サイレンススズカは今日も爪を削る (にわとり肉)
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会話する時基本初めに「あ」って言うスズカ

 スズカさんの特技がペン回しであることを思い出して作った


 私は一人が好き。何をするにも、他人と歩調を合わせるのが苦手だから。走ることが好きなのは、走っている瞬間は、誰にも干渉されない一人だけの時間だからだと思う。

 私は一人が好き。誰にも迷惑をかけないから。嫌われるのはいや。怖いから。だから、当たり障りがないように、目立つような行動は極力しない。休み時間はメンコの中にワイヤレスイヤホンを入れて、外の音を遮断する。うるさいから。

 私は一人が好き。

 だから____

 

 「あ、っあの」

 「……あ、ごめんねー!!」

 「……!…………!」

 

 頼むから、私の席を取らないでください。

 眩しい笑顔で席を立ったその子は、私の後ろの席の子の方へ寄って、またぺちゃくちゃ喋り出した。

 羨ましくはない。

 椅子に座ると、人が座っていた匂いが鼻について、少し嫌な感じがする。自分のテリトリーが侵される感覚。本当に、…… そんなことを考える自分が捻くれてしまっているのは重々承知している。

 机にスマホを置いて、机にかかったスクールバッグから取り出すのはワイヤレスイヤホン。価格にして2万円で、重低音モデル。メンコの中に忍ばせておけるから愛用している。騒々しい世界から隔絶されて、かける音楽は、もっぱらゲームのBGMやアニメの劇伴。そして、背中を丸くしてumatterの通知を確認して時間を潰す。

 私――サイレンススズカは、そうやって授業と授業の合間の過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三女神像が見守る中央玄関前広場。そこの、木陰になった雨晒しのベンチ。私のお気に入りの場所。お昼休みになると、購買によってから必ずここに避難する。大抵は皆カフェテリアに行っているから、広場は木の葉が擦れる心地よい音しかない。その音を聞きながら、私はコッペパンにかぶりつく。

 そして、木漏れ日の星空のような煌めきを見上げながら、私の心は思慮の海に浮かぶ。最近考え込んでしまうのは、特に“チーム”のこと。

 一言で言うなら、やめたい。

 あのチームが悪いわけじゃない。むしろ、良すぎるぐらいなんだろう、学園最強を謳っているし、設備面だとかでも不満はない。全面的に悪いのは私だとわかっている。なんでやめたいのかと言ったら、“自由に走りたいから”。そんな、人にとってはくだらないであろうことだから。

 そう。だからこそ、私は“やめたい”と言い出せない。

 チームの皆はどう思うんだろう。タイキは、エアグルーヴは、オハナさんは……。

 皆、多分笑って送り出してくれるんだろう。しかし、私は捻くれているから、その笑顔の裏をどうしても想像してしまう。

 いや、単に伝えるのが面倒くさいだけなのかもしれない。私は報連相が苦手だから。

 何が自分の本心なのかわからない。いや、全て本心なのだとしたら。すると私は相当な酷いやつなんじゃないだろうか。

 

 「はむ」

 

 そんなことを考えていても、コッペパンは変わらず美味しい。

 とんだ薄情者なのかもしれない、私は。

 表情も死んでいるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 「スズカ!」

 「あっ……、フジキセキ、何か用?」

 「うん、君の部屋って相方が空いていたろう?そこに、今度転入してくる子が入寮することになったんだ。それを今伝えとこうと思って」

 「あえっ」



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一人は好きだけどずっと一人でいるのは無理なスズカ

 隠キャ特有の脳内長考。なおほとんど意味はない(ど偏見)


 入寮した時から、私の相方のベッドには布団が敷かれていなかった。本当にたまたま数が合わなくて、私は一人部屋になった。今思えば、この一人部屋という環境が私の捻くれて拗れた感性を構築してしまったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 その、空いていたベッドに、人が入ってしまう。私と全く接点がなくて、何もわからない赤の他人が。

 umatterのタイムラインに流れてくるしょうもないことで爆笑できなくなる。大笑いしている時の声が気持ち悪いから。

 ペン回しの練習ができなくなる。

 一人神経衰弱なんてやっているところみられたら。

 教科書の落書きをみられちゃう。

 寝相、結構酷いのがみられちゃう。

 自由がなくなる。

 ……

 なによりも、こんな私と生活して、相手はどう思うんだろう。

 嫌われたらどうしよう。

 そもそも、嫌な人だったらどうしよう。

 せっかく、自分の部屋なら、イヤホンを取ることができるのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「すぅっ」

 

 風切音がひっきりなしに鳴り響く。全身にぶつかる塊のような風を突っ切って、私は芝の上を走る。

 腕を振って足を前に出して、そんな単純な動作が酸素を奪って頭をぼんやりとさせる。視野が狭まる。まるで、世界に自分しかいないような感覚。しがらみ全てを置き去りにしていくような危険な全能感。

 私の好きな景色。

 悩んでいても仕方がない。だから、私はこの“景色”に逃げることにした。うねりに飲まれて沖へ流されるのは今日が初めてじゃない。なら、少しでも目を背けるのが私の人生哲学だから。

 でも、私は生き物だ。

 朱色に染まった空の下、何周走ったんだろう。うまく足を踏み込んでいけない。肋骨が内側にへし折れそうな感じがして苦しい。腕が痺れて重い。顔の皮膚の感覚が鈍い。

 景色が、遠のく。それが見えないのなら、もう走ってる意味がない。

 

 「わっ!?」

 

 そう思ったら、視界が芝でいっぱいになって、その瞬間、強い衝撃が加わって目が白黒した。

 ざりざりと滑っていって、そよぐ芝を眺めながら、私はうつ伏せになっていた。

 

 「はぁ…… はぁ……」

 

 ごろんと転がって、灰色の雲が列をなす赤い空を視界いっぱいに見る。右から左に、カラスが群れを成して飛んでいく。

 あの中の、後ろをついていっているカラスは、多分私だ。

 ……

 やけになって走った後は、感傷的な気分になる。

 

 「……」

 

 蒸れて気持ち悪いメンコの中で、耳がぴくつく。

 足音がする。焦っている感じ。駆け寄ってきている?

 

 「おいおいおい!大丈夫か!?」

 

 視界の中に、変な男が生えてきた。変な髪型。咥えているのは棒付きキャンディ?

 

 「あ、……あの、別に、大丈夫です…… ちょっと躓いただけなので」

 

 上体を起こして、背中とか頭についた草を払って、もう一度、黄色いワイシャツの男に目を向けると、安心したようにため息を吐いている。目が合う前に、顔を伏せた。

 

 「その分なら大丈夫そうだが…… いや、それにしても凄い脚だ、サイレンススズカ」

 

 この人、トレーナーのようだ。もしかしてずっといたのだろうか。

 ……

 目線を感じる。

 

 「しかし、なんでこんな暴走機関車みたいに走ってるんだ? ……オハナさんのスパルタトレーニングに耐えられなくなっちゃった?」

 「はい」

 

 ……あっ

 私は今なんて呟いた。

 背筋が冷たい。頭が急に冴え渡っていく。

 

 「あっいえ……、なんというか、その」

 

 しどろもどろになって口が動かない。

 違う。

 ……

 いや、何が違う。意識せずに呟いてしまったんだから、これが私の本心なんじゃないのか。

 

 「ほーん…… なら、俺のチーム“スピカ”に入んない?」

 「えっ」

 

 遠くで聞こえていたカラスの鳴き声が聞こえなくなった。

 あぁ、私はやっぱり薄情者だ。

 この提案が、心に響いている。



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友達に自分から話しかけに行くのが苦手なスズカ

 放課後、西日の青空に見下ろされながら、私を含めた“チームリギル”は、芝コースを使ったトレーニングをしていた。

 私は、昨日のことで得たことをオハナさんへ打ち明けた。

 

 「大逃げで来週のレースを?」

 

 そう言って、オハナさんは怪訝そうな顔を私に向ける。切れ目が私をジロリと睨む。

 手汗がひどい。これだからオハナさんと話すのは好きじゃない。一方的に私が緊張してしまうから。

 それに、わかりきってることだ。

 

 「その…… 私は後ろで脚を貯めておくよりも、前目につけて走った方がいいような、気がするんです」

 「お前はレースの駆け引きを覚えることが最優先だ。それに、不安定な大逃げなど聞き入れられない」

 

 オハナさんは良い人だ。いつも怖い雰囲気を纏っているけど、それは優しさと心配の裏返しであることを、リギルのみんなは知っている。私の言葉を一蹴したのも、そういうことなんだろう。

 そう。そういうこと。

 

 「話はそれだけか?」

 「……はい」

 「なら練習に戻れ」

 「はい」

 

