともとは言い難い集まりから目を背ける。僕もそれに倣った。

 

「……それでその、伊地知先輩たちはあれ、いったい何してるんですか?」

「願掛け? ほら、デモテープ送った時みたいな」

「いやあれそのレベルじゃありませんよ?」

 

 全身を崩すひとりを御神体に見立てお香を焚き、そこへ虹夏さんが祈りを捧げる。

リョウさんも最初は適当にやっていたけれど、途中で飽きたのか鼻提灯を作っていた。

酷い状況だ。現にこれを見たPAさんは、そそくさと逃げるようにお店の奥に引っ込んで行った。

 

「やめろ馬鹿ども」

「あ痛ぁっ!?」

「ぐふっ」

 

 その光景にとうとう痺れを切らした星歌さんが、鋭いチョップを二発放った。

 

「うちの店を怪しい集会所みたいにすんな」

「いったあぁぁ……なにも殴ることないでしょー?」

「しかもなんで私たちだけ……」

「……ぼっちちゃんは可愛いからいいんだよ」

 

 そのひとりはお祈りに包まれて即身仏になりかけていた。復活のために水を供えておこう。

なんとなく気分で両手を合わせていると、カメラのシャッター音が連続して耳に届く。

その音の先では、星歌さんが何かを誤魔化すように結束バンドにお説教をしていた。

 

「つーか、やることないなら練習でもしてろ」

「店長さんまで先輩と同じこと言うんですね……」

「ダブル魔王のパワハラだ」

「誰が魔王だ、誰が」

「そうだよリョウさん。星歌さんはもう引退済みだって」

「そこじゃない」

 

 僕と星歌さんの提案、練習して気を紛らわせようという考えを誰も受け取ってくれない。

虹夏さんも口を尖らせて、その提案への不満を星歌さんにぶつけている。

 

「練習って言ってもさー、今日スタジオ空いてないじゃん」

「んじゃ路上ライブでも行ってこい。ここで管巻いてるよりいいだろ」

「えー、絶対集中出来ないよー」

「甘ったれたこと言ってんなよ。バンドマンならどんな時でもちゃんと演奏しろ」

 

 そんな厳しいことを言いながらも、虹夏さんに甘えられて星歌さんは嬉しそうだった。

仲良し姉妹のやり取りを見て心温まる僕とは反対に、喜多さんは眉を顰めて難しい顔をする。

 

「先輩先輩、こんな私たちを見て、どうも思わないんですか?」

「……思わないこともないけど、それを言うなら虹夏さんもじゃない?」

「えっ何の話?」

 

 こうして皆が結果発表に苦しんでいる原因の一端は、僕と虹夏さん二人にもある。

先週喧嘩をしていた僕達を仲直りさせるため、皆は色々と考えて骨を折ってくれた。

その一環として、本当は今日行くはずだった遊園地というカードまで皆は切った。

だからあれさえなければ、なんて風に言われてしまうのも仕方がない、のかもしれない。

 

「いやぁその節は本当にご迷惑をおかけしまして」

「あっそういうのはいいです」

「なんだこの後輩!?」

 

 虹夏さんのそんな気まずさを喜多さんは切り捨てた。

 

「そういうのはいいので、この不安をなんとか誤魔化してください!」

「さっきのでもの凄く意欲削られたんだけど。っていうか私だって何とかしてほしいよー!」

「うるさいなこいつら」

 

 うんざりしたように頬杖をつく星歌さんをよく見ると、左右違う靴下を履いていた。

誰も言わないあたり、あれはおしゃれなのかな。いや、今リョウさんが鼻で笑ったから多分違う。

どうやら実は星歌さんもかなり緊張しているらしい。隠しているみたいだからそっとした。

代わりとは言っては何だけれど、冷静なふりをしているリョウさんへ声をかける。

 

「リョウさんは心配してないの?」

「あんなに焦っても疲れるだけ。私はあの二人と違って落ち着いてるよ」

「……さっきから貧乏ゆすり凄いよ?」

「ふっ」

 

 誤魔化せていない。

 

「……そうだ陛下、一つ教えて」

「誤魔化せてないよ?」

「もしかして陛下って、キャラ作ってる?」

 

 キャラを作っている、僕が。切り返すような質問に、頭が疑問で一杯になる。

よく分からない意図を確かめるためにも、とりあえず答えるだけ答えた。

 

「そんなことしてないよ」

「素魔王?」

「素魔王だよ。えっ素魔王って何?」

 

 ついそのまま返してしまった。素ラーメンとかと同じ感じ、いやそれでも意味が分からない。

ただ考えても意味の無さそうなことだったから、そのまま流して彼女の真意を確認する。

 

「急にそんなこと聞いて、どうかしたの?」

「前から思ってたけど、陛下って魔王の割に口調柔らかいから」

「やりたくてやってる訳じゃ、というかそれでキャラ作ってることになるの?」

「うん。てっきりインテリ穏やか系魔王を目指してるのかと」

「そもそも魔王なんて目指したことないよ。勝手になってただけ」

「おぉ!」

 

 今何に感心されたんだろう。聞いてもろくな返事じゃなさそうだからこれも流す。

それはそれとして僕の口調に何かを感じるあたり、リョウさんは中々勘が鋭かった。

キャラはともかく彼女の言う通り、話し方についてはある程度作っている。

 

「キャラは作ってないけど、口調は確かに意識してるかな」

「ほほう。その心は?」

「妹達が真似しないように、なるべく強い言い方とか汚い言葉は使わないようにしてる」

 

 そんな地道な努力も虚しく、ひとりはどこからか変な語彙を増やしている。

ふたりに至っては幼稚園の友達や母さんと見てるドラマの影響で、多分うちで一番口が悪い。

今では面と向かって、姉にクソ面倒とかどうしようもないとか言うようになってしまった。

もうすでに思春期が怖い。僕もその内クソ兄貴とか呼ばれてしまうのだろうか。

 

「でもずっとこれだから、この話し方も素と言えば素だよ」

「そうなのぼっち?」

「……はっ! えっあっはい。お兄ちゃんは家でもこんな感じです」

 

 即身仏から人間に戻ったひとりが、リョウさんの問いかけに素直に頷く。

ひとりの前でこの話し方を崩したことは無いから、この子にとってはこれが僕の素だ。

 

「でもさっきの言い方的に、素はちょっと違うんだよね?」

「まあ、うん。多少は」

「見たい聞きたい。ぼっちもそう思うでしょ?」

「あっはい」

 

 リョウさんが、ひとりまでも期待のまなざしを向けてくる。とても困ってしまう。

僕が一番自分を騙しているのは、素とかけ離れている時は、他人と接している時だ。

試したことはないけれど本当の気持ちで話せば、それはもう口汚くなる気がしてならない。

 

 逆にこうして結束バンドの皆と、好きな人と話す時はほとんど素と変わらない。

精々が硬い言い回しを避けているくらいだ。ひとり達の期待に応えるほどじゃない。

だからそれをそのまま告げて、いや、このキラキラとした瞳を裏切るのは心苦しい。

そんな葛藤と苦悩の果て、僕は大根のくせに何故か演技で誤魔化そうとしていた。

 

「というわけで陛下、さん、はい」

「頼み方が違うな」

「……え?」

 

 僕の言葉を聞き石像のように固まるリョウさんの前で、大袈裟に足を組む。

それから大仰な動作で頬杖をつき、出来るだけ視線の温度を下げて彼女を見つめる。

ぶるりと一つ彼女が身を震わせたのを確認してから、冷たく平坦な声を出した。

 

「今、お前は私に頼みごとをしている。ならどうして頭がそこにある」

「えっあの、へ、陛下?」

「お、お願いします!」

「ひとりはいい。山田、お前に言ってる」

「あっす、すみません。よろしくお願いします」

 

 リョウさんがらしくないほど機敏な動作で体勢を整え、卑屈なほど丁寧にお辞儀をする。

その体勢のまま、ちらちらと上目遣いで僕の顔を覗き見る。とんでもなく怯えられていた。

自分でやっておいて少し傷つく。それもあるしすぐボロが出そうだから、もうやめよう。

 

「ち、ちなみに、それが陛下の素でしょうか?」

「違う」

「えっじゃ、じゃあ、これは?」

「素だとそんなに代わり映えしないから、怒った時の星歌さんのモノマネしてみただけ」

 

 ネタ晴らしをすると、リョウさんが勢いよく顔を上げ、ぽかんとした顔で僕を見る。

彼女にしては珍しい表情だ。わざわざ慣れないことをした甲斐があった。ちょっと満足。

 

「びっくりした?」

「…………心臓が止まった」

「ひとりじゃないんだから、それだと死んじゃうよ」

 

 リョウさんのチクチクとした視線が刺さる。彼女にこの類を向けられるのも珍しい。

それを正面から受け止めていると、星歌さんに背後からツッコミで奇襲される。

僕の後頭部を軽く叩いた後、彼女はとてもとても不満そうに僕のことを睨んだ。

 

「……お前、私のことあんなのだと思ってたのか?」

「本当に怒ったところ見たことないのでイメージです。そんなに似てませんでしたか?」

「あれで似てたら私は寝込む。零点」

 

 そう言ってから、彼女は結束バンドの面々へ視線を送る。採点を求めていた。

 

「一点です。ただの怖い人でした」

「私は二点。キレた店長でもあそこまではない」

「うーん、私は四点かな。ちょっと昔のお姉ちゃん感あった」

「あっじゃあ私も四点で……」

 

 五十点満点中十一点、文句なしの赤点だ。僕はやっぱりモノマネも下手だった。

星歌さんはそれでも不満だったようで、ちょっと高い、とぼやきながら仕事に戻る。

そんな寂しげな後ろ姿に苦笑いを送りながら、虹夏さんが疑問に首を傾げた。

 

「それでどうして、一人くんはお姉ちゃんのモノマネなんてしてたの?」

 

 リョウさんとの会話を含めて、不思議そうな虹夏さんと喜多さんに伝える。

全て話し終えた時、喜多さんは感心したように息を漏らしながら僕を罵倒した。

 

「はー、先輩でもそんな器用なこと出来たんですねー」

「めっちゃ悪口。でも私も正直意外。そんなことしてたんだ」

「……僕のこと、なんだと思ってるの?」

「演技が下手な人」

「嘘も下手な人。あっモノマネも下手だったね!」

 

 ボコボコに言われる僕の背中をひとりが慰めるように撫でた。この子は今日も優しい。

その様子をニコニコと眺めていた喜多さんが、何か思いついたように突然声を上げる。

また変な発想をしたようだ。僕と同じ考えに至ったのか、虹夏さんが疲れた表情になった。

 

「あっそうだ。いい機会ですし、今日は練習しましょう!」

「一応聞くけど、バンドのだよね?」

「違います。もう先輩、私たちのことなんだと思ってるんですか?」

「いや私たちバンドマンだよ?」

 

 虹夏さんの当然のツッコミを喜多さんは笑顔でスルーした。

 

「演技ですよ演技! 先輩はもちろんですけど、私たちもやったほうがいいと思うんです」

「一人くんは当然として、私たちも?」

「えぇ面倒。陛下だけでいいよ」

 

 またボコボコだった。今回ひとりは背中じゃなくて背伸びして頭を撫でに来る。

実は僕が考えているよりもずっと、皆はあの遊園地のことを怒っているのかもしれない。

お礼と精神安定のため、ひとりの頭を撫で返す。安心したようにくっついてきた。可愛い。

 

「この間の池袋の時、改めてMCって大事だなーって思って」

「確かに、あの時のウケは凄かったよねー」

「だからこれからのためにも演技というか、パフォーマンス力も上げたいんです!」

「なるほど分かったよし郁代、私の分も任せた」

「任されました!」

「この子は今日も……」

 

 一人速攻で離脱して席を離れるリョウさんを見送る。出来れば僕も連れて行って欲しかった。

そんな僕の内心も知らず、というよりも無視して、喜多さんは気合十分に僕を見上げる。

胸の前で握った両手とキタキタした両目には、抑えきれないほどの期待が込められていた。

 

「それで先輩、私たちのMCってどれくらい面白いと思います?」

「箸が転がるのと同じくらいかな」

「どうして私たちのMCを責める時はウィットに富んでるの!?」

「そんなぁ照れちゃいますよー」

「いや褒められてないよ!? 箸が転がってもおかしい年頃って言葉知ってる?」

「えっ、大爆笑で箸が転がるほどの衝撃って意味ですよね?」

「ことわざの誤用! 喜多ちゃん現国大丈夫!?」

「……そういう訳で、皆で演技とパフォーマンスの練習をしましょう!」

「えっ本当に大丈夫なの?」

「さあ!!」

「また勢いで誤魔化す」

 

 喜多さんはそれまでの定期試験と比べ、三学期の学年末テストはだいぶ苦戦していた。

未確認ライオットのため、バンドの練習のため、勉強の時間を犠牲にしているからだろう。

その割にSNSの投稿頻度が変わっていないのは気になる。その辺りの話をいつかしよう。

 

「あー、まあ、悶々としてるよりはいいかな。やろっか」

「それじゃあ頑張りましょう、伊地知先輩、後藤先輩、ひとりちゃん!!」

「…………えっ、わ、私もですか!? 私には背ギターとか歯ギターとかあるので、これ以上は」

「ひとりちゃんはやっちゃいけないこと、あとで一緒に勉強しましょうね?」

「こ、コンプライアンス……」

 

 にこやかに、そしてどこか凄みのある笑顔の前にして、ひとりは頷くことしか出来なかった。

 

 

 

 そうしてひとりを少し離れた席、観客席に置き、残った僕達は茶番の準備を始めた。

 

「それで喜多さん先生、今日はどうやって練習するの?」

「そうですねー。先輩が適当に演技して、それを私たちがツッコむ、みたいな」

「コントの練習じゃん」

「あっモノマネとかでもいいですよ」

「コントじゃん」

 

 虹夏さんは不満げにコントコントと繰り返すけれど、あれも立派な演劇の一種。

違いは時間と目的くらいだから、演技の練習として選ぶのもそれほど的外れじゃない。

問題と言えばコントだろうがなんだろうが、僕は到底出来る気がしない、というところだろう。

 

「適当、適当。うーん、範囲が広いと逆に困っちゃうね」

「テーマとかあった方がやりやすいですか?」

「多分。でもこういうの弱いから全然思い浮かばない」

「テーマねぇ。一人くんでも出来そうなのは」

 

 うんうんと、虹夏さんと揃って頭を捻る。僕でも出来そうな何かとは。

そんな僕達二人とは裏腹に、喜多さんがキタキタと光りながらとある提案を掲げた。

 

「そうだ、なら私と兄妹の演技をしましょう!」

「欲が隠しきれてない」

 

 彼女はどうも、二月のあのお泊りが相当楽しかったらしい。

そう感じてくれたのはとても嬉しいし、またいつでも泊まりに来て欲しいとも思っている。

それはそれとして、妹どうこうは話が別だ。こっちはもうあんまりやりたくない。

 

「ひとり」

「あっ、えっと、それは」

「駄目だって。だから別のにしよう」

「えー!? ひとりちゃん、そこをなんとか!」

 

 ひとりも歓迎していないようだったから断っても、喜多さんに諦めた様子はまるで無い。

そそくさと観客席に近付くと、彼女はひとりの両手を握って振り回しながら懇願している。

しばらくの間はそれに耐えていたひとりだったけれど、最終的に変な方向に折れた。

 

「あっじゃあ、お姉ちゃんならいいです」

「えっ」

「それってもしかして、先輩が女装してお姉ちゃんやるってことですか!?」

「やらないよ」

 

 視界の隅で星歌さんが急に準備体操を始めた。仕事しててください。

 

「あっそっちじゃなくて、喜多ちゃんがお兄ちゃんのお姉ちゃんになるなら」

「ありがとうひとりちゃん!」

「妥協点が分からない……」

 

 妹と姉、その重要な違いを語ろうとした瞬間、喜多さんが爆速でこっちに戻って来る。

この話はまたの機会にしよう。キタキタした彼女を前にして、他のことを考えている余裕はない。

 

「という訳で私がお姉ちゃんになるので、先輩は弟役お願いします!」

「……本当にやらなきゃ駄目?」

「駄目です。それにこれくらい普段と違った方が、きっといい練習になりますよ!」

「そういうものかな?」

「そういうものです! とりあえずやってみましょう!」

 

 やってみましょうと言われても、僕は生涯兄で弟じゃない。そして弟というものを知らない。

したくないのか出来ないのか。とにかく動き出さない僕に喜多さんがしびれを切らす。

 

「さあ、早く私のことをお姉ちゃんと呼んでください!」

「……」

「あっそっか。早く私のこと、お姉ちゃんって呼んで?」

「ヤベー絵面だ」

 

 後輩の、年下の女の子に姉と呼んでと迫られる。虹夏さんの言う通り恐ろしい絵面だ。

このまま黙っていても状況が悪化する予感しかしないから、一度正直な気持ちを告げた。

 

「ごめん、何をどうすればいいのかまるで分からない」

「あー、なんとか頑張って、喜多ちゃんを姉扱いするとか」

「ですです! ほーら、お姉ちゃんよー?」

「無理」

「断言された!?」

 

 僕の断固としたギブアップに驚愕した後、喜多さんは不満げにじっと僕を見つめた。

そんな目で見られても出ないものは出ない。苦笑いの虹夏さんに視線で助けを求める。

彼女は困ったような笑顔を浮かべ、それでも打開策を提案してくれた。

 

「それじゃほら、モノマネとか」

「モノマネ?」

「一人くんじゃなくて、その人が喜多ちゃんの弟になったイメージならなんとかならない?」

「なるほど。ちょっとやってみるね」

 

 とは言ってみたものの、いったいどこの誰をモノマネしてみればいいのか。

モノマネはする相手をよく知らなければ出来ない。そして星歌さんをした出来はあれ。

この分だと他の誰かを真似しても、きっと誤差程度のものしか僕は披露出来ない。

 

 それなら仕方ない、最終手段を取ろう。僕が一番よく知ってる人達、家族のモノマネ。

父さん、犯罪になる。母さん、実際ノリよくやりそうなのが想像出来て、なんか凄く嫌だ。

ひとり、出来が良すぎて多分引かれる。ふたり、流石に恥ずかしい。選択肢は一つしかなかった。

 

「おう姉貴、呼んだか?」

「えっだ、誰ですか?」

「おいおい認知症まで最先端か? 誰も何も、どう見てもお前の弟だろうがよ」

「いや誰!?」

 

 喜多さんと虹夏さんが戦慄に震える中、ひとりがなんでもなさそうに呟いた。

 

「あっジミヘンだ」

「ジミヘン!? あの!? ファンと遺族に怒られるよ!?」

「あっいえ、うちの犬の方です」

「あの子こういうイメージなの!?!?!?」

 

 ジミヘンは格好良くて頼りになる犬だけど、どこか軽くて下品なところもたまにある。

ただ彼は人間の言葉を喋れないから、これはあくまでも僕の勝手な想像に過ぎない。

もしかしたら紳士的な話し方をする可能性も無くはない。もしそうだったらごめんね。

 

 安心しな兄弟、俺ぁBIGな男だぜ? んな小せぇことぁ気にしねぇよ。

心の中のジミヘンが僕にそう告げた。駄目だ、あまりにもこういうイメージが強すぎる。

どうやっても拭いきれないから、いつもの喜多さんのように勢いで突き進もう。

 

「んで姉貴、今日はなんだってんだ?」

「えっ、あっそ、そう、その、何か話があるんじゃなかったの?」

「話って、俺がか?」

「うん」

 

 無茶ぶり染みた突撃に、喜多さんもまた無茶ぶりで返してくる。この状態で話。

どうでもいい戯言しか思い浮かばず困惑していると、突然誰かが僕の腕を引いた、

 

「ダーリン。今日は私のこと、お姉さんに紹介してくれるんでしょ?」

 

 なんか来た。

 

「あっあれ、リョウ先輩はやらないんじゃ」

「こっちが賑やかだから寂しくなったんでしょ。というかダーリンって」

 

 いつの間にか虹夏さんは巻き込まれないように避難し、ひとりとお喋りしている。

あっちに混ざりたいな、という思いを懸命に堪えて、この意味不明なコントを続けないと。

一応、そう、一応、これも多分喜多さんが僕のことを少しは考えて計画したことのはず、きっと。

黙って僕を見上げているリョウさんの期待に応えることで、なんとかその流れには乗れた。

 

「……そうだったな、悪い悪い。姉貴、これが俺のこれよ」

「どれ!?」

「ハニー」

「ハニー!?!?!?!?」

 

 ひっくり返りそうなほどのけぞり、喜多さんは驚きを露わにしていた。

ダーリンと来たからハニーと返したのだけれど、もしかして何か違ったのかな。

違うとしてもジミヘンならこう返すだろうから、今はこれが正しい反応だ、問題ない。

 

「っていうか一人くん、ジミヘン? のモノマネはちゃんと出来るんだね」

「あっはい。私のも上手なので、家族のなら出来るみたいです」

「はえー。相変わらず器用なんだか不器用なんだかよくわかんないねー」

 

 僕のハニー発言は余程意外だったのか、横のリョウさんにも衝撃を与えていた。

一瞬目と口を大きく開いた後、それを誤魔化すように自分の両頬に両手を添える。

 

「ハニーだなんてそんな、照れるわ。ぽっ」

「照れんな照れんな。大体ダーリン呼ばわりしたのはそっちが先だろ」

「いやなんですかこれ? なんなんですかこれ!?」

 

 僕も分からない。リョウさんに聞いて欲しいけれど、多分彼女は何も考えていない。

理解を放棄して流れに身を任せる僕の手を、彼女は喜多さんに見せつけるように握る。

それから一歩二歩と喜多さんに近付き顔を寄せ、囁くように僕の身柄を要求した。

 

「お姉さん、今日はダーリンを引き取りに来ました」

「あっだ、駄目です! そういうのは、その、うちの子にはまだ早いです!」

「そこをなんとか」

「う、うぅ、か、顔が近い、そして凄くいい……!!」

 

 彼女の謎の葛藤は十秒ほど続き、その後には悟りでも開いたような穏やかな顔をしていた。

 

「……こうなったら仕方ありません」

「?」

「代わりに、私が娘になります」

「いやなんでだよ」

 

 我慢できなかった虹夏さんのツッコミでオチがついたところで、いったん総評になった。

予想していた以上に滅茶苦茶になった練習を思い返し、喜多さんが満足そうに頷く。

 

「いやぁ、やっぱり切れ味が違いますよねー」

「ステージ上でもこれが出来れば間違いないよ」

「問題は実力じゃなくて、本番の緊張をどうするか」

「あっ私もどうすればいいのか知りたいです」

「なんで私の評論してるの!?」

 

 そういうところだと思う。

 

 

 

 その後もなんだかんだと言いながら、僕達は練習という名のコントを繰り返していた。

最初逃げたリョウさんも乱入してからはずっといて、虹夏さんもなんだかんだノリノリだった。

ひとりはボケもツッコミも出来ず、ただ周りに驚いてばかりだったけれど楽しそうだった。

喜多さんは言うまでもない。練習なんて必要ないほど彼女は喋り倒していた。

 

 そんな練習の途中、突然虹夏さんの携帯が着信を告げた。

 

「あーもう何? 今忙しいのに」

 

 そうぼやきながら携帯を見る彼女の動きが、凍り付いたように完全に止まった。

さっきまで四方八方にツッコミを放ち続けていた彼女の異常に、結束バンドが目を見合わせる。

その様子を見ながら僕も僕で携帯を確認していた。大槻さんからメッセージが来ている。

素っ気ない文面に隠せないほどの喜びを感じた。どうやら結果発表は一斉送信しているらしい。

 

「……虹夏?」

「通った」

「え?」

「未確認ライオット、一次審査通ったって!!」

 

 跳ねるように虹夏さんが伝えると、わっと皆が彼女の元へ駆け寄る。

それからは笑ったり、無意味に叩いたり、なんとなく胴上げしようとしたり。

四人が四人、ひとりすらも大はしゃぎで一次審査の突破を喜んでいた。

 

「……一緒にはしゃがなくていいの?」

「後でやります。今はなんというか、メンバーだけで喜ぶ時間のような気がして」

「そういうもんか? そんなこと、あいつらは気にしないだろ」

「僕なりのけじめです」

 

 隙を縫って皆から離れていた僕に、星歌さんが気を遣って声をかけてくれる。

でもこの成功は、喜びは結束バンドが掴み取ったもの。まだ僕の順番じゃない。

そんな僕の返事にもの言いたげだった星歌さんへ、もう一つだけ理由を重ねた。

 