 オハナさんは手に持ったタブレットに目を戻した。表情はいつもと変わっていない。

 不思議と気が沈むことはなくて、納得が私を包んでいる。

 コースの中に戻ると、リギルのみんなが集まっている所から、一人駆け寄ってくる。私の1番の友達。

 

 「スズカ、ちゃんと話せたのか?」

 「えぇ、やっぱりダメだった」

 

 そう言うと、“エアグルーヴ”は、そうか、と一言呟いた後、アイシャドウの入った目尻を優しくして、困ったように微笑んで、

 

 「だが、ちゃんと意見を言えて良かったじゃないか…… 相談しなければ、スズカがリギルを辞めさせられるところだった」

 

 それはつまり、私がオハナさんの指示を破るってことなんだろうか。

 

 「私が、そんな大それたことできると思う?」

 「あぁ、お前ならしかねんな」

 

 うんうん、と頷いてエアグルーヴはそう言い切る。

 まるで私の心が明け透けになっているような言い方。でも、エアグルーヴがそう言うのなら、確かに、そうかもしれない。私は薄情者の気があるし。

 

 「……それよりも、並走に付き合ってやる。ついてこい」

 

 私が思考の海に入っていく前に、エアグルーヴが手を引いてくれた。

 やっぱり、彼女は私の心を読み取っているのかもしれない。

 

 「いい加減、周りが見えなくなって突っ走るのはよせよ?」

 「わかってるわ」

 「そう言ってお前は____」

 

 全人類がエアグルーヴだったら良いのに。

 そんな適当な短略的思考が頭をよぎって、ふと、目の前の奥の方の土手道を見上げると、黄色いワイシャツの男が、斜面の草むらに腰を下ろしているのが見えた。

 あの人だ。

 私の心を動揺させた人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖野さん。チームスピカのトレーナー。チームスピカとは、実態はチームとしての必要最低限の条件をも満たせていない零細チーム。所属ウマ娘は、今のところ、あのゴールドシップただ一人。

 自由と自主性をなによりも重んじる、ある意味でチームリギルとは対極をなす存在。私が勧誘されたチーム。

 

 寮の部屋のベッドに体育座りをして、向かい側の壁を見つめる。

 

 「……」

 

 ちくたくと、時計の針が進む音が、メンコをとった耳にこだまする。まるで、私に判断を迫っているかのように

 もう結論は出たはずなのに。オハナさんは許してくれなかったのに。私を包んでいた納得のベールが、あの人を見たせいで剥がれてしまった。

 親指の爪で中指の爪を削りながら、私はそれを呟いてみた。

 

 「大逃げ……」

 

 なんて甘美な言葉なんだろう。

 したい。いろんな人を置いてけぼりにして、全てを振り切って、思いっきり逃げたい。

 これが、隠しきれない私の本音。

 オハナさんの期待を裏切る、私の本音。

 ……

 

 「はぁ……」

 

 ボフン、と枕が柔らかく頭を受け止めてくれる。

 こういう時は、寝てしまうに限る。

 明日のことは明日の自分に任せればいい。悩むのは疲れた。

 ……

 そう心の中で唱えて、私は夢に逃げる。



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踏み越えてしまったスズカ

 度を超えて考え込むと、逆に考えていないのと同義


 時間は流れていく、残酷なまでに。警告も何もなく。だから、人は時間の流れに取り残されて、後ろを振り返って自分に苛立つ。

 

 「……」

 

 夕陽がでこぼこな地平線の下に潜り込んでいく。感傷的なオレンジ色が、土手道に立つ私を、芝を、全てを染め上げている。

 また、今日も終わりに近づいている。明日になれば、私はレースに出なければならないから、今日は走らない。

 でも、私は練習コースにきた。ミーティングは終わったし、部屋に戻ってもやることがない。umatterを惰性で眺めているのは何か違う。

 暇つぶしだ。暖かい風を聴きながら、一人でぼうっとしようと思っていた。

 だというのに、斜面のオレンジ色の草むらに、あの人が腰を下ろしているのが見える。

 何も考えたくなかったのに。

 

 「……」

 

 少し距離の離れたところに、私も腰を下ろして、体育座りする。少し目を前にやると、トレセン学園の校舎の窓に、まだ転々と光が灯っているのが見える。

 

 「とうとう明日か」

 

 そこで、私の現実逃避は早々に打ち破られた。隣に目をやると、沖野さんが、棒付きキャンディを噛んだ口に弧を描いていた。

 

 「辛気臭い雰囲気だなぁ、緊張してんのか?」

 「……」

 「……悩んでるのか?大逃げ打つか、オハナさんのやり方に従うのか」

 

 私は口を開かない。だって、開いたところで帰ってくる言葉はわかりきってる。

 膝の裏に顔を埋めて、中指の爪で親指を掻いていると、隣でガサガサと草が揺れる音がした。

 

 「俺は、やっぱり大逃げをうつべきだと思う。お前のトレーニング見てたけど、他の奴と走る時いつも不愉快そうだったからなぁ」

 「……それを克服するために、練習しているんです」

 「退屈で、つまらなくて、つらいのにか?」

 

 降ってきた問いかけに、私は思わず反射的に口を開いた。

 

 「勝つためです。そのためなら____」

 

 沖野さんの方に顔を向けると、影になった彼の顔は、まるでオハナさんみたいな顔をしていた。

 

 「スズカ。お前は、何で走っているんだ?」

 

 彼の影が動く。

 

 「ここで勝手気ままに走っていたお前が、本音なんじゃないのか?」

 

 影が草むらに置いていた私の指先に触れた。私は手を引いてしまった。

 

 「……」

 

 口を開けて、閉じた。上を向けない。見ているのがわかるから。

 

 「本音をぶつけることができなきゃ、いずれ後悔するぜ。何事もな」

 

 ガサガサと再び音が鳴って、それが遠ざかって行く。

 ……

 本音は、時に人を傷つける。

 私はそれが嫌なんだ。傷つくのは私もだから。

 見上げると、赤紫の美しい夜空に、一匹の鳥の影が横切って行った。

 あんな風にはなれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『お前はレースの駆け引きを覚えることが最優先だ。それに、不安定な大逃げなど聞き入れられない』

 

 オハナさんの、私を想った言葉。

 

 『本音をぶつけることができなきゃ、いずれ後悔するぜ。何事もな』

 

 沖野さんの、私を想った言葉。

 確かな重みのあった言葉。だから、わからない。

 オハナさんの期待を裏切って、私の思うがままに走ってしまうのか。そうしたら、きっとあの人は……

 じゃあ、オハナさんの指示通りに走って、“勝つ”方法を着実に覚えていったら、私は後悔しないのだろうか。

 多分、する。

 わからない。こんな私には、どうすればいいのか____

 

 「っ!!!」

 

 布が擦れる音がした。

 急に、目の前が明るくなって、そういえば、私はパドックに立っていたことを思い出した。親指が中指の爪を外れて、空中を切った。

 静けさが私を待っている。急かしているかのように。

 

 “東京第11レース、続いてパドックに登場するのは、このウマ娘!!”

 

 開いた垂れ幕を過ぎて、ゆっくりと見せ物台のようなパドックの中心に出ると、全身が総毛立つような感覚がする。こんな大勢の視線に晒されるのは、いつになっても慣れることがない。

 

 “8枠12番!”

 

 マントのように羽織っていたジャージに手をかける。

 

 “サイレンススズカ!!!”

 

 勢いよく、後方に投げ飛ばす。

 その瞬間、私たちを見下ろしている人たちの、感嘆したような歓声が立ち上がった。

 羨望、尊敬。そんなの、私を焼き焦がす光でしかない。

 

 “ファン投票一番人気です!!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下バ道。薄暗くてひんやりとした雰囲気が、パドックで漣のたった心を平静に戻してくれる。いつもは。

 今日は、心が二分されて落ち着かない。

 そわそわする。これから走るというのに、高揚している自分と萎えている自分が居る。

 壁伝いに行く私の隣を、小走りや早歩きで、一緒に走る人たちが抜かしていく。皆、真剣な表情をして、何を考えているのかは一目瞭然。

 なら私は、どんな顔をしているんだろう。

 

 「……」

 

 頭を振って、ほっぺを両手で叩いた。

 これで、少しは繕えているだろう。

 

 “ようこそトゥインクル・シリーズへ! このレースは国民全員が楽しめる一大エンターテインメント____”

 

 実況が囃し立て、ざわめく観客席の群衆の視線をひしひしと感じる。

 澄み渡る青空、よく手入れされて踏み心地がいい芝。今日の東京レース場は最高のレース日和だ。ゲートが銀色に輝いて見える。

 

 「……」

 

 周りの人たちは、もう勝負の決心がついたのか、むしろ脱力した雰囲気を醸し出しているように見える。

 たまに、チラチラ私を窺う人と目があって、目を逸らした。

 

 “いよいよ本日のメインレースが始まります!!”

 

 ファンファーレが壮大にレース場を駆け巡って、人々の声が静まっていく。

 続々と、口を開いた暗いゲートの中へ向かって、他の人が入っていく。

 勿論、私も。

 

 『お前はレースの駆け引きを覚えることが最優先だ。それに、不安定な大逃げなど聞き入れられない』

 『本音をぶつけることができなきゃ、いずれ後悔するぜ。何事もな』

 

 パタン、と閉じる音がして、私はゲートの中に閉じ込められた。

 静かで、しかし熱い息遣いが両隣から聞こえる。

 ……

 ……

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前が開けた。

 

 「はっ……!?」

 

 その瞬間、音が消えた。

 時間が何倍も引き伸ばされたような気がした。

 選べ、ってことなのか。

 ……

 私は、

 私は、

 私は____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、考えないことを選んだ。



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傷つきたくないスズカ

 『あ、……その、特に無いです』

 

 チームリギルの入部テストでは、模擬レースでの成績は無論のこと、本人の意思展望を引き出すようにしている。その中、唯一の回答をしたのがサイレンススズカだった。

 リギルは学園最強のチーム。そこへ入りたいウマ娘ならば、大なり小なり腹の中に野望を隠しているもの。しかし、スズカにはそういったものが何もなかった。

 そして、その日の模擬レースで、スズカは堂々の一位を獲った。当たり前のように、一度もハナを譲らずに。

 彼女をリギルに入れないという選択肢は無かった。

 スズカは従順だった。ミーティングで発言することもなく、不平不満を口にすることもない。トレーニングもそつなくこなした。

 従順というよりも、主体性が無い。自分を殺している。今となってはそう言うべきか。

 

 『スズカ、今日は並走を中心に、レースでの駆け引きに重きをおいたトレーニングを行う』

 『はい』

 

 私は、そこに寄りかかっていた。

 

 主体性が無くとも、その奥に隠された本質はあったはず。私はそれを見切ることができなかった。だから、スズカの素質を最大限に活かせるように、長く、幸せに、という考えを押しつけてしまっていた。

 きっとスズカは、本当は人一倍こだわりの強い子だったんだ。

 自由に、束縛されずに、思いのままに走る。それが、あの子の本質だったのかもしれない。

 

 今日のスズカのレースは、私が確信を持つに足りる、圧倒的な展開だった。

 

 「……」

 

 真っ暗になったというのに、会場の熱は冷めやらぬ様子。むしろ、さらにボルテージが上がっている。

 眼鏡の裏に、目に毒な光がちらつく。眼下のペンライトの色彩だけが浮き上がっている真っ暗な観客席は騒然として、目の前のライブの様相を見守っている。

 スズカは、壇上の誰よりも先頭に立って、硬い笑顔でいる。

 

 「よっ、おハナさん」

 

 嫌な声だ。

 隣を見てみると、見知った腹立たしい顔ぶれが、同じように手すりに前のめりになっている。

 

 「いや〜サイレンススズカすごいねぇ、惚れ惚れしちゃった____」

 「サイレンススズカを唆したのは、あなたね」

 

 私の言葉に、アイツも観念したように小さく笑った。図星か。

 ……

 再び隣に目をやると、アイツは懐かしい目をしていた。

 

 「どうしても、スズカには大逃げをしてほしかったんだ。アイツはそれが似合ってた」

 

 夢に生きる奴の目。

 指導者の目というよりは、下の観客席にいるファンの一人のような目。だからこそ、こいつは私と真逆の道を行く。

 思わず笑ってしまう。

 

 「なら、最後まで面倒を見てやることね」

 「……おハナさん」

 

 この男に任せるのが、多分あの子のためになるんだろう。私じゃ、怖くて潰してしまう。

 不甲斐ない。だが、まだ一敗だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『今日限りで、お前を退部とする』

 

 おハナさんは優しい人。いつも皆のことを考えて、最善の行動をとろうとしている。こんな私のことも、見捨てずに。

 今日、私はそれを踏み躙った。本当なら、もっと早くに私が言い出さなければならなかったことなのに。

 何も言えない私が悪いのに。

 

 『チームスピカのトレーナーに会っているな。……彼の下に行けば、お前に合った指導を受けられるだろう』

 

 その優しさは、こんな私に向けるべきじゃない。

 

 『そこで、お前の走りを貫くといい。……チームは離れるが、応援している』

 

 何故、おハナさんが、そんな表情をしているの。

 やめて。私に自覚させないで。

 その言葉を引き出したって。

 ……

 

 視界の側で、カーテンが揺らめいている。開けっぱなしの窓から吹いてくる冷たい風が、熱くなった頭を冷やしてくれる。

 一定のリズムで刻まれる時計が、ベッドの上の私を責め立ててくる。

 

 「いたっ」

 

 その瞬間、全身がびくついた。

 中指がうっすら痛い。

 恐る恐る目をやると、親指の爪が、中指の爪の真ん中にめり込んで、肉に突き立てられていた。

 明かりが落とされ、月光だけが頼りの部屋でも、赤い血が滲んでいるのが見える。

 私を生かす活力が流れ出る。

 この痛みが、今は心地いい。




 長い文章を書けないから長い時間をかけて読んでください(?)


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忘れてたスズカ

 そよかぜがカーテンを揺らしている。目に優しい日差しが私を照らす。

 日を跨げば、血と膿で固まって、爪の傷口は塞がっていた。私は嘘のように眠りについていたらしい。お陰で気分は良くなった。

 起き上がって、ベッドから降りようとすると、フローリングに布団が落ちているのが見える。夢の中でも走ってたのか。目覚まし時計を確認すると、時刻は6時ちょうど。普段よりも遅い時間。レースの後だから。

 

 起きたらすぐに水を一口飲んで、顔を洗ったり、髪と尻尾を整えたり、メンコをつけたりして、大体6時半ぐらいになって、部屋を出る。行き先は食堂。購買が無いからそこで食べるしかない。

 ふらりふらりと廊下を進むと、私と同じ目的だろう人たちが、よれた寝巻きのまま同じ向きに進んでいく。

 

 寮の食堂も、学園のカフェテリアと同じでビュッフェ方式。色とりどりで鼻をくすぐる料理を前にして、まだぼやつく頭が回る。

 カリカリベーコン、ウィンナーと、あとパン…… バター、あー……

 

 「スズカ」

 

 急に耳元で甘い声がして、背筋がゾクゾク震えた。

 後ろから噛み殺したような笑い声が聞こえてくる。振り返ると、実に愉快そうに笑う友人の姿。

 

 「……随分楽しそうね」

 「ふふ、いい加減慣れないと終わらないぞ」

 

 仕返しに、エアグルーヴのガラ空きの脇腹を小突いてやった。

 

 「……でも、朝からどうしたの?」

 「ほかに時間がなかったからな」

 

 

 

 

 

 

 「今日付けでスピカに移籍か……」

 

 二人で端っこの席を取って、食器の硬い音と喧騒に耳を傾けながら、黙々と食事に舌鼓を打っていたと思ったら、エアグルーヴが急に切り出してきた。

 箸が止まってしまう。恐る恐る顔を上げると、しかし、エアグルーヴは笑顔だった。

 

 「……知ってたのね」

 「おハナさんに聞いた。ま、あんな見事な大逃げをしたんだから予想はついてたさ」

 

 と言って、彼女は呆れたように笑った。

 ……

 その瞬間、二つの綺麗な手が私に伸びてきて、

 

 「何、そんなじめじめした顔してるたわけ〜!」

 「〜!やめっ、やめっ……!」

 

 ほっぺを包み込んで、揉みくちゃにされる。一人でに耳が揺れてるのがわかる。揺れる視界に映るエアグルーヴは、いつもの凛々しい雰囲気を崩している。

 お姉さんみたい。

 すると、気が済んだのか揺れが収まった。

 手は私を包み込んだまま。

 温かい。

 

 「お前の行動に異を唱える奴は、リギルにはいないよ。おハナさんだって、そうだったろう?」

 「……」

 

 私は強く頷いた。

 手がほっぺから離れる。一瞬ひんやりとして、すぐに感覚が消えた。

 

 「だから胸を張って行け。だが、リギルもお前の居場所だ、それを忘れるな…… 後しっかり相談するんだぞ?頼れるものは頼るんだ。……今何か気に病んでいることとかないのか?」

 

 まるで百面相のように表情を変えながら、エアグルーヴは私を心配してくれているのが伝わる。

 十分。それが分かれば、私にはもう十分すぎる。

 

 「今は大丈夫よ」

 「本当か?全く…… お前が同室の奴と馴染めるか、今私はそれが不安で仕方ない____」

 

 箸が手から滑り落ちていった。

 わすれてた。



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新しい風に吹かれるスズカ

 今日、私のたった一つの安息地がなくなる。誰の視線もない、静かな私の部屋が、私一人で占有していた部屋に入寮する人が来る。

 どうすればいいんだろう。

 そんなことを考えているうちにも、青空で呑気にしている雲は流れていく。

 寮長に相談する? いや、もう遅すぎる。だって今日荷物が運ばれてくるというんだから、今頃向かい側のベッドに段ボール箱が積まれてる筈。今段階で何をどうこうできるというのか。

 じゃあ、部屋に来た後に相談する?