「それに」

 

 はしゃぐ結束バンドを眺めていると、虹夏さんがそれに気づいたように振り向く。

それから勝ち気な笑みを浮かべたと思えば、見せつけるように僕へVサインを向けた。

 

「今の僕は、宣戦布告されている身なので」

 

 星歌さんが首を傾げて僕を見る。その視線から隠すように、僕もこっそりと同じものを返した。




一人君が作中素の口調で話したのは今のところ一回だけです。
次回「ガチということ 上」です。


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第二十四話「ガチということ 上」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 朝登校すると、珍しく早く来ていたリョウさんが僕の席に座ってぼーっとしていた。

 

「おはようリョウさん。今日は早いね」

「珍しいねー。なんか変なもの降ってきそう」

 

 登校途中ばったり会った虹夏さんと一緒に声をかけると、リョウさんがはっと立ち上がる。

そしてさっきまで座っていた椅子を恭しく僕に差し出し、例のごとく優雅にお辞儀をした。

 

「ははーっ陛下、椅子を温めておきましたー」

「……大義である?」

「何長何吉?」

 

 これはもしかして時々振られる、リョウさんの魔王ボケシリーズの一つなんだろうか。

今回は第六天魔王の草履を懐で温めるという、あの有名な逸話をオマージュした、みたいな。

その予想を裏切るように、彼女は虹夏さんのツッコミに少し不満げな顔をした。

 

「忘れたの? 陛下に何か返しなさいって、虹夏が前言ってたことでしょ」

「えっこれお返しなの? 何返してるのこれ?」

「体温。私の温もりをプレゼント」

「うわぁ」

 

 本気でドン引きした声を上げた虹夏さんが、勢いのまま僕へ振り向く。

その目には何故か疑念と不安が渦巻いている。今僕の何を疑ってるのか、特に覚えは無かった。

 

「一人くん的に、これ嬉しい?」

「………………えっと、最近暑いくらいだし」

「だよね」

 

 安心したー、と続ける彼女から隠れるように、こっそりとリョウさんに確認する。

温もりのプレゼントはともかく、彼女からのお礼については覚えがあった。

 

「もしかして、昨日のこと?」

「うん。あれも含めてお礼」

 

 昨日リョウさんの御両親に誘われた催し、リョウちゃん応援作戦会議のことだろう。

一人ちゃんの意見も聞きたいわ~、というお声のままに、僕はのこのことお家を訪問した。

そして僕が山田家に着いた時、そこには半ギレのリョウさんとにこやかな御両親が揃っていた。

 

 見たことのない顔色をした彼女に事情を聞いたところ、御両親が暴走していることが分かった。

曰く未確認ライオット二次審査のため、結束バンドの宣伝車を走らせようとしているとのこと。

そしてそれに専念するため、病院を一時的に休業しようとしているとのこと。正直耳を疑った。

 

 そう、未確認ライオットの二次審査、ウェブ投票はすでに始まっている。

一次審査を突破した百組の内、上位三十組のみが三次のライブ審査へ進むことが出来る。

投票形式は一人一日一票。つまり、今回の審査ではファンの数と熱意が勝負を分ける。

 

 だからこの熱意はとてもありがたくはあるのだけれど、いくらなんでも限度がある。

インディーズですらないバンドの投票沙汰に宣伝車を使う。やり過ぎだし、恐らく効果が薄い。

しかも病院を休んで、というのも不味い。知られれば逆にアンチが増えてしまう気すらする。

 

 幸いリョウさんと一緒に説得することで、なんとかその無茶はやめてもらえた。

最終的に病院のロビーで時々曲を流してもらい、一角に紹介コーナーを作ることに落ち着いた。

簡単なポップにMVと投票ページに繋がるQRコードを付けたもの。病院ならあれで十分だろう。

 

「あれくらい気にしなくてもいいのに」

「それでも助かったから。これからも時々舵取りお願い」

「……昨日のあれはともかく、たまには聞いてあげたら?」

「絶対嫌だ」

 

 リョウさんの言葉に断固とした決意を感じる。これが本当の反抗期というものなんだろう。

やっぱり僕もひとりも、まだまだ思春期には程遠いな。そんな変な確信を今日も深めた。

 

 ちなみに応援の規模はともかく、後藤家も熱意なら山田家に引けを取っていない。

父さんは徹夜でチラシを作っていたし、母さんは毎日犬友相手に宣伝してくれている。

それに加えてなんと、ふたりまで幼稚園で友達に投票をお願いしてくれている。

方法がお姉ちゃんに呪われるぞ、なんて脅しなのはご愛敬、いやご愛敬で済ませていいのかな。

 

 そういえば母さんだけど、日に日に言葉遣いが変になって来ているのは気のせいだろうか。

若者言葉というかなんというか、とにかく中高生が話すような妙な口ぶりが最近多い。

母さんは若作りが好きだから、犬好き学生のコミュニティにでも入り込んだのかな。

よく分からないけどジミヘンも何も言わないし、母さんが毎日凄く楽しそうだからいいか。

 

 

 

 放課後図書館に向かう途中、ひとりを連れた喜多さんに捕まった。

なんでも僕に見せたい、聞かせたいものがあるらしく、スターリーまで来て欲しいとのこと。

控えめに頷いて同意するひとりを見た瞬間、僕は今日の用事を全て投げ捨てた。

 

「スターリーに着いたら先輩に見てもらおうね!」

「あ゛っはい゛」

「なんでひとりは声枯れてるの?」

 

 常に持ち歩いているのど飴を取り出し、いくつかひとりに渡しておく。

お礼もそこそこに、ひとりは美味しそうに飴を転がし始めた。風邪、ではなさそうだ。

答えを求めて喜多さんに視線を向けると、腰に両手を当てながら教えてくれた。

 

「それはですねー、なんとスローガンの練習をしてたからです!」

「スローガン……?」

 

 スローガンってあのスローガンのことなのかな。運動会とか球技大会で出てくるもの。

どういう、いやどこから、そもそもなんで。尽きない疑問を抱えながらスターリーへ向かう。

その道中喜多さんが楽しそうに、囁くような声で一人何かを歌っていた。

 

「天まで轟け魂の音~」

「……これ、新曲?」

「いっざ掴み取れ~勝利の栄冠~」

「えっと、スローガン」

「伝説作れ、結束バンド~!」

 

 彼女の機嫌良さそうな鼻歌で、スローガンが全部分かってしまった。

これを聴いた僕はこの後、果たして彼女の求める新鮮な反応を出来るだろうか。

そんな心配を胸にスターリーに着くと、中では虹夏さんがリョウさんに掴みかかっていた。

 

「やま、山田ァ!」

 

 真っ赤な顔でメンバーをがくがくと揺らす姿は、絵面だけなら結構な修羅場に見える。

だけど結束バンドとしてはよくある光景。現にひとりも心配そうにしつつ、人の形を保っていた。

なんにせよこのままだとリョウさんの首がもげるから、虹夏さんの暴行を一度止めた。

 

「二人ともどうしたの?」

「あっか、一人くん、これは」

「突然虹夏が男子トイレに侵入した後、今度は興奮して私を襲ってる」

「ちょ」

 

 その報告だけだと、まるで虹夏さんがただの変態のように聞こえる。

当然そんなことは無いだろうから、理由を探すと無事彼女の手に見つけられた。

そこにはこの間自慢げに見せられた、彼女お手製の二次審査宣伝用チラシが握られていた。

 

「えぇと、あんまりそういうところ、入らない方がいいと思う、よ?」

「ぁちがっ」

「その、チラシを色んなところに貼りたいんだよね。それくらい言ってくれれば」

「ち、違うの! あっちが、違わない、違わないよ!?」

「うん、大丈夫、分かってる、大丈夫だから落ち着いて」

「お、おち、落ち着いてるよ? かか、一人くんこそ、変な誤解しないでね?」

「してないよ。ちょっと気が急いちゃってるみたいだし、あっちで少し休もう?」

 

 なんとか宥めようとしても、あたふたと両手を振り回す彼女に落ち着く気配は無い。

というか僕が声をかけたら悪化した。こういう時は多分、異性は触れない方がいいんだろう。

でもひとりは似たような状態だし、喜多さんは状況をよく掴めていないようで首を傾げている。

最後の一人に目を向けると、ドヤっとしたサムズアップが返って来た。恐ろしく不安だ。

 

「虹夏」

「あっリョ、リョウもほら、なんとか言って」

「今の虹夏を、端的に表す言葉がある」

 

 虹夏さんの肩を適当に叩き、ニヤリと口を歪めてリョウさんは告げた。

 

「痴女」

「山田ァッ!!!!!!!」

 

 そのバックドロップは、虹のように美しい軌道を描いていた。

 

 

 

 そんな事件も起こりつつ、結束バンドはウェブ投票についてミーティングをしている。

なんとなく帰るタイミングを失った僕に、星歌さんは今日も隣に座り構ってくれていた。

その気持ちはとても嬉しいのだけれど、話題が酷く気まずいものになってしまった。

 

「それで一人、何位くらいで通過出来ると思う?」

「……今の時点だと、はっきり言って微妙です」

「固い奴だな。こういうのは適当な予想でいいんだよ」

「そうではなくて、その、通過自体がです」

「………………は?」

 

 僕の返事に彼女はぽかんと、まるで宇宙人と鉢合わせでもしたかのような顔になる。

その隙に僕は携帯を取り出してとあるアプリを起動し、彼女の前に差し出した。

 

「参考程度にですけど、これ見てください」

「なんだこれ?」

「昔作った人気度調査用のアプリです」

「お前何でも作れるな……」

 

 かつてギターヒーローの再生数が伸び始めた頃、ひとりにせがまれたから頑張って作った。

久しぶりに取り出したそれを見て、星歌さんが感心を超えいっそ呆れた目を向けてくる。

でもこれは素人が適当な組んだものだから、とても自慢出来るような代物じゃない。

 

「細かい理屈や挙動は省いて説明すると、このアプリは主にSNSの情報を元に調査しています」

「あー、トレンドがどうとか、そういうやつ?」

「それも含めて、なんやかんやで自動的に情報を収集してまとめています」

「説明が雑」

「……コードがどうとか、いります?」

「いらない」

 

 詳細な説明をすると日が暮れるから、しないで済むなら僕としても楽でいい。

気を取り直して携帯を操作し、未確認ライオットの二次審査についての情報をまとめる。

 

「これを使って、二次審査のバンドの順位を出してみると」

「……おい、結束バンド十位だぞ!」

「あっすみません。設定し忘れたせいで色々ノイズが混じりました」

 

 久々過ぎて間違えた。例えば結束バンドの場合、主に工具の方も収集してしまっている。

ちゃんと設定をしてから改めてなんやかんやで処理すると、今度はそれっぽい結果が出てきた。

 

「その辺を整理すると、大体二十九位から四十七位くらいになります」

「…………ぬか喜びさせやがって」

「ごめんなさい」

 

 おでこに手のひらをあてて、ぐるぐると振り回すように擦られる。

虹夏さんといい、伊地知家は人のおでこを弄って遊ぶのが好きなんだろうか。

ひとしきりやって満足したのか星歌さんは僕を開放すると、もう一度携帯を覗き込む。

 

「にしてもちょっと、順位幅大きすぎない?」

「あくまでもSNSの情報が主体なので、曖昧にしか出せないんです」

「ほーん。その割に、SIDEROSは一位から三位で安定してるな」

「上位層は情報量が多いので、その分予想も明確になります」

 

 加えて言うと、SIDEROSはバンド名が特徴的なことも大きい。

シデロス、σίδηρος。ギリシャ語で鉄を、言い換えればメタルを意味する単語。

わざわざギリシャ語を選んだのに結局は直球なのが、なんだか大槻さんらしくて微笑ましい。

 

「たださっきも言った通り、素人作りなので精度はたかがしれてます」

「でもお前は怪しいと思ってるんだろ?」

「まあ、はい」

 

 順序が逆だ。使ったから怪しいと思ったのではなくて、怪しいと感じたから引っ張り出した。

嫌な予感を否定したくて骨董品を出したのに、わざわざそれを上塗りしてしまった。

余計なことをした、と後悔していると、星歌さんもそれを滲ませながら小声で相談してくる。

 

「……さっき前祝いのケーキ予約しちゃったんだけど、やめた方がいい?」

「ちょっと、気が早いですね」

「寿司とかピザとかも?」

「それは当日からでも間に合います」

 

 

 

 そうして訪れた、未確認ライオット二次審査中間発表の日。

 

「よ、四十四位……?」

 

 嬉しくないことに僕の嫌な予測は当たり、結束バンドは揃って頭を抱えている。

ドヤ顔の同級生二人に連れられてきた僕は、今日も星歌さんの横でその様子を眺めていた。

 

「お前の予測、当たってたな」

「当たっちゃいましたね」

「……しかも滅茶苦茶落ち着いてるな」

 

 結束バンドが躓くとしたらここだと、十一月の時点で分かっていた。

二次審査、ウェブ投票は本格的な活動期間の少ない彼女達にとって一番の鬼門だ。

審査員が一から確認したデモ審査と違い、今回はファンを含む一般の人達の投票で全てが決まる。

 

 つまり、元々のファン数、知名度により大きく明暗が分かれてしまう。

この審査内容で未確認どうこう言うのか、と思わなくもないけれど、これはただの難癖だろう。

逆の立場ならこれも実力の一つ、なんて偉そうに考えていそうな気がする。ダブルスタンダード。

 

 あえて冷たいことを分かった風に言うのなら、この審査は定期テストに似ている。

テスト前になって急に勉強を始めても、それまで地道に続けていた人には遠く及ばない。

ファン集めもそうだ。審査と同時に始めても、長い目で見ていたバンドには敵わない。

確かに投票期間こそこの二週間だけれど、そもそもの勝負はずっと前から始まっていた。

 

 そんな感じのことを星歌さんに告げると、彼女はますます渋い顔になった。

 

「分かってたならもっと早く言っとけよ」

「ファンがそんなこと言うのはおかしいですよ。何よりあれこれ伝えると焦って、最終的にしっちゃかめっちゃかになりそうです。それで一次も危なくなるような気がして」

「……あー、虹夏?」

「えっと、はい。虹夏さん意外とあわてんぼうというか、結構突っ走るところがあるので、あんまり言うと変に意識しそうです。それでのんびり構えたリョウさんあたりと喧嘩したりして」

「目に浮かぶな……」

 

 虹夏さんはしっかりしているように見えて、その実脆くて考え無しの危なっかしい人だ。

下手に脅かすようなことを言えば、ずっとそれを気にして抱え込んでしまいそう。

良くも悪くもマイペースな他三人と違い、そのまま一人で崩れてしまう可能性もある。

 

 そう考えながらも言うだけ言うのは、あまりにも無責任が過ぎるだろう。

付きっきりで面倒を見る、それこそマネージャーをやるような気概が無ければその資格は無い。

つまり今と変わらず曖昧な当時の僕に、そんな偉そうなことを話す権利はなかった。

 

「それにしても、結構分かったような口利くんだな」

「すみません、今のは陰口でした」

「私が許すからよし。なんならもっと言っていいぞ」

 

 妹相手に結構失礼なことを言っていたのに、なぜか星歌さんは機嫌を直していた。

どこかニヤニヤとした笑みを浮かべて頬杖をつき、僕の顔をじっと見ている。

なんとなく気恥ずかしいから視線を逸らすと、一度鼻を鳴らすだけで許してくれた。

 

「まあいいか。それで、何か作戦とかある?」

「言えません」

 

 虹夏さんと喧嘩をしたあの日、もう結束バンドの活動には口出ししないと宣言した。

ファンにしては出しゃばり過ぎだから、立場をまったくわきまえていないから、と。

売り言葉に買い言葉とはいえ、正直なところ前々から思っていたことではある。

だから虹夏さんと無事に仲直り出来た今でも、僕はあの宣言を撤回する気は無かった。

 

「面倒だなお前。あー、じゃあそれ、私にだけ教えて」

「……星歌さん、絶対後で虹夏さんに言いますよね?」

「言わない言わない。これはただの雑談だから。ほら、言いな」

 

 絶対言うだろうな、とは思いつつ、星歌さんにそそのかされるまま僕は口を開いた。

 

「例えば、音楽系のライターさんに記事を書いてもらう、とか」

「記事って、あの記事?」

「はい。出来ればWebを中心に活動されている方がいいですね」

 

 宣伝方法を極めて大雑把に分けると、自分でやるか、他人にやらせるかの二種類になる。

結束バンドが今までやってきたこと、ビラ配りやSNSでの告知、動画投稿などはおおよそ前者だ。

こちらは直に伝える分魅力を大きく伝えられ、また誤解や勘違いを少なく出来る。

逆に手ずから行うためそれだけ手間暇がかかり、数や範囲は狭くなってしまう。

ファンの質より数が大事な二次審査に、この方法はあまり向いていないように思える。

 

「今までのやり方では足りない以上、外部の手段も必要になるはずです」

「なんとなく分かったけど、なんでライターの記事なんだ?」

「浮動票を狙いたいからです」

 

 結局のところ、ロックフェスの審査にわざわざ投票するような人なんて限られている。

応募バンドの関係者か、そのファンか、ロックというジャンルそのものを好んでいる人達か。

よその前者二つは動かない。そして今から二番目を増やすのも、現実的な手段とは言い難い。

だから結束バンドは最後の層、ロックバンドのファンから票を稼がなくてはいけない。

この場合の問題点は、その人達にどうやって結束バンドのことを知ってもらうかだ。

 

 ロックを好む人達と一言で言っても、その熱量にはきっとそれぞれ違いがある。

未確認ライオット一次審査を突破したバンド、百組全ての曲を聴く人はまず少ないだろう。

それこそ数組適当に選んで聴き、その中でなんとなく投票している人も必ずいるはずだ。

残り一週間という短い期間では、そこを狙うくらいしか今の僕では思い浮かばない。

 

「それでライター?」

「なんらかの記事で結束バンドの名前を出してもらって、その流れで、みたいなイメージです」

「適当だな」

「思い付きで話しているので」

 

 加えてこれは凄まじく失礼な考えなのだけれど、そこは年齢層の高い人が多そうだ。

日本でロックが一番流行ったのは僕が生まれる前、つまりちょうど父さん達の世代になる。

この人達の中で、僕達世代のバンドを追っかけている人は少ないはず。だからこそねらい目だ。

 

 こういう人達に宣伝するのならSNSではなく、記事の方がきっとウケはいいだろう。

Web中心が望ましいのは読んだ直後に投票が出来るから。時間を置くと忘れられてしまいそうだ。

それにいくら上の世代と言っても、ネットを触れない人に宣伝しても今回は意味が無い。

その他諸々含めて考慮して、ライターに依頼するのもありじゃないかな、と考えた。

 

「なるほどな。んじゃどうやってライターに頼むんだ?」

「そこはまあ、なんとか?」

「なんとかって」

 

 苦笑いする星歌さんだけど、彼女もそのなんとかの手段になるだろう。

彼女はかつてレーベルに声をかけられるほどだった、と以前廣井さんに教えてもらった。

それだけの人であれば、ライターに関する伝手やコネを持っていない方がおかしいくらいだ。

 

 それに取りたくない手段、伝手だけれど、既に皆一つ連絡先を持っている。

彼女も上手いこと転がさせれば、狙い通りの記事を書かせられるかもしれない。

更にやり方次第では、そもそもの選択肢を増やすことだって出来るかもしれない。

 

 他には例えば、インフルエンサーでも似たような働きは期待出来るだろう。

ただこっちはまるで縁も伝手も無い。今から見つけるには時間もお金も厳しい。

それに僕はそういう方面に疎い。これに関してはふわふわとして空想話になってしまう。

 

 なんて色々と考えてみたけれど、全て根拠のない妄想と机上の空論に過ぎない。

 

「でも結局は全部想像です。実際上手くいくかは分かりません」

「そういうこと言うなよ。説得力無くなるだろ」

「これって、ただの雑談ですよね?」

「おー、生意気言うようになったなぁこいつ」

 

 ごりごりわしゃわしゃと、とても雑に乱暴に頭を振り回される。

楽しいけれどその内首を痛めそうだから、もう一つの思い付き、禁じ手も彼女に伝えた。

 

「一応、一発で解決する方法も、あるにはあるんですけど」

「なんだあんのか。なら先にそれ言えよ」

「僕が学校でお願いすれば、少なくとも三十位以内には入れるはずです」

 

 下北沢高校は一クラス四十人で六クラス、それが三学年で七百二十人。

全員一人っ子、両親が健在だと仮定すると、合計で二千百六十人になる。

その他教師や職員、彼らの友人、家族関係を含めれば、それ以上も期待できる。

だから毎日丁寧に学校中でお願いすれば、通過ライン程度なら簡単に超えるだろう。

 

「……それは禁止」

 

 もちろんこんな乱暴な手段、元々あらゆる面から取る気はまるでなかった。

それにいつの間にか頭の上の手つきが優しくなっていたから、発想ごとそれは捨てた。

 

 そしてその日の帰り道、電車の中でひとりがひっそりと囁いた。

 

「お兄ちゃんは私が、ギターヒーローの名前を使うって言ったら、どうする?」

 

 ギターヒーローの名前を使う。つまりギターヒーローとして宣伝するか、正体を明かすか。

ついさっき僕が欠片も言わないで、星歌さんも口にしないでくれた、もう一つの確実な方法。

張本人であるひとりが、結束バンドを大事に思うこの子が、これを思いつかないはずが無かった。

 

「説得はする。でも止めるまでは出来ないかな」

「それって、ほとんど同じ意味じゃ」

「ごめん、分かりにくかったね。もうちょっと具体的に言うよ」

 

 説得というよりは説明の方が近い。ギターヒーローのアカウントを使えば何が起きるか。

まず間違いなく、二次審査は余裕で突破出来るだろう。それだけの影響力がひとりにはある。

僕が魔王的にどうこうするよりも、確実かつ穏当に結束バンドは次に進める。

 

 ただその先は、僕を使った時と同じくらい、もしくはそれ以上に面倒が増えるはずだ。

佐藤さんのように結束バンドをギターヒーローの添え物、もしくは枷と見る人。

ギターヒーローとしての演奏とひとりとしての演奏を比較して酷評する人。

 

 それ以外にもひとりを偽物と言い張る人、自分こそ本物だと主張する人。

とにかく多種多様な迷惑で面倒な人が、その後結束バンドに襲い掛かってくるはず。

今だけでなくこれからも想うなら、まだギターヒーローのことは秘密にしておくべきだ。

 

 そんな僕の懸念を伝えると、ひとりも既に想像していたようで重々しく頷いた。

 

「やっぱり、そうなるかな?」

「多分ね。それにこれは、結束バンドの戦いでしょ?」

「……うん」

 

 未確認ライオットに挑んだ始まりは、結束バンドがガチなことを証明するため。

ここでギターヒーローに頼ってしまえば、今までの努力が全て茶番になり得る。

ひとりもそれを理解しているから、ここまで暗い顔で落ち込んでいるんだろう。

 

 今の僕がひとりのために出来ることは何だろう。何かあるだろうか。

これは結束バンドの活動への介入じゃなくて、落ち込む妹を慰める、励ますため。

面倒な自分にそんな言い訳を用意して、どうすればひとりを元気づけられるか考える。

 

 とりあえず美味しいものかな、なんて考えていると、僕の携帯が振動した。

確認すると一件メッセージが届いている。そしてそれを読んでいる内に一つ思いついた。

今のところ相性の微妙な二人だけれど、今日は何かしらのいい刺激になるかもしれない。

 

「ひとり、ちょっと寄り道してもいいかな?」

 

 そう問いかけると、きょとんとひとりは僕を見上げ、ささやかにこくりと頷いた。

 

 渋谷という地名に悲鳴をあげたひとりを連れて、待ち合わせ場所のスタジオ前に向かう。

そして僕達が着いた時にはもう、大槻さんと彼女の仲間達は既に揃っていた。

 

「……来るとは思わなかったわ」

「あれ、行けたら行くって送ったよね?」

「それ断る時の常套句よ」

「そうなんだ。じゃあ次もそれで送るね」

「なんで!?」

 

 意外性のために、なんて返そうとしたところでひとりが僕の袖を引く。

僕が振り向くと大槻さんも釣られて視線を動かし、逃げるようにひとりは僕の背中に隠れた。

その反応で微妙に苛立たしげな、寂しげな表情を大槻さんは浮かべる。今日も噛み合っていない。

 