 ……

 そんなの、できるわけがない。

 ……

 ……

 ……

 ノートとシャーペンが擦れる音、黒板を叩くチョーク、名前も知らないあの子の聞きたくないヒソヒソ話、おじいちゃん先生のしわがれた声が耳に入る。私のノートはまっさらで、ポロポロ角質が落ちている。

 思わずため息が出る。

 眠たくなる授業時間がもっと長くなれば良いと思ったのは、今日が初めて。

 

 「今日はリギルの部員選抜があるんでしょ!」

 「私受けるんだ〜!受かるかな!?」

 「あはは____」

 

 短縮授業じゃないか、今日。

 私は項垂れて目を瞑った。逃げ出すために。

 

 「サイレンススズカ!そんなに余裕そうなら、この問題は当然わかるな!」

 

 心底うんざり顔を上げてやると、しわくちゃな顔をさらに峭刻とさせた先生が、黒板の汚い文字を叩いている。

 じとっとした視線を周囲から感じる。背中から何かがじわじわと全身に広がる不快感。

 面倒くさい。

 ……

 そんな風に、心の中で悪態を吐きつつけても、誰も気がつかない。だから、私を逃がさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつん、こつん、と足音が静けさにリズムを刻む。

 今日から3日間はスカウト週間。学園内の零細チームから有力チームまでが、十人十色なウマ娘たちを見定めて、自分のチームに引き入れる。そのために、授業も半日で終わるようになっている。大抵どこのチームもレースで実力を問うから。

 お陰で練習コースは大盛況。娯楽に飢えた歓声が、少し離れた廊下にも反響している。反面、廊下は寂れて薄暗い。

 と、私がなぜ校内に残っているのかといえば、正式に入部する旨を書類で伝えるから。あの人のトレーナー室にいくため。

 チラチラ光が漏れる扉を何個も通り過ぎて、私は目的の場所にたどり着いた。

 ……

 そっと、ノックを2回。

 ……

 ……

 ……

 返答がない。

 試しに引き戸を引いてみる____

 

 「あっ!」

 

 鍵がかかっていなくて、急に横にスライドした。

 バランスボールが置いてあったり、何やら賑やかな部屋の中はもぬけの殻。

 ホッと息を吐いた。

 

 「鍵……」

 

 もしかしてだらしない人なんじゃないだろうか。沖野さん。いや、そんなことはどうでもいい。あの人どこへ行ったんだ。

 その時、姦しい声が私の耳を揺らす。

 無論、それがなったのは練習コース。

 ……

 どうしよう。

 

____校舎から出て、ちょっと赤みがかった青空の下に騒然とした雰囲気があるのが肌で感じ取れた。結局、私は沖野さんを探すことにした。止まっていると気が沈むから。

 こんこんと水が煌めいて、流れ落ちる瓶を抱える三女神像が見守る広場の脇道に入って、練習コースに続くのどかな林道を歩いていても、残念ながら静けさの“し”の文字もない。そして、こんな時に私は寮にイヤホンを忘れた。やっぱり帰ろうか。

 緩い坂を登って、急に右手がひらけたと思ったら、小人サイズの人々が散らばって集まって、ラチの中を走っているのが見える。手を振って応援する人も、双眼鏡で状況を覗き見てる人もいる。

 なんだか、制服姿の自分が場違いみたい。

 

 「ふぅー……」

 

 跳ねた胸を撫で下ろした。こういう時、人は思ったよりも注目してくれないもの。

 傾いた耳を立てて、重たい足を前に運ぶ。

 ちょうど模擬レースが始まったのか、奥からバ群が____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる髪の毛、舞い散る芝の細い葉。まるで時間が延ばされるような感覚。レースの時の感覚。

 ドベ一歩手前の子が、私を見ている?

 

 私を見て、なんで、笑うの?

 

 「……!」

 

 その瞬間、雰囲気が変わった。

 急にスピードがあがる。あがっていく。ガタガタのフォームなのに、精一杯上がっていく。

 一人抜いた。また一人。

 顔はもう見えない。なのに、なんとなくわかる。

 

 「……楽しそう」

 

 向こうの薄く夕焼けの顔を覗かせる空に向かって駆け抜けて行けそうな足取り。音が小さく抜けていく。

 あんな子が強いんだろうな。

 ……

 

 その時、視界の下端に、双眼鏡を携えた黄色いワイシャツの男。

 沖野さん。やっぱり見に来ていた。



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チームスピカとスペちゃんとスズカ

 高評価いっぱいもらえて嬉しいです。
 みんなスズカさんの頭の中身好きですねぇ


 沖野さんはレースに熱中している様子。下のコースは、レースが終わったのかきんきん喧しい。流石に、リギルの部員選抜。少し懐かしい。

 ……あの子は、勝ったのだろうか。

 ともかくこの人、どうしようか。ストップウォッチとお話してるけど、話しかける?

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 

 「……スズカ?何してんだ?お前も見にきたか?」

 「あっ」

 

 変なものを見る顔をした沖野さんが、こっちを見ている。

 顔が熱い。尻尾が揺れる。

 

 「あの…… その、そう、入部届けを……」

 

 草むらの隙間から、長い触角のバッタが這い出てきている。何も考えてなさそうだ。私もそうなりたい。

 

 「あぁ、オーケーオーケー」

 

 立ち上がって、黒いズボンについた枯れ葉を落とした沖野さんは、私から顔を離して、またコースを見下ろした。

 

 「お前、このレース見てたか?」

 「えっ……」

 

 沖野さんは、こっちを見ないで、

 

 「お前から見て、誰が光ってみえた?」

 

 光ってみえた。

 光ってみえた……

 そんなの、そんなのわからない。でも、強いて言うなら。

 

 「あの、後ろから追い上げていった子……?」

 「やっぱそうか、そうだよな〜」

 

 沖野さん、頷いて笑ってる。なんなんだろう。

 そよかぜが吹き抜ける。木々がざわざわ揺れている。

 灰色の雲の青空で、小さな鳥が、別の鳥の集団に追いかけられている。

 

 「うーし!じゃ部室行くか!」

 「……! はい……」

 

 部室?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はいせーのっ」

 

 「「「ようこそ!チームスピカへ!!」」」

 

 スピカ、の表札がかけられたプレハブ小屋の扉をくぐった瞬間。私は何やら手厚い歓迎を受けている。

 音頭をとったゴールドシップはもとより、青いふわふわでまとめたツインテールの子に、片目を隠してる荒っぽい髪型の子。いつのまに部員が増えている。

 リギルとは全然違う、慣れない雰囲気。

 

 「ダイワスカーレット、ウオッカコンビ。お前に声かけた後に入ってくれたんだ」

 

 トレーナーさんが奥の方へ進んで、傍で自慢する様に手を、そのダイワスカーレットとウオッカへ差し出す。誇らしげにしてる二人。

 

 「私!スズカ先輩の走りに憧れてるんです!!!あの他を追随させない走り!!!」

 「うぇっ」

 

 ツインテールが揺れて、私に詰め寄ってくる。

 

 「俺もです!!こうズビューンって!!」

 「……ぅん」

 

 口の端がピクピクする。引き攣ってないだろうか。

 

 「お前らスズカが困ってるだろ〜が!なぁスズカ!今度一緒にたい焼きの鱗を数えようって約束したの忘れてねえよな!?」

 

 ……

 ……?

 

 とにかく、これがチームスピカ。ということなんだろう。沖野さん笑ってるし。

 ……なんて愉快なチームなんだろう。既に不安で心が満ち満ちている。

 すると、沖野さんはパンと手を叩いて、

 

 「ようし、んじゃあー早速お前らに頼み事があるんだけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はついていかなかった。知らない。関係ない。

 他の三人は嬉々として変装して、ずた袋を持ったゴールドシップを先頭に出ていった。何をしに行くかは想像に難くない。

 

 『このウマ娘を連れてきて欲しいんだが……』

 

 沖野さんがポケットから取り出したのは、あの子の写真。

 

 『スペシャルウィーク。この子をウチに引き入れたらチームスピカ始動だ!』

 

 ……

 

 「スズカ、お前は行かなくて良かったのか?」

 「あ…… はい」

 

 そういう片棒を担ぐ気はない。

 その時、メンコ越しでも聞こえるあの三人の声。

 そして、くぐもった呻き声。

 自分は関わってないのに変な汗が出る。

 

 「「「えっほ、えっほ、えっほ!」」」

 

 扉が勢いよく開かれた。

 来た。

 

 「うっ……!」

 

 三人に担がれたずた袋が下ろされて、この世の終わりみたいな表情で、その子は落ちてきた。

 白い三つ編みを側面に巻き付けるようにした、アメジストみたいな瞳の子。

 ソワソワしてる。

 

 「ゔぅぁー!!?痴漢の人!!?」

 「「「痴漢!?」」」

 「いやぁ違う違う違う!勘違い〜!」

 

 一体沖野さんはこの子に何したんだろうか。本当にこのチームは大丈夫なんだろうか。

 

 「さぁ、みんな挨拶だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ようこそ!チームスピカへ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『日本一のウマ娘って、なんだ?』

 

 沖野さんはそう言っていた。そして、それは彼女の夢。

 答えのない夢。だって、それは他人が決めることだから。だから、もしそうありたいのなら、華々しく活躍するしかない。夢を見せるしかない。

 

 『スズカ、お前はどう思う』

 

 そう答えた。

 そうしたら、なんだか入る気になったのか、彼女も入部して、これで最低人数の五人が集まった。

 それはまぁ、良かったんじゃないだろうか。満足に走れないのは懲り懲りだから。

 ただ、ただ、

 

 「はわぁ〜!同じ部屋なんて運命かも!!」

 

 何故か懐かれるわ、部屋も同じだなんて、聞いてない。




 第一話をスズカさん視点で見た感じ。
 つまりダイジェストになってるのは……


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割れ物に触れまくるスズカ

 隠キャは遠慮がありません。


 「ん〜…… んふ……」

 

 薄暗い天井。目覚まし時計は四時半を指し示して、チクタク動いている。

 他人の声がする。他人の匂いがする。そんな環境でも、意外と寝ることはできるらしい。

 布団を蹴り飛ばすこともしていない。

 なるべく音を立てないように起き上がって、隣に目をやると、大きなにんじんの抱き枕を片腕で抱き締めた彼女が、すやすやと寝息を立てている。時折耳がぴくつく。

 なんだか懐かしい光景。

 ……

 メンコを耳にはめて、少しでも音を遮断する。

 

 いつも通り用意して、今日は“日課”のために、指定の赤いジャージに袖を通す。

 あの子はまだ夢の世界を楽しんでいる様子。その間に、私は部屋を抜け出す。冷たく静まり返った廊下を進んで、正面玄関の事務室の人に会釈をして、寮の外へ出る。

 その瞬間、小気味いい風が全身に当たって、ぶるぶる。

 青空が赤い。

 

 「ん……」

 

 ぐっと背伸びして、凝り固まった身体がバキバキ嬉しい声を上げる。乾燥した空気が美味しい。

 鳥の鳴き声もしない寮の敷地を抜けて、トレセン学園と寮とを隔てる道路のウマ娘専用レーンに出る。まだ街灯の光が丸く地面を照らしている。

 この時間に少し走るのが、普段の私を保つための秘訣。でも、コースが開いてなくて、公道を走らなければいけないのが玉に瑕。

 

 「すっ……」

 

 前傾姿勢をとって、

 

 「っ……!」

 

 最初は軽めに、だんだんスピードを上げる。風景が流れて、トレセン学園の風体から、閑静な住宅街に変わっていく。

 本気で走っていないから、血流が回る分思考が冴える。

 ……

 

 『不束者ですが、よろしくお願いします!』

 

 スペシャルウィークさん。嫌な人ではなさそうで良かった。あの後もぐいぐい話しかけてきて、少し困ってしまうところもあったが。

 でも、これからはやることなすことに気を配らないとならない。私のすることが変なことなのは、自分がよくわかっている。何もしなければいい。

 あの子は何故か私を尊敬している様子だから、それを壊すようなことは、なるべく避けたい。あんな小恥ずかしいセリフを吐いた後だし。

 それに、あんな風に、に話しかけてくれる人は、構ってくれる人は貴重だ。

 嫌われたくない。

 ……

 でも、本当に一人でいられる時間は、これでなくなった。

 気持ち悪い。嬉しいと苛立ちが同居している。

 

 「ふっ、ふっ、ふっ」

 

 熱を帯びた吐息を吐き出す。随分熱が出てきた。足がほぐれてよく動く。肩も。

 遠くに車が走っていく音。凹凸な地平線から顔を覗かせる眩い朝日。何千何万と見た光景。全てがいつも通り。何も変わらない。

 

 それなら、私もいつかは慣れてしまうんだろうか。

 こんな私が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 20分は走って、帰ってきて風呂やら朝ごはんやら、なんだかんだこなしているうちに6時半ぐらいになったが、スペシャルウィークさんは相変わらずにんじんを抱き締めて寝言を呟いている。

 ……

 ……

 ……

 まだ時間はある。

 

 6時45分になった。時計の針の刻まれる音と、スマホの打鍵音、そして、起こすのも憚られる寝息。

 まだ起きない。

 

 7時10分。ねむたくなってきた。

 ベッドの上で体育座りして、膝で隠れた視界から彼女を見ると、布団に埋もれた胸が上下している。

 起こして、あげようか?

 

 「……ぁっの、……」

 

 ……

 ベッドから降りる。彼女の側までよると、急に寝返りをうって、私に背を向ける。

 ふわりと、知らない匂いが鼻につく。

 

 布団が被さった肩に手を置いて、少し揺らしてみる。

 

 「ん〜……!」

 

 耳が絞られた。

 ごろんと寝返りをうって、仰向けになって、露骨に不機嫌そうな顔を私に向けてくる。

 

 「……ふふっ」

 

 ちょっと面白い。

 ほっぺをつついたら?耳を握ったら?どんな反応を返してくれるんだろう。

 

 「……起きなきゃ、やっちゃいますよ」

 「かー…… かー……」

 

 耳打ちしたところで変わらない。幼児のような寝顔。よっぽど深い眠り。

 なら、私の一人の時間を奪った罰として、少しぐらい。

 少しぐらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ゔぁぁあ!!?!?大変!!!!」

 

 ……今、8時20分ぐらい。

 ごめんなさい、スペシャルウィークさん。 




 そして、自分に構ってくれる人が好きになってしまうものなのです。


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何かにつけて理由を探すスズカ

 故郷から飛び出してきて、まだ4日。見上げるほど高いビル、見たことのない人混み、匂い、熱気

 都会ってすごい。電車の乗り方一つとっても何も違う。恥かいたし…… 百聞は一見にしかず、をこれほど痛感した日はなかった。

 レース場に初めて入って、初めてウマ娘に会って、……いきなり足を握られて…… そう、沢山の初めてがあって、そして____

 

 『ファン投票一番人気です!!』

 

 栗毛の靡いた髪の毛。

 スラリとしなやかな身体付き。

 儚げで、宝石みたいな瞳。

 サイレンススズカさんを見た。

 

 『驚くほどの大逃げをうちました!これはマイペースなのか!?それとも早すぎるのか!?完全なる一人旅!!』

 

 レース場の誰もが、あの人に釘付けだったと思う。それぐらい、ハナをきって突き進むスズカさんのレースは鮮烈で、凄くて……!