「な、なな、なんで大槻さんに会いに?」

「スタ練するから来れば、って連絡さっき貰ったから、お言葉に甘えようかなと」

「えっお兄ちゃん、大槻さんとギターの練習するの?」

「僕はしないよ。するのはひとり」

「???」

 

 不思議そうな顔をするひとりに、今日大槻さん達に会いに来た表向きの理由を伝える。

 

「上のバンドとの練習はいい刺激になりそうだなって」

「えっでも、知らない人と練習しても、緊張するだけで何も」

「そこにも実はちょっと狙いがあって。一回外の人とのやりづらさを知ることで、結束バンドの安心感が再認識出来る、とか」

「……な、なるほど?」

 

 半分くらいはこの理由で、もう半分はこれでひとりの気が紛れないかな、と思っている。

そして微かに、ほんの少しだけ、彼女のおかげでまだ頑張ってみようと思えるようになれたから。

ひとりに一部を隠して説明をしていると、大槻さんも長谷川さんに同じものを求められていた。

 

「さっき言ってたもう一人の当てって、魔王さんのことだったんすか?」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「……はぁ。ヨヨコ先輩、マジで無いっす」

「えっ」

 

 聞いたことのないほど大きなため息を吐かれ、ひとりが大きく震えあがった。

よそのギタリストと、バンドマンですらない男が突然スタ練に参加しようとしている。

予想外と言えば予想外だったけれど、拒否拒絶されるのも当然と言えば当然だ。

 

「ごめんなさい、部外者が混じるのは迷惑ですよね」

「あぁいえ、すみません。今のは魔王さんじゃなくて、ヨヨコ先輩に言いました」

「わ、私?」

 

 まさか矛先が来るとは思っていなかったのか、大槻さんが目を丸くして自分を指差す。

その様子を確認した長谷川さんはもう一度ため息を吐き、残念なものを見る目を彼女に向けた。

 

「これからやるのスタ練っすよ、スタ練。いくら一人増やせば安くなるって言っても、こんな遅くにいきなり楽器弾かない人呼び出して、しかもスタジオ代払わせようとするのはさすがに無いっす。普通怒られてもしょうがないっすよ?」

「うっ。で、でも、実際こうして来てる訳だし、別に文句も言ってないし」

「それは魔王さんが特殊なだけっす。私なら既読スルーっすね」

 

 既読スルーの一言で大槻さんが凍り付いた。何かトラウマがあるらしい。

 

「えっと、僕は気にしてないから」

「魔王さん、今はヨヨコ先輩の教育中なんで」

「あっはい。分かりました」

 

 教育中なら仕方ない。縋るような視線を送る大槻さんを僕は見捨てた。

背中に張り付くひとりとともに、のんびりとしていた内田さん達の方へ移動する。

そんな僕達二人を見た本城さんは、今日も楽しそうな微笑で両手をぽんと叩く。

 

「そうだ、はーちゃんがヨヨコ先輩とお話ししてる間に、私たちで手続きしちゃいましょう!」

「お二人ともそれでいいですか~?」

「うん、お願いします」

「あっはい」

 

 その後手続きが終わり入口に様子を見に戻っても、長谷川さんの教育はまだ続いていた。

 

 

 

「わー! 想像以上に中広いねー!」

 

 その後無事に教育も終わり、SIDEROSとともに大スタジオに入室する。

本城さんの言う通り普段目にするスタジオよりずっと広い。これならのびのびと練習出来そうだ。

周囲を警戒するひとりに付きあって隅に移動し、早速二人で準備を始めた。

 

「じゃあひとり、まずは準備しようか」

「うん。えっと」

「アンプはこっちだよ」

 

 ひとりが準備するのを手伝う、と言ってもアンプに繋げて軽くチューニングするくらい。

ほとんど一瞬で終わったにもかかわらず、ひとりはギターを抱えた状態で動きを止めた。

そしておろおろとスタジオを見回した後、不安そうに僕をじっと見上げる。

 

「最初に音出すのはやっぱり嫌?」

「……と、飛び入りの癖に、我が物顔で練習してるとか言われそうで」

「言わない言わない」

 

 もしかしたら大槻さんは言うかもしれないけれど、彼女のそれはじゃれ合いみたいなものだ。

多分その場合は、せっかくだから一緒に練習しよう、とかそういう意味合いになると思う。

ちょっと美化しすぎかな。縄張り意識強そうだし、普通に気に入らないだけかもしれない。

 

 不安に物理的に揺れ始めたひとりを宥めていると、長谷川さんが気まずげに近づいて来た。

 

「お二人とも、今日はヨヨコ先輩が申し訳ないっす」

「あっいや、その」

「気にしないでください。これもいい機会ですので、今日は勉強させてもらいます」

「……べ、勉強するの、私だよね?」

「そこは、うん、ごめんなさい、頑張って」

 

 不満の籠ったじっとりとした視線がぶつかる。不安は薄れたからよしとしよう。

僕達のそんな和やかな様子を見て、どうやら長谷川さんは興味を覚えたようだ。

 

「ぼっちさん、魔王さんとは普通に話せるんすね。って兄妹だから当たり前か」

「えっあっあの、す、すみません!」

「やっ、責めてるわけじゃ」

 

 怒涛の勢いで頭を何度も下げるひとりを前にして、長谷川さんは戸惑っていた。

このままだと練習どころではなくなるから、見て分かることでなんとか場を繋ぐ。

 

「すみません。この子人見知りで口下手なところがあって」

「……あぁだから魔王さん、ヨヨコ先輩相手でもいつも余裕なんすねー」

「そんなに感心されることですか?」

「そんなにっす。ヨヨコ先輩、魔王さんと私ら以外友達いないんで」

「大槻さんあんなに優しくて面白い人なのに、それも不思議ですね」

「そこ! 聞こえてるからね!!」

 

 少し離れた場所で準備をしていた大槻さんから、鋭いツッコミの声が飛んでくる。

ひとりが震え長谷川さんが肩を竦める。誰も答えないみたいだから、僕の方で対応しよう。

ちなみに大槻さんも何故かずっと、延々と終わったはずのチューニングを続けていた。

 

「褒めてるつもりだったけど、それでも気に入らなかった?」

「どんなものでもね、ひそひそ話は嫌いなの!」

「ごめんね。でも大槻さんが面白い人っていうのは本心だから」

「そっちピックアップする!?」

 

 驚きに声を上げる彼女に、メンバー二人が駆け寄って追撃をした。

 

「大丈夫ですっ! ヨヨコ先輩以上に面白い人、私知りません!」

「幽々もヨヨコ先輩ほどの人は見たことないですね~」

「もしかして私今、喧嘩売られてる?」

 

 そんなことを言いながらも、大槻さんはどこか嬉しそうににやけていた。

なんでも一番がいいとは前言っていたけれど、この一番でも喜んでしまうらしい。

僕はもちろん二人も悪意は無さそうだし、幸せそうだからそっとしておこう。

 

 そういえばひとりはどうしてるだろう。ここに三人いるということは、長谷川さんと二人きり。

僕の見立てだと彼女は虹夏さんのように、むしろ虹夏さん以上にまともで常識的な人だ。

だから雑談でも出来ていればそれだけ世間に馴染んだ証になる。期待を胸に様子を確認した。

 

「あっかわい、ぐふっ、はっ肌白……お、お姉さんどこ住み、てかロインやってる……?」

「距離感の詰め方えぐいっすね……こわ……」

 

 よし、また次の機会に頑張ろう。




次回「ガチということ 下」です。


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第二十五話「ガチということ 下」

感想評価、ここすきありがとうございます。


 ひとりが長谷川さんをドン引きさせる事件はあったものの、その後の練習は順調に進んだ。

ちなみにあの不思議な言動は喜多さんの真似らしい。本人の前でやろうとしたら止めよう。

 

 そしてその練習は、社交辞令のつもりで言ったことが現実に、本当に勉強になった。

考えてみれば僕もひとりも昔父さんに少し教わった以外、音楽はほぼ教本だよりの独学だ。

今日こうして上位のバンドの練習風景、方法を体験出来たのは、いつか大きな力になるはず。

 

「それじゃいったん休憩でー!」

 

 そのほかにもいくらか練習を重ねた後、長谷川さんの一声で休憩の時間になる。

その瞬間精も根も尽き果てたひとりが、ふらふらと僕に近付き胸元に倒れ込んでくる。

出来る限り労わって頭を撫でていると、大槻さんが呆れ全開の視線をぶつけてきた。

 

「人目も気にしないでよくやるものね」

「お疲れ様、大槻さん」

「おっお疲れ様です!」

「お疲れ様。で、今日はなんで来たの?」

「大槻さんが誘ってくれたから」

「そりゃそれは私だけど。わざわざ後藤ひとりを連れてきたのは、何か理由があるんでしょ?」

 

 そういえばあの時彼女は長谷川さんに怒られていたから、何も話していなかった。

さっきひとりに話したことを、そのまま大槻さんに伝えようとして気がついた。

ひとりが怯えの中に何かを混ぜて、彼女に視線を向けようと頑張って体を震わせている。

 

「ひとり」

「えっ!? つ、連れてきたのはお兄ちゃんで」

「大槻さんに聞きたいこと、あったりしない?」

 

 だからせめてもの助けになるかなと考えて、ひとりへ柔らかく水を向けてみる。

ひとりはびくついて、僕を一瞬恨めし気に見て、手や指をもじもじとすり合わせて。

それでも最後には、おずおずと大槻さんに何とか声をかけることが出来た。

 

「……あっあの」

「何?」

「そ、その」

「はっきり言って。じゃないと分からない」

 

 相変わらず当たりは強いけれど、ひとりとの会話を拒む様子は見えない。

ひとりもそれが分かっているのか分かっていないのか、いや多分全然分かってないな、これ。

それでも聞きたい気持ちが上回ったのか、やがてひとりはなんとか質問を絞り出す。

 

「お、大槻さんはどうして未確認ライオットに出ようと思ったんですか?」

「一番になりたいから。未確認ライオットは同世代のバンドが揃う絶好機会、そこで優勝すれば、自動的に私たちが一番ってことになるでしょ」

「えっと、じゃあもし、一番になれなかったら……?」

「なる」

「あっも、もしも、もしもの話です」

「……」

 

 言われて初めて気がついた、そんな素振りを大槻さんはしてみせる。

心配性の彼女に限ってそんなことはないと思ったけれど、僕はなんとか口を閉じた。

 

「もっと練習して、もっと上手くなる」

「えっ?」

「一番になれなかったら、もし誰かに負けたら、その時はきっと死ぬほど悔しい。でもそれで私たちが終わる訳じゃない、ちょっと躓いただけ。その後もっとバンドとして上手く、大きくなって、最後に私たちが一番になれてればいい」

「終わる訳じゃない……」

「そして目指すはビルボードランキング一位! その後はグラストンベリーフェスティバルの大トリ!!」

 

 高らかに目標を掲げる彼女をひとりが、SIDEROSのメンバー達が眩しそうに見つめていた。

多分彼女達は大槻さんのこういうところに惹かれて、一緒にバンドをやっているんだろう。

非現実的なほど大きくて遠い目標。それを臆面もなく言ってのける姿は、確かにとても格好いい。

 

 そんな彼女を見て、話を聞いて、ひとりも何か感じ入ることがあったようだ。

怯えていたのが嘘のように勢いよく立ち上がり、目を見開く大槻さんに大きな声を出した。

 

「あ、あの!!」

「ひゃ!?」

「きょ、今日はありがとうございました! よ、用事を思い出したので帰ります!!」

「えっい、いきなり!? ちょっと待って、私も貴方に聞きたいことが」

「ありがとう大槻さん。じゃあまたね」

「いや帰る準備早すぎでしょ!?」

 

 ひとりが大槻さんと話している間に、ギターの片付けやら何やらは終わらせておいた。

そして他メンバー三人にはひとりの分も含めて、先んじてお礼と挨拶をさせてもらっていた。

大槻さんの自負と自信に触れたら、恐らくひとりは迷いを振り切ると予想していたからだ。

 

 それ以上のツッコミを受ける前にお辞儀をして、急いでひとりのことを追いかける。

あの子にとって渋谷は地獄に等しい。下手をすれば一歩外に出た途端死にかねない。

幸い入口付近で呆然と街を見回していたから、速やかに保護することが出来た。

 

 その後も渋谷の喧騒からひとりを守りつつ、無事に帰りの電車まで辿り着けた。

僕から言い出したこととはいえ、だいぶ遅くなってしまった。正直凄く眠い。寝れないけど。

母さんからの心配のメッセージに返信をしていると、ひとりが囁くように呟いた。

 

「大槻さんたち、凄かった。結束も演奏も、まだまだ敵わないなって思っちゃった」

 

 ある種の敗北宣言にもかかわらず、ひとりはどこか清々しくそう言い切った。

それから言葉に迷った様子で僕を見上げたから、まとまりがつくまでひたすら待つ。

 

「あっあのね、お兄ちゃん」

「何か掴めた?」

「うん。私やっぱり、ギターヒーローの名前は使わない」

「それで二次審査に落ちても?」

「そ、それでも、絶対使わない」

 

 大槻さん達と一緒に練習する前と同じような言葉。でもそこに込められた意思は違った。

 

「未確認ライオットはただの通過点で、通過出来ても出来なくても、私たちは結束バンドだから」

 

 結束バンドにとって、未確認ライオットのグランプリはあくまでも小目標だ。

皆はそのために音楽を始めた訳でも、そのためにバンドを組んだ訳でもない。

たとえ結果がどうなっても、結束バンドはその後も夢のために走り続けていく。

なんとなく頭で分かっていたつもりだったことを、今ひとりは再認識したのだろう。

 

「だから私たちは、とにかく私たちの全力で頑張ろうって」

「そっか」

「それでね、これから集まって練習しようって、皆に言ってみる!」

「……そうだね。連絡してみようか」

「うん!」

 

 今はもう結構遅い時間で、これから集まるとしたら日を跨いでしまう。

だからひとりの提案は当然却下されたけれど、きっとその思いは皆にも伝わったはずだ。

三連続のツッコミを受けて落ち込む妹を慰めながら、そんな根拠のない信頼を抱いていた。

 

 

 

 それから時は流れて、とうとう未確認ライオット二次審査の結果発表日が訪れた。

 

「二十六位~!?」

 

 喜びと驚きに抱き合う虹夏さんと喜多さんの言う通り、結束バンドは二次審査を突破した。

一次の時のような狂喜乱舞とまではいかないものの、今日も四人全員で喜びを露わにしている。

ひとしきりはしゃいだ後今度は安心が来たのか、全身力が抜けたように机に座り込む。

そして最後の最後に疑問が訪れたようで、不思議そうに結果をぼうっと眺めていた。

 

「よかったぁ~……でもあんなに苦戦してたのに、なんで急に順位上がったんだろう?」

「何かばんらぼってサイトの次にバズるバンド特集、みたいな記事に取り上げられてたっぽい」

「えっネット記事? なになに、なんて書いてあるの!? 誰が書いてくれたの!?」

「名前書いてないから分からない。面倒だから郁代読んで」

 

 ぽいっと投げ渡された携帯をキャッチして、言われた通り喜多さんは音読し始める。

 

「えぇと『メンバーは若く勢いがあるが、楽曲には年齢に見合わない深みがある』」

「えっへっへー」

「『バンド名がダサい、リードギターのパフォーマンスが時々突拍子もなくて怖い。酔っ払いのファンがよくライブに来ていて治安が悪い』」

「……とりあえずあの人、出禁にしよっか。あとぼっちちゃんはこの後ちょっと話そうね」

「え゛っ」

 

 不安顔の同級生コンビと一緒に来た僕は、今日もまた星歌さんに付き合って貰っていた。

二次審査突破にはしゃぎ続ける結束バンドに釣られ、隣の彼女もまた顔がにやけている。

一方僕はそれどころじゃなく、その記事に引っ掛かりを感じて考えて込んでいた。

 

「お前の言う通り、ライターの記事でかなり上がったな」

「……えぇ」

「にしてもここまで予想通りとはなぁ。もしかして、なんかした?」

「僕は何も。そして多分、誰も何もしていません。この人が自分から書きました」

「そりゃいいこと、だよな?」

「そのはずです」

「……気になることでもあるのか?」

 

 ある。そしてそれを確かめないと、僕はこの先安心して夜も眠れないだろう。

 

「………………星歌さん、二つお願いしてもいいですか?」

「言うだけ言ってみな。じゃないと分からん」

「じゃあまず、人と密かに会える場所をご存じでしたら教えてください」

「そんくらいならいくらでも知ってるけど。もう一つは?」

 

 こっちは、もう一つの方は、絶対に必要なこと、というものでも無い。

はっきり言って僕の甘えでしかなくて、恐らく星歌さんに負担をかけるだけのもの。

それでも一度口に出した、彼女が続きを待っている以上、最後まで言い切るしかない。

 

「多分、僕は明日学校サボります」

「……へぇ。なんで?」

「人を呼び出して会うためです」

「それで?」

「その、出来ればその時、手伝ってもらえませんか?」

 

 意外そうに一度目を丸くした後、彼女は何故かニヤリと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 翌日宣言通り僕は学校をサボり、星歌さんとともに喫茶店である人と待ち合わせをしていた。

約束の時間、午前十時まであと数分という頃、入口の方から勢いよく扉に開く音が聞こえた。

それから落ち着きのない足音が響き奥まったテーブル、僕達の席の前で止まる。

 

「す、すみません、お待たせしました!」

「まだ時間ではありません。お気になさらないでください」

 

 ある人、佐藤愛子さん。去年の十一月のあの日、結束バンドをこき下ろした人。

そして今回結束バンドを記事に取り上げ、未確認ライオット二次審査を突破する要因になった人。

あの記事に名前は無かったけれど、僕はあの時彼女の書いた記事を読めるだけ全て読んだ。

だから文体や癖であれが彼女によるものだと分かった。分からなかったのは、書いたその理由。

 

「本日はお忙しいところお越しいただき、ありがとうございます」

「い、いえ、こちらこそ。それで、なんでアンタ、いや店長さんが?」

「あー目付け役とか、立会人とか? 口は挟まないから気にすんな」

「気にすんなって、そんなの無理がある、ありますよ?」

 

 彼女は星歌さんに噛みつこうとして、僕を気にして牙を引っ込め妙な口ぶりになる。

一度崩れたものを見た以上、というよりなんであれ、彼女がどう話そうとそれはどうでもいい。

重要なのはやり方ではなく中身、何を話してもらえるか。それが今日は一番大事だ。

 

「佐藤さんの話しやすい口調で構いません。楽にしてください」

「でしたらその、出来ればペンネームで呼んでいただければ」

「恥ずかしいのでそれはちょっと」

「は、恥ずかしい……」

 

 愕然とする彼女には申し訳ないけれど、ぽいずんもやみも(14歳)も僕にはきつい。

そして彼女のためにわざわざ辛い思いをする気も無い。だから自分の名字を受け入れてもらう。

しょんぼりとする彼女に気づかないふりをして、続けて彼女の疑問に答えた。

 

「それと星歌さんには今日、私がお願いして来ていただきました」

「……理由を聞いてもいいですか?」

「私と二人きりでは、佐藤さんも不安だと思って」

 

 なにせ僕は前科持ち、昨年の十一月頃に彼女を一度気絶させてしまっている。

原因が僕だと気づいているどうかは知らないけれど、一定の恐怖か何かは残っていそうだ。

その証拠に彼女はどこか窺うように、疑念と警戒を滲ませながら僕に問いかける。

 

「……このお店を選んだのも?」

「私です。と言っても今日のために紹介していただいた場所なので、私も初めて来ました」

「それで喫茶店……」

「もしかして、こういった場には不向きでしょうか?」

「あっすみません、大丈夫です。ただ、なんというかその、バーとか居酒屋とかに呼び出されることが多くて」

「……そちらの方が」

「いえ全然! 付き添いといい、むしろ安心しました!」

 

 バーの方がいい、お酒が無いと始まらない、なんて言われたらどうしようかと思った。

僕はまだ十八歳で高校生。調べたことは無いけれど、ああいう所には恐らくまだ入れない。

そうなると年齢を誤魔化すことになるから、また無駄に退学チャンスを増やすことになる。

密かにほっと一息吐くと、佐藤さんがちらちらと物欲しそうにメニューへ視線を送っていた。

 

「何か頼まれますか?」

「……えっと」

「私が出しますから、遠慮しないでください」

「本当!? あっ、で、ですか?」

「お呼び立てしたのは私なので」

「あっありがとうございます!」

 

 机にぶつかるんじゃないかな、というくらいの勢いで頭を下げた後、彼女はメニューを広げた。

ウキウキとそれを眺める様子はどこか幼くて、十代半ばに見えないこともなくも無さそうだった。

そんな僕の失礼な思考に彼女は気づかず、嬉しそうにぶつぶつと何かを呟いていた。

 

「はー、久しぶりのコンビニ以外のスイーツ……! しかもイケメンの奢り……!!」

「ふっ」

「……何よ。貧乏ライターがそんなにおかしい?」

「いやぁ、別に、なんでも?」

「なんでもない奴の顔じゃないわよ!!」

 

 からかうように口元を歪める星歌さんと、それに遠慮なくツッコむ佐藤さん。

興味深くてその様子を眺めていると、僕の視線に気づいた星歌さんが首を傾げた。

 

「ん? どうした一人」

「……なんだか仲良さそうですね」

「気のせい」

「それはないです!」

 

 ますます仲良さそうだな、とは思ったけれど、繰り返しになりそうだから口を閉じた。

代わりにメニュー置き場横にある呼び出しボタンを押して、店員さんに来てもらう。

コーヒーと特製リンゴジュース、日替わりケーキセットを注文するとすぐに届いた。

 

「ケーキ美味しい……カフェラテも美味しい……甘いもの美味しい……」

「……大人って、大変なんですね」

「これは大人っつーか、個人の問題だな」

 

 たとえ佐藤さん相手でも、ここまで感動して食事をする人に声をかけるのは少し躊躇う。

だけど今日はケーキを奢るために彼女を呼んだわけじゃない。いい加減話を始めよう。

 

「そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」

「えっ! あっす、すみません!」

「ぷっ」

 

 吹き出した星歌さんを睨むものの、佐藤さんは僕を気にしてその憤りを抑え込む。

僕もそれに倣って、彼女達のじゃれ合いには触れなかった。やっぱり仲いい気がする。

再び浮かんだ疑問に蓋をしてから携帯を取り出し、佐藤さんへその画面を向ける。

そこにはあのページ、結束バンドの二次審査通過を助けたあの記事が映っていた。

 

「こちらの記事についてお話をいただきたくて、今日はお呼び立てしました」

「そ、それは」

「この記事を書いたのは、貴方ですよね」

 

 その瞬間、彼女の目が泳ぎ出した。

 

「い、いやー、どうでしょうかねー?」

「どうして貴方がこれを?」

「聞いてない!?」

 

 無駄な駆け引きはいらない。余計な問答が嵩めば、その分目が合う可能性も高まる。

今日は途中で気絶しようがしまいが、真相を聞き出せるまで彼女を帰すつもりは無い。

だから効率よくこの密談を終わらせるためにも、いつもより直接的に話を続ける。

 

「貴方にとって結束バンドは、ギターヒーローの足枷に過ぎないはずでしたが」

「それは」

「いったい、どのようなおつもりでしょうか?」

 

 結束バンドはギターヒーローを縛る存在。そう考えているのならやることが逆だ。

むしろひとり以外を徹底的にこき下ろして、二度とステージに立てないようにするだろう。

僕が彼女の立場なら、ひとりの害と信じるものを潰すためなら、そのくらいはやりかねない。

 

 だからこそ今回の彼女の記事、結束バンドを手助けするような行いが僕には理解出来ない。

ギターヒーローの正体を知る不安要素が、突然意味不明な行動で結束バンドに関わって来た。

放っておくには気掛かりが大き過ぎる。だから今日は会いたくも無い彼女を呼び出した。

 

 わざわざサボってまで平日の朝を指定したのは、間違っても皆と彼女が接触しないようにだ。

事実が多分に含まれていたとはいえ、あの日の彼女が言ったことを僕は忘れていない。

あんな記事を書かれた今でも彼女の考えは不明、だからいざ会えば何を口にするの分からない。

そんな存在にひとりと皆が関わる可能性を、僕は出来る限りゼロに近付けておきたかった。

 

「……三月頃にギターヒーローさんたちが路上ライブをしているところを、偶然見かけたんです」

「どちらでそれを?」

「下北沢の駅前です」

 

 詳しく聞くと時期も場所も合っていた。どうやら適当に言っているようでは無いらしい。

疑ってばかりで嫌な奴だな、と自分でも思いつつ、彼女に話の続きを促す。

 

「正直驚きました。お遊びだと思っていた子たちが、こんな短期間であんな成長するなんて」

「具体的に、どのようなところに成長を感じましたか?」

「そう、ですね。ではまず、バンド全体として演奏自体が、そして合わせも上達したように思います。練習にライブ、どちらも何度も重ねなければああはなりません。個人の成長を上げるならギタボの子、あの子の歌が一番伸びを感じました。なんというか、前よりもずっとライブや歌詞への理解を深めた、そんな歌声になっていました。他には」

 

 それからしばらくの間、佐藤さんは結束バンドの成長について語り続けた。

僕が気付けたこと、気付けなかったこと。僕の知っていたこと、知らなかったこと。

結局一回も路上ライブに行けていない僕より、よほどちゃんと聴いていた。

 

「それでその後あのクソブッ、池袋でブッキングライブに参加すると噂で聞いて」

「そちらも見に行かれましたか?」

「えぇまあ。元々仕事上、あちこちのライブに顔を出すようにしていたので、その一環です」

 

 ちらりと横を見ると、星歌さんが肯定するように頷いていた。

あの日の池袋でのライブ、そこで彼女は佐藤さんとばったり出くわしたらしい。

そしてこれはあくまで想像だけど、そこで何か佐藤さんを見直すことがあったんだと思う。

 

 昨日僕が佐藤さんと会いたいと言った時、星歌さんは驚いても止めはしなかった。

僕の気性を多少なりとも知る彼女なら、十一月のような事件を心配する方が自然だ。

でも彼女はあの時心配も制止もせず、それどころかこうして手まで貸してくれている。

だから僕も彼女のその判断を信じることで、今日は冷静に話が出来ていた。

 

「まさかあのライブハウスで、あそこまで盛り上げることが出来るなんて。あの時は胸がすく思いになりました!」

「……」

「あーでも、ただちょっと、あの日はドラムの子が荒れてたのが気になりましたね」

「…………」

「基本路上ライブの時以上に楽しそうに、上手に叩いてたんですけど、時々思い出したように、鬼のように荒く力強くなってて。けどまあ、ああいうのも一つの味ですよね!」

「………………」

 

 結局池袋のライブに行かなかった僕より、よほどちゃんと聴いていた。気まずい。

横の星歌さんが僕の脇腹を何度も肘で突く。反省してるのでもう許してください。

そんな風に目の前でじゃれつく僕達を見て、佐藤さんは大きく咳ばらいを一つする。

 

「……私は、適当に音楽をやっているバンドマンが嫌いです」

 

 それからしらっとした目を星歌さんに向けた後、彼女の本音を教えてくれた。

 

「特に、ガチでやっている人を嘲笑ったり、足を引っ張ったりするのは、もう論外です」

「あの時の結束バンドは、貴方にとってそう見えていたと」

「えぇ。失礼は承知ですが、今もあの時の判断が間違っていたとは思いません」

 

 僕も失礼を承知の上で、冷静に事実だけを確認し、当時の皆を思い返す。

結束バンドがガチじゃなかった。これはきっと事実だ。本気というには何もかも足りなかった。

そして皆がひとりの足枷だということ。こっちは間違いなく的外れな指摘だった。

 

「でもこの間見た、聴いたあの子たちの演奏は見違えていました」

「では今回の記事は、端的に言えば結束バンドを見直したから、ということでしょうか」

「偉そうな言い方にはなりますが、私なりに今の結束バンドの評価を正直に書きました。あの子たちはきっとこれからも伸びます。そして何より、ギターヒーローさんにあの子たちは必要だと、一緒じゃないといけないと、やっと分かりました」

 

 もう十分だろう。

 

「佐藤さん、お話の途中すみません」

「な、何か気に障るようなことでも」

 

 びくりと震え上がる彼女を置いて立ち上がる。そして僕はやるべきことを、彼女に謝罪をした。

 

「先日は、大変申し訳ございませんでした」

「あっえっ、ま、マネージャーさん!?」

「あの日貴方をガチじゃないと言ったこと、不必要な侮辱を重ねたこと、全て謝罪します」

 

 彼女の言葉の事実如何はどうあれ、あの日の僕はきっと冷静じゃなかった。

いらないこと、言ってはいけないことも多く言った。それらは全て謝るべきことだ。

それでもこんな人に、なんて子供染みた意識が今の今までずっと邪魔していた。

 

 でも佐藤さんはそんな人というだけじゃなかった。彼女なりにバンドに真摯な人だった。

それを知ってようやく僕も謝ることが出来た。まだまだ大人には程遠い行動だ、恥ずかしい。

数秒後彼女が口を開く。ついさっきまで震えていたとは思えないほど、その声は静かだった。

 

「……いえ、マネージャーさんの言う通りでした。あの時は、私も確かにガチじゃなかったです。なんだかんだと言い訳をして、目の前のバンドも見ないで、適当な仕事でやり過ごしていました」

 

 恥じるようにそう零した後、彼女もまた僕と同じく立ち上がり、深く深く頭を下げる。

 

「こちらこそ、大変申し訳ございませんでした。あの日感じたことは撤回しません。でも言ったことは、結束バンドがただのお遊びバンドだなんて言葉は、撤回させてください」

「私には結構です。それは結束バンドにいつか伝えてください」

「そう、ですね。確かに、それが筋です。ですが」

「大丈夫です。貴方のバンドへの真摯さは、きっと彼女達にも伝わります」

「……ありがとうございます」

 

 佐藤さんが噛み締めるようなお礼を口にして、少しの間不思議な沈黙が訪れた。

手持ち無沙汰で困る僕を見たのか、星歌さんは軽く手を打って僕達の注目を集める。

 

「お互い頭下げたんだ、これで水に流して終わりだな」

「むっ偉そうに。いったい何様のつもり?」

「炎上系ライターにアポなし突撃された店の店長様」

「うぐっ。そ、その節は大変申し訳ございませんでした……」

 

 意地悪そうな声と顔で攻撃する星歌さんに、それ以上の悪意は感じられない。

佐藤さんもそれを分かっているのか、息を呑んだ後すぐに星歌さんにも頭を下げた。

そこまではよかった。でも再び顔を上げた佐藤さんは、何故かやる気に満ちていた。

 

「……ところで話は変わりますが、以前お願いしましたギターヒーローさんの独占取材ですけど」

「お前、よくこの流れでそれ言えるな。図々し過ぎてびっくりするわ」

「記者なんてね、図々しくないとやってけないのよ!」

 

 勇猛さと悲壮感、相反する二つの思いを感じさせる台詞だった。

結束バンドのあの記事や今日話していただいたこと、今までひとりのことを黙っていたこと。

これらのことから、彼女がただのゴシップライターじゃないということはよく分かった。

だから僕としてはもう、断固拒否するとまでは思っていない。それでも今すぐは無理だ。

 

「すみません、今ここで返事をするのは難しいです」

「あっギターヒーローさんの意思が一番大事ですから、それも当然ですよね!」

「あの子は授業中ですから確認も出来ません。なのでまた後日にしていただけると助かります」

 

 ひとりは真面目に授業を受ける子だから、今この瞬間は邪魔になってしまう。

それに本来なら僕も今は学校、授業中のはずだ。自分から墓穴を掘ってもしょうがない。

僕の返事に一瞬残念そうな顔をした佐藤さんは、すぐに気を取り直して切り返す。

 

「ならマネージャーさんは、この後ご予定どうですか?」

「……私、ですか?」

「えぇ。取材する時は周囲の方からお話を聞くのも、ご本人とお話しするくらい大事なんです!」

 

 そこでギラリと、何故か彼女の瞳が妖しく鋭く光った。

 

「なのでぜひ、マネージャーさんにもお話をいただければなと」

「はあ」

「あぁでもそちらの店長さんがいると、どうしても深い話はしづらいですよね。では場所を改めて、この後二人でお願い出来ませんか? 私、いいお店知ってるんですよ」

「それは、構いませんが」

「本当ですか!?」

 

 今回急に呼んで来てもらった以上、僕も彼女のお願いに一度は応える義理がある。

それはそれとして、なんか急にぐいぐい来るなこの人。また意図が読めなくなってきた。

そのせいか今まで働いたことのない謎の勘が、何か危険が近づいているとさっきから告げている。

底冷えのする感覚に内心疑問を覚えていると、星歌さんがため息とともに口を開いた。

 

「というか一人、お前も今日授業あるだろ。これ終わったら着替えてさっさと行け」

「……今から行っても中途半端な時間になるので、午後からにしようかなーと」

「不良め」

 

 そんな説教染みた言葉を半笑いで零しながら、彼女は僕の額を軽くつついた。

僕達の会話を耳にした佐藤さんは意外そうに目を細め、そこに興味の光を輝かせる。

 

「へぇ、マネージャーさん学生だったんですね。どちらに通われてるんですか?」

 

 これは取材、にもならない世間話の類だろうか。なら答えても問題無いのかな。

それに個人情報と言えば個人情報だけど、悪名高い僕のことなら少し調べればすぐに分かる。

念のため星歌さんを見ても止める様子は無い。むしろ後を押すように、何故かニヤニヤと頷いた。

 

「下高の三年生です」

「…………そんな大学、この辺にありましたっけ?」

「あっすみません。下北沢高校の三年生です」

 

 そう告げた瞬間、佐藤さんが石のように固まり動きを止めた。

かと思えば突然プルプルと震え始め、更には顔を真っ赤に、そして真っ青に染めていく。

 

「……高校…………高校? ……………………こ、高校生!?」

「はい、高校生です。それが何か」

「こ、高校生に奢らせようとしてた……? こ、高校生にボコボコにされてた……? こ、ここ、高校生に、子供に、唾つけようとしてた……………!?」

「あの?」

「一生の不覚ぅ………………!!」

 

 挙句の果てに突っ伏してしまった。僕が高校生だったのがそんなに意外だったのかな。

うめき声を上げながら震える彼女と疑問に首を傾げる僕を見て、星歌さんは大爆笑していた。

 

 

 

 星歌さんが笑いすぎてお腹を攣りかけたのを介抱していると、佐藤さんもようやく顔を上げた。

よほど何かが恥ずかしかったようで未だにその頬と耳は赤く、微妙に瞳は潤んでいる。

ついこの間学んだ。こういう時そこに触れるのは逆効果で、もっと大惨事を起こしかねない。

それに聞きたいことも聞けたから、僕は何もかもを無視してこの密談を終わらせようとした。

 

「改めて佐藤さん、本日はお忙しいところありがとうございました」

「大丈夫、です、よ?」

「……最初も言いましたけど、佐藤さんの話しやすい口調にしていたたければ。私はその、高校生なので。別にもっと適当な話し方でも」

「う、うーん…………いえ、あのギターヒーローさんのマネージャーさんということに変わりはありませんから、今までと同じでお願いします」

 

 佐藤さんがぎくしゃくしているから、釣られて僕もなんとなく気まずい感じになる。

それがまたツボに嵌ったのか、星歌さんは笑いそうになりながらヤジを投げた。

 

「やーい、条例違反ー」

「悪かったわね! こんな大人っぽかったら勘違いもするわよ!!」

「……紛らわしくてすみません?」

「あっ! い、いえ、勝手に勘違いしたのは私なので、その、こちらこそすみません」

「ぶっ、くくっ。あーやべー、これ言う側に立つと滅茶苦茶楽しいな……」

 

 それからひとしきり僕に恐縮して、星歌さんのことは睨みながら、佐藤さんは立ち去った。

入口のドアからカランコロンと軽快な音がして、ようやく肩の荷が下りたような気がした。

疲れを誤魔化すように、すっかりぬるくなってしまったリンゴジュースを口に含む。

 

「星歌さんも、今日はありがとうございました」

「気にすんな。最近ここ来てなかったしちょうどよかった」

「……僕がお願いして来てもらったのに、全部払ってもらうのは違う気がします。やっぱり僕が」

「子供に奢られてたまるか。それに今日は面白いもの見せてもらったからな、見物料代わり」

 

 今の言葉が嘘じゃなかったことを証明するかのように、彼女は思い出し笑いで噴き出した。

佐藤さんが僕を大学生か社会人、大人と勘違いしていたことがよっぽど面白かったらしい。

そんなに笑えるところなのかな。僕はぴくりとも来ないけど、こういうのは好みの違いだしな。

星歌さんの笑いのツボを内心疑問に思っていると、唐突な質問が飛んできた。

 

「それで、納得出来たか?」

「はい。佐藤さんが意外と真面目な人で、彼女なりの理屈であれを書いたことが分かりました。これならあの時もっとちゃんと」

「あー悪い、聞き方間違えた」

 

 僕がずらずらと語り始めようとしたのを止め、彼女は僕の顔をじっと見る。

 

「安心出来た?」

「……えっと、はい。お手数かけてすみません」

「ならいい。あとさっきも言ったろ、このくらいで一々気にすんな」

 

 それからコーヒーを口に含み、それでも我慢出来なかったようで眠たげにあくびをした。




星歌さんは普段午前中いっぱい寝てる人だと勝手に思ってます。
次回「キタキタチャージ」です。


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第二十六話「キタキタチャージ」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 喜多さんがヤバいとの連絡を受けた僕は、嫌な予感とともに急いでスターリーへと向かった。

彼女の個性が凄いのはいつものことだけれど、あんなに疲れた虹夏さんの声は久しぶりに聞いた。

資格がどうこう言っている場合じゃないかもしれない。僕は覚悟を決めて入口を開いた。

 

「お邪魔します。喜多さんが大変だっていったい」

「やだやだ街歩きしましょうよ~! もっと女子高生らしいことしましょうよ~!!」

「お邪魔しました」

「あぁ!? か、一人くん帰らないで!?」

 

 閉めようとした扉を虹夏さんに全開にされ、さらにはひとりに捕まり逃亡は失敗した。

二人がかりでの必死な姿に抵抗を諦めた僕は、そのまま店内に引きずりこまれてしまう。

元から逃げるつもりはなかった、はず。あれはそう、なんというか、本能的な反射だ。

 

「えっとそれで、喜多さんはこれ、何がどうしたの?」

「患者の容態は青春欠乏症です」

「ごめん、聞いたことない」

 

 さながら助手のようにリョウさんが教えてくれたけれど、そんな病気や症状を僕は知らない。

僕の素直な返事を聞いた彼女はいくらか考えた後、床に転がる喜多さんを迷いなく指差した。

 

「キラキラが足りないんです! もっと、もっとこう、青春っぽいことがしたいんですよ~!!」

「こんな感じの症状」

「……なるほど?」

 

 そんな相槌とは正反対に、僕はまるでまったく納得出来ていない。これはなんだろう。

喜多さんの振る舞いはただの駄々っ子にしか見えないし、青春っぽいことも分からない。

知らない、分からないことはすぐに聞く。そんなモットーの元、僕はもう一度助手に問いかけた。

 

「そもそも青春っぽいことって何?」

「……虹夏?」

「えっそれは、あれだよあれ。ね、ぼっちちゃん? って、あ」

「ぐふっ」

「今また消えました~!!」

 

 今消えたのはひとりの命、つまり青春とは命のこと。妙に詩的な表現だ、そして恐らく違う。

馬鹿げた思考を投げ捨てる。僕の予想は何も意味が無さそうだから、虹夏さんの解説を待った。

 

「最近練習とバイトばっかなのが不満なんだって」

「三次審査も近いし、それは仕方ないんじゃ」

「ちらっ」

「私もそうは思うんだけど、喜多ちゃんはほら、イソスタ欲求があるから」

「そっか。それで我慢の限界迎えちゃったんだね」

「ちらちらっ」

「……ところで、さっきから一人くんのことうざったい感じに見てるけど、何か心当たりある?」

「多分。実はこの間二次審査を突破した次の日に、ちょっとした事件があって」

 

 僕が星歌さんと一緒に佐藤さんと密談をした日、その後学校へ向かう途中のことだ。

突然ひとりから電話がかかってきて僕は心底驚いた。まさかサボりがバレたんじゃ。

でも実際はまるで違う、ひとりの電話はもっと面倒で、もっと大変なトラブルの相談だった。

 

『……結束バンドって、ロッキンジャポンには出ないよね?』

『う、うん。まだまだ無理』

『えっと、ならなんでそんな誤解に?』

『わ、私も分かんない。最初はちゃんと未確認ライオットの話だったのに、き、気がついたらなんか話が大きく、何故か、私たちがロッキンジャポンに出ることになっちゃってて』

『確認だけどひとりはその話、ちゃんと訂正しようとした?』

『えっし、しようとした、よ? ……でも途中で、凄い褒められて気分良くなっちゃって』

『調子に乗っちゃった?』

『え、えへへ、乗っちゃいました……』

『嬉しかったし楽しかったんだね。うん、ひとりが学校を楽しめてるのは僕も嬉しいよ』

『あっ私も、お兄ちゃんも最近楽しそうで嬉しいよ』

『ありがとう。虹夏さんとリョウさんのおかげだよ。でもそれはそれとして、嘘や噂は広がると大きくなるって、その内取り返しがつかなくなるって、僕を見てれば分かるよね?』

『う、うぅ、ご、ごめんなさい……』

『今回は僕が何とかするから大丈夫。次からは気を付けようね』

『あっありがとう、お兄ちゃん』

『どういたしまして。じゃあ喜多さんに替わって』

 

『喜多さんも聞こえてたかもしれないけど、誤解なんて早く解いた方がいいよ』

『で、でも先輩、みんな私たちのこと応援してくれてて。ここで何か言ったらものすっごく盛り下がっちゃいます!』

『このままだと臨時の全校集会で、しかも二人きりでライブすることになるんでしょ? どういう結果になるか、喜多さんも想像つくよね?』

『くっだ、だとしても、陽キャは空気を読まないと死んじゃうんです!』

『どうしても出来ない?』

『はい』

『絶対?』

『はい!』

『…………うーん……………………うん』

『な、何を言われても私は』

『郁代』

『引きませ、んよ』

『嘘は、駄目』

『えっあ、あの』

『郁代、嘘はやめなさい』

『あっは、はい。分かりました』

『うん、聞いてくれてありがとう。じゃあ次は校長先生に替わって』

 

 その後は電話を通じて校長先生とお話して、なんとかぎりぎり対処出来た。危なかった。

あのままだと恐らくMCと演奏が駄々滑りして、二人揃って精神を崩壊させてしまっただろう。

せっかく少しは前向きに登校出来るようになったのに、またトラウマが増えるところだった。

 

「みたいなことがあって」

「それで味を占めたのか……」

 

 それにしてもある程度効くとは思ってたけど、あの思い付きがまさかあそこまでなんて。

そしてここまで引きずるというか、彼女がこんなにまで気に入るとは想像もしていなかった。

いつか廣井さんにしたアレと同じ匂いがする、これもやっぱり危険そうだから封印しておこう。

 

「喜多さん立って。そんなに転がってると、せっかく綺麗なのに汚れちゃうよ」

「いいんです! こんな、こんな黒ずんだ生活じゃお洒落なんて何の意味も!!」

「服もだけど喜多さんもだよ。ほら、ね」

「えっあっはい」

 

 ぴたりと動きを止めた喜多さんの手を取り、そのまま立ち上がってもらう。

虹夏さんと蘇ったひとりが埃を落としてあげるのを待ってから、改めて確認した。

 

「それで喜多さん、キラキラした青春が欲しい、でいいんだよね?」

「はい!」

「例えば、どこかに遊びに行くとか?」

「そんな感じです!」

「この間の遊園地は、そっか、僕達のせいでそんな場合じゃなかったよね。ごめん」

「いえいえ! あれはあれで青春って感じがして、凄く楽しかったです!」

「……悪いのは僕、僕達だって分かってるけど」

「うん、釈然としないね」

 

 僕達二人が迷惑をかけた側で、喜多さんはかけられたのに親切にしてくれた側。

その上楽しかったから気にしないで、とまで言って気を遣ってくれている、はず。

にもかかわらず、僕と虹夏さんは揃って何とも言えない微妙な気持ちになっていた。

 

「でも違うんです! 今欲しいのはああいうのじゃなくて、もっとこう、もっと前向きで、キラキラした分かりやすい青春なんです!!」

「お、お兄ちゃん、そろそろ限界」

「我慢しないでこっちにおいで」

 

 何度も繰り返される青春という言葉に、再びひとりの耐久力が限界を迎えた。

慌ただしく駆け寄って来たひとりの両耳に手を置くと、その上にひとりが手を重ねる。

後藤流二重防御の術、らしい。ほどよく音声がカット出来て、かつ耳が温かくて気持ちいいとか。

とても失礼な振る舞いではあるけれど、目の前で突然死ぬよりはよほどいいだろう。

 

「ごめんね喜多さん、その分かりやすい青春があんまりピンと来ないんだ」

「さっき先輩が言ってたみたいにどこかに遊びに行く、とかでいいんです! みんなでお洒落な喫茶店に行くとか~、雑貨屋さんでハンドメイドアクセ見るとか~」

「うへぇ」

 

 リョウさんが酷い声を出す。ひとりの耳を塞いでおいてよかった。

 

「……あー、とりあえずこの後、みんなで下北ぶらつくとかでもいいの?」

「はい! きっとライブ審査に向けて結束力を高めるのにも役立ちますよ!」

「うへぇ」

「それ口癖にするの?」

 

 喜多さんの表向きの狙いとは裏腹に、早速結束力が揺らいでいる気がする。

抗議の鳴き声をリョウさんが上げた。彼女のファンにはとても見せられないし聞かせられない。

その惨状に力が緩み、ひとりの耳から手が離れる。話が終わったと思ったひとりが僕を見上げた。

 

「えっと、お兄ちゃん、結局どうなったの?」

「この後みんなで下北沢を散歩するらしいよ」

「えっ。……えっ? …………えっ!?」

 

 三度見された。

 

「ぼっち、気持ちは分かる」

「あっリョウ先輩」

「だからちょっと耳貸して」

「あっはい?」

 

 ひとりが返事をするやいなや、耳元でこしょこしょとリョウさんが何かを囁く。

聞き終えた後も不思議そうに首を傾げるひとりに向けて、彼女は手を打って合図した。

 

「せーの」

「う、うへぇ」

「妹を変な道に誘わないで?」

 

 

 

 いつまでも渋る二人を喜多さんが強引に連れ出し、僕達は下北沢の街中へ飛び出していた。

ちなみに僕も同じように躊躇っていたところを、同じように虹夏さんに引っ張り出されていた。

曰く、約束は絶対だよ? 笑顔の彼女に僕は逆らえない。でもせめて変装と警戒はしておこう。

 

 それから喜多さん希望の喫茶店に寄りつつ、次にリョウさんお気に入りの古着屋へ移動した。

以前ひとりのためにファッションの教えを乞うた時、連れて行ってもらったお店でもある。

あの時と同じく今日も、メンズからレディースまで幅広いジャンルの古着が僕達を待っていた。

 

 はしゃぐ皆を見習いなんとなく古着を漁っていると、ふと横に気配を感じた。

 

「陛下って服、ずっと無難なままだよね」

 

 分かりにくいけど彼女は僕の全身を、それはもう不満げな様子で観察していた。

今日の僕は白いシャツに黒いパンツ。実際彼女の言う通り無難、印象に残らない服装だ。

何がいけないんだろう。まるで分かっていないことが伝わったのか、彼女は思うままを口にした。

 

「私の教育がまるで活きていないのが不満」

「あれはひとりのための勉強だから」

「それはそれ、これはこれ」

「おっリョウが一人くんに怒ってる、珍しい。何してんの?」

「不出来な弟子を諫めてる」

「先輩って、リョウ先輩の弟子だったんですか?」

 

 店内に散らばって古着を見ていた二人が、好奇心とともに集まって来る。

ひとりはいない。今も店の片隅で、酷く真剣な様子で古着を手に取っては戻していた。

そうして僕が妹を見守っている間に、リョウさんが二人に説明してくれたようだ。

 

「確かに後藤先輩はなんというか、いつもシンプルな恰好ですよね」

「うん、今日も無地無地。そういうの好きなの?」

「好みというより、無駄な抵抗?」

 

 揃って疑問符を浮かべる三人に、僕は今日も自分の生態について解説をし始めた。

前提として僕は魔王だ。自分で言っていて、どこの世界のどんな前提なのか意味不明になる。

それはともかく僕は悪名高く周囲に恐れられていて、かつ知らない人からも注目を集める方だ。

だからとりあえず服装だけでも地味にすることで、出来るだけ目立たないよう頑張っている。

 

「あー、あぁ、なるほど?」

「うーん、でもそれって逆効果じゃありませんか?」

「郁代の言う通り。陛下は顔の印象が強いから、服が地味だとかえって強調される」

 

 そう言った後リョウさんは僕に一歩二歩と踏み込んで、確認するようにじっと顔を眺める。

顔を見られるのも目が合うのもすっかり慣れたけれど、ここまで舐め回されると話は別だ。

今でもちょっとした居心地の悪さを感じる。なんだろうこれ、まさか照れてるとか?