 夢みたいだった。

 “日本一のウマ娘になる”

 それが私の夢。お母ちゃんへ、二人のお母ちゃんへ捧げる私の夢。

 スズカさんの走ってる姿は、まるで私の夢みたいな、言葉で言い表せない感覚があった。

 ライブもとっても可愛くて、寮の門限に間に合わなかったけど……

 

 ともかく、次の日から私はトレセン学園に入学して、憧れていた学園生活が始まった。

 自己紹介は失敗したし、みんなの前でずっこけたりしたけど、ウララちゃんにスカイちゃん、エルちゃんにグラスちゃん。私に初めて友達ができた。

 教室での授業、みんなと食べたお昼ご飯。

 そして、チームリギル。スズカさんが入っていたチームの入部テストで、私は初めて芝コースを走った。拓かれっぱなしの原野とは違う感触に戸惑ったけど、初めての他の人との競争。

 一位は取れなかったけど、楽しかった。ウマ娘がレースに全力を尽くす理由がわかった気がする。多分、この感覚に浸りたいんだ。

 

 『日本一のウマ娘って、なんだ?』

 

 リギルの選抜に落ちた私を、誘拐する…… いや、拾い上げてくれたのは、いきなり足を触ってきた変態…… じゃなくて、トレーナーさんが率いるチームスピカ。

 私の夢を笑わないで、真摯に受け止めてくれたチーム。

 憧れのスズカさんが入っているチーム。

 変なトレーニングをしたり、チームメイトのアクが強いところがあるし、とても騒がしいチーム。

 まだ、ここで私の夢が叶うのかはわからない。

 でも、今、私はとても楽しい。

 ……

 最近、家の匂いがしないことに気がついた。

 起きて見えるのは、無機質な天井。

 いや、早すぎる。まだ、こんな風に考えちゃいけない。

 スズカさんだって、そんな風な態度を出してしまったら迷惑に感じてしまう。だって、あの人はきっと優しい。いつも視線を感じるから。

 ただでさえ、私は今まで一人部屋だったスズカさんの部屋に入ったばかり。これ以上の負担を与えたくない。

 ……

 明後日は、もうレース。初めてのレース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『実は彼女、生まれてから一度も、他のウマ娘に会ったことが無かったそうだ』

 『近くにウマ娘も、同世代の子供もいない田舎で育ったそうで…… 友達もろくに、作れなかったようなんだ』

 

 『ルームメイトとして、近くにいてやってくれないか』

 

 なんで、それをこんな私に任せるんだろう。

 ……

 スペシャルウィークさんが張り詰めている感じなのは、近くで見ているからわかる。

 あの子は良い子。必死に隠しているのが伝わってくる。多分、これは私だからわかること。どうせ、雑に空いていた私の部屋に割り振っただけなんだろうから、深い意図なんてないだろうが、少し運命的なものを感じてしまう。

 相手がどう思うかを考えてしまう。人と関わったことが無いからこそ、失敗したくないから。多分こう。私と少し似ているんだ。

 

 「……ハァ」

 

 蹄鉄が打たれる硬い音のリズムが乱れる。体育座りをした膝の山から見えたのは、耳を垂れ下げて小さな背中をしたあの子。

 私は、ベッドの端っこにいて、スマホに逃げ出していた。あの子が来てからいつもそうだった。私がかけることができるのは、空っぽの言葉だけだから。

 空虚な情けをかけても、いつか、それに気づいてしまった時、あの子はきっと失望する。

 ……

 

 「……」

 

 あの子の尻尾が揺れる。弱々しく、そして、まるで死んだかのように止まった。

 かちん、かちん、と硬い音が部屋の静寂を突く。

 ……

 無性に昔を思い出す。

 息苦しい家の中から、私はいつも逃げていた。

 妹から、母から、逃げていた。

 スペシャルウィークさんにとって、今の私は……

 

 “日本一のウマ娘になる”

 

 それがあの子の夢。

 でも、心が安定してなければ、夢を追いかけることなんてできやしない。今のあの子に、心を休める場所はないんだ。

 もし、もしこれで、夢を諦めてしまうようなことになったら。

 私が、夢を壊す一端を握ることになったら。

 ……

 ……

 ……

 

 「……」

 

 嫌だ。

 

 「……な、何か悩み事?」

 

 その為なら、私は声を振り絞れた。

 すると、彼女は何もない表情を見せた。




 全て打算ありきにしておかないと行動できない


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交差した、過去(ねじれた、いま)

 「スペシャルウィーク、さん……、入部した時、“日本一のウマ娘になりたい”って、言ってましたよね」

 「あ、はい!」

 「どうして、“日本一”なんですか?」

 

 苦し紛れに捻り出した話題に、あ、と声を漏らして、スペシャルウィークさんは一瞬顔を緩ませた。

 そして、蹄鉄を打ち終わったシューズを傍に置いて、スペシャルウィークさんは私に体を向けて、

 

 「それは……、お母ちゃんとの約束なんです」

 「お母、様……?」

 

 スペシャルウィークさんは、懐かしむように、誇るように、私の知らない話を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スズカさん、私にはお母ちゃんが二人いるんです」

 

 「一人は、私を産んでくれたお母ちゃん。私が産まれてまもなく亡くなってしまったんです…… “この子()を立派なウマ娘に”。そう言い残して」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『……今日から、ここが貴女達の家になるの。私がお母さんになるのよ。よくわからないかもしれないけどね』

 

 朧げながら覚えていた。私を産んだ母は、妹を産んだ後に死んだ。“お母さん”に手を引かれて、私達は新しい家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「二人目のお母ちゃんは、遺言を守るために、私を必死で育ててくれました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父は仕事の虫で、いや、仕事に逃げていた。

 

 『仕事ばかりして…… 家事は私一人。誰も何もしない。召使じゃないっつーの……』

 

 お母さんはいつも愚痴をこぼした。聞きたくなかった。

 

 『スズカ!また靴揃えるの忘れたわね!?』

 『ご、ごめんなさい!!』

 『これで何度目なの!!いい加減、に!』

 『ぅぶ!!』

 

 ほっぺを摘まれて、持ち上げられるのが怖かった。痛かった。嫌だった。私はグズで、一回でものを覚えられなかったから、お母さんをよく怒らせた。

 それは、妹もそうだった。

 

 『ラスカル!またこんなことして!』

 『ぅうう!うううう!!』

 

 怒声で泣き叫ぶ声が、さらに空気を澱ませるのが嫌だった。それに、この時から私はひどい奴だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「育てのお母ちゃんは、私のためになんだってしてくれました…… 雨の日も風の日も雪の日も、トレーニング施設の無い田舎で鍛えてくれました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『スズカ!これ……!』

 『はぁっ……! 欲しかった靴……!』

 『お前は走るのが好きだからな〜!』

 

 お母さんの笑う顔は、胸を温かくさせた。とっても優しい笑顔。わしゃわしゃ撫でられるのが大好きだった。

 そう。私はお母さんが大好き。笑顔のお母さんが大好き。

 

 『そんなこともできないなら玄関で立ってなさい!!』

 『……!!!! ……、……はい。ごめんなさい』

 『はぁー…… イラつかせんじゃねーよ……』

 

 怖い顔をするお母さんは、私に呆れたような、失望したようなため息を吐いて、日々の愚痴を私達の目の前で垂れるお母さんが大嫌い。

 何もしない父が嫌い。助け舟を出すこともしない、父が嫌い。

 

 『食う時くちゃくちゃ音立てんな!』

 『んー』

 

 お母さんを怒らせる、妹が、好きで嫌いだった。今は好き。大切な妹。

 でも、確かに私は妹が嫌いだった。あの子は、唯一の姉である私に、いつも笑顔で抱きついてきたのに。

 最低だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「日本一のウマ娘に育てる。その目標が叶ったら、育ててくれたお母ちゃんは、亡くなったお母ちゃんとの約束を守れるって……。見送りの日には、駅に横断幕も作ってくれたんですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと、好きなお母さんでいてほしい。怖い顔をしないでほしい。怒声を上げないでほしい。

 私は、お母さんを助けようとした。

 洗濯物を自分の部屋に持っていかないラスカルに、いつも注意した。

 ゴロゴロして、家では何もしない父をよそに、洗い物を片付けて、掃除機をかけた。洗濯物を干した。そんな時でも父はあくびをしてスマホを見ているばかり。本気で苛ついて、でも、いつもくたくたになって帰ってくる父を見ているから、私は何も言わなかった。

 そして、ある時。私は、まるで自分が、お母さんに都合よく使われているような気分になって、よくわからなくなった。疲れたんだと思う。

 私とは反対に、ラスカルはよく母に反抗する様になっていった。

 羨ましかった。大好きなお母さんに、反抗するなんて、私は怖くてできない。

 父は、いつも座椅子に寝転んでいた。

 家の中は日に日に息苦しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「だから、日本一になりたいんです! 二人のお母ちゃんのために!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は逃げ出した。走ることに。何も考えなくてもいい、自分だけに浸れることに。

 私がこのトレセン学園に来たのは、自分を変えたいからだと思っていた。でも、本当は違う。

 もう、振り返りたくないだけ。逃げたいだけなんだ。

 志なんてない。家族が好きなのか嫌いなのかもわからない。宙ぶらりんなのが私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全然、違うじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…… お母様、二人もいていいですね」

 

 今、笑えてるだろうか。

 

 目の前の彼女は、屈託のない笑みで私を見ている。

 

 「はいっ!!」

 

 ヒビの入っていた中指の爪に、ちくりと痛みが走った。



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舞い上がるスペ

 小休止。てかこの小説レース描写省略しすぎじゃね


 スペシャルウィークさんの、整っていた寝相が崩れていた。

 私の寝相は、むしろ人が変わったように綺麗になった。

 時計の針の音、スペシャルウィークさんの幸せそうな寝息が静かに刻まれる。時間は4時半。また予定よりも早く起きてしまった。

 布団を跳ね除けて、ベッドから降りて、ピンク色の寝巻きから、すべすべのお腹を覗かせているスペシャルウィークさんの前に出る。

 嗅ぎ慣れない匂いがする。

 起こさないように、寝巻きを引っ張って戻してあげて、布団をかけ直す。

 そして、“日課”の準備をしようと洗面台に行こうと思った時。

 