 

「……うん、ぼっちと同じ。やっぱり陛下もダイヤの原石。おか、可能性の気配がする」

「本当? 死と地獄の匂いがするって言われたことはあるけど」

「私たち同じ国に生まれてますよね?」

 

 僕も昔は不安だった。ひとりはSF、僕はファンタジー系出身じゃ、なんて思う日もあった。

今では生命の神秘を、まだ見ぬ人類の可能性を信じることにしている。理解を諦めたとも言う。

思わず目が遠くなりそうなのを懸命に堪えていると、ひとりの珍しく自信に溢れた声が聞こえた。

 

「で、出来ました!」

 

 延々と古着を選んでいたひとりが、その成果を僕達へと自慢げに見せつけた。

上から下まで柄柄柄。色合いから何から全てが派手派手で、遠慮も節操も見られない。

今の僕の服装とはまるで正反対だ。なるほど、確かにあれなら顔の印象も薄れるかもしれない。

 

「じゃあ僕もあの感じに、ひとりみたいにした方がいいのかな?」

「あれはやり過ぎ」

「どう見ても古着キメラだしね……」

「そもそも全身古着だと小汚くなりがちだから、新品に一着合わせるくらいがちょうどいいよ」

「一着、一着。ピンクジャージに合わせる一着……?」

「えっあっあの、喜多ちゃん、この服の感想」

「……いっそ全身剥いた方が早いかしら?」

「!?」

 

 感想を伝える前に、喜多さんがひとりを引きずって行ってしまった。僕は可愛いと思う。

そして僕は僕でリョウさんに捕まっていた。いつにもまして真剣な顔を向けられる。

 

「無地の陛下に一つ加えるならやっぱり柄もの。好みある?」

「柄の? ごめん、自分の好みとか考えたことない」

「そう。じゃあ私の好みでいくつか持ってくるから、そこから選んで」

「えっと、別に僕は何でも」

「お黙り。いいから師匠の言う通りにして」

「ベーシストの人は弟子取りたがりなの?」

 

 廣井さんもよく分からないけれど、会う度に僕の何かの師匠面をしようとする。

確かに大事なことを教えてもらったから、ある意味人生の師匠とも言えるし、実際思ってもいる。

でもそれを本人に伝えたことは無い。廣井さんはいったい、僕の何のつもりなんだろう。

 

 無意味なことをぽつぽつと考えていると、誰かに肩をちょんちょんと叩かれた。

振り返ると虹夏さんがいて、抱えていた淡い黄色のジャケットを控えめに僕へ見せる。

 

「ね、一人くん、こういうの好き?」

「えっ。……うん、好き、だと思う」

「よかった。ちょっとじっとしててね」

 

 ハンガーから取り外したジャケットを、彼女が僕の体にそっと合わせる。

サイズは、多分ぴったりだ。古着探すの上手だな、なんて変な感心をしてしまった。

そんな僕達のやり取りを目の当たりにしたリョウさんの瞳が、突然鋭くキラリと光る。

 

「ほほう、この私の服選びに口を出すとは。虹夏、そんなに私とコーデバトルがしたいの?」

「そんなバトル聞いたことないよ?」

「ふっふっふ、やるからには負けないからね!」

「えっ虹夏さんツッコまないの?」

 

 いついかなる時もツッコミで場を整えてくれた虹夏さんが、今それを放棄した。

こうなるともう駄目だ。全てを諦めて、状況が落ち着くまで身を任せる以外ほかない。

それでもと僕は希望を捨てきれず、準ツッコミの喜多さんへと視線を向けた。

 

「……これも駄目、あれも無理そう。くっ、ピンクとジャージの主張が強すぎる!?」

「あっき、喜多ちゃん、あっち、あっちでお兄ちゃんたち何かやってます」

「知ってる。凄い気になるし、なんなら私もバトルに参加したいわ!」

「あっなら、喜多ちゃんもあっちにいけば」

「でも私は今、人類史上最大の命題と戦ってるの…………!!」

「あっはい」

 

 駄目だった。

 

 三十分後、兄妹揃って着せ替え人形になっていた僕達はようやく解放された。

 

「わぁ! 先輩そのスカジャンいいですね!!」

「ありがとう。それでひとりは、変わってない、よね?」

「すみません、私では力不足でした……!!!」

「すっごい悔しそう」

 

 完敗に全身を震わせる喜多さんを前にして、ひとりはおろおろと右往左往としている。

この子もこの子で敗北感を味わっているようだ。服のセンス全否定だからそうもなるか。

震度三のひとりを今日も慰めている間に、喜多さんも無事に立ち直っていた。

 

「先輩のそれって、リョウ先輩が選んだんですか?」

「うん。よく分からないけど、リョウさんが勝ったらしいよ」

 

 深い藍色を基調として黄色やらピンクやら赤やら、とにかくふんだんに色を使ったもの。

派手ではあるものの下品さは感じられず、むしろ古着特有のこなれもあって落ち着きすらある。

虹夏さんは僕の周りをぐるぐると回ってそれを見た後、納得したようにため息を吐いた。

 

「あーあ、服のセンスじゃやっぱリョウには敵わないかぁ」

「ふふん。じゃあ敗者たちはこれを着るように」

「えっこれ私たちのですか!?」

「今の二人の恰好に一番似合うのを選んだつもり」

 

 どこか得意げにリョウさんが虹夏さんと喜多さんへ、隠し持っていた古着を渡す。

それを掲げて喜びと驚嘆の声を漏らす二人を見て、彼女は腕を組んでドヤ顔している。

とても気分良さそうなところ悪いけれど、一刻も早く聞かなければいけないことがあった。

 

「ひとりのは無いの?」

「……………………………………………………………………私では、力不足!!」

「!?」

「滅茶苦茶悔しそう」

 

 無理かもしれない。それでもそろそろ誰かひとりをフォローしてあげて欲しい。

 

 

 

 こうして古着屋を後にした僕達は、またリョウさん一押しのお店へと足を延ばした。

三件目ともなるとそろそろひとりの限界が近い。現に今僕の背中にくっついて離れない。

スターリーから出発した時は袖で満足していたことを考えると、かなり消耗している。

最悪死ぬ前に僕達だけでも離脱しようか。結論から言うと、それは完全に杞憂になった。

 

「リョウ見て! スピードコブラがこんな値段で……!」

「くっくっくっく、これだからハードオプ巡りはやめられんなぁ!」

「うへ、うへへへへっ」

 

 そのお店に着いた途端ひとりは瞬く間に元気を取り戻し、笑顔を溶かし始めた。

リョウさんはお店の前で、ここを音楽好きなら誰でも心躍る穴場スポットと呼んでいた。

その言葉の通り、二人に加え虹夏さんまでもが一緒にはしゃいでいた。そう、喜多さんを除いて。

 

「……先輩」

「何かいいのあった?」

「……ハードオプでこんなにはしゃぐ人たち、私初めて見ました」

「もしかして、ついていけない?」

「はい」

 

 そう断言する喜多さんの瞳から着実に光が、ここまでに蓄えていた青春が消えていく。

リサイクルショップのハードオプ。そこで安くなった、珍しい中古楽器や機材を探すこと。

盲目的にリョウさんを好む彼女であっても、流石にこれは許容範囲を超えたらしい。

確かにリサイクルショップに、彼女の期待する青春的なものは置いて無いだろう。

 

 とにかく放っておくのは不味い。このままだと振り出しまで、駄々っ子に戻ってしまう。

誰かにお願い、は難しいな。三人ともずっと大興奮のままジャンク品を漁り続けている。

背に腹は代えられない。一つ密かに覚悟を決めて、僕は喜多さんに声をかけた。

 

「じゃあ皆が満足するまで、ちょっと二人で抜けようか」

 

 きょとんとした顔がぱあっと花開くまで、数秒もかからなかった。

 

 三人に一声伝え、反応が無かったからメッセージも送ってから外に出る。

その後は喜多さんに引っ張られるまま、とあるクレープ屋さんを一緒に訪れた。

なんでもドラマか何かで登場したお店らしい。早速近くのベンチに並んで座り食べてみる。

 

 味はまあ、なんというか、普通だった。美味しいけど、ただのクレープというか。

それでも喜多さん的には大満足だったようで、今もご機嫌そうに口に運んでいる。

ほどなくして二人とも食べ終わると、彼女が不意に悪戯っぽく笑う。何を言われるか分かった。

 

「先輩とクレープ食べてると、あれ思い出しますね」

「……あれってなんのこと?」

「絶対心当たりある反応じゃないですか。先輩がいつまで経っても約束守ってくれなかったことです!」

「その節はごめんなさい」

 

 諸々の事情を含めても、あれは僕が全面的に悪い。今日も深々と頭を下げる。

でもこれずっと言われるのかな、なんて不安とともに顔を上げると、満面の笑みが待っていた。

 

「でもまあおかげで、あんないい経験も出来たので。いいです、許しましょう!」

「いい経験って、二月のお泊りの時のこと?」

「はい!!」

 

 ぺかー、もしくはキターン、そんな擬音が聞こえそうなほど輝く笑顔を向けられる。

それは光栄なことなのだけれども、おかげで前々から抱えていた疑問が大きく育っていく。

今は二人きりだしちょうどいいな。我慢出来なくなる前に、一度聞くだけ聞いてみよう。

 

「………………凄く変な質問してもいい?」

「なんでも聞いてください。先輩ならいいですよ」

「なら遠慮なく。勘違いじゃなければ、喜多さん僕の妹ポジション狙ってる、よね?」

「はい、もちろんです!」

「もちろんなんだ。えっと、どうして?」

 

 僕の心の底からの疑問に、彼女はそれ以上に不思議そうな表情を浮かべた。

 

「先輩の妹になりたいからですけど?」

「当然のことのように言われても」

「えっ当然ですよね?」

 

 今からでも虹夏さん呼んでこようかな。一人だと手に負えない気がしてきた。

助けを求めて携帯に手が伸びかけたのを辛うじて抑える。流石にそれは二人に失礼だ。

そんな葛藤をしていると幸いなことに、喜多さんが少しだけ理解の及ぶ補足をしてくれた。

 

「なんてことない話なんですけど、小さい頃友達がお兄ちゃんと仲良くしてるの見るたびにああいうのいいなーって思ってて、昔から憧れだったんです。先輩にもそういうのありませんか?」

「……」

「おっこれはあるやつですね、聞かせてください!」

「…………皆には内緒にしてね?」

 

 ますます光量を増した笑顔で喜多さんが何度も頷いた。そんなに光るようなことかな。

 

「小学生くらいの時、姉みたいな人が欲しいな、なんて思ったことならあるよ」

 

 懐かしい記憶だ。どうにもならないと既に分かっていたから、両親にも伝えなかった。

それに僕が欲しかったのは姉のような人だった。血の繋がった姉ではきっと意味がない。

遠い思い出に一瞬浸るものの、喜多さんが何か言いたげに自分を指差したから現実に戻った。

 

「先輩先輩、私私」

「呼ばないよ」

「ちぇー」

 

 不満げに彼女は舌を出す。君は年下でしょ、というか妹になりたいんじゃなかったの?

下手に突けば何が出てくるか分からないから、僕はそのまま小さな思い出話を続けた。

 

「恥ずかしい話、甘える相手が欲しかったんだろうね」

「わっ可愛い話ですね!」

「そう? 気持ち悪くない?」

「子どもの頃のことですし、それに先輩みたいな人がそういうこと言うと、ギャップが凄くてぐっと来ます! ちなみに、お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんなのはなんでですか?」

「兄だとひとりのお兄ちゃんが増えちゃうでしょ?」

「今のは気持ち悪いです」

 

 正確には外でも甘えられる相手が、僕を守ってくれる誰かが欲しかったのかもしれない。

不安になったら慰めてくれて、悪いことをしたら叱って、いいことをしたら褒めてくれる人。

中学生になる頃にはすっかり諦めたけれど、そんな誰かを僕はずっと求めていたような気がする。

 

「僕の話はもういいとして。喜多さんならわざわざ僕を選ばなくても」

「?」

「喜多さんならきっと年上の友達も多いから、もっといい兄を選べるでしょ?」

 

 自分で言っててよく分からない。よりよい兄を選ぶってどういう日本語なんだろう。

その意味不明な言葉に喜多さんはぎゅっと眉をひそめてから、そっと僕の傍らに手を置いた。

それからぶつかるような勢いで僕に顔を寄せると、彼女は静かにはっきりと断言する。

 

「いません」

「そう、かな?」

「そうです。いませんし、いりません」

 

 僕の言葉を断ち切るように、彼女は言葉を続けた。

 

「先輩だけが、私の兄さんです!!」

「そこは違うよね」

「……誤魔化せません?」

「ません」

 

 てへっと、それこそ誤魔化すような笑みと振る舞いをしながら、彼女は体勢を戻した。

 

「とにかく私が兄さんになって欲しいのは先輩だけです。自信持ってください!」

「それ、自信持つようなことなのかな?」

「先輩と家族になるのはいつでも大歓迎ってことです!」

 

 それは確かに自信になる。少なくとも僕にとって、家族は人間関係の最上位に位置している。

いつだってそれが大歓迎ということは、それだけ僕のことを信頼してくれているということ。

僕と彼女の家族に関する価値観はきっと違う。僕ほど重たく面倒な気持ちで見ていないはず。

それでも我慢できず凄く嬉しくなってしまった。浮つく僕に、彼女は刺しこむように続ける。

 

「だから先輩、私ずっと待ってますからね!」

「……えっ?」

「あっでもあんまり女の子待たせると、後が大変ですよ?」

 

 何をどこまで知っているのか読めない、どこか深みのある笑顔を彼女は浮かべていた。

なんとなく去年の今頃を、彼女のことがまるで理解出来ず、恐怖を覚えていたことを思い出す。

今も彼女が分からないのは同じなのに、何故かその言葉と笑みに僕は安心感を抱いた。

 

「久しぶりに怖い喜多さん見た気がする」

「怖いってなんですか!?」

「あっ皆会計終わったって。そろそろ合流しよう」

「えっちょっと! ちゃんと答えてくださいよー!?」

 

 わたわたと僕を追いかける喜多さんはすっかりいつもの彼女で、怖さは欠片も見当たらない。

道すがら微笑ましい彼女を宥めながら、ついさっき言われた言葉を思い出し、密かに考える。

待ってる、待たせると大変か。ずっと前に聞いていたら、きっとどこかで不快になっていた。

でも今は違う。なんとも言えないその気持ちを胸に、答えを決める日が近付いている気がした。

 

 その後も下北沢のビレバンに行ったり、路上で行き倒れた廣井さんを見かけたり。

色々なことがあったけれど、ひとりも含めて結束バンドはこの日下北沢を思う存分楽しんだ。

おかげで喜多さんのエネルギーは満タンになり、結束バンドはまた一つ危機を乗り越えられた。

 

 

 

「というか喜多さん、さっきの話からするとリョウさんの娘になりたいのは不思議じゃない?」

「何がですか?」

「だって兄姉はともかく、喜多さんにもお母さんはいるでしょ?」

「あぁ、あれは本能です」

「本能」

 

 本能ならしょうがないな。僕は理解を放り投げた。




次回「ライブ審査当日」です。


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第二十七話「ライブ審査当日」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 ついに訪れた未確認ライオットの三次審査、ライブ審査当日。

父さんに車で送ってもらった僕達三人は手を繋ぎながら、集合場所の下北沢駅前へ歩いていた。

 

「おねーちゃん、ぷるぷるしてるー!」

「こ、これは武者震いだから」

「おねーちゃん、手べたべたー!」

「こ、これは、その、コラーゲンだから」

「汗から出てたら大変だよ」

 

 コラーゲンはタンパク質の一種、汗とともに流れていたら色々と大問題になる。

それでも人体の神秘を超えた今のひとりになら、もしかしたらがあり得るかもしれない。

いや、これ以上考えるのはやめよう。到達してはいけない結論に至ってしまいそうだ。

 

「虹夏ちゃん、喜多ちゃん、おはよー!」

 

 明後日の方向へ向かい始めた僕の思考は、元気な可愛らしいふたりの声で現実に戻る。

前をよく見ればそこには手を挙げる虹夏さんと、大きく手を振る喜多さんが既に待っていた。

名前を呼ばれた二人はにこやかに挨拶を返しながら、疑問もそのまま口にする。

 

「一人くんは聞いてたけど、ふたりちゃんも一緒に来たの?」

「あっど、どうしてもふたりが」

「おねーちゃん今日もトイレに隠れようとしたからね、ふたりが連れてきたの!」

「……そっかー! ふたりちゃんほんとありがとねー!」

「えへへっ、どういたしまして!」

「あっあわわっ」

 

 ヤバい怒られる、なんて震えているけれど、二人ならこの程度織り込み済みだろう。

特にフォローは必要なさそうだし、トイレに引きこもるのはこれからも控えて欲しい。

その思いでひとりをそっとして、ふたりとの会話に僕も口を挟ませてもらった。

 

「あと虹夏さんと喜多さんに会いたかったんだって」

「えっ嬉しい! 私もふたりちゃんに会いたかったわ!!」

「ほんと!?」

 

 ひしっと抱き合う姿は別に姉妹には見えない。だからそんな目で見ても無駄だよ。

僕のその意思を感じ取ったのか、喜多さんは視線をふたりに戻してじゃれ合い始める。

そして未だ叱られるかもと震えるひとりの振動を抑えながら、見て分かることを僕は確認した。

 

「リョウさんは、まだ来てないみたいだね」

「寝坊したらしいよ。まったく、こんな日もあいつは」

「心臓に毛が生えてるって感じですよね!」

「……もしかしてそれ、褒めのニュアンスで言ってる?」

「はい!!」

 

 褒め言葉としては微妙、そしてリョウさんは図々しいけど繊細な方だから、そもそも的外れだ。

むしろこの中で一番それっぽいのは、いや、僕も褒めてるつもりだけど、やっぱりこれは微妙だ。

女の子に言うことじゃないです、なんてブーメランな反応を想像したから思いつきは埋めた。

 

「それじゃあリョウさんのことは待つ? それとも迎えに行く?」

「ううん。先行くって今連絡したから、もう出発しよう!」

「おー!」

「ふたりは父さんと母さんのところ行こうか」

「えー!?」

 

 駄々をこねるふたりを両親のもとへ送り届けた後、僕達は会場のある新宿へ電車で向かった。

三次審査会場はあの新宿FOLT。廣井さんや大槻さん達のホームであるライブハウスだ。

しかもオープニングアクトはSICKHACKらしい。とてもとても失礼だけど、正気だろうか。

 

 今日も僕の周りは空いていた電車から降り、そのまま会場まで歩いて移動する。

道中右手と左手、そして背中に機材を背負って歩く僕を見て、喜多さんが気遣ってくれた。

その彼女も額に汗が滲んでいる。なんでも今日は、真夏並みに暑い日になるらしい。

 

「……先輩、本当に荷物大丈夫ですか?」

「これくらいなら全然。それよりごめんね、喜多さんのギターは持ってあげられなくて」

「私体力あるから平気です! ……それに、溶けたひとりちゃん見ちゃうと」

「はーいぼっちちゃん、こっちだよー」

「お、おぉおおおっぉおっ」

 

 そう言いながらも僕としては、溶けながらなんとかついてきているひとりを褒めてあげたい。

ついでに背負ってもあげたいのだけれど、流石に全身で機材を運んでいるから今は無理だ。

そんなひとりを慣れた様子で誘導しながら、虹夏さんがぼんやりと呟いた。

 

「こういう時機材車欲しくなるよねー」

「そうですねー。でもそんなお金ありましたっけ?」

「お金も免許も無いねー」

 

 加えて置くところも無いだろう。東京の駐車場代は高いと、以前父さんがぼやいていた。

遠目に映る月極駐車場を確認していると、喜多さんが期待に満ちた目で僕の肩に触れる。

 

「実は先輩なら、両方とも持ってたりとか」

「流石にどっちもないよ」

「ですよねー」

 

 あれば便利だとは思う。だけどそもそも僕は免許のため、教習所に通えるのだろうか。

なんでも教習中は助手席に教官が座るらしい。僕と他人が二人きり、間違いなく事故になる。

直接免許センターへ試験を受けに行くことも考えたけれど、車の運転は危険で命に関わること。

ちゃんとしたところで、しっかり勉強と練習を重ねた方が絶対にいい。だからそれは止めた。

 

「じゃあ夏休み、一緒に教習所行く?」

「行けたら行きたい」

「それ行きたくないやつ! でもこれ行きたいやつだ!」

「えっ先輩たち今年受験ですよね? 夏休み大丈夫なんですか?」

「ん? あぁ平気平気ー、多分なんとかなるってー」

「適当過ぎません!?」

 

 実際は片道二時間だから、一緒の教習所は難しいだろう。でも行けたら楽しいだろうな。

口を開く余裕のないひとり以外と話しながら進んでいると、突然車が僕達の横で足を止めた。

誰だと疑問が浮かぶ前に後部座席の窓が開く。そこには寝坊したはずのリョウさんがいた。

 

「おはようみんな」

「なっ山田!?」

 

 彼女は炎天下の中歩く僕達を見回し、涼しげな微笑を覗かせた後窓を閉めようとする。

 

「じゃあ私は先行ってるから」

「リョウさん、ちょっと待って」

「みんなも遅刻しない、ように?」

 

 運転手の方に出発の指示を出そうとしたリョウさんを慌てて呼び止める。

幸いその言葉は届いて彼女は閉めかけの窓を再び開き、僕の言葉を待ってくれた。

その優しさに感謝しつつ僕は喜多さんを呼び寄せ、彼女のギターケースを指差した。

 

「喜多さんのギター、ついでに載せて持って行ってあげてくれる?」

「それくらいなら、まあ」

「ありがとうございます、リョウ先輩!」

「どういた」

「それじゃ、あとはこれとこれとこれもお願い」

「えっちょ」

 

 そうして積めるだけ機材を載せて、すし詰め状態のリョウさんは颯爽と去って行った。

荷降ろしが少し大変だろうけど、駅から歩いて向かうのと体力的な負担は変わらないはず。

バンドはチームプレイが大事。分かち合える苦労はなるべく平等に背負った方がいいだろう。

 

「だいぶ荷物減って助かったね」

「……先輩、もしかして怒ってます?」

「えっと、何に?」

「あっそういえばこの人天然だった」

 

 もしかして、リョウさんが車で移動していたことだろうか。別に怒りは感じない。

むしろ遅刻しないための努力だと思ったから、機転が利いたね、みたいな誉め言葉が出かけた。

あぁでもそうだな、まだ隙間あったしひとりも乗せてもらえばよかったな、なんて後悔はした。

 

 

 

 いくらかして会場、新宿FOLTに到着すると入口近くで座り込むリョウさんが待っていた。

横にはお願いした機材や荷物が無造作に転がっている。しっかり荷降ろしをしてくれたようだ。

僕達が着いたのに気付いた彼女はほっとしたように顔を上げ、その後じとっとした目になる。

 

「リョウさんお疲れ様。荷物ありがとう」

「死ぬほど疲れた」

「お疲れー。いやぁそれにしても、ほんとにここでやるんだねー」

「滅茶苦茶疲れた」

「お疲れ様です、リョウ先輩!」

「ジュース飲みたい」

「分かりました、ちょっと待っててくださいね!」

「喜多ちゃん甘やかさないでー?」

 

 財布を取り出しかけた喜多さんを虹夏さんが素早く止める。その手つきは鋭かった。

そしてその腕はとても力強かった。喜多さんの手はまったく動かない、いや動かせない。

そんな二人のやり取りを見て喜多さんを諦めたのか、リョウさんは僕を標的に切り替える。

 

「陛下、甘いもの飲みたい」

「スポーツドリンクでもいい?」

「貰う貰う」

「どうぞ。ひとりも飲んでね」

 

 疲れ切った彼女ともの言わぬひとりに、熱中症対策で持っていた飲み物を渡す。

渡すというか、ひとりは緊張と疲労でドロドロになっていたから、直接僕が飲ませた。

そうして飲み物を口にする度にひとりは人の体を取り戻していく。妹ながら凄い光景だ。

 

「それで伊地知先輩、この後はどうするんですか?」

「えっと受付行って手続きして、控室で今日の説明受けたら演奏順の抽選して、それでお昼ご飯食べた後に逆リハ。その後はすぐに本番だよ」

「おぉ~! こうして詳しく聞くと、なんだか本番気分になって来ますね!!」

「実感遅いね……ぼっちちゃんはこれだし、足して二で割るくらいでちょうどいいかも」

 

 体力の残る二人が今日の予定について話していると、突然リョウさんが立ち上がった。

隣で一緒に水分補給をしていたひとりに声をかけ、そのまま喜多さんの後ろに移動させる。

それから軽く背中を押し、この酷く熱い中、何故か彼女に抱き着かせようとした。

 

「わっ。ひとりちゃんどうしたの?」

「あっす、すみません! あっあの、リョウ先輩が」

「何やってんの?」

「二で割るためにまず足そうと思って」

「物理!?」

 

 少し日陰で休憩したことで、弱っていた二人も遊べるくらいには立ち直ったようだ。

それぞれ置きっぱなしだった機材を持ち上げ、結束バンドは店内に入ろうと動き出した。

僕は逆だ、入口近くの表示を確認して足を止めた。今はここまで、頑張る皆をここから見送ろう。

 

「それじゃあ、皆いってらっしゃい」

「えっお兄ちゃんは?」

「僕はほら、まだ中入れないから」

 

 近くにある関係者以外立入禁止の看板を指差すと、皆何とも言えない表情を浮かべる。

ただ一人、虹夏さんだけが一度僕を見てから大きく頷き、彼女達に奥に進むよう促す。

 

「よし、じゃあみんな行こう!」

「えっで、でも、お兄ちゃんが」

「いいのいいの! 本人がいってらっしゃいって言ってるんだから!」

 

 ぺしぺしと叩くように三人の背中を押した後、彼女は僕に振り向いた。

 

「あとでやっぱり入りたかったなーってなっても知らないからね!」

「……言わせてくれるんでしょ?」

「うん、楽しみにしてて!」

 

 僕の挑発に勝ち気な笑みを虹夏さんは返してくれた。言われなくても楽しみにしている。

あの日の宣戦布告を思い出す僕らを眺めて、ひとり達はこそこそと何か囁き合っていた。

 

「あの二人、遊園地の時から独特の空気がありますよね。ひとりちゃんは何か知ってる?」

「あっ宣戦布告されたらしいです」

「なっえっ、一人くんそれ話したの!?」

「えっ!? あっな、中身までは聞いてないです。そこは秘密だよって」

「ほっ」

「……なーんか怪しくないですかー?」

「……容疑者に取り調べをしないと」

「このタイミングで!? あっ、べ、別に何にもなかったよ?」

「あやしー」

「うっ、よ、よく分からないけど、何故か急に寒気が、うへぇっ」

「ちょ、せめて控室に入るまでは死なないで!?」

 

 本番前なのが嘘かのように、皆はいつも通りきゃいきゃいとはしゃぎながら歩いて行った。

これなら余計な心配はいらないな。ひとりのことも皆がなんとかしてくれるだろう。

寂寥感とはまるで違う、なんとも言えない満足感を胸に結束バンドの後姿を見送る。

 

 これで荷物持ちという大事な仕事も終わったから、そろそろ僕も家族のところに戻ろう。

その後は時間まで何をしよう。そうだ、ふたりの誕生日も近いし、一緒にプレゼントを選ぶとか。

頭の中で立てたそんな予定は、突然寄りかかって来たアルコール臭で全て消し飛んだ。

 

「う、うぅ、未来ある若者の気配が、取り返しのつく青春の気配がする…………」

「……以前何かで、大人になっても青春は出来るって聞いたことがあります」

「それ、私にも出来るかなぁ」

「出来ると自分を信じることが一番大事らしいです」

「じゃあ無理だー!」

 

 両手をあげてゴロゴロと臭いの元、廣井さんが悲鳴と共に地面を転げまわる。

叫び声に一瞬周囲の視線が集まったものの、ほぼ全て彼女を見た瞬間散らばった。慣れてる。

それでも一つだけ、ここの店長の吉田さんだけは目を逸らさず、そのまま駆け寄って来る。

 

「ちょっときくり! こんな日まで迷惑かけるのはやめなさい!!」

「だってさー、この子入口前で突っ立ってたからさー」

「あら、そうなの? もう他のバンドの子も入ってるし、早く控室に行った方がいいんじゃない?」

「えっと僕はただのファンなので、関係者とは言えません。紛らわしくてすみません」

「あれま」

 

 意外そうな顔を隠すよう口に両手を当てながらも、吉田さんは驚きに声を漏らす。

それから片手を腰に、もう片方を顎に滑らせ、悩まし気にうんうんと唸り始めた。

 

「うーん外暑いし、出来れば入れてあげたいんだけどねぇ」

「あっそれじゃあ一人くんは今日一日私、廣井きくり係ということで!」

「はあ? なんでそんな罰ゲームを」

 

 罰ゲームという結構な言葉を無視して、もしくは気づかずに、廣井さんは答える。

 

「それなら中、入ってもいいでしょ?」

「きくり、あんた」

 

 吉田さんは更に意表を突かれたようで、文字通りぽかんとした顔で廣井さんを見つめる。

いや、周りを観察している場合じゃない。得意げな笑顔を向けられてやっと思い出した。

これは彼女の優しさだ。ちゃんとお礼を言わないと、感謝の気持ちを捧げないと。

 

「……ありがとうございます、廣井さん」

「へへへっ、お礼なんていらなおぼろろろろろろろ」

「いややっぱ罰ゲームよこれ」

 

 初夏の吐瀉物はいつも以上にすっぱい臭いがした。

 

 

 

 吉田さんに恐縮されつつ入口の処理を手伝ってから中に、SICKHACKの控室へ案内された。

オープニングアクトともなると控室も個室らしい。僕達が入った時には誰もいなかった。

岩下さんと清水さんは担当の人と打合せ中とのこと。当然の疑問は今日もしまっておいた。

 

「私なんて放って、ぼっちちゃんたちのところ行ってもいいんだよ?」

「いえ、今の僕は廣井さん係なのでここにいます」

「今日もクソ真面目だなぁ」

 

 そう言いながらも髪から覗く顔には、にへらっとした喜びの色が見て取れた。

それにしても毎度強制されるから慣れたけれど、こうして膝枕をするのはいかがなものだろう。

血縁の無いただの知人友人関係の類からすると、今更ながらちょっと接触が多すぎるような。

今も十分あれなのは間違いないし、性別を逆転すると一発で通報沙汰になる気もする。

 

「というか廣井さん、行ってもいいってこの体勢で言われても」

「そこはほら、ありあまる若さで私のことをはねのけて」

「……実際やるとどうなりますか?」

「泣くよ、全力で、おいおいと」

「急に真顔にならないでください」

 

 いきなり仰向けになって真顔を向けられると、いくら廣井さんでも流石に不気味だ。

それが伝わったのか伝わってないのか、一転さっきと同じ、妙にご機嫌な笑顔になる。

何を考えているのか分からない。でも酔ってるならそんなものか。おかげ様でよく知っている。

 

「廣井さん突然不躾ですけど、少し手触ってもいいですか?」

「おっ! もしかしてお姉さんのこと膝枕してる内に、男の子が出て来ちゃった?」

「それはありません。この前マッサージの本読んだので、家族以外にもやってみたくて」

「へー、君ほんとなんでもやるねー。もちろんいいよ!」

 

 手とはいえ体に触れる以上、異性に頼むのは問題がある、そして同性に親しい人はほぼいない。

だけど普段からそれ以上をしてくる廣井さんなら、これくらいお返しにしてもいいはず。

いつも通り二つ返事で許可を貰えたから、遠慮なく手の甲の中心部分を優しく摩った。

 

「ここが肝臓のツボで、摩るのがいいと書いてありました」

「おぉ? 全然痛くないし気持ちいい。なんだ、私の肝臓まだまだ元気じゃん!」

「右手の小指側下もツボで、こっちは押すらしいです」

「ぎゃー!?」

 

 廣井さんの肝臓はもうかなり駄目らしい。軽く押しただけで大袈裟な反応が返って来た。

本当ならもっと押したいけれど、想像より悲鳴も反応も大きい。本番前にこれ以上はいけない。

再び手の甲を摩る方に切り替えると、涙目の廣井さんがぷるぷるしながら僕を見上げた。

 

「わ、私、一人くんに何か酷いことしたっけ?」

「僕相手じゃなくて肝臓にですね」

「でもまだ何も問題出てないよ!?」

「無口なところなので」

 

 肝臓は沈黙の臓器だ。むしろこれが精一杯の悲鳴だと言い換えてもいいだろう。

 

「お酒を飲まないと、廣井さんがライブを出来ないのは知ってます」

「げっ、もしかしてお説教?」

「はい。膝枕の代金としてさせてください」

「うえぇ、やめてよー。こんな状況で君みたいな子に言われたら、ますますお酒が進んじゃうよぅ」

「いえ、やります。僕も含めてたくさんの人が、廣井さんの飲酒についてあれこれ言っていると思います。廣井さんがそれを鬱陶しく感じる気持ちも分かります。それでも結局のところ、自分の体に責任を持てるのは自分だけです。だから」

「……責任、責任かぁ」

 

 僕が意気揚々と説教を始めると、何かが引っかかったように廣井さんがぼそっと呟いた。

その響きに落ち着いた疑問を、お正月の雰囲気の欠片を感じたから、口を閉じて続きを待った。

 

「ねえ、前から聞きたかったんだけど」

「なんでしょうか?」

「君いつも責任とかなんとか言うけどさ、それってそんなに大事?」

 

 じっと僕を見上げる瞳は揺れずまっすぐ。説教から逃げるための誤魔化し、じゃなさそうだ。

だから僕も一度お説教を止めて、彼女の質問について真剣に考えた。責任は大事かどうか。

答えは簡単だ、大事に決まっている。それから逃げれば、また余計に周りを傷つけてしまう。

 

「大事ですよ。やったことは、やってしまったことの責任は取らないと」

「でも私を見てみなよ、こーんな感じでもなんとか生きてるよ!」

「……廣井さんの責任って、大体岩下さんが代わりに取ってませんか?」

「うっ」

 

 いつしか都内の和菓子屋さんの前で、岩下さんとばったり会ったことが一度だけあった。

挨拶と軽い雑談中に聞いたところ、なんでも廣井さんの謝罪用粗品を購入していたらしい。

しかも行きつけらしい。それを聞いた時の気持ちを思い出して、自然と視線が冷たくなる。

 

「そ、そこも含めて、私が責任なんて取らなくても、誰かが取ってくれるからなんとかなる!」

「岩下さんに聞かれたらものすごく怒られますよ?」

「気にしない、それがロック!!」

 

 それはロックではなくてただのダメ人間では。

 

「そもそもさ、自分一人で全部責任背負うのなんて絶対無理でしょ?」

「かもしれません。それでも、それは妥協です」

「むむむっ、強情で傲慢だなぁ」

「……強情で傲慢、ですか?」

「そうそう。代わりに誰かが背負ってくれた時は、それこそラッキー! でいいんだよ!!」

「ただのダメ人間では」

 

 僕の漏らした言葉がショックだったのか、廣井さんは震えながら懐からおにころを取り出す。

当然没収した。お酒以前に、横になりながら飲むのは危ない。酔っ払いは最悪そのまま死ぬ。

廣井さんは名残惜し気に視線と手を伸ばし、届かないことを悟ると諦めてそっと目を閉じた。

 

「とにかくこんな私でも、代わりにいつも責任を取ってくれる人がいます」

「本当に岩下さんにお礼した方がいいですよ?」

「だから一人くんなら、きっともっと大丈夫! お姉さんを信じて?」

 

 それから一拍置いて開いた瞳には、いつもと同じ温かく優しい光が浮かんでいた。

 

「……じゃあもしもの時は廣井さんも、僕の責任取ってくれますか?」

「えぇ私に頼むの? 見る目無いなぁ。あっそうだ、私のも取ってくれるならいいよ!」

「レートが違いすぎるので嫌です。それに僕はまだ子供で、廣井さんはもう大人です」

「うっわぁ子供を盾にするなんて、君もずる賢くなってきたねー」

「そうですか? だとしたらそれは多分、周りの悪い大人の影響ですね」

「おっ早速責任逃れだ! そういうのでいいんだよ、そういうので!」

 

 ぐにぐにと握りながら、軽く揺らすように手を振り回される。なんだか嬉しそうだ。

責任を押し付ける。いつも以上に失礼で舐めたことをしているのに、不思議な反応だ。

ご機嫌な廣井さんになすがままにされていると、不意に咳ばらいが聞こえた。

 

「……廣井、お前にしてはいい話だったな」

「あっ志麻! えっなに、盗み聞きしてたの?」

「なんか入りにくくて、そこは悪かったよ。後藤くんもごめんね」

「こちらこそすみません。本番前なのに廣井さんをお借りしてしまって」

「いえいえ、それこそ廣井の相手をしてもらって申し訳ないです」

 

 ところで、と話を変えた岩下さんの顔は悪鬼のようだった。

 

「人に責任取らせても全く気にしない、ってどういうことだ?」

「……どこから聞いてたの?」

「手のツボのあたり」

「えっ盗み聞き長すぎ……」

「いやお前、あんな空気に割り込めるわけないだろ!?」

 

 そう廣井さんに怒鳴る岩下さんの耳はほんのり赤かった。ご迷惑をおかけしてます。

 

 

 

「あっお兄ちゃん、もう中入れたの?」

「うん。廣井さんが廣井さん係に任命してくれたおかげ」

「?」

「今は上司の岩下さんから昼休憩の指示受けたところ」

「???」

 

 そろそろお昼の時間だし君もご飯を食べておいで、と岩下さんに優しく送り出された。

加えて、今日はどこもバタバタしてるから、お弁当持って来てるなら控室を使ってね、とも。

あまり親しくない人に親切にされた時の、この不思議な感じはいつになったら慣れるんだろう。

 

 岩下さんの優しさに甘えた僕は、言われた通り審査参加者の控室まで移動した。

お弁当の当てがそこにあるからだ。昨日虹夏さんに伝えられたし、それより前にも知っていた。

だけどそれは内緒のことだから、頑張って素知らぬふりをする。こういう時この顔は便利でいい。

 

「というわけでこれがお姉ちゃん作、特製カツ丼です! ちゃんとみんなの分も持って来たよ!」

「おー、美味しそうですねー!」

「てっきり真っ黒のものが出てくるとも思ったから、私もびっくりし」

「おぉぉぉぉぉぉお!!」

「一人優勝したテンションの奴いるな……」

 

 立ち上がり雄たけびを上げるリョウさんへ、虹夏さんが冷ややかな視線を向ける。

朝ご飯食べてないのかな。それなら言ってくれれば、今日くらいは用意、しちゃ駄目だな。

なんとなくだけど一度でも朝ご飯を渡せば、最終的に三食僕が手配することになりそうだ。

 

 それ自体は別に構わないけれど、リョウさんのお母さんにとても申し訳ない気分になる。

愛する娘のために食事を作る、もしくは一緒に食べる機会。僕の手でそれを減らしたくない。

密かに僕が自分のスタンスを確認している間に、皆はもうお弁当に手をつけ始めていた。

 

「お肉柔らかいし、味も沁みてて美味しいです!」

「……あれ、本当に美味しい」

「さすが伊地知先輩のお姉さん! 店長さんも実は料理上手だったんですね!」

「いやぁ、えっ、あれぇ?」

 

 にこにこと箸を進める喜多さんとは反対に、虹夏さんは訝しげに何度も首を傾げる。

ひとりとリョウさんは一口食べた後僕の方を向く。食べ慣れている二人には分かるようだ。

気づきを口にする前に止めよう。僕は人差し指を立てて、自分の口の前にそれを置いた。

 

「……しーっ?」

 

 ひとりは可愛らしくこくこくと頷き、対照的にリョウさんはいやらしい笑みを浮かべる。

からかいのネタ、もしくは弱みを握ったとでも思ったのだろうか。また減給されるよ。

そう、二人が察した通り、この星歌さん作カツ丼の味付けは僕の、後藤家のものだ。

 

 先日の佐藤さんとの密談について、星歌さんにはまたとてもお世話になってしまった。

ただでさえ底抜けた恩人なのに、このままだといつか返す見通しすらつかなくなるだろう。

だから何かお礼をさせてください。そう何度か頼み込むと根負けして、一つお願いしてくれた。

 

『…………お前、確か料理も出来たよな?』

 

 その後話してくれたことをまとめると、ライブ審査の日皆にお弁当を作ってあげたいらしい。

でも普段家事は虹夏さんに任せっきりだから、いざ料理するとなるとちょっと自信が持てない。

幸いまだ本番まで時間はあるから、それまでの間練習とか色々手伝って欲しい、とのこと。

なお実際はもっと早口でたくさん言葉を並べていた、五分くらい。星歌さんは照れ屋さんだ。

 

 その練習の成果が、今こうして皆に褒め称えられている。嬉しくて僕も鼻が高くなる。

両手を絆創膏だらけにしていたことを思い返せば、その感動も一入だ。何度血を見たことか。

浸るのはここまでにしよう。特訓は秘密にしたいそうだから、不審に思われるのは不味い。

皆に倣って僕もお弁当を食べ始める。本当に美味しい、今日まで頑張ってよかった。

 

 ちなみにあまりにも危なっかしいから、カツだけは昨日僕が揚げさせてもらった。

カツ一枚のためにスターリーを灰にするのは、流石にコストパフォーマンスが悪すぎる。




次回「ぼっち・ざ・ろっく」です。


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第二十八話「ぼっち・ざ・ろっく」

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 お昼ご飯の後はすぐリハーサルが始まる。邪魔にならないよう僕は速やかに退散した。

口出しやら関係者やら諸々の事情はあるし、何よりも本番まで楽しみを取っておきたい。

そう思って結局時間ギリギリまで、僕は名目のはずだった廣井さん係を遂行していた。

寝たり吐いたり暴れたり、少しのトラブルはあったけど時間つぶしにはちょうどよかった。

 

 そうして無事開場の時間となり、僕は惜しまれつつも廣井さん係をお役御免となった。

冗談ではなく本当に惜しまれた。岩下さんに至ってはお礼に加え再雇用のお願いまで重ねられた。

ついでに言うと雇用契約書まで出てきた。時給三千円、業務的に高いのか安いのか分からない。

断った時、肩の落とし方凄かったな。そこまで廣井さんのお世話に苦労してるんだろうか。

岩下さんも大恩人だ。給料としてライブのチケットを頂いたから、その日も出来たら手伝おう。

 

「わっおにーちゃん、この変な生き物なに?」

 

 時間を確認しようと携帯を取り出すと、会場で合流したふたりが目を輝かせて指をさす。

その先にはついさっき虹夏さんからもらったステッカー、けつばんちゃんが微笑んでいた。

 

「けつばんちゃんって言うんだって。結束バンドのマスコットらしいよ」

「変な顔ー!」

 

 ふたりは結構気に入ったようで、けたけたと笑いながらけつばんちゃんステッカーをつつく。

そんなに楽しいならと、ふたりに携帯を手渡す。あとせがまれたから、喜んで抱っこもする。

満面の笑みになる妹を見て大満足する僕へ、母さんは何故か心配そうな視線を送った。

 

「かずくんちゃんとお昼食べた?」

「うん。星歌さん、虹夏さんのお姉さんが結束バンドにお弁当作ってくれて、そのついでに僕の分も用意してくれてたんだ。それで皆と一緒に食べたよ」

「あら!」

 

 半音上がった感嘆の声。そこに触れる前に、父さんが疑問の声を上げた。

 

「だけどお昼時はまだここ、入れなかったんじゃないか?」

「そこも平気。廣井さんが、今日のオープニングアクトのバンドの方が入れてくれたから」

「おぉ!」

 

 父さんも同じ声。なんとなく考えてることは、言いたいことは分かってしまう。

ただしそれと、僕が納得できるかどうかはまったく別の話になる。はっきり言って不満だ。

 

「……さっきから、リアクション大袈裟じゃない?」

「いやだって、ねぇ?」

「なぁ?」

 

 顔を見合わせて頷き合う二人に、今度はちゃんと不満を言葉にした。

 

「あのね、いくら僕でもお昼くらい一人で食べられるって。もう十八だよ?」

「だってかずくん自分一人だと、別に食べなくてもいいやーってなるでしょ?」

「それしたの一回だけでしょ、しかも小学生の時。いつもはちゃんと食べてます」

「いつも大体ひとりかふたりが一緒だからなぁ。今日はそうじゃないと思ってたから、心配してたんだよ」

 

 学校以外で妹達とお昼が一緒じゃなかった時、去年までならほとんど記憶にない。

でも結束バンドと出会ってからは外で活動することが、ひとりと離れることも少し増えた。

そして確かにそういう時は、時間や場所の都合で食事を抜くこともたまにはあったと思う。

だけどそれも夏までの話。それ以降は皆が誘ってくれるから、必ずしっかり食べている。

 

「とにかく、今日も周りの人に親切にしてもらったから僕は大丈夫。心配しなくて平気」

「……ふふふっ、そうよね。お母さんたち余計な心配しちゃった」

「おにーちゃんおにーちゃん、お弁当ってどういうのだったの?」

「カツ丼だよ。今日は勝負の日だから、勝つぞって気持ちで作ったんだって」

「ダジャレ!」

 

 不思議と少し言葉に詰まっていた母さんは、僕がふたりの相手をしている間に元に戻った。

母さんは気を取り直すようにふたりの頭を撫でて、その後僕にも手を伸ばしたから避ける。

さっきも言ったけど、僕はもう十八だ。母親からそんな風に可愛がられる年じゃない。

避けられた母さんは不満そう、じゃなくてまた不思議なことに、今度は満足げに微笑んでいる。

 

「ひとりちゃんたちは、確か五番目よね?」

「うん。トップバッターが本命のケモノリア、その次に大本命の大槻さんたちって続くから、かなり厳しい戦いになると思う」

「……大槻さんたち?」

「あっごめん、つい癖で。二番目はSIDEROSってバンドで、大槻さんはそこのギターボーカルやってる人」

「一人はその、大槻さんって人とも知り合いなの?」

「知り合いじゃなくて友達だよ」

 

 そう答えた途端、突然父さんと母さんが抱き合い始めた。

 

「今日来てよかったわ……!!」

「うん、感動した……!!」

「まだライブ始まってないよ?」

 

 びっくりするから急にさめざめと泣かないで欲しい。隣の観客もぎょっとして身を引いている。

僕の横はいつも通り元々空いていたから、これで後藤家の周辺はぽっかりと空いてしまった。

人が多いのにこれは迷惑だ。解決になるかは分からないけれど、とりあえず二人を引き剥がす。

 

「本当、今日大袈裟過ぎない?」

「だって、ここまで立て続けに子供たちの成長を見せつけられると……!」

「親としてはもう、感動が止められないよ……!」

「だからまだひとりの出番来てないって」

 

 子供たち、間違いなく僕も含まれてることは気づかないふりをする。なんか気恥ずかしい。

僕もそれなりに成長していることは一応自覚している。それでもひとりほどではないはず。

かつてはバンドを組めなかったひとりが、今日はこんな多くの人の前に立とうとしている。

その驚異的な進化に比べれば、僕のどうこうなんて全然気にしなくてもいいと思うのに。

 

 

 

 家族と話している内に時間は過ぎて、未確認ライオットライブ審査が始まろうとしていた。

全体MCの口上もすぐに終わり、オープニングアクトのSICKHACKがステージに上がる。

やがて準備を終えた廣井さんはマイクを手に取り、げっぷとえずきとともに挨拶をする。

 

「うぇぇえ、今日オープニングアクト務めますSICKHACKです……見ての通り二日酔でーす…………出来るだけ我慢するけど、吐いたらごめんね……」

 

 ざわっと、観客席に動揺が走る。今日は廣井さんに慣れていない人が多いようだ。

普段とはまるで違う反応に彼女は大きく首を傾げ、それからぽんと手を打ちMCを続けた。

 

「あっあぁ、安心して。今日はほら、ちゃんとエチケット袋持ってるから」

 

 ざわめきが増々大きくなった。そして気のせいか、最前列から人が少し減った。

 

「……さっき言ってた廣井さんって、あの人?」

「あの人」

「……その、個性的な人ね」

「うん」

「あっ変な臭いする人だー!」

 

 去年の文化祭で会ったことを覚えていたのか、ふたりがきゃっきゃっと笑い出す。

母さんは言葉を選んでくれているけれど、あれで今日は随分と理性的で大人しい方だ。

お酒は持ってないし放送禁止用語も出ていない。なんと、観客を気遣う様子すら見える。

 

「うっわぁ、あの人滅茶苦茶ロックだね!」

 

 そこそこ引く母さんとは反対に、父さんは鼻息荒く大興奮していた。

 

「おぉ、サイケだ! 今時珍しくていいなぁ」

「しかもバカ上手い! なるほど、一人とひとりが尊敬する訳だ」

「はー、やっぱりサイケはライブに限るね……。この変な酩酊感、CDじゃ味わえないし……」

「始まる前なのになんか満足しちゃった。うーん、最初にこのレベル聴いちゃって、後の子達の楽しめるかな……?」

「いやぁ面白い音楽だね、これ!! エレクトロニックロックって言うんだっけ?」

「若者向けなのは分かってるのに、年甲斐もなくつい乗っちゃったよ。ちょっと恥ずかしいなぁ」

 

 そして腕を組んで何度も頷きながら、さっきからずっと一人でぶつぶつと何か言っている。

ライブハウスでこんなおじさん結構見るな。そういえば、リョウさんもたまにやってたような。

まあうん、凄く楽しそうでよかった。こんなに喜ぶなら、今度のSICKHACKのライブも誘おう。

 

 そんな父さんとは違い普通にライブを楽しんでいた母さんが、唐突に眼を見開いた。

今は一番目、ケモノリアの出番が終わって二番目、SIDEROSが準備をしている途中だ。

そんな注目するところあったかな。疑問を抱えると同時に母さんが僕の腕を何度も引く。

 

「かずくんかずくん、大槻さんってあのツインテールの女の子!?」

「そうだけど。どうしてそんなにテンション高いの?」

「きゃー、またすっごく可愛い子じゃない!! もう一緒に遊びに行ったりしたの!?」

「聞いてないし。たまに行くけど、それがどうか」

「きゃー!!!!」

「また聞いてないし」

「きゃー!」

 

 母さんの謎の嬌声を真似して、ふたりも楽しそうに黄色い声を可愛らしくあげた。

幸い他の観客も歓声をあげているから、変に悪目立ちはしていない。そっとしておこう。

周りを確認してため息を漏らしそうになる僕の肩を、父さんが慎重に何度か叩いた。

 

「……あの子滅茶苦茶周り睨んでるみたいだけど、何か嫌なことでもあったのかな?」

「大槻さん本番前は緊張で眠れないらしいから、寝不足で目つきが鋭くなってるだけだよ」

「なるほどなぁ。でもやっぱりこっち、というか一人のこと睨んでる気がする」

 

 父さんの言う通り、というか実際今がっつり目が合っている。そして睨まれている。

嫌なこと、僕を睨むようなことか。なんだろう、まさか控室で声をかけなかったこととか?