 「……お母ちゃん」

 

 一言、心の底から満足そうな声が聞こえた。

 

 私は部屋から逃げ出した。

 

 「はぁ……、はぁっ……」

 

 走っているというのに、部屋での一幕が頭を駆け巡る。

 無心になれない。朝日に染まる川岸のゆらめく風景が綺麗に思えない。

 ひゅーひゅー吹く風が冷たい。

 街灯の影が、つま先を突いている。

 

 『お母ちゃん……』

 

 あれだけで私のことを信頼したんだ。

 私は、あの子が思うような人じゃないのに。

 私が声をかけたのは、私があの子を壊したくなかったから。そんな恐ろしいことに加担したくなかったから。

 全部私のため。

 ……

 

 「……」

 

 呼吸が平静になる。街灯から伸びる影が、いつのまにか私に重なっている。スマホをジャージのポケットから出すと、時刻は五時半ちょうど。

 帰らなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入部した途端一週間後にメイクデビュー! なんて、無茶苦茶なことを言われて、右も左もわからない私が勝つことができるのか、勝てなくて、夢への第一歩で転んでしまったら、とにかく不安でいっぱいだった。

 そんな時、声をかけてくれたのは、他でもないスズカさん。

 私の大好きなお母ちゃんの話を聞いてくれた。

 私にゼッケンを届けに、地下バ道に来てくれた時、

 

 『す、スペちゃん……!』

 

 憧れの人に愛称で呼ばれた。

 私が勝てたのは、間違いなくスズカさんが檄を入れてくれたのが一つの要因。私はそう思っている。

 そして、あの日以降、スズカさんは私の面倒を見てくれるようになった。

 

 「……、す、スペちゃん、もう起きないと」

 「ん゛…… おはようございまふ」

 

 スズカさんの声と匂いで起きて、目を開けると、スズカさんの顔が見える。ちゃんと自分で起きないように、って頑張っても、どうにも朝は自信がない。

 寝癖を整えたり顔を洗ったりした後、食堂にいく。スズカさんは朝ご飯とかも全部済ませているから、一人で行って、美味しいご飯をたくさん取ってくる。

 

 「スペちゃんおはよーー!!!!」

 「おはよう、スペシャルウィークさん」

 「()んんん(おはよ)〜!!」

 

 そして、同じ時間帯に大体来ている、優雅なキングちゃんと、寝癖が飛び跳ねたウララちゃんと一緒に食べる。みんなで食べればもっと美味しい。

 スズカさんとも食べたいな。

 

 「スズカさん!いきましょ!!」

 「ええ、後少し待って」

 

 そして、部屋に戻ってきたら学校の用意をして、いつもだったらバラバラに登校していたけど、スズカさんが気を利かせてくれて、一緒に行こうって。

 嬉しい、嬉しい!羽が生えたみたい!

 普通の廊下もスズカさんとなら花咲き誇る道に見えるってもの!!

 スズカさ____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おはようスズカ」

 「あ、エアグルーヴ…… おはよう」




 沢山の評価、感謝です!


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親しい友人が友達の友達と仲良くしているのを見るともにょるスペ

 小休止そのに


 正門を通って、たづなさんに挨拶をして、スズカさんと、一緒に……

 

 「明後日はチームスピカに移籍して以来の初レースか…… またあの大逃げか?」

 「うん」

 「そうか、……あぁそうだ、今日の体育は合同だろ?私が組んでやる」

 「ありがとう、エアグルーヴ」

 

 ……

 アイシャドウの入った意志の強い目が、優しい光を帯びている。

 エアグルーヴ先輩、スズカさんと仲良しだったんだ。知らなかった。

 ちょっと後ろから見えるスズカさんの口元が緩んでいる。なんでだろう、見たことがあるのに、知らないような。

 二人とも楽しそう。

 ……

 なんだか周りの音がよく聞こえる。歩く男、楽しげな喋り声、枝葉の擦れる騒めき。周りで私を追い越していく他の人に目移りする。

 そして、最後にはスズカさんに戻る。

 でも、隣にはエアグルーヴ先輩がいる。

 ……

 ……

 ……

 

 「スペシャルウィーク」

 「えっ!?あっはい!!」

 

 ギョッとして顔を上げると、エアグルーヴ先輩の優しい表情が、今度は私に向けられている。

 少し駆け寄って歩調を合わせる。

 

 「スズカとの生活はどうだ?」

 「そ、それはもう、スズカさんが気を利かせてくれて……」

 「そうか」

 

 二、三こと言葉を交わしたら、もう正面玄関の中の下駄箱置き場。どやどやと押し寄せる人たちでごった返して、当然のように騒々しい。

 もう、ここで一旦お別れ。

 

 「スペちゃん、また後でね」

 

 そう、笑顔で言って、スズカさんはエアグルーヴ先輩と一緒に、人の波の中に紛れていく。

 私もまた、人の流れに押されて、スズカさん達とは別の流れに乗る。

 でも、私の心にこびりついた違和感は、この程度では流れ落ちる気配が無い。

 こんなの私の勝手なのは百も承知なのに、だめだ。

 嫉妬してるんだ、エアグルーヴ先輩に。

 せっかく二人で楽しくおしゃべりしようとしたのに。

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悶々とする。もし、私が教室で一番後ろの席じゃなかったら、後ろの席の人に何回怒られただろう。

 お母ちゃんと一緒に見ていた青春学園物ドラマの、主人公に声をかけられないけど傍から見ている女子学生が今の私。

 でもスズカさんだって、私と一緒に登校しようって言ってくれたのに。

 ……

 違う、スズカさんは私に気を遣ってくれていた。むしろ、最近、知り合ったばかりなのに、私がそこに寄りかかりすぎているんじゃないか。

 友達のエアグルーヴ先輩と話すことになんの悪いことがあるのか。

 やっぱりただの嫉妬じゃないか。

 

 「これは東北地方の海岸でよく見られる地形で____」

 

 いろんな雑音が入ってくる。今日は集中できる気分じゃない。芋づる式に気分が落ち込む。

 だって、こんなの初めてだから。すごく小さなことなのに妙に目移りする。雲の多い青空がくすんで見える。

 

 昼休みになっても、頭の片隅に残るしこりが気になって仕方ない。

 

 「スペちゃん、なんだか張り詰めた顔してるね。ご飯もいつもより少ない」

 

 ふと、いつものみんなと、カフェテリアの一角でご飯を食べていたら、セイちゃんが鋭く切り出してきた。思わず私は口角を上げる。

 でも、他のみんなを見渡すと、きらりと目を光らせてる気がする。

 

 「悩み事デスカッ!!」

 「相談ならいくらでも乗りますよ〜」

 「ケッ!?」

 

 机に乗り出したエルちゃんに、お淑やかにエルちゃんの脇腹を突くグラスちゃん。みんな、言えば何か答えてくれるんだろう。

 でも、これは口に出すほどの問題じゃない。

 

 「大丈夫!なんでもないことだから」

 「……ま、ほっとけば、案外気にならなくなるものかもねぇ」

 

 セイちゃんの言葉には、不思議な重みを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「えー、特に連絡事項はありません。じゃ、もう放課後にしてどうぞ」

 

 担任の先生のキリキリした声の後、少し教室がざわっとする。

 あっという間に一日が過ぎて、もう太陽が若干傾いている。ガタガタ椅子を引く音が重なって、他の子たちが耳をピンと立てて、各々教室から出て行く。

 私もそれに倣って、鞄を手にスピカの部室へ向かう。

 練習すれば、こんな雑念も忘れられる。

 キングちゃんとウララちゃんに見送られて、教室の戸を引く。

 

 「っ! スペシャルウィーク、少しいいか」

 

 その瞬間、朝に聞いた声がした。




 正直スペちゃんの抱く感情は嫉妬とも違う気がすんだ
 これってなんなんだろうね


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世話焼き女帝

 エアグルーヴもまた、高校生なのである


 エアグルーヴ先輩の背中が揺れるのを目にしながら、私もその後に続く。外から黄色い掛け声が聞こえる。練習が始まってるんだろう。

 廊下に響く足音が、私の焦燥を煽ってくる。

 

 「朝は済まなかった、スペシャルウィーク」

 

 思わず私は顔を上げた。エアグルーヴ先輩は顔をこっちに向けないで、

 

 「スズカを取ってしまったからな」

 「えあっ、いやそんなこと……」

 