僕は今日結束バンドだけの味方だから、ライバルの彼女に色々気を遣ったつもり、ではあった。

今更どうしようも出来ないしいいか。とりあえず手に持った団扇で彼女に意思表示しよう。

 

「おっ急に目つきが和らいだ。何か秘密のメッセージでも送った?」

「これ見せただけ」

「『頑張って』『応援してる』……結構、その、素直な子なんだね」

「うん。でもそれ以上に、凄い人だよ」

「へぇ」

 

 緩く頷いた父さんの表情が一変するのに、時間はそう必要なかった。

 

「これは」

「ね、言ったでしょ?」

「あぁ、本当だ。凄いなぁ最近の若い子は」

 

 トップバッターのケモノリア、彼女達は優勝候補の名に恥じない素晴らしい演奏をしていた。

エレクトロニックロックという華やかで明るい、まさに音を楽しむというようなジャンル。

それをああまで見事に演奏すれば、誰であっても彼女達に魅了されてしまうだろう。

事実なんだかんだでSICKHACKが温めた会場の雰囲気を、彼女達は一気に掴み取った。

 

あの日池袋で感じたようにセトリは非常に大事だ。場の空気でライブの評価は大きく変わる。

SIDEROSはメタルバンド。だから打って変わって強く重い、正反対な曲調になるだろう。

果たして正しく評価されるかどうか。結果から言えば、とても余計で大きなお世話だった。

大槻さんは、SIDEROSは、ケモノリアが残した余韻をものの見事に、しかも一瞬で破壊した。

 

ついさっきまでケモノリアの音楽に乗っていた観客が、今ではSIDEROSに引っ張られている。

そしてその先頭にいるのは、バンドを、観客を、今会場の全てを先導しているのは大槻さんだ。

怖がりで心配性なのに、緊張で胸が一杯だろうに、それを露も見せない堂々とした歌と演奏。

やっぱり大槻さんは凄い人だ。いつだって優しくて面白くて、何よりこんなにも格好いい。

 

「本当に凄かった。うぅ、ひとり達は大丈夫かな」

 

 ついさっきの感嘆がそのまま不安になったのか、父さんが無意識のうちに独り言ちる。

フォローを入れようとした瞬間、不意に勘が働いた。これは、不味いな。少しの間席を外そう。

息を殺してそっと家族から離れ、なるべく気配を断つ。周囲の観客は殺さないように頑張る。

直感に従った反射的な行動、結果的に言えばそれは正しかった。父さん達に誰かが話しかける。

 

「後藤のお父さん、安心して下さい!」

「えっき、君たちは……!?」

「喜多と後藤のクラスメイトで、結束バンド応援実行委員代表です!!」

 

 ひとりと喜多さんのクラスメイト達だ。それにあの子は、お正月の時もいたような。

確か名前は、ささささん、だったっけ? ひとりがそんな風に教えてくれた記憶がある。

曰く、外見通りトップオブトップの陽キャだけど、よく飴をくれる優しい人らしい。

 

「結束バンドが入賞できなくても、私たちが応援賞一位取って見せるんで!」

 

 そして喜多さんに引けを取らないほど、どこかアクの強さも感じる人のようだ。

やめよう、実際話したことも無いのにこれ以上は偏見だ。とりあえず立ち去るのを待とう。

 

 

 

 それから三四番目のバンドが終わると、とうとう結束バンドの出番になる。

僕としてはようやく本命が来たという気分ではあるけれど、会場の雰囲気は少し微妙だ。

一二番目がハイレベル過ぎたせいか、それと単純に疲れからか、一部観客がダレて来ている。

それでも今の結束バンドなら絶対大丈夫。信頼を込めて。ステージ上の彼女達をじっと見守る。

 

「こんにちはー! エゴサがまったく利かないバンド、結束バンドです! 今日はよろしくお願いしまーす!!」

 

 喜多さん渾身のMCはややウケだ。あれ、虹夏さんのツッコミはどうしたんだろう。

結束バンド最強のお笑い力を持つ彼女は、今ぴくりともせず、何も話す気配を感じられない。

せっかくあれだけコントまでして練習したのに、このままだと凄くもったいない気が。

いや、身動きしないというのは今噓になった。いつかのようにギロリと視線が飛んで来る。

 

「……また睨まれてるけど、今度も何もしてない?」

「あれは多分、MCに余計な感想を持ったことを怒られてる」

「えぇ……なんで伝わってるの……?」

 

 それは僕にも分からない。虹夏さんは時々妙に勘が鋭い。あれを女の勘とか言うのだろうか。

バレたから一応謝っておこう。頭を下げると、すんとした表情で深く頷かれる。許されたらしい。

その時突然喜多さんがひとりにMCを振る。去年のダイブを思い出して一瞬体に力が入った。

 

「……ひとり?」

 

 あの時と違うのはあの子の表情。確かに緊張で一杯だけど、そこに絶望は無い。

だからあれは自分から、なんで、大丈夫かな、頑張って、思考と心が絡まっていく。

僕が自分のそれを解くよりも、ひとりが口を開く方がずっとずっと早かった。

 

「あっえっと、私たちがこのフェスに出ようと思ったのは、こっこの四人でバンドをする意味を聞かれたことがきっかけでした……」

 

 声ちっさ、何の話、震えてんじゃん頑張れー。

観客達のそんな声も耳に届いているだろうに、ひとりはそれでも言葉を続ける。

 

「そっそれからたくさんライブや練習をして、バンドとして力をつけて……」

 

 唾を飲み込み一度深く呼吸を入れてから、ひとりが顔を上げる。

 

「あっあの頃より、私は、私たちはずっと強くなりました」

 

 目が、合ったような気がした。

 

「けっ結束バンドの結束力、観てください」

 

 

 

 

 皆キラキラと輝いていて、酷く眩しくて、何よりも、ライブを楽しんでいるのが伝わって来て。

いつものようにステージを見上げているのに、いつもとは違う、不思議なもどかしさを覚える。

なんだろうな、これ。ライブを楽しみながらも、頭の片隅に違和感と疑問が残り続ける。

無意識に考えて考えて、僕がその謎をやっと解けたのは、結束バンドの出番が終わる頃だった。

 

「今日は、ありがとうございましたー!!」

 

 皆、楽しそうでいいな。あぁ、そっか。僕はずっと、皆のことが羨ましかったんだ。

 

 

 

 ライブ審査が、結果発表が終わり、会場から観客と興奮が去る中、僕は場違いなことを口にした。

 

「……父さん、一個相談してもいい?」

「いいよ。一個でも何でも、いくらでも言って」

「ありがとう」

 

 母さんは僕の言葉を耳にしてから少し目を瞑ると、にっこり笑ってふたりに声をかける。

 

「お母さん喉乾いちゃった。ふたりちゃん、一緒に飲み物買いに行かない?」

「行く! ふたりね、オレンジジュースがいい!」

「あっでも、もう中じゃ売ってないみたい。じゃあ外で自販機捜索隊よー!」

「おー!」

 

 そうして二人は僕達から離れて行った。母さんもありがとう。帰ったらちゃんとお礼を言おう。

心の中に感謝をため込んで、改めて父さんを見る。今日も穏やかな、いつもと同じ笑顔だ。

僕が言い淀んでも、ずっと言葉に迷っても、それは変わらない。だから僕もなんとか話せた。

 

「………………例えば、例えばの話、どうしてもやりたいことが出来たとして」

「うん」

「でもそれをすると色んな人に、大事な人達に迷惑をかけそうなんだ。それを知ってるのに、全部予想ついてるのに、しかも上手く出来るかなんて保証なんて無いのに、余計なことをするだけかもしれないのに。それでも、それでもやりたいなんて言ってもいいのかな?」

「いいんじゃないかな」

 

 僕の長々とした曖昧な相談は一言で、しかもあっけらかんと片づけられた。

 

「そんな、あっさり?」

「だってどうしてもやりたいんだろう? それならしょうがないよ」

「しょうがないって。そんな無責任に」

「……そうだね。たまには父親らしく、説教でもさせてもらおうかな」

 

 顎に手を当て考え込む父さんは笑顔を崩し、めったに見せない真剣な顔をしていた。

いつも僕達にアピールするようなわざとらしい唸り声は何一つ出さない、静かな思考だった。

だから僕も反論を止めて、父さんが僕に答えを教えてくれるのをただひたすら待った。

 

「いいかい一人。人間関係なんて、そもそも迷惑の掛け合いだ」

 

 そして出てきた答えは、考えもしていなかったものだった。

 

「言葉が悪かったかな。頼って頼られて、の方がいいかい?」

「それ全然違う意味じゃ」

「受け取り方次第だよ。そうだなぁ。例えば、ひとりにはいつも迷惑掛けられて面倒だ、とか思ったことある?」

「そんなこと考えたことない。頼られてるって、頼られて嬉しいっていつも思ってる」

「だけど一人が高校生になって一人暮らしをしようとした時、ひとりはそう思ってなかったみたいだよ。お兄ちゃんが家を出てくのは、きっと私のせいだって、あの子はそう言ってた」

 

 下北沢高校へ進学する時、僕は家を出て都内で一人暮らしをする計画を立てていた。

僕が家から離れれば、これまではともかくこれ以上の迷惑をかけないで済むと思っていたからだ。

だから父さんのこの話はあまりにも予想外で、言葉を出すどころか反応も出来なかった。

 

「私がいつも迷惑掛けてばっかりだから、お兄ちゃん家が嫌になったのかなって。あぁもちろん、僕とお母さんで何度も違うよって伝えて、最後には納得してくれたから安心して」

「……そんなの、全然知らなかった。教えてくれればよかったのに」

「昔の一人が聞いたら、また自分を責めて背負い込むだけだと思ったから。あっ僕が言っちゃったこと、二人には内緒にしてね? お母さんにもひとりにも絶対叱られちゃうから」

 

 緊迫した空気を和ませようとしたのか、あえておちゃらけた言い方だった。

悪いけどそんな気分にはなれない。父さんも察したようで、咳払いの後話を戻す。

 

「とにかく、一人がひとりに思ってたみたいに、一人の周りにいる人も迷惑だなんて感じない、きっと一人に頼られて嬉しいってなるはずだから」

「自分で言うのもなんだけど、僕は結構特殊な価値観だよ? 皆がそう思ってくれる保証なんて」

「少なくとも僕は、お母さんもひとりも、ふたりだって、それこそジミヘンも喜んで頼られると思うけど」

「家族は、僕もそうだと思う。でも、そうじゃない皆は」

 

 皆は、友達は、結局のところ他人だ。今までずっと僕を遠ざけて、僕が遠ざけて来た存在。

だから大切だと、好きだと思っていても、心のどこかにいつもしこりが残っているのを感じる。

これは疑い、じゃないな。今更そんなことはしない。僕はただ不安なだけだろう。

 

「そこはもう、その人達を信じるしかないね!!」

「最後は適当なんだ」

「どうやっても人の気持ちなんて全部は分からないから。結局は予測するか、信じるかしか出来ないよ」

「……じゃあ、やっぱり確証なんて無いよね」

「難しいし怖い?」

 

 おずおずと頷く僕へ、父さんは今まで見たことのない、にっと男らしい笑みを向けた。

 

「だけど、今なら出来るだろ?」

 

 見透かすような、ううん、父さんはきっと本当に分かってる、お見通しなんだろう。

僕の本当の気持ちを、やりたいことを、僕が周りのことをどんな風に思っているかも。

それに僕が相談のためじゃなくて、背中を押してもらいたくて今話しているということも。

女々しさがバレた気まずさと恥ずかしさ、他には尊敬やら何やらで自然とため息が漏れる。

 

「………………当たり前だけど、まだまだ父さんには敵わないなぁ」

「ふふん、父親の背中の大きさを再認識したかな?」

「家庭内ヒエラルキーはとっくに圧勝してるのになぁ」

「ぐっ。ど、どうして僕はひとりにもふたりにも舐められてるのかな?」

「僕も含めて子供達に甘すぎ。こういうふざけたこと言い出したらちゃんと叱らないと」

「いやぁ甘えられてる感じがして凄く可愛いから、どうしてもつい」

「……僕でも?」

「もちろん。親からしたら、子供はいくつになっても可愛いものだよ」

 

 からかうように頭をぽんぽんと撫でられる。僕はまだ子供らしいから、甘んじて受け入れた。

こういうのを素直に受け止めるのは、いったいいつ以来のことだろう。もう遠い記憶だ。

いつも遠慮して、そこを強引に父さんと母さんがやってくれて、ずっとそんな感じだったような。

 

「ふふふっ、それにしても、一人もとうとうロックにデビューかぁ」

「あっえっと、やりたいことはそっちでも、僕が演奏したい訳じゃなくて」

「伝わってるよ。えぇと、なんて言えばいいのかな」

 

 父さんが続きを考えて口にするのにはいくらも、それこそ数秒もかからなかったと思う。

考えたというより思い出したというか、思考の根幹を確認したというか、その程度の時間だ。

 

「周りがどう思っててもやりたいことを、自分の気持ちを貫き通すことを、僕はロックって呼んでる。音楽に限った話じゃなくて大袈裟だけど、そう、生き方の話」

「うん」

「だからその気持ちは、間違いなく一人のロックだよ。大切にしなさい」

「……はい」

 

 もう一度強く頭を撫でられる。妹達には絶対にしない、雑で乱暴で、温かい手つき。

 

「相談乗ってくれてありがとう。やれるだけやってみる」

「いつでも応援してる。また相談したいことが出来たら、遠慮しないで聞いて」

「うん。もうなるべく遠慮しないようにする」

 

 それで覚悟は決まった。その思いを口にすると、父さんは驚きで目を丸くする。

さっきから僕が驚かされてばっかりだったから、その顔を見てちょっとだけすっきりした。

よし、気持ちが揺らぐ前に僕の答えを、僕のお願いを彼女達に伝えに行こう。

 

「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい。帰りはどうする?」

「ひとりと一緒に電車で帰ると思う」

「じゃあ決まったら改めて連絡して。あぁあと、あんまり遅くならないように」

「分かってるけど、僕達もう高校生だよ? 心配性だなぁ」

「当然だよ。僕はずっと、君達の父親だからね」

 

 知ってる。僕の誇りだ。

 

 

 

 道中大槻さん達に遭遇しながらも、控室には無事辿りつけた。本番はここからだ。

深呼吸を何度かして息を整え、気持ちをなんとか落ち着けてからノックをする。

どうぞー、という虹夏さんの返事を聞き、僕は決意とともに室内に足を踏み入れる。

 

「皆、お疲れ様」

「あっお兄ちゃん」

「お疲れ様です、先輩! どうかされたんですか?」

「ほら、荷物運ぶの手伝おうと思って」

「いいの!? ありがとう、すっごい助かる!」

「あとは、実はちょっと話があって」

「話?」

「えっとね」

 

 いや、ちょっと待て。よく考えたらこんな話、ライブで疲れた皆に突然してもいいのかな。

いやいや、これは言い訳だ。ただ怖がって後回しにしようとしてるだけ。早く話した方がいい。

いやいやいや、そうは言っても結果が結果だったし。いやいやいやいや、いやいやいやいやいや。

 

「お兄ちゃん?」

 

頭の中でぐるぐる回り続けるいやの文字。ひとりの声で正気に戻った僕は、辛うじて口を開いた。

 

「……こ、これから皆で、打ち上げしない?」

 

 どこか遠くで、父さんがずっこける音が聞こえたような気がした。

 




次回最終話です。


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最終話

感想評価、誤字脱字報告、ここすきありがとうございます。


 一度荷物をスターリーに置いて、それからスーパーまで買い出しに行って。

せわしない動きを終えて、僕達はやっと打ち上げ会場の伊地知家に辿り着いた。

 

「お邪魔しまーす!」

「よく来た。今日は存分に寛ぐがいい」

「いやここ私んちだから。なんでリョウが家主面してんの」

「虹夏のものは半分くらい私のもの。そして今四捨五入したから、ここは実質私の家」

「一から十まで妄言だよ」

「お、お兄ちゃんどうしよう、友達の家に上がる時って、法律とか作法とかあったかな?」

「法律は無いと思う。でもごめん、僕も作法は気にしてなかった」

「み、右足から入ればいい? それとも左足から?」

「……フローリングだけど、右足からが無難かな。和の心を大事にしよう」

「はいはい。どっちでもなんでもいいから、二人とも早く上がってね」

 

 揃って玄関でまごまごしている間に、虹夏さんに手を引かれた。手のかかる兄妹ですみません。

そのまま片手は虹夏さんの手、もう片方は買い物袋を握ったまま奥へと進んで行く。

 

「今更だけど打ち上げ、虹夏さんのお家でやってよかったの?」

「平気平気、お姉ちゃんたち飲み会行っちゃったし、それにあの辺もうお店一杯だったでしょ?」

「あぁ、手近なファミレスとかは全部埋まってたよね」

 

 荷物もあったし皆疲れてもいるから、適当に通りすがりのお店をいくつか確認した程度。

それでもどこのお店も、ファミレスや居酒屋はほとんど既に満席で数十分待ちだった。

 

「なんでも、ライブ審査のお客さんがそのまま移動してたらしいですよ」

「お客さんも打ち上げかぁ。考えることは皆一緒だね」

「……はっ! なら私のファンもどこかで打ち上げをしてるはず。そこに混ざればただ飯!?」

「廣井さんみたいなこと言ってる。もう、せっかく増えたファンに変なことしないでよ」

「変なことじゃないよ、これはファンサ。言ってみればディナーショーみたいなもの」

「こいつああ言えばこう言うな、ほんと……」

 

 呆れ果てる虹夏さんの視線をもろともせず、リョウさんは今日も立派なドヤ顔だ。

そんな彼女の姿、というか発言に疑問を覚えたのか、ひとりが不思議そうに首を傾げる。

 

「いっ、一緒にご飯食べるのが、ファンサになるんですか?」

「もちろん、想像してみて。ぼっちが近づいた途端、色めき立つファンたち」

「……」

「そして席に着けば歓声が、一番高いメニューを頼んでも怒られず、それどころか食べてるだけで称賛の嵐が!」

「………………ぇへっ。へへっ、そ、それほどでもぉ」

「それサービス受けてるのぼっちちゃんじゃん。てかそもそも混ざりに行けないでしょ」

 

 とりとめのないことを話しながら、台所のテーブルの上に買ったもの、食材を並べていく。

帰りの道中伊地知家での打ち上げが決まり、次は何を食べるかという問題にぶつかった。

執拗に焼肉を推すリョウさん、臭いも嫌だしそもそもホットプレートが無いと話す虹夏さん。

数分に及ぶ激論の末、間を取ってすき焼きになった。四五人用の大きい鍋ならあるらしい。

 

「買って来た物、とりあえず冷蔵庫に入れとく?」

「飲み物だけお願い。重いの持ってくれてありがとうね」

「どういたしまして。こういうのはいつでも任せて。……あれ、なんか入ってる。虹夏さん、この箱何?」

「えっ、私も知らない。なんだろう、お姉ちゃんのかな?」

「どれどれ」

「あっこらリョウ」

 

 虹夏さんが止める間もなく、いつの間にか忍び寄っていたリョウさんがその箱を取り出す。

それからワクワクした気持ちを全開にして、彼女はその箱を遠慮の欠片も無く開く。

そして中身を見てますます輝きを増した瞳は、ある一点を見て一瞬にして固まった。

 

「おぉ、ケーキ。しかもホール、だ……」

「……『審査通過おめでとう』。お姉ちゃんさぁ」

「……えぇとこういうのは、ほら、結構前から予約しないといけないから」

 

 二次審査の時もやりかけていたけれど、今回はとうとう我慢が効かなかったらしい。

星歌さんの空回ってしまった優しさに、なんとも言えない虚しさと申し訳なさを覚える。

微妙な空気が流れる中、向こうでガス台の確認をしていた二人の声が僕達の耳に届いた。

 

「あら、これもうガス切れちゃってる。ひとりちゃん、その辺に予備とかある?」

「あっさすがにガス缶は転がってないんじゃないかと」

「それはそうよね。じゃあ伊地知先輩に聞いてくるわ!」

「あっお願いします」

 

 喜多さんがこっちに来る。時間にしてあと数秒、その一瞬で隠さないと。

 

「それ早く隠そう。戻せる?」

「そ、そんなこと言われても、下手に動かすとケーキ崩れちゃうよ!?」

「……五人だから五等分、ここからここまでかな。ふふふっ」

 

 慌てる僕達二人をよそに、ケーキを引っ張り出したリョウさんは分け前を夢想していた。

浮かれて半開きになった口からは、微妙によだれが垂れかけている。はしたないよ。

そんな呑気な感想を持った僕とは違い、虹夏さんはそこに活路を見出したようだ。

 

「そぉい!!」

「むぐっ!?」

 

 恐るべき早業でチョコだけをつかみ取り、それをリョウさんの口に叩き込む。

彼女が反射的に口を閉じるのと、何も知らない喜多さんがケーキを見つけるのはほぼ同時だった。

 

「伊地知先輩、ガスが切れちゃってるみたいで、あれ、リョウ先輩何食べてるんですか? というか、ケーキなんて買ってましたっけ?」

「お、お姉ちゃんが用意してくれてたみたい。そ、それで乗ってたチョコ。この子勝手につまみ食いしてさー」

「……」

「リョウさん、抑えて抑えて」

「そうなんですか? つまみ食いなんて、ふふっ、そういう子供っぽいところも可愛くて素敵ですね!!」

「なんか何言っても無敵な気がして来た……別に隠さなくてもいいかな……」

「虹夏さん、抑えて抑えて」

 

 不満と疲労感を訴える同級生達を抑え、無事喜多さんをガス台まで送り返す。隠蔽成功だ。

 

「虹夏」

「あーごめんごめん、あれ見たら多分二人とも気にしちゃうから」

「私のケーキ、大きめにしたら許す」

 

 

 

 

 そんなちょっとしたトラブルはあったものの、その後の準備は順調に進んだ。

虹夏さんは思ってた以上に手際がよかったし、秘密だけど僕もここのキッチンは使い慣れている。

喜多さんも要所要所で手伝ってくれたし、ひとりとリョウさんも大人しく待ってくれた。

 

「みんなー、飲み物持ってー」

 

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋を前にして、虹夏さんがグラス片手にぐるりと見回す。

そして全員が飲み物を手に持ったことを確認すると、それを高く振り上げて乾杯の音頭を取った。

 

「それじゃあ、半年間お疲れ様でしたー!」

「でしたー!!」

「お疲れ様でした」

「おっお疲れ様でした!」

「でした。いただきます」

「……あっごめん、食べる前に一ついいかな?」

 

 一足先に箸を手に取ったリョウさんが不満げに、虹夏さんと喜多さんが不思議そうに僕を見る。

話すなら今しかない。本格的に打ち上げが始まる前に、この手のことは終わらせた方がいいはず。

 

「ちょっと大事なこと、言いたくて」

 

 ごくりと、隣のひとりが緊張に息と唾を呑む音が聞こえた。

兄としての筋を通すため、この子にはもう僕の気持ちを、これからどうしたいかを伝えてある。

万が一拒絶される可能性もあるし、その場合は説得とお願いを重ねるつもりだったからだ。

幸いなことに、ひとりは僕の勇気を受け取ってくれた。そしてその勇気を、今僕は出せなかった。

 

「……た、卵いる人は手を挙げてー?」

「あっうっかりしてました。はーい、私欲しいです!」

「私も。卵無しはモグリ」

「虹夏さんもいる?」

「うん、ありがとう。……一人くん、もしかしてさ」

 

 がくっと肩を落としたひとりが、その反作用で今度は虹夏さんのことを見る。

僕のこの挙動不審な振る舞いに、彼女が何かを察したのかもと考えたんだろう。

でも残念ながら、いや、きっと幸運なことに、彼女はその期待には応えなかった。

 

「結果のこととか、ちょっと話すの遠慮してる?」

「えぇと、うん。遠慮というか」

 

 僕が言い淀んだこととは別だけれど、確かにその話題も口に出していいのか迷っていた。

そう、結果だけ言えば、結束バンドは未確認ライオット三次審査を突破出来なかった。

通過したのはSIDEROSとケモノリア。前々から予想していた通りの二組だった。

 

「大会とかそういうのに挑戦した経験が無いから、こういう時話題にしてもいいのか分からなくて」

「あんまり変に気にしなくていいよ。悔しいとか残念だとか、実際色々と思ってはいるんだけど」

「なんかこう、今は終わっちゃったなーって感じで一杯なんですよ」

「なるほど」

 

 俗に言う、燃え尽きたという状態だろうか。実際、今は何よりも脱力感が目立つ。

そしてあくまで僕の予想だけれど、審査に落ちたという実感がまだ薄いのかもしれない。

 

 今日の結束バンドは過去最高の演奏をしていた。

その証拠に新宿FOLTに訪れた観客達を、クリスマスとは打って変わって大興奮させていた。

あれだけの手応えと達成感を味わえば、審査の結果に心が追い付かないのも考えられる。

話してくれた二人はこの通り。なら残りの二人はと言えば、ただ食べることに専念していた。

 

「あっリョウ先輩、お肉ばっかり取るのは」

「甘い。こういうのは弱肉強食、早い者勝ち」

「ってあー! 最初に入れたやつ全部取ったの!?」

「美味しかった。ふっ、今日の肉は全部私がいただくから覚悟しておいてね」

「その時は口に豆腐叩き込むから、お前も覚悟しておけよ」

 

 恐怖を覚えろとでも言うように、虹夏さんは熱々の豆腐をリョウさんの取り皿に入れる。

嬉々としてそれにも箸を伸ばしたリョウさんは、誰が何をするまでもなく口の中を火傷していた。

 

「ライブの話に戻るけど、ケモノリアもSIDEROSも凄かったね」

「優勝候補は伊達じゃなかった」

「やっぱりライブだと全然違いましたねー」

 

 今日のライブを思い出したのか、喜多さんが感嘆するように呟き、興奮して続ける。

 

「私ケモノリアのあの、ピロピロピロ~ってところ好きです!」

「確かにイントロよかった。郁代も目の付け所がいい」

「ほんとですか!? えへへっ、あっSIDEROSのギャリギャリーって感じもよかったですよね!」

「あっあのギターソロ、凄く参考になると思います」

「ひとりちゃんもそう思う? そうそう、最後のバンドの、ヒョロヒョロ~って演奏も個性的だったよね!」

「……喜多ちゃんの語彙力、というか現代文、やっぱヤバくない?」

「……そろそろ期末テストの時期だし、一度じっくり話してみるよ」

 

 未確認ライオットの妨げになってはいけないと思い、今日までは目を瞑って来た。

ただ、もうそれも限界だ。期末テストも近いし、何より成績が恐ろしく低下している。

優等生だったはずの去年と比べるとまさしく雲泥の差、今は追試ギリギリだ。

 

 どう考えてもバンドの悪影響だから、いい加減喜多さんの御両親から苦言が出る頃だろう。

学生の本分は勉強。そういう風に言われてしまえば、結束バンドも返す言葉は何も無い。

頭を抱えそうになる僕ら二人を気にもせず、当の本人はずっと能天気に笑っていた。

 

「リョウ先輩、結束バンドでもああいう曲出来ませんか?」

「私の気分が乗れば。それよりああいうのやりたいなら、郁代はもっと練習しないとね」

「えっこれ以上にですか!?」

「大丈夫。今ならなんと、私のレッスンを格安で提供する」

「きゃー! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

「金取るんかい、喜ぶんかい」

 

 いくらリョウさんでもバンドメンバーからはお金を取らない、はず。正直自信が無い。

そして流石の喜多さんでも、それを喜んで払うはずはない、と思う。これも断言出来ない。

友達の素行をこっそり疑っていると、虹夏さんが今度は懐かしいものを取り出した。

 

「凄いと言えば、一人くんのこれもだよね」

「あっ予言の書!」

「何その名前」

 

 そんな仰々しい名前を付けた覚えはない。あれはただの一夜漬け系カンペだ。

 

「だってSIDEROSもケモノリアも、というか三次審査に出たバンド六組全部、ここに書いてあったじゃないですか!」

「たまたまだよ。ライバルになりそうな有力バンドを並べてたら、偶然引っかかっただけ」

「路上ライブの場所だって、結局ここに書いてある場所でしかやってませんし」

「それも条件のいい場所を調べただけ、というかそれは皆がそこから選んだだけじゃ」

「そんな謙遜しなくていいですよー。先輩は預言者なんですよね!」

「その結論ありきだよね」

 

 そんな仰々しい名前を付けられた覚えは、呼ばれ過ぎて慣れたけど魔王はそれ以上だ。

まあ今回のこれは魔王と違って、単なる喜多さんのお茶目だ。気にしなくてもいいか。

 

「それで予言者の先輩。未確認ライオット、どこが優勝すると思います?」

「……うむ。しかと待たれよ」

「乗るんだ」

 

 振られた以上出来る限りは乗ってあげたい。でも予言者っぽい話し方ってなんだろう。

 

「……うむ」

「普通に喋っていいよ」

「ありがとう。やっぱり、SIDEROSが優勝候補だと思う」

 

 メタルのガールズバンドという意外性と話題性。そしてそれに決して負けない実力。

圧倒的なカリスマと技量を誇る大槻さんと、そんな彼女を理解して支えるメンバー達。

身近でよく知っていて、その上親しい人がいるからどうしても贔屓目で見てしまう。

それらを加味した上でも、恐らくSIDEROSが一番頂に近いと僕は考えていた。

 

 僕の雑な予言、というか予想を皮切りに、皆も適当に雑談をし始める。

やれあのバンドがどうとか夏休みはどうとか、会話の中身はあっちに行ったりこっちに行ったり。

のんびりとそれを聞いていると、ひとりが催促するように僕の腕をちょいちょいと触る。

そうだ、ぼんやりしている場合じゃない。大事なことは早め早めに話しておかないと。

 

「またちょっと、大事な話してもいい?」

「?」

「えっとね」

 

 いや待て、流石にこのタイミングはいくらなんでも。

 

「……大槻さんから伝言預かってたの忘れてた」

「それ聞いたら大槻さん、すっごく怒りそうですね」

「だから内緒にしてね」

 

 怒りもするだろうけど、それ以上に落ち込んだり悩んだりして変なことをしそうだ。

そう、今僕の横であたふたと不思議な手話をするひとりのように。意気地のない兄でごめんね。

 

 

 

 相談が終わり父さんと別れて控室に向かう途中、曲がり角で大槻さんと遭遇した。

 

「あっ」

 

 その言葉を出したのは僕か彼女か、あるいはどちらもか。どれでもいいだろう。

とにかく顔を合わせた以上、急いでいても無視は出来ない。それに彼女にも伝えたいことはある。

彼女があたふたと手足を動かすのを不思議に思いながら、言うべきこと、お祝いの言葉を告げた。

 

「お疲れ様大槻さん。審査通過おめでとう」

「えっあっ、ありがとう」

「結束バンドの皆に話があるんだけど、今控室って入っても平気?」

「……そうね、うん。一般の観客はともかく、貴方なら多分大丈夫よ」

「そっか、ありがとう。廣井さん係やっておいてよかった」

「私はそれ、認めてないからね!」

 

 少し表情が解れた大槻さんと言葉を交わしていると、遅れて他のメンバーもやって来た。

内田さんに本城さん、ライブが終わった後にも関わらず、今日もにこやかで朗らかだった。

 

「あら魔王様~、こんなところに何かご用でしょうか~?」

「うん、結束バンドの皆に。そうだ、皆さんおめでとうございます」

「ありがとうございますっ!」

「あー、どうもっす」

 

 ただ長谷川さんだけは、さっきの大槻さんのようにちょっと気まずそうにも見える。

恐らく彼女達SIDEROSとは違い、僕の応援する結束バンドはここで終わりだからかな。

もちろん悔しい気持ちはあるけれど、これは公正な勝負の結果だ。気にしなくてもいいのに。

 

「……一つ、貴方と結束バンドに言っておくことがあるわ!」

 

 挨拶も義理も済ませたし早く立ち去ろう。そう考えた僕を大槻さんが鋭く呼び留める。

僕はともかく、皆に言っておくこと、伝言の類。いったいなんだろうか、とりあえず聞くだけ聞こう。

足と言葉を止めてじっと待つ僕へぐるぐるとした目を向けた後、彼女は僕をびしっと指差した。

 

「…………ざ、残念だったわね! でも今日は、私たちの勝ちだから!!」

「マジかこの人」

 

 長谷川さんが本気でドン引いた声を、これで聞くのは二回目か、思わずと言った風に上げる。

あまりにもあんまりな声だったから、大槻さんは視線を僕から長谷川さんへ驚きとともに移す。

その長谷川さんはため息すら忘れたように目を丸くしていて、大槻さんに変なことを確認する。

 

「えっヨヨコ先輩、実は魔王さんのこと大嫌いなんすか?」

「は? えっ? そんなのありえな、いや、別に好きって訳でもないけど」

「そういうのいいんで。それより今の、どう考えても挑発っすよ。マジで喧嘩売ってます」

「え」

 

 錆びついた音を立てながら、壊れかけの玩具のように大槻さんが僕に振り向く。

やっぱりこうして見ると、どことなくひとりと振る舞いや雰囲気が似ている気がする。

あの子には出来ない悪戯をしてみたくなったけれど、人道的にそれは止めておいた。

 

「大槻さん」

「……な、なに?」

「僕もまた一緒にライブ出来るの、楽しみにしてる。だから次もよろしくね」

「!」

「でも、今度は負けないから」

「……ふふん、どうかしら。言ったでしょ? いつだって一番は私、私たちよ!」

「やってみないと分からないよ。じゃあ、またね」

「えぇ! またね!」

 

 出来ればもう少し話していたいけれど、急がないと皆帰ってしまうかもしれない。

後ろ髪を引かれながらも会話を打ち切って別れを告げる。彼女達だって用事があるだろう。

出くわした瞬間とは反対に笑みを浮かべる大槻さんに手を振って、僕は再び走り出した。

 

「ヨヨリンガルっす……」

 

 そういえば去り際に聞こえた長谷川さんの独り言、あれはなんだったんだろう。

 

 

 

「……今日も一言でまとめると、また一緒にライブやろうね、だって」

「えっそれだけ?」

「全部話すと逆にややこしいから、これだけでいいかなって」

「相変わらず大槻さんにはなんか雑ですね……」

「そう?」

 

 思い返せば確かにずっと雑は雑だ。でもお互い様だから、僕達はそんなものなんだろう。

 

「一緒にかぁ。また同じフェスに応募しようってことかな?」

「あとは対バンとか。SIDEROSとならいい感じに客も集まる」

「お客さん集まるのは嬉しいですけど、多分SIDEROS目当ての人ばっかになりますよねー」

「それだと仮にスターリーでやるにしても、実質アウェイみたいな状況になっちゃうね」

「あっアウェイ……」

 

 ひとりがぼそっと忌み名を呼ぶように呟き、続けて声を張り上げた。

 

「うぇ、ウェイ!」

「何事?」

「威嚇じゃないですか?」

「惜しい。今のは擬態だね」

 

 妄想の中で架空のSIDEROSファンに紛れ、その場しのぎを試みたんだろう。

字面にするとますます意味不明だけれども、そこは僕と結束バンドだ。もう慣れてる。

そっといつも通り適当な対処でひとりを現実に引き戻して、雑談を再開した。

 

「次、そうだよ、その内次の目標も考えないとね」

「そうですよね。でも次、次かぁ。どうしましょうか?」

「そんなことより今は肉。だからぼっち、一旦話まとめといて」

「あっえっ!? わ、私たちの戦いはこれからだ?」

「打ち切りやめてー?」

 

 そういった感じで賑やかに、かつ和やかに打ち上げは進んで行った。

当然の話、というか恥ずかしい話、僕は未だ大事な話をこれっぽっちも出来ていない。

なんだかんだと誤魔化している間に、気付けばすき焼きはすっかりなくなっていた。

 

「たくさんあったのに、意外と食べ切れちゃいましたね」

「五人いるし、しかも一人は男の子だから」

「げふっ」

「あと、山田もいるから」

 

 実際リョウさんの食べっぷりは凄かった。いったいどこにそんなに入っているんだろう。

不躾にジロジロ見そうになるのを抑える。セクハラだし、今はそれどころじゃない。

一息ついたこのタイミング、今ならきっと話を切り出しても不自然ではないはずだ。

 

「……またまた、大事な話してもいい?」

 

 会話の切り目に言葉を差しこむと、四人分の視線が一斉に僕へ集まる。

 

「……………し、締めって、なんだったっけ?」

「米」

「うどん!」

「なんでもいいです!」

「……お兄ちゃん」

「えっ先輩が締めなの!?」

「あっそ、そうじゃなくて」

 

 確かに締めというか、ひとりはこんな僕のことをシメたいのかもしれない。

兄妹間の微妙な気持ちのやり取りは気づかれてないようで、三人は締めについてまだ話していた。

 

「往生際悪いなー。買い物中にうどんだって決めたでしょ?」

「虹夏こそ詰めが甘い。ぼっち、レシート出して」

「あっはい」

「……うどん買ってない。もしかして、レジ前にこっそり抜いたの!?」

「ふっふっふっ、油断大敵」

「そんなにお米食べたかったんですか?」

 

 勝利の高笑いをあげるリョウさんに、虹夏さんが今日何度目か分からないため息を吐いた。

 

「うち今うどん切らしてるしなぁ。まったく、もうしょうがないから雑炊でいいよ。ちょっと待ってて」

「あっ虹夏さんは座ってて。僕がやるから」

「えっいいの? でも一人くん場所分かる?」

「……うん、なんとなく?」

 

 だって昨日も来ている。それにさっき一緒に立ったから、もうどこに何があるのか大体分かる。

素直に感心する虹夏さんにちょっとしたやましさを感じながら席を立つ。一度体勢を整えたい。

そのために無心でお米やネギ、卵を取り出し雑炊の用意をしていると、不意に足音が聞こえた。

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 振り返ると、僕を追いかけて来たひとりが眉をひそめて立っていた。

 

「仲間に入れてって言うの、こんなに緊張するものなんだね」

「そっそうだよ。お兄ちゃんはもっと、緊張する人の気持ちを」

「……ひとりはそういうこと、言ったことある?」

「……な、無いです、言って貰ってばかりです。知ったかぶりしました、ごめんなさい…………」

「ううん、こっちこそごめん。八つ当たりだったね」

 

 慰めるため謝るため、僕の心を落ち着けるため、手を洗ってからひとりの頭に手を伸ばす。

ちょっと髪が乱れていたから整えて、口の端のたれも拭きとる。うん、これで可愛い。

ひとりはそうしてお世話を受けている間も、じっと僕の言葉を待ってくれていた。

 

「当たり前だけどひとりに言った時より、ずっと勇気が必要みたいで」

「えっ私でも必要だったの?」

「本当に今更だけど、兄が妹のグループに入り込むって、ほら、ね?」

「?」

「この年になっても全然妹離れ出来てない証拠だし、それはちょっと、色々とね」

「……妹離れ???」

 

 ひとりは心からの疑問を浮かべている。よし、これ以上の深掘りは止めよう。

続けた結果、面と向かって気持ち悪いなんて言われたら、それこそ今日は何も出来なくなる。

 

「まあ、仮に今日言えなかったらまた明日言えばいいし」

「……私がそういうこと言うと、お兄ちゃんいつも急かすのに」

「………………頑張ります」

 

 ブーメランが何個も突き刺さる。したり顔でそんなお説教をした覚えがいくつもあった。

過去の自分から攻撃を受けただ頑張るとしか言えない僕を見て、ひとりは増々心配そうになる。

手持ち無沙汰でふらついていた僕の両手を捕まえて、そのまま自分の胸元へ運んでいく。

 

「ほ、本当に平気?」

「平気、大丈夫だよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

「……………………………………………………よし!」

「ひとり、大丈夫、本当に大丈夫だから」

「で、でも、お兄ちゃんこのままだとずっと言えなさそうだし」

「そんなことは、無いよ? 多分」

「だから私でも、お兄ちゃんの力になれたらなって」

 

 僕の両手をぎゅっと握って上目遣いをするひとりに、失望の色はまったく見えない。

それどころか、ただただ心配そうに、僕を助けたいという純粋な気持ちしか感じられなかった。

僕に頼られても迷惑じゃない、むしろ嬉しく思う。父さんが教えてくれたことを思い出す。

そうだな。これ以上はきっと、僕のプライドの問題でしかない。意地を張るのはやめよう。

 

「……ひとり」

「お、お兄ちゃん?」

「ごめん。あんなこと言っておいて、自分だけでお願いするにはどうしても勇気が足りないんだ」

「……うん」

「だからその、情けない話だけど」

「うん」

「僕のこと、助けてくれる?」

 

 僕のお願いを聞いて、ひとりの顔がぱあっと華やいだ。

 

「ま、まま、任せて! 実は作戦、もう考えてあるから!!」

 

 そう興奮してまくし立てたひとりは、すぐに身を翻して皆の元へ駆け戻っていく。

考えてくれたのも、迷いなく実行してくれるのも嬉しい。でもまず中身を教えて欲しかった。

何をしでかすか分からないひとりを慌てて追いかける。幸い、まだ何もしていなかった。

 

「あっひとりちゃん、先輩のお手伝いは終わったの?」

「よく考えたら私、米じゃなくて餅が食べたかった。ぼっち、代わりに陛下に言って」

「人からうどん奪っておいてそれ……? えっと、ぼっちちゃんどうかしたの?」

 

 皆からかけられた声も、向けられた視線も無視して、ひとりが人差し指を堂々と立てる。

それから長い沈黙の後、目を硬く瞑って顔を伏せたまま、震えた声でひとりは小さく叫んだ。

 

「…………………………………………け、けけけっ結束バンドやる人、この指とーまれっ!」

 

 幸いも何も無かった。ひとりの突然の奇行に、部屋の空気が一瞬にして止まった。

 

「……えぇっとー」

 

 しんとした空気の中、誰かが漏らした困惑の声が静かに、それでいて部屋中に響く。

可哀想なことにひとりはそれを聞いて大きく身震いをした。それでも指は下ろさない。

 

 もういい、もう十分だろう。ひとりは僕に勇気を見せてくれた。ここからは僕の番だ。

心の準備が決まらないまま足を踏み出す、後は出たとこ勝負だ、言うだけ言ってみよう。

その時、喜多さんと目が合った。そして次に僕とひとりを見比べた瞬間、彼女の瞳が輝き出す。

 

「……私、ギタボやりたいっ! いいかしら、ひとりちゃん?」

「あっは、はい! も、もちろんです!」

「やった、じゃあよろしくね!」

 

 喜多さんは抱き着くような勢いでひとりの指を握って、というかそのまま抱き着いた。

きゃっきゃっとはしゃぐ彼女に抱き締められても、今のひとりはもう崩れも気絶もしない。

少し照れ臭そうにするだけ。妹の成長を実感している間に、リョウさんも動き出していた。

 

「やれやれ。天才ベーシストの私がいなきゃ、誰がベースと作曲やるの?」

「あっリョウ先輩以外いません。だ、だから、お願いします!」

「こちらこそ、これからも作詞よろしく」

 

 柔らかく微笑んだ彼女が、ひとりの指を喜多さんの手の上から優しくつかむ。

いつもはそれにはしゃぐ喜多さんも、今は大人しく二人の会話を見守っていた。

 

「それじゃあ私はドラム希望で! あっいい機会だから言っとくけど、ドラマーは貴重なんだから、もっと大事にしてよね!」

「えっあっはい! そ、それじゃあ、お兄ちゃんみたいに神棚に奉ります!」

「それどういう方向って、えっ一人くんみたいに?」

 

 それからすぐに虹夏さんも加わって、いつものように四人でわちゃわちゃと集まっていた。

その光景を見て、何度目か分からない実感を覚える。あぁ、やっぱりひとりは本当に凄い子だ。

何も呼べなかった子が、どの指にも止まれなかった子が、今はこうして中心に立っている。

言葉に出来ない気持ちが胸に溢れ、その輪をただじっと、身動きもせず眺めてしまう。

 

「お兄ちゃん」

 

 感動するのはまた今度、帰ってからにしよう。ひとりの僕を呼ぶ声に合わせ、皆の元へ近づく。

また四人の視線が僕に、さっきよりもずっと強く集まって来る。だけどもう絶対に逃げない。

顔を上げて、皆の顔をちゃんと見て、それから四人の手を包むように握りしめた。

 

「……演奏もしないのに、たくさん迷惑かけると思う」

 

 ひとりと虹夏さん以外、これだけだと伝わらないかもしれない。それでも言わなきゃ。

 

「しかも偉そうにしてるのに、肝心なところで役に立てないかもしれない」

 

 これはただの弱音だ。きっと虹夏さん以外には意味が分からない。それでも言うべきだ。

 

「それでも、結束バンドのマネージャーがやりたいです。僕に、やらせてください」

 

 自分勝手に言うだけ言って、四人の手を包んだ不格好な状態のまま頭を下げる。

 

 この後どんな答えが返って来たかなんて言うまでもない。僕の心配は今日も杞憂だった。

二つ返事とそれぞれ安心したような、嬉しそうな、からかうような、そして泣きそうな笑顔。

それが揃いも揃ってあまりにも満面の笑みだったから、釣られて僕も、つい笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

ぼっちの兄もまたぼっち 最終話「このゆびとまれ」




ご愛読いただきありがとうございました。


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