 お見通しだったらしい。

 熱い。とにかく全身が熱い。今の私は耳まで赤くなってるに違いない。

 ……

 でも、不思議と落ち着いた気がする。

 

 そのあと、一言も言葉を交わさないで、正面玄関をくぐって傾いた日の下に出て、ようやくエアグルーヴ先輩が足を止めたのは、三女神像が見守ってくれている広場の隅、その木陰のベンチ。

 そこに腰掛けたエアグルーヴ先輩は、ぽんぽんと隣を叩いて私を見上げる。

 急に息が詰まるような感じがする。

 

 「し、失礼します……」

 「そんなに固くなるな」

 

 気を紛らわせるために顔を前に向けると、丁寧に整えられた街路樹、落ち葉がちゃんと掃除された道、三女神像、正面玄関、行き交う人々。その全てが見える。

 

 「スズカはここで、いつも一人で昼飯を食べている」

 

 隣を見ると、エアグルーヴ先輩は、大切な物にそっと触れているような面持ちをしていた。

 私の知らないスズカさんを、エアグルーヴ先輩は語り始めた。

 

 「スズカがリギルに入ってきてから、ずっと気になっていた。あいつ、いつも一人で、イヤホンをつけて他人との関わりを持たないようにしていた。だから、私から話しかけたんだ。この場所でな」

 

 語ることひとつひとつを慈しんでいるみたい。

 ……

 

 「それからは…… あのたわけの世話を色々と焼いてきた。今日とかな」

 

 思わず、私は口を開いた。

 

 「本当に、仲良しなんですね」

 

 でも、その瞬間、エアグルーヴ先輩の耳が少し倒れる。

 何か変なこと言った?何か、何かやらかした?

 

 「そうだな……」

 

 前を見据えていたエアグルーヴ先輩が、急に私の方に顔を向ける。思わず尻尾が跳ねる。

 

 「スペシャルウィーク、その、スズカは普段、どんな風に過ごしている……?この短期間接して感じたことは無いか?」

 

 ……

 固まってしまった。だって、思い返してみたら、……

 視線が右往左往する。思い出せ、スズカさんは、私を起こしてくれるし、お話しすると乗ってくれるし、勉強は自分の机で……

 あれ? 

 ……

 ……

 ……

 ベッドの端っこで、体育座りして、スマホを弄ってるか、爪を弄ってるか。

 そうして、いつも私が振った話題に相槌を打ってくれる。

 何か、釈然としないような。それがスズカさんらしいといえば、そうかもしれない。

 

 「すまない、考え込ませてしまったな」

 「あ……」

 

 息を呑んだ。エアグルーヴ先輩は、影を落とした笑みを浮かべたまま。

 

 「いつも笑ってるんだ。そして、必要以上に語らない。何事も遠慮する。それがアイツの処世術なんだろうが……」

 

 ……

 まだまだスズカさんとの生活が始まって数週間も経ってないのに、妙に納得してしまう自分がいる。

 もしそうなら、まるで、スズカさんは……

 胸がキュッとする。そんなことを思いつくなんて、あまりにも卑屈すぎるから。

 でも、でも。

 

 「じゃあ、スズカさんは私に遠慮して……?」

 

 ハッとして、顔を伏せた。私、今なんて口走った。

 あぁ目が回ってきた。酷い気分が込み上げてきた。

 

 「あいつは多分、寮の部屋の中、そして、走っている時にこそ自分を曝け出せたんじゃないかと思うんだ。気を使う必要が無いから。だから、……スズカは今、張り詰めている気がするんだ」

 

 心がいたむ。納得してしまう。したく無いのに。

 本気で走っている時のスズカさんは、なりふり構っていない。

 いつも私より早起きして、朝から走りに行く。練習が終わった後も、足りないからと走っている。

 スズカさんは、私が入ってくるまでは、一人部屋だった。

 ……

 じゃあ、私は、スズカさんの負担になってるのかな。

 

 喉の奥が、ドロドロの鉛でも突っ込まれたみたいに熱い。

 

 「……まるで、責め立てるような言い方になってしまったな、私にそんな資格は無いのに。……すまない」

 

 頭に、小さな重みが乗った。エアグルーヴ先輩の、大きな手。

 

 「だが、あいつは、お前との暮らしを本当に嫌がっているなら、今頃全て投げ出しているよ」

 

 ゆっくりと、エアグルーヴ先輩は私の頭を撫でてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スペシャルウィーク、お前に頼みたいことがあるんだ」

 

 ……

 目元を拭って、顔を上げる。

 

 「スズカのことを知って、理解してやってくれ。時間をかけて、そして、君との生活が彼女の心の平穏になるように」

 

 エアグルーヴ先輩の言葉は、とても重い。

 本当のスズカさんを知る。

 少し怖い、もし、私のことが嫌いだったら? そんなことは簡単に思いつく。

 ……

 

 『……ま、ほっとけば、案外気にならなくなるものかもねぇ』

 

 でも、これは足を止めちゃダメだ。ちゃんと見なきゃ。

 

 エアグルーヴ先輩の方を見た。

 そして、私はここに誓った。

 

 「はいっ!!」

 

 固かった表情が、たちどころに解けてくれた。




 チカレタ


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遠慮しちゃうスズカ

 遅ればせながら


 風の塊が顔に当たる。私の息遣いと、後ろから小さく足音が聞こえる。オレンジ色の風景が、ラチが流れていく。熱い空気が口から噴き出る。

 足の感覚がなくなりかけてる。視野が狭まる。

 あと、もう少し____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『スズカさ〜ん!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ッ……!」

 

 スピードを緩める。視界の外に沖野さんが吹っ飛んで行ったのがみえたから。

 レース前の本格的な追い込みはこれで最後と言っていた。レースの直近はこれだからあまり好きじゃない。自主練習すら縛ってくるんだから。

 

 「はー……」

 

 一息つく。気にならなかった喧騒もやかましくなってきた。練習コースは今日も盛況している。

 振り向くと、白い髪を靡かせて、拘束具のようなヘッドギアをつけた相手が、手を振ってこっちに寄ってきた。

 怖い笑顔。

 

 「いや〜速いのなんの!おめえ本当すげーよなぁ!」

 「わぶっ」

 

 手が伸びてきたと思ったら、私の肩にゴールドシップの腕が絡んで、いきなり引き寄せられた。追い切り直後だから、ジャージ越しでも熱くて湿っぽい。

 こうなってしまったら笑ってるしかない。

 すると、さらに後ろから足音が。

 

 「良いタイムだ。これなら今週のレースも問題無いだろうな「あースペ!!!なんだそのクソデカタイヤ!!!」

 

 視界がぐわんぐわんと揺れて足がステップを踏んだみたいに乱れる。気がつくと、ゴールドシップがすごい勢いで走り去って行くのが見えた。

 その先には、ダートコースに現れた何に使うのかわからないほどデカいタイヤ、そして、それを持ってきたのだろうスペちゃんが。ウオッカ、スカーレットコンビも一緒にいる。

 思わず沖野さんに顔を向けても、呆れたように首を振るだけ。

 

 「ったく、アイツらはよくわからんことをするんだからなぁ……」

 

 また視線を戻すと、何やら、タイヤに括り付けたであろう縄を腰に巻いたスペちゃんが、ゴールドシップと話ている。

 もうさして心に波風立たないのは、この環境に慣れきった証拠なんだろう。

 

 汗が冷えてきて、じわりと寒気がする。

 

 「お前は混ざらなくていいのか」

 

 思わず視線を落とした。何の気も知らないで芝がそよいでいる。

 爪を弄ろうとしているのに気づいて、やめた。

 

 「お前、最近気が散ってるだろ」

 

 ……

 

 「気になることがあるなら相談に乗るぞ」

 

 反射的に答えた。

 

 「別に」

 

 無い。無いに等しい事だから。

 また親指が中指を撫でている。

 

 「この前言ったな、本音でぶつかんなきゃ、いつか後悔するって」

 

 また前を向く。

 スペちゃんが、ゴールドシップが乗ったタイヤを引いて、ダートコースを削っている。

 ……

 ……

 ……

 目だけ、沖野さんの方に向ける。

 優しさが肌にチクチク染みる。

 

 「大丈夫ですから」

 

 でもダメなんだ。こういうのは話しちゃいけないんだ。

 話したところで、巡り巡って苦しいのは私になるから。

 

 「スズカ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『スズカさんって、兄弟とか、妹とかいたりするんですか?』

 『どうして?』

 『なんというか、いろいろ手慣れてる気がして』

 

 『スズカさん!』

 『何?スペちゃん____』

 

 『スズカさん!』

 

 最近、スペちゃんが根掘り葉掘り聞いてくるようになったのは、なんなんだろう。

 

 爪がはがれてしまった。




 みじかい


